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そして……詩織とクリスマス


 クリスマス、かぁ。
 俺は天井を見上げながら呟いた。
 ついてねぇ。
 こんな日に風邪引くだなんてなぁ……。
 ゲホゲホ 横になって咳込むと、そのまま視線を窓に向ける。
 詩織の部屋の電気は消えている。
 今頃、伊集院のパーティーで楽しんでるんだろうなぁ。
 ふー。
 溜息をついたとき、不意にお袋の声がした。
「公! 起きてる?」
 その声と共にドアが開いて、顔を出すお袋。
「あに?」
「起きられる?」
「んー。まぁ、なんとか」
「そう? それじゃ早く起きなさいよ。詩織ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」
「あっそぉ……。なんだとう!?」
 俺は反射的に跳ね起きて、咳込んだ。
 ゲホゲホゲホッッ「あらあら。大丈夫なの?」
「ま、まぁね」
 俺はどてらを羽織りながら答えた。多少見栄えは悪いが、この際やむを得まい。

 居間のドアを開けると、ソファに掛けていた詩織が顔を上げた。
「あ、公くん」
「や、どうも……」
 咄嗟に気の利いた挨拶が出てこない。
 詩織は、普段着ているセーター姿だった。どう見てもパーティーに出る姿じゃないよなぁ。
 心配そうに俺を見る。
「大丈夫なの?」
「ああ。これでも一日寝てたら良くなってきたよ」
 俺はそう言いながら、詩織の正面に座った。
「それじゃ、ごゆっくり」
 お袋はそう言うと、ドアを閉めた。
「あ、おかまいなく」
 詩織はそう声をかけると、俺に視線を戻した。
「心配したんだから。今日になって公くんが風邪で寝込んでるって初めて知ったのよ」
「そうなの?」
「うん。お母さんにね、今日の伊集院くんのパーティーに公くんと一緒に行こうかなって言ったら、それは無理よ。だって公くん風邪引いてて、寝込んでるらしいわよ……って」
 詩織は詩織の叔母さんの口まねをして言った。
「インフルエンザらしいんだ。昨日医者に行って、今日は一日寝てた」
「お医者さまに行ったの? それなら安心ね」
 にこっと笑うと、詩織は口をつぐんだ。
 俺は詩織に尋ねた。
「でも、いいの?」
「え? 何が?」
「伊集院のパーティーに詩織も呼ばれてたんだろう?」
「ん……だって……」
 詩織は俯くと、小声で何か呟いた。
「……の方が心配……」
「え?」
「う、ううん。もう、いいじゃない」
 そう言うと、はにかむような笑みを浮かべる詩織。
「まぁ、詩織がいいんならいいんだけど。でもさ……」
「でも?」
「いや、詩織のドレス姿、見たかったなぁって」
「え?」
 詩織は頬を赤く染めた。
「やだ、公くんったら。あのドレス、結構恥ずかしいのよ」
「そうなの?」
「だってあれ、結構胸元空いてるし……、私、プロポーションあんまり自信ないから……」
 おいおい。他の娘に聞かれたら殺されるぞ。
 そうは思ったが、そう言うわけにもいかない。俺はひきつった笑みを浮かべて言った。
「そ、そう?」
 と、ノックの音がして、お袋が入ってきた。
「お邪魔さま。はい、どうぞ」
 お袋はお盆から紅茶とケーキを机に置くと、「おほほほ」と笑いながらドアを閉めた。
 詩織がケーキを見て小さな歓声を上げる。
「うわぁ、ステキ。ブッシュ・ド・ノエルね」
「え?」
 俺はケーキを見て首を捻った。
「そうなの?」
「んもう、公くんったら」
 詩織は苦笑して言った。
「薪の形してるでしょ? こういうクリスマスケーキを、ブッシュ・ド・ノエルっていうのよ」
「へぇ、そうなんだ」
 俺は感心して詩織を見た。
「さすが知識豊富」
「えへん」
 詩織は胸を張り、そして俺と顔を見合わせて笑った。
 それから、詩織は紅茶を口に運びながら言った。
「なんだか、懐かしいな」
「何が?」
「ほら、昔は二人でクリスマスのお祝いしてたじゃない」
「そうだっけ」
 俺は首を傾げた。詩織はプンと膨れた。
「ホントに物忘れがひどいんだからぁ」
「俺には過去はないのさ」
 俺は肩をすくめた。
 詩織は呟いた。
「私は……」
「え?」
「あ、えっと……」
 詩織は立ち上がると、窓に歩み寄った。そして言った。
「ほら、公くん、雪……」
 詩織がカーテンを少し開くと、白い結晶がちらちらと舞っているのが見えた。
「ホワイトクリスマスよ、公くん」
「そうだね……ホワイトクリスマス、かぁ……」
 俺も立ち上がると、詩織の後ろから外を眺めた。
 詩織は、そっと俺の肩に頭を寄せてきた。
「ロマンチックね……」
「そうだね」
 いつもなら気恥ずかしいようなシチュエーションだけど、何故かその時は気にならなかった。
 クリスマスの魔力かも知れない。
 俺はそっと詩織の肩に手を置くと、言った。
「詩織、覚えてる?」
「え? 何を?」
「小さいときのクリスマス、さ。いつも、一緒だったよな」
「……うん」
 詩織は小さく頷いた。
 俺の目には、そのとき、小さい頃の詩織と俺が確かに写っていた。

「こーくん、まってぇ!」
「えへへ。しおりー、はやくー」
 小さい俺が先に走り、小さい詩織がその後を追いかけている。
 と、不意に小さい詩織が転ぶ。
「きゃ」
「しおり?」
 小さい詩織は泣き出す。
「ええーん、ええーん」
「泣くなよ。行こう!」
 小さい俺が小さい詩織の手を引っ張る。小さい詩織は涙を拭いて、笑みを浮かべる。
「うんっ!!」

「……あの頃に、戻りたい?」
 不意に詩織が顔を上げて、俺に訊ねた。
 俺は少し考えて、首を振った。
「いや」
「どうして?」
「だって、俺は……」
 俺は口ごもった。
 俺は今の詩織が好きだ。どうしてもその一言が言えなくて……。
 詩織も、無理に先を促そうとはしなかった。ただ一言、呟いただけだった。
「……辛いね。言えないのは……」
「……詩織……」
 俺は、詩織を抱く手に力を込めていた。
「俺……」
「公くん……」
 詩織は、俺の唇に人差し指を当てた。
「……?」
「いいの。今は……何も言わないで……」
 俺達は、黙って外を見つめ続けた。
 雪は、黙って降り続けていた。

「お邪魔しました」
 玄関で、詩織はお袋に頭を下げていた。
「送ろうか?」
「いいよ。お隣なんだし、それに公くん風邪引いてるんだし……」
「でも、雪降ってるわよ。傘使う?」
「いえ、おばさま。大丈夫です。それじゃ、公くん、お大事に」
 そう言うと、詩織は外に出ていった。
 それを見送る俺の尻をいきなりお袋が叩いた。
「いて!」
「あにやってんの、このすっとこどっこい。早く詩織ちゃんを送ってやりなさいって」
「あ、ああ」
 俺は傘を持って外に飛び出した。
「詩織!」
「え?」
 振り返った詩織に、俺は傘を差しだした。
「送るよ」
「……うん」
 詩織は頬を赤く染めて頷いた。そして、俺の隣に並んだ。
「相合い傘だね、公くん」
「え? あ、うん……」
 シャンシャンシャンシャン 何処かで、鈴の音がしているような、そんな気がして俺達は立ち止まった。そして、空を見上げた。
 空を走るそりが見えるような気がして……。

余談

 翌日。
「うーん、うーん」
「39度8分っと。まったく、そんな格好で雪の中に30分も立ってたら熱出るに決まってるじゃないの。なにやってるんだか」
「お、おう」

「37度9分……と。薬はここに置いておくから、今日は大人しく寝ていなさいね」
「はぁい。……でも、ちょっと嬉しいな」
「何か言った?」
「なんでもない。お休みなさい、お母さん」

《終わり》

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