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White Album Short Story #6
弁護士 観月マナ 2

白銀のMTB その5

 長瀬くんと新城さんを連れて、観月マナ法律事務所に戻ってきた俺を出迎えたのは、マナちゃんの怒鳴り声だった。
「藤井さんっ! 事務所を空けて、どこをほっつき歩いてたのよっ!」
「……どうして俺だと?」
 ドアを開けるときに、別に名乗ったわけでもなかったのに、と思いながら聞き返すと、マナちゃんは偉そうに胸を張った。
「ノックもしないでここのドアを開けるのは藤井さんしかいないわよっ」
「……なるほど。さすがマナちゃん」
「えへへ……って、誤魔化されませんからねっ! あたしが働いてる間どこを遊び回ってたわけよっ?」
 一瞬嬉しそうに笑いかけて、慌てて腕組みして俺を睨むマナちゃん。
「遊び回ってないって。メモにも書いておいただろ?」
「メモ?」
「……電話の横」
「えっ? あ、ホントだ。何々? 情報提供者からの連絡があったので、逢ってきます。詳細は後で報告します。……あら」
「で、誰が遊び回っていたって?」
「……う、うるさいわねっ。それで、その情報提供者とやらの話はどうなったのよ?」
「ええっと、ここに連れてきたんだけど……」
「え? ええっ!?」
 俺は後ろを振り返った。そして紹介する。
「というわけで、こちらの怒ってる娘が、観月マナ先生だけど……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!」
 慌ててマナちゃんは俺のところに駆け寄ってきた。そしてその後ろに長瀬くんと新城さんが目をぱちくりさせているのを見て、慌てて頭を下げた。
「あたしが弁護士の観月マナよっ!」
「……頭を下げながら威厳を見せようとしても、無理があるぞ、マナちゃぎゃうっ!!」
「観月先生って呼ぶようにって言ってるでしょっ!」
 すねを蹴っ飛ばされて、その場でのたうつ俺をジト目で睨むと、マナちゃんはまだ目を丸くしている二人を、事務所の中に案内した。
「ま、どうぞ。狭いところだけど、楽にしてていいわよ」
「あ、ど、どうもすみません」
「お邪魔しま〜す」
 まだ緊張している長瀬くんに比べて、新城さんはすぐにリラックスした様子で、ソファに腰を下ろした。
「わ、ふかふかだね、祐くん」
「ちょ、ちょっと沙織ちゃん、飛び跳ねないでよっ」
「だって、こんなソファ、校長室くらいにしかないよ」
「……こほん」
 マナちゃんが咳払いして、長瀬くんが慌てて頭を下げる。
「すっ、すみませんっ」
 マナちゃんは、ペンを片手に、テーブルを挟んだ反対側に座った。そして、ノートを開いて訊ねる。
「……それで、情報って言うのは?」
「はい……。実は……」

「……それで、あたしにどうしろって?」
 長瀬くんと新城さんの話を聞き終わったマナちゃんは、すっと目を細めて、言った。そして、ソファから立ち上がると、腕組みして正面に座っている2人を見下ろす。
 ……本人は威圧してるつもりらしいのだが、いかんせん背が低いので、長瀬くんはともかく新城さんには全然通用していない。
「……観月さん、お腹でも痛いのかな?」
「さ、沙織ちゃん、聞こえてるよっ」
 2人の声にぴくりと眉を動かすと、マナちゃんは不意に俺に視線を向けた。
「……なに笑ってるのよ?」
「わ、笑ってませんよ」
「……お茶」
「はい、ただいま」
 俺は冷蔵庫から烏龍茶のペットボトルを取り出して、グラスに注ぐと、マナちゃんに手渡した。
 マナちゃんはそれを飲み干して、それから2人に視線を向けた。
「とりあえず、毒電波というものが存在することは判った。でも、それであたしにどうして欲しいわけ?」
「……判りません」
 長瀬くんは、首を振った。
 そんな長瀬くんをかばうように、新城さんがマナちゃんに視線を向ける。
「なによ、偉そうに。あなた弁護士なんだから、何とかしなさいよっ!」
「だから、何をどうして欲しいのかって聞いてるんじゃないのよっ!」
「マナちゃん、落ち着いてっ!」
「沙織ちゃん、ちょっとっ!」
 それぞれ俺と長瀬くんになだめられて、二人はしぶしぶ腰を下ろす。
 長瀬くんは深呼吸をして、マナちゃんに言った。
「僕は、これ以上人が殺されたりするのを防ぎたいんです」
「お門違いね」
 あっさり答えるマナちゃん。
「犯罪の予防は警察のお仕事。弁護士の仕事じゃないわ」
「で、でも、おじさんは観月さんに相談してみろって……」
「だから、それが相談の答えよ」
 そう言うと、マナちゃんは立ち上がった。そして、窓に歩み寄ると、ブラインド越しに外の風景を眺める。
「……弁護士は、法律が武器なのよ。法律にないことに対しては、何も出来ないの……」
「なによっ。事件は現場で起こってるのよっ!」
 また新城さんが立ち上がる。
 振り返るマナちゃん。
「あのね、新城さん、だったかしら? 弁護士は警察じゃないし探偵でもないのよ」
「……あっそ」
 新城さんは、ソファから立ち上がると、そのままずかずかっとマナちゃんに歩み寄った。そしてその顔に向かって指を突きつける。
「よっくわかったわっ! なによ、弁護士、弁護士って偉そうにっ! 結局、あんた一人じゃな〜んにもできないんじゃないの! ふんだっ。行こっ、祐くんっ」
 そのままくるっと背を向けて、部屋を横切っていこうとする新城さん。そして、おろおろとその背中に声をかける長瀬くん。
「ちょ、ちょっと沙織ちゃん……」
「……待って」
 マナちゃんが、静かに声をかけた。
「何でしょうか、観月先生?」
 振り返った新城さんが、バカ丁寧に聞き返す。
 マナちゃんはつかつかっと新城さんの前に歩み寄ると、聞き返した。
「今、なんて言ったのよ?」
「あんた一人じゃ何にもできないおちびさん」
 ……おちびさん、は言ってなかったぞ、新城さん。
 マナちゃんは、その言葉を聞いて、にまぁっと笑った。うっ、あれはまずい。マナちゃんがマジに怒ったときの顔だ。
 普段からよく怒ってるマナちゃんだが、あれは瞬間湯沸かし器みたいなもんで、ぱっと怒ってぱっとおさまる。だけど、本気で怒るとまずあの笑顔を見せるんだ。
「マナちゃん、ちょっと……」
 俺は慌てて2人の間に割って入ろうとした。
 ズグゥン
「藤井さん、邪魔」
「ぬぐぅぉぁぁ」
「わっ、だ、大丈夫ですかっ!?」
 臑を抱えてその場でのたうつ俺に、驚いた長瀬くんがかがみ込んでおろおろと声をかける。
 そんな男2人など無視して、マナちゃんは新城さんに言った。
「言いたいこと言ってくれるじゃない。あたしが何もできないですって?」
「違うの?」
「当たり前じゃない。いいわよ、やったげるわよ」
 ……あちゃぁ。
 俺は今度は頭を抱えた。そして立ち上がる。
「マナちゃん、落ち着けよ。はるかのことはどうするんだよ? 二つも三つも仕事をうぐぅっ」
「観月先生って呼びなさいよねっ!!」
 もう一度臑をけっ飛ばされて、再びもんどり打つ俺をよそに、マナちゃんはソファに座って腕組みした。それから改めて、俺に向かって言う。
「そんなことくらいわかってるわよっ! でも、真犯人を捕まえれば、はるかさんだって無罪ってわかるでしょっ!」
「で、でも、真犯人が毒電波を使って、はるかに他人を殺させた、なんて法廷で通るわけがないじゃないかっ!」
「なんとかするわよっ!」
 そう俺に言い返すと、マナちゃんは長瀬くんに向き直った。
「それで、長瀬くん」
「は、はいっ」
 なにせ、今までの状況(特に俺が蹴っ飛ばされているところ)を見ていたので、慌てて背筋を伸ばす長瀬くん。
 すたすたと戻ってきた新城さんが、その脇をつついて囁く。
「何、気圧されてるのよ、祐くん」
「そ、そんなこと言われても……。ええと、それで、なんですか?」
 マナちゃんに向き直って訊ねる長瀬くんに、にっこり笑いかけるマナちゃん。ありゃまだ怒り収まらずって感じだぞ。
「まぁ、お座り下さいな」
 おまけに接客用マニュアル式丁寧語になってるし。
「まずは、その毒電波、でしたっけ? それについてもう少し詳しくお聞きしたいのですが……」

 途中で切れた烏龍茶の代わりを近所のコンビニに買いに行かされた俺が、ビニール袋を手に戻ってくると、そこには新城さんだけがソファに座って足をぶらぶらさせていた。
「あれ? マナ……もとい、観月弁護士と長瀬くんは?」
「あ、藤井さん! 聞いてよ、あの2人、なんかヒミツの話があるとか言ってあっちの部屋に入ってったのよっ!」
 弾かれたように立ち上がって、マナちゃんの執務室の方を指さしながら俺に訴える新城さん。と、俺の提げているビニール袋に気付く。
「あ、飲み物買ってきてくれたんだ。ありがとっ」
「あ、うん。それじゃちょっと待ってて、湯飲み持ってくるから」
 そう言ってビニール袋をソファの前のテーブルに置くと、俺は給湯室から湯飲みを取ってきた。
「あ、いいよいいよ、あたしが注ぐから」
 烏龍茶のペットボトルを出そうとすると、それを制して新城さんは自分でペットボトルを取った。そして俺の分まで注いでくれる。
「はい、どうぞ、藤井さん」
「はは、ごめんね。お客さんに注いでもらって」
「いいのいいの。それにそっちにとってのお客さんは祐くんで、あたしは単なる付き添いだし」
 笑って、新城さんは湯飲みを手にした。それからちらっと閉ざされたドアの方を伺ってから、声を潜める。
「……藤井さん、それで、その……。祐くんのこと、どう思ってる?」
「どうって……?」
「あ、うん。ほら、祐くんの……力のこと……」
 俯いて言う新城さん。
「どう考えても……、普通じゃないでしょ? あたしも初めて知った時は、ちょっと……。ううん、すごく怖かったんだ……。あ、でも今は全然大丈夫だけど」
 顔を上げて微笑む新城さん。その笑顔は、上手く言えないけど、何かを乗り越えた人のそれのような気がした。
 そう、俺と別れた後の由綺の笑顔のような……。
 俺は、肩をすくめた。
「俺も正直に言えば……、怖くないって言えば嘘になる。長瀬くんは……そうだね、たとえて言えば、拳銃を持っているのと同じわけだから」
「拳銃、か。そうだね、離れたところからでも確実に人を……、って考えたら、そうだよね……」
 何気ない俺の言葉に、新城さんは大きく頷いた。
 俺は言葉を続けた。
「でも、拳銃だって包丁だって、凶器になりうるけれど、ただの使われなければ道具だし、長瀬くんの持っている、その毒電波っていう力もそうなんだと思う。要するに、俺が言いたいのは……」
「いいも悪いもリモコン次第……ね?」
 了解、というようにウィンクする新城さん。どうでもいいけど、なんでそんな古い歌を知ってるんだろう? 俺は彰がカラオケで歌っているのを聞かされて憶えてたんだけど。
「それなら、オッケーだよ。祐くん、いい人だもん」
「ああ。俺もそう思うな。……って、新城さんほど長瀬くんのことを知ってるわけじゃないけど……」
 俺はドアの方に視線を走らせた。それから新城さんに向き直る。
「まだあっちも時間が掛かるみたいだし、もう少しのんびり待っていようか」
「……藤井さんは気にならないの?」
「何が?」
「何がって……。ええっと、藤井さんは、観月弁護士さんと、その……恋人同士だったりするんでしょ?」
「まぁね」
 さらりと返せる辺り、自分でも大人になったなぁと妙な感慨を抱きながら頷く俺。
「その恋人が、男の子と同じ部屋にこもりっきりなんて……」
「仕事だもの。いちいちそんなことでマナちゃんを疑ってたら、始まらないでしょ?」
「……ふぅん、やっぱり大人って落ち着いてるんだなぁ」
 新城さんは苦笑した。
「あたしはダメだなぁ。今も落ち着かないもん。あ、もちろんあたしだって祐くんを信じてる……。信じてるけどね……」
「うん、そんなもんだと思うよ。俺も色々あったわけだし……」
 そう言ってから、しまったと思う俺。
 案の定、新城さんは目を輝かせて俺に向き直る。
「ナニナニ? どんなことがあったわけ? そもそも藤井さんと観月さんってなんか年が釣り合わないし、どこでどうして出逢ったのかとかあたしは聞きたいなぁ〜」
「いや、それはその、プライベートなことだし……」
「う〜っ、あたしと祐くんのプライベートな関係まで根ほり葉ほり訊ねたくせにぃ」
「いや、それは仕事であって……、って、そもそも君たちの関係までは聞いた覚えはないぞっ。長瀬くんが毒電波を使えるようになった理由を聞いただけじゃないか」
「でも、結果は同じじゃない」
「そりゃそうかもしれなけど……」
「いいから教えてよ。お願いっ」
 ぱちんと両手を合わせて同時にウィンクするという高度な離れ業、いわゆるお願いポーズを取ってみせる新城さん。う〜ん、どうもこういうタイプの娘とはあまり接して来なかったから、なんか苦手だなぁ。
 と、ドアが開いて長瀬くん、続いてマナちゃんが出てきた。
「それじゃそういうことでお願いします、観月さん。……あれ? 沙織ちゃん、なにしてるの?」
「あ、うん。今、藤井さんと観月さんのなれそめを聞いてたとこ」
 けろっと答える新城さん。と、かぁっと真っ赤になったマナちゃんが慌てて駆け寄ってくると、俺の襟首を掴んだ。
「ちょっと藤井さんっ、何恥ずかしいことしゃべってんのよっ!!」
「ごはっ、誤解だ、マナちゃんっ! 俺は何も、しゃべってないっ!」
「ホントでしょうね?」
「六法全書に誓って」
 俺の言葉に頷いて手を緩めると、マナちゃんは新城さんを睨み付けた。
「今回の事件が片づいたら、いずれ勝負しなくちゃいけないわね」
「いつでも受けて立つわよ」
 にっこり笑う新城さん。
 う〜ん、実際の年の差が完全に逆転してるみたいだなぁ。
 とと、それよりも。
「あ、祐くん。お茶入れてあげるね。ペットの烏龍茶だけど」
 そう言いながら、湯飲みに烏龍茶を注いで長瀬くんに差し出す新城さん。
 長瀬くんは苦笑しながら言った。
「ありがと。でも、それって沙織ちゃんが使ってた湯飲みだよ。それじゃ間接キスになっちゃう」
「あ……」
 かぁっと赤くなると、慌てて湯飲みを置くと立ち上がる新城さん。
「あたし、新しい湯飲み取ってくるねっ」
 そう言い残して、そそくさと給湯室に飛び込んでいく新城さん。
 ううむ、さっきまでのとはなんか反応が違うな。いわゆる耳年増ってヤツなのかなぁ。
 ほのぼのとそう思っていると、長瀬くんが俺に声を掛けてきた。
「藤井さん、すみません。沙織ちゃんが何かご迷惑を掛けませんでしたか?」
「あ、いや。そっちこそマナちゃんがふぅっ!」
「あたしがな・に・か・し・ら?」
 背後から俺の首に腕を回して締め上げながら言うマナちゃん。俺は慌ててその腕をタップする。
 マナちゃんは腕を解いてため息をついた。
「まったく……。だいたい、観月弁護士って呼べって言ってるでしょっ!」
「うわ、思い出して再度スリーパーって反則だっ!」
「あ、あの、落ち着いてください」
「あ……。こほん」
 長瀬くんに声を掛けられて、我に返ったマナちゃんは、咳払いをして俺の隣に腰を下ろした。
 俺は喉に手を当てて発声練習をしてから、マナちゃんに訊ねた。
「それで、どうすることになったわけ?」
「うん」
 マナちゃんは、にまぁっと笑った。
「網を張ろうと思って」
「……網?」

To be continued...

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あとがき
 それでは、続きは1年後に(笑)
 銀色のMTB その5 2002/1/22 Up

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