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White Album Short Story #2
WHITE REFRECTION

 おかしいなぁ……。
 私は、リビングの壁に掛かっている時計を見上げた。
 もうすぐ午前7時。
 もう一度、メモを開いて確かめてみる。うん、間違いなく、今日は8時からレッスンのはずなのに……。
 マネージャーの水野さん、どうしたのかな? いつもなら、とっくに迎えに来てるはずよね?
 と。
 トルルルル、トルルルル
 滅多に鳴らない電話が鳴りだした。この電話番号を知ってる人は、ほとんどいない。
 水野さんかな?
 私は、受話器を取った。
「もしもし?」
『あ、理奈か?』
「兄さん? どうしたの?」
 電話の主は、兄さんだった。珍しく、ちょっと慌ててるみたいな口調。
『水野くんが倒れた』
「え? 水野さんが倒れた?」
 思わず、そのまま聞き返してしまった。
『ああ。とりあえず理奈のスケジュールは、僕の方でも押さえてあるから、当面は問題ないんだが……』
 私は、いつも青白い顔をしてた水野さんを思い出しながら、聞き返した。
「倒れたって、どういうことなの?」
『僕も今朝聞いたばかりで、詳しいことは知らないんだが。昨日の夜、家に帰ったところでバッタリと倒れたらしい。そのまま救急車で病院に運ばれて、緊急手術ってことになったらしい』
「そんな……」
 思わず、口に手を当ててしまった。
 昨日は、いつも通り仕事をしてくれてたのに……。
『とにかく、事務所の方まで来てくれないか? あ、今日のレッスンは、こっちからキャンセルしておいたから』
「うん、わかった。すぐに出るわ」
『ああ、タクシーをそっちに向かわせたから、それに乗ってきてくれ』
「うん」
 私はうなずいて、電話を切った。

「ホントにびっくりしたわよ」
「すみません……」
 消毒薬の臭いがツンと来る病室。ベッドに横になったまま、水野さんは頭を下げた。
「ううん、無理させたのは私だし。とにかく、今はゆっくり休んでね」
「ありがとうございます」
 消え入りそうな声。
 とにかく、手術は成功したけど、医者の話だと半年は療養が必要ってことみたい。
「それじゃ、お大事に」
 そう言って病室を出ると、私のお見舞いが終わるのを外で待っていた兄さんが、寄りかかっていた廊下の壁から身体を起こした。
「どうだった?」
「うん。水野さん、とにかくすまながってたわ。でも、どうするの、これから?」
 私の仕事はマネージャーなしじゃにっちもさっちもいかないし。かといって、兄さんをマネージャーに、なんて私の方から願い下げだし。
「そうだなぁ。水野君の復帰まで長期オフってわけにもいかないし、代理マネージャーを立てるか」
「でも、そんな都合のいい人材っている? あ、断っておくけど、兄さんはいやよ」
「つれないねぇ、理奈ちゃんてば。まぁ、僕もそんなに暇なわけじゃないし……」
 私達は、足早に廊下を歩きだした。
 兄さんは腕組みして呟いた。
「うーん。篠塚くんくらいの傑物がいればいいんだが……」
「篠塚さん、かぁ……」
 由綺のマネージャーの篠塚さん。うちの水野さんとは対照的で、天才的な敏腕マネージャー。由綺が一気にあそこまで登りつめたのは、兄さんだけじゃなくて、篠塚さんの力も大きかった。
 水野さんは、どっちかといえば、マネージャーと言うよりも付き人みたいだった。というのも、本来マネージャーのやる仕事の半分は兄さんがやってたからなんだけど。
 でも、そんな水野さんでも、いないとまた困るのも事実だし……。
 と、不意に兄さんがポンと手を打った。
「そうだ!」
「何? 心当たりでもあるの?」
「ああ」
 そう言って、兄さんはポケットから携帯電話を出した。いくつか番号を押すと、耳に当てる。
「……もしもし? 緒方ですが……。お久しぶり。……ちょっと話があるんだけど……」
 その後、どこかに行くという兄さんと別れて、私はまっすぐ家に帰って、久しぶりにのんびりと過ごした。
 そして、夜になって、兄さんがやって来た。
「理奈、マネージャーを見つけたぞ」
「ホント?」
「ああ。これを見てくれ」
 そう言って、兄さんは鞄からパンフレットを出して、並べた。
 パンフレット? 人材派遣会社でも捜してきたのかしら?
 そう思って、そのパンフを覗き込む。
 ……これって……。
「兄さん、これって、メイドロボのパンフじゃない」
「そう。来栖川ホームエレクトロニクスが今度出す新型メイドロボのパンフ」
「……兄さん、まさかとは思うけど、私のマネージャーにメイドロボを付けようとか考えてるんじゃないでしょうね?」
「いけないか? 少なくともバッテリーが切れるまでは倒れないし、約束は忘れないし、問題ないじゃないか」
「冗談よしてよ。ロボットにマネージャーなんて出来るわけ無いじゃない」
「何が出来ないんだ?」
「えっと……」
 私は反論しようとして反論できないことに気が付いた。体力的にも全然問題ないし、問題だったコミュニケーションでも、最近のメイドロボはすごい進歩をしてて、もう普通の人間と変わりない、とまで言われてるってことも知ってる。
 でも、そのまま丸め込まれるのも悔しいから、言い返した。
「とにかく、やなの!」
「まぁまぁ。実はね、『エコーズ』知ってるだろ? あそこのマスターの従兄弟が、このメイドロボの開発に係わっててね、まだ発売まで間があるけど、モニタ代わりに使わせてくれるっていうんだ」
 ……その話を付けてきたのか、この男は……。
「でも……」
「ほら、この“HM−13型セリオ”ってやつだ」
 兄さんは、パンフレットにのっている、髪の長いメイドロボを指した。
「勝手に決めないでよ!」
「でも、そろそろ来るぞ」
「ええっ!? ここにそのロボットを運んでくるの?」
「いや、自分で歩いて来るって言ってたぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 と。
 ピピピピッ、ピピピピッ
 兄さんの携帯が鳴りだした。兄さんはちょっと首を傾げて、胸ポケットから取り出して耳に当てた。
「はい。そうだけど……。え? 道に迷ったぁ? ちょっと、今どこにいるんだ? 駅前? えーい、泣くなっ」
 ……道に迷った? メイドロボが?
「……わかった、迎えに行くから。ああ、駅前の電話ボックスだな? ああ、すぐに行く」
 兄さんは電話を切ると、苦笑した。
「聞いての通り、道に迷ったそうだ。ちょっと迎えに行って来る」
「あ、私も行くわ」
 興味が湧いてきた。道に迷ったって電話してくるようなメイドロボって、どんなのだろう?
「でも、マネージャーとして雇うと決めたわけじゃないからね! それは、見てみてから決めるわ」
「はいはい」
 私達は立ち上がった。
 キーッ
 駅前のパーキングエリアに車を止めると、私達は車から降りた。二人とも、サングラスかけて、対マスコミ用の変装済み。
「さて、と。電話ボックスの前って言ってたけど……」
 兄さんは電話ボックスの前に来ると、辺りを見回した。
「セリオはいないなぁ……」
「あっ、あのっ」
「え?」
 小柄な女の子が兄さんに話しかけた。……あ、耳カバーしてるってことは、まさか……。
「緒方さんですかぁ?」
「え? まぁ、そうだけど……」
 そう返事してから、兄さんも耳カバーに気が付いて、聞き返す。
「君、もしかして……」
「はい! 今日から緒方さんのところでお世話になるように言われてきました、マルチですっ!」
 そのメイドロボは、ペコリと頭を下げた。
 どう見ても、パンフに載ってたセリオじゃない。緑色の柔らかそうなおかっぱの髪に、くりくりした瞳。どう見ても、中学生か高校生ってところにしかみえない。
 彼女はぎゅっと拳を握って、叫んだ。
「私、一生懸命お役に立ちますっ!」
 その時の兄さんの顔は見物だった。サングラスが半分ずり落ちて、ぽかんとしてる。
「マ、マルチ? セリオじゃなくて?」
「はい、マルチですっ!」
 そう言ってから、その娘は慌ててペコペコと頭を下げた。
「すみませんっ、道に迷って、迎えにまで来てもらってしまって……」
「そ、それはいいんだけど……、セリオじゃないの?」
「はい」
 マルチと名乗ったメイドロボは、にこーっと笑った。……なんか、可愛いかも。
「それじゃ、君は“HM−12型マルチ”なんだね?」
「はい、そうですぅ」
「……なんてこった」
 兄さんが頭を抱えている間、私はパンフレットを読み直していた。
 そっかぁ、セリオとマルチって同時発売なんだ。なになに……、ふむふむ……。なるほど、高性能高機能高価格のセリオと、廉価版のマルチってわけね。
「とにかく、取り替えてもらおう」
「ええっ、私はいらないんですかぁ!?」
 マルチは、兄さんの言葉にびくっとして、慌ててその腕に取りすがる。
「わ、私一生懸命やりますぅ! 捨てないでくださぁい」
「わわっ、こら離せ!」
「……兄さん」
 私は、パンフレットをテーブルに置いた。
「すまん、理奈、ちょっと待ってくれ。今向こうに連絡するから」
「待ってくださぁ〜い! ふぇ〜ん」
「ええい、泣いても無駄だぞっ」
「兄さんってば!」
「何だよ、理奈」
「私、いいわよ」
「ああ、わかって……、え?」
 携帯電話を取りだしたところで、ピタッと止まる兄さん。
「理奈、今何て?」
 私はそのメイドロボに向き直って訊ねた。
「名前は、マルチ、でいいの?」
「え? あ、はい」
 マルチは私に向き直って、ペコリと頭を下げた。
「“HMX−12マルチ”ですぅ。でも、別の名前を付けたいんなら、その名前でいいんですけど、やっぱりマルチって呼んでくれた方が嬉しいですぅ」
「うん。それじゃマルチって呼ぶわね。私は、緒方理奈よ」
「理奈さんですかぁ。はい、覚えましたぁ」
 にこっと笑うマルチ。
「理奈、まさかお前……」
「うん、何となく気に入ったわ。どうせマネージャーったって、面倒なことは兄さんがやるんでしょ?」
「そりゃサポートはするけどなぁ……。でも、マルチって、あまり機能的にはなぁ……」
 ブツブツ言う兄さんをほっといて、私はマルチに向き直った。
「それで、どんなことが出来るの?」
「はい。えっと、得意なことはお掃除です……けど……」
 キョロキョロ部屋を見回してから、マルチは困ったように俯いた。
「掃除するところがありませんね」
「確かに、そうかも」
 私は苦笑した。忙しくて、この部屋に居るのは寝るときだけ、という日が多いから、散らかす余裕も無いわけで。
「それじゃ、何か作りますねぇ」
 そう言って、マルチはすたすたっと歩いて行きかけて、部屋の真ん中で立ち止まった。
「す、すみません」
「何?」
「あの、キッチンはどちらでしょう?」
「はいはい。キッチンはね……」
 私は立ち上がると、マルチをキッチンに連れていった。
 リビングに戻ってくると、兄さんがまだ呻ってた。
「理奈、本当にあれでいいのか?」
「あれって、マルチ? うん、いいわよ」
「しかしなぁ……」
「どうかしたの?」
 私が訊ねると、兄さんは首を振った。
「いや、理奈がそれでいいんなら、いいんだが」
「いいのよ。それじゃ、お疲れ様」
「お、おい、ちょっと……」
「はいはい、今日はご苦労様でした」
 私は、兄さんの背中を押して、部屋から押し出した。ほんとに、放っとくとずっと居座るんだから。
 兄さんを追い出して、リビングに戻ってきた私の鼻に、何か焦げくさい臭いが漂ってきた。
 なんだろ? キッチンの方からみたいだけど……。
 と思う間もなく、そのキッチンの方から悲鳴が聞こえた。
「ひゃぁぁぁ」
「マルチ?」
 私は、キッチンに入って、目を丸くした。
「なによ、この煙は?」
「あ、理奈さぁん」
 マルチが、フライパンを前にして困った顔をしていた。フライパンの上には、なんだかよく判らないものが乗って、盛んに煙を上げてる。
「助けてくださぁい……」
「何やってるのよ! ほら、早くスイッチを切りなさい!」
「スイッチ、どこですかぁ?」
「そこにあるでしょ、そこに!」
「あ、これですね」
 マルチはスイッチを切って、ホッとした顔をした。
「何してるのよ、ホントに……」
「す、すみませぇん。このコンロ、火が出ないから、どうしようかなと思って」
 電磁調理器だもの。火が出るわけないわよ。
「それで、スイッチを入れたら熱くなって、でも、今度は消えなくなって……、怖かったですぅ」
 そのまましくしく泣きだすマルチ。
 私は、この時マルチを選んだことを、ほんの少しだけ後悔した。
 その夜の食事は、マルチ曰く「ミートせんべい」だった。
 翌朝。
「理奈さぁん! 起きてくださぁい!!」
「う……ん」
 自慢じゃないけど、私は低血圧だから、寝起きはあんまり良くない。
「起きてくださぁい」
「ん……ふわぁ。あ、マルチ……、今何時?」
「あ、おはようございますぅ」
 マルチは深々と頭を下げてから、壁にかかってる時計を見て言った。
「午前9時を過ぎたところですぅ」
 ……ロボットなのに、時計を見る必要あるのかな?
 そう思ってから、身体を起こして訊ねた。
「今日の予定は?」
「ええ? あ、えっと、ちょっと待ってくださぁい」
 そう言うと、マルチは服のポケットから手帳を出してめくり始めた。……ちょっと待ってよ、どうして紙の手帳見てるのよ?
「9時から、テレビ局でうち合わせですね」
「……今、何時って言ったっけ?」
「はい。えっと……」
 もう一度、壁の時計を見ると、マルチは元気よく言った。
「午前9時5分ですぅ」
「……」
「……あ、えっと」
 そこで、初めて気が付いたみたいに、マルチは手帳と時計を交互に見て、青くなった。
「ど、どうしましょう!? もう予定が過ぎてますぅ」
「……」
 私は、額を押さえると立ち上がった。
「とにかく、局の方に電話して、遅れて行くって言っておいて」
「は、はいぃぃ」
 マルチはバタバタと部屋から飛び出していった。私は手早く着替え……。
「あ、あのぉ……、テレビ局の電話番号って、何番ですかぁ?」
「……」
 その日だけで、私は普通の1週間分くらい疲れ果ててしまった。
 なにしろスケジュールはすぐ忘れる、人は間違う、場所も間違うと、とんでも無い一日だったのだから。
 家に帰ってきた時には、もうふらふらになっていた。そのまま、寝室に入ると、ベッドに倒れ込む。
 後ろから付いてきたマルチが、遠慮がちに言う。
「理奈さぁん、着替えた方が……」
「……いいから、ほっといて」
「……はい」
 マルチは、肩を落として寝室から出ていった。
 私は、枕元に電話を引っ張り寄せて、受話器を取った。
 やっぱり、セリオと取り替えてもらおう。これじゃ私がたまらないわ。
 兄さんの携帯の番号を押す。
 ピッ、ポッ、……
 気が付くと、指が止まっていた。
 私は、受話器を元に戻すと、ベッドにあお向けになって、天井を見上げた。
「……マルチ、かぁ……」
 確かに、何をやらせても失敗ばかりだったけど、でも一生懸命にやってたのは私にも伝わってきた。
 とても、ロボットには見えないくらい、一生懸命に……。
「もう少し、様子を見てみようかな……」
 そう呟いて、私は目を閉じた。
 疲れてたせいか、すぐに眠りに引き込まれていった……。
 翌日からも、私はマルチと一緒に仕事を続けた。
 マルチも次第に仕事に慣れてきたのか、だんだんと失敗も少なくなっていった。
 何ごとにも一生懸命なマルチに、逆に私のほうが励まされた事もあった。
 そして……。
「お世話になりました」
 マルチは、ペコリと頭を下げた。
「本当に、帰っちゃうの?」
「はい。マネージャーさんが明日には退院されるって聞きました」
「でも……」
「私は、そのマネージャーさんの代わりに来ていただけです……から……」
 そう言って、マルチはぐすっと鼻をすすった。
「す、すみません。あれ? 涙腺機能がおかしくなっちゃったみたいで……ひっく」
「マルチ……」
 私は、思わずマルチに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめた。
「理奈さぁん……うぇっ、うえぇぇぇぇん」
 マルチはそのまま泣きだした。
 引き取りにきた、来栖川電工の車に乗ったマルチは、何度も何度も私の方を振り返って、最後には車の窓に顔を貼りつけて私に手を振っていた。
 その姿が見えなくなってから、私も振っていた手を下ろした。
「……行ったか?」
「……ええ」
 後ろから兄さんの声がして、私は振り返った。
 兄さんは、ポケットに手を突っ込んで、マンションの壁に寄りかかるように立っていた。
 私は、空を見上げながら、訊ねた。
「兄さんも、知ってたんでしょ? あのマルチが普通のHM−12じゃないって」
「ああ。最初に自己紹介したときに、あいつ自身で言ってたからな」

「“HMX−12マルチ”ですぅ。でも、別の名前を付けたいんなら、その名前でいいんですけど、やっぱりマルチって呼んでくれた方が嬉しいですぅ」

「聞いたことがある。試作段階のマルチは、今度発売される廉価版とは全然違うコンセプトで作られた……って」
「……いい娘だったわ」
「ああ。いい娘だったよ」
 シュボッ
 兄さんが、煙草に火を付けた。そして、ふぅっと煙を吹き出す。
 私は、一つ伸びをした。
「さて、私も頑張らなくちゃ。マルチに負けられないもんね」

《終わり》

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