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White Album Short Story #4
Strange Lover

ザザーッ、ザザーッ
波の音だけが、赤く染まった砂浜を満たしていた。
「……そうかぁ」
その砂浜に座って、理奈はもの憂げに呟いた。
「もうすぐ、1年たつんだね。……冬弥くんに出会ってから……」
「ああ」
俺は、理奈の隣に座ると、砂浜に手をついて、空を見上げた。
空は、そろそろ暗くなりはじめていた。
ここは、名前も聞かない、小さな南の島の砂浜。
日本のマスコミも、ここまでは追いかけてこない。
「……後悔、してる……?」
理奈ちゃんが、小首を傾げて、訊ねた。
俺は笑って首を振る。
「俺は、してないよ。だけど……」
理奈ちゃんは、本当に……?
「私も、後悔なんてしてないよ」
無邪気な笑みを浮かべて、理奈ちゃんは俺にもたれかかった。
「一人だけで、いいの」
「……え?」
「私の側に、いてくれるのは」
そう言って、目を閉じる理奈ちゃん。
その柔らかな唇に口付けて、綺麗な、だけど海水で濡れてしまった髪を、手で梳く。
だんだん、周囲が暗くなってくる。
「……私たち、いつまで……」
不意に、理奈ちゃんが呟いた。
「こうしてれば、いいのかな……」
「……俺は、理奈ちゃんがいてくれればいいさ」
「冬弥くん……」
不意に、理奈ちゃんは身体を起こした。
「さっき、言ったよね……。ステージの上に戻ってもいいって」
「うん……」
ちょっと前、そんな会話を交わしてた。
理奈ちゃんが、俺と一緒ならどこにでも、なんて殊勝なことを言うから、ちょっと意地悪して俺が訊ねたんだ。「ステージの上にも?」って。
彼女は何の屈託もなく笑って答えた。「嫌いな世界じゃないから、戻ってもいい」って。
「あれから考えたんだけど……」
ちょっと寂しそうに、理奈ちゃんは海を見つめて、呟いた。
「もう、戻れないんじゃないかな、私……」
「え……?」
「だって、私……、もう歌えないもの」
深刻な台詞と裏腹に、その口調は明るかった。俺はそのギャップに戸惑う。
「どうして?」
「それはね……」
理奈ちゃんは、悪戯っぽい表情で、俺を見た。
「私、もうファンのみんなの為に歌う、なんて出来ないもの」
「……」
「私が歌うとしたら……、あなただけのためになっちゃうから」
「理奈ちゃん……」
俺は、素直に感動していた。
と、不意に理奈ちゃんは立ち上がった。腰についた砂をはたき落とす。
「理奈ちゃん?」
「ね、聞いてくれる? 私の歌……」
「え?」
「だって、まだなかったもの。あなただけの為に歌ったことって」
……そういえば、そうだった。
俺が理奈ちゃんの歌声を聞いたのは、スタジオとかブラウン管の向こうとかばっかりだった。
「うん。聞かせてもらうよ」
僕は拍手した。
理奈ちゃんは、深々と頭を下げる。そして、指を振って2、3度拍子をとって、歌いだした。
あ、この歌は……。
♪愛という カタチないもの 囚われている
心臓が止まるような恋が あること知ってる
会うたびに与えてくれた 憧れでさえ
今でも信じている もう消えることはない
楽をせず尽きることもない情熱は
何処から来るのどこかに眠っているのかな
ララ星が今 運命を描くよ 無数の光輝く
今ひとつだけ決めたことがある あなたとは離れない
そっと目を閉じれば 鼓動が聞こえる 私が生きている証
ハートの刻むリズムに乗って 踊りながらいこう
どこまでも
歌い終わって、理奈ちゃんは深々と頭を下げた。それから、にこっと微笑む。
「緒方理奈が藤井冬弥くんだけのために歌いました」
俺は拍手した。
「すごいよ。……あ」
言ってから気付く。あの時……、理奈ちゃんが初めてこの歌を歌ったときも、俺はこれしか言えなかったんだ。
つくづく、ボキャブラリの貧困なやつだな、俺って……。
でも、やっぱり、すごいって思った。
「ありがとう」
そして、理奈ちゃんはやっぱり嬉しそうに笑ってくれた。
「疲れたぁ」
ホテルの俺達の部屋に戻ると、理奈ちゃんはベッドに身体を投げだした。
ま、一日中遊んでたんだもんな。疲れるのも、無理はない。
俺は、同じように隣のベッドに座りながら、声をかけた。
「シャワーどうぞ。俺、後でいいから」
「うん……」
少し置いて、理奈ちゃんは身体を起こして、微笑んだ。
「ね、一緒に入ろ」
顔を少し赤らめて、誘う理奈ちゃん。
「ええっ!?」
大仰に驚いてみせる俺に、理奈ちゃんは少し膨れた。
「な、何よ?」
「理奈ちゃん大胆だなぁって、ちょっとびっくり」
「んもう……」
照れたように笑うと、理奈ちゃんは立ち上がって、身につけていた水着を躊躇いなく脱ぎ捨てた。そして、何一つ身にまとわない姿で、俺に向かって手を差し伸べる。
「あなただけよ。私がこんなこと……しちゃうのは」
その瞳が潤んでいるのを見て、俺は、天使の誘いを受けることにした。
夜中にふと、目が覚めた。
窓からは、カーテン越しに蒼い月の光が射し込んできている。
その光に照らされて、理奈ちゃんは俺の身体に寄り添うように眠っていた。
規則正しい寝息にあわせて、その身体にかぶせられた毛布が上下している。
俺はその寝顔を見つめながら、思う。
……よかったのか、これで?
あの時は由綺、そして今は理奈ちゃん。
俺は、彼女たちを縛って、その可能性を潰してるだけじゃないのか?
「……くん」
不意に、理奈ちゃんが小さく呟いた。
「とう……や……くん」
「理奈ちゃん?」
聞き返したけど、返事はない。寝言みたいだ。
どんな夢を見てるんだろう?
と、理奈ちゃんは俺の右腕をぐいっと掴んだ。そのまま胸に抱え込んで、幸せそうに微笑む。
「むにゃ……つかまえた……ふふっ」
俺は、空いている左手で、理奈ちゃんの髪を撫でた。
そして、思った。
少なくとも、この笑顔を彼女に取り戻させたのは俺だって。そのことは、誇ってもいいんじゃないかって。
俺は、その笑顔のためなら、どんなことだってやるんだ。
そう心に誓いながら、俺は目を閉じた。
翌朝。
俺は、理奈ちゃんがまだ眠っているのを確認してから、慎重にゆっくりとベッドを降りた。そして、窓を開ける。
南の島の太陽が、水平線の向こうから顔を出しつつあった。
今日も天気が良さそうだ。
俺は心の中で感謝すると、自分の鞄を開けた。そして中から小さな箱を取り出して、サイドテーブルに置いた。
そして、椅子に座ると、そのまま待った。
程なく、理奈ちゃんがゆっくりと目を開けた。2、3度瞼をパチパチさせてから、俺に気付いて微笑む。
「おはよう、冬弥くん」
「おはよう、理奈ちゃん。そして、おめでとう」
「……え?」
「21歳の誕生日、だよね」
俺は微笑んだ。
理奈ちゃんは嬉しそうに笑った。
「覚えててくれたんだ」
「ああ。忘れるわけないだろ。今日は11月26日だ」
俺は、サイドテーブルの小さな箱を取った。そして、ベッドの上で身体を起こした理奈ちゃんに差し出す。
「つまらないものですが」
「え? やだ、冬弥くんったら」
笑いながら、箱を受け取ると、理奈ちゃんはその箱をためつすがめつしながら、呟いた。
「今年は、これ一つかなぁ」
「え? あ……」
去年の理奈ちゃんの誕生日には、すごい量のプレゼントが届けられていたんだ。
でも……。
俺は、胸を張って言った。
「でも、想いの量なら、今年が一番だ……と思うんだけどなぁ。あははは」
ちょっと弱気になってしまった。
「ねぇ、開けてみてもいい?」
「え? う、うん……」
俺が頷くと、理奈ちゃんは包みを解いて、箱をあけた。
「わぁ、可愛い!」
理奈ちゃんの21歳の誕生日には、天使の羽をかたどったプラチナのネックレス。
「ねぇねぇ、どうかしら?」
理奈ちゃんは、ネックレスを胸にかけて、俺に訊ねた。
思った通り、プラチナの上品な輝きが、理奈ちゃんの白い肌に映えていた。
「似合うよ」
「で、ネックレスをプレゼントしたってことは、これは外せってこと?」
くすっと笑いながら、理奈ちゃんは、ベッドサイドにあるネックレスを白い指で弄んだ。
英二さんが、理奈ちゃんがデビューしたときに御祝いとして贈ったっていうネックレス。
理奈ちゃん、すごく大事にしてて、私服のときはほとんどいつもこれをつけていた。
俺は微笑んだ。
「英二さんと俺とどっちをとる?」
「わぁ、そう来るの?」
楽しそうな声をあげながら、理奈ちゃんは俺を引っ張り寄せて、キスをした。
俺と理奈ちゃんの間から、英二さんのネックレスがベッドに滑り落ちた。
劇中歌:SOUND OF DESTINY
作詞:須谷尚子
作曲:中上和英
《終わり》

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