喫茶店『Mute』へ
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次回へ続く
翌日、きらめき高校中でゆかりちゃんの事が噂になっていた。
《続く》
なんでも、昨日の昼のワイドショーで、ゆかりちゃんの婚約発表が報道されたらしい。しかも、記者会見にはゆかりちゃんも出ていたとか。
授業が終わり、俺は鞄をかついで教室を出ようとした。
「公!」
「ん?」
好雄が走ってきた。やっぱり帰る様子で鞄を提げている。
「お前の家に行ってもいいか?」
「いいけどさ、俺の家には女は妹しかいないぞ」
「バカ、そんなんじゃあ……って、お前妹いたのか? 歳は?」
「5歳」
「……それはいくらおれでも範囲外だな。まぁ、10年後なら……って、違うだろ」
好雄はメモ帳をポケットにしまいながら言った。
「そうじゃなくて、古式さんのことで話があるんだ」
「ゆかりちゃんのこと?」
好雄はうなずいた。
「とにかく、お前の家に行こうぜ」
「あ、ああ」
そういえば、何故好雄はゆかりちゃんのことでこんなにマジになってるんだろう?
それも聞いてないな。
家でじっくり聞いてみよう。
俺達は連れだって教室を出た。俺はそのとき、詩織が俺達をじっと見送ってるのに、全く気づいてなかった。
校門を出ると、そこには黒塗りのベンツが停まってた。
伊集院の迎えかな?
と、不意に目の前に黒いスーツの男が立ちふさがった。
「わっ」
「主人公さんですね?」
その男は丁寧な口調で俺に尋ねた。俺はうなずいた。
「そうだけど、何か?」
反射的に身構えてたのは無理ないだろう。
男は苦笑した。
「怪しいものではありません。私は古式不動産の社員で石橋勝次ともうします」
「古式……不動産?」
「古式さんの親父の会社だよ」
好雄が俺に耳打ちする。
その男はスーツの内ポケットから名刺を出して俺に差し出した。受け取った名刺には確かにそう記されている。
「で、何の御用でしょうか?」
「社長が、あなたにお逢いしたい、ともうしております。理由まではおっしゃいませんでした」
「……いやだ、と言う権利はありますか?」
「それは当然ですね。私は警察ではありませんから、無理にお連れするつもりはありません」
石橋と名乗った男は相変わらず丁寧な口調で言った。
俺は思わず好雄を見た。
「どうする?」
「俺に聞くなよ」
好雄はあっさり答えた。俺は少し考えた。
どっちにしても、ゆかりちゃんの家族の人に事情は聞こうと思ってたんだ。向こうから接触を求めてきたっていうんなら、好都合じゃないか。
俺はうなずいた。
「わかりました」
「あの、俺も行っていいか?」
不意に好雄が言った。石橋は俺から好雄に視線を移した。
「そちらは?」
「あ、こいつは……」
言いかけた俺を遮って、好雄は言った。
「小学生のときに、隣の家に住んでいた早乙女です」
俺は驚愕した。好雄が、小学生の頃ゆかりちゃんの隣に住んでた!? そんな話、聞いたこともないぜ!
石橋はうなずいた。
「わかりました。早乙女さんもお乗りください」
「ゆかりちゃんがお前の隣に住んでいたって、どういうことだよ!」
ベンツの後部シートに二人が収まり、静かに発車してから、俺は好雄に向き直って尋ねた。いろんな事があって神経が高ぶってたため、ついつい詰問調になってしま
う。
好雄はいつもの調子で肩をすくめた。
「あれ、言ってなかったっけ」
「……聞いたこともない」
「そうか、悪い悪い」
へらへら笑う好雄を見て、俺はぶん殴りたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
と、不意に好雄がまじめな顔になり、小声で囁いた。
「昔の話はともかく、一つだけ忠告しとくぜ。古式さんの親父さんは不動産の社長とかいってるけど、昔は『や』の人だ。覚悟しとけよ」
「前にも聞いたけど……本当のことだったのかよ?」
俺は目を丸くした。
「こちらでお待ちください」
俺と好雄は、和室に通された。石橋はふすまを閉め、そのまま遠ざかってゆく。
「……なんだか、逃げ出したくなるなぁ」
「同感」
俺と好雄はうなずきあった。
床の間に日本刀が飾ってあるし、隅の方には鎧甲冑が立ってる。いかにも昔のやくざ映画に出てきそうな部屋だ。
昔テレビでやってたやくざ映画を一つだけ見たことがあったけど、確かこういう部屋に通されたあと、ふすまががらりと開いて、日本刀を下げたやくざ達が乱入してきたんだよな。
とか思っていると、いきなりふすまががらりと開いた。
「ひゃぁ」
「失礼、致します」
思わず隣の好雄にしがみつきかけた俺は、柔らかな声に動きを止め、入り口の方を見た。
和服を着た、優しそうなおばさんがそこに座っていた。
彼女は俺に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。古式ゆかりの母で、あかりともうします。主人さんのことは、娘からよく聞いております」
「あ、こ、こちらこそ。主人です」
俺は慌ててその場に正座すると頭が畳に着くほど下げた。
「まぁ、そんなにかしこまらないでくださいな。……あら、もしかして、そちらは早乙女さんじゃありませんか?」
「お久しぶりです」
好雄が頭を下げた。おい、お前そんなに礼儀正しくできるのか?
「娘から、早乙女さんが同じ学校だって聞いたから、また遊びに来てくれないかなと思っておりましたのよ。主人さんともお友達でいらっしゃるとか、聞きましたけど。世間は広いようで狭いものですね。あら、ごめんなさい。お茶をどうぞ」
おばさんは、上品なしぐさで俺達の前に湯飲みを置いた。
中にはほんのりと緑色をした液体が入ってる。
普段は紅茶ばっかり飲んでる俺でも、かなり高級なお茶であろう事がわかった。それくらいいい香りだった。
「これは?」
「狭山茶ですの。今年の一番茶なんですのよ」
「へぇ……。すみません、俺日本茶の善し悪しなんてわからないですけど、おいしいです」
「まあ、お上手ですわね」
おばさんは、手を口に当ててころころと笑った。あ、笑うところなんか、ゆかりちゃんにそっくりだな。やっぱり親子ってところか。
俺の緊張感が、薄れかけてたころ、複数の足音が聞こえた。
おばさんが立ち上がる。
「あら、ごめんなさい。すっかり無駄話をしちゃって」
「いえ、そんな」
と、半開きのままのふすまを開けて、和服の男が入ってきた。
髪は半白で長身の、そう、まるで菅原文太みたいな感じの人だ。
こ、この男の人が、ゆかりちゃんの親父さんか?
おばさんは入れ替わるように部屋から出ると、ふすまをそっと閉めた。
「あ、あの……」
その男の人は、俺達の前まで来ると、突っ立ったまま俺達を見おろしていた。
その口から呟きが漏れる。
「ふん。軽薄そうな若造だな」
さすがにかちんときた。俺は立ち上がった。
好雄が俺のズボンの裾を引っ張ったが、無視して言う。
「今日は何の話です? ゆかりさんが結婚するそうですが、手切れ金の話ですか?」
「なにぃ?」
親父さんの眉がつり上がる。
いつもの俺なら、そこでくじけたところだろう。でも、その時の俺は完全に頭に血が上っていたらしい。
詩織もよく「公くんって切れると怖いところあるものね」と言ってたものだ。
俺は言い放った。
「言っとくけど、そんな金、びた一文いりませんからね。金さえあれば何でも出来るなんて、それは大人のおごりってもんだ」
「……」
親父さんは沈黙した。
俺はさらに言い募った。
「ゆかりちゃんに逢わせてください。彼女と話をさせてもらえれば……」
「……できんのだ」
不意に、親父さんはその場にがっくりと膝をついた。
俺は驚いて、好雄と顔を見合わせた。