作戦を指揮しているのが国連軍であるため、ネルフ総務部には各部署からの苦情は一切入っていない。現在、山のような苦情は国連軍広報部に押し寄せている。広報部はある意味実戦部隊以上の戦いを強いられていた。
しかし、指揮権がネルフに移ると同時に一気に苦情がネルフ総務部に来る事がわかっているので、総務部の部屋は緊張した空気に包まれていた。
そんな時に総務部長の机にある電話が鳴った。
『遂に指揮権が移ったか?』
 受話器を上げようとする総務部長に全員の視線が集中した。
「ネルフ総務部です」
 自分でも緊張している事がわかる声だった。
「私だ」
 この組織の実務を取り仕切っている冬月の声だった。実務に携わっている者にとって彼こそがネルフのトップである。
「副指令…………指揮権が移りましたか?」
 声は相変わらず強張っている。これから来るであろう仕事の量を考えると無理も無い事である。
しかし、冬月の返事はネルフ総務部の予想とは異なっていた。
「いや、初号機操縦者の保護をやってもらいたい」
「はあ?」
 予想だにしなかった答えに総務部部長は呆けてしまった。その対応に注目していた者達に?マークが浮かんだ。
「総務部で初号機操縦者を保護してもらいたい」
 冬月はもう一度同じ事を言った。それを聴いてようやく状況を理解したのか、総務部長はまともな反応をし始めた。
「確か、作戦部の担当では……」
 苦情が来始めれば、猫の手も借りたい状態になる事はわかりきっている。これ以上仕事を増やされては敵わないと、総務部長は何とか断ろうとした。
 しかし、特務機関の実務のトップである冬月はそれ位で引き下がる男ではない。
「操縦者の保護は我々にとって最優先事項だ」
 『最優先』、組織に携わる者にとっては重い言葉である。早急に結論を出したい冬月はこの言葉を持ち出す事で総務部長の退路を断った。
 数秒間、沈黙が続く。その間に総務部長の顔色が悪くなっていく。それを見た者達は状況が悪化している事を感じた。
 目を閉じ、溜息をつくと総務部長は今までとは違った力強い言葉で言った。
「了解しました。初号機操縦者を保護します」
 その声を聞いた周りの者達は一様に驚き心の中で思った。
『正気か?』
 『作戦部の担当』という言葉から、作戦部が失敗した仕事が回ってきた事を察した総務部一同は、自分から進んで厄介事を引き受けた部長を一様に信じられないという風に見た。
「よろしく頼む」
 できるだけ感情を抑えた声でそう言うと、冬月はさっさと電話を切った。冬月の仕事はこれだけではないのである。何時までも同じ人間を相手にしている余裕など彼には無い。
「部長!!」
 怒ったような声で一人の部下が部長に詰め寄った。目の前で仕事を増やされたのだから当然の反応だろう。
 しかし、総務部長は彼の言葉を続けさせなかった。
「警察と保安部に丸投げだ」
 部下の反論を止めるため、即座に結論を出した。しかも、部屋に響くような大きな声で。
「しかし…………」
 部下達はその結論の善し悪しの判断に迷った。確かに丸投げすれば仕事は増えない。だが、それは組織の監察を担当している監察部などに職務放棄と捉えられかねない行為である。丸投げとは、それほどの危険性を秘めた行為なのである。
「どうせ責任取るのは俺だ」
 総務部長は妙にサバサバした表情で言った。確かにその通りである。
その言葉で場が静かになった。辞職覚悟で先の結論を出したのである。その覚悟を知った一同は言葉を失った。
「だったら好きにやらしてくれ」
 少し寂しそうな笑顔をしながら総務部部長は言った。


 撤退中の戦車の中は重苦しい雰囲気に包まれていた。
「また生き残ったか……」
 皺の深い戦車長が誰に言うとも無く呟いた。その表情には怒りや喜びの色など無く、諦めがあった。
 そんな戦車長とは対称的に怒りのぶつけ所を探している青年が居た。世界が静かになってからの入隊者である彼にとって、この出撃が初めてだったのである。意気揚揚と出撃したのは良いが、一発も発砲する事無く引き揚げているため、かなり頭に来ている。
「くそ、また税金泥棒呼ばわりされるな」
 苛立つ彼はそう言って車体を叩いた。ネルフ程ではないにせよ、日本において国連軍への風当たりは強い。元々軍隊は平時においては金食い虫と陰口を叩かれる宿命を持っている。世界では今なお戦火が消えていないが、四方を海で囲まれた日本は世界の中で最も早く平時を取り戻した国の一つである。そのため、日本に駐屯する国連軍は長年肩身の狭い思いをしてきた。特に国軍として戦略自衛隊が誕生して以降は……
 そんな立場に置かれている国連軍にとって、この戦争はそう言った状況を打破する千載一遇のチャンスだった。それが戦わずしても撤退である、青年の怒りも尤もだろう。
「死ぬよりはマシだろ」
 戦車長と同じく実戦を経験した通信士が他人事のように言った。
「空の連中も引き揚げのようだ。うちじゃ、勝ち目がない様だな」
「だからといって、一発も撃たないなんて、出撃してきた意味が無いじゃないですか!?」
 青年は狭い車内に響き渡るような声で叫んだ。それほど怒りが強いのである。
『若いな』
 戦車長はその声を聞いて羨ましく思った。怒りを表に出さなくなってどの位経つだろうか?もう自分でも覚えていない、戦場で生き抜くためにそういった感情は捨てていた。自分が失った物を持っている若者を羨ましく思いながら、助言した。
「本当に戦いたいのなら面子に拘るな」
 重々しくそう言うと、戦車長はまた黙り込んだ。
実戦を経験した軍人の言葉は新兵の胸に突き刺さった。
新兵は今まで言ってきた事が如何に空虚な物であるかを悟り始めた。
やはり、長い説教よりも胸に響く苦言の方が重い。
「すいませんでした……」
 バツが悪そうに、新兵が沈んだ声で謝った。
 しかし、通信士や戦車長は彼の行動を嫌いではなかった。むしろ、『脱走するよりよっぽど良い。元気で結構だ』とさえ思っていた。事実、サラリーマン気分で入隊した何人かが実戦と聞いて脱走していた。実際に死の危機に直面して逃げない人間は多くは無い。
「心配しなくてもすぐ戦えるさ」
 感情を殺した表情で通信士が小さな声で呟いた。そこには先程の軽口を叩いていた雰囲気は無かった。


特別非常事態宣言が発令されて既に数時間が経過していた。漠然とした情報しか知らされず、シェルターに避難している者達は台風によって足止めされた旅行客のような閉塞感に襲われている。


 少年は音楽を楽しんでいた。
彼が乗車していた第三東京市行きのリニアレールは、目的地からかなり離れた駅で停車した。特別非常事態宣言が発令されたためである。他の乗客と共に最寄りのシェルターに避難した。シェルター内では特にする事も無いので、音楽を聞いて時間を潰していた。
『いろいろ持って来て良かったかな』
 少年はカセットを換えながら思った。かなりの時間が経過したが、未だ聞いていないカセットは十個以上ある。当分は退屈しないだろう。
『突然だが、私の元に来てくれ。詳しい事は会って話す。父より』
 数日前に届いた手紙にはそう書かれていた。いつものように毛筆で書かれている。毛筆で書かれる文字には書く人の心が現れると言われている。
『いつもより字が震えている。只事じゃなさそうだな』
 毎月のように貰う手紙に書かれている文字と比べて、少年はそう感じていた。いつも父から送られてくる手紙では、息子からの相談に対する答えや人生を説くものが書かれていた。今回の手紙には一切そのような事は書かれていない。先の文章のみである。それだけでもいつもと違うことがわかる。


 する事が無いといっても、シェルター内が静かであるわけではない。少年のように時間を潰す物を持っていない者達は自然と雑談し、気を紛らわせようとしていた。そのため、シェルターは昼休みの教室のような雰囲気になっていた。
 幾分雰囲気が和らいだシェルターの扉が開き、場違いな三人の警察官が入ってきた。手にはそれぞれ写真を持っている。一番若い男が大きな声で言った。
「碇シンジ君は居ませんか?」
 少年は音楽を聞いており、扉の逆方向を見ていたので警察官に全く気がついていなかった。
 他の人々も入ってきた警察官に一瞬驚いたが、自分とは関係が無いとわかると中断していた雑談を再開した。
 問い掛けに対し反応が無いのがわかると三人の警察官は写真を手にシェルター内に居る人の顔を一人一人確認していった。
 やがて先程問い掛けをした警察官が音楽を聴いていた少年の顔と写真の顔を見比べて、少年の肩を叩いた。
「何ですか?」
 警察官に気づいていなかった少年は慌ててイヤホンを外した。余程驚いたようである。鳩が豆鉄砲に当たったような顔をしている。
「碇シンジ君だね?」
 少年の驚いた顔を完全に無視しながら警察官は念を押すように聞いた。
ネルフの最優先事項が、ネルフと何の関係も無い警察官によって完遂させられた、妙な瞬間だった。


 喧騒に包まれる発令所の中で、使徒に関心を持っていない男が二人居た。一人は通常の管制作業をしながら、もう一人はその管制官の前にあるモニターを覗き込みながら密談をしていた。
「うちのお姫様は何処です?」
 口ひげを蓄えた男が眼鏡をかけた情報管制官に小声で聞いた。二人にしか聴こえない程の小声である。
「相変わらず、市内を疾走しています。…………凄いな、葛城さん。よく事故を起こさないな」
 切迫した事態なのに情報管制官は妙なことに感心していた。
 しかし、彼が感心するのも無理は無い。多少道が広いとはいえ、レースコースでもない道を時速二二○kmで事故も起こさず走行しているのである。運転手は今すぐにでもプロになれるだろう。
「日向さん、それ所じゃないですよ。今のうちにこっちに呼び戻さないと、お姫様の首が飛びますよ」
 日向とは対照的に厳しい表情で男は言った。その声に事態の深刻さを理解した日向が男に状況を説明する。
「しかし、楊さん。二十分前から呼び出しを続けていますが、何の反応もありません」
 その言葉を聞いて楊の表情は更に厳しくなった。
「どの呼び出しです?」
「全部です」
 楊の問いに対して日向は即答した。その答えを聞いた楊は厳しい表情から一転して疲れた顔をした。
 無茶苦茶な上司を持つ部下は確実に寿命が縮む。


後書き

 最後まで読んで下さってありがとうございます。
 今拙作の著者、冴羽人18でございます。
 申し訳ございません。第二話の完成が随分と遅れてしまいました。ここまで遅れるとは自分でも思っていなかったのでちょっと驚いています。
 どうか見捨てないで読んでやって下さい。
 さて、シンジ君と日向(意外?)は登場しましたが、葛城作戦部長と赤城博士の登場は次回になります。次こそは出ます。本当に出ます。
 感想などを頂ければ、完成も早くなります。一行、一言でも結構です。よろしくお願いします。
 では、最後に読んでくださった方々、こんな愚作の投稿を許可してくださった舞さん、ありがとうございます。次回もよろしくお願いします(見捨てないで〜!!)