異譚 「幸せの定義」
 

プロローグ 「黒い王子様の死」







 復讐の終焉、テンカワ・アキトの時間は今、終わろうとしていた。

 彼自身の全てを賭けた復讐は終わりを告げた。

 火星の後継者達は、全て捕縛されるか自害するかして、最早戦力と呼べる物は無くなっていた。

 そして今、彼は深遠の宇宙に漂う。

 自らの愛機、呪いの名を冠する二年来の相棒と共に・・・。
 

【・・・パイロットの心拍数低下、脳波微弱。

生命維持に問題が発生しています。

・・・・・・マスター、このままで宜しいのですか?】
 

 テンカワ・アキトの母艦、ユーチャリスからその一部を移植されたメインコンピューターのオモイカネダッシュがコミュニケを介してアキトに聞く。

 彼は、アキト達と過ごしたこの二年を経てすっかり人間臭くなり、オリジナルにひけを取らない位に成長していた。

 だからこそ、人工知能でありながら『心配する』などということが出来るのである。
 

「・・・かま・・わ・・・ない・・・。

俺の・・・じ・・かんは・・・三年ま・・え・・・に、終わって・・い・・る・・・」
 

 弱々しく、途切れ途切れに答えるアキト。

 衰弱もあるだろうが、彼の目にはウィンドウに映る文字さえも満足に見えていなかった。

 アキトの五感は火星の後継者による人体実験によって殆ど失われており、リンクして五感をサポートしていた少女『ラピス・ラズリ』は現在傍にいないどころか、意識を失っているのであった。

 彼女は、自らの死期を確信したアキトにより眠らされたのだ。

 現在は、月にあるネルガル第三ドック内に存在している医務室で眠っていた。
 

(醒めない夢など無い。

俺の復讐は、北辰をこの手で殺した時点で・・・終わりを告げた。

・・・もし俺にもっと力があれば、ユリカとルリちゃんと暮らしていけたんだろうな・・・。

・・・しかし、それすらも夢。

弱き己が夢見た、幸せという名の偶像。

俺の弱さが招いたんだ・・・幸せを壊し、幾多の無辜の人々を巻き添えにした・・・血塗れの殺戮劇を・・・。

これでまた、二人を泣かせるんだろうな・・・。

アカツキには最後ぐらいは二人の元へ戻れと言われたが、俺が俺を赦せない限り戻れはしない。

どうしてどうして、悪人にはなりきれない奴だからな・・・。

今更どの面を下げて戻れと言うんだろうな・・・自業自得だな。

・・・こんな時まで泣き言か・・・つくづく度し難い奴だな・・・。

この身体に残された時間も・・・・・・後僅か・・・。

・・・ククッ、弱さは罪だな・・・だから大切な人さえ護れない!

あいつをこの手で助け出す事さえ出来ない!!

ルリちゃんの力を借りなければ、復讐さえ満足に出来ない!!!

・・・・・・俺は、俺が赦せない!!!!

・・・俺が誰より憎んでいたのは・・・無力な俺自身だったんだな・・・)
 

 アキトの意識は闇に囚われ始め、死の影がいよいよ迫ってくる。

 彼の心に在る物は、悔恨と自分自身への憎悪。

 脳裏に浮かぶ、愛した家族の顔を掻き消すほどの負の情念。

 そして、彼の時間は終わろうとしている。

 誰にも知られる事も無く、彼の故郷の火星を見渡せる宇宙の闇の中で・・・。
 

(・・・・・・火星・・・か・・・。

・・・俺を生み出した星・・・。

けれど、俺が生み出したのは殺戮という名の不幸だけだ・・・。

・・・もし、生まれ変わりというものが在るのなら、無力な俺だけは願い下げだな・・・)
 

 そう時をおかず、彼の生命反応が消えた。

 しかし、運命は皮肉にもまだ転がり続けていた。

 アキト自身が死んでも、彼のナノマシンはまだ活動を止めてはいなかった。

 補助脳が想いを形成する。

 無力な自身を否定するように、それを成すたった一つの方法を実行する為に。

 死という名の己の枷を解き放つ場、それにより封じ込められていた願望が頭をもたげる。

 活性化するナノマシン。

 幸か不幸か、それは起きる。

 それを受けて、ブラックサレナの一つのシステムが稼動する。

 そして、宇宙に虹色の輝きが生まれ、まもなく消える。

 テンカワ・アキト、享年二十三歳。

 計五つのコロニーを破壊した今世紀最悪のテロリスト。

 この世界から光とともに掻き消え、宇宙には彼の遺体すら残っていなかった。