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[1002] 召喚 カレイドルビー
Name: SK
Date: 2006/04/01 22:20
「よいな桜」
 とお爺様は私に言って、
「はい、わかりました。お爺様」
 と私は答えた。


   カレイドルビー プロローグ 「魔術師 間桐桜」

 私は、暗い地下室でぽつんとたたずんでいた。
 寒々しい石の壁に、腐った蟲と獣の臭い。きらびやかなものなど何もなく、生を感じることなど何もなく、ここはただ人の怨念だけが渦巻いている。
 床にはいくつかのサークルと、それを埋め尽くす無数の蟲。醜悪な形状をしたその蟲が地下の石版に刻まれる魔法陣を覆っている。

 ごそごそと蟲のはいずる音が隙間なく聞こえてくる。ただの蟲ではない。人をむさぼるために作られ、それしか能のない魔虫である。

 蟲の名は刻印虫という。
 刻印虫はごそごそと私の体にまとわりつこうとする。
 私はそれを拒まない。悲鳴を上げるのなんて意味がない。こいつらには耳も目も意思もない。
 身体をよじって彼ら落とすなんて無駄に体力を使うだけ。そんなことをしてもこいつらは無限に湧いてくる。

 だから私は諦観する。
 ぼう、と眺めていると、彼らは抵抗しない生贄の体を這い上がる。
 足首からふくらはぎへ。太股からさらに上へと、彼らは彼らのただひとつの本能に従って私の体を蹂躙しようと這い上がる。

 滑稽だった。
 こいつらはただの蟲だ。
 知能も、意思もなく、ただ己の存在意義だけを果たそうと行動する。
 知恵も、意識もないくせに、ただ自分の本能を満たすために人を喰う。
 そして、彼らのただひとつの拠り所である女を襲うという本能とは、彼らがただそう作られているだけなのだ。

 蟲の形を模した出来損ない。
 ムシ、ムシ、虫、蟲。虫けら。
 忌まわしき刻印虫。

 そして、それ以上に滑稽なのは、そいつらのために飼われている自分自身。
 ただ蟲に餌として犯されて、ただマキリの修練として贄となり、ただ魔術基盤の形成のためにクズのような虫けらにたかられる。

 殺すのなんて簡単だ。
 ただ魔術師たる技を見せればいい。この程度の対魔力、シングルカウントであまりある。
 だが、それはできないのだ。
 こいつらにたかられる。犯される。襲われる。

 それが私。
 それが日課。
 それが修練。
 それが魔術師。
 それがマキリ。
 だから私は逃げられない。私はマキリの魔術師だから。
 だから、私はいつものように頭の中に逃げ道を求めるのだった。


 思い浮かぶは一人の先輩。
 衛宮士郎。
 出会うきっかけは兄さんだった。
 彼との会合を続けることになるきっかけはお爺様だった。
 彼の名前は衛宮士郎。そして、彼も魔術師だった。
 蟲に這われる身体を眺め、考える。
 ねえ、先輩? 私も実は先輩のように日課をこなしているんですよ。すこしは褒めてくれますか?
 先日、私の料理を褒めてくれたように、初めて私の弓を見てくれたときのように。
 ええ、わかっているんです。
 きっとそれは無理でしょう。あなたはきっと自分の信念以外の考えは許容できない人だから。
 それはあまりに不器用で、あまりに間違ったあり方だけど、
 とてもとても尊いものだと思います。
 だから先輩。あなたはこんな私を知らないままでいてください。


 私の兄さん。
 間桐慎二。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 ゆるしてください、ゆるしてください、ゆるしてください。
 頭に浮かぶ、それは私の兄の顔。
 私が魔術師だと知られる前はやさしかった。
 でもある日、兄さんはそれを知ってしまった。
 兄さんは私を怒った。殴った、罵倒した。
 でもそれは当たり前のことなんだと納得した。私は兄さんが魔術にあこがれていることを知っていた。マキリの名を持つことを名誉なことだと思っていることを知っていた。
 それなのに、私は、兄さんには何も語らず、ひとりでマキリの修練を受け続けていた。
 だから裏切り者とののしられても、卑怯者とののしられても当たり前。
 だけど、
 だけど、兄さん、信じてください。
 きっとあなたは信じてはくれないでしょうけど、私はこの汚れた身体をうぬぼれても、兄さんを蔑んでも、魔術師を誇れるものだとも、少しも少しも思ってはいないんです。
 この修練に優越感など感じません。この身を尊いものだなんて思い上がりはいいません。
 ああ、兄さん、ごめんなさい。


 最後、頭に浮かぶは一人の女性。
 長い黒髪。澄んだ瞳。活発とした身体と颯爽としたその仕草。
 それはほんの“すこしだけ”面識のある先輩の顔である。
 魔術師、魔術師魔術師。
 ただその目的のために行き続け、ただ根源を目指す異形たち。
 それは救いがたい人種だけれど、救いのない生き物だけど、あなたのことだけは信じます。
 冬木の魔術師。遠坂の後継者。
 きっとそんなあなたは知らないけれど、
 間桐桜は、私は魔術師としてここにいます。
 穢れた魔術師として生きています。
 私は結局こんな道を進んでいるんです。
 貴女と同じ道を歩んでいるんです。


 そう思い描いて息を吐く。
 ピクリと、体が意図せずに震え、終わりを告げる。

 時間切れ。
 気がつくと蟲が私を覆っていた。
 これから先は人間の思考は許されない。
 ああ、今日も修練の始まりだ――――



[1002] 第一話 「召喚 カレイドルビー」
Name: SK
Date: 2006/04/01 22:26
「ねえ、マスター?」
 と彼女が聞いて、
「…………」
 私はポカンと口をあけた。


   カレイドルビー 第一話 「召喚 カレイドルビー」

 それは、ある日の修練が終わった後に、お爺様から唐突に告げられた。
 場所は地下。
 マキリの修練場たる蟲倉である。
 床には無数の刻印虫。

「……聖杯、戦争?」
 それは地獄の宴である。

「そうじゃ。内容はしっておろうな?」
 確認するまでもないとお爺様はそういった。
 私は頷く。
 聖杯を求める殺し合い。その七つのカードを思い返しながら。
 お爺様は言葉を続けた。
 私はそれを拝聴する。口答えなど許されない。口を挟むなどありえない。
 ただ顔を伏せ、その言葉を拝聴する。

「……マキリの直系に不参加は許されん。またお主が刻印を宿している以上それを無視することも、またできん。教会の代行者もそのように取り計らっておるじゃろうしの…………安心せい、“お主が確認したのは令呪だけじゃ”――――衛宮の小倅は参加せんよ。……令呪の兆しは資格あるものに現れるが、この冬木にマスターがそろえば資格は消える。召喚の陣も組めん衛宮の小倅では呼び出せずに令呪は消えるじゃろうて……」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「わしも、かわいい孫をこんな目にあわせるのは不本意でのう。じゃがその兆しを遠坂の小娘に見られるのも少々やっかいじゃ。召喚は早急に執り行うがよい」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「……ふぉっふぉっ、安心せい。おぬしは呼び出すだけでよい。……そのあとのことはわしに任せよ。令呪を消す方法も教えよう。お主はそのまま衛宮の小倅のところに通ってもよいぞ」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「じゃが、あくまで監視じゃて。あやつが召喚をするようならば立ち入るのはよすがよい。……お主もあやつに魔術師たる己がばれるのはいやなのじゃろう?」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「では、召喚にはこれを用いよ。召喚の呪はわかっておるな?」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「それでは刻限は今晩じゃ。遅れは許さん。それまで英気を養っておくがよい」
 お爺様は言葉を続ける。
「……」
 私は無言。

「それでは、退出と修練の免除を許そう。召喚の前に魔力を消耗するのは得策ではないからのう。では今宵。よいな桜?」
 お爺様はそこでようやく言葉を切った。
 私の返事は待たない。返事などいらないからだ。
 お爺様はゆらりと陽炎のように私の前から姿を消した。
 そうしてやっと、

「…………はい、お爺様」

 私は掠れた声で、床に向かって返事をした。

   ◆

 昏い。一筋の光もなく、ただおぼろげな発光ゴケのみが光を発する蟲倉に私は一人でたたずんでいた。
 いや、きっと一人というのは間違いだろう。
 見えないだけで、私に召喚の命を下したお爺様がこの場にいる。席をはずすとは思えなかった。
 蟲はいない。お爺様がどこかへやったのだろう。それも当然だ。あのような木偶、召喚の波動だけで三度は殺せる。
 魔力の渦を受けるに最適の時間。思考がささくれだっている。

 リセット。
 意識を戻す。呑まれるな。
 マキリの魔術師は常に己の腐った部分と向き合っている。
 正常な思考を取り戻したことを確認すると、私はゆっくりと魔術回路を起動させる。
 手をあげる。召喚の呪を再確認。
 体内時計をキックし、現在時刻のチェック。
 私と今晩の月の相性は当然最高。私を私以上に知り尽くすお爺様が、そんな初歩を違えるわけがない。
 召喚のサークルや工房全体の調整もお爺様が八割がた整えてくれていたようだった。
 あとは魔力を通すだけ。サークルには私の体液を用いている。
 私は何もまとわぬままに、口を開く。

「――Das Material ist aus Silber und Eisen.」
(――素に銀と鉄)

 開始と同時に、意識を分割。つぶやくように、ささやくように呪をつむぐ。
 それは呪文。サーヴァントを召喚する契約の呪。

「――――Der Grundstein ist aus Stein und dem Grossherzog des Vertrag.」
(――礎に石と契約の大公)

 三工程を終えたあたりから私を中心に魔力の渦がはっきりと起こり始める。
 ギリギリと弓が引き絞られるような緊張感。体内の魔力が方陣を伝い召喚の図を示す。

「――――――Fuell, Fuell, Fuell, Fuell, Fuell.」
(――――閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。)

 六工程。まだ呪は半分にも届かない。テンカウントを超える大秘術。
 七、八工程――――
 声がかすれる。頭が魔力の余熱で沸騰する。
 終わりが近い。構成、魔力の流れを確認する。

 頭の中で引き絞られる弓を見る。矢を番えたイメージからスイッチを。
 失敗は許されない。
 この場で失敗をすれば、どのような罰を受けるのか。
 気を引き締めると同時に、魔術回路からさらに魔力を練り上げる。
 そして、私は閉じていた目をゆっくりと開いた。
 矢を射るような魔力の放射。
 最後の最後。練り上げられた理を実行するキーである契約の呪を口の端から上らせる。
  
――Satz.
――――告げる。
Du ueberlaesst alles mir, mein Schicksal ueberlaesst alles deinem Schwert.
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
Das basiert auf dem Gral, antwort wenn du diesem Willen und diesem Vernunftgrund folgst.
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
Liegt das Geluebde hier.
誓いを此処に。
Ich bin die Guete der ganzen Welt.
我は常世総ての善と成る者、
Ich bin das Boese der ganzen Welt.
我は常世総ての悪を敷く者。
Du bist der Himmel mit dreien Wortseelen.
汝三大の言霊を纏う七天、
Komm, aus dem Kreis der Unterdrueckung, der Schutzgeist der Balkenwaage!
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ

 あふれる魔力がカタチを成す。

 さあ、現れなさい。サーヴァント――――

    ◆

 一瞬の停滞ののちに私、間桐桜は我に返った。
 その視線はすぐ正面。その床に描かれた召喚陣。そこは儀式の前と何一つ変わらないままだった。

「……えっ?」
 そして、その意味するところは明白だった。
「うそ……」
 信じられない。失敗したのか? と疑念がもたげる。

 だんだんと状況が頭の中に染み渡る。ああそれは劇薬だ。この状況はマキリの桜にとって致命傷。
 身体が震える。カチカチ、カチカチと歯がうるさい。
 だってほら……

「ふむっ、失敗かの、桜よ」

 私のすぐ後ろにはお爺様が立っていた。

「――――っ」息を呑む。
 お爺様は召喚のサークルを眺めると、もう一度、ふむと呟き顎をなでた。
 私はそれを身体をちぢこませて聞くしかない。私は私の立場を間違えることは出来なかった。

 お爺様はさかしげにサークルを眺めている。
 私もちらりと横目で見るが、その召喚陣は依然として私の魔力の残滓をこびりつかせたまま何の動きも見せはしなかった。

「魔力の流れは確認できた。陣の起動も確認できた。……じゃが、ここにはなにもない」
 お爺様が考えをまとめるように呟いた。

「ふむ」と三度呟き、お爺様は召喚サークルの中心から小さな石のかけらを取り上げた。
 それは媒体だった。

 通常聖杯戦争におけるサーヴァントの召喚は、呼び出そうとする英霊に縁のある“媒体”を用いる必要がある。
 世界に到達した英霊の魂とそれをつなげる聖杯。そして、英霊を呼び寄せる道を選択するのが媒体である。
 お爺様が用意した媒体がどのようなものかはしらなかったが、それがただの石であるはずがない。
 媒体の選別は聖杯戦争のすべてを決めるといっていい。それは当然、そのサーヴァントが自分の従者となるからだ。

 魔術師たるマスターがどれほどのものでもサーヴァントにはかなわない。なればこそ、マスターはその身にまとう神秘よりも召喚の媒体こそを重視せねばならない。
 よほどの間抜けでも聖杯戦争に参加しようとするならば媒体の準備に隙を作ることはないだろう。

 まして、これはマキリの当主。マキリ発祥より数百の年月を生きている間桐臓硯が選んだものだ。
 偽であるとか、欠陥があるとか、英霊との縁が弱いとか、そのようなことが起こるなどとは、考えるのもバカバカしかった。
 だが、それを知っているはずの私でさえ、今目の前にその媒体を差し出されるのを見ると、お爺様の選んだ媒体の間違いを疑わずにはいられなかった。

「魔力が……、通っていない?」

 そのようじゃな、とお爺様が私の呟きに答えた。
 それはありえない光景だった。
 術者たる自分の魔力も、その魔力を受ける魔法陣も、この広い地下室を圧迫するほどの躍動を見せているのにもかかわらず、その魔力を受け道を形作るはずの手に乗るほどの灰色の小石は、ほんの一欠けらの魔力も帯びてはいなかった。

「サーヴァントがすでに七騎いるというわけでもないようじゃが、これはいったい――――」
「……」私は無言で、お爺様の言葉を聴く。

 ふっ、とお爺様が顔を上げる。
 しわだらけの顔をゆがめ、大きく笑った。
「ふむ、桜よ。これはお主のせいではないようじゃ」
 返事はしなかった。
 お爺様はそんな私を見て、くいと上を見上げて見せた。

「――――上じゃな」

 そう一言。
 その一言に反応するように、私がいた地下室の上から爆音が響き渡った。
「なっ!?」
 驚愕のうめきがもれる。
 ドン、とお腹に響く音はジンジンと響く耳鳴りを残しすぐに収まった。
 だが、その音源にはいったい何が起きたのか。地下室の石天井から、爆発の衝撃で破損した石くれがぱらぱらと落ちてくる。
 そして、何より重要なのは、その爆音とともに地下室の上、間桐家の食卓があるであろう場所に在りえざる魔力の波動が生まれていた。

「……」
 白痴のようにぱらぱらと埃を撒き散らす天井を眺めている。
 もちろん、私には千里眼も透視も備わってはいないから、その向こうを伺い見ることは出来ないが、それでもただひとつの事柄だけは理解できた。

 召喚である。

 サーヴァントの召喚が行われた。
 この時間差を、この場所の不一致をどう理解するのかはわからない。
 だが、ただひとつ。間桐桜はマキリの魔術師としての責務を果たすことが出来たという点は理解できた。
 ふっ、と驚愕によって白く染まっていた意識を取り戻す。

「桜よ」
 お爺様が私に向かって言う。
「上へゆくぞ」
 それは珍しく私がすんなり同意できる提案だった。

   ◆

「なっ、なんなんだよ。これっ」

 居間には先ほどの爆音を聞きつけたらしい兄さんがいた。
 隕石が直撃したかのように壊れたテーブルと砕けた天井。
 狼狽する兄さんと、私とお爺様の中心にその衝突点がある。
 魔力の渦。人を超えた霊体の感触。
 もうもうたる埃と瓦礫につつまれている。

 だが、どう見てもそこには誰もいなかった。
 地下から上がってきた私たちに気づいたのか、兄さんがこちらをにらむ。

「くそっ、どういうことだよ桜っ!?」
 お爺様とともに、何も身にまとわずに私がたたずむという異常にまったく触れず、兄さんが叫ぶ。
「……」
 しかし、私は何も答えられなかった。
 実際自分自身にもわからないのだ。

 召喚直後は、失敗したのかとマキリの道具として恐怖した。
 その数瞬後には、このままサーヴァントがいなかったら私はこの戦争に巻き込まれずにすむのだろうかと、間桐桜としてばかげた未来を夢想した。
 そして、つい先ほどは、やはりサーヴァントが呼ばれていたことに魔術師として安堵した。
 しかし、ここに来てみれば、やはりサーヴァントは不在だった。
 まったく、まったくまったくやってられない。まっぴらだ。
 頭が混乱する。

「……」
 無言でサーヴァントの気配を探るが、見つからない。
 先ほどまでそこにいたはずの聖杯の奇蹟の証明書たるサーヴァントが、その姿を消していた。
「ふむ、桜よ。レイラインはどうなっておる?」
 あわてて令呪からの繋がり確認する。
「あっ……はい。存在は感知できますが、ラインをたどれるほどには馴染んでいません」

 私とお爺様の会話を聞いて、兄さんは状況を九割がた理解したようだった。
 ギリッ、と兄さんが歯を鳴らす。その目は憎しみに染まっていた。

 ……ああ、また嫌われた。
 ふいに、涙が出そうになる。
 だが、そんなことをしても意味はない。
 私は涙腺を制御した。

 そんな兄さんをお爺様は一顧だにせず私に向かう。
「ふむ、ラインを確認できるのならば、問題はない」
 お爺様はしわだらけの顔を喜びにゆがませて私にいった。
「桜よ、安心するがよい。わしもお主に死んでほしくなどないからのう。明朝にもう一度指示を与えよう。それまでサーヴァントと交流を深めておくがよい」

 それは裏を返せば、サーヴァントにマキリ臓硯と、間桐桜の位置関係をしっかり教えて込んでおけ、という意味だ。
 当然の指示だろう。サーヴァントがマキリ臓硯を敵とみなせば、お爺様でも勝てはしない。
 まあ、もっとも、負けもしないのだろうけど。

 どちらにしろ、私は逆らえるはずもない。
「……」
 からからに渇いたのどは、ひりひりと痛んで言葉を発することを拒否したが、どの道お爺様は私がどう答えるかなど承知している。
 それも当然。答えが常に一種類ならば、それに予想など必要ない。

「……サーヴァント」
 その会話を聞いて兄さんが呟いた。 
 その目は煌々と輝いて、口元はニヤニヤと笑っている。

 ああ、と私は兄さんが何を考えているのかに思い至り嘆息した。
 そして、お爺様はそれを見ながら、何かを考えるように目をつぶる。

「ふむ、まあよい。慎二よ、おぬしの考えはまだ保留とするがよい。まずは桜がサーヴァントと正式にラインを通すのが先じゃろう」
 兄さんはそれを聞いて、納得したように頷いた。
「へえ、まあいいよ。わかったな桜?」
 わかっています。と私が返事をする手間を省くかのように、兄さんは言葉を続ける。
「サーヴァントを見つけろってさ。ふん、もう召喚したってことは家の中なんだろ? なんだって逃げてるんだそいつ」
 兄さんが誰ともなしに言う。
 だが、それは私も疑問に思っていた。

「いやいや、メデューサとは存外じゃじゃ馬のようじゃ」
 お爺様がそう呟く。
 驚いてお爺様を凝視する。
 私と兄さんの顔に驚愕が浮かんでいるのを見て取ると、お爺様は説明を続けた。

「こうなれば仕方がないのう。……桜よ。教えておこう。お主が探すべきサーヴァントはメデューサじゃ……石化の魔眼を垂れ流すほどに愚かだという伝承は聞いておらんが、それでもゴルゴンの悪魔たる素質を持っておるのは確かじゃからな。気をつけることじゃ」
 私は絶句。さすがにそこまで超一級のサーヴァントであることは知らなかった。

「……へえ、すごいじゃん」
 呼吸を整えると、兄さんは気楽を装ってそういった。
 私は無言だった。
 お爺様がこちらを向く。
 いわれることははわかっていた。

「では召喚者たる責を持ってお主は――――」

 そして。そうお爺様が口に上らせた言葉を、


「あら、残念ね。マキリ臓硯。あなたメデューサなんか呼ぶつもりだったのかしら?」


 極寒の冷気を漂わせる声が遮った。
 現代に召喚されたばかりのサーヴァントが己が名を知っているという異常にお爺様が反応する。
 だが、そのサーヴァントはそこでお爺様の反応を待つほどにおろかではないようだった。

「悪いけどね」
 サーヴァントが続けて声を上げる。
 煌々と燃える瞳がお爺様を焼き尽くす。目はルビーを溶かし込んだような深紅。その魔力のオーラは燃えるような赤色だった。

 彼女は手に輝く宝石を構えお爺様を睨みつける。
「桜に呼ばれて、メデューサなんかにこの席を取られてたまるもんですかっ!」
 その叫びに、誰よりも私が驚愕した。
 サーヴァントは手に魔力の渦を集約させる。
 それをお爺様に突き出した。

 使い魔たる契約、名の交換さえも行っていないというのに、マスターたる私の名を知っているという異常。
 召喚されたサーヴァントの声が、あまりにも聞き覚えがあるものであるという狂い。
 鋭い眼光。整った顔。きれいな黒髪。それは、あまりに見覚えがある。

「きさまっ!」
 始めてみるお爺様の狼狽を、

「ふん、この私に見覚えがないとでも?」

 そのサーヴァントは一言で切って捨てた。
 同時に、召喚の媒体たるあの小石を思い出す。ああそういえば、あの石は魔力が通っていなかった……
 その声、その顔。
 私は召喚直後にこのサーヴァントが、兄さんやお爺様から姿を隠した理由を理解する。
 べつに瞳を見せてしまえばマスターが石化するとかそういう理由でもなんでもなく、彼女はお爺様から先手を取るために顔を見せるのを嫌ったのだ。
 彼女はお爺様を威嚇する魔力の渦をそのままに、私に向かって微笑んだ。

「ねえ桜? あなただってメデューサなんかよりも、私のほうがいいでしょう?」

 そういって笑うのは、その顔は。
 それは私のよく知る遠坂凛という少女の顔だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 異霊召喚もので再構築。うーん地雷と見られてしまうっぽいですけど完結はさせますので。
 プロローグだけはあれなので、一話まで投稿。今回はルビー召喚までです。桜の呪文に関してはステイナイトやホロウでドイツ語の呪文唱えてたんでまあ誰でもいけそうなところは凛と変えなくてもいいだろうと・・・
 さすがに“わが祖にシュバインオーグ”あたりは載せませんでしたけどね。
 そういうわけでよろしくお願いします。



[1002] 第二話 「傍若無人、蟲殺し」
Name: SK
Date: 2006/04/03 23:24
「プリズムメイクの始まりよ」
 と彼女は叫び、
「……」
「……」
 私と兄さんは絶句した。


   カレイドルビー 第二話 「傍若無人、蟲殺し」

 彼女は、私の知る遠坂凛とはかなり違った格好をしてそこにいた。
 なるほど、その顔への驚きからさめれば、その人物は明らかに遠坂先輩とは別人だろう。
 長い黒髪をゆったりと後ろにたらし、服装は派手目の漆黒のドレス。それはまるでおとぎ話で語られるお姫様のようだった。

「くっ! 遠坂の小娘じゃとっ!?」
 あせりながらもお爺様は魔術の防壁と鎮圧の攻撃を一瞬でくみ上げる。それはまさに神業だ。
 シングルカウントでありながら視認できるほどの防壁をつむぐその魔力。

 しかし、魔術は魔術。
 それはさらに高位の魔術によって消し飛ばされるのが道理である。

「はっ、潔く消えるのね」

 遠坂先輩の顔をしたサーヴァントが呪をつむぐ。
 手には魔力。大気に力。
 あせるお爺様を尻目にその魔力は一瞬で形を成す。
 にやりと彼女が口を歪める。
 そして――

「――――Es laesst frei. Eilesalve! 」(開放 一斉射撃)

 叫んだ。呪式は宝石を媒介にした物理干渉魔術の一級品。
 シングルカウントによる最速の一撃は、Aランク近い力を持ってお爺様を打ち据える。

 削れる。
 お爺様の防壁は一撃で消し飛んだ。
 次はお爺様の頭が消し飛ぶ。
 そして、腕が、腹が、胴体が、足が、消えていく。
 それは、あまりに一方的で、あまりに唐突な虐殺だった。
 つごう七秒。
 たったそれだけの間で、そのサーヴァントは私と兄さんが長年囚われていたお爺様を消し去った。

「……」
「……」
「……」
「……」
 無言無言無言。
 私も兄さんも声がでない。

「ふんっ。楽勝ね」
 サーヴァントがつぶやいた。
「……な、なんだよ。あいつ」
 なんとか兄さんが声を振り絞る。
 その声は私ですら笑ってしまうほど狼狽していた。
 私自身も呆然としたまま動けない。
 驚きからか、兄さんともども思考がうまく働いてくれない。
 それはあまりに夢のような、ありえない光景だった。

「…………せ、先輩?」
「あいつ、遠坂か?」
 私たちがそう呟くと、サーヴァントたる彼女はこちらを向き、にこりと私たちに笑いかけた。
 それは、とろけるように甘い笑顔。
 女神か天使かと見間違うばかりの凛々しさで、
 自愛に満ちた、聖母のような微笑みで、
 それはまるで、

 学園で見る遠坂凛そのものだと思ったけれど。


「はっはー、それは、十分の一くらいの正解ねっ。それで、どう桜? 私の勇姿を見てくれたっ? カレイドルビーのプリズムメイクの爆誕よっ!」


 びしっ、とポーズ。左手を腰に、右手を前に。
 私の知っている遠坂先輩とは、中身がかなり異なっているようだった。

   ◆

 当然だが、彼女の存在は、私と兄さんの心の安定と、間桐の館をこれ以上ないほどにかき乱した。

「なっ、お前が桜に召喚されたサーヴァントだって言うのかよ」
「はい、桜。服よ。着なさいな」
「あ、ありがとうございます……」
「おい、僕を無視するな!」
「まったくこんなことさせるなんて、あのヒヒ爺は……」
「あっ……あの。兄さんが……」
「くっ、おい、答えろよ遠坂っ! お前はサーヴァントなのかっ?」
「はいはい答えてあげるわよ。見てわかんないの? ミラクルかっこいいこの姿を見て英霊だって想像できないなんて、想像力が欠落してるとしかいいようがないわね。まったく記憶に漏れず、ずいぶんとまあ魔術師然としてるじゃないの。慎二」
「くっ、おい桜。お前なにを間違ってこんなやつ召喚なんて――――――――――――ガフッ」
「きゃー、兄さんっ!」
「はっはー。この私に文句つけようなんて一生早い。来世でもう一回挑戦に来なさいっ!」
「なっ、なにいってるんですかっ。兄さん、大丈夫ですか!?」
「………………………………………………ダ、ダメかも」
「いやーっ!? 兄さんが私に弱音を? 絶対やばいですっ。お願いします遠坂先輩。兄さんを治してあげてください!」
「……まあ、いいけど」

「そもそもなんで遠坂が召喚されてるんだよ!?」
「あー、それ違うわよ。……たぶんこの世界にも遠坂凛は存在するでしょ? その子はその子、私は私って感じよ。桜ならわかるんじゃない? シュバインオーグの秘術に近いかも」
「それって魔法ですよっ!? それに第二魔法だって同一の時間軸に本人同士は存在できないって……」
「そうね。だから私は遠坂凛から派生したようなものだけど遠坂凛ではないわ。いったでしょ? 新本格魔法少女のカレイドルビーだって」
「……」
「……」
「ちょっとなに黙ってんのよ二人とも」
「……いや」
「……ええと」

「ふーん、じゃあ桜は聖杯戦争に参加したくないの?」
「はい、できれば」
「ふんっ、じゃあ僕がお前を使っ――――――――――――ガフッ」
「兄さんっ!?」

「記憶? うーん、まああんまりたいしたもんでもないわ。そもそも私のときはカレイドルビーなんていうウルトラかっこいいヒーローはいなかったし」
「……じゃあだれだったんだよ。こいつが呼び出したのは? くそっ、それなら僕が参加できたかもしれないのに……」
「……兄さん」
「あんた参加してたわよ、確か。メドゥーサだっけ? なんか私と比べるのが可哀相なくらいしょぼっちいサーヴァントも連れてた気がする」
「なっ!?」
「そっ、それは本当ですか遠坂先輩っ!?」
「ルビーだって言ってるでしょ。まあ慎二の参加は本当よ。だって聖杯戦争終わったあとであんた死んでたもの。葬式にもいったしね」
「なっ!? なに言ってるんだよ。僕が死ぬはずないだろっ」
「あんたこそなに言ってんのよ。あんたが聖杯戦争に参加して死なないはずがないでしょうが」
「くっ……ふざけるなっ! 僕は絶対認めないからな、そんなこと」
「に、兄さん……」
「あーあ、行っちゃった。ふて腐れて部屋にこもるなんてガキねー。あいつも」

「……じゃあ、遠坂先輩が勝者だったんですか?」
「あら、切り替えがなかなか早いわね。正解よ。半分くらい」
「半分?」
「まあその辺は知らないでおきなさい。駅までの道を聞くんじゃないんだからね、未来までの道ってのは不定なの。アトラスじゃああるまいし、無理に知ろうとすると逆に迷っちゃうわよ。それに私のは予定ですらないんだから」
「……あ、あの」
「でね、桜。ちょっとまじめな話」
「えっ……は、はい」
「あなた、たぶん参加することになるから」
「…………えっ?」

「衛宮先輩がですか……」
「そっ、まあ、参加するでしょうね。平行世界からの推測だから確証はないけど、出場の資格を持っているはずだってことに変わりはない。――で、経験者としてアドバイスよ。あなた自分が魔術師だってことを衛宮士郎に話しなさい」
「……」
「ちなみに私は知っている。その上で言ってるの」
「!?」
「……“マキリ臓硯はもういない”。私は、あなたはあなたの好きなように生きてほしいと思ってる」
「お爺様が?」
「ええ、みたでしょ? 私は強いんだから」

「……ルビーさん。でも、私はやっぱり怖いんです」
「安心なさい。そのために私がいるんだから」
「……でも、でもやっぱり怖いんです……先輩に嫌われたくないです。ずっと……このままでいたいんです。なんでですか? 何で先輩にしゃべらないといけないなんて……」
「……たぶん、あなたはそれじゃあ永遠に遠坂凛と衛宮士郎に嘘をつき続けることになるわよ」
「いまだってそうです。ずっとそうするつもりでした。……覚悟だってあります」
「はあ……この世界の私も人望がないわねえ。私が桜を裏切るなんてどんな世界だってありえないってのに。……じゃあね。私がここにいる目的を教えるわ」
「えっ……目的?」
「そう。なぜ英霊になって、なぜあなたに召喚されて、なぜここにいるのかを。……回りくどいのは嫌いなの。あんたは参加して、勝ちなさい。あのね、私の目的は――――」

   ◆

 次の日、私が目を覚ましても彼女は依然としてここにいた。
 一日過ごすと、ルビーさんはまるで長年の一緒に住んでいたかと錯覚するほどに間桐の屋敷に馴染んでしまった。

 兄さんはルビーさんと折が合わないとこぼしていたが、ルビーさんが兄さんをからかって、それに兄さんが律儀に反応しているところを見ると、特に問題はないように見えた。
 むしろ二人は非常に仲がよいのでは……と思って、これ以上考えると二人からお仕置きされそうなのでやめる。

 兄さんは本当はサーヴァントを使役して、聖杯戦争に参加したかったらしいが、私たちの、いや主にルビーさんだが、私たちの説得でルビーさんを使役することはあきらめてくれたようだった。
 なんといっても、ルビーさんは以前の兄さんのことを知っていると豪語しており、兄さんも私もそれは確かめようがないから、最後にはルビーさんに言い負かされてしまうのだ。

 また、ルビーさんは私の上位でもなく、同位でもなく、そのままの意味で間桐桜のサーヴァントになることを了承した。束縛を切るために令呪を使い切るように命じられても私は納得しただろうけど、ルビーさんは私の持つ令呪には特に何もいわなかった。
 ルビーさんは私のそばで、霊体化したまま時折姿を現しては兄さんや私をからかって遊んでいた。

   ◆

 そのまま数日がたったある日、一つの出来事が起こった。
 本物の遠坂先輩が我が家を訪ねてきたのだ。
 用件はただひとつ。
 開口一番、遠坂先輩は玄関を開けた私に向かって、令呪の有無を確認したいと申し出た。
 その言葉を聴いた瞬間に血の気が引くのがわかって、遠坂先輩は私の顔色を正確に読み取った。

 今考えればそれは当然のことだった。私が遠坂先輩が確実に参加することを知っていたように、遠坂先輩が私が参加する可能性を考えないはずがなかったのだ。
 だが、私はルビーさんとの生活に浸っていた。修練もなく、衛宮先輩の家に行き、学校に行き、帰ってくれば、間桐の屋敷でルビーさんと兄さんを交えて笑いあう。
 あまりに幸福なその生活に浸りきって、ありえざることに聖杯戦争を忘却した。
 本末転倒。
 私は自分のあまりの間抜けさを遠坂凛の質問で自覚した。

 そして、私が遠坂家当主からの当然の質問に対しあまりに露骨な反応をするのをみて、腕を確認するまでもなく遠坂先輩は真実に気づいてしまった。

「………………うっそ。マジ、桜?」
 手で顔を覆って、そう一言。
「……はい、私は間桐の魔術師として参加します」
 そういった。
「慎二とかは関係なく?」
 さすがに遠坂先輩は的確なところをついてくる。私だけだったらきっと参加しないであろうことを知っているのだろう。

 だが、いまの私は違うのだ。
「いえ、兄さんと協力しますが、最後に決めたのは自分の意思です」
 はっきりといっておく。
 うつむいていた顔を上げて遠坂先輩の顔を見る。

「……そう。んっ了解」
 遠坂先輩は私の目を覗き込んだあとそういった。
 その笑い顔はあまりに最近見慣れていたものだったので、私も意識せず顔が緩む。
「そっか、じゃあ教会への登録は済んだの? 始まったら敵同士ね。まっ容赦しないから、覚悟しときなさい」
 遠坂先輩は殺伐を装ってそういったが、やはりそれはどう聞いても私を心配しているように聞こえてしまった。
「……ありがとうございます。遠坂先輩」
 やめてよね。と先輩が手を振る。

 そうやって、私が夢にまで見たように、私と先輩は笑いあった。きっと数日後には破られてしまうことを、魔術師同士として向かい合うことを二人とも知っているのに、知っているからこそ笑いあった。
 気づくと、遠坂先輩は私を澄んだ眼で見つめていた。
「桜。あなたに何があったのか知らないけれど。たとえ敵になったとしても応援してるわ。気軽に頑張ってなんていえるようなものじゃあないけれど、最低限死なないようにしなさいね」
「……はい」
 ポロリと涙が流れる。

 私はやはりルビーさんの言ったことは正しかったのだと実感した。
 遠坂凛が私を見捨てないと。
 それは正しかったのだ。
 ああ、と私は息を吐く。
 それはなんて高貴な魂なのか。やはり、遠坂の名を継ぐのは彼女で正しかったのだと私は思う。
 そうして、遠坂先輩を見送ろうと、私は玄関から外へ出た。

   ◆

「まさか桜が参加するとはねえ。それで準備とかは終わっているの?」
 屋敷の門に向かいながらそういった遠坂先輩の言葉に、私は首をかしげた。
「えっ……と」
「んっ? どうしたの桜?」
「いえっ、私はもう呼び出しているんです」

 縮こまってそう答える。
 それを聞くと遠坂先輩はひどく驚いたように目を開き、
「……ああそうか。そりゃそうよね。そういう可能性もありえるのか……」
 すぐに冷静さを取り戻して呟いた。

「…………うーん、これは私にミスだったわ」
「? なにがですか?」
「いや、桜が本当の意味で殺る気だったら、私ここで殺されてたなあ、ってね」
 ひどく物騒なことを遠坂先輩は口にした。
 そして、その言葉に私がありえないと返事を返すよりも早く、

「ホントよねえ。こんなヌケサクが私だなんて泣けてくるわ」

 と、ひどく嫌味がかった声が遠坂先輩の言葉に答えていた。
 それに、ピクリと先輩が反応する。
「むっ、だれ? ってそりゃ、桜のサーヴァントに決まってるわよね……随分とまあ頭の軽そうなやつを呼んだみたいじゃない?」

 ……どうやら遠坂先輩はルビーさんの声が自分の声と寸分違わないということに気づかなかったらしい。

「いえっ……あの、」
「まあ、あんたよりはましよ。遠坂凛。――自分の召喚も満足に済ませてないのに、ほかのマスター候補に令呪の有無をバカ正直に聞きに来るなんてよくもまあそれで遠坂凛を名乗れるもんだわ」
 悪態をつきながら、ふわりとルビーさんが現界する。
 それをみて、遠坂先輩はやっぱり私や兄さんのときと同じように絶句した。

   ◆

 当然、ルビーさんの存在は遠坂先輩をこれ異常ないほど驚かせた。

「っっっっ!! あんたいったいなんなのよっ!?」
「見てわからない? 漆黒のドレスに身をまとい、宝石片手に悪を討つ。スペシャルデラックスな愛と正義と宝玉の魔法使い。カレイドルビーとは私のことよっ!」
「あ、あのルビーさん……もう少し穏やかに……」

「……まあ百歩譲ってこいつが私だっていうのは認めるけどね。広い平行世界には失敗作の遠坂凛だっているかもしれないわけだし」
「私はあなたを余裕でぶっちぎって強いけどねー」
「語尾を延ばすなっ! あんたその変なしゃべり方やめなさいよ! 桜に私まで誤解されるでしょうがっ!」
「平気よーん、だにゃん、でござるよニンニン。私はもう桜とラブラブだしねー」
「うひゃあっ!? ル、ルビーさんやめてください……」
「このっ。人をおちょくるのもいい加減に……」

「……まあ、あんたの言い分はわかったけどね。桜に呼ばれたっていうのも納得できるし」
「……遠坂先輩」
「やっと理解したの? まったくこれでほんとに私なのかしら」
「……っっ!」
「いやーっ、先輩やめてください」
「やる気っ? 私と殺りあって勝てるとでも思っているのかしら」
「ルビーさんも煽らないでくださいっ!」

「……でっ、あんたは何で召喚されたのよ? 望みでもあるの?」
「あんっ? 何であんたに言わなきゃいけないのかしら遠坂凛。ここで入院一ヶ月コースの宝石叩き込まれないだけでもありがたいと思いなさい。よわっちいくせに粋がっちゃって。やーねー、そういう身の程知らずな魔術師って」
「……」
「……」
「――Fixierung. Eilesalve!」(狙え 一斉射撃)
「――Es laesst frei. Werkzeug!」(開放 斬撃)
「イヤーっ! 家がー!!」

「ふざけんじゃないわよっ!」
「へえー、だったらどうするって?」
「…………あの、先輩にルビーさん、そろそろ……」
「おいっ桜! なんだよ今の大きな音、は」
「座に叩き返してあげるって言ってんのよっ!」
「はっ、やれるもんならやってごらん小娘!」
「………………………………」
「兄さん、無言で戻らないでくださいっ!」

「くっ……何で本家までいるんだよ桜」
「いえ……私の令呪を確かめにいらっしゃったそうですけど」
「はっ、そうよっ! いいこといったわ桜。そうねっ! つまり桜が敵かどうか確かめに来たってことじゃない。いくわよ桜、いえマスター。敵のマスターを打ち破るまたとないチャンスじゃないのっ」
「ええ、やってやろうじゃないのっ! 桜、悪いけどリタイヤしてもらうことになるからねっ!」
「……桜。遠坂のやつ宝石構えてるぞ」
「ルビーさんも構えてますね」
「……」
「……」
「あっ、撃った」

「――――!?」
「――――っ! ――!?」
「…………というかさ。遠坂のサーヴァントはどうしたんだよ。あいつが不参加ってことはないだろ」
「いえ、まだ呼び出してないそうですけど……」
「……あいつそれでのこのこと出回ってるのか? 信じられな――――ガフッ」
「に、兄さん!? 流れ弾……じゃないですね。なにやってるんですか遠坂先輩っ!」

 とまあこんなやり取りが数時間続くほどに、ルビーさんと遠坂先輩の相性は悪かったのだった。
 この日、遠坂先輩が帰ったあとのさんさんたる情景は、兄さんをして口を開く元気も残らないほどのものだった……
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ああ、なんか区切りが悪い・・・
 まあルビーが間桐家に馴染んでいく話でした。
 凛に対しての言葉はちょっとだけ原作への突っ込みもブレンドされてます。
 ちなみに、ルビーがホロウ設定でないのは仕様ですので気にせずにお願いします。あれはさすがに動かしにくいですしね。
 あと私はライダーが嫌いってわけじゃありません。このルビーだとこれくらい言わないとおかしいかな、と。ちなみにルビーのステータスはランクDにいくつかCって感じで相当弱かったり・・・という秘密設定。

 壊れ系かコメディかを予想された人が多いようだったのですが、たぶん最後までシリアスで行きますので、駄目そうな人はごめんなさい。
 ちなみに傾向は桜とルビーが主役で、凛がサブ。残りはかなりはぶられます。さすがにセイバー、アーチャーあたりは出張ると思いますけど、たぶん士郎は慎二より目立たないような・・・
 というか私は巷の傾向に逆らって慎二は割りとまともになれるキャラだと思っているので(さすがに原作の慎二がまともだとはいえませんが)、この話では慎二はルビーに矯正されて、かなりまともなやつになっています。慎二って姉さん女房とかにガンガンにたたかれたらまともになりそうじゃありません?
 



[1002] 第三話 「ルビーとアーチャー」
Name: SK
Date: 2006/04/10 22:21
「覚えてないもの」
 と彼女は笑い、
「――――――――へぇ、そうなの」
 と彼女も笑った。


   カレイドルビー 第三話 「ルビーとアーチャー」

 ここで、私のサーヴァントであるルビーさんについて少しだけお話をしようと思う。
 真っ黒のドレスに赤い瞳。武器は持たず、得物は宝石。そして名乗りは魔法少女のカレイドルビー。
 武器として使用する宝石には魔力がこもり、その魔力はおそらくCからBランク。魔術師としては破格だが、サーヴァントとしては少し弱いだろうか。
 ちなみに料理は中華が得手で、時々私の代わりに料理を作る。ヒマなときは兄さんをからかって、真剣なときは……まだ、見たことがない。
 いままでマキリの修練を行っていた時間に、ルビーさん自ら間桐桜に魔術を教え、兄さんはそれを見ている。初日に兄さんがルビーさんに何か言っていたようだが、反対に叩きのめされていたようだった。

 そして、ルビーさんは私から片時も離れない。
 彼女はどんなに頼んでも私のそばを片時も離れなかった。学校や外出はもちろん、夜寝るときも、お風呂も着替えもトイレでさえも、彼女は絶対に私から目を離そうとしなかったのだ。
 ただひとつ心配だった点として、衛宮先輩宅への訪問があったが、これにもルビーさんは同行するといって聞かなかった。
 幸い、先輩も、先輩の家にはってある結界もルビーさんを感知することは出来なかった。
 衛宮の前主である衛宮切嗣の残した結界さえ突破できればルビーさんが衛宮先輩に悟られるということはない。
  さすがにお風呂やトイレに関しては私も抗議をしたが、ルビーさんは決して納得しなかった。
 そのとき、ごめんなさい、ごめんなさいとルビーさんが私に向かってまとわりつくことを謝罪するので、私はやはり許してしまったのだが……

 そう、彼女はまるで何かを恐れるように私から目を離すことを嫌っていた。
 ただ、それはよく考えれば当然なのかもしれなかった。アサシンが襲ってくることを恐れたのかもしれないし、衛宮先輩の家で突然サーヴァントに襲われることを危惧したのかもしれないし、ただ単にサーヴァントとはそういうものなのかもしれない。

 それが私が初めて見る、ただ人間味が殺されたサーヴァントだったら、納得できるものなのかもしれないし、サーヴァントを人間と捕らえ恥ずかしがることそのものが愚かなのかもしれない。
 だけど、ルビーさんをただの使い魔と割り切れなどというのは、兄さんですら口に出さないくらい不可能なことだった。

   ◆

 ある日、弓道部の朝練を終え校舎に向かう途中、遠坂先輩に出会った。もちろん学校内で生徒同士がであっただけだ。珍しいことなど何もない。
 昨日だってその前だって遠坂先輩のことは見かけたし、昨日などは遠坂先輩じきじきに弓道場まで足を運んでいた。もっともそれは美綴先輩とおしゃべりをしていただけで、私に用があったわけでもなかったのだが、それでも遠坂先輩と会うなどいうということはそれほど特記すべき出来事ではないはずだった。
 そう、

 その背後に、赤い外套をまとったサーヴァントをつれてさえいなければ。

 最初に、弓道場の入り口近くに立っていた遠坂先輩に気づいたのはルビーさんだった。
「桜。遠坂凛の後ろ。赤い英霊がくっついてるわ。私のときに呼び出したやつと同じサーヴァントね。クラスはアーチャー。遠距離も中距離も接近戦も、おまけにある程度の魔術と家事までたしなむブラウニーみたいなやつよ。あいつに本気でこられたら私じゃ一分持たないと思う」
 ルビーさんは弓道場の陰に佇んでいた遠坂先輩をその視界に納めると、私に言った。

 霊体化したサーヴァントは私では見ることは出来ない。
 だから私は遠坂先輩に目を向けた。
 同時に先輩も私を見る。
 当然だ。
 ルビーさんがそのアーチャーのサーヴァントを見れたように、そのサーヴァントにもルビーさんが見えているはずである。
 もっともルビーさんが私の後ろに控えているというのは、遠坂先輩はあの日からずっと気づいていたことなのだろうけど。

 私と遠坂先輩が見つめあう。
 くいっ、と遠坂先輩があごを横手に向けた。その先には弓道場の裏手。雑木林がある。
 私は先輩の意図を了解し、軽くうなずいた。
 先輩がそれを見るとすたすたと歩いていく。私もそれに続いた。

「桜。どう見る?」
「ルビーさんのお考えは?」
「んー、いくら私を倒そうって言うんでも、このタイミングでってのはないわね。かといって話し合いってのもよくわからない……」
「そうですね。次は会うときは敵同士だっておっしゃってましたし、遠坂先輩」
「でも明らかに私たちを待ってたわよ、あの小娘。宣戦布告とか? サーヴァントを呼び出したから今日から戦いを始めましょうとか」
「んー、ありえない気もしますけど。遠坂先輩ならありえなくもない気もします」
「私ながらそんな甘いこといったら引っ叩いていいわよ。私が許すから」
「ルビーさん……」

 歩きながら、ルビーさんと念話で相談する。
 だが雑木林まではほんの数十歩。結論はでなかった。

 雑木林につくと遠坂先輩は消音の結界を張り巡らせた。
 後ろでルビーさんが反応したのがわかった。
 私も思わず身構える。
 結界の意図はなんなのか?
 その意図は外の中での出来事を漏らさないようにするという以外に考えられなかった。

「へえ、もしかしてやる気なのかしら? 私ってこんなに好戦的だったっけ?」
「いえ、わかりません」

 念話で対応を練る。
 だが、先輩はそんなことはまったく気にせずに私の方を向いた。
 そして、

「アーチャー」

 自らのサーヴァントを呼び出した。
 ふわりと、古風な装備をした男性が現界した。魔力で編まれた人の形をしながら人を超越した人の御霊。
 筋肉質な身体を鎧と外套で覆っている。
 赤い外套は一級の対魔術装備。武器は持っていないようだった。
 そしてその目はあきれたように己がマスターを見つめていた。

 アーチャーが口を開く。
「で、マスター。彼女が君の言っていた間桐桜のサーヴァントかね」
「ええ、言ったとおりアーチャーがいなくても片手で捻れそうなやつでしょ」
 私たちを前にしてあまりにのんきな会話を始める。

「言うじゃない半人前」
 ルビーさんが現界する。
「それとアーチャー。一応久しぶりって言っとくわ」
 ふん、と遠坂先輩が鼻を鳴らした。
「やっぱあんたは覚えてるのね」
「まあ、顔とクラスくらいはね」
 ルビーさんが肩をすくめる。

「で、何のようなの遠坂凛」
 その目が言外にここでやる気なのかを聞いていた。
 だが、それを、

「まあ一応ね。桜のサーヴァントとしてあんたにあっちゃったわけだから、私のサーヴァントのことも見せておくのが筋かなって」

 遠坂先輩はあまりに簡単に否定した。
 なんでもないことのようにそういった遠坂先輩の台詞に私とルビーさんは絶句した。遠坂先輩の思考を宿しているはずのルビーさんですら、その言葉は予想外だったようだ。
 戦闘とか策略とかそういうことを考え続けて、この場所まで来たというのに、
 結界を張り、気持ちを落ち着け、戦闘も辞さない覚悟を固めたところだったというのに、
 彼女はその気概で、そのすべてをあまりに軽々と打ち破っていた。

「どうしたのよ?」
 本当に困惑したように遠坂先輩が首をかしげる。
 本当に困惑して、本気で首をかしげている。
 後ろでアーチャーのサーヴァントが嘆息するのにも、私とルビーさんが驚いている理由も、本当に理解できていない。

 ああ、と息を吐く。
 それがあまりに予想外で、
 それはあまりに遠坂先輩らしかったから、

「…………っくっくくく……あははははは」

 私は思いがけず大笑いをしてしまった。

   ◆

「ごめんなさい」
 私の笑いにたいそう気分を害したように、真っ赤になった遠坂先輩は顔を背けた。
「くっ、アーチャーといい桜といい……」
 ぶつぶつと遠坂先輩がつぶやく。

「まあ気持ちはわからないでもないけどね」
「同感だな」
 サーヴァント二人が同意する。

「うっさいわよ。あんたら」
「……で話はなんなのよ。まさかほんとにアーチャーの顔見せ?」
「ええ、いったでしょ。アンフェアなことは嫌いなの。私は遠坂凛だから――でもまあ本題もまたべつにあるわ。」
「遠坂は常に優雅なれ。だっけ? まああんたの勝手だけどね」
「ふん、家訓を忘れてるようじゃああんたも高が知れてるわね」
 また、喧嘩腰になりそうだったのであわてて仲裁に入る。

 私がルビーさんを制止したと同時に、遠坂先輩はアーチャーさんによって止められていた。
「凛、気持ちはわかるがもう少し落ち着きたまえ」
「くっ、わかってるわよ」
 アーチャーさんの言葉に遠坂先輩が苛立ちを押し殺して返事をした。

 その対応をルビーさんは鼻で笑う。
「桜。私は大丈夫よ。あいつと違って大人だからね」
「そういう台詞を遠坂先輩に聞こえるようにおっしゃってる時点で大人じゃありません」

   ◆

 そんなこんなをしているうちに予鈴が鳴りはじめる。
 すっかり忘却していたが、この場は学園内で今は朝の授業の前だった。

 遠坂先輩がその予鈴に顔を手で覆う。
「あー、もう。話をさっさと終わらせる気だったのに……」
「あんたの無駄口のせいね」
 ルビーさんが言って、
「あんたのチョッカイのせいでしょうがっ!」
 遠坂先輩が怒鳴った。
「……凛」
「…………ルビーさん」
「ちっ、わかってるわ。――じゃあ桜、続きは……そうね、お昼じゃあ人目もあって何かとまずいでしょうから、放課後に。……そう。今日の放課後屋上で、そこで続きの話をすることにしましょ」

 ルビーさんにちらりを目配せをし、軽くうなずく。
 それを確認して、遠坂先輩は「それじゃ」と一言だけ言い放ち踵を返す。

 そして、遠坂先輩は歩き去る。
 アーチャーさんがあきれたように頭を振り、その身を虚空に溶け込ませる。
 私には視認できないがルビーさんは見えているだろう。きっと遠坂先輩の後ろについたはずである。
 それを見ながらルビーさんは呟いた。

「で、結局その話の内容ってのはなんなのよ。遠坂凛」
「……なんでしょうね」

 残念ながらそれは遠坂先輩にしか答えられない呟きだった。


   ◆


「本当は桜も敵になるわけだし、こういうことはしたくないんだけどさ。やっぱりあまりにも厄介じゃない? だから、こうして話を聞きたいわけ」
 放課後。
 遠坂先輩は屋上についた私たちに開口一番そういった。

「あんっ? どういうことだよ遠坂?」
 私から話を聞いてついてきた兄さんが言う。
 兄さんが同席することに非常にいやな顔を見せた遠坂先輩が、さらに不機嫌に口を開く。
「んー、ルビー。あんた“覚えて”いるんでしょう?」
「…………まあ、イエスね」
 ルビーさんが頷く。

「アーチャーからも聞いたけど、生前の記憶ってのは磨耗して詳細な記憶は残らないらしいわね。……だけどすべてを忘れるなんてこともありえないはずよ。まして聖杯戦争レベルの出来事ならまるっきり覚えてないってこともないでしょ?」
「ふーん、敵方の情報をよこせって?」
 ルビーさんが当然の質問をする。

「はんっ、そんな眉唾もんいらないわ。あんた自身も召喚されてなかったそうじゃない。そんなの聞いて策を組んだら足元を逆にすくわれる。参考にしようがないわよ」
 だが遠坂先輩はそう言い放つと腕を組んだまま顔を背けた。
 どうみても言い出しにくいことがあって、それを誤魔化しているように見えた。

「ちっ、なんなんだよ遠坂。いいたいことがあるならさっさといえばいいじゃんか」
 ぎろりと先輩の瞳が兄さんを射抜く。
 だがそれで覚悟が決まったのか、遠坂先輩は言葉を続けた。
「……情報。あんたの記憶がほしい」
「いらないって言ったばっかりじゃない」
 あきれたようにルビーさんが言う。
「違うわ。敵じゃない。“アーチャー”のことよ」
「…………」
 なぜかルビーさんが黙った。

「? どういうことですか、遠坂先輩」
「なに言ってるんだよ遠坂」
 だが私たちの質問には答えずに遠坂先輩はルビーさんを見つめ続ける。

 数秒たって、ルビーさんはあきれたような息を吐いた。
「……なるほどね。そうか、まったく変なところできっちりしてる――――じゃあ、あなたのアーチャーも記憶がないのね?」
「ええ、あんた知ってるんでしょ。ちょっとこれが厄介でね。宝具も使えないって言うんじゃ話にならない。あなた知ってるんでしょ? 対価は払うわ」

「なにいってるんだよお前ら?」
 兄さんの疑問に追従してルビーさんを見る。
 ルビーさんは軽く遠坂先輩に目配せをした後、口を開いた。
「召喚のミスでね。遠坂凛のサーヴァントはその身に真名を記録していなかったのよ」

「…………」
 今まで黙っていたアーチャーのサーヴァントが無言のままこちらを見た。
 その目は鋭くルビーさんを睨みつけている。
 だが、その鷹の眼光を浴びながらもルビーさんは軽々しく肩をすくめた。
「悪いけど覚えてないわ」

「…………」
 ギリッと歯軋り。
 遠坂先輩の目が鋭くなる。
「ふんっ、いえないわけでも覚えてないってわけでもないわ。そんな眼されても答えられない。だってマジで知らないのよ」
「――――どういうこと」
「アーチャーは真名を思い出す前に死んだから」

   ◆

 無言で遠坂先輩とルビーさんがにらみ合う。
 私はどうしても腑に落ちず、その二人の間に割って入った。
「あの、一ついいですか?」
 ちらりと二人がこちらを見た。
「あの、アーチャーさんが真名を思い出せない状態なんですか?」
 遠坂先輩がにがり顔でうなずく。
「でも、それでなんでルビーさんに真名を聞いているのでしょうか?」

「……どういうことだよ、桜。思い出せないから知ってるはずのお前の遠坂に聞きにきてるんだろ。わざわざ敵だって宣言したおれたちを捕まえてまでさ」
「えっ……いえ、兄さんそれは違うと――――」
「なんだよ、僕が間違っているって言うのかっ!」
 兄さんが声を荒げる。
「――いえ、兄さん。召喚の影響を受けてサーヴァントの記憶に障害が生じることはありえるかもしれませんが、マスターがサーヴァントについて情報を持たないということはありえないです」
 私は兄さんを怒らせないようにいう。

 兄さんは私の言葉を聞いて、その内容を了解した。
「ああ、そういうことか。そりゃそうだな。なかなかやるじゃん、桜。そうだよ、召喚の媒体をサーヴァントに叩き込めばいいだけの話じゃんか。それで思い出せないって言うんなら桜の遠坂に聞いたところで意味ないだろ」

 苦虫を噛み潰したような遠坂先輩の顔。
「わかんないのよ」
 はあ、と兄さんが大げさに仰け反る。
 ルビーさんが口端で笑いながらこちらに顔を向ける。
「……まあこれは私もだったけどさ。遠坂凛は媒体なしで召喚したのよね。桜みたいに本来の媒体を超えて私が召喚されたわけでもなし。――――完全に媒体なしでやったわけ。だから推測も出来ないの」

「ええ、そういうこと」
 それを遠坂先輩がしぶしぶと肯定した。
「媒体を用意されなかったんですか?」
 あきれたような響きが混じってしまった。それを敏感に感じ取ったのか遠坂先輩は少しだけ頬を染めて私に向かう。
「いや、何か用意されてると思ってギリギリまで探したんだけどね。結局見つからなくて……」
 あはは、と乾いた笑いをするがその言い訳はどう考えても逆効果だった。

「聖杯戦争のための準備をされていなかったのですか?」
 時間は十年もあったのだ。
「いや、してた。というより聖杯戦争に向けて残されてた遺産の解読をしてたのよ。でその結果でてきたのが媒体じゃなくて、こいつだったってわけ」
 遠坂先輩がコートのポケットからペンダントを取り出した。

 スウ、とルビーさんの気配に真剣みが増したのを感じ取る。
 それは、とんでもない魔力を秘めた紅の宝石だった。
「私も魔術師になったときから宝石を用意してるけど、こいつはそんなもんじゃないわ。たぶんうまく使えば宝具クラスだと思う。まあこれはこれでいい物を残してくれたというべきね」
 一つ苦笑すると遠坂先輩はそれをしまった。

「……一つ聞くけど、それ使う予定はあるの?」
 なぜかルビーさんがそんなことを質問した。
「あるっていうか、たぶん聖杯戦争で使うことになると思うけど? もともとそれように残されたもんだし、出し惜しんで勝てると思ってないわよ」
 困惑したように遠坂先輩がいう。

「ああ、切り札に設定してるってことか」
「そりゃそうでしょ。……待って、ルビー。あんたも持ってたんじゃないの?」
「――――そうね。持っていたと思う。でも何に使ったかは覚えてないみたい。――――なるほど、昔の私がなんに使ったのかしらないけれど、“なんてもったいない”ことを」
 軽く記憶を探るように頭を振ってからルビーさんはいった。

「そう。まあ別にいいけど。で、遺産の解読に時間をかけすぎてね。媒体も用意できずに期限もやばくなっちゃったから媒体なしで召喚することになったのよ」
 それで、代償にアーチャーの記憶がないってわけ。と遠坂先輩は苦々しく笑った。
 媒体を持たずに召喚を行うという遠坂先輩の行動にもあきれてしまったが、それでもなお召喚をなしえてしまう技量に驚愕した。

 だが、マキリに培われた知識でも、無媒体による召喚は情報がない。
「サーヴァントとのパスが通っていることで、夢を通して英霊の過去を共感できるという話を聞いたことがあります」
「ああ、それね。それは知ってる……でも、未熟とかよっぽど精神が消耗してるとかでもない限りサーヴァントの意識が逆流するようなことはないわ。出来たところでそれは運任せだし、趣味じゃない」
 遠坂先輩が断言する。

 通常、意味もなく人の過去を暴くような魔術師はいない。サーヴァントに対しても同じことだ。もともと同じ人である。
 それに聖杯戦争のサーヴァントに対して、パスを介してを意識を覗くということは同時にサーヴァントからもこちらへの介入を許してしまうということもあり、通常の魔術師は嫌煙する。

 そもそもサーヴァントの過去を知ることにメリットがない。
 まあどちらにしろ、よほどの条件がそろわなければサーヴァントの影響など受けはしない。眠っているときに多少の影響を受けるが、特に特別な状態でもなければそれは本当にただの夢だ。

 遠坂先輩は未熟や精神の消耗から制御が外れるといったが、それもまた可能性としてはほぼゼロ。
 パスの制御など初歩の初歩。マスター側の意識の混濁や、サーヴァント側の霊体の消滅を招くような傷による暴走、もしくはパスのつなげ方も知らないような魔術師でもなければ使い魔との制御が外れることはありえまい。
 そして、サーヴァントがそのような傷を負うということは聖杯戦争においては死を意味し、そこまで未熟な魔術師はサーヴァントどころかこの遠坂凛が守護をする冬木の地に踏み入れることも出来はしないはずである。

「そうですね。それに無理やりサーヴァントの記憶をたどるというのもやはり無理だと思います」
「でしょうね。強固といってもパスはパスだし、そもそも絶対にサーヴァント側の防壁がかかる。……やっぱり夢から推測するしかないかな」
 遠坂先輩はそういいながらアーチャーさんの腕を軽く叩いた。
 だが、それはアーチャーさんのせいではない。魔術的な技術でアーチャーさんの防壁を破ろうとしてもそれはサーヴァントという存在格に阻まれる。
 その状態で意識をパスからたどるのはとても無理だろう。

「くそっ。絶対いけると思ったんだけどなあ」
 遠坂先輩が悔しがる。アーチャーさんの真名をルビーさんから聞きだすことを当てにしていたのだろう。
 兄さんや私、ルビーさんの前で召喚失敗という自分のミスを暴露しながらも、なんら有益なものが得られなかったことに落胆していた。

「いや、そうでもないだろう」
 ため息をはいていた遠坂先輩に向かって、アーチャーさんが言った。
「なによ。アーチャー」
「ルビーとやらの言葉だ。私が真名を思い出す前に殺されたと。……これでも宝具なしでそれなりに戦える自信はあるが、敵は?」
「聖杯戦争ってのは宝具戦でしょ? まあいいけどさ。――――でもアーチャー? 敵の情報はなしじゃなかったっけ?」
「ふっ、それは君と凛との約束だろう。なに、無様に負ける気はないが、君の言葉は限りなく未来を近似する。ここで見栄を張ることもなかろう」
 アーチャーさんが苦笑した。

「……そうね。OK、教えましょう。――――アーチャー。あいつが負けたのは私のせい。倒したのはバーサーカーのサーヴァントで、私が命じたのは肉弾戦の足止めだったの」
「随分詳しく覚えてるじゃない。それに足止めって聖杯戦争じゃそんな状況ありえないでしょ」
 遠坂先輩の言葉に同意する。たった一つのコマが負けたら終わりの聖杯戦争で、そのコマを使って敵の足を止めてどうするのだ。
 サーヴァントを捨て駒に、己だけが逃げるというのも遠坂先輩からは遠すぎる。

「まあ、詳しいことは省くわ。覚えているのは……私の勝手でしょ。――――そうね、アーチャー。言えなかったことを言っておく。あなたは最強のサーヴァントだった。ハズレなんていってごめんなさい」
 ずっと謝りたかったことなの。とルビーさんはつぶやいた。
 それに数瞬ポカンとした後、アーチャーさんは笑いながら頷いた。
「ああ、同じアーチャーのよしみだ。受け取ろう」

 アーチャーさんの笑いを見ながら、ルビーさんも口元を緩めた。
「……もしかして、こっちの私もいったのかしら」
「ああ、これは後悔させてやる必要はなくなったかな?」
「はっ、冗談。私はまだあなたの力を見てないもの。――――でもそうね、たしかに役に立つ情報かも。よくわからないけどあんたのアーチャーはバーサーカーにやられたってことか。記憶がないままってのなら当たり前かもね。どんなやつよ? 宝具とかマスターとかは覚えてないの?」
「なんだ遠坂凛。やっぱりあんたも聞くんじゃないの」
「ここまでいったら話しなさいよ。まさか出し惜しみする気?」
「まあいいけど。どっちみちそこまでは覚えてないわ」

「…………」
「肝心なところで役立たずって顔してるけど、相手がバーサーカーだって記憶があっただけでも僥倖だって思っときなさいよね」
 思えるわけないでしょうが、と遠坂先輩は毒づいた。

「ふーん、じゃあ結局どうするんだ?」
 話を聞いていた兄さんがいう。
「……そうね。もう貴方たちには用はないわ。明日からはほんとに敵同士。私たちはこれから新都に出ることにするわ。見回りも兼ねて街の状況を見に行てくる」
 遠坂先輩が答えた。
 それは新都の意識混濁事件のことを指しているのだろう。

「ふーん、おい桜の遠坂。僕らはどうするんだよ」
「えー、桜は? 従うけど」
 何か考え込んでいたルビーさんが私にいう。
「えっと……」
 本音を言えば、遠坂先輩についていって新都の状況を見に行きたいけど、きっとそれは馴れ合いだと怒られるだろう。
 まあ無駄に動くこともない。遠坂先輩が明日から敵といったからには明日からは戦いが始まるのだ。
 今日は帰ったほうがいいだろう。
 少し考え、私は意見を口にしようとし――――

「俺と殺りあうってのはどうだい、お嬢ちゃん?」

 ――――その言葉を、槍の戦士にさえぎられた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 三話でした。セイバールートとか桜ルート見るとどう見ても弓凛が成立するように見えるんですが、駄目ですか? 私は実は士郎よりアーチャーが好きだったりします。
 まあというわけでルビーはほのかにアーチャーラブです。格付けとして、桜への愛情度が100だとするとアーチャーへは3くらい。ちなみに慎二は生前の経験から0.1から0.2くらい・・・・・・かな? ちなみに英霊として器に登録されているルビーさんの記憶に残っているだけでも普通より十分すごいことなので、+0.1の慎二もまあ相当のもんなんだろうと思っといてください。
 なのでルビーがアーチャーのことに関してだけ覚えていたのは、後悔の念からというより強い思い出からです。というわけでバーサーカーについてとかそういうのは全部忘却。原作のアーチャーも黒いタコのことは知っていても、聖杯戦争に関わってくることは知らなかったみたいですしね。

 それと、人気があるのかどうなのか。人気投票ではカレイドルビーに吸収合体された人工天然精霊マジカルルビーは出てきません。さすがにギャグで固有結界使うやつなんで・・・というかあんなの入れたらシリアスで行くつもりなのに話が崩壊してします。



[1002] 第四話 「一般生徒 衛宮士郎」
Name: SK
Date: 2006/04/10 22:20
「なんで俺生きてるんだ?」
 と彼は呟き、
「………………………………」
 その声が無人の廊下に木霊した。


   カレイドルビー 第四話 「一般生徒 衛宮士郎」

「すごい……」
「へえ、やるじゃん」
 私と兄さんが声を出す。
 私たちは舞台を屋上から校庭へと移していた。
 その目の前では、アーチャーさんとランサーが戦闘を繰り広げている。
 ルビーさんは援護をしない。おそらく、ここまで近接した接近戦では、魔術師たる彼女では手が出せないのだろう。
 結果、私と兄さん、ルビーさんを観客に、アーチャーのサーヴァントとランサーのサーヴァントが人を超えた戦闘を繰り広げる。
 遠坂先輩も声を出さない。彼女は自分が出来るのはサーヴァントを信じることだと知っている。

 私たちにちょっかいを出してきたのはランサーのサーヴァントだった。
 彼は笑って言った。
「まあ前哨戦みたいなもんだ。やられる気はないが、やる気もない。七騎そろうまで暇だしな」
 だから、たまたま見かけた私たちにちょっかいを出したのだと彼はいった。
 それが真実だったのかはわからないが、結論から言えば彼は嘘はつかなかった
 宝具も使わず、その槍の捌きだけを私たちの目に焼き付けて、
 言葉通り、彼はアーチャーさんとの戦いを途中で中断した。
 いや、正確に言うならば。
 誰かの鳴らした足音に、

「――――誰だっ!」

 中断せざるをえなくなってしまったのだけれども。

   ◆

 ランサーが消えた後、そこにはアーチャーのサーヴァントだけが残っていた。
「アーチャー、あいつは?」
「――――目撃者を追ったのだろう」
 遠坂先輩がアーチャーさんに問いかける。
 それはあまりに自明の質問だった。

 だが、アーチャーさんが答えると、遠坂先輩は一瞬身体を震わせた後、
「追って!」
 魔術師としてあるまじき言葉を発した。
「……」
 一瞬遠坂先輩の顔に眼を向けると、アーチャーさんはランサーを追う。

 遠坂先輩それに続こうとして……
「遠坂先輩」
 私の声に立ち止まった。

 遠坂先輩が、ちらりとこちらに目を向ける。その目に一片の迷いもないことがかえって私を戸惑わせた
「なに、桜」
「なにをするつもりですか」
「――――今の目撃者を助けるのよ。決まってるでしょ」
 遠坂先輩は当然のようにそう答え、返事も待たずにそのまま走り去った。
 走り去ってしまった。

 私はそれを見ながら呆然と立ち尽くした。
「…………」
「おい、桜。追いかけないのか?」
 兄さんの声に振り向く。
「……兄さん」
「あんっ? なんだよ、桜」
「遠坂先輩は今の目撃者を追いました」
「わかるよ。見てたからな」
 不愉快そうに兄さんが答える。

「どうして追ったんでしょうか?」
「あっ? お前バカじゃないのか。あいつは自分の陣地で人が死ぬのが嫌いなんだろ。とんだ甘ちゃんだってだけじゃないか」
「……目撃者は残してはいけない。遠坂先輩が見つけたのなら、きっと記憶を消すだけでしょうけど、ランサーは目撃者を殺すからですか?」
「ああ、そうだろ」
「見ていたのは、どなただかわかりましたか?」
「んっ? わかるわけないだろ。遠かったしすぐ逃げた。普通の人間にしちゃ賢いみたいだな。後姿もみえなかったよ」
「私もです。たぶん遠坂先輩も」
「でなんなんだよ。鬱陶しいな」
 苛立ったような兄さんの声。

「でも。でもランサーはもう殺しに走っていました。いまさら目撃者を殺すことはないなんていう問題じゃありません。どうする気ですか? ランサーを追って、目撃者の前で大立ち回りでもして、それから記憶を消して放免しようとでも言うんですか!?」

 ――――先に“処理”に走ったのがランサーである以上、私たちがしていいことなどなにもないのに。

 思わず声が高くなる。
 私は半ばつかみかかるように兄さんに詰め寄った。
 兄さんは掴みかかろうとした私の手を払うと、
「なにそんなに怒ってるんだよ。遠坂が甘いってだけじゃないか」
 そう言って私を怒鳴った。

 違う。
 首を振る。
 これはそんな問題ではないのだ。
 遠坂先輩は、あの目撃者が死ぬことで学校生活に支障が出るとかそういうことを考えていたわけじゃない。
 最後、遠坂先輩が立ち去るときの目がつげていた
「遠坂先輩はあの人が死ぬのを防ぐことしか考えていませんでした」
「あっ? なに言ってるんだよ桜」
「さっきの遠坂先輩は、」

 魔術師ではなかったということだ

 がくりと足の力が抜ける。
「――――信じられない」
 なんて甘い。
 追うのならすぐにサーヴァントに追わせればいい。
 だが、遠坂凛はまず自分のサーヴァントに問いかけた。
 なにをしているのかと。そして、ランサーは何をしにいったのかと。

 ありえない。

 彼女はあの瞬間目撃者を消すという魔術師の大前提を忘れていた。
 彼女は魔術師であると思ったのに、
 魔術師であると思っていたのに、
 だから私もマキリの修練を耐えられたというのに、
 私はすでに人の心なんて持ってなどいないのに、

 それなのに、今あの瞬間、遠坂凛は。

 ――――彼女の心は魔術師ではなく人間のものだった。

   ◆

 Interlude ***

 校舎に逃げ込んだ衛宮士郎はすぐにランサーに追いつかれた。
 そもそも霊体化が可能なサーヴァント相手の逃亡先に室内を選ぶのが間違っている。
 これでは追いつくどころか、先回りすら可能である。

「よう、坊主。なかなかいい足だな」
 ランサーは追いついた衛宮士郎相手にぬけぬけとそんなことを口にした。
 衛宮士郎は息も絶え絶えと、へたりこんでいるというのに。
 彼にはただ一欠けらの乱れもない。
 一般人ごときに槍を振るわなければいけないことにランサーは渋い顔をしているが、衛宮士郎にしてみればたまったものではあるまい。
 ランサーが槍を構える。
 衛宮士郎に武器はない。そもそも戦うことなどできるはずもない。

 個人による戦争、魔術師の戦争、サーヴァントによる戦争。
 それが聖杯戦争である。
 サーヴァントと戦えるのはサーヴァントだけ。
 そう。サーヴァントでなければサーヴァントとは戦えない。
 それはサーヴァントであれば、サーヴァントと戦えるということの裏返し。
 だがどの道、衛宮士郎がこのままでは死ぬということに変わりはない。

「まあ運がなかったな。見つけたのが俺じゃなく、俺の上があいつじゃなければそれなりの処置をされたのかもしれんが、――――目撃者は殺せとよ」

 念話でマスターと連絡をとったのか、ランサーは不愉快そうにそういった。
 ランサーはさらに一歩衛宮士郎に近づく。
 その距離はすでに彼の槍の範囲内。
 殺されることを衛宮士郎が理解して、
 ランサーが衛宮士郎を殺そうと自らの獲物に力をこめる。

 そして――――

 何よりも早く、一筋の黒い閃光で衛宮士郎の意識を刈り取った。

 Interlude out ***


   ◆


 兄さんと私がついたとき、すべてはもう終わっていた。
 遠坂先輩は私たちを廊下で待っていた。
 不機嫌そうに腕を組んでいる。

「遠坂先輩。さっきの人は?」
「……そっちの教室に放り込んであるわ。アーチャーはランサーを追わせた。――――ルビーは?」
 いわれて姿が見えないことに気づいた。
 ラインをたどる。

「……教室?」
 そのラインは遠坂先輩が目撃者を入れたはずの教室から続いていた。
 私がラインをたどったことがわかったのか、ルビーさんは霊体のまま教室から廊下へ出た。
 現界する。

「……ああ、ごめんごめん。ちょっとその遠坂凛の処置を見学したくなってね」
「ちっ、見てたなら手伝いなさいよね。おかげで虎の子の宝石を使う羽目になったじゃない」
「まあ、借りにでもしといて」
 ルビーさんと遠坂先輩が悪態を付き合っているとアーチャーさんが現れた。

「凛。新都に入るところまでは確認できたが、それ以上は無理だな」
 ああ、と理解する。どうやらランサーは目撃者を消してそのまま逃走したらしい。アーチャーさんはそれを追っていたのだろう。
「ああ、そう。じゃあ収穫はほとんどなしね」
「いいじゃんか。ランサーだって戦う気はないとか言ってただろ」

「ふん、アーチャーとの最後の瞬間はそうでもなかったみたいだけどね……まあいいわ。今日は私も帰る。……でね、桜」
「えっ、はい」
「目撃者のこと」
「助かったみたいですね」
 我知らず硬い声がでる。

「ええ、でそいつなんだけど……」
 ちらりと遠坂先輩の目が横の教室に流れる。
 いいにくいことがあるように口ごもった。
「――――いや、助かったんだから、今すぐ言わなくてもいいかもことしれないけど、……いや、一応。うん、言わないってのもあれだし……」
 はっきりしない。何を言いたいのか。

「なんなんだよ遠坂。そいつがどうしたっていうんだ」
 兄さんが不機嫌そうに言った。
 我慢できなくなったように、兄さんは横の扉を開ける。
 遠坂先輩は少しだけ狼狽して兄さんを止めようと手を伸ばしたが、それは当然間に合わなかった。
 その中には目撃者である死ぬべきはずの人間がいるはずだ。
 兄さんがそのまま中を覗き込む。

「…………」
 遠坂先輩の決定的な甘さに命を救われたその人物を見て、なぜか兄さんが絶句する。
「――――兄さん?」
 違和感。兄さんの異変を見て私の中におかしな感覚が込みあがる。
 そして、私も兄さんの後ろから教室の中を覗き込み、
「…………えっ?」


 そこに横たわる衛宮士郎の姿を見た。


   ◆

 Interlude 間桐慎二

 ――――そして、

 間桐桜はぶっ倒れた。
「おっ、おいっ!?」
 あわててそれを支える。
 すぐさま奇怪な格好をしているほうの遠坂が駆け寄ってきた。
「よく受け止めたわ慎二。あんたにしちゃ上出来よ」
「べ、べつに当然だろ。こいつは俺の妹だしな。そ、それより衛宮は……」
「生きてるわよ。……でも、やっぱり桜には強烈過ぎたか」
 制服を着た遠坂が平然と言う。
「なんかピリピリしてたし、すぐに言わなくてもいいと思ったんだけどね。慎二、あんたもう少し節操を持ちなさいよ」
「お前には言われたくないな、遠坂」
「あんたら桜が倒れてるってのにバカな話してんじゃないわよ」
 ルビーが本気で声を荒げた。

 桜の顔を覗き込む。青い顔をしていたが、いまは息も穏やかだった。
「ふんっ。信じられないって顔してたぞ、こいつ。いきなり気絶なんて何様のつもりだよ」
「何様かどうかはともかくあんたよりは上位ね、慎二。今の間桐家の序列は私と桜で最後にあんただから」
 桜がただ眠っているだけだということを確認した英霊の遠坂が軽口を叩く。
 だが流石に青い顔のままぐったりと力を抜く桜の姿を見て真剣な顔をして、
「アーチャーに遠坂凛。私たちはもう帰るわ。桜も寝かせてあげたい。一応こっちで説明だけはしとくから」
 本家の遠坂に向かってそう言った。

「――――そう。そうしてもらえると助かるわ」
「そう。じゃあね。――――ほら慎二。桜を背負いなさい」
 ちっ、と舌打ちをする。何様のつもりだこいつは。
「なにいってるんだよ。何で僕がそんなことしなきゃいけないんだ」
「あんた喚くにしてももう少し考えてからにしなさいよね。途中で襲われたらあんたが戦う気?」
「――っ! くそっ、桜のやつ、面倒ばっかりかけやがって」
 しぶしぶと桜を背負う。

「じゃあねルビー。桜のことは任せるわ。……明日からは敵同士だしね」
 遠坂が帰ろうとする僕たちに向けてそういった。
「――――いえ」
 それを聞くとルビーは少しだけ立ち止まり。
「たぶんそうはならないと思うけどね」
 とだけ口にした。

 Interlude out 間桐慎二

   ◆

 眼が覚めると、場面はすでに間桐邸へと移っていた。
 肝心な場面で眠っていた私には文句の言いようがない。
 黙ってルビーさんと兄さんから事の顛末を聞いていた。

「では、やっぱり衛宮先輩は……」
「ええ、遠坂凛が“治した”みたい。宝石を使ったとか言ってたし、ちょっと借りが出来たかもね」
「あっ? どういうことだよ。それ」
「? 桜って衛宮士郎に惚れてるんじゃないの?」
「ル、ルビーさんっ!?」
「……ああ、あほくさ。そういう意味か」

 まあいいじゃない、とルビーさんは笑う。

「でもまあ、ちょっとだけ指針が出来たかも」
「なんのですか?」
「たぶん今夜よ。七騎のサーヴァントがそろうのは」
「――――それは、」

 召喚した日に聞いていた。
 ここ数日言われていた。
 つまりそれは、

「先輩が?」
「今日衛宮が呼び出すってことか?」
「ええ、さっき思い出した。たぶん遠坂凛がサポートするのかな? きっかけはわかんないけど、それが今日だってことだけはなんとなく」
「遠坂先輩がサポートというのは?」
「学校に衛宮士郎を置いてきたって言ったでしょ? 遠坂凛も魔術師なら記憶を消してほうっておくなんてことをしないで事情の一つでも聞くんじゃない? で衛宮士郎なら聖杯戦争を知れば傍観してはいられないでしょ」

 違和感。

 ルビーさんの言葉に何か決定的な見落としを感じた。

「……どういうことでしょうか? 衛宮先輩はランサーに衰弱死を装われていたんですよね? 魔術の残り香なんてまったくないように見えましたけど……」
「? 桜こそなに言ってるのよ。さっき説明したじゃない。あなたが倒れちゃったし、遠坂凛も戦う気がなかったみたいだから、私たちは衛宮士郎と遠坂凛をおいて帰ったんだって。そもそも衛宮士郎を見る限り、遠坂凛のサポートでもなけりゃあ参加は出来ないわよ」
「ちっ、衛宮が魔術師ってのは気に食わないけど、この遠坂の言うとおりだろ。衛宮一人で召喚なんてできるもんか」
 その瞬間会話の齟齬に気づいた。

「っ!? 違います。遠坂先輩は衛宮先輩が魔術師だってことを知らないんです」

 はっ? とルビーさんと兄さんが間の抜けた声を上げる。
「――。マジ? うそ……それだと」
 一瞬で状況を理解してルビーさんがつぶやく。
 衛宮先輩が魔術師だと知っているのと、一般人だと思ったままというので、その対応は大きく異なる。
 一般人には説明の機会が与えられない。衛宮先輩はただの生徒として遠坂の魔術師に処理される。

「? なにあせってるんだよ二人とも。知らないなら知らないで、衛宮の記憶消してほうっておくんじゃないのか?」
 違う。そもそも、衛宮先輩の姿を見たのは私たちだけではないのだ。
「衛宮先輩はランサーに狙われています。遠坂先輩があれだけ優先して先輩を追ったのも、おそらくすでに遠坂先輩が衛宮先輩を治癒したことも知られているでしょう。……敵から見れはひどい隙です。ランサーとそのマスターはきっと遠坂先輩がただその矜持のみを持って助けたなどとは思いません。絶対に衛宮先輩をアーチャーのマスターの急所である可能性を考えるはずです」
「遠坂凛が衛宮士郎を一般人として処理したと考えると、」
「外傷がない衛宮先輩をかくまうとは思えません。記憶を消して学校にそのまま放置していると考えるべきです」

「そうかっ! それでそのまま遠坂がいなくなれば」
「はい。ランサーが衛宮先輩を再度狙いに来るでしょう。そこで記憶を失った一般人を見るだけなら遠坂先輩の性格を考慮してただ助けただけだと理解できるでしょうが、そこで衛宮先輩が魔術師だということになればきっとランサーは容赦しない。――――そして、」
「衛宮の屋敷は結界が張られている。――あいつが偵察にきたら衛宮士郎に気休めにもならない警告を送り、侵入者であるサーヴァントに屋敷の主が魔術師であることを告げるでしょうね」

「ランサーが結界に気づかない可能性もありますけど」
「楽観ね桜。だとしてもランサーは殺すわよ、あいつと殺りあった私から言わせてもらえばね。一般人だろうとあいつらには関係ない。遠坂凛の援護でもなければ衛宮士郎は殺される。くそっ、私のときと流れが狂ってるのか……遠坂凛が衛宮士郎にホントに気づかないとするとちょっとやばい」
 その断定に決心を固める。

「ルビーさん、兄さん」
「――――ええ、了解。衛宮邸に急ぎましょう」
「くそっ、衛宮の癖に迷惑ばっかりかけやがって」

   ◆

 だが、衛宮先輩の家に着くと、すでにそこは無人だった。
 人の気配がない。だが、あせる私や兄さんとは裏腹にルビーさんはその屋敷を見るとその表情を落ち着けた。

「……?」
 ルビーさんが首をかしげる。
 ハアハア、と息を切らせる私と兄さんを尻目に、ルビーさんが動きを止める。
 私は鍵を取り出して、中に入りますか、と聞いたけれどルビーさんは首を振った。

「――――あせる必要はないみたいね」
「えっ?」
「召喚が起こったみたい。前後一時間ってところね。たぶん衛宮士郎のだわ」

 それはつまり――――
「衛宮先輩が?」
「たぶんね。戦闘の残滓もある。衛宮士郎のサーヴァントじゃなきゃここで戦闘は起こんないでしょ」
 予想通りって言うべきかしら。とルビーさんがつぶやく。

 兄さんが土塀をける。
「なんだよそれっ。くそっ、面倒ばっかりかけさせやがって、なかにいるのか?」
 ルビーさんは眉根を寄せる。
「うーん、いないみたい。サーヴァントの気配もないしね。マスターの気配はわりと隠蔽可能だけど、この距離でマジにサーヴァントを対象に索敵かければアサシンでもない限り感知できるわ」
 ルビーさんは胸を張ってそういった。

「でも予定が狂ったわね。どこいったのかしら? アーチャーの気配はないけど、あいつは呼ばれてかなりたってるし、残滓がない。来てたのかどうかはちょっとわかんないわ……でもタイミング的に絶妙ね。衛宮士郎には幸運の女神でもついてのるかしら」
「はあ……」
 先輩が生きているというルビーさんの言に安心するが、ルビーさん自身はこの夜おこったことを正確に読み取れないことに不満を抱いていた。確かに先輩がサーヴァントを呼び出したというのなら、それはどのような経緯だったのかがさっぱりわからない。

「でも、いまここにいないってのは何ででしょうね? 戦いにでも行ったのかしら」
 衛宮士郎ってそんなに好戦的だったっけ? とルビーさんが口にする。
「そんなわけないだろ」
 兄さんがその言葉に口を挟んだ。
「衛宮はたぶん戦うだろうけど、あいつのことだから自分から戦いにとかは行かないと思うぜ」
 街で無差別殺人してるサーヴァントでもいりゃあ話は別だけどな。と兄さんは笑った。
 だんだんといつもの調子を取り戻してきた兄さんと同様、衛宮先輩が生きていることを実感し、安心感が胸を包む。
 衛宮先輩がこれで完全に聖杯戦争にかかわってしまったことが悲しかったが、これはルビーさんからもいわれていたことだ。

「うーん、衛宮士郎についてはあんま覚えてないのよねえ……、桜の意見は?」
「あっ……私も先輩は敵を探しにとかはないと思うんですけど、見回り、って言うんですか? そういうことをしにいってる可能性はありますよね」
「ふむ、座布団一枚」
「間違ってるぞ、それ」
 兄さんが突っ込む。
「うーん、でも巡回かあ……ありえなくもなさそうだけど、そうしたら合流はちょっと無理ね。どっちいったかわかんないし。……帰る?」
 ルビーさんが言う。

「いいじゃん、ここまで来たんだ。僕らも歩き回ればいい」
「あんたほんとに幸せなやつね。桜やあんたと一緒じゃ戦うのは危なすぎるわ。特にあんたは邪魔なだけ。というか、桜を巻き込んだら焼き殺すわよ」
「ル、ルビーさん」
 あまりに遠慮のない言葉に驚くが、兄さんは反論しなかった。

「まあいいか、じゃあ第二案」
「ん? なんだよ」
「遠坂凛に会いに行きましょう」
 ルビーさんが言った。腕を組んだまま片腕を上げ、ピンと指を立てる。
「……遠坂のところか。戦う気かよ」
「えっ……戦うんですか? でも、それは……」
 私は思わず口を挟んだ。
 遠坂先輩とは出来れば戦いたくない。
 というよりもおそらく戦ったら負けるからだ。

 遠坂先輩は掛け値なしに強い。
 先ほど、ルビーさんが兄さんに向かってマスターが邪魔なだけといったが、それは私や兄さんのように明確な戦闘技能やサポートを行う技量を持っていない人物の場合だ。
 令呪はサーヴァントを律するためにある。マスターはそれを用いサーヴァントを使役する。と聖杯戦争のしきたりは言っているがそれはあまり正しくない。

 令呪の名目は、逆らえばサーヴァントを自害させるという枷を持って機能する。だが、実際はそんな令呪は使用されない。
 なぜならサーヴァントとは気質がマスターに似たものが呼ばれるからだ。
 令呪に念じるだけで殺せるといっても、サーヴァントが反逆する気なら、マスターに欠片も隙を開けずに殺すことなんて簡単である。

 だが実際サーヴァントが主を殺すことはほとんどない。
 マスターとサーヴァントの“気があう”からだ。
 善たるマスターからは、そのサーヴァントの中でも善たる属性を持ち、歪んだマスターからは歪んだ性質を伴って召喚される。そして、善同士、歪んだ同士協力し合ってことをなす。
 遠坂先輩の領分だが、平行世界からの同一人物間の選別に近い。
 だからマスター殺しなど、令呪を奪った元来の持ち主でないマスターか、よほど召喚の媒体に依存した分不相応なサーヴァントでもない限りありえない。

 ただ、敵のサーヴァントを奪った場合は説明をするまでもないだろうが、正規の召喚でも、たとえば歪みを持ったマスターが、歪む可能性がありえない英霊を召喚しようとすれば、それは召喚の失敗か、もしくはマスター自身と属性の会わないサーヴァントの召喚となる。
 この場合、サーヴァントを信じてはいけない。いつ反逆されるかもわからないし、サーヴァント自身も不満のあるマスターに対し、そのタイミングを計るだろう。

 まあ、召喚と同時に令呪でマスター殺しに枷をかけるとか、そのサーヴァントが殺傷能力に乏しいキャスターで、尚且つ魔力を制限されているとか、マスター自身が己の令呪からパスを通してサーヴァントを律することが出来るほどに優れているなどの例外がない限り、分不相応なサーヴァントを召喚すれば召喚と同時に殺されてもおかしくはない。

 だが、遠坂先輩のサーヴァント。遠坂凛がマスターとして不足など、そんなことありえるはずもない。
 媒体がなかろうが、あのサーヴァントについてつい数時間前にルビーさんがいっていた。
 それは最強のサーヴァントであると。
 それを疑うことはない。ただ己の技量のみで召喚をなしえたのならば、逆に媒体による補正を受けていないと考えられる。それならば、遠坂凛のサーヴァントが最強でないなんてことこそがありえない。

 そして反面に私が呼び出したルビーさんは、サーヴァントとしてはそれほど強いわけでもない。
 彼女の技は、今世界の遠坂先輩より洗練されている。だがそれはあくまで魔術師としてだ。騎士たる他のサーヴァントや神代の魔術師とは戦えない。

 基本的に遠坂凛の魔術は、媒体とする宝石に頼った魔術である。
 もちろん宝石は自分の魔力を長い年月をかけて蓄積させていくわけだが、遠坂先輩が幼少よりためたものならばおそらくBやうまく使えばAランクにすら届くだろう。それはルビーさんの扱う魔術と同レベルだ。もちろんルビーさんだって数を明かしてはくれないけれど宝石には限りがあるらしい。
 サーヴァントとしての宝具ではなく有限の奥の手といった扱いのようだった。

 つまりストック。これさえあれば人間たる枠にくくられる遠坂先輩や、サーヴァントとして特別秀でたところのないルビーさんもAランクの魔術を連発できるほどの異能を見せることができるが、ストックがなくなれば普通の魔術師と変わらないだろう。
 またこれは、ストックの宝石の質の範囲で遠坂先輩とルビーさんがほぼ互角だといっていいということでもある。

 そして、私たちはルビーさんがカードのエースだというのに、遠坂先輩にはさらにサーヴァントがついている。
 おそらく先輩はサポートに回るだろう。令呪による援護から、魔術によるサポートまで、彼女にこなせないわけがない。

 だから、どう考えても、
「ええ、そうね。悔しいけど、アーチャーと正面戦ったら負けるのはわたしたちなのよね」
 というわけだ。

 ルビーさんの苦笑いを見て、兄さんが声を荒げる。
「くっ、なんだよ。じゃあどうするんだっ!」
「まあ、お話? ほら、忘れたの慎二?」
 ルビーさんが兄さんにウインクをする。
「――――ちっ、まあ僕はそれでもいいけどね。遠坂に借りを作るのも悪くないし……でも手は見つかったのかよ?」
「あんたもいたでしょ。今日のあれよ。遠坂凛の協力が要るわ。帰ったとか言ってたし、遠坂低にいるはずよ。あいつがミスった衛宮士郎のことで恩をきせれば、殺しあわなくてもいけると思う」
 ルビーさんが答える。
 兄さんはそれを聞くと、ふんっとそっぽを向いてしまった。

「……えっと?」
 私だけが取り残されたような感覚。
 だが、ルビーさんは笑いながら「こっちの話よ」と私の疑問を打ち切った。

「まあ、いきなり攻撃されないことを祈るだけね。これで七騎そろっちゃったってことだから、正式に聖杯戦争が始まったって身構えててもおかしくない。顔も割れてるし、こっちを確認していきなり命を狙った攻撃ってことはないでしょうけど、遠坂凛のサーヴァントはアーチャーだからね……威嚇だろうと、いきなり撃たれたりしたら笑えないなあ……」
 ルビーさんが言った。

 私はそれを聞いてふと思いついたことがあった。
「あのルビーさん」
 遠坂先輩の家へ向かおうとしている兄さんとルビーさんに声をかける。
「んっ? なに桜」
「あの、衛宮先輩なんですが、教会へいったという可能性はないでしょうか? 先輩も教会に魔術関係の神父様がいらっしゃることはご存知でしょうし、参加の登録か、聖杯戦争についてを調べにいっていてもおかしくないかと……」
「桜、偉いっ! それ採るわ」
 ルビーさんが私の言葉を遮って叫んだ。

「ふーん、桜にしては冴えてるじゃんか」
 兄さんが頷く。
「呼び出して一時間もしないで索敵よりも、よっぽどありえるわ。教会か――――えーと、確か監督役の代行者だかがいるのよね。――――陰険な女だっけ?」
 ルビーさんは言った。

「いえ、言峰神父は男性ですけど……覚えていらっしゃらないんですか?」
「そんなことどうでもいいだろ。どうするんだよ、遠坂?」
「まあ、最終的な目的は遠坂凛に会うことだけど、衛宮士郎からでも構わない。同盟組むなら遠坂凛より簡単そうだし、衛宮士郎を懐柔すればアーチャーたちとの交渉も楽でしょうしね。――よしっ、帰りぎわを強襲しましょ」

 それじゃ。とルビーさんは黒いドレスを翻して歩き出した。

   ◆

 Interlude 衛宮士郎

 教会からの帰り道。
「いいわ、これ以上の忠告は本当に感情移入になっちゃうから言わない。せいぜい気をつけなさい。いくらセイバーが優れているからって、マスターであるあなたがやられちゃったらそれまでなんだから」
 そういい捨てると、遠坂は俺たちに背を向ける。

 それは完全に忠告だったが、苦笑いだけをして言葉を受け取る。
 俺の笑いを聞いても遠坂はもう反応しなかった。
 その視線はすでに俺とセイバーからははなれ、ただ新都を見つめている。
 馴れ合いは最後だと遠坂の背中が言っていた。
 それをみて、俺は遠坂が自分のためにどれだけ本来は必要のない行為に時間を費やしてくれていたのかを思い出した。

「ああ、じゃあな遠坂。また明日」
 感謝のかわりに俺はその背中に声をかけた。
「……宣戦布告のつもり? ってそんなわけないか。セイバー、あんた帰ったらマスターとじっくりお話しすることを進めるわ」
 呆れたような遠坂の声。

「……ええアーチャーのマスター。私も丁度そう思っていたところです。それではまた“次の機会”に」
 セイバーの言葉に「ええ、そうね」と遠坂はつぶやくと、最初の一歩を踏み出して、

「……」
 その場でその足を止めてしまった。

「……」
「……」
「……」

 そして、俺も、セイバーも、アーチャーですらも同様に足を止めざるを得なかった。
 理由は明白。なぜ今まで気づかないでいられたのか。
 遠坂凛の視線の先。
 そこにありえざるものがいた。
 そう、

「ねえ、お話は終わり?」

 俺たちに向かい、そう呟く少女とともに、あまりに異形のサーヴァントが立っていた。

 Interlude out 衛宮士郎


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 本話で初インタルードにして、終わりまでにすでに三つ。これから先はチョコチョコ入ってくると思います。
 桜たちが思いっきり誤解する話です。ルビーがいるからってそんなに先は読めませんよ、ということで。また、士郎が教会に魔術師関係の神父がいると知っているという点も桜の誤解ですね。令呪の解釈についても今後の展開に関わってくるので設定を明確にしておきたいということで、入れさせてもらいました。
 桜の意見です、といって逃げられるのが一人称のいいところ。一応アーチャーがキャスターを裏切るところや、ファンブックのサーヴァントが召喚主に依存するというネタを絡めて組み立ててみました。受け入れてもらえるでしょうか? 
 次はもう5話ですね。そろそろ解説的な話は控えていきたいところです。
前話最後でランサーが思わせぶりなことを言いつつ今回は戦闘シーンはゼロだったので、次回はホンのちょっとは戦ってもらいたいと思います。



[1002] 第五話 「VSバーサーカー」
Name: SK
Date: 2006/04/22 23:20
「ありゃ勝てないわ」
 と彼女がいって、
「お前馬鹿かよ」
 と彼が呟く。


   カレイドルビー 第五話 「VSバーサーカー」

 走っていた。
 ルビーさんは兄さんを抱え上げ、私は魔術による身体強化。得手ではないが、状況が状況だ。
「ルビーさん! 先輩たちはっ?」
「まだ先。教会に向かう坂のあたりから少しすすんだ――――移動してるわ。いま教会前の外人墓地っ!」

 間に合えと念じ、ただ走る。
 最悪の想像に心が凍りそうになる。
 奔る奔る奔る。
 飛ぶように空を駆け、私たちはその場所を目指し疾走する。


 始まりはルビーさんが教会方面へ向けた使い魔からもたらされた。
 ルビーさんが放った深い緑の宝石からなるその鳥は、バーサーカーの存在と、衛宮士郎、遠坂凛という二人のマスターの動向を伝え、その役目を終えたとばかりにバーサーカーのマスターに破壊された。

 それから私たちは走り続け、現在までにすでに三分。
 サーヴァントに明確な差があれば、これはすでに事後処理のレベル。
 まずいまずいと気が焦る。
 あの時点ですでに接触までに一分もない。
 そして、バーサーカーのマスターはおそらく衛宮士郎と遠坂凛に気づいているだろうとルビーさんは断言している。
 そびえ立つ家々の庭を抜け、隙間にそって走っていく。

 剣戟の音が聞こえ始める。
「――――」
 微妙な距離。
 建物の影から、戦闘を行う異形の戦士と、蒼い鎧をまとった騎士がかすかに見える。
 そこで突然、ルビーさんが足を止めた。

「ルビーさんっ!?」
 口から叫びが漏れる。
 止まっている暇はない。サーヴァントが負ければ次はマスターが殺される。

「遠坂凛がいるのにアーチャーがいないわ」
 ルビーさんが呟く。
 同時に銀光。十を越える光が異形の戦士に向かって放たれる。
「っ! 上? 敵ですかっ!?」
 叫ぶ。そのサーヴァントが先輩たちの敵ならマスターとして先輩たちが狙われる。

「違うわ。アーチャーよ」
 ルビーさんは視線で遠くを指した。
 たしかに。
 私たちとは剣戟を響かせるバーサーカーたちをはさんで逆方向。ひどく離れた洋館の屋根に一人のサーヴァントが立っている。位置的にこちらは間にそびえる洋館の庭樹に隠れている。透視でもない限り、千里眼でも気づかれはしない絶好の位置。ルビーさんの静止の合図は、それを見越してのものだったのだろうか。

 アーチャーさんは、こちらにはまだ気づいていない。
 遠坂先輩のサーヴァントなら危険はない。
 次は敵といっていたが、遠坂先輩のサーヴァントならば、ここで襲い掛かるようなことはないと判断する。

「ルビーさん、行きます」
 走ろうとした瞬間。再度腕をつかまれる。
 振り向けばルビーさんの必死の形相。

「まずいっ。アーチャーのやつ本気で行く気だわ」
 視線をはるか先の弓兵へ。どんどんと魔力が高まっていく。
 彼の視線の先には蒼い騎士と黒の戦士が戦っている。
「まさか一緒に吹き飛ばす気?」
 ルビーさんが呟く。

 それと同時に、どのような感知を駆使したのか、衛宮先輩が二人のサーヴァントに向かって駆け出した。
 ルビーさんに抱えられていた兄さんと、ルビーさん本人がその行為に絶句する。
 しかし私は意図がわかってしまった。
 先輩は助ける気なのだ。

 あの異形同士の戦いに、彼はその未熟な身をもって介入しようとしているのだ。
 おそらく、先輩のサーヴァントは蒼の騎士。
 それを巻き添えにしようとするアーチャーの一撃を彼はその未熟な魔術でとめる気なのだと理解した。

 その身の程知らずな行動に、頭が沸騰するほどに怒りを覚える。
 そんなことは知っていたのに。彼は他の人の命がかかるとき、自分の命をあまりに軽視することを間桐桜は知っていたはずなのに。
 それでもその行動を目の当たりにして、私は理性を失った。
「ダメですっ!」
 無我夢中で飛び出した。

 後ろでルビーさんと兄さんの叫び声。
 だが遅い。
 衛宮先輩の自殺行為に一瞬だが意識を奪われていたルビーさんと兄さんの手は、私を止めようとして空を切った。
 それで終わり。

 ルビーさんと軽量の魔術を編んだ私ではほぼ同速。加えて彼女は今兄さんを背負っている。
 彼女は無謀な突進をする私を止める術を失った。
 だが、私もあそこに飛び出してどうにかできるとは思っていない。
 巻き込まれない可能性などほぼゼロだ。これでは先輩を笑えない。
 そう自嘲しながら私は走る。

 内側で魔術を編みつつ疾走。
 走りながら腕を壁にこすり付ける。節だったレンガに皮膚が削られ、血が噴き出す。
 血液を影に落としこみ詠唱スタート。刻印虫にアクセスする。
 続いて回路に無理やり魔術を流し込んだ。
 軽量化と身体強化による加速はそのままに、一手先を読んで魔術の用意。

「っ桜!?」
 遠坂先輩の叫び。
 一瞬で遠坂先輩の横に並び、そのまま追い越す。
 と、ここで、先ほどから高まっていたアーチャーの魔力に乱れが感じ取れた。
 なぜかはわからないが好都合。そのまま奔る。
 そのままアーチャーの魔力が消失する。
 これなら間に合う。後はバーサーカーへの対処だと思考の切り替え。

 墓地の手前。騎士と戦士の火事場からは四十九歩までたどり着く。
 衛宮先輩はまさに騎士のサーヴァントまで到達したところだった。
 衛宮先輩はそのまま蒼色の騎士を抱きしめ、床に身を投げ出して――――

「――Es erzahlt. Mein Schatten nimmt Sie!」
(――声は遠くに 私の足は緑を覆う)

 そのまま私の影に絡めとられた。

 そして私は先輩とそのサーヴァントをこちらに引き寄せる。

   ◆

 私が行ったことは単純だ。
 影を使役する捕獲の魔術で先輩をつかまえ、引き寄せを命じただけ。
 まだ未熟を三度重ねるほどの腕前だったが、その魔術は成功した。

 分類としては捕獲の魔術。通常敵対する人物に行うものだ。
 だから、私の魔術は先輩とそのサーヴァントを一緒くたに掴み上げ、ほんの二秒で先輩のサーヴァントに打ち破られた。
 一拍の時間を稼いだだけ。

 だがそれで蒼のサーヴァントには十分だった。
 彼女は私の影を打ち破ると、そのまま空中で今度は逆に先輩を抱えあげる。
「シロウ。着地します」
 そのサーヴァントは先輩を抱えたまま、ふわりと降り立つ。先輩のサーヴァントは私の魔術を空中で打ち破ったと同時に、勢いを殺さずにバーサーカーから距離を取って着地していた。

 ちらりとそのサーヴァントが私を見る。
「感謝します。メイガス」
 そう言った。
 そして、衛宮先輩はそんなサーヴァントに抱えられたまま私を凝視して、
「桜?」
 とだけ口にした。
 混乱した頭から、まず私が実物なのかだけを確かめるように。
「はい」
 先輩の目を見る。その目は驚愕に染まっていた。

「黙っていてごめんなさい」
 説明は不要だった。私の足元にはいまだうっすらと影の魔術の残り香が漂っている。
 虚数軸干渉する水の魔術。
 それは間桐桜の魔術師としての証だった。

「ふーん、マキリの蛆虫か」
 銀の少女がそういった。そのそばには先ほどの気配から一変して静かに主の言葉を聴くサーヴァントがいる。
「マキリの蟲にしてはなかなかやるじゃない」
「――ええ、つい先日から優秀な師ができたものですから」
 返答しながらその少女の後ろに立つサーヴァントを観察する。
 理性と引き換えに力を得るサーヴァント。
 だがその狂戦士を銀色の彼女は完全に律していた。

「さ、桜。なんでこんなところにいるんだっ」
 驚愕しながらも衛宮先輩は私を遠ざけるための台詞をはいた。
 ぐっ、と唇をかむ。
 この場でそんなことに気をかけていれば死ぬことが、衛宮先輩にはわからない。
「先輩。いまはそういうことを言っている場合ではありません」

「そういうことね。衛宮くん。あなた自分の信念に忠実なのは結構だけど、周りが見えなくなるほどに融通が利かないのは治しなさい」
 横には遠坂先輩と、いつの間にか戻ってきたのかアーチャーのサーヴァントが立っていた。

「アーチャー。もしかして桜が来たからやめたの?」
 遠坂先輩が問う。
「…………」
 アーチャーのサーヴァントは少しだけ黙ったあと小さく頷いた。
「あ、ありがとうございます」
 面食らって感謝の言葉を口にする。
 遠坂先輩が知らなかったということは、衛宮先輩たちを巻き込もうとした一撃を止めたのは、アーチャーさんの独断ということだ。
 正直意外だった。

「はあ、邪魔が入ったけど丁度いいわ」
 銀色の少女が言った。
 彼女は不適に笑う。

 己のサーヴァントをけしかけることもせず、こちらを見ていた。
「三人がかりでいいよ。お兄ちゃんのサーヴァントもリンのサーヴァントもバーサーカーの敵じゃないもん。これに一人マキリが加わるならいいハンデだわ」
 あまりに余裕。彼女は、己の勝利を確信している。

「桜っ! お前なにやってるんだっ」
 そこへ、再度先輩が割り込んだ。まだ納得していないといわんばかりに。
 バーサーカーを前に、私の心が過敏になっている。
 反発の声を上げそうになり、それをあわてて抑制した。

「あれっ? お兄ちゃん知らないの? そいつはマキリの当主じゃない。廃れきってしまったクズどもだけど聖杯戦争に参加する権利くらいはあるわ」
 笑いながらバーサーカーのマスターが言った。

 私が唇をかみ、先輩が息を呑む。
「後で。お願いします先輩。あとでいくらでもご説明しますから」
 懇願する。ここで隙を見せることはそのまま死ぬということだ。
「“あとで”ねえ……」
 あとなどないとばかりに、バーサーカーのマスターが笑った。
「……あなたは?」
 私はその彼女に向けて口を開く。
 先ほど彼女は私をマキリの虫と呼んだ。それはあまりに正しくて、それゆえに秘匿される呼び名のはずだ。
「ふうん」
 彼女は一言で私の疑問を了解した。

 彼女はにこやかに笑う。それは相手の無知をあざ笑う表情だ。
「ええいいわ。名乗りましょう。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。この名がわからないほど愚昧ってわけじゃあないでしょう? サクラ……だったかしら、これからほんの数分の付き合いだけどよろしくね」
 アインツベルンと名乗る彼女が笑う。
「じゃあ再開しましょうか? 早くサーヴァントを出したらいかが?」
 彼女がバーサーカーをけしかけないのは私のサーヴァントの姿が見えないからか。

 だが、いわれて私もはじめて気づく。
「……」
 なぜか、ルビーさんと兄さんの姿が見えなかった。
「桜、あいつは?」
 遠坂先輩の訝しげな声。
 見ると遠坂先輩の後ろには、私のことを説明されたらしい衛宮先輩とそのサーヴァントが立っている。
「サクラ、でしたか……あなたのサーヴァントは?」
 衛宮先輩のサーヴァントが問う。

 それに私は答えられない。
「ふーん、じゃあいいや。燻りだしてあげる。やっちゃえバーサーカー」
 そうして、わずかに六秒で痺れを切らしたバーサーカーのマスターがそう言った。
 なんて短気。子供らしさと笑えない。心の中で抗議する。
 セイバーとアーチャーが得物を構える。

 だがそれは、

「お待ち。イリヤスフィールっ!」

 きっとこのタイミングを計っていた、たった一言の叫びに止められた。
 戦闘状態に移行しようとした三人のサーヴァントの動きが止まる。

 ――――そして、彼女が現れた。

   ◆

 彼女は超然と立っていた。
 場所はバーサーカーと私たちの中ほどで、電信柱の上だった。
 イリヤスフィールたちも、衛宮先輩たちも遠坂先輩たちも、みんなそろってそれを見た。
 絶句。彼女を知っているはずの私でさえ絶句した。
 そこには横に兄さんを従えて、一人の少女が立っている。
 黒いドレスをなびかせて、赤い瞳が夜の空に浮かんでいる。
 その目が爛々と輝いて、彼女は天に響けと声を上げる。

「さあ、カレイドルビーのプリズムメイクの始まりよっ!」

 くるりと回り、びしりとポーズ。
 そこには後ろに控える兄さんとともにルビーさんが立っていた。
 遠坂先輩と同じ顔の彼女が立っていた。

 そして、
 ……後ろで本物の遠坂先輩ががうめき声を上げていた。

   ◆

 ひょい、とルビーさんが私たちのもとに降り立った。

「桜っ、怪我はないわよね。いやー、寿命が三百年は縮んだわ」
「そのわりには電柱に登ったりと余裕があった見たいじゃんか」
「…………あの、兄さん、その格好は……」
「こいつに無理やりやられたんだよっ! 何で僕がこんな馬鹿げたことを――――」
「やっぱり登場シーンは重要だしね。登場と台詞は魔法少女としての義務みたいなもんよ」
「聞けよっ!」

「なによ慎二。名誉あるこの私の相棒として選ばれたんだからもっと喜びなさい。スペシャルでエクセレンツな魔法少女の相棒なんてなりたくても普通なれないわよ。……ああ、役の重要さに引き腰なの? 平気平気、あんたは私のウルトラカッコいい姿に感嘆の声援あげてるだけでいいから」
「っっ! あんた私の顔で魔法少女とか口にするのやめなさいっ!」
「……凛」
「わかってるわよ、アーチャー。同一存在だからって影響されて呑まれるな。耳たこよ。……でもこれだけは言わせて。――――こいつが平行世界だろうと遠坂凛を名乗ってたってだけで許せない気持ちもわかるでしょ!?」
「……桜。あいつが桜の?」
「サクラ、ですか。彼女はあなたのサーヴァントですか? リンと酷似しているようですが?」
「は、はい。えっとルビーさんっていって。遠坂先輩が将来英霊となった人らしいんですけど」
「……あのね間桐さん。縁起でもないこと言わないでくれるかしら」
「ひいっ。ご、ごめんなさい」

「へえ……すごいのねリン。少しだけ見直したわ。そのサーヴァントがいるってことはリンは英霊化する素質があるってことなんだ」
「あら、随分と殊勝な言葉じゃないイリヤスフィール。同一人物だとは思われたくないけどね」
「随分と過小評価するじゃない、リン。私これでも素直に感心してるんだけどなあ」
「あらそう」
「でも勝つのはバーサーカーよ。リンの素質には驚いたけど、そいつ全然よわっちいもの」
「あははー。言ってくれるじゃないバーサーカーのマスター。いっとくけど私がここにいるってことは私は聖杯戦争に勝ってるってことなんだからね」
「ふうん。シュバインオーグの理論ね。でもここじゃあ関係ない。あなたがバーサーカーに負けることにかわりはないでしょ?」
「うーん、まあそれはそうだけどねえ……てかなにもんよ、そいつ。あーまったく桜がでなきゃ絶対逃げてたのに……」
「……あんたもう少しサーヴァントの気概ってやつを見せなさいよ。私まで情けなくなってくるでしょうが」

「セイバー、あれって……」
「ええ、リンの英霊体のようですね。先ほどリン本人からも説明がありましたが、サーヴァントとは生前に偉業を成し遂げ死後に座まで押し上げられた英霊です。あのリンはそういう存在なのでしょう」
「でも、死後ってそんなことありえるのか?」
「私が生まれたのは二、三百年前ではききませんよ。英霊は時間軸に縛られません……ただ、未来の英霊というのは私も想定外でしたが」

「先ほどはありがとうございました」
「……気にすることはない。凛も君を気にかけていたようだしな。君を殺せば凛が悲しむ」
「……」
「アーチャーか。で衛宮がセイバー……くそっ、三騎士か。遠坂が基本を外さないってのはわかるが衛宮もかよ」
「……君の兄君か」
「え、ええ。そうです」
「アーチャーにセイバーで、俺たちがあいつだぞ。くそっ、大ハズレだ。桜っ。お前なにやってるんだよ」
「えっ!? あっ……ご、ごめんなさい兄さん。あのでも、そういうことを大声で言わないほうが……」

「……あの、大丈夫ですか、兄さん」
「――――――ああ」

「気に病むことはない。桜といったか。君の腕は確かだだろう。むしろ凛を召喚した手際こそを賞賛するべきだろう。凛は優秀だ。凛自身が認めておらんが、その英霊体が無能であるはずがない。君こそがわかっているだろう?」
「は、はい。ありがとうございます……」
「ふんっ、わかってるよ、そんなこと。敵のサーヴァントにフォローされてりゃ世話ないよな、まったく」


「あーあ、なんか気が削がれちゃった」
「あら、じゃあ今日は仕切りなおさない? 私もそんな化け物と戦うのはごめんだし」
「ちょっ!?」
「――――あはははははっ。リン、貴女の未来は随分と素直じゃない」
「まあべつにそう取ってもらってもいいけどね。でもイリヤスフィール、あんたも単純な強さを過信しすぎないほうがいいんじゃない? 戦闘専用じゃないサーヴァントは絡め手が基本でしょ?」
「あらっ、いくらあなたの器が特製だからって、サーヴァント特性に対する対策くらいしていないと思う? リンやお兄ちゃんじゃあるまいし」
「……ふーん。気づいてるんだ。まあ、あんたがアサシンあたりにやられでもしたらそれはそれで面白いでしょうけどね。残念ながら私が言ってるのは意味が違うわ。もっと直球、裏側のお話よ。二人いるってことは単純に考えても一人の四倍は戦闘能力があるわよ。三人ならさらに乗倍。そして、手が増えるってことはすなわち指揮が取れるということ。戦闘に強いのと戦争に勝てるのは別だからね。ちょっとばかりベットを上げればやり方なんていくらでもある。……そうね――――ここでやったら私は迷わずアーチャーとセイバーに足止め頼んで、あんたを殺すことに専念するって言ってるの。守りに入られたらちょっときついかもしれないけれど、十分に通用すると思わない?」
「……へえ、言うわね。ルビーだったかしら?」
「ええそうよ。愛と正義の魔法少女カレイドルビー。呼び方はあなたに任せるわ」
「まあいいわ、じゃあルビー。今回は見逃してあげる。“規定外”たる貴女に免じてね」
「そりゃありがと。お礼に私も意地はるのはやめてあげるわ、イリヤスフィール」


 今日はそれで納得しよう、とイリヤスフィールが微笑んだ。
 それでこの戦いは幕を閉じる。
 最後に、

「じゃあね。お兄ちゃん。また今度遊びましょう」

 バーサーカーのマスターはそう言って立ち去った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 登場シーンはあるけど戦わない魔法少女の、戦ってるようで戦ってるシーンのないお話でした。
 やっと合流編。なんか士郎が頑固すぎる子みたいになってますが、この話の士郎くんはこんな感じで進んでいきます。
 次話は衛宮邸談合編。
 このへんからだんだん話も進んでいきます。
 それでは。



[1002] 第六話 「マスター殺し」
Name: SK
Date: 2006/04/22 23:06
「ごめんね桜」
 と彼女はいって、
「――――――――――――――」
 私は胸を貫かれて血を吐いた。


   カレイドルビー 第六話 「マスター殺し」

「――――と、言うわけなんです」

 私は衛宮先輩の家で、魔術師である間桐桜について説明した。
 話せないことも多かったけど、私はそれを告げられたことに心の支えが取れたような気がした。
 私の話が終わると、静かに話を聞いていた先輩が口を開いた。
「……じゃあ、俺のことも」
「はい、知っていました。先輩が魔術師だってこと」
「……そう、か」
 先輩が手で顔を覆いながら息を吐く。

「ふん、当たり前だろ。魔術師だってばれるほうが間抜けなんだよ」
「に、兄さんっ」
 兄さんに詰め寄る。
「いや、桜。慎二の言うとおりだ。ごめんな、変な心配かけちまったみたいで」
 先輩が頭を下げた。
「いっ、いえ。そんなことはありません」
 あわてて否定する。

 実際にそんなことは微塵もない。
 そもそも私が衛宮先輩の家に通えるのは衛宮先輩が魔術師だったからだ。
 そんなことに先輩が責任を感じる必要はない。
「んっ? そういやイリヤがいってたけど、間桐家は魔術師の家系で、桜が当主なんだよな」
「えっ? は、はい。そうですけど……」
 まずい、と思う。
 質問が予想できた。
「なんで慎二が当主じゃないんだ? 魔術師ってのは長子存続が基本なんじゃないのか」
 あまりに遠慮のない質問に血の気が引いた。

 予想通りの質問に恐る恐る兄さんの顔を見る
 だが、そこには。
「べつにいいだろ。蒼崎じゃあ、妹のほうが魔法使いになってるし、フィンランドのほうじゃ双子が二人で当主になってるところもあるらしいしね。例外なんてどこにでもある」
 だが、そこには私の予想と反し、あまりに平然と対応する兄さんの姿が見えた。
「に、兄さん……?」
 思わず声が漏れる。
「なんだよ桜。だからってお前が優秀なんて話じゃないぞ。こんなサーヴァント呼び出しやがっ――――ガフッ」
「おいっ、慎二!?」
「懲りないわねえ、あんた」

  ◆

「同盟を組むって言うのか?」
 遠坂先輩の話を聞いた後、兄さんがまとめるようにそう言った。
「ええ、バーサーカーのことを差し引いても、それほど悪くない提案でしょ?」

 衛宮先輩が頷いた。
「……俺は賛成だ。遠坂と桜に慎二なら信じられる。もともと俺はやる気になってるマスターを止めるために参加するって決めたんだし……セイバーもそれでいいか?」
「――――ええ。シロウがそういうのなら」
「で。――どう、桜?」
「私は……」
 それは魅力的な提案だ。今でさえ衛宮先輩に魔術師だということを“知ってもらって”いる上に、今までのような関係が続けられている。
 その上で、遠坂先輩と、衛宮先輩の両名と戦わなくていいというのなら、聖杯戦争に参加している身の上で、これはどれほどの幸運だろう。

「――――」
 だが、返事をする前に、私の肩にルビーさんの手が置かれた。
 その重みに、私は遠坂先輩への返答を一旦止める。
「遠坂凛に、衛宮士郎」
 その重み。それは彼女がやはり遠坂凛とは別人なのだということを意識させる。

 眼光は燃えるような赤色である。外面では遠坂先輩と彼女の違いはその瞳の色しかないが、その違いは決定的に二人の遠坂凛を区別する。
「“私は”貴方たちとは組めないわ」
 ルビーさんは断言した。
「なっ、なんでだよ!」
 予想通り衛宮先輩が声を上げ、
「…………」
 予想に反して、遠坂先輩は何もいわなかった。

「理由はなんでしょうか?」
 セイバーさんがいった。その口調は意外に冷静だった。
「理由は二つで、一つは私の、もう一つはあなたたちの。――――まず一つ、私の理由」
 ピンッ、と指を立てる。かすかな仕草に遠坂先輩らしさがうかがえるのがおかしかった。
「衛宮士郎と遠坂凛と組めば、桜はもう戦えなくなるから」
「どういうことです?」
 セイバーさんが問う。

 その言葉にルビーさんは静かに微笑んだ。
「衛宮士郎」
「えっ……な、なんだ?」
「あなたは桜と戦えるかしら。――なるほど、マスターは殺さないでも何とかなるかもしれない。でもサーヴァントはそうは行かないわ。あなたは戦いを挑まれて、遠坂凛と同じ顔をした私と、そこのセイバーを殺し合わせる判断が下せる?」
「そ、そんなことできるわけないだろっ」
 あせったように先輩が答える。
「そうね。きっと桜もそうなるでしょう」

「……なるほどね」
 その答えを聞いて遠坂先輩がため息をはいた。ルビーさんが何をいいたいのかがわかったのだろう。
「そういうことよ。いまこの瞬間ですらそんな甘いことをいうあなたと組めば、間桐桜は間違いなく感化される。魔術師ではなくなるでしょう。だってその考えこそが人間だものね。だけどそれは“私が聖杯戦争に勝利できない”ということだから、許容できない」
「つまり――――」
「ええ、私は聖杯がほしい。なにがあっても」
 ルビーさんは断言した。

 だがそれは当然だ。サーヴァントは聖杯の可能性を引き換えに召喚される。
 ルビーさんの言葉は自明のはずだった。
「…………俺は聖杯なんか必要ない。――――それでも駄目なのか? 俺は桜たちとは戦いたくない」
 だから敵対しない、と衛宮先輩が呟いた。
「本気かよ衛宮。なんでも願いがかなうんだぜ、それじゃあお前は願いがないってことになっちまう」
 それじゃあ死人だ、と兄さんが衛宮先輩の言葉に反応する。

 兄さんの言葉のあと、皆がなんとなく黙った。
 ルビーさんがゆっくりと微笑み、沈黙を破る。
「そうね。でも衛宮くん。聖杯戦争中に貴方の近しい人が傷ついたら? 聖杯には世界中の人間を幸福にするという願いがかなえられるとしたら? それでもあなたは心変わりをしないのかしら?」
 それは槍のように衛宮先輩を貫く言葉。

 もし藤村先生や……いやたとえ見知らぬ人間だったとしても、衛宮先輩の前で誰かが傷つき、その癒やしを聖杯が約束すれば、先輩は聖杯を願うだろう。だってその行動には矛盾がない。人間につきまとう相容れない行動原理に影響せず、ただ“救いのみを与えることができる”という誘惑に衛宮先輩は逆らえないだろう。
 だってそれはまるで正義の味方だ。
 衛宮先輩は他人の作る誘惑には逆らえても、自分を形作る信念は裏切れない。

 ぐっ、と先輩が言葉に詰まる。
「……じゃあ、ルビーの願いってのは何なんだ? 世界の幸せとか、そういうことをねがっているっていうのか?」
「それはいえないわ。ただ私の願いは私のための願いよ。誰にもあげないし、誰にも譲らない。その代わり人に否定されても文句を言わない、そういう願い」
 ルビーさんが断言する。
「衛宮君をいじめるのはやめなさい。そもそも衛宮君が聖杯を重要視してないのに対して、あんたが文句言ってどうするのよ。敵が減ったとでも喜んでればいいでしょうが」
 遠坂先輩が口を挟む。

「ふーん、まああなたたちがそういうならいいけどね? じゃあセイバーはどうなのかしら?」
 遠坂先輩の言葉を受けて、ルビーさんが微笑む。
 全員の目がセイバーさんに向けられる。そこには苦渋の表情のサーヴァントがいた。
 それを見てルビーさんは笑う。
「セイバーはマスターと意見を違えているようよ」
「セイバー……」
「申し訳ありませんシロウ。私がサーヴァントして使役されているのは聖杯のためです。私もルビー同様あきらめることは出来ません」
「……セイバー」
 セイバーさんは申し訳なさそうにうつむくだけだ。

 ルビーさんは次に遠坂先輩に目を向けた。
「まっ、当然よね。どうせあんたもでしょ遠坂凛」
「? 貴方私なのにわからないの? 私は聖杯なんていらないわ。アーチャーは知らないけど。――――ただ、この戦争に勝つことだけは欲しているから、負けるつもりもないけどね」
 遠坂先輩が答える。

 ルビーさんが意外そうな顔を見せたが、なぜか納得したように一度頷くと、
「ふーん、アーチャーは?」
「…………私も聖杯をそこまで欲してはいないな。望みはあるが、聖杯に頼る必要もない」
「そう。貴方もさすがね、アーチャー。貴方とは敵になりたくはなかったけど、遠坂凛は衛宮士郎と組むみたいだし……」
「……ではルビー。君はこれより敵になると?」
「そうね……できれば停戦という形が望ましいのだけど」
「凛の意見しだいだな」
 アーチャーさんが遠坂先輩に目を向ける。
「……まあでもルビーの言いたいことがわからないでもないけどね。でもそれは桜に私たちと戦わせるということよ? 桜……貴女は了解してるの?」
 遠坂先輩が私に向かっていう。

 私は言葉に詰まってしまった。
「……」
 喉がひりつく。これは審判だ。遠坂先輩につい数時間前見せた人の顔はない。いまは純然たる魔術師として間桐の魔術師に問いかけていた。
 ルビーさんの言葉を受ければ、ここでの答えは決まっている。
 それは、遠坂先輩と衛宮先輩を敵に回さなくてはいけないということだ。
 一瞬葛藤があったが、私は顔を上げて遠坂先輩と瞳をあわせる。
 私はルビーさんに誓ったのだ。私は彼女を裏切らない。

 私は誘惑を振り切って答えを返す。
「……私と兄さんはルビーさんを信じると決めています」
「ああ、まあそういうことだ。むかつくやつだけどな」
 兄さんの軽口にルビーさんは笑った。
「で、衛宮士郎にセイバー。貴方たちは?」

 先輩が苦渋の顔で私たちを見る。先輩にはきっと理解できないからだろう。
「なんでそうなるんだ? バーサーカーには勝てないんだろう? 後のこと考えたって意味ないじゃないか。それになんでそんな簡単に戦うとか殺しあうとかいうんだ」

 それは戦争だからだ。
 聖杯戦争のことを聞かされて育った私たちや聖杯にひかれてやってくるサーヴァントと、衛宮先輩の間には隔絶した溝がある。

 それを感じ取ったのか遠坂先輩は、
「じゃあどうする? 私と貴方で組んでもいいけど。私はバーサーカーを倒したら、遠慮なく貴方たちともやらせてもらうわよ?」
 と衛宮先輩に問いかけた。
「……ああ、それでもいい」
 衛宮先輩はつぶやいた。
 文句はないのかセイバーさんも黙って聞いている。

 遠坂先輩はそれを聞くと軽くうなずき、私たちのほうへ目を向けた。
「じゃあ、桜に慎二。遠坂凛に二言はないわ。明日からあなたは“私たちの”敵になる」
 そう断言する。
 明日から。
 それを聞き、私とルビーさんは視線を交わし、その甘さに微笑んだ。
 衛宮先輩を欲する私ではなく、遠坂先輩が衛宮先輩と手をつなぎ、この場でその二人に敵だと通告されても私は思ったよりも衝撃を受けなかった。
 それはこの遠坂先輩の甘さからか。
 それとも私の横にルビーさんがいるからか。

「でも遠坂……」
「わかってるわよ。桜を殺しはしないわ」
「……」
「衛宮くん。気持ちはわかるけど何もかも救うなんて理想はきっと失敗するわよ」
 言外にルビーさんを害することをためらう衛宮先輩に遠坂先輩が畳み掛ける。

 その言葉に、衛宮先輩は反論しない。先輩はそれを知っていてなおその理想を貫いているのだ。
 いまさらこの程度の言葉で信念を破壊されることはない。
 そうして、衛宮先輩は苦々しい顔をしながらも頷いた。

   ◆

「で、結局理由の二つ目ってのはなんなのよ?」
 遠坂先輩は衛宮先輩の答えを聞くと私たちにそういった。
 ルビーさんはそれを聞くと、
「……そうね。衛宮士郎とあんたが組むんならここで言っておきましょうか」
 と呟いて、その真紅の瞳を遠坂先輩に向けた。

「遠坂凛。理由の二つ目はね“きっと貴方たちが私を信用できない”というからよ」

 意味がわからない。と先輩の顔が語っている。
 しかし、ルビーさんはその言葉に首をかしげる先輩たちを待たずに行動を開始する。
「――――えっ?」
 思わず声が漏れる。
 それは魔力の装填だった。
 ルビーさんの腕を一瞬で魔力が覆う。
 人の体くらいなら軽々と貫くだろう赤い魔の力。
 彼女はそのまま遠坂先輩たちに向かい合った。

 だがその程度の動きに反応できないサーヴァントはいない。むしろこのような機会のために彼らはいるのだ。
 ルビーさんが魔力をまとった一瞬後。
 瞬きするほどの時間で、遠坂先輩の前に赤い英霊が、衛宮先輩の前に蒼い英霊が立ちふさがる。
 二人のサーヴァントの眼光は鋭さを増し、矢で射抜かれるような圧迫を持ってルビーさんを見据えている。

「明日といわず、すでにこの場で反目すると?」
 先の遠坂先輩の言に、私たちと同様に嘆息していたアーチャーのサーヴァントが言った。すでに遠坂先輩の前に立ち、あと半歩ルビーさんが踏み込めば、その手に二刀の短剣を構えるだろう。

「……」
 対して蒼き剣の英霊は無言だった。だが態度は弓の英霊を凌駕してさらに剣呑。手には不可視の加護を与えられた剣を構えている。その目は百万言を費やすよりもわかりやすい。
 マスターに危害を加えるのならば、その身を滅ぼす、と告げている。

 ルビーさんは飄々とした態度を崩さない。
「私もあんたらを敵に回したくはないけどね」
「ルビーさん……」
 思わずルビーさんの真意を確かめるように声が出た。
 ルビーさんの前に立ちふさがる。

 己のサーヴァントに向かい合い、位置的には先輩の、いや敵のサーヴァントに後ろを向けている。聖杯戦争においてこれほどおろかな立ち位置もないだろう。
 後ろからは重圧を感じるほどの視線。

「待て、セイバー」
「アーチャー」

 後ろで、先輩たちの声が聞こえる。やっとルビーさんの行動を理解したのか、己がサーヴァントを制するように声を上げる。
 だが、それは私も同じだ。ルビーさんが何を思ってこのような行動をしているのか。
 後ろでセイバーとアーチャーがマスターたちと論争している声が聞こえる。
 それを夏場の虫歌のように聞き流し、ルビーさんは私だけを見た。
「でも、“敵に回ってから”では遅いから。ごめんね桜?」
 私にだけ聞こえるようにそう呟いて、


 ルビーさんは私の胸をその腕で貫いた。


「――――えっ?」
 疑問の単音のあと、肺から逆流した血が口から噴出す。
 私の胸を貫くその腕をたどり、ルビーさんの顔を見上げた。
 彼女に表情はなかった。恐ろしいほどの無表情。
 その手は私の心臓をえぐっていた。
 その場にいた全員の驚愕の声が聞こえた気がしたが、私に確かめるすべはない。意識が朦朧と、目が霞む。
 意識が暗転し、たおれる寸前。
 私を貫き、私の胸に刺さった手を動かし、心臓をぐちゃぐちゃと弄くっているルビーさんの背後、この会合中にいやに無言だったその人物。
 苦々しく口元を歪めながらも、驚きのない顔でこちらを見ている兄さんと目が合った。

   ◆

 Interlude ルビー

 逃げる。
 月光を背に屋根を飛び越え、空を駆ける。
 魔力を足に込め、大気を制御。重力によるサポートまでして速度はぎりぎりCといったところか。
 風を切る音が聞こえないのが、おかしな気分。追い風で加速してもいいが、それでは体をコントロールできない可能性がある。私はこれでもか弱いのだ。

 そんなこといえる立場じゃないけどね、と夜の空に独りで笑う。
 笑いながら空を翔る。
 ここまでうまくいくとは思わなかった。うれしくてたまらない。
 腕はまだ生暖かい血にぬれていて、その手にはひとつの肉片が握られている。
 生々しい死の証拠。
 私の手の中ではすべての魔力を遮断されて、一つの生き物がとらわれている。

「感慨深くあんたと語り合ってもいいけどさ。なんかアーチャーが追ってきてるよのねえ……」

 後ろを向けば、私を追いかける弓の騎士。
 いやはや、これも願ったり叶ったりの状況といっていいものなのかしら……
 まあ、アーチャーに追いかけられているこの場で、わざわざ私がこの世で最も嫌悪する人間と話す義理はない。
 まっ、延々嫌味でも言ってからでもよかったけれど、それも私らしくない。
「だからさ」

 消えて。

 ぶちゅりと手のひらに不快感を与える感触。
 私は手を払い、それを捨てる。もちろんただ投げ捨てるなんてことはしない。正義のカレイドルビーはそんなことはしないのだ。
 ボウッ、と炭化しながら落ちていく肉片を見て、私は息をはく。

 一つだけこの身から荷が下りた。
 手にはいまだこびりつく血と体液。
 汚い。
 もちろん桜の血じゃないほうがだ。

 もう一度後ろを見た。すでに風に吹かれて黒っぽい粉が俟っているだけ。
 そして、そのさらに後ろにはアーチャーがいる。じっとこちらを見ながら追ってきている。
 セイバーはいない。きっと屋敷でマスターの守りだろう。

 さらに一度後ろを確認。
 私も遅いがアーチャーも大概だ。まあ弓の騎士だし、しょうがないのかな。
 彼が矢を撃たないことにほんの少しだけうれしくなって、私は笑う。
 そうしながら、私はいったん街の中ほどへ降り立った。
 商店街から少し離れた、その公園へと降り立った。

   ◆

 公園でジャブジャブと手を洗っているとアーチャーが追いついた。私が着いてから、その差は十秒もなかっただろう。
 静かに私の後ろに降り立つと、彼は私が手を洗い終わるのを律儀に待った。

 ジャブジャブジャブジャブ。

 殺気はない。もともと戦う気などない。
 ああ、石鹸がほしいと少し思う。

 ジャブジャブジャブジャブ。

 霊体化すれば話ははやい?
 魔術式に頼れば手間はない?

 ジャブジャブジャブジャブ。

 だけどこれは概念の問題だ。
 だからアーチャーもわざわざこんな非効率的な行為を黙認している。

 ジャブジャブジャブジャブ。

 洗い終わってハンカチで手を拭う。
 なんとなく沈黙が降りて二人が無言でいる中、最初の口を開いたのはアーチャーだった。
「凛の屋敷には、霊体化に作用するトラップがあったな……」
「そうだったっけ? まあ聖杯戦争もあるしね。それくらいはあるでしょ」
 霊体化を強制的に封じるようなものとかだろうか、と首をかしげる。
 それはまったく脈絡のない言葉だったけど、話の切り口を論じてもしょうがない。
「で、それがなんなの? アーチャー」

 アーチャーはため息を押し殺したような声を返した。
「いや、凛は小僧の家を本拠地におくらしい」
 びっくりして、アーチャーを見た。
「マジ?」
「ああ、いま連絡が。ついでに君をひっとらえたら衛宮邸に連れてくるようにとな」
「…………あきれた。あの結界は確かに一流だけど、それは探査だけじゃない。遠坂邸のメリットを捨てるって言うの?」
「なに、それも凛の強さだろう」
 反目するセイバーを遠坂邸に入れたくないと考えているのだろうか? それとも、仲間の信頼を取ったということだろうか。
 なんとなくこの世界の遠坂凛は後者の考えをしているような気がした。
 もう自分には理解できなくなっている考えだった。

「…………それで、アーチャー。私をしょっぴいてくつもり?」
 アーチャーを見据えながらそういうと、彼は堪えきれないとくすくす笑う。
「いいのかね? もっとほかに聞きたいことがあるだろうに」
 狸め、と心の中で毒ずく。

「――――そう、気づいているんだ」
「君を追いながらだがね。凛も衛宮士郎も気づいてはいないようだ。“君がそう仕組んだように”」
「桜が絶対に知られたくないと思っていたことを、私は知っていたから」
「そうか。ならばそれは果たされた。君のマスターは存命だ。凛は家宝だろうがこのようなところで物を惜しむような人間ではない」
 君が知っているようにな。と彼は言う。
「……そう。でもね、一応いっとくと、宝石魔術師ってのは大変なのよ。宝石を集めるのも、それに力を込めるのもね。“あれ”だって使い終わった後に売るか、もう一度魔力を篭めなおすか……どっちにしろ、ものを惜しむことには変わりない」
 肩をすくめた。

 それを聞いて彼は少しだけ腑に落ちないような顔をしたあと、
「で、戻るのかね? 凛に説明できんというが、これでは君のマスターにも接触できまい」
「念話で連絡だけは取り続けるわ。桜には黙っておけって言っておく」
 いまは無理だ。桜はいま意識がないし、慎二はそれを受け取る技術がない。

 そして、もう一つ。それには解決しなくてはいけない問題がある。
「でねアーチャー。あんた少し協力して」
 いまここで、この話を聞いているこいつである。

 私が宣言するとアーチャーが予想外に面白そうな顔を見せた。
 ここまで話してただ連れていかれるわけには行かない。最低でもここで見逃してもらわなくてはいけないし、できれば遠坂凛へ黙っているという言質をとりたかった。
 そう決死の覚悟の言葉を、彼が一言で切って捨てられるか、無言で取引でも持ちかけてくるか。
 まちがっても、

「ふむ、いいだろう」

 こんな簡単に了解が得られるとは思ってもいなかった。
 
 Interlude out ルビー

   ◆

 目を覚ます。
 今日一日で二度目である。
 目を開けると、兄さんと遠坂先輩が私の様子を伺っていた。
「…………あっ」
 呼びかけようとして、声が掠れる。
 喉がからからだった。頭も熱い。
 視線を落とせば男物の寝巻きを着ていて、体に魔力を通せば胸には傷一つついていないことがわかった。
「……桜。起きた?」
「ちっ、ようやく起きたのかよ」
 二人の声。なぜか涙が出るほどの安心感が体を包んだ。
「あ、あの……」
 二人がこちらを見る。
 私はどうにか声をだし、ルビーさんの所在を聞いた。

 ルビーさんは帰ってきてはいなかった。
 簡単に現状を聞いた後、詳しい話を話すために私は衛宮邸の居間に通された。
 そこには気もそぞろに料理を作る先輩と、それを無言で見つめているセイバーのサーヴァントがいた。
 普段の百倍ほどつたない手つきで料理を作っていた先輩は、私を見つけたとたん、その作業を中断して私に駆け寄ってきた。
 少しだけ話をして、先輩がどれだけ私のために心を割いてくれていたかを確認した。兄さんは不満げで、遠坂先輩は衛宮先輩をからかって、それはとてもうれしかった。

 そして、話し合いが始まった。
 まず最初にルビーさんとのコンタクトをとるようにと強制された。
 当然だ。
 離反した、いや離反どころかまだ同盟も組んでいなかったのだから遠坂先輩やセイバーさんから見ればただの敵であるルビーさんのマスターである私がここにいるのだ。わざわざルビーさんの動向を探る必要はない。
 令呪を使ってこちらに更迭しろと強要されなかったことこそに驚くべきだろう。もっともこのルビーさんとの話次第ではその可能性も捨てきれない。
 目が覚めて、少し状況を整理すれば、兄さんと話すまでもなくある程度の状況つかめていた。ルビーさんが私から偏執的に離れようとしなかったことも、学校での初会合のあとからルビーさんがどうして遠坂先輩との会合にこだわっていたのかも、その意図に気づいている。遠坂先輩たちに詳しい説明を強要されるのは避けたかった。

 そんなことを思いながら、私はゆっくりと目を閉じた。


“ルビーさん。聞こえますか?”

“あら桜。起きたのね? ずいぶんと寝坊じゃない”

“ごめんなさい。それで、ルビーさん……”

“ええ、まあ大体のところは想像つくわ。説明も質問もなし”

“……はい”

“私からいっておくことは二つ。一つはこれから私とあなたは無関係に過ごしなさい。できれば遠坂の工房でかくまってもらうって展開がよかったんだけど、セイバーとアーチャーにくっついていれば大抵のトラブルは大丈夫でしょ。バーサーカーに目をつけられた以上、防戦で行ってもジリ貧だからね”

“マキリの工房はダメだったんですか?”

“悪くはないけど手入れが悪すぎ。でも初めはあそこでもいいと思ってたんだけどね。あの工房はアイツンベルンと遠坂に比べて二段は落ちるけど、私が手を入れれば十分使える。防衛用の工房を用意して戦いに挑めるなんてのは御三家くらいのもんよ。特権は使わなきゃね。――――ほんと遠坂凛も何を考えているんだか。アイツベルンの城とまではいわないけど、マキリだって天秤女がこっち来て立てた屋敷よりはるか強固だってのに……理想を言えば遠坂低の地下室でアーチャーとセイバーの組に属するって展開がよかったんだけど、当の遠坂凛は衛宮士郎の屋敷を本拠に置くし、もう思惑がぐちゃぐちゃだわ。やってられない”

“では、”

“ええ、桜。私はもうあなたを関わらせるつもりはなかったの。あなたにはリタイヤしてもらうつもりだった。私が聖杯を得るのは私の事情。あなたを巻き込んじゃあ意味がないの。桜が死ぬのはいやだから。ごめんね騙してて”

“……でも、私もルビーさんが死ぬのはいやです”

“はは、ありがと。でも私はサーヴァントよ。その言葉はうれしいけど、あなたも魔術師なら私よりも遠坂凛や間桐慎二や衛宮士郎が生き残ることを望みなさい”

“……”

“で、続き。二つ目だけど、“これで本当に”あいつは終わりよ。たぶんもう気づいてるでしょ? ごめんね、黙ってて。桜に話せば聞かれるから。慎二には事情を全部話してあるわ。そっちから聞いといて。本当は桜がリタイアした後は慎二と組んでもいいかなって思ってたから……あいつも魔術師魔術師ってうるさかったしね。知ってる? あいつ聖杯手に入れたら魔術回路を願う気だったのよ。魔術師の頂点が得ることができる至高の聖杯に魔術師になることを願ってどうするってのよのねえ……”

“兄さんは優秀ですから”

“そこそこね。だから自分の無能に耐えられない。方向性が間違ってんのよ。もっと別のほうに生きりゃあよかったのに、ってこれはマキリの嫡男に言う言葉じゃないか。ごめんね”

“いえ……”

“で、遠坂凛についてだけど”

“あ、はい”

“遠坂凛があんたを見捨てて行動するなんてことはないでしょうけど、教会も遠慮してほしいかな。監督役が下手に心霊医術に長けてたりして、令呪を剥ぎ取られたりすると厄介だから”

“でも、遠坂先輩がこのままでは納得しないと思います”

“それなのよね。まあこの念話でカレイドルビーはもう裏切るつもりはないと言っていたとでも宣言しておいてくれる? さっきのは桜より聖杯を優先した私が、遠坂凛の力を奪うためにとった作戦だったとでも言って、……そうね、遠坂凛の前で令呪を使っておきなさい。内容はそう――――

 カレイドルビーが間桐桜を二度と裏切らないことを命じる、

 とね”

   ◆

 Interlude アーチャー

 なるほど、彼女は狡猾だ。

「ごめんなさい、遠坂先輩。やっぱり私はルビーさんを信じます。だからここにルビーさんを呼ぶことはできません」
「――――じゃあ、あいつを呼ぶのはやめる。あいつと話し合った末の、桜の頼みだしね。だけど令呪だけは施しておきなさい。これは譲れないわ」
「……はい、わかりました。ただルビーさんは私を殺そうとしたんではなくて……」
「ええ、“これ”を使わせようとしたんだって? でも桜、貴女の傷は紙一重だったわよ。あと二十秒遅れても死んでたわ。だから私はあいつに関しては信用できない」
「――――はい、では」
「ええ、令呪を使っておいて。これは貴女のためよ」

 そう言って遠坂凛は口を閉じる。

 そして、間桐桜が凛たちの前で令呪を使った。
 一筋の光とともに、間桐桜の腕から令呪の一画が消える。
 さすがに彼女はその血にふさわしく、他者にも感じ取れるほどの魔力の躍動を見せ、令呪を発動させた。
 内容は“ルビーがこれより先マスターを傷つけることを禁ずる”というものだ。
 間桐桜が我々を裏切らない限り敵に回らないということではなく、ただ間桐桜にのみ危害を加えない。
 これを巧妙といわず何なのか。

 間桐桜からルビーの思惑と称された話が語られた。
 それはトオサカの秘宝を消費させるためだったと。
 そのために間桐桜を利用したと。

 凛もセイバーも気づかない。衛宮士郎など疑ってもおるまい。
 ルビーが先ほど間桐桜を殺しかけたから気づかない。
 確実に死んでいたはずの間桐桜を見ているからこそ気づかない。
 どの道、確実に死ぬような傷を与えなくてはいけなかった状況を知らない以上、凛たちは気づけない。
 遠坂の秘宝。あの“赤い宝石”がなければ間桐桜は死んでいた。あれ以外どのような手段があったというのか。
 間桐桜が負っていた傷は完全に致命傷だった。
 しかし、だからこそ令呪をもって、

“間桐桜を裏切らない”

 という一点のみを約束させた。
 それは誤り。
 もともとルビーには間桐桜を傷つける気などない。ただ“心臓を貫く”必要があっただけだ。
 あの宝石を初めてに目にしたルビーがどのような反応を返していたのかを覚えている我々に、それを意図的に誤解させた。

 結果ではなく手段の問題。
 宝石は心臓を治すために使ったのであり、宝石を使わせるために心臓を破ったわけではない。
 それは間桐桜の助けだから行った。
 彼女は本来の意味でのサーヴァントだ。マスターを裏切らないという制約に意味はない。
 それを離反に見せかけて、それを暴走による一時の裏切りだと繕った。

 間桐桜を受け入れて、遠坂凛と衛宮士郎が団欒を開始する。衛宮士郎が先ほど中断した料理を再開し、セイバーは武装を解く。
 間桐桜は裏切るまい。だがルビーはその限りではないだろうに。
 凛を偽り、マスターを動かすその技量。
 いや、なるほどさすがルビー。さすが遠坂凛だ。

 私は思う。
 暗闇に彩られた望みを抱え、もはや失ってしまったものを見て、カレイドルビーと名乗り、マスター殺しの道化を演じる少女を見て、最後の私のあり方を考える。
 私の望み、愚かな望み。永遠に出ないその答えを考える。

 ああ、そうだ――――

(…………君は聖杯に何を願うのだろうな)

 それはきっと、

 ――――愚かすぎる答えを望んでしまった私にはきっと眩しすぎるだろうけど。

 Interlude out アーチャー

   ◆


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 これで本当に臓硯爺さんに関しては終了のお話。
 臓硯がラスボスっぽい伏線でしたが、最初に殺さなかったのは、どこに本体がいるのかわからなかったのと、ただたんにルビーにそんな技量がなかったからでした。
 ちなみにアーチャーが気づいたのは、あの場でルビーが心臓からなにかを抜き取ったのが見えたのと、炭化した臓硯さんの破片を見たからです。
 あと家宝の宝石ってなんで回収しなかったんでしょうかね。士郎に八桁の宝石を請求した凛らしくもない。



[1002] 第七話 「戦うマスター」
Name: SK
Date: 2006/04/27 00:05
「どうしたのよ、ぼうっとして」
 遠坂凛がそう聞くと、
「凛。君はルビーのことをどう思う?」
 彼はよくわからないことを口にした。


   カレイドルビー 第七話 「戦うマスター」

 ルビーさんが離れて四日目の朝。
 朝御飯をつくり、遠坂先輩と兄さん、衛宮先輩、セイバーさんで食事を取る。
 昨日は遠坂先輩の当番で、一昨日は衛宮先輩が作ってくれた。
 そんな何気ない日常がとてもうれしい。
 私はもう何も隠し事をしなくてよくなって、兄さんも私を起こらずにいてくれて、
 私はとても幸せだった。
 聖杯戦争が原因だったとしても、やはり私は幸せだった。

 ルビーさんは結局あれから合流していない。それどころか遠坂先輩たちとは顔も合わせてはいなかった。
 ルビーさんの行ったマスター殺し。
 遠坂先輩にはルビーさんの行動が遠坂の家宝たる宝石がルビーさんに対して絶対の抑止力になるために、それを使わざるを得ない状況を演出したと説明した。
 あの宝石を始めてみたときのルビーさんの行動を知っているだけに、遠坂先輩は怪しまなかった。
 遠坂先輩に嘘をつくのは少しだけ心が痛かったが、それは私にとって、あまりに今更なことだった。


 ただそんな日常も、聖杯戦争に関わっている以上何事もなく過ぎ去るということはない。


   ◆


「はあー、それでアーチャーに殺されかけて帰ってきたってこと?」
 その日、衛宮先輩は朝食の席で昨晩自分が殺されかけたことを私たちに語った。
 朝食を食べながら、衛宮先輩の話を聞き終えて、遠坂先輩が苦々しく口を開く。
「アーチャーから聞いてないのか?」
「今朝あったけど……魔力空っぽにして、ぼうっとしてて……何事か問い詰めたらなんかボケたこといってたのよね。で、詳しくは衛宮くんに聞けって。……なるほど、そんなことがあったわけね」
 おそらく、キャスターに操られた衛宮先輩を障害と判断しての行動だろう。
 遠坂先輩もそれがわかったからこそ苦々しくも己のサーヴァントを責められない。

「でも、あいつの行動はマスターたる私の責任よ。ごめんなさい衛宮くん」
 そして、最後にはこうして謝るのが遠坂先輩だ。先輩は高潔であるがゆえに、理論と感情の矛盾に耐えられない。
 それを受け、衛宮先輩が口を開く。
「いや、気にしなくてもいいぞ。結局俺は死ななかったし」
 そういう問題ではない、と私も遠坂先輩もセイバーさんも思ったことがわかった。

「ふーん、じゃあやっぱり柳洞寺なのか。キャスターとアサシンが居たんだよな」
「ええ、アサシンはササキコジロウと名乗りました。こちらの国の人間ですか? 聖杯から降りてきた知識の中にないようなのですが、あれほどの使い手ならば同じ国のものとしてシロウたちは知っていると思うのですが」
 セイバーさんが兄さんの言葉に答える。

「聖杯から降りてこない? ……まあいいけど。佐々木小次郎なら知ってるわ。宮本武蔵と並んで有名ね。日本刀の使い手か。刀術と剣術で一対一じゃあ相性悪そうだけど。どうだったのセイバー」
「……リンの言うとおりです。いえ相性抜きでも、対個人の技能において、彼は私を上回っているでしょう」
 悔しさをにじませながらも、素直にセイバーさんが頷いた。

「ふーん。セイバーって言ってもたいしたことないじゃん」
「………………」
「なっ、なんだよ……」
 セイバーさんの射殺すような視線を受けて、兄さんが座布団に座ったまま後ろに後ずさる。
「おい、セイバー」
 衛宮先輩がセイバーさんをたしなめる。

「ふん、そもそもなんだよ佐々木小次郎って。あいつは架空の人物じゃないのか? 記録もほとんど残ってないはずだし、それだって物干し竿の刃は九十センチちょっとだったはずだぞ。セイバーの話じゃ二倍近くあるじゃんか。ありえないだろ、そんなの。……長すぎの日本刀なんて短すぎの槍と並ぶくらいバカバカしい獲物だ。長いのがよけりゃあ剣か槍を使えよな。佐々木小次郎ってのはブラフじゃないのか? つーかさ、そもそもセイバーの癖にアサシンに負けてどうするんだよ……おい桜、ご飯お代わり」
 セイバーさんが視線を緩めると、兄さんは顔を赤くして力説する。
 セイバーさんはそれを聞き流しながら、そっぽを向いてご飯を食べだした。兄さんは口が達者だ。無視することに決めたらしい。
 昨晩の傷が残っているはずの衛宮先輩に代わり、私がご飯をよそって兄さんに渡す。

「はいはい、そんなに怒らないの。まあ筋力なんかが補整されるサーヴァントなら長い日本刀だって不可能じゃないはずよ。――――で肝心な話。セイバー、次やったら?」
「勝ちます。確かに彼の技量は恐ろしいものがあるが、戦いとなれば私が勝つ」
「――――そう。信じる」
「で、どうするんだ遠坂?」
「すぐにでも行きたいって顔ね」
「ああ、こうしている間にもキャスターは魔力を吸い続けてる」
 吸い続けているが死んではいない。それが魔術師と普通の人間の思考の差だろう。

「いってどうするんだよ、衛宮」
「止めるに決まってるだろ。なにいってるんだよ慎二。新都のニュースを見てないのか?」
「止めるじゃなくて殺すんだろ。間違えるなよ、衛宮」

「……」
 言葉に詰まった衛宮先輩を兄さんが嘲笑する。
「ふんっ。やっぱりわかってないじゃないか。話し合いなんて出来るとでも思ってるのか? お前昨日殺されなかったのは運がよかったんだよ、もう少し考えろ。アーチャーに止められなかったらおまえその場で死んでたんだぞ」

「……」
「……」
「……」
“……”

 兄さんの言葉に、遠坂先輩と衛宮先輩、そしてセイバーさんに、念話を通してこっそりと話を聞いていたルビーさんまで沈黙した。
「兄さん。……もしかして、」
「な、何だよ桜。別に心配してたってわけじゃないぞ。衛宮があんまりバカだから……」
 兄さんが苦々しい顔をしてそう言った。

 だが、
「ふむ、ありがとうございます。シンジ。先ほどの愚弄は許せませんが、さすがシロウの友人だ。ですが安心してください。次は私も同行する。アサシンとキャスターなど恐れるに足りません」
「ふーん、ちょっと意外ね。そうか、まあ殺しかけたなんて言っても士郎を助けたっていえばそうもいえるかもね」
「…………ああ、ありがとう慎二。だけど俺はキャスターを絶対に許せないんだ。だから――――」
 みんなが次々と口を開く。

「う、うるさいな。違うって言ってるだろ」
 衛宮先輩の言葉をさえぎると、そういい捨てて兄さんは部屋に戻った。

“…………あいつ、最近変なキャラ立ちしてるわねえ”

 きっと元凶であろう人から言葉が届く。
 だが、その言葉自体には私もこっそりと同意した。


   ◆◆◆


 Interlude 遠坂凛

“で、アーチャー。言い訳は?”

“ふむ。それは昨晩小僧を事前に止めなかったことか? 君を呼ばなかったことか? 小僧を殺そうとしたことか?”

“――――キャスターを見逃したことっていったら?”

“それならば私が君を見誤っていたということだろう”

“ちっ。ちょっとは動揺しなさいよね。優先順位は低くたって追求するのには変わりないわ。大体その件といい今朝といいなんなのよ、あんたらしくもない”

“…………いや、ただのくだらん懐古だ。昨日衛宮士郎を見て少々怒りがこみ上げてな”

“……ふーん。まあいいわ。もう大丈夫なの?”

“ああ”

“――――だったら信用するわ。一応あんたは相棒ですしね”

“そうかね”

“で、説明は?”

“なに、話は単純だ。昨晩も私は屋根で番をしていたのだ。小僧が出たことに気づかぬわけがない。だが、セイバーがついてこないので、少しばかり何があるのかを確かめようとついていったまでだ”

“…………”

“どうした、凛?”

“――――あ・ん・た・ねえっ! それだったらっ! そこでっ! 私に知らせなさいよねっ! 偵察役がいつの間にかいなくなったら意味ないでしょうがっ!!”

“……そうだな。その点は謝罪しよう”

“あらゆる面で反省しなさいっ!”

“そう怒ってばかりいるものではないぞ、凛”

“………………で、残り三つの言い訳は?”

“ふむ。あの程度なら私一人でも処理できると思ったのでね。それに君を呼んだ場合、君は必ず駆けつけようとするだろう? ……その場合、一度柳洞寺から撤退して合流する必要がある上、私はキャスターからはなれるヒマがない。間桐慎二はああいっていたが、アサシンの技量は本物だ。確かにふざけた武器を振るう架空の英雄だが、架空の伝承だからこそ、やつはその技術のみで選ばれている。やつの技量は民草の夢に匹敵するものだ。君一人では突破できんだろう”

“――――よくもまあ自分のマスターを猪みたいに……”

“そして次の答えだが――――小僧を殺すのは“あれ”が今後の足かせとなると考えたからだ”

“――――――――まあいいわ。続けて”

“すでにバーサーカーと戦闘してから四日がたった。戦うにしても防衛戦にしても、君たちの言う同盟とやらがここまで続くとは予想外だった。君はすでに衛宮士郎を殺せなくなっている。――――これは確実に後の私と衛宮士郎の戦闘に支障が出るだろう”

“だから殺りあったって?”

“そうだ。自覚は?”

“…………ええ、そうね。情が移ったか……桜もいるし敵と同居しているとは意識できない”

“自覚しているのなら、まあよいがね。だが、これはセイバーもだろうな。私やルビーはまだしも君や間桐桜を敵にすれば彼女の剣は確実に鈍るだろう。その点では有益といっていいものか……彼女も生前の職に因らず随分とまあ甘い”

“ふーん、まあ言われてみればそうかもね――――ってあんたセイバーの職ってどういうこと?”

“んっ? ………………ああ、彼女は生前王の職に、いや……………………王に類する職についていたらしい。以前に話し合ったときに感じ取れただけだがね”

“へえ。年が若すぎるけどかなり上等な装備だし、たぶん人間よね。神話というよりもっと近代よりかしら? ルビーよろしく未来ってことはないみたいだし”

“英霊が死に際の肉体でいるとは限らんぞ。それに宝具はまだしも武装は神話に補整されている可能性もある。アサシンの例もあるしな。そちらはあまりあてにせん方がいいだろう”

“ああ、そりゃそうか。でもどっちにしろ女ってのがポイントね。女王じゃあの剣の腕はおかしいし、騎士団の団長とか……ってこれも女じゃ無理か”

“ジャンヌ・ダルクなどの例もあるがね”

“あー、まあね。でもジャンヌ・ダルクは違うでしょうし、それ以外もぱっと当たりが付けられないのよね”

“だろうな……だがあそこまでの使い手だ。そうそう隠せるとは思えんが”

“剣も風に類する神秘で隠してるみたいだしね。そんなに有名な代物なのかしら? だとしたら女性で剣がキー、そして短髪で知られるジャンヌ・ダルクでもありえない。ここまでそろって片鱗もつかめないんだもんねえ”

“………………女性でない可能性については考えたかね?”

“はっ? なにいってるのよ、アーチャー”

“男装していた可能性もあるだろう”

“あんた初対面で一瞬でもセイバーを男性だと認識した? 英霊は生前のまま、もしくは神話に補整されて呼ばれるはずでしょ。男装してたら男の姿で出るはずじゃない”

“彼女以外の人物が、彼女に魔術を使っていた可能性があるだろう”

“ああ、なるほど…………それはありえるわね。でもそれも考え入れると、ちょっと広くなるわ。把握しきれないかも”

“それも踏まえて剣を伝説とするものを考えればよい。そして近しい人物に魔術師がいる”

“まあそうね。そっか、だったら騎士ってのも当たってるかもね。いや、それだと剣を振るう王様ってのも……ってそれはやっぱり無理か。子孫をどうやって残すのよ。騙せるもんじゃないし、魔術を使っても騙しきれたらそれはそれで子供が真っ当な人間じゃなくなっちゃうじゃない”

“そうとも限らん。千年といわず、数百年遡るだけでも神代に連なる魔術師などいくらでもいよう。彼女らの時代はあらゆる可能性がありえるものだ”

“まあ、あんたらの時代ならそうかもね……ああそうだ。たとえば、キャスターとかもその部類か”

“くっくっくっ。随分と根にもつな凛。さきほどの質問かね?”

“ええ、なんで止めを刺さなかったの? 数キロ離れた位置から衛宮くんを操ったって話だけでも、私たちこの時代の魔術師からみればとんでもない化け物よ。あんたの台詞じゃないけど、これで新都から吸い取った魔力を活用されたらなんだってできるでしょう。あいつは倒しておくべきだったはずよ”

“その答えは簡単だ。キャスターはバーサーカーを狙っていたようなのでね。たとえどんなに魔力をためようともキャスターならば私は倒せる。だが、バーサーカー自体は私一人では少々難しいのでな。相性の問題だよ、勝率の高い道を選んだだけだ”

“…………あんた随分と強気じゃない。勝つ気?”

“無論だ。ルビーこそが言っていたように肉弾戦では勝てはせんだろうが、あいにく私は弓兵でね。本来の戦い方に戻れば問題ない。私のほうこそ訊こう。凛、君は勝つ気がないのかね?”

“冗談”

“だろう。私も負けんよ。君にはまだ謝罪をさせていないことだしな。次バーサーカーと戦ったときにでも示すとするさ”

“……ふふっ、期待してる。でもキャスターに関してはダメよ。衛宮くんと同盟を組んでいる以上キャスターは倒す。バーサーカーはセイバーとあんたで倒す。これに関して文句は聞かない。で、アーチャー。柳洞寺についてだけど……”

 Interlude out 遠坂凛


   ◆◆◆


 翌日、学校でのお昼ごはん。
 私たちはいつもどおり屋上に集まっていた。
「じゃあ、葛木先生が柳洞寺に?」
「ああ、一成が言ってたぞ。それに外人の婚約者と一緒だって言ってた」
「なるほどね……確実にキャスターじゃない。それに婚約者を名乗るってのも間抜けねえ。葛木先生が関係者だって吹聴しているようなもんよそれ」

「遠坂」
 衛宮先輩が問いかける。その目は強い意思によって染められている。
「ええ、もともと今晩にでも柳洞寺に行く気だったし、待ち伏せでもしてみましょう」
「待ち伏せ?」
「あのねえ。私にはアーチャーがいたし、慎二と桜にはルビーがいたのよ? マスターがサーヴァントを連れてたら確実に気づいてたわ。葛木先生がマスターだとしてもキャスターは柳洞寺から出てないんでしょ」
 遠坂先輩が断言する。
「おかしいじゃないか。セイバーなんかは口をすっぱくして一人で出歩くなっていってるぞ。葛木先生ってそんなに強いのか?」
「んなわけないでしょうが……、セイバーに特訓受けてて気づかないの? サーヴァントとマスターが戦おうなんて発想こそがバカらしいのよ。葛木先生の場合はセイバーの言葉とは逆なんでしょ。信頼しているんじゃなくて、使い捨てなのよきっと」
「――――使い捨て?」

「何だよ。わからないのか衛宮。遠坂が魔術師だって気づいていなかったってことは一般人か、少なくとも衛宮と同じくらいへぼだったってことじゃないか。葛木は正規のマスターじゃないんだろ」
「……私も兄さんが正しいと思います。おそらくキャスターは葛木先生のような普通の人間に対して強制的な契約を結んでいるのではないでしょうか?」
 それはすでに本来のマスターが死んでいるということだ。
 マスター殺し。裏切り刻印。魔女の証明。
 遠坂先輩や衛宮先輩とは相性が悪い、非情の策を練れる敵。

「そもそもお前昨日柳洞寺でキャスターにセイバーをもらうとか何とか言われたんだろ。マスターを換えるくらい出来るんじゃないか? でその仮マスターが殺られたら、新しいやつと契約するってことだな。衛宮が操られたっていうし、セイバーを奪おうとしたんだろ。それに新都から魔力吸い取ってるのも考えれば、逆にそれくらいしてなきゃおかしいだろ。キャスターが遠坂や桜にもばれないくらい巧妙に葛木を監視してるってのも効率が悪いし、そもそも本来のマスターでもないやつにそんなことするわけない」
 兄さんの言葉を聞き、衛宮先輩が無言で立ち上がった。
「……衛宮先輩。どこに?」
「先生のところへいく」
 あまりに予想通りの返答だった。

「で、操られているかどうかを聞きにいくの? それとも操られている犠牲者を助けにでも? 柳洞くん相手に自制したのはなんだったのよ。自殺か質問者を殺そうとするのかはわからないけど、あんたの会ったっていうキャスターが予防策の一つも練ってないようなやつだとでも思う?」
「……だったら、どうするって言うんだ遠坂」
「そうね。今日の放課後の帰り道にでも待ち伏せしましょうか? さすがに放課後の学校じゃあまずいわ。それに本当に葛木先生がマスターなのかも知りたい。隠れ蓑ってこともありえるし、撒き餌ってこともありえるからね。騒ぎになっちゃう」
 遠坂先輩が衛宮先輩と納得させるようにそう言った。

 まだ少し不満があるようだったが、遠坂先輩が言葉を続け、衛宮先輩は最終的に納得した。
「……ああ、わかった。そうしよう」
 衛宮先輩が頷く。
 遠坂先輩は次に私たちに顔を向けた。
「で、二人はどうするの?」
「あんっ? 僕らもついてくに決まってるだろ」
「…………はい、お願いします遠坂先輩」

「ふーん、まあいいけど。じゃあ、放課後教室に――――いえ、いったん衛宮くんの家に集まりましょう。それでいい?」
 遠坂先輩が腕に琥珀の鳥を止まらせてそう言った。職員室の様子を盗み見ていたのだろう。
 遠見の蟲を放っていた私も頷く。
「職員会議みたいですね。放課後から二時間といったところでしょうか?」
 たぶんね。と遠坂先輩が頷く。

 そうして、この日の昼は解散した。


   ◆


「アーチャーは置いてきてるのよ」
 すでに日も落ちた、学校から柳洞寺をつなぐ大通りから少し外れた寒々しい道端で、遠坂先輩はそう言った。
 だがその内容は簡単に無視できるようなものではない。

 まず兄さんが食って掛かった。
「なにいってるんだ、遠坂。バカじゃないのかお前」
「うるさいわねえ。まあ昨日のこともあるし、衛宮くんにはあわせないほうがいいと思ってね……」
「だけど、大丈夫なのか?」
 当の衛宮先輩が遠坂先輩に問いかける。

「まあね。奇襲だし、葛木先生が無関係ならそれで終わりだし、関係者だったとしてもただの人間。最悪でもプラスしてキャスターよ。セイバーがいれば問題じゃないでしょ実際」
「随分気楽じゃないか遠坂」
「あんたほどじゃないけどね。無駄な戦いに全戦力を投入してたら同盟組んでる意味がないわ。手が二本あるならそれを二つのことに使うべきよ」
 二人とも十分気楽である。

「ちっ、で準備はどうなんだよ?」
「私のほうはオッケーよ。セイバーは?」
「私もかまいません。ですがリン、キャスターが戦闘に介入してきた場合は?」
「防音の結界を張ってあるから大丈夫。外から見られたらアウトだけど、防音と人払いがあれば十分だと思うわ。来るとも思えないけどね、いくらキャスターがぶちぬけてても、こっちには天敵のセイバーがいるんだし」
 遠坂先輩が断言する。確かにこの近辺を隔離する魔力の幕が確認できた。

 セイバーさんも遠坂先輩の言葉に頷いている。前に遠坂先輩の十年来の宝石を一息でキャンセルしたという話を聞いていたので、私もその言葉には納得した。

「そうですか、では後は」
「ええ、葛木先生を待つだけね」


   ◆◆◆


 Interlude アーチャー

 石段に虫の声。月が昇り、私の前にはアサシンのサーヴァントが立っている。
「またあったな弓の騎士」
 柳洞寺の石段で侍のサーヴァントは客人を招くようにそう言った。
「ああ、貴様の奥に用がある。悪いがマスターの意向で時間がない。力ずくで退いてもらおう」
 話すことなど何もない。腕に弓を投影する。

「ほう? 今宵は剣ではなく弓を使う気か。貴殿の研鑚に鍛えられた剣技と刀を交えるのは中々に楽しかったのだがな」
 遠距離戦を示す弓を見ても、接近した戦闘技能のみを駆使するはずのサーヴァントは顔色の一つも変えなかった。
「なに、本来の戦い方に戻るだけだ。悪いが技術を争う気はない。力ずくで通らせてもらおう」
「ふむ、昨夜逃げ帰った身でよく言ったものだ。あの女狐めとは戦わなかったと聞いていたのだがな」
「ああ私もそう思っていたのだがね。マスターの意向には逆らえん。キャスターはここで聖杯戦争より降りてもらうことになった」

「ふむ……それにしては貴殿のマスターとやらは同行しておらんのか……お主のマスターだ。まさか臆したわけでもないだろうに」
 ポツリとアサシンが呟く。
「なに、マスターには野暮用があってな。こちらは私一人で十分だということだ」
 その言葉にアサシンが笑う。それは自身の技量に支えられた笑いだろう。

 今頃凛はキャスターのマスターと思われる男を待ち伏せているはずである。
 なるべくなら、凛がキャスターのマスターから令呪を引き剥がす前にキャスターと対峙しておきたかった。葛木と呼ばれていた男がどのような立場であろうと、その身がマスターならばその権利を剥奪された瞬間にキャスターはまず新しいマスターを得る必要がでる。
 たとえキャスターが次のマスターをストックしていたとしても、確実に一拍の隙が出来る。その瞬間を狙い打つ。

 念話を聞く限り、凛は私を衛宮士郎にあわせないために置いてきたと説明していたようだが、実際遠坂凛はそこまで愚かではない。
 わざわざ手を遊ばせるなど愚の骨頂。戦力の分散というよりもこれは一度アーチャーたるこの身がキャスターを征し、その命を見逃していることを踏まえた命令である。
 また、それはセイバーのマスターたる衛宮士郎が確実にキャスターが取るであろう人質に絡めとられることを想定したものだ。

 やつは甘い。柳洞寺とやらにいる友人を眼前に突きつけられればおそらく令呪を持ってでもセイバーを止めるだろう。キャスターは正統派ではないがゆえに奇策を用いる。
 ゆえに衛宮士郎をただのキャスターの犠牲者である葛木宗一郎の攻略に割り当てた。
 魔女とやつの相性は最悪だ。役に立たないどころではあるまい。キャスターの姦計にかかれば、足を引っ張るのが目に見えている。
 だから遠坂凛は衛宮士郎をその話術で柳洞寺から引き離した。

 衛宮士郎が、セイバーの足を引っ張る可能性。
 衛宮士郎が、セイバーを奪われる可能性。
 衛宮士郎が、遠坂凛の邪魔になる可能性。
 衛宮士郎が、遠坂凛と険悪になる可能性。

 凛はすべてを考慮して、待ち伏せにセイバーを用い、柳洞寺攻略に私を当てた。
 キャスター戦にセイバーを用いる利点よりも、確実に殺すべきキャスター戦で衛宮士郎を関わらせないことを優先した凛の配慮だった。
 だから私は殺す。凛の決定を引き金に、敵を殺すためにここにいる。
 人質をとられればそのものごと。私はキャスターを狙い打つ、その覚悟。
 それで凛と衛宮士郎にある仮初の同盟が崩れようとも、私はキャスターを殺すためにここに立つ。
 アサシンが刀を構える。やつが上で、私が下。剣技を争うには不利だろうが、弓ならばむしろ下のほうが適位置だ。
 私はアサシンを突破するために弓を構え、アサシンがキャスターへの道をふさごうと刀を構える。


 そして、それは――――


 Interlude out アーチャー


   ◆◆◆


「な、に――――っ!?」
 
 首を抉られたセイバーさんが投げ飛ばされる。
 キャスターを切り伏せるために飛び出したセイバーさんは、それをキャスターのマスターに防がれた。

 その異常に反応できない。
 戦闘は誰も想像しなかった展開を迎えていた。

 遠坂先輩が放ったガンドを幕開けに、キャスターが現れた。
 セイバーさんが予定通りキャスターさんを打ち倒そうと走り、それをありえざる人物が撃退する。
 セイバーさんの銀光をとめたのは、ただの人間であるはずの葛木先生だった。
 真剣白羽取りどころではない。彼はスーツなどというばかげた布越しに不可視の神剣を止めて見せた。

 そこからさらにキャスターのマスターが牙をむく。
 一瞬の呆然を超え、セイバーさんが剣を振るったが、それに対し葛木宗一郎と呼ばれる人間は互角に打ち合って見せた。
 いや互角というのも間違いか。


 剣の銀光と蛇の拳が交じり合い、結果負けたのはセイバーのサーヴァント。


 時速三百キロ近いスピードでセイバーさんが塀にたたきつけられる。
 ドンッ、と耳に響く破壊音とともにブロック塀が砕け散る。事前に張った遮音の結界はあまりに適切だったといわざるを得ない。まさかここまで本格的な戦闘が起こるとは思えなかった。
 私たちはその光景に思考が止まる。

「……キャスター、衛宮たちを任せよう」
 真っ先に行動を続けたのは、当然動揺するはずもない本人だった。
 キャスターが己のマスターの魔技に驚愕しているのが見て取れて、彼女が葛木宗一郎を助けに来たのは、彼がサーヴァントに匹敵する戦闘技術の使い手だったからだという考えを破却する。

「いえ、宗一郎、セイバーは私が。あなたはあちらをお願いします。」
 キャスターがセイバーさんに止めを刺そうとした葛木先生を止める。
 葛木先生はそれを聞き、何事もなかったかのように頷くと、足をこちらに向けた。

「桜、サポートっ!」
 瞬間、遠坂先輩が叫んだ。
 それは警告。彼女は葛木先生の目を見た瞬間に、それがキャスターよりも厄介であることに気づいていた。
 遠坂先輩の叫びと同時。葛木先生が速度を上げる。
 いかなる歩行か、十歩の距離を二息で詰めるその技術。

「くっ……Eins(一番)――――!」

 宝石を取り出すが、一拍で最高レベルの魔術を編める宝石魔術師の手を持っても後の先をとるにはまだ遅い。
 遠坂先輩は攻撃ではなく防衛の魔術を編み、葛木先生の一撃を耐え切った。
 だがそれでもキャスターの強化の魔術にあの技術。掲げた宝石は一撃でひび割れる。

「くっ……」
「遠坂っ!」

 あと一拍で遠坂先輩の首が吹き飛ぶだろう。
 後ろからは兄さんの悲鳴。衛宮先輩は腕に強化を施した鉄パイプをもって突進するが遅すぎる。

「ふっ、ざけんなっ!!」

 だが遠坂先輩が反撃に出る。それは当然かわされる。
 技術に差がある上激昂している状態では葛木先生の思う壺。だが、それでもその行動は一瞬の時間を稼ぐ。。
 中国拳法のような遠坂先輩の一撃をかわし、葛木先生がさらに一撃。今度はガードも間に合わず、その一撃はすでにヒビの入った宝石を打ち砕き、そのまま遠坂先輩を狙い蛇のように追いすがり、

「葛木――!」

 ぎりぎりで衛宮先輩の一撃に阻まれる。
 だが、それも一瞬。先輩が強化した鉄パイプでは一撃すら持たない。
 鉄パイプを手捌きと移動の余波でへし折り、そのまま衛宮先輩と遠坂先輩をまとめて殺そうとする蛇の腕――――

「っ――Es befiehlt Mein Atem schliest alles……!」
(声は遥かに 私の檻は世界を縮る)

 それを、私の影が牽制する。詠唱に頼ったため、宝石魔術や肉弾技能より数秒遅れた魔術だが、そのタイミングに救われる。
 技術としては遠坂先輩の宝石魔術よりランクが三つは下がるものだったが、私の魔術は虚数干渉。
 それは通常の人間相手には非常にはったりがきく。
 間合いの把握すら困難な影を警戒して葛木先生が距離をとる。
 私はその隙に遠坂先輩と衛宮先輩に駆け寄った。

「大丈夫ですかっ!?」
 二人が頷く。だが、その顔色は悪い、

「ふむ、魔術か。厄介なものだな」
 葛木先生が呟く。
 私の影はその完全に漂うだけ。攻撃に転じればその未熟さが露見する。
 私の魔術では足止めが精一杯。加えて葛木宗一郎が腕を一本犠牲にして攻め手に出れば、それだけでこの仮初の均衡は崩れよう。
 さらにキャスター。彼女が介入すれば私や、おそらく遠坂先輩の魔術ですら圧倒される。彼女が何を思って自身をセイバーさんに当てたのかはわからないが、これはこちらにとってぎりぎり生き残れる配置だ。

「遠坂先輩、衛宮先輩っ!」
 だからこそ、セイバーさんがキャスターを釘付けている間にこそ、私たちがそのマスターを倒さねば――――

「行くぞ!」
「桜、お願い!」
「はいっ、――Es fluestert Mein Nagel reisst Haeuser ab――――!」(声は祈りに 私の指は大地を削る)

 先輩たちが立ち上がるのを合図に、戦いを再開する。
 防衛の魔術を骨子におき、影を攻転。
 私の影は沼地が広がるように影が葛木先生を追いすがり、
「むっ!?」
 先生は逃げを打つ。だが、そんなことは私が、私たちが許さない。

「逃がしません――――Satz Mein Blut widersteht Invasionen!」
(声は確かに 私の影は剣を振るう)

 さらに追いすがる一撃。広範囲の影を襲わせる。
 それに続き先輩たちが葛木先生を追いすがる。
 だが、
「ふっ!」
 先生を捕らえるはずの私の影は、一撃の下、蛇の拳に削られた。
 舌打ち。
 もう順応したらしい。私の影の魔術が、地面から地上に立体感を持った瞬間攻撃に転ずるそのセンス。
 葛木先生と目が合う。
 彼はやはり何も目に宿してはいない。
 そして、離れた距離を再度詰める。
 私の影は攻略された。すでに意味はないと思いつつ攻撃するが、それはやはり蛇の顎に飲み込まれる。

 蛇の拳が迫ってくる。すでに私では太刀打ちできない。
 だが、違う。私は一人で戦っているわけじゃない。

「はっ!」
「――――Funf(五番)!」

 それを衛宮先輩と遠坂先輩に阻まれる。だが相手もセイバーさんを制す使い手だ。
 いつの間に手にしたのか、アーチャーさんの短剣に似た剣をもち、自身が影に踏み込む勢いだった衛宮先輩の攻撃に反撃。
 それをぎりぎりで防いだ衛宮先輩を、その防いだ剣ごと吹き飛ばす。それで一拍。
 そして、その一拍で、遠坂先輩の一撃が私と衛宮先輩により動きを止めさせられたその体に襲い掛かる。

「はっ!」
「――――っ!?」

 ――――だが、それでもなお、その一撃は葛木宗一郎の戦いのセンスに阻まれる。
 腕に着弾。おそらくキャスターの強化は全身にかかっているのだろうが、遠坂先輩の攻撃に耐えられるのは特化して強化された腕だけだ。
 だがそれでも十分。葛木宗一郎の技量により、止められるはずのない一撃が止まっている。

 その人外の動きに遠坂先輩が驚愕する。私と衛宮先輩のサポートに支えられた絶対のタイミングでの一撃だったからこそ、先輩はその一撃で隙だらけ。

「先輩っ!」

 私の叫び。後ろからは兄さんの声、衛宮先輩は体勢を立て直しつつ遠坂先輩の名を叫ぶが、やはり間に合わない。
 葛木先生の腕が走る。

 誰一人間に合わない。
 崩れたブロック塀の横で、倒れるセイバーさん。
 どこにいるかもわからないアーチャーさん。
 剣を持って間に合わないことを知りながら遠坂先輩に向かって走る衛宮先輩。
 そして、私と兄さんは衛宮先輩よりさらに後方に佇んで、
 私は、ひうっ。と自分ののどが立てる音を聞く。

 そして、何一つ躊躇なく、


 キャスターのマスターの一撃が、遠坂凛の顔に撃ちつけられる。


   ◆◆◆


 Interlude アーチャー

 銀光が月の光を照り返す。
 アサシンの刃が私の首を狙って振るわれる。
 カンッ、と鈍い音が立つが、もともと日本刀は打ち合う武具ではない。そんなことをすれば一撃で刃が狂う。
 それが三十合を過ぎてなお、アサシンの刃は私の振るう干将莫耶を打ち払う。
 打ち合わず、受け流す。
 首を狙っても、腕を狙っても、武器破壊を狙っても、それはすべてその流れるように振るわれる刀に流された。

「面妖な剣をっ!」
 三十三を数え、その刀の流れに沿って後退する。
 かの剣豪の刀は追いすがるように私の首を狙い、首の代わりに干将を破壊した。

「ちっ――――!」
「懲りんな。アーチャーのサーヴァント!」
 石段を飛び降りながら、鉄鏃矢を投影する。
 瞬きの時間で七の矢を。
 しかし、それはやはりやつの刀技に阻まれる。

 宝具をただの鉄の棒切れで防ぎ、飛び交う矢の起動を一撫ででそらすその技法。
 円を描きながら、その実セイバーにも劣らない速度を見せるその技術。
 それは余りに異常だった。

 キャスターに呼ばれし偽りの英雄。
 存在しないはずの英雄は、しかし確かに英雄だ。
 凛と柳洞寺攻略に費やした話を思い返す。


“キャスターが呼び出したって言うんならアサシンに佐々木小次郎ってのもありえるわ”

“だって、本来アサシンは山の翁と――――”


 思わず苦笑する。
 本来のサーヴァントではないイレギュラー。
 それがここまでの強さを持つとは、まったくキャスターの一人勝ちだ。

 山門に括られ動けない。
 宝具を持たない。
 だがそれがなんだというのか。
 やつはその剣だけで他の英霊と渡り合う力がある。
 セイバーのエクスカリバーと打ち合ったというその剣は私の目から見てもやはりただの鉄の刀。
 それをどのような技で振るうのか、その軌跡は円を描き、その速さは点を穿つ。

 奥に隠れたキャスターは現れまい。
 ただ尖兵のアサシンの戦いから私の隙を探っているだけだろう。

 ここで力を消耗するのは得策ではないが、ただの矢ではやつの守りは貫けないと判断する。
 舌打ちを一つして、私はただの矢や剣を振るう戦い方を破却する。
 戦いを楽しむ振るい手が本気を出す見てニヤリと笑い、


「終わらせてもらおう!」
「――――ほう、来るがよい!」


“I am the bone of ――――”


 私は世界にその呪文を響かせる。


 Interlude out アーチャー


   ◆◆◆


「――――化かし合いは、私の勝ちね。葛木先生?」


 葛木宗一郎の腕が遠坂先輩の首をもごうと蛇蝎の軌跡をえがき、それを絶望とともに私たちが見ている中、遠坂先輩の目は、それを冷静に追っていた。
 そして、その一撃が、遠坂先輩の顔に吸い込まれ、

 それは遠坂先輩の頭蓋を打ち砕く直前に止められた。

 遠坂先輩が笑う。
 葛木先生の一撃は遠坂凛の顔前で止められていた。
 一瞬の自失を払い、私はそれを理解する。
 異端といえどキャスターのマスターが振るったのは体術で、私ごときの魔術をわざわざ粉砕し、私や衛宮先輩の、一見して奇怪なだけの魔術を遠坂先輩の宝石魔術と同程度まで重く認識していた先生は、魔術を理解しているわけじゃない。
 魔術に匹敵する技能を持っているだけだ。

 それが隙か。腹と腕に同様の防衛魔術をかけても、やはり格闘者として慣れ親しんだ身では、腕で受けようとするだろう。だからキャスターは葛木宗一郎に合わせて強化を施した。
 ゆえに遠坂先輩は予想した。葛木宗一郎が魔術師ではないという一点に絞り、策を練った。
 彼はセイバーさんを倒すほどの腕があっても、やはり魔術師ではありえない。
 彼は必殺の一撃が、相手の急所そのものでガードされるという異常を予想できない。
 遠坂先輩はすべての力を防壁の魔術に注ぎ込み、自らの急所を防御するだけで裏をかく。

 遠坂凛は、急所のみを宝石により保護して、葛木宗一郎の一撃を誘ったのだ。

 葛木先生は必殺の一撃を止められたことを一瞬で事態を把握し、遠坂先輩から離れようとするが、遅い。
 葛木先生が後ろに跳ぶ。
 それを遠坂先輩の腕が追いすがる。
 いくら彼が早くても、すでにこの展開を心得て、隠した宝石を取り出していた遠坂の魔術師に速度でかなうわけがない。

「とっておきよ!」
 それは赤々と輝く宝石で、

「Sechs Ein Flus、ein Halt(六番 冬河)―――――!」

 その一撃が宝石から開放される。
 魔力の渦が視界を埋め尽くすような光とともに葛木先生を消し飛ばそうと放たれた。


   ◆◆◆


 Interlude アーチャー

「――――――偽・螺旋剣(カラドボルク)」
 それは時空を穿つ剣の鏃。
 それが、アサシンの体に向かって放たれた。

 アサシンには宝具がない。
 セイバーを退けたという“ツバメ返し”。
 なるほど、それは確かに宝具に匹敵しよう。
 それはただ技術のみで世界の基盤に干渉する魔法の刀技。

 キシュア・ゼルレッチ。
 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
 魔法使い。
 第二魔法。
 カレイドスコープ。
 平行世界の移動を個として行う平行世界の運営者。

 アサシン。
 佐々木小次郎。
 幻想の剣豪。
 幽世(かくりよ)に住む幻の剣士。
 対個人の最強。
 必殺技。
 三度の斬撃。
 ツバメ返し。

 だが、それも――――

「……なるほど、アーチャー。お主はその名にふさわしい」

 我が弓の前に膝をつく。

   ◆

「……技で防げるものではないはずなのだがな」
「なに、それは貴殿の精進が足りんだけよ」

 高らかにアサシンが笑う。
 カラドボルグを防いだ男が笑う。
 背後の山門に傷はなく、カラドボルクを受けてなおアサシンも致命傷を受けていない。

 しかし、

「貴様の腕は認めよう。だが――――」
「ふむ、たしかに。さすがに打ち倒されるのは私のほうか」

 私の弓から放たれた、かの英雄の振るった剣はアサシンの右肩から先を消し飛ばしていた。
 時空をゆがめる一撃を防ぐ技量は恐ろしいが、すでにこの戦いの幕は下りた。

「では、キャスターの前に貴様は退場してもらおう」
 その言葉にアサシンが笑う。
「くっくっくっ。気がせっているようだなアーチャーよ」
「……」
「気づいているだろう。キャスターはすでにいない。もっとも後ろにおらずともここを通す気はないが、よいのかね」
 自明だった。

 マスターたる凛がそこにいるのだ。キャスターが柳洞寺から離れたことに気づかないわけがない。
 だが、それでも。
 キャスターはここに戻ってくる。
 今から凛の元へ戻っても意味はない。
 私はここで“逃げ帰った”キャスターを迎えよう。
 そう、私が凛のサーヴァントであるように、凛は私のマスターだ。


 その彼女が、たかが魔女に負けるはずがない。


「なるほど。よい笑みだ」
 アサシンが私に向かって呟いた。
 知らず笑っていたか。

 顔を上げればアサシンはすでに満身創痍。後ろにはキャスターの陣がある。
 干将を構えた。
「そういうことだ。アサシンのサーヴァント」
「ふむ、負けか」
 そう笑うアサシンの元へ石段を登ろうと足を踏み出し、

 同時、私が凛からの念話を受け取って、アサシンもその傷ついた肩をすくめて見せた。


「なるほど……、あの女狐もふがいない。どうやら向こうも決着がついたようだ」


 Interlude out アーチャー


   ◆◆◆


 そして――――

 ――――一陣の赤光が、葛木宗一郎の体を吹き飛ばした。

「宗一郎さまっ!」
 何かをたくらんでいたキャスターがそれを真っ向から打ち破ろうと立ち上がったセイバーさんを前に後ずさり、背後で起こった己のマスターの敗北にあわてて駆け寄る。

 無様。
 彼女は仕損じてはいけない戦いの配置を誤った。
 セイバーを真っ先に葛木宗一郎にころさせていれば、おそらく負けたのはこちらだった。

「すぐに治癒を……」
 キャスターは私たちに囲まれながらも、逃げではなく、葛木先生の命を選ぶ。
 キャスターが助ければ命が残り、キャスターが見捨てれば死ぬだろう。
 葛木先生は死んでいない。
 だがそれはキャスターの愚考の代償に、死にいたる傷だった。
 それはキャスターから見ればマスターの命を犯すひどい傷で、私たちから見れば余りに“ぬるい”傷である。
 あれだけのタイミングで、あれだけの一撃を見舞ったにもかかわらず、彼がその身に受けたダメージは腕一本と肩から腹にかける裂傷だった。

「なんてやつ……あれだけやって、何で生きてんのよ」
 遠坂先輩が呟く。
 最後の一撃。あれは必殺だったはずだ。
 彼女からしてみれば魔術を体術であそこまでレジストすること自体が信じられないのだろう。
 それでもその傷は深い。放っておいては生きられない。

「申し訳ありませんシロウ。不覚を取りました」
 そして、こちらにはすでにセイバーさんが戻ってきている。
「セイバー、大丈夫なのか!?」
「はい、恐ろしい腕ですが、もう二度とこのような不覚は見せません。もっとも、すでにシロウたちが倒されたようですが」

 この戦いが始まる前に遠坂先輩が言ったように、彼女が戻ればキャスター戦に関して問題はない。
 ただ葛木宗一郎というマスターが異常だっただけだ。それが破られた今、すでに勝ちの目はこちらにある。
 これはキャスターの読み違え。何を惜しんだのか、何を考えたのかは知らないが、彼女の真名は騎士ではあるまい。それは戦いにそぐわない戦闘原理。
 そしてそれは救いがたい隙である。

「そう――――じゃあキャスターを」
 遠坂先輩がそう言った。
「くっ」
 その言葉にマスターに癒しの祈りを奉げていたキャスターが反応する。
「キャスター、セイバーと遠坂たちを侮った我々のミスだ」
 葛木先生の声。
 彼は放っておけば死にいたる傷を負いながらも、その冷静さを失わない。
「引くべきだ、キャスター」
 キャスターがその言葉に悔しそうな顔を見せるが、ここで残るほど愚かではない。
 キャスターが転移の魔術を唱えるのを察して、セイバーさんが踏み込むが、それはギリギリで間に合わなかった。
 おそらく最初から逃げ道だけは確保していたのだろう。
 私たちの前からキャスターの体が霞んでいく。

 そして、

「覚えておきなさい。貴方たちが宗一郎さまを傷つけた償いは、必ずとってもらいます」
「……へえ、いいわ。覚えておいてあげる。キャスター」
 遠坂先輩が返事をする。
 それを聞き終え、キャスターたちは姿を消した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 凛ルートと展開がほとんど同じなので端折っちゃいましょう、の話。てな不精を見せたらどうも展開に唐突の感が出たような・・・というかいきなり四日後でした。
 VS先生では桜が微妙に活躍していますが、これはステイナイトでも傍目・素人目にはただ単に剣を生み出しただけの士郎の魔術でさえ警戒して戦闘中に一旦距離をとったくらいですから、影がビローンと襲い掛かったらそりゃあもっと警戒するでしょうという感じです。
 あとステイナイト発売前に少しだけ上がっていたセイバー=ジャンヌダルクネタも入れてみました。これは趣味というか、こういうネタ入れると楽しいので。佐々木小次郎トークもそんな感じです。こういうときステイナイトでほとんどサーヴァントについて語ってない慎二は重宝しますね。ちなみに長い刀の件は先日五年ぶりに長編の続刊が出たあるラノベ大家の作品からいただきました。読んでいる人はわかってもらえるかな・・・・。ヒントを言えば短編が完全にパラレルワールドな展開を見せている超シビアな展開のライトノベルですね。導果先生とか深霜とか・・・・、こういう短編ってライトノベルの長編ではわりと珍しいタイプですよね。私はこの人以外には思い浮かびません。前巻や最新刊ですごい引きを見せてくれましたけど、また五年後とかは勘弁してほしいです。いえ待ちますけどね、大好きですし。・・・とこの話を延々続けてもいいんですけど、さすがに脱線もはなはだしいので、話を戻します。
 アーチャーVSアサシンが止まっているのはワザとです。
 アーチャーが士郎を殺しかけたことに凛があんまり怒ってないのは、アーチャーではなく、士郎に説明を聞いたために、アーチャーでは自己申告しないであろうキャスターに突っかかろうとした士郎を止めて結局命を救っていることを説明されたためと、士郎による凛フラグが立っていないためです。
 フラグが立たなければ、セイバーが士郎に風呂を除かれても無反応だったように、凛も相手を桜の想い人程度に割り切って魔術師的な思考で判断するようになっています。というか風呂を覗かれても完全に無反応って士郎的にも割とへこみますよね、きっと・・・



[1002] 第八話 「VSバーサーカー (二戦目)」 前半
Name: SK
Date: 2006/05/01 00:40
“介入せよ”
 とアイツがいって、
「――――まったく、やってられないぜ」
 オレは遣り切れなさに頭を振った。


   カレイドルビー 第八話 「VSバーサーカー (二戦目)」

 キャスターが去ったあと、寒々しい路肩の塀に寄りかかる。
 疲れた。魔術を使うことに慣れていない私は、すでに魔力が空になっている。
 その点、すでに貯蓄してある宝石を利用する遠坂先輩の動きにはいささかの乱れもない。

「二人とも大丈夫?」
 私に声をかけ、へたり込んで息を吐く衛宮先輩に手を貸す。
「セイバーは大丈夫よね?」
「ええ。行動に支障はない」
 セイバーさんも傷を魔力で覆い、戦う前となんら変わらぬ格好をして佇んでいる。

「しっかし、慎二。あんた予想以上に使えないわね。人質にとられてたら見捨ててるところよ」
「お、おい。遠坂」
 遠坂先輩が皮肉気に言う。衛宮先輩がそのとげを隠さない口調をあわてて制止した。

「ちっ……」
 だが兄さんは文句を言わなかった。それを見て遠坂先輩も拍子抜けしたように息を吐く。
「なによ慎二、随分と殊勝じゃない」
「うるさいな。別にいいだろ」
 すげない返事。兄さんはそういい捨てて私のほうへ目を向けた。
「大丈夫かよ桜」
「えっ? ……あ、はい。大丈夫です」
「ふん。まあ別にいいけどね」
 驚いて返事が遅れた。それにさらに気を悪くしたのか兄さんがそっぽを向く。

 遠坂先輩が呆れたようにそのやり取りを見ているのがわかった。そして次に私に、そして最後に衛宮先輩の腕に目をやる。

「で、衛宮くん。さっきの何?」
 不機嫌の極みといった声色で遠坂先輩が言う。
「えっ? なにってなんだよ遠坂」
 衛宮先輩が不思議そうに答える。

 だが、いまのは遠坂先輩が正しいことを私も兄さんも知っている。
 葛木先生との戦闘の最中。
 彼はその手に何を持っていたのだったか。

「アーチャーさんの剣を借りていたんですか?」
 ありえないと思いながらも問いかける。
 それに衛宮先輩が不思議そうな顔をして、
「いや、あれは俺が投影したんだ。昔から投影と強化しか鍛錬してなかったけど、さっきのは――――」

「――――えいっ」

 最後まで言い終わらせずに、遠坂先輩が衛宮先輩を蹴っ飛ばした。
「なっ、リン!?」
 セイバーさんがあわてて遠坂先輩を制止しようとするが、その眼光によって動きを止める。
 それほど強くもなく倒れこむだけだったが、アスファルトの冷たさと硬さに衛宮先輩が顔をしかめる。

「…………いきなり何するんだよ。遠坂」
 衛宮先輩が地面に転がりながら文句を言う
「なにか言ったかしら?」
 それを遠坂先輩のこれ以上ない笑顔が迎えた。
 手には魔力、顔には笑み。
 衛宮先輩が地面に倒れながら後ろ向きに這いずった。
「……と、遠坂さん? 目が怖いなあ……なんてことを思ったり……」

「ええ、ごめんなさい衛宮くん。ちょっと感情が抑えられそうになくて――――で? 強化しか使えないって断言して私と同盟を組んでいる貴方から、今の台詞をもう一度聞きたいのだけど、よろしいかしら」


   ◆◆◆


 Interlude ルビー

 私はマスターの一人に追われていた。

「しつっこいわねえっ!」
 風を操り空を駆けながら、誰とはなしに叫ぶ。
 ただの愚痴というやつである。

 桜たちから離れたあと、私の目的をかなえるために情報収集としてあちこちを回っていたが、意外なことにサーヴァントとの遭遇は少なかった。
 キャスターは柳洞寺。これは桜たちからの情報のみ。
 アサシンは実際に遭遇した。忍び込もうとして殺されかけた。宝具もたいした必殺技も使わずに牽制の一撃で首を落とされかけ、その後遠距離から数度ちょっかいをかけた後、それに意味がないことがわかってしまった。
 さらにアサシンの奥にいるであろうマスターのキャスターなどとはまともにやりあったら歯が立つまい。こちらも桜からの情報だが、サーヴァントでありながらアサシンを呼び出したということはキャスターの腕は私とは比較にならない。油断でもしてくれれば勝機もあるが、この身はあいにくサーヴァント。そんな期待はするだけ無駄だ。

 と、背後から牽制の一撃。
「うるっさい!」
 その一撃を、宝石をひとつ消費してガード。
 余波でさらに数十メートル吹き飛ぶが、気流を操りそのまま逃げを打つ。

 アーチャーとセイバーは考えるまでもない。衛宮士郎は巡回、同盟を組んだ以上アーチャーたちもある程度はそれに付き合うだろう。
 そして残りは私にランサーにバーサーカー。
 桜が私を呼び出す前に出会ったという金色の人間というのも少し気になったが、あいにくと遭遇することはなかった。
 バーサーカーに関しては言うまでもない。アインツベルンの秘蔵っ子がマスターだ。森にでも出向けば会えるだろうが、あいにくそれは自殺と同義。
 そしてランサー。以前あったときからも思っていたが、彼のマスターは隠れている。ランサーは本当に単独で行動しているようだ。
 同盟を組んで柳洞寺に閉じこもってでもいるのであろうアサシンのマスターであるキャスターと、さらにそのマスターはまだしも、工房などの自分の陣地もないのにサーヴァントだけを動かすとは恐れ入る。
 だが、それが意外と厄介だった。
 魔術師が隠遁するというのは中々に難しい。人がいるところはすべて、ホテルや家屋などを総ざらいしてみたが、ランサーのマスターはいなかった。

 後ろから嘲笑が響く。
 敵のサーヴァントとそのマスターが追ってくる。マスターのほうが私の逃げ腰を笑っている。
 それに怒鳴り返して、逃げ続ける。
 だがいつか追いつかれる。逃げられているのはやつらの加減とこちらの秘蔵している宝石の力だ。
 舌打ちをして、さらに屋根を蹴った。
 ふざけんな、と叫びたい。
 この身が生前と変わらぬ強度しかもっていないことはあのマスターこそが知っているはずなのに。
 なんて性悪。

 ああ、そうだ。ランサーのマスターを空き家から探してみるかと思考を続ける。だが、それで見つかるとも思えない。
 人の気配があるところはすべて洗ったはずなのだが、監視者などの小物はいても、マスターほどのものは一人もいない。
 どういうことか。前提が狂っている。
 ランサーのマスターは?
 キャスターの可能性や、重複召喚までを疑って、それでもまだ答えは出ない。

 アサシンを突破できず、キャスターには到達できず、セイバーとアーチャーは論外。
 ランサーとは遭遇せず、バーサーカーには歯が立たない。
 最もランサーに勝てるかといえば、それもまた難しく、マスターを狙おうにも発見できない。

「いやはや意外に弱いのよね、私って」
 そういって苦笑して、私は現実を直視してみることにした。

 後ろを向けば、そこには私を追うマスターとサーヴァント。

「ルビー。そろそろ観念したら?」
「冗談。サーヴァントに頼って粋がってる小娘ごときに負ける気ないわよ」

 その名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。バーサーカーのマスターである。

 Interlude out ルビー


   ◆◆◆


「なるほどね。随分とまあぶち抜けた魔術特性だこと……」
 遠坂先輩が呟いた。
 場所は路地裏。
 キャスターたちが去ってからまだ二分とたっていない。
 遠坂先輩は衛宮先輩から概要だけ聞いた後、その話を打ち切った。
 衛宮先輩の見知らぬ魔術。それが遠坂凛を謀るためのものでないことがわかったのだろう。
 これまでの会合に虚偽がなければそれでいい、と遠坂先輩は息をはく。

「ではリン。そろそろもどりましょう」
 私たちと同様に衛宮先輩の投影魔術についてを真剣な顔をして聞いていたセイバーさんが提案する。
 それに遠坂先輩は頷いた。
「そうね。こっちもダメージ受けてるし、さっさと帰りましょうか。柳洞寺の攻略は……まあ“どうにかなるでしょう”」
 衛宮先輩への尋問は帰ってからだと遠坂先輩は呟いて、それを聞いた先輩が顔を引きつらせる。
 遠坂先輩が空を見上げる。そのまま視線はは遠く離れた柳洞寺へ。
 ぶつぶつと呟くように。おそらく念話、相手はアーチャーさんだろうか。


 ――――――そして、同時。私のパスから声が響いた。


「おい、遠坂。さっさと来いよ。ほら、さっさと立てよ衛宮。まったく……」
「ああ、助かる」
 兄さんが衛宮先輩に肩を貸す。
「シロウ、どうしたのですか。怪我でも?」
「いや、ちょっと……たいしたことないよ」
「おいっ、遠坂っ!」
 再度兄さんの叫び。
「…………ええ、お願い。“終わらせてかまわない”――――うるさいわね、聞こえてるわよ」
 虚空を睨んでいた遠坂先輩が怒鳴るように返事をして、衛宮先輩たちのほうへ歩きだそうと足を向ける。
 そして、

「桜?」

 立ち止まっていた私に声をかけた。
 私はおそらく真っ青になった顔を遠坂先輩たちに向ける。
 衛宮先輩の心配するような声。
 遠坂先輩とセイバーさんが、何があったのかと私に聞いて、
「あ、あの」
 遠くから喧騒が近寄ってくるのを聞きながら。
 私は先輩たちの心配する声をさえぎって、

「ルビーさんが、こちらに向かってるそうです。――――その、……バーサーカーに追われながら」

 自分でも引きつりながらそれを告げた。


   ◆


「はーいっ、おまたー!」
 お気楽な声を上げてルビーさんが遠坂先輩の結界内に飛び込んでくる。
 だがその姿はボロボロだった。左腕が千切れかけ、裂傷と出血により黒いドレスはテラテラとおかしな光沢を持ち、私の傍らに転がるように着地する。

「ルビーさんっ」
「おい、遠坂っ!」
 私と兄さんの叫びにルビーさんは息を切らしながら顔を上げる。
「はあい、慎二。あんたも出てきてたのね。まったくマスコットキャラがいないからほんの少しだけ苦戦しちゃったわよ……」
「なっ、何バカなこと言ってるんですか。傷を――――」
「大丈夫よ、桜。それより遠坂凛と衛宮士郎。悪いけどもう一回利用させてもらうわ。桜を巻き込むのは不本意の三乗だけど、アーチャーとセイバーなら……ってアーチャーは? もう動いてるの?」
「――――いえ、アーチャーさんはいないんです」

 目を丸くしているルビーさんに事情を説明すると、ルビーさんは顔を引きつらせた。
「うーん……それは、なんとまあ。聞かなかった私が悪いといえば悪いけど……こりゃちょっとやばいねえ」
「あったり前でしょ。自分がやったこと忘れたの? 随分と勝手なこといってくれるじゃないの。……セイバー?」
「バーサーカーですか。かまいません。前回の屈辱を晴らすとしましょう、リンはアーチャーを」
「ええ、呼んでる。でもすでに殺りあってるみたいで……最悪のタイミングかも……キャスターが戻ったせいで、出るのには“もう一度”アサシンを突破しなくちゃいけないし…………倒しているヒマはない。呼び戻すにしてもこっちまでは五分はかかる」
 苦々しく遠坂先輩がセイバーさんに答える。その内容にピクリとセイバーさんが反応した。
「なるほど。そういうことでしたか」
「ええ。――――まあいいわ。どっち道逃げられないしね」
 その声に悔恨はあっても萎縮はない。
 遠坂先輩は戦う気だった。

「おい遠坂。戦う気かよ?」
「どっちにいってんのよ慎二。まあそうりゃそうでしょ。逃げられるわけないわ」
 ルビーさんが答える。
「どの道逃げる気などありません」
 セイバーさんが剣を構える。
 その視線の先には先ほどから佇む狂戦士の名を冠するサーヴァント。
 そしてその横に立つ銀の少女。

「あらセイバーじゃない。やっと二人ね。まったくあなたたちは自殺願望でもあるのかしら」

 踊るようにそういって、

「でも、今日は見逃してなんてあげないわ。――――それじゃ、行きなさい。バーサーカー」

 その言葉にバーサーカーが地を駆ける。
 今日二度目の戦闘が始まった。


   ◆


 大気が唸るようなセイバーさんの一撃をバーサーカーが石で出来た無骨な剣で受け止める。

「はああぁあぁぁっ――――!」
「■■■■■■■■――――!」

 可聴を超えるバーサーカーの咆哮。前回と条件が似通っている。
 肉弾戦で争う限りセイバーさんはバーサーカーに競り負けるだろう。前回ランサーからの傷が残っていたとき同様に、今回も葛木宗一郎から受けた傷が残っている。
 セイバーさんが銀光を一秒に三度振るい、バーサーカーはそれを一撃でキャンセルする。

 一閃、二閃、五閃、十閃。

 彼女の一撃は振るわれるごとに速さを増し、
 それを受ける狂戦士の動きもそれを超えて力を増す。
 神秘を積み重ねているはずのセイバーの剣を、ただの石くれで迎撃する。
 それは暴力の象徴。魂の軽視。意思と魂に積み重ねられし業を、狂った暴力が撃破する悪夢。

「なんだよ、あれ」
 兄さんの狼狽。
 彼女が破られればこちらが死ぬ。
 なるほど。強いことはわかっていたが、実際に見ればこれはあまりに規格外だ。
 死を恐れぬ。痛みを恐れぬ。そういったことは副次的。
 狂戦士たる恐ろしさは理性のなさではない。

 狂戦士、その最たる恐怖はバーサーカーの特性として知られる狂化ではない。
 狂人の恐怖とは“狂信”を置いてほかにない。
 マスターを守ること。マスターに仕えること。狂戦士を従えることこそが最初にして最後の門。
 だがその門をくぐったマスターとサーヴァントこそが、聖杯戦争における最も理想の組み合わせだ。
 ただ理性が狂うだけの英雄の魂を、主のために使わせる。イリヤスフィールはその法を知っていた。
 セイバーさんが距離をとる。
 それをバーサーカーが追いすがる。
 イリヤスフィールによる完全なる統率がなせる技。

 だが、それはルビーさんの予定通りであった。

 彼女はセイバーにバーサーカーと戦うように言いながら、それを足止めとして考えていた。
 前回の戦闘でルビーさんが断言した。
 彼女は言った。
 バーサーカーが無敵というのは間違いだと。
 少しばかり命を賭ければ、それだけで十分だ、と。
 そう、彼女はあの時言っていた、

“もし私が戦うなら――――”

「はあっ!」
 そうと知らぬセイバーさんの一撃と。

「――Drei(三番)――――」
 ルビーさんの一撃が交差する。

 それはマスターを狙うという聖杯戦争における第二の手段。通常サーヴァントに守られるはずのマスターをあらゆる手を使って破壊する。
 魔術師(マスター)殺し。それはある魔術師が得意とし、衛宮先輩が最も嫌悪するであろうやり方だ。
 バーサーカーを打ち据えようとしたセイバーがルビーさんの行動に気づく。
 ルビーさんに迷いはない。
 アーチャーさんがいないとわかった時点で、彼女は戦い方を決めていた。

 セイバーがバーサーカーの足止めを。
 そして、ルビーがマスターの強襲を。

 バーサーカーとそのマスターがこちらの思惑に気づく。
 一拍で編まれる宝石魔術。
 ルビーさんの一撃は、イリヤスフィールの張り巡らされる防壁を一撃のもと消し去った。

「なっ!? ――ルビー!」

 セイバーさんがその行為に驚愕する。
 ルビーさんの前にはバーサーカーのマスターが佇んで、その体をさらしている。
 彼女の高潔な魂では耐えられまい。
 それは想像の埒外だったのか、彼女は愕然とした声を出す。

 だが意外にも、セイバーさんはルビーさんの行動に目を見開いただけだった。
 自らの一撃を弾き、マスターの元へ奔るバーサーカーを追おうともせずに、ルビーさんの行動に立ち尽くす。
 彼女の口から人の名前が洩れた気がした。

 バーサーカーはそんなことにはかまわない。セイバーさんが動かなくなったのなら、それはただ好都合なだけだ。
 セイバーさんの一撃を受け流し、すぐに疾走する。それは人には捉えられない速度だけれど、すでにイリヤスフィールの元に走りこんでいたルビーさんの一撃にはわずかに遅い。

「ちっ!」
「ルビーっ!」
 遠坂先輩の舌打ちと衛宮先輩の制止。
 だがそれは彼女の足を止めるいささかの障害にもなりはしない。それは令呪を持つ私が行わなければならないことだ。
 だが私は止めない。遠坂先輩が気に食わないと判断しながらも、ルビーさんの行動に正しさを見つけてしまったように、私はマスター殺しを許容する。
 戦争とは人が死ぬ。
 そんなことを許容できなければ死者の列に自分が並ぶだけではないか。
 どの道、ここで止めればルビーさんが死ぬだけだ。
 そしてルビーさんの手が外れれば、その次に私たちの屍がさらされる。
 衛宮先輩が怒鳴る制止の声を聞きながら、私はそんなことを考える。

 ルビーさんが二撃目を構え、イリヤスフィールが呪を紡ぐ。
 だが、無駄だ。最速と最強を兼ね備えた宝石魔術から通常の魔術で生還するすべはない。
 マキリの始祖、マキリ臓硯すらもルビーさんの魔術からは逃れらなかったというのに、彼女に避けられるわけがない。
 ルビーさんの持つトパーズの宝石から魔力があふれ――――

 その寸前に、イリヤスフィールの口が開く。

 絶対の自信を持って、イリヤスフィールが魔術を紡ぐ。
 違和感。
 セイバーさんに足を止められていたバーサーカーは間に合うまい。
 名高き英雄ヘラクレス。
 その彼は確かに速いが、ルビーさんのほうが明らかに二拍は速い。
 そして聖杯戦争における一瞬は、生死を分かつ覆ることのない断崖の溝である。

 イリヤスフィールの眼前にはルビーさんの宝石が、
 これでどう逃げるのか。
 これをどう受けるのか。
 シングルカウントで打ち出される魔術に対するにはそれと同速の技が必要だ。
 そして、イリヤスフィールは最強のマスターであるが、別段戦闘に特化した魔術師というわけではない。
 彼女の魔術では一拍の時間も稼げない。

 間に合うはずがない。
 イリヤスフィールに止められるはずがない。
 それなのに、イリヤスフィールの顔に影はなく。

 ――――その答えは、彼女の口から流れる呪によって示される。

 聞いた瞬間私たちはイリヤスフィールの思惑に気づき、認識した瞬間すでに手遅れであることを気づかされる“その言葉”。

 彼女は唱えた。
 そう、ただ一言。
 シングルカウントの言霊を。
 ルビーさんのほうが早いけど、
 ルビーさんは速いけど、
 それはやっぱり一瞬で、
 バーサーカー相手にはギリギリで、

 イリヤスフィールはほんの一瞬“ルビーさんを先んずれれば”それでよいということで、


「――――“狂いなさい”バーサーカー」


 それはバーサーカーがいままでその特性を封印していたという証。
 その一言で、あらゆる不可能を可能にする概念を背負った英雄が具現する。

 統率された狂戦士。悪夢の象徴。
 聖杯戦争におけるバーサーカー。狂人、狂戦士、狂化の特性。それは“あらゆる力が一ランク増す呪い”
 咆哮とともに在りし狂戦士たる称号が、あらゆる状況を一変させる。

   ◆

 ルビーさんから宝石が放たれるまでの刹那の間隙。
 その刹那の間で、速度を上げたバーサーカーはルビーさんの宝石を消し飛ばした。
 狂化を施され、理性がないはずのサーヴァントはまずマスターのために行動した。
 速い遅いなどという次元ではない。値としてA+。
 それはただその力のみで世界に匹敵できる称号である。

 ルビーさんから放たれた風がイリヤスフィールをかばったバーサーカーの体に触れた瞬間に消し飛んで、
「なっ!? ――――冗談っ!」
 絶対の一撃だったからこそ、その体は無防備だった。

 必然、ルビーさんはそのままバーサーカーにつかまった。

「ルビーさんっ!」
 私は思わず叫び声を上げた。
 にやりとイリヤスフィールが笑う。当然だ。彼女からしてみれば能力値的にはバーサーカーの筋力は比べるのもバカらしいほどに飛びぬけている。
 ヘラクレス。
 ただ力のみを持って世界の法則を捻じ曲げる、神を打ち据える力の持ち主。

「ぎっ、はぁっ……」
 ギリギリ、とバーサーカーの腕に力がこもる。胴体をつかまれたルビーさんは脱出するすべがない。どのような技法をもってしても、どのような犠牲を払ってもヘラクレスの腕からは逃れられない。

 待て、と衛宮先輩が叫ぶ声が聞こえた。
 待ちなさい、と遠坂先輩が叫ぶ声が聞こえた。
 それはイリヤスフィールに対していったのか。バーサーカーに対していったのか。それとも、いつの間にルビーさんへと駆け出そうとしていた私に対して言ったのか。

「ルビーさんっ!」

 私は叫びながら足を踏み出す。魔力を装填。アクセスをスタート。通用するはずのない魔術を編んで、冷徹であるべき思考を真っ赤に染めて走り出そうと踏み出して、

「待て」

 いつの間にか横にいた兄さんに腕をつかまれた。
 何をするのか。
 サーヴァントだとか、聖杯だとかは関係ない。私はルビーさんには恩がある。
 それも絶対に一生かかっても返せないような恩だ。
 だから私は何があろうとルビーさんにだけは借りを返さなくてはいけないのに。

「はなしてっ!」
 兄さんの手を振りほどこうと、魔術回路をオン。
 瞬きよりも早く稼動した魔術が兄さんの腕を軽く焼いた。
 だが兄さんは放そうとしなかった。
 そして、焦りを顔にしている遠坂先輩たちや、嘲りを顔に出しているイリヤスフィールたちにも聞こえるように宣言した。

「バカか、お前は? さっきなにを見てたんだ。遠坂がそんなバカなわけないだろうが」
 そういって、ルビーさんを指し示す。

「はっ、わかってるじゃないの、慎二」
 兄さんの声にあまりに平然とした声が返ってくる。それは私のサーヴァントの声だった。
「なっ!?」
 初めて聞くイリヤスフィールの狼狽した声。
 そして、その視線の先には主を傷つけようとしたものを握りつぶそうとするバーサーカー。
 だが、苦しそうな顔をしながらも、ルビーさんは笑って見せた。

 どのような方法を使ったのか、それはいつ用意されたのか。
 おそらく宝石。彼女の魔術の源の宝石群。それを防壁として使用した。
 それが意味することは明白である。
 魔力を貯めた宝石は一度使えば栓が開く。防壁に使うなら直前に壁として、圧迫耐える膜として使用するなら短期間だけと区切りを打って。

 先ほどの遠坂先輩と同じ行為。つまりそれは。

「予想していた?」
「当たり前だろ。あいつは英雄になった遠坂なんだ。そいつがマスターを狙ってそのまま殺されるような間抜けなわけがない」
 兄さんが断言する。彼だけがルビーさんが捕まっても狼狽しなかったのはただ信じていたからか。

 マスターである私よりも、ルビーさんの前身体である遠坂先輩よりも、ただルビーさんと交流があっただけのはずの兄さんが、ルビーさんを微塵も疑っていなかった。

「よく言ったわ慎二。認識しなさいイリヤスフィール、この身が遠坂凛であることを」
 ルビーさんが宝石を持った右手を掲げる。
「そして――――」


 死になさい、バーサーカー。


 と彼女は言った。

   ◆

 ルビーさんからまばゆい光が放たれる。
 百の光を混ぜ合わせたような虹色が、ただひとつの絶対の光を形作る。
 Aランクの重ねがけ。五つの宝石を重ねて、乗倍させる宝石魔術の禁呪法。それはこれ以上ない威力を見せた。
 故意なのか、最後にマスターを守ろうとしたのかバーサーカーはルビーさんを握ったまま向きを変え、イリヤスフィールは傷つかなかった。

 イリヤスフィールだけは傷つかなかった。

「…………」
 ルビーさんの一撃のあと、バーサーカーと呼ばれたサーヴァントは、上半身を根こそぎ消し飛ばされて死んでいた。
 もともとに傷に加え、重ねがけの代償であるのか魔力の逆流により、ボロボロになったルビーさんは、手首から先だけになった拘束具から抜け出すと、それでも優雅に着地してみせた。

 ルビーさんはイリヤスフィールに向かい合った。
 自分の策がなったことににやりと笑い、鼻を高くしている。

「私の勝ちね? まっ、安心しなさい、イリヤスフィール。桜があいつらと同盟組んでるからね。バーサーカーを殺せた以上、あんたは殺さないわ」
「…………」
「? イリヤスフィール。聞いてるの?」
 だが彼女は返事をしない。
 銀の少女は口に笑みを浮かべながら、死んだ自分のサーヴァントを眺めている。
「ふーん、やるわねルビー。キャスター並じゃない。――――重圧・灼熱・神秘の浸食・絆殺し・構成の破壊。五つの宝石、宝石の万華鏡。カレイドルビーか、バーサーカーを殺せたのも頷けるわ」
 聖杯戦争における半身の死体の前で、イリヤスフィールには欠片の悲壮感も見当たらなかった。

 平然としたイリヤスフィールの言葉にルビーさんが首をかしげる。
 イリヤスフィールは欠片のおびえも敗北感もなく佇んでいた。

「おい。なにやってるんだよ」
「いや……なんでも」
 兄さんの声に返事をしながら、ルビーさんが後ろを振り返る。
 そこには巨人の死体があるだけだ。

「…………すごいな。めちゃめちゃ強いじゃないかルビーは」
「……はい、さすがリンの英霊体といったところでしょうか」
「そうね。私じゃ三つが限度かな、一応私ってとこね」
 遠坂先輩たちが呟く。遠坂先輩は先ほどのルビーさんの絶技を素直に驚嘆していた。ついさっき戦ったキャスターでさえ、あそこまでの一撃をシングルカウントでは放てまい。
 戦いの気配が弛緩する。

「じゃあイリヤ。もう……」
 衛宮先輩がイリヤスフィールに声をかける。
 それは降伏の呼びかけ。
 勝者が敗者にかける慈悲の声。
 だが、それを

「いいえ、お兄ちゃん。まだ終わってなんていないわよ?」

 彼女はあまりに当然のように拒絶した。
 その言葉にセイバーさんが真っ先に反応する。

「――ルビー!」
「!?」
 叫びを受けて、ルビーさんがイリヤスフィールから距離をとる。
 その一瞬後。

 ルビーさんいた空間をバーサーカーの斧剣がなぎ払われた。

「――――な、に?」

 遠坂先輩たちの驚愕の声。
 ありえない、と呟いた。
 確実に死んだはずだったのに。
 命が消えたことなんて、確かめるまでもないように、
 上半身が、体が丸ごと無くなっていたというのに。


 私たちの視線の先、そこに死んだはずのバーサーカーが立っていた。


   ◆


「バカねえ。バーサーカーの真名くらい最初のときに教えてあげたでしょう? それを聞いて何にも考えなかったのかしら」
 イリヤスフィールの嘲笑が響く。
 こちらの全員が、傷を残しながらも完全に蘇っているバーサーカーを見た。

「蘇生魔術。……そうか、ヘラクレス。……試練の英雄。試練を与えられる英雄。――――“試練を超える英雄”」
「遠坂先輩?」
「つまり、あいつの宝具は蘇生魔術の重ねがけ。不可能だったはず試練を乗り越えたバーサーカーの、概念の宝具。宝具がそのままあいつの特性となる」

 不死の呪い。神の試練による死の禁令。
 試練を超えたという概念が、試練を超えさせる呪いに昇華する。

 かの巨人は神話より“死ぬことを許されない”

「じゃあ、死んでないんじゃなくて、」
「……バーサーカーは“生き返った”」
 それは魔法に匹敵する神の奇蹟。

「ええ、そうよ。教えてあげるわお兄ちゃん。バーサーカーの宝具は十二の試練(ゴッドハンド)。強制的に十一度繰り返される“試練からの帰還”と“試練に値しない攻撃のリセット”。そして――――」

 ふわりとイリヤスフィールが踊ってみせる。
 それを合図にバーサーカーが突進した。傷がまだ完全に癒えておらず、血を噴出しながら、マスターの命に従い、ルビーさんに向かって突進する。

「――――Sieben!」(七番)

 ルビーさんはそのまま突進するバーサーカーに宝石を打ち込む。それは先ほどよりランクを落としながらも、いままではバーサーカーに傷を与えていた一撃だった。
 蘇生したといっても今のバーサーカーは傷を負っている。その状態で防げるわけがない。
 だが、それが

「――――やっぱりね」

 バーサーカーに着弾した瞬間に消滅した。
 ルビーさんはそれが効かないことを予想していた。斧剣をかわし後ろに跳躍する。
 バーサーカーとの間にセイバーさんが飛び込む。

 セイバーさんはそのまま鍔迫り合いを経て、再度距離をとった。
 顔を青ざめた遠坂先輩とルビーさんに、苦々しい顔をしたセイバーさん。
 事態をおぼろげに把握する私たち。

「効かなくなってる」
 彼らの考えをまとめるように兄さんの声が聞こえる。
 そうしてやっと、イリヤスフィールは極上の手品の種を明かすかのように言った。


「――――その“試練たる殺害方法の克服”よ」


   ◆


 なんて反則。
 最強のサーヴァント。
 イリヤスフィールの言葉が理解できる。
 それはもっとも強いということでなく、戦いに勝つということで、

 ただ戦いに負けないということだ。

 自らのサーヴァントの死を平然と受け止めて、相手をよくやったと賞賛するその思考。
 それは彼女が自らのサーヴァントを信頼している証であり、自らのサーヴァントの力ではなく、その能力こそを信頼しているという刻印だったのか。

「……Bランク以下の攻撃のキャンセルに、死の原因への耐性」
 バーサーカーには最高純度の攻撃しか通用せず、たとえそのような一撃でも、一度食らえばバーサーカーはその試練を乗り越える。
 ゆえに最強。ゆえに無敵。

「聖杯戦争への参加は全七騎。たとえマスターが力を持っていたとしてもバーサーカーを殺すのは難しい。ただでさえ、通常の宝具では通用しないのに、最高ランクの宝具ですら“一度でも殺してしまえば”それで終わり」
 終わった後はただ嬲り殺されるだけだ。
「ええそうよ。セイバー。あなたの剣がどんな聖剣、魔剣、神剣だろうとバーサーカーに通じるのは一度まで。こいつは殺されることに対しての絶対の耐性を持っている」
「超えた試練は、死ななくなるのではなく“効かなくなる”」
「そうよルビー。当然でしょう? キャスターだってこいつがヘラクレスだと知った時点で気づいていたわ。一度突破したって意味はない。私たちを倒したかったら十一度の、十一種の試練を与え、十二度目の試練をもって殺さなくてはいけないのよ」

 それは絶望の鐘の音。
 敵が六騎で命が十二。なるほど、ただでさえ最強のサーヴァントが、ほか全員を敵に回して余りある。
 セイバーさんが剣をわずかに下げる。倒すことは出来るだろうが、それでは駄目だと知れたいま、ここでセイバーさんの剣にまで耐性をもたれては攻め手がない。

「じゃあセイバー。もう戦えるのはあなただけね。嬲り殺されるのでも、一度だけ反抗してみるのでもご自由に」
 性悪め。イリヤスフィールが笑っている。
 セイバーさんが剣を構える。
 そして、終わったはずのバーサーカーとの戦闘が続行される。


   ◆◆◆


 Interlude アーチャー

 それはあまりに遠距離だが、
 私の鷹の目から逃れるには近すぎる。
 思い返せば、確かに私のマスターは言っていた。

“ええ、防音の結界よ。外から見られたらアウトだけど――――”

 そのようなことをいっていた。


 視線のはるか先。
 私は鷹の目で“彼女たちを”確認する。

 それはサーヴァントの足でも数分かかるほどの遠距離で、
 わが弓を用いれば数秒とかからない、戦いの間合いである。

 セイバーとバーサーカーが剣を交え始める。
 凛の言葉は先ほどから途絶えていたが、上半身が消し飛んだバーサーカーの蘇生と、その真名から宝具は十分に推測できた。

 数日前の焼き直し。
 手にはあの時とは異なる剣を生み出している。
 なるほど、最高純度しか受け付けない神の鎧か。
 おそらくカラドボルクでは貫けない。
 だが、それならば別の剣を撃てばいい。

 だからこそのアーチャー、だからこその錬鉄の英雄だ。
 弓をひく。魔力の装填が始まり、凛から流れ込む魔力を私の剣製の材料とする。

 そして――――

「卑怯などとは言ってくれるなよ、バーサーカー。これが私の“本来の戦い方”でね」

 ――――私はただ剣を射る。

 Interlude out アーチャー


   ◆◆◆


 その一撃はバーサーカーの腹部を消し飛ばした。

「――――な、に……?」

 その攻撃にあらゆるものが驚愕した。
 セイバーを避けるように猟犬のごとくバーサーカーを襲い、弓より放たれてなお、矢を避けようとするバーサーカーに追いすがる。

 さらに、その一撃に吹き飛んだバーサーカーを追って、新しい矢が放たれる。
 それはバーサーカーの体を砕き、続く三本目の槍の矢が動きを止められたバーサーカーの額を射抜く。
 結果その間は数十秒にして、矢の数は都合三本。
 それで十分。
 たったそれだけで、バーサーカーは二度目の死を与えられた。

 それに対し、まだ優雅に笑って見せたイリヤスフィールの顔が一分と間をおかず放たれ続ける矢によって固まって、十を数える矢と三度目の死を迎えるに当たってその声は怒りと畏怖に強張った。

「複数の宝具っ!? いったい何本……くっ、バーサーカーっ、受けちゃダメ! 避けなさいっ」

 だが、その言葉に意味はない。
 十一本目の矢。バーサーカーの剣をかいくぐり、魂の衣を汚染する呪いの槍が突き刺さる。
 刀の鏃、剣の鏃、槍の鏃。剣の矢であり矢の剣を射るその異常。

 イリヤスフィールが令呪を全身に浮かびあげ、バーサーカーに力を与えるが、どの道バーサーカーには選択肢などない。
 彼は避けない。
 そのまま攻撃を撃墜しようと剣を振るい、十二本目の矢が腕を肩から吹き飛ばす。
 バーサーカーが最強ならばマスターを狙えばよい。そのようなことをバーサーカーの特性に気づき、考えないものがいるだろうか。

 それでもイリヤスフィールが無敵なのは狂戦士を自らに完全に従えているからだ。
 バーサーカーが令呪ではなく、その誇りを持ってマスターを守るからだ。
 ゆえに、バーサーカーはどのような攻撃もイリヤスフィールを狙った時点で受けなければならない。それは最強たる狂戦士のただ一つの枷である。

 そしてアーチャー、遠距離戦を得手とする弓の英霊。バーサーカーがその元を断とうにも、相手ははるか彼方に位置している。
 令呪のサポートでとぼうと、同時に一撃を放たれればマスターが死ぬ。いやそもそも、この場にはセイバーさんとルビーさんががいまだ健在なのだ。マスターをおいてアーチャーを討ちにいけるわけがない。

 さらなる銀光。十三本目の死の象徴。それは紅き衣をまとい白の槍。
 それが腕を失っていたバーサーカーの頭蓋を吹き飛ばす。

「な、なによ。これ……遠坂凛っ! アーチャーの真名が戻ったの!?」
「わかんないのよっ! アーチャーは“これは宝具じゃない”って言ってるけど」
 ルビーさんの叫びに遠坂先輩が答える。

 信じられるわけがない。

「リン。それではこれは」
「宝具じゃなくて、アーチャーの技だって言うのか!?」

 理解できるわけがない。

 遥か先に視線を移せば、そこには僅かな家々の隙間から見えるひときわ大きなお屋敷の上。一人の弓兵が弓をこちらに向けて構えている。
 なんというイレギュラー。これほど聖杯戦争に適したサーヴァントがいるだろうか。
 あそこまで離れた距離からこれほどの一撃。さらに敵を追う剣から、蘇生を禁ずる槍といった攻撃手段。

「……これが、アーチャー」

 刀剣を放つ弓の騎士。

 イリヤスフィールはこのままではジリ貧だろう。
 彼女たちにはすべがない。攻め手に転じようともこちらにはセイバーさんとルビーさんがおり、アーチャーさん自体はさらにその後方だ。

「くっ、バーサーカーっ!」
 だから彼女たちには守りしかない。アーチャーさんの矢が尽きるのを待つか、こちら側に隙が出来るのを待つか。どちらにしろ絶望の待ちの攻め。
 ルビーさんも遠坂先輩も衛宮先輩もセイバーさんもこの戦いに介入できない。
 黒い刀身を持つ剣がバーサーカーの足を砕き、続く十字槍が胸を貫く。そして爆発。内部からバーサーカーの体が四散する。

 イリヤスフィールの目は烈火のごとく燃え盛り、アーチャーさんを凝視する。
 十七本目に十八本目。
 二本の剣が同時に放たれ、バーサーカーの体を左右から溶解した。
 十九本目の長い銀剣が、動きを止められたバーサーカーを刺し殺す。

 ルビーさんによる一度目から数え五度目の死でバーサーカーとそのマスターはアーチャーの矢が尽きないことを理解した。あれはそのような考えで挑めば敗北する。

「バーサーカー!」
 蘇生したバーサーカーを呼び寄せ、そのまま背中に飛び乗る。
 ボウッ、とイリヤスフィールの体に文様が浮かび上がった。
 それは偽りでありながら真なる令呪。
 アインツベルンの名を持つ少女の全身に浮かぶ令呪が、バーサーカーを補強し始める。

 ピクリと反応してセイバーさんも同様に戦気を上げる。
 がイリヤスフィールの考えは一つだけだ。彼女は誇り高きバーサーカーのマスターである。彼女の目にはアーチャーしか映っていない。
 勝利ではなくバーサーカーと自分自身の名誉のため、イリヤスフィールが撃破のための攻めに出ようとしていた。

 恐ろしいほどの静寂。すべての人間が次の一手を予想する。
 それは飛翔か、跳躍か。
 それを見てアーチャーさんも矢を止める。いや止めたわけではない。“次矢を終わりにするために”その魔力を高めていく。

 対してイリヤスフィールの顔色はよくない。相手は魔力殺しに不死殺し、追尾に因果改竄から概念の矢までを放つ英雄だ。バーサーカーだけならまだしもマスターを乗せては八分で負ける。
 このような博打を張らなければいけないということにイリヤスフィールが憤る。

「行くわよ。バーサーカー」

 だが手はほかにないと、イリヤスフィールが決心する。
 全身を覆う令呪がさらに強い光を放つ。
 アーチャーの矢に合わせ、後の先を取るための魔力を貯めていく。
 ルビーさんも遠坂先輩も手を出さない。巻き添えどころか邪魔になるだけだ。

 バーサーカーは隙だらけだが、その飛翔を“こちらに”向けられることを考えてセイバーさんとルビーさんは二人がかりで防御に入る。
 だがそんなことがありえないのは、誰だってわかっている。

 それはあまりに整ったシチュエーション。
 セイバーさんとルビーさんを観客に、遠坂先輩と衛宮先輩、そして私と兄さんを審判に、バーサーカーとアーチャーが向かいあう。
 遠く離れたアーチャーには遠坂先輩経由でイリヤスフィールの思惑は伝わっているはずだ。
 赤い弓兵もその一手が終わりとなることを知っている。
 きりきりと引き絞られた緊張感。

 だが、それを


「――――へえ、とんでもねえ闘志だな。正直意外だぜバーサーカーのマスターよ」


 弓の騎士から矢が放たれようとしたそのときに、この場を除き見ていたらしい槍の騎士に遮られた。
   ◆



[1002] 第八話 「VSバーサーカー (二戦目)」 後半
Name: SK
Date: 2006/05/14 00:26
   ◆


 戦いの空気が霧散する。
 ランサーは非常に狡猾なタイミングで声をかけた。

「ランサー」
 イリヤスフィールがその目に苛立ちを宿らせる。
「よう、久しいな。バーサーカーのマスター」
 彼女からしてみれば、この場でランサーに気を裂いても、ランサーに襲われてもアーチャーに殺される。
 アーチャーさんも撃てない。どちらに撃ってももう片方に隙が出来る。
 ランサーは姿を見せただけで、決着を付けるべき戦いをこう着状態に陥らせた。

「――――あんた、なんで」
「嬢ちゃん。防音の結界じゃあ、あいつの矢は隠せまい。あれほどの矢が他のサーヴァントに悟られないというほうが無理なのさ」
 人払いと防音。結界がそれだけだったからこそアーチャーさんの援護を受けられたということを承知でランサーが言う。

「まあいいさ。おい、バーサーカー、俺のマスターからの命令でね。――――貴様たちに手を貸せとよ」
 ランサーはなんでもないようにそう続けた。
「ランサーっ!? あんた本気」
 ルビーさんが驚愕する。
 漁夫の利を得ようとすべきこの場で、その提案はなんなのだ。騎士道を重んじてすらいない。
「よう、ルビー。貴様とも久しぶりだな。この前やりあったとき以来か。……まあ俺の言葉に偽りはねえ。いけすかんマスターだが、命令となっちゃあな」
 ランサーが肩をすくめる。

 だがその言葉に遠く離れたアーチャーさんとイリヤスフィールの魔力が反応する。
「ふん、そんな怒るもんでもないだろう。俺のマスターとしちゃあ“ここでイリヤスフィールが死ぬのが”不満らしい」
 それを聞いてイリヤスフィールが視線から苛立ちを取り除く。
「…………ランサー、あなた知っているの?」
「あっ? なんだそりゃ、なんかあるのか? だとしても俺が知るかよ。ウチのマスターの陰険っぷりをしらねえのか」
 イリヤスフィールが少し黙った。
「……そう。私の敗北は許しても“私の体がなくなってしまうような死に方は”許容できないということね。ええ、ランサー。あなたのマスターは中々賢い。ここで私を逃がせば次は自分が殺されることが解っていないところ以外はね。そうね、それならば――――」


“あなたのマスターの思惑に乗りましょう”


 イリヤスフィールの口からその言葉が出た瞬間、アーチャーさんの矢が放たれ、バーサーカーは転進した。
 ランサーが射線とバーサーカーの間に割って入る。
 槍を構え、ルーンの刻まれた石を手に、アーチャーさんの矢に相対する。
 立ち去る寸前イリヤスフィールがランサーの背ではなくこちらを向く。その目はただ遠坂先輩を睨んでいた。
 強烈な思念が私にまで洩れ届いた。

“あなたのアーチャーに伝えておきなさい、リン。借りは必ず返すから”

 たった一言。
 イリヤスフィールはそれだけを残して消え去った。


   ◆


 バーサーカーが去った中、ランサーがその代わりにと、佇んでいる。
 バーサーカーたちはいまの一瞬ですでにいない。
 その隙を作るため、ランサーはアーチャーさんがバーサーカーに向けて放ったはず一撃を、宣言どおりに止めて見せた。
「…………」
 もうもうと広がる砂煙。地面が消し飛び、穿たれた穴の中心にランサーのサーヴァントが立っている。

「狙った獲物ではない相手に対してこの威力か。……矢避けの加護に、界壁のルーン、そして我が槍をもちいてなおこの威力とはな――――」

 ランサーは生き残った。
 バーサーカーを殺していた槍から生還した。
 いや、生き残ったという表現は正しくない。
 そう、

“ランサーは無傷だった”

「嘘でしょ……」
 ルビーさんが呟く。
「何を驚く。バーサーカーに打ち勝とうとも、やつの守りは概念の壁であり、盾ではない。威力と純度は完全には比例しない。あの野郎にもさすがに驚いたが、やつの弓はその純度に比べいささか鈍いということだ。…………まあもっとも、バーサーカーもマスターを守らずに戦えばこれくらいの芸当は出来るだろうさ」
 そういってランサーは笑う。

「ランサー。何の益があってそのような行動を」
 セイバーさんが激昂する。彼女の感覚としては騎士の戦いに水を差されたとでも感じているのか。
「ふむ、益か。マスターにはあるだろうがな。残念ながら俺は知らん。セイバーよ、貴様がどのような望みを持ってこの戦いに参加しているのかは知らないが、“俺はただ戦いを求めて参加した”」
 その目に宿る眼光が彼の持つ槍と同様の気配に染まっていく。
 槍の保持者。必殺の槍の使い手。ランサーのサーヴァント。
「――――では、ここで我々と戦うということだなランサー」
 セイバーさんが答える。

「ああ、だが“貴様ではない”。まずはアーチャーの野郎に借りを返えさせてもらおう」
「なんだと? どういうことだランサー」
「ふん、俺は知らん。マスターがバーサーカーよりもそのアーチャーを始末しろといっていてな。俺は好都合だから乗るまでだ」

「なっ!?」
 驚愕の声。理解できないと遠坂先輩が呟いたのが聞こえる。
 当然だ。
 ならば戦闘のあとに現れればよいだけではないか。なぜ、バーサーカーを逃がす必要があるのか
 イリヤスフィールを殺すことを不満と表現したことも不解なら、ここでバーサーカーに代わり戦闘を行おうとするその行動はなお不解。

「理解できないわね。“あんたのマスター”か」
 ルビーさんが呟く。
「ふん、そんなことはどうでもいい。俺も強敵とやりあえるならそれでいいしな」

「――――リンっ!」
 ランサーが槍を構えるのと同時に、セイバーさんとルビーさんが遠坂先輩を庇う。
 当たり前だ。アーチャーさんを燻りだす気なのか、遠坂先輩をそのまま殺すのかは知らないが、アーチャーを狙うと断言した相手を前にアーチャーのマスターをさらす訳にはいかない。

 アーチャーさんも先ほどの場所から動いていない。動けないのだ。
 彼は家屋の隙間からこちらを狙い打っていた。ビル街と違いこちらにはある程度の大きさをもった洋館は多くあっても飛びぬけた高さの建物がない。アーチャーさんが立っているのも少々高いだけの一つの旧館。
 こちらがある程度動く分にはどうとでもなる布陣だが、彼が動けばそれはそのまま隙となる。アーチャーさんはいまの場所から動けば逆にこちらを視認できなくなってしまうだろう。
 だから私たちは、ランサーがルビーさんやセイバーさんや、アーチャーさんの動きを見て

「んじゃまあ、そろそろ行くぜ」

 とそう宣言したときに、彼はセイバーさんとルビーさんの盾を超え、アーチャーさんの矢を受けながら遠坂先輩を狙う気だと判断した。
 アーチャーさんが本来の戦い方を行い、ランサーにも勝機が見える。本気のアーチャーさんに借りを返したいと考えるランサーにとっては十分なのだろう、と考えた。
 それは油断だ。なるほど、そのような構図なら三対一。バーサーカーですら逃げ帰った構図である。私たちに負けはないだろう。


 私たちは考えるべきだった。


 ランサーは言った。
“アーチャーの野郎に借りを返させてもらおう”
 と。
 セイバーさんもルビーさんも兄さんも衛宮先輩も私も、遠坂先輩でさえ、ランサーがアーチャーさんのマスターである遠坂先輩を狙っているのだと考えた。
 ランサーの言った強敵とはセイバーさんとルビーさんのこと。でなければ、あの数キロと距離を置く弓兵とどうたたかうというのか?
 まさに見せていたではないか、弓兵とは矢を射てこその弓兵だ。
 ランサーではどの道闘いようがないのだから。


 私たちは気づくべきだった。


 ランサーが槍を構える。
 セイバーさんが一歩目を踏み込もうと体をかがめ、
 ルビーさんが宝石を片手に掲げ、
 それをランサーが嘲笑う。

「じゃあ――――」

「なっ!?」
 全員の驚愕。
 ランサーはその言葉とともに“上空に跳びあがる”。
 その距離は少なく見ても三十メートル。空に舞い上がったまま彼は槍を構えて獣の笑みを浮かばせた。

「――――行くぜ、弓兵!」

 つまり、彼にはマスターを狙って勝利を得るなどといった考えは微塵もない。
 彼は騎士ではなく戦士であって、聖杯のためではなく、戦いのためのサーヴァント。
 勝利ではなく戦いの士たる誇りこそを重んじる。
 彼は遥か彼方の弓兵に向かって槍を構える。


 それは、考えてしかるべきことだった。


 弓兵は以前槍の使い手と戦っているということを。あのランサーがあの途中できりあがった試合でよしとするはずがないことを。
 あの槍兵がアーチャーに借りを返すといった以上、それはそのままの意味に他ならない。
 かの槍の戦士の誇りを軽んじてはいけなかった。

 ああ、そうだ。私は空を翔るランサーの構えを見て思い出す。
 古い伝承。英雄憚。アイルランドのおとぎ話。
 一人の戦士の物語。

 なぜその考えにいたらなかったのか。
 セイバーさんから彼の真名は聞いていたというに。
 あまりに浅慮。
 聖杯戦争における名の重要性を軽く見てはいけなかった。
 その槍の担い手はアイルランドの光の皇子。それを思いつかぬほうがありえない。

 セイバーさんを傷つけたその槍を。
 それを知っていながらなぜ気づけなかったのか。

 古事に曰く、

 クー・フーリンの槍は、投げれば必ず敵を貫くと――――


「―――――――刺し穿つ(ゲイ)」

 それは死を約束する投槍である。

「死翔の槍(ボルク)――――!」


   ◆◆◆


 Interlude アーチャー

 矢をしまう。ランサーが凛を狙わないとわかった以上、ここで矢を構えているヒマはない。
 あちらにはセイバーとルビーがいるのだ。少々のことでは負けはない。
 槍兵が空中で槍を構える。それは宝具。マナを震わせるその力。
 パスからは凛から悲鳴に、銃弾のごとく念話が届いてくる。
 それに返す言葉は一つだけ。

“アーチャー、聞こえてるのっ!?”

 何も心配することはない。

“ああ、聞こえているよ。ランサーは戦士だ。君を狙うというのは杞憂だったな”

 パスから罵詈雑言が流れこむ。
 なんとも人使いの荒いマスターだ。

“なに言ってんのっ! ランサーの狙いは――――”

 ああそんなことは解っている。
 だから私はここに立つ。
 因果を逆転する槍から逃げることは不可能だ。あれの回避は技術でなく世界に働きかける運が必要だし、そんなものは汚れた弓兵の領分ではない。
 だから受ける。
 必ず当たる槍ならば、当たってなお耐えればよいだけのこと。
 安心したまえ、凛。
 以前の言葉をここに示そう。

“――――この身は遠坂凛のサーヴァント”

“えっ? アーチャー!?”

 つまりそれは、

“それが最強でないはずがない”

 魔力回路をフルオープン。
 内に登録されるもっとも強い守りを選び出す。
 木で、銅で、水で、石で、火で、風で、鉄で、銀で、金で、紅玉で、黄玉で、神鉄で。
 剣を封じる守護の鞘に、槍を止める妖精布。斧を折る泉の盾に、刃物を鈍らせる沼の衣。
 同槍による撃墜は私の領分を越え、この槍を受けきれる守護を導き出す。
 受け止めれば槍に宿る必中の概念は無効化する。
 だから、私はこちらに迫る魔槍に向かい手を掲げ、


「――――――――熾天覆う(ロー)」

 真正面からその槍と相対する。

「七つの円環(アイアス)――――!」

 Interlude out アーチャー


   ◆◆◆


 緊張が解け、ぺたりと地べたにへたり込む。
 ランサーはただアーチャーさんを睨みつけ、その怒りを渦巻いている。
 セイバーさんもルビーさんも黙ってランサーを見ている。無防備に佇む彼に対し攻めの気配を見出せない。

 ありえない。
 サーヴァントは言うに及ばず、遠坂先輩も私も兄さんも衛宮先輩もその矢が放たれた瞬間に理解した。ランサーの槍は人知の及ぶものではない。あれは放たれればそれで相手の死が決まる魔槍なのだと解っていた。
 セイバーさんを刺したという因果逆転の呪いどころではない。
 必中の呪いではなく必殺の呪い。死の呪い。
 空翔る槍が相手を死を運ぶ“死翔”の呪い。

 イリヤスフィールを狙って放てば、バーサーカーですら止めることはできないだろう。あれは世界の法則を味方につけた因果の槍。
 だがそれを、アーチャーのサーヴァントは受け止めた。
 その手に掲げた宝具により防いで見せた。

「――――アーチャー」

 一番驚愕しているのは遠坂先輩か。それとも一番驚愕していないのが遠坂先輩だったのか。
 遠坂先輩はただボウとアーチャーさんを眺めている。
 そして、驚愕の有無は知らずとも、最も憤りをあらわにしている人物は明白だった。

「防いだ――――だと?」

 目に雷光を宿らせてランサーが言う。
 彼からすれば許されざるもの。許容せざるものだろう。
 弓兵を名乗るサーヴァントが、短剣を持って槍の騎士と打ち合って、矢を持ってバーサーカーを打ち倒し、いまここで、絶対の宝具を防ぐ盾を見せた。

 セイバーさんですら驚愕の面持ちを隠せない。
 いや騎士であるセイバーさんだからこそ、これが戦いの常軌を逸していると認めていた。
 これほどの技を見せたアーチャーさんに、心のそこから驚いているのが見て取れた。

「リン……といったか。アーチャーのマスターよ」
「――――お嬢ちゃんとは呼ばないのね。ランサーのサーヴァント」
「ああ、尊敬に値する奴らの名は覚えとく主義でな。……中々の魔術師、そこそこのサーヴァントどころではない、まさか弓兵に我が槍を止められるとは思わなかった」
「ええ、私も驚いたわ」

「くっ、よく言う」
 この状況でなお笑える槍兵に驚く。
「で、どうするのランサー?」
 遠坂先輩が問いかける。
 その言葉とともにセイバーさんとルビーさんが放心から解けたように武器を構えなおす。
 それを見てランサーがニヤリと笑う。

「ふむ、アーチャーを逃すのは許容しがたいが、さすがに三人は荷が重い。引かせてもらうさ」
「逃がすとでも思っているのですか、ランサー?」
「そういうことね。せっかく出てきたんだからもうちょっと遊んで言ったら?」
 セイバーさんとルビーさんが答える。ルビーさんとしてはここ数日を費やしてもマスターと共々発見できなかったランサーを逃がしたくはないのだろう。

 だがランサーはその言葉を一蹴する。
「悪いが、素人を三人も抱えてるお前ら相手なら十分逃げられるさ。どの道ルビー。マスターから貴様は殺すなといわれていてな」
「……私?」
「ああ。――――ふん、わかったよ。マスターがうるさいんでな、そろそろ退散させてもらおう。まったく、せめて奴に一言言いたかったがしょうがないか」
 ここで戦うのも得策ではないだろう、とランサーはそういって踵を返す。

「まてっ!」
「駄目よ、セイバー」
「止まりなさい」
 セイバーさんが追おうとするが、私たちから離れすぎるわけにも行かない。遠坂先輩とルビーさんに制止される。

「ルビー、リン! なぜ止めるのです」
「ランサーのほうが正しいわ。キャスターは確実に見てるでしょうし、イリヤだって使い魔くらいは飛ばしているはずよ。私たちから離れるのは……というより人間ごときにぶん投げられてるようなセイバーちゃんは一人歩きするべきじゃないでしょうね」
 すでに緊張を解いたのか、ルビーさんがおちゃらけて言った。

「なっ、ルビー。バーサーカーから逃げ回っていたあなたが私を侮辱すると――――」
「あれは戦略的撤退よ。逃げたけど負けてないもん。あんたはキャスターたちに負けてたみたいだけどねー、セイバー」
「――――っ!?」
「……久々だけど、傍から見ててもムカつくわねえ。こいつ」
 ギャーギャーと言い争っているセイバーさんとルビーさんをみて遠坂先輩が言った。

 今日はこれで一段落ついたのだろうか。
 一時間もたっていないはずなのに、体を覆う疲れは今すぐこの場に倒れてでも休めと訴えている。
 セイバーさんやルビーさんの負傷も深刻だろう。
 戦い戦い戦い。
 まったく休む暇がない。

 だが、今日一日でリタイアしたサーヴァントはゼロ。
 今回は進みが遅いのか。やられたサーヴァントが一人もいない。
 聖杯戦争に消耗戦はない。すべからく決着はつくはずなのに、アーチャーさんがアサシンを倒していないというのなら、まだ七騎すべてがそろっているということになる。

 今日はサーヴァントの顔だけはすべてが割れた。
 すべてのサーヴァントを確認した今、遠坂先輩やセイバーさんは戦うことを主張するはずだ。いや、今までだってしていたのだ。ただ情報を集めるという方針に乗っていただけ。

 倒せば聖杯とやらはどのように現れるのかすら解らない状態で、ここまで真剣に動かなくてはいけないことが可笑しくてならない。
 そして、何より可笑しいのが、それを衛宮先輩と一緒に行っているということだ。

 最初、衛宮先輩は日常の象徴で、間桐桜の憧れだった。
 それが恋に代わり、魔術師としての自分を見てその恋をあきらめていたのがついこの間。
 聖杯戦争が始まってからあらゆるものが狂っていく。参加しないはずだった私は衛宮先輩と一緒に戦って。しかも私の役目は魔術師なのだ。

 先輩が戦う。私が戦う。ルビーさんが戦う。セイバーさんが戦う。
 先輩が命じる。私が命じる。ルビーさんが争う。セイバーさんが殺す。
 ああまったく――――


 ――――――そもそも、私の望みはなんだったのか。


 思考にノイズ。
 支離滅裂になっていた思考を整理し、私は軽く頭を振った。

「兄さん」
 皮肉気にセイバーさんとルビーさんの言い合いを眺めている兄さんに声をかける。
「んっ? なんだよ、桜」
「明日はどうなるのでしょう?」
「はっ?」
 訝しげな顔をする兄さん。遠坂先輩や衛宮先輩たちが私を見る。

「なんでもありません。ただ、疑問に思っただけですから……ああ、アーチャーさんがいらっしゃいましたね」
 屋根を足掛けにアーチャーさんが遠坂先輩のそばに着地する。
「アーチャー。戻ったの」
「ああ、先ほどの一撃で腕をやられたのでね。矢が射られんのなら合流するべきだと判断したのだが……ランサーは撤退したようだな」
 そういってずたずたに裂けた腕を掲げてみせる。

 それを見て遠坂先輩は心配よりも心労が強く現れた声を出す。
「で、あの盾は?」
「なに、私の武装の一つだ」
「…………記憶は?」
「残念ながら」
 アーチャーさんは肩をすくめる。

 遠坂先輩が凄まじく美しい笑みを浮かべたので、私は一歩後ずさった。
 ちなみに衛宮先輩は三歩で、兄さんは電柱の影まで後退した。
 遠坂先輩がそのままアーチャーさんに歩み寄るが、その間にルビーさんが割り込む。

「アーチャー。記憶も持たずにあれを放ったってこと?」
「――――ああ。私は使えん武具も多いが数だけはあってね」

 皮肉気な笑みを浮かべてアーチャーさんが語る。
「でも、バーサーカーにも通用してたじゃんか。宝具じゃないのにあの威力で、あの数だ。なにもんだよ、ホント」
「ええ、信じられませんがアーチャーは複数の宝具、いや武具を操るのですね。バーサーカーの天敵といえるでしょう」
 同盟は良策でした、とセイバーさんが続けた。

「いや、それは違う」
 だがセイバーさんの言葉にアーチャーさん自身が異を唱えた。
「バーサーカーとまともに打ち合えば私が負ける可能性のほうが高い。これはルビーも言っていたことだがな。私では突破し続けるだけの力が続かんのだろう。イリヤスフィール自身も気づいておらんようだが、バーサーカーの本当の力はスピードと力、戦闘能力であって復活の宝具ではない。もしやつが単体で動いていればまともにぶつかっての勝ちはない。今回は私が遠距離から狙い打てる場が用意されたことが大きいのだ」

「セイバーだって十分いい線いってたし、お前は実際に殺してたじゃんか」
 兄さんが言った。
「やつは常にイリヤスフィールを枷としなくてはならない。イリヤスフィールが狂化を施さないなどという下らん真似をせず、自身が城の中にでも隠れていれば、やつはランサーよりも早く動き、セイバーよりも強く戦い、キャスターよりも大きく神秘に介入することができるはずだ。それに此度の戦いでイリヤスフィールは最後にマスターとしての心を宿していた。同じ轍は踏むまいよ。仮にもアインツベルンのマスターだ」

「じゃあどうするって言うんだよ。力押しも、お前のバカみたいにたくさんある剣でもだめって、なにか必殺技でもあるのかよ」
 兄さんの言葉になぜかセイバーさんが鋭い目を向けた。
 兄さんが後ずさる。アーチャーさんはそれ見て少しだけ息を吐いて、言葉を続けた。
「……やつは不死ではない。死後の蘇生が約束されている存在だ。不死者はその不死の概念を突破する矢で殺せるが、死してなお甦るものは力では突破できん。倒すには武具ではなく、その法則に介入する祭具としての能力が必要となる。やつの場合は限定された蘇生だが、やはり力押しのみで突破するのは難しいだろう」

「だが、先ほどの弓を見る限り、貴方の武具にはそのようなものもあるのだろう?」
「私は使っているだけだよ、セイバー。ランサーが私の矢を止めたように……その剣の担い手としての君、君に使われるべきその剣、そのようなものにはとても及ばん。担い手として武器と一体化するには私は節操がなすぎるからな。そしてバーサーカー自身と打ち合うには自分自身が絶対の武具を持つ必要があるだろう。――――そうだな、バーサーカーは死に対して耐性を持つ。だからやつの天敵とは、相手の死や敗北ではなく“担い手の勝利を約束する概念”を有する一撃を叩き込める英雄ということだろう。それならば通常の攻撃と異なりバーサーカーではなくゴッドハンドそのものに対しての効果があるやも……いや、戯言だったかな」
 なぜかアーチャーさんは目を細めて、微笑を浮かべながらそう言った。目はセイバーさんの不可視の剣に向けられている。

 それにセイバーさんが黙ると、何とはなしに全員の口が閉じた。
「だが、勝てんというわけでもない。私の技でもセイバーの剣でもルビーの魔術でも、使い方しだいではバーサーカーを滅ぼせる。それが戦いというものだ」
 その言葉に、黙って聞いていた遠坂先輩がパン、パンと手をたたく。
「まっ、当然よね。戦う前から負ける気でいちゃ話にならない。続きは帰ってからよ。まずはいったん戻りましょ」
 その言葉に全員が頷いた。


   ◆◆◆


 Interlude イリヤスフィール

 バーサーカーにおぶられながら、私は遠く西に位置するアインベルンの森へ向かっていた。

「アーチャーか。……バーサーカー、次はあんな無様、絶対に許さないわよ」

 バーサーカーは黙ってその言葉を聴いている。
 バーサーカーは強いのに。あんな簡単に負けるなんて許さない。

 敵が百の宝具を持てば、百度打ち破ればそれでいい。
 それができずに、何が試練を越えしヘラクレスの称号か。
 あきらめるなんて許さない。負けるなんて許されない。

 アーチャー、トオサカリンのサーヴァント。貴方に会えたことは幸運だ。
 いいだろう。これよりイリヤスフィールはマスターとして戦おう。
 バーサーカーの戦いのつがいとして戦場を走りぬけ、戦士の伴侶としてこの戦いを勝ち抜こう。

 ああ、ごめんなさい。バーサーカー。

 あなたは強いということを誰よりも知っているのは私だったのに、それを発揮できないことに気づかなかった。
 もう私は貴方の枷にはならないから。貴方を助ける剣となり、貴方を守る盾となる。貴方が私の剣となり、貴方が私の盾となるように。
 遊びは終わりだ、慢心はこれまでだ。
 バーサーカーは強いのだ。

 キャスターもアサシンもランサーもセイバーもアーチャーも、ついでに、アイツンベルンの失態に依存して存在するあの*******にも容赦はしない。
 ああ、アーチャーにトオサカリン。それを次の戦いで示してやろう。
 この身は最強。もう誰にも負けはしない。
 聖杯のためではなく、
 アインツベルンの名のためでもなく、

 ただイリヤスフィールとバーサーカーの名に懸けて、この戦いを勝ち抜こう。

 速さに比べ揺れがほとんどないバーサーカーの背中。
 決意を固めながら、私はセラに言葉を送る。
“セラ”

“はい、お嬢さま”

“ちょっとばかりやられたわ。リンの、トオサカのサーヴァントよ。帰ったら宝物庫をひっくり返すことになるからその準備を――――”

“…………了解いたしました。リーゼリットをお付けいたしましょうか?”

“ええ、――――――――――――――――――――――――――――――――えっ?”

“どうなさいました?”

“――――――――――――――――バーサーカー?”

“お嬢さま?”

“死ん、……じゃった”

“――!? お嬢さまっ、そちらでなにが!”

“――――どうして。私、”

“お返事をっ! ――――っ。リズっ、来なさいっ! 今すぐ――――”




「王たる我が出向く光栄をかみ締めて――――」

“――――負けない……て、決……のに……”

「――――――――その身を奉げるがよい。“聖杯を宿す”人形よ」

“お嬢さまっ!”







“――――――――――――――――――八人目の、”






プツン。

Interlude out イリヤスフィール

―――――――――――――――――――――

あとがき。
本編とテンションが違うので、時間を置いてから見てください。






と、引きが引きだったので、注意を入れてみました。
あープロット段階から書きたかったシーンがかけて満足です。アーチャー大活躍っ、というお話。
……とスルーしたいんですが、やっぱり一応触れとくとバーサーカーの退場はプロット段階からの予定通りです。
最初のリタイアがバーサーカーでした。イリヤにバーサーカーのファンにはほんとにごめんなさい。全キャラが一応の見せ場を持ってもらうようにしているつもりなんですが、やっぱり割を食うキャラはいるもので……
逆にアーチャーが非常に活躍してますが、これはステイナイトのUBWルートで凛が結界を張ったときに外から見られたらアウトだけど・・・という文は絶対伏線だと思っていた私が、この話で絶対書こうとしていた部分でした。見せ場をいくらでも作れる技術があるのに、アーチャーってあんまり活躍している場面が思い浮かばないんですよね。フィーーーーシュ!!! なんていってる場合じゃないですよホント
プロットを厳密に作ってないせいか、一話の長さがそろってませんが、おおむね予定通り。だんだんと終わりに近づいてきました。それではまた、次のお話で。

(5月1日 二話に分けて投稿しなおしました)



[1002] カレイドルビー 第九話 「柳洞寺攻略戦」
Name: SK
Date: 2006/05/14 00:02
「……どういうことだ」
 と彼が怒りの声を上げ、
「なにを怒る槍兵よ」
 と金色のサーヴァントが嘲笑う。


   カレイドルビー 第九話 「柳洞寺攻略戦」

 翌夜。柳洞寺前。
 セイバーさんとアーチャーさんに加え、ルビーさんも私たちに同行している。
 石段の前で遠坂先輩が口を開いた。
「じゃあ、行きますか。アーチャー、セイバー、準備はいい?」
「……ああ」
「ええ、いつでも」

「――――私を無視するなんて、なんて了見の狭いやつなのかしらねー、そう思わない、桜?」
 そういうことをこの場で言われると相当困る。
「えっと……」
「つーかさ、おまえは一緒に闘うことになったのか?」
 どうでもよさそうな声で兄さんが言った。
「ええ、昨日のバーサーカー戦でマスコットがいないと私は本領を発揮できないことがわかったからね」
「…………ああ、そう」
 軽口をたたきあいながら階段を上っていく。

 柳洞寺表門。日本刀を構えたサーヴァントがいるはずの最初の関門。
「あらっ?」
 ルビーさんが目を凝らしながら声を上げる。
「どうしたんだよ、遠坂」
「…………桜。あなたから慎二に死にたくなかったらあの癖治すように言っといてくれない?」
 懲りないその呼び方に遠坂先輩が反応した。
「……えっと。いえ、あれは癖ではなく、兄さんはたぶん――――」
 苦笑いをして、不機嫌そうに言う遠坂先輩を宥める。

 ルビーさんは何も言わず兄さんのほうを向いた。
「アサシンがいないわ。というか中にいるみたい」
「ええ、そのようですね。こちらは三人。各個撃破を嫌ったのでしょう。こちらの戦力が割れている以上、当然の処置かと」
 もちろん、三人がかりなどという手を使うほど私は落ちぶれてはいませんが、とセイバーさんは付け足した。
「だが、アサシンは門に括られているはずだがな」
「まっ、相手はサーヴァントを呼び出したって言うキャスターよ。ある程度なら融通もきくんでしょ」
 どちらにしろ、理由ではなく結果こそが重要なのだと遠坂先輩が断言する。
 アーチャーさんはそれに頷き、遠坂先輩の傍らに立った。

 門をくぐる。そこには予想通りにアサシンとキャスター、そして葛木先生が立っていた。
 無言でアーチャーさんとセイバーさんが武器を構える。二刀の短剣と不可視の聖剣。魔力、神気を帯びた敵を討ち滅ぼす道具である。
 だが戦いの始まりを待つ私たちとは裏腹に、キャスター勢は動きを見せなかった。
「あら、セイバー。随分と物騒ね」
 キャスターが言う。
 その言葉通り、彼女たちは誰一人戦いの気配を見せていない。

「……どういうこと、キャスター? このまま首を差し出してくれるなら、葛木先生は殺さないけど」
 遠坂先輩が言う。その口調の鋭さに衛宮先輩が口を挟もうとして、兄さんがそれを制した。
 その光景を見て、キャスターはふう、と嘆息する。
 それはあまりにこちらを小馬鹿にする気配に溢れていて、ピクリと遠坂先輩が眉を動かした。
「……その様子では知らないようね」
「ちっ、さっさと言えばいいでしょ」
「もったいつけないでどうぞ。あんたそんな余裕あるわけでもないでしょうに。ここはあんたの陣だけど、力だけで業がない。アーチャーどころか私でも突破できるわよ」
 キャスターの言葉に遠坂先輩とルビーさんが同時に反応した。

「お黙りなさいルビー。アサシンの同類ごときが口を挟むんじゃありません」
 その言葉をキャスターが一喝した。遠坂先輩は今にも戦いを始めようかというオーラを発し、ルビーさんはそれを聞いてヤレヤレと肩をすくめる。

「で、キャスター。話って言うのは? 悪いけど同盟だの和解案だのは聞かないわよ」
「あら、そうなのかしら、同盟も悪くないんじゃなくて?」
「あんたが私の同盟相手にしたことを一回思いだしてみることね」
 遠坂先輩がキャスターの言葉を突っぱねる。
 当然だろう。
 彼女は自分をなめてかかる相手には容赦しない。
 だが遠坂先輩の言葉に、キャスターはフードからかすかに見える口元に手をやり優雅に笑った。
「私は昨日からあのサーヴァントへの対策を練るので忙しかったのだけれど、随分自身があるようね」

 その言葉に一拍の間。

 静寂を破るように遠坂先輩が鼻で笑う。
「私のアーチャーが倒したのを見てないの、あんた」
 その言葉にキャスターは軽蔑の笑みを見せた。
「……やっぱり貴方たち本当に知らないのね。情報の大切さというものをもう一度考えなさい。あのね――――」

“すでにバーサーカーは死んでいるわよ”

「はっ?」
 先輩が間の抜けた声を上げる。
「……死んでいるって、誰がやったのよ?」
「少なくとも私じゃないわね」
 だが、ここにはランサーとバーサーカー以外のすべてのサーヴァントがそろっている。
 ランサーも昨日の今日だ。
 バーサーカーを殺させないために現れたランサーがバーサーカーを倒したとは考えにくかった。そもそも彼は昨日の時点で魔力をほぼ使い切っていた。バーサーカーとは戦えまい。
 答えを出せない私たちをキャスターが嘲笑う。
 無知な私たちを笑いながら口を開き、

「別の勢力が動いている。バーサーカーを赤子の手をひねるように殺した“八人目のサーヴァント”」

 驚愕する私たちの醜態を楽しむように、その事実を口にした。


   ◆


「で、手を組みたいって訳?」
 話を聞き終わって、まとめるように遠坂先輩が言った。
 私たちは静かに遠坂先輩とキャスターの話を聞いている。
 セイバーさんだけが、うつむき加減に何かを考えていた。
 キャスターが口を開く。

「――――いいえ」

「はっ?」
 ご大層に説明をして、キャスターは遠坂先輩の言葉に対し、首を縦には振らなかった。
 彼女はゆっくりと微笑みながら、腕を上げる。

「同盟なんて組む気はないわ。手駒はいるけど仲間なんて要らないの。貴方たちを呼んだのは――――」

 キャスターの手に光がともる。境内を覆う魔力の渦。
「っ!? やばいっ、アーチャー!」
 遠坂先輩の叫び。
 煌々と私たちを囲むように光が上がる。
 ガクリ、とヒザから力が抜けていく感覚。
 兄さんと衛宮先輩のうめき声、遠坂先輩の苦痛が混じった狼狽、アーチャーさんとルビーさんの苦悶の声。
 ただ一人それをレジストしたセイバーさんも、血を吐き膝をついている衛宮先輩に気を取られ、動けない。
 キャスターの哄笑が響く。
 それはあまりにも明白な、

 キャスターの張った罠だった。

   ◆

 顔を歪ませながら振り向く遠坂先輩が見たのは片ヒザをつくアーチャーさん。
「キャスター、あんたっ!」
「ええ、そうよ。昨日アレを見てから一日がかりで仕上げさせてもらったわ。貴方たちはわかりやすすぎるのよ。今日はあっち、明日はこっちと動き回って、挙句この私の神殿にのこのこと踏み込むなんて。あの野蛮なランサーですらもう少し賢い戦い方をしていたわ」
 嘲笑が耳に響く。
 キャスターに流れる魔力は無尽蔵だ。なるほど、ここはキャスターの工房。サーヴァントがいれば何とかなるというものでもない。

 なぜ気づかなかったのか。
 裏をかけばよい場で真正面から挑んだのはなぜなのか。
 セイバーさんがキャスターに対して罵声を浴びせるが、キャスターは意に介さない。当然だ。セイバーさんは騎士で、キャスターは魔女。どのような英雄か知らないが、彼女が衛宮先輩の令呪を狙ったことを忘れてはいけなかった。

「どうかしら? 魂を燃やす毒の沼。サーヴァントだろうと魂が犯される呪いの衣よ」
「ぐっ……桜、どう?」
「ごめんなさいルビーさん。動けそうに……」

 サーヴァントたちだけではない。私たちマスターも息苦しさに耐えられなくなる。
 魂を直接狙う呪いに対しては肉体を持つ私たちのほうが耐性があるはずなのに、キャスターの結界はぶち抜けている。

 セイバーさんの魔力耐性や、聖骸布と遮断の神秘を有しているらしい剣を掲げるアーチャーさん、そして結界を張り巡らせたルビーさんは、まだ辛うじて動きが取れる。
 私と遠坂先輩は消耗が激しいが、肉体と魔術回路を持った魔術師だ。ギリギリだが耐えるだけなら大丈夫だろう。
 だが衛宮先輩と兄さんが特にひどい状態だった。血を吐き、意識はすでに酩酊状態。この威力では精神よりも魔力に依存して対抗能力が決まる。兄さんや衛宮先輩では耐えられないのだろう。

 キャスターに躊躇はない。彼女は私たちを殺してからセイバーさんたちの令呪を奪う気だった。
「遠坂先輩っ!」
 声をかけてから兄さんに近寄る。血を吐いて痙攣している兄さんを抱き上げると簡易結界を張るために魔力を通そうとして、

 私の魔力はキャスターの結界に阻まれた。

「……うそっ、発動しない?」
 結界どころか、魔力回路に魔力を通すことが出来なかった。ここまで強力なのか。
 キャスターを見る。笑いながらセイバーさんに魔弾を打ち込み、セイバーさんが辛うじてそれを弾いていた。私たちのほうなど見向きもしない。
 それはつまり、マスターには注意を払う必要もないと認識しているということだ。

 時間がない。このままではこちらが持たない。
 舌打ちが聞こえた。私の横で、遠坂先輩とルビーさんが宝石を掲げている。
「魔術がほとんど働かない。私が宝石魔術師だったってのはラッキーね。起動キーくらいなら何とかなるみたいだし、ルビーと私で結界を張る」
「でも遠坂凛。そんな余裕ある? アーチャーもセイバーもジリ貧よ、このままだと」
 ルビーさんの言葉に遠坂先輩が口をつぐむ。
 ルビーさんの言葉の通り、対処療法では活路はない。

 顔を境内に向ければ、そこにはいつの間にかアサシンを相手取りアーチャーさんが剣を振るっている。
「まったく、随分な歓迎だっ!」
「ふむ、申し訳ないな。お主とは本気でやりあって、あのときの借りを返したかったのだが」
 彼はセイバーさんを退けたという剣技を振るい、アーチャーさんと打ち合っている。キャスターさんに割り振る余力はないだろう。
 アーチャーさんは軽口をたたきながらも、立っているだけでこの結界に浸食されている。長くは持つまい。魂の欠落が隙となり、それをアサシンが狙い打つ。

 そして、キャスター。
 聖杯戦争における最弱のはずの魔女が最優の英霊を真っ向から迎え撃つ。
「どうしたの、セイバー? 先ほどの大口はどこへ行きました」
 キャスターの背には魔力で編まれた翼が広がっている。

 彼女はそのまま空に浮かび、豪雨のようにAランク近い魔力の槍を放ってくる。
 アーチャーさんの真似事か、安全領域からの魔力弾。
 それをセイバーさんはギリギリで弾いていく。
 セイバーさんはそのすべてを弾きながらも焦りが濃い。
 キャスターの狙いは私たちだ。
 まるであのときのバーサーカー。本来サーヴァンとともに戦うマスターが枷となる。
 セイバーさんが避ければそれは私たちの命を奪う。そして避け続けたとしても、この結界の中で先に倒れるのは私たち。

 彼女は勝利を願うサーヴァント。
 戦いのために戦うランサーや、聖杯を願いつつも騎士であることを忘れないセイバーさんを基準に考えれば、その思考を読み違える。
 アーチャーさんはアサシンと、
 セイバーさんはキャスターと、
 動きがとれずに、こちらにはタイムリミットがある。

 視線を上げれば、顔色一つ変えずにこちらを見つめる葛木宗一郎。彼が動けば均衡は一瞬で崩れるだろうに、その巌のような表情は動かない。
 葛木宗一郎が動かないのは、逆転を恐れてか、それともそれはキャスターの考えか。
 だが、どちらにしろこのままでは後がない。

「あははは、安心しなさいセイバー。貴方なら死なない程度で済むでしょう。そのあとじっくりと私の手駒に調教してあげます」
 キャスターの一撃が私たちに迫ってくる。それを弾きながらセイバーさんがよろめいた。

「まずいっ!」
 ルビーさんが叫ぶ。だが、彼女も動けない。アーチャーさんやセイバーさんと異なり、結界に対する術がないルビーさんでは結界内から出るだけでダメージを負う。
 アーチャーさんも対魔力自体は強くない。身にまとう聖骸布と自らが生み出した神秘により動いているが、それでもアサシンとの戦いで精一杯だ。

 キャスターが魔力弾を打ち続ける。彼女に躊躇はない。
 狙い通りと魔女の顔に笑みが浮かぶ。
「しまっ――――!」
 体勢を崩したセイバーさんがその一撃を受け吹き飛ぶ。
 セイバーさんがゴロゴロと転がり、キャスターの目はセイバーという守りを失った私たちに。
 ルビーさんと遠坂先輩が息を呑む。

「私たちの勝ちのようね、セイバー!」

 そして――――


◆◆◆


 Interlude ギルガメッシュ

「こんなものでこの身を止めるつもりとは――――」

 道化の舞台。中からは魔女の声。
 それが少しばかり耳障りだったので、

 この英雄王を排斥しようとする結界を、


「愚かにもほどがある」


 ――――――――我は一刀のもと切り裂いた。


 Interlude out ギルガメッシュ


   ◆◆◆


 ――――そして、

 紅い花火が広がるように、キャスターの血が空に舞う。

「――――えっ?」

 一本の銀剣がキャスターの黒い衣に突き刺さる。
 空気と血を吐きながら、キャスターが落下する。
 力を失い、翼をもがれ、天空から落下する。

 それを葛木先生が抱きとめた。
「……えっ?」
 葛木先生の変らぬ表情を見ながら、キャスターは再度呟いた。
 体に剣を刺したまま呟いた。

「下賎な女が、我が所有物に傷を負わせるとは、不敬にもほどがあろう」

 そういいながら、その剣を放った人が歩きよる。
 それは黄金の髪をした、
 それは黄金の鎧を身にまとう、
 それは数日前、私に死ねと言った

 それは“八人目のサーヴァント”

「なに、いまの?」
 ルビーさんが呟く。

 どのような一撃だったのか、そのサーヴァントが放った剣はキャスターと同時にキャスターの魔術自体を突き殺していた。
 キャスターが死のうと自動で働くはずの神代の魔女による炎の呪い。
 剣を通さないはずの火の呪い。
 祭具をはじくはずの衣の呪い。
 それをたった一本の剣で、
 それをたったの一撃で、
 彼はただの一振りで、

 キャスターの策は打ち破られた。

   ◆

 キャスターの結界は消滅している。
 ルビーさんは昏睡している兄さんと衛宮先輩を抱えながら、金色の男に目を奪われている。
 その剣を、その体を、その顔を、その力を。
 絶対を具現した金色のサーヴァント。

 アサシンもアーチャーさんから放れ、キャスターに駆け寄る。
 だが、それは応援ではなく、死に際をめとる従者としての動きだった。
 アサシンがキャスターの名を叫ぶが、キャスターにはすでに復活の目はない。
 ここから見てもその体に突き刺さる剣から洩れる神秘がわかる。
 魔術師殺し、魔術殺し。破滅を約束する自傷の剣。貫かれれば死にいたることが約束される魔剣である。

 キャスターは死ぬ。
 それを一番わかっているのはキャスターだった。
 死のふちに立つキャスターに向かい、葛木先生が口を開く。
 それは小さく、何を言っているのかは解らなかったが、キャスターはその言葉に微笑んだ。

 それは本当に美しい笑みで、
 それは本当に澄んだ笑みで、
 それは本当に悲しい笑みで。

 まるで聖女のような笑みを残して、私たちを罠に嵌め、金のサーヴァントに策を破られた紫黒の魔女は、血を吐いたままほんの少しだけ悲しそうな瞳をして葛木先生に向かって一言二言言葉を残す。

 でも、それだけ。

 策を破られた魔女に未来はない。
 彼女は幸せそうに微笑んだけど、そのまま死んだ。消え去った。
 駆け寄ったアサシンにも、私たちにも、自らを殺した金色のサーヴァントにも目をくれず、彼女は葛木宗一郎だけを見て消え去った。

 霞のように消えていく体を葛木先生は黙って見ている。
 悲しさも、怒りも、哀れみも。何一つ浮かべずにキャスターのマスターはそれを見る。
「…………」
 そうして、キャスターが完全に消えてしまったことを理解して、キャスターのマスターだった男は金のサーヴァントに向かい合った。

「ふむ、下らん見世物だな」

 腕を組み、そのさまを眺めていた金色のサーヴァントへと向き直った。
 アサシンも横に並び、後ろにいるわたしたちに声をかける。

「セイバーにアーチャーよ。残念ながら私たちはここまでのようだ」
「……アサシン」
「どの道あと半刻ももつまいよ。それに、ここで逃げては男が廃る。なあ、宗一郎」
 笑いながら、アサシンは横に立つ葛木宗一郎にそう言った。

 アサシンはすでにマスターがいない身だ。
 マスターとは魔力提供者としてのみでなく、現界の錨となる。アサシンも山門を中心にしているとはいえ、境内まで出て、さらにそれを誤魔化していたキャスターがいない身では、その重圧は動きを大きく鈍らせる。

 彼では勝ち目は存在しない。
 だがそれでもなおアサシンはそんなことは知らないと笑って見せた。
「お主たちは関係なかろう。呪いの窯から出たところでキャスターの衣毒は一度蝕まれれば解呪するまで魂を焼き続けるぞ。マスターを殺したくなければ立て直すがよい」
「……あんたたちは」
 その言葉にアサシンが高々と笑う。
 それはあまりに闊達で、あまりに優雅な笑い声だった。

 アサシンが顔を少しだけこちらに向ける。
 その目は、口調とは裏腹に悲しげに見えた。
「あの女を守れなかった以上、我々はここで死ぬべきだろうよ」
 アサシンが断言する。
「あの女狐めには最後まで逆らうことになったが、……まあこれも一興か。では、宗一郎」
「うむ」
 二人が構える。

「一太刀くらいはキャスターの餞に贈りたいものよのうっ!」

 そう言って、アサシンと葛木宗一郎は黄金の王に挑みかかった。


   ◆◆◆


 Interlude **

 葛木という名のマスターがギルガメッシュに向かって走る。
 それは人としてはずば抜けた早さだったが、王の宝物庫を駆け抜けるには遅すぎる。

 パチリ、とギルガメッシュが指を鳴らすと十六を数える刀剣が葛木に向かって襲い掛かる。
 それは東洋の魔剣でもなく西洋の神剣でもなく、あらゆる剣の原点たち。かつて世界が一つに区切られていた際の、始まりの剣群。

 だがキャスターのマスターは顔色一つ変えなかった。もはや強化すら施されていない腕で刀剣を受けようとする。
 腕二本を犠牲にして、Cランクの剣と槍を弾き、Dランクの短剣を二本受け、ズタズタの腕を対価にBランクの斧を止める。
 そのまま腕が引きちぎられるが、葛木は残り十一本の死に向かって奔り続ける。

 それは覚悟だ。
 すでに腕はない。
 Aランクすらも含む剣勢を、葛木は体で、足で、腹で、肩で、首で、頭で受ける。

 怯えれば、受け残した剣が後ろにこぼれる
 躊躇すれば、すべての剣に届かずに朽ち果てる。
 結果、怯えも躊躇も見せず葛木宗一郎は受けきった。

 そこで、初めてギルガメッシュが表情を改めた。
 そこに立つものが、ゴミではなく敵であると認識し、剣を構える。

 だがすでにキャスターのマスターは死んでいた。
 それでもギルガメッシュにその身を認めさせたのは、ただその身の役目を完全に心得ていただからだろう。
 キャスターがいないいま、人間にサーヴァントを殺せる道理はない。

 だからこそ、彼は後ろに控える男にすべてを託す。

「秘剣――――」

 彼は同じ志で戦うものを信じ、命をとして最強の王が放つ最初の一手を受けきった。

「――――燕返し」

   ◆

 音はほとんどたたなかった。
 玲瓏なる刀の風きり音と、それを打ち倒す王の手にする剣が放つ大気を震わせる強者音。
 燕返し。三度の斬撃。キシュア・ゼルレッチ。
 技術で魔法を体現するその絶技を放つ侍は、腕を振りぬいた体勢のまま血を吐いた。

「ふむ、目算どおり三太刀使って傷つけるのが精一杯か」

 口元から血を滴せながら、そう言った。
 アサシンがギルガメッシュに向き直る。
 ギルガメッシュはその姿をちらと見た後、自分の鎧を注視した。
 ギルガメッシュはその言葉通り胸元に傷を負っていた。

 やつの守りは基本的にその身を包む鎧だけ。
 なぜならそれがすでに至高の防具だからだ。王の身を守護する金の武装。それは宝具の一撃すら耐え切る絶対の守りである。
 だが今、王の体を守護する絶対の鎧が砕かれ、奥からは血の匂いが漂っていた。
 葛木はハリネズミの様相で地面に倒れ、アサシンは胸から体を半断されながら刀を杖に辛うじてたっている。

 だが、彼らは王に一撃を浴びせていた。
 鉄の刀と人の身で、最強の王の位に踏み込んだ。

「……鉄の棒切れで我が防具を打ち破るとはな」

 ギルガメッシュが呟く。
 その目はアサシンの持つ刀に注がれていた。
「アサシンのサーヴァント。なるほど貴様は剣において、我を超える使い手だ」
 その言葉にアサシンが笑う。
 だが、それだけ。剣の使い手が王に勝てる道理はない。

 しかしギルガメッシュはアサシンを認めていた。
 王たる資質、王たる気概。
 王とは人を統べるもの。
 紛れもなくギルガメッシュは英雄の王であった。

「名を覚えよう。なのれ。」
「くっ」
 その言葉にアサシンの口元が緩む。
「名などないさ。私はキャスターに呼ばれしアサシンのサーヴァント。そしてそちらの男はキャスターのマスターたる人間だ」
 ギルガメッシュは無言でアサシンの言葉を聞いている。
「冥土の土産は受け取った。君はそれだけを覚えておくがよい。英雄の王たるサーヴァント」
 限界だったのか、アサシンはそれだけ言って消え去った。
 消えたアサシンと絶命した葛木宗一郎を見て、ギルガメッシュが口元を緩める。

 ギルガメッシュが手を掲げ、振り下ろした。
 瞬間、一振りの紫金の剣が葛木宗一郎の体を貫いた。
 ボウと焔が立ち上り、その体を天へと送る。
 灰が空に舞い、葛木宗一郎がこの世にいた痕跡を消しつくす。
 彼なりの鎮魂か、認めた人間の死体が目に付くのを嫌ったのか、ギルガメッシュはそうしてやっと、セイバーたちが逃げ去った石段へと顔を向けた。

「中々の者どもであった。我の開幕にふさわしい」

 私はそう独白するギルガメッシュに歩み寄った。
「コトミネか」
 ギルガメッシュはこちらに目を向けずに言う。

「セイバーはよかったのか、アーチャー?」
「よい。魔女が調えた場だ。マスターが死んでセイバーが消えるなどでは面白くないからな。どの道、やつらはこの場に戻ろう。それよりも聖杯の準備はどうなのだ」
「まだ三名。開くにも降ろすにも足りないな」
 ギルガメッシュが軽く頷く。その目は山門を眺め続けていた。

「やつらはすぐ舞い戻る。そのときにはもう二人ほど増えるだろう。そうすれば事足りる。……フェイカー、そして聖杯と同じ匂いを放つ娘。今回も下らん戦いかと思ったが、なかなかに趣向が凝らされているものだ」
 そう言って、ギルガメッシュは笑った。

 それは己の敗北という概念を持たない王の笑い。

 Interlude out 言峰


   ◆◆◆


「何で、イリヤが殺されなきゃいけないんだっ!」
「おちつきなさい衛宮くん!」
 意識を取り戻した衛宮先輩と遠坂先輩が口論を続けている。

 離れた位置からそれを見ながらルビーさんは呆れたようにため息をついた。
「いま仲間割れなんかしたら、確実負けそうだけどねえ」
「それくらいあいつらだってわかってるだろ。それより何なんだよその八人目のサーヴァントってのは」
 兄さんが不機嫌そうに言う。
「なんか金ピカしてたわ」
「バカかお前」
 衛宮先輩たちのように二人は自分の意見を言い続ける。
 益体のない話し合いをしながらも、ルビーさんの目は真剣だった。
 しかし、その口調は先輩たちとは逆にまったく冷静で、それはきっと二人はイリヤスフィールがどうなろうと気にならないからだろう。

 それは私も同じこと。

 ボウと敵にマスターのみを案じて激情することの出来る先輩を見る。
 その溝に気づきながら、やっぱり涙は洩れなかった。

 口論を続ける遠坂先輩たちの話を聞けば、今すぐに柳洞寺に向かおうとしている衛宮先輩に遠坂先輩が激昂している。
 セイバーさんとアーチャーさんはその光景を黙ってみている。
「何かあるのかね、セイバー」
 黙っていたアーチャーさんが隣で同じように沈黙していたセイバーさんに言った。
「…………はい、あのサーヴァントのことです」
 セイバーさんはそう言って私たちに向き直る。

 遠坂先輩たちもセイバーの真剣な声に話し合いを中断した。
 セイバーさんが口を開く。


「あの者は、アーチャーのサーヴァント。前回の聖杯戦争において私と聖杯を争った英雄です」


   ◆

「私は前回参加したサーヴァント。この身は座ではなく、死する直前の肉体から派生したもの、記憶は連続しているのです」
 セイバーさんが言う。

「シロウ、私が貴方に召喚された原因の一つは、きっとシロウが私を召喚したあの場所に、彼の、キリツグの書いた召喚陣が残っていたからでしょう」
 セイバーさんが言う。

「私は前回、エミヤキリツグをマスターに戦ったサーヴァント。だから私がここにいる」
 セイバーさんが言う。

「彼はアーチャーとして呼ばれていました。彼はアーチャー、いえリンのアーチャーと同じ“複数の宝具を持つ英雄”なのです。キリツグと戦っていたときも真名は解りませんでした」
 セイバーさんが言う。

「バーサーカーを倒したというのなら、この間のアーチャーが行ったのと同じ戦い方でしょう。やつはそれが出来るだけの力がある」
 セイバーさんが言う。

「……それは違います、ルビー。私は前回負けたわけではない。そして、私は勝ったわけでもない。聖杯はサーヴァントが残り少なくなれば現れる。あの時も残っていたサーヴァントは私とあのアーチャーだけでしたから」
 セイバーさんが言う。

「そして私はアーチャーと戦って…………決着がつく前にキリツグに聖杯の破壊を命じられた。
 そう。令呪でです。彼は聖杯を目前にして破壊を願った。その後はどうなったかはわかりません。そこで私は終わってしまいましたから」
 セイバーさんが言う。

「アーチャーはおそらくそのときに受肉したのでしょう。……そして、此度も聖杯を得ようとしている」
 セイバーさんが言う。

「キャスターの言っていたバーサーカーのマスターの話です。キャスターが間違えるとも思えません。奇跡を降ろす場所は柳洞寺、その器は……あの幼子の心臓でしょう」
 セイバーさんが言う。

「明日まで待つ時間はありません」
 セイバーさんが言う。


 ――――――ですから、


 これより、再度柳洞寺に向かいましょう


 とセイバーさんが宣言する。


   ◆


 空に三日月。細い光が地獄への道を紅く照らす。
 柳洞寺境内。そこには予想に反し、二人のサーヴァントが立っていた。
「アーチャーに、ランサー?」
 そこにはランサーが立っていた。

「ふむ、久しいな。セイバー」
 金色のサーヴァントがセイバーさんに話しかける。
「アーチャー。受肉していたのですね」
「ああ、そうだ。聖杯から漏れ出た泥を浴びてな」
「……泥?」
 前アーチャーが笑う。それはセイバーさんの無知を笑う表情だった。
「知る必要はないぞ、セイバー。おまえにも同じように聖杯を注ぎ込めばわかることだ」

 その言葉は宣戦布告に他ならない。セイバーさんが剣を構える。
 それを見てセイバーと因縁を持つ彼は背後に無数の剣を呼び出した。
 ランサーは動かなかった。
「ランサー。あんたは?」
 それを見てルビーさんが問う。
「俺はパスだ。二人がかりなど趣味じゃねえし、そもそも“こいつ”と共闘など出来るかよ」
 目を金色のアーチャーに向ける。

 その口調、その目には、黄金の前アーチャーとこの場にいない己のマスターに対する憤りがこもっていた。
「我も貴様の手は必要ないな。傍観しているがよいランサー。おまえにはそれがお似合いだろう」
 そう言って、一歩こちらに踏み込む。

 ランサーは苦々しい顔をしながらも、その言葉には反発しなかった。アーチャーに任せる気なのだろう。
 彼らのマスターが同じ陣営なのか、それとも別の理由があるのか。手を組んでいるはずの二人のサーヴァントが仲たがいをしているというのはこちらにとっては好都合だった。
 金のサーヴァントが手を掲げる。

「ではセイバー。よく避けよ」

 そうして、二十八の宝具を打ち出した。

   ◆

 襲ってくる刀剣に立ちはだかろうと剣を構えたセイバーさんや、ルビーさんが動きを止める。
 ガンガンガンと剣を砕く音が鳴る。
 鳴るはずのない音が鳴る。

「――――な、に?」

 彼女たちが何をするわけでもなく、金色のサーヴァントが打ち出した二十八を数える宝具は、同じ宝具に打ち消された。
 まったく同じ形の宝具で打ち消された。
 じゃりと、後ろから足を踏み出す音がする。
 こんなことができるのは、ただ一人。


“――――I am the bone of my sword.”
(――体は剣で出来ている)


「そちらが一人で来るのは勝手だがね。こちらは三人いるのだよ」
 それは遠坂先輩のサーヴァント。
「……フェイカー」
 金のサーヴァントから憎悪の声。
 二人のアーチャーが睨みあう。
「凛。君は知っているはずだろう。同様の技を持つのなら、私を当てるべきだろうに。なぜセイバーを止めんのかね」


“Steel is my body, and fire is my blood.”
(――血潮は鉄で 心は硝子)


「えっ? いや、セイバー……」
「……アーチャー。あなたがやると?」
 遠坂先輩とセイバーさんがアーチャーさんに問う。


“I have created over a thousand blades.”
(――幾たびの戦場を越えて不敗)


 それに赤い弓兵は頷いた。それはあまりに不敵な顔で、当然のことを言っているという風情だった。
「ああ、やつはこの私にとって敵ではない」
「調子に乗るな――――!」
 それに激昂した金のアーチャーがさらに大量の剣を放つ。


“Unknown to Death. Nor known to Life”
(――ただの一度も敗走はなく。ただの一度も理解されない)


 だが、それも同様にアーチャーさんによって迎撃される。
 それはどのような魔術なのか。剣は弾かれるでも破壊されるでもなく、同様に砕け散る。
「フェイカー、貴様」
「その通りだ、気づいているだろう“英雄王”。私は別に君のように財を持っているわけではない」


“Have withstood pain to create many weapons.”
(――彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)


 十放たれれば十の剣を、
 百放たれれば百の剣を、
 無尽蔵の宝物庫に拮抗する無限に剣を生み出す錬鉄場。
 遠坂先輩が、衛宮先輩が、私が、兄さんが、セイバーさんが、ランサーが。
 そして、二人目のアーチャーがその力を理解する。
 遠坂凛のサーヴァントの力を理解する。


“Yet, those hands will never hold anything.”
(――故に、生涯に意味はなく)


 アーチャーさんが腕を掲げる。
 それは先ほどの英雄王と呼ばれた金色のアーチャーの行為と同様で、

「私は剣を振るうモノでなく――――」

 ただその結果のみが違っていた。

 世界を線引く炎が奔る。
 異界への入り口が開かれる。


“So as I pray, unlimited blade works.”
(その体は――――きっと剣で出来ていた)


「――――剣を生み出す英雄だ」

 彼は世界を生み出した。


   ◆


「なるほどな。そいつがタネか、アーチャーよ」
 ヒュウ、とランサーの口笛が響く。
 アーチャーさんの魔術により、境内は赤い荒原に変っている。
 それは世界を浸食する大禁呪。
 それは世界を塗りつぶす魔術の頂点。

「――――うそ、これって」
 遠坂先輩が驚愕の声を上げる。
 リアリティ・マーブル。固有結界と呼ばれし魔術の奥義。

 それはどれほどの異常なのか、バーサーカーを貫く剣を射たことも、ランサーの放つ矢を止めたのも、おそらくただこの技を使ったからか。
 弓兵が魔術を使うのではない。
 魔術師が弓を射る。

 アーチャーさんが走る。
「くっ!?」
 黄金の王たるサーヴァントがそれを受けるが、その顔には焦りがあった。
「アーチャー。助けがいるなら命乞いでもすることだな」
 ランサーが茶々を入れる。それに金色のサーヴァントが激昂する。

「王を愚弄する気か、貴様ら――――!」

 アーチャーさんと剣を交えながら、英雄王と呼ばれたサーヴァントが大きく叫ぶ。
 剣、剣、剣。
 その叫びに呼び出され、空を埋め尽くすほどの剣が現れる。


   ◆◆◆


 Interlude セイバー

「アーチャー。助けがいるなら命乞いでもすることだな」
 赤い世界が広がった瞬間に、ランサーがそう言った。
 それを聞いて、私はなぜだか次に彼が何をしようとするか気づいてしまった。

 私はシロウの元を離れランサーの前に立ちふさがる。
「よう、セイバー。どうしたんだ?」
 ランサーが軽口をたたく。
 だが、その手は赤い槍を構えている。

 私は二人のアーチャーが奏でる剣の音を後ろに聞きながら、ランサーを睨んだ。
「その言葉をそのまま返そうランサーよ。貴様彼らの戦いに介入する気か?」
「ああ、令呪の縛りには逆らえん。我ながら情けないことだ」
 肩を竦め、槍をくるりと回すとランサーはそれを上段に構えた。
 それが何よりの返答だった。
「貴様、誇りがないのか!」
「いやいや、これでもそれなりにな。だから正直“お前がいて助かった”」
「……なんだと?」
 ランサーが獰猛な笑みを見せる。

 赤い弓兵により塗り潰された世界が、ランサーの持つ槍の神威に震え始める。
「これで俺とあいつの二人がかりに、そっちが一人……なんつー展開を命じれらたら本気で離反しなけりゃいけねえところだった」
 その言葉に私はランサーの真意を悟った。
「つまり、貴様は」
「そうだ、セイバー。本命はアーチャーだったが、貴様なら不足はない。あのときの借りを返させてもらおうか」

 ランサーは戦士だ。
 ランサーは戦いを重んじる戦士である。
 黄金の鎧をまとった前アーチャーである英雄王と手を組んで、リンのアーチャーを殺すだと?
 それは彼自身こそが許さない。

 つまり誘い。
 彼はアーチャーを狙えというマスターの命に対し、わざと私を燻りだすことで答えたのか。
 それならば答えは一つ。
「よかろう。セイバーの名に賭けて」

 宣戦布告を受け取ろう。

   ◆

 ランサーの槍とエクスカリバーが相対し続ける。
 アサシンと違い、力押しで武器破壊を狙えるほどランサーの槍は安物ではない。
 だから我々は腕を競う。
 どちらかが一手受ければ、それが終末となるサーヴァント同士の戦いだ。

 間合いの取りにくい私の剣に対して警戒しているランサーだが、もともと彼の獲物は槍である。それは以前見せたように投擲用であるが、それでも通常の剣よりもはるかに長い。
 見えない剣に距離をとるランサーと、槍を受け続ける私との距離は変らない。
 もともと現在の魔力量では宝具としてエクスカリバーを使えばそれだけで、魔力が枯渇してしまうため、どうしても剣技に頼らざるを得ない。
 よって現在仕える宝具は風王結界による不可視化のみとなる。

「はっ、相変わらず剣を隠すとは、セイバーの名が泣くぞ!」
「くっ!?」

 だが、押されているのは紛れもなく私のほうだった。
 最初に戦ったときより確実に鋭さを増している。加えて彼が初戦より風王結界を考慮に入れているのに対し、私はランサーの底すらも見極められていない。

 前回は手を抜いていた?
 いやそれはありえない。
 だが、ならばなぜ、

「くっ!?」
「そらそら、どうしたセイバー――――!」

 ランサーは以前よりも早い槍を繰り出せるのか。

 以前戦ったときは魔力提供のない身でも戦えた。だがいまはそのようなものではない。
 かの槍は一息にて七度繰り出され、一突きが必殺の力を持っている。
 この身が六割程度しか機能していないというのは言い訳か。
 焦りが募る。
「くっ――――!」
 一撃が腕を掠める。

 じわりじわりと槍が体を傷つける。だんだんと傷が増えていく。
 だがそれでも負けられない。
 私が倒れれば後ろに庇う皆が殺される。
 ランサーの槍は際限なく鋭さを増していく。
 以前殺りあった時よりも確実に五割は早く、その槍はこのセイバーたる私の目を持っても捉えられない速さを持って繰り出される。
 それを直感と身についた反射だけで弾いていく。
 これでは押し切られると半断。
 魔力を最大限に放出し、力任せに距離をとる。

「はああっ――――!」
「うおっ!?」

 ランサーが飛びのく。その距離は僅かに五歩。槍の戦士ならば瞬きする間に縮めよう。
 ハアハアと自分の息がうるさい。
 そして、これはまだ“サーヴァントの戦いですらない”というのに、私の消耗は思ったよりも激しかった。
 まずい。と私の心が焦る。

 その憔悴を見て取ったのか、にやりとランサーが笑う。
 槍を下段に構え、魔力を貯める。
 それはすでに一度見た“宝具の構え”。
 それは心臓を刺す魔技である。

「セイバー。あの時の借りを返させてもらおう」
「…………」

 サーヴァント同士の戦いとはつまるところ宝具の戦い。
 ルビーが示したように、リンが宣言したように、サーヴァントを殺すことは不可能ではない。
 ただの魔術師でも、リンほどの実力があればサーヴァントだろうと殺せよう。
 サーヴァントとは絶対の壁を持つわけではなく、絶対の剣を持つものだ。
 だが“だからこそ”彼らは無敵。
 絶対の一を持つサーヴァントの攻撃はそれがそのまま相手に対する攻勢の守りとなる。
 ランサーがこちらに奔る。
 その手には紅い魔槍。

「――――刺し穿つ(ゲイ)」

 下段に構えられ、さらに足元に突き進む槍。
 私はそれを知っている。それは必ず心臓を貫く因果の槍。

「死棘の槍(ボルク)――――!」

   ◆

 だが、それは――――言い換えれば“必ず心臓に向かう槍”
 これほど避けやすい槍もないはずだ。
「はあぁあああ!」
 剣を心臓に構え、後ろに飛ぶ。やはりランサーの槍はその剣を縫うように私に向かう。
 予想通りの軌跡を描く槍を弾く。

 ギンッ、と思ったより鈍い音が聞こえ、槍がそれる。
 私はそのまま剣をランサーに向かい振り下ろそうと、

「――――あまい」

 ランサーの声にさえぎられた。
「なっ!?」
 弾かれた槍が蛇のように舞い戻り、私の構える剣を抜け、その体を貫いた。

   ◆

 膝を突きそうになり、何とかこらえる。
 ギリギリだった。
 直前でランサーを狙うことに危機感を感じ、後ろに飛んだのが幸いした。

 ランサーが槍を振って血を落とす。
 彼に憔悴はない。彼の槍は一度見れば最低源の防衛策が立てられる。
 初戦で私が避けたことをランサーが忘れているはずもない。
 またもや体を貫かれるとは、見立てが甘かった。
 フー・クーリンの持つ槍を侮った私の敗北か。

 だがランサーは不満げに私を見る。
「ふむ、またもや避けたか。予知でも備わってるのかセイバーよ」
 心臓は免れた。
 だがそれは槍を避けたというわけではない。
 霊体ではあるが肺を貫かれ、肩口まで裂傷が及んでいるとなると、剣を振るうのにも影響が出る。

「が、はっ」
 血を吐いた。状況は思ったよりも深刻だった。
 たりない魔力がさらに流れ、すでにこの体は本来の機能から四割を割り込んでいる。

 シロウとの禁を破る。と覚悟を決めた。

 エクスカリバーを握りしめる――――

「セイバー!」
 シロウの声が聞こえた。
 こちらの戦いを見ていたのか、シロウが私の横に立つ。
「坊主か。どうする? セイバーはもう戦えまい」

 なめるなよ、ランサー。
 私は無理やり立ち上がった。
 この身はセイバーのサーヴァント。剣が折れるまでは、私はシロウのために戦い続ける。
「セイバー、大丈夫なのか?」
「はい、ただこのまま戦えば、押し負ける」
「…………だったら、」
「ええシロウ。申し訳ありません。宝具を使います」
 すでにランサーの一撃で体に残る魔力は三割弱。宝剣を使えば五割の一撃を放って、私は消えるだろう。
 だが負けるわけにいかない。後ろにはシロウが、アーチャーが、リンたちがいるのだ
 これは私の失態だ。ならば責は私が負おう。

 ランサーの宝具は効率という点では優れているが、絶対的な攻撃力はそれほどでもない。
 たとえ今の状態でもエクスカリバーなら……

「駄目だ」

 その言葉が思考を断ち切る。
「はっ?」
 思わずシロウの顔を見た。
 彼は何かに悔やむように歯を食いしばっている。
 そして、彼は私に言った。
「俺もやる。セイバーが動けないなら、俺が手伝う。宝具を使う必要なんてない」
 シロウが断言した。

「ほう? お前がやるのか。俺はかまわんが……」
 それは無駄だとランサーがいう。
 シロウがランサーを睨んだ。
「違う。俺とセイバーでやるんだ。セイバーは俺がマスターだから魔力が足りない。だから俺がサポートする」
 真顔でシロウが言った。

「シロウ、いけません。ランサーは貴方では――」
 そこまでいって、私は口を閉ざしてしまった。
「ほう、貴様」
 ランサーが目を輝かせる。それは相対するに値する敵を見つけた戦士の目だ。
 シロウは手に、一組の短剣を出現させていた。

「セイバー、どうだ。役に立っただろう?」
「シロウ?」
「セイバーとの特訓だ。無駄じゃなかった。無駄なんかじゃなかった。セイバーだけが戦うなんて間違ってる。セイバーは俺の仲間なんだ」

 シロウが一歩私の前に出る。その背中が言っている。
 彼が私のマスターであることを。
 彼が私とともに戦おうとすることを。

 私は彼の剣である。だからそんな申し出は受けられない。
 私の責任を奪うなんて、誰一人許さない。
 だからその申し出は、
 受けてはいけないはずだった。

「セイバー、だから」
「――――ええ、シロウ」

 しかし、それなのに、
 私に浮かんだのは微笑だった。

「それならば。…………貴方がそういうのなら――――」

 共に戦うことにいたしましょう。

 なぜかその場で、私に浮かんだのは笑みだった。

 Interlude out セイバー


   ◆◆◆


 Interlude ルビー

 その男は柳洞寺裏手の池のそばに佇んでいた。
 まるで私の狙いを読んだように。
 まるで私の考えを読んだように。
 まるで私を待っていたように。

 まるで私を知っているように。

「ふむ、やはりきたか。遠坂凛の英霊体よ」
「ええ、あんたのことなんか覚えてはいないけどね」
 彼はその言葉に笑う。

「アーチャーは五分五分だが、ランサーに関してはあそこまで疲弊したセイバーでは勝てんだろう。よいのかね?」
 その言葉に鼻で笑う。
「おあいにく。あいつらを舐めないほうがいいわよ」
「そうか、私はどちらでもかまわん。サーヴァントが消えれば、聖杯が発動する。私はそれを見届けるだけだからな」
「しゃあしゃあとよく言うわ。あの金ピカとランサーのマスターはあんたなんでしょ。言峰綺礼」
 その言葉にあいつは、言峰綺礼は欠片も動揺を見せなかった。

「いかにも」
 当たり前だと“言峰”が頷く。
「じゃあ、あんたを殺せばいいってわけじゃない。よくもまあ平然としてられるわね」
「ふむ。ランサーとセイバー、アーチャーとアーチャー。ならば三人のサーヴァントがいる君たちが一人こちらに回せるのは道理だろう。…………だが、ルビー。君ならば、」

“この私でも、倒せるだろう”

 言峰綺礼という名を持つ代行者は両手に黒鍵を握ると、そう言った。

 Interlude out ルビー


   ◆◆◆


 百の剣。千の槍。万の武具。
 武器の軍勢が天を覆う。
 が、それは現れでたその瞬間に、アーチャーさんの生み出した剣にぶつかって消えてゆく。
 それは戦争。
 たった二人で行われる。軍勢を伴った戦争だ。

 戦いはアーチャーさんが有利だった。
 金の王の剣勢は取り出されるもの。
 それに対しアーチャーさんの剣軍は生み出されるもの。

 対応した剣を生み出し、さらにそれをストックできるアーチャーさんに対し、あらゆる武具を取り出せるといってもそれぞれを取り出しているだけの英雄王では敵わない。
 そして、この赤い世界。
 この世界においてアーチャーさんの剣製はあまりに早い。
 タイムラグなしで剣が生み出され、それがそのまま矢となって飛んでゆく。
 この場でセイバーさんに代わりアーチャーさんが戦った意味を理解する。
 彼は言った。

 敵ではない、と。

 それは完全に真実だった。
 戦いは一瞬にしてアーチャーさんに傾き、そのまま英雄王を打ち倒す。
「くっ、駒では勝てんか!」
 英雄王が後ろに飛ぶ。
 アーチャーさんが追いすがり剣を振るい、斬撃を叩き込んだ。

 ぐっ、とうめき声をあげて英雄王がよろめくが、彼の着る黄金の鎧がその一撃をレジストする。
「さすがに、手強いっ」
「なめるな、フェイカー!」
 英雄王が虚空から剣を取り出しそれを振るうが、やはりそれはアーチャーさんが同様に引き寄せる剣によって消し飛ばされる。
 それどころではない。そもそもアーチャーさんが英雄王の生み出す剣に相対する剣を生み出せるのに対し、英雄王がアーチャーさんの飛ばす剣を防ぐのはその場その場で使っている刀剣である。
 襲い掛かる剣より弱くては貫かれ、そしてアーチャーさんが生み出す剣は無限にある。

 打ち合う剣はただ対応する剣によって消滅し、
 飛び交う剣は一方的に英雄王の体を傷つける。
 数度攻撃を受け、英雄王の腕から剣が飛ぶ。

「貴様ごときに、この剣を使うことになるとはな!」
 英雄王もこのままでは負けると認めたのか、大きく後ろに跳ぶと、手におかしな形の剣を生み出した。
 それはただの筒でありながら、その神格により、ただ一振りでアーチャーさんの固有結界を軋ませる。
 それを見て、初めてアーチャーさんは同じ剣を生み出さず、英雄王に追いすがる。

「させんっ!」
 手には短剣。
 生み出された瞬間にそれを投擲する。
 回転しながら英雄王に目掛けて投擲された短剣が英雄王の肩口に突き刺さる。

「ぐっ!?」
 英雄王が剣を取り落とす。
 それはこの戦いで初めて出来た明確な隙だった。

 戦いを無理に動かそうとすれば隙が生まれる。アーチャーさんはそれを正確についてきた。
 王は王であり騎士ではない。それが万能だが戦いの専門ではない英雄王の敗因か。
 アーチャーさんが剣を振るう。
 それは戦いを終わらせるための一撃だ。
 英雄王の顔が怒りに染まる。
「フェイカ――――!」
 英雄の王の声。
 アーチャーさんの返事はない。

 そうして、ただ一刀の下。

 英雄の王たるサーヴァントは殺された。


   ◆◆◆


 Interlude セイバー

 ランサーの槍が私とシロウの剣を受け止める。
 ランサーの槍はシロウを狙わない。
 シロウが武具の力を引き出し、ランサーの槍を受けられることに気づくと、ランサーはシロウがアーチャーと似た技を使うことを知りながらも、武器破壊を狙ってきた。
 それを私の剣を捌きながら行うその技量。
 三度剣を壊されて、シロウが後退する。
 それに合わせて、私もランサーと距離をとった。

「なるほどな。お前は同じ剣しか作れねえのか? まるっきりあいつとの初戦じゃねえか」
 息絶え絶えとしているシロウ。
 善戦している……というべきだろうか。
 だが決定打が見出せない。

 私が宝具を撃たないとする以上、ランサーに渾身の一撃を与えるしか勝ち目はないが、それを簡単に許すほど、ランサーはあまくはない。

「まっ、いいさ。じゃあそろそろ本気で行くぜ」
 ランサーが槍を回す。その構えは宝具ではない。
 本気とは槍技のことだろう。

 だがシロウではどの道ランサーの槍は受け続けることは不可能だ。
 シロウの前に立つ。だが、それをシロウ自身が止めた。

「セイバー」
「? シロウ、なにを――――」

 シロウが大きく息を吐く。
「俺が行く。俺じゃ勝てない。だから最初が俺で、セイバーは止め、だ」
 それに反論しようとして、私は口を噤んだ。
「…………シロウ」
「頼む」

 そうだった。忘れていた。
 私のマスターはこういう人だ。
 こうなったら梃子でも彼は動くまい。
 軽く頷く。
 私はエミヤシロウの剣である。
 ならばその誇りにかけて、この身を振るう担い手を信じよう。
 ただその誓いのもと、最後の一撃を任されよう。

「いくぞ、ランサー!」
「きな、小僧!」

 シロウがランサーに向かって走る。
 それは人としては早いがサーヴァント相手には、ランサーにとっては止まっているような速度だろう。
 きっとシロウ一人なら殺されていた。
 だがそれはボロボロになった私ひとりだったとしても同じことだ。
 二人だからこそ通用する。

 ランサーが槍を突き出す。それをシロウが辛うじて受ける。それは武器の力に補正を受けた私と毎晩行っている模擬戦よりも洗練された動きだ。
 だが、それでもランサーを相手取るには未熟すぎる。

「はっ、思ったよりもやるじゃねえか、坊主!」
 ランサーの槍に加減はない。
 それをシロウはかろうじて受け止める。
 シロウは無言で剣を振るう。しゃべる余裕などあるはずがない。
 三度打ち合った後、ランサーの槍が微妙な軌道変化をした。
 きっとシロウはその瞬間まで気づかなかっただろう。

「――――えっ?」
 線の動きで点を穿つ槍が、突如円を描いてシロウの腕から短剣を弾き飛ばす。
 シロウが腕から吹き飛んだ剣を見る。

「シロウ――!」
 まずい。ランサーの思惑通りにシロウの腕から短剣が吹き飛ぶ。
「くっ、投影(トレース)――――」
 そして、シロウが再度剣を生み出そうとし、
「あめえ!」
 生み出したばかりの短剣が消し飛ばされる。

 シロウがその衝撃でたたらをふむ。
 ランサーはシロウが剣を生み出すことを知っている。
 アーチャーと同系統の魔術を操ることを知っている。
 だがシロウの剣は似せてあるだけでただの剣だ。ランサーの一撃を受ければそれだけで崩壊する。
 そこまでもランサーは読んでいた。

 シロウの剣を消し飛ばしたその軌道がそのまま攻撃に移行する。
 アーチャーと異なり、シロウは次の剣を生み出すまでに一瞬のタイムラグがある。
 生み出そうとした剣を吹き飛ばされたままのシロウに向かって槍が奔る。
 このままでは間に合わないことを、シロウこそが理解した。
 ランサーの槍がシロウの頭を吹き飛ばそうと繰り出され、

 シロウの目に、誰かに似た光がともる。

   ◆

 死を運ぶランサーの魔槍。
 それをシロウは止めてみせる。
 手に“新しく引き寄せた長剣”で。

「――――なにっ!?」

 ランサーの驚愕。
 横で万剣を使うアーチャーが戦っているのだ。
 もともとシロウが剣を生み出して見せていたのだ。
 虚空から短剣を生みだしていたシロウ相手に、槍を新しい剣で受け止められたことにたいして、ランサーが驚くことはなかっただろう。

 ランサーはすでにシロウが剣を生み出すことを考慮に入れて戦っていた。
 そしてその一撃はシロウの投影速度では避けられるはずがなかったのだ。

 ランサーの驚愕は、

「――――あいつの剣だとっ!」

 シロウがその剣を“アーチャーの生み出した大地”から引き寄せたことである。

 あまりに早い。横で前アーチャーと闘っている弓兵を見ればそれは自明だ。
 この大地より生み出される剣は、その持ち主に対してのみ無限の速さを誇っている。

「――――ちっ! 小僧、貴様なにをっ!?」

 ランサーが叫ぶ。
 その言葉に返事はない。
 さらに振るわれる槍がシロウから剣を吹き飛ばすが、それと同時に剣が大地からシロウの腕に収まった。
 その剣はシロウを導き、手加減のないランサーの槍をはじく。

 シロウは息を切らせながら、今にも倒れそうなほど消耗しながら、ランサーに向かって挑み続ける。
 シロウは自分がどれだけのことをしたのかに気づかない。
 新しい剣を、新しい槍を、新しい斧を、新しい短剣を。
 アーチャーの世界から借り受ける。

 シロウがランサーに切りかかる。
 世界から現れる剣はシロウを守り、ランサーを打ち滅ぼそうと輝きを増していく。
 ランサーの槍とシロウが振るう剣がせめぎあう。

 剣はシロウに力を与え、因果の槍と互角に打ち合う技術を宿す。
 これはアーチャーの生み出した剣である。
 たとえ、吹き飛ばされても、その瞬間シロウの前の大地から生み出される剣の群。
 担い手に振るわれる槍と、使い手を導く剣が交差する。
 だがそれでは勝てない。
 振るわれる剣ではランサーは倒せない。
 だからこそ、

 それはつまり、予定通りの状態で。

 シロウが稼ぐ隙を突いて私が駆け込む。
 ランサーはシロウが構える七本目の剣を弾いたところ。
 ランサーが飛び下がろうとするが、すでに遅い。


 私はランサーに、エクスカリバーによる渾身の一撃を叩き込んだ。


   ◆


「まったく、どういうことだ……技の模倣ってのなら理解できるが、他人の世界を横から使うなんてのは不可能なんじゃねえのか?」

 影の国にてルーンを修めし、槍兵にして魔術の徒であるフー・クーリンが愚痴る。その体はすでに肩口から体はほぼ二つに断たれていた。

「知らない」
「はっ、随分とした主従関係だな、おい」
「だが私はシロウを信じていた」
 ランサーが黙った。

「――――そう、か。……なるほどな、まったくうらやましいぜ」

 ランサーが呟く。
 その身につけた傷は命を絶つのに十分すぎる。それでも彼はここに存在し、私に向かって笑って見せた。
 ほぼ同時に、前アーチャーがリンの使役するアーチャーによって倒された。

 ランサーが嘆息する。
「はっ、あいつも負けたか。てめえらを舐めすぎた……いや、違うか。お前らの強さだな。負けたぜ、セイバー」
「いえ、こちらは二人だった。一対一なら結果はわからなかったでしょう」
「人間の魔術師だがな。とんだイレギュラーだろうよ。おい、坊主」
「…………?」
 息も絶え絶えとへたり込んでいたシロウがランサーを見る。

「――――――ふん、“なるほどな”」
 ランサーが呟く。
「ランサー?」
 だが、ランサーは答えなかった。
 彼は軽く笑うとシロウに向かって笑って見せた。

「未熟だが、筋はいいんだろうよ。まっ、せいぜい精進するこった」
 それじゃあな、と。
 まるで敵ではなかったかのように私たちに笑って見せて、ランサーのサーヴァントは消え去った。

 Interlude out セイバー


   ◆◆◆


 Interlude ルビー

 右腕に、右足に、腹に、肩に、私の体に四本の黒鍵が刺さっていた。
「……ちょっと、滅茶滅茶強いじゃないの、あんた」
「――――私のほうこそ少々意外であった。まさかサーヴァントがここまで弱いとはな。時間を稼げば十分だったのだが」

 生意気な口をたたくが、言い返せない。
 それに言峰綺礼の言葉に侮蔑はない。彼は本心で私の弱さに驚いているようだった。
 サーヴァントたる私が人間である言峰と言う名の神父に本気で押されている。

 周りを見渡すが、助けになりそうなものは何もない。
 さらに遠く、金ピカとランサーも含め境内に残りの全員だろうか。
 桜もまだ境内だ。
 おそらくそこではアーチャーとセイバーが言峰綺礼のサーヴァントと戦いっているはずだろう。

「むっ?」
 言峰が境内のほうを見る。
 同時に私も事態を了解した。

 言峰綺礼の使役するサーヴァントがやられていた。
「あら、逆転ってやつ? ランサーと金ピカ、やられたみたいじゃない」
「そのようだな」
 平然と頷く言峰。
 すると言峰は傷つく私を放って寺の中に姿を消してしまった。
 瀕死の私を放っていく意味がわからずに少しだけ沈黙が降りて、
 それは一瞬で判明した。
 なるほど、やつは“彼女”を連れてくるためにこの場を離れ、
 私にそれを見せるために止めを刺さなかったのか。

 言峰綺礼が摘み上げるように彼女を掲げる。

「バーサーカーのマスターね。」
 私がそれを見ながら呟く。
「そして、此度の聖杯だ」

 つまりはそういうこと。

 言峰綺礼が自分の使役するサーヴァントの死を惜しまなかったのはどちらでもよかったからか。
 彼は躊躇なく、彼女を軸に聖杯を起動させる。


 そうして私の目の前で、真っ黒な穴から泥が噴出し、汚染された聖なる器が開かれた。


   ◆


 泥が、地面を覆っていた。
 聖杯の起動による初現象。それはイリヤスフィールの体から溢れる混沌だ。

「…………」
「驚いたかね? 聖杯から黒の意思が溢れ出ることに」
「いいえ、驚いたわけじゃないわ。ただあんたがそれを操ることに不満があるだけよ」

 私の言葉に言峰綺礼が首肯する。
「ふむ。貴様はそこまでイレギュラーだったのか。聖杯が汚染されていることを知っていたな?」
 言峰綺礼の言葉は質問ではなく、確認だった。
「――――ええ」
「やはりな」
 言峰が軽く腕を上げる。泥がその腕に従い、鎌首をもたげた。
「監督役というのはいろいろと便宜が図られる」
 教会にその姿を隠していた彼が言う。
 ランサーのマスターを探したときに捜査範囲から当たり前のようにはずしていた。
 ギルガメッシュというイレギュラーがキャスターの目からすら逃れ続けた。

 だから彼の言葉に、
 そんなものは判りきっていると言おうとして。

「それは聖杯戦争を隠蔽するための権限だが、それ以外にもいろいろなものがある。たとえば、敗退者を匿う権限や参加者の情報をえる権限、そして――――」

 私は、カレイドルビーと呼ばれるサーヴァントは、

「――――召喚されたサーヴァントを確認できる権限だ」


 その言葉に彼の真意を知らされる。

 カレイドルビー。トオサカリンの英霊体。間桐桜のサーヴァント。
 私が余りに既知の人物を模すサーヴァントだったから気づかない。
 真名こそが重要だと考えていたから、誰一人気にしない。
 セイバーがいて、アーチャーがいて、ランサーがいて、バーサーカーがいて、アサシンがいて、キャスターがいた。
 そこに前回のサーヴァントまでが現れる異常の中、誰が真名すら明白な、残りの一人を気にしよう。

 七つのカードは決まっている。それは絶対の条件だ。マキリとアインツベルンと遠坂が、まず第一の条件として設定した聖杯戦争の大前提。
 それが覆されることを考えるものがいるはずがない。
 だから桜にさえも気づかれなかった。
 桜。貴女もきっと遠坂凛たちと同じようにこう思っていたのでしょう?

“カレイドルビーはライダーだ”と

 言峰綺礼が、聖杯の泥を私に向かって差し向ける。
 そして、その口からその言葉が紡がれて、


「では、その身を聖杯に奉げるがよい。――――“アヴァンジャー”のサーヴァント」


 言葉が終わるよりも早く、私の体は真っ黒な泥に包まれた。

 Interlude out ルビー


―――――――――――――――――――――――――――――――

GWほど長い休みになると逆にかけなくなるもんですね。ずいぶん遅れましたが第九話でした。

ルビーについては、黒いドレスだの赤い眼だので突っ込まれ続けていましたが、やっと回収できてすっきりでした。次話あたりからだんだんとまたルビーの秘密が明かされていきます。
キャスター組はプロットどおりですが、やっぱりちょっと悲しいですね。ちなみにキャスターがつぶやいた言葉は原作のあれです。同じの書くのもなんなんで、あのように書かせていただきました。
そしてアサシンがほのかにキャスターラブに見えるような見えないような感じですけど、これはなんと言うかだめな娘を持った父親の心境というかアサシンとキャスターってこんなイメージなんですよね・・・

またアーチャーVS金ピカは、金ピカがあっさりやられてましたが、本来戦闘はほとんど書かないつもりだったので、まあこんなもんでしょう。士郎が勝てたならアーチャーは余裕でしょうしね。アーチャー目立ちすぎというのは感想のほうでも何度か拝聴しておりますが、彼はあまりに使い勝手がよいもので・・・

士郎&セイバーVSランサーのラストに関してはイベントバトルは特殊なラストを迎えないといけないという信念のもとにあのような結果となりました。

あっ、あと題名前の数行劇場ですが、なんか言わないとたぶんわっていただけないと思いますので、ここで説明するとランサーが言峰にギルガメッシュを紹介されたシーンということでよろしくお願いします。
まあ今回の話についてはこんなところで。

楽しんでいただけたようなら幸いです。

それではまた次の話で。



[1002] カレイドルビー 第十話 「イレギュラー」
Name: SK
Date: 2006/11/05 00:10
「…………」
 死んでいきながらも笑みを崩さなかった男の死体。
「……性悪よね、ホント」
 私は呟き、その死体を投げ捨てた。


   カレイドルビー 第十話 「イレギュラー」

 ルビーさんはいつだって私のことが一番だといっていた。
 いつでも間桐桜のことを考えてくれていて、
 いつでも、そのために戦っていた。
 衛宮先輩たちと初めて魔術師として向き合った日に、ルビーさんが聖杯に願いがあるといったけど、
 ルビーさんは戦うといったけど。
 それだってルビーさんは私を極力傷つけないように考慮していた。

 始まりの日。
 ルビーさんが私のそばに来てくれてから、私はすごく幸せだった。
 兄さんと昔のように笑い会えるようになるなんて、私はすっかり無理だと思っていたけれど、ルビーさんはそれを数日で実現させてくれた。
 彼女が来てから何もかもが変わっていた。
 最初の日。お爺さまの体を消したあと、彼女は私に刻印虫について選択させた。
 あれはマキリの証明書。私は虫を捨てずに、ただ制御だけを教わった。
 痛くない魔術を教えてくれて、それを兄さんが苦々しくもほんとの意味で納得していて、これ以上ないくらい幸せだった。

 ルビーさんに心臓を貫かれた日。
 ルビーさんと兄さんからすべてを聞いた。お爺さまのことと、私のことを。
 兄さんに令呪を渡すかどうか聞かれて、私も戦うことを決めた後も、兄さんは渋々とした顔をしながらも頷いた。
 虫は私の言うことを聞いていて、私は衛宮先輩に一つも嘘をつかなくてよくなった。
 嘘だらけだった間桐桜はこの日、衛宮先輩と対等に並ぶことを許された。
 私と兄さんとルビーさん。三人で、衛宮先輩と遠坂先輩と一緒に聖杯戦争に参加する。それは何があっても大丈夫だと思えた。

 バーサーカーと戦った日。
 ルビーさんとやっと再会できた日。
 あの日からルビーさんとは会えなくて、いつも話は念話だけで、いつルビーさんからの返事がなくなってもおかしくないと怯えていた。
 傷だらけで、ボロボロで、しかも後ろにバーサーカーをつれているなんていう状況だったけど、
 まだルビーさんが生きていたことが嬉しかった。
 私に向かって微笑んでくれたことが嬉しかった。

 私はルビーさんが好きだった。
 大好きだった。信じていた。
 たった数日で誰よりも、なによりも大切な人になった。

 なのになぜ、
 どうして、彼女があんな格好をしているのだろうか、と思って私は彼女に問いかける。

「何をやっているんですか、ルビーさん?」

 いつものように真っ黒なドレスを身にまとう彼女に問いかける。

   ◆

 ランサーと金の王を打ち破ったあと、傷ついた衛宮先輩を治癒している最中に気づいた。
 ルビーさんがいないことに気がついた。
 だれも気づかなかったことから、誰も気づけなかったことから、きっと隠身衣の結界を使用したのだろうと遠坂先輩が言っていた。

 そこまでして、私たちを出し抜きたいのかとセイバーさんが怒った。
 サーヴァントとしてならば有り得なくもないと遠坂先輩自身がつぶやいた。
 私はルビーさんはそんな人じゃありません、といったのに。
 遠坂先輩たちは半信半疑だったのが悲しかった。
 念話にルビーさんが答えてくれないだけで、そんなこと言うのはひどいと思った。

 パスからこちらにいることがわかって、
 遠坂先輩と衛宮先輩と、アーチャーさんとセイバーさんと、みんなでこちらに向かった
 急いで向かった。
 もう残りのサーヴァントは私たちだけになり、ルビーさんが何をするのかわからないとみんなが言う。
 数日前、ルビーさんが私を殺そうとしたくらいでそんなことを言うのはひどいと思った。
 あれは違うのに、そんなことも知らないくせにルビーさんを悪く言うのはひどいと思った。
 ルビーさんは絶対に悪くないのに、絶対にそんなことはないのに、ひどいと思った。

 なにか、遠坂先輩が私に向かっていっていた。
 でも聞かない。ひどい人のいうことは聞いちゃ駄目だ。
 私はそんな言葉に耳をふさいで奔る。

 ルビーさんが危ないなんて、そんなことあるわけない。
 令呪を使えなんて、そんなのは私の勝手だ。
 私はルビーさんを信じているのに、そんなことを言われると頭にくる。
 ルビーさんがいるはずの方向を見て、遠坂先輩が叫んでいる。
 ああ、黒い光の柱が見えている。
 それを見て、私に向かって一人で行くなと叫んでいる。
 聞かない。聞こえない。私は走る。
 ルビーさんのところへ走る。

 ルビーさんは死んでいない。その先に黒くて怖いものがある。
 だからルビーさんが危ないなんて、そんなのバカみたいだ。
 ルビーさんはきっとその黒い光の元凶をやっつけようとしているに決まっている。

――――そんなの誤解だ。

 ルビーさんは私たちを助けるためにランサーたちのマスターを倒しに一人で向かったのだ。

――――そんなはずがない。

 だからきっと。パスの先には私たちがランサーと英雄王を倒したと気づいて照れくさそうに笑う、敵マスターを倒したルビーさんがいるはずだ。

――――ありえない。

 きっとこの先で敵のマスターを倒した向かったルビーさんに会えるのだ。

――――会えるに決まっているはずだ。

 それなのに、

 なぜでしょうか。
 なんででしょうか。


 なんで、そんなところで、あなたは■■■■■■いるのでしょうか?


 そこにはランサーたちを使役していたマスターがいるはずなのに。
“そこには、マスターを倒したルビーさんがいる”

 そこには敵のマスターがいるはずなのに。
“そこには、言峰綺礼の死体といっしょにルビーさんがいる”

 そこには最後の敵がいるはずなのに。
“そこには、ルビーさんが立っている”

 目の前に。

 言峰綺礼の死体の前に、私のサーヴァントが立っている。

 なぜ?
 なぜ、そんなところで、

「何しているように見える、桜?」

 ――――あなたは泥にまみれているのでしょうか。


   ◆◆◆


 Interlude 間桐慎二

 桜が言葉を失って、
 誰も何もいえなくなった。
 だからまず僕が口を開いた。
「なにやってんだよ。お前」
 そう一言。
 僕が声をかけると泥の中にたたずんでいた遠坂の顔をしたサーヴァントがこちらを向いた。

 その目は始めてあったときと同じままに赤色で、
 その体は始めてあったときと同じままに漆黒だった。

「遅かったわね、あなたたち」
 何一つ変わっておらず、いつも通りの表情で、いつもどおりの口調で、いつもどおりに何一つ淀んだところのない表情で、僕たちに向かって笑いかける。

 傍らに死体を携えて。

「そいつ。教会の神父だよな」
 首がえぐられ、心臓に穴が開き、もはや生前の影もない死体を指差す。
「ええ、ランサーと金ピカしたやつのマスターだったみたいよ。第五回聖杯戦争においてあの金ピカのマスターだった監督役が、今回に介入してズルをしたってところかしら」
 くすくすと笑うその顔に狂気がうかがえないことこそが恐ろしかった。
「んで……その後ろにぶら下がってるのはなんなんだよ」
「イリヤスフィール。聖杯の鍵。聖杯の器。聖杯の受け皿。安心しなさい衛宮士郎。彼女は生きているわ」
 背後に黒く立ち上る泥があり、その中心にはバーサーカーのマスターであるイリヤスフィールの体が埋まっている。
 いや逆か。あいつの言葉を信じるならば、イリヤスフィールから溢れる泥がその体を覆っているということだ。
 後ろで衛宮がなにやらわめくが、あいつは視線すら向けず、イリヤスフィールの生存を語ったままその飄々とした態度を崩さない。

「――――なぜ?」
 遠坂が言う。この中でもっともルビーと名乗るサーヴァントの思考を読めるはずの女が問う。
 アイツには、ルビーの思考が読めていない。
 あれは異質だ。
 なるほど、多々ある平行世界。ルビー自身が桜に対し講釈をたれていた。
 平行世界とは可能性の世界。可能性は多々あるし、その世界は無限にある。
 だが、いくら無限の可能性でも、ありえない世界はありえない。

 平行世界。無限の可能性。だが、無限であるがすべてではないのが平行世界だ。
 その無限はただ唯一“有り得る可能性であること”のみを枷にもつ。
 魔術師の間桐慎二がいるかもしれない、妹のいない間桐慎二がいるかもしれない、幼くして死ぬ間桐慎二がいるかもしれない、桜に愛を注いだり、お爺さまを本当に敬ったり、あらゆる可能性が“あるかもしれない”
 同様に、僕が平行世界の運営に関わる魔法を習得する世界は有り得ないし、僕がただの人間のまま千歳生きるなんてことも有り得ない。それは矛盾をはらんだり、ただ単純に有り得ざることだからだ。
 たとえば、この聖杯戦争を機に必ず死ぬと定められている住民がいるかもしれないし、この聖杯戦争に必ず関わってしまう一般人がいるかもしれない。
 可能性は有限で、ただ数だけが無限にある歪な世界。

 だけどそれでも。
 その無限の世界の可能性を否定するなんてのは、それはこの世でただ一人にしかできないことで、僕どころか遠坂凛でさえ可能性の否定なんて出来はしない。

 だからこそ。ありえないという否定が出来ないから、遠坂凛は、人を殺す呪いを背に佇むトオサカリンに疑問を投げたのだと僕は思った。

 Interlude out 間桐慎二


   ◆◆◆


 Interlude 遠坂凛

「なぜ?」

 あまりにふざけた女に向かい、私は一言投げかける。

 それは疑問ではなく通達で、その内容は宣戦布告。
 だって、あれは私だ。
 だって、あれはトオサカリンだ。

 だからやつの言葉に憤り、言葉をかける。

 やつの考えなんてすぐにわかった。

 疑問など何一つとしてあるものか。

 だってアイツは一番最初に言っていた。
 衛宮くんの家で、同盟を拒否したときにいっていた。
 彼女には目的がある、と。
 それは絶対譲れないもので、それは絶対あきらめられないものなのだといっていた。
 それならば、

 トオサカリンが本気の目的を持ったのならば、手段なんて選ばずに目的を果たすに決まっている。

 私にとって、彼女の行動に何一つおかしなところなど存在しない。

 遠坂凛は遠坂凛。平行世界だろうと変わらない。
 私はただ、自分自身の腐った可能性を嫌悪して言葉をかける。

 Interlude out 遠坂凛


   ◆◆◆


「鍵は、私の存命中に聖杯が起動されるかどうかだけだった」
 彼女はゆらゆらと背後に黒い何かをたゆたえながら私に向かってしゃべっている。
 私はそれを聞きながら,動揺を抑えるので精一杯だった。

「私はすべてを知っていたから。聖杯が腐っていることも、聖杯の中には黒い泥がつまっていることも。それを“この体”なら操れるということも――――ねえセイバー? 貴女はなぜ前のマスターが聖杯を破壊させたかわからないと言っていたわね。それはとっても単純で、とっても簡単なことなのよ」
 セイバーさんが絶句する。その先は聞かずともわかることだった。

「……では、キリツグがあのとき、私に令呪をもちいたのは」
「ええ。聖杯の口を破壊するためでしょうね。だって当然じゃない。むやみに開けばこの世は滅びてしまうかもしれないのよ? この聖杯の中には人を呪う、人類を破滅に導く、人だけを呪い続ける邪神の呪いがつまっているのだもの。衛宮士郎の父親って言うんなら、当然そんなもの許容は出来なかったでしょうね」
 その言葉に、先輩が愕然と立ちすくむ。
 その言葉はつまり、十年前の惨劇の理由を示し、彼の養父の死因を示し、カレイドルビーの行動の理由を連想させる。

「ルビー。じゃあ、何でお前が……なんでお前がそんなものを開こうとしてるんだ?」

 その言葉に、ルビーさんが大きく笑う。
 その笑いは闊達で、迷いなど欠片もない。

「ああ、衛宮士郎。誤解しないで。私は人類を滅ぼそうなんてことは少しも思ってはいないのよ。そんなことに意味は無い。ばかげてる。私はトオサカリンだもの。そんな馬鹿げたことをするわけない」
「……」
 遠坂先輩の目が細く鋭く、ルビーさんを睨みつける。それは自分の名を貶めるサーヴァントへの怒りからだろうか。

 だが、彼女は怒りを口にせずにルビーさんの言葉を待ち、ルビーさんが言葉を続ける。
「聖杯は呪われている。その呪いはあらゆる願いを、人を害することに解釈する歪んだ呪い。だけどね、それは果たして“本当に悪いことなのかしら?”」
「なっ、なに言ってるんだ。そんなの悪いに――――」
「決まっている?」
 それにルビーさんは一転して壮絶な笑みを見せる。

「でも死ぬべき人間はいる。殺すべき決心がある。人の命に優劣はある……ねえ、そうでしょう、正義の味方の衛宮くん?」

 それは、あまりに小さく囁かれ、あまりに大きく響く言葉だった。

   ◆

「別に絶対的な命の優劣という話じゃないわ。そんなものは医者か坊主に任せておけばそれでいい。私が言ってるのは個人の話よ。私が桜を第一とするように、人がつけるその人にとっての命の価値。
 ねえ、衛宮士郎。あなた自身が言ったのでしょう? 聖杯を得るために手段を選ばないマスターを倒すために聖杯戦争に参加すると。それは人を殺すことを容認する存在を“あなた自身”が殺すという誓いのことよ」
「なっ。違う!」
 その言葉に先輩が怒鳴る。
「……先輩は殺すとは言ってません。イリヤスフィールのときだって、イリヤスフィールを殺そうとはしませんでした」
 反射的に私が答える。だが、それにルビーさんからくすくすと笑って見せた。

「桜。それは勘違いよ。それもとっても根本的な。殺すことこそが聖杯戦争において許される唯一つの罰し方でしょう? 殺さないとするならどうするの? 法がなく規律がなく規範がなく聖杯戦争には唯一戦いですらない殺し合いのみが存在する。そのなかで、何一つ省みずに動くマスターに対して殺さずに済ませようという心こそが散漫だわ」
 彼女は言峰綺礼の死体を背後に私たちに問いかける。
 聖杯を操り、人を害そうとして、逆殺されたその人の目の前で。

「戦わずに止められるのなら、不殺を貫くのでもいいでしょう。でもあなたたちは殺すのでしょう? 戦いに身をおいて、引く気がないマスターならば殺すのでしょう? だって殺すしかないのだものね。でもその基準はあなたたちの力によって線引きされるの? 倒せなければ明日の犠牲に目をつむって逃げ出すの? 人の命をおもちゃにしようとした点では一緒なのに、相手が可愛らしい少女の器を持っていれば情けをかけるの? それが蟲で出来た化け物ならばそいつを殺すの? 人殺しを是とした知人なら? すでに人を殺したものが改心したら、貴方が勝手に許しを与えると? セイバーを人として扱いながら敵のサーヴァントを殺すことは許されるの? 倒せない敵はどうするの? 諦めるのかそれとも、ただ信念だけを謳いながら無駄死にを? わかっていないはずがないでしょう。人殺しを肯定するならそれを絶対の規範に基づいて実行できる力がいる。貴方の言葉は、ただの理想よ。そして、人殺しを否定しておきながら“正義の敵”に対して活殺を貴方自身が選択するというのなら、それは救いがたい散漫だわ」
 言葉を失う私たちを前に、それは神様の行いよ、と彼女は笑う。

 言葉に詰まる私たちにルビーさんは容赦なく言葉を続ける。
「セイバーを殺されかけたとき怒ったわね。イリヤスフィールが捕らえられたと聞いて復讐を願ったはずよ。貴方はその正義の味方の象徴に剣を掲げているのだもの。でも貴方はランサーを殺したわ。キャスターだって、あの英雄王と呼ばれた男だって、サーヴァントのみならず、葛木宗一郎だってこの神父だって戦いとなれば、殺したでしょう。実際に殺しあったのでしょう? それが貴方の定めた命の価値ではなくて何なのかしら」
 そういって、ルビーさんは衛宮士郎を否定する。


   ◆◆◆


 Interlude 遠坂凛

 衛宮くんが言葉を止める。
 セイバーがマスターのその様にうろたえる。あいつの言葉は衛宮士郎の矛盾をえぐる。わかりきっていたことだ。衛宮士郎はその身に矛盾を抱えている。最強の矛も最強の盾もそれが幻想であることを突きつけられれば、その概念は崩壊するのが道理である。

 衛宮くんが黙り、慎二がボウとやつを眺める。
 それを一瞥して、やつがこの私に視線を送る。

 なるほど。次は私の疑問に答えてくれるということか。

 それを確認して私は言う。もとより私にはあの女があそこに立っているのを見たときから聞きたいことがあったのだ。
「で、結局貴女の願いはなんなのかしら」
 それはとってもシンプルなことである。
 私の言葉を聴くと、ルビーはケタケタと可笑しそうに笑った。先ほど衛宮くんの心をえぐったことはすでに脳から消えている。いや、わざと意識していない振りをしているのか。気に障る笑みだ。アイツが私だからこそ、吐き気がするにもほどがある。

「ああ、やっと聞いてくれたのね。自分ながら話が早い。貴女のそういうところは大好きよ。ここで衛宮士郎と理想論を話していては意味がないもの」
 その言葉に衛宮くんが顔を上げるが、それを私は後ろ手で制した。
「御託はいいから言いなさい」
「ふふ、簡単よ。人を殺す呪いを開く理由なんてひとつだけ。私には殺したいやつがいる。だからこの泥を利用するために召喚された」
「……なに?」
 その言葉に思考が止まる。当たり前だ。意味がわからない。人を殺すためだけに聖杯を開く? 牛刀を以って鶏を割くどころの話ではない。
「どういうこと? そんなの……わざわざ召喚されてまで」

「ええ、そうね。もうこの世界の“そいつ”は殺してしまったし」

「――――なに?」
「聞こえなかった? それとも理解できないのかしら」

 そういって、ルビーは高々と、手を掲げる。
 その手には、一振りの剣があり、それは一度も見たことがないものでありながら、
 あまりにもよく知った秘儀の剣。
 いや違う。あれは異質だ。ボロボロでグチャグチャの構成式に、理屈を力で押し通すような理論を組んで、まるで子供だましの玩具のよう。
 だけどそれでも、あれはどうみたところで、私が間違えるはずものである。

「――――キシュア・ゼルレッチの万華鏡」

 口から知らず言葉が洩れる。その輝き。その光。
 それは宝石剣と呼ばれる遠坂の悲願。
 そして、
「わかった、私?」

 第二魔法の神髄にして平行世界の運営基盤をつかさどる魔剣である。

 つまりその意図は明白で、
 やつの目的はあからさま。
 つまり、あいつは。カレイドルビーと名乗る遠坂凛は、
「じゃあ、あんたは……。あんたの願いってのは」

 無限の平行世界を相手取り“無限に存在するその相手を殺しつくすこと”なのか。


 Interlude out 遠坂凛


   ◆◆◆


 ええそうよ。と彼女は言った。
 それは私に対してではなく、間桐桜に対しての笑みで、
 それはだれでもない、ただ私のみに与えられる言葉だった。

「じゃあ、ルビーさん。じゃあ……じゃあ、貴女の“願い”とは」
 つまり。
「ええ、そうね。あなたの思ったとおりのことよ」
「――――サクラ、それはどういう……」
「黙りなさいな。セイバー。せっかくの語らいを邪魔しないでくれる?」
 鋭い眼光を飛ばすが、私はその冷たい言葉の意図に気づいてしまった。
 だが、ここで黙っているのは不可能だ。
 私は少しだけ躊躇したが、それでもセイバーさんたちとルビーさんがにらみ合っているのを見てられなくて口を開く。
「…………ルビーさんが殺すといっているのは、間桐臓硯という名の、私のお爺様のことです」
 言葉を選び、先輩たちにそれをつげる。

 その言葉に、みんなが黙る。
「間桐の魔術とは蟲の魔術。体を蟲で汚染させ、それを媒体として魔術を使うんです」
 途切れ途切れに話していく。このような場面でも、私の理性はすべてを告白することを拒んでいた。
 だが、それだけでもルビーさんが気遣わしげな視線を向けるには十分だったようで、彼女はマキリの魔術を説明する私を制止する。
「……そんなことまで言う必要はないと思うわよ。桜」
 その目は先ほどセイバーさんに向けたものはあまりに違う暖かなものだった。
「いいえ。必要なことです。私はその代償に体が変質し……」
「それを遠坂凛は最後まで知らなかった」
 ルビーさんが言葉をかぶせる。

 遠坂先輩がその言葉に反応してルビーさんを見る。
「間桐桜は殺された。私の世界で、私が知らない間に、マキリ臓硯に利用されて殺された。だから私は願いを持った」

「それは臓硯への復讐と間桐桜の幸せだった」

「……臓硯は殺すのは困難を極めたけれど、成功した。それは、奇跡なんて願わずとも、生前の私で事足りた。だけどね。死んでしまった桜を幸せにすることは私には無理だった。出来なかった。不可能だった。蘇生も、時を逆巻くことすらも私には無理なことはわかっていた。死ぬ淵まではいずって、私はただ望みをかなえようとしたけれど、それは結局届かなかった。それは私には不可能なことで、どうしようもないと私は死に際に理解させられた。ああ遠坂凛。あなたが私に嫌悪を持つのは当然なのよ。それは私では泣く私の中に巣くっているものへの嫌悪だから。私がこの時代の自分は許せないように、あなたが後悔に溺れた私に自己嫌悪から来る怒りを覚えるように、私自身が干渉を禁じられたくらいで桜の辛さを見過ごしてしまった私を許せないようにね。嫌悪というならお互い様よ。自分を嫌悪するほどバカらしいことはない。遠坂凛。誰が否定しても私が遠坂凛であり、この望みにあなただけは文句をつける権利はない」

「そして、愚かな私は桜が死んでから懺悔を開始して、最後にどうしようもないことがわかってしまい、そして世界に願ったの。私の世界では無理だった。懺悔するべき相手もいなくなり、私はどうしようもない自分を理解した。だから愚かな私自身が出来る唯一のことを考えて、遠坂凛としてあらゆる世界の間桐桜を救うことを決めたのよ」
 彼女がその身に宿すただ一つきりの願い事。
 カレイドルビーと名乗った彼女は、始まりの日に言っていた。

“――――私はね。ただ貴方を幸せにすることだけが望みなの”

 ただそんなことを言っていた。

   ◆

「だから、私は世界に宝石剣を使用する可能性を願った。あらゆる世界の桜の前から間桐臓硯を廃し、その身に巣くった呪いを消すためにね」
「……宝石剣を、願った?」
「ええ遠坂凛。貴方なら想像がつくでしょう。世界に魔法の使用は願えない。それは世界の範疇を超えるから。だけど私は遠坂凛だった。私は永遠に大師父の道を追うための場と、あらゆる世界に干渉する機会を願っただけよ」

「……ルビーさん」
 それでは、ルビーさんは。
 遠坂凛の名を持つ彼女は、その永遠の時間の中で、私のために宝石剣の奥義を身に着けようとしたということなのか。

「桜が私の知っている桜ではないことなんてわかっている。だけど私にはそれしかない。だから私は贖罪のために英霊となり、償いのために聖杯を開く。宝石剣への道はまだまだはるかに遠いけど、この根源へ続く泥を利用すれば私はきっとたどり着くことができるでしょう。ああこんなものを利用するなんて、自分でも歪んでいるとわかっているけど、止められないの。きっとサーヴァント特性でしょうね。聖杯を開くために必要だったとはいえクラスをイレギュラーにされたのは果たして良いことだったのかしら」
「……イレギュラーですって?」
「ええそうよ。イレギュラークラスアヴェンジャー。この神父は知っていたみたいだけどね。聖杯にささげられる身でありながら、腐った聖杯を操れるそういうクラス」
「ばっ! ありえるはずがないわ、そんなこと!」

 遠坂先輩が声を荒げる。それは私も同感だった。
 それを信じるならばつまりルビーさんのクラスは聖杯の基盤に用いられた七つのカードの範疇を超えているということになる。

“イレギュラークラス”
 それは有り得ざるものだ。
 キャスターのルール違反も、アサシンとして架空の英雄である佐々木小次郎が現れたことも納得しよう。
 セイバーさんが佐々木小次郎の情報が聖杯から降りてこないとぼやいたように、有り得ざる存在だが、それはまだ許容できる。
 なぜなら彼はアサシンとは無縁の存在でも、そのクラスはアサシンだった。
 聖杯に選ばれる英雄は召喚者によって融通が聞く。
 なぜならクラスは器だから。器に合わせて中身を替えられただけのことだ。

 だがだからこそ、
 コップに満たす水が、その器をゆがめないのと同様に、
 イレギュラークラスの存在は有り得ないはずなのだ。

「それじゃ前提が狂ってる。そんなことをすれば、聖杯戦争の基盤そのものが歪んでしまう」
 遠坂先輩が自分に言い聞かせるように呟いた。
「ええ、そうね。きっと冬木の聖杯戦争のシステムを、隅から隅まで理解していなくてはいけないでしょう」
「……どういうこと」
「イレギュラークラス“アヴェンジャー”それは意図的に作り出された変則式。遠坂凛。貴方だって過去マキリ、アインツベルン、そして何より遠坂の祖が作った聖杯が生誕の瞬間から腐っていたとは思わないでしょう? この聖杯が腐ったのは第四回聖杯戦争における予定された聖杯の歪み。アインツベルンが第四回の聖杯戦争において勝利を願い、七つの器に基づいて英霊の御霊を召喚するという聖杯基盤を覆す、偽りでありながら真なる呪い。この世の悪をつかさどる神を呼び出すために設定された、英霊を選別する器と対極する、呪いの神を呼ぶために作られた“八つ目の新たな器”」
 ルビーさんが手を大きく掲げる。
 その動きに合わせ泥の沼から影が舞い、
 その手に掲げられる宝石剣にあわせ光が踊る。

「第四回聖杯戦争において、呼ばれた悪神は聖杯に取り込まれ、その聖杯を腐らせた。根源に辿りつくための願望機を、呪いの願望機へとね。そしていま、この聖杯は呪いの詰まった道具となった。英霊を取り込み、開けばただ世界を破滅させる器へと堕天した」
 ルビーさんが宝石剣を振り下ろす。その煌きに従い背後に漂う泥が天を覆った。
 月が隠れ、空が隠れ、世界が隠れ、
 一瞬にして、私たちのいた世界が泥の中に包まれる。
 私たちを取り囲むように泥が蠢き、私達の背後にいたるまで広がって、泥が天を覆う囲みを作る。

「人の精神では耐えられない。清純な魂では耐えられない。呪われた願いでなくては許されない。だからこそのアヴェンジャー。その器に相応しいものが呼ばれたときだけ七つの器を超越して具現するイレギュラー。世界もなかなか粋なことをする。だからこれは私の願いをかなえるために利用する。殺す呪いだろうが、滅亡の泥だろうが、制御して見せましょう。私は最初に言ったはずよ。願いがあると。望みがあると。遠坂凛。衛宮士郎。私は誰に否定されても覆さない。間桐桜の幸せを願うことは、私の死に際に決まったことなのだから」

 泥が世界に模様を描き、宝石剣がそれを照らす。
 その泥がどう使用されるのか。

 おそらく最初にルビーさんが願ったのは、平行世界に自分自身が干渉する運営技法だったのだろう。だからそれを得るための時間と場所を願った。

 そして、おそらく。その願いと世界の基盤に干渉する聖杯戦争において一つの計算違いが起こったのだ。

 世界には、カレイドルビーとして存在する遠坂凛の願いをかなえられる聖杯戦争が存在した。
 カレイドルビーには聖杯戦争の不備に干渉し、己の望みをかなえられる技があった。
 そしてルビーさん自身が気づいてしまった。それが己が宝石剣を生み出すよりもきっと簡単に魔法へ至れるだろう“根源へと続く穴”の存在であることを。
 これはあまりに悪意で満ちていながら、魔法へ至る道であることにかわりなく、彼女は特殊に特殊をかけた理由ではあるが、魔法を目指す魔術師であることに変わりない。

「――――さあ、じゃあそろそろやりあいますか」

 その言葉に彼女はボロボロの宝石剣を構えた。
 そして、ルビーさんが笑顔を見せる。

 後ろに泥を這わせながらも彼女は紛れもなく遠坂凛で、
 あまりに歪んだ望みを歌いながらも、彼女は驚くほどにまっすぐで、
 みんなが、今更だろうと考えていたことを、
 みんなが、それどころではないと考えていたことを、

 彼女だけは当たり前のこととして見据えていて、

 私の令呪を確認しに来た日の遠坂先輩のようにまっすぐで、
 アーチャーさんを敵であるはずの私たちに紹介しておくといった、あの日の遠坂凛のように、どこか肝心な配慮が抜けていて、
 
 彼女は誰もが忘れていたことを、
 衛宮士郎の信念を断罪し、遠坂凛の無知を糾弾し、間桐桜への真情を吐露したその口で、
 そこまですべてが予定通りだとでもいうかのように、

「アーチャー、セイバー。約束どおり、これが最後の戦いよ。勝利したサーヴァントが聖杯を得る。そう、貴方たちが同盟を組んだときからの予定通りにね」

 誰もが、その特異的な状況に惑わされ、いまさら考えもしなかった、余りに当然過ぎることを口にした。





[1002] カレイドルビー 第十一話 「柳洞寺最終戦 ルビーの章」
Name: SK
Date: 2006/11/05 00:19
「当然でしょう?」
 泥をまといながらも、その魂は宝玉の輝きに彩られ、
「私は約束をたがえない」
 これは今までと何一つ変わらない戦いだと言い切った。


   カレイドルビー 第十一話 「柳洞寺最終戦 ルビーの章」

 ルビーさんが手を掲げ、その手から毀れる光が世界を覆う泥を制御する。
 彼女は私たちを見据えると、大きく笑う。願いまであと一歩といった笑い声。
 動揺する私たちに向かい、彼女は言う。

 ――――これまでの予定通りにね。

 私たちの前に立つ彼女が、ルビーさんが宣言する。
 その言葉にセイバーさんが剣を構え、アーチャーさんが武器を取り、先輩が呪を紡ぎ、遠坂先輩が宝石を取り出して、

 そして、なぜか兄さんが私に向かって手を伸ばす。

「桜っ!」

 なぜ、そんなに切羽詰った顔をしているのだろう?

「手をのばせ――――!」

 兄さんは私に向かって駆け出した。
 私はそんな真剣な兄さんの顔を見て、純粋に驚いた。
 私は兄さんの叫びすら理解できないそのままに、あまりに真摯な瞳をした兄さんの言葉に反応して手を伸ばす。
 兄さんの手が私に触れて、その瞬間。
 兄さんがなにを危惧したのかすらわからないそのままに、

「――――えっ?」

 トプン。と私はその手を握る兄さんごと“私の左手から生み出される泥”に飲み込まれた。


   ◆


 ザバン、とまるで水面から浮き上がるような音を立て、真っ暗闇から外へ出る。
 混乱から周りを見渡して、ついさっきまで、私はすぐ目の前に遠坂先輩たちの背中を診ていたはずなのに、と首をかしげる。

 一瞬の隔離の後、私は先輩たちから相対するその場所に、

「桜? 大丈夫?」

 ルビーさんの真横にペタリとへたり込んでいた。
 茫然自失のていで周りを見渡すと、驚愕をあらわにしている先輩たちと、私の手を握りながら苦々しく口をゆがめる兄さんたちと目が合った。

「えっ? ……わたし、なんで」
 横に立つルビーさんを見る。
 いったい、なにをされたのか。
 彼女は泥を媒体に私を自身のそばへと移動させた。
 ああ、なるほどと頭の奥でもう一人の間桐桜がつぶやいた。

 だが、それを見てセイバーさんが声を荒げる。
「どういうつもりだ、ルビー」
 剣を構えたまま、その矮躯からは想像できないほどの威圧感を生じさせる。
「なにをという言い方はないでしょう。マスターを敵方の後ろに置いたまま戦えるわけがない」
 ルビーさんがあきれたように口を開く。
 その声は、むしろセイバーさんの言葉を非難しているようにさえ聞こえた。
「聖杯戦争は続いている。最後の戦いよ、セイバー。できれば貴女とアーチャーの同盟も切ってくれると嬉しいけれど、やっぱりそれは無理でしょうしね。私もズルをしちゃってることだし、まとめて来ても文句は言わない。どうする?」

 セイバーさんが絶句するのが容易にわかる。
 ルビーさんは禍々しい呪いを背に、あくまでも聖杯戦争であるという背景を覆そうとはしなかった。
 世界を覆う泥を使えば、いくらでも奇襲ができただろうに、
 私を呼び寄せた際の泥を攻撃に使えば、サーヴァントはまだしも二人いるマスターを背後から同時に害する絶好の機会だっただろうに。
 彼女はただ、敵から戦うという言葉が出るのを待っている。
 いや、そもそも。

「それとも、こんな聖杯は譲ってくれたりするのかしら?」

 聖杯を望まないといいきったアーチャーさんに、本当の聖杯を願っていたセイバーさん。
 聖杯を欲さない衛宮先輩に、聖杯に望むことをなど何もないと笑って見せた遠坂先輩。
 彼らを前に、泥の聖杯を殺しあってまで奪い合う必要があるのだろうかと、ルビーさんは笑ってみせる。

「ルビー、貴女は最初からここまで想定していたのですか?」
 セイバーさんの言葉にルビーさんが首肯する。
「ええ、私ではアーチャーにもセイバーにも勝てない。真実を教えて聖杯を破壊させることも避けたかった。だから聖杯を得るにはこの瞬間を狙うしかなかったのよ」
 その言葉に呼応するようにルビーさんの足元を漂う泥が蠢いて、
「最も、今この状況は理想的といえば理想的だけどね。この泥さえあればたとえ誰が生き残っていても互角以上の戦いができたでしょうし」

 だけど、とルビーさんは言葉を続ける。
 そう。ルビーさんの話していた内容は。
 もし、この境内にランサーやキャスターやアサシンやバーサーカーが立っていたのなら、という“仮定の話”

「この聖杯の表向きの……願望器しての機能低下は洒落になってないからね。世界平和の願いに人類滅亡の結果を持って答えるような聖杯よ。普通の願いは願えない。セイバー、アーチャー、遠坂凛、衛宮士郎。貴方たちだって、こんなものをほしがりはしないでしょう? でも私はこれがいる。必要なのよ。私は臓硯以外は殺さない。あいつさえいなければ、なんてのはバカらしいにもほどがある仮定だけど、だけど正しいことも事実だから。臓硯まで庇うってんなら殺すけど、さすがにそれはないでしょう? どう、諦めてなんてくれないかしら?」
 笑っているが、ルビーさんの目は真剣だった。
「……」
 それに対し、無言でセイバーさんが剣を構える。
 ジャリ、と足元の石を踏む音が大きく響く。

「セイバー!? お前……」
 それを見て慌てたように衛宮先輩がいった。
「ルビー。貴女の言い分は了解しました。驚くべきことに……そう、本当に信じられないが貴女はおそらく狂っていない。だが、正気であれば全て許されるわけでもない。私は貴女の行為を見過ごすことはできません。シロウ、指示を」
 戦わせていただきましょう、とセイバーさんの剣が大気を揺らす。

「なっ!? セイバー、本気か?」
 衛宮先輩がルビーさんを害すると宣言するセイバーさんに声をかける。
「もちろんです。聖杯があのようなものである以上、私の願いは此度の機会では得られないということがわかりましたが、アレを解き放つことも私個人の矜持が許さない……シロウ、あなたこそ忘れているはずはないでしょう? あれはキリツグが己のすべてと引き換えに葬り去ったものなのです。キリツグは私のマスターでした。矛盾に彩られ、苦悩に溺れていたけれど、彼は正しかったのだと私は先ほど知りました。私はどのような理由があろうと、キリツグの意思を蔑ろにすることは許せない」
「キリツグ。衛宮君のお父様のことね。又聞きだけど、貴女の前マスターだったかしら? キリツグさんがどの程度の魔術師だったか、私はもう憶えてはいないけど、貴女を召喚して最後の戦いまで生き残った以上並の魔術師ではなかったのでしょう。だけど、聖杯戦争の最後、聖杯が開く間際に気づいたキリツグさんと、すべてを了解している私じゃあ前提がちがうでしょう?」
 剣を構えるセイバーさんに諦めの吐息が混じった声で、ルビーさんが反論した。

 だが、ルビーさん自身も、セイバーさんが意見を変えることなどないことがわかりきっている。
「ルビー。貴女は魔術師だ。リンが英霊体になるまでに、どのような道を歩んだかなど私にはわからない。だが、唯一つ。サクラを救うという願いはリンの願いであって、サクラの願いではない。サクラへの救いであって世界の救済ではない。――――この場で貴女がそこに立っているからいいようなものの、この泥がこの地を汚す可能性を考えなかったとでも言うのか? 己の願いに世界の呪いを使用するのは度が過ぎる。確かにここまで上手くいったことには感心しよう。だがその背後に漂う泥はこのまま全てが上手くいくほどに温いものだとも思えない。リンはアヴェンジャーでなく、リンとして望みをかなえるべきだろう」
 思ったとおり、セイバーさんはそれを小気味いいほどにあっさりと一蹴する。

「……ふん。軽々しく言ってくれちゃって。私だってわりと頑張っているんだけどね――――」
 意外にもルビーさんはその言葉に大きな反応を見せなかった。
 ルビーさんはセイバーさんの言葉に対し、手にもつ宝石剣をふってみせた。
「ま、結果が出せない身じゃ、そういわれてもしょうがない。じゃあ、セイバーはやるわけね。アーチャーはどうするの?」
 肩をすくめてルビーさんが言葉を続ける。

 その言葉と、ルビーさんとセイバーさんのやり取りにアーチャーさんが嘆息する。
「……なんとも正々堂々とした呪いの具現者もあったものだな。傍目には第一級の守護者の敵なのだが」
 アーチャーさんはルビーさんの言葉には答えずに遠坂先輩に目を向けた。
「凛、命を出したまえ。最後の戦いだ」
「――アーチャー」
「……アーチャーも戦う気なのね?」
 遠坂先輩とルビーさんが同時に反応する。
「ああ、君の考えにも、君の行動にも、君の目的にも私が文句を言う権利はないが、それでも――――君がそのような泥に願いを託す姿を見るのは耐えられん」
 アーチャーさんが剣を構えた。

「えっ?」
 きょとんとしたルビーさんの声。
 だがそれに対しアーチャーさんは説明する義務はないと笑って見せて、
「誰が正しいにしても誰が間違っているにしても、もしくは誰もが間違っていたとしても、最後は戦いのみが答えを決める。聖杯戦争とはそういうものだろう、ルビー」
「――――そう。それじゃ」
「ああ、それでは」
 セイバーさんが剣を構え、ルビーさんが剣を構え、アーチャーさんが剣を構え、そして、

 戦いを始めよう。と三騎のサーヴァントの声が重なった。

   ◆

 私は母親を妄信する赤子のように、その後姿を見つめていた。

 ルビーさんの背後にたゆたう池の水は、すでに泥に変わっている。
 彼女はそこから無尽蔵の泥を取り出して、弾丸のように飛ばし、鞭のように振り回し、剣のように薙ぎ払う。

 セイバーさんの剣とアーチャーさんの剣が泥を裂く。
 三十を数える泥弾が空を裂き、剣の一振り、矢の一筋で十、二十と消し飛ばされる。
 十を超える泥柱が天に伸び、それがただ一撃で空に溶ける。
 放たれる先から消し飛ばされて、消えた先から補充される消耗戦。

「この程度の泥で――――!」
 セイバーさんが大きく踏み込み、聖剣を走らせる。
 大きく泥が切り裂かれるが、泥は泥。
 それは一瞬にして周りから補充され、再度セイバーさんに襲い掛かる。
「ちっ!」
 舌打ちを一つして、後ろに飛び、その瞬間セイバーさんのいた大地が黒く染まる。
 後ろに飛ぶセイバーさんを追い、左右上下から泥が舞い、それを神速で薙ぎ払われる聖剣が打ち払う。
 ああ、と私は息を吐いた。
 まるっきり悪役なのに、泥を武器に戦うなんて役回りでも、その姿はやはり遠坂凛そのものだ。

 泥なんてものが、的確にセイバーさんを追い詰めて、
 呪いなどというものが、最優の英霊に迫っている。
 ルビーさんは紛れもなく英霊で、
 カレイドルビーの前身は遠坂凛だ。

 私は童女のように、ボウとその後姿を眺めていた。

   ◆

 二人のサーヴァンとは舌打ちを一つして、後ろに大きく後退した。
「ちっ、やっかいですね」
「埒があかんな」
 セイバーさんとアーチャーさんが愚痴る。
「まあ、そうでしょ。あたれば勝っちゃうってんだからね」
 それに対しルビーさんが泥を操る手を止めて、闊達に笑った。

「子供の喧嘩じゃあるまいし、戦いなど常に一撃もらえばそれで終わりだ。そのようなセリフは一度当ててからいいたまえ」
 アーチャーさんがいう。
「悪意の泥というから、よほどのものを想像しましたが、制御に九割近くを持っていかれているようですね。それにこの性質は侵蝕よりも破壊に近い。フィードバックによる汚染を嫌いましたか」
 セイバーさんがいう。
「いいのよ、当たれば動けなくなることに違いはないんだから。それに、二人だってボロボロじゃない。宝具も固有結界も出せないくらい弱ってるくせに」
 ルビーさんがいう。
 楽しそうに、友人のように軽口を叩き合う。
 
 その本質は殺し合いのはずなのに。
 アーチャーさんがルビーさんに向けて射た矢は泥に阻まれなければその身を砕いていただろう。
 セイバーさんの持つ泥を一振りでキャンセルするほどの聖剣は、泥さえ突破すれば躊躇なくルビーさんを打ち倒すだろう。
 そして、なにより。
 ルビーさんの泥は、魂の具現であるサーヴァントに対し、触れるだけでその身を消滅させるだろう。
 これは紛れもなく戦争で、
 これが殺し合いであることに違いはないはずなのに。
 彼らの口調に澱んだものは何もない。


   ◆◆◆


 Interlude out 遠坂凛

「ぐっ!?」
「ち!」
 七度目のつばぜり合いで、二人のサーヴァントが同時に後ろに飛びのく。
 砂埃を上げて、私たちの前にまで交代した二人のサーヴァントが再度泥に挑もうと足を踏み出し、そして同時に先輩に目を向けた。
「小僧、下がっていろ!」
「シロウッ、なにをする気ですか!」
 見れば私の横に衛宮君がアーチャーと同じ短剣を持っていた。
 その目には光が宿り、一緒に戦うと告げている。
「俺も戦う。セイバー、頼む」
 それに逡巡するセイバーを遮って、アーチャーが衛宮君に目を向けて、そして次に私を見た。
「凛、君は?」

 その言葉に私は笑う。
 ああそうだ。聖杯戦争はサーヴァント同士の戦争だけど、
 ここにいるのは遠坂凛。
 衛宮君に教えられた。
 ただ待つだけなんて趣味じゃない。

「当然。あの女に本当の遠坂凛の力を見せ付けてあげるわ」

 ふっ、と薄い笑いを見せて、アーチャーは肩をすくめて見せる。
「了解だ。セイバー、そんな男を心配する君の気持ちはわからんが、魂を汚染する泥相手ならば私たちよりも肉体を持つ凛たちのほうが耐えられる」
 アーチャーがセイバーに向かっていう。

 だが、ある程度の速度しかもてない泥相手だろうと、人が避けるには速すぎる。
 ただ闇雲に泥を浴びせるような愚鈍ならまだしも、あそこにいるのと遠坂凛で、私がアイツでもまあこれくらいはするだろうという程度には狡猾だ。
 それをわかってアーチャーは問いかけて、
 それを承知しながらセイバーは頷いた。

「……わかりました。シロウとリンを信じます」
 ずいぶんと心配性なことだ、とアーチャーが肩をすくめる。
「セイバーよ、君が気づかぬはずがないだろう。あの泥は清浄な魂にこそ毒となる。凛の魂が泥などに負けんことはあそこに立つサーヴァントこそが示しているし、衛宮士郎の愚直な魂ならばあの程度の泥に破壊はされん。囮だと割り切りたまえ」
 へっ? と宝石を構えていた手を止めた。

 露骨な言葉。それはまるで、アーチャーが衛宮士郎を■めているかのような内容で、

「……アーチャー」
「…………お前」
 セイバーと衛宮君も怒るよりも戸惑うような声を上げる。

 むすっと押し黙るアーチャーに目を向けた。
「……あんたは衛宮君のこと嫌ってるとばかり思ってたけどね。なに、実は認めてたりするの?」
 その言葉にアーチャーさんは心の底からいやな顔を見せると、
「そんなはずがあるか。正義の味方などという幻想を語るこの男の歪さを認めることなど有り得ない」
「っ!」
 それに反論しようとした衛宮先輩をアーチャーさんは睨みつける。
「黙っていろ、未熟者が。全てを救うなどばかげた理想を掲げた貴様には理想を語る資格などありはしない。先ほどのルビーとの問答で自覚しろ。無様きわまる。理想を語るから動きが取れん。理想とは語るものではない。己の中にとどめるものだ。いいか、貴様が歪なのは当然で、正否を問うならルビーこそが正しいのだ。理想を口にすれば、それはその瞬間からそれは貴様の慢心へと腐敗する。貴様は全てに認められない道を歩んでいることを認識しろ。貴様は全てから愚かと罵られる道を選んだことを理解しろ」

 そして――――

「そして、貴様は一生そのまま馬鹿げた道を進めばいい。後悔するのは全てが終わった後だろう」

 アーチャーさんは最後にそういって、呆然とそれを聞いていた私たちを無視して、再度泥に向かって走りっていった。
 その背中が語ってる。
 ついてこいと語ってる。
 それはまるで、弟子に助言でもする師のようで、
「あはっ」
 私は思わず笑い声を上げ、その後に続いて走る。
 後ろを振り向けば、ポカンとした顔の剣の主従。

「いきましょ。あいつもなかなかどうして可愛いところがあるじゃない」
 
 ぱちりとウインク。
 私はわたしのサーヴァントを追いかける。

 Interlude out 遠坂凛


   ◆◆◆ 


 Interlude 衛宮士郎

 その遠坂の笑顔に赤面し、俺は我を取りもどした。
 剣を構える。
「セイバー」
「……ええ。では」
 行きましょう、とセイバーと同時に地を駆けた。
 超えられるはずのない泥の壁に向かいあい

 俺はただ剣をふる。

 そう、これまで通り。

 ――――変わらぬ理想を己の胸に抱きながら

 Interlude out 衛宮士郎


   ◆◆◆


 私は呆然とそれを見る。
「なんで?」
 ルビーさんが顔にはださずにあせっている。
 遠坂先輩と衛宮先輩が加わって“なぜか”ルビーさんは劣勢だった。
 ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。

「……なんで?」
 セイバーさんの剣が、地面から飛び出し襲い掛かる泥の塊を消し飛ばす。
 泥は多いが、避けるということをしないセイバーさんは後退しない。
 セイバーさんが打ち漏らせば、それは彼女の後ろに居る衛宮先輩が傷つくから、彼女は剣のサーヴァントとしてその泥を全て打ち倒す。
 ルビーさんの操る泥は、サーヴァントを汚染するはずなのに、セイバーさんに恐怖はない。
 そうして、彼女達はまた一歩ルビーさんに近づいた。
 ルビーさんが顔にはださずにあせっている。
 焦りを隠す余裕がないほどに、なぜかルビーさんは劣勢だった。
 ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。

「…………なんで?」
 アーチャーさんが生み出して剣が地面に突き立てられる。光る刀身から生まれる結界に泥がコンマ数秒止められて、その隙を縫ってアーチャーさんと遠坂先輩がルビーさんにまた一歩近づいた。
 アーチャーさんの結界と短剣は、遠坂先輩のサポートによってあらゆる泥の攻撃を打ち払い、彼女達は恐怖なく、完全な信頼のもとにお互いが背を預けあっている。
 ルビーさんの操る泥塊は、一撃でサーヴァントの存在基盤まで浸透するのに彼女達に恐怖はない。
 また一歩近づかれ、彼女はなぜか劣勢のままだった。
 ルビーさんだけが顔にはださずにあせっている。
 ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。

「………………なんで?」
 ルビーさんの操る泥は、一撃でサーヴァントを打ち倒す。
 ルビーさんの操る泥は、本来一撃でサーヴァントの存在を反転させる。
 ルビーさんの操る泥は、本来触れればサーヴァントを汚染する。
 その泥の特性を、ルビーさんとつながっている私には、あたりまえのように理解できる。

「……………………なんで?」
 ルビーさんの操る泥は、地を這い、空を舞い、天を覆う。
 穿つ宝石も、切り裂く剣も、止める盾も関係ない。
 津波を銃では防げぬように、津波を剣では防げぬように、津波が人では防げぬように。
 聖杯から洩れる悪意の泥は、四人いようが百人いようが英霊に対し必勝が約束される魔具である。
 ルビーさんとつながっている私には、ルビーさんの行為が理解できない。

 ルビーさんの操る泥が、再度大きな塊となってセイバーさんたちに飛んでいき、一撃を食らって消し飛ばされる。
 ルビーさんの泥なら勝てるはずだということを、
 ルビーさんを通して“聖杯とつながっている”私には、あたりまえのように理解できる。

「…………………………………………なんで?」
 負けてもいいというのですか、ルビーさん。
 負ける気ですかルビーさん。
 私を“置いていくのですか”ルビーさん。
 汚染されたくないからと、その泥をただ聖杯からくみ上げて投げつけるだけでは勝てません。
 勝ちたかったら、聖杯から泥を■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

「………………………………………………なんで?」

 ルビーさんが負けるのはいやだ。
 そんなのは許せない。
 そうだ、彼女は言ったじゃないか。
 始まりの日の彼女の言葉。

“あのね、私の目的は――――”

 ボロボロになった間桐家の居間の中。
 聖杯戦争に参加する不安を抱く私に貴女はなんといったのか。

 もう私は戦っているというのに。
 もう私は戦ってしまったというのに。
 遠坂先輩の人の心が、衛宮先輩の人の心が、兄さんの人の心が、私がすでになくしていたはずの人の悲しみを堀り起こし、私は自分の考えが魔術師として絶対に正しいはずなのに、それでもなお遠坂先輩とも衛宮先輩と相容れないことを認識してしまったというのに。

 いまここで、貴女が泥の制御を外せばそれでこの場一帯が消滅することを知っているから、追い詰められて。このまま負けたとしても、ルビーさんが聖杯を本当の意味で開放することなんて有り得ない。
 それが、ルビーさんのつながる私には明白で。
 それは、泥をその身で操るルビーさんとつながる私には明白で。
 それは、泥の支配権を持つルビーさんのマスターである私には明白で。
 その事実が私の心をかき乱す。

 ねえ、ルビーさん。あなたは私に言いました。
 自分の第一の目的を。
 それは、

“それは、――――間桐桜の幸せよ”

 いまさら、それをたがえるのですか。ルビーさん。
 私の幸せは、もう今では唯一つ。
 それには、貴女が死ぬことは許されない。
 貴女が消えることだけは許されない。

「ホント、ひどい」

 だから――――そんなこと、許さない。


   ◆


「まったく――――!」
「くっ!? 遠坂凛、あんた――!」
 ルビーさんと遠坂先輩が同時に宝石を煌かせ、その光が互いに消える。
 セイバーさんに泥を放ち、アーチャーさんに泥を放ち、
 セイバーさんに魔弾を撃ち、アーチャーさんに魔弾を撃ち、
 それは宝剣で切り裂かれ、それは宝弓で防がれて、

「この遠坂凛が、あんたなんかにっ!」
「――――ちっ!?」

 そう、そうだ。かつて私自身が導き出したその答え。
 ルビーさんは遠坂先輩よりも優秀だけど、
 やはりその力の根本は宝石だった。
 そして、そう。つまりそれは、私が以前に言ったこと。

“彼女らの魔術は宝石のストックに依存して、その宝石の限りにおいて同格だ”

 遠坂凛に群がる泥は全てアーチャーさんの矢が消し飛ばし、
 遠坂先輩はただルビーさんを目指し、泥で覆われる世界を駆け抜けて、

「泥遊びして粋がってる馬鹿になんて負けるもんか!」
「しまっ!?」

 ゆえに、泥に魔力を、意識を裂いているルビーさんでは、敵わない。
 ゆえに、アーチャーさんに、セイバーさんに、衛宮先輩に魔力と意識を裂いているルビーさんでは、敵わない
 ただ宝石を構える遠坂先輩にはかなわない。

「――――――――あっ」

 ルビーさんが負ける?
 そんなのいやだ。
 そんなことダメだ。
 やめてください。
 やめてください。
 やめて、
 殺さないで、
 止めて、待って、そんなのいやだ。

「ルビーさんが死んじゃう」
 ルビーさんが死んでしまう。
 私の幸せを願ってくれたルビーさんがいなくなる。

 ――――そうだ、私の望みはなんだったのか

「やめてください」
 そんなのいやだ。

 ――――ルビーさんではなく、この私、間桐桜の望みはなんなのか。

 ルビーさんが手加減してたのなんて明白だ。泥を塊としてでなく、空間的な制御を持ってもちいれば、剣などで防げるはずがない。
 それをしなかったのは、ルビーさんが戦いとして戦ったからだ。
 汚染を起源とする泥を、アミではなく武器として使ったからだ。
 それはルビーさんの手加減じゃないか。
 それはルビーさんの優しさじゃないか。
 それは、ルビーさんの甘さじゃないか。
 ただ自分を泥とし、泥を自分としたくがないというだけで、彼女は勝機を削ったのだ。

「ルビーさんは優しすぎます」
 ルビーさんはあますぎる。

 ――――私の望みは、彼女がずっとそばいることだ

 勝てる戦いを、自分の矜持に従って敗北するなんて馬鹿みたい。
 倒せる相手を、自分の心に従って見逃すなんて馬鹿みたい。
 殺そうとしてる相手を殺さないなんて馬鹿みたい。

 ルビーさん。ルビーさん。ルビーさん、ルビーさんルビーさんルビーさんルビーさん。
「死なないでください、ルビーさん」
 死んでほしくない。居なくなってほしくない。消えてなんてほしくない。
 
 ああ、そうか。
 私はやっと理解する。

 この聖杯戦争でルビーさんが消えるのを拒むということは。
「ああつまりそれは――――――――」

 ――――つまりそれは、敵を殺すことを、許容することなのかしら?

   ◆

「桜っ――――――――!!」

「えっ……兄さん?」
 兄さんの叫び声が、私の耳朶を強くたたく。
 ぱちりと呪縛がとけ、霞みがかった頭がクリアなる。

 意識を取り戻しまわりを見れば、なぜかみんなが私を見てる。
 剣の守護の中、弓を構えるアーチャーさんが私を見てる。
 衛宮先輩と背中を合わせるセイバーさんも、私を見てる。
 セイバーさんと背中を合わせる衛宮先輩も、私を見てる。
 ルビーさんにその宝石を打ちつけようとしていた遠坂先輩も私を見てる。
 そして、私の目の前にいたルビーさんも、私を見てる。
 みんなが私のほうを、
 みんなが私の影を、凝視する。

「え………………………………………………っと、なんですか。これ?」

 ああそうだ。と混乱している私の中で別の私が理解する。
 私とルビーさんはつながっているのだから。

 そう。
 私の影から洩れる泥が、
 泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が

 泥が、世界を覆おうと溢れ出す。

   ◆

「――――――あ、れっ?」
 手が真っ黒に染まってる。
 まるで泥遊びの後のよう
 まるで泥遊びの真っ最中
 まるで泥遊びを楽しむ子供のように、その手が真っ黒に染まってる。

 ――――殺せ。
 と別の私が囁きかける。

 目の前にはルビーさんと遠坂先輩。私の後ろに兄さんで、ずっと先には衛宮先輩が立っている。目を横にずらせばそこにはアーチャーとセイバーのサーヴァント。

 ――――殺せ。
 とほかの私が囁きかける。

「……あれっ?」
 ルビーさん。遠坂先輩。兄さん。衛宮先輩。アーチャーさん。セイバーさん。

 ――――殺してしまえ。
 と私が私に囁きかける。

「……あの、」
 これはなに?
 黒い泥。危ない泥。危険な泥。終わりの泥。終末の泥。

 ――――殺してしまえ。
 と私がその声を発している。

「ああ、そうか」
 じくじくと痛みを発する心とは裏腹に、私は心配事がなくなった嬉しさに安堵から笑みを浮かべられた。
 これでもう安心だ。
 これは、ルビーさんを助けるための――――

「桜っ! 正気に戻りなさい」
 ルビーさんの声。切羽詰ったはじめて聞くような私に向かった怖い声。
 その言葉に私は首をかしげる。私は正気だ。
 自分の目的を果たせそうなのに、ただ自分の教示を守って死のうとしているルビーさんのほうが正気じゃない。
 私は正気だ。
 ねっ、だからルビーさん。そんな顔をしないでください。そんな声を出さないでください。
 だから。

「大丈夫ですよ、ルビーさん。みんな私がやっつけてあげますから」

 だから、安心してください。ルビーさん。





[1002] カレイドルビー 第十二話 「柳洞寺最終戦 サクラの章」
Name: SK
Date: 2006/11/05 00:28
「止めてください」
 ヤリナサイ
「助けてください」
 コロシナサイ
「許してください」
ナラ ワタシガ
「こんなことしたくない」
 アナタニ カワッテアゲマショウ


   カレイドルビー 第十二話 「柳洞寺最終戦 サクラの章」


 Interlude ルビー

 安心してと桜が微笑み、それがこの世の悪を具現する合図となった。
 それは、私の操る泥より百倍も稚拙さでありながら、千倍の層となった泥の群。
 敗北と死の象徴が、アーチャーたちに向かって流れていく。
 操っていては到達できない操泥の奥義。泥と同化しているという証明書。

「アーチャー!」
「承知っ!」
 刀剣、技術で防げるものではない。アーチャーは一息で遠坂凛を抱え上げ、一足で泥から距離をとる。
 同様に衛宮君を抱え上げたセイバーがアーチャーの横まで飛び退る。

 舌打ちを堪えるようにアーチャーが遠坂凛に問いかける。
「凛。あれは」
「ええ、そうね。逆流か汚染か。ちっ……桜っ、ルビーっ!」
 遠坂凛が大声を張り上げるが返事ができない。
 私に返事をするヒマはない。
 桜は完全に正気を失っている。
 それでいてその思考に乱れがないことがやっかいだ。

 ゆっくりと桜が視線を私たちに向けて奔らせる。
 その目の濁りが、間桐桜の内包するものの恐ろしさを伝えてくる。

「……桜、なにやってるの?」
 桜に声をかける。
「なにって? わからないんですかルビーさん。手助けです。私はルビーさんのマスターですから」
「……すぐにその泥を引っ込めなさい。それは、ダメ。本当に貴女には相性が悪すぎる」
 桜に向かって手を伸ばす。だがそれは桜の前に漂う泥に阻まれる。
 伸ばした手を拒絶したことに自分自身ですら気づいては居ないだろう桜は、困惑を湛えた瞳のまま私と自分の間に漂う泥を見た。

「悪すぎる? ちがいますよ、これは“良すぎる”っていうんです」
 だからこそだ。とは言えはしない。
 すでに、泥は桜の影のみならず、彼女の令呪からすら染み出していた。
 先ほど、私が桜をこちらに呼んだときの、そのままに。
 くそ、抜けているにもほどがある。
 桜がずっと耐えていたことを誰よりも知っていたはずなのに。
 この可能性を考えていなかったなんてマヌケにもほどがある。
 私はまた自分のミスで桜を苦しめていることを自覚する。

「それは、呪いの泥よ。そんなものを使っていれば、あなたの魂が汚される」
「……でも、これなら勝てますよ? これじゃなきゃ勝てません。ルビーさん負けそうだったじゃないですか。私のために勝ってくれるといったのに。私のためにここにいると言ったのに」
 その言葉に間桐桜のサーヴァントとして後ずさる。
「私は腐っても澱んでも、どれだけ磨耗しようと遠坂凛よ。だから、泥に自らを汚染させては戦えない」
「それで負けたとしてもですか?」
「ええ、そうよ」
「それで殺されたとしてもですか?」
「ええ、そうよ」

 じゃあ。と桜が微笑んで。

「それで、約束をたがえても?」
「……」
 予想してしかる言葉だったはずなのに、私はその言葉に含まれる悲しみの響きに返事を返すことができなかった。

「助けてくれるといったのに。救ってくれるといったのに。貴女も私を見捨てるのですか?」
「違う」
 そんなこと思っているはずがない。
 私が桜を見捨てるなど、そんなことは有り得ない。

「貴女は先輩たちに負けました。最初から全力じゃなかったから」
 それはアレでも勝てると思ったからだ。
 遠坂凛が私の前で宝石を掲げるその瞬間まで、私は自分の勝ちを信じていた。

「本当ですか?」
 信じていた。じゃなきゃ、負けるはずがない。

「本当ですか?」
 ……本当に?

「本当ですか?」
 負けるとわかっていたのなら、勝つために、私はその身を泥に浸していたのだろうか?

「本当ですか?」
 それはきっと無理だった。
 絶対に黒化衝動で反転しない自信がない以上、私は世界と桜を天秤にかけることなんてできなかった。
 私は桜より世界が大切だと断言しておきながら、最後の最後で世界より桜を選ぶこともできない半端者。

「ねえ、ルビーさん」
 私は桜を救うため、私は私のまま手を尽くし、今回はそれが届かなかった。
 それはこの世界のマトウサクラへの裏切りだ。

「それはホントに本当ですか?」
 世界のためだろうと私が桜を殺せないように、きっと私は桜のために世界だって殺せない。
 中途半端。どっちつかず。二兎追って一兎も得ることのないその矜持。
 絶対の覚悟を持っていたのに、それを避けようとして、最後まで桜を選ぶことができなかった。
 まだ大丈夫と言い訳して、できるなら世界も残したいなんて甘い思考で私は桜を見捨てていたのと同じ道を歩んでいた。

 その思いを自らの内に宿らせて、私は私の罪深さを自覚する。
 負けたら終わりなのは桜だけで、自分はいくらでもチャンスがあると? いつの日か、宝石剣による間桐桜の救済を願えばそれで全てが終わりだと?
 負ければ、この世界の間桐桜は救えない。そんなことは大前提だったはずなのに。

「ねえ、ルビーさん。この泥を浴びてから私は頭がとっても冴えてます。ルビーさん、わかるんです、私には。そう――――」

“あなたが、このままではきっと負けてしまうということが”

「ねえルビーさん、皆を置いて言峰神父のところに向かったのはなぜですか?」
 それは、先に泥を確保したいから。

「ねえルビーさん。追いついた皆にまず降伏をよびかけたのはなぜですか?」
 それは、無駄な戦いは避けたいから

「ねえルビーさん。貴女は私と世界、どっちが大切なんですか?」
 あなたは選べる人ですか? と言外に訴える桜の問い。

 呪いの泥が逆流する。桜に流れた泥が令呪を通して再度私を汚染する。
 マッチポンプ。桜が私から引き出した泥の逆流で、私が汚染されれば世話はない。
 ガクリと力が抜けひざをつく。手を見れば真っ黒で、足元を見ればもう先ほどから泥だらけ。

「くっ、桜! 正気に――――」
 宝石を掲げ、善の安定と呪いの抵抗をつかさどるガーネットを打ち出そうと手を掲げ、

「“動かないで”」

 それは桜の腕で泥にまみれる令呪によって止められた。
 ガクリと、石化したように動きが止まる。
「――――あっ、は。……んっ」
 対魔力などゼロに等しい私にはそれは絶対の法則だ。私の動きはその言葉に縫いとめられる。
 動くな、という短期の呪いを解こうともがく私に桜は笑う。
「話し合いの前に手を出すなんて野蛮です。ルビーさんらしくもありませんよ。決断できないルビーさんが私を止めるなんてできません。答えられないなら黙っててくださいね。私は世界より貴女を選びたい。私は世界より貴女を選べるから。――――ごめんなさい。でも、しょうがないでしょう? 私は先輩たちとはちがうから」

 私は、私の幸せを望みます。

 にこやかに、まるで夕食のメニューを奏でるように、桜が私に微笑んだ。
「だからルビーさん。貴女は私が全てを終わらせるまで待っていてください。――――そう、ほんのちょっとだけ」
 それが最後。
 だんだんと令呪の縛りが消えていく。「動くな」なんていう刹那の行動を律する令呪なら当然だ。
 だが私のあせりは消えはしない。
 消えていく縛り、解けていく拘束。だがそれでも間に合うはずがない。
 このマトウサクラに令呪による拘束なんて必要ない。
 だってほら。彼女には絶対の檻がある。

 パン、頭の中で音がなり、令呪の縛りがゆっくり解ける。
 そして、私が桜に向かって掲げていた宝石が輝いて、私が桜に向かって駆けていた状態そのままに。

 何一つ起こることはなく。
 令呪の縛りから開放されるとほぼ同時、私の体はあっけなく泥の中に埋没した。

 Interlude out ルビー


   ◆◆◆


「じゃあ、貴方たちは死んでください」

 轟。と大気が泥の力に震えるような音を出す。
 私の力に世界が怯えて声を出す。

 泥で編まれた天蓋が空を隠し、呪いで編まれた世界が先輩たちに向かっていく。
 力が溢れる。
 私の力だ。
 泥が私に浸っている。私が泥に浸ってる。
 剣を構えるセイバーさんも、弓を構えるアーチャーさんも、衛宮先輩も遠坂先輩も怖くない。
 私はいま絶対だ。

 意図せずに笑いが洩れる。
 天蓋からは魂を殺す槍が振り、大地からは魂を溶かす水が湧く。
 それをセイバーさんの聖剣が打ち払うが、そんなもので間に合うはずがない。

 聖剣で消し飛んだ泥が一息で元に戻り、セイバーさんを飲み込もうと襲い掛かる。
 それがアーチャーさんの矢が防ぎ、さらに続く泥の波を遠坂先輩が宝石を純魔力として解放し、なんとか耐える。

「――――桜っ、あんた」

 遠坂先輩が何か言ってる。
 セイバーさんが叫び声をあげている。
 どういうつもりなのかしら、とそんな滑稽な姿に笑みが洩れる。
 あの程度の泥を三人がかりでどうにか防いだくらいで勝機を見出したつもりだと?

 後ろに居た衛宮先輩が自殺志願者のようにかけだそうとして、それを二人で止めながら、彼女達が、衛宮先輩が私に向かって何事かを叫んでいた。
 そんな三人を尻目にアーチャーさんが矢を撃つが、その閃光のごとき一撃をポチャンという静かな音と、小さな小さな波紋だけを残し泥の壁が受け止める。

「ふふふふふ」
 馬鹿みたい馬鹿みたい罵迦みたい。もう貴女たちは私に殺される以外に道はない。
 私はすでに殺すことを許容した呪いの女。
 衛宮先輩の叫びも耳に届かず、遠坂先輩の怒号も聞こえない。
 戦いの使者たるセイバーさんも、先ほど私に何かしらの概念矢を放ったアーチャーさんも、攻撃も追撃も反撃もせずに私を苦渋の瞳で睨むだけ。
 なに、あれ?
 片頬が自然と上がる。

「わかってないなあ」
 私はすでに貴方たちに敵と宣告してるのだ。

 愚かなセイバー。
 愚直にマスターに従う剣の騎士。
 民を見捨てられない王に意味はない。
 許すことしかできなくなった王に価値はない。
 貴女だけはだめなのに。衛宮士郎の美しさを美しいと感じても、それをうらやましいと思うことは許されない。
 前回この泥をその聖剣で吹き飛ばしたブリテンの竜の王。聖剣を抜き騎士の王。
 自分の心を信じられずに、自分の歩んだ道すら信じられずにいるのがその揺れる瞳に見えている。性を偽る疑念の王。偽りを背負った王が民から信頼を得られるものか。答えを持たず、答えを出せず、偽りの答えにすがっている愚かな王。
 後悔を抱えし、マスターと相反するサーヴァント。そんなものが、私とルビーさんにかなうはずがない。

 敵だと宣言した相手に、殺したくないと口にする衛宮士郎。
 戦いがあり、殺し合う。その中ですら善を妄信する狂信者。
 現実より心情を優先させる夢の住人。
 イリヤスフィールをかばい、敵に情けをかける人として生きる魔術使い。
 それを美しいと思った。
 それを私は愛しいと思った。
 だけど、彼の理念は回りの人間を汚染する。
 ルビーさんが言ったように、アーチャーさんが危惧したように、
 彼は自分の信念を押し付ける。
 魔術使いが魔術師に人の道を説く愚かさを彼は知らない、気づけない。
 ねえ、先輩。
 あなたが何を言おうとなにをしようとそれはあなたの問題だけど。
 全て納得済みのルールの下で聖杯戦争という名の殺し合いをしているマスターに貴方が口を出す権利なんてないんです。
 貴方のことは好きだけど。
 貴方のことがとてもとても好きだったけど、
 でも、ルビーさんを選んだ私には、貴方を選ぶことはできません。
 そして、つまりそういうことで。
 許容できない貴方との決別が、殺すしかないなんて、とっても皮肉、と笑いが洩れる。
 だから、私をきっと殺せない貴方では、私とルビーさんの敵じゃない。

 思い返す。
 目撃者を追ったランサーを止めようとした遠坂凛。
 魔術師であり魔術師でなく、冷徹であれと念じていながら甘さを抜くことのできない半端もの。
 貴女はきっとできもしない契約を口にする。彼女はためらわず私を世界のためなら殺せるといえるだろう。そうして、最後には自分の心と相反する心と誓いにその身を死へと朽ち果てさせる。どっちつかずの甘い魔術師。
 口先で冷徹を気取っても、貴女は所詮魔術師にはなれないただの人。
 ねえ、先輩。
 何度アーチャーさんに戒めを口にされました?
 何度アーチャーさんに魔術師の心得を口にされました?
 貴女はきっとそれにわかっていると答えたでしょう。当然だと口に出したのでしょう。
 だけどアーチャーさんの危惧は当たり前。貴女は常に戒めを受けなければ人なんて殺せない。どちらかを選べといわれても選べない。
 だから、結局貴女は私を殺せない。甘さに付け込むようで嫌だけど、甘さに付け込まないなんて馬鹿な行為を許容するのはもっとヤダ。
 貴女はルビーさんには及ばない。
 だから私に殺される。
 貴女みたいなのに従うアーチャーのサーヴァントともども私が殺す

 すでに私がこの泥を受諾している以上、この先は決まってる。
 泥の中身が教えてくれた。
 私はあの人たちとは違うのだって。
 全てを救うなんて妄想に取り付かれて、一兎も得ることのできないなんて愚を冒さないために。
 私に、望むもの以外を切り捨てるその道を。

   ◆

 泥をとばす。空を覆うような泥を、地を埋め尽くすような泥をたたきつける。
 こんな力を制御するなんてルビーさんでもなきゃ不可能だ。まして私はすでに制御するための理性すらこの泥にまみれてる。
 だけど、そんなこと必要ない。
 だってこれなら。たたきつければ私の勝ちだ。

 私はもう、ルビーさんだけいればいい。
 制御も何もなく泥を持ち上げて、前方に流し込む。

「凛、いけるかっ!?」
「っ! 手はありません。士郎、宝具を使います」
 それをみて、アーチャーさんが何事か呪を紡ぎ、セイバーさんが剣を光らせる。
「無理。囲まれちゃってるわ、アーチャー、道をあけれるっ?」
「ダメだ、セイバーの剣だけでは止められん。切り裂いた泥を私が防がねば意味がない、セイバー良いな。凛、君が道を開けろ!」
「セイバー、大丈夫なのか!? 宝具なんて撃ったら……」
「やらねばここで全滅です。やるしか道はありません! シロウはリンのサポートを」

 二人のサーヴァントに破竹の勢いで魔力が装填されていく。なけなしの魔力を振り絞り私の一撃に耐えようともがいてる。
 だが、そんなものに意味はない。
 これを防いでも意味はない。
 ここから逃げても次はない。
 本気でこんなばかげた津波に立ち向かおうとする彼等は滑稽だ。

 私の後ろには無限の魔力が渦巻いている。
 だからほら。

「ねえ、逃げることなんて考えてるヒマありますか?」
 私は第一波の泥を防ごうとしている彼らに向かい、背後に十七層の泥の波を掲げてみせる。

 ギリと歯を噛む音が聞こえるような形相で、セイバーさんとアーチャーさんが私を睨む。
 遠坂先輩が宝玉の結界を編むさまが滑稽だった。
 津波に傘をさす様な真似をしてどうするのか。
 衛宮先輩は先輩で、まだ私に何事か叫んでる。
 泥の叫びでかき消され、それはまったく聞こえなかったが、きっとそう――――やめろとかナントカ……そういうくだらないことに違いない。
 可笑しさがこみ上げる。

「あは、あはははは――――」

 あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

 やっぱり、力は重要だ。夢を適えるのに力が必要なのは当たり前だ。
 じゃあ、

“ミンナ、シンジャエ”

 泥が、手を失った魔術師たちを殺そうと天に向かって伸びていく。


   ◆◆◆


 Interlude 間桐慎二

 僕は走る衛宮の姿を見る。
 僕は戦う遠坂の姿を見る。
 僕は弓を構えるアーチャーの姿を見る。
 僕は剣を構えるセイバーの姿を見る。

 それが、桜を止めるための行動だということを僕はしっている。

 衛宮なんて負けてしまえばいいと思っていた。
 遠坂なんて負けてしまえばいいと思っていた。
 それが死ぬことだと知っていたはずなのに。
 それは、あいつらが殺されることだと知っていたはずなのに。

 衛宮が貧乏くじを引いて一人で弓道場の掃除をやっていたとき、僕はアイツは面白いやつだと思った。
 魔術師だと知っても、あいつとは仲良くやっていけると思ってた。

 それがだんだん狂い始めて、僕はあいつを疎ましく思うようになっていた。
 桜のサーヴァントが言っていた。
 衛宮士郎が魔術を使えるということを植えつけて、コンプレックスを刺激して、それはマキリ臓硯がそうなるように仕組んだと。
 バカバカしいと笑ってやった。
 だって当然じゃないか。

 そんなこと“わからないほうが”どうかしてるってもんだろう。

 仕向けられようがどうしようが衛宮を嫌ったのは僕自身だ。
 それをいまさら全部あの僕をゴミのように扱ったお爺様のせいにして、それで全てを丸く治めるなんてできっこない。
 これは僕の話であって、お爺様だろうが誰だろうが責任を持ってかれるのは不愉快だ。

 僕は聖杯戦争を知って、衛宮が死ぬだろうと思ってた。それを許容していたのだ。
 あんな甘いやつが生き残れるはずがない。人質取れば絶対勝てるほどにわかりやすいその心。敵に情けをかけるような甘い心。
 そいつが生き残れるなんてよっぽど上手く負けなきゃダメだ。しかもあいつは敗退したところで首を突っ込むほどのバカなんだから。
 勝利なんて夢の夢。上手く負けられればお慰み。
 ほら、こんな思考をしていた僕に責任がないなんてお笑いだ。

 僕の目の前で、桜が狂った。
 僕が昔あいつをぶっ壊したときとは別物の、魂の汚染。魂の変異。
 アイツが殺すと口にする。あいつはそんな言葉をどんなにボロボロにされたって口にしなかったって言うのに。

 アイツの我慢強さは狂人並みだ。僕がボロボロにした張本人の一味だからよくわかる。アイツは普通なら狂っちまうようなことにずっと背を丸めて耐えていて、それでも一度も責任を誰にも押し付けなかったお人好しだ。
 間違ってもあんなことを口にするようなやつじゃない。
 それなのに、いま僕の目の前でアイツが「死んじまえ」なんて口にする。
 小学生が言うように。中学生が呟くように。高校生が腹の中で唱えるように。
 誰だってそんなことを思ってる。僕だって口にした。だけどそれは戯言で、戯言でもそんなことを口にしないなんて潔癖は、アイツや衛宮士郎くらいのもんだろう?

 だけどアイツはずっと自虐的に泣いていた。自分が悪いと泣いているアイツの姿にイライラしていた僕だからよくわかる。
 そんなバカが、ホントに本気で真面目な声を絶対の意思で、自分のもっとも大切に想っていたはずのあの二人にむかって「しんじまえ」?

 そんなのおかしいだろ。ありえねえ。
 あいつはわかってるはずなんだ。
 十八層の泥がかつての桜の思い人と、かつての桜の姉の体を消しとばそうとするのを見て、僕はやっと気づいていた。
 僕はぜんぜんわかっちゃいなかった。
 衛宮が生き残れるわけないだろう、なんてせせら笑って、僕が死ぬなんて想像もしてなくて、なんて愚か。

 くそったれ。と毒づいた。
 衛宮のバカの言葉がよみがえる。
 あんな馬鹿げたやつだけど、魔術師にはなれっこないバカだけど。
 きっと、衛宮は正しいんだ。
 死んだら終わりだ。アイツがバカみたいに聖杯戦争でぶっていた善論は、人の死を許容しないものだけだった。
 遠坂だって、魔術師の癖に躊躇ばっかりしていたあの行動は、人の死に関わるものばかりだった。

 死んだら終わりだと叫ぶ衛宮の声を思い出す。そりゃそうだ。死んだ人間を戻すなんて魔法使いの技だろう。
 それを僕は本当の意味ではわかってなかった。
 死ねなんて簡単に口にしていた僕こそわかってはいなかった。
 次は殺す次は殺すって、絶対にその決心を鈍らせないよう自分に言い聞かせていた遠坂のように、
 殺すのはダメだと涙を流す、バカで愚直で能無しの魔術使いの衛宮のように。
 いまこの瞬間まで僕は魔術師の振りをしていただけだった。知りながら許容しようとしていた遠坂のようにでもなく、知ってそれを否定した衛宮のようでもなく。
 知った振りをして終わってた。

 衛宮だろうとお爺様だろうと死んでしまったらもう終わり。
 許容できるやつもいるだろう。
 許容せざるを得ないやつもいるだろう。
 だけど、桜はダメだ。
 あいつはよわっちくて、単純で、お人よしで、ただ黙って耐えてばかりいるようなやつだ。
 あいつは潰れちまうに決まってる。
 ルビーがいるんだ。あいつがこんなばかげた泥から抜け出すなんてのは絶対だけど、それまでに心がぶっ壊れちまえば意味はない。
 いくらルビーだって、壊れた心を戻せるとは限らない。

 くそっ、本当に貧乏くじだ。
 僕は立つ。もともと外傷なんてゼロなんだ。ただ一人傷一つないのに、誰一人気にしていなかった普通人。
 だけど、それでも――――僕は桜の兄貴なんだ。

 ――――くそったれ。ふざけやがって。やっぱり、あいつは、本当に僕がいないとダメダメだ。

 重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なって重なった泥の層が、一斉に打ち出されようとするその直前、
「さくらぁあああああぁぁああ!」
 僕は背を向けている桜に飛びつくように駆け寄って、その肩を掴み振り向かせる。
 くそっ、僕まで正気じゃない。
 だけどバカを妹に持った責任をはたすため、
 僕は桜に最後の一線を越えさせないためだけに、自分の命を賭けてやる。

   ◆

「ぐ、あぁぁあ……」
 ジュウと肉の焼けるような音がして、僕の腕が黒く染まる。物理的な炎ではない、魂が焼け焦げているのだということに伝播するように染まっていく腕を見て気づく。
「……えっ、兄さん?」

 そして僕が、サクラに向かい口を開こうとしたその瞬間、
「さくら、ちょっと待――――」
 それを遮るようにドンッ、と腹に響く音がする。
 えっ、と吐息を漏らし腹を見れば、桜の影が僕の腹を貫いていた。外傷はないが慰めにもならないほど真っ黒な泥が僕を汚す。
 思ったよりもこいつの頭は澱んでやがる。
 全身が弛緩し、口から胃液と血が逆流するのを自覚しながら今日まだ食事を取ってないのは正解だったと頭の片隅で呟いた。
 一拍後。とんでもない痛みで目の前が真っ赤に染まる。腕が厚い腹が痛い。
 ジワリと足に温かみが感じられた。小便でも洩れたんだろうと想いながら、僕は桜の顔を見た。
 無理やりに再度口をひらこうと、

「桜、おま――――」
「邪魔しないでください」

 ドン、ドンと今度は二発。桜の足元から伸びた影が僕のヒザを貫いた。
 人の話くらい聞けよ、このバカが。
「うぎっ……痛っつ。げ、がぁはあ」
 それだけ喋れたのが奇蹟だろう。
 喉からこみ上げるものを吐き出す。喉の奥から逆流した胃液はどす黒い血を含んでいた。
 概念の泥が実際に肉体に影響を与えている。
 足の神経が遮断される。ガクリとヒザを突き、そのまま桜に蹴りを入れられて仰向けに倒れこんだ。

「バカじゃないですか? 兄さんごときが私を倒せるはずなんて有り得ません。そんなこともわからないなんてホントに愚図です。……散々私にひどいことしておいて、ルビーさんのおかげで、ちょっと改心してたから私が油断するとでも想ってたんですか? それともあれですか? 私をどうにかして、泥をどうにかして、皆を助けてハッピーエンド。そんな夢は小学生で卒業したほうがいいですよ。それで自分が許されるとでも思っていたんですか? くだらないくだらないくだらない死ねばいい。………………罰は罪の対価として存在しますが、許しは罰の対価として払われるものではありません。貴方は絶対許されない。ほらっ、ビクビク動いてオシッコ漏らして無様ですね。私の気持ちがわかりました? それが報いです。それが罪です。それが罰です。あとは死んで清算されて終わりです」
 バカな勘違いをした桜が何事かほざいてる。だけど僕にはそれを理解するだけの理性は残っていない。
 痛い痛い痛すぎる。
 やってられるかクソヤロウ。
 体が勝手に痙攣を起こす。バカみたいに痛い。痛い痛い痛い、やばすぎる。
 辛すぎて気絶してきつすぎて叩き起こされる。ああ、戦いなんて最低だ。
 聖杯のためだろうとこんな思いをするなんて、どいつもこいつも魔術師ってのはイカれてやがる。
 自分の体がゼンマイ式のおもちゃのようにビクビクと動くのがグチャグチャに混乱した頭で少しばかり面白い。

 グリ、と桜が僕の足を踏む。
「ぐあっ。……ギ、げはあぁあ」
 グシャリ、なんて音が耳ではなく体を通して伝わった。
 運動部の癖にどんくさいやつだった桜は、そのまま僕の右足首を踏み潰した。
 すでに許容量を超えていかれちまった頭が、その感触を伝えてきた。
 痛みより気持ち悪さで僕は血反吐を撒き散らす。
 体が勝手にもがくが桜はその足をどけなかった。
 そのままグリグリと踏みつけると、アイツは笑う。

「兄さん、なんてどうでもいいんです。ちょっとでも躊躇すると思いましたか? 魔術師でもないくせに、人を殺す力もないくせにお仲間のつもりですか? 貴方はルビーさんが良く笑いかけていたから生かしておいただけです。ルビーさんが貴方を認めていたから殺さなかっただけです。ルビーさんがこちら側だと判断したから見逃していただけです。少しだって私は貴方を大切だなんて想っていません。貴方なんていつ死んだってかまわない。泥に飲み込ませて五分刻みで永遠に苦しめてあげましょう。このまま体中の骨を砕いて死ぬまで遊んで差し上げます――――私は兄さんを殺すのなんてぜんぜん平気。ぜんぜんちょっともほんの少しだって気にならない、平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気平気へいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいきへいき、へいき、へいき、へいき、へいき、へいき、へいき、へいき、へいき、へい――――」

 言いながら、桜は僕の体を踏みつける。足が折れ腕が折れ、きっと内臓が破裂して、意識が吹っ飛ぶと同時に痛みに覚醒する地獄の中、僕は桜に向かって笑ってやった。
 それは筋肉の弛緩によるただの現象だったけど、僕は僕を笑う桜に向かって嘲笑する。
 声なんてもうだせない。満足に息を吐くことすらできないような状態だ。
 だけどそんなことはどうでもいい。
 悔しさも悲しさも感じない。
 だってこれは当たり前で。

 これは僕の予定のままだ。

 ざまあみろと思考する。
 この桜はあいつらを殺せない。
 正気が戻ったあとを覚えてろ。
 戻ったときに、百万言ついやして謝ったって許さない。

 桜じゃないお前はもう退場だ。
 世界を牛耳るような泥を味方につけたなんて言ったって――――

 ――――やっぱりこいつは大バカだ。

 なあ、あんたもそう思うだろ?

「気にしていない、だと? ――――まったく」
 僕を踏みつける桜の背後から、そいつのあきれるような声がする。
「――――なっ!?」
 桜が目を見開いて後ろを振り向く。
 バカが。
 僕に気を取られ、たった十五秒前のことを忘れてやがる。
 笑えるくらいの間抜けぶりだぜ、なあ桜。

「――――それが固執でなくてなんなのだ、サクラ」

 思考が極端に寄りやすいマヌケの背後。すでに衛宮のサーヴァントがその剣を振るってる。
 桜の癖に粋がるからだ。ざまあみろ。
 僕はもう一度、このバカに笑ってやってから、その意識を埋没させた。

 Interlude out 間桐慎二


   ◆◆◆


 Interlude セイバー

 サクラの放った泥の津波は、彼女が後ろに現れたシンジに目を向けたとたんに力を失い、その勢いを全て殺されたように地に落ちた。
 ザバンと地面に落ちた泥が跳ね、それが収まったときにはサクラは我々に完全に後ろを向けていた。

 私はその光景を見て反射的に地を蹴っていた。
 柳洞寺、境内裏。そこは狭いといっても桜との戦闘によりすでに森が削れて更地荒野が広がり、彼女と我々の距離は剣士の間合いには程遠い。戸惑う暇などありはしない。
 私は私の直感に従ってこれを罠ではなく好機とみて地を蹴った。

 サクラまでの道を直進して走りぬける。大地に残る大きな沼の前ギリギリで宙に飛ぶ。
 迂回などしているヒマはない。これは千載一遇。最後のチャンス。
 だがその沼は軽く見ても数十メートルは広がっている。ランサーではあるまいし、ここまで消耗した体では飛び越えられはしないだろう。
 が、予想通り、泥に足をつく瞬間、曲芸じみたタイミングで足元に矢がはえた。それを台にさらに飛ぶ。
 一歩を踏み込んだ瞬間にグニャリと曲がり、形を失って霧とかす。それは魔力に編まれた魔術を振るう弓兵の鉄矢である。
 さらに数メートル飛んだ先にもう三本。それを蹴って対岸に。ここまでの工程は完全無音。
 アーチャーの矢は私が踏み越えた瞬間に消えていく。鉄の硬度をギリギリ保つただの棒。
 アーチャーは強がっていたが、彼にはすでに魔力がない。ただでさえ彼はその剣製に数十秒の時間を使う。おそらく、彼は桜を打ち抜こうと貯めていた魔力を私の足場を作る矢に回したのだろう。
 私の意を汲み取った彼に感謝の言葉を心の中で呟きながら、私は走る。

 バーサーカー戦での剣群を思い返せば、アーチャーにはこの場をナントカできる宝具があるのかもしれない。だが、彼にそれをここでやれというのは無理だろう。この場で彼の剣製を待つ時間はない。
 私は剣を構え、同時に風王結界を開放してゆく。
 死ぬか生きるかわからない。その程度には手加減をしても良い。
 だが、再起不能になる程度にはダメージをおってもらう。

 私は心を固めながらマトウサクラに向かって駆けていく。
 ここで我々が負ければこの町は消え去るだろう。この時代にいる“専門家”がどの程度のものなのかは知らないが、サクラがこのまま暴走すれば、この町とマトウサクラ本人が消されることは確実だ。

 病的にシンジをののしり続けるサクラに向かって口を開く。
 彼女が驚愕の表情でこちらを向き、反射的に泥を展開しようとするがそんなものは遅すぎる。
 自動展開されていた泥がアーチャーの矢で吹き飛んで、泥の破片は風王結界に飛ばされる。
 障害は何もない。
 刃風をなびかせ我が愛剣を一閃させる。
 躊躇なく、私は彼女の腕を切断した。

「きゃあ――――ッ!」
 刃音も残さず軌跡も見せず、一瞬で令呪の刻まれた腕を切りとばす。
 くるくると腕が空を舞い、私は桜の腕の切断面を凝視する。

「くっ……」
 苦汁が洩れる。甘さからでも、しくじりからでもなく
 ルビーの泥を、令呪を通して継承したのを見て取っての行動だったが、やはり想定が甘かった。
 サクラはすでにその泥を体の一部として扱っている。
 ルビーから泥を引き出したことで、令呪とルビーとの間に泥専用の流れができていたのだろう。パスからルビーに進入し、逆にルビーを汚染したのがその証左。
 すでに泥の管理権が移っている。

 桜の腕は血の変わりに泥を吐き、その傷口を覆っていた。
 サクラが戦いの素人なのは確実だ。そのサクラが痛みに動けなくなるということもなく、傷ついた腕をそのままに憎悪の瞳を向けてくる。
 神経系まで汚染されていると判断し、私は再度剣を下段に構えた。

「あ、あ…………令呪、が」
 令呪とはサーヴァントを律するとともに、そのサーヴァントとの唯一つの絆である。
 それを絶たれたことが、ルビーにあれほど固執していた桜の衝撃はいかほどのものなのか。
 よくもやってくれた、とサクラの瞳が語りかけ、その口からは怨叫が吐き出される。
 だが、この距離で大砲のごとき技を持ったところで意味はない。
 この距離に来た時点で私の勝ちだ。
 攻撃の意を汲み取り、発動する泥は、意と同時に振るわれる我が剣より五拍は遅い。
 サクラはそんなことにも気づけない。怒りのままに泥を生み、私に向かって打ち出そうという意思でその瞳が染まってる。
 一瞬の逡巡に一拍の遅延、サクラを殺すという決断に三拍の停滞。
 そして間に合わなくなるその境。
 私はそれを許容せよと自分自身に言い聞かせる。

 その決断に苦渋が洩れる。
 汚染源を切り取り、それでなお汚染されたマトウサクラを止められなかった以上、すでに道はほかにない。
 アーチャーの矢を待つことも、ルビーの復活を待つヒマもない。
 決断への意思の曖昧さとは裏腹に、幾多の戦場で人を切った私の剣が鈍ることはない。
 私は数多の戦いで部下を殺させた、部下に殺させ、己の手を血に染めている王である。
 ただ、シロウに、サクラに申し訳ないという気休めだけを心に宿し、
 私は泥ごとサクラを断つ剣を振り下ろし――――

「――――やめろっ! セイバー!!」

 その一撃が彼女を切り裂く直前に、シロウに刻まれし契約の呪に止められた。

 Interlude out セイバー


   ◆◆◆


 アーチャーが鬼のような顔を背後に向ける。
 セイバーさんが停止した刀身に目を見開く。
 遠坂先輩だって、おんなじだ。信じられないって顔をして隣にたつその人物の顔を見る。

「この、馬鹿者が――――ッ!」

 アーチャーさんが叫びながら矢を放つ。
 歪な刀身を持った魔剣は、セイバーさんの剣よりもずっと遅れて吹き上がった私の泥に飲み込まれ、相殺されて泥と一緒に消え去った。

 そして最後のチャンスをつぶした張本人。
 衛宮先輩が私に向かって、何かを叫ぶ。

 やめろ。
 あはははは、それさっきも聞きました。

 桜、やめろ。
 あはははは、どうしてですか?

 やめるんだ。
 あはははははは、ねえ、先輩。貴方さっきからバカみたい。

 サクラ、なにをしてるんだ。
 そして、私は堪えきれない笑みを浮かべ、その愚考をあざ笑う。

 あはははははははははははははは。まったく、知ってはいたことだけど、あの人はどこまでも見苦しく足掻くのか。
 次善すら切り捨てて最善しか求めぬその思考。

「――――――なんて、愚か」
「くっ!?」

 やっとのことで令呪の縛りから開放されたセイバーさんが後ろに飛ぶ。
 だが、それは遅すぎる。
 だって、私の泥は私から飛び出るだけじゃない。
 彼女は私の泥を飛び越えてここにやってきたのだ。
 だから、彼女は私の前に立った時点ですでに私を殺すか、殺されるかしか道はない。
 つまり私を殺すことを禁じられれば、それは彼女の死と同義。

「逃げちゃ、ダメです」

 セイバーさんを取り囲むように泥の壁を呼び出した。
 セイバーさんが飛び越えた泥の沼を立ち上げて、檻で取り囲むようにセイバーさんの周囲を泥の柱で囲んでみせる。
 腕を切り取られたことで制御が鈍い。
 それでも、私になじんだ泥は十分に私の想いに答えてくれた。

「逃げられないですよ、セイバーさん」
「…………」

 せっかく私が、きょろきょろと打開策を探ってるセイバーさんを徒労から解消してあげようと声をかけてみたが、残念ながらセイバーさんは無言だった。
 アーチャーさんはバカの一つ覚えみたいに魔力を充填し、矢を錬る準備。
 遠坂先輩も衛宮先輩も、もうわかりそうなものなのに、懲りずに何かしらの馬鹿げた投降を呼びかけている。
 でもそんなものは全部無駄。
 兄さんは後ろで死にかけだ。ルビーさんがいやに気にしていた弓騎士も消えかけで、そんな弓矢じゃ私の泥は敗れない。剣の騎士なんてすでに死んだようなものだろう? 先輩たちに至っては私にたてつこうなど論外だ。

「千載一遇のチャンスって言うのは、二回も続かないものですよ。あきらめたほうがいいんじゃないですか、セイバーさん」
 くすくすと堪えきれず笑いが洩れる。
 外装の復元すら満足に行えていないようなセイバーさんは、それでも諦めてはいなかった。
 返事さえしない、恐れのカケラもないその瞳がひどく癇に障る。

「マスターに裏切られるなんて滑稽ですね。無様すぎますよ、セイバーさん」
「……シロウへの侮辱は許さない」
 私の言葉に反応し、セイバーさんはこちらに眼を向ける。だが、その内容は絶望でも懇願でも駆け引きですらなく、ただ私の言葉への反論だった。

「貴女が失敗したのは先輩のせいですけど?」
「違う。私の未熟のせいだろう。シロウがサクラを殺せないことは知っていたはずだった」
「わかったようなことをいうんですね……」
「気に障ったか、サクラ。だがこれはサクラこそが知っているはずのことだ」
 セイバーが平然と言う。
 その言葉に反論しようとして、私はいつの間にか歯をかみ締めていることに気づいた。
 声が出ない。
 聞くな、耳を傾けるな、すぐ殺せ、時間を空けるな、なにをやってる、機を逃すな。私の奥から真っ黒に彩られた声が響く。

「サクラ。貴女がいま感じている衝動、思考は偽りだ。ルビーが貴女にやめよといった意味を考えなさい。ルビーが貴女のいまの行いを是とすると思っているのですか?」
「…………」
「貴女の行為が最もルビーを傷つける。気づいていないはずがない。気づけぬはずがないでしょう。冷静になりなさい。貴女はまだ決定的に外れてしまったわけではない。彼も我々もまだ生きているしやり直せる。投降すれば危害は加えない。リンとルビー、それにアーチャーならばその呪いを解くこともでき――――」

 ガツンと、頭が揺さぶられた。
 何か私の奥の奥からおかしなものが這いでようともがいてる。

 ■■■。■■ろ。や■ろ。
 正■に戻■。
 ルビ■■■の■スタ■■して正気■■■。
 ■■んか■■■■■■■■。
 ■■■■■。
 ■■■。
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 だがそんなものは半秒にも満たずに消えて、
 バチリ、とエラーが修正される。
 だがそれでも、私は何か言いようのない不快感に襲われて、この気分の元凶であるセイバーさんを睨みつけた。

「…………るさいなあ」
「むっ? サクラ、なにを……」
「貴女は、うるさい」
「なっ、サクラ!?」
 私の心に反応し、地に広がる泥がジワリと浮き出る。

 それを見て、セイバーさんが剣を構える。
 やっぱりだ。騙されてなんかやるもんか。
「…………なあんだ。やっぱり、そういうことですか、時間稼ぎってわけですね、セイバーさん、先輩が令呪なんか使っちゃうもんだから、縛りが完全に解けるまで私を惑わそうとするなんて」
「サクラッ! 貴女は本気でそのような――――」
 図星を指されてセイバーさんが憤る。
 腰を落とし、妄言を語る愚を悟って、剣を構えて私を見る。

 危なかった。
 バカバカしくて愚劣で卑怯でくだらない戯言だけど、一瞬とはいえ動揺してしまった自分を恥じる。
 ルビーさんルビーさんとこのサーヴァントがうるさいから、少しばかり気を取られた。
 あいつが行ったのは時間稼ぎ。
 だからあいつの言葉は全部うそ。
 だから、ルビーさんが悲しむなんてのも、やっぱり嘘だ。

 危なかった、危なかった、あぶなかった、あぶなかった。あと少しで騙されてしまうところだった。とワタシの奥から声がする。
「残念でしたね、セイバーさん。ルビーさんを侮辱した罪を償いなさい。令呪なんか狙って私とルビーさんを切り離したつもりですか。彼女と私もいまだってこの子が繋げていてくれるんです。それは切っても切れない絆で、貴女の剣なんかじゃ絶対に絶てないような本当のものなんです。殺して終わりにする気だったけど、貴女は殺してなんてあげません。貴女のやったことをキチンと懺悔できるよう、じっくりといたぶって、じっくりとなぶって泥で汚染して私のペットみたいにしてあげますから」

 ルビーさんがやったように泥を飛ばす。それをギリギリで弾き飛ばし、セイバーのサーヴァントが後ずさった。
 泥は切り飛ばされるとともにその剣の刀身にへばりつき、ジュワジュワと心地よい音を上げている。
「くっ……」
「あら、こんなのでもう手いっぱいなんですか?」
 ポンッポンッ、と泥を浮かべる。制御に力をさけばルビーさんの真似事くらいはできるのだ。まあルビーさんにはとてもじゃないが、かなわないものだけど。
 それでも、この死にぞこないには十分だろう。
「ほおら、さっさと逃げないと当たっちゃいますよ、セイバーさん」

 私は、その球体化した泥をセイバーのサーヴァントにとばしながら、微笑んだ。
「――――さあ豚みたいに這いずりなさい」


   ◆◆◆


 Interlude セイバー

 泥の弾丸が飛んでくる。
 遅い。数も一度に三を超えることはなく、直線しか描かないその泥は、互いの連携すらなく、まるで児戯の延長だ。
 ルビーなら、十倍の速度で百倍の量で千倍の狡猾さをもって放てるだろう。

「くっ!?」
 しかし、それでいて、その泥はいまの私には十分すぎるほどの脅威だった。
 ルビーの放った泥が乾泥ならば、サクラの泥は湿泥だ。
 ただ稚拙でありながら、その泥は泥と同化した者しか放てない侵食の呪いがルビーの放ったものの万倍の濃度でつまっている。

 右足を狙う一撃を飛んでかわし、次いで上体をそらして残りを避ける。
 着地と同時に横に飛ぶ。一瞬前までいた地面が黒く染まった。

「ふふふ、粘りますね。往生際が悪いです、ほんと無様」

 桜の言葉を無視して、私は泥を避け続ける。
 魔力はすでに現界にギリギリの量しか残っていない。
 極力避けているが、どうしても剣で打ち払わねばならないものもあり、一合ごとに、恐ろしいほどの重さを持った泥により、私の魔力は削り取られるように減少していた。
 すでに私の魔力残量は聖剣を発動すらできないほどに弱まっている。
 このままではジリ貧である。
 私は内心を押し隠し、サクラの攻撃を、いつか終焉を向かえる死の一歩手前を装ってギリギリでかわし続けた。

“セイバー、聞こえるか?”

“ええシロウ”

“……さっきは悪かった。でも――――”

“謝罪は結構です。あなたの頑固さはわかっていますから”

 このような場だというのに思わず苦笑が洩れた。
 シロウの横にはリンがいた。きっと彼女が私の言うべきことを代弁してくれたに決まっている。
 シロウが私の言葉に口ごもったのとほぼ同時に、彼の思念が大きく乱れた。
 パスを通し、念話で呼びかけるが要領を得ない返事をするシロウに換わり、思わぬ人物からの声が私の耳に届く。
 それは遠坂凛の声だった。

“セイバー、聞こえる?”

“リン?”

“簡易だけど、シロウとパスをつなげさせてもらったわ。だけどこんな半人前を経由してだから、こっちから思いっきり干渉してもあなたに声を届けるので精一杯。魔力はほとんど送れそうにないわ。どれくらい持つ?”

“――――サクラがこのまま同じ手を打ち続けてもせいぜい二分。それに……”

“でしょうね。了解。アーチャーは貴女と違って私からの魔力供給があるからもう少しすれば宝具も放てるわ。逆転は無理でも突破口を開けるはず。悪いけど、もうちょっと頑張って”

“任されましょう。十分すぎる”

“それと…………サクラを殺そうとしたことは間違ってないわ。いけると思ったら躊躇しないで”

 リンが言わなくてよいことをわざわざ口にした。
 それは決心を伝えたかったのか、それとも私への免罪か。
 その言葉を伝えられた瞬間にシロウの意識が混線する。
 どちらが正しく、どちらが間違っているのか。
 どちらも正しく、どちらも間違っているのか。
 それは、今は関係のないことだ。
 私は返事をせず、剣を構える。

 背後を見るほどの余裕はないが、アーチャーが魔力を高めていく。サクラに気取られる恐れがあるが、ここは耐えるしかないだろう。
 どの道、いまのサクラは泥による影響下で思考が狭窄ぎみだ。きっかけさえ与えなければこのまま持つ。

 魔弾が飛ぶ。
 私は思考を脇にそらせるのをやめて、マトウサクラの放つ泥弾を、髪一房を代償にしてかわして見せた。

   ◆

 決め手などいくらでもあったのだ。
 ルビーが離反すると言った際、マトウサクラの処遇をなあなあで済ませるなんてことをしなければ。
 前アーチャーとの戦闘時、ルビーの挙動に気を配ってさえいれば。
 ルビーとの戦闘で、サクラの心に気を配ってさえいれば。
 サクラとの戦闘で、いや前夜だろうと前日だろうといつだって良かった。ただ事前にシロウと聖杯戦争のあり方について矛盾を抱えたまま終われるなんて幻想を持たずに話し合ってさえいれば。
 そして先ほど、甘さを見せず初太刀で彼女の命を刈り取れば。
 切っ掛けなどというものはひどく些細なものなのが普通だが、ここまで重なるとは、運がない。

「いや、ここまでしくじり続けて、いまだ全員が残っていることの幸運を見るべきか」

 一人ごちながら泥を避ける。
 しかし刻一刻と劣勢になっていることは否めない。
 もともとサクラの泥捌きが稚拙だったのは、純粋に戦闘になれていないから。
 どのような愚図でも同じ行動が通じないとわかっていてそれを繰り返し続けるものがいるだろうか。
 ましてサクラは愚図ではない。彼女だんだんと、ゆっくりながらも確実にその攻撃に鋭さを加えてきた。

 能力に依存するため、制御される泥の数は変わらない。それは同時に四つを越えることはなく、人の早さを凌駕することもない。泥と同化しようがそれは魔力の操作能力の問題だ。
 だが泥との親和性により変動する一撃一撃の威力だけが際限なくが上がっていき、制御の甘さが時間とともに消えていく。
 私に届かないとわかればその手は二度と使わない。私が飛んで避けなければならないような状態に、剣を使って泥をはじかなければならない状態に、と追い込まれる。
 一撃で終わらせる攻撃の中に、消耗を狙うものが混じり、それが的確に瀕死の私からさらに魔力を削っていく。
 それを私の勘と経験の差でなんとか防ぎ、かわしていく。

 そうして、演者である私にとって、永遠に等しいほどの演舞が終わる。
 何事もいつか終わりがある。
 終焉の幕引きがアーチャーか私かサクラかの違いだけ。
 終わりの始まりは私が一撃を受けたその瞬間。

 ドン、という衝撃が体に響く。
「っ!」
 思わず舌打ちした。
 一撃が幕を引くこの戦い。
 私の消耗とサクラの躁泥技の力が逆転し、私の膝が地についた。

「ああ、やっと捕まえました」
 サクラが笑みを浮かべる。
 たった四度、魔力の塊を剣ではじいただけで、それまでのあまりの魔力の消耗からか、一瞬現界へのリンクが途切れかけ、私が魔力をかき集めるその隙を逃さず、足が黒い影に埋まっていた。

「ぐっ……」
 泥が登る。まずい。足を切って脱出しようが後が続かない。
 一瞬のミスによる戦いの途切れは明確な終わりを示していた。

「大丈夫ですよ。私が魔力を注ぎ込んであげますから」
「……笑えないな、ごめんこうむる」
「そうですか、きっとすぐに気も変わりますけどね。私の靴をなめ上げるくらい調教して、さっきの言葉を謝らせて上げます」
 泥の侵食が始まるが、それを待つ気はないないようだ。
 足を侵され動きの取れない私に向かい、サクラは魔弾を掲げて見せた。
 動きの取れぬ身、装甲どころか現界ギリギリの残存魔力でどこまで防げるか、と剣を構える。

“セイバー!”

“シロウ。申し訳ありません、不覚を取りました”

“衛宮君、貴女が突貫してどうなる問題でもないでしょっ。アーチャーっ!”

“遠坂、早く!”

 シロウの激昂が聞こえる。
 それに対してリンは説得というよりも駄々をこねる子供に癇癪を収めることを懇願するような口調で戒める。
 続いて、リンからアーチャーが宝具を放てるまであと一分との声が届く。

“持たせられる?”

“天にでも祈るしかありませんね”

 サクラの気まぐれに期待すればいけるだろうかと考えて、あまりの甘さに苦笑する。

“足掻いては見ますが、私はここで敗退でしょう。だが、それでもその程度なら私の意志がサクラに支配下に置かれるよりもはやいはずです。リン、シロウ。貴方たちはこの機を――――”

 そこで自然に言葉が途切れる。
 私の視線の先で、マトウサクラがその瞳をこちらに向けている。
 リンたちと無言のまま念話をかわしていたワタシをじっと見つめるサクラの視線。それに私の直感が警鐘を響かせる。
 ――――これはまずい、と。

“リン! アーチャーに矢を放て、と!”

“な、なにいってるの、剣じゃなくて呪具なのよ? 不完全じゃあ三割だって期待できない”

“ですが、このままでは”

 その三割すら届かない。
 私がそのことを彼らに伝えようとして、その言葉を送るのとほぼ同時。

「セイバーさん。まだ、諦めていませんね」

 マトウサクラの声が響く。
 まずいまずいまずい。これはまずい。
 リンたちも気づく。
 だがアーチャーは矢を撃たず、リンたちもこちらに駆け出そうとはしなかった。
 ただ絶望とともにその光景を見守るだけ。

「ふふふふ、気づかないと思いました? 気づいてないと思いました?」

 心底嬉しそうな桜の声。他者の絶望を喜びとする、マトウサクラには有り得ないはず思考体系を疑問にすら思えていない。
 瞬間、爆音が背後から響いて、私はとっさにサクラに背を向けるという愚行を犯すことを許容して背後を見た。
 苦虫を噛み潰したようなアーチャーの視線と一瞬だけ視線が合って、そのまま弓を構えていたアーチャーも、シロウを抱きしめるようにしていたリンの姿も泥の壁に遮られた。
 私とシロウたちを区切っていた泥の柱、泥の沼が大きく広がる。

 私が先ほど飛び越えた泥の沼。そう、マトウサクラに戦いを挑むため、走ったときから知っていたはずだったその存在。
 厚い厚い泥の壁。
 それが私の背後で蠢いている。

 それはあまりに恐ろしい。
 世界を遮断するほどの汚染された純魔力。
 向こうからこちら、こちらから向こうへの干渉どころではない。
 我々とサクラを取り囲むように広がった泥はすでに結界。宝具の域だ。
 私はいまさらながらに彼女の制御するものの恐ろしさを思い知る。

「……泥が」

「ええ、これならアーチャーさんも破れません。お忘れですか? 私にはルビーさんのような制御はできないけれど」

 ただその出力においてはそれ以上。
 ルビーが最初に見せた世界を覆う泥の膜。それをサクラは技巧を使わず、ただ力のみで再現した。

 サクラの顔は消耗している。さすがにこれほどの泥を、同化しているとはいえ継承権をルビーから奪っただけの身で操るほうがおかしいのだ。
 肘から消えた左腕を胸に抱き、蒼白の顔で私に笑う。
 だが私のほうもすでに動きが取れるような状態ではない。泥の侵食はもはやヒザを超えて腰を過ぎ去り腹の一部まで進んでいる。すでに剣をもって害された肉体を削ることも不可能だ。
 時間稼ぎで得をするのはサクラも一緒だったということか、と苦々しい笑いが洩れる。

「奇蹟は二度も続きませんよ」
 サクラはこれ見よがしに、気絶しているマトウシンジに目を向けて、その半死の体躯にむかい泥を流す。
 小さな波がシンジの体を包み込み、浅瀬から消えるようにゆっくりと引いていったその後に、マトウシンジの体は消えていた。

 それを、無表情に見つめ、ほんの少しだけ黙ったあとに何かを吹っ切ろうとするようなため息を漏らしたことに、サクラは気づいていたのだろうか。
 失った腕をもう片方の腕で、きつくきつく握り締めていることにも気づいていない貴女が、本当にシンジを失ったことに心を揺らしていないといえるのか。
 だが、そんなことを聞くヒマなどは当然なく、

「もうこれなら万全でしょう。ああ、結果はわかってましたけど、こんな手間取るなんて驚きですね。でも、やっと勝てました」

 顔色ともその体が示す無意識の行動とも裏腹に、口調だけは狂気に満ちた彼女が私に向かってそういった。
 それに対して口を開こうとした私を待つなんてことがあるはずもなく。
 サクラは私に向かい三発の魔弾を繰り出した。

 Interlude out セイバー




[1002] カレイドルビー 第十三話 「柳洞寺最終戦 最終章」
Name: SK
Date: 2006/11/05 00:36
「ごめんなさい」
「ありがとう」
「さようなら」


   カレイドルビー 第十三話 「柳洞寺最終戦 最終章」


 Interlude ルビー

 泥の中に沈んでいる。
 泥の中でたゆっている。

 間桐桜と呼ばれるものの声が聞こえる。
 殺してしまえ。
 死んでしまえ。
 そんな声が聞こえてくる。

 笑えてくる。
 桜がそんなこというものか。
 黙っていろアヴェンジャー。
 静かにしていろ呪いの主よ。

 だが声は一向にやむ気配がない。
 飽きもせず、取り込んだ贄の精神を侵食しようと侵食の概念を伴った言葉を繰りかえす。

 侵食。心を侵そうと繰り返すその呪い。
 だが、そんなものに侵食されてたまるものか。
 そんなものに侵食されるほど弱くない。
 抵抗をサポートする胸元に輝く柘榴石。
 抵抗の期限はあと二分といったところか。

 ぎゅっと片手を握れば、そこには変わらず硬い感触。
 それは私が決心をした証。
 そう、偽りに彩られる不完全な魔法の道具“宝石剣”
 私は泥の中で目を開ける。

「クラス・アヴェンジャーに黒化反転とは笑わせるわね“アヴェンジャー”」

 桜は私を閉じ込めただけだった。
 泥の中に埋没させて、それで全てが終わるまで出さないでいようと、その程度の気持ちだったのだろう。
 だからこの泥からの侵食もぬるいもの。この程度、世界に喧嘩を売っているこの私を汚染するには薄すぎる。
 宝石の守護に守られ、私はじっと耐えていた。

 泥にまみれて制御を奪われ、外界への出口が閉ざされていた。
 内部からでは脱出できない歪曲世界。
 だが、それも出口がないだけのこと。
 外界と内界をつなぐ口がないだけのこと。

 だからほら。

「なかなか役に立つじゃない」
 ああ、なんとか間に合った。
 魔法少女のマスコットキャラとしたら上出来だ。

 外と中がつながって、死に掛けた間桐慎二が現れる。
 私はその瞬間を待っていた。この瞬間が来ることだけを信じて、さきほどのミスを取り戻そうともがいていた。
「――まあずいぶんとやられちゃって……。まあ応急処置だけしといてあげる。悪いけど、治療は少し待っててね」
 宝石を投げ、彼の治癒を行うと同時、私はそのかすかな外界への穴を睨みつける。

 その穴は、小さくとも確実に外と中をつないでる。
 私がこんな好機を逃すはずがない。

 私は英霊としてすごした無限のときの中であまれた宝石剣を取り出した。
 惜しむことなど何もない。
 泥にまみれ、すでにその輝きはくすんでいるが、それでも最後の一撃くらいは行える。
「まっ。また作ってあげるからさ」
 遠坂凛が示したように。私はこんな場面で物を惜しむようなバカじゃない。

 私は間桐慎二の現れた空間に、泥を支配する偽りの定義を与えられている宝石剣を打ちつけた。

 Interlude out ルビー


   ◆◆◆


「……なんで?」
 泥が身動きの取れないセイバーに向かって飛んでいた。
 あの衛宮先輩のサーヴァントであるセイバーさんだってきっと諦めていたはずだ。

 ずるいずるいずるすぎる。
 なんだってこの世界は私の思うようにいかなくて、こんなにも私にばかり辛く当たるのか。

 逆転劇にもほどがある。これで一体何度目だ。
 それに、その劇の主役がなんだって

「桜、悪いけど、貴女が終わらせてしまう前に、私も口を挟ませてもらうわよ」

 なんだって、最後まで私の味方だったはずの貴女なの?

   ◆

 地から天に伸びる大きな流星。泥を突き破り光の柱が私の放った泥団子を消し飛ばす。
 セイバーさんを倒すはずだった詰めの一手。
 それが光の柱流に消し飛ばされて、それが収まったとき私がまいた泥は一欠けらも残さず一掃されていた。

 泥が消えても傷は消えない。セイバーさんはボロボロのままへ足りこみ、その前に剣のサーヴァントをかばうようにルビーさんが立っていた。
 その後ろからは攻勢を感じ取った先輩たちが駆け寄ってくる。

「ルビーさん。どうして……」
 私が呻くような声を出す。
 ルビーさんはそれに完全な笑顔を返しながら私に一歩近づいた。

「わかっているはずでしょう、桜? 貴女が私を閉じ込めてしまったから出るのに時間がかかったけれど、さすがに口が開いたのを逃すほどマヌケじゃないわ」
「そういう意味じゃありませんっ。どうしてっ、どうして邪魔するんですか!?」
 彼女を閉じ込めていた私の言葉ではないが、私はそう叫ばずにはいられない。
 私は知らないうちに胸を押さえ、ルビーさんを見据えながらそういった。
 ルビーさんを見た瞬間から、なくなったはずの腕の先がうずくような衝動を覚えた。

 目の前で微笑むルビーさんの姿が霞み、それを不思議がった瞬間に、私は自分が泣いていることを自覚する。
 なぜか涙が止まらない。
 ルビーさんが私を裏切ったことが悲しいのか。
 ルビーさんが私を邪魔することが悲しいのか。
 私は自分がなぜ泣いているのかもわからずに、場違いにも心の中で冷静な自分が流れる涙が泥色ではなく透明であることに安堵する。

「邪魔? バカなこと言わないで桜。邪魔なんてするわけがない。私が貴女の不利益になることをすると思う?」
 一歩。また一歩。彼女が私に近づいてくる。
 そのまま手が届く位置に来られれば、私は一体どうなってしまうのか。
 殺されるのか? 怖い怖いと私の中の黒い部分が訴えて、
 助けてくれるに決まってる。 怖くない怖がるな。と私の心の片隅が涙する。
 でも私の口は意地悪で、私が口に出したくないことを、恐れていることを追求しないではいられない。

「そ、そんなこと、思いませんけどっ……でも信じられません。貴女は邪魔をしたじゃないですか。たった今私の邪魔をしたじゃないですか。私がルビーさんの手助けをしようとしたときも、私に泥を使うななんて怒ったじゃないですか! 貴女は私が幸せになることを望むって言ったくせに、私を見捨てて負けちゃいそうだったじゃないですかあっ!」

 ボロボロと涙がこぼれる。おかしい。私の心は泥にまみれてグチャグチャで、こんな簡単に揺れたりしないはずだったのに。
 なぜかルビーさんを見てから、汚染される前の間桐桜が顔を出す。
 ルビーさんに怒鳴りつけ、私は自分の言葉に恐怖した。
 このままルビーさんが私を見捨ててしまうことを恐怖した。

「そうね。私は貴女を失望させた。遠坂凛はほんのちょっと抜けている、なんてことを生前よく言われていたし」
 そういって彼女は癇癪を起こす子供を安心させるように私に笑う。
 そうしてまた一歩近づいた。もう彼女との距離は五メートルを割っている。彼女の漆黒のドレスにこびりつく泥が、あまりに彼女にふさわしくないことが悲しかった。
「でもね、桜。もう大丈夫。まったくカケラも問題ないわ。貴女をこんな目にあわせた以上、この方法はもうだめね。だから私はやっぱり私のままでいくことにするってことよ。まったく持って単純なことでしょう。私はまたはじめからやり直して、そして私のやり方で勝利する。私が私のままで貴女もほかの桜もみんなまとめて幸せにする。ねっ? 非の打ち所がないでしょう」
 それは水晶のように澄んだ笑み。

「バ、バカじゃないですか。そんなの……」
 そんなこと“当たり前”だからこそ無理なのだ。
 そんなことができれば誰だってそうしてる。
 それがありならだれだって、悩まない。私がどのような気持ちで先輩たちを切り捨ててルビーさんを選んだのか。
 私がなぜこんなところで泥をかぶって大好きだった先輩たちと戦っているのか。
 前提か崩れてる。
 バカにするにもほどがある。
 ふざけるな。
 私はそう怒鳴ろうとして、

「そうね。でもね、いまここでそれができなきゃ、私は遠坂凛じゃない」

 その瞳に射抜かれる。

「あっ……」
「桜、私を信じなさい」
 また一歩、彼女が私に近づいた。

 心に救った黒い部分が私に叫ぶ。信じるな。騙されるに決まってる。
 先ほど彼女がこの世界の間桐桜を見捨てたのを忘れたか。
 きっと彼女はマトウサクラを救うため、この世界の間桐桜を切り捨てるに決まってる。

 本当に?
 彼女は私も助けるって言っている。
 そんなの嘘に決まってる。だってそんなの当たり前だ。聖杯を前にして、この私をどうするって言うのだ。私を殺せば簡単に願いがかなう。彼女が世界に体を売ってまで願った願いが目の前だ。
 そしてその願いとは、私を救うという願い。
 すでに聖杯の泥と同化した私を、殺せばきっと彼女の望んだように並行世界に干渉するための“純悪意”が手に入る。
 ほか全ての私と、ここにいるマトウサクラ。天秤にかければ、きっと私を殺しても十分許容範囲のはずだろう。

 本当に?
 彼女はもうそんなものいらないって言っている。
 ありえない。根源につながる魔の扉。魔術師がそれをあんな軽々と捨てるなんて有り得ない。
 そのまま私から泥を奪えばもう敵なんて誰もいない。死にぞこないのセイバーさんも、燃料切れのアーチャーさんも、私がいたぶったその体ではルビーさんの泥に勝てはしない。先ほどの攻防を繰り返せば、そのままルビーさんが勝てるだろう。願いがかない、全てが手に入るその道を、私が危なかったから諦める? そんなの嘘に決まってる。

 本当に?
 彼女は彼女のままに夢を適えるといっている。
 どうやって? 彼女はすでに英霊として無限の道を歩んでる。全が一で一が全。英霊が道を後悔しても意味がない。彼女はあの歪んだ宝石剣と泥を持って道をなそうとするに決まってる。
 だから、すでに泥に侵された私には用はない。私はルビーさんを渇望しすぎて泥の中に閉じ込めた。私を生かして聖杯を得ればきっと私がルビーさんを願うことを知っている。彼女はそんなの許さない。彼女は全てのマトウサクラのものであり、私一人のものじゃない。だから彼女は彼女を独占しようとした私を生かさない。

 本当に?
 本当だ本当だ本当だ。絶対そうに決まってる。
 だから、彼女を信じるな。

「とまってっ!」
 私の中にかろうじて残った冷たい思考がルビーさんに全てをゆだねよという甘い声を振り切った。
 令呪を用いようとして、私はそれがなくなったことにいまさらながらに私の短くなった腕の意味を思い知る。
 怖い怖い怖い怖い。
 始まりの日に、令呪なんて必要ないと笑っていたのは誰だったのか。

「きたら、泥が、貴女を攻撃します」
 だから来るな、と。
 なんて愚か。不意打ちでもなければ、私は彼女に泥の制御じゃかなわない。同化しようがこの泥は彼女が掌握し、私が奪ったものなのだ。
 だけど私にはこれを言うのが精一杯。
 ついさっき、ルビーさんが出てきてから私の心の冷たい思考が消えている。

 だけど、ルビーさんは私のその言葉にまったく動じずに笑って見せる。

「桜、私が信じられない?」
「――――ぁ…………」
 なぜか声が出なかった。
 彼女の瞳に不安はなくて、それは有り得ないことに私への信頼で染まってる。

「それはほんとに貴女の思考?」
 当たり前だ。なのになぜ、私は明確に否定の言葉を紡ぐことができないのか。
「でもね、桜。貴女には本当はわかっているはずなのよ。私が、この遠坂凛を前身とするカレイドルビーが、貴女を裏切ってなどいないということが。貴女のその声が泥の中からもれ出る声であって、貴女の声ではないということが」
 そう言って、彼女が一歩私に向かって歩み寄り私の顔にキスできるほど近づいて、私は牽制の泥すら放てずに、彼女の完成された美しさを前にする。

「勘違いしないでね。最後の一画ごと令呪を失ったとはいえ、それを奪われていない以上私の支配権はうつっていない。貴女はずっと私のマスターのままなのよ。――――聞くわ、桜。一画目の令呪はどうしたのかを、まさか忘れてはいないでしょう?」

 瞬間、私は反射的に彼女とつながったラインをたどる。
 だがサーヴァントとは令呪に律される。
 ラインは当然のごとく途切れていて、私は彼女につながっているはずがない。
 それでも私は彼女とつながっていたのは事実であって、誰かにそれが上書きされでもしない限り、そのときに行使した契約の呪いは消えはしないはずである。

 令呪なんか使いません、と始まりの日にルビーさんと笑いあった間桐桜がただ一度だけ使った令呪があった。

 遠坂先輩の前で。衛宮先輩の前で。兄さんの前で。セイバーさんの前で。アーチャーさんの前で。拘束式を確実にするための呪まで唱えて行ったその令呪。あれはそう、それは確か “裏切りを禁じて”いたのではなかったか。
 それは一体どういうことか。
 それがどういう意味を伴っているのかを、私はいままで気づかなかった。彼女の言葉を聞くまで知らなかった。
 確かに、彼女の掲げる宝石には、縛りによるような、いささかの減じもあるようには見えなくて、
 令呪がない私には、それが本当に縛られているのかどうかなんて確かめようもないけれど、そんなこと確かめる必要なんて少しもない。

「私は貴女を裏切らない。裏切ってもいない。そしてこのさき裏切るということもない」

 それを聞き、私の体から力が抜ける。

 それだけ聞けば私に疑うなんて選択肢があるはずない。
 殺せ殺せと私の中からバカの一つ覚えみたいに声がする。

 だが私の頭はその言葉を受け付けない。
 ああ、と私は息を吐き、

 そして――――

「…………私はただ幸せになりたかっただけなのに。なんで、こんなことしちゃったんでしょうか、ルビーさん」

 ようやく、本当に、本当に初めての懺悔をする。

 涙が流れ、嗚咽を漏らし、悔やむことすら許されない闇の底。
 腕がちぎれて泥にまみれて、先輩たちを裏切って、兄さんを傷つけて。
 私はどうしようもない人間だということを痛感する。

 始まりは、ただあなたとずっと一緒に居たかっただけなのに。
 私は、貴女が好きだっただけのはずなのに。
 私は貴女を望んだだけなのに。
 大好きだった先輩よりも貴女を選び、
 私のために命を賭けた兄さんよりも貴女を選び、
 リボンの絆で結ばれた、私の全ての憧れだったあの人よりも貴女を選び、
 いまこんなところで一人ぼっちで泣いている。

 それは一体なぜなのでしょう。

「それは、きっと私がかっこよすぎたのが原因ね」

 ルビーさんは笑う。
 私はその言葉に涙する。
 その言葉に安堵する。
 その瞳に安心する。
 私の心が救われる。
 許されるなんて思ってなかった。

 だからこそ私はルビーさんから簡単に“許しが得られなかった”ことに感謝する。

 だってほら。
 ルビーさんの真っ赤な瞳。その瞳が真っ赤な炎で燃えている。
 彼女の優しさは甘さからではく、強さからのものだから。
 間桐桜の愚かしさを彼女は決して流さない。うやむやに許してしまうなんてなんてありえない。
 彼女の知る私が愚かしさのあまり彼女を頼らず死んだからこそ、二の舞を演じようとした私のことを許さない。
 内で溜めて、考えをループさせ、心を澱ませる間桐桜の悪癖を。彼女の瞳が許さないと告げている。

「ルビーさん」

 ああ、だけど、それはどれほどの幸福か。
 その瞳に怒りはあっても澱んでいない。
 怒りはあっても腐っていない。
 その怒りには身がすくんでも、恐ろしさは感じない。
 だってそれは私がみなに怒ったときはとまるで別。
 だってそれは愛から来るもので、憎しみから生まれるものではないのだから。
 ああきっと、お母さんなんてものがいたらこんな風に私のことを■ってくれるに違いない。

「いけないことをいっぱいしました。私だって辛かった。でも罪を償わなくてはいけない。罰を受けなければいけない。そういうことですか」
「そういうことね」

 紅い炎が私の前で燃えている。
 それは輝く真紅の光。
 彼女の名を宿す魔力の楚。
 罪人を裁く聖なる輝石。

「それじゃ、お仕置きよ。目を瞑って我慢なさい。大丈夫。貴女ならきっと耐えられる」

 ルビーさんの言葉とともにその手に輝く宝石の光が大きく増した。
 それは私の魂を浄化する。
 いつの間にか、騒いでいた私の中の声は消えていた。
 反転した衝動が、私の体を蹂躙するが、そんな痛みに意味はない。
 そんな苦しみでどうにかなるほど私はもう純じゃない。
 そんな誘惑に乗れるほど、ルビーさんのマスターとして腐敗できるはずがない。
 私はゆっくり目をつむる。
 せめてこの瞳を開けたとき、ルビーさんがまたいつものように笑ってくれることを願い、私は罰を受け入れる。

 ――――はい。わかりましたルビーさん。


   ◆◆◆


 夢を見ていた。
 幸福な、満ち足りた日常の夢。
 ルビーさんが笑い、兄さんが笑い、私が笑う。そんな夢。
 ねえ、ルビーさん。
 私が、こんな夢を見てもいいんでしょうか。
 そんなありきたりな夢を見た。

 ずっとずっとまどろんでいたかったけど、私を起こす声が耳を打つ。
 その声に引きずられ、私はやっぱり夢の世界にとどまることが間違いだと思い出す。
 ルビーさんが示したように、私はもう逃げないから。
 夢は適えるものであって、願って終わるものではあまりに悲しすぎるということを、私はルビーさんに教えてもらったのだから。
 そうして、私はゆっくりと目を覚ます。

 目を覚ませば、もう終焉のベルが鳴っていた。
 ゴウンゴウン、おかしな響きで風が吹く。
 起きろ、と耳元で怒鳴られて、私は誰かに肩をゆすられていることを自覚した。

「……起きたか、桜。大丈夫か?」
「――――ふんっ、さっさと起きろよ。マヌケ」

 だんだんと頭がはっきりしてくる。
 目を開ければ、私を覗き込むようにして兄さんと衛宮先輩の顔が見えた。
 二人ともひどく憔悴し、私が目を覚ましたことに、安堵の息を漏らしてくれた。
「おい、起きてんのか? このバカ。……これ何本に見える?」
 兄さんが私の前に手を掲げる。
 私は頭に霞がかったまま、
「生きてるんですね。私」
 と、自然つぶやいた。

 瞬間。私の目の前で浮いていた手がパチン、と私のオデコを叩く。
 その子ども扱いに、私は純粋にびっくりして兄さんを見る。
「……」
 兄さんまでが叩いたその手をおかしなものでも見るように眺めていた。
 その顔を見て、私の目の前に掲げていた手で私を反射的に叩こうとして、オデコを叩くなんていう行為に落ち着いたことに、自分を恥じているのだということがわかった。
 クスッ、と笑うと兄さんが睨んできた。
「なんだよ、桜」
「あ……いえ。あの、ごめんなさい、兄さん。さっきはひどいことを」
 兄さんにいま傷はなかった。
 その姿を見るまで忘れていた。私は先ほど絶対に許されないようなことを兄さんにしていたのに。
 兄さんは私の謝罪を聞いて舌打ちした。
 だが、一拍おいて、兄さんはその怒りを弛緩させると、
「べつにいいよ。絶対許さないつもりだったけど、治してもらったし、アイツがうるさかったからな」
 そういって軽く視線をそらせる。
「で、でも」
「いいっていってるだろ。しつこいんだよお前。それより、起きれたんなら、お別れくらい言ったらどうだ? ボロボロのくせしてお前が無事なところを確かめるんだってうるさくてさ」
 そういいながら背後をちらりと視線をやった

 その視線をたどれば、柳洞寺裏の底なし沼となった汚染池。
 そこにはルビーさんが立っていて、真っ黒なドレスはそのままに、その美しかった頬が黒く呪詛の侵蝕で染まっている。
 横にはセイバーさんとアーチャーさん。ルビーさんの正面では遠坂先輩が何事かを話している。
 ルビーさんが身代わりになったのだろう。戦いの間ずっとその体を利用されていたイリヤスフィールの矮躯がアーチャーさんの腕の中に納まっている。
 いつもどおりの表情でお姫様抱っこをしてるアーチャーさんを見て、少しだけそういうのが似合うと思った。
 同時にイリヤスフィールがそこに無事でいることにも安心する。ルビーさんは敵のマスターならば死んでもそれは仕方ないっていっただろうが、やっぱりあんな小さな子供が死んでしまうのを見るのはいやだった。

 ルビーさんは背後の泥の池から時折噴出す呪詛を完全に掌握し、その代償に美しかった肌を泥より黒い漆色に染めていた。
 袖からのぞく腕なんてもう腕だといわれなきゃわからないほどに変質が進んでる。顔だけは意地で形態を守ったんだろうっていうことがわかるくらいの侵蝕度。

 私はそれを見ても思ったより冷静だった。きっとこうなるかもしれないと、頭のどこかで考えていたからだろう。
 それとも感情という振り子が振り切れてしまっただけなのかもしれない。
「――――あれっ」
 立ち上がろうと思って上半身を持ち上げ、手を突こうとしてカクリと再度地面に倒れた。
 左腕が千切れていることを忘れていた。なくなってまだほとんど時間がたっていないのに、痛みがないから逆に少し戸惑ったのだ。
 手を取って立ち上がらせてくれた衛宮先輩と「気をつけろバカ」なんていう兄さんの気遣いにお礼を言って、私はルビーさんに歩み寄る。
 兄さんと衛宮先輩は私の後ろに立ったまま、ついてこようとはしなかった。
 セイバーさんとアーチャーさんは私が近づくと黙ってルビーさんのそばから数歩離れる。
 だけどセイバーさんは剣を握ったままだし、アーチャーさんもイリヤスフィールを抱いたまま意識を彼女よりも私よりもルビーさんに割いていた。
 当然だろう。現在私は普通の人間に戻ってる。

 ルビーさんに全てを押し付けて。

「違うわ、桜。もともとこれを利用しようとしたのこいつじゃない」
 自嘲した私を遠坂先輩が断ち切った。
 私が困った顔をしたのがわかったのだろう。遠坂先輩もそれ以上のことは口にせず、ルビーさんへの道をあけてくれた。
 そうして、私はやっとルビーさんの前に立つ。

「ルビーさん。私の泥を回収したんですね?」
 なにを言うべきかわからずに、私はまず当たり前すぎる自分の罪を口にした。
 そういってその汚染された頬に手を伸ばそうとして、彼女がスイと首を後ろにそらしたために、私の手は止まってしまった。
 視線で促されて、一歩下がった。
 彼女の足元から黒い影がコポコポと滲出し、大地を黒く染めている。
「危ないから、さわんないほうがいいわ。近づくのもちょっとさびしいけどなしね。私自身もやばいくらいなのよ」
 その言葉があまりに正しかったから、私は泣くこともできはしない。

 そうして少しだけ、ルビーさんも私も黙って、口火を切ったのはルビーさんだった。
「……腕、ごめんね? 慎二の泥は取れたんだけど、桜の腕は令呪があったからさ……元に戻せなかったんだ」
 バカみたい。
 それが自分のせいだとでも言うように、彼女は一番どうでもいいことを口にする。
 腕なんてどうでもいい。私はそんなことでは償えないくらい罪深い。
「……ルビーさん、これじゃぜんぜんお仕置きになってませんよ。ルビーさんばっかりひどい目にあってます。悪い子には、お仕置きするって言ったのに」
「あはは、ごめんね。でも貴女はこれくらいで十分なのよ。罰は貴女自身が与えている。ただ、もうこんなことしちゃだめよ?」
「わかっています、約束します。でも、私は――――」
 視線で言葉を封じられる。
「頑固ねえ。そもそも、やられたやつらがみんな気にするなって、いってるんだから。貴女は気にしないでいいの。むしろあいつらには貴女からもうちょっと文句言ってもいいくらいよ」
 そんなこと言えるはずがない。
 そう考えて、ぽろぽろと涙がこぼれだす。

 やっぱりルビーさんは私のことを責めなかった。あんなことをしたのに。あんな悪い子だったのに。
「――――ごめんなさい、ルビーさん」
 涙にまみれた声を出す。
 涙でグチャグチャになった瞳はもう目の前にいるルビーさんすら映してくれない。
 顔が俯き、私はそれっきり子供のようにしゃくりあげ、声をだそうともそれは言葉にならない嗚咽に変わる。
 いいたいことがいっぱいあった。
 ごめんなさい、とか。許してください、とか。
 邪魔ばかりして、最後にはあんなことをしてしまった間桐桜がいわなくてはいけないことはいっぱいあるはずなのに、出てくるのは嗚咽ばかり。

 ああ、ルビーさん。
 本当に、懺悔しかできません。
 私は本当に、本当に私は貴女にとって要らない邪魔ばかりする妹で――――

 ポン。とアタマに手が乗せられた。

 その感触に私は驚く。だってルビーさんの手はもう原形をとどめないほどにドロドロだった。
 腕を上げられるはずがないのに、その感触ははじめて彼女が私にあったときと同じものだった。
 そのまま幻覚ではないと証明するようにその手は私の頭の上からはなれない。まるで私が口にしようとした言葉を止めようとするかのように。
 その感触は沼に落ちるように沈んでいく私の思考を浮上させた。
 えっ、涙で汚れた顔を上げた。

「この、おバカ」

 ルビーさんにかなわない、少しだけ照れと緊張でかすれたその声で私はこの手の主を了解する。
 ルビーさんと同じ声の違う人。でも同じくらい愛しい人の姿をみる。
「遠坂、先輩……」
 泣く私の頭に手をのせて、それっきりどうしていいのか解らずに止まっている。いつも通りの遠坂先輩の顔が、涙で霞む目にはいる。
 彼女は難しい顔つきで私のほうもルビーさんのほうも見ないようにと顔をそらせ、結局大きく顔を背けたままで私に言う。
「謝ってどうすんの。ほらっ、こいつにあんたからいってあげることがあるでしょう」
 頭に乗せられた手が私の髪を梳くように後ろに流れ、そのまま背中をぽんと押される。
 私は一歩だけ前に進んだ。
 私はルビーさんの目の前に立つ。この距離ではその霞んだ目でも彼女の瞳が悲しさでゆれていることに気づかないわけにはいかなかった。
 彼女は私と同じようにひっそりとこの結末を悲しんで、私が最後まで泣いていることに悲しんでいるのだと気づかざるをえなかった。
 だから私は、涙をぬぐう。
 遠坂先輩が、私が丸めていた背を伸ばすのを見て安堵の息を吐いたのを後ろに感じ、私はルビーさんに向き直った。
 私には謝罪よりも言うべきことがある。
 顔を上げろ、胸を張れ。
 最後までルビーさんに心配をかけて終わる気か。
 涙を無理やり飲み込んで、私はルビーさんに笑ってみせる。

「ルビーさん。ありがとうございました」

 そう言って頭を下げた。
 そのまま地面を見つめていると、ルビーさんが頭を上げて、と私にいった。
 顔を上げればルビーさんは笑っていた。
 その笑いがあまりにも無邪気だったので、私は思わず見とれてしまう。

「こちらこそ。……ありがと、桜」
 その言葉に安堵が洩れる。
「ルビーさん、私は幸せです」
「……桜」
「貴女に幸せをもらいました。貴女に幸せにしてもらいました。全部ルビーさんのおかげです。だから、だから私は貴女にも幸せになってもらいたかった」
 きっとそれはもうかなわない。彼女の消滅は決定してる。
 これは私のワガママだった。

 ルビーさんは私の駄々に少しだけ困った顔をした。
「桜、私は幸せよ。私は貴女にそういってもらえることが何よりも嬉しいわ。それ以上のものはない。貴女が私を幸せにしたいって言うんなら、貴女はいま涙を流さないで笑いなさいな。私はそうしたらもっともっと嬉しいわ」
 ルビーさんがそういって、私は無理やり止めていた涙がまた流れ出していることを自覚した。
 声が出ない。
 そうして少しだけ、私もルビーさんも黙っていた。

「ルビー」
 そこに遠坂先輩が声をかける。
 それにルビーさんは軽くうなずくと、
「桜。もう時間がないからさ――――――お別れ」
 泣きながら、私はルビーさんにすがり付こうとする体を止める。
 ここで未練がましく泣いたって、それはルビーさんを悲しませるだけだということを私はもう知っている。
 私はすがり付こうとする腕と心を抑制して、大きくルビーさんに向かって微笑んだ。

「はい、お別れです。いろいろとお世話になりました」

 それでも声が震えるのはどうしようもなかった。
 だからこそ彼女は私に要らぬ心配を起こさないように声を出す。
 私の言葉に、闊達明朗な返事が聞こえる。
 幸福と満足で編まれたその音色。

「うんっ、どういたしまして!」

 年季が違う。
 そうしてルビーさんは私の言葉にやっぱり最高の笑顔で答えてくれた。


   ◆◆◆


 ルビーさんが笑いながら軽く背後に視線を飛ばす。
「まっ、それはそれとしてさ」
 そこにはいまだ躍動を続ける泥の海。
「うーんそろそろ限界ね。こいつを抑えるのもきつくなってきたし。セイバー、私ごと倒しちゃっていいわよ。宝石剣のレプリカも壊れちゃったから、いまさらこれを利用もできないし……それにどっち道こんなのもういらないしね」
 お別れを終えたルビーさんはセイバーさんに向かって当たり前のようにそういった。
 ルビーさんのお別れは、やっぱりルビーさんを殺すしか方法がないからだ。
 すでにわかりきった最後の結末。
 それをルビーさんはあまりに軽く口にする。
「……あんだけ騒がしといてあんたねえ」
「あっ、ごめんなさい先輩。私が……」
 これは決してルビーさんのせいだけではあるまい。
「えっ、いや」
 先輩が慌てたように手を振った。

「いいじゃない別に。内輪で終わって結構なことだわ。私が殺した言峰綺礼は泥を開放しようとしていたんだし、ほかのマスターだっておんなじでしょう? 外にでた被害を許容すべきやつらが大抵死んでる。お相子ってのは散漫すぎだけど、どうしようもない。イリヤスフィールだって別に死んでほしいと思ってたわけじゃないし、この子が起きてからどうするか決めさせればそれでいい。まっ、私はもともとそれくらいで一度決めた行為を後悔するほどに澄んでないけどさ」
 あっけらかんとルビーさんがいう。そして、そのまま衛宮先輩に目を向けた。
「ああそうだ、衛宮士郎。貴方はなんでもかんでもシコリに残しそうだから、一応いっとくけど、私は嘘もつくけど誠実なのよ。さっきいったことに嘘はない。――――言峰綺礼を殺したのは私で、私が後悔なんてしてないのと同様に、私は桜のためなら百度同じ状況に立たされて、百度同じ行動を取るでしょう。あんたに私の責任を奪う権利はない。人は人よ、貴方が貴方であって、貴方が私ではないように」
「………………わかってる」
 衛宮先輩が硬い表情のままそういった。
 思い返せば、ルビーさんが泥をまとっていたときに、一番手ひどくやられていたのは衛宮先輩だったのだ。

「あら、そう」
 ルビーさんはそういって話を打ち切った。
 そうして、ちょっと首を傾げてセイバーさんに顔を向けた。
「で、セイバー。そろそろやる?」
 見ればセイバーさんは聖剣を取り出したまま、その宝具を構えようとはしていない。

「いえ、ルビーがサポートをするのですか? いまの私の出力ではこの聖杯を吹き飛ばすには少々……」
「ああ、そういやカラッカラなんだっけ」
 誰のせいです、とセイバーさんが呟いた。
「私も手伝うさ。終わりの幕だ、余力を残す意味がない」
「ああ、アーチャー。おねがいするわ」
 アーチャーさんがうなずいて、イリヤスフィールを兄さんにおぶらせる。兄さんは不満そうな顔をし、軽口を叩くが、いまだボロボロで佇む遠坂先輩と衛宮先輩の前でその責任を放棄はしなかった。
 兄さんが小さな女の子を背負っているという絵面が面白かったのか、ルビーさんはその光景を少しの間眺めてから、ようやく私のほうを向く。
「じゃ、桜、慎二、遠坂凛、衛宮士郎。貴方たちは逃げなさい」
 あっさりとそう言った。
 これが本当のお別れだ。
 衛宮先輩のお父様の話を聞くまでもなく、開きはじめた聖杯を破壊すればそこからは人を呪うものがあふれ出す。
 ここはこれから、聖杯を壊しそのまま死ぬものだけが残る場所になる。
 だから私は最後にみっともない姿を見せて、ルビーさんを不安にさせまいと泣きそうになる心を、挫けそうになる決心を、切り裂かれそうな悲しみを押さえつけて笑うのだ。

「はい、私……私も、これから頑張って生きていきます。誰よりも幸せになって、ルビーさんに胸を晴れるよう、頑張っていきますから!」

 だから、安心してください。ルビーさん。
 私は幾百の言葉を連ねても伝えられないこの気持ちが少しでもルビーさんに届いてくれることを願ってそう叫ぶ。
 ルビーさんはそれにやっぱり笑い返してきてくれて、

「ふふ、ありがとう桜。私も頑張るわ。まっていて。きっといつか、私は全ての貴女を救って見せるから!」

 そうして、最後までその言葉こそが、その決意こそがルビーの愛した今は亡き間桐桜への唯一の鎮魂だとは気づかずに、カレイドルビーとして自分で課せた責任を果たすために笑ってみせる。
 私はそうして言葉を交わし、一度も振り返らずにその場をあとに歩き出す。


   ◆


 Interlude ルビー

 桜が去り、それを慎二が追いかけた。
 あいつは少しだけ私に視線をよこし、
「じゃ、お前も頑張れよ」
 彼はそれだけ言って、ほかのいいたいことを全部飲み込んで歩き去る。
 桜が飲み込んだ以上、私に言うべきことは何もないと自制して、アイツは私よりも桜を優先させたのだ。
 なるほど、バカだけどやっぱりアイツはそれなりに優秀だ。
 背負った少女が落ちそうになるたびにぶつぶつ文句を言いながら小走りで去る慎二の背に、聞こえないように「あんたもね」と呟いた。

 桜と慎二が歩き去り、周りを見れば衛宮士郎に微笑みかけたセイバーがこちらに向かって歩いてくるところだった。
 彼女も衛宮士郎も、桜と同じように女々しくこの数日間だけの相棒を振りかえったりはしなかった。
 同様に、遠坂凛も笑顔で何事かを告白するアーチャーに形だけの不満を見せて、最後に手をパチンと打ち合ってさっていく。
 ああ、あのような笑顔で別れることができるなら、彼女とアーチャーは私のときとは比べ物にならないほどに幸福だろう。

「アーチャー」
 こちらに歩いてきたアーチャーに声をかける。
「なんだね?」
「なに話してたの?」
 少しだけ逡巡したあと、アーチャーは素直に口を開いた。
「――――私の願いについて」
 正直に答えるとは思っていなかったので、少しだけ驚いた。

 詳しく聞きたくもあったが、だけどそれは私が聞いてはいけないことだろう。
 ごまかすようにもう一人のサーヴァントに目を向ける。
「そっか。へんなこと聞いちゃったわね。セイバーは?」
「……私も同じようなことです。シロウには心配をかけてしまった」
 彼女は遠い彼方に視線を飛ばす。そこには彼女の故郷があるのか、それとも彼女の夢があったのか。
「心配するな、と。――――ルビー、貴方に感謝します。……貴方とサクラにはいろいろと教えられた」
「なにそれ?」
「いえ、戯言に近いと思ってほしい。私はまだ願いを適える道を探さなくてはいけないが、それでも貴女の決意は忘れません」
 肩をすくめる。彼女に詳しく喋る気はないようだった。
「なーんか、二人とも満足げな顔しちゃって、まあ……」
 アーチャーとセイバーが私のほうに顔を向けた。
「なに、君には負けるさ」
「同感ですね。願いを適えたというのなら、貴方こそが当てはまるはずでしょう? 大筋では思惑通りではないですか」
 その言葉に苦笑した。図星でもあり的外れでもある。
「なにいってんのよ。ほんとなら私はここで完全に終わってたはずなのよ。この泥だって制御できるはずだったんだから。それにあんだけ苦労した宝石剣も作り直し――――あーあ、上手くいかないものねえ」
「ふん、当然だ。宝石剣を願ったはずお前が、泥で願いをかなえようとしたことがすでに完全な間違いなのだ。いくらいい案に見えても、君がそのようなものに頼ることが正しい道のはずがない」
 …………。

「……アーチャーさあ。遠坂凛と何かあったの? なに、私を聖女とでも思ってるわけ? 戦ってるときから思ってたけどさ」
「ああ、それは私も感じていた。ルビーと凛に対して貴方はどうも甘いようですね」
 セイバーがうなずく。桜を通して日常を除いていた私から見れば、セイバーにだって十分に甘かった気もするが、それは言わないでおこう。
「なに、マスターだからな。多少なりとも甘くはなるさ」
 肩をすくめる。
 嘘付け、と思ったが口には出さない。

 だがその視線を読み取ったのか、アーチャーは少しだけ沈黙して口を開く。
「ふむ……ルビー、君は英霊として天にあがって、それでもその目は遠坂凛そのものだ。それが私にとってどれほどの驚愕なのか、君にはきっとわからんだろう」
 なに言ってるんだ、この男。
 そう口にしようとした私を、

「――――ありがとう、凛。まったく君には教えられてばかりいる」

 彼の始めてみる柔らかい微笑で封じられた。
「……………………」
「……………………」
 セイバーとそろって言葉をなくした。
 だがそれに気づく様子もなく、アーチャーは沈黙を断ち切るように肩をすくめる。
「では、はじめよう。ルビー、君もそろそろ限界だろう。ここで君ごと暴走させては彼女らにあわせる顔がない」
 信じられない。
 いまの出来事をまるっきりキャンセルして、こいつは私たちに話しかけた。
 だが内容が間違ってもいないところが腹立たしい。
「……まったく、変わりないわね。あんたは」
「シロウに通じるものがありますね」
「?」
 アーチャーが首をかしげる。
「気にするほどではありませんよ――――と、ルビー、どうしました?」
 その言葉に意識を戻す。少し考え込んでいたようだ。
「……ん、ちょっとね。まあ、なんでもないわ。それじゃあ、そろそろやる?」
 サーヴァンと同士といえど、こうして彼ら言葉を交わすのはなかなかに楽しかったが、私たちにはやるべきことがある。

「……そうだな、いつまでもこうしてはいられない。私に次の戦いがあるように」
「ええ、きっと私が答えを見つけに次の戦いに行かなくてはいけないように」
 アーチャーとセイバーが構える。それは二人とも光り輝く刀剣だった。
「なるべくなら、痛いのは勘弁してね」
 二人に笑う。
 彼らも笑い、
「ああ、任せておきたまえ」
「ルビー、貴方も気を抜かないように。リンもあれで抜けていましたからね」
 アーチャーと私が苦笑する。それは私が一番よく知っている。

 剣が輝き、聖なる風が巻き起こる。
 それは全てを終わらせる最後の宝具。
 先ほどのやり取りとは裏腹に、真剣な顔を苦痛に歪ませたアーチャーとセイバーが剣を掲げる。
 当然だろう。彼らの魔力はすでに限界のはずだ。
 これは残った魔力を搾り出した一撃。放てば己が消える一撃。
 しかしそんなものは、サーヴァントにとって意味はない。我々は命よりも生前の夢を上位に掲げる狂人だ。

「では、いくぞ」
 アーチャーが紅い柄を持つ魔剣を構え、
 セイバーが不可視の結界を解いた聖剣を振りかざす。
 私を殺す剣を構える彼らに向かいあう。
 きっともうこんな機会はないだろう。
 世界に上げられ、ただ掃除屋として扱われる私やアーチャーには、こんな自由はもうきっと存在しない。
 
 アーチャー。彼は目的を適えていない私と違い完全に座に登録された英霊だ。誰にも救えず、きっとその身を永遠に苦しめ続けるのだろう。
 掃除屋として世界に使われ、人を救うために座に上がった大ばか者。世界のためであり、人のためではなく、人のためではなく人の住処のためにあらゆる災厄を殺す破壊の使い。人のためにと座に登り、人の住む世界のために人すら殺さなくてはいけない現実を突きつけられた愚か者。
 セイバーになんてもっと逢えるはずがない。生きている英雄。生きている霊体。記憶が継承されているというのに英霊として扱われるという彼女はどれほどの苦労を重ねるのだろう。聖杯をえられて英霊が関わる機会など聖杯戦争以外だろうとそうあるものでもないが、彼女はそれにずっと立ち向かっていくのだろうか? ああ、いったいそれはどれほどの苦行なのだろう。

 ああ、だけど。だけど二人はもう大丈夫。
 誰にも救えぬ心は自分自身で救うもの。
 聖杯戦争中に幾度か心をささくれさせていたアーチャーは先ほど遠坂凛に向かって笑っていた。
 セイバーも絶対に挫けまい。先ほどの言葉がどれほどの重みを持っていたのかは知らないが、彼女が答えを見つけるといった以上、その誓いは絶対だ。
 彼も彼女も心配ない。
 だって彼らは笑ってる。
 私に向かい剣を構え、その魔力の放出に顔をゆがめながらもその笑みには満足感しか浮かんでいない。
 この別れのあとも、ともにこの戦いを潜り抜けた戦友が、最悪の結果にならないことを信じてる。

 闇を払う聖なる光。
 光が視界を埋めつくす。
 ああやっぱりあの二人なら安心だ。これならば、この地、桜が住まう私の故郷、冬木の地は安心だろう。
 私はその聖光から逃れようとあがく泥を制御する。
 悪いがこれは私とここで心中だ。
 泥が私を中心に収束し、私は無理やり力を通して聖杯までの道をあける。
 聖杯を壊すのではない。聖杯の破壊ごと聖杯につまる泥を浄化する。
 それは壊すだけでは不可能で、私こそがやらねばならない最後の仕事。
 地を揺らす音が鳴り、天へ伸びる光の柱が生まれ出る。
 私は最後に、大きく息を吸い込んだ。
 アーチャーへ、セイバーへ、衛宮士郎へ、遠坂凛へ。
 そして慎二に桜へ叫ぶ。

「――――まっ、これからも頑張りますかぁ! 初めからやり直しだろうと挫けるような私じゃないわっ、この身は無敵で素敵な魔法少女のカレイドルビー。挫けることは有り得ない。あんたらみんなも負けんじゃないわよっ、頑張んなさい!」

 私は天に届けとそう叫び。

 そして、ようやく。
 ――――――――全ての終わらせる白光が世界を染めた。

 Interlude out ルビー





[1002] カレイドルビー エピローグ 「魔術師 間桐桜」
Name: SK
Date: 2006/11/05 00:45
 子供のころありきたりな絵本を読んだ。
 困ったことがあって、大変なことがあって恐ろしいことがある。
 だけどそんな困難は仲間があつまってヒーローがいてすぐに解決。
 そして当然、最後の言葉は決まっていた。
「めでたし、めでたし」
 つまりこれは、そんなありきたりな物語。


   カレイドルビー エピローグ 「魔術師 間桐桜」

 私はマキリの修練場で一人ぽつんとたたずんでいた。
 時刻は朝方。早朝だった。
 寒々しい石の壁。きらびやかなものなど何もなく、生を感じることなど何もない。いや、唯一つ、いやに存在感のあるものが石と木であまれた修練場の床においてあった。
 ついこの間プレゼントされたそれは、真っ赤に装飾された目覚まし時計。
 それがカチカチと時を刻む音だけが薄暗いこの場に木霊する。

 地下にたった一人篭っている。時計の秒針音だけをきき、時間の感覚すらなくなるほどに意識を己の奥に埋めていく。
 地下は外の熱気とは完全に切り離され、涼しかったが、私はすでに汗だくだった。最近修練をするときに着るようになったジャージが汗でぐっしょりとぬれていく。
 これはマキリの修練だ。
 遠坂家のように効率化されたものとは程遠い。ただ怨念と執念を積み重ねるマキリの魔術。
 私はそれを愚直に繰り返すしか能はない。

 未熟で未熟。血統により代々濃縮されるべき魔術刻印も存在せず。ただ生来の魔術回路のみでマキリ発祥より数百の年月を重ねた技を再現する。
 それを子に伝えるために。その子がそれを誇りに思うことができるように。
 だからこそ。ここでの鍛錬は私の日課となっている。

「…………」
 ふと意識を浮上させる。
 ギィと立て付けの悪い地下室の戸が開く音がした。
 私は高ぶっていた回路を鎮め、そちらに目を向ける。
「おい、桜」
 声をかけてきたのは私の予想通り、兄さんだった。
 もうこの扉を開ける人は私か兄さんしかいないから。
「――――はい、兄さん。どうされましたか?」
「……お前バカか? もう時間だ、さっさと仕度しろよ、のろま」
「えっ!?」
 その言葉に全てをキャンセルして飛び上がる。
 地下室にポツンと置いてあるこの場に似合わぬ赤色の目覚まし時計に視線をやった。

 これを送ってくれた人の好みでアナログのベル式。
 キチンと一時間とセットしたはずのそれは、私が地下にこもってからいつのまにかすでに二時間がたっていることを示していた。
「なんだよ、壊れたのか? なにも今日壊れることはないだろ。アイツ時計に呪われてでもいるんじゃないのか、まったく……」
「わっ、わ。ご、ごめんなさい、兄さん。すぐ仕度します」
「ああ、玄関で待ってるよ。遅くなったらおいてくからな」
「は、はい。わかりました!」
 慌てて地下の階段を駆け上がる。
 兄さんはそう言ったら本当に置いていく人だ。
 ご飯なんてもってのほか。汗を流して服を着替えて、髪を梳かして……うう、どう頑張っても時間が足りない。
 私はどうしようかと考え、その時計の送り主を少しだけ逆恨みしながら、お風呂場に飛び込んだ。
 ごめんなさい、兄さん。きっと遅れることを頭の中だけで謝罪する。
 でもだって。
 ジャージを着たまま、汗臭いままじゃあ、いくらなんでも恥ずかしすぎる。


   ◆◆◆


 柳洞寺の奥から光の柱が立ち、それで全てが終わったことを認識する。
 ジクリとなくなってしまったはずの左腕が痛むような気がした。
 横を見れば、遠坂先輩と衛宮先輩も自分の腕を抑えていた。
「おわったのか?」
「おわったんですね?」
 兄さんと同時に声を発する。
 それに二人は頷いた。
「……たいしたものだわ。フォローの必要もないみたい」
 遠坂先輩が先ほどまでは頑なに振り返ろうとはしなかった、柳洞寺のほうを振り返りながらそういった。
「当たり前だ。セイバーとアーチャーとルビーだぞ、あいつらが失敗するはずがない」
 衛宮先輩もそういって後ろを向く。
 つられて後ろを振り返る私の目には、完全に沈静化した清浄な空気を宿す柳洞寺があった。
 泥は洩れず、完全に消えている。

 遠坂先輩は私をちらりと見てから口を開く
「まあ、あとは葛木先生と柳洞寺のフォロー。あー、あと綺礼もいなくなっちゃったから聖堂教会も介入してくるでしょうし、あんな大穴あけたら魔術協会だって黙っていない。これからちょっと休めそうにないわねえ」
 遠坂先輩が呟く。それは真理だ。なにごとも日常への回帰には後処理が付きまとう。
「……俺にも手伝えることあるか?」
「私もお手伝いします。先輩」
 だが遠坂先輩はその言葉に首を振った。
「あーいいわよ別に。セカンドオーナーは遠坂だし、街への責任は自分で取るわ。イリヤスフィールはどうしましょうね。うちで預かってもいいけど、衛宮君になついていたみたいだし。ああ、いやそもそも森に外工房を構えてるんだっけか……一人ってことはないだろうし、使用人とかか……くっ、なんて贅沢な……ああいやでも金ピカに襲われてるのか……一応見に行ったほうが……」
 ブツブツと呟きながら一人でどんどん話を進めていく。
 私たちはついて行けない。思考の海に入ってしまった遠坂先輩に苦笑して、衛宮先輩と兄さんと私がその後ろを歩いていく。

 その後ろで一緒に歩きながらふと思う。
 彼女は決して止まらない。
 過去を悔やみながらもその瞳に未来の希望を宿していた彼女のように、彼女もその歩みを止めることはない。
 私はずっと貴女を眺めているだけで、自分自身が歩もうとしていなかった。
 だけど私はもう大丈夫。

 だからほら、私は彼女の背中に思いを飛ばす。
 そう、

“これからも、よろしくお願いします”

 そんな常套の挨拶を。


   ◆◆◆


「この愚図っ!」
「ほんっとうにごめんなさい、兄さん」
 兄さんと一緒に空港内を駆けていく。
 目的は改札手前の大広間。
 タクシーが空港前に到着したのは五分ほど前のことで、それから私と兄さんはずっと走りっぱなしだった。
「あれだけ遅れるなって言っただろうが」
 兄さんが走りながら怒鳴る。
 結局兄さんは私のことを待っていてくれていて、予想通りに時間に遅れた。
「はいっ。ごめんなさい兄さん」
 頭を下げる以外にやりようがない。今はもうそれなりに暑い季節。そして兄さんが汗だくなのに、私は魔力で強化した足で、息すら切らせずに兄さんに並んでいる。

「くっそ。何でお前のせいで遅刻して、お前だけ楽してるんだよ……」
「ごめんなさい。あ、そうだ。私が兄さんを抱っこすれば」
 もっと早くなりますよ、なんていいそうになって死ぬほどの後悔をした。
 兄さんがこちらを向く。
 どう考えても口を紡ぐのが遅すぎた。
「――――バカいってないで、さっさといくぞ! このバカ!」
 さすがに鈍間という言葉は使わずに、兄さんが不機嫌そうに私に言う。
 きっと頭を叩かれなかったのは、ただ兄さんが疲れていたからというだけの理由だろう。
 口答えなんてできるわけがない。
 ハイ、とだけ答え私は兄さんと一緒に走り続けた。


   ◆◆◆


 その日。
 ピンポーンという旧式然としたチャイムの音で、いつものように玄関を開ける。

「ハーイ、桜。ちょっとお邪魔していい?」
「えっ? は、はい」
 唐突にそんなことを言われて戸惑ってしまう。だがもちろん私に否応はずがない。
 玄関を開けて招き入れる。
「あー、慎二は?」
「兄さんは奥にこもっていますが」
「ああ、そうか。未熟なりに更生したってところね」
 そう呟き、次にその手に持った封筒を振ってみせた。
「まあいいわ。桜だけでも。遠坂家当主、冬木のセカンドオーナーとして話があるのよ」

 ちょっとこれを見て、とその手に持った封筒から取り出された紙には英語でびっしりと文字が埋まっていた。
「魔術協会からですか? ロードの推薦状…………えっ、時計塔にいかれるんですか!?」
「たぶんね。この間、事後報告って形で向こうに召喚されたじゃない? でさあ、そのとき当たり障りないように報告したら、まあどうもこういうことにね」
「はあー」
 話がすごすぎてついていけない。
 あのとき処理を全部任せてしまったのはやっぱり申し訳なかったという気持ちが出る。

「いいのよ、桜。で貴女はどうする? 行こうと思えば貴女も向こうにいけるけど」
「えっ?」
「ほら、署名欄。貴女も行こうと思えば時計塔にいけるけど……」
「――――いえ、私は自分の身の程を知ってます。私は未熟な間桐の跡継ぎとしてここを守ることを決めていますから」
「……んっ、そっか。そう言われるんじゃないかなーって気もしてたのよ。ちょっとだけ期待してたんだけど、しょうがないわね」
「はい、ごめんなさい」
 頭を下げる。
 ついでに、クス、なんて笑い声が上がり、二人して笑いあった。
 お互いが笑い合えるのは、幸せのこれ以上ない具現である。
 私たちは少しくらいさびしくたって、この先この幸せが崩れないことを信じて笑いあう。

 だから当然、間桐邸を後にするときも私たちは笑いあった。
「じゃ、出立の日が決まったら連絡するわ。数年で帰ってこれると思うけど、その間この街のことお願いね」
「はい、イリヤちゃんたちや衛宮先輩、それに兄さんもいますし、大丈夫ですよっ」
 安心してください。と大きな声でそういった。


   ◆◆◆


 待合所のようにベンチや売店などが設置してある空港の改札前に、藤村先生が、遅れてくる私たちを探すようにして立っていた。
 私たちの姿を捉え、その顔が笑みに変わる。
「おー、桜ちゃん。良かったあ、間に合ったのねえ」
「す、すいません、藤村先生」
「…………はぁ、はぁはぁ……は。ぐぅ――――気持ちわりい……」
「あー間桐くん、大丈夫? だめよー、朝ごはん抜いちゃあ」
「わわ、いえ、ご飯は食べたんですけど、私がちょっと……ああ、ごめんなさい兄さん。ジュース買ってきますか?」
「…………べつにいい。それよりもさっさと行こうぜ」
「そうね。士郎たちは騒がしいからすぐ見つかると思うけど」
 藤村先生が真顔でそういう。衛宮先輩たちの意見も聞いてみたかったが、その言葉は正しくもあったので私と兄さんは反論しない。
 頷き、藤村先生についていく。
 予想通り、いくらもせずに目的の人たちが見つかった。

 なんというかたった数人でこれ以上ないくらい目立っている。
 そう、つまり。
「…………遅いよなあ、桜たち」
 と衛宮先輩が呟いて、
「慎二がなんかバカやったに違いないわね。そうだ、衛宮君。携帯電話だっけ? つかえないの?」
「ああ、俺持ってないんだよ。番号も知らないし。イリヤは持ってたっけ?」
「んー、セラ?」
「はい、僭越ながらお嬢様のためこの国のものを備えておりますが、間桐の人間とはそれほど親しい交流がありませんので」
「つまりなによ。どういう意味?」
「……セラもシンジの番号なんてわからないって意味でしょ。リン、貴女そんなこともわからないの?」
「ま、まあイリヤ。遠坂は携帯使わないらしいし」
 フフン、と鼻で笑うイリヤちゃんを先輩が慌ててフォローする。
「――――うっ、うるさいわね。私は主義だかなんだかで持ってない衛宮君と違って携帯電話くらい家に帰れば置いてあるんだからね!」
「――――いや、それ言い訳になってないぞ、遠坂」
「それでは携帯電話の意味がないかと……」
「……逆効果だと、思う」
「セラとリズのいうとおりね。使い魔と念話に頼ればいいなんて前時代的なこと思ってるんじゃないの? いやねー、質量から平然とエネルギーを取り出しているこの時代で、いまだに魔術信仰で凝り固まった魔術師だなんて。――――あーそうだ、シロウも持とうよ。番号教えてあげるね」
「おいおい、イリヤ。同じ家に住んでるだろ?」
「聞きなさいよ! 使えるに決まってるっていってるの!」
 憤った叫び声。非常に目立っている。
「…………へえ、そうなのか」
「正直に言えばいいのにシロウ。リンが使ってるところ見たことないわねって」
 全部わかってて笑うイリヤちゃん。
「ふっ」
「――――?」
 そのやり取りを、鼻で笑うセラさんと首をかしげるリーゼリットさん。
 ああなるほど。
 こんな集団ならば先ほどの先生の言葉も頷ける。

「おーいみんなー。桜ちゃんと間桐君がきたわよー」
 平然とその混沌としたやり取りに割り込む藤村先生。
「あっ、桜。よかった、間に合ったのか」
「はい、遅れてしまって申し訳ありませんでした」
 そういって私はそこにいるみんなに頭を下げた。
「遅いわよ、桜」
 ごめんなさいと頭を下げる。
 ロンドンへ出立するその日。こんな日に遅刻してしまうとは不覚にもほどがあった。
 兄さんと一緒にみんなから責められて、それに笑いながらごめんなさいと謝った。

 そうして、みんなで笑いあい、少しだけ話をする。
 別れを惜しみ、握手を一回。
 毎日あっている間柄、話すことはいくらでもあったが、言うべきことはなくなった。
 ちょうどよく空港内にアナウンスが流れてくる。
「おっと、そろそろね。行かなくちゃ」
「ええ、そうみたいですね」
 だってこれは見送りで。
 決してあのときのような別れではないのだから。
 だから私に悲しみは存在しない。

「じゃあ、遠坂。達者でな」
「ええ、衛宮君も。それじゃ、みんな、ちょっと行ってくるね」
 ニコニコと笑いながらそういって、
 衛宮先輩も兄さんも先生もイリヤちゃんたちもそれに答える。
 そしてもちろんこの私、間桐桜も大きな声で返事をする。

「はいっ、いってらっしゃい。――――姉さんっ!」

 ずっと言いたかったことを、当たり前のように口に出せる幸せをかみ締めながら。


―――――――――――――――――――――

終わりです。
もう何ヶ月ぶりなのかもわからないほどさぼってしまいました。
 最初のほうのあとがきで完結させるといった手前、投稿させていただきました。
待っていてくださった方々、本当にもうしわけありませんでした。




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