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[10030] 人質はリリカル(現実来訪モノ) サクヤルート第六話
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2012/08/20 23:55
注意・一気読みは止めましょう


ども、散雨ともうします。

なんとなく思いついたので試しに書いてみました。書いてみたので一つの物語として書く事にしましたので、よろしくお願いします。
内容はたぶん転生モノです。「リリなの」のオリ主モノは書いていますが、こういう現実から~な感じのものは初めて書くジャンルなので現実的じゃない言葉使いとかが色々あると思いますが、何とか直す様な直さない様な微妙ですので、最悪の場合はスルーの方向でお願いします。

内容はダーク系でアンチではないって感じです。

胸糞悪い奴が何人もいるので、そこを我慢して読んでいただければ最高です。
ただし、中身はダークですが個人的に燃えとハッピーエンドが大好きなので、出来るか分からないですが、頑張っていきます!!

それでは、感想とかアドヴァイスをお待ちしております……


アリサルート、完結。




[10030] 第一話 「転生地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2011/01/27 11:22
物語には必ずと言っていい程に、道筋がある。それは原作ともいうし、それは絶対に通らなければいけない通過点だ。

たとえばを言えば、主人公。その者が主人公という役柄を与えられたのならば、主人公はその道筋を歩かなければならない。それがどれほどの苦難があり、崩れ落ちそうな程に最低で最悪な道だとしても、主人公はその道を歩かなければならない―――何故なら、それは主人公という存在が製作者という神様によって都合の良い物語を作らなければならないからだ。

主人公は生きている―――架空の世界で、架空の命で。

物語は人生と同義語―――それが、誰かの手によって造られた偽物の語りだとしても。

「――――――つまり、君は何が言いたいの?」

わからないか、この黒坊主は。

「言いたい事は一つだ。お前の暇つぶしに俺を巻き込むな。俺は苦しいのも嫌だし、痛いのも大嫌いなんだよ」

目の前で、影の様な輪郭を持った存在に、俺は嫌そうに顔をしかめる。しかし、影はそれが大変お気に召したのか、手を叩いて大喜び……ムカつく。

「どうして?だって、最高じゃない。君が死んで、この後は天国か地獄を選ぶだけの存在だって言うのなら、もう一度人生をやり直す位の意気込みを見せてもいいと私は考えるよ?」

「それが大きなお世話だっての……」

「大きなお世話でもいいじゃない。だって、私は神様だよ?聖教でも仏教でもどっかの胡散臭い宗教の神様よりも、神様―――まぁ、あれだね。誰も崇める事も出来ない邪神でもあり、絶対神でもある。どう、ここまで言えば、理解できるよね」

「理解したくない」

「何故?」

「お前がそんな大層な存在には見えないからだよ。見た目はただの影の塊で、それがたまたま人の形を取ってるだけの神様気取り何ぞを、どう理解しろっていうんだよ?」

影は尚も嗤う。

「いいじゃん、いいじゃん。そんな小さな事を一々いうような小物にはなってほしくないね、私は……そう、だって君はこれから主人公になるんだよ?君の生きていたつまらない現実には絶対存在しない幻想で陳腐で馬鹿正直な阿呆の住む、架空で幻想でドロ臭いものを目にも留めようとしない馬鹿な女共の下らない夢物語」

影は舞台役者の様に嗤いながら、嗤いながら俺に道を差し出す。

とりあえず、現段階で一つだけ云えることは一つ。

俺は、死んでいる。

コイツは、この影は神様らしい。

神様は、間違って俺を殺したらしい。

だから、特別に生き返らせてくれるらしい。しかし、現実に戻す事は現実的に不可能。生きている人間の数は決まっているので、これ以上は増やせないらしい。

まぁ、そんな事はどうでもいい。

問題は、コイツが生き返らせるのを決断し、そして俺を送り出そうとしている世界の事だ。

「――――君さ、魔法少女って興味ある?」

と、いきなり訳の分からない事を言うと、

「これから、君を魔法少女の住む世界に送ってあげるよ。それも、君の知っている素敵な少女達の戦場、己の意志を貫き、弱者を沈め、己の正義を棚に上げ、その正義すら満足に通せない愚かな少女達の世界と物語」

「お前さ、さっきからその話方……カッコいいと思ってるのか?」

「趣味なんだよ。こういうセリフは実に物語臭いだろう?現実ではアホらしくて言えない陳腐なセリフも物語では許される。電波なセリフも場面によっては見事にカッコいいセリフにもなるし、ネタにもなる。そんな臭いセリフを吐くのが趣味なんだよ」

「そうかい。それは良かったな……」

頭が痛くなってきた。

「話を戻すよ。君をこれから送り届ける世界―――いいや、物語と言ったほうがいいね。一応、君の大好きな物語にしておいたよ」

俺の大好きな物語?しかも、魔法少女?おいおい、それってもしかして……

「まさか、リリカルでマジカルな世界?」

「そう、マジカルでリリカルな世界」

おいおい、マジですか?

「神様よぉ、アンタは俺にオリ主とか憑依とかTSとかそういう分野で第二の人生を送れって、そんな戯言を言うわけ?」

「そうだと言ったら―――っていうか、そう言わざる得ないね」

「断る」

「何故?誰でも想像する最高で最悪な素敵で醜悪な腐った妄想のなれの果てを君は体験することが出来るんだよ?」

それは最高だろうよ。

確かに、あのアニメ……いいや、色々な物語を読んで誰だって「こんな世界に行ってみたい」とか「こんな女の子とお近づきになりたい」とか願うだろうよ

だが、それは胡散臭い。

特に、この影という人の形をしている神様気取りの電波さんには、とてもじゃないがまともな事をしてくれる気はまったくしない。

「信用できない――――いや、そんな事は関係ない。俺はそんな願いはお断りだ。どうせなら、普通の人間がいる普通の世界に送りやがれ」

「え~、つまんないじゃん」

「つまらなくていい、だるくていい。俺はそんな普通でいいんだよ。間違ってもあんなびっくり人間大集合な世界はお断りだ。それと、そんな所で原作介入とかそういう面倒以前に最悪な事をさせられる様な気がするので、断じてお断りする」

「―――――へぇ、よくわかったね。私が君にそういう役割を与えようとしているって……」

「お約束だからな。こういうのは……現実で死んだ人間が物語の中に送り込まれると、大抵はそういう最低な役割を与えられる」

「珍しいねぇ。大抵の人なら喜んで飛びつくのに……もしかして、BLとか好きなの?」
まさか、直球で女性が大好きです。大好きだから、童貞のまま死んだ自分に腹が立つし、殺したこの腐れ神様が大嫌いだ。

良心的な事はかけらも存在しない最低な奴だ。殺される事を前提にしたとしても、これは悪意があり過ぎる。しかも、まったく反省するそぶりも見えないところも最悪だ。

「とりあえず、俺はお断りだ。そんな望みはしたくない」

「…………どうしてだい?私は君の第二の人生を素敵な物に変えたくて、少しばかり無理をしてあげたっていうのに」

「嘘つけ。お前は単に面白がってるだけだろうが」

「そうだよ。嘘だよ。面白そうじゃない、そういうのってさ……私はね、こういう身分だけどそこそこ君の世界には詳しいわけよ。マンガも読むしテレビも見る。ドラマも見るしアニメも見る。そして、ああいう小さな幼い少女を戦わせるという狙った様な部分がある物語は大好きでね。よく拝見させてもらっているよ?アニメも小説もマンガも二次創作という物もね」

「オタク丸出しじゃねぇかよ、邪神」

「褒めても何も出ないよ……でもさ、なんでそんなに拒むわけ?もしかして、怒ってる?怒ってるなら結構いい待遇で送り出すよ?」

影は虚空に古い百科辞典の様な物を出現させる。

「まずは魔力だね。そうだなぁ、とりあえず最強モノみたいにSSS位いっておくかい?これなら、どんな相手にもまず負けないし、オマケでレアスキルも付けてあげるよ。それと、容姿も金髪とか銀髪とかどうだい?オッドアイでもいいし、現実ではありえない不思議な色を使ってもいい。それと、生まれにも特殊な物を用意するとしよう。Fの技術で生み出されたクローンで兄設定で弟設定。生粋に剣士で主人公の家とも交流のある強者にして、主人公の幼馴染で初恋の人。頭を撫でれば顔を赤く染める技術も付ける。それでも気に入らないのなら、車椅子少女の親戚でも守護騎士のアナザー設定でもいいね。管理局員で執務官でもいいし、スクライアの少年の友達でもいい―――おっと、もう一つは機械人形のプロトタイプでもいいねぇ」

ページをめくるながら勝手に盛り上がっているところ悪いが、俺はそろそろ限界なんだよ。特に、死んだまま連れて来られたから身体がぶっ壊れてさっきから血がドクドク出てるし身体は痛いし、ずっとスプラッタ状態なんだよ。

「それで、どれにする?どの役割の原作介入する?」

いい加減、本当に頭にきた。

俺は怒鳴ると身体に響くから嫌だったが、これ以上は我慢の限界だ。

「――――おい、いいかバカたれ。俺はそんな役割は欲しくない。俺が欲しいのは普通の日常と普通の人生だ。そんな物語で一生を過ごせなんて、どんな拷問だよ」

「嬉しくないの?あんな可愛らしい餓鬼共と人生を共に歩めるなんて最高じゃない」

最高?

冗談を言え、バカたれ。

「――――なぁ、神様。お前は本当に物語の登場人物が可愛らしいとか、そういう考えを平気で出来る単細胞なのかよ?」

俺の言葉に、影は首を傾げる。

どうやら、本当にわかっていないらしい。

「いいか、そういう奴等は全部が登場人物だから、そういう見方が出来るんだよ」

俺は語る。

色々な物語を見て、読んで、そして急に思いついた戯言を、俺は死んだ今になって言葉に置き換える。

「物語ってのは空想の産物だ。そこに登場する連中は全てが普通じゃない部分を持っている。たとえば主人公だ。主人公の女の子は普通の少女みたいな設定だが、中身は少し頭のネジが飛んだ子供だ。そして、それ以前に過去に孤独とかそういう暗い部分を持った存在で普通じゃない」

「それが問題あるの?」

「別に問題はない。その程度は普通にある現実的な部分だ。あれよりも酷い環境で育った奴はいるし、それでもしっかりとマトモな社会生活を遅れている―――少なくとも、我が強いとか優しいとか正義感があるとか……そういう何処にでもある人格の子供が、あんな簡単に何かと戦えるネジが飛んだ奴は一人もいないはずだ」

俺の言葉に、影が顎の部分を掻きながら興味深そうに尋ねる。

「それって、彼女が普通じゃないって事?」

「現実に置き換えるなら、そういう話だ。少なくとも、大抵の奴は怖がる。魔法とかそういう異形の力を備える程度ならわかるが、そこから先の戦いは別だ。あの物語の戦いは遊びじゃない……一歩間違えば間違いなく死ぬ。一歩間違えれば間違いなく人を殺せる。そんな力をあの少女はあっさりと使いこなし、才能があるの一言で化け物じみた成長速度で主人公補正丸出し活躍をする。おかしいだろう?普通じゃないだろう?それを疑問にも抱かずにあの主人公は活躍し、戦い、そして成長していく。おかしい、普通じゃない、いかれてるの一言だ」

九歳の少女が闘っている異形の怪物と、魔法使いの少女、それは現実的でない故に物語だ。だから、あの少女も物語の登場人物で主人公だから普通に戦いをする。もちろん、最初は恐怖という感情もあったかもしれない。だが、それでもあれはおかしい。

「わかるか、神様?あの主人公はあっさりと相手に武器を突き付けられる異常者だ。それが話を聞きたいとか、友達になりたいとか、誰かの力になりたいとか……そんな理由で突き付けられるか、あの力を?」

「――――君さぁ、それって物語全部を否定してる発言だよ」

「物語なら否定しないさ。物語だから楽しめる。物語だから主人公の成長を楽しめる―――だが、それを現実に持ってくるなら話は別だ」

これは、平穏な日常を過ごしてきた者の発言だ。戦いに身を置く者の言葉じゃない。だが、だからこそそれを普通にするのは出来ない事だ。そんなおかしい事を認めるのはとてもじゃないが出来る気がしない。

「物語って奴は、どこかネジが飛んだ連中がいるから物語なんだよ。そんな連中のいる世界に俺を送り込み、第二の人生を過ごせだと―――ふざけるな!!俺は普通の生活でいいんだよ。普通の生活の中で、そういう物語の中の連中のネジの飛び具合を見るだけの常人で充分なんだよ!!」

それは、俺に死ねと言っている事と同じだ。

「原作に介入しろだと?その方が楽しいだと?寝言は寝てから言えよ。俺がそんな世界に行きたくない理由はもう一つある」

影は俺の言いたい事が予想できたのか、

「それは、物語を壊したくないって事かい?」

そう、言い放った。

「あれは物語を壊す行為だと、君は言いたいんだろうね。すでにある物語を視聴者の都合で作り変え、死人は生き残り、生きているはずの者が死ぬ結末も存在する。それが、自分に何の関係のない、読むだけ見るだけの物語なら十分に容認できる。しかし、それに自分が介入するなら話は別―――って事でいいんだね」

「そうだよ。誰もないなくても完結する物語なら、それでもう十分だろう。どこをどういじくりまわしても、最終的に終わるなら意味はない」

「終わりがあるから物語なんだよ」

「それを俺の人生にしてしまったのなら、そいつはもう物語じゃない。他人の人生であり、俺の人生になる」

「だから、楽しいだろう」

「だから、つまらないんだよ」

俺と影の意見は一向に交わる事はない。だが、俺は自分の言葉が完全に間違っているとは思っていない。無論、正しいとも思っていない。だが、それが今の俺の言葉だ。それを投げ捨てて原作に加入などという事はしたくない。

「―――うん、わかったよ」

俺の意思が伝わったのか、影は残念そうに首を振る。

どうやら、一応了承してくれたらしい。

「なら、俺を普通の世界に――――」

送ってくれと口にだそうになり、



「それじゃ、君を絶対に介入させてあげるよ」



それを強制的に止められた。

「お、前……」

影は嬉しそうに三日月に口を作り出し、手を伸ばす。

「宣言するよ。新たなる登場人物よ……私は神の名にかけて、君を絶対に登場人物してあげよう。必ず君は彼女等と出会うと強制しよう。必ず何かに巻き込まれると宣言しよう」

それは、死刑宣告だ。

「君は必ず高町なのはと出会うだろう。君は必ずジュエルシードと出会うだろう。君は必ずフェイト・テスタロッサと出会うだろう。君は必ずアースラクルーと出会うだろう。君は必ず事件の主要人物として行動させられるだろう。君は必ず二人の別れに出会うだろう。君は必ず八神はやてと出会うだろう。君は必ず守護騎士と出会うだろう。君は必ず闇の書と出会うだろう。君は必ずあの別れに出会うだろう――――そして、君は必ず全ての事件に巻き込まれ、そして活躍させると宣言しよう」

もはや、俺に言葉はない。気づけば、影の手が俺の頭を掴みあげ、万力の様に頭を割れそうな程に締め上げ、そして破壊する。

「さぁ、始めようか主人公。さぁ、存分に堪能しよう登場人物。君の好きなネジの飛んだ異常者の群れで仲間になり、そして普通という言葉をあっさりと捨てられる様に、ネジを外そう、壊そう、異常を刻み込もう」

そして、俺は生まれ変わる。

そして、俺は運命に弄ばれる。




魔法少女リリカルなのは




「さぁ、行きたまえ……私は、君の全て見守ろう。スナック片手に煙草をふかして、おもしろ可笑しく笑い転げて楽しもうじゃないか」






はじまります………









トンネルと抜けると、そこは雪国――――ではなく、海辺の堤防。目の前に広がる海に夕日が写り込み、オレンジ色の水面を視界いっぱいに広げている。

「………野郎、やってくれたな」

まるで妙な物を見ている気分だった。

何となくだが理解できる。ここは現実でありながら空想の世界。空想が生き、空想が生活する空想の為の世界。そこに紛れ込んだ『生きていた』人間もまた、空想の産物になり変わる。

つまり、俺もそういう人物だろう。

俺は自分の今の状態を確かめる。

お約束的な身体の変化は―――特に見られない。年齢的には依然と変わらずニ十三のままであり、顔は―――うん、少しというかコイツ誰ですか?な感じに変わってるな。お父さん、お母さん、ごめんなさい。アナタの息子は親からもらった顔を捨てられました。

「それで、俺にどうしろってんだよ」

懺悔を終えると、俺は意味もなくふらふらと歩く。とりあえず、ここが何処かを確かめるために案内板の様なものを探し―――『ようこそ、海鳴へ』の看板を見つけて顔が引きつる。

「マジですか?」

誰も答えない。

誰も答えてくれない上に、どうすればいいかもわからない。どうすればいいかもわからない上に金もない。携帯もない――――つまり、服以外に何もない……と、思っていたが、着ている服のポケットの中に妙な物が入っていた。

何かなぁ、と思って取り出して見る。手の感触でからすれば硬い石みたいな感じであり、もしかして宝石とか金目のものかと期待して、



ジュエルシードでした………



「ふ―――――――ざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

目に捉えた瞬間、力の限りぶん投げた。海に向かって、あの夕陽に向かって、太陽の馬鹿野郎と何の罪もない太陽さんを罵倒しながら、とにかく投げる。

ぽちゃんと小さな水柱を上げて海中に沈むジュエルシードを見ながら俺は安堵の溜息を吐く。あぶない、あぶない。あんな物を持っていたら確実に原作介入ですよ。

「あのクソ神め。本気で俺を介入させる気か?冗談じゃねぇよ。あんなびっくり人間大集合な番組の戦いに巻き込まれてたまるかっての」

とりあえず、やる事は決まった。誰もいない、誰にも会わない内に俺は海鳴の街を後にしなければならない。今すぐ、速攻で出て行けばきっと誰にも会わないし、変なフラグに巻き込まれる事もないだろう。

とか思っていると、

「きゃあ!?」

という可愛らしい悲鳴が耳に入る―――なんだか、物凄く嫌な予感がします。肌がピリピリするくらいに存在感のある何かが背後にいる。俺は恐る恐る背後を振り返ると、そこには車椅子が横に転倒しており、見た事のある少女が地面に倒れている。その周りに買い物袋の中身がばら撒かれているというお約束的な展開がそこにはあった。

「―――――見なかった事にしよう」

どうやら、地面のある窪みか凸凹のせいで車椅子が倒れてしまったらしいが、ここで手を貸したらきっとアウトだ。見事にアウト、スリーアウトでチェンジする暇もなく試合終了だ。

人として明らかに間違っているが、こっちは身の安全の為に車椅子の少女を見捨てて歩き出す。向こうも俺に気づいていないみたいだし、安心安心……まぁ、心はめっちゃ痛いですけどね。

そんな複雑な感情を抱いている俺の頭に、

『えぇ、見捨てるんだ~』

という、聞き覚えのある耳ざわりな声が届く。

俺は一瞬足を止めそうになったが、ここで足を止めるのは危険すぎる。だから、俺は無表情で歩みを進める。そして、周りに誰もいない事を確認し、

「おい、なんでお前が俺に話しかけてくる?」

『何でって、君が心配だからさ。それと、ちゃんと君が誰かに接触出来るか確認する為にね』

「大きなお世話だ。それに、俺は今からこの街を出るんだよ。誰にも会わない、触れあわない。フラグも立てるつもりも毛頭ない」

『うわぁ、この人……何の為にその世界に送ってあげたのか、わからなくなるくらいの自分勝手な人だね』

「馬鹿言うな。こっちは普通の常識人だっての。でも、自分の身も安全にしたいくらいの我儘は持ってる。正義感振りかざして危険に飛びこむほどの阿呆じゃない」

『その結果、困ってる幸薄少女を見捨てると?』

ぐさりと、心に冷たい何かが刺さる。胸を押さえながら、それを無視して歩きだす。歩みを止めるな、辛そうな顔をするな。ここでは何をしても何かに繋がってしまうほどの異界だ。気を緩めるな、周囲に気を配り、精神を研ぎ澄ませ。

『………あのねぇ、そんな生き方をさせる為に私は君を送った訳じゃないんだよ?君は第二の人生をオリ主として生きてみればいいじゃない』

オリ主として?ふざけんな。

「これは俺の物語じゃない。この物語はその題名の通りに、その主人公達の物語だ。俺には関係ない」

『違うね。君の物語さ……それと、一つ訂正させてもらえばこれは主人公達の物語ではなく、高町なのはという少女の物語だ。それ以外の連中は彼女を主人公とさせる為だけの噛ませ犬であり、脇役さ。さっきの少女もそうだよ?彼女は第二期という作品の為だけに、高町なのはという主人公の話を作り出す為だけに生み出された噛ませ犬であり脇役だよ。主人公が死なない限り終わらない物語の中で『死んでも悲しまれるだけ』の存在だ。彼女が死んでも物語は終わらない。それが如何に主要人物でもね』

「…………」

『あれ?怒ってる?怒ってるの?そんな資格も権利もないくせに、一丁前に怒ってるの?』

「五月蠅い……喋るな」

『無理、無視、断固断る――――そうだねぇ……君がそんなに介入できないのなら、こっちから少し物語を歪めるとしようじゃないか』

不吉な事を呟くと、今度は前方から悲鳴が上がる。今度は先ほどの様な可愛らしいものでも、現実味がある、命の危機にある恐怖の悲鳴だった。俺は反射的に駆けだし、その光景を目にしてしまった。

そこには、金髪の少女が覆面の男達に捕まり、無理やりワゴン車に押し込められそうになっている光景だった。

野郎、原作から本編にこの場面を組み込みやがったな!?

俺は思わず走り出しそうになり――――急停止する。

『あれ?どうしたの?助けないの?』

「…………助けない」

『見捨てるの?』

「あぁ、見捨てる」

俺はそう言って回れ右をしてその光景から目をそらす。目をそらすが、近くにあるコンビニに向かって走る。金はないが、この緊急事態に電話ぐらいは貸してくれるだろう。

『もしかして、警察に通報するの?そんなつまらない事をするわけ?』

「あぁ、そうだよ。俺にあんな連中と喧嘩しろと?冗談じゃない。そこまでお人好しでもないし、強くもない。それに、さっさと通報すれば、もしかしたら死ななくてもいかもしれないだろう」

『でも、彼女は恐怖を味わう。もしかしたら犯されるかもね』

「―――――知るかよ、そんな事……」

俺はまだ、この現実を受け入れていない。どこかでまだ、これは物語の世界であり、この街から抜け出せれば少しだが現実に戻れると思い込んでいるのだろう。だから、その為に一人の少女を犠牲にするが、それはまだ自分が彼女と同じ世界の住人であるという実感がなく、現実と物語に境界線を引いているからこその行動だ。

そう、言い訳をする。

そうしなければ、この罪悪感から逃げる事は出来そうになり。

だが、そんな考えを見透かしているのか、奴は、影は、神とやらは―――



『――――でも、それは了承できないね』



そう、呟く。

瞬間、背筋をゾッとするほどの悪意を感じる。悪意という言葉ですら生ぬるく、それでいて気持ちの悪くなるくらいの無邪気な想像、無邪気な殺意。

それを、その無邪気な暴走を、神を名乗る影は、あっさりと物語の現実を狂わせた。

音が響く。

鼓膜が揺れる。

背後から何かが飛んでくる。

背後で何かが壊れる。

背後から熱を感じる。



背後で、振り向く。背後で、目にする。背後で、驚愕する。背後で、息を呑む。背後で、炎が上がる。背後で、燃えている。背後で、車が。背後で、燃えている。背後で、少女の。背後で、乗せられた車が。背後で、燃えている。



「…………何、で……」

車が燃えている。まるで爆発したかのように燃えている。どこかに激突したわけでも、何かが突っこんできた形跡もなければ、何かが撃ち込まれた形跡もなく、突然車が爆発し、炎上し――――そして、何故か急に視覚が縮まると、燃える車の中に残された少女の姿が目に入った。

直観、生存を確認する。

無意識、走り出す。

罪悪感、極限に達する。

燃える車に走り寄り、燃えるドアを素手で掴む。熱のせいで触っただけで肌が焼ける。激痛、今すぐ手を放せと身体が反射的に手を放そうとするが、それを抑え込んでドアを思いっきり壊れる勢いで開ける。

中には数人の男が―――燃えている。ある者はあり得ない方向に首が折れ曲がり、頭部を燃やしている。ある者は胴体がなく、下半身だけが残され、燃えている。あるのは死体、死骸、燃えカス。その中に、一人だけ奇跡といっていい程の幸運に恵まれた少女の姿を確認する。俺は彼女を抱き上げ、燃える車内の中から彼女を抱いて飛びだす。

瞬間、車がタイミングを計ったかの様に爆発した。その爆風によって車の破片が飛んできて、俺の頬をかすり、皮膚を切り裂く。

だが、そんな事はどうでもよかった。

少女は血を流している。

頭から血を流し、右腕を炎で焼かれ、奇妙な方向に折れ曲がっている。白い学校の制服を赤く染めあげ、腹部から紅い血を流している。

致命傷、素人にもわかる程に致命傷だった。

誰のせいだ、俺のせいか?

俺が見捨てたから、俺が関係を持ちたくないから見捨てたから、こうなったのか?

『――――ようこそ、非日常の世界へ』

神の―――影の愉快な笑いが頭に響く。

「お前か……お前がやったのか!?」

『うん、そうだよ。私がやったんだよ』

奴は、悪びれる様子もなく、あっけらかんに言い放つ。まるで罪の意識も無く、そうするのが罪なのかと聞き返す程に、無邪気な笑い声を響かせる。

「何でだ!?」

『君の為だよ。君が彼女を見捨てるような酷い人間だから、君の様な中途半端な自分勝手を持つ奴には、こういう方法でしか介入させれないからね』

「コイツには関係ないだろう!?」

『あるよ。大いに関係がある。これで君と彼女に繋がりができ、その繋がりが次の出会いを作り出す。その出会いは確実に魔を呼び込み、君を戦場へと送りだす』

それだけか?

たったそれだけの為に、そんな下らない事の為に、

「お前……人の命をなんだと思ってる!?」



『お前がそれをほざくか、人間?』



急に生き苦しさを感じる。まるで、見えない猛獣が俺を見る様に、餌を欲さんと狙うように俺を狙い定め、捕食する対象として狙うような感覚だった。

それを出すのは、見えない声の主。

『お前、見捨てたよな?他人まかせにしようとしたよな?それを、そんな馬鹿な考えをする様な奴が人の命の尊さを語るか?だとしたら、貴様は偽善者以上の糞以下の存在だ。何を戯言を言うのだ人間。お前はその少女を見捨てようとした癖に、何を私を侮辱するような発言をするのだ?』

云い返す言葉が、見つからない。

『こっちは事前事業で貴様を生き返らせらわけではない――――私の楽しみの為にお前を蘇生させ、この世界に送り出したんだよ。それをなんだ貴様は?介入しない?誰とも会う気はない?―――――そんなつまらない事を私がさせると思うのか?』

むしろ、言葉を発する気すらない。

『いいか、人間。これは始まりだから言っておいてやる……この先、貴様がどれほど拒もうとも運命は私が決める。貴様が先ほど捨てたジュエルシードもそうだが、物語から逃げるような行動をするものなら―――私が介入する。登場人物の生活に介入し、貴様が行動せざる得ない状況を作り出す』

コイツは、本気だった。

本気で俺程度の存在の為に誰かを傷つける。それは善人の行動ではなく、最低な自分勝手な理論を振りかざし、コイツはそれを行う。



『貴様が介入しないのなら、まずは高町なのはを殺す。貴様に彼女を遭わせ、その後に貴様の目の前でその腕に抱いている少女の様に彼女を傷つける。あっさりと傷つけ、人生を壊し、殺し、周囲を不幸にし、そしてその周囲すら壊して、殺す』



宣告する。



『その次はフェイト・テスタロッサを殺す。本編以上に異常に狂わせ、どん底に突き落とし、傷つけ壊して殺して、生きているのを苦しみ、絶望させ、そして彼女の全てをどん底に突き落とす。その次は誰がいい?貴様が先ほど見捨てた八神はやてはどうだろうな……そうだな、守護騎士の一人一人をゆっくりじっくり不幸に最低に殺して、徐々に徐々に彼女の心を壊し、永久の闇の中に閉じ込め、精神がぶっ壊れるほどに打ち壊し、絶望させ、自殺する位まで追い込んでやろうではないか!!』



俺には手を出さずに、この物語を破壊すると宣言する。

何をしている、反論しろ。

俺には関係ないと反論し、勝手に殺す壊すをしていろと強気に攻めろ。

だが、その言葉は出ない。

腕の中で徐々に弱っていく少女、アリサ・バニングスの命の鼓動が言葉を邪魔する。この悪魔の言葉を否定する言葉を全て無にする事を否定する。

ようやく、気付いた。

ようやく、見せつけられた。

ここは決して架空の物語の世界ではない。決して架空の命が集う幻想世界ではなく、命の鼓動が存在する、俺の生きていた時間とまったく同等の世界なのだと、実感する。

ここでは普通に人は死ぬ。あっさりと、人の命が消え去り、そして誰かが彼女の死を悲しみ、俺の心を蝕んでいく。

逃げられない。

確実に逃げられない。

俺は人質を取られている。

出会ってもいない少女、その周囲の人々を人質に取られ、そして俺は強制的に物語の登場人物にさせられた。

「――――ない……」

周囲に騒ぎを聞きつけた人々の群れが集まる。しかし、俺はそんな事は気にも留めずに少女を、アリサを抱きしめる。

「―――まない……」

彼女は、最初の犠牲者だ。

「すまない!!」

奴の犠牲者ではなく、俺の犠牲者。俺が巻きこんだ犠牲者の一人だ。

救急車のサイレンの音が聞こえてくる。

「すまない……すまない……俺のせいで、俺が巻きこんでしまったせいで……」

誰かが俺に声をかける。しかし、その声は俺の中には入ってこない。

俺はただ、俺のせいで傷ついてしまった少女を抱きしめ、謝罪の言葉を呟き続ける。

それは、奴は楽しそうに見つづける。



物語は壊れ出す。

正常な流れの中で壊れ出す。

介入者は神に選ばれた人間。それを選んだ神は邪神。

ある時は優しく、ある時は残酷な邪神。暇な世界をおもしろ可笑しく変える為だけの無垢なる邪神。

その手に握るのは命、その物語を紡ぐは命を人質にした最悪の嗤い。



俺はまだ、自分の意志を持っていない。

俺の意思を持たぬまま、意味無く俺はそこに存在する。



俺にとって、第二人生はただの地獄だった。






人質はリリカル~ZEROGAMI~
第一話「転生地獄」







始まってしまいます……








あとがき
ども、散雨ともうします
なんとなく思いついたので書いてみました。自分的に初めての憑依とか転生モノです。
とりあえず、短編的に書いてみたのですが、もしかたら続きを書くかもしれませんし、書かないかもしれません。
多分、書くかも?
いいや、書かない?

まぁ、その辺は適当です。


感想とかアドヴァイスとか色々とお待ちしております!!



[10030] 第二話 「生存地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:30
紅い、赤い、あかい―――眼の前には小さなアカの塊が一つ、その小さな塊は俺の包帯が巻かれた手の中で、廻る。

『一つ、こんな疑問を抱いてみよう。命の定義とは何か、そんな哲学的な事を考えるのはある意味で暇だからだね。暇だから人は重すぎる課題を軽い気持ちで考える。ここで議題を上げるとすれば、この物語の主要人物であるフェイト・テスタロッサだ。彼女に関する命の定義とは何か、君はどう思う?』

俺は答えない。今は、口も聞きたくない。こいつだけではなく、誰とも口を聞きたくない。
口を開けば心の中にある何かが漏れ出す。その漏れ出したものは俺を壊す。

だから、口を閉じる。

『私の定義の一つは、あれは命ではない。命は生まれるから命であり、生み出されたものは命ではない。生み出されるという事は女性が子供を産む意味と同じになるが、彼女の場合の生み出されたというのは人工的に―――あれ、これはある意味、普通に子供を産む事もそうだね。あれも人工的だ。なら、人造的というべきかな……うん、これもやっぱり意味は同じになってしまうね。いい言葉が見つからない』

俺は答えない。

『―――まぁ、いいや。とりあえず彼女の命は偽りだ。自然な形で生まれなかった偽りの命だね。それでも生きているので彼女を生きていると定義するが、私的にはあれは『動いている』という言葉を使った方がしっくりくるんだよね。機械と人、中身が臓器かネジかの違いでしかない。フェイトという少女の形をした存在はネジの代わりに臓器で動いている、そういう生きているのではなく、動く存在だね。これは命と言えるか言えないか―――さぁ、君はどっちだと思う?』

俺は答えない。

『確か、原作でこういうセリフがあったね。守護騎士の存在を彼女は自分と同じだといった。しかし、周囲はそれは違うと否定した。彼女は人間だと認め、人間だと理解させ、守護騎士という自分で動いていると勘違いしている木偶人形と違うと定義した……本当に馬鹿みたいだね?彼等の目の前にいる少女だって立派に人形さ。意志を持つから人形というのではない、生きているから人形ではない、動いているから人形ではない―――全部が出鱈目な理論だ。人形は人の形をしているから人形であり、それは生きている人間だって立派に人形だ。人の形をしているから人形というのならば、それ以外は何と言うべきか。そして、動物は動く物だよね。だから、私はフェイト嬢にはこういう名称の方がしっくりくる。人の形をしているから人形だと、彼女は人と同位になってしまう……だから、彼女は動く物だから、動物という定義も当てはまると思うね』

俺は答えない―――だが、それではまるで動物が生きていないかの様な意味になる。野生で生きる動物、人の世界で生きる動物、そして人も動物。結局はみんな動物だ。

生きている限り、それは動く物だ。そして、これは単に日本語の定義でしかない。日本語でしか、日本語を理解出来なければ意味のない定義だ。世界中の連中と会話するには、この神を名乗る存在は相手にもされないだろう。

いい気味だ、死んでしまえ。

『―――――ってな感じで色々疑問を口にしてみたけれどね、結局のところで行きつくのはたった一つの答えさ』

俺は答えない。

『結局さ……彼等が幾ら命は尊い、命は綺麗だと口にしたとしても――――』

俺は答えな



『視聴者、読者から見れば、彼等は命もない架空の存在なんだよね』



「―――――ッ!?」

指に熱が帯びる。その熱が皮膚を切り、中から紅い液体を出す。

「………どうしたの?」

「……………指を切った」

俺は答えた。

俺の背中に語りかける、ベッドの上で包帯だらけの身体の少女の声に、答える。

「大丈夫なの?ナースコールで誰か呼ぶ?」

「必要ないよ。それに、リンゴ剥いてて指を切った程度で看護師さん達を呼んだら仕事の邪魔になるだろ」

「それはそうだけど……それ以前に、病院でケガとかしないでよね。馬鹿みたいよ」

「それは同感だね。俺もそう思う……ほら、向けたよリンゴ。サービスでウサギさんとかにしてみたけど―――これ、ウサギか?」

俺は切り分けたリンゴが乗った皿を少女に差し出す。しかし、その上に乗っている自称ウサギさんの姿には微妙な表情を返してくれた。

「それさ……微妙に皮が残ったリンゴにしか見えないわよ」

「あぁ、俺もそう見えるな……わかった。普通のリンゴにする」

「いいわよ、それで。『命の恩人』のくれるものなら何でも我慢するわ」

何気なく、冗談半分で言った言葉だったのだろう。少女は、アリサは微笑みながら折れてない方の腕で一切れつまんで口に運ぶ。

『命の恩人』――――それが、アリサから見た俺の存在。

『命の恩人』――――それが、俺にとっての最悪な言葉。

その言葉がアリサの口から出るたびに、胃が絞め付けられるような感覚を覚える。生前、ストレスを感じた時に、それも物凄いストレスを感じた時と同じだった。腹の中に重い石が詰め込まれ、それに身体が拒否反応を示すかのような最悪な気分だった。

「美味いか?」

「当たり前じゃない。なのはとすずかが持って来てくれたのが、不味いわけないじゃない」

美味しそうにリンゴを食すアリサ。その姿は生きている証。何かを美味しいと口にして、それを喜べる感情があるから彼女は生きている。

頭と顔の左半分を包帯で巻かれ、片腕をギブスで固め、片足を天上にぶら下げている彼女の姿は重病人そのものだ。

あの後、誰かが呼んだ救急車の到着、すぐに病院、処置室へと運ばれたアリサは意識不明の重体、しばらく間は昏睡状態にも陥っていた。だが、それを何とか乗り越え、こうして俺と普通に会話できる位に回復できたのは、あの事故―――いいや、あの殺人未遂から一週間後の現在だ。



そう、あれから一週間――――俺にはまだ、死神が憑いている。




春の匂いがする。

誰もいない屋上で俺はフェンスに背を預けたまま、一人煙草を咥えて宙を見据える。何もない周囲に、何もない空。どんな世界でも空はあるし、空を見上げる者はいる。

二度目の人生、俺は誰とも会いたくない歪な気分で宙を睨む。

アイツは、どこから俺を見てるのだろうか?

どうすれば、アイツのいない世界に行けるのだろうか?

そんな事ばかり考え、現実から逃避する術を考え、結局は無理だと断念する。今の俺に出来る事はこうして煙草を吸っているというだらけきった状態を維持するだけだ。

煙草の有害な煙が肺に溜まり、それを吐きだす。煙草の味を感じられる。しかし、それは生きている実感を湧く事はないし、生かされている実感もない。

生きていない実感も、同じだった。

第二の人生、それを楽しむ事も出来ない。そんな権利は失われた。アリサを見捨てようとした時にそれは全てが失われた。

現実で生きていた時と同じ行動をしたに過ぎないのに、俺はその当たり前の権利すら失った。

見ず知らずの他人がどうなろうと、自分には関係ない。大事なのは自分自身。それ以外は他人事であり、それに対して無関心に生きる事が当たり前だった。それが非道と罵る権利は誰にもないと思っている。街中で誰かが殴られていれば、それを止めに入る勇気はない。誰かが傷つけれれば、俺にそれを怒る心情もない。

だってそうだろ?

怖いからだ。

日常に暴力を求めていない人間にとってはそれが普通だ。優しく出来るのは精々電車でお年寄りに席を譲る程度の事しか出来ない。誰にでも出来る程度の勇気しかない俺にとっては、暴力は非日常だ。

それを求める心もなかったわけではないが、それは妄想だ。現実を目にした瞬間にあっさりと身体は恐怖に呑まれて動けなくなり、動いた瞬間にはまず目を背ける。その後は他人のふりをして歩きだし、そして誰かの悲鳴を背中で受けて、家に帰って寝て―――それで、また明日を始める。

これを悪いと誰が言えるのだろうか?

これを非道と誰が言えるのだろうか?

それが普通だ。それが当たり前だ。それが普通に生きるって事で、それに立ち向かっていける一握りの正義漢のある奴らと一緒にされては困る。

俺は普通だ。普通の偽れる勇気しかなくて、それ以上の者の前ではあっさりと自分何か捨てられる。自分という小さなプライドを、あっさりと捨てて―――逃げる。

そんな俺に、あの状況で何か出来たというのだろうか?

警察に連絡してその後は全部丸投げするという行為に、どれだけの罵詈雑言を吐ける?
それが普通だ。

それが、普通だ―――――それなのに、俺は巻き込み、巻き込まれた。

そんな普通の行動をしただけというのに、奴は俺を批難して、そしてアリサの乗った車を何の躊躇なしに爆発させた。その光景は夢に出る。夢の中で何度も何度も繰り返され、そして最後はアリサの身体が燃えて、燃えて、燃えて。

夢の中で人の焼ける匂いを嗅いだ。夢の中で人の身体がゆっくりと焼かれ、皮膚が焼けただれ、鼻を塞ぎたくなるほどの異臭を放ち、そして俺を見て、炎に焼かれる眼球が溶ける様に爛れる、その眼で俺を見る。

『―――――悪夢は、まだ見るのかい?』

青の空に、黒い声が響く。

「五月蠅い……」

『うわぁ、酷いなぁ。一人で寂しそうだったから声をかけてあげたのに』

大きなお世話だ。

『それにしても、アリサちゃんが生きてて良かったね。うんうん、あんないい娘が死ぬなんて世の中間違ってるし、これで世の中も捨てたもんじゃないって証明されたね』

まるで他人事だ。

自分の行った行為をまるで反省していないし、全てを正しいと思い込んでいる―――いいや、それ以前に、思い込む以前にコイツはわかってやっているに違いない。

コイツは、全部を理解して、理解した上で楽しみながらやっている。

「………胸糞悪い」

『結構結構。それぐらいに口が悪くなければ、介入者らしくないね』

「これが普通だ。元からだ。お前にどうこう言われる筋合いはない」

『嘘だね、それは……嘘はいけないよ?嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれて、血がドバドバでて窒息死しちゃうよ。だから、嘘はいけないよ』

嘘?

何が嘘だ?

『――――君さ、そういう口調で話すのは初めてなんじゃない?私と出会った時からそうだけど、君って私が生まれ変わらせてあげるって言った瞬間から、口調が少し変わったよね?』

口調が、変わった……のだろうか?そんな実感はない。

『もしかしてだけど。君って生前の自分が嫌いじゃなかった?』

「………知らない」

『ほら、また嘘ついた。そんな嘘なんてすぐわかっちゃうんだよ?だから、ここからは嘘はなしね?はい、決定~!!それでだけどね、私の見解からっていうか、君に対する最初に抱いた感情だけどね。根暗だな~って感じかな』

大きなお世話だ。

『そんな根暗君が急にそんな喋り方をしたら、やっぱり気になるわけでして……それで、思いついたのは一つの見解さ。君は第二の人生が始まる機会として、今までの自分を抹消しようとしたんじゃないのかってね』

何故か、心臓が大きく鼓動する。

『良く誰かが口にする自分を変えるいい機会に、人生そのものを変えるって言うのがあるけど、それは基本的には無理なんだよね。どれだけ自分を変えたいと思ってもそう簡単には変えられない。死んだつもりになっても、一回死んでもその根に染み込んだ汚れは決して消えてはくれない。だから、君もそうだよ。死んだ機会に今までの自分を綺麗さっぱり消化して、そして新しい自分を始めようとしていたみいだけど――――御免ね、それは無理だよ』

「………」

『自分を変えるっていうのは、そもそもの考え方を変える位に難しいんだよ。誰かの言葉で人生が変わりました、これから頑張って生きていきます―――本当にそんな事が出来るわけもない。それはその時のテンションに任せて、そう思い込んでいるだけ。そんなのは、寝て起きればすぐに今の自分に逆戻り。増えるワカメと同じくらいに、あっさりと水をかければ元に戻っちゃう陳腐な思い込みさ』

「………」

『そして、仮にそう出来たとしても実際はそうではないんだよね。今での自分を終わらせるっていのは過去の自分と別離っていう綺麗な言葉ではあるけど、それって今までの自分を認められない弱い心なんだよね。そういう言葉を吐いたとしても、その人の根っ子は何も変わっていない。変わったと思い込んでいるだけなんだよ。だから、その人は何度も同じ間違いをするし、自分以外の誰かのそういう部分を見てしまったら、過去の自分はこうだった、だから同じ事をしてほしくなっていう想いと言葉をぶつけるかもしれない。でも、それはある意味で昔の自分を見たくない、思い込む前の自分を見ているようで気に入らない、だから殴って蹴って目の前から消し去るのと同じ事だよ――――さて、話は無駄に長くなったけれど、君はどうだい?君はこの生まれ変わり、転生というシステムを利用して自分を変えようとしていないか?自分の今までを否定して、それであっさりと自分を捨て去ったと思い込む。そんな現実逃避をしているんじゃない?』

違う、そう否定したかった。

だが、それを否定する事は出来なかった。

自覚はしていない。だが、外れているわけではないと思う。

『あぁでも、現実でもないこの世界での逃避って言うのは、ある意味で現実逃避かもね。現実では出来ない行動をこの空想の世界で行うって言うのは立派な現実逃避だ。うんうん、実に言葉って面白いね。だからこんな語りは止められない……でも、君はそんな架空で空想で幻想なここでも立派に逃避しようとして、結果は無理だったよね?』

逃避出来なかった―――それは、あの時の事だろう。

『君は、アリサちゃんと見捨てようとした』

それは、現実で暴力から目を背けた時と同様。

『君は、自分で助けにも行かずに他人に任せた』

それは、現実で自分だけは安全な所にいたいという願望。

『結果的に―――君は私という邪神の手によって見ず知らずの、自分には何の関係もない人間に、自分には何も関係ない他人に自分の都合を押し付け、押し付けられた彼女はベッドの上。一応私が手を下したから、あえて自業自得という言葉は使わないでおくけど、君の心情はどんな感じだい?この世界で君は今まで自分を置き去りにして、どうにか違う自分になる事は出来るかい?』

出来るかどうかじゃない。コイツは俺には、はなっからそんな事は出来ないと決めつけている。そして、俺自身もそう思う。

何も変われてはいない。何一つも、一ミリも変わっていない。容姿は多少の変化があっても何も変わっていない。

何も、何も――――

『だからさ、君も思い込んでみたら?生まれ変わって現実ではありえない世界に来てしまったという大当たりを引いたという事で、思い切って生まれ変わったという妄想を抱いて原作に介入しちゃえよ。そっちのほうが楽だよ。すごく楽だね。これが、今までの事が全て――――』



『君のという介入者を盛り上げるためだけの、些細な出来事だと妄想してね……』






ありがとう―――今まで、何度か言われた事のある言葉だった。

それを、前の人生も合わせて何度目かになるか分からない『ありがとう』を口にされた。

目の前にいる少女はアリサと同じくらいの年齢の少女、名前は高町なのは。その隣にいるのはやはり同じくらいの年齢の少女、名前は月村すずか。二人の少女はベッドで横になっているアリサと楽しげに話し、学校でも出来事など色々と話し、最後に早く良くなってねと口にして、病室を後にする。

俺は、その間は病室にはおらず、一人で病室の外で無意味に時間を過ごしていた。

そんな俺に、彼女達は言った。

「ありがとう」、と

「アリサちゃんを助けてくれて、ありがとう」、と

頭を下げて、本当に感謝しているように、感謝の言葉を口にする。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう――――

ずっと、言われた。

アリサを助けたのは自分だから、自分が彼女の命を助けた恩人として、彼女に関わる者から何度も何度も言われた。

何度も言われた―――だから、それ以上……それ以上、その言葉を口にしないでくれ。
ありがとうの一言が、心にナイフを突き立てる。ありがとうの一言が、その傷口に更にナイフを押し込む。ありがとうの一言が、傷口を広げていく。

ありがとうの一言が、俺を責める様に聞こえてくる。

もういい、もう止めてくれ。

その言葉は聞きたくない。そんな言葉は聞きたくない。それを言うな。俺の目の前で言うな。そんな顔で、笑顔で、感謝するような声で、俺に『ありがとう』と云わないでくれ。

ありがとう/許さない

ありがとう/絶対に許さない

ありがとう/お前だけは許さない

俺は逃げる様に、また屋上にいた。昼に来た時と違って空には青空はない。あるのは暗い闇の空、そこにある心もとない小さな星の光。

膝をついて、俺は項垂れる。

もう、耐えられない。これ以上の感謝の言葉は欲しくない。これ以上の苦しみは感じたくない。

だから、俺はリンゴを剥いたナイフを取り出す。

鋭利なナイフの光が俺を射し、俺はそのナイフに向かって嗤う。これが、俺にとっての唯一の光だ、希望だ。

俺はナイフを逆手に持って空に向かって差し出す様に捧げる。

その先は、まっすぐに俺の喉仏を狙っている。

俺は、嗤う。

こうすれば、俺は救われる。こうする事で、全てに謝罪するように俺は願いながら、死の恐怖よりも救われる安堵の気持ちのまま、俺はナイフを真っ直ぐに振り卸そうと力を込める。

アイツは何も言わない。

アイツは止めるつもりないのだろう、だったら助かる。俺はここで死んで、お前から解放される。これ以上、お前の玩具になるのは御免だ。だから、俺は初めて自分の死を願う。

死ぬ勇気を持って、全てを終わらせる。

物語の終わりではなく、俺という介入者の短い生存時間を削り取る。

「――――ざまぁみろ」

俺は精一杯の言葉を吐き、ナイフを、振りおろ―――――



瞬間、背後のドアが勢いよく開いた。



俺は反射的にナイフを隠しながら、振り向いた。そこには、確かアリサの病室の担当をしている看護師の姿があった。看護師は焦っているのか、肩を激しく上下させながら荒い息を吐き、

「ここにいたんですか!?大変です。アリサちゃんの容体が急変しました!!すぐに来て下さい!!」

そう言って、自分はさっさと足早に去っていく。

俺はその後姿を見ながら、震える手を押さえる事も出来ずに、ナイフと落とす。そして、誰もいるはずのない空を見上げながら、震える事で呟く。

「……お、お前……なの、か?」

まるで、タイミングを計ったかの様にドンピシャのタイミングで急報。そして、アリサの容体の急変。さっきまで普通に友達と会話していた彼女に、そんな兆候は見られなかった。無理をしている様にも見えない。医者でもない自分が何をわかると思うが、それでも俺はそれが何故起こり、どうしてこんな、自分が死のうとした時に起こったのかを、理解した。

「また……また、お前がやったのか!?」

誰も答えない。

「お前が……お前がやったの!?また、またなのか!?また『俺のせい』でアイツの命を危険にさらす気か!?」

誰も答えない。しかし、それでも俺は奴の顔の顔を見る事が出来る。

奴は嗤っているに違いない。こんな俺を見て、死のうとする俺を見て、その死を止めるためにアリサを使って、それで絶望する俺の顔を想像して、その眼のない眼に刻み込んで、口を歪めて楽しそうに狂喜している。

俺は立ち上がり、急いで病室へと足を進める。だが、その足が不意に止まり、俺の眼には地面に落ちたナイフが煌く。

ドクンッと心臓が高鳴り、息を呑む。

ゆっくりとした動作で俺はそのナイフを掴む。



――――見捨てろ。



「……うぅ、あ……」

見捨ててしまえ。

責任を感じるみもない、お前と彼女は他人だ。だから見捨ててしまえ。今まで同じ様に、前の人生と同じように見捨てて、お前は早く楽になる方を選び、そして死ね。そうすれば、お前は救われる。あの邪神の下らない遊戯に付き合う事もなく、これ以上の傷を負う事無く、お前は消えて、今度こそマトモな死後が存在する。

だから、見捨ててしまえ。

あんな小さな餓鬼一人の命など放り投げて、お前はお前の心を大事にしろ。



『殺すよ?』



「あぁ……あ……」

あんな言葉に耳を貸すな。このナイフをさっきと同じように構え、自分の喉に突きたてろ。心臓に突き刺せ、それでも死ねなければ屋上から飛び降りろ。



『逃げたら、殺すよ?』



「う、うぁ……ああ……」

さぁ、刺せ。刺して死ね。刺殺しろ。自身を刺殺しろ。自身を救え、他者を見捨てろ、自身を敬え、他人を放任しろ、自身を愛せ、他人を捨て置け、何時だってそうしてきたように、道端の石ころと同義の他人などは捨ててしまえ。お前はお前の救いを優先しろ。そうすればお前はお前を救える。

「ぎぃ……いぎぃ……」

あと数センチ、あと数センチ前に出せばナイフは俺の喉に刺さり、さらに力を強めれば皮を裂き、肉を抉り、鮮血を吹き出しながら命の液体が流れで、そして俺は死ねる。

「……は……はぁ、はぁ……」

それが留め金になって手が動いてくれない。

どうして、動かない!?

早く、早く、早く手を動かし、喉を裂け、そして死ねる。だから、さっさと動いて突き刺さってくれ。お前の身体まで奴の想い通りに動くわけではない。お前の意思は自由だ。身体は自由だ。そして死ぬ権利も自由に存在する。

だから、死ね。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………うぅ、あ……ひぃ……ぁ……」

一度死んだんだ。だから、死ぬ事が怖いわけがないだろう?

違う。一度死んだから死ぬのが怖くないわけがないだろう?

でも、死んで楽になりたいんだろう?

違う。死んでも楽になるわけでもないだろう?

思い出すな、死んだ時の痛みなど/思い出せ、死んだ時の痛みを

思い出せ/思い出すな

死ね/死ぬな

死にたいんだろう!!/死にたくない!!

「俺……は……」

俺は、

俺は、

俺は、

俺は――――――




死にたくない/死にたくない






アリサが集中治療室で眼を覚ました時、俺も呼ばれた。

彼女の両親が俺を見る。俺を見る目に憎しみも何もない、あるのは感謝の想いと言葉。

「ありがとう/許さない」

俺は何も言えず、黙って前に進み出る。

電子の音が彼女の脈拍を教えてくれる。そのラインは安定しており、ゆっくりと同じテンポで音を鳴らす。

呼吸器の音と生きる少女の吐息、その二つを聞きながら俺はアリサを見る。

薄く開いた瞳が俺を見る。俺もその痛々しい姿を見る。俺は笑うべきか、それとも謝罪の言葉を吐くべきか、その姿を見た時にその意志はどこかに吹き飛び、ただ生きているという姿が嬉しかった。

嬉しくて、悲しくて、その姿を見た俺の視界はゆっくりと霞んでいく。

最終的には、泣いた。情けなくて泣いてしまい、悔しくて泣いてしまい、彼女に謝りたくて、許されないとわかっていながらも、叫ぶように謝りたかった。

だが、その言葉も失われた。

ゆっくりと伸ばされた小さな手が、俺の震える手を掴んだ。

手は、温かい。

命が、動いている。

架空の存在ではなく、俺の生きていた現実と同じような、確かな命の鼓動を響かせながら、懸命に生きようとする命がそこにはあった。

その命を狩りとろうとしたのは俺。その刃を振り下ろさせてしまったのも俺。

その俺に、アリサは今できる精一杯の笑顔で、

「――――――――――ありがとう……」

そう、言った。



本当に、ありがとう/絶対に、許さない―――――そう、言った。





――――――――――ナイフが、堕ちた。

コンクリートの地面に、乾いた音を響かせて、俺の足音に堕ちた。そして、俺もその場に崩れ落ちた。

「…………ちくしょう」

死ねなかった。

ありがとう、そう言われてしまった。あの時の笑顔を思い出してしまった。その笑顔を向けた彼女が俺のせいでまた―――殺されそうになっている。

「…………ちくしょう!!」

他人だから見捨てられる?――――無理だ。

もう、見捨てられる段階ではない。これ以上は何かを見捨てる事は出来そうにない。完全に俺はアイツの手の平で踊っている。

アイツはきっと殺す。

だから、俺は無意味に生き続けなければならないのかもしれない。

架空の命?作られた命?決められた道を進むだけの命?

なら、俺はあの神を名乗る存在の為だけにいる、この世界でもっとも価値のない命だ。

定義など知った事ではない。そんな定義をする事自体が間違っている。

命は命でしかない。

たった、それだけの事なのだろう。




「クソッタレがぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――!!!!」




俺は他人を助ける勇気もない人間であり、関わってしまった人間を見捨てる事も出来ない、そんな勇気のない――――弱者なのだろう。

命の定義はその程度だ。

そう思ってしまえば、もう―――お終いだ。






人質はリリカル~ZEROGAMI~
第二話「生存地獄」






まだ、終わってくれない……








あとがき
なんか、続きました。
予想以上に感想をいただいて大変嬉しいですわ~
それにしても、書いていて胸糞悪くなる奴ですね、この神様は……
そんな神様に遊ばれる主人公の逝く末はどうなるんですかね?
作者は燃えとハッピーエンドが大好きですので……だから、どうなんだって話っすよね?どうしたらこれをそうしろっていうのか、ちょっと謎です。
頑張ってみるつもりですが、一応ハッピーエンドを目指しますね……あれ、無理かも???

目指せ、ハッピーエンド!!!

感想とかお待ちしております。



[10030] 第三話 「善意地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:31
神という存在を最高に位置する者と考えるのなら、きっと神以上の存在はいないだろう。神はいつだって人の上に存在し、人々はそれを自身の信仰の対象として崇める。もちろん、無神論者を語る者もきっと神を信じている。名前も知らない神を、誰も名前も知らない存在すらしらない漠然とした『神様』という妙な存在を信じているだろう。

もちろん、俺だって信じている。

どっかの性格破者であり中二病で邪気眼持ちの腐れ野郎とは違う、キチンとした神様をいると信じてみたいものだ。

何せ、あんな存在が絶対神と名乗られたらそれこそ世界の終わりをサタンとかそういう悪魔の頂上で居座る存在に任せるよりも、あの野郎に任せた瞬間に世界は終わりを迎えるだろう。

それほどに、あの神は腐っている。

だから、仮にあれを最高で最上の存在とするのなら、きっとそれ以上の存在はないだろう。

神以上の者がいないのなら、神以外の者が必要なのかもしれない。特に、俺の様な奇妙な存在に疲れた自称被害者にとってみてはね。

と、こんな感じで色々とどうでもいい事を考えるのは、あの神の言うように『重いはずの課題を軽い気持ちで考える』という人間のどうでもいい機能の一つなのかもしれない。

だから、これはきっと現実逃避っていうモノの一つなのだろう。

だが、困った事にそういう逃避をいくら繰り返したところで、結局はこの思考も理論も論理も全部が次の瞬間には頭の中から消えていく。

当たり前の事だ。

だって、これは逃避なのだ。

俺はこういう逃避をしながら、お見舞いの品の中にある最後のリンゴを剥き終える。俺の仕事はリンゴの皮むき、そんな金にもならない仕事。

だから、アイツにとってみて俺は立派な暇人らしく、

『さて、急にだけどまた一つの疑問を抱いてみる』

と、この様にまたコイツの持論を聞かされる羽目になる。コイツの議題を定義するという無駄なお喋りの時間は他人の言葉を必要としない、一人語りの独壇場だ。コイツの中で一つの定義に答えは完全に決まっているため、きっと他人の意見などは求められていない。だったらはなったから独り言としてその鬱憤を解決して貰いたいものだ、本当に。

だから、俺はそんな奴の話はさっさと無視して自分で一つの疑問を抱いてみる事にしよう。

そうすれば、この暇な時間も少しは有意義に過ごせるという物だ。

こうして、薄暗い部屋の中でアリサの寝息を聞きながら、一人虚しくリンゴの皮をむくという作業にも有意義があるだろう。

――――まぁ、戯言だけどね

と、こんな感じで某小説の主人公みたいなセリフを頭の中で呟いてみる。

さて、それじゃ俺は何を一人で議論するべきか――――



『助けて……』



―――――あぁ、もうそんな日か、と頭に響く声を聞きながら俺は何となくカレンダーへと視線を移す。

そういえばもうそんな頃なんだなと思いながら、俺は小さくため息を吐く。

「俺の方こそ、助けてほしいよ」

まぁ、愚痴ぐらいは吐いてもいいだろな……あぁ、なら俺はこんな疑問を抱いてみよう。題材は人と人との出会いとかどうだろうか?この先、数時間後にはあるだろうこの声の主であるユーノとなのはの出会い。そして魔法との出会い。それから数日後のフェイトとの出会い。

出会いは連鎖するし、何かが壊れてもそこを補うように別の繋がりが入り込む、そういう連鎖的で偶発的なものがきっと出会いだろう。

だからと言って、俺と神、俺とアリサ、この出会いははっきり言えば大迷惑極まりない程に最悪だ。出会いは不思議もなければ感動もない。俺の精神は削られるし、アリサの身体にはその身体に似合わぬほどに大きな爪痕を残している。

俺が視聴者であった頃、画面に映し出された出会いが、なのはとユーノ、なのはとフェイトの出会いという綺麗な出会いがある様に、こうして画面に映らない、物語に何の変化も与えない世界の住人は悲しい出会いを迎えているだろう。これが主人公と脇役の扱いの違いだ。主人公はどんな出会いだろうときっと成長する。愛で成長する者もいれば、悲しみを知って成長する者もいるように、主人公という奴はどんなモノですら自身の成長として取り込む、負という二酸化炭素を植物の光合成の暴食版の様に食い散らかす。

なら、俺は成長する役なのか、それとも主人公の成長の為に存在する栄養の一つなのか、それとも成長に必要ない程に何の栄養素もない癌なのか、はたしてどちらなのだろう。

「――――ん……」

アリサが寝がえりをうって毛布が微かにずれる。俺は剥いたリンゴ―――半分だけという中途半端な赤と身を晒したリンゴを置いて、毛布を直してやる。その手を、小さな手が無意識の内に掴んだのだろう、アリサの手が俺の手に触れる。

お約束―――そんな感じがした。感じがしたが、これは偶然で何の意味もない行為だ。それでも、そうだとしても、俺はその手をそっと握り返す。

温かさは、生きている証拠。その温かさは次の瞬間にはあっさりと砕かれ、冷たさに変わってしまうかもしれない。それが物語の本筋には関係ない以前にあり得ない結果だ。そして、その結果を左右するのは邪神であり、俺でもある。

世界の命運はこの俺という存在に掛っている―――まったく、どこの漫画の話だよ。そんな命運を背負える程に俺の背中は大きくないし、



一人の人間が死んだところで、運命は変わりはしない。



「………最悪だな、俺」

自分に酔っていると云われるのなら、酔ってみたいものだ。寄っていればどれほど気が楽になるのだろうか、誰でもいい、俺を酔わせてくれ。

誰がどうなろうと、架空の世界で架空の命が消えても、目の前でこの手を添えてくれる少女をあっさりと殺されても、それがどうしたと言って自分の世界に浸れるような、そんな人間にして欲しい。

下らない責任感を負って、それを半ば強制的に受け入れさせられた俺にそういう感情は必要だと思う。じゃないと、俺は壊れるか擦り切れるかのどっちしかない。とてもじゃないが、この先を幸福に過ごせる可能性は完全に皆無だ。

だから、もしも本当の神様がいるのならお願いします。俺に憑いている神を名乗るテロリストではなく、漠然とした神様という言葉が似合う存在がいるとしたら、心の底からお願いします。

お願いします。俺を――――



『誰か……僕の声を聴いて、力を貸して……魔法の、力を――――」



祈りは、邪魔された。

この世界の始まりの鍵を持つ少年の声に、この物語を始まりを叫ぶ少年に声に、この現実にとんでもない悪物を持ち込んだ張本人により、嘆きの声に―――

「………ふざけんなよ」

それが、たまらなく黒い感情を抱かせる。

何が、助けてくれだ?何を、助けてくれと叫ぶんだよ?どうして、どうしてお前にはこの声を聞き届けてくれる相手がいる?どうして、俺には俺の救いをくれる相手がいない?

世界は常にこんなはずじゃない事ばかりだ――――あぁ、そう思うよ。そう思わないと嫌になる。そう思わないと俺はきっと黒い感情に身を任せて言葉にしてしまう。

自分に酔って叫んでしまいそうだ。

俺には関係ない、死んでしまえ――――そう、叫んでしまいそうだ。

声は聞こえなくなった。それでも、俺の中では彼の声が未だに響き続ける。彼の助けを求める声が、耳ざわりになるくらいに盛大に聞こえてくる。

誰でもいい、神様じゃなくてもいい――――頼れる者は誰もないない。声を聞いてくれる者も誰もない。だから、俺は最後の望みを、憂さ晴らしに八つ当たり気味に声を絞り出し、俺の手を握りながら健やかな寝息を吐く少女に向かって、



「――――俺を、助けてくれ……」



アリサは答えない。



『どの面下げて、君がそんな事を云えるんだろうね?』



神は、頼んでもないのに答える。




出会いは、最低しかないのかもしれない。






さて、いきなりで何だが自己紹介をした方がいいのかもしれない。

「―――――ケーキが食べたいわ」

名前は大切な物だ。意味があるとかないとか、そういう感情的な部分ではなくて、世界に生きる住人として、社会に生きる存在として名前は絶対に必要不可欠。

名前がなければ領収書が書けない。名前がなければ戸籍を持つ事も出来ない。名前がなければ通販の注文も出来ない。名前がなければ名前も呼ばれない。
最後のはどうでもいいかもしれないが、とにかく個人を設定するには名前が必要だ。RPGにも主人公に名前を付けるシステムがある様に、現実でもそういうシステムはある。

「最近さ、病院食と果物しか食べてないでしょ?だから、ケーキとか食べたいと思うのよ」

一応、俺にも当然ながら名前はある。しかし、困った事に名前以外のモノがないのだ。財布もないからお金も免許所もレンタルビデオの会員所も保険書もないのだ。更に言うなら携帯もないし、服以外のモノは何もない。

「ケーキってさ、女の子には必要な物だと思うのよね。好きな物はなんですか?って聞かれれば、ショートケーキって答えるだけで何かポイントアップな感じがするでしょ?ここで、大好物は塩辛ですとか言ったら、色々と駄目になる様にね」

そんな俺がこの世界で職につく事も出来ない上に、自分の身分を証明する事も出来ない。それは大変困るので、とりあえずはこういう設定で通っている。

自分は、名前以外は何も覚えていない。つまりは記憶喪失―――そういう設定だ。

「だからさ、ケーキが欲しいのよ。最悪、ケーキじゃなくてもいいから甘い物が食べたいのよね。ケーキとかケーキとかケーキとかケーキとか……」

そんな記憶喪失な俺を受け入れてくれる場所などあるはずもないのだが、ここはそういう普通な事があっさりと蹴飛ばされ、気付けば異界の一歩手前ぐらいの人外魔境である海鳴という街だ。

「というわけでさ、ケーキとか買ってきてくれない?」

そんな俺の現在の職場―――もとい雇い主は俺にパシリを要求するお嬢様、アリサ・バニングスの召使いである。断じて執事ではない。召使いである。まぁ、メイドじゃないだけマシだが、召使いである。

「――――ちょっと、人の話を聞いてる?」

「あぁ、聞いてるよ」

俺は病院着を畳みながら答える。

「甘い物が食べたいんだろ、お嬢様―――酢昆布ならあるぞ?」

「要らないわよ」

「何でだよ。うまいぞ、酢昆布。この夏の流行りだ」

「今は春よ」

「おぉ、意外な盲点だったよ。すごい、すごい……それじゃ、俺は洗濯しに行ってくるから、大人しく寝ててくださいね」

何が甘い物だっての、こっちとら甘い物は大の苦手だというのに、そんな物を俺に求めるなよな―――――ってな感じで想っていると、後頭部に衝撃。しかも硬い。おまけに角だ。

いきなり話は変わるが、こういう世界にはギャグ補正と呼ばれるものが存在するらしい。どんなに死ぬような怪我をしてもタンコブ一つで済む様な補正や、血をドクドク流しても次のシーンでは無傷になるという不死身の能力だ。

つまり、俺にはそれがないというわけだ。

俺は後頭部に投げつけられたデジタル時計の角を喰らってうずくまる。当然ながら、そんな補正がない俺にはタンコブが出来る前に血が出るわけだ。

「―――血、血が出てるぞ!?」

「あ、ごめん。やり過ぎた――――それで、ケーキは何時買ってきてくれるの?」

そして、何故かアリサ嬢の発言にギャク補正が付いている。

「お、お前なぁ……何でそんなに暴虐な訳?少しは年上を敬えよ」

「何言ってんのよ?アンタが私にカタっ苦しいのは嫌だから、友達に接するぐらいに感じでいいって言ってたじゃない」

「お前は自分の友達にこういう事をするのか?」

「私、男友達いなし……」

「関係ないだろうが……それと、こういうのは一応レディとしてどうかと思うから、やめとく事をお勧めする。女性は清楚でお淑やかが通常だ」

「それって男の偏見よね」

「偏見じゃない。願望だ。そういう願望を押し付ける気はないけどな」

でも、出来ればそうして欲しいというのは、あえて口にはだなさいでおく。

「それとな、お前は病人なんだから、医者がいいと言うまでそう言うのは禁止だ。お前の独断で変な事になったら俺に責任は持てないからな」

「むぅ、何よ。男ならドカッとしなさいよ。ドカッと!!」

いや、擬音で言われても困るんですけど……

「男とか関係ないよ。大人ってのは自分で責任の取れない事はしないのが普通だ。責任を取れないくせに突っ走って、それで最悪な事になったらそいつは大人じゃないし、社会人でもない」

「アンタの場合はそれ以前に、社会人かどうかもわからないじゃない」

「まぁ、一応記憶喪失ですから」

「つまり、アンタはフリーターかもしれないし大学生かもしれないし、実は宿なし職なしのホームレスだって可能性もあるでしょう?そんな人に説教はされたくないわよ。それが、私の命の恩人でも何でもよ――――――あ、」

突然、アリサは口元を押さえて申し訳なさそうに、

「………ごめん。そう言われるのは、嫌なんだよね?」

「――――悪い」

「ううん、こっちの方こそ……ごめん」

病室に重苦しい空気が漂う。

別に、アリサが悪い訳じゃない。これは俺の責任でもある。

アリサが眼を覚ましてから色々な人が来て、その度にアリサが俺を『命の恩人』と呼ぶ。その度に俺はきっと言葉に出来ない奇妙な顔をしていたのだろう。顔はわからないが、俺の内心では罪悪感の塊で押し潰されそうだった。それを感じ取る事が出来る彼女は聡いのか、それとも大人びているのかはわからないが、それがバレた。

それから、アリサはなるべくその言葉を使わない様にしてくれた。もちろん、俺がいない所で周囲にもそういう言葉を使わない、そういう対象として見ない様に言っているのを俺は知っている。

そういう彼女の気遣いがあるからこそ、さっきの様な会話ができる様になった。互いに気を使わない友人の様な関係を保つように彼女は努力し、俺はその彼女の努力にまた違う罪悪感を抱く事になる。

俺の為にしてくれるという好意は嬉しかった。だが、その好意を受けるほどの善人ではない俺には、その好意ですら重いのだ。

人の想いは重い―――重いからこその想い。

「…………」

「…………」

会話が消えた。

どれほど彼女が努力してくれても、俺にはストレスにしかならないのかもしれない。それ程に俺と彼女の関係には溝がある。深すぎる溝、俺が作った溝、それを飛び越えようとする彼女を黙って見て、飛び越えた所にもう一つの溝を作る。

そういう関係だった。

きっと、記憶喪失という嘘をついた俺を雇ってくれたのもきっとその善意からくるものなのだろうが、それですら辛い。

何を言っているのだと自分でも思うが、それを消し去る事は出来ない。近づかれても俺は離れる。でも、俺はそれを見捨てて遠くに行く事は出来ない。

俺は唯、罪悪感を抱いたまま―――彼女の傍に漂うだけなのだろう。

「…………そういえばさ」

空気を切り替える様に、アリサは無理して作ったような微笑みを俺に向ける。

「アンタはずっと私の傍にいるけど……自分の時間ってちゃんとあるの?」

「自分の時間?」

「そうよ。だってさ、毎日私の病室にいるし、寝てるのも用意したアパートの部屋でもなくて病院のソファーでしょ。だから、病院からほとんど外に出てないんじゃないかなってさ……」

確かに、俺はこの病院からほとんど外には出ない。出るとしたら煙草を吸う為に屋上に行くか、アリサの身の回りの物を受け取る為に、鮫島とかいう爺さんが病院の前に止めたリムジンに取りにいき、そして戻ってくる程度だ。

「そう言われると……確かに全然外に出てないわな」

「だったら、今日一日は自由にしていいわよ。ううん、今日一日じゃなくて、しばらくここに来ないでいいわよ。アンタを雇ったって言っても私専属のってわけじゃないでしょう?家の中での仕事も沢山あるんだから、そっちの方に行くのもいいと思うのよ」

なるほど、それは確かにそうだ。

俺はアリサの提案で仕事を得たが、それは別にアリサの為の仕事という限定ではなく、バニングス家の仕事である。だから、そっちを放りだしてこっちにずっと居るというのも何か間違っているかもしれない。

「―――――まぁ、そう言われるとそうだよな。お前が家に戻ったと時に俺が何も仕事が出来ないぷー太郎だと思われるのも嫌だし……」

「なら、決まりね。明日からは別の人に来てもらうから……アンタはしばらく休んで、それから家の仕事をして」

そう言うと、アリサはベッドの横に置かれている台に手を伸ばし、そこに置いてる可愛らしい財布を手に取る。

「あんまり渡せないけど、はい」

財布の中からい一万円を取り出し、俺に差し出す。

「確か、ほとんどお金ないのよね?だから、これは私からのボーナスよ」

差し出されたボーナス、一万円。それが出てきたのはアリサの財布。

つまり、あれですか?

小学生にお小遣いをもらう二十三歳が、俺ですか?

「気持は嬉しいだが……それは、ちょっと……」

なんというか、それは色々と間違っている。いや、人としての道、大人としての存在として色々と間違ってしまう。だから、それを受け取ったらアウトだ。ワンアウトで試合終了以前に乱闘起こして没収試合になってしまう――――ってかさ、最近の小学生は一万円をほいほい出すほど裕福なのか?アリサは裕福な家のお嬢様だからわかるが、彼女の友達の見舞いの品は二人でお金を出し合って買ったという品だが、どう見てもそこそこの値段、少なくとも小学生の持っているお小遣いの値段ではかなりキツメだと思う。

つまり、こいつ等は普段どれだけ貰ってるんだ?

とりあえず、俺の子供時代、小学三年という歳なら五百円でも大喜びな時代だぞ?

それほどこの世界は裕福なのか?

いや、俺のいた世界でも小学生は金を持っていた。つまり、そういう世代なのか、時代なのか、それでいいのか御両親!?

「どうしたの?」

「――――なぁ、突然だけど……お年玉とか貰った時に、お前の母親がお年玉を預かって、そのまま二度と戻ってこないという日本伝統の虐めを受けた事はあるのか?」

「何それ?」

無いらしい。

どうやら、時間の流れは日本の負の伝統を消し去ってくれたらしい。少しだけ安心して、何故俺の時代にそれが残っていたのかと嘆きたかったが、所詮は過去だろう。

「それより、早く受け取ってよ。これは別にお礼とかそういうのじゃなくて、単純にボーナスよ。アンタを雇った雇い主からの当然の配当って奴ね」

「大人にはプライドがあるんだよ」

「なら捨てなさいよ。大体、アンタの身の回りの物を揃えるのにも必要でしょう。一万円じゃ大した物は買えないと思うけど、日用品なら多分買えると思うし……だから、これはボーナスでもあって必要経費よ」

必要経費、そう言われたら確かに欲しい。今着ている服だって毎日洗濯する事で、同じ物を毎日着ているのだ。これは流石にまずいと思っていたが――――それでも、まだ俺のプライドは邪魔をする。

「だから、雇い主として言うわよ。これは、『佐久間大樹』に対する必要経費だから、早く受け取りなさい」

アリサは俺の名前を呼びながら、俺の手に無理やり一万円を握らせる。そして、満足そうに笑って病室のドアを指さす。

「ほら、さっさと行きなさい。じゃないと、大切な休日がなくなっちゃうわよ?」

お父さん、お母さん、あなた達の息子は今日、大人の階段を踏み外しました―――そう、戯言を頭の中で呟いてみせる。

某小説の、主人公の様に―――







『―――――――――そういう論理から言って、つまりは魔法とは技術というよりも秘術の割合が強いと思うのわけだね………あれ、随分と時間が飛んでる感じだね。気分的に言うとロリとロリコンが無駄に重苦しい会話を続けてるくらいの時間かな?』

つまり、コイツはロリとロリコンが無駄に重苦しい会話を続けている間も空気も読まずに俺の頭の中だけに話しかけてきたというわけだ。

まぁ、まったく気にしてないからどうでもいいけどね。

『それで、小学生からふんだくったお小遣いで何処に行くんだい?』

「しっかり把握してるじゃねぇかよ」

『何でもじゃない。把握できるのは把握できる事だけだよ』

某小説の委員長みたいな発言をするコイツは自称神様、自称邪神、自傷する事を知らない自称神様。

特に行く充てのあるわけでもない散歩だった。無意味に歩き、何となく道端に転がっている石ころを見つめ、歩きだし、メイドさんを見て、微笑まれて、はにかんで、そしてまた歩きだす。

無意味な時間の様でどこか落ち着いた時間だった。まるで胸の中から重しが外され、何かから解放されたような、そんなどこか何か物足りない虚無感。

それは青空の下だからか、それとも緩やかな昼下がりだからか、それとも―――

『それとも、アリサちゃんの傍に居ないから、楽な気持になれるのか……』

多分、悔しいが当たっている。

「お前さ、人の心の中も覗けるのか?」

『まさか、そんなプライバシーの侵害みたいな事はしないよ。私は単に想像して解析して分解して再構築して破壊するだけの存在だ』

「無駄に言葉を羅列させるな。要点が分からなくなる」

『趣味だからね。邪神としての趣味であり邪神としての必要スキルさ』

つまるところ、結局は邪気眼持ちの間違って力がある奴ってわけね。

『それは、少し違うね』

「だから、やっぱり人の心が読めるだろ、お前は……」

『だから、それが違うんだよ。今さっきも言ったけど私は普通よりも人の心が『想像』しやすい体質なだけだよ。もちろん、完璧じゃない。読心術というのが胡散臭い様に、私には人の心を読むほどのスキルはないね。だから、その人の心を想像して想像して、想像して、その人の聞かれたくない部分だけを想像して口に出してるだけ』

救いようのない外道だな。

『こんなのは誰だって出来るよ?親しい相手が何を考えるのかを想像してみてば、意外にそんなのは簡単にできる。嘘が顔に出やすい人がいる様に、人の嘘を顔に出しやすい人もいるって事さ』

勝ち誇っているわけでもなく、当たり前の事を言うように奴は淡々に言葉を吐く。その間、俺は見慣れない街を歩きながら、視界の隅に写った本屋、その入口にある観光ガイドを手に取る。

『君は少し勘違いしてるみたいだけどね。神様って言うのは別に何でも出来るし、何でも知っているってわけでもないんだよ。全知全能なんてのは存在しない。そんな力があったら私はこんな『遊戯』はやらないよ』

ガイドには海鳴の街の色々な施設の紹介が書かれている。内容は観光ガイドというよりは街の紹介、役所の出す街案内の様だった。

『私……いいや、『私達』の様な神は人の心は読めない。人の心は操れない。人の人生を操作する事も破綻させる事も出来ない。私達に出来るのは精々世界にちょっと指を触れる程度の事しか出来ないんだよ』

「嘘臭いな。それを信用するにはお前は色々とやり過ぎている」

『だから、あれは私に出来る最低限の事をしてあげただけだよ?いうなれば、私に出来る、神様に出来る事は台風の中に手を突っ込むだけ。風の流れを歪めて勢力を無か増させるかの力しかないんだよ』

例えがわからな過ぎてさっぱりだが、とりあえずその力があれば……

「人の命を消すのは簡単か……」

『簡単じゃないよ、別に。たとえば、アリサちゃんの車をドッカンさせた時だって、彼女に人外の力が備わっていたとしたら、あれを回避する事何か凄い簡単。病院で彼女の体調を悪化させたのだって、単純に彼女の身体の中に指を入れて、やばい個所をズブッと刺してあげただけ……わかるだろう?神の奇跡なんか使わなくても人は殺せる、消せる、滅せれる。だから、簡単じゃない。その人の生存の力が強ければ人は死なない。代わりに脆弱ならあっさり死ぬ―――アリサちゃんはそこそこ強い方だね』

ガイドブックを乱暴に棚に戻して、俺は再び歩き出す。

『怒ったかい?』

「怒ってない」

『あぁ、また嘘ついたね。そんなに嫌かい?私の言葉で君が怒って、その怒っている事を私に感づかれるのが、そんなに嫌かい?それとも怖いかい?』

今更だが、コイツの言う事は何故か外れがない。それも、俺が言われたくない事、指摘されたくない事、して欲しくない事を的確に突いてくる。これがクイズ番組なら全問正解で優勝出来る位に最低な正解率だ。

それが、腹立たしい。

だから、俺はこれ以上の言葉を、俺の心の中を指摘するような発言を聞かない為に、コイツの言葉を全て無視する。これが、俺の逃走術だ。何かと、神と戦う闘争術ではなく、全てから背を背けるような逃走術。だから、そんな逃走術など人の嫌な部分を好むコイツには大好物なのかもしれないな。

ポケットに手を突っ込み、中にある煙草を取り出そうとする。しかし、中には何も入っていない。入っているのは先ほど受け取ってしまった一万円札がそのまま入っていた。
そして、目についたのはコンビニ。そのレジの後ろにある煙草―――そこにいけば、スkなくとも煙草は買える。

煙草は今の俺には必要な薬だ。死ぬ前からの習慣は死んでも変わらないらしく、何かを食べるという行為よりも、口が求めるのはヤニ臭い物を吐きだす嫌われ者。

それでも、それが必要だとしても、

「………何が、ボーナスだよ」

毒吐き、後ろ髪を引かれる思いで俺はコンビニを通り過ぎる。そして、先ほど呼んだガイドブックの中にあった店、その店の場所を書いた地図を頭の中で思い出しながら、俺は見知らぬ街を、そんな曖昧な記憶を頼りに歩く。

そして、たどり着いてしまった店には人の賑わいがある。その賑わいは俺の知っている世界の人の存在感、人の匂い、人の生きている証拠が渦巻いている。

『どういう心境の変化だい?』

無視していたが、当然聞いてくるとは思っていた。

『君がここに来るなんて、それってようやく覚悟が決まったってこと?』

違う、そんな覚悟はない。

『それとも、単純に野次馬感覚かな?せっかくここに来たのなら、とりあえず行って見ようっていう感じの』

「お前にとっては、そう見えるのか?」

『うん、そう見えるね。大体さ、ここに来たのは偶然かどうかは別として、大抵の人は通る道の一つだよね。その道を通るって事は、そういう意味にしか見えないよ』

「…………違うさ、絶対に」

これは気まぐれの様なものだ。そして、ポケットに入った一万円札をどうするのかという使い道を、こうする事でしか使えないという俺の臆病な部分なのだろう。

結局、俺は彼女に施しを受ける権利などある筈がないのだ。彼女の傍にいるのでさえありえないというのに、それが仕事まで貰い、そして賃金まで渡された。それでも俺は満足する事は出来るはずもなく、彼女に気まずい思いをさせてしまう。

初めから、そして現在まで、俺は一体何の為に彼女の傍にいるのか、どうして俺の様な奴が彼女の傍にいられるのか、それすらも分からずに、俺は俺を許せるほど強くない。

『知ってるかい?罪悪感を感じる人間が必ずしも善人であるわけではない。悪人だって罪悪感を抱く事もある。それが自分の行った罪のしっぺ返しがいつ来るかという恐怖だ。その恐怖は罪悪感と同等でもある。善人が抱くのは罪悪感であって恐怖でもある。悪人が抱くのは恐怖であって罪悪感でもある。そして、それすらも感じない人間は、単純に悪人でも善人でもない。ただ世界に興味のない人種なんだよ』

なら、俺は悪人なのか善人なのか――――少なくとも、自分を善人と認識できる頭は持っていない。

『更に言うのなら、罪悪感を抱く存在も結局は自己満足でもある。自分は悪い事をした、だから怖がっています、だから僕は人でなしではありません、だから許して下さい、反省しています―――その想いに何の意味があるんだろうね?君が如何に罪悪感を抱こうとも結局は自己満足で針の道を裸足で歩く様なもの……いいや、君の痛みなどは結局は健康器具のイボイボを歩く罰ゲーム程度でしかない。元に君はそんな痛みを感じてようとも彼女の傍にいる。その傍にいる事によって自慰的に痛みを感じる。その痛みを自分の罰として、彼女の意志を無視して勝手に行い、勝手にまた自己嫌悪する――――まさしく、身勝手だね』

「だったら、どうすれば良かったんだよ!?」

『簡単さ、どうもしなければいい。君の世界に何の興味も感じない人種に成り下がればいい。それだけで君は救われる。罪を罪と感じずに罪を重ねればいい。誰が死のうが生きようが、それを朝のニュース番組を見る様な感覚で見て行けばいい』

「それは……」

『間違っている。違う、許せない、だから自分は違う……そう自分自身を戒めてどう君に得があるんだい?得はない。君にも彼女にも、面白がるのは私だけ。そして、私は君の罪を許す。許す以前に興味がない。だから、好きなだけ見捨てればいい。介入し、接触し、触れ合い、語り合い、笑い合い、繋がり合い―――そして、あっさりと見捨てればいい』
悪魔は手を招いている。こっちに来れば楽になると、ケタケタ嗤いながら。その嗤いの様になればきっと楽にはなるだろう。しかし、その楽になって結果は最悪な俺の出来上がりだ。

『一つ言っておくとすれば、私は別に何でも間でも人を傷つけるわけではないんだよ?私は単純に君が物語から逃げない限りは何もしない。物語から逃げるというのは触れ合わないという意味だ。だから、君は別に巻き込まれたからと言って、解決までする必要はない。単純に私は君という存在が混じった事で起こる変化が見たいんだよ。決められた道筋に新しい選択肢が増えるという結果と変化が見たい。だから、私は君の介入が見たいんだよ……まぁ、結果的に君が何も変えられなかったとしても、何も言う気はないよ。だって、それで変えられなかったらそれはそう言う結果だというわけだからね』

最低ラインは、登場人物と知り合う事。それ以下の選択肢を選べば、即その登場人物が物語から姿を消すという条件。

そんな、強制的な出会いの形があっていいのだろうか?

人の出会いは偶然であり必然だと誰かが言うが、それでも決められ過ぎた必然は、必然という言葉すらおこがましい物に思えてくる。

出会うべくして出会う者がいるのに、俺は出会えと命令されて出会う、計画的で打算的な出会いを強制されている。

つまり、それが、

『それが、介入という意味だよ。出会う必要のない存在に出会い、必要のない事柄を起こし、そして物語を破綻させ、幸福と不幸を同時に生成する技術だよ。そう、これは技術だよ。人の想像と妄想を幻想に杭を打ち込むように行い、そして新しい道を作りだす技術だ』

「だったら、お前がやればいいだろうが」

『それも考えたけど……いいや、考えた『神』もいたけど、感想は一つ。実につまらなかったらしいね。自分が入るという行為は実につまらない。得をするのも自分、損をするのも自分、だからつまらない。他人の得と損を見る方がよっぽど良かった―――その神はそう言っていたね』

実践済みかよ。

『だから、私は君を見るんだよ。だから見せてくれよ、君の生き方を。魅せてくれよ、君の変える物語を、そして私は診る。この物語の行きつく果てをね』

俺は、ドアを開ける。

どうして、俺はこの店の前にたったのか、その理由を探し出す。物語に介入したいから、違う。そうではない。そうではないと、言い訳をするように俺は俺自身に言い聞かせる。

だから、そんな俺に対して奴はこういうに決まっている。



『結局さ、君は興味がないわけではないんだろう?興味がないわけではない。絶対に無関心なはずがない――――そんな心はあり得ない』



そう、言い放った。

声がする。

神の声ではなく、この世界に生きる『背景』な者達の声が聞こえる。

笑い合い、語り合う。物語の背景にさせられた人間達の幸福な映像。その映像はきっと誰の記憶にも留められないだろう。それが、現実と同じ感覚の様に―――

中には俺以外の男は、カウンターの向こう側に居る男だけ。一度も俺に会った事もない男、俺が何度か画面の向こうからみた男。

声をかける。

とりあえずは、一番近くにいた店員。見た事もない店員、おそらくはバイトだろう。画面の隅にも映らない存在はするが存在を知られていない者。

「―――あの、すいません」

しかし、その者は奇妙な存在感を出している。話しかけた瞬間、その存在感を肌で感じ取る。

性別は女だった。

だが、現実感がある女だった。

彼女は振り向き、その雪の様に白い長髪をなびかせる。

現実味のない、雪の様な髪の色。そして現実味のない、歪な赤色の瞳。現実感のない、透き通る様に白い肌。現実味のない、全てが現実味のない奇妙な女は、架空の中にある架空。幻想の中にある幻想。

そして、どこか自分と同じ匂いを感じる、不思議な感覚。

「あ、いらっしゃいませ。翠屋へようこそ」

それでも、俺は感じた。



この女は架空の中の存在のはずなのに、現実感が――――あり過ぎる。



俺はその感覚をどう処理すればいいのかもわからず、しばらくその店員を黙って見つめてしまった。だから当然、彼女は首を傾げて、

「あの……どうかしましたか?」

「あ、いや……その、ケーキを……ケーキを一つ。持ち帰りで」

「はい。わかりました。少々お待ち下さい」

彼女はそう言ってカウンターの奥に入って行った。その後姿を、俺はどこか夢を見るような感覚で見続けていた。

だから、俺はきっと起きながら夢を見ていたのだろう。

だから、俺はきっと聞こえていなかったのだろう。

だから、俺はきっと神の言葉を聞き流していたのだろう。

だから、俺はきっと彼女の呟きを聞き逃していたのだろう。



だから、俺は駄目なのだろう。



神は呟き、彼女が呟く。

『なるほど、ね……』/「なるほど、そうですか……」

俺は聞こえなかった。

『彼女が――――』/「彼が―――――」

だが、数時間後には知るだろう、神ですら想像できなかった出会い。そして、『神達』が想像以上を求めるべき出会い。




『女神に選ばれた介入者か』/「邪神に選ばれてしまった贄ですか」





佐久間大樹とサクヤ・エイフォンドとの出会いという遭遇。

この出会いだけは、誰にも決められなかった出会いだった。







人質はリリカル~ZEROGAMI~
第三話「善意地獄」








実に、戯言だ。

そう、未来の俺は呟いた。

某小説の主人公の様に―――――







あとがき
ども、散雨です。
感想が予想以上に多くてびっくりしてます。三話くらいで十件くれば自分的には大成功かな~とか思ってたら、まさかの三十件ですか!?感謝感激です、はい。
これからも、精進させていただきます。
そういえば、感想でこれってデモベ?な感じの感想がありましたが、ネタでデモベを入れようかな~とか考えてましたよ。主人公に必殺技を使わせたり、バリアジャケットがそれっぽかったりとか、色々と使おうと思っていました。
良く良く考えればこれって一応転生ものっぽいからネタとか使ってもいんですよね?だから、色々と入れてみようと思います。
そんなわけで主人公の名前とオリキャラ追加です。一応、ヒロイン候補です。もう一人はアリサ嬢です。主人公はロリコンになりました。神にはならないロリコンです。
次回は「主人公はヘタレです」で、行こうと思います。次回は本編第一話のお話ですね。当然ながら、巻き込まれます。たぶん死にます。殺されます。嘘です。
そんな感じで目指せハッピーエンドを目指しつつ、きっとならないだろうな~とか思いながら頑張ります。

あとがきが無駄に長い気がしながら、感想をお待ちしております。







[10030] 第四話 「遭遇地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:31
何かを得るにはそれ相応の代価が必要である―――こんなセリフがあった。確かにその通りだと思う。金を得るには働くという代価があるし、何かを買うにも金という代価が必要だ。それをすっとばして何かを得ようとするとどっかの兄弟みたいに何かを失う事になるだろう。

たとえば、俺が翠屋でケーキを買った金の余り、そのあまりを何となく目についたパチンコ屋に送るとしよう。もちろん、これは俺の運が良くないと金は得られない。金という資金を銀の玉に変えて、それを何発も何発も打ち込む事で金を手に入れるというギャンブルだ。ギャンブは楽して稼ぐという概念故にきっとやらない人から見れば、楽して金が入るわけないだろうと蔑むだろう。だが、それが意外と違うのだ。目的はそれだとしても、ギャンブルというのはかなりの対価が必要だ。主に生活費が削られ、ついでに時間も削られ、最終的には誰かからお金を借りて社会的な何かが削られる。それでも人はギャンブルに手を出して一攫千金を目指すのだと俺は想う。

まぁ、ぶっちゃけると金は欲しいし、自分で稼いだ金なら何に使ったって文句は言わせないという逆ギレ理論なのだが、あえてそこはスル―するとしよう。

そして、俺は何となく俺に憑いている野郎に声をかけ、パチンコの玉をスタッカーに放り込んでくれという指示を出すと、そいつは「いいよ、別に」と特に意地悪い事をする事もなく了解する。

別にイカサマをするのではない。存在自体がイカサマな奴がちょっと手を入れるだけで決してイカサマではない。元に俺は何もやっていないし、野郎は別に確立を支配するような存在でもないので、精々玉を入れる程度の事しか出来ない。

そして、とりあえず五百円入れて玉を出す。神が玉を操作し、穴に入れる。




そして、ブザーが鳴る。



すげぇなパチンコ業界。

神のイカサマですらアンタ等は感知して警報を鳴らせるのかよ。神の力を無にした最初で最後の存在がまさかのパチンコ台。ちなみに機種は良くかぶく人の奴ね……あの人は、神にすらかぶいてみせるのか、尊敬する。

速攻で逃げました。生まれて初めて警報を鳴らしてしまい、すごく焦って必死こいて逃げましたよ。

―――っとまぁ、こんな感じで何かを得るにはきっと対価は必要なのだろう。そして、ここで一つの言葉遊びをするとすれば、何かを得るには退化が必要であるという、そんな言葉遊びだ。

その人がどれだけ優れていようとも、たとえば会社の取引相手には下手にでるように、とりあえず下に下にと自分を持っていく。人は上には昇るが下に降りるのは意外と難しい。だから、その難しい事をあっさりとやれるのはある意味で退化だ。進化は出来るかも知れないが退化は出来ない様に、下に行くのは難しい。

この話に意味はあるのかと言われれば、きっと意味はない。ついでに言えばさっきの言葉遊びの内容だって、納得出来る要素など欠片も存在しないだろう。

別に行数を稼ぐ為に時間稼ぎをしているわけでもないし、とりあえず思いついた言葉を何となく口に出したわけでもない。

なら、どうしてこんな話をしたのかと聞かれれば、とりあえずこう答えるべきだろう。



偶然と才能に対価は必要ないし、凡人がどれだけ対価を払おうともきっと才能は得られないという話だ。



それでも、何かの才能のある人間には、それの才能のない人間を理解する事は不可能だと俺は想うわけです。数学が得意な人が苦手な人に教えて、どうしてこんな簡単な問題がわからないのかと言ったところで、しょうがないし説得力もないだろう。

反対に、古文が得意な人が苦手な人に教えた所で結果は同じだろう。だから、何かを教えるにはきっとその人のイーブンである必要がある。イーブンというのは才能がないという意味だ。才能がない者はどうしてその問題がわからないのかが理解できる。だから、自分の出来なかった部分を簡単に想像できるし、それを教える事が出来るというわけだ。

凡人は凡人同士と相性がいい。なら、天才と天才はどうだろう?二人の天才がいたとしたら互いの相性はどれほどのモノになるのだろうか?

想像その一、とりあえず反発する。

想像その二、とりあえずその問題とは関係のない話題で盛り上がる。

想像その三、とりあえず互いを認め合い、そして内心でどっちが上かを判断しあう。

想像その四、二人揃って凡人を貶す。

これはあくまで想像であり、フィクションだ。別に俺が天才って存在に憎しみを抱いているわけでもないし、大嫌いというわけでもないし、お前らみたいな人種は滅べばいいとか、そんな大層な事はこれっぽっちも考えていない―――嘘じゃないよ?

だが、時に思うのは、天才と誰かが言うのは結構凡人からの視点が多いような気がする。しかも、そういう場合は普通の会話の中、俺達は何となく使っている『お前、天才』という発言。実に安っぽい天才という言葉の意味。きっと俺達は本当の天才というものを見たことがないから、こんな発言が出来るのだろう。元に、俺達の言う天才は友人であり、良く考えれば自分達でも答えを出せる問題を、たまたまそいつが発言しただけで立派な天才扱い。才能の欠片もない存在すらあっさりと天才と定めてしまう。

だから、現実にいる天才って奴は、精々その科目が得意で大好きなだけの存在なのかもしれない、少なくとも俺はそう思いたい。

だって、そうじゃないと不公平じゃないか。

神様はみんなを平等に生んだとしても、生きていれば自然と距離が開いてくる。それが不公平だという言う俺は単に努力を怠っているだけの人間かもしれないが、想うだけなら罪はないと信じたいものだ。

偶然に才能を持って、そして天才と言われる者がいるのは確かだが、それでも才能というのはすごく羨ましいと思う。俺だって色々才能が欲しい。

金を稼ぐ才能、異性にモテる才能、勉強が出来る才能、料理が上手になる才能、世の中欲しい才能で溢れかえっている。才能があればきっと実に有意義に人生を送れるだろう。だから、とりあえず何らかの才能は欲しいものだ。

でも、それでも欲しくない才能というのは存在する。

俺の様な小心者には決して遭遇したくない出来事に対処できる才能。それ以前に、そんな災害の様なものに出くわしてしまう人生は絶対に嫌だ。だから、俺はあんな才能は欲しくない。断じて欲しくない。

何せ、そんな才能があろうが無かろうが、怖い物は怖いのだ。だから、そんなのに巻き込まれない才能があれば、とりあえずはそれを受け取る事にするだろう。

しかし、それでも出会ってしまうのなら、それは俺にそういう才能があったのかもしれない。元に、邪神という訳の分からない存在に出会ってしまった時点でその才能の片鱗はあったのかもしれない―――何て迷惑な才能だ。しかも、恐らくだがこの才能とやらはきっとこの世界に来てから強化されているだろう。それ以前に、俺は巻き込まれる事を強制されて確定されているというからタチが悪い。

さて、俺の愚痴はこの辺で止めておくことにする。その気になったら幾らでも言えるぞ。どこまでも果てしなく言えるぞ。最終的には絡み酒になって泣きながら愚痴るぞ?

そんな感じで才能とか天才の話に戻る。というか、最終的な結論的な事になるのだが……つまり、今回の騒動で俺の想った事はただ一つ。



争いの才能があろうが無かろうが、あれを怖がらない者はどこかがおかしいという事だ




『――――――何やら、随分と長いページを使って中身のない話を聞かされた気分だね』

「人の語りに突っ込みを入れるな」

『あれ、語ってたのかい?ごめん、考え事をしてたからまったく聞いてなかった。もう一回言ってくれるかい?』

最初の方から読み直せ。

「それにしても……今日一日、本当に意味もなくぶらついてたな……」

翠屋を出た後は行くあてもなくブラブラとしていた。

立ち読みしたり、煙草吸ったり、パチンコ行ったり、警報鳴らして逃げたり、メイドさんに会ったり、微笑まれたり、はにかんだり、フェイトを見かけたり、ゲーセン行ったり、ネットカフェ行ったり、メイドさんに会ったり、ジャンクフード食べたり、メイドさんに会ったり――――あれ、何かメイドさんとの遭遇率が高い気がする。それも、多分だが月村さん家のメイドっぽかった気がするな。

『君も中々この世界を堪能してるみたいだね』

コイツが言うとムカつく。

『それで、これからどうする?アリサちゃん家が用意したアパートにでも行くかい?』

「………そうだな、ここにいてもしょうがねぇしな」

海の見える公園で一人たそがれるのも飽きたし、そろそろ一度も行っていない我が家にでも帰ってみる事にした。

時間はもう夕日が見える位の時間だ。買い物帰りの主婦に、帰宅途中の学生の姿もちらほら見える。その中を俺は歩き―――そして、何となく足を止める。

そこは、森だった。確か、この先にユーノが転がっていて、それをアリサ達が拾って獣医に持っていくって内容だったな。

「――――――佐久間さん?」

そんな事を考えていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえる。

振り向くと、そこには誰もない。あるのは街の風景だけ。気のせいか?―――というお約束はあえてしない様にしておこう。

視線を下げると、そこには可愛らしい少女が二匹――ではなく、二人。

「あぁ、高町か……それと、月村」

学校帰りなのだろうか、制服姿の高町なのはと月村すずかがいた。なのはは手を振って笑い、すずかは礼儀正しく頭を下げる。

「三日ぶりだな。どうした、こんな処で?」

『ここで、二人の頭を撫でればフラグが立つね』

黙れ。

急に苦い顔をした俺になのは首を傾げながらも、

「塾に行く途中なんです。佐久間さんは、何かしてたんですか?」

「別に何もしてないよ。アリサに暇をもらってやる事もないからブラブラしていたところだ」

「そうなんですか……あの、アリサちゃんは元気ですか?」

すずかが不安そうに尋ねる。三日程度会ってない位でそんなに不安そうな顔をするなと言いたいが、仕方がないのかもしれない。何せ、あのお嬢様は毎日毎日やってくる二人に遠慮して、しばらく来なくてもいいと言ってしまったのだ。内心、嬉しいのは顔に出ているが、それでも迷惑をかけたくないという所だろう。

子供がそんな事を考える必要もないというのに……

「大丈夫だよ、月村。あの我儘姫様は無駄に元気だよ。俺の頭に目覚まし時計を投げつける位に元気だよ」

時計をぶつけられた所を触ると、微かにこぶが出来ている。触ると少し痛かった。

「そうですか……なら、安心です」

「良かったね、すずかちゃん」

友達の為に笑いあう二人は、本当に嬉しそうだった。彼女も良い友人に恵まれているようで少しだけ羨ましかった。

「これも、佐久間さんのおかげですね」

でも、そのなのはの言葉だけは、痛かった。

「―――んなことねぇよ。俺は何もしていない。アイツが頑張っただけで俺は何もしていないさ」

俺がやったのは、罪滅ぼしにもならない事だ。どれだけアイツの為に何かをしてもきっと俺の心は報われない、報われるはずのない厄介事だ。

そこで、俺はふと思う。

そういえば、本筋ではここでアリサが塾への近道として二人を連れてこの中に入っていったのだ。つまり、ユーノとの出会いはアリサの発端というわけでもあるわけで、

「それじゃ、私達はここで……行こう、すずかちゃん」

「うん、佐久間さん。さようなら」

二人でお辞儀して背中を向ける。

「――――――あ、」

俺は思わず二人の肩に手を伸ばした。

そう、ここで行かせたらユーノはあのまま放置。そして、なのはは魔法と出会う事がない。それは物語の本筋をしょっぱなからぶっ壊す事になってしまう。

だから、

「なぁ、塾に行くならここを抜けた方が早いぞ」

そう言うしかなかった。




物語にはそれぞれの役割がある。その役割を出来ない人間にそれを演じる意味はなく、その存在自体が間違いだと思われてしまうだろう。

もっとも、だからと言ってその者にそれだけの存在価値を与えるというのはあり得ない。それが伏線の様でありながら、実際は何の意味もない通過点だろう。

そして、俺はその役割を肩代わりするわけになったというわけだ。あの後起こった事は誰もが知っている出来事。歩いていると突然なのはが走り出し、その先に傷ついたフェレットがいた。そしてその後にそれを動物病院へ送り届け、そこで物語は一区切り。

それだけの話だ。

俺の役割をそこに定めるのなら、それ以上の出来事が俺には関係のない事であり、それ以上は責任を持つつもりは―――ないと断言できればいいのだが、そうもいかなくなってしまうのが人生なのだろう。

アリサが入院し、俺がユーノとなのはの出会いを作り出す、そういう役割で終われればどれほど楽だったのかと、人生の厳しさを痛感する。

簡単に言えば、原作では子供だけ。今回は大人が一人。

言う事は一つ、



「治療費、お願いしますね?」



というわけだ。

こっちの手持ちは七千円。大人として子供に払わせるようなことはしたくないが、今の手持ちはこれで精一杯。ツケに出来るほどの関係でもない獣医の先生に「マケてくれません?」と首を傾げて可愛らしく言ってみたが「無理です」の一言だった。

子供に優しく大人には責任を、なんていい言葉だ。俺の財布の中身が完全にふっとんでしまう程に最高の言葉だ。

とりあえず、俺は今払えるだけの金を払い、残りは後日というわけでケリはついた。まさか、動物の治療費がここまでかかるとは思っていなかった。もしかしたら、後でアリサに土下座で頼んで給料の前借りをしなくてはならない事態に陥りそうだ。

はははは、大人って大変だ。今なら両親の苦労がよくわかる。これが大人、責任を持つのも大人。子供は楽でいい。子供に戻りたい――――でも、これも自業自得だ。

そんな自業自得な俺にも、優しいお子様二人は先生に頭を下げた時よりも更に頭を下げてくれた。

嬉しいような悲しい様な……

そんなわけで俺は空っぽになった財布を見ながら、溜息を吐く。何度見ても、中身は増えないし、何度見ても空っぽだ。諦めが肝心とはいうが、これは何と言うか理不尽な気がした。何せ、これはアリサは俺の日用品を用意する為に渡してくれた大切な金だ―――だから、とてもじゃないが五百円をパチンコ台に突っ込みましたとは口が裂けても言えない。

財布をしまい、代わりに煙草を取り出して咥える。とりあえず、先に煙草を購入しておいて良かったとつくづく思った。

暗い夜道を一人で歩き、煙草の紫煙を吐く。どうやら、この世界でも煙草の味は変わらないらしい。銘柄ももちろん変わらない。これは、この物語を作った人物が現実に生きる人間だからだろう。そうでなければきっと物語というモノすらあり得ない。当たり前の事だが、少しだけ安心できる。

職場のストレスから煙草を吸い始めたが、今は無意味に過ぎる時間の暇潰しに吸うようになっている。

煙草を吸う人間は、煙草が好きな者と煙草を吸う自分が好きな二つのタイプに分かれるらしいが、俺は前者であり、それからしばらく経って後者に変わった。

煙草を吸う自分が好きな俺はナルシスとなのかもしれない。だが、自分が好きじゃない人間などいるのだろうかと思う。もちろん、自分が嫌いな人間は何度も見てきた。それでも、その人々はそんな自分でも少しでも、欠片程度でも好きな部分があるはずだ。そうでなければきっと自殺でも何でもして自分を消しているだろう。

嫌いの反対は好き。関心と無感心と同じようなものだ。

そして、そんな俺は今の自分が、半分以上が嫌いだ。それでも、半分だけは好きな自分がいて、その半分が好きな自分を俺は嫌っている。

自分を完全に嫌いになれる方法があるのかは知らないが、完全に嫌いになれないから、きっと罪悪感があるのだと俺は考える。好きな自分と嫌いな自分が互いを罵り合い、喧嘩し、嫌いな俺が犯した罪を、好きな俺が責める。もちろん、その反対も十分にあり得る。

短くなった煙草の吸殻を携帯灰皿に入れて、俺はすぐに次の煙草を口に咥える。

『煙草の吸いすぎは良くないね』

「この位は俺の勝手にさせろよ」

『煙草は健康に悪いよ。もちろん、健康も煙草に悪いけどね……』

なら、お前はどっちなんだよ。

お前という存在が俺に悪いのか、それとも俺という存在がお前に悪いのか。もしくは、俺が見捨てたのが悪いのか、攫われそうになったアリサが悪いのか。それとは別に、死んだ俺が悪いのか、生き返らせたお前が悪いのか―――いっそのこと、全部の悪いをお前が被ってくれると大変助かる。

『………それで、どうだった?初めての介入という作業は』

シュッと音を立ててライターの火が手元を照らす。

『あれだけ嫌だと言いながらも、結局君は物語に介入したね。おめでとう、大変嬉しいよ』

ジジッと煙草の先に火が灯り、小さく息を吸って灰に煙をため込む。

『でもさ、ここで何となく想ったんだけど……君はある意味あそこで物語を完全に別の方向に持っていく事も可能だったのかもしれないね』

何が言いたいのか、何となくだがわかる。

「確かに、あそこで俺がアイツの代わりに言わなければ……きっと、物語は別の物語に変わっていたかもな」

魔法少女という役割を与えられず、なのはに贈られた役柄はきっと普通の小学生。普通に日常を過ごし、ジュエルシードの巻き起こした異常に巻き込まれるかもしれないし、巻き込まれなかったかもしれない、そんな可能性を無しにしても、きっと彼女は普通の人生を送っていただろう。

確か、第一話でアイツは自分の将来のビジョンが見えないとか言っていたが、それは当たり前だ。あの位の年齢はそういう感情から自分の夢を見つけて、そして自分の道を選ぶ最初の段階だ。だから、きっとここでアイツが魔法に出会わなければ、きっとアイツは別の道を見つけていた。例えば、翠屋の二代目とかな。

『君の選択は、果して彼女にとって幸福な選択だったのかな?もちろん、それを否定するつもりはないけれど、別の選択肢を選んだほうがきっと良い道だったかもしれないね』

「普通に成長して、普通に学校に行って、普通に恋をして、普通に就職して、普通に―――全部が普通だな。現実とまったく同じ普通だ」

『それが幸福の形かもしれない。幸福の形は人それぞれでも、道を違えば形は変わる。人って奴は色々な環境に対応できるように出来ているようだしね』

なら、俺の選択は間違っていたのだろうか?

あそこで、俺がなのはをユーノと出会わせなければきっと別の幸福にたどり着いていたかもしれない。

だけど、それは



原作通りに進むと、高町なのはは幸福ではないという意味になってしまうのだろうか?



『仮に、君があそこで別の選択肢を選んでいたとしたら、色々な物が変わっていたかもしれないね。最初の物語から言えば、ユーノ・スクライアは何もやり遂げる事も出来ずに去ったかもしれないし、死んだかもしれない。この点から言えば、君は彼の命を助けたという事になる。ここは君的には正解かもしれないね』

「それ、褒めてるのか」

『全然。死のうが生きようがきっと彼の存在はあまり意味がないんだよ。高町なのはと出会わなければ彼という存在に意味はない。彼は彼女に魔法という技術を送る為だけの存在。それが出来なければ彼はただの少年であり、自意識過剰の馬鹿な餓鬼だよ』

酷い言われようだな、ユーノ。

だが、失礼ながらあながち外れではないのかもしれない。物語の登場人物には全てに役割が与えられている。その役割すら与えられないのなら、それは背景に写る声のない壁でしかない。

ユーノ・スクライアの存在意味は、魔法を運ぶという宅配便の様な存在だ。だから、物も運べない宅配便に存在価値はない。

「だけど、それじゃアイツが可哀想だろう。何も成し遂げられない、無意味な存在だっていうのは、きっと間違っている」

『いいや、間違ってないね。魔法を届けるという存在意味が彼の最初の存在意味さ。だから、その後の物語でも彼にはおこぼれで役割が与えられた。でもさ、それは本当に彼にしか出来ない事だったのかと聞かれたら、君は本心から『彼だから』という言葉を使えるかい?』

「………」

『言えないだろう?そう、言えないんだ。確かに彼は賢い。でも、それは子供にしては賢いというレベルでしかない。だから、彼がいなくてもそれ以上の人物は五万といる。だから、別に彼はいてもいなくてもどうでもいい存在なんだよ』

どうでもいい存在―――そんなの存在は本当にいるのだろうか?

それ以前に、そんな存在がいてもいいのだろうか?

『物語である以上、必ず変わりは存在するんだよ。この物語の主人公が高町なのはである必要もないし、彼女が別にこの事件に首をつっこむ必要もない。誰かがいないのなら代わりの誰かが必ず存在する。もしかしたら、この物語の主人公がフェイト・テスタロッサかもしれないし、クロノ・ハラオウンになっていたかもしれない。誰でも主人公になれるし、誰でも誰かの代わりになれる……誰にもなれない誰かがいない様に』

もしも、なのはが魔法に出会わなかったら、もしかしたらフェイトがジュエルシードを全て集めて終了という話があったかもしれない。もしかしたら、クロノがフェイトと出会い、別の結末を用意したかもしれない。

物語はそういう方法で枝分かれしている。そして、この物語はなのはが出会ったルートを選んで出来た物語だ。そう、これは物語であって、この世界に生きる人々の人生だ。色々な道があって当たり前だ。

「………別に、これが正解ってわけでもないわけか」

それでも、すでに俺は選ばせてしまったのかもしれない。この物語の本筋を辿る道筋を与えてしまい、結局は物語は普通に進むのだろう。

これ以上、俺が余計な事をしなければ、きっと世界は普通に物語を終わらせる。

なら、俺の役割は―――きっと、あの時点で終了しているに違いない。

俺の役割は、あそこで近道を歩ませるだけのチョイ役なのだろう。

「なら、これ以上の働きは必要ないって事か……あぁ、気が楽になった」

介入などという行動がどれほど大きな作業かと怖かったが、終わってみればその程度でしかない。ここからは俺の物語ではなく、高町なのはの物語だ。俺はここからは脇役Aとしてこの世界で一生を終える―――それで、終われるのなら十分ではないか。

俺は大きく背伸びをして、妙な不安感から解放された。

やってしまった事はやり直せない。後は、その罪悪感を何とかする事だけを考えよう。それだけを考えて生きれば、もしかしたらこの世界も結構捨てたものではないのかもしれない。

少しだけ、いいや、かなり自分勝手な理屈だが、俺にはこの答しか出せなかった。満足いくとは言えないが、今はこれでいい。後はこの先を何とかして、そして俺はまた普通の日常に戻るだけだ。

そう、戻れるのだ。

普通に、

通常に、

危険のない、

罪悪感だけを背負うだけの、

そんな、



そんな日常があると、俺はこの時―――想ってしまったのだ。馬鹿な事に……



「―――――んなわけ、あるかよ……」

そんな事が許されるわけないのだ。

「何を、一人で完結してるんだよ……俺は」

拳を握る。今まで握った事もない程の力で、自分を戒める様に爪を皮膚に食い込ませながら拳を握る。

「馬鹿じゃねぇのか……」

一人の少女の命を危険にさらし、そしてそれを餌に仕事を貰い、感謝され、金を貰い、そしてそれを一瞬でも解放されたという想いを抱いてしまう。

そんな考えが、許されるはずがないのだ。

俺が許せない様に、あの破滅的な邪神が許さない―――いいや、あの邪神がその程度で放すはずがないのだろう。

それを証明するように、聞こえる。

『ククククク……クハハハハハハハハハハハハハ――――!!!!!』

あの胸糞悪くなる、最低な蛆が背中を這うような嗤いが、聞こえている。



それが、無垢な悪意を呼び寄せる。




最初は、春先の寒さだと思った。身体が急にブルッと震えて、身体一瞬だが不快な寒気を感じてしまった。春といってもまだ夜は寒いのだろうかと、そんな現実逃避な事を考えながらも、俺の視線は一点に固定されている。



――――ずる、―――――ずり、―――――ずるずりずるずり、



これは、春の寒さだ。

春の寒さだから生温かい空気でも寒く感じて、噎せ返るような異様のない匂いによって気分が悪くなり、そして今にも嘔吐しそうになるくらいの最大級のストレスを感じているに違いない。

そうだ、そうに違いない。そうでなければおかしい。そうだ。そうだ。そうだと言え。こんな時ぐらいは口を開いて下らない事を喋れ。喋ってくれ。お願いだ。お願いします。本本当にお願いします!!



――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、



周囲に人の気配はない。そもそも、ここは住宅街でもなく、夕方に立ち寄った、ユーノを拾った場所の近くであり、この時間帯に人の気配はない。だから、あれは人の歩く―――いいや、人の『這いずる』音である筈がない。

「………」

沈黙ではなく、声が喋る事を拒否する。もしかしたら、息をする事自体を拒否しているのかもしれない。それ位に息苦しさを感じる。



――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、



木々の中を這うようにソレはゆっくりと這い出してくる。まるでマリモの様でありながらその一つ一つの細胞が腐っているように、不完全な存在であるようにそれは這いずりまわる。木々をすり抜け、道に這い出し、そして俺の目の前で形を保てないスライムの様に身体を水溜りの様に広げて―――再び一つの塊に戻る。

「………」

声は、まだ出ない。

代わりに歯が鳴る。心臓の鼓動とハモる様にカチカチと音を鳴らし、カチカチと震え、そしてカチカチがガチガチと強くなり、徐々に音を大きくする。



――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、



歯の鳴る小さな音を反応するようにソレがゆっくりと前か後か分からない部分を俺に向ける。その瞬間、全身に冷水をぶっかけられたように冷え、それなのに背中に汗が流れる。一粒一粒を感じ取れるほどに身体の全神経が活性化し、全ての音が停止して、聞こえるのは目の前のソレが這いずる不協和音だけが耳に届く。

「………うぅ、」

ようやく、声が出た。

声が出たから――――ソレも当然気づいた。

色は黒。夜の闇の中でもはっきりと視覚出来てしまうほどの黒色。そして、その身体から放たれる空気が気持ち悪いを通り越して恐怖に変わる。

アレは、何だ?

足下に何かが落ちる音がする。視線をゆっくりと下の移すと、そこには翠屋で買ったケーキの入った箱が落ちていた。中身は飛び出してしまい、とてもじゃないが食べる事は出来そうにない。

そんな現実から逃げる思考はすぐに中断される。

ソレの口が大きく開いた。

ゆっくりと、鋭い牙を生やした口。唾液を垂らして糸を引く舌が見えた。そして、吐きだす息が俺の鼻を刺激し、一瞬で思考がぶれる。気持ち悪いなんてものじゃない。まるであれは毒だ。有害な毒。その息を少しでも感じてしまったら最後、後は身体を恐怖が支配する。

動けない。

一歩も下がれない。



――――ずる、―――――ずる、―――――ずり、



それなのに、ソレはゆっくりと這ってくる。芋虫のように這いずり、その次は触手の様な
モノを伸ばして這いずり、次はそのよくわからない身体を持ち上げ、ゆっくりと巨大な顔面を俺に向けて、徐々に近づけてくる。

紅い瞳が―――紅い瞳の様な紅い肉が俺を見据える。

ゴロリと眼球の様に動き、俺をじっくり観察するようにそれは上から下まで、俺を舐めまわす様に見据えると、口の様な部分を横に引きのばす。

まるで、嗤っているようだった。

「ぅ……ぅうあぁ……」

理解出来なかった。

理解出来るものなら、さっさと逃げれる。これが野犬や獰猛な猛獣だったとしたら、俺はすぐにでも逃げる動作を行えただろう。だが、これは違う。

何かは理解できる。だが、頭は、身体はこれが何かを理解できていない。何一つ理解出来ないからこその絶大な恐怖が身体を縛り、拘束された身体に纏わりつく空気は今まで感じた事のない最低な気分の悪さを感じさせる。

これは、何だ?

『ジュエルシードの思念体だね』

これは、何だ?

『最初のジュエルシード。最初の噛ませ犬だね』

これは、一体何だ?

『君の見た事のある―――現実には存在する事すらあり得ない怪物だよ』

そう、存在する事自体がありえない怪物だ。だが、これは本当に怪物なのだろうか。もしかしたら、怪物という皮をかぶった『理解出来ない』存在なのかもしれない。

理解できない未知の前に俺の身体は動く事を拒否する。逃げるという行動すらも出来ないほどの未知で、理解する事自体を馬鹿らしくなるほどの未知で、それが全てであり俺の身体を恐怖で縛る単純な理屈だ。

これが、怪物だ。

これは、怪物と出会った人の反応だ。

これが、アニメや映画、小説でしか見た事のない怪物を目の前にした、最低な現実の姿だ。

だから、だから、だから、だから、



だから、逃げろ



「――――うぅうわあああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!??」

生まれて初めて、本気で命の危機を感じた悲鳴を上げながら、ようやく動いた身体を全力で動かしながら俺はソレに背を向ける。

奔る、走る、走る。



ずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずり



追ってくる。這いずりながら追ってくる。

「ひぃ、あぁぁああああああああ!?」

逃げる、逃げる、逃げる。



ずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずり



追う、追う、追う、追う、這う、這う、這う、這う。

どうして追ってくる!?

どうして俺を追ってくる!?

『それはあれだよ。君の魔力がおいしそうだからじゃないの?』

のんびりと返答するコイツに返答している暇はない。今の俺は全力のアレから逃げることだけを考える。だが、そんな俺の事など知ってか知らずか、確実に知りながらコイツは喋る。

『この世界に来る前に言ったはずだけど、君の魔力って一応SSS位はあるんだよね。もちろん、これはあくまで最初の設定でそれ以上の上昇も可能。というか、今でもグングン上昇してるんだよ。だから、アレにとってみては美味しそうなごちそうってわけだ。高級料理のフルコース以上に最高級だね』

脇目もふらずに走る。しかし、どうも速度が速い。アレの速度ではなく俺の走る速度が以上に速い気がする。

『身体能力も常人以上はあるよ。ぶっちゃけ戦闘機人とタメでガチンコしてあっさり勝つことが出来るくらい強靭になってるし、たぶん車に弾かれても死なないだろうね。高町家の人間とも結構戦えるレベルの戦闘力があるのに、肝心の心がヘタレじゃ意味ないけどね』

息切れを起こさない身体が今は最高に最高だ。

これなら逃げ切れる。

何とかなるかも――――そう思った瞬間、

『でもさ、今思うとやっぱりそういうのって面白くないよね?反則だよね?最強系は好きだけど反則は駄目だ。勝負は正々堂々いかないとフェアじゃない―――というわけで、チチンプイプイってね』

「―――――!?」

突然、身体が重くなる。いや、重くなるだけじゃない。先程まで息切れすらしなかった身体が急にガクンッと膝から崩れおち、地面を転がる。

すぐに立ち上がろうとするが、急に息苦しさを感じ、ぜぇぜぇと荒い息を吐く。

「はぁはぁはぁはぁはぁ――――お、お前……何を……しやがった!?」

背後から這いずる音が聞こえてくる。それを聞いた瞬間、痺れる身体を無理やり動かして再び走り出す。しかし、先ほどよりも明らかに速度は落ちている。息も苦しい。横っ腹が猛烈な痛みを感じさせる。

『君の反則設定を消して、普通の平凡な人間と同じくらいにしておいたよ。あと魔力もね。質はそのまま量は激減ってね。最高級料理のフルコースからキャビアみたいに少ない高級品って感じかな?』

ふざけんな!!

このタイミングでなんて最低な事をしてくれやがるんだよ、コイツは!?

思いっきり文句をぶつけてやろうとした瞬間、背筋にゾッとする程の恐怖が襲い掛かる。こういう時に反射的に避けるという機能があるらしいが――――



無理です。



まず襲い掛かるのは衝撃。次の背中を通して身体全部をぶっ壊すほどの激痛。そして浮遊感、無重力、重力、そしてコンクリートの地面に叩きつけられる衝撃。

腕から落ちたのが悪かったのか、右腕の中身が鈍い音を立てて何かが折れる音が俺の中で響く。

「―――――うぅがぁ!?」

今まで感じた事のない最高級の激痛が右腕に走る。その痛みが恐怖を消し、現実を消し去り、その激痛が痛みという別の恐怖を呼び起こす。

なんだよ、これ……すげぇ、痛てぇじゃねぇかよ。

『ねぇねぇ、そこで寝てるとまた轢かれるよ?』

その言葉に俺の身体が急激に機能を取り戻したのか、腕の痛みを無視して立ち上がる。どこから来るなどを確かめる暇もなく、俺は走り出す。そして、今度は幸運な事に背後で爆音、アレがどこかの壁に突っ込んだらしい。

『おやおや、実に幸運だね――――ってか、すごい偶然だ。私も予想できないくらいに上出来な偶然だ』

今度は何を言ってるんだよ、コイツは。

俺はアレが突っ込んだ場所を見て、眼を見開く。

そこは、夕方訪れた動物病院。つまり、ユーノがいる病院。原作通りにアレはこの場所を訪れる。

「――――偶然か、これ?」

『偶然だろうね。でも、結果的には必然だ』

まぁ、別にいいだろう。

とにかく今の内に、遠くへ逃げ――――



「―――――佐久間さん!?」



俺を呼ぶ声。見覚えのある場所の次は聞き覚えのある声。

つまりは、原作通りの展開。

一つ違う事があるとすれば、俺という不確定要素がいるという事だけ。

「た、高町?」

そこには、普段着に着替えたなのはが立っていた。








人質はリリカル~ZEROGAMI~
第四話「遭遇地獄」







「………何、してるんですか?」

「え~と………強制介入?」

「はい?」

まぁ、妥当な返答だな。














あとがき
ども、目が痛い散雨です。
実は主人公最強系だったこのお話。主人公最弱になりました。突然のお知らせですね、はい
というわけで次回は「主人公より主人公」で行きます。
最近、このお話の本当の主人公は神なんじゃないかと思っています。どう思います?

感想、お待ちしております……目が痛い




[10030] 第五話 「誕生地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:31
大人は臆病な生き物であり、子供は勇気ある生き物。最近、そんな風に思う事が多くなった。

子供の頃はある程度は怖い物があったが、それでも今では怖い事を平気でしていた気がする。逆に大人になる色々な事が出来る様になる影響で色々な事に臆病になる。だから、大人な癖に色々な事に恐怖する事もなく唯我独尊で歩く人を見ると、コイツはまだ子供の部分が多くあるんじゃないかと、つい上から目線で見てしまう。この部分は反省しなくてはならない、他人を上から目線で見下ろせるほど自分は大きな人間でもないし、誇れる人間でもない。

だが、それでも子供は勇気のある生き物だ。野原を駆け回っていた子供時代。今で自分よりも大きな木々が生い茂る森の中を一人で探検するような事にも慎重になるし、怖くもなる。たとえば、膝上以上に伸びた草が生い茂る場所を歩く時だって、昔は平気だったが、今では見えない足下に蛇や変な生き物がうじゃうじゃしているではないかと怖くなる。それを楽しいと思える者は子供で、それを警戒という恐怖を抱くのが大人だ。

大人と子供境界線は色々あるが、その一つが何かを怖いと思える心だと思う。

失敗するのが怖いと思うのは当たり前であり、失敗しない様におっかなびっくりゆっくりと物事を進める。そして、失敗しない様に他者の意見を求め、そして最終的にはなんてことない、平凡な結果に落ち着く。

我を通すという事はそれほどまでに難しい。どれだけ自分が間違っていないと信じ込んでいても結果は間違いだと決めつけられる。納得できなくても頭を下げて、納得できなくても現状に流される。それで自分は生きていけるし、それで誰かとぶつかる危険性をなくすことが出来る。

これが、悪い事なのかと聞かれれば、きっと悪い事なのだろう。だが、少なくとも俺はそういう人間なのだ。間違うのが怖いし、誰かとぶつかるのが怖い。仕事でも怒られるのが怖いし、口出す事だって怖い。それでも普通に生きてはいけるが、その分に自分という部分をあっさりと捨て去り、世間の流れにゆっくりと便乗する。

流される生き方のどこが悪いのだろうか―――それを尋ねると、誰かはこう言う。

それは、生きていると言えるのか?

なら逆に聞きたいが、それが生きていないという誰が決めるのだろうか、お前か、世間か、それともまったく関係のない赤の他人か、俺は生きているつもりだし、この生き方に満足しているわけでもない。それでも、何かとぶつかって自分を通す事が絶対に正しいとは思わない。

だって、そうじゃないと怖いじゃないか……

だから、俺は誰かに自分の意見を押し付けない。相談されれば適当にアドバイスをして相手が納得しなくても話はそれでお終い。自分だってロクにわかっていないのに、相手に絶対的な真実を押し付けられる程、俺は出来た人間ではない。

背中は押さないし、道を示す事もしない。自分が間違ってないと信じられないから、俺は俺自身を信じる事は永久にない。

間違いながら歩く事は出来ても、真実は永久に見つからない。

間違って、間違って、間違って――――そして、最後まで間違って死ぬのが俺なのだろう。

そして、世間の人間だってきっとそうだ。自信がある人間はきっと間違いは起こさない。間違いは起こさないが勘違いはするだろう。

勘違いして、勘違いして、勘違いして―――――そして、勘違いという自信をもって死んでいく。

何とも羨ましい生き様なのだろうか。

俺には出来ない。

俺には出来ないが、もしかしたら子供の自分なら出来るかもしれない。自分のやっている事が絶対に間違いないという歩ける昔の子供な自分ならこの世間をどうやって歩くのか、その可能性を見てみたい。だけど、そんな光景は絶対に見ることは出来ないだろう。

俺は大人になってしまった。

勇気の心を捨てて、失敗しない恐怖だけを抱いて生きていく。

だから、少しだけ羨ましい。

この世界で生きる彼女達が羨ましい。自分を通そうとするその姿が綺麗に見えて、それを下から見上げる自分がみすぼらしく思えてくる。

だが、それでも心のどこかできっと俺は彼女達を見下している。

何て馬鹿な奴だと、何も知らない馬鹿な子供だと、そうする事が絶対ではなくとも、信じている馬鹿なガキだと、きっと見下している。

この物語を見ている者がいるとしたら、教えてほしい。

馬鹿は――――俺なのか、彼女達なのか、



どっちが、間違って『いない』のか――――教えてほしい。



少なくとも俺は、自分が間違っていないと、信じてはいない。





どうも人間の身体の限界というモノに挑戦している気がしてならない。

「佐久間さん、佐久間さん!!後ろ、後ろから何か来てますよ!!」

耳元で騒ぎまくるコイツを放り出せば少しは楽になるのだが、そんな事が出来るならさっさと実行に移している。

「ぜぇ、ぜぇ……あ~クソッたれが!!重いぞ小学生!!」

「んにゃ!?それは女の子に対して大変失礼な発言でないかと思いますよ!!」

それはそうだな……なら、

「軽くなれ!!今すぐ軽くなれ。羽の様に軽くなって、何なら身につけてるモノを全部放り投げて軽くなれ!!」

「もっと失礼ですよね!?失礼以前に犯罪者チックな発言でアウトですよね!?」

「やかましい!!こっちは限界だっつの!!子供一人の体重でも立派な重荷にで、おじさんの身体はボロボロなのよね、これが!!」

心に余裕がないと人って変な喋り方になるらしい。

現在、絶賛稼働中―――俺の身体が。

背中になのはを背負ってあの黒い奴から全力で逃げている。腕が折れたかどうかわからないが、動かすだけで激痛が走る始末なので、片腕でなのはの身体を支え、なのはは俺の首にしっかりと捕まっている様に指示して走っている。そのせいで若干息苦しいが、そんな文句は言ってられないだろう。

背後に感じる奇妙な感覚、背中を刺す冷たい刃の様な悪意を感じながら、俺は夜の街を走る。聴覚に伝わるのは俺の荒い息と、背中にしょっているなのはの息。そして、なのはの身体にしっかりとしがみついている生き物の声。

「すみません……僕のせいで」

今更、この小さなフェレットが喋ったところで驚きはしないが、それでも動物が喋るという光景にシュールだと思うのは間違いじゃないだろう。

あの黒い奴が病院に突っ込んだ際に飛び出してきたフェレット、もといユーノとなのはを連れて俺は逃げている。なのはの手を引いて逃げた所までは良かったのだが、足がもつれて転倒したなのは、ついでに足を挫いたなのは、おまけとばかりに膝を擦りむいたはのは―――あれか、狙ってんのかお前、と黒い感情がモヤモヤしたが、それは放置しておき、俺はなのはを背負っている。子供の体重は軽いから背負えるが、それでも先ほどまで走って脚がガクガクの状態の俺にはかなりの重労働だった。

身体が休めと命令しているが、仮に足を止めて一度でも休みに入るとこの足は絶対に次の行動に移せない。確実に有給を使って休みに入るに違いない。だから、一度たりとも休まる暇を与えてはいけない。

そう、走り続ける。

その背後で、ドンっという衝撃音。その後に背後から怪物の唸り声が聞こえる。後を振り向くまでもなく俺の心臓は縮み、恐怖が全身を走る回る。

止まるな、止まったら死ぬと思え。

「佐久間さん、やっぱり私自分で走ります!!」

辛そうに息を吐く俺を心配したのか、なのはは言う。しかし、そんな事を言われても下ろすつもりはないし、そんな暇もない。

正直、さっさと降りて欲しいのが本音だが、ここでそんな事を言っては俺が俺を許さない。単純に、男としての小さなプライドのせいだろう。

実に忌々しい。

「そんな事を言う体力があるなら、もっとしっかり掴まってろ。ほら、力が弱くなってるぞ!!」

俺に言われてなのはは、俺に掴まる手が緩くなった事に気づき、再度しっかりと掴まる。

「それより、携帯持ってるだろ、携帯!!携帯で警察に連絡しろ!!こういう時に警察に頼れって言われてるだろう!!」

「け、携帯ですか……すみません、忘れてきちゃいました……」

「携帯の義務は国民の義務だろうが!?何だよこの状況、お約束か!?」

「佐久間さん、落ち着いてください!!」

無理です。テンパってます。

『それ以前に、あそこで君が彼女を無理やり引っ張らなければこんな状況にならなかったと思うね。だってさ、一応原作では彼女はちゃんと走ってたよね?君が無理やり走らせなければ……』

クソ、正論すぎてムカつく。

『まぁ、やってしまったのはしょうがないとしてだ……この状況で君はどうする?』

「どうするって、何がだよ!?」

「え、何ですか?」

「お前に言ってない、気にするな!!」

そう言えば、コイツの声って俺にしか聞こえないんだよな。これからは他の人がいる時は声に答えない様に気をつけよう――――生きて帰れればの話だが。

「今更なんですけど、あれって何なんですか!?」

「俺が知るかよ」

まぁ、知ってはいるけどね。だが、知っているがアレはないと思う。これをテレビで見た時は「手抜きな姿だな」とか思っていたが、実際にあれを見るとまるっきり別モノだ。バンジージャンプで俺なら飛べるとか言っておいて、実際に飛ぶ所まで連れて行かれた時と同じくらいに別モノだ。

アレはない。

アレはおかしい。

アレは現実的じゃなさすぎて、実感の湧かない恐怖がある。

目の前にあんな怪物まがいな存在が現れれば、普通なら恐怖する。その感性を俺は今になって実感する。人は得体のしれないモノに恐怖する。あれが何だと知識は理解しているが、この眼で見た瞬間には、その情報が間違っていると認識して、目の前の存在が理解出来ない怪物にしか映らない。

あんな怪物、人が相手にしていい存在ではない。怪物には怪物を、人の踏み込める範囲でしか人は足を踏み入れない。

ここは、人の踏み入れていい領域ではない……絶対にだ。

「………君には、素質がある」

そんな時に、ユーノはそんな言葉をなのはに向けた。

「素質?」

そう、素質だ。

この物語の主人公には魔法という異能を使う素質がある。それも素質とか才能とか、そういう言葉が生ぬるくなるほどの塊が存在している。

ここでユーノはなのはにレイジングハートを渡して、俺達を追っている怪物を封印する。そいう流れがすでに存在している。

「僕は、ある探し物の為にこことは違う世界から来ました……でも、僕一人の力では想いを遂げられないかもしれない――――だから、」

しかし、そういう流れが存在しているとしても、俺もその流れの中にある存在と認識されている。俺でもなく、なのはでもなく、ユーノでもない。この少しだけ狂った流れの中に、誰が決めたのかも分からない流れの中に、俺がいる。

確かに流れは存在している。存在してはいるのだが、俺の頭はよっぽど混乱しているらしい。

つい、こんな言葉を口にしてしまう。

「おい、そこの生き物。お前、まさかこんな子供とあの化け物を戦わせようって魂胆じゃないだろうな!?」

言ってしまった。しかも、その言葉がこの段階で言っていい言葉ではないと、俺は完全に忘れていた。

「え、そ……それは……」

言い淀むユーノ。

「馬鹿野郎!!素質があるとかないとか、そんな事は関係ないだろう!!あんな化け物を相手に出来るほど、お前の目の前にいるなのはは異常じゃない。普通の子供だぞ!!」

正論だと思っている。だが、正論だからと言って正しいとは限らない。これはあくまで俺の勝手な正論であり、物語の流れを断ち切ってしまう可能性がある異論である事に俺は気づいてはいない。

だから、俺はまだ混乱しているのだろう。

「今考えることは逃げることだけでいいんだよ!!それ以外の事は考えるな、感じるな、戯言を言うな!!」

なんだか、あの神みたいな喋り方をしたような気がするが、きっと気のせいだろう。そうでなければきっと落ち込むだろうな、絶対に。

「でも、それ以外に方法が……僕じゃ駄目ですし、アナタでも―――あれ、微かだけど魔力がある?」

『鋭い、正解だね』

「ない。そんな物はない。つうか、魔力ってなんですか?おいしいのか?」

誤魔化しながらも、俺もどうするかを考える。どうするべきか、どうやったらこの事態を良い方向へと持って行けるのか、どうすればあの怪物から逃げおおせることが出来るのか、ない知恵を絞って懸命に考えるが、良い案は浮かばない。

焦る俺を尻目に、背中ではユーノが勝手になのはへ首に掛ったレイジングハートを向ける。

「お願いします。お礼はします。必ずします。だから、少しだけ力を貸し――――」

「だから、子供に何を頼んでんだよ、お前は!?」

「佐久間さん!!」

突然、叫ぶなのは。その声に俺へと今まで一番背筋を凍らせる感覚が襲い掛かる。俺は背後を確かめる暇もなく、横に飛ぶ。瞬間、すぐ横を通り過ぎる弾丸、大砲の弾の様に飛んでいく黒い塊があった。

怪物はそのまま地面に突き刺さり、モゾモゾと動いている。まだ心臓がバクバクと大きく暴れまわっているが、今の内に逃げろと身体が自然と人気のない路地裏を選んで走る。

なるべくあの怪物の図体でも入れない位に狭い場所を走りながら、

「おい、なのは!!この先に隠れられそうな場所ってあるか?」

「え……隠れられそうな場所ですか……」

頭を抱えながらそういう場所を考えているなのは。今更だが、俺は今自分が何処を走っているのかもわからない。ここで下手に人気の多い街中にでも飛びこんでしまえば、関係のない奴らまで巻き込み、大騒ぎになってしまう。

『でも、そうすれば少なからず君達は助かるよ』

馬鹿を言うな。そんな事をすれば無駄に被害を多くするだけだ。もちろん、だからと言って自分達がどうなってもいいという理屈ではない。単純に、戦うよりも逃げる事。無駄に騒ぎを大きくするよりなら、さっさと逃げて事が収まるのを期待するというだけの話だ。

「――――っあ、そうだ。この先に使われなくなった工場があるんです。そこなら、隠れられるかも……」

「本当か!?なら、そこまで誘導してくれ」

「はい。わかりました―――あ、そこを左です!!」

なのはに誘導されて俺は残り少ない体力を全力で使いながら走る。そして、二分後には人気のない場所、住宅街も何もない空き地の先に廃工場が見えた。俺はその中に飛び込み、何の機械かもわからないコンベアのあるモノの後ろにドカッと座り込む。

座った瞬間、息を整えるために何度も何度もせき込みながら深呼吸をする。体中の乳酸がことごとく抜け落ちるようだ。

「佐久間さん、大丈夫ですか?」

心配そうに俺の隣に座るなのは。コイツも足を挫いているせいか、俺を見ながら自分の足をさすっている。

「と、とりあえず……ここでしばらく様子見だ」

出来れば、これでアイツが俺達を諦めてどっかに行ってしまうという楽観的な予想が当たってほしい物だ。

まったく、今日一日に俺はどれだけ話に巻き込まれるのだろうか。ユーノを拾った時点で今日は何もないだろうと考えていたが、不運にもあの化け物に出会って、追われて、ついでになのはとユーノと再会して、そして一緒に巻き込まれて今に至るなんぞ、まさに不幸じゃないか。

思わず苦笑してしまう。笑うべき状況ではないが、こうしていないと気が楽にもなれない。

「なのは、大丈夫か?」

「はい……何とか」

「そうか……それにしても、お互い変なのに巻き込まれたみたいだな」

俺の苦笑がうつったのか、なのはも同じ様に苦笑する。

「にゃははは、そうですね。帰り道にフェレットさんを拾ったら、今度はそのフェレットさんが喋るし……」

まぁ、正確に言えばフェレットじゃなくて人間なんだけどな。

「ところで、そこのフェレットは怪我とかないか?」

「はい。元々の怪我を除けばですけど……」

「なら問題ないな」

なのははユーノを抱き上げ、じっと見つめる。

「―――――佐久間さん、フェレットって……喋るんでしたっけ?」

「普通は喋らないな……まぁ、今更普通も何もないだろうけど」

だが、この際だからこう聞いてみるのもいいだろう。

「ところで、お前って一体何者?まさか、自分はただの喋るフェレットですとか言うんじゃないだろうな?」

知ってはいるが、ここでこういう質問をするのはきっと正しだろう。少し順番は変わってしまうが、そこはもう知らん。

「それと、あれはなんだ?お前の知り合いか?」

「違いますよ……あれは、ジュエルシードと呼ばれる物から生まれたんです」

ユーノは語る。

自分の事を、ジュエルシードの事を―――――そして、またあの話を切り出す。

「勝手な事を言っているのはわかっています……でも、貴女の力が必要なんです!!あつかましいのもわかってます。自分勝手なお願いだという事もわかっています」

ユーノは頭を地面に擦りつけるほど下げる。もっとも、その姿がフェレットなので実は可愛らしい姿にしか見えなかったというのは、話の腰を折るので言わないでおく。

ここで、半ば流される形でなのははレイジングハートを受け取る事になるのだが、

「お前さ、それでいいのか?」

何故か、それを良しと出来ない自分がいる。この流れが正しいはずなのに、俺は先ほど言ってしまった言葉を撤回する事が出来ない。だから、なのはに尋ねる。

「それを受け取るって事はよ、あの良くわからない怪物と戦うって事だぞ?それで、お前は平気なのかよ」

「え……全然、平気じゃないです……」

当たり前だろう。

あんなモノを目の前にしたら誰だって怖がるはずだ。怖いと思って、縮こまって、逃げても誰も文句言わない。だったら、別に戦う必要などありはしないのだ。もちろん、これが流れに逆らっている事だというのはよくわかっている。

それでも、納得する事が出来ない。

だって、こんな子供があんな化け物と戦えなどと、どう納得すればいいのだろう?

「なら、無理に引き受ける必要なんてない……お前もだよ、ユーノ。大体、そんな大層な事になるってわかってたなら、お前一人で解決しようとしないで、大人の力を借りろ。子供が一人で無理してもいい方向になんか発展しない。そうやっていい方向に発展するなんてのは現実でも一握りの奴で、尚且つ物語の主人公だけだ」

もっとも、ここもそんな物語に中の一つなのだが、もはやこの状況でそんな事は言ってはいられない。ここはもはや現実だ。

異常が普通に異常を演じている、そんな非日常という名の現実だ。そんな現実を前にして、こんな子供二人をむざむざ嵐の中に放り込む様な事はしたくない。

「とにかく、今はあの化け物から逃げる事だけを考えていればいい……それだけが、今できる事だろう?」

二人は、頷いてくれた。

頷いてくれたが―――その反面、俺はどうして『自分がやる』という言葉を口にしなかったのかと、気付いてしまう。

子供に戦わせるという行為は嫌だった。だが、それでも自分が戦うという選択肢が俺の中にはなかった。いや、あったとしても、俺はそれを拒んだ。

何故か――――怖いからだ。

怖いから、戦わない。いや、怖いから戦えない。

どれだけ二人に偉そうな事を言ったとしても、俺という臆病者が偉そうに説教垂れる権利などありはしないのだ。なのに、俺は二人に言った。大人を頼れと言った―――その大人に、自分が含まれていないという事を、嫌な位に納得しながら、そんな事を言ったのだ、俺という大人は。

「………馬鹿げてる」

小さく呟き、苦笑する。苦笑できたかはわからないが、苦笑した。

最近、こういう自分の嫌な部分を感じる事が多くなった。死ぬ前はそれほど感じなかった事がここにきて妙に感じる様になる。それは、自分が今まで眼を背けてきた事のお返しなのか、それともこの世界の非日常によって自分という人間の仮面が外れ、嫌な部分が見せしめになってしまったからなのか、果してどちらなのだろうか。

だが、もしかしたらこれが現実と架空の違いなのかもしれない。

物語を知ったとき、誰だって自分もこんな風になって見たいと想った事はないだろうか?
自分にはないキャラクター達の個性に憧れ、生様に憧れ、そして自分にもこんな事が出来るかもしれないという勘違いを誰だってする事があるかもしれない。

しかし、それはあくまで現実側から架空を見た時の場合だけだ。

ここは、架空の中で現実を知る事になる。

架空の中での現実ではない非現実を目の前にした時、俺という存在は何も出来はしない。あんな化け物を前にしても戦うという選択肢もえらばず、ただ逃げるだけの男だ。

現実を知るには現実を見るしかない。それが例え、架空の中にある現実だとしてもだ。

ここはすでに現実だ。

異常が普通に存在する現実。

ここでの現実が、本当の俺の人間性を見せつける―――そんな気がした。

だからだろう。俺がこんな感傷抱いている時に限って、聞いてもいないのにアイツが喋り出す。

『いやはや、君も実にいい機会を逃したものだね。あそこでそこのフェレットの言葉を邪魔しなければ、こんな場所で隠れる事もなかったのに……』

「………」

『さて、いきなりだけど一つの疑問を提示する事にしよう』

「………」

「佐久間さん?」

なのはが俺を見る。

「………」

俺は、答えない。俺の神経は全て自分の顔を冷静に無表情にする事だけに集中する。そうしなければ、きっと俺は顔に感情を出してしまう。

俺はある程度学習しているのだろう。

コイツの声、コイツの話方、コイツの―――コイツの、こういう切り出し方は確実の俺の神経を逆なでし、そして傷つける。

『物事には偶然とか必然というのがあるらしいけど、君がこうして彼女とこうしているのは果して偶然か必然か―――それとも、単なる自業自得の人為的な被害なのか……』

「佐久間さん、どうしたんですか?」

『物語の中ではわざとらしいまでの偶然が存在する。でも、いくらわざとらしい偶然とは言っても、そこに人為的なものが混ざるときっとそれは偶然でも必然でもない。確かに最初は偶然だったのかもしれない。偶然君は街に出て、偶然あの場所にいて、偶然君は彼女と出会い、偶然という作為的な行動で君はユーノを拾い、偶然という人為的な行動であの動物病院へと運ばれ――――そして、全ての偶然のしっぺ返しとして君はあのジュエルシードの思念体と出会う事になった』

ギリッと歯を食いしばる。

『作為的という言葉があるけど……策士、策に溺れるという言葉もあるね。君が物語を『優先』した結果、君は災害と出会う事になり、その災害から逃げる途中で君は『偶然』にあの動物病院の前まで来た……さて、ここで質問。最初から今まで話で、どこまでが偶然でありどこまでが必然か。そして、どこまでが災害でどこまで人災か……』

また、お前はそういう質問を俺に言うのか?

『君はさ、確かに巻き込まれたかもしれない。でも、実は君も巻き込んでるんだよね。君が『偶然』逃げた場所に『必然』にユーノとなのはがいた。君が知っていたのか、それとも知らずにいたのか、それとも―――――』

「佐久間さん!!」

「―――――あ、」

なのはの声に俺は我に返る。

「どうしたんですか?なんだか、顔色が悪いですけど……」

「いや……何でもない。あぁ、何でもないよ」

不安そうに俺を見るなのはを安心させようと笑おうとするが、顔の筋肉が緊張しているのか、うまく笑えない。それが余計に彼女を不安にさせたのか、それとも逆に俺が頼りない様に見えて、自分がしっかりしなくてはいけないと思ったのか、

「大丈夫ですよ!!なんとかなりますよ、きっと」

逆に、俺に笑いかける。

それが、たまらなく俺を情けなくさせる。自分よりもずっと年下の子供に気を使われる大人、それが俺だとするのなら、俺はなんて情けない野郎なのだろうか。

「――――お前、意外と余裕あるのな」

「そうでも……ないと思いますけど」

いきなり巻き込まれ、襲い掛かってきた非日常。それが怖くないのかと疑問に思う。いや、きっと怖いのかもしれない。だけど、その恐怖に立ち向かっていける勇気を彼女は持っているのだろう。

それが、

『それが、彼女を彼女とする為の非常識なのかもしれないね』

違う。

そんなはずはない―――はずだ。

「……煙草、吸っていいか?」

煙草を取り出し、一応確認を取っておく。なのはは頷き、俺は火をつける。

『君はさ、初めて私会った時に言ったよね?君の目の前にいる少女は『異常』な存在なんだってね』

落ち着け、落ち着け。その為に俺は煙草の紫煙をゆっくりと吸い込み、吐きだす。

『君の言葉をそのまま再生すると、君は私に『お前は本当に物語の登場人物が可愛らしいとか、そういう考えを平気で出来る単細胞なのか』、そう言ったね?』

落ち着け、コイツのいつもの戯言だ。

『その次に『主人公の女の子は普通の少女みたいな設定だが、中身は少し頭のネジが飛んだ子供だ』とも言っていた』

だが、それは俺の言った戯言だ。

『確認するよ?君は言ったね?確かに言ったよね?確かに君は目の前の君を心配する優しい優しい優しすぎる美少女を蔑むような言葉で言い放ったよね?』

煙草を持つ指が小刻みに震えてくる。同時に心臓が以上なまでに激しく鼓動する。コイツの次の言葉が想像できるから、想像できてしまうから、指の震えは異常に激しくなる。

『君は、高町なのはを―――『あの主人公はあっさりと相手に武器を突き付けられる異常者だ』……そう、口走ったよね?』

吸いかけの煙草がゆっくりと地面に落ちる。

『実わね、私は君のあの上から目線の言葉がすごく気に入ってるんだ。直に触れあってもいない架空の人物を評価する君の言葉は、まるで大した知識もないくせに映画評論家気取りの勘違い野郎みたいな素敵なセリフだったよ。その人をよくも知らない他人が他人を語る様に、見た事もない存在を悪と決め付ける、異常と決め付ける、そんな君の傲慢で素敵な勘違いぶりが、私の感動的な涙腺にビビッと来たね』

口は災いの元という言葉がある様に、自身の言ってしまった言葉は永久に撤回する事は出来ない。それが、俺が彼女に出会う前の事であろうと、この世界に来る事を拒む為に口走った事であろうとも、絶対に撤回は出来ない。

『誰かを語るには誰かを知らなければならない様に、物語を語るには物語を知る必要がある―――でもね、その物語をいくら見ようが語ろうが、それが絶対に正しいという意味にはならない。君が以前話した自論の様に、彼女の人格を蔑むかの様な発言をしたようにね……ねぇ、罪悪感って沸かないのかな?そういう発言をしてしまった自分自身に、今の君はどういう感情を抱くんだろうね』

反省はしている。だから撤回する……そんな発言をすれば、コイツは黙ってくれるのだろうか?

『何かを否定するという行為はね、実は意外にリスクの高い作業なんだよね。その何かが作品であった場合はその作品を愛する人にとってみれば実に不愉快な言葉の螺旋だ。その何かが人であった場合はさらにタチが悪い。相手を馬鹿にする時はその馬鹿にした言葉を向ける相手にも気をつけた方がいい。それが本人出会った場合も友人であった場合も恋い焦がれる人の場合も家族であった場合も……そう、実にリスクが高い。頷く人を得られるよりも首を振る人間の方が圧倒的に多いからね、意見というのは。多数の方にご理解いただけました――そんな事は嘘でも言える。本当出なくても嘘から出た真に出来るぐらいに簡単だ。だからね、君の発言に一体どれ位の人が賛同できるんだろうね?少なくとも、私は賛同するよ。大いに賛成。大いに面白い。大いに滑稽で、大いに馬鹿らしい………それで、君は君の意見に賛同する?君の意見を、高町なのはと出会った君は、高町なのはの友人達と出会った君は、高町なのはを目の前にして、過去の自分をどう思う?』

どうして、胸糞悪くなる以上に、こんなに罪悪感が多くなるのだろう。こんなのは、今までなら難なく口に出してきた事なのかもしれないのに、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。

「本当に、大丈夫ですか?もしかして、どこか怪我―――あ、腕が痛むんですか?」

罪悪感で死にそうになるというが、これはそんなモノではない。決してそんな軽い言葉で片付けられるようなものではないのかもしれない。

なのはの言葉に無意識に折れたかもしれない片腕を掴む。

「………大丈夫だ。あぁ、大丈夫だ……大丈夫、大丈夫」

「そうは見えませんよ……あの、やっぱり私が足を引っ張っちゃたから……」

「違う!!」

思わず、叫んでしまう。

「絶対に違う!!それはお前のせいなんかじゃない!!」

『そう、君のせいだね。彼女のせいじゃない』

「だからさ、お前がそんなに気に病む事はないんだよ」

『君があの化け物に追われたという『災害』に巻き込まれたように、その災害を二人の前に持ってきてしまった『人災』のせいだよね?』

「こんなものは、怪我にも入らないさ……それよりも、お前の足は大丈夫なのか?」

『偶然で必然で始まる物語がある様に、君という人災から始まる物語―――それが、今回の物語の始まりだとしたら、実に愉快で最高だ』

「多分、また走らないといけないかもしれないし……」

『君は、ある意味で完全に物語に介入し、物語を改ざんしていっているね……もちろん、まだ修正は聞くかもしれないけど、もしかしたらこれが完全に物語を狂わせる結果になるかもしれない。何せ、君は先ほど止めてしまった。あるべき流れを遮断し、流れを狂わせてしまった』

「………」

「佐久間さん?」

また、俺は俺の嫌な部分を見てしまった気がする。

アイツの言うように、また俺のせいなのだろうか?

物語にある流れがそうさせるのに、それが俺のせいで微かに狂い、そしてその人災が二人を危険な眼に遭わせてしまったのだろうか。

高町なのはは、優しい子だ。

だから、もしかしたらこれから起こるであろう事に関わっていい子供ではないのかもしれない。そうだ、彼女は子供だ。まだ年端もいかない小さな子供じゃないか。

そんな子供があんな戦いに巻き込まれていいはずがない。

それが物語に反するとしても、俺はこの子に戦いなどをして欲しくない。だから、俺は彼女に魔法を与えるという道筋を否定したくなった。

それが例え救われない誰かが生まれるとしてもだ。

彼女にはこれから普通に生きてほしい。微かな異常を知ったからとしても、そんなものは一時の悪夢でしかないのだ。その悪夢を忘れる事は出来なくとも、普通の生活を送る事は可能なはずだ。

高町なのはに日常を――――それでも、微かな疑問はある。その疑問に答えを出せないまま、俺は一人で悩む。その疑問を答えるには何かが足りない。そして、その何かを否定するには、自分を信じる要素が足りな過ぎる。

だから、俺は、どうするべきかも、わからず、

「――――悪いな」

なのはの頭に手を置く。

「ごめんな、なのは……多分さ、お前を巻き込んだのは俺のせいかもしれない」

だから、無性に謝りたくなった。

「俺がアイツをお前の前に連れて来ちまったせいでさ……ごめんな、怖い目に遭わせちまって」

ただ、謝罪したかった。

確定された結果だったというのに、そこに自分が含まれると知った瞬間、全ての視点が変わってしまう。変わった視点から見た結果は、俺の不注意と俺の失態。

それが、今の現状を呼び起こした結果の一つなのかもしれない。

これは、独り善がりなのだろうか?それとも、自意識過剰、加害者妄想、的外れな勘違い。どれだっていい。どれだって構わない。

俺は、また誰かを危険な眼に遭わせてしまった。

だから、謝る。

だから、頭を下げる。

だから、この子だけは守ってやると思った。

だから、



だから、それがまた俺が何かを間違える引き金になったのかもしれない。



ヒュウッという何かが切られる音が聞こえる。その音に何となく顔を向けると、そこには窓ガラスがあった。何の変哲もないただのガラスが張られた窓だった。曇りガラスだった為か外の風景は見えない。

だが、そのガラスに微かに黒い靄の様なものが見えた。その靄は徐々に大きく、すごい速さで急速に巨大になり、ガラス一杯を見たし――――俺は、なのはを抱えてそこから飛んだ。

幸運か、飛んだ瞬間に俺となのはが座っていた場所に爆弾が落ちたように衝撃が走り、工場内の機械を次々と破壊しながら壊していく。

不幸か、なのはを庇う様に飛んだせいか、壊れた機会の部品の一つが俺の背中に叩きつけられ、同時に割れた窓ガラスが背中に突き刺さる。

「――――ッ!?」

声が出ないが、叫びはした。

「佐久間さん!?」

「危ない!!」

なのはの俺を呼ぶ声とユーノの危険を知らせる声が二重に聞こえ、俺の身体が宙に浮く。

浮遊感と痛感、そして硬い鉱物に身体を叩きつけられ肺の中の空気が一斉に外に逃げ出す。

どうやら、怪物の放った何かに吹き飛ばされたらしい。それが、俺だけに命中し、なのはには当たらなかったのが二度目の幸運だったのかもしれない。

だとしたら、これで俺の幸運は全て尽きたと言ってもいいだろう。幸運が全て尽きたら、後は死の恐怖が襲い掛かってくる。

それでも、そんな死の恐怖に支配されても、まだ微かながらの平常心はあったのか、視線はどこかにいるなのはを探し、見つける。なのはは尻もちをつきながら、俺を見ている。顔面蒼白で微かに震えながら、俺を見ながら、

「佐久間さん!!」

また、俺の名前を呼んでくれた。

「―――――げろ……」

それが、嬉しかった。

「――――に、げろ……」

最後に、名前を呼んでくれる事がこれほどまでに嬉しいとは、想ってもいなかった。俺が死んだ時に名前を呼んでくれた奴はいなかったし、俺を突き落とした奴は俺を見ながら嗤っていたし、最低な最期だった。

「―――――逃げろ!!」

だから、出来れば笑って欲しかったが、これで十分だ。だから、お前は逃げろ。お前が死んだら色々と駄目だ。お前が死んだら沢山の人が泣いてしまう。だから、早く逃げろ。

もしかしたら、これが俺が初めてこの世界に来て出した勇気だったのかもしれない。

少なくとも、この時の俺には自分の事よりも、高町なのはの心配をする事の方が何万倍も大きかった。

だから、これで満足だ。

また、死ぬだけだ。

今度は、怖くない。

怖くないんだ。

本当に、怖くないんだ。

だからよ、なのは――――



何で、お前は紅い宝石を握り絞めてるんだ?





――――――――――――――――――――――――――止めろ。



止めろ、止めろ、止めろ、止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ、止めろ!!

全身の血の気が引いていく。

違う、こんな事を望んじゃいない。俺が望んだのはここから逃げる事であって、決してそんな事を望んでいるわけじゃない。

逃げろと言った。戦ってくれとは一度も言っていない。

逃げるのがない物語だとしても、戦う事が正しい物語ではない。

例え、これが物語に流れに反しているとしても、俺はあんな子供が、あんな化け物と戦うなんてのは容認できない。

だから、戦うな。

早く逃げろ。

そんな俺の意志と反して、なのはの口が動く。彼女の足下にいるユーノが彼女に起動の言霊を告げているのだろう、なのははゆっくりとその言葉を紡ぐ。



我、使命を受けし者なり――――



『物語には案外強制力というモノが働いているのかもしれないね』



風は空に――――



『どんな流れがあったとしても、彼女が魔法と出会う事に否定はあり得ない。彼女は絶対に魔法と出会うように運命がプログラムを組んでいるのかもしれないね』




星は天に――――



『だから、君の願いは届かない。君があの化け物を怖がり、その恐怖から彼女を戦いの道へと進ませるのを拒ませ、彼女に通常を望んでいるが、そんな望みは絶対に叶いはしない。だって、人の願いを何でも受け入れるほど運命という気まぐれな者は人に優しくない』




不屈の心は――――




『おめでとう、高町なのは。君は今日から魔法少女だ。ご愁傷様、佐久間大樹。君の半端な優しさのせいで彼女はこの道を選んだ……いいや、君のせいで選ばせてしまった』




この胸に―――――



『素晴らしい光景じゃないか……現実では見られない魔法少女誕生の瞬間だ。この光景に出合えた事は実に光栄だね。そう思うだろう?』




目の前で、テレビで見たあの光景が広がってく。心躍る光景なのに、盛り上がる光景なのに――――俺の心は、どんどん温度を下げていく。

まるで、何かに絶望するように。

違うのに……こんな事は望んでいなかったのに、どうしてこうなるんだ?

物語など関係ない。こんなのは間違っている。誰かが化け物と戦うなど、そんな非現実は間違っている。

子供は子供でいいんだ。

子供は力を持つ必要などないのだ。

俺がかつては子供であった様に、彼女にもそういう子供であって欲しかったと、俺はきっと考えていたのだろう。悲しみもない日常。戦いのない通常。本筋とは何一つ絡まない、そういう非日常が似合うと考えていた。

だが、それもこの瞬間に壊れる。

決められた光景に、悲しみが生まれる。

『ほら、笑いなよ』

「笑えない」

『嗤えよ』

「嗤えない」



『ほら、さっさと嗤えよ……なぁ、偽善者』









人質はリリカル~ZEROGAMI~
第五話「誕生地獄」









この決まりきった光景は――――嗤えない。

嗤えないまま、俺の意識は暗闇に墜ちていく。

俺はやはり、間違っているのだろうか?

闇に堕ちながら、俺の想った彼女に対する事がらは、全てが的外れな間違いなのだろうか?




誰か、教えてくれ……


















あとがき
子供が闘う物語をおもしろいと思っている自分は果して正常か異常か、はたしてどちらのだろうか…………………って、なんとく想ってみる。知るかって話ですね。
ども、散雨です。
誰かの為に立ちあがった少女が一人、その立ち上がってしまった少女に絶望する男。少女が紡ぐは希望の言葉、男が聞くのは呪いの言葉。これが、今回の二人の温度差ですね。
厨二と呼ばれ主人公ですが、自分の立派に病気です。
この物語の主人公であるヘタレは一体何がしたいのか、よくわからなくなってきました。というか、書いててなんですがコイツはウザいですね……まぁ、今後に期待ですね。
とりあえず、今回はアニメ第一話のお話です。
やる事成す事、全てが空回りなヘタレです。しかも結構嫌な部分が多い主人公っぽくない主人公。とりあえず、今後に期待……できればいいなぁ
次回は「引っ越し蕎麦は定番ですか?」で行きます。次回はアリサ嬢じゃないヒロインの出番かも?そして、もう一人の神様こと、女神様の登場かも?

感想、お待ちしております


PS、介入者のバリアジャケットを魔を断つ剣のメタトロンとサンダルフォンにしようかと妄想したんですが、どうなんでしょう?



[10030] 第六話 「開幕地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:32
女性と話した事もない人生―――そんな人生はあり得ない。


たとえば、自分の学校の先生、担任の先生が女性だった場合、彼女は仕事の都合上で僕らと向き合う―――おっと、つい昔の口調に戻ってしまった。訂正、奴等は俺らと向き合う事で金をもらっている。更に言うとすれば、自身の母親。彼女は俺達の中で最も親しい間柄であり、絶対的に自分を愛してくれるという妄想を描いてしまう対象だろう。

母親が嫌いなのかと聞かれれば、無論好きな部類には入るだろう。だが、愛してはいない。好きではあるが、愛していない。

これは普通か、異常か、それとも冷血か最低か最悪か――――この話をするときっとLikeとLoveの違いからの俺とは最も縁のない話をしなければならないので、ここで終わりにさせてもらう。

何を好き好んで母親を愛していますなどと口にしなくてならないのだろうか、恥ているのか、いいや、恥じてはいないが、好みではないだけだ。



話はずれたが、とりあえず俺は女性と出会う。



ソレが例え見知らぬ天井のある場所で、見知らぬ天丼を目の前にして―――おっと、天井と天丼ってすごく文字が似ている。だから、これからはそういう場面があったらこう言うことにしよう「あぁ、見知らぬ天丼だ」ってね。これはあれだ、見た事もない天丼という意味ではなく、自分が頼んでもいない天丼が目の前に差し出されたという状況を意味する言葉であり、決して俺が天丼を見た事がないわけでも、ホントに天丼かどうかもわからない天丼が出てきたわけでもない。

関係のない話だって?

あぁ、そうだとも。何も関係はない。本当に見知らぬ天丼があるわけでも、見知らぬ天丼を差し出されたわけでもない。

単純に、この状況がよくわからないだけだ。

「私の名前はサクヤ。サクヤ・エルフォンドと申します……」

女性は名乗った。

だから、俺も名乗るべきなのか。いいや、彼女はすでに俺の名前を知っているようだし、名乗る必要性はないかもしれない。

だが、もしかしたらここで名乗っておく事が必要だったのかもしれない。それが人としての礼儀であり、人と人の触れ合う為の第一歩、ここを曖昧にしてはいけないだろう。

だけど、俺は言葉を発せるほど、マトモな神経をしていない。正確に言うならば、この様な状況で言葉を話すという上等技術を持っているような大層な人間ではない。

実にそそる光景だ。

実にそそる女性の身体のラインだ。

実にそそる顔だ。

実にそそる状況だ。

実にそそる――――唾液がゴクリと喉を通る程に、全身が恐怖に震える程に、その鋭利な刃物が喉先につきだされているという状況が、実にそそる――――んなわけるかっての……



「貴方は――――善い者ですか?それとも、悪い者ですか?」



多分、後者の可能性が高いな。








多分、死んだな……



ゆらゆらと暗い海の中を漂う感覚―――実際に体験した事はないが、これが本当の死の感覚なのかもしれない。前回は刹那の浮遊感と、コンクリートに頭から叩きつけられる衝撃しかなかったが、今回は違う。

背中が痛かった。刺されて殴られ、抉られ折られ、何が起こったのかを想像するのも面倒になるほどの激痛だった気がする。

そして、最後に何かを叫んだ気がする。

そして、最後に何かに心が刻み取られた気がする。

だが、何も覚えていない。

ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと暗い海の底に沈んでいく。怖かった。死にたくないと思った。誰か助けてくれと叫んだかもしれないし、泣きべそかいて我武者羅に手を振り回したかもしれない。だが、それに答える者など誰もない。

それでも、俺は死にたくはなかったのだろう。



――――――嘘つけ



誰かが言った。誰かの声は自分の中から、自分の中から聞こえる声は俺の声。俺の声は冷静。俺の声はつまらなそうだった。俺の声はケタケタと笑い続ける。

何が可笑しい?/どうして、死にたくない?

二つの声が重なり、互いが互いに疑問を繰り出す。それでも、笑ったのは俺の声であり、嗤わなかったのは俺の声。

「救われたいんだろう?」

あぁ、救われたい。

「あんな腐れ神様の遊戯から解放されたいんだろう?」

あぁ、解放されたい。

「なら、これで充分じゃないか。ここでこの暗い海の底に落ちればお前は救われる。誰にも責められる事もない、誰にも気を使う事もない。お前が本当にしたい事がなんなのかとか、そんな下らない事を考える必要もない」

それでも、俺は死にたくない。

「それじゃ、聞くけどさ………」



お前、またアリサに対しての罪悪感を抱いたまま生き続けたいのか?



…………

何も、答えられなかった。

反論する言葉など幾らでも使えたはずなのに、俺は俺に反論する事を何一つ実行に移す事が出来なかった。

「ほら、やっぱりそうだ。やっぱりお前はそういう人間だ――――お前、あの子の事を鬱陶しいと感じていただろう」

…………

「生きていて嬉しかっただろう?生きていてくれて苦しかっただろう?生きていてくれて、それで俺に対して感謝するアイツの前に居るのが最高に鬱陶しかっただろう?」

…………

「それなのに、お前があの場にいたのは単純に流されたままだからだ。だから、あの場に居続け、感じる事もない罪悪の重さに一人で耐えて―――それに酔っていたんだろう?」

…………

「結局さ、俺はそういう人種なんだよ。誰かに嫌われたくない、誰かに嫌な奴だと思われたくない、誰かに最低な人種だと思われたくない―――俺はそういう小さい人間なんだよ。流れに身を任せたせいもあるが、結局はその程度の理由なんだよな?あそこでお前がアイツの前から逃げだせば、俺は自分が最低な人間だと思われる。誰もそう思ってもいないのに、俺は勝手に想像して怖がって、罪悪感を感じるふりをしながら―――あの優しいクソガキの傍で演じ続けた……」

…………

「だからさ、そろそろこんな人生からおさらばしないか?立ち向かうとか、自分と認めるとか、前を向いて歩くとか、そういう『架空』な自分を想像する事すらせずに、さっさと死んで楽になろうぜ?」

…………

「―――――――認めろよ。俺は最低な人間だ。最低で最低で最低な人種で、絶対にその最低な部分を捨てる事も受け入れる事も覆す事も不可能な、そんな俺なんだよ」

…………

「だから、死のうぜ?死んでしまおうぜ?死んで楽になって地獄でも天国でも行こうぜ?少なくとも、あんな架空の監獄よりは十分にマシな場所だろうよ」

………否定はしない。否定はできない。彼女の傍にいる事を嬉しいと感じた事など、一度としてあった事はなかった。それ以上に、俺は誰にも責められる事もなくあの場にいる事が一番駄目だった。

だが、それすらも言いだせない自分は最低だったのかもしれない。

「さぁ、眼をつぶれ。耳を閉じろ――――それで、お前は……」



――――――嫌だ!!



「あぁ!?」

嫌だ、嫌だ、嫌だ――――!!!

絶対に嫌だ。

絶対に死にたくない。

あんな痛みは嫌だ。

あんな冷たいのは嫌だ。

「痛みはさっき感じただろうが!!」

それでも嫌だ。そうだとしても絶対に嫌だ。俺は死にたくない。死んで楽になるとしても死にたくなんかない。俺はまだ生きていたい。

「苦しむぞ?」

苦しんでもいいから、生きたい。

例え、今まで俺が言っていた事が全て『本音』だとしても、そんな本音程度では死ぬ理由としては足りな過ぎる。全然足りないし、納得も出来ない。

「―――臆病者」

暗い海の中を先ほど以上に強く、見っともなくもがく。上に上にと、下を恐れて上に上に。見えない水面を目指して上に上に。手を伸ばして永久に続く様な暗い海の底から逃げる。その為に上がる上がる―――それが、人として幾ら下がろうとも、構いはしない。

「―――チキン野郎」

俺の俺に向けての暴言など知った事ではない。俺は我武者羅に生きる事を望む。それが苦しい世界へ還る事になってしまうとしても、どうでもいい。死の恐怖の方が俺にとって恐怖だ。それ以上の恐怖など俺には恐怖ではない。

少なくと、この時の俺はそうだった。

だから、死から逃げる。

どこまで、どこまで、アパートの個室程度の大きさしかない海から逃げる。そんな小さな自分を蔑むのは自分自身。それでも生きていたい。



直後、俺の手を暗い海中以上に暗い、夜闇よりも深い闇の色を宿した手が掴んだ。



いや、掴んだという言葉では生ぬるい。俺の手を掴んだソレは俺の手の耐久度などを考えもしていないのだろう、ソレが俺の手に纏わりついたと思った瞬間、ソレが俺の腕をグシャリと肉を潰す音を響かせながら俺の腕を潰す。

折れながら潰され、潰されながら裂かれ、裂かれながら引きずられる。

『―――――やれやれ、君も中々生き汚いよね……』

ソレが唸る。

『でも、だから君を手放すのは大変に惜しいね。君の様な生き汚い存在はおもしろい。そんなおもしろい君が足掻く姿がもっと見たい……』

ソレが―――輪郭を作り出した。

『だから、死んじゃわない様にしないとね。今回は私からのサービスだよ。君の能力を極限まで落したのは私だし、今回は特別サービス。クーリングオフって感じかな』

だから、一瞬俺はそれを見間違いだと認定しそうになった。そんなはずがないからだ、ソレの声がソレだとしても、その姿はあまりにもおかしい。

その姿はまるで、

『私の愛らしい玩具は私のモノ。それがあんな神と『同等』かそこらの力を持つ程度の存在に殺されるなんてつまらない……』

まるで、

『―――――ようやく、本当の『始まり』が始まるからね……物語の舞台はここでも、これは物語の裏の物語』

まるで、

『役者はせいぜい楽しく過ごせばいい。けど、私達はその舞台裏で激しく淫らに昂揚しながら――――舞台裏で『輪廻』の如く、『遊戯』の如く、『段位』の戯言を始めよう!!』



まるで、人間ではないか……






目の前に、眩しい程の光が充ちていた。

「………ん、」

ゆっくりと瞼を開くと、そこには太陽の光。正確言えば太陽の光を映し出したステンドグラスの様なモノが光っている。その光が白と青と赤と緑―――そんな感じで色々な色彩を醸し出し、眼がおかしくなりそうだった。

ここは、どこだろうか?

どうやら、どこかに寝かされていたらしい。背中には地面とは違うが木の硬い感触がある。顔を横に向けると視界の隅に木の板が見える。どうやら、木製の長椅子に寝かされていたらしい。

身体を起こす、

「――――痛っ!?」

しかし、背中に激痛が走り、すぐに元の態勢に戻る。

仕方がないので、しばらくこうして寝ている事にした。その間にどうして俺がここにいるのか、何が起こってここにいるのか、未だに正常に起動しない俺の頭をゆっくりと立ち上げていく。そして、二分位経った後にようやく思い出す。

確か、あの黒い化け物に襲われて、大怪我を負った様なそうでない様な……そんな曖昧な記憶だけが存在する。最後に覚えているのは、なのはを庇って背中に固い異物がぶつけられ、突き刺さった感触だけ、その後の事は何も覚えていない。

覚えていないが、何か嫌な気分になるのは確かだ。

思い出そうとしても、思い出したくないという矛盾の思考が働き、俺は面倒になって思い出さないという選択肢を選ぶ。

「――――おい、あれからどうなった」

とりあえず、あの後の事が気になるのでアイツに話しかけてみる。

しかし、何も返ってこない。

「おい、聞いてんのかよ?あれからどうなったのかって、そう聞いてるんだよ」

それでも、何の返事がない。そして、俺は違和感に気づいた。

どういう事だろうか、以前感じていた奴の忌々しい感覚がない。

まるで俺の背中に張り付く悪霊の様に、気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていたが、今はその感覚がまるでない。まるでここにいるのは俺一人だけ、それ以外の存在がいないという当たり前だが、俺にとっては違和感しかない感覚。

誰もいない。

奴もいない。

いるのは、俺という人間一人。

まるで、この世界に一人取り残されたような、そんな孤独感。

「何だってんだよ、まったく……」

奴の気配がないのもおかしいが、それに孤独感を感じる俺も十分におかしいだろう。アイツがいなくなった―――そんな楽観的な想像を抱くわけではないが、それでも心にあるのは妙な喪失感。

「清々するじゃないか、そっちのほうがよ」

俺は痛む身体に鞭打って、なんとか身体を起こす。



そこは、古びた教会だった。



いや、古びたというわけではなく年季の入った教会といったところだろうか。建物の中は所々古いが、それでも俺の寝かされていた長椅子はしっかりと掃除されており、床もしっかりと清掃され、所々は綺麗にされている。どうやら、まだしっかりと誰かが管理しているようだ。だが、それでも綺麗なだけで、人がここを訪れるのかと聞かれれば、きっと否だろう。

長い間、誰も来ない教会、誰も来ない故に綺麗な教会、そんな印象を抱ける。だから、少しばかりの寂しさも醸し出している様だ。

「もしかして、アイツは教会が苦手だからいないとかじゃないだろうな?」

アイツ、邪神だし。実は、教会とか神聖なモノがすごく苦手で、今は外でぶらぶらと散歩しているとか、そういう感じだろうか?

だとしたら、今度からは毎日教会に来るとしよう。お祈りしてアイツに嫌がらせしてやろうか―――そんな悪だくみを考えていると、奥の方で扉が開く。



唐突に、現実感という『異臭』が立ち込める。



「―――――あぁ、お目覚めになりましたか」

静かな声。

ゆっくりと足音を立てながら、彼女は俺に歩み寄る。その手に洗面器を持ちながら、ゆっくりと、ゆっくりと彼女―――現実感が歩み寄る。

「アンタ……」

「そろそろ、お目覚めになる頃かと思ってました……良かったです。ちゃんと眼を覚ましてくれて」

記憶にある姿だった。

雪の様に白く、色素が抜けきった様に白く、あり得ないほどの純白の白を纏った髪。その髪に反する様な赤、淀んだ赤、歪んだ赤い瞳。綺麗な肌、妖艶な肌、人形のように生気の感じられない肌、それでもしっかりと人間らしい現実的な肌の色。

まるで、架空の物語の中の登場人物の様だ。白い髪に紅い瞳、そして人形のように透き通った肌、綺麗な女性、おとぎの国のお姫様の様な姿であり、森の中に住む邪悪な魔女の様でもある、奇妙な連結。

そんなあり得ない姿をしていても、彼女は現実感を持っている。

もしかしたら、俺以上に現実感を漂っているのかもしれない。この世界のどの人物よりも現実的であり、この世界だからこそ感じられるあり得ない現実感。きっと、俺のいた世界で彼女を見たら、そのあり得ない容姿のはずなのに、俺は普通の女性だと思ってしまうだろう。

そんな白い女性はシスターなのだろうか、白と黒の単調な服を着ている。どこも弄っていない純粋なシスター服。

だから、彼女は神に仕えるシスターさんなのだろうか?

「あ、あの……」

「まだ身体は痛みますか?もし痛むのなら、もう少し寝ていてください。無理に身体を動かすと後に響きますよ」

俺の身体の中にゆっくりと染み入る、布に水が染み込むように彼女の声が俺の身体に染み込み、俺は無意識の内に先ほど寝ていた場所に戻り、身体を倒す。

再び、視界にはステンドグラスが映し出される。

それを遮る様に、彼女の顔が映し出される。思わず俺は唸ってしまい、顔が熱くなる。

「どうかしましたか?」

女性に凝視されるのは慣れていない。それ以上に、こんな綺麗な人に見つめられたらそれは赤面の一つや二つ、余裕でするだろう。

そんな俺に彼女はクスクスと笑いながら、俺の額に濡れたタオルを置く。水で濡れたタオルの冷たい感触が心地よかった。

「――――あの、誰ですか……アンタは?」

「前に、一度お会いしてますよね?昨日のお昼に、私のアルバイト先にいらしたお客様ですよね」

「まぁ……そうだけどさ」

シスターもアルバイトするのだろうか、そんなどうでもいい疑問を抱きながら、俺は額に乗ったタオルを掴んで視界を隠す。正直、眼のやり場に困るのだ。

あぁ、俺ってチキン野郎だな。

女性を真っ直ぐに凝視出来ないなんて、チキンにも程がある。だから、とりあえず視界を隠して冷静になろうとする。

とりあえず、素数でも数えてみるか――――素数って何だ?

そういえば、俺って数学とかそういうのが大の苦手だった。素数を数えるという多分一般常識ですら出来ないとは、馬鹿すぎる気がするな。

「どうかしました?」

「――――素数って、知ってます?」

「素数ですか?一応知ってますけど……」

「そうですか。うん、それが普通ですよね……」

なるほど、普通なのか―――今度、数学を勉強し直そうかな?たぶん、やらないだろうけど……

「――――サクヤ」

女性が、ポツリと呟く。

「私の名前ですよ。私の名前はサクヤ。サクヤ・エルフォンドと申します」

「あ、俺は――――」

「佐久間、大樹さんですよね?」

「………何で、俺の名前を?」

「私のアルバイト先の女の子が教えてくれましたから……彼女のお友達を助けてくれた男の人、佐久間大樹という勇気ある人のお話です」

そうか、彼女は―――サクヤは翠屋で働いていたんだから、なのはからそんな話を聞いていてもおかしくないだろうな。

だから―――――ん、なのは?

そこで、俺の頭は完全に機能を取り戻した。

昨夜の事、ジュエルシードの事、なのはの事―――知らないのは、その後と現在。

そうだ、あれらからどうなった!?

今更そんな事を考えるなんて、本物の馬鹿なのだろうかと思ったが、俺はとりあえず身体を起こし、なのはの安全を確認する為に走りだそうとした。

そう、走り出そうとしたのだ。

正確に言えば、身体を起こそうとした時点で俺の行動を全てが停止する。そう、サクヤの呟きの様な一言で、

「――――ですが、アナタは本当に命の恩人という言葉を贈られる程の、勇敢な方なのでしょうか?」

身体が、止まる。

「もしも、それがアナタが意図的に起こし、そして彼女の傍に現れたのではないのか―――私は、そんな想像もしているのです」

呼吸が、止まる。

「だって、私はアナタがそんな善人には見えないのですよ……そもそも、」

そして、決定的な一言を告げる。



「邪神を宿した男を、信じる事が出来るでしょうかね?」



邪神、邪神と言ったのだ、この女は―――

急に、俺は視界を覆い隠すタオルを退けるのが怖くなった。今は、別の意味で彼女を見るのが怖くなった。先程の言葉、全てを知っているかの様な、そんな言葉。

だから、視界を隠したまま、

「なん、で……何で、知ってる……んだ?」

震える声で尋ねる。

「知っていますとも……あの邪神の事はよく存じております。何しろ、十年以上の前から延々と聞かされ続けた事ですもの――――ねぇ、佐久間さん。アナタは悪い者ですか?」

十年以上前、彼女はそう言った。つまり、彼女は十年以上前から俺という存在が来る事を知っていたというのだろうか。そして、邪神という存在がいる事を感知している、そういう存在が存在する事を知っているというのだろうか。

「アンタ……誰だ?」

「質問に質問を返すのはNGです。答えはYESかNO。アナタに贈られる質問の答えはその二択しか存在しません」

「誰なんだよ………お前は!?」

俺は視界を隠すタオルを退けながら、身体を起こそうとした―――結果的に、それは出来なかった。

「――――――私は、アナタの敵かもしれない存在ですよ」



俺の両眼に、光の剣が映し出された。



光の剣だった。ビームサーベルの様に量子の塊で出来た刃が俺の喉元に突きつけられている。その剣からはかなりの熱量を感じる事ができ、俺の喉元の皮膚がピリピリと焼かれるような感じがある。痛みはない、熱さもない。それでも身体の温度は急激に降下する。

その刃を向けるのはサクヤ。彼女の右腕にはいつの間にか白い鎧の一部分、純白の手甲の様なモノが出現しており、手甲の様な部分から白い刃が五十センチほど伸びている。それが、その白い凶器の先っちょが俺の喉を捉え、数センチでも動かせば確実の俺の首を突き刺すだろう。

「質問・其の一、アナタは悪い者ですか?」

答えられない。

「質問・其の二、アナタは悪事を行いましたか?」

答える事も出来ない。

「質問・其の三、アナタは邪神を信仰していますか?」

答えた瞬間、その刃が俺の喉を突き刺すという想像から、答える事が出来ない。

「質問・其の四、アナタはアリサ・バニングスを殺そうとしましたね?」

俺に出来るのはガタガタ震えて、これがまだ夢の続きである事を願うだけだ。

「質問・其の五、アナタはその事件を利用して、彼女の傍に入り込み、何かをしようとしていましたね?」

続けられる質問。その質問をする彼女は先ほどと何も変わらない美しさがあった。あるだけの綺麗な姿から、剣の様に鋭く、そして輝く傷つける為の綺麗な存在。その姿に微かながら見惚れていた。もちろん、それでも九割は恐怖に支配されていたのだが―――それでも、それでも彼女は綺麗だと思えた。

「どうしました?答えないのですか?」

答え様にも声は出ない。

そんな俺に呆れたのか、彼女は小さく溜息を吐き、俺の眼をその赤眼で見据える。

「質問と言いましたが、これは尋問です。アナタがあの邪神を信仰し、その力を利用して、そして誰かを傷つける様な事をするのなら、私はアナタを許す事は出来ません。アナタの行いを知らない者がいる様に、アナタの行いを知る者もまた、存在するように……だから、私はアナタの行いを知り、その上でアナタを断罪するかどうかを決めます」

彼女の眼には、迷いはない。今までの質問に全てをYESで答えた瞬間、あの白い剣は俺を突き、そして俺は死ぬかもしれない。

彼女が何者でどういう存在かも知らずに、俺は死ぬかもしれない。死にたくない、生き汚い俺が死にたくないと叫ぶ。もちろん、声を出す事も出来ない程に、俺は恐怖し、縮こまり、震えている。

なのに、

「――――何故ですか?」

彼女は尋ねる。



「理解できません―――なぜ、笑ってるのですか?」



どうやら、俺は笑っていたらしい。

理解出来ない?

あぁ、俺も理解なんて出来ない。でも、顔が自然と綻ぶのは止められない。元に俺は微笑んでいる。どういう顔かは想像できないが、顔の筋肉がそう動いている。

彼女は怪訝そうに眼を細める。

「私の問いかけが、それほど面白かったのですか?それとも、それでもアナタはこの状況を何とか出来るほどの力があるというのですか?」

違う。そんなわけはない。

面白くもないし、何とか出来る力もない。もちろん、何とか出来るほどの度胸もありはしないのだ。それでも、俺の笑みは止まらなかった。

だってさ、



俺は嬉しかったのかもしれない。



怖いのに、嬉しかった。殺されそうになっているのに、嬉しかった。別にドMに目覚めたわけでもないけど、俺は嬉しかったのだ。

だから、俺はようやく言葉を吐く。

「………誰も、言ってくれなかった」

彼女は首を傾げる。

「誰もさ、俺を責めてくれなかったんだよ……」

「………」

「あのクソ神の言葉以外で、誰の俺を責めなかった。俺のした事を誰も知らずに、誰も疑問に思わなかった……そして、俺もそれをいい事に何も言わなかった」

「………」

「だから、アンタが初めてだった。俺の事を悪者と疑ってくれた。俺のした事を最低な事だと思ってくれた。それに対して怒ってくれた――――あぁ、そうだよ。答えは一つ以外は全部がYESなんだろうよ……」

ここは教会だ。だから、罪人は懺悔をする機会がある。もちろん、許される場所ではなく、許しを乞う場所でもない。自分の行った罪を告白し、それを誰かに聞いてもらう場所だ。

そして、俺が罪を告白するのは彼女だ。

だから、話す。

始まりを話し、罪を告白し、俺の自分勝手な生き方を話し、彼女の問いに答える。

彼女は俺に刃を向けたまま、何も言わなかった。

正直、表情をまったく変えなかったのは少しだけ意外だった。蔑むかと思ったし、俺を糾弾するとも思っていた。だが、彼女は何も言わずに俺の告白を無言で聞いていた。

死ぬのは怖い。

死にたくない。

あの暗い海の底へと落ちていくのは怖い。

でも、それ以上に俺は話したかった。楽になる為ではなく、ただ聞いてほしかった。

「――――――なるほど、それがアナタの行った罪ですか」

「あぁ、そうだよ」

告白は胸を軽くするというが、俺にあるのは余計に重くなる罪悪感だけだった。そして、俺はどうして一度しか会った事しかない相手に、自分の全てを話しているのだろうか、現実的ではない。

「立ち向かおうとは、思わなかったのですか」

「そんな勇気もなかったんだよ。俺にはね……」

「勇気はないからこその、勇気なのですよ。人は弱い。心が弱い生き物です。ですから、その弱い部分から一歩でも踏み出せれば、それは立派な勇気になるのですよ……そして、アナタはその一歩すら踏み込まなかった」

「そんな、臆病者なんだよ」

「えぇ、臆病者ですね」

酷い言われようだ。でも、反論する気はない。反論するほどの言葉を吐く勇気すら俺には無い。そして、この場で俺を否定する言葉を受け入れる事が心地いい。

「―――――最後の質問です。佐久間大樹という人間に問います。アナタは今までの行いを悔い、今までの自分を悔い、これからの自分を悔い続けるのならば、これだけは聞かせてください」

彼女は、ゆっくりと刃を下げる。代わりに、俺の手を握る。両の手で握り、それを自身の胸元まで持っていき、今まで無表情とは違う、聖母の微笑みの様に健やかな微笑みを俺に向け、尋ねる。



「貴方は――――善い者ですか?それとも、悪い者ですか?」



だから、俺は即答する。

「俺は、悪い者だ」

―――――懺悔終了、ここからは断罪の時間だろう。

害悪の処断は聖女の白き刃。その切っ先は確実に俺の喉へと突き刺さるだろう。そうする事が当然であるように、彼女はゆっくりと俺の手を放し―――



俺の頭を撫でた。



「――――――――は?」

まるで子供をあやす様に、母親の様に彼女は微笑みながら俺の頭を撫でる。それは、濡れたタオルの様に冷たくもない、人の体温の温かさしかない。だけど、その手の温度は心地よかった。まるで何かに救われるような感覚があった。

「頑張りましたね……とても、とても頑張りました」

「何、を……」

「自身の罪を告白するという行為は、とても勇気のある行いです。確かに、アナタの昔は勇気がなく、物事に流されるだけの存在だったのかもしれません―――ですが、アナタは一歩を踏み出しました。とても小さな一歩。でもその一歩を踏み出す勇気はとても大きな一歩です」

彼女は、サクヤは俺の背中に腕をまわして俺の上半身を起こす。そして、俺の視線と同じくらいに合わせる。

「大丈夫です。アナタの行いは間違いでも、今のアナタは間違ってはいません。だから、きっとまだ頑張れます。アナタの頑張りは誰にも知られず、誰に理解出来なくても、それでもアナタは大丈夫です」

もう一度、サクヤは俺の手を握る。

「それに、これからは一人ではありません」

優しく、それでいて力強く、彼女は俺の手を握る。

「私がアナタを守ります」

瞬間、彼女の背後にあるステンドグラスに写る太陽の光が、強くなった気がする。

「アナタを犯す邪神の悪意から、私がアナタを守ります。アナタを傷つける邪神を私は許さない……私は、その為にいる存在ですから」

その太陽の光を背中で浴びる彼女の姿は、お伽噺に出てくる童話の中の天使の様に思えた。神聖的でありながら、それでもこの手を握る彼女の姿は人間で、それに近い形をした天使の形をしている存在。

彼女が何者なのかはわからない。それでも、その姿を前にして俺は彼女を信じられない―――なんて馬鹿な考えは出来そうにもない。

だが、

「守るって言ってくれるのは嬉しいけど……でもさ、アイツは一応神様を名乗ってる奴だぞ」

そう、それが一番の難点だ。全知全能ではないと言っていたが、それでもアイツはこの世界にあっさりと干渉できる存在だ。その力は人間の理解できる範囲を超えていると言ってもいいだろう。そんな奴から俺を守るというサクヤ。

嬉しいけど、それはあまりにも無謀というものだ。

しかし、当のサクヤは俺の心配が逆に嬉しかったのか、ニッコリと笑いながら自分の胸をドンっと叩く。

「問題はありませんよ、佐久間さん。確かにアレの力は強大ですが、それなら同じ程度の存在をぶつけるだけです。その存在は私の味方ですし、アレに対抗できる力はすでに私の中にあります」

「どういう事だ?」

「神を殺せるのは神だけ。それと同等に神を殺せるのは神の力を受け取った者だけ」

サクヤは自分の紅い瞳を指さし、

「これ、『聖痕』って云うらしいんですよ。神との契約の証――――まぁ、私の場合は女神様なんですけどね。その女神様の力があればアレを殺せます。もちろん、彼女本人の力よりは劣りますが、対抗できる手段としては十分です」

まて、女神様?

それはつまり、あれか?

あんなバカげた存在がもう一匹いるという事か?

「なぁ、ソイツは……アンタの言う女神様ってのは信用できる相手なのか?あの邪神みたいに―――――」

「女神様はあの邪神と一緒ではありません!!」

ピシャリと言い放つ。

「それは神に対する冒涜です。撤回を要求します!!」

そのあまりにも強い怒号に、俺はビビりながらも頭を下げる。

「す、すまん……撤回する。いやな、あんな奴がいるなら、それ以外の奴も同じ感じなのかなぁと思ってさ……」

「まぁ……アナタの傍にいたのがアレではそう思ってしまうのもしょうがありませんね。申し訳ありません。怒鳴ってしまって」

今度は、サクヤが頭を下げる。

「ですが、私が断言します。女神様はあんな最低で低俗な存在とは次元が違います。あの方は人徳者ですし、優しいお方です」

余程信頼しているのだろう、その女神様とやらを語る彼女は神を信仰しているシスターの様だった。いや、元にそうなのだろうが―――――



不意に、嫌な空気が頬を撫でる。



「―――――ッ!?」

ゾっとするほどの悪寒。心臓を締め付けられるような冷たい感覚。自分を見据える残酷なまでに醜悪なドロリとした視線。

全てが負、全てが悪意、全てが残酷で醜悪な塊―――それが、近くにいる。

「サクヤ!!」

俺が叫んだ瞬間、視線が無意識の内にステンドグラスへと移った。

そこに描かれていたのは女神が赤子を抱いている絵だった。どこの誰が作ったのかは知らないが、純粋に綺麗だと思えた。それに太陽の光が刺すと尚一層に綺麗だった。

しかし、その絵に一つの影が落ちた。

太陽の光を遮る様に、ゆっくりとしかし徐々に近く、そして大きくなり、太陽の光を全て拒絶するかの様な影―――その影が、ステンドグラスへ



突っ込んできた。



まるでアクション映画のワンシーンの様に、ステンドグラスをぶち抜いて影が教会の中に着地する。その一秒に満たない次の瞬間には割れたステンドグラスの破片が雨の様に降り注ぐ。偶然か神の気まぐれか、その無数の破片は一つとして影には降り注がない。まるで影から逃げるように影の周囲に散らばる。

「――――――実に素敵な会話だったよ」

影が、軋む。

軋む声を上げながら、ケタケタと笑い、ゆっくりと立ち上がる。

「だけど、少しばかり調子に乗り過ぎだよ……それはね、私の選んだ介入者だ。だから、それは私のモノであり、私の玩具だ」

それは、影ではない。

見た目は影だった。しかし、よく見ればそれは人の輪郭をしていた。影に見えたのは、その者が纏う黒い外装のせいだった。

外装、まるで吸血鬼が纏うような外装でありながら、異常に長く、その身体を全て覆い隠す程に長く、異常な外装。よく見れば意志を持つように風もないのにうねるその外装―――そして、それを纏う者もまた、影だった。

「ここで、一つの疑問を上げるとしよう」

だから、俺はその者が誰なのかを理解する。

「人の言葉には異様な魔力が存在する。それが人を傷つける刃にもなれば、人を守る盾にもなり、人を癒す万能の霊薬にもなる。何とも素晴らしき人の戯言、人の叡智、人の身勝手な論理の塊」

想像とはまるで違う、人間らしい形をしていた。

「だが、それは果してその言葉を放った者の力か―――いいや、違うね。人の言葉を癒す為の霊薬だとしても、それは幻想を魅せる毒薬だ」

背丈は俺の腰よりも少し高い程度の背。小学生とほぼ同じ。なのはやアリサと対して代わり映えのしない背丈だった。

「故に、それは救いの言葉ではなく、言われた者が脳内で勝手に高等で綺麗な言葉に変換しているに過ぎない。だから、全ては幻いであり紛いモノだ」

そして、年齢も同じ程度だろう。架空的な幻想的、そして破滅的な黒の長髪を地面に垂らしながら、ソレは―――彼女は黒く歪んだ瞳を醜く歪める。

「だから、それは救いではなく逃げだ。救済の言葉を逃避の言い訳にするだけの人の傲慢な解釈の結果でしかない―――わかるかい、佐久間くん?」

その少女の様な容姿をしながら、人外の雰囲気を醸し出すそれは、俺を見ながら嗤う。

「また、逃げたな?」

少女は嗤う。

「また、勝手な解釈で逃げたな?」

少女は嬉しそうに、滑稽なように嗤う。

「また、懺悔とか後悔とか、そういう下らない感傷で逃げて、そして勝手に救われた気をして、そんな娼婦と一緒に私を殺すとか、そういう話を進めていたね?」

姿は少女、黒髪の少女。身に纏うのは影の外装。それ以外に何も身につけていない様にも見える。元に、彼女は裸足だった。

その裸足がガラスを踏み、傷ついたのはガラスだけ。ガラスは割れるのではなく溶ける。高温で溶かされたように黒い煙を上げながら溶ける。

「あぁ、別に怒ってるわけではないよ。反乱するなり反逆するなり、何でもしたらいい。別に私は構わないよ。だから、存分に足掻けばいい。存分に救われる気になって足掻いて、そして私を楽しませればいい――――でもさ、その女は駄目だ。その女に手を借りるのはちょっと頂けないね」

サクヤが俺と少女の間に割り込むように出る。

「――――まさか、お前がそんな姿をしているとは思ってもいませんでしたよ、邪神」

「あぁ、これね。私もそろそろ楽しみ方を変えようと思ってさ……どうだい、佐久間くん?中々可愛らしい容姿だろう?」

確かに、可愛らしいかもしれない――――もっとも、それが奴でないという場合だけだ。

「反吐が出ますね」

「お前には聞いてないよ、娼婦」

「娼婦ではありません、美女です」

「なら、私は美少女だよ。おばさん」

「なら、年下らしく誰にも迷惑をかけない場所で砂遊びでもしてなさい」

サクヤは敵意、少女は悪意をぶつける。そして、俺は何も言えずにただ呆然と立ち尽くす。

「まったく、女神の奴も趣味が悪いな。こんなババアを傀儡に選ぶなんて」

「あの方の悪口は許しません―――いいえ、お前の口からあの方の事を言う事を禁じます」

「命令かい?」

「命令じゃない。ただ純粋にこう言ってるだけだ」

サクヤは構える。

素人の俺にもわかる様に気配が変わる。

「喋るな息をするな心臓を動かすな生きるな存在するな意識させるな――――貴様の存在を全て否定する」

「酷い大人だ。子供を虐めて楽しいなんてね。でも、いいよ。お前がその気なら、少し遊んでやるよ」

少女の纏っている外装がうねる。細かく分裂し、その一つ一つが蛇のようにうねり、眼と牙を作り出す。同時に、黒髪が無重力になった様に浮き上がり、それが絡まり、まとまり、黒い犬の様な姿を取る。

それが、少女の眷属なのだろう。

黒い蛇、黒い犬、それが彼女の武器であり牙。

対して、サクヤは何も出さない。先程俺に突きつけた剣も出さない。ただ構え、そして睨みつける。

少女は嗤い、挑発する。

「名乗れよ、女神の傀儡」

「そっちこそ、名乗ったどうですか?名前すら与えられなかった―――いいえ、名前すら奪われた哀れな神のなれの果てよ」

「―――――いいだろう。名乗ろう。名乗って戦おう。名乗って笑って笑顔でぶん殴ろう」

黒の蛇が吠える。

黒の犬が吠える。

そして、

「初めまして女神の傀儡。初めまして物語の紡ぎ手。初めまして物語の読み手。初めまして物語の書き手。初めまして全ての存在―――――全ての皆様の祈りを灰にします。皆様の善意を無駄にします。皆様の心の在り所を徹底的に蝕みます」

少女が舞台役者の様にお辞儀する。

「呼ばれてなくても現れましょう。帰れと言われても存在し続けましょう。私は邪神、私は敵、私は悪、私は害虫、私は皆様の敵の中の敵!!」

だが、それは礼儀ではなく、宣戦布告の声。

全ての敵、善意の敵、彼女は悪意を滑る最低な悪。

「さぁ、行くぞ」

それが、名乗りを上げる。



「邪神という役者が故に滑稽に演じよう……神滅餌愚坐――――推して参る」








人質はリリカル~ZEROGAMI~
第六話「開幕地獄」








「―――――――いや、ないだろう」

格好よく言ったつもりらしいが、その名前はないだろう。

なんだよ、シンメツジグザって……普通に読めるわけないだろうが、そんな名前。大体、名前もないからって、そんな如何にもな名前を選ぶアイツのセンスがわからん。

緊迫したシーンのはずなのに、あの名乗りのせいで台無しになった感じだよ。

「なるほど、神滅餌愚坐ですか……」

それでもサクヤは緊迫感を消さない。

奴を睨みつけ、



「敵にしては、中々に格好いい名前ですね―――正直、かなり羨ましいです」





…………………………………………………………台無しだな。












あとがき
前回の次回は~な事が完全に無視ですね。はい。
というわけで、ヒロイン候補登場です。実は、神様もヒロイン候補という真実!!

嘘です

アイツがヒロインになったら色々とバッドエンドにしかならんわね、これ。
それにしても、話が進む程に主人公のヘタレ具合が加速的に進化していきますね。コイツが好感のもてる主人公になる事はありえるのでしょうか、本気で疑問ですわ。
そんなこんなで、次回は「邪神VS天使=主人公空気」で逝きます。バトります。主人公空気です。主人公のバトルはいつになるのですかね~
あと、次回こそ女神様が出る予定ですね

感想、アドヴァイスを大変お待ちしております!!それと、誤字を出さないように頑張ります……(涙



PS、感想が結構溜まったので、そろそろとらハ版に移ろうかな~とか思ってるんですが、どうですかね?まだ早いですかね?
そういえば、そっちの方にも書きかけのもんがあったな………いつか書こう



[10030] 第七話 「否定地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/08 00:32
意志と行動は一貫するモノじゃない事はずっと前から知っていた。如何にその行動が間違っていると感じても、行動は常にしてしまう。そういう風に生きているのが普通だと俺はずっと思っていた。

自分は普通だと、ずっと信じている。しかし、それでも普通というのは世間一般のものではなく、俺だけの普通でしかないのかもしれない。
異常が通常と違うように、通常と異常は恐らく同義だろう。違うは共通であり、共通は違う。
言葉遊びにもなりはしない、そんな無駄な話だ。それでも、無駄でありながらこういう話をする意味は俺だけにはきっとあるのかもしれない。

誰にも理解されなくても、俺だけは理解する。そんな何の得にもならない奇妙な行動が時には必要なのだろう。

意志もなく、確実性もない、そんなどうでもいい行動が何かにつながるのなら、恐らくは無意味ではない。

だから、俺は今日も何かを否定するのだろう。

無意味ながら、ゆっくりと歩く様に、人に備わった感情が少しばかり強すぎたせいで、



今日も、何かを否定する。










先手を取ったのは奴、神様、邪神、神滅餌愚坐―――言い難い上に語り難い名前だ。面倒だからカタカナで行くとしよう。



やり直し、テイク2。



先手を取ったのはジグザ。

どういう仕組みかは知らないが、ジグザの外装兼武器、そして牙である黒い蛇が群れをなしてサクヤに襲い掛かる。その数は十匹、サクヤの退路を全て塞ぎ、尚且つ確実に彼女の急所を目がけて放たれる。

確かに、先手を取ったのはジグザだ。しかし、先手=初撃ではない。一撃=殲滅という意味ではないと同じ様に、先手は所詮、先手でしかない。



ジグザの顔面にサクヤの膝がめり込んだ。



見事なまでのシャイニングウィザード。プロレスではよく見るが、それを実戦で使うなんて、アクション映画でしか見た事がない。それほどの技をサクヤはあの無数に放たれた蛇の群れを何の躊躇なしに飛び込み、その主に一撃を加えた。

先手はジグザ、しかし初撃はサクヤだった。

少女の顔面にめり込んだ膝、メキリと顔面の鼻の骨、そして皮膚の下にある顔の骨が丸ごと陥没したようにめり込み、ジグザの身体が大きく仰け反る。そこに映し出されたのは顔面がしっかりと陥没した顔なし。鼻から鼻血を吹き出し、歯が折れ口から唾液の混じった血を吐きだし、眼球が白い色に変わる。

そして、そんなグロテスクな奴の顔を見ながらも、俺の視界はしっかりと膝を放った影響でめくり上がったサクヤのスカート、そこから見える白い太ももをしっかりと目に焼き付けているというのは、この際は関係ないだろう。

とにかく、確実に一撃は一撃だ。

ジグザの身体が人間ってこんな風に飛べるのかと思えるほどに吹き飛び、教会の壁に叩きつけられる。普通なら重症で、レフェリーストップがかかるが、これは実戦。そんな都合の良い存在はいやしない。

サクヤは即座に駆け出し、右手を振り上げ、壁にもたれかかっているジグザの腹部に抜き手を放つ。

少女の腹部に抜き手がめり込み、それを捻り上げ、小さな体を片手一本で持ち上げ―――そのまま身体を床に叩きつける。

どんな腕力してるんだと聞きたくなるほどの爆音と共に床の真下、大穴が開くほどの勢いで叩きつけられたジグザの身体はくの字に折れる。そこへ、もう一撃。今度は左手で握り拳を作り、それを一切に手加減をしてないだろう一撃として撃ち放つ。

衝撃と同時に粉砕。

くの字に折れた身体が衝撃を殺しきれずに宙に浮く。

あぁ、死んだな――――そんな楽観的な考えをした俺は馬鹿だ。

確かにジグザは致命的なまでの攻撃を受けたかもしれない。しかし、それは人の人との戦いの場合だけ。相手は人ではなく邪神。化け物ではなく邪神。

故に、ジグザは嗤う。

身体が宙に浮いた瞬間、彼女の纏う外装から生まれた蛇が一直線に天井へと伸び、天井を突き破り、ジグザの身体をワイヤーで吊るす様に引き上げる。引き上げられながらジグザは態勢を整え、天井に着地する。

四本足の生き物のように、その手足にタコの様に吸盤が付いている様に、天井に張り付く。

そして、破壊された顔面をグルリと回す。横に回り、九十度ではなく百八十度ほど回し、首から何かが折れる音が響く。しかし、そんな化け物の様な事をしながら、サクヤに向けた後頭部にある黒髪が急激に縮み、後頭部の髪の毛がなくなり、ツルツルのハゲになる。その後は実にホラーな光景だった。

ツルツルの後頭部に突起物が生まれたと思うと、それは鼻の様な型になり、小さな線が三つ生まれ、その二つが瞼の様に開く。開いた瞼の中には黒い眼球が生まれ、もう一つの線には歯と舌が生まれる。そして、顔面があった場所になくなった黒髪が生えだし、先ほどの様に長髪へと姿を変える。

「――――化け物ですね」

「いいや、神様だ」

化け物だよ、お前は。

「それじゃ、今度はこっちの番だね」

そう言うと、ジグザの髪がうねりを上げる。黒髪がジグザの身長よりも大きな犬の頭を作り出す。

「ほら、餌だ」

黒髪―――黒い犬は巨大な牙のある口を広げ、意志を持つようにサクヤ目がけて襲いかかる。その際にジグザの黒髪は無限と思えるほどに伸びる。

サクヤは小さく舌打ちしながら飛ぶ。後に飛び、着地した瞬間にもう一度飛ぶ。それを追いかける黒犬はホーミングミサイルの様にサクヤを追う。その姿は犬というよりは蛇であり龍にも見える。

巨大な口を広げてサクヤの身体を噛み砕かんと襲い掛かる。だが、黒犬が口を大きく広げた瞬間、サクヤは黒犬目がけて飛び、黒犬の頭を掴んで身体を一回転させる。その後はまさに人間離れだった。

回転し、着地したのは黒犬の頭―――ジグザの髪の毛の上だ。そして、あろう事か彼女はその髪の毛の上を走る。綱渡りよりも異常な人間離れした姿にサーカスの人もびっくりだ。それ以上に俺は開いた口が塞がらない。

髪の毛を足場に天井に張り付いたジグザ目がけて一直線に走る。しかし、そんな異常な光景でもジグザの笑みを消すには不十分だった。

サクヤの足場が崩れる。黒髪が急にプツリと切れ、サクヤの身体が重力の世界に送り込まれる。その瞬間を狙ってジグザは天井を蹴りあげると弾丸の速度でサクヤに向かって突っ込む。

ズンッという音が響く。

ジグザの速度、重力、そして脚力の合わさった頭突きがサクヤの腹部を撃ちつけ、そのまま地面に叩きつける。

木の床がめくり上がり、ホコリが周囲に立ち込める。その中から飛び出したのはジグザ。曲芸師の様に空中で回転しながら飛び、着地する。着地と同時に俺に向かってピースサインを送る。

「どうだった?私って凄いだろう」

瞬間、ホコリが風に切られるような音によって切り裂かれる。巨大な何かが風を切るような音がしたと思ったら、ジグザの身体が横に薙ぎ払われる。

ジグザの身体を襲ったのは教会の長椅子。五人は座れるであろう長椅子を片手で持ち上げ、それを真横に振るったのは当然サクヤであり、それを叩きつけられたジグザの身体はもう一度壁に叩きつけられた。

サクヤは振るった長椅子を更に振り回し、二回、三回と身体ごと回転させると―――それをジグザ目がけて放り投げる。

弾丸の様な速度を出しながら迫る長椅子。だが、それは不意に空中で静止し、バラバラに分解される。長椅子がジグザに迫った瞬間、真横から黒犬―――今度は顔だけでなく胴体も完成された完全で巨大な黒犬が長椅子を咥え、噛み砕く。

「いい子だ……」

ジグザは自分の叩きつけられた壁、そこに掛っている十字架、およそ三メートルの物体を小さな手で掴むと、メキリと音を立てるほどの握力で掴みあげ、十字架をサクヤ目がけて投げる。十字架はブーメランのように回転しながら飛んでいく。それは目の前にいた黒犬の身体をあっさりと両断しても勢いは死なず、周囲の物体を破壊しながら飛来する。

当たれば即死は間違いないだろう。そんな馬鹿げた事を平気で行う化け物がジグザという邪神。だが、それと同等の馬鹿げた事をするのはサクヤだった。

驚異的な速度と破壊力を得た十字架。それが向かうのはサクヤという自称女神に選ばれた女。その彼女は襲い掛かる十字架を受け止める事はせず、



回転したままの十字架をキャッチし、そのまま更に勢いをつけてジグザに投げ返した。



「嘘ぉ!?」

これは俺の声。

「やるぅ!!」

これはジグザの声。

ジグザは驚愕する事もなく、飛来する十字架を蹴り上げる。殺人的な勢いの十字架をあっさりと蹴り上げ、十字架は天井へと突き刺さる。

「信仰心が足りないね」

外装に変化が起こり、そこから出現する無数の蛇が一つの塊に変わる。その塊は巨大な拳の様に変化し、真っ直ぐにサクヤ目がけて放たれる。

それを正面から受け止めるサクヤ。しかし、その勢いを殺し切る事は出来ず、床を削りとりながら後退させられる。その間にジグザは走る。自身の放った巨大な拳を追い抜き、サクヤの背後を取るとその背中を掴んで持ち上げ―――顔面から壁に叩きつける。壁に亀裂が走り、サクヤの身体が壁にめり込む。

「壁とキスしろ。激しくね!!」

サディスティックに笑うと、サクヤを壁にめり込ませたまま、ジグザは壁に手を当てて走る様に、サクヤの身体を打ちつけた壁を真横になぞる様に疾走する。

ガガガガガッと壁のコンクリートを壊しながら走り、角まで来ると方向転換して次の壁へ、更に角へ来るともう一度方向転換、そうして教会の中を壁沿いに一周してサクヤの身体を放り投げる。

床を何度かバウンドしながら、サクヤの身体は並べられた長椅子を次々と倒しながらようやく止まり―――そのまま、何事もなかったかの様に平然と立ち上がる。

「今のは、中々効きましたね……ですが、その程度ですか、邪神?」

「まさか、もっと色々出来るよ。でも、それ以上はR指定になっちゃうからお見せできそうにないけどね」

ケタケタと嗤うジグザに反応したのか黒犬と黒蛇も口をあけて嗤う。しかし、その声はまるでノイズが嗤うよう耳ざわりな怪音だった。

「でも、そろそろ肉弾戦も飽きてきたし……それでは、そろそろこの世界らしく魔法という手品でお相手するとしよう」

コイツら、本当に人間か?まぁ、ジグザは人間じゃないという事は理解しているが、サクヤの身体能力―――最早、身体能力と言っていいのかも疑問に思えるほどの力はかなり異常だ。確か、神様、女神様に貰った力とか言っていたが、俺にはそんな事は出来ない。そんな事も出来るとかジグザの奴が言っていたが、信用できろうにないし、あったとしたら、

「…………あったら、何だってんだよ」

そこまで、人間を辞めたくないっての。

「魔法、ですか……お前の様な存在が魔法などという普通なモノを使うとは、少し意外ですね」

「魔法を普通という時点で、お前は何を上からの発言をかましてるんだよ、盲信者。お前はそんな上位な存在か?いいや、違うね劣悪種が」

「なら、お前は生ゴミだ」

「十分。カラスの餌になる時点で十分にいいじゃないか。食物連鎖の中に含まれるという立派な役割を得た時点で、食えもしない捨てれもしない――――お前の様な紛いモノよりは数段マシだ」

「戯言を!!」
サクヤが仕掛ける。

左手に小さな光の渦を作り出し、それを右手にそえる。瞬間、サクヤの右手に白い手甲が出現し、そこに白刃が生まれる。先程、俺に突きつけていた光の刃がそこにはあった。

対してジグザはその場でしゃがみ、外装を床に這わせると、外装が床に影の様に溶け込みながら黒い水たまりを作り出す。

白刃がジグザの首を狙う。

「戯言は私の大好物だよ」

その白刃を黒い水たまりから生まれた何かによって弾かれる。それは、黒の境界から出現した漆黒の刃、その刃はチェーンソーの様に獣の唸りを上げながら回転し、サクヤへと切り掛る。

白と黒が紅い火花を散らす。

金属同士がぶつかる甲高い音に耳ざわりな合唱が響きわたり、白刃と黒刃が交差、激突、掠り、そして互いを侵食し合う。

「その程度ですか、邪神!!」

「この程度で十分だよ、劣悪種」

足下に広がる影の海を引き連れながらゆっくりと歩くジグザ。彼女は歩くだけで足下に広がる海から自動的に黒のチェーンソーが現れ、それが自動的にサクヤを襲う。反対にサクヤは襲い掛かる刃を一本の白刃のみで防ぎ、壊し、そして切り込む。

どちらが優先なのかはわからない。

サクヤは目の前の醜悪を灰にする為に鬼の形相で襲い掛かり、ジグザは目の前の清浄で遊ぶように嗤いながら遊戯する。

「彼を解放しなさい。さもなければ――――」

「さもなければ殺すか?滅するか?それとも今晩一夜のお相手をしてくれるのかい?だったら相手をしてあげよう。淫らによがらせ、盛大にイカせ殺してやるよ」

「お断りだ」

「それは残念……なら、今夜は佐久間くんと愉快に過ごすとしよう」

いや、断固拒否する。

「悪趣味だな、貴様は……」

「悪趣味?何を言ってるのかわからないな。性の女神っていう存在だっているんだから、そんなに悪趣味と言えるものではないと思うけどね。あぁ、そっか――――処女の嫉みかい?」

剣劇は更に勢いを増し、周囲のモノを破壊しながら演武は続く。それを俺はただ呆然と見ているしか出来ない。あんな暴力の渦に突っ込むような自殺願望はないし、飛びこんでどうにかなる程度の問題でもない。

故に、俺は指先一つ動く事もなく、こうして二人の殺し合いを見続ける。

そんな俺の視界が、不意に霞んできた。

「…………あ、」

視界が霞むだけではなく、聴覚も世界の音を遮断するようにゆっくりと世界の音を消していく。身体の感覚全てが世界から切り離さられる様に麻痺していく。

自分が立っているのか、それとも倒れているのか、起きているのか、寝ているのかもわからない程に、全てが霞んでいく。

霞んで白く、霞んで青く、霞んで赤く、霞んで黒く、その後はずっと黒く、黒く、黒く―――そして、光輝く様に白く光る。



世界が、俺を切り離す。





子供の頃の俺は、一体どんな子供だったのだろうか、俺自身も覚えていない。それでも、今よりはきっとマトモな自分だった気がする。

そんな、そんな気がするのは、今の俺が嫌いな証拠なのだろうか?

『―――――否定してはいけないよ』

誰かが、そう言う。

『過去の君も、今の君も、全てが今の君を作り出す大切なパーツの一つだ。そのパーツを否定してしまっては、誰が君を肯定するのかが分からなくなってしまうでしょう?』

「アンタ、誰だ?」

誰かが、俺の記憶を覗いている。

自分の頭の中にチューブの様なモノを刺され、それが脳みそをいじくり、過去の記憶を覗き込むように、痛みもない奇妙な感覚が頭を襲う。気持ちが悪い、感じるのは唯それだけ。声の主に対してではなく、俺の頭の中を覗き見るチューブの様な、そんな異物が気持ち悪い。

『誰だと言われてもね……名前は君達には聞き取れないだろうし、言ってはいけない決まりにもなってるから、残念だけど答える事は出来そうにないんだ――――すまないね』

いや、別に謝ってもらう必要はないんだが……なんだか、妙に罪悪感が生まれる。声の主に反する行為をする事自体が罪の様な、諸悪の根源と言われるような、そんな後ろ向きな想いが心の中を蝕む。

『でも、一応彼女からはこう呼ばれているよ――――女神ってね』

この声は、男ではなく女の様な声。正確に聞きとる事は出来ないが、耳ではなく頭でもなく、心に聞こえる声がその者の声をノイズ混じりに受信する。

だから、きっと男の様でありながら女でもあるのが、女神という存在なのかもしれない。
そういえば、あの邪神の声もこんな感じだった気がする。まさか、あれが女、しかも幼女の姿をしているとは思ってもいなかったけど。

『別にアレに性別はないよ。ただ、どちらかといえば女性的な部分が多いだけさ。だから、アレは……いいや、彼女は立派な女性だよ』

「……アンタも、人の心ってのが読めるのか?」

『あ、ごめんね。覗く気はなかったんだけど、ここに呼ぶとそうなっちゃうんだ……なんだか、また無礼を働いちゃったみたいで、本当にごめんね』

だから、謝らないでくれ。

また、心が気持ち悪くなる。

「―――――アンタが、サクヤのいう女神様って事か?」

『正直、その呼び方はあんまり好きじゃないんだよ。だってさ、僕はそんな大層な存在でもないし、神聖な存在でもないんだ……ただ、そういう風に出来てるってだけかな?』

それでも、あの邪神―――ジグザの様な悪意は感じられない。

「なぁ、ここって何処だ?」

周りは白い世界。

何もない白い世界。

何もないくせに、何故か俺の脳裏には俺の記憶が散乱する。まるで、ここにいる事は自分の昔を暴露されてしまう、そんなオマケが付くような世界だった。

『君と少し話がしたくてね……少しだけ君の精神を引っ張ってきちゃったんだ』

何でもありだな、神様って奴は。

『さて、何を話すべきかは―――考えてないね。とりあえず、彼女は、サクヤは君に何か失礼な事をしなかったかい?』

「失礼な事って……アンタ、サクヤの事を見てるんじゃないのか?」

『彼女にもプライベートって奴があるだろう?だからさ、僕は彼女に必要な時じゃないかぎり、なるべく彼女の事を見ない様にしてるんだよ』

何て善人的な神様だ。どっかの邪神にも爪の垢を飲ませてやりたいくらいに良心的だ。

『彼女、ちょっと変―――おっと、これは彼女に失礼だね。そうだな……サクヤは、ちょっとだけ真面目だからさ、そのせいで結構他人に迷惑をかける事が多いんだ。だから、もしかして君にも迷惑をかけたんじゃないかなぁって、そう思ってさ』

「――――あのさ、一応聞くけど……迷惑とかかけたら、どうするんだ?」

『別に何もしないけど?ただ、ちょっと注意するくらいかな……真面目なのはいいんだけど、それを相手にも求め過ぎるのが彼女の悪い癖でね』

「まぁ、正義感とかは強そうだけど」

『自分に厳しく、そして他人には優しくが彼女だからね。基本的には相手を甘やかすのが彼女なんだけど、少しでも間違った事をすると、中々厳しい子でね。何度も注意しても治らないんで、少し困ってるんだよ――――それで、サクヤは君に迷惑かけてない?』

まるで、子供を見守る母親の様な感じだな。

「大丈夫ですよ」

だから、何となく敬語になってしまった。

「迷惑とか、全然ないですから……大丈夫ですよ」

『そうか……うん、安心した』

正直な話、最初はサクヤのいう女神という存在がジグザの様な奴だと思っていた。人の傷つく事が好きで、人の苦しむ姿が大好きな、そんなねじ曲がった異常者だと思い込んでいた。だが、この女神様って奴はそんな奴ではなく、確かにサクヤの言うような優しい者なのかもしれない。

『いや、そこまで言われると……照れるんだけど』

………心の中がだだ漏れというのは、そうとう恥ずかしいものらしい。

『別に僕は人徳者ってわけじゃないよ。ただ、そういう風に出来てるだけで、そういうのを人徳者とは呼ばないよ。人徳者っていうのは過去の積み重ねで出来る人の事であって、僕の様に存在した瞬間に、そういうシステムになっているのはそうは言わないよ』

「そう謙遜されると、逆に嫌味に聞こえますよ」

『あははは、そうかな?ごめんね。でもさ、僕はこういうシステムで出来てるから、君達の様に人生を積み重ねて自分を作っていく存在が羨ましい……神とかそういう存在よりも、きっと君達の様な存在が偉大だと僕は思うよ』

「そんな、大した存在でもないですよ―――特に、俺みたいな奴は」

俺は、そんな大層な者じゃない。どこにでもいる様に、どこにでもいる中でも、かなり下の部分に居るような、そんな奴だ。

『―――――サクヤは、君を救いたいみたいだね』

「…………俺を、ですか?」

『そう、君をだ。さっきも言ったように、彼女は優しいし、甘いからね。誰にでも優しいし、誰でも甘い……正直、甘過ぎる所もあるんだけどね』

「そういう割には、うちの神様にはかなりの敵意を抱いてますけどね」

『あぁ、それが問題なんだけどね……これは、完全に僕の失態だね。彼女にも迷惑をかける結果になってしまったよ』

おそらく、女神は軽く頭を押さえているのだろう、疲れている様に溜息を吐く。

『別にさ、僕は彼女と敵対する気は更々ないんだよね。でも、彼女の存在をサクヤに話したら、妙に燃えたというか、嫌悪したというか……ともかく、彼女を完全に敵視しちゃったわけなんだよ。何度も考え直せって言ってるんだけど、彼女も聞いてくれないし……』

これまた、少しだけ意外だった。

「アンタは、アイツの敵じゃないのか?」

『汝、隣人を愛せ―――とまで言わないけど、別に敵というわけでもないよ。何度か争った事はあるけど、別に今は彼女を敵だとは思っていないさ。彼女にも彼女の楽しみや生き方―――存在の仕方がある。だから、僕は彼女を否定しないし、消去する気もない。でも、結果的にサクヤが彼女を滅しようとしているのなら、残念だけど僕には止める権利はないんだよね、これが』

「矛盾してませんか?」

『矛盾しているよ。でも、これが僕の存在限界だよ、佐久間大樹さん……』

まるで、自分がサクヤにあれこれ言う権利がないような言い方だった。神を名乗るのなら、人の一人を止めるくらいなら簡単に出来そうなものなのに。

『人権の尊重っていうのかな?サクヤがしたいのなら、僕はそれを見守るのが役目だからね。この世界に存在する者がこの世界でどう動くかは、その者が決める事。これを放任主義だとは思うけど、僕は管理とかそういうのが好きじゃないんだ』

「―――――はは、本当に俺んとこの奴は大違いですね」

少しだけ、羨ましくて、少しだけ―――嫉妬しそうになる。

そして、この黒い部分も見抜かれてしまうのだろう。

『君は、彼女の事が嫌いかい?』

一秒、二秒、

「嫌いですよ。大嫌いでも足りないくらいに、すこぶる嫌いです」

『そうか……嫌いか』

一体何処にアイツを好きになる部分があったというのだろうか、常に傲慢で、常に誰かを傷つける事しか考えていなくて、そしてそれを最高の楽しみにしているような奴が、誰かに好まれるなんて事はあり得ない。

絶対に、あり得ない。

『――――確か、君は彼女に連れられてこの世界に来たんだよね?』

黙って頷く。

『そうか………君の様にこの世界、色々な世界に迎えられた存在は沢山いる。常にではなくて時折だけど、そういう神に選ばれた存在っていうのがいる。それが君の生きていた世界の様に現実である時もあれば、この世界の様に架空に繋がる事もある。今回、君が選ばれたのは架空の方だったけど、実際は現実とそんなに変わりはしない』

それは、わかっている。

この世界は架空でありながら現実だ。

人は生きて、人は死ぬ。

なんら代わりのない世界でありながら、どこか違う世界。だから、ここは牢獄の様でありながら、違和感を感じる道標の世界なのだろう。

決められた道筋を歩く世界であり、現実の様に道標のない世界ではありなえない違和感がここにはある。

そして、そんな道標の世界に俺はいる。

「なぁ、この世界に俺の存在する意味はあるのか?」

既にある道標、その道標はたった一人の為に引かれたレールだ。そのレールの上に存在するのは全てがその一人の為にあるだけの、意味のある様で意味のない、そんなモノでしかない。だから、そんな道端の石ころ程度の自分が存在する意味を、俺は感じる事が出来ない。

「アイツは、この世界に介入しろというけどさ……それに、一体に何の意味があるって言うんですか?」

『意味はない、だろうね。未来が決められた世界では常に決められた道程がある。だから、その道程を壊すという行為は中々に骨が折れる行為だ―――だが、それ故に物語を変えようとする者も多い。この様な世界では特にね』

多分、それが介入者と呼ばれる者だろう。

『困った事に、それでも世界は壊れない。いくら壊そうとも、ねじろうとも、世界は常に形を変えて新しい道標を作ろうとする。それが幸福に傾く事もあれば、不幸を呼び込む結果にもなる―――正しいか間違いかもわからない、そんなどこかおかしな結果がね』

「それを、認めるのか?」

『認める以前に、僕にそんな権利はないよ。神と言っても所詮は部外者だ。この世界はあるべき形を常に持っている。その形を壊すのは神ではなく人だ。そして、壊れた世界に住むのもまた人……きっと、終わらない連鎖なんだろうね』

「………」

『君は、それを認めるのかい?』

「………」

『…………まだ、わからないかい?』

わからない。

わからないから、俺は何かを否定し続けるのかもしれない。

自分の存在が分からないから、何かを否定する。否定している限りは、きっとまだ俺は自分の存在意味を感じなくて済むから、そんな逃げの思考が生まれるのかもしなれない。

死んでも変わりはしない逃げの思考が、

「俺は、俺自身が嫌いです」

『私は、佐久間さんの事は嫌いじゃないよ』

「死ぬ前も嫌いで、死んだ後も嫌いだ」

『それでも、君はそれを良しとしていないからこそ、私は好きだね』

「―――――なぁ、アンタは俺をこの世界から出す事は出来るのか?」

『出来るね、ちょっと面倒な事が続くけれど、出来ない訳じゃない』

「………そうか」

そこで、どうしてすぐに出してくれと言わなかったのだろうか?

俺は何かに後ろ髪を引かれるような気分になって、その言葉を言う事が出来なかった。

『………もう少しだけ、この世界に留まってみるかい?』

答えられない。

すぐにでも出たいとも、出たくないとも、答えられない。

本当に俺は、何もかもが曖昧だと痛感する。曖昧で答えも出さずに、ただ流れに身を任せたまま、

『また、逃げるのかい?』

アイツの言葉にも答えられない現実を無意味に過ごしてしまう。そんな自分が大嫌いであり、認める事が出来ない自分。

自分を認められる自分というのは、一体どんな感じなのだろうか。そんな考えが出来る人物は、どんな存在なのだろうか。

逃げない人間は、存在するのだろうか?

俺は常に逃げて逃げて、そしてまた逃げ続ける。その結果が起こす未来はきっとロクでもない未来なのだろう。だとすれば、俺はこの世界から――――

『――――――逃げても、いいと思うね』

女神は語る。

『何度も何度も逃げても、別にいいと僕は思っている。怖い事から逃げてもいいし、都合の悪い事からも逃げたっていい。全てを曖昧にして逃げ続けてもいい』

逃げるという行為を肯定する。

『逃げて、逃げて、逃げて――――そして、きっと佐久間さんは元の位置に戻ってくる』

「それで、また同じ事を繰り返すか?」

『いや、そうじゃない……逃げて、何度も逃げて、そしてぐるっと一周したのなら――――きっと、最初に逃げた事態から逃げる必要のない自分が出来ているかもしれないよ』

「………」

『人は学習するし、積み重ねる生き物だろ?だから、逃げる分だけきっと強くもなれる。最悪は常に上に行く。しかし、過ぎ去った最悪はもう最悪ではなくなる。そうすれば、最初の最悪などは最早その程度の最悪でしかないだろうね……だからさ、佐久間さん』

その時、俺の頬に見えない誰かの手が触れた気がする。

『逃げてもいい。逃げてもいいけど――――既に起きてしまった最悪は、本当に逃げる必要のある最悪かい?』

温かい、安らぎを感じる温かさだった。

『無理に進む必要はなくても、無理に逃げる必要はない。一度逃げた事はすでに学習しているはずだ。だから、きっとその時には別の自分がそこにはいるはずだ。逃げた自分とは違う形の、同じような自分がね』

女神は笑っているのだろうか。

優しい笑顔を、想像してしまう。その笑顔が誰よりも優しい笑顔の様に、手を伸ばして掴んでしまいたい程に、眩しかった。

それ、なのに……

そうだと、しても……



「――――――それは、納得できない」



俺は、常に何かを否定してしまう。

『ふふ、やっぱりそう言うんだね、君は』

女神は気を害した様子もなく、ただ笑う。

『うん、佐久間さんはそういう人なんだろうね。誰かの言葉では納得できない。それを一つの案として受け入れても、案としか見ない。誰かの意見を受け入れる事はなく、常に一つの案としか見ない人間なんだよ』

常に否定する。

「すみません……」

何て自分勝手な奴なんだろうな、俺は。

『いやいや、それでいいんだよ。サクヤにも少しはその姿勢をもって欲しいものさ。彼女は僕の意見を絶対視し過ぎる傾向が強すぎてね……まぁ、僕が甘やかせ過ぎたせいもあるんだろけど……』

「そんな事はないですよ……俺みたいな奴にはならないほうが、いいに決まってますから……」

『あまり自分を卑下する必要はないと思うよ。それは短所でありながら長所でもあるんだよ、君のね』

俺には短所としか思えないけどな。

『でもね、一応ここでアドバイスしておくけど……あんまり考え過ぎない方がいいよ。考え過ぎた結果、気付いたら事態は全てが手遅れになっている事もあるんだ。だから、考えて考えて、納得出来る結果が見つからないのなら、とりあえず動いてみる方がいい。動きながら迷って、迷いながら動いて、そして全てが最悪になる前に事を済ませ、そしてまた悩むといい。ゆっくり考えながら、迅速に動くっていうちょっと矛盾した意見だけど、それが今の君に合ってる気がするから』

「それで、いつか見つかりますかね……こんな俺でも」

『見つけるさ、君なら。少なくとも、僕はそう信じてるよ。よく言うじゃない、未来は無限の可能性ってね』

白い世界に、微かながら色が宿っていく。

『それに、これはあくまで想像だけど―――君が何かの答えにたどり着いたとき、君はきっとそれを信念として貫く強さを持つよ。それが善であれ悪であれ、君の立派な答えだ。その信念があれば、後は歩くだけ、そして走るだけだ』

色は黒。白とは反対の暗い闇の色。

『―――――それにさ、きっと彼女もそれを理解してるんだろうね』

「は?」

『いや、何でもないよ。独り言さ、独り言』

暗闇は現実の色だとしたら、ここはある意味で天国なのかもしれない。そして、現実はその反対。

視覚が世界を映しだす――――否定するべき現実を。

聴覚が世界の音を拾う――――無数の意思と意見が存在する現実を。

『それじゃ、今日はこの辺でお暇するとしよう……出来れば、サクヤとは仲良くやってくれると嬉しいね。彼女、寂しがり屋だからさ』

誰かが言う。

俺であり、別人である誰かが言う。

否定しろ。

誰かがの言葉が、自分の言葉が語る。

否定しろ。

世界は、未だに戦いの音を響かせる。




―――――否定する事しか脳のない俺なのか、それとも否定する事から始める俺なのか、どちらの言葉を選んだとしても、それは自分自身を擁護する言葉でしかないのかもしれない。いつだってそうだったように、いつだってそう言って自分を戒め、人生を安楽に過ごす方法で生き続けた様に。

きっと、これからも俺は変わらないんだろうな。

なぁ、女神様。

多分さ、アンタが思うような俺は現れないと思うんだよな、実際。否定して否定して、そして何も出来ないまま終わるのが、俺なのかもしれない。

自分の意見を表に出さず、内心で否定しながらも俺は世界に流されるだけの生き物なんだと、そう決めつけてるんだよ。

精々、大層な期待をして、そして裏切られる覚悟だけはもってくれると大変助かるんだよ、マジで……

だから、とりあえず俺はポケットを漁ってみる。手に当たる感触は煙草の箱。煙草を一本取り出し、咥えて火をつけて、吸い込む。

走るなんて無理だ。俺はそこまで行けるような自分だなんて思ってもいない。そこまで俺自身を信じてはいない。

俺がこの世で信じられないのは、自分自身。

だから、



とりあえず、歩く事から始めよう。



ゆっくりと歩く。

壊れかけの教会の中を、危険と安全の境界をゆっくりと歩く。一歩踏み出せばそこは死線。踏み越えればそこは戦場。

邪神と神の御使いが争う戦場に、俺はゆっくりとした歩調で進み、ガタガタ身体が震える。それでも、歩みを止めない。咥えた煙草を千切れんばかりに噛みしめながら、歩いて、歩いて、否定して、

睨み合う二人、その一人であるジグザの背後に歩み寄る。サクヤは驚きながら俺を見据え、ジグザは眼を細めて俺を横で見る。

あぁ、本当に嫌になる。

こんな俺は本当に大嫌いだ。

大嫌いでも、認める事は永久に無理でも、それでも俺は否定する。

ジグザの外装の襟首を持ち上げ、その小さな体を片手で持ち上げる。

「うにゅ?」

無駄に気持ち悪くなるくらいに可愛らし声を上げながら、若干驚いた邪神と視線を合わせる。

「――――帰るぞ」

そう言って、俺はジグザの外装を掴んだまま歩き出す。当然、サクヤが俺の前に立ち塞がり、

「待って下さい!!」

「待たない」

「それはアナタの敵です!!」

「あぁ、敵だろうな」

「なら――――」

それ以上は聞かなかった。ジグザを引きずりながら、俺はサクヤを通り過ぎる。だが、ふと思い出して俺は足を止め、サクヤを見る。

「助けてくれてありがとな。それと、助けようとしてくれて、ありがとう―――――こっからは、ちょっと歩いてみるわ」

嫌だ嫌だと言うのにも、少し飽きてきた―――だから、ちょっとだけ歩くとしよう。

サクヤは納得出来ていないのだろう、何かを言い返そうとして、

「――――え、女神様?どうして止めるのですか!?」

どうやら、女神が何かを言っているらしい。最初は激しく反論しているみたいだが、次第にその声は小さく萎んでいき、最終的には虐められた子供みたいに眼をうるませる。

どうやら、女神も飴と鞭を使うようにしたらしい。とりあえず、今は鞭だろうな。

「それじゃ、またな」

そう言って、俺はまた歩きだす。

壊れかけの教会をゆっくりと歩き、ドアを開くとそこには海が広がっている。

「………君、もしかしてあのクソ女神と何か話したな?」

不機嫌な顔で俺を見上げるジグザ。

「世間話を少々な」

「不愉快だな。今すぐシャワーを浴びて来い。女神臭があって臭い」

「何だよ、女神臭って……」

苦笑しながら、俺は背後でドアが閉まる音を聞く。

「アイツと何を話した?いや、何を吹きこまれた?」

「別に……ただ、ほんのちょっとだけ自己嫌悪しただけだ」

「それにしては、何やら嬉しそうだぞ」

「そう見えるか?」

「あぁ、見えるね。キモイ、ウザイ、こっちを見るな妊娠する」

「―――――はぁ、帰るぞ」

人間、綺麗なモノを見てしまうと自分の小ささを実感するというのは恐らく真実なのかもしれない。だから、俺は軽く自己嫌悪している。

あの邂逅は、出来ればしたくなかった邂逅なのかもしれない。

女神と御使いは互いに綺麗だった。反対に邪神と生贄は互いに醜悪だ。その二つはまったくの正反対の相性だったのだろう。

だから、余計にクダグダ悩んでしまいそうだ。

煙草の煙がゆっくりと世界に溶け込む。

「なぁ、俺って変われると思うか?」

何となく、聞いてみた。

「………前にも言ったが、人は変わる事はあり得ない。変わったと思うのは人の幻想であり、妄想だ。人は変わらない、絶対にだ」

ジグザは俺に引きずられながら、腕を組んで偉そうに言う。

「それに関しては、俺も同感だ」

まったく、最低な気分だ。コイツと同意見になるという事が、これほどまでに最悪な気分になるとは思いもしなかった。

女神は肯定し、邪神は否定する――――そして、俺は恐らく後者の側なのだろう。

この悩みは、一体いつまで続くのかはわからない。

それでも、悩むのはいいが、歩くのを止めるのは間違いだ、それは否定する。嫌だ嫌だと言うのはこれからも何度も続くだろうけど――――嫌だという自分を、その嫌だという重さと意味を、いい加減認める事にしよう。



「――――――反則し、否定しろ」



ジグザが、ポツリと呟いた。

「あ、何か言ったか?」

「……何も言ってないよ」

「そうかよ……」

さて、そろそろ帰るとしますか。

とりあえず、今の俺の帰る場所は―――――






見なれた扉を開き、俺は病室に入る。

「…………佐久間?」

そこには、ベッドの上で読書中の我が主様。

「もう戻ってきたの?一応、もう一日くらいなら休んでもいいと思ったんだけど……」

「一応、大人ですから」

「何それ?」

「いや何、部屋に居ても暇だから、お嬢様の顔でも拝見しようと思いましてね」

もっとも、未だに俺は与えられたアパートなどには行っていないのだが、別にいいだろう。とりあえずは、しばらく俺が厄介になるのは彼女の元であり、そうする事が俺の意志ある。

暗い海の中で、俺は彼女の存在を鬱陶しいと言っていた。それに関しては間違いはない。こうしているだけで罪悪感はあるし、逃げてしまった方が楽にはなるだろう。だが、それでは俺が納得できていない。

納得できないのなら、俺は否定する。

どうやら、それが俺なりのやせ我慢らしい。

「………アリサ」

そのやせ我慢の延長として、俺は精一杯の笑顔を作りながら、



「―――――ただいま」



現状、俺の帰るべき場所に帰るわけでして―――――








人質はリリカル~ZEROGAMI~
第七話「否定地獄」








―――――何て事をしていると、突然俺の背後で扉がやかましい音を響かせながら開かれる。



俺とアリサが同時に扉の方と見ると、

「やぁやぁ、お二人さん。素敵でストロベリーな空気を醸し出している最中に申し訳ないが、ここいらでちょっと空気を大ブレイクさせたい乙女が参上ですよ!!」

何故か、黒の外装からナース服に着替えたジグザがいて、

「初めまして綺麗なお嬢さん。初めまして物語の紡ぎ手。初めまして物語の読み手。初めまして物語の書き手。初めまして全ての存在―――――全ての皆様のスイーツな雰囲気を灰にします。皆様の期待を無駄にします。皆様の心の在り所を徹底的に蝕みます」

相変わらずの舞台役者の様に下らない戯言を吐きながら、

「呼ばれてなくても現れましょう。帰れと言われても存在し続けましょう。私はお邪魔虫、私は敵、私は悪、私は空気の読まない女、私は皆様の敵の中の敵!!」

無駄にハイテンションに叫び散らし、

「幼女という役者が故に滑稽に演じよう……神滅餌愚―――――」



ガンっと音を立てながら、俺は扉を強制的に閉める。



「…………ねぇ、今の誰?」

「さぁ?春だからさ、ああいう頭に蛆が湧いた輩が多いんだろうな」

「ねぇ、今のって……」

「気にするな、目に毒だ」

「でもさ、今のって……」

「忘れろ。綺麗に終われない」

「でもさ…………え、本当に何、今の?」



早く流れろ、エンディング!!









あとがき
最近、題名とまったく関係のない話になって気がします。
ども、散雨です。
気づけば一話の量も微妙に多くなってきました。前に書いてたモノ並になってきましたね。まぁ、内容は薄いですけどね。
とりあえず、ちょっと主人公が一歩踏み出しました。ヘタレからちょっとヘタレに前進できなのかな~という感じです。まだヘタレです。
型月風に言うのなら、主人公の起源は「否定」です。なんてタチの悪い奴なんだろうか、この男は……
次回は「路線変更、ギャグに走る」で行きます……………いや、駄目ですよね?

感想、アドバイスをお待ちしております。



[10030] 第八話 「別離地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/03/29 23:27
「――――――結局、お前は何がしたいんだよ?」

「何がしたい?決まってるさ。私は君を愛してるのさ」

「気持ち悪い事を言うな」

「うわぁ、酷いね……こんな乙女の戯言をそんなあっさりと切り棄てるなんて、人のする事じゃない。私は大いに傷ついた。損害賠償を要求するよ」

損害賠償なのか、乙女の心ってのは?

いや、そもそも乙女でも何でもないだろうが、お前はよ。

「大体、お前のいう愛してるってのは、どうせ副音声が入ってる様なもんだろう?もしくは当て字でもあるんだろう――――愛と書いて憎しみと読む的な……」

『許さない』と書いて『離さない』と読むように、『解体』と書いて『れんあい』と書く様に、そんな当て字だ。

「あぁ、そういう考えもあるね。よくあるよね、そういう当て字―――あれ、でもあれって当て字でいいんだっけ?他にも呼び方があった気がするけど」

「どっちでもいいだろう、そんな事は……」

「いいや、どうでもよくないね。何事にも曖昧はよくない。だからと言って完璧もまた良くない」

「矛盾してるぞ」

「矛盾はしていないさ。完璧すぎるとつまらないし、曖昧すぎると面白みに欠ける。だから、その中間が一番いいと思わない?」

「思わないな。だったら、その中間ってのは一体なんだよ?」

「どんな言葉でも合うだろうさ……だから、実際な話、中間って言葉には曖昧も含まれるし完璧も含まれる。普通という言葉も含まれるし、凡庸という言葉も汎用という言葉も合う。後は………そうだね、妥協という言葉も合うね」

何となく想像はできた。つまりは、この話には対して意味がないという事実だ。いつもの様な無駄な戯言が続き、最終的には時間の無駄という結末になる。

まったくもって時間の無駄だ。

「だからさ、この世界には完璧な正義もなければ、曖昧な悪もいない。凡庸な善意も存在しなければ、汎用な悪意も存在しない―――結局は、そういう話だよ」

「――――はぁ、無駄話ってわけか……」

露骨に嫌そうな顔をしていたのだろうか、奴は頬を膨らませながら俺を指さす。

「君ね、私の話はきちんと聞きなさい。先生の話と両親の話と政治家の話はきちんと聞くべきなんだよ?」

「何で、政治家の話も混ざるんだよ」

「何でって………あぁ、君はあれだね?選挙に行かない若者な感じだね?あぁ、嫌だ嫌だ。政治に興味の湧かない若者ってのは嫌だねぇ……」

おい、邪神に選挙に行く行かないで呆れられてるぞ、日本の若者。

「いいかい、佐久間くん」

奴はストローでジュースを啜りながら、片目で俺を見る。その眼はどこまでも黒く、日本人の様な黒眼でありながら、人間味のない暗過ぎる黒眼で俺を見る。

「これはね、曖昧っていう意味にも繋がる話だよ。選挙って言うのは誰でも知っている様に選ぶという行為だ。王様を選ぶ選挙もあれば、罪の良し悪しを選ぶ選挙だってある。生きている限り、確実に人は選挙する生き物であり続けるんだ。その選挙を曖昧にするっているのはどういう事かわかるかい?そもそも、君達が選挙に行かないという事がどういう事かわかるかい?」

「――――知るか」

アルミ製の灰皿に煙草の灰を落とす。



「回答は――――どうにもならない」



「おい……」

「そう、どうにもならないね。まったくどうにもならない。君にはまったく関係のない個所でどうにかなっても、実際は君の周囲はどうにもならない」

驚き過ぎて危うく煙草を落とすところだった。

「お前ってあれだよな……自分の発言に何の責任も持たない奴だよな」

「当たり前じゃないか。発言は所詮は発言だ。どれだけ意味のありそうな発言をしたからと言って、それを受け入れるのも、受け入れないのも自分とは違う別の人間だ。だから、私は自分の発言に責任は持たない。だから、好き勝手に戯言を吐き散らし、そして好き勝手に笑い続けるだけ――――でもさ、選挙はそうはいかないだろう?選挙って言うのはそれを口にした者が必ず守らなければならない絶対厳守の誓だ。それを達成できなければ批判をくらうし、人としての価値も下がるね」

たまにだが、コイツの言葉の連結作業は尽くがおかしい気がする。

「選挙で選ばれた政治家って言うのはそういう責任があるんだよ。でもそれを選んだ人達に責任はない。選挙権に責任があると誰かが言うけれど、それは間違いだ。彼等が選んだ政治家の言葉には嘘偽りが多重していたとしても、それは普通で凡庸な事実さ。就職の面接だってそうだろう?あれはある意味では企業と個人の騙し合いに近いからね。もっとも、騙そうと面接来ている人もまた、面接官に騙されてるという事実もぬぐえない。そんな曖昧な世界なんだよ――――おっと、話がそれたね。かなりそれてる……つまり、最終的な意味では、選挙で選ばれた方には責任があっても、選んだ方には一切の責任がないって話だよ。だから、誰が選ばれても何も影響はない。昔はそうかもしれなくても、今の現代でそうそう可笑しくなるのは、ほんの一握りの世界だけさ」

なんだろうな、コイツの発言は政治のせの字の知らない奴が、世間を斜めから見て偉そうにふんぞり返っている奴の発言に聞こえる。

長い話をしていても、その中身には一切の理論的な部分がなく、単純に自分の言葉が絶対に正しいと思い込んでいる、そんな奴に見える。

外にいるからこその発言なのか、それとも内に絶対に入らないという確信があるからなのかはしないが、そういう発言をする奴を、俺はあまり好まないのは事実だ。

そんな事を言っている今の俺も、もしかしたらそういう人種かもしれないが、それはそれだ。あまり追及してほしくない。

「――――でもね、佐久間くん。この話にはちょっとした落とし穴があるんだよ」

お前の話にオチがなくて、落とし穴しかないというのは重々に承知している。

「こんな曖昧な事でも人生はそこそこ楽しく回る様に出来てはいるけどね、その行為には確実に責任があるんだよ。言葉は言うだけで、誰にも聞かれなければ独り言でも、それを誰かに向かって言うと責任がある。選挙で誰も選ばなくても責任はないけれど、その報いは連鎖するんだよ」

ストローの先には何もないのか、空の容器からズズズッという音が鳴る。

「どうにもならない結果になったとしても、結果的には必ずどうにかなる様に世界は出来ている。君が投票しないという小さな結果からも必ず結果は存在する。その結果は善し悪しを関係なしに確実に君の身に降りかかる様になってるのさ……意味はなくてもいい。でも、この言葉だけは一応頭に入れておきたまえよ?」

だとすれば、きっとコイツの何時もの無駄話もいつか関係のある時がくるという事なのかもしれない。それが良い出来事ならいいが、大抵は悪い事にしかならないのだろう。

曖昧は面白みに欠ける。しかし、大抵は曖昧に出来ている。

俺はいつも曖昧なのだろう。

曖昧に時間を過ごし、曖昧に世界に住み続ける。それが悪いわけでもないのだが、何時か俺にも曖昧に出来ない時が来るのかもしれない。その時、俺は完璧を選ぶのか、それとも曖昧を選ぶのか―――今はまだ、わかってはいない。

だが、それでも結果はおそらく変わらないのだろう。

一個人の曖昧が世界を滅ぼす事もなければ救う事もあり得ない。そもそも、これは俺の物語ではないので、俺が曖昧を選択したとしても、結果的には曖昧で辻褄は合ってしまうのだろう。

だから、俺はとりあえず曖昧になっている事をもう一度聞いてみる。

「それで、結局お前は何がしたいんだよ?」

会話は初めに、

「だから、私は君を愛しているんだよ?」

どんな言葉も意味は同じ、結果は曖昧、

「その当て字は?」



「私は、君を――――愛してる/嘲笑う」



そんな、意味のない会話。

とりあえずは曖昧な今。

そして、俺達の座っている席のある伝票。

そこに書かれている金額は―――――

「曖昧には出来ないよな」





ワンホールケーキ×5、オレンジジュース×3、コーヒー





本当に化け物だな、この邪神は……








教会での馬鹿騒ぎから二日後、アリサは病院から自宅へと移された。当然、俺も病院からアリサの家に移り、現在は彼女の世話係としているわけだが、これはある意味ヘルパーに近いのかもしれないと思いながら、鮫島さんに本当に俺でいいのかという確認を取る。

なにぶん、こっちは介護―――怪我人の身の回りの世話などした事がないずぶのド素人である。だから、こういうのは手慣れた人のほうがいいのではないかと言ってはみたが、なんでも彼女からのご指名らしい。

それは断れないよなぁ……と、半ば諦めながら俺はアリサの身の回りの世話をする事になった。

とりあえず、現在アリサは自力での歩行が不可能のため、車椅子での移動を余儀なくされている。俺はその後ろで彼女の車椅子を押すのが仕事。後は高い所ある物、遠い所にある物を取るのが基本的であり、当然ながら風呂などトイレの世話などは断じて出来る筈はない。

そこら辺はあれだ……うん、あれだよ。だから、あれなんだよ……………

「君は何をブツブツ言ってるんだい?」

「人の尊厳を守る為の必要な行動だ」

「そうかい、それは良かったね」

そして、俺の横で真昼間からワインを瓶ごと飲んでいるジグザ。

コイツもどういうわけかバニングス家の使用人として働いている―――いや、正確に言えばそういう認識をさせているというのが正解だ。

何でも、暗示やらなんやらをかけて、周りの人間にそういう意識をさせているらしい。何でもありだと思うな、神様ってのはよ。

「おい、一応お前もここの使用人だろうが……働けよ」

「今は休憩中だよ」

「昼間から酒を飲むな」

「こんな安物で酔うほど愚かではないないね」

安物って……それさ、確かにうん十万とする高級なワインだった気がするんだけど。

「味は悪くないんだけど―――まぁ、今の時代ではこんな物だね」

「ワインの生産者が聞いたら激怒しそうなセリフだな」

「神すら満足に出来ない者が、人を感動させられる酒など作れるはずがないんだよ」

「まるで、お前等が人よりも下な発言をしている気がするぞ?」

「あながち間違いでもないさ。けど実際さ、どっちが上なんて比べる必要もないんだよね、これがね……」

意味深な発言をしながら、空になった瓶を空中に放り投げ、ジグザは口を開ける。落下してくる瓶をその小さな口―――蛇の様に小さな口で瓶を丸のみする。

「――――どうだい、エコだろう?」

「グロだな」

お前は○ッちゃんか?

そんな人間離れな事をしているジグザは猫の様に身体を伸ばし、

「さて、私はこれからお昼寝タイムにはいるから、勝手に色々と遊んでいていいよ」

「俺は仕事があるんだよ」

「そいつは重々。働かざる者、食うべからずってね……働きたまえ、勤労青年」

果して、二十を越えた男を青年と呼ぶべきかどうかは知らないが、ジグザはよくわからない力を利用して地面にズブズブと沈んでいき、消えていった。だが、これで俺が自由に行動できるわけではなく、恐らくは寝ていても俺がどういう行動をとるかぐらいはしっかりと観察しているのだろう。

監視カメラは常に回っているとわけだな。

「――――佐久間、いる?」

背後でアリサの声がする。俺はポケットのから携帯灰皿を取り出し、吸いかけの煙草の火を消して立ち上がる。

「何か用ですか、お嬢様?」

俺がお嬢様というと、アリサは露骨に嫌そうな顔をする。

「その呼び方、止めて」

「いや、俺は一応使用人だし……」

「それでも駄目。禁止。今度お嬢様って言ったら、一回ごとに減給一万円よ」

それはあれだな、俺が真面目にコイツをお嬢様といえば、一日で一か月の給料が吹き飛び、終いには借金地獄に行く事になる。

「―――――なんか用か、アリサ」

「うん。これから図書館に行こうと思ってるの。だから、一緒に来て」

「了解。それじゃ、鮫島さんに車出してもらうように言っておくから……」

「何って言ってるのよ?車なんて使わないで歩いていくに決まってるじゃない」

「――――歩くのか、アリサ?」

「アンタが歩くのよ」

「だよね、やっぱり……」

どうやら、このお嬢様は散歩が御所望の様だった。




「あ、それ。その隣のと一緒にね……あとは、あれね。二段目の奥の―――そう、それ」

アリサの指示を受けて俺は本棚から本を取り、次々と腕に抱える。その数は現状で十冊を超えている。

「なぁ、この辺でやめにしないか?」

「駄目。あと、この三つ先にある本棚ね」

溜息をつきながらも、アリサの車椅子を押しながら次の棚へと足を進める。

「なぁ、ここってお前が読む様なもんがあんのか?」

そこに並べられているのは経済学やら何やらの読んだら速攻で夢の世界へ行けるような、ある意味で魔導書が並べられていた。

「あるじゃない。見ての通り……あ、そこの『正しい社員の扱き方』と『残業させないチーム術』って奴」

「はいはい……子供が読む様なもんじゃないだろう」

「何言ってるのよ。子供の内だからこそ、こういうのは大切よ。アンタの口癖の『大人』って奴と同じようにね」

「そうかい。確かに大人はこういうのが必要になるけどよ……子供は子供らしい物を読むべきだとも思うけどな」

「子供扱いされるのはムカつくけど、そういうのも読むわよ。しばらく学校にも行けないし、その間の暇つぶしには読書に限るのよ」

確かに、暇つぶしには読書が一番だろうな。

そういえば、俺も通勤の途中に満員電車の中で読書してたな。ハードカバーを読んでた時に、電車の揺れで態勢を崩して目の前の人の後頭部にガスッていう記憶が……あの時、本当に優しい人でよかったよ。俺は泣きそうだったけどね。

その後、俺の両腕で抱えられるだけ抱えた本を借り、持ってきた鞄に詰め込んで俺とアリサは図書館を後にした。

「家に帰る前に、何か飲んでいきましょう」

「俺、金ないぞ」

「煙草買うお金はあるんでしょ?だったら、紅茶の一杯くらいは奢りなさいよ」

「いや、煙草買う金もないんだって……」

現在、俺の財布の中身は空っぽだ。小銭はあるが札は一枚もない。この数日間は基本的に屋敷の外に出なかったので、特に金を必要とする用事はなかった。時折、買い出しの為に外に出る事はあるが、その時はキチンと必要経費を回されるので問題ないが、プライベートに必要な金は持ち合わせてはいない。

いやさ、動物病院での支払いもまだだしね、それを目の前のお嬢様に頭下げて頼むのも、俺のプライド的なものでせいで出来ないわけなのだ。

とりあえずは、早く給料日になってほしいものだ。この感性は死んでも変わらない様に、物語と現実の境は存在しないのだろう。

「アンタさ、この前のお金はどうしたのよ?」

「使った。道端に捨ててあった動物の為にね」

「動物?――――あぁ、そういえばすずかからフェレット拾ったってメールがあったわね。確か、今はなのはの家でお世話になってるとか……」

そこら辺は、やはり道筋の通りなのだろう。

「―――――やっぱり、アイツは淫獣コースなのか……」

「何言ってんの?」

「いや、こっちの話だから気にするな。それで、お金のない俺に何を奢って欲しいんだ?川の水でもいいし、公園の水でもいいし、何なら俺が普段使用しているバニングス家のおいしい水の入った水筒からでもいいぞ」

そう言って、俺は車椅子にかけある水筒を持つ。

「何かが掛ってると思ったら、それって水の入った水筒だったわけ……てっきり、お茶とかが入ってると思ってたんだけど」

「馬鹿にするな。そんな上等なモノは入ってはいない。むしろ入るわけがない!!―――――なぁ、どうして目頭を押さえながら俺から目をそらすわけ?」

「…………ゴメン」

「え、どうして謝るんですか?」

「本当にごめんね、佐久間……私が、私が至らないばっかりに!!」

「道端で何を意味分からない事を言ってくださるんですか!?」

「ちゃんとお金は入れるわ!!だから、だから………」

現在地点、何の変哲もない道通り。

現状、その中で車椅子の少女にお金の話で泣かせ、ちゃんとお金を入れるからという駄目男ぶりを発揮する大人、そしてそれを蔑んだ眼で見る世間の皆様。

心情、俺は泣きそうです。




結局、世間の皆様の視線から耐えられなくなった俺は車椅子をダッシュで押しながら、その辺にある適当な喫茶店に逃げ込んだ。

ぜぇぜぇと荒い息をしながら、店中の奥の方の席に座る。

「――――ちょっと、私はこっち?」

アリサが不満そうに自分の場所を指さす。あぁ、そういえばコイツは一人で車椅子から降りる事も困難だったんだよな。

「あ、悪い」

席から立ち上がり、アリサを抱えて俺の座っていた席の反対側に座らせる。

「こういう時ってさ、お姫様抱っこが普通よね」

「それ以外に方法があるなら教えてくれ」

「あったとしても認めないわよ……………結構、嬉しかったし」

「何か言ったか?」

「何も。今回は特別に私が奢ってあげるわよ。何でも好きなモノを注文してもいいわよ」

「水で」

そう言われてすんなり好きなモノを注文できるほど、人間辞めてない。実際、水でも時間を潰すくらいには丁度いいし、無意識の内に選んだこの席は喫煙席だ。

煙草と水さえあれば、二時間はいける。

しかし、俺のそんな心配りが気に入らなかったのか、アリサは不機嫌そうに眼を細めながらメニューにあるアルコール類の部分を指さす。

「ビール頼んで、真昼間から酒を飲む駄目人間にしてあげましょうか?」

――――っふ、甘いな小学生。

「馬鹿にするな。そんな奴は普通にいるぞ。夜勤帯の仕事の終わりに、朝のファミレスで酒を引っ掛けてるサラリーマンを見る店員と子供連れの視線を受け続けた俺には、その程度では駄目人間とは言えんのだよ」

確かに飲みたい。すごく飲みたい。こっち来てから酒を摂取する機会がまるでなかったため、その手にはかなり涎が出そうだ。実際、先ほどジグザが高級なワインを飲んでた時はかなり羨ましかった。

酒と煙草はある種のコース料理だと俺は考えている。

だが、そんな俺の発言に今度は別の意味でアリサが、

「―――――記憶喪失じゃなかったの、アンタ」

心臓が飛び出しそうなくらいに驚いた。

「……………あれだ、嫌な事ってのは意外と覚えてるもんなんだよ。嬉しい事はすんなり忘れるけど、嫌な事はすぐには忘れない」

そういえば、俺ってそういう感じだったな。記憶喪失設定を完全に忘れていた。いや、意外に難しいもんだな、記憶喪失を演じるって。

まぁ、あんまり演じてる気はないんだけどな。

結局、俺はアリサの行為に甘える結果になり、コーヒーを注文し、アリサは紅茶とケーキを注文した。

アリサに煙草を吸っていいかを確認し、かなり嫌そうな顔をしていたが、そちらに煙を吹きかけないというルールの上で了承を得た。

これは、常識ね。

コーヒーの香りと紅茶の香り、二つの匂いにケーキの甘ったるい匂いが消されているが、それでもアリサはおいしそうにケーキを口に運ぶ。その様子は子供らしい姿だった。とてもじゃないが、経済学とかそういうお堅い書物を読む様な子供には見えない。

煙草の煙を通路側に、なるべくアリサに煙草の匂いがつかない様に吹き出しながら、コーヒーを飲み、店内に流れるクラシックの音楽に耳を傾ける。

何の音楽かはわからないが、穏やかな気持ちにさせてくれる音楽だった。

「――――ねぇ、佐久間って趣味とかあるの?」

「何だよ、藪から棒に……」

「あ、えっとね……ほら、私って佐久間の事とか何も知らないからさ、こういう機会に聞いときたいかなって」

「こういう機会って……そんな機会なら今まで何度も―――」

そう言って、俺は言葉を止める。

機会は確かにあったのだろう。しかし、あの白い病室の中では俺とアリサはどこか壁の様なモノを作っていた気がする。

俺はアリサから感謝される事を嫌がり、アリサは俺のそんな部分を感じ取ったのか、互いの内の部分について、周囲についての事をほとんどは話さなかった。

互いに他人である事を理解し、それでも共に過ごす。

仕組まれた偶然の中で出会った俺とアリサ。その偶然を引き起こして俺と、巻き込まれたアリサ。

その壁を乗り越えた次には、溝がある。その溝が未だに俺とアリサの間にあるのは間違いないだろう。そして、俺はその溝をただ傍観するだけの人であり、アリサは今その溝を飛び越えようと助走をつけている。

「………そうだな。だったら、俺もアリサの事とかあんまり知らなし、ここいらで情報交換するか」

俺もアリサの事は何も知らない。

物語の中のアリサと、その物語の『設定』というアリサは知っている。

設定―――それを、現実で人に当てはめるというのは、何とも嫌な気分になる。まるで、その人が何かに決められた人であるように、誰からもすんなり理解されるような安っぽい人間になっている様にも思えてならない。

だから、俺は少しだけ知りたいのだろう。設定という決められたモノではなく、ここにいる、ここに生きているアリサという設定とは関係のない人間を。

だから、俺は思い出す様な仕草をしながら、

「多分だけど、とりあえずは読書とかだった気がするな。後は映画鑑賞。家で見るよりも映画館で見る方が好きだ」

始まりはそんな所からだろう。

話している内に、何となくだが俺は自分が記憶喪失だという嘘がもう意味のないモノの様に思えてきた。恐らくだが、彼女は俺の嘘を見破っている様に見えるからだ。過去のないという嘘を嘘と知りながら、それでも俺をそういう人物として認識してくれる、それが俺の前で笑ってくれるアリサ・バニングスという少女。

理屈はないし、そうであるという確実な証拠もない。だが、会話の中で感じる気持ちは恐らく間違いではないないだろう。俺の嘘はすでに意味のない嘘になり変わり、それでも彼女は俺の嘘に付き合ってくれる。

だとしたら、屋敷の者達の恐らくはそうなのかもしれない。もしくは、そんな事などはどうでも良いという結果もあるかもしれない。

嘘つきが一人いた所で、あの世界はなんら変わりはしないという自信があるのか、それともその自信と同じくらいの何かが彼等、彼女等には備わっているのは、どちらかはわかりはしない。

だから、俺は自然と言葉に嘘を薄め、彼女に伝える。

少しだけの真実を、

少しだけの過去を、

少しだけの気持ちを、

少しだけ嫌な部分を、

色々な少しだけを混じり合わせ、俺は俺という、佐久間大樹という人間を彼女に伝えていく。その反対に、俺は俺の中にアリサ・バニングスという少女の人間を伝えてくれた。

設定という誰かに作られたものではなく、人生という彼女の九年間から備わった、短いながらも、確実に生きているという意味を伝えてくれる。

彼女は、アリサは生きている。

この架空の中で、その命を確かに輝かせている。

だから、俺は何時の日か彼女に謝らなければならないのだろう。信じられない本当を伝え、その本当の中にある俺の罪を彼女に伝えなければならない時が来るのかもしれない。その日は何年後か何日後か、もしかしたら数分後かもしれない。

その時、彼女はどんな顔をするのだろうか?

嫌われるか、恨まれるのか、どっちにしても良い方向には持って行けないだろう。だが、それでも伝えなければならない。ケジメの様であり懺悔でもある行いは必要不可欠な俺の試練だ。その試練を終えた後は―――



きっと、何かの終わりを迎えるのだろう。



――――――っは、馬鹿馬鹿しい。

口の中に広がる苦味を感じながら、自分の考えを否定する。否定する部分は何かが終わるという一部分。

何を今更馬鹿げた事を言っているのだと、自分で自分を大笑いしたくなってきた。

視線をアリサからそらし、外の風景を目に入れる。この風景は俺の存在している世界。架空で現実で地獄な世界だ。その世界で行った罪は永遠に消えはしない。消えた瞬間があるとすれば、それとは俺が消える瞬間と同義語だ。だから、俺は必ず事実を伝えるだろう。信じられなくても、信じる必要もない突拍子もない絵空事を並びたてる必要もなく、俺はきっと彼女の前から姿を消す必要があるに違いない。

俺のそばには厄病神も裸足で逃げだすほどの邪神がいる。その邪神がいる限り、俺は永遠に誰かの傍にはいられないだろう。

アイツは俺の敵でありながら、この世界に住む全ての敵であり、俺も同様に世界の敵になる厄病神だ。

邪神に憑かれた厄病神。いるだけで誰かの喉元に刃を突き付ける病魔。存在するだけで誰かの命を危険にさせる最低で最悪な感染者だ。

それでも、俺が彼女の傍にいるのは――――まだ、その勇気がないからだろう。

俺の臆病のせいで彼女の首筋には邪神の刃、俺の背後から伸ばされる見えない殺人の意味を常に晒している。

なら、どうする?

彼女を邪神から守るのか?

無理だろう。あぁ、無理だ。

なら、誰かに頼るか?

邪神を殺せる者へと殺人―――殺神を依頼するのが正しい選択肢だというのなら、それもまた間違っている気がする。

「それでね、その時になのはが――――」

耳に響く楽しそうな声が雑音に聞こえてくる。

さっきまでの楽しい時間が一気に別の気持ちになり、胸がモヤモヤしだす。

聞こえるのは、邪神を殺せという誰かの声。聞こえないのは、殺すなという誰かの声。二つの声は幽霊の呪言の様に何かを蝕んでいく。

ジクジクと心を蝕み、ザラザラと精神を削り取り、最終的には―――――霧散する。

答えを出さずに曖昧に、全てを曖昧にして、時間の流れに身を宿すという逃げの思考が生まれてくる。だが、その思考も間違っていると否定する。

だとすれば、どうして俺は奴を殺すという行為が正しいと思えないのだろうか?

「佐久間?」

「………」

「ねぇ、聞いてるの?」

「…………」

何かが終わると俺は想っていたが、実は何かが間違っている。何かが終わるのではなく、終わりは常に継続されている。ゆっくりと足下を削り落し、その後に暗い闇が足下を作り出し、最終的には全てを壊し、終わりが訪れる。

「佐久間!!」

ビクッと俺の肩が震え、アリサの方を見る。

「ちょっと、人の話聞いてるの!?」

「あ、あぁ……悪い、ちょっと……聞いてなかった」

憤怒するアリサに頭を下げる。その時の俺の顔はあまりにも情けなかったのか、怒って当然のアリサが逆に顔に影を落とす。

「ご、ごめん……急に、怒鳴っちゃって……」

「いや、俺の方こそ……俺が、悪いんだから……」

「………」

「………」

そう、世界は常に終わりを続けている。

さっきまでの楽しい時間が嘘のように、俺とアリサの間に暗い雰囲気を作り出す。どちらも居心地が悪そうに、顔をそむけながらカップに口をつける。

足下は壊れ出している。常に壊れ、蝕まれ、そしてその上を歩いているという事実すら忘れてしまう。

世界は常に終わりを続けている。

再生は存在しない。時は進むが戻りはしない。平穏は存在するが、その裏では常に終わりがある。その終わりは連鎖的に病的に進展し、気付けば誰かが感染している。潜伏期間は長く、普通に生活をしているはずなのに、その病魔は一気に進軍を開始する。

楽しい一時に悲しみを、嬉しい一瞬に絶望を――――

温かいコーヒーから湯気が消え、この黒い液体の中身は完全に冷え切っている。それはアリサの飲んでいた紅茶も同様であり、温かいはずの飲み物が今は完全に冷え切っている。

何故、こうも終わりは続くのだろう。

あの時、俺は女神の前で確かに言ったはずだ。俺は、少しだけ歩いてみる事にすると言っていたはずなのに、俺はどうして今……彼女の前で何の言葉をもとうとはしない?

「………」

「………」

俺は、居心地の悪さから逃げるように煙草を手に取る。吸いかけの煙草がそこにあるというのに、俺はまた別の煙草を咥え、火をつける。

心なしか、指が震えている。

震える。

震える。

震える。



それが、アリサの眼に写ってしまった。



「―――――あ、」

アリサの視線が俺から外れる。拒絶するのではなく、彼女が俺の視線から逃げるように、眼をそらす。視線があるはずの片目をそらされ、俺に映るのは包帯が巻かれた片目。その包帯の下にはどんな傷があるのだろう。この先、永遠に消える事のない深い傷なのか、それとも俺が消える頃にはなくなっている浅い傷なのか、俺はどちらを求めるのか、全てが疑問と曖昧に崩されていく。

『人は変わる事はあり得ない。変わったと思うのは人の幻想であり、妄想だ。人は変わらない、絶対にだ』

ジグザの言葉が蘇る。

そうだ、どれだけ歩くと決めたといっても、その道筋がその時点で光に変わるわけがない。舗装されているような歩きやすい道は存在せず、常に凸凹な最悪な道しか残されていない。その道を歩くと決めるという事は、こういう事なのだ。

それを、痛感した。

この二日間は楽しかった―――しかし、そんなモノはあっさりと崩れさる。

煙草はゆっくりと白い灰に変わっていく。何も吸っていないはずなのに、ゆっくりと時間を無駄にするように白い灰に変わっていく。

どうして、何もかもがうまくいくような事がないのだろう。足掻いても足掻いても、その先に必ず光があるとは限らないと知っていても、それでも闇しかないなんて間違っている。
だが、結局は全てが自業自得の結果。

だから、それを覆すには、あの邪神を、神滅餌愚坐を――――ころ



「ねぇ、佐久間……」



気づくと、アリサが片目で俺を見つめる。

「迷惑、なのよね……そうだよね、迷惑だよね」

「…………アリサ」

「―――――眼が覚めてさ、パパとママが嬉しそうな顔をしている姿が、すごく不思議だったんだ。夢から覚めたみたいに曖昧な世界がそこにあったのに、二人の顔だけはしっかりと見ることが出来て……それが、嬉しくて……」

痛々しい姿の少女が、語る。

「なんだか、それがパパとママのおかげみたいに思えて……ありがとう、ありがとうって、言いたくなって……それで、口にしたら二人が喜んでくれて、二人からもありがとうって……そう言われて、嬉しくて……」

瞳が潤んでいた。瞳に涙を溜めて、零れ堕ちそうな涙を必死で耐えながら、

「だから、私を助けてくれた佐久間にも……ありがとうって言いたかった。私を必死になって助けてくれた佐久間にも、私は大丈夫。私は元気になるって、伝えたかったから……だから、ありがとうって、言ったんだ」

アリサは、首を横に振る。

「でもね、佐久間は笑ってくれなかった。喜んでもくれなかった――――辛そうに、無理やり作った笑顔みたいで、すごく辛そうだった……」

俺はあの時、笑えていると思っていた。でも、実際はそうではなかったのだ。俺は全然笑えていない。笑顔の形をしていたソレは、作り物のピエロの仮面よりも不細工で、気持ち悪くて、誰かの心を不安にさせる事しか出来ない、不完全な笑顔だった。

「………最初は、どうしてそんな悲しそうな顔をするんだろうって、不思議に思った。だから、それが知りたくて、無理言って佐久間を私の傍に置いてもらったの……佐久間はやっぱり笑ってたけど、やっぱり笑ってなかった。私の傍にいて、私と話すだけで―――すごく辛そうになってるんだって、わかったの……」

「―――それは、違う」

「ううん、否定しても駄目だよ……否定しても、今否定している佐久間の顔―――あの時と同じだもん」

思わず俺は自分の顔を触る。顔の皮膚が固まったコンクリートの様に冷たく、人の皮膚を触っている感じがしない。

まるで、作り物だ。

「すごく辛そうだったから、きっと私の傍にいるのが嫌なんだって思ってた。だから、ずっと病室に居てくれる佐久間に言ったんだよ?」

何を言いたいのか、何となくわかった。

あの時、病室でもほとんど我儘を言わなかった彼女が、突然言い出した言葉。



『―――――ケーキが食べたいわ』



「………あの時、俺を逃がしたつもりだっのか?」

アリサは静かに頷いた。

「ずっと考えてたんだ……ずっと考えて、ずっと後悔していて……それで、やっぱり佐久間は私の傍にいない方がいいんだって、そっちの方が幸せになれるんだって……だから」

だから、俺を病院から出した。一日暇を出すという名目で、俺を自分の傍から離す為に。

「俺が……俺があのまま戻ってこないと思ってたんだな、アリサは」

「うん、佐久間はきっと戻ってこない。絶対に戻ってこないんだって――――でも、佐久間は戻ってきた。ただいまって……ただいま、そう言ってくれた」

俺は、後悔した。

「それがね、すごく嬉しかった。すごく嬉しくて――――勘違いしてたんだ」

俺は、あの時の俺は彼女の事をどう思っていた?

「勝手に佐久間がここにいていいんだって、佐久間がここにいる事を選んでくれたんだって………でもさ、違ったんだね」

暗い海の底に沈みながら、俺は想っていた。もう一人の俺という勝手な偶像を作り出し、その偶像の俺の言葉が、目の前の少女に向かっての言葉が、今更に突き刺さる。

「お前は、悪くない」

その言葉は否定の色が薄すぎる。

それは、認めると同義語だ。

「悪いのは俺なんだから、お前は……アリサは悪くないんだ……」

悪くないと言うのなら、どうして俺は否定をしない。どうして、お前の勘違いだと否定しない。その勘違いこそが勘違いだと、あっさりと否定すればいい。

「――――――もう、いんだよ?」

壊れる音は声になって響く。

「佐久間が辛いのは……私も嫌。だから、私の我儘にこれ以上付き合わなくていいし、これ以上の我慢は必要ないよ――――だから、」



「ここで―――――お別れしよう」



もう、ただいまは要らない。

もう、繋がりは要らない。

何も要らない。我慢をする必要もなければ、何かに苦しむ必要も要らない。そうすれば、全てが丸くおさまり大団円。

俺も、苦しまなくてすむ。

アリサも、苦しまなくてすむ。

「………」

「………」

一度も吸わなかった煙草を灰皿に押し付け、俺は立ち上がる。財布の中にある金は数えればこの場の会計を済ますくらいなら何とかなる程度。そして、これを払えばもう俺の財布に金はなくなる。

作りかけの絆を消すには十分すぎな値段だ。

伝票を持ち上げ、歩きだす。

アリサが、ポツリと呟く。

「―――――さよなら」

「―――――あぁ、さよなら」

互いに顔を見ずに、俺とアリサは別れを告げる。行ってしまえば実に簡単な最期だ。

先ほど考えていた終わりの時はこうもあっさりと訪れる。訪れは数分後が正解であり、違いがあるとすれば真実を告げず、別の真実を告げられてしまう始末だ。こんな最後は想像していた。もっとも安直な最後で、面白みも辛さも何もない、卑怯な俺をもっと偏屈にしてしまう最低な別れの可能性だ。

不思議な事に、こういう時にジグザの声は聞こえない。アイツなら、アイツなら――――

アイツなら、何をするというのだ?

何を馬鹿な事を考えているのだろうか、俺は。この期に及んで俺はアイツを頼るというあり得ない考えを抱いてしまった。こんな時に、俺はアイツの俺を苦しめる言葉を待ってしまっているのだ。

仮に、ここで前の様にアイツが逃げたらアリサを殺すという脅しを受ければ、俺はきっと嘘偽りの出来そこないの言葉を作り上げて、アリサの傍から離れない様に必死になるだろう。しかし、今はその雰囲気も欠片も存在しない。

会計を済ませ、俺は店のドアに手をかける。手に伝わる金属製の冷たい感触。その感触を確かめているわけではないが、腕が動かない、足が動かない。

一度だけ、俺はアリサの方を見る。

少女の背中は、何も語らない。何も語らない代わりに、何かを耐える様にその小さな背中が震えている。

ドアを、開ける。

アリサを見る。

足を踏み出す。

アリサから視線を反らし、逃げる。

アイツの言葉はない。

店内から出る。

アリサは、もう見えない。

俺は、

空を見上げながら、

後ろでドアが閉まる音を聞きながら、

終わりを感じながら、

ゆっくりと足を踏み出し、

全てから逃げるように、

足を上げて、








人質はリリカル~ZEROGAMI~
第八話「別離地獄」


















――――――――ざけんな









人質はリリカル~ZEROGAMI~
第八話「別離地獄――――だが、人は足掻く」






全てから逃げる足を、反対に向かう為に踵を返す。

店のドアを乱暴に開けながら、俺はズカズカと足を前に踏み出す。

足ってのは常に前に進む為の道具だ。逃げる時も前に進み、前に進む時の前に進み、逃げようとする足を反対に振り向かせるのも同じ様に、全てに向かって突き進む為に前に進み続ける。

馬鹿げている。

あぁ、実に馬鹿げている。

乱暴にドアを開けたせいか、店の中にいる従業員も客も、そしてアリサも俺の方を見る。

『――――あれ?逃げないんだ』

今更、奴の声が聞こえる。その声は実に楽しそうでありながら、微かな驚きも含んでいる。その事実が面白くて、俺は嗤いそうになる。だが、俺はコイツの為に笑ってなどやらない。

『いつもなら尻尾を巻いて逃げるところを、珍しいね。ヘタレの佐久間君には珍しくね』

例え、それが出来そこないの下らない嗤い方だとしても、俺はコイツの為に向ける笑顔などありはしない。

『今更って感じだね。今更戻ってどうする気?今更戻っても君は彼女に告げたじゃないか?その無垢な少女に向かって綺麗に言ったじゃないか……さよならってね』

確かに、俺は告げた。

その告げた少女の前に立ち、俺は真っ直ぐに彼女を見つめる。

「さ、佐久間?」

呆然と俺を見るアリサ。

「どうかしたの?何か、忘れ物とか……」

俺は何も言わずに、黙って彼女を見つめる。

「………え、えっと……」

彼女は――――アリサは気まずそうに俺から視線を反らし、また俺を見て、困惑しながら俺の眼を真っ直ぐに見つめる。

しばし沈黙が続く。

他の客も俺とアリサを見つめ、従業員も同じ様に俺達を見る。

『一度言った言葉は絶対に覆されない。君が彼女に告げた言葉もそうだが、彼女が君に告げた言葉もまた然りってね。あの状況は実にドラマ性があるけど、結局はその程度だ。その程度でも、全てを覆すのはなんとも難しいね―――――君に、その全てを覆す言葉はあるんだろうか……さて、ここで次回に続くっていう手もあるけど……』

他人の視線は大いに気になる。だけど、その気になるっていう程度の視線程度が、その程度のモノが何だというのだろう。

笑える。

実に笑える。

これから、一世一代の、死ぬ前の俺ですら一度としてした事のない最低な行為をしてやる。

覆してやるっての……

「―――――アリサ」

俺は行動を開始する。

羞恥心をかなぐり捨て、他人の視線もかなぐり捨て、ついでに俺に巻き込まれたアリサの都合もかなぐり捨て、勇気という名の馬鹿な想いをだけを持って―――俺は盛大に勢いをつけて身体を下げる。

足を折り曲げて床につけながら、両手を床に叩きつけながらバンっという木の板を叩く音を響かせながら、頭を床に擦りつける様に――――ようは土下座しながら、



「お金を貸して下さい!!」



「…………」
「…………」
「…………」
「…………」



「「「「「「「「「「――――――はぃ?」」」」」」」」」」




何故か、店中の人の声が揃った。

しばし沈黙、その後に盛大にうろたえるアリサ。

「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと!?いきなり何してんのよ!?」

怪我のせいで俺の下げる頭を上げる事が出来ないでいる中、俺は地面に頭を擦りつけながら、

「実は動物病院に借金があって……出来ればさっさと返したいんだが、すぐに金を用意できそうにないんだよ。だから、お前の方で何とかそれを払って欲しんだよ!!もちろん、その金はちゃんと返す!!働いて、しっかり返すから、頼む!!」

どうだよ、邪神。

無様だろう?

「頼む!!この通りだ!!」

「頭を上げなさいよ馬鹿!!」

「いいや、上げない!!」

「恥ずかしくないの!?」

「すっごい恥ずかしいが、背に腹は代えられん!!」

無様で馬鹿らしくて、最低な行為でも―――それでも、この縁を切りたくない、そう思ってしまったんだ。誰かの為に切る縁があるとしても、それで誰かを苦しめる縁だというのなら、俺は無様でも切りたくない。

金の切れ目は縁の切れ目というのなら、金で繋げてやろう。世間的には腐った考えかもしれないが、これで繋がるモノがあるなら大いに結構。

奴は何も言ってこない。呆れているのか、それとも嘲笑っているのか、視覚に映らない奴を見ることが出来ないのでは、確認する事もできない。

だが、俺は言ってやりたい。

こんな無様な俺を見るのが、お前は最高に楽しいんだろう?

「わ、わかった、わかったから!!だから、頭を上げなさいよ!!」

「本当か!?」

顔を上げると、顔を真っ赤にしながらあたふたするアリサの姿があった。その姿はどこか可愛らしく、それを見ていると何だかもっと虐めたくなってきた――――あれ、何か思考がおかしな方向に進んでいく気がする。

まぁ、これだけ盛大に恥ずかしい目にあったのなら、頭も若干ハイテンションにもなるだろうよ、実際。

「………でも、」

アリサは真っ赤になった顔を俺からそらす。

「返すって言ったって、どうやって返す気よ?」

「働いて返すさ」

「どこで働く気なのよ。戸籍も何にもないアンタが働ける場所なんて、どこにもないわよ」

正論だ。正論だが、

「―――――それがよ、一つだけ心辺りがある」

「―――――偶然ね、私も一つだけ心辺りがあるわ」

アリサの視線と俺の視線が交差する。

「この辺りでね。そこそこの裕福な家があるのよ」

「確か、そこで怪我したお嬢様がいるんだよな?」

「それで、その子は私生活もまともにできないくらいの大怪我をして……」

「その子のサポートをする召使が欲しい所だったと聞いてるな」

「違うわよ……でも、もう一人くらいは居た方が楽だとは考えてるみたいね」

「給料はそこそこ」

「三食でアパート一部屋も付くわ」

「採用条件は?」

「男の人で、二十三歳で、煙草が好きな人で――――ちゃんと、笑える人」

「努力する」

「しなさいよ………馬鹿」

佐久間大樹、二十三歳。煙草大好きな男――――笑いが不細工な人間。

アリサは俺に手を差し出し、

「とりあえず、私をちゃんと車椅子に乗せられたら採用よ」

「へぇ、そいつは難関だな」

俺は、その手を取る。

どれだけ変わろうと思っても、どれだけ変わったと思っても、どの選択肢を選んだとしてもその道に安息というモノはあまりない。道は常に凸凹の舗装されていない荒い道しかない。だが、その道を歩いていれば何時かは舗装されている道を歩く事が出来るかもしれない。もしかしたら、凸凹の道になれるかもしれない。

曖昧に事は進む。しかし、曖昧な中にも必ずある意味はそう言うモノなのかもしれない。

とりあえず、未だに俺は歩く程度だ。

歩くには重い荷物は必要で、重い想いを持ち上げる強さを得る必要もある。だから、とりあえずは重いモノを持ち上げる事にしよう。

小さな身体で、その命も重さは万人共通の重さ。軽い命は存在せず、常に一定の重さを持っている。

「――――ほいっと」

両腕に掛る重さは少女の重さ。その重さを感じる様に俺はアリサを見ながら、

「………どうだ、笑えてるか?」

今できる、最高の笑顔を向けて見る。作ろうとするのではなく、勝手に自然に出てきた笑みを採点してもらう。

アリサは俺の腕に抱かれたまま、急に顔を先ほど以上に真っ赤にさせて顔を背ける。

「―――――――六十五点よ。もう少し頑張りなさいよ……」

どうやら、道のりはまだまだ長いらしい。

長い長い道のりがそこにあるのなら、



「おかえり………佐久間」
「ただいま………アリサ」



とりあえず、もう一度始めるとしよう。

誰かの隣を歩くという事を―――――







あとがき
ども、次回予告で嘘を吐く散雨です。
ギャグになりませんでした。シリアスです。なんか題名が二つあります。
以上
え~、次回は「忘れられてた本編主人公」で行きます。
素で忘れてたよ、なのはさん……

感想、アドヴァイスをお待ちしております。




[10030] 第九話「甘美地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2009/08/24 00:16
昔々、ある処に―――そんな感じで昔はある。それが日本の昔話の様に江戸時代っぽい雰囲気もあれば、海外の童話の様に中世っぽいのもあるだろう。しかし、人の一生はそんな書物に書かれる程に大した物ではないし、日記に記すほどの大した物でもない。他人の記憶に残る偉大な人の人生はよく本になって存在するが、それはよくよく考えると他人の歴史を勝手に盗み見る様でもあり、彼等、彼女等があまり知られたくない事を末代まで永遠に語り継がされ、血の繋がらないどうでもいい未来の者にも知られるというはた迷惑な物なのかもしれない。

例えば、ヒトラー。

例えば、織田信長。

例えば、マリー・アントワネット。

偉人だろうね、彼等、彼女等は。しかし、その中身へ結局は人間だ。ヒトラーだって独裁者とか言ってるが、意外とプライバシーを大事にした人だったかもしれない。あの独裁者だってキャラだったかもしれない。そんな恐怖と敬意の対象の人が家族と楽しそうに過ごしている映像が全世界で放映されたら赤っ恥だ。

織田信長だって実は心の優しいツンデレさんだったかもしれない。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスって言うが、実はその後に頬を濡らしながらホトトギスの墓を小さな背中で作り、それを足らの影から秀吉がホロリと感動の涙を流していたかもしれない。そんな人が史実をいい様に弄り回され、人間だったり怪物だったりロボットだったりと、色々とその人の人生を他人に想像させられている。

一番可哀想なのはマリーさんだ。あの人、何をやった人かは俺はよく知らないが、みんなが口をそろえてこう言うだろう。

あぁ、あれでしょう。パンがなければお菓子を食べればいいじゃないって言ってた人だよね?

一度言った事は覆せないのだが、もしかしたら本人も天国では顔を真っ赤にしながら「どうして、あんなバカな事を言ったのだろうか?」とか言ってるに違いないよ―――想像だけどね。

とりあえず、自分の人生なんてモノは後世に残しておきたく無いモノの一つだろう。それが親しい家族や恋人、友人とかならいいが、これが下手に変な事で有名になったら迷惑の一言で済ませられる。

だから、人の記憶は自分で持っているのが一番いいに決まっている。俺はそうやっていたい。出来れば誰かに覚えていて欲しいが、誰もが知っている人間はちょっと困る。俺という恥ずかしい存在が後世に語り継がれたら、俺のいるかもしれない先祖に大迷惑だ。

だとすれば、俺の生きていた世界での俺の扱いは、現在はどうなっているのだろうと、少しだけ気になるが、恐らくは泣いてくれるのは家族だけ、思い出してくれるのは家族だけ。反対もそうであるように、笑ってくれるのは家族だけ、思い出してもくれないのも家族だけ―――今は、それで十分だろう。

こんな話をする意味はない。何時も無意味な独り言であり、愚痴だ。だが、そんな愚痴を何となく口にするという事には意味がある。

人は記憶で出来ている。自分というハードの記憶。他人という外付けの記憶。後はネットの海にあるだろう個人情報という国と社会が管理する心のない記憶。

世界は記憶と思い出で出来ている。あとプラスするとすればトラウマといったところだろうか、つまりはそういう構成に決まっている。

俺、佐久間大樹という人間はこの世界に来てから一か月も経っていない赤ん坊と変わらない。過去の記憶はおまけで、原作知識は蛇足で、現在の記憶は曖昧で、全てが未完成だ。
なら、彼女はどうなのだろか?

この世界で出会った女神の従者。この世界で俺を認めてくれた雪の様な白い女性。この世界で場違いな程に現実の匂いを漂わせる正常と異常の狭間を歩く様な、そんなある意味での異常者はどうなのだろう。

少なくとも、彼女は何時この世界に来たのか、どういう経緯でこの世界に来たのか、何をも目的としてこの世界にいるのか――――それでも、俺が一番聞きたいのはたった一つだ。

薄暗い個室の中で、ドアを挟んで交わした会話。その中で彼女が漏らした言葉が気になり、それに繋がる彼女の推論、全てが理解出来ない奇妙な感覚を持っていた。

理解できるが出来ない。言いたい事はわかるが首を傾げる。

矛盾はしていないが、どこか納得の出来ない、そんな彼女の存在。



「私は、セーブデータみたいなものですから……」



もしかしたら、たった一つの感情のせいかもしれない。俺が彼女の言葉を理解出来ず、否定してしまうのは、彼女に抱いてしまった感情の制御がうまくいかず、俺が俺の思想を押し付けているだけなのかもしれない。

この疑問を抱いた今、俺の世界は大いに変わっている。変わらぬ者は変わり、変わる者は小さな繭を破り、少女は戦いの戦場に足を運び、

俺は、そんな過去の彼女の言葉を思い出しながら―――――







喫茶店での土下座やら何やらで、今日一日で一般人としての何かが崩れそうな事が何どもあったが、とりあえずは一日の終了は借金の返済で終わる。

動物病院の綺麗な先生に借りた金で診療代を払い、とりあえず一つ目の借金は返済済みになった。しかし、金を払いに行った時の先生の顔は少しだけ困った風に笑っていた。どうやら、あの時に払ったお金で十分であり、ツケとかそういうのは冗談だったらしい。野生の動物の治療で金は取らない主義だったらしいが、ならどうして俺からは取ったんだよと声を大にして言いたい。だが、これもある意味では当然の事なのかもしれない。

これはあくまで推測と妄想だが、これが原作の通りに子供だけで行っていたら無料での治療になっていたが、そこに俺がいた。それが人道的なのか一般良識かはわからないが、何事にもお金は必要だという事を教えたかったのだろ…………まぁ、間違ってる気はするがね。これは俺の妄想であり、こうで会ったらいいなぁという程度の妄想でしかない。

だが、何事にもお金は必要だと思う。

子供だから無料とか、子供だから許されるとか、そういう次元で話を進めるのは良くない。責任能力を子供に求めるのは難しいかもしれないが、それでも必要不可欠な事はしっかりと刷り込ませておくべきなのだ。良い事をすれば褒めて、悪い事をすればしかる。俺が子供の頃には他人の家の子供だろうが関係なく、友達の家の親父からよくゲンコツを貰っていたものだ。もちろん、無料で、欲しくもないのにね。

そういう傾向が薄れていくのが最近の社会の歪みだと専門家が言っていたが、それは確かにそうだと思う。子供の成長は両親だけの責任ではなく、その子供と関係を持った者の義務だと考えている。だから、子育ては二人三脚ではなく、三十人三十一脚くらいに盛大に行えば、子供も良い子悪い子選り取り見取りだ。

「―――――あ、また思考が変な方向にいってた」

自販機から煙草を取り出しながら、俺は一人愚痴る。最初は何の話をしていたのかも忘れ、俺みたいな奴がどうして最近の教育社会についての下らない言葉を吐いていたのだろうか。まぁ、そんな事はどうでもいいだろう。

お釣りを取り出し、それを財布に入れる。中にはアリサから借りた金を丸々残されている。子供に土下座して受け取った金だが、これに何も手を着けずに返すというのは――――ないな。何の為の縁か分かったものではない。これは無理にでもあの先生に受けとってもらうべきだったかもしれないと後悔しだし、診療所に戻ろうか迷う。

とりあえずは、買ったばかりの煙草に火をつけながら歩きだす。

夕方もとうに過ぎ去って、今は夜。空を見上げれば星が綺麗で月も綺麗だ。暗闇を怖がる人間が人工の光を作り出すまでは、この小さな光の集まりが人の希望だったのかもしれない。

「うわぁ、恥ずかしい思考だな」

急に恥ずかしくなってきた。心なしか顔も熱くなってきた。頭を振って恥ずかしい思考を消し、俺はまた別の事を思考する為に紫煙を吐きだす。

何を考えるべきか……特にないな。

無意味に歩き、無意味に思考を繰り広げ、その後に変えるのは意味のある主人の家。帰るべき家ではないが、俺が必要としている誰かの家。そこが俺の帰るべき場所………あ、そういえば。

俺は不意に思い出して、歩を早め、走り出す。腕時計の時間はまだ七時前。だが、出来るだけ早い方がいいだろうと思いながら、俺は先ほどの歩いてきた道を逆走する。そうして五分ほど走った所にあった菓子屋があり、俺はそこでケーキを購入する。

そういえば、以前に買ったケーキは台無しになったせいで、アリサにお土産を渡す事が出来なかった。だから、今度こそはと俺は小さな箱に入ったショートケーキを大事に持ちながら走った道を再度戻る。

今度は落とさないように、そして何のトラブルに巻き込まれないように、周囲に気をくばりながらキョロキョロしながら、箱を大事そうに胸に抱えて、

背後から襲いかかる悪魔に俺は気付かなかった。

「ざぁぐばぁざぁぁぁぁん!!!!!」

何の必殺技?という疑問―――どうでも、いいけどね。

腰に衝撃、重心がぶれ、煙草が口から飛び出て、腕から力が抜けて、手からケーキの入った箱が落ち、俺の前に箱が落ち、思わず前のめりになった態勢を直そうと右足が前に踏み出て――――グシャリ、御だ仏、御臨終、お約束、ありがとうございましただ、この野郎。

靴の裏から感じる柔らかいスポンジを踏みつぶした感触と食べ物を粗末にした罪悪感と、俺の背後から襲撃してきた何処の何方かもわからないというか確認でも出来ない上にっていうか、さっきから俺の腰をぐいぐい締め付けて俺を染め殺す気ですかこの野郎―――ってな感じで思いっきり背後にいる人物を睨みつけようと振り向いた。



高町なのはがそこにいた。



「…………」

涙ながらに俺を抱きしめる高町なのはがいた。

「…………」

鼻水を出しながら泣いている高町なのはがいた。

「…………」

泣いてるんだか笑ってるんだかわからない高町なのはがいた。

「………………高町?」

何がどうなってこうなっているかは知らないが、とりあえず目の前、もとい俺の背後に抱きついているなのははちょっとテレビでは放送できません、またのお越しをお待ちしていないので寄るな的な感じで、顔面を涙と鼻水と青春でグチャグチャしていた。

「え、え~と、高町?」

何が何だかさっぱりだ。さっぱりだが、とりあえず俺はなのはの頭を撫でながら落ち着かせようと言葉を連呼する。どうした、とか。何があった、とか。元気か、とか。最近の社会情勢とか色恋沙汰とか色々と連呼する。というか、何かを話す俺の言葉を聞いているのか、すんすんと鼻を鳴らしながら袖で涙を拭う。そんなにこすったら眼が腫れるぞ。

そして、ようやく落ち着いたのか、なのはは酔っ払いのしゃっくりの様に息をしながら、

「……よ、良かった……本当に……良かった……」

何が良かったのかはわからない。

「さ、さ、佐久間、さんが……佐久、間さんが……無事、で……本当に、良かったです……」

俺が無事で良かった?

その言葉で、俺はようやく思い出した。そういえば、あの化け物に襲われた時に俺は気を失って、気付いたらあの古ぼけた教会で目を覚ました。だから、その後にどうなったのかはわからないが、どうやらこの娘は俺のその後を心配してくれていたらしい。

どうして、忘れていたんだよ俺は。

頭を抱えながら、思わず天を仰ぐ。馬鹿をした。何を俺は一人で全てが終わったような事を考えていたんだろうか。そもそも、あれから二日以上経っているというのに、その場にいた彼女の事を何も考えていないなんて、馬鹿のする事だ。

「――――悪い」

確かに色々あった。たった数日で色々あり過ぎて、全てが自分の事ばかりで、自分の事で精一杯だった。だが、それは言い訳にもならない。

俺はしゃがんでなのはの目線に合わせる。

「ごめんな、心配かけて……ずっと、心配してくれてたのか?」

なのはは頷く。それが嬉しかった。自分を心配してくれる人がいるというのはこれほどの嬉しい事だったとはな。

「ありがとな、高町。俺は大丈夫。怪我もほとんどないし、ちゃんと生きてる……でも、お前に知らせなかったのは間違ってた――――すまない」

本日二度目、自分よりもずっと年下の少女に頭を下げる。

一秒、二秒、三秒―――謝るのはお終い。

頭を上げてここからは、

「とりあえず、これ顔拭け」

ハンカチを渡してやる。

「すごい事になってるぞ」

苦笑しながらなのはにハンカチを渡す。自分で自分の顔を見れないが、俺の顔で察しがついたのか、顔を真っ赤にしながらハンカチで顔を拭く―――ついでに、お約束とばかりに鼻をかむ。

「あ、ありがとうございました……これ、洗って返しますね」

「そのまま返してくれてもいいぞ?」

主人公の鼻水付きのハンカチを嗅ぎながらハァハァする成人男性の姿が想像できる。もちろん、するわけないけど。

俺となのはは互いに苦笑しながら―――それでも、次の瞬間には互いにちゃんと笑っていた。俺はきちんと笑えていたかはわからないけど、それでも今できる最高で、アリサに贈った六十五点の笑顔で精一杯笑った。



「――――あの、もういいでしょうか?」



その声で、俺の笑みが凍りついた。

なのはの背後、電柱の陰に隠れるように純白の雪の様な髪を持つ女性が姿を現した。彼女は、サクヤは俺を鋭い視線で射抜きながらゆっくりと俺達に歩み寄る。そして、なのはが振り向いた瞬間には射抜くような鋭い目線が消え、優しい聖母の様な奇麗な微笑みで彼女の頭を撫でる。

「安心しましたか、なのはさん?」

「はい。サクヤさんの言うとおり、元気で良かったです」

サクヤさんの言うとおり?

「なぁ、高町……それって」

「はい。あの後、佐久間さんを助けてくれたのはサクヤさんなんですよ」

なのははサクヤの手を引いて俺の前に立たせる。

俺とサクヤの視線が交差する。文字の通りに交差する。俺の視線はサクヤを見る様にしながら彼女見ることができずに、視線はなのはへ。サクヤも俺を見る様にしながら視線は俺の背後を見ている。視線は交差する。しかし、それは本当は交差ではなくすれ違いの様なものにも思えてくる。互いに同じ場所に立っているにも関わらず、互いにその存在を見ないようにしている。

その空気を感じ取ったのか、なのはは怪訝な顔で俺とサクヤを交互に見る。

「あの……」

「――――身体は、もう大丈夫ですか?」

「………あぁ、もう大丈夫だよ」

言葉もすれ違う。

怒っているのか、それとも嫌われているのか―――いいや、これはきっと敵視されているのだろう。

「アレは元気ですか?」

「元気だよ。昼から酒を飲みながら、自由気ままに生きてる」

「そうですか……残念です」

余程、嫌われているようだなジグザさんよ。だが、それ以上に嫌われているのは俺なのかもしれない。救いの手を振り払った男がここにいて、手をさしのばした女がそこにいて、何も知らない少女がここにいて、女は少女に聞こえないように、それでいて俺にだけ聞こえる様に念話で、

『あの時、ちゃんと殺しておくべきでした』

ゾッとした。

何気ない会話で使われる『殺す』という言葉を、心の底から、心底抱いている者の言葉というのは、これほどまでに強く尖り、鋭く寒く、数瞬後には俺が地面に紅い花を咲かせているという想像すら起こす。

なのはが何かを言っているが、俺にはサクヤの声以外は伝わってこない。

『一応言っておきますが、別に私はアナタが憎いわけではありませんよ。女神様も怒ってはいけない、恨んではいけないと仰っていますから―――ですが、それでも私はアナタがわからない』

サクヤは俺に念話を送りながらも、なのはに向けて笑顔を向けている。楽しそうに、嬉しそうに、まるで嘘で固めた仮面から漏れ出す瘴気が俺にしか見えないように、

『アナタは、彼女が―――アレが恐ろしくはないのですか?アレは全ての悪の集合体。全ての悪を奏する罪悪です。アレと共にいること自体が不幸のであり、最悪であり、醜悪です』

俺は念話が出来ない。一応、魔力はあるらしいが、その使い方をまったくわかっていない。それを教えてくれる奴もいないし、覚えようともしなかった。だから、この場で少しだけ後悔した。

俺は彼女に何かを言い返す事も出来ずに、彼女の独白をずっと聞いているだけだ。それに何かを言い返すには肉声でしか方法はなく、それを行う事は何も知らないなのはがいるので出来そうにはない。

『――――私は、アナタがわからないと同時に、信用できません。もしかしたら、アナタもアレと同類かもしれない』

その言葉は、

「違う!!」

容認できなかった。だが、思わず声を出してしまったせいで、なのはは驚きながら俺を見る。しまった、そう思った時には既に遅く、なのははサクヤを見ながら、

「もしかして、佐久間さんと何かお話してたんですか?」

サクヤは笑顔で頷き、

「えぇ、佐久間さんがなのはさんをとっても可愛らしい女の子だから襲っちゃいたいって」

「言ってない」

というか、言えないだろう。

「サクヤさん、嘘は駄目ですよ」

「嘘じゃないわ。虚言よ」

「戯言とも言うぞ」

「なら、妄想でもいいわ」

楽しそうに笑うのはいいけど、なんだかコイツの笑みは嘘臭く感じてきた。ジグザの様な
最初っから邪心しかない嗤いとは違う、本心を見せない作り物の笑い―――なんだ、俺と対して変わらないじゃないか。





さて、そんな再会から数分後。俺となのはとサクヤは一緒にとある場所に立っている。そこは原作―――いいや、そろそろこの言葉を使うのは止めにしよう。

この世界で生きる少女、高町なのはが通う小学校の前にいる。そういえば、ここにもジュエルシードが一つあったはずだよな。どういう怪異かは知らないが、この学校にもそういうモノがあるらしい。そして、俺はなのはに連れられて………正確に言えば、なのはと一緒にいるサクヤに連れられて俺はここにいる。なのはは俺を巻き込むのは嫌らしいが、サクヤは俺が何かの役に立つという説明を受け、しぶしぶながら頷いていた。こんな俺が言うのもなんだけど、大人の言う事を何でも聞いてちゃいけないぜ、少女。

「――――で、お前は何時の間にいたんだ?」

「あの、ずっとそばにいましたよ」

俺の肩でフェレット、ユーノが獣の癖に溜息を吐く。あ、元々は人間か。別に元々が人間じゃないわけでもないけどね。

「怪我が大した事なくて、本当に良かったです」

「あぁ、俺もそう思うよ」

煙草に火をつける。

「どうだい、こっちの生活は?」

「楽しいですよ……楽しいんですけど、ペット扱いされるのはちょっと……」

「それ位は我慢しろよ。男の子は我慢するものだろ?痛い時は痛いと言わず、親の前でも我慢するもんだ」

「そうですね」

もっとも、俺が彼にどうこういう資格などはないのだが。

「ところでさ、ここにもあるのか、その……ジュエルシードって奴は?」

「あります。発動はしていませんが、確かにここにはジュエルシードの反応があります」

「そうかい。なら、さっさと回収して帰ろう。子供がこんな夜遅くまでで歩くもんじゃない」

「それは、そうですね。なのはの両親も心配しますし―――ッて痛!?」

ユーノの頭をデコピンで弾く。

「お前も子供だろうが。二人仲良くお家でのんびりするのが普通なんだよ」

少なくとも、子供の頃からこんな場所で戦う必要などありはしない。

「でも、いいんですか?サクヤさんが言うようにアナタにも魔力があって、ジュエルシードの回収を手伝ってもらえれば心強いんですけど……でも、それじゃアナタまで巻き込む形になってしまいます」

「――――――あぁ、そうだよな」

今更気づいた。これって立派に介入している。しかも、前回と同様にまるで決められた運命の様に気づいたら物語の渦の中にいる俺。これは偶然なのかどうかは知らないが少しご都合主義になってる気がする。

いや、そもそも俺がここにいる原因はサクヤにあり、彼女が何を企んでいるのかもわからない。

同時に、俺は忘れていた事を完全に思い出す。

俺に邪神、ジグザが憑いている様に、彼女にも女神という存在が憑いている。だとすれば、それは彼女も自分と同じようにこの世界に来て、この世界の歴史を知っているという事になる。

彼女は、一体何者なのだろうか?

何を目的にこの物語に介入し、何をする為になのはに近づいたのか。

「それでは、行きましょうか」

サクヤが開いていた窓を開き、中に侵入する。

「何で鍵が開いてるんだよ。不用心だな」

「あ、実はサクヤさんに言われてあらかじめここだけ開けておいたんです」

子供にそんな事をさせるなよ。

「大丈夫ですよ。この学校の警備のルートはあらかじめ頭に入れてあります。最初の巡回は終わり、今は校内は完全に蛻の殻です」

「言ってる事が犯罪者だな……」

サクヤが窓から構内に入り、ユーノもその後に続く。続いてなのはが窓によじ登ろうとするがうまくいかないのか、中々校内に入れない。

仕方ないので、俺は後ろからなのはを抱き上げてやる。

「きゃ!?」

「ほら、さっさと入れ」

「あ、はい……ありがとう、ございます……」

なのはを校内に入れ、俺もその後に続く。校内を土足で歩く事にちょっとだけ違和感を覚え、靴を脱ごうとするが、

「そんな事を気にとめている場合ですか?」

サクヤの冷たい目線。

「土足で校内を歩くわけにはいかないだろう。大体、靴の痕がついてたりしたら誰かが侵入した事がバレるだろう」

俺は靴を脱いで裸足になる。なのはも靴をうんうんと頷いて靴を脱ぐ。サクヤは不満そうに顔をしかめながらも靴を脱ぐ。スリッパでも履けばいいのだが、あれは音が鳴り過ぎる。だから、俺は裸足でいるしかない。なのはは内履きがあるので玄関まで行って履き替えに行くように行っておく。

「それじゃ、なのはとユーノはそのまま校内を詮索してくれ。俺とサクヤはこのまま探しにいくから」

そう言って、なのはとユーノと別れる。

そして、薄暗い静かな廊下に俺とサクヤの二人だけになる。

「――――乗り気じゃないわりには、的確に指示を出すのですね」

「入っちまったら、戻れないだろうよ。それに、出来る事なら痕跡も残さずに、誰にもバレずに事を済ませた方がいいだろう?俺もアンタも、何よりなのはにとってもよ」

「一応、彼女の事を心配してるのですね」

どんだけ嫌われてるんだよ、俺。

サクヤは相も変わらず冷たい眼で俺を見る。本当になのはといる時の眼とは大違いだ。

「とりあえず、二階から探すか……地図とかある?」

「えぇ、ありますよ。念の為に校内の地図をコピーしておきましたから……」

本当に用意周到だな、あんた。

地図を受け取りながら、俺は歩きだす。その後ろにサクヤが無言で着いてくる。背中に刺さる視線が心臓をバクバクと早く鼓動する。正直、夜の学校とか、そういう不気味な雰囲気が俺は大嫌いだ。特に、学校の怪談とか、学校には付き物の曰くのあるモノも大嫌いだ。

ホラー映画とかはすごく苦手だ。ぶっちゃけ、子供向けの『学校の怪談』も駄目だ。

テケテケ怖ぇ、人面犬怖ぇ、口裂け女超怖ぇ………ヘタレとか言うなよ?

だが、今はそんなモノよりも背後にいる女の方がずっと怖い。あの時はその場の勢いで彼女に楯突く様な事をしてしまったが、よくよく考えると俺はあの時点で間違ってしまった気がするね。後先考えずに行動するというのは俺には出来ないし、したくもない。だが、あの時はそういう気分になっていた、いわゆる脳内がハイテンションだったのだ。

「―――馬鹿みてぇだな」

俺は懐から煙草を取り出し、口に咥えてから、

「………校内は禁煙ですっと」

頭をふりながら苦笑する。

煙草を仕舞い、俺は深く深く深呼吸し、歩きながら背後を見る。

「なぁ、何時から高町と知り合いなんだ?」

とりあえず、聞くべき事はあっても入りは慎重にってね。しかし、そんな俺の心配りという名の臆病さも関係なく、サクヤはストレートに、

「それを聞いてどうする気ですか?何か企んでるのなら、お教えできません」

ストレートに疑ってくれました。

「いや、そういう気は更々ないけど……悪いのかよ、知り合いの知り合いを聞きたいと思っちゃよ」

「知り合いではありません」

間髪入れずに否定して、

「なのはさんは、友達です」

間髪入れずに、そう言った。

「…………」

「どうしました?」

「別に……ただ――――何でもない」

深呼吸の次は溜息。何というか、そんなはっきりと言えるのはもうカッコいいと思ってしまいそうになる。あんなあっさりしっかりはっきりと口に出来るなんて気持ちがいいというか何というか。

頭を掻きながら、どうするかと考える。何を考えているかはわからないが、彼女が何か悪い事を考えているのではないかという考えが実に馬鹿げた考えに思えてきた。

そういえば、女神が彼女を悪い奴ではないと言っていたが、まさしくその通りだ。

なら、俺は悪い奴か?

俺が悪い奴だから、彼女はこんなにも俺の事を目の敵にしているのだろうか?

だとしたら、

「あ、あのさ……」

「何ですか?」

ギロリ――――そんな効果音が付きそうな目で睨まれたら何も言えなくなる。それでも、おっかなびっくりに俺はサクヤに提案する。

「こ、ここいらで別々に行動しないか?ほら、人海戦術って言うか、二人が一緒に行動するよりは、そっちの方が効果的だろう?」

「ですが、後でなのはさんと合流するので意味はないのでは?」

的確だ。

「で、ででで……」

「デ○デ大王?」

「違う」

「私は初代のゲームボーイ版が好きです」

「聞いてないな」

「DXの惑星割りは、個人的には最高のミニゲームだと自負しています」

「それも聞いてねぇってつうか、自負してどうするんだよ。お前が製作者じゃないだろう」

「それはそうですね………それで、アナタの言う『で』の続きは何ですか?」

「――――――別行動しない?」

「却下」

「どうしても?」

「どうしてもです」

「お金だすよ、百円くらい」

「却下です」

クソ、中々手強いな。俺もアンタも気まずい空気になるのが嫌だから、別々に行動しないかって提案してるのに、なんでそんなに頑ななんだよ?

頼むよ、お願いしますよ、こっちはさっきから胃がキリキリしていて気が気じゃないんだよ。

「どうしても駄目か?」

「納得できる理由が必要ですね」

「……………もしかして、俺が一人で行動すると、何か善からぬ事をやろうとしていると考えてるとか?」

「えぇ、そうです」

即答かよ。どんだけ信用されてないんだよ、俺。

「いやいや、そんな事を云わずにさ……ほら、俺って人畜無害でしょう?」

「あんな邪神に憑かれている者を、誰が無害だと考えますか?むしろ人畜です」

お前のせいか、ジグザ……お前の存在が俺をマイナスイメージの塊で埋め尽くさんとする画策かよ。

俺は大きく溜息を吐きながら、サクヤと向き合う。

そうだ、ここいらでしっかりと互いの意見をぶつけ合う必要がある。俺も彼女に悪い人間と思われるのも嫌だし、俺もこれ以上サクヤに対して苦手意識を持つのは嫌だ。

人生は隣に友人、後ろに親、前には我が子と言うように――――誰も言っていけど。

「あのさ、サクヤさん」

「サクヤで結構ですよ、佐久間さん」

「なら、俺も佐久間でいい」

「お断りします」

「…………何でだよ?」

コイツ、さっきから俺の提案を全て却下するな、おい。

「殿方を名前で呼ぶのは、私の心に決めた方、私の旦那様になる者だけです」

「それって、通常の生活についてもかなり不便だよな。面倒臭いだろう」

同じ名字の奴が現れたらどうする気なんだろうか?というか、

「でもよ、さっき高町を名前で呼んでたじゃん。あと、ユーノも……」

「子供は別です」

「基準がわからん」

「基準ではなく、私の信念です」

安いな、お前の信念――――って、俺が言える事でもないな。

「もしくは、私のキャラ設定です」

「安いな」

「お買い得ですよ?」

クスクスと笑うのはいいが、この薄暗い校内では何というか、不気味以外の何者でもないのだが―――――ん、設定?

そこに来て、俺はようやくというか、今更と言うか、思い出した事がある。

「――――なぁ、サクヤ。一つ聞いていいか?」

「はい、どうぞ」



「お前、何者だ?」



単刀直入に、直球勝負で聞いてみた。

その一言さえあれば、悠々に話は通じるだろう。元に、サクヤは小さく肩を震わせ、難しい事を考える様に顔をしかめる。

そんなに難しい事を聞いたつもりはない。俺は単純にお前は誰かと聞いているだけだ。無論、その質問の中身を聞いただけで意味がわかる人間などは関係者以外にいるはずがない。
だから、サクヤは俺が先ほどしたように溜息を吐く。

「――――――逆に聞きますが、アナタは何者ですか?」

「佐久間大樹、二十三歳、男」

「私はサクヤ・エルフォンド、十九歳、女」

「知ってる」

「そうですね。ですが、それ以上の事を聞きたいのなら、まずはアナタの事をもっと知らなければいけませんね……」

誤魔化しているのか、それとも誤魔化しているのか、もしかしたら誤魔化しているのかもしれないし、誤魔化しているのかもしれない。

嘘、大げさ、紛らわしい言い方だが、俺は正面から切り込む事にした。

「俺はさ………死んだんだよ」

まずは自己紹介―――いいや、ここは自後紹介でもいいのかもしれない。

「死因は転落死」

思い出すのは、数日前。数日前という過去を思い出し、語り出す。

「ビルから突き落されて、それで死んで………気付いたら、変な影みたいな奴の所にいて、気付いたらこの世界にいた――――それだけだ」

「……………一応聞きますが、アナタにとってのこの世界の概念は?」

この世界の概念―――それは、この世界が現実か幻想か、フィクションかノンフィクションかと聞かれているのだろうか。それとも、この世界を作り上げる原子の数でも聞いているのか……まぁ、どっちでもいいだろう。

「物語だ」

そう、答えた。

「俺にとって、この世界は物語だ。本を読む様に俺は読者で、テレビを見る様に俺は視聴者で、現実ではなく空想の塊だ―――――いや、」

これは、少し違う。

「ちょっと訂正するなら……」

この世界は、


「俺にとって、この世界は――――物語……だった。かな?」


「物語だった、ですか……現在進行形ではなく、過去形ですね」

「あぁ、そうだよ」

認めるというのは、少し違うかもしれない。だけど、それでも俺は確信している。いや、確信という言葉も少し違う。

これは、単純に意志の相違の様なものだ。

数日前の俺と、数時間前の俺。二人じゃなくて一人の意見の相違。

そうだ、いい加減に認めてやらなくてはならない。この世界が架空で幻想で空白だというのなら、俺も空想で幻想で空白だ。でも、それは違うだろう。

サクヤが紡ぐ。

「この世界は、アニメという世界」

「違う」

俺は、否定する。

「この世界は、空想の世界」

「それは違う」

俺は、肯定しない。

「この世界は作り物であり、書き物」

「全然まったく、これっぽっちも違うな」

そう、この世界は―――現実だ。空想で作られる現実で、幻想を抱く現実で、空白なのは現実と何も変わらない現実だ。

「この世界はアニメじゃないし、物語じゃない。この世界はこの世界に住人にとっての現実で、俺の現実だ」

何も変わりはしない。何も違いなどない。だって、俺は死ぬ前からそう思っていたではないか。

現実に魔法などは存在しない―――それは、嘘だ。俺達の眼に届かない場所でそんな存在があり、そんな現実が確かにあると信じていた。大人になって何を戯言を言ってるのだと笑われるかもしれないが、仕方がないのだ。

あぁ、俺はそういう大人の癖に夢見るガキだったんだよ。

UFOは信じる。宇宙人は信じる。幽霊も信じる。天使も悪魔も信じるし、天国も地獄も信じる。超能力者も信じるし、妖怪も信じる。全てが架空だといわれていたモノを全て俺は信じている。

だって、そうじゃなければ人生がつまらなかったからだろう。

「俺のいた世界じゃ、これは夢幻だったかもしれないが、ここはその夢幻が確かに目の前にある『だけ』の世界だろう?それが空想じゃなくて、現実だと認識しないのは嘘だ。そんなのは出鱈目だ」

ここは現実だ。

誰かと出会う事もある。誰かと別れる事もある。そして、それを思い止まって別れる事実を無効にしたいがために土下座もする。

そんな現実だ。

「ここは、物語なんかじゃないだろう。ここは現実でリアルな世界だ。俺のいた世界とは何も変わらない、変わり様のない――――」

素敵で、残酷な世界だ。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

あれ、なんで無言?

もしかして、俺は何かを外しました?

もしかして、この方は俺と同じような存在じゃなくて、実は最初からこの世界に存在していた立派な人間っていう話ですか?

だとしたら、だとしたらと言うのなら――――急に、顔が熱くなってきた。

顔を隠して、俺はサクヤに背中を見せてしゃがみ込む。

しまった。大いにしくじった。これは正解じゃなくて不正解だ。大見え切って何か云って見たが、実は大外れとかいうギャグ的な話なら、俺はてんで間抜けな男じゃないか。
むしろ、唯の電波男?

やばい、本気で恥ずかしい。

「………あの、サクヤさん?出来れば、今のお話は全てなかった事に出来ませんかね?」

「何故ですか?」

「いや、あの、ほら……あれですよ、あれ……気の迷いと言うか、勘違いと言うか、なんと言うか……とにかく!」

俺は立ち上がり、身ぶり手ぶりで説明する。

「勘違いなんですよ!?いい加減なんですよ!?実は全部嘘っぱちの紛いモノの話なんですよ!」

「はぁ……紛いモノ、ですか……」

「そう、紛いモノなんですよ!!」

俺の必死の説得が通じたのか、サクヤは小さく何度も頷く。そして、俺を真っ直ぐに見詰めて、

「別に、恥ずかしがる事は何もないと思いますよ?」

突然、クスクスと笑い始めた。先程の様な暗い様で不気味な笑みではなく、純粋な笑みだった。おかしそうに、おもしろそうに、俺の必死な形相を見て何かツボにでも入ったのか、腹を抱えながら、口を押さえて笑った。

それが数十秒続き、俺が呆然としていると、ようやく笑うのを止める。

「――――――――別に、私はもう佐久間さんの事を疑ってなどいませんよ」

そう言って、サクヤは俺の頭を撫でる。

俺の方が身長は高いので、彼女はつま先立ちをして踵を小さく震わせながら、俺の頭を撫でる。

「何で撫でるんだよ?」

「笑ったから、怒ってるかと思いまして……」

「いや、恥ずかしかったりはするが―――というか、今の方が恥ずかしい」

少なくとも、女性に頭を撫でられて昂揚する男じゃない。

「私は佐久間さんの言う事を全体的に信用しますよ。だって、別に私はアナタの言う事を信用しない要素は何一つとしてありませんからね」

「何でだよ……」

「というか、正確に言うのなら私はアナタの言う物語という意味はすでに女神様から聞かされているし、記憶―――いいえ、記録はすでに持っています」

自分の頭をツンツンと突きながらサクヤは言う。

「ここは物語の中で、誰かが見て聞いて楽しむ幻想の世界――――でも、アナタの言うように素敵な現実でもありますし、私にとっては長年住んで生きていた確かな現実です」

どうして、サクヤは嬉しそうだ。

「実を言いますと……私、佐久間さんの事を疑っていたんですよ」

疑われる要因と要素が多すぎてわかりません。

「あの邪神に憑かれた者が被害者なのか、それとも加害者になるべく要素を持っているのか、それが少しだけ不安だったんです」

「加害者と言いますと?」

「その力を悪用し、誰かを傷つけるという要素です」

いや、むしろ色々と痛い思いをしてる気がするが、

「あぁ、それは完全に加害者だな」

俺は被害者の要素よりも、加害者の要素が多すぎる気がする。

「アリサさんの事ですね」

「あぁ、そうだ」

「やはり、あれはアナタの仕業でしたか……」

「幻滅したか?元々、高評価はされていないと思ってるけど」

「あ、いえ、そういうわけではないです……すみません、言葉を間違えましたね。アナタの仕業ではなく、邪神の仕業ですね」

「俺の責任だよ、完全に」

「――――――後悔、なされているのですね」

後悔という言葉以上のモノがあるかもしれないが、それを表す言葉が見つからない。

「そんな奴が、まだアイツの傍に居ようとしてるなんてお笑いぐさだろう?いや、むしろ嫌悪しろって話だな」

「それも間違いです。過去を悔む者は悪人ではない、されど善人でもなし。そんな言葉があります」

「誰が言ったんだよ、それ」

「さぁ?ですが、過去を悔やめる事を出来るのなら、何時かその後悔が報われる日もくるかもしれません。そういう話ですね」

来るだろう、そんな日が。むしろ、来ない事を望んでいる自分がいる。でも、本心では許されたいとも思っている。

矛盾するのが心だというのなら何かを確信する心と言うのは、一体どんな心の製造をしているのか、少しだけ知りたくなった。

「アンタ、少し善人すぎ。というか、かなり他人に甘いな」

「甘やかす事は悪い事ではありません。誰かを甘やかす事を良しとしない人がいる様に、誰かを甘やかさない事を良しとしない私がいます。だって、誰だって甘えたいものではないのですか?誰かに優しくしてもらいたい、誰かに好きになってほしい、誰かに愛してほしい――――それを間違いと決め付けるのは良くないのです」

社会に出たら通用しない言葉に聞こえる。

甘やかす事を良しとしないのは、甘やかしても人は成長しないからだ。逆に、甘やかす方はどんどん成長していくだろう。誰かの尻拭いをする度にその甘やかす側の人間は強くなるし、逞しくもなるだろう。

「肯定は出来ないが……まぁ、否定もできないわな」

「甘やかされた側は、その分で誰かを甘やかすべき―――これ、私の名言です」

「自分で言うなよ、そういう事は……」

それにしても、先ほどまでの険悪な空気は何処に消えたのやら、俺達は自然と笑い合っている。再会した時のキツイ視線も空気もないし、むしろ友人の様に気楽に話せる。

女と言うのは、こうも切り替えの早いのだろうか。それとも、俺が切り替えが下手なのか、どうでもいい様でどうでもよくない。

だけで、この方が楽でいい。

あ、俺って実はかなり甘やかされたい人間なのかも。

「なぁ、サクヤよ……ここいらで、アンタの事も教えてくれないか?さっきまでの口ぶりからすると、アンタも俺と同じ存在って事で構わないんだろう」

違いがあるとすれば、拾われた者が悪人か善人か―――いや、極悪人かそうでないかが正しいのかも。

「そう、ですね……えぇ、確かに私はそういう存在で構わないと思います」

「何だ、えらく曖昧な言い方だな」

サクヤは困った風に笑う。

「仕方ありませんよ。だって、私だって女神様に言われるまで、自分がそういう存在なんだって知らなかったんですから……」

知らなかった?

それはつまり、自分が俺の様な転生者じゃないって事か?

いや、待て。

そもそも、俺は転生っていう言葉は少し違う気がする。俺は確かに死んだが、生まれ変わったわけではない気がする。何せ、転生っていうのは生まれ変わるという意味だ。しかし、俺はあまりにも中途半端にこの世界に来ている。

生前と姿は違うが、年齢も背丈もたいして変りはない。

「もしかして、アンタは子供の頃からこの世界にいるのか?」

「えぇ、そうです。私は生まれ―――――――――」

サクヤが語り出そうとした時、




絹を裂く様な、少女の悲鳴が聞こえた。








人質リリカル~ZEROGAMI~
第九話「甘美地獄」











月よ、月よ、月夜に月よ、月よと歌え。

「――――――やれやれ、やれやれ、やれやれ…………」

月夜の下、高層ビルの群れの中、その中で一番高い高層ビルの屋上で、風になびく外装を纏った少女が首を振る。

「どうもつまらないね。実につまらない。予定通りに事が進むのが実につまらなく、滑稽じゃない。それが退屈じゃないと知ってもつまらない」

街中を歩く人の群れを見下ろしながら、少女は―――神滅餌愚坐は重苦しい溜息を吐く。しかし、吐くのは溜息でもその顔は狂喜に満ちた最高の笑顔だった。

まるで、子供が遠足の前の日に楽しそうにベッドに入る様に、ジグザは街中を歩く人々を見ながら妄想する。

街中を血の海に、街中を惨劇の舞台に、惨劇を増量し拡張し、そして人々に最高の祝福を。

そんな事を脳内で妄想しながら、少女は相も変わらず「つまらない」と連呼しながら嗤う。そう、彼女は楽しみなのだ。楽しみだから、まだそれが起こらない事に退屈し、待ちどうしいから嗤っている。

矛盾しているが成立している、そんなアンバランスな思考を持ちながら、ジグザは「つまらない」と連呼する。



「何がそんなに楽しそうなんだい、邪神」



その声が、ジグザの表情を反転させる。まるで害虫の羽音を聞いたように顔をしかめ、害虫を見る様に睨みつけ、口から出るのはたった一言。

「喋りかけるな、糞蟲が」

「それは随分な言い方だね、邪神―――いいや、ここはジグザと呼ぶべきかね?」

その声は女の声だった。声の高い声質であり、他を安息の地に赴かせるような安堵の吐息。そんな声を放つ者を見ながら、ジグザは地面に唾を吐き捨てる。

「喋るな、糞蟲」

「糞蟲じゃないよ。大体さ、君はちょっと口が悪すぎるよ?それじゃ、色々な人に勘違いさせてしまうじゃないか」

声は女、しかし、その姿は男性。

ジグザが黒としたら、その男は白。全てが白色の雪の様で無の塊。

白髪、白眼、白いスーツを着て白フレームの眼鏡をかけた佐久間と同年代の男はジグザの隣に立ち、優しい微笑みでジグザを見る。

「それと、女の子はもっと綺麗な言葉を使うべきだと僕は思うな」

「だったら、貴様はその女の様な汚らしい声を何とかしろ」

「あははは、それはそうだね。この姿でこの声はちょっと変だけど、これはこれで面白いよ……」

男は笑う。ジグザは蔑む。

「―――――処で、ジグザ。最近、何やら色々と悪だくみをしているようだけど、あんまり他人様に迷惑をかけてはいけないよ?」

「ふんっ、何をほざく。私は邪神だ。邪神はこういう生き方でこういう存在理由を貫き、他を貶め、他を嗤い、他を絶望させる……私はそういう存在だ」

「またまたぁ、そんな悪い子ぶっても僕にはわかるよ?君は本当はすごく優しい天使だって事をね」

虫唾が走った。

ジグザはこの男が大嫌いだ。正確に言うのなら、この『女神』が大嫌いだった。大嫌いという言葉すら生ぬるい。相対という言葉すら足りない程に嫌悪する。

「貴様にとっては全てが善なのだろうが、その全に私を含むな。気持ち悪い」

「そこまで嫌いにならなくてもいいじゃないか」

「黙れ。貴様のそれは好意でもなければ善意でもあるまい―――それは、見下しているに等しいのだと、何故気付かない」

「見下す?僕が?それはちょっと納得できないなぁ……」

女神は苦笑する。困った風に腕を組みながら街中を見る。行動としては確かに街中の人々を見下す形になるが、その心は完全に善意の塊だ。

「全ての者に、幸福あれ」

何気なく放った女神の祝福の言葉に、

「その祝福に、絶望あれ」

ジグザが言葉を繋げる。

女神は自分の祝福の言葉を汚された事に何の怒りも感じず、まるで悪戯をした子供を温かく見守るような瞳でジグザを見下ろす。

「やれやれ、これは困った子供だね……それで、今回はどんな悪戯をしたんだい?」

「貴様に教える義理はない。さっさと消えろ。言っておくが、私の目の前からではなく、この世界から消え失せろという意味だ」

「それは無理だよ。世界には『管理者』が必要だろう?この世界の担当は僕で、君はこの世界に来てしまった『侵略者』だ――――ねぇ、ジグザ。いくらこれが『ルール』の中では問題のない行動だとしても、あんまり問題を起こすのは容認できないよ」

説得するように語る女神は、前に踏み出す。一歩一歩、数歩先には何もない空間があるというのに、その先など知らないとばかりにジグザを見ながら歩く。

そして、女神は空中に足をつけた。

浮いているのではなく、無の空気に足をつけている。

「僕は争い事は嫌いだ。でも、僕の従者は君の事が大嫌いみたいだし、君の従者にも同情して、君から引き剥がそうとするだろうね。僕にはサクヤを止めるつもりはないけど、それでも君と彼女に争い事はして欲しくないんだ」

「素晴らしいじゃないか?男を取り合う女の争いだ。それはすごく素晴らしい。素晴らしすぎて、今すぐにでも貴様の従者であるあの馬鹿女を八つ裂きにしてやりたいよ」

女神は悲しそうに眼を細める。

「ジグザ―――もう諦めたらどうだい?君の邪神という『神格』はすでに確定されたも同然だ。それを覆す事は出来ない。それを覆す事が出来るとしたら、それはまさに奇跡という存在にしか出来ない」

「奇跡は起こらないから奇跡というらしいな」

「あぁ、何処かの世界の住人の言葉かい?もしかして、君はそこの神にも喧嘩を吹っ掛けたのかい?」

「だとしたらどうだというんだ。貴様には関係のない事柄だ」

「関係あるさ。何せ、君という邪神が色々な世界に迷惑をかける事を良しとしない僕がいるからね」

「正義を語るか?それとも、道徳を語る気か?止めておけ、貴様の様な偽善者という言葉すら使いたくない腐った善の塊に、どうこう言われる気はない……貴様に比べたら、あの世界の色神の方がよっぽどマシだ」

ジグザの足下から、瘴気が立ち上る。その瘴気が足下のコンクリートを溶解させる。しかし、女神がその足下を指さし、パチンと指を鳴らす。すると、溶けたコンクリートからこの世のモノとは思えないほどの美しい草花が生えだした。

全てを壊し、亡くす者がジグザだというのなら、女神は全てを癒し、生み出す者。

完全に反対でありながら、人でないという線が繋がっている二人の神は見つめ合う。少女の形をした者は悪意の眼を、男の形をした者は善意の眼を、それぞれ向け合う。

「――――――邪神は女神には勝てない。いや、邪神は『邪ではない神格』には決して勝てない……それが、何千何万と繰り返されてきた事例が物語っているだろう」

初めて、ジグザの顔色に変化が起きた。

憤怒でも嫌悪でもない。その色は―――――誰にも読み取れなかった。ジグザが女神に背を向け、飛び上がった。

空を駆ける様に次々とビルへビルへと飛び移り、女神の匂いが届かない場所まで移動する。それを女神は追う事もせず、黙って見守る。

首を振りながら、困った子だと笑いながら――――

そんな女神の顔など知りたくもないジグザは、数百メートル先のビルの屋上で停止した。

「繰り返されてきた事例だと?」

停止し、その先にある建物を見ながらジグザは呟く。

「何千?何万?」

その建物は小学校だった。

「―――――たがが、その程度で何を諦めるというのだ、貴様は?」

禍々しい魔力を感じる。人の負の想いを総動員させ、全てが真黒に染まり切るほどの最低で最悪な異臭を漂わせている。

「繰り返してやろうではないか、何万、何十万、何百万――――何億回だろうと、繰り返してやろうではないか……」

その異臭は、ジグザの放つ瘴気と同様のモノだった。

「その為には、君には盛大に足掻いても貰うぞ」

視線は一点。

「さぁ、踊れ。我が愛する従者」

見るのは、佐久間大樹という男。

「盛大に苦しみ、盛大に足掻け――――それがこの架空で空想で空虚な幻想の物語の中で、私を楽しませ、私を嗤わせ、そして私の願いを叶えておくれ」

ケタケタと耳障りな嗤いを響かせながら、

「なぁ、私の愛しい愛しい愛しい……愛すべき――――――――――」

声が、途中で停止した。

ゴボリとジグザの口から黒紅い液体が塊で漏れ出す。何が起こったのか理解していないのか、それともわかっていて何もしないのか、ジグザは自分の喉に手を触れる。



ジグザの喉、その柔肌に突き刺さる金属の塊。



それが鋭く尖った鉄パイプだと理解するまでには時間はかからなかった。

首の骨を砕き、後ろから前にかけて貫通したパイプの先には桃色の肉片がこびりつき、冷たい金属を伝って邪神には似つかわしくない紅い血が垂れる。

ジグザは首に刺さったモノを無視して、首をグルリと回転させる。皮膚が歪み、線維が音を立てて引き千切られる事など意にないのか、ジグザは冷めた視線で背後に立つ者へと視線を運ぶ。

大柄の男が立っていた。

衝撃――――心臓にナイフを突き刺された。

衝撃――――膝を蹴り抜かれ、足が異様な方向にねじ曲がる。

衝撃――――態勢を崩し、倒れ込んだジグザの頭蓋骨を砕く様に何かが振り下ろされた。

衝撃――――脳味噌が漏れ出し、それを踏みつけられる。



それでも、邪神は死ねない。



完全に砕かれ殺され惨殺され破壊された身体から声が漏れだす。黒い霧の様な物が襲撃者の脳内に入り込み、その脳神経に直接声を叩きつける。

脳内を焼き切る様に、精神を壊す様な異能を叩きつけられた襲撃者は――――嗤っている。

「あぁ、やっと会えた……やっと会えたぞ……」

嗤いながら、満足そうに顔を昂揚させながら、襲撃者は肉片と化したジグザの身体へと手を伸ばす。

『――――また、君か……』

襲撃者の脳内のジグザの声が響く。その声に襲撃者は更に昂揚したのか、肉片である臓器に手を伸ばし、腸をズルズルと引きずり出し、

「会いたかった。ずっと会いたかった……そして、またお前を愛せるなんて、これほど幸福な事はないだろうなぁ!!」



臓器を、喰いだした。



『まったく、君は何百年もたっても相変わらずのストーカーの異常者だねぇ』

自身が喰われている様子を見ながら、ジグザは憂鬱そうに声を響かせる。そして、これは再生するのにどの位掛るのかを計算しながら、目の前の異常な襲撃者を見据え、先ほど女神に向けた視線と同じような、鋭く、殺意の籠り、蔑むように――――それでいて、どこか楽しそうに、



『久し振りにもかかわらず、盛大な殺害をありがとう――――神喰い』










あとがき
変態登場の回ですね。一応、これでオリキャラは全部です。これ以上は出ないかも。
このお話は、基本的には原作キャラの出番が少なめです。だから、下手をすればアースラ勢は会話の中だけしか出ないという可能性もありますね
というわけで、次回は「昔話はトイレの中で」で、行きます。
一応、サクヤ嬢はヒロインの一人です。アリサ、サクヤがメインヒロインで、ジグザは………………………保留?
感想、その他をお待ちしております。



[10030] 第十話「子供地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/03/29 23:29
今になって想えば、普通ってなんだ?

今になって想えば、子供らしさってなんだ?

そんな疑問を今になって想う。それがどんな意味があるかは俺も知らないが、それを何となく想ってしまった事には意味がある。意味があるというよりは、考えてしまった事でそれは既に過去の事のなる―――前置きが長いな。

つまるところ、俺にとっての普通とは元の世界の普通でしかない。元の世界には現実というリアルしかない。UFOも幽霊もいるが、それ以外は滅多に見る事がない。

魔法は存在するかもしれない、けれども俺は見たことが無い。周りのみんなもそれは同じなだけに、それは本当に存在しないというリアルにシフトされてしまう。

魔法は存在しない―――それが普通。

物語の様にボーイ・ミーツ・ガールは当たり前にあっても、其処に小説のような異能も異形も異常もありはしない。皆が普通に出会って普通に恋をし、後は破局かゴールの二択だけ。

現実は物語の様にはうまく回ってない。回る方式は少年誌ではなく青年誌、アニメではなくドラマ、ドラマも土曜二十一時ではなく真昼間の昼ドラだ。

リアルとはそういうつまらない普通の集合。それが普通でありリアル。とてもじゃないが、そこには空から降ってくる少女もいなければ、眠っている不思議な力も無い。それどころか、特徴の在りすぎる名前を持つ奴だってそうはいない。

そんな普通な世界で生きてきた俺にとってこの世界にある普通は普通じゃない。元々知っている普通ですら危ういというのに、魔法なんていうおかしな力まで関われば尚更におかしい。

普通という尊さを知るには、普通という重さを忘れ、その有難味に沈痛するしかない。

故に子供の頃はそういうリアルを見ていなかったのが、俺。そして前の俺もそんな子供のまま大人になった一人だったのかもしれない。

子供のリアルは何時だってリアルじゃない。今はどうかは知らないが、俺の子供の時代は少なくともそうだった。野原を駆け回る時だって何か不思議な事が起こるのではないか、そんな理想があった。

けれども、理想は所詮は理想でしかない。

子供の頃に空を見るのは、空から何かが堕ちてこないかという期待。大人になって空を見る時は期待ではなく逃避。空をから何かが降ってこれば今のつまらない日常が壊れるのではないか、そんな期待を持って空に逃避する。

逃避し、逃避し、逃避し―――そして、世界は変わらない。

何時だって世界のリアルはリアルでしかない。

大人らしさ、というには些か悲しい現実。そんな現実の中で生きる人々はどんな想いで生きているのだろうか。守るべき過程もなければ好きな女もいない、そんな俺にとって毎日がビデオテープの再生と巻き戻しでしかなかった。嫌な事があれば早送りできれば良かったのだが、そんな機能はリアルにはない。

リアルは寂しい。

リアルは厳しい。

けれども、普通。

大人の世界の普通。

――――そして、こんな事を考えている時点で俺はまだ完全な大人にはなっていない。

もしかしたら、本当の大人というのはこういった考えを何度も何度もして、そして割り切った者を大人というのかもしれない。

大人になったら空を見ないかもしれない。仮に空を見上げたら「今日は晴れている」という程度の感想しか抱かないのかもしれない。そんな想いを抱ければきっと俺は本当の大人になれるのだろうか?

まぁ、そんなこんなで俺は未だに子供になれない大人を続けている。

中途半端なガキ臭い奴、それが佐久間大樹という二十三歳。そんな二十三歳も何の因果か魔法少女が主人公な世界に生きている。

魔法少女、なんて夢のある存在だ。小さな子供が魔法のステッキ片手に様々な事件を解決し、みんなを幸福にしていく―――という俺の世代の魔法少女とは一味も二味も違いすぎる魔法少女が俺の近くにはいる。

妙に子供らしくない思考を持った優しい少女。力を得ても驕る事もなく、何処までも真っ直ぐに進める輝かしい存在―――けれども、本当にそんな存在がリアルなのだろうか?

この世界でのリアルがそれだとすれば、俺は首を傾げるしかない。何時もの悪い癖、何事も否定してしまう嫌な癖というか性質。そんな俺はまたも何かを否定する。

そう、俺は否定してしまった。

言葉にも出さず、表にも出さず、気づいたのは忌まわしき邪神だけ。

これは別に完全な善人だという話でもないし、彼女が素晴らしい存在じゃないと否定するわけでもない。

これは俺の単純な疑問と―――ちっぽけな自尊心が黒くなっただけの話だ。

普通という概念と、子供らしさという概念。

もう一度言うが、これは別に彼女を否定するわけではない。

否定したいのは俺の想い。

誰かを否定したいのではない、俺が俺を否定したいのだ。

けれども、そんな俺に向かって奴はこう言った。

「珍しいよ。君がそんな『悪意』を込めた想いを私以外に向けるなんてさ」

その言葉が悔しくて、情けなくて、何も言えなくなった。

そして気づく。

そうか、これは俺にとって初めての経験だったのかもしれない。

この世界に生きて数日、初めて想った邪神と己以外に向ける―――否定。



俺はこの日、高町なのはという主人公を―――小さく否定したのかもしれない……











眠い、果てしなく眠い……

俺はベッドとテレビ以外、何もない部屋の中でぐたぁっと横になった。テレビをつければ休日の朝だというのにアナウンサーが元気いっぱいに今日会った出来事を次々と喋くり倒している。

凄いと思う。だって、あの人達って確か深夜の二時とか三時くらいから起きてるという話だ。俺にはそんな芸当が出来ない。少なくとも深夜に起きるには見たい番組を見るという限定的なやる気を出さない限り不可能だ。

まぁ、それが立派な人間的な生活とも言えるがな。

だが、そんな事はどうでもいい。

俺はともかく眠いのだ。

「糞ったれ、これも全部アレのせいだ……」



実に唐突だが、俺はホラーが苦手だ。



以前も言ったような気がするが、俺は学校の怪談レベルでビビるヘタレだ。心霊番組とは見れないし、映画も無理。特にホラー映画などを映画館という暗い空間で見るという他人の神経が信じられない。

あれは拷問だ。

幽霊が爆音と共に出現するシーンなんぞを見たら軽くショック死するぞ……うん、きっとホラー映画を映画館で見る奴等は全員がマゾヒストに違いない―――ちなみに、何故かスプラッターは平気だ。ゾンビとかそういう種類のが出てこない以外は結構平気。ジェイソンとかも結構平気。襲ってくる連中が全て人だという時点でOK。幽霊とかじゃないと特別問題なしで全体的に平気だ。

人間が残忍に殺し殺されるシーンは特別問題ない―――あ、でも『ホテル・ルワンダ』とか見た時は本気で怖くなったね。人間って本当に怖いなぁと思ったよ、うん…………話がズレたな。

ともかく、そんなわけで俺は幽霊とかホラーが苦手なのだ。

そんなホラー苦手な俺が昨日の晩、色々な理由で夜の学校に忍び込んだわけだが。

「怖くて寝れないって、俺は子供か?」

事実である。

昨晩、学校でサクヤとちょっとした会話をした時に聞こえた悲鳴。俺とサクヤは即座に悲鳴の聞こえた場所に向かった―――そして、俺は心底後悔した。

そこにいたのは漫画みたいに眼をグルグルと回転させているなのはと、なのはの下敷きになったユーノ、そしてジュエルシードの思念体。

ぶっちゃけ、俺も失神しかけた。

学校に現れるという時点で人体模型とかそういうありきたりな形で出てくると思っていた。幾らホラーが苦手な俺でも心の準備が出来ていれば何とか理性は保てるだろう。だが、あれは少々――というか、かなりの予想外。

ジュエルシードの思念体は確かに幽霊の形をしていた。

性格に言えば小さな女の子、恐らくは『トイレの花子さん』だろう。

トイレの花子さん、なんて可愛らしい名前だろう。ベターすぎて怖さも半減する程にベターなお化けだ。そんなお化けにヒーヒー泣きだす俺ではない。

そう、それが普通のトイレの花子さんだったらの話だ……

反則だ、あれは反則だ。

俺のトラウマになった映画の花子さんだった。



名前を上げれば『新生・トイレの花子さん』だった。



叫んだね、サクヤが近くにいるとか大人の威厳とかそういう事を全部とっぱらって叫んだね。叫びながらサクヤに飛びついてサクヤにぶっ飛ばされた。

可愛らしい悲鳴を上げながら俺をぶっ飛ばし、俺は下品な悲鳴をぶちまけながらぶっ飛び、壁に激突、そのまま意識を失った。

その後、俺が目を覚ました時には俺を心配そうに見つめるなのはとユーノ、そして俺に目を合わせてもくれないサクヤの姿。

あの時の三人の眼は一晩明けてもキツイ。特になのはなんかは優しい言葉で

「大丈夫です。私、何も見てませんし、聞いてもいませんから」

というハートブレイクショット以上の一撃をくれやがりました。どうやら、俺は気絶している間に情けない寝顔で寝言を言っていたらしい――――死にたくなった。

そんな俺のトラウマになりそうなエピソードを作りながらも、その日のジュエルシードはきっちりと封印された。その後は当然解散。なのはとユーノを自宅前まで送り届け、その後は俺も当然帰宅。サクヤは何時の間にかいなくなっていた。

そういえば、サクヤがこの世界にいる理由とか聞きそびれたな、と思いながらも俺は次に会った時でいいかと考え、帰宅した。



しかし、俺にとっての恐怖はこれからだった。



微かな物音。

誰も住んでいない隣の部屋から聞こえるラップ音らしき音。

人の声らしきものすら聞こえてくる始末、あと犬の唸り声らしき声もする。

部屋の奥の小さな暗闇も恐怖を呼び起こし、カーテンの隙間から見える窓すら見れない始末。

こうなったらさっさと寝ようと布団に飛び込み、電気を消そうとし―――今日だけは電気をつけたまま寝るとしようと即決。瞼を閉じて、いざドリームワールドへ…………瞼の裏で新生・トイレの花子さんが嗤ってました。

そんなわけで、俺は情けない事に一睡も出来なかった。

「――――ようやく、朝だ……」

雀の鳴く声と朝日の素晴らしさに涙しながら、俺は軽めの朝食をとった後に即座に布団にダイブ。心地よい眠気を通り越して、即座に眠らなければ死ぬというレベルまで陥った俺の意識はゆっくりと闇の中へ。



PiPiPiPi―――



電話が鳴った。

枕元に置かれた黄色の携帯が鳴っていた。バニングス家で仕事をする様になって持っていた方が便利だろうと支給された携帯…………決してアリサに買ってもらった携帯ではない。アリサから渡されたが、これはバニングス家から『支給』されたのだ。

大事な事だからもう一度言うが、これは『支給』されたのだ。仕事で使うから『支給』された携帯が妙にファンシーな気がするとかそういうのは気のせいだ。通話料金だって「そっちは私が払っておくわ」というアリサの言葉があるが、あれはバニングス家で払うという意味で、決してアリサが払うわけではない。

そう、コレは『アリサ』からではなく『バニングス家』からの借りているのだ。『買って貰った』のではなく『支給』だ。

「…………」

軽く自己嫌悪。

眠気以外で重くなった身体を起こし、俺は携帯を開く。どうやらメールが送られてきているようだった。新しい携帯の操作に多少手間取りながら、俺は受信したメールを開き、その内容を確認し――――顔をこわばらせた。

メールの内容はこれから眠りにつこうという俺の願望を打ち砕く程の一撃をもった内容だった。

どうする、無視するか?

いや、無理だろ。

脳内会議は二言で終了し、俺は一分ほどその場で項垂れ、泣きだしそうな涙腺を堪えながらメールを送る。

今日は休日。

休日に寝て過ごそうとした俺の計画は鳥のせせらぎと共に消えた。







穏やかな昼下がり、なんて時間でもないが辺りには沢山の人々がいる。家族ずれもいれば憎たらしいカップル、子供同士の集まりもある。そんな街中は平日とは違った意味での賑わいを感じられる。

「ねぇ、あそこが見たい」

「へいへい、了解ですよ、お嬢様」

「お嬢様に対してのリアクションじゃないわよ」

「生憎、俺は執事じゃなくて召使だからな」

人込みの中を車椅子を押して歩くというのは中々しんどうだった。それでもここ数日ずっと押していた車椅子には多少の愛着が湧いてくる事もあるが、それはアリサからすればいい迷惑なのかもしれない。

俺はアリサを乗せた車椅子を押しながらアリサの指定した店の前に止まる。そこはこの辺りではそこそこ大きい書店らしく、軽くスーパー一店舗程の大きさを持っていた。

「ここなら車椅子でも入れるわ」

昨今、バリアフリーが騒がれているが、それをどの場所でも行っているわけではない。車椅子を押して歩けば周りの人は避けて通る。けれども、人込みを避けるという意味では人込みになど入らなければいい……無論、それは無理な事ではあるけどね。

書店は書店の空気を持っている。図書館に図書館の空気が在る様に、この場所には独特の静けさがある。そんな静けさの中で車椅子の車輪が回る音が鳴る。文庫本を立ち読みしている人の背後を慎重に通り抜け、前から来る人に「すみません」と軽く会釈をして通り過ぎる。

「で、また経済学とかそういう退屈そうな本か?」

「漫画ね。今日はそんな気分」

「そうか……ってか、お前も漫画とか読むんだな。お前の部屋にそういった本が一つも無いから、てっきり読まないと思ってた」

お嬢様は漫画を読まない、そんな偏見を持ちそうになる。

「一応読むわよ。でも、あんまり部屋に並べて置くほど量は持って無いわね……もっとも、見られちゃ困るような本は表には出してないけど」

「それ、言っていいのか?」

「特別よ?」

そう言って人差し指を唇の前に当て、軽くウィンク。

「了解、お嬢様」

頷き、俺達は漫画本コーナーへ。



さて、そんなわけで俺は主であるアリサ嬢のお供をしている。今朝届いたメールはお嬢様が家にいるのに飽きた、せっかくの休日だし買い物に行きたいとい我儘メールであった。休日に家の中で籠っているのは大変だろうとは思うが、俺にも休日という大切な一日をお子様に付き合って潰すのは些かではない―――とは言えない。

何せ、この子は俺のご主人様なのだ。

ご主人様のお願いは聴かなければ後々が怖い。そういうわけで俺はアリサのお供をしているわけだ。

「ねぇ、なんかお勧めある?」

「記憶喪失に何を聞いてんだよ……だが、お勧めはコレだな」

正直、お嬢様のお買い物というものを知らない俺は、てっきり高級な店に連れて行かれるとばかり思っていた。その為、今の俺が持っている服の中でもそこそこの値段のする服を着てきたわけだが、その苦労はあっさりと無駄になる。

さっきから行く場所行く場所、全てが俺でも普通に入るような店ばかり。どうやら、お嬢様といっても物語の中に出てくる様な浮世離れした存在ではないらしい。

「面白いの、コレ?」

「俺も最初はそう思ったが、これが中々な味だ。絵の違和感を捨て去れば結構イケる」

「ふ~ん、推理モノなんだ……しかも、主人公は魔神」
「そしてヒロインは小宇宙並みの胃袋を持つ女子高生……後半は完全にバトルだけどな」

アリサは俺の勧めで五冊ほど購入し、次は文庫本コーナーへ。

「子供向けだと……あんま知らんな。適当にこの少年魔法使いな話でいいんじゃね」

「適当に選ばないでよ。それと、それなら全部持ってる」

アリサの趣味は良くは知らない。小学三年だからとりあえず子供向けでいいかなぁと思ったが、困った事に子供向けの本のどれがいいのかわからない。

「時間を潰すなら分厚い奴だな……いっその事、シャーロック・ホームズでいくか?もしくは少年探偵団とか」

でも、コイツならS&Mシリーズとかいけそうだな。科学的で物理的なトリックとかそういうのがよくわからん俺でも面白かった。

「――――れ、恋愛モノとかは?」

「知らん」

「…………即答する自分が悲しくならない?」

「うるさい」

ちみっこはあずきちゃんでも読んでろ。

それにしても、こっちの世界でも元いた世界と本の種類はそうそう変わりがないらしい。てっきりまるっきり違う作品とか、似た様な作品があるとばかり思っていたけれども、そんな事もなかった。

おぉ、この世界でもこの作品は映画化されんのか……

その後、二十分程その書店を見て回った。結局、アリサは良くわからない海外のファンタジー小説を二冊買い、俺もついでと文庫本を五冊購入した。

「佐久間って漫画とかしか読まない人だと思ってたわ」

「失礼だな。俺だって小説くらいは読むぞ」

「でも、あんまり聞いた事ない小説ばっかりね……あ、これは名前だけ知ってる」

「お前にはまだ早いよ」

そう言うと、予想通りにアリサはムッとし、

「子供扱いしないでよ」

こう言った。

どっからどう見ても子供だっての。俺よりも精神年齢とか高そうだけど、見た目だけなら子供だ。体重だって軽いし、人生経験だって違う―――資金的には天の上だけどな。

会計を済ませ、俺達は書店を出る。

「それで、次は何処に行く?」

「そうねぇ……それじゃ、アイスを食べにいくわ」

「アイスか。甘いモノは苦手なんだけどな」

「女の子は甘いモノが大好きなのよ」

甘いモノが好きな男もいるけどな。

アリサの指定した場所は近くの公園に特定の時間になるとオープンする移動型販売のアイス屋だった。アリサが言うには結構な人気の店らしく早く行かないと一番人気のアイスなどモノの五分で売り切れるという。ただし、アリサの食べたいモノは一番人気ではなく、スタンダードなバニラだとさ。

公園に着くと、予想通り店の前には人の列が出来ている。

「それじゃ、買ってくるから少し待っててくれるか?」

アリサを抱き上げ、ベンチに座らせる。その際、人目がある中でお姫さま抱っこが恥ずかしいのか、頬を微かに赤く染めていた。そんな姿で心を和ませながら俺は行列に並ぶ。

列に並んでいるのはやはり女性が多い。女性ばかりの中に混じる男の気分はなんだか場違いな場所の来た時の気分に似ている。

微かな違和感を三分ほど耐えると俺の番が来る。アリサから指定されたアイスを購入し、足早に戻る。

「お待たせ」

「ありがと――――あ」

アイスを受け取ろうとしたアリサが不意に止まる。はて、俺は注文通りに買ってきたわけで間違いはないはずだが……ん、このアイスってスプーンで喰うタイプか。舐めて食う事も出来るけど、それでは少々食べ難い。

今のアリサは片手が使えないのでスプーンを使って食べる事が出来ない。

「仕方ねぇな……」

自分の分を買っておかずに正解だったな。俺はスプーンを手に取り、

「ほら、喰わせてやるから口開けろ」

「んなぁ!?」

変な奇声を上げながらのけ反るアリサ。

「あ、あああああ、アンタ!そんな恥ずかしい事出来るわけないでしょ!?」

「気にすんな。俺は気にしない」

キッパリと言うと、アリサは何故か不機嫌な顔で俺を見る。

「アンタ、恥ずかしくないの?こ、これって、あ、あれじゃない……」

「恋人同士であ~んって奴か?」

「そ、そうよ!!」

「……お前馬鹿か?子供相手に恥ずかしがる大人が何処にいるんだよ?」

少なくとも此処にはいない。

それに、昨日のコイツに人生初めての土下座を決めた俺に、恥ずかしいと思える事などそうそう在りはしない……あと、幽霊にビビって気絶した事も含めてだ。

「うぅ……そ、それじゃ……」

躊躇しながらも口を開ける。俺はアイスを救い取り、アリサの口に運ぶ。

「美味いか?」

うん、と顔を綻ばせながら頷いた。だが、それでも羞恥の念は消えないらしく、その後も俺が食べさせてやってる最中ずっとアリサの顔は赤かった。




子供だと言いながらも、それでもアリサはアリサ。小さくても女性は女性。街中を歩く俺達は自然と他人の眼に止まる。それがチラ見であったとしても見られていることには変わりはない。

俺ではなく、アリサに。可愛いからではなく、痛々しいから。

それを一番感じているのは他でもないアリサ自身だろう。街行く人々の眼に映るアリサの姿は重病人そのモノ。手にはギブスをはめ、脚も同じように。そしてなにより額に巻いた包帯と片方の目を隠す白い眼帯。

一か月も経っていないのならば当然だが、その包帯が取れる事はない。

その結果として、アリサの着ている服も少々地味な感じなる。周りの同世代の子達が好きなように、自分の好きな服を着て楽しそうに歩いている姿を横目に見ているアリサの顔はあまり晴れやかではない。重病人に負担の掛らない衣服を選んではいるが、それでもお洒落に手を抜いている、そんな感覚はコイツにもあるのだ。

そんなアリサに俺は何も言わない。

気づかないフリをして、呑気な会話を続けるだけ。

「で、次は何処に行く?」

「そうねぇ……」

次の場所を考えるアリサ。そんなアリサの視線がある場所で止まる。一瞥した、という表現が似合う程に一瞬だったが、アリサは確かにその場所を見ていた。

可愛らしい人形が並んでいるファンシーショップ。アリサが見たのはそこ。女の子達が楽しそうに人形を見ながら笑っている。

「次はそこか」

車椅子の進行方向を変えて向かおうとしたが、

「いい。今は、いいから」

アリサはそれを拒否する。

「何でだよ。あそこに行きたいんじゃないのか?」

「いいの。なんとなく眼に入っただけだから」

眼に入ったからと言うには、妙にその場所から視線を外していない。それどころか、一か所を凝視している。

「…………」

アリサの見ていた場所、ウィンドウに置かれた犬の人形。チワワの形をしたぬいぐるみがちょこんと置かれていた場所をアリサはじっと見ていた。

じっと見つめ、それから諦めるように漸く視線を移す。

――――ったく……

コイツは何を遠慮してるんだろうな、本当に。確かに今のコイツの姿であの場所に入っていくというのには躊躇があるだろう。その上、あの狭い店内に車椅子で入るには不便だ。入っても周りの客の迷惑になるし、あの人込みでは入る事すらキツそうだ。

もしかしたら、別にあの人形が欲しいわけではないかもしれない。店の中に入って中にある色々なぬいぐるみを見たいのかもしれない。

人の心なんて正確にはわからず、想像するしかないが、それでもアリサがあの店に入りたいという気持ちは簡単に想像できる。

ならば、後は考えるまでもないだろう。

俺はアリサに何も言わずに直進する―――その店に向かって。

「佐久間?」

「子供が遠慮してんじゃねぇっての」

グングン店の前まで行き、入り口の近くで話している子達に向けて、

「ゴメン、ちょっと道開けてくれないか?」

子供達はすんなり道を開けてくれた。店内はやはり狭い。車椅子で店内を見て回るには不便だと一目でわかった。だが、その程度でしかない。俺は通路の前にいる子達に何度も何度も一言告げて道を開けてもらう。

「さて、お嬢様。どれがお好みですか?」

「…………アンタって、こんな強引な奴だっけ?」

「レディをサポートするのが男の役目だって鮫島さんに聞いたんでな」

ふと想う。

もの凄い嫌な思い出だが、この世界に来た時の俺とジグザの会話。その中でジグザは俺がこの世界に、二度目の人生を始める際に今までの自分を捨て去ったと言っていた。喋り方は本当に気づかなかったが、今ではそれも良く分かる。

元の世界にいた俺はこんな喋り方ではなかった。こんな風に冗談を言うのでさえ臆病な程に口数の少ない奴だった。そんな俺がこの世界ではこんなに饒舌――とまでいかなくとも、普通に会話を出来るようになっている。

二度目の人生だから変わったのか、二度目の人生だから前の俺を捨てたのか、それともどちらでもないのか、考えるのも面倒になるけども、今はそれすら俺は受け入れようとも想っている。

ジグザが言うからではない、俺がそう思っているからだ。

変わった、という事だろうか。

俺自身が完全に変わったわけではないが、変わろうとしているという傾向は自分でもあるのかもしれない。それはこの世界を『物語』ではなく『現実』だという認識に変わった事が関係しているのかもしれない。

外から見るのではなく、内から見回る世界。視聴者ではなく一人の人として、佐久間大樹としてこの世界に存在する事をようやく認められたから、なのかもしれない。

成長ですらない。

気づいたわけでもない。

認めたわけでもない。

単に、ようやく歩く気が出てきただけだ。

女神との会話で俺はゆっくりとだが歩こうと想った。だが、それは『想っただけ』でしかい。

そう想い、そうしたい想い――そこでストップした思考。

ゆっくり、そうしようとする事を免罪符として俺はそこから止まっていた。急いでいるわけでもない、ゆっくりでいい。でもゆっくりですらなかった。

止まり、止まり、止まり、そして俺は怠惰した。

考えれば後は何とかなると想像し、その想像で満足した。物語を想いつき、想いついて完結したつもりになった物書きと同じように、俺はそこで停止していた。

だが、それがようやく動く気になった。

ずっと止まっていた足が動き出した。

それが昨日。

逃げる為に喫茶店のドアを開け、足を踏み出す。

踏み出し、後退するつもりだった。

踏み出し、逃避するつもりだった。

踏み出し、俺は引き返した。

この小さなご主人様との繋がりを守りたい―――いや、失いたくないとその時は想った。俺のせいで彼女を傷つけ、その上で俺は逃げ出す、そんな自分が嫌になった。

俺は俺を許せない。でも、許せない俺はそれに酔っている。酔っている俺はそれで満足し、後には何が残るかも考えず、逃げだそうとした。

だったら、



否定してやる



酔いは少しずつ冷ませばいい。

嫌な自分は少しずつ認めればいい。

急ぐ必要はない。

必要がないなら、この繋がりをもう少し繋げていた。

聖人君子のような振舞いは出来なくとも、あの土下座で失った社会的な物を取り戻せなくとも、失いかけた何かを繋ぎとめる事は出来たと信じたい。

この信じたいという想いを継続する自信は正直無い。だから、俺は無理矢理にでも繋げる。その方法は実に簡単だ。昨日、アリサに借りた金はあの動物病院には移らず、俺の家の引き出しに仕舞い込んでいる。微かに手を着けてはいるが、それは一カ月も働けば十分に返金は出来る。

けれども、俺はそれをしていない。

大人的には金を返していないというのは最低だが、大人だから多少の汚さを使ってもいいだろ?

金で繋いだ繋がりはこうして繋がっている。

何時かその繋がりが切れた時、俺はどうするかは想像できない。

まぁ、それはその時に考えればいい。

少なくとも、今の俺の考える事は一つ。

「で、どれがいいんだ?」

この小さなご主人様に合うぬいぐるみを吟味する事だろう。





「―――――デートなのよ」

そういえば、今日はジグザの奴を見ていない。

「昨日の御礼っていうのは、ちょっと変だけど……」

アイツが一日も俺に話しかけてこないなんて変な気がする。

「そ、その……嬉しかったから……佐久間が……その……」

むしろ、これは胸騒ぎだ。

アイツが気になるのではなく、アイツが何をするのかという胸騒ぎ。

嫌な予感とも言える。

「と、ともかく……そういう事なの!!」

考えれば考える程に嫌な予感が止まらない。

何かが起こる。

何かを起こす。

何かが起きてしまう。

何かが、起きてしまう可能性が怖い。

「―――――ねぇ、人の話……聞いてる?」

「ん、ここの料理が不味いって事か?」

周囲の空気が止まる。

止まって、凍って、氷点下の視線が俺に突き刺さる。

主に俺達のテーブルの傍に立っているボーイ、そして店の支配人ではる初老のおっさん。二人の眼光がレーザービームでも出るのではないかという程に怖い。

「んなわけないでしょ!!」

「だよな。すんません、ちょっと調子こきました」

店の方に頭を下げる。いい所のお嬢様であるアリサの手前、彼等も怒りの形相を浮かべるはずもなく、無理くり作りあげた笑顔で「いいえ、気にしてません」と棒読みで言わざる得ない。

「アンタさ、私をこの店に二度と顔出せなくさせたいの?」

「だから、ゴメンって言ってるだろ。ちょっと考え事してて聞いてなかっただけだ」

「何を考えてたの?」

「借金返済の方法」

「―――消費者金融に行きなさい」

「俺の借金をこれ以上増やす気か?」

「バニングス金融は何時だってハイリスク・ローリターンがモットーよ……主に消費者が」

鬼だな、お前の金融は。

「あ、煙草ってOKですか?」

ボーイに聞いて、俺は食後のいっぷくに入る。

料理も美味いが煙草の中々のお味……いやね、こんな高級そうな料理を食べても庶民にはあんまり理解できないわけですよ。こんな少量でチェーン店の牛丼よりも高いってどんだけだよ?美味いとは思うけど、その美味さの中身がどうもしっくりこない。前に和牛の高い奴を喰った時と同じように、普段食ってる安い牛肉の方がしっくりくる感じかな。

紫煙を噴き出しながら、外の風景を眺める。

このレストランは高級ホテルの最上階に位置する。昼飯にするからその辺のファミレスでいいかなぁとか思っていたら、ここで既に予約を取っていたらしい。どうも俺はこの場所では場違いだ。テーブルマナーもよく知らんし、振る舞いもよくわからない。魚の食べ方とかパンの食べ方とか、一々アリサに指摘されながら窮屈な食事を体験し、あんまり食事をしたという気がしない。

出来る事なら、今後は普通の外食店をお勧めしたい。俺の平穏の為と、舌が庶民である事を忘れない為に。

「それで、さっき何か言ってたのか?」

「聞いてないならいいわよ。そんな大した話じゃないし……」

不貞腐れるお嬢様に首を傾げながら、俺はだったら別にいいかと食後のコーヒーを口に含む。うん、珈琲は何とかなる。珈琲の美味さだけは大人になれば必然的にわかると俺は勝手に想像しているのだが、どうなのだろう。ブラック派である俺の感覚と砂糖やミルクを入れる派閥の連中ではどう違うのか。

そもそも、珈琲を飲むのにミルクと砂糖を入れるなと思う。珈琲好きを語るつもりはないが、元々がブラックで飲む物ならそれ以外を入れるのは邪道だ。素人が適当な量で砂糖とかミルクを入れる所を見るとなんだが珈琲が可哀そうになる。

もっとも、コレは俺の中だけの思想であり、他人は関係ないのだが。

そんな無駄な思考を巡らせ、アリサと他愛もない会話をして、俺達はレストランを後にする。この場の会計は俺なのだろうかと一瞬恐怖を感じたが、どうやら会計は最初から払われているらしく、俺の借金が増える事が無い事にちょっと安堵―――同時に、それがちょっと寂しい。

「やべぇな、借金するのが普通になってる気がする」

エレベーターで一階のボタンを押しながら、一人呟く。

「借金執事って、漫画みたいね」

「俺は超人じゃないけどな」

「凡人ではあるわね」

「お嬢様は超人執事をお求めですかい?」

「まさか。私は普通が好きよ?普通に仕事が出来て、普通に優しい執事が好きね―――あと、普通に笑える執事」

アリサが微笑んだので、俺も微笑む。

「何点だ?」

「六十八点、進歩なし」

おっと、これは厳しい。

「でも、前に比べたら合格点ね」

「人間は常に進歩し進化するんだよ」

俺の場合、それを怠けていただけなのだが。

「別に急いで進歩する事もないわよ。ゆっくりでいいのよ。それに笑う事って練習する必要もないもの。普通にしてれば自然に笑えるし、普通に出来るようになる。様はその人の日々の過ごし方が問題なのよ。常に暗い事ばっかり考えてたら笑う事も出来なくなるし、無理矢理な笑い方で仮面みたいになる」

「子供らしくない硬い考え方だ」

「子供舐めんな」

俺達を乗せたエレベーターがゆっくりと下降していく。

最上階から一階まで一分も掛るらしい。

ゆっくり、ゆっくりと降りていく鉄の箱。

鉄の箱から見える街中は相も変わらず人で賑わっている。

休日だからしょうがない。

そう、今日は休日――――ん、休日?

「――――なぁ、そういえば休みなのにアイツ等と会わなくていいのか?」

「アイツ等?…………あぁ、なのはとすずかの事。一応誘いのメールは在ったけど、今日はアンタとのデートだって言って断ったわ」

「デートだったのか?」

「……………………冗談よ」

だったら何で顔を赤くしながら顔を背ける?

まぁ、んな事はどうでもいい。そんな事よりも考えろ。考えて俺は何かを忘れている事を思い出せ…………あ、

思い出した。

思い出し―――既に手遅れだった。




世界に青白い光。




瞬間、エレベーターの中を巨大な震動が襲う。

ガタガタと強烈な揺れに襲われ、俺は体勢を保てずに後ろに転倒。後頭部を壁にぶつけて止まる。

「佐久間、大丈夫!?」

「人の心配してる暇かっての!」

急いで立ち上がり、俺はアリサと車椅子を抑える。エレベーターの内部での衝撃がこれから、外はどれだけの衝撃に見舞われているのだろうか、そう思って外に視線を移した瞬間、世界が遮られた。

俺とアリサの視線に映ったのは巨大な蔓。

俺の身体よりも何倍も多き植物の蔓がホテルの側面に絡みつき、俺達の乗ったエレベーターのウィンドウに絡みつく。

「おいおい」

「何よ、これ……」

蔓がこれだけ巨大だと、その表面もしっかりと見れる。子供の頃に理科の授業中に虫眼鏡とか顕微鏡で見た植物の表面が肉眼でも確認出来る。

蔓は鼓動している。

気味の悪い表目がドクンと何度も何度も鼓動し―――俺はアリサを車椅子から降し、抱きあげた。

蔓がエレベーターの壁を壊して中に侵食してきた。

「嘘だろ!?」

逃げ場のない鉄の箱の隅に身を置き、蔓が箱の入り口をぶっ壊す。その際、アリサの乗っていた車椅子も一緒に巻き込み、無残に破壊された。

「…………アリサ、出来るだけしっかり掴まってろよ」

そう告げて俺は壊れたドアから顔を出す。蔓はドアを貫通し、偶然にも十三階の場所で停止していた。アリサを抱きながら蔓を伝ってエレベーターから出る。

当然のことながら辺りは騒然としていた。

逃げ惑う人達を従業員が先導している。この人込み中を移動するにはそこそこ骨が折れそうだと溜息を吐く。

「少しきついけど、頑張れるか?」

「私は大丈夫……それより、佐久間は大丈夫なの?さっき、凄い音して頭ぶつけてたけど」

「後頭部がズキズキするけど、問題ない」

強がりを言って俺は走りだす。

エレベーターは使えない今、非常階段で下りるしかない。しかし、これだけ大きなホテルだと宿泊している客も相当の数だ。皆が我先にと逃げ惑う今、唯一の逃げ場は混乱の雨嵐。

おいおい、こういう場合は女子供が先だろう?などと妙に冷静な思考を働かせた所で誰も聞きはしない。

俺は逃げ惑う人々の群れの中を一緒になって移動する。

「買った物を簡易ロッカーに保管して正解だったな」

「うん、そうじゃなかったらせっかく買ったのがおじゃんだよ」

こんな時にこんな会話を出来る程余裕があるというわけでもない。こういう会話をしていなければ俺の心が折れそうだ。何せ、地震とかそういう事で逃げ惑うという経験が俺には皆無なのだ。小学生の時にやった避難訓練が唯一の避難の経験。それが実戦で役に立つ日が来るとは嬉しいと思っていいのか、それともダメなのか。

十分かけて俺達はホテルの一階まで下りる事が出来た。普段、人込みを歩く以上に疲労感がたまる。

安堵の息を洩らし、俺はアリサを休ませられる場所を探し、辺りを見回す。

無論、そんな場所は何処にも無い。

何処も誰も、皆が己が生きる事、誰かが生きる事を優先している。突然出現した巨大な植物の蔓の被害は街中に広がっており、救急車やら消防車、レスキュー車まで出動している。

避難誘導に声を大に叫んでいる警官。

誰かの名前を叫んでいる悲痛な顔の女性。

怪我をしてその場に蹲る男性。

親と離れ離れになったのか泣きながら立ちつくし子供。

頭から血を流し、倒れている老人。

誰もがパニックに陥っている。テレビで見た大震災の光景が俺の眼の前で起こっている。ブラウン管の向こう側ではなく、俺の眼のすぐそこで繰り広げられている悲鳴と悲痛の嵐。その中で俺は無意識にアリサを抱く腕を強くする。

怖い、そう思った。

この状況の恐怖を覚えない奴はいるはずがない。避難誘導している警官も、救助の為にビルの中に突入する消防士も、怪我人の治療にあたっている救命士も、皆が恐怖に脅えている。けれども、脅えているだけでは何も出来ない。脅えている心と戦うから、勇気というちっぽけな自尊心でそれを打破している。

自分に出来る、精一杯で。

街中に張り巡らせた巨大な蔓は今でも侵食を続けている。この蔓が何処から出現し、どうしてこうなったのか、それを知っている奴は俺と、後はもう一人だけ。

「…………」

嫌な考えが頭を過った。

俺は頭を振ってそれを否定し、

「とりあえず、安全そうな場所まで逃げるか」

アリサを抱いて走りだす。

走り出した、それと同時に、

俺とアリサ、そして見知らぬ人々、その頭上に巨大な影が差した。雲によって太陽が遮られたのかと思ったが、それとは違う嫌な感じ。地面が揺れ、何かが折れ、そしてこの影が生まれた。

「佐久間!!」

アリサの悲痛な叫び。

頭上を見上げる。

見上げた先、俺達のいる場所に向かって、倒れてきた。

ホテルの傍にあった別の建物。その建物の下の階に絡みつく蔓。その蔓がビルの表面を潰し、土台おも破壊したのだろう。

俺達のいる場所に向かって―――ビルが倒れてくる。

動けない。

頭が理解しない。

避けるという考えが浮かばない。

何も浮かばない。

逃げればいい、無理だと考える暇もない。

何もかもが手遅れ。

眼に映ったのは俺と同じように絶望する多くの人々の顔。

勇敢にも逃げだそうと背中を見せる他人。

微かな、可能性は―――ない。

出来る事はたった一つ。

俺はアリサを庇う様に抱きしめ、眼と閉じる。

背後から来る死の気配。

俺の身体をぎゅっと掴む小さな手。

繋がりを求めて、繋がった小さな手。

初めて、初めて心の底から思った願い。



自分よりも、他人よりも、神様よりも邪神よりも、この世界に存在する全てよりも―――




想えば、俺はコイツのメールによって此処に来た。その時の俺は面倒だと思いながらも私服に着替え、バニングス家まで歩いて向かい、そこからアリサの車椅子を押して、今日という日になんの疑問を覚えなかった。

こんな時になってそれを想った。

疑問にも思わない、その事だけでおかしいのだ。

俺にとってアリサとは何か?

簡単だ、俺が被疑者でコイツが被害者。

俺はコイツの身体に傷を刻み、俺はその罪滅ぼしの為にコイツの傍にいた。その繋がりは決して主従などではないし、友達でも親子でもない。罪を犯した者と侵された者。

なのに、俺は疑問すら思わない。

いや、それは疑問ではない。

疑問ではなく、楔だ。

あのメールを見た瞬間、俺はメールを読んで最初に想った事は『面倒だ』という気持ち。その気持ちの次は『眠りたい』という欲求。その次は『仕方がない』という諦め。そして家の前のアリサが見せた偉そうな態度に『生意気そうだ』という感想。街を歩く最中、変な所で他人に気を使って店に入れないアリサに『ガキの癖に』という呆れ。そして二人で選んだ犬のぬいぐるみを買って、嬉しそうに微笑むアリサに『可愛らしい』という安堵。

そのどれにも、何処にもありはしない。



何処にも、後悔の念というモノが存在しない。



朝から今まで、俺は一度たりとも『俺のせい』とか『償う』とか、そういう楔の心を感じた事は一度だってなかった。

ただ疲れたと思った。

ただ眠いと思った。

ただ美味いと思った。

ただ嬉しいと思った。

ただ―――楽しいと思った。

だから、失いたくないと思った。



俺はこの手に抱きしめるアリサの身を、守りたいと願った。



願い、抗う。

この運命に覆れと願い、抗う。

この小さき身体を、俺の脆弱な身体で守りたいと願い、抗う。

ただ、願うだけなら誰でも出来る。それに抗うという行為をプラスさせるとこれはこれで厄介な事になる。

何も出来ない自分。

弱い自分。

生まれ変わっても、生き返っても代り映えのない弱い体躯。

故に俺はどうする事も出来ない。

どうにも出来ないなら、こうするしかない。

心が軋む。

喉が渇く。

心臓が激しく鼓動する。

吐き気がする。

身体と心、二つがその提案を却下せよと命令する。

命令し、口を閉じさせる。命令し、意識を失わせる。命令し、全てをブラックアウト、命令し、これにてバッドエンド。

それを選択するくらいなら此処でこうして死ねばいい。

それを選択するくらいなら此処でアリサと一緒に死ねばいい。

死ねばいい、死ねばいい、これでお前は普通に死ねる。

こういう場面、物語の主人公なら急に変な力に目覚めて物語は始まるらしい。けれども、その目覚める力というのは高町なのはの分で品切れだ。俺の分などありはしないし、もしかしたら別の誰かにくれてやったのかもしれない。

だから品切れ。

背後から迫る死の気配は一秒と経たずに俺とアリサ、そしてこの場にいる全ての人の身体を押しつぶし、肉塊に変えてしまう。

手は残っていない。

決められた物語のルールの中に存在するのは確定された存在のみ。

ルールは絶対。ルールを守らなければ意味がない。ルールが無ければ此処は混沌とした世界でしかない。

ルールを守り、そして死ぬ。

それで全てが大団円―――と、そんな戯言で全てを終わらせるというのが俺の身体と心の意見だというのなら、



―――――――反則し、否定しろ



そんなルール、クソッタレだよ。








「―――――ジグザァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」










叫んだ瞬間、世界に闇が生まれた。

青空を呑み込まん勢いで広がる巨大な闇の塊が何処からともなく出現し、形を宿す。それは巨大な蛇。それは巨大な番犬。それは闇の津波となって世界に具現し、巨大なアギトと持って俺達に襲い掛かる巨大な建造物へ向かって飛来する。

闇の牙は誰の目にも映ってはいないのか、それとも誰もがその光景を真実と認識できないのかはわからない。その姿を唯一認識し、現実だと認識出来る俺の前で闇は倒れる建造物へと襲い掛かる。

一撃で噛み砕く。

黒い番犬の牙が建造物を一撃、一口で砕き、その大部分を闇の中に呑み込む。しかし、それだけでは救いではない。番犬の一撃で砕かれた建造物の破片が槍の雨となって人々に降り注ぐ。無論、その中には俺とアリサも含まれる。

番犬の次は蛇の番。

蛇は一匹ではなく無数。数を数えるのも馬鹿らしい程の無数の蛇が槍の雨となって降り注ぐ破片を一つ残らず丸のみにする。

欠片も残さない、暴飲暴食な蛇は喰らいつくした。

周囲の人々は呆然としている。

何せ、倒れてきたビルが一瞬で姿を消したからだ。

現実ではありえない。リアルではありえない光景の前に人々は自身が生きている事を確認する事も忘れ、現実に追いつけていない。

リアルではありえないはずの事象はあっさりとリアルを食い潰す。

俺は改めて想う。

俺の元いた場所にはこんな現象はあり得ない。起らない奇跡、見えない異常、そして物語は現実を否定し、現実は物語に敗北する。

俺の普通はこうして邪神の掌によって壊れ、俺の新しい物語の形をした世界は続いている。

そんなリアルの中で、俺の腕の中で生きている命はリアルでは死んでおり、物語では生存する。

何がリアルで、何がファンタジーなのかもわからない曖昧な世界。

ルールを破壊し、反則する力。

ルールを無視し、全てを否定する力。

『反則し、否定しろ―――』

まるで、それこそが魔法の呪文の様に思えてきた。

俺の中での魔法の言葉。

救いをもたらさない呪詛の柵。

そして小さな世界は今日も救われた。

その小さな俺達の世界を救ったのは神でも悪魔でも、俺の真上を通過する桜色の閃光の主でもなく、闇。

人の苦を望み、嗤い続けるクソッタレな邪神。

空を奔る桜色の閃光を見上げながら、その野郎はやはり嗤っている。

身長よりも長い黒髪と黒い外装、アリサと何ら変わらぬ少女の姿を象った邪神はただ嗤う。
俺と世界と、この物語の行く末を――――








頑張れば、それだけで許されるなんて理屈はない。

結果を残さなければ意味がない。

仕事をするうえで、それは当たり前の事だ。頑張った、自分は頑張ったけれど結果は出なかった。それならば次を頑張ればいい、次は失敗しないようにすればいい。

頑張りは尊い想い。

頑張りは人の美学。

頑張りは過去の美談。

けれども、それは戯言だ。

昔は頑張れば理解されると思っていた。俺は頑張った、でも届かなかった。だからその頑張りだけでも理解してほしい―――そんな甘ったれた考えは俺だって持っている。

けれども、仕事を始めればそれはただの言い訳にしかならない。頑張っても結果を出せなければ意味がない。結果を残してもその結果が散々なら意味がない。社会、会社は利益を求め、利益を出せない社員を誉める事もしないし、金だって出したくない。

頑張りは最低限のラインでしかなく、現実ではそれは最低限ですらない。

努力しても報われない、頑張っても報われない―――それは当たり前の事。

物語の上で、努力などは美点だろう。でも現実ではそんなモノは美点ですらない。やって当たり前、やらない奴はダメな奴。頑張っても報われないのが当たり前。自分の成功は全て会社の利益、俺の利益ではない。

だから、俺はそういう意味では割り切れるようになっていた。

けれども、この想いは割り切れていない。

子供だから許される。

子供の内は頑張って失敗しても許される。

次に繋げる為に、君は明日から精一杯頑張りなさい―――それこそ、戯言だ。



夕焼けの街、壊れた街、人々は今日という日を単なる悲劇としか思ってない。泣き叫ぶ人も、それを励ます人も、皆が今日という日を忘れない。

壊れた地面の亀裂を見ながら、口に咥えた煙草には味が無い。

味気ない煙草。

煙草を吸う気ではなくとも自然に咥える習慣。これは立派な中毒だ。吸っていれば落ち着くのではなく、吸っている事が酸素を吸う同じ意味を持つ理由。

だから、味も感じない。

俺は無意識に火をつけ、無意識に吸っている。

見るのは夕焼けの街、壊れた道、壊れた―――人々。

『――――感傷に浸ってるのかい?』

奴の言葉に俺は不思議と嫌な感覚を覚えない。こんな事は初めてだ。初めてすぎて、気づきもしない。俺はジグザの問いを無視して歩く。歩く先に見えるのは小さな少女の背中。トボトボと堕ち込んだような背中、見覚えのある姿。

物語の、主人公。

俺は脚を止め、視線からなのはを外す。俺の帰り道はなのはの歩いている位置を通過するが、俺はその脚を違う方向へ向けて歩き出す。

今の俺は、アイツと話す気力も無い。

むしろ、離した瞬間にあの時に想った黒い感情が噴き出しそうで怖い。

泣き叫ぶ子供。

怪我に苦しむ女性。

ぐったりと動かない男。

縋りつく誰か。

そして、疲れ切ったアリサの姿。

胸の中で噴き出す塊は感じてはいけない嫌な感覚。それを封じ込める為に俺は人のいない場所を一人で歩く。

その背後を、ペタペタと裸足で歩く少女の形をしたジグザ。

「ここで一つ、こんな疑問を思ってみよう」

何時ものように意味のない広義の始まりだ―――けれど、今日は少しだけ違う。

奴の言葉よりも早く、

「――――罪とは何か……」

俺がそう言った。

脚を止め、ガードレールに腰掛ける。

「罪ってのは、誰もが犯すものらしいな。俺だって生きている限り聖人みたいに何も犯さないなんて事はありえない。だがよ、それが無意識の内に起こしているって可能性だってあるはずだ。知らず知らずの内に誰かを傷つけ、苦しめているかもしれない……例えば、日常生活の中で薬を買いに行った場合、俺が買おうとしていた風邪薬が最後の一個だった。そして俺はそれを買った。在庫は無い。そして次の来た誰かはソレを変えず、家に帰る。帰った先で風邪薬がない事を風で寝込んだ誰かに知らせ、また明日買いに行く、病院に行くという選択肢を選び―――そして、風邪をこじらせてその誰かは死んだ」

ジグザは何も言わずに俺と同じようにガードレールに腰掛ける。背が小さいせいか、脚が地面に届いておらず、脚を上下にブラブラさせている。

「これは罪か?」

俺はジグザに尋ねる。

「罪だと言うのなら、それは罪だろうね。君がそう思ってる時点でその話は罪だ。その例の中での罪人は全ての登場人物だ。まず、最後の一個を買った君。在庫を切らしてしまった薬屋の店員。薬を買えなかった事で諦めた誰か―――唯一の加害者でないのは死んだその誰かだろうね」

「俺は見知らぬ誰かを殺した事にも気づかない。店員も同じように気づかない。苦しむのは買えなかった誰か。苦しみ死んだのは誰かの誰か……極論だが、全員が全員悪いっていう話だろうよ」

極論すぎる気がするが、別に気にはしない。

これはあくまで例でしかない。本当にあった事はない。仮の話で、もしもの可能性。

「今日の出来事、あれは誰が悪いと思う?」

もう一度ジグザに尋ねる。

ジグザは答えない。

答え、コイツの中の真実は既に決まってるが、話しているのは俺だという事で黙っているのだろう。

「―――――突き詰めれば、全員が犯人なんだよ。最初から言っちまえば、あれを作った誰か、あれを封じた誰か、あれを見つけたユーノ、事故を起こした乗組員、散らばったアレ、それを拾ったあの少年、その少年と少女が願った願い……そして、願いを叶えたジュエルシード。皆が罪がある。皆が、何かを犯している」

「そして、君もその中の一人っていう事なんだろ?」

「忘れる事が罪だっていう話は、よく聞いたりするけどよ。今日に限って……それはあながち間違いじゃないんだなって思ったよ―――忘れていれば悪くない、なんて理由にはならない。もしかしたら、俺が忘れなかったら、忘れずに何らかの手を出していれば、あんな被害が出る事はなかったのかもしれない……」

「それは君の加害妄想だよ」

「慰めてんのか?」

「驕るな、そう言ってるんだよ」

だろうな。

俺もそう思う。

考えすぎれば何もかもを俺のせいだと考えてしまいそうになる。

限りなく他人で部外者な俺だとしても、突き詰めれば結局はそういう事になる。知ってるなら止められたはず。止めていれば何かが変わったはず。アイツに怖い思いをさせずに楽しい一日で終わらせてやれたかもしれない。

俺は今、酔っているのだろうか?

自分に酔いしれ、浸っているのだろうか?

だとすれば、最悪な奴だ。

「起こった結果は覆らないよ、佐久間くん。神様でも過去は戻せない。私達神様って奴等は大抵は今起こっている事態に首を突っ込む程度しか出来ない。前に言っただろう?台風という世界に私達は指先を突っ込み、その勢力を大きくするか小さくするか、その程度の力しかない。未来を見据える力を持つ者がいても、それは未来であって今でもある。所詮、それだけだ。過去は覆らない。そして神は何処までも傍観者である故に後悔もしない。観察者で傍観者、私の様に突っ突くような事はせず、壊さない様にじっと観察している臆病者なんだよ、神という連中はね」

世界はそういうバランスで出来ている、そうジグザは言っている。

バランスを崩せば世界は壊れる。壊れた世界は連鎖的に何処までも壊れていく。神様はその未来を知っているから壊さない。触れなければ壊れないならば触れずに鑑賞するだけ。名画を鑑賞するように、動く世界を鑑賞し続ける。

「けどさ、君が言いたいのは罪とかそういう事じゃないんでしょ?」

ジグザはガードレールから飛び降り、俺の前に立つ。

「君は単に気に入らないだけだ。この結果を起こした世界が気に入らないのでも、結果を起こしたあの少年少女を気に入らないでも、ジュエルシードをこの世界に持ち込んだ原因となったユーノが気に入らないわけでもない……君が一番気に入らないのは」



「高町なのはという―――主人公なんだろう?」



身体が冷たくなる。

「…………正直、わかんねぇよ」

「いや、少なくとも私はそう思うよ」

人の心を『想像』する事を得意とする邪神は楽しそうに嗤っている。

「よく君はこう口にするよね?『子供らしく』ってね。子供は子供らしくしていればいい、子供は危険な事に首を突っ込まず、呑気に遊んで暮していればいい。君にとって子供というのはそういう立ち位置なんだろ?」

だからこそ、とジグザは一呼吸置き、

「君はその言葉の重さを理解していない事に気付いた……違うかい?」

「…………」

「子供であるという理屈は確かに世間一般からすれば正しいだろうね。子供が罪を犯しても子供だから善悪の区別が付いていない、そんな理論で流される事が多い。同時に子供が重い罪を犯せば世間はそれだけで騒ぐ。大騒ぎさ。大いに騒いで無駄に喋って、己の価値観をぶつけ合い、そして最後には何の意味も無い無駄な時間として終了する。でも、騒ぎは起きている。子供だから、という理屈で起きている」

元いた世界で起きた外国の事件。子供がクラスメイトを銃で殺したという事件。あの国ではそういう事件は多くとも、大抵は大人のする事件だ。子供がそんな事件を起こしたなんて事は前代未聞。

だから、世界は大きくの事件を取り上げた。

子供。純粋無垢な可愛らしい生き物。何時か大人の様に醜く黒く染まる前の幼虫。そんな小さな妖精のような存在が犯した事件。

「子供である、という理屈はその時点で間違いだと私は想うよ。だって子供だって罪を簡単に犯す。小学生だとすれば苛めだってそうだ。苛めは立派な罪だ。苛められる方に責任があろうとなかろうと、苛めた側が悪い事は眼に見えている。それに苛められている方にも責任があるとするならば、それは喧嘩両成敗でどっちも罪人さ」

子供だって人間である事には変わりはない。子供は可愛らしい者であり、愛すべき存在―――でも、殆どがそういう枠組みに入るわけではない。紛争地帯では子供だって銃を持ち、敵を殺す。この国が平和すぎてそれが異常に思えるかもしれないが、その国では別になんら不思議はない事らしい。

子供だから、子供だから、子供らしく、子供らしく―――俺が今まで言ってきたコレはどれだけ軽はずみな言葉だったのだろう。

「純粋無垢な存在なんて存在しないよ。赤子だって泣けばミルクをもらえると学習するし、泣き叫べば玩具を買ってもらえるずる賢い知恵だって得る。純粋というのは心ある者には意味がない。特に人間には一番当てはまらない言葉さ。逆に心があっても純粋だと想えるのは動物さ。野生の生きる動物は何処までも純粋だ。生きるという理由で他を殺し、生き残る。純粋なまでに短絡的、そして無垢な存在だよ」

残虐、気が荒いなどと称される肉食動物だってきっとそうなんだろう。生きる為に獰猛になり、種を残す為に残虐になる。

心というあやふやな物を持ちながら、何故か彼等の方が上位に想える事だってある。

「子供という種別で既に免罪符となりかけている傾向があるけど、それではあまりにも他が不便なんだよね。精神がおかしくなった犯罪者が無罪になり、子供というだけで小さな罰で済まされる、そんな世界を素晴らしいと想える人間は一人残らず消え失せろって言いたい。だってほら―――私は邪神だからさ」

「邪神は関係ないだろ?」

「関係あるよ。僕は人の負を愛する。そういう仕組みに『されてしまっている』からね。僕はそういう理由で負を愛し、善を憎む―――だから、君が今想ってる理屈は結構な好物なんだよ」

そいつは最低な真実だ。

胸糞悪くなる。

俺にも、コイツにもな。

「なら、話はこれでお終いだ」

「えぇ~、これからがいい所なのに~」

「俺は帰ってさっさと寝たいだよ」

立ち上がり、足早に歩き出す。その後ろをぶーぶー文句をいいながらついてくるジグザ。

今日、俺はコイツに助けられた。邪神に命を救われ、他の者の命も救ってもらった。けれども感謝の言葉などは絶対にくれてやらない。

コイツは敵だ。

忌々しい悪の根源だ。

「今日はハンバーグがいいなぁ~」

「生肉でも食ってろ」

認めはしない。

コイツだけは認めはしない。

――――そうして、俺は黒い感情の全てをコイツに向ける事で自分を保つ。

コイツは邪神、コイツは悪。それだけを考えて俺は家路を歩く。

想いだすな、あの黒い感情を。

想いだすな、あんな馬鹿げた八当たりを。

アイツは悪くない、アイツはこんな事になるとは思ってもいなかったのだ。

だから、何も悪くない。

だから、間違っているのは俺で、悪いのも俺だ。

そうやって考えれば、俺は俺を維持できる。

否定しろ、俺自身を―――

「けどさ、何とも皮肉な話だよね~」

奴の言葉を無視する。

「これは決められたレールの上。だけれども、その決められたレールの上で彼女は決められた行いをし、決められた想いを決める」

無視して、夕焼けだけを見る。

「見つけたジュエルシードを取り逃し、街には多大な被害が生まれた。その結果、彼女はジュエルシードを集める『手伝い』を止め、自らの意志でジュエルシードを『集める』事を決心する――――ほんと、嗤えるねぇ」

夕焼けの先に、壊れた街があった。

夕焼けを見ない俺の影の場所で、ジグザは呟く。



「考えを改める、失敗を生かして決心する―――それだけで許されると思ってるのかなぁ、主人公君はさ?」



子供だから仕方がない。

思い出す、街の光景。

子供だから失敗だってある。

思い出す、泣き叫ぶ人達。

子供だから次がある。

思い出す、傷つく人達。

俺の中で何かが音を立てて崩れていく。俺が今まで普通に言葉にしてきた事の重さに耐えられず、ソレが崩れ去る。

言葉の意味も知らずに、言葉にしていた。

言葉の重みも知らずに、言葉にしていた。

舞台の表側しか見ていない俺は初めて裏側を見た。あの画像の裏にはあんな光景が広がっていたのだと、初めて知った。

死人が出ないという奇跡は、同時にゾッとする程の恐怖を生み出す。

生み出したのは子供。

子供の無垢な願いを叶えた玩具の仕業。

罪を憎んで人を憎まず―――そんな事は本当に可能なのだろうか?

罪を憎んではいけません、だからあの子達を許してください、そんな言葉をあの人達に向ける事が可能なのだろうか?

俺には、そんな勇気はない。

今日の事件だって俺にも非がある。俺の非があまりにも大きい。防げる事態を忘れ、呑気にアリサと買い物をしていた俺に誰かを責める権利なんてありはしない。

ありはしない、はずなのに……

胸に残る棘は未だに刺さったままだ。

驕るな―――俺は驕っているのだろう。驕る事で自らに酔いしれ、全ての事を己の内側の身で解決させる事を良しとしている。悪いのは俺だけ、他は誰も悪くない。あの子達も悪くない、なのはも悪くない、悪いのは全て俺。



そんな想いを、俺は小さく否定している。



ざわつく心、言う事を聞いてくれない心、どうしようもない黒い想いが他者を傷つける。傷つけない為に俺は俺の中で全てを完結させるしかない。

誰も悪くないと心に決めろ。

絶対に想うな。

絶対に想うんじゃない。

俺は想いを封じ込める。

二度と想わない様に、自分に言い聞かせながら、



ソレが例え,高町なのはの成長の一部であろうとも

ソレが例え、高町なのはという主人公にとって必要なレールだとしても

ソレが例え、高町なのはが事件に関わる大切な想いを抱いたとしても

ソレが例え、高町なのはという子供が犯した小さなミスだとしても





―――――後悔し、関わり抜こうと心に決めたと想えるだけで、許されるなんてあるはずがない……






そんな想いを、俺は胸の奥深くに閉じ込める。











人質はリリカル~ZEROGAMI~
第十話「子供地獄」











子供らしく――――その言葉の重さと怖さを、俺は初めて知った










あとがき
久しぶりに戻ってきました、な散雨です。
はて、これってアンチものだっけと疑問に思います。
アンチではありません。単に頭の痛い人の戯言です。
というわけで、そろそろフェイト嬢を出そうかと考えております。
次回は……わかんね。





[10030] 第十一話「邂逅地獄」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/02 04:17
目的をもって行動する事は素晴らしい―――らしい。

そもそも、ストーリーの上でそういう目的がないと意味がない。冒険活劇は勿論、子供向けの朝の番組も当然であり、推理モノだって推理するという目的があって初めて事を成せる。俺のいる世界だってそういった目的が存在しているから成り立っている。善とか悪とか、そういう理屈がなくとも目的がある。主人公である高町なのはの目的はジュエルシードの回収とフェイトの関係の繋がりという目的。フェイト・テスタロッサの目的はジュエルシードの回収という母の願いを叶えるという目的。プレシア・テスタロッサの目的は亡き娘を過去から取り戻すという目的。ユーノもクロノも、その他の者達もそれぞれの目的を持っている。

目的あるから人生は成り立っている。生きていたいという目的と死にたいという目的も同じ位置に存在するように、俺達は皆が目的を持っている。

けれども、その目的の為に何かを犠牲にするという行為は善なのか、それとも悪なのか―――そう俺はアイツに尋ねた。

「善?悪?なんだそりゃ、ソイツは肉よりも美味いのか?美味が珍味かは知らねぇが、俺の順位にはそういう陳腐はいらねぇんだよ」

アイツはそう言い切った。

「だけどよ、それでも良心の呵責っていうのはあるはずだぞ」

「無い。これっぽっちも無い。在るのは食欲と性欲だけだ」

「…………お前、変態だな」

「変態で悪いか?善人な変態もいれば悪人な変態もいる。こういうふざけた世界の中にはそういう『キャラ立ち』のある奴じゃないと意味がねぇだろうがよ。普通に善人、普通に悪人が人気投票で一位が取れるか?」

「主人公兼ヒロインが一位を取れないくらいに無いだろうな」

違いねぇ、とアイツは嗤った。

アイツの目的は単純だ。

アイツの存在は単純だ。

俺の様に何もかもが不完全な『普通』ではなく、完全な『普通』だ。サクヤの様に善人というわけでもなく、ジグザの様に残虐でもなく、女神の様に潔白でもない。アイツは俺の知る限り何処までも『普通』だ。

俺が以前、サクヤに感じた現実味は今にして思えば疑似感に等しいものだったのかもしれない。

アイツに会った瞬間、俺はサクヤ以上に実感した。いや、実感というものではなく、確信。コイツは俺と同じで異邦人で紛い物。次元の違う世界からの来訪者。

サクヤはアイツの事を『最悪』と言った。

ジグザはアイツの事を『最狂』と言った。



俺はアイツの事を――――『普通』だと言った。



普通に最低。

普通に最悪。

普通に最狂。

下手なキャラ立てもない、純粋なまでの己を持っている普通な奴だった。俺の様に何かを否定しない、サクヤの様に肯定もしない、己の中の完結し、外の世界は己のルールを実施するフィールドでしかない。

アイツは最低だ。

俺にとってジグザと並ぶ位に最低な奴だ。

なのに、俺はアイツを誰よりも普通として見ている。

「俺からすれば、お前の方がよっぽど変だな。何故、悩む?何故、苦悩する?お前はお前であって他人じゃない。他人の命はお前の命じゃない。あの餓鬼が生きようが死のうが、お前の命になんの影響もないだろ?」

「人間には心があるだろ」

「心に胃袋はねぇんだよ」

「お前は食欲だけで生きてるんだな……後は性欲か?」

「あぁ、特に子供なんて最高だ」

「鬼畜野郎が……」

「否定はしない。否定はしないが、逆に聞くぜ―――子供を愛して何が悪い?」

普通じゃない普通。

普通である意味すら揺らぐ普通。

だとすれば、俺の中の当たり前がアイツなのかもしれない。

己の当たり前、けれども社会的な顔が在る為に絶対に表に出さない当たり前という異端。

「汝、隣人を愛せ。俺の場合はその隣人が餓鬼だって話だ。逆に俺はその隣人がババアだったらババアを愛するってゆう程度の理屈だ―――なぁ、佐久間大樹。お前のソレは一般論かもれないが、俺達に一般論なんていう『普通』が通用されていいわけないだろ?普通は普通に生きていられる奴等に任せて、俺達は『普通な異常』で生きていくべきなんだろうよ」

普通という言葉は何時だって社会という大きな壁がある。皆の心の中には何時だって本当の普通があるというのに、その普通を表に出す事が出来ない。

人を殺してはいけません―――普通、ただし社会的。

人を悲しませてはいけません―――普通、ただし道徳的。

人として最低な行いをしてはいけません―――普通、ただし押し付け。

俺のとっての普通とはなんなんだろう。

普通という存在が当たり前だとしても、心の中に隠された本当と普通を表に出した時、俺の中の普通はどんな言葉を吐き捨てるのだろう。

わからない、想像できない、それでも俺は表向きな普通しか出せない。

表向きな普通の中に隠された本当の普通―――それが表に出てきた時、俺の中で決められた目的が出てくる。

俺にとって唯一の普通であるアイツの目的。

「だからよ、佐久間大樹。俺の目的の為に死ねよ」

「死ねと言われて死ぬかよ、マヌケ」

「俺はよ、愛してるんだ」

「あのクソをか?」

「あぁ、あのクソッタレなクソアマを愛してる。何処までも限りなく愛して愛して、愛し抜いているつもりだ……その目的の最終の為にお前が邪魔なんだよ。お前はアイツの愛をその身体全て、人生全てで受け取ってるじゃねぇか―――だからよ、その余りを俺にくれ。余った部分を俺に全部寄こして、お前は死ね」

つまる所、アイツの目的はこの程度だ。

愛している女がいる、だから俺に死ねと言う。

愛している女がいるから、その女と一緒にいる俺が邪魔。だから俺を殺して女を自分のモノにしたい―――普通だ。

普通に身勝手だ。だが、その普通を表に出せるアイツを俺は心底うらやましいと想える。

「なぁ、お前は自分のその考えを怖いと思った事はないのか?」

「ない」

「なら、お前はその考えの結果が自分を傷つけるかもしれない、そう思った事はないのか?」

「ない」

「…………なるほど、お前は普通だな――――最狂」

「そして、お前は異常だよ――――否定者」

俺は否定しない。

俺はこの男を否定しない。

どうして否定しないのかは知らない。

けれども、俺はこの男を否定する気がまるで起きない。

この男は最低。

この俺は最悪。

俺は被害者。

男は加害者。

男は命を奪い、俺は命で苦悩する。

男はルールを肯定し、俺はルールに反則する。

別に俺と男はコインの表と裏でもない。鏡で見た自分自身でもない。まったくの他人の上に似ての似つかない別人。

「それじゃ、今日はこの辺で終わりにするとするか」

「そうしよう。そろそろ俺のお主人様が帰ってくる時間だからな」

そう言って俺達は互いに背中を向ける。



「殺してやるよ―――佐久間大樹」

「否定してやるよ―――ガルガ・ガルムス」










その日、俺は珍しく暇だった。

何もせずにブラブラと街を歩いていた。

何もない、何もしない、適当に街を歩き、煙草を吸って無駄に時間を使う。

何処まで行っても何もない。何もない中で俺は暇を潰し続ける。

今日は休日。

バニングス家での仕事も無い。久々の休日。前回の休日のようにアリサからのメールも電話もなければ、急な用事で呼び出される事も無い。本当に何もない暇な一日が今日だ。

家でゴロゴロしていればいいのだが、そんな気分でもなく散歩に出かけた。

散歩の先は特に決まっていない。財布の中に入っている福沢を一枚パチンコ台に突っ込んでみたが単発で終了。千円と煙草を得て散歩を再開。

「…………暇だな」

一人呟いてみるが誰も言葉を返さない。ジグザも何言わない。何も言わないどころか、ここ数日アイツの姿を見ていない。何処で何をしているかは知らないが俺に話しかける要件もないのか、普段は聞いてもいない自論の発表会もありはしない。

だが、それこそが普通のはずなのだ。

あんな邪神にいいように使われるような生活とはおさらばしたいのが本心。ここに来た勝手な目的だって『介入しなければ、誰かを殺す』と脅されたからだ。

介入。

そう、介入だ。

そもそも、今の俺はアイツにとってそういう行動をしているように見えるのだろうか?

これは疑問ではない、不安だ。

俺が介入を拒んだ時には最低な行動をもってそれを否とされた。それ故に俺はこの世界の歴史にその身を微かにすべり込ませてきた。

だが、その程度だ。

そもそもの話、介入とは何をするのかがわからない。

物語を自分のいいように作り替える事が介入だとすれば、俺は既にその一端を担っている。アリサという少女に本来の歴史ではありえない傷を負わせ、俺はそれをいい事に彼女の傍にいる。

それが俺にとって介入―――だが、その程度だ。

俺には何の力も無い。在る程度の魔力ならあるらしいが、その使い方もわかりはしない。俺も積極的に覚えようともしていない。

前に読んだ物語なら、俺はここでユーノやらサクヤから魔法の使い方を教えてもらい、世界の歴史に何らかの繋がりを得るというのが正しいのかもしれない。けれども、俺はそれもしていない。否応にも何かに巻き込まれているわけでもない。俺は普通に生活し、この世界の見えない部分を横目に見ている程度でしかない。

その程度。

その程度だから以前の様に失敗もする。

知っていたはずの事を忘れ、その結果として街に被害を出した。俺が忘れなければ事態をどうにか出来たかもしれないが、結果は既に出ている。あの時感じた嫌な心を奥に引っ込め、この世界での主人公の活躍で動く歴史の中で俺に出来る事は何かと考える。

答は、ない。

俺はいったいどうしたいのだろう?

あの事件で本来なら俺はなのはに協力してジュエルシードを集めるという介入をするのが、真っ当な人間の思考かもしれない。俺は別に自分が異常だとは思っていない。普通だ。普通に臆病者の男だ。

けれども、なのはが頑張っているのに俺は何もせずにこうしてブラブラしていていいのだろうか?

なら、こうも考えてみよう。



あれだけの事がありながら、お前は何もしないのか?



普通に考えて、俺はかなりダメな奴だ。歴史をハッピーエンドで終わらせる事も、誰かの心を救う事も出来ないし、最善で最高も出来ない。

方法など山ほどあるというのに、俺は動かない。

動けないという言い訳ではなく、動かないという怠慢だ。

わからない。

自分の本当がまるでわからない。

俺だってハッピーエンドは好きだ。好きなら行動するべきだ。行動し、善処し、そして誰も悲しまない最高を目指すべきだ―――そして、やっぱり思考は堂々巡りを繰り返す。

「面倒くさ」

そんな一言で俺は頭を動かす事に苦を覚える。

ノロノロと近くにあった自販機の前に立ち、小銭を取り出して缶コーヒーを一本購入。

ガタンッと音が鳴り、身を屈める。

身を屈め、缶を取り出す。

顔が定位置、視線が元の場所に戻る。

自販機のガラス。

映った俺の顔。



その顔の横にある、見慣れぬ男の顔。



「――――――!?」

男は嗤っている。ジグザの様に奇怪な程に歪んだ笑みを浮かべ、俺を見ている。そして俺の背後で男は手を上げる。右手を上げ、その手に持った何かが光る。

鉄パイプ。

先の折れた鉄パイプ。

それを男は俺の後頭部目がけて、構えている。

突き刺さる。

偶然にも突き刺さる。

俺の頭部はそのままで、俺の前にあった自販機へと鉄パイプが突き刺さる。

「な、なん――――」

「死ねよ」

一言で俺の生死が決まり、男の意志が示される。

最低な瞬間で決定。

男は突き刺さった鉄パイプを抜き取り、それを横に薙ぐ。

偶然の二度目。

俺は男の行動に恐れを成し、無様にも腰を抜かす様に後ろに倒れ込む。頭上を霞める兇器。またも自販機が餌食。自販機は男の一薙ぎで耳障りな破壊音を響かせ、歪む。

あんな力で殴られたら即死する。

そんな即死の一撃をこの男は何の躊躇もなしに放った。

普通じゃない。

いかれてる。

逃げる。

逃亡する。

男に背中を見せて俺はその場から走る。

不幸な事に周りには誰も無い。民家はあるが誰も外を見ていない。自販機が壊れる音を聞いても誰も出てこない。

何だよ、この相手に幸運な偶然はよ!?






「―――――よう、もう諦めるのか?」

男はつまらなそうに言った。

「諦めるなよ。立てよ。まだ五分しか経ってない。最初の一撃から五分だ。お前が命を賭けた逃走劇が開始して五分だ。短いだろう。カップ麺喰ってるんじゃねぇんだぞ?」

んな事を言われても困る。

俺はもう一歩も動けない。

五分、たった五分しか経ってないらしい。

男の殺傷能力の塊の様な出鱈目な攻撃を紙一重で避け続け、全力で逃亡している間は今日一日全てを使った気がした。だが、結果は逃げれない。路地裏で、男の持った鉄パイプの尖った尖端を喉元に突きつけられ、俺はその場で座り込む。

「人がせっかくワザとスカしてやったのに、五分たぁ短すぎる。野兎でももっと頑張るぞ」

手加減されてたのか―――まぁ、気づいてはいた。

俺は男の攻撃を一度たりとも正確に視覚する事が出来ていない。偶然に避けたと何度か想ったが、偶然なんて最初からありはしない。

ありはしなかった。

何処までも男の掌の上。孫悟空とお釈迦様よりもタチの悪い面白くも無いままごと。

「――――お前、誰だよ……」

「誰かさんだよ。お前の知らない誰かさん。名前を聞いて答える奴は何処にでもいるが、俺は答えない―――何故なら、今日はそういう気分だ」

最悪だ。

本当に最悪だ。

怖すぎて考えがまるでまとまらない。まとまらない癖に思考は無意味に冷静になる。冷静にこの状況を見据え、冷静に諦める。おいおい、俺は何時からこんな冷静沈着な漫画キャラみたいになったんだよ―――あぁ、この思考も既に異常だ。

「怖いか?」

「あぁ、怖い」

「声が震えてないぞ」

「立たせてくられたら見せてやるよ。脚が盛大に震えてるからよ」

「ならいいや。小便を流して泣き叫ぶかと思ったけど、全然だ。お前さん、中々にヘンテコだよ」

殺人鬼にヘンテコ呼ばわりとは、恐れ入った。

思考がどんどんおかしくなる。

この状況で俺は今までにない位に落ち着き、そして饒舌になっている。

どうしてこんなに変な思考になってるんだ?

不思議な事に、俺にとって異常な事はこの状況ではなく、この思考だ。どうして俺はこんな思考をしている理由がわからない。目の前の殺される一歩手前だというに、俺は冷静に思考し、冷静に諦めている。諦めているから冷静になっているのかもしれないが、それも変だ。

変、変質、変貌、変化――――あぁ、そういう事か。

「―――――ッケ、コレが本当かよ」

「あ?」

「こっちの話だよ、こっちの……で、殺人鬼。俺を殺すのか?」

「殺すつもりだが……殺していいか?」

「答はNO」

「それに対してNOだ」

「そのNOに対してNO」

「お前が考え、口にする全てにNO」

「NO」

「NO」

「NO」

「NO」

「NO」

「NO」

互いに否定に否定を返し、その否定に否定を重ねる。

堂々巡りを繰り返し、いきつく先は――――――

「NO」

「NO」

「Nうぶっげぇ……クソ、噛んだじゃねぇか」

男の負け。

NOの言い合いは俺の勝ち。男が先に噛んだ為に俺の勝ち。俺は勝利に嗤い、男は悔しそうに顔を歪める。

なんて間抜けな一ページだ。こんなんじゃ誰も楽しめないし、面白くも無い。

「俺の勝ちだ。見逃せ」

「そもそも、勝負すらしてねぇだろうがよ」

「勝負は会った時から始まってるんだよ。俺とお前が出会った時からこのNOと言い合う勝負は始まり、俺の勝ちでピリオドだ……文句は?」

勝ち誇る俺に男はしばし沈黙し、

「お前の勝ちだよ、クソッタレ」

「お前の負けだよ、クソッタレ」

俺達はそう言い合って―――何故か嗤い合う。互いの健闘を讃えるのではなく、互いの無意味な闘争に対する嘲笑い。

馬鹿な一コマ。

日常ではなく、非日常な四コマ。

オチも何も無い、下らないオチだ。







以前、ジグザに言われた事をもう一度思い出す。

死からのリセット。

死によって自らの自分をリセットし、新しい己を構築するというリセットを俺はしたらしい。その事については認めよう。だが、認めてもリセットなど出来はしない。人は変われない。変わった風に装う事は出来ても、人は永久的にその者のままだ。

だけれども、時折人はリセットボタン以外で己を切り替える事がある。

俺の今がまさにそれだろう。

フィクションとノンフィクションの違い。

奇妙なセリフ回しは現実的にはあり得ない。だが、物語の中ではありえる。奇妙な格好は現実的にはあり得ない。だが、物語の中ではありえる。つまる所はそういう事。誰だって一度は想う。子供の時から誰だって思う、画面の向こうに存在するフィクションの登場人物の様に自分に起こる変化。

普通の出会いではなく、異常な出会い。その出会いが齎す日常の変化という名の逃避。それが誰だって想像する妄想だ。

これは別にオタクだからとか、子供だからとか、そういう枠組みの中だけの話ではない。

例え、とある恋愛小説を読んだ誰かが「物語の様な素敵な恋愛」をしたいと言った。それが物語の中にいる登場人物と自分を重ね合わせ、妄想している事になる。

そう、誰だってそういう時がある。

「腹減ったな、ヘタレ」

「そうだな、負け犬」

こんな感じで俺は物語の中の登場人物の様な言葉使い、セリフ回しを使う。

「ラーメンが喰いてぇな……いい所あるか?」

「コンビニのカップ麺でいいだろう」

俺がどうしてあの瞬間、殺される瞬間にこんな思考に堕ちたのかはわからない。死ぬ一歩手前なんて前もあったというのに、どうしてこのタイミングだったか。

いや、もしかしたらこういう事なのかもしれない。

「金渡すから買ってこい、負け犬」

「お前はブタ麺な」

この男、名も知らぬ殺人鬼だからこそ、なのかもしれない。

どういう理屈でどういうシンパシーかは知らないが、俺はこの男の前で普通に話す事が出来ないらしい。

ほんと、どういう理屈なのかわからない。

もしかしたら、理屈なんてないのかもしれない。単にそうしたいからそうした、その程度の理由なのかもしれない。

もしくは――――







「―――――――ここで一つ、適当な戯言をほざいてみる……聞くか?」

「あぁ、聞いてやるよ」

カップ麺の容器を捨て、俺達は互いに珈琲片手、煙草を片手にベンチに腰掛ける。

この状況は一体どういう状況なのかわけがわからんが、俺と男は二人仲好くベンチに腰掛け、話している。

そして、男は切り出す。

「介入という行為について、お前はどう思う?」

「…………一般的な理論なら」

「一般的なんぞは聞いてねぇよ。俺が聞きたいのはお前の考えだ」

「そもそも、何に対しての介入を口に出してるのかわからん」

「今のお前の立場から、だよ」

…………へぇ、そういう理屈か。

「正直な話、俺はあんまり好きじゃない。第三者からの目線から見れば面白いとは思う。物語で気に喰わない場所や場面、ラストを作者がどう考えているかを読めるのは面白いとは思う」

「つまり、賛成という立場か」

「第三者という目線ではな。でも、いざ自分がその位置に立ってみるとはそれは全然違う風景に見える。あれは頭の中の物語を文章に置いただけの事だ。それを実際に体験してるわけじゃない」

「当たり前だな。普通はあり得ない。そんな摩訶不思議な世界は普通は存在しない。あったら現実から人間が誰もいなくなる」

「でも、それはいうなれば―――現実から現実へっていう理屈と同じじゃないか?」

現実から別の現実へのシフトチェンジという意味でもある。

「ネバーエンディングストーリーって知ってるか?」

「名作だな。二作までは名作。三作目は殆ど見たことがないから知らない」

「アレって物語への介入っていう意味では最初だと俺は思ってる。物語の中ではあの世界は終わらない、変わり続ける世界として設定されてるが、外の世界から見ればあれは元にある物語を読んでいるにすぎない……だから、二作目で主人公があの世界に飛び込むという行為が介入だ」

「ん、それは違うと思うぞ。物語に飛び込みはするが、あれは主人公の見ていない続く世界の話だ。その続く世界の話では決まった終わりはない。主人公はその後に続く世界を知らないはずだ」

「それでも物語には介入するだろ?現実ではない場所に行き、その場所の未来を己の手で構築し、具現する―――まぁ、言葉にするのは些か面倒だから省くが、俺はそういう意味ではあれが介入だと認識する」

男は納得いかない様に首を傾げる。

「話を戻すぞ」

「おう」

「最初からある物語に入り込み、そこで事件に首を突っ込む。飛びこんだ奴がその物語を最初から知っていれば未来を知っていると同義。ソイツ等は自分の記憶を頼りに物語をよりよい方向、最低な方向に持っていこうとする―――まぁ、この辺はお約束だな」

「特に介入する気がなくとも勝手に巻き込まれるっていうパターンもあるな」

「それだって結果は変わらんだろう?最後はみんな仲良くハッピーエンドもあるし、特定の誰か以外は知った事かっていうパターンもある。三者三様の答と行き先があるんだ、どれもこれもが同じなんてあり得ない」

「誰だってハッピーエンドが好きなんだろ?」

お前は嫌いそうだけどな。

「けどよ、あれって現実なんだよ。この世界と同じように、物語っていう幻じゃない、人が生きて考えて、そして行動する現実の世界なんだ」

最初は、此処は地獄だと思っていた。

けれども、此処は地獄ではないし、天国でもない。俺の生きていた世界となんら変わらぬ命が生きて消える普通の世界。

「物語を読んでいる間は予定された行動が付き纏う結果だけの物語だとしても、そこに介入者っていう別の存在が入り込めば違う意味になる。そこは介入者なんて存在がいる時点で物語は壊錠している―――予定が狂わせられるんだ。在るべき形を壊され、存在しない別の世界が誕生する」

「いいじゃねぇか、それ。未来は決まっていないっていうのは定番だろ」

「定番でも鉄板でもいい―――けどな、それって怖いと思うのが普通じゃないか」

「怖い?」

「そうだ。相手が登場人物であるないに関わらず、それが現実っていう認識が出来ている時点で、俺は怖いと思う……文章の上では何にも想わないが、肉眼でそんな光景を想像すると俺は怖くてたまらない」

介入、たった二文字。

たったの二文字で事足りる言葉の重さ。

俺は先程考えていた答を出す様に、ゆっくりと言葉にする。

「相手は想像上の人間じゃない。生きてる人間なんだ。その人間が自分が未来を知っているっていう程度で首を突っ込み、その人の未来を変える……成功した時はいいかもしれないが、失敗した時はどうする?失敗したら自分の責任で誰かの人生をぶっ壊す事になるんだ。考えただけでも俺は怖い」

そこで一端区切り、新しい煙草に火をつける。

「物語に介入する連中は誰だって現実の厳しさって奴を知ってるはずだ。だから、その怖さだって知ってるはずだ。どんな世界に行ったって自分が変われるわけじゃない。見た目が変わっても、変な力を持っていたとしても、ソイツ本人である事に変わりはないじゃないか……その程度で、俺は誰かの人生に首を突っ込むなんてしたくない」

男は呆れ顔で俺を見る。

「それってよ、結局はお前がヘタレってだけじゃないのか?」

「それは認める。だから怖がって何が悪い?怖いっていう自分を守る行為をして何が悪いんだよ」

「悪いとは言って無い。単に俺には想像出来ないだけ」

思考の作りは誰だって違う。誰だって自分の考えと他人が同じだとは思わない。

だからこその恐怖。

人の心に触れるという恐怖。

人の心に触れ、

「自分の中で最高の結果を想像し、行動したとしても―――結果がその通りになるとは限らないだろ?人の心なんて誰にも理解出来ない。理解出来るのは物語を考えた本人だけだ。そして、その本人だって登場人物の本当の心まで理解しているってわけじゃない」

「本人なのにか?」

「まぁ、想像だけど」

「だろうな。けど、言いたい事は理解できるぞ。物語の元筋を書いた本人はあくまで物語の中でその人物を動かす為の気持ちを書いただけだ。だが、その考えたというのは『都合の良い』というのが前提にある。糸のついたマリオネット同じだ。マリオネットは操者の想う通りに動かなければならない―――そして、その書いた本人の意志なき介入者まで現れたらもうソイツ等は作者の手から離れる」

糸の切れたマリオネット。

そんな人形は何をするかわからない。

「結果は想像も出来ない以上、どんなに積み重ねた計画があったって未来は決まらない。お前が云った通り、未来は決まっていない。想像した未来なんて容易に出来るはずがない。誰もが笑って終われるハッピーエンドなんて夢のまた夢さ」

多分、これが俺の理由なんだと思う。

ジグザが介入しろと言った。

介入しなければ誰かを殺すと言った。

けれども、俺にとってはどっちも苦しくて怖い事で在る事には変わりはない。

俺の行動、言葉で何かが変えれるなんて思えない。アイツ等は人間だ。時と場合で考え方が幾らでも変化する。その変化するという行為を考えずに言葉を向けるなんて行為は安易すぎて怖い。

「――――前にな、むかつく奴がこんな事を言ってた。人に作られた人間は人ではない。人間でもなければ人形でもない、あれは動く物、動物だってな」

ジグザの言葉。聞き流していたつもりが記憶には刷り込まれていた。

「この世界にもそういう作られた人がいる―――その人は自分の出生を知らない。知らずに自分が本物だと信じて動いている。でも、結果としてその人は生みの親に裏切られる。お前は人形だってな」

あの時、ジグザはこうも言っていた。

彼女は、フェイトは人間だと周りの者が言っていた。

その事に疑問すら持っていた。

だが、それは疑問に想う以前に当たり前な『綺麗事』で在る事に他ならない。

お前はお前、本物も偽物もない、本当の本当。

そういうセリフを作者は考え、彼女等は口にする。

「お前ってさ、用心深いというよりは考えすぎって言われねぇか?裏を読み過ぎるっていうか、考えて考えて考えて―――結果を先に想像して口に出さないタイプだろ」

「正解」

「だろうな……だからお前はヘタレなんだよ」

「…………」

何も言い返せない。

図星だからこそだ。

「言葉の重さってさ、どの位の重さだと思う?」

「一円硬貨よりは軽いだろうな」

「俺からすれば金塊よりも重いよ」

自分の言葉で誰かの想いを変えられる、そんな都合良い想像が出来ない。自分の言葉で相手の何かを壊す事だってあり得る。

「第三者の目線ではわからないんだと思う。もしくは俺だけかもしれないけど、俺はそういう意味で介入っていう行為が怖い……知っているのに何も出来ないし、悲劇があるってわかるのに止められない。全部が全部、俺が臆病だからだ」

恐怖しろ、介入者。

躊躇しろ、介入者。

お前達が想っている以上に現実は恐ろしい。ここは仮初の世界でもなければ御伽話の予定調和の世界でもない。この世界は俺達の生きている世界となんら変わらない『普通』が満ち溢れている世界だ。

「―――――以上、俺の自論終了」

「…………長々と話して結果はそれかよ。シマらねぇし、情けねぇ」

「言ってろ。お前がどう思おうとも、コレが俺の感情なんだよ」

気づくと、足下には煙草の吸殻が数本転がっている。無意識の内にそれなりの本数を吸ってしまっていたらしい。

「ってか、なんで俺はお前みたいな殺人鬼とこんな会話をしてるんだよ?」

「知るか。お前が変な奴だからだろ。お前みたいな変な奴なんて、俺は聞いてねぇからな」

聞いてない?

それはどういう意味なのだろうか?

「だが、お前と話せてアイツがお前を気に入ってる理由がよくわかった。アイツは最低だからな、お前みたいに悩んで苦しむ奴の姿が大好物だから、本当によくわかる」

男は立ち上がり、ニヤリと嗤う。

「だからよ―――-」

ガンッと、男はベンチを蹴りつけ、俺の眼を覗きこむように顔を近づける。

「嫉妬するねぇ……アイツに気に入られてるお前に嫉妬する。嫉妬の炎でお前を骨一つ残さず燃やし殺してぇ」

嘘はない。

その眼は本当に俺に嫉妬し、殺意を抱いている。

だというのに、俺はその眼に恐怖を抱かない。

俺の病気はまだ続いているのだろうか。

「アイツを見て数百年、俺はずっとアイツを愛し続けてきた。だから、お前みたいなひょろっこい奴がアイツのお眼鏡に叶うなんてクソくらえだ」

「…………」

「なぁ、お前の名前は?」

「佐久間、大樹」

「俺はガルガ・ガルムス」

指先を俺の首筋に押し付ける。



「お前――――殺すぜ」



死刑宣告。

ゾッとする程に低くて冷たい声で男は、ガルガは言った。

だと言うのに、俺はガルガに向けて苦笑を返すだけ。

「殺していいよな?」

「――――やってみろよ」

手を掴む。

「なんかわかんねぇが、お前は気にいらねぇ。気にいらねぇが嫌いじゃない。むしろ、好きな部類に入ってるかもしれないな」

どっちだよ、俺。

「男の愛の告白なんぞは燃えねぇよ」

「愛の告白じゃねぇよ」



「―――――――これからも、よろしくって意味だよ」










夕方。

夕方になるまで俺はその場から動けなかった。

震える身体、震える心、ガルガがいなくなって数時間、俺は麻痺していた恐怖が蘇り、その場で一人震えていた。

明らかにおかしくなっていた思考。それに酔いしれるように麻痺した恐怖という感情。その正常な思考が戻ると共に取り返した感情は平常。

元の俺、普通の佐久間大樹として俺はここにいる。

「――――何がどうなってんだよ……」

不意に心を支配した感情は今も心の何処かに住み着いている。消えたのではなく、生まれたのだ。その生まれた感情はこうして潜み、次の瞬間を待っているかのようだ。

違う自分、何時もではありえない自分。

「あんな普通じゃないだろ……」

頭を抱え、蹲る。

普通じゃない。

こんなモノは普通じゃない。

殺される一歩手前だったというのに、俺の口から出てきたのは「よろしく」という平凡な言葉。あの場合では非凡な異常性のある言葉。その意味を知るまでも無く、へんてこりんな思考を落ち着かせる事に集中する。

「…………普通、か」

普通、普通と自分に言い聞かせる。だが、それは本当に普通なのだろうか。普通という本当を心の奥に仕舞い込み、平時の普通は実は異常だったりするのではないか。

本当は心の奥に。

異常は常に表に。

嘘という仮面を強制的に剥がされた気分だ。

だが、その時の俺は普段の俺以上に清々しい気分だった気がする。

殺していた感情、殺していた『本当』の自分。

「あり得ないだろ」

それを否定する。

あんなのが本当の俺ではずがない。そして、仮にソレが本当だとするならば、どうしてあんなタイミングで本当の『普通』が出てきたのかわからない。

あのタイミングで、殺人鬼の前で―――ん?

そこで気づく。

「アイツ……」

ガルガ・ガルムスと名乗った男。その時に感じたある感覚。その感覚は覚えがある。この世界きて間も無い頃に感じたあの感じ。サクヤと初めて出会った翠屋で感じた感覚。

限りない違和感。

世界の背景に似つかわしくない存在感。

水を油の様に決して混じり合わない存在。

在りすぎる程の人間という感覚。

そして、会話の最中に感じた予感。

「―――――同じ、なのか?」

俺と同じ。

サクヤと同じ。

この世界にいながら世界と溶け合っていない来訪者。

「アイツも……介入者?」

ガルガ・ガルムス。

殺人鬼。

そして、俺という存在を知っている誰か。

二度と会いたくない―――と、思えない異様な感情を抱きながら、俺は立ち上がる。

元の俺に戻った自分の脚で、自分の家に向かって歩き出す。

違和感を拭い去れぬまま、もやもやする心に戸惑いながら、俺は自宅へと脚を運ぶ。

その途中、俺はこんな事を考えてしまう。

戯言に等しい、陳腐な考え。

俺という来訪者と別の世界。

その世界が与えた俺の影響。

俺という存在に感染した何か。

もしかすると、これはそういう意味であるのかもしれない。

誰かに作られ、物語として構築された世界。その世界に来てしまった何の変哲もない人間。その人間に世界が違和感を覚え、俺にちょっとした病気をうつしたのかもしれない。

この世界に馴染む為の細菌。

この世界にいる限り、他の者と同じようになる為の病気。



感染。



俺という人間を作り替える為の―――病気。

「ないな。うん、ないない」

絶対にない。

そんな他人からどうこうされても人は変わらない。俺という元があんななのかもしれない、というだけの話だ。世界の世界にしても解決にはならない。

あり得ない、これは俺の責任。

あり得ない、世界は普通だ。

あり得ない、否定する価値も無い。

だと言うのに、俺は自分を顔に触れる。



『普通』という『仮初』の仮面が、しっかりと自分の顔にあるのかを確かめる為に。














人質はリリカル~ZEROGAMI~
第十一話「邂逅地獄」













エレベーターの扉が開いた瞬間、目の前に沢山の物が転がっていた。

ミネラルウォーターにコンビニ弁当、パンやおにぎり、洗剤やシャンプーのボトル。そしてドックフードの缶詰。それらがエレベーターの前に無残に散らばっていた。

「…………」

だが、俺の視線はそれではなく、別の物――別の者に移っていた。

「…………」

どうやらコンビニの袋が何らかの拍子で破れたのか、中の物を盛大にぶちまけた当事者は焦りながら落ちた物を両手一杯に抱え―――いや、抱えようとして落とし、それを拾うとしてまた落とすという行為を繰り返しながら切磋琢磨している。

「…………」

どうしよう?

俺はその場で考え込む。

どうするべきか、相手はまだ気づいていない。

気づいていないならば、どうするか――――決まっている。

俺はエレベーターの『閉める』のボタンを押し、一階のボタンを押して一番下まで降下する。

「――――――あれって……そうだよな?」

誰に尋ねるわけでもなく、俺は目の前の現実から目を背ける。

背けながらエレベーターを降り、とりあえずマンションの駐車場に煙草を吸う。

十分後、もう一度俺の部屋のある階へ向けて上昇。

ドアが開く。

目の前には先ほどと同じような状況。

金髪の少女が両手一杯に落とした荷物を拾い、そして落とすという最早コメディーにしか見えない光景が継続中。

「…………」


笑うしかない。

苦笑するしかない。

踏み出すしかない。

「―――おい」

「―――へ?」

俺に気づいた少女は視線を向ける。

在りえねぇ、出来過ぎだ。

俺はウンザリしながら声をかける―――その少女、見覚えがありすぎる他人。



フェイト・テスタロッサ、その人に












あとがき
どんどん痛い文章になっていくし、痛い内容になってますね……反省するべきですね。
さて、未だに決まっていないヒロインですが、どうしますかね?
アリサルート、サクヤルート……ジグザルート?というルートですね。ルートによってラストがかなり変わるんですが、分岐すんなよって話ですね。
いっその事、バッドエンドでいくという手も!!






[10030] ZEROの終わり
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/06 04:40
選択する。

選択する、未来を。

選択する、己を。

選択する、誰かを。

選択肢の連続。それは問題の連続。某漫画で暴力神父が言っていたように、世界は常に連続した問題集。その問題の連続、そして時間は刹那。刹那の時間の間に答を出し、回答は即時返答。回答は正解でも間違いでも結果はすぐに現実に置き換えられる。

俺の選択はそういう選択肢の連続だったのかと聞かれれば、なんて事のない返答。

そんなわけはない。

俺は答など出していないし、間違いも出していない。



俺の解答用紙は、何時だって空欄。



答を出す事に脅え、そして時間が流れる事に怠慢する。名前だけを書いた解答用紙を提出し、その後に残る虚しさを感じて明日に移行。

答など出す必要がないとは思わない。だが、答を出した時に起こる結果は無数に想像でき、本当にそうなる事が怖い。

回答は正解ではない。

回答は間違いではない。

回答は―――何も無い。

選択する結果は何時だって無限の道筋を作っていくのならば、俺の選んだ選択肢は誰を幸福にし、誰を不幸にし、俺を守り、見捨て、そして死んでいく。

頭数は揃った。

役者は揃った。

愚者は揃った。

そろそろ、物語が始まってもおかしくない。

俺を中心とするのではなく、高町なのはを中心とするでもない、どうでもいい奴等が主役の物語、その物語の中心に俺はいて、俺はいつだって何かを選択せざる得ない場所にいて、そして誰かが―――どうかなる。

誰かが幸福になり、誰かが不幸になる。

誰かが不幸になり、誰かが幸福になる。

全員が幸福になる最強無敵のハッピーエンドなどありはしない。

善も悪も降伏になるハッピーエンドなどありはしない。

誰かの涙を踏み台に、俺は誰かを幸福に、誰かを不幸に、そして己に死と生を―――

選択する。

選択する為に俺は物語を終わらせる。

何も始まっていない物語を、ここで終わらせる。





これは、何も選ばなかった俺から送る選択した俺の物語。

選択肢はこうやって消えては増え、そして選択肢はこうやって存在する。

選択肢は三つ。



一つは、『絆』の物語。

一つは、『存在』の物語。

一つは、『否定』の物語。



世界は分岐する。

神様すら予想出来ない結果として分岐する。

いや、もしかしたら誰かが予想していたかもしれない。誰かが予想し、誰かが作り上げているかもしれない。

どんな結末か。

どんな終幕か。

どんな結果か。

俺の選択は何かを変えた。

最低な方向に変えるし、最悪な方向かもしれない。

けれども、俺は選択した。




それは、少女との『絆』の物語。

それは、女との『存在』の物語。

それは、邪神との『否定』の物語。








さぁ、本当の俺を―――始めよう








人質はリリカル~ZEROGAMI~
終幕







NEXT







人質はリリカル~Alisa~



[10030] 人質はリリカル~Alisa~ 第一話「全ては偽り」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/06 04:47
「佐久間さんは脛かじりなのですね」

いきなり失礼な事を言うサクヤを横目に、俺は翠屋の喫煙スペースで一人煙草を吸う。

「こんな真昼間から女性客の多いこの店で煙草を吸うなんて、暇でニートでパラサイトの証拠です…………懺悔しなさい」

「客に向かって、すごい言い草だな」

「お客様は神様です。ですが、他のお客様が迷惑してるならアナタはただの外敵です」

白い髪よりも真っ白な眼で俺を見るサクヤはメニューを差し出し、

「ですから、上から下まで、全部を注文すれば私も店も大助かりですね」

「おい、店長を呼べ」

「当店では、店員の販売はしておりません」

「誤解を招く様な勝手な事を言うな。この不良店員をどうにかしろと言いたいんだよ」

「おや、失礼ですね。私はアナタの様に破廉恥な方にもこの様に潔白な身体で付き合ってあげてるのですよ?感謝するならまだしも、邪険に扱われるとは心外です」

どうやら、この間の出来事をまだ根に持っているらしい。

「責任を取って死んでください」

「死んで責任を取れると思ってるのは、死んだ本人だけだぞ」

「私の心の安定の為ですよ」

「酷いな、お前……」

まぁ、こんな会話をしていても、冗談の一つだと想えるのはサクヤの善人としての部分を知っているからだろう。それを知らなければ、コイツはただの口の悪い美人でしかない。

「――――とりあえず、珈琲」

「かしこまりました」

カウンターの奥に引っ込むサクヤの背中を見送りながら、俺は小さく溜息を一つ。

「やれやれ、だな」

平日の昼間ともなるとこの店の客足も少しは停滞する。中にいるのはご近所に住むご年配なご婦人方ばかり。俺のように若い男は何処にもない。俺だって別に好きでここにいるわけではない。

単純に、暇だからいるのだ。

バニングス家での仕事は休み。アリサも病院で検査があるという事で家にはいないし、その隙にとメイドやら執事達は屋敷の大掃除。その大掃除の仲間外れが俺。猫の手も借りたい程に大きな屋敷の掃除なのだから、俺の手だって必要だと思ったが、

「やっぱり、前にあの甲冑を凹ませたのがまずかったか……」

俺の仕事は基本はアリサの面倒をみるという事、そしてアイツの暇つぶしの相手。意味は同じだが、その難易度は全然違う。面倒は基本的にはアリサの私生活でのサポートなのだが、男の俺には出来る範囲は非常に少ない。トイレの世話も出来なければ風呂のお伴も出来ない。もっとも、大抵の事は出来るようになったアリサを前に、俺の必要性など皆無。

ならば、次は使用人の仕事をする―――のだが、どうもそっちの才能はからっきしらしい。ドジっ子メイドよろしく、俺には貴重な物を持つと失敗するという変なスキルが身についているらしい。この間も、西洋の甲冑を磨こうと布を近づけた瞬間、何もしていない甲冑が一人でに倒れ、凹んだ―――これ、俺のせいじゃない。

その次に、貴重な壺を磨こうとするれば、独りでに壺にひびが入る――これも、俺のせいじゃない。

あのクソ邪神の仕業かと考えたが、周りの眼はそうではない。俺が何かをする度に物が壊れたり汚れたりするせいか、男なのにドジっ子という扱い。

泣くぞ、おい。

結果として、本日の大掃除は俺を除外するという結論に満場一致。屋敷内に置くだけでも危険と判断された俺はそうそうに追い出し。俺は今こうしてニートやら脛かじりやら、酷い言われを受け、此処にいる。

「――――ままならねぇな」

一人で愚痴を言っても仕方がない。こうなればアリサが検査にいっている病院に向かって仕事してます兼一応は存在価値があります的な雰囲気を醸し出すしかない。

「ままならねぇよ、おい」

悲痛というか卑屈な思考にちょっぴり自己嫌悪しながら俺は短くなった煙草を消す。

煙草の煙がゆっくりと上がり、すぐに消える。

そこへ珈琲を持ったサクヤが来て、

「お待たせしました」

珈琲と一緒にケーキを差し出した。

「これ、頼んでないけど」

「私の分です」

そう言って俺と同じ席に着く。

「仕事中だろ」

「知り合いだという事で、少しお話してきなさいという店長命令です。ですので、特別に佐久間さんの相手をしてさしあげます」

「…………ありがとよ」

「ここがキャバクラなら、これだけでお金が発生しますね」

「金取る気かよ」

「そこは佐久間さんの華麗で流暢な素敵トークに掛ってます」

難易度を上げやがったよ、この野郎。

上等だ、やってやろう。

俺の素敵なストロベリーなトークでお前を満足させてやる!!





うん、無理。

「―――なるほど、つまり佐久間さんの好みは胸の小さな女性というわけですね」

「それと、黒髪。これは譲れない。脱色とか着色とか、そういうのはちょっと勘弁だ」

「モテない男の腐れ切った妄想ですね」

「そこまで言うか?」

「そこまで言わなければ、殿方は気づきませんからね。私達女性が如何に理想を高くしようとも、殿方にその権利は存在しません」

世の中の男が聞いたらキレそうな発言だ。

「まぁ、否定はしないけどよ……そういうお前はどうなんだよ?男の趣味は」

いつの間にか、互いの好みの話になっていた。どうしてこういう流れになったのかはあまり聞かないでほしい。俺のトーク術が滑りに滑った事により、お優しいサクヤさんが気を利かせてくれたとか、そういう悲しい事は一切ないと思いこみたいから……

「私の好みですか……とりあえず、煙草を吸わない人ですね」

…………安心していいのか、それとも嘆くべきなのか、誰か教えてくれ。

「それと、料理が出来る人がいいですね。私よりも美味しくできる方は尊敬できます」

「カップ麺を二倍にする方法とか知ってる俺は?」

「延ばすだけで二倍になる事を誇りたいなら、ラジオにでも投稿すればいいのでは?きっと読まれませんから」

だろうな。

俺の料理の腕は―――普通だな。前の世界では一人暮らしをしてたし、簡単な料理なら出来る。無論、女性よりも高い料理テクニックなどあるはずもないので、サクヤの好みからは外れるだろう。

「でもよ、サクヤの料理の腕はどんなもんなんだよ?」

「私ですか?そうですね……こちらの世界の料理はあまり出来ませんね。ミッドにいた頃の料理なら出来ますけど」

ミッドにいた頃―――という言葉に俺は、

「そういえば、お前って此処に来る前は何処にいたんだ?」

「それはこの世界にくる前という意味ですか?それとも、この世界に入り込む前という意味ですか?」

サクヤの顔が少しだけ真剣になる。

どっちを聞くべきか悩むが。周りにいるのは俺達だけじゃない。ならば、ここで聞くべきは前者、この次元世界にいるサクヤという存在の事だろう。

「この世界に来る前の話」

「…………そうですねぇ、普通でしたよ。普通にミッドの地に生を受け、そこで普通に暮らしていました。父も母も良い人でしたし、友達も普通にいました」

普通、普通と連呼されると違和感がある。

俺と同じような存在である彼女が言う普通とはいったいなんなのか、それはどういう意味での普通なのだろう。

「他人が望む様な奇想天外な話など持っていませんね。私は何処にでもいる普通の女の子でしたから」

神様が関係している時点で、既に普通ではないのだが、本人がそういうならそういう事だと思っておこう。

「やっぱりあれか、昔から神様を信仰しているクリスチャンみたいな感じだったのか?あっちじゃ……聖王を信仰するんだっけ?」

「どうやらそのようですが、私は別に興味はありませんでした。仲の良い友達には何人かそういう方もいましたが、私は神様を信じているわけではありませんし……そうですね、精々、困った時の神頼み、くらいですね」

それは少し意外だった。

女神を信仰しているサクヤが神様を信仰していないとは、何だが聞いてて違和感しかない。

「神という存在は都合のよい存在でしたからね。私はそういう都合のよい存在があまり好きではなかったんです。何か困った時に神様に頼るというのは自分が頑張っていない証拠だとよく父に言われましたから……ですから、あの頃の私は神に祈るという行為があまり好きではなかったんです」

困った時の神頼み――ただし、それは自分にはどうしようも出来ない状態のみという事なのだろう。

その点では俺もそうそう変わりはない。無宗教を語る日本人らしく、困った時の神頼み程度の信仰しかない。もっとも、日本人の様に何でもござれな国に生まれた奴が宗教をするという行為は些か疑問が残るのも事実だ。

「努力は人を裏切らない、それが私の信条でした。努力すれば出来る事も広がりますし、努力もせずに何かを成し遂げる事など出来るはずもありません。ですから、私は出来る事の幅を広げる為に努力するように、強制されてましたから」

「強制、ねぇ……厳しい親だったんだな」

「嫌いでしたけどね、そういう父親が。自分にも他人にも厳しい方でしたから、幼かった私は父が怖くて嫌いでした。でも、そういう父の血を継いでいる自分もある意味ではそういう部類に入るのでしょうね―――それに、」

サクヤはケーキを口に運び、微笑む。

「父の言う事を聞いてる私を、私が結構気に入っていたのも事実です。私、実は自分が大好きな子なんですよ?」

「それを自分で言う奴は碌な奴じゃないぞ」

「でも、自分を好きになれない人が何を好きになれるというのですか?自分を好きになれなければ、その人は誰かに何かを伝える権利などありません。自分が好きだから、自分の周りにいる人にも自分自身を好きになってもらいたい、これはいけない事ですか?」

自分が好きだから、他人にも自分を好きになってほしい―――これはきちんと聞いていなければ誤解してしまう言い方だ。

サクヤがサクヤ自身を好きだから、他人にもサクヤを好きになって欲しい、という意味ではない。サクヤが自分の事を好きだから、他人にもその人自身を好きになってほしいという願い。自分勝手な願いの様に見えて、そうではない。

なんというか、色々と夢見がちな思考だとも言える。

「俺には、無理な思考だな」

「人の思考は人それぞれ。そしてこれは私の望みです。自分に誇りを持つという行為が如何に難しくとも、出来ない事ではありません」

厳しい言い方。

「父の様に自分にも他人にも厳しい行為では、それすら出来ません。ですから、私は自分に厳しく、他人に優しくという方法をとっています。だって、誰かに褒められたら誰だって嬉しいじゃないですか?」

「そりゃ、嬉しいだろうな」

甘やかす、甘すぎる、確かに女神の言う様に彼女は基本的に甘い。でも、甘いには甘いなりの理由がある。

自分を好きになってほしいという理由。

他人が他人自身を誇ってほしいという願い。

「―――お前、甘すぎ」

「えぇ、甘いです」

甘すぎるという言葉は彼女にとっては誉め言葉にしからない。でも、それを誉め言葉にするにはそれ相応の努力が必要だ。頑張って頑張って、誰かを好きになれる自分になり、自分自身を好きになれる自分になる。

自分大好きという言葉は普通は嫌な言葉に聞こえるが、なんだかサクヤが言うと妙にしっくりくる。

否定も何もない、すんなりと彼女という存在が心に中に入り込む様に。

「俺もアンタみたいに自分を好きになれればいんだけどな……無理だ」

「無理ではありませんよ。無理な事は一人でいるから無理なのであり、二人、三人といれば無理にはなりません」

「―――甘いなぁ」

「はい、甘いです」

なんだか、サクヤとこんな話をしていると自分が馬鹿な奴に思えてくる。

ちっぽけな自分が嫌いです。

ちっぽけな自分が憎いです。

でも、そんな自分を、

「お前さ、俺の事を好きか?」

「えぇ、好きですよ」

この女はあっさりと答えてくれる。

「私は善人が大好きです。善人が好きな自分が大好きです。善人を愛せる私が大好きです。ですから、私は皆が善人でいられる様に祈っています」

「世界はそんなに簡単じゃない」

「ですから、努力します。皆が善人でいられる様に私が努力します」

「お前は神でも女神でもないだろう?」

「人の身で出来ない事は無理かもしれません。ですが、私が諦めるまでは無理ではありません……私、こう見えて諦める事が苦手なんです」

何故か、サクヤは俺に微笑みかけ、

「アナタと同じように、諦めない事がね」

俺と同じ?

俺の何処が諦める事が苦手だと言うのだろう?

不思議そうにサクヤを見ると、彼女は俺の手元にある煙草を手に取り、一本取り出す。

「お、おい」

ソレを口に咥え―――グッと俺の方に顔を近づける。

俺の口には火のついた煙草があり、サクヤの咥えた煙草の先端が合わさる。



まるで、口づけの様に―――二つの煙草が合わさる。



「―――――!?」

のけ反り、そのまま椅子ごと後ろに倒れる。

驚く俺をおかしそうに笑ってみるサクヤ。小悪魔の様に嬉しそうに、悪戯が成功した子供様に微笑むサクヤは紫煙をゆっくりと噴き出し、

「おまじないです。アナタがアナタを好きになれるような、おまじない」

それだけ言ってサクヤは火のついた煙草を灰皿に置いて仕事に戻っていく。

残された俺は呆然とする以外に何も出来ない。

あの意味もわからず、どうすればいいかもわからず、無様に床に尻もちをつき、呆然と世界に滞留する。

その眼に映るのは、一人の女。

サクヤの背中。

その背中を呆然と見る俺の脳内に響く声。

『――――彼女、ああ見えて意外と悪戯好きなんです』

女神の声が響いた。










もしもあの日、俺がアリサを見捨てようと考えなければ、俺はどんな道を歩いていたのだろうか?

もしもあの日、喫茶店の入り口で振りかえらなければ、俺はどんな毎日を過ごしていたのだろうか?

人生は選択しが無限にある様に見えて、意外と少ない。

そんな中で俺の選んだ選択肢、その選択肢は何時だって彼女の傍にあったのかもしれない。
俺にとっての選択肢。

選ぶのは俺であり、その結果がアリサの傍。

俺が邪神に翻弄されていた様に、彼女の運命も俺に翻弄されていた―――などという戯言を考え、切り捨てる。

病院のロビーで俺はどうでもいい事を考え、時間潰しする。

病院の匂いは好きじゃない。病院の匂いは何時だって良い思い出がないからだ。病院は何時だって悲しい世界。俺の友達が死んだ時も、俺の伯父が死んだ時も、俺の初恋が砕かれた日も―――そして、俺が死んだ時も。

「――――佐久間?」

向こうから俺を呼ぶ声。

「よぉ、迎えに来てやったぞ」

アリサが顔見知りのメイドと一緒に現れた。

「迎えに来るって……呼んでないわよ?」

「自発的に着てやったんだよ」

アリサの車椅子を押すメイドに視線を向けると、メイドさんは小さく微笑んでアリサに自分は此処でお暇すると言って去って行った。

「仕事サボっちゃダメじゃない」

「追い出される事も仕事なんだよ」

去ったメイドの代わりに俺がアリサの車椅子を押す。

「帰りはちょっと歩こうぜ。俺の暇つぶしの為に」

「主人を暇つぶしの道具にする召使が何処にいるのよ?」

此処にいるが、気にしない方向で。

嫌な思い出しかない病院を出て、俺達は人通りの少ない昼間の街を歩く。

ゆっくりとした歩幅で、ゆっくりとした時間の中で、俺達は小さな会話を少しだけ語り合い、そして歩く。

その途中、アリサはふとこんな事を言った。

「アンタの部屋がみたい」

「俺の部屋?」

「そう。ご主人様として、召使の部屋の現状くらいは把握しなくちゃね」

どういう理屈だろうか。世の中プライバシーという言葉が重要性を増している様になんて言い草だ。だが、別に困る事はない。部屋には何もないし、エロ本もない。借りてきたそういうDVDは昨日の内に返却済み。

「いいけどよ、何にもねぇぞ?」

「それでもよ」

どうやら、行く気満々らしい。俺は仕方ないと諦め、車椅子を進める方向を変える。目指すは俺の部屋であり、何も無い空虚な部屋。





今にして思えば、この時の俺は世界の甘さに浸りきっていたのかもしれない。

世界は甘いと思いこみ、アリサの顔をしっかりと見ていなかった。だから、あんな事になる。本当を知らず、俺の眼だけで見た世界ばかりで止まる。そんな俺の甘さとぬるさ。それが結果となるのは数十分後。

何もかもが、遅すぎた。






部屋に行く前に適当な茶菓子を購入し、俺達はマンションの前へ。エレベーターホールの前でエレベーターが降りてくるのを待っていると、

「あ、大樹」

小さな声で俺の名を呼ぶ声。

「振り向くと、そこにはコンビニ袋を抱えた小さな少女の姿があった」

「なんで説明口調?」

たまにはボケたっていいだろう。

気を取り直して、俺はその少女、フェイトに向けて手を上げる。

「よぅ、こんにちは」

「こ、こんにちは……」

未だに俺に慣れてないのか、フェイトはおずおずと手を上げ、俺の元に歩み寄る。

「誰、この子?」

アリサがフェイトを見ながら尋ねる。

「俺のお隣さん」

「ふ~ん……にしては、なんか親しげだけど」

「なんで睨むんだよ。別にやましい事はしてない」

「当たり前よ!」

何故、そこで叫ぶ?

「叫ぶなよ。ご近所迷惑だし、フェイトも怖がってるだろ?」

「あ、ごめん―――って、なんでアンタは佐久間の後ろに隠れてるのよ?」

俺の後ろに猛獣を前にした小動物の様に隠れるフェイト。

「な、何となく……」

「――――へぇ、何となく隠れちゃくう位に親しい仲なんだ……へぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

寒気がするのは何故だ?

それとフェイト、お前は何時の間に俺の後ろにいるだよ?

というか、何でアリサは怒ってるわけ?

わけのわからない状況だ。これが俺にアリサが好意を抱いているとかそういう状況ならわかるが、残念ながらそんな漫画みたいな展開はあり得ないと否定する。ってか、子供相手にそんな感情を抱くなんて、どこぞの殺人鬼じゃあるまいし。

「ほら、フェイト。アリサは別にお前を取って喰いやしないから大丈夫だ」

「ほんと?」

「なんでそこの疑問符なのよ!!」

また脅えるフェイト。

また怒鳴るアリサ。

そして、どうするべきかわからん俺。

お前ら、俺にどうしろと?







さて、今にして思えば、この状況はとんでもない状況だ。いつの間にか流される様にこうなっているわけだが、これは本来の歴史ではありえない。

ちゃぶ台の横のチラチラとアリサを見るフェイト。そのフェイトを気に入らない奴を見るように睨むアリサ。そしてそんな二人を見ながら茶を沸かす俺。

「――――これって、やばいよな」

正直、かなり焦っている。

この状況は明らかに不味い。

アリサとフェイトの状況が不味いのではなく、二人がここで出会ってしまったというのが問題だ。本来、二人が出会うのは今よりももっと後、十二月のはずだ。それがこんなに早くなるなんて不味い―――事だと思う。

俺のせいだろう?

俺のせいだろうなぁ……

「おい、茶が出来てからお前は少し落ち着け」

「落ち着いてるわ。誰よりも神よりも落ち着いてるわ……で、この子は誰よ?」

怒りゲージがマックスな気がする。

「だから言ってるだろ。俺のお隣さんのフェイト」

「ふぇ、フェイト……テスタロッサです……」

アリサは俺のベッドの上からフェイトを睨む。それに脅えるフェイト。そして俺に助けるフェイト。そして、その事で怒りゲージが限界突破するアリサ。そろそろ、アリサから超必殺技が飛び出しそうな勢いだ。

無論、そんな事はあり得ないわけだが。

さて、ここで少し俺とフェイトの関係を話す事にしよう。

出会いは先日、エレベーターの前で出会った―――――それだけ。

確かにあの時、俺はフェイトの落とした荷物を拾ってやったし、それを部屋まで運んでやったし、隣同士だという事で軽めの挨拶をした。それだけだ。それ以上の関係などありはしない。俺だって別にこの子との関係を深める気も無いし、知り合いのなのはに教える気も無いし、どうにもする気も無い。

特別な感情などない。

どうにかしたいなどという感情もない。

あるのは傍観した他人という程度の想い。

そんな俺に何かを期待するという考えはこれっぽっちもありはしない―――ありはしないのだが、どういうわけかフェイトとは良く顔を合わせる。

朝、出勤前に。

夜、帰宅前に。

深夜、散歩前に。

顔は良く合わせる。合わせはするが会話はそんなにない。精々、朝はおはよう、昼はこんにちは、夜はこんばんは、そして深夜はさっさと家に帰れ―――その程度だ。

甘酸っぱい事もなければ、変なフラグを立てる機会もない。

まぁ、俺如きがどうにか出来るとも思って無いけどな。

しかし、そんなどうでもいい事はさておき、問題は今の現状だ。

何処かでジグザが嗤っている気がする。

「アリサ・バニングスよ」

アリサとフェイトがこの時点で出会ってしまった。しかも、何故かその場を俺が作り上げてしまった。無意識に、そして無意味にだ。

無言で睨むアリサ。無言で俯くフェイト。そして俺は焦る。

「え、えっと……フェイト、ご趣味は?」

何を聞いてるんだ、俺は!?

「は、はい!!魔法を少々!!」

いきなり何を言ってるんだお前は!?

思わず頭を殴りたくなったが、そこは大人としてグッと抑える。

「魔法?何それ?」

明らかに侮蔑の表情を浮かべてフェイトを見るアリサ。

「ば、馬鹿お前……ジョークだよ、ジョーク。そうだよな?」

魔法の事はこの世界の住人には隠蔽するという常識(多分)を思い出したフェイトは、苦笑しながら、

「そ、そうです!!」

「あ、あはははは、面白いジョークですね~」

「あはははは、笑ってもらえてよかった~」

俺とフェイト、同時に白々しいまでに乾いた笑いを浮かべ、

「…………馬鹿じゃないの?」

冷たい視線で射抜くお嬢様が一人。

おいおい、だからなんでこのお子様はこんなに不機嫌なんだよ?

何時もコイツなら軽く流すか、呆れるかのどっちかのはずなのに、何故か今日は変だ。もしかしてあの日か?―――いや、まだ早いか。

俺はともかくこの重苦しい空気をどうにかせんと色々な話題を振ってみる。そして、巻き込んでしまったフェイトを助けるようにマシンガントークを繰り返し、悉くが玉砕。

サクヤとの会話でわかったが、俺には場を和ませるトークとかは無理らしい。あと、面白くて滑らない話も同様に。

時間が経つにつれてアリサの顔も険しさを増す。

「―――へぇ、フェイトはお姉さんと二人暮らしなんだな」

「うん、アルフっていうんだ。大樹はまだ会ってないよね?」

「そうだな……一応聞いておくけど、美人か?」

「えっと……うん、綺麗だと思うよ」

「そうかそうか、それは楽しみだな~」

「楽しみだね~」

あはははははは――――おい、笑えよアリサ。もしくは突っ込めよ。

「――――佐久間って変態よね」

突っ込みじゃなく侮蔑が返ってきた。なんか、さっきよりも不機嫌度が増してる気がするんですけど……

フェイトもアリサの不機嫌な態度にオロオロしだす。心の中で俺は彼女に土下座する。良かれと思ってやった事がまさかこんな事態に陥るとは思ってもいなかった。すまん、お前にはジュエルシードを集めるっている目的があるのに、こんな所で神経をすり減らす想いをさせてしまった事を、本当に申し訳ないと思う。

入れたお茶は誰も口にしないまま、どんどん冷めていくし、この場の空気も氷点下まで一気に下がっていくし、俺にはもうどうしようもない。

「…………」

「…………」

「…………」

とうとう、沈黙が支配する空間が生まれた。

横目でフェイトを見る。

フェイトが助けを求める視線を向ける―――すまん、俺が助けてほしい。

だが、流石はこの世界でのもう一人の少女、フェイトは意を決してアリサに話しかける。

「と、ところでアリサ―――」

「気安く名前で呼ばないで」

シャットダウン。

「…………ごめん」

あまりにもはっきりとした拒絶にフェイトは悲しそうに俯く。

―――――さて、そろそろ俺も我慢の限界だ。

「おい、アリサ」

「何よ?」

睨みつける様に俺を見据えるアリサ。その視線に心が軋む。こんな眼でアリサに見られるのは初めてだ。初めて見た冷たい眼。冷たい視線を俺は睨む事もせず、平常心で語りかける。

「お前な、同じ年くらいなんだから少しは仲良くしろ」

大人は平常心で。平常心は大事だ。ここで無駄に怒鳴っても大人げないだけだし、この場を壊す結果にしかならない。

平常心、平常心――うん、これで大丈夫。

だというのに、

「何でよ?」

何でよってお前……

バッサリと切り捨てる。

当然の疑問だと言わんばかりに、冷徹な言葉で切り捨てられる。平常心で固めた心が揺らぎ、固めた壁に亀裂が走る。

「なんで今日会ったばかりに奴に、気安くしなくちゃいけないのよ?」

亀裂は広がり、俺の顔から仮面が剥がれる。

笑顔という仮面。

その下にある本当の俺の顔。

隠してきた苛立ちを表現する顔。

それが剥がれ堕ちた瞬間、

「いい加減にしろ」

大人げなく、心が表面に現れる。

「さっきから一々フェイトに噛みつくみたいな事ばかり言いやがって……何だよ、それ?」

それが引き金となった。

アリサも不機嫌な顔という仮面が外れ、その下に在った別の顔が現れる。

苛立ちではなく、怒り。

だが、そんなアリサの顔にも俺は気づかず、

「お前はいつからそんな聞きわけの無い奴になったんだよ?」

勝手な正論を口にしてしまった。

だが、俺も我慢できなかった。

正直、アリサの「何でよ?」は少々頭にきた。

「―――うるさいわね。私が誰と仲良くしようとしないと、私の勝手でしょう」

「勝手だとは思う。それは確かにお前の勝手だけどよ。それはちょっと大人げない」

「子供だもん。私は子供だから大人じゃない」

「屁理屈を言うな」

「…………何よ、佐久間は私よりもその子の肩を持つっての!?」

「違う。違う以前に話が見えないっていうのもある……お前、誰にでもそういう態度をする奴じゃないだろ?誰にでも優しいとかそういう事をする奴でもないけど、今のお前は見ていてみっともない」

「あ、あの……」

「みっともない?何よ……アンタは私の何を知ってるっていうのよ?会って一カ月も経って無い、そんな浅い関係じゃない」

そう言ってアリサは顔を背ける。

そんな言葉とアリサの態度に、



「――――んだと、コラ?」



頭にきた。

今のは本当に頭にきた。

子供相手に本当にみっともないが、俺は本当に頭にきていた。

フェイトとアリサが出会って、何かが変わってしまうんじゃないかという問題を考えていた、そんな『大事な事』を忘れてしまう程に苛立った。

「お前、今なんつった?」

キッと俺を見るアリサの眼。

「聞こえなかった?ならもう一回言ってあげる。アンタと私は出会って一カ月も経ってない『浅く』て『軽い』関係だって言ってんのよ……耳、悪くなった?」

「…………お前、本気で言ってんのか?」

「――――本気よ」

本気で、

「何?私がアンタの事を特別だとか想ってたわけ?冗談じゃないわよ。確かに私はアンタに命を救われた。それは感謝するわよ。でもね、私はアンタのご主人様なのよ?私はアンタのご主人様で、アンタは召使……その程度じゃない」

そんなアリサの言葉に、

「そんなアンタが、私が他人をどう思うかまで口出す権利なんかあるわけ?あるわけないじゃない―――馬鹿じゃないの」

心が――怖くなる程に凍りついた。

「お前さ、今の言葉……本気なのかよ」

否定しろ。

コイツの言葉を否定しろ。

何もかもが嘘だと全てを否定し、コイツの言葉を全て無かった事にしろ。

そうすれば、

そうすれば、

「当たり前じゃない。その位もわからないの?」

そうすれば、

そうすれば、

「アンタは私の『命の恩人』ってだけ……ありがとねって言えばそれでお終いなくらいに他人よ」

そうすれば、

そうすれば、

「それを何?アンタ、私の親や友達にでもなったつもりなの?馬ッ鹿みたい。いい気にならないでよ、召使のくせに……」

そうすれば、

そうすれば、

そうすれば、

そうすれば、



そうすれば―――――今までが嘘じゃないと信じられるのに……



アリサと過ごしてきた時間の全てが偽りではない、全てが本当の現実だと実感できる。

病院での記憶。

屋敷での記憶。

休日での記憶。

毎日での記憶。

記憶という記憶の全てが本当であると信じられ、そしてこの先もその本当が現実だと心の底から信じる事が出来るはず―――なのに、

「――――――そうかよ」

あぁ、そうかい。

そうだな、そうだよな、その程度だよな!?

ちゃぶ台に手を叩きつけ、俺は立ち上がる。

「な、何よ……」

立ち上がった俺の向かう先はこの部屋にあるクローゼット、そこを開いて中にある箪笥から取り出す封筒。中にぎっしりと詰まった札束。それを握りしめ、ソレをアリサに向けて放り投げる。

「返す」

短く。

「お前に借りてた金だ。それを返す。ソレを返してこれで俺とお前はイーブンだ。これ以上も無いし、コレ以下もない……」

軋む音がした。

ベッドが軋む音。

俺が軋む音。

そして、今までの全てが軋み壊れる音。

「俺がお前と一緒にいたのは全部が全部、これの『せい』だ」

コレの『おかげ』ではない。

コレの『せい』だ。

「これでお前への借金も返済したし、お前みたいな可愛くもねぇクソガキの世話をしなくてすむんだ……あぁ、そうだ、コイツも返しとく」

携帯を取り出し、それも放り投げる。

空中をクルクル回る携帯はベッドの上に音も無く堕ち、そこに在るだけの存在にしかならない。

「お前の家での仕事も辞める。このマンションも出てく。お前とはこの先二度と会わないだろうし、関わる気も無い」

「――――それ、本気で言ってるわけ?」

「あぁ、本気だ」

「…………えぇ、そうね。これで私とアンタはイーブンよ。この先は無いし、必要も無い。口うるさい召使と役に立たない召使、アンタがいなくなって私も清々するわ」

アリサは封筒を握りしめ、それを俺に向けて投げつける。

「それ、持ってきなさいよ。アンタはクビ。アンタみたいな役立たずにお金を上げる私って凄くいい人よね?アンタみたいなごく潰しとは全然違う」

この野郎……ふざけやがって。

「いるかよ、こんな腐った金」

封筒を蹴りつけ、俺は玄関に向かって歩く。

「待って、大樹!」

フェイトが俺の腕を掴む。

「え、えっと……私のせい?私のせいで喧嘩してるなら、私が謝るから……私が謝るから、喧嘩しないで……」

悲しそうに俺を見るフェイト。

「お前のせいじゃねぇよ」

「でも!!」

そして、そんなフェイトに向けてアイツは、

「馬鹿言ってんじゃないわよ。アンタ何様?アンタのせいとか、どんだけ自分大好きッ子なのよ―――馬鹿じゃないの」

ギリッと、奥歯を噛み締める。

「おい、クソガキ。それ以上喋るな。引っ叩くぞ」

「やれるもんならやってみなさいよ……まぁ、無理よね?」

勝ち誇る様に、それでいて見下す様に言いやがるアリサ。

「こんな子供に怒る程度の大人なんか、私を叩く度胸もないだろうし……」

「てめぇ……」

胸が熱い。

頭の中が真っ黒な思考で埋め尽くされる。

黒に埋め尽くされる思考が―――口を動かす。

「――――あぁ、認めてやるよ。俺はお前の言う様に程度の低い最低な奴だろうよ。だから、そんな奴を雇ったお前はそれはもう心の大きなお嬢様だ……」

言ってはいけない事を、

「俺みたいな程度の低い奴が出会っていい奴じゃないよな?あぁ、そうだ。間違いだったよ。全部が全部、間違いだらけだ」

俺の口は、

「だからよ―――――」

言ってしまった。





「―――――俺はお前なんか、助けなければ良かったんだよ……」












ぽっかりと空いた穴。

その穴は空白というには黒過ぎる。鉛筆の白いノートを隅から隅まで隙間なく黒く染めたような黒い空白。黒は何処までも黒く、白い空白は存在しない。ならばこの空白を埋める為にはどうすればいいのか―――新しいノートを開くしかない。

けれども、次のノートなどありはしない。

次のページも、次のページも、別のノートを広げてもきっと全てが黒く塗りつぶされている。

ぽっかりと空いた穴の中には誰も無い。

頭を抱えて一人で蹲るしかない。

この場所で、この世界の中で、俺以外の誰も無い黄昏な場所で俺は一人で蹲る。

言葉は言った瞬間に力を持つ。

想いを想った瞬間に力を失う。

得た物を壊す事も捨てる事も、俺にとってはどっちも同じ。得た物は幻想で偽り、何処までも何も得られない負の連鎖。

俺は一人。

二人から一人。

無いものは無い。

一人は一人。

隣に座る者は誰も無い。

「―――――クソ野郎が」

これは自分に向けていった戯言。

後悔がある。

取り戻せない後悔がある。

得た日常が無い。

取り戻せない日常は常に暗い。

煙草を吸っても味がしない。

味はせずに嫌な感情が湧きあがる。

何もかもがどうもいいとさえ思える、虚ろな世界の中で俺はただ瞳を閉じる。



否定した。



そこにあった全てを俺はたった一言で否定した。

何もかもを棒に振り、何もかもが手からこぼれ堕ちた。

自業自得だ。自分の感情に振り回され、その結果がこのザマだ。自業自得という言葉以外に何も存在しない。何も存在しない今は空白で絶望的だ。

「最悪だな、おい」

俺は最悪だ。

自分が嫌いでしょうがない。

嫌いすぎて、今にも殺してしまいそうだ。

何となく、眼に映ったのは海。

夕焼けを映し出す海は鏡の様に、世界を映す鏡の様に。

俺は立ち上がり、ふらふらと海に向かって歩く。

傍から見れば、自殺する一歩手前のような顔をしている俺は策を超えて海の前に立つ。
情けない俺の顔が水面に映る。

「…………」

俺は、こんな自分が嫌いだ。

自分の事を好きになれる程、俺は能天気ではない。能天気ではなく、人間が出来ていない未完成な駄物だ。

このまま水面に飛び込めば楽になるのかもしれない―――そんな甘ったれな考えが浮かぶ。

そうだ、この程度で死ぬなんて間違っている。たかだがアリサと喧嘩して、売り言葉に買い言葉で言ってはいけない言葉を口にして、死にたくなるくらいに後悔しているだけだという程度で死ぬなんて意味がない。

なら、俺は今、何をしたいのだろう?

水面に映し出された俺の顔は真っ青に染まり、何かに脅えている。

夕焼けの中、夕焼けの園、夕焼けの中にある俺という存在は何処までも真っ黒で何も無い。

そんな世界に存在する俺はこの程度の――クソ野郎。

「馬鹿馬鹿しい……本当に馬鹿馬鹿しい」

俺は柵を乗り越えて元の場所に座る。

座った隣には――――奴がいた。

「やぁ、今にも死にそうな顔をしているね」

「あぁ、今にも死にそうな顔をしているよ」

ジグザは面白そうに俺を見据える。

「それで、これから佐久間くんはどうするのかな?」

「どうするべきだと思う?」

「どうするべきだと思うかは、私の意志じゃない。君の意志だ。君が勝手に何かをして、僕を楽しませてくれたらそれでいい……」

邪神はそう言って立ち上がる。

「さぁ、何をしたい?」

小さな身体で手を大きく広げ、満面の笑みで嗤う。

「君には何も無い。君にあった物はこうして全てが終わりを迎えた。アリサちゃんという唯一の繋がりを失った君には何もない―――っていうか、君ってその程度の繋がりしかないよね?」

「うるせぇよ」

その程度の繋がり、か……

俺がこの世界にきて得た繋がりとは一体なんだったのだろうか?

あの時、失いたくないと思った繋がりを無理矢理に繋げた俺は何を学んだのか?

何も学んではない。

馬鹿な俺。

阿呆な俺。

最低な俺。

そんな俺は――――どうしたらいいのだろう?

「そうだ、いっその事、もう一度土下座とかしてみれば?そうすれば、アリサちゃんだって君を許すかもよ?」

「…………それは、」

出来ない。

やろうとも思わない。

「甘え、だよな」

「甘え?」

「あぁ、甘えだ。俺は甘ったれのガキなんだよ。身体だけでっかくなっても、俺は変わらない子供のまま……聞き流せばいいのに、なんで俺はあんな風に怒っちまったのかな……」

「後悔してる?」

「後悔してる。後悔してもしきれないくらいに……後悔してる」

俺は何をしているのだろう?

こんな世界に来ても、俺は何も変わってない。

自分をリセットしたつもりになっていたはずなのに、俺の根本は何も変わらない。

根本的なまでに―――俺は馬鹿だ。

「――――――なぁ、お前はなんで俺が死んだのかを知ってるか?」

「知ってるよ」

「なら、なんで俺なんだ?」

「それがまた面白いからさ」

「最悪だな、お前は……」

「最悪だよ、私は」

ジグザは黒い外装を引きづりながら俺に歩み寄り、俺の頬に手を当てる。

「最悪な私だから最悪な君を理解できるってのも真実さ。私は最悪を好むし、最低も大好きだ。君という醜悪を理解できるし許す事も出来る……だから、私は君を許すよ」

眼を見開く。

ジグザは醜悪な顔で俺を見据える。

「君の最低を私は許す」

そして、その顔がゆっくりと近づく。

「君の最悪を私は許す」

ゆっくり、ゆっくり、時間が遅くなった様にゆっくりと、

「だから、君は君を誇っていい……私は君を傷つけ陥れ、詰って嬲って痛めつける―――だけど、私は君を裏切らない。君の全てを私は受け入れる」

底なし沼の様に何処までも深い黒色の瞳。

その瞳と俺の瞳が重なり、ジグザの瞳が歪む。

「苦しかったら泣けばいい―――馬鹿にしてやる」

歪んだ瞳が近づく。

「悲しかったら叫べばいい―――侮蔑してやる」

距離は、殆ど無い。

「怖かったらしがみつけばいい――――足蹴にしてやる」

でも、とジグザは紡ぐ。



「それでも私は―――――君を裏切らない」



柔らかい感触。

優し冷たさ。

ゾッとする背筋。

高揚する心。

そして、身体の中に流れ込む絶対零度の悪。













人質はリリカル~Alisa~
第一話「全ては偽り」













邪神、神滅餌愚座の唇は――――――意外にも優しかった。














なかがき
というわけで、アリサルート突入、な散雨です。
結局、悩むなら全部書いちまえという浅い思考で全部ルートいく事にしました。書ききれるかは自分の気分次第ですけどね~
最初はアリサルートです。
これが終わったらサクヤルート、そしてまさかのジグザルートです。まさか、この邪神のルートを書く事になるとは想ってもみませんでしたね…………嘘です。実はこの邪神ルートが最初の予定でもあったんですけど。
というわけで、ルートは全部で三つ。
アリサルート(別名・フェイトルート)
サクヤルート(別名・なのはルート)
ジグザルート(別名・プレシアルート)
こんな感じです。
次回「邪神の誘惑」でいきます。
出来る限り、がんばります。




























少女は一人、誰も無い部屋の中でその場に立っていた。

誰も無い部屋。

先程まで誰かがいた部屋。

その部屋の中にいるのは一人だけ。

「…………」

ベッドに置かれた携帯電話。ソレをそっと手に持ち、ギュッと握りしめる。

窓には夕焼けが映っている。悲しい色をした夕焼け。普段なら綺麗だと想える光景でも、先程までこの部屋であった事を思い出すとそれすら悲しく想える。

本来なら自分は関係ない。

他人の争い、他人の別れ、全てが自分には関係ない。

自分にはやるべき事がある。大切な人の願い、その願いを叶える為に自分はこの場所にいる。だから、こんな出来事にうつつを抜かしている暇はない。

急いで探し物の探索に戻らなければいけない。何せ、この世界には自分と同じような魔導師がいる。

ジュエルシードの探索者、白い少女の魔導師。

障害にすらならない存在だけれども、この使命の唯一の障害。アレよりも早くジュエルシードを回収しなければならない―――だというのに、

「…………」

少女の視線はこの部屋の主である男の枕に向けられる。

白い枕。

白い枕にある小さなシミ。

そのシミの意味を知った少女は混乱する。

どうするべきか、という想いに混乱する。

これは他人の事情で自分の事情ではない。

見て見ぬフリをすればいい。そもそも、自分はあの男に無理矢理にこの部屋に引っ張り込まれ、わけのわからぬままに事態に巻き込まれた。

自分になんの責任もありはしない。

そうだ、自分に責任はない。

あの子だってそう言っていた。

そう言って、



『――――ごめんね、巻き込んじゃって……』



悲しそうに、そう言っていた。

「…………」

もう一度、枕のシミを見る。

枕を涙で濡らした少女の事を思い出しながら、少女は頭を振る。

関係無い。

自分には何の関係も無い。

これは些細な出来事だ。

自分には関係がない。

関係がない。

関係が、ない――――だから、



少女は無言で携帯をポケットに押し込む。



男の携帯をポケットに押し込み、床に落ちた封筒を拾い、同じようにポケットに押し込む。
大きく深呼吸をし、吐き出す。

「――――まだ、間に合うよね……」

男が出て行って既に一時間。

少女が出て行って三十分。

時間は過ぎている。

微かな時間でも時間は惜しい。

ジュエルシードを見つける時間。時間は限られている。だから、急いで少女は部屋を出る。

顔見知りの男。時々顔を合わせる程度の隣人。その隣人の知り合いの少女、その少女の名前を知った。自分も名前を教えた―――これで、もう見知らぬ他人ではないられなくなった。

少しだけ、本当に少しだけ。

少女は部屋を飛び出し、エレベーターのボタンを連打する。

遅い、あまりにも遅すぎる。

「誰もいないよね……」

少女は踵を返し、非常階段へと脚を向ける。そして、非常階段から周囲を見据え、そこに誰もいない事を確認する。

「今回だけ……今回だけ」

自分に言い訳をするように少女は呟き、懐から三角形のアクセサリを取り出す。

時間は過ぎた。

でも時間はある。

急ぐ理由がある。

急がなければいけない理由がある。

それはコレじゃない。



だから、小さな時間の中――――少女は急いで寄り道をする事を選択する。



「バルディッシュ――――行くよ」

一瞬の輝き、その後に現れる黒装束の少女の姿。

少女は手すりに脚を掛け、空に飛び出す。

少女は落下せず、宙を舞う。

黄昏色の空を、金の輝きを纏い―――空を駆ける。

小さな寄り道。

小さな気紛れ。

別れた男と少女。

その繋がりは断たれようとしている。

だが、まだ終わりではない。

これが始まり。

本当の始まり。

その始まりを繋げる為に、少女は空を駆ける。




絆を繋げるは―――――もう一人の魔法少女







[10030] 第二話「全ては真」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/07 07:16
もう、全てが無意味だ。

過去には戻れない。神の力をもってしても過去には戻れない。言った言葉は覆せない。感情のままに叫んだ言葉だとしても、言ってしまえば力を持つ。

もう、戻れない。

暗い空間の中に立っている俺。

暗い空間の中にいるアリサ。

俺は喋れない。

アリサは喋らない。

互いに無言で見つめ合い、最初に眼を逸らしたのは俺。俺が眼を逸らした事でアリサは嗤う。ジグザの様な歪で歪んだ嗤い。今まで一度も見た事の醜悪な笑顔。その笑顔が俺に向けられ、俺を嘲笑っている。

「――――ねぇ、佐久間」

聴覚ではなく、頭の中に直接叩き込まれるような雑音。ノイズ混じりの少女の声に俺はビクッと身体を震わせる。

逸らした眼を、ゆっくりと戻す。

「ねぇ、見てよ」

ノイズが喋る。

「ねぇ、見てよ」

ノイズの声が俺のすぐ近くで聞こえる。

俺は見る。

アリサを見る。

アリサは手を伸ばす――――伸ばした手が、九十度に折れ曲がる。

「―――――!?」

本来は曲がらない方向に、ダラリと折れ曲がる腕、腕が揺らされ左右に揺れる。時計の振子のように右に、左に、そして―――肉が腐敗する。

腕から吐き気をもよおす悪臭を放ちながら肉が腐り、アリサの腕が崩れ落ちる。肉が剥がれ、骨が黒く染まり、鈍い音を立てて地面に落ちる。地面に落ちた少女の腕に足下から湧きだした害虫達が群がり喰らう、食らう、喰らう、喰らう―――害虫が貪る音、害虫が擦れ合う音、害虫が肉を喰らう音。

耳を塞ぐ。

だが、塞いだ耳では全てを塞げない。

「痛かった……凄く痛かった……」

アリサの顔が俺の目の前にある。顔に巻いた包帯が剥がれ堕ち、その下に隠された壊れた顔面。右は正常、左は異常、腐った左側の顔の皮膚が盛り上がり、その中から害虫が皮膚を食い破って外に出てくる。

「あははははははははは、痛い、凄く痛い!!」

害虫がアリサの顔を喰う。喰われているアリサは泣きながら嗤う。痛いと悲鳴を上げ、面白いと嗤い、俺を見据える眼球が―――破裂する。

壊れる身体。

喰われ続ける身体。

「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――ねぇ、なんで痛いの?」

そこにはアリサという少女はいない。

いるのは蟲、蟲、蟲、

蟲達が喋る。

「誰のせい?」

「アナタのせい?」

「お前のせい?」

「貴様のせい?」

害虫の音、人の声、ノイズの混じった雑音。



「…………ねぇ、佐久間―――――何で、私を見捨てたの?」









「―――――――ッ」

俺は眼を覚ます。

身体中を汗で濡らしながら、悪夢から逃げるように俺は飛び起きた。

「――――っはぁ、は、はぁ……ぅ、はぁ……」

荒い呼吸は収まらない。

激しい呼吸は止まれない。

喘息の発作の様に喉の奥が枯れ果てた声が漏れ、息苦しい。立ち上がり、水を飲む為に冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、がぶ飲みする。

呼吸は正常に戻る。

だが、幾ら飲んでも喉の渇きは収まらない。収まらないどころかどんどん苦しくなり、俺は二本目に手を伸ばす。

最悪な目覚めだった。




佐久間大樹という自分の弱さを自覚する。俺という人間の程度を自覚する。そして、俺という馬鹿げた男の価値を自覚する。結果、俺は無意味に街を徘徊する。

ポケットの中に入っている財布には札が数枚。昨日止まったビジネスホテルの料金は予想よりも大分高かったが、特に気にはしなかった。

ただ、横になって寝れる場所が欲しかった。ついでに誰とも会わない場所に行きたかった。野宿するには身体が贅沢に慣れ過ぎた。金はそれでも普通に減っていく。

減っていくモノは増えない。残りの有り金をパチンコ台に突っ込むという考えもあるが、今日はあんな騒がしい雑音の中には入れる気力はない。

財布の中身からまた札が消える。

朝食に食べた蕎麦のせいで札が小銭に変わる。小銭を自販機に入れて煙草を買う。最近の自販機はカードが無いと買えないが、この世界ではそんな制度はなかった。非常に助かる。あれは戸籍がないと出来ない為、コンビニで買うしかない。

戸籍か……そういえば、俺の戸籍はどうなっているのだろう。俺はふとそんな事を考え、役所に脚を運ぶ。役所の窓口で俺は自分の戸籍を調べる。

あった。

佐久間大樹、二十三歳。現住所―――あのマンション。

戸籍を悲痛な顔で見る受付のおじさんは、当然俺を奇妙な物を見る様な眼で見る。俺はおじさんに作り笑いを返し、役所を後にする。

財布の中をもう一度見る。

カードが一枚。

銀行のカードが一枚。

それを持って今度は銀行に向かい、ATMで残金を見る―――増えていた。それが、なんだか馬鹿にされている様に思えた。俺は金も下ろさずに銀行を後にする。

新ためて実感する。俺はこの世界では一人で生きるという当たり前の行為がまったく出来ていない。アリサに出会わなければ戸籍も無かったし、銀行口座もなかった。職もなかったし、住処もなかった。

一人では何もできない、小者ですらない阿呆だ。

「――――ちっせぇの……」

道端の小石を蹴り、その小石が転がり、そして止まる。何にも中らず、ただ止まる。自分の力では何もできない俺と同じように小石も何も出来ない。

この服も、俺の物ではない。

この財布も、俺の物ではない。

この世界に来て得た物は、何一つとして俺の手で得た物ではない。

全てが与えられた物。

全てが俺ではない、他人からの贈り物。

俺の身体だけが俺の者――――いや、違うか。

コンビニのガラスに映った俺の顔。俺の顔は長年見てきた俺ではない、まったくの別人の顔。親から譲り受けた顔ではなく、身体も違う。

これは、ジグザから受け取った新しい身体。

本当の俺の身体は屋上から堕ち、潰れた蛙の様に無残な姿になっている。

新しい生は俺のモノではない。

新しい人生は俺のモノではない。

新しい身体は俺のモノではない。

新しい服は俺のモノではない。

何もかもが、俺のモノではない。

俺は、

「なんだよ、俺って何もねぇじゃねぇか……」

ガラスに映った俺の顔が嗤う。

その自分を馬鹿にした顔がむかつく。

むかつくが怒りを向ける事も出来ない。

俺は俺の顔から眼を逸らし、歩き出す。

「あ、そういえば……」

足下、脚、靴―――この靴も、俺のモノじゃない。

「…………」



俺、なんで生きてるんだろ?









「―――――人は一人では生きていけない、とかいう奴がいるだろ?」

「あぁ、いるな」

「んなわけねぇよな?」

「そいつは同感……とは言えないな。見ろ、この服。この服って実は一着万単位もする高級品らしいぞ。値段を聞いた時はゾッとしたし、それを普通に着てる俺にもゾッとする。これは俺の金で買ったんじゃなくて、買ってもらったんだ」

「それはお前がヘタレだからだよ」

俺の隣で、ガルガは前回と同じように座っている。カップ麺を啜りながら、おにぎりを喰っている。炭水化物に炭水化物とは……最高だと思う。

「で、俺にその美味しそうな炭水化物はくれねぇのか?」

「やるわけねぇだろ」

酷い奴だ。

そして、前回同様に俺の思考はまたもおかしくなっている。この殺人鬼を前にしても恐れは湧いてこないし、平然と話している。おまけに口調もまたも変質している。最初ほど違和感は感じていないが、これはどういった状態なんだろうか。

もしかして、コイツを前にする厨二病が発症するとか、そういう特異体質じゃないだろうな、俺。もしくは、コイツの前に出た人間は全員が厨二病になるとか―――

「お前、結構迷惑な体質だな」

「いきなり失礼な奴だな。わかったよ、特別におにぎり一個やる。どれがいい?」

「ツナマヨ」

「ダメだ」

「鮭」

「却下」

「…………なら、残りは何があるんだよ?」

ガルガは袋の中に手を突っ込み、

「残るは……新製品『ワサビタコワサビ』だってよ」

ネーミングセンスが抜群に悪い名前だ。だが、この背に腹は代えられない。俺はその微妙な味がするであろうおにぎりを口に運ぶ。

「―――――――マズ」

「良かったな。今日はいい日になるぞ」

「最低だから、これ以上の下はないってか?」

「そういう事だよ……で、話を戻すがよ。人は一人では生きられないって話、お前は認める系か?」

不味いおにぎりを口に運びながら、俺は頷く。

「なるほど。お前もそういう類いか……嫌だねぇ、世知辛いねぇ、しんみりするねぇ。そんな連中は皆が皆、死ねばいいのに」

「そしたら、世界はお前一人だ」

「おっと、そいつは困る。俺の性処理の相手がいなくなるな……良し、子供だけは生きて良し。ただし男のガキは死ね」

「アダムはお前で、イヴは全世界の幼女……お前の頭って腐ってるな」

「腐って何が悪い。愛を愛する奴よりは、幼女を愛する腐り頭の方が健全だ」

「愛を冒涜するなよ、変態」

「愛を愛する時点で冒涜だっての。いいか、愛を愛するってことは他人なんてダッチワイフ程度にしか考えてないってことだ。性処理の道具で十二分。感情は自分のだけで事足りるし、それ以外は必要ないって話……愛を愛するなんて戯言は傑作以外の何ものでもない」

「某小説の殺人鬼みたいな戯言を言うな」

「お前も某小説の主人公みたいな事を言うな」

知らねぇよ。

「だがよ、変態。俺は一人じゃ生きていけない奴だぞ。愛情に飢えてるとか、孤独は嫌だとか、そういうレベルの話以前に、俺って此処に来てから戸籍も仕事も生活の全てを誰かに用意してもらってたんだよ。そうじゃなきゃ、俺は犯罪者か餓死者のどっちかだ」

「恵まれてるな、お前。俺なんか街中で俺に喧嘩売ってくる野郎共から財布をかっぱらって生活してるぜ―――『カツアゲ狩り貯金』と称して、既に三百万溜まってる」

世の中、こういうリスクの高い生き方の方が高収入らしい。

「殺し屋にでもなれや」

「時々してる。組の抗争やら政治家の暗殺、おまけに見ず知らずの常人の殺しとか……何処の世界でもやってる事は変わらないが、人もそうそう変わらないな」

こんな異常な事を平気で口にしているガルガの前でも俺は平然としている。これも立派な異常の一つだ。普通なら恐れるなり逃げるなりするはずなのに、俺の脚はまったく動こうとしない。逃げる必要性を感じないらしい。

「だからよ、そんな連中を見ると思うわけよ。一人では生きられない奴等は、他人という対抗者が必要なんだってな。一緒に時間を過ごすとか、ライバルとか、そういう生易しい間ではなく、単に自分の優位さを見せつけたいだけなんだってよ……金持ちなんて特にそうだぜ?アイツ等は金があるから他人に優しく出来るし、触れ合いもする。友情、愛情、そんなもんよりも金だよ、金――――なぁ、ヘタレ。お前はそういう金持ちと一緒にいて、苦しいとか、むかつくとか考えなかったのか?」

どうして、コイツが俺がアリサという金持ちの娘と一緒にいる事を知っているのだろう、そんな疑問が湧いたが―――まぁ、コイツだし。という事であっさりと済ませてしまった。

「まぁ、我儘ではあったな」

だが、それだけじゃない。

「我儘だけど……優しい子だったよ」

「金持ちだからな」

「そういうのはお前の目線だけだ。金持ちだって金があるから優しいわけじゃない。アイツは――――」



『聞こえなかった?ならもう一回言ってあげる。アンタと私は出会って一カ月も経ってない『浅く』て『軽い』関係だって言ってんのよ……耳、悪くなった?』



口から言葉が出なくなった。

「どうした?」

「…………なぁ、人の主観って盲目だと思うか?」

「なんだよ、突然……」

一か月も経ってない関係。そんな短い関係で他人を真に分かるとはあり得ない事なのだろうか。俺はアイツの事を多少は理解している『つもり』だったし、アイツが良い子だって事もわかっている『つもり』だった。

けれど、それは本当に『つもり』程度だったのかもしれない。

本当に誰かを理解するなんて事は出来ない、俺はそう思った。

時間が長ければ長い程に人と人とは結び合い、理解し合う。それが短時間では無理な事だと知ってしまえば、何とも悲しい事実だ。

映画の様にトラブルで出会った男女は吊り橋効果で恋に落ち、最後は結ばれてハッピーエンドというのはお決まりだが、あれは現実的ではないのかもしれない。時間が短いからその場の勢いと感情に誤魔化され、そして失敗する。

『スピード』を見ろ。『スピード』で恋に落ちた二人は『スピード2』では破局して、他の男とくっついたぞ?

「俺さ、アイツがあんな事を言う奴じゃないって思ってた……そう、思い込んでただけなのかな?」

「知るかよ。お前のいうアイツが誰かも知らんし、お前の抱えてる問題も知らん」

「――――俺の理想、アイツに押しつけてただけなのか?」

「人の話を聞けよ。俺に相談するな。俺の専門は『幼女と成人男性の恋』だけだ」

「なら、幼女と成人男性の友情についての相談だ」

「幼女とくっついてる男は皆死ね」

ダメだ、コイツは根本的にダメだ。







「――――――まぁ、つまりはこういう事か。お前が恋人いんのに他の女を部屋に一緒に連れ込んで、恋人が嫉妬したってことだろ?」

「お前は人の話を一欠けらも聞いてねぇのな」

「一欠けらも聞いてやる程、俺はお人好しじゃねぇんだよ、佐久間っち」

「気味の悪い呼び方をするな」

「なら、さっちゃん、さっくん、さくもと、さくげ、さくつぶき、さくもん、さきばら――――まぁ、ヘタレでいいや」

「ありがとよ、変態」

俺とガルガは海辺を並んで歩く。

空は今日も青空だ。まっさらな青空。その下でどんな事があろうとも決して無関係を装う憎たらしい青空。人が死んでも空は青いし、人が悲しんでも空は青い。この星が続く限り空は永久的に青い。こんな青空の下で気分を沈ませている俺が悪いのかと問われれば、

「お前が悪い」

と、空の代わりにガルガが答える。

「全面的にお前が悪い。お前はどこの勝ち組モテモテ君だ?俺を馬鹿にしてるのか?この世界の人口の半分である男を敵に回したぞ、お前は……」

「んなわけねぇだろ。そこまで勝ち組だとは思ってない。ってか、相手は子供だぞ?恋愛の対象とか、そういう対象に見れるわけねぇだろ」

「俺は見れる。幼女LOVE。女の子LOVE。もしも七つ集めて竜に願い事するなら、俺はこの世を幼女の楽園にする」

誰か、コイツを警察に連れて行け。

「っとまぁ、俺の長年の願望はここまでにしといてな……お前、本当にそう思ってるわけ?」

「本当も本当だろう。そんな漫画じゃあるまいし……」

「現実と漫画を一緒にするなよ」

「それは、どっちに謝ればいいんだ?漫画か、それとも現実か?」

軽口を叩く。

そうだ、そんな事はあり得ない。俺だってそんな事は思っていないし、アイツだってそんな事を想ってはいない。

何となくだが、そう思う。ガルガの言う様に甘い感情はコレっぽっちも在りはしない。そんな漫画みたいな話じゃない。

もっと別に、何かを見落としている、そんな感覚。

そう、何かを見落としている―――そんな直感。

「―――――だけど……全部が今更だ。もう手遅れだし、俺もどうにかしたいとは思って無いよ」

「本当か?なら、なんで俺にそんな話をした?」

「愚痴だよ、愚痴……」

愚痴を零せば、心が楽になると思ったからだ。心の底に隠した本当ではなく、心の表面にある本当だけで話をすれば、気が紛れる。

だって、コイツだって結局は他人だ。他人の俺の本当を理解してもらおうなんて思ってもいない。それは、俺がアリサの事を理解していたという勘違いと同様に、俺と他人を理解が本当に理解出来ているなどという戯言は―――口には出来ない。

「俺もそろそろ、新しい一歩でも踏み出すかな……一応、戸籍は在るし、住み込みのバイトでも探すか」

気分を切り替える必要がある。

この世界での今までを全部棒に振って、別の自分を作り上げる努力をしなければいけない。

別の今を始める。

別の毎日を始める。

なんなら、この街を出たっていい。

それで解決する事だ。

だから、全部忘れてしまえ。

忘れて楽になれ。

そうすれば、きっと何かが変わってくれる。

「そうだ。いっその事、俺もお前みたいに殺人鬼にでもなるかな」

俺は冗談交じりにそう言った。

ガルガは怒る事もしなければ憐れむ事もしない。ただ嗤っていた。おかしいと腹を抱えて嗤っていた。

俺も嗤った。

男二人で、青空の下で、ただ嗤い合っていた。

そうだ、なんて事はない。

だって、これはアリサと喧嘩しただけの事だ。人生が終わるとかそういう重大な瀬戸際に立たされているわけじゃない。子供の喧嘩の様に、些細な口喧嘩の様に、何処にでもある当たり前の風景だ。

そして、俺は未だに腹が立っている。アイツの態度にむかついてるし、その怒りをぶつけた事に少しだけ大人げないと思いながらも、あれは正統性のある怒りだと自負している。

気にするだけ無意味だ。

だって、相手は子供だ。

子供と大人の喧嘩だ。

全然、大したことじゃない。

俺は何を気を落としていたのだろうか、馬鹿みたいだ。

「おい、変態。飲みにいかねぇか?お前のおごりで」

「何で俺のおごりなんだよ?普通はお前のおごりだ。俺は俺の金で飲み食いをしても、それを他人には一切やらん」

「ケチだな。そんなんじゃ幼女に好かれねぇぞ」

なんて事のない毎日。

これは俺の得たなんて事のない毎日の一ページ。

その一ページがこんな事になっただけの話。

なんなら、これからアイツに謝りに行ってやったっていい。あの時みたいに土下座して、俺が悪かった、許してくれ、仲直りしよう、そしてまた働かせてくれ―――そう言って元に戻ればいい。

それだけの話。

最初から最後まで、それだけで済む話。



助けなければよかった



だけど、俺はそれを否定する。

「―――――くっだらねぇ……」

嗤いが止まる。

どんなにプラスな方向に頭を進めても、行きつく先は決まっている。決まっているゴールからは逃げられない。走りださないかぎり、リタイアしないかぎり、ゴールに向かうという結果は常に在り続ける。

言った言葉は覆らない。

想った事は覆っても、言ってしまった言葉は覆らない。

それを俺は忘れたわけじゃない。

忘れるわけが、ない……






結局、俺は何をしていたのだろう。

丸一日、あの殺人鬼と一緒にいても誤魔化しきれない罪悪感。

罪悪感は消えない。

罪悪感があの悪夢を呼ぶ。

「助けなければ、よかった……か」

口に出す事は悪だ。

そんな言葉を口に出す奴は最低だ。

命を軽く見る馬鹿野郎の言葉だ。

そして、俺はその馬鹿野郎だ。

煙草の煙がゆっくりと空に上がる。

ジッと燃える音。

何時かは無くなる小さな煙草。

何時かは消える小さな煙。

その何時かを知らぬまま、何も出来ずに歩き出す。

またも世界は黄昏色だ。

美しいと感じるよりも悲しい、寂しいと感じるこの時間。黄昏時は人が家に帰る時間だ。歩けばすれ違うサラリーマン、歩けばすれ違う主婦、歩けばすれ違う学生、歩けばすれ違う誰か、歩けども歩けども、俺は誰かとすれ違いを続ける。

すれ違って行く誰か。

俺を見ない誰か。

俺ではない、隣を歩く知人だけしか見ない誰か。俺には誰も無い。誰も俺の隣を歩いてくれない。歩いてくれと頼む事も出来ないし、歩いてほしいとも願わない―――寂しい、孤独。

久しぶりの孤独だ。

恐らく――――死んで、そして生まれ変わってからの、初めての孤独。

そうだ、俺はこの世界に来てからずっと一人じゃなかった。

最初はジグザがいた。次にアリサがいた。次になのはがいた。次にすずかがいた。次にサクヤがいた。次にフェイトがいた。次にガルガがいた――――それが一人で歩く事があっても、俺は帰る場所があった。

あの我儘で可愛らしい小さなお姫様の屋敷。自分のマンションに戻るという感覚があっても家に帰るという感覚がない。

俺の家、俺の居場所、俺が存在してもいい場所―――あの場所。

俺の脚は自然と其処に向かう。

眼を瞑っても向かう事が出来る程に慣れ親しんだあの場所。

アイツが待っている、あの屋敷。

長い塀をグルリと回り、俺が立つ場所は大きな門のある屋敷。その前に俺は立っている。煙草の吸殻を携帯灰皿に押し込み、視界に映るのは呼び出しのブザー。

絶対音感があるわけではないが、この音を再現する事は簡単だ。この音を知っているから、俺はこのブザーの音に指をかける。

指先に感じる冷たい感触。

プラスチックの感触。

押せば鳴る、当たり前の現象―――-ただ、それを押す指は存在しない。



助けなければよかった、そう言った。



指先は離れ、踵を返して歩き出す。

屋敷に背を向け、慣れ親しんだ光景に背を向け、夕日にまで背を向けて、逃げるように歩きだす。

春だというのに身体が冷える。凍えるように身体が震え、その震えが心まで凍えさせる。このままでは凍死してしまうのではないか、そんな想像をする。



凍え死ね―――心の中で俺がそう言っていた。







夕日が斜めに堕ちて、空が堕ちて、星が上がる。

夜の世界は暗い。人工の光が世界を照らし、その引き立て役として星空が存在する。満天の星空、手が届きそうと思ってもきっと届かない遠い空。

手を伸ばしてみる。

届かない。

諦める。

「何してんだろ、俺……」

わかるかよ、クソ。

高台にある公園の芝生の上で俺は寝そべっている。先程感じた寒さはやはり気のせいらしく、春も終わりに近づけばある程度は暖かい。その低温の温かさに包まれながら俺は芝生の匂いを嗅ぐ。

草の匂い。

臭い。

顔をしかめ、意味の無い行為を止める。

もう一度視線は空へ。

星は流れない。星は動かない。其処にあるだけ、其処にあるだけで何も叶えてくれない。もしもここで流れ星でも流れればきっと俺は願うだろう。

無かった事にしてほしい。

「全部、無かった事にしてほしい……」

そんな俺の呟きを、



「それは、何処から何処までだい?」



タイミングを計ったかのように、ジグザが問い返す。

ジグザは俺の隣に腰掛け、俺と同じように空を見上げる。

「星が綺麗だね。全部無くなればいいのに」

「卑屈だな」

「君もね。星に願いを叶えて欲しいなんて、君らしくも無い。現実主義者の君としては、そんな紛い物には興味がないはずだよ?」

「俺が自分を現実主義者だって言った事あるかよ」

そうだね、とジグザは微笑む。

「でもさ、私は君を現実主義者だと思ってるよ。感情で先走るよりも考える。考えて間違える。間違えたらドミノ倒しの様に間違い続け、気づいた時には全部が終幕―――現実主義者は反乱出来ない、現実主義者はリアルに抵抗出来ない。現実を知ったかぶりする限り、彼等も君も、永久的に何も成せない」

否定は出来ない。

俺は現実主義者だったのか……いまいちピンとこない。理想に燃えているわけでもないが、現実的に世界を見る様にしているのも確かだ。ただ、その現実的という言葉が俺の中で漂うゴミの様なモノで在る事も否定できない。

きっと俺はそういう意味では現実主義者。

現実には勝てないと知って、諦める現実主義者。

「現実を現実と受け入れる者が全て現実主義者というわけでもないけどね……そうだね、一つこんな疑問を口に出してみよう」

星空の下、ジグザは何時もの様に意味の無い持論を口にする。

「人は何故、現実に立ち向かうのか――――此処ではプレシア・テスタロッサを例に上げてみよう。死んだ人間は生き返らない、失った者は生き返らない、それは誰だって知っている。知らないと罵る者はそれを受け入れられないだけの愚か者だ。その愚か者は何時だってリアルに反感する。こうであってほしい、こうでなければ嫌だ、こうでなくては報われない―――そうやって彼等、彼女等は現実に立ち向かう」

星空の下、俺はまたもコイツに下らない戯言を聞かされなければいけないのかと思うと気が滅入る……酒が欲しい。

「飲むかい?」

俺の考えを想像したのだろう、ジグザは何処からともなく缶ビールを取り出す。不思議な事に冷えている。

「僕の外装は特別製だからね。四次元ポケットでもあるし、冷蔵庫でもある」

缶を開ければ泡が溢れる。ジグザも同じようにビールを飲むのかと思えば、今度はワインを取り出し、それをラッパ飲み。

「―――ぷふぁッ、安物だけでそこそこ行ける。あの屋敷のモノとは大違いだ」

俺はビール、ジグザはワイン、値段の差は気にならない。

「さて、話を戻そうか……現実に立ち向かうという行為は美学に見える。美談にも聞こえるし、それは誰だって好きな事さ。悲しい現実は嫌だ、苦しい世界は嫌だ、だから自分はこの世界に宣戦布告し、全てをハッピーに作り替える、そういう理屈さ」

「悪い事じゃないだろう」

「悪くはない。全然悪くない。むしろ、そういうのは私の趣味に合う。人間という小さな種族がその身も弁えずに神に挑むなんて、滑稽で面白い」

ジグザが飲むスピードは速い。ワインはもう半分もなかった。すると、またもジグザは外装の中からワインを取り出す。

「プレシアもそんな一人だろうね。でも、彼女はそれほど自分に酔ってはいない。君とは大違いにね」

「五月蠅い」

「ふふふ、ごめんね……彼女の現実は実に虚しい。大切な存在を失いそれと同時に沢山のモノを失った。いや、違うね。沢山のモノを失ったから、最後に残ったのは彼女の一番大切な娘―――アリシアさえいれば、彼女はそれなりに幸せだったのかもしれない。でも、現実は彼女から最後の一つまで奪い去った」

奪われた、だから取り戻す。

取り戻す、だから作る。

作る、奪われた娘を取り返す為に。

「彼女は狂気な存在として描かれる。最低な母親、最悪な人間。物語が違えば彼女は救われる存在でもあるし、救われない敵としても存在している―――だから、彼女は何時だって、どんな現実とも闘う事を強要されている」

プレシア・テスタロッサ。フェイトの母親、生みの親。この物語のキーであり、悪。

「私は彼女を気に入っているのさ。彼女は悪として描かれる。善人として描かれる事もあるけれど、根本的には悪党だ。まぁ、自分の娘をいい様に利用し、最後は切り捨てるなんて世間一般から見れば悪党だろうね……だからこそ、物語を書く人々は彼女を様々な形として描く。悪党を演じる良い母親。娘の事を何よりも大事にし、最後は死んでいく良い母親。最初から最後まで、その意志を一切曲げずに最低な母親としてのプレシア―――彼女はこの物語の中では一番の噛ませ犬でもあるね」

「酷い言われようだな」

「前にも言っただろう?この世界は高町なのはという主人公を中心としている。その時点で周りは彼女を支え、彼女の成長の為に存在し、彼女の為に苦痛を味わい、そして彼女以外は全てが噛ませ犬。そうだな……プレシアはフェイトにとっての噛ませ犬かもしれないね」

噛ませ犬―――そんな者は存在しない。

この世界は幻想でも作り物でもない。ここはリアルの世界なんだ。ジグザの言う様な空想の世界なんかじゃない。

歴史という物語のある、立派な現実だ。

だから、痛いのだ。

痛くて痛くて、苦しい現実なのだ。

「――――プレシアは純粋さ。歪んでない、真っ直ぐな人種だよ。母親としては当たり前の行動をする、誰よりも純粋な女性だと私は思う。死んだ事を受け入れるのは美談かもしれない。でも、美学じゃない。死んだ人間に縛られるのは愚の骨頂だと皆が言っても、それは本当に正しい事かい?」

「…………」

正しい、とは言えないのかもしれない。

ビールを口に含む。

苦い、でも癖になる味。

煙草を吸う。

苦い、でも吸わなければいけない中毒。

「彼女は現実と戦った。取り戻せないと言われても娘を取り戻すために行動した。最初から最後まで、死ぬ時まで、彼女は意志を曲げない……彼女こそ、誰よりも尊い意志を持つ人間だよ―――まぁ、きっとそれは想像上での話だけどね」

そう言ってジグザは二本目のワインを開ける。

「現実との戦いっていうのはね、勝ち目のない戦いなんだよ。現実は時間であり、人であり、そして神様でもある。私達神でも太刀打ちできない神。本当の意味でのデウス・エクス・マキナという存在―――でも、人はそんな現実と戦う。戦わなければ自分を保てないからだ。自分の負けを認めるのが怖いと同時に、現実に飲まれる事に恐怖する。そして、戦いを挑んで、人は負ける」

三本目のワインには、手を出さない。

「なのに、どうしてか皆はそれに戦いを挑む―――実際さ、受け入れがたい現実ってどんなのだと思う?大抵は都合の悪い現実さ。都合が悪い……うん、これは実に良い言葉だ。都合が悪いから戦うというのは、都合の悪い事から眼を背けるという行為に酷似しているね」

「でもよ――――それっていけない事じゃないだろ」

「諦めない、という意味では良い傾向だと想えるね。それが人という種の奥底に秘められた性能だというのなら、それを認めてもいい……諦めない、諦めてはいけない、諦めなければ何でも出来るっていう言葉、君は好きかい?」

「…………好きじゃない。むしろ、苦しい」

「苦しいから逃げる。苦しい現実から逃げる。苦しめる敵から逃げる――――では、その先には何があるんだろうね?」

逃げた先にあるもの―――それはきっと、

「また、リアルだ」

「リアルは続くよ。美しいリアルも、悲しいリアルも、何処までも連鎖して終わりがない。リセットボタンも無い現実において、コンティニューも無い世界は終わりの無い地獄さ。だから、その地獄の中の一瞬でいいから心を和ませられる瞬間、それを得る為に現実に戦いを挑む」

プレシアは病気だ。

大事な娘を生き返らせても、その先にはきっと死だけしか残されていない。

娘と過ごす僅かな時間が救い。でも、その救いの先にあるのは死。

そしたら、

「そしたら今度は、誰がプレシアを救うんだろうな……」

「誰も救わないさ」

ジグザは即答する。

「誰も彼女を救わない。死んだ者は生き返らないというルールが在る以上、誰も彼女を救えない。仮に彼女が娘を生き返らせたとしても、娘が同じ方法を選ぶとは限らない。あの方法を選んだのはプレシアだからだ。そして、娘を生き返らせる事が出来ないという決められたレールの先にも、彼女には救いはない―――それこそ、誰かが勝手に作り上げた物語でない限り、絶対の確定事項さ」

「だったら……だったら、アイツの存在意味って何なんだよ……」

「だから言っただろう?彼女は噛ませ犬さ。最初から最後まで、たった一人の、仮初の娘の成長の為だけに存在する噛ませ犬。誰よりも勇敢で、誰よりも尊い意志を持つ母親なのに、彼女は噛ませ犬としてしか存在を許されない」

これは何時ものジグザの戯言だ。

けれども、その何時もを俺は聞き流せない。

「この世界でも彼女は死ぬ。どんな結末を迎えるかは知らないが、きっと死ぬ。誰も彼女を救いたいと思わない限り、彼女は絶対に死ぬ」

「フェイトがいるだろう。アイツはプレシアを誰よりも愛してる」



「でも、彼女の存在が誰よりもプレシアを殺す剣だ」



ストレートに突き刺さる言葉。

救いたいと願う少女の意志を真向から否定する言葉。

「それがリアルだよ。報われないリアル。極論なリアル。現実という冷めきった世界の中にあるリアルさ――――人は分かり合えない。本音でぶつかっても分り合えない。言葉だけでも足りない、想いだけでも足りない。でも、そのどちらがあっても現実には負ける。それが、君の存在する世界の偏った真実だよ」

そう言って、ジグザは立ち上がる。

「現実と戦おうなんて思うのが間違いなんだ。現実と戦おうと思っている時点で、人は現実に良い様に使われている結果だ。残酷だけど、それが僕の持論だよ」

抗う事は無意味。

戦いを挑む事は無意味。

無意味でも、滑稽でも、人は戦おうとする―――それが、現実に操られている結果だとしても。



「だからさ、佐久間くん――――もう、諦めちゃえば?」



腹部に錘が乗る。

ジグザが俺の身体に跨り、俺の顔を見る。

「全部が全部、もう君の手から離れたんだ。何処まで行っても君の手に残る者はない。アリサちゃんだってそうだ。彼女だってアレが君への本音だ。君の手の中に収まる小人じゃない。生きている人間だ。君が考えるフラスコの中の小人なんて存在しない」

「――――お前の、せいだろうが……」

「あぁ、私のせいだよ。私が彼女の身体をあんな風にした。でも、私の意志は彼女の意志じゃない。彼女の意志は彼女が勝手に作る。神は人の意志には介入出来ない。そういう決まりになってる」

他人事のように言うジグザに、俺の頭をあっさりと沸点を超える。

「ふざけんなッ!!」

ジグザの身体を押し倒す。

ジグザの細い首を両手で掴む。

締め付ける。

首をへし折る様に、締め付ける。

「全部、全部お前のせいだろうが!!お前がアイツにあんな事をした!!お前がアイツに大怪我を負わせた!!」

ギリギリと締め付ける。手に伝わる少女の細い首の感覚。少女の白い皮膚は俺の手によって引っ張られ、紅く染まる。

「悪いのはお前だ!!」

でも、ジグザは苦悶の表情すら浮かべない。

「お前が、お前が……」

それどころか、心地良さそうに―――嗤っている。

「お前が……」

嗤って、俺を見る。

「お、前が……」

その顔に、小さな水滴が堕ちる。

「お前が……お前が……お前が、」

震える。手だけではない、身体だけではない、俺の声が震える。

「お前が――――お前が、俺なんかを生き返らせるから……俺を、こんな世界に送り込むから……俺みたいな、最低な奴を―――アイツの前に出したから……」

わかっている。

もう、わかっているんだ。

俺にはコイツを非難する権利などない。

だって、俺にはちゃんとチャンスが与えられていた。

最初、アリサを見た瞬間から、アイツが攫われる瞬間から、俺にはチャンスがあった。アイツを救うチャンスがあったはずなのに、俺はそれを放棄した。

小さなプライドの為に、アイツの生死を他人に預けようとした。

引き金を引いたのはジグザだ。でも、弾丸を込めたのは俺だ。銃を持っていたのも俺だ。そして、ジグザに引き金を引かせたのも、俺だ。

「なぁ、なんで……なんで、俺なんだよ……なんで俺なんかを……選んだんだよ」

「昨日も言っただろう?君だからさ」

「理由に、なって……ねぇ、よ……」

「理由なんて今更必要ない。私は君を選んだ。君だからこそ、私のパートナーとして十分だと認識した……それが何よりなリアルだよ」

手から力が抜けていく。

代りに、涙が止めどなく流れ落ちる。

「君は諦めが悪すぎるのが欠点だね。引き際を考えない。引き際を考えるくらいなら、最初から接しない、そういう人だ……だから、引き際がわからない」

ジグザが俺の手から抜け出し、俺の顔を覗きこむ。

「私は君の心を想像するくらいしか出来ないけれど、誰よりも君の事を想像出来ると思うよ?君が苦しむ事を理解出来るし、それに対して侮蔑する事も出来る……佐久間くん―――いや、大樹」

ジグザが顔を寄せ、俺の頬を流れる涙を舐める。

「私は大樹を裏切らない。君の怒りは全部私が受ける。君の憎悪も全部私が受ける。殺意も含めた悪意という悪意の全てを私は否定しない。私は大樹を裏切らない。世界中の誰もが大樹を裏切っても、大樹を裏切らない」

猫の様に、ジグザは俺の頬を何度も舐める。

「だから、大樹が諦める事を私が認める。誰かが非難しても私が認める……苦しみ続ける事が人生だとするなら、私は君の苦しみの全てを受け止める」

だから、とジグザは昨日と同じように俺を見据え、

「もう、諦めていいよ……君の口にした言葉が如何に汚く、如何に否定の効かない言葉だと君が一番理解出来ないのなら、君はそれに抗う事をするべきじゃない」

心臓が止まりそうになった。

「少しだけ、休めばいい。少しだけ休んで、そして新しく始めればいい。始めた先がどんなモノかは私にも想像出来ないけれど……私が大樹の傍にいる」

俺の瞳に映るジグザは、笑っていた。嗤っているのではない、笑っている。

その姿、少女の姿に似合うような、可愛らしい笑顔で、

「私はずっと大樹を――――」

俺を見ていた。



「大樹を――――愛し続ける/嘲笑い続ける」



最低な言葉を吐いて、ジグザは微笑む。

最低だ。

何が嘲笑い続けるだ。

そんなクソみてぇなセリフあるかよ。

何時もは俺を罵倒してばかりのくせに、なんでこんな時に狙いすましたかのように……そんな言葉を吐き捨てるんだよ。

諦めていい。



『アナタと同じように、諦めない事がね』



サクヤは俺を自分と同じだと言った。そして、ジグザも同じ事を言った。俺は諦めが悪い。だから諦める場所、引き際が分からなくなっている。だから次を始められない。

次を始める事を、俺が否定しているから。

何時ものように否定すればいい。

ジグザの俺を惑わす様な言葉を否定すればいい。

そうだ、否定するんだ。

否定して、もう一度アリサのもとにいって、もう一度始めればいい。そうすればコイツの言葉に惑わされずに済む。

簡単な事だ。

実に簡単な事だ。

簡単な、ことなのに……



俺の手は、ジグザの身体を抱きしめていた。



否定しろ/

否定しろ/

今を否定しろ/

こんな事は間違っている/

だから、この手を離せ/



否定しろ/嫌だ



否定しろ/嫌だ

否定しろ/嫌だ

今を否定しろ/今が欲しい

こんな事は間違っている/これ以上苦しみたくない

だから、この手を離せ/絶対に、離したくない

だって、

だって、

俺は、

今、



――――――救われている








人質はリリカル~Alisa~
第二話「全ては真」






俺と邪神は、また口づけを交わした










なかがき
ども、二日連続、な散雨です。
どういうわけか、ガルガの性格が当初の予定と全然違うようになってきました。最初は単純に狂った殺人鬼、もしくは食人鬼というポジションで、主人公をつけ狙う敵という役柄だったんですが……なんか、単なる変態になってますね。
書いてて一番楽しいよ、コイツ。
さて、なんとなく入ったアリサルートですが……ほのぼのがねぇよ!!
普通にほのぼのでいけるかな~とか思ってたら、何時の間にかこんな状況。どうしよう?
というような毎回な言い訳はおいといて、次回は「主人公、ようやくバトル?」でいきます。
さて、とりあえずはアリサルート完結を目指しますね














































空は星の光。

地には人工の光。

そして高台には人の眼の光。

その光の発生源は男。

男はその光景を見ながら口元を歪める。

「――――へぇ~、ふ~ん、ほ~」

男は顎に生えた髭を擦りながら、笑っている。ただし、その笑みの先にある光景を関心しているわけでも、楽しんでいるわけでもない。

これは―――不快。

「あのヘタレも中々にやってくれるじゃん?お兄さんもびっくりだ。びっくりすぎてこれからこの街の住人を丸ごと殺戮しちゃおうかぁ~って考える程にびっくりだ」

男は気配を消す。

邪神であるジグザにも悟られない程に存在を消している。

「ジグザも本当に嬉しそうだなぁ~、俺にもあんな笑顔を向けてくれた事なんて一度もなかったしなぁ~」

男は抱きしめ合う二人をじっくりと見る。穴が開くほどに、心の中で二人の身体の鋭い杭で何十にも穴を開ける想像しながら、じっくりと見る。

「さて、どうするかな?」

男は腕をまくる。

男の二の腕には無数に刻まれた刺青がある。蛇の様な刺青、鳳凰の様な刺青、虎の様な刺青、刺青という刺青を無理矢理に詰め込んだ様な男の左腕。その左腕に力を込め―――止める。

「まぁ、あれだな。俺も二人の恋路を邪魔してジグザに嫌われたくねぇし、ここは大人として見なかった事にしてやろうっていう俺、やっさし~」

そう言って男はその場から姿を消す。

闇の中に沈むように、ゆっくりと消える





そして、男は別の場所に現れる。

そこはこの辺りの住宅街の中では一番大きな屋敷。その屋敷の警備員に見つからぬように『真正面』から男は邸内に忍び込んだ。

男の前に警備員が立つ。しかし、警備員の眼に男が映っていないのか、警備員は男を素通りし、男はわざわざ警備員に敬礼をしながら歩き出す。

男の姿は誰にも見えない。誰にも見えない男の姿。代わりに光る男の左腕。無数に刻まれた刺青の一つが闇の中で蠢く。

屋敷の中、正面玄関から男は入る。そして、周囲を見回し―――ギロリとある一点を見る。そこにいたのは年輩の執事。その執事の歩く方向を見据え、男は執事の背後を悠々と歩く。

「さてさて、お嬢様は何処ですか~?」

執事は男の声に何の反応も示さない。男の気配にも気づかず、執事はとある扉の前に立った。

「お嬢様、よろしいでしょうか?」

扉の向こうから何の返事も無い。

「お嬢様……」

執事の心配そうな顔を後目に、その部屋の主は何の返答も返さない。執事は何度か呼びかけるが、諦めた様に踵を返す。

「なるほど、そこですかっとね……」

男は扉の前に立ち―――右に一歩移動し、何も無い壁に手をつける。

「失礼しま~す!!」

ズブリ、と男の左腕が壁の中にめり込む。まるで粘土に手を突っ込む様に、もしくは固まっていないコンクリートに身体をめり込ませる様に、男は壁の中に姿を消す。

そして、男は部屋の中に入り込む。

「ふひょ~、幼女のお部屋~」

テンションが上がったのか、男はだらしなく鼻の下を延ばし、その部屋の中を見回す。部屋の中は真っ暗な闇。可愛らしい部屋なのにこの暗闇が全てをダメにしている。それもまた一興と男は部屋の中を見回し―――ベッドに横になっている少女を見る。

「へぇ、可愛いじゃん。あのヘタレ、勝ち組かよ」

毒を吐きつつ、男は少女の傍に歩み寄る。

少女は眠っている。

眠りながら、

「――――――ッチ」



頬に涙を流している。



その姿を見た男は先程までの陽気な顔を引っ込め、胸糞悪いモノを見たとばかりに顔をしかめる。

「あぁ、嫌だ嫌だ……幼女を泣いて叫ばせる事が大好きな俺だけど、これはダメだ……」

男は少女の頬を伝う涙を拭う。

「俺がヤルのはいいが、他人がやるのはダメだ。NG、NG、最低だ」

心底嫌だと男は盛大な溜息を吐く。そして、少女を見据える。少女の身体は包帯が巻かれているというわけで、一目で怪我人だと分かる。片腕と片足にギブス、そして左目に眼帯をつけている。

「将来は美人な婆になるのに、これは可哀そうだな……」

男は左腕を少女に近づける。近づけた腕の刺青が怪しく光る。その怪しい光をそっと少女に向けようとし―――眉を動かす。

「ん……コイツは」

腕の光を抑え、男は寝ている少女の脚に触る。素肌のある方ではなく、ギブスで固められた脚の方を摩る。何度も何度も摩り、次の素足の方をじっくりと見つめ―――納得したように頷く。

「なるほど、そういう事ね……ちょっと失礼」

今度は左腕で少女の額に手を当てる。そして右手の人差指を自分の額に押し当て、瞳を閉じる。

真っ暗な空間の中に生み出される闇。闇の中に男の腕が光り、少女の額が小さく光る。同時に男の額も光り、

「へ~」

と頷き、

「ふ~ん」

と首を捻り、

「――――――あっそ、そういう理屈ね」

と、納得したのか少女から腕を離す。

「…………あのヘタレ、こんな良い幼女にそんな想いまでさせるなんぞ、許せねぇな」

少女の身体が冷えない様に毛布をかけ、一歩後ろに引き、



「――――――うっっっっっっっっっっらやましぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」



叫んだ。

阿呆な事を阿呆な音量で叫んだ。

「羨ましい、羨ましい、実に羨ましい……あのヘタレ。いや、あの外道。いや、あの鬼畜―――もう何でもいいや、ともかくあの野郎……羨ましい。羨ましいから殺しちゃうぞ?」

そんな阿呆な事を咆哮しても誰も男には気づかない。それをいい事に男は尚も叫ぶ。

「ずるいぞ、ずるいぞ、ずる過ぎるぞ野郎!!俺だって幼女に愛されたい!!幼女を愛したい!!幼女を犯したい!!幼女を壊したい!!幼女を玩具の様に犯して犯して犯して犯して犯して犯して犯して犯して犯して犯して犯して―――ぶっ殺したいのに!!」

誰か警察を呼べ。

「嫉妬の炎で今なら俺は時すら破壊するぞ!?変身するぞ、変身!!できねぇけど、変身するぞ!!仮面的なヒーローにもなるし、戦隊モノのピンクに変身するぞ!!」

子供が泣くわ。

「どうしようかなぁ~、あのクソ野郎をぶっ殺してこの幼女の前に首だけ差し出して泣き喚き絶望させちゃおうかなぁ~」

部屋の中を何度も往復し、男はブツブツと性犯罪者確定な事を言いながら数分―――不意に脚を止め、再び少女を見る。

「…………あ~、でもな~」

困った風に首を傾げ、もう一度少女に近づく。

少女はまだ泣いている。

悪夢を見ているのか、それとも悲しい夢を見ているのか、少女は何度も何度も同じ事を呟き続ける。

男ではない誰かの名前。その聞き覚えのある名前を何度も何度も呼ぶ。助けを求める様に、何度も何度も、手を伸ばす様に、何度も何度も、この苦しみから助けてくれるヒーローを求める様に、何度も何度も―――



佐久間、と―――



「…………あぁ、そうだな。そうだよな。お前さんにはアイツが必要だよな?俺にジグザが必要な様に、お前も佐久間が必要なんだな」

男は少女の耳元に左腕を差し出し、淡く光る。その光が漏れだした瞬間、少女から涙が止まる。止まった後には安堵するような微笑み。そして、安心した声で誰かの名前を呼ぶ。

「朝起きたら、きっとお前は絶望する。だがな、今だけは良い夢を見てろ。楽しい夢を見て、朝起きて絶望して―――アイツの帰りをずっと待ってろ……」

髭を擦り、男は部屋の中を見回し―――ある一点を見据える。

その一点に迷うことなく直進し、男はそれを開ける。それは少女の服が沢山詰まったクローゼット。その中にある無数の服の中から男が手を伸ばしたのは、



少女のパンツ



「まぁ、今回はこれで我慢しとくか……ふふ、幼女のパンツ」

やっぱり変態だった。

「これがあればあと数千年は戦えるな」

意味のわからない事を呟き、男はクローゼットを閉じ、その場にしゃがみ込む。視線を天井。光るは左腕、輝くは部屋に侵入した刺青。

「―――――あばよ、お嬢様」

飛ぶ。

男の身体は天井にめり込み、屋敷の屋根の上に着地する。

「さてさて、俺らしくないけど……俺も諦めが悪いんだよな」

空には佐久間やジグザが見ている満天の星空。

男は少女のパンツを握りしめながら、思い出す。

「お前にはジグザは渡さんよ」

あの光景を思い出す。

あの光景の思い出し、顔を歪める。

佐久間が抱きしめるジグザ。

ジグザが抱きしめる佐久間。

その光景の最中、男の視界に映ったのは佐久間には見えないジグザの顔。





邪神という存在を顕した――――醜悪を極めた残忍な笑み。





故に、男はその残忍な笑みに負けぬ程の笑みを浮かべながら、

「そしてジグザ。今回はお前の敵に回ってやるよ。お前を手に入れる為に俺はあの幼女に味方する……お前のお気に入りをお前のモノにはさせねぇよ。お前は俺のモノだ。お前を喰うのも俺の権利だ」

男は屋根を歩く――――少女のパンツを握りしめながら。

「愛してるぜ、ジグザ……」

男は呟く―――少女のパンツを握りしめながら。

そして、男は地面に降りる為に脚を折る――――少女の(以下略)

だが、それは不意に止まった。

「…………」

男を見る紅い瞳。

「…………」

紅い瞳の少女。

「…………」

黒い防護服を纏った少女。

「…………」

何時の間に現れたのか、何処から現れたのか、その少女は屋敷の屋根の上で体勢を低くして身を潜めていた。ゆっくり、ゆっくりと進み―――そして、突然屋根をすり抜けて出現した男と鉢合わせ。

その少女と男は無言で見合う。互いに「誰だコイツ?」という呆けた顔をしながら、男と少女は視線を交わす。

「…………」

少女の視線が男を観察し、ある一点に集中する。

「…………」

男の手にある白いパンツ。

「…………」

男も自分の手にあるパンツを見て、それから少女を見て―――パンツを持って手をヒラヒラさせ、



「ナイス幼女!!」



意味のわからない事を叫んだ。




こうして二枚のジョーカーが出会った。










[10030] 第三話「全ては過去」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/10 18:59
一週間、一週間という七日間、言葉にすれば互いに三文字。体感時間では二十四時間が七回。太陽は七回昇り、七回堕ちる。月は七回昇り、七回消える。それだけなのか、それっぽっちなのかはよくわからないが、俺がマンションを出てから七日が経った。



夢は見ない。



眠りは闇の底、起きれば雨雲の空。雨は降らないが太陽は顔を見せない。毎日が太陽の休業日。何時までも空には雨雲が停滞し、そこを一歩も動かないどころか、空に我が物顔で居座っている。

そんな空の下、俺は眼を覚ます。

時計を見ればまたも夕焼け。

最近は何時も夕焼けを意識する様になる。夕焼けの燃える様な世界を見据える時、決まって心に宿る小さな楔。その楔を抜こうとするが抜けない。歯の奥に刺さったナッツの破片、喉の奥に刺さった魚の骨、舌で取る事も出来ない、取ろうにも手が届かない、そんな感覚。

空は今日も夕焼け―――どうしてか、この時間だけは雨雲が空に席を開ける。

朝起きれば雨雲、けれども黄昏時だけは真っ赤な太陽が世界を睨む。

毎日見る世界の色に俺はうんざりしながら立ちあがる。

こういう毎日、こうするしかない毎日。朝起きれば何をするでもなく街を徘徊し、パチンコ台に金を投入し、不思議と負けない。負けない理由を考えれば単純。俺の横で誰にも『認知』されないジグザがケタケタと笑っている。

そういえば、以前コイツをつれて入った事があったが、その時は猛烈なブザーの響きに恐れを成して逃げだしたが、今回は鳴らない。俺が尋ねるとジグザは「世界の確立は操作できない。でも、機械の確立程度なら鼻糞をほじりながらでも出来る」という返答をした。

なるほど、と俺は納得する。

ジグザの言う世界の確立というのはきっと未来とか運命とか、そういう目に見えないあやふやな存在。それを言い換えれば現実。神でも太刀打ちできない絶対無敵の化け物。それを相手にする事は神でも無意味。故に、人の作りだした電子機器の確立を操作する。

人の作りだした機械だからこその容易さ。人が作り出せない運命というプログラムよりは数百倍は簡単だろう。

俺の財布の中には数日は豪遊出来るであろう量の札が入っている。そのおかげで、俺はATMから金を落とすとい行為に縋らなくて済む。

金は人が生きる上は必要な存在。人がいなくては意味がないが、知人は必要ない。最近、こう思うようになった。



人生には知人の存在に必要性はない。けれども、他人の必要性はある



無駄な思考、無駄な考え、そして戯言だと苦笑しながら俺は歩く。黄昏時を一人歩き、コンビニで夕食を購入し、ビジネスホテルで一晩を明かす。

毎日がプログラム通りに動く機械の様に俺が生きている。でも、この生活は何とも楽だ。ただ生きていればいい。苦しむ事もなければ楽しむ事もない。あるのは毎日というエンドレスの虚無感だけ。

虚無感―――初めて感じる冷たい感情。冷たいが心地よい感情。それ故に俺は以前の自分の存在を嘲笑う。

何を悩む必要がある?

何を悔やむ必要がある?

俺というちっぽけな奴が如何に頑張ろうと、諦めようと、世界は変わらない。何も変わらず変わるのは他人。知人も他人、恋人も他人、愛人も他人、他人と他人と他人が如何に混じりあっても、結果は他人の群れだ。

この生活は楽だ。

もう悩む事を止めた。

もう頑張る事を止めた。

もう悔やむ事を止めた。

もう抗う事を止めた。

全てを、あっさりと見限る事の素晴らしさ―――それが『俺だけ』を救う絶対のリアル。

歩けば他人、すれ違うも他人、見知った顔がいたが無視した。見知った少女達が声をかけてきたが無視した。見知った雪色の女が声をかけたが無視した―――無視して、



「無視しないでくださいな?」



そう言って、背中を思いっきり蹴られた。







「――――しばらく見ない間に、随分とつまらない眼をするようになりましたね?」

「幻滅したか?」

「いいえ。佐久間さんがどんな生き方をしようとも、私には関係ない事ですから……ですが、私以外はそうとは思いません」

「知るかよ」

また、夕焼けだ。

まだ、夕焼けだ。

煙草を咥えて空を睨む。

「なのはさんも、すずかさんも、アナタが急に変わって戸惑っています」

「――――俺、アイツ等と会ったか?」

「はい。街中で何度か眼にし、話しかけても無視された、だそうです」

「そいつは失敬。気づかなかった」

だから、二度と話しかけるな。

「嘘ですね」

「嘘じゃねぇよ。全然、これっぽっちも、まったく――――眼中になかった」

サクヤの表情は変わらない。一週間前に会った時と同じような、広い心を持った甘い奴の顔のまま。その顔、その表情、俺の心の中で嫌な感情が湧きだす元になる。

「で、そんなガキ共の戯言を聞いて、俺なんかに何の用だよ?」

「別に。街ですれ違ったのに声もかけてくれないので、心の狭いサクヤさんがちょっぴり癇癪を起こしただけです」

癇癪で人が吹っ飛ぶとは、何とも迷惑な存在だ。

コンビニの袋から缶コーヒーを取り出し、

「飲むか?」

「紅茶党なので……ですが、好意として受け取って置きます」

珈琲を受け取り、一口―――苦い顔をする。

「苦いです。甘さがこれっぽっちありません」

「ブラックだからな」

「こんな苦い飲み物を好んで飲むなんて、信じられません」

「それはお前がお子様だからだよ」

もう一本、別のコーヒーを俺は飲む。

苦い。

「――――まるで、自分がもう大人だという様な言い方ですね」

「大人だよ。俺は立派な大人だ」

「人生に疲れ切った大人という意味ではそうでしょう……ですが、」

苦い苦いと言いながらも、サクヤはしっかりと飲み干す。飲み干し、缶を捨て、そして俺の眼を真っ直ぐに見据え、

「私からすれば、アナタは大人になったつもりの子供にしか見えません」

「――――――知った口を」

「えぇ、知った口です。人を真に理解するにはその人自身になるしかありません。ですから、私はアナタの心を知った風に口をしているだけ……主観の問題です」

「つまりは、戯言だ」

「それでも、何も感じず、何も考えずに黙っているよりはマシです。今のアナタの様にね」

小さな火花。頭の中だけで発火する黒い炎。その炎を無視する事は今の俺には出来ない。いや、無視するという行為に無駄しか感じない。

「お前、何が言いたいんだよ……」

「わかりませんか?私の勝手な主観では、前のアナタの方がよっぽど大人なのですよ……今のアナタは子供にしか見えませんが、以前の、翠屋にいたアナタは大人でした。それがどういう事か、今はただの―――クソガキです」

沸騰し、冷却。

怒りすら無意味だと訴える。

「……手、すら出さないのですね」

「大人だからな」

「それがカッコつけなのですよ」

「逆上して怒鳴り散らす事が大人かよ?そういうのは、お前が一番嫌いな事じゃねぇのかよ?」

「そうですね。嫌いです。嫌いですが、醜いとは思いません」

「俺は醜いとしか見えない」

「そうですか……そういう考えなら、それでもいいでしょう」

コイツは何を言いたいのだろう?

先程から俺に説教している様にも見えるし、そうではない様にも見える。何が狙いなのか、まるでわからない。

まさか、ほんとに偶然目にしたから話しかけた、なんて事じゃないだろうな?

「お前、何しに来たんだよ」

「さぁ?」

「さぁって……ったく、なんなんだよ」

煙草を捨て、新しい煙草に火をつけようとする。だが、その新しい煙草をサクヤが奪う。

「吸い過ぎは良くありませんよ」

「俺の勝手だ」

「これも、私の勝手です。それともう一つ、私は煙草の煙が嫌いです」

「知るか」

コイツが返さないなら、新しいモノを取り出すだけ―――と思うよりも早く、俺の手から煙草の箱が消えている。

サクヤは煙草の箱を握り潰し、ゴミ箱に放り捨てた。

「モノには限度という言葉があるように、煙草も吸い過ぎはよくありません。酒は百薬の長になる事があったとしても、煙草は薬にはなりません」

「肺が強くなるぞ」

「筋肉と一緒にしないでください」

一緒にした事は一度も無いぞ、この筋肉馬鹿。

「―――今、私の事を筋肉馬鹿とか思いませんでした?」

「思ってねぇよ」

「そうですか?本当にそうですか?ちなみに、私は筋肉馬鹿ではありません。筋肉ばっかりの身体では殿方の前には出れませんから」

「聞いてもねぇよ」

一体、何の話をしてるんだ、俺達は……馬鹿らしい。袋を持って俺は歩き出す。サクヤは俺の後をついてくる。

「ついてくんなよ」

「帰り道が一緒なのですよ」

「嘘つけ。それと、俺の帰り道はこっちじゃないし、帰る場所なんぞ決まってもない」

今日のホテルは駅前でいいだろう。毎日が同じ場所ではない。何となく色々なホテルを転々とする毎日。顔を覚えられたくないという想いもあるが、それ以上に同じ場所にとどまるという行為に嫌気がさしている。

「そうなのですか?私はてっきりアリサさんのお家に帰るのだとばかりに――――」

「――――ッ」

今度は、我慢しなかった。

サクヤの襟首を掴み上げ、睨みつける。

「黙れ、喋るな、語るな」

「黙りません、喋ります、語ります」

正直な話、俺とサクヤがやり合っても俺の負けは確定だ。子供と大人の喧嘩ですらない。アリと戦車の喧嘩よりも勝ち目がないかもしれない。コイツの力はあの教会での一戦でしか見た事がないが、その位は生物の本能的に理解出来る。

だが、関係無い。

どんなちっぽけな生物だって、威嚇くらいは出来る。

「俺にこれ以上構うな……他の連中にもそう伝えろ」

「嫌ですね」

「テメェ……」

呆れる程に強情だ。だが、俺が呆れるよりもサクヤの表情が先に呆れの形を作る。呆れる様な溜息と呆れる様に瞳を閉じる。そして、次に視線を合わせた瞬間にコイツは言う。

「――――アナタ、何をしたのですか?」

先程までとは違う、瞳に宿る深い疑惑の色。

「私の知るこの世界の歴史が崩れています。アナタが知る様な流れが、何処までもぷっつりと切れています……アナタ、何をしました?それとも、あの邪神が何かをしたのですか?」

疑惑というよりは敵意という言葉がしっくりくる。

その敵意を込めた瞳で俺を睨むサクヤ。だが、それに対して俺は首を傾げるしかない。

「何の事だ?」

「とぼけている、というわけではなさそうですね……」

「だから、何の事だよ」

サクヤから手を離し、今度は俺がサクヤに疑問の色を持つ。サクヤは俺の言う事を真っ正直に信じているのか、顎に手をあて首を傾げる。

「なら、原因は……」

「おい、だから何の話だ?俺を無視して勝手に考え込むな」

「――――いいえ、私の勘違いならそれでいいのです……」

勝手に自己完結し、サクヤは去って行った。残されたのは何が何やらわからない俺だけ。

「…………流れが、変わった?」

サクヤが俺の所にきた理由がそれだとすれば、気になるワードはその一つ。流れが変わった、流れが切れている―――この世界の歴史?

「…………ジグザ、か?」

俺が何かしたのか、それともジグザが何かをしたのか、サクヤの言い分ではそれがある意味では確定らしい。だが、俺は何も知らない。何も聞かされていないし、それ以上に―――アイツはもうそれは意味がないと言っていた。

俺でもない、ジグザでもない、それでも変わる世界。

いや、変わる以前に歴史ならすでに変わっている。

俺という異物の存在。

ジグザという異常の存在。

女神とサクヤという謎の存在。
始まりが既におかしい。

この世界の始まりが始まる前から、捩じり曲がる世界の渦は其処にある。それに気づかないサクヤであるはずがない。

それとも、別の何かがあるというのだろうか?

俺の知らない場所で何かが捩じり曲がっている。

俺の知っている事が崩壊していく。

知っているという武器が諸刃からゴミに変わる。

「――――夜になったら、ジグザにでも聞いてみるか……」

関係ないと割り切ればいいのに、俺はそれを引きずる。そうする事で『知っている』ことを忘れる。

何が起こっているかは知らない。そう、知らないだけだ。予想はしていた。でも知らない。知るべき時は今夜にでも聞けばいい。

だから、帰る事を選択した。

帰りながら想う。

俺の顔に張り付けた仮面は、しっかりと本当を誤魔化す力があったのかと、小さな不安を胸に秘め、俺は歩く。



だが、その油断の先に―――誰かがいた



俺の脚が止まる。

俺の視界が一点に集中する。

「――――あぁ、お前か……」

夕焼けが終わりを迎え、あと数分で夜の時間。人の時間から人でないモノ達の時間。その時間の先にあるのは俺には関係の無い、世界の歴史の時間。

夕日が沈む。

海の中に沈む。

月が生まれる。

夜空の中に月が存在を現し出す。

月光の光は冷たいらしい。俺は知らない。考えた事もないからだ。けれども、今だけは考えてみる。考えればきっとその光は彼女に向いているかもしれない。

暖かい光ではない、冷たい光。

太陽の様に全てを暖かく包み込む命の光ではない、人を見守る冷たい光、月と太陽の陰と陽の部分の様に触れ合う筋書きを運命に持つ少女―――それが彼女。

「どうした、こんな時間に……迷子か?

呆れるように言う俺に少女は、フェイトは作り笑いの様な顔で微笑む。

「久しぶり……だね」

「あぁ、久しぶりだ……」

それだけの言葉なのに、俺の中で心が急激に冷えていく。

どうしてこんなにも冷え込むのかは、何となく想像出来る。単純に、あんな場面に巻き込んでしまったという罪悪感―――ただし、寝たら忘れる、出会ったら思い出す程度のちっぽけな罪悪感。それを抱いて俺はフェイトの前に立つ。

いや、俺の前にフェイトが立っているのかもしれない。

「元気だったか?」

無言で首を横に振る。

「元気じゃなかった、か?」

無言で首を縦に振る。

なんだよ、おい……

コイツが何をしたいのか、何のために此処にいるのかが分からない。大体、今は俺なんかの前で何かをする様な時期でもないはずだ。詳しくは覚えていないがそろそろ管理局がこの世界に首を突っ込み始める時期だったと思う―――まぁ、うろ覚えだけどな。

もしくは、既に首を突っ込んでいる時期なのかもしれない。

どっちにしても、俺にはなんの関係も無い。

「そうか、元気じゃなかったか……なら、ガンバレや」

そう言って俺はフェイトの横を通り過ぎようと歩き出す。

コイツだって他人だ。偶然に同じマンションの隣人になり、特に親しいわけでもないのに、俺がアイツとの間にコイツを引っ張り込んだだけの被害者の様なモノ。だから、これ以上の関係などありはしない。

最初から他人なのだ。

最初から他人なら、それで事は足りる。

俺とコイツの関係を薄い、出会って挨拶する程度なら、出会わなくても全てが進行する。俺なんかの相手をする暇があったら、お前はお前の未来の友達の相手でもしていればいい。いや、その前にプレシアのご機嫌取りか?大変だな。子供の癖にそんな所まで気を回さなくてはいけないなんて、実に大変だ。お兄さんはさっさと逃げて帰って飯食って寝るだけだ。楽だ、実に楽だ―――楽すぎて、俺がフェイトの顔を見れない。

母親の為に頑張ってるフェイト。頑張る事を止めた俺。その二人がこうして会話してる時点でおかしいと思い込めばいい。

ただ、罪悪感はまだある。

どうして俺はコイツに対して罪悪感など湧かなければいけないのか、理由はわかる。ただ、それだけの理由なら、本当にそれだけだ。けれども、それはきっと俺の頭の中にあるこの世界に歴史も関係あるのだろう。

関係あるから、「がんばれ」という言葉も重さも理解出来る。簡単な言葉なのに、その意味をつきつめれば他人事に繋がっていく。俺の苦しみではないから頑張れ、お前の苦しみだから頑張れ。

だから、俺にその苦しみを理解させるな―――そんな拒絶。

頑張って報われるのは報われると決められた奴だけ。この世界では主人公である高町なのはだけ。それ以外はジグザのいう噛ませ犬。報われるのはなのはだけ。それ以外は報われるか報われないかなど、関係無い。

全てはハッピーエンド、主人公だけ。

全てはバッドエンド、この少女だけ。

全ては俺でもフェイトでもない、あの少女に都合の良い世界で回り続け、そしてご都合主義というクソみたいな結果だけが残される。

―――――あれ、俺は何を考えていたのだろう?

自分の中で意味のない考えがグルグルと回り、何か別の事を考えていた気がするが、考えるのも面倒だ。

事な成り行きに任せればいい。

俺の周りで勝手に回ればいい。俺には関係ない。全部が全部、お前等の好きなようにすればいい。それで俺は―――もう、休める。

それでも、脚は止まる。

フェイトの小さな指先が俺の服の袖を掴む。

「…………何か用か?」

無言で頷くフェイト。フェイトはポケットの中から見慣れた携帯を取り出す―――っは、見慣れたなんて言葉、使いたくないのに使ってしまって笑える。

「―――やるよ」

冷たい言葉が喉の奥から出てくる。

「私のじゃ、ない……」

「なら、お前のにしろ。俺には必要のないガラクタだ」

携帯は必要ない。誰かと繋がる様な凶器は必要ない。俺に必要なのは無意味に回る毎日だけで、それ以外はアイツだけでいい。

俺を、許す奴だけでいい。

俺に、頑張れと言わない奴だけでいい。

俺と、アイツさえいればそれでいい。

フェイトの手に中にある携帯はもう必要のないガラクタだ。そんなガラクタを返されても意味がない。

「それと、コレも……」

次に出てきたのは封筒。中にぎっしりと金の詰まった封筒……コイツ、こんなもんまで持ってたのかよ。

驚きを通り越して呆れる。

「やるよ。子供には過ぎた金額だけど、それで美味い飯でも食ってこい」

「コレも私のじゃない。これも大樹のだよ」

「だから、必要ないんだよ」

こんな重苦しい鎖、俺の前に持ってくるなよ。

携帯も、金も、全部が俺を縛りつける鎖だ。アイツとの関係のある全てが俺にとって必要のない拘束性をもった醜悪な鎖だ。

人と人とが繋がる携帯。

人と人とを繋げる大金。

その先にあるのは、あのアイツだけ。

それを思い出させるなら、必要無い。

「要らないなら、捨てろよ」

「…………」

「さっさと捨てろ。俺の前にそんなモノを持ってくるな」

「…………」

「―――――迷惑なんだよ、そういうのはよ」

背を向ける。

逃げるように背を向ける。

足取りは軽くいきたい。そんな重いモノを抱えて歩きたくはない。軽く生きたいのだ、俺は。縛られるなら、アイツだけでいい。俺を否定しない、肯定もしない、でも何も背負わせない、アイツだけいい。



俺には、ジグザ一人いれば―――それでいい









「――――――別にさ、君は何かをしなければいけない、なんて事はないんだよね」

俺の膝の上で、ジグザはそんな事を言った。

「…………なんか最初と言ってる事が違うよな」

「女性の心は秋空の如しってね」

なんか違う気がする。

「だからさ、別に大樹は何かをしなくちゃいけなって思い込みをしなくていいよ。前みたいに介入しろとか、そういう事もしなくていいしね」

「いいのかよ?」

「ふぇ?もしかして、やる気だったの?」

「――――面倒だな、とは思ってる」

クケケ、ジグザは奇妙な笑い声で上げる。

「いいねぇ、君のそういう考え。でも、もう必要ないよ。それに、元々大樹を選んだのだって、そういう事をして欲しいってわけじゃないからね」

「そうなのか?」

「そうなのだよ」

さて、俺の膝の上で相変わらず高そうなワインを飲むジグザ。そして、最近日課になってるジグザのウザイくらいに長ったらしい髪をとかすという作業。やってみれば意外に楽しい。手触りもいいし、匂い――は流石に嗅がない。俺だって一応は男だ。そこら辺の基準はしっかりしている、つもりだと思うし想いたいし―――って、何を俺は言い訳みたいな事を言ってるんだ?

ビジネスホテルの一室。ジグザは毎晩夜九時になると俺の部屋を訪れる。影が入口の様に闇の中からジグザが生えてくる―――筍みたいに。

そして、胡坐をかいた俺の膝に腰掛け、テレビを見る。

テレビを見ながら下らない会話をする。

下らない会話の先には何も無いし、口喧嘩なし。何のためにこんな時間を過ごしているのかと疑問に思うが、それでもこの時間が楽だ。その後は文字にも書けない淫らな大人の世界―――とはいかない。当たり前だ。コイツがこんな体型でいる限り、俺の色欲はちっとも動かない。

「君、不感症?」

「平常だよ、平常」

「なら、僕の雌豹のポーズにムラッとこない?」

豹というよりは猫のようなポーズをするジグザ。残念な事にまったく欲情しない。

「――――やっぱり、大樹は不感症だね」

「だから、俺をどっかの変質者と一緒にするな」

そんな会話。

この世界に来た時には想いもしなかった呑気な会話。

もしかしたら、これは夢かもしれない。

何処までも続く悪夢の続き、その休憩地点なのかもしれない。だから、俺はジグザとこんな普通な会話を続けられる。怒りも憎しみも、誰に対する申し訳なさの全てを忘れ、俺とジグザは会話する。

これは異常であるかもしれないが、普通だ。

邪神というジグザ、生贄という俺、その二つは今もこうして二人でいる。

おかしい現実は既に現実となる。

この世界は―――きっとおかしいのだろう。

「俺はてっきり、この際だからジュエルシードでも集めるとばかり思ってたぞ」

「うんうん、大樹も私の為にしっかりと働く従順な下僕になってくれて嬉しいよ」

「下僕になったつもりはない」

「なら、恋人?」

「それもねぇよ……ただ、暇だからだ」

「――――っうわ、男のツンデレってキモ!!」

「言うに事書いてそれか!?」

ジグザを膝の上からどかせ、部屋に設置されている冷蔵庫からビールを取り出す。

「いるか?」

ジグザはワインを取り出し、首を横に振る。

煙草に火をつけ、ビールを飲む。この二つの相性は最高だと思う。ウィスキーもいいらしいが、俺の好みじゃないから却下。

「でもさ、大樹。私は別に大樹に何かしてほしいとは思って無いよ、今はね」

それはこの先に何かをしてもらうという意味なのか、それともこの先も何もしなくていいという意味なのか。

「大樹は私のパートナーだ。パートナーは私と一緒にいるだけいい。大樹が何かしようとするなら私は止めないし、協力もする。でも、大樹が何もしたくないなら、私はそれでいい」

煙草を吸う俺の口元に顔を寄せる。

「こういう毎日を永久的に続けるのも悪くないね」

火のついた煙草の先をジグザが喰う。火のついた煙草を、俺の指ごと喰わん勢いでバクンと食べる。

コイツ、何でも喰うのな……

「大樹にあった当初はただの暇つぶしに物語をぶっ壊そうかぁって考えてたけど、よくよく考えればあんまり意味ないしね、そういうの。だってほら、物語をぶっ壊しても、結局は世界って続くじゃない?続く限り、新しい物語が生まれ、そしてそれをまたぶっ壊しても続く―――だったら、そんな物語のイタチごっこも何時か飽きる」

「だから、飽きる前に飽きるってか?本末転倒じゃねぇかよ」

「それも邪神故にさ。私達神様って連中はそういうモノだけど、邪神は違う……教えてなかったけど、この世界を管理するのが神の仕事。ここでいうなら―――あのクソアマだね」

女神の事を言っているのだろう、ジグザは普段は見せない敵意に満ちた顔をする。

「あのクソアマがこの世界の管理者だ。そういう存在は無数にいる。世界の数だけあるし、物語の数だけある。そして管理者の仕事はそのままの意味で実につまらない仕事だよ?だって、奴等はこの世界から出る事が出来ない。奴等が出たら世界に管理者がいなくなる。いなくなったら世界は世界の想うままに動くっていう面倒になる」

「世界の想うまま?」

「そう、神は世界を抑えるという意味での管理者なんだよ。世界は意志を持っている。無自覚な悪意でもあるし、無自覚な善意でもある。世界という一種の意志の無い生物を抑えるのが神様の仕事―――現に、神のいなくなった世界の九割は消滅するよ。世界の暴走っていう結末でね」

世界という生き物。ジグザが言うにはその存在はある意味では神よりも上らしい。神の奇跡を否定し反則する。神の奇跡を無に帰すし、神の奇跡以上の奇跡を呼び起こしもする。だが、その奇跡は無差別にして無感情。なんの法則性もありはしない。

理由は簡単。世界に意志が無いからだ。意志のない世界は誰にも従わないし、誰にも支配されない。そもそも、支配されたという意志もないし、支配されたい、されなくないという意志もない。

完全なまでに無機物、それが世界という怪物―――らしい。

「でもね、そんな世界を唯一操作できる存在が神だよ。世界の無機物の隙間に入り込み、世界に自分達の存在を理解されないと知っているからこその暴虐で世界を支配―――って言葉は少しおかしいね。この場合は世界に寄生するって言葉が正しいかも」

世界に寄生した神は世界の力を抑える。世界が無意味に奇跡を起こさない様に調整し、世界が壊れない様に世界を調整し続ける。それが神と呼ばれた超越者の仕事、らしい。

「じゃあさ、邪神ってなんなんだ?世界の調整、管理するのが神だっていうなら、ジグザみたいな邪神の仕事って何さ?」

「無いよ」

あっさりと言った。

あっさりと言いながらも、

「邪神に仕事はない。そもそも、邪神なんて存在は本来はあり得ないんだよ」

何処か、寂しそうに呟いた。

「でも、お前はいるじゃねぇか」

「いるから、おかしいんだよ。邪神は神じゃない。神じゃない神は消えるんだ」

「消える?」

「そう、消える。消えるというか消えていく。神は世界の管理者だ。でも、それは世界があって初めて意味を持つ存在。なら、そんな存在が自分の持つべき世界が無いなんて状態になったらどうなるか――――簡単さ。存在の意味がない神は神ではなくなり、消える。消滅ではないけど、消えてなくなる」

良く分からない。良くは分からないが、会社で居場所の無い社員はリストラされるようなモノだろうか。そういう言い方をしてくれた方が助かるのだが、きっとコイツはしないだろうな。

「だから、私は邪神なんだよ。持つべき世界は存在しない。世界がないから本来は消えるだけの存在。でも、私は消えていない。消えるどころか無様に生き足掻いている……ねぇ、大樹。君は私の管理する世界って想像出来る?」

「出来ない」

「即答って酷くない?」

仕方がないだろう。コイツの管理する世界なんぞ、世紀末的な世界以外はない。全てが破滅で形作られたデッドエンドの世界だ。それを世界と呼ぶなら色々な世界に怒られそうだけどな。

「まぁ、分からんでもないかな……でもね、私だって一応は神だ。神だから自分の世界を欲しいとも思ってる。でも、世界は常に満員だ。世界が生まれた瞬間に、その世界を管理する神が生まれ、そして席が埋まる」

「つまり、お前の席は何時まで経っても空かないってわけね」

「そういう事だよ、大樹」

世界がない神様。

居場所がない神様。

なんだ、実に現実的な存在じゃないか。

コイツはホームレスのようなモノだ。家が無い、居場所がない、けれども生きている。生きているから家ではない、世界が無数に広がる場所で生きるしかない。

生きる、生きているしかない、生きていたい、それを誰かに邪魔される事があったとしても、生きるしかない。

「同情ならいらないよ」

「分かってる……でもよ」

「伊達に数千年も邪神なんて存在を続けてないよ。こんな毎日には慣れた。だからもう寂しくも無いし、悲しくも無い―――でも、それでも私は自分の世界が欲しい。それが神達にとって、世界にとって、其処に住まう人々の悪となっても……私は、居場所が欲しい」

だから、世界を壊すとコイツは言っていた。だから、本来の世界の道筋を壊し、其処にいる神に反逆しようとしていた―――のかもしれない。

そんな事は一言も言っていなくとも、俺はそう思えてならない。

家が欲しい。

家族が欲しい。

それ以上に居場所が欲しい。

だから、最初から其処にいる誰かを滅ぼし、其処を自分の居場所にする。

「それが、お前が俺に求める事か?」

「最初はね……でも、言ったでしょ?そんなイタチごっこは飽きたし、それをするには少々時間が立ち過ぎた。世界だってあのクソアマの舌で毎日を回しているなら、それに慣れきっているってことだ。そんな堕落した毎日なんて私の趣味じゃない」

そう言って、俺達の会話は途切れた。

流れるのはテレビの音だけ。

俺はベッドに腰掛け、ジグザはコンビニ買った雑誌を寝転がりながら読んでいる。

テレビを消すと無音になる。聞こえるのはページを捲る音と煙草の火が燃える音。それ以外は俺の呼吸と心臓の鼓動。ジグザはその音を聞き取るように雑誌から視線を上げ、俺を見据える。

「――――エッチ、する?」

「しねぇよ!!」

ったく、なんでコイツは……

微笑を浮かべ、ジグザは雑誌に視線を戻す。俺はジグザから視線をずらし、窓から見える夜景を見る。

大都会というわけではない。でもこの街の光の中には沢山の人々がいる。それぞれが自分の居場所を持っている。冷たい居場所もあれば、暖かい居場所もある。人がいれば自然と人は群れていき、そうして派閥を作る。

以前、人は一人では生きられないと言った。他人同士の繋がり故の弱さが人の性能だ。その性能があるから寂しさを感じるし、それを忘れようとも感じる。

一人は寂しい―――俺は、

「俺は、お前が欲しいなら手を貸す……」

今は、寂しいとは思えない。

夜景を見ながら、ジグザを必要としない世界を見ながら、俺が必要とする邪神の願いを聞いた俺からの告白。

「自分の世界が欲しいってんなら、俺が力を貸す……お前が好きでそんな役割をやってるならいいけど、それが嫌だってんなら、俺がお前の力になる」

ちっぽけな俺だけど、

「だからよ、飽きるとか、もういいとか―――そういう自分の本当を忘れる様な事を言うなよ……」

ちっぽけな俺を―――裏切らないと言ってくれたジグザの願いくらいは、叶えてやりたい。

「一人じゃねぇんだ。神様がお前を蔑にするなら俺が許さない。世界がお前を拒絶するなら、俺が認めさせてやる」

頑張る事は止めた。けど、コイツの為なら頑張ってもいい。頑張って、頑張って、そして無様に敗北するなら―――それはジグザの隣でなくてはいけない。

「このまま無駄に毎日を生きるのがいいなら、俺は何も言わない。でも、お前がそれを拒むなら、それを受け入れる」

ジグザは俺を見ない。

俺もジグザを見ない。



「――――壊してやろうぜ、こんな世界」



自分の意志で決める。

こうすると決めた。

こうしないといけないのではないかと、思った。

「物語をぶっ壊そう。世界をぶっ壊そう―――そして、俺がお前の世界を手に入れてやるよ……」

だから、俺はお前を裏切らない。

ジグザは何も言わない。何も言わずに俺を見る。俺もそこでようやくジグザを見る。ジグザの表情は無表情。俺の顔も右に同じ。

「なぁ、ジグザ……俺は、お前の事が大嫌いだ」

ジグザはそれを受け入れる。

「俺はお前の事を殺したい程に憎い」

それすらも、ジグザは受け入れる。

「だけど、それでもお前は俺を受け入れると言ってくれた……正直、複雑な心境だ。俺が脆いから、その隙に入り込んだだけだと思った――――なら、それでもいい」

ジグザを抱き寄せる。

「今の俺には、お前しかいない。お前しかいないなら……俺はお前に縋る。足蹴にされても、俺はお前に縋る。だから、俺からお前を奪うな……お前が、俺からお前を奪うな」

「意味が分からないセリフだけど……君が望むならそれもいい。私は君を奪わない。だから、君も私から君を奪わないでね?」

「あぁ、奪わない」

「だったら、それでいい……」

細い腕が俺の首に巻きつく。

この俺程度の首なら小さな力でへし折れ、引き千切れる程の力を持った悪腕を、俺を抱きしめる為だけに使ってくれた。

「――――大樹、私は世界が欲しい」

耳元で、囁く。

「自分の居場所が欲しい。自分を認めてくれる居場所が欲しい……邪神なんていう外敵じゃなくて、神という立ち位置が欲しい……君は、私にその場所をくれるかい?」

「お前が望むなら」

俺も、耳元で囁く。

「なら、私は君が望むなら」

「あぁ、俺はお前の世界を望む」

悪魔との契約をした気分だった。

本来ならあり得ない最低な行為だと想える。けれども、物語に出てくる連中はこういう想いだったのだろうと、今なら理解できる。きっとこんなに脆い心を持って、こんな尊い想いを持って世界に背を向けていた。

悪魔の契約は甘い戯言。けれども、甘いからこその力を持っている。悪魔は人の心を惑わす。だが、惑わす以前に人の心は惑わされやすい。

この心は、既に悪魔に惑わされている。

だが、それが人だ。

「…………ねぇ、大樹」

「何だ?」

「――――――エッチしようか?」

無言。

無言。

無言。



「………………考えとく」












人質はリリカル~Alisa~
第三話「全ては過去」











だから、俺にはもう必要ない。

アイツを思い出させる遺物など必要ない。こんな過去の遺物など俺には持つ意味がない。過去を捨てるのはなく、過去を置き去りにすると決めた。俺が見据えるのは今だけでいい。アイツの事を見る事を止め、今は俺を裏切らないジグザだけを見ていればいい。

もう、苦しいのは嫌だ。

苦しい過去を忘れ、捨て、そして俺はアイツのジグザの隣にいる。

それだけが、俺の存在意義。

だというのに、

「――――違うよ」

フェイトは小さな声で呟く。

「そっちは、違う……」

俺は脚を止めてしまった。

「何が違うんだよ?」

「そっちは……あの子の家の方向じゃない」

「当たり前だ。俺の帰る場所なんてないんだ。だから、アイツの家になんぞ帰らない。当然、あのマンションにも帰らねぇよ」

「大樹は、それでいいの?」

「あぁ、いいさ。いいに決まってる……だから、もう俺に関わるな」

帰るべき家など無い。必要な場所もない。何処に行っても、俺にはジグザがいる。ジグザのいるべき場所が俺の居場所だ。それ以外など、知った事ではない。

だから、歩く事を再開しよう。

過去を置き去り、過去を振りほどき―――俺は前に進む。

「待って!!」

……五月蠅い奴だ。

「いい加減にしろよ。俺はお前に構ってる程、暇じゃない」

暇だけど、嘘じゃない。単純に、これ以上話す気が無い。

「お前も俺に構ってる程に暇なのか?」

フェイトの顔がピシリと固まる。

「そうじゃないなら、こんな所で油売ってないでさっさと行けよ……」

お前にはやる事があるのだろう?

だったら、俺の前に立つ意味などない。こんなつまらないモノを届ける為だけに貴重な時間を使ってんじゃねぇよ。

けれども、それだけ言ってもフェイトはまた俺の袖を掴む。いい加減、俺も苛立つ。帰りたいのに帰らせてもらえない、残業してんじゃねぇんだよ、俺は。

「離せ。そしてどっか行け」

「嫌……だよ」

頭に血が上る。

「人の話を聞きやがれ!」

「大樹こそ!大樹こそ……私の話を聞いてよ……」

話を聞く?

何の話を聞けというのだ?

聞く事に意味など感じない。

こんな場所で過去の話を持ち出される事に何の意味がある?

無意味だ。

切り捨てろ。

切り捨てる。

「―――――なぁ、フェイト。俺とお前は何だ?友達か?家族か?違うだろ。俺とお前は単に隣人だったってだけの関係だろ。お前の事なんぞこれっぽっちも知らないし、知ろうとも思わない。わかるか?」

フェイトを見下ろし、

「他人だ。俺とお前は他人なんだよ。他人は他人らしく、他人らしい距離感を保ってろ」

睨みつけながら、吐き捨てた。

子供相手に何を言ってるのかと、自分自身に呆れそうになるが、仕方がない。

「それと迷惑だ。携帯も要らない、金も要らない。その二つは俺にとってこの世でもっとも価値のない遺物だ……」

「そんな事ない……と、思う」

「それはお前の妄想だ。俺の考えを勝手に捻じ曲げたお前の妄想で、あり得ない妄想なんだよ―――気づけよ、阿呆が」

乱暴に手を振り払い、フェイトを肩を乱暴に押す。

「―――あ、」

大した力も込めてないのに、フェイトはその場に尻もちをついた。その拍子に地面に転がる携帯。そして封筒は中から大量の万札がこぼれ、冷たい夜風に攫われる。空に舞う無数の札。その札が俺とフェイトの元から去っていく。

これでいい。

これで全てが清算させる――いや、もう清算とか考えるのも面倒だ。

だからよ、フェイト……

「駄目!!」

お前は、なんでそんなに必死なんだよ。

散らばった札、宙を舞う札、その札を何よりも大事なモノだと思い込んでいる馬鹿なガキが必死になって拾い集めている。

金は大事だ、だから無様に這いつくばって拾い集める―――そんな理由なら俺はこんなにも苛立たない。

「止めろよ……」

舞い上がる札を必死に掴む少女を、地面に落ちた札を必死になって集める少女を、俺は乾いた瞳で見据える。

「もう、止めろよ……」

苛立ちはあっさりと通り過ぎる。

「止めろって言ってんだよ!!」

フェイトの手を乱暴に掴む。

「惨めったらしい事をしてんじゃねぇよ!!」

「惨めじゃない!!」

俺の叫びに、叫びで返した。

その声に俺は思わず言葉を失う。

「惨めじゃない!!全然、惨めじゃない!!」

それどころか、俺は呆然とする。

「コレは……コレは、大事な……大事なモノなんでしょ?」

俺を睨みつけるように紅い瞳が俺を射抜く。その瞳に、涙を溜めて。

「だったら、それに一生懸命になる事が、惨めなはずない!!」

「な、なんで……」

何で、怒ってんだよ?

何で、泣きながら怒ってんだよ?

わけがわからない。

「――――コレは、大切なモノだよ」

両手に握りしめた札。それを俺に見せつけるように差し出すフェイト。グシャグシャになった紙幣には泥までついて、汚い金にしか見えない。だというのに、このガキがそれを何よりも大切だと吐き捨てる。

金の亡者という意味ではなく、その金の持つ意味を、理解するかのように、吐き捨てる。

「どうして、わからないの?」

「…………」

「大樹はどうして……どうしてわかろうとしないの!?」

「五月蠅い!!」

わかろうとしないのは、お前の方だ。

俺の何をお前は知っているというのだ。お前は俺の隣人でしかない。俺はこの世界で名もなきモノの一人でしかない。お前とは違う。お前の様にこの世界での唯一ではない。

そんなお前に、俺の何を知っているというのだ。

所詮は他人でしかない俺達に、関係性などありはしない。そして、お前がこんなに一生懸命になる意味も理解できない。

これ以上、惨めな事をするな……

呆れの次は怒り、怒りの次は―――何故か、悲しみ。

心の奥底で誰かが何かを言っている。心の扉をこじ開けようと手を掛けている。それを俺は我武者羅に抗う。この奥に潜む誰かは碌でもない誰かである事は確かだ。直感的にそう想った。

どいつもこいつも、みんな五月蠅い。

フェイトも、サクヤも、みんな、五月蠅い……

これ以上、俺に関わるな。

視界に映る。

地面に転がった携帯。

鳴らない、鳴らさない携帯電話。

あぁ、あれのせいか……

フェイトの手を離し、地面に落ちた携帯に歩み寄る。コイツのせいか、コイツのおかげか、コイツの下らない存在のせいで、こんなにも狂うしい程に苦しいのか―――なら、ぶっ壊さなくちゃな!!

こんな無機物、踏めば壊れる。

踏み潰して、木っ端微塵に壊して、全部をぶっ壊してやる。

脚を上げ、力の限り下ろす。

それだけで携帯は壊れる――――その間に、差し出された小さな手が無ければ。

「―――――ッ痛!?」

靴の裏から感じる柔らかい感覚。小さな何かを踏み潰した感触は機械的なモノを踏み潰したのではなく、人の身体を壊した感触によってゾッとする寒気を呼び起こす。

俺の足の裏、携帯を守る様に差し出された、フェイトの小さな手。

俺はそれを、手加減なしに踏みつけていた。

聞こえたのは鈍い音。

初めて聞いた、骨の砕ける音。

「―――――ば、」

苦痛に顔を歪めるフェイト。

「馬鹿野郎!!何やってんだよ、この馬鹿!!」

飛ぶように脚を離し、踏みつけてしまったフェイトの手に触れようとしたが、それよりも早くフェイトが携帯を両手に持って俺から距離を取る。

真っ赤に腫れた手の甲を俺に見せながら、両手で携帯をしっかりと握りしめ、胸に抱く。

それこそが、本当に大切な物であるかのように―――そんな錯覚を抱かせる程に、守り切りたいと願っている様に。

もう、わけがわからない。

どうしてこうなっているのか、頭が理解できないと知恵熱を放出される。俺はもう呆然とする以外に何も出来ない。出来るのはこんな状態であるにも関わらず、俺を見据えるフェイトに尋ねるだけ。

「――――――なぁ、なんでそんなに一生懸命なんだよ?」

お前には他にやるべき事があるんじゃねぇのかよ?

「そんなモンの為に怪我して、こんな俺に怒鳴られて、そんな惨めな事までしてよ……馬鹿だと思わないのか?」

俺なんかの相手をするより、ジュエルシードを集めるのに必死になれよ?

「善意のつもりなら、向ける相手が間違ってる。俺に善意を向けても、俺はお前裏切る事しか出来ないし、お前の想う様な結果には絶対にならない……」

その結果がプレシアの裏切りでも、お前はそれを行うっている『役割』があるんだ。だから、それを真っ当しろよ―――なぁ、人形?

「…………もう、いいだろうがよ。もう、満足したろ?だから、もう帰れ。そして消えろ……俺は、これ以上お前の顔を見たくないんだよ……なぁ、おい―――なぁ、フェイト!!」

「―――――ない」

途切れそうな声。

「――――も、ない」

震えながら、そして泣きそうになりながら、

「私は……私には、もう……何も、ない……」

「何も、ない?」

おい、おいおいおいおいおいおい、ちょっと待て……ちょっと待て!?

「お前、な、に……言ってんの?」

フェイトの言葉が意味する事がわからない。どうして、どうしてこのタイミングでそんな言葉が出てくるというのだ。そんな言葉を聞くのは今じゃない。少なくとも、俺の知る限りはもっと後の話だ。

なのに、どうして―――



どうして、親に捨てられた子供みたいな顔してんだよ?



「私には、もう……何もない……から。だか、ら……もう、これだけなの―――コレだけが、私が私でいられる唯一なの」

泣きながら、俺を睨むようにキッと眼を吊り上げる。

「だから、壊させない」

「―――――意味、わかんねぇ……」

「私にあるのは、コレだけ……だから、これは私の最初で最後の我儘―――だから、これだけは最後まで押し通す」

立ち上がったフェイト。

俺はそれに恐れの感情を抱き、退る。

「大樹……アナタは、アナタはアリサから離れちゃいけない」

一歩踏み出し、一歩退る。

「今のアリサには、大樹が必要だから」

俺が、必要?

俺の何処に、アイツが俺を必要とする要素があるというのだ?

「俺なんか、必要ねぇだろ」

それを否定するフェイトは俺に携帯を差し出す。

「見て……」

恐らく、折れているである手で、震える手で、フェイトは携帯を差し出す。

「見て……」

手が出ない。

何故か、震える身体は一向に動こうとしない。出来るのはぎこちない拒絶として、首を横に振るだけ。だが、それを許さないとばかりにフェイトは携帯を開く。

開いた携帯に映るのは何の変哲もない壁紙。そして、操作キーの右を押し―――表示される、着信履歴。

「―――――!?」

そこにびっしりと示された、着信履歴。一週間、一週間という期間の間、一日に十回以上通知されていた着信。

眼を、逸らし―――

「見て!!」

そうになり、止まる。

眼球が見る事を拒むのに、自然と眼球がソレを映し込む、着信履歴に刻まれた番号はない。番号の代わりに登録された者の名前が刻まれる。そこにある名前は一つとして違う者は存在しない。

恐らく、その携帯の中に記された最初で唯一の名前。

その名前が、無数の文字の羅列となって表示されている。

「…………アリサは、アナタと繋がってる」

アリサ、

「まだ、繋がってる……私と母さんの様でもない、私とあの白い子の様でもない―――大樹とアリサは、まだ切れてない」

アリサ、アリサ、アリサ、

「――――終わらせるには、早いよ」

アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、

「終わらせるには……早すぎる」

アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、

「だから、もう一度だけ……アリサと会って……話を聞いてあげて……」

アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ、アリサ―――――――上から下まで、記されたのはその文字だけ。その文字の数だけアイツが俺の携帯に電話した。出るはずがない。持っているはずがないと知りながら、アイツは俺に電話をかけてきた。

なんて意味の無い行為だ。

時間の無駄じゃねぇかよ、そんなの。

その時間をもっと別の事に浪費すればいいのに、アイツは。

「今更だ……アイツには、俺なんか必要ないだろう」

俺の存在なんて、アイツにとってのプラスであるはずがない。アイツの身体に刻まれた怪我は全てが俺の責任だ。そして、俺がアイツの傍にいて出来る事なんて車椅子を押す程度で、誰でも替えが効く役割だ。

「怪我は、何時か治る」

アイツの脚の代わりをして、それで日々を生きている、誰でも出来る仕事。

「怪我が治ったら、アイツは自分の脚で歩くんだよ……」

それなのに、それなのにどうして、俺なんだよ。

「そしたら、俺の役割なんて――――」

「役割とか仕事とか、そういうんじゃない」

携帯を閉じ、もう一度俺に差し出す。

「きっと、アリサにとって大樹はそういう存在じゃない……そういう程度の存在じゃないんだよ。役割っていう重苦しいのじゃない、仕事っていう薄いのでもない―――大切な、凄く大切な人」

自然と、手が伸びる、

「大樹は、アリサにとって―――そういう人なんだと思う」

伸びる手が、止まりそうになる。

「大樹の変わりなんて、他にいない」

「いる、だろう……俺なんかの変わりなんて」

俺の変わりなんて山ほどいる。俺じゃなくても、アイツの周りには使用人も沢山いるし、友達だって沢山いる。

俺は、その中に含まれない。

「そう想ってるのは大樹だけ」

「違う」

「違わない」

「違う!!」

否定しろ。

「違わないよ……全然、違わない」

否定しろ。その程度しか能のない俺に出来る、唯一にして最高の愚具を使え。そうすればお前は―――お前は、

「それに、さ……」

フェイトは顔に影を堕とし、

「アリサは、自分では歩けないよ」

そう言った。

「――――――は?」

呆然とする思考。

「お前、今……なんつった?」

理解しているのに、こんな時だけ否定する都合の良い頭。

聞き逃すには、あり得ない程にしっかりと発音された言葉。

携帯に伸ばした手が、ダラリと力なく垂れる。

フェイトはしばし沈黙し、意を決したように、言った。



「アリサの脚は―――――もう、二度と動かないよ……」




















「――――――――――――――――――へぇ、神を閉じ込めるとは恐れ入ったよ」

ジグザは関心したように言った。

揺れる車内。

連結して動く列車の中にジグザは一人立っている。乗客は誰でもない。存在するのは彼女だけ。列車の窓に目を向ければ其処は暗い闇の世界。並び立つビル群。そのビルの周囲に光は存在せず、星の光も無い、月の光も無い―――代わりに空には灰色の空が広がっている。

雨雲とは違う色。完全な灰色。何処まで広がる灰色の下には暗黒。暗黒の周囲には無人。そして其処は人のいない呆れる程に無音。

列車は上下左右に震動するが音はしない。

「そろそろ、出てきたらどうだい?」

震動する列車の向こうで誰かが現れる。ゆっくりと影の様に、地の底から這い出るようにソレは列車の中に現れた。

「さて、最初に言い訳を聞いておこうか……いや、懺悔の方がいいかな?」

ジグザの問いにソレはただ嗤うだけ。そして歩く。ジグザと距離は一番前から一番奥というように離れている。その距離でソレは―――人の形をしたソレは嗤いながら歩み寄る。

ニヤニヤ、ゲラゲラ、ケタケタ、ソレは嗤い、そして犬歯を剥き出しにして大声で、



「愛してるぜぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええ!!」



盛大な愛の告白。

しかし、ジグザはうんざりするように肩をすくめる。

「君のソレは聞き飽きたよ、『神喰い』」

「おいおい、そんな他人行儀な事は無にしようぜ、我が姫。気安くガルガと呼んでくれ」

二人の距離はどんどん近付く。代わりに、二人の心の距離はグングン離れていく。無論、ジグザが離れ、ガルガがマッハで近づく。

「そうかい?なら、侮蔑と憤怒を持ってガルガと呼ばせてもらおう……で、この『食神鬼』、私をこんな閉鎖的な空間に閉じ込めて何を起こす気だい?」

「無論、愛し合う男女の憩いの一時さ」

「溝に捨てて来い」

「なら、俺はその溝に百億回、この身を浸かろう」

ガルガとジグザの距離は車両一個分、そこでガルガの脚は止まる。

「――――だけど、その前にちょっと俺と語り合わないか?」

「君の喋る事なんて何もないね。私は忙しいんだよ……これから、私は私の『玩具』の傍で素敵な計画を進行しなくちゃいけないんだよ」

「へぇ、ソイツは気になる。気になるからお邪魔するぜ」

「それが迷惑なのだよ、害虫」

「ゴキブリ並みの生命力と繁殖力が売りでして」

「童貞だろ、君」

「いやいや、心の中だけは何時でもチェリーボーイさ」

「腐り堕ちろ」

「思考なら、既に腐り堕ちてるぜ―――お前という愛にな」

ああ言えばこう言う、何を言っても挫けない退かないという害虫並みにしぶといガルガにジグザは心底呆れかえる。

「君ね……警察に通報されてもおかしくない程に異常だよ」

「結構、結構……その警察ごと殺してやる」

「ふん、自分は絶対に死なないという傲慢は好きだけど、それを私の前に出てやるとは自殺行為以外のなにものでもないと知るべきだね」

「愛の為に死ぬのが、ガルガ・ガルムスの真骨頂だ」

最早、言葉を交わす事も疲れる。

「―――――もういい、死ね」

ジグザの外装がゆらりと蠢き、車内を暗黒よりも暗い闇の中に引きづり込む。車内は全てが闇の染まり、ガルガの周囲に無数の黒犬が出現する。

「喰え、餌だ」

主の一言で黒犬達は一斉に牙をガルガに突きたてようと襲い掛かる―――しかし、同時にその全てが一瞬にして切り刻まれる。

影が霧散するように黒犬達は消える。そこに残ったのはガルガのみ。ガルガは不敵な笑みを浮かべながら行進を再開する。

「無駄無駄、無駄だよジグザ。『前』のお前ならまだしも、『今』のお前は俺を殺しきれない」

「だが、殺す事は出来るよ」

「その度に俺は復活するぜ」

ガルガの歩く足下は底なし沼の様に彼の脚を絡め捕る。しかし、それでもガルガの歩幅は変わらず、速度も変わらない。

「今の俺とお前なら、勝負は五分五分だろうな……つまり、勝てはしなくとも、負けもしない。何もかもがイーブンだ」

「生きてる時間は違うよ、ガルガ」

「なら、しばらく眠っとけ。お前が数千年寝てれば俺もお前の年齢に追いつくっていう計算だ」

そして、とうとうガルガはジグザの前に立った。

ジグザを見下ろすガルガ。

ガルガを見上げるジグザ。

一人は異常な愛。

一人は正常な殺意。

「だがまぁ……今回はきっちり時間は決まってる。この『閉鎖空間』って奴は俺の力でも一週間しかもたない作りだし、それ以上は維持できないって感じかな?」

「ふん、反吐が出る。君のような異常者と一緒に一週間のバカンスなどやってられない」

「バカンス?違うなぁ、そいつは違うぜ、ジグザ……今回は特別だ。バカンスでもデートでもない――――純粋な、殺し合いだ」

ガルガは左腕を捲り、刺青の一つを発光させる。瞬間、列車を包み込んでいた暗黒が光に喰われた様に消え去る。それどころか、その発光現象の力なのか、列車の壁という壁を全て破壊し、車内は完全に消失し、同時に列車自体が消失する。

そして、二人は灰色の空のした、列車が走っていたであろうレールの上に立っていた。

「――――珍しいね、ガルガ。君が私に純粋な殺し合いをしようなんて言うなんて」

疑いを込めた視線でガルガを見据え、そして思いついた様に、

「もしかして、最近世界の進行がおかしいのは君のせいかい?」

「正解」

「なるほど……どうりで全部がおかしいと思った。あのクソアマはこんな異常な事態を自ら引き起こすはずがないし、あの妄信者もこんな『馬鹿げた展開』を想像するはずがない」

ニヤリ、とジグザは口元を吊り上げる。



「珍しい、実に珍しい―――君が、『介入』するなんてね」



ソレに返す様にガルガはニタリと嗤う。

「俺だって時にはそういう事もするさ。何せ、介入者なんてふざけた存在を数千年も続けてるからな……まぁ、いわば原点回帰って奴?」

「汚名挽回、だろう?」

「返上はしないって意味じゃ、合ってるな」

刺青が蠢く。

影が蠢く。

ガルガの刺青が意志を持つように腕の中で這いまわり、ジグザの外装が意志に反して蠢く。

「私のペット達が君の事を大いに嫌っているようだね」

「あぁ、そいつ等ね。確かに気に入ってないだろうなぁ……何せ、ソイツ等を何億回ぶっ殺したか覚えてねぇし」

その言葉が引き金となったのか、外装の中から無数の蛇と黒犬が飛び出した。ガルガを囲むように動き、そして一瞬に逃げ場を失くす。

「おぉ、怖いねぇ、恐ろしいねぇ、チビりそうだねぇ」

左腕を天に翳し、そしてガルガは拳を握る。

「俺はお前のご主人様と愛し合うんだ、邪魔するなっての」

一斉に襲い掛かる猛獣。

四方八方、逃げ場はない。

「――――闇を、拒絶する」

怪しく光る刺青、その刺青の中で煌めくは六枚の華の形をした刺青。刺青が輝いた瞬間、ガルガの周囲に花弁が巻きあがり、竜巻の様に周囲に猛威を振るう。

花弁に巻き込まれた猛獣達はその身体、存在を先程の列車内と同様に切り刻まれる。

一切に躊躇なし。

一切の手加減なし。

切り刻まれ、切り裂かれ、消滅する。

「ふん、この程度で消える何ぞ、ジグザの従者である意味すらねぇよ」

一瞬で全てを分解した殺人鬼は、そう言ってジグザと向き合う。

「それで、次は何をして遊ぶ?」

「そうだな……とりあえず、遊ぶ前に確認しておく事にしよう」

「いいぜ、何から聞きたい?」




「―――――君は、アースラを撃ち落としたね?」

「YES」



「―――――君は、ジュエルシードを根こそぎ消滅させたね?」

「YES」






「―――――君は、アリシアを生き返らせたね?」

「YES、YES、YES!!」





その問い、その答え、その全てが物語を破壊する。

物語の主軸を壊し、何もかもを台無しにする程に最低な回答。

その全てを成し遂げた男は自慢げに胸を張る。

「やってくれたね、ガルガ……私の計画を一から練り直さなくていけなくなった」

「心配するな、式場は予約してやる」

「黙れ。私の邪魔をするなんて君らしくないと思って、少しは楽しめるかと思ったが―――これでは、全てが無になる」

初めて、この世界に来て初めてジグザは快楽でも昂奮でもない、心の底から相手を殺してやると思った。

「君は自分のやった事の重大さが分かっていないようだね?物には限度がある。その限度を超えた場合、世界が動きだす。世界が介入者の行動に反応し、世界を自分勝手に改変しだす――――その結果、世界は壊れる」

「いいじゃねぇか、所詮は他人の世界だ。俺の世界でも、お前の世界でもない。あの女神の気に入らない世界だ……むしろ、感謝してくれよ。これであの女神はお前の望むとおり、この世界での存在意義を失くし、お前はこの世界の神になれるぜ?」

ドンッ、と世界が、閉鎖空間が震動する。

その振動の元はジグザの足下。

レールが敷かれた場所には巨大なクレーターが生まれ、そこにあった全てが腐った様に瘴気を上げて燃えている。

黒い炎。

その憎悪を具現化させた張本人、邪神は怒りの表情をその少女の体躯に宿した。

「私を馬鹿にするな!!」

黒い炎は更に勢いを増す。

その炎はジグザの纏う外装から噴き出す。黒の外装は何時の間にか影から焔へと変質し、閉鎖空間に無限に広がり、世界を焼き尽くす。

「奪うのだ!!後釜を貰うのではなく、奪うのが私の目的だ!!私を邪神と馬鹿にする全ての神々の尽くを撃ち殺し、捻り殺し、焼き殺すのが私のやり方だ!!それを、それを貴様は……貴様はぁぁぁああああああああああああああああ!!」

「いいねぇ、初めて見たよ、その顔」

黒い炎を前にしてもガルガは平然とそこに存在する。彼の左腕の刺青の一つが光り、黒い炎を喰らっている。その刺青の形は蛇。蛇の形をした刺青が左腕から飛び出し、彼の周囲の展開する炎を吸い込み、消滅させる。

「カカカカッ、最高にそそるぜぇ……」

「黙れ、貴様は殺す。今回だけは許さん。今回だけは巧く事を成せるはずだったのに……貴様が邪魔をした――――殺してやる」

「いやいや、俺は悪くないぜ?―――ってかさ、『今回』は巧くいくはずだった?違う、違う、全然違~う……お前が巧く事を成せるなんて事は一度もなかったろ?」

燃える世界の中、ガルガは構えた。

「お前は何十、何百―――いや、何億回と敗北を繰り返す『永久的な敗北者』だろう?それが今回だけは巧くいく?あり得ねぇっての……この負け犬が!!」

「貴様が、それを言うか!?」

「言う!!愛してるから、言う!!」

ジグザには余裕という感情は最早無い。あるのは目の前の邪魔者を燃え殺すという唯一の感情。

夜叉の如き。

悪魔の如き。

邪神の如き。

「―――――貴様を殺して、さっさとこの世界を出る。そして、貴様が壊した世界を一からリセットする……気に入らないが、あの女神に協力してやってもいい」

「無理だな。七日間、これは絶対だ」

「絶対など、神ですら口に出来ぬ戯言だ」

「俺は神すら喰う男だぜ?」

「黙れ、悪食」

影を炎に変質し、ジグザは黒の炎を持って世界を、ガルガを焼き殺さんと迫る。

対してガルガは、その全てを無に帰す。滅びの炎を殺し、力を殺し、そして単なる『時間稼ぎ』として言葉に留まる。

ここは人の存在する場所ではない。

ここは神の殺し合いすら生温い、存在すら許されぬ、獄炎の地獄。

「さぁ、ジグザ――――殺し合おう」

地獄の中で、地獄の炎すら喰らう『神喰い』が宣言する。





「七日七晩、一分一秒も止まらず殺さず生さずに―――殺し合おうぜ」





最強にして最悪、そして最狂のジョーカー

最弱にして最悪、そして神の中で唯一の邪神




その戦い、此処に開幕。











あとがき
ども、毎回綱渡り、な散雨です。
ギャグが書きたいギャグが書きたいギャグが書きたい、面白くなくてもギャグが書きたい!!と最近想っております。まあ、この話自体がギャグですけどね~
とまぁ、こんな感じで日々痛い方向に進んでいるこのお話。今まで自分が書いた中では一番テンポが速いっす。ですので、とりあえずアリサルートを十話以内で終わらせたいと願っております(無理かもしれないし、下手すりゃ速攻で終わります
自分でも予想以上にシリアスでいってるアリサルート。ギャグも書けないくらいにシリアス……ですので、サクヤルートはラブコメにしてやる!!っと、鼻息荒くしてみる。
というわけで、次回「執事はやっぱり拳闘でしょ?」でいきます。




PS、アメトーークでグラップラー刃牙芸人を放送する事を祈ります。



[10030] 第四話「全ては終幕」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/14 16:52
私は一つ、こんな事を考えてみた……あの人も、大樹も言っていたように、こんな風に言って一人で独白してみる。

本当―――という意味は何か、そんな疑問。

私の中の疑問はずっと同じ事ばかりを考える。

本当という意味。

本当は一つじゃないらしい。でも、あの時の私にとっては『本当』は目の前にある現実だけだった。その現実が何処までも続き、ずっと変わらない一部だと思い込んでいた。そんな甘ったれな理想と、甘すぎる毒薬。飲むまでそれが毒だと知らずに、私はその毒薬を万病に効く不老長寿の薬と同等に扱ってきた。

でも、そんなモノは存在しなかった。

本当と本物、その言葉の違うも知らずに、私は私の中の本当という模写を見続ける。見せかけの本当は本当じゃない、見せかけのソレは本物じゃない。なら、本当って何?―――結局、それを考えるのだって今じゃない。

世界の本当を目にした時、私の世界は模写である事に気づく。



母さん、その子は……誰?



母さんの腕に抱かれた見知らぬ誰か。その誰かは私にそっくりだった。鏡で見た私の姿と瓜二つで、私だって本物に見える。けれども、何となくその時は鏡を見ている気がしなかった。

まるで、夢を見ているようだった。

夢の中で、私は私の夢を見る。

私の記憶というアルバムを捲り、そこに写っている自分の姿を見て懐かしむ。そんな感覚を抱きながら、私はもう一度だけ母さんに問いかける。その子は誰なのか、その私にそっくりな誰かは、誰なのか、誰で、誰が、誰なのか――――でも、一つだけ分かるのは、その子はきっと母さんから見れば私であり、私を見る母さんの眼は私を見ていない。母さんの眼に映る私の姿は……酷く、冷たい。

一体、その子は誰なのだろう?

その女の子はどうして私に良く似ているのだろう?

考えて、考えて、問うて、問うて、無視され、無視され、叫んで、叫んで、見られ、見られ―――そして、私の中で一つの想いが疼く。

あの子は私に似ているというのは、間違いなのかもしれない。

その間違いが正解だと気づくのに時間は掛らない。

母さんの胸に抱かれた女の子が私を見て、



母さん、あの私にそっくりな子……誰?



それが回答。

それが真実。

本当という残酷なリアルが、其処にあり。

嘘だと言って欲しい。

嘘で、冗談で、戯言で、傑作なお笑い草だと言って欲しい。

願望、切望、希望―――はない。

母さんの眼が私を捕える。

嗤う。

優しい笑みではなく、冷たい笑み。

仮面が剥がれ、本当が私の前に姿を現す。



あの子は、誰?



あの子は問う。

私も問う。



その子は、誰?



母さんは答える。

私の問いには答えず、その子の問いにだけ答える。

答は単純だった。

冷たく、鋭く、痛い、答―――もう、嫌だ……



答は簡単だった。

私を、母さんは他人だと言った。お前は誰だと言った。お前なんか知らないと言った。どうして此処にいるのと言った。何処から入り込んだと言った。言葉は全て私を拒絶する言葉。全てが敵視する言葉。最初から最後まで、私という存在を否定する言葉―――そして、母さんは手をそっと上げる。

私に向かって。

私に指先を向けて。

指先に宿る稲妻。

嘘だ……

衝撃、激痛、転がる私の身体―――生きている、殺されそうになったから生きている。でも、一歩間違えば殺されていた。

どうして、私は殺されそうになっている?

わけがわからない。

どうして、叫んだ。

無言、攻撃。

叫ぶ、激痛。

命乞い、無様。

涙、醜い。

ようやく理解した。

母さんは私を殺そうとしている。

守る為に殺そうとしている。

自分の娘を守る為に殺そうとしている。



あの子が、娘―――私じゃ、ない……







本当はコレだった。

私の見てきた世界の本当はこんなにも痛かった。腕が焼けるように痛い。心が軋み、捩じり切られる様に痛い。こんな痛みが世界の本当だった。意識が飛びそうになりながらも、生きるという本能だけが不思議と身体を動かし続けた。

生きる、という本能は、生きたいと思わない私の心に反逆する。こんな世界を見せつけられても、私の身体を生きようとしていた。だから脚は動く。何度も何度も転がりながらも、それでも逃走する事を止められない。

止めて、そう叫んでも私を襲う痛みは消えない。それどころか、その数は、猛威はどんどん増していく。本気で私を殺そうとしていると理解する。どうして殺されるのかと考える答は即座に出てくる―――否定する。

嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ―――でも、これがリアル。

毒薬は潜伏期間が長かった。数年という長い間、ずっと私の中で眠り続け、その時を待っていたとばかりに毒薬は力を行使する。その意味は現実を壊すという行為。私の見てきた全てを否定するという効果。長かった世界は実は全てが夢だという事を突きつけるだけの簡単な作用だった。

でも、それだけでも立派な毒薬である事には変わりはない。だって、私はこんなにも痛いのだから。心も、身体も、何もかもが痛い。

辛く、苦しい、でも生きている。

この毒薬は人を殺せない。

人を殺さずに苦しめるだけの最低な毒薬だ。

昔、母さんに読んでもらった―――という記憶だけがある絵本に出てくる悪い魔女の魔法の様に何もかもが苦しくて切ない。

絵本の中では大抵はハッピーエンドで全てが終わる。眠ったお姫様も王子様の口づけで眼を覚ます。決して王子様はお姫様を見捨てる事はない。例え、それが見ず知らずのお姫様だとしても、王子様は絶対にお姫様を助けてくれる。

そうだ、最後は幸福に終わらなければいけない。

悪い魔女は最後にはやっつけられて、そして王子様とお姫様は幸せなまま、何時までも生き続けるのだ――――でも、私は想う。

どうして、お姫様はこんなにも幸福になれるのだろう?

どうして、悪い魔女は幸福になれないのだろう?

悪い魔女は悪い事をしたから悪い最期を迎えるのは分かる。でも、本当にそれでいいのだろうか。悪くても、どんなに悪くても王子様とお姫様が幸せになれるのなら、悪い魔女はどうして幸せになれないのだろう。

悪い魔女の最後は決まっている。

消えるか、殺されるか、それだけだ。決して幸福な最後にはならない。

二人の恋路を邪魔したから、こんな結果になるのだと昔は想った。でも、今は違う。

だって、今の私は悪い魔女なんだ。

母さんのあの子の幸せを壊す為に用意された悪い魔女という『役割』を私は与えられている。私の知らないうちに、私は悪い魔女になっていた。母さんも私を悪い人だとあの子に言っていた。だから、やっつけると言っていた――――私は、悪い魔女だ。

母さんとあの子、物語を作るならきっと二人は王子様とお姫様。あの子はお姫様で、私はお姫様に化けて悪い事をした悪い魔女、そして本当に気づいた王子様である母さんは悪い魔女である私をやっつける為に剣を取り、そして私は殺される。

知らなかった。

私は、悪い魔女だったんだ……



フェイトという『悪い魔女』は、アリシアという『お姫様』の偽物。



そうガルガという男の人は言っていた。

嘘だと思った。だから嘘だと言った。見ず知らずの他人の言う事など信用できないと吠えた。そしたら、ガルガはそれを証明してやると言った。

証明してやる、その言葉に何故か私の心は恐怖した。

嘘なのに、どうして本当だと言えるのだろう。まさか、本当を捻じ曲げ、嘘に仕立て上げるつもりなのだろうか。だとしたら、守らなくてはいけない。母さんをこの悪い奴から守らなければならない。

だから、私は急いで母さんのもとに戻った―――そして、私は私の本当を知った。

ガルガの言う事は本当だった。

私は、お姫様の偽物だった。偽者ではなく偽物。生きているのではなく、生きているように見せかけられていただけの物。

母さんの娘なんかではなく、母さんの娘の形を真似ていただけの嘘だった。

記憶も嘘、想いも嘘、私の全ては嘘で出来ていた。最初から最後まで、私の中に本当などありはしなかった。

母さんは私を見てこう言った。

私は、人形だと言った。

人形は最後は捨てられる、大きくなった女の子は人形を捨て、世界を見る。だから、もう人形は必要ない。私という人形は女の子が大きくなるまでの道具。アリシアという女の子が母さんの手に戻るまでの時間稼ぎの道具でしかない。

否定しても、肯定は返ってこない。

返ってくるのは否定された肯定だけ。

私に役目はそれだけだった。お姫様が王子様の手元にくるまでの偽物。物語の中で子供がドキドキする展開だけに使われる捨て駒でしかない。そんな捨て駒は当然捨てられる。手元にも置いておけない。置いておいても邪魔なだけ。

―――――納得など、出来るはずがない。

怒りが湧いた。

怨みが湧きだした。

こんな現実、あっていいわけがない。私は母さんの為なら何でも出来る。痛いのも我慢できる、苦しいのも我慢できる、ずっと我慢できる―――でも、その結果がそれなんて納得出来るはずがない。

心が折れる前に湧きだした感情が私の身体を支配する。

気がついた時には、私は母さんに向かって刃を向けていた。

母さんは嗤っている。やっぱり、出来そこないはこの程度だと嗤っている。その嗤い方が何時もと同じだというのに、この時だけは無性に腹が立った。馬鹿にされるよりも納得いかない、黒い感情が頭を染める。

だから、壊してやる。

だから、殺してやる。

母さんを―――ではなく、あの子を殺してやる。

想いは身体を軽くする。身体の限界をあっさりと超越し、私は逃げて道を戻る。母さんの魔法を身体に受け、バラバラになりそうな衝撃を耐え忍び、私はあの子のいた場所に向かって飛ぶ。

母さんの悲痛な叫び。あの子の脅える顔。その瞳に映る私の顔は―――やっぱり、この子の偽物だった。

なんて、酷い顔……

振り上げた刃。

脅える本物は母さんに助けを呼ぶ。

助けて、そう叫ぶ。



結果、私はその子を殺せない。



振り上げた刃は本物に届く事なく、破壊される。私の魔力光である黄金を切り裂き、私の大切な相棒であるバルディッシュのコアごと、私の腕ごと、全てを母さんの魔法が破壊する。

砕ける金色のコア。

砕ける私の腕。

弾けた肉片が床に散らばり、私は激痛にのたうち回る。

膝から先が完全に消えている。膝から先にあるはずの腕は地面に散らばり、大量の血を撒き散らす。

初めて味わう本当の激痛。生きているからこそ感じられる激痛。この痛みの前に怒りも怨みも消え去り、残った感情は母さんへ疑問。



母さん、痛いよ……



私、生きているのに。こんなに痛いのは生きているからなのに、どうしてそんな冷たい眼で私を見るのかと問う。最早、返答も返ってこない。母さんの眼に映る冷たさが絶対零度の冷たい熱さだと理解した時、自身の死を確信する。

私、生きてるよ?私、こんなに血を流してるよ?だからほら、私って生きてるんだよ?生きてるから痛いし、生きているからこんなに泣いてる。だから、母さん……お願いだから、私を見て。私をそんな目で見ないで、何時もの様に出来の悪い子を見る様な眼でいいから、そんな眼でいいから、見てよ……そんな眼は嫌だよ……そんなモノを見るような眼で見られるのは嫌だよ……お願い、母さん―――――私を、見て!!

母さんが見るのは私ではなく、本物の私。偽物は敵でしかなく、抱きしめるのも本物だけ。私が如何に泣き叫ぼうとも私を見ない。安否を心配するのは本物だけ。

そこでようやく心の整理がついた。

私は何処まで行くまでもなく、偽物だった。

母さんの心に私の入り込むスペースなど一ミリも存在しなかった。

悪い魔女を与えられた私は、王子様に殺される運命だった。

決められた運命は覆らない。

決められた予定調和は、本当に頑固な予定だった。

もう、涙も流れない。

もう、生きようとも思えない。

諦めが全てを支配する。

母さん―――プレシアの腕が私に向けられる。憎悪が籠った歪んだ魔力の光が私に向けられ、発射の時を今か今かと待ちわびている。

殺され、死ぬ。

ようやく、諦めた。

燃える様な激痛に眼を閉じ、私は最後の時を待つ。

プレシアは最後まで私を娘とは見なかった。最後まで、私をただの道具としか見ていなかった。冷たい瞳の先にある、偽物を壊すのに一切の躊躇も見せず――――破壊が、放たれた。



結局、本当とは本物が偽物じゃないという意味でしかない。

本物に含まれる様々な意味など何の意味もない。虚しくて悲しいだけの戯言だった。偽物も結局は本物じゃないという程度の意味しかない。どれだけ深く考えても最終的には自分の傷を自分で舐めるだけで終わり、その後に生み出される事はあり得ない。

本物の定義は偽物じゃないだけ。

偽物の定義は本物じゃないだけ。

似ているのに違う、大部分は同じなのに一片だけで全てが否定されてしまう。綺麗な言葉で飾っても本物の前には偽物でしかない。偽物は偽物故に本物だ、なんて事はない。それは自分の中の定義であっても誰かの定義はない。

例え、誰かが私をそうだと言っても私は信じない。だって、私の一番大切だった人がそれを否定してしまった。それを、否定されてしまった。だから、私は偽物だ。

偽物である事を誇る―――無理だ。

本物じゃない事を誇る―――言葉遊びだ。

私は、フェイト・テスタロッサは偽物だ。

人の形をした人形。

人形、子供が大人になる際に切り捨てられる何処にある人の形をした玩具。そんな玩具に本物も偽物もない。だって、最後には捨てられるのなら、どんな意味も意味がない。

なら、私は偽物のまま終わるのだろうか?

何一つとして本物として見られる事なく、全てを失って、そして殺され―――いや、壊され終わるのだろうか?

なんてつまらない人生だ。

誰かの為だとほざき、結局はその誰かに裏切られている事に気づきながらも、私はそれを否定しようよし、結局否定できず、そして壊される。

私の中に本物などあったのだろうか。

私の中に本当などあったのだろうか。

私の中の確かな本当―――それは、誰も教えてくれない。











でも、これだけは本当だよ―――アナタの、本当……









走れば当然息も上がる。だが、そんな事など構いはしない。どんなに息が上がろうとも、心臓が爆発しそうな勢いで鼓動しようとも、この両脚は走る事を止めはしない。俺の意志でもあり、身体の意志でもある。

俺と意志、二つ同時に問いかける。

何故、走る?

俺と意志、二つ同時に答える。

知るか、ボケ。

人込みを乱暴に掻きわけ、向かう場所はホテルでもコンビニでもない。買った袋を全て置き去りにし、フェイトもその場に置き去りにして俺は夜の世界になった街を走る。誰かに肩がぶつかったが謝る暇も無いし、ぶつかったという気もない。そんな些細な事などお構いなしで走る俺の脚。

煙草の吸い過ぎで弱った肺機能が休めと叫ぶが、当然無視。俺だった休みたい。けれども俺は確かめたいという想いに動かされ、走る。

嘘だと確かめる。

フェイトが下らない戯言をほざいているだけだと決めつける為に走る。

頭の隅で冷静な部分が、行くなと吠えるがコレも無視。

上がる息と徐々に重くなる脚。

嘘だ、嘘だ、嘘に決まってる。

「嘘に、決まってんだろ!!」

叫ぶのは認めたくないからだろう。

既に見限ったというのに動く俺の身体。既に他人だと決めたのに動く脚。そんなどうでもいい事に一生懸命になる理由など俺にだって分からない。

でも、動けと身体が命令を出している。俺も意志も関係なしに、勝手な運動を行使させられる。

それでも、そんな些細な事を無視する事も出来ない。

記憶はまだ道のりを覚えている。この先をどうする進めばいいのかも、横断歩道で信号待ちをする意味も無い程に交通量が少ない事も、林を突っ切った方が早いという事も。

一か月も無い、満たない時間でも覚える身体の記憶と俺の記憶、それが合わさって向かう場所はたった一つ。

視界に移るこの辺りでは一番大きな屋敷の影。その影の上に満月は気のせいか紅い。血の様に紅い月の色が不安を募らせる。

長い塀の先を曲がり、正面の門が見える。

「…………っぷはぁ」

呼吸をしていたはずが、まるで水に潜った時と同じように息が苦しい。この門の前に立った時と同じように、全てが息苦しい。

目の前のある門の先、見える見慣れた屋敷の姿。その門を開けるにはブザーを鳴らせばいい。腕を延ばし、指先はプラスチックの冷たい感触のある呼び鈴。

押せば鳴る。

けれども動かない指先。

前と同じ、ピクリとも、凍ったように動かない指先。そこでようやく俺は冷静になる。そうだ、今更何を確かめに来るというのだ。アイツの事など既に過去にしたと俺自身が言った。なら、それを覆す意味はあるのか―――無いはずだ。

俺はもう頑張らない。

俺はもう抗わない。

この運命を受け入れ、俺はアイツの傍ではなく、ジグザの傍にいると決めた。

だから、

「―――――」

これ以上、この先に進む――いや、来た道を戻る必要性など、

「―――――」

あるはずがない。そうだと俺は知っている。俺は知っていた。俺は知りすぎている―――だから、さっさと帰れ。

何処でもいい、適当なホテルを見つけて、何時もの様にジグザとどうでもいい話をして、そしてまたアイツの傍にいればいいではないか。それを棒に振ってこんな嫌な場所にいる意味などない。

指先がゆっくりと離れる。

手から消える冷たい感触。

深呼吸をし、心と身体を冷静に―――そう、冷静に、



アリサの脚は―――二度と動かない



反射的に、指がブザーを鳴らす。

押してしまった。

帰ろうとしたのに、俺の指が押してしまった。

押してしまえば誰かが出てくる。いや、その前にブザーに備え付けられているマイクで誰かが声をかけてくる。その前にこの場を離れればそれで済む。こんな歳でピンポンダッシュなどして恥ずかしいけれども、仕方がない。

でも、やはり動かない。

地面に根が張ったように動かない脚。その脚を動かそうと切磋琢磨している間に、マイクから声が聞こえるよりも早く、門が開いた。

誰か確認するよりも門が開くなんて不用心だと思ったが、どうやらそれは違ったらしい。門の傍にある監視カメラのレンズが俺を捉え、怪しく光っている。そのレンズに映し出された俺の姿を見て、門を開けたらしい。

開いた門の先に、誰かが立っている。

「―――――鮫島、さん」

門の向こうに、礼儀正しく俺に礼をする初老の男、このバニングス家の執事である鮫島さん。彼は何時もと変わらぬ穏やかな顔で俺を見ていた。

「お久しぶりですな、佐久間様……」

「そ、そうですね……」

気まずい。この人にはこの屋敷で働くようになって色々とお世話になった分、何も言わずに仕事を辞めた事に対する後ろめたさがある。

その上、

「この様な時間にどの様なご用件でしょうか?」

こんな他人行儀な言葉。

俺が仕事に就く前と同じ話し方。先程言った『佐久間様』という呼び方。普段なら俺を『佐久間君』と呼ぶこの人がこんな風に言うって事はつまり、俺はこの屋敷の者にとっては完全な他人、という事なのだろう。

「あ、えっと……その……」

知っている人に他人行儀にされるという行為は、こんなにも心苦しいものだったのか。話しかけられても無視されるのも、きっとこんな風に苦しくて悲しい気持ちだったのかもしれない。此処に来て、此処まで来てようやく俺はそんな当たり前な事に気づく。

だが、それでも俺は意を決して、

「――――アリサに、会わせてくれませんか……」

自身の目的を鮫島さんに伝える。

鮫島さんは無言で俺を見る。

真っ直ぐに、俺を見定めるようにじっくりと、そしてたっぷりと時間を止める。

その間、動いてもないのに心臓が走った時と同じように鼓動する。ここで断られる、なんて事はないと思うけど、それでも不安はある。

「駄目、でしょうか?」

「ふむ、そうですなぁ……」

鮫島さんは動かない。

俺も動かない。

そうして長い様で短い、一分が経過した辺りで―――俺の我慢の限界があっさりと訪れる。普段なら普通に待てる時間だというのに、今の俺には無限にも長い時間と堂々だ。だから、俺は鮫島さんの了承を得る前に脚を踏み出す。

「すみません、通らせてもらいます」

そう言って鮫島さんの隣を通り過ぎようとする。

「――――それは困りますな」

肩を掴まれ、止められる。

「この様な時間に訪れるお客様を、私の一存で通すのは如何なものでしょうか?」

俺に聞かれても困る。

「佐久間様、お嬢様とお約束でも?」

「い、いや……別にないけど……って、んな事はどうでもいいから、アリサに会わせてくれ」

「それは出来かねます」

「なんでだよ!?」

「ですから、先程も言いましたが――――」

あぁ、もう!!

面倒だが、俺は無理矢理にでもこの門を通ると決めた。中に警備員が何人かいるかもしれないが、少なくとも今は鮫島さんしかない。だったら、多少無理矢理にでも通れるはずだ。

「通らせてもらいますよ」

二度目の自己宣告をし、俺は鮫島さんの手を乱暴に振り払い、今度こそ門を通り過ぎようとし――――身体が宙に浮いた。

「ん?」

脚が地面になり。視界が上下逆さまになる。重力がおかしい。一瞬の事で頭が理解しなくとも、時間が進む事と同じ様に重力の法則も動き続ける。

背中にドンッという音と衝撃。背骨が軋むような音を鳴らして背中に鈍い痛みが走る。

「――――ッぎぁ!?」

そして、またも呼吸が苦しくなる。今度は息を吸う事も吐き出す事も難儀な程に苦しい。背中の痛みにその場でエビぞりするように身体を埋め、俺を見下ろす穏やかな顔の鮫島さんが視界に入る。

「大丈夫ですか?」

「あ、アンタ……」

「ご無礼を働き、まことに申し訳ありません――――ですが、」

穏やかな顔――それが次の瞬間には鋭い視線を持つ別人へと様変わりする。射抜かれ恐れ、そしてその場からすぐに離れる。

何だ、何だよ、それ……

「佐久間様をお嬢様に会わせる事は出来かねます……ですので、申し訳ありませんが、お帰り願えますか?」

丁寧な口調が余計に怖い。そんな風に言われるならいっそのこと「お前なんぞ、アリサに会わせるわけねぇだろ、ボケ」くらいな感じで言って欲しい。こういう人は丁寧な口調が一番怖いってことを自覚してないのだろうか――――って、んな事はどうでもいい。

背中を摩りながら立ち上がる。

「それは、アンタの意志かよ」

「いいえ、お嬢様のご意志です」

「―――――そうかよ」

歯を食いしばる。

「ふざけんな」

怒りが身体を動かす。喧嘩も何もした事のない俺だが、別に怒らないという事はあり得ない。だから、この現状に怒る事だってある。

確かに、俺が全面的に悪いのかもしれない。だが、それでもアイツと会う事も出来ないで帰るなんぞ、死んでもごめんだ。俺はアイツに会って確かめなくちゃいけないんだよ。俺が前に進む為に、これ以上過去に縛られない為に、フェイトの言った戯言を撤回する為に、俺は――――

「どけよ」

「できませんね」

「どけよ、じいさん」

「できませんね」

俺の為に、

「いいから……」

アイツを置き去りにする為に、

「どけってんだよ!!」

無理にでも、ここを通して貰う。

拳を握り締め、鮫島さんに殴りかかる。さっきは油断したから投げ飛ばされたが、今度は油断しない。相手が初老のオッサンだろうとも、こっちはまだ二十代前半の若輩だ。

少し大人げないけど、

「邪魔、すんな!!」

手加減しないぞ。



―――――っとまぁ、この時点で負けフラグ満載だという事にも気づかない俺は、よっぽど余裕がなかったんだろうと、後々後悔した。



鼻先に衝撃。

「――――――ッぶ!?」

間抜けな声を上げながら後ずさる。無理矢理に後ずさり、身体が勝手に後退した。そして、鼻に手を当てると―――鼻穴から真っ赤な液体がドロリと流れだした。

それを見た瞬間、一気に痛みが襲いかかる。

「―――――さて、これは少しお灸を据える必要がありますかな?」

そんなのんびりとした声がする。顔を上げた瞬間には鮫島さんの顔が目の前。

にっこりとした笑顔、その笑顔にゾッとする。

「手加減は致します」

鮫島さん手が消える。俺には少なくともそう見えた。風を切り裂くような音が耳に届く頃には俺の身体がくの字に折れ曲がる。腹部、水月に抉り込まれた拳。内臓が破裂したのではないかと錯覚しそうな感覚。

「――――――!?」

苦しすぎる痛みは声も上げれない。息を吐き出すと同時に激痛が襲いかかり、息を吐き出すと同時に異常な量の唾液が漏れだす。

「一応、私も怒っているのですよ」

冷徹な呟きはやはり痛みの後に届く。視界が強制的に右にぶれる。頬に叩き込まれたのは初老の男の一撃とは思えない程に重い一撃。不覚にも―――なんていう言葉も使えない程に、見事に俺の身体が真横に吹っ飛ぶ。今まで、ジュエルシードの怪物に吹き飛ばされた事や、サクヤに吹っ飛ばされた事はあっても、明らかに普通な人間に吹き飛ばされたのは初めてだ。

というか、この人は本当に普通の人か?

地面に倒れながら見上げた鮫島さんは穏やかな顔に戻る。

「それでは、お引き取りください」

それだけ言うと俺に背を向け、門に向けて脚を運ぶ。

――――なんだか、酷く頭にきた。

鮫島さんが背を向けた瞬間、鮫島さんの真横を一気に走り抜けようとする。が、鮫島さんの身体が上半身だけグルリと回転し、その軌道上に出現した白手袋が再び俺の顔を殴打する。

今度は、テンプルに直撃した。

視界が黒と白に染まり、瞼の奥で奇妙な光が発光する。その後に訪れるのは身体が動かないというおかしな現象。死んだように動かなくなった身体。痺れる、電気で関電した時、こんな感覚なのかもしれない。

「あ、う……うぅ……」

眼を開けても視界がはっきりしない。寝起きと同じ様に頭に霞みがかる。

「…………あ、アンタ……何者、だよ……」

「ただの執事ですが?」

嘘つけよ。ただの執事が人をこんな簡単に殴り飛ばせるかっての……それは執事とは呼ばない。バトラーっていう言葉が似合う。少なくとも、この日本では。

「まぁ、若い頃に少々やんちゃはしていましたねぇ……その時に、拳闘を少々かじりましたゆえ……昔の事ですがね」

へぇ、ソイツはすごいね。やっぱりお金持ちの執事は皆がそんな風にバトるわけなのかよ。

「それにしても佐久間様……私が言うのも何なのですが、身体をもう少し鍛えてみてはどうですかな?そのようなモヤシの様な軟い身体では、生きていけませんぞ」

「忠告、ありが、と……」

立ち上がった瞬間に足下から崩れそうになる。歯を食いしばって耐えるが、膝がガクガクするのは止まらない。テレビで見たボクシングの選手ってこんな感じなのか、と今更格闘家という連中の凄さが理解できた。

「――――もっとも、その根性だけは認めます」

というか、なんで俺、立ってんだよ。しかも、なんか拳まで握ってるし、これじゃまるで熱血キャラじゃねぇかよ……

「似合わねぇよな」

「えぇ、似合いませんね」

鮫島さんと正面きって睨みあう。もっとも、睨んでいるのは俺だけで、鮫島さんは普段の温厚な顔。それが、堪らなくむかつく。人を舐め切っている、そんな顔だ。

「うらぁぁぁああああああああああ!!」

吠えて突撃。

こうなったら意地でもこの門を通ってやる。

が、

「甘い」

頭が後ろに吹き飛ぶ。頭が首筋から飛んでいくような衝撃。その後に脇腹に拳ではなく掌で撃ちつけられ、追い打ちとばかりに脳天に振り下ろされた手刀。

三連撃、その全てをまともに食らえば当然―――また地面に転がるしかない。

「ふむ、これ以上の手加減はできませんが……まだやりますか?」

返答する体力も無い。今ので完全に身体が死んだ。心は折れなくとも身体が動かなくなったのには変わりはない。この野郎、手加減って言っているくせまるでそんな感じには思えない。それ以前に、そんな技術持ってる奴が素人の俺になんて事をしてくれるんだよ―――やべ、意識が跳びそうだ。

「拳闘ならテンカウントで終わりですが……タオルも投げてくる方もおらぬ今、勝敗は既に決しております――――いえ、そもそも勝負ですらない」

靴音が俺の傍まで近づき、頭上から鮫島さんの声が堕ちてくる。

「佐久間様……もうこのお屋敷には近付かないよう、お願いいたします」

その言葉に、顔を上げる。

「アナタ様はもう此処の住人ではありません。お嬢様もそれは認めておりますし、主あるお嬢様がアナタ様と会わないと申しますなら、私共もその意志を尊重せねばなりません」

確かに正論だ。アリサが俺に会いたくないというのなら、俺を会わせる理由もない。俺の部屋で盛大に喧嘩してしまって気まずいとか、そういう程度ならいいが、俺は明らかにアイツを拒絶してしまった。

これでは、アイツが俺に会いたくないという理由も頷ける。

そう、頷ける―――が、んな事はどうでもいい。

「――――鮫島さん、俺を通さなくてもいい……だけど、これだけは答えてくれ」

「何でしょうか」

「―――――アイツの脚、アリサの脚は……動くんだよな?」

答えろ。

YESと答えろ。

「…………」

黙るな、答えろ。

頷け、首を縦に振って否定しろ。

さぁ、早く。

早く、

早く、

早く、

「―――――――答えろ!!」

「答えられませんな」

その一言、そんな一言が、たまらなく、頭に、くる―――故に、頭の中で弾ける。

「ふざ、けんな……この野郎!!」

我武者羅になりながら、拳を振り上げる。そして、同じ結果がまた繰り返される。拳を振り上げた瞬間に鮫島さんの手が消え、俺の顔面を殴打する。それでも今回は脚を踏ん張り、殴る。でも、届かない。避けるどころか、ガードされるどころか、弾かれるどころか、俺の拳の先は鮫島さんのいる場所をあっさりと通り抜け、身体ごと地面を転がる。

「…………質問すれば回答が必ず返ってくるなどという事は、あり得ませんな」

「……ぐぅ、あが……」

「真実、答、本当とは、既に己の中にあるモノであり、それを導き出すのは己の自身……他人の回答など、何の意味もございません。特に、アナタが既に『知っている』事の確認などという事は特にです――――つまるところ、アナタは既に答を知っている。それを信じたくないので否定してほしいという『甘え』など、私に向けられても困るのですよ」

呆れているのか、鮫島さんの声は何処か冷たい。

「そして、佐久間様……お嬢様に会って、アナタは何を成そうというのですか?アナタが知っている事実がアナタをそう突き動かしているのに、それをお嬢様に突きつけ、どうなさるおつもりですか?」

冷たさに、感情が宿る。

「―――――その甘えをお嬢様に向け、お嬢様ですら完全に認め切れない事実を突き付け、お嬢様の心をかき乱すのですか?ならば、私は主の心の平穏の為に此処を阻みます。お嬢様の心を傷つけ、嬲り、そしてどん底に貶める言葉を持参するアナタを阻みます――――さて、一応は質問しておきましょう。佐久間様、アナタは何をしにここに来たのですか?」

肯定を示しているのかもしれない。

アリサの脚が動かないという事に肯定を示しながら、この人もそれを良しとしていないのかもしれない。だが、それでもこの人は現実を受け止めている。受け止め、アリサの心を守る為に―――俺のような馬鹿野郎と会わせないと決めたのかもしれない。

アリサの、主ある少女の命令だとしても、同時にこの人の意志。

俺などが、破る事が出来ない強固な意志。

そうだよな、俺なんかよりも、この人の方がよっぽどアリサの事を理解している。この人はアリサが生まれた時からずっとこの屋敷に使え、アリサの傍にいた人だ。俺の様に一ヶ月も満たない他人とは年季が違う。

そして何より、この人には―――俺のような罪悪感でアイツの傍にいるわけではない。

俺のように軽い気持ちで此処にいるわけではない。

情けない。

見っともない。

今の俺は、誰よりも、恰好悪くて、ダサくて、そして最低だ。

諦めた、過去にした、もう他人、そんな事を考えた俺は既にこの屋敷の使用人でもアリサの召使でもない。完全にこの屋敷の外にいる他人で、アイツにとってどうでもいい奴の一人になった―――ただ、それだけで、そうなるようにしてしまった。

フェイトが俺をアイツの大切な人だと言った……やっぱり、それは勘違いだ。仮に、本当に仮にアイツがそう想っていたとしても、それでも俺なんかよりも目の前のこの人の方がよっぽどそういう立ち位置に相応しい。

俺なんかよりも、誰よりも、相応しい。

――――――帰るか……

もうこの場に俺の要るべき理由などない。アイツに会わせる顔もないし、向けるべき言葉も無い、全ては偽り、全ては真、そして全てが過去だ。

コレが俺にとって喉の奥に刺さった骨だというなら、ここでようやくそれが取れた。取れたというか、諦めた。喉の奥に刺さった骨が取れないのに頑張って、無理なのに意地を張って、喉の奥に刺さる骨に我慢できない程に小さくなって―――だが、それは気にしなければいい。気にしなければ、その骨の感触にも慣れる。

慣れれば、もう気にしない。



門の奥、屋敷の扉が微かに開く。



ギィッと軋む音、その音に視線が向けられ、扉の隙間に見える誰かの瞳。どれだけ遠くとも、普通なら見えない場所だとしても、どういう理屈かその姿が視界に移る。

「――――――、」

隙間から、瞳が見える。その瞳を見る俺の瞳。

「――――――、」

微かに憂いだ瞳と、俺の渇いた瞳が交差する。瞳が揺らぎ、そして俺の視線から外れる。

見るなよ。

身体は動く。闘争の為ではない。

見るなよ、俺を……

あの扉の奥にいる誰か、他人の瞳に恐怖する。

こんな俺を、見るんじゃねぇ……

今の自分の姿が情けなくて、アイツに会わせる顔がない事を知っているのに、それなのにこんな場所まで馬鹿みたいに走ってきて、それでボコボコにされて、地面に這い蹲っている俺の姿が、アイツの視界に移る。

情けなくなるだろうが……

よろよろと立ち上がると身体の節々が悲鳴を上げる。顔は焼けるように熱いし、内臓が今にもグチャグチャになりそうだ。吐き気もする。夕飯がまだで助かった。夕飯を口にしていたらきっと丸ごと吐き出していた。

これ以上、無様な俺を見せなくて済む。

「お帰りですか?」

誰かの声に返答する気は起きない。そんな事をしている暇があったら、俺は早くこの場から逃げ出したい。アイツの視線が其処にある限り、俺はこの場所になどいたくない。

闘争する意志など無い。あるのは逃走の願望だけ。

振りかえる事も出来ない。

振りかえる資格も無い。

背中を見せて、逃げだす姿を見れば、きっとアイツも俺を見損なう。だから、さっさと逃げる。さっさと逃げて、逃げて、逃げて――――――あれ?

おかしいな。

思考がおかしい。

俺はどっちなんだろう?

俺はどう想われたいんだろう?

逃げるのはアイツにこれ以上会わない為だというのに、最初に想ったのは違う事。アイツにこんな情けない俺を見せない、見せたくないというちっぽけな自尊心。なら、俺の今の感情はどういう理屈だ?

アイツは、こんな俺をみて見損なうだろう。でも、逃げる俺の脚に宿る意志はそれではなく、それとは逆の情けない意志。その意志が一刻も早くこの場所を離れろと叫ぶ。

俺は、どっちなんだ?

俺は、アイツに見損なって欲しいのか、

俺は、アイツに見損なって欲しくないのか、



俺は、どっちを望んでいるんだろう?







気づくと、俺はマンションの部屋の前で蹲っていた。背に部屋の扉を、口に真っ白な灰になった煙草を咥えながら。

「…………なに、してんだろうな」

誰に問う訳でもないのに、俺は自然とそう言った。

「多分、家に帰りたいんだと思う」

そして、何時の間にか俺の隣に俺と同じように座っているフェイトの姿。

俺が置いて行ったコンビニの袋から夕食にしようとしていたサンドウィッチを小さな口で食べている。

「それ、俺のだろ」

「うん、大樹の……もったいないから」

「そうか……美味いか?」

「うん……普通」

そうかよ。

誰もいない廊下。時間はわからないが不思議な事に誰も廊下を通らない。この時間、この瞬間だけこの廊下の空間が何かに切り取られた様に静かだった。エレベーターの稼働音も聞こえない、部屋からは人の声も聞こえない。聞こえるのは俺の呼吸音と、フェイトがモノを食べる音だけ。

静かだ。

本当に静かだ――――静かすぎて、悲しくなる。

「家に、帰りたいか……そこの部屋、お前の部屋だろ?帰らねぇのかよ」

「…………大樹一人じゃ、寂しそうだから」

「俺は平気だよ。一人には慣れるように心がけてる」

「それって、まだ寂しいって事だよね?」

「――――そうかもな……でも、別にどうでもいい」

「どうでもいいなら、そんな顔してないよ」

フェイトが最後の一口を呑み込み、立ち上がる。ポケットの中から鍵を取り出し、それを俺の部屋の扉に差し込む。

鍵が開いた。

「――――お前、何でも持ってるのな」

「何でもは持ってないよ……これは、私のじゃないしね」

俺の手に鍵を置き、扉を開く。礼儀正しく「お邪魔します」と言って俺の部屋、かつての俺の部屋に入る。

人の部屋に勝手に入るなよ―――いや、俺の部屋でもないけど。持ち主は違うだろう、などという感想を抱きながら、俺も自分の部屋だった場所に入る。

部屋の中にはまだ俺の住んでいた時と変わらなかった。たった一週間しか経っていないのだから当然といえば当然なのだが、てっきり全部処分されていると思っていた。もっとも、銀行口座に振り込まれていた金を見る限りは、どうやらこの部屋を丸々俺に譲るという意志も感じられる。

それが、無様だってんだよ。

一週間ぶりの我が家はあの時のまま。ちゃぶ台に置かれた湯呑にはあの時に注いだ翠色の茶が入っている。あの時は綺麗な翠色かもしれないが、今はカビのような緑色。湯呑を持ってそれを台所に捨てる。生臭い匂いが鼻を突く。

「なんか、飲むか?」

「お構いなく」

とりあえず、茶を沸かす事にした。

ヤカンに水を入れ、沸騰するまで数分はいるだろう。その間に冷蔵庫の中を物色するが、何も無い。ビールの缶が何本かあるがそれだけ。ツマミになりそうなモノは何も無い。

「大樹、救急箱は?」

「ベッドの下―――なんだ、何処か怪我でもしたのか?」

「……大樹、自分の顔を鑑で見たら?」

洗面所の鏡に映る自分の姿。なんだ、随分とカッコいい顔になってるじゃないか。苦笑したら口元が痛い。あのオヤジ、本気じゃなくとも十分に痛い力で殴りやがって……虚しくなるじゃねぇか。

「情けねぇな」

ヤカンはまだ鳴ってない。鳴るまでの時間をフェイトの元に歩み寄り、手当を受ける。消毒液を染み込ませた綿が頬に触れる度に激痛、とまでいかなくとも痛い。大の大人がなんてザマだと嗤いたくなる。

「痛い?」

「すっげぇ痛い……でも、ちょうどいい」

何がちょうどいいのか、自分でも分からない。痛みが好きとかそういうドM発言ではない。単純にこの痛みがコレを現実だと理解させるのに十分な時間だと感じらたからだ。

無言で俺の治療をするフェイト。無言で治療を受ける俺。互いに無駄な言葉を必要とせず、ただ黙りこんでいる。

痛み、痛み、心は痛み、身体は痛み―――それでも、俺は泣かない。だって、俺は大人だから。大人だから泣かない。子供の頃には泣いていた痛みも今は我慢できる。この痛みにも、このリアルにおける世界にも、どんな重さが身体に圧し掛かろうとも、俺は涙を流さない。

大人、だから……

「――――行ったんだね、アリサの所に」

「なんでか知らんけど、行っちまったな」

ヤカンが鳴る。

お茶を入れ、フェイトに差し出す。俺はビールを口に運ぶ。冷たい液体が切れた口の中で痛みを増加させる。冷たい痛さに顔を顰める。

冷たすぎる飲み物は何とも飲みにくい。良く冷えたビールは美味いかもしれないが、それを通り過ぎた冷たさがある場合、それは苦渋にしかならない。美味しいとも思えない。飲みたいとも思えない。それでもアルコールが欲しい。アルコールを欲した身体は冷たすぎるビールを一気に飲み干し、口の中を痛くする。

「なんで、行っちまったのかな?」

「大樹が、それを望んだからじゃない?」

「そうか……そうだったのかもしれん」

「そうなんだよ、きっと……」

言葉のキャッチボールは継ぎ接ぎ。テンポも良くないし、暴投に近い球を投げ続ける。それでも、俺達をそれでキャッチボールを続ける。一言が暴投。どれも自分勝手な独り言で相手の事など考えていない―――もっとも、そんなのは俺だけだ。

だけど、そんな暴投をコイツは後ろに逸らしながら、ミットで弾きながら、一々後ろに転がった言葉を難儀に拾ってくる。

健気というか、馬鹿らしいというか――――

「お前、なんかあったのか?」

「―――――色々、あったよ」

「そっか……大変だな」

「そうでもないよ……まだ、少しだけ頑張れるから」

フェイトは自分の右手をじっと見つめる。何もない、何の変哲もない右手。その右手を見るフェイトの瞳は憂い、今にも泣き出しそうな子供。

まぁ、子供だしな。

子供は――――子供は、そういう風でいいのかもしれない。子供だから何だというのだ。子供は子供らしく、それを俺は以前否定した。子供だからという免罪符の重さと、その言葉の危険性を知った。

でもよ、それだけだろう?

「あんまり、頑張るなよ。辛い時は頑張らなくていい。疲れたら止まればいい。無理して走ろうとしても、最後まで行けるってわけじゃない」

子供は子供らしくしてればいい―――不思議と、今はその言葉を言えた。でも、そんな子供にだって色々ある。皆が皆、俺と同じように何もない子供時代を過ごしてきたわけじゃない。大人になったら辛い事が沢山あると言い聞かされても、子供の頃に辛い事を体験し続ける奴らだっている。

子供らしくいたくても、子供ではいられなくなった奴等が、この世界には沢山いるんだ―――でも、そんな奴等だって、子供じゃねぇかよ。

煙草の本数は残り少ない。残り三本。その三本の後は袋の中に入っている新しい煙草に手をつければいい。

使い捨てだ、煙草なんてよ。いや、使い捨てじゃないモノなんて存在しない。全てが変えが効くし、全てが使い捨ての消耗品である事には変わりはない。

俺も誰かの代用品。

そして、フェイトも誰かの代用品。

誰かも、誰かの代用品。

飽きれば離れ、欲しければ購入すればいい。

だから、俺は残り三本の煙草を吸う。

「―――――私は、ずっと走ってた」

紫煙が昇る。

「ずっと走ってると思ってたんだ……でも、それは走ってるだけで、ゴールなんてなかった」

肺の中にたまる有害な煙。

「ゴールもなければ、スタートもない。私はレースに参加もしていない。ただの部外者がレースのコースに勝手に乱入してるだけの、そんな部外者だった」

吐き出す煙が、逃げ場を求めて部屋の中を浮遊する。

「本当は、何も無い……私の周りには嘘しかなくて、私自身が嘘だって事にも気づかなくて、それで…………全部、なくなっちゃった」

フェイトは笑った。

泣きそうな顔で、紅い瞳を涙で濡らし、無理矢理に作りだした歪な笑顔。

精一杯な笑顔。

「母さんも、アルフも、バルディッシュも―――もう、私には何も無い」

この少女は、どんな世界を突きつけられたのだろうか。何もかもを失った、そう言っていた。俺の知る限り、彼女が全てを失うなんて事はない。彼女の傍には大切な人達が沢山いたし、これからもそれは増えていく。

この子は、何もかもを失うなんて事はあり得ない、はずだった。でも、どういう訳か世界の歴史は変わっているらしい。あり得ない事が起こり、在ってはいけない事が我が物顔で世界を闊歩する。

そんな世界が、今の俺達の周囲に生まれた。

子供なのに、苦しんでいる。

子供だから、苦しんでいる。

本当なら誰かに甘えたい、誰かに救われたいと思うのかもしれない。なのに、この子はこうやって無理矢理な笑顔を作ってそれを拒む。

自分は、まだ大丈夫だと言っている、ように見せかける。

「だから、あんまり頑張んなよ」

「それは……私の勝手だから」

「勝手でも関係ない……辛いんだよ、見てる方が」

笑うな。

無理するな。

そんな作りかけの出来そこないみたいな笑顔を向けられても、安心なんぞ欠片も出来ない。だから、無理をしないで欲しい。ここで子供らしく無様に泣き叫んでくれた方がまだ救いがある。

でも、この子は泣かない。

涙は、とうに枯れ果てたと言わんばかりに。

「…………お互い、大変だな」

「そうだね。大変だよ」

どうすれば救われるのだろう。俺の救いは、フェイトの救いは、何処にあるのだろう。俺の様に誰かに、邪神にでも縋れば本当の意味で救われるのだろうか?

俺の様に―――どうしてか、それが他人事に聞こえる。俺の事なのに、俺の救いがアイツだけだというのに、それこそがテレビの向こう側を見ているように虚しい。

アレが俺の救いではないというのだろうか?

ジグザの傍にいる俺は、救われてないというのだろうか?

「なぁ、泣けよ」

馬鹿な要求をしてみる。

「お前が泣けば、俺だけ惨めだなんて想わない。馬鹿な事を言ってるってわかるけどよ、泣けよ……慰めてやる。その間だけ、俺は今を忘れる―――だから、さっさと泣け」

「いや」

「……だよな」

泣けと言われて泣けるなら、女優にでもなればいい。女の最高の武器は涙らしいが、誰から見ても涙は最高の武器――最低な最終兵器だ。

「だって……」

フェイトは俺を見つめ、



「目の前に、泣いている子がいるのに―――泣けないよ」



俺の頬をそっと撫でる。

暖かい手だ。

邪神でも人形でもない、人間の手の温かさが、そこにあった。だから、その手が微かに濡れていた事に驚き、自分の顔を触る。

涙が、頬を伝っている。






人には心がある。

俺にも、アリサにも、フェイトにも、誰にだって心がある。その心を誤魔化せる機能を持ったしまった事が、人が醜いと言われる理由なのかもしれない。

「嘘か本当か、どうでもいいんだよな……」

空を見上げれば満天の星空。

まったく、空というのは何時までも自由だ。どんな気分が沈んでいても勝手な天気を作り出す。嬉しい時に雨を降らし、悲しい時に青空を作るように、人の感情など知ったこっちゃないらしい。

「自分が信じられるかどうか―――っていう事?」

「いいや、それも違うと思う。信じても嘘は嘘、本当は本当だ……でも、どっちにしても信じるっていう想いを抱いた時点で誤魔化しが効く」

俺とフェイトは屋上に上がる。

屋上からはこの辺りでは一番星を見れるかもしれない。だから、星を見る。月は紅くない。月の色は何時もと変わらない。

「俺の信じたモノなんて、ちっぽけな自尊心だけだ。それだけを信じて、それだけに縋って、それだけで―――事を終わらせられる」

「私の信じたのは、何だったんだろうね」

「さぁな?俺はお前じゃない。お前も俺じゃない。そして、俺達は自分の本当なんてコレっぽっちも理解できていない……そんな人間、いるのも怪しいがな」

俺が何を信じたのか、今も分からない。もしかしたら、俺は自分が信じられるという想いですら誤魔化し、何も信じていなかったのかもしれない。今も、昔も、これからも。だから、そのこれからも変わらないのだと想いこんでいる。

「縋って、否定して、それでも縋りたくて……いつだって、俺は自分の脚で歩いて来れなかった」

「私も、縋ってただけなのかも……そして、今も私は縋っていたい」

歩いていたと想っていた。でも、それは誤魔化しだ。俺達はずっと本当を誤魔化し続け、本当を知らないまま生きてきた。だってさ、本当なんて一番知りたくない個所だと俺は想う訳だ。

本当の自分、それがどれだけ醜い存在なのかを知るなんて、怖くてしょうがない。誰かに嫌われる自分が嫌で、誰かを嫌う自分も嫌いだ。

だったら、その全てを誤魔化せばいい。

俺は俺を誤魔化す。その誤魔化した全ては『否定』という意志で形を成す。本当はそう想っていた、という想いを否定し、俺を守る。本当はそうしたかった、という感情を否定し、俺を守る。

否定に否定し、何時まで経っても俺は俺を誤魔化す。

もしかしたら、俺の本当は既に何度か心の中で生まれていたのかもしれない。でも、その本当を認めたらどうなるか、それが怖くて否定していたのかもしれない。

だから、俺は一人で事を考え続ける。

前に女神に言われた言葉を思い出す。

俺は他人の言葉を意見としか感じず、それを鵜呑みにする事は出来ない―――そんな自分勝手な俺をアイツは悪いとは言わなかった。

あの時、俺はその言葉に幾分かは救われた。だから、ゆっくりでいから歩いていこうと思えた―――でも、それですら誤魔化しだ。



俺は、俺を信用できない。



俺の想った事、俺の考えた事、俺の行動した事、全てが間違いじゃないのかと不安になり、本当に至った自分ですら否定する。

「俺は、俺が嫌いだ」

「私は……そんなに嫌いじゃない」

「それも、俺はきっと否定する」

本当とは何か、そう問われれば―――誤魔化しが効く都合の良い感情だと言う。

自分の本当など幾らでも誤魔化せる。誤魔化して、誤魔化して、誤魔化し続けて自分が見えなくなる。自分が見えなくなれば本当を考えるよりも自分を守護する事を考えるようになる。

目の前で泣いている奴がいる。ソレを見て可哀そうだと想うのが正しい。その正しいと想う感情ですら俺は信用できない。それは社会的な正解であり、道徳的な心理かもしれなくとも、俺の正解でも心理でもない。

それは単純に模範しているだけに過ぎない。

泣いている奴がいる――――もしかしたら、俺はソレを見て楽しんでいるのかもしれない。ソレを見て歓喜に震えているかもしれない。佐久間大樹という人間はそういう最低な部類に入る奴なだと、心の何処かで感じている。

自分が信用できない。

自分を信用する事が怖い。

自分の全てが―――大嫌いだ。

「なぁ、フェイト……俺さ、一度アイツを見捨てた事がある」

告白する。

「アイツが大怪我をしたのも、実は俺のせいなんだ。俺がアイツを見捨てようとしたから、アイツがあんな辛い目にあった……全部、全部俺のせいだ」

「でも、そのおかげで大樹はアリサと出会えたし、アリサも大樹と出会えた」

「それは幸福じゃない」

「でも、不幸じゃない」

「最低だろ」

「最高でもないけど、最低じゃないと想う……だってさ、アリサは大樹の事が大好きなんだよ?」

他人の言葉は否定する。

「嘘だな」

「嘘かもしれない。でも、私の眼にはそう見えたよ……ねぇ、大樹。大樹は自分の事が大嫌いだって言ってるけど、それは大樹だけでしょ?他の誰かは大樹の事が大好きだって言葉を否定する要素にはならないよ」

「……俺は、優しくない」

「優しい人が好かれるわけじゃない」

「俺は、恰好良くもない」

「それは否定できないね……でも、それだけが大樹じゃない」

サラッと酷い事を言うな、このガキ。

「大樹が他人の言葉を全部否定するのと同じように、皆が大樹の言葉を否定出来る。今の私みたいにね……だって、そうじゃないと大樹が可哀そうだもん」

「可哀そう、ね……見下されてる気分だ」

「可哀そうだって想う事、間違ってるかな?」

間違っている、はずがない。

そうじゃないと、可哀そうだなんて感情をまるっきり存在を否定する事になる。確かにそれは相手を時に侮辱する言葉になるだろう。でも、それは相手を心配する感情だ。誰かに笑って欲しい、幸福になってほしい、そういうマイナスじゃない感情だ。

同情は時に人を傷つける。でも、同情しなければ誰も他人に優しくならない。

優しいという想いを、侮辱する様に。

「俺からすれば、お前だって十分に可哀そうな奴だよ」

「――――世間一般的には、そうかもね」

「今、ムカッとこなかったか?」

「少しだけ……でも、大樹は私の事を心配してくれてるんでしょ?なら、少しだけ嬉しいかも」

だから、そう言ってフェイトは俺の薄汚れた手を握る。

「その優しさを、信じてあげて……」

「無理だ」

「無理じゃない。無理じゃないよ……少しだけ信じてみればいいだけ。自分を信じれないなら、他人を信じればいいだけ。縋りつくように、無様で滑稽な位に縋りついて―――自分を信じれる様になればいい」

俺の知るフェイトはこんな事を言うだろうか?

少なくとも、この時のフェイトは言わない、かもしれない。俺の見て来たのは全てが第三者の目線だ。画面の向こう、勝手に進むストーリー、その中で泣き笑い、そして戦う彼女の姿。それだけで彼女の全てを知ったなんて事は言えない。

もしかしたら、コレがフェイトなのかもしれない。

俺の知らない、誰も知らない、フェイト・テスタロッサの『本当』なのかもしれない。

「お前にそんな事を云われる時が来るなんて、思いもしなかった」

「私も同感。私がこんな事を言うなんて、想ってもなかった」

仮に、この世界が誰かの頭の中にある物語だとしたら、それはその誰かの意志の成せる業だ。本当の歴史を塗り替え、自分の想うままに世界を改変し、そして勝手に楽しんでいる、最低な神様だ。

この世界は幻想じゃない、現実だ。その現実の中で一番強いのはリアル。そのリアルよりも強いのはこの世界を勝手に想像する誰か。

その誰かが、俺達の意志と口を動かしてこんな下らない会話を続けさせている。

この会話の意味なんてあるのか?

これ以上無駄に話しても、何の意味もないだろう?

だったら、さっさと終わらせればいい。

これ以上、こんな駄作を垂れ流してないで、さっさとソイツは現実を見据えればいい。

現実を見据え、幻想を放棄し、それで生きていればいい。

だから、俺達の事は放っておけよ……

「大樹、コレ……」

フェイトが俺に差し出したのは、携帯。

「お前もしつこいな」

「そういう風になったんだよ」

クスリと笑い、フェイトは俺の手に携帯を握らせる。今度は、拒絶しなかった。自然と俺の手に携帯が収まり、その無機質な感触が何故か暖かい。

「…………人間、諦めが肝心だってのにな」

でも、諦めてはいなかった。そもそも、俺は諦める事すら出来なかった。諦めるという感情を抱いたと自分の心を誤魔化し、そのまま錯覚し続けた。



「俺さ、諦めるわ」



だから、決心して言葉にする。

フェイトに向けて、視線を星空に向けて、自分の心に向けて、

「もう、諦める。これ以上苦しむのも嫌だし、悲しいのも嫌だ。俺みたいな臆病者が幾ら頑張ったって無意味だってようやく理解できた……」

携帯を握りしめる。

本当は、誤魔化しが効く都合の良い感情だ。

本当だと想ってもそれは嘘で、自分を信じるなんて事は嘘で、何もかもを嘘でくるめてゴミ箱に捨てる。

俺は何にも分かっていなかった。

あの時の、扉の隙間から見えたアリサの瞳を見ても、まだ嘘で塗り固められた身体を行使していた。それこそが間違いだ。

「――――ッは、ようやくかよ」

自傷する笑み。



それが呼び出させた通話。



俺の手の中で携帯が震動する。

「…………」

フェイトと俺は視線を合わせ、とちらかが頷いた。

俺かもしれないし、フェイトかもしれない。

携帯を開き、表示された文字を見て自然とほくそ笑む。

なんて事ない、諦めた俺にはこんなのはただの文字でしかない。

通話ボタンを――――簡単に押す。

門の前のブザーを押すのに躊躇した指はあっさりとボタンを押す。それだけで俺とアイツは電波という目に見えない何かで繋がる。

『――――』

向こうで驚くような声。

こっちでは俺の苦笑。

そして、フェイトが空気を読むかのように背を向け、屋上の扉を抜ける。

屋上に残されたのは俺だけ。

俺と、鳴らないはずの、繋がらないはずの携帯。そして、その向こう側にいる誰か。

『―――――』

震える呼吸。俺ではない、向こうの震える声。ソレを耳にして俺は何を言うのか迷うが―――結局、これから始まる。

「よぉ、久しぶり」

簡単な挨拶で始まる

『―――――』

向こうからの返答はない。息を呑むような音はするが、肝心な言葉が出てこないようだ。それなら、俺は俺で勝手な事を言うしかない。

「元気だったか?こっちはすげぇ元気だったぞ?お前のいない間、一人で素晴らしくて堕落した生活を続けて、最高の一週間だった……最高すぎて、お前のもとになんぞ二度と帰りたくないって想えるくらいにな」

また、息を呑む音。

向こうでアイツはどんな顔をしているのだろう。そして、俺はどんな顔をしてこんな事を言っているのだろう。

想像で補い、想像で笑う。

「俺の口座、いつまであのままにする気なんだよ?それとマンションもだ。俺はあの部屋に戻る気もないって言わなかったか?あのまま無人の部屋を放置しても管理人に迷惑だ。さっさと解約して、別の奴に受け渡せよ」

夜風が吹く。

優しくて冷たい、頬を優しく撫でる風。

風の音は向こうにも届いているだろうか。この優しくも悲しい風の音が。

「それとな、お前んとこの執事。何だよあれ、あんな暴力執事を雇って俺をボッコボコにするのがお前の趣味?趣味が悪すぎ、気持ち悪い。あんな場所で仕事してた俺の社会性が疑われるから、さっさと解雇しろよ、あの暴力執事」

『―――――』

口から出てくるのはどれもこれも陽気で最悪の言葉ばかりだ。でも、これが普通に出てくるって時点で俺は今―――酔っている。

心の底から、頭の先まで、全身を使って酔いしれている。

こんな俺が嫌いだった。

こんな自分に酔う自分が堪らなく嫌いだ。

でも、結局はコレも俺だ。

否定しても無くならない、消えない俺の人間性。

あぁ、そうだな。

こういうのを厨二病っていうのかもしれない。

「―――――おい、何とか言えよ。俺ばっかり話してよ、俺が馬鹿みたいじゃんかよ……なぁ、聞いてるかアリサ」

人は変わらない。

「おい、聞いてるかぁ?」

人は変わったつもりになっても、その人間性は絶対に変わらない。自分を変えるという行為は絶対的に不可能な行為だ。自分を変える事は人生を否定するという行為に他ならない。ならば、その行為を行っている連中が馬鹿みたいだ。

「もしも~し……」

人は変われない。ジグザの言う様に、絶対に変わらない。だから、俺も諦めたのだ。変わる事を諦めた、信じる事を諦めた、この繋がりを絶対に守るという行為を諦めた。

『――――――』

「…………」

このマンションの屋上からアイツの屋敷が見える。

見える、そんな気がする。

その見える気がする場所にいるアイツに向けて、俺は盛大な溜息を吐く。自分のやっている行為の馬鹿らしさと、アホらしさ。

「――――まぁ、どうでもいいや……とにかく、この部屋もさっさと引き払え。それと銀行口座も消せ。俺への給付金も全部消して、俺とお前の関係があったモンを全部チャラにしろ」

ついでに、

「後、お前が俺の事を命の恩人とかいうのも無しだ。言ったろ?お前なんぞ、助けなければよかった。アレは俺の本心だ。だから、お前も俺に助けられたなんて絶対に想うなよ?正直、かなり迷惑だし、うざったい―――いいな、これは絶対だ」

これでいい。

これで俺とアリサの間に何の貸し借りも存在しない。

何もかもを否定し、全てを無に帰す。後はアイツの返答待ち。それで俺とアリサは完全に赤の他人だ。

今までの全てを、否定する。

今までの笑顔を、否定する。

今までの記憶と記録を、否定する。

「おい、聞いてんのか?答はさっさと出せ。ただし、YSEかハイ以外は認めない」

向こう側で、声を押し殺す音。

泣いている、少女が泣いているような、そんな声。

心を締め付ける、頑丈な鎖が崩れ去る、そんな声。

『―――――――――――――わ、かった……』

そして、ようやく聞けた声。

これで俺とアリサの関係は消えた。

切断、断絶、縁切り。

「それでいいんだよ……」

そう、それでいい。

もう俺には何も残されていない。

何も無い。

空っぽの、馬鹿な男が一人だけ。

携帯から耳を離す。

「…………全ては戯言ってか?」

一人で笑う。自分に酔いしれた男は一人で笑う。乾いた笑い、馬鹿にしたような笑い、その先にあるのは何にないという事実だけ。

電話は繋がっている。

だけど、俺達を繋げる存在な無い。

笑える。

本当に笑える。

向こう側で泣いているアイツの顔を想像するだけで、笑い転げそうだ。

だから、もう一度耳をあて、

「じゃあな、アリサ――――これで俺とお前は、何にもない」

もう、声は聞こえない。

聞こえるのは、声を押し殺す音だけ。

そして、沈黙が降りる。

俺とアリサ、二人の間に降りる沈黙は終幕を意味する。

想えば、最初から全てが戯言だった。出会いも、そして別れも。全てが俺の手ではなく、邪神の掌の上で踊り続ける人形だった俺。

俺の意志など関係なしに進む世界の進行を止める権利はないし、止める力も無い。その世界の荒波の中を掻きわける技量も無い。

だったら、終わりぐらいは俺の手で幕を下ろす。

さよなら、あばよ、そして俺とお前は他人。

俺はあの喫茶店と同じ様に、アリサに背を向けるように、

「さよなら、アリサ」

口からあっさりと別れの言葉を口にする。

『―――――うん、さよなら……佐久間』

アリサも、ゆっくりと言葉を吐く。

終わる世界。

終わる関係。

其処から先は、何も用意されてはいない。

空白の、無価値。

さよならの先は―――――











人質はリリカル~Alisa~
第四話「全ては終幕」


















「――――――また、明日」



この言葉に決まってるだろうが



















時間は同じ。

昨日と同じ夕日が沈んだ静かな時間。

その時間に歩くのは俺、そしてその後ろを歩くフェイト。

「なんでお前もいんの?」

「気にしない、気にしない」

いや、かなり気になるんですけど……まぁ、いいか。

「一応言っておくけど、見ていて楽しいもんじゃないぞ」

「いいの。私は空気として接してくれればいいから……」

「空気ねぇ……どう見ても無視できない有害な空気な気がするぞ?」

互いに軽口を叩きつつ、同時に脚を止める。

視線の先、昨日と同じように門は開いている。開いた門の前に立つのは昨日と同じ暴力執事。

「―――――こんな夜分遅くに、どのようなご用件でしょうか?」

夜分遅くというにはまだ早い。まだ時間は夜の七時だ。ガキが寝るには早いし、夕食程度がちょうどいい位だ。

「野暮用だよ」

「お約束は?」

「無い」

「でしたら、お帰りください」

帰る?

っは、冗談じゃない。

俺はポケットの中から紙幣を取り出す。数は十枚、合計十万円。俺の全財産だ。先程確認したら銀行口座は完全に消失していた。俺との約束をアイツはきちんと守ってくれたらしい。

だから、俺は俺の都合を勝手に押しつける事にしよう。

取りだした紙幣、その紙幣に使い捨てのライターを近づけ――――燃やす。

俺の行為の意味が分からないのか、鮫島さんは不思議な物を見る様な眼で俺を見て、フェイトは「あ~あ、やっちゃった」という呆れ顔。

その中で唯一俺はほくそ笑む。

「それは、どういう意味でしょうか?」

「わからねぇか?そうだよな、分からないよな……でも、アンタが理解する事はたった一つだけでいい。その一つを理解していれば、アンタのやるべき事が自然と見えてくるはずだ」



盛大に、酔っぱらう。



この時、この瞬間だけ――――そして、この先もこの酔い覚まさない様に、俺は大量にこの見えない酒を飲み続ける。

「アリサに用がある。だから、そこをどけ」

「お断りします、と昨日も言ったはずですが?」

「知るかよ、昨日の事なんぞ……知らないのか?俺って記憶喪失なんだよ。知っているのは名前だけ、それ以外はまるで知らない。世間の常識も知らないから、こんな夜遅くにガキのもとを訪れる世間知らずだ――――そんな俺でもな、一つだけ覚えてんだよ」

自身の頭を小突き、俺の中の唯一の記憶を取り出す。

俺が、俺の意志で動いた瞬間、そして理由を。



「俺はな―――――アリサに金を借りに来たんだよ!!」



ご近所迷惑顧みず、俺は腹の底から声を出す。この周辺、この屋敷、アイツのいる部屋まで届くほどの大音量で叫ぶ。

「金はない。財布も空だ。だから金がいる。消費者金融に借りるよりも、もっと沢山借りれて、その上で無利息になりそうな場所ときたら、此処しかないだろ?」

大人のする事じゃない。なら、俺は大人じゃない。子供でもないが、大人でもない。俺はこの我儘を大っぴらに叫ぶ事を恥としない。

「だから、金寄こせ。アンタからじゃない、バニングスからでもない……アリサ本人から、金を借りる。その為に俺は此処にいるんだよ」

情けないと想うなら勝手に笑え。俺だって笑ってやる。現に鮫島さんも最初は呆けていたが、すぐに苦笑する。俺の傍でフェイトも楽しそうに笑っている。

見ろ、見事にウケたじゃねぇか。

だから、お前も笑えよ。

見てるなら、聞いてるなら笑え。

ただし、そっから出てくるな。

俺が勝手にそっちに行く。

この邪魔者をぶっ飛ばして、お前に金を借りに行く。

「っつぅわけでだ、鮫島さん。こんな社会不適合者を前にして、アンタはどうするよ?」

「そうですな……バニングス家に使える者として、そんな戯言をほざく者を通すわけにはいきませんな」

「だろうな……だったら、押し通るぜ」

「出来るものなら、ですがね」

昨日とは違う。鮫島さんは笑いを押し殺しながら構える。ボクサーの構え。ステップを踏みながら、俺を敵として迎え撃つ。

だが、それがいい。

だが、それでいい。

「――――フェイト、手を出すなよ」

「骨は拾ってあげるよ」

「馬鹿言うな。俺が勝ってアイツが負けるってのが結末だ」

「う~ん、無理じゃない?」

「…………お前さ、少しは頑張れとか言わないわけ?」

「言わなくても頑張る人に、頑張れっていうだけ無駄だと想う」

なるほど――――なら、俺は勝手に頑張るしかないだろう。

頑張る事を諦めた。

意地を張る事を諦めた。

抗う事を諦めた。

俺の今までを諦めた―――――そんな俺を、



諦める俺を――――諦めた。



大体、何もかもを否定するなんて無理なんだよ。否定しても否定しても、強固な壁を作っても必ず隙間はある。その隙間から否定した想いは中に入り込んでくる。それを一々否定してたら日が暮れちまう。

だったら、否定した事を否定すればいい。

女神の言う様な俺の生き方は面倒だ。その面倒を貫き通す事など面倒だ。だから楽をする事にした。楽にして、心を空っぽにして、少しだけ受け入れるスペースを作り出す。

もっと気楽に生きてみよう。

背筋を延ばさず、猫背になって。

緊張せずに、だらけきって。

まるで堕落したように生きてみよう。

そうすれば、少しはマシな人生になるかもしれない。

本当を誤魔化さない、本当に眼を向ける余裕のある俺に。

「ほんと、面倒な人生だったな」

人は変わらないらしい。だったらそれを証明しなくてはいけない。変わらないのではなく、変われないのでもない。

変わろうとする意志だけを、証明すればいい。

今の俺には何も無い。

だから、何も無い俺は新しい何かを繋げる。

邪神の意志でもない、アリサの意志でもない。俺の、佐久間大樹としての意志で俺は新しい関係を作り出す。

その為の第一歩として、まずは金が必要だ。

生きていくには金が何よりも必要なはずだ。

だから、その金を確保する。

確保するついでに――――ここのお嬢様に媚でも売っておく事にする。

ほんと、戯言すぎて笑えてくる。

だが、今回だけは違う。

今回は戯言だけど、戯言だけでは終わらせない。

目の前の壁を乗り越え、俺は縁を繋げに行く。

そんな行為をする俺は何とも滑稽な奴だ。

全てはゼロだ。全ては終わった。俺が終わらせ、全てをゼロにした。俺とアリサの間に何も無いから、ここから始める。

アリサに対する償いも。

アリサとの思い出も。

全てを此処でリセットする。

そして、そこから始める―――新しい関係。

自分勝手?

知ってるよ、ボケ。

でもな、今の俺は盛大に酔っぱらってんだよ。

自分に酔って、マイナスな思考の全てを蹴り倒して、俺は此処に立つ。

戯言だろ?

滑稽だろ?

だから、今の俺は、今回だけはこう言ってみる。



「―――――――ほんと、傑作だな!!」



某小説の、殺人鬼の様に――――


さぁ、始めよう。



本当を誤魔化さない―――佐久間大樹を、始めよう












あとがき
や・り・す・ぎ・た~、な散雨です。
最後は少々はっちゃけすぎた気がする……後悔はしてる。反省もしてる。でも書いちまったから消さないのが僕の心情です(嘘だけど
というわけで、アリサルートも多分半分です。ここからは折り返し地点だと想います。フェイト嬢が色々とぶっ壊れ始めましたが、其処は気にしない方向で……むしろ、最終的に彼女には凄い事になってもらいます(あくまで散雨的に
そんな感じで次回「忘れてたけど、主人公って一応チートだった」で行きます。
最後まで、振り切るぜ!!


PS、そろそろ給料日なんで『続・殺戮のジャンゴ』と『装甲悪鬼村正』を購入したいです。あと、『機神飛翔デモンベイン』も買いたいし、まだ発売してないけど『EvoLimit』も買いたい。ついでに……あれ、ニトロばっかりだ。

PS2、映画のトライガンと銀魂と文学少女が楽しみです

PS3、他の駄作の続きを書く暇がない……

PS4、あとがきが長い気がする……



[10030] 第五話「全ては喪失」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/04/23 18:53
誰の眼にも明らかだ。

大樹と鮫島という執事の差、絶望的なまでに離れた、離されすぎた差はどうやっても埋められない。これは経験、技術の差でもある。そんな現実的な差の前には気持ちという概念は何の意味も無い。

あるだけ無駄、あっても無駄、あるだけで邪魔になる程に無駄。

鮫島の戦闘能力は私の眼から見てもかなり高い位置にいる。魔法という術を持たない人間であるにも関わらず、その動きは強化を掛けた魔導師となんら変わりのない速度。第三者の眼からこの速度なら、これが体感速度ならどれ程なのだろう。

恐らく、私でも最初の一撃は避けられない。反応は出来ても避ける事はおろか、油断していれば防ぐ事も不可能。それほどまでに常人を逸脱した動きに私は思わず見惚れてしまいそうになる。

魔法などなくとも、人はこのレベルまで至る事が可能だと知った。それは驚愕というよりは感心、そして寒心。これだけの技術をその身に宿すまでに彼はどれ程の時間と汗と血を流したのだろう―――私の生きてきた時間などでは決して追いつけない程の努力。もしかしたら才能かもしれない。

だからこそ、この勝敗は既に決している。

「――――ガぁ!?」

鮫島の高速の拳が大樹の顎を打ち上げ、のぞけさせる。でも、彼は倒れない。その場で踏ん張る様に脚をガニ股に開き、反撃を試みる。

当然、空振り。

無様な大ぶり、かすりもしない。これなら誰だって避けられる。私でもなければ少し眼のいい人なら誰でも避けられる大ぶり。まるで素人。喧嘩も闘争も知らないズブの素人の拳が届く事はあり得ない。

空振りした拳の先は虚。その隙ですらない隙を鮫島は的確に、そして冷徹に、腕の力だけで繰り出した適当な裏拳で大樹の後頭部を殴打する。

それだけで、簡単に倒れる。

「―――――終わりですかな?」

「冗談、言えよ……」

「えぇ、冗談です」

差は歴然だ。

これは試合でも組み手でもない。見届けるのは私だけ。でも、私の手には試合を中断させるタオルも無い。そして、彼もそれが無い事をいい事に立ちあがる。

何度も、何度も、何度も、どれだけやられても、どれだけダメージを蓄積しても、大樹はふらふらになりながら、何度も立ち上がる。

「へっ、ようやく……見えてきた」

「綺麗なお花畑ですかな?」

「アンタの拳」

嘘だね。

「そうですか、なら―――――ちょっとギアを上げましょう」

「え、マジ?」

「マジですが?だって、私の遅い拳は佐久間様には見えているのでございましょう?ならば、それに対して速度をワンテンポ、ギアを一段階上げるのは当然の事……」

この鮫島という執事は意外と腹黒いのかもしれない。大樹はやってしまったという顔をしながら冷や汗を大量に流している。

自業自得。

私はそんな馬鹿をした大樹をじっと見守る―――様にしているだけ。実際は見守ってなどいない。彼が甚振られ、地面に倒れ、それでも立ち上がり、そして殴られ、倒れ、立ち上がり、サンドバック状態になっている姿を見ているだけ。

そう、見ているだけ。

何もしない。応援もしないし、心配もしない。

する必要もないからだ。

「先程までは幼稚園児でも見切れる程度ですが、今度は小学生が見切れる程度です」

「――――アンタ、実はSだろ」

「はい、Sとは執事のSならば、私は執事です」

「英語ならBだろ」

「ボディータッチという意味なら、今の状態は相応しいですな」

「最低なBだよ。思春期の中学生が絶望するだろうな……」

「いえいえ、それも青春の味というモノでございます――――そして、挫折と絶望を味わうのもまた、一興ですよ」

鮫島が動く。

先程のよりもスウェーバックで上半身を背後にずらし、その反動で一気に撃ち放つ。本来なら防御技術の法を彼は攻撃の際に使用した。これもボクサーならあり得ないだろう。そんなあり得ない方法で『遊べる』程度の相手なら、面白いかもしれない。

当然、その一撃はあっさりと大樹の顔面を撃つ。

もう一度言う。

この差は歴然だ。

喧嘩も知らない素人と闘争を知る玄人の間にある差は絶望的だ。その断崖絶壁を繋げるロープウェイも、縄梯子も、蔓で出来たロープもない。

どう足掻いても届かない領域。

それでも、

「…………やっぱり、立つんだ」

私の呟きが意味を成す。この数十分で何度も何度も見た光景。いい加減、他の光景も見たいものだと想えるくらいに見飽きた光景だった。

大樹の顔は昨日の夜よりも酷い。

顔は所々が切れ、内出血を起こした皮膚が紫色に変色している。瞼は腫れあがり、あれでは片目は殆ど見えてはいないだろう。

身体もきっとボロボロだ。鮫島が手加減をしていると言っても拳闘士の拳は兇器というのは有名な話だ。誰でも知っている、子供でも知っている事実。その拳を何度も何度も撃ちこまれ、それでも立ち上がる彼の身体はポンコツになっている。

でも、立つ。

立つ事以外は知らない様に、また立った。

「…………」

見ていて辛い。

こんな光景を見ているだけ辛い。

さっさと終わってほしいと懇願したい。

鮫島が手加減などせず、あっさりと大樹を打倒してくれれば終わるのに、どうしてか彼はそれをしない。それどころか、彼はこの闘争にすらならないお遊びを楽しそうにしている。大樹を殴る事を楽しむような顔でもなく、無様に起き上がる大樹を嘲笑うのでもない。

まるで、大樹が立ちあがる事が―――嬉しいように見えた。

お願いだ、もう止めろと私は声に出ない声で叫ぶ。

それ以上は、これ以上は見てられない。

眼を閉じれば見なくていい。でも音が聞こえる。人が殴られる鈍い音。

耳を閉じて聞かなければいい。でも見える。人が殴られる嫌な光景を。

なら、両方すればいい。でも、私の身体はそれを良しとはしない。

だから、さっさと終わってほしい。

私はもう嫌なんだ、こんな事をしてほしくないのだ。

だって、



こんな無様な彼が、これ以上無様に転げ回る姿を見ていても、胸糞悪くなるだけだ



さっさと諦めればいいのに……

心の中で私は冷めた声を発する。

さっさと諦めて、無様に地面に倒れて、自分の無力に嘆けばいいのにと、何度も何度も考えた。そんな光景を想像し、心の中で高笑いをしたのも事実だ。

誰の眼からも分かる光景を前に諦めない事を美学と感じる奴の事を、私は心の底から嘲笑っている―――いや、少しだけ違う。

嘲笑うどころではない――――嗤う事すら、私は嫌だ。

諦めろ。

倒れろ。

立ちあがるな。

諦めて、倒れて、立ちあがらず―――そして、絶望しろ。

立ちあがる彼を見て、私の心の中は黒い感情で渦回る。

もう、いいだろう……

黒い感情はきっと憎しみであり、怒りであり、そして悪だ。

もう、諦めろ……

正直な事を告白しよう。

とうせ、誰も聞いていないのだ。

心の中など、誰にも見えないし聞こえない。だから、私は一人で独白し告白する。

私は、

フェイト・テスタロッサは、



佐久間大樹の事が――――大嫌いだ











声が聞こえる。

身体には感覚が無い。

おかしいな……

身体が宙に浮かぶようなゆったりと意識が泳ぐ。宙に浮くという感覚は飛ぶとは違う。なんの力も要らない、水に浮くという感覚とも違う。

なんと言えばいいのだろう―――例えが浮かばなかった。でも、それはどうでもいい事だと想った。そう想ったからこれ以上は考えない事にした。

でも、寒いな……

身体が浮いているような感覚なのに、凍りついた海の底に沈む様な寒さ。感覚が無いのに寒さだけを感じる。体温は急激に下がり、上がる事を忘れたように降下し続け、凍りの剥製になってしまうかもしれない。

寒い、寒すぎて、震えてしまう。

凍える身体を温めるモノは何処にもない。

寒いから火が欲しい。オレンジ色の炎を目の前で焚き、その炎で身体を温めたい。身体を温めたら次は毛布が欲しい。温かい毛布で身体を包み、そのまま眠ってしまいたい。時期は冬が良い。冬の季節に眼を覚ました時の毛布の温かさどんな温もりよりも温かい。だから、そのどちらでもいいから身体を温めてほしい。寒い、寒い、凍りついたように寒い。火が欲しい、毛布が欲しい―――そうだ、毛布が欲しい。毛布に火をつけて燃やし、その燃えた毛布で体を包めばきっと寒くない。

火傷では済まない傷を作る炎で身体を温め、身体が燃える様に、本当に燃えるように身体を温め、身体が焼かれ、痛みを覚え、その痛覚が寒さを消し、代わりに来るのは想像を絶する最低な痛み――――あれ、痛み。

気づいた。

寒さが消えた。

気づいた。

寒さが消え―――身体が、熱くなった。




――――――――――――――――熱い、熱い熱い、熱い熱い熱い、熱い熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!?




熱い、痛い、苦しい、痛い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、苦しい、苦しい、痛い、熱い、熱い、いたい、あつい、くるしい、いはび、いあたい、いがかい、いたい、いあは、いあじゃい、いあじゃい、ああたずい、あずい、あうぎゅあい、あうづあづ、ッずい、あぎきあ、あうふぃあ、ずふあいぎやう―――――痛かった。

身体中を駆け巡る激痛が宙を浮く感覚すら失わせる。凍えるような寒さも灼熱の激痛の前には何の意味も無い。

寒さが欲しいとさえ、願う。だが、願いは却下される。寒さは完全に消え去り、残るのは吐き気と灼熱と涙と業火と最終的には痛いという一念。

痛い―――まるで、右手が切り落とされたようだ。

痛い―――まるで、身体に穴があいたようだ。

痛い―――まるで、顔の全てが黒焦げになったようだ。

痛い―――まるで、まるで、まるで、まるで――――死んでいるかのようだ。

「――――」

誰かの声が聞こえる。

「――――」

女の人の声だ。

「――――」

何か、怒りを含んだ声を発しているような声だ。声の主は女の人だ。でも姿は見えない。私の眼が見えないからだ。眼球が焼き殺され、眼があるべき場所が空洞になったような感覚。そのせいで声しか聞こえない。

いや、それも違う。

「――――」

音も、はっきりと聞き取れない。鼓膜が麻痺しているのか、それとも爆音によって破裂したのかわからないが、ともかく音が巧く伝わってこない。

「――――」

それでも分かる。この女の人は怒っている。憎悪している。声を向けている相手を本気で殺さんとする勢いで犬の様に吠え散らかし、自分の怒りの矛先を向ける事が正当だと吠えている。

誰だろう、この人は……あ、駄目だ、痛い。痛みが麻痺してこない。どんな痛みでも時間が立てば引いてくるが、この痛みは別だ。痛みが永久にこの場に居座ると豪語している。身体の死を絶対に譲らないと頑固な意志を示している。

痛いよ……

「――――」

「――――」

声が一つ増えた。

今度は男の人の声だ。聞いた事のある声。いや、女の人の声も聞いたことがあるけど、この声も聞いたことがある。少しだけの時間。単なる顔見知り程度で忘れてしまいそうな程に些細な時間を混じり合わされた相手。

名前は、思い出せない。痛みが思考を支配しているせいか考えが巧くまとまらない。痛い。とにかく痛い。死んでしまう。このままでは死んでしまう。

「―――――」

「―――――」

女の人が吠える。

男の人が嗤う。

「―――――」

「―――――」

女の人が叫ぶ。

男の人が呆れる。

「―――――」

「―――――」

攻守交替。

男の人が囁くように呟く。

女の人が驚愕するように息をのむ。

「―――――」

「―――――」

男の人がまた嗤う。嗤いながら手を叩き、女の人に向かって何かを言っている。

女の人が悲痛な声を出す。助けを求めるように、自身の全てを擲ってでも救いたいというような、悲痛な叫び。

なんだか私まで悲しくなってくる。この女の人にはこんな声を出してほしくない。安心してほしい、笑って欲しい、だから泣かないで、だから悲しまないで、だから『そんな事を言わないで』と言葉にしたい。

無論、私は声など上げれない。

痛みが引いていく。

どんどん、底なし沼の中に沈むように痛みが引いていく。これは引いていくのではなく、消えていくのかもしれない。そして、それと同時に身体の中から何かが消えていき、外にある大事な何かが消えていく感覚。

手を伸ばさなければいけないと本能が囁く。この手を伸ばし、掴み取れと囁く。同時に、外から中に染み込む黒い思念を追い出せと本能が囁く。手を振り払い、殴り飛ばし、切り裂き、絞殺し、放り投げ、撃ち滅ぼし、この外から内に入り込む思念を否定しろと叫んでいる。

でないと、大切なモノを、大切な者を失うと言っている。

「―――――」

女の人が囁いた。

男の人にではなく、私に向かって囁く。

酷く温かい言葉だ。でも、聞いた瞬間にゾッとする言葉だ。その言葉を否定しなければいけない。この言葉を迎え入れれば全てが終わる。何もかもを失った私の中から、それでも残された大切な『一部』が失われてしまう恐怖が襲ってくる。だから、否定しなければいけない。だから、抗わなければいけない。

動け、この出来そこないの偽物の身体。

否定、出来そこないは動けない。

拒否、偽物は偽物。

入り込む、黒。

失う、最愛。

駆け巡る、悪寒。

消失する、繋がり。

「――――――」

抱きしめられた。

悲しい程、体温が感じられる程に悲しい暖かさが消えていき、大切な何かが消えていく。私はそれに抗えない。抗うどころかこの出来こそないはそれを迎え入れ、歓迎さえしている。

意志は否定しても、身体は生存を望んでいる。

私は聞いた。

最後の瞬間、消失する最後の手前、私は声を聞いた。

私の中に戻る様に、それでいて別れを告げるように、女の人は言葉を残す。

最後の言葉を残し、私の中に戻るように消え去り、そして残った残響。



―――――フェイトは、生きて……









「―――――――ッ!!」

跳ね起きる。

眠りから覚めた頭が世界を見据え、今の自分の現状を即座に理解しようとフル稼働する。けれども寝起きの頭のように巧く稼働はしない。パソコンの起動に時間がかかる事と同義であるように、この頭は即座に世界を、現実を、今を理解出来ていない。

頭の起動まで一分を要し、そして私は世界を知る。

私は生きている。

どうしてか生きている。

先程まで感じていた痛みは存在しない。身体の中から綺麗さっぱり消え去っている。身体の正常。身体にはなんの変化も無い。顔を触っても普通の肌の感触。腹部を見ても穴など開いていない。

そして、右腕――――そこだけ、違った。

右腕に、消えた様な感覚があった右腕には肘先から手先まで、



黒い刺青が刻まれていた。




「…………何、これ?」

触ってみる。刺青は当然の事ながら肌に掘られており、表面上の手触りは普通の肌となんら変わりはない。でも、この刺青を触った瞬間に寒気がした。

あってはならない存在、とでも言う様に嫌な感覚が手を通して脳に伝わる。この刺青を今すぐに消してしまわなければいけないと囁く。だが、刺青を消す事は出来ない。簡易タトゥではないのだ、消せるわけがない。

だが、この刺青はいったなんなのだろう?

形は犬、いや狼だ。黒い狼が吠える図を描いているのか、獰猛な牙をむき出しにしながら吠えている刺青。

覚えがない。

こんな刺青を彫った覚えなど在るはずがない。そもそも、そういう趣味も思考も私にはない。首を傾げながら私はとりあえずその事を一端隅に置き、周囲を見渡す。

暗い場所だ。電気も光も無い、だが暗黒ではない場所。見覚えのある場所―――そうだ、ここは私の家だ。私の住んでいた家の一部、普段は殆ど入る事のない物置に近い場所だ。そんな場所にどうして私はいるのだろう――――そもそも、どうして私は生きているのだろう。

思い出す。意識を失う寸前の記憶を探り出す。探り出し、締め付けられるような痛みが心を支配する。眼の奥が熱くなり、胃が締め付けられ、頬が引き攣る。

自分の本当を思い出す。

自分の存在を思い出す。

全てが、偽りだという事を―――思い出してしまった。

「―――――!!」

狂いそうになる。頭を掻き毟り、この金色の髪の毛を全て引き抜き、眼球を抉りだし、心臓を握り潰し、この命を終わらせ、全てを否定したくなる。

だが、そんな事は無意味だと想った。想ってしまえば、後は簡単。立ち上がり、幽鬼の様に歩き出すだけ。

「…………」

どうして、生きてるんだろう。疑問ではなく、後悔に近い感情を抱きながら知っている場所から外に出る。

静かだった。

殺伐という言葉が似合わない。静寂という言葉が似つかわしくない。この静けさは重苦しい重圧でしかない。そして、この場所にいるべき資格のない自分はいったいどうしたいのだろうか……

聞けば、誰か答えてくれるのだろうか?



「――――お目覚めかな、お姫様」



背後から囀るような声に心臓が止まりそうになった。反射的にその場から飛び退き、背後の存在を確かめる。

「おいおい、それはオジサン傷つくぜ?もしくは悲しむぜ?それでなくとも最近は幼女と接していないのに幼女にそんな態度を取られたら――――寂しさのあまり犯すぜ?」

意味の分からない事を囀りながら、声の主は苦笑する。

「アナタは……」

「そうです。アナタの心の王子様、もしくは心のオアシス、もしくは幼女の前では口が裂けても言えないけど、この際だから言ってみようか試してみる素敵なセックスフレンド――――この世の全ての幼女の敵であり味方、ガルガさんです」

ガルガ・ガルムス―――そういう名前だったと想う。

「どうして、此処に?」

「どうしてって……まぁ、あれだ。現状視察?」

ガルガはそう言ってその場に胡坐をかく。

「座れよ」

「…………」

促されるように私はその場に座る。

「――――素直でよろしい。それで、身体の方は正常か?」

「…………」

「そんな警戒心むき出しな態度は良くないぜ?お前さんみたいな綺麗な子は笑う事をお勧めだな。ニッコリ笑って全部を敵に回すくらいじゃないと、この先厳しいぜ」

本当に何を言っているのか分からない。

そもそも、どうしてこの男が此処にいるのだろう。どうやってこの場所を訪れたのだろう。この場所は普通の人には絶対にたどり着けない次元の海に漂う要塞のような場所だ。転送するにも正確な場所を割り出されないように常にジャミングされているせいで発見する事すら難しいというのに。

「それにしても見事なお家だな。なんでこんな悪趣味な形をしているかは知らないが、立てた人の脳内を一度しっかりと検証するべきだと想うのだが―――まぁ、そんな事はどうでもいいな」

ガルガは私を舐めるように見ながら、



「――――で、自分のお姉さんとの感動の再会はどうだった?」



的確に、心臓を射抜く言葉を口にした。

「お前さんにそっくりだっただろ?何せ、お前さんのオリジナルだ。瓜二つと言うには些か表現が変わる気がするが、それでも見事なコピーだろ?お前にとってのコピーであり、向こうにとってのオリジナル……で、気分はどうだ?」

「最低です……」

この男の言葉は、本当だった。

「…………どうして、私にそんな事を教えたんですか」

「それはどっちの意味だ?教えてくれた理由か、それとも教えやがったなこの野郎という批判か―――まぁ、後者だろうな」

その通りだ。

知らなければよかった。知らなければ、知らなければ―――知らなければ、どうしたというのだ。

これは時間の問題でしかない。遅いか速いか、そして未来の時間が少しばかり前に出ただけの事。私はいずれこの真実を知り、そして今日の結果を迎えただけだ。

けれども、それに対してこの男に礼をする気などこれっぽっちも感じない。

むしろ、睨みつける。

「そうそう、そういう顔がちょうどいい……いいねぇ、幼女の怒る顔もいいが、憎む顔も素晴らしい」

嬉しそうにするガルガの気持ちを理解しろという気はない。この男の気を理解するという行為はどんな問題よりも難問だろう。きっと、答はない。答を導き出す公式もなければ回答欄すら存在しない。

最終的に、問題にすらならない。

「それで、これからどうする?」

「どうするって……どうも、しようがないよ」

「そうだな。どうもしようがない。どうしようもない。こればっかりはどうしようもない。どんな言葉で飾り立てようとも事実は事実だ……なぁ、この際だから家出とかどうよ?子供が意地張って家を出るという意味じゃなくて、本当に家を出て、そんで俺の嫁さんになるとか」

それだけは絶対に嫌だ。生理的に無理だと私は即答する。ガルガは残念そうに項垂れ、即座に復活する。

「どうして俺は幼女にモテないのかねぇ?こんないい男だってのに……まぁ、いいか。嫌よ嫌よも犯す内ってな」

激しく貞操の危機を感じる。

「――――家を出ても、行く所なんて無い……」

「無いから探すか作るのが人の性らしいな。俺はそんな事をせずに適当に放浪するがね。旅先で会った幼女と濃厚な関係を気づき、飽きたら捨てて、また次の場所へって感じでな……だが、それも飽きた所だ」

ガルガの口元が吊り上がる。

「俺は心の底から愛する女が出来た。今はその女の為に全てを擲って、そして愛し抜くと決めた―――言わば、俺は愛の狩人だ」

「嘘臭い」

「嘘だからな。どっちかと言えば、愛の略奪者ってとこだな―――ん、それって恰好良くね?」

「まったく想わない―――ねぇ、私……もう行っていいかな?」

「何処へ?」

「何処かへ」

「行くアテも無いのにか?」

言葉を失う。

「止めとけ止めとけ。今のお前さんが行くべき場所なんて何処にもありゃしねぇよ。歩くだけ無駄、走るだけ無駄、飛ぶだけ無駄―――目的すらないお前には何をして基本的には無駄なんだよ。放浪するのだって放浪するっていう目的があるからするんだよ」

言い返せない。

「自暴自棄では意味がない。何もかもが無駄だ。無駄は省こうぜ?省くべき無駄を無駄にして、無駄のない無駄で余生を過ごそうぜ」

ケタケタと笑うガルガはそう言って煙草を取りだす。

「それによ、お前には何にも無いだろ?何にも無い。誰もいない。縋るべき者も思念もない奴の放浪ほど無様なモノはないぜぇ」

煙草を一本取りだし、指先から小さな火を出して火をつける。これも魔法だろうか?だとしたら、なんて無駄な魔力の使い方だろうか。

「――――とりあえず、目的を持つ事から始めるべきだな。何でもいい。生きたいという目的でもいいし、逃げたいという目的でもいい。そんな一念を抱く事から始めるべきだ。じゃないと、生きるだけ無駄で逃げるだけ無駄だ」

「…………アナタの言っていることが、理解出来ない」

「理解しろとは言って無い。だって、適当に言ってるだけだからな。頭の中に出てきたワードを適当に選別して口に出してるだけの行為だ」

煙草の煙が吐き出される。私に向かって。煙草の匂いが気持ち悪い。

「それとも何か?この場で一発逆転、素敵でコロっていっちまうような素敵な慰めでもしろってか?趣味じゃねぇな。柄でもないな」

そんなモノは必要としていない―――そう言おうとしたが、それ以上に私は気持ちが悪い。ガルガの吸った煙草の煙が気持ち悪い。

なんだ、この感覚は?

煙草の煙を嗅ぎ慣れているわけではないが、それでもこんなに気持ちが悪くなる事はありえない。いや、それだけじゃない。この場所の匂いがそもそもおかしい。如何に自分が長年この場所を訪れていないと言ってもこんなに悪臭の漂う場所であるはずがない。

カビの匂い、煤の匂い、古臭い書物の匂い、全てが必要以上に嗅覚を刺激し吐き気を感じる。

この場所はこんなに臭かっただろうか?

「ん、どうした?気分が悪そうだな……あぁ、これか」

自分の手にある煙草を見て、納得したようにガルガは笑う。そして、煙草の煙を私向けて近づけ――――瞬間、その悪臭に私は反射的にガルガの手を払う。

「――――臭い……」

「あぁ、そうだろうな」

床に堕ちた煙草をガルガは指先で消し、私を見る。

「この場所を今のお前からすればかなりの臭さだろうなぁ。だが、それもいずれ慣れるさ。今はお前の『人間』としての部分が『狼』の部分に慣れてないだけだ」

「どういう、意味?」

「そのままの意味だよ。今のお前の嗅覚はまさに犬並み。人間では嗅ぎとれない匂いを嗅げるし、人が無臭に感じる物でさえお前には嗅ぎ分けられる」

何故だろう。

今の言葉を聞いた瞬間、私は何か大切な事を見落としていた気がする。大切な事、本当に大切な、掛け替えのない―――何か、

「だが、流石って所だな。こんなに巧く『接合』が出来るなんて俺もびっくりだね」

そして、それに気づく前にガルガはソレを口に出す。

「で、どうよ?」



「―――――――お前さんの使い魔の嗅覚を得た気分は?」








歩く。

「疑問に思わないのか?」

歩く、歩く。

「どうして自分が生きてるのかっていう疑問だよ」

歩く、歩く、歩く。

「はっきり言って、お前は死んでもおかしくない状態だったね―――ってか、ぶっちゃけ死んでたに近いかな?全身に重度の火傷、右腕を破壊された事によっての大量出血、わき腹を電撃が貫通した事によって臓器の一部消失―――どんな名医でも確実に死ねる」

暗い夜道を歩く様に、慎重に周囲を見渡しながら私は歩く。

でも、慎重にという意味ではない気がする。どちらかと言えば、これは自分の視界にこの光景を記録させているという意味が近い。

「そんなお前を連れて来たのは、お前の使い魔だ。確か……アルフとか言ってたな。ソイツが今にも死にそうなお前を連れて逃げてきた。其処へ偶然にも家宅侵入していた俺とバッタリ」

この光景を忘れるな、自分に言い聞かせる。

「いやぁ、凄い剣幕だったぜ?何せ、お前のせいフェイトが死にそうなんだとか、そういう言いがかりをつけるんだもんでよ。言いがかりだよなぁ。俺は単純にお前に本当を教えてやっただけで、その後でお前がどうするかなんて予想出来るわけないよな?」

この場所を思い出す為に刻みつけろ。

「俺に出来る事はあれだ、予想じゃなくて――――確信だね。お前が俺から本当の事を聞いたらきっとこうすると確信してた。俺の言った真実を否定して、否定する為に母親に会いに行って、そして本当かと問い詰めるという確信だけだ。予想なんてしてない。何せ、確信だからな――――そう言ったらソイツがマジギレするわけよ。困り果てた俺はしょうがないからお前のご主人様を助けてやるって言ったんだ。うん、俺って相当の善人じゃね?善人なんて糞がつくほど似合わないけど」

私は忘れない、この場所を……

「だが、困った事に死んだ人間は生き返らせない。これは絶対だ。死んだ人間は生きる人間よりもシンプルに出来てるが、それを生きる人間に作り替える事は不可能なわけよ。これは神様でも邪神でも無理だ―――そして、俺の眼から見てもお前は完全ではないが死んでいる側の人間に入っている」

私は忘れない、偽物を思い出を……

「そういえば、使い魔って奴は主人が死んだら死ぬんだよな……だとすると、案外お前はあの時はまだギリギリ死んでない方にいたのかもな―――で、そんな今にも死んだ側に行きそうなお前を助ける術を俺は一つだけ持ってるってわけだ。だが、何事も等価交換って奴は必要だ。俺に得があるとか無いとかじゃない、ルールの問題だ」

例え、この全てが消失したとしても、私は忘れない。

「知ってるか?世界にある命って奴は全てが一つだ。その一つを失えば一つは完全に消滅する。消滅したモノは当然消えるし、作り直す事も出来ない。特に『お前等』の様な『主軸』にいる奴等はな……」

この場所も、忘れない。

「――――それでも、裏技はある。普通の神様じゃ出来ないし、まずやらない。でも俺は神様じゃないしそんな普通を守る気はさらさらないわけだ。だから、俺は裏技を使った。裏技を使ってお前を生きる側に引っ張り込んだわけだ」

私の足音は聞こえない。足音は響かず、無音の足音だけが空間に響く。無音という静寂は耳鳴りに近い音を発している。

「すげ替え、俺はそう呼んでる。生きている人間と死んだ人間がいるとすれば、生きている人間でなくなった人間は当然死ぬ―――そうだな、これを『御伽話』にするとしよう。お前はお姫様、使い魔は王子様、母親は悪い魔女で姉は適当だ。御伽話での主軸は当然お前と使い魔だ。そして、今回の事象はその主軸の一人が死んでしまったというトラブル。さぁ、困った。これでは物語を進めれない。このままでは物語が悪い魔女の勝利で幕を閉じてしまう……困った、本当に困った――――だから、こういう考えをしてみる事にした」

私の脚が止まる。



「――――――死んだのを逆にする。お姫様は生きていて、王子様が逆に死んだ。どっちかが死ぬとしても、物語の上ではお姫様がハッピーエンドでなければいけない。だから、お姫様を生かす為に王子様には死んでもらう」



止まった先にあるのは、暖かい光のある場所。

「考えても見ろよ。沢山の物語の中でお姫様の最後は大抵はハッピーエンドだ―――だが、それはお姫様のハッピーエンドであって王子様のハッピーエンドじゃない。王子様はハッピーエンドになる存在ではなく『ハッピーエンドを運んでくる存在』だと想わないか?例を上げるとすれば『白雪姫』だ。これはタイトルの通りに白雪姫が主役で、王子は実は名前も無い存在だ。次に『眠れる森の美女』だ。これは当然の事ながら主役と主軸は眠りの美女、王子様はその引き立て役でしかない」

家族の談笑が聞こえる。

「このどちらも物語を構成するに値する人物はお姫様だけだ。王子様じゃない。そもそも王子様である意味ですらない。王子様ではなく名も無い村人でもいいし吟遊詩人でもいいわけだ。王子様なんて夢物語チックな存在なんて実はすげ替えが幾らでも出来る奴なんだよ。まぁ、単純に王子様の方が夢があっていいってだけの話だろけどよ―――つまり、王子様という役をすげ替えればいい。王子様から名も無き村人へ、王子様からしがない兵士へ、王子様から最低ない悪党へ……ほら、王子様である意味なんて何処にもないだろ?結局はお姫様さえ幸せなら御伽話なんて幾らでも成立出来るわけなんだよ」

其処にある平穏を、私は息を殺して見ている。

「お姫様を殺したら物語は終了。ハッピーエンドになるべきはずの奴がいなくちゃ何の意味もなくなる。だから、死んだのは王子様にするんだよ。王子様の代わりを別の奴にすれば王子様を殺しても物語は進む。その考えを応用し―――使い魔の命をお前のすげ替えたってわけ」

笑っているのは母さん。

笑っているのは私の本物。

「まぁ、使い魔なんて主の魔法で生かされてるわけだから、命のすげ替えなんて普通は無理なんだがよ―――だが、その存在にも『存在』っていう確かな力があるのも事実。生命とかそういう具体的なものじゃなくて、存在っていう認識出来ない『何か』さえあれば、それをすげ替える事は可能」

家族団欒―――そんな、そんな羨ましい光景。

「そして、結果は成功。お前は死ぬ側には堕ちずに生きる側に停滞できたってわけだ。嬉しいだろ?最高だろ?お前は生き残った。お前が従者として選んだ『道具』を犠牲にしてお前は生き残った。しかも、優しい俺からの素敵なプレゼントとして使い魔の『余り』をお前にくれてやったんだぜ?これを最高と言わずになんていう!!」

その光景を見た瞬間、右腕は痺れた。

「…………アルフ」

まるで私を止めようとするかの様な痺れ。この腕に刻まれた刺青に宿る意志の欠片が警告するようだった。

けれども、私は腕をぎゅっと押えてそれを黙らせる。

コレはアルフじゃない。

ガルガの言う事を鵜呑みにするのなら、コレはアルフの存在の『余り』だ。彼女の自身ではない、彼女の意志も無い、意志のない『存在』という訳のわからない余りだ。

だから、そんなモノが私に指図する事を許しはしない。これはアルフじゃない。

アルフは死んだ。

私が生き残り、アルフが死んだ。

いや、死んではいない。

「そうそう、一応言っておくけどよ。存在のすげ替えってのは普通に死ぬよりも達が悪いんだよ。何せ、すげ替えたのは存在だ。これは世界的には魂って言っても差し支えないだろうな。魂という存在は一人に一つ。輪廻転生を掲げるなら絶対無二の存在だ。それをすげ替えるっていうのはどういう意味か――――簡単だ」



それは、この世界から存在を『消滅』させるという事らしい。



生き返りもない、生まれ変わりも無い。地獄にも行かず、天国にも行かず、完全な無になる。考える事もないし、苦しむ事も無い。完全な無。

それはどんな感覚なのだろうか。

存在の消滅というのはどんな事なのか、私は実はこれっぽっちも理解出来ていない。そもそも、ガルガの言う事が真実だという意味すら曖昧だ。

信じられない―――だが、それは些細な事だ。

ガルガの言葉が戯言だろうと妄想だろうと関係ない。



アルフが死んだ―――それだけ



なのに、

だというに、

目の前にある光景は、

失った者を、

まるで、

侮辱し、

侮辱し、

侮辱し、

「――――――美味しい?」

「うん、美味しい!!」

侮辱し、

侮辱し、

侮辱し、

「私、お母さんのご飯だ~いすき!!」

「そう、よかった……」

侮辱し、侮辱し、侮辱し、侮辱し尽くし――――安穏と平穏を続けている。

いい、私はいい……私は我慢できる。そうだ、私は我慢できる。母さんが笑っている。あんなに嬉しそうに笑っている。私を殺そうとした笑顔ではない、私には一度たりとも見せた事の無い素敵で綺麗な笑顔で笑っている。それだけで私は我慢できる。

だから、これでいい。

右腕が疼く。

これ以上のハッピーエンドは必要ない。

右腕が騒ぐ。

これ以上のハッピーエンドは必要ない。

右腕が、五月蠅い。

私は悪い魔女。母さんは王子様、アリシアはお姫様。悪い魔女は退治され、雷に焼き尽くされ、そして二人は末永く幸せに暮らしました―――それで、物語は終わる。

目の前で繰り広げられるおままごとのような幸福から眼を背け、私は歩き出す。







その日、私はアリシアを絞殺した








私は全てを失った。

この手には何もない。

この想いは偽物で、この身体も作り物で、私の全てが嘘で偽りで虚無で、最終的に何一つとして手に入らなかった。

後悔というよりは、未練だろう。

そう、未練がある。

あの場所にいられない私が惨めでしょうがない。こんなはずじゃない世界を目の前にした私は余りにも無力だ。手を伸ばしても届かない、声をかけても無視され、ようやく手にいれた全てがあやふやな幻想だった。

最初から、私には何もなかった。

手からこぼれ堕ちる砂すら私の手にはない。

だからだろう、



私は、佐久間大樹が大嫌いだ



最初は、どうでもいい人だった。拠点の隣に住む年上の人で、出る時に何度か挨拶をする程度に認識で、それでも会えば少しは話しくらいして、本当にその程度で十分だった。それがどういうわけか彼の知り合い、友達かもしれない女の子が彼の部屋を訪れた時に偶然会い、よく分からないうちに部屋に引っ張り込まれた。

そこで、彼と女の子は喧嘩した。最初は私のせいでそうなったと想った。なんて勘違いな奴だと今では思う。だから、そんな二人には仲直りしてほしくて彼の後を追った。しかし、見つからない。どれだけ探しても彼の姿は何処にもない。もちろん、私にはやるべき事がある為、彼の捜索などいう寄り道をしている暇はなく、その結果として私の手の中にあの携帯はとどまる事になった―――その間、何度も何度も鳴りだす携帯。こうも何も出るのなら一度くらいは出てみようかと想ったが、そんな勇気も無い。だから、時々鳴りだす携帯をじっと見つめる事しか出来ない自分が腹立たしいとさえ想えた。

その結果、私はあの晩、女の子の屋敷を訪れた。

そんな行動の結果が全てを壊し、真実を露見させる結果となった。

屋敷になど行かなければ良かったと想うのならば、それ以前にしなければ良かったと想う事が山ほどある。もしも、あの日に彼の誘いを強引にでも断っていれば。もしも、彼が話しかけても無視していれば。もしも、エレベーターホールで手伝ってもらわなければ―――でも、ければ、ならば、言い訳がましい言葉しか浮かんでこない。

今更だと割り切る事も出来るが、今更だと割り切るには関わりすぎた。私には母さんとアルフ以外に関係の深い人がいないせいで、人との距離が巧く掴めないのも事実。その事実が私の中で何かを狂わせ、無駄なお節介を焼いてしまった。

後悔している。

後悔しても始まらないと知りながらも、後悔しか出来ない。

会わなければ良かった。

出会わなければ良かった。

そんな過去を後悔した私でも、コレが私に残った最後のモノ。だから、この最後だけは守りたいと想った。最後まで守り、そして見届け―――現実的に、自分を終わらせようとさえ想っていた。

想っていた、のに……

「―――――」

この人は、この男だけは嫌いだ。

ううん、嫌いどころじゃない。私はこの男を憎悪する。

この男の存在が許せない。この男の言葉が許せない。

「―――――」

昨日、星空の下、この男の言葉を聞いた瞬間、私はこの男を屋上から突き落としてやろうという衝動すら覚えた。

この男はなんと言った?

この男は自身の手にある大切なモノをどう称した?

私は、そんな事の為に彼の元を訪れたわけではない。全部を失くした私の中に残った唯一の物。私の物でないコレ、コレがあるのに、コレがまだ二人を繋げているというのに、この男はそれすらも断ち切った。

それが、許せない。

伸ばせば届くのに、

声をかければ届くのに、

そこにあるのは、幻想でもない本物だというのに、それを―――リセットするとこの男は言った。

許せない。

許せるはずがない。

「――――――」

何も失っていないのに。何一つ悪い事をしてないのに、それを簡単に切り捨てるというのは許容できる範囲の事ではなかった。だって、この男は私とは違う。私とは違うという事は本物だという事だ。何処にも誤魔化す要素がない綺麗な存在なのに、それを自身の勝手な理屈と傲慢で切り捨てるというのなら、



何も失っていないのに、その大切さを棒に振る奴を―――憎悪しないわけがない



もう一度、あの子に会って欲しとは願っている。けれども、こんな男をあの子に会わせて、あの子は幸せになるのだろうか、そんな疑問が残る。

この男は自分の事しか考えていない。自分の事だけを最優先にして、他人の事などこれっぽっちも考えてないのではないのではないか。

以前の、私と同じように。

そうだ、これはきっと同族嫌悪という感覚なのかもしれない。初めて感じる感覚。その闇よりも黒い感情は自分でもゾッとする程に怖いと自覚するのに、それでも気持ちは止まらない。止まらないからこそ、この実力の差がありすぎる戦いを見ている事が辛い。

無意味ではない、でも見たくない。きっとこの先に何らかの結末があり、もしかしたら奇跡のような事が起こり、御伽話のようにハッピーエンドで終わるかも知れない。

―――もしかしたら、私はそれが許せないだけなのかもしれない。

同族嫌悪、自分と同じような存在を見てるからこその嫌悪感ならば、その同族が自分と同じように、自分よりも多くのモノを持っていると知った時、それは嫌悪ではなく嫉妬に変わる。

嫉妬している。嫉妬する程に大切なモノが其処にあるのに、その繋がりを、大切な過去を、『何一つ汚れていない』その関係を自分の口で凌辱する事に、私は嫉妬以上の黒い感情を持っている。

負けてしまえ。

膝をついて、二度と立ち上がるな。

口から出そうになる暴言を押し留める事で精一杯だ。

殴られても立ち上がる、何度も立ち上がる姿を見ていて彼を憎む気持ちと、そんな事を考える自分の卑しさを痛感する。

もう、止めろ。

もう、止めて。

これ以上は、見たくない。

これ以上は、見る事が辛い。

彼に向けて放つ憎悪も、彼に向けて放つ嫉妬も、そんな自分に憎悪する私も、そんな自分に嫉妬する私も、何もかもが―――最低でしかない。

「――――――」

自分で自分の事を好きになれない、嫌いだと彼は言った。自分の弱さ、自分の卑劣さ、自分の傲慢、そして否定してしまう自分が嫌いだと彼は言った―――でも、自分が嫌いなのに生きているというのは、きっと凄く普通な事なのかもしれない。嫌いだけど自分だから、その自分の向き合うのが嫌で眼を背けているのも生きている実感の一つ。彼はそんな実感をどの位の間、抱えながら生きているのだろう―――私は、その重さに耐えられないだろう。

本物ではなく、偽物の自分。

価値もない存在の自分。

そして、自分が嫌いな彼は自分を恥じながらも立ち続ける。綺麗事を口にしても嫌悪し、絵空事を想像しては嫌悪する。何をしても自分の本当が見えない。本当という誤魔化しのきく想いを、そういう想いだと想い込みながら生きている辛さ。

そして昨日、彼はとうとうそれを諦めた。今までの自分を否定し、諦めという形で終わらせた。それでも、終わらせたはずなのに、彼は立とうとしている。

「―――――」

何度も言う。

私は佐久間大樹が大嫌いだ。

手に入ってるモノを終わらせ、それを捨て去った彼を私は憎悪している。心の底から、心の先まで、消える事のない黒い炎で彼を見続ける。

大嫌いだ。

大嫌いだ。

大嫌いだ―――――だから、お願いです。

「――――――頑張れ」

彼に聞こえない声で、

「頑張れ……」

届かない小さな声で、

「頑張れ……」

立ち上がる彼に向けて、大樹に向けて、

「頑張れ……負けないで……絶対に、負けないで……」




これ以上、大樹を嫌いになりたくないという願いを―――言葉にする








人質はリリカル~Alisa~
第五話「全ては喪失」









―――――それは、唐突だった。

大樹が何十回も繰り返した大雑把な一撃を振り回した瞬間、それまでかすりもしなかった動きが、急激に変化した。

素人のような振り回しが、不意に変化する。

緩やかな曲線を描いていた動作が急激に、折れ曲がる。

「―――――!?」

その軌道に初めて鮫島の眼が見開かれる。避ける動作ではなく、受ける動作。腕で顔を守る防御の構えを作る。ここにきて初めての防御。その防御した腕に大樹の拳が突き刺さる。

ドンッと響く程の重さを込めた一撃に聞こえた。事実、ガードした鮫島の身体が微かに後方に退き、小さな呻き声。

「ん、中った?」

それに一番驚いたのは私でも鮫島でもない、大樹本人だった。

「…………ん~」

不思議な顔をしながら腕を回し、それから手首をぷらぷらさせ、首を傾げる。

「なんだよ、今の?」

それは私が聞きたい。あの瞬間、彼の腕のキレが急激に進化したようだった。その急激な変化、進化に驚いた鮫島の反応が微かに遅れ、結果としてガードする事になったと彼は気づいていないのだろうか?

「…………」

自分の手をしばし凝視して、何かに気づいたのか微かに驚愕の表情を作る。

「あぁ、そういう事か……」

今度は苦笑する。苦笑しながら―――構える。

そう、構えた。

今まで素人が喧嘩をするような仕草ではなく、何処となく様になっている構え。

鮫島が拳闘の構えをする様に、大樹は右手を天に突き出すように、左手で地面を掴み取るように下ろし、歩幅を前後にズラし、進むも退くもどちらにも対応できる構え。

格闘技にあまり詳しくない私にはアレがなんの構えかは知らない。でも、その構えを取った瞬間に彼の隙が格段に減った。無論、まだまだ隙だらけである事には変わりないが、それでも先程と違う事は一目瞭然。

「――――佐久間様は、空手の経験でもあるのですか?」

「知らん。なにせ、記憶喪失だからな」

「ほぅ、ではその構えが何を現すのかはご存じで」

「だから、知らん。勝手に身体が動くんだよ―――でも、何となく分かる」

ボロボロ顔で無理矢理に作った無骨な笑みを返す。

「俺はコレを知らない。でも、知っているっていう意味では理解できた」

「おやおや、謎かけですかな?」

「答は無いぞ?俺だって知らないんだ――――だがな、」

右腕を天、左腕を地に、

「知らないけど、知っているっていう感覚は気持ちが悪いぞ」

脚を前後、腰を微かに落とす。

これで型は完成したのだろう、静寂がそれを物語る。

鮫島の顔から表情が消える。消える代わりに先程までしていなかったステップを始める。まったく同じテンポで、それでいてリズミカルに動きが、変わる。

ワン、ツウ、スリー、フォー、ファイブ―――シックスで弾丸の様に飛び出す。

ワンステップで大樹の目の前に到達、そこから右脚を踏み込み、拳を弓の様に引く。大樹は動かない。動かない大樹を尻目に鮫島はそこから踏み出した右脚を捻り、引いた腕が大樹の横から一気に襲い掛かる。

結果として、私には見えなかった。

見えないが、結果は残った。

鮫島の攻撃は当たらなかった。当たらず、彼はバックステップで後退する。後退しながら突き出した腕を抑え、苦笑している。

「――――驚きました……危うく、折られる所でした」

「へぇ、これってそういう技なんだ……教えてくれてありがとよ」

「ですが、仕掛けもわかればなんて事はありません。これでも私は拳闘こそが最高の格闘技だと信じている口でして……二度目はないですぞ?」

「そうかい。けどよ、まだ続くぞ」

そう言って大樹は構えを解く。そして、そのまま別の構えに移行。

握った拳を開き、右腕を腰に、左腕を前に突き出す。

「今度は……拳法ですか」

「らしいな。でも、やっぱりよく分からん。どうしてこんな事が出来るかも知らんし、気分的にはアレだよ。マトリックスの劇中にあった格闘技をインストールして使えるような感じに近いかも」

「佐久間様、映画と現実をごっちゃにしてはいけません。そんな格闘家の九割を敵に回すような機械など存在しません」

「知ってるけど、本当にそんな感じなんだからしょうがないだろ――――だからよ、鮫島さん……」

大樹の顔には笑みがある。

これでようやく同じ立ち位置になったと誇るような、力強い笑み。



「本番は、ここからみたいだぞ?」














あとがき
なんか、何を書きたいのか自分でもわからない、な散雨です。
間話のつもりが普通に一話なってしまったZE……以上、特に書く事なし。
次回は「マトリックス的学習法」で行きます。

PS,村正を買いました。おもろいね、アレ……




[10030] 第六話「全ては零へ」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/05/12 21:17
喧嘩の作法を知らない様に、俺には喧嘩の仕方も分からない。何せ、俺は今まで喧嘩というモノをした事がない。誰かと争う前に自身で詫びを入れ、事なきを得るという方法しか知らない。人を殴った事もない。おふざけで軽くペチコンッとやった事はあっても、力なの限り力を振り絞り、それを他に叩きつけた事などあるはずもない。

人を殴ると自分が痛いらしい―――心の問題ではない、現実的で実質的な話だ。人の手はそれほどに脆い。鍛えれば硬くなる、折れれば硬くなるとはいうが、それは格闘家やそれに準ずる外れ者だけ。俺はそのどちらにも入らない。

この手は脆い。この手は誰かを殴りつけた事など一度もない。傷つける事が正しく、それこそが人の性だとほざくつもりはないが、この脆さは一度味わえば二度と味わいたくないと想える程度。

殴れば痛い、それが、この瞬間に理解する。

当たるはずがない、これが俺の思考。

現実―――俺の拳が相手のガード、盾のように強靭な腕に突き刺さる。手の甲に鈍い痛みが走り、想わず顔を苦渋に染める。手が痛い。手の皮膚が腫れ、その中に守られた人骨が悲鳴を上げた。

その痛みを恐れて俺は後退する。その後退を相手は逃す気はないらしく、俺が後退するテンポに合わせて前進、行進する。

視界に移るは残像の拳。最初は胸の位置にあった相手の拳が刹那の時間にて俺の目の前に出現する。音は無い、あったとするならその音は俺の顔面を叩いた後に聞こえる打撃音だけ―――しかし、その音も無い



その一撃を、否定する



相手の右ストレートを俺の右手が弾き、弾道を逸らす。そこへ追撃の左フック、それを弾いた右手を戻し、再度弾く。右手で弾き、右手で弾き、そこから反撃の抜き手。

手を無為に広げればジャンケンのパーだが、それを揃えて構えて力を込めれば、手刀となる。

狙いは相手の喉元、そこをロックし射出―――避けられる。首をズラすだけで避けられ、反撃のジャブが俺を後退させる。

何度目、何十度目の攻撃は既に慣れた。無論、慣れても痛いものは痛いという事には変わりはない。

だが、慣れた。

麻痺はしていないが、慣れた。

そして、



言葉を否定し、意味を否定する。



痛みに慣れた。その痛みを俺に向ける相手の動きにも慣れた。だから、相手に慣れた。そんな感覚が内の中で生まれ、俺は自然と笑みをこぼす。

その意味を理解させる気はない。単純に笑うだけなら、自棄という意味でも笑える。
俺は笑い、構えを変える。

身体は俺の知らない型を自然と構築する。格闘技を碌に知らない俺の身体を使い、俺の知らない型を自動的に指導させる。

俺の知らない。

俺が知らない。

だが、相手はそれを知っている。

故に、相手はそれを警戒する。

警戒する意味も分からず、俺の身体をそれを行使する。動きにステップは必要ない。一歩あれば十分、一歩で足りなければそれ以上をプラスしても結果は変わらない。

踏み出す一歩は地面を鳴らす。

地面に震動、地球を蹴りつけ、その振動をもって一撃に解す―――弾ける。

「――――ッむ!!」

距離は一歩で零。

力は零から百。

弾きだす攻撃は重厚な盾すら凹ませる一撃。

「駄羅ァァァア!!」

正拳突きとは違う構えから打ち出される一手は矢の如く。相手が防御しようとも避けようとも関係無い。その一撃を見舞う事に意味があると知らされた。

風を斬る。

重力を切裂く。

壱からの極限は相手には当たらない。だが、その一撃は空を斬ると同時に無音にて叫ぶ。

空気が、風が叫ぶ。

空気をぶん殴った音が木霊する。

相手はそれに驚愕したのか、苦笑する。

「――――今のは、避けなければ致命傷でしたな」

「らしいな……でも、外れた」

「えぇ、私から見れば外し、佐久間様から見れば外れた、ですな」

つまりは、当たらない攻撃に意味はない。

「それにしても、つくづくおかしな方ですな……最初は空手、次に拳法、更には合気にムエタイ、その他にも奇妙な武術をお使いですね」

そうなのか……いや、そうらしい。

「なら、俺の今の型がなんなのか知ってるか?」

「いいえ。私の知らない、まだ見ぬ未知の武術と想いますが……まぁ、それも結構」

如何に未知だと言っても使い手が俺という未熟以下の奴では関係ないのだろう。

「アナタ様が如何に無数の武術をお使いになろうとも、私は私の武を信ずるのみ―――この拳闘、私の中に唯一の武ですので」

「あぁ、そうらしいな」

俺とは大違いだ。

だが、それでもいい。

相手が一本の道を極め、それを信ずるというのなら俺はその逆を行くだけだ。一本の道では足りないと相手に見せつけ、無数の道にて相手を惑わし、帰らずの森の中に沈めて埋めて、晒してやる。

相手が一本の刀というのなら、俺は無刀。無数の刀を持って挑む。

それが、俺の中に生まれ、這い出てきたモノだとするのなら、だ。

「行くぜ?」

「何時でも」

踏み出す事は抜刀と同義。

攻撃は斬ると同義。



反則し、否定しろ



その言葉の意味、俺は微かながら理解した。




頭の中で俺の知らない知識があふれ出す――いや、知識ではない。これは『経験』だ。無数の相手がいるように無数の経験が其処にある。

例えば、刀剣を所持した者との戦い。

例えば、特殊空拳同士の戦い。

例えば、殲滅戦を目的とした戦い。

例えば、戦争。

例えば、合戦。

例えば、空戦。

例えば、陸戦。

例えば、海戦。

例えば、例えば、例えば、例えば―――その例えばの全てが俺の中に次々と流れ込んでくる。その中にはボクサーを相手取った経験も存在する。相手の記憶と同様にそれを使った者の記憶。

そう、これは記憶だ。

経験という記憶が俺の頭の中に無数に生まれては流れ込み、頭の中がパンクしそうになる。だが、そのパンクしそうな頭の中に蓄積されたモノが今の俺を作り出している。

苦笑がこぼれる。

なるほど、コレは反則だ。

こんな存在がいるなんて最低だ。

俺は努力する事すらしていないのに、武術にその人生をささげた者、闘争に生きがいを感じた者、その全ての想いに唾を吐き捨て、俺は経験者の知識を持っている。

汗水垂らした者の努力を否定した。

血反吐を吐いた者の努力を否定した。

人生の全てを行使した努力の事如くを、俺はこの一瞬で否定した。

他者の経験を利用する。天才と凡才の力を奪い、そして行使する。



全ての努力した者の結果を、俺は反則して手に入れた。



これ程の屈辱があるだろうか?

これ程の最悪があるだろうか?

俺という青臭い奴の中に、湯水のごとくあふれ出る経験という知識は一瞬で俺の中に生まれた。経験した者の全てを否定し、痛みも苦しみもせずにその者達の技術、武術の全てを俺は得た。

結果、俺は喧嘩も知らない素人ではなく―――武術を極めた者の経験を得た者になった。

「――――ッは、傑作だな」

身体はその時の最善を選択する。拳闘士である鮫島さんに対するのは拳法。それがどんな型なのかは頭では理解していない。

だが、身体が勝手に処理して実施する。

脚を円を足掻く様に回し、地面を滑るように移動する。その際、頭を低くし頭上を拳が通り過ぎる。それを肌で感じ取り、鮫島さんに掌を叩き込む。

無論、素人の攻撃など避けるだろう。しかし、そこから武術をシフトチェンジする。避けられ空を切った手を地面につけ、それを地軸としながら身体を持ち上げる。

脚は宙を独楽の様に回転し、相手を蹴りつける。

これは知ってる。多分、カポエラって奴だと思う。

バランス感覚の限界まで挑戦するような格好で相手を蹴りつけ、そこから次の武術へと変化。蹴りつけた両足で鮫島さんの首を蛇の様に絡み取り、そこから身体全部の体重を回転と同時に吐き出す。

今度はプロレス技。

首投げに持っていく―――つもりだった。

「―――あれ?」

しかし、俺の脚は予想に反してあっさりと外れる。

身体の回転に俺の脚が付いていけるボケと言う様に外れ、俺は地面に頭を打ち付ける。

「むぎぃ!!」

技を失敗したプロレスラーの気分だ、知らんけど。

「あの……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……かも」

いや、分かる。

恰好のいい技をやろうとして、無様に失敗したプロレスラーの気持ちは今だけ俺の経験となる。かなり恥ずかしい。出来もしない癖に無理な事をやろうとした事が何よりも恥ずかしい。

自分の技術を過信―――いや、自分の技術だと思いこんでいた自分が恥ずかしい。

頭を押さえながら立ち上がり、手招き。

「今度は巧くやるぞ」

「それは予告しては意味がないのでは?」

「――――だよな」

同時に動く。

最早、鮫島さんは俺をただの素人とは見てないのだろう。あの細い身体の何処にそんな力があるのだと聞いてみたくなる程の一撃を俺に見舞う。脳が揺れる、吐き気がする。眼にも止まらぬ連打の嵐を防御しようとするも無理だった。

ガードの隙間を、蛇の如く俊敏な動きで突破され、衝撃が襲い掛る。

「にぎぃがぁ!?」

前言撤回。

相手が一つの刀を持っているかと言って、無数の刀を持った俺が勝てるという道理には決してならない。

むしろ、それが仇となっている。

現状、古臭いパソコンの中に最新型のOSをインストールされているような状態だと思う。だから頭が悲鳴を上げ、それを行動しようとする度にバグが起こる。

俺の無経験者の部分に、経験者達の罵詈雑言が次々と送られる。

もっと軽やかに動け、もっと鋭く、もっと慎重に、もっと力を込め、もっと力を抜き、もっと、もっと、もっと―――俺に出来る行動は一つでも意見は無数だ。その無数にある意見のどれにも納得した返答の出来ない俺に、経験者達の罵詈雑言は勢いを増す。

まるで、俺の中に沢山の人間がいるかのような気分。

これって最悪だ。

俺の身体なのに俺の意見を尊重する意志が一つも無いという状態だ。そんな状態でまともに動く事すらままならない。

お願いだ、一斉に口を出すな。出すなら一人ずつ、順番をしっかり守って発言してほしい。頭が今にもパンクしそうで苦しいんだ。それでも、経験者達の言葉は止まらない。

最低だ。

これでは鮫島さんに集中する事も出来ない―――あぁ、もう。とりあえず黙れよ。

「―――――ッ!?」

鋭い攻撃が襲いかかる。

避ける―――という行為を選択した俺に経験者の中に一人が『受けろ』と命令する。そこへ別の者が『受け流せ』と命令し、更に別の者が『堪えろ』と命令し、おまけとばかりに『死ね』という最低な声も聞こえる。

結果、俺の鳩尾に鈍い衝撃。肺の中から一斉に空気が逃げだし、臓器が暴れ出しそうになる。蹈鞴を踏んで耐えるが、そこへ追撃。

『避けろ』

『受けろ』

『死ね』

『斬ろ』

『流せ』

『コワセ』

無数の意見は俺の邪魔しかしない。

追撃、追撃、もう見事なまでにクリーンヒットの連続。映画のやられ役みたいに宙を浮き、地面に背中から堕ちる。

背中が馬鹿みたいに痛い。

――――つまり、コレはそういう事だ。如何にどれだけの経験者がいようとも俺の身体は貧弱だ。武芸の一つも出来なければ曲芸も出来ない素人だ。鍛えるという行為もしなければ耐えるという行為も出来ない。頭の中にある無数の経験が完全に裏目に出ている。

本来なら当たるはずの一撃すら俺の貧弱が邪魔をする、そんな行為の繰り返しだ。俺に合うスタイルがあるかもしれないが、それを行使する肉体が存在しない。

先程、俺はマトリックスのような感じと言ったがそれは撤回する。あっちはもっと万能だ。インストールされればすぐに出来るが、コレは違う。軽トラックにレース用のエンジンを積まれたに等しい無様。おまけに、経験者達は自分こそが最強だと吠えて勝手に頭の中で好き勝手な事を言うもんで誰も俺の意見など聞いてくれない。

あぁ、これはもう経験者の知識なんかじゃない。これは俺の中に経験者の意志が占拠しているに等しい。

意志なんて邪魔だ。アンタ等の知識だけ、経験だけ寄こせ!!

反骨精神モドキで立ち向かうも所詮は俺一人。誰も俺の言う事を聞いてはくれないし、それどころか経験者達の反骨精神に火をつける結果となった。

俺の中にある知識と経験は全てが生きている。生きた経験は想いを宿す。



生きた経験こそ、素人にとって最大の敵だ



「―――――ふむ、最初は冷や冷やしましたが……」

鮫島さんは静かな呼吸で息を整える。

「素人の浅知恵というのに近いですな、佐久間様の言うソレは」

ステップを鎮め、代わりに地面に苗を植える様にその場に止まる。

「我が拳闘にも当然向き不向きが存在します―――ですが、それは自分と同等の存在か、素人程度ではないレベルの者に対してのみの評価です。佐久間様の様な無駄に多い武など脅威にはなりません。精々、びっくりさせられるという程度ですな」

はっきりと言われると中々に響く。

「過信せぬよう、心がけなさい。そうすれば私よりも上に行ける可能性だってあります―――ですが、」

眼が、鋭く光る。



「―――――それは、今ではない」



背筋が凍る。

来る、

何か、来る、

動け、

ない、

はずがな、

い―――――――――――――見えた。

それは俺が先程やった事と同じ。最初の一歩で地面を踏みならし、その一歩で力を込め、それを弾丸、砲弾の如く勢いで爆発させる。

宛ら、ロケット弾。

そのロケット弾が届く音がした。人体の中の頑丈な骨が軋み、軋みに耐えられない頑丈は壊れる。

砕かれ、粉砕される。

「―――――――――」

声にならない悲鳴を上げた。

ワイヤーアクションで吹き飛ぶやられ役のように宙を浮き、地面を何度も何度も転がりながら、気づけば十メートル以上も吹き飛ばされていた。

見えた、というのはもしかしたら気のせいだったのかもしれない。視覚に捉える事が可能だとしても、そこから次の行動を判断する要素まで気が回らない。それでは見えているという部類には決して入らない。

それでもガタが限界まで来ている身体を起こし、構える。構えた瞬間、鮫島さんの姿は目の前に―――また、飛んだ。自分の意志では決してない不格好な滑空をしているように俺は地面を滑り、転がり、停止する。

今度は視覚も出来ない。というか、視界の一部が完全に切り取られている。転げ回った拍子に何処かをぶつけたのか、手で触れた片目の部分の腫れが異様なまでに目立つ気がする。

立つ=殴られる、そんな公式が成立してしまっている。なら、逆に今度は立たずに構えればいい。経験の中にはそういう手法も当然ながら存在する―――が、だからどうしたとばかりに相手は俺の目の前に出現し、地面を低空飛行する拳が俺の目の前で急上昇、座っているのに脚が地面から浮き、そのまま背中から堕ちる。

糞、俺みたいな素人の中にある経験も知識もまるで役に立っていない。これなら先程までの方が何倍かマシだ。とはいえ、先ほどよりも殴られ飛ばされる回数が減っているのも事実。この経験を放棄する事はワンラウンドKOを回避する事は可能。そう、回避するだけだ。結果として残るのが敗北の二文字ある事には変わりはない。

だから、それでは意味がない。

「う、うがぁぁああああああああああ!!」

意味がない。負けは駄目、その焦りが俺を最初に戻す。下らない拳を振り上げ、無様に特攻するだけの猪戦法。

「笑止、ですよ」

衝撃、衝撃、衝撃、衝撃―――そしてフィニッシュ。

「―――――!?」

少しだけ本気を出すとか言っていたが、これは本気以外のなにものでもない気がする。そして、これ以上の先が存在するのならば、この戦いの先にある勝利という幻想は本当に殺されてしまう。

もう、背中から地面に倒れる事に慣れたの。

背中に感じる鈍い痛みにも慣れた。

同時に、吹っ飛ばされる事にも慣れた。

「大樹!?」

近くからフェイトの声。ぼんやりとした視界に映るのはフェイトの顔。確か、フェイトに離れてろって言った気がするし、結構距離は離れてた気がする――ってことは何か、それだけ離れた距離は俺は馬鹿みたいに吹っ飛ばされたってわけか?

おいおい、普通なら死んでるだろ……死んでない理由は俺の中の経験者の経験の一つに飛んで攻撃の威力を消すっていう経験があり、それを無意識の内に行った結果だと思うが、それが無ければマジで死んでたかも。いや、死にはしないかも。

だが、ダメージはかなり溜まってきている。

その証拠に、立ち上がろうと地面に手をついた瞬間に吐血した。身体の中の何処かが壊れたのか、それとも既に臓器としての機能を失ったという警告なのか。それを見た瞬間に身体から力が抜けて倒れそうになる。

フェイトの声が意識を繋ぎとめる。

「しっかりって……無理、じゃね?」

そんな軽口を返すだけでも痛い。

絶妙に痛いな、おい……

「さて、夜も更けてしまわれてはいけません。この辺りでお引き取り願えますかね?佐久間様はまだしも、そちらのお嬢様にとっては遅すぎる時間ですので―――よろしければ、お送りいたしましょうか?」

「おい、まだ終わってねぇぞ」

「でしょうな。ですが、本日はこれには終了、とはいきませんか?別に挑むだけなら時間は無限にあります。無限に挑み、私が無限に阻む。時間は腐る程あります」

つまり、負ける気はないから存分にかかって来いってか……清々しい程に舐められてる。だが、その言葉も真理を得ていると言えば得ているのだろう。

如何に経験があろうとも、この身体が追いついていないのならば意味がない。先程の攻撃だって見えてはいたが反応は出来ない。見るという行為が精一杯だ。それ以上を望むならこの身体を壱からしっかりと作り直さなければいけないだろう。

どっちにしても、時間が圧倒的に足りない。

だから時間を作るしかないのだろう。経験の差を埋める為の経験を埋め、この経験をこの身に宿せるほどの力と時間が必要だ――――退く事を恥と想わなければ、幾らでもだ。

が、しかし、だ。俺は視線を鮫島さんから屋敷の方へ向ける。

「…………」

時間は既に九時。まだ九時とも言えるし、もう九時とも言える。どっちつかずの時間ではある。その時間に家を訪れるのは当然不躾だ。時間を気にするご家庭なら掌返して帰すのも普通。

それでも、この屋敷の光はある。

あの部屋の明かりはまだついている。あの部屋の窓に映る小さな影はまだ其処にある。子供の頭一つ分の小さな影があそこにある。

「…………呑気だよなぁ」

俺ではない。

「鮫島さん、アンタは随分と呑気だよ」

相手が、呑気なのだ。

ダメージが蓄積されすぎた身体を持ち上げるのだって体力を使う。ただでさえ貧弱でボロのきている身体をこれ以上行使するのが躊躇われるというのに、俺は立ちあがる事だけはしっかりと出来る。

立ち上がるという行為だけは、最初から俺の経験だ。

ただ、立ち上がるというだけの行為は子供だって出来る。それを大人である俺が出来ないなんて反吐が出る。だから、立ち上がる事が出来る。

「俺はね、鮫島さん……呑気に長々とアンタとやり合う気力はないんだ。その日、その日だけしかもたないだろう気力を振り絞って、こうして立ち上がる事だけしか出来ない……わかるか?」

「いいえ、分かりかねます―――そう言った方がよろしいかな?」

「あんがとよ……俺は俺が信用出来ない。この世界で一番信用できるのは他人だ。俺以外の他人は全員俺よりもしっかりしてるし、俺以上に下は絶対に存在しない、そんな確信じみた妄言だって言える……俺は、この世で誰よりも俺を信用していない」

自分を信じろ―――そんな言葉は妄言だ。少なくとも俺にはそう聞こえる。俺を信じてそう言っているというのなら、逆に俺はソイツを疑いたくなる。だってさ、俺だぞ?佐久間大樹という人間の何処を信用するに値するというのだ。

自分が信じられない。

自分なんかには何も出来ない。

だから、否定する。

否定する。

相手の意見を否定する。

俺を賛美する言葉を否定する。

俺を認める意見も否定する。

だってさ、怖いじゃないか……

信用という重い想いを向けられるのは、ナイフを向けられるに等しい。お前なら出来る、君なら出来ると信じている、その言葉の重みは最上級だ。悪意よりも重く、善意というには凶悪すぎる。

「だから俺は他人に寄生するんだよ。相手の俺に対する想いを否定して、相手に寄生する。俺には俺の確固たる意志があるだ?俺は他人の意見を意見としか見ない?違う、全然違う……俺以外の人の想いが、怖いんだよ」

人と人とが繋がり合うには善意が必要なのかもしれない。悪意と悪意が人を繋げる事があっても、基本的には善意だろう。相手を慈しむ想い、相手を思いやる想い、それが他者を友人、家族と認める事の第一歩なのかもしれない。

けれども、それを受け入れるかどうかは本人以外の誰でもない。そして、俺という本人はそれを受け入れる事が出来ない。出来るとしても、それは自分を誤魔化して出来ているように見せかけているだけかもしれない。

「仮に鮫島さん、アンタの言う事を正直に聞いて、そしたら明日俺が此処にくる保証があんのかよ?」

「私はそう想います」

「いいや、俺はこない。俺が俺を信用していない。俺は今日この場から尻尾を巻いて帰れば絶対に俺は明日、此処には来ない―――いや、来れない」

断言する。

俺は、きっと逃げる。

「そんな事は……」

「無いって言えるか?あぁ、アンタは言えるだろうよ。俺に変な期待を持っていたらな。でもな、俺はそうは想わない。俺はきっと来ない。来ないどころか、今日が駄目ならきっと明日も駄目だと諦めて、それで俺は堕落して堕落して、もしかしたら死んでるかもな……」

我ながら、なんて情けない事を言ってるのだろう。笑えてくる。盛大に笑いそうになるが、笑ったら身体が痛いから止める。

「――――だから、そんな自分を辞めようと想った。自分に酔って、そんな自分を否定してやろうと息巻いて、此処に立ってる。諦める自分を諦めて、今までの自分とオサラバしようとさえ想った」

でも、と首を振る。

「そんな俺ですら、俺は信用する事ができないでいる。だって、そう想ったのは俺だからだ。俺じゃない誰かなら俺は信用するかもしれない。でも、俺だ。俺なんだよ。佐久間大樹という人間がそんな事を想った時点で信用しない」

信用、なんて重い。

信じる、なんて重圧。

「俺は、逃げる。この場で逃げたら、俺は絶対に背中を見せ続ける……」

俺は主人公じゃない。この世界では背景程度の存在だ。俺にカメラは向けられない。俺のシーンなど放映もされない。そんなちっぽけな自分では誰かに何かを見せるという行為すらままならない。

だから、俺は立ってるんだ。

「俺は、諦める自分を諦める」

アイツとの関係を無に帰し、リセットする―――そうすれば、俺にはもう逃げ場はない。こんな俺の好きだと言ってくれたジグザがいるが、それでは意味がない。

アイツの甘い誘惑を、否定する。

散々縋っておいてなんだが、俺の方からそれを蹴り飛ばす。

そうでなければ、いけない気がする。

誰かに甘え、寄生して、それで自分を保つなんて行為は絶対に否定しなくてはいけない。

俺にとってジグザの隣は最高に居心地がいいだろう。俺を嘲笑い続け、そして安堵する事の出来るあの場所は砂漠のオアシスのような場所だろう。

でも、オアシスでずっと居ては砂漠は越えられない。それでは目的地にたどり着けない。そんな事では先には進めない。

「そうでなきゃ、俺はアイツの傍には居られない!!」

縋り続ける事は楽だった。俺を否定せずに受け入れるジグザの傍にいる時だけは安堵できた。最初に会った時も、それからもずっとアイツは最低で大嫌いだった。だけど、俺はアイツを頼る事ばかりしていた気がする。

ビルの倒壊に巻き込まれた時、どうして俺はアイツの名前を呼んだ?

俺はアイツの事が世界に二番目に大嫌いだったはずだ。なのに、あの時の俺は誰よりも頼りになる奴だと思ってジグザの名前を呼んだ。

それは、アイツが俺の事を――――世界で一番嫌いな佐久間大樹を信用してくれなかったからかもしれない。

アイツだけは俺を甘えさせない。アイツだけは俺の事を信用しない。アイツだけは、ジグザだけは俺という人間の事を理解していた。俺のした『あんな事』を知っていながら、アイツは俺を選んだとほざいた。

信用するという意味はまるでない。それは佐久間大樹を理解し、そして受け入れたという事だ。信用せずに受け入れ、それでも一緒にいてくれる。歪んでいる形だろう。でも、それで救われた俺がいる。

俺は、確かに救われていた。

だから、これ以上甘えるのは嫌だ。

「俺は、退かない」

本当は、俺だって俺を信用したい。自分を信用する事が出来ればきっと否定なんてしなくて済む。誰かの善意を素直に受け取り、それに対して善意で返す事も出来るはずだ。それで、俺はやっと本当の友人が出来ると思いたい。

認められたい、誰かに認めてほしい。そして、その認められた想いを正直に自分の想いとして信じてみたい。

一人は、嫌だ。

縋るのは、もっと嫌だ。

誰かに縋るのでも、誰かに縋られるのでもない。

俺は――――誰かの前で自分を信じられる自分が欲しい。

そして、自分を信じてほしいと正面きって言いたい。

「退いたら、俺はもう戻ってこれない」

地面を踏みしめ、拳を握る。

もう、自分の全てを戯言で終わりたくない。そんな戯言という戯言で終わらせたくない。自分の行いを笑って、傑作だと笑って、笑い飛ばせるような自分になりたい。

人は変われない、お前はそう言ったよな、ジグザ?

俺もそう想う。

そう想う事で、そう想っていれば俺は今の俺に甘える事が出来た。でもな、本心ではきっと違う。

人は、変われるかもしれない―――それを、証明する手段がないから俺は頷くしかない。頷く事でしか方法を見つけられなかった。

だからよ、俺が次にお前と会ったら「人は変われる」って大見えきって言えるようになってやる。

この場から逃げない。

この場で諦めない。

今の俺はまだ、自分を信用する事が出来ない。

「だから、逃げない」

俺を信用できない俺は、まだ此処にいる。だから、この場から逃げるなんて事が出来るはずもない。此処で逃げたら俺は終わりだ。この酔っぱらった俺は終わり、元の俺に戻り、そしてジグザに寄生して生き続ける。

後ろに戻る脚は踏み出さない。

前に踏み出す脚だけが踏み出す価値がある。

さぁ、踏み出そう。

この脚はもう後戻りをしない。

此処で逃げる脚を、今だけは否定する。



俺自身を、否定する



鮫島さんも構える。

俺も構える。

互いに譲れるモノがあるのなら、とちらかが倒れるしかない。

頭の中でざわめく雑音共に俺は吠える。

お前等は俺の中にいる。なら、此処でのお前等の主体は全てが俺になる。だから、俺の言う事を聞け。そうでなければ此処から出ていけ。

経験でしかないなら、そんな経験でしかないお前等は邪魔だ。

必要なのが経験ではない。

本当に必要なのは、経験の中にある知識だけだ。

お前等の経験を必要とするのは今じゃない。お前等の武勇伝、酒のつまみ程度にしかならない武勇伝なら後で幾らでも見てやる。

だから、今だけは俺に従え。

反則する、全ての武人に唾を吐き捨てるように―――

否定する、目の前の武人が強いなどという事実を――――

俺の全ては、この一言で事足りる。



「反則し、否定しろ……」



これでだけで、俺は俺として構成されていた。











人質はリリカル~Alisa~
第六話「全ては零へ」










経験がモノを言うというのなら、こっちはその経験だけは無数に存在する。経験を良い方向に使うには時間が足らな過ぎるという欠点はある。

しかし、それだけだ。

武とは何か、知らん。俺のとっての武とは殴って蹴って、その程度。テレビで見るような殴り合いしか見た事の無い俺が、リアルなストリートファイトなど見た事があるはずがない。

知識とは経験、経験とは知識―――なら、俺は手詰まりだ。逆転の一手などないし、リアルに逆転の一手を見つけられる人間は限られている。

奇跡は起きない。起こるのはリアルの冷たい風のみ。

鮫島さんは強い。

俺よりも何倍も時間を費やし己を磨き、その時間の中に経験が存在する。経験と時間が同居している。知識と経験が融合している。俺の時間は無。知識は知識だけで応用が利かない。経験は他人のモノであり、俺のではない。そんな経験に追いつけない俺の身体。

故に、この状況をひっくり返す方法は皆無―――の、はずだった。

その時、俺の頭の中で声がやむ。経験者、武芸者達の声が止まり、唯一聞こえるのは武道家とも呼べない者の小さな知識。

その知識、そして経験が脳内を満たす。

「――――――」

そして、その全てが―――俺にしっくりくる事に気付いた。

なるほど、これならいい。

この経験に武などない。この知識に小難しテクニックもない。この戦い方は誰にでも扱え、必要なのは俺には無い要素が一つ。

それさえあれば、この経験は使える。

構えは、いらない。

構えを解いた俺を鮫島さんは視線だけで疑問を投げかける。その視線の意味も当然理解出来る。何せ、俺は構えもしない。構えもせずに両手はぶらりと真下を刺し、脚は武術に必要な足運びの形でもない。

いうなれば、無だ。

意味のある有から、何の意味もない無への変化。

その意味は唯一。

初めに言っておこう。

これは武術などではない。これは武芸でもない。これは人間が知っている当たり前。それでも人間の大半が使わずに人生を終わらせるであろう凡庸な技。

そもそも、この方法を使う者達に技という概念などないのだろう。

だからこそ、今の俺には一番合っている。

まず第一、拳を握る。第二に相手を睨みつける。第三に走りだす、ただ真っ直ぐ。第四に拳を振り上げる。第五に殴りつける―――たったそれだけ。

そう、それだけ。

当然、鮫島さんはそんな単調な攻撃などあっさりと避ける。そして、何処か呆れたような失望したような冷めた瞳で俺を見る。

わかってるって、そんなの……だが、今の俺にはコレしかない。

この程度の、知識の中でも一番弱そうで頼りにならない知識だろう。

しかし、だ。

空を切る拳。迎撃される俺の身体。

そして、



驚愕する鮫島さんの顔。



空を切る拳は当然ながら空を切るに終わる。しかし、それでは終わらない。空を切ると同時に体勢の崩れた俺の身体、その手が鮫島さんの衣服を掴み取る。

鮫島さんの足腰は予想以上に強靭だった。俺一人の体重ではびくともしないほど、まさに地面に根を張った大木だ―――だからこそ、使えた。

鮫島さんが俺の身体を支えられるならば、それが俺にとっての力を向けられるポイント。それを利用して俺は自分の身体を一気に片手で引き上げる。

腕立て伏せが出来る程度の力で十分、俺の片手は俺の身体を引き上げ―――空を切った拳をその反動で鮫島さんに向けて撃ち放つ。

「―――――ッ!!」

避けられた。でも、この手はまだ繋がっている。避けられた腕を戻し、その腕で鮫島さんの衣服を掴み上げ―――今度は顔面と顔面を引き寄せる。

つまるところ、頭突き。

「甘い!!」

甘かった。頭突きが鮫島さんの顔面に届く前に顎が殴り上げられる。アッパーカット、まともに顎を直撃すれば一発でKOされる一撃をまともに入られた。

視界が歪む。

頭が歪む。

脚から力が抜ける。



でも、手は離さない。



「つ――――かまえたぁぁ……」

そう、捕まえた。

この手だけは絶対に離さない。これを放したら勝機は無い。元々欠片も無い勝機をここで掴んだのならば、これを離す事は愚の骨頂。

しかし、結果は成功。

しっかりと掴んだ。

掴めば、掴んでしまえば――――後は撃ち続けるだけ。

必要な能力は、根性。

必要な想いは、不屈。

相手を倒すという意味は、舐められないという我儘。

これは武術ではない。

「もういっちょう!!」

頭突き。

今度は中った。

「むぅ!!」

鮫島さんの顔が歪む。

終わらない。

頭を振り上げ、何度も何度も相手の顔面に額をぶつける。無論、その間にも何度も何度も殴られ続けるがこの手は離さない。

脳に響く衝撃。

それに耐える根性。

そして勝ち取れ、勝利。

俺と鮫島さんの額に紅い液体が流れる。それを見た瞬間、動いたのは俺ではなく鮫島さん。クリンチに近い状態を打破する為に彼は俺の服を掴み、身体を捻って腰を入れる。柔道の一本背負い、それで俺の身体を浮かせ、地面に叩きつける。

痛い。

鈍い痛みが背中を走り抜け、苦痛に嗚咽が漏れる。

その隙に鮫島さんが俺から距離を取ろうとバックステップ―――だが、逃がさない。地面を撫でるように手を振るうだけで、手の中に無数の砂利と小石が混ざる。

それを、鮫島さんに向けて全力投球。

無数という数は砂や小石の為にある言葉だ。ショットガンとまではいかなくとも、小さな小石が防御した鮫島さんの腕に刺さる可能性もあれば、防御の隙間を縫って砂が視界を奪う可能性もある。

正統な行為ではない。しかし、これは戦いだ、闘争だ―――否。

「これは、喧嘩だ!!」

視界を奪う事は不可能だったが、鮫島さんが目を閉じた。そこへ一気にたたみかける。重心を低く、しかし足腰は強靭に。それを一気に鮫島さんの腰元へ向かって突っ込む。タックルという原始的な方法。当然、この方法には問題はある。まず頭がガラ空き、次に背中もガラ空き、おまけとばかりに膝を上げれば、

「グヘェッ!?」

この様に、腹に膝を叩き込まれる。

想わず手を離してしまった俺に追撃のワンツー、そして二度目のアッパー。視界が強制的に空へと向かい、満月が見える。

――――俺は、ほくそ笑む。

「――――はぁ、はぁ……些か、不躾な戦い方ですな。先程までは武としての形がありましたが、今はまるで獣ですな」

額の血を袖で拭いながら、鮫島さんは俺を見る。

「いえ、獣というよりは、その辺で屯している不良という方が正しい」

「―――――使ったな?」

アンタの評価は正しい。

だからこそ、俺はこうして笑えている。

「アンタ、今……三回も使ったな?」

「三回?」

首を傾げる鮫島さん。なんだ、俺の言ってる意味が分からないってか―――なら、教えてやるよ。

「鮫島さん、アンタ自分で言ってたよな?アンタは自分の拳を信じている。自分の武を信じている。拳闘こそが自分の武術だってな……だが、アンタはそれを否定した」

まるで矛盾を追及する意地悪な奴だな、俺。

気づかないか、オッサン?

「あ、そっか……」

背後でフェイトの声。

「――――大樹……それってなんか見っともない」

呆れる声。

「そう言うな、俺もそう想ってるから」

「上げ足取ってるみたいだよ」

「だから、言うなっての……」

自分でも正直にそう想える。だが、それこそが突破口だ。鮫島さんはまだ気づいていないのか、小さく唸る。

「だけど、これが一番俺に合うんだよ」

自然と嫌らしい笑みが浮かんでくる。

「鮫島さん、三回っていうのはアンタ自分の『最高』を否定した回数だ」

「私の、最高?」

その手、その拳、その脚、その足捌き―――それがアンタが誇る自身の武器であり、武術だというのなら、

「拳闘に投げ技があるか?」

これが小さな満足感だとしても、

「拳闘に肘打ちはあるか?」

これが小さな達成感だとしても、

「拳闘に膝蹴りはあるのか?」

アンタのその顔を見るだけで、やった価値はある。

「―――――まさか、たったそれだけの事を誇っているのですか?」

フェイトの次は鮫島さんの呆れ声。でも、今の俺にはその呆れ声ですらいい。

「あぁ、満足のいく結果だ。何せ、俺はアンタの最高ではどうにも出来ない状態に出来たんだ。たったの数秒でも、それが俺がアンタの武に勝った一瞬だとしても、俺は最高に満足のいく結果だよ」

武と武では実力差に差があって当然。そして、俺の中にある武の経験は全ての一個一個が完成されすぎている為、同時に使うという方法は取れない。少なくとも、今の俺には無理だ―――が、その中で唯一あった。

武でありながら武ではない。同時に武を愚弄し、そして全ての武を混合させた荒技を兼ね備えた技術。

必要なのは完成された武ではない。これに必要なのは完成されない武であり、その場にある全てを武器とでき、そして全てを兼ね備えている素人戦法。

「俺には空手とか拳法とかの技はよくわからん。だけど、これだけは知っている。全部を極めた誰かじゃなくても、素人が戦うのに一番必要な『想い』だけあれば十分な戦闘技術があるってな……」

この場にいる誰もが呆れかえるだろう。

現にフェイトは呆れ、鮫島さんも呆れ、俺もちょっとだけ呆れている。

俺の中にある経験の中で、今の俺にもっとも合った戦闘方法。

「――――これはな、喧嘩だよ。アンタの言うような街の不良が使い、そして誰もが簡単に実施出来る人類最高で最低な武術」



人それを―――喧嘩殺法と云う



「来いよ、拳闘士。こっから先は素人の拳で勝負だ……」

俺の構えは隙だらけだ。鮫島さんのような隙のない構えとはまるで違う。だが、この戦い方には隙とかそういう小難しい論理は必要ない。

必要なのは、絶対に退かないという根性だけだ。

「根性論、舐めんなぁぁぁぁああ!!」

駆ける。

後先考えずに駆けだす。

相手が動く。

経験が喚く。

進言は一つだけ―――死んでも喰らいつけ!!

「上等!!」

防御など無用。耐えるだけに意識を集中し、そして殴り返せ。殴り返し、殴られ、その後は組みついて投げ飛ばせ。それが無理なら金的狙って膝を繰り出せ。

思考は既に関係ない。あるのは目の前の相手を殴って殴って、殴り飛ばす事だけに集中しろ。

何時の間にか、時間の経過も気にならないようになった。世界中の時間が停止したような感覚。その感覚の中で動いているのは俺と鮫島さんの二人だけ。

だからこそ、そんな時間の中でのみ交わされる会話がある。

「――――何故、今なのですか……」

殴られ、

「私は……私は納得など出来てはおりません」

殴り返し、

「リセット、アナタはそう申しましたが……それを欺瞞だとは思わなかったのですか?全てを零に戻し、今までの全てが無かった事にして良いなどと、そんな妄言を吐く事に、アナタは納得しているのですか?」

痛覚も、麻痺していく。

「アナタにとって、お嬢様の時間はそんな簡単にリセットしてしまっても何ら問題の無い―――その程度の重さだったのですか!!」

でも、響くモノはある。

「お嬢様との時間の全てが、アナタにとっては消しても問題の無い。消してしまっても『取り返し』の効く都合の良いモノなのですか!?」

痛覚が無いのに響く、別の重さ。

「勝手すぎます。アナタは――――勝手すぎる!!」

重い想い。

「最初から最後まで、アナタは何処までも勝手すぎる。勝手にお嬢様の前に現れ、お嬢様の心に入り込み、そしてお嬢様の気持ちも知らずに勝手に消え、そして今度は勝手にこの屋敷の前に立っている。それがおこがましい、それがなんと情けないと、それが、それが―――それが、何処までも自分勝手な理屈だと思わないのですか!?」

―――へぇ、アンタ、そんな風に叫ぶ事もあるんだな……

「アナタにとってお嬢様とは何なのですか!?アナタにとってお嬢様の存在の重さとは、どの程度のモノなのですか!!」

痛覚が復活する。麻痺した感覚を凌駕し、痛みを叩き起こす程の打撃が身体に追加される。

「取り返しなどありはしない。そんな簡単な想いで、お嬢様の心をレンタルする程度の認識しかないアナタが、何故、何故今更――――今更、こんな遅すぎるタイミングで姿を現せる!!」

怒ってる。

この人は、本気で怒ってる。

「遅すぎる……アナタは、遅すぎる」

そして、悲しんでいる。

「どうしてもっと……早くそうなれなかったのですか?」

怒り、悲しみ。その全てを俺に向けている。

「リセットなどという戯言を口にする必要もないぐらいに早く、もっと早く……知っていました?お嬢様が常にアナタを必要としていたという事に……」

わかってる。俺だってわかってる。

どれだけ自分に酔っていようとも、自分に酔っているという自覚がある以上は、俺はまだ正常だって事だ。そんな事はわかってる。俺の決断が遅すぎているって事も理解できているさ。

「命を救われたという感謝の後に生まれた想いを、アナタは知っていました?アナタと一緒にいた時のお嬢様の笑顔をアナタは見ていました?その笑顔が誰にでも向けられるような当たり前の笑顔でない事を、理解していましたか?」

それは……わからなかった。

「休日に、アナタを誘って買い物に出た時のお嬢様の嬉しそうな笑顔は、今でも忘れられません。その笑顔の価値も絶対に見間違わない……あの笑顔の意味を、アナタは理解できていましたか!?」

身体が鈍った。

「そして何より―――今のお嬢様が、本当にアナタと別れたかったなどと、アナタの存在を邪魔だと想いになっていると、本当に想っているのですか!?」

鈍った身体に引っ張られ、意識が落ちそうになる。

「否、断じて否!!」

拳を握れない。

「お嬢様は――――アナタを必要としている……私よりも、ご友人方よりも、この世のどんな存在よりも、佐久間大樹を必要としている」

膝が堕ちる。

「必要としているからこそ――――」

地面に倒れそうになり、



「――――佐久間大樹を、突き放した」



―――――――――――――――――――踏ん張った。

「必要とするという事は縋りつくという事と同義です。本来ならそんな程度の事を想像するよりも先に甘えが優先するはず。優先してもいいはず……ですが、お嬢様はそれをしなかった。出来なかった。出来るはずなのに、それを出来ない、それを否と、それを悪だと『勘違い』し、そして真実を隠してアナタを突き放した」

「…………」

「お嬢様は馬鹿ではない。ですが、馬鹿でなさ過ぎる。知識を得る知能はあっても、それ以外も少々大人びすぎている。それこそがお嬢様の欠点でもある。そして、その欠点を誰も指摘する暇もなく、お嬢様は事を急いでしまわれた。誰かが一言申し上げれば何かが変わったかもしれないのに、それを誰も言わなかった―――誰も、お嬢様の想いを察してやる暇もなく、決断してしまった」

「…………」

「そして、お嬢様は後悔している。どれだけ後悔しようとも、悔やんでも、それが自分の結果だと勝手に思い込んでいる。そうなってしまったらもう遅い。そこまで行ってしまわれたら、最早……誰の意見も意見としか思えない」

「…………」

「―――――だから、アナタは遅すぎた。その想いを抱くのも、お嬢様の本当を知るのも、自分を変えようとするアナタが、その全てが遅すぎるのです!!」

あぁ、そういう事か。

そういう事なのかよ……

衝撃的、とまではいかなくとも、何となく想像はできる。そんな事があるかもしれないなどという可能性の一つとして想像していた。

だが、そんな事はあり得ないと俺は想い込んでいた。

俺が俺を信用できないから、俺をそんな風に想って、そして今、そんな事を想っているなんて欠片も信用できなかった―――だが、それも間違いだった。

自分のという存在の定義は自分では見つけられない。その定義の意味を知るのは自分ではなく他人であり、自分の定義を自分で決めても意味がない。

俺は、そう想っていた。

けど、違った。

「――――私は、アナタを許せない」

鈍った身体を、持ち直すのを始める。

「お嬢様の想いをフイにし、そして自分勝手に放り投げたアナタを、私は許せない……だから、だから納得もしてやらない。リセットするなどという自分勝手を許さない」

ここで崩れるわけにはいかない。だから持ち直す。

「答えなさい、佐久間大樹。アナタにとってアリサ・バニングスとの『日常』と『思い出』は、そんな簡単な言葉で消し去っていい人なのですか!?」

もう何度も繰り返した疑問。

俺にとってアリサ・バニングスとは何なのか。

俺がこの世界に来て最初に犯した罪。

俺が償わなければいけない、俺の罪。

だが、その罪の重さとは別にアイツの傍にいたいと想ったのも事実。

罪があった。拭いきれない、謝っても許せない罪がある。その罪から始まり、今の俺とアリサが存在する。

それをリセットすれば、俺の罪は消えるのだろうか―――そんなわけはない。罪は消えないし、俺がどれだけ納得しようとも消えない。逆にアイツがそれを許すと言ったとしても俺は納得せずに否定する。

罪は消えない。

リセットも出来ない。

なら、俺はどうしてリセットするなんて言葉を口にした?

アリサとの今までの全部をリセットしても消えない罪。見捨てた罪、見捨てようとした罪、積み重なる罪の重さは何時だって俺の身体に重圧となって存在し続ける。

例え、何時かの俺が答えを見つけたとしても、何時かはその答の矛盾も見つかり、結局自分は何も進んでいないと理解するだろう。

進めない。

進めない。

進む事を、諦めそうになる。

「俺は……」

でも、あの時の俺は―――あの日、アリサと二人で休日を過ごした時、俺は想ったはずだ。アリサのメールで呼び出された時、罪悪感からその申し出を受けたわけでもない、それだけは絶対だと信じられる。誰に何を言われようとも、あの時の俺はそんな事をまったく想わなかった。

だから、アイツとの時間を楽しいと思えたはずだ。

「俺は……」

リセットしたら、その時間も失ってしまうはずだ。

楽しかった思い出も、苦しかった思い出も、全部零に戻して新しい自分を始める。それこそ、ジグザが言ったように前に自分を否定して、新しい人生を送る際に都合よく自分を否定する事だ。

リセット。

積み重ねを、零にするという言葉。

その言葉も、きっと無重ではないのだろう。

だから、考えた。

考えて、考えて、考えて――――そして、俺は口に出す。

「いいわけ、ねぇだろうが……」

あの思い出も、

「いいわけねぇよ……」

あの楽しいと思えた日々を、

「全然、良くねぇよ……」

零に戻していいはずがない。

この手にある『幸福』をそんな簡単に零のしていいはずがないだろうが。

「ならば、どうしてリセットなどと――――」



「だから、俺はリセットする」



鮫島さんの顔が引き攣る。

「あ、アナタは……アナタという人は!!」

怒りを込めた拳の重さは今までの一撃の中でも最高の一撃。それを無防備に受けた俺は当然倒れるだろう。しかし、それを拒否し否定する。

「さっきも言っただろうが……俺は、俺が嫌いで、信用できない。そんな俺をアイツが好きだと、必要だと想ってくれるってんなら、それに対しての返答はこうだ―――そんな想いなんぞ、ゴミ箱に捨てやがれってな!!」

そんな想いなんぞ、苦しいだけだ。

「迷惑なんだよ!!うざったいんだよ!!そんな優しい想いも、有難迷惑な好意も、全部が全部、重苦しんだよ!!」

だから、嫌だ。

「それは全部、アイツの想い込みだろが!?間違った想い込みで俺に糞重たい荷物を背負わせるな!!そんな善の塊を持てる程、俺は強くねぇんだよ!!」

苦しい。

身体がボロボロだという意味もあるし、その善意を向けられるという想いも苦しい。

「あぁ、今だから言うけどな。俺は、最初から、お前等の善意っていう奴が重苦しくてしょうがなかったんだよ!!アリサを助けてくれて、ありがとうとか……命の恩人だとか……俺の事を善人みたいに扱うお前等の善意の全てが……苦しくてしょうがなかったんだよ!!」

吐き出すのは今まで溜めてきた全ての想い。誰も理解してくれなかった俺の勝手な想い。無論、口にも出してないから当然だ。だが、この想いを全部吐き出さなければいけない。

「それとな、鮫島さん……アンタのいう事も無理がありすぎだ。俺とアリサの関係なんぞたかだか一か月も無いんだぜ?そんな浅い関係で、アイツの想いを全部理解して、アイツの傍にいろだ?ふざけんな。俺はエスパーじゃない。人間そこまで都合の良い生き物じゃなねぇんだよ」

正直、既に俺はやけくそだ。

「言葉にしろよ!!自分の中にある想いを言葉にしてやらなくちゃ、誰もお前の事なんぞ理解してやれねぇって、あの馬鹿娘に言ってやれ!!」

叫ばなければ、心が折れてしまいそうだから、こういう自己防衛手段しかできない。

「この世界はそこまで都合良いファンタジーは起きないんだよ。物語みたいに誰でも彼でも、相手の想う事を想像できるようには出来てないんだ。だから、言葉があるんだよ。ソレを伝える為の想いは心だけじゃ無理で、口がなくちゃ無理じゃねぇかよ!!そのリアルの冷たさも知らずに、お前等は俺に全部を理解しろってか?いい加減にしろ、ふざけんな、寝言は寝てから言え!!」

伝わらない、伝えられない―――俺の様に。

本当の想いを誰かに理解してほしい、口に出さなくとも、口に出せなくとも理解してほしいという『甘え』がある。誰かを非難するような事を云いながらも、俺が一番そのリアルに甘えていた。

その甘えが今の事態を招いているのも事実。

だから、リセットする。



リセットを始める。



そもそもの話。

俺が想うに、きっとリセットする以前に零ですらない。零をですらなく、既にマイナスなのだ。俺の勝手なエゴと向こうの勝手な善意。その二つは互いにマイナスの方向にしか加算されていない。どっちもプラスではなくマイナス同士の足し算。そうなれば結局マイナスの方向にしか事は進んでいない。

マイナスのまま、これ以上関係を続けたってマイナスにしかならない。

あの思い出も、プラスである可能性があってもマイナスの要因が一つも無いなどという事はあり得ない。だから、そのマイナス要因でしかない部分をプラスに持って行くにはどうすればいいのか―――簡単だ。

リセットすればいい。

「アイツの善意も俺の悪意も、全部が間違いで邪魔だけだ。だから、俺はリセットするんだよ。アイツの想いと俺の想い、全部をぶつけて零にする」

過去は消せない。罪が消せないように過去は決して否定できない。だから、その消せない部分を式とする。

消せない式に代入する数は『想い』だ。

俺の本当の『想い』と『真実』。してアイツが代入するのは、俺の全部を聞いてからのアイツの『想い』。

結果は決してプラスになるとは思えない。それどころか零でもなく、自覚できるマイナスになる可能性の方が格段に高いだろう。

「ならば、それでアナタとお嬢様の間が零にならなければ、どうするのですか?それこそ、お嬢様の心を傷つける結果となり、最低で最悪な結果しか生み出さないかもしれない」

険しい目つきで俺を睨む。

「失うという意味を、その重さを、アナタは何も理解していない!!」

重い拳が突き刺さる。

想いの籠った、俺なんかの軽い手には持てない重さを持った手。

「アナタがどれだけの覚悟を持っていてもいい。どれだけの想いを持って、それでいて全てをやり直すと申すなら、それもいいかもしれません―――ですが、それは全て、アナタだけの勝手な理屈です!!」

きっと、手加減なんてモノはもうない。

「お嬢様の想いも―――」

大切な人を傷つけられた想い、

「お嬢様の苦しみも―――」

そんな姿を見た自分の眼、

「お嬢様の悲しみも――――」

それを感じた、煩わしさも、

「全てが、お嬢様が生み出したモノではない!!全てがアナタが―――お前が生み出した、お前が生み出してしまった結果だろうが!!」

そんな想い、俺に対する怒りが身体を燻らせる。

「だというのに、お前は失わせた側の分際で、失った側の事など何も考えてない。そんなお前に何を成せる!?そんなお前の自分勝手な自己満足にお嬢様を巻き込ませるわけにはいかない――――だから、」

燻った炎は怒り。怒りは単純な起爆剤になり、単純だからこその力を持っている。拳の重さは怒りの価値で、想いの積もった優しく、それでいて何者にも負けない威力もっている。

受ける。

正面から受け、受け止める。

「お前は、邪魔だ」

鮫島さんの口からこぼれ出る音は低温。低音であり低温。

背筋を凍らせ、身体を震わせ、肌が粟立つような恐怖を感じる。

「お前のその勝手な自己満足は、誰にとっても――――邪魔だ」

有害、そう言われた。

俺と云う存在は有害。誰かを傷つけ泣かせ、そして自分の勝手な想いだけを押しつけるだけの有害物質だと言っている。

否定できない。

それだけは否定できない。

否定できる要素は欠片も存在しない。

―――――知ってるさ……

そんな事は誰よりも知っている。アンタよりも、誰よりも、俺自身で、俺が大嫌いな俺だからこそ、誰よりもそれを理解しているつもりだ。いや、つもりなんかじゃない。

俺は、有害だ。

この世界に存在しないはずの人間は、その世界にとっての毒以外の何者でもない。

俺は毒。

それを証明する事は簡単だ。俺がこの世界を訪れた瞬間に、俺が毒だという事は確定している。それを罪の意識をもっているというだけで、自分を罰していたなんて戯言だ。傑作にもならない、戯言だ。

でも、な……

「――――――で?」

ソレに対して、俺は鼻で笑う。

「だからどうした?」

邪魔だなんて知ってる。

「それが、どうしたよ?」

最低だとも知っている。

でもよ、鮫島さん……

「その程度なんぞ、アンタに言われなくても――――自覚してるっての……」

まるで、ソレで『終わり』みたいな事を言いやがるのは止めろ。それで俺が終わるみたな言い方は、正しくない。

だってよ、それは極論はなく、自論だろ。

自分で理解している論だというのなら、それは俺の自論だ。でも、答を導き出す極論ではない。

これはまだ、極論を導き出す為の通過点でしかない。

俺は最低で最悪。

俺の成す事は誰かを傷つけ、蔑にするだけの悪。

行動は有害だ。

「でも、進まなくちゃいけねぇだろ……最低でも、最悪でもな。だってよ、それを最低だの最悪だので終わらせちまったら、それは何にもないだけだ。最低にも最悪にもなれない。俺は、何にもなれないまま、終わりだ」

だから、諦める―――それが嫌だから、嫌だと思えるようになったから、

「そんな俺は、否定しなくちゃいけねぇだろうが」

身体に響く重みを否定し、持ちこたえる。

身体のガタなど知った事かと笑い飛ばし、俺が此処に立っていると自覚するべし。

「最低で最悪がマイナスだっていうなら、それは『現状維持』でしかないだろ?だったら――――まだ、終わってねぇだろが」

諦める事を諦めた。

変わろうと決めた、変わろうとする事を証明する為の行動に、終わりは最低で最悪は恰好がつかない。第一、まだ『本当』の最低でも最悪でもない。

だって、終わってないだろう。

まだ、終わってない。

故に、終わりはない。

終わる時は、ハッピーエンド以外は認めない。

「仮に俺の行動が、アイツをまた傷つけるだけだってのなら、きっと最低な結末だろうな……でも、それが結末だっていう理屈を否定する」

終わらせる事は簡単だ。

簡単だからこそ、

「そんときは、また繰り返すだけだ」

ちっぽけな抗いの意志さえあれば、またやり直せる。

零に戻す為のリセットを、再リセットする。

「俺は、諦めない」

自分に言い聞かせるように、鮫島さんに向ける。

「諦めて終わり、諦めて全部お終いなんて結末はもう終わりにする―――人間、諦めが肝心とかいう言葉を否定する」

生まれ変わった時に、俺はこうするべきだった。今ではもう遅いかもしれない。でも、遅いから諦めていいわけがない。

あの頃の俺を否定するのは、新しい人生を得た時じゃなかった。あの時にリセットして零にしたのは、したつもりになっていただけだった。

その時は、今だ。

「だから、その最初の一歩の為にアンタが邪魔だ」

新しい人生を始めたのではない。



今から、新しい人生を始めるのだ。



拳を握りしめる。

「アンタは、邪魔だ」

中てる、それだけを考える。

これ以上の長期戦はこっちに不利だ。

「どけよ、執事。俺はアリサに会って話さなくちゃいけない事が山ほどあるんだよ」

武は喧嘩。

「俺の本当を、アイツの本当。その後は金を借りて、その後はもう一回雇用契約結んで、銀行口座を作って、マンションを借りてもらって、そんでもって――――」

その武の意味はたった一つ―――退いたら、負け。



「今度は百点満点の笑顔、見せてやらなくちゃいけないんだよ!!」



だから、もう止まれない










あとがき
ども、村正やりすぎて全然書いてない、散雨です。
村正、クリアーしました!!マジで面白かったっす……
とりあえず、正宗さんドS&ドMすぎ。虎徹さん最高です(出番少ないけど)。景明さん、むっつりスケベかと想ったらオープンエロスなんですね~

とまぁ、村正の感想はこの辺で……というか、それ以外に書く事ないね。
次回「ようやくヒロインの出番です」で、行きます。
そろそろ日常編スタート!!なんて無理だけどね~


PS、実は一番好きなキャラは永倉さよ




[10030] 第七話「全ては月光の夜」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/05/18 18:34
よく想う。

過去に戻りたい、そう想う事は何度もある。

仕事に失敗した時、ギャンブルで持ち金を大いにスった時、してはいけない事をした時、様々な事で俺達は過去に戻りたいと想う。

過去に戻れたらどれだけ人生が楽になれるのだろうと考え、そんな事は絶対に不可能だと知りながらも俺達は日々夢想する。

過去に戻りたい、あの瞬間に戻りたい―――でも、戻れない。そんな事が可能なのは物語の中だけで現実ではありえない。どれだけ後悔しても不可能で、現実が冷たいと勝手に嘆いて、自己の責任から逃避しようとする。それが悪いとは言わない。人によっては言うかもしれない。他人は簡単にお前が悪いと言うかもしれない。でも、俺は言えない。

だって、それが俺のした事だから。

他人がした事で他人が過去に戻りたいと思うのは笑う。自分が過去に戻りたいと思う事は笑えない。切実な悩みだから、心の底から後悔しているから、過去に戻りたい。

他人には他人の意志と理念があるように、俺にも俺のモノがある。例えそれが自業自得の結果だとしても、過去をやり直したいと思う事は決して間違いじゃない。

無論、それが他人の為だというなら間違いだと決めつけられないが、自分の為ならきっと間違いだと言われるかもしれない。自分の尻は自分で拭けって話なんだが……あぁ、別に賛同を得たいわけじゃない。

これは単なる独り言。

何の生産性もない、意味のない独り言だ。



でも、俺は過去に戻りたい。



過去に戻って全てを零にしたい。俺がこの世界にきて行った出来事の全てを零にして、今より多少はマシな結果を生みだしたい。

そうだな、例えば誰とも会わないという選択肢もあるし、誰の運命にも興味も示さずに他人の死を傍観するだけの立場になるのもいいかもしれない。そうすれば苦しみも悲しみも感じずに生きていけるかもしれない。

他人など、捨てておけばいいという感情だけを持っていればいい――――でも、それはもう無理だ。

俺自身を否定しても、今は確かに存在し続ける。

俺自身の行動を否定しても、結果だけは既に存在してしまう。

ならば、どうするべきか?

簡単だ。



過去になど戻れない―――それを、認めるだけでいい。



「…………自分勝手な言い草だよな」

結局の所、俺はそういう駄目な部分だけは諦めが悪いらしい。諦める事を諦めるような生き方を望んでも、そんな駄目な部分だけは未だに持ち続けているらしい。傑作すぎて、今にも自殺しそうだ―――嘘だけどな。そんな勇気は俺にはない。

俺は自分を殺すなんて勇気も在りはしない。自分で自分の命を断つ奴を臆病者と呼ぶらしいが、死を決意するという行為は勇気がなければ無理だ。

死ぬ勇気と生きる勇気は違う。

死ぬ勇気があるのなら、生きる事も容易いだろうと言われても、きっとピンとこない。死ぬ勇気と生きる勇気を一緒にするなんてナンセンスだと俺は言いたい。

生きる事に、勇気なんて必要ない。

生きていこうとする事に、勇気なんて必要ない。

必要なのは―――その過程にのみ使用する勇気だけでいい。

だから、勇気を持ってこの扉を開ければいい。

節々の痛む身体を引き摺りながら、このデカイ屋敷の中のたった一つの扉さえ開けれれば、それだけでいい。

けれども、それにしたって勇気がいる。

「リリカル、マジカル――――っは、全然勇気が湧かねぇよ」

所詮、ただのオッサンには無理だって話だな。

苦笑し、歳柄にもない事を口走りながら、大きく深呼吸する。

目の前の扉をノックし、向こうの応答を待つ――――声はしない。けれども、誰かが部屋の中にいるって事だけは分かる。そういう経験で俺にはそれがわかった。便利だな、気配を読むって経験。

俺は向こうの返答もまたずにドアノブを回す。

ゆっくりと開くのは、未だに決心が鈍りそうな自分と決心を決めた自分のせめぎ合いが起こした誤差だろう。ドアは軋みもしないし、建付けも悪くは無い。

ゆっくりとスムーズに開くドアの向こう、その先に眼を向ける。

小さく、息を呑む音がした。

部屋の中は薄暗い。電気はついてはおらず、代わりに窓を遮りカーテンの隙間から差し込む月の光だけが唯一の光。その光に照らされた少女の瞳が俺を見据え、呆然としている。

俺もそんな少女の姿を見て、不覚にも逃げだしたい衝動が湧きあがってくる――――どうやら、俺は根本的にヘタレらしい。ガルガの言う事を否定できないのが悔しいが、当たっているだけにタチが悪い。

「――――よぉ」

「…………」

月明かりは小さい。小さな光に照らされた少女は口を閉ざし、俺は黙って部屋のドアを閉じる。部屋の中には俺と少女の二人っきり。薄暗闇の中、月光の冷たい光は春の夜なのに冬の様に冷たい。

身体が震える。過去に犯した自分の全てが背中に圧し掛かり、その重さに身体の機能が停止しそうになる。喉が渇き、唾液も出てこない。これが恐怖だと理解する。目の前にいる少女の存在が恐いと思考が叫ぶ。けれども、それから逃げる事はもう出来ない。

過去には戻れないのだ。

俺達は、過去には戻れない。

そんな都合の良い出来事は幻想の中にしか存在せず、リアルは何時だって冷たい氷河の海に近い。

だから、俺達はこうして向かい合う。

「―――――アリサ」

少女の名を呼び、手を差し出し、



「…………悪い、金貸してくれ」



戻れない現実を、進行しよう











人質はリリカル~Alisa~
第七話「全ては月光の夜」













春の夜風はやはり寒い。もうすぐ五月だというのにこの温度は普通なのか、それとも海辺の街といのはこういう気候なのだろうか―――そんな事を考えながら夜空を見上げる。

まだ、月も星も見える。

今日は雲が無い。雲の無い真っ黒な空に真珠の様に輝く星、そして月。月を見ればウサギが餅をついている姿に見えるが、時にはそれが人の顔に見える時もある。不気味にも見えるが、そんな風に見える俺の眼がおかしいのかもしれないなぁ……

地面を転がる車輪の音は、タイヤが芝生を踏む音。短く刈り取られた芝生を踏みながら車椅子がゆっくり、ゆっくりと動く。その車椅子を押すのは俺。芝生の上で車椅子を押すのは中々に力が必要で、身体がボロボロの俺からすれば十分に重労働だ。明日は筋肉痛かもしれないなと苦笑する。

「――――寒くないか?」

「大丈夫……」

「そっか……まだ、少しだけ寒い気がするな。ほら、俺って寒がりだからな」

「…………知らない」

「…………そっか」

枯れた声、そう表現する必要があるのかもしれない。声に心が籠っていないのなら、その表現で合っていると思う。そう思ってしまう程、アリサの声には元気がない。

「上、なんか羽織ったほうがいいかもな」

俺はジャケットを着ているが、アリサはパジャマ姿のまま。この冷風の中では上に何か着させてから連れだせば良かったかもしれない。

着ているジャケットを脱ぎ、それをアリサにかけてやる。嫌がるかもしれないと少しだけ不安に思ったが、アリサは何も言わずにジャケットを着てくれた。

小さな手で、ジャケットを握りしめながら。

「…………」

「…………」

夜はどこまでも静かな世界だった。無音でもない、騒がしくもない。ただ、静かなだけ。静けさが小さな重みとなって肩にかかる。俺とアリサ、二人の間にある空気が世界の全てだと誤解してしまいそうになるほどの、それだけ。

何を、話せばいいのだろう?

話したい事が沢山あったはずなのに、いざその時が来ると口がチャックされた様に話せない。話そうとしてもチャックが壊れたのか、ちっとも口が開いてくれない。先程の関係ない話の時ばかり口は開く。

大切な話は、何も出てこない。

「―――――やっぱり、寒いな」

夜風が頬を撫でる。優しく頬を撫でられるよりは頬を引っ叩かれるような、冷たい寒さのほうがしっくりくるのだが、人間の現状など自然にはなんの関係もない。ただそこにあるだけの存在ならば、本当にそれだけらしい。

「寒いよりは温かいほうが俺は好きだな。夏とか熱すぎるのは好きじゃないけど、冬から春になった時の温かさが好きだ……それにさ、春は桜も咲いて綺麗だし、やっぱり春が一番だよ」

「…………そういえば、今年は見てないかも」

「桜か?」

「うん……桜、見てない」

「俺も見てないな……この辺りだと、臨海公園の桜並木とか綺麗そうだな」

「綺麗よ。凄く綺麗……去年は、みんなでお花見した」

懐かしみながら、アリサは庭に生えた木を見る。

「あれも桜の木……正確言えば、桜の木だったらしいわ。私が生まれる前に木が病気になって死んじゃったそうなの」

確かにあの木だけは葉もついていない。虚しい程に枯れた木はこの辺りの樹木よりも大きい。だが、その大きさが逆に虚しさを示している。大きい、一番立派な木なのに死んでいる。

二度と、桜の花弁を咲かせない桜の木。

「写真でしか見た事がないの。凄く綺麗だった……」

「へぇ、俺も見てみたいな」

「…………」

なんでそこで黙るんだよ、と言いたくなったが俺も何も言えないなら、おあいこだ。

桜の木、写真でしか見た事のない大きな木。けれども、もう死んでしまった過去の存在。その桜の木が咲いた瞬間を見る事はもうない。見る事が出来るのは写真という過去を映し出し、保管する絵だけ―――思い出を残すという行為は美しいはずなのに、今だけは悲しい。

「煙草、吸っていいか?」

「普段は勝手に吸ってるじゃない」

「そうだったな……そう、だったよな」

忘れていた、なんて言えない。

煙草に火を灯し、紫煙を噴き出す。

「…………あんまり、吸わない方がいいんじゃない?」

「煙草は身体に悪いからな」

「なら、なんで吸うのよ」

「わかんねぇ。気づいたら吸ってた――――ん、そうでもないな」

どうして吸っているのかと聞かれれば、

「最初は、憧れかな?あぁ、憧れっていうのとは少し違うけど、テレビで大人が煙草を吸ってる姿が恰好良くて、大人になったら絶対に吸ってやるって子供の頃に思ったのがきっかけかも……けど、いざ大人になると理由は別のモノに変わるわけだ」

理由は一つ、ストレスだ。

「ストレス社会っていうけどよ、そんなのはいまいち俺にはピントこなくてな……けど、大人になってわかった。ただ普通にしているだけなのに、他人は俺とは違う考えや価値観を持ってるから、俺が他人に合わせなくちゃいけなくなる。それが苦しくて、気がついたら吸ってた」

「……大変なのね、大人って」

「おう、大変だぞ?就職するのにも面接っていうストレスがあるし、働いても結果を出せなくてストレスになる。おまけに一年も経てば次々に新しい奴が入ってきて、ソイツ等に追い抜かれたり、追い抜かれない様に努力して―――何をやってもストレスが溜まるんだよ」

ソレが煙草を始めた理由だった気がする。今はもうそんな事は関係なしに吸う様になった。ニコチン中毒になったつもりはないが、煙草を吸わないと頭が回らないという雑念が入ったり、吸わないと気が気でないとか、そういう感じになった。

煙草の灰を携帯灰皿に落とし、短くなった煙草を口に咥えたままアリサを見る。

「だからよ、お前は煙草とか吸うなよ?煙草は癌の元だし、子供を産む母体に影響もあるらしいし……プラスになる事なんぞ一つも無い」

吸ってしまえば、もう終わりだ。禁煙するのも嫌だし、面倒だ。止めるという努力を怠る様になり、後はずるずると引き摺って歩く事になる。

煙草は毒にしかならない。そして、その毒を薬と思うようになった俺。

「まったく、なんで煙草なんて吸ってんだろうな?」

そして、なんで俺はこんな話だけはスラスラと話せるんだろうな。

そんなんだから、

「それじゃ、私といるのもストレスなんだね」

ほれみろ、こんな事を言われるんだ。

「何時も吸ってたよね、煙草」

「習慣だよ、習慣。別にお前と一緒にいるのにストレスなんて感じてねぇよ」

「嘘よ」

「嘘じゃねぇよ」

少なくとも、今はそんなストレスは無い。そもそも、それをストレスだなんて言う方が間違っている。

その時の俺は、きっとストレスなんて可愛らしいモノなんて感じていない。だってよ、煙草を吸ってもいられない状態を、ストレスなんて言えないだろうがよ。

「嘘じゃねぇ……これは本当だ」

「…………」

「だから、そんな顔すんな」

初めて見るアリサの表情は、胸に小さな針を何本も刺されるようだった。チクチクと小さな痛みが胸に生まれ、そこから漏れだす液体が身体から温かさを奪っていく。

凍えそうだ。

誰かが悲しんでいるという空気は痛い。胸が痛い。空気そのモノが意志を持つように身体に襲い掛かり、身体を重くする。鮫島さんと殴り合った痛みなど今はもうどうって事はない。

今は、この空気に痛みを感じる。

アリサは口を噤み、俯く。ジャケットを握りしめる手に力を込め、自分の感情を隠す様に、表に出さないように耐えているようにも見える。

そんな姿を、俺はみたいわけじゃない。

「そんな顔をされるほうがストレス感じるっての」

笑って欲しい。勝手な言い草だという事は分かっていても、それでも俺はコイツに笑っていて欲しいと願う。

押し付けがましい感情だと吐き捨てる事は簡単だ。でも、吐き捨てて良いと言える程、安いモノではないはずだ。

ただ、こんな空気よりは百倍マシだから。

「…………」

けれども、所詮は俺一人の理由。決して相手の理由にはならない。

煙草はいつの間にかは熱を失い、ただの白い灰に変わっていた。どうも最近、こうやって煙草を無駄にする回数が多くなった気がする。

携帯灰皿に吸殻を入れて、煙草と一緒に仕舞う。

「まぁ、無理にとは言わないけどよ……でも、やっぱり楽しいって感じるほうが得だろ?辛いよりは嬉しい、楽しいっていうほうが絶対に健康的だし、得だ」

「…………」

「アリサ、とりあえず顔を上げろ」

それでもアリサは顔を上げない。

ならば、と俺はアリサの前に回り込み、しゃがむ。

「顔、上げてくれよ?じゃないとさ、俺もお前を見て話が出来ない……」

「―――無いよ」

ぽつりと呟かれた言葉は否定。

「話す事なんて……何にも無い」

「俺にはある」

「私には、無い……」

「お前になくても――――」

「無いって言ってるでしょ!!」

叫んだ声は夜に響く。静寂を壊す程の叫び、その後に訪れるのは静寂ではなく、嵐の前の静けさでしかなかった。叫んだ少女の顔は泣いているのか怒っているのか、俺には判断が出来ないでいた。

「私には話す事なんて何にも無い!!アンタと話したくもないし、一緒にもいたくない!!…………なんで、なんでそんな簡単な事もわからないの?」

それでも分かるのは、耐えているという感情だけ。

「言ったわよね、私。アンタとはたかが一か月程度の付き合いしかないのに、私の事を何でもわかったような事を言わないでって……私は、アンタの事なんかなんとも思ってもないのよ。使用人なんてはいて捨てる程いるし、その中の一人を私がたまたま気が向いて拾ってやっただけなのよ……それで、ソイツに飽きたってだけの話よ」

そう思うのは俺の独り善がりなのかもしれない。人の感情を読み取るなんて行為は普通は出来ない。だから俺達は自分の価値観で相手の顔を見て、相手がどんな想いをしているかを想像するかしか出来ない。

人は万能じゃない。物語に出てくる登場人物、主人公のように相手の想いを的確に言い当てる事など不可能だ。

「分かるでしょ?アンタはもうクビ……私は、アンタに飽きたのよ……アンタと一緒に居ても面白くないし、楽しくもない……そんなつまらない奴と一緒にいても、全然無駄じゃない」

だから、俺達は自分の価値観を相手に押し付ける。

「お金の無駄だし、時間も無駄……あ、アンタが家にいるだけで、色々と邪魔になるだけよ……だから、だからぁ……」

俺の眼に映るアリサの顔には、耐えている姿にしか見えない。

寒さに、耐えているのだろうか?

眠気に、耐えているのだろうか?

それとも、俺と一緒にいる事に耐えているのだろうか?

分からない、そう言い切れれば楽になる。

「もう……こない、でよ……私、の前に、こないでよぉ……」

でもさ、無理だ。

何も分からないと言うには、この節穴な眼でも見えるくらいに見える世界が、アリサの姿が、堪らなく切ないから……

「なんで、ほっといて……くれないの?もう、必要……ないって、言ってるのに……アンタなんか、いらないんだからぁ……本当に、ほんと、うに……いなくても、平気なんだ、からぁ……」

「アリサ……」

耐えきれなくなったのは、アリサが先だった。

「泣くなよ」

「泣いてない……泣いてなんか……全然ない!」

俺に涙は見えない。俺に見えないように手で顔を覆いながらも、口元から漏れる嗚咽がそれを否応にも俺に知らしめる。

「私の、迷惑なんて……関係無しに……馬鹿じゃない、の……そんな風になるまで、不細工な顔がもっと不細工、になるまで……殴られて」

「そうか?逆にイケ面になっていると自負してるが……そうだな、酷い顔だ」

他人の迷惑を顧みず、自分勝手な行動ばかりしている。鮫島さんにも言われた。俺の存在はそういう意味で邪魔で、最悪だ。コイツの考えも知らず、俺の勝手な意志だけでこんな事をした。

「馬鹿よ……大馬鹿よ」

「あぁ、昨日気づいた。俺は世界一の大馬鹿者だ―――お前の事なんて、何にも考えてないし、此処に来たのだって単に金が無いからだよ」

そんな理由がなければ立つ事も歩く事も出来なかった。正面きって、アリサに会いに来たなんて言えなかった。表向きの理由がなければ俺は此処にはいなかっただろう。

でも、どっちにしても俺は迷惑な奴である事には変わりはない。

「―――――電話」

「ん?」

アリサが呟く。

「なんで、電話なんかしてきたの……」

そして、顔を上げる。

「今更、なんで私に電話なんかしてきたの?」

「迷惑だったか?」

「…………迷惑に、決まってるじゃない」

そっか、やっぱり迷惑だったか。正直、一週間っていう短い期間でも、心の整理がつくには十分な時間だろう。そして、俺の事をアリサが綺麗さっぱりと整理をつけたというのなら、俺の電話など迷惑以外の何者でもない。

「なら、なんで俺に電話してきた?」

それでも電話が出来たのは、着信履歴を見たからだ。俺とアリサが別れてから、一日に何度も何度も掛けられてきた着信。俺は携帯を持っていなかったし、持っていたのはフェイト。そういえば、アイツは一度も電話に出なかったのか……律儀というか、臆病というか―――まぁ、俺程じゃないけど。

「毎日、何度も掛ってきてたぞ……ほんと、迷惑メールもびっくりな位の回数で、ストーカーみたいだ……」

「そ、それは……」

「迷惑だっていうのなら、お前だって似たようなもんじゃねぇかよ。携帯預かってくれてたフェイトが、昼寝の度にお前の電話で叩き起こされてたらどうするんだ?俺も周りに迷惑かけてたけど、お前だって迷惑かけてたんだ」

「…………お互い様ね」

「お互い様だ」

互いに、自分達以外に迷惑をかけまくっている。なんて似た者同士なんだよ、俺達はよ。

「せっかく、決めたのに……もう、電話はしないって。アンタの番号には、二度とかけないって、決めてたのに……」

「…………」

「本当に、決めてたのよ。もう、いいやって……もう諦めようって……もう――――アンタには頼らないって」

なんだか、また煙草が吸いたくなってきた。

「それなのに、なんでかけてくるのよ?」

心が落ち着かない時にはあの煙を肺一杯に吸い込みたい。そうすれば、目の前の光景に少しも心が揺れ動かなくなると思った。

「なんでよ……なんで、なんで、なんで!!」

瞳から流れ出る雫を見ても、何も感じなくてすむかもしれないと思った。

だけど、それは逃げだ。

目の前の事から逃げる事は、もう出来ない。この現実から目を逸らす事はしてはいけない。この涙の理由が、俺にあるのだとするのなら、逃げるわけにはいかないだろう。

「空気読みなさいよ!!私に少しは気を使いなさいよ!!アンタが思ってる以上に私は強くないの!!アンタに頼ってばっかりで、すぐに甘えちゃうような奴のよ!!なんでそんな簡単な事も理解できない馬鹿なのよ!!」

涙は、武器だ。見ているだけでこっちの心を締め付け、頭を真っ白にさせる兵器だ。その威力は拳銃よりも、ナイフよりも上で、そのどちらの性能も秘めている。

心が撃ち抜かれる―――痛み。

心に突き刺さる――――痛み。

アリサを、泣かせてしまったという―――どうしようもない程の、激痛。

「せっかく決めて、たのに……もう止め、るって決めてたのに―――台無し、じゃない……全部、全部台無しよ……」

本当に、どうしようもない奴だよ。

佐久間大樹って奴は、どうしようもない位に馬鹿野郎だ。

「―――――俺は、それを聞けて良かったと思ってる」

ほら、こんな戯言を口に出せる。

「お前を泣かせたのは……ごめんとしか言えないけどよ。それでも、俺は昨日、お前に電話をかけて本当に良かったって安心してる……悪い。でも、俺は今……心の底から、安心してる」

震えるのは歓喜の震えなのだろうか。誰かの涙を餌に、誰かの想いを不意にして、それで震える俺の身体は最低なのだろか―――きっと、誰の眼から見てもそう見えるに決まっている。でも、しょうがないだろう?だって――――あの時の俺の判断は、間違っていたとしても、アリサの決心をぶち壊す事には成功している。

あぁ、クソッタレ!!

俺って奴は本当に最低だ。でも、良くやった。良くやったぞ、最低のクソ野郎。

おかげで、俺とアリサはこうして話を出来る。

「俺は……」

だから、正直な想いを言葉にするしかない。

「俺は……お前と一緒にいたい」

まるで愛の告白をしているみたいだ。

「お前の傍にいるのが、気に入ってる――――お前にとっては迷惑でも、俺にとってお前の傍が一番居心地がいいんだ……佐久間大樹は、アリサ・バニングスって奴が好きだからな」

LOVEではない。LIKEでもない。

忘れなくていいからだ。

過去を忘れず、逃げもせず、アリサの傍にいる間は絶対に俺の罪を忘れなくて済む。だけど、それだけでも無いのは確かだ。この世界に来てから、ずっとアリサの傍にいたから、アリサの隣にいる事が、アリサの車椅子を押す事が、俺にとっては何よりも自分を保てる方法だから。

「さよなら、なんてしたくない……『さよなら』をするなら、その後に『また明日』って言いたい。そう言わなくちゃ、いけないって知ってるから」

さよなら、それは別れの挨拶。けれども、別れるのは一日、数日だけでいい。ガキの頃からそうだった。泥だらけになって遊んで、夕日が沈む時間になって、友達にさよならを言って、その後に明日も遊びたいから、また明日って言う。また明日、学校で、この原っぱで、俺を友達と呼んでくれる奴等と一緒にいたいから。

「別れる挨拶は、次があるから言いたいんだよ。もう会えないと分かって、それで『さよなら』なんて言っても寂しいだけだ。また会えるって、次に会ったらもっとすげぇ楽しい事があるって思ってるから……さよならって、また明日って……そう言えるんだ」

こういうのを、大人になったら社交辞令って言葉に置き換えられる。また会いましょうって言う言葉が飾りにしかならなくて、相手の事なんて心底どうでもいいと思ってるのに、そう言わざる得ないって知ってて、マナーの一部としか思って無いから言えていた。

俺の周りにいる連中が、少しずついなくなっていったからだ。

「……アリサ、お前はどうなんだよ」

生まれた場所から外に出て、新しい生活を始めれば自然と親しい友人が減っていく。何年も連絡していないのに、携帯の中にはソイツ等の名前が存在する。けれども、そのアドレスを使う事が中々出来ない。

もしかしたら、もう相手が友達と思っていないかもしれない。昔、遠い昔に一緒に遊んだ友人程度の存在になっているかもしれない。そして、俺自身もそう思っているかもしれない。

だから、押せないダイヤルが存在する。

「俺は、俺は嫌だ。大の大人がこんな情けない事を言うのはチャンチャラ可笑しいと思うけど、俺はそれが嫌なんだ……」

目頭が熱い。

「だってよ……寂しいじゃねぇかよ。そんなの……もう会えないなんて、寂しいし、悲しいだろうがよ!」

涙が、流れそうになる。

「お前と一緒にいた時間の全部が、過去っていう言葉に置き換えられるなんて……寂しすぎるだろう」

きっと、これが俺の本心なんだと思う。

俺は、過去を取り戻したいと同時に、過去にしたくないとも思っているのだろう。

あれだけ言葉にしておきながら、きっと俺はもう一つの想いを隠していた。今ならソレが分かる。だって、そっちの方が何倍も良いに決まってるから。

俺は、



本当は――――リセットなんて言葉を口にしたくないのだ。



マイナスでしかない現状にですら、俺は未練を持っている。マイナスは最低だというのに、そのマイナスの過去を俺は無様にもこの手に持とうとしている。それが今になってわかった。本当にどうしようもない奴だよ、俺は。

零にすらなっていないマイナスにも重さがある。俺とアリサの出会いがマイナスで、そこから少しずつプラスに向かって、それで前の事でまた下げて――――そんな過去ですら、捨てて良い、マイナスにしていいモノではない。

捨てたくない。

この身に大事に持っていたい。

けど、それで駄目ならリセットするしかない。

リセットして、過去を無しにして、零にする為に過去の全てを捨て去っても良い過去にしてしまうしかない。

「わかってるんだよ……俺にこんな事を言う資格なんて無いって事も」

俺の脚は力を失くし、地面に膝をつく。

その姿はきっと、アリサに許しを乞う罪人にも見えるのかもしれない。

「お前の怪我の原因は、俺だ……お前が攫われそうになった時、俺はお前を見捨てようとした。あの場にいたのに、走って止めれば間に合ったかもしれないのに―――俺は、お前を見捨てた」

今度は、俺がアリサの顔を見れない。アリサはどんな顔をしているのだろう。驚きの表情か、それとも俺を侮蔑する表情か。

「俺は……俺は、お前を……助けてなんて、ない……」

そんな表情を見るべき罪人が、その表情を見る事が出来ないでいる。なんとも滑稽な姿だ。心が弱いというより、心が汚い。

「お前を、助けるどころか……お前を、殺す所だった……でも、言えなかった。恐くて、お前を見捨てた事を責められるのが恐くて……言えなかった」

身体に重さを感じる。

俺のした事の全てが、全身に圧し掛かってくる。

あの爆発はジグザがやった事だとしても、その時の俺の行動が正しいと訳じゃない。人として最低の行いをしておきながら、それを邪神のせいだなどと言えるはずもない。

俺が見捨てなかったら、アリサはこんな身体にはなっていない。

俺が他人任せにしなければ、アリサは普通に自分の脚で地面を歩いていた。

「恐かった……皆がお前を助けたのが俺だと思ってる事が申し訳なくて……皆からお前を助けてくれてありがとうって言われる度に―――俺の事を責めてる風に聞こえて……逃げだしたいくらい、恐かった……」

でも、脚がすくんで動けなかった。その言葉を受け止める義務があるという強迫概念に襲われた。逃げる権利なんて無い、俺に逃げるなんて安息は許されない、俺自身がそう言っていた。

全部、俺がアリサを見捨てようとしたから。

「ありがとうが、許さないって風にしか聞こえなくて……皆の顔が何時も般若の面に見えて……許してくれ、許してくれって……叫びたかった」

それでも許されないなら、死ぬしかない。

喉をナイフで刺して、自殺を図った―――でも、出来ないでいる。ジグザに邪魔をされ、アリサの命を盾に取られ、死ぬ事すら許されなかった。

そして、死んでない事にホッとしている自分に気付いた。ジュエルシードの思念体に襲われた時も、あの真っ黒な闇の中に沈んで逝く瞬間、俺は死ぬ事よりも生きる事を優先した。

償いがあるからではない。死ぬ権利が無いというわけでもない。

単純に、死にたくないと思ったから……

「――――最低だろ?こんな奴がどの面さげて自分の前にいるなんてよ……お前の前にいる権利も無いのに、お前に生かして貰っている権利も無いのに―――そして、お前の傍にいたいなんて言葉を吐き捨てる事すら許されないのに……」

奥歯を噛み締める。歯にヒビが入る程の力で、噛み締める。自分の情けなさに負けない様に、泣いて喚いて許しを請わない為に。

今だけは、自分の罪の全てをアリサに告げる為に。

流れでそうになる涙を無理矢理に納め、絶対に流さないと決意し、口を開く。

「許してくれって言いたい。本当は、何度も何度も……お前の傍にいる時に何度も言いたくなった」

正直に言おう。

あの時、喫茶店の時に言えなかった本当を口にしよう。

「俺は――――お前の傍にいる時、辛かった」

空気が震える気がした。

目の前でアリサが息を呑んだ気がした。

俺の本当を口にした瞬間、身体の温度が一気に零になった気がした。

噛み締めた歯がカタカタと音を立てて鳴りだす気がした。

「お前の顔を見る度に苦しい。お前の傍にいる時は何時だって苦しかった。それでも生きる為にお前を利用して、それがお前への贖罪だって自分に言い聞かせて、誤魔化してきた……」

寒い。

寒い。

寒い。

全てが、温度を失くしていく。

「逃げだす事も考えた。そしたら逃げても何の解決にもならないって思って……出来なかった。逃げる事の言い訳を考えても、全部が否定しなくちゃいけないんだって、思った……だから、喫茶店でお前が『もういい』って言ってくれた時―――俺は心の中で喜んでた」

苦しむ事は寒い。あの時の俺の身体の温度はやっと平温に戻った。重みから解放され、その重みの張本人からの許しが出たから、やっと解放された気になった。

あれが、救いというものだった。

「…………じゃあ、なんで戻ったの」

アリサの声はどこか冷たく聞こえた。

当然だ。

これが、普通だ。

「嫌だったから……逃げる事が嫌で、逃げようとする俺が嫌で……俺はまだ、何も償っていないって、お前に対して何一つ償いになる事をしていない―――だから、逃げたら、罪を増やすだけだと思ったんだ」

あの時も、俺は自分自身を誤魔化していた。

俺が何を想っていたのかは覚えていない。覚えているのは、俺が今口にした誤魔化しの無い本心だけ。それ以外は何も覚えていない。

誤魔化した心など、口から出まかせと変わらないのだから。

「お、俺は―――お前の、事をなん、て……」

言葉が巧く出てこない。

「本当は、何に……も考えてなかった、んだ」

内から外に染み出てくる感情の液体が口の自由を奪っていく。

「俺が、可愛いのは自分、だけで……それ以外、は……二の次で……自分だけが、良ければ、それでいいって……想い込んでて……」

お前に涙を流す権利など無い――――無理だ。

眼から流れ出る雫が地面を濡らす。

「――――――すまない……」

仮面もかぶれない。

自分も誤魔化せない。

誤魔化す事を辞めたら、後に残るのはこんなにも情けない佐久間大樹の本当だけ。その姿を、その愚かしさを実感した俺は、脆い。

強くなんか、なっていない。

全てを吹っ切ったなど、あり得ない。

全てを醸し出した俺の姿は――――ただの情けない人間でしかなかった。

「すまない、すまない……本当に、すまない……」

膝をついた俺の姿は、アリサに土下座をして許しを乞いている姿だ。

許されないと知りながら、許されるはずがないと決めながら、

「俺は、最低だ……最低なのに、お前は何度も何度も傷つけて……自分だけは安全な場所で誤魔化し続けて……クソッ、俺ってなんでこんなに最低なんだよ!?」

悔しさに地面を叩く。

涙と止める防波堤は既に決壊した。もう何も止める事は出来ない。子供の様に泣き崩れ、声を上げて泣き喚き、俺は空すら見れずに地面だけを凝視する。

言葉はもう発せられない。

口から出るのは慟哭の叫びだけ。

悲劇に酔いしれる事も出来ず、ただ泣くだけ。

俺は、どれだけの時間―――この涙を、叫びを止めて来たのだろう。

この一カ月、アリサの傍にいる間、ずっと押し留めて来た後悔の念が一気に解放された。それでもきっと心は優れないだろう。

許しを乞う罪人の後悔は、何時だって本心じゃない。誰かに許しを乞う行いは全てが自分の為でしかない。泣けば許される、後悔すれば許される、償いをすれば許される――――そんな馬鹿な話があるわけがない。

許されない。

絶対に許せない。

誰も、俺を許しはしない。

俺が、俺を許さない。

これは自分に酔っているわけではなく、当たり前の事実だ。そうでなければ許されるはずがない。

そして今、ようやく佐久間大樹は罪を告白し、自身を見せつけた。



俺が、決してアリサの傍にいてはいけない人物だという事を、本人の前で証明した。





どれだけの時間、俺はそうして泣いていたのだろう。世界の時間の流れはもう俺には分からない。分かるのは周囲の温度が冷えているというだけ。

「…………」

懺悔など、何の意味も無い。

俺一人が後悔した気分になっても意味は無い。

俺は此処に何をしに来たのかを思い出し―――俺はそれが無意味になった事を痛感する。

こんな告白を聞いて、誰が俺を許すというのだろう。そして、こんな告白をした人間が誰に傍にいていいかなどと、ほざけるのだろう。

わかっていた。

こうなる事は、わかっていた。

でも、あの場ではこうする以外、こう想う以外に身体を持たせる事が出来なかった。

叫んで、叫んで、叫んで―――そして、奇跡に等しい結果を残しても、最後はこうなる。これは物語じゃない。絵本のように全てが幸福な結末で終わるわけにはいかない。

リアルは、リアルの道筋がある。その道筋が物語よりもすんなりと結末が想像する事が出来る。

奇跡は、起きない。

一発逆転も、起こらない。

あるのは全て、冷たい当たり前の現実だけ。

「―――――佐久間」

そして、この冷たい声。

俺には、今のアリサの顔を見る義務がある。どんな表情をしていたとしても、どんな侮蔑の言葉も俺は受け止めなければいけない。

「アンタ、やっぱり自分勝手よ」

顔を上げ、

「……あぁ、そうだ――――な!?」

パチン―――なんて生易しい音じゃない。擬音でいうならこれはバギンッとか、ボゴッとか、そういう音だ。

つまるところ、俺の顔面―――しかも鼻頭を的確に拳が突き刺さった。

ぶっちゃけ、鮫島さんの拳よりも痛かった――――って、んな事を考えてる暇じゃない。俺を殴ったアリサは体勢を崩して車椅子から堕ちた。

「お、おい」

急いで助け起こそうと手を伸ばす。が、その手はパチンッという小さな痛みによって弾かれる。

「やっぱ馬鹿よ!アンタは大馬鹿、この大馬鹿野郎!!」

芝生を握り締め、涙を溜めた眼で俺を睨む。

「全部、全部アンタのせいだっていうのなら、全部アンタが悪いのよ!!私が攫われそうになったのも、事故に会ったのも、身体が凄く痛い事も……全部アンタのせい!!」

頭を振り、地面を何度も何度も叩き、喚くアリサの姿は初めて見る。

「なんなのよ……最初からずっと、ずっと私はアンタの都合で振りまわされて……馬鹿みたいじゃない……」

「あ、あぁ、それはそうだけど……とりあえず」

「とりあえずじゃないわよ、このバカチン!!」

とりあえずで手を出す事も出来ない。俺が触れる事を拒絶する。それは予想していたが、今はそんな事よりも地面に転がるアリサを車椅子に乗せる方が先決―――だというのに、アリサは俺をキッと睨みつけたまま、

「馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!」

俺の脚を叩く。何度も何度も、非力な殴打で俺を叩く。その間もずっと馬鹿を連呼し、徐々に鎮まる。

「―――――何で、そんな事……言うのよ」

その声は、

「黙っていれば、いいじゃない……」

俺を非難している。

「黙っていれば、アンタはずっと私を助けてくれた人でいられたのに……何でそんな事を私に言うのよ……」

どうして、本当を言ったのだと非難している。

いや、言ってしまった事に怒っているのかもしれない。

「勝手にずっと罪悪感抱いてなさいよ!?誰にも言わずに、ずっと一人で悶々と苦しんでれば良かったじゃない!!それなのに……それなのに……」

怒っているのに、なんでそんなに悲しそうなんだよ、お前は。

「今更、そんな懺悔を聞かされた私の身にもなりなさいよ。人の迷惑を考えなさいよ。だから、アンタは大馬鹿野郎なのよ……私の事なんて、関係ないのに……も、う……見ず知らずの他人だと想ってればいいのに……」

縋りつく様に俺の脚を掴み、顔を埋める。

「勝手よ……勝手すぎる」

どうすればいいかも分からず、俺は呆然とその場に立ち尽くす事しか出来ない。アリサに手を差し伸べる事も、抱きあげる事も出来ず、ただ茫然とするしかない。

「―――――酷いよ、佐久間」

「アリサ……」

酷い、俺は酷い奴。そんな事は百も承知だ。けれども、こんな反応をされるのは予想外だった。ただ怒るわけでも、怨むわけでもなく、泣かれてしまった。

怒りは正しい、でも怨んでいるとは違う感情。そして、それとは別の意味で流れる涙。本当に訳が分からない。その事で動揺した頭はアリサの名を呼ぶ事にしか機能を発揮しない。

俺は、どうすればいいのだろう?

誰も答はくれない。俺の意志で、行動でどうにかするしかないのだが、それが分からないから苦労している。

「アリサ、俺は――――」

「動かないの」

「――――――は?」



「動かないのよ、この脚……」



自分の脚に触れながら、アリサは呟く様に言った。

「立ち上がってアンタを蹴る事も出来ない。歩く事も出来ない……立つだけでも、不可能なのよ」

ズンッと、肩に重みが増える。

「お医者様は、本当の事は云ってくれないけど……わかるの。前までは治れば歩けるって想ってたけど、なんだか急にそれが無理だって気づいたの……アンタが病院に迎えに来た日、お医者様の声が何かを隠している感じだったし、付添いの人も隠してる感じだった」

歩けない。

「なんとなく、分かっちゃった。だから、鮫島にも聞いてみた……今は歩けなくても、何時か絶対に歩けるようになるって。だから希望は捨てるなって――――ほんと、なんであんなに必死なんだろう……本人じゃないのに」

二度と、歩けない。

「何時か歩けるとか、そんな慰めの言葉が逆にはっきりさせてるのに……だったら最初から二度と歩けないって言えばいいのに。そんな希望があるみたいな言い方、言わないでほしいのに……」

彼女は、二度と歩けない。

「そ、んな事、は――――」

喉の奥に雑巾を突っ込まれた様に息が苦しい。声が巧く出てくれない。それどころか自分が巧く言葉を発音しているかもわからなくなる。

「―――――恐かった」

それでもアリサの声ははっきりと聞こえる。

「歩けないって知ったら、わかっちゃったら、恐くて恐くてしょうがなかった……でも、どんなに恐がってもそれが事実で現実だってわかってるから……頑張ろうと思った――――でも、無理だった」

俺を見上げるアリサ。

「一人じゃ、頑張れなかった……周りに沢山人がいても、恐かった」

真っ直ぐに俺を見つめる瞳。

「だって――――アンタが、いなかったから……」

「…………」

「アンタが、何処にもいなかった」

「…………」

「どうして、あんな事を言っちゃったんだろ?歩けないってわかったら、なんだかアンタの事を一番に考えちゃったの。あぁ、この事を知ったら佐久間はきっと笑ってくれなくなる。無理して笑って、出会っ時と同じような顔で、無理矢理な笑顔を私に向けるんだって……そう想ったらさ、歩けない事よりも心が重くなった」

くしゃり、そんな顔でアリサは笑っていた。アリサが言う様な無理矢理な笑顔。見ているだけで苦しくなる、俺がアリサに見せていた笑顔の様に。

俺は、そんな顔をしていたのだ。

「そしたら、自然と佐久間の傍にいるのが辛くなった。病院でアンタの姿を見た時、胸が痛くなった。佐久間が何にも知らない時の笑顔が好きだと思って、その笑顔が壊れちゃうって想ったら――――もう、口に出してた」

それがあの日の、本当だった。

「嫌われたい、私の事を大嫌いなって欲しい、そして……私の前からいなくなって欲しい」

俺と同じ様に、アリサも辛かった。

「そしたら、少しだけ心が楽になれた。言いたくない事を沢山言って、嫌われるような事を沢山言って……それで、全部が変わるのかなって想ったの……」

俺がアリサの傍にいる事が辛いと思ったように、アリサも俺の傍にいる事に辛さを覚えた。あの瞬間、俺がなんとなく病院に向かってしまったせいで、自分の脚が動かないと実感した間の悪い瞬間に、俺はアリサの前に立ってしまった。

何も知らずに、能天気な顔で。

「でも……駄目だった」

嘘なんかじゃなかった。

「夜になって、ベッドに入ったら……部屋の中が暗くて、寂しくて。どうにかなっちゃいそうなくらい恐くなって……気づいたら、佐久間の携帯に電話してた」

俺とアリサの今までは、空想でもなんでもない。

「繋がらないって知ってたのに、繋がると思った。もしかしたら、佐久間が部屋に戻ってるかもしれない。私の言った事を忘れて、部屋に戻って携帯を握ってるかもしれない――――そんな都合の良い事を考えて……でも、さ」

俺達は、何も失っちゃいなかった。

「繋がらないの……全然、繋がらなかったの」

あの着信履歴の数は、助けを求めるコールだった。なのに、俺はそれを無視してずっと自分の殻に閉じこもっていた。

助けを求めるコールも知らず、ジグザの傍で安穏と時間を削っていた。

その時の俺は心の重さも感じずに、自分の罪も忘れて救われた気になっていた。その間、俺に助けを求める電話をずっと無視したまま。

勝手だ、そう言われた意味がようやくわかった。アリサの言う勝手と云う意味が今になってようやく理解できた。

遅すぎる。

今更理解しても、遅すぎる。

「――――諦めたのに。佐久間を頼らず、自分の事は自分でやって、誰にも甘えないでいこうって決めたのに……なんで今になって来るのよ」

「…………悪い」

「悪いわよ!!」

決心してしまった心を俺は崩してしまった。こんな小さな身体で、リアルの重さを背負おうと決心したアリサの想いを崩してしまった。

なんてマヌケ。

「今になってきて、そして勝手な事ばっかり言って……何よそれ。何なのよ!!」

本日何度目かになる、その言葉。

ほんと、何なんだろうな……

理解してしまえば、シンプルだ。

俺とアリサは、とことんまで間が悪い。

たったそれだけの事だった。

行動するべきタイミングは噛み合わず、想いを抱くタイミングも噛み合わず、その度に互いの何かを傷つけ続けている。

まるで喜劇だ。お笑いだ。俺もアリサも、自分達が意識していないのに互いが馬鹿な事をずっとしている。

「ねぇ、全部がアンタのせいだっていうなら――――立たせてよ」

俺を睨み、自分の脚を握りしめる。

「立たせてよ、歩かせてよ……アンタと会う前みたいに、私を立てる様にしてよ!!」

悲鳴の様に響くアリサの声に、俺は答える術を持たない。

そんな力は無い。そんな方法も知らない。俺が知っているのは医者が無理なら無理だという、その程度の認識だけ。

何時か歩ける日が来る、そんな希望論を振りかざす事も俺には出来ない。

「すまない……」

「謝るくらいなら、なんとかしてよ……謝っても、動かないのよ」

「だから、すまない……」

天を仰ぐ。

月を仰ぐ。

その行為に意味が無いと知りながらも、奇跡を願う様に。

でも、きっと奇跡は起きない。

「すまない……」

これがリアルである限り、都合の良い奇跡は起きない。

「俺にはお前を救う手は、ないんだ」

今だけ、この世界を物語と罵りたい。そうすれば、物語の様に都合の良い奇跡が起こってアリサの脚を治してくるかもしれない。そんな絵空事を妄想する。

けど、無理だった。

知ってしまったから。

想ってしまったから。

この世界は外から見れば物語だとしても、俺が立っている場所からすれば現実。

「っは、はは……はははははは」

厳しい程に、此処は現実だった。

すれ違い続ける俺達の生きる、そんな現実。

「っふふ、あはははははは」

そんな滑稽な俺達が笑い続け、そして誰かが笑う現実。

「あははははは、そうだよね。無理だよね」

「くはははははは、あぁ……無理だ」

笑って、笑って、そして泣いて。

救いが無いと知っている俺達は笑うだけ。

世界の残酷さを噛み締めながら、そしてそれを笑い飛ばしながら。

人には起こせない奇跡を神にすら祈らず、月光の下で笑い続ける俺達は――――ただ、笑い続けた。








きっと、これが俺達の形なのかもしれない。

静かな夜。

時計は十一時を回り、世界は静寂に包まれて。

庭に置かれた小さなベンチに座り、俺の膝の上にアリサが座って。二人で夜空を眺めながら溜息を吐く。

「佐久間、煙草臭い」

「悪いな。もう止められそうにない」

煙草を口に咥えながら、抱き締めたアリサの温もりを感じる。

「止めなよ、煙草」

「無理」

「断言するよりも、止める努力をしなさい」

「嫌だね。俺は煙草を生涯吸い続けて、肺癌になって死ぬんだよ」

「大見栄はって言う所じゃないわね」

「同感だ」

俺の両腕を掴み、アリサの頭が俺の胸に押し付けられる。

金色の髪が月光に照らされて小さく光っている。

「―――――私さ、佐久間が想う以上に……佐久間の事が大好き」

「…………そっか」

「むぅ、素気ない」

どんな反応を返せというのだろう?

「そこはもっとこう……こう……なんかあるでしょ?」

「少女漫画の読み過ぎ」

「し、失礼ね!女の子が誰でも少女漫画を読んでると思わないでよ」

その誰でもの中に、アリサは入っていない。だってコイツの部屋の本棚に置かれた漫画の大半はそういう類いの漫画だ。

「大人になるとな、子供のそういう言葉に赤面する事は無いの。ああいうのは、お前くらいの歳でしか出来ない事なんだよ。そういう意味では今しか出来ない貴重な体験って奴だな」

「大人の余裕って、なんか嫌だな」

「子供は子供らしく、甘っちょろい恋でもしてろ。ガキに恋愛は早い。ガキは恋だけで十分だ」

「…………私、結構頑張って告白したんだけど」

「それを流すのが大人のスルー技術だ」

大人と子供、恋はあっても恋愛は成り立たない。

俺の言う好きはLOVEではなくLIKE。そして、アリサの言う好きもLOVEではなくLIKE。俺から見ればそういう風にしか見えない。恋とか愛を語る気はないが、そのくらいは言っても罰は当たらないだろう。

「俺は確かにお前の事は好きだ。でも、恋じゃない。人が人を好きになるっていう単純な分の好きで、異性を好きになる複雑な部分じゃない」

「ふぅん……そういうモノなんだ――――なら」

腕の中で、アリサが俺を見上げる。

「私が大人になって、佐久間が見惚れるくらいに綺麗なったら……私の事を好きになってくれる?」

「そうだな……無いな」

ここはきっぱりと断るべきだ―――大人げない?知るか。俺はこういうタチなんだよ。子供が大きくなったら先生のお嫁さんになるとか、そういう発言をしたなら速攻でお断りする主義なの―――ん、最低?知ってる。

「少しは私に期待を持たせなさいよ……」

「初恋は実らないって、少女漫画に描いてなかったか」

「残念。少女漫画の初恋は何時だって成就するモノなのよ」

そうか。あんまり夢を見させるなよ、少女漫画。それじゃ、子供達の将来が不安になるぞ――――いや、そうでもないか。

恋は必ず実るとは限らない。それこそ、物語の様に山あり谷ありな構造を持っているわけではないリアルを知るには良い機会でもあるわけだ。

現実はそれだけ厳しい。だから成就するように努力する。何もしないのに叶う恋など在るわけが無い。そして、何もしないのに得られる愛も存在しない。

「子供は子供らしく、か……」

「どうしたの?なんか気持ち悪い顔してるけど」

「失礼な奴だな……まぁ、あれだ。前までその言葉が好きじゃなかったけど、案外捨てたもんじゃないって想ってな」

「私からすれば、私を馬鹿にしている発言に聞こえるわ」

「違うよ、馬鹿」

子供は、子供でいいんだ。俺達が子供には子供らしい事をしてほしいと思う事は、自分達の価値観を押しつけるだけの行為。けれども、それを押しつける事に理由がある。

「俺がガキの頃は楽しかった。その楽しさは子供だからこその楽しさだった。だから、その楽しさをお前等子供にも知って欲しい、感じて欲しいって想ってるからの言葉なんだよ。子供の頃の時間はすげぇ長く感じるし、毎日が楽しくてしょうがないって想える。その時間が大人になったら尊いモノだと知って、それが二度と取り戻せないと知ってるから、その時間を大切にして欲しい」

これは、そういう意味の言葉だ。

決して、誰かを責めるべき言葉ではない。

けれども、だからこそ俺はその言葉の意味を誤解してはいけないんだ。

「子供だから許せるってわけじゃないよな、これ……」

「それはそうよ。子供だからって何でも許されるわけじゃない」

「それは大人のセリフだ。子供のセリフじゃない……大人が、子供に言うからこそ意味のある言葉なんだよ」

だから、お前が使うべき言葉じゃない。

「……アリサ。お前は子供のクセに色々と我慢しすぎだ。周りの大人を頼れ、我儘を言え。お前のそれは自分の中だけで我慢してちゃいけない想いだ」

子供だから許せるわけじゃない――――子供だから、許しちゃいけない。

アリサを抱きしめる力を、少しだけ強める。

「子供が苦しんでる時に、何も出来ないなんて嫌なんだよ。少なくとも、お前の周りにいる大人達はそういう奴らだ。お前の苦しみを理解してるのに、お前が何時まで経っても泣き事一つ言わずにじっと我慢してるから、どうしていいかわからなくなってる」

「…………」

「もちろん、それでもちょっかいを出す奴もいるけど、お前みたいにプライドが高い奴にはちょっとそうはいかない。押せば倒れるどころか、押せば余計に反抗する奴には特に気を使う――――みんな、お前の事を理解しすぎなんだよ」

鮫島さんもそうだ。

優し過ぎる。優し過ぎるから、中々前に踏み出せない。俺っていう邪魔者に言われなくてもあの人なら何時か踏み出していたかもしれない。でも、それが今じゃなかった。

踏み出す事は簡単だけど、踏み出そうと決心するのはこんなにも難しい。

「だから、少しだけ甘えろ。泣き事を言え。不安な夜に一人で泣いて過ごすより、誰かと一緒に寝て過ごせ。そうすれば、お前の想いに少しだけ手を伸ばせる勇気が湧くんだよ」

「――――迷惑じゃ、ないかな?」

「それが迷惑なんだよ。遠慮される事のほうがよっぽど迷惑だ。人間、誰かの言葉があって前に進める奴が大半だ。何も言わないのに助けてもらおうなんて、虫が好過ぎる」

「言っても、どうにもならないかもしれない」

「どうにもならないかもしれない。でも、お前の思うどうにか以外のどうにかが、もしかしたらあるかもしれない」

後は、アリサ次第だ。

俺が言えるのはここまで。これ以上は俺が踏み込んでいい場所かの判断が出来ない。その判断が出来るにはアリサの言葉が必要だ。

「じゃあ、佐久間は私が助けてって言ったら……助けてくれるの?」

「わからん」

情けない言葉に、アリサがズッコケそうになる。

「しょうがねぇだろうが。俺を誰だと思ってやがる」

「自信満々に言うセリフじゃないわよ!!あと、使い方も間違ってるし――――もう、このヘタレ」

子供からもヘタレ呼ばわりされる俺、どうやら本当にそうらしい。

もう笑うしかない。

笑って、受け入れて、

「けど、お前も大概そうだろ?」

「っう……あんまり否定出来ないかも」

そして、此処に俺と同類がいる事に安堵する。

「…………それじゃ、佐久間」

俺を見据え、頬を微かに赤く染めながら、

「寂しいから、ずっと一緒にいてくれる?」

紡がれた。

「もう、離れたくない。あんな想いはもう沢山……佐久間とずっと一緒にいたい」

真っ直ぐに向けられた純粋な想い。眩しいくらいに綺麗ない言葉の重みは、俺の身体に圧し掛かる罪にさらなる重みを加える。

「私の傍に、ずっといて……」

ずっと、それは何時までだろう。

一年か、十年か、それとも死ぬまでか―――死が二人を別つ時までか。

「佐久間の罪も許していい。佐久間が傍にいてくれるなら、私は他に何もいらない。佐久間が心の底から笑えるように私も頑張る。だから、一緒にいて欲しい」

掴まれた腕は微かな力ですぐに振りほどける。

振りほどくのは、簡単だ。

けれども、振りほどくのは意味が無い。それよりも大切なのは、この手を何時かアリサが離してくるという事だ。

「アリサ。許すなんて駄目だ。お前は俺を許しちゃいけない……俺も、許されるのが辛い」

「でも、それじゃ……佐久間は、幸せになれない!」

「だから、それは子供のセリフじゃねぇっての」

「…………」

誤魔化さないで、アリサの眼がそう言っている。別に誤魔化しているつもりはないが、こんな子供に心配される俺も問題だな。

「俺は別に幸せになりたくないわけじゃない。俺だって幸せになりたいさ、人間だからな。でも、自分のした事を綺麗さっぱり忘れて生きていくなんてみっともないだろ?」

「それは……」

「みっともないよ。少なくとも、俺はそう思う。だから、許してくれるなんて言葉に甘えるなんて事も出来ない」

「じゃあ、佐久間はどうしたいの?」

「そうだな……とりあえず、お前の傍にいたいかな」

『ずっと』は無理だ。

ずっとなんていう永遠はない。

言葉遊びになるかもしれないが、『ずっと』と『永遠』という言葉は安っぽいし、上げ足をとるなら不可能すぐる。人間の時間は有限、その有限を無限に延ばす事は絶対出来ない。だからこそ、『ずっと』なんて言葉には賞味期限があるのは当たり前だ。

「限られた限り、限られた時間の中で、俺は許される限り―――お前の傍にいたい」

ずっと、ではなく。

「少しだけ。本当に少しだけ、歩けないお前の代わりに車椅子を押してやる」

そして、『ずっと』は無くとも、俺達の先には―――『これから』がある。

何時だって、『これから』がある。

「ずっと一緒にはいられないけど……何時かお前が別の誰かを好きになって、ソイツの事が好きで好きで堪らなくなるくらいに好きで、俺なんか二の次になってくれるってんなら――――それまでは、俺がお前の傍にいようと思う」

今はマイナスでも、これからは分からない。これからは何時だって未知数だ。それだけは物語でも現実でも変わりは無い。

誰にでも、これからがある。

「未来の、お前が好きになる奴がお前の前に現れるまで、お前の車椅子は俺が押してやる。我儘ならある程度は聞いてやるし―――そうだな、時々喧嘩もしよう。子供みたいに、俺は大人げなく怒って、喚いて、モノを投げ合って、一緒に、喧嘩もしよう」

そして、『それから』が目の前に現れたのなら、

「喧嘩したら、もう一度……こうして話をしよう」

そのくらいは、してもいいかもしれない。

許されなくとも、それだけはしたい。

俺にとって小さな我儘で、他人から見れば都合の良い戯言で、

「そんな当たり前の事を、俺はお前としたい」

「佐久間……」

「それだけは、許してくれないか?」

罪滅ぼしの念が無いとは言えない。生きる限り、その念を忘れずに生きていけるなんて保証はないけど、それを想う事だけはしたいと思う。

マイナスだらけの俺が、これからも零に向かっていける様に。

「――――条件、一つだけある」

「何だ?」

「さっきの事。佐久間が私に話してくれた事の全部……誰にも言わないで」

視線と視線の交差。

「佐久間の後悔は私だけが知っていたし、その後悔で佐久間を責めるのは私だけにしたいから……誰にも、佐久間を責めさせない」

我儘にも聞こえる。同時に、決意とも取れる。

「私と、佐久間だけの……秘密」

「―――――あぁ、わかった」

まるで秘密を共有する共犯者を作ってしまった気分になる。俺の本当とアリサの本当を知るのは二人だけ。

佐久間大樹とアリサ・バニングスの二人だけ。

「アリサ、俺はお前の事が好きだ」

大人が子供を好きな意味で、

「私も、佐久間の事が大好き」

子供が抱く恋心を込めて、



そして、俺達は『それから』を求めて手を取り合う。



さよなら、もうその言葉を別れの言葉にはしない。

また明日、その言葉の意味を心に込めて―――そういう想いを込めて、

「――――ただいま」

俺は小さく微笑む。その笑みはアリサの眼にはどんな笑顔に見えたのかはわからない。けれども、アリサの微笑む顔を見れば、少しだけ点数が上がった気がする。

百点には遠いけれど、『それから』の先にはきっと笑えると信じられる。

「――――おかえりなさい」

そう信じて、俺達は月光に照らされる。

何時の間にか月の光を冷たいとは思わなかった。優しい光は太陽とは違う意味で暖かい。熱くもない、冷たいに近いが、心地良い光に照らされて、



佐久間大樹は、ようやく帰ってこれたと想えた。







あとがき
人間、変わろうとおもってもそうそう巧くはいかない。多少は元の自分が残っているし、それが今に勝る時もある……そんな話の、散雨です。
はたして主人公はリセットする事が出来たのか、それとも出来なかったのか、どっちなんですかね?
ようやくヒロインの登場。そして告白、そして玉砕、でもなんか繋がってる。もうどっちなんだよと自分でもツッコミたいっすね。
というわけで、次回は「甘甘しよう。グチャグチャしよう。そして死にやがれ」で行きます。
甘い展開なんぞ、書く気なし!!



[10030] 第八話「全ては消え逝く絵空事」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/11/21 14:58
悲しい、これはとても悲しい事だ。

誰しもが泣いてしまいそうな、苦しくて死にそうになって、その後に狂ったように笑い続け、嗤い、哂い、そして最後はきっと白く染まる。

白は純白で潔白、そして神聖なモノと決め続ける。白く染まれば誰もがかれもが幸福になって笑顔な最期を迎えるだろう。

故に彼女も真っ白になった。

純白の白に染まる―――何も無い。

潔白の白に染まる―――考える事も無い。

神聖な白に染まる―――生もなければ、心も無い。

まさに、白。

白い、彼女は白い。

雪の様に冷たく白い。雲の様に漂う白。そして、空白の白になれば彼女は幸福も不幸の感じる事もない。

あぁ、なんて幸福。

なんて最悪。

なんて、悲しい。

泣いてしまいそうだ。幸福すぎて泣いてしまいそうだ。不幸すぎて泣いてしまいそうだ―――俺は、きっと泣いている。



こんな素敵な光景を見て、俺は泣いている。



「―――――アナタは、何も変わっていないね」

「あぁ、俺は何も変わっていない」

俺の背後に立つ白の男、男のくせに声質だけは女性という気味の悪い男はそう言って顔を顰める。

「僕の知る限り、アナタは何時までもそのままだ……変わらない。変わる事を知らず、変わると云う概念すら、吐き捨てる」

「酷い言われようだ……泣いてしまいそうだよ」

「既に泣いているのに、かい?」

そう、俺は泣いている。こんなに泣いているのに、どうしてこの男―――女神は泣いていないのだろうか?

あぁ、コイツはきっと冷徹で低能な頭脳しか持っていないから、こんな悲しい―――素敵な光景を見ても何の感情も湧かないのだろう。

それは不幸と呼ぶべきなのか、それとも下劣と呼ぶべきなのか―――いや、そのどちらもかもしれない。

「お前さ、なんでこの状況を見て泣かないわけ?もしかして、神様って連中はみんながそんな風にクソッタレな体質をしてるのか?」

「まさか。僕だって泣きますよ。幸福には泣き、祝福には泣き、世界中の人々の幸福には涙を流して喜ぶ」

しかし、コイツは不幸には泣かない。

「そうだな……お前は、そういう性質だったな」

「えぇ、僕はそういう性質ですよ……だって、誰かが泣いているのに、僕が泣いたら誰がその人を慰めるんだい?」

「少なくとも、人間が慰めるだろうな。神様じゃない。お前じゃない。お前以外の全てのモノが、誰かを慰めるだろう」

女神はそれに対してなんの返答も返さない。俺の言う事に否定が出来ないのか、それとも否定する気がないのか―――いいや、違う。

それを知ってしまえば俺は笑うしかない。しょうがないと笑い、無様だと笑い、肩をすくめて苦笑するしかない。

しょせん、神なんてそんなモノだ。

神も女神も――そして邪神もだ。

俺は諦めて目の前の光景に目を向ける。

薄暗い部屋の中、白いシーツの敷かれたベッドの上で一人の少女がグッタリとしている。

痛々しい顔、眼を見開き、口と鼻から液体を垂れ流し、身体をマネキンの様に固め、息もせず、鼓動もせず―――喉に紅い痣を浮かばせたまま、死んでいる。

なんて悲しい光景なのだろう。

なんて悲しい光景だったのだろう。

なんて、なんて―――なんて、悲しい光景を俺は見てしまったのだろう。

「――――自分に酔っているのなら、その辺で止めておいた方がいいよ」

「何故だ?」

「僕の従者が君を殺したいと言うからさ……止めてくれないかな?今の彼女は軽くナーバス状態で、僕の言葉も聞かずに君を殺しにかかりそうだ」

そういえば、先程から俺の背中に突き刺さる冷たい感覚―――これは殺気だ。忘れていた、こんな感覚を味合う事が最近無かったので、完全に忘れていた。

「それを止めてくれるなんて、お前の随分と優しいな」

「時間の無駄だからね……というか、君と彼女を戦わせるなんて『極限の無駄』をさせる僕じゃないよ……忌々しいけどね」

少しだけ驚いた。

女神が俺に向かって忌々しいと吐き捨てた事だ。

少しだけ驚き、疑問が湧く。

「俺って、お前に嫌われるような事をしたっけ?」

「全然。むしろ、アナタとは初対面だ―――そう、『此処』では初対面だ」

「だが、俺は違う」

「えぇ、そうでしょうね。アナタは僕と初対面ではない。『此処』の『僕』とはね」

なるほど、どうやら嫌われては無いらしい。安心だ。この世界の管理者である女神と喧嘩するなんて無駄は無い方がいい。

そう、本当に良かった。

俺にとっての時間の無駄など、するべきではない。

時間は有効利用しなければいけない。こんな奴と無駄話をしている無駄は『七十三週回分』で十分だ。それよりも、見なければいけないのはこの光景だ。俺はベッドに置かれた死骸に近づき、手を伸ばす。

冷たい。

体温が感じられない。

数分前まではあんなに生き生きとした肌は白くなり、頬の暖かさは皆無。背筋が凍り浮きそうな冷たさを感じながら、俺は優しく死骸の頭を撫でてやる。

「可哀そうに……君がこんな結末を迎えるなんて予想はしていたけど、今回は違うと思っていたよ」

本当に、予想はしていなかった。

予想ではなく、願いでもあった想いはあっさりと打ち消されてしまった。どうしてこんな結末になってしまったのだろう。

「まったく、何度見てもこの最後は後味が悪い……だが、見慣れてもいるけどな」

この死骸が死ぬのはかなりの高確率だ。故に俺は予想していない。

これは競馬でも競艇でもないのだ。

そして推理小説でもない。

これは誰かの人生だ。人生は予想する事が困難な形を持っている。だから俺は予想はしない。するのは期待だけ。期待して、そして結末まで見続ける。

これは本を読む様な行為だとも云えるだろう。

推理小説は推理する事を醍醐味だとするならば、俺はその醍醐味を放棄する。

逆に問うが、何故、誰もが推理しようとするのだろう?あれはそういう形を持っているとしても、誰も推理しなければいけないという法則は無い。

推理小説は、推理してはいけない。

推理してしまえば、結末まで見えてしまう。

それでは、探偵の出番が無い。

読者は探偵になってはいけない。読者が探偵になってしまえば、物語の意味がなくなる。トリックを見破り、犯人を当ててしまえば探偵の存在価値が著しく堕ちてしまうではないか―――推理小説の探偵は、読者ではないのだ。

だから俺は予想も推理もしない。

本は読むべき物だ、推理するべき物ではない。

そして、道筋を予想するのも意味が無い。考えるのは読み終わった時だけでいいはずなのに、本を読みながらモノを考えるなんて言語道断……それでは、物語が無意味になってしまう。

「…………無意味だが、君の死は何時だって無意味にはならないな」

そこだけは、悲しみよりも感心するべき個所だ。

苦しみ死んでいった死骸の眼を閉じさせ、死骸の顔を綺麗に拭いてやり、腕を組ませて静かな眠りを祈る。

既に死んだはずの少女、それが何の因果か生を取り戻し―――そして、殺された。

「―――――ッ!?」

口元を押さえる。

「――――――――!!」

感情を抑え込み、身体を震わせる。

内から漏れだす衝動を抑え込み、この不幸の塊のような部屋の中で俺は必死に感情を抑え込む。

それこそが俺に出来る唯一の事なのに……それを放棄する事は許されない。でも、抑えられない。今にも漏れ出しそうだ、今にも全てが漏れだし、全てを台無しにしてしまいそうだ。

「――――――ッグフ!?」

漏れ出す。

漏れ出す。

漏れ出す、漏れ出す。

「――――ッグゲ、グベェ……ギハハ」

背中に刺さる視線は女神のモノだろう。女神の奴はきっと俺を何時のような生温かい眼で見るのではなく、心底呆れかえった眼で見ているに違いない。

止めろ、そんな眼で見るな。

こんな俺をそんな目で見るんじゃない。

我慢が、出来なくなりそうじゃないか―――――やっぱり、無理だった。

「―――――――――グヘ、グヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハッハハハハハハハハハ、ウヒャハハハハハハハハハハハハアアアハハハッハア!!」

聖者を愚弄する。

生者を冒涜する。

死者を冒涜する。

愚者を冒涜する。

溢れだす笑い声は、この部屋に満ちた静寂を破壊し、死の静寂を爆笑の渦に変える。

駄目、やっぱり駄目だった……笑える。笑え過ぎて、今にも死にそうだ。

「――――――き、さま……」

ドンッと部屋に巨大な重圧が掛る。

怒り、激しい怒りの感情が俺に突き刺さる。それと同時に地面を蹴り壊し、俺の間合いに一瞬で移動してくる物体。

白い閃光が瞬く。

手に感じる衝撃と燃える様な痛み。

閃光を受け止めた瞬間、手の皮膚が一瞬で焼かれる。白い炎は魔を浄化する炎ではなく、魔を滅する破壊の炎。だとしたら、この痛みも頷ける。

痛みは一瞬で背筋を駆け抜け、脳に届く時には既に腕の一本、手の先から肩までを一瞬で消炭に変えてしまった。

そんな行為をするのは女神―――ではなく、先程から女神の背後に隠れるように潜んでいた白い髪の女。

神の従者であり、悪を憎む善人の姿。

「人の死に場に、笑みを持ちこむなんて……無粋を通り越して吐き気がします!!」

「だからって、人の手を消炭にするか、普通?」

正直、腕の一本が消炭になろうと俺には何の支障もないのだが、こんなに怒りっぽいのはあんまり感心しない……まぁ、俺が悪いと言えば悪いけどね。

ほんと、彼女を怒らせるのも『何度目』か分からない。というか、そもそも数えてもいないのだ、仕方が無い。

「サクヤ、止めなさい」

「ですが!?」

争い事を止める女神と、珍しくそれに反発するサクヤ。珍しい、実に珍しいな。こんな彼女を見れるなんて今日はツイているのかもしれない。

「…………あまり、サクヤを刺激するような事をしないでほしいね。彼女、こんな結果になった事を心底後悔しているからね」

「みたい、だな……流石は女神の従者だ。こんな心の綺麗な女性を侍らせているお前に、俺もちょっとだけ嫉妬の炎を燃やしそうだわ」

「――――笑えない冗談はやめてくれると嬉しいね」

別に冗談でもないのだが。

「それで、サクヤさん。君のご主人様がこう言っているけど……まだやる?」

「…………」

その眼だけ見れば、続投を半永久的に望みますって眼だな……

やばい、ちょっと興奮する。このまま彼女をお持ち帰りして、最終的に俺の嫁さんにしたい―――と、こんな邪心を抱いたのがばれたのか、サクヤはすぐに俺から離れる。

残念、たまには彼女と遊ぶのも面白いとおもったのだけど……まぁ、機会は何時でもあるだろう。今回ではなく、次回にでもな。

「さて、これ以上アナタとこの場にいると、サクヤがまた暴走しそうなので……」

「え、帰るの?」

「はい。元々、此処に来たのは妙な感じがしたから来ただけなので――――でも、来て正解だった云えば、正解だったかもしれませんね」

女神は眼を細める。怒っているのではない。

コイツが怒るなんて事は普通はあり得ない。そんな場面を見たのは数える程度。基本的には怒りという当たり前が欠如した神様の中の神様だからな、コイツ。

無論、だからこそ女神は人の感情を真に理解する事はあり得ない。

「噂には聞いていましたが、まさか本当に彼のような者がいるなんて……僕もまだまだ若輩者って事ですね」

「っていうか、お前等は他世界に興味が無さ過ぎなんだよ。アイツは結構有名だぜ?色々な世界で世界という世界を喰い荒し、道筋を破壊する悪魔―――ほんとに知らねぇのか?」

「聞いた事があるだけですからね……ですが、存在は確かに確認しました。その代償があまりにも大き過ぎますけどね」

どうやら、女神は怒っているではなく、頭を抱えているようだ。

そうだよな、何せこんな事はあり得ない。

予定調和、最終的にハッピーエンドとか、そういう意味ではなく。必要なパーツという意味での予定調和が喪失したのだ。

「このガキ……アリシアの死亡は別に問題ないな」

と、言った瞬間にまた殺気。サクヤさん、俺が喋るたびにそんな眼をしないでください。俺、恐くてちびりそうです。

「えぇ、これは世界にとって何の反応も示さない出来事です」

と、女神が言ってもサクヤは怒らない。代わりに、手を握り締めて、悔しさを噛み締めている。

俺への反応は一体どういう基準なのか、一度腹を割って話し合いたい―――その前に、物理的に腹を割られそうで恐いけどね。

「この世界の予定調和に必要なパーツが失われたままでは、世界がおかしくねじ曲がる可能性がある」

「だろうな。俺の見る限り、世界の奴も腹の不調を訴えだしてるな……下手すりゃ、数日中には世界崩壊なんて可能性も在り得るわ、コレ」

「冗談でもそんな事を云わないで欲しいね……」

「大変だな、女神も」

「呑気なアナタとは違ってね」

失礼な奴だな。

俺だって忙しいんだぞ?

「―――――とうせ、アナタに協力を頼んでも断るのでしょ?」

「当たり前だっての。俺はこの世界の結末をのんびりビール片手に傍観するだけの奴だからなぁ……頑張るのはお前だけ。世界の奴をなんとか誤魔化す為に、頑張ってくれや」

「言われなくても頑張りますよ。この世界を管理する神としてね―――ですが、それに集中するには些か問題があってね」

「問題?」

「えぇ、問題です。まず、この事態を引き起こした男が、これで終わり、黙っているかわからないので監視するしかない。同時に、邪神がコレをいい事に行動を開始する可能性も捨てきれない……僕って、四面楚歌だね」

「大変だな、女神も」

二度目になる労いの言葉を向けるが、俺にはあまり興味はない。

第一、世界の崩壊など腐るほど見てきた。この程度のトラブルで崩壊する世界なんて無様以外の何者でもない―――現に、『何度か崩壊した世界』である『此処』で起きたトラブルなど知った事ではない。



ガルガ・ガルムス―――神喰いと呼ばれた男。



「大層な名前を持ってるくせに、やる事はトラブルばかりってか?とんだヤンチャ坊主だな」

「ヤンチャの程度が些か大きすぎるが問題だね――――ともかく、世界の修正に僕は完全に全てを向けなければいけないし、それで事が収まるかも微妙だ……やれやれ、ジグザが来てから、どうしてこうトラブルの連続なんだろうね?」

いいや、それは違うな。

俺は女神にもサクヤにも見られない様に笑みを作る。

ジグザ、神滅餌愚座が来てから世界がおかしくなったのではない。ジグザがこの世界に来る事は『予定調和』なのだ。その予定調和が存在する限り、奴が来たからおかしくなったなんて事はあり得ない。

これは、そういう予定調和なのだ。

この場で、俺だけが、俺と云う存在だけが知る―――物語の一部。

だからコレはコイツ等には伝えない。俺が知る事をコイツ等には一切伝えず、コイツ等が、この世界の住人がどんな反応をするのかを傍観するのが俺の趣味。

そんな趣味を、自分から壊す馬鹿が何処にいる?

そして、だ。

「愚痴を言う暇があったら、さっさと仕事しろよ。むしろさ、このトラブルを切り抜けてこその女神だろ?ガンバ、ガンバ」

俺と女神がこんな会話をするなんて、飽きた。何度も何度もした会話を繰り返す事は退屈になるし、マンネリにもなる。

「気軽に言うね……まぁ、頑張るけどさ」

そう言って女神とサクヤは部屋の中から姿を消した。

この後、あのコンビにどんな結末が訪れるのか―――俺は懐にしまってあるメモ帳を取り出して確認する。

「パターンは結構あるけど……大抵は十七番目のパターンか。今回もコレだと俺としてもつまらないし、なんか物足りないなぁ」

少なくとも、そろそろ違ったパターンを見てみたいとも思う。

それにはどうするべきか……俺が考えてもしょうがないのだが、それでも違った結末も見てみたい。予想外ではなく、見た事のないというパターン。

「―――――いっその事、別の世界に跳ぶかな」

世界なんて無限に存在する。その一つの世界にも無限に別の小さな世界が存在する。

次元世界とか、そういう枠組みではなく、分かれ道。その分かれ道は一つの世界に無限に存在する。結果として、破壊される世界も存在するし、真っ白になる世界も存在する。

世界は無限、同時に物語も無限。

けれども、如何に無限だからとういっても大抵は同じだ。同じ結末ではなくとも、同じような結末になる事もある。

「それが、つまらねぇよ」

新しい結末が見たい、俺の中にあるのはそれだけ。それ以外は別に興味はない。

しかし、その為に自分が手を出すという行為も気に入らない―――俺はそう、傍観者であり読者であり視聴者であり、何よりも第三者として楽しみたい。

我慢するしかない。

そう、我慢だ。

我慢して、我慢して、そして俺はこの世界で新しい結末を見るのだ。

「…………まぁ、努力は大切だよな」

待つという努力はあまり好きではない。しかし、待つしかない。待って誰かの最後を見て、そして俺だけの楽しみを見るだけだ。

それが、俺だから。

俺と云う存在の――――存在理由だか、ら、こそ?




――――軋む。





「――――――」

何かが軋む。

静寂なはずの部屋の中に充満する匂いは消えた。

先程まで充満していた死の匂いが別の激臭によってかき消された。死の匂いではない。これから訪れるであろう死の匂い。

死者はこの場にいなくとも、死者がこれから作りだされるであろう狂気の匂い。その匂いを限った俺の肌が粟立つ。

聞こえる、感じる、この場所は軋んでいる。

聞こえる、感じる、この場所は壊れていく。

聞こえる、感じる、この場所は死んでいく。

聞こえる、感じる、この場所は―――これから誰かが死ぬ。

そして気づく。

「―――――」

俺は恐れている。

人でもない、生きているわけでもない俺が、この感覚に脅えている。まるで蟻が自身を踏み潰す無邪気な子供を見上げるかのような、そんな恐怖感。圧倒的なまでの負の塊で、無邪気ではなく邪気そのモノの具現。

恐ろしい、全てが一瞬で無に帰ってしまいそうなほどの恐怖が背後から襲いかかる。

女神ではない、サクヤでもない。アイツ等にこんな事は出来ない。俺とアイツ等、闘争すれば十割十分俺が勝利する事が確定されている。

所詮は女神、所詮は女神の従者―――いや、この世界に存在する登場人物である限り、アイツ等は俺に勝つ事は絶対に不可能だ。

だというのに、俺は恐れている。

俺と云う存在を、幽霊に脅える子供の様に脅えさせる存在が、この世界にいるはずがない。

だったら、この恐怖は一体なんだというのだ!?

また、軋んだ。

世界ではない、俺ではない、何かわからないが軋んでいる。グニャリと歪む視界、グギィと罅割れる世界、擬音に表せない音を響かせながら軋むのは一体―――なんだ、コレ。なんだ、なんだ、なんなんだ!?

「――――――」

身体の中から軋みを上げる音を自然と俺の身体を支配する。

その感覚はまるで身体の中で何かが這いまわり、臓器を喰い破らんと暴れ回る様な感覚。外にあるはずの害悪の手が身体の中に入り込み、俺の全てを狂わせていく。

それが次第に世界の真実となっていく。

声が出なくなった。

音が聞こえなくなった。

身体が動かなくなった。

なのに、恐怖だけが消えない。

「――――――」

おれは、いったいどうしたのだろう?

わからない、なにもわからない。

わかるのは、おれのからだがおかしいという、それだけのこと。

だというのに、しこうだけがせいじょうにうごきだす。

まるで、しこうすることだけは、しっかりとうごけ……そう、めいれいされているかのような、そんなきょうはく。

おかしい、おれはいったいどうし―――どうしたら、いい?

「―――――――」

くちからでるのは、かわいたこきゅうおん。

かわいたおとは、ほんとうに、おれの、こえなの、か、わか、らないいいいいないないないあないあないあないないあい―――――餌v女医じゃsprjふぉなwklmンfjkんおjszvンzンロg補遺jヴィjAP*gj:r!?




「――――ッハ、その程度でもう声も上げれねぇのかよ?」



「おいおい、どうした?何を驚いてやがるんだ?驚く事なんか一つもないだろう、猿真似野郎……」

pgoaiejboa;a;k:jfぽいkじゃpjぱJpowjr@kabpva*PJrgp:oajPMLAKSZM

「ッカカ、おっかしの!!そんな事を想う暇があったらお前さんの今の状態を治す努力をしろっての!!」

JMV@アKJFKJSMKンSDFKJ@JGFPJWVPZR;ん。BVMFMんSJP@ZCS

「あん?んな事も出来ねぇのか?本当に?マジで?ふざけてんじゃなくて、それが真実?」

「――――おい、コラ。人様の猿真似しているくせに、なんでそんな初歩的な事も出来ないんだよ!?やれよ、さっさとやれよ!!」

青江PWDKSPVMS@J章オイオイ「あ案@そJMVンLSKンVH美尾DJPFJVSMMP時GJ

「やり方が分からねぇだぁ?」

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簡単だろ。視覚が潰されたから、もう一回潰し直して再生しろ。耳が聞こえないなら世界の音を再構築して、自分合った音に調律しろ。口から声が出ないならバベルの塔の時と同じように言葉をぶち壊して再臨しろ――――んな事は簡単だろ?」

…………負KSJね¥アD勝井

「おい、おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!」

帯JRんぽいSC

「マジかよ……信じらんねぇ。この程度の事も出来ないくせに、俺の真似してたのか……んだよ、クソ!!」

簿BMD子JヴぉP(LP@K、PLぽ素子恋

「俺の猿真似してる奴がいるから、その出来具合を審査してやろうと思ってきたのに、このザマかよ。お前の出来が良かったらそのまま俺の猿真似をしても許してやるし、そのまま適度に泳がせてもいいと思ったんだが―――止めだ」

P@アS、LTKンJDSべRPンM、絵H五B;FM

「此処は俺のお気に入りの世界だ。それを俺がちょっと外出してた隙に俺のポジションに勝手に座りやがって……」

おbm、ぇwkgp@kp@bxs

「くだらねぇ。俺の居ない間にお前は一体何回この世界の『結末』を見た?どんな楽しい結末を見てた?俺が見るべきはずのモノをお前は何度その腐った眼に焼き付けた?」

LンPVJFンPS所言うゥイくれ

「――――許してくれ?」

おSLりJFンBMC称せ

「許してください?」

LVンHGづVHJンSHド書状CVMンKMVLZXKはZ製Fほ@K顔

「もうこんな事はしませんから、お願いだから消さないでください?」

けは自Zくご簿SMDHGFBR場、X。VPV便ロG

「――――――――――――そっか、そうだよな。お前は俺に憧れてたんだよな?」

CJD、少女SかMぇクCの祖DXぽCVKV名へS。・D@おGFP@WRK

「うんうん、わかる。その想いはすっごいわかるなぁ~」

無Kぇれふぉくじぇ見なせどKれ

「へぇ、お前も中々見応えがある奴じゃねぇか!!」

ヴぉみべれなみきげHぎBJCんDHRVVL;HPDLS、SSC。VF

「いいぜ、その考えは実に俺好みだ」

S所XM、あ、お。;LVMS・¥。・45KTぽい69――アWぞフォアj

「…………けどよ」

―――――――――もZJ子JR?





「お前、やっぱり死ね」







神が死ぬとはどういう事か、それを身をもって実感した猿真似野郎は消えた。

死なない存在などいるはずがない。どんな者とて死ぬ時は死ぬ。死ぬと消えるは同じ意味。人は死に、消える。

神は消え、死ぬ。

消える、死ぬ―――無になるという理は存在する。

俺だって死ぬ。

神だって死ぬ。

死なない人間はいない。消えない人間はいない。死なない神はいない。死なない神はいない。万物共通に、世界は必ず喪失するべき存在がある。

神の死とは二通り。

その一つが、その世界にとって神の消失。

それは神が世界から見放され、世界の間にある場所を放浪し、そして消え逝くという結末。大概の神は自身の世界を失った瞬間にその場所に放りだされる。

そして、殆どが消える。神は生まれた瞬間に住まうべき場所が定められ、そこから離れた瞬間に自身の存在意義を失う。故に神は脆い。

神こそが世界に縋りつく寄生虫。寄生するべく世界を失った神に居場所もなければ、新しい居場所を求める気も無い―――いや、そもそも新しい場所を求めるという行為自体が思いつかない。

アイツ等は皆が優等生すぎる。

一回の失敗で全てを失ったと思いこみ、既にある別の世界を求めるという行為に走る事が出来ない。そして、その行為を行う事が神にとって最大の罪、そう誰が決めたのかもわからないルールに縛りつけられている。

滑稽だ。

可笑しくて嗤い死にしそうだ。

神の連中には居場所を作る為に戦うという決断が出来ない者ばかりだ。だから世界にしがみつき続ける。そうしなければ、神に存在理由はない。

だが、それを罪とは思わず、普通の神に出来ない決断を下した神もいる。

そんなモノ達を、神達は蔑みながらこう呼ぶ。



――――邪神、と。



「―――――蔑まれるべきは、お前達だってのにな」

邪神、そう呼ばれる事が罪とは思わない。無論、邪神が悪い存在だという事は誰よりも、神よりも深く知っている。だが、そうしなければ生きていけなかった邪神もいる。

それがたとえ、ただの神よりも重いルールに縛りつけられたとしても―――邪神は存在し続ける。

「それが罪だとしても、俺はアイツ等が大好きだけど……まぁ、所詮は他人事だわな」

考えるだけ無駄。そう決めつけた俺は消えていった『邪神』の事など忘れ、部屋を見渡す。何度も何度も見た光景。人が死に、人の死に人が死に、そして残ったのは冷たい現実。

「…………まったく、どんな世界でもお前等は変わらねぇよな?」

ベッドに置かれた死骸―――アリシア・テスタロッサを見ながら俺は呟いた。そして、そのベッドの脇で、恐らく人間だと思われる物体を見据えた。

それは確かに人間だったのかもしれない。脚はある。だが、脚しかない。

上半身は無い。腰から上が何かに切り取られ、食い千切られたように消失していた。

脚しかない。

脚だけが床に打ち捨てられ、その周りを夥しい程の血が散乱している。

これが誰なのか、考えるまでも無い。

「お前は幸せだったのか、プレシア?」

きっとソレはプレシアだったのだろう。下半身だけでは判断も出来ない。だが、この場で死んでいる、殺されている死体など簡単に想像が出来る。

けれども、俺はその光景を見てはいない。見たのは俺に消された邪神、俺の偽物だけ―――いや、もしかしたら女神の連中も見ていたのかもしれないな。

パチンッと指を鳴らす。

それだけで時間が歪む。

周囲の光景が全て逆回りに進む。




時間は過去へ、今は消え、未来は殺され、そして世界は過去に戻る。




「…………」

部屋の中には人がいる。

まだ死んでいない、人がいる。

すやすやと、安らかな寝息を立てながら眠っている少女、アリシアの顔は幸福そうだった。

失ったはずの生を実感し、それ以上に母と共に暮らせるという今が余程の幸福なのだろう―――健やかな寝息は、アリシアの幸福を物語っている。

「…………」

だが、その時間は数分後に終わる。

電気の消された部屋に微かな光が入る。月も無い、星も無い次元の海に窓は必要ない。故に光など入ってこない。代わりに入ってきた光は人工の光。

ドアの隙間から、ゆっくりと開かれたドアから人影がヌッと忍び込む。

気配の無い人影はドアを閉じ、息を潜める。

虚ろな目をした少女。

右腕に狼の刺青を彫った少女。

ベッドで寝ているアリシアに良く似た少女。

フェイト・テスタロッサ――――彼女は、人形の様な無表情で部屋に入ってきた。

「――――」

震えている。

カタカタと小刻みに震える身体を両手で抑えつけながら、ゆっくり、幽鬼が歩くが如く進み、ベッドの傍に立つ。寝ているアリシアをじっと見つめながら、フェイトは小さな口で小さな声を何度も何度も呟く。

呟きは怨念。

理不尽を嘆き、現実に涙し、幸福を奪われ、どうにも出来なくなった少女は今―――ただの鬼と化していた。

こんな年齢の子供がこんな顔をするのかと思う者もいるだろうが、俺は驚かない。

俺が思う事はたった一つ。

「あぁ、またか……」

呆れた呟き。

何度目になるかも忘れた光景に、俺はただ呆れるしかない。

こんな光景を今更見てもしょうがないと思いながらも、過去の世界はまだ続いていく。

ベッドにフェイトの脚が置かれ、小さく軋む音が鳴る。そしてアリシアの身体を跨ぎ、じっと彼女の顔を凝視する。

呟きは止まらない。

止まるどころか、勢いを増している。

無表情のまま、怨念の言霊を紡ぐ少女は、最早少女とは呼べない。



どうして―――その一言を、何度も何度も呟く。



フェイトの手がゆっくりとアリシアの首に伸びる。

アリシアの首は細い。

幼児となんら変わりの無い少女の首には、フェイトの手でも十分なくらいの細さ。その首に手を伸ばしたフェイトは不意に現実に戻ったのか、すぐに手を引っ込め、ベッドから飛び降りる。

「違う……私は、こんな事」

自らの顔を両手で隠し、何度も首を振る。

こんな事をしてはいけない、こんな事は間違っている。こんな事をしても自分の生活は何も戻っては無い。だから、こんな事は何の意味も無い行為だ―――自分に言い訳をするように呟くフェイト。

へぇ、『今回』は殺さなかったのか。

驚きは無い。単純に百回中九十回の確立を見た程度の想いを抱く。

だが、俺は知っている。

知っているならば、俺は今すぐにでもフェイトにこう告げるべきだろう。

耳を塞げ、アリシアの言葉を聞くな―――そうすれば、きっと彼女は幸福だったのだろう。

だが、どういう因果が世界は彼女に安楽椅子を用意する気はないらしい。なんて嫌らしい世界なのだろうと改めて痛感し、そして呆れる。

フェイトは聞いてしまった。

なんて事のない、無邪気な寝言。

だが、その言葉一つでただの少女を変えるには十分だった。



母さん……



瞬間、きっと時間は凍りついた。

フェイトの時間が凍りつき、思考が一瞬だけ停止し―――動き出した瞬間、黒い感情が心の中に隙間を作る事なく噴出する。

「あ、あああ……」

自分の中に湧きあがった感情に戸惑っているのか、それともあまりにもな量の憎悪を抱きすぎたのか、人間としての言葉を何一つ発せないまま、フェイトは先程と同じような体勢でアリシアに手を伸ばす。

後は、簡単。

伸ばした手、首に回した手、備えた手―――それにただ、力を込めるだけ。




少女の手は、少女の首を締め付ける。

少女の手は小さくとも、少女に苦しみを与えるには十分だった。

少女の手に力が籠る。

少女が苦しみの声を上げる。

おかしな光景だ。

少女が少女を、殺そうとしている。

少女は眼を見開き、少女の首を絞めている少女を見て驚愕する。

少女はただ力を込めるだけ。

少女はただ暴れるだけ。

少女の呻き声。

少女の苦しみの声。

少女は優しい少女。

少女も優しい少女。

少女は殺される少女。

少女は殺す為の少女。

少女は少女を見据え、苦しむ様をみながら嗤う。嗤いながら、涙を流す。涙を流しながら憎悪する。憎悪しながら涙する―――けれども所詮、少女はヒトゴロシ。

口を大きく開いて助けを求めようと叫ぶ少女。けれども少女の声は届かない。少女が声を上げようとした瞬間に少女は、ベッドシーツを掴み取って少女の口に捩じり込む。

少女の口はそれで塞がれる。

息が出来ないと少女は足掻く。

口を押し込まれたシーツを何とか取ろうと手を伸ばすが、少女がそれを邪魔する。

少女は声を出せない。少女は少女の口にシーツを押し込む。少女はそれに抵抗する。小さな少女の少女同士の争い―――少女に勝ち目はない。

少女は魔法使い。身体に力が強くなるお呪いかければ効果は抜群。少女は万力の如く力で少女を抑えつけ、少女の動きを止める。けれども少女はまだ諦めない。

少女には母がいる。母を失った少女は母を失った少女には負けれない。

母を失った少女は母を取り戻し、母を得た。だから、母を失った少女に殺されるわけにはいかない。けれども、少女はただの少女。少女は魔法使いの少女には勝てない。

少女は生きたいと願い、手を我武者羅に振り回す。それが少女の額を打ち、少女の額が微かに赤く染まる。だから、少女は少女を殴りつけた。殴った少女、口を塞げた少女、母を得た少女を、拳を握った手で殴りつけた。

少女を殴る音は、何とも鈍い音だった。

少女は痛みに涙する。少女は少女を殴りながら嗤う。泣きながら嗤う。けれども次第に涙は薄れて嗤いしか残らない。何度も何度も少女を殴り続け、少女の可愛らしい顔が赤くはれ上がるまで殴り続け、少女は抵抗しなくなった。

腫れた瞼から涙を流し、口に突っ込まれたシーツを唾液で汚し、折れた鼻から鼻血が垂れ、虚ろになった瞳で少女を見る。



少女はもう泣かない/少女はもう泣いている



少女はもう嗤っている/少女はもう笑えない。



ぎゅっと締めつける音。

皮膚が引っ張られ、喉を締め付けられ、呼吸が出来なくなった少女は苦しく喘ぐ。

そんな姿を見ながら少女は嗤う。

もう止まれないと、嗤う。

もう、もう、もう、もうもうもうもうもうももう――――殺す覚悟が其処にはあった。

やがて、少女の身体は動かなくなった。

ヒューヒューと鳴っていた音が途絶え、手足はだらしなくベッドに置かれているだけ。もう少女は動かない。呼吸が止まり、心臓が止まり、生の時間が停止した少女はただの人形となった。



少女は、死んだ。



少女は死んだ。少女は死んで、残ったのは少女だけ。少女はもう少女ではない。少女はそこで初めて名前を得た。少女の名前はフェイト。フェイト・テスタロッサはこれで偽物ではない。これで少女は本物になった。

もう、自分は何も失ってはいない。

本物と偽物が同時に存在するのなら、其処に立っているただ一人が本物だという意味になる。

だが、そんな事はない。

目の前に少女の死体があるのなら、少女はまだ偽物。ならばどうすればいいのだろうと少女は考え――――自身の右手を見た。

母の魔法によって失い、使い魔の命を使って得た手。この手を失ったのは母の魔法。母の魔法は雷。雷はどんな力よりも強く、どんなものでも消失させる。

だから、この力を使って少女は少女を消そうとした。

「…………」

少女の手に集まる魔力。

デバイスの無い魔法はただの兇器にでしかなく、その時間を普通より少しだけかければ人の身体を跡形も残さず消す事だって可能だ。

少女の手に黄金の輝きが宿る。太陽の様な黄金、小麦畑の様な黄金、けれどもそれを美しいとは思わない。

それは人を殺す為に生み出された、殺戮の魔法。

消す

消す

消す

消す

消す

「…………」

薄暗い部屋の中を輝かしい、憎悪の光を放ちながら少女はソレを少女に叩きつけようと大きく手を振り上げた。

だが、それは現実にはならない。

「…………」

部屋のドアが開いた。

少女の眼がドアに向く。

少女を見据える眼。

あの時と同じ、人を人と見ない、子を子と見ない冷たい瞳は―――あの時とは違って真っ赤に燃えていた。

少女の母。少女の母ではなく、少女が殺した少女の母は驚愕し、ベッドに寝ていたはずの娘の姿を見て、一瞬だけ呆然する。

だが、すぐにソレを理解し、理解を吹き飛ばし、理解するよりも早い動作で、少女を殺した少女の名を叫ぶ。

殺意。

どんな殺意よりも深い殺意。

母の愛という殺意が、母と呼ぶ少女を殺す為に動く。

「…………」

不思議な事に、少女の顔は無表情だった。驚愕もしなければ悲しみもない。それは諦めの表情。生きる事を諦め――いや、元より生きる事すら願っていなかった少女の顔はマネキンの顔でしかない。

少女は生きる事を願わない。母は少女が生きている事を許さない。幸か不幸か、二者の願いは同一だった。だから母は一切の容赦も向けない。

母の手には少女と同じ、それ以上の魔力を込めた雷弾が生み出された。少女が時間を要した動作を一瞬で終わらせ、その銃口を少女に向ける。

許さない、母は言った。

大好き、少女は言った。

結果は―――無残。

少女の死を願う母の想いも、母による死を願う少女の想いも、どちらも無残に散らす最低な結末が其処にあった。

「―――――――へぇ」

今まで過去を黙って見ているだけの俺は、ここで初めて声を上げた。

これは初めてだ。

この光景は初めてだった。

何度も何度も見て来た光景に、俺の見た事のない光景が映し出されたからだ。

本来ならここでフェイトは死ぬ。プレシアの放った魔法によってフェイトの身体は跡形も残さず消し飛び、ここでフェイトの出番は終了する―――それが今まで見て来たパターンンだ。

無論、ここで別の第三者が助けに入ったりするパターンも存在したが、多くの場合はフェイトが殺されるというパターン。

けれども、そうはならない。

第三者は存在しなくとも、其処は最初からもう一個の存在があった。

恐らく、生を諦め、死を認めたフェイトの意志ではないだろう。その意志を示すモノはその虚ろな瞳には宿っていない。

だが、意志は別の場所に宿っていた。

プレシアの手から放たれた雷―――放たれようとした瞬間、その雷は消えた。



プレシアの腕ごと



誰かが呆然と呟く。フェイトかもしれない、プレシアかもしれない。もしかしたら俺かもしれない。そんな呟きは噴水の様に吹き出る鮮血の効果音によってかき消される。

開かれたドアの光を覆い隠す程の血。光を暗闇の染める黒色の血が噴き出し、廊下の壁に染みを描く。プレシアは自分の腕をしばし凝視する―――気づいた時、それは既に終わりを迎えるだけ。

プレシアの身体を何かが掴んだ。

黒―――いや、暗闇の照らされた真っ赤な何かがプレシアの上半身を掴み、血が吹き掛けられた廊下の壁に叩きつける。

呻き声―――そして、唸り声。

「―――――あ、」

目の前の光景にフェイトは小さく息を洩らす。何が起こったのか理解できない彼女の思考はきっと真っ白になっている。けれども、この場所に白い場所などありはしない。あるのは黒と赤、たった二色。

ギリギリと肉を締め付ける音、ブチリと肉が切り裂かれる音、その後に響く音は骨を砕く音―――残されたのは絶叫のみ。

プレシアの口から洩れた悲痛な叫び。

身体を何かに掴まれ―――噛まれたプレシアの身体はそのまま部屋の中に引き戻され、床に叩きつけられる。

床が変形する程の威力は小さな地響きを呼ぶ。その地響きは何度も何度も轟き、薄暗い部屋の中に黒色の血色を次々と吹き掛け続ける。

「やめ、」

惨殺、その行為を眼に映したフェイト。

「めて―――止めて!!」

彼女が叫ぶ。

「お願い、止めてよ……」

懇願する。だが、行為は終わらない。何度も何度も何度も、フェイトの顔に血が飛び散る程の凄惨な光景。

ガンッ、ガンッと響く打撃音。



そして――――何かが、引き千切られる断末音。



―――――――床に、何かが堕ちた。

人の形をした何かが、堕ちた。

人としては未完成な一部が、堕ちた。

俺の眼に、フェイトの眼に映ったそれは、身体の一部。

人間の、脚。

それだけが、残っていた。

それだけしか、残っていなかった。

それ以外は、何も残っていなかった。

「――――――ッ!?」

声にならない悲鳴が上がり、ソレはようやく動きを止めた。

紅い。

獣。

巨大な、牙。

狼。

巨大な、アギト。

腕。

巨大な、存在。

「――――ビューティフォー」

俺は思わず呟いた。

実に美しい、禍々しく、滑稽な形をしたソレはまさに美と呼んでも差し支えは無いだろう。如何にソレが残忍な行為を行ったとしても、その美しさはまさに芸術品だ。

その場に崩れ落ちるフェイトの眼はソレを見据え、ゆっくりとソレの首を見据え、恐る恐るソレの身体をなぞり、ゆっくりとソレの終着点を凝視する。



ソレは、フェイトの右腕から生えていた。



細い子供の腕は其処にはない。彼女の右腕、肘から先が人の身体から生える毛とはまったく違う紅色の毛。動物の様に長い毛並みを持った腕は三メートル以上伸びており、その先は狼の頭蓋を形成し、狼の顔を象っていた。

龍にも見える。西洋のドラゴンではなく、東洋の物語に登場する龍。けれどもそれは狼だった。紅い狼がフェイトの右腕から出現し、プレシアを喰い殺した。

グルリと狼の顔が動き、狼の主である少女を見据える。

意志の無いドロリとした瞳がフェイトを凝視し、口を開く。口内は真っ赤な鮮血に染められ、牙から唾液と共に血が滴る。

ムッとするような生臭い口臭が部屋の中に充満する。

「ぅあ……」

何度も自分の腕と狼を見る。嘘だと、あり得ないと思いながらも交互に見ても結果は変わらない。

「あ、あぅああああ……」

脅え、恐れ、そして叫ぶ。

叫んだ瞬間に狼は幻の様にスゥッと消え、フェイトの腕は元の正常な人の形に戻る。細い、小さな腕。腕に刻まれた狼の刺青。

そう、生きていた、

自身の代わりに消えたはずの者が、生きていた。



そして、殺した。
















人質はリリカル~Alisa~
第八話「全ては消え逝く絵空事」













まるでリバウンドだった。

今までの虚ろいな日々を取り戻すかのように、日々はリバウンドしていた。楽しかった日々を失い、辛い日々が訪れ―――そして、その反動で楽しい日々が訪れる。

世界はそういう仕組みになっているのだと勘違いしそうになるが、こんな風にも考えられる。

世界はそういう仕組みになってはいない。けれども、多少なりとも平等という意味は知っているのかもしれない。

以前、ジグザが世界について語ってくれた。世界は意志を持っている。無意識に近い意志を持ち、俺達は世界の腹の中でのんびりと、苦しく生活している。

だから、世界がくしゃみをするだけでそののんびりは砕け散り、俺達の日々が崩壊する可能性だってあるらしい―――まぁ、そんな事をいわれても俺にはいまいちピンとこない。
仕方ない、俺は人間だから。

神様じゃない。

人間だ。

そんな人間の都合に少しだけ世界も意志を向けてくれているのかもしれない、そんな風に思った。

人の一生は不幸だけではなく、平等に幸福だって分け与えられている。後はそれに気づいて幸福を実感するか、それとも気づかずに自分だけは不幸だと決めつけられるか、それだけの違いなのかもしれない。

俺達は不幸を持った。けど、懐の中にひっそりと幸福も持っている。

だから、それに気づけば少しだけ幸福になれるのかもしれない。

誰だって平等だから、平等に何かを得る事が出来るのだから――――だからこそ、俺はアリサが不幸だなんて思わない。というか、思えない。

「――――おい、クソガキ」

「何よ?」

「お前、ズルしてるだろ」

「してないわよ……あ、ロイヤルストレートフラッシュ」

「ふざけんなっ!!」

そんな役なんぞ、俺が生まれた時から死ぬ瞬間まで、そんでもって現在進行形の生の間の一瞬だって揃った事ないわ!!

「イカサマだ!!」

「失礼ね。今日は単に運が良いだけ……」

ほぅ、運が良いというのは一時間前から始めたポーカーでフォーカード、フルハウス、ストレート、ファイブカード、ロイヤルストレートフラッシュの上位役を連続で叩きだしているのを、ただ運が良いという理屈で通すつもりか?

「お前、絶対イカサマしてるだろ……」

「してないわよ」

「嘘だ!!」

あり得ない。この一時間、俺が一勝も出来ないなんてあり得ない。

アリサに見えないように袖に隠したカードとか、シャッフルする時にこっそり俺に有意な並びにしているとか、アリサ視線をそらした瞬間にアリサが捨てたカードと俺の手札の一部を取りかえるとか……

そういう大人としてちょっとどうなの?的な行為をしているのに、何故に勝てない。

ちなみに、この巧妙な手口のほとんどは俺の中にある『経験』だ。イカサマ師か詐欺師か、もしくはギャンブラーかはしらないが、こういう技術が俺の中にある。そんな経験者達が口をそろえてこう言っている気がした。

『こういう奴は、たまにいる』

なんの慰めにもなっとらんわ!!

このクソガキ、なんて強運をもってるんだよ……これが本物の賭博場ならきっと大勝ちしすぎて、店の奥にいる怪しくて屈強なお兄さんに連行される所だぞ。

「―――で、まだやるの?負け犬」

「当たり前だ、勝ち豚」

とりあえず、負けっぱなしは良くない。このまま連敗を続けてはこの先の私生活に支障がくるに違いない―――というか、既に支障がきている。

「ってかさ、アンタも馬鹿よね。とりあえず金が欲しいから、買った分だけ給料を前借りさせろって……これもう、逆に借金塗れじゃないの」

「黙れ。男は逃げる時は女を泣かせた時だけだ」

「アンタの情けなさに私が泣きたいわよ……ってか、男として最低だと言いたい」

「子供は女じゃない」

「あら、アンタを好きだって言った私の乙女心はどうする気?」

「溝に捨てろ」

「最低ね」

「誉めるなよ。自尊心が既にレッドゾーンで、それ以上言われたらきっとスライムの一撃で死ぬ」

こうして、もう一時間の延長戦が開始され―――結果、俺はアリサに土下座をして負け分をチャラにしてもらい、給料を前借りした。





「ところで、佐久間」

「なんだよ?」

ベッドの上で本に眼を落しながらアリアが尋ねる。

「最近、鮫島が変なのよ」

「それは一大事だな。この屋敷の中の大半が変でも、あの人だけは絶対に普通だと信じていた俺として、それは一大事だ」

「…………アンタ、この家の九割九分を敵に回したわよ」

だってしょうがないだろう?

メイドの横を通り過ぎれば、スカートの中からガチャガチャッて金属の鳴る音がするし、その音を俺の中の経験が『こ奴、出来る!?』とか訳のわからん事を言う。

実際、その後に何かがガチャンッと堕ちる音がして振り向くと―――アレは、あんな細腕で扱える銃器なのかと疑問に思える程の大口径的な奴が堕ちていた。

無論、俺は何言わない。

無論、向こうは笑顔で『おほほほ……』と、シベリアも暖かいと誤解しそうな笑顔を向けられた。

給湯室にいったら別の人がククリナイフを包丁用の砥ぎ石で砥いでいた。その顔を見たらジェイソンのマスクだってきっと出店で売っているマスクと同列に扱える精神が出来上がるだろう。

「あぁ、あの二人は特別そうに見えるけど、意外と普通よ?」

「どの辺が普通なのか七文字以内で言ってみろ」

「ロアナプラ出身」

「普通ですね!!」

と、叫ぶ以外に方法はない。そんなのにツッコミを入れる勇気は俺にはない。俺はどこぞのサラリーマン上がりの悪党とは違うのだ。

「ま、まぁ……その二人は別にいいとしてだ。お前の飼ってる犬の中に変なのも混じってるだろ?なんか、白くて赤い彗星的な声を出しそうな犬がいるんだが……」

「はぁ?犬が喋るわけないじゃない」

「だよな……だけど、俺にはどうもロリコン気質の高い犬に見えるんだが……」

「幼女好きの犬って何よ?確かにあの子はちょっと他の犬と違って頭が良いし、ソロモンの石板に乗ってたような変な紋章を持ってるけど」

「魔法が使えそうだな」

「リングの精と良く話てるわね」

「お前の言ってる事の大半が矛盾してると自覚しろよ!!」

「さっきから五月蠅いわよ。家の人達だって人間よ?中には多少は変わった経歴の人もいるけど、ちゃんとした人達よ……私の、家族なんだから」

思わず、黙り込んでしまった。

そうだよな、皆がアリサの家族なんだよ。それは多少はおかしい個所ばかり眼にするけどそれがなんだ。

俺にとっては仕事仲間なんだ。

少しだけ、自分が恥ずかしい。

「そういえば、今度新しく来る人は――――確か、五人揃うと『バビロン』っていう黒い竜を召喚する事が出来るっていう特技があるとか言ってたわね、あのメイド」

「即刻落とせ!!」

「え?おまけで白銀の剣を召喚出来る自称『美少女ガーディアン』とかもいるんだけど」

「おまけで、即刻落とせ!!」

「後はそうね……チンピラで男だけどメイド服が異常に似合いそうな人もいるんだけ」

「――――――――――――――――――――は!?ちょっと揺らいだ俺が憎いけど、それも落とせ!!」

「我儘ね」

そんな色モノ連中を呼んだら、この屋敷がカオスになるっての。

「ちなみに他には、金属と話をする事と拳法が特技っていう男とか、死ななくて空を歩く事が特技っていう男とか、金属蜘蛛が本当の姿の褐色女とか、屋久島をキック一発で破壊できる女とか、紙を使って巨人とか作れますっていう少し内気な大女とか、厄日を今日も良い日だって娘にいう傭兵の男とか、百億の入った携帯を持った記憶喪失の男とか、ジャージの下が飛ばされて引き籠ってた男とか――――」

もういい。

それ以上は色々とアレだから止めてくれ。

頭痛が激しく響く頭を押さえながら、俺はなんとか話を元に戻す。

「それで、鮫島さんの何処がどう変なんだよ」

「うん、それがね。みんなの話では、最近よくシャドーボクシングしたり、身体を鍛えてたりするし…………あぁ、後は「リターンマッチでは私が勝つ」とか言ってるみたい」

「さっき言ってた人達、みんな採用でいいから止めてください!!」

人間、我が身が一番大事です。







「時にお嬢様」

「なにかしら、佐久間」

薄暗い部屋の中で、俺とアリサは二人で肩を寄せ合って座っている。

「腕、離してくれないか?」

「どうして?こんな可愛い子に腕組されるなんてご褒美だと思いなさいよ」

そうか、そうなのか――――無理だ。

だって、腕を組むとかそういうレベルじゃなくて、爪が腕に食い込むくらいの力で腕を締め付けられていて、すっごく痛い。

「恐いなら、最初からこんなモンを見るなよ」

呆れかえる俺とは対照的に、アリサは顔を真っ赤にしながら否定する。

「こ、恐くなんてないわよ!!」

俺にはどう見ても恐がっているようにしか見えない。俺とアリサの二人しかいない部屋の中で唯一光を放っているテレビには昨今ブームになったホラー映画が上映中。

「こ、ここここ、こんなの……全然、全然恐くなんてないんだからきゃわぁっ!?」

可愛らしい悲鳴を上げるのは勝手だが、驚いた拍子に跳び上がり、俺の顎を頭で強打するのは止めていただきたい。

「お、お前の方が……恐いわ」

テレビにはちょうど良く幽霊が女優の脚を掴み、暗闇の中に引きづり込もうとしているシーンだった。

「だ、だってぇ……」

涙を溜めた瞳で俺を見上げてきても、この痛みは一向に収まる事はない。

そもそも、なんでこんな状況になったかというと、昼間にアリサを連れて散歩した際にレンタルショップに寄ったからだ。その際に、俺が子供らしい作品をチョイスした所、そんな子供向けのなんて見たくないと仰るお嬢様の我儘が始まり。

だったらお前は何を借りたいんだと言ったら、車椅子の向かう先は恋愛映画のコーナー。

「っは、マセやがって」

と、鼻で笑った。

「大体よ、こんな映画をお前が理解できるわけねぇんだよ。お子様は素直にアニメ映画でも見てろ」

「理解できるわよ!私だって女なんだから!!」

「女の後に子供の子がつくけどな」

「ば、馬鹿にしないでよ!!」

小学三年にこのレベルの話が理解出来るとは思えないのが正直な感想。まぁ、俺みたいな奴の子供時代とは違うので多少は問題ないとは思えるのだが、

「だってよ、これって洋画だろ?」

「恋愛映画の金字塔の大概は洋画よ」

否定はしないが、それもどうかと思う。最近の映画、特に恋愛映画の大半は邦画がほとんだと。携帯小説の実写化とか、少女漫画の映画化とか……どっちかというと、洋画のそういうタイトルはあまり人気が長続きしない気がする。

「大人の恋愛は洋画を見てからだと、どっかの偉い人が言ってたわ」

「テレビの影響を受けるんじゃありません。そんなんだから警察に捕まった未成年者の部屋にある漫画が、事件の要因の一つだって言われるんだぞ?」

「関係ないでしょ」

「無いな。だけど、ともかくお前には早い。というか、お前には見せられない」

だってよ、洋画のこういうジャンルには大抵は濡れ場がある。そんなシーンを小学生に見せて良いモノだろうか。コイツ、昨日のドラマのキスシーンで顔を真っ赤にしてる程だぞ?そんな奴にアレを見せていいはずがない。

ここは大人として、ガツンと言っておくべきなのだが……

「だが、それが良い―――と、昔の偉い人が言ってた気がするな」

俺の眼に止まった古い映画。

題名『エマ○エル夫人』

「―――――――――――――――――――――――――――――――ッは!?」

俺は何か今、超えてはならない境界線を危うく飛び越える所だった。

こんな映画を子供に見せるわけにはいかない。これを見て昂奮するのは中学生の限られた期間だけど、その後に訪れる「俺、なんでこんなおばさんに昂奮してたんだろう?」っていう絶望感を味わう事になる。

俺は違うぞ?

断じて違うからな!!

「ともかく、だ。恋愛映画はもうちょっと大人になってからな……ほら、此処はアクション映画とかにしようぜ」

「えぇ~、嫌よ。子供っぽい」

「――――んだと?」

カチンッときた。

この野郎、アクション映画を子供っぽいと言いやがったな。

「今の言葉は聞きずてならねぇ……お前にアクション映画の良さがわからんのか!?」

「な、なんでそんなに怒ってるのよ?」

「当たり前だ!!アクション映画を馬鹿するという事は、この世の中の半分を占める男を馬鹿にするという事だ!!」

俺はアリサを乗せた車椅子を乱暴に押し、アクション映画のコーナーに。

「お前みたいな奴は、まずはジャッキーだ。ジャッキーを見ずしてアクションを語るな。その後は州知事にもなったシュワちゃんだ。筋肉、これ最高!!後は無敵のオヤジことスティーブン・セガール!!暴走特急は俺的名作、何度も見た。一週間の内、四日は見た」

「馬鹿じゃないの」

「馬鹿だから見るだよ、ジャップ!!」

「…………なんか、性格変わってない?あと、アンタも一応はジャップだから」

このクソガキ、口答えするとはいい度胸だ。

「そんなお前には徹底的にアクション映画で洗脳してやる。とりあえずはジャッキーだ。『プロジェクトA』はもちろんの事、『Who、Am、I』と『スパルタンX』、後は迷作と呼ばれてるが俺的には名作な『シティーハンター』―――そうだな。お前の好きな恋愛映画も入れてやる。この『ゴージャス』の最後のバトルに燃えない男はいない!!」

「あの、一応女の子なんだけど」

「なら、お前は明日から男だ」

「無茶じゃない!?」

「黙れ!!ジャッキーの次はヴァンダムでいくぞ。最近はアクションよりも演技で勝負しているみたいが、やっぱりアクションだ。『ユニバーサル・ソルジャー』は二作とも見ろ。『ストリート・ファイター』もお勧めだし『レプリカント』も見るべきだ。そしてヴァンダムの次はシュワちゃんとセガール。トニー・ジャーも良いし、ジェット・リーも当然。おっと、日本人だって忘れるべからず。坂口拓の『VERSUS』と『デス・トランス』!!ちょっと納得いかないけど『魁!!男塾』。そして仲間さんとオダギリさんが主役というが俺的に主役は拓さんの『SHINOBI』。夜叉丸が死んだら再生ストップして良し!!そして忘れてはいけない『仮面ライダーカブト』の45話・46話。変身する前の方が強い気がしたのはきっと俺だけじゃないと信じたい、あの人は素手でライダーを倒せる!!むしろ、生身でライダーと戦って欲しかった!!監督、今からあの二話を撮り直せ!!」

「え、えっと……佐久間?」

「無論、そう無論!!世には沢山のアクション俳優が存在し、その全てが凄い、素晴らしい、ファンタスティックと言っても過言ではない。いや、むしろ過言という奴こそが馬鹿だ、阿呆だ、クソッタレだ!!」

「人の話、聞いてる?」

「アクションとは極限、スタントとは美!!その美しさと激しさを否定する奴は皆死ね!!アリサ、お前は全然アクションの凄さを知らない、ウェズリー・スナイプスの『ブレイド』『アート・オブ・ウォー』、そして『デモリションマン』。シルヴェスター・スタローンの『ランボー』『ジャッジ・ドレッド』『デイライト』『クリフハンガー』…………駄目だ。時間が足りない。俺がお前に全てを伝えるには時間が足りない。今日という一日が二十四時間だとしても、俺の全てを語るには言葉を話す人間の限界がある!!」

「佐久間、もうその辺で……」

「そうだ。今から身体を改造しよう。攻殻みたない身体にしたらきっといけるかも!?」

「―――――店員さ~ん、警察に連絡してくださ~い」

「そもそも、アクションとは―――――」

その後、俺が気づいた時には恐い顔した警察の人達がいて、こっぴどく説教され、何時の間にか会計を済ませたアリサが醒めた眼で俺を見ていたとか、いないとか―――そんな感じで俺達はホラー映画を見ている。

「で、なんでホラー映画?」

震えるアリサを見て、ちょっと可愛いなぁと思いながら聞いてみる。

「…………だ、だって」

口ごもるアリサを後目に、映像はどんどん進んでいく。

「だって、何?」

「うぅ……」

最早、画面を見てないアリサは顔を茹でダコの様に真っ赤にして俯いている。何かを言いだしそうになっていながら、それでも言いだせない。一体どんな事情があるかは知らないが―――ぶっちゃけ、俺だって限界。

さて、皆さんは覚えているだろうか?



佐久間大樹は、ホラー映画が大の苦手なのである。



「―――――――」

平然と振舞ってはいるが、内心では耳を塞いで画面から目を離して、そのまま部屋を出ていきたいという衝動に駆られている。

だが、それを出来ないのは大人としてもプライド。こんな子供が恐がりながらも見ているのに、俺だけが逃げだすなんて事を出来るはずがない。

そんな安っぽい自尊心を抱いた一時間前の俺を、今は木っ端微塵にしてやりたいという衝動が盛りだくさん。

つぅか、なんでアリサはよりにもよってこれをチョイスしたのだろうか?

『学校の怪談』ですら駄目な俺が、『呪怨』なんて映画を見れるはずがない。初期レベルで竜王を倒しにいくレベルだ。強くてニューゲームなのに初期レベルでラボスに挑むようなモノだ。ヤムチャで魔神ブゥを倒せと無茶ぶりされている感じだ。

「…………こうしたら、ほら」

そもそも、何故にホラー?

「佐久間と、その……」

恐いじゃん。むっちゃ恐いじゃん。白化粧が恐すぎて今にもチビりそうなんだけど、どうしたらいいわけ?

「……こうやって……腕、掴める……し」

いやぁぁぁぁぁぁ、そんな顔で画面アップ出ないでぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!

「くっついて、いられる……理由が、あるか、ら」

うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、変な声を響かせて這わないでぇぇぇぇえええええええええええ!!

「佐久間……こういうの……イヤ?」

ぶぇへらぁぁああああああああああああああああ、むげぇぇえええええええええええええええええええええ、ちょぶらげぇぇえええええええええええええええええええ、もんてぃびぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい、あっちょんぶりけぇぇえええええええええええええええええええええええええええ!!

「私、は……こういうの、好き……かも」

おかぁぁぁぁああああじゃぁぁぁぁああああああああああああああああああああああん!!

「えへへ……」

カァカカカカカカカカカカカカカカカ、カヘェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!

「佐久間……」

ウイKJSDKJFりぷいgjパオ:K}VOkwrpojgjん:ンlvmンkjら』_,3el;子4ウイおばv:wmfv』@アLWP4老いgとアv魔;・ウェrgk:PaV/AmwrGKJWぽRJGHJ@orjkh/Z,V./A/W4RKTG)@AWRKG@AKRBA;LVM,/ZSRG

「――――大好き」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――俺の記憶は、其処で途絶えた……



気づいた時、何故かアリサがレンタルショップの時よりも、更に冷たい醒めた視線で俺を見据え、その手に六法全書を携え、

「あ、アリサ、さん?」

「Are You Ready?」

「―――――Noooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!」

俺は、まったく理由の分からない理不尽な暴力によって、再度意識を失った。









こんなリバウンドな日々。

数日前には想像もしていなかった日々。想像していたとしても、それは妄想という言葉にしか置き換えられない、霜のような冷たい、気味の悪い感触でしかなかった。けれども、それはもう妄想ではない。霧のような、霜のような、手に触れる事すら出来ない曖昧なモノではない。

これが、幸福。

俺とアリサが、一度失くして、もう一度始めた新しい日々。

リセット出来たのか、それともリセットするつもりで何もリセット出来ていないだけの、戯言なのか、俺には未だにはっきりとしない。

こんな気分、なんて言えばいいのか分からないが、一つだけ分かる事は単純な事。

「―――傑作だな」

少しだけ、自然に笑えた気がした。無論、アイツの傍にいないのであまり意味のない行為なのだが、それでもいい。

少しずつ、本当に少しずつ、歩く様な早さで、ゆっくりと点数を上げていけばいい。

それだけで、俺は――――今より、マシになるだろう。

煙草を咥えながら、コンビニの袋を片手に俺は帰り道を歩く。

屋敷での仕事を終え、俺が帰るべき場所はホテルではなく久しぶりのあのマンション。聞けば、あの部屋はあのままの状態らしい。アリサが鮫島さんに部屋を引き払う様に言ったらしいのだが、珍しい事に鮫島さんはアリサの指示に従わず、そのままにしてくれた。

ほんと、あの人には頭が上がらないな……でも、出来れば銀行口座だけはそのままにして欲しいというちっぽけな欲望は、この際口には出さないでおこう。

「とりあえず、風呂に入って酒だな」

袋の中に入ったビールとツマミ、あと煙草。思わず口元がにやけてしまう。酒を呑むのも久しぶりだし、美味い煙草の味も久しぶり。心にある程度余裕があると、ここまで変わるのだろうかと、自分に感心する。

あれから、鮫島さんと殴り合ってから、屋上でフェイトと話してから、



―――――もう、一週間が経ったのだ



それだけの時間が流れれば、心に余裕も出来るだろう―――そんな事を考えていと、不意にある事に気づいた。

「そういえば、ジグザを見てねぇ」

ここ一週間程、あの憎まれ口以外に言葉を知らない邪神を感じない。てっきり、アリサと庭で話した時に口出しでもしてくるんじゃないかとビクビクしていたが、そんな様子も無い。それどころか、まるでアイツの気配を感じない。

「何処をほっつき歩いてるんだろうな……」

まぁ、その内にひょっこりと顔を出すだろう。

その時は、あの時よりも少しだけマシになろうと想えた俺から、何かを話してやろう。

あの最悪で最低な奴でも、アリサと出会えた始まりを作りだした奴だ。

俺は、少しだけ笑っていた。

ジグザに会う時を考え、少しだけ笑っていた。

そう、笑っていたのだ。

その時の俺は、そんな事を考えてしまっていた。この後は何も起こらない、何も最低な事は起こらない、本気で思っていた。

そもそも、だ。

俺はアイツと一緒にいる事に安堵をおぼえていた―――その事実が間違いだと思わずに、そんな呑気で戯言じみた事を考えた。

間違いだった。

あり得ない、油断だった。



それが、終わりの始まりだと知らずに―――――



もう一度言おう。

リバウンド、それは不幸から幸福になる当然の仕組み。

一週間、それは幸福から不幸になる誰かが作った仕組み。




一週間、それだけあれば―――リバウンドは、もう一度訪れる。








「―――――――その先、進まない事をお勧めするよ」

不意に背後からかけられた声に、俺の脚は止まる。

「その先に行く事はお勧めしない。あくまでお勧めだから、進んでもいいかもしれないけど―――俺は、お勧めしない」

俺、という一人称に男なのだろうかと思ったが、この声の高さは女。

「さて、どうするべきが正解だと思う?」

「……お前、誰だよ」

「そういうのは、まずは相手の顔を見てから話すべきだと思うが……」

そうだな、それが正しい。

だが、無理だ。

「お前、誰だ」

もう一度尋ねる。

「お前がこっちを見れたら教えてやるよ」

無理、絶対無理。

どうしてかわからないが、身体が動かない。

背後から聞こえる声に、絶対に振り向いてはならないと身体が悲鳴を上げている。奥底から染み出てくる黒い靄が身体の自由を奪っていく。この声の正体を確かめなければいけない―――だが、振り向いてはいけない。

真逆の答を出す頭。それに抗う身体の答は一つ。なら、俺の心はなんと答える?

「お前、誰なんだよ!?」

回答:誤魔化しの叫び。

「…………まぁ、いっか。そういう程度のレベルだってんなら、今回は我慢するさ」

声の主は呆れた様に答え、歩き出す。カツカツとハイヒールの先が地面を叩く音が響く。辺りには誰も無い。だから歩いているのは声の主だけ。けれども、おかしい。

声は確かにする背後から聞こえる。なのに、このハイヒールの音だけは遠くから聞こえる。残響の様に、遠くから響く。ゆっくりと俺に近づいてくる。

「今のお前じゃ、それが限界だな」

遠くから――――そして、一瞬で俺の真横。

「―――――ッ!?」

どうしてか、反射的に俺は首をグルリと回転させ、音の反対側を向く。俺は一体何をしているのだ、確かめなければいけないのに、どうして見ようとしない。

「おいおい、こっちを見ろよ」

錆びたネジを回すように首を動かす。だが、動いた分だけ戻る。決してそっちを見てはいけない。見てはいけない。ソレは見てはいけないモノだ。

「はぁ、そこまで拒絶されると……少しだけ苛めたくなるな」

見るな、見てはいけない、見たら―――終わる。

俺の視界に、白い指先が見えた。数は十本、両手が俺の顔を後ろから掴んだ。

瞬間、鳥肌が一斉に立った。

悲鳴を上げそうになりながらも、声を出すだけ行為の難しさを理解する。普段の通りに声も出ない。自然に出る声も出ない。悲鳴も、慟哭も、何もこの穴から出る事は無い。

「恐いか?」

恐い。

「寒いか?」

寒い。

「――――俺が、誰か知っているか?」

知らない。

知っているはずが無い。俺はお前の声なんか知らない。お前みたいな奴を知るはずが無い。こんな姿も見てもいない奴を、心の底から恐怖するような知り合いは、俺にはいない。

なんだ、なんなんだよ、コイツは!?

脅える俺を見ているのが楽しいのか、ソイツはケタケタと嗤い、そして指先に力を込める。肌に食い込む程の力が俺の顔に注がれ、頭蓋が軋みを上げる。プレス機の中に放り込まれた様な圧力を顔にかけられ、息が止まる。

ギリギリと食い込む指。

「寂しいなぁ……本当に寂しい。寂しくて、寂しくて、夜も眠れない」

声の主が耳元で喋る。耳に吹き込まれた息が穴を通って鼓膜を刺激し、脳髄を揺らす。雑音でも怪音でもない。音と呼ぶのは音に対する冒涜だ。これは音じゃない。声でもない。言葉に表す事を良しと出来ない、何かだ。

「俺は、お前を知っている」「俺は、お前が何なのかを知っている」「俺は、お前が何をしたのかを知っている」「俺は、お前が何をするのかを知っている」「俺は、お前がどうなるのかも知っている」

耳元で紡がれる声。

「そして、俺はお前がどうなるのかを知っている……」

そして、俺はとうとう見た。

無理矢理に振り向かされた顔が、俺の二つの眼球がソレを見た。

「俺的には久しぶり。お前的には初めまして。俺的には、これからもよろしく。お前的には、これからよろしく―――――なぁ、佐久間大樹」

それは、紅い。

「一つ、こんな疑問を挙げてみる事にしよう」

全てが、紅い。

「運命とは、何か」

視界が、紅い。

「考えるまでも無い。そもそも、疑問を挙げるまでも無い。この世は人間が疑問を挙げれる程度まで難解じゃない。全てがシンプルで、全てがサンプル――――あるのは極論だけでいい。持論も要らない。必要なのは極論だ。己の眼で見た真実だけが本質で、それ以外が間違いだ。同時に、相手にとって間違いで、お前にとって真実だ。わかるよな?」

世界が、紅く染まっていく。

「運命とは―――――道楽だ」

俺を、紅く染めていく。

「俺にとって運命は道楽だ。お前にとって否定であり、邪神にとって裏切りであり、女神にとっては善であり、従者にとっては仮初……わかるか?わかるよな?わからないなら、否定してみろ。大丈夫、お前が否定しても、その否定した結果に出した答えがお前の極論だ……極論、是、我也」

三日月の様に歪んだ口元。

「だから、お前の極論を聞かせてくれ。何度も何度も繰り返すだけの話でも、その度にお前はお前の極論を俺に見せてくれた……だから、今回はどんな極論だすんだ?その極論は楽しいのか?それとも、つまらないのか?どっちだ?」

破顔したソレの瞳が、真っ赤に染まった血色の瞳が俺を凝視する。

「あぁ、楽しみだ。実に楽しみだ――――楽しみ過ぎて、思わずフライングしちまったじゃねぇかよ」

見ただけで吸い込まれ、吸い込まれた存在は二度と戻ってこれない。ブラックホールを想像してしまう、そんな瞳が歪む。

「―――――けど、それもいい。今回はこれで終わりだ。これ以上は続かない。俺とお前が出会う事はこの先は無い。二度と、永久に、存在しない」

トンッと俺の身体を押す。その大した事の無い勢いに負け、俺は尻もちを突く。そして、俺は見上げた。

その紅い存在を、見てしまった。

「この瞬間に起こった全てが、何の意味も無い。だから、時間的には何も無いに等しい。そうだ、だからお前は何も覚えていない。俺は覚えていても、お前は何も覚えていない――――そうだ、そうしよう」

爪先から、頭の上まで、全てが紅い。

「いいか、佐久間大樹……『今回』の出会いは終わりだ。次はきっと『別のお前』と私は出会う。そのお前が私に会う資格があるなら、きっと会える。大丈夫、極論として資格とは自分がそう思いこみだけでいい。お前がそう思いこんでいれば、きっと俺はお前と出会える」

紅い、女。

「だから、お前は資格を得ろ。今のお前に足りない要素を探せ。ヒントは与えてやる。今回のお前には何の意味もないが、これを見ている『連中』には意味のある言葉だ」

紅いハイヒール。

「今のお前は『経験』を手に入れた」

紅いロングスカート。

「だが、今のお前は単に『経験』からくる『戦う一歩』を手に入れたにすぎん」

紅い女性物のスーツ。

「次は、この世界に生きる上で必要な要素。主人公が持っている『物語に介入する為の一歩』を手に入れろ」

紅い唇。

「なぁに、簡単だよ。タイトルを思い出せ。それが答えだ。極論として、それがなければ物語に介入する資格がない」

紅い瞳。

「故に、今回のお前は未完成だ」

紅い、地面に付きそうな程に長い髪。

「今の俺が、気紛れを起こさなければ、決してお前は俺には出会えなかった……次は、お前が私を見つけろ」

そして、最後に紅い帽子。

全てが紅い女は、そう言って嗤った。

楽しそうに、嬉しそうに、それでいて―――残虐に。

「さぁ、佐久間大樹。今回の物語もいよいよラストだ。精々、足掻いて絶望して―――未来を、その手で奪い取れ」

紅い女は懐から一枚の小さな紙を取り出す。

「見るだけ見ておけ。これが俺の名刺だ……大丈夫、きっとお前は忘れる。だから、見るだけだ」

紙に書かれていたのは、名前だった。

その名前は、



「刃沙羅、垢神刃沙羅――――『世界的』な『名探偵』だよ」



あかがみ、ばさら……

垢、神……刃沙羅……

「そんじゃま、そういうわけで――――あばよ、佐久間大樹」

垢い、神……

「あの『新米』の邪神をよろしく……」

紅い、ではなく、垢……




垢まみれの、神―――――――――それは、すなわち




そして、俺は正常な流れに戻された





何も覚えていない俺。

何も知らない俺。

マンションの前に立ち、そして何となく空を見上げた。

星空、月、雲の無い綺麗な星空。

空が綺麗だと想えた、最後の瞬間。

「――――な~んか、嫌な感じだな」

自然と呟いたソレが、意味のない言葉だと思いこみ、俺は部屋に戻った。

一週間、確かに一週間が経った。




その日――――――神が舞い降りた







[10030] 第九話「全ては此処から」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/11/20 16:22
信じる者は救われる。

信じない者は救われない。

それでもリアルはその逆を走る。

信じた者は救われない。

信じない者は変わらない。

時にこんな場合もある。

信じた者は信じたから裏切られる。

信じない者は最初から信じないから裏切られる。

信用する、信頼する、信仰する―――この様に、何かを信じるという行為や想い、思想があるから裏切りなんて言葉は存在するのだろう。

だったら最初から信じなければいい。

だったら最初から裏切られると知っていればいい。

だが、俺はこんなどうでも良い事を想ってしまった。

信じるから裏切られるのなら、信じていないのに裏切られるという行為はどういう感じなのだろう。

信じるから裏切られる。でも、これっぽっちも信じていない相手から裏切られる行為をされた時、それは裏切られるという意味になるのだろうか……つまりは言葉遊びに近い。けれども、考えてしまえばとことんまで考えてしまうのが悪い癖。

考えよう。

俺は誰かを信じたのか?

裏切りは信じたからこその感情なのか?

そもそも、裏切りとは何か?

答えはあっさりと見つかる。

ぶったちゃけた話、色々と考えた所で関係ないっていう結論になる。信じようが信じまいが、信頼しようが信頼しまいが関係ない。裏切りの意味は自分にとって都合の悪い結果を他者が持っているという意味だ。

自身を傷つける行為―――裏切りだろう。

他者を傷つける行為―――裏切りだろう。

それは許される事か―――許されないだろう。

つまりはそういう事だ。

関係ない。

俺が相手を信用しないとなかろうと、結果がマイナスに働くような行為をした相手に怒ってもいい。許さなくていい。罵倒して殴り倒して、そして逆に裏切り返してもいい。それを綺麗じゃないとか、人として間違っているとか言う輩は大勢いるが、その大勢だって本当は俺と似た様な事を考えているに違いない。だって、俺達は人間だ。人間はそういう生き物じゃなくても、感情を持った時点で動物以下であり以上だ。

もしくは、動物から見て異常かもしれない。

裏切り。

実にシンプルな言葉だ。

実にシンプルな行為だ。

実にシンプルな犯罪だ。

実にシンプルな正常だ。

実にシンプルな、シンプルな…………衝動だ。

だが、そんな傑作な事を繰り返しても、本質を理解する事はない。俺が裏切り、相手が裏切り、そして俺以外の誰かが傷ついたとしたら――――それは裏切りにはならない。

傷ついたのは俺でも相手でもない。

第三者が傷ついた。

その第三者の不幸に、さらなる第三者が傷つき、最終的に全ての人が傷ついてしまったのなら、それは傑作にも戯言にもならない。

だってよ……笑えないだろ?

傷つき、死んだ事すら忘れたら、それはもう笑えない。俺が覚えて、誰もが忘れて、裏切りの連鎖を続けた結果は無になる。

誰もいない。

そして、誰もいなくなった。

いなくなって、誰かが残った。

笑えない。

全然笑えないではないか。

なら、どうするべきなのか?

決まってる。

笑えないなら―――――俺は、お前を全力で否定する。

裏切ってでも、否定してやるよ……










人質はリリカル~Alisa~
第九話「全ては此処から」











何故か俺とアリサは二人っきりだった。

「ねぇ、お風呂に入らない?」

「入ればいいだろ」

雑誌片手に適当に返事を返す。

「……ねぇ、お風呂に入りませんか?」

「だから入れば良いだろ」

少女マンガを片手に俺は適当に返事を返す。

「…………ねぇ、お風呂に入りやがりませんか?」

「だからよ、勝手に入れよ」

ゲームボーイに集中しながら適当に返事を返す。

「………………ねぇ、お風呂に入るわよ」

「とうとう確定になったのな」

「アンタが無視するからでしょうが!」

別に無視はしていない。ただ、その如何にも熱意の籠ったというか、確固たる意志を決めて、勇気を振り絞って口にしたような台詞にうんざりしただけだ。

ゲームボーイの電源を切り、俺はようやくベッドの上にいるアリサを見る。

人間、両足が不自由で片手も若干不自由だとしても、意外と生活は出来るものなのだと俺は最近になって関心する。まぁ、誰かの助けが必要だという点を抜かせば、わりかし生きる事は可能なのだろう。

生きていれば、生きているのだから。

「無視はしてないだろ。ただ、適当に返事をしてただけ……で、風呂に入りたいと?」

「そうよ」

「まだ夕方なのに?」

「夕方にお風呂に入っちゃいけないっていう法律はないわ」

「江戸っ子みたいだな……で、入れたければ入れば良いし、俺に確認を取る必要なんて無いんじゃねぇのか?」

「アンタね……いい、私の今の状態を見て、どうやって一人でお風呂に入れっていうの?というか、お風呂にたどり着くのだって出来ないわよ」

「大丈夫。お前なら出来る。頑張れアリサ、お前の明日はきっと明るい」

「その前にアンタの口座を空にして、その日暮らしにしてやりましょうか?」

本気の脅しだった。少なくとも、給料日前の俺からすれば切実で現実的な問題だ。なんていうか、今にして思えば万札をライターで燃やすなんて行為をなんでしてしまったのだろうか?

ああいうのは教科書の絵だけで十分だろうに。

「そんじゃ、何時もみたいにメイドさんを呼べ」

「いないわよ」

「…………は?」

いない?

メイドさんがいない?

此処はそんじょそこらの一般家庭じゃあるまいし、メイドの一人や二人は普通にいるはずだ。なのに、そのいて当たり前なメイドがいないなんておかしいぞ。

「俺、何時の間に一般家庭に転移したんだろう」

「何言ってんの?」

ほんと、何言ってんだろうな。そもそも、一般家庭に生まれた俺が、こんなゴージャスで豪華な屋敷に住んでいる事がそもそもおかしいのだ。いや、別に住んでいるわけじゃない。俺の家はあのマンションだし、この屋敷は俺の住みかではない―――もっとも、この一週間のほとんどはこの屋敷で生活しているのは否定できないけどな。

「それで、なんでメイドさん、もとい俺の同僚がいないんだよ?まさか、クビにしたんじゃないだろうな?」

「それこそまさか、よ。あの人達を解雇するなら、まずは佐久間が真っ先にクビにしてるわ」

「そうかい、なら安心だ。なら、執事とか呼べよ。鮫島さんでもいいから呼んで、風呂に入ってこいや」

「鮫島もいないわよ」

……………嫌な予感がした。

これは大変に嫌な予感がする。

背筋が凍る程じゃないが、嫌な汗が流れる位には嫌な予感だ。

「なんでいないんだよ?」

「鮫島には今日だけ暇を取らせたわ。もちろん、使用人全員」

なんでそんな事をするのかわからん。そういえば、今日一日、同僚達を誰も眼にして無い事に気付いた。最近は俺という使用人の能力の無さが眼に見えて酷いので、誰も俺に仕事を回してくれない。やる事といえばアリサの世話というかアリサの話相手くらい。

つまりは戦力外通告だ。

だからって気付けよ、誰もいない事くらいはよ。

「―――――で、なんでそんな事してんの?」

「こうすれば、私と佐久間は二人っきりじゃない」

「二人しかいないだろうが」

「愛する二人が二人っきり……燃えるシュチュエーションじゃない」

おい、何処でそんな言葉を覚えたんだよ小学三年生。

「俺はちっとも燃えないな。それ以前に、俺だけしかいないってんなら、お前の世話はどうすんだよ」

「もちろん、佐久間がするのよ」

「俺にお前の風呂の世話とか着がえとか、最悪はトイレの世話までしろと?」

「実は一時間前くらいから漏れそうなのよね」

「本末転倒に馬鹿じゃねぇのか!?」

この部屋で俺が寛いで、というかこの屋敷に来てから五時間くらい経っているが、その間に俺とアリサはこの部屋を一歩も出ていない。

「も、漏れるわ……」

「アホか!!お前は本物のアホだろ!?」

「さぁ、どうする佐久間?アンタが私をトイレに連れて行かないと、私は此処で漏らすわよ。アンタの目の前で可愛い少女がお漏らしするわよ。いいの?いいの!?そんな事で男としていいのかしらね!!」

「お前は女として駄目じゃねぇかよ!?」

「これも愛の為よ!!」

「どんだけ神風思考なんだよ、お前の頭は!?」

気のせいじゃないな。あの夜以降、あの告白以降、アリサは俺に遠慮がない。遠慮がないという意味を間違った意味で認識している様な振舞いが多い。例えば今の状態とかな……怖いな、最近の小学生女子。

などと全国の小学生女子に怒られそうな事を考えている間にも、アリサの限界は近い。額に脂汗を流しながら、壊れそうな笑顔を向けながら俺を見る。

ぶっちゃけ、状態としては俺の頭に拳銃を向けながら、ついでに自分の頭にも拳銃を向けている状態だ。

「さぁ、リミットは近いわよ……」

「お前、自分で言ってて悲しくならない?」

「人として終わってる気がするわ」

「ならやるなよ」

「ちょっと後悔してるわ……というか、ゴメン。そろそろ本気で限界だからトイレに連れて行ってください……」

馬鹿だ。このガキは本物の馬鹿だ。最初は頭の良いガキだと思っていたが、今はただの馬鹿になり下がっている。

しょうがない。俺は覚悟を決め、

「よし、漏らせ」

「そっちを選択するの!?」

「えっと、代えのパンツはっと」

「勝手に私のクローゼットを物色しないで!!」

さて、冗談はさておきだ。そろそろこの馬鹿を本気でトイレに連れて行くか行かないかを選ぶのだが、

「そもそも、子供をトイレに連れて行くのって普通じゃね?」

という結論になる。

俺が恥ずかしがる必要などない。

むしろ、恥ずかしがるのはアリサであって、俺がどうこう思う事など一欠けらもないのだ。

そうとわかれば安心。アリサをいつもの様に抱き抱える。

「――――ちなみに、大か?」

「小よ!!」

「大声で言うなよ……」

なんか、コイツのキャラがおかしくなってる気がするな。これも物語を何カ月も放置した結果だろうか―――――ん、何の話だ?

意味のわからない思考に首を傾げ、俺はお嬢様をトイレに連行する。





さて、ここでトイレの様子でも表記しようものなら人として、大人として終わっている気がするので省略する。小だけに、ね―――言葉遊びにすらなっていない寒い事を思ってしまった。

そんなわけでトイレに連れて行ったのなら、この際だからついでに風呂にでもつき合ってやろうと思った次第。アリサをお姫様抱っこしながら屋敷の中を歩くと、改めて俺とアリサしかいない事を知る。

「本当に誰もいなんだな……夕飯とかどうすんだよ」

「佐久間が作ればいいんじゃないの?」

「一人暮らしの男の料理なんて、食えればいい代物だ。お前みたいな舌の肥えた奴が食っても生ゴミにしかならん」

「アンタ、私をなんだと思ってるわけ?そんな漫画みたいな奴はいないわよ、現実的に」

「いないのか?」

「いないでしょうね」

確かにそうだな。これが上流階級の人間としか付き合いが無いとか、そういう設定があったら信じそうなものだが、アリサの場合はちゃんと普通の一般人との交流がある。

「まぁ、なのはの家に泊った事もあるだろうしな……」

「…………」

「ん、どうした急に黙り込んで」

「別に……」

何故か急に不機嫌な顔をするが―――まぁ、どうでもいいや。

「それで、今日の夕飯はどうすんだ」

「…………佐久間が作ってよ」

「だから、俺の料理なんて――――」

「私が佐久間の料理が食べたいって言ってるの!!」

そう言って顔を背けるアリサ。

…………なんて漫画みたいなシーンだ。いや、もしくはギャルゲーか?やった事ないけど。

「期待するなよ?」

「嫌。絶対に期待する」

こうまで言われたら、男冥利に尽きるという状態なのだろうか?

直接俺の事が好きだと言われた手前、これが照れ隠しもでもなんでもない、完全な恋する乙女の行為だとは理解できる。嬉しいとは思うが、それだけなんだけどな……だって、コイツは子供だぞ?子供相手に俺が本気で恋愛してどうすんだよ。

それでもここまで言われたら、とりあえずこう言ってみる。

「アリサ……」

「何?」

「好きだぞ」

ボンっとアリサの顔が真っ赤に染まる。

「好きだぞ」

「あ、あううう……」

更に紅く染まる。

「大好きだぞ」

「うううう……」

耳たぶまで真っ赤だ。

「俺は、お前が好きだ――――――――――――煙草の次くらい」

「――――――」

真っ赤に染まった―――怒りで。

とりあえず、今回は素直に殴られるとしよう。




若干、佐久間大樹という男のキャラがおかしくなっている気がするが、それはしょうがないだろう。なにせ、久しぶりの登場なのだから――――だから、何の話だ?

バニングス家の浴場はまさに大浴場といって言い。そんじょそこらの健康ランドとなんら変わらない程にデカイ。百人くらいなら一気に入れるんじゃないかと思えるくらいに広い。そんな空間に俺とアリサの二人だけというのは何とも豪勢じゃないか。

「痒い所はあるか?」

「胸の所が痒いわね……恋かしら?」

「気のせいだ」

アリサの綺麗な髪を洗う。うん、こんな綺麗な髪を洗うなんて行為を俺が出来るとは思ってもなかった。手触りや色、ジグザの髪は黒で綺麗だったが、洗った事はなかった。

やはり、邪神というか神様みたいな連中は風呂に入らなくても綺麗なのだろう。いや、邪神だから汚れているというのが普通なのだが、ジグザの髪は汚れてもいないし臭くもなかった。

「お約束って事かな」

シャワーで泡を流してやり、

「ほれ、身体は自分で洗えよ」

「佐久間が洗ってよ」

「それはまずい。道徳的にも悪い上に、教育上に悪い。そして言うなら掲示板的に場所が違う」

「何の話?」

「知らん。なんとなく俺じゃない誰かが俺に言わせてる気がする」

ほんと、どうなってるんだろうな。

足が使えなくても身体くらいは自分で洗えるだろう。俺はアリサの隣で自分の身体を洗ってさっさと風呂に浸かる。

あぁ、良い湯だ。湯からも良い匂いがするし、これはきっと高い入浴剤を使っているに違いない。どうせなら泡風呂とか薔薇を浮かべた風呂とかにも入ってみたかったが、

「キャラじゃないよな」

俺みたいな庶民はボロアパートの風呂が丁度良い。だから、今回は特別で、温泉に来た感じで次回は家の風呂を使う事にしよう。贅沢は敵だ。精神的ではなく財布的にな。

身体を洗い終わったアリサを湯に入れ、一息つく。

「あぁ、極楽だ」

「ジジ臭いわね。若いんだからもっと他の言い方はないの?」

「日本人はこう言うもんなんだよ」

「私だって殆ど日本人よ」

「血筋的には外人だけどな」

「そうね。なら、私と佐久間が結婚したらアンタも外人よ」

「婿養子かよ……というか、俺と結婚する事は確定なのか?気が早いと言うか、百年早いっての」

気分的には将来は先生と結婚すると言われた幼稚園の先生の気分だな。そう言う俺も、かつてはそう言った記憶があるのだが。

「恥ずかしい過去だな」

「恥ずかしくないわよ。夫婦になったらそんな事すら良い思い出になるわよ」

「結婚する事を前提として話を進めるな。俺はお前と結婚する気はない。少なくとも今の所は皆無だ」

「なら未来に期待するべきね」

「期待するだけならタダだしな」

ほんと、コイツとこんな会話をする事になるとは思ってもなかった。

俺はアリサが好きだ。だが、それは友人、知人、他人としての好きであり、異性として好きになったわけじゃない。アリサは異性として俺の事を好きだと言っているが、それは子供特有の好きだ。大人になった時の好きとは次元が違いすぎる。

無論、だからと言って蔑にして良いわけじゃない。そもそも、誰かから好かれて気分を害すなんて人間失格な思考を持った覚えはない。

嬉しいものだ、誰かから好きだと言ってもらえる事は。

俺は俺自身を信用できないし、俺が何よりも嫌いだ。だが、そんな俺を好きだと言ってくれたアリサがいるのなら、少しだけ前向きになって見るのも悪くない。

過去を思い出せば胸は痛い。

アリサの足を見れば心が悲鳴を上げる。

しかし、アリサの笑顔を見れれば少しだけ癒される。アリサの好きという言葉を聞ければ少しだけ安心できる――――なるほど、そういう点から見れば、俺もアリサの事を色々な意味で好きだと言えるわけだ。

LOVEではない。LIKEでもない。別の言葉を使っての好きという感情だ。

哀よりは愛がいい。

悲しみよりは嬉しいがいい。

リセットしたようで変わらない関係は、少しだけ前に進み始めている。

こうする事で何かが変わるのなら、この関係も悪くは無い。後はこの先がどうなるのかという事だけ。俺はどう変わるのか、アリサがどう変わっていくのか、そして周囲はどう変わっていくのか、それが少しだけ楽しみになってきた。

「アイツも、そうやって変わってくれるのかねぇ」

思い出すのはもう一人の、俺の大切な奴の事。

最近はまったく会えないが、俺と繋がっている邪神という存在。

アイツも何時か変わるのだろうか。人は絶対に変わらない。変わる事が出来ないと豪語するアイツ。

少しずつ、本当に少しずつ俺は変わっているのかもしれない。変わろうと思ったから、諦める事を諦めたから、変わっていこうと思った。

「今度会ったら、その事を聞いてみるかな」

きっとアイツは否定して、何時ものような極論な自論を披露するのだろう。だが、今回ばかりは俺も噛みつかせてもらう。この想いだけはそう簡単には論破されて良いものじゃない。徹底的に戦い、そして勝ってみせようじゃないか。

思わず俺は笑ってしまった。

笑って笑って、未来に希望を持っている。

「ちょっと、さっきからニヤニヤして気持ち悪いわよ」

「気持ち悪い言うな」

「…………ふんだ。とうせ、他の女の事でも考えてたんでしょ?言っておくけど、私という絶世の美少女がいる限り、浮気なんて許さないわよ」

自分で言うなよ、そういう事は。

「他の女の事なんか考えてねぇよ、別に」

ジグザは女かと言えば違う。

アレは邪神で神様。

男でも女でもない。

だからその場を凌ぐ嘘を吐く。

「ただ、他の奴等はどうしてるかなって思ってよ……ほら、なのはとも最近会ってないから、どうしてるのかなって」

でも、本当にどうしてるんだろうな。世界の歴史を考えると、そろそろアースラとかと合流している時期だろう。そうすれば、ジュエルシード捜索の効率も上がって色々と進む時期だ。

「…………」

何故かアリサが不機嫌な顔をする。さっきと同じ様な、不機嫌な顔。

「どうした?」

「…………やっぱり、別の女の事を考えてる」

焼餅かよ。

「いいだろ、なのはの事くらいはよ」

「良くないわよ……」

「小さいぞ、アリサ。なのは位なら許してくれてもいいだろうが」

ほんと、心の狭いお嬢様だこと。召使いとしてご主人様がそんな心の狭いお人だと、悲しくなってくるというものだ。

だというのに、アリサの不機嫌は治らず、プイっと顔を背けてしまう。

「なによ、さっきからなのはなのはって……」

やれやれ、困ったお子様――――



「―――――大体、なのはって誰よ?」







走る。

「違う」

走る。

「んなわけ、ないだろうが……」

走る。

「あり得ないだろう」

走る。

「ふざけんな」

走る。

「間違いだ」

走る。

「勘違いに、決まってる!」

走る、走る、走る、奔る、奔る、はしる、はしる、はしる、走る、ハシル、走る、奔る、はしる、ハシル、ハシル、俺は奔る。

「冗談だ。アイツの、つまらない冗談なんだよ」

時間がどの程度経ったかなど知らない。今の俺に出来るのは両足を精一杯動かし、力の限り走るだけ。そうしなければ俺の頭がおかしくなってしまいそうになるからだ。目の前の現実を受け入れられないのではなく、受け入れる必要ない事実だと認識する為に俺はひたすら走り続ける。

「そんな冗談なんか、これっぽっちも笑えない」

息が切れそうになり、肺の奥から黒い塊が靄となって漏れ出しそうになる。それは正常な空気ではなく、有害で公害な害悪。それを否定するように俺はひたすらに走り続けるしかない。

これは恐怖なのだろうか?

「違う。俺は恐れてなどいない」

俺は何かを否定する為に走るのだが、それは恐怖から逃げる事を何が違うのか、今の俺にはまるで理解できない。

「だから、確かめるんだ」

理解したら救われるのか。それとも理解できないから救われているのか。理解した瞬間に全てが木っ端微塵に砕かれ、幸せだと思っていた全てが消えて、霧散してしまうのではないだろうか……それが、堪らなく怖いと思うから走るのだ。

これは死の恐怖か、それとも別の恐怖か。

いいや、まだ恐怖になどなっていない。勘違いからくる間抜けな結果であり、嘘からくるおかしな結末であり、傑作な悪ふざけに違いない。

戯言だ。

戯言だからこそ、傑作だと笑える―――――――――――――いい加減に認めようぜ?

認める必要があるから、俺は此処に立っているんだろ?

なぁ、理解しろ。

なぁ、認めろ。

「認めて、たまるかよ……」

あれは全部、アリサの冗談に決まってる。アイツの単なる焼餅からくる言葉に違いない。だから俺は友達の事をそういう風に言うのは良くないと当たり前の事を言った。だが、アイツは当たり前の様に言った。

高町なのはとは、誰の事だ―――そう言い放った。

冗談にしては笑えない。もう、笑えない。アリサの表情からそれが嘘でも冗談でもない。本気だという事を知った。認識した。知覚した。

友達だろ、と尋ねた。

友達じゃない、ですらなく、そんな女の事を知らないと囀った。

友達なんだろうが、と少し強く言った。

だからそんな奴は知らない、と少し強く言われた。

しかも俺が誰かと勘違いしてるのではないか、記憶違いじゃないかとさえ言われた。その時点で俺は――――あぁ、そうだったなと言った。

嘘をついた。

アリサに嘘をついた。

そこから記憶が曖昧になった。

アリサとどんな事を話したのかも忘れた。どんな表情で、どんな事を言ったのかも覚えていない。頭の中を疑問がぐるぐると回転して、その度に吐き気を催した。

違う、そんな事はあり得ない。

まるで世界が崩れていく様な感覚になった。

恐ろしくて、寒くて、悲しくて、熱くて、怖くて、感じなくて、寂しくて、恐ろしくて、目の前のアリサが別の誰かに変わってしまった様な気分になった。

忘れている。

誰が誰なのかを忘れている。

大切な誰かを忘れている。

継ぎ接ぎの記憶で、俺はアリサの部屋にある写真を見た。

そこにはアリサ、すずか、なのはの三人が写っている写真が飾ってあった。飾ってあった―――はずだった。

ハンマーで頭を殴られた様に衝撃は走った。

言葉を無くし、意識を無くしかけた。

震える手で俺は写真を手に取り、穴が開くほどに凝視した。だが、何度も何度も見ても写真に写った光景は変わらない。

そこに写っていたのは、

紛れもなくアリサであり、

紛れもなくすずかであり、

紛れもなく、



紛れもない、高町なのは――――ではない、見知らぬ他人だった。



俺は屋敷から出た。煙草が切れたから買ってくる。ついでに夕食の食材を買ってくる。戸締りはしておけ、勝手に家を出るな、誰が来ても入れるな、この部屋から一切出るなと命令するように言って屋敷を出た。

確かめる為に。

俺の眼がおかしくなって、頭がおかしくなっただけで、世界は何一つ変わらないのだと知る為に俺は此処にいる。

そこには確かにある。

翠屋がある。

俺が立っている翠屋の電気は付いていない。

俺が立ちつくしている翠屋は単に誰もいないだけだ。

俺が震える足でなんとか崩れ落ちるのを我慢している翠屋は、本当に誰もいないだけだ。

例え、それが夕方だとしても。夕方という誰もいないなんていうあり得ない事があるだけだ。普段なら学校帰りの学生や、夕飯の支度をサボっている主婦達がいる時間だとしても、たまたま人がいないなんて事は普通にあり得るんだ。

あり得ない事なんてこの世には無くとも、あり得る事はあり得るんだと知っていたとしても、この現実は否定する必要すらない程――――リアルな世界だと認識する。

俺はゆっくりと手を伸ばす。翠屋の扉に手をかけ、腕を押し出す。その時だけは数トンはあるのではないかと錯覚するほどに感じたとしても、押せない扉ではないのだ。だけど、押せない。押す事を深層心理から拒絶してしまいそうになる。

それでも俺は押す。

押すのだ。

押さなければ確かめられない。

確かめる必要があるから、押すのだ。

扉は簡単に開いた。

鈴の音が鳴り、鼓膜を刺激し、扉の奥が俺の視界に写りこむ。

なんて事のない光景だ。

当たり前の光景だ。

こんな光景は普通にある。



誰もいなかった。



安堵した。

誰もいないだけだ。

安堵したら、俺はその場に膝から崩れ落ちた。

ゆっくりと深呼吸を繰り返し、当たり前の現実に安堵する。

誰もいない光景だとしても問題はない。誰もいないのなら問題ない。男も女も、子供も大人も老人も、店長も店員も客も、そこに人がいないのなんて普通じゃないか。

安堵する。

安堵して、俺の掌に生ぬるい水が流れ込む。

夕陽に照らされたそれは、黒い色に見えた。光が差し込み、影になった部分が黒く蠢き、光の当たった水面がキラキラと反射している。

此処には誰もいない。

あるのは、

                       足、
  
     手、 

                胴体、 

   頭、

            骨、

                    血管、

         肝臓、

                        腸、

     心臓、

                          脳味噌、

人の身体を形成する無機物の数々。

俺が知る光景でなくとも、そこには誰もいない。

生に裏切られた者しか、此処にはいない。



この場所に、生きている人間など――――誰一人としていない



「――――うあぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

悲鳴を上げた。

男なのに、情けなく悲鳴を上げた。

それだけこの光景が信じられなかった。これが現実ではなく幻想で、幻想の中の翠屋が惨劇の舞台になっているだけで、現実では今も普通に人がいて、急に狂った悲鳴を上げた俺を、周りの人々が奇異の眼で見ているに違いない。

そうだ、これは幻想だ。

そうだ、これは夢だ。

そうだ、これは、これは、これは、これは、これはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはははははこれははこれこれこれこれこれここはここれこれはははははははははははははははははははは、

「これは、嘘だ……」

この掌に感じる水の感触は血ではない。この生ぬるい温度は間違いだ。この現実も間違いだ。こんな事は起こるはずもない。

なのに嘘は消えてくれない。

店内を見渡す。

見覚えのある名も知らない店員がいた―――顔面が抉られていた。

見覚えのない名も知らない学生がいた―――首がなかった。

見覚えのあるよく知っている母がいた―――腸を抉り取られ、絶命していた。

見覚えのあるよく知っている父がいた―――両手両足を切断され、首を折られ死んでいた。

見覚えのあるよく知っている兄がいた―――首以外、なかった。

見覚えのあるよく知っている姉がいた―――身体が半分しかなかった。

見覚えのあるよく知っている獣がいた―――原型がわからない程、潰されていた。

死体遺体死体死体遺体死体死体死体遺体遺体遺体異体異体死体遺体死体異体異体異体死体痛い痛い―――何かが痛い。

痛みが俺を現実に戻す。戻った現実には死体があった。その事に拒否するように頭を振ってみたが覆りはしない。

この場所には死が満ちている。死しかいない。死以外が存在しない。だから生きている俺という存在がおかしい。俺が異常だ。俺が正常じゃない。正常に戻すには俺が死ぬしかない。でも俺は生きている。だからこの場に俺という存在が何よりも異常に見えてしまう。
また叫んだ。

喉が潰れる程、喉が痛くなる程に叫んだ。

何度も何度も叫び、恐怖に狂いそうになった。

だが、俺の精神はまだ壊れない。壊れたら楽になれるのに、こんな事になるなら正常になんかなりたくない。壊れろ、俺よ壊れろ、壊れて死んで楽になれ――――――それを、俺は否定する。

「――――――ッ!?」

どれだけそうしていたのだろう、夕方だった世界は夜の闇に飲まれていた。真っ黒な世界が店内を闇に落しても、鼻に入ってくる錆びた鉄の匂いが現実逃避を許さない。

死んでいる。

皆が死んでいる。

俺の知っている人達が死んでいる。

本来なら死ぬはずのない人々がこうして死んでいる。

何がおかしい?

何が間違っている?

こんな結末はこの世界には存在していないはずだろ?

なんでしんでんの?

ばかじゃねぇのか?

ふざけてんのか?

おかしいのがおかしいんだろ?

これはおかしいだろ?

ありえないだろ?

ひていするべきだろ?

ひていしろよ、なぁ?

「む、無理だ……」

立ち上がる気力もない。頭を押さえ、頭を垂れる様に俺はその場にうずくまる。

「否定、できるはず、ねぇだろうが……だ、だってし、ししししし、死んで、死んでる……じゃねぇ、かよ……」

死は否定できない。

死は当たり前だから否定できない。

だから俺が壊れそうになり―――それを否定された。

否定された原因は、俺の中にある経験のせいだ。

経験の中には血生臭い経験が沢山あり、その経験のせいで俺は狂う事なく、狂う事すら出来ずにこうして正常な思考に戻ろうとしている。

狂えるならどれだけ楽なのだろう。この現実を受け止める事すら出来ず、俺は狂う事すらできない。だが、経験だけはある。俺ではない経験が俺という形を保っている。

今だけは、この経験を恨んでしまいたい。

正常に戻った俺は、純粋に恐怖する。

闇に慣れた眼が、そこら中に転がる死骸を凝視して、その度に吐き気がくる。経験がある為に吐く事はないが、胸のあたりがむかむかする。飲み過ぎた時に感じる吐き気よりも悪玉なそれに耐えながら、俺は漸く立ち上がる事が出来た。

そして、

それを、

見定めていたかの、

ように、



ピチャンッ――――と、水滴が落ちた。



音のする方を見ると、そこには暗闇よりもなお深い闇がいた。

カウンターの上に腰掛け、深淵の闇を宿したソレがいた。

あの時と同じようにケタケタと嗤い。

長い綺麗な黒髪を血の海に浸し、黒髪が血を吸いだしている様に、だらりと浸っている。
黒い、闇色。

少女の様な残虐性を秘めたソレが嗤っている。

黒よりもなお深い闇が俺を見る。

楽しそうに、ゲラゲラと嗤いながら俺を見る。

見て、観て、視て、満ち足りている。

名を呼ぼうと思ったが声が出ない。名を呼ぶよりも前に、俺の眼球がソレが持っている何かを見つけてしまった。ソレは何かをお手玉するように手の上でぽーん、ぽーん、ぽーんと飛ばしている。その度に何かに付着していた血が血の海に落ちて波紋を作る。

生温かい血に、生温かい血が付着する。

ソレは何を持っている?

ソレは何をしている?

ソレは何に何をして何をした?

「―――――久しぶりに、一つ……こんな疑問を抱いてみよう」

ソレは当たり前の様に囀る。

「死とは何か、殺されるとは何か、虐殺されるとは何か――――そして、消されるとは何か、疑問を抱いてみよう」

何を言っているのかわからない。そもそも、ソレの声など俺には届いていない。

俺の意識の全てはソレの持っている何かに向かっている。

「でも、実はそれほど疑問に思う程の事じゃないんだよね、これが……なにせ、死は其処にある。死は此処にある。死はシンプルであるべきで、ロジカルを求める意味はない。何故なら、死に意味を求めるのは『物語』の中だけだからだ。これは現実、リアルだ。だから死に意味を求めても意味はない」

嗤っている。

「死んだ、亡くなった、殺した。この三つの言葉さえあれば事足りるのがリアルだ。意味はない。必要がない。だからこの疑問の答えは一つ。君の求める答えも一つ。世界が求める答えも一つ。一つでありながら無数にあり、無数でありながら一つ。そして私の口から出る言葉はシンプルな言葉一つで十分」

嗤っているのだ、その何かは。

「私が、殺した」

まるで友達に微笑みかける様に、何かは嗤っていた。

「私は、殺した」

まるで先程まで、そうしていたかのように何かは嗤っていた。

「私も、殺した」

想像する。

何かは笑っていたのだ。

楽しげに笑っていた。

笑いながら、笑っている途中にそうなった。

だから気付かない、気付かなかった。気付くことすらできずにそうなった。

だから笑いは嗤いに変わる。

笑いが幸福を意味するなら、嗤いは反対を意味する。

ソレが持っていた何かは、それを明確に表している。

俺の思考がおかしくなければ、犯されていなければ、ソレの持っている何かは、

俺がよく知る人物で、

俺をよく知る人物で、

こうなるはずがなく、

こうなってしまう事のない、

死ぬ事のない、

死んでしまうはずがない、

殺されしまう事のない、

殺されてしまうはずのない、

そんな、

少女だった、

はずなのに、

死んでいる。

死んでいた。

死んでしまった。

殺された。

殺されたのだ。

ソレの手で。

ソレの掌で遊ばれながら。

ソレは殺した。

確実に殺した。

確実に殺された。

確実に惨殺された。





高町なのはは――――ジグザに殺された





「……お、おま、お前、お前が、ころ、ころろろ、殺した、のか?」

「うん、殺した」

「なん、で……」

「殺したいから」

「何も、してないのに」

「殺す理由にはならない」

「殺す、必要なんて、」

「無くとも殺した」

ジグザの手にあるのは、頭だった。

首から下は無い。

首から下の身体が無い。

首を引っこ抜く、なんて表現が似合うのだろうか?

想像する。

ジグザの手が、なのはの首に添えられる。

ジグザの手が、なのはの細い首を握りしめる。

ジグザの手が、なのはの首を骨を折る。

ジグザの手が、なのはの首をねじり切る。

ジグザの手が、なのはの首を引っこ抜く。

ジグザの手が、なのはの首を持つ。

死んだ事すら気付かず、嗤ったまま引き抜かれた首には、初めて見る人間の脊髄があった。昔に見た映画で、怪物が人間の脊髄ごと頭を引っこ抜くという描写があったが、あれは嘘だった。人の脊髄はあんなに作り物めいていない。もっと生々しい程に暖かく、そして綺麗で、そして湿っている。

ジグザがなのはの頭を左右に揺らすと、脊髄も左右横に揺れる。

あぁ、アレはどうあっても死んでいる。

それを確かに認識した瞬間、頭の中で何かが弾けた。

弾け飛んだのは、理性だろう。

「―――――ジグ、ザアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

気付いた瞬間、俺は拳を握ってジグザに向かっていた。

頭の中は真っ白から真っ赤に染まり、何故とかどうしてとか、そういう戯言など放り捨て、俺は目の前のコイツを全力で、殺すつもりで殴りかかった。

が、ジグザは避けるそぶりすら見せず―――俺に向かってなのはの首を放り投げた。

それだけ真っ赤に染まった思考は真っ白に染まりなおされた。

俺の胸にあたった頭。俺はソレを両手で受け止めた。



死んだ眼が俺を見た。



ゾッと背筋が凍り、鳥肌が全身に発生する。手に感じる重さは意外に重く、そして冷たい。栗色の髪の毛が指に絡まり、首から下に垂れさがった脊髄が俺の腕に触れ、身体が凍りつく。

そして、次の瞬間―――――その頭が、横から現れた、ジグザの手によって、



トマトの様に、潰れた



そんな表現は小説の中でよく眼にするが、それを現実で見るのは初めてだった。感想は意外と淡白で、人の皮膚の下は本当に理科の授業で見た様なピンク色で、人体模型の様に血管があり、筋肉の筋があり、その下には白い骨があり、骨の下には肉があり、やっぱりピンク色で、綺麗で、気持ち悪くて、ぶよぶよしてて、頬に飛んだ肉片は冷たくなっていて、まき散らされた血液はまだ暖かくて、そして全てが冷たくなる。

ジグザの手が真っ赤に染まり、掌を開いたら何も無い。あるのは真っ赤な血と真っ赤にそまった肉片だけ。

その行為だけで、高町なのはという少女は―――完全にこの世から姿を消した。

そこでようやく俺はマトモな人間の行為をする事になった。

吐いた。

吐瀉物を血の海に吐き散らし、眼から涙を流しながら、喉の奥がどんどん熱くなり、最後に残ったのは酸の味のする胃液だけ。

もう何も出ないのに吐き気は止まらず、俺はその場で崩れ落ちた。







何故、殺したと俺は問う。

「簡単さ。君が言ったからだ」

何を言ったと問う。

「君が、私と一緒に世界を壊そうと言ったからだよ」

確かに言った。だけど、それが何故彼女を殺す事になる。

「それも簡単な理屈さ。彼女のはこの世界の中心人物。主人公という存在だ。故にこの世界は彼女を中心として回っているし、彼女無しでは世界は存在できない。なにせ、彼女がいるからこの世界は存在価値を見いだせているのだからね」

ジグザは嗤う。

「この世界は替えが効く存在なんて幾らでもいる。例えば、この世界の名も無いモブが一人死んでも世界に影響はない。名前のあるキャラが死んでも変わらない。重要人物が死んだら少しだけ世界が変わる。本筋というオリジナルがあるからこそ、オリジナルから離れれば生き死には変わってしまう。だが、所詮はそれだけだ。主人公である高町なのはがいる限り、世界は廻り続ける」

それではまるで、

「まるで彼女さえいれば世界は存在する。彼女以外が死んでも世界は存在する。まさに、高町なのはこそは世界の神である、そう思う事も出来るだろうね」

それは、

「残酷だろうね」

そう、残酷だ。

「残酷すぎるとは言わない。私としては当然の知識だからね。でも、君はそうとは思わない。人が死ぬのは悲しいから嫌だ。人が死ぬのは胸糞悪いから嫌だ。そういう人として当たり前の感情がある―――けど、神はそうじゃない。あのクソアマも含め、私という邪神とてそうだ。人間なんてどうでもいい。大事なのは世界を守る事だ。世界という存在を守り続ける事が神が神であり続ける意味だ。だから世界が何よりも守るべき重要人物なのさ」

人の存在なんて、カスだっていう事なのか?

「あぁ、カスだね。世界にしても、神にしても、私としても。でも、彼女はそうじゃない。高町なのはにとって人はカスじゃない。大切な存在だ。だけど、彼女がどれだけ世界を重く見て、大切に思っていたとしても意味はない。だって彼女以外が死んでも替えは幾らでもいるんだからね…………言ってしまえば、重要人物という言葉ですら世界には意味がない。意味がある言葉は主人公という選ばれし悪意だけさ」

替えが効く存在。

替えが効くから、死んでも世界は変わらない。

重要人物でされ、モブでさえ、何であれ。

「世界は変わらない。歴史というものは変わっても世界自体には変わりは無い。この世界、物語が彼女を主役としている限り、歴史だけは変わっていく。彼女を中心としているからね――――だけど、その彼女が死んだ場合はどうなるか……君は理解したはずだよ」

アリサの記憶から、なのはの存在が消えた。

「そう、その通り。主人公という存在が消える事はそういう事なんだよ。記憶喪失というものでもない。記憶から抹消されるわけでもない。単純に『存在しない』という事にされるだけ……」

悲しいね、とジグザは嗤う。

ちっとも悲しくない顔で、嬉しそうに言う。



「替えの効かない主人公が消えた場合、世界はどうなると思う?答えは一つ――――世界が壊れるのさ」



どうして、お前はそんな顔で嗤えるんだ?

「こういう顔だからさ。私は悲しみなんて感じない。世界と同じでね。前に話したろ?世界は無自覚の悪意であり善意だ。だけど、心臓である主人公を失くした世界は、人間と同じ様に死んでいく。でも、それは突然消えるわけじゃない。ゆっくりと、ゆっくりと消えていくんだ」

ゆっくりと、消える。

「まずは人の記憶が消えていく。心臓である主人公の記憶が消えるんだ。そして挿げ替えは発生する。これは一種の防衛手段の様なものかな?世界が無意識に生存を求めようと自分の中で辻褄を合わせ、世界を保とうとする。だけど、それは無理だ。主人公は心臓だ。仮の心臓を作ろうとすれば当然拒絶反応が起きる。世界に心臓移植は出来ないから、別の主人公を作る事は出来ない。故に防衛手段はゆっくりと崩され、壊され、崩壊する」

手遅れなのさ、とジグザは言う。やれやれと首を振り、天井を見上げる。俺も同じ様に天井を見る。

そこには星空があった。

さっきまで確かに天井があったのに、そこには星空が広がっている。

「ほら、もう崩壊が始まっている」

よく見ると、天井が少しずつ、無に浸食されている。少しずつ、ゆっくりと食われていく。白蟻が柱を食べる様に、建物自体を食っているのだ。

「辻褄を合せようとしても、結果はこれだ。防衛手段は最後の抵抗でしかない。最後の抵抗なんて無意味なのにね――――人の記憶から高町なのはが消え、人の記憶は改ざんされた。でも、それでも崩壊は免れない。むしろ、改ざんをした時点で辻褄なんて合わないんだ。中心が消えた場合、新しい中心を作りだす世界なんて存在しないんだからね。そして、こんな風に消え出すんだ。まずは高町なのはに関係のある場所が消える。彼女の家、翠屋、次に学校かな?そしたら今度は友達の家、彼女の記憶にある場所が次々と消えていく。それでも他の人々はそれに何の抵抗もしない。むしろ、消えている事にすら気付かない……滑稽な程にね」

俺は、認識している。

「それは君が私の従者だからね。主人公を主人公と認識しているから、君は世界の崩壊を認識できる。でも、他の人々はそうじゃない。そういう風には出来ていない。そういう事を認識する資格が存在しない。そうだね、この世界は意外と脆い世界みたいだ。普通は一週間は記憶の改ざんで保てるのに、今回は一時間ともっていない。まったく、耐震構造が低い欠陥だね―――いや、少し違うか。あの食神鬼が色々と世界を弄くりまわした結果という事だろうね。奴さえいなければ、彼女を殺しただけで、こんなにすぐに崩壊は始まらない……まったく、本当に迷惑な奴だ」

まるで他人事だ。

「だとすれば、多分この世界の崩壊の末路は早いだろうね――――建物が消えたら、次は何が消えると思う?」

考えるまでもない。

人が消える。

世界は消えるという事は、その世界に住まう人々が消えるという事だ。

「そう、人だ。登場人物全てが世界から消えるんだ。主人公がいての存在だ。主人公がいないのに、そんなどうでもいい連中が生きている価値も意味もないからね」

だが、それではおかしい。

物語の中には主人公が死ぬ物語だってあるはずだ。

「おっと、そういえばそうだね。でも、安心していいよ。その物語は『そういう物語』として認識されるんだ。世界の創造主、作者と呼ばれる存在が世界を構築した時、最初から主人公が死ぬ場合、その世界にとっての当然が『主人公の死』なんだよ。だから世界は主人公の死によって継続される。その物語の主人公は別に私みたいなイレギュラーによって殺されたわけじゃないからね。その世界の登場人物、もしくは寿命によって殺された場合は該当しないのさ。結果、世界は継続する。意味も無く、発展も無く、君の元いた世界の様に、のうのうと続いて行くのさ」

ジグザは話を戻す。

「さて、人が消えるという話だ。これは言うまでも無く、消えるだけ。主人公と同じ様に最初から存在しないという事にされる。死の痛みも苦しみもない。単なる消失。夜に寝て、朝に消える、な感じかな。そしてその人の存在は忘れられ、忘れた誰かが消えていく。その繰り返しで世界は静かに静かに消えていき、そして最終的に世界は死ぬ」

ジグザはまた嗤う。

何度も何度も嗤う。

「いいねぇ、これは実にいい。世界が死ぬという事は神の存在も消えるという事だ。前にも言ったけど、世界を失くした神は邪神になるか消えるかの二つに一つ。実際は消える事を誰しもが選択する。あのクソアマはどっちを選択するのか知らないが、恐らくは消える事を選択するんだろね」

嬉しそうだな。

「あぁ、嬉しいとも……最初はこの世界を貰うつもりだったけど、気が変わったんだね。手っ取り早く、壊す事にしたんだ。私としても世界を壊すのは初めてだけど、実際にやってみるとこれが楽しい。気が進まなかったけど、楽しい。楽しくて楽しくて、世界が消える前に世界中の人間を皆殺しにしたい気分だよ」

…………それが、お前の本質なんだな。

「おや、裏切られた気分かい?」

俺は無言を返す。

「それはお門違いさ。私は別に裏切ってなんていない。私は裏切る事も裏切られる事も嫌いだからね。怒ったかい?でも怒らないでほしいよ。私は君を裏切ってなんかいない。君が世界を壊そうと言ったから、私はそうしただけさ」

無言。

「でも、君が気に病む必要なんて無いよ?君が望んだから世界を壊したってわけじゃない。事の原因が君にあったとしても、私は君を責めない。悪いのは私だ。悪は私だ。私こそが害悪であり、災害だ」

無言。

「にしても、裏切りか……私としては意外かな?裏切りっていうのは相手がいて、その相手を信頼して初めて実行される行為だ。君は私を信頼してたのかい?私が酷い事をしないと思ってた?君の目の前でアリサ・バニングスを殺しかけ、彼女を人質にしていたような私を君は信頼していたのかい?」

無言――――では、いられない。

悔しい、とは思わない。

納得、とは思った。

「だとしたら私は嬉しいよ。うん、嬉しい。嬉しいからそれ以上そんなクソみたいな感情を私に抱くなって感じだね。信頼なんてクソだ。信頼なんてゴミだ。信頼するくらいなら人間辞めろ」

あぁ、コイツはこういう奴だ。

「私と君の関係はそんなものじゃないだろ?私は君の全てを許す。君は私の全てを許さなくて良い。それでも私は君と一緒だ。どこまでも、最後まで、永久に、生きても死んでも、殺しても殺されても、私達は運命共同体という奴になった。信用も信頼も存在しない。信じて裏切り、裏切り信じ、最終的にはハッピーエンド―――なんて事には絶対にならない素敵な関係だろうね」

こういう奴なんだよ。

だから、諦めだって簡単に尽く。

俺は煙草を咥え、火を灯す。

周囲に死が無数にあったとしても、不思議と気持ちは悪くない。

俺が壊れたからか、それとも壊れていたからか。

どっちでもいい、どうでもいい、どうにでもなれ。

最初からこうだ。

俺がこの世界に来た瞬間、コイツはアリサを殺しかけた。俺が死のうとしたらコイツがそれを止めた。善意ではなく悪意から。死んだらアリサを殺すと脅して止めた。そして俺はそれに感謝した。死にたくないから、生きていたいと思ったから感謝してしまった。

最低で最悪なのはコイツだけじゃない。

佐久間大樹という人間だって最低で最悪だ。

コイツを非難する権利なんて俺にはない。

俺がジグザを非難する権利を持つ事は永久的に存在しない。

あぁ、くだらない。

あぁ、つまらない。

あぁ、面倒臭い。

この世界はもうすぐ消える。

もうすぐ何もかもが消えて、無に帰る。

存在しない世界。

存在していた世界。

そこにいたのは誰でもない。現実ではなく、幻想な人々だけ。俺達が画面の向こうを見るような、そんな他人事でしかない。



全ては真という嘘。

全ては過去という当たり前。

全ては終幕という結果。

全ては喪失という拒絶。

全ては零という式。



そして、全ては――――




PiPiPiPi――――




携帯が鳴った。

煙草の吸殻を足下に落す。血だまりに落ちた吸殻は血によって消される。

携帯の画面を見ると、其処にはアリサの名前があった。

「―――――もしもし」

『ちょっと、何時になったら帰ってくるのよ!?』

電話の向こうでアリサの声がする。

「悪いな。ちょっと寄り道しててな……」

『早く帰ってきなさいよ。私、お腹がペコペコで我慢できないんだけど』

「悪い」

『…………どうしたの?なんか、様子が変だけど』

「別におかしくないさ。単に疲れただけ……あぁ、ホントに疲れた。帰ってこのまま寝ちまいたいよ」

『もしかして、どっか悪いの?だったら無理しないで病院にいきなさいよ』

「そしたら、お前が餓死するだろ」

『一日くらいなら我慢できるわ。それよりも、佐久間が倒れたら私が困るのよ』

困る、ねぇ。

笑いそうになる。

自分で歩く事も出来ない癖に、こんな時には俺の心配かよ。

まったく嫌になる。

アリサにではなく、アリサに心配される俺にだ。

「―――――なぁ、アリサ。俺がいなくなると、困るか?」

『困るわ』

即答された。

『困るっていうか、悲しい。前も言ったけど、私はそんなに強くなんてない。弱くて弱くて、本当に一人じゃ何にも出来ないくらい、駄目なんだから』

「そんな事はないだろ」

『あるのよ……ある。そういう風になったの……佐久間に会ったから、そういう風になっちゃったの』

「そいつは責任重大だな」

『そうよ。だから―――――私の前からいなくなったりしないで』

いなくなる。

消える。

それは、きっと悲しい事だ。

悲しいから誰も、別れなどしたくない。

だから、さよならは別れの挨拶であり、また明日という再会の約束になる。

「……………なぁ、本当に覚えてないか?」

『何が?』

「高町なのは」

『またそれ?悪いけど、私の記憶の中にそんな人の名前なんて――――』



「そんな人なんて、言うな!!」



叫んでいた。

「そんな風に言うな!!アイツの事を、そんな他人みたいに言うな!!」

『ちょ、どうしたのよ?』

「思い出せ。なぁ、思い出してくれよ!!なのはの事を、お前が忘れちゃいけない大切な奴の名前をよ!!」

『だから、そんな人の事なんて……』

思い出すわけがない。

ジグザの言う事が本当なら、存在が消えたなのはの事をアリサが思い出すわけがない。

だけど、

「忘れんなよ……忘れないでくれよ!!アイツの事を忘れたなんて、そんな悲しい事を言わないでくれよ……頼むから、思い出してくれよ」

『…………』

「アイツは、高町なのはは――――お前の友達だ」

もしかしたら、俺の声は涙が混じっているのかもしれない。

「お前が初めて小学校に上がって、初めて出来た友達なんだ。お前の親友なんだよ。お前と、すずかと、そしてなのはの三人は友達なんだ。過去でも未来でも、今もだ。そんな大切な奴の事を忘れちゃいけない。忘れたなんて、そんな残酷な事を言っちゃ駄目なんだよ!!」

法則が世界を構築している。

法則は絶対であるから法則というのなら、それを覆す事が人間には出来ない。

人間は重力には逆らえない。人間は空を飛べない。それと同じ様に消えた存在を認識するなんて行為は出来るはずがない―――けど、それが当たり前だって事を肯定していいのか?

「思い出せ。アイツの事を……忘れちゃ駄目なんだよ。忘れちまったら悲しいじゃねぇかよ……誰も、誰一人としてアイツの事を覚えてないなんて、虚しいだろうが。俺だけが覚えていても、一番忘れちゃいけないお前が、お前等が……」

『…………佐久間』

俺は口にする。

アリサから、すずかから、沢山に人達に聞いた三人の思い出を。

俺がその場にいなくとも、皆が話す事で俺はそれを知る事が出来た。三人の思い出を語る全員が楽しそうに語っていた。出会ってから今まで、時々喧嘩する事があっても仲直りしてきた毎日の事を。

出会いは喧嘩だったとしても、そこから先が笑いあえる事の出来る友達だったという事を。
忘れないでほしい。

忘却しないでほしい。

高町なのはという少女が紡いできた世界が、主人公とか、中心とか、そういうくだらない事実なんて関係のない、単純で捻りのない当たり前の絆は確かにあったんだ。

「忘れるな」

叫ぶ。

「思い出せ」

念じる。

「失わないでくれ」

願う。

「他人なんかじゃ、ないんだ……」

それだけは、大切だ。

『――――――ごめん』

だけど、俺の願いなど届くはずがない。

『全然、思い出せない。本当に、その子は私の友達だったの?』

残酷な言葉だった。

「あぁ、そうだ」

『私の、大切な友達?』

「そうだ」

『私が忘れてるだけ?』

「そうだよ」

アリサから見れば、俺の頭がおかしくなっているだけかもしれない。俺だったアリサの立場になっていたら呆れるだろう。そもそも存在しないのだから、そんな赤の他人など。しかし、俺は知っている。確かに覚えている。目の前で、殺され、潰され、そして存在を消失した一人の少女の事を。

「無理だね。うん、無理だよ」

ジグザが口を出す。

「忘れてしまった存在を思い出すなんて、不可能だ。それこそ、最初からそういう辻褄がある物語で無い限り、そんな奇跡はあり得ない」

コイツの語る事は真実。

俺が望む事は虚実。

それが今、この世界で起こっている事だ。

携帯を握る手に、力が入らなくなる。

手から、携帯が落ちそうになる。

希望はなく、絶望だけ。

信頼しても、裏切られる。

なら、最初から信じなければいい。最初から、覚えてなどいない方が断然に楽に決まっている。

力が、抜けた。

携帯が俺の手から滑り落ち、



『――――――それじゃ、頑張ってみる』



それを間一髪で握りしめた。

「アリサ?」

『全然覚えてないのは本当だよ?でも、佐久間がそこまで言うなら―――うん、思い出してみる』

「俺の言う事を……信じてくれるのか?」

『佐久間の事なら、私は大抵は信じるよ。それに、一か月そこらしか一緒にいないけど、私は佐久間の事を信頼してるし、知ってる。佐久間はそんな嘘はつかないし、必死になってるなら力になりたい――――だって、私の大好きな人だもん』

「アリサ……」

『でも、本当に出来るかわからないから……思い出すの、手伝ってくれる?』

即答する。

「あぁ、手伝う」

涙が出る程嬉しくて、即答する。

「思い出そう。絶対に思い出そう。思い出さなくちゃいけないんだ。忘れちゃ駄目なんだ。アイツがいた事を、お前は忘れていいわけないんだ」

『うん、頑張るよ』

「頑張ろう。一緒に……」

そう言って、俺は通話を切った。

「―――――――」

ほんと、重いなぁ……

両肩に乗った見えない錘は、人の存在という重さ。なのはの事を知っている、覚えてるという重さが何よりも重い。

「―――――――っは」

けど、その重さが良い。

「―――――――ははははは、」

笑える。

今なら、笑える。

「コイツは傑作だな」

そう言っていられる。

「いいや、そいつは戯言だよ」

ジグザの声は冷たい。

「実に戯言だ。思い出すだって?存在を消された者を思い出す事なんて不可能に近い。いや、不可能だ。そんな前例は無いし、これからも無い。これは確定だ。絶対だ」

先程までの嗤いはその顔にはない。能面の様な無表情でジグザは俺を見る―――睨んでいる。

「諦めの悪さは変わらないね。いや、諦めるというよりは、事を理解してないという方が的確かもしれないね……というか、どうして君は未だに彼女の傍にいるんだい?」

「俺がそれを望んだからだ」

「望む?君がかい?彼女の望みの間違いだろうね。君にそんな勇気はない。君にそんな度胸はない。君は何時だって無様に地面を這いつくばり、綺麗な光に憧れるだけの人間のはずだ……それを、望むだって?」

能面が囀っている。

おかしいと、嗤いながら囀っている。

だが、

「―――――何故、君が嗤う?」

へぇ、俺は嗤っているのか。

俺がという人間が、ジグザという神を――――嘲笑っている。

「つまねぇんだよ、お前はよ」

「何?」

煙草を咥え、もう一度火を灯す。

ハートに、火を灯す。

「不可能だと?無意味だと?知るかっての、そんな神様の法則ごときをよ」

近くにあった椅子に腰かける。力強く、ドンッと椅子に腰かける。そして、カウンターに座っているジグザを見上げる。見下す様に、見上げてやった。

それが気に入らないのか、



「私を見下すな、人間」

「俺を見上げろよ、神様」



不思議と恐怖はない。

恐怖すら生まれない。

胸の奥からこみ上げる感情は―――――激情だ。

「おい、ジグザ。俺はどういう人間か言ってみろ」

「最低で最悪な人間だね」

「あぁ、それは正解だ。俺もそう思う。けどな、そんな人間を好きだっていうガキがいるんだ。そいつは俺が見捨てて大怪我を負わせたった事を知っていながら、俺を許すと言いやがった。わかるか?許すだぞ?しかも好きだって言うんだぞ?笑えるだろ。なぁ、笑えよ」

「確かに笑えるね。だけど、それ以上に笑えるのは、そんな彼女に縋って、許された気になっている君だよ、佐久間大樹」

侮蔑した表情。

懐かしい、久しぶりの侮蔑だ。

「私は前に言ったはずだよ。彼女がああなったのは君が原因だ。君という害悪と私という災害のせいで彼女は大怪我を負い、死にかけた。まぁ、許すというのは彼女らしい優しい人格のおかげだろうが――――君は、またそうやって甘えるのかい?」

「甘えるね。俺は逃げ出す事にかけては一級のクソ野郎だ。だが、タダじゃ逃げない。逃げて逃げて、逃げるついでにアイツを幸福にしてやるよ」

そう言ったら、ジグザは声を上げて笑った。

「幸福!?君が!?彼女を幸福にするというのかい!?あははははははははは、コイツは実に笑える戯言だ。君の様な人間が誰を幸福にしてあげられるんだい?寝言は寝て言いたまえ」

「寝言なら言い飽きたんだよ。こっからは夢でも幻でもない、俺が考えて決めた俺自身の言葉だ。第一な、俺自身が幸福にする意味なんてない。ただ、これ以上アイツに悲しい目に会わせないくらいには守ってやるっていう意味なんだよ」

「無駄だね。無駄無駄、無駄すぎて時間も無駄だ」

「時間の無駄だっていいさ。人生はそこそこ長い。一年あれば人は変わる。二年あれば誰かを変えられる人になる。三年あったら人を幸福にできる」

「人は変わらない。君は変わったつもりになっているが、根本的に変わりはしない。わかるかい?私から見れば、君は昔と何ら変わりのない最低な人間なんだよ」

「最低最低ってなぁ……その程度ででしか人間を区別できないのかよ、この低能」

頬を黒い何かが掠める。

見ると、ジグザの影から黒い蛇が飛び出していた。

頬から血が流れる。

「言葉には気をつけた方がいいよ」

何時でも殺せる。そう言っているのだろうが―――それこそ、低能である証拠だ。

「―――――なぁ、ジグザ。最低ってのは、最悪ってのはどういう事だと思う?」

ここからは、お前のお得意の自論だ。

「俺はこういう疑問を抱いてみる―――最低で最悪な人間ってのは、生きる価値はあるのかってな」

普通は無いと言いきれる。少なくとも、俺ならそう言っている。いや、言っていただろう。

「自身の弁護かい?だったら止めておきなよ。自分が惨めになるだけだ」

「惨めなら慣れてんだよ。惨めに慣れ過ぎて、他の誰もが惨めに見えなくなってきた所だ」

紫煙を吐き、足を組む。背後から無数の蛇の視線が飛んでくるが、気にはしない。

「俺は言うぜ―――価値はある。これは別に命があるからとか、当然の事だとか、そういう事を言うつもりはない。命なんてどうでもいい。大事なのは最低で最悪な人間もまた、普通の人間だってことだ」

思えば、これが当然だったんだろうよ。

あの日、俺がアリサとの関係をリセットすると言っておきながら、結局はリセット出来ない無様な俺は、きっと他人から見れば最低なクソ野郎なんだろうよ。

だが、俺はあの日―――生れて初めて、生まれ変わって初めて自分の足で立っていた気がした。

初めて人を殴り、初めて殴られ、初めて殴り返し、そして相手を倒すという経験を持った。

「人は、変わろうとする事が出来る。最低な人間は最高になれるかもしれないし、最悪な人間は最善な人間になれるかもしれない。そういう可能性があるんだよ」

「それこそ間違いだ。変わったつもりになっても人間としての本質は変わらない。嘘と欺瞞で作り上げた仮初の人格など、存在する価値もない」

「嘘で人が救えんのならいいさ。相手を傷つける事で救える命があるなら、それでもいい。過去に何があって、トラウマ抱えて生きてる人間が善人になれるかもしれない、なれないかもしれない。トラウマなんてない人間が悪人になるかもしれないし、なれないかもしれない。けど、どっちも誰かを助けていいんだよ。救われた方からすれば、誰だって恩人だからな」

「それも間違いだ、何故なら――――」

「どうして間違いだと決めつける!!」

ジグザの言葉を遮る。

「偽善でも悪心でも関係ない。偶然でも必然でも関係ない。助けてもらった方が助かったと想えれば十二分に最高だろうが」

アリサは、俺に助けてもらったと思っている。だが、俺はアイツを助けたわけじゃない。むしろ、アイツを傷つけただけに過ぎない。

「ありがとう」

その言葉が辛かった。

「ありがとう」

その言葉が苦しかった。

「ありがとう」

その言葉が何よりも重みになっていた。

重みになって潰されるのではないかと思い、怖かった。想いは重い。だからこそ身体が壊れる程の重圧に押しつぶされそうになった。

けれども、それだけじゃないはずだ。

俺が如何に苦しもうと、後悔の念で押し潰されそうになったとしても、「ありがとう」を言う人間は感謝していた。感謝してくたからこそ、俺はこうして此処にいる。こうしてアリサと会う事が出来て、アリサと触れ合う事が出来る。

「俺は自分を許しはしない。どんなに感謝を言われても許しはしないだろうよ。だけどな、それでも感謝されて、相手が笑顔を向けられる事で良かったとは思える。それで俺の心がぶっ壊れそうになったとしても、そこだけは譲らない」

「他人の事など、どうでもいいと?」

「最低だろ?最悪だろ?」

「あぁ、見下げたクソ野郎だ」

「それでも生きてんだよ、俺は。相手の善意に甘えて、善意を利用して、こうして無様に地面を這いずって生きてんだよ!!」

ガンッと、地面を蹴りつける。

「わかるか、ジグザ!!これが生きてるって事だ!!嘘をついて、相手を騙して、それで相手にありがとうって言ってもらって、そうして俺は生きてる!!だったら―――その分、誰かを助けないと嘘になるだろうが!!」

俺は生かしてもらっている。だけど、生きている事には変わりは無い。

「君の言うそれは、罪悪感から人を助けているだけに過ぎないのだよ。自分の罪悪感から逃げる為に他者を利用し、自分を慰めているだけの自慰行為だ」

「それで笑える人がいるなら、問題なしだ」

「しかし、それは相手を利用しているに過ぎない。助ける相手がいるから生きている。助ける事で自分を保つ時点で、君に人を助ける権利も資格などない」

それこそ、醜悪だ。そうジグザは言う。

「人を助ける権利って何だよ?」

権利など必要なのか?

資格など必要なのか?

いいや、必要ない。

「間違ってる想いだとしても、助けようとする行為が間違ってるとしても、所詮は後付けだ。その時だけは助けたいって思ってるなら良いじゃねぇかよ。くだらない事でグチグチ悩んで、気付いた時には死んでましたって結果こそが最悪だ」

その時、俺はふと思った。

俺がこうして言葉にしているのは、よくよく考えれば間違いだらけの継ぎ接ぎだらけの穴だらけの言葉だ。だからジグザは簡単に反論してくる。

けどよ、そういうもんなんじゃないのか?

その場の勢いで言った言葉は嘘でもあって真実でもある。捉え方によっては幾らでも味方はあるのだ。

「あぁ、なるほどね」

そっか、そういう事だ。

俺が今まで聞いてジグザの言葉は、全てが俺の心に突き刺さる。多分、それは俺が自分自身をキチンと見ていなかったから。自分自身から逃げていたからだろう。

なら、否定する。

今になって気付いたから、否定する。

気付いてしまえば、なんて事のない。

「君の論理は破綻していると気付いてるかい?そもそもだ――――」

「なるほどね、漸く分ったぜ」

またもジグザの言葉を遮る。

「お前が言ってきた事は確かに的を射ているかもしれない。極論すぎておかしいとは思うが、俺みたいなクソ野郎からすれば耳が痛すぎる話ばっかりだ」

「まて、君は何を言って、」

「お前の自論は正しくない。無論、間違ってもいない……けど、よくよく考えれば、だ」

そう、よくよく考えてみれば、

「テメェの言う自論なんざ、所詮は俺達人間の心の闇しか指摘してない、つまらな過ぎる自論でしかなかったんだな」

心を階層ごとに分かれるというのなら、本質は最下層。常に表面に出しているのが一番上の階層だ。人間、パニックになった時に本質が見れるというが、そこが最下層。俺達は常に一番上しか出していない。だから本質を見た時に俺達は他人を軽蔑するし、敬意を抱く事すらある。

「お前の言う闇は本質だ。だが、本質だけで人は出来ていない。仮面被って社会に生きてるのが普通だ。だが、仮面を取っ払ったら生きてもいけない。何故なら、それは孤立を意味する事になる。俺達は基本的に他人がいないと何もできない種族だからな。他人の顔色窺って生きていく術を身につけ、そして社会に適応する」

混じり合いだ。

人と人が混じり合うには、まずは自分の心を使い分け、混じり合わせなければいけない。

「人の心なんて一つじゃない。無数にあるんだよ。悪人には悪しかないわけじゃない。善人には善しかないわけじゃない。誰にだって闇はある。だけど闇は悪いと見られるから、そこを突かれれば痛みが走る――――つまり、お前の言葉なんてその程度なんだろうよ」

その時、俺は初めて見た。

ジグザの表情が微かに崩れた。

「―――――言ってみろよ、邪神」


全ては真という嘘―――でも、全てが嘘じゃない。

全ては過去という当たり前―――でも、忘れなければいい。

全ては終幕という結果――――なら、アンコールをするだけ。

全ては喪失という拒絶――――拒絶されても、諦めない。

全ては零という式――――つまりは、無限大。



そして、全ては月光の夜という思い出―――そして継続だ。



佐久間大樹という人間は、あの日に漸く生れた。この世界に来てから、俺はまだ死んでいた。だから生まれ変わった。本質な何も変わらなくとも、この世界でもう一度だけ自分という存在を始めようと思った。

リセットではない。これは継続だ。生まれ変わっても俺は俺。だからそこから新しい人生を、佐久間大樹という過去の人間から継続する。

継続して進む。

立ち止まってなどいられない。

俺が俺である為に。

俺を好きだと言ってくれた少女の為に。

最低で最悪な人間に生きる価値はあるのかという疑問。その答えは一つじゃない。けれども、俺の中でこれと決めた答えだけは存在する。

「最低で生きちゃいけない理由はない。最悪でも生きていてはいけない理由はない。最低の中にある本当は嘘じゃない。最悪の中にある本当は嘘にはならない……あぁ、そうだよ!!最低が誰も救えないと誰が決めた!?最悪が誰も救えないなんて誰が決めた!?最低が誰かを救ってはいけないと誰が決めた!?最悪が誰かを救ってはいけないと誰が決めた!?――――人の闇が、誰も救えないなんて誰が決めた!?」

それが事実なら否定する。

どんな正論も反則し、否定する。

どんな理屈も反則し、否定する。



全てを   反則し/開き直り   否定する



お前の戯言が如何に傑作だとしても、



「お前の言葉を零から無限まで―――全部まとめて否定してやるよ!!」



そう、否定しなければいけない。

「俺は、お前を許さない」

絶対に否定しなければいけない。その理由が俺には出来た。俺だけの為じゃない。決して世界とか、そんなどうもいい事の為でもない。主人公だとか登場人物だとか、物語だとか歴史だとか、そんなシステムの為でもない。

今もなお消されていく空間。翠屋と呼ばれていた場所は見る影も無く、ただの空き地になってしまった。

ここで沢山の人達が死んだ。

コイツが殺した。

そして何より、

「たかが世界をぶっ壊すなんていう、どうでもいい理由でなのはを殺したお前を―――俺は絶対に許さない!!」

忘れていいはずがない。

アリサの大切な友達を、アイツの記憶から抹消させるなんぞ、許せるわけがない。

「死んだ人間は生き還らない。そんな当たり前な事も、お前にはどうでもいいだろうな……だがな、俺達には大切な事なんだよ!!死んだ事すら知らず、生きていた事すら忘れられ、存在自体が無かった事にされるなんざ、許されるわけないんだよ!!」

最低な俺が怒る理由。

最悪な俺が怒る理由。

「人間をなんだと思ってやがる……俺達はお前の玩具じゃねぇなんだよ!!」

そして、もう一つ。

「お前のせいで、アリサは歩けなくなった」

「…………それは君のせいでもあるはずだが?」

「俺のせいでもあるだろうよ。いや、殆どが俺のせいだ―――けど、それがどうした?俺にお前を非難する権利が無いってか?っはん、知るかそんなもん!!」

俺とジグザは正面から見つめ合う。

愛情も何もない、無機質な目で見つめ合い、互いに互いを理解する。

「そんな権利はなくとも、俺はお前を許さない……」

故に宣言する。

こうして言葉にする事が出来るからこそ、俺は宣言する。



「――――これ以上、お前に『俺達の世界』をどうにかなんぞ、絶対にさせない」



初めて口に出来た。

この世界にとって俺は異邦人だ。だから、心の何処かで俺はこの世界の枠から外れた存在だと思っていた。

だけど今は違う。

違うなんて、言わせない。

外れているなんて他人事は許せない。

だから言えた。

此処は、俺の世界だ。俺達の世界だ。俺を好きだと言ってくれたアリサの世界であり、アリサが好きな俺の世界だ。

「出ていけよ、邪神。消えるだけの世界だってんなら、これ以上お前に好き勝手されるのは御免だ」

「今更になって他人のふりとは悲しいね――――けど、漸くわかったよ」

ズンッと周囲に激しい重圧が生まれた。ジグザを中心に、心臓が抉られるような殺気が一発で俺を射抜く。

それだけで俺は倒れそうになり―――踏ん張る。

絶対に倒れない。

絶対に恐れない。

絶対に、負けてなんてやらない。

「君は――――いや、貴様は私を裏切るんだね?」

「…………正直に言う。俺はお前を信用してた」

「やめろ」

「信頼してた」

「それ以上口を開くな」

「お前は最低で最悪な俺にそっくりだけど、それでも少し位の良心持ってるって思っていた。いや、思いたかった」

「口を、開くなぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

影から無数の蛇が一斉に俺めがけて襲いかかる。

俺に避ける手段は無い。少なくとも、俺が生き残る可能性なんて皆無だろう。



閃光一閃



闇色の蛇達は白い光によって一瞬で消えた。

俺の目の前に、ジグザの目の前に―――純白のシスターが立ちはだかる。

その手に白き神々しい刃を携え、俺を守る様に、ジグザに挑むように、サクヤ・エルフォンドが立っていた。

正直、来るとは思っていなかった。微かな望みはあったが、それでも俺はあの瞬間に殺される方に賭けていたが、部の悪い賭けには勝ったらしい。

サクヤは無言でジグザを睨む。ジグザはサクヤに視線すら合わせず、俺を見る。

「私を信用していた?信頼していた?馬鹿場しいにも程がある。私は誰だと思っている。私は邪神だ。私は神滅餌愚坐だ。そんな私が貴様程度に信頼されていただと―――っふん、くだらない」

「だから、正直に言えばショックだった」

「五月蠅い。囀るな、人間」

その瞳は、俺に初めて向けられた憎悪だった。

「貴様は物だ。私の物だったのに……なのに、裏切った」

「お前が俺を裏切ったんだろ」

「いいや、違う。貴様が私を裏切ったんだ――――私は、それが許せない。私が貴様を裏切るのはいい。だが、貴様が私を裏切るのは絶対に許さない」

俺がお前を裏切った、か……否定はしない。これだけは否定したくない。多分、あの時の口づけがジグザとの契約だったするのなら、俺はそれを真っ向から無にした。俺が裏切った、その事に不思議と罪悪感が生まれる。

許せないのに、絶対に許しちゃいけない存在だというのに……

その理由は、どうしてかわからないが、俺の視線は自然とジグザの瞳を見ていた。闇よりも深い黒々とした瞳は憎悪に燃えている。

憎悪。

どうして、お前は憎悪しているんだ?

「殺してやる」

俺の事を物と言っていた癖に、どうして物である俺に憎悪する?

どうしてそんな眼をする?

「絶対に殺してやる」

ジグザの身体が影にゆっくりと埋まっていく。

「貴様をだけじゃない。貴様を誑かし、私から貴様を奪った泥棒猫も一緒に殺してやる!!」

何故だか悲しくなった。

胸の辺りが少しだけ痛い。

「世界が消える前に、私が殺してやる!!」

そう言い残し、ジグザは消えた。

残ったのは静寂と、微かな胸の痛み。

「…………お怪我は、ありますか?」

「無いよ」

頬に流れる血を拭き取り、俺は何も無くなった場所を見つめる。そんな俺にサクヤが頭を下げる。

「申し訳ありません……間に合いませんでした」

「俺に謝ってもしょうがない、なんて本当なら言えないんだけどよ」

死んでいった人達、なのはの前でそんな事は言えない。そして、俺に誰かを責める権利などありはしない。あるのは許せないという思いだけ。

「遅かったってだけだ。俺もお前も、何もかも……」

「…………」

俺は重い足を踏み出す。

「何処に行くのですか?」

「何処だと思う?」

「…………アリサさんの所ですか」

頷いた。そして、止められた。

「アナタが行ってもどうしようもないはずです。それに、この世界の崩壊は、もう……」

止められない、サクヤはそう言った。

「女神様が何とかしていますが、元に戻す事は不可能でしょう。最悪、世界の一部だけが残し、他は諦めるという事も視野に入れています」

「興味ないな」

内心、諦めている。

なのはが死んだ時点で理解はしている。この世界はもう長くない。下手をすればジグザの言う様に明日には消滅しているかもしれない。

「俺は出来る事だけをするだけ……約束したしな、アリサと」

「約束、ですか?」

「あぁ、約束だ。俺としても破るのは嫌だし、消えるならその程度くらいは守ってやりたいんだよ」

「それは意地ですか?意地の為に命を賭けるのですか?」

質問の多い奴だな。

「恐らく、邪神はアリサさんの元に向かっています。そんな所に行ったら、アナタは確実に殺されます。それでも、意地の為だけに殺されに行くのですか?」

「意地、じゃないよ」

答えはあっさりしている。

「男が命を賭ける理由なんて一つしかないだろ?」

恥ずかしいが、一度くらいは、最後くらいは言ってみたい台詞。



「惚れた女の為だからだよ……命くらい賭けれるさ」



嘘だろうな、これ。

だって、俺はアリサの事は好きでも愛してはいない。仮に愛だとしても、それは友愛というやつに他ならない。

けど、どうせい最後ならこう言ってみるのも悪くないだろう。

「お前はどうする?」

「…………今の私に出来る事はありません。女神様をお手伝いする事もできませんし」

「そっか……なら、精々最後の夜を楽しめや」

俺は歩き出す。

その横をサクヤが並んで歩きだした。

俺が首を傾げると、サクヤは澄ました顔でこう言った。

「女が命を賭ける理由を知っていますか?」

「知らんな」

「簡単です。惚れた殿方の為です」

「――――――俺の事?」

「違いますよ」

「そいつは残念だ」

「私は私の使命を果たすだけです。初めてアナタに会った時に言った事を、今更になって覆す気はありませんから」

「そうかい……なら、一緒に頼めるか?」

言葉はあっさりと出てきた。が、どうしてかその後に胸が痛くなった。それはきっと、ジグザの瞳を真っ直ぐに見つめすぎたせいだろう。

俺の気のせいなら良いのだが、今になってはどうでもいい。

あの眼が、ジグザの瞳が―――心の底から裏切られたと思った瞳だったとしても。

果たして、アイツは俺の事を信用、信頼していたのだろうか?

わからない。

わからないから、今はわかる事だけを目的とする。

「俺は、アリサを守りたい。でも、俺には力がない……だから、力を貸してくれ」

他人任せになってしまうが、手段は選んでいられない。

俺には責任がある。

その責任を、果たすとしよう。

サクヤは黙って頷いた。頷いてくれたから、俺は初めての言葉を口にする。こんな言葉を口にする日が来るなんて思ってもなかった。だが、それが今だというのなら、俺は迷いなく言葉にしよう、口にしよう。

もう、言い逃れはしない。

だから、正面きってやってやる。




「ジグザを――――邪神を……殺す」



そして、裏切りの責任を果たすとしよう。











なかがき
ども、クビシメロマンチスト四週目、な散雨です。
本当に久しぶりに書きました。別の作品を書いていたら随分と間が空きましたね。
というわけで、久しぶりに投稿したらグロかった、そして長かった、な話。
オリキャラを何人も殺したりしましたが、この作品では結構原作キャラをぶっ殺しまくってますね~
そんでもって主人公開き直り、な話でもあります。
ルート毎に主人公の成長パターンが変わっています。今回はありがちな成長パターンですが、ジグザルートではきっと武帝みたいな主人公も出るかもね……無いだろうね。
そんなわけでアリサルートも残り二話とエピローグを残すのみ。それが終わったらラブコメルートだ!!
次回「ジグザちゃん本気モード【拘束制御術式・全力解放】」でいきます。
とりあえず、バトル回なんでがんばりますよ~

PS、最近になって『めだかボックス』の原作者が誰かを知りました……あの人、少年ジャンプに出て良い人なのだろうか?
















世界は終わる光景は初めて見た。

無論、そんな光景なんてそうそう見えるモノでもないし、これは私達の中の常識とは違う世界の崩壊なのだろう。

次元断層によって壊れる世界の崩壊ではなく、『全ての世界』の崩壊という意味になる。

高層ビルが砂の粒になる様に、風に吹かれたて消えていく。そんなあり得ない光景が目の前にあるのに、私が見下ろす人々は気にも留めない。それが当たり前だと認識する以前に、崩壊にまったく気付いていない様な様子だ。

「――――壊れている」

世界が壊れ、人が壊れる。きっとそんな感じになっているのだろう。私はそんな他人事の様に思いながら、高層ビルの屋上に立っていた。

一歩踏み出せば死ぬであろう場所に、私は大した恐怖も抱かずに立っていられるのは、私自身が壊れているからだろう。

潮の香りがする。

アルフの嗅覚は、普段からこういう匂いを感じとっていたのかもしれない。刺青が刻まれた腕をじっと見つめ、改めて私には何もないのだという事に気付いた。

だから、私は一歩を踏み出すのだろう。

一歩踏み出せば、私の身体は重力に引かれて堕ちていき、地面に叩きつけられた私の身体は真っ赤な花を咲かせるのだろう。

これは死だ。

これは自殺だ。

これは当然の結果だ。

「少し、生きすぎたかな」

そう思った。

佐久間やアリサの仲が元に戻って、それを見ていたら何時の間にか一週間が経過していた。安心しすぎて、そんな光景が羨ましくて、死ぬ事を忘れていた。



そうだ、私は死ぬんだ。



本物の私を殺して、母さんを殺して、そしてアルフも死んで、何もない私の死は空戦魔導師ではあり得ない墜落死。

「笑えないなぁ……」

死ぬ事に恐怖はない。むしろ、決めてしまえば即座に実行しても良いくらいだ。それでもこうして生きていたのは単なる怠慢だ。死ぬ事が面倒なのではなく、死に場所を探すのが面倒だっただけ。だけど意外と良い死に場所なんて中々無く、ようやく見つけた―――正直に言えば何となく見つけた此処が、何となく気に入ったので選んだだけ。

結局は、この程度。

私の存在なんて、この程度なのだ。

瞳を閉じ、大きく手を広げた。身体一杯に風を受け、生の匂いに満ちた世界を思い出に刻み込み、そして私は口を開く。

「佐久間、アリサ……何時までも仲好くね」

伝えるべき言葉を口にする。

「母さん、今になって言うけど……大好きだよ」

懺悔ではない。

「アルフ、こんな主でごめんね……大好きだよ」

ただ伝えたいだけ。

「―――――後は……そうだ。あの子だ。名前も知らないけど、あの不思議な子……こんな事になるなら少し位なら話を聞いても良かったかもね」

独白する。私は知らないが、世界から彼女は消えている。消えているのに、どうしてか私は彼女の事を覚えていた。無論、そんな重要であり確信に秘めた事を私は知らない。

今はただ、少しもったいなかったと後悔するだけ。

さぁ、言葉はもう十分。

後は身体を前に傾けるだけ。

そうすれば、私は―――――世界から消えるだろう。

そして、私の身体はゆっくりと前に倒れていき、



「―――――今日は、死ぬには良くない日だよ」



誰かが、私の手を掴んだ。

私は迷惑そうな顔をして、私の手を掴んだ誰かを見ている。

真っ白なスーツに白い眼鏡、白髪の人は若い男性だった。佐久間よりも年上でガルガよりも年下な感じだろうか。でも、不思議なのは男なのに口から出た言葉は女の声だった。そのあやふやな存在に疑問を抱いていると、私は彼(もしくは彼女)の手に引かれて屋上に戻される。

「死ぬにはまだ早いよ」

「私の勝手です」

「うん、そうだね。でも、君に死なれると色々と困るんだよ」

困る?

何が困ると言うのだろうか?

白い男は私から手を放し、改めて私に手を差し出す。

「どうせ死ぬなら、最後に協力してくれないかな?」

「協力?」

「そう協力。あぁ、別に大した事じゃないんだよ」

そう言って白い男の人はあっさりと、



「ちょっとばかし……世界を―――救って欲しいんだけど…………駄目かな?」



あっさりと、大した事を言っていた。







[10030] 第十話「全ては絆」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/12/09 21:15
終わり逝く世界は少しずつ壊れ、そして消えていく。

街を歩く人々は消えていく事に気づきはしない。世界がゆっくりと消えて逝く事に気づきもしない。人が歩く道は舗装されていたコンクリートから唯の地面に変わり果て、その地面は腐る様に黒く染まり、いつしか足下は暗闇になる。

暗闇、世界のはじまりは何時だって黒い。白ではない、黒。黒から白が生まれ、白から様々な色が生まれ、そして世界は構築、描かれていく。そういう風にして世界は生れていくのだが、今はその構築が逆に発動している。

様々な色が色を失い、白く染まって、その後に黒く染まる。

人々は黒の空間を歩いてく――――そして堕ちた。

堕ちていく事に誰も気づかない。堕ちた先にあるのは無。無に堕ちた人は消える。消えた先にあるのは――――虚無。

そうして人は消えていく。死んでいくのではなく、消えていく。痛みすら感じず、絶望も失望も、何も感じずにあっさりと消えていく。

そのように世界は壊れ、消えていく。

たった一人の少女の死によって世界は消えていく。

つまりは、それだけの存在だったのだ。世界に必要なのは少女一人だけであり、それ以外は居ても居なくても代わりは無い。誰かが消えれば誰かが代わりを務め、誰かが死ねば誰かが生まれ、誰かは何時だって誰かの代わりでしかない。

何故なら、これは物語なのだ。

佐久間大樹がこの世界を一つの世界として捉えようとも、それでもこの世界が物語である事には変わらない。

主要人物が消えれば、それ以外の存在など必要がない。

この状態は云わば、書き手が物語の途中で原稿用紙を燃やしてしまった様な状態なのだろう。完結すらせず、筋書きが書き手の脳内に残されたまま物語が停止しまっている状態ではなく、既に作られた物語が途中でゴミ箱に放り込まれ、燃やされた事と代わりはない。

そう、これがこの世界の結末。

最早、誰の手にも止められない。

誰も気づかないまま世界は消え、世界はゴミ箱に捨てられ、燃やされ灰になる。

世界が壊れる物語ではなく、壊れないはずの物語が壊れたという瞬間を俺は眼にしている。こんな悲しい事はない。物語が、その世界に住まう人々が書き手によって消されていくよりも悲しい事だ。

【――――まぁ、初めてじゃないけどな】

一人でそうやって呟いてみる。当然、誰も俺の言葉に反応などしない。世界の終わり、崩壊なんてそれほど珍しいものじゃない。だが、それでも慣れはしない。何故なら、俺も一人の読者であり視聴者なのだ。どうせなら、世界の果て、完結という終わりまで見てみたいのが本音。

俺は一人。

一人で世界を傍観する。

俺は一人。

一人で世界に切り離される。

俺は一人。

一人、世界を嘲笑い続ける。

【あぁ、笑えるだろうな。なにせ、これだけ世界が盛大にぶっ壊れようとしてるのに、そんな事なんて屁とも思わず行動する馬鹿野郎がいるんだからな】

それは希望に縋る人の行動ではない。そもそも、絶望すらしていないのだ、あの男は。世界の崩壊なんてものは二の次で、その男はたった一人の登場人物―――いや、少女の為に行動している。

【良いねぇ、実に良い……】

それなら、少しだけ興味は持てる。長い間、何度も何度も見てきた世界が壊れるというのは悲しいし、俺の『反則』で元に戻す事は可能だ。だが、この世界の神と人が足掻いているのなら、それを傍観するのも悪くない。

なにせ、俺は傍観者であり探偵なのだ。

『世界的』な名探偵。

探偵は読者と何ら変わりは無い。探偵は事件を防げはしない。何故なら、探偵というのは何時だって死神なのだ。探偵は読者だ。読者は事件を望み、事件を楽しみ、そして見事に真実を推理し、傍観する。

読者が望む限り人は死ぬ。読者が望む限り探偵は必要となる。

なら、この場合もそれに該当するだろう。

読者であり探偵である俺が望むからこそ、悲劇はこうして起きている。

【見ているだけの楽しみって奴だ……カカカ、笑えるねぇ】

笑いながら、俺は見る。

俺の独白などで時間を使う必要はない。今、必要としているのはこの物語の終焉。その始まりとして見るのは、一つの屋敷。

この世界に放り込まれた男が仕える少女の屋敷。

何故か、その場所は未だに崩壊の餌食にはなっていない。そして、当然の事ながら少女はソレに気づいてはいない。

呑気にベッドの上に転がりながら、携帯をじっと見つめている。

先程、男に電話した時の会話についてじっと考え、頭を捻っている。

忘れるな、男はそう言った。忘れてはいけない、男は必死にそう言っていた。少女は、アリサ・バニングスは男の言葉を信じている。男に惚れているというアドバンテージがあるのも理由だが、それ以前に必死になっている彼の言葉を無下には出来ない。

そして、それ以上にアリサは気になっている。

「なのは……」

三つのひらがなで構築された名前を何度も呟いてみる。そうしている内に彼女はその名前を持った誰かを知っているような気がしてきた。もちろん、思い出す事は出来ないのだが、それでも気にはなった。

誰の事なのか思い出せない―――しかし、確かに残っている。記憶ではなく、心に残っている。

【記憶ではなく心か……なるほど、これはまた詩的で安直的な使い方だな】

心に残るという事は――――つまり、どうでもいい事なのだ。記憶に残る事は必要な事で、忘れる事はない。しかし、心に残るという事は記憶にすら残る必要の無い記憶、それだけ不必要な部分という事になる。

故に思い出す事などありはしない。いや、違うな。心に残っているという時点で思い出す可能性は不必要な記憶であり、実際は二の次である事に変わりは無い。

最低な言い方をすれば、彼女が思い出そうとしているのは結果として男の為であり、消えた少女の為ではない。

【言ってしまえば、それは利用って言葉になるんだよなぁ……】

だがまぁ、この場でそんな事を言った所で意味なんて皆無なんだよな……と、こんな事を考えていると、アリサの部屋の扉が開いた。

「――――ん?」

「失礼します」

入ってきたのはバニングス家に仕える使用人の女性。今は暇を貰っている為に私服姿だった。

「あれ、何で……」

「いえ、ちょっと忘れ物を取りに……もしかして、お邪魔でしたか?」

「邪魔じゃないけど」

男が帰って来たのかと思ってしまった反面、別の人物の登場に若干の肩すかしと失望感を味わいながらも、

「ちょっとびっくりしただけ。それで、忘れ物はあった?」

「はい、この通り」

そう言って使用人が手に出したのは赤い包装紙に包まれた小さな箱。ラッピングで小さなリボンが付けられている所見ると、

「もしかして……誰かにプレゼントとか?」

尋ねると、使用人は頬を微かに赤く染め、頷いた。そうと分かればこっちの独壇場、未だ少女だと言っても恋に恋するお嬢様でありアリサからすれば、食いつくのは当たり前な餌だった。

もちろん、それなりに澄ました顔をするのも忘れずに、

「―――――こ、恋人に、かしら?」

「はい」

乙女メーターが一気に振り切った。自分の足が動かないという絶望的な事実すら忘れ、アリサは食い入る様に使用人にグイッと近づいた―――というか、近づこうとしてベッドから落ちた、顔面から。

「お、お嬢様!?」

鼻を強打した痛みを我慢しながら、顔を上げる。

「だ、大丈夫よ……そ、それよりも……こ、ここここ、恋人とか、いたんだ」

「といっても、もうすぐ旦那様になるんですけど……」

アリサは吐血した。

「お嬢様!?」

「大丈夫、大丈夫……」

「本当に大丈夫ですか?最近、使用人の間にお嬢様の様子がおかしいというか、頭の螺子が一本以上抜けているという話で持ち切りなんですけど」

「おい、その使用人を今すぐこの場に呼び出しなさい。全員を首にしてやる」

「恋するお嬢様は可愛らしいですねぇ」

そんな言葉にあっさりと顔を赤く染める乙女。

「…………か、可愛い、かな?」

「えぇ、可愛いですよ。食べちゃいたいくらいです」

「そんなに?」

「もちろん。好物の〆鯖と同じくらい食べたいちゃいですね」

実は馬鹿にしてるのではないか、アリサは一瞬だがそう思った。

「それよりもお嬢様。今日はあのパラサイト―――ではなく、佐久間とご一緒だという話しでしたが」

「佐久間ならちょっと出かけてるわ」

「お嬢様をお一人にしてですか?…………これはアレですね。今度会ったら折檻ですね」

「そこまでしなくても……」

「いいえ、そこまでしないとわからないのですよ、あの男は。まったく、日頃から躾けているつもりですが、まだ足りないようですね――――やっぱり、三角木馬では足りなかったか」
「そこまでしなくても!?」

意外とバニングス家の使用人はスパルタ揃いらしい。

「お嬢様をお一人で放置するなんて、なんて男なのかしら」

「あんまり……佐久間を悪く言わないでよ」

むぅっと小さく唸るアリサ。そんな可愛らしい姿を見せられてしまえば、使用人としても何も言う事は無い。

「―――――そうですね。私とした事が、差し出がましい事を……」

「気にしなくていいわよ。ほら、こういうのって惚れた方が負けらしいし」

「お嬢様、その台詞は後五年は早いですよ」

「そうやって子供扱いはしないでよね」

「そういうタチなのですよ、私達は……それより、その様子ではお食事はまだ様ですね。よろしければ、私が何かをお作りしましょうか?」

「ううん、佐久間が何か作ってくれるからいいわ」

正直、お腹は今でもグーグーとなってはいるが我慢する。もう少しで佐久間が戻ってくる。そうすれば美味しくは無いかもしれないが、好きな人のご飯が食べられる。それでは我慢する事にした。

「わかりました。それでは、私はこれで失礼します」

そう言って使用人は部屋を出ようとドアに手をかけ、



「そう言エば、なンですケど……」



使用人は何かを尋ねようとしたのだろう。しかし、アリサはもちろん、使用人も気づいた。今、使用人の声が確かにおかしかった。

「あレ?ドウして声ガ―――」

喉を押さえ、何度か咳をしてみるが治らない。むしろ、余計に酷くなっている。もしかしたら風邪でもひいて急に喉が痛くなったのだろうか、そう思った。

少なくとも、使用人だけは。

「――――――」

アリサは声を失った。

アリサの眼に映ったのは使用人の首。

先程まで使用人の首は細く、女性として綺麗な首筋だった事は確かだ。数秒前までの記憶はそれが正解だと言っている。

しかし、違う。

使用人は気づかない。

アリサは気づいた。

首が『脈打った』。

首が『膨張』した。

首が、中で『何か』が『蠢いて』いた。

蛙が膨らむ様な姿だった。

首、喉の内側から膨張を始め、何かが使用人の身体から出てくる―――そう確信した。

「――――――」

使用人が顔を引き攣らせ、何も吐き出されない口を開く。呼吸も出来ない、唾液すら出ない、だらしなく舌が伸びるがそれだけ。

苦悶の表情を浮かべる――――そして、その口から何かが伸びた。

一本―――白い指先。

使用人の口から『人間』の指がぬっと姿を現した。その光景にアリサは身体中の産毛が逆立つ感覚を覚えた。悲鳴も何も出はしない。その光景に眼を奪われ、反らす事すら出来ずにいた。

一本の指が這い出た後に、その後を追う様に一本、また一本と指は増え、使用人の口の中から十本の指が生えていた。まるで巨大な蜘蛛が使用人の口から出てこようとしている光景、悪夢を前に常識というものは通用しない。



ミリィ――――――



聞きなれない音が聞こえた。

「ぐぅぎぃああ……」

使用人のくぐもった声。瞳に涙を為、口から唾液を漏らし、アリサに助けを求める様に手を伸ばす。無論、その手を取る事も出来ない。少女に出来る事はこれが夢だ、夢に違いないと自分に言い聞かせ、



ミリィ、ミリィ―――――



使用人の唇が割れた。

口から生えた指が狭い入口を無理矢理に開こうとした為、唇が真ん中から割れた。当然、口は壁の様な壊れ方はしない。肉が切り裂かれる、無理矢理に切り裂かれ、桃色の肉がビリビリと切り裂かれる音を始めて耳にした時、気絶できれば幸せだろうと思った。

「ぐぼぅぼあああ……」

唇が割れ、歯茎が見えた。桃色の歯茎に生えた白い歯は、真っ赤な血によって染め上げられ、口から大量の血が吐き出される。

もう止まって欲しい。

もう止まれ。

止まれ。

悪夢よ、止まれ。

しかし、止まらない。



割れる―――口

割れる―――顎

割れる―――鼻

割れる―――首

割れる―――額



ヒトとアタマが、二つにワレタ



飛び散る肉片。

弾け飛ぶ潜血。

顔の無い死体。

生きていたはずの死体。

真っ赤な液体がアリサの顔を赤く染めた。

生温かい液体が顔にかかり、放心状態でその液体を指でなぞる。

暖かい、温かい、アタタカイ――――マッカな、赤イロ。

アリサの部屋に首の無い死体が一つ。ドスンと音を立てて崩れ落ちる。首はあったはずだった。肉の塊が確かに其処にあったはずだった。しかし、その首は既にない。使用人の首は弾けた。口から生えた指が無理矢理に使用人の口から出ようとした結果、口という狭い出入り口では満足できず、耐えきれず、あっさりとその首を、頭を引裂いた。

スプラッター映画の様な光景が広がった。



「―――――――――――――――ッ!!!!」



悲鳴を上げた。

悲鳴を上げ、頭を振り、目の前で起きた光景を否定する。こんな事はあり得ない、あってたまるものかと嘘にする。だが、嘘だろうと虚無だろうと、目の前にある死体からは並々ならぬ量の血が広がり、床を真っ赤に染め上げる。

顔に飛び散った血を何度も何度も拭き取る。

匂いが消える事はない。顔に付着した血液は拭き取ろうにも完全にふき取る事は出来ず、結果的にアリサの顔を微かな赤色が残る。

心が壊れそうになった。いや、壊れてしまった方が何倍もマシだっただろう。だが、それはあくまで可能性であり現実ではない。結果であって仮定ではない。

故に此処で仮定しよう。

震える瞳でアリサは使用人の身体を見た。無意識に、何かにそうさせられた様に、人で無くなった死骸を凝視した。

頭の無い死体。顔の無い死体。首の無い死体。




そして、其処に立っている黒い少女




「やぁ、夜分遅くにこんばんは……」

少女は軽い挨拶をする。

少女の身長よりも長い黒髪を床に垂らし、その黒髪が流れ出た血液を吸い取る様に波打っている。ピチャンと裸足で血だまりを歩き、ゆっくりと少女はアリサに近づいて行く。

この子は、誰だろう―――当然の疑問だった。

仮定として、あり得ない。

少女が最初からこの部屋にいたという仮定―――これはあり得なくはない。

少女が使用人を殺した―――これもあり得なくはない。

では、これはどうだろう。

この黒髪の少女は、

使用人の口の内側から手を伸ばし、

使用人の口を引裂き、

顔を引裂き、

そこからその小さな身体をズイッと生やし、この場に出てきた――――あり得ない。

あり得ない。

あり得ない。

あり得る筈がない。

使用人の『身体から出てくる少女』など存在するはずがない。

「いやいや、狭かった狭かった。玄関からお邪魔するつもりが、間違って人間の口の中に飛んでしまうとはね……いや、これは失敗だ」

気づけば、少女はアリサの前に立っていた。例え足が動いていたとしても、この状況でまともに立つ事は不可能だったであろうアリサは、身体が凍った様に動けなかった。

「おや、怖がらせてしまったかい?」

ニヤニヤと嗤い、少女はアリサの頬に手を当てる―――冷たかった。氷よりも冷たい。人の体温など存在しない程の低温は、アリサの心臓を一瞬でも止めるには十分だった。

逃げようとする想いが生まれれば不思議と身体は動いた。だが、足は動かないので腕の力だけで這う様にして少女から離れる。

「――――そんなに怖がるなよ」

アリサの背中に衝撃が走る。

「――――-ッ!?」
少女の足がアリサの背中を踏みつけにしていた。振り払おうとするが、まるで数百キロの重りを背中に乗せられた様に動けない。

「私は別に君と話に来たわけじゃないんだ。そこは勘違いしないでくれたまえ―――この泥棒猫」

少女は冷たい微笑みでアリサを見下ろす。

「だからあんまり怖がられても私は楽しくない。君のすべき事は呻いて呻いて呻いて呻いて呻いて呻いて呻いて呻いくだけ……後はそうだね、後悔する事かな?」

血だまりを歩いたせいか、少女の歩いた後には赤い足形がくっきりと残されていた。その足形が『蠢いた』。

小さな少女の足形がグニャリと歪み、黒く染まる。それは少女の影と同じ暗闇色。夜色ではない暗闇色。その色が形を成し、一匹の蛇に変わる。

黒い影の蛇が部屋を動き回る。少女の足跡の数だけ蛇が生まれ、床を張って奇声を鳴らす。蛇の声はまるで獣の様に唸り声。心を鷲掴みにされた様な恐怖感を覚えた。

「あ、アンタ……だ、れ?」

「私?私かい?」

少女はアリサの金色の髪を掴み、無理矢理にアリサの顔を自分に向ける。少女の暴挙に顔を痛みに引き攣らせ、目尻に涙をためる。その姿が面白いのか、少女は楽しそうに嗤っていた。

痛みを与える事が嬉しい様に、恐怖を抱いている事が面白くてたまらないという様に。

「私はね、君の大好きな社会不適合者の持ち主さ」

持ち主、少女はそう自分を称した。

「そう、あれは私のなんだ。私の大切な大切な玩具なんだよ。なのに、どういう事なのか知らないが、私がちょっと眼を放している間に変わってしまった……わかるかい?わかるだろう?わかってもらなければ意味がない。わかれ。わかるはずだ。わからないなんて言わせない。わかる事は前提だ。わかる事がお前の罪だ。知らないなんて言わせない。わかる事が許せない。知っている事が許せない。だから…………なぁ、アリサちゃん」

名を呼ばれ、少女の真っ黒な闇色の瞳がアリサの瞳を覗きこむ。

その瞬間、確信した。

「人の物を奪っておいて、自分はのうのうと暮らせると思わない事だね」

自分は、この少女の形をした『何か』に恨まれ、殺されそうになっている。いや、殺される。どうやっても殺される。

「まさか、君がそんな事をするなんて想ってもいなかった……少しだけ私は後悔している。うん、これは久々にする後悔だ」

アリサの手元に影の蛇が近づき、威嚇する。気付けば、少女とアリサの周囲を影の蛇が包囲している。ただし、その獲物は少女ではなくアリサ一人だけ。蛇からすれば、主が少女で餌がアリサなのだろう。



「君はあの時……『殺される』べきだった」



ゆっくりと少女の手が上がり、

「だから、今度はちゃんと殺してあげるよ……まずは、その動かない足から殺そう。皮をはいで、肉を削ぎ、骨を削り、血管という血管全てを引きちぎり、肉を磨り潰し、足という存在ごと全てを殺してやろう」

悪魔の様な笑みを、アリサは始めて眼にした。

「ちなみに、さっき私は君の怖がるなと言ったが、アレは嘘だ。いわばツンデレみたいな感じかな?――――――怖がれ、恐怖しろ、恐怖で小便垂れ流して許しを乞いて私に殺されろ」



「いえ、死ぬのはお前だ」



当然の第三者。

その姿を見たのは恐怖に顔を引き攣らせたアリサのみ。ジグザは声しか聞こえない。だからこそ、反応が遅れた。

第三者――――雪色のシスターは少女の黒髪を乱暴に掴みあげ、投げ飛ばした。
少女の身体が床に叩きつけられる。小さな身体が一瞬浮き上がり、そこへシスターの足が襲いかかる。少女の腹部に蹴りつける様に踏みつけた事によって少女の身体が床に突き刺さり、そのまま床が抜ける。

アリサの部屋はそれだけで崩壊した。

轟ッという音と共に床が砕け、少女の身体は一階に落ちて行った。

床が崩れる瞬間、シスターはアリサの身体を抱えて外に飛び出る。

「―――――サクヤ、さん?」

アリサは放心したまま呟く。

「えぇ、そうです……すみません、遅れました」

申し訳なさげに謝るシスター、サクヤ・エルフォンド。

「え、あ、あの……えぇ!?」

自分は本気で夢を見ているのではないか、アリサは本気でそう思っていた。

なにせ、先程まではスプラッター映画、その次は現実感の無い少女の化け物、それに殺されそうになったら、今度は知り合いがヒーローの様に現れた。

「これ……夢?」

「残念ながら、そうであってほしいですね」

苦笑しながらサクヤはアリサを優しく地面に下ろす。気付けばアリサ達は屋敷の外、それも数十メートル以上離れていた。

「…………」

どうやったらあの距離を人は飛ぶ事が出来るのだろうか。これではまるで目の前にいる女の人が改造人間か怪物みたいではないか。

「どういう、事なんですか……」

「それを説明したいのは山々なのですが――――今は、まだ無理です」

そう言ってサクヤはアリサに背を向ける。

サクヤが見据えたのは屋敷。

アリサが長年住み慣れた屋敷が其処にはある―――それが、爆ぜた。

何百枚もある窓のガラスが一瞬で、同時に弾け飛び、屋根から黒い影が一斉に吹き出し、無数の獣の唸り声と共に壁が崩れる。

爆ぜた。

一瞬で、屋敷が廃屋へと姿を変えた。

「――――――つくづく、お前は私の邪魔をするのが好きみたいだな」

屋敷の玄関の扉が開く。

影の蛇、影の獣が主人の外出を見送る様に、ゆっくりと扉を開ける。そして、そこから現れたのは屋敷の主人でも使用人でもない。まったくの赤の他人。

黒髪の少女。

「正義の味方面するのは勝手だが、人様、ましてや神様の邪魔をするのはいただけないね……というか、あんまり調子に乗るなよ?」

見た目は自分と対して変わらない少女だというのに、アリサは心の底から恐怖を抱く。あれは何なのか、人なのか、化け物なのか―――それとも、もっと別の忌々しい存在なのか。

答えなど知るはずもないのに、知らない事が恐怖を増大させる。

「クソ女神の命令かどうかなど知らないが、あんまり私の邪魔をするな。どうせ、この世界はもうする壊れ、消えていく。だったら誰が死のうと生きようと、お前には何の関係もないはずだ」

「いいえ、そんな事は無い。この世界は壊れようとしているのは確かだが、それでもまだ人は生きている。消える事も無く、死ぬ事も無く、こうして私のすぐ傍で生きている―――なら、助けるのが当然だ」

「偽善者が……」

「悪者よりは数億倍マシだ」

互いが互いを敵と認識している。ずっと前から、二人が出会う前からそう決まっていた。故に互いのするべき行動はたった一つ。

「殺すぞ、人形」

「滅します、邪神」



そして、白と黒が激突する。

世界の崩壊の前に、存在を許せない二つはこうして殺し合いを開始した。













結局、これは何の物語かと問われれば、俺はこう答える。

これはただの人間の起こした結果。奇跡でもない、偶然でもない、必然でもない。どれだけ言葉を並び立てようとも、起こった結果は一つだけ。

もしかしたらこれ以上の結果があり、それが最善だったのかもしれない。しかし、最善を求めるには遅すぎた。

最早、最善とは程遠い。

最早、幸福とは程遠い。

最早、最高の結末などとは程遠い。

なら、何故足掻くのかと問われれば―――どうしてなのだろう?

わかるはずもない。当の本人にすら分からず、神ですら理解できない。意思で動く、身体が動く、運命を動かす。その全ては結果という結末。

まだ、動くのだ。

足が動けば前に進める。

手が動けば何かを掴める。

手足が動く限り、身体の一部でも動く限り、這ってでも何かを得ようと人は動き、あがき続ける。

この先にあるのは最高のハッピーエンドが存在しなくとも、人は動き、足掻き、そして手を伸ばし続ける。

そこにあるのが、大切な絆である限り……手を伸ばし続ける。

そう決めた―――俺がいるから








爆心地、その言葉が相応しいだろう。

「――――ッうおぃ!?」

爆風で身体が吹き飛ばされる。

サクヤが先行して既に数分。俺は遅れてバニングス邸にたどり着いた―――その瞬間に吹き飛ばされた。

「おいおい、マジかよ」

ここからは見えないが、衝撃波だけで物語れる程の攻防を感じた。あの爆心地に近づけば確実に俺みたいな雑魚は死ぬ。だが、その爆心地にアイツはいる。だったら進むしかない。
爆風と衝撃に耐えながら一歩一歩、確かに前に進む。亀になった気分だが、少しでも進んでいるなら結構だ。一歩も進めないよりは百倍マシってものだろう。

だが、そんな考えを一瞬で吹き飛ばす声が聞こえた。爆風によって遮られそうになったが、その小さな悲鳴だけは確かに聞こえた。

アリサの声。

瞬間、自分の身の心配が頭の中からポンッと抜け落ちる。

「アリサ!!」

奔る。

爆風に身を晒されながらも、俺は一心不乱にアリサの声がする方に向かって走る。

「アリサ、何処だ!!」

「―――――佐久間!?」

聞こえた、聞き間違えるはずのないアリサの声が確かに聞こえた。

門を飛び越え、庭に着地した瞬間、俺の眼にはトンデモな光景が写り込む。

サクヤがいた。

ジグザがいた。

その二人が、一人と一神が激突している。しかも、まるで漫画みたいな光景を作り上げながら、だ。

ジグザが放つ攻撃をサクヤが白刃にて切り裂き、サクヤの攻撃をジグザの黒い外装で払いのける。

一進一退の攻防というのはこういう事を言うのかは知らないが、俺が数日前に鮫島さんと行った戦いなどお遊びにすら見えないと知る。

少なくとも、俺にはあんな戦いに踏み込む事は出来ない。

「従者ってのは、あんなに人間離れしてんのか?」

俺は何となく自分の中にある経験に問いかける――――あの中に入って、生き抜ける経験は手を上げろ。

結果、零だ。

少しだけ安心した。

だったら俺は人の領域で出来る事をするだけ。

白い閃光と黒い閃光のぶつかり合いで視界が潰されそうになりながら、俺はアリサを探す。そして、その姿はすんなりと見つかった。

アリサは庭の生えた木。かつては桜の木だった木に縋りつくようにして座っていた。

「アリサ!!」

「佐久間!!」

アリサに駆け寄り、抱きしめる。

「…………良かった、無事だった」

「佐久間……佐久間ぁ……」

抱きしめたアリサから涙の混じった声が聞こえた。

「怖かった……怖かったよぅ」

「あぁ、俺も怖かった」

お前が生きていない、なんて現実が起こっていないかどうか不安でしょうがなかった。だが、それは現実ではなく仮定でしかなかった。どうやら、サクヤは何とか間に合ったらしい。

「怪我は……なさそうだな」

「うん、大丈夫……でも」

アリサは現実を受け入れらない様な目で二つの激突を見る。

「ねぇ……何なの、あれ」

「ホント、何なんだろうな……」

説明してもいいが、今はそんな暇など無い。俺がすべき事はアリサの身の安全の確保だけ。それ以外は俺の手に余る行為だ。当然、サクヤのサポートなど無理に等しい。

アリサを抱え上げ、

「とりあえず、どっか安全な場所に逃げるぞ」

そんな所があるかどうかはわからない。少なくとも、この世界で安全と言われる場所なんて一つとしてありはしないだろう。

それでも、

「そんな不安な顔すんなよ」

アリサにそんな顔はさせてはいけない。それだけは確かな事だ。俺はアリサに微笑みかけ、大丈夫だと頷く。アリサも最初は戸惑っていたが、

「信じて、いいんだよね?」

「あぁ、信じろ」

「なら、信じる……」

嘘にはさせない。

これだけは、嘘ではない。

守ると決めた。邪神を敵に回しても、世界が崩壊したとしても、この手に感じる小さな温もりだけは絶対に守ると決めた。

だが、とりあえずの問題はある。

俺が走りだそうとした瞬間、目の前にサクヤの身体が吹き飛んできた。

「うぉっ!?」

のけぞってそれをかわす。

サクヤは空中で回転し、壁に足を着いて着地する。

「遅かったですね」

「お前と一緒にするな――――で、大丈夫なのか?」

「大丈夫というのは、私がアレに勝てるのかどうかという事でしょうか?」

「お前が怪我してないかって事だ……」

そう言うと、サクヤはおかしそうに笑った。

「この状況で怪我とか小さいと想いませんか?」

「小さくないっての。俺が頼んだ手前、お前が大怪我したら寝付きが悪くなるんだよ」

「問題ありませんよ。勝てるかどうかではなく、私は勝たなくてはなりません―――正確に言えば『私達』は、ですけどね」

サクヤは確固たる意志を持って、再度ジグザを見据える。

ジグザの顔にはいつものような笑みは無い。あるのは俺に向けられた、アリサを抱き上げている俺に向ける―――黒い殺意。

「…………」

奴は何も言わない。最早、俺に語る事など一つも無いと言わんばかりに、今まで以上に冷たい瞳で俺を射抜く。

「…………」

フラッシュバック。

星空の下、俺はジグザを受け入れ、ジグザも俺を受け入れた。

小さなホテル一室、俺がジグザの黒髪を梳かした。

そして翠屋――――俺は、ジグザを否定した。

裏切りという行為の代償は、俺にではなくアリサに向いている。

「佐久間さん。アナタが気に病む事は一つとしてありません。アナタは何も悪くない……極悪なのは、あの存在です」

「でもよ……」

「後悔などしないでください――――少なくとも、その子の前では」

俺はハッとアリサを見る。アリサは俺を不安な表情で見ていた。その顔を見た瞬間、俺は決断を迫られている様な気がした。

裏切りの代償と、裏切りの結果。

得た物は腕の中、失った物は俺に殺意を向ける。

「…………あぁ、そうだな。後悔する権利なんて俺には無い。後悔して失うものは、これ以上増やさない」

アリサを抱きしめる手を強める。すると、心なしかアリサの表情も柔らかくなった気がした。

「―――――それでいいんです。アレは私が何とかします……アナタは、アナタのするべき事をしてください」

「任せて良いか?」

「任せてください。それに、私は以前言いましたよね?アナタは、私が守ります」

確かにあの時、サクヤはそう俺に言った。

「ですから……アリサさん」

そして、サクヤはアリサに向けて、

「アナタも、佐久間さんを守ってくださいね。その人、色々と情けない人ですけど、それでもアナタを守る事だけは決意していますから……」

恐らく、アリサは未だにこの状況に置いてきぼりを食らっている状態だろう。だが、それでも理解しているはずだ。どんな状況だろうと、彼女の言った言葉の意味だけは理解しているはずだ。

「当然じゃない」

だから、こう言ってくれる。

「私が佐久間を守らなくて、誰が守るのよ!!」

それがどれだけ俺の救いになったのだろうか、自然と笑みがこぼれる。

だが、その反面として、

「くだらないなぁ……」

奴には、ジグザには不愉快な会話だろう。

「実にくだらない……くだらなすぎて、お前等を全員消し炭に変えてしまいたいよ」

気づけば、ジグザの身体に変化が起こっていた。

いや、ジグザにではない。

ジグザに周囲に存在する蛇と獣が変化していた。

影の様に曖昧な形をしていたソレは、更に曖昧な姿に変化していた。影が揺らぐ、蝋燭の炎が揺らぐ様に、ゆらゆらと揺らいでいる。

そして、燃え上がる。

黒い炎が具現する。

「佐久間、お前は私を裏切った。そんな人間の為に私を裏切り、私を殺そうとしている――――裏切りは許さない。私を裏切る全ては私が裏切る。私が裏切ってもいいが、従者に私を裏切る権利は一欠けらも存在しない」

影の獣は炎の獣に変わる。

影の蛇は炎の蛇に変わる。

憎しみに満ちた黒い炎が、ジグザの周囲に展開された。

黒い炎に熱は無い。むしろ、凍えるような極寒の寒さが身体に感じる。

「死ね」

ジグザが一歩踏み出せば、庭に生えている芝生が腐り、燃える。燃えた後は消し炭になり、その場には一切の生命が存在を許されない。

「死ね、死ね」

それはこの世界全てに向けられた憎悪。

「死ね、死ね、死ね」

その引き金を引いたのは、俺。

「全部、死なせて死ね」

だから、俺は言うべき言葉は謝罪―――ではない。

サクヤを見る―――頷いてくれた。

アリサを見る―――俺の手を握ってくれた。

ジグザを見る―――俺は、口にする。



「―――――お前が、死ね」



口にした刹那、世界に憎悪が満ちる。

「佐久間ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

邪神の怒りの咆哮が鼓膜を刺激する。一瞬で勇気が根こそぎ殺され、対抗する意識が燃やされる。それでも動けるのは俺が臆病者で、この手に助けるべき少女がいるから。

だから俺は奔りだす。

「―――――ご武運を!!」

そう言ってサクヤは駆ける。

「お前もな!!」

そう言って俺も駆ける。

背後で聞こえる爆音は先程よりも激しい。背中に感じる衝撃は気を抜いただけで吹き飛ばされそうな程の威力だった。それでも何とか地面を掴んで走り続ける。

何処に逃げればいいかなんてわからない。

わかる事は一つだけ。

たった一つのシンプルな答え。

「佐久間……」

アリサを、守るという意思だけは―――シンプルだった。






改めて見れば、この世界は致命的だ。

何処を見渡しても壊れてない所はない。むしろ、俺が今いるこの公園が壊れていないのが不思議なくらいだ。

なんというか、この公園にも色々な思い出がある。

殺人鬼と語り合い、邪神と語り合い、自己否定と他者否定を繰り返した記憶。

つまりは、嫌な記憶しかない場所だ。こんな場所が残されている時点で誰かの嫌がらせなのではないかと想像してしまう。

だが、此処に来るしか手が無かった。

周囲に広がるのは暗闇だけ。

空を見上げても星はなく、あるのは無限の闇。

終わるという光景はそれだけ絶望的だった。

この世界に太陽は上がらない。

この世界に夜は二度と来ない。

来るのは闇だけ。停滞する闇は全てを飲みこみ、全てを終わらせ、全てを無に帰す。

なんて最低な結末だ。

なんてクソッタレな結末だ。

「これも、俺のせいか……」

後悔はある。もっとマトモな選択をしていればこうはならなかっただろう。だが、俺は既に選択をしてしまった。その選択の結果が世界の崩壊―――別に俺が世界を壊しただなんて妄想は抱かない。だが、仮にそういう結果を俺が招いたとするのなら、俺は全世界に恨まれてもおかしくない男だという事だ。

死んで詫びるか、生きて詫びるか。

「傑作だな」

こう言って誤魔化す。こんな戯言を口にしている時点で色々と傑作だ。それでも後悔し続ける事だけは嫌だった。

行動して、行動して―――でも、守れるのは、この手に感じる温もり一つだけ。

俺とアリサはベンチに腰掛け、無気力に周囲を見回している。

「―――――信じられるか?」

「信じられない」

逃げ場など無い。だから、俺は語った。限りある時間の中で、俺は自分の正体を語った。それを信じられるどうかはわからないが、アリサは黙って聞いてくれた。

ただ、この世界が一つの物語の世界だという事だけは口にはしなかった。何故なら、それは俺が否定すべき事だからだ。

この世界は物語なんかじゃない。この世界は一つの現実で、受け入れるべき世界だ。

だから、俺は語った。

俺が死んだ事。

俺が邪神に魅入られた事。

俺が色々な事件に巻き込まれた事。

俺が、アリサを傷つけた事。

そして、これから消える人々と世界の事。

「信じられないけど……受け入れるしかないんだよね」

アリサの小さな手がパジャマの裾をギュッと握る。

「正直、信じられないよ?でも、さっきまでの事が夢でも幻でもなくて、本当の事だったとしたら……目の前の事が嘘じゃなくなる」

アリサの眼にも崩壊は写っている。普通は観る事、感じる事も出来な崩壊が、アリサの眼にはちゃんと写り、現実として認識出来ている。

「嘘じゃ、ないんだよね」

「残念ながら本当だよ」

俺は煙草を咥え、火を灯す。

出来る事なら、これが最後の一本にならない事を祈るばかりだ。

「嘘みたいね」

「嘘みたいだろ」

「でも、本当」

「本当だからこそ、タチが悪いんだよ」

世界が終わるというのは、映画の様に天変地異によって生物全てが絶滅するという方が現実的だ。だが、現実的はあくまで現実的。本当の現実はこんなにも脆い。軟い作りの世界はボロボロと崩れ去り、もうすぐ全てが終わる。

「ねぇ、佐久間……」

アリサが俺に寄り添う。

「さっき電話で言ってた事……少しだけ考えてみたの」

「……思い出せたか?」

否定。

「そっか……そうだよな。そう簡単には思い出せないよな」

「引っかかりはするの。でも、引っかかるだけで、それが何かなのか全然わからない」

記憶には残らない。でも、心には残る―――そういう事なのだろう。

「変だよね。心に残ってるのなら、記憶だってあるはずなのに……」

「記憶と心の違い、か……」

もしかしたら、記憶は大切で、心はそうでないのかもしれない。

「記憶は忘れてはいけない事でも、心はそうじゃない。曖昧だから、曖昧だからこそ、二の次にして良い事って感じなのかもな……」

「私にとって、そのなのはっていう子は……その程度だって事なの?」

「わからない。でも、そんな風に考えちまったんだ……そんなわけ、ないのにな」

記憶に残る事は大切。

心に残る事はどうでもいい事。

「漫画とか映画とかでね、記憶にはなくても、心に残っている事の方が大切だって言ってるけど……なんだか、それが嘘っぱちに想えてきたわ」

「心って何なんだろうな。記憶と同じなのか、それとも別個なのか、どうも曖昧で仕方がない」

心は曖昧だ。世界が終わろうとしているのに、俺達は心について語っている。現実逃避ではないのだが、何とも答えの出せない曖昧さだ。

「私は、よくわからない」

「俺だってわかんねぇよ――――けど、」

けど、なんなのだろうか?

希望的観測を口にするか、現実的な寒さを口にするのか、答えは二つに一つ。こういう時なら希望を口にするのもいいだろう。だが、そうじゃない。そうじゃないんだよな、これが。

「…………忘れちゃいけない事だってのは、わかってるの。でも、段々不安になってくる。なのはっていう子の事を思い出せないって事は、私にとってはその程度の間柄だったんじゃないかってね」

「んな事は……無いと想う」

「友達、だったんだよね?」

疑問だった。

「大切な、友達だったんだよね?」

疑問でしか、なかった。

「忘れちゃ、いけな……いんだよね?」

悲しい疑問を口にする。

気づけば、アリサの口から泣き声が零れていた。

「――――――思い出せないの……」

俺以上に辛いのがアリサだ。

「全然、思い出せないのよ……」

知っているのが当然、そう思っているのは俺だけ。アリサからすれば初めて聞いた名前だというのに、それを思い出せない自分を恥じて泣いている。

俺はアリサを抱きしめる。

「ねぇ、なんで忘れちゃったの?私、その子の事……大好きだったんでしょ?」

胸元が涙に濡れる。

「だったら、そんなの嫌だよ……忘れたくなんて、ない……」

どうすればいいのか、なんて知らない。俺が知りたいくらいだ。

存在が無いという事は、当然記憶にも残るはずがない。そもそも、最初から存在しない人間の記憶などあるはずがないからだ。

記憶もない、心にしか残らない。

だったら、心なんて必要じゃないだろう―――そう叫びたくなった。

少なくとも、此処に泣いている少女が一人いる。存在しない少女の為に涙を流し、自分を恥じている少女がいる。それだけが、救いようのない程に物悲しい。

俺が裏切ったから……

俺がジグザを否定したから……

アリサが泣いているのは俺のせいなのか、そう想ってしまう。

泣いて欲しくない。

この子には、絶対に泣いて欲しくなんてないのに、泣いている。

「私、酷い子だね」

「……違う」

酷いのは俺だ。

悪いのも俺だ。

「お前は全然悪くない」

知らず知らずの内に俺は誰かを殺している。それを知らずに生きる事は出来ていた。でも、それを否定しまった今、俺はそれを受け入れるしかない。

己に浸り、酔っているのとは違う。

こんなに痛いのに、酔っているはずがない。酔っている方がずっとマシなのに、こんな苦しいのに、酔えるはずなんてない。

罪がある。

罪が生まれて、生まれ続ける。

その度に身体が重くなり、動けなくなりそうになる。

なら、ここで諦めるしかないのだろうか?

以前と同じ様に、動けない自分に酔って、動けない事に否定すら出来ずに終わってしまうのだろうか。

「そんな事、あるわけ……あっていいわけ!!」




――――――いいや、あるね



何かが頬を撫でる。

身体中から生きる気力を失い、生きている事を否定したくなった。

「―――――あ、」

間抜けな声は俺の声だ。声が漏れ、視界がゆっくりと霞んできた。

「―――――あぁ、」

音が消えた。

気配が消えた。

俺という音が消え去り、俺という気配も消えていく。

「      」

誰かが俺の肩をゆすっている。

「        」

必死に何かを言っている。あれ、全然声が聞こえない――――ってか、お前は誰だ?

わからない、

なにもわからない、

わからないことがわからず、わかっていることがあいまいになって、きえて、はぜて、もえて、くろくそまり、あかくそまり、おわり、はじまり、そしてしに、うまれかわり、おれはおれをうしない、おれはおれであることにぎもんをもって、

「反則し、否定しろ」

だれかのこえ、おれのこえじゃない、だれのこえでなければ、ひとではない、

「反則し、否定しろ」

だれ、だれ、だれ、だれ、だれ、

「反則し、否定しろ」

だれ、おれ、わたし、ぼく、われ、なんじ、われ、ひと、それがし、わらわ、おれ、わたしくし、

「反則し、否定しろ」



声が聞こえる。



代わりに、誰かの声が消えた。

聞こえなくていい事を聞き取り、聞こえなくてはいけない声を忘れた。

誰かが立っている。

暗闇よりもなおも暗い。

暗いを喰らい尽くすソレは、人ではなく邪神。

小さな体躯に黒い神、黒い外装に黒い神、全てが黒で闇になり、闇の先に絶望あり。

「      」

誰かが悲鳴をあげた。

悲鳴の先にあったのは闇の右手。

右手に絡まる白い糸。

白い糸は髪。

神が持つ神は白くて紅い。

「         」

誰かが誰かの名前を呼んでいる。

誰かが誰かの名前を叫んでいる。

白い髪のだれか、しろいかみの誰か、彼女の名前は何だっけ?

あの女は、誰だっけ?

頭が正常に動かない。だが、動かない事が正常であり異常ではない。これが当たり前、正常を否定し異常を肯定する。

あぁ、アレはなんだ?

闇の右手に垂れ下がったアレはなんだ?

「      」

忘れた。

うん、忘れた。

きっと忘れてもいいだろう。

なにせ、



あんな首だけの白い女など、覚えている価値もない





『我に従え』

内から声がする。

『我が主に従え』

内の声が増えていく。

『我が主はあの方のみ』

内の声が呑みこんでいく。

『我等が主は汝ではなく、あの方のみ』

沢山の『経験』の声が、意思が聞こえる。その無数の意思の本流に俺の意識は飲まれ、混じり合い、俺の声でソレは呟く。

「俺は、誰だ?」

『汝は我、我は汝――――そして汝は我等』

ソレ、俺は紡ぐ。

俺の声は誰かの声だった。

その誰かは男だった。その誰かは女だった。その誰かは騎士だった。その誰かが銃士だった。その誰かが聖者だった。その誰かはサムライだった。その誰かは操縦士だった。その誰かは兵隊だった。その誰かは悪魔だった。その誰かは鬼だった。その誰かが狩人だった。その誰かが武術家だった。その誰かが吸血鬼だった。その誰かは魔女だった。その誰かが遊び人だった。その誰かは道化だった。その誰かが子供だった。その誰かは老人だった。その誰かは戦士だった。その誰かは海賊だった。その誰かは獣だった。その誰かは殺し屋だった。その誰かは魔法使いだった。その誰かはヒールだった。その誰かはヒーローだった。その誰かは誰かは誰かは誰かは――――全てが、我だった。

ようやく正常に動きだす。

俺―――ではなく我等は正常に異常を写す。

この手に持つ手は我等の物。

足を持つ足は我等の物。

そして、我等の存在全ては我らが主の物。

「……佐久間?」

我等の隣で誰かが囀る。

小さな女子が我等を見上げている。この女子は誰だったのか考える―――解答は一つ。我等の内の新入りの知っている女子。

新入りの我等にとって大切な女子だった。

だとすれば、

「―――――意にする必要無し」

我等は腕を振るった。

軽く振るっただけで、女子の身体は飛んだ。

なぁに、死にはしない。あの女子を殺すのは我等ではなく、我らが主の趣味。殺してはいない。現にああして女子は生きている。頬を痛みで赤く染め、信じられない者を見る様な眼で我等を見ている。

どうして女子は我等をそんな目で見ているのだろうか?

我等は首を傾げる。

我等の内の我等が発言する。

『女には優しく』

なるほど、そういう点からすれば正しい。しかし、そういう点からすれば間違っている。我等は物であり従者。主に仕える我等の意思は主の意思の二の次でしかない。

故に我等は無視をする。

「佐久間!!」

女子の声を無視し、主である邪神を見据える。

女神の従者の女の首を持ちながら、邪神は我等に微笑みかける。

「――――気分はどうだい?」

我等に問う。

我等は答える。

「問題無し」

「そうかい……なら、さっそく尋ねよう」

邪神は首を投げ捨て、我等に問う。

「君の……君達の名?」

「―――レギオン」

「君達は一人かい?」

「―――否。一人であり軍団」

「君達の主は?」

「―――邪神」

「私が死ねと言ったら?」

「―――自殺」

「私が殺せと言ったら?」

「―――惨殺」

「私を愛せと言ったら?」

「―――承知」

「――――――君達は、私を裏切るかい?」

「否!!否!!否!!否!!」

我等は声を揃えて唄う。

我等はレギオン。

我等はレギオン。

我等はレギオン。

「全ては、我が主の命の侭に……」

それが我等の存在価値。

全てを受け入れ、全てを消す。

我等はレギオン。邪神の従者にして邪神の武器。

「それではお願いするよ……」

邪神はクスリと嗤いながら女子を見る。女子は怯える様に邪神を見て、それから助けを求める様に我等を見る。

何故、我等は見る?

疑問は持つがそれだけ。我等は疑問を持っても考えはしない。意思は邪神が決めてくれる。邪神が求める意思のみが我等の答え。

「なんなりと、ご命令を……」

邪神はゆっくりと腕を上げ、女子を指さす。



「アレを、殺せ」

「御意」




我等は邪神の命に従うのみ。

そういう存在である限り、そうであり続ける。

「あ、でもね。直ぐに殺しちゃだめだよ。あの泥棒猫はゆっくりと殺してね……なにせ、一番大好きな人の手によって殺されるなんてロマンチックでしょ?」

残念ながら、我等に邪神のいう世迷言を理解する事は出来ない。だが、とりあえず直ぐに殺しては駄目だという事は理解できた。

我等は歩を進め、女子に歩み寄る。

女子は我等を見る。我等も女子を見る。この様な小さな女子を殺すという行為には、何の憤りも感じない。我等は大勢であるがゆえに無個である事に意味がある。

心も無い。

感情も無い。

あるのは実用的な戦闘能力のみ。

故に、殺せる。

あぁ、殺せるとも。

殺して殺して、殺しつくして見せよう。

我等の手がゆっくりと女子に伸びる。女子は動かない。動かない代わりに、

「佐久間……」

名を呼ぶ。

関係ない。

殺す。

ゆっくりと殺す。

「―――――我等は違う」

だというのに、何故か我等は女子の問いに答えていた。

「汝の知る佐久間という存在ではない……」

「嘘……嘘よ!!」

「真だ。全てが、真」

何故、我等は女子と話している。見ろ、邪神だって首を傾げているではないか。よし、すぐに殺す。

我等は女子の首に手を当てる。

細い、小さな首。少しの力を入れればすぐに殺せる。

「嘘っていってよ、佐久間……」

「否……佐久間ではない」

だから、何故答える?

「私の事、忘れたの?」

「記憶に存在しない。我等に記憶は存在しない。あるのは我等の個々の経験、技術のみ。総合して我等は存在して、個別には存在しない」

だから佐久間という存在は無い。

レギオンとしての我等のみが存在しているのだ。

そう、そうであるはずなのに

「―――――何よ、それ……」

女子の顔が上がる。

瞳に(痛い)涙をためて(苦しい)、何かに怒る様に(嫌だ)、我等を睨んでいる。

「忘れるわけ……ない」

「何を言ってる?」

「佐久間が、私の事を忘れるわけない!!」

意味不明だ。

何故、そう言いきれるのだろ。

忘れているのではない、消えているのだ。

消えたという事は存在しないという事。

存在しない者の記憶などあるはずがない。

我等はレギオン。

個ではなく群。

軍であり群。

決して個別ではない。

「随分と舐めた口を聞くんだね」

我等が無駄な事を考えていると、邪神が口を挟んできた。

「彼が君の事を忘れるはずがない?ッは、馬鹿げている。君は何様だい?君は彼にとっての神かい?いいや、違うね。誰よりも大切な存在ですらない君が、彼が君を忘れない理由にはなりはしない――――そうだね、むしろ君ほど彼が忘れたい存在はいないと私は想うよ」

邪神の言葉に女子は息を飲む。

「知ってるだろ?君という存在は彼にとっての罪そのもの。そんな罪を忘れたい、逃げたいと想うのは人として当然の行為だ……忘れたいんだよ、君の事を」

我等は考えない。

邪神の言葉に考えなど持たない。

だから、ただ聞くのみ。

「彼にとっての救いは君という存在を忘れる事なんだよ。そうすれば彼は楽になれる――――だが、残念な事に君はそれを許さなかった。口では許すと言いながらも、君は彼に呪いをかけた!!」

「呪い……」

「そう呪いだ……知ってるかい?誰かを好きになる、愛する。これは立派な呪いだ。その呪いは何をするにも行動を阻害させる。例えば、仕事をするのは愛する者の為だと言う。しかし、これは個人の自由を束縛する。愛する者の為に金を稼ぐというのは一種の強迫概念によって動かされる。自分が働かなければ愛する者に不自由をさせる……そう思った時点ですでにその者に自由なんて無い」

ただ、聞くのみ。

「そして、人を愛するというくだらない理想すら束縛する。人は誰だって愛していい。だが、既に愛する者がいる時にはそれが邪魔になる。どうしてか?愛する人を裏切るという雑念によって遮られ、他者を愛する事が出来ない……そう、これが愛するという束縛だ。自由を奪い、意思を奪い、そして全てを他人という鎖に縛り続ける人間の悪しき風習だとも取れるだろうね」

ただ、聞くのみ。

「――――わかるだろう?君の言うそれは立派な束縛だ。呪いだ。彼の自由を奪い去り、己の欲望の為に所有したいという我儘……それを、君は綺麗なものだと想うのかい?」

ただ、聞くのみ。

「汚いんだよ、泥棒猫」

ただ、聞くのみ。

「お前等の欲望は他者を何時だって束縛し、裏切られたらそれで怒りだす。お前等が愛されているという事に甘えているくせに、裏切られたら全部が他人のせいにする――――それを汚いと言わずに何と言う!!」

ただ……聞く、のみ。

「愛される事が当然だと想う限り、お前はその程度だ。お前は何をした?彼を許した程度で努力したつもりになったのか?笑わせるな。その程度は努力とは呼ばない。むしろ、それは譲歩と言っても良い。自分はここまでしてやったんだ、だからお前は自分を愛せと彼に言っているに等しい……」

……聞くの……み。

「で、でも!!」

「黙れ、喋るな……子供なら当たり前、子供だから許される――――そんな戯言を口にする気じゃないだろうね?だったらやめろ、口を開くな。そんな汚れた幻想では許されるはずがないのだよ。お前は私の物を奪っておいて、子供だから当然とかそういう事を口にする権利はない。子供とて罪は罪。人の物を奪って許されるなんて話は、現実にはあり得ない」

…………………女子が、泣いている。

我等に変化は無い。だが、その現実を前にして何かが騒いでいる。何かが騒ぎ立て、我等の中で暴れている。

何だ、この感じは?

「ちなみに、だ。こういう場面では良く愛する人の言葉で正気に戻ったり、愛の力で大逆転―――なんてくっだらない展開が良くあるけどね……そんな事は無いね。うん、私が保証してやる」

邪神は嗤う。

「そもそも、彼は君の事なんて愛してすらいない」

女子の肩が震える。

「君の事は邪魔者としか思っていない。彼がどんな言葉を口にしたなんて知らないが、そのくらいは分かる。何故なら、私は誰よりも彼という愚かな人間を理解している。だからこそ言える。君は愛されていない。君は邪魔だ。君は障害だ」

それが当然であり、真理だと邪神は言う。

その心理に我等は口を出さない。邪神が言う事に正しさも間違いも関係ない。我等は物なのだ。物は主の為にだけ存在する道具で十二分なのだ。

「そんな君に最初で最後のアドヴァイス――――現実と幻想を一緒にするのは、止めた方がいい。じゃないと、無様だからね」

我等は何も語らない。

女子の首に手をかけたまま、邪心の言葉を待っている。

我等は、何も語らない。

我等は、何も語れない。



【だが、君達は理解していない】



ふと、脳裏に声が響いた。

女の声だった。

紅い女の声だった。

声のイメージが紅い。

真っ赤な真っ赤な、女の声だった。

我等にしか聞こえない、女の声。邪神にも女子にも聞こえない。我等は首を傾げ、周囲を見渡すが誰もいない。

【いや、一番理解していないのは邪神だろうね】

何を理解していない?

【言葉なんて無意味なんだよボケ、っていう意味だ】

女の声は嗤っていた。

無様な誰かをせせら笑うような、滑稽な者を見る様に嗤う。

【――――人間という存在は面白い。だから俺はそんな人間共が大好きだ。特にこの世界はお気に入りだ。同じ事を何度も何度も繰り返しておきながら、その度に結果が違う。人が選ぶ道によって全てが異なり、敵が味方になり、味方が敵になる……なぁ、レギオン。お前等は自分達が常に変わらない存在だと想っているだろう?だが、それは違う】

何が違うというのだろう。我等はレギオン。邪神の物にして従者。

【だが、それでも一つの個の集合体だ。一つ一つが個人として存在し、その個人が集合して一つになったと『想いこんでいる』……しかし、違う】

――――止めろ。

――――それ以上、口を開くな。

【そう、違うんだよ。どれだけの集合体であろうとも、人が他人と一つになる事なんてあり得ない。そんなつまらない事はあり得るはずがないんだよ―――個人は個人。群れは群れ。その二つは同じ意味を持ちながら決定的に違う】

黙れ……

【例えば、だ。先程、君達の中の一人がこんな話をしていた。記憶と心の違い。記憶は忘れてはいけない事で、心はどうでもいい二の次に等しいとね。それについて、君達はどう思うか俺は聞きたいなぁ】

我等に考えなど無い。

【甘えるなよ、レギオン】

甘える、だと?

【あぁ、甘えだ。お前達はそうやって何百回も同じ事を無視し続けてきた……なぁ、自分達の事を考えた事はあるか?自分達はどうやって生れたのか、何故生れてきたのか、そのき方、存在は自分達にとってどのような事に作用されるのか……一つでも記憶している事はあるか?】

…………………………待て、考えるな。

我々よ、考えてはいけない。

【お前達は決して思い出さないだろう。何故なら、記憶が存在しないのだからね。でも……そんな記憶が無くとも関係は無いはずだ】

考えない、考えてなるものか。



【――――――心、だよ】



「――――ッ!!」

衝撃が走る。

「ん、どうしたんだい?」

邪神がそんな我等を見る。だが、そんな我等は邪神の事など頭には無かった。今、我等の全てが何者かによって犯されている。

我等という存在が、汚される。

【記憶に無くとも心には存在する何か……それは想いだ。何故、想いが蔑され、二の次にされるのか知ってるかい?答えは簡単だ。心とは移りゆくモノ、変わりゆくモノ、一つとして構築されない欠陥住宅。ある時には住み心地が良く、ある時は最低な住み心地になる―――記憶と心、これは接続された一つの機関なんだよ】

「おい、一体どうしたと聞いている……答えろ!!」

「―――――」

騒ぐ。

我等の中の我が騒ぐ。

【心は意思だ。記憶はその意思を覚えていく器だ。故に心が無くては記憶は存在しない。しかし、記憶が無くては心の意味がない。そうだね、言ってしまえば…………心は経験値。記憶はレベルと言ってもいいかもな】

我等が、我が……

【故に俺はこう考えてみる――――記憶とは何か、心とは何か。高町なのはを忘れた彼女の中に心として残っている主人公を覚えている事は冷たい事なのか……】



「―――――んなわけ、無いだろうが……」



我等が口を開く。

「記憶が無くても、心がある」

邪神が見て、女子が我等を見る―――否、我を見る。

【そう、心がある】

「心があるから記憶が生まれる」

【心がなければ、記憶すら生まれない】

「忘れてなんか、無い!!」

【記憶が無くとも、心は覚えている!!】

「それが、」

【それが、】











人質はリリカル~Alisa~
第十話「全ては絆」












【お前に甘えは無い】

どうだろうねぇ……

【甘えなど必要ない】

意外とあるかもよ?

【予定調和の如く、少女の言葉で現実になど戻りはしなければ、理性を取り戻したりもしない】

そういうお約束も良いな。

【何故なら、お前はすでに選んでいる】

…………そうだったな。

我等は、我は――――俺は、選んだはずだ。

【人である事を】

我とか我等とか、そういうヘンテコな喋り方は趣味じゃない。

【ただの人間である事を】

それ以上に、だ。

気に入らない。

集団、群れ、軍―――それが俺の中にある経験で、その全てが一個の個としてるのならば、それは俺もその中に含まれてしまうという意味になる。

レギオン、それがどういう連中なのかはわかった。

わかってしまえば、やる事は一つ。

【お前は、】

俺は、人としての力を選んだ。

言葉も必要ない。

優しさも愛も、奇跡も必要ない。



何故なら、人は――――『変われる』のだから。



群れが、有象無象の群れ共が俺を包み込み。

身体を黒い鱗で包み込み、身体全てが黒い意思によって動かされる―――だが、これは意思じゃない。意思という言葉ですら失礼だ。

これは言ってしまえば、

「俺と同じだったって事かよ」

我等はレギオン―――俺は、違う。

我等は一個の軍団―――勝手にほざけ。

我等は邪神の道具―――人を巻き込むな。

我等は―――――――もう沢山だ。

「いるかよ、こんなもん」

必要すらしていない。

守るべき力が、こんなくだらない他人事だとするならば、俺には必要がない。

「俺を、お前等と一緒にするな」

今だけは自己嫌悪させてもらう。

コイツ等は確かに俺だ。俺に似ている。だが、違う。俺は俺の意思を他人に委ねてなんかやらない。そういう他人任せなのはもう沢山だ。

諦める事を、諦めた。

佐久間大樹という人間は、そういう人間になろうと想った。

だから、必要がない。

テメェ等みたいな他人任せの意思なんかに、俺を渡してやるかよ。

我等は――――黙れ。

「いらないって言ってんだよ!!」

さぁ、そろそろ現実に帰るとしよう。

なんだよ、泣いてるじゃねぇか。

また、俺が泣かしたのか……なら、謝らなくっちゃな。

有象無象の群れに、俺は見向きもせずに歩き出す。縋りつくのは勝手だが、お前等の相手をしている暇はない。

守るって決めた。

好きだから、守ると決めた。

強迫概念なんて無い。

これは俺の意思だ。俺の想いだ。俺の大切な約束だ。

だから、否定する。

現実への扉を開け、俺は俺を取り戻す。

【―――――ッは、これもまた面白い】

「……そういえば、お前は誰だ?」

【俺かい?前に一度会った事があったろ】

「覚えてないな」

【なら、それでいい。今回はそれでいいから、さっさと行け】

「礼は、言った方がいいのか?」

【必要ないね。俺はお前の敵だからな……存在する者全ての敵であり、悪という悪の味方でもある】

「つまりは……まぁ、いいや」

【それでは佐久間大樹――――何時か、運命の縁が遭ったら……また会おう】

「そうするよ」

そして、紅い声は聞こえなくなった。





「何故……何故人間ごときが否定できる」

世界は壊れている。先程と同じ様に壊れ続けている。だが、それでも壊れない者はいる。首から手を放し、その手で俺は抱きしめる。

「…………悪い」

「…………佐久間、だよね」

「あぁ、情けない佐久間さんだよ……ほんと、お前に迷惑かけてばっかで情けないなぁ」

正直、顔も見れない程に凹んでいる。まさか、突然ジグザに乗っ取られるとは思ってもなかった――――そういえば、俺って一応はジグザの従者なんだよな。だったら、そういう方法があってもおかしくないわな。

「佐久間……良かった」

アリサの頭を撫でながら――――俺は静かに口にする。

「お前は、俺の錘でも何でもない。ましてや、呪いなんてもんもかけられてない……むしろ、かけてくれるなら喜んでかかってやるよ」

強迫概念だというのなら――――受け入れるさ。

「俺は……お前が好きだからな」

「私も、佐久間が大好き」

「いやいや、俺の方が好きだ」

「なによ、私の方が好きなんだから!!」

「いいや、俺の方が好きだね」

「むぅ……この前は私が他の人が好きになるまで一緒にいるって言ったんだから、その点から見れば私は佐久間だけが好きなんだよ?なら、私の方が佐久間の好きよりも好きなはずなんだから!!」

そういえば、そうだったな。

「そんじゃ、アレは無しの方向で……」

「へ?」

俺の言葉にアリサが一瞬呆ける。

さて、行動しよう。

思えばさ、俺ってアリサに迷惑ばっかりかけ過ぎだ。幾つも幾つも迷惑かけて、そのくせアリサが居なくちゃまともに生きてすらいない。人間だって止めていたかもしれない。

傷つけた責任を取る。

沢山迷惑をかけた責任を取る。

そして、責任なんて言葉よりも、もっと重い想いを抱いて俺は動く。



俺は、アリサにキスをした―――――唇に



「―――――誓うぜ、アリサ」

真っ赤になったアリサから顔を離し、アリサの瞳を見て口にする。

「俺は――――ずっとお前の傍にいる。他に好きな奴が出来るまでとか言ったのは無しだ。俺以外に好きなるな。俺以外を愛するな。俺がお前を愛する……だから、俺とずっと一緒にいろ」

ロリコン?……上等だ。

ペド野郎?……最高の誉め言葉だ。

とうせぶっ壊れる世界だってんなら――――最後まで惚れた女の傍にいるのが幸福だ。

「…………いいの?」

「いいさ」

「私、もっと我儘になるよ」

「受け入れるさ」

「迷惑、沢山かけるよ」

「それも受け入れる」

「…………嘘じゃ、ないよね?」

「お前に嘘は吐かない」

これは嘘になるかもしれない。でも、今だけは嘘じゃない。嘘を嘘にする為に俺は立ち上がる。

アリサの盾になり、アリサの剣になる。

俺は一度死に、邪神の従者となった。

けど、俺はアリサの従者でもあるんだ。

「―――――何故、否定できる……」

初めて見るジグザの驚く顔。

それがおかしくて俺は笑っちまう。

「何故、否定できる!!」

「っは、そんなやられ役な台詞吐いてんじゃねぇよ……いいか、クソ神」

ジグザに向かってサムズアップ―――の反対。

「俺は別にお前の力なんて要らない。俺には魔法も経験も必要ない。お前から貰うモンなんて一つだって必要ない―――俺は、お前を否定する」

経験を、否定する。

それで俺はただの人間になる。

力を、否定する。

アリサを守る力は失った。だが、それでも戦う事は出来る。

邪神から送られる全てを否定する。

「―――――仮に、私が貴様を殺せると言ったら?」

「殺されないね、お前ごときに」

「私が死んだら貴様も死ぬと言ったら?」

「お約束過ぎて笑えるっての――――けど、受け入れてやるよ」

この命さえ、否定する。

「アリサを傷つける力が、形が、存在が―――全部お前からの恩恵だっていうのなら、そんなチビクソなんぞ必要ない」

「そんな事をしたら、貴様は死ぬと言っている!!」

ジグザは吠え、

「お前から貰った命なんぞいるかボケ!!」

俺は殴る。

ただの拳で殴る。

ただの人間の拳で、ジグザの顔面を殴りつける。

「私を殺したら、貴様はこの世界に生きてはいけない」

「あぁ、そうだろうな……けどな、それがどうした?」

もう一度、殴る。

何度も何度も神を殴り、俺は俺の命を削る。

「ずっと一緒だって約束した。仮にテメェを殺したら俺も死ぬってんなら尚更だ……」

約束は守る。

惚れた女との約束は何よりも重要だ。自分自身の命よりも重要だし、誰かの命よりも重要な約束だ。

「テメェが死ねば俺も死ぬ―――なんて法則も否定する……いや、拒絶する。ただ人間である俺が、神であるお前の全部を丸ごと拒絶する」

何か作戦があるのかと聞かれれば、無いと即答する。

けど、要らない。

「これも、どれも、全て……邪神、お前から貰った―――『押しつけられた』全てを、此処でお前に返してやるよ」

死ぬ前の刹那を、俺は生きる。

『ずっと』という刹那の時間を生きる。俺とアリサで生きる。

その為に邪魔な奴がいる。

お前だよ、ジグザ。

拳を握り、ただの人間として奴を殴る。

それが大した力ないにも関わらず、ジグザは顔を歪めた。

ただの人間の拳に、激痛を覚えている。

それがおかしくてたまらない。

「――――今更、返せとは言わない」

お前が殺した全て、お前が壊した全て、その全ては絶対に帰ってこない。どう足掻いても帰ってなど来ない。

「なら、お前が奪ったモンはお前が持ってろ。だが、これ以上は持って行かせない……この世界も、この街も、人も、そしてアリサも……テメェのちっぽけな手に収まらない程に、この綺麗な全てを――――お前に渡さない」

反則し、否定する。

力を得る反則に反則を返す。否定という反則を返す。

力を得るという人間の否定に反則する。反則という否定を叩きつける。

「理解できない」

「むしろ、お前は人様を理解できると思ってんのが驚きだよ、神様」

拳を握る。

俺の中には既に何の経験もない。

考えても考えても、浮かんでくるのは素人の動きだけ。

けど、それで十分だ。

「――――君は、私が知る限りで一番の愚か者だ」

「そりゃあれだ。お前の視野が狭すぎるな……勉強して出直せよ」

ゆらり、ジグザの背後で炎が上がる。黒い炎が巨大な獣を作りだす。まともにやって、というかどうやっても勝てる気が起きない。

無論、だからと言って退く気はない。

「今になって本気で惜しいよ。君という従者を失くす事が、これほどまでに惜しいと思うとは想ってもいなかった」

「生き返らせてもらってありがとよ、なんて言わないからな」

「あぁ、いいさ……少なくとも、今の君は不可解だが好感が持てる」

「遅せぇっての……」

ただの人間が挑むには大きな、大きすぎる存在。存在が大きすぎる存在過ぎて、自分がどれだけ矮小な人間なのかと理解してしまう。

「さよなら、佐久間大樹――――君は、愛すべき愚か者だ」

踏み込み、駆ける。

炎の獣は、巨大な口を開けて俺に襲いかかる。

背後でアリサの声が聞こえる。

俺の視界は黒い炎で覆われる。

これにて終了。

これで終幕。

俺という人間がこの世界に関する全てが、終わってしまった。

やっぱり、俺は嘘つきらしい。

嘘つきのまま、終わるらしい。

それが少しだけ―――心残りだった。







暗い世界に光在り。



天より降り注ぐ光は、黄金の意志。



崩壊する世界に宿りし光は世界を包み込み、そして暗黒を切り裂く。



黒き炎は光に焼かれ、黒き意志は黄金の剣にて切り裂かれる。



まるでお伽噺、神話の様な光景だった。

だが、それは現実だ。

空想でもなく幻想でもない。

現に俺は生きている。

天上から振り下ろされた剣が炎を切り裂き、俺の目の前に落下してきた。

其れは巨大な剣。

黄金に輝く、巨大な剣。

神秘的でありながら何処か武骨な剣。

作り物めいているが輝かしい意志を感じる剣。

理解する。

これはデバイスではない。

これは魔法ではない。

なら、これは何だ?

神様の奇跡だとも云うのか?

黄金の剣がゆっくりと引き抜かれる。そんな巨大な剣を担う者はどれほど巨大な存在なのか、確かめる様に俺はゆっくりと顔を上げる。

「――――――ッは?」

そして、間抜けな声を上げた。

おい、おいおいおいおいおいおい、どうなってんだよ?

これにはびっくり、というか驚愕、どっちも同じ意味だ。けど、そんな思考になるくらいに面白可笑しい光景に見えたのだろう。

ジグザは俺と同じ光景を見ながら、どこか引き攣った笑みを浮かべていた。

「…………あぁ、なるほどね」

納得したように腕を組み、それから笑いだす。

「そうか、そういう事か――――アレは、あの女ですら捨て駒という事だったのか」

何が楽しいのかまったく俺には理解できない。理解はできないが、とりあえずは生きている。生きている事に安堵しながら、ジグザを見る。

一通り笑った後に、

「――――‐やはり、私はお前の事が大嫌いだよ、クソ女神め」

そう言った後、腕を振るう。

ジグザの影から無数の蛇が一気に放出される。その全てが黒い炎を守った邪炎の獣。それが一斉に天に向かって、黄金の剣の担い手に向かって襲いかかる。



極光一閃



黄金の光が煌めき、邪炎の獣は灰に帰る。

漸く俺は理解する。

希望は無いと想っていた。

絶望しかないと思っていた。

それでも足掻き続ける事に努力した。

しかし、その足掻きは無意味には終わらなかった。

主人公の死んだ世界にはおわりが訪れる。

おわりは何も残さず消える。

だがしかし、忘れていた。

「あぁ、そうだったよな……」

物語には主人公が存在する。この世界にも主人公が存在する。高町なのはが消えた世界は消える事が確定している――――だが、忘れていた。

「もう一人の主人公、か……」

物語にはそう呼ばれる人物がいる。もちろん、本当の主人公ではないが、ある意味ではその人物の物語でもない。

故にもう一人の主人公。

メインではなく、モブ。

しかし、それでも主人公―――というより、どっちかと言えば……お前の方が主人公に見えるわな。



天に立つは一人の少女。

金の髪だったものは、今は透き通るような水色。

紅い瞳は更に深い紅に変わり、その存在を引きたてる。

黒い外装は白く染まり、防護服が純白と化し、俺の知っているバリアジャケットではない。

水色、赤色、そして純白。

そして担う剣は巨大な剣。

黄金に輝く聖剣。

「―――――させない」

静かに宣言する。

「これ以上、アナタに佐久間とアリサを傷つけさせない」

終わりは始まっていない。

終わりはこれから始まる。

邪神と神を宿した魔法少女の戦いが、この物語のラストだ。



「二人は、僕が守る……」












あとがき
ども、なんか意外と長かった、な散雨です。
今回の話を書き終わり、何となく一話から読み直してみた
………ん~
…………ん?
……………ん!?
………………うん、なんか違う毛色になってる気がする
なんか厨二病全開になってるじゃないか……ん、前から?……そうですね。
そんなわけで漸くラストバトルです。次回は最終回のバトル回です。バトルばっかりです。
主人公じゃない人が頑張りバトルです。
というわけで次回「雷『神』の襲撃者VS神滅餌愚坐」で、いきます。
アリサルート、残り二話。
そして、その後にはサクヤルート(なのはルート)という名のラブコメ……どんだけカオスなんだろうね、これ。



[10030] 最終話「The place of happiness」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/12/06 22:02
ゆっくりと落ちていく。

上に、下に、横に、有に、無に、何もかもが落ちて浮かんでくる事はない。

そんな場所に私はいる。

どこまでも落下していく感覚に酔いそうになる。気持ちが悪くなる。胸糞悪くなる。あまりにも綺麗で汚れの一つない世界に落ちる感覚が、これほどまで気味が悪いとは思ってもいなかった。

真っ白な純白とは、何もない事なのだろうか?

真っ白な清純とは、これほどもまでに恐ろしい事なのだろうか?

心の中が綺麗な水で流れ出ていくような感覚。心に溜まった汚れた自分が洗い流される感覚――――何もかもを、洗い流す。

手を伸ばす。

どうして手を伸ばすのか、わからない。

でも、伸ばさなければいけない、それだけはわかる。

どうして、どうして、どうして私は手を伸ばしているのだろうか?

流れ出る汚れは、私にとって必要じゃないもの。あっても私を傷つけるだけの何かのはずなのに、どうして私はソレに縋っているのだろうか、私は疑問に思う。

白い、

白い、

白い、

白いのに、気持ちが悪い。

白く染まる事が、何よりも気持ち悪い。



『――――お前さ、大丈夫なのか?』



白い……白いモノじゃない声が聞こえた。

この声は、誰だろう?

私に向かって言っているのだろうか?

『いやね、なんか随分と深刻そうな顔してるからよ』

イメージする。

この声の主をイメージする。

イメージすれば、見つかる。

心から流れ出る何かへと目を向け、私はその何かに手を伸ばす。

『体調が悪いってんなら、ベッド使ってもいいぞ』

『本当に大丈夫なのか?』

『そう言うなら……いや、信用できない。寝ろ、気分が悪くなさそうに見えないから寝てろ』

掴む。

掴めば、思い出した。

あれは、あの部屋だ。

何もない部屋。

コンビニの袋の中にはサンドウィッチ。

私の前には湯気の上った湯のみ。

そして、あの人の前には缶ビールっていうアルコール。

私はあの時、なんと言ったんだっけ……あ、そうだ。

「大丈夫だよ。少なくとも、佐久間よりは……」

『ホントか?』

「ホントだよ」

『嘘臭いなぁ……』

「ホントだよ」

どうして信用してくれないかなぁ、佐久間は。

むしろ、休むなら佐久間の方が優先順位は高いと想う。なにせ、明日は佐久間にとって大切な日になるはずだから。

星空の下、アリサに向けた電話。

さよなら、という別れの言葉。

また明日、という再会の言葉。

再会という再開。一度は終わらせた事に対する反逆と反抗。自分自身に対して、自分自身がしてきた事への尻拭い。

そうだった……佐久間は、もう一度やり直す為に、リセットする為に動くんだ。

それが私にとってどれほどまぶしくて、どれだけ羨ましくて、どれだけ―――憎らしい事か、佐久間は知っているはずもない。

「信じてくれないなら……うん、使わせてもらうね」

そう言って私はベッドに入りこんだ。

佐久間は床で寝るのだろう……っふん、明日は背中が痛くなって苦しめばいいんだ。

私は佐久間大樹が嫌いだ。

大切な絆を、失ってはいけないモノを自分から捨てておいて、それを自分勝手に取り戻すと言っている佐久間が大嫌いになっていた。

だから、私は毛布にくるまりながら、聞いていた。

「…………もう、取り戻せないかもしれないよ?」

佐久間の顔を見ず、私はそう言った。佐久間は何も言わず、静かに笑っていた。ボロボロの顔で、おかしそうに笑っているのだろう。

それが癇に障ったのだろう、私は毛布から少しだけ顔をだして佐久間を見た。出来るだけ、睨みつける様にして。それを彼は私が心配しているのに笑うとは何事だ、と勘違いしたのか、悪い悪いと謝った―――笑いながら。

取り戻せないかもしれないのに、どうしてそんなに楽天的なのだろ。そんなに楽天的になるのなら、いっその事失敗してしまえばいいんだ……そんな黒い心が生まれた。

でも、

『だったら、もう一回やるかもな』

「…………同じ事を?」

『それは知らん。でも、同じ事をするかもしれない―――あ、いや……無理だな』

どっちなんだろう。

『無理だから……頑張るんだと思う。一度出来ない事を二回もやるなんて度胸、俺には無いだろうさ。だから、最初の一回を死にもの狂いでやるしかないんだよ』

マイナスなのかプラスなのかわからない。

『俺は弱虫でヘタレで、そんでもって最低で最悪な奴だからな……』

「そこまでは……」

『そこまで言っていんだよ――――俺は、この世界で一番自分が大嫌いだ』

自分で自分の事をそう言う佐久間に、私はなんて言葉をかければいいのかわからなかった……ん、違う。どうして私が彼に声をかけなければいけないのだろう?私は佐久間が嫌いだったはずだ。

『だから、さ。後悔はしたくないんだよ。自分が嫌いだから、そんな自分を更に嫌いになるのが嫌だから、面倒だから……情けないと想いたくないから、頑張るんだよ』

「――――――私も、自分の事が好きじゃない」

思わず、そう言っていた。

私はその時、毛布の中で震えていた。

手に残る感触を思い出し、心の底から震えていた。

「佐久間は、私の事は……好き?」

『好きだけど?』

顔が紅くなる――――怒りで。

佐久間から顔を隠し、私の中で生まれた憎悪を抑え込む。

どうしてこの人はこんな私を好きだと言えるのだろう。私は人を殺した。人殺しだ。母さんを殺して、自分自身を殺して、アルフだって死なせてしまった。そんな私の事を佐久間は好きだと言った。

侮辱された気分だった。

知らないからそんな事が言えるのだろうが、それでも侮辱された気分だ。

「―――――佐久間は、何にも知らないから……そう言えるんだよ」

『…………どういう意味だ』

教えてなんかやるもんか。そうやって一人で悩んでいればいいんだ。

「仮に―――」

でも、私は口にしていた。

「仮に、私が凄く悪い事をしても……佐久間は私の事を好きだって言えるのかな」

『…………』

「誰だってそんな事をしたら嫌いになるっていうレベルの事をしても、していたとしても、佐久間は私の事を好きだって言えるの?」

言えるはずがない。

言えるはずがないんだ。

「言えるはずないよ……だって、佐久間には」

大切な人がいるから。

失っていないから。

失っても、取り戻せるチャンスを自ら掴んだから。



取り戻せる人が――――いるのだから。



『―――――俺には、誰かを嫌いになる資格なんて無いんだよ。最初から、この場所にきた時から、そんな資格も権利も俺にはないんだ』

「……嘘だよ。そんな人、いるわけない」

鼻腔に煙草の匂い。

佐久間が煙草を吸っているのだろう。

あまり好きな匂いじゃないけど、私は我慢する。

我慢するだけなら苦にはならないし、私に吸うなと彼を批難する資格はない。

『けど、嘘になっちまうよな。好きになる資格とか嫌いになる資格とか、そんなもんはきっと……全部嘘なんだよ』

そうは思わない。

誰にだって資格はある。同時に、資格を失う事もある。私に生きている資格が無いと同じ様に。

生きる資格を失ったかのように。

『資格がなくても、誰かを嫌いになる。資格がなくても、誰かを好きになる。俺達はそういう風に決まったお約束ではどうでも出来ないんだ……心があるからな』

「我儘って事?」

『そういう事だ。我儘なんだよ、汚いんだよ、最悪で最低なんだよ―――けど、そうやって生きていく方法しか知らない。知らなくても、本能的にそう思ってる』

「それ、なんか我儘すぎると思う」

『だな……けど、そうなってるんだ。神様みたいに完璧じゃなくて、作り物みたいに精巧にも出来ていない。欠陥だらけの不良品なんだよ』

「私、知ってるよ。そういう風に言う人の事を知ったかぶりって言う事」

かもな、と佐久間はまた笑った。

自傷気味な笑みではなく、単なる面白さからの笑み。

『ほんと、傑作だな……』

「…………戯言だと思うよ」

戯言だ。

綺麗事だ。

救いのある様な言葉なんて全てが全て、誰かの都合に合わせた戯言でしかない。

だって、佐久間の言う様な事が本当だとするのなら―――生きる資格は誰にでもあるが、殺す資格も同時に誰にでもあるという事になる。

そんな資格なんてあるはずがない。

誰にも誰かを殺す資格なんて在りはしない。

あっていいはずがない。

私に、誰かを殺していい資格なんてある筈がない。

私は偽物だから、無いんだ。

人間だから、無いんだ。

私に与えられたモノは一つもなく、与えられたと思っていたのは全てが幻想。

まるで、この世界そのものが私を騙す為にある様に。この世界そのものが嘘であり偽りであり、私を拒絶する為のプロセスを持っている様に。

「佐久間の言う事は、辛いだけだよ。死ぬよりも辛い、生きていくっていう辛さ」

嘘だ。

私は生きる辛さなんて知らない。

最初から生きてなどいないのだから、死んでいるわけがない。でも、なら私は今まで生きていたのか、それとも死んでいたのか、どっちなのだろうと考えてみる。

わからない。

わかるはずがない。

わかっているのは、この手で誰かを殺しているという事だけ。

「生きているつもりになるのが、辛い」

口にするだけ無駄だ。

「死んだ方が、ずっとマシだよ」

口にしても伝わる筈がない。生きていない、死んでもいない。どういう存在なのかわからない私を理解する人なんて、いるはずがない。

希望を知るモノは絶望を知っている。でも、絶望を知っている人は希望を知らない。何故なら、絶望すれば希望すらその過程としか思えないからだ。

絶望に絶望し、この先も絶望していく。

私は、生れた瞬間に絶望している。だって、私は母さんの絶望から生まれた絶望の子なのだから。

希望を持って生まれた希望の子はアリシアだけ。

私は絶望と希望の違いもわからず、希望だと信じて絶望に縋っていた。

まぬけ、私は自分にそう言い放った。

『―――――なぁ、フェイト』

バッと毛布を盗られた。

『お前、何かあったのか?』

毛布を投げ捨て、佐久間が私を見る。口に煙草を咥えながら、訝しむ様に私を見下ろす。私は首を振る。何もないと嘘を言う。それでも信じていない佐久間は大きく溜息を吐いてベッドに腰掛ける。

ベッドのスプリングが軋み、重みが伝わる。

『お前に何があったかは知らんし、お前が話したくないなら別にいい。俺だってお前の人生相談に乗るほど人間出来てないし、余裕もない――――けどな』

佐久間は、私を見て言った。



『お前――――死んだ事あんのかよ?』



「…………」

『死ぬよりも辛い、とか言うけどよ。それって本当に死ぬよりも辛いのか?生きてる連中が口にする言葉なんて大抵は矛盾ばっかりだ。死ぬよりも辛いなんて正に矛盾だらけだ。死んだ方がマシだとか、生きる事に意味なんて無いとか、死ぬ事は救いだとか――――そんなもん、嘘ばっかりだ』

アナタに、佐久間なんかに、何がわかるって言うのだろう。

私の心の揺らぎに反応する様に、右手が疼く。母さんを殺した右腕、アルフを宿した右腕が疼く。

今、この場でこの腕を解放すれば佐久間は死ぬだろう――――あぁ、なんて良いアイディアだ。

黒く染まる思考は黒く心を染める。今だけは、それがどんな方法よりも冴えたやり方に思えてきた。

今更、一人を殺すのも二人も殺すのも変わらない。

殺して、佐久間のくだらない言葉を聞かなくていいなら、十分に幸福だ。少なくとも、殺した次の瞬間に絶望を知ろうとも関係はない。

そうすれば、救われなくともスッとはするだろう。

だが、違った。

右手のざわめきは違った。

まるで、それが間違いだと言っているかのような、疼きとざわめき。

『別に説教する気なんて無い。説教するほど大した人間でもないしな』

でもな、と佐久間は私に手を伸ばす。

佐久間の手が、私の頭を撫でた。

優しく、撫でてくれた。

『死んだ方がマシなんて、言わないでくれよ』

悲しそうな瞳で私を見ていた。

『お前に何があったかは知らない。でも、それでも死んだ方がマシとか言うな。そんな事を言われたら俺が困るし、お前の事を好きな奴だって悲しむ』

「…………嘘だよ」

『嘘だと想っても良い。都合の良い言葉とも思ってもいい。でも、死ぬって言葉はそれだけで人を不安にさせるぞ……不安ってのは不快よりもタチが悪いんだ。どうでも出来ない、どうする事も出来ない―――出来ないんじゃないかっていう気分になる。そんなの、虚しいだけじゃねぇかよ』

それだけ言って、佐久間はベッドから腰を下ろして床に転がった。

それっきり、私達は言葉を交わさなかった。

少なくとも、夜が明けるまで。

少なくとも、アリサの家に向かうまで。

そして、私は見た。

諦めろ、心で何度も言いながら―――彼を応援していた。

そして、聞いた。



『言葉にしろよ!!自分の中にある想いを言葉にしてやらなくちゃ、誰もお前の事なんぞ理解してやれねぇって、あの馬鹿娘に言ってやれ!!』



そして、聞いた。



『この世界はそこまで都合良いファンタジーは起きないんだよ。物語みたいに誰でも彼でも、相手の想う事を想像できるようには出来てないんだ。だから、言葉があるんだよ。ソレを伝える為の想いは心だけじゃ無理で、口がなくちゃ無理じゃねぇかよ!!そのリアルの冷たさも知らずに、お前等は俺に全部を理解しろってか?いい加減にしろ、ふざけんな、寝言は寝てから言え!!』



聞いて、聞いて、思った。

もしも、あの時に私が自分のしでかした事を、佐久間に告白していたら、佐久間はどうしていただろう、どうしてくれたのだろう。

全ては過去になってしまったが、今になってそう思ってしまった。

佐久間にはわからない、わかってもらえるわけがない、私の罪、私の存在、私という偽物、私という世界、わかってもらえない、わかってほしくない、私という人殺し、私という人形、わかるはずがない、わかってもらいたくない、私という、私という、私という―――――うん、わかってるよ。

結局、私に勇気がなかっただけなんだ。

私という弱虫が、佐久間を信じられなくて、自分自身に希望なんてないと信じていたから、言葉にする事が出来なかった。

だから、後悔している。

アリサと一緒にいる佐久間を見た瞬間。

二人の姿を見た瞬間に、心の底から感じた―――本当の絶望。

希望を目の前に、私は絶望した。

勇気があれば、手に入れられる―――かもしれなかった。

小さな決断があれば、全ては変えられる―――かもしれなかった。

全ては仮定の話ではあるが、もしも私が勇気を振り絞って佐久間に真実を伝えれば、色々と変わっていたかもしれない。

心地の良い絶望を感じる事なく、錘を背負った希望を得たかもしれない。

ねぇ、佐久間……一つだけ教えて欲しい。

もしも、私が助けてって言ったら―――助けてくれたのかな?

今のアナタは、私を助けてくれたのかな?

教えて、

教えて、

教えて、

お願い……教えてください。




そして、世界はまた白に戻る。

何を考えていたのか思い出せない。きっと、私の心から流れ出す何か、それが流れ出す事によって私は―――何かに救われている。

忘却による救済。

ここは、そういう場所なのかもしれない。

そうすれば、全てを忘れてしまえば、私は何になっていくのだろう。

別に恐怖感はない。

いっその事、消えてしまった方が楽になるだろうと想った。

死ぬ事よりも消える事の方がマシだと想った。

私が誰かになる方がずっと楽になれると思った。

流れ出る―――これは想い。

「―――――――」

流れ出る―――これは記憶。

「―――――――」

流れ出る―――これは私。

「―――――――」

流れ出る―――残るは空白。

「―――――――」

眼を瞑ろう。

眼を瞑れば、全てが白く染まっているはずだ。

自分ではない誰かになり、フェイト・テスタロッサという私は消え去るだろう。

私は私が嫌いだ、恨んでいると言ってもいいだろう。だから消える事には大賛成だ。その空間が、場所が此処で、私は此処で消え去り、此処で生まれ、此処から始まる。

フェイト・テスタロッサではない、別の誰かに。

「――――――――」

あぁ、

でも、

彼は、

佐久間は、

そんな、

自分から、

佐久間自身から、



逃げなかった、はずだ……



「―――――――ッ!!」

掴む。

何かを、流れ出る何かを掴む。

この手で、アリシアを絞殺した手で、母さんを噛み殺した手で、私は流れ出る何かを掴み取った。

「…………だめ、だよね」

白い何かは、私を救うだろう。全てを忘れ、私は私でない誰かに変わる。でも、本当にそれでいいのだろうか、そんな事をして楽をしていいのだろう、それで私自身は本当に納得しているのだろうか、

「納得なんて、できない」

流れ出たのは私自身。

だったら、それは私が自分で持ってなければいけないモノだ。

新しい誰かに、何かになる事が確かに救いになるだろう。

でも、それは諦めだ。

自分自身を諦める事だ。

「変わらないまま、何も出来ないまま、諦める事は……」

したくない、はずだ。

どのくらい、私のパーツがどのくらい流れ出たのかは分からない―――けど、探すのは簡単だ。

思い出すだけでいい。

私が生まれた時から、そして最後の瞬間まで、私は私自身を思い出す。

白が、逆流を始める。

汚れを洗い流す白が逆流する事によって、白い空間に煤の様な汚れが浮きだす。心の汚れ、十人十色の様に様々な色が生み出され、なんとも混沌とした色に染まっていく。

白はキャンバス。

何も描かれていない希望に満ちたキャンバス。

この場所は、私をそういうキャンバスに戻す場所だとするのなら、

私は私の色を取り戻す。

【思い出せば、君の心は傷つくよ?】

女の人の声が聞こえる。

【これは君が望んだ事のはずだよ。僕に手を貸す代わりに、自分自身を零に戻すという事―――君という存在そのものを白く染め上げるという条件でね】

確かに私はそれを頼んだ。

死のうと思っていた矢先、世界を救えだなんて無茶な事を言ってきた『女神』とかいう人。だったら、その代わりに私という存在を消せという条件で私はその要求に答える。

【僕としても、元の従者が死んだから新しい従者を『創る』つもりだったんだけど、それじゃ間に合わない。だから君という『元』から新しい従者を創り上げるつもりだったんだけど、君にそう言われたら困るなぁ……それじゃ、完全な従者が出来ないじゃないか】

自分から言っておいてなんだが、それは困る。私の方が困る。

「これは、私の痛みだから」

持っていなければ、いけない痛みだから。

「私の罪も、過去も、私自身も、私の全部が―――私だから」

【その場合、君と僕との完全な『接続』は出来ない】

「それでも、駄目……」

胸の中に生まれた痛みを大切な者を抱きしめる様に、しっかりと抱きしめる。もう絶対に放さないと心に刻みつける様に。二度と、流れ出ない様に傷を付ける。

【全てを持って生きるには、それは辛すぎるよ】

「でも、私のだから」

【その重さに、君は壊れるかもしれないよ】

「でも、必要だから」

【―――――苦しいと、思わないかい?】

苦しいに決まっている。

今でも後悔の念で潰れそうだ。

でも、足は折らない。誰かに投げ出そうとは思わない。この痛みを誰かに渡す様な事、自分の想いを誰かに任せる様な事は、もうしない。

生きる事の辛さ、私はそんなものは知らないはずだ。だって、私の生きる全てが母さんだった―――母さんに、全てを預け、放り投げていた。そんな母さんはもういない。私がこの手で殺したから、一番大切な人をこの手で殺してしまったから。

思い出すだけで悲鳴を上げそうになるが、グッと我慢する。

忘却の救済なんて、

「私は、否定する」

罪からの逃避なんて、

「私が、否定する」

消失という安息なんて、

「全部、否定するしかない」

死ぬなんて、もう言わない。消えたい、とも言わない。でも、生きたいとは口にしよう。今まで生きていなかったのだから、これからは生きていきたい。生きてみたい。どれだけそれが非難を受ける意思だとしても、それが今の私の願いになっている。

【罪から眼を反らさない、逃げないという事は『善』だと想っている。けど、僕はそれだけじゃ完全な善人にはなれないと思うね。何故なら、本当の善人とは『白』なんだよ。僕の従者がそうであるように、汚れの無い人間には白が良く似合う……でも、君はそうはならないんだね】

「白なんて綺麗な存在じゃなくていい。薄汚れていても、生きている人間の方が良い」

私はきっと人に憧れる人形。物語の中にあるブリキの人形なのだろう。だから人になれる事を憧れ、憧れつづけて忘れてしまう。

どうして憧れていたのか、人になって何がしたいのか、大切な最初を私は失っていた。

「もう取り戻せないけど……今は、それでいい」

白い世界はもう存在しない。

【君がそう言うのなら、僕は何も言わないよ……】

私のキャンパスは元に戻す。此処からさらに色を描き足して、前に進むとしよう。

気づけば、私は何時もの私になっていた―――いや、少しだけ違う。

私の髪の色が金色から水色に変わっていた。

多分、本来ならこれが白く染まるはずだったのだろう。

白という善人。

でも、それは最早自分ではない。フェイトという人間ではなく、まったくの別人に生まれ変わるという意味なのだろう。なら、これはまだ、私が私であり続けるという証拠になっている。

この紙の色が白く染まった時、私は本当の意味で自分を捨て去り、別の人間になる。

なら、このままでいよう。

私の新しい色を受け入れて、今までの自分も受け入れて、何一つ捨てずに諦めず、蔑にせずに足掻き、フェイト・テスタロッサとして―――生きていこう。

『お前――――死んだ事あんのかよ?』

その言葉に、今は返答しよう。

私は死んだ事はない。この身が一度は死に至った事はあったとしても、それは死じゃない。何故なら私は生きているから。大切な人の存在を使って、挿げ替えで生きている。なら、まだ死んでいない……でも、生きてもいなかった。

「この手に剣を……」

生きるのは、此処からだ。此処から生きて、此処から生きていこう。本当の意味で、自分自身を投げ出さず、身体にかかる重力全てを受け入れて、

「この身に神を……」

リセットではなく、スタートを始めよう。

【何の為に?】

「守るべき、絆の為に……!!」

それじゃ――――走りだそう



「【神格――接続】」














「はじめまして、のあいさつは必要かい?」

私は首を横に振る。

「私がどういう存在か、説明は必要かい?」

私は首を横に振る。

「私がどうして世界を壊したのか、釈明は必要かい?」

私は首を横に振る。

「そうかい……なら、私はお前に何を与えればいい?」

私は首を横には振らず、



「―――――二人の幸福」
「拒否する」



そして、激突。

「死にさらせ!!」

乱暴な言葉と共に邪神の腕が振るわれる。邪神の右手に宿った黒い炎が私に襲いかかる。炎は獣、犬の様な形を取りながら一直線に私に向かって飛んでくる。

「――――――」

手に持った大剣、私の身長を優に超える巨大な剣。これだけの強大さを持ちながらも私が感じる重さはほぼ零。持っているという感覚だけを覚える程度の重さを感じながら、横に一閃する。

炎獣が消し飛ぶ。

「――――ふ~ん、ならこれだ」

邪神の足下から黒い蛇が大量に蠢く。その一匹一匹が炎獣と同様に黒い炎の化身。一斉に動き出し、私の周囲を取り囲み――――同時に動き出す。

避ける必要は―――皆無。

外装を振るう。それだけで炎蛇は風圧だけで消し飛ぶ。

「これも駄目、か……いやはや、随分とまぁ――――――――――胸糞悪いなぁ!!」

炎獣と炎蛇、二つの従者を破られた邪神は地面を蹴って宙に舞う。

高速、光速、速度という言葉が通用しない速さで邪神は私に向かって跳んでくる。その速度には流石に反応を示さなければいけない。

「シャァッ!!」

左手に炎獣、右手に炎蛇、二匹の従者を宿した手にて攻撃を仕掛ける。

一撃、左手を大剣にて切り裂き、返す刃で右手を叩き潰す―――が、相手の再生速度は速すぎる。再生ではなく回帰、という言葉を使うべきだろうか、それほどの速度で再度生えた腕で拳を作り、殴りかかる。

大剣で防ぎ―――切れなかった。

大剣で防いだ瞬間、邪神の拳は大剣をあっさりと粉砕し、突き刺さる。腹部に重い衝撃。常人、生物、生きてるなら一瞬で肉片に変えられる速度と威力、そして握力にて放たれた拳を受けた私の腹部は―――消し飛んだ。

「――――ッガハァ!!」

吐血と共に激痛が襲いかかる。感じた事の無い激痛、母さんに身体を焼かれた痛みよりも痛い。腹が燃え、灰になる激痛を受けながらも、

【この程度なら心配ない】

女神を称する者の声で意識を繋ぎとめる。

邪神の腕は私の腹に突き刺さり、背中まで貫通している。心臓は、確実に握りつぶされているだろう。

即死レベルの一撃を喰らいながらも、

「痛い」

この一言。

ホント、私の身体はどうかしてしまったらしい。

「痛いから―――どいて」

邪神の頭を鷲掴みにし、握力だけで――――握り潰す。

トマトを潰すよりも簡単。スポンジを握る程度の握力で簡単に邪神の頭は潰れた。自分でも驚く程簡単に潰れ、同時に自分でも驚く程に簡単に行動してしまった。

人としての神経回路がおかしくなっているのだろうか?

【あぁ、大丈夫。神同士の戦いに人間の心とか神経なんて脆過ぎて使い物にならないから、除外しておいたよ】

「それ、全然大丈夫じゃない気が……」

【そんな心配している暇はないよ―――ほら、再生するよ】

女神の言葉で我に帰ると、既に遅い。

邪神の頭部は既に元に戻っている。いや、それどころか、邪神の回復は私を巻き込んでいた。邪神の額と私の腕が同化している。

「人の頭に手を突っ込むなよ」

腕が消える。

邪神の黒髪が刃の様に変化し、私の腕を斬りおとす。痛みはあるが、不思議と焦りは無い。それどころか、頭で念じるだけで腕はあっさりと再生する。

「へぇ、見事なまでに人間を辞めてるね―――いや、元々人間でもないか」

「僕は人間だ」

「嘘つけ、人形が。にしても、気になるのはどうして貴様はクソ女神と一緒にいるってことだね……」

私と邪神はゆっくりと間合いを離す。

「大体の予想はつくけど……おい、女神と代われ」

【変わる必要はないよ。僕は此処にいるからね】

女神の声に邪神は心底嫌そうな顔をする―――というよりは、憎悪している。

「ふん、随分と遅いご登場だ。貴様の従者なら先程殺してその辺に捨てておいたぞ。不法投棄は犯罪だから、さっさと回収しておけ」

【――――悲しいね、彼女が死ぬなんて】

「嘘を吐くな。貴様にそんな感情なんてないだろう。その証拠に、その人形を新しい従者に選んでいる時点で、貴様の神格が聞いて呆れる」

従者は死んだ。

そうか、従者は死ぬんだ。

今、私の頭の中には神という存在のデータが存在している。記憶ではなくデータ。その数は無限大。それ故に私が全てに目を通すには時間がかかりすぎる。具体的に言えば、数千年はかかるだろう。

「僕の前の従者は、アナタが殺したの?」

「殺したよ。今のお前の様に神を身体に宿していない従者なんてそんなもんさ。そんな脆い存在を私に差し向けるお前の雇い主は、それだけクソッタレだという事だよ」

【おや、僕の従者の為に君が怒ってくれるとは驚きだ】

「寝言は消滅してから吐くんだな――――ホント、貴様等神という存在は胸糞悪い連中ばっかりだよ」

空間が歪む。

邪神の周囲、世界が歪み始める。

「いいだろう、クソ女神様。これから私はちょっとだけ本気で貴様等と相手してやる」

【これ以上、僕の世界を壊して廻るのは止めて欲しいね】

「黙れ。これは私の世界になるんだよ。だが、諦めた。諦めたから壊す―――私の、世界をな」

【所有権は僕のなんだがね】

「――――勝手な事を言わないで」

私は二人の神の間に割り込む。

「此処は邪神の世界でもない。もちろん、女神の世界でもない」

この世界は、

「此処は――――僕達の世界だ」

世界が割れた。

邪神の背後には次元の海が広がっている―――否、それだけじゃない。私が見た事もない空間が存在していた。黒くもなく、白くもない。あるのは無数の数字と字。何語かもわからない奇怪な文字と数字の羅列に支配されている空間。

「なるほどね、それもそうだ……でも言い変えないけどね。とりあえず、ぶっ壊すのはこの世界からだ。この世界の中の世界。この場所は私の大切な道具を盗んだ泥棒猫がいるからね」

そう言って邪神は地面を見る。

佐久間とアリサ。

二人と視線が合う。

きっと聞きたい事が色々とあるんだろうな、と想像しながら私は二人に向けて手を差し出す。無論、届くはずがないので別に本当に手を差し出したわけじゃない。

世界がどんどんあやふやになっていくというのなら、そんな場所にいる二人は危険以外の何物でもない。

二人の周囲を黄金の光が包み込む。

神様の力っていうのは結構応用が効くらしい。これは私のイメージした魔法に似た力。それで二人を守る為のフィールドを創る。

「これで、少しは安心かな」

「守っているつもりか?あんな結界、一秒も満たさず壊せるぞ」

「そんな事はさせないよ。それに、あの結界は次元断層くらいなら防げるはずだから、それ以上の力を使わなければ問題ない」

「神を舐めるなよ?その程度なら――――」

「そもそも、だよ」

左手に折れた大剣を再構築。それを突きつける。

「僕から眼を反らしたら―――――死ぬよ」



激突、再発。



大剣を振るう衝撃で空間が軋む。

邪神の炎で世界が焼かれる。

「言うなぁ、人形風情がぁあああああああああああああああ!!」

「人形じゃない――――人間だ!!」

衝撃破が地上を破壊し、空を割り、空間に悲鳴を上げさせる。

【この世界に生きている存在は、佐久間さんとアリサちゃんだけだ。思いっきりやっていいよ――――ちなみに、あの結界は次元断層くらいなら防げる、じゃないよ】

邪神の胴体を切り裂く、私の顔の半分が消し飛ぶ。

それだけの動作で起こった衝撃が既に次元断層を軽く超えている。

【次元断層『程度』なら、震えすら起きないよ】

それを聞ければ、

「全開で、行ける!!」

大剣に黄金の輝きが増す。

邪神と一端距離を取り、大剣を上段に構える。

この大剣の大きさは自由自在。私が望めば何処までも伸びるし、何処までも貫ける。

「破ぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

それと同時に―――増える。

私の背後で同型の大剣が次々と構築され、刃先を邪神へと向ける。

【これはさながら、】

「フォトンランサー・ブレイカーシフト」

数は無限、威力は次元移行艦の砲撃並。

黄金に輝いた大剣は矢の如く、一斉に邪神に向かって射出される。

「原作崩壊ってレベルじゃねぇぞ!?」

その数、威力に邪神は意味のわからない台詞を吐きながら―――全弾喰らった。

一撃一撃の威力は邪神の身体を崩壊、再生、崩壊、崩壊崩壊崩壊させる。しかし、これでもまだ死なない、殺せない、滅せない。

「痛いじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁ、このクソアマぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

轟ッと大剣が弾き返される。

「あんまり調子に乗るなよクソアマがぁぁああああああああああああああああ!!」

その叫びだけで再度空間の歪みが発生する。

炎蛇と炎獣が大量に生み出され、空を覆い尽くす。

「噛まれて切られて肉片になって死に去らせ!!」

豪雨の如き勢いで一斉に空から炎が襲いかかる。避けようにも逃げ場は無い、斬り伏せようにも数が多すぎる。故に守りに入るしかない。金色の結界を構築し、炎の豪雨に耐えようとする――――が、

【あ、不味いかも】

という女神からの不安になる一言が余計であり真実だった。

私が守りに入った瞬間、

「―――――次元断層くらいなら大した事ないんだってなぁ」

邪神の声に嫌な予感がした。

「なら――――その身にしっかり味わって検証しておけ」

先程、邪神が周囲に発生された次元空間。いわば、次元の穴というべき異常。その異常が気付けば私のすぐ傍に創りだされていた。

しかも、一つではなく三つ。

「三つの世界を一つにする――――これも一つのビックバンだよ」

そう言った瞬間、私の視界が白い光と共に破裂し、黒い爆炎を生みだした。

黒い爆炎が私の張った結界に喰らいつき―――突き破った。

「――――っな!?」

一回目の爆発で意識が飛ぶ。二回目の爆発で意識を戻し、三回目でもう一度意識を刈り取られる。

「次元爆弾、とでも名付けようかな」

間抜けな名前だが、威力だけは確かだった。

次々と起こる爆発はまさにビックバンだった。次元と次元同士の激突は爆発を起こし、新たなる次元を生みだす。それが連鎖的に起こる事によって私は今、密集した地雷原の連鎖爆発の中に閉じ込められた。

最初のビックバンで結界が消し飛んだ事によって私の身体は爆発に晒され、そこから抜け出そうとすれば次の爆発に巻き込まれる。その爆発から何とか抜け出したと思ったら今度は生れたばかりの次元が新たなる次元を生みだすビックバンを作り出す。

【う~ん、意外と僕達の認識が甘かったかなぁ~】

呑気な声が癇に障り、思わず怒鳴り返す。

「なんと――――かして―――――――よ!?このままじゃ僕―――達、抜け出せな――――い―――じゃ―――――いの!!」

【いやさ、僕も神同士のバトルって初めてだから中々要領が掴めないんだ。その点、彼女は連戦連敗の神同士のバトルの常連だからね】

つまり、こっちは素人。あっちは玄人という事だ。

「ほらほら、さっさと抜け出さないと死ぬよ!!神だって一定以上のダメージを受ければ消えるんだ。ゲームでもお約束、物語のお約束ってね!!」

どういうお約束かは知らないが、このままでは問題だという事はわかった。現に私の身体の再生が追いつかない。

【――――――不味いね】

なんて呑気な!!

【しょうがない。フェイトちゃん】

女神は静かに呟いた。



【方針変更―――――本気だしていいよ】



その言葉を待ってましたと想ったのは、私だけじゃない。

「本気?」

邪神の言葉に返答は不要。私は最優先で再生する個所を限定する―――其処は、私の右腕。
狼の刺青を宿した右腕に再生能力の全てを送り込み、

「―――――お待たせ」

右手を前に突き出す。

「さぁ、一緒に戦おう――――アルフ!!」

最高の相棒を具現させる。

狼の刺青が金色の輝き、世界に狼の咆哮を響かせる。

次の瞬間、私の右腕に無数の紅い体毛が生え―――巨大化する。

死んだ者は生き還らない。

でも、彼女は死んだわけじゃない。

命は常に共にある。

主と使い魔がそうである様に、この命は私一人で出来ているわけじゃない。



我が身に神が宿るなら、この腕に宿るは神獣也



次の瞬間、連鎖的に発生していたビックバンが急速に数を減らす。一つの次元が生まれ、その次元が爆発を起こすというのならば、対応策は簡単だ。

【生れし次元を、】

「一つ残らず、」

【「喰らい尽くす!!」】



GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――!!!!



獣の咆哮がもう一度世界を揺らす。

私の右腕は既に人間の腕ではない。

肘から先は既に存在せず、その場所は既に獣の『背中』になっている。

生み出された次元を巨大な顎にて粉砕する。

紅い姿をした巨大な神獣が生み出された次元を次々と食していく。その姿が私は見慣れた彼女の姿でありながら、その力は存在自体が恐怖する程の神話レベルの大食獣。

なにせ、次元一つを飲み干す程の力を秘めた神獣なのだ。

「……アルフ、おっきくなった」

【これを大きくなった程度で片付ける君の神経もおかしいけどね。だが、今回ばかりはあの神喰いも良い仕事をしてくれたよ】

私は今、アルフの背中に乗っている。肘から先がアルフの背中に突き刺さっている姿は、地面に手を突っ込んでいる感覚に近いだろう。

地面、その表現は合っている気がする。

体長二メートルかそこらだったアルフの身体は、怪獣映画に出てくる怪獣並の大きさになっている。

GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――――!!!!

咆哮と共に最後の一つ、最後に生み出された新たなる次元を食べ終えた。

「――――――まさか、そんな怪獣を飼っているとは予想外だったよ」

そう言いながらも、邪神に焦りに色はない。

「でも、少しばかり面白くなってきた。うん、面白い。面白いからこっちも全力で行くとしよう」

「今までのが全力だったんでしょ?」

「それこそ、まさかだよ。神の力っていうのは基本的に、根本的に反則だ。この程度が反則かい?たかだか新しい次元や宇宙を創りだす程度の何処が反則だと言う?」

十分反則だと思う。とりあえず、元の私達の世界では反則という言葉ですら足りない程の力を秘めている様な気がしてならない。

「全力でくるなら、こっちも全力で返すまで……とりあえずは、この世界を餌にさせてもらう」

そう言った瞬間、邪神の足下に影が生まれる。宙に浮かび、世界に光が無いにも関わらず、そこには確かに影があった。その影から水滴が垂れるように一粒の滴が地面に向かって落ちていく――――そして、浸食を始めた。

「――――――ッ!!」

たった一粒の滴。喉の渇きすら抑えられない量の滴が地面に落ちた瞬間、世界全てを飲みこむ程の洪水へと変化した。

地面という地面が影に飲みこまれ、存在という存在全てが影に飲みこまれた。そして、世界は一瞬で影の海によって浸食された。



「レギオン、顕現」



パチンッ、と邪神は指を鳴らす。

影の海から何かが生まれた。

人の形をした何か。

影の形をした何か。

全てが人の形と影の形をしていながら、一つ一つが恐ろしいまでに暗黒だった。

何かはゆっくりと増殖し――――紅い瞳を持った。

紅い瞳は二つ目ではなく一つ眼。そういう化物が絵本の中から飛び出してきたかのように、悪寒を覚えるおぞましさが宿っていた。

「君達は……フェイトという人形とクソ女神の力は私よりも優れているだろうね。だが、たった一人の英雄だけで戦争には勝てない。戦争には何時だって名も無き兵士達の活躍があったはずだ―――だから、私は英雄ではなく兵士達に力を借りる事にするよ」

人型の影に翼が生えた。蝙蝠の様な、悪魔の様な羽を生やした一つ目の人型は、一斉に私を見据え、羽ばたいた。

「アレは私の子犬ちゃんやヘビちゃんよりも強力だよ?」

邪神の言う様に、人型は確かに強力だった。

私に向かって一斉に飛び立つ人型。その腕を槍の様に、鎌の様に、剣の様に、銃の様に、様々な武器の形に変化させ、私に襲いかかる。

「アルフ!!」

アルフの身体を私から切り離す。

自由になった私は大剣で人型を斬り落とし、アルフはその巨大な体躯を生かして私以上に人型を蹴散らしていく。だが、数が多すぎた。

なにせ、下手をすれば人型の数はこの世界する人の数に匹敵する。この地球という世界だけでも六億人、それ以外の世界を合わせれば億でも兆でも足りないだろう。

一体を斬り裂いた瞬間に身体を切りつけられ、斬りつけた人型を落した瞬間に脳天を斧で叩き割られ、その人型に反撃しようとすれば周囲から一斉に槍の投擲を喰らって串刺しに合う。

アルフの方も奮闘はしているも、数の多さに苦戦している。

「数が多すぎる!!」

【多すぎるだけじゃない。下を見てみなよ】

下を見ると、影の海から次々と人型が生み出され、空に放たれていく。

「これじゃ切りがない」

【ついでに言うなら――――彼女を見失った】

その言葉にハッとなる。

見渡せば、何処にも邪神の姿はない。例え姿が見えなくても、その禍々しい気配は見逃さなかった。しかし、今はその気配の欠片も無い。

「まさか、逃げた!?」

【ソレは無いだろうけど―――――ッ、危ない!!】

ドンッという衝撃。

私の胸元に炎の宿った腕。

「あ、ガィ―――ハガァ」

「後ろががら空きだ」

邪神は後ろにいた。胸を突き刺されながらも、後方に向けて剣を振るうが―――手応えは皆無。

また消えた。胸を突き刺された瞬間、確かに気配は感じた。だが、振り向いた瞬間には既にない。

「どうして……」

呆然とする暇すらない。

人型はなおも増殖を続け、私達に襲いかかる。その相手をしようとした、その瞬間にまた衝撃。今度は直接攻撃ではなく、先程の次元爆弾。

爆風に飲まれ、吹き飛ばされた。

そこへ顔面に邪神の足が突き刺さる。

現れては消え、現れては消えを繰り返す邪神の戦法に完全に翻弄される。

【こっちのダメージが多すぎるね……完全に追い込まれてるかも】

不安になる事を言わないでほしい。

「アイツは、何処にいるの」

【恐らくだが――――次元の海だろうね】

「次元の海!?」

再度衝撃。

再度襲撃。

再度強襲。

再度爆襲。

「――――――見えた」

居た。

確かに邪神は居た。

私に攻撃する瞬間だけ邪神は次元を割って現れ、こっちが攻撃しようとすれば次元の割れ目を閉じて逃げる。後はその繰り返しだ。

「神様って、本当に何でもありなんだね」

【いい加減慣れなよ。でもさ、あっちの戦法がわかれば対策は立てれる】

「うん、わかってる」

相手が次元の海、他の世界に逃げ込んでいるというのなら、対抗策は一つだけ。そして、上手くいけばこの人型も同時に一掃できるかもしれない。

やり方は簡単だ。

相手が次元空間に存在するというのなら、

「僕が――――引き摺り出すだけ」

アルフに少しだけ時間を稼いでくれるように頼み、私は剣を下段に構える。

瞳を閉じ、神経を集中させる。人では知覚できない音と気配。その気になれば世界全てを認識できる程の集中力にて、次にくるであろう場所を探す。

だが、探すよりも簡単な事もある。

この集中だって別に次にくる場所を予想するわけではない。

邪神が次の攻撃に移る際に移動する『航路』を探しているのだ。

「見つけた」

剣に力を、

剣に光を、

世界の法則を崩し、

世界の均等を切り裂き、

全ての法則に反則する。

切り裂く。

空中を、虚空を切り裂く。

傍から見れば何もない空間で剣を振るっている様に見えるだろうが、それも別に不正解ではない。何も無い場所を切る事に意味があり、何も無いその場所に切り口を入れる事が重要だ。



「空間断裂――――――大・次元斬」



切り裂くは虚空。

切り裂いたのは次元。

私達の存在する空間を切り裂き、その先にある次元の世界を切り裂く。

何も無い空間を大剣で切り裂き、その場所に次元の穴が開けられる。

眼が合った。

私と、邪神の、紅と黒の瞳が一致する。

「んな反則な……」

邪神の言葉にニヤリと笑みを返し、手を突き出す。

「次元捕縛―――カラミティバインド!!」

物を捕縛する魔法を魔改良版。

次元と次元を創りだし、その次元の狭間を持って捕縛する魔法、カラミティバインドで次元ごと邪神を捕縛する。そして、空中に開いた次元の穴に人型が次々と吸い込まれていく。

「おいおい、どんだけ無茶苦茶する気だよ」

捕まっている状態でありながら、邪神は相も変わらない余裕だった。

「アナタが次元と次元をぶつけてビックバンを起こした。だから、僕も同じ様に次元を斬った……それだけ」

「自分がどれだけ馬鹿げた事をしたのか理解していないみたいだな。お前、もう人間に戻れないレベルだぞ」

「それでもいい。守れるものを守れるのなら、神にでも悪魔にでもなってやる―――でも、人間である事を諦める気はないよ、僕は」

「ふんっ、大した覚悟だ――――だが、その為には私を殺さなくてはならない」

殺す。

その言葉の重みは知っている。それを行う事に罪深さも知っている。けど、その後にあるであろう二人の幸福だけはしっかりと想像できる。

「僕は……アナタを、殺せる」

「物理的に―――という表現は少しおかしいが、間違ってはいないね」

だが、と邪神はニヤリと嗤う。

「残念ながら理解していないみたいだね。お前が行おうとしている事によって、幸福なんて絶対に得られないという事をね」

「どういう意味?」

「そのままの意味だよ」

胸がざわめく。

何か、何か私は大変な事を見落としている。

「神と接続されているのなら、検索してみればいい。神と従者、その関係をね」

邪神に言われるがまま、私は検索する。膨大な、無限と広がるデータの海に潜り、私は邪神の言う事を検索する――――そして、見つけた。

「――――――嘘」

「いいや、嘘じゃない」

嗤っている。

楽しそうに嗤っている。

その不快な笑みに思わずこのまま握り潰してしまいそうになるが、

「おいおい、私を殺していいのかい?」

邪神は決定的な事を口にする。



「私を殺せば、私の従者も死ぬぞ」















わかっていた。

あぁ、わかっていたさ。

「…………佐久間、嘘だよね?」

アリサが俺に尋ねる。嘘だという言葉を待っているのだろう。ジグザの言う全てが嘘で、これから起こるであろう全てが嘘だという事を望んでいる。

俺は―――首を横に振る。

わかっていた。

認めたくなくとも、その程度なら容易に想像できた。

俺はジグザに生き返らせてもらった。なら、俺の命はジグザの手に握られているという事になる。

「嘘だよ。嘘に決まってる!!」

「嘘じゃないさ……嘘じゃ、ないんだよ」

俺がアリサを抱きしめたのは、きっと怖かったからだろう。

死にたくない、という想い。

前に堕ちた暗い闇を思い出し、心と体が震える。

「嘘よ!!大体、神とか邪神とか、一体なんなのよ!?今、目の前の起こってる全部が全然意味がわからないわよ!!」

それでもアリサは理解しているだろう。

頭が良いとかじゃなくて、本能的に理解しているはずだ。

嘘であってほしいという願いは現実を受け入れているという意味なのだから。

「…………なぁ、アリサ」

「ずっと一緒にいるって、ずっと私の傍にいるって言ったじゃない……あれは、嘘なの?」

「嘘じゃないさ。でも、アイツが死ねば俺も死ぬっていうのも嘘じゃない」

残酷なまでに真実だ。

俺はそれを理解している。

フェイトの創った結界の中で、ジグザとフェイトを見上げる。正直、物語が全然別の方向に進んでいると思ってしまうほどの戦いを前に、あり得ないと呟いてしまった。だが、これだけはあり得る。

あり得て、しまう。

「お前と一緒にいたいっていうのは、俺の本心だ。でもな、それと同じくらいお前を守りたいって思うのも本当なんだ。そっちの方が、俺にとっては重要なんだ」

死にたくない、俺の心は叫んでいる。

これは暗闇に落ちた時と同じ俺の声だ。

あの時の声は、死にたいという解放の念が聞こえたが、今は生きたいと叫んでいる。

アリサが俺の胸に顔を押し当てる。

「約束、したじゃない……一緒にいるってだけじゃない。なのはっていう子の事も一緒に思い出すって約束した……約束、したんだからぁ……」

抱きしめる手は震えている。

生と死の狭間。

願いと願いの狭間。

俺はもう一度フェイトを見上げる。

困惑した表情でフェイトは俺を見ている―――いや、違うな。あれは困惑ではなく、恐怖の表情だ。

俺を殺すかもしれないという恐怖。

自分が俺を殺すのかという可能性への恐怖。

「なぁ、アリサ……」

俺だって怖いんだよ。

怖くても、怖くても、怖くても、生きて欲しい。

俺の手に抱かれた少女の幸福を、願ってしまう。

「俺さ、本当にお前を苦しめてばっかりだったな……最初から最後まで」

「最後じゃ、な、いよ……ずっと、ずっと……一緒、なんだか、らぁ」

「最後なんだよ」

否定する。

俺は、否定する。

俺は、アリサの願いを否定する。

「思えば、俺って夢みたいな存在なんだよ。夢は夢でも悪夢の方な?最初の事故の時もそうだし、喫茶店の時もそうだ。その後は俺の部屋での事。そして―――」

「聞きたくない!!」

俺を押しのけ、アリサが離れる。

瞳から涙を流し、立てない足の代わりに腕で這うように俺から離れる。

「思い出話なんてしたくない!!だって佐久間は死なない!!ずっと私の傍にいるの……傍にいて、私の我儘を聞いて、喧嘩して、仲直りして、それで、それで……それ、で……」

「俺はお前が好きだ」

「聞きたく、ない……」

「俺を好きだと言ってくれたお前が、大好きだ」

「聞き、たくな、い……」

「ありがとう、俺を受け入れてくれて」

「………な、い……」

「ありがとう、俺を拾ってくれて」

「…………い……よ」

「ありがとう、俺と――――出会ってくれて」

神に感謝する。

神は神でも邪神だが、俺は今だけはお前に感謝するよ。これだけは否定せずに、俺はお前に素直に感謝の念を送れる。

「好きだ、愛してる―――こんな言葉しか送れなくて申し訳ないけど、これで伝わって欲しい。俺はお前が大好きだ」

一人のキャラクターではなく、一人の人間として。

佐久間大樹という異邦人ではなく、佐久間大樹という男として。

「…………」

「世界はこんな風になっちまったけど、きっとなんとかしてくれる。アイツ等が、フェイトが何とかしてくれるかもしれない……そしたら、全部元通りにはなれないけど、新しい生活が始まるはずだ」

楽しい事が待っているかもしれないし、悲しい事が待っているかもしれない。もしかしたら、二度と立ち上がれない程の絶望が待っているかもしれない。その反面、絶望すら思い出にしてくれる希望が待っているかもしれない。

「――――アリサ、世界は綺麗なんだよ」

こんな風に消えていく世界を見ながら、綺麗事を口にする。

「誰しもが傷つきながらも、前に進む。傷を舐め合いながら前に進んで、何時か誰かが誰かを幸福にする……綺麗じゃない世界なんてない。悲しい世界なんてない。何時だって世界には幸福が待っている。後は、ソレに気づくか気づかないかの問題だ」

抱きしめる温もりは、本当に温かい。

「それに気づけるくらい、良い女になれ」

放したくない程、優しい温もり。

「良い女になって、幸せになれ」

でも、放さなければ幸せはこないかもしれない。

死からの幸福なんてあり得ないかもしれない。俺が以前、フェイトに死ぬとか、死んだ方がマシとか言うなとか言っていたが、もう笑い話にもならない。

アイツよりも俺の方が死にたがっているじゃないか。



死にたくない、死にたくない、死にたくなんてない!!



そう、死にたいなんて思わない。

死ぬしかないなんても、思わない。

生きたいと願う。

生きてアリサと一緒にいたいと願う。

だから、俺は生きると決めた。



死ぬ瞬間まで、刹那の間まで、俺は好きな少女の為に生きると決めた。



「――――――好きだ」

好きだと言える時間が好きだから。好きな少女を好きだと言える、たった三言の言葉を伝える時間が愛おしい。

「俺はアリサに好きだと言える今を、誇りに思う」

「…………ねぇ、佐久間」

アリサは、ゆっくりと俺に近づく。

「もっと……好きだって、言って」

潤んだ瞳で、アリサはそう願った。

「好きだ」

「もっと」

「好きだ」

「もっと……もっと」

「好きだ、好きだ、好きだ」

「足りないよ……もっと、言ってよ……」

何度も言った。

何度も呟いた。

何度も囁いた。

何度も何度も、好きだと言い続ける。

「私も好き、大好き」

「好きだ」

「好きだよ」

「好きなんだよ、お前の事が」

「好きなの、アナタの事が」

忘れない程に大好きだ。

失いたくない程に大好きだ。

笑顔が大好きだ。

怒っている姿が好きだ。

悲しんでいる時から喜んでいる時に変わった時が好きだ。

好きだ、好きだ、好きだ、愛しているくらいに好きだ。

「―――――――約束、してくるか?」

「たくさん、笑うよ」

アリサの手を取る。

「たくさん、幸せになるよ」

アリサも俺の手を取る。

「たくさん、楽しい思い出を作るよ」

互いに瞳を見つめ合う。

「たくさん友達を作って、たくさんの人と笑って、たくさんの人と楽しい思い出を作って………幸せになるよ」

そして、ゆっくりと顔を近づける。

小さな口づけ。

子供みたいな簡単な口づけ。

大人にも負けない、誓いの口づけ。

大切な、大事な、絶対に忘れないと誓った口づけ。



「――――――くだらない」



ジグザはそんな俺達に向かってそう言い放つ。

「生きる事すら諦め、他者に幸福を求めるなんてタダの脅迫だ」

そうだな、そうかもしれない。

「くだらない、実にくだらない」

でもよ、ジグザ。

「くだらなくて、良いんだよ」

アリサを抱き上げ、いつもの様なお姫様抱っこ。

「くだらない事でも、本気になれば十分だろ?」

「…………君は、私の死を望むか」

「本当は誰にも死んで欲しくなんてない……けど、お前は誰かを幸福にはせず、不幸にしかしない」

俺とアリサは、二人でジグザを見る。

「だったら……俺はお前に死んで欲しい」

最低な言葉を口にする。

最悪な言葉を口にする。

「悪いな……」

「――――――愚かだね」

ジグザは笑った。

嗤うのではなく、笑った。

「愚かで愚かで、私が見てきた人間の中で――――もっとも不快になった人間だよ」

「お前も、俺の中でお前以上に最悪な女はいなかったよ」

「私は女である前に邪神だ。邪神は何時だって最低最悪の害悪さ。私を誰だと想っている?私は邪神だ。私は神滅餌愚坐だ。それ以外の何者でもない――――何者にもなれない」

今にして思えば。

「お前は俺を随分と振り回してくれたけど……俺も随分とお前を振り回してよな」

「まったくだ……だが、心地良くは無いね。うん、実に不快な世界だったよ、君と過ごしたこの世界というものはな」

俺は人間、ジグザは邪神。

わかり合える筈なんてないんだ。

けども、もしかしたら、本当にもしかしたら―――わかり合えたかもしれない。

「お前は俺に良く似て最低だった」

「そうかい?最低である事なら私は他の追随を許さないつもりだったのだが、ね」

感謝はしない。

感謝など、俺はしない。

だが、

「ねぇ、アンタ……」

アリサがジグザに向けて言った。

「私の事を泥棒猫って言ったわよね」

「あぁ、言ったね」

小さな邪神と小さな少女。

邪神は微笑み、少女も微笑む。

少女は、アリサはジグザに向けて言い放った。



「じゃあ、私の勝ちね」



瞬間、ジグザにしては驚く事に、キョトンとした表情を浮かべた。そして、その後に来るのは怒りではなく、大爆笑だった。

「あははははははははははははははッ!!」

楽しそうに、

「はははははははははははははははははッ!!」

愉快だと、笑った。

その大爆笑に驚いているのは俺とフェイトだけ。アリサは勝ち誇っているし、ジグザは笑い続けている。

そして、漸く笑い終わった後は、

「―――――――あぁ、負けだな。私の負けだ。その男にでも、女神にでも、人形にでもない」

ジグザの瞳はまっすぐにアリサを、見つめていた。

「君に負けた。アリサ・バニングス――――私は、君にだけは負けを認めよう」

始まりは邪神の邪悪。

終わりは少女の笑み。

神は人に負けた。

たった一人の、小さな少女に負けた。



「誇りたまえ、人間――――――君の……勝ちだ」



だからこそ、敵意を向けるべきはアリサにでも俺にでもない。

「だが、私はお前等には負けない」

ズンッと空間の歪みが発生し、ジグザを縛っている次元が崩壊する。

「私は邪神だ。邪神として生まれ、邪神として死ぬ。しかし、それ故に神如きに負ける理由は一つとして在りはしない!!」

誇り高き邪神、その時だけはそう思えた。

だから、俺はフェイトに向けてこう言った。

「フェイト!!」

まだ迷っているのだろう。

ホント、お前にも迷惑ばっかりかけたよな。

だから、これで最後だ。

最後の最後で、俺はお前を頼る事にする。

「――――――頼む、な」

全てをお前に託す。

全部をお前に託して、俺は消える。

でも心配はしていない。

俺はお前を信じる。

戯言では終わらせず、傑作にて終わらせてほしい。

「…………」

フェイトは頷いた。

「悪いな」

「いいよ……僕が決めた事だから」

「ありがとう」

そして、始まる。

終わりが始まり、始まりが始まる。

佐久間大樹がアリサ・バニングスと過ごした日々に、終止符を打つ瞬間。

仮に俺がこの物語に意味を見出すとするならば、それはたった一つのシンプルな答え。

これは、絆の物語。

大切な、絆の物語。

その物語の終わりを、見届けよう。










人質はリリカル~Alisa~
最終話「The place of happiness」









今宵、この世界に神話を生みだそう。

一人は邪神。

少女の姿をした永久的な敗北者。

しかし、それでも足掻き、挑み、不屈の悪意も持って世界に挑む者。

「改めまして女神の傀儡。改めまして物語の紡ぎ手。改めまして物語の読み手。改めまして物語の書き手。改めまして全ての存在―――――全ての皆様の祈りを灰にします。皆様の善意を無駄にします。皆様の心の在り所を徹底的に蝕みます」

何故挑むのか、そう問われればこう返すだろう。

我故に我在り、と。

「呼ばれてなくても現れましょう。帰れと言われても存在し続けましょう。私は邪神、私は敵、私は悪、私は害虫、私は皆様の敵の中の敵!!」

挑むは世界。

世界は敵。

敵が存在する限り、敗北し続ける限り挑み、そして悪意をばら撒く。

汝、名を名乗る。



「邪神という役者が故に滑稽に演じよう……神滅餌愚坐――――推して参る」



対するは女神―――ではなく、一人の少女。

幸福でなく、愛さえなかった一人の平凡な少女。

愛する者をその手にかけ、愛する者の大切な者を手にかけた罪を背負った少女。

「―――――これが僕の役割だっていうのなら……」

それでも求めるは幸福。

幸福を奪い去っても守りたい、儚い希望。

それが自身の為であり他者の為。

「いいよ、全力で僕はアナタと戦う」

挑むは邪神。

守るは絆。

得るモノは一欠けらもありはしない。

それでも戦うは運命。



「人として、女神の従者ではなく、僕自身として……フェイト・テスタロッサ―――アナタを殺神する!!」



黒と金の激突。

一撃必殺の威力を秘めた一撃を連発する。

世界の悲鳴を無視。

空間の絶滅を無視。

意思するは相手の絶命のみ。

黄金の剣は闇を切り裂き、黒き炎は光を食い破る。

焔の獣は一瞬で死に絶え、焔の蛇は照らし殺される。

観客は二人の人間。

絆を確かめ合う人間が二人だけ。

その観客の為に二体は殺し合う。

金色の光を纏った水色の少女の剣が光る。

漆黒を纏った黒の邪神の身体が燃え上がる。

光と焔、互い世界を照らす存在でありながら意味を持つのは破壊のみ。

「死に、さらせぇぇぇええええええええええええええええええええ!!」

「負けて、たまるかぁぁあああああああああああああああああああ!!」

黄金の剣は世界を引裂くが、邪神を引裂く事は出来ない。邪神の焔は世界を燃やす事は出来ても少女を燃やせない。

一進一退の攻防ではない。その攻防は一撃一殺の殺し合い。

邪神が再び次元に身を隠す。

「大・次元斬!!」

切り裂かれる次元。

「その技はもう見たよ!!」

切り裂いた瞬間、次元が爆ぜる。その爆風に飲まれ、怯んだ瞬間に邪神の焔が少女の身体に叩きつけられる。

「―――――ガハァッ!!」

「まだまだまだまだ―――――終わらんぞ!!」

続く連撃。

全てが急所に打ち込まれ、身体が崩壊する。しかし、それだけの崩壊を身に宿しながらも少女の眼に絶望も諦めも存在しない。

崩れゆく身体で、素手で―――邪神を殴りつける。

剣を捨てての殴り合い。

「死ね!!」

「消えろ!!」

「眼障りだ!!」

「アナタこそ!!」

諦める者など此処にはいない。その荒行に呆れかえる者もいない。今はただ、己の勝利を信じて争う者の戦いに意味がある。

そして、殴り合いの先にあるものは―――――少女の渾身の一撃が邪神に突き刺さる光景。
邪神の身体が吹き飛ばされ、その身体を捕まえる様に、

「カラミティバインド!!」

次元の狭間にて邪神の身体を拘束する。

「―――――これで終わりにする!!」

少女は影で覆われた世界に手を突っ込む。影の海は酸の海の様に少女の腕を溶かそうと牙を向くが、その程度では少女は止まらない。
少女は掴む。

影の海、その更に下に存在する大地を。

消え逝く大地には、まだ存在がある。

人々の記憶、想い、その全てがまだ完全に消えたわけではない。

故に掴む。

その手に掴むは、希望の剣。

「フル……ドライブ!!」

神の力ではなく、人の想い。

それが繋ぎとめた絆の為に掴むは、悲しいけれど意味のある未来。

その為に襲撃する。

邪神の臨む世界の崩壊に襲撃し、無に帰す。

其れ故の名を、雷神の襲撃者。


「破ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

影の海に光が宿り、暗黒の暗闇に光が照らされる。その光は影の海の海中から輝き、世界を照らす。

地に想いを、この手に勇気を、明日を切り開く為に希望の剣を。

姿を現したのは極光。
大地を割り、海を割り、闇を切り裂く海中より引き出されたのは、先程まで少女の持っていた剣すら霞んで見える程の巨大な極光の剣。

雷を宿した黄金の剣。

地球を丸ごと両断できる程の星空まで伸びた黄金の剣。

人を超え、神を超え、邪を滅する黄金を目にした邪神は呟く。

「――――ッカカ、これはとんだ傑作だ」

神々しい光は宇宙に煌めく星よりも大きく、星の光すら打ち消し虚空の宇宙を照らす。

天に伸びる、黄金の剣を両手に握り締め、叩きつける



「雷刃、」



極光の剣を、



「滅殺、」



両手に握り締め、



「極光斬―――――――!!」



叩きつける!!



邪神の黒い瞳に、神々しいまでに眩い光が映る。黄金の刃が目の前に迫っているにもかかわらず、邪神は笑っていた。

大した事ではない。

これもまた、普段となんら代わり映えの無い結果だ。

また負ける。しかし、また挑む。永久の敗北者が故に己は永久の挑戦者だ。

だが、今回は少しばかり違った。

「これが僕の――――全力、だぁぁああああああああああああああああああああ!!」

不思議と心地良い。

神に敗れたから――――否。

人に敗れたから―――否。

敗れ続けたから―――否、否。

「こんなに心地の良い負けは初めてだよ――――アリサちゃん」

負けたのは、少女。

決して神になど、人になど負けていない。

負けたのは少女に一人。

絆という曖昧で最低なモノに負けた。

「滑稽だなぁ、おい……」

邪神の身体を光が斬り裂く。

神とて絶対に不死身ではない。

これだけの大出力の塊を喰らえば死にもする。

邪神の身体は砕ける。

切り裂かれ、砕け、そして笑みを残して死ぬ。

「ほんと、今回ばかりは……相手が悪かったかな?」

そう言って、邪神―――神滅餌愚坐は消えた。

通算六百六十六回目の、敗北だった。





世界を照らす光を見つめながら、男はふとこんな事を言った。

「なぁ、アリサ」

「何?」

男は少女を見て、笑った。

「何点だ?」

そう尋ねると、少女は呆れた様に言った。

それが男の最後に聞いた愛すべき少女の言葉。

それが堪らなく自分らしくて、自分達らしくて嬉しかった。

男は最後に尋ねる。

自分が最後に少女に向けた笑顔は何点だったか。

少女は答えた。

さも当然であるかのように、

「あのね、佐久間……」

少女も微笑んだ。

男からすれば百点満点の笑顔で、







「大好きな人の笑顔が――――満点じゃないわけ、ないじゃない……」










[10030] エピローグ
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/12/07 03:19
朝の目覚めは何時も通りだった――――つまり、遅刻だ。

「うっわぁ……いつにもまして最悪な時間ね」

私、アリサ・バニングスは毎朝恒例の時計との睨めっこをしている。毎回の事ながら、どうしてこの時計は時間通りにベルを鳴らしてくれないのだろうか?そして、どうして誰も起こしにきてくれないのだろうか?一度、本気で文句を言ってやろうか。

「なんて言ってる場合じゃないって!」

急いでベッドから飛び降り、私は床に『立った』。

自分の足でクローゼットまで歩み寄り、そこから学校指定の制服を着て、髪をセット――する時間は無い。

しょうがない、今日だけ(正確に言えば今日も)セットを後にして走る事にしよう。

ドアを開けると使用人が私に朝の挨拶をする。

「おはようございます、お嬢様……また寝坊ですか?」

「そう思うなら起こしなさいよ」

「それはそれ、仕事は仕事です。ぶっちゃけ、ガキの寝坊はガキのせい、ですから」

「……ねぇ、忠誠心って言葉を知ってるかしら?」

「少なくとも、お金を払っているのはお嬢様ではないく、旦那様と奥様ですので」

この使用人、私がバニングス家の当主になったら絶対にクビにしてやる。

「それではお嬢様、今日も元気に遅刻しないように走ってくださいね」

「送ってくれないの?」

「良い子は歩くものです―――本音を言えば、ガキの為に働きたくないって」

「アンタ絶対にクビにしてやるからねぇぇええええええええええええ!!」

若干の負け犬の遠吠えを残して私は廊下を走る。

食堂でお弁当を受け取り、パンを一つ持って玄関を飛び出す。

「バスは……もう行ってるわね」

「おや、お嬢様。おはようございます」

「あ、鮫島。ナイスタイミング!」

執事の鮫島。あんな忠誠心皆無の使用人とは違って私の味方だ。

「学校に遅れそうなの。車を出してくれるかしら?」

「嫌でございます」

…………訂正、味方ではないらしい。

「ねぇ、アンタ等全員私になんか文句あるの?というか恨みでもあるの?」

「恨みはございませんが、お嬢様の寝坊癖は死んでも治らないと思うので、その為の荒療治ですね……頑張って走ってくださいませ」

こ、この執事……この家の唯一の執事の中で一番若い『二十歳』、私と一番歳の近い執事の癖になんでこんなに私に厳しいわけ。

「もういい、鮫島には頼らない」

「あ、ちなみに他の執事に言っても同じですよ。我々バニングス家執事一同、お嬢様には元気一杯走って貰う事に賛同しておりますので……」

「この家の私の味方はいないの!?」

「お嬢様の味方ですよ?ですが、味方が毎度毎度助けるとは限らないのですよ」

そんな連中は味方なんかじゃない。断じて無いと私は力説したい。

「なんて馬鹿やってる内にこんな時間!?もう、鮫島の馬鹿!この格闘馬鹿!!」

「おや、なんなら帰ってからスパーリングにでも付き合いますか?」

「それは断固拒否する!!」

私だってまだ若いのだ。こんな若さで死にたくない。

というわけで、私は走った。それも盛大に走った。この調子なら今年のマラソン大会は私がぶっちぎりで一位に違いない―――じゃないと報われない。



ちなみに、遅刻だった。



罰として一時間目の授業は昔ながらの罰で、廊下でバケツを持ってて直立不動だった。

「これ、体罰でPTAに訴えたら勝てると思うんだけど」

「私は自業自得だと思うけど……」

「私も……」

なんて親友共だ。それでも親友だろうか、親友の皮を被った別人ではないだろうか。

昼食の時間。

私達は何時もの様に屋上でお弁当を食べている。

私の隣にショートカットの女の子、不破なのは。

実家が剣術道場で喫茶店という家の二女。実家が剣術道場というせいか、運動神経は抜群だった。というより、戦闘能力が異常だった。近所の高校生に絡まれた時、私が眼をつぶっていた数秒で彼女は全員をノシてしまっていた。

追記としては、私が彼女と親友になったとある事件では、私が彼女の一撃で意識不明の重体に陥り、家族総出で謝りにきた事がきっかけだ。

なんでも、子供の喧嘩に奥義を使うなと怒られたらしい……私、よく生きてたわね。

「新しい目覚まし買ったらいいのに……」

「お気に入りなのよ」

「なんなら私が直そうか?」

そう言っている何処か儚げな雰囲気のあるツインテールの少女は私のもう一人の親友、綺堂すずか。

儚げという表現が似合う様に結構病弱だったりする。よく貧血で倒れるし、よく何に良いのかまったくわからない薬を常用している。ちなみに、病弱という割には結構不死身だったりする。ぶっちゃけて漫画みたいな子だ。主にギャグ漫画に近い漫画みたいな子。

これも追記だが、以前私の目の前で車に轢かれて置きながら、翌日には無傷で登校してきた……私の眼に狂いがなければ、全身の骨がバキバキに折れていた気がするんだけど。

とりあえず、病弱の癖に不死身というある意味でキャラが立ってる思う。

こんな二人に囲まれた私の日常は至って普通だったりする。周りが強烈だが、強烈だからといっておかしな出来事が起こるなんて事はあり得ない。

世界は漫画じゃないのだ。

面白おかしい事もないし、不思議な事もありはしない。

「ねぇ、なんか面白い事ってない?」

「アリサちゃん、いっつもそればっかりだね……なんなら、来週末に富士の樹海に修行に行くんだけど、一緒に来る?」

「死にたくないから嫌よ」

「あ、私は行きたいかも」

「アンタは死ぬから駄目」

すずか、アンタは少しは自分の病弱性に関心を持ちなさい。いくら不死身でも何時か死ぬわよ。

「それよりも、アレね。私達の間に色々と足りないと思うのよ。色々と」

「色々って?」

「私は血が足りないかなぁ~」

「はい、自虐ネタ禁止――――って、そうじゃなくて、私達も今年で三年よ?三年なのにこのままでいいの!?」

「小学生なら普通だよ」

「私もそう思う」

コ、コイツ等は……

「小学生の話をしてるんじゃないの!!私達は今年で『高校三年』なのよ?なのに恋話のひとつも無いのはどういう了見よ!?」

まったく、こんな女だけの灰色の青春なんておかしい。普通は恋に恋するお年頃だというのに、これはどういう事なのだろう。

「私達、こんなに灰色でいいの?」

私が力説すれば、こんな二人でも少しは良い方向に考えてくれるはずだ。

「…………」

「…………」

…………あれ?

なんで二人とも明後日の方向を見てるのかしら?

「ま、まさか……」

「ごめんね、アリサちゃん」

「あ、なのはちゃんも?実は、私も……ごめん」

な、なななななななな、何じゃそりゃ!?

信じられない。

信じられないよ、ブルータス!!もしくはパトラッシュ?どっちでもいいわ!!

「実はね、一週間前に留学生のユーノ君っとお付き合いする事になったんだ」

「私も思い切ってお姉ちゃんの恋人に告白したらOK貰ったよ」

「ちょっと待て二人目。なんでOK貰うわけ?というかアンタに問題あるんじゃなくて、アンタのお姉ちゃんの彼氏―――なのはのお兄さんに問題あるわよね?」

「お兄ちゃん、面食いだから」

「そういう問題じゃないよね?そういう言葉では片付けられないよね!?」

「愛は法律を超えるんだね~」

「超えちゃ駄目だから!!」

なんか、この二人の個性の方向性が色々と間違っている気がする。なんか、私だけが苦労する一般人、というかツッコミ役?

「なんか、どっと疲れてきたわ」

「寝不足だね」

「栄養が足りないんだよ」

お前等が言うな。










世界は生まれ変わった。

正確に言えば全てが生まれ変わったわけじゃない。

失った人は戻らない。死んだ人は生き返らない。それでも元には戻る。完璧ではなく、何かと何かを挿げ替える様な曖昧な世界。

それでも世界は普通に動き続ける。

動き続け、それが普通に変わる。

「今日も平和だった……かな」

なんとなくそれをノートに書いてみる。

もちろん、意味なんてない。

意味のない事をするのは意味がない。

「まぁ、戯言だけどね」

そんな言葉を口にする。

気付けばこれが口癖になっている。

まったく某小説の主人公じゃないんだから、私は。

放課後の教室は静かだ。誰も居ない教室の空気に私は一人で佇む。夕焼けが燃える様に輝き、その下でクラスメイトの子達は熱心に部活動に励んでいる。

そして私は一人で空を見る。

何処までも広がる空。でも、私はその空が途中で途切れている事を知っている。

壊れた世界は元には戻らない。

この世界は小さい。

元の世界は何処までも続く永久的だったのに、今の世界は限りがある。

次元世界、そう呼ばれていた場所は存在しない。

この世界にあるのは地球だけ。

地球だけが唯一の世界。

もちろん、さらに正確に言えば地球を中心とした太陽系はある。ただ、太陽が中心なのではなく地球を中心としているから地球系とも言える。

「これも戯言だね」

神様だって万能ではなかったらしい。女神と呼ばれた存在は完全に世界を元には戻せなかった。戻せたのは私達の暮らす地球だけ。途切れ途切れのパーツを無理矢理に溶接したデコボコな世界が、今の私達の世界。

それでも世界は廻る。

高町なのはは、別人として生きてる。

月村すずかも同じ、全てが同じ別人として存在し、それを普通として日々を過ごしている。前という過程がなければ仮定とて立派な過程として存在している。

過程も仮定、結局は同じだ。

「考えてもしょうがないか……」

そう、考えてもしょうがない。

どうしようもないのだ、この世界は。

鞄に教科書を詰め込み、私は教室を後にしようとドアに手をかける。しかし、私が開けるまでもなく、ドアは勝手に開いた。

「あれ、まだいたんだ?」

「うん、居たんだよ『お嬢様』」

私がお嬢様というと、決まって彼女は嫌な顔をする。

「……アンタも私の敵?」

「そんな事はないよ―――アリサ」

目の前でアリサが訝しんでいる。ちょっとからかい過ぎただろうか。

「学校では普通にアリサって言う様にするっていう約束でしょ―――フェイト」

「そうだったね。うん、これはうっかり」

無論、わざとだけど。

「うっかり、じゃないわよ。アンタね、私の家の使用人の癖になんで私にそんな横柄な態度なわけ?」

「アリサがご主人様っぽくないからだよ」

「私ほどにご主人様なオーラを持っている人はいないわ」

「うん、小物臭い」

「買うわよ?喧嘩、買っちゃうよ?」

「いいけど……とうせ僕が勝つと思うよ」

「―――――そうね、そうだったわね」

一応、神様並に強いからね、私は。

「まったく、どうして私の周りは変な人しかいないのかしらね」

「そうだね……多分、類は友を呼ぶって奴だね」

「フェイト、人には負けるとわかっていても戦わなければいけない時があると思うの」

ほんと、アリサはからかうと面白いね。

つくづくそう思うよ。

さて、今更だけど私はアリサの家の使用人として生活している。一応はアリサがご主人様で私が使用人、メイドという関係。
この関係はアリサが子供の時からそういう関係、という『設定』になっている。
ちなみに、周りの認識ではアリサのお父さんと私のお父さんが親友で、私のお父さんが死んだ事で私がバニングス家に引き取られた、という設定になっている。
もちろん、私は使用人であると同時にアリサの友達でもあり、家族でもある。

「アリサは愛されてるよ。沢山の人から愛されてる」

「あれで?」

「あれでも、だよ。それに、アリサだって皆の事が大好きでしょ?」

そう言うと、アリサは決まって黙り込む。

恥ずかしがっているのが一目でわかる。ほんと、純情なんだよね。

その後、私達は色々な事を話しながら帰った。

他愛の無い世間話。なのはとすずかに恋人ができた話。授業がつまらないという話。家族の話。私の話。アリサの話。

沢山話した。沢山、何時もの様に沢山話した。

そうやって私達は夕焼けの下を歩く。

「―――――ねぇ、フェイト……アンタって好きな人とかいないの?」

「私?そうだね……アリサの事は好きだよ」

「そういう意味じゃなくて、異性の話よ。気になる相手とか、告白したい相手とか、そういう人は居ないのかって話」

なるほど、そういう話なのか。

だったら私はこう答える。

「いないよ」

あっさりと、きっぱりと、つまらない答えを返す。

「本当に?」

「本当だよ。僕にはそういう人はいないし、そういう感情が良くわからないんだよ」

「嘘ね、それ」

「嘘かもね」

でも、本当だ。

人を好きになる感情はもちろんある。でも、それ以上の感情は理解できない。LIKEはわかっても、LOVEはわからない。

「そういう性質なんだよ、僕は」

「またそうやって諦めた風に言うんだから。その諦め癖、止めなさいよ」

「別に諦めてるわけじゃないんだけど……そういうアリサはどうなの?聞けば、今年に入ってもう五人に告白されたそうじゃない」

するとアリサは口ごもる。

「そ、それは……」

「でも、全員を粉砕したって話だね」

「それ、私が攻撃的って風に聞こえない?」

「そういう風に言ってるからね」

アリサはモテる。それはもう、嵐の如くモテる。なのに一度も彼氏というか恋人を作った事はない。どうしてかと聞けば、アンタには関係ないと答える。これも何時も通り、普段通りの返答だ。

でも、時々思う事がある。今日はそれを口に出してみる。

「もしかして……他に好きな人がいるとか?」

「…………」

微かな可能性。

藁にも縋る様な可能性。

そんな可能性を何時だって私は信じている。

「気になる人、いるのかな?」

「―――――いないわよ」

いない、とアリサは言う。

嘘ではないと思う。

嘘じゃないと信じている。

けど、それだけが真実じゃない。

だって、知っているから。

「ただね、なんかこう……こう、アレなのよ」

胸の辺りを指差しながらアリサは曖昧な事を口にする。

「なんかが足りない。告白してきてくれる人は全員良い人だと思う。でも、足りないの。私が求める何かというか、その人が持っている何かが足りない……そういう感じ、わかる?」

わかると言えば、わかる気がする。

少なくとも足りないという意味だけはわかる。

私だって色々と足りないからだ。

足りないから、毎日の様に足掻いている。

誰もがそうである様に、私だって―――人間なのだから。

「自分でもその正体が欲しいんだけど……見つからないの」

「アリサは、それを本気で探してるの?」

「探してる―――つもり」

つもりでもいい。

微かでも知っている、感じているのなら十分なのかもしれない。

「そんなに焦る事もないと思うけどね……」

「でも、周りは……」

「周りは周り、アリサはアリサだよ」

「…………そうかなぁ?」

「そうだよ」

私はアリサの手を引いて歩きだす。

「ほら、早く帰ろう。僕はお腹が空き過ぎて死にそうだよ」

「そう簡単に人は死なないわよ」

「それもそうだね」

歩く、歩く、私とアリサは歩く。



でも、歩いても見つからないモノはある。



歩いているのにたどり着けない。

私が見つからない大事な何か。

どれだけ力が私の身に宿っていても、誰もその答えを見つけてはくれない。だから私自身が見つけるしかない。それが例え、永久に見つからない事だとしても。

神は何も教えてはくれない。強大な力を私に与えておきながら、何一つ教えてはくれない。

それもそのはずだ。

私の身に宿る神、女神はそういう存在だ。

彼女は人の善を愛する。けど、それだけ。それだけだから、私は女神の事が大嫌いだ。

だって、女神は人の善を愛したとしても―――――止めた。これ以上アレの事を考えても無意味だ。

神は変わらない。

人は変わる。

想いは変わらない。

人が想いの塊だから、変わらない。

あの人が、彼女を愛した事実は変わらない。

あの人が、彼女の未来を愛した事は変わらない。

あの人が、彼女の笑っている今を愛している事には変わらない。

だから、私は何時も少しだけ泣きたくなる。

泣いても泣いても、苦しみ喚いて呻いても、それでも変わらなかった現実を前に屈しそうになる。

「ねぇ、アリサは今……幸せ?」

「どうしたのよ急に……」

「何となくね」

アリサは少しだけ考え、

「幸せ、だと思うよ。家族もいるし、友達もいる。生意気な使用人もいるし、今の生活に不満はあっても嫌いだとは思わない」

「そっか。なら、少しだけ安心したかな」

嘘だ。

これは嘘だ。

私は安心なんかしない。

安心なんか出来るはずがない。

アリサは幸せだ。

きっと幸せなはずだ。

幸せだと思ってもいいはずだ。

なのに、私はそれを否定している。

例え世界が生まれ変わったとしても、その世界にかつて生きていた人達が誰からも忘れさられたとしても、変わらない何かがあると私は信じたい。

だって、それが絆なんだから。

絆は失われてなんか、いないはずなんだから。

「…………」

希望の歌を奏でたい。

世界は素晴らしいと歌いたい。

裏切りや悲しみ、悲劇と不幸があるとしても、変わらない想いがある限り人は絶対に幸せになると信じて歌える。

世界中に人々が奏でる希望の歌。

「…………」

私は知っている。

在る法則を知っている。

その法則の中にある法則一つに、こんなものがある。



神の従者は存在しない人である。故に消えた瞬間に存在を消される。誰の記憶にも残らず、心にも残らず、最初から存在しない存在として扱われる。それが神が死ぬと従者も死ぬという意味であり、覆す事の出来ない絶対の法則。



「…………」

あの人は―――佐久間大樹は確かに存在していた。アリサの為に生きて、アリサの為に消えていった。私の絆の強さを見せてくれた。私に諦めない事の強さを見せてくれた。そんな人が確かにいた。前の世界に存在し、今の世界には存在しない人。

消えてなんか、いないよね?

怖いからずっと聞けなかったけど、忘れてなんかないよね?

私は立ち止まり、アリサを見た。

ずっと怖くて、アリサに聞けなかった事。

どうして今になって聞こうと想ったのかはわからないが、

「ねぇ、アリサ……」

「今度は何よ」

今に、聞こうと想った。

世界は素晴らしい。

世界は希望に満ちている。

裏切りや悲しみ、悲劇も不幸も存在するが、絆だけは確かな希望としてあるはずだ。

だから、私は希望にすがる。

だから、私は絶望を否定する。

絆は、此処にあると信じているから。

「アリサは……知ってる?」

「何がよ」

だから、ね。

奇跡を願う。

希望を願う。

二人の絆は、消えてなんかいないと。

「―――――佐久間大樹っていう人、知ってる?」

佐久間、アリサは幸せになったよ。

みんながいるから、アリサは幸せになったよ。

それだけは保障する。

後は、アナタがいれば絶対だ。

アナタの絆は、アナタが紡いだ絆は絶対に消えはしない。

紡いだ絆は、幸福の証なのだから。

だから答えて欲しい。

アリサ、アナタは覚えているよね?

アナタの一番大好きで、一番大切な愛しい人の事を。

アリサは苦笑する。

何を当然の事を聞いているのかと苦笑して、
























「―――――佐久間って、誰よ?」
























佐久間……アリサは、幸せになったよ













人質はリリカル~Alisa~  Happy End






NEXT
人質はリリカル~裂苦矢~






あとがき
お、終わったぁぁぁああああああああああああああああああああ、な散雨です。
最終話のBGMに「Metamorphose」、「君がいるから」、「only my railgun」
エピローグのBGMに「song for…」
とか聞きながら、やっとアリサルートが完結させました。
最初の方に書きましたが、僕はハッピーエンドが好きです。だからハッピーエンドになりましたのです。ですので、これはバッドエンドではなく、ハッピーエンドです。

ヒロインだけが幸福になる、ハッピーエンドです。

と、そんな事はさておき、最終話は見事なまでに厨二臭満載でお送りました。設定の時点で厨二なんだから、最後は厨二の集大成で終わらせてもいいかな~とか思ってしまいました。ちなみに、ラストバトルは三ルートの中で一番派手にしてみました……つまり、残り二つはこれ以下で地味になる予定です(多分)。
そして何より、この主人公。

お前、なんで愛の告白してんの?

いやね、最初はLIKEて程度の好きで終わらせるはずだったんですが、気付けばLOVEになっていた。まさにキャラが勝手に動いている状態です、嘘ですけど。
けど、予定と違っても別にいいかな~とか思ってますけどね。
そして何だかんで間違った方向に成長してしまった主人公はサクヤルートでリセットします。つまり、元のヘタレに戻ります。最低最悪な理詰めなヘタレ野郎になっちゃいます。

そう思うと……これ、アリサルートだけで終わらせた方が良くね?

などと思ってしまいます。
というわけで次回はサクヤルート、ではなく「第一回・本編出演権争奪戦」でいきます。これを読めばサクヤルートに出演するキャラがまるわかり、ではなく。

「出ないキャラがまるわかり」です。

ようは気分展開の某虎道場みたいな感じですね。
それも終わればとうとう念願のラブコメだ!!
主人公とヒロインのウフフ~でアハハ~な展開……に邪神とか突っ込んでみる。
そう、これはラブコメなのですよ……ウケケケ

それでは、皆さま。さようなら









[10030] 人質はリリカル~昨夜~ 第一話「一つの始まり」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/12/18 06:48
人であり人形であり、人工であり人造であり、人と名のつくモノは多数存在する。それでも、その意味はそれぞれが違う。

人形は人に似た何か。

人工は人が作った何か。

人造は人工に似ているが何処か違う、人の意思が合わさった何か。

つまりは人から始まる。人という存在から生み出された存在という事になる。人から創られ、人とは違う何かとして生まれ、普通に俺達の周りに存在する。

人という存在。

存在を人が作る。

人、人、人―――人間という人。

なら、その人を作りだす人とはどういうモノなのだろうか?

人は作れるのか、それとも作ってはいけないのか。昨今ではクローン技術の先駆けとしてクローン羊とかクローンキャベツとか、とにかくクローンと呼ばれる『偽物』が次々に生み出されている。

そんなクローンの存在を宗教的にはアウトであり、命を人が創りだすという行為自体が神への反逆だと声を高らかに掲げる者もいる。

しかし、だ。

神が人を作ったという通説は当然の様にあるが、それに対して俺はこんな疑問を感じてしまう。



神が人を作った―――その反対に、人が神を作ったのではないか、と。



これは単なる言葉遊びであり戯言だ。それでも思ってしまえばしょうがない。この事を少しだけ考えてみる。

そもそも神という存在は本当にいるのか、という話だ。

いや、確かに神という連中はいる。あのクソッタレな邪神、優しい女神、そんな物語の中の登場人物みたいな連中がいる事は確かだ。現に俺だってそういう連中に会っているし、邪神によって新しい人生を歩んでいる。それでも、そんな連中をこの目にしなければ絶対に神様なんて信じなかっただろう。

都合良い神様を信じても、確実に存在するであろう神様は信じない。これは幽霊を信じるのか、UFOを信じるのかと同レベルの問題だ。

神はいるのか、いないのか。

俺達は常に都合の良い時だけに神様を頼り、それ以外は信じない。日本人なんてまさにそれの典型的な部類に入るだろう。代表的な宗教から重箱の隅にいるような宗教、はたまた神ではなく個人を崇める宗教だって存在する。そういう宗教の大半は万人受けはせずに異端として扱われる。

世界に無数に存在する宗教の中で、他人から見てもなんら問題のない宗教。万人受けに『成功』した宗教以外は邪教である、そんな風に見られるのが普通だ。

アイツは変な宗教にハマっているから危険だ、とか。

アイツは変な宗教にハマっているからおかしい、とか。

万人受けに失敗した宗教なんてそんな扱いを付けるのが現代社会。これが江戸時代に遡れば世界最大の宗教ですら異端として扱われ、迫害を受けてきた。もっとも、そんな宗教も今では一般的なポピュラーな存在となっている。

さて、そんな宗教批判ではなく、宗教否定はこの辺にしておき、最初の話題に戻ろう。

神は人を作ったのか、それとも人が神を作ったのか―――俺は多分、後者だと想っている。

だって俺は神様を知らないからだ。

生れてこの方、少なくとも死ぬ前には神様なんて信じた事はない。都合の良い時だけ漠然とした神様に頼った事はあっても、神様が実際に存在するなんて夢にも思っていない。

だってよ、神様だろ?

俺達が知る神様ってのは全てが他人から、ある者は親から教えられた神様しか知らない。その神様を教えてくれたのも他人であり、その他人に神様を教えたのは神様ではなく他人だ。

なら、神様っていうのは本当は存在しない、架空の存在なんじゃないかって思ってしまうのは、おかしい事じゃないはずだ。

人が神を作った。

神が人を作ったと言う大前提ははなからどうでもよく、その後に人が神を捏造し、それを信じろと世間に叫ぶ……ほら、こっちの方はよっぽどリアルだ。

神様なんていない。

神様なんて架空だ。

神様なんてサポートセンターのサービス電話番くらいの扱いでしかない。

それでも神様を信じている人は沢山いる。沢山いる中の殆どは布教という名の『営業』に成功した宗教であり、失敗した宗教は神様なんかよりも胡散臭い連中として扱われる。

そして、俺が目にした神様は、俺を死の底から釣りあげた神様は邪教の中の邪教、邪神の神滅餌愚坐さまときたら、これはもう笑えない。神様なんて絶対に信じられない。ホント、笑い話にもなりはしない。

神は人を作り、人は神を作った――――これは何とも夢のない話だ。




さて、長々と語った所で申し訳ないのだが、これは別に神様の話なんかじゃない。神様の話をするのは『ずっと先』になるだろう。だから、これはそんな神様が作った人の話だ。人という人造された人。人である事が当たり前であり、何よりも神よって『都合良い人』として人造された人間のお話だ。

全てが終わった後、俺はその人をどういう風に評価するかは知らないが、現段階ではこう言える。

アイツは善人だ。

善人すぎて、佐久間大樹という人間失格が酷く虚ろに見えてしまう。

そう思ってしまうほどに善人なアイツを、俺は心の底から羨ましい。嫉妬する時だってあるだろうが、それでも羨ましい。

けどな、それだけじゃない。

アイツは善人だ。

誰よりも善人だ。

悪という概念全てを『失った様な善人』だ。

これは、後をある邪神が誰かに向けていう言葉なのだが、今は俺が口にするとしよう。

「本当の悪人には悪だけが存在するわけじゃない。悪しかない人間は存在しない―――何故なら、悪では人は動かないからだ」

そう、悪だけでは人は動かない。

人が動くには善が必要不可欠だ。しかし、善だけで十分というわけではない。善だけでは人とは呼べない。

「善と悪―――これは互いが見つめ合い、嫌い合い、憎悪し合うからこそ正常に働く心であり、どちらが欠けても正常には動かない」

それが人という存在に課せられた矛盾であり、生き方。

真に正しい人間は存在しない。

真に悪どい人間も存在しない。

存在するのは正しくもあり悪くもある、そんなイコールで結ばれた人間だけ。

故にこれは正義のお話。

故にこれは悪のお話。

故にこれは存在のお話。

正義だけを信じ、悪を否定し続けて―――その両方を受け入れた瞬間に出来あがる本当の人間という存在のお話。



サクヤ・エルフォンドという女の、『存在』の物語なのだろう。











人質はリリカル~昨夜~
第一話「一つの始まり」












喰らい喰らい喰らい―――暗い闇が俺を喰らう。

「………んあ?」

間抜けは声を上げるが、果たしてこの闇の中に俺の声は何処まで響くのだろうか……なんて考えるのも飽きた。

ほんと、飽きた。

「…………俺、何してんだ?」

これも飽きた。同じ言葉を何度も何度も繰り返しながら、俺はこうして同じ事を繰り返す。
暗い闇の中で出来る事なんて殆どない。最初の頃はどうして俺がこんな場所にいるのかと疑問に思った。その次は恐怖した。最終的に飽きた。人間は環境に慣れ、生物はソレに合った進化をしていくらしいが、俺の場合は飽きただけ。

進みもせず、飽きたという言葉だけ停滞する。

暗い闇はそれだけ暇なのだ。

にしても、だ。どうして俺はこんな場所にいるのだろうか―――恐らく、数日ぶりにこんな事を考えてみたのだろう。少しだけ興味がわいてきた。もちろん、どうして自分がこんな場所にいなければいけないのかという恐怖も覚えたのだが、それはそれ。甘いモノは別腹と同じ原理で無視する事にする。

「えっと……最後の記憶、はっと……」

思い出す―――訂正、思い出そうとする。しかし、思い出そうとした瞬間に頭に火花が散った。

痛いというよりは鈍い。痛くはないが苦しくはある。まるで脳内をフォークでグリグリされた後、必要な部分だけをスプーンで抉り取られた様な感覚だ……わかるだろうか?わかるはずはない。俺だって良くわからない。

ただ、その時に感じた事だけはわかっている。



赤、だった気がする。



赤い赤い、何よりも汚れた赤色。垢の様な汚れに似た垢。垢色のイメージだけが生まれ、それが俺が何かを思い出す事を否定する。否定するのは俺の専売特許だったはずなんだけど―――いや、そうでもないか。

「赤い、なぁ……」

あの赤はなんだったのだろうか?

何かとても大切な想いと思い出があり、切ってはならない大切な何かが其処にあったはずなのに、それが赤色によって塗りつぶされた。

「まるで……それが『無かった事にされた気分』なんだよなぁ」

まぁ、気のせいだとは思う。そう思う事にする。考えても考えても赤に塗りつぶされるというのなら、それでいい。

しかし、俺は何時までこうしていればいいのだろうか?

いい加減、この闇の中に浮かぶのも飽きているんだよ、俺は。

「ホント、嫌な闇だよ」

自分の中の何かが漏れ出す感覚。

誓った何かを崩れ、漏れ出す。

作った何かが壊れ、漏れ出す。

大切な誰かの思い出が、漏れ出す。

まるで、自分という存在を一から作りだす様な―――再構築された様な、リセットされた様な、蔑にされた様な……ともかく、何故か悲しい気分になった。

「―――――ま、いっか……」

だから目を閉じる。

もう一度闇の中で闇に堕ち、そして目覚めて闇を見る。そんな事の繰り返しをして、繰り返して、繰り返して、

「繰り返して、何をするんだろうな?」

その問いに答える者は誰も無い。

少なくとも、誰かは居ない。

居るのは闇だけ。

闇の様に不快な深い垢。



【―――――反則し、否定しろ】



赤い垢が、そう呟いた。









目が覚めると、そこには知らない天井――――お約束だから、あえて口にはしない。

「―――――――――ん?」

此処は何処だ?

というか、此処は現実か、それともあの闇の続きか、それとも他の何かか……

「俺、何してんだ?」

どうやら寝ているらしい。

寝ているのはベッドの上。

ふかふかのベッドではなく、何処か嗅ぎ慣れたベッドの匂い。

そう、俺はベッドの上に寝ている。

「何だってんだよ――――ッ痛!?」

起き上がろうとした瞬間、背中がズキリと痛んだ。

なんだ、今の痛みは――――あぁ、床ずれって奴か。

「床ずれ?なんで?」

というか、床ずれは床ずれでも何時もよりも数倍は痛い床ずれだった。これはあれだ、まるで『数か月』くらい寝ていたような場合の床ずれの痛みだ。

………ん、なんで俺はそんな予測が経つんだ?

先程からクエスチョンマークの連続だが、これもまた一つの謎だ。どうして俺は自分の身体の具合がこんなに具体的にわかるのだろう。

「身体は正常……痛むのは背中だけ。内臓機関に異常は無し、視界も良好。栄養は点滴による些細な補充だが命を繋ぐには十分……………」

おかしい。

本当におかしい。

頭の中に次々と自分の身体の状態を確かめる方法、その状態がどのような状態なのかという知識があり、まるで医者になった様な気分だ。

俺、医学の知識なんて一欠けらも無いはずなんだけどな。

いや、違うな。

これは医者の知識でも何でもない。

「――――経験?」

そう経験だ。俺はこの身体の痛みを経験している。そして、この痛みを自分以外にも診たという経験があり、その経験が俺の今の状態をしっかりと把握している。

自分で言っててわけがわからないが、ともかくそう言う状態に違いない。

経験がある―――そんなあり得ない事を俺は経験している。

「どうなってんだよ……」

ともかく、だ。この身体の痛みは床ずれだけで、腕に微かに残る痛みは点滴の針の痛み。そんでもってこの清潔すぎる匂いは確実に病院に一室だ―――そう経験が言っている。

俺は改めて周囲を見渡す。と言っても、周囲という程広いわけじゃない。此処は何処からどう見ても病室であり、それも結構金がかかる金持ち専用の病室だ。

「もしくは、重病人専用ってか?」

いや、それは違うと経験が言っている。

「なんだよ、経験って」

自問自答―――止めた。

俺は痛む身体を起こし、腕に刺さった点滴を抜く。最初は点滴を勝手に抜いていいか迷ったが、経験が抜いても問題は無いと言ってくれた。

「だから、経験って何さ?」

自問自答―――しつこいな、俺も。

ともかく、俺の今の状態は極めて正常。俺がいる場所が病室であるという一点を除けば、全てが正常通りである。

「ほんと、どうなってんだ?」

とりあえずベッドから降りて身体を伸ばす。

バキバキッと骨が嫌な音を響かせるが問題は無い。

病室を見渡す。

ベッドの横にはお見舞いの品みたいな果物の籠。花瓶には向日葵。その下に袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれた煙草。

「――――とりあえず、吸うか」

病院内は禁煙です、という常識は知っている。しかし、此処は病室に見えて病室でないかもしれない。故に俺は勝手に煙草を吸う……あ、火が無いや。

「煙草はお預け、か」

これは神が病院で煙草を吸うなという啓示に違いない。どうやら、昨今の禁煙ブームはとうとう神の世界でも浸透しているらしく、神様レベルで世界中に禁煙を勧めているらしい。

……ッチ、神様すら喫煙者の敵かよ。

「まぁ、戯言だけどな」

某小説の主人公みたいな事を言いながら、俺はふと壁にかかったカレンダーを目にする。

「…………」

カレンダーの日付は七月。

捲り忘れだろうか――――いや、むしろ捲り過ぎだ。今は四月だったから、七月なんて三カ月も先ではないか。

やれやれ、しっかりと管理くらいはしようぜ、なんて思っていると、俺は改めてカレンダーを凝視してしまう。

カレンダーは七月。それから花瓶には向日葵……俺は恐る恐る病室に備え付けられたテレビを付ける。

画面の向こうでは、袖無のシャツを着たアナウンサーが汗を垂らしながら、

『七月二十八日、都内の○○ビルにて発見された変死体の身元は海鳴市在住の三十七歳、重村智道さんと判明。死因は『一応』は刺殺と判明。鋭いナイフの様な物で何度も何度も被害者を刺した様な痕があり、同時にバーナーの様な高温の熱を放つモノで被害者の身体をバラバラにされ――――』

殺人事件、なんてどうでもいい。



問題は今が『七月二十八日以降』だという事だ。



「嘘だろ?」

俺の記憶が正しければ、まだ四月。夏ではなく春だったはずだ。なのに世間は見事に夏。向日葵が咲く季節であり、カレンダーの写真は海が写っている。

つまり、夏なのだ。

問答無用で夏なのだ。

「――――――ワォ」

無意味にアメリカ人っぽい事を言ってみた。

すると、「ワォ」が四十人の盗賊が秘密の洞窟の扉をあける呪文の様に、病室の扉が開いた。

「佐久間さん、こんにちは。今日も暑いで―――――――え」

扉の向こうにいたのは可愛らしい夏服に袖を通した少女、高町なのは。

なのはの手には病室の花瓶にあった綺麗な向日葵。

あぁ、この向日葵はなのはが持ってきたのか。

「…………さ、佐久間、さん?」

信じられない様なモノを見る様な眼で俺を見るなのは。

「―――――――っや」

とりあえず、手を振ってみた。

瞬間、



「ざぁぁぁくぅぅぅばぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁん!!」



以前、何処かで聞いた様な必殺技みたいな叫びと共に、俺に飛びついて来た。

さて、ここで一応言っておこう。これは意外と大事な事だから皆も知っておくように。

俺、さっき目を覚ました。

俺、さっき背伸びしたらバキバキと音が鳴った。

俺、実は立ち上がってから少しだけ身体が痛い。

俺、なんか腰に違和感がある。

俺、全快ではない。

そんな俺に少女が弾丸の如く飛びかかる……ではなく、抱きついてきた。



この日、俺は生れて初めて――――ぎっくり腰になった






トンネルと抜ければそこは雪国だった――――というフレーズになぞって、俺が目を覚ませばそこは夏だった、という話だ。

そう、問答無用の夏だ。

俺に襲いかかった―――訂正、抱きついて泣きながら俺を亡き者にしようとしたなのはは、ワンワン泣きながら俺がどうして病院にいるのかを教えてくれた。ちなみに、俺はそんな話をする前に速攻でナースコールを連打したかったが、ぎっくり腰というのは想像以上の激痛で動く事すら出来ず、大変苦しかった。故になのはの話などこれっぽっちも聞こえない。

そんなわけでベッドに強制送還され、医師の診察を終えた俺。この後に色々と検査があるらしいが、それまではなのはと話して良いという事になり、俺は未だに泣いているなのはをなだめながら、俺がどうして病院にいるのかを改めて尋ねた。

「交通事故?」

なのはは頷く。

「なんでさ?」

そんな記憶はこれっぽっちも無い。

しかし、なのはの話を聞いていく内に色々と思いだしてきた。

そうだ、俺は交通事故に会ったんだ。

ちょっと近くのコンビニに煙草を買いに行こうと仕事を抜け出し、横断歩道の前に立った。そして、信号が青になった事を確認した後に歩き出し――――轢かれた。

「いや、なんでだよ!?」

「私に聞かれても……」

「そうだろうけど、なんでだ?信号は確かに青だったはずなのに、なんで車に轢かれる?」

これが飛び出した子猫、または子供を助ける為に飛び出したとかいう美談だったのなら納得は出来るし、辻褄も合う。しかし、信号は確かに青だった。青だった上に車も何もなかったはずだ。

「でも、佐久間さんは確かに車に轢かれたって……」

「…………なら、そうかもしれんけど」

納得できない。俺の記憶が飛んでいるならまだしも、俺はその時の事、意識が闇に堕ちる前の事をしっかりと記憶している。

「―――――で、俺を轢いた野郎はどうなった?」

「犯人は捕まってないんだって」

「そうか……まぁ、それはこの際はどうでもいいけど」

「どうでも良くないよ!!佐久間さんを轢いてそのまま逃げるなんて、酷い人だよ!!」

熱くなるところ恐縮だが、俺は冷めてる。

恐らく、四月から七月までの間。俺はずっとあの暗闇の中にいた。その間に色々と考えて悶々としていて、それから解放された今ならテロリストだって許せそうだ。

というか、ぶっちゃけて本当にどうでもいい。

「生きてるからそれで十分だよ。犯人だってその内に捕まるだろうし……それより、お前はずっと俺の見舞いに来てたのか?」

「うん……皆で交代で毎日来てた」

「毎日?それは幾らなんでも来すぎだろう」

俺がどの程度で目を覚ますかもわからないのに、どうしてそんなに来れるんだろうか疑問でしょうがない。

「そんな事ないよ」

「そんな事があるんだけどな……」

少なくとも、俺にはわかる。

病院、お見舞い、そして目覚めない誰か――――どれもこれもが、俺にとっては最低な思い出の一つなんだよ。

あぁ、だからか。

犯人に怒りもしないし、こうして俺の心配をしてくれていたなのはを前にしても、どうして俺なんかの為に毎日見舞いに来るんだって思うのは。

それはつまり、俺が知っているからだ。



目覚めない人を待つ、見守る人の気持ちがな。



「―――――あんなもん、苦しいだけじゃねぇかよ」

「佐久間さん?」

「…………いや、何でもない。ありがとな、毎日見舞いに来てくれて。おかげでこの通り元気だよ」

ぎっくりした腰は未だに痛いけどな。

「それにしても、もう七月か……もしかして、今は夏休み中か?」

時計の針は正午を指している。こんな時間に病室に来るという事は授業をサボってきたか、元々が休みという二つしかないだろう。もちろん、前者であるはずはないだろうけど。

「うん、だから今日も此処で宿題をするつもりだったんだ」

そう言って俺に見せたのは懐かしい夏休みの天敵、宿題だ。

「何もここでやらんでもいいだろうに」

「ここでなら、何時佐久間さんが目を覚ましても大丈夫だから……」

なんでそこまで俺の見舞いにくるんだろうな、このお子様は……あぁ、駄目だ。感謝するはずの場面なのに、俺の心がどんどん冷めていく。

それを誤魔化す為に、俺はとりあえずは周りの事を聞く事にする。

「そういえば、アリサは元気か?」

何気なく尋ねたつもりだったのだが、

「…………」

何故か黙り込んでしまった。

「おい、なのは……」

「…………アリサちゃんは、」

まさか、俺が寝ている間にアイツの身になにか遭ったのか?

「今は、いない」

「いない?」

それから、なのはは話してくれた。

俺が寝ている間、アリサが海鳴の街を離れている事を、そして、その理由を。

「治療の為に海外へ、か……」

「アリサちゃんの足、普通の治療じゃ治らないんだって……」

「そんなに、酷かったのか?」

なのはは黙って頷く。

少なくとも、普通の治療では治らない―――つまり、歩けないという事。

身体に錘が乗せられ、心臓が何かに鷲掴みにされた様な気分だった。

「アリサちゃんは笑ってたけど、泣きそうだった……本当は誰よりも辛いはずなのに、私達の前では笑ってたの」

想像する―――吐き気がする。

俺という最低な奴のせいで歩けなくなる程の重傷を負ったアリサ。そんなアイツの悲しみを知る事なくのうのうと寝ていた俺。

「でもね、海外に行けばまた歩ける可能性があるって。お父さんの知り合いのお医者さんなら、何とかしてくるかもって」

そしてアリサは海外へ旅立った。

「…………」

心の中にぽっかりと穴が開いた気分だ。

まるで、何かに安堵しているかのような、最低な気分だ。

「だから……大丈夫だよ。きっと帰ってくる時には車椅子じゃなくて、アリサちゃん自身の足で帰ってくるよ。アリサちゃんも、そう言ってたから」

「…………」

俺は窓の外を見る。

外は夏の日らしく暑そうで、病室の中でさえ蝉の声が聞こえる。

夏休みなんだ。

今は夏休みなんだよ。

子供なら何よりも楽しみにしていた、少なくともコイツ等は凄く楽しみにしていたはずの夏休みに、友達同士が離れ離れになってしまった。

俺のせいで。

俺なんかの、せいで。

「佐久間さんの事、凄く心配してたよ」

「…………」

「交通事故に遭ったって聞いた時ね、私達は一緒だったの。佐久間さんが車に轢かれたって聞いた時、アリサちゃん――――」

「いい、言わなくていい」

俺はなのはの言葉を遮る。

「でも……」

「頼むから、何も言わないでくれ……」

聞きたくないのではない。聞く勇気が、無い。

「佐久間さん……」

「そっか……アイツ、足を治す為に行っちまったのか」

寂しい気持ちはない。あるのは申し訳ないという想いだけ。それ以外は何もない。アイツの心配する気持ちよりも、自分の不甲斐なさが強く残り、それに今にも押しつぶされそうになった。

辛い、苦しい、死んでしまいたい――――これも、

「戯言なんだよ、俺が言うなんざよ」

この話はこれで終わりだ。

俺が聞きたくない事もあるし、なのはもそんな俺の顔から察したのか何も言わない。

病室では外から聞こえる蝉の鳴き声と、なのはが宿題をしている際のシャープペンの音だけが響く。

夏だというのに、少しだけ寒かった。





翌日、午前中の間に色々な連中が顔を出した。

高町家一同、月村家一同、皆が俺の目覚めを祝いながら、そんな皆の嬉しそうな顔、時には泣きだしそうな顔を見ているだけで―――辛くなる。

そして午後になれば誰も居なくなった。

静かな病室。

静かな空間。

俺は見舞いの品にあった文庫本をなんとなく目を通していた。文章を読むのではなく見るだけの読書としては成立していない行為を繰り返し、気付けば三時になっていた。

まだ外は暑いのだろう。

窓から見える道路が微かな歪みを見せ、コンクリートに水を巻いている病院関係者が目に写る。

病院という場所は嫌いだ。

過去であれ、現在であれ、未来でされ俺はこの場所を嫌う。

病院は嫌いだ。

此処には辛い思い出しかない。

死ぬ前の辛い、嫌な記憶。そして、死んだ後のアリサの姿。

「―――――死にたくなるな」

冗談でも病院でこんな事を口にするべきじゃないと知っていながら、俺は呟いていた。

文庫本を放り出し、目を閉じる。

眠くはない。でも、寝たい。寝てしまえば時間の経過は早いだろう。だから、早く寝て時間の経過を早く進めれば進める程、退院の時期が早まる。

俺の中にある経験としては、もう退院しても問題がないのだが、周りから見ればそれは素人判断であり、担当医の許可が無いと退院すらままならない。

「ほんと、死にたくなるな」

でも、本当は死にたくないんだよな、俺。

苦笑し、自傷する。

夏だというのに、どうして俺はこんなにも無様なんだろうな。

「人間として最低だからだろ、そんなもん」

自問自答を繰り返し、行きつく先は常に自己否定。

否定して否定して、それで救われるなら幾らでも否定してやる。だが、その否定する意味すら俺にとっては無意味だ。

俺という人間は、人間失格な俺としては、それが限界。

…………ふと、考えてしまった。

俺が交通事故に遭ったと聞いた時、アリサはどう思ったんだろうか?

悲しんだのか、苦しんだのか―――出来れば、そんな事は思って欲しくない。出来る事ならば、

「喜んで欲しいってか、このドM野郎」

また苦笑し、自傷する。

聞けなかった。聞きたくなかったから否定して、流してしまった。アイツが俺の事をどう思っているかは知りたいが、本音はそうじゃない。怖い。怖くて怖くてしょうがない。アイツが俺の事を恨み、妬み、憎悪していると考えるだけで怖い。

普段は俺に普通に接していても、心の何処かでアイツは俺の事を恨んでいるに違いない。だから、アイツはきっと……

「ックソ、苛々する……」

考えれば考える程に鬱になっていく。

こんな事なら素直に聞いておけば良かった―――無論、嘘だ。戯言だ。傑作にもなりもしない。

もう一度、外を見る。

夏だ。

夏なのに、俺はこの冷え切った病室で心を凍えさせている。

「…………なんで、生きてんだよ」

病室の窓に写る自分自身に問いかける。

「死ねば良かったんだよ、お前なんて」

ガラスに写った俺は笑っている。

冗談はよせ、そんな戯言は誰も信じはしない。自分自身が信用していないのに、誰がお前の心と言葉を信じるというのだ―――ほんと、その通りだ。

ベッドから起き上がり、窓を開く。夏の暑さと潮の香り、そしてわずかな風が頬を撫でる。

病院の五階。

此処から飛べば、死ねるだろう。

生き残った癖に死にたがる、そんな俺。

なら、終わらせる事も可能なのかもしれない。

全てのしがらみを放り捨て、鳥になったつもりで堕ちればいい。

最高な死に方だ。

誰もが笑顔で迎える最高のハッピーエンドだ。

だから、俺は窓の向こうの世界へ――――



「人の命は平等である……これ、誰の言葉でしたっけ?」



背後からの声に身体が止まる。

「まぁ、誰でもいいのでしょうね。大切なのは、自分の命ですら誰かと同じだという意味を噛みしめるだけです」

振り向けば、夏の風に揺られた雪色の髪。

夏に振る雪、季節外れの白い雪。

白いシスターが立っていた。

「サクヤ……」

「お久しぶりですね、佐久間さん……」

サクヤ・エルフォンドは、俺の記憶に残ったままの姿。

「元気で何よりです。大変心配しました。私はもちろん、なのはさんも、ユーノさんも、アナタを知る全ての人がアナタを心配していました」

「…………そうか?」

「そうですよ。ですから、そんな場所で黄昏ないでください。助かった命を棒に振っている様に思えてしまいます―――そしたら、悲しむ人が沢山います」

「お前も、か?」

「私も、です」

優しい微笑みを携え、サクヤはベッド脇の椅子に腰かける。俺も窓を閉めて、ベッドの上に転がる。これが病人として正しい位置で、サクヤは見舞い客として正しい位置にいる。

「お加減はどうですか?」

「普通だな」

「そうですか……よろしければ、リンゴでも如何ですか?」

「貰う」

サクヤは綺麗な手つきでリンゴの皮を剥く。慣れているのか、それとも才能があるのか、リンゴの皮はまるでプロの料理人が剥く様に綺麗だった。

「…………今、死のうとしてました?」

「そう見えるなら、そうかもな」

「いけませんよ。命は大事にしなければ……」

「俺の勝手だろ、そんなもんは」

「人の命はその人自身の物ではないのですよ。誰かがアナタを知り、アナタが誰かを知る。そうすれば、アナタは常に誰かの命の綱を握り、アナタの命の綱を誰かが握る。そうやって私達は互いを見守り、悲しみを防ぎ、同時に悲しみを乗り越えられる」

「綺麗事だな」

「嫌いですか、綺麗事は?」

嫌いじゃない。

でも、眩しいんだ。

夏の太陽の様に、俺の眼を焼くような眩しさは直視できない。それだけ自分を惨めに思えてならない。

「私は好きですよ、綺麗事。むしろ、綺麗事を嫌いな人なんていません。だって、綺麗事は綺麗だから、憧れるんです。世界全てが綺麗事で成り立っているはずがないと知っていても、綺麗事だけは何時だって人が人である成り立ちの一つとして存在します……それは、決して蔑にしてはいけない真実ですから」

「随分と好きなんだな、綺麗事」

「はい、私の半分は綺麗事で出来ていますし、女神様がそう教えてくれましたから」

女神様、ねぇ……

「はい、剥けました」

サクヤの剥いたリンゴは可愛らしいウサギの形をしていた。

「乙女チックだな」

「乙女ですから、私も」

そう言って微笑むサクヤ。

俺は無言でリンゴを受け取り、口にする。

「美味しいですか?」

「リンゴはリンゴだ……不味いわけがない」

「私の愛も入っていますよ」

「そうかよ。そいつは随分と重いリンゴだ。そんなリンゴのせいでニュートンは重力を発見したのかもな」

「となれば、愛を発見した偉人ですね、ニュートンは」

口の中に広がるリンゴの甘み。心の中は苦みしかないというのに、どうしてこんなにもリンゴは甘いのだろうか。

「―――――ありがとうございます」

突然、サクヤはそう言って頭を下げた。

「何がだよ?」

「生きてくれて、目が覚めてくれて、ありがとうございます。アナタが寝ている間、皆さんがアナタの心配をしていました。でも、その心配も昨日で終わりです」

サクヤの手が俺に触れる。

冷たい、気持ちの良い冷たい手。

「だから、アナタに感謝します」

生きてくれて、ありがとう。

感謝される言われはない。俺が勝手に事故に遭って、勝手に死にかかって、勝手に目を覚ましただけ。なのに、どうしてお前が礼を言うんだよ……おかしいじゃねぇかよ。

おかしいと想いながら、俺は何も言い返さない。

少しだけ俯き、少しだけ――――嗚咽を漏らした。



サクヤは何も言わず、黙って俺を見ていた。

冷たい手で俺の手を繋ぎながら、ずっと俺を見守っていた。それが徐々におかしい事、男として大変恥ずかしい事に気づいた瞬間、俺の顔はリンゴの様に真っ赤になる。

おい、普通は逆じゃね?

「うふふ、可愛いですね」

「う、うるせい……」

バッとサクヤの手を放し、リンゴを口に詰め込む。もちろん、サクヤから目を反らしながらだ。

クソ、不覚だ。まさか誰かの前、しかも女の前で涙を流すなんて最悪だ。羞恥心で死んでしまいそうになる。そして、そんな俺を見ながら微笑み続けるサクヤがムカつく。なんていうか、有難いんだがムカつく。この気持ちを上手く表現するには色々と時間とか何かが必要なので、俺はとりあえず誤魔化す事にした。

「と、とととと、ところでよ」

「はい、何ですか?」

クソ、相手は自分の優勢に気づいている。

「俺はどのくらいで退院できるんだ?」

「さぁ?私はお医者様ではないので詳しい事は何とも……」

「そうか。でも、出来る事ならさっさと退院したいんだよ。なにせ、こんな個人病室なんて使ってたら金がどれだけ飛んでいくか」

これも切実な問題だ。最悪、またアリサ―――ではなく、バニングス家に借金を増やす事になる。

「その点でしたら問題は無いと思いますよ」

「問題無い?」

「えぇ、問題はありません。入院費の殆どはアリサさんのご両親が出してくれてますから、アナタは一銭も払う必要はありませんよ」

「それは……色々と問題があるだろ」

「そうですね。ですから、アナタは早く良くなって元気な姿を皆さんに見せなければ」

「いや、そうじゃなくてだな。そんな全額払ってもらうなんて悪いだろう」

少なくとも、掛った入院費は働いて返すしかない。

「はぁ、こりゃ普段よりも倍働かないと駄目だな」

「――――働く?」

「当たり前だ。アリサの両親は、一応は俺を雇ってくれた人でもあるんだ。そんな人に入院費まで世話になるなんざ色々と駄目だ。タダでさえあんなマンションの一室を借りさせて貰ってるのによ……」

「マ、マンション……ですか?」

ん、なんかサクヤの様子がおかしい。

先程までの聖母の微笑みが歪んで、教会のステンドガラスみたいな歪な形になっている。

「―――――あの、佐久間さん」

どうしてだろう、もの凄く嫌な予感がする。

それもあれだ、さっきまでのシリアス展開なんて前座で、そこから先にあるのはシリアスしている暇も無い程に大変な事態が待っている、そんな感じ。

「佐久間さんは、退院してからもアリサさんのお宅で働くつもり―――というか、働くんですよね?」

「当たり前だろ。これだけしてもらってるんだ。最悪、一か月給料無しでも我慢するさ」

煙草の本数を減らすのはキツイけど、しょうがない。

「そうですよね、そうです……よね」

うん?本当に嫌な予感がしてならないよ?

「ちなみに、ですが……佐久間さんはマンションにお住まいなんですよね?」

「あぁ、そうだけど」

何故だろう。サクヤの額から滝の様に汗が流れ出ている。

「それ以外に泊まれる所、泊っても大丈夫な場所ってありますか?」

「あるわけないだろう」

「―――――うわぁ……」

おい、なんだそのこの世の終わりみたいな顔は。

「おい、サクヤ」

「ひゃいっ!?」

なんだその可愛らしいけど、無視したら痛い目に遭いそうな声は。

「な、なんでございましょうか……」

「お前、なんか隠してないか?」

「か、かかかかかかかかかかかかかかか」

「隠してるな。絶対になんか隠してるな。隠してないとか言わないな。隠してるって言え。大丈夫、怒らない。絶対に怒らない自信が消費税くらいはある」

「それ絶対に怒りますよね!?」

つまり、絶対に怒らせる事をしたって事だな。

「正直に言え」

「あ、あうぅぅ……」

先生に怒られた小学生みたいに項垂れるサクヤ。その姿は普段の彼女と違って大変にギャップはあるし、ちょっと可愛いと思える。

しかし、だ。

「あの…………本当に怒りません?」

「やっぱりなんかしたのか!!」

「あぁぁぁぁ、やっぱり怒ったぁ!!」

おい、キャラが崩壊してるぞ。

「怒らないって言ったのに怒ったぁ!!」

完全に崩壊してるわな、コイツ。

「嘘つきは泥棒の始まり、泥棒はテロリストの始まりなんですよ!!」

「泥棒は勇者の始まりだ」

「そんなゲームの話にもっていかれても……」

「五月蠅い。それで、一体お前は俺を怒らせるであろう何をした?正直に話せ」

サクヤは恐る恐る俺を見て、

「あの、本当に怒りません?」

「これ以上は怒らない。約束する」

「本当に?」

「本当に」

「嘘吐いたら?」

「い・い・か・ら・言・え!!」

そして、サクヤはゆっくりと口を開いた。

「―――――無いんです」

「は?」

「だから、無いんですよ」

「だから、何が無いんだよ」

サクヤは言った。

あっさりと、爆弾発言。


「アリサさんのお宅も、佐久間さんの住んでいたマンションも、無いんですよ」




「――――――――――」

「――――――――――」

時が止まった。

外で蝉の鳴き声だけが動き、俺とサクヤの間だけの時間が止まった。

ゆっくり、ゆっくりと時間は動きだし、俺は思考停止しかけた頭を何とか動かす。

「――――――――――なして?」

「――――――――――やっちゃった♡」

てへっ、と自分の頭をコツンとするサクヤ。

「何を、やっちゃったのかな?」

「ちょっと……邪神とバトルっちゃった♡」

「何で?」

「それは海よりも山よりも深い、ふかぁぁぁぁぁぁい事情がありまして」

「何でだ?」

「ですから、空よりも宇宙よりも銀河よりも広くて高い事情がありまして」

ガシッとサクヤ―――ではなく下手人の頭をロックする。

「言え、犯すぞ」

「なんかキャラ変わってません?」

「お前が言うな!!さっきまでのシリアス返せよ!!さっきの俺の涙も一緒に返せよ!!なんだよやっちゃったって!?なんだよバトルっちゃったって!?しかも、ジグザとだと!?」

お前等、あの教会での一戦を忘れたのか?あんな超人オリンピックも真っ青なバトルを人のいる一般豪邸でやらかしたったのか!?

「何で!?」

「それはアレですよアレ。私と邪神は遭ったらバトル、エンカウントしたらバトル。そういう宿命の名の下に生まれた敵同士ですので……」

「そんな宿命は知らん!!それより、なんでお前等はアリサの家とか俺の部屋でバトルしてんだよ!!」

サクヤの説明、弁解はこうだ。


まずバニングス邸崩壊事件。

アリサが海外に行くというので、アリサの足の完治を願っての小さなパーティーを開いたらしい。その際、なのはやすずか、サクヤもその席にいた。色々な催しやら料理やら、果てはアルコールまで出す始末だったらしいが、そこまでは問題ない。

パーティーも一通りの盛り上がりを終え、子供達は子供だけの時間という事でアリサの部屋でお話。大人達はアルコール盛り沢山の飲み会へと発展。その際、酒が切れたという事で酒蔵に酒を取りに行こうとした鮫島さんの手伝いで一緒に酒蔵に向かったサクヤ。

そこで見た光景。

高いワインやら日本酒、その他色々をラッパ飲みしていた邪神こと神滅餌愚坐を発見。

鮫島さんを手刀で気絶させ、バトルスタート。

結果、バニングス邸崩壊。



次に俺の部屋、俺の住んでいたマンション崩壊事件。

こっちは至ってシンプル。

俺の着替えを取りに向かったサクヤ。

「なんでお前が行くの?」

「そういう気分だったんですよ」

「気分のせいで俺の部屋は無くなったのかよ」

鍵を開け、ドアを開いた瞬間―――目に写ったのは部屋に散乱していたビール缶とツマミ、そして俺のベッドでぐーすかと鼾を掻いて寝ているジグザ。

問答無用でバトルスタート。

結果、俺の部屋では飽き足らず、マンションすら倒壊させた。

偶然というか必然というか、もしくはギャグ補正というか、奇跡的に死傷者はいなかった。

なんでも偶然世界的に有名は歌手が近くの公園にいたらしく、マンションの住人総出でその歌手にサインを求めて殺到したらしい。



「―――――と、こんな感じです」

「…………」

「ちなみに、アリサさんのお宅は現在修復作業中で、その間は使用人の方々は全員がアリサさんと一緒に海外へ行ってます」

「…………」

「佐久間さんは目が覚めないという事を良い事に―――じゃなくて、目が覚める事を祈りつつ、断腸の想いでこっちに残したそうです」

「…………」

なるほど、道理で俺の同僚達が一人も姿を見せないわけだ。

「…………」

「あの、佐久間さん?」

「なぁ、サクヤさんよ」

サクヤの頭をロックする力を強める。残念、ではなく最高な事に、俺の中にある経験ではこの状態で相手に最高の痛みを与える方法があった。だから現在実践中。

「痛ッ、イタタタタタタタタタタ!!」

「つまりアレか?お前のせいで俺の職場は倒壊、俺の部屋は倒壊。その結果、俺は退院しても仕事場はもちろん、生活スペースすら存在しないっていう事か?」

「そういう事になりますかねぇっていうか痛い!!本気で痛いんですけど!!」

「本気で痛くしてんだよ、この馬鹿女」

「どうして私だけなんですか!?というか、大半の原因は私ではなく邪神です。邪神のせいなんですよ!!」

「喧嘩両成敗、もしくは善悪相殺じゃボケェェェエエエエエエエエエッ!!」

夏の日、俺は職場と家を失いました―――――全然笑えないって!!

「テメェ、幾らお優しい善人様だからって、やって良い事と悪い事があるだろうが」

「事故なんですよ、事故!!」

「事故で俺の職場と自宅が吹っ飛んだら保険会社も倒産連続だっつの」

やばい、本気でやばい。

職場が無くなっても問題ない―――いや、在り過ぎだけど。家が無いのは特にヤバイ。季節は夏だから外で寝ても死にはしないし、俺の中に生まれた経験の中ではそういうサバイバル的な場面に強い経験もある。最悪、段ボール一つあれば一年を過ごせる程の。

「とりあえず、今の内からバイト探さないと駄目だろうな……」

海外にいるアリサ達に連絡し、事情を説明すれば何とかしてくれそうなのだが、入院費まで出して持っている手前、そんなずうずうしい事はしたくない。

そんな建前な事を悶々と考えていると、

「…………あの、その事で一つ、私に妙案があるのですが」

「あん?これ以上俺を地獄に落とす為の冥案か?」

「私、そんなに自分の評価を下げました?」

「自分の胸に聞いてみろ」

とりあえず、今のサクヤの評価はジグザと同レベルだと知れ。

「――――――それはそれとして、ですね」

「置いておくなんて許さんぞ」

「ッけ、ケツの穴の小さな人ですね」

お前が言うな。そんな荒んだ顔で言うな。キャラを崩すな、ギャグにしても許さんからな。

「ともかく、そんな不幸な佐久間さんの為に、私が起死回生、一発逆転場外ホームランな案があるんですよ」

「ほぅ、聞いておこう」

もしも一発逆転ホームランですらなかったら、そのまま乱闘に以降するからな―――まぁ、俺が確実に負けるけどね。

サクヤはコホンッとわざとらしく息を吐き、



「私に家に住みませんか?」



本日二度目の爆弾発言をかました。

「…………なんでさ?」

と、俺は某ゲームの主人公の様に呟いた。










時間は遡る。

今は夏休み。ならば遡るとすれば夏休みの前。アリサ・バニングスが海鳴の街から海外へと旅立ち、なのは達がその寂しさに少しだけ慣れてしまった頃。

教室は少しだけざわついていた。

なのはも、すずかも、そしてクラスメイト達も同じ場所、同じ人物をジッと見つめている。

担任の教師が黒板に白いチョークですらすらと何かを書く。それは人の名前であり、クラス全員が一斉に注目する異邦人の名だった。

「はい、それでは今日からみんなと一緒に勉強する事になった、新しいお友達を紹介します」

教師が晴れやかな笑顔でそう言うと、異邦人という転校生は教壇の前に一歩踏み出す。

「皆さん、はじめまして」

大人びた声。

「今日から皆と一緒に勉強する事になり、少しだけ緊張しているが……出来れば、私と仲良くしてくれると私は嬉しいよ」

大人びた口調で転校生の少女は話す。

なのは達と同じ小学校の白い制服。それと反する長い黒髪。吸い込まれそうな黒い瞳。そして綺麗な大人びた笑顔―――しかし、誰もその本当の意味に気づきもしない歪んだ微笑。

「よろしくお願いするよ、皆」

そう言って少女は頭を下げる。

教室が拍手で包まれる。

拍手に包まれながら、少女は誰にも見せない笑顔を作る。

楽しそうに、おかしそうに、残虐で最低で最悪な笑顔を作りながら―――顔を上げた瞬間には普通の顔に戻る。

「高町さんの隣が空いてるから、そこに座って」

「はい、わかりました」

丁寧な口調で教師に答え、少女は歩み寄る。

高町なのはという少女はそんな少女に何の警戒心の抱かず、

「私、高町なのはっていうの。よろしくね!!」

元気な挨拶。

少女もそんな向日葵の様な明るい笑顔に笑顔で返す。

仮面で作り上げた偽物の笑顔で。

「あぁ、よろしく」

そして、二人は隣同士になった。

黒板に書かれ、なのはの隣に座った転校生の少女の名は



―――――佐久間ジグザというらしい……






ども、KAGEROUを読んだ感想は「ふ~ん」でした、な散雨。
というわけでサクヤルートです。ラブコメです。定番の同居フラグです。ここからアハハウフフのお色気展開です……嘘ですけど。
今回の主人公アリサルートより若干強めのスタートです。きっとルートを増す事に強くなっていくFate方式でしょうね。
そんな主人公でお送りする次回は「佐久間ジグザです。佐久間大樹の妹です。九歳です。呼び方は兄君です……文句あるか?」で逝きます。
それでは~


PS、SPECは絶対に劇場版、もしくはスペシャルがあると思います。というか、願います!!
PS2、電撃文庫系がドラマ化・映画化すると、どうしてあんなに酷いのだろう?死神のバラットの役者の棒読みはトラウマです……



[10030] 第二話「一つの関係」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/12/27 03:12
目が覚めたら家が無かった。

目が覚めたら職場が無かった。

目が覚めたら夏だった。

目が覚めたら異性に同居を進められた。

目が覚めたらリア充だった……なわけがない。

あぁ、そうだとも。これがリア充であるはずがない。まったく充実していない。

そもそも、異性と同居するだけで充実だと言うのならば、住まいとか職場とか、そういう社会的必要不可欠なモノを失うという事は、その代償にしていいのか?いいわけねぇだろうが。愛があればなんとかなるとか言ってる新婚じゃあるまいし。

世の中、愛だけじゃどうにもならない。愛がなければ子孫は残せないが、金があれば養子は貰える―――ん、これは問題発言か?

ともかく、だ。

俺はまったく充実なんてしていない。

だから俺は声を大にして言いたい。

タダでさえアレな状況だというのに、コレ以上厄介な状況に陥る事だけは本気で勘弁してほしい。

家がない……まぁ、許そう。

職場がない……これも許そう。

夏だった……問題無し。

異性と同居……間違いが起こる前に俺が殺されるから、問題無し。

ここまでは許容範囲とする。コレ以上は駄目だから、これが最低ラインだ。

その上で俺は言わせてもらう。

俺が目を覚まして、一番びっくりした事は

「やぁ、兄君……」

俺の目の前で、なのはの隣に立って、さも友達ですと当然な顔をして、お見舞いのフルーツを根こそぎ平らげている黒髪の少女―――ではなく、黒髪の『邪神』。

「私が君の妹だ」

そんな邪神の爆弾発言。

「――――なんでさ?」

これはもう、色々と駄目だろう――――そう思った頃には、海鳴の街は八月を迎えていた。








人質はリリカル~昨夜~
第二話「一つの関係」








「――――――妹が出来たんだよ」

「…………は?」

当然の反応だろう。

「だからさ、妹が出来たんだよ」

「妹ってあれか?血の繋がりがある妹なんて存在しないという妹の事か?」

「お前の中の妹っていう概念、色々と間違ってるからな」

俺は呆れ、相手も呆れ、そんな会話を平然と喫茶店で行っている俺達を奇妙な目で見る世間の方々。

「っていうかよ、なんで俺達はこんな場所でこんな会話をしなくちゃいけないんだ?」

「仕方がないだろ。外は暑いんだよ、夏なんだよ、俺の服は未だに夏服でなくて春服なんだよ」

グチグチと文句を囀る相手、もとい殺人鬼。もしくは、

「それよりもアレだ。この店の店長の娘って幼女なんだよな?凄い美少女なんだよな?」

ロリコンだ。そう、ロリコンだ。

「お前さ、時と場合によってはギャグにすらならないって知ってるか?」

「あん?俺がTPOを弁えて性癖暴露する奴だと思ってるのかよ」

「まったくそう思ってないけど」

性癖暴露という言葉で店の中にいる全員(八割主婦、二割女子学生)が俺達を白い目で見る。

まぁ、そうだろうとも。

こんな真昼間の喫茶店、客が主に女性客の多い翠屋でむさ苦しい野郎二人が仲良くお茶してるんだからよ。

殺人鬼にして食神鬼、そして神聖のロリコンであるコイツはガルガ・ガルムス。

そんな変質者と俺はどういうわけかこんな状態にいる。

「それよりも、重要なのは俺の問題だ」

「俺の溜まりに溜まった欲情はどうするんだよ?」

「知るかよ。たまには成人女性に興味くらいもてよ」

「何を今更。というかよ、人の事を散々ロリコンやら変質者とかペド野郎とか社会的弱者とか色々と言ってるけどよ」

ガルガは納得いかない顔で俺をジッと見る。

「お前だって似た様なモンじゃねぇかよ」

「は?なんで俺がお前と似た様なモンなんだよ」

「いやさ、俺はあくまでキャラとしてロリコンだけどよ」

「キャラってなんだよ、キャラって」

「小さい事に突っこむな……それよりも、俺はそういうロリコンだけど、お前は違うだろ?お前なんて俺を軽く超越するくらいのすっげぇロリコンじゃねぇかよ」

何言ってんだ、この男は?

一体どこの誰がお前以上のロリコンなんだよ。

「変な言いがかりをつけるな。俺はガキに興味は無い。俺が興味あるのはナイスバディの年上さんだ」

「っはん、そんな事を言う奴ほどロリコンへの道に堕ちるんだよ。俺然り、俺然り、俺然り!!」

全部お前かよ。

「というか、お前も前は俺と同じ属性だったんだな」

「あの頃は若かったからなぁ……若いって何だと思う?」

「宇宙刑事的な返答なら出来るぞ」

「若いってのは、十二歳以上に魅力と性欲を感じる事だ」

「悪い。宇宙刑事的な返答するから、こんな女性陣ばっかりの喫茶店で変な事を言わないでくれ」

という、直球でなんて事を言いやがるんだ、コイツは。見ろ、主婦とか学生とか店主とかが凄い目で俺達を見てるぞ。

「でも実際はそうだろ?お前だって十代の頃はそんな妄想で悶々としていたはずだ」

「それはそうだけど……いや、そうじゃない。そうじゃないだろ?というか、なんでそんな話をしてるんだろよ、俺達は」

「何って……お前がロリコンだって話だろ」

だから違うっての。

俺はノーマルなの。

世界が滅ぼうが消えようが関係なく、俺はノーマルなの。

「へぇ、それじゃお前はどんな事があっても幼女を愛する気はまったく無いってか?」

「当たり前だ。二十過ぎてるお兄さんが十にもならない子供を愛せるかっての……」

「――――――ふん、それはお笑いだな」

なんだよ、その含んだ笑みは。

「まぁ、知らないっていう事は良い事だわな。悪い事だけじゃなくて、良い事も少しはあるって事だわ―――それが『絆』の物語だとしても、だ」

「何の話をしてるんだ?」

「お前が知らない話だよ……いや、違うな。正確に言えば―――」

と、何かを言おうとしたガルガだが、不意に言葉を止める。真剣な目で、窓の外を食い入る様に凝視している。

「どうした?」

「いやな、窓の外に可愛い幼女が……」

「真剣な表情で何をほざいてんだよ、テメェは」





さて、そろそろこのヘンテコな状態にいるわけを話す事にしよう。

単純明快、快刀乱麻、あとは……特に四文字熟語がでてこないのでこの辺で。ともかく、俺がガルガと共にいる理由なんて一つしかない。

コンビニに行ったら偶然遭った、それだけ。

雑誌コーナーに置いてあったそれっぽい本を凝視している自称殺人鬼、というか完全に自称じゃなくて自傷殺人鬼じゃねぇかよ。

そんな自傷殺人鬼、ガルガ・ガルムスと偶然というか必然というか、とにかく何となくな電波でしっかりと合致した俺達は視線がガッチリと遭った瞬間、

「とりあえず、茶でも行くか」

「そうするか」

という思考になってしまった。ホント、なんで俺はコイツの前ではこんな風になってしまうのだろうか――――ん、だけど良く考えてみれば俺とコイツが遭ったのはこれで二回目のはずだ。そう、二回目のはずなのに、

「なんか初対面な気がしなかったんだよな、最初の時」

「ん?どうかしたか?」

「別に……にしても、なんで俺達は此処を選んだんだろうな」

俺は煙草を吸い、ガルガは似合わない事にジャンボパフェを食べている。

「近かったからだろ」

「近ければどこでもいいのかよ」

「お前が言うな。そして俺も言うな」

「はいはい、そうですねぇ……」

ほんと、何してんだろうな。

「―――――で、妹がどうとかいってなかったか?」

「あ、そうだった」

危うく大切な事を忘れる所だった。

「そうだよ、そうなんだよ――――妹が出来た」

「よし、紹介しろ義兄さん」

「お前には嫁だろうが子供だろうが、家族含めて親族全部を紹介する気にはならん」

「そう言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」

「どういう仲だよ」

どういう仲もクソもない。街を歩いていたら急に襲いかかってきて、少しだけお話しただけの浅い関係だ。

「そもそもだ。お前って何なんだよ?」

「お前の妹じゃない事は確かだ」

「お前みたいな妹がいたら家出するわ」

「酷いねぇ、お兄ちゃん」

マジで殺したくなってきた震えるハートを押さえつける。

「俺がお前のお兄ちゃんになる事はあり得ないからな。それよりも、お前って何なんだよ」

「俺?通りすがりの殺人鬼だけど」

殺人鬼発言に店内の空気が凍る。

「―――――おっと、これは失礼。ジョークだよ、ジョーク」

お前の見た目からジョークには聞こえないっての。

「けど、それ以外に特にないな……しいて言うなら、ロリコンという名の紳士だな」

「紳士は初対面の人間に鉄パイプで襲いかかってこない」

「根に持つなよ。ほんのお茶目だし、四ヶ月も前の事じゃねぇかよ―――というか、俺とお前ってそんなに会ってなかったんだな」

俺からすればほんの数日ぶりなんだけな。

気がつけば四ヶ月近くも昏睡状態。寝て起きたら職場と住みかを失くして絶賛失業中の俺がいた―――笑えないな。

「そんな俺に説明しろよ」

「だから、何を?」

誤魔化しているのか、それとも本当にわかっていないのかは知らないが……しょうがない。ここは直球勝負でぶつけるとするか。



「お前、介入者か?」
「そうだけど」



あっさりと言いやがった。

「マジかよ……」

「といっても、特に神様のサポートもないフリーな介入者だけどな……フリー介入者、もしくはフリー転生者とかって格好良くね?」

まったくそうは思わない。だが、どうやら本当にコイツは俺やサクヤと同じ人種だという事は理解した。

「笑えねぇな」

「笑い話じゃないからな」

ククッと不気味な笑みを浮かべるガルガ。

「こう見えて介入者歴も長いぜ。お前の大先輩だ」

「職歴みたいに言うなよ」

「職歴というか派遣社員だな。前回の介入先は十八歳以上ババアしかいない最低な職場でしたってね」

「普通じゃねぇかよ」

「いいや、苦痛だね。世の中は幼女のありがたみを知る必要がある。なんでもかんでも登場人物は全員が十八歳だと言ってれば世間体は守れるかもしれないが、俺みたいな玄人には嘘で偽りで偽善で悪だ。そこら辺を世間様は少しは理解してほしいね」

「お前みたいな奴は玄人とは言わない―――単なる変態だろうが」

「変態という名の紳士さ―――っていうか、ロリコンはそんなに悪い事か?俺はそう世界中に問いたい。そして論破してやりたい。世界中の人間はロリコンになるべきだ。ショタは死ね、ロリは俺の下に全員集合。十二歳の誕生日に全員殺してやるからよ」

頭が痛くなってきた。

これがあれだ、頭痛が痛いって感じかもな。

そんな俺の苦痛なんて知った事かとガルガはパフェと完食し、珈琲に口を付ける。

「ロリは良いぞ。なにせ純粋だ。心も体も不十分だからこそ十全だ。お前もそう思うだろ?」

「思わないね」

「思えよ同類。無駄に知識を蓄えて舐め切ったクソガキになるくらいなら、馬鹿でノロマな子供の方がよっぽど愛しがいがある……そうだ、そうなんだよ。世界の全てが幼女になって時間が止まれば世界が平和になるじゃないか――――そういう感じで世界征服に乗り出すと言ったら協力するか?」

「絶対にしないっつの。というか、話が全然前に進まないだろうが。お前が誰で何者で、どういう理由でこの世界にいるんだよ」

「――――愛の為さ」

そう言ってガルガは不敵に笑う。

「テメェの主である愛すべき邪神は、俺の中でも最高ランクの幼女だ。あんな良い感じにクソな幼女はそうはいない。惨忍で最低で最悪な敗北者が大好きなんだよ、俺は」

邪神、神滅餌愚坐。

この男はそんな邪神を愛していると言った。

「…………お前、アイツの事を知っているのか?」

「知ってるさ。なにせ、アイツとは長年殺し殺されの関係だからな。一応言っておくが、お前なんかよりもよっぽど俺がアイツの事を理解しているぜ」

お前の心情なんか知らん。それよりも俺が知りたいのは、

「アイツの何処が良いんだ?」

「何処も良いんだよ。身体も心も力も全てが大好きだ。この世界の全幼女とジグザを比べて、どっちが良いかと聞かれたら、ジグザも含めて全員良いと答える位に好きだ」

…………それ、誰でもいいって事じゃねぇのか。

「もっとも、これだけ俺がアイツの事を愛しているとしても、肝心のアイツは俺の事が大嫌いみたいだから悲しいよなぁ……なぁ、どうやった俺とジグザは一つになれると想う?」

「お前が殺されて、ジグザに食われたらいんじゃね」

俺が適当に答える。

しかし、ガルガはそれは名案だと言わんばかりに、

「なるほど!!その手があったか!!」

と、手を叩いて喜ぶ。

「これはアレだな。プレゼントはオ・レ(ハート)みたいな感じか?全裸で身体にピンクのリボンを巻いて登場…………………いや、駄目だろ。人間的に」

「急に真面目になるな」

「はぁ、これだからロリコンじゃない馬鹿クソ野郎は……」

「なんで俺が駄目人間扱いされんの!?一応自覚してるけど、お前だけには言われたくないわ!!」

マジで疲れる。

コイツのくだらないジョーク(ジョークだよな?)に付き合っても埒があかない。話を強制的にでも元に戻す必要がある。

「頼むから真面目に答えてくれよ……」

「なんでだよ」

「俺にも色々と考える事があるんだよ。アイツがこの世界で何をしたいのか、それに俺はどうやったら巻き込まれずにすむのか、どうやれば―――」

「どうやれば、ジグザを殺せるか―――だろ?」

不意に言われた一言に、身体が堅くなった気がした。

「殺したいんだろ?解放されたいんだろ?わかってるって。アイツが従者にする様な奴はそういう『まとも』な人間ばっかりだったからな」

俺はジグザを殺したい…………そんな風に思った事は一度も無い、なんて事はない。

「で、どうよ?お前だってアイツの事を殺したいんだろ」

「……それは」

そうだ、とも。

違う、とも。

どうにも言葉にできない。

「…………わからない」

「わからないだぁ?おいおい、そんな中途半端な返答なんぞ欲しくはないっての。いいか、これはいたって普通の問いだ。アナタは神が嫌いですか?それとも大嫌いですか?嫌いなら殺してやりたいと思いませんかっていうだけの話なんだよ」

「なら、お前はどうなんだよ」

「殺したいね」

あっさりとガルガは言った。

「殺したいさ。ジグザという邪神を殺したい。ジグザという女を殺したい。殺して喰って俺の物にしたいと心の底から願っている」

冗談ではなく本気で言っているのだろう。そのせいか、ガルガの笑みは歪んでいながらも一つの完成した形を持っていた。

歪み続け、最終的に歪んだ作品の様に。そんな見る者を不安にさせるような名作としてガルガは完成していた。

それを怖いと思わない俺がいる。

不思議だった。

前回もそうだったが、俺はこの男という歪みを平然と『受け入れている』。それがあまりにも滑稽で、気づいた時には自分の人格が歪んでしまったかのような錯覚さえ覚えてしまう。

「お前はいかれてる」

しかし、本心ではない。

「お前は普通じゃない」

それでも、心の何処かでコイツを普通だと想っている。

「お前は……」

「その辺にしとけよ」

ガルガは笑みを抑え、俺を見据える。

「お前じゃ俺を否定できないさ。少なくとも『今』のお前じゃ無理だ。『昔から今』まで、お前は俺を否定する機会はあっても、否定できた事は一度も無い」

「何を、言ってるんだよ……」

「事実を言っている。史実を言っている。現実を言っている。どれだけ『繰り返そうとも』、お前という否定者は俺を否定できない」

何故なら、とガルガは先程までの笑みではない、見た事もない笑みを作る。

それこそ、本当の意味で歪んでいる笑みだった。

「何故なら、お前が『佐久間大樹』である限り、『ガルガ・ガルムス』を否定する事は出来ないっていう法則なんだよ」

わけがわからない。

コイツは何を言っているんだよ。

「わからないか?そうだよな。普通はそうだ。むしろ、わかった時には全部が終わる時だろうよ。あの『垢まみれの神』が飽きない限り、そういう連鎖は続いているんだからな」

「…………」

「まぁ、今のは唯の戯言だと想う事だな―――そう、とある小説の主人公の様にってな」

「お前は……」

「さて、ちょっと話はずれたが……そうだ、ジグザの話をするんだったな」

珈琲から湯気は上がらない。冷めきった珈琲をガルガは口に含み、

「苦いな」

そう言ってケラケラと笑う。

「お前は聖痕ってのを知っているか?」

「聖痕って……あの聖痕か?」

「どの聖痕かは知らないが、多分違うな。俺が言っているのは伝説でも何でもない、確かに現実にある聖痕の話だ――――聖痕っていうのはな、神が従者を生みだした時に刻まれた痣の事だ。その痣は色々な形を持っているし、痣という形を持っているわけでもない。例えばそうだな、この世界の神、女神が生み出した従者は知っているか?」

俺は頷く。

「あの従者の事を思い出してみろ。あの真っ白な病的な髪の色。そして赤い瞳。アルビノとか言われてるアレがあの従者の聖痕だ」

そういえばそんな事をサクヤは言っていた気がする。

自分の眼と髪を指さし、それが聖痕だと言っていた。

「こんな世界ではあんな色は普通だが、現実的にはあり得ない色だ。ゾッとする様な色であり、不快にさせる色でもある。しかし、見る者によれば実に見事な芸術にも化けるおかしな色。そういう色であり形が聖痕だ」

ガルガは自分の腕を見せる。そこには無数に刻まれた刺青。蛇の刺青、狼の刺青、蜂の刺青、鳥の刺青―――様々な刺青。

「これが俺の聖痕だ。俺が最初に出会った神は俺にこういう形で『自分の物』だという印を刻んだ。いうなれば製品番号だな」

製品番号。

なんだか酷く嫌な言葉だ。

それではまるで、ガルガやサクヤ、そして俺が神の製品の様ではないか。

「そしてこの製品番号にはバーコードの様に様々な情報がある。そして、その情報は身体から外に出る事によって力となる……ちなみに、俺の力はこういう感じだ」

ガルガの指がパチンッと鳴る。

その瞬間、ガルガの腕に刻まれた刺青の一つが暗く輝き――――世界が止まった。

「―――――!?」

文字通り、世界が止まった。

翠屋の店内は先程と変わりは無い。しかし、変わらない事が継続されている。

紅茶を飲んでいる主婦が止まっている。

楽しそうに話している学生が止まっている。

店員が注ぐ珈琲が空中で止まっている。

「これは……」

「別に時を止めているわけじゃないぞ。単純に時間を遅くしただけだ」

どこが単純なのかさっぱりだ。

立派に異常ではないか。

再度、ガルガが指を鳴らすと―――世界は動きだす。いや、ガルガの言葉を借りるなら動きだしたのではなく、時間の流れが通常に戻っただけだ。

あまりの出来事に放心しながらも、何とか言葉を絞りだす。

「お前、時間を操れるのか?」

「違うね。俺は時間も操れるのさ。そういう普通じゃあり得ない事を平気で起こすのが聖痕の力だ」

悪戯に成功した子供の様に笑い、ガルガは俺に刺青を見せる。

「刺青っていう形が俺の力だ。元々は一つしかなかったんだが、そこは長年の努力の末に沢山の力が増えた。色々あるんだぜ?例えば、今のは時間を遅くする力だが、別に時間を早くする力もある。この刺青の数だけ俺には力があり、この刺青の数しか力を持っていない」

「十分にすげぇよ」

「いやいや、幼女に好かれる力が無いのが悔しいから、いつかは欲しいと想っているよ」

そんな力は絶対に与えてはいけない気がする。特にこのロリコンには。

「…………って事は、サクヤ――女神の従者にもこういったトンデモ能力があるのか?」

「あるのが神の中で常識だ」

「なら、俺にも?」

「あぁ、あるぜ。ちなみに、それがどんな力か知りたいか?」

サクヤにもガルガにもある聖痕の力。

なら、俺にもそういう力があるとするのならば、

「――――――経験、か」

「正解」

なるほど、ようやく理解できた。目が覚めてすぐに、自分の身体の状態が手に取る様に理解できた事。それは突然俺の中に生まれた経験などではない。

「ジグザはそれを『レギオン』って言ってたな。経験は力であり意志。お前の中には無数の人の力と意思が経験となって存在しているそうだ」

「レギオン……」

どうしてか、聞き覚えがある気がする。

その言葉を聞いた瞬間に全てが壊され、凌辱させる様な、そんな寒さ。

「まぁ、他の神からすればそんな力なんてカスらしいがな」

「カス?こんな凄い力がか?」

「当たり前だ。如何に従者に無数の経験があろうと、所詮は『人の力』でしかない。そんな人の力を与えるよりは、人ですら太刀打ちできない圧倒的な力の方がマシだろ?」

言われてみればそうだ。

確かに経験というのは凄いと思う。しかし、それはあくまで人の領域での経験でしかない。

「仮にお前に超能力者の経験があったとしよう。経験の持ち主は超能力を扱えるし、力を使って戦う事は出来る。しかし、お前にはそれがない。お前にあるのは超能力者の経験だけ。超能力を得たわけじゃない」

「まぁ、確かにそんな感じだな」

俺の中にある経験には武芸者、戦闘者の経験だって存在している。しかし、それはあくまで経験だけ。今すぐに俺が剣や槍、銃を使って戦えと言われても、結果は使えるだけ。

「経験だけの人間なんて大した事はないんだよ。お前が剣の達人の経験を持っていたとしても、お前は剣の素人だ……いわゆる、力に身体に追いついていないっていう状態だな」

それってかなり微妙だな。

使い勝手が悪いというか、あっても意味がないっていうか。

「経験を上手く扱いたかったら、まずはお前自身の身体を鍛える必要がある――――まぁ、精進しろって話だ」

「なんともアレな力だな。俺の聖痕って……」

「それだけジグザが『大した事の無い神』だって事だよ」

「その大した事のない神に踊らされてる俺ってなんだよ」

俺からすれば既に人外の領域にいる奴だ。とても抗える様な奴じゃない。

「ホント、俺ってアイツに遊ばれ過ぎじゃね?」

「それが俺からすれば羨ましいだよ―――殺していいか?」

「駄目に決まってるだろ」

「ケチな奴だ……」

聖痕やらレギオンやら、普通なら信じられない話ばかりだ。正直聞いているだけで疲れてくる。

神様に関係のある連中っていうのは、どいつもこいつもこんな奴ばっかりなのかよ。

「―――――はぁ、なんか疲れた……もう帰る」

「なんだ、もうギブアップか?これから俺とジグザの泥沼の殺人活劇を話してやろってのに……」

「ギブアップだよ。目が覚めてから気が休まる事が全然ないんだよ」

伝票を持って席を立つ。

ここ数日の事を思いかえし、その中で一番衝撃的だった出来事を俺は何となく呟いていた。

このロリコンの前だ。

不覚にも呟いてしまった。


「ほんと……何が悲しくて、ジグザが俺の妹になんぞなってんだよ……」



「――――――――――は?」

その時のガルガの顔はしばらく忘れられそうにない。

少なくとも、その後にあわや翠屋壊滅という悲劇になりそうな程のガルガの暴走があって、そのせいで翠屋にしばらく近づけなくなったとか、そういう事があったせいだろう。

その事はとくに話すべきではないだろう。

面倒だし、疲れるからだ。









翠屋での一騒動から一時間後。

俺は海鳴の中にある公園を歩いていた。手には俺の着替えと生活用品が少々。

「えっと……確かこの辺なはずだな」

メモに書かれた住所はこの辺にあるらしく、先程から同じ場所を何度も何度も回っている気がしてきた。

「あの、佐久間さん……」

そんな俺に不安そうな声をかけるなのは。

「迷ったのなら、私が案内しますけど」

「大丈夫だ。紙切れ一枚あれば何処にだって行ける」

「その紙切れ一枚のせいで、かなり迷っている気がするんですけど」

「だから大丈夫だ。いざとなったら太陽の沈む方向に歩くから……」

「ヤケクソですね」

あぁ、ヤケクソだとも。

こんな子供に案内させるなんて、大人としてのプライドが許さない。

「素直になればいいのに……」

「俺、ツンデレなんだよ」

「そうですか」

流された。こんな幼女に軽く流された。

「というか、なのは。なんでお前が来る?」

「私もサクヤさんのお家に行ってみたいんです」

メモに書かれているのはサクヤの自宅の住所。

「行った事は無いのか?」

「ありませんよ」

俺はてっきりあの教会がサクヤの家なのだとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。住所の場所を見る限りではこの近く。つまりは庶民的な場所に住んでいるらしい。

「同じ介入者として、この扱いの差はなんだ?」

「どうしました?」

「なんでもない」

だって、住所を見る限りではアパートでもマンションでもない。明らかに一軒家な住所だ。そんな場所に若い女一人で住んでいるなんて羨ましすぎる。俺なんてバニングス家から提供されたマンションでやっと暮らせていたくらいなのに。

「世の中は不平等だ」

「佐久間さん?」

「独り言だ。気にするな」

それからしばらく俺は迷いに迷い、最終的に小学三年生にお世話になるというプライド崩壊という目に会う事になり――――ようやく辿りついた。

「―――――神は死んだ」

そしてこの一言である。

目の前には――――――大豪邸があった。

門がデカイ、庭がデカイ、家もデカイ。とりあえず色々とデカ過ぎて凄い。

「というかデカ過ぎじゃね?下手すれば、アリサの家と同レベルだぞ」

「そうですね」

海外の映画に出てきそうな豪邸に完全にビビった。

「…………メロンとか買ってきた方が良かったか?」

「えっと……要らないと思いますけど」

「いやいや、インターフォン押した瞬間に執事とか出てきたらどうするよ!?その執事に俺が持ってるこのコンビニのビニール袋を見られて嘲笑されたらどうするよ!?」

「ちょっと落ち着いてくださいよ。もう、そんなに卑屈にならなくても、大丈夫ですって」
そうか?

俺はかなり心配なんだが。

「あ、でも私はちょっと用事を思い出したので帰ります」

回れ右をして帰ろうとするなのはの首根っこを掴んで止める。

「待てや。なんで帰ろうとする」

「自由研究で相対性理論の解読という名目がありまして」

「そんな自由研究なんぞあるか!!」

「それじゃ、アサガオの研究を」

「観察日記なら急いでやる必要はない」

「いえ、アサガオから次世代のエネルギーを生み出すという研究を」

「無駄にデカイ研究だな、おい!!」

というか、コイツも明らかにビビってるじゃねぇかよ。

「アリサとかすずかの家で慣れてるんじゃねぇのかよ」

「基本的に小市民ですから……」

「俺だって小市民だよ。家なし職なし金なしの極小市民だっての――――自分で言ってて悲しいわ!!」

「聞いてる私も悲しいです」

同情する様な眼で俺を見るな、同情するなら家と職をくれ。

「ともかくだ……インターフォンを押してみるか」

「そうですね……」

「…………」

「…………」

「…………ほら、押せよ」

「そういう佐久間さんこそ、押してくださいよ」

「いやいや、こういう時こそ子供が押すもんだろ?ほら、子供ってボタンとか好きだろ」

「子供はみんなボタン好きと思わないでください」

「いいや、好きだね。学校に消火用のホースが閉まってある押しちゃいけないボタンとか絶対に押したいだろ?」

「いえ、別に」

「嘘つけ。押すはずだ。ちなみに俺は押した事がある」

「押したんですか!?」

「あぁ、押した―――消防車が来る前に先生がかっ飛んできて拳骨喰らった」

いやぁ、良い思い出だよ。

「だから、ホレ。押してみろ」

「何が『だから』なのかさっぱりです」

「大丈夫だって。押したら別に爆発とかしないから」

「玄関のインターフォンで爆発する豪邸って何ですか!?」

「いいから押せや!!」

「子供にキレないでくださいよ!!」

「やかましい!!ガキがガキらしく大人の言う事を聞いておけばいんだよ!!」

「そういう上から目線が子供を駄目にするってジグザちゃんが言ってました!!」

「アイツの言う事の九割は嘘偽り紛らわしいだから、信じるな!!」

「もう、佐久間さんのヘタレ!!」

「ヘタレで結構です~佐久間さんはヘタレでも生きていけるんです~」

「うわぁ、最悪な大人ですね!!」

「最悪で結構だっての!!」

そんな感じで年甲斐もなく子供と喧嘩してしまった俺…………駄目すぎる。





「あの、人の家の前で喧嘩しないでくれませんか?」

「面目ない……」

「ごめんなさい……」

結局、俺もなのはもインターフォンを押す事はなかった。外の騒がしい声を聞いて出て来たサクヤさんの眼に映ったのは、子供と本気で喧嘩した二十三歳の俺。

「佐久間さん、アナタは大人でしょう?なら、どうやったらなのはさんみたいな子供と喧嘩できるんですか?」

「心は何時でも少年のまま―――いえ、すんません。嘘です、はい……」

赤い瞳でギロリと睨まれた。心臓が止まると想った。

「なのはさんもです。女の子なのですから、あんな乱暴な行為をしてはいけません」

「ごめんなさい……」

シュンッとなり、素直に謝るなのは。

「良いですか、人という文字は互いに寄り添い合うという意味です。隣人を愛せとは言いませんが、喧嘩しろとは言いません。喧嘩はいけません。争いでは何も解決しません」

とても邪神をぶっ殺すと言ったお人とは思えない発言ですね。

「何か、大変失礼な事を考えませんでしたか?」

「これっぽっちも考えておりません」

「そうですか」

女神の従者は心も読めるらしい。これは迂闊な事を言ったら首が飛ぶね―――物理的に。

そんなサクヤさんのご自宅はそれはまぁ……広いね。

「アリサの家と同レベルだな」

外もそうだが中も凄い。

絨毯は高級品だし、玄関にはシャンデリア。廊下を歩けば如何にも高そうな壺やら名画やら―――凄過ぎです。

「お前、金持ちなのな」

「そんな事はありませんよ。この家は借家ですから……」

「こんな借家は見た事が無いって」

「意外と格安でしたので……聞きます?」

「俺の庶民としての価値観が崩れたくないから拒否する」

なんで翠屋でバイトしてるのか本気で疑問に思うが、それは置いておこう。今はこの明らかなゴージャス空間に飲まれ、庶民としての金銭感覚を奪われない事に意識を集中させる。

なにせ、今日から俺はこの家に住むのだ。アリサの家はあくまで職場として考えていたせいで大丈夫だが、この家は完全に俺が住むという前提だ。

「頑張れ、俺の庶民魂!!」

「何を言ってるんですか?」

「気にするなよ、お嬢様」

「別にお嬢様でもないのですが……とりあえず、佐久間さんが使うお部屋に案内しますね」

長い廊下を歩いた先に俺の使用する部屋があった。

「少々小さい部屋ですが」

そう言って扉を開けた先にあったのは、

「―――――サクヤさん」

「はい、何でしょうか?」

「チェンジで」

さっきから同じ事ばかり言っているが―――デカイって。

俺の部屋の数倍は広い上に、家具も如何にもな物ばかり。しまいには巨大な液晶テレビにオーディオ機器。パソコンまで完備ときた。

「お気に召しませんでしたか?」

「気にし過ぎるんだよ!!」

「佐久間さんが気を使わない様に、色々と用意したんですが……」

余計に気にするっての。

「ともかく、こんな広くてゴージャスな部屋じゃなくていいから。もっと小さい。俺の部屋と同じか、それよりも小さい部屋とかで頼む」

しかし、サクヤは何故か困った顔。

「あの……この部屋はこの家で一番小さな部屋なのですが」

「―――――――マジで?」

「はい、大マジです」

おのれブルジョワめ。




結局俺の部屋はあの小さい(この家的に)部屋に決まってしまった。その後にする事はと言えば、今後の俺の職についてだ。

「とりあえず、職安にでも行くかな」

とか言ってみる。

サクヤはそんな俺の職探しには特に口を出さず、珈琲を淹れている。匂いで分かるが、良い豆を使っている様だ。

「預金は……無駄使いしなければ問題ないけど、入院費の事も考えるとちょっとキツイかな」

幾ら無料で良いと言われても、基本的にはNGだ。借りた物は返すし、援助してくれたのなら、その恩に報いるべきだ。人間的に、社会人的に。

「なぁ、サクヤ。なんか良い仕事とかないか?」

「良い仕事なんてありませんよ。良い仕事とは万人に良い仕事ではなく、その人が仕事をした上で見つけるものなのです」

「そういう哲学を聞きたいわけじゃないんだよ、俺は」

「哲学ではありませんよ。ですが、そうですねぇ……佐久間さんが得意な事はなんですか?」

「得意な事か……」

自分が得意な事と聞かれて、あまり良い考えが出てこない。まるで就職の面接を受けている気分になってしまった。

「自分の得意な事って、意外と得意じゃなかったって事があるよな」

「自分が得意だと思える事は、十分に得意な事だと思いますよ」

「それが出来るって言っておいて、実際は出来ないとなんか悪い気がするんだよ」

就職の面接というのは、基本的には騙し合いだと俺は思っている。自分が如何に素晴らしい人物であり、そんな自分を採用すれば御社に素晴らしい利益を与えるでしょう―――そんな騙し合いだ。無論、面接官はそんな就職希望者という詐欺師相手にそうそう騙されてはくれない。

「俺、自己PRとか苦手なんだよな」

「どうしてですか?」

盆に珈琲を乗せて、サクヤは俺の前に座る。

サクヤ邸のリビングもやはりデカイ。そんなデカイ部屋では俺とサクヤの二人っきり。なのははと言うと、俺の部屋にある最新型のパソコンに噛り付いている。恐らく、俺が夜になってパソコンを立ち上げた際には、なのは式のパソコンになっているだろう。

「さっきも言ったけどよ、自分が得意だって言っておきながら、実際はそうじゃないって相手に思われるのが嫌だからかな……」

「相手に嘘を吐いたような気がするから、ですか?」

「そんな感じかな。だから自己PRとかが苦手なんだよ」

「なら、それが嘘だと想われないように努力すればいいんですよ」

簡単に言ってくれるね、ホント。

「人は努力するべきです。努力して報われる事が全てではなく、努力する事に意味があるんです」

「それは綺麗事だろ」

「綺麗事が大好きですから」

サクヤの淹れてくれた珈琲は苦くもあり、旨くもある。不思議な味がするが、それはきっとサクヤの言葉が俺の中にしみ込んでいるからかもしれない。

「努力は嘘を吐きません。努力が人を裏切らない様にね」

「努力は人を裏切るぜ」

「それは違います。人が努力を裏切り、人が努力に嘘を吐くのですよ」

説教臭い気がするが、これが本心から言っているのならしょうがない。俺はコイツ程に達観していないし、人間が出来てもいない。

「佐久間さんは、自分の事が嫌いなんですか?」

「嫌いだね。大嫌いだ―――俺は世界で一番自分が嫌いだ」

自己否定は毎日の事だ。自分自身を肯定する事は、この先絶対にあり得ない。仮にそんな日が来たとしたら、その時の俺の心情はきっと自殺ものだ。

自分を許すと言う事は、自分に甘え、自己否定で自殺するだけ。

「…………なぁ、サクヤ。今更だけど、本当に俺はお前の家に住んでいいのか?一応言っておくけど、これだけの恩を受けても何も返せないかもしれないぞ」

サクヤは苦笑する。

「別に恩を返せとは言いません。元々は私がアナタの居場所を物理的に壊したのが原因ですから……」

「でもよ」

「――――佐久間さん」

静かに、力強くサクヤは呟いた。

「自分には何も出来ない。自分では駄目だ。自分は嫌な人間だ。自分は恩を受ける権利も何もないくだらない人間だ―――そう思う事はアナタの勝手です。ですが、それでアナタが恩を貰ってはいけないという事にはなりません。私のこれは趣味であり生きがいであり、そういう『仕組み』なのです。ですから、あまり自分を追い詰めるような事はしないでください」

俺は何も言えない。

何も言えないのは、自分で良くわかっているからだ。

心の何処かで、自分を許している自分。

自分が一番嫌いだと言ってきながら―――まだ、微かな可能性を縋っている。

それがまた、俺自身を嫌いになる理由になる。

「俺はお前とは違う」

「それは言い訳です。誰かと同じ人などいません。似ている人もいません。誰かが誰かでしかなく、誰かは誰かにはなれません……一生、自分自身と向き合う必要があるんですから」

前向きな発言だな、ホントに。

自分という人間に嫌気がさしている俺からすれば、お前みたいな綺麗な考えを持っている人間は――――眩し過ぎる。

「言い訳すら、お前からすれば見苦しいってか?」

「そうは言っていません……見苦しい生き方というのは、羨ましい生き方の反対です。自分には出来ない生き方を他人がして、自分には出来ない。それが許せないから見苦しいと思う。いわば、他人の家の芝生は青い、ですかね」

何を言っても言い返される。

俺の言葉の全てが否定される。

ただ否定されるのではなく、包み込まれ、違う何かによって返される。

「…………そういう生き方、苦しくないか」

「どういう意味ですか?」

懐から煙草を取り出す。しかし、よくよく考えれば此処は俺の家じゃない。だから煙草を戻そうとするが、その前にサクヤが灰皿を取り出す。

煙草を咥え、火を付ける。

「お前は優しいよ。優しいから何でもかんでも綺麗な物に思える。でも、俺はそうじゃない。俺以外にもそういう人はいると思う。だからこそ、お前みたいな『眩しい奴』の言葉を聞いてどう思うか、わかるか?」

苦しい、と思う。

「前向きに物事を考えるのは素晴らしい事だとは思うさ。思うだけなら、良い。でも違うんだ、違うんだよ……そういう考え方が出来る奴は―――」

「人の心が理解できない、ですか?」

頷くしかない。

頷いて答えるしかない。

「強くないんだよ。綺麗じゃないんだよ。お前みたいに綺麗事が好きでも、綺麗事を通すだけの強さなんて無いんだ。無いから自分が嫌いになって、そんな綺麗事を口にする奴が嫌いになって……何もかもが嫌になる」

「…………」

「――――お前の言葉は綺麗だ。けど、そんな言葉を聞いた俺がどういう気持ちかわかるか?情けなくて、恰好悪くて、最低だって思って」

そこまで言うつもりなんてなかった。

けど、言葉は止まらない。

「苦しいんだよ。俺は、お前の、言葉の全部が……苦しいんだよ」

そして、それ以上に、

「お前はどうなんだ?そんな真っ直ぐな生き方を口にして、それを実践して、誰かを救って、誰かを癒して……それで何になるんだよ?何にも意味なんか無いだろ?どれだけ頑張っても報われない奴がいる。頑張って努力して、努力に嘘もないくらいに頑張って、それでも何も成し遂げられない奴だっているんだ」

全てが救われるなんて戯言でしかない。

全てを救えるなんて滑稽でしかない。

「俺は苦しい。自分が嫌いだから。お前は苦しいはずだろ?そんな綺麗な生き方しかできないなんて、苦しい以外の何者でもないだろう?」

だが、サクヤは首を縦に振らず、横に振る。

「苦しいだけでは無いと思います」

その言葉に絶句する。

「正しい生き方は辛いとは思います。正しいだけで全てが救われるとも思っていません……ですが、私にはそれしか無いんです。正しいという感情と間違いという感情を秤に賭ければ、私は絶対に正しい感情を取ります。苦しくとも悲しくとも、それが絶対に間違っていないと『信じています』から」

「……何だよ、それ」

サクヤは微笑む。

優しい、柔かな笑み。

「正しい事が善で、間違った事が悪だとするならば、人は善を選ぶべきなんです……それが人間という存在の証ですから」

気付けば煙草は白い灰になっていた。一口だけ吸っただけで一本を無駄にした。まるで俺がこの時間を無駄に過ごしてきたかのように。

そう、無駄だ。

俺とサクヤの話は全て、無駄なんだ。

「俺はお前みたいに考えられない」

俺とサクヤは違い過ぎる。

コイツは何も否定しない。否定するだけしか能が無い俺とは違い、否定すら受け入れる。受け入れ、その人がより良い人になれる様に努力して―――救うのだろう。

「―――――なぁ、サクヤ」

立ち上がり、サクヤに背を向ける。



「お前、おかしいよ」



こう言うにはサクヤの顔を見ない方が良い。

だって俺はサクヤの人格を否定しているからだ。

「そんな善人なんているはずがない。そんなのは物語の中にしかいない、フィクションなんだよ。俺が初めてお前を見た時、この世界で何よりも現実味のある奴だと想った……けど、違った。今のお前を見てたら――――お前こそがフィクションなんだって想えてならない」

「…………」

「違い過ぎるんだ。俺とお前は」

女神に愛される様な奴とは、違う。

邪神に侵されるだけの奴とは、違う。

人間は誰にもなれない。自分自身にしかなれない。だから俺は俺にしかなれず、サクヤの様な人間にはなれない。

現実に生きる人間が物語の登場人物になれない事とまったく同じだ。

違い過ぎるという言葉が、負け犬の遠吠えの様に思えて―――俺は、逃げるようにリビングを後にした。

だが、結局俺はこの家を出ていく気にはなれなかった。アイツが善意から俺に此処に住めと言ってくれたのなら、アイツの善意を否定した俺が此処に居ていいはずがないだろう。

それでも此処に居るのは、単に罪悪感からだ。

アイツの言葉を否定した償いに、アイツの善意に答える。

「なんて都合の良い奴なんだろうな」

夏の夕暮れは、春よりも遅い。

空には入道雲が聳え、空は黄昏に輝く。輝くというよりは、暗く光るのかもしれない。暑い日差しはゆっくりと冷たくなり、身体も冷えていく。

夜は涼しいはずだ。でも、熱いはずだ。

二つは一つにはならず、二つは常に喧嘩をし続ける。そうやって互いに境界を奪い合い、その間に立たされた俺達は寝苦しい毎日を送る。

「くっだらねぇ」

広い庭に佇み、先程吸えなかった煙草をじっくりと身体に染みこませる。

眩し過ぎるから比べる。比べて自分の矮小さに気づき絶望する。本心から言えば、俺はアイツが羨ましい。羨ましいけどアイツの様にはなれない。なってしまったらどうなるか、ではない。なってしまうわけがないんだ。

佐久間大樹はサクヤ・エルフォンドの様には絶対になれない。

そんなのはずっと前からわかっていたはずだ。

アリサを見捨てた時から、それを利用してアイツの傍に居続けた時から、ずっと前からわかっていたはずなのに。

そんな俺の眼に、小さな影が見えた。

「―――何か用か、なのは」

振り向く事なく、背後にいるなのはに声をかける。

「…………サクヤさんと、喧嘩したんですか?」

「喧嘩なんかしていないよ」

喧嘩する理由もないし、仮になったとしたら俺が悪いに決まっている。

「ただ、疲れただけだ」

「疲れた、ですか?」

「あぁ、疲れた。疲れたんだよ、本当に」

まるで何年も動き続けた時計の気分だ。動くには人の手が必要で、止まってしまったら一人では動けない。やっと休めると思ったら人の手によって無理矢理に動かされ、永久に動き続ける。

「こんな日はさっさと寝るべきだな……」

「喧嘩、しないでください」

俺の手に、そっと小さな手が触れる。

「サクヤさんと喧嘩なんかしないでください……そんなの、見たくありません」

「だから喧嘩なんかしてないよ。喧嘩にすら、ならないさ」

嫉妬はした。でも、喧嘩にはならない。仮に俺がどれだけアイツに怒りをぶつけても意味がない。俺の怒りすらアイツの善意によって緩和される。

否定しても、否定した事すらなかった事にされる。

怒れるわけがない。羨ましいと嫉妬しても、俺には意味がない。

「俺はサクヤとは喧嘩は絶対にしない」

「本当に?」

「あぁ、本当だ」

顔の筋肉を動かし、出来そこないの道化師の仮面を作る。俺の経験の中には嘘つきが居たらしい。その嘘つきの経験は不思議とすんなり使えた。

当たり前か。

俺だって嘘つきで詐欺師だ。

使えて当たり前。

なのはに微笑みかける。

「ガキがそんな心配なんかすんなよ……それよりも、俺の部屋のパソコンを変に改造なんてしてないだろうな?」

何処か釈然としない顔だが、なのはは答えてくれた。

「してないですよ」

「そっか……なら、安心だ」

嘘には嘘を。

出来そこないには出来そこないを。

否定者という存在と、肯定者という存在。

悪人と善人。

決して一つにはなれない。

改めてこの屋敷を見る。

「――――俺とアイツが一つ屋根の下、か……」

笑えない、なんて最低な冗談だ。

道化師の仮面に、俺らしい嫌な笑みが張り付いた。








ようやく訪れた夜、俺は一人で街を歩く。

右手には吸いかけの煙草、左手にはコンビニのビニール袋。中にはおにぎりと百円のアイス。

やはり、夏は夜も暑い。

蒸し暑い、嫌な夜だった。

なのはを家まで送り、なんとなくサクヤの家に帰る気分になれずにパチンコ屋に入った。当然、こんな気分で負けは見えている―――と思ったが、どういうわけか勝ってしまった。懐は暖かく、心は冷たいなんていう冗談を体験しながら、俺はサクヤの家に帰る事になった。

その途中、なんとなく壊れたバニングス邸の前を通る。

あの立派だった家は見事にぶっ壊れ、現在は土台を作っている最中だった。どうやら、この屋敷が壊れて日が浅いらしく、完成にはまだ程遠い。

かつての職場。『かつて』なんていう過去形の言葉が嫌になる。これが壊れなければ、俺は今でもアリサの傍にいたのだろう。

嘘の仮面を付け、偽りだらけの自分を演じながら。

小さな溜息を漏らし、歩きだす。

その時だった。

俺の向かう方向に、小さな街灯。その街灯が照らす下に黒い影。影の様でありながら、影で無い人の形。

それが誰かなんて、わかっている。

「最低だな」

思わず毒吐く。

そんな俺の態度が気に入らないのか、それとも大いに気に入ったからこそなのか、奴は憎たらしい笑みを浮かべていた。

「―――――やぁやぁ、随分としょぼくれているじゃないか」

ケタケタと嗤いながら、奴は手を振っている。

無視して進もうと思ったが、この時の俺は気の迷いがあったのだろう。奴の前で足を止めてしまった。

「…………何か用か?」

「用がなければ声をかけてはいけないのかい……兄君」

「その呼び方は止めろ」

止めろと言われても、残念な事に君は私の兄君だからね」

胸糞悪い言葉を吐き続けるのは、黒い闇の少女。夜の闇よりも深いくせに、来ている服は白い制服―――なのは達が通っている小学校の制服だった。

「何の用だよ―――神滅餌愚坐」

「いいや、違うね」

奴はチッチッと指を動かし、



「私の名前は佐久間ジグザだよ」



神滅餌愚坐―――佐久間ジグザはそうほざいた。

「いい加減、妹の名前を間違わないでほしいね」

「お前みたいな妹なんぞいるか」

「でも、世間的には私は君の妹さ」

どういうわけか、俺には妹がいる。

正確に言えば―――いや、違うな。捻じ曲げられた正確という言葉を使うならば、俺には妹がいるらしい。

佐久間大樹という自称記憶喪失の男には生き別れの妹がいるらしい。その妹は俺が中学生の時に母親の腹の中におり、両親の離婚と同時に生まれたらしい。その後に母親は死に、施設に引き取られていたが、アリサの両親によって改竄された俺の履歴から俺の存在を知り、海鳴の街にやってきたらしい―――何もかもが『らしい』というのは変だが、俺にはそういうしかない。なにせ、本当に『らしい』のだから。

「こういう恰好をするのは久しぶりだが……似合うかい?」

「コスプレなら他所でやれよ」

「おや、君には不評みたいだね。でもいいさ、私の愛すべき兄君が妹萌えなんて属性だったら、気持ち悪くて殺してしまいそうだ」

「…………帰っていいか?」

ウンザリだ。

あぁ、本当にウンザリだとも。



退院まじかという日、ジグザは突然現れた。

病室で最後の診断を終え、今日は一日中ベッドの上でのんびり過ごそうと思った。

「海鳴を騒がす連続猟奇殺人事件ねぇ……世間も物騒になったもんだ」
新聞を読みながら呑気な事を呟いていた―――その時だった。

ドタドタという喧しい音と共に、なのはが勢いよく扉を開いた。

「佐久間さん佐久間さん佐久間さん!!」

随分とテンションが高い、というよりは焦っているのだろう。なのはは無い運動神経をフルに使って走ってきたのだろう、荒い息を吐いていた。

「どうした?」

「そ、そそそそそそ、そそれれ、それがががが」

「落ちつけ」

今にも死ぬんじゃないかと思う程の呼吸に呆れながら、コップ一杯の水を差し出す。それを一気に飲み干し、

「さ、佐久間さんって、妹がいたんですね!!」

「――――――――は?」

「だから、妹ですよ、妹!!」

妹?

何を言ってるんだ、この娘は?

「俺に妹なんかいないぞ」

「でも、でもでもでも!!」

「でもって何だよ。俺には妹なんていないって……というか、知ってるだろ?俺はこう見えても記憶喪失なんだよ」

そういう設定だったな、忘れる所だった。

「あ、そういえばそうでしたね。でも、いたんですよ妹が!!」

どうも話がおかしい方向に進んでいる気がする。どう足掻いても俺にはそんな存在は居ないし、いるはずがないんだ。

この世界に俺の肉親は一人とて存在しない。俺は仮初の住人であり、この世界では異邦人だ。

だが、いるらしい。

つまり、嘘だ。

だが、嘘だとしても誰がそんな嘘を吐くのだろう。俺みたいな何の権力もない人間の妹だと偽ったとしても、何の得にもならない。

だからこそ、聞いてしまった―――迂闊にも。

「そこまで言うなら、ソイツを此処に呼べよ」

「そう言うと思って呼んでます!!」

「もうかよ……」

そして、ドアの向こうから奴が現れた。

ニヤリと笑みを作り、何故かなのはと同じ学校の制服を着た――――ジグザだった。



「この際だから聞いておくけどよ、アレは何の冗談だ?」

「冗談?」

俺とジグザは公園のベンチに腰掛ける。

俺は買ったばかりのおにぎりを食べ、ジグザは勝手に俺のアイスを喰いやがっている。

「妹だよ、妹。どういう了見でお前は俺の妹を名乗ってるんだ?そして、なんでなのはと同じ学校に通ってんだよ?」

「そういう気分だと言えば、君は納得するかい?」

「すると思うか?」

「質問に質問で返すのは愚の骨頂だね。しかし、別に私は嘘は吐いていない。神とて気分という言葉の意味は理解しているし、そういう概念だって持っている。私はこの世界を監理するクソ女神とは違うからね」

嘘臭い。とことん嘘臭い。そして俺のアイスを喰うな。堂々と喰うな、金払え。

「お前、本当にあの女神が嫌いなんだな」

「あぁ、大嫌いだね。あのクソ女神は私の様に腐っていない」

「腐る事を誇りに思っているお前がおかしいよ」

「兄君は腐るという言葉を嫌な意味でしか理解できないみたいだね。私から言わせれば、腐るという言葉は『進む』という意味にも取れるんだよ」

腐るが進む?

どういう解釈をすれば、それが良い言葉になるか知らないが、とても賛同は出来ない。

「腐らない果物は果物ではない。腐らない人間は人間ではない。何故なら、生きていから腐るのであり、腐るから終わりがある。終わりの無い存在なんてつまらないからね」

「邪神らしい考えだな……ん、違うな」

「今日は人間らしい考えを言ってみたね。兄君が寝ている間に私も色々と人間を観察し、模範してみたんだよ」

「だから学校なんかに通ってんのか」

「そうとも言うね。ちなみに、私となのは君は友達だ」

ある意味、一番なってはいけない組み合わせに思えてならない。片や希望を口にする者。片や絶望を口にする者。同じ様に見えて同じじゃない。

「友情とて生物だ。腐りもするし、終わりもする」

ジグザは俺のアイスをぺロリと食べきり、



「私はね、知りたいんだよ――――人間という『脆さ』をね」



サディスチックな笑みを浮かべた。

これはいわば、邪神による実験だったのかもしれない。

人は腐る。

進むからこそ腐り、終わるからこそ腐る。

「……だからこそ、その脆さをまったく理解できないクソ女神は大嫌いだ。そして、そのクソ女神に仕えるあの人形も大嫌いだ」

「――――お前の生き方も大概疲れそうだな」

「何の事だい?」

言ったら怒ると思うから言わないから、心の中で勝手に独白する。

サクヤは人間の善意を信じる女。

ジグザは人間の悪意を信じる女。

互いに人間という存在に興味を持っている。しかし、それとは別に二人は互いだけを許していない。サクヤは人間の善意に好意を抱いているが、ジグザには敵意を抱いている。ジグザは人間の悪意に好意を抱いているが、女神とサクヤには敵意を抱いている。

つまり、色々な意味で似た者同士という事なのかもしれない。

まぁ、本人を前に言ったらどっちかに殺されそうだけどな。

「兄君、君は何か失礼な事を考えていないかい?」

「何にも考えてないよ」

「いや、考えている。大方、あの人形の家に住み着いたせいで私に対する評価を最低まで下げられたとかだろ?」

お前の評価を最低以上に上げた事は一度も無い。

「ほら、正直に言った方が楽になるぞ?なんなら、キスしてあげてもいいぞ」

「ガキのキスなんぞいるかっての……」

「むぅぅ、怪しいなぁ」

人の心を想像する邪神とはいえ、完全ではないらしい。だからこそ、俺はこうやって嘘だってつける。

嘘だけは得意だから、俺は。

「しょうがない。今回だけは見逃して上げよう。それよりも、だ」

ジグザはアイスの空を自身の口の中に捨て、俺を見据える。

「兄君は私の物だ。その物をあんな人形の手元に置いておくなんて許せそうにない。今すぐにでも手を斬りたまえ」

「俺はお前の物でなければ、サクヤの物でもないぞ」

「どうだか……兄君みたいなヒモ体質はちょっと優しくされただけでコロッといってしまうからね。妹である私が、アバズレの魔の手から兄君の貞操を守らなければ」

「誰がヒモ体質だ、この野郎」

一度、本気で殴ってやろうと思って、拳を握った―――瞬間、



「アバズレとは……随分と酷い言い草ですね」



背筋が凍った気がした。

「―――――ほぅ、自身の評価に不満かい?」

「えぇ、不満ですね」

周囲の温度がグンッと下がり、その中心地であり爆心地の中心にいるのが自分だと気づいた瞬間、心の底から後悔した。

闇の中に揺らめく白い髪。真っ赤な瞳には確かな怒りが宿っている。その怒りの矛先は俺のすぐ傍にいるジグザへと向かっている。

「貴様の様な下賤な輩に、そんな不快な評価を得るなんて最低としか言いようがない」

サクヤ・エルフォンドは俺とジグザを見ていた。

「あぁ、別に撤回しなくてもいいですよ。私も貴様が大嫌いですから」

「それは上々。私もお前が大嫌いだ。殺してやりたいくらいにね」

「殺せるものならどうぞ。ですが、勝つのは私で、負けるのは貴様だ」

夏の熱帯夜など一瞬で燃えカスに化し、熱を全て奪い去る程の殺気を纏ったサクヤ。サクヤのそんな殺意を平然と受け止め、上等だと嗤うジグザ。

そして、その中央にいる俺。

「ちょ、ちょっと待てお前等」

こんな街中でバトルつもりなら、止めておく事を進めたい。人気の無い場所ならまだしも、住宅街のある此処でやりあったら、バニングス邸崩壊やらマンション倒壊の二の舞になる。

「落ち着け。落ち着いて冷静になれ」

「なれないね。どきたまえ兄君―――そのアバズレを殺せない」

だから、呷るなって言ってんだよ!!

が、そんな俺の心配とは裏腹に、

「そうですね。少し落ち着きましょう……」

サクヤはあっさりと引き下がった。その態度が気に入らないのか、ジグザは怪訝な顔でサクヤを見る。

「私は別に貴様と戦いに来たわけじゃない。無論、貴様がやるというのなら相手になるが――――今は、アナタに用があるんです」

殺気を消し去り、サクヤはゆっくりと俺に歩み寄る。俺の隣にいるジグザなど眼中に無いかのように。

「佐久間さん……少し良いですか?」

「な、何だよ」

じっと俺の眼を見据えるサクヤに、思わず後ずさる。

「…………私、考えたんです。佐久間さんが私の事を理解できない、私とはわかり合えない、そう言った事を……そう言われた事をずっと考えてました」

「…………」

「そして、佐久間さんは自分の事が大嫌いだとも言っていました。その事もずっと考えてました――――そして、私は決めたんです」

サクヤの手が俺の手を取り、ひんやりと冷たい感触を生み出す。

「正直に言えば、私はアナタの自分否定な所があまり好きではありません。ですが、それはアナタの生き方だというのなら、私はそれを否定できません」

そして、ぎゅっと握られた瞬間、温もりが生まれた。

「だから……」

温もりは手だけではない――――何故か、本当に何故か知らないが、

「アナタが自分の事を好きになれるように、私が努力します……」



サクヤの顔が、俺の視界一杯に広がった。



「――――――ほへ?」

ジグザの間抜けな声が聞こえた。

「――――――ん……」

サクヤの甘い声が聞こえた。

「――――――」

俺の声は聞こえない。だが、その代わりに心臓が一気に爆発するような音が聞こえた。

つまる所、こういう事だ。

俺の顔一杯に広がるサクヤの顔。直ぐ近くに感じるサクヤの温もり。鼻を擽るサクヤの甘い匂い。唇に感じる優しい感触。



サクヤに、キスされました――――という事だろう。



海鳴の街。

季節は八月で夏。

そんな熱帯夜に響き渡る俺の声ではなく、



「な、なんじゃそりゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああ――――!!!!」



初めて聞く、邪神の悲鳴にも似た叫びだった。





あとがき
ども、プロットなんぞクソくらえじゃ!!な、散雨です。
そろそろタイトルに偽りありな気がしてきた感じがする第二話です。
ラブコメのつもりが「これ、なんてエロゲ?」な展開になってきました。プロット通りに進まない上に色々とぶっ壊れ始めたぜ。
さて、感想の方でキャラの外見イメージを教えて欲しいとあったので、簡単な外見イメージ(作者的に一般向け)です。

佐久間大樹:テンカワ・アキト―劇場版―(ナデシコ)
神滅餌愚坐:閻魔あい(地獄少女)
サクヤ・エルフォンド:棗真夜(天上天下)
女神:アベル・ナイトロード(トリニティ・ブラッド)
ガルガ・ガルムス:ガウルン(フルメタルパニック)
垢神刃沙羅:人類最強の請負人

ちなみに外見イメージ(作者趣味的というか本番)だと、

佐久間大樹:リューガ・クルセイド/伊烏義阿
神滅餌愚坐:エセルドレーダ/湊斗光
サクヤ・エルフォンド:ライカ・クルセイド―銀髪Ver‐

と、なります。
ガルガはガウルンで不動です。
垢神は請負人で確定です。
女神は白髪男キャラなら大抵は合うんですが、本命は『闇の末裔』というアニメで見た邑輝一貴という野郎が一番しっくりきます……ちなみに、このアニメをそういうアニメだと知らずに家族揃っての夕食の時に見て……まぁ、アレですよ。アレです。気まずいですね。
とまぁ、そんなアレな話はさておき、次回もラブコメです。というわけで次回「ジグザVSサクヤ、水着で一本勝負!!……オマケでなのは」で逝きます。
一人の男を取り合うというのは、ラブコメなんですかね?

それでは、出来れば年末に会いましょう。


PS,もうすぐ年末なのに、どうして俺は夏の話を書いているのだろうか?



[10030] 第三話「一つの曖昧」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2011/01/01 21:54
最近の朝の光景、といってもほんの二日程度だが、俺の朝は比較的落ち着いている。

もっとも、寝起きだけな。

「…………朝か」

目覚まし時計がカンカンと音を鳴らし、止めてから訪れる静寂。その静寂は恐らくは今日一日の間で一番幸福な静寂だろうと噛みしめ、ベッドから出ようとし―――そして、むにゅっという奇妙な感覚。

「…………むにゅ?」

俺の掌に感じるのは柔らかい感覚。そして鼻腔を擽る甘い匂い。

瞬間的に脳内で桃色の光景が広がり、心臓がバクバクと鳴り響く。

寝る前、確かに俺は一人でベッドに入ったはずだ。しかし、現在のベッドには俺以外の誰かがいる。その証拠に、俺の身体にかかっている毛布に俺の身体以外のもう一つの山。

「―――こ、これは……」

これが俗にいう早朝ドッキリ、もしくは早朝襲撃という奴なのか!?

確かにこの家には俺以外にサクヤがおり、更にもう一人の居候がいる。つまりは俺一人じゃない。その俺以外の誰かがこの毛布の中にいる。

おいおい、これって大丈夫か?描写していいのか?描写した瞬間に青少年お断りなシーンに飛んだりしたら色々と問題じゃないか。

俺は恐る恐る、そしてちょっぴり刺激的な光景に期待しながら毛布を捲った。

ソレは俺の足に絡みついた黒い物体。

ソレは俺の股間を舐める様なヌルリとした感触。

ソレは俺の心臓を一瞬で鷲掴みにする程の光景。

「――――――」

ソレは確かにそこにいた。



ジグザ―――――の召喚した黒い蛇がいた。



黒蛇は俺の足に巻きついていた推定三メートル以上の大蛇。

黒蛇は俺の股間を舐める様にヌルリと――というか明らかに俺の息子を狙っていた。

黒蛇は俺の心臓を確かに鷲掴みにした。

「んぎゃぁぁあぁぁあああああああああああああああああああああああ――――!!!!」

俺の情けない叫びと共に、俺の静かな朝は終わりを告げる。





「――――――ジグザぁぁああああああああああああああああああ!!」

ドタバタと喧しい音をたててリビングへと飛び込む。

「テメェ、人の唯一の安らぎと淡い妄想になんて事をしやがる!?」

「おや、今頃になってお目覚めとは遅いね、兄君」

汗だくな俺とは違って、ジグザは何処から調達したのか、白いワンピースを着こなしながら呑気に牛乳を飲んでいた。

「私の素敵なモーニングサービスはどうだった?」

「死ぬかと思ったわ!!」

「そうか、死ぬほど良かったか……」

「良いわけあるか!!何で早朝一番で大蛇とバトルしなくちゃいけないんだよ!?」

危うく本気で喰われる所だった。なんとか大蛇を振りほどき、部屋から命辛々逃げ出した俺。恐らく、あの大蛇は今でも俺の部屋でシュ~と鳴りながら俺という獲物を待ち構えているだろう。

「可愛い妹の朝の奉仕というべきかな?どうだい、普通じゃ体験できない素敵なサービスだっただろ?」

「……本気で言ってるなら脳外科に行け」

「生憎、脳外科程度で私の脳内をどうにかなんて出来ないよ」

「なら精神科に行け」

「そしたら、その精神科医を精神科送りにしてあげるよ」

俺の言葉なんて完全に受けて流すジグザ。

「それよりも見たまえ、兄君。最近話題になっている連続殺人事件が猟奇連続殺人事件に変わった様だぞ」

「そんなもん知るか。それよりも俺の静かな朝の寝ざめを返せよ」

「ほぅ、今度はまるで獣が喰いちぎった様な死様だったらしいね……いやはや、世間は怖いものだ」

「お前の存在よりも怖くて厄介なモンがあるかよ」

人の話を欠片も聞こうとしないジグザ。しかし、そんなジグザの表情はこんがりと焼けたパンをかじりって飲みこんだ瞬間に変わった。

「不味いな」

パンの上にバターやらジャムやら味噌やら豆板醤やらをかけながら、ジグザは本当に不味そうにパンを食べる。朝からなんて消化に悪そうなモンを平然と喰ってるんだ、コイツは。

「まったく、私はまだしも、私の愛しの兄君にこんな犬の餌ですら上等だと思える物を食べさせるなんて――――お前の舌は治療不可レベルらしいな」

そう言って、キッチンから食事を乗せた盆を持ったサクヤへと目を向ける。

サクヤもサクヤで不満というか明らかに機嫌の悪そうな顔でジグザを睨む。

「誰もお前に食べろとは言っていない。という、勝手に食べるな」

「用意されていれば食べるのが私の流儀でね」

「それは私と佐久間さんのです――――佐久間さん、おはようございます」

ジグザへ向ける顔とは正反対の表情で、サクヤは健やかな笑顔を俺に向ける。

「おはよう……」

あぁ、またこのパターンか……と、俺は内心溜息を吐く。

「佐久間さんは朝はパンで良いんですよね?これ、今焼き上がったばかりなんですよ」

「……へぇ、そうなんだ」

確かに美味そうな匂いはする。どうやらサクヤは自分でパンを焼ける程度には料理が出来るらしい。

パンが焼ける程度という言葉が正しいかは知らないけどな。

「ふん、これはまた不味そうな匂いだ。おい、三流シェフ。今度からはこんな安物な朝食ではなく、フランス王室並のクソ不味そうな飯を作れ。じゃないと、私が食べてやらんぞ」

「何度も何度も言うが、誰もお前に食べろとは言っていない……」

朝から険悪な空気が立ちこめるサクヤ邸。

そう、これが嫌なんだよ。

この二日間、毎朝から始まり毎晩この調子――つまり、一日中コイツ等は飽きずにこんな罵り合い、馬鹿し合い、殺し合いを平然と行っている。もっとも、あの教会での一件程の殺し合いは行っておらず、精々壁が壊れるとか家具が壊れるとか俺が壊れるとか、その程度で済んでいる。

「頼むから、朝から喧嘩すんなよな……」

一日目はただオロオロしていた俺だが、二日目にもなると自然と慣れた。どうやら、俺の中にある経験には、こんな殺伐とした空間を過ごしていた猛者の経験もあったらしい……正直、尊敬するよ。

「不味い物を食べてやってるんだ。それだけで感謝しろ……もっとも、昨日の晩の生ゴミレベルを兄君に毎日食べさせられては困る。なにせ、兄君は美食家だからね」

そんな事実はない。

「嘘を吐いても直ぐにバレというのに……佐久間さんが美食家なものですか。この人はその気になれば道端にある草だって食べる程の雑食家だ」

いや、全然違うぞ?

「道端にある草とて吟味して食べるのが兄君だ。その程度の事もわからず、雑食家を語るなんてちゃんちゃら可笑しいな」

フォローになってねぇぞ……いや、する気もないのか。

「そっちこそ雑食家の意味も知らないようだな。雑食家というのは何でも食べるという人の事を言うんだ。草だろうと鉄だろうと、ゴム以外なら何でも食べるのが雑食家だ」

俺は何処のガッちゃんだよ?

「――――ほぅ、余程貴様は私の兄君を馬鹿にしたいらしいな」

「――――馬鹿にしてるのは貴様だろう?」

お前等二人とも俺を馬鹿にしてるぞ。

「やるか?」

「お前がその気なら受けて立ちましょう」

あぁ、結局こうなるのか。

俺は自分の分の食事を手に持って、さっさと逃げ出す事にする。

「この人形風情が!!」

「邪神、滅するべし!!」

背後で凄い音が聞こえるが、気にしない気にしない。とうせ、帰ってくる頃には何故か元に戻ってるんだから、俺には関係ない……関係ないと思い込む事にしよう。

こうしてサクヤ邸での朝は相も変わらずの騒がしさになるのだ。

ホント、なんでさって感じだよ。









人質はリリカル~昨夜~
第三話「一つの曖昧」











「―――――キスされたんだけど、どうすれば良いんだ?」

「は?」

若干のデジャブを感じながらも、俺とガルガはまたも二人で翠屋で茶を楽しんでいた。前回ガルガが暴れたせいで店内への入店はお断りになったが、外でならOKという温情を受け、クソ熱い太陽の下でむさ苦しい野郎二人は顔を突き合わせる。

「ところで、誰も注文を取りに来ないのは、遠まわしに帰れという事なのか?」

「知るか。大体、前回のはお前が悪いんだよ。俺の愛しのジグザがお前の妹だと―――――義兄さんと呼んでいいか?」

「いいわけあるか」

注文を取りに来る気配のない店員と店長夫婦を眺めながら、俺は仕方なく煙草を吸う事にする。しかし、ポケットを探ってもライターが無い。どうやら忘れたらしい。

「火、あるか?」

「ジグザを俺にくれるなら火をくれてやるよ」

「火なんかくれなくても、好きなだけ持っていけよ」

ガルガは俺が咥えた煙草の先端に指を付ける。するとジュッという音が鳴り、煙草に火が燈る。

「便利だな、聖痕って奴は」

「こんなモンを聖痕の一つと考えるなっての……それよりもだ、義兄さん」

だから義兄さん言うな。

「お前、何でもジグザと女神の従者、サクヤとか言ったっけ?その二人と一つ屋根の下で暮らしてるみたいだが……なんでそんな事になってんだ?」

その事なら俺だって聞きたいさ。

「サクヤの家に住むって話は前にしたよな」

「あぁ。興味も無いのにテメェがグチグチ言ってたな」

「それにジグザが反対したんだよ」

「それは当たり前だ。この世界の神と異邦神の邪神が共存する事は不可能だし、その従者同士が共存する事も普通はあり得ない。アイツの判断は普通だよ、普通」

邪神に対して普通というのは、少しおかしな感じがしたが、口には出さない。

「正直な、俺も住むのをやめようかなって思ってんだよ」

「何でだよ?」

「俺とアイツの価値観の違いっていうか……サクヤを前にすると自分がすげぇ小さい奴だと思えてくるんだよ」

「お前なんて誰から見ても小さい奴だよ」

喧嘩売ってんのか、この野郎―――でも、案外納得できる。

「そもそも、お前って自分が一番嫌いだっていうタイプだろ?」

「……よくわかったな」

「わかるさ。誰でもわかる。お前は佐久間大樹だ。佐久間大樹っていう人間は『何時でも何処でも』そういう人間なんだよ」

俺の存在そのものを否定された気分だな。でも、特に不愉快だとは思わない。少なくとも、コイツはサクヤの様にその考えを否定する様な事は言わない。

「あれ?俺って実はサクヤの事が嫌いなのか?」

別に嫌いだとは思わない。ただ苦手なだけ。ただ眩しいだけ。一緒にいるだけで他人から比べられている様な感覚はあるし、俺自身も自分が嫌に思えてくる。

アリサとは別の意味で俺にとってそういう存在だという事なのだろう、サクヤ・エルフォンドという存在は。

「好きでも嫌いでも良いだろ、別に。それよりも大事なのは、そのサクヤっていう女とジグザが一緒にいるってことだ。そんな事は『今まで』一度もなかった事だぞ」

「それも色々と事情があるんだよ……というよりは、サクヤに問題があるって感じかな」

あの夜。

俺はサクヤにキスされた。

「―――――――」

「なんで急に顔を赤くしてんだよ。気持ち悪い」

「う、うるせぇよ……」

思い出しただけで顔が熱くなる。何処の乙女だって笑われるかもしれないが、しょうがないだろ。俺にだって一応はまともな思考っていうかプライドっていうか、ともかくそういう物があるんだ。それをあの瞬間に一気に壊されたというか、崩されたというか。

ともかく、だ。

アレが事故なら事故で良い。しかし、事故じゃない。故意に行われたのならアレは立派な犯罪だ。男の唇を奪った乙女が起こした重犯罪だ――――自分で言ってて悲しくなってきた。

「――――俺が幸福になれるように努力するってよ」

「なんだそりゃ?」

「どうやら、サクヤは俺の自分が嫌いだっていうネガティブ思考がお気に召さないらしくてな。それをどうにかする為に、まずは自分が頑張るんだってよ」

でも、なんでキスなんだ?

まさか、実はアイツは俺の事を……

「いや、無いだろうな……」

「だからよ、一人で勝手に顔を赤くさせたり、憂鬱に呟いたりするなよ。野郎がそんな事をして気持ち悪いだけだっての」

「どうやら俺は顔に出るタイプらしいな」

「顔に封しとけ」

「どうやるんだよ?」

「とりあえず、誰かわからなくなるくらいにグチャグチャに潰してやるよ」

流石は自称殺人鬼、じゃなくて自傷殺人鬼。言う事が違うね。そんな殺人鬼に対して俺は何でこんな話をしてるんだろうな、ホント。

「まぁ、いいさ。お前がサクヤっていう女とどうなろうが知ったこっちゃないが、いい加減に何でそこにジグザが関わってくるかを教えろよ」

その事か。

まぁ、そっちは普通に簡単な事だ。

「自分の物……俺をサクヤにどうにかされるのが気に食わないんだとよ――――だから、俺と常に一緒に居る事で、サクヤに毒されない様に守ってやるとさ」

迷惑な話だ。

けど、あそこでいがみ合いをあっさり超えて殺し合いならないだけマシだ。

「…………う」

などと考えていると、ガルガの様子がおかしい。元々おかしいが、今は更におかしい。震えている。拳を震わせて唸っている――――そしてガバッと立ち上がり、



「…………う、うらやますぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」



叫ぶな、泣くな、顔を近づけるな気持ち悪い。

「おいおい、このロリコン野郎!!俺だってジグザと同棲なんてした事も無いんだぞ!?何度も何度も殺し合ってるけど、同棲なんて、同棲なんて……う、うぅ……」

本気で泣いてるんですけど、このロリコン。

「クソ、俺の何処が駄目だって言うんだ!?」

「多分、ロリコンな所だと思うけど……」

「十二歳以下を愛して何が悪い!!」

「法律に悪いだろうな」

「愛は法律すら超えるぞ!!」

「超えちゃいけない一線があるだろうよ」

「人殺しとロリコン、どっちが超えちゃいけない一線なんだよ!?」

「両方だボケ」

なんか色々と駄目だな、コイツは。

頭が痛いのはきっと夏の暑さのせいじゃないだろうな。

気づけば、煙草は一回煙を肺に入れただけで、白い灰になっている。

また煙草を無駄にしてしまったらしい。

なんというか、無駄にするというのは俺みたいじゃないか。

毎日を無駄にしている。生きているのを無駄にしている。生き返った事を無駄にしている。全てが無駄無駄無駄。無駄以外の何者でもない。

それに比べて、サクヤは無駄が無い。

無駄を省き、誰からも愛される様な無駄のない綺麗な存在。そんな奴なんだから、俺なんかに構って無いで、他の誰かに親切にすればいいのに、なんて考えてしまう。多分、アイツはそんな俺ですら無駄とは思わないのだろう。

俺という無駄な人間を、サクヤという有意義な人間が救済する。

なんて間抜けな話だ。

情けなくて、間抜けすぎる。

マイナス思考な人間で、マイナス的な存在な俺。

「ジグザぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

そして、マイナス思考ではないが、プラスでもない男は店先で叫んでいる。

「愛してるぞぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

店内から凄い冷たい視線が来てる気がするけど……気のせいじゃないな。

結局、また翠屋を追い出された俺達―――間抜けすぎるだろ。





さて、そんなガルガとの邂逅から数日後。

何度も言う様だが夏である。

「夏と言えばプールですね!!」

「テンション高いな、なのは……」

海鳴という名前の癖に、俺はプールなんぞに来ている。
夏真っ盛りという今日この頃、プールは見事に超絶満員。パチンコ屋の満員は我慢できてもこういう人ごみは嫌いな俺は、色々と駄目な気もする。しかし、そんな俺の気など知らずにはしゃぐお子様一名。

「なんでプールなんだよ」

「夏ですから」

「夏といえば海だろ」

「海もいいけどプールもいいですよ」

とりあえず、プールらしい。

「というより、なんで俺がお前と一緒にプール来てるわけ?」

「だから、何度も言ってるじゃないですか。佐久間さんの退院祝いですって」

「病人上がりに随分と鞭打つような退院祝いだな」

どう考えてもコイツが来たいだけな気がする。まぁ、その気持ちもわからんでもない。元々はすずかと一緒に行くはずだったプールなのだが、突然のキャンセルが入ってしまったせいでオジャン。だったら親にでも連れてきてもらえという話だが、コイツの親は仕事中。兄貴や姉貴も同じ様に用事があったらしい。

そんな事情なんてさっぱり知らない俺は、ぷ~太郎生活に終止符を打つ為にバイトの面接を受けに行き、堕ちた――――鬱になった。

鬱状態で日照りに晒されていた俺を見つけたなのは。これ幸いとばかりに俺に声をかけ、有無も言わさず連行された先が、このプールである。

「……お前、実は友達少ないとか無いよな?」

「そんな事をありませんよ?」

「だったら良いけど……にしても人が多いな」

市民プールよりもデカイこのプール。なんでも最近出来た人気スポットらしい。そんな場所だからこそ、家族連れやら恋人同士やら、そんな楽しそうな人達が沢山いる。

そんな中で俺は何故か子供のお守りときたら、

「まぁ、いいけどさ……いいんだけどさ」

「佐久間さん、もしかして来たくありませんでした?」

悲しそうな顔で見られれば、俺は首を縦には振れない。首を振るのは何時だって横だ。なにせ、否定する事が俺の唯一の特権であり特技なのだから。

しょうがない。今日はお子様と一緒にプールで遊ぶとしよう。

「―――――それじゃ、俺はそこで寝てるから適当に遊んで来い」

「それじゃつまらないですよ~、一緒に遊びましょうよ~」

俺の手をぐいぐいと引くの勝手だが、俺のテンションはそんなに高くない。今さっき一緒に遊んでやるかと思ったが、こんな人ごみで遊ぶ気にはまったくなれない。プールに入ってもぎゅうぎゅう詰めな状態では、俺みたいな大人では身動きは取れにくいので、なのはみたいな子供なら余裕で動ける―――つまり、俺はまったく楽しめそうにもない。

「お兄さんは疲れてるの。バイトの面接に堕ちて鬱なの……」

「だったら家で働いたらどうですか?お父さんとお母さんに頼んでみましょうか」

「それは却下。コレ以上お前等の身内に迷惑はかけられない」

それ以前に、子供に職を紹介される二十三歳ってどうよ?

間違い無く駄目だ。

「気長に探すさ……いや、気長に探しちゃ駄目だろ」

「大人って大変なんですね」

「大変なんだよ。子供は子供の内に楽しく遊んでおけ。そしたら未来ではその思い出が鬱病になる原因になる」

「嫌ですよ、それ」

「俺だって嫌だよ」

夏休み、宿題、自由研究、工作。楽しい様で厳しい夏の定番ですら今は神々しく思えてならない。

やっぱり、子供は子供の内に楽しむもんだよなぁ。

「――――しゃぁねぇ、遊ぶか……」

「そうですよ!!その粋ですよ!!就職難民の佐久間さんにも遊ぶ権利はあるんですよ!!」

とりあえず、カチンときたのでクソガキをプールに投げ入れた。



こういうプールには必ずあるのが休憩時間。放っておけば何時までも遊び続けるお子様達の為に、連続して遊んじゃメ~ですよ~という事で、当然の如く一定時間の休憩が取られる。その間は不思議とあの騒がしさは感じられない。皆がプールサイドに腰掛け、揺れる水面をじっと見つめている。

当然、俺となのはもその一人だ。

「ところでよ、なのは」

「なんですか?」

「ユーノってどうしたんだ?最近というか、俺が目を覚ましてから全然見てないけど……」

「あぁ、ユーノ君ですか。ユーノ君はちょっとお出かけしてます。なんでもフェイトちゃんの裁判の事で色々とあるそうなので……」

そうか、大変だな。

物凄く他人事に考えているが、よくよく考えればPT事件は解決しているんだよな。あの事件は春先に起きた事件で、今は絶賛の夏だ。

内容というか、どういう事が起きたのかを知っている俺としては、特にその辺を詳しく聞きたいわけでもない。

そっか……あれから随分と経ったんだよな。

俺の知る限り、アレから冬までの間に事件らしい事件など起らない。今が平穏であり、なのはがお子様らしい時間を過ごせる大切な時間というわけだ。

「…………まったく、なんて世界だ」

「何か言いました?」

「いや、何でもないよ」

これからなのはにどれだけの出来事が待っているとしても、それを教えても意味はないのだろう。別に世界に介入するなんて気は無いし、歴史を変えようとも思わない。

例え俺がこの世界の一員だとしても、

「あ、休憩時間終わったみたいですね」

「らしいな……」

俺の存在が何かの役に立つわけがない。役に立つのは俺ではなく、サクヤの様な人間だ。立派な人間にはそういう存在感があり、そうじゃない人間にはそれに似合った存在感がある。

所詮、俺はその程度なんだ。



「――――だ~れだ」



不意に俺の視界が真っ暗になった―――アンド、眼球に指が刺さった。

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ―――――!!」

目が熱い!!

目が燃える様に熱い!!

目が、目が、目があぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!

突然の激痛に耐える事が出来ず、俺はプールサイドをゴロゴロと転がり、そのまま着水。

『お客様、飛びこみ禁止ですよ~』

「好きで飛びこんだわけじゃなわ!!」

視界を奪われながらも、なんとかプールから上がった俺。

「うおぉぉぉ、目が……」

「さ、佐久間さん、大丈夫ですか?」

心配するなのはの声。

「だ、大丈夫……じゃない」

「ですよねぇ……にゃはは」

にゃはは、じゃねぇよ。笑い事じゃねぇよ。危うく失明するところだったじゃねぇかよ。誰だよこんな傷害事件を起こした輩は。

徐々に回復してきた視界に写るぼんやりと白い何か。

「……すみません。まさか、刺さっちゃうとは」

申し訳なさそうな声。徐々に見えるシルエット―――女だ。

「あの、本当に大丈夫ですか?目、見えてますか?」

女が俺に顔を近づける。女の顔のアップは、うっすらとしか見えない俺の視覚にもはっきりと誰なのかを理解させる。

「うわぁ、目が真っ赤……本当に申し訳ありません。ちょっとびっくりさせるつもりだったんですけど」

俺の視界に写ったのは白い髪に白い肌。そして真っ赤な深紅の瞳。

「サクヤ?」

「はい、そうです」

「お前が俺を襲ったのか?」

「別に襲ったわけじゃないのですけど……」

どう見ても襲ってるだろうが。

「……で、なんでお前が此処にいるんだ?」

「あ、はい……なのはさんに誘われまして。私は昼間は翠屋でお仕事がありましたから、そちらが片付いてから合流するという話だったんですけど―――聞いてません?」

「まったく聞いていない」

「え、本当に?」

なのはを見ると、悪戯成功という様に笑っている――くそ、可愛いから許す。

「佐久間さんをびっくりさせたくて」

「あぁ、びっくりしたよ。まさか、いきなり襲撃されるとは思ってもなかった」

「私もいきなりサクヤさんが佐久間さんを襲撃するとは思ってもいませんでした」

「私も自分が佐久間さんを襲撃する事になるとは思ってもいませんでした」

全員が予定外で想定外だったらしい。

なんて事をしていると、今度は別の声。

「――――まったく、君達は少しは淑やかという言葉を知るべきだね」

これまた予想外の声。

「ジグザ?」

「そうだよ兄君。君の愛しの妹、佐久間ジグザさ」

真打ち登場と言わんばかりの偉そうな態度で踏ん反り返っているジグザ。

サクヤにジグザ……念の為、なのはを見る。やっぱり笑っていた。どうやら、ジグザにも声をかけていたらしい。というか、このジグザとなのはが友達という話は本当らしい。

「これも、俺をびっくりさせる為か?」

「びっくりさせるというか、ジグザちゃんの為ですかね」

ジグザの為?

どうしてジグザの為になるんだよ、という顔を俺がすると、なのはは急に怒ってますという顔になる。

「ジグザちゃんから聞きましたよ。佐久間さん、せっかく会えた妹のジグザちゃんと全然遊んでないそうじゃないですか?駄目ですよ、そんなの」

「何が駄目なのかわからんのだが……」

「生き別れになった兄妹が突然再会して戸惑っているのはわかりますが、たった二人の兄妹なんですよ。仲良くしなくちゃ駄目です」

「それ以前に、俺はコイツを妹だなんて認めていない」

「そ・れ・が!!そもそも駄目なんですよ!!」

いや、それもわからん。どうしてお前がそこまで必死になるのかがわからん。

「ジグザちゃんが言ってました。ジグザちゃんが寂しくて夜眠れない時に、一緒に布団に入って欲しいってお願いしたら『へッ、お前みたいなションベン臭いガキと一緒に寝られるか』って酷い事を言ったそうですね」

言った記憶は無い。そして、ジグザにそんな風に頼まれた事もない。あるのは昨日の晩に寝ている所を襲撃されて、朝まで酒に付き合わされた記憶があるだけ……ん、もしかして俺って酒臭いからバイトの面接に堕ちたのか?

「それだけじゃないですよ!!ジグザちゃんとは一緒にご飯食べない、お風呂も入らない、遊ばない。お兄ちゃんが大好きな妹になんて扱いをしてるんですか!?」

そのお兄ちゃん大好きだと嘘を吐いている自称妹が、どれだけ俺に対して酷い扱いをしているのか、お前は知っているかと問いたい。

「なのは君。私は大丈夫さ……兄君が、ただ傍にいてくれるだけで……うぅ」

わざとらしく泣き真似をするな。

「ジグザちゃん……」

そしてお前は騙されるな。

「おい、サクヤ。お前からも何か言ってやれよ」

「私に振られても……そうですね」

顎に手を当てて考える仕草をする。それと同時に俺にサクヤから念話が届く。

『私的には、この邪神をなのはさんと一緒にさせるのは危険だと思っています。ですが、なのはさんは完全に邪神を友達だと信じきっています』

『それで?』

『例えなのはさんに嫌われる事になっても、邪神をなのはさんから離すべきなのですが……どうもそれは実行できないというか、何と言うか』

『つまり、二人の仲を裂きたくない、と?俺からすれば、ジグザはどうなってもいいが、なのはだけは傷つけたくないよな……』

突然、友達が自分の前からいなくなる。アリサが海外に行ってしまったせいで、なのはの友達が一人、彼女の世界から少しだけ姿を消す事になる。そして、今はジグザという『仮初』の友達がなのはの前にいる。

それが、どれだけ残忍で狡猾な邪神だとしてもだ。

『――――で、どうするつもりだ?』

『そうですね……とりあえず、こうします』

プツン、と電話が切られる様に念話が切られる。

そして、サクヤは俺を見る―――蔑む様な眼で。

「佐久間さん。私が言うのもなんですが……もう少し妹さんと仲良くすべきですよ」

「……お前もそっち側に回るのかよ」

「当然です。家族は仲良く、兄妹は仲良くするべきです」

突然の援護射撃をするサクヤに対して、ジグザは一瞬かなり嫌そうな顔をするが、すぐににこやかな作り笑顔を浮かべ、

「サクヤさんにまで心配されるなんて……兄君、この際だから今晩からは私と一緒に共に同じベッドで寝ないかい?」

「死んでも御免だね」

「もう、佐久間さん!!ジグザちゃんに優しくしないと嫌いになっちゃいますよ!!」

嫌いになっていいから、頼むから大きな声を出さないでくれ。周りからかなり冷やかな目が俺を射抜いているのに気づいてるか、お前。

このままこの状況を続けていれば、俺は間違いなく小さな妹を大切にしない駄目な兄として見ず知らずの人間に思われてしまう―――どうでもいいけどよ。

「―――――ッチ、わかったよ」

折れる事にかけてもどうでもいいのが事実。頭を掻きながら、俺はジグザと仲良くするという約束を強制的に取り決められてしまった。

ホント、なんでさ?




そんなわけで、俺達は一緒に遊ぶ事になってしまった。

夏の思い出作りという意味では、男一人に女一人、お子様一人に邪神一人という奇妙奇天烈なグループは、周りからすればかなり充実している様に見えるのだろう。

なにせ、女は美人、お子様は美少女、邪神も美少女という組み合わせは、俺が他人だったら羨ましいと思えること間違い無しだ。無論、他人だったらの話だ。

「……にしても、けしからんな」

しかし、他人では受けれない得というのもある。

うむ、実にけしからん胸だ。

俺の視界はなのはと遊ぶサクヤのアレに夢中だ。

「兄君、鼻の下が伸びてるぞ」

「こういう顔なんだよ」

「そうかい。今すぐ整形してくるか、女の好みを変えるべきだ」

俺の隣でスイカにかき氷にてんぷら蕎麦と、色々と食べわせが悪そうな物を平然と平らげているジグザからの冷やかな目線。

「別に好みじゃないが……うぅぅん、けしからん」

「……君、そういうキャラだったか?」

「男は何時だって女の胸と尻を追いかける哲学者なんだよ」

けしからん胸だ。

プロポーションはグラビアモデル顔負けなナイススタイル。ボンキュッボンとはまさにこの事だ。

白い髪と白い肌と同じ、雪の様な白い水着がこれまた眩しい。

「やっぱりビキニだよな。ああいう胸の大きい女はビキニ以外は着てはいけないという法律を作るべきだ」

「色々と問題がある法律だが……私はてっきり、兄君はロリコンだと想っていたのだが」

「んなわけあるか。女は胸だ。小さい方も良いが、大きい方も良い。これで相手が年上だったらパーフェクトなんだが……惜しいな」

「惜しいと思うならそれ以上は見ない事をお勧めするよ、目が腐る」

随分と酷評するのは、相手がサクヤなのか、それともジグザのチンチクリンな身体にコンプレックスを抱いているのか……絶対に後者だろう。

ちなみに、ジグザが着ている水着は何故かスクール水着。いわゆる、旧スク水という奴だ。胸にわざわざ自分の名前を書いているのがマニア受けしそうだが、

「お前のその名札、どうにかならんのか?」

ひらがなで『じぐざ』でもなければ、カタカナで『ジグザ』でもない。



ジグザのペッタンコな胸には『ジグTHE』と記されている。


「なんで『ザ』だけが英語なんだよ?」

「スタイリッシュだろ?」

「奇抜すぎてスタイリッシュにもならんわ」

「そうかい?私としてもなかなかの出来だと自画自賛なのだが……まぁ、なのは君の水着よりは注目するだろうね」

なのはの水着ね……まぁ、可愛らしいけど、

「描写するべき個所はないな」

「描写するべき個所はないね」

可愛いよ?確かに可愛いけど、描写するべきでもない。

「私が言うのもなんだが、なのは君の水着は実に彼女らしいね……描写するべき個所はないけど」

「そうだな。可愛いな子供向けだ……描写するべき個所はないけど」

やっぱり子供はああいうタイプが良いよな……描写するべき個所はないけど。

そんな描写するべき個所のないお子様がのんびりとくつろいでいる俺達に向かって手を振っている。

どうやら、一緒に遊ぼうという事らしい。

「行ってこいよ」

「…………実は私は泳げないんだという設定があれば萌えるかい?」

「全然」

「そうか、残念だ―――ちなみに、得意な泳法はバタフライだ」

「聞いてねぇよ」

何の得にもならない会話をしながら、俺とジグザはプールに入った。

人の多いプールでも意外と遊べるものだ。といっても、流れるプールだから回転率はそこそこ悪いのが欠点だ。

「人、多過ぎ」

「佐久間さんは文句が多いですよ」

「そうは言うが、なのは。この多さではまともに泳げもしないぞ」

「私、泳げませんから」

「だろうな。そうだと思った」

「む、なんか馬鹿にされた気分です」

馬鹿にはしてない。ただ、安易に想像できるだけ。そんななのはを擁護するようにサクヤは、

「大丈夫ですよ。人は浮かぶようには出来てないんです。浮かべる人の方がおかしいんです」

なんか、さりげなく自爆している気がする。

「サクヤ……お前、泳げないのか?」

「泳ぐ必要性がないから泳がないだけです。その気になれば泳げますが、その必要がないので泳ぎません。そもそも、人は泳ぐ必要なんてないんです。海で溺れたら何かに縋れば良いし、そもそも溺れなければ良いだけの話です」

あぁ、どんどん自爆している。

それに気づいたジグザはこれは良い話を聞いたと言わんばかりにニヤッと嗤い、

「ほらほら、兄君。私はこんな風に泳げるぞ」

そう言って犬かき。

「犬かきは泳ぎじゃないだろ」

「それじゃ平泳ぎだ」

狭い空間で器用に泳ぐジグザに少しだけ関心する。対して、それを見ていた泳げないなのはと、自称泳ぐ必要の無いサクヤの反応はと言えば、

「ジグザちゃん凄いね~」

と、泳げないなのは。

「…………っふ、無駄な機能ですね」

と、泳ぐ必要のないサクヤ。

どう見ても悔しそうな顔をしている様にしか見えないぞ、サクヤ。

「兄君は当然泳げるんだよね」

「まぁ、人並みには泳げるぞ」

一応、そういう経験だってある。その気になれば鎧を着たまま泳ぐ方法も出来るが、これこそ現代では必要が無いだろう。

「流石は兄君だ――――何処ぞの胸だけが大きい人とは違うね」

その言葉が空気を壊した。

先程まで見せかけだけでも仲良さげな関係を演じていたジグザとサクヤの間に、確かな亀裂が生まれた。

「ジグザさん……それは私の事を言っているのでしょうか?」

「まさか。私はこの世の何処かに居るであろう胸が大きいという才能しかない誰かさんの事を言っただけ。決してサクヤさんの様な胸だけが大きい人の事では無いよ」

どう見てもサクヤの事を言っているな。

「わ、私だって必要があれば泳ぎますよ!!」

「おや、おかしいね?先程は泳ぐ必要が無いから泳がないって言っていた気がするが……まさかサクヤさんは泳げないのが悔しいのかい?私みたいな小者が泳げて、自分は泳げないというのが我慢ならないと……いや、まさかね。そんなまさかがあるわけもないだろうねぇ……」

お~い、挑発するな。そしてサクヤも挑発に乗るな。

「い、いいでしょう……でしたら私が泳ぐ必要が皆無だという事を見せてあげましょう!!」

なんか、凄く嫌な予感がする。嫌な予感がするので、俺はなのはだけを抱えてすぐさま撤退に移る。

その行動は決して間違っていなかった。

とりあえず、起きた事を順序立てて話すとすれば、まず水面が爆発した。

プールの水が一気に無くなるのではいかと思うほどの爆発が起き、悲鳴が上がる。

次に起きたのは水面を走る超人、というよりは怪人の出現。

右足が沈む前に左足を前に、左足が沈む前に右足を前に――そんな昔の漫画みたいな方法で水面を凄い勢いで走る白い水着の怪人が出現した。

次の目にしたのはその怪人の走る勢いが凄過ぎて、周りで泳いでいた民間人が吹き飛ばされたという事。

皆はマネしちゃ駄目だぞ。水面をあんな風に走ると、その衝撃で人がどんどん吹き飛んでいくから絶対に駄目だ。

「――――サクヤさん、凄いですね」

「あぁ、凄いな。凄いけど迷惑過ぎるな」

「人が木の葉みたいに飛んでますね」

「あぁ、飛んでるな。ついでに水着が飛んでるな…………野郎のな!!」

宙を舞う水着―――ただし男の物。

誰も得をしないサービスカットだ。

そして、ジグザはと言うと、

「あ、あんな所に飛ばされてますよ」

最初の一歩の衝撃が凄過ぎたせいか、隣のプールまで吹き飛ばされたらしく、ぷかぷかと浮いていた。

「お~い、生きてるか~」

「――――あのデカメロン、絶対に殺してやる」

「家に帰ってからな。此処でするな」

そして得意げに水面を走っている馬鹿女、いい加減に止まれ。



『――――水面を走る行為は大変危険なので止めましょう。良い子のみんな、監視員のお姉さんと約束だよ?大きなお友達も約束だよ?プールは泳ぐ所であって、走る所じゃないから、そこのところをしっかりと頭に叩き込んでおこうね―――特に水面を走った馬鹿野郎はね』

監視員からキツイお灸を吸わされたサクヤを回収。今は先程までの平和な騒がしさを取り戻したプールにて、

「申し訳ありません……我を見失っていました」

「だろうな。それがお前の素ならお近づきになりたくない」

素に戻ったサクヤは猛烈反省中。

「あのな、頼むから騒ぎをとか起こすなって。ただでさえお前は目立つんだからよ」

「目立つ?私がですか?」

自覚してないのかよ。

「目立つんだよ、お前は」

街を歩けば必ず振り返る野郎がいるであろう美人なんだよな。でも肝心のコイツはそこら辺をさっぱり理解していないらしい。

「私、何処か変でしょうか?」

「……ほら、やっぱり理解してない」

実は天然入ってるんじゃないのかと疑いたくなる。

「まぁ、その話はいいさ」

「はぁ……」

釈然としてない顔だが、無視無視。

「とりあえず、水の上を走るの禁止な。あんな走法じゃ周りに被害を振りまく災害じゃねぇかよ」

「面目ありません……」

シュンっとなっている姿を見れば、コイツでもそんなところがあるんだなと少しだけおかしくなるする。完璧超人だと思っていたが、ジグザのあんな安い挑発に乗る辺りは、まだまともな人間だという事だろう。

「でも意外だったな。お前、泳げないのか」

「で、ですから!!私は泳ぐ必要がないだけで……」

必死になって弁解しているところ悪いが、まったく信じられない。

「泳げないなら泳げないって言えよ。別に悪い事なんかじゃないんだからよ」

「ですが……」

「誰にだって得意不得意があるだろ?俺なんて得意じゃない事の方が多いんだから、お前のそんな不得意なんて、可愛いもんだろ」

「…………佐久間さんは、泳げるんですよね」

「人並みにはな」

そう言うと、サクヤは意を決したように、

「それでしたら……あの、私に……お、お、泳ぎ方を……教えてくれませんか?」

「泳ぎ方?俺がか?」

「はい……」

サクヤが視線をプールに向ける。プールではジグザがなのはの頭を掴んで、沈めて上げて、沈めては上げての拷問ごっこをしていた―――うん、平和だな。

「邪神にコレ以上無様な格好は見せられません。女神様の従者として、邪神に付け込まれる様な事はあってはいけないのです」

「そんな堅く考えなくても。泳げなくても私生活では特に問題ないぞ。仮に溺れてる人を助ける時だって、お前のあの走法の方がよっぽど早く助けられるだろうし……」

「それでも!!」

必死の表情で俺を見る。

「それでも……覚えたいんです」

そんなに必死になるんなんて、よっぽど恥ずかしいのかねぇ……けど、だったら少しくらいは力になるべきかもしれない。なにせ、このお方は俺の家主でもあるんだ。

「わかったよ。それじゃ、あっちの競泳用プールにいくか」

「あ、ありがとうございます!!」

そんな大げさに頭を下げらえても、こっちが困ってしまう。

競泳用プールは遊び目的で来た人達にはあまり人気がないのか、随分と空いていた。こんな事なら最初からこっちに来ればよかったと思ったが、

「意外と深いな」

「そうですね。それに真面目に練習している方々もいますから、近寄りがたいのでは?」

「かもな……それじゃ、俺達も頑張って練習しますか」

そして、俺とサクヤの水泳訓練が始まった。

しかし、こんな歳になって子供以外に泳ぎを教える事になるとは思ってもみなかった。相手がサクヤという美人さんとくれば、世の中はどういう風に回っているのかわからないものだ。

「潜る事は出来るんだよな」

「はい。最高潜水時間は二時間です」

「だったら泳げろよ」

「沈む事は得意なんですよ。何もしなくても沈みますし……」

思わずサクヤの胸を見てしまった。

なるほど、それなりの重量があるメロンだな。

「ま、まぁ……しょうがないさ」

視線のやり場に困る。

とりあえず、潜水は出来るという事なら顔を付ける事は普通に出来る。そこを既にクリアしているのならば後は泳ぐ方法だけを教えればいいはずだ。

というわけで、バタ足から始めよう。

「水面を蹴る様にしてな――――って、だから水面を爆発させるな!!」

「すみません、つい……」

水面爆発をまともに食らった哀れな一般人さん、ごめんなさい。なんかテレビで見た期待の五輪選手みたいな顔してたけど、どうか他人のそら似でありますように。

力の加減を間違わなければサクヤは優秀な生徒だ。俺はサクヤの手を取ってゆっくりと歩く。

水を搔きながら進む身体。その身体を支えるのは俺の手。俺が掴む白い手。強い日差しを受けても日焼けすらしない程、作り物染みた人形の様な白さ。

俺は考える。

あの晩、どうしてコイツは俺にキスをしたのか。アレはどういう意味だったのか。俺が幸福になる為に、自分自身を好きになれる様になる事に、どういう関係があるのか。

その事を俺はまだ聞いていない。

まだ、聞けないでいる。

ガルガにヘタレと言われてもしょうがないな、これじゃ。

なら自分自身に問いかけるが―――お前はどう思うんだよって話だ。

回答一つ―――知るか、だ。

わかるはずがない。

こんな事を理詰めで解決しろというのが無理な話だ。

これが愛だの恋だのの話だとすれば尚更。そして、きっとそんなはずが無いという否定。

知るかよ、そんな話。

あるかよ、そんな話。

「ほれ、これがバタ足だ。簡単だろ?」

「手、手を放さないでくださいね!?」

「放さないと練習にならないだろ」

「駄目ですからね、絶対に駄目ですからね!!」

これはお笑い芸人でいう所の放せという事なのだろうか――――放してみた。

「きゃっ!?」

沈んだ。

「………………思ったよりも重傷だな」

しかも浮かんでこない。

水面下でサクヤがジタバタともがいている姿が見えるが、見ようによっては実に卑猥な格好に見えて興奮する―――って、そんな場合じゃないな。

せっせと助ける事にしよう。

結局、こういう事だ。わからないなら、わからないままで良い。少なくとも今だけ、この瞬間は嫌な気分じゃない。

それだけで十分じゃないか。

十分過ぎるくらいに―――曖昧じゃないか。






「――――なんか、良い雰囲気だね」

「そうかい?」

「そうだよ」

「そう見えるのなら、そうなんだろうね」

競泳用プールで練習している姿をこっそり覗く少女が二人。なのははワクワクするような目で、ジグザはつまらなそうな目で、対照的な目で二人は同じ光景をじっと見つめていた。

「ねぇねぇ、佐久間さんってサクヤさんの事が好きなのかな?」

「何をそんなに興奮してるのか、私にはわからないね」

子供の癖にマセているとジグザは思ったが、実のところはそんな疑問は自身にもあった。

佐久間大樹という人間は基本的には脆く、流されやすい人間だと思っている。だから、あの晩にサクヤから口づけされただけでコロッと堕ちてしまうという可能性も捨てがたい。

だからこうして監視しているのだが、

「まったく、私の兄君は単純で困る」

ジグザは、邪神は心の中で苦笑する。

アレは人ではない。人として完成されているかもしれないが、完成されているからこそ、人ではない。

完成された人間など人間であるはずがない。人は脆く、酷く、醜いのが人間だ。長い年月をかけ、人という種に関わり続けていた邪神はそう確信している。

だからこそ、あの二人をそういう期待の籠った目で見つめているなのはを見て、ジグザは滑稽だと感じた。

好きだの嫌いだの、そういう面倒な理屈があるからこそ人間。されど、そういう面倒であるが故に人は他人がわからない。

「なのは君、覗き見は趣味が悪い」

「え、もうちょっと、もうちょっとだけ……」

「私はお腹が空いたよ。焼きそばが食べたいな」

「そういえば、私もお腹が空いてるかも」

恋だの愛だのをくだらないとは言わない。言わないが尊重も厳守もしない。邪神とは程遠い想いであり、自分には程遠い感情でもある。

なら、自分は自分の従者を盗られる事に対して嫉妬する気持ちはあるのか、そう聞かれればこう答える。

嫉妬はしない。お前は自分の所有物を相手に盗られる事に嫉妬などするのか、と。

嫉妬ではない。嫉妬はしない。嫉妬は出来ない。嫉妬は面白くない。

「くだらないね。実にくだらない……」

売店へと向かう足を止め、ジグザは横目で二人をじっと見つめる。

「兄君……その人形だけは止めておくべきだね」

届かない言葉。

届かない事を煩わしいとは思わない。何故なら、自分の言葉の意味を真に理解した瞬間に傷つくのは彼であり、自分ではない。

邪神は傷つかない。

どれだけの想いを踏み躙っても痛みを感じない。

邪神は人ではない、神でもない。

邪神は邪神。

「ジグザちゃん、早く~!!」

「あぁ、わかってるよ」

無論、友達でもない。

友達など、いるはずもない。









あとがき
ども、あけましておめでとう、な散雨です。
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
今年も散雨は微妙です。
とりあえず、新年明けてアザナエルのHPでのおみくじを引いて……凶でした。
ラッキーアイテムはしましまパンツ……どないせっちゅうねん。
その後、色々なHPでおみくじを引き、まさかの五連続凶という始末。これがネタならいいけど、マジなんですよね(涙
というわけで第三話です。
新年が明けたというのに、夏の話という季節感がまるでない作品。
そろそろラブコメ風味に飽きてきました。
ラブコメというジャンルに初めて挑戦し、その難しさに苦しんでいますが

そろそろ茶番、終わらせていいですかね?

そんなわけで次回は「夏といったら夏祭り&なのはの妄信」で逝きます。
ラブコメ風味は続きますが、そろそろサクヤルートのプロローグを終わらせないとなぁと思ってます。
それでは皆様、今年も良い年でありますように。そして正月を楽しんでください……私は明日から仕事です。

それでは、さようなら~



PS、暇つぶしで始めた恋姫無双のWEBゲームにハマり中。恋姫をまるで知らないから、少しだけ本編に興味がわいてきました。
ゲーム買おうかしら?

PS2、ニコ動でシャドーハーツ2のOPを見たら、久しぶりにやりたくなってきた。あれは神ゲーですね。



[10030] 第四話「一つの軌跡」
Name: 散雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/01/27 11:45
さて、俺が退院してからずっと仕事探しをしていたというわけでもない。
当然ながら、普通に過ごしている時間だってある。更に言うなら、普通にサクヤとジグザの喧嘩に巻き込まれているというわけでもないし、自傷殺人鬼とお茶しているわけでもない。



佐久間大樹、二十三歳――――現在、魔法使い見習いをしています。



「――――寝む……」

時刻は早朝五時。
夏休みの定番、ラジオ体操すら始まっていない時間に俺は一人で公園に突っ立っている。もちろん、ぼけ~と突っ立っているわけではない。

退院後、俺の身体が少々鈍りに鈍っているらしく、どうも身体が巧く動かない。だから、少しは運動でもするかなと思って最初はランニングを始めた。

まさか、初日でフルマラソンを走れるとは思ってもみなかった。

どう考えても鈍って無いだろう。鈍っていると思っていたのは勘違いらしく、単純に身体の基礎が出来てないと俺の中の経験達が言っていただけらしい。そして初日からフルマラソン、死ぬかと思った。幾ら長距離を走る為の走法の知識があったり、体力を短時間で回復させる呼吸法とかがあっても、普通とは言えないだろう。

そして今、俺は身体を動かしている。

最初はカンフー映画に出てきそうな武術に始まり、ムエタイとか空手とか、マイナー過ぎる武術を一通りの型で身体を動かし、現在は酔拳をやってみている。昨日の晩にジグザと見た酔拳2の影響だろう。

「酒があれば完璧なんだが……にしても、寝む」

遠目から見れば朝も早くから酔っ払っている男が一人、という状況なのだが、こんな朝に出歩くモノ好きはそうそういない。唯一の例外がいるとすれば、

「佐久間さん、おはようございます!!」

と、元気にあいさつをしてくれる元気な小学三年生だけだろう。

「おはようさん。今日は寝坊しなかったんだな」

「き、昨日はたまたまです……」

「だといいけどな。教え子だけが先に来て、先生が寝坊したなんて笑えないだろうなぁ」

意地の悪い笑みを先生、なのはに向ける。

そう、先生なのだ。

某漫画みたいに子供が中学校とか高校の教師をしているというわけでもなく、魔導師としての先輩であり先生が、何を隠そう未来の教導隊所属の高町なのは先生なのだ。

「佐久間さんが早すぎるだけです」

「そうか?一通り身体動かしてからだから、実際は三時起きだぞ、俺」

「早過ぎですよ……」

俺もそう思う。

「もうちょっと待ってろ。もうすぐしたらシメだから……」

そう言って酔拳の型を再開する。といっても、酔拳に型なんてあったんだな。酔った振りをすれば良いだけと思っていたが違うらしい。流石は中国拳法、奥が深い。

そんな俺の型を感心するように見るなのは。

「凄いですねぇ……佐久間さんって格闘家さんだったんですか?」

「いんや。俺は単に知ってるだけで、全然使った事ない」

「記憶喪失なのに?」

「記憶喪失になってから使って無いってだけ。身体は覚えてるもんだな、ホント」

本当は他人から得た経験なのだが、そこは秘密。それにしても俺の記憶喪失設定を守るのも面倒になってきたな。うっかり違いますよってポロリしそうだよ。

「まぁ、慣れれば簡単だよ。慣れれば、だけどな」

「私には無理そうです。ほら、私って運動音痴ですから……」

「略すと―――」

「略さないでください!!」

ツッコミが厳しい事で。

「――――――――っうし、終了っと」

気づけば身体中が汗でびっしょりだった。予め持ってきておいたタオルで身体を拭き、シャツを着がえる。夏は直ぐに汗が出るから最低でも二枚は替え用意している。

「うわぁ、佐久間さんの身体、お兄ちゃんみたいです」

「見るなよ、エッチ」

「見せないでくださいよ、エッチ」

最近、なのはと妙に息が合ってきているから困る。

「さて、そんじゃ始めますか……それじゃ、今日もよろしくお願いしますね、高町先生」

礼儀正しくお辞儀から始める。こうすると、大抵なのはは恥ずかしがって顔を赤くしながら、

「もう、その呼び方禁止です……」

と、可愛らしい仕草で言ってくれる―――ん、なんか俺ってガルガみたいじゃね?

「どうしました?」

「いや、今後の自分の方向性に関して色々と、ね……」

「大変ですね」

お前も何時か迷うぞ。悪魔とか魔王とか冥王とか言われる様になんだからな。

さて、そんなわけでここからが本番。

先程言った様に、なのはは俺の魔法の先生なのである。俺の経験の中には超能力者とか陰陽師とかネクロマンサーとか、そういう漫画みたいな能力者の経験がある。当然、魔法使いの経験だって存在する。しかし、それはあくまで他の世界の魔法であり、この世界の魔法ではない。

「少なくとも、妖精の力とか自然の力とか借りれないからなぁ……」

というか妖精とかいるのかっていう話だ。そんなわけで俺は自分の中にある経験に無い魔法。魔導師の使う魔法をなのはから教えて貰っている。

忘れているかもしれないが、一応俺にもリンカーコアがある。最初は結構大容量の魔力があったらしいが、今は見事に最低ランクまで低下。これも全部ジグザのせいだ。

もっとも、仮に最初からの状態で今に至ったとしても使い方がわからないから無理だけどね。例外として念話は出来るけど。

「それじゃ、昨日の復習から始めましょうか」

授業が始まれば、なのはは本当の先生みたいだった。どうやら、教えるという行為が好きらしい。じゃないと、未来の教導官になんぞなれないだろうけど。

芝生の上に座禅を組み、手の平に小さな魔力の塊を作る。それをゆっくりと上下させ、左右に動かし、最終的には弾丸の様に撃ち出す。最初はこれが出来るまでしばらくかかるだろうなと思っていたが、意外と上手く出来てしまう。

「相変わらず飲みこみが早いですよね」

「俺もびっくりだ」

そう言えば、ジグザが大量の魔力を失っても質だけは変わっていないとか言ってた気がする。なるほど、あくまで最低レベルまで堕ちただけで、元々と奴は変わって無いという事らしい……チートだな、俺。

「これなら、もう次のステップに進めますよ」

「ホントか?いや、実際に魔法なんて漫画の中でしか見た事が無いから、苦戦すると思ってたよ」

「才能って奴ですね」

「……お前が言うと皮肉に聞こえるな」

「何か言いました?」

「別に」

こうして俺となのはの魔法訓練は一時間ほど続く。俺だけが訓練しっぱなしでは、なのはの訓練は出来ない。だから、毎朝一時間という時間設定で訓練を行っている。それ以上やるとなのはの訓練に支障が出る上に、俺もなのはも朝飯を食いそびれてしまう。

なのはが自分の訓練を行っている間、俺はなのはの訓練を見ながら自分の訓練を行う。マルチタスクという奴の初歩らしいのだが、今の俺には三つも四つも同時にはこなせないので、二つが限界。

対してなのははと言うと、

「そういえば、明日って花火大会ですよね」

「らしいな……」

「佐久間さんは花火大会とかお祭りは私服派ですか?それとも浴衣派?」

「浴衣なんて温泉以外で着た事無いって」

花火大会か……夏らしいな。

「なのはも行くのか?すずかとか、ジグザとかと」

「すずかちゃんは家の都合で遠出してますから……」

あぁ、どうりで最近は良くジグザと二人でいるわけか。てっきり、すずかがジグザの事を怖がって近づかないだけかと思ったよ。

「明日はジグザちゃんとサクヤさんと一緒です」

「そっか、そいつは楽しみだろうな。あんまり夜遅くまで遊んでるんじゃないぞ」

と、他人事な風に言うと、

「え?佐久間さんも一緒じゃないんですか?」

「なんで俺も一緒なんだよ?」

「サクヤさんもジグザちゃんも、佐久間さんが一緒に行くって言ってましたよ」

初耳だ。

「俺、何にも聞いていない」

「多分、言ってなかったのか、言う必要がないかのどっちかと思いますけど」

「確実に二つ目だろうな……最近、俺の扱いがおかしいと異議を申し立てたいのだが」

「却下されるんじゃないですか?」

「お前もそう思うか?」

「しょうがないですよ―――佐久間さんですし」

「何気に酷いな」

「しょうがないですよ―――サクヤさんとジグザちゃんですし」

「何気に否定できないな」

どうやら、俺の明日の日程は花火大会への出席らしい。

人ごみ、嫌いなんだけどなぁ……







「2011年になってんのに、なんでパタPiが出来てないんだろうな?」

突然、ガルガがそんなわけのわからない事を言っていた。

「お前、何言ってんの?」

「いや、前々からお前が意味わからない事をばっかり言うから、今度は俺から先制しようかと思ってな」

「それがなんでパタPiなんだよ?」

「2011年の夏休みになってもパタPiが無いと駄目だろ?」

「駄目だろって言われてもな」

俺にどうしろってんだよ。

「それと、今は別にそんな未来でもないだろ」

「それもそうだが、もしかしたら今は2011年かもしれんだろ?もしかしたら今頃、衛星軌道上で王子様が眠った城があって、秋葉原の地面が盛上ってるかもしれないという可能性も捨てきれない」

「捨てろよ」

「夢の無い奴だな、お前」

「お前は夢見過ぎ」

「わかってないのな、お前。いいか、デバイスなんていう偽パタPiが存在するんだから、風にパタPiがあってもおかしくないだろ?」

どうやらガルガの中ではパタPiとデバイスを同レベルらしい。別にどちらが上とかそういう事は知らんが、とりあえず一緒にするな。ジャンルが違い過ぎるだろう。

「というか、お前の趣味って十二歳以下だろ?あの作品は全員が中学生だろうが」

「はぁ?お前は馬鹿なのか?俺はロリコンだが別に作品でロリコン作品ばっかり見ているわけじゃない。むしろ、作品的に見るなら子供があまり出ないシリアスものだけだ。まったく、これだから現実とアニメの区別が出来ない奴は困るな」

「なんか知らんが不当な評価を貰った気がするな」

なんて馬鹿話を繰り広げている俺達は互いに汗だくだった。そんな汗だく野郎二人がいるのは前回、前々回同様に翠屋である。違う所を指摘するのなら、俺達がいるのは中の席でも外の席でもなく―――翠屋の裏口だった。

足下に煙草の吸殻を入れる為のバケツを持参(ここ大事)して汗だくになりながら煙草を吸って、コンビニで買ってきたアイスコーヒー(ここも大事)をチビチビと飲んでいる。

「こりゃ、次になんかしたら翠屋の敷地に入れないわな」

「お前のせいだな」

「どっからどう見てもお前のせいだろうが!!」

これはこれでかなりキツイ。出禁になってはいないが出禁よりもキツイのが今の状況。高町夫妻の優しさで何とか敷地内にはいるが、これでは別に翠屋である必要が皆無ではないだろうか。

「むしろ、もう遠まわしに来るなって言ってるよな」

「お前が来る前に注文が出来るか試したら、インスタントコーヒーの瓶を置かれたぞ」

そう言ってガルガは何処でも買えるインスタントコーヒーの瓶を見せる。カップもお湯もなく、瓶だけを渡されて、どうしろってんだよ。

「完全にアウトだな」

「どうして世間は俺みたいな紳士を迫害するかね?これはアレだな、きっと煙草を吸っている奴を迫害する現代社会の悪い影響だ……嫌な世の中だ」

とりあえずお前はもう黙れ。

蝉がミンミンと鳴き、短い命を全力全開で謳歌するのは構わないが五月蠅くて殺意が湧きあがりそうだ。

「というかよ、素直に駅前の喫茶店でよくね?」

「本当にお前は馬鹿だな。俺は殺人鬼だろ?殺人鬼がそんな大手を振って駅前なんか歩けるかっての」

「もう良いよ、その殺人鬼設定。殺人鬼って自分で言ってるだけで、俺を襲った所以外のそういう描写全然ないだろが」

「設定ってお前……そういう発言は色々と駄目だろ―――否定はしないけど」

いや、しろよ。守ろうよキャラ設定。尊重しようよ自分のキャラ設定。

「あぁ、もう面倒だから殺人鬼辞めて別の設定にしようかな」

「設定ってお前も言ってるじゃねぇかよ」

「殺人鬼とか食人鬼とか言ってるけどさ……別にもう普通じゃん。強力な設定じゃないじゃん。殺し名序列上位みたいな濃い設定ないと駄目だよな」

真面目な顔で何言ってんだろ、この馬鹿。

「なぁ、新しい設定をつけるからなんか考えろよ」

「どんな無茶振りだよ、それ」

「そうだな…………もう殺人鬼っていうありきたりな奴じゃなくて、ダークヒーローとか良くね?バットマンとかスポーンとかソールテイカーとか地獄少女とか」

「とりあえずお前は少女じゃないから」

あと、アレはヒーローものじゃないから。

「水戸黄門とかどうだ?あの爺さんは手下に散々敵を嬲らせてから良い所だけは自分が持っていくダーク設定」

「国民的時代劇にそんな設定はない」

「なら同じ魔法使い作品から持ってきて、闇の福音とか名乗ってみるとかどうだ?」

「色々な所からクレームがくるっての」

この会話の時点でもうクレーム嵐だろうなぁ、きっと―――――はて、俺は何の事を言ってるんだ?

「クソッ、全然良いのが浮かばねぇな……やっぱり殺人鬼設定を貫くしかないのか?あ、でもこんなありきたり設定じゃ華が無いしなぁ」

「もう良いよ。殺人鬼で通せよ。なんなら最後の方に(笑)とか付けて、殺人鬼(笑)って名乗ってろよ」

そこに自称を付けると更に情けなさ倍増だろうな。自称殺人鬼(笑)……泣けてくるな。

「そんな不名誉なネーミングはお断りだ」

「それじゃ自称殺人鬼(哀)とかどうよ?」

「それなら自称殺人鬼(激)とかの方がいいな」

「意味わからんな。自称殺人鬼(ロリ)にしたらどうだ?一応、ロリコンという名の紳士なんだろ、お前は」

「自称殺人鬼(ロリ)だったら、ロリータな殺人鬼になるだろうが!!…………ん、待てよ。それなら自称殺人鬼(ロリータ専門)とかにした方が」

「略字になって無いな。それと、ロリータ専門は既にいるから。少女趣味と書いてボトルキープっていう奴ね」

「そうか……やっぱりあの一族以上の殺人鬼設定なんか存在しないのか」

「…………」

「…………」

「…………」

「ごめん。やっぱり先制なんかしない方が良かったな」

「反省してるなら良い。今度から気をつけろ」

閑話休題。

気を取り直して、俺は口を開いた。

「そういえばさ、最近の街が騒がしいと思わないか?」

少しだけ真面目な話。

「お前、なんかしてるのか?」

「なんで俺に聞くんだよ」

「お前以外にああいう事をする奴を俺は知らない」

「ふん、殺人鬼だからってなんでもかんでも俺のせいにするのは間違ってるな」

殺人鬼だって名乗っている時点でアウトだろ。

「だが、街が騒がしいっていうのは確かに気のせいじゃないわな。少なくとも、ジュエルシードの騒ぎが収まってからはわりかし静かだったんだが……」

ガルガは俺を見て、ほくそ笑む。

「お前が目覚めてから随分と騒がしくなった」

俺のせいみたいに言うなよ、心外だ。

煙草を吸いながら考える。よくよく考えれば、あの事件が始まったのは俺が目覚める数日前という事らしい。



今、海鳴の街ではある事件が起っている。



「連続殺人事件……か。まさか、こんな世界でもそんな事件があるとは思ってもなかったよ」

「そりゃあるさ。お前はこの世界を絵本の世界みたいに思ってるのか?だったらお前は新聞を読んでない若者となんら変わらんよ。今日の新聞を観て見ろ。国会の解散騒動に地方都市の水害、試験問題の流出に企業の不祥事―――そういう『当たり前』がこの世界には普通にあるんだよ。ガキが呑気に和気藹々としている裏でも、ちゃんと世界は普通に営業してるんだからな」

「お前にそう言われると、なんか癪だな」

だけど、その通りだろう。

新聞を見れば掲載されている記事は何時だって普通の記事。この世界に来る前と後でも変わらない。地方新聞だろうと全国紙だろうと、なんら変わる事のない当たり前の出来事。そんな当たり前を映し出されないからこそ、気づかない事件が無数にある。

それがこの世界の本筋、歴史に関係ない事件なら特に描く必要がない、記す必要がないから見えないだけで、実際は色々な事件が起こっている。

その中の一つが、とある殺人事件。

「今日の新聞にもあったぞ。ニュースでも取り上げられてるし、新聞でも全国に知れ渡ってる程の話題だ。こりゃ、いよいよ俺も動きにくくなったな」

「俺としては、お前が犯人だと思ってるんだがな」

「その指摘は正しいね。だが、正解じゃない。俺にはああいう事は出来るが、しないだけって話だ。わかるか?俺にもポリシーがあるし掟もある」

「殺人鬼の癖にか?」

「殺人鬼の癖にだよ……だがな、こうは思わないか?俺は自分の事を散々殺人鬼だと言いながらも実際は誰も殺していない―――少なくとも、お前の目の前じゃな」

確かに、確かにそれはそうだ。コイツは初対面の俺に襲いかかってきたし、その後も普通に俺を殺すとか言ってるし――――だが、それだけ。

逆にコイツはホントに殺人鬼なのか、そう称される程にあくどい存在なのか、そんな疑問が浮かんでくる。

「それじゃ、逆に聞くけど……お前の掟って何だよ?」

「そんなもんはない」

なんじゃそりゃ?

それって普通に唯の平凡な殺人鬼じゃないか。というより、ただの殺人犯と変わりない。

「いやいや、殺人鬼と殺人犯は違うぞ。まぁ、その細かい指摘なんて色々な作品で無数に語られてきかたから話す気はないが、ともかく違う。俺は殺人犯ではなく殺人鬼」

「その違いが俺にはわからんよ」

「本当にそうか?」

何故か、その問いにドキリとした。

暑さのせいではなく、寒さのせいで汗が流れ出る。

それがガルガの視線のせいか、それとも言葉のせいか、それとも、

「お前にはわかるはずだぜ?なにせ、お前は佐久間大樹だからな……佐久間大樹っていう人間は、どれだけ『繰り返し』ても理解するはずだ。俺がガルガ・ガルムスである限り、お前は佐久間大樹なんだから」

俺が俺である限り、ガルガがガルガである限り―――その言葉は、以前も聞いた気がする。

「それ、どういう意味なんだ?」

「どういう意味かなんて関係ない。知ってるか知らないかも関係ない。関係あるのは俺でありお前であるっていう意味だ。わかるな?お前はお前、俺は俺、そしてこうして話している時点で事は確定されてるんだ」

わからない。何を言っているのかまったくわからない。

「つまるところ、俺は最初から最後まで殺人鬼なんだよ。変わらんし、変わろうとも思わないくらいに立派に殺人鬼が染みついてんだよ」

「俺としては、そんな考えが理解できないんだけどな……そもそも、殺人鬼ってなんだよ」

「殺人鬼、物語にしか登場しない人物像であり現実では連続殺人犯とも言う」

「そういう事を聞いてるんじゃねぇよ」

俺が聞きたい事は殺人鬼という『存在』の事だ。無論、それがどういう意味かは知っている。あやふやに適当に、そしてなんとなくだ。

だが、現実に考えて殺人鬼ってなんだ?

「沢山の人間を殺せば殺人鬼か?」

ガルガはしばし考え、そして口を開く。

「言葉遊びになっちまうが、殺人犯も殺人鬼も変わらんよ。一人殺そうと二人殺そうと、殺人を犯せば誰だって殺人犯だ。殺人鬼っていう言葉だって結局は周りからすれば人を殺した奴は鬼と変わらない。自分には出来ない事を平然とやるであろうという想像から人物を想像して、そいつを鬼と称する」

だが、普通に考えれば殺人鬼という言葉はそうそう使われない。新聞でも週刊誌でも、テレビ番組でも『一人しか』殺していない者を殺人鬼とは言わない。例え、どれだけ凄惨な行為を犯してもだ。

「結局は人の認識次第って事なのか?」

「そういう事だと俺は考えるがね。例え俺がお前だけに殺意を向け、こうして付け狙っていても、お前からすれば俺は殺人鬼だ」

あ、付け狙ってたんだ。

「どうだ、お前は俺を殺人犯だと思うか?それとも殺人鬼だと思うか?」

どうなのだろう。

俺からすれば殺人鬼というよりは単なるロリコン。頭が少しだけぶっ飛んでいるロリコンとしか思えない。だが、よくよく考えればそうなる。自分を狙う相手を殺人鬼と言うのも普通に考えておかしくはない。アイツは殺人鬼だ、という狙われた者がいて、実際は狙う者がその者以外を殺そうとしていなくとも、殺人犯ではなく殺人鬼と思うだろう。

「殺人鬼ってのは空想上の生き物となんら変わらんのよ。人は鬼じゃない。鬼に似てはいるが鬼にはなれない。鬼は空想上の存在であり、ソレに似ているから人を鬼と言う者が存在する……さて、お前さんとしては俺は鬼か?それとも人か?」

「それは……」

これは言葉遊び。

殺人犯も殺人鬼も変わらない。

しかし、俺はそんなガルガをどう思うかと聞かれれば―――殺人鬼だと思うのだろう。

「お前は殺人鬼だ」

「その心は?」

「俺の心がそう言ってるんだよ。なんとなくそう思うし、それ以外には考えられない」

異常だとは思わない。

狂っているとも思えない。

ガルガ・ガルムスという殺人鬼は普通だ。

普通に、殺人鬼だ。

「お前は殺人鬼だ。誰が違うと言っても、俺はそれを認めない」

否定はしない。

「否定者のお前が俺を肯定するのか?」

「人格は否定するがな」

「だが、俺が殺人鬼である事は否定しないのか……でも、俺は殺人犯かもしれないぜ?」

「違うね。そっちは否定する。お前は殺人犯なんてモノじゃなくて、殺人鬼だ」

俺にとっての殺人鬼。

他人にとっての殺人犯。

だから、俺はガルガをそういう存在だと思う事しか出来ない。

「…………お前がそう思うならそれでいいさ。なにせ、」

ガルガはニヤリと口を吊り上げ、



「俺は―――お前だけの殺人鬼だからな」






さて、朝はなのは、昼はガルガと相手をしてきた俺だが、夕方になると別の奴の相手をする事になった。

「兄君、兄君」

「なんだよ」

「二人で外食に行かないかい?今なら、海鳴ホテル最上階のレストランで季節限定スイーツが食べれるのだよ」

「一人で喰いに行けよ」

「私一人で行ってもいいのだが、ここは愛すべき兄君と行きたいね」

「…………それ、どっちが本音だ?」

「両方嘘だけど?」

「…………いや、別に良いけどね」

こんな会話を永遠と続けるのは苦痛だ。

ジグザは先程から俺を誘っては断られ誘っては断られている。というより、コイツも俺を誘って何処かに行こうなんて欠片も思っていないのだろう。単純にサクヤの家に帰る事が嫌なだけって話だ。

「だったら一人で外にいろよな」

「こんな小さな子を外に放り出す気とは……常軌を疑うよ」

逆にコイツを一人にする方が常軌を逸している気もするけどな。コイツが野宿しても襲いかかる様な奴はガルガくらいだろうし、それ以外なら瞬殺可能だろう。腐っても邪神だしね。

「それよりもお前は一体どれだけ喰うつもりだよ?」

今、ジグザの前にはハンバーガーの包み紙が山の様に詰まれている。俺が数える限り、もう十個以上は胃袋に収めているはずだ。

「お前の胃袋は宇宙かよ」

「私の宇宙が胃袋なのだよ」

「意味わからん」

「つまり、私の口はブラックホールに繋がっており、私が消化した異物はそのままホワイトホールから出てくる――――つまり、ホワイトホールは私の肛門なのだ!!」

「声を大にして言う事がそれか!?」

店の中でなんて事を言いやがるんだ、このクソ邪神。

「おや、宇宙の真理を語ってあげただけだが?」

「そんな宇宙の真理なんて要らん」

世の中の宇宙を目指す人々に謝れ、そして全宇宙に存在する生命体に謝れ。

流石は邪神というべきか、食事中に下品な事を言っておきながらも平然と食事を続けている。コイツはきっと、カレーを食べた時に良くある下劣な話ですら平然と流し、カレーを喰い続けるのだろう……恐ろしい奴だ。

「ところで兄君。先程から私ばかり食べているが、兄君は食べないのかい?」

「こんな時間にモノを喰ったら夕飯が食えないだろう」

「―――あんな生ゴミなんて食べる必要は無いよ。なんなら、私があの生ゴミよりも次元が数百倍は違う絶品料理を作って上げよう」

「へぇ、お前って料理なんかできたんだな」

「うむ、この夏休みに入る前に調理実習というのをやって、クラスの皆をノックアウトしてやったぜ」

自信満々に言うが、それは不味いという意味なのではないだろう。そして、コイツも絶対にその意味を理解しているだろう。

「止めとくよ。今日はカレーだってサクヤが言ってたからな」

カレーは好物だ。子供っぽいと皆は言うが、逆に聞きたいね。お前等はカレーが嫌いなのかってな。カレーが嫌いな日本人は日本人じゃない。辛いのが苦手でもカレーは別口。なにせ甘口があるのだから。

「…………」

ジグザが目を細めて俺を見る。睨みつけているというか、呆れているというようなジト~っとした眼つき。

「兄君……ヒモみたいだね」

「それを言うな!!」

それは言っちゃいけない。それだけは絶対に言ってはいけない禁止ワードだ。

「自覚してるだけマシだとは思うが……ヒモっと……ぷぷっ」

わ、笑いやがったなこの野郎……!!

あぁ、そうだよ。俺だってわかってるよ。今のままじゃ、俺は完全にヒモだよ、ヒモ野郎だよ!!一応バイトはしてるが給料が入るまでは立派なヒモ生活だよ!!俺には一生縁の無い職業だと思ってて、まさか自分がそんな職業の方になるなんて夢にも思わんかったさ!!

「いやいや、私としては嬉しい限りさ。兄君は人として最低というか最悪というか……ぷぷっ」

「テメェ、それ以上笑うと殴るぞ」

「えぇ~、お兄ちゃんは~ジグザを~いじめるの~(甘ボイス)?」

殴った。

全力で殴った。

覚えたての魔法で強化した拳で脳天を思っくそ殴ってやった。

当然、店内にはドガンッという派手な音が響き渡り、ジグザの頭がテーブルに叩きつけられ、その勢いでテーブルが割れて床に突き刺さるくらいに本気で殴った。

「―――――――兄君。人間が神を殴るという行為は、物語においてクライマックスまでとっておくべきだと私は思うね」

しかし、ジグザは平然と顔を上げて食事を再開する。

周囲の人間は何が起こったのか理解できないのだろう、呆然と俺とジグザを見据えている。しょうがないから俺もジグザに習って平然としてみる。身体中に突き刺さる目線は耐える。とにかく耐える。

「そういう意味では兄君は些か無駄使いが多い。まずは煙草を吸うのをやめたまえ。可愛い妹からのお願いだよ」

「つぅか、いつまでその妹設定を貫く気だ?」

「無論、一生だよ。なんだい、兄君は私が妹では不服かい?」

「不服以外の何者でもないって。妹ならなのはの方が百倍妹してるだろ」

「妹道のいの時も知らない子供と私が同列とは……ふむ、これはしっかりと兄君に教育すべきだね。邪神流の妹というものを」

どんな妹だよ、それ。

邪神で妹なのか、妹で邪神なのか―――あ、どっちも同じだ。

「まぁ、ヒモ兄ぃにはわからない事だろうね」

「おい待て、ヒモ兄ぃって何だ、ヒモ兄ぃって!?」

兄君よりもランクが格段にダウンした感じがする。

「ヒモ兄ぃという称号が嫌なら、まずは人形の家を出る事をお勧めするよ。大丈夫、私はヒモ兄ぃと一緒なら例え北極海だろうが死海だろうが構わない」

「俺が凍死するわ」

「そこは私の生肌で温めて上げよう」

そう言ってジグザは俺の手を自分の頬に当てる。

「…………」

「…………」

「…………」

「おや?普通ならここで私の誘惑に照れる場面のはずだが……」

「そう言われてもな」

誘惑しているつもりだったとは驚きだ。少なくとも俺はお前みたいなチンチクリンに欲情はしないし、デレも照れもしない。

「兄君はロリコンのはずでは?」

「俺は普通だ」

「いやいや、世界崩壊の中心でロリに愛を叫ぶキャラじゃなかったか?」

「そんな変態になった覚えは無い。ガルガみたいな事を言うな」

どんな事があっても俺はロリコンにはならないっていうか、幼女に手を出したら犯罪だろう、普通に考えて。

「そう言われれば確かにそうだった気がする。どういうわけか私は兄君をロリコンだと認識しているのは何故なんだろうね?」

「俺が知るか」

「気になるね……まさか、別の世界の兄君を見た私からの電波!?このまま放置すれば兄君は必ずロリコンに奔るという吉報……じゃなくて警告」

普通に吉報とか言うな。それと電波を受信するな。お前が言うと普通にそういう電波がありそうで怖すぎるわ。

「とまぁ、兄君がヒモとかロリコンかどうかは、ともかくとしてだ」

「ともかくにするには重すぎる気がするけどな」

「話の腰を折らないでほしいね。ともかく、私が言いたいのは何時まであのクソ人形の世話になるのかという事だよ」

スッと目を細くするのは構わないが、とりあえず口元についたケチャップを拭け。

「わかってるのかい?私とアレは敵だ。同時に兄君とアレも敵という構図は既にあるんだ。なのに、どういうわけか兄君とアレはまるで新婚ラブラブバカップルみたいな毎日を私の前で繰り広げている」

そんな生活をした覚えは皆無なんだけどな……あと、頬にピクルスついてるぞ。

「これがアレの作戦だったらどうする気だい?あの晩、君に接吻したのだってアレの作戦かもしれない。言っておくが、アレはクソ女神の命令なら何でもする人形だぞ」

真面目に語ってるつもりなんだろうが、今度はデコにチーズがついてるっていうかマジなのか、それ?真面目に気づかないだけのか?実は狙ってんじゃねぇのか?

「おい、私の話を聞いてるのか?私の口と頬と額につけたモノに目を奪われてるんじゃない!!」

「やっぱりワザとかよ」

「当然だ。こんな事を平然とやる女がいるはずがないだろうが。兄君は馬鹿か?」

「それを実行するお前が馬鹿だ」

というかボケるな。

「一度、私は兄君の意見を聞きたいね」

「意見と言われてもな……」

「アレを信じるのか、信じないのか。言っておくが誤魔化しは無しだ。これは我々二人にとって大切な話だ」

ならボケるなよ。

「ちなみに、君が真面目に答えるまで私はボケ続けるからな」

「…………」

ちょっと興味があったのではぐらかしてもみた。

小一時間、ボケ続けられた。



気づけばもう夕暮れを通りすぎ深夜。

「早く帰らないとサクヤが心配するな」

「そんな子供じゃあるまいし……」

ファーストフード店を出た後はコンビニによって牛乳と煙草を購入。おまけとばかりにジグザが勝手にカゴに入れたアイスクリームも購入。これから晩飯だというのにハンバーガーの次はアイスをぺろぺろと舐めるジグザに呆れながら、俺は煙草を咥える。

「少々吸い過ぎじゃないのかい?」

「こういうタチなんだよ。気にするな」

自分でもヘヴィスモーカーだとは思う。でも、吸わないと色々と障害があるのも事実。

「吸わないと頭が働かないと言うのならば、ソレは幻想だね。むしろ、麻薬常習犯の言い草と変わらない」

「似てて結構。俺は一生煙草を吸って死ぬんだよ」

「…………でも、クソ人形が止めろといったら止めるんだろ?」

「…………」

「何故即答しない?」

ジグザが不満げな顔で俺を睨む。

「兄君はそこまでアレにゾッコンなのかい?」

「んなわけ無いって」

「怪しいものだね。先程の話の続きだが、私は兄君がアレに騙されているのが無性に気に入らない」

騙されてるって、人聞きが悪いな。

「アイツはそんな奴じゃないよ」

「ほぅ、随分とアレの肩を持つんだね。それは信頼かい?それとも依存?」

吐き捨てる様に言うジグザはアイスのコーンをバリバリと齧り、飲みこむ。

「信頼と信用は美学とは言うがね、反対にすれば依存だ。依存は縋りつき、個人の思考を鈍らせる。ニコチンに依存する事然り、ギャンブルに依存する事然りだ。それが本当に必要な事かどうかなど関係なしに、それが言う事や存在する事が当然と思いこむ。そして思い込めば次に待つのは依存して身を破滅させる」

「お前のそういう何でもかんでも否定するのは感心しないな」

俺が言うセリフじゃないけどな。

なら、俺自身はどうだと言う事になる。俺はサクヤを信頼しているのか依存しているのか、それ以前にアイツはそういう対象として見ているのか。

意識せざる得ないのだろう。

どういう対象かどうかなど分からなくとも、あんな事をされて無視する事なんてできない。あぁ、そういう点から見れば、そういう風にされた、そういう風に仕組まれたと考えてもおかしくは無いのだろう。

「――――俺が自分を好きになる様に努力する、か……」

そこでなんでキス?

わけがわからない。

やる事がぶっ飛び過ぎて少しも理解できない。

善人の考えは常にああいう事を平然と出来る思考なのだろうか?

「けど、無理だろうな」

「兄君が自分を好きになるっていう事がかい?」

紫煙を夜空に向けて吐き出し、考える。

自分を好きになる―――そんな事は不可能じゃないか。

「あ、確定してるな」

これは自分を好きになる努力を放棄するという事なのだろう。サクヤがどんなに頑張っても俺は自分を好きになる事なんてありはしない。諦めが肝心とか考えながらも、それでもずるずると引き摺り続ける俺を好きになんてなれない。

なら、そんな自分を諦めれば良い。

諦める自分を諦め、新しい自分に作り替える様に努力すればいい。それが不可能であったとしてもソレに向けて努力する事はきっと人としてある程度は正しい形になるだろう。

「正しくなんて無いさ」

「人の思考を読むな」

「読めないよ。邪神は人の心は読めなくとも、想像はできる。それが神と邪神の違いさ」

そんな事を言っていた気がする。

「……で、なんでそれが正しくないんだよ。いつもの持論っていう極論なら聞かないぞ」

「いやいや、そんな大したものじゃないよ。これは一般論で語るべき事だからね……そうだね、例えば君が職場にいるとしよう。仕事も出来ない、役にも立たないヘボ社員だ」

「考えたくないな」

「兄君の過去を思い返せば良い。君は有能かい?」

有能ではない。でも、そこまでヘボじゃなかった気がする。もちろん、俺から見ればの話だがね。

「どっちでもいいけどね。ともかく、兄君はそういうヘボ社員だ。そんな社員は周りからすれば邪魔者であり障害だ」

「そこまで言うか?」

「そこまで言わないとわからないんだよ、あいいう輩は。そして、そんな輩を前に上司がする事は大抵は決まっている。この場合の上司は切り捨てない上司だ。上司は言うんだ、お前はそれでいいのか?そんな事で一生を終える気か?もっと頑張ればそれなりに成果があるはずだってね」

それは随分と優しい上司だ。

「そんな事を言う上司に対して社員は考えるんだ。このままじゃ駄目だ。変わらないと、頑張らないと、一度で理解しない事は何度も何度も頑張って理解するように努力しよう……そういう風に考えるかもしれない」

「普通は、そうだろうな」

それが正しい判断だ。

「しかし、だ。私はこう思うね。きっとその社員は変わらない。変わる事なんてできないってね」

「何でだよ?人間頑張ればなんだってできるはずだぞ」

「へぇ、それじゃ君はそう思うかい?変わろうと思えれば変わるはず。人の可能性は無限大。だから頑張って自分を変えられると心の底から信仰しようって」

ジグザの黒い瞳が俺を射抜く。

「そ、それは……」

「兄君に一つだけ忠告だ。自分にできない事を他人に向ける事は善でも悪でもない。押し付けはそれ以上につまらない思考だと知りたまえ。自分には出来ないけどお前には出来る。自分はそうなれなかったからお前はそうなれ。自分の様にはなるな――――お笑いだと思わないかい?あの言葉の全ては押し付けだ。押し付ける事で自分の中にある理想像を相手に求めている。お前はそんな人間じゃないから、そんな事をするな?お前はどんな壁でも超えられる人間だ?見事なまでに押し付けだと思わないかい、兄君」

確かに押し付けだとは思うが、俺はそれを否定する。

「それは相手の事を想ってのことだろ?なら、押し付けかもしれなくとも、間違っちゃいないはずだ」

「自分にも出来ない事を相手に言う事がかい?」

「言った本人は実は出来るかもしれないだろ」

「出来るかもしれない―――それは出来る出来ない以前に、やらなかっただけだ」

鼻で笑い、ジグザは吐き捨てる。

「相手にどうこう言うのは勝手だが、自分が出来ない事を相手に出来ると押し付ける事は愚かな事なんだよ。そうだね、ここで一つの例を上げる事にしよう。兄君はアニメとか映画は見るかい?」

「ヘボな社員の話は何処にいったんだよ」

「細かい事は気にしない。見るだろ?見た事はあるだろうね、こんな世界の事を知っているくらいだからね。その上で問うけど、登場人物がある思考を持ち、その通りに行動するのは普通だ。それを見た兄君は、その行動を見て「あぁ、これは間違っている」とか「それは間違った考えだ」とかを考えた事はあるかい?」

「無い、とは言えないな」

「あるはずだよ。人間の思考パターンは人の数だけある。後は似ているか似てないかの違い。そしてその登場人物は似ていないパターンだ。だから君は当然の事ながら否定するだろう。そして中にはこう考える者もいる。もしもここで登場人物にこんな言葉やこんな行動を見せてやれば、物語は変わるかもしれない」

考えた事はあるだろうな。

「――――でもね、兄君」

そこでジグザは嗤う。

生理的に受け付けない、何かが震える様な歪んだ笑み。

「私は想うんだよ。そんな事を考える事は勝手だ。そんな風に考えて物語を変質させるのも勝手だ。けどね、そう考える事は出来ても実行は出来るのかってね」

「…………」

「質問するよ。兄君が例えばこの世界でプレシア・テスタロッサと会ったとしよう。物語はクライマックス、彼女が人形に真実を聞かせ、壊れた笑みを浮かべる。その状態で君は彼女にこう言うんだ」

低い声で、

「それは、間違っている考えだとね」

ケケケ、と邪神の様にジグザは嗤う。

「言えるかい?兄君は言えると思うかい?」

「…………」

「相手は母親だ。母親でありながら子を失った母親。そして死んだ我が子を取り返そうとする勇敢なる狂人だ。そんな狂人である彼女に、親でもない、子を育てた事もない、子を失った事もない、失った子を取り戻そうと足掻いた事もない君の何処に、彼女を否定する言葉があるんだい?」

多分……無いんだと思う。

「無いんだよ、そんな言葉は。仮にその場でそんな言葉を吐いたとしても、それは世間一般的な刷り込まれた当然の思考でしかない。小学生が習う様な道徳程度の言葉でしか知らない者が、母親である彼女を否定する権利はあると思うかい?あるはずがない。あっていいはずがない。プレシアを否定できるのは親である者と、親である事が出来なくなった者だけだ」

「それは、極論だろ」

「何処がだい?私はこれを極論だとは思わない。言っただろ、これは一般論だ。一般論として語るが、それを経験もしてない、仮にこんな場面だったらこう言うであろうなんて程度の者の言葉で何が変われる?そんな中身の入っていない空っぽの言葉で何を変えられ、救えるっていうんだい?」

言葉には魔力がある。言葉から行動でき、行動から言葉が生まれるかもしれない。人であるなら誰でも持つ言葉はそういう魔力を持っているのかもしれない。しかし、魔力はこの世界の魔力と同じ様に『ある者にしか与えられない』のだろう。

「その言葉を聞いた誰かは想うはずだ。そう言える者なら、今後も同じ様な行動を当然の様に取れるだろう。取る筈だ。取らない筈がないとね……でも、取らないさ。取れるはずがないんだ。だって中身が何もないんだ。経験もない言葉。あるのはこうあって欲しいという願いだけ。願いと言葉が張りぼてな者に何が出来るわけもなく、あるのは失望だけだ。あの時の言葉は嘘偽りで、実際は何も出来ない口だけ野郎だって誰しもが気づく」

「でも、変わるかもしれないだろ。その言葉を口にして、それからソイツは変わるかもしれない」

「私がいつも言っている言葉の意味を兄君は理解してないようだね―――人は変わらない。変わる事などあり得ない。変われる幻想する事自体が愚かだ」

「…………それは、お前が邪神だからだ」

「おや、神を差別するのかい?心外だ、実に心外だ。神とて変わると妄言する神はいるし、変われぬまま果てる神もいる。そんな連中は希望なんて無い物を信仰する愚かな者ばかりだ」

ジグザは言う。

「神も人も変わらないんだよ。進歩するのは人以外。進化するのも人以外。猿は人に進化しても人は何かに進化したかい?しなかっただろ。そうだとも、するはずがない。なにせ変わらない事に関しては全生物の中でも断トツな愚かな種族だからね」

そんなはずはない、とは言えなかった。

人間は進化していない。

もちろん、動物が進化するには何百年では足らず、何千年も必要とするかもしれない。だから人間だってその程度の年数を踏めば進化だって可能なはずだ。

だが、現状では変わっていない。

「私は否定するよ。人はどれだけの言葉を受けようとも変わらない。どれだけ勇敢な者を見ても臆病者は勇敢な者にはならない。そうなろうと努力した瞬間にその者は死ぬ。出来る人間になろうとしても、出来る様になる前に捨てられる」

それが現実だとジグザは言っている。

神が語る現実は常に冷たい。ジグザという邪神が語る現実は常に暗い結果しか語らない。少しでも光を見いだせば即座に潰す。潰す事が救済だと言わんばかりに、圧殺される。

圧殺されて、それでおしまい。



「―――――そんな事、無いだろう」



だというのに、俺は否定の言葉を口にしていた。

ジグザは眉を顰める。

「無い、だと?」

どうしてかは分からない。でも、俺はそれを否定しなくちゃいけない。肯定してはいけない。肯定してしまっては、肯定した瞬間に何かが無駄になると思っていた。

ジグザの言葉は少しも共感出来ないし、毎回俺は単に論破されるだけだった。だが、論破されたとしても退けない事があったはずだ。

退けない理由。

何が退けないというのだろう?

俺は俺に尋ねる。

何が退けないんだ?

俺は答えない。

答えない代わりに、記憶にすらない光景が微かに、霞がかって見えた。

それは死。

それは絶望。

それは終焉。



しかし、絆があった―――気がする。



だから、まるで俺ではない俺が勝手に喋る様に、

「人は変われるんだよ。仮に変われなくとも、変わろうとする事は出来るはずだ。そして、変わろうとする事は絶対に無駄にはならない」

無駄になんかさせない。

そういう風に出来て無くとも、誰かが無駄にはさせない。

それが誰かは知らなくとも、誰かは必ずいるはずだ。

「勇敢な奴に憧れて、臆病者が死んだとしても、臆病者はなろうとしたんだよ。一歩踏み出して、臆病な自分と戦った臆病者はもう臆病者なんかじゃない。そいつは立派に勇敢な奴だ……それをお前みたいに馬鹿な奴だと嗤うかもしれない。でも、中には勇敢だって誉め称えるかもしれない」

変わろうとして変わりきれなくとも、変わろうとした瞬間に変わっている。

「出来ない奴が出来る奴になろうとして、その機会がなく捨てられたとしても、そいつはもう前の出来ない奴なんかじゃない。だってなろうとしたんだ。なろうとして出来なくて蹲ったかもしれないが、次は立ったかもしれない。立って前を向いて次に繋げたかもしれない」

「それはもしもの話だ」

「お前の話だって立派にもしもの話だろ?」

ジグザの言葉が詰まる。

「そうだよ、もしもの話なんだ。もしもの話でなんでそんなネガティブにならなくちゃいけないんだ?もしもの話くらいはポジティブに考えるべきだ」

前向きとポジティブは違うと聞いた事はある。だが、それがどうしたってんだよ。中身がどうこうなんて関係ない。空っぽの自身で前に進んだって良い。その結果が最低最悪だったとしても、決して間違いだけじゃないんだ。

「言葉は想いだ。想いは重いんだ。例えソレを体験していない奴が言葉にして、それが周りは空っぽだって笑っても、その想いだけは本当なんだろ?学校の道徳程度の良心があったって、それがソイツの考えである事には変わりはない。変わらないとお前が言っている奴が、何かを変えようと思って出した言葉だってんなら―――無意味なわけないだろ」

教科書通りの綺麗事。予定調和な綺麗事。それで何もかもが救える程に世界は甘くは出来ていない。けど、そんな甘い考えすら考えられないなんて嫌だ。

「良いじゃねぇか、全然。俺は俺が嫌いだし、本音を言えば変われないとは思っている。でも、もしかしたら変われるかもしれない」

「もしも、だろ」

「だが、もしも、だ」

もしも、で十分だ。

もしも、だけあれば全然問題ない。

その時、何故か俺の頭の中にアリサの顔が浮かんだ。この場面でなんでとは思ったが、不思議とそれ以上の疑問は浮かんでこない。

それが当たり前である様に、

そうなる事が当然だと言わんばかりに、

そうなる様に『変わっていた』と気づく様に、


まるで、何処かの世界の俺がそうであったかの様に―――



「それじゃ……兄君はアレの言う様に自分が好きになれると本気で信じるのか」

「だから、そんなのはわからんって……でも、少しは前向きになるべきだとは思う」

じゃないと、頑張っている奴に失礼だ。頑張っている奴がいるのに、俺がのんびりと胡坐をかいているのは癪に障る気がするしな。

「……後悔するぞ」

そう言ったジグザの声は、思いのほか小さい。まるで見た目通りの子供が口にする様な、そんな印象があった。

「兄君は後悔する。後悔するに決まっている……そうじゃないと、おかしいんだ」

「おかしい?」

何がおかしいってんだよ。

おかしい所なんて何処にもない。

「そんな人間なはずがないんだ。私が見込んだ従者が、そんな思考を抱くはずがない」

おい、俺の中の経験諸君。お前等は俺みたいな野郎ばっかりなのか?だったら少しだけ悲しい様な気がする。だって、そんな人間ばっかりが集まったのが俺の中にあるなんて、色々と面倒な気がする。

「変わった、変わろうとした……それだけだろ?」

「それがおかしいんだ!!」

叫んだ。近所迷惑なんて関係無しに、ジグザは大声で叫んだ。

「そんな事は今までなかった。あるはずがなかった。変わろうとするなんて、そんな馬鹿な事をする従者は今まで一度も存在しなかった!!」

「目の前にいるだろう……いや、実際に変われるか自信はないけど」

カッコつかないな、俺。

けど、

「努力はする。そう決めたからな。今、この瞬間にさ」

俺は今、きっと笑えている。

満点には程遠くとも、笑えているはずだ。

だからだろう。

そんな事は少しだけ嬉しくて、俺は言ってしまった。

何の考えも無しに、あっさりと呑気な言葉を、



「だからよ、お前も変わってみれば?」



邪神に向かって、言っていた。

その瞬間だった。

「――――――――」

ジグザの眼が、スッと細まる。

その仕草が、どうしようもなく背筋を凍らせる。

「――――――――変わってみれば?兄君は、私に変われと言うのかい?」

地獄の底、暗黒よりも闇色な場所から響く声。

子供の姿をしていたジグザ。俺の目の前にいる背の低いジグザが、今は何倍も大きな存在に思えてしまう。

「あはははははははは……」

乾いた笑みを漏らし、ジグザは俺を見上げる。

「自惚れるなよ、人間風情が」

ドンッという衝撃。

俺の身体は地面にではなく、空中にあった。

ジグザの姿がどんどん遠ざかる。それは俺が遠ざかる、つまりは吹き飛ばされているという事なのだろう。そんな事に気づいた瞬間、腹部に痛みが奔った。ハンマーで殴られた様な衝撃に顔を顰め、その後に襲いかかるのは地面をボールの様に跳ねる俺の身体の痛み。

「二度とそんな事を口にするな……今度は殺すぞ」

そう言って遠くにいるジグザは俺に背を向ける。その先は俺達が歩いていた場所を戻る動作。俺が先に進む事を選び、ジグザはそれを否定したという証拠。

「―――――――」

痛みはすぐに引いてきた。

俺はジグザの後を追う様な事はせず、その場に寝転がる。

視界に写るのは満天の星空。

一つ一つが綺麗に輝き、夏の大三角を目にする。

それをじっと見据えながら、俺は考える。

何となく、簡単に吐き捨てた『変わる』という言葉。それをアイツは心底嫌悪している。人も神も変わらない。最初からあるポテンシャルは永久的に付き合う隣人だと言わんばかりに。

しかし、それを俺は否定した。

それはもしかしたら、アイツを裏切るような事なのかもしれない。だから少しだけ胸が疼いた。小さな痛み、良心の呵責、誰かの心を傷つけたという痛み。

「…………人も神も変わらない、か」

ジグザの言葉を思い出す。

神は邪神になった。

ジグザは神だった。だが、邪神になった。

それは――――変わったという事じゃないのだろうか。

神が堕ちて邪神になる。

邪神は元は神だった。

何故、邪神になるのかは良くわからない。

けど、よくよく考えれば当然の疑問になる。

思い出すのは女神。

女神は神だ。つまりは邪神になる前の神。

「ジグザは、神だ」

そう、神だったはずだ。

神から邪神になった。

天に手を差し出し、考える。

「最初から邪神じゃなかった……女神と同じ神だった」

女神はジグザとは違う。あの人―――人と言っていいかは分からないが、あの人はジグザとは違って綺麗な思考を持っていた。一度しか会っていないが、それくらいは想像できる。だからジグザも神だったのなら、

「もしかして……変わった?」

最初からジグザは邪神だったのなら、あの思考は理解できる。しかし、邪神の前は神。神としてのアイツの思考は後付け、後に出来て思考という事になる。

「なんだよ。散々変わる事は無いとか言いながら、お前だって変わってんじゃねぇかよ」

思わず苦笑する。

だが、同時に疑問もある。

どうしてジグザはあんなにも『変わる』という事を憎悪するのか―――その理由が分からない。

俺が眠っていた時間を引けば、俺とアイツの関係は一か月もない様なものだ。そんな期間でアイツの心の中までわかる様になれなんて不可能だろう。

俺が知っているジグザの事。

俺を生き返らせ、この世界に介入しろと言って送り込み、アリサの怪我の原因の一つを作った最低最悪の邪神―――だが、その程度だ。この程度の事しか俺は知らない。神滅餌愚坐という邪神の事なんて殆ど分からないに等しい。

アイツがこれまでどんな道を歩き、どんな事があって邪神になったのか、今まで考えた事もなかった。

「邪神……か」

何なんだろうな、邪神って。










人質はリリカル~昨夜~
第四話「一つの軌跡」











「―――――邪神とは、神の戦いに敗れた神の事だ」



不意に頭上から声が聞こえた。

「おめでとう、佐久間大樹。お前はようやく俺に会える権利を得た」

視線が外せない。

「お前は魔法を得た。お前は邪神に対する疑問を得た。そして何より、お前はお前の可能性を俺に見せた―――故に、お前は俺を認識できる」

目の前には赤があった。

その背後にある星空すれ真っ赤に染める程の赤。

赤い、血の様に赤い、目が壊される様な赤色。

「今回からお前は俺を忘れない……あぁ、ようやく此処まで来たのは称賛に値するだろうな」

ソレは赤い。

赤い髪。

赤い瞳。

赤い唇。

赤い服。

赤い手袋。

赤い靴。

存在全てが赤。

強者の赤であり、炎の様な赤であり、絶対不可侵の赤。存在全てが赤で作られ、赤以外の色は弱者に成り下がる絶対無欠の赤の化身。

「――――誰だよ、お前」

そんな相手に俺は尋ねる。

赤い存在―――赤い女は懐から赤ではない白い紙切れを差し出す。

「はじめまして、佐久間大樹」

歪んでいる事は正常と思える笑みを浮かべ、赤い女が差し出した紙切れを手に取る。

そこにはこう書かれていた。



『世界的』な名探偵・垢神刃沙羅



「あかがみ、ばさら?」

「そう垢神刃沙羅。その名刺に書かれている様に、名探偵をやっている。もちろん唯の名探偵じゃないぞ?世界的、な名探偵だ。意味はその内わかるさ。なにせ、俺は世界的な名探偵だからな」

全然意味がわからないが、とりあえず想った事が自然に口からこぼれ出た。

「垢、垢か……汚れた垢……垢神……汚れた神……」

汚れた神。

垢だらけの神。

それはまるで、



「――――邪神みたいだな……」









あとがき
ども、『這い寄れにゃる子さん』を読み始めました、な散雨です。
相変わらず話が進まない今日この頃っす。夏祭りのお話を書こうとしたら、全然かけなかったぜ。というわけで、次回は夏祭りですね(今は冬ですが……
さて、感想が200を超えた段階で気づいたんですが……この作品のテーマってなんだ、という話です。
小説のあとがきとか読むと、よくテーマは~とか書いてますが、これに特にテーマとかな考えてないなぁ~。とりあえず「読んでる人が胸糞悪くなる様な短編を書こう」と思って書いた話なんですが、まさかここまで続くとは思ってもなかったっす。
そしてそれを皮切りに色々な問題が浮かんでくる現状。
問題1・プロットについて
長編にしようと思って考えたプロットには無かった事が次々と出来てきましたね。
邪神幼女化、ルート設定、ロリコン紳士、フェイトさんアホの子化……どれもこれもあとづけ過ぎる……

問題2・設定が適当
ぶっちゃけ設定なんてあって無いようなモンですわ、この話。それが問題なんですけどね。

そして最大の問題は、タイトルに偽りあり!!な事ですね。
人質な感じなんて最初の段階で吹っ飛びました!!
というわけで、今更ながら2回目のタイトル変更しようかなぁ~とか思ってます。
なんか、良い題名ありますかね?参考にしたいので……とか言って、結局そのままとかになるか、参考にせずに勝手に決める可能性が大ですがね。
それでは、問題だらけの作品のテーマが『物語の為の物語』(即興)なこのお話を今後もよろしくお願いします。

PS
実は一番の問題は誤字脱字とあとがきが無駄に長いという事だと想うは、僕だけ?

PS2
厨二なのは問題じゃないはず……だよね?



[10030] 第五話「一つの喜劇」(R15?)
Name: 散雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/06/19 16:05
「―――――人間はさ、基本的に人間が嫌いなんだよ」

赤い女は言う。

「そう思わないか?人間は他者が嫌い、というレベルではなく人間が嫌い。つまり、自分達が嫌い。自分自身が人間という種類に含まれている事が大嫌い。そういうモノだと俺は思ってる」

上から下まで、全てが赤で覆われている女は、さも当然の事を言うように、そんな暴言を吐きだす。

とても賛同する事は出来ない暴論だ。

「どうしてそう思うかと言えば……まぁ、知っているからと言えばこれで話は完結してしまうから、だらだらと長らく語るとするならば――――これを持論として語ってみるのも悪く無いな。極論と云うねじ曲がった持論をね」

楽しそうに嗤う赤い女は自分を『世界的な名探偵』と語り、垢神刃沙羅と名乗った。一体どういう神経をもってそんなふざけた名前を名乗っているかは知らないが、この刃沙羅―――バサラという自称名探偵は語りだす。

ねっとりとした言葉で、こちらの拒絶など関係無しに直接頭に言葉を捻り込むような言葉を。

「お前は映画は見るか?映画じゃなくてもいい、物語というジャンルのどれかを見たり読んだり聞いたりした事はあるか?」

「……あるさ。普通はな」

「そうか、ならいい。そういう物語には必ずと言っていい程に『悪役』が存在する。どんな悪役でもいい。残虐非道を絵に描いた悪役でもいいし、小さな事をコツコツと積み重ねる小悪党な悪役でもいい。物語にはそういう様々な悪役が存在する……さて、どうして悪役なんてモノが存在するのだろうと思った事はあるか?」

「必要、だからだろ」

「何故必要だ?」

「それは……そうじゃないと、物語が盛り上がらないというか……」

「そうだな。確かにそれはそうだ。復讐を誓うには復讐する相手が必要だ。闘うには闘うべき相手が必要だ。正義を守るには正義を侮辱する悪が必要だ。しかし、だ……それは果たして悪役である必要はあるのかと言われれば、俺は違うと思う」

コイツは何を言いたいのだろうか。

悪役は悪役だ。

善がいれば悪がいるように、そういうものがあるのが普通だ。

大抵そういうものだ。

「納得がいっていない、俺の話の意味がわからない、という顔をしているな」

だろうな、きっとそういう顔をしている。

「良し、だったら小難しい前置きは止めよう。単刀直入に、そしてざっくりと俺が言いたい事を言ってやる……」

別にこんな話をする気なんてまったくないのだが、これを聞かないと俺を解放する気は皆無だという顔をしている。

というか、コイツは一体何なんだ?

誰だ、という人のカテゴリよりも、何だ、という根本的な疑問が俺の頭の中に積み重なる。



「人間は人間が嫌いだから、悪役を作るんだ」



言ってる事も、何だそれ、だ。

「別に人間が嫌いじゃなくても悪役なんて普通にいるだろ?」

「何故普通にいると言い切れるんだ?そもそも、何故普通にいなければならない?もちろん、盛り上がるなんていう普通の言葉は無しで頼む」

そう言われてもわからない。

お前が何を言いたいのかがわからないのに、わかる筈がないじゃないか。

そんな俺の表情から読み取ったのであろう、最初に落胆する顔を浮かべ、それからやれやれと首を振って次の言葉を紡ぐ。

「お前は人間が好きか?」

「人並みには」

「本当に?」

「嫌いだったら生きていないだろ?」

「いいや、人間が嫌いでも生きてはいけるさ」

なんだから胸がモヤモヤしてくる。コイツの言葉が音声として認識する事が出来ず、まるでノイズを聞いているようだ。

「例えばの話をしようか。そうだな、ここはとある物語から抜粋するとしようか―――とある未来、とある惑星。人類は未知の鉱物を求めて惑星に降り立ち、そこに住まう原住民との闘いになった」

「ありきたりな話だな」

「なら、このありきたりの話で悪役はどっちだと思う?」

答えるならば、人間だろうな。

その惑星に住まう原住民はそこに住んでいただけなのに、人間が勝手にやってきて闘いになった。どうして闘いになったのかは知らんが、きっと悪いのは人間の方だろう。

「そう、人間だ。人間が悪い。だから人間が悪役だ」

で、勝つのは原住民。

じゃないと胸糞悪くなるからだ。

「それも正解。悪が勝つ物語は大半は好きになれない人達が多いからね。悪が勝って、原住民を殺して鉱物を我が物にしたら、それはまるで人間の歴史と同じだ。史実の悲しい歴史と同じ様にな」

「だから人間は人間が嫌いだってのか?その理屈はちょっと乱暴な気がするんだが」

「乱暴じゃないさ。これは歴史が証明している。現実的な歴史は勿論の事、物語の歴史がそう言っている」

「それも十分に乱暴だと思うぞ」

「そうか?けど、残念な事にこれが真実だ――――例え主人公が人間であっても悪役は人間だ。人間という悪がいるから成り立つ物語があるって事だ。物語に悪役を作る位に人間は人間が嫌いなんだよ」

「…………」

「根本的にな、人間は誰かを嫌いになりたいんだ。誰かを愛したいと想う事と同じレベルで嫌いになりたいんだよ。だから悪役という誰からも嫌われる者達を創造し、そいつ等が無残に死に晒す姿を見てスカッとする。お前もスカッとするだろう?アクション映画を見てみろよ。バンバン銃を撃ちまくって悪役がバタバタと倒れて行く。きっと主人公共は死んだら絶対に地獄に行くな、確定だ」

「夢も希望も無い事を言うな」

「いいじゃねぇか。そういうモノなんだよ。誰かを救いたいという希望だって、結局は救う相手と、救う相手を貶める者が必要なんだから」

「…………」

「嫌いな人間が次々と死ぬから娯楽作品になる。誰も死なない面白くもなんともない作品なんぞ、誰が見るんだ?」

「それはお前がそういう作品を好きだってだけだ。世に中にはそれ以外の作品がある」

「良い人しか出ず、誰も憎まれず、誰も不幸にならない物語か?そんなもん、自分達が誰かを嫌いなんかならないっていう自己満足の塊じゃねぇかよ」

「…………これってさ、単純にお前が人間が嫌いだってオチじゃないよな?」

「俺は人間は好きだぞ。なにせ、『人間じゃない』からな。人間は人間を嫌うが、俺は人間じゃないから人間を嫌いにならない。人間大好き、人間万歳……どうだ?満足したか?」

「するわけないだろ」

「だろうな。お前はそうやって自分を誤魔化す事が好きそうだし」

「関係ないだろ、それ」

「関係はないさ――――けどな、」

バサラは俺を目を真っ直ぐに見つめる。

吸い込まれて二度と戻って来れない、血の池の様な瞳で。

「現実にいるんだぜ、悪役は……な」







人質はリリカル~昨夜~
第五話「一つの喜劇」







死体を見た。

夏なのに死体を見た。

残酷に惨殺された死体を見て、俺の一日はスタートする。

「へぇ、それは上々。なんとも素敵なお話じゃないか」

「んなわけないだろう……こっちは最低な一日だ」

「そうか?俺にとっては普通なんだが、最近は見てないからな、死体とか」

自称殺人鬼はそう言って笑う。

「この世界は平和だ。日常がゆっくりと流れるからこそ、ああいう死が見えてこない。殺人鬼としては実に平和すぎる世界だ……あ~、人とか大量に死なないかな~」

「不吉な事を言うな」

こっちは朝から気が滅入っているというのに、ガルガはそれが面白いとばかりに普段の倍はイラつく顔を俺に向ける。

夏だというのに、夏なのに、あんなモノを見てしまうなんて最低だ。傑作なくらい最低だ。

それはそれとして、俺達がいるのは翠屋ではない。臨海公園のベンチで大人二人が寂しく語り合っている光景は実に滑稽だな。

理由は簡単、等々翠屋から出禁を喰らった。

正確に言えば、俺とガルガが共に店に入ることを禁止されたという事なのだが……コイツと付き合うの、本気で止めようかと思っている。

「良かったじゃねぇか。明日の新聞の一面にお前の名前が載るぞ」

「載るわけないだろ。俺は単なる発見者……犯人じゃあるまいし」

「え?お前が犯人じゃないのか?んだよ、つまんねぇな」

「つまらなくて結構。こっちは朝っぱらから警察の取り調べでグッタリなんだよ……というわけで、煙草くれ」

「はいよ」

ガルガから受けとった煙草を加え、ニコチンを一気に肺に取り込む。最高の一服だ。起きてから初めて吸った煙草は頭をクラっとさせる快感が堪らんわな。

「けどよ、なんで死体なんか見つけたんだ?」

「俺の最近の日課は何だ?」

「あぁ、ロリッ子とイチャイチャする事か――――死ね、ロリ充」

「変な言葉を作るな。俺はアイツとイチャイチャしてるわけじゃない。魔法を教えて貰ってるだけで、お前みたいに変に欲情するようは事は絶対にしていない」

「どうだか……子供に欲情しない男はいない。これ、世界の常識」

「嘘吐け」

「嘘じゃないさ。俺なんか、毎日子供を見るたびに股間がギンギンだぞ?最近はプールで見る子供の可愛らしくもあり、艶かしい水着……何度クンクンしたいと思った事か」

警察呼ぼうかな、マジで。

「まったく、ロリ充の癖にジグザと可愛らしい婆と一緒の生活しているなんて……神様、この糞ピチ糞野郎に天罰を与えてくんねぇかなぁ……」

「糞を二回も使って俺を愚弄するか。お前、本当に俺の事が嫌いなんだな」

「いやいや、好きだぜ?割と好きだし、結構好きだし、モノ好きだし」

「最後は違うぞ」

「知っている」

つぅか、話がずれてるな。

「その辺の事は置いておくとして……なのはとの約束の時間の前に何時もの様にランニングしてたわけだが」

「ランニングで地味に体力作りか。地味だな。そんな事をしなくてもジグザに頼んで体力倍増して貰えよ」

「アイツに頼むのは嫌だ。それに、日に日に大量が上がってくるのは結構楽しいしな」

「そうかい、随分と地味なキャラになったな」

五月蠅い、地味で悪かったな、地味で。

「で、地味に身体を鍛えている最中に死体を発見か?」

「そうなるな」

あぁ、煙草が美味い。

「どこで見つけたんだ?」

「道端だ」

「道端ねぇ……道端に死体が転がってるのに誰も気づかなかったのか。この街の住人は随分と気楽な性格してるんだな」

「あ、違う違う。そうじゃない」

道端に転がっていた、というわけじゃない。

「投げ捨てられたんだよ」

「……投げ捨てられた?投げ捨てられていた、の間違いじゃないのか?」

いいや、違う。

あれは投げ捨てられたんだ。



俺の目の前に、投げ捨てられたんだ。



早朝という事で比較的涼しい時間帯に、海沿いの道を走っている俺の目の前に投げ捨てられた死体。

惨殺死体だ。

身体に複数の刺し傷、あり得ない角度に折れ曲がった手足。顔は苦悶の表情に染められ、白い眼が俺の眼を見ていた。思い出すだけでゾッとする姿だ。本当に、ゾッとする。

「警察の話だと、最近の連続殺人と手口が同じだから、同一犯だろうってさ」

「同一犯、ねぇ……」

何か知っているような素振りをするガルガ。大方、コイツの事だからきっと何かを知っているのだろうが、コイツが協力する筈は無いだろう。俺にも、警察にも。市民の味方でもない男が俺の味方であるはずがない。

「俺が警察なら、死体をそんな風に発見したお前を疑うぞ」

「最初は疑われたよ。けど、何とか納得してもらった」

「誤魔化した、の間違いじゃないのか?」

「お前は俺を犯人だと思ってるのか?」

「いいや、お前にそんな度胸はない」

わかってるじゃないか。

「第一、俺に殺人を犯す動機なんて無いんだ。人を殺したいわけじゃないし、そういう事に興奮を覚える性格でもないよ」

「そういう奴に限って犯人だったりするんだぜ?」

「知るか」

まぁ、警察の人にも同じ様に疑われたのは事実。色々と聞かれたし、納得してもらうまで二時間くらい掛った。これが長いのか短いのかは知らんが、ああいう経験は一度で十分だ。死体を発見するのも、警察に取り調べを受けるのもな。

「帰ってからも大変だったんだぞ?サクヤには心配されるし、ジグザには喜ばれるし、なのはは何を勘違いしたのか俺がやったと思い込んでいたし……」

「全員が女か……ロリ充死ね!!」

「気に入ったのか、そのワード」

「結構好きだ。そして俺もそう呼ばれたい。ロリ充になりたいんだ……俺」

切なそうな顔をするな、気持ちが悪い。

まったく、なんて日だ。

今日は夜に花火大会があるから一日を平和に終りたいと思っていたのに、いきなりこれだ。俺の日常に殺人とか人死にとか、そういうのは関係ないと思っていた。いたのだが、気がつけばこれだ。ほんと、勘弁してほしいわ。

「大体、何で俺の目の前に死体なんか放り投げるんだ?俺、お前以外に恨まれてる記憶なんてないんだが……」

「そう思ってるのはお前だけだ」

「マジでか?」

「マジでだ。人間なんて大抵は誰かに恨まれてるんだ。良い事をしても、悪い事をしてもな」

「…………人は根本的に人が嫌い、か」

「なんだよ、わかってるじゃねぇか」

こんな時にあの赤い女、バサラの言葉が蘇る。

人は人を嫌い―――そんな暴論を俺は受け入れる事は出来なかった。だが、今日の様な出来事が偶然だとしても、こんな事があったら多少は信じてしまいそうになる。

「お前、本当に心当たりはないのか?俺みたいなジグザLOVEな奴に恨まれてるとかあるだろう?」

「現時点でお前以上に有力候補はいない」

「だから、そうやって俺を目の敵にするなよ。照れるじゃねぇか」

なんで照れるんだよ、この色ボケ殺人鬼。

しかし、コイツの言う様にジグザLOVE(自分で言っておいてアホらしいが)の奴がいるってのは間違いだろう。逆にアイツがいるから俺が恨まれる―――アイツを恨んでいるから俺に矛先が向いてるという方がしっくりくる。

ジグザを恨んでいる奴。

いるとするならば、

「サクヤ、か……」

言っておいて、それは無いと即座に思う。アイツは確かにジグザに敵意、もしくは殺意を抱いているが、だからと言って根っからの善人であるサクヤが無関係の人を殺すとは考えられない。なら、犯人はどうして俺の前に死体を投げ捨てたのだろうか。直ぐにでる簡単な思考でなら、単に俺のビックリする顔が見たいからやったというレベルになるだろう。

殺したついでの悪戯。

犯人はよっぽど心根の腐った奴に違い無い。

「…………」

ふと気づけば、ガルガが俺をじっと見ていた。何やら可笑しそうに、面白そうに、不快な視線を俺に向けていた。

「なんだよ?」

「いや、ちょっとな」

我慢できなかったのか、小さく声を上げて笑いだす。

「あぁ、駄目だ。これは駄目だ……ククククッ、コイツは面白い、我慢なんか出来ない」

「…………テメェ、何が面白いってんだよ」

「カカカカッ、これが笑わずにいられるかっての……お前、自分で気づいてないんだろ?それを傑作と言わずになんて言うんだ?笑えるぜ、本当に」

「しょうがないだろ。俺を恨んだ奴の事なんて……」

「違う、違う違う違い。俺が面白いはそっちじゃない。お前が誰に恨まれても別にどうでもいい」

ちっともどうでも良くない。

俺にとっては死活問題だ。この街を騒がせている連続殺人犯に恨みを持たれるなんて最低以外の何物でもないじゃないか。

「それじゃ、何が可笑しいんだよ?」

「―――――お前さ、」

ガルガは言う。

「なんで平気な顔してるんだ?」

笑いながら、言う。

「平気?」

「人が死んでいる。お前の目の前に死体が投げ捨てられた―――なのに、お前はこうも平然としている……それは何故だ?」

「何故って……」

コイツが何を言いたいのかわからない―――はずがない。

ガルガは楽しんでる。そして喜んでいる。

アイツと、ジグザと同じ理由で、笑っている。



人の死に『気持ち悪かった』としか思わない俺を、祝福するように





さて、此処はどこだろうか?

多分、此処は海鳴だ。そのくらいは理解できる。理解はできるが、海鳴の中でも、どの位置にあるのかが分からない。こんな不気味な場所は知らない。仮に知っていたとしたら、絶対に俺は訪れようとはしない。

足は後ろに向く。

逃げる為に足を後ろに向ける。

此処に居てはならない。この場所に留まれば何かを失い、何かを壊され、何かを―――人として必要なパーツを奪われるという恐怖によって逃げ去るのが一番だ。

だが、俺はそんな場所を進む。

何かに導かれる様に進み、ソレを見た。

古びた洋館。

俺の足は何故か自然と此処に運ばれていた。理由は不明、動機も不明、目的も無いのに俺は此処に足を進め、洋館に足を踏み入れた。

「――――ようこそ、俺の探偵事務所へ」

洋館の扉を開け、広いエントランスホールの中央にソレは立っていた。

赤い絨毯の色にも負けない、垢まみれの赤を纏った女。頭からつま先まで全てが赤に染まった女、バサラという女、世界的な名探偵と名乗った女がいる。

「待っていたよ、佐久間大樹」

呼ばれた記憶は無い。

「あぁ、待たせた」

記憶はなくともそんな気になった。

俺はバサラの言葉に吸い寄せられるように奥に通され、これまた真っ赤な部屋に足を踏み入れた。眼がおかしくなりそうな赤に染められた部屋の中で、真っ赤なソファーに俺は腰掛け、バサラは真っ赤な椅子に腰かける。

「珈琲はブラックか?」

「ブラック以外は飲まない」

「あぁ、そうだった。そうだったな。そうだろうとも……」

一瞬で俺の前に珈琲が現れる。

これも赤い。

赤いカップに入った黒い珈琲。

口を付ければ―――頭を殴られる様な衝撃。美味いわけでも不味いわけでもない。ただ、飲んだ瞬間に頭の中の何かが砕け、同時に『砕けたい』という願望が押し寄せてくる。
まるで麻薬だ。

飲んだ瞬間に快楽に呑まれ、頭が砕けるという衝撃を味わいたいと思いたくなる―――そんな自殺願望にも似た欲情だった。

「それ以上はダメだ」

しかし、また口を付けようとする寸前、カップは消える。

「お前が飲むには早すぎたようだな……」

「早い?」

「そう、早い。お前が飲むのは―――性質的に、早い」

意味がわからないが、コイツがそう言うのならそうなのだろう。そういうふうに思いこんでしまった―――『否定しようが無い程の絶対性』を秘めたい言葉に、俺は頷いた。

それからしばらく、何かを話した気がするが覚えていない。

何も覚えていないのか、それとも『理解が出来ない』かの二択だろう。

ゆっくりとした時間なのか、早い時間なのかもわからず、俺とバサラと二人で無駄なのか、無意味なのかもわからない時間を過ごした。

バサラの赤い指先に煙草が収められ、

「―――――人の成長と退化は実は同じだ」

突然、そんな事を言いだした。

「一つ、こんな事を思ってみよう……今回は『成長』についてだ」

バサラが語る。

俺を見て、語る。

「例えばそう――――この世界でない世界、同じでありながら違う運命を辿った物語があったとしよう……そう、『絆の物語』だ」

知らないはずなのに、知っている気がする。

「そこである男は成長した。理論と理屈、そして自己の存在の根本的にある『否定』。この三つによって男は自己を縛り、自己を囲む全てに負の感情を抱いていた。実際は唯の劣等感だ。なにせ、男は自分を何よりも嫌い男だからだ。小さな己を、汚い己を、弱い己を、己という己の全てを否定しながら生きていた。されど、何時しかその想いは自然と融解していく―――男は出会ったからだ。嫌いな己と認め、同時に打破しなければいけない事態にだ。結果、男は自己の殻を破り、一つの成長を見せつけた」

そんな物語も、そんな男も俺は知らない。

だが、知っている。

矛盾を抱き、知っている事を受け入れる。

けど、わからない。

バサラは何の話をしているのだろう。

理解が出来ない。



「男の成長は『自己を認め、他者を否定する』という成長だ」



「――――違う」

「違う?」

口に出してしまった。

出してしまってから遅いと気づいたが、

「そんなんじゃ、無いはずだ……そんな事じゃないんだ」

「理由は?」

「だってそれは……」

口答えをするのではない―――否定するのだ。

「俺は……その男はそんな事を想ったんじゃない筈だ」

「理由は?」

「理由……理由は……えっと、理由……」

頭が痛い。

否定しなければいけないのに、否定できない。

否定する権利がない―――俺でない俺を否定する事は出来ない。

そんな俺から視線を外し、俺から奪った珈琲を口にするバサラ。

「―――――成長という言葉は実に気持ちが良い。成長するとは自分の立ち位置を変える事だ。サブキャラはサブでなくなり、悪役は悪ではなくなる。成長するに従って人は自分ではない自分になる――――そうだな、某小説風に言うならば……自殺する、だ」

赤い世界でバサラは死を意味するワードを口にする。

「人は自殺して成長する。その結果、周りは人が前に進んだと思う。思い込む事になる。自己を否定して死んだ事を拍手喝采で迎える滑稽な事を平然とする……平然と、か。馬鹿らしいと思うか?」

「自殺じゃない……」

「いいや、自殺さ。俺にとっては自殺。今までの自分を終らせて、新しい自分を始めると言う―――自殺だ」

「違う!!」

「違う、違う、違う、違う……ならソレで良い。俺はそれを否定しない。お前が言うのならばそうしよう。否定者を否定する事は無意味だからな」

苛々する。

この女の言葉は苛々する―――殺意を抱く程に。

「さて、話を戻そうか……成長。男は確かに成長した。しかし、成長した事によって本人は気づかない歪みを生み出した。どんな歪みだと思う?」

「知るか」

「知るべきだな、それは。男の成長は結果的に輪廻を砕く一つの結果を生み出した……そうそう、輪廻と言えば男の物語に実は必要不可欠なモノだったんだよな。同じ事を繰り返し、それぞれ別の結末を男は生み出してきた。しかし、別の結末といっても中身はまるで違う―――まるで違う悲劇を見せて来た」

親しい者の死。

親しい者の破滅。

親しい者の悲劇。

親しい者の終焉。

その全てが己の終わりと繋がっているとバサラは言う。

「皮肉だな。その輪廻を砕く結果が成長という自殺だとは……こればかりは新米の邪神にすらわかるまい。まぁ、当然と言えば当然だ。アレも同様に輪廻の輪に取りこんでやったキャラクターの一つだからな」

コイツは、何だ?

意味のわからない事を言いながらも、俺は心のどこかでわかっているような言葉を紡ぐ。自分でもわからない事を知っていて、それを作り出している張本人だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。

紡ぐ言葉の全てが言い様の無い不安を抱く事ばかり。

素直に、恐怖を抱く。

「男は確かに成長したのだろうが、成長する前の自分を否定した。終らせてしまった。否定する前の自分の良いところを殺し、新たな自分に上書きしてしまった。セーブデータの様なモノだ。以前の冒険は現在の冒険よりも格下だった。だから消しても問題はない。けれども、中味を見れば実は以前の冒険が現在の冒険よりも上だった部分が存在していた。もったいない事をしたが誰もそれには気づかない」

「ゲームの話かよ」

「ゲームと同じだよ、男の人生は」

「同じじゃない」

「同じじゃない―――そう、その言葉こそが男の成長であり、同時に以前よりも劣った部分が存在するという証拠だ」

「…………」

「邪神の言葉すら男は跳ねのけた。自己の強さを身に付けた、と想うかもしれんが結果は逆に男の『否定する』という残虐性を強めたに過ぎない。そうだ、今の男は邪神すら否定できる。男に否定できないモノはない。仮にあるとすれば、『この世界に存在していないモノ』だけだろうな……なぁ、佐久間大樹」

俺の名を呼び、俺を見る。

「どんな気分だ?否定するという気分は。楽しいか?嬉しいか?快感か?他人よりも上に立った気分か?」

俺の事を言っている。

俺の知らない、俺の事を知っている。

バサラの言葉が刺さる。

止める事の出来ない、刃が突き刺さる。

「―――――全てを否定できるお前は……大切なモノを失った。現在、お前が成長に酔って得た力は確かに強力だろうよ。けど、強力すぎるが故にお前はわからない。お前が否定した想いは『本当に否定しても良いモノ』なのか、お前は判別が出来るのか?」

「…………」

「わからないだろう?わかるはずがない。成長とはそういう劣化だ。退化だ。進んだ事によって失ったモノに眼もくれず、失った部分を愚かだと思い込み、結果としてお前は――――既に常人ではなくなった」

語るべき言葉はあった。

しかし、語れない。

否定するべき言葉はあったのに、『この世に存在していないモノ』である様な気配するコイツは、否定するに値しない。故に否定できない。存在しないから否定できない。

「殺神鬼にも言われただろう?お前はどうして平気だったのか……その問いに答えてやる」

「     」

俺の言葉は消えた。

この場で答える事が出来るのは―――バサラだけとなる。

「お前は成長したから人の死を見ても恐れない。お前の成長の中に『惨殺された親しい者』の姿があった。お前の前に投げ出された死体よりも尚、残酷に殺された者の死をお前は見てしまった。その死よりも強力な死が無い限り、お前は恐れない。現実的な死を恐れる事が出来ない。人の死はお前にとって最早―――恐怖には値しない」

そんな筈はない。

俺は恐れた。

目の前の死体を見て、怖がった。

今だって思い出しただけでゾッとする。

ゾッとして―――ゾッとして―――ゾッと、して―――ゾッと、する―――だけで、終る。

「わかったか?お前はもう『マトモな人間じゃない』。成長して人間性を壊され、成長して人の死に慣れ、成長して他者を肯定出来ず、成長し―――自身を崩壊させた」

違う。

そんなはずがない。

俺の事じゃないはずなのに、どうしてコイツは俺の事の様に話す?

俺の事じゃないはずなのに、どうして俺は俺の事だと認めている?

俺は、

「言い訳するなよ。俺を否定できないからといって、言い訳に替えるなよ。一度、自分で良く考えてみろ。まぁ、考えるだけ無駄だろうけどな……お前は成長してしまったんだ。喜ばしい事に、な」

俺は、



投げ捨てられた死体。

非現実的な光景であり、現実的な死。

生きていた者が死に、恐怖を覚えるはずの光景。

惨殺された死体を前にして、俺は確かにゾッとしたはずだ。

しかし、それはゾッとしたというのは、果たして恐怖からくるものからか。

そうだ、普通はそうだろ。

俺は恐怖したんだ。

人の死に、恐怖したんだ。

こんな事が目の前で起こったのに怖がらない人間なんているはずがない。

「―――――――」

言葉にならない。

悲鳴をあげてもおかしくない。

当然、怖い。

当然、足がすくむ。

当然、恐怖に我を忘れる。

当然、



「―――――んだよ、びっくりした……誰だよ、クソ」



ゾッとしたのは恐怖ではなく、単純に驚いたから。

いきなり目の前に人が現れた時と同じ、単純にビックリした。

「うわっ、死んでるよ……えっと、こういう時は警察だよな、警察」

思考はクリア。

驚きは一瞬。

恐怖は―――皆無。

冷静に警察を呼び、冷静に警察の問いに答え、冷静に疑われたから真実だけを話した。

その行動の全てに恐怖などありはしなかった。

俺の中にある『経験』からくる行動ではなく、俺が知らない俺自身の『経験』からくる麻痺症状。目の前に現れた死よりも残酷な死を知っているから、俺は平然と死を受け入れる。

俺の知る最低な死の光景。

少女が死んでいる。

頭と脳髄だけになった少女。

少女の頭が潰れる光景。

無数に転がる死の光景。

それに比べれば、

この死は―――大した事がない。






人混みが気持ち悪い。

人が群れを成して歩いていう光景が気持ち悪い。

人を人として見る事が出来ない。

これは人ではなく、人の形をした何かに見えてしまう。

違うだろ、これは人だ。俺と同じ人だ。普通に生きて、普通に死ぬだけの当たり前にいる人なんだ。それを見て気持ち悪いなんて思うのは間違っている。否定しなければいけない最悪の想いだ。

「佐久間さん、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ……」

少女を見る。

名前は、なんだっけ?

「やっぱり、お家で休んでいた方が……」

「だから、大丈夫だって。少し人混みに酔っただけで……あぁ、大丈夫だ。全然、大丈夫」

可愛らしい浴衣を着ている。

普段と少し違う髪型をしている。

でも、名前が思い出せない。

「それよりも、ほら。さっさと行かないと約束の時間に遅れるぞ」

名前、名前だ。

コイツにもあるだろ、名前くらい。

どんな名前だったかな……えっと……確か、ひらがな三つの名前だった気がする。クソッ、なんで名前が思い出せないんだよ。こんなのおかしいだろ?変だろ?俺はコイツの事を知っているし、コイツだって俺を知っている。なら、名前だって当然知っている筈だろうが。

名前が思い出せないまま、俺は少女の手を引いて歩き出す。

人混みを抜けて、向かう先は河原の花火大会の会場。待ち合わせは確か、大会の運営本部が設置されているテントの近くだ。

「逸れるなよ」

おかしい。

まるで世界が捻じれてしまった様な感じだ。

この手に感じる少女の体温は確かに人のモノだというに、俺はそれと人とは別のモノだと感じ取ってしまう。言うなれば、張りぼてだ。人の大きさの木の板に、人の絵を描いた張りぼて。その張りぼてが人に成りすまして周囲を歩き回っている。その感覚は気持ちが悪いなんてレベルではなく、不気味なんて言葉でも言い表せられない。

此処は現実じゃないのか。

此処は空想の世界なのか。

違う、違う、そうじゃない!!

此処は現実だ。

此処は現実の世界で、俺の知る世界と少しだけ違うだけの、当たり前にある世界の一つなんだ。絶対に張りぼて達が動き回る異界なんかじゃない。

「…………」

嫌な汗が噴き出る。喉が渇く。視界が歪み、身体から力が抜けそうになる。それでも倒れなかったのは、この手を握る少女が俺を心配そうに見上げているからだ。倒れてはいけない、心配させてはいけない、こんな優しい子の前でそんな事は――――バチッと脳内で火花が散った。

「そんな顔すんなよ――――なのは」

名前という言葉が口から出た瞬間、ずっと息を止めていた行為から解放されるように楽になった。

なのはだ。

そう、高町なのは。

「でも……」

「皆と合流したら、少し休むさ」

この少女の名前は高町なのはだ。

決して張りぼてなんかじゃないし、空想でもない。

自分と世界の狭間を行ったり来たりしていた様な不快な気分は、一瞬で消えた。身体も楽になり、思考のクリアとなる。周りを見ても人は人としか思えない。現実的な人混みだ。花火大会を楽しむ、普通の人々がいるだけだ。

漸くまともになれた事に安堵して――――不意に不安になった。

もしかしたら……止めだ、アホらしい。

変な事を考えるのは、きっと死体なんて気味の悪いものを見たせいに違いない。そうだ、そうだよな?それ以外に考えられないよな?

自分にそう言い聞かせ、俺となのはは歩き、目的の人達を見つけた。




夏といえば花火だ。

花火大会といえば出店だ。

出店といえば食い物だ。

「おっちゃん、たこ焼き一つ」

たこ焼きの屋台で八個入りのたこ焼きを購入。それを持って近くのベンチに腰掛ける。熱々のたこ焼きに爪楊枝を刺して一口―――熱すぎて思わず吐き出してしまった。

「汚いよ、兄君。食べ物を粗末にしてはいけないと習わなかったのかい?」

俺の横でフランクフルトを食べるジグザ。

「うるせぇな、熱かったんだよ」

「熱いからといって吐き出すのは愚かだね。咥内火傷する気で食べ給え」

それはそれとして、お前は一体どれだけ食うんだよ。今、ジグザの食っているフランクフルトもそうだが、一度に三つ以上も食うなって話だ。

「ふむ、焼き鳥にリンゴ飴にお好み焼きにチョコバナナに焼きそばにわたあめ……そろそろ、メインディッシュのかき氷といこうか。兄君、ちょっとそこの店で全種類を買ってきてくれたまえ」

「自分で行け」

「お金がない」

「来る前に小遣い渡しただろうが―――っていうか、なんで俺がお前に小遣いなんぞやらんといかんのだ?」

「兄が妹に小遣いを渡すのが変かい?」

変じゃないが、お前は妹でもなんでもない。

「いやはや、祭りの出店には不思議な魅力があるね。普通の日に出ていたら、高くて絶対に買わない値段の物を次々と買ってしまう。ふふ、神すら魅了する屋台、素晴らしいね」

「お前の場合は食い意地を張ってるだけだ」

邪神に食い物を貢ぐ趣味は俺にはない……にしても、口には出したくないが、ジグザの浴衣姿というのも、結構に似合っているな。長い黒髪は浴衣に合う感じだし、可愛いというよりは綺麗って言葉が似合う―――けどさ、その浴衣は一体どこから調達したのだろうか?

「秘密さ」

「だから、人の心を読むな」

「妹に欲情する兄の思考など、手に取るようにわかる。なんなら、これからそこの林に入って官能的な事でもするかい?」

「絶対にしない」

お前みたいなチンチクリンのボディに欲情したら終わりだ。

「――――にしても、やっぱりこういうイベントは人が多いんだな」

見渡す限り人、人、人。若い男女や家族ずれ、子供同士に老夫婦。独り身の方々もちらほらと見えるが、皆が花火見たさに集まっている光景は、普段はあまり見られない光景だ。

圧巻とも言えるな。

俺もそんな周りの一人。

今はジグザと二人だが、さっきまではなのは達と一緒に居たのだが、気づけば皆が好き勝手に行動を始めた。まぁ、集合場所は決めているので、別に問題はないのだが、

「お前は一緒に行かなくていいのか?」

「子守をする趣味はないよ。それに、私は私で兄君をアバズレから守るという使命がある」

「そうっすか、大変ですね」

そう言われると、なんというか……思い出してしまう。

サクヤの浴衣姿。

浴衣という時点で俺の中で女性は数段階レベルアップする。日本人に生まれた以上、浴衣を着ている女性を見れば、否応なしに興奮―――じゃなくて、目を奪われてしまう。

そして、サクヤの場合は浴衣を着た外人美女って感じで中々に高レベルだった。白い髪も黒い浴衣に似合っていたし、髪を上げて後ろで結んだってのも良い。そして何より、胸だ。帯で胸がこう……わかるだろう?

「兄君……鼻の下が伸びているぞ」

「あぁ、伸びてるな、きっと」

隣で怒りのオーラを噴出しているジグザなんて目じゃない。脳内で再生される先程の映像だけで、今の俺は邪神すら足蹴にできると確信している。

「おのれ、アバズレめ。私だって姿を変えれば兄君を悩殺する事くらい……」

「え?お前、姿とか変えられるのか?」

「一応はな。だが、どういうわけか大人の姿になれないのだよ」

「…………」

「なんだね、その憐みの視線は」

「いや、別に……」

ちょっとだけ悲しくなった。

けど、別にジグザが大きくなろうが俺の中でのコイツの評価はまったく変化しない。ジグザはジグザ、邪神は邪神。美しかろうが可愛かろうが、それを台無しにするだけの残念な部分があるのだから。

「お前はお前で安心したよ」

「馬鹿にしてるのかね?」

「あぁ、馬鹿にしてる」

馬鹿にはしてるが、少しだけ安心はしている。

昨日の晩、俺はジグザを怒らせた。自分が変わる事が、変わろうとする事が出来るのならば、ジグザだって変わる事が出来るのではないか―――そう言った時のコイツの怒りは、大きかった様に思えた。だが、ジグザはこうしていつも通りに俺の隣にいる。まるで昨日の事など覚えていないという様に。

あの時の俺の言葉は、コイツにとってどういう意味に捉えられたのだろうか。

人間である俺が邪神のジグザに生意気な事を言ったから怒ったのか、それとも別の理由があったからなのか。

かつては神であった邪神。神から邪神になってしまったジグザは、ある意味で変わったと言える。それがジグザにとっては屈辱だったのだろうか。

普段は邪神として女神を馬鹿にしているコイツだが、実の所は普通の神様って奴に憧れているのかもしれない。正道を歩く神々しい存在と、邪道を歩むことになってしまった存在。この二つの最初は同じ神だったはずだ。だというのに、ジグザは邪神になった。邪神になり、悪を名乗っている。

悔しいのだろうか?

悔しいから、これ以上変わることを拒んでいるのだろうか?

どっちにしろ、これは俺みたいな人間がどうこうできる話じゃない。なにせ、これは神様の話だ。

人間が介入できるレベルじゃないだろうよ、きっと。

「なぁ、ジグザ」

「何だい?」

「―――――いや、なんでもない」

俺は何を言おうとしてんだろうな。

おかしいな、今日の俺は。

色々とおかしい。

おかしいからこんな事を思ってしまうのだろう。

疲れているに違いない。

今日は花火大会だ。

そろそろ、打ち上げが始まる頃だ。

綺麗な花火でも見て、帰って寝るのが一番だな。






人々の視線は空に集まる。

満天の星空、その中に咲き誇る人の作り出した火の美しさ。街中に響き渡る大きな音と共に空に咲く花の数々。歓声、溜息、無言、見る人によって花火の美しさの表現は変わるが、皆の視線が空に釘付けになっている事に変わりはない。

空を見上げる人々の間を歩く俺は、空ではなく地上を見ている。

目的の人物は見つからない。

こうも人が多いと、人一人を探すのも一苦労だ。そうやって十分ほど歩いて、ある可能性に行きつく。

俺が向かう先は一つ。

運営本部のテント。

「…………はぁ、やっぱりか」

その場所は運営本部とは別に、迷子センターの役目も担っている。こんなに人が多いのだ、迷子が出ない方がおかしい。そして、案の定そこには迷子がいた。なのは達よりも小さい女の子は、泣いていた。両親と逸れて不安なのだろう。両の瞳から涙を流している。

その少女の涙をそっと拭うサクヤ。

俺はその場から動かなかった。

サクヤが少女に何を言っているかはわからないが、少女は少しずつ涙の量を減らし、終いにはサクヤに笑みを見せた。少女の笑みを見て、サクヤも嬉しそうに、この世の中で一番の幸福を見たかのような微笑を浮かべる。

見ているだけで、俺も自然と笑みが零れた。

花火大会が始まって、しばらくしたら急に姿を消したサクヤ。最初はトイレかと思ったが、それからしばらくしても帰ってこないので、何となく探しに出た。ジグザが俺に付いてこようとしたが、邪魔だったのでなのはに頼んで拘束してもらった。

「アイツらしいと言えば、アイツらしいな」

迷子を見つけて、テントまで連れて行って終わりにすればいいのに、お人好しのアイツは親が迎えに来るまで、ずっとあの少女の傍にいる事を決めたのだろう。放って置くなんて考えは多分無くて、親が来るまで一緒にいる事を選択する以外の考えがない……ほんとさ、お前は善人すぎるんだよ。

それからしばらくして、少女の親が迎えに来た事で、サクヤはお役御免となった。両親に連れられながらサクヤに手を振る少女に、サクヤも手を振る。

さて、そろそろいいかな。

「お疲れさん」

「佐久間さん?」

「ったくよ、ああいう事をする時は、言ってからやれよ。おかげで、俺はこうしてお前を探しに来る羽目になったんだからよ」

「そうですね……すみません、居てもたってもいられず」

別に責めてるつもりはないが、そんな申し訳なさそうな顔をされると俺が困る。

「ま、まぁ……とりあえず、行くか?」

「はい、行きましょう」

そうして俺とサクヤはなのは達の元に向かった―――のだが、

「大丈夫ですか?立てますか?」

迷子の次は酔っ払いの介護。

「此処は皆さんが楽しむ場所です。暴力を振るって良い場所ではありません!!」

酔っ払いの次は喧嘩の仲裁。

「僕、お母さんかお父さんは……そう、それでは、私と一緒に行きましょう。大丈夫です。きっとすぐに迎えに来てくれますよ」

また迷子のお世話。

そんな感じで次々とお節介を発動したせいで、俺達は中々戻る事は出来なかった。放って置けば良いだろうとは口に出さなかったが、こうも人に優しく出来るサクヤを見ているのは、なんというか……楽しい、じゃないな。嬉しい、でもない。言葉にするのは難しいが、とにかく嫌な気はしなかった。

見てるだけで満足する感じに近いのかもしれない。

もしくは、羨ましいだな。

さっきはジグザに女神を羨ましいと思っているのではないか、なんて思っていたが、他人の事をどうこう思う筋合いは俺には無いらしい。

サクヤは誰にでも優しかった。

相手がジグザではない、邪神でない限り、聖母の様な優しさを誰にでも向ける。困っている人を放っては置けない。見捨てるなんて言語道断。誰かの笑みを見るだけで、心が満たされる―――そんな風に思っているのかもしれないな、アイツは。だから俺は、そんなサクヤが羨ましい。

羨ましくて、不安になる。

あの善行を何時か利用する奴が出てきて、アイツが騙されて傷つくのではないか―――そんな不安と同時に、そんな事が起こってもアイツは利用して騙した相手すら許してしまうのではないかという不安。

そんな人間はいない。

幾ら優しくて、心が広い人間がいたとしても、無限の慈悲なんてモノはないはずだ。あってはいけないはずだ。俺達の心は広くても限度が必要だ。どこまでも許せるなんて想いがあれば、それは人間の領域ではない。神様の領域に近いだろう。

サクヤはそれを理解しているのだろうか。それとも、こんな事を思う俺の心が常人よりも狭いのだろうか。けど、どっちにしても、俺とアイツはこんなにも違う。気持が悪いほど違う。

絵に描いた様な善人。

人間よりも善を持っている善人。

俺の中でサクヤという女は、何よりも現実味のある存在と思えたのは最初だけ。アイツを知るにつれ、現実とは程遠い存在に思える。アイツこそ、この現実世界の中で唯一といって良いほどの非現実だ。絵に描いた様な善人は、まさに誰かに描かれた人間なのかもしれない。

「……お前はやっぱり気持ち悪いよ」

俺は否定する。

お前を否定する。

否定はするけど……心の底から羨ましいよ。

やっぱりさ、俺とお前は全然違うんだ。

俺は俺の事が嫌いだ。

自分の事を好きになんてなれない。そんな俺をお前は放っては置かず、俺が俺自身を好きになるように頑張るとまで言ってくれた。その言葉は嬉しかった。だから少しでも変わろうと思えたんだ……でも、それはお前が優しいからなんだよな。

気づけば、俺はサクヤを置いて河原で煙草を吸っていた。

空を輝かせる花火に目もくれず、視界に写るのは美しくもない人工的な街の光。眩しくもない、見ていても飽きもこない、感傷も沸かない光景を見ているだけで、自分に酔っているフリをする。

自分に酔う行為にも飽きてきた。というよりも、無意味に思えてきた。

「馬鹿らしいよな、ほんとさ」

煙草の灰を携帯灰皿に入れ、その場に倒れこむ。

草木の匂い。

煙草の匂い。

人々の匂い。

そして、サクヤの匂い。

「急にいなくなっては困りますよ?」

「探したのか?」

「佐久間さんが私を探しに来てくれましたから、そのお礼です」

そう言ってサクヤは俺の隣に腰掛ける。

「迷子は?」

「ご両親が迎えに来たので」

「そうか……それは良かった」

どうでも良いが本音。

俺にとっては、どうでも良い。

「花火、見ないんですか?」

「見飽きた」

「そうですか。では、私も見飽きました」

嘘吐け。

お前は花火よりも他の連中の世話ばかりだっただろうに……ックソ、だから嫌なんだよ。そういう優しさは、俺にみたいなクソ野郎には重いんだよ。

「―――――わかった、わかりました……見れば良いんだろ、見れば」

観念して俺は空を見上げる。

向日葵に似た花火が天を照らす。

空に美しく咲いて、火花になって散っていく。桜よりも儚く散って、記憶に刻みつける前に別の花が咲く。何発も、何十発も連続で打ち上げられて花を開き、その度に散っていく。人の記憶に残る前に別の記憶が上書きされていく。一発一発の美しさなど、誰も覚えてないに違いない。

「綺麗ですね……」

「あぁ、そうだな」

綺麗だが、儚い。

儚くて、悲しい。

「なんで、あんなに何十発も打ち上げるんだろうな?一発だけ打ち上げれば、嫌でもそれしか記憶に残らないってのに」

「それは、一発だけでは寂しいからではないでしょうか。確かに一発一発は綺麗です。でも、一度だけの美しさの後に残るのは寂しさです。そうならないように、寂しさなんて感じない程に、幾つも幾つも空に花火を打ち上げ、綺麗な思い出を心に残す―――私はそう思います」

「――――お前もそうなのか?」

「私?」

たった一度の親切は、いつか忘れられるかもしれない。たった一人に親切にしても、たった一人にしか覚えてもらえない。それが寂しいから何人も何人も親切にして、沢山の人の思い出になりたい―――そう思っているのか、と俺は尋ねる。

「お前は誰かの思い出になりたいのか?」

「いいえ」

あっさりと否定された。

「誰かの思い出になろうとは思いません。私は単なる街ですれ違った赤の他人で十分です。でも、赤の他人でも小さな親切はできます。小さくても良いんです。誰も何も思わなくて良いんです」
例えば、前から歩いてくる人に道を譲るだけでも十分。例えば、道端に落ちている吸殻を拾って捨てるだけで十分。例えば、前を歩いている人の落とし物を届けるだけで十分。

「仮に、それが誰にも感謝されなくってもやるのかよ……」

当然です、とサクヤは頷く。

「感謝が欲しくてやっているわけではありません。ただ、それが人として『正しい』と思える事だから、私はしているだけです」

「助ける事が正しいってのかよ」

「えぇ、正しいと私は思います」

善人の答えであり、正義の答えだ。

「相手はお前に感謝なんかしてないかもしれないぞ」

「感謝など求めてはいません」

「お前はそれで良いのか?お前だけが苦労して、相手は手伝ってもらう事が普通だって思うような最低の奴なら、助ける必要なんてないはずだ」

「それでも構いません……そうですね、こうは考えられませんか?私の行った事で、その人が別の誰かに優しくするかもしれない。そうすれば、何時しか世界中の人の心に正しい思いが生まれるかもしれない」

夢物語だ、そんなもの。

ありえない。

絶対にありえない。

「人は正しくあるべきです。無論、時にはそうではない事をするでしょう。ですが、正しくある、優しくある、そう想える心がある事こそが、素晴らしいモノだと私は思います」

ありえない、絵空事だ。だというに、どうしてサクヤはそれが可能だと信じるのか、俺には理解できない。やはり、コイツは現実味のない存在だ。誰かに描かれた善人だ。人間らしい部分など無い―――人の形をした何かだ。

「人間は、俺達はそんなに綺麗な生き物じゃない……」

「そうでしょうか?」

「あぁ、そうだよ……そうじゃなくちゃ、いけなんだ」

正しい事は素晴らしいさ。

素晴らしいから、時には醜さを必要とする。

それがなければサクヤ、お前みたいに現実の中にいる幻想になってしまう。

そんなのは……嫌だ。

人は素晴らしいとか、人は善だとか、そう思うだけなら別に良いさ。でもな、それだけしか思えないなら、俺は嫌だ。

お前が、そんな事しか思えないのは嫌だ。

「俺なんか特にそうさ」

自分勝手で、自分の事しか考えていなくて、沢山のモノを壊して傷つけて、その責任から逃げるついでに自分からも逃げるような臆病者。

「なぁ、サクヤ。俺みたいな奴はな、お前みたいな良い奴に助けてもらう資格はないんだ。だから、誰でも彼でも助けようと思うなよ」

「私の中では佐久間さんも良い人だと思いますよ。そうじゃないと、なのはさん達がアナタを慕う事はないと思いますから」

「それはアイツ等がガキだからだよ」

「いいえ、子供だからこそです。成長すれば人に疑惑を抱くようになりますが、幼い子供にはそれが出来ません。しかし、それ故に子供達は自分の瞳に映った人を直感的に理解します。大人よりも的確に、鋭く、正確に判断します」

だから、安心してほしいってか?

安心できる部分なんて一つもない。それに、ガキはガキなりに頭を働かせる。嘘だって吐くし、騙す事だってする。子供は天使ですなんていう言葉は嘘っぱちだ。天使でも悪魔でもない、当たり前にいる普通の人間だ。

「お前さ、もしかして結構バカだったりする?」

「……そう言われるのは初めてですが……どうなのでしょうか?」

真剣に考え込むなよ、否定しろよ。

「馬鹿正直っていうか、なんていうか……」

自然と笑みが零れる。

絵に描いた様な善人で、人の心には善で占められていると考えている超が付く程のお人好し。

それを無にすれば――――胸が高鳴る。

考え込むサクヤを見て、動悸が激しくなるのを感じる。

頭がぼうっとして、顔が熱くなる。

あぁ、そうだったな。

コイツは……綺麗なんだよな。

見た目も綺麗だけど、心も綺麗だ。

思わずクラッとなってしまいそうな、綺麗な姿―――でも、綺麗なだけ。見た目は綺麗だけど、心は『綺麗すぎる』。一切の穢れを知らない、汚れていない生まれた赤ん坊の様な心。純粋無垢な精神こそが、美しく、そして残酷だった。

コイツは知るべきなんだ。

人は正しくない。正しくないモノが大部分を占めていて、基本的に人は悪に近いんだって事をよ。けど、いくら言ってもコイツはきっと信じないだろう。もしくは、理解できない。そうして何処か壊れた部分を持ったまま突き進み、何時か裏切られて―――裏切られても、気づかないのかもしれない。

なら、どうすれば良いのだろう?

俺はコイツに何が出来るのだろう?

何かを、しなければいけないのだろうか?

『―――――ならば』

俺が?

『―――――我等が』

…………

『見せつければ良いではないか』

…………



『我等が証明すればいい。その為に我等が正しくない事をしてやる』



否定しろ。

サクヤという女を否定しろ。

この女の想いを否定して、人の醜さを見せつけろ。

この女が二度と他人の為に善行など働けない様にしろ。

「佐久間さん?」

心の奥底からどす黒いモノが吹き上がる。黒くて、悍ましくて、嫌悪するに値する闇の渦が俺の中で次々と生まれる。それは死者の手であるように、悪魔の手であるように、破滅を呼び込む軍勢のように、心が身体を支配して、心が脳を麻痺させ、俺という全てを幾つもの負の感情が蝕む。

この感覚は知らないはずなのに、知っている。

名前も知っている。

俺の中に住まう、俺ではない者達。


名前は―――レギオン。


「あの、痛いです……」

俺は、俺達はサクヤの手を掴む。細い、白い、綺麗な、手を掴んで、ぎゅっと掴んで、握りしめて、痛いという声を無視して、我等は――違う、俺達は、歩き出す。どこに向かうか、俺達は、考えて、思い出して、周囲を見て、人混みを避け、踏み入れて、雑木林、サクヤの手を引いて、俺達は嗤って、綺麗な顔が、俺達を見て、雑草を踏みしめ、人が居なくて、奥に進んで、我等が――違う、俺達が歩いて、

「何処に……行くんですか?」

不安な声、じゃない。

気に入らない、声。

本当にわからない、疑問に思う、俺達の望む、声じゃない、求は、声、悲鳴、絶望の、叫び、裏切られた、悲痛な、サクヤの、声。

此処は、人がいない。

月が、見える。

月光が俺達を、見ている。

我等が――違う、俺達は、嗤う。

「……皆の所に戻った方が、」

見つめる、瞳を見つめる、サクヤの、綺麗で冷たい、瞳をじっと見つめる、俺達は、サクヤを押し付ける、木に押し付け、見つめる、瞳、俺達の瞳と、冷たい瞳が、見つめ合う。

「…………あの」

恐れず、見てくる、理解できない、見つめてくる、恐れず、見つめてくる、何が起きているか知らず、見つめて、見つめて、見つめて、吸い寄せられ、我等が――違う、俺達が、

「――――――」

「――――――」

奪う、口、奪う、唇、柔らかくて、俺達が、優しい、キス、奪う、サクヤの、唇。

熱くなる。

脳内が熱くなる。

触れ合った―――奪った唇が冷たいモノから、温かいモノに変わり、奪った唇に、舌を入れて、抵抗されず、俺達の舌が咥内を、舐めまわす、どれだけ、我等――黙れ、俺達が、息をする事も忘れ、奪い、奪い、舌を絡ませ、我等――出ていけ、俺達が歯茎を、舐める、舌、唾液を舐める、嫌悪して、抵抗されず、わけがわからないという顔、離れる、呆然とする瞳、俺達は、違和感を覚え、嫌悪する。

「…………」

何故と、尋ねる、サクヤではなく、俺達が、尋ね、返答はなく、もう一度、唇を、重ね、無意味な時間、離し、無意味な悲しみ、悪であると知らしめるも、無意味な行動、怒りが、理不尽な怒りが、俺達の、俺に対する、馬鹿らしい、怒りが、歯止めを、無くして、燃え上がる。

サクヤ、サクヤ、女の名、サクヤ、サクヤ、サクヤ、正しき者、サクヤ、善なる者、サクヤ、滑稽な者、サク、独善な者、サ、悪の敵、サ、主の敵、ク、女神の下僕、ヤ、殺さねば、サク―――牝、牝、牝、牝、牝ならば……貪る対象。

止めろ、犯せ、止めろ、喰らえ、止めろ、嬲れ、止めろ、蹂躙しろ、止めろ――――否、牝は犯す。

犯して自身の愚かさを知れ。

この世には我等の様な悪がいる。

人の心の中にある悪がある。

人を見れば騙したいと想う悪がいる。人を見れば傷つけたいと想う悪がいる。人を見れば殺したいと想う悪がいる。人を見れば、牝を見れば犯したいと望む悪がいる―――悪という『当たり前な人間』しか存在しない。

牝の着衣に手をかける、破り捨てる様に引き裂く。牝の衣の中に隠された豊満な乳房が露わになる。

嗤う。

牝は未だに事態を呑み込めない。

嗤う。

牝の身体を舐めるように凝視し、女の乳房に手を伸ばし――――――【反則し、否定しろ】



―――――――――――――――――――――――テメェ等、ぶっ殺すぞ……









自己嫌悪、実に軽い言葉だ。

花火大会は既に三時間前に終わっている。帰り道の人混みも既に解消され、気づけば暗い街中を歩いているのは俺だけ。それが助かっている。今の俺の顔は、多分近年稀にみる酷い顔になっているに違いない。

足を止め、コンビニの窓に映った自分の顔を見つめる。

酷い顔だ。

自分でやっておきながら、実に酷い。

瞼は紫色に腫れ上がり、頬には幾つかの青痣。口元は切れて血が流れている。まぁ、自業自得で当たり前の結果だ。この結果を受け入れ、煙草を取り出して火を灯す。紫煙を肺に取り入れようと息を吸った瞬間、咥内に小さな痛み。どうやら口の中も切っているようだ。

自分で自分を殴りつけるというドM行為は、やってみると情けない上に痛々しい。

ほんと、最低だな。

夜闇の中を歩き、自分のしでかした事を思い出し、もう一発くらい自分を殴ってもいい気がしてきた。実行に移そうとしたが、自己嫌悪する度に自分を殴っていたら、何時か死んでしまう気がしたので流石に止めた。

「…………」

何も覚えていない―――それはそれで楽な逃避だが最低な事に、最初から最後までしっかりと覚えている。

あれは……最低だ。

サクヤを人気のない場所に強引に連れて行って、強姦したに近い。直前で何とか自分を止める事は出来たが、あのまま最後まで行ってしまったら……行ってしまったら、どうなっていたのだろうか。

流石のサクヤも怒っただろうか?

怒るよな。怒るっているか、軽蔑するだろうな。いや、軽蔑するなんて生温い事では収まらないだろう。もしかしたら、男の象徴を切り落とされてしまうかもれない。いっそ、そっちの方が良かった気もする。

「…………」

足を止め、吸っていた煙草を手に持って手の甲に押し当てる。

焼ける痛みが襲い掛かってくる。

「…………」

自傷行為は初めてだが、痛いだけでまったくすっきりしない。

いや、すっきりしては駄目だろう。

そんな権利は俺には無い。

俺は、

「――――――佐久間さん」

その声は、一番聞きたくない声だった。

優しげな声が鼓膜を刺激した瞬間、心臓を握り潰される様な錯覚を覚えた。声は背後から聞こえるが、俺は振り向く事が出来ない。逃げようとするが足が動かない。あんな事をしておきながら、逃げたなんて事をしたら、もう救いようのないクソ野郎になってしまうではないか――――まぁ、もう遅いよな。

振り返れば、アイツはどんな顔をしているだろうか。

見えたくはないが、見なければいけない。

錆びた歯車の様になった首を回し、背中越しに俺は彼女を見た。

サクヤは、普段通りの笑みを俺に浮かべていた。

「探しましたよ……」

殺せよ。

「心配だってしました」

いっそ殺してくれよ。

「もう夜も遅いですから、帰りましょう」

殺してくれた方が、よっぽどマシだ。

俺に近づき、俺の手を掴む。

冷たくて、気持ち良い手だった。

「――――――なんでだよ」

「え?」

「放って置けばいいじゃねぇかよ……お前、俺がお前に何をしたのかわかってるのか?」

俺の中にあるクソ野郎共がやった事とはいえ、俺の身体で行った事には変わりはない。そして、奴等が出てくる前に俺は少しだけ考えたんだよ。お前が善人だと信じる連中から酷い目に会えば、お前だって少しは自分の勘違いを痛感するだろうってさ……全てが奴等の意思なんかじゃない。少なくとも、俺の意思だってあったんだ。

俺はサクヤの手を乱暴に振りほどく。

「……もういいだろう。俺に構うな」

「それは、できません」

振りほどいた手を、もう一度掴まれる。

「帰りましょう」

離してほしい。

放って置いてほしい。

お前と俺は違う。

お前の助けている連中と俺は違う。

「……もしも」

握られた手を握り返す事は出来ない。足はその場に張り付けられ、サクヤの目を見る事も出来ない情けない俺は絞り出すように言った。

「もしも、俺があそこで止めなかったら……お前はどうしたんだよ」

「そ、そうですね……」

ほんのりと頬を染めながら、

「佐久間さんが……その、望むなら――――」

理性が切れたわけじゃなくて、

「――――――ふざけんな」

俺だったわかるさ。

そのくらいは理解できる。

俺が望むなら?

望むならその後も続ける?

馬鹿にすんじゃねぇよ。

「俺が望むなら?俺が望むなら、お前は自分の身体だって安売りするっての?俺の事を好きでもないのに、俺が迫ったら簡単に身体を許すってのか?」

「…………」

無言は肯定と受け取る。

だろうな、そうだろうよ。こっちは別に女に妙な理想を持つような事はないが、それでもお前のしている事がふざけるなって思うくらい、ガキ臭い所はあるんだよ。

「お前は、俺を許しちゃいけない」

俺は逃げるように歩き出す。

最低だよ。

これはあれだ、逆ギレって奴だ。俺がしていい行為じゃない。そんな事は百も承知だ。でも、俺は頭にきている。どうしてこんなに頭にきているかはよくわからないが、ともかく俺は頭にきている。

自分にも、コイツにも。


人間っていう悪役な生き物にもな……








あとがき
ども、この作品では久しぶりの散雨です。
女性に手を出して特に反応ないから逆ギレしたお話……主人公最低ですね。
別のお話の主人公はアレはアレで面倒ですが、こっちも面倒です。むしろ、書いている内に自分で書いておきながら嫌いになりそうな奴ですが、見捨てないでくださいね?
さて、ラブコメでギャルゲーな展開のつもりが、気づけばエロゲーになっていたのは、きっと村正を久しぶりにやったせいでしょう。うん、きっとアレのせいだ。
そんなラブコメ展開もぶっ壊れてきたので、次回からはマイナス面のお話の開始です……下手すれば、このサクヤルートだけをXXX版で書ける可能性もあるんですが、さすがにそれは駄目ですよね?
それでは、また次回…………どうでも良いが、この話は色々と面倒臭いわ、マジで



[10030] 第六話「一つの変化」
Name: 散雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/08/20 23:55
世の中には救いようのない存在などいない。

世の中には完全な悪などいない。

世の中にいる全ての存在は救われる術を必ずしも持っている。

女神は口にする。

人々の中には美しい宝、善性と呼ばれるモノが存在する。聖人も悪人も、人であろうとなかろうと、必ず善性が存在する。その善性を得る事は難しくない。最初から持っているものなのだから、わざわざ手に入れようとする必要は皆無。必要なのは自身の中にある善性を認め、受け入れ、外に出す事。

インプットとアウトプットの話だ。受け入れて外に出し、外に出たモノを受け入れ、また外に出す。一つの想いを個人で永遠に所有するのではなく、皆で分け合う事で真の意味で善性を世界に広める事が出来る。

だが、悲しい事に全てのモノがそれを受け入れるわけではない。

善性こそ悪だと罵るモノがいる。

そのモノはかつては善性のモノだったが、時が経つにつれて悪に身を染めた。救いようのない悪になり、救いの手をすら振りほどく。否、伸ばした手ごと食いちぎり、善性の全てを否定するような悪鬼羅刹の所業を平気で行う悪の中の悪。

邪神の如く。

悪魔の如く。

悪鬼の如く。

故に滅ぼさねばならない。

認める事は善性だが、全てのモノが認める事は出来ない。その為に誰かが悪を滅ぼさねばならない。

その行いは正義である。悪ではない。

誰かの為に犠牲になる事、手を汚す事は悪などではない。断じて認めない。

この身は善性を愛する女神。

ならば、汝は何者か。

汝は女神の祝福を受けた何者か。

「―――私は、女神様の僕。女神様の手であり、足であり、眼であり、口であり、身体です」

女神に頭を垂れる女神の使徒に迷いはない。
白き雪の様な純粋さを魂に宿し、女神の言葉を、全てを信じて使命を全うする。

今、この街には邪神がいる。

邪神は女神の敵であり、彼の敵であり、自分の敵。この世界全てを悪に染め上げる最低最悪の災害は、必ず討たねばならない許しがたい存在だ。しかし、それ以上に討たねばならない存在がいる事も確かだ。

海鳴の街を騒がす連続殺人犯。

この存在はただの殺人鬼ではない。

女神とその従者が討たねばならない理由を有する、悪なのだ。

女神は告げる。

善性を持つ聖女よ、悪を討て。

悪が善性を認めるならば許す事も可能だろう。しかし、あの悪は善性を認めず、悪の限りを尽くしている救われない存在である。

だから討つ。女神が許し、従者が討つ。

「女神様の御心のままに……」

女神は美しい笑みを従者に向け、祝福の祝詞を口ずさむ。祝詞を受け、従者は心の底から女神に服従を近い、女神の為に正しい事を、正義を実行すると心に誓う。

そうした形式が終わって数分後、女神の従者であるサクヤ・エルフォンドは立ち上がる。

古びた教会。邪神の従者である佐久間大樹と初めて会話をした場所は、その時に行われた邪神との戦闘のおかげでボロボロだった。元々、使われていない教会ではあったが、サクヤにとってはこの世界、この街に来て初めて寝床にした安息の地でもある。その為、少しずつ修繕を行ってはいるが、作業スピードは上がらない。

理由は簡単だ。

此処の修繕はあくまで『個人的』な事であり、それ以上に優先しなければいけない事は彼女の周り、自分以外の存在の事だ。助けを求める者が居れば助ける。困っている者を見れば手を差し出す。悲しみに暮れる者がいれば共に前を向いて歩ける努力をする。

個人の事など後回しで良い。

個人の幸福など後回しで良い。

いいや、そもそもの話。誰かの幸福は個人の幸福に繋がっている。誰かが笑えば自分も嬉しい。誰かが泣けば自分も悲しい。決して他人事ではなく、世界で起こった悲劇は全て、自分の不幸と感じる。行き過ぎた善性とも言えるかもしれないが、サクヤにとっては当たり前の事である、それを異常だとは思わない。

むしろ、それを異常だと言ってしまえば自分が自分と存在する事が出来ない。サクヤの存在の土台、魂と核は善なる行為こそが正常だと胸を張って宣言する。

「此処も、しばらく来れなくなりそうですね」

壊れた教会を見回し、完全な形に戻るのは何時になるかと少しだけ溜息を吐き、すぐに思考を切り替える。

今すべき事は女神から受けた命を実行する事。女神個人の命ではない。女神の命は何時だって誰かの、他人の為になる善行なのだ。それを前に自分は一切の躊躇は無い。足は常に前に踏み出され、迷い無く進む。

「…………」

だが、何故だろうか。

少しだけ足取りが重い気がする―――理由はわかっている。わかっているからこそ、どうすれば良いかわからない。半分はサクヤ個人、もう半分は他人の事だ。そこに他人が絡んでいる以上、簡単に解決する事は出来なくとも行動する事は可能だろう。他人の問題ならば喜んで力も貸すし、全力で挑む事も出来る。

だが、今回はそうじゃない。

理由がわからない。

簡単な話なのにしっくりこない。

どうしてこんな気持ちになるかは不明だが、原因はわかっている―――これは矛盾してはいないだろうか。わかっているのに理解出来ない。理解しているのにわかっていない。道筋は簡単な筈なのに、何故かその道が正しいのか自信が持てない。こういう時は女神に相談するのが一番だ。女神は何時だってサクヤに的確な言葉をくれる。そのおかげでサクヤは迷わず前に進める。女神を信頼し、信仰しているからこそ、女神に相談するべきだと頭では分かっている。

だが、今回はそれをしない。

別に女神を疑っているわけじゃない。

女神を疑うくらいならこの身を酸の海に放り投げ、針の山に串刺しにされた方がマシだとすら考えている。それほどサクヤは女神を信仰している―――言い換えれば、狂信しているともとれる。

ならば自分は一体何を迷っているのだろうか。

「迷っている?私は、迷っているのでしょうか?」

迷う理由など無い。

迷いがあれば人は救えない。

正しい事をしたければ迷ってはいけない―――女神はそう言っていたではないか。

そうだとも。

だから、自分は佐久間大樹を救おうと思った。自分自身を好きになれないという彼の為に自分が何をすべきか、何をしてやれるかを考えた時に女神は迷ってはいけないと言った。サクヤが迷えばそれだけ彼は自己の迷路に陥り、光の下に帰る事が出来なくなる。彼の道を照らし、彼を救うには彼を導く存在が必要不可欠。その存在に自分がなればいいと言われたはずだ。

だから彼女は行動した。

行動した結果、何故に口づけになってしまったのかは女神にとっては予想外だったと言えば予想外。サクヤからすれば、『私はアナタの味方です』という想いを伝える為に行った行為、親が子を抱きしめる行為と似ているものと考えた結果であり、別段彼に恋慕の想いがあったというわけではない。無論、そのせいで彼を困惑させる事になったのだが、そこはサクヤが一度自分自身をしっかりと考える必要があるのだが、先も言ったように彼女が個人的な事など後回しにする傾向にある為、その時は未だに訪れてはいない。

結果、彼女は自分自身を考えない為に今の状態になっているとも言えるだろう。

昨晩起きたサクヤと佐久間の間に起きた出来事。

サクヤからすれば男がそういう生き物という『知識』は持っている故、こういう事だってあるだろうとしか思っていない。そこで彼が申し訳ないという後悔の念を持ってしまったのならば、自分は彼を責める事はしない。

彼は反省している。

反省しているならば許そう。

許してそれで終わればいいじゃないか。



そんな馬鹿な考えを当たり前の様に実行してしまった。



「許してはいけない……」

彼に言われた言葉を口にする。

何故とサクヤは首を傾げる。自分は彼を許した。彼が自分の行いを悔いているのならば、自身の行いを悔やむという善行をしたのならば許したって何の問題もないはずだ。自分は別に間違った選択肢を取ったわけではない―――だが、彼は彼自身を許すなんて選択をしなかった。同時に何故かサクヤを批難するような事を言っていた。それが起こる前から彼はサクヤの行いを奇妙だと、おかしいと言っていたが、これはそれに関係する事なのだろうか。もしかしたら、自分は知らない内に彼に対して無礼な行いをしてしまっていたのか。それどんな行いなのか。何時の事だろうか。

思考が堂々巡りを始め、明確な答えは出ない。

「私は、何か間違った事をしたのでしょうか?」

そう思った瞬間、心の中に何かが重く圧し掛かった。間違いという罪、相手を傷つけたという罪は彼女が何よりも嫌い、嫌悪しなければいけない悪行だ。それを自分が行ってしまったのかもしれないという考えに恐怖を覚える。ありえないと頭を振って否定するが、完全に否定する事は出来ない。考えれば考える程、罪という重圧は彼女の心に圧し掛かり、心を掻き乱す。

そう、これこそが女神に相談できない理由である。

もしも女神に相談し、女神から自分が間違った、罪を犯したなどと言われてしまえば、サクヤは自分が何よりも許しがたい悪になってしまう。それだけは出来ないし、したくない。女神に悪と決めつけられる事こそが、どんなものよりも恐怖すべき事だ。

だからと言って女神を自分を捨てる様な事はしないだろうが、女神の前では自分は女神の従者として相応しい存在でありたいと強く願う故、女神にそんな自分は見せたくない。

間違ったかもしれない。

悪行を行ってしまったかもしれない。

そんな不安を胸に残したまま、サクヤは重い足取りのまま進んでいく。



まるで、親に叱られるのが怖くて隠し事をしている子供の様に











人質はリリカル~昨夜~
第六話「一つの変化」












朝だ。

夏の朝だ。

公園のベンチで目を覚ました俺は、背中に感じる痛みに顔を顰めながら体を起こし、軽く柔軟体操をして―――――死体を見つける。

惨殺死体だ。

惨殺死体にして、芸術的な死体だ。

両の手足を切り取られ、首も無く、一糸纏わぬ女性の綺麗な身体は人形の様に白く、死を主張する。地面は真っ赤な絨毯を敷いた様に血で染まり、渇いていない所から見るに、殺されてからそんなに時間は経っていないのかもしれない……まぁ、そんな事はどうでもいいのだが、起きてすぐにこんな死体を見せつけられたら、普通に発狂してしまいそうだ。

「もちろん、嘘だけど……」

嫌になる。

こんな死を見せつけられても、眉ひとつ動かせない俺が心底嫌になる。バサラに言われたように、どうやら俺の正常な神経の何本かが狂ってしまい、こんな死を、この程度の死を見てもどうとも思えないようだ。

つまり、俺という人間はそれだけ変になっているのだ。

この程度……こう思う時点ですでに変なのだが、ともかくこの程度の死で俺が驚きもしないなんて、もはやまともな人間の思考ではない。本当に自分が人間なのかという疑問すら湧いてくる。普通の人間なら驚くだろう、恐怖するだろう、気を失うだろう。それから寝る度に悪夢を見て、肉類を一切食べられなくなって、カウンセリングに通うようになるかもしれない。しかし、今の所、そんな兆しは俺にはまったくない。死体を前にしても自分の事しか考えてない時点で色々とアウトだ。

「……とりあえず、どうしよう」

周りを見ても誰もいない。

時計を見れば早朝五時。

この辺りは俺のランニングコースになっているから、この時間帯にはあまり人が通らない事だって知っている。ならば、この状況で俺が第一発見者になると同時に、俺と死体を見つけた第二発見者からすれば、俺が加害者になってしまう。それは面倒だ、お断りだ、無用なトラブルは御免だ。しかし、だからといってこのまま死体を放置しておくのも問題はある。俺の中にある良心がそれを許さない―――どうやら、良心が無くなる程、狂ってはいない様だ。

なるべく現場を荒らさないように血だまりを飛び越え、近くにあった電話ボックスから警察に電話する。電話を切り、とりあえず寝起きに一本を吸って、これからの事を考えるが……どう考えても不味い気がする。二日連続で死体を見つけて、二日連続俺が警察に通報して、多分このままでは二日連続で警察に取り調べに会う。そうなったら確実に俺が疑われる。

ベンチで寝ていました。

起きたら死体がありました。

俺は犯人じゃありません。

「無理だろうな、きっと……」

誰がどう考えても怪しいのは俺で、犯人扱いされて拘留される場合だってある。下手をすればそのまま俺が犯人となって、裁判に行ってそれなりの刑を喰らって臭い飯を食う羽目になる。いや、待てよ……仮に、仮にそうならなかったとして、もしも俺が証拠不十分で帰れる事となったとしてもだ、その場合、誰かが俺を迎えに来なければならない。そして、その相手は多分昨日と同じになるとすれば、だ。

「――――逃げるか」

煙草を携帯灰皿に放り込み、俺は足早にその場から逃げ出した。

どうやら、やっぱり俺には良心というモノはなかったらしい。仮にあったとしても、既に壊れかかっているのかもしれない。なにせ、警察に疑われて捕まるよりも、アイツに会う可能性が高いから嫌だという馬鹿げた発想故に逃げているのだから。

俺が今、一番会いたくない奴。

死体を見ても何とも思わない癖に、私用の為に殺害現場から逃げ出す癖に、俺は昨晩、強姦紛いな事をしたサクヤに会う方がよっぽど怖いと思っているのだ。

人間、こうなったら終わりかもな……




昼になれば必然的に気温は上がる。

熱い所から逃げるように俺は喫茶翠屋―――ではなく、全国展開されているカフェに逃げ込んでいた。そして、俺と一緒の席にいるのは自称俺の妹にして、邪神ことジグザ。長い黒髪に白のワンピースというのは、どう考えても外れがない気がするのは俺だけだろうか……コイツの時点で外れだけどな。

そんな外れの中の大外れ、ジグザはどういうわけか不機嫌だった。

「……兄君、私は妹して恥ずかしいよ」

「お前は妹でもなんでもない。仮にお前が妹だってんなら、お前が妹である事が恥ずかしい。主に俺がな」

「そんな事はどうでも良い。あぁ、どうでも良いとも……私が言いたいのはね、兄君がよりにもよってあんな馬鹿胸に欲情して襲い掛かったという事だ」

おい、人の多い場所でそんなことを言うな。誤解されるだろうが……誤解じゃないけど。

「よりにもよって……兄君には私がいるだろう?なのに、どうしてアレなんだ?アレのどこが良いんだ?胸か?胸なのか?女性は胸だという愚かな固定概念に囚われた結果の青春の過ちか?」

胸は関係ないだろう、胸は。

「……反省はしている」

「当然だ。猛省しろ」

コイツの事だからあんな事をした事に対して反省しろと言っているのではなく、相手がサクヤであるという事に反省しろと言っているのだろうから、色々な意味で反省するポイントがずれてしまうのだが、

「…………」

やってしまった事には変わりはない。昨日の事を思い出しただけで怒涛の勢いで罪悪感が襲い掛かってくる。胃の中に大量の異物を押し込められた上で握り潰さん勢いで締め付けられている様な気分だ。

そのせいかは知らないが、煙草の味が妙に不味く感じられる。

「それで、どうして兄君はあんな馬鹿胸に襲い掛かったんだい?ムラムラしたのかい?胸にムラムラしたのかい?」

「胸から離れろ」

「胸以外にアレが優れている部分があるのか?…………いや、違う!!私は断じてアレの胸を高評価などしていない!!」

勝手に自爆して言い訳するな……まぁ、それはどうでも良いけどよ、問題は俺自身にあるんだよな。

果たして、俺は一体何がしたかったんだろうな。自己嫌悪が積りに積もって、もはや自分が何に対して苛立ち、不快に想い、あんな暴挙に出てしまったのかも曖昧だ。確かな理由はあったのだろうが、あそこまでする気なんてなかった。気づけば、俺の中にいるレギオンとかいう連中がサクヤを襲っていた―――違う、言い訳するな。言い訳して良い事はあっても、アレは言い訳して良い事じゃない。

正しい事が嫌いなわけじゃない。

正しい事を認めないわけじゃない。

ただ、アイツが正しい事をしている事、正しい事をしようとする想いに対して、言いようのない不快感があっただけだ。それと同時に生まれたアイツに対する小さな想い。小さいのに大きく、そして見逃す事すら出来ない大切な想い。その想いが大きくなるにつれて、アイツの正しい行いに対して違和感と不快感が増してくる。

それが理由で襲ったってのか?冗談じゃない、馬鹿げている、あほらしい。死ねばいいんだよ、俺なんて――――ん?ちょっと待て。不快感ってなんだよ、不快感って。俺がアイツに抱いていたのは不快感じゃなくて不安だったはずだ。善人すぎるアイツは、何時かそれを利用されて酷い目に会うんじゃないかっていう不安が大きかったはずだ。それなのに、今の俺の中にあるのは不快な想いだけ。不安じゃない、不快だ。

「それは多分、アレが君を許したからじゃないのかい?」

「……だから、俺の心を読むな」

「何度も言うけど、読んでいない。想像しただけさ」

何時の間に頼んだのか、ジグザの前には大量の食べ物。ファーストフードの店と違って、此処はそれなりに値が張るんだが、これだけ買ったら一体どれだけになるのか……なんて考えは捨て置こう。とうせ、俺の財布から勝手に金を抜き取って買ったのだから、二度と戻ってくる事は無いのだ。

「さて、それじゃお約束の考えみようのコーナーだね……今日のお題は『正しい事』だ。うん、正しい事なんてのは、どんな物語の中でも必然的に語られるわけだが、何故か割と正しい事は否定される傾向が多い。それはどうしてだと思う?」

「知るか」

「少しは考えたまえ。ディスカッションにもならないよ」

「……そうだな、正しいってのは人それぞれだからじゃないのか?」

よく言うじゃないか、正義は人の数だけ存在するって奴だ。

「うん、それも一つの答えさ。でもね、私はこう考える――――人間はさ、基本的に人間が嫌いだからさ」

バサラと同じ事を言う。アイツも人間は人間を嫌うという暴言を吐いていた。人間が嫌いだからこそ、人間は物語の中に悪役という犠牲者を作り上げる。

「暴論だな」

「いやいや、暴論ではあるけど、これも立派な正論の一つさ。私がそう思っているから、正論であり、私が違うと思えば逆に暴論になる。これも一つの正しい事に含まれる。個人の考えは個人にとっては正しく、他人にとっては暴論で間違いなんだよ――――前にも例に出した事はあったけど、プレシアの想いだってそうさ。死んだ娘を生き返らせたい、取り戻したいという他人にとっての暴論を、彼女は正論だと信じ、没頭したわけだが」

「それを否定する権利があるのは、プレシアと同じ経験をした者だけ、だったな」

「そうとも、だから子を産んだこともない者がアレを否定する事は正しくない。けど、基本的に正しいかどうかなんて関係ないんだよね―――物語上ではね」

物語上、冷たい言葉だ。

「物語の上で彼女の想いなんて何の意味もない。必要なのは盛り上がりさ。主人公が一般的善意をバックにして、一般的間違いで他者を否定する。大体数は否定する側の味方であり、否定される側の敵だ。いわば、否定される側は犠牲者だ。盛り上がりという現象の為に否定されてしまう、可愛そうな被害者という事になる」

相変わらずの暴論ぶりだ。それでは、正しい事をしている、言っている側が加害者みたいな言い方じゃないか。

「物語なんてそんなものじゃないかい?特にこういう物語の上において、必然的に間違った者は必要となる。そうだね、犠牲者でありながら必要不可欠な存在という点では、物語の中では重要な存在という事になるね」

「悪役も立派な演者だからな」

「兄君、それは違う。悪役は演者なんかじゃない。悪役はあくまで被害者なんだよ。正義の味方が主役の物語では、悪役こそが被害者だ。だってそうだろう?彼等、彼女等は登場人物として生み出された瞬間から悪役として設定されてしまっている。誰だって悪役なんて嫌だろう?けど、必要だから悪役にされている。必要だから、という実に傲慢な理由でね」

悪役は必要不可欠な要素であるのはわかっている。けど、此処は物語の世界であって、現実の世界でもある。そこにあるのは悪役なんて演者ではなく、この世界に生きる命の一つだ。決して悪役なんて『役』で語っていい事じゃない――――でも、存在している以上は悪役という事になってしまうのでないだろうか。

「兄君にしてみれば、悪役も立派な人間として扱うんだろうけど、それは兄君がこの世界を物語としての面を持っていると知っているからさ。故に悪役という言葉も難なく受け入れられるし、否定だって出来る。しかし、この世界に最初から存在する者達からすれば、残念ながら悪役は悪役ではなく、単純な悪だ」

「プレシアは……違うんじゃないのか?彼女は悪人ってわけじゃない」

死んだ者に会いたいだけ―――その為にフェイトを生み出し、道具の様に扱う悪党に見える。もしくは、見せられた人間。彼女を悪人だと認識するのは難しい。ジグザの言うように子供を産んだ事も、育てた事も、亡くした事もない俺が言うのはお門違いな気はするが、この世界じゃない別の世界でだってああいう人はいるかもしれない。

望んでもない結末を押し付けられ、それを覆す方法があれば手を伸ばす。人間らしいと言えば人間らしいが、間違っていると言えば間違っている。

実に人間らしい。

人間らしく間違い、人間らしく馬鹿げた事をしでかし―――人間らしく死んでいった。

だとすれば、人間らしいという事は、

「人間らしければらしい程、人は正しくない存在となる―――これが私の答えさ」

「…………」

「気に入らないかい?でも、これが現実さ。死者が蘇るのは間違っている。死者の為に生者を犠牲にするのは間違っている。死者の為を想うならば死者を諦めて生きていくべきだ。死者がいない事を受け止め、これからの人生を幸福に過ごすべきだ―――私はこれを人間らしいとは思わない。受け入れるという言葉が既に気に入らない」

何となく、続く言葉がわかった。

わかったから、俺が言葉を続けた。

「死んだって事は受け入れるのではなく、諦めるべき―――か」

「そうとも。受け入れるなんて大層な事を口にしても、結果的には諦めだ。だというに、人間は受け入れろと言う。そして受け入れたと錯覚する。馬鹿げているね、実に馬鹿げている。受け入れる程の器は人間には存在しないというに、受け入れたと思い込むなんて、馬鹿すぎて笑う事も出来ない。人は死を受け入れるのではなく、諦めるべきなんだよ」

受け入れる事は進む事。

諦める事は止まる事。

同じように見えて違う行動と結果。

心の行動と心の終着点。

プレシアは受け入れなかった。プレシアは諦めなかった。

進む事も、止まる事も出来なかった。

ならば、受け入れもせず、諦めもしなかった彼女の行動は何だったのだろうか?

「人間だったのさ。人間だからわからなかったし、受け入れる事が出来ず、諦めもしなかった。娘への愛情が強いが故に他人からすれば暴挙に見える正常な行動を行った。あれこそ母の鏡じゃないか。うん、実に素晴らしい母の鏡だ」

「その為にフェイトに暴力を奮ってもか?」

「そもそも子と思っていないんだ。そのくらいは普通だよ。でも、それは基本的に受け入れられない。傷つける事を良しとしない美談でありながら、偽善だよ」

否定は出来る。

コイツの言葉など、幾らでも否定は出来るんだ。

でも、しない。

俺は今、何となくそれをしない。

間違ってるのに、正しくないのに、俺はコイツの言葉をただ聞いているだけの人形となっている。

大量に注文された食べ物は一切手を付けられていない。ジグザが頼んだアイスカフェオレの量も減らず、増えているのは俺の吸殻だけ。

その上でジグザは話を続ける。

「結局の所、言ってしまえば正しい事なんて無いんだよ。正しいとは統計でしかないし、間違いも統計だ。けど、統計によって世界は成り立っている。統計が存在しない世界は善悪の区別もなく、人の欲望のままに進んで行ってしまう……ある意味、これが人間らしい正しい世界だ」

「世紀末的な世界だな」

「欲望こそが正しいんだよ。欲望のない人間なんて、空っぽの作り者さ。作り者には善行も悪行も出来はしない。何もしないし、何も変えられないつまらない存在だよ」

この世界もそんな作りモノだとジグザは言う。

誰かのよって作られた世界は空っぽの器であり、幾らでも善悪を注ぐ事が出来る。人によって善悪の分量は変わり、一つとして同じ物語にはならない。唯一同じモノがあるとすれば、統計的によって生まれたご都合主義しか存在しない。

他者によって作られ、作り変えられる世界。

「私の想う人間らしさこそ、人間が嫌いな部分だ。つまり、人間は自分達が嫌いという事さ。誰よりも人間らしい事よりも、統計という数字でしかないモノに身も心も委ねる事しかしない」

正しく生きれば、それだけ欲望が薄れる。

人間らしさが消えていく。

「人間らしい事は悪。だとすれば、人間とは何だろうね?正しい事と間違った事を押し付けられたこの世界の登場人物とは何だろうね?」

「そんなもん、人間だろうよ」

「統計的な面を見ればね」

統計的、数字―――そんなもんが世界を作っているなんて、馬鹿げている。仮にそうだとすれば、ジグザの言うように世界は空っぽの人間達が住まう場所になってしまう。

空っぽの住人達。

人から生まれるのではなく、統計から生まれた数字の塊。

そこに想いなどなく、数字で出来た空っぽの身体。

この世界はそれだけ簡単な構造で、空っぽの部分が多すぎる。

「アイツも……サクヤもそうなのか?」

「空っぽさ、アレも」

漸くジグザは食べ物に口を付けた。

「私にとっては空っぽの器でしかないが、兄君にとってはそうじゃないんだろう?善行を好むお人好し。お人好し過ぎるが故に危い存在―――それが兄君にとってのアレだった……今もそれは変わらないかい?」

答えなんてわかってるんだろうな、コイツは。だから俺の回答を先読みして言葉を紡ぐ。

「勿論、そうじゃなかった。今の兄君にとってアレは不気味な存在だ。善を、正しい事を何の疑いもなく行う人の形をした人間以外の存在。不快に思うほどね」

そう思ってしまった時点で、俺は人として間違っているのだろう。ジグザにしてみれば、それが正しい人の形らしいが。俺は邪神の言う事を素直に受け入れられるほど、邪神に浸透しているわけじゃない。

「正しい事は嫌いかい?」

「別にそうじゃない……そうじゃないが、なんか違う気がするんだ」

「答えは出ていないようだね。それでもいいさ。けど、どうせ兄君の行きつく先は決まっているんだ」

「決まっている?」

「そう、決まっている。ムカつくが、その結果は絶対に変わらない」

怒っている様にも見えるが、何かを悔しがっている様にも見えるのは気のせいだろうか。コイツがこんな顔をするのを初めて見る。

「――――兄君、これだけは覚えておいてくれたまえ」

この瞬間だけ、世界から音が消えた気がした。

「アレは空っぽだ。空っぽであるが故に不完全だ。兄君の抱いている不快感はその不完全さが原因だ。けど、その不完全さが何なのかを知ってるだけでは、たどり着かない場所がある。仮に兄君がそれに気づかず、たどり着く事を放棄した瞬間―――私は初めて勝利を手にする」

邪神はそれを望んでいるが、既に結果は見えてしまっていると言う。勝利は自分には手を伸ばしても届かないモノであり、どれだけ諦めない不屈の念を抱いたとしても、手に入れる事は不可能。それでも手を伸ばすのは、自分が邪神であるが故、らしい。

だったら、コイツはもう諦めているというのだろうか?

何かに勝つ事を。

勝って何かを手に入れる事を。

わからない。

何に勝ちたいかも、何を手に入れたいかもわからない事よりも、コイツが何を諦めているのかがわからない。

そういえば、以前こんな事を言っていた様な気がする。俺の妹を演じてなのはのクラスに入り込んだ理由を、人の脆さを知りたいからだとか……人の脆さを知る事と、コイツが何かを諦めている事に関して、何の関係があるのだろうか。

知りたくはあるが、口に出す事が出来なかった。





冷静になってみれば、真昼間から正しいとか間違いだとか、厨二病で邪気眼で疼く右腕持ちみたいな会話をしているのは、実は馬鹿らしい事なのではないかと思った。というか気づいた。

馬鹿らしいが極まったみたいな会話だった気がする。

そんな事をグダグダと話し合っている暇があったら、職でも探せって話だよな、普通。

「……でも、探す気も無し、と」

太陽は今日も元気に輝いている。見上げれば目が痛い、身体が熱い、気が滅入る上に苛立ってくる。夏なんて嫌いだ。もちろん、冬も嫌いだ。熱くも寒くもない季節が一番良いに決まっている……でも、それってどうなんだろうな?

日々に変化もない生活。

四季なんてモノがある時点で、壊す事も出来ない時間の中に縛られているのと同じだ。時間は進む。進めば成長して老化する。老化の先は死。死んだ後は天国か地獄か、やり直しか。

やり直し、引っかかる言葉だ。

何かをやり直す事、リセットする事、一度全てを零にして新たに何かを始める事―――それは、自分の中から生まれている感情であるにも拘らず、否定したいという想いが強くなる。

やり直す事は出来ない。

やり直す事が出来ないから、間違っても進んでいく。

進んだ先にあるのが光であろうと、闇であろうと、隣に誰かが居るのならば、きっと俺は……俺は、何だったのだろうか?

俺じゃない俺。

そんな俺がいるはずないのに、普段の俺では考え付かないような事を平気で考える俺がいる。しかも、この俺は恥ずかしい事に馬鹿なのだ。馬鹿みたいに突っ込む猪みたいな奴で、理屈なんて道端のクソみたいなもんだと吐き捨てる大馬鹿野郎なのだ。

それが、なんだか羨ましい。

羨ましい?

いや、違うだろ。

羨ましいってなんだよ?そんな俺に俺はなりたいのか?ふざけんな、そんな恥ずかしい奴になれるかっての。仮にそんな風に自分が変われるとするなら、俺はもっとまともな奴になりたい。

まともな人間。

誰からも好かれる様な人間とは言わないが、普通なくらいの人間になりたいものだ。そうすれば、少なくとも俺は、

「――――結局は、逃避じゃねぇかよ」

普通で、まともな人間は女を襲うか?

普通で、まともな人間は女を襲って逆ギレして逃げるか?

普通、まともな人間は……俺みたいにウダウダしてるか?

どれだけ色々な事を考えたとしても、結局行きつく先は一つだけ。昨日の俺がした強姦まがいなクソみたいな行動。罪になるだろうし、捕まりもするだろう。勿論、後悔だってしているさ。まっとうに生きている方々に生まれてきて、ごめんなさいって叫んでやってもいい―――けど、今の俺はそれが出来ない気がする。

許されたのだ。

許されてしまったが故に、無かった事にされてしまった。

責任転換しているわけじゃない。だが、俺の感情はまさにそんな状態だ。犯した罪を罪として認められず、激しい罰ですら免罪符に思えてくる。手を伸ばしても何も掴めない。罪という形をした手は、罪を奪われた時点で存在しない事になってしまう。

「蔑むなり殴るなりしてくれた方が、よっぽどマシだよ」

そうして有耶無耶にされた気分になっている俺は、意味もなくクソ暑い太陽の下を歩く。

蝉の鳴き声、車の音、人の話し声―――そして、幻覚。

足を止めた俺の視線の先に誰かがいる。

俺と同じ格好をした幻。

幻覚が俺を憐れむように見ている。

何だよ、なんでそんな眼で俺を見るんだよ。

幻覚は何も答えない。

ただ、何かを言いたいのかは何となくわかった。



情けないな、お前



こう言っているに違いない。

頭を振って幻覚を消し去る。真夏の蜃気楼を見ていたのかもしれない。やっぱり夏は嫌いだ。暑いし、痛いし、悲しい―――そうさ、ずっと昔からそうだったじゃないか。夏なんて一つも楽しくない。

「あ、佐久間さん!!」

俺はちっとも楽しくないのに、楽しげな声が響く。子供にとって夏は楽しいモノなのだろう。もっとも子供って奴は季節によって楽しいモノを見つける天才だ。大人でもそういった連中はいるが、少なくとも俺はそうじゃない。好きな季節と嫌いな季節ははっきりしている、と思う。

「お出かけか、なのは」

「その帰りです。今日はすずかちゃんと学校のプールに行ってきたんです」

やっぱり夏の学校はプールを開放するんだな。俺もガキの頃は毎日のように言って、真っ黒の日焼けしたっけ……あれも既に遠い過去、思い出って奴になっているのは悲しいと思うべきなのだろうか?それとも、当たり前だという事で気にしない方が良いのだろうか?

「お前ってさ、結構日焼けとかしないタイプなんだな」

以前、なのはとプールに行った時もそうだが、日焼けの後が殆どなかった。そういう体質なのかもしれない。

そんなどうでも良い事を考えながら、気づけば俺となのは並んで歩いていた。

最近、コイツと一緒に居る機会が多い気がする。早朝の訓練以外でも俺となのはは一緒にいる事が多い。偶然かどうかは知らないが、二日に一回くらいは道端で出会う。何者かの陰謀なんじゃないかと若干不安に思うくらいのエンカウント率だな。

何気ない会話をする。

夏の日差しを受けながら、額に汗をかきながら歩いている内に俺達は臨海公園のベンチに腰かけていた。この時間帯はベンチに丁度良く日陰になっている為、気持ちが良い。此処に来る前にコンビニで買ったアイスを二人で食べながら、会話が続けられる。

そうしている内になのはが言った。

「そういえば、昨日は何処に行ってたんですか?佐久間さんが戻ってこなかったから、心配してたんですよ」

心が軋む。思い出して、少しだけ軋んだ音を鳴らす。

「……気分が悪くなってな、先に帰ったんだ」

少しの嘘を混ぜた真実を話す。とてもじゃないが子供に聞かせる様な事じゃない。純粋無垢な子供に話すには酷過ぎる事をしていたし、話した段階で俺はコイツに嫌われる可能性が高いだろう。理解しなくとも、意味がわからなくとも、俺がした『悪い事』は嫌悪されるに値する行動だ。

だが、そんな俺の嘘に何かを感じたのだろう、なのはは沈黙する。尋ねて良いのか迷っているのかもしれない。敏い子だな、コイツは。

黙っていた時間はほんの数秒だった。

「――――サクヤさんと、何かあったんですか?」

的確に真実を射抜く。

身体に重しが乗ったように感じた。多分、俺は顔に出ていたのかもしれない。それとも、なのはが鋭いのか、どっちにしろ下手な嘘を吐いた所でコイツが納得するとは思わない。思わないから、また嘘を吐く。

偽善者め。

結局俺は、コイツに嫌われたくないから嘘を吐いているだけに過ぎない。そうして自分を守っても俺が救われるわけじゃない。俺は何度、どれだけ、コイツに嘘を吐けばいいのだろうか……

一つの目の嘘はアリサの事。

二つ目の嘘は俺の事。

三つ目の嘘はジグザの事。

そして四つ目は昨日の事。

嘘、嘘、嘘―――俺は一度だってコイツに本当の事を話した事があるのかと、疑問すら湧き上がってくる。もしかしたら俺の口から出る言葉の全ては嘘しかなく、真実なんて一つたりとも話す事が出来ない木偶人形なのかもしれない。いや、かもしれない、じゃない。そうなんだよ。

「ちょっと……サクヤと喧嘩したんだよ」

俺は嘘吐きだ。

なのはの大切な親友を見捨てて、傷つけて、騙して、裏切っている最低な奴だ。偽善者ですらないじゃないか、俺は。極悪人だ。罪ばかり重ねて、一つだって償おうとしない。俺の事を信頼しているような子供を騙しても変わらないクソ野郎だ。

「喧嘩、ですか……」

悲しそうな顔をさせるのは何度目だろうか。

「悪いな、お前との約束を破っちまった」

喧嘩をしないで欲しいと言ったなのはの想いを踏み躙った。嘘を吐き捨てて、それ以上の裏切りをして、自分だけが傷ついていると自分に酔いしれているに違いない。

「ほんとさ、何してんだろうな……」

止めろよ、傷ついたフリをしても気持ちが悪いだけだ。

なのはは何も言わなかった、言わないでくれた。

俺も口を閉ざした。

口を開けば本当の事を言ってしまいそうになる。自分の罪を懺悔するように、無様に許しを求めるかもしれない。そんな事を考えているから、またも幻覚を見る。俺を見つめるもう一人の俺。蔑みから怒りの色。情けないと罵る俺の瞳。自分自身に叱責される情けない俺は言い訳すら思いつかない。

お前は何なんだよ……どうして俺をお前が責めるんだよ?お前は俺だろう?だったら、お前に俺を責める権利なんて無いはずだ―――ほら、まただ。またこうやって俺は自分の罪から眼を反らす、そんな風に言われている気がする。

幻覚は俺の筈なのに、俺とは違う。俺を非難するだけの何かを得た幻覚が、今の俺をどのように思っているか手を取るようにわかる。

不意に何かが見えた。

過去の様でありながら、他人の物語を見る様な気分。

俺ではない俺が、何かを失い何かを得た光景。

その光景は酷く眩しい。

羨ましくて、苦しい。

悲しくて、情けない。

見た事もない光景を目にして、俺は否定を突きつける。

お前の行動は正しくなんてない。お前のした事は勇敢な行動でもない。お前のした事なんて我武者羅に行動して偶然上手くいった様に思えるだけなんだよ。いい気になるな、誇るな、気持ち悪い、クソ喰らえ、死ね、消えろ――――消えた。

俺は俺自身を否定した。

簡単に否定した。

否定して、大切な何かを蔑にしてしまった気がする。

絆なんていう陳腐なモノを、汚すように否定した。

そして、何かが壊れた気がしたて、悲しくなった。






街を歩く人々を見れば、当たり前の光景が広がっている。

当たり前に会話をして、当たり前に喧嘩をして、当たり前に別れる様な光景。日常茶飯事という言葉は俺の中ではしっくりくるのだが、どうも違和感がある。きっと日常だからこそ、そういう光景に違和感を覚えるのだろう。

だってそうだろ?

新聞を見ても、テレビを見ても、この世界は綺麗な事ばかりじゃない。むしろ、汚い事ばかりだ。犯罪だって普通に起こるし、殺人だって起こる。人は死んで、誰かが悲しんでいる。戦争だって外の国では起きている。戦争まで行かなくとも国同士で睨みあっている。

この国だってそうだ。

綺麗な出来事よりも薄汚い事ばかり起きているじゃないか。

この街でも、ほら、視界の隅で誰かが警官に追われている。何かを盗んだかは知らないが、必死の形相で逃げて、警官が怒声を上げて逃走する誰かを追っている。街行く人達はそれをもの珍しそうに見ている。見ているだけで手を貸そうなんてしない。むしろ、それが正しい光景だ。逃げる犯人を勇敢な一般市民が捕まえるなんて危険な行為だ。正義感を振りかざすのは勝手だが、それで怪我したり死んだりしたら間抜けじゃねぇかよ。現に、何故か知らんが逃げている奴が俺に向って走ってくる。此処で俺は犯人を捕まえて警官に感謝され、勇気ある若者だって褒められるってか?馬鹿言うな、アホ抜かせ。

俺は犯人に道を開け、犯人を逃がす。その後を警官が追っていく。俺の行為を咎める様な奴は一人も居ない。仮に居たとしたら、俺はこう言ってやるよ。お前だって見てるだけだっただろがってな。

酷い日常風景だが、こんなのは本当に当たり前の光景だ。この世界、仮に物語と言い換えるならば、カメラが向いているのは一握りに光景だけ。一人の主人公の世界。主人公が活躍する世界であり、綺麗な光景だけが映し出される感動的な作られた世界。その裏で―――いいや、こっちが表だな。

主人公の活躍する裏の世界とは関係なしに、表の世界ではこんな事が普通に起こっている。いつの間にかあっちこそが表で、こっちが裏なんて認識になってしまってはいるが、その認識は間違いだ。

裏こそが、日常的な普通だ。

「つっても、結局は言い訳なんだろうな」

何をカッコつけてんだよ、マヌケ。俺のしている事なんて度胸が無い小心者の言い訳だろうが。

当たり前だ?馬鹿らしい。当たり前なわけないだろうが―――なんて言いながらも、普通だろ、こんなの?とか言っている自分もいる。

良い事をしなさい、それが正しい人間ですと誰しもが口にする。けれども、その反面誰もそれを実行しようとはしない。実行したら、それはそれで偽善だと罵る馬鹿だっている。そして俺はきっと馬鹿側の人間。流石に表だって言ったりはしないさ。ボランティアをしている人間を見て、すごいですねって言葉を吐いて終了。心の底では好き好んでそんな事をする奴の気持ちなんて理解する気はひとっつもない常識人。これが常識だって言ってる時点で終わってる気はする。自覚はしている。でも、直そうとも思っていない。直そうと思える奴はきっと初めからそういう奴だってだけで、誰もがそうじゃない。

誰もが皆、心の中に他人なんてどうでも良いって言っている自分が居るんだ。

クソ暑い炎天下で歩き回った結果、自分っていう小心者につくづく嫌気がさしてくる。

臨海公園のベンチに腰掛け、煙草を咥えてギラギラと無駄に輝く太陽を眺める。日差しだけで煙草に火がついたら良いなって怠けた事を考えながら、結局ライターで火をつける。

「当たり前、か……」

当たり前に人を見捨てて、当たり前に自分だけを大事にして、当たり前に自己嫌悪する。こんなのは一人でやってるSMプレイとなんら変わらんだろ。快感なんて得られやしない。

単に不快なだけ。

そして、俺が否定した俺はきっと、不快になりたくないから我武者羅だったのかもしれない。

先程の幻想。

真夏の蜃気楼の様に見えた俺じゃない俺。単なる幻に過ぎないと言い切る事が出来なくて、何故か心の隅に引っかかる。引っかかっている理由はそれが俺だけに関係する事だけじゃなくて、誰か別の誰か―――大切な人―――が悲しんでいるようにさえ思える。

縋りつくなよ、と言いたい所だが、どうも振り払えない。振り払ったら最後、俺は本当に大切なモノを捨ててしまうような気がした。俺の幻は否定するのは簡単にできたのに、あの幻に付属している何か、もしくは誰かを捨てるという考えには至らない。否定するべきは俺だけ。

その誰かは否定しない。

俺には、その誰かを否定する権利は無いから。

「……あ~、きっと暑さで頭がおかしくなってるな」

独り言も増えてきたし、これはどっかで涼んだ方が良いのかもしれない。うん、そうしよう。とりあえず翠屋でも行ってみるか。今日はガルガが一緒じゃないから、多分店の中に入れて貰えるはずだ。

なんて事を考えて矢先、

「…………」

一番会いたくない奴が目の前に居た。

何時から居たのか、最初から居たのなら今までどうして気づかなかったのか、暑さで頭が変になっていたとしても、普通は気づくだろ。

「今日も暑いですね」

サクヤは何事も無かったかのように言った。

「そうだな、暑いな」

正直、体温が一度くらい下がった気がした。

「散歩か?」

「まぁ、そんな所です。佐久間さんはお散歩ですか?」

「そんな所だ」

いや、完全に何事も無かった事には出来ないらしい。俺もサクヤの間に生まれた空気は何処が歪で気持ちが悪い。

「……座れば」

「お邪魔では?」

「別に邪魔じゃないさ。むしろ、俺が邪魔だってなら―――」

最後まで言う前にサクヤは俺の隣に腰掛けた。しかも、俺がわざわざ隅に座っているのに、俺の真横、ベンチの真ん中に座りやがった……嫌がらせか?

「お仕事は見つかりました?」

「……あぁ、そうだったな」

そういえば、全然探して無かった。というか、今はそんな気分じゃない。なんだかニートみたいな言い分だが別に間違ってはいないだろう。ニートという部分ではな。

こういう時、サクヤはきっとゆっくり見つければ良いとか言うに違いないのだが、俺の予想に反してサクヤは黙り込んでいた。今まで見た事がない、何か思いつめたような顔をしている。

あぁ、なるほど―――と、かなり自己嫌悪。

「自意識過剰だったらアレなんだが……もしかして、俺の事を探してた?」

「まさか、と言いたい所ですが、一応はそうですね……えぇ、探していました。モノのついで、という程度には」

「そうか、なら良かった」

何が良かったってんだよ。

「……あの後、どちらに居たんですか?」

「その辺で寝てた。夏だから、夜も寝苦しい程度には暑かったから、凍死はしなかったよ」

眼が覚めたら死体がすぐ傍にあったっていう寝起きドッキリはあったが、それは秘密にしておこう。これ以上、コイツに変な心配事を増やすのは悪いだろう。

「むしろ、凍死でもした方が良かったかもな」

「冗談でもそのような事を言わないでください」

すっげぇ睨まれた。

「―――良いじゃねぇか、別に」

睨まれても、俺が返す言葉はこれだ。半分冗談、半分本音。あのまま寝て起きて死んでいましたなんて結末も今の俺にとっては助かる。死んだ方がマシな気分だったのは本当だし、あのまま死んでいたら、今こうしてサクヤと話している事はなかった。

胃が痛いよ。

「俺みたいな奴は死んじまえって思わないわけ?」

「思いません」

「思えよ」

「佐久間さんは……佐久間さんはそこまで悪い事なんてしていません」

また、それか。その言葉を言われるだけで救われるなんて想いは一欠けらも抱かない。むしろ、頭を鈍器で殴られてナイフで刺される様な痛みさえ覚える。善意故の痛み、許される事の苦しさって言うのかな、自分に酔っていると言えばそう思えてくるし、実際その可能性も捨てきれない。

惨めになってくる。

「あのな、サクヤさんよ。お前さ、本気で言ってるわけ?」

「本気ですが、何か問題でも?」

「あるに決まってるだろ――――決まってるだろ……」

奥歯を噛みしめ、俺を責めろと吐き捨てる。言っている自分が情けないし、更に情けないのは逆ギレみたいにサクヤに怒りを感じている俺自身にだ。自尊心がどうのこうのって話じゃない。

罪悪感がどうのって話だ。

「世間一般的によ、俺みたいな奴をどう呼ぶか知ってるか?レイプ犯、強姦魔だ。女の敵で人間の屑だ。そんな奴を相手にお前は何を馬鹿な事を言ってるんだよ。罵るなり、平手の一発でもくれても足りないくらいだ」

「なら、私が佐久間さんにそれを行えば、佐久間さんは満足するのですね?」

「だから、そうじゃなくて……」

苛々する。

というか、なんで俺はコイツに嫌ってほしいみたいなことを積極的に頑張って、そうならないから苛々しなくちゃいけないんだよ。むしろ、嫌われるよりは好かれたいし、許されるなら許されないという想いは確かにある。けど、それじゃ駄目だ。コイツの為じゃなくて、俺の為。俺が責められたい、許して欲しくないって思っている。自分勝手なのは重々承知しているが、

「っくそ、なんて言ったらお前は理解してくれるんだよ」

「すみません……」

「お前が謝るなよ」

話が一向に前に進まない。いっその事、サクヤに甘えて昨日の事は一種の気の迷いで、サクヤの浴衣姿に欲情して手を出してしまいました、なんて口にするか。それこそ嫌だ。冗談じゃない。口が裂けてもそんな事は口にしたくない。

堂々巡りに陥った俺の耳に、



「私は……私は、おかしいのでしょうか?」



不安を抱く声が届いた。

「佐久間さん、アナタから見て、私はそんなに変でしょうか?おかしいのでしょうか?」

ある意味、初めて見た不安そうなサクヤの姿。

「私は自分が間違った事をしているとは思えない。佐久間さんはそう思えない私を奇妙だと、変だと言います。それは私が何かを間違っているからという事なのでしょうか?私の行いは他の人と何か違う所があるのでしょうか?」

間違ってはいない、と口にするのは簡単だろう。簡単だが、それを口にする俺自身が言いようの無い何かが胸に残っている。それがサクヤの行いを正しく、正確に見つめる事が出来ていない。

お前は正しい、と言えばサクヤは納得するだろう。多分、納得してしまう。俺が間違っているからサクヤは正しい。間違っている事を否定するから、サクヤは正しい―――けど、俺は納得が出来ていない。

コイツの行いを正しいと口にする事が出来ない。

「……不安なんです」

サクヤの瞳が俺を写す。

「佐久間さんが私の事を間違っていると言う。でも、他の人はそうじゃない。そんな事はまったく言わなかった。大多数は間違っていないと口にしてくれる。ならば、それが正しい認識と取っても良い筈なのですが……アナタがそれを間違っていると口にすると、何故か不安になります」

俺を写しながら、不安を宿す。

「困っている人がいれば助けたい。悲しんでいる人がいれば、その悲しみを取り除いてあげたい。傷ついている人がいれば、癒してあげたい」

俺が正しいと認めれば、きっとサクヤは救われる。

「その行いの全てが間違っているというのならば、私は自分の存在意義が無い。女神様の従者として、相応しくない存在になってしまう……いいえ、それだけじゃない。私のしてきた全てが正しくないのであれば、私は多くの人を不幸にしてきた事になる……私は、間違った存在となってしまう」

大多数がサクヤを認めているのならば、それこそ正解のはずだ。だが、たった一人。俺みたいな奴がサクヤを否定するだけで不安を抱いてしまうのならば―――俺がサクヤを認めれば解決する事なのだろう。

「教えてください。私は、間違った事をしているのですか?」

今の俺の眼に映るサクヤは、触れれば壊れてしまう、溶けてしまいそうな雪の結晶の様に見えた。触らぬからこそ美しい。ただ存在するからこそ美しく、尊い。

サクヤという存在を壊して消そうとしているのは、間違いなく俺だ。

だったら、嘘でも良いから口にすればいい。

嘘の一つで救われる奴がいるならば、そうするべきだろう。

否定せず、肯定せず―――嘘という戯言で解決する事こそが、この場での正しい行いと言うのではないか。

否定する俺を否定する。

ちっぽけな人間なんて大きな人間の前では邪魔になるだけだ。

否定しろ。

俺自身を否定しろ。

俺がサクヤに抱いている『違和感』など忘れて、さっさと言ってしまえ。

少なくとも、それで傷つくのはサクヤじゃない。

だったら、

「心配すんな。お前は……」

下手くそな笑みを作って、

「間違ってないさ」

そう言った。

言ってしまった。







真夏の熱帯夜、ジグザは夜の街を跳んでいた。

身体は少女の形を取っているとはいえ、彼女は邪神。身体能力という言葉すら馬鹿らしく思える程の力を秘めた小さな体躯で電柱から電柱、屋根から屋根、ビルからビルへと飛び移り、暗闇を駆け抜ける。急いでいるわけでもない。これが彼女にとって普通の、むしろ軽く歩く程度の速度で移動を続ける。

その顔にあるのは無表情。

楽しいとは思わない。つまらないとも思わない。悲しいとも思わない。人形の様な、能面の様な表情のまま跳び回り、目的地について溜息を一つ。

「くだらんね、まったく」

ジグザが見下ろす先にあるのは、高町家。時刻にして深夜零時を回っている為、家に明かりはない。当然、皆が寝床に入っている時間に違いないのだが、家の周りから感じる気配は未だに人が起きているかのような陰湿なオーラを感じさせる。実際、皆が眠りについているのだろう。しかし、家全体から感じ取れる負のオーラは眠っていても発せられる苦しみや不安から生まれるものだ。

「兄君も面倒事を私に押し付けるなんて、自分の身分がわかっていないな。これは後で自分の立場をしっかりとわからせる必要がある。さてさて、どんな風に苛めてやろうか」

自らの従者を想って浮かべる陰険な笑み。しかし、それは何処か作りモノめいている事を誰も知らない。当の本人がそうであるように。

邪神はこうあるべきだと思っているからこそ、己を見失う。己の存在が決して不変であると自身を信仰している故の結果でしかない。

だが、今は些細な事だ。

負の念を感じる。

それが一番感じ取れる場所は、間違いなく二階にある、ジグザの視線が向けられる部屋―――高町なのはの部屋だろう。

もっとも強い負の念は、なのはの部屋、なのは本人から漏れ出している。それが家族に伝染し、家全体を負の念が包み込んでいるのは間違いないだろう。本来であれば、この念こそ邪神の好物であり、満面の笑みを持って祝福すべきものだ。

だが、ジグザの表情に変化はない。

「脆いね、人間というモノは。特に子供は脆い。己の負の念を内に止める事が出来ず、簡単に外に漏れ出してしまう。これだからガキは嫌いだ」

必要があったから人間の友人などという馬鹿げた役割を演じてはいるが、ジグザは彼女を友人だと思った事は一度もない。むしろ、鬱陶しいとさえ思っている。知らないとはいえ、人間の分際で邪神である自分と仲良く出来ていると本気で思っているのだ。愚かしいと笑えるのを通り越して怒りすら湧いてくる。所詮、人は人、神は神。崇められる存在は、決して崇める側に好意を抱いたりはしない。

「っふん、馬鹿らしい」

今更何を当たり前のことを、とジグザは苦笑する。

未来永劫、変わらぬ事柄を再確認する意味など意味がない。馬鹿らしいと吐き捨て、ジグザは踵を返して佐久間の下へと帰ろうとする。

「……もう少し、観察する必要はあるか」

邪神は知りたい。

人の脆さを。

知っているからこそ、更なる探究を行う。

酷く残虐な笑みを浮かべた―――つもりになって。

屋根に跳び移り、身体を影にして宅内に侵入する。気配などあるはずもなく、邪神の侵入に気づく者は一人もいない。そうして影は家の中を蠢き、なのはの部屋の前で人の形を作る。ドアを開けたりはしない。ドアが水面の様に波紋を作り、彼女はドアを開けずに通り抜ける。

室内は当然薄暗い。

なのはの部屋に入るのは初めてだが、年相応の可愛らしい部屋に若干の嫌気がさす。子供らしいというジャンルは邪神の領分ではない。これが邪神信仰な部屋だったら良かったとくだらない事を考えながら、ベッドの寝ているなのはに近づく。

「…………」

この物語の主人公、高町なのはの額には汗が流れ、呼吸も一定ではない。寝苦しい熱帯夜である事は確かだが、これは些か様子が違う。

魘されている様に見えるのは、見間違いではないだろう。

「…………」

魘されるなのはを見据え、ジグザの漆黒の髪の一房が蠢き、蛇の形を取る。黒い蛇は身体を持ち上げ、なのはの顔にゆっくりと近づく。そして、彼女の額に蛇の頭が触れた瞬間、彼女の見ている夢―――悪夢がジグザの脳内に再生される。

「…………」

人は脆い。

些細な出来事だろうと、人の心はあっさりと平静を失う。精神が未発達であればあるほど、均等は直ぐに崩れ、こうして悪夢となって心を蝕む。

「あぁ、面白い内容だ」

娯楽映画としては十分過ぎる内容だ。

怖い夢ではなく、苦しい夢。

夢見る者の心を蝕む『現実から生まれる悪夢』こそ、何よりも人の心を蝕む悪意だ。しかも、これは実際に向けられた悪意から生まれたものだとするならば、より一層の悪夢として成り立つ。

「後悔と恐怖……ふふふ、なのは君にとって、あれは何よりも恐ろしい出来事だったのだろうね」

人の悪意から、悲しみから生まれた人の悪意は少女にとっては耐えられない衝撃だったに違いない。

「まぁ、自業自得だと言っておくよ。別段、君が悪いとは言っていないが、どんな善意にも落とし穴は存在している。特に、既に終わっている間柄にお節介を焼いてしまった結果だとするならば、それこそ救いようのないものだからね」




実にアホらしい話だ。
善意からの善行を犯したが故に、悪行になってしまったという話。

何処にでもありふれた失敗した話。

何処にでもあるような大きなお世話の話。

その話は今から一日前、佐久間とサクヤの会話の翌日から始まる。もっとも、始まりから終わりまでほんの一時間―――善行の時間は一時間しか持たなかったというだけの話。

少女と女は、一人の少年と出会った。

少女はよりも年下な少年、聞いてみれば五歳だという。

幼い少年は迷子らしい。

住んでいる場所は海鳴から数キロ離れた街で、此処まで電車に乗ってきたらしい。子供にしては随分な行動力だと驚くべきか、愚かだと思うべきかは聞いた者の心証次第。この場合、二人の心証となるが、残念な事に前者だった。

少年はある人物に会いに来たらしい。その人物は少年の父親。少年は父親に会いたいが為に一人で電車に乗ってこの街に来た。だが、そこから先がわからない。住所が書かれたメモはあるが初めて来た街で住所の書かれた紙一枚では何の役にも立たない。少なくとも、五歳の少年からみれば、解読が困難な宝の地図だったらしい。

更に、どうやら少年は母親と一緒に暮らしているらしいのだが、母親は父親と会ってはいけないと強い口調で少年に言っている所から見て、法律的に父親は既に少年の父親として扱われていないのだろう。加えて、母親が会ってはいけないという言葉から察するに、母親は父親にあまり良い印象は持っていない可能性が高い。

この時点で二つの選択肢がある。

手伝うか、手伝わないか。

少女は勿論、手伝う事を選択する。だが、女は微かに躊躇する。少年の話から察するに、少年の両親は既に別れている関係。そして母親が会わせたくない理由は想像からするに別れた相手と息子が関係を持つのを良くないと思っているからだろう。

当然な躊躇は少女と少年にとっては不安の色を強くする。

女は悩み、決断した。

決断の後押しとなったのは、昨日ある男に言われた言葉。男は女にお前は間違っていないという言葉を受け、漸く胸に残った小さな棘が取れた気分になっていた。だからこそ、自分の選択は間違っていない。少年の願いを叶える事に間違いであるはずがない。

二人は前者を選んだ。

少年の手を引いて、メモに記された住所へと向かった。

そして、少年は父親と再会した。

父親は少年の姿に涙を流し、少年は父親に抱きついた。

家族の再会、有体に言えば感動的だろう。

父親と少年は二人に感謝をして、家の中に消えて行った。

二人は互いに良かったと言って、その場所を後にした。

此処までは良い。

此処までなら三流ドラマのシナリオとして十分過ぎる出来だと言えよう。

しかし、此処は現実。

どうしようもなく残酷で冷たい現実。



少年は父親に殺された



元々、父親は日常的に暴力を振るう男だったらしい。

普段は温厚な人の良さそうな男だが、気に入らない事があるとすぐに手を上げる事が多々あり、父親を知る者からの印象も最悪に近い。当然、母親は男の暴力に耐えきれず離婚。親権は当然母親が持ち、父親は息子に会う事を禁じられた。

それでも父親としての愛情はあったのだろう。息子と再会した時の涙は決して嘘ではなかったという一点のみは救いと感じ取れることも可能だ。だが、それがどうしたというのだ。一瞬の善意など、一瞬の悪意と同様にタチが悪い。善意、愛情はふとした拍子に悪意に変わり、父親は息子に手を上げた。

息子は死に、父親は警察に自首した。

残されたのは、息子を失った母の悲しみと怒り。ぶつけるべき相手は父親だろうが、母親はそれだけに留まらなかった。怒りは増大し、憎悪となり、全ての者に対して怒りの矛先を向ける。

結果、息子を殺した父親の次に憎悪の矛先を向けたのは当然、息子を最低の父親の住処へ捨て去った二人に向けられる。

返せ、返せ、息子を返せ、返してくれ、お前等が殺した様なものだ、息子を殺したのはお前等だ、お前等のせいで息子が死んだ、息子を返せ、息子を殺したお前等が返せ、償え、死んで償え、返せないなら死ね、死んでくれ、息子の代わりに死んでくれ、息子が死んだのだからお前等も死ね、死ね、死ね、死ね、死ね――――

母親の悪意は少女と女に向けられた。

良い事をした結果、悪い事をした。



つまり、これはそんな在り来たりな、現実的な話だ。






「……なさい、ごめん……なさい……」

悪夢に魘されながら、此処にいない誰かに謝り続けるなのは。

罪の念は幼い少女の心を食らい、安眠すら許さないと牙を突き立てる。

「うぅ……ぅ」

夢に見る程、この事件は彼女にとって大きな衝撃を与えるものとなった。無論、罪が有るかどうかと言えば、無いとは言えない。当たり前な善意が生み出す悲劇的な結末など、予想する方が難しい。

大多数の意見を募れば、きっと彼女は無実だろう。現に彼女は特に罰を受けるわけではない。罰を受けるのは少年の父親だけ。だが、刑罰と罰は違う。目に見える罰と不可視の罰が存在するならば、彼女は不可視の罰を受けた事になる。

「これは良い教訓じゃないか。何でもかんでも首を突っ込んで、上手く事が運ぶなど思わない事だよ」

同情する気などジグザにはない。人間が勝手にやって、勝手にドツボに嵌っただけの事だ。人が死ぬのは日常茶飯事ならば、別段珍しい悲劇ではない。

むしろ、喜劇とも言えるだろう。

「まぁ、どうなろうと私の知った事じゃないんだがね」

そう言うと蛇は唯の黒髪に戻り、ジグザは興味を失くした様に背を向ける。

人はこんなにも脆い。

主人公であろうとなかろうと、人は簡単に崩れ落ちる。そこから復活するカタルシスというものがあるらしいが、そんなものはクソ食らえだと吐き捨てる。

ただし、何故かその姿は苛立っている様にも見える。

実際、彼女は苛立っている。

そして、苛立つだけで何もしない。

普段の彼女であれば敗者に鞭を打つ様な事を平然と行える歪んだ気質を持っている。なのはが苦しんでいるのならば、それに追い打ちをかけるのが普段の邪神の姿のはず。だというのに、ジグザは何もせず、この場を去ろうとしている。ジグザ自身、それを自覚してしまった為に苛立ちを覚えた。思い直し、すぐになのはに対して非道な行いでもしてやろうかと思考を巡らすが―――何故か、何も思いつかない。

苛立ちがどんどん積み重なり、怒りすら湧いてくる。まるで本来の自分がどこかに消え去り、別の何かが自分を中から浸食し、食い破ろうとしている様にさえ思える。馬鹿な考えだとわかってはいるが、そう思ってしまう要素がわからない。

いや、思い当たる節は一つだけある。

ジグザが佐久間に言った言葉、今こうして此処にいる理由―――人の脆さを知りたい。

それがおかしいのだ。

何故、今になって人の脆さなど知る必要がある。邪神である自分はどんな存在よりも人の脆さ、愚かさを知っている。今更、それを知る必要などあるのだろうか。いいや、あるはずがない。知っている事を復習する意味すらないというのに、こんな無駄な事をやる必要性が無い。

知っている上に、現に彼女は見ている。此処に寝ている主人公こそ人であり、こうして脆い場面をしっかりと見ているではないか。ならば、既に人の脆さを再確認して満足しても良いはずだ―――だが、足りないと心の底で思っている自分もいる。

苛立ちが止まらない。

止まらない、止まらない、止まらない、止まらない。

「……そうだ」
良い事を思いついた。
今、この場で物語の主人公を殺してみれば良い。苛立ちの原因が何にあるかは判明していないが、自分らしい事をすれば本来の自分に戻れるはずだ。この場合、主人公を殺した事で世界が崩壊を始めるかもしれないが、知った事じゃない。そしたら、別の世界に行けばいいだけの話。佐久間はこの世界に置いて、この世界と一緒に消えてもらうとするが、別に問題は無いだろう。

禍々しいオーラを放出させ、寝ているなのはの首へと手を伸ばす。

首の骨を折り、頭を引っこ抜いて部屋を血で染めよう。その後は身体を分解して磨り潰して真っ赤なアートを描いてやろう。その後は家の住人を殺そう。簡単な事だ。如何に物語の中で強者に含まれる者達でも、邪神である自分に叶うはずはない。いっその事、娘の首を家族の前に見せつけ、怒り狂わせた後で膾切りにしてやろうか。

「そういうわけで、すまないね、なのは君」

友人などではない。

友愛すら湧かない愚かな主人公と、その物語に終幕を与える為、邪神の魔の手がなのはに触れる―――瞬間、




世界は滅びる。

邪神の手で世界は滅びに向う。

だが、その中で足掻く人間が居た。

たった一人の少女の為に邪神に反逆した男の姿。男の足掻きは邪神にとって何の意味もない些細な事だった。如何に足掻こうとも邪神と男の力の差は天と地以上に離れているのだ。邪神に負ける要素は無く、反逆した男に罰として、守るべき少女を男の手で殺害させようと洗脳した。

その呪縛を男は解き放った。

力を捨て去り、唯の人間となり、男は少女の為に最後まで戦うと吠えた―――その結果が自身の崩壊を招くと知りながら。

そして、邪神は敗北した。

だが、何時もの敗北ではない。

男よりもか弱く、ちっぽけな少女が自分に向って言い放った勝利宣言。ただ守られるだけの少女が邪神を見て大胆不敵にも自分の勝ちだと言われた時―――自身でも驚くほど、邪神は敗北を認める事が出来た。

永劫に終わらぬ敗北の歴史の中、その敗北だけは何故か心地良いと感じる事が出来た。

女神に負けたわけではない。

女神の従者の力に負けたわけでもない。

人間に負けた。



人間の男と少女の『絆』に敗北した。





「――――あぁ、そういう事か……」

ジグザは理解する。

佐久間が理解できない『自分ではない自分の姿』を、人ではない邪神だからこそ理解できた。そして、自分が何に苛立ち、どうして人の脆さなど知ろうとした理由を痛感した。

邪神は人の脆さを知ろうとしたわけではない。



邪神は『人は脆いのだと信じたかった』だけに過ぎなかった。



「情けない……いや、滑稽と言うべきかな」

苦笑し、ジグザはなのはから手をどけた。

あの光景が何なのかは完全に理解出来たわけではない。しかし、あの光景があったからこそジグザは認めようとしなかった。人は脆いのだと、簡単に崩れ落ちる愚かな存在だという事を証明したかった。だが、実際はこの様だ。自分がしていた事は駄々っ子が自分の愚かさを認めず喚いているに過ぎなかった。

自分は一度納得している。

人は脆い存在ではなく、強い存在だという事を。

一度納得した事を無かった事にしようとするなど、まさに滑稽だ。

「だが、所詮はそれだけの事さ」

それを理解したからと言って、邪神である自分の何かが変わるわけではない。永劫不変の邪神は変わる事など望まない。生まれた瞬間は唯の神だとしても、自分は邪神である事を選んだ。永久での敗北者であろうとも、邪神である己を誇りに想う。故にこれは些細な確認作業に過ぎない。むしろ、確認できた事で愚かな存在に成り下がらず安堵すら覚える。

ならば、長居は無用。

此処にいる理由とて、佐久間がなのはの様子を見て来て欲しいという頼みを『気の迷い』から聞いてしまっただけだ。世界で如何なる悲劇が起ころうと、それに主人公と馬鹿な人形が巻き込まれたとて、自分には何の関係もない。

「ぅ、うぅ……」

なのはの苦しそうな呻き声に、煩いと顔を顰める。未だに悪夢を見続けているのだろう、呼吸は先程よりも荒く、汗も大量に流れている。実に耳触りなガキの呻き声にウンザリだと言わんばかりに、ジグザはなのはの額に親指を当てる。すると、苦しげな声を漏らしていたなのはの表情は少しずつ和らぎ、安定した呼吸となった。

「ガキは煩いから嫌いだ」

そう言いながら、服の裾を持ち上げ、なのはの額を流れる汗を拭う。

「私が居る時くらい、黙って寝ていたまえ……でないと、私の迷惑だ」

永久不変を誇る邪神は、そう言って部屋を後にした。

惜しくも、邪神に求愛する殺神鬼も垢まみれの邪神も、その瞬間を見ていなかった。

その、邪神にあるまじき表情を






あとがき
ども、また久しぶりの散雨です。
Dies irae(PC版)と神咒神威神楽を連続してやったおかげで、インフレバトルとはこういうものかと学習しました。
やっぱり最終バトルは地球を飛び出る必要があるんですね。
アリサルートは地上戦だったので、サクヤルートは宇宙で月くらいはぶっ壊そうかな?と思ってます。とか書きながら、基本的にバトルシーンが少ない本作ですが、多分サクヤルートの折り返し地点です。
果たして、ラブコメ展開ってなんだったんですかね~
というわけで、次回は今ルート初めてのバトルを予定しています。
では、東京バベルを買ってクリアしたくらいに会いましょう。


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