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[10271] 東方虹魔郷 (現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/09/26 21:13
今、私が置かれている状況は、我思う故に我在り等と言う格言だけでは処理しきれない程困難だ。
いや、俺と言うべきなのか。いずれにせよ思った所で自身が何ものであるか等と言う事は分からないのだ。
記憶喪失?違う。出自不明?Non.いや、後者についてはある意味Yesか。Noと言わずに気取ってNonとは、まぁ、片方の人格の所為だろう。……どちらも余り頭が良いとは言えない。いや、片方は経験が足りない、か。狂っていると言うべきか。
そう、今現在私には二つの記憶がある。憑依?そうではないだろうか。まぁ、思った所で私、若しくは俺が何ものであるか等とは確定出来ないのだ。
非常に困った。この状態は困難極まって余りすらある。
だが、この体が何ものとして生まれたのかは分かる。幸いと言うか、どちらの人格もそれを知っていた。
私は何者とも分からぬ者。幻想郷の紅き魔の館に幽閉された暴虐たる吸血鬼。
私を知る人は私をこう呼ぶ。
悪魔の妹、フランドール=スカーレットと。

俺は、キリスト教徒何だがなぁと、静かに一人ごちた。







東方虹魔郷
第一話 U.N.オーエン





周りを見渡す。此処は自室。紅い壁紙の明るい室内は、可愛らしい人形とその残骸、美しい調度品とその残骸に溢れていた。良く見れば壁には補修の跡がある。どうやら癇癪を起した直後の様。白い大理石の床を覆う品の良い赤地に金のカーペットも所々破けていた。天蓋付きのベットに座っている現状ではこれが視界に入る全て、残りは記憶を探るしかない。
私は確認を終えると、手に負えないな等と脳に入り込んだ新たな人格で思ったが、同時に何とも言えぬ不快感を味わう羽目になった。小康状態と言えるが、未だ混乱は続いている様だ。
さて、と思い。一先ず一人称を私に固定する事にした。普段から使っていた一人称だ。下手に使い分けるという事は避けた方が良い。そう判断した。賢く見えるからなどと言う下らない判断が自然と浮かんだのはどちらの人格の影響だろうか?案外、いや、既に融合していると言っていい故に二人の人格を合わせた結果かもしれない。鬱だ。

彼女は帽子の乗った頭を軽く振った。幼い顔に似つかわしくない、舌打ちが聞こえそうな顔だ。合わせて背中から生える羽も揺れる。羽は黒い骨格に、虹七色の菱形宝石が付いた様なものであり、到底飛べるとは思えなかった。翼膜を張る為の骨格すらない。
彼女は自身の体を確認し、溜息をつき思考に戻った。ひらひらした服に慣れなかった様だ。顔にかかる短めの、波打った金髪を鬱陶しげに掻き上げる。

私は、普段慣れているはずの翼に違和感を感じていた。ついでに服や体にも。やはり、新たな人格がもたらした影響は大きいのだろう。様々な経験が織り交ざっている。
フランドール=スカーレットの経験は五百年に上り、男の人格は僅か二十余年程。だが、彼女の人格構成は彼女のそれを基礎としつつも、孤独のみを糧としたそれは基礎にしかならず、様々な経験をした男の人格が主なそれとなっているようである。
私は私の基となった二人の人格を比べ、もしこの二人が出会ってもお友達にはなれなかっただろうな、と結論付けた。二人とも我が強い。私も我が強いのだろうか?
経験が足りなかった所為でまるきり無知だった元私の片方。しかし、頭の具合はそれ程悪くはないようである。と、一通り思考を巡らせてから思った。
さあ、肝心の此処に至るまでの経緯である。男の方は何とも言えない。大学の授業を受けていたと思えばここにいたのだ。向こうでは大騒ぎかもしれない。では、彼女の方はどうだろうか?と、記憶を探り、予想通りこの状態は彼女が原因であると突き止めた。
どうやら彼女、自身の持つありとあらゆるものを破壊する程度の能力(以下能力)で世界の壁を破壊したらしい。何ともあり得ない話である。彼女の、現在は自身の能力であるが、これは破壊の対象に目を見つけ、それを引き寄せ握りつぶす事で成されるが、空間のそれを見つけられても世界のそれ等見つからない。東方と言うゲームの無いこの世界ではなく、彼の世界、つまり異世界への壁を突破したならばそれは五次元への干渉に他ならない。偶然?何にしても空恐ろしい。限定的に四次元的要素を操るここ紅魔館のメイドを超え、スキマと呼ばれる幻想郷の創造主以上の能力を発揮したのだ。世界の壁は世界の壁として分かるらしいが、下手に空間の目は潰せそうにない。怖いものである。
そのまま暫し瞑目し、自身の気を落ち着かせた。一度に多くを考えすぎである。

深く深く、深呼吸。それを幾度か繰り返す。整った可愛らしい顔に少々の余裕が戻る。

……落ち着いてくると、考えなしにこれを成したフランドール=スカーレットに憤った。同時に、それが自身の基礎であると思い気が沈んだ。思っても仕方がないが、もう少しこれを為すに躊躇してほしかったものだ。せめて自身の姉やメイドに、と、思った所で更に気が沈む。彼女の置かれていた状況は文字通り同情に値するものであった。今は自身のこと故に、余り同情と言うのもおかしな話でもあるのだが、彼女の感じていた深い孤独と怒りに憎しみ。そして、縋る様な僅かな信頼は心を蝕んで余りあるものであると文字通り実感したからだ。無論、認めるわけにもいかないのだが、既に家族に先立たれている自身としては何とも言えない気持ちになる。彼女の狂気はそれ程に深い。元から少々気が違っていた部分を差し引いて余りある。

と、その時室内にノックの音が響いた。思考の海に沈んでいた彼女はその音に反応する。慌ててフランドールの記憶を探って、しかし自身で対応する事に決めた。最早戻る事は適わない。真実を語るわけではなく、素の自分で行く事にしようと決めたのだ。彼女は頑固だった。無駄に我が強いのだ。

「フランドール様。失礼してよろしいでしょうか。」

「どうぞ。」

私は丁寧な声に、同じく丁寧な声で返した。声色に疑問を覚えたのか、扉を開き入ってきたメイド、メイド長十六夜咲夜の紫紺の瞳には、少々困惑した雰囲気が見て取れた。
彼女、十六夜咲夜(以下咲夜)は先程ちらりと思考に出てきた時空間を操るメイドである。フランドールの姉、レミリア=スカーレットに忠誠を誓っている人物であり、レミリアに敵対しない限りは信用してもいい人物であろう。元吸血鬼狩りであるのではと元の世界では言われていたが、真実であれば尚の事敵に回したくはない。

「先程大きな音がこちらから、地上の方まで響いてきたので窺ったのですが。いかがなさいました?」

「能力を使った。被害は……熊のぬいぐるみ、他。」

嘘は言っていない。主な被害は熊のぬいぐるみだ。
銀糸を持つメイドの、その落ち着いた女性の声は静かな詰問の色を見せていたが、それ程強くはなく、私は冷静に答える事が出来た。ただ、自分の声の高音に関しては眉を顰めるしかなかった。これが不愉快の証として相手に映ったようで、結果咲夜の納得の色を濃くさせる事に成功したのは運が良かったと言うしかない。

「お嬢様も常々仰っておられますが、余りものを壊さぬようにお願いいたします。」

咲夜がそう注意を促してきたので私は分かったと了解を返し、そして、色好い返事に深々と頭を下げてくる咲夜に続けて聞いた。無論、それが守られると思ってはいまいが。

「……お姉様は?」

すると咲夜はすっと極自然な動作で頭を上げ、その涼やかな声色で答えてくれた。

「現在、ハイティーをお楽しみになられておいでです。」

その内容には少々眉を顰めざるを得なかったが。
思わず疑問が口に出てしまう。

「ハイティー?夕食だろう。」

「だろう……?いえ、名称を選ぶのも貴族の嗜みだとお嬢様が。」

子供か。いや、子供か。レミリアは確か貴族然としていると同時に本質は何処までも子供だったはずだ。あれは、何というか、嗚呼、不意打ちに弱そうだ。比較的安全なここ幻想郷では余り経験と言える経験は積めていないのでは?五百年の重さは実感として分かるのだが。

「そう、か。では、私もご一緒しても構わないか?食べ始めたばかりならば、そうしたいのだが。」

私は一先ずレミリアの人柄と言うものを見る事にした。フランドール、フランも彼女については良く知っているのだが、それは余りにも偏っている。問題なさそうであれば或いは話を一気に進めるのも良いだろう。いずれにせよこの状態については問われるだろうから。

「…………少々お待ちください。少々お待ちください。」

何故二回言う?とは聞かなかったし聞けなかった。恐らくは空間を渡ったのだろう。咲夜の姿は掻き消えていた。酷く困惑した様相だったのが印象深い。無理もない。が、少々面白かった。何とも意地の悪いと思ったので頭を一度殴っておく。自身を教育しなければならないとは何とも……。自制は大切だ。







広い食卓。文字通り貴族が使う様な無駄に長大なそれに一人の少女が座っていた。室内のシャンデリアに照らされた姿は酷く幼く、しかしその実彼女は500年もの時を重ねた吸血鬼であるのだ。背中から生えた黒い蝙蝠の様な翼がその証である……と、いっても彼女の翼もまた小さすぎて飛べるようには見えないのだが、フランのものよりはそう見える。
フランと同じ紅い瞳に薄く暗めの青みがかった銀糸。長くなれば波打つであろうその髪を上から押えているのはピンク色の帽子、服もピンクだ。しかしあまり派手ではなく、ドレスの様な子供服と言った感じだ。胸元には紅い宝石が輝いている。
彼女の名前はレミリア=スカーレット。永遠に紅い幼き月と言われるこの紅魔館の主にして、フランの姉である。
自己主張の強い紅い館や紅い部屋は彼女の趣味である。目が痛い為、内装は流石に全面赤ではないのだが。
食卓の上もまた貴族然としていた。飾られた花はシャンデリアの明かりと食卓の上の銀燭に照らされ、料理は味だけでなく見た目も重視されている。

「全く、フランにも困ったものね。」

レミリアは食事に手をつけながら小さく一人ごちた。先程館を揺るがすほどの轟音が地下から聞こえたのだ。十中八九フランの仕業だろうと彼女は頭を振った。
咲夜に確認に行かせたけど、どうせまたいつもの癇癪でしょう。そう思って特に何も考えなかった。
彼女はフランに対して無関心というわけではない。仲良くしたい、と言うほど彼女は素直ではないが、親愛の情は抱いていた。ただ、恐怖とも言える警戒心がそれに勝っているだけなのだ。
フランドール=スカーレットはレミリア=スカーレットにとって最大の汚点であった。切り捨てるべき、と考えた事すらあったのだ。彼女の周りには破壊の運命しか存在していなかったのだから、と理由をつけて。
実際、現在も妖精相手に手加減なしで弾幕を打ち込んだり、今日の様に館を破壊したりと被害は出ている。

「はぁ。」

レミリアは小さくため息をついた。
フランを幽閉した事に後悔はある。しかし間違っていたとは思わない。切り捨てるべきとも思わない。そう言う事だ。
彼女はまだ、若かった。せめて向こう側からアプローチがあれば、等と希望的観測を思い浮かべる。

「ただ今戻りました、お嬢様。」

忽然と咲夜が隣に出現する。初めこそ驚く事も多かったが、既に慣れたものであり、さして驚かずに労い報告を聞く。

「ご苦労様、フランの癇癪でしょう?」

「はい、被害は調度品を除けば熊のぬいぐるみだけでしたので、いつも通り注意をしておきました。ただ……。」

「ただ……?」

言い淀む咲夜、珍しいと思いつつ先を促し、レミリアは鮮血入り紅茶を口に含んで――

「お嬢様と、お食事をご一緒したいと。」

「ぶっふぉ!?」

盛大に噴き出した。紅い紅い紅茶が霧の様に噴き出される。
幸い横に吹いた為料理は被害を免れたが、不幸にもメイドは返り血を浴びた様な紅茶塗れとなった。南無といった所だろう。







私は今、酷く緊張している。無論、そんな無様を晒すわけにもいかないのでおくびにも出さないけれど。
現在、長らく姉妹の繋がりが酷く希薄だった私の妹、フランと一緒に食事をとっているのだ。私から見てもちょっと無駄なのではと思う長大な食卓の向こう側、そこには綺麗に料理を切り分け口に運ぶフランの姿が見えた。実の所この食卓に変えたのは最近なのだが、それは正解だったようだ。これで至近距離での対話等したらどうなっていたか。

「お姉様と食事をご一緒できる事を嬉しく思う。長らく……そう、長らくこの様な事はなかった。」

「え、ええ、そそうね。」

おくびにも出さないと思ったばかりであるのに一瞬詰まってしまった。フランの口調と雰囲気は正に一新されている。しかし、懐かしむ顔に嘘は見えず。同時に酷く大人びていた。一瞬どころか今この瞬間にも目の前のフランは偽物ではないかと考えてしまう。だが気配、妖気は彼女のもの。或いは先程の爆発によって何か……?それしか考えられない。
口調の変化、雰囲気の変化。一緒に食事をとると言う奇怪とも言える行動。しかし、何より何より私を困惑させるのは――

――彼女から、破壊の運命がまるで感じられない事である。
レミリアには彼女が破壊を行える運命は見える。しかし、それを振る運命が比べ物にならない程に減少しているのだ。
何時までもたたらを踏んで進まないのでは意味がない。そう決心して彼女はフランに核心を問いかける事にした。

「フラン。先程の爆発、熊のぬいぐるみを破壊しただけじゃないでしょう?何があったの?」

これで答えが返れば真相は明らかになり、私の心の平穏も少しは取り戻せるだろうと半ば願う様に。
するとフランは食事をする手を止めた。そしてその小さな口を開く。

「そうだな。強いて言うのならば……。」

「……。」

手に持った食器を置き、口元を拭ってから目を細めるフラン。私は緊張した面持ちで、半ば取り繕う事を忘れて返事を待った。斜め後ろに控える咲夜からも緊張した気配が伝わってくる。

そして、それは告げられた。

「運命を、破壊した。」

「―――っ。」

告げられたその一言。私の願いも虚しく、私の心は更に乱れ、語られた事実に打ちのめされた。

瞠目し、息を呑む。

運命を破壊した?馬鹿な、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力とはその様な事も出来ると言うの?だが、事実彼女の運命は確実に変化している。

「信じられないわ。」

思わずそんな言葉が口をついて出ていた。

「五次元への干渉だ。運命を破壊したのは間違いない。恐らく、巨大にして強大な流れの中に砂の粒子を一粒投じた程度だが、その周囲におけるその影響は大きいだろう。
 口調が疑問ならばそれが原因。性格もまた然り。咲夜やスキマの四次元への干渉及び擬似的な五次元への干渉とは文字通り次元が違う。」

そこでフランは言葉を切ってフッと笑い、気取った様な仕草で続けた。

「……何より、私はお姉様の妹だ。」

その一言は事実に裏付けられた説得力を含み、その妙に様になった仕草はそれを補う。
私は、理路整然と並べられた説明を聞き、理解できない部分を省きつつもしかしそれが真実だと悟った。限定的とはいえ運命を見、操る私の妹だ。それくらいできても可笑しくはない。ならば。

「……破壊したのは、己の運命なのね。」

それはつまり己の人格の破壊である。しかし、彼女は瑣事であると言わんばかりに答えた。

「然り。」

「何故?」

口をついて出たのはそんな下らない問いだ。しかし、恨まれていないとは思えない。聞かないわけにはいかなかった。
フランは一度瞑目。そして、開いた目の紅い瞳で、同じく紅い瞳で彼女を見据える私を見つめながら言った。その喉を震わせるのは呪詛かと身構え

「暇だったのだ。そう、暇だったのだよ。」

「……何ですって?」

しかし、その口から出たのはそんな他愛無い言葉だった。だが、その認識は間違いだったと言う事を次の言葉で理解させられた。

「永い永い孤独と心を蝕む狂気。いずれ来(きた)る破壊の運命を変えるためにそれは必要だったかもしれない。だが、それでも暇だった。」

フランはワインを一口含み嚥下する。紅い液体が揺らめいた。その様を何処か艶めかしいとレミリアは感じ、その瞳を見て硬直した。
淡々と語るフラン。しかし、その瞳には確かに狂気ともいえる物の片鱗があったのだ。それは孤独と偏愛に育まれた狂気だった。

「そこに提示された一つの選択肢は若しくは自由へと繋がり、故にそれは何処までも魅力的だった。不安定に在り正しく希望だった。故に掴んだ、故に潰した、その目を。そして、破壊したのだ――運命を!」

最後の一言と同時に、フランから魔力とも呼べる妖気が解き放たれた、彼女の持つグラスに罅が入る。風で銀燭の炎が揺らめき掻き消えた。
フランは、グラスの罅割れも気にせずワインを一気に飲み干す。そして求めるように呼吸を行い、そのまま肘を付き俯いた視界を手で覆った。僅かに息が荒い。

初めは冷静に語り始めたフラン。しかし途中からまるで狂気に呑まれたかのように熱く語り始めた。それは以前フランから感じていた幼い狂気とは違い、深みのある重い狂気だった。そう、思わず気圧されてしまうほどに深い深い狂気だったのだ。そして、破壊の運命がその影を色濃く現すほどに。
思わず戦闘態勢をとる私と咲夜。相手はフラン、とても油断出来たものではない。ましてや世界の壁の破壊を行ったと知れたばかりである。
しかし、私たちの懸念は杞憂に終わった。先ず、フランが手で制してきたのだ。そして上げられた顔。そこに凶相は無く、いつの間にか、狂気は瞳の奥深くに呑みこまれていた。
私達は、ほっと息を吐き、一先ずの緊張を解く。

フランはゆっくり体を起こし、グラスをとん、と静かに置いた。罅割れたグラスからは僅かにワインが滲んでいる。
血の様だ、とレミリアは思った。

「禁断とされた箱にあったそれは正しく私を自由に導き、そして私を変革させた。それに縋って変革されて、この程度ですんだのならばそれは私の能力故の幸運か。或いは不幸とも呼べるのかもしれない。狂気は色濃く残り、しかしそれを自制する術を私は手に入れた。」

「……貴女の望みは?」

それだけ、これだけ深く重い狂気を身に宿したフランの望み。想像するに絶するものだ。それに、フランは狂気に蝕まれていても頭が切れた。今、自制を覚えた彼女がどのように行動するか等及びもつかない。
しかし、この不安と警戒は無意味であったと直ぐに悟る。何故ならば、既にフランの運命にはこの場においての破壊が見えなかったからである。
事実……

「外に出たい。」

フランは唯それだけが望みであると静かに言った。深い孤独がそこに見え、恨みの念は無い、と言うよりも完全に押し殺されていた。変化した運命は、否、彼女は破壊で為される復讐を許容しなかったのだ。文字通り己の人格を粉砕したのだ。彼女をそこまで追い込んだのは……私ね。
私はその運命に挑まなかったのだから。生まれたその瞬間、見えた運命を恐れ彼女に見切りをつけたのだから。

「それだけ?」

「ああ、それだけだ。」

私は、深く深くため息を吐く。後悔と安堵が織り交ざったそれは、酷く醜悪なものに感じた。







紅魔館の赤を基調とした廊下を歩く。時折すれ違う妖精メイド達は私を見つけると深く頭を下げて決して此方を見ようとしない。
成程、悪循環とはいえ彼女が孤独になるわけだ。これでは人格が歪んでも可笑しくはない。いや、この環境にしてはまだまともなのだろうか?少なくともまだ取り返しのつく所にはいた筈だ。その機会は永遠に失われてしまったが……。自業自得であると静かに恥じた。
レミリアには世界の壁の破壊は常時使えるわけではないと既に告げてある。その時少なからずの安堵が見えた。私の目的を告げた時の溜息と同種のそれが見えた安堵だった。
故に、現在彼女は間違いなく落ち込んでいるだろう。少なからず心配だが、彼のメイド長やパチュリーがいれば大丈夫だと思う……あ、美鈴もいた。
運命の破壊と言うのは大げさだったかもしれないが、まぁ強ち間違いではないだろう。パラレルワールドと言う奴だ。
行動を起こすと言う時点で運命が変わる方向に動き、強大な能力を使った事により大きく変革されたと言うところか。
よもやフランドールの中に別人の意識が混ざったなどとは誰も思わないだろうが……まぁこれは明日にでも話すとしよう。嘘は苦手だ。

思考に沈んでいる内に彼女は自室の前に着いた。扉を開け、いつの間にか整理されている部屋のベッドに身を投げ出す。薄桃色のシーツは彼女の体をふわりと包んでくれた。
彼女は風呂の事を考えたが、今は体、と言うよりも頭がひたすら睡眠を欲している。

これからどうしようか等と愚にもつかない事を考える。日々を良く生きると言うのは当たり前であり、真摯に生きると言うのもまた当然である。私はそう思っている。
しかし、ここ幻想郷において明確な目的などありはしない。先ずはそれを見つける事から始めねばならないか……いや、待てよ?
レミリアが紅い霧を生み出したという記憶は現在、私の中には存在しない。記憶の混濁?もし違うとすれば今後異変と呼ばれるものが次々と起こると言う事である。つまり、日々の生活の中でそれが障害として生まれる可能性を秘めているのだ。何とも面倒だ。
ああ、そう言えば日の光の中で行動する事は出来るのだろうか?日光を直接浴びた記憶はないし、日傘をさせば大丈夫みたいなかなり適当な設定だった気がしたが……いや、二次創作だったか。考えてもしょうがない。多少の記憶の混濁は寝て覚めねば治まらないだろうし、明日試そう。今は既に日が沈んで久しい時間だ。

「……お休み。」

私は明かりを消し、瞼を閉じた。不安はあるが、進む事に迷いはない。殺された恨みの念は、495年間の孤独の念に溶けて消えた。
夢の世界への誘いは、私の普段よりも幾分早かった。

……はて、私とはどちらの事だったか。そんな事を最後に思って彼女は眠る。








夜、そう、今は夜だろう。そして、夢の中だ。私は、様々な夢を見ていた。
それは例えば彼の楽しい思い出であったり、下らない思い出であったり、真剣な思い出であったり。
彼女の悲しい思い出であったり、怠惰な思い出であったり、大切な思い出であったり。
それらは次々に湧き出ては消えていく。一つ一つを丁寧に整理するように。湧き出ては消えていく。幾つも幾つもいつまでも。
膨大な数のそれ。見ていて飽きるものではなく、脳が活発に動いているのを感じられた。
まるで溢れ出る泡沫。シャボン玉の様だと思った。屋根より高く飛ばした思い出が目の前に現れる。
私はふと、それに向って手を伸ばし―――。

「ふぎゅっ。」

いつの間にか目は覚めていた。夢の中の時は速い、と言う事だろうか。
私の手は、恐らく私の寝顔を眺めていたのであろうレミリアの両頬を、挟み込むように掴んでいた。

「…………お早う、お姉様。実に面白い顔だ。」

「ふぉふぁふょうふぁふぃふぃふぁふぁ、ふぁふぁふぃふぇ」

お早うは良いから放して、だろうな。少し聞き取りづらいが。
だが、放そうとは思えないし、唯で放すのは勿体ない。

「ふぇ?痛たた!?放しなさいフラン!」

私は頬を放すと素早く手を動かし、今度は片方の頬だけを摘むように掴んだ。もちもちとした感触がたまらない。
これが、レミリア=スカーレットの頬か、等と感慨深く思う私はどうなのだろうか?変態なのだろうか?いやいや姉妹のスキンシップでもある故一概にそうとも。

「はー!なー!しー!なー!さー!いー!よぉーー!」

手を振りまわして怒りをアピールするレミリア。子供か、いや子供か。五百歳児だ。私も四百九十五歳児だが。

「……ああ、申し訳ない。」

私は強く引っ張りすぎたと反省し、頬から手を離した。名残惜しげに指がピクリと動いたのは仕方がないとしか言い様がない。
解放され、体を起こしたレミリアは、紅くなった頬を擦りながら涙目で睨みつけてくる。それを見ると一層の罪悪感が胸に生まれる。可愛いと思った私には一先ず怒鳴り散らしておいた。

「全く、折角起こしに来て上げたのに。人様の頬を弄ぶなんて失礼な子ね。」

ふん、等と言いながらレミリア。私は一先ず、頬を掴んだ理由を伝える事に。恥ずかしくもあるのだが。

「……掴んで消えなかったから安心した。」

私が頬の熱さを実感しながら、しかし彼女を真っ直ぐ見ながらそう言うと。レミリアは一瞬キョトンとし、次の瞬間頬を染め、ふいっと顔を逸らし、胸の間で腕を組んで視線だけでこちらを見たかと思えば再び逸らし、あらぬ方向を見ながら言った。

「ま、まあ、貴女も不安でしょうし、勘弁して上げるわ。」

そして、頬は赤いまま、目を瞑ってふんっと首を限界まで逸らす。

「有難う、お姉様。」

私はそんなレミリアに、内から湧き出た感謝を捧げた。笑顔になるのも無理ない、というものだ。


早く着替えなさいよね、部屋の外で待ってるから。と言って部屋から出て行ったレミリアを待たせぬ為、私は急いで服を着替え始めた。
最早大分違和感はなくなったが、それでもその多少の違和感と言うものは大きいものだ。……と、そこで私は更なる違和感を覚える。はて何だろうと思っていると、控えめなノックの音がした。継いで聞こえてきたのは緊張を含んだ鈴の様な幼い声。

「フランドールお嬢様、お着替えのお手伝いに参りました。」

そこで私はようやく気付いた。ああ、そうか。昨日はさっさと眠ってしまったが、着替えをする時は何時も妖精メイドに任せていたのだった、と。
私は解きかけていた胸元の黄色いリボンを元に戻し、どうぞ、と言った。仕事をとるわけにもいかないだろう。羽が邪魔で着替え難いという理由もあるが。

「……失礼致します。」

私の声色の変化を感じ取ったのか、昨日の咲夜と同じく多少戸惑いの様子を見せながら妖精メイドは部屋に入ってきた。継いで二人入ってきて合計三人。紅いリボンの目立つシンプルなメイド服を着ているが、その大きさは妖精と言うだけあって30~40㎝程だ。生気がなければ人形でも通せる可愛らしさだろう。

「嗚呼、では早速頼む。余りお姉様を待たせる訳にもいかぬ故。」

「……承知致しました。お任せください。」

やはり戸惑いの色が濃い彼女達。しかし、失礼致しますと一声かけてから即座に着替えに取り掛かってくれた。案外私の始めた新しい遊びとでも思っているのかもしれない。

無言で手際良く妖精メイド達は彼女の服を脱がしていく。徐々に露わになってくる自身の裸体に戸惑いを覚えたのか少々赤面するフラン。幸いにも妖精メイド達は気づいていないが、慌てて眼を閉じ上を向くその様は笑いを誘うものがあった。先程からの言動も様になってはいるのだが、彼女の容姿を加味するとそれは戸惑いを誘うと同時に少々の滑稽さも感じさせる。

「終わりましたフランドールお嬢様。……お嬢様?」

「ん……そうか、有難う。」

私は少々礼を言うのが遅れてしまった。
どうにも、男性であったと言う意識があるのは頂けないものだ。然程強いものではないが慣れるまでほんの少しだが時間を要しそうである。

「では、私達は失礼致します。」

何時の間に回収したのやら。脱いだ衣服は勿論、ベッドのシーツや枕カバーまで手に持った妖精メイド達がこちらに頭を下げて言ってきた。妖精は気ままなものの筈だが、良く教育されていると感心してしまうほど彼女達は礼儀正しい。私も出ると言うと、畏まりましたと素早くドアを開けて待っていてくれるほどだ。

「有難う。」

そう礼を言い、私は自室を後にした。







遅いわね、等と緊張を誤魔化す為にうそぶき続けて五分間。レミリアはつま先で床を叩きながら待っていた。
フランドールは気にしていない風だったが、実の妹があの様になってしまって彼女自身かなりのショックを受けているのだ。昨日は咲夜とパチュリー、そして美鈴の三人がかりで慰められたほどだ。故に、今朝フランが笑いかけてくれた時は救われる思いだったのだが、それでもやはり罪悪感やその他から来る緊張は無くなってはくれないらしい。永遠に紅き幼い月は今では見る影もないほどにただの少女である。

ガチャリ、とドアノブが音を立てる。レミリアの羽がピーンっと限界まで一気に張った。

「お待たせした、お姉様。」

「いえそんなに待ってないわよ、ほんの十分くらいよ。」

レミリアは早口で捲し立てたが、極度の緊張のせいで時間間隔が狂ったらしい。二倍ほどに増えている。
フランはそれに気づきつつも、そんなにお待たせさせてしまったか等とうそぶいて手を差し出した。

「それは申し訳ない。では、料理が冷めぬ内に急いで行こう。」

「え、ええ、分かったわ。」

レミリアはそっと差し出された手に自身の手を載せる。怯えるように繊細な手つきだったが、掴んだら、放さないとばかりに力を込めた。
それに対してフランは苦笑。しかし戒め綺麗な笑顔でそっと歩き出す。レミリアを優しくリードするように。
あ……っと息を漏らしたのはレミリアだ。優しく引っ張られて足は自然と歩みだした。何時の間にか、いや昨日から、妹が自分よりも先に行ってしまうように感じて不安に。だから、初め遅れても、先を行くのは譲らない、とばかりに赤い絨毯を踏みしめる。私は姉だから、五年分姉だから。百分の一歩前を歩くのだ、と。
そんなレミリアに、フランは嬉しそうに暫し眼を瞑り、二人は仲良く並んで歩いて行った。


後書き

はい、と言うわけで新作ですが、ぶっちゃけた話これはFGの為の練習作です。
基本的にこの書き方をマスターする為に書いております。突然最終回等と言う事もあるやも知れません。ご了承ください。
尚、この作品を気に入って下さった方、作者の文章力強化にご協力くださる方は是非感想を送って下さいませ。
此処が可笑しい、此処はこうした方が良い等々いかなる批判及び批評も受け入れる所存です。
正し、荒れそうな書き方、及びそれを見つけた場合の注意などはご遠慮ください。出来れば作品本筋に対する要望も控えめにお願い致します。
誤字に設定の矛盾及びネットで見つけた知識の穴や間違いなどのご報告も出来ればお願い致します。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第二話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/10/28 02:05
紅魔館の一室、シャンデリアとキャンドルに照らされた赤の目立つ室内では、普段とは一風変わった朝食風景が展開されていた。

朝、それは夜の帳を押し退け陽光が世界を埋め尽くす、吸血鬼にとっては忌々しい時間帯。しかし、今の彼女にそんな瑣事は気にもならない。
何故なら今、長年、そう長年その絆が薄れていた妹のフランと共に朝食を摂っているのだから。しかも、そこに敵意も害意も悪意もない。
これほど喜ばしい事の前に、外の世界がどうなっていようと関係あるものか、と。いや、窓に引かれた、カーテンの隙間から漏れる陽光すらも、そのささやかさから祝福の様にすら感じていた。

「どうした、お姉様。手が止まっているが大丈夫か?」

昨日の様に大きな部屋でも長大な食卓でもなく、元の小さめの食卓の向かい側にいるフランから話しかけられて、レミリアは思わずビクリとした。緊張で羽がピンと張る。
斜め後ろに控える咲夜がクスッと笑う声が聞こえて赤面。思わぬ醜態を見せてしまったと少し顔を伏せる。何とか誤魔化そうと直ぐに顔を上げ口を開くが。

「いえ、何でもないわ。唯……いえ何でもないわ!」

「一緒にいるのが嬉しくて」と洩れそうになった本音を慌てて更に誤魔化す羽目に。
頬を更に朱に染めて、顔を逸らし目を瞑った彼女に、フランは目を細めて愛しむ様に薄く笑う。
ちらりと目を開けて見たレミリアが、思わず顔全体を真っ赤にし、瞠目し、そして拗ねる様に怒ってしまう様な笑みだった。

「べ、別に何でもないって言ってるでしょ!」

レミリアはふんっ、と顔を背ける。
食卓を元に戻したのは少し失敗だったかもしれない。彼女はそう少し後悔していた。いきなりこれでは身が持たない、と。
そんなレミリアにフランと咲夜は顔を見合わせて苦笑。その様子はレミリアにも分かったが、これ以上墓穴を掘るまいと一口紅茶を飲んで気を落ち着ける。
暫し、穏やかに朝食を楽しむ音のみが続いた。その場にいる誰しもが静かに笑みを浮かべる様な、そんな穏やかな時間であった。
レミリアもまた、こんな朝食も悪くはないと万感の念を以ってそう思い。静かに笑みを浮かべるのだった。







東方虹魔郷
第二話 何者とも知れぬ者







「お姉様。一つ、大切な話がある。」

フランがその様に言ってきたのは、朝食を終え、緩やかに流れる時間の中でお茶を楽しんでいた時だった。居住まいを正しながら言ったその顔は真剣で、それは内容の重要さを窺わせる。
レミリアは、カップを静かにソーサーへと置き、僅かな緊張を滲ませ、しかし動揺はすまいと心身共に居住まいを正してから答えた。

「言って御覧なさい。」

昨日、話しそびれた事……いや、こちらの様子を見て言わなかった事かしら。フランの様子からみて、多分気を使われたのね。と、レミリアは嘆息。
レミリアの背後に控える咲夜が自身もいてもいいのかとフランに目で問うて、フランはこれに一つ頷く。そしてレミリアに目配せし、レミリアもまた、小さく顎を引く様に背後を見て一つ頷いた。主従は一心同体なのだと。
それを見てフランはまた頷き、真剣な面持ちのまま話しだす。

「大切な話とは、私の人格についての話だ。何故、こうなっているのかは昨日話さなかった故に、早めに話しておこうと思ってな。」

「……分かるの?」

てっきり何も分からぬ内にその性格になったのかと……と、レミリアは首を捻った。
訝しむかの様に揃って首を傾げるレミリアと咲夜にフランは内心少し苦笑を洩らし、しかし、内容が内容だけに緊張を隠せないレミリアの問いに、フランは頷く事でしかと答えた。そして続ける。

「世界の壁を打ち破ったという話を昨日したな。」

「……ええ。」

真っ直ぐこちらを見て話すフランにレミリアはしっかりと頷く。今でもまだ驚愕すべき事実であり、忘れるわけがない。
フランは一度目を瞑り、一拍置くとその事実を話した。

「その時、私、と言うよりもフランドール=スカーレットの体の中に一つの人格が入り込んできた。」

「っ!じゃあ!」

それは更なる驚愕だった。
レミリアは瞠目し声を上げる。彼女は息をするのも忘れ。それは、つまり……何だか嫌な予感がする、と冷や汗。

「そうだ。その人格とフランドールの人格が合わさって、今の私が、いる。」

「…………なら、貴女は……いえ、貴女はフランなのね。その、人格とは誰なの?」

思わず咲夜と二人揃ってゴクリと唾を飲み込む。

「誰、か。外、と言うよりも異世界において学生をしていた……」

レミリアの問いに、フランは少々言い淀む様に間を置いた。
自然、レミリアと咲夜は身を乗り出してフランの次の句を待ち……

「男だ。」

そして、その言葉で凍った。二人はビシリ、と体を緊張させ、瞠目し、口を開け間抜け面を晒す羽目に。
フランは不謹慎と思いつつ、そんな二人の様子を可笑しく思っていた。表には微塵も出さない辺り合計五百歳オーバーは伊達ではない。

「…………………お、おおおおおおおおおと、男ぉーーーーーーーーーーー!?」

半分ほど逸早く解凍されたレミリアの甲高い絶叫が響き渡る。フランはそれを察知し、逸早く耳を塞いでいたが、僅かに身を乗り出してお盆を両手で抱えていた咲夜は間に合わず、お盆を片手に持ったまま耳を塞いで蹲る羽目に。少し涙目だった。

「ゆ、ゆゆゆゆ許さないわよ!男なんて!フランには早すぎるわ!」

男、フランが男と一心同体!駄目よ!駄目だわ!と顔を真っ赤にして、テーブルに身を乗り出し涙目でフランに迫るレミリア。
しかしフランは冷静だった。

「落ち着いて頂きたい、五百歳のお姉様。」

それに私は四百九十五歳だと言って切って捨てるフランに、レミリアは唸るしかない。

「う、うー!うー!うぅーーーーー!」

フランが!フランが!でも今のフランは嫌いじゃない!フランは嫌いじゃない!どうしよう!ねぇ咲夜どうしよう!何蹲ってるの咲夜!しっかりしなさい咲夜!レミリアは大混乱だ。先ずはお前がしっかりしろと。
これがれみりゃうーか、等とフランは内心軽く感嘆していた。
結局、事態の収拾まで数分要する羽目に。既にカリスマも糞もあったもんじゃない。きっと流れる溝にでも落としたのだろう。



「ふっ、少し取り乱したわね。」

「手遅れだよお姉様。」

髪を掻き上げ言うレミリアをフランは切って捨てた。溝だろうが水は水、流れているなら取り返せないのだ。
とは言え、少しばかり意地悪だったかな、と膨れっ面で睨みつけてくるレミリアを見ながらフランは思う。
フランはそんなレミリアに軽く謝りながら、さて一先ず、と思い咲夜を見て言った。

「咲夜、耳は大丈夫か?」

「……ええ、はい、大丈夫です。」

そのよく手入れされている銀髪の上から未だに耳を押さえている咲夜を心配し、同時に彼女の右手に保持されているお盆を見て、放り出さないのは流石だな等と少しずれた事を思うフラン。反省点+1だ。しかし、一応大丈夫そうなので、そうかと進める事に。

「まぁ、兎も角、偶然か必然かは分からないが、フランドールの中に召喚された男がストッパーとして機能している状態が私であるわけだ。
 既に融合している状態でストッパー等と言うのも可笑しな話だが。」

「ふぅん、そう。」

結論を纏めるフランに対し、レミリアはそっぽを向いて唯それだけを。フランは軽く嘆息。

「拗ねないでくれないか、お姉様。」

それに対し拗ねてなんかないわ、と言う明らかに拗ねた表情のレミリア。しかし、一つ溜息を吐いた後、だって、と初めに付けて真剣な顔でフランに向かう。妹の事、彼女は彼女で真剣だった。

「何にせよ、貴女は貴女でしょう。問題点なんてものはこれから一緒に生活して行く内に出てくるものよ。
 少なくとも、そう、今のあなたに対して文句はないもの。」

ペースを乱されるのは嫌だけど、と内心で付け加えつつレミリア。それに対してフランは、まぁその通りではあるが、と納得の表情を見せる。内心で、ちょっと賢そうに見えるぞ、等と失礼な事を考えながら。今思えば、吸血鬼たるレミリアは当然夜型だ。昨夜早々に眠った自分に合わせてくれたのだろう。そう静かに感謝した。
一晩の内に記憶が整理されたのか、少々フラン本来の気質があらわれているのかも知れない。今の自分は少し意地悪だ。と少し自制。
気を落ち着けるかのように紅茶を飲む姉を見ながらフランは思う。結局の所この姉妹、相性が悪かった訳ではないのだろう、と。我儘で高慢な姉と、彼女の壁を打ち壊す、純粋でやんちゃな妹。ただ、彼女達の力がそれを壊したのだ。そう、何処にでもある様な不幸。そう言いきってしまえるほどに単純で、どうしようもない事。彼が信じた神にとって、それは正しく神罰だったのかもしれない。

「フランドール=スカーレットは、唯純粋だった。そう言う事か。」

フランがポツリと漏らす。それは、嘗てのフランドール=スカーレットを悼むかの様な弱さであった。彼女自身、それに気付きつつもしかし言わずには居られなかった。
レミリアはそれに対して唯、「……そうね。」と短く返すしかなく。
暫し、死者を悼む様な沈黙の帳が部屋に下りた。淀んだ雰囲気が部屋に満ち、咲夜が紅茶を入れる音のみが唯許された救いであった。
フランは自身の発言を後悔。或いは音を無くすまいと、咲夜の入れた紅茶を一口。それは彼が飲んだどの紅茶よりも美味く、しかしどこか味気なかった。
やがて、耐えきれぬかの様に遮られた窓を見る。彼であった人の意識がそこにはあった。
窓からは緩やかに風が吹き、しっかりと引かれたカーテンが僅かにふわりと持ち上げられている。そこには陽光が僅かに広がり、爽やかな風と共に小鳥の囀りが聞こえてきた。
フランはその様子を見、日を浴びれぬこの身をただ少し残念に感じた。蝋燭の明かりでは感じられぬ温かみが、そこにはあるのだからと。
一方、そんなフランの様子を見ながら、レミリアは一抹の寂寥感を感じていた。故にこの沈黙を破る為、口火を切ったのはレミリアだった。今、この瞬間を不幸と感じる事に我慢できず。フランの、日の光を見る瞳の意味を理解できず。故に彼女はそれを否定したかった。だから、努めて明るい口調で言った。

「……もう良いわ、だってフラン。貴女は生きているもの、不死者だけど。
 こんな事は一秒前の自分を悼む様な馬鹿な真似だわ。」

流石のセンスだわ私と思いながら、少し茶化した口調のレミリア。それは彼女なりの気づかいであり、自身の怯えへの誤魔化しであった。
フランはその前者に気付き、後者を何となく察して、彼女の気づかいに感謝しつつそれに乗る様に言う。だが忘れはしないと言う思いを乗せながら。

「……そうだな。前向きに生きるか、既に死んでいるも同然だが。」

フランはレミリアに笑いのセンスはないなと思いつつ。レミリアは流石私の妹ねと笑い、乗ってくれた妹に感謝し、フランはそれを見て微笑ましく思い笑う。
咲夜も、レミリアお嬢様笑いのセンスないな、等と思いながら穏やかに笑っていた。
レミリアの意思に関係なく、何となく彼女の立ち位置が決定した瞬間だった。一先ず、彼女が愛されている事は間違いないだろう。



一段落した後、フランはレミリアに、もう一つの本題を切り出す事にした。既に紅茶も片付けられ、テーブルを挟んで何をしようか等と会話をする状態だ。フランは、囀る小鳥の鳴き声に、一度羨望の眼差しを向けてからレミリアに向かい、真剣な表情で話しだす。

「お姉様、早速だが、私の願いを覚えているか?」

「?ええ、外に出たい、よね。でも、今昼よ?」

レミリアの言い分ももっともだが、フランからしてみれば遮られた窓の隙間から見えた陽光は酷く引かれるものだったのだ。それは彼の意識であり、彼女が経験した事のない未知への関心であった。

「何、日傘をさせば大丈夫なんだろう?何故大丈夫かは知らないが。」

「妖気で日傘とその周囲を覆っているのよ。確かにあれを使えば大丈夫だけど……それでも危険はあるわ。」

心配するような眼差しを向けてくるレミリアに、しかし、フランの意思は覆りようもないほどに固かった。成程と頷きつつ確固たる意志で返す。

「いや、やはり外に出たいのだよ、私は。」

フランの眼差しは真剣だ。彼と彼女の意思は苛烈ともいえる自我の塊、その二人が合わさった彼女に下手な妥協は存在しなかった。
レミリアは暫し黙考、真剣に考え、しかし結局フランの瞳に押し負け溜息を吐きつつ言う。

「………………分かったわ、正し、私も一緒に行くわよ。それに、紅魔館の周囲だけ!」

最後は少し怒った様なレミリア。結局今の彼女は妹に甘いお姉ちゃんであり、故に妥協案を付ける事で納得したのだ。妹と一緒に過ごしたい。そんな意識もあったのだが。
フランはそんな姉にふっ、と笑みを零す。愛おしいと思う気持ちには微塵の嘘もなかった。唯、少し歪んだ部分が存在するのも確かであり、発せられた言葉には多分の愛と僅かな自制が籠っていた。

「了解したよ。お姉様と一緒にお散歩だ。」

「……ばか。」

満面の笑顔のフランに、顔を真っ赤にするレミリア。もうこの姉妹結婚しちまえば良いのに。咲夜は、そんな言葉をオブラートに包んだような感想を持ちつつ、微笑ましげに二人を見守っていた。



陽光が燦々と降り注ぎ、陰が色濃くその姿を現す鮮やかな景色の中、スカーレット姉妹は紅魔館の玄関前に立っていた。正面には、赤い煉瓦作りの道が門まで続いている。
現在季節は夏である。吸血鬼には辛い時期だがフランは何でもない様に平然としていた。レミリアはそれが不思議でならない。自身は直ぐにでも屋敷の中に引き返したいほどだと言うのに。このけぶる様な熱さもまた頂けない。

「この日傘は良いな、陽光の不快感がかなり抑えられる。」

その場でくるりと一回転するフラン。ふわりとスカートが舞った。興奮の所為か妖気が少し乱れている。そんな様子に苦笑しつつ、レミリアは口を開いた。

「まあね、それでも不快なものは不快だけれど。ああ、妖気を纏うのを忘れちゃだめよ?貴女ほどなら少しくらいは大丈夫でしょうけど。」

了解と言って一歩、躍り出る様に踏み出したフラン。日の光に満ち満ちた世界の眩しさにその広さを夢想していた。この世界の隅から隅まで歩いてみたい、飛んでみたい。そんな衝動に駆られているのだ。ああ、私は今までこんなにも美しい世界に目を向けずにいたのか、あの暗い部屋の中に己の領域を定めていたのか。フランはしかし、後悔など入る隙間もないほどに、胸一杯に感動と世界への期待を秘めている。
レミリアはそんなフランを見て、子供の様にはしゃいじゃって、と微笑ましげな表情を。ああ、この忌々しい太陽の下でもフランのあの表情を見れるのなら、案外悪くないものね。今のレミリアにとって、フランと共に過ごす時間ほど貴重なものは他になかったのだ。

「お姉様、私は何処までなら行って良いんだ?今日はどこまで行けるんだ?」

目を細め、諳んずる様に。辛抱ならないという感情が透けて見える様なフランに、レミリアは微笑んで、そして諭す様に。

「そんなに急がないの。この島の中なら何処まで行っても大丈夫よ。湖の上も、少しなら大丈夫。」

フランはそうか、と言って門の向こうを見た。鉄格子の向こう側、木々の額で飾られたそこからは、遥か向こうの僅か下方に美しい湖がきらきらと輝いているのが見えた。大きな雲を浮かべた青空の、その美しい色合いに微笑みを。時折影を作る雲には世界の躍動を感じた。木々にざわめきと共に感じる風には心を洗われ、庭に植えてある煉瓦造り花壇の花の香りを楽しみつつ、フランは何処に行こうかと考える。初夏の香りは草木の香りだ。
さて、どうしよう。何処に行こう。ああそうだ!先ずは門番に挨拶をしておこう。眠っていたらからかってやるのだ。ああそれが良い。そのまま湖まで駆けて行こう。
そう決定するが早いかフランは弾ける様に駆けだした。待ちなさいと言うレミリアの声を置き去りに。初めての外の感動に彼でさえ見たこともない様な風景、そして清涼な空気に童心へと帰っているのだ。
フランは赤いレンガの道を軽く息を弾ませ駆けていく。途中、如雨露を抱えた妖精が、びっくりするような速さだった。彼女を応援するのは水を滴らせた鮮やかな花達である。今この瞬間は彼女にとって、彼のいつかのあの日の様に輝いていた。幼少の日の幻想だ。そしてやがて、蔦を絡ませた門へとたどり着く。綺麗で小さな白い花が、その所々で咲いていた。フランは早速大きな声で呼びかける。

「美鈴さん。起きているかい?寝てはいないかい?門を開けてはくれないか?」

「ふぇ?えぐっ!?」

軽く息を弾ませながら言う声に、答えたのはそんな間抜けた声と、門壁に頭を打ち付けた様な音だった。容易に想像できるその姿に、フランはあははと腹を抱えて笑う。漏れた妖気が蔦の花を小さく揺らした。
暫くすると、そうレミリアが少し早足でようやく追いついた頃に、美鈴は涙目で姿を現す。こぶが出来たのか、その鮮やかな赤髪の上から後頭部を押さえていた。

「うぅ、どちら様って……レミリア様に…フラン様!?ええ!?どうなさったんですか!?」

先ずびっくらこいたのは美鈴だ。大体の話は昨日聞いたが、普段は表に出る事のないフランが表にいる。しかも昼間にレミリアと一緒に、だ。

「やぁお早う美鈴さん。この陽気では眠くなるのも無理はないな。それは兎も角さぁ、門を開けてくれ。」

しかし、フランは美鈴の問いを軽く無視。そんな彼女にレミリアは眉を顰めて諌める声を、美鈴は更に困惑しつつ更なる疑問を。

「ちょっとフラン。貴女急ぎすぎよ、湖は逃げないわ。」

「っていうか美鈴さんって何ですか!?さん付けなんていいですよ!」

金髪吸血鬼少女フランはしかし、唯のお子様じゃなかった。朗々と語って再度己の要求を言う。まぁつまりお子様ではあった。

「お姉様、こういう時は楽しむものだ、走っているその時も。優雅に歩くほど私の時間は遅くはないのだ!」

と、レミリアへ。

「何となくだよ美鈴さん。貴女にはこちらの方がしっくりくる。近所のお姉さん風味だな。さぁさぁさぁさぁそれより門を!」

と、美鈴へ。

突然誕生したやたら明瞭明達なお子様に付いていけないお姉さん二人。テンション高すぎてアッパー状態、ここら辺はフランドール本来の気質が表れているのか。
レミリアは自身の老けを気にし始め、美鈴は子供特有の勢いある雰囲気に軽く呑まれていた。

「ええっと、はい。じゃあ門を開けますね。」

とりあえず、と鍵束を取り出す美鈴。フランは満足そうに頷いた。そんなフランに飛べばいいじゃないと突っ込もうとしたレミリアは。

「嗚呼、頼むよ美鈴さん。ああ、お姉様は飛んでいけばいいじゃないなんて無粋な事は言わない様に。冷めるから。」

「うっ……い、言わないわよ」

先手を打たれて詰まってしまう羽目に。昨日からフランに振り回されっぱなしのレミリアであった。



左右上方から木々のざわめきが響く林道の土の道。美しい色彩の青空に大きな入道雲、そして輝く湖を正面に、二人はゆっくりと歩いていた。フランが急く様に少し前を、その後ろを少し疲れた様にレミリアだ。フランは辺りをじっくり観察しながら歩いている。ミンミンと鳴く蝉の声が響いており、この光景に風情を感じさせた。

「やはり、走っていきたいのだが、お姉様。」

傘を手に、くるりと振り返りながら言うフラン。後ろ歩きでレミリアの返事を待つ。レミリアは一つ溜息、前よりある意味性質が悪いわと思いつつ。

「駄目よ、人を年寄り呼ばわりした罰と思いなさい。それに、レディはあんな風に走るものじゃないわ。」

「前者はそんな心算ではなかったんだが。と言うよりもそう思ったのならば事実では……。」

そこまで言うとギロリと音が付きそうな勢いで睨まれたフラン。苦笑しながらくるりと前を向いて歩きだした。ざっざっ、と土を踏みしめる音が、心地よく感じる程度に気分が良かった。
少し、周囲へと目を向ける。木々の影から、小さな妖精がもの珍しそうにこちらを見ていた。笑って手を振ると振り返してくる。中には逃げてしまう者もいた。これは、ここ幻想郷では当り前の風景。それを認識するだけで、再び胸が高鳴るのを彼女は感じた。妖気は乱れ、思わず鼻歌など歌ってしまう。アメイジンググレース、驚嘆すべき主の恩寵。吸血鬼が歌うには趣味の悪いすぎる歌である。しかし、今ここにいるのは彼女を除けば捻くれた我儘お嬢様だけ。

「良い趣味してるわね。」

と来たのもである。フランは唯、笑って答えた。
暫くフランの歌のみを供に、二人は道を歩いて行く。木々に翻弄される木漏れ日は飽きる事無く、そよぐ風は爽やかに。
Than when we first begun―神の恵みを歌い讃え続けることだろう―……やがて歌が途切れる頃、湖まであと少しと言った所でフランが口を開いた。

「ふと思ったんだが、紅魔館とはマフィアの様なものだな。」

急な話題。鼻歌の沈黙の内に、何を考えていたのか気になる話題だ。レミリアはそんなフランに少々不満気。

「何よ藪から棒に。それにマフィアなんて失礼じゃないかしら。貴女もその一員なのよ?」

フランはいやいやと笑って言う。

「周囲の領地を管理し、支配する。自警団と言うには少々荒々しい存在だ。マフィアの様なものさ。まぁ、昔の貴族よりはましだろうよ。」

あんまりと言えばあんまりな言い様だった。レミリアは顎を少し上げ目を細め、薄く笑って挑発する様に言う。

「ふぅん、なら、私がゴッドマザー?」

それに対するフランは、唯ニヤリと笑って答えずに。
暫しの間、下らなすぎて二人で笑った。姉妹仲は悪くないようだが、どうにも頭が良いのか悪いのか、良く分からない二人。
そんな二人を見つめていた影が一つ。先回りする様に湖へと向かうのに、そのまま二人は気付かなかった。




湖付近にようやく到着。視線の先で森はやがて途切れを見せ。だんだんと湖面の情景が露わになってきた。
そして、その湖面の情景がしっかりと目に映る頃、二人は驚愕の光景を目にする事となる。

「何、あれ。」

茫然と呟いたのはレミリアだ。二人の瞳に映り込む、途切れた森の向こう側。その湖面は鏡の様に波一つ無く。そこには、空の姿が映っていた。湖を吹く風にも乱れない。見る者を圧倒する神秘的なその光景。
鏡写しの空の姿には唯の一つの相違もなくて、対面側には下へ突き出た山の姿もしかと写っている。

「一先ず行ってみよう。」

そうフランが言葉を発した。
二人は森を駆け、魅入られるかのように湖へと近づいていく。
そして、やがて辿り着いた二人は思わず呟いていた。

「これは、何とも。」

先ずはフランが茫然と。

「妖精の仕業、かしらね。」

次いでレミリアが感心する様に。
そこは無音だった。湖の水面にあるまじき無音。背後の木々のざわめきと、風の音だけが響く白い砂浜に到着した二人。そんな二人をふわりと包みこむ様な風が吹く。
二人は片や帽子、片やスカートを抑えつつ湖に見入った。

お姉様は妖精の仕業かと呟いていたが、こんなことが可能なのか、彼女達には。

そう内心で独白するフランは感動に打ち震えていた。日の光に直接あたる事も構わず湖面の空に魅入られてる。静かな水面はそれ程に澄んでいて、そこに映る光景は壮大だったのだ。
躍動する世界の如き雲が、緩やかに空と湖面を滑る光景。山々の雄大さすらもその水面には映っている。世界の一部を丸々切り取って逆さにし、湖に張り付けた様な光景。目の当たりにしてしまえば無理も無いだろう。

妖精も中々どうして。

そんなフランの隣にいるレミリアもまた、普段感じようもない日の光の中にしかし、感動を味わっていた。彼女もこの様な光景は見た事が無かったのだ。類似するそれこそ見た事はあったが、ここまで壮大で、美しくは無かった。フランと一緒に見る光景、そんな事実もそこには加味されていたかもしれないが。この光景の雄麗さは、彼女の瞳にも真実であった。
暫し、そのまま時が流れる。いつ途切れるか分からぬそれを、ただただ瞳に胸に焼きつけようと二人は見入っていた。

そんな二人にふわふわ近づく影が一つ。それは躊躇う様に暫し宙に止(とど)まった後、決心したかのように口を開く。

「ぁ、あの…………。」

その影が発したか細い声に、はっと現実に返ってくる二人。そのままいたら何時までもこれを眺め続けていた事だろう。
フランは振り返り、その影を見た。そこには一人の妖精がいた。緑色の髪を横で束ねた可愛らしい妖精だ。普通の妖精よりも力を持っている様に見える。
フランは妖精を見て、二通りのデジャヴを感じた。

「君は……あの時手を振り返してくれた?」

「はぃ……あの、驚いて下さいましたか?」

一つは森の中に見た妖精である。暗い木陰の中も吸血鬼の目は真昼の様に見渡せた。
そして、もう一つは。

「ああ、驚いたとも……君は、大妖精だな?」

「あ……はい!ご存知でしたか。」

そう、大妖精。東方紅魔郷第二面の名も無き中ボスである。巷では大ちゃんの愛称で親しまれていた。
フランは成程と頷いた。この素晴らしい演出は彼女による所謂悪戯だったのだ。何とも粋な悪戯もあったものだとフランは微笑。

「はは、いや、妖精は悪戯好きと聞いていたが。これは素晴らしい悪戯だ。なぁ、お姉様。」

「ええ、そうね。妖精も中々侮れないわ。」

大妖精を褒めるフランの声に追従する様に褒めたレミリア。妖精をこの様に褒めるレミリア等中々見れるものでは無いのだろう。大妖精は少し瞠目して頭を下げた。彼女にとってレミリアは言わば仕えている主人であり、それは誉れであったのだ。

「確か、妖精は菓子類を好むのだったか?」

ふと思い至ったかのように、フランがその様な事を口に出した。大妖精はそれにコクンと頷いて答える。

「ぁ、ええ、はい。」

答えを聞いてフランはにっこり、レミリアにこう提案した。

「なぁお姉様、どうだろう。彼女を家に招待しないか?ほんのお礼として。」

レミリアもその案を聞いて割と乗り気に答えを返す。

「あら、良いわね。どう?来るかしら?」

これに吃驚して戸惑うのは大妖精だ。しどろもどろになりつつ彼女は答える。

「あ、で、でも、あの、私一人でこれをやった訳じゃないですし。」

「大丈夫よ、お菓子はそれこそ沢山あるから。」

「あぅ……あのぅ、なら、皆を呼びますね。」

恐縮する大妖精に頷く二人。大妖精にしてみれば、主人が珍しく誰かと楽しそうに歩いているのを見て、少し彩りを添える為に悪戯と言う名の素敵なドッキリを計画しただけなのである。しかし、此処まで言われては断れるはずもなく、何よりお菓子は魅力的だった。

「皆~~~~~~!レミリア様がご褒美にお菓子くれるってーーーーーーーーー!」

大妖精の声が響くと、砂浜に面した木々の中から可愛らしい歓声が聞こえた。それと同時に妖精たちが出るわ出るわで総勢三十人前後。予想外の人数にフランとレミリアは目を瞬き、そして顔を見合わせて苦笑。その後、空を飛んで紅魔館へと帰り、賑やかなアフタヌーンティーと相成った。こうして、予想外の出来事と収穫があった初めての散歩は終わったのだ。



「そこであたいは言ってやったのさ、あたいに勝つなんて百万年光年速い(誤字にして誤字にあらず)ってね!」

空色のグラデーションをした、雲の描かれた和服に身を包んだチルノが胸を張ってフランにそう言った。どうやら自分の武勇伝を語り聞かせていたようである。フランは酷く楽しげに微笑みながら、穏やかな気持ちで感想を返す。子供らしい誇張表現が多々あった様だが、彼女の話は若さと可愛らしさと微笑ましさを感じさせ、楽しんで聞いていられたのである。

「色々突込み所はあったが、それは凄い。なぁ、大ちゃん?」

「ぇ、えぇ、はぃ、何て言うか、すみません。」

「あたいったら最強ね!」

咲夜が空間を広げて作った急造の巨大茶室(既に茶室にあらず)では一風変わったティーパーティーが行われていた。
何処から取り出したのやら全員が全員和服を着て、部屋には畳が敷かれ、それでいて和菓子を食み紅茶を飲んでいるのだ。ある意味らしいと言えばらしいのだが……。
フランは思わず苦笑が漏れそうになった。ああ、確かにらしいのだと。室内をごろごろ転がる様な者がいる茶会だ。茶道の祖が見れば卒倒するかもしれないが、気ままな妖精や同じく文化に節操がない紅魔館。いや、幻想郷の茶会らしいと言えば何処までもらしい。……まぁ、もう少し礼節をわきまえてくれると嬉しいのだが、等と紅茶を飲むと言う暴挙に出ながら彼女は考えていた。何だかんだ言って彼女も人の事は言えないのだ。

「えぇっと、フラン様お綺麗ですよ。」

そんな中大妖精の大ちゃんが言ってきたそれは、世辞ではないが世辞であると言う微妙なラインの心情で発せられた言葉だった。本心からのそれもあるが、先程から失礼をかましまくっているチルノのフォローが多大に含まれているのだ。お疲れさまと言いたくなる。まぁ、先程まで彼女自身、結構浮かれて遊んではいたのだが。

「はは、有難う。」

フランはほんの少々複雑な心境になりつつも、微笑みながら礼を言った。
実際の所、フランの着物姿はとても良く似合って美しかった。幼い容姿ながらも白い素肌に深紅の着物は映え、同時に櫛で留められた金糸が僅かに掛かる首筋に、より一層の艶めかしさを感じさせた。描かれた彼岸花は彼女の深紅の瞳を連想させ、潤んだ瞳は血を溶かしたかのように。唯、宝石の付いた羽が少々浮いて見えるのが御愛嬌と言ったところ。

「君も綺麗だよ、大ちゃん。」

フランは一度、大ちゃんをじっくり見て、お返しといった風にその感想を口にした。チルノはお菓子やジュースとの格闘に忙しい様で、会話には入ってこない。

「いえ、私なんて。」

大ちゃんは謙遜するが、若草色の着物は彼女に良く似合っていた。裾付近と手元で色が徐々に薄くなっていて、着物全体が白を基調とした可愛らしい花々で飾られている。それを彼女が着ると正に野に咲く一輪の花の如くと言った佇まいなのだ。良くこんな着物があったものだとフランは感心してしまう。
他の皆もその可愛らしい容姿だけあった着物が良く似合っていた。所々にいる日本的な顔立ちの妖精には特に、だ。

「こんな賑やかなアフタヌーンティーは初めてね。」

「おや、お姉様。確かに賑やかだね。」

レミリアがやたら上機嫌で話しかけてきた。それを見た大ちゃんは、一礼をして少しほっとした様にチルノと場を離れていく。大分緊張していた様だ。
無邪気に楽しむ妖精たちは案外子供っぽい彼女と合ったのだろう。レミリアはプライド云々抜きのお礼と言う形故か随分と楽しんでいる様だ。

「ふふん、皆この私の美しさに驚いていたわ。」

そう言って薄い胸を張るレミリアは確かに美しいと言って過言は無いだろう。フランとお揃いの、紅い着物には真っ赤な薔薇が描かれていた。匠の意匠か派手な薔薇の花はしかし、着物にとても良く合っていた。フランと二人並べば揃いの人形のようにも見えるだろう。

「それは良かった。」

フランは目を瞑りどこか満足気に紅茶を一口。彼は、賑やかな時間を嫌ってはいなかった。思えば、フランドール=スカーレットとしては初めてのこう言った席である。そう思えば取るに足らない全ての音や光景が、酷く感慨深く映るのだった。

と、その時。コンコン、とノックの音が部屋に響いた。室内の喧騒がピタリと止む。

「失礼します。」

ガチャリと音を立てて両開きの扉が開いた。その向こうにいたのは、案の定咲夜だった。どうやらお開きの時間が来たようだとチルノ以外の全員が悟る。中には少し寂しげな表情をする者もいた。
咲夜は部屋に入って一礼、そして妖精たちに向かって言う。

「もうそろそろ逢魔が時が迫っております。獰猛な妖しが出没する前にお帰りになった方が宜しいかと。」

「あ、はい。」

答えたのは大ちゃんだ。それらを聞いて、レミリアは少し寂しそうに言葉を紡いだ。

「そう。じゃあ、今日の所はこの辺でお開きとしましょう。咲夜皆を送ってあげなさい。」

「承知いたしました。」

丁寧に頭を下げる咲夜。妖精たちは、と言うより大ちゃんはそれを見て、妖精たちを纏め、代表でこちらに挨拶をしてきた。

「今日はお招きいただき有難うございました。とても楽しい時間を過ごす事が出来、皆嬉しく思っています。」

丁寧な言い様にレミリアは笑みを浮かべて。

「私たちこそ今日は楽しかったわ。素晴らしい物も見せてもらったし。また、遊びにいらっしゃい。」

それを聞いた大ちゃんは、恐縮しつつも嬉しそうに、「はい。」と笑みを浮かべて返したのだった。

こうして、愉快な茶会はお開きとなり、妖精達は安全な所まで咲夜に連れられて帰って行った。
二人は暫し、余韻に浸る様に畳の端に腰かけて、茶会であった事をお互い話し合ったのだった。







楽しい散歩に妖精の幻想。そして、賑やかな午後の茶会で締め括られたかに思われた今日と言う日。しかし、そこに不穏な影が忍び寄る。
紅魔館の外、木の陰に隠れてふわふわと浮いている影が一つ。どうやら大ちゃんの悪戯に参加しなかった妖精の様だ。一見するだけで不機嫌と分かる膨れっ面をしている。

あ~あ、私も誘ってくれればよかったのになぁ。う~ん、一人で人里に悪戯になんか行かなきゃ良かった。楽しそうだったなー皆。

妖精はその場でクルクル回った。眉を顰めて寂しそうに、膨れっ面で目に涙。ぷしゅ~と、口から空気が吐き出され、くるりと縦に回って木の上に。
何か嫌だな~仲間外れみたいで。と、両の手で頬杖ついて紅魔館を眺める。暫しじーっと見つめ、はたと何かに気が付いた様に手を叩く。ぺちんと小さな音が鳴る。

そうだ。折角だから何か悪戯して行こう。

悪戯は妖精の本分である。機嫌が悪けりゃそれをする。機嫌が良くてもそれをする。ばれなければ問題ないのだ思い立ったが吉日と、周囲を見渡す小さな妖精。よし、誰もいないとガッツポーズ。素早く窓に近づいて。きししと笑って窓を開けた。鍵は手を触れずに物を動かす程度の能力で。

「へへーんだ。お菓子くれなきゃ悪戯するの!」

そして捨て台詞を吐いたらすたこらさっさ。見つからない様に逃げ出した。これが思わぬ結果を招くとは、彼女自身全く考えもしなかった。基本妖精は気ままなのだ。考える気も、全くなかった。







今日は中々に楽しかったと夕暮れ時の廊下を歩きながらフラン。無論、夕暮れ時と言っても全ての窓にはカーテンがしっかりと引かれているのだが。キャンドルの照らし出す薄暗い廊下で今日と言う日を思い返していた。

それにしても大妖精は大ちゃんであっていたんだな。色々分かって収穫のある一日だった。

フランにしてみれば、既に今日と言う日は様々な事が一気に起こった記念日の様なものだ。思わず笑みが浮かぶのも仕方がないだろう。
初めての散歩は姉と一緒で、その道程は和やかに。あの湖面の空は幻想的で、午後の茶会は賑やかに。
紅い絨毯を踏みしめながら、フランは笑みを浮かべていた。

そんなフランにふと、カーテンに遮られた窓が目に入った。鋲の様なもので止められているカーテンだ。
フランはそこで今日と言う日を更に思い返し、そして、考えてしまった。今日を思い返していた陽気をそのままに、考えてしまった。

私は満足に外に出た事など無い。吸血鬼は日光に直接触れればその部分が気化すると言う。そして今日、妖気の扱いを何回失敗した……?
一度目は始めて見る外に感動した時、二度目は美鈴の醜態に思わず笑ってしまった時。三度目はあの胸の高鳴りに。そして四度目、あの時あの湖で、あの光景を目にした時。いずれも体は気化とまではいかなかった。

少しくらいなら大丈夫だろう。

それはちょっとした好奇心だった。彼女からしてみれば、ほんの少し陽光に手を翳すだけの心算だった。硝子越しの陽光ならば普通の陽光よりも平気だと聞く。
だが、運命はその軽挙を嘲笑うかのように非情であり。
フランがカーテンの鋲を外し、そして彼女が僅かな風を感じた時はもう、既に遅かった。

「しまっ――!」

その窓は開いていたのだ。あの妖精の悪戯である。丁度、この窓だったのだ。
ふわりとカーテンは持ちあがり、陽光が同様に広がって行き。フランは――。

「フラン!!」

フランが最後に見た光景は、泣きそうな顔で駆けてくるレミリアで。
レミリアが、フランに辿り着く寸前で、フランの羽は陽光に溶けて消えたのだった。



後書き

今晩は皆さん。如何でしたでしょうか第二話。
作者的に今回は、うぅん、微妙?感想宜しくお願いします。
最期の方少し力付きかけてましたがさてはて。
初め、この作品では景色の描写を練習したかったんですよね。しかし、これがとても難しい。
オリジナルFGの方は完璧に仕上げたいので何か見聞録的な物をもう一つでっち上げるかも知れません。
後、作品の名前変えました。何で気付かなかったんだろうってくらいの単純な名前ですが結構気に入ってたり。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第三話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/10/19 03:45
霧立ち籠る湖の畔。そこを掠る様に存在する道の真ん中。一人の少女が、太陽を霧越しに仰ぎ見ながら立っていた。
少女は金糸の髪を持っており、背丈は小さく、顔立ちは人形の様に美しい。
深く澄んだ湖の様な青い瞳は生気に満ちており、意志の強そうな目元が印象的だ。
服は胸元の黄色いリボンが目立つ、レースが付いた橙と白の洋風子供服。頭には大きな赤いリボンの付いた帽子が乗っていて、一房だけ長い髪がそのリボンでサイドテールの様に括られていた。

「ふぅ。」

少女は額から滴り落ちる汗を拭い、一度今来た道の先を振りかえる。煌めく飛沫が僅かに散った。
そこには林に囲まれた紅い紅い屋敷が建っていた。
そう、彼女の名前はフランドール=スカーレット。現在人間の体の、元吸血鬼の少女である。







東方虹魔郷
第三話 何ものとも知れぬ者2~初めてのお買いもの~





廊下で夕日を浴びたフランが目覚めたのは、それから大分経った深夜であった。
綺麗に整理されたフランの部屋には、門番である美鈴以外の主要人物全員が集まっている。流石に二日連続で門を開ける訳にはいかなかったらしい。
レミリア、パチュリー、咲夜、それとお手伝いの小悪魔に、ベッドで寝ているフラン。

「フラン!」

目を開けたフランの視界に先ず飛び込んできたのは見慣れた天井ではなく、見慣れた姉の顔だった。僅かに感じた違和感は彼のものだろう。
レミリアは涙目で、酷く充血した眼が泣き腫らしたその様を容易に想像させる。
和解した妹が陽光を浴び倒れたのだ。心配しない訳がない。フランはどこか他人事の様にそう思考し、レミリアに笑顔を向けた。

「お早うお姉様。すまない、心配をかけた。」

そんなフランの様子に漸く安心を得たのか、レミリアは目を擦りながら涙声で、叫ぶようにフランに言う。

「もう!もうもうもう!た、倒れたまま起きないから心配したじゃない!!」

見れば、他の三人もほっとした様子だった。
ひっく、としゃくり上げ、ずずーっと鼻水を啜って、仕舞いに咲夜に差し出されたハンカチでちーんと鼻をかむレミリア。フランの直ぐ真横の椅子に座りながらポカポカと叩いてきた。カリスマが来い。
お姉様には悪いが、と前に置きつつ。フランはこの状況に悪い気はしなかった。彼女は愛に飢えていたのだ。

「申し訳ない。軽挙だった。」

そう言ってフランは、優しく微笑みながらレミリアの頭を撫でる。さらさらとした感触をむしろ楽しんでいるのは恥ずべきか。反省色素がアルビノ並みに薄いのは確か。

「うーー。」

レミリアは泣き腫らした赤い顔で、猫の様に目を閉じて撫でられていたが、暫くするとはっと目を見開いて椅子ごと後退った。赤い顔を更に真っ赤にし、再びうーっと唸った後喚く様に言う。

「あ、姉の頭を撫でるなんて失礼よ!」

フランは、後退るレミリアを苦笑しながら見ていたが、それを聞いて嬉し顔。姉と、彼女が自身を姉と、この場面でそう自然に言ってくれた事が嬉しかったのだ。自分はこんなに感傷的だったかと、恐らくは彼の思考で頭の隅に。

「な、何よ。」

レミリアは困惑顔。咲夜とパチュリーはやれやれと頭を振っており、小悪魔はオロオロしていた。

「いぃや、何でもない。特に可笑しな所も無いし、もう大丈夫だろう。」

軽く首を振ったフランがレミリアを安心させるように言う。心配をかける事が本意でない事は確かだった。

「その事で話があるのだけれど。」

しかし、それを遮る様にパチュリーが声を発した。それにつられる様にレミリアの表情も曇る。
何かあるのか、とフランは首を捻るが。思えば、大事なければ咲夜のみで十分なのだと気付く。彼女がここに居続ける必要はないのだ、直ぐに本の虫に戻るだろう。
もしかしたら陽光を浴びる事によって何らかしらの弊害があるのかもしれないと少々不安になるフラン。自業自得と片目を瞑り。

「何か、あるのか?」

と、恐る恐ると言った声色で聞いた。今更ながら己の軽挙を深く反省。アクシデントの分を引いたとしても、少々浮かれすぎていた。レミリアに泣かれた時点でその位反省していない所から現在の彼女がどの位駄目かが分かる。対レミリア限定で。
パチュリーは幼いながらも落ち着いた声色で答える。寝巻の様な帽子に服、背は少女の様に低めの彼女だが、その雰囲気には貫禄があった。地に付かんばかりに長い紫の髪、顔の横にかかる髪は先と中ほどを赤いリボンで結ってある。

「いえ、ね。レミィが言うには陽光を浴びた貴女の様子が可笑しかったそうなのよ。」

「可笑しかった?」

目を閉じ、顎に曲げた人差し指を当てながら言うパチュリー。更に聞くフラン。可笑しかったと言えど、自身が陽光を直接浴びた経験など無く、彼の経験は当然当てにはならない。
フランはどう言う事だ? と、レミリアの方を向いた。
レミリアは暫し戸惑う様に手をもじもじ弄っていたが、やがて決心したのか涙の後の消え入りそうな声で口を開く。

「羽が、フランの羽が消えたのよ。」

それを聞いたフランは首を傾げた。そして羽の先を体の前まで持ってきて、あるな、と一応確認。翼を元に戻してレミリアに確認する。

「羽が消えた?陽光で気化した訳ではないのか?」

そんなフランの疑問に、しかしレミリアはいいえと首を振る。見れば彼女自身の瞳にも戸惑いがあった。或いはそれは、別離の恐怖か。

「陽光を浴びたのならば確かに体は気化して行くけれど、あんな風には消えないわ。陽光の当たってない部分まで綺麗に消えていたし、何より……。」

そこでレミリアはもう一度言い淀み、しかし不安そうにしつつも続けて言う。

「何よりあの時、私を見た貴女の瞳は青かったの。」

「……青?私の瞳が青色になっていたと?」

フランは瞠目、鏡もなしに確認出来る筈もないが、思わず目元に手を持っていく。瞳の変色、それがいったい何を意味するのか。消えた羽の件と自身の在り方を考えれば突拍子もない考えすら浮かんできた。

「ええ、私の勘違いじゃなければ……あの時の貴女は……。」

三度言い淀むレミリア、今度の沈黙は幾分長く、しかし、不安そうなその様子にフランは何も口に出せない。彼女の不安は恐らく、自身の不安を思った故だと理解したのだ。

「レミィ、続きは私が説明するわ。貴女が言うと時間がかかりそうですし、私の説明の方が分かりやすいでしょう。」

「う……ええ、じゃぁ、お願いするわ。有難うパチェ。」

パチュリーは、「レミィが素直にお礼を言うなんて、愛は強しかしらね。」等と思っていたが口には出さず唯「ええ。」とだけ言い、立ち上がったレミリアのいた席に座る。咲夜は咲夜で「お嬢様ご立派になって」などと思いながら先程レミリアが鼻をかんだハンカチで涙を拭っていたが、幸いと言うか誰も見てはいなかった。

「まぁ、面倒だから結論から言うわ。貴女、陽光を浴びると人間になるのよ。」

随分はっきりズバッと言って下さったのは流石魔女様か。パチュリーには躊躇など存在せず、後ろではレミリアが口を開けて愕然としていた。咲夜が丁寧に閉じた。
しかし、フランはうろたえない。何気に予想の付く事であったからだ。

「そいつは随分素敵仕様だ。」

と軽く流す。レミリアは再び愕然として、今度はフランの方へ顔を振り向けた。また口が開いていたので咲夜が閉じる。メイド長とは違い時間は止められない。不安を感じる一時すら惜しいのが二人だ。

「……本当に変ったわね、貴女。」

パチュリーは何とも言えない微妙な顔でフランを見た。当の彼女はまぁな、とでも言いたげな仕草で答える。継続的事柄故に両者どうとも言えないのだ。それが分かるパチュリーは、首を振ってから表情を引き締めて説明に入る。

「レミリアから貴女の性格が変わった訳は聞いたわ。恐らく魂ごと吹っ飛ばされてきたんでしょう。魂に人間の情報がフィードバックされて、人間の持つ光の遺伝子と言えるものが組み込まれたのよ。それは普段隠れているけれど、陽光を直接浴びる事によって活性化するの。事後承諾で悪いけど、少し調べさせて貰ったからね。……肉を切り取って。」

「……小難しい話になってきたが、欠点ではなくむしろ利点だろう?」

説明を聞き、肉を切り取って!? と少々戦慄していたフランだが、ややこしくしない為表には出さずに聞いた。この世界には彼の世界の常識が通用しない事など彼女の経験として知っているのだ。
パチュリーは大した事でもない様に淡々と続ける。

「そうね、光があれば影は強くなる。遺伝子が入った事による弱体化は無いし、恐らく人間時は霊力を扱える筈よ。妖力と同じ様な感覚でね。余程の事がない限りどちらかに行き過ぎるなんて事は無いわ。」

一先ずの不安は解消され、故にフランは更に聞く。

「で、問題点は?」

「レミーよ」

どこか投げやりに答えたパチュリー。ビクッとレミリアの肩が震え、羽がピーンと張る。こんな風にレミリアに対してはっきり言えるのは親友故か。レミィパチェと呼び合う仲は伊達ではないらしい。
やはりなぁと思いつつ、フランは手と羽の先をもじもじするレミリアに聞く。これは重要だが余程の問題ではない。故にまどろっこしいのは嫌だった。

「お姉様、嫌か?こんな私は。」

レミリアは「い、嫌じゃないけど……。」と口をもごもごさせ、少し顔を背けたかと思えばジト目でフランに言ってくる。

「フラン。貴女、陽光が平気だとわかったなら昼間に遊び呆けるでしょう。」

遊び呆けるとは失礼な、と少々憤りつつもフランは成程と頷き、お姉様は私の事を良く知っていると感心していた。この私が人間の体などと言う物を得て、外の世界に出て行かない訳がない等と誇れもせずに胸を張る。加えて言うが彼女はまどろっこしいのが嫌いであり、故に。

「当然だ。」

と、きっぱり答えた。そして、遊び呆ける訳ではないがな等と少々意地を張って言う。だが妖怪の時は長い、遊びの時間も長くなるのが当然だ。幻想郷でなら尚更だ。

「うーーーーー!私と遊ぶ時間が減るじゃない!!」

結局遊ぶのかと突っ込んではいけないのだろう。
膝を両手でばしばしと、合わせて羽をバサバサと。しかし、フランはそんな少女の願いを切り捨てる。

「常に何ものかの犠牲は付き物だよ、早速、明日から幻想郷散策に言ってくるので悪しからず。」

目を瞑り、付き合いきれぬと軽くポーズ。

「フランの馬鹿ぁーーーーーーーー!」

そんなフランにレミリアは泣きダッシュ。乱暴に扉を開き、バタン! と締めて出て行った。拉げたドアノブがその拍子にポトリと落ちたのは、吸血鬼ならではの御愛嬌か。ギィ、と建付けの悪くなった扉が独りでに開く。

「夕飯前には帰ってくるが。」

「仰るのが遅すぎるかと。」

咲夜は嘆息した。そして、一礼してからレミリアの後を追う為に駆けていく。
吸血鬼化してしまえば疲れなど知らない。精神的に疲れたのならば、昼間に寝ればいいだけだ。
実質的にレミリアといる時間が減る訳ではないだろう。彼女が昼間も起きているなどと言わない限り。

「と言うよりも、幾ら幻想郷が安全だからって全く危険がない訳じゃないのよ?」

少し怒る様に言ってきたのはパチュリーだ。或いはレミリアをからかうポジションをとられたのが嫌だったのか。だが、言っている事が重要なのは火を見るより明らかだ。
フランは布団を退け、ベッドの横に腰かけながら聞き返す。

「と、言うと?」

「霊力を使えるのは確かだろうけれど、妖力が使えなくなった以上魔法は使えないんだから、それに変わる何かを持たなくちゃ。能力もどうなるのか分からないし。」

パチュリーの表情は真剣だ。同じく真剣な声色からもフランを重要視している事は窺える。いや、その後ろにあるレミリアへの影響だろうか?繋がりはあったが仲が良かったとは決して言えない。悪かったとも言えない。

「あーー。」

成程、とフランは頭を掻いた。霊力を操作できても外界に放つ術式がなければ通常弾幕程度しか放てない。組み合わせて形を持たせるくらいは出来るだろうが……。やはり、陰陽の概念上、陽に属する現在扱える魔力が少ないのは痛い。太陽内の小陰で、あれだけの魔法を扱える魔理沙は、努力の結果だろうが色々と別格だ。

「やはり、能力にも影響があると考えた方が良いか。まぁ、なればそうであると分かるだろうが。」

「そうね、そちらはあまり問題ないでしょう。」

パチュリーはそこで一旦言葉を切って、何かを思案してから「所で。」と初めに付けて探る様に言った。

「貴女、と言うよりも貴女になった彼は、何か宗教に入信していたかしら?もしそうならその宗教関連の法術が適しているのだけれど。」

再び成程とフランは相打った。信仰の観点から見てやはり以前から信仰していた物の方が良いのだろうと。だからはっきりこう言った。

「カトリックだ。」

フラン以外の二人が、ものっそい微妙な顔を。この場にいるのは魔女と小悪魔、自称カトリックの吸血鬼。無理もない事である。




あの後フラン達は魔道図書館へと移動、信用できる妖精を出来うる限り動員して聖書や法術書を探す事に。
結局、教会が使っていたとされる法術書の類は発見されなかったが、奥の本棚の隅の中段。宙に浮かばねば届かぬそこで古き力ある聖書は発見されたのであった。しかし。

「…………これ、私が触れるのは不味くないか?」

フランが冷や汗を掻いて言った。視線の先には本棚に収まった件の聖書。触れられない。そう、触れられないのだ。

「……理論的にはどれほど影響があろうと人間へ変化するだけだと思うけれど。」

そんな半ば実証の下の言葉すら飲み込むほどに聖書の力は強大すぎた。この場にいる誰もが、触れればあるべき姿へ還されてしまいそうなほどに。それは魔女であるパチュリーすらも影響を受けるであろうものであり、何故こんなものが魔道図書館にと皆首を捻った。ほぼ嫌がらせの領域である。

「まぁ、それは兎も角レッツチャレンジよ。死にはしないわ。」

「気楽に言う。だがまぁ、まごまごしてても始まらないか……術式を組むだけなら普通の聖書で良いのにな。」

フランの言うとおり、術式を組むだけならば聖書の内容を参考に皮肉にも魔女であるパチュリーが組めるのだ。無論、一応信徒であるフランにも組めるだろうが、これは慣れの問題である。言ってしまえば詳しいだけの一般人にも組むだけならば割と簡単に出来てしまうものだ。

「……よし。」

フランは意を決して手を伸ばした。
瞬間、激しく火花散る様な閃光。大音響で静電気の走った様な音と衝撃が駆け抜けた。
その変化は一瞬で、見るものが見れば余りにも劇的。

「――――――っ!!」

ビクンっとフランが体全体を仰け反らせたかと思えば、次の瞬間には雪が散る様にその背中の羽が白く散り。深紅の瞳は泉の様な青に染まる。
身に纏う気は寒暖が切り替わるかのように霊気へと。その波動が空気を震わす。風で周りの皆は僅かに後退を余儀なくされた。
この間僅かに三秒足らず。

「…………っ!」

今まで見た事も無いこの光景にパチュリーは息を飲む。瞠目し、好奇心で笑みが浮かんでいた。

「……ぁっ。」

ふらり、とフランが僅かに落下する。慌ててパチュリーらが空を駆けよるが、その前にコツをつかんだか彼女は空中で踏ん張った。

「…………どうやら成功した様ね。」

パチュリーが知的好奇心を隠さぬ瞳と声色で、しかし、安堵を滲ませてフランに言った。
ほぅ、と息を吐いたフランがこれに頷く。片目を瞑り、口元には笑みが浮かんでいる。

「やはり、妖力そのままに扱えると言う訳ではなさそうだが、応用は十二分に効く。」

と、フランは掌の開閉を繰り返しながら。心なしか、いや、とても嬉しそうである。
手に持つ聖書も今は静かな力の波動を放つのみ、特に危険はない様だ。

「陽光を浴びずとも人になれるのは便利だな。」

「そうね。吸血鬼時と同じように霊力を纏っていれば、陽光にも聖書にも頼らずにその姿を保てる筈だし。」

疲れるでしょうけれどね、とパチュリー。フランは承知したと頷き。

「さて。」

早速と言わんばかりにパラパラと聖書を捲る……が。

「……読めない。」

溜息をついて「でしょうね」とパチュリー。

「これは、先ず魔法で言語を習得してもらう所から始めましょうか……。まぁ、安心して、直ぐ終わるわ。」

ほっと息つくフラン。だが、世の中そんなに甘くはなかった。
パチュリーが人差し指を立てて、教師の様に言ってきたのだ。眼鏡があれば完璧だったとはフラン談。

「準備にほんの一時間、儀式にほんの三時間。後片付けまで含めれば五時間ほど、夜明け頃には終わるからお手軽ね。」

「……。」

沈黙、僅かに冷や汗。

「ああ、勿論儀式の最中には動いちゃ駄目だからね。分かった?」

「…………了解。」

僅か五時間で一言語を習得できるのだから寧ろ泣いて喜ぶべきだと自分を納得させるフラン。
だが、彼はこの様な時我慢強かったが、彼女は我慢弱い。間をとっても彼女にとっては辛い時間になりそうであった。


そんな感じで過ぎた後、儀式が済んだフランは二三術式を組んで貰いスペルカードに。理解するために朝飯のサンドイッチ片手に必死で聖書を熟読。汚したら賢者の石ねと言われたので細心の注意を払ったのは余談である。無論冗談だと言う事は分かっているのだが。
途中、レミリアの来襲があったりしたが、聖書を猫の様に警戒してうーうー唸りながらじりじりと間合いを取る程度であった。面白がっていたら咲夜に怒られ自身も自己嫌悪及び自制の嵐飲まれたので二度としないと誓う。
そんなこんなでお昼時、早めの昼食を食べたフランは簡単なおやつを持たされ、門まで主従コンビに見送られて出発したのだった。レミリアが涙ながらにハンカチを振っていたのにはかなり苦笑した。美鈴?美鈴は昼寝を敢行していたので恐らくメイド長にこってり絞られているだろう。
何にしても騒がしい事だとフランは思った。




閉め切られたカーテンから僅かに陽光の洩れる廊下の中、モップを抱えた十六夜咲夜は一人物思いに耽っていた。昼間の主な仕事は時間を止めた勢いで済んでおり、無論疲労はあるがそれでも彼女は思わずにはいられない。
内容は彼女の主人レミリア=スカーレット、その妹君であるフランドール=スカーレットについてだ。
彼女の主人は信用しているようだが、彼女自身は未だ信用しきれないでいたのだ。それは、主人の意に反する事であり間違いなく害悪なる思考。しかし、それでも、と彼女は思う。あの余りにも人間らしすぎる思考は危険だ、と。彼女は自身に厳しい。その厳しさはいざという時に自身の姉を滅する事も厭わないだろう。そう、平和な幻想郷だから完全に安全だ、などあり得ないのだから。非常識の腐毒は非日常的闘争を生む時がある。
今はまだ、レミリアお嬢様が現状に満足していらっしゃるが故に異変と呼べる異変を起こしてはいないが、いずれその不満が爆発する時が来るだろう。その時彼女の立ち位置は何処にあるのか、いや、それだけならばまだ良い。しかし、今の彼女は人となれ。更に、その姿のまま戦う術を持っている。吸血鬼に対して強力な戦う術だ。そのまま人として生きる事も或いは可能なのである。
どうすれば、と胸に抱えたモップに体重を預ける。彼女の軽やかさにもモップはギシリと鳴った。軟弱者めと口をへの字に。
思わず溜息が漏れる。ヘッドドレスの乗った短めの銀糸が揺れる。何気に色以外は主人と一緒の髪型でお気に入り。
パチュリー様に相談するべきだろうか、美鈴は論外だと思う。いっそ、本人に直接問いただすのも良いかも知れない。フランお嬢様の狂気を抑えるほどの堅物が入った思考回路だ。私の評価は下がるだろうが嘘は言うまい。

「ん~ん~」

顎を柄に乗せ体を揺するとぎっしぎっしと音が鳴る。モップの悲鳴とでも言うつもりだろうか。軟弱者だ、モップの風上にも置けない。彼女がモップに何を期待しているかは分からないが、その悩みが深刻なのは確かなのだろう。眉根に皺が寄っている。

「…………何してるの? 咲夜。お祈り? それともモップが恋人かしら?」

そんな咲夜に声を掛けてきたのはパチュリーだ。いつものゆったりとした服装で眠たげに眼を擦っている。頭に乗っている帽子と言い、本の代わりに枕を抱えていたら完全に就寝体勢だと思うだろう。

「は!」

咲夜は慌てて気を付け、振りかえって確認した後すぐさま一礼をした。そして、誤魔化す様に言う。

「一段落して暇なもので。今からお休みですか?」

パチュリーはそんな咲夜を見て溜息。「暇だからお祈り? 逢引?」と呆れた様な表情でからかった。

「モップに活を入れていました。」

対する咲夜の返答はこれである。無理を過ぎた。パチュリーはどうせレミリアとフランの事で悩んでいたのねと検討を付けた。だから更にからかう。

「恋人でも見つけたらどうかしら、私は嫌だけれど。」

咲夜もパチュリーの考えを察し頬が引きつる。この尼と言う言葉を甘く煮詰めた感情を以って精一杯の笑みを浮かべ、電話口の様に言った。顔が引きつるのは抑えられていないが。

「……私には、お嬢様がおりますので。」

パチュリーはフッと笑った。咲夜を、ではなく何となく自分を笑ってみたのだ。一連の会話の価値など万能ならざる自分には分からない事だが、咲夜にこの問いかけをすればそう返ってくる事は分かっていた事なのだ。だから笑った。

「まあ、良いけどね。でも、一応忠告はしておくわ。」

パチュリーがそう言うと。

「忠告、しかと承りました。」

咲夜は間髪入れずにそう返してきた。お互いに笑みが浮かぶ。

「ええ、じゃぁね。」

「恐らくは、お休みなさいませ。」

眠い。パチュリーはそう思って自室へと向かって行った。
咲夜はそんなパチュリーを頭を下げて見送って、さて夜の準備をしなくちゃと逆方向へ。
心配するのも仕事の内。趣味と実益を兼ねたこの仕事は、彼女にとって天職だった。そりゃ命を捨てたって惜しい程度だ。




さぁて、何処へ行こうか。昨日も似たような悩みがあったが今日は少しばかりスケールが違う。
一応、幻想郷の地図は持ってきたがああさてはて。

フランはサンドイッチを食みながらつらつらと、淀みなく歩いていた。止まるその時間が惜しいとばかりのその様は妖怪にあるまじき生き急ぎにも見えた。

ここらにあるミスティアの屋台は夜にしかやっていないだろうし、新しい術の訓練も碌にしていない現状では余り遠くへ行くのも危険だろう。

フランはううむと目を瞑って頭を捻る。顎に手を当てて考えるのはちょっとした癖だった。
既に泉は遠く霧も晴れ、頭上には燦々と太陽が輝き額には汗が浮かぶ。左右非対称に眉を歪めて汗を拭い、頭上のそれを見上げれば、青空に巨大な入道雲が浮かんでいるのが目に入る。ピーヒョロロロロと空高くを鳴いているのは鳶だろうか。さわさわと心地よい風が吹いている。
フランに思わず笑みが漏れた。余程の田舎でなければこの空気は味わえないと。

紅魔館の位置から見てここは霧の湖を挟んだ正反対。目の前の深い森がかの有名な魔法使いの森か。館も湖も森もこうして見ると感慨深いものがあるな。
ここも危険と言えど少し悪戯に会う程度だろうが。

フランは立ち止り、顎に握り拳を当て思案する。暗い暗い森からは幾つかの視線を感じた。

万が一に備えてここは上空を飛んで行こうか。ここから一番近く安全な場所は……香霖堂だな。特に用はないが時間も余りない事だ。ここにしよう。

フランは、行き先を決定するや否や霊気を纏ってふわりと浮かびあがる。力を持つ幻想郷の住人ならば極々自然な動作だが、人の身の所為か彼女には酷く新鮮に感じられた。
一度地を蹴って加速。そのまま一気に高度を上げ、フランは森の木々より尚高く飛び上がる。周りは見ず、唯空だけを見て風を切って宙を飛び。速さは一秒の間に自身を三つ縦に重ねた程度。上空へ行けば行くほど風を感じ、感動を覚えていた。私は今、翼無しでこの青空を飛んでいるのだと。大図書館の本棚を縫うように飛んだ時とはまるで違う開放感を心地よく思っていた。
凡そ小山ほどの高さまで浮かび上がった時、彼女は上昇を止め初めて辺りを見渡した。風に目を細め、ゆっくりと体を回転させながら。感動に身を震わせて。

何ともはや、素晴らしい。この光景を言い現わす術を私は持たない!

フランの背筋をぞくっと、恐怖にも似た喜びが駆けあがる。
人の身でここにあると言う事は斯様に心揺さぶられるものなのか。と感嘆の吐息を。
青に染まった眼は見開かれ、口元には抑えきれぬ笑みが浮かんでいた。

霧の湖は幻想郷の中心より僅かに北西へ外れた位置に存在している。中心方向へ掠る様な現在位置故にほぼ中心と言って間違いないだろう。
先ず目につくのは眼下に広がる魔法の森、霧の湖から歪な扇状に広がっている。視線を僅かに左へずらせば遠方に人間の里も見えた。対象的な位置に森と繋がる様に存在するのは迷いの竹林だろうか。竹林とは里を挟む様な正反対、そこには雲を突き抜ける妖怪の山が見える。遠方になればなるほど空に霞んで見え難い。

ひゅぅ、と一際強く風が吹いた。視界の前方からピーヒョロロロロと鳶だろう鳥が鳴く声が聞こえる。
フランは帽子を手で押さえ、尚治まらぬ口元の笑みをそのままに、満たされた目で手を大きく広げ体を逸らした。深呼吸。上体を丸める様にふぅと息を吐く。

「香霖堂は、魔法の森を川に沿って行った所にあるんだったな。」

気を落ち着ける様に、彼女は言った。興奮冷めやらぬままに行動したいところだが、自制せねばどうにも危なっかしいのが今の自分であると理解している為だ。以前のやんちゃっぷりが良く分かると心情を吐露する様な溜息が。
巨大な雲の隙間に見える透ける様な青空を仰ぎ見てそんな自分に苦笑い、気を持ちなおしてから彼女は空を行くのだった。




「おや、いらっしゃい。」

「し、失礼する。」

人間の里へ続く川沿いの近く、魔法の森の入口に佇むそれ自体はひっそりとした中華風の小屋のような建物。ここが幻想郷にも珍しい外の世界の物品を集め売りさばく香霖堂である。
店内にいるフランは当然その店構えを正面から見てきた訳だが、お世辞にもまともな店には見えなかった。ボックス型ではない公衆電話、道路標識、狸の焼き物に一輪車、冷蔵庫の上や周囲にも電子レンジやら三輪車やらがごちゃごちゃと。正面から見て、後方に居住区のある左側面はまだ片付いていたが、右側面はタイヤやら何やらで目も当てられぬ惨状だったのをしかと見てきた。そのそばにあった井戸はちょっと使いたくない。
ゴミ屋敷、そう形容詞するのが正しいのではないだろうかとフランは思った。店内もそれに劣らぬ節操の無さであることからして。

道が確保されているのは良い、しかし、何故テレビと電子レンジが積み重なっているのか? 鉛筆とボールペンが纏めてあるのは何故なのか? 張り付けてあるぺナントは新手のジョークなのか? ゴッホのひまわりがあるのは目の錯覚か? いや、目を擦っても変わらない。

和風と洋風の合わさった節操のない質屋を連想するといいかもしれない。店の整頓と種類分けを適当に投げた風景を思い描ければ完璧だ。
フランは一先ず、頬がひくつくのを抑えきれなかった。口元が微動を繰り返していなければ完璧な笑顔を必死に保ち続ける。結構笑えた。

「何をお探しで?」

そう言う霖之助は霖之助でこの珍妙な客に少なからぬ疑問を抱いていた。
そもそもからしてこの香霖堂に人が足を運ぶ事は珍しい。大抵人間で訪れるのは品を問答無用で強奪して行く様な紅白巫女と白黒の魔法使いだけだ。無論、皆無と言う訳ではないのでそれだけで訝しむ訳でもない。
先ずはその年齢が可笑しい。身に纏う霊気からして(そもそも何故霊気を纏う必要があるのか、警戒されているのか?)人間であり、彼女の年齢がその外見のまま幼子である事を指し示す。そして、彼女が纏っている霊気自体の質と量も尋常ならざるものがある。恐らくは並みの退魔師数十人分、普通の人間ならば仙人にでもなって数百年の歴史を積まねばたどり着けぬ領域だ。見るに所々に荒は目立つがその制御も十二分に及第点。やはり可笑しい。後はその容姿だろうか、幻想郷の人間では珍しい西方の顔立ちだ。その美しさについては今は関係ないだろうと無視。

「……いいや、唯珍しい物があると聞いて。」

そう答えた少女はどこか恐る恐ると言った風に辺りを見回した。吃驚箱を覗く様な心境が窺える。
どこか硬い雰囲気と何かに耐える様な笑みを考慮に入れれば外の世界の退魔の者が、このご時世に思いもよらぬ力を得て迫害され、この幻想郷に流れ着いたなどと言う有り触れたストーリーが思い浮かんだ。これがラブロマンスの恋愛小説ならば。と、此処まで考えて霖之助は首を振った。いや、年齢的に無理だろうと。そもそも彼にそっち方面の興味は薄かった。
しかし、彼女の態度や先程のどこかひきつった笑みは一体何なのだろうか。と霖之助は首を捻る。当然彼の考えたストーリーなどに端から意味はない。
まぁ、初見の者がする態度と似たようなものか。そう彼は納得した。そもそもからして商売には向いていない性格である。

「何か、面白い物は見つかったかな?」

一応の満足を得た彼は早速商売(暇潰し)に移行する事にした。それに、もし、外から来た人間ならばここにある道具の使い方を知っているかも知れない。外来人は知識人として重宝されるが人里の者よりも貧弱であり、更に言えば大抵は妖怪に食われてしまうのだ。まぁ、稀に生き残って稀に住み着く者もいるのだが、本当に稀で生き残った者は大抵外へと帰ってしまうから彼女には少し期待。

「面白いと言えばこの店自体が面白い。」

フランのこの反応におや、と霖之助は思った。
硬さは抜け、もうおっかなびっくりと言う様な感じも消えている。どうにも印象が一致しない。不可思議。確か外では不思議ちゃんと言うんだったか? 彼女の様なのを。

霖之助が首を捻っている頃、フランはこの店を観察しつつ店主森近霖之助について思い出していた。
先ず、この店を見て分かる通り変人だ。そもそもからして商売向けの性格ではないのに商売をしている。まぁ、止める人もいなかったのだろうが。
次に、店の経営自体適当である事。値段は店主がその場で適当に付けたものであり値札など当然なく、店主にも使い方(彼の能力で用途は分かるが操作方法が分からない。)が分からないものも多い。と言うか、操作方法が分かって尚且つ便利なものは自身で使って決して売らないと言う致命的さ。
後は、見かけ通りの文字通り人ではなく、人妖であり且つ高齢である故話が長いと言う事が上げられるか。
何でも誰も使い方が分からない道具、つまり外の世界の道具を扱う道具屋になる為、勤めていた道具屋最大手霧雨家から独立したらしいが……まぁ、確か常連はいるらしいので繁盛とは行かずともそれなりに稼げているのかどうなのか。

「君、もしかしたら外から来たのかい?」

唐突に霖之助が発したその言葉に、フランの眉がピクリと動いた。少々予想外の質問だ。この容姿から判断されたかそれとも他の何かなのか。幻想郷に来て浅い彼と出て浅い彼女の知識に霊気云々やその他の事が分かる訳はない。

「数年前に。」

フランは端的に答えた。紅魔館がこちらに移転してきたのは確かそうだった筈。今後を考えれば下手に嘘を言う事も無いだろうと判断したのだ。
対する霖之助は内心でほくそ笑んだ。上手くいけば幾つかの道具の用法が分かるのである。

「そうか、実はね、ここにある道具には使い方が分からないものも多いんだ。もし良かったら教えてくれないだろうか? 勿論、お礼はするよ。」

フランは形の良い眉を左右非対称に歪めた。悪い取引ではないが、損をするつもりもない。つまり、どれだけ少ない手札で多くの対価を引き出せるかが勝負である。
この交渉は自身に有利。相手はこちらを子供と見て侮るだろうからと一度目を瞑り。

「――乗った。」

見開いてそう宣言した。お前のどこが子供らしいのかと小一時間問い詰めたいニヤリ笑い。霖之助の頬が少し引きつったのも無理はないだろう。



結果としてフランの戦利品は以下の通り。
焼失した筈の幻のゴッホのひまわり、お土産と偽って貰った煙草、本当にお土産であるお酒(料理用)。高級茶葉、本を十数冊。ボールペン他筆記用具や手帳等。大戦果だ。
霖之助も幾つかの道具の使用法が分かり満足気。
実際、フランの交渉が上手かったのかと言うとそうでもなく、素人らしく程々と言った所だった。しかし、子供だと言う先入観と、気に入ったと言って唯の絵(ひまわり)を欲しがるフランに苦笑した霖之助がおまけしてくれたのである。可笑しな口調で必死に交渉する子供に微笑ましいと言う感情を抱いたのだろうが、何気に上手い事騙されていた。更にお土産まで付ける始末である。

「お土産まで有難う、霖之助さん。」

両の手に背中、首にも荷物をぶら下げたフランが微笑みながら軽く会釈をし、言った。

「いやいや、またおいで。」

そんなフランをこちらも微笑みながら見送る霖之助。初めはそんなに持って大丈夫かと彼も心配したのだが、巧みに霊気を操るフランを見て安心したのだ。それなら強化もお手の物だろうと今は特に心配していない様子。

「ああ、また来る。」

そう言ってフランは店を出て行った。予定よりもだいぶ早い帰宅をした彼女が持ち帰った品の数々が、紅魔館の人々に喜ばれたのは余談である。




「フラーン! って、何読んでるの?」

夜、一人薄暗い自室のテーブルで読書をしていたフランの下に訪れたのはレミリアだ。にっこにこと元気良くやってきて、音を立てて扉を開いたのだが、真剣に読書に勤しむフランを見て出鼻をくじかれた様子。勢い良く開いたドアの所為か、蝋燭の灯が揺らめいている。
フランは翻弄される影に一瞬眉を顰めた後、答えた。ページを捲る音が響く。

「聖書、と言っても香霖堂で貰ってきた奴だが。」

まさかあれを紅魔館内で持ち歩く訳には行くまいとおまけで貰ってきたのだ。ここでも儀式で得た新たな言語が役に立つ。

「ふぅーん、銀の十字架とかも貰ってきてたけど、あれ、役に立つの? 私全然怖くないんだけれど。」

レミリアはてくてくと歩いていき、ぴょんと飛び上がってベッドの縁に座った。何でもない風だが、内心ではフランの部屋にこんなにも自然に出入りしている自分の現状に少なからぬ驚きと喜びを感じていた。遊びに誘おうと思ったのだが、ふと今のフランを見て、そんな気持ちが遠のいた。

「パチュリーからの受け売りだが、外の世界の十字架は聖なる力も碌に無いらしい。教会の物はある程度危険らしいが。」

フランの返答にも、レミリアは「ふぅ~ん。」と興味があるのかないのか。挑まれたならば兎も角、好き好んで自分を敵視している存在の所になど行く趣味はないので、試した事も無いし試す気も無いと言うのが正直な感想だった。それよりも。

「ねえ、フラン。」

カサリ、とページを捲る音がする。

「何かね。」

フランは静かな声色で答えた。
ゆらゆらと室内を照らす頼りない蝋燭の炎、それに照らされたフランの顔を見ながら、レミリアは思った。何だかフランが遠い、と。直ぐ近く、少し歩いて手を伸ばせば届くだろうけれど、心の中にいるフランと今のフランは余りに遠かった。でも、フランはこちらに歩いてきてくれる。だから不安はなかった筈なのに。一緒にいてくれるならそうである筈なのに。

「明日、一緒に眠らない? 明日は何処にも行かないで。夜まで一緒に。」

「……我儘だな。」

フランは聖書から目を離さずに言った。そこに憤りはない。
カサリ、とページを捲る音が響く。

我儘、そう我儘だ。私は我儘だから、でも、皆私の我儘を聞いてくれて。フランはどうだろうか? 私の我儘を聞いてくれるだろうか? それとも。

「まぁ、良い。良いとも。」

フランはやはり、良いと言ってくれた。嬉しい、けれど。

「……有難う。」

私は安心して、ほんの少し落胆した。私は我儘で、皆は受け入れてくれるからと、ほんの少し落胆した。
レミリアはぼふっと音を立ててベッドに倒れ込む。倦怠感が、身を包んでいた。少し、悲しかった。
蝋燭の灯が揺れる。

「だが、お姉様。」

そんなレミリアの心情を知ってか知らずか、ページを捲りながらフランは言葉を発した。変わらぬ静かな声色で。安心できる遠い響きで。
レミリアは、ほんの少しの間目を瞑ってから答えた。

「……何?」

レミリアは良いなぁ、と思った。天幕を見上げながら、蝋燭の灯に照らされて本を読むフランを何となくそう思った。大人っぽいな、と思ったけれど。

「私も、我儘だ。」

フランから発せられた言葉に思わず瞠目し。「えっ」と息を漏らした。フランは構わず穏やかに続ける。

「外を見たい、人を見たい、接したい。そんな気持ちが私にだって当然あって、今日の様に我儘(……)だって言う。」

レミリアが体を起こすと、そこには相変わらず本を読んでいるフランがいて。

「だから」

そのフランが顔を上げてこちらを見て。その背後の蝋燭に照らされた、まるで子供の様な、しかしどこか大人びた笑顔で。

「私の我儘も、聞いておくれ。」

そう、言ってきた。にっこりと、そう形容詞するのが一番良いであろう笑顔でのそれはお願い。だから。

「ええ! 勿論!」

だから、レミリアも笑顔で言った。ちゃんと正しく生きればフランは遠い存在なんかじゃない。違うけれど、一緒だと分かったから。笑みを浮かべて、言ったのだった。
それは、心からの笑みだった。




後書き

レミリアが子供っぽいのは確かなので、子供の思考をトレースして書いてみました。いかがでしたでしょうか。
どうでしょう。しっかり描けているでしょうか、後、情景が何となく思い描けないぞって所はないでしょうか。
そう言う所がやはり不安になってくる今日この頃。
何にせよ、次も頑張って書いていこうと思います。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第四話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/10/19 03:48
日差しが色濃く影を作る幻想郷の昼下がり、赤い洋館のテラスにて。日差し除けのパラソルを張ってお茶を楽しむ少女が一人。
彼女は吸血鬼レミリア=スカーレット。ここ紅魔館の主である。
テラスを侵食する日の領域は端から一メートル弱程だが、念には念を入れてと言う事だろうか。恐らく動かない知識人作であろうパラソルはそこに彼女にとって快適な空間を演出していた。

「お嬢様、クッキーをお持ちしました。今日はオレンジピールクッキーです。」

部屋から薄い影を抜け出すように現れたのはメイド長十六夜咲夜だ。手には香ばしい匂いのするクッキーが乗った皿を持っている。

「あら、良い匂い。」

ことりと丸いテーブルに乗せられた皿の上からクッキーを、早速と言わんばかりに一つ摘むレミリア。咲夜はソーサーの上に置かれたカップへ丁寧に紅茶を注いでから、無駄を感じさせない動作で主の後ろへすっと控えた。
レミリアがさくっと音を立ててクッキーを齧る。顔を傾け思案する様に目を斜め上に、もぐもぐと咀嚼してたっぷり味わい。

「うん、美味しいわ、咲夜。」

にっこりと、咲夜の方を見てほほ笑んだ。咲夜は僅かに口元に笑みを浮かべ、丁寧にお辞儀をする。
レミリアは紅茶を一口飲んだ。ダージリンとオレンジピールは爽やかにマッチする。
またクッキーへと手を伸ばした。もぐもぐ頬張り頬が緩む。中々の健啖ぶり。見ればメイド長もその様子を微笑ましそうに眺めている。

紅茶を一口、ふぅ、と一息。
口元に付いた食べかすを咲夜が丁寧に拭った。

「ご馳走様。」

「はい、お粗末様です。」

ご馳走様にお粗末様。レミリアはこの日本の文化とも言える謙虚さを最近好きになってきていた。一歩引いて譲るとは奪うと同様の傲慢さを孕みつつもしかし、相手がしかとその気持ちを受け止めてくれれば心地よいものだ。そう、実に心地よい。そうする事も、そうして貰う事も。知っていた心算だったが、てんで気付いてすらいなかった。

テラスから幻想郷に目を向ける。蝉の鳴き声が賑やかだ。夏の鮮やかな日差しの世界。眼下に広がる幻想郷を、レミリアは目を細めながら穏やかに眺めていた。







東方虹魔郷
第四話 人間の里





ここ幻想郷に置いて妖と人間は持ちつ持たれつと云った関係だ。妖がいなければ幻想郷は元より成り立たず。人間がいなければ妖怪はやがて緩やかに衰退していく。当然、力の弱い人間達が集団生活する場と言う物も出来てくる訳で。
人間の里はそんな彼らが生活するほぼ唯一にして最大のコミュニティーだ。
フランは久しぶりの幻想郷散策においてここへ行くことを決めており、現在空を飛びつつ期待に胸を躍らせていた。初めて香霖堂へ行った日から既に一週間程が経過している。と言うのも、以前フランが香霖堂より荷物を以って帰ってきた時、思いのほか筋力が落ちているのに気付いたため、先ず体を慣らさなければならないと言う結論に行きあたったのが原因だ。レミリアと一緒にいる時間を極力増やすと言う名目も存在していたのだが、今は置いておく。

人間の里が見えてきたな、もうそろそろ降りた方が良いか。

流石に空中から直接侵入する訳にも行かず(他の妖怪は普通にやりそうだが)、また、先ずは歩いて散策したいと言う思いもありフランは徐々に高度を下げていく。唯でさえ目立つ容姿なのだからと着てきた女袴(阿求が着ている様な物)がはためくのを抑えながら。
少々遠方からだが、上空から見る人間の里は中々の規模を誇っていた。川縁付近から広がっていったであろうそこは今や川を跨ぎ、凡そ千人規模の町を形成している。

期待できそうだ。

そんな思いを胸に、フランは里へと至る道へ降り立った。そして、里と魔法の森との中間点、里まで凡そ一キロメートルの湿地帯の直ぐ近くから人間の里を眺めるのだった。





「ようこそ、人間の里へ。」

田畑が広がる道の先、恐らくは一応だろう青年の番兵に迎えられ門を潜ったフランは、漸く人間の里に足を踏み入れた。一応ここは西門に当たる。
人間の里には柵や塀が無く、建物と建物の隙間からでも入ろうと思えば入れるのだが、何か方術的なものだろうか。大通りが無いと不便なのは当然だが、建物も行きかう人々も和中折衷の趣を持っている事から風水的なイメージが脳裏に浮んだ。
どうだろうかとその様に見てみれば、力の流れが綺麗に通っているのが見える。中々どうして考えて作られているらしい。

それにしても、前知識で分かってはいたが、何とも奇妙な。

元より大陸系の影響を強く受けている日本文化はそれらとの迎合に然程無理はないのだが、どうにも奇妙としか言えない違和感を彼女に感じさせた。タイムスリップとも言える域の彼によるギャップを合わせ、洋風の紅魔館で過ごしていたフランを元に見ているのだから当然と言えば当然だが。

「見ない顔だけど、里は初めてかい?」

首を捻っていると話しかけてきたのは先程の番兵だ。恐らくは外来の対応と一応の治安維持を担っていると思われる彼はにこやかに話しかけてきた。年齢的に年下の少女に話しかけるお兄さんと言った感じか。青年は恰好が格好故に少々物々しいが。

「そうだが。」

フランは少々控えめ(客観的に見て間違った控えめ)に答えた。この規模の町、里ならば住人全員の顔を知っていても不思議ではない。噂も広がりやすいだろうから自身の様な珍しい容姿ならば耳に入るのが普通だろう。だが、私程度の年齢の者が安全とは言え一人で里へ来るのに疑問はないのかと更に首を捻る。
そんなフランに青年は苦笑。可笑しな子だな、と言う感想を抱いていた。そして指摘する。

「そんなに見事に霊気を纏えるのならば、旅をしているって言われても納得できる位だよ。さっき見てたしね。」

ふと気付く。青年の腰に大量の符が括られているのを。

「退魔の方か。」

フランは納得の色を濃くする。なら、こちらが霊気を纏っているのも分かる筈だ。それから判断するのは当然。

「どこかで修業でもしていたのかい?見た目通りの年齢じゃないとか。」

中々ずばっと聞いてくれるなとフランは少々眉を顰める。短髪の彼は温和そうな顔つきをしているが、性格の方はどうなのか等と関係ない方向に思考が飛んだ。

一方の青年はと言うとこの珍妙な少女に少なからず興味が湧いていた。先ず目が行くのはやはり容姿。顔立ちは整っており可愛らしいが、同時に珍しい顔立ちでもある。髪は金糸で瞳は青玉、肌は白磁で唇は赤椿。一房だけ長い髪を風車を模った赤い簪で留めている。女袴は薄桃色で左胸に赤い蝶。袖口付近から袂に掛けては白い花々で飾られて。袴自体は簡素に黒に染められている。眉根に皺を寄せている様子を差し引いても可憐と言って差し支えない。少々珍妙でもある。
次に目が行くのは身に纏う霊気か。退魔、若しくは魔の物限定だろうが。何と言うか、重みがある。今表に出ているのは一部だろう。操る術も巧みと言っても過言ではない。見た目通りの年齢でないのならば天才と言って余りある才気。羨ましい限りだ。
彼は内心で軽く両手を掲げる。降参だ。少なくともここ最近(妖怪と人間の寿命は違う)変化の少ない幻想郷では彼女を見れただけでも十二分に運が良い。

「まぁ、実を言うのならば見た目通りの年齢ではない。」

唐突に響いた声に青年は目を瞬かせた。明確な答えが、予想もしなかった形で返るとは思わなかった。いや、そうであったら適当に誤魔化されるだろうとは思っていたが。
もしかしなくとも変人だろうか? 等と失礼な事を考える。仙人には変人が多いのだ。
対して答えたフランと言えば、単純に下手な嘘や誤魔化しを言うのは得策ではないと考えていた。その結果の発言だ。幻想郷に置いて下手な嘘は身を滅ぼす元になるだけ。そう考えたのだ。吸血鬼云々は色々な要素を踏まえ自分から口にする心算はないのだが。

「仙人(変人)か何かかい?」

「黙秘する。こちらの質問、宜しいか?」

青年の(気付いてないが何気に失礼な)追及をきっぱり断ち、自身の質問に移らせようとするフラン。
青年はそんなフランに対し、「勿論良いよ」と、にこやかに対応。フランにはどこか胡散臭く感じられた。

「この町……里では退魔の者が態々警備を?」

フランの疑問は極々単純なものだった。
青年は制服だろう白い胴着に紺の袴姿で、簡素な袖部分の無い皮鎧を纏っている。帯剣し、札の束も腰に帯びている。平和な幻想郷にしては中々に本格的だ。
それに対して青年は相変わらずの笑みを少々困ったようにしながら答えた。

「まぁ、お嬢さん位なら幻想郷はほぼ完全に安全だろうけど、俺達みたいなのには中々きつい物がある。妖怪に取って食われたりする事はないけれど、その妖怪と仮にも敵対の位置にいる以上、手は抜けないからね。簡単な荒事くらい経験しなきゃ。」

フランは成程と相槌を打った。幻想郷は妖怪の天下だ。そして直ぐにはてと首を捻る。自身をお嬢さんと呼ぶのはまだ良い。良くはないがまだ良い。今のこの姿は紛う事無く子供だ。
だが、私くらいならとはどういう事か、と。
それを見た青年は、ああ、やっぱり引き籠りなのかと妙な納得を見せた。己の鍛錬以外に特に興味を見せない輩は仙人などには結構いる。引き籠りという点では多いに当たっていた。自身の霊気の重み云々が分からないと言うのは香霖堂の時と似たような状況だ。
首を捻るフランに青年は簡単に説明。フランは顎に拳を当て成程、とまた相槌を打った。妙に様になっているのはやはり年だからかな、等と本人が聞いたら苦虫潰した様な顔をするであろう事を思う青年。そう言った仕草に年季が入っている様に感じると言う事は、彼が爺臭かったと言う事だ。フランドールはその様な仕草はしなかったのだから。

「ま、博麗の巫女とかそこら辺のを見てたから分かったのさ。あれもまた別格だからね。」

思わぬ名前、でもないのかとフランは目を瞬かせながら思った。ここに来ると言う事は東方求聞史紀にも載っていた筈だ。確か八雲紫や藍も来る事があるらしいし、身近故に気付きにくいが咲夜は勿論お姉様もここには来るのだ。まぁ、お姉様は滅多に来ないらしいが。

「おっと、そう言えば。この町には何の御用で? 行きたい場所があるなら簡単に説明するが。」

思い出したかのように言う青年。一応そう言った職務も請け負っているらしい。若しくは気紛れか。

「いいや、特にはない。ただ、人間の里を見て回りたかっただけだ。」

フランは正直にそう答えた。
流石は変人、流石は引き籠りと非常に有難い評価をする青年。心の内なら迷惑じゃないが持論らしい。さとりに対する時はどうする心算だろうか。いやしかし愚問。

「なら、中央広場に向かうと言いよ。龍神の石像は中々だし手に持つ宝玉は天気が分かるから便利だ。」

青年は大きな店関係は大抵そこにあるからね、と付け足して言った。

「河童の宝玉か。天気云々は関係あるのか? ……まぁ、行ってみるさ。」

有難う、と礼を言った後少し思案。龍神像。確か便利じゃないものは誰も信仰しないだろうと河童が付けたものだったか。幻想郷の世界は知れば知るほど妙に生々しい性質がある。まぁ、ここではある意味当然か。と色々納得をするフラン。
龍神像の事は知っているのか、やはり変だと更に思う青年。

「ああ、そう言えば名前を聞いていなかった。言ってもいなかった。」

とは青年。惚けた感じだが何を考えているのやらとフランは鼻で溜息。まぁ害はないだろうと名前だけ名乗る事に。

「フランドールだ。フランと呼んでくれれば良い。」

「フラン=ドール?」

ドールが名前? と聞いてくる青年に適当に説明するフラン。苗字は有名だろうから教えない。時間の問題の可能性も高いけれど。
青年は変な名前だね、と首を傾げた後。直ぐににっこり笑って自己紹介。胡散臭い。洋風の名前なら結構いるだろうに。妖怪に、だが。

「俺は八代一路(やしろひいろ)。はちだいに一と路地の路」

「八代、ね。」

お前も大概変な名前だと心の内に、家系の元は神社関係者かと推測する。あからさまだ。

「もし興味があれば寺子屋とかにも行ってみるといいよ。外見が外見だから入る事も出来るだろうさ。」

「……見かけが見かけである以上敬え等とは言わないが、良くもまぁずけずけと。」

ジト目で見上げるフランに性分だねと軽くポーズして答える一路。
フランは妖怪に限らず退魔関係には変人が多いのではと軽く己を棚に上げた危惧をしていた。
その後幾つか会話をした後軽い別れの挨拶をして、漸くフランは門前より里の広場への出発を果たしたのだった。
既に少々疲れていたのは御愛嬌と言ったところか。





本当に御愛嬌なのはフランのお子様ぶりだった。
溜息をついて数十歩周りを見回しながら十数歩、再び前を向いての数歩を経たら既に活力を取り戻しており、瞳は好奇心に輝いた。それから更に歩いた頃には可愛らしい鼻緒の草履であっちへ行ったりこっちへ行ったり。この不安定さは彼女の現状を良く現しているのだが、普通にお子様にしか見えなかった。

いやはや、中々どうして凄い活気だ。田舎だろうとまだ舐めていた。

余計な柵(しがらみ)が少ないせいだろう。ここに来るまでの田畑で見た人々もそうだったが、この里の人々は今のフランに負けない活力に満ちていた。
仕事をする里人、商人、和中折衷の服飾で着飾った娘達の通る通り。店主と客に笑顔が絶えない店先。時代劇の様な路地の先では井戸会議が行われ、子供達は元気に駆けている。
からからと回る風車等を売っている玩具屋には少々心を惹かれた。手に持っている花模様の風車がその証拠である。綺麗な刺繍の財布袋からお金を出して買う行為には童心へ帰れる魅力があり、その所為かいつの間にか飴まで舐めている現状。

いや、余り無駄遣いしない様心がけているのになぁ。

はははと心の中で笑い、顔もにっこり微笑んだ。本当に御愛嬌である。
あの青年、八代一路が言うにはこの和中折衷の里では凡そ二百世帯余りが生活しているそうだ。里人の数は千人以上に上り、人間の八割から九割はこの里にいるとかいないとか。妖怪の山のコミュニティーがどれほどかは知らないが、仮とはいえ幻想郷のパワーバランスの一翼を担う勢力としてこの数は妥当と言えるのかもしれない。
建築物にしても三階建ての飲食屋があったりと中々侮れない。日本建築でなくビルの様な長方形の中華風建築と言うのがらしいと言えばらしい。提灯が大量に下がっており、他の家々もそうだが、障子の木枠は碁盤の目の様なものではなく様々な四角を組み合わせた様な形のものだ。まぁ、日本建築らしい家屋や武家屋敷の様なものもあったと言えばあったのだが。少し寂しいと思うのは自身が日本人ゆえだろうかとフランは首を捻った。

そんな里中を草履を鳴らしながら歩いて行く事更に数分。漸く里の中心部の広場にやってきた。
広場と言っても然程大きい訳ではない。二十平方メートル強の空間と言うだけだ。中心部には大きな石の上に成程と思わせる匠の意匠の龍が鎮座している。

フランは草履の音を響かせ龍神像に近づいた。龍の大きさは、龍が乗っているフランの胸辺りまである立方体の石に相応しい程度。間近で見ると圧倒されるものがある。
龍神は日本や中国で描かれている蛇の様な龍そのものであり、威風堂々とした佇まいをしている。手に持つ宝玉が青と言う事は今日一日は晴れだと言う事か。的中率は七割程だと言うが、河童もやはり大したものである。お供え物もきちんとしてある当たり崇められているのだろう。

フランは辺りを見回した。若干以上に視線を集めている気がするが、気にしない。気にしていたら始まらないと自身に言い聞かせる。

広場の四隅には隅を四角の角に切り取られた様な形の店舗が並んでおり、人は結構いる。凡そ十数人ほどが現在の人数か。止まる人もいるが、常に人は流れており、変化は止まらない。また、出店等も少々あり、誰もが仲良さ気に話していた。龍神像の傍、と言うよりフランが現在いる龍の正面の反対側では子供たちが遊んでいる。可愛らしい声の歌が聞こえていた為、彼女がちょっと覗いてみた所、どうやら毬を突いて遊んでいるらしかった。どこか風情を感じさせる光景だ。

ここは賑やかで穏やかだ。活気に満ちあふれており調和が取れている。

フランは少し、今はほんの少しだけだが寂寥感とも言える胸の苦しみを覚えた。しかし、直ぐに気持ちを切り替える。考えるのは家に帰ってからの方が良い。
龍神像の正面にまた回ってきて、像に背を向け、とん、と石に体重を預ける。
鳶はここでも鳴いていた。風が涼やかだ。
暫く、そのまま龍神像に背を預けてぼーっと町の空を眺めていた。青い空、流れる雲をただぼーっと。太陽の眩しさに目を細める。手を伸ばす。届く筈も無く、手は力を無くしたかの様に落ちて背後の石にぺちんと当たった。腰に差しておいた風車がからからと回る音。口に咥えたままの飴をコロコロと転がす。木の棒が合わせて動く。近くにあるであろう定食屋から良い匂いが漂ってきた。もうそろそろお昼時かな、とぼんやり考える。脳裏に浮かぶは霞か雲か、人であった彼が見ていた太陽は見えない。片足で立ち、浮いた足で草履をパタパタ。白い足袋に鼻緒が映える。昔、下駄をはいた時は良く豆が出来たのを覚えていた。泡沫の様な記憶だ。田舎の夏祭り、ここの祭りはどの様なものだろうか。射的はあるのか?

「こら、ご神体に寄りかかるのは不敬だぞ。」

唐突に声が聞こえた。落ち着いた女性の声だ。フランははっとすると同時にしまったと眉を顰める。慌てて体を起こし、ご神体に深く一礼。次いで忠告を感謝しようと女性の方を向き。

「……ご忠告感謝する。」

一瞬固まった後何とか声を絞り出した。顔を振り向けた先にいた女性が青を基調とした服、青い帽子に青白い長髪を持った女性、ワーハクタク上白沢慧音であったからだ。

「ふむ、気にするな。その様子だと、私の事は知っていた様だな。」

冷静にこちらを見ていた慧音に流石は里の知識人と軽く感嘆したフランは。

「吸血鬼。」

続いたその言葉に更なる硬直を強いられた。
そんなフランの様子を慧音はからからと笑う。風車には苛立たない。彼女に苛立つ理由も無いだろうと不快感を捻じ伏せた。
慧音は少し首を傾げ、しかし、直ぐに真剣な表情に切り替えた。

「失敬。お互いがお互いを知っている様だが、自己紹介はさせてもらう。初めまして。私は上白沢慧音(かみしらさわけいね)。ご存知の通りワーハクタクの人妖だ。」

君を知っているのもそれが理由だよ。そう付け加えて自身の紹介を終えた慧音。
ワーハクタクは歴史を知り、編纂する。人妖たる彼女は妖怪化出来る満月の時にのみその力を発揮できるので、この前あった満月時に自身を、自身の起こした事象を知ったのだろうとフランは納得する。恐らくはそれ程に歴史を揺るがす事象だったのだ。納得した所で、名乗りには名乗りを。

「初めまして、上白沢慧音。私はフランドール=スカーレット。人とも吸血鬼とも知れぬ者だ。呼ぶ時はフランで良い。」

「ああ、ならば私の事も慧音と。」

簡単な挨拶を済ませた所でフランは早速質問を切り出した。

「一つ聞きたい。私の前に現れたのは偶然か?」

「不躾だな。まぁ、良い。門番をしている者が式を飛ばして知らせてくれたのさ。一応、な。世間話の感覚だったが。」

フランはあいつかと眉を顰めた。胡散臭いとは思っていたが、世間話程度とは言え一応と思う程度にはやはり怪しまれていた訳だ。

「容姿を聞いて、もしやと思った訳だ。念のためと言う奴さ。客観的に見た簡単な歴史しか見れないからな、私は。」

実際に会ってみて安心したよと言う慧音。フランはそれは何よりと片手を上げ軽くポーズ。目を瞑り軽く傾げた顔を僅かに俯かせ、聞く。相手主導のペースと言うのはどうにも落ち着かない。と内心愚痴った。

「それで? 会って、見て、話してこれから?」

「そうさな。昼食でも一緒にいかがかな?」

にこりと笑って言う慧音。まだ一応なのか、それとも純然たる好意からかはフランにこそ分からないが、恐らくは空腹に加えて漂ってくる良い匂い、そしてこの言葉で限界が来たのだろう。
丁度、計った様にフランの腹が鳴った。くぅーっと可愛らしく、しかしよく通る音。一瞬間を置き慧音大爆笑。帽子が落ちるのも構わぬこの笑い声に里行く人々は何事かと皆振りかえる。

「あーーーっははははは!ははははは!いーーひひ!っふぅーー!っ!ははははは!」

恐らくは滅多に見れないであろう腹を抱えて笑う慧音に対し、フランは先程のポーズのまま顔を真っ赤にして固まっていた。恥ずかしすぎて眼が開けられない。出来ればこのまま気化したいという心境。しかし、今の彼女は九割九分人間で。一先ず慧音にはチアノーゼになってしまえと恨み言。硫酸飲んで腹の虫を焼き殺したい気分。

「で、では、行こうか!くっ、うふふ…お、お昼を食べに。」

「ああ、そうしようか。その前に一発ぶん殴らせておくれよミス慧音。」

慧音は御免被ると落ちた帽子を急いで拾うと腹を抱えたまま駆けだした。笑い声が止まらない。その後を、慣れぬ草履を鳴らしつつ、顔真っ赤のまま追いかけるフラン。里中を駆け抜ける二人の少女は暫く里の話題となる。
結局、慧音は捕まらず。追いついたフランを待っていたのは帽子ごと腹を抱えて息絶え絶え、店先の柱に捕まってやっとやっとといった感じの慧音だった。フランに出来た事と言えば、振り上げた手を降ろし、ひーひー言っている慧音の背中を擦ってやる事くらいだった。何ともやるせない表情だったと言うのは店の看板娘談である。
何はともあれ、慧音のフランに対する第一印象はそう悪い物ではなかった模様。逆はそうでもなかったが。




「いやぁ、中々愉快だなフランは。」

「迷惑だ。」

まだ少し痛そうに腹を押さえながら、にこやかに言う慧音を切って捨てるフラン。有難の一語すら惜しいと言わんばかり。ここは、里にある定食屋の一つ。妖怪もたまに来ると言う程度には人気の場所で、ここでは妖怪も騒がないとか。やはり中華風の店内の、四人テーブルに二人は座っていた。ここしか空いていなかったのだ。
憤るフランに慧音はすまんすまんと謝った。赤いリボンに少々皺のよってしまった帽子は隣の椅子に置いてある。

「しかし、人妖も程々珍しいが、君の様な存在もいるんだな。」

「少なくとも今現在私の主観の中に置いては珍しいと断言できる。生まれるのだなと言う方が正しい気もするが。」

態と面倒な言い回しをして気を落ち着かせる。そしてお冷を一口。本当に冷えていて美味い。しかしふと疑問。

「この水の氷は?」

慧音はそんなフランにああ、と頷いて答える。

「氷の妖精をね、煽てて作って貰ってるらしいな。」

偶に自分も凍らされそうになるとこの前愚痴っていたと続ける慧音にフランは成程と頷いた。何気ない日常に幻想の存在が絡んでいるのは何とも、ともう一口お冷を飲む。チルノ原産。そして、恐らく地下に貯蓄しているのだろうと当たりを付けた。
落ち着いてきたフランは対面の席で自分と同じくお冷を飲む慧音を見る。観察と言っても良い。

先ずは身長だろうか。自分がイメージしていたよりは少し低い。年の頃は凡そ十五歳前後。東方Project作品に置いての身長は十代前半の少女が基準だ。それを考えればやや高いとやや低いの間くらいか。大人の女性として描かれる(実際高齢ではあるが)事が多い彼女だが、その実身長などはそれ程ではない様だ。これで先に出ていた寺子屋の教師となると少々イメージに齟齬がある。そこら辺も彼女が大人の女性として描かれていた理由だろうか。後は口調。

次は顔、フランは余りじろじろ見るのも不躾だろうと一度しっかり瞬きをして焼きつけると目を瞑ってお冷を飲む。

洋風ではない。和風に近いが違うだろう。大陸系の顔だ。しかし、美人。和服を来ても何ら齟齬なく美人、いや美少女で通る筈だ。髪の色が青白く、大和撫子と言うには少々無理があるかも知れないが、髪の色に近い青と白の中華風洋服を着ている現在は、その美しさを遺憾なく発揮できている。普段頭の上に乗っている帽子は端が屋根の様に少々厳つい形をしているが、特徴的とも言えるそれは彼女の見栄えを悪くしている訳でなく、寧ろトレードマークとしての役割を果たしていると言えるだろう。前方側面には赤い中華風の模様があり、天頂部の赤い玉とリボンは胸元のそれとお揃いで結構チャーミングだ。

「何を一人頷いているんだ?」

訝しげに聞いてくる慧音に、フランは別にと白を切った。少々納得いかなそうな慧音も対して気にはならなかったのか味わう様にお冷を飲む。

「お待たせしましたぁ!」

暫く取り留めも無い会話を続けていた二人だが、それは元気の良い看板娘の声と共に運ばれてきた料理に中断される。
二人が頼んだのは魚の塩焼き定食。川で釣られてきた新鮮な魚は絶品だとフランが慧音に勧められた為こうなった。運ばれてきた料理を見るに、悪くはない選択だった様である。フランは軽く感嘆して言った。

「これは美味しそうだ。」

「だろう?」

お盆の上に乗せられた料理は、ふっくらしたご飯にお吸い物、程良く焼けた魚の塩焼きに酢の物とお浸しの計五品。
空腹もあってかごくりと生唾飲み込みそうになるフラン。頂きますと手を合わせた所で視界に違和感。原因はそっと耳の後ろに手を翳し、その耳をこちらに向け何かの音を聞こうとしている慧音で。

「あたっ!?」

フランは迷わず、デコピンの要領で霊気の弾を慧音に飛ばした。米神に当たって軽く仰け反る慧音。コミック調なら青筋の一つでも頭に浮いていただろう。これもまた、幻想郷の気質か。
はは、と米神を擦る慧音にフランは軽く嘆息。合掌、やけくそ気味に頂きます。慧音も次いで、頂きます。
賑やかな事である。





「とどのつまり吸血鬼異変とは幻想郷に置いて一つの転機となった重要な異変であり、これが無ければ妖怪は更に弱体化し、或いは人間の天下が訪れたかもしれないと言う歴史の分岐点なのです。よって――。」

現在フランは慧音に誘われ彼女が開いている里外れの寺子屋に来ていた。床は畳、椅子は座布団、机は低く当然正座。現在は午後の部とでも言うのだろうか、生徒の人数はそこそこあり、彼女の知識人としての知名度が窺えた。しかし――。

あれか? 喧嘩売ってるなら買うぞ私は。

内容が内容だ。生徒が戸惑う程度に物凄い良い笑顔で授業を進める慧音に同じく物凄い良い笑顔で授業を聞きながら口元を引くつかせるフラン。これらの笑顔は獣が牙向く仕草である。決して楽しげな微笑みではない。

断っても良いから良いからとしか言わず。半ば強引に連れ込まれてこれでは愚痴の一つも言いたくなる。

フランは小さくため息を吐き、そして同時に自制を自身に促した。実際の所、フランには先程の慧音が言いたい事は分かっている。
慧音だって妖怪と人間が協力し合って作った幻想郷が人間だけの物になるのは筋が通らないとは考えているのだ。吸血鬼異変の説明で彼女が言いたかった事はつまり、吸血鬼と言う存在はそれ程の影響力を持つ強大な存在だと言う事だけだ。フランと話をして、フランの現状を詳しく聞き、考えを聞いた上でその人柄を察した慧音はこの授業に誘ったのだろう。
唯、この先何を語るか、そこが問題だった。強引に誘っておいてこれだけで終わるとは、フランには思えなかった。
事実、慧音は真剣な表情で続けた。

「しかし皆さん。吸血鬼が必ずしも絶対の悪とは限らないのです。」

絶対の敵ではないとも言いかえられる。そうフランは思考。

「先生、でも、吸血鬼は今でも人の血を吸っているんでしょ?」

生徒の少年が質問する。フランにしてみれば耳に痛い言葉だった。
事実だ。現在も吸血鬼は人の血を啜って生きている。外の人間であろうと人間は人間、それは変わらないのだからと。
これに、慧音は一つ頷いて答えた。

「そう、そういう意味で、吸血鬼は間違いなく人間の敵です。しかし、悪ではありません。必ずしも邪悪ではないのです。吸血鬼は人を見下す傾向が強いですが。それは、自身が人間よりも上位の存在であると思っている為。人間は食料であり、人を食料にする自身はより高貴であると考えている為です。」

げぇーやらえーやらと言った子供達の声。まぁ、良い印象は持たれないだろうなとフラン。同時に自信を不甲斐無く思っていた。
慧音の言葉は続く。

「しかし、全ての吸血鬼がそうではありません。吸血鬼の中には、自分は人に頼らなければ生きていけない脆弱な存在だと考えている者もいるのです。或いは、それら二つの考えを認め、その狭間で悩み苦しむ者がいるのです。」

人の価値観と吸血鬼の価値観の狭間で悩み苦しむ者、正に私だとフランは瞑目した。人の価値観とは彼であり、吸血鬼の価値観とはフラン、いや、レミリアであると言いかえる事も出来る。フランドールの価値観はもっと混沌としていて、人も吸血鬼も関係はなかった。全体ではなく個人での判断だ。吸血鬼だから、人間だから、ではない。彼だから、彼女だからの判断。故に、彼が入ってきた事によって生まれた新しい二つの価値観は、事実フランを思い悩ませている。

「皆さん。吸血鬼が人間に害をなす。これは先ず、間違いないと言って良いでしょう。」

慧音は一度ここで言葉を切った。子供達は真剣に聞き入っているが、フランは相変わらず目を閉じている。それを確認した慧音はそれでも話を進める。語らなければならない。語らなければ伝わらないと。

「しかし、吸血鬼が生きる為に必要としているのは血液のみです。故に、そこさえ解決出来れば吸血鬼と共存する事も可能なのです。人間の中にも悪人はいます。皆さん、大極図を覚えていますか? あれを思い出して下さい。人と言う陽の中にも影は有り、吸血鬼と言う陰の中にも光は有るのです。」

水の様に透明で、重要だが軽い言葉だとフランは思った。その程度なら誰だって考える。

「先生、じゃあ、幻想郷にいる吸血鬼は良い吸血鬼なんですか?」

今度は女子生徒の声が飛んだ。慧音の身長を考えると先生と生徒と言うよりもお姉さんと妹程度。しかし、答える慧音の声は外見不相応に落ち着いたもので。

「先生の知る限り、二人いる内の片方の吸血鬼は脆弱さに誇りを持つ吸血鬼、つまり、人間にとって悪い吸血鬼に近いです。」

「えーー」と言う子供の声。フランの眉がピクリと動く。順当に考えて自分の姉の事だろう内容なのだから無理も無い。

「しかし、彼女も完全なる悪ではありません。太陰の中に小陽を持っています。彼女からすればまた、違った答えもあるでしょう。」

これにはフランに異論はなかった。影である事に変わりはないのだからと。それは彼女の気質にも表れている。

「そして、もう一人の吸血鬼は酷く思い悩んでいます。人の価値観と、吸血鬼の価値観を持っているのです。」

フランはそこで目を見開く。そして慧音を見た。何を語る。

「その吸血鬼はとても自分に厳しい吸血鬼です。脆弱さを誇りに思う事を良しとしません。同時に、家族思いでお姉さんであるもう一人の吸血鬼の考えに賛同したい気持ちがあります。だから、とてもとても思い悩んでいるのです。」

正しい事だ。だが、不快感はある。どうしようも出来ないのだから。

「じゃあ、その吸血鬼とはお友達になれないんですか?」

再び、しかし今度は違う女子生徒の質問。難しいだろうとフランは思った。どうしても、負い目がある。どちらに対しても、負い目がある。しかし。

「いいえ、お友達になるのは単純な方法です。簡単ではありませんが単純です。」

しかし、慧音はあっさりそう言った。極あっさり、難しいが単純な方法があると。一体どんな方法だと言うのかとフランは眉を顰めた。
そして、一呼吸置いた慧音が言葉を紡ぐ。聞く者を落ち着かせる様な声色で。

「皆さんが、頑張るんですよ。」

首を捻る子供達と、一瞬呆けた後、理解の驚愕を見せるフラン。或いはそれは、霞がかっていた答え。

「自分達は貴女達に負けないくらい凄いぞと、頑張って思い知らせてあげればいいのです。力でなくても構いません、知識でも、或いは器用さでも、認めさせれば良いのです。そうすれば、吸血鬼達は二人とも、人を認めてくれるでしょう。心を開いてくれるでしょう。そう、お友達になれますよ。きっと、ね。」

続いた慧音の言葉にざわざわと騒ぎ出す子供達、俯くフラン。慧音はその全てをしっかりとした眼差しで見ていた。

フランは瞑目し、思案する。口元はキュッと結ばれていた。

そうか、吸血鬼という立場に縛られていたのは私もか。いつの間にか、人を下に見ていたのは私もか。

不安定な魂、人格、肉体。故の精神。故の思考。故の結果。
先程彼女は、自身が不甲斐無いと思考していた。だが、それは強さと同時に他人を求めぬ高慢でもある。決して間違いではないが、貴族的思考。自身の強さは求めるべきだが、それのみを追求するのは彼女にとって間違いの筈。

霞がかっていた思考と曇っていた瞳、そして笑えるほど単純な答えだ。あの時妖精の技に私は、私達は感動したじゃないか。認めたじゃないか。いや、お姉様は既に気づいていたのか。或いは、いや、そうなのだろう。

フランは俯いた顔を上げ、そのまま天を仰ぐ。木造の天井。ここは学び舎。私は生徒。教えられたのだと目を暫し閉じる。初心に帰らねばならない、吸血鬼としても。
真っ直ぐに慧音を見た。慧音はにこりともせずこちらを真剣に見ていた。叱られた子供の気分だ。
フランは唯、頷いた。己を蔑む真似はしない。慧音も一つ頷いた。満足げな笑みのそれを少々悔しく思う程度にはフランは子供っぽかった。
慧音は表情を優しげな笑みに戻し、子供達に言った。

「さぁ、皆さん。吸血鬼ともお友達になりたいですか?」

「はーい!」と元気のいい声が響く。そんな子供達に慧音はやはりにこやかな声で告げた。とても優しげである。

「じゃあ、自分達が何を頑張るか考えて次の授業までに書いてきましょう! 原稿用紙三枚分。」

落ちまでしっかり決めておく。上白沢慧音は先生してるじゃないかとフランは苦笑。そして、「ええーーー!」と言う子供たちの声を聞きながら、自身の下にまで回ってきた原稿用紙を見、顔を上げた先の慧音の笑顔を見て、「えー。」と声を上げるのだった。
そう、上白沢慧音は落ちまでしっかり決めるのだ。



今日の授業が終わり、人生(?)初の襷掛けを使った掃除が終わり、挨拶の後二人が相対するのはある意味当然の流れと言えた。生徒達は既に帰り、教室にはフランと慧音の二人だけ。だと言うのにロマンの欠片も無いのもあらゆる意味で当然か。

「ははは、面白い授業だったよ。普段の授業でもこれ位ウィットの効いたジョークを交えれば生徒も欠伸しなくて済むんじゃないか? おっと、正式な生徒でない以上作文は、結構!」

と、作文用紙を押しつけながらフラン。

「ははは、なぁに、今日は特別なお友達も来てくれていた事だしその子に関係のある授業を行ったのは当然の流れじゃないか? 楽しんで貰えたなら何よりだ。折角だから作文はしっかり書いてこい、よ!」

と、作文用紙を押し返しながら慧音。
足を踏ん張り、お互いがお互いの肩を空いた片手で力強く叩きながらの会話。HaHaHa! と口も声も笑っているが目が笑っていなかった。欧米か。
第三者が見れば夕暮れ時の教室で何やってんだかと呆れること間違いなしの稚拙な争い。作文嫌でござる、作文書かなきゃ駄目でござる。実際来た第三者は、教室の入り口に立ち止まり、呆れた様な困惑した様な声を上げた。

「お、おーい慧音。何やってんの? と言うか誰? そいつ。」

その人物、藤原妹紅(ふじわらのもこう)の声に、真っ先に反応したのはやはり慧音。格好をそのままにビクリとしたかと思えば、勢い良くそちらに顔を振り向けて言う。

「も、妹紅! あ、今日約束してたな! すまん、ちょっと! 取り込み中、だ!」

彼女の声は明らかに慌てており、その焦りの所為かフランとのやり取りの所為か、額には汗が浮かんでいた。
一方、明らかにこのやり取りの所為と思われる汗を掻いているフラン。妹紅の登場で俯けた顔にニヤリと笑みを浮かべた。その笑みを視界に収めた妹紅が、ビクリと体を引く程度には悪い笑み。そして、ぼそりと呟いた。

「……折角来てくれた恋仲を、放っておいていいのかね?」

それは悪魔の囁き。慧音にのみ聞こえる声量のそれはしかし、絶大な効果をもたらした。

「なっ!?」と驚きの声を上げる慧音、一瞬の隙。フランは原稿用紙を慧音に押し付け、妹紅のいる入り口とは別の対角にある入口へとふわりとジャンプ。空中でくるりと縦に一回転。その最中に一度、慧音に向けてぐっぱと手を握り、空飛ぶ女学生風味の異人さんは、真っ白な足袋から軽やかに着地した。そして、ピッと指で挨拶してお決まりの台詞。

「はっはっは、さらばだ明智君!」

「待て! 怪人二面相!」

乗ってくれた。しかも無駄に的確と、フランは「ぶっ。」と少し噴き出した。すぐさま「はっはっは!」と言う高笑いへと変えて、フランは玄関からこの寺子屋を後にする。妙に満足げな笑顔だったとはとある里人の談である。

「全く。」

と、後に残され呆れた様に眉尻を下げた苦笑をする慧音。少し置いてけぼりの妹紅。
慧音は未だ茫然と廊下の先を見つめる妹紅に声を掛けた。そして、部屋の前方へと移り、自身も座布団に座りつつ、座るように促す。「あ、ああ。」とはっとした様な妹紅を確認した後、まだ何も書かれていない、綺麗な原稿用紙を何か見つめる様な微笑みと共にそっと机の上に置く。律儀な奴だと肩を軽く竦める様な評価。

「湯を沸かすから、お茶は少し待っていてくれ。」

「……うん、ありがと。」

座った慧音を確認し、いつもの優しげな微笑みと共にそう言う慧音に、妹紅は早く話を聞きたいなぁと言う少しの不満を押し殺しつつ。しかし、直ぐに話してくれるだろうと寛ぎながら答えた。自然と慧音の置いた原稿用紙に目が行くが、確か妖怪の山から貰ってる奴だったなぁ位の感想しか浮かばなかった。
水瓶から薬缶に水を汲みつつ、慧音はフランについて回想する。

初めて知ったのはそう、この前の満月だ。一月の歴史の編纂作業を一度に行わんと気が立っていた時ですら茫然とした。何せ、正に世界を揺るがすほどの衝撃が唯の一人の手によって行われたと言うのだから、当然だ。幸いにして、目立った被害はなかった様だが気になって仕方が無く、その周辺の歴史を調べる破目になった。あの時は編纂の作業が何時もよりもきつかったのを覚えている。
門番の退魔師、確か八代だったか。奴の式から受け取った伝言を聞いて、すぐさまもしやと思ったのもそれが原因だ。
実際に会ってみて思ったのはやはり、変な奴だと言う事だ。
特殊な経歴の所為か大人っぽいのにやはり子供。吸血鬼なのに自制心に溢れており、出会った時もしっかりと己を制していた。本当に変わっている。
理論はしっかりしているのに単純な事に気づけなかったりと、妙に間が抜けているのもその不安定な存在故だろう。

慧音の顔に苦笑いが漏れた。ふと、彼女の言っていた彼はどんな人物ろうと思ったのだ。きっと、自分に似て理屈っぽく、年寄り臭いに違いないと言う結論が直ぐに出た。妙な親近感を覚える程度には彼女が似た存在であると言う事もあり、存外にフランの事を気に入っているらしい自分。それに気づき、苦笑が少し深まった。
部屋に戻ってきた彼女は薬缶を吊るし、妹紅に頼んで火を起こしてもらった。自分でも起こせない事も無いが、こういうのはやはり彼女が得意だなと軽く思考。急須に茶葉を入れて準備完了。

「有難う。」

笑みを浮かべ、火の礼を言う。炭は赤々と燃えている。この調子ならば直ぐに湯も沸くだろう。

「いや、良いよ。」

妹紅も笑みを以ってそう言った。そして、続ける。

「で、話してくれるんでしょ? あいつの事。」

「ああ、そうだな。」

気になってしょうがないと言いたげな妹紅の顔にまたまた苦笑する慧音。知識人には苦笑が似合う。

「何から話そうか、そうだな。先ずは彼女をいつ知ったかから話そうか。」

「うん、そうしてくれ。」

穏やかに言う慧音に、にこりと笑って言う妹紅。
こうして、寺子屋の夕暮れは過ぎていく。烏が鳴く穏やかな幻想郷の夕日は、やがて森の遥か向こうに沈むまで、人間の里を照らし続けていた。


後書き

はい、と言う訳で慧音さんと妹紅さんが出てきた今回でした。まぁ、妹紅の方は少ししか出てきていませんが。
今回、人間の里を書くと言う事で、結構迷いました。規模、町並み、その他色々を手元の資料から考えるのは何とも。
ちょいと楽しみたかったもので、規模に関しては結構大きめにとってありますが、ご了承ください。
また、設定の矛盾、及び誤字脱字などに関してご指摘があれば、どうか感想の方で宜しくお願いします。
正し、展開予測要望等は出来るだけ控えめにお願いしたいと思います。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第五話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/09/27 08:43
一に努力二に遊戯、三四が礼儀で五が努力。フランドール=スカーレットの朝は早い。
時刻は朝の五時。場所は紅魔館煉瓦の門前、絡む蔦花咲くそこから僅かにずれた芝生の上。朝露に濡れた花々の見守る、清涼なる朝の空気の中。フランドール=スカーレットと紅美鈴は立っていた。

「美鈴さん、今日から宜しくお願いします。」

動きやすい様にと剣道や薙刀で着る様な胴着を着たフラン。しっかりと背筋を伸ばし、胸の前で右拳を左掌で包みながら頭を下げた。
教えを請う側と言う姿勢だろうか、いつもの様な男性的な言葉遣いではなく、敬語を用いている。
頭を下げられた美鈴はと言うといつもの恰好で、頬を軽く引くつかせながら何とか笑顔を保ち、苦笑いの様な少し困った時の笑顔で言った。

「いえ、別に良いですよ。そんなに畏まらなくても。」

曰く、「どうしても違和感が出る。」とか。フランはこれに了承で答えた。ある意味これも社交辞令の様なものだろう。

美鈴はほっとした様子で、「よく抱拳礼何て知ってますね。」と続けた。
対してフランは、「生前な。」と軽い苦笑と共に答える。
「あー。」と赤い長髪の頭を掻いた美鈴は、済みませんと頭を下げた。
「気にするな。」と笑うフラン。胸元に手を当て、「ある意味ここで生きている。」と、彼にも礼を尽くしてくれる美鈴を好ましく思いながらフォローした。案外、彼としての彼女にはセンチメンタルな気分があったのかもしれない。心なしか嬉しげだ。

「では、改めて。今日から宜しく頼むよ、美鈴さん。」

言葉遣いを改め、再び抱拳礼をするフラン。
美鈴は、「さん付けは改めないんですね。」と苦笑してから、同じく抱拳礼をとる。そして、顔を上げると真剣な表情で。

「じゃあ先ず、太極拳の基礎から始めますね。概要を説明しましょう。」

そう言って指導に入る美鈴、彼女に教えを受けるフラン。早朝の光景は穏やかに。
しかし、そんな光景を。空の隙間から覗く不穏な瞳が一対あった。







東方虹魔郷
第五話 スキマ妖怪と七原色の悪魔





腰下ほどまである長い赤髪。緑を基調とした白いアクセントのスリット入り中華服。頭に被っている緑の帽子は、龍の文字が描かれた黄色い五芒星を正面に。
紅美鈴にとってフランドール=スカーレットとは、今も昔も少々苦手な存在だった。
嘗ての彼女と全く関わりが無かったと言う訳ではなく、時折短いながらも会話をする事もあった。奇天烈な言動と垣間見える凶暴性には肝を冷やしたものだとも回想する。
そして、今の彼女とも全く関わりがない訳ではない。寧ろ、気軽に挨拶をしてくれるようになり(少々気軽過ぎるが先程の態度を見るに考えてくれたか)、関係もそう悪くはないだろうと思っている。
だがしかし、彼女にとって、いや、紅魔館の殆どの者にとってフランドール=スカーレットは困惑の元だ。
失礼にならない程度に気安く、不快にならない程度に優しく。初対面ならば好印象を抱けるであろう彼女だが、彼女の立場と昔の彼女とのギャップの所為で今一歩引いてしまうのだ。
時折狂気に巻き込まれていた妖精よりも、美鈴の方がある意味困惑が大きい。美鈴には困惑を打ち消してくれるほど安堵感が無かった故だ。
嘗ての彼女とは完全に別人である。そう言って良いほどフランは変わった。そう思う事によって困惑も消えるかも知れない。しかし、それでは寂しいと思う程度には美鈴は感傷的であり、人間的だった。ある意味、紅魔館の中の誰よりも、否。紅魔館の半歩外にいる美鈴は、それ故に人間性に溢れていた。
ちょっとした苦悩であった。
だが、そんな時だった。フランから太極拳を習いたいという申し出があったのは。強くなる為、と言うよりも健康面や体力面を考慮しての事の様だった。或いは、精神面か。
美鈴は少々悩んだが、雇い主側であるフランの意向と言う事と、これも何かの切っ掛けと言う考えからこれを了承した。選択肢等無いに等しかったと言うのもある。

でも、本当にお変りになりましたね、妹様。

思いの外丁寧に体を動かすフランを見て、尚の事それを思う。
嬉しい様な、悲しい様なと言うには些か悲しさが強すぎた。

「美鈴さん、ここはどうすれば良いんだったか。」

フランの声。美鈴は、はっと我に帰る。そして、青い瞳でこちらを見てくるフランに気付いた。彼女は静かに構えたまま、顔だけ斜め後ろにいる美鈴に向けている。

「え? ……あ、ええ。もう少し足を開いて、ええ、その位。後、腰ももう少し落として下さい。」

慌てた様子の美鈴の説明を聞き、出来うる限り忠実に実践しながらフランは思う。

思えば紅美鈴は私にとって微妙、いや、絶妙と言っても良い立ち位置にいる。

嘗てのフランにとっての紅美鈴は、暇を潰す為偶に話しかける相手程度の存在だった。しかし、同時に彼女の狂気を見ても必要以上に怯えず恐れず、適度に接してくれる唯一の相手でもあった。姉に仕える咲夜ともまた違った立ち位置でいて、ちょっと悪ふざけで攻撃しても壊れない程度には頑丈で。或いは共にいて一番安らげる存在だったのかも知れない。
今のフランにしてみれば、紅美鈴は信用できる年上の(幾つかは分からないが)人間的立ち位置にいた。外見も人らしく、また、心身を鍛える人の文化、武術を学んでいる為か礼儀正しい故だ。彼女元来の気質か彼女は穏やかで、必要以上に相手を傷つけない。そう、これは太極拳を習おうと思った切っ掛けにもなった出来事だが、ついこの前美鈴と、彼女に手合わせを望んできた相手との試合を、両者の合意を得て見せてもらったのだ。彼女の洗練された動作は素人目にも美しかったとフランは回想。相手が弱かったのか美鈴が強すぎたのか、試合に置いての勝利ではこれ以上望めないのではないかと言うほどの試合運び。試合前後の礼もしっかりとしており、相手も満足げだったのが印象に残っていた。

「妹様? ちょっと動きが鈍くなっていますが。」

「ん、ああ、申し訳ない。」

心配気な色を含んだ美鈴の声に、今度はフランが思考を脱する。いかんいかんと頭を振り、体の制動に集中した。

暫し、美鈴の声のみが時折響く光景が続いた。美鈴指導の下、胴着姿のフランがゆったりとした動作で太極拳を練習する光景は様々な意味で異質だったが、同時に極々自然に映る穏やかな光景で、見る人によっては目でも細めたかも知れない。

「今日は、これ位にしておきましょうか。」

少々日も上った頃、美鈴が終わりを告げる言葉を発した。
これに頷いたフランは構えを解く。初日にしてはまずまずだったかと軽く思考。
その後はしっかりと整理体操。丁寧に行わなければ故障の元と念入りに。
それが終われば抱拳礼で「有難うございました。」と美鈴に礼を。美鈴もこれに抱拳礼で答えた。心なしか口元に笑みが浮かんでいたのは思いの外楽しかったからか。
汗だくで、軽く息を切らしていたフランだが。流石子供の回復力と言うか、少し息を整えると直ぐにほぼ元の調子へと戻っていた。昔に戻った様だと笑うフランはやはり、どこか年寄り染みている。

「妹様は筋が良いです。初めの内はどこかぎこちなさがあったのですが、最後の方はとても滑らかに動いていましたよ。」

フランが落ち着いたのを見計らって、美鈴が声を掛けた。事実、錆で軋むかの様に動きに無駄があったフランは、この短時間で油を注したかのようにスムーズに動ける様になっていた。無論、こびり付く様なぎこちなさは未だにあるのだが。
美鈴のこの言葉にフランは軽く苦笑い。フランの運動神経が元々良かったのもあるだろうが、彼の経験が付与された事により、身体能力が多少上がっているようなのだ。しかし、今はこれが仇となっている。

「自身の体を、慣れない体だと思う日が来るとは。」

後々の事を考えれば良い事尽くめかも知れないが、どうにももどかしいと言う意見が正直な感想だった。
そんなフランに対し、「そんな事もあるんですねー。」と少し呑気に美鈴。自分では体験できそうもないその感覚が気になるご様子。長い病床生活の後の様な感覚だろうかと軽く想像。妖怪故に怪我は早く治る上、余り病気などした事がない故に、余り想像できなくて首を捻る。慣れ親しんだ筈の己の体に違和感を感じ、上手く動かせない時。自身にとってしてみれば少なからず恐怖を感じさせるものだった。

二人の間を、涼やかな風が吹く。

そんな美鈴を見、顎に手を当てて、一体何を真剣に考えているのかとフランは思考。疲れの所為もあるのか、涼やかな風に目を細める程度には感傷的になっていた。
気を操る程度の能力故だろうか。美鈴は、平時には共にいると安心できるような雰囲気を纏っている。穏やかで緩やかで、母性を感じさせるそれ。今も昔も嫌いではなかったと自然と頭に浮かぶ。今ではもう、記憶に霞む、母親と言うものを美鈴に見ているのかも知れなかった。
フランの、霞の向こうに憧憬する様な思考は顔にも出ていた。僅かに潤んだ瞳の向こうに記憶はなく、知らず夏の雲が浮かぶ青空を見上げ。

「……。」

美鈴はそんなフランの様子を感じ取り、思考を中断。顎に当てていた手と支えていた腕を下ろし、フランを見た。
微動だにせず目を細め、青空を見上げているフラン。湿り気を帯びた胴着、僅かに上気した頬、汗に濡れる金糸の髪。その瞳の空は雲を浮かべ。唯、青く輝いている。
彼女が、フランが何を考えているのか、美鈴には想像もつかなかった。先程の、体に慣れぬもどかしさと言う彼女の感覚と同様に。しかし、それが過ぎ去った日々の事であるとは何となしに想像がついた。そんな感覚に、陥る事は自分もある。ならば、行く事でそれは解決する。今を行く事で、解決する。
故にと美鈴は言葉を発した。彼女には、快活さこそが似合っていると。そんな事を思いつつ。

「……妹様、いつまでも濡れた服を着ていてはお体に障ります。早く汗を流してお着替えになられた方が。」

気遣う様な美鈴の声。フランはゆるりと視線を戻し美鈴を見て。「そうだな。」と微笑んだ。寂寥感と憧憬を織り交ぜたそれ。それは、多くの時を孕んだ笑みだった。
風が吹き、雲が動く。太陽の輝く青空の隙間には、もう既に何も無い。





ここは、どことも知れぬ八雲家の住所。幻想郷らしい木造建築のここは、純和風に中華風の雰囲気を数滴垂らした様な趣をしていた。
現在、この家にいるのは家の主である八雲紫の式神、八雲藍唯一人。角に引き出しの多い棚がある座敷の、その棚の近くの机で一人、何か作業をしている様子。
九尾の狐を式とかした藍は、式となっても当然その金色に輝く九尾と狐の耳を持っており、積み重ねてきた長い歴史ゆえに並大抵の妖怪では及ばぬ力を持つ。また、自身も式を打つ事が出来る等々、式神としては破格であり。それは同時に、その藍を式としてこの様に顎で扱える八雲紫の強大さを示唆していた。
彼女の服装は、ゆったりとした白が基調のワンピースの上に長い前掛けを前後に垂らした様な藍色の上着。服は袖口付近が大きく広がり、そこの周りと上着の前後には、中華風の文様が描かれている。頭に乗っている白い帽子には黄色いお札が貼られており、耳の邪魔にならない様に二つ盛り上がりが。スカートの端部分と帽子の端部分はレースの様に波打っていてふんわりしたイメージを演出している。イメージ的には中洋折衷と言った所か。幻想郷的と言って良い。

作業が一段落したのか、藍は「ふぅ。」と息を吐き筆を置いた。そして、「んぅ。」と目を瞑りながら伸び。背骨からパキポキと音がする。釣られる様に先のみが白くなっている九本の尾も伸びており、ふんわりとボリュームがある所為か、中々迫力があった。後は、腕を頭を後ろで組んで肩をほぐしたり、手を下して首をぐるぐる回したり。目を瞑っている為かどこかのほほんとした光景だ。
最後に、「んん~~。」と肩を後ろに思いっきり逸らし、戻すと「はぁ。」と疲れを吐き出す様に息を吐いた。
作業をしていた机、その上にあるまだ湯気の立つお茶を見、手に取り一服。目を瞑って味わう様にずずぅ、と。
そして、ほっと一息吐く前に。

「わっ!!」

声に驚きぶふぅっ!? と噴き出した。見ている方もやきもきする様なババーンとしたタイミング。
半ば霧の様に噴き出したお茶は先程藍が書いていた紙に降り注ぎ。

「あ、あ、あああああ! な、何するんですか紫様!!」

目の前にあるのは見るも無残にお茶塗れな最期を遂げたお札。
どうやら式を作る為の札を組んでいた様だ。だが、これでは使えまい。

「あら、大変ね。」

藍を驚かした張本人。八雲紫はあたかも第三者である様な振る舞い。口元を扇子で隠してけらけらと笑う。
そして、不満そうに首だけでこちらを見てくる藍に微笑み、指を鳴らした。ほっそりと美しい白い指はパチンと軽快な音を出す。
すると、紙に染み込んでいたお茶のみならず飛び散ったお茶までが中空に集まっていき、移動するとたぷんと湯呑みに戻って行った。
見ている分には面白く、種も仕掛けも無い高等技法だが。安っぽく見えるのは、気のせいではないだろう。

「……有難うございます、と言いたい所ですが。飲みたくありませんし元々紫様が原因です。」

そう言いながら藍は両手を付き、尻尾が机に当たらぬよう体を九十度だけ回転。そして、ジト目で紫を見た。
紫は口元で扇子を閉じてにっこり。美しいがどこか胡散臭く感じる笑顔で言った。

「そう怒らないの。ちょっとしたお茶目じゃない。」

「……。」

確かにちょっとでないお茶目は酷いですがね、と藍は思いつつも口には出さなかった。無駄であるとは悟っている。
はぁ、と溜息。
一応無事な術符を見、何とか気を取り直した藍は、相変わらずにこにこ笑う紫に問いかけた。

「それで、今日はどちらまで行かれたんですか? 珍しく、朝早くに出かけて行かれましたが。」

紫は唯、「ちょっと、ね。」とだけ言い、はぐらかす。そして、扇子を逆手に持つ手を顎に当て、何か考え込んでしまった。その為袖が捲れ、中華文様のある袖口からは白い素肌が覗いている。
八雲紫の服装は藍の物に似ている。否、実際は逆だろうが、そうである。
上着の色が紫色になり、その文様が八卦と大極図に変わっているだけだ。服の裾が多段式のフリルになっていたり、帽子の形が違って札の代わりに細い赤リボンがあったりと細部に個性が表れているが、揃いと言われても違和感がない程度。凡そ十七前後の少女と呼べる彼女は、雰囲気の所為か服装の所為か大人っぽく。腰下までも伸ばした波打つ金髪は彼女の雰囲気に良く合っていた。

元々明確な答えを期待していなかった藍は、書いた札を妖術を使って手際良く干していく。札が宙を舞い、部屋の対称側へと飛んでいく光景は中々シュールだ。あらかじめ用意されていた敷布の上に、順々に並んでいく。
それを見届けるまでも無く、藍は立ち上がって備え付けの小さな囲炉裏に近づいた。自分のお茶の替えと紫のお茶を入れるためだ。
部屋に一つだけある正方形の畳を開け、棚から出した薬缶に水瓶から水を汲み、炭に妖術で火を付け、三脚の様な金属の台に薬缶を置く。
現代の様な火力は望めないが、暫くすれば湯も沸くだろうと藍はお茶受けの用意を済ませる。里で買ってきた和菓子だ。そもそもからしてこれ以上を望む必要が無い。

「でも、まぁ、目的の人物は見つけたわ。」

「はい?」

唐突に紫が声を発し、藍がお茶受けを持ったまま振り返る。数瞬固まっていた藍だが、言葉を発したきり紫が動かないのを見て、お茶受けを以って机に移動する。
藍はお茶受けを机に置き、座布団を部屋の隅から引っ張り出すとそこに座った。紫も考える姿勢を止め、先程まで藍が座っていた席に座る。

「紫様が、人探し? 何か、重大な異変ですか?」

藍が、湿らせた布を差し出しつつ言った。そして、自身も手を拭きつつ返答を待つ。

「異変、そう、異変よ。この前の事は覚えているでしょう? 結界の揺らぎよ。」

手を拭いつつのその紫の言葉に、藍は「ええ、十日ほど前のものですね?」と確認する様に返した。

「そう、それよ。」

紫はそう言ってお手拭きを置き、ひょいと摘んで一口、和菓子を食む。桜を模した薄桃色の和菓子だ。
目を瞑って、味わう様に咀嚼する。
丁寧な味付けは程良い甘さ、それでいてさっぱりした後味を残す和菓子を紫は好いていた。唯同時に、早くお茶が欲しいとも思う。

「それの犯人が見つかったんですか? 異変を引き起こしたとして、早速巫女に連絡を?」

落ち着きつつも、どこか焦りを感じさせる早口の藍。幻想郷の結界を揺るがせる力の持ち主、尚且つ、それを実行しようとする者。危険極まりない。
紫は片目のみを開け藍を一瞥。再び目を閉じてから、「落ち着きなさい。」と呆れた様に嘆息しつつ告げた。
告げられた方の藍は、己の焦りを恥じつつも、しかし早く教えてほしいとも思っていた。紫の話し方はどこか人を焦らせる。殆ど態となのは分かるのだが、普段でも癖の様にそう話すのは止めて欲しいと少し嘆く。
紫は、手拭いを反対に折り返し、それで口元を拭ってから答えた。

「霊夢には連絡しないわ。」

ぐつぐつという薬缶の音を僅かに遠くに、発せられたその言葉の意味を藍は暫し考える。
そして、「それ程危険な相手なのですか?」と聞いた。
順当に考えればそうであり、しかし、紫は首を振る。

「いいえ、異変は既に解決しているのよ。だから連絡する必要がない。」

「ならば、この問題は既に解決と?」

藍のこの言葉にも、再び紫は首を振った。今度こそ藍は首を捻る。ならば一体何だと言うのか。
と、ここで湯の沸く音が大きくなってきたのに藍は気付く。続きも気になるが、「お茶を入れますね。」と告げて藍は席を立った。熱くなりすぎると適温にするのが面倒だ。
紫は「ええ。」と短く返事を。表情には出ないが、彼女は早くお茶が飲みたかった。
藍はお盆を出し、そこに新しく出した二つの湯呑みを置き、急須に茶葉を入れた。熱くなりすぎた湯を冷ます為一度二つの湯呑みにお湯を注ぎ、冷ましてから急須に入れる。
暫し、じっと茶葉が開き切るのを待つ。見守る様に。藍は、この時間が好きだった。
頃合いを見て、急須から湯呑みにお茶を注いでいく。一気には入れず、少しずつ少しずつ。ムラの出ない様に均等に。几帳面な性格か。
そんな藍の様子を頬杖突きながら見つつ、紫は静かな眠気に襲われていた。その思考、今日はまだ十時間しか寝ていないとは、流石平均睡眠時間半日である。
紫がぼんやりと、口を動かしながら眠気との絶望的な戦いを繰り広げていると、救援のお茶を持って藍が来た。
先ず、自身の隣まで来て座り、立て膝で丁寧にお茶を置いてくれる辺り、良く出来た式だと紫は自画自賛。無論、感謝の念は忘れず「有難う。」と告げた。
「はい。」と微笑んで藍は対面に移動。座り、自身の湯呑みも机に置く。そして漸く自身の和菓子に手を付けようとした所で、和菓子が消えている事に気付いた。
紫を見る。「てへっ。」と帰ってきた。お茶をぶちまけるのを我慢した自分を褒めたい。そう思う藍であった。
藍は、米神を引くつかせながら気を落ち着ける為お茶を一口。緑茶には精神鎮静作用があるのだ嗚呼上手い。苦味が最高だ、甘味があれば尚の事良いだろうにと言う思考を強制的に打ち切るお稲荷さん。稲荷寿司、好きですか?

「それで、問題は解決していないとは?」

これ以上この思考で考え続けると下剋上をしなくてはならなくなる。そう結論を出した藍は溜息を付きつつそう言った。
対して紫はお茶を飲みつつのほほんと。

「異変によって生まれたものが残っているのよ。火山灰よりも危険で、火砕流よりも凶暴。沸々と噴火を待つ休火山の様な奴。異変じゃないけど異常だわ。」

紫様みたいなものですね、と反射的に答えそうになった藍を誰が責められよう。
しかし、紫様が自然災害に例えるほどのその人物(?)とは何者だろうか。
藍は瞑目し、想像し、怖くなったので考えるのを止めた。

「それで、今回は紫様が動くと?」

そう言いつつも、藍は自分が駆り出される事を何となしに予期していた。きっと、態と恐れ戦かせてから自分に押しつける気だと半ば諦め気味に。
しかし、紫の返答は肯定だった。

「ええ、そうね。」

短く、端的に答えた紫。その後直ぐ、何でもない様に目を瞑ってお茶を味わっているが、その心境は如何様なものなのか。
藍が更に口を開く前に、しかし、返答は返ってきた。一度目で制した後、そのままゆらゆらと空になった湯呑みを振りながら。

「幻想郷だけで全ては完結する。でもね、私はあれを放っておけるだけ、幻想郷に不誠実には有れないのよ。私の中の、幻想郷にね。」

溢れ出る溜息の様なその言い様。それが、いつも通りの怠け者の言葉である事に気付いた藍は、どこか安心しつつお茶のお代わりを用意するのだった。





「へぇ、じゃあ、吸血鬼なのに人間な訳? 貴女。」

人間の里にある茶店の表、木で造られた長椅子に藁の上から布を敷き、座布団を許容人数の六人分置いたそこ。
京や時代劇に見れる様な、大きな花模様の日傘の下。フランドール=スカーレットは巫女に絡まれていた。
先日とは簪が桜に変わっただけの恰好のフラン。巫女、博麗霊夢の質問に頷きで答えつつ、ここまでの経緯を思い返した。

家を出た、里に来た、絡まれた。コマンド、逃げる。紅白からは逃げられない。

以上、終わり。あれよあれよとここに連れ込まれ、何故か私の奢りでお茶の最中。誤魔化そうにも既に情報すら回ってると来た。結界が揺らいだとか何とか言われて困り顔。
何だろうか、このチンピラに絡まれた小市民とでも言う様な心境は。いや、非は私にあるのだが。
フランは何とも言えない心境で、隣で一人考え込んでいる博麗霊夢(チンピラ)を覗き見た。
髪の長さは肩の下程、色は艶やかな黒であり。白いフリルで周りを飾った赤いリボンが少し後ろで頭に乗ってる。長めの揉み上げには同じ風の円柱状の髪留めがそれぞれに。巫女服は普通かと思いきや、どことなく洋風でヒラヒラが多く、スカート。しかも何故か、肩周りが脇部分ごと丸ごと露出。胸元の、小さい黄色ネクタイ(先は尖ってない)が少し目につく。
独特と言えば独特で、幻想郷らしいと言えばそうである。閉鎖的な空間故か何なのか、ここには良く分からない服装も多々あるようだとフランは思考。
普通に見れば可愛らしい、中学生程度の外見をした少女なのだがどっこい。天下無法の博麗様である。自覚なしだが幻想郷では彼女が法だ。ここの要なのだから。

「ま、良いわ。」

考えが纏まったのか、霊夢はとん、と湯呑みを置き、そしてよっこらせと席を立った。もう一度言うが、お代の持ちはフランである。団子一皿分程度、フランからしてみても大した事はないのだが。
霊夢のその様子に、フランはほっと息を吐く。漸く解放されるのか、と。と、いうのも、この巫女博麗霊夢、兎に角何を考えているのか分からない。特に、異変を起こす妖怪に対してのスタンスとも言うべき物が見敵必殺の域であるからして、自身が彼女の中でどういう立ち位置となるのかとんと見当がつかなかったのである。彼女の様子から見るに、どうやら人間としては可も無く不可も無く程度に収まったのではないかとはフラン。
そんなフランの心境を知ってか知らずか霊夢。ん~と目を瞑って伸びをして(脇が見えるのは気にしないのか)、そしてふぅ、と息を吐いてから言ってきた。斜め後ろのフランを振り返り、残念そうとも名残惜しげとも見える不満気な表情を浮かべながら。

「最近、暇なのよね。」

そんな事言われても、と困った様な表情で思ったフランを誰が責められようか。異変解決の巫女が異変を起こせと言わんばかりの視線を寄越す現状。
とは言え、一応相談(?)されている様なのでと答えるフランはある意味律儀だ。結界に関しては、迷惑を掛けたと言う気持ちもある様だから、ある意味程度の律儀。団子一皿では足るまいとの事。

「まあ、お姉様と相談してみよう。妖怪として異変を起こすのは良いが、余り里の人に迷惑を掛ける様な異変は避けたいからな。」

霊夢は「ん。」と頷いた後、靴でのんびりと歩いて去って行った。
洋風容姿をしている自身が草履で彼女が靴。そこに疑問を感じないでもないフランであった。

「私も、靴にしようかなぁ。」

お茶で一服団子が美味い。一先ず今日は良い天気。そして教訓、巫女と会ったら適度に諦めろ、だ。





買い物帰り、空の道すがら。博麗霊夢は、先程会った吸血鬼だが人間だか分からないものについて考えていた。
雲すれすれ、人に当たる心配はほぼ無く、妖怪ならば退治する。幻想郷に飛行機はない。風は寒いが綺麗に澄んで、考え事には悪くないのだ。

変な奴だったわね~。吸血鬼? 人? 何者とも知れぬ者とか言ってたけどそこだけははっきりして欲しいかも。

取り敢えず、妖怪らしからぬ律儀さを備えた奴である。それだけは確かだと一つ結論。
制御が上手くいかないと言っていた通りに透けて見えていた、その強大さを思い出し、力は要注意と一つ備考。

博麗霊夢はありとあらゆる物から浮く能力を持っており、故に能力を使えば何者にも威圧されない。攻撃からも浮く(……)ので、ある意味無敵になれ。更に、巫女としての能力等、様々な能力を備えていると言うハイスペックさ。修行はサボり気味であるのに、だ。

それにしても、堅っ苦しい喋り方だったわね。

事実フランのその力の一端を感じ取っても危険無しと見ればこの有様、危険であってもこの調子で叩きのめしに行くだろう。
力の強い妖怪やらが多いこの幻想郷のルール足るには、この位の力量がなければやっていけないのかも知れないが。彼女の実力はそこに関係なく、正に天才。常に実力を隠す様な癖もあり、凡人からしてみれば堪ったものではないレベル。とは言え。

まぁ、面白そうな奴でもあるわね。

彼女も常に世間から浮いている訳ではない。珍しい物に目が行く程度には俗物であり。更に言えば、世間より浮けど自身より浮く事はしないので(若しくは出来ない)、そこに一定のルールがある事は間違いないのだ。フランには少し興味を持っている様子。暇つぶし程度である可能性は否めないが。

早く異変でも起きないかしらね~。

妖怪退治が出来ないからと、誠実なのか不誠実なのか分からない思考の霊夢。彼女は漸く目的地に到着。標高二百も行かない小さな山、その上にある神社の境内に、ふわりと降り立った。幻想郷の東の端にあるここ、博麗神社が彼女の家だ。純和風、規模は町にあるちょっと大きな神社程度。
霊夢は石畳より外れ、狛犬と神社の間を通って裏手へまわる。横に神社、反対側から木々のざわめきが聞こえる土の道を通り、裏手へ。いつもそこから出入りしているらしい。いつもそこにいるからか。

「ぅんしょっと……で、何やってんのよ、あんた。」

神社の裏、荷物を置いてほっと一息つこうと思っていた霊夢は、胡散臭げに声を上げた。扇子を口元に当て、胡散臭い笑み。細い赤いリボンのナイトキャップ見たいな帽子を頭に乗せ、中華風の服を着ている。そう、紫だ。
いつからいたのか、勝手知ったる他人の家とばかりにお茶を飲みつつ縁側に腰かけているのだ。煎餅まで持ち出す始末。
霊夢は片眉を軽く顰め、腰に右手の甲を当て身構える。何か厄介事だろうかと思考。

「買い物ご苦労様、霊夢。」

等と、親しげに声をかけられればそんな予感は三倍増だ。

「何か用?」と、霊夢はどこか投げやりに言った。が、一応は聞くつもりらしいのは紫を信用しているからか。彼女は誰も仲間とは見ないが、友人とは見るのだ。霧雨魔理沙当たりが良い例となるだろう。

「ちょっと、お願いがあるのよ。」

あのスキマ妖怪、この八雲紫がお願い事とはこれいかに? 紫は、普段とは違う真剣な表情で霊夢にお願いをしてきたのだ。これはこれで、何やら重大な異変の前触れではと思わない事も無い霊夢。寧ろ、思いたい。

「紫が、お願い事ねぇ。」

然して意味も無い、確認だけの呟き。霊夢は少しの間に考えを巡らせる。そして、思い当たる一つの事柄を上げた。

「若しかして、あれ。フランドール=スカーレット関連? 大結界を揺るがした犯人。」

ピクリ、と紫の片眉が動いたのを、霊夢は見逃さなかった。この反応を見る限り当たりと見ても良いらしい。

「……この短期間で良く分かったわね。」

この紫がこの様に驚くのは中々に珍しい。そう霊夢は思いつつ話した。別段隠す事でもない。

「良く分かったも何も、里の連絡役。八代から聞いて知ったのよ。んで、居そうな場所に張って本人に確認したわ。」

「後は自分から話してくれた。」とは続けて霊夢。
一方、どこか呆れた様な表情となった紫。その呆れは霊夢に対してか、それともフランに対してか。
「やり難いわね。」と言う呟きから察するに、或いは一連の事象全てに対してかも知れない。中心にいるのはフランだが。幻想郷の中心は霊夢であり。

「まあ、そうね。彼女に関連する事で、一つお願い。」

霊夢は、相変わらず紫らしからぬ態度で語られたお願いの、その内容を聞き。今度こそ深く眉を顰めるのだった。






「ほぅ、つまり何か? 昨日の内に私の事を八代に伝えたと? ん? で、今日私は巫女に絡まれた訳か?」

「あーいや、そのだなぁ。」

ここは昨日も来た定食屋。慧音の寺子屋の昼休み、二人は今日もここに足を運んでいた。先日と同じ、四人テーブルの席。
と、言うのも御覧の通り。先程巫女と別れたフランは駆け足で八代を探し、里の門前で詰問。大いに注目を集めた後、切り返すような勢いで慧音の下へ。
八代曰く、自身は職務を果たしただけ。故に、絡まれた恨みを慧音に発散しているのだ。八つ当たり以外の何物でもない。
フランに正体を伝える事を言わずに八代へ話したのは、確かに慧音が悪いかもしれないが、昨日は別れ方が別れ方であり、また、重要な案件でもあった故にフランの為と遅らせる事も出来なかったのだ。
無論、フランもそこら辺の事は承知している。予め説明しなかった慧音も悪いが、少々考えれば浮かんでくる可能性であり、八つ当たりと言えど軽い事情聴取と聞き流せる程度の嫌味だけだった。慧音相手だと子供っぽい部分が目につくのは、やはり慧音の気質故だろうか? 相性は悪くないのか。

「まぁ、済まなかったとは思っている。」

と、軽く頭を下げてくる慧音に。フランは、「まぁ、良いさ。」と軽く言って答え、良く冷えたお冷を一口。一応気は晴れたらしい。
そんなフランの様子に慧音は頭を上げて苦笑、姿勢を正し、湯呑みを手に取り水を一口。

「で、どうだった?」

一息吐いた所で、慧音が言葉を発してきた。料理は先程注文したばかり、店内は盛況で、このテーブルに料理が運ばれてくるまでは時間がかかるだろう。食事の音や調理の音、人々の談笑が賑やかで活力ある空間を作り出している。電気が無い為店内は少々薄暗いが、大きめに取ってある障子の窓のお陰で然程ではない。
フランは、「何が?」と短く答えた。
まだちょっと拗ねたようなフランの様子に慧音はまた少し苦笑。「博麗の巫女だよ。」と、補足する様に言った。
フランは溜息、ちょいと頭を巡らせて「嫌いじゃないが苦手なタイプだ。」と答える。
それを聞いた慧音は、ふむ、と暫し思考。なら、私も似たような印象を抱くだろうなとお冷を飲みながら。

「まぁ、異変解決の巫女だけあってそこら辺のルールが変わっているのだろう。慧音も気を付けた方が良い。」

フランは、東方永夜抄の知識から、それとなく忠告する様に言った。
対する慧音は、「半分だけでも狙われるかな。」と軽く茶化し、「まぁ気を付けるよ。」と微笑みながら。
奴は、異変解決の邪魔になるなら人間だろうとボコるがな。と、フランは心の内で思っていたが。流石にそこまで言うと可笑しいだろうと自重した。

「いらっしゃいませ~!」

看板娘の声が響く。また、一人客が入ってきたらしい。店の入り口は背後にある為見る事は出来ないが、商売繁盛何よりだ。時間を考えれば、この喧騒もまだ続くのだろう。

「すみませ~ん、現在、満席でして、暫くお待ちいただく事に。」

運の無い、フランはそう思い、水をまた一口飲もうとして。

「……どうした?」

訝しむかの様に入口を見る慧音を見、止めた。フランの質問に慧音は、「いや、どこか違和感が。」と言葉を発し。フランはそんな彼女の様子に首を傾げ、釣られる様に入口を見。

「ほら、あそこの席のあの子、友人なのよ。だから相席で。」

そんな言葉をこちらを見て言う女性を見、固まった。扇子を口元に当てて微笑むその女性は、八雲紫だ。あの背格好、間違いないと瞬時に判断。
店員の娘さんは、フランのその様子では判断付きかねたのだろう。テーブルに当たらぬよう注意しながら少し駆け足でこちらに走り寄って来て、聞いてきた。

「あのぅ、あちらのお客様が、貴女をご友人と。それで相席を希望していらっしゃるのですが。」

娘は困った様な笑みを浮かべながらの遠慮がちな口調。幻想郷でも少し珍しいあの格好、口元を隠した胡散臭い笑み。やはり、彼女も胡散臭く感じたのだろうか。
フランは、横にいる娘から視線を外し、真剣な表情で慧音を見、指でちょいちょいと自分の隣の席に移る様指示をした。
そんなフランの様子に、慧音は紫に対して警戒心を。そして、指示に従って移動した。

「ああ、構わない。」

慧音が荷物ごと(とは言っても帽子や湯呑み位しかないが)移動したのを確認して、フランは微笑みながら店員の娘に言った。
娘はほっとした様子で、紫の方へ小走りで駆けていく。

「誰だ?」

その少しの間に、慧音がこちらに聞いてきた。入口の方では紫が微笑んで娘に礼を言っている。

「妖怪の賢者、幻想郷を形造った者の一人だ。強大な力を持っている、注意しろ。」

慧音の息を飲む音。知りあいなのか? そんな疑問を挟む余地はなかった。既に娘に連れられて、胡散臭げな笑みを浮かべた八雲紫はこちらに歩いて来ているのだ。
フランの直ぐ隣に来た所で、八雲紫が言葉を発した。その笑みを、広げた扇子で隠しながら。

「お久しぶりね。」

「……。」

何も答えないフラン、こちらに害意があるのかないのか見極めんと紫を見ていた。そもそもからして面識などないのでこの態度自体が危ういのだが、フランにそんな余裕はない。
紫はそんなフランを「ふっ。」と一度笑い、ゆったりとした動作で対面の席に付いた。

「ご注文の方は?」

流石と言うかなんというか、店員の娘は可愛らしい顔にしっかりとした笑顔を浮かべて対応。妖怪も来る店で一々動揺していては、或いはやっていられないのかもしれない。

「……そうね、餡蜜と麦茶だけちょうだいな。」

と、紫はメニューに軽く眼を通してから微笑みながら答えた。食事をする気はないらしい。
注文を聞き、「畏まりました~!」と言って去っていく店員。また心なしかほっとしたような様子が窺えた。

「そちらの方とも(……)初めましてかしら?」

あっさりと偽りの関係を初期化する紫。慧音を見ながら言葉を発した。
対して慧音は数瞬間を置き、これに答えた。数瞬の間は、フランに対する疑問も挟んでいたのかもしれない。

「……ああ、初めまして。私は、上白沢慧音だ。お名前をお聞きしても?」

「八雲紫よ。宜しく。」

硬い表情の慧音の自己紹介に、内面の窺えぬにこやかさで対応する紫。
慧音が、「ああ、宜しく。」と返した後、紫はフランの方を見た。
自己紹介をしろと言う事だろうか? 知っているだろうに、とその行為自体を倦厭せずとも思わず愚痴ってしまうフラン。しかし、気を取り直して自己紹介を。

「知っている様だが、フランドール=スカーレットだ。宜しく。」

「ええ、宜しく。」

くすくすと、扇子で口元を隠しながら紫は笑った。フランの態度が可笑しいと言わんばかりだ。或いは、彼女も前のフランを知っていても可笑しくないのだからそれだろうか。と、フランはここまで考え。腹の読み合いを出来る相手ではないと悟った。慎重に受け答えせねばならない。迂遠な言い回しと、胡散臭い思わせぶりな態度で惑わされる。

「それで、態度から……いや、私の方にも心当たりはある。私に用があるのだろう。何の御用か?」

故に、フランは真っ直ぐに切り出した。真剣に対応する必要があるのだ。店の一角、壁際の隅のここだけが、僅かに空気が違っていた。
すると、紫もまた真剣な表情に。一度瞑目した紫は顔を僅かに背け、扇子をパチンと音を立てて閉じる。そして、顔を真っ直ぐにフランへと向け、言った。
その様子をフランは疑問に思ったが。

「元、吸血鬼フランドール=スカーレット。貴女に決闘を申し込むわ。」

そんな疑問は紫の言葉で吹き飛んだ。

「決闘だと!?」

これに思わず手を付いて立ち上がり、叫んだのは慧音だ。フランの方は突然の申し出に思考が駆け巡り、固まっている。
湯呑みの倒れる音、次いで水の零れる音。
慧音は直ぐに、はっと我に返って周りを見渡し――。

「っ!」

誰も、こちらに注意を向けていない事実に驚愕した。巻き込まれない様に等、意図的に無視している風には見受けられない。食事の音や談笑の声も聞こえてくる。しかし、こちらには気づかれない。フランもそれに気付き、しかし、紫の能力を知っているフランは多少の動揺で済んだ。
だが、視線を戻した先、尚も言葉を紡ぐ紫を見。

「私が勝った場合、」

それを聞いたフランは、今度こそ思考が停止した。





「貴女には、幻想郷を去って貰う。」


それ程の、衝撃だった。








[To be continued]




後書き

やっと出来ましたよ第五話。
二話辺りで一度力尽き、何とか三話で一歩持ち直し、四話で体勢を立て直した後の五話でまた躓いた予感;
眠気でぼーっとした頭で文章は書かない方が良いのか。しかし、作者は夜型なので(多分)。
出来れば感想を、しかし、展開予測等はご勘弁をm( )m 誤字報告などもお待ちしております。
頭の良いキャラって何考えてるか分からないのでちゃんと書けているか不安です;
後、霊夢が何を考えているのか分からないです(こちらは自分でキャラ設定するつもりですが);;
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第六話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/10/14 23:09
不死の山より尚高く、空に霞む御山の威容。雲の天高くを突き抜けて、天上へと繋がる神居の霊峰。
不尽の煙が上がるそこは、在りし日の八ヶ岳。人々から、妖怪の山と呼ばれている、妖怪達の住処である。樹海と小高い山々に囲まれたそこは、人の気配を感じさせない。

雄大、そんな言葉でしか言い現わせない。

フランドール=スカーレットは、そんな山を眺められる小高い丘の上の木陰に座っていた。眺めが良いと言うのもあるが、余り近づきすぎると山の妖怪、天狗に警戒されるからだ。
その澄んだ青い瞳で、夏の山と空を眺めている。木々青々と生い茂る山に、天上を彷彿とさせる大きな雲。

本当に、どうしたものか。

はぁ、と溜息を吐く。この美しく雄大な景色を見れ、本来ならば気分もさぞ良かっただろうに。
そんな彼女は現在、思い悩んでいた。言うに及ばず八雲紫との決闘についてである。
と、言うのも。唯戦うだけならばここまで悩みもしなかった。
だが、

私は、消えるべきなのか?

ゴロンとフランが寝転がる。丘の上の大きな木、その影の下、広がる桜花模様の着物、紺の袴に揺れる額の簪。
山の方角、青空に鳶が鳴いていた。ピーヒョロロと笛の様に。
私も鳥の様に飛べばいいのだろうか? フランはそんな思考を転がしながら、目を閉じて今を感じていた。







東方虹魔郷
第六話 山の天狗と吸血鬼





時間は遡る。時と場所はあの場あの時の定食屋、昼間の喧騒の中、しかし、結界により周囲に認識されない状況。
八雲紫に唐突に決闘を申し込まれ、決闘に負けた場合は幻想郷を去って貰うと宣告されたフラン。
彼女が先ず感じたのは、当然の如く憤りだった。

「幻想郷を、去って貰う? 幻想郷は全てを受け入れるのでは無かったのか?」

気付けば自制の合間を縫う様にそんな言葉を吐いていた。その程度には、彼女は困惑と怒りの様相を呈していたのだ。
くっと睨むように引いた顎を引き、簪の飾りが僅かに揺れた。
そんなフランの様子を見て、しかし、紫は嘲るでもなく真っ直ぐにフランを見つめていた。

「落ち着け、フラン。」

そんな紫の様子と、横合いから掛けられた慧音の自制の言葉。自身の醜態と、相手のペースに呑まれている事を自覚。
フランは一度深呼吸。そして、水を一杯飲んで気を落ち着け、紫に向けて頭を下げた。

「申し訳ない。思わず我を忘れてしまった。」

紫はその謝罪を受け、ふっと小さく笑みを零す。障子越しの陽光に照らされ、その木枠の影が映った姿はどこか幻想的で、目が引き付けられる。

「いいえ、私も言葉が足りなかったわ。」

フランは、正直意外だった。自身のイメージしていた八雲紫はこの様に謝ったりは……。
と、ここまで考え、所詮、自分の知る彼女は、その唯の一面でしかない事に気づく。そして、自分なりに彼女についての情報を纏め、彼女が真摯に対応する物事を思い浮かべると、一つの答えに行きついた。

「……私の存在が、何かしら幻想郷に不利益を招くと?」

紫の眉がピクリと動く、更に真剣な面持ちとなった。気付くこと自体は不自然ではないが、違和感があったのだ。
……この時間で見抜く、気付く、その様子。現状? いいえ、私を。知っていた?
紫は現状でのフランの能力を若干上方修正、駆け引きの上手さを下方修正……否、堅物なのはそうであると現状維持。ストレートな思考回路と仮定。

「そう、だから歓迎会みたいなものよ。弾幕を用いたね。」

にっこりと笑って紫。軽いジョークにしては重すぎる皮肉だ。
フランは眉を顰め、軽く覗き見る程度に探られているのを感じていた。だが、方針は変わらない。
緊張の面持ちの慧音を横に、フランは言葉を紡いだ。

「私の何が不利益を招く。」

簡潔なその質問に対する答えもまた、簡潔であった。

「全て、貴方の全てを以って不利益と判断できる。故の、決闘よ。」

曲がり形にも幻想郷の一員であると、現状に置いて認めているからこその決闘。そう言う事かとフランは納得し、更に質問を。

「では、去って貰うとは?」

文字通りの追放ではないだろうと半ば確信しつつフラン。対する紫は、一度水を飲んで唇を湿らせてから、物騒に答えた。

「貴方には消えて貰うわ。」

慧音の息を飲む音。その意味を予想を超えて理解し、それをフランが飲む可能性がある(……)故の反応。

「フランの魂は既に融合している! 不可能だ!」

気付けば慧音は叫んでいた。昨日会ったばかりの間柄、しかし、どうにも気の合うフランの事を、新しい友人程度には思っていた。
故に、彼女が消える可能性は少しでも消したかった。フランはそんな慧音の人情に心動かされつつもしかし、

「不可能ならば言わないと、分かっているでしょうに。」

冷たく言い放たれた紫の言葉に同意せざるを得なかった。慧音の好意を嬉しく思いつつも、しかし、彼女は紫の能力を知っていたのだ。
だが、慧音のした行為が無駄だったかと言えばそうではない。フラン自身も気づいているが、彼女が自分からそれを飲むと言う気持ちは若干薄れていた。
逆に言えば、彼女の中にはそれが正しいのではと思わせる価値観があったとも言えるのだが。

「私の能力は境界を操る程度の能力。融合した魂を再び分ける位訳無いわ。」

そう、今現在のフランドール=スカーレットには幻想郷を去って貰う。元に戻す(……)のだ。
慧音はそれを聞き、俯いた。この場に居合わせた第三者が自身であるとは自覚しているが、そうであるからと引かねばならない現状に憤る程度には親愛があった。
紫は真剣な面持ちで続ける。

「無論、こちらから決闘を挑む以上、貴女にも利が無くては不平等。」

彼女はパッと扇子を取り出して、開いたそれで僅かに斜にした顔の口元を隠した。そして、人差し指を立て前に差し出しながら、言った。

「貴女が勝った場合は、貴女が幻想郷にいる事を認める他に、もう一つ何かを提示しましょう。」

或いは、命をもとそう続けた紫の鋭い眼光。切れの長い眼差しは二人を、否フランを威圧する。
だが、フランはその眼光をにらみ返し、それではならぬと異を唱えた。

「今、私が幻想郷の一員であると言うのならば、そして決闘を挑んできたのがそちらなれば、私は唯こちらに日時を指定する権利のみを求める。」

決闘を挑み、決闘を受けるのならばそれが正しいと言うフランの主張。

「……そう待てないわ。精々で……そうね、一か月。」

勿論、その間に貴方が問題を起こすようならば別だけれど、と紫は続け。フランは、その予想よりも長い猶予期間を、紫の礼儀と余裕と思った。
故に、と言う訳ではないが、フランはこの時もう一つ要求、否、提案をした。それには、紫のみならず思わず慧音も眉を顰めたのだが。







あれから既に一週間が経過している。
フランはその間、悩みに悩んだ。レミリア達には既に、この事は伝えてある。反応はある意味予想通り。レミリアは憤り、フランの心配をし。パチュリーは傍観を、しかし、不愉快に眉をひそめていた。咲夜はレミリアに付き従うが故に、フランと紫に不満を持っていた様子で。美鈴は唯、貴女はフラン様ですと告げてきた。
興味の濃淡こそあれ、誰もがフランをフランと認めていた。故に悩むのだ。自分のしたい事を見つけていないとでも言うか、不安定に在った。

自分自身がフランドール=スカーレットであると、自身は考え至っており、しかし、自分が彼で在って彼で在る事実も頑としてある。

面倒な話であった。自己責任の重さをこれほど感じた事は無い。
陰鬱としながら瞼を開く。また美しい景色を見て少し気を紛らわしたかった……のだが。

「どうも~。」

視界に入ってきたのは風に揺られる枝葉ではなく、中学生くらいの黒髪の少女であり。

「何故、カメラを構えている?」

カメラを構えたままの彼女は、カシャリと一枚フランを撮った。そして。

「お休みになっているのかと思いまして。」

にっこり笑って飄々と、そんな事をのたまった。
フランは何も言わず親指で銀貨を弾く、それを鳩尾にくれてやった。



「あ痛たた。いやぁ、いきなり攻撃する事は無いじゃないですか。」

鳩尾を抑えながら座りこむ少女。苦笑を顔に張り付けている彼女は射命丸文(しゃめいまるあや)と名乗った。
或いは言わずもがな、作品に登場する人物の一人であり。幻想郷でもトップクラスの実力を持つ天狗の、その一人だ。
烏天狗と言う主に報道活動を生業とする天狗だが、大天狗が持つ筈の葉団扇(風を巻き起こす)を何故か持っていることなどからその実力は相当のものと思われる。
容姿は先程述べた様に中学生くらいの少女の物、可愛らしい雰囲気を纏っているが、千年以上生きているらしい。そもそもからして人とは違う彼女達に、人の常識を求める事自体が或いは間違いかと頭を捻るフランは、自分の事を棚に上げすぎであると言える。
服飾はまるきり洋風。前をボタンで留めた白い半袖シャツ、胸元には赤いリボンが目立ち、肩付近の袖は膨らんでいる。焦げ茶色のスカートは裾に白いフリル付き、膝上程度の長さ故に素足が覗いており、人形の様に可愛らしい足には可愛らしい皮靴と黒いソックス。
天狗が被っているものと良く描写される帽子を頭に乗せており、赤いそれは紐を使って顎の下で括ってある様だ。

やはり、幻想郷の服飾は独特だなと思わない事も無いフラン。一先ず目の前の問題(射命丸)に対処する事にした。

「寝込みを襲う様に盗み撮りする輩に対し、躊躇など必要ない。」

切って捨てる様なフランの態度に、「これは手厳しい。」と頭を掻く文。写真は既にフランが回収済みである。
そもそもからしてこの射命丸文、適度に嘘吐きの上マスコミ、風評すら操りしかも強いと厄介極まりない相手である。油断など出来ようはずはない。

「それで、私に何か用か? 出来れば一人にして頂きたいのだが。」

ここは、まだ貴女方の領地ではない筈だとフラン。対する文は漸く苦しみから立ち直ったのか、スカートを払いつつ立ち上がり、答えた。

「いやぁ、ここは偶に私も来る場所でして、ああほらこの様に、何分景色が良いもので。故に今日も来たと。するとどうでしょう、人が寝転んでいるではないですか。しかも大変美しいと来た。いや、これはこれはと近くに寄って見てみれば、花の様に可憐でいらっしゃる。盗み見る程度では気が済まず、半ば思わず盗み撮りと。大変申し訳ありませんでいた。」

そして、優雅に一礼して謝罪の意を示す彼女。
フランは眉を顰めつつ、同時に軽く戦慄していた。良くこの様に舌が回るものだと。口先から生まれてきたとはこういう者の事を言うに違いないと意味の分からぬ納得をしていた。
こう謝罪をしている以上、許さないと言うのは道理に合わない。フランは口を開いた。

「納得はしないが、言い分は理解した。先程の事もある以上、こちらは水に流そう。」

フランの言葉に文は一度ひょいと頭を上げ、再び「有難うございます。」と少し深く礼をした。
強い者には弱く出て、弱い者には強く出る。物凄く強いのに適度に手を抜くと称される天狗。ここ一週間で少しましになったとはいえ、先程の銀貨に込められた一撃でフランの力量はある程度見抜かれていた。

強い。それに、聞いていた通りの(……)性格をしている。

文は先程嘘は言っていない。が、フランの事を知っているのにすっとぼけているのだ。
彼女は今日、フランを取材する為に来ていた。そこで偶然見つけたと言う訳だ。里で事前調査(主な情報源八代)をした上だと言うのだから用意周到。

「失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? 出来れば取材も。」

故に、ここでフランを逃すつもりはなかった。折角のネタなのだ。
フランは「ああ、失礼。まだ名乗り返していなかったな。」と、非礼を詫び、一礼を伴って名を名乗った。

「私はフランドール=スカーレット、ご存知の通り(……)元吸血鬼だ。」

人里に一番近いとされ、妖怪の山の諜報員としてもある彼女が自身を知らない筈がないと判断しての言葉。自意識過剰と取るべきか判断に困る所。
「折角だが、取材はお断りさせて頂く。」と続いたフランの自己紹介に対し、文は中程から聞かなかったふりをして、驚いた様に言った。

「あやや、彼のご高名な吸血鬼、レミリア=スカーレット様の妹君にあらせられますか。」

白々しい。驚きの白々しさだとフランは文をジト目で見る。文は首を傾げてにっこりだ。
真面目で融通は利かず、仲間意識は強いが排他的。仕事や取材対象には真剣で敬意を払うが、必要とあれば嘘も吐く。
天狗は酷く人間らしい、彼女もまたそうである。ロマンを求める嫌いがあるフランにとって、天狗は興味の対象外だった。ゲームの先入観によるものだが。

「そうだ。先程も言ったが、出来れば一人にして頂きたい。」

取り付く島がないとはこの事かと、文は内心一人ごちた。世間知らずと聞いていたが、どうやら自分の事は知っているらしい。先程の盗撮失敗から数え、ちょっとした誤算その二だった。

「何かお悩みごとで?」

よって、話題を変えてみる事に。唯で引き下がる心算はなかった。
そんな文にフランは溜息。霊夢とは別の角度で苦手だと思った。何より女子中学生の様な外見と、それに類似した雰囲気にペースが乱される。

「話す事は無い。」

「そう仰らずに。こう見えても長生きしています。何かしら助言なども出来ると思いますよ?」

腰を折り、首を傾げ半ば覗きこむように笑顔。
そりゃ千年以上生きていれば長生きも長生き。自分のそれとは或いは及びもつかない考えもあるかも知れないが、間違いなく情報は記事になる。つまり、真っ平御免だった。

「お引き取りを。」

そう言ってフランは腰を降ろし、手を頭の後ろに組み、再び枝葉を眺める様に寝転がった。そして、目を瞑る。

「あやや、なら――。」

草の擦れる音。フランは訝しげに片目を開けて音の方向、自身の右横を見て、眉を顰めた。

「何のつもりだ?」

「いえいえ、折角ですのでご一緒しようかと。本来の目的ですし。」

そこには、へその上で手を組んで、フランと同じように寝転がる文がいた。顔を僅かにこちらへ傾け、ニッと笑っている。
ちょっとした賭けだ。これでフランがどこかへ行こうとすれば、文は一度諦める心算だった。追い返そうと挑んでくれば、或いはスペルカード戦に持ち込めるかも知れないとも考えての行動。人間、同じ行動をとる者には何かしら親近感が湧くもので。
これに対しフランは。

「勝手にすると良い。元より私の場所ではない。」

そう言って目を瞑った。文は唯にやりと笑い、自身も一度目を瞑った。




数十分後。
文は上半身を起こし、自身の隣で寝いるフランを少し呆れたように見つめていた。

全く、さっき盗撮されかけたばかりなのに、もう寝ますかね。ポカポカ陽気に耐えられなかったのかしら。

ふぅん、下がる音程で軽く一つ鼻息を。呆れたような眼差しで暫し見ていたが、まあいいやとフランの写真を撮る事に。

ハイ、チーズ。

と意味の無い掛け声を心と口の動きだけでし、しかし、シャッターに指を掛けた所で、真顔に。ファインダー越しのフランの寝顔を暫し見つめ、やがてカメラを降ろした。
軽く、全くしょうがないと言う様な溜息を自身に。
先程も言った通り、文は嘘を言った訳ではない。フランの寝顔が可愛らしく、つい写真を一枚と心動かされたのだ。しかし、それは取材対象に対して失礼なことであり。
だから、しょうがないなぁと空を見上げた。空には心地よい風が吹いている。とどのつまり、文は可愛らしいものが好きだったのだ。彼女の書く文字が天狗にしては可愛らしいのと関係があるかどうかは知らないが、それと全く関係なく夏の青空が澄み渡っているのは事実である。
文は軽く、可愛らしく伸びをした。ん~っと暫しやった後、はぁ、と息を吐いて心地よく脱力する。
そして、美しい景色を窓に回想を始めた。勿論、隣で眠っているフランの事だ。

人里に一番近いと称される天狗、射命丸文がフランドール=スカーレットの情報を知ったのは、ついこの前人間の里へ買出しに来ていた時のことだった。
里人曰く、一房だけ長い金糸を簪で留めた、可愛らしい女袴の異人少女が最近里へ入り浸っている。との事だった。里人の中でも噂らしく、ネタになりそうだと直ぐに情報収集を開始。
偶に足を運ぶ定食屋の娘さんに話を聞き、寺子屋を経営している上白沢慧音と言う人物と仲が良いらしいとの事だったので、先ずはそちらに出向いた。しかし、直ぐに追い返される羽目に。丁寧な対応だったが、頑として言わぬと言う気迫が覗いていたのを覚えているとは文談。追い返されたと言うよりは引いたと言った方が正しいか。
しょうがないので里中を歩きまわって情報を集め、門番の八代と言う人物に行きあたる。八代は文から見ても胡散臭い人間だった。
彼曰く、彼女の名前はフランドール=スカーレット。吸血鬼レミリアス=カーレットの妹で、何でも人になる事が出来るとか。
何故人になれるかは本人に聞いてくれとは八代談。後は詳しい容姿を聞けた以外には新しい情報は無かった。まだ知っていたのか、それともとぼけたのか。全く以って食えない(……)人間だった。
文は、これは大スクープと早速取材に打って出る事に。あの吸血鬼に妹がいると言うのは風の噂で聞いていたが、それは大方唯の噂どまりだろうと思っていた。が、蓋を開けてみればその妹は実在し、しかも、人となる事が出来ると言う異端の存在。これを逃す手はないと。
そして、取材実行当日。紅魔館へ向かうその道中で人を見つけ、その容姿にまさかと思いそれが大当たりだったと言う訳だ。

吸血鬼で、人で、堅物で変人。人となりはこんな所でしょうか。

それにしても、鳩尾への一撃は痛かったと文。仕返しとばかりにフランの頬を突く。ふにふにしていて大満足。ニヘッと頬が緩む。フランはと言えば夢に出たか軽くうなされていたが、これは仕返しなのだからと続行。
暫く感触を楽しんでいた文だが、やがてどさっ、と草の上に身を倒す。満足したらしい。手足をを軽く投げ出し、髪の広がりも軽く捲れたスカートも気にしない。
そのまま暫し、今度は草木の香りを楽しみながら影を作る枝葉と夏の空を見上げていた。そして、視界に映る太陽と山の位置からして、凡そ馬の刻前と言った所かと思考し。

あ、そうだ。

と、心で呟き、何かを思いついた様に手を叩く。
ばっ、と身を起こし、ん~~と軽く握った拳を上にして腕ごと伸び。
そして、腕を下ろすとフランの方を見て。

「もしも~し。」

と言いながら、つんつん、と頬を突っつき始めた。気に入ったらしい。

「……ん。」

暫し突いていると、フランが身じろぎした。
眉を顰め、不機嫌そうに目を擦りながら体を起こす。

「何だ?」

明らかに不機嫌な声色、細く鋭い左右非対称な眼差し。それに対しても文はにっこり、年季が違うと言わんばかりだ。
寝起きのフランに、文はそのままの表情でこう切り出した。

「一緒にお昼ご飯でもいかがですか? 妖怪の山で。少しなら案内もしますよ。」

それを聞き些か怪訝な表情のフラン、満面の笑みの文。
着実に外堀を埋めにかかっている文に対し、どうやらフランに対抗手段は無い様だ。或いは、する気も起きないのか。
一先ず、この乗りは苦手だと言うフランは、レミリア等に対しての自分を棚に上げていると言えるだろう。





妖怪の山、主に天狗が支配しているここは幻想郷に置いても最大級のコミュニティーだ。
天狗を始めとした河童等の様々な妖怪や、八百万の神等々、多種多様な連中が寄り集まって生きている。
天狗等の妖怪連中と八百万の神連中の関係は不明だが、少なくとも敵対状態にあると言う事は無いだろう。
八百万の神々の中には不尽の煙を出し続ける石長姫等々、強力な力を持つ有名な神も中にはいる故、調和がとれていなければ仲間意識の強い天狗とやっていける訳も無く、山はもっと殺伐としている筈である。
ここまで考えてフランは辺りを見回した。現在妖怪の樹海、その木々の上を低高度飛行中である。
木々生い茂る山中において、フラン唯一人だけが異質であるとでも言う様に先程から適度に視線を集めていた。気の上からの視線である当たり、いかにもだ。

「いや、申し訳ありませんね。貴女の様な方を招くのは珍しいもので。」

少し困り顔で謝ってくるのは文だ。ここに至るまでの数分間で、お互い名前で呼ぶ程度には打ち解けていた。文が意識してそうなる様仕向けた節はあるのだが、フランはさして気にしていない。一先ず今は、ある意味幸運と言える妖怪の山散策を楽しむのが先決であった。悩みも一時は忘れようと。

「そこは、気にしないでおこう。だが、他の連中は私が誰かを知っているのか?」

ちょっとした合間に一応探りも入れてみる。探りと言うほどの物ではないかもしれないが、一手打つ事に意味もある。
文は、「いえいえ。」と手を顔の前でパタパタ。「今、貴女の事を知っているのは私のみですよ。」とにっこり言った。
記事のネタは秘密ですからね、と言うある意味真実味のある言葉はしかし、天狗社会に置いて通るのかどうか。不透明な社会故の誤魔化しだとフランは思考。天狗のボスである天魔または管理職の大天狗まで話が通っていると考えて置いた方が良いだろうと結論を出した。他の妖怪達との折り合いもあるだろう。

だが、そもそもからして射命丸文と言う妖怪は、普通の天狗とは少し違った立ち位置にいる。幻想郷における天狗を思い描けば先ず彼女が思い浮かぶほどに彼女は身近な天狗なのだ。或いは、妖怪の山の窓口とも言えるのかもしれない。無論、他の天狗と接している人間もいるかも知れないが、幻想郷縁起(東方求聞史紀)に置いても掲載されている天狗についての情報は彼女についての情報のみだ。里に最も近い妖怪、と。ならばそう言った仮説にも信憑性が出てくるのではないだろうか。
本当に伝えていないとすれば、それはそれで興味深い事。何にせよ、未だ彼女の人間性は把握しきれない。そう思考を打ち切るフラン。

暫し無言、木々の隙間から陽光の零れる樹海を二人は飛んでいた。
樹海はそう呼ぶに相応しく巨大で壮大。生い茂る木々は少なくとも数十年から百数十年は生きているだろう。がっしりとしている。
恐らくは樹齢数百年クラス、見上げる様な木々の隙間と言うには大きすぎる空間。倒木の下を流れる小川の水の音、鳥の声、動物の影。
風に木々が騒いだ。緑に透ける木漏れ日が揺れ乱れる。

「……一度ゆっくりと散策に来たいものだな。」

ボソッと呟かれたフランの声。然程早くないとはいえ空を切る中しかし、文の耳には届いた様だ。
彼女は僅かに後ろを付いてくるフランをちらりと見た後、風に邪魔されぬよう少しだけ声を大きくして言った。

「紅魔館とは現在敵対状態にある訳ではないのですが、少し前の戦争の影響がありますからね。」

そう、地下にいた自分にはどの様な物であるのか分からないのだが、少なくとも幻想郷を一時とは言え荒らした我々だ。排他的と言える天狗達、延いては山の妖怪達にはそう簡単に受け入れられまい。
フランは小さく嘆息した。言っても仕方のない事である。これから先或いは……と、考えた所で直ぐ数週間先に控えている決闘の事に思考が行った。故にそれを打ち切る。そして、ぼやく様に言った。

「仲良くやれればいいと思っているよ。まこと勝手ながらね。」

その様子を見、それを聞いた文がどの様な事を思ったのかは分からない。しかし、一瞬視線を向けた後のその横顔が、とても珍しい物を見た様な、そんな表情をしていたのは確かである。





「駄目ですよ。確かに、文さんが仰るのなら大丈夫かもしれませんが。居住区域にこれ以上近づけさせる訳にはいきません。」

高い崖の上から流れ落ちる九天の滝の直ぐ近く。一際大きな木から飛び立ってきて、今我々の前に立ちふさがっているのは犬走椛(いぬばしりもみじ)。白狼天狗と呼ばれる妖怪の山の自警団の一員だ。主に哨戒の任務にあたっているらしく、天狗の中では下っ端に属している。
東方風神録において九天の滝のステージで第四面の中ボスを務めていた彼女だが、普段もここが担当らしい。
先程から文が説得に当たっているのだが。

「そこを何とか。立ち入る建物も私の家だけですし、私自身が監視の役目にもなるでしょう?」

「駄目ったら駄目です。」

取り付く島も無い。
文は一度フランの方を向き。

「済みませんフランさん。暫くお待ちいただけますか?」

と、申し訳なさげに聞いてきた。
フランとしてはじっくりと九天の滝も拝めるのだから云う事無し。即座に構わないと答えた。
有難うございますと一度頭を下げ、ささっと椛の方を捕まえて手近な木の上に連れ去る文。

「ちょ、ちょっと侵入者!」

「お客様ですから~~~!」

笑えば良いのだろうか? そうフランは首を捻った。



「良いですか椛! これは大スクープのチャンスなんですよ!」

「大スクープだからって掟を破っちゃまずいですよ!」

暴論をで押す文に正論で押し返す椛。木の陰では小声で叫ぶと言う奇妙な会話を繰り広げられていた。

「掟って言ってもばれたら私と貴女が怒られる程度でしょう! さぁ!」

「さぁじゃないですよ!? 私も怒られちゃうんですよ!? とばっちりじゃないですか!」

頭固いなぁと分からず屋を見る視線の文、ちょっと涙目の犬っ娘椛。
ばれたら叱られる程度とも言えるし、協調性の無さを倦厭される程度のリスクを孕んでいる、とも言える。
まあ、この程度の事で緩む程度の天狗の繋がりではないのだが、椛は仕事に忠実だった。
文もそこら辺を承知している故に余り強くは出れない(ある意味十分)現状。
と、そこで文はぽん、と手を叩く。先程の丘の時と同じように何か思いついた様だ。癖の様な動作だろうか。

「じゃあ、こうしましょう。」

そう軽い調子で提示された条件に、椛は今度こそ頭を抱えたくなった。




滝の流れる崖の下、溜まった水を挟んだ反対側にて落ちる滝の姿と音、周囲の景色を楽しんでいたフランは、文の話を聞いて何とも言えない表情をした。

「弾幕(スペルカード戦)? 私と椛さんでか?」

最早侵入者とかそういうレベルではなく、真面目さ故に自身を含めた身内の恥に俯く椛を見ながらフラン。初対面とはいえ、天狗の下っ端相手にさん付け。性格から見れば特に不思議ではないが、フランが吸血鬼だと言う事を加味すると少々可笑しく見えるのだから先入観は侮れないと文。
そんな思考はおくびにも出さず、文はフランに笑顔で言った。

「ええ、ええ、そうです。どうでしょう? ここから先も見てみたいとは思いませんか? 御馳走もこの先です。悪くはないと思うのですが。」

そんな誘惑の言葉にフランはしかめっ面。あり? と首を捻るのは文だ。結構好感触だったはずなのに、悩むのは兎も角しかめっ面とは何故? と思考。
答えは直ぐに、フランから帰ってきた。

「私は弾幕勝負の様な遊びは少し遠慮したい。性分に合わない。何かしら大切な物が懸かっているなら兎も角……否、その場合は決闘だ。弾幕ではなく純然たる、な。」

心のどこかは男のフラン、主観に置いてそれが大きく表れている彼女。弾幕が少女の遊びと言う事もあるが、それ以上に大した理由も無く女子(少なくとも外見)と争うのは避けたかった。
それを聞いて文はあややと困り顔。椛は幼子の外見をしたフランの妙な男らしさに「おぉ。」と拍手を送っていた。大半は、意図は兎も角自分に味方した形になる答えを返した事に関してだが。

「うぅん、しかし、どうしましょう。」

悩む文、ほっと息を吐く椛。そんな二人、否、文に向かってフランは言った。軽く肩の位置で両手を広げ。

「何、奢ってくれると言うのならば里の定食屋でも良いのではないか? 私としては、景色は十分に楽しめた。」

何気に奢るの部分をしっかり言っている辺りちゃっかりしていると文。
しかし、排他的なイメージのある天狗の自分が、同じイメージのある妖怪の山を案内する、と言う行動で親近感を抱かせる目的には成功している様子。
ならば、後はフレンドリーに少し自身のある手料理を振舞うコンボを決めずとも、定食屋で十分だと結論。
ついでにこの前情報収集をした、彼女が最近食事をしている店に自分も良く通っていると言う事をさも知らなかった様に言い、共有感を持たせようと口を開き。

「じゃあ、私が偶に通う浅田屋に行きましょう!」

「ああ、私の情報収集をした店?」

フランの声に、元気良く手を上げた姿で硬直した。
フランは何も言わずにさっさと飛び立ってしまっている。

「…………どうしたんですか? 文さん。行っちゃいますよ?」

空中でポーズしたまま固まって、目をパチクリしている文を見て椛。漸く復活した文は、「何でも無いですよ。」と言いながら手を下ろす。

「唯、もう対応してきたなぁって思いまして。」

もう少し頭の固い人かと思ってましたがと心で付け加えた文。

「へ?」

呟きに疑問の声を上げた椛を後に、飛び立った。その顔が若干楽しそうであったのは、風のみが知っている。





イメージするのは紅白の巫女、と軽くネタを頭に思い浮かべながら文と会話をするフラン。
とは言え、あの巫女の思考を明確にトレースでき訳も無く、先程の様に相手の会話を先読みし、差し当たりない程度に抑えると言う方法をとっていた。
少しずつ情報は引き出されていくが、問題無い程度にとどまっているだろうと思考。
無言であるのはどうにも失礼だと言う思考の辺り、御しやすいともある意味言えた。ある意味。
ここまでならまぁ、極々普通なのだ、が。

「成程、つまり世界の壁をぶっ壊したから異世界の人間の魂が体に入って人になれる様になって、世界の壁をぶっ壊した方法は貴女のありとあらゆる物を破壊する程度の能力と言う訳ですねあっはっは。」

昼も大分過ぎ、客足も少なくなってきていた為、店に入った時には軽くさっさと出て行けオーラがあった。それを我慢して隅の席で食事をとり、対処の仕方になれたフランから漸く情報を引き出したと思ったらこれ。

納得行きますかあぁぁぁ!? いや行きませんよねこれ! 無理ですよねこれえぇ!

表情笑顔、内情激憤。漸く引き出した情報は確かに大スクープだが、前提条件は出来るだけ騒ぎにならない様に(……)であり。更に言うならこんなネタで大騒ぎにならない筈も無く、更に更に言うのならばこんな化け物に敵対されればそれこそ山が消し飛ばされる。下手な事は書けない。
幸い常識的な方が入ってきたようですが、と思考する文は、それまでの経緯を知らず(無闇に破壊行動をできる運命(人格)で無い)、また、そこまで思考は及ばなかった。
フランもそこら辺を考えてある程度自分に付いてぶちまけた訳だが、それ故に酷いとも言えた。

「まあ、幻想郷じゃこの程度の噂直ぐに消えるだろうから、ある程度なら記事にしても大丈夫だろう。」

人の噂も七十五日、更に言うならここは非常識な幻想郷。
こちらに来てから、こちらでこうなってから。ある程度幻想的、つまりは非常識な事柄に触れあってきたフランだからの思考。ある意味正しいが、色々可笑しい。
文は前言撤回、少し非常識だと再評価。外から来たのならば仕方がないのか。
一先ず気を落ち着ける為こほんと咳をした文、食事中に咳をするなとフランに言われて苦笑い。こんのぉと内心罵る。
結局取材されている辺り文の方が上手だが、情報量と力技で今回はフランに軍配が上がった様だ。

「ええっとですね、一応言っておきますがこれは諜報活動ではなく。」

「分かっている。天狗は観察者、だろう?」

先を封じられた形の文、もうここまで来ては誰かしら助言をしている者がいるのではと疑うほどだ。
実際、彼からの助言とも言えるので間違いではなかった。彼女は気づいていないが、観察者の面目躍如といった所か。

「さて、これ以上長いすると流石に店の側にも迷惑だ。出るか。」

口元を裏返した手拭いで拭いたフランはそう言うと席を立ち、「勘定宜しく。」と文に言ってから出口付近へ向かう。
対して文は溜息を付いてから、可愛らしい猫の刺繍の入った財布を取り出し、勘定を払いに向かう。
その際の娘さんの笑顔がどこか怖かったのは自分がやましい事をしたと思っているからかどうなのか。ここら辺で文の人の良さが出ていると言えるだろう。後者ならば特に。

勘定を払い終えたのを見て一足先に外へと出ていたフランは、先程の文の様子を見て、少し悪い事をしたかな、等と少々見当外れの罪悪感を抱いていた。
即座にそれは見当外れと気付いたものの、どこかしこりが残っている様だ。いささか気の晴れない表情をしている。

「あや、どうしました?」

文は多少気落ちした様子を見せつつも、そんなフランの様子に疑問の声を発した。
それに対してフランは、少し動揺しつつ答える。

「ん、いや……これから何か用事はあるのか?」

好きな子を誘う様な下手な台詞にバレバレの態度。
文は、はは~んと納得の色を内心で濃くした。お人よしと言うよりも納得がいかないと言った感じ。こちらに礼儀を通せなかったという表情だ。
故に笑顔で、「ええ、特にありませんよ。」と言った。何らかしらのネタが引き出せるかもしれないし、友好関係を築いておくのも悪くない。小憎たらしいが可愛らしい物も嫌いではないし。
フランは文の内情に多少感づいたが、寧ろ感謝と言葉を発した。

「もし宜しければ紅魔館に来ないだろうか。私情だが、天狗とも良好な関係を築きたいと思っている。」

友好な関係。あの我儘なレミリア=スカーレットが許すだろうか? 文の頭にそんな思考がよぎる。別に敵対関係ではないが、仲良し小良しと言ったイメージは無い。

「貴女のお姉様、レミリア様はどうお思いになるでしょうか?」

故に、ストレートにぶつけてみた。こう言って事柄をはぐらかす性格には見えない。はぐらかすのならばそもそも行く気はないが。

「問題無い。お姉様も、心技体いずれかのみであれ総合であれ、しっかり評価を下す方だ。」

「吸血鬼以外だからと言え、侮る事はしなくなった。」と言うフランに、成程彼女の影響かと文は納得。どの様な関係だったかは知らないが実の妹がこんなの(失礼)になればショックも受けると言うもの。その後どうなったかは分からないが、影響も受けるだろう。

「では、お言葉に甘えまして。」

故に、文はにこりとそう答えた。この様子を見ると、何だかんだ言って文に軍配が上がっていたのではと思わない事も無いだろう。
フランは安心したような、苦笑いの様な笑顔を浮かべた。





「紅魔館へようこそ、烏天狗射命丸文。歓迎するわ。」

ギラリと輝く赤い瞳、口端から覗く牙。瞳の奥には微動だに許さんとばかりの意思が見え、腕と足を組んだその全身からは霧の様な妖気が漂っていた。
木造の床に金色刺繍の赤絨毯が敷いてある応接間、黒いテーブルを挟み、赤いソファーに座っているのはレミリアと文の二人。
数分前まではフランと咲夜もいて、レミリアも朗らかに微笑んでいて安心していたのだが。フランが着替えてくると言うとレミリアは咲夜に付いて行くように言い、二人きりになった途端にこれである。
文は思った。

――これ妹離れできてないだけじゃないですかぁ!! だから納得できませんて!

寧ろ絶叫である。にこにこ微笑んでいるが、彼女の背筋には汗が伝っていた。
実際の所そうであると同時に、紫との決闘の件が絡んでいるのだが文は知らない。唯困惑するのみである。嵌められた、とは考えにくいのでやはり妹離れできてないと結論。警戒されているのは妹を撮られる(誤字?)と思ったからか。
一先ず、これ以上機嫌を損ねない様にする事に決定。レミリアへの評価は一先ずの内にはシスコンだった

「恐縮です。まさか、レミリア様にお目通り出来るとは望外の幸運にございます。」

これは事実だ。フランは例外として吸血鬼が昼間に起きているとは思わなかった。昼夜逆転でもしてるのか? と内心突っ込む。
それに対してレミリアはフッと笑い軽く体を逸らし、組んでいた右手を軽く上げて答えた。

「まぁ、最近は昼間にも目を向ける事が多くてねぇ。太陽の下も存外に悪くはないよ。」

日を恐れる筈の吸血鬼、カリスマ溢るる動作と台詞だったが如何せん評価はシスコン。

「左様でございますか、いや、夜の支配者であられるレミリア様が日の下にもとは。」

「何か問題があるのかい?」

「いえいえ、唯、その御威光は更に高まるでしょうと。」

一度質問をさせ、それに気を良くさせる様な言葉で答える会話法。
そこで再びレミリアはフッと笑った。軽く瞑目。
彼女は組んでいた足を解き、軽く開いたその膝の上に組んだ手の肘を乗せた。そして、軽く横に顔を傾け、しっかりと文を見据えて言葉を発する。

「おべっか何か使う必要はないよ。天狗は私も認めてるんだ。速く、狡賢く、強い。」

幼い声で老婆の様な話し方。どこか年季を感じさせる話し方。そしてその言葉。ここに至って文は目の前の吸血鬼が唯のシスコンではないと評価を改めた。フランの言う通り、前に見られた高慢さが少し減衰しているのを感じる。

「これは失礼を。」

こう答えてどう出るか。文はレミリアを見据え、レミリアはこれをニッと笑うに止めた。
抑える所は一応抑えていた吸血鬼に更に慎重さが加わった。文の頭に、再び紅魔館が動いた時には幻想郷の版図が入れ替わるかもしれないと言う嫌な思考が過ぎる。案外、今日ここに来れたのは幸運だったかもしれないと文が思い始めた時、部屋の扉が開いた。入ってきたのはフラン、そして咲夜だ。予想よりも遥かに早いが、メイド長の能力だろうか。
フランはお決まりと言って良い、黄色いスカーフの目立つひらひらした白の下地に赤の洋服に着替えていた。頭の上にはお決まりの帽子が乗っており、リボンで括られたサイドテールの様な一房も健在だ。

「お待たせして申し訳ない。」

そう言ってフランはにこりと微笑んだ。和服の時とはまた違った印象を受ける。少なくとも文は気に入った様子だ。
「可愛らしいですよ。フランさん。」とにっこりフランに微笑んでいる。体を起こしたレミリアはそんな二人の様子を暫し観察し。

「二人とも、食事は済ませてきたのでしょう? なら、お茶にしない?」

と、言葉を発した。レミリアの中で、文の立ち位置は油断ならないフランのお友達と言った所だろうか。二人の了承が聞こえた所で、咲夜がすっと紅茶を持ってテーブルの隣に出現した。その後はそのまま暫し、お茶を伴った歓談と相成った。
その最中、フランはふと慧音を連れてくる時もこうなるのだろうかと考え、何故かそれが可笑しくて、ほんの少し薄く笑った。





お茶会の後、フランと文はフランの自室へ足を運んでいた。ここ二週間と幾日かほどで増えた私物は可愛らしいぬいぐるみなどと奇妙なコントラストを生み出していた。
彼の名残とでも言う様にそっと置かれている煙草がその最も足るところだろうか。聖書なども半ば以上程度とはいえ吸血鬼の部屋には相応しくない。
そんな部屋の赤い絨毯の上に置かれたテーブルで、二人は小さく会話に花を咲かせていた。テーブルの上には紅茶が置かれており、これはフランが入れたものだ。雑で済まんねと言っていたが、中々どうして丁寧に入れてあるとは文。ブランデーを少々垂らしてあるのも、酒好きの天狗の一員としては高評価を与えざるを得ない。

「いやいや、良いお姉さんですね、レミリア様は。」

「うむ、まぁ、な。」

文の言葉に、フランが少し照れた様に言う。自分の姉の事、嬉しいやら少し気恥かしいやらと言った所か。
フランが文に幾分心を許している様に、文もまたフランを内外ともに気に入り始めていた。話してて詰まらなくなく、部屋を見る限り趣味も悪くない(額縁に飾ってる吸血鬼らしからぬ(今更だが)と言えるひまわりの絵にはどこか惹かれる物があった)。ならば、及第点は越えている。妖怪の山の一員として公の自分が入るのは致し方ないが、友人としてもやっていけるだろうと思考。
力を持ちながらそれを自制すると言う精神も、山の社会の中に生きる文としては好印象だった。
紅茶を一杯飲む。紅茶の味をブランデーが邪魔していない。恐らく、どの様な人物かは知らないが、彼が良く飲んだ味なのだろう。淹れている時も手慣れていた。
ふと、フランと出会った時の事を思い出す。夏の丘の上、木陰の下。

「そう言えばフランさん。何か悩みごとがあったのでは? 私で宜しければお聞きしますよ?」

それはちょっとした好意、親切心だった。あの時も言ったが、一応自身は妖怪として先輩に当たる。フランの二倍以上は生きているのだ。
フランはその申し出に飲みかけていた紅茶を置き、瞑目し、顎に手を当て暫し考える。
余程重要な事柄なのだろうか、思えばレミリア=スカーレットも少し自身を警戒していた節があった。そう文は思考。
凡そ十数秒ほどが経っただろうか、フランは目を開き、言った。

「今より凡そ三週間後、私には一つの決闘が控えている。」

その内容は文にとって予想外のものだった。
吸血鬼、否、人間であってもフランドール=スカーレットは強敵だ。それに対して弾幕勝負を挑むとは、一体どのような人物だろうと。
故に、文は軽く笑って言った。椛と弾幕勝負をと言われた時と似たようなものかな、と。

「それはそれは、相手の方を賞賛するべきでしょうか。」

それに対してフランは首を横に振る。自身が強力であるのはそうであると認めた態度だが、ここ幻想郷に置いてそれを否定する者はいないだろう。寧ろ、驚愕すべきであると文は考えた。何故ならば、彼女のその態度は、彼女こそが或いは挑戦者である事を物語っているのだから。

「……お相手は?」

幾人かの名前が文の頭の中に浮かぶ。まさかと思いつつも、中には自身が苦手としている嘗ての上司の名前もあった。しかし。

「八雲紫。」

フランが紡いだその名は、或いはそれ以上の脅威であった。
思わず、自身も気づかの内に僅かに身を乗り出していた文は、ぎしっと木製の背もたれに背中を預ける。
八雲紫、妖怪の賢者、一人一種の特殊な妖怪にして境界を操る幻想郷最強と呼べる妖怪。
爪を噛んで暫し思考。だが、割と直ぐに立ち直った。理由は簡単。

「でも、まぁ、弾幕勝負なら。」

そこまで言った所で、フランが再び首を振ったのを文は確認した。
まさか、と思う。弾幕勝負は実に公平なルールだ。普通決闘と言えばこれを使う、が。

「彼女が私に要求した事は以前の私に戻させる事。魂の乖離。」

文は息を飲む、想像以上に重要な内容。

「私が彼女に要求した事はこちらに日時を決めさせる事。そして、勝利した暁には八雲紫の名に置いて、この私を如何なるものも受け入れる幻想郷の一員として認める事。」

「そして、一つ提案した事。これは真剣勝負であるが故に。」と、ここまで聞けば文にも予想はつく。そう。

「純然たる決闘を。或いは命を掛けたそれを、私は望んだ。」

弾幕勝負は性に合わない。何故ならそれは、少女達のお遊びだからだ。幻想郷ではその全てが、或いは戯れ事なのだ。
大切な物を掛けるのなら、命を掛けて挑みたい。
成程、八雲紫がフランドール=スカーレットを恐れた理由(……)はここにあるのだ。文はそう確信した。
そう、フランドール=スカーレットの生き方は、幻想郷に置いてあまりに苛烈すぎるのだ。
或いは、その全てを焼き尽くす可能性を秘めるほどに、彼女は外(……)を生きている。

滅ぼさなければ滅ぼされるかもしれない、ならば、例えその可能性が低くても、幻想郷に対して不誠実には在れない。
故に滅ぼすしか道はない。相手方がまだ納得できる形でそれを終わらせる。
そう、妖怪の賢者八雲紫。彼女には、運命さえも見えないのだ。







後書き

死ぬ! このペースは死ぬ! ……と言う訳で第六話だった訳ですが、第七話からはまたペースを落としてのんびり書いていきたいと思います。ええ、後書き一行目からそう決意します……あ、二行目行きましたね。
ノンプロット運行にしては話が繋がってるのが嬉しい作者です。まぁ、しっかり組んでる人にはかなわないでしょうが。
それにしても今回、射命丸の書き方が難しかった。……いや、幻想郷の連中は皆、何考えて生きてるか分からないんですけれどね。
東方求聞史紀やらwikiやら見た後で儚月抄見ると頭痛くなりますし……っていうか運命を操る程度の能力が意味不明すぎなんですよ! 霊夢以外誰もかなわないのでは!?
あれ、解釈によっては大凡の事柄が茶番に落ちますしね、意味不明ですしね。あれですか? 量子論持ち出せってか? 持ち出せってか?(無理)
愚痴っぽくなってしまいましたが(まぁ、後書き大半愚痴ですが)、今回はこれで終わりたいと思います。後、感想や誤字報告宜しくお願いします。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第七話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:b41f32f4
Date: 2009/10/24 22:05
無縁塚より更に南、幻想郷の最南西近く。
朝霧に世界が霞むここが決闘の場だ。木々の生えぬその一画には草一本無く。この霧以外に視界を遮る物はない。広さも手頃だろう。
フランドール=スカーレットはお馴染みの洋服でこの場に立っていた。腕を組み、静かに赤い瞳を閉じている。風に一房のみ長い金糸が揺れた。
夏とはいえ日の出前の風は冷たく、無縁塚が近い所為か背筋を震わせるほど。思わずこの場にいるもう一人がふるりと震えた。

「さぶっ!」

そんな声を上げ、爪先で地面を叩いて気を紛らわしているのは博麗霊夢。何故か開いている、巫女服の肩部分が寒そうだ。肩を擦って寒さに耐えている。
片や泰然としてはいるが、両者とも吐く息は白い。それが外気の冷たさを物語っていた。

「遅っいわねぇ。自分から呼び出して置いて遅刻な訳? 私に案内させて遅刻? 審判任せて遅刻?」

どうやら大分不機嫌なようだ。態度から、声色から分かる巫女のそれ。牛の刻も漸く過ぎた頃に紅魔館へやってきた彼女。曰く、紫に頼まれた。
妖怪同士の決闘。しかも自分が暴れられる(体を動かせる)訳ではなく決闘用の結界作成と審判のみを任されているのだから、彼女の性格を考慮に入れると仕方のない事かも知れない。仕事以外は面倒臭がる傾向が割と見受けられる。

「…………。」

フランは言葉を発さない。
唯、目前に控えた決闘に意識を向けんとしている様だ。
しかし、その頭に渦巻くのはここに至るまでの日々の記憶。
八雲紫がここへ来るまでまだ幾ばくかの猶予はあるか。そんな事を考えながら、フランはいつか記憶へ手を伸ばした。
或いは、伸ばさざるを得なかったか。
それは雨の降りしきる日の事だった。
そう、記憶に残っている。







東方虹魔郷
第七話 陽光





幻想郷に、雨がざあざあと降っている。ここは人間の里。
ぬかるんだ地面。高下駄を履いて、花模様の傘をさして、小さな風呂敷胸に抱いて。
フランは花と蝶の描かれた女袴を着て、里を歩いていた。青い瞳で雨降りしきる里の姿を眺めながら。
周囲に人の姿はない。ぴしゃりと戸は閉じられており、道中に庭先より見た屋敷の戸には、しっかり雨戸がされていた。言い知れぬ寂寥感を感じさせるそれら。
里の喧騒は雨音に取って代わっている。活力の様な夏の暑さも、雨脚と共に去っていた。幻想郷の夏は元々外よりも暑くはないが、今は肌寒さすら感じるのだ。
としゃとしゃと下駄の歩み。揺れる簪より流れる金糸の一房。傘を叩く雨の音。
騒々しい雨音、ぽたぽた落ちる滴の音。ぱたたたと道端の木箱に、屋根より雨水が落ちている。通り過ぎた家から聞こえた、騒がしい子供達の声は微笑ましかった。
見収めるには、まだまだ惜しい光景達。


そんな道筋を経て、フランは漸う目的地に辿り着いた。里の外れ、慧音の寺子屋。庭に紫陽花が咲いている。
フランは土の壁よりはみ出た屋根に身を滑らせ、傘を閉じる。ようやっと着いたとふぅっと一息。この雨の中、飛ぶ訳にも行かず朝方からずっとここまで歩いてきた。
流石に疲れたと彼女は雨の降りしきる曇り空を見上げる。僅かな期間で、しかし空を飛ぶと言う行為に慣れ過ぎた。そう嘆息。
フランは瞑目し、静かに首を振った。考えてもしょうがないと。
彼女は手に持っていた傘を、戸の隣の壁に立て掛けた。そして戸の前に立ち、どんどん、と少し力を入れて戸を叩いた。雨音に負けぬよう、細い腕の小さな握り拳で。硬い木に、少しばかり手は痛かった。
いるだろうか? フランの脳裏にそんな不安が少し、鎌首をもたげた。直ぐに、この雨だ、恐らくいるだろうとそれを打ち消す。そして、気持ちを補う様に声を張り上げた。

「もし! 慧音はいるか!」

暫し雨音の中の沈黙。すると、とたとたと誰かが駆けてくる音がした。ほっと息を吐くフラン。
かたん、ざあっと戸が開く。現れたのは長い銀髪赤い瞳、白いシャツに赤いサスペンダーで留めた赤いのもんぺを穿く少女だった。藤原妹紅(ふじわらのもこう)だ。
彼女は軽く手を上げてフランに挨拶。「おや、いつぞやの人。」そして、クイッと中を親指で指示し。

「慧音もいるよ、入りな。」

そんな挨拶にフランは苦笑。簪揺らして軽く頭を下げ、すっと妹紅が退いた戸口から家に入った。

「こんな雨の中、よく来たねぇ。家、遠いんだろ?」

地面が土の玄関先。すぅーっ、かたんと後ろ手に戸を閉めたフランに、用意も良く手拭いを手渡しながら妹紅(用意したのは慧音だろうかいずれにせよ気が利く)。妹紅、先に自身は靴を脱ぎ、木の床を踏む。
フランは手拭いで頭を拭きながら、ちらりと一度上を見た。薄い木板を連ねた天井。雨音は少し遠のいたが、瓦を叩く雨音はくぐもって大きく聞こえる。

「いやいや、良い運動になった。 最近空飛んでばかりいたからな。」

雨に濡れてしまった服や体を拭きながらそう言うフランに、聞いた妹紅は壁に寄りかかりながらちらりと自身の腹を見た。うん、大丈……夫? そして、瞑目し腕を組み首を傾げる。湿気を飛ばせる彼女の能力が悪いのか否か。
そんな妹紅を尻目に、フランは裾を軽く払う様に拭き終えた。歩き方が良いのか泥などは殆どついていないが。

「これは、洗って返さねばならんな。」

と、眉尻を少し下げてそう言った。

「いや、構わないさ。」

フランの、その呟きに返った答えは妹紅の背後から、慧音だ。彼女はふっと歓迎の笑みを浮かべながらそこにいた。そして、壁を背にする妹紅の前まで歩いてくる。
その姿を認めたフランは自然に笑みを零した。何だかんだ言ってここで一番気が合うのは彼女だ。

「お邪魔しているよ。」

「ああ、いらっしゃい。」

お互いに好意的な笑みを浮かべた、旧来の友の様な挨拶。お互いに似通った雰囲気の二人。
妹紅はそんな二人の様子を見比べ、慧音から聞いたフランの性格を思い出し。堅苦しいのが二人に増えたと割と好意的(?)な解釈をしていた。本当の旧来の仲、と言う事だろうか。

「ま、早いとこ上がりなよ。 玄関先に突っ立ってるのも何でしょ? お茶入れるしさ。」

勝手知ったるは寧ろ我が家も同然。そう言って体を起こし、頭の後ろで手を組み歩き出す妹紅。ぎしぎしと音の鳴る床を、部屋へ向かう。
慧音も、「そうだな、早く上がれ。風邪引くぞ。」と言ってフランを促す。今は人の身だ、病は怖い。

「じゃあ、失礼するよ。」

そう言ってフランは下駄を脱ぎ、少し湿った白い足袋で家に上がる。
彼女の軽い体重でも、家の床はギシリと鳴った。
別段、妹紅が重いと言う訳ではないらしい。そんな本人が聞いたらボルケイノしそうな事を思いつつ、フランは先に行く慧音の後に続いたのだった。



ここは寺子屋の中にある茶の間。慧音の家は寺子屋と一緒になっている。
ざあざあと雨の降る肌寒い今日。三人はパチパチと火の爆ぜる囲炉裏を、半包囲する形で座っていた。それぞれの手元には入れられたばかりの温かいお茶がある。

「これは私が作った饅頭だ。」

先ず、そう言ってフランが持ってきた包みを差しだし、開いた。中からは黒い漆塗りの箱が顔を覗かせた。
これにおっとフランの対面から顔を覗かせたのは妹紅だ。彼女に限定せずとも、甘味は女子にとって魅力がある。

「ほぅ、料理出来るのか。意外だな。」

差し出された慧音はと言うと、本当に意外だったのだろう。思わず感嘆の吐息を漏らした。男であった彼、引き籠りであった彼女。もし料理が出来るとしたら。

「向こうでは学生でな、自炊はしていた。」

再びほぅ、と感嘆の声。やはりそうかと言う意味合いも持っていた。
慧音はどれ、とその場で箱の蓋を開け――

「……。」

即座に閉じた。何故、饅頭が鮮やかな赤なのか。彼女の疑問はその一点に尽きる。
「あれ? どうしたの慧音。」という妹紅の声が少し遠かった。

「ああ、いや、赤いのは気にするな。味は普通だ。」

そんな慧音の様子に苦笑しつつフラン。どうやら色が異常だと言うのは分かっているらしい。何故持ってきたと思わないでもないが、味は多分本当に普通なのだろうと慧音。

「……そうなのか?」

と、疑問系にしつつも安堵の溜息。旦那でもないのに下手な料理など御免である。旦那だったら? 旦那だったら気合で食え。愛だ。
そんな風に中々に無責任な慧音は苦笑しつつも箱を膝の上へ。蓋を開け、それを横へ退かす。

「うわぁ、真っ赤っか。これ、誰か味見したの?」

先程の慧音の反応と二人の会話に納得を、目をパチクリさせた妹紅は少し興味半分に恐る恐る聞いた。

「ああ、私とお姉様が。」

ああ、第三者がいるのかと妹紅は軽く安堵。饅頭に手を伸ばし、しかし、慧音は少し用心し。

「姉君はやはり、喜んでいたか? 妹として初めて作ってあげたんだろう?」

長年共に過ごしてきた慧音の気配の微妙な変化、それを感じ取った妹紅は饅頭に伸ばしていた手を止めた。
にっこり微笑んだ慧音の表情の裏側に、一応用心してなどと言う意味合いが隠されているとはいざ知らぬフラン。少し照れた様に言う。

「ああ、顔を真っ赤にして泣き出してしまってな。呂律が回らないほどに嬉しがられれば、作った甲斐もあったと言うものだ。」

慧音は思う。それは嬉しくて泣いたんじゃなく、辛(から)くて辛(つら)くて泣いたのでは……?
フランに気取られぬ様極自然な動作で鼻に息を吸い込む慧音。ぱちぱちと燃える炭の匂い、微かに香る餡の匂い。そして……密かに潜む唐辛子の匂い。
慧音はフランをちらりと見る。彼女は、軽く微笑み少し小首を傾げていた。そこに悪意があるとは思えず。ならば、彼女に出来る事はフランの姉であるレミリアといつか彼女を娶る男の冥福を祈る事と、静かに箱に蓋をする事だけだった。

「おや、どうした?」

疑問の声を上げるフラン、慧音はそんなフランに対し極上の笑みを向け。

「折角だから後で頂くよ。」

宿題を忘れた生徒達がな、と軽く目の前の狂気をスルーした。おめでとう生徒達、明日は宿題を忘れても頭突きは無いぞと。そんな慧音に妹紅は軽く怯えつつ、しかし、赤い狂気に舌を犯されずに済んだ事実に感謝した。(味覚)馬鹿に台所を任せるなとは二人の談。
恐らく生前の彼、誰かに手料理を食わすなどと言う事は無かったのではないかと慧音は予想。彼女となっての心情の変化か。

「ふむ、そうか。まぁ、出来れば味わってくれ。自信作だからな。ピリリとした辛さが売りだ。」

少し残念そうに言うフラン。
餡の饅頭に辛さは要らん。そんな突っ込みを押し殺しつつ慧音。「それは楽しみだ。」とうそぶいた。妹紅も合わせて首を振る。良いコンビだ。

「それで、今日は一体どうしたんだ? 相談になら乗るが。」

これ以上この話題を続けてはいけない。そう判断した慧音が早く本題に入らせんが為に言った。
フランはこれに表情を変える。真剣な、沈痛と言って良い面持ちだ。

「あ~私、どっか行ってた方が良いか?」

その雰囲気を素早く感じ取った妹紅が言った。流石に長生きしているだけあってこういう機敏には鋭い。

「……いや、出来ればいてほしい。もし、宜しければなのだが。」

フランとしては、出来うる限り多くの人の意見が聞きたかった。
一方妹紅、こう言われてはどこかへ去るのも忍びない。

「あ~うん、じゃ、いるね。」

それに、年長者として年下の悩みを聞く。余り経験はないが、そう言うのも所謂役割だろうと妹紅は判断。
ここら辺、妹紅もまた好人物と言えるのではないか。

「有難う。」

故に、フランは頭を下げた。これに軽く慌てたのは妹紅。良いって良いってと手をパタパタ。「余り役に立たないかもしれないしさ。」と軽く手を広げる。
フランは頭を上げ、もう一度軽く、二人に礼をしてから話し始めた。

「先日、妖怪の山の烏天狗。射命丸文と話をする機会があった。」

フラン曰く、射命丸文とは友人と呼べる間柄になり、決闘の事を話した際に言われた事がある。
尚、この際に決闘の経緯と内容は妹紅に伝えた。早まったと言う顔が印象的だったとは二人の談。

「彼女曰く、私の考え方が幻想郷に置いて苛烈すぎる。それは人間の考え方である、と。」

短きを生きるが故に燃え上がる様な人間の思想。その中でも頑固であろう彼の思考は幻想郷の肌に合わない。そして、その思考の持ち主は長い時を生き、強力な力を持つ吸血鬼。その能力がありとあらゆる物を破壊する程度の能力であり、更に、人間にもなれる。
そんな危険な存在を放っておける訳がなかったのが、幻想郷の管理者、八雲紫なのだと。伝え終えた所で、フランは一度俯いた。が、直ぐに顔を上げる。恥ずべき事だが、“そうするべきではない”。
それを聞いた二人は暫し沈黙し、思案していた。事が事だ。下手な答えは返せない。
やがて慧音が口を開く。彼女もまた真剣な面持ちだ。

「幻想郷は妖怪の世界だ。妖怪の為にあると言って良い。」

確認する様な慧音の言葉に、フランは頷く。妖怪の賢者の力によって作られたと言っても過言ではないのだから。
慧音は若干悩む様に間を開けた後、続けた。

「なればこそ、私としてはフラン。君の考え方こそが好ましい。全力で生きぬかんと言う姿勢。現状に不満を持つ姿勢も或いは。」

これに妹紅も「私もだよ。」と頷く。
そう、二人は親人間派と言って良い立場にある。厳しいが人間的である故に、ある種人間の味方とも言えるフランの在り方には賛同出来た。
しかし。

「だが、フラン。それはこの幻想郷があってこそだ。」

この世界、否、外の世界に彼女たちの居場所はないのだ。彼女はこの狭くも満たされた世界で生きねばならず。

「お前はこの幻想郷の在り方が嫌なのだろう。決闘一つとってしてもそこには遊びが混じっており真剣ではなく、我足るを知ると言えば聞こえはいいが、向上心の無い世界。外の世界、罪人とは言え人間を連れて来て、食料として或いは殺す状況を変えようとする動きすらない。前に言った吸血鬼の様な歩み寄りが、難しい者達が多くいるとしてもだ。正しく妖怪の世界、ここは外を掠め取る様に存在している弱者の世界だ。」

フランはこれに、俯く様にゆっくりと頷いた。そして、慧音の瞳を真っ直ぐ見て言う。

「違わない。私は許容できない。とてもじゃないが、許せない……が、妥協はできる筈だ。」

それは実(まこと)、恥を絞り出すような声だった。
そんなフランの様子を、或いは続けさせまいと慧音は口を開く。せめて今尽くせる礼儀。

「だが、今のお前は人間じゃない。」

曖昧な返答を断ちきる様な慧音の言葉、それにフランは少し恥じ入る様に目を閉じてから、しかし、しかと慧音の目を見て「ああ。」と返した。

「人間のお前ならば或いは生涯幻想郷と上手く付き合って行けたかもしれない。連れてこられるのは人間、されど罪人と。例え、強大な力を持っていたとしても、だ。だが、お前は長大に横たわる永遠を生きる吸血鬼だ。いつか、妥協しきれない時が来るかも知れない。八雲紫はそれを恐れた。杞憂と断ずるにはお前は強大すぎたのだ。」

慧音の言葉に、フランは沈黙を持って返した。慧音の言葉は更に続く。

「そもそも、勘違いしがちだが、お前と彼とは既に人格、考え方からして違う。お前はどこか純粋すぎる。或いはより、人間的だ。いや、人間性に憧れている。」

それはフランがある意味、最も恐れている事だった。
我思う、故に我在り。だが、既に彼は、彼女となってそのルールから外れてしまったのだと慧音は語っているのだ。そして。

「お前は言っていたな、お前の姉、レミリア=スカーレットが自分に枷を嵌めていたのだと。だが枷は今、解き放たれている。」

そしてフランドール=スカーレットもまた、あるべき道から外れたのだ。そう、言った。
パチパチと囲炉裏の炭が爆ぜる音。屋根を叩く雨の音。沈黙の帳が降りた。

「…………。」

沈痛な面持ちの二人を見つつ、自身もまた苦虫を潰した様な顔をしている妹紅。
彼女もまた、真剣に考えていた。
幻想郷はここに生きる者たちにとって必要不可欠な存在。幻想郷が無ければ自分達は成り立たない。彼女自身もまた、そうである。
だが、フランドールはそんな幻想郷の在り方に不満を抱いている。人間と妖怪の関係はとこか真剣ではなく、妖怪同士の関係にもそれは言える。
これは外の考え方だ。そう妹紅は思った。確かに苛烈すぎると。
更に、罪人等とは言え外の世界の人間を食料にしている現状。

それが外の世界の秩序にとってプラスであれ何であれ、そこに生きる者に干渉しているのだから気に食わないのは当然か。

これについては彼女自身も少なからずそうだった。例え、そこにいた時にどれほど苦労したとしても、彼女自身は人間だから。
妹紅は思考打ち切る様に軽く首を振った。今は関係の無い、過去の記憶にまで思考が及んだからだ。

彼と彼女と彼女の違い、ややこしいこれは私には分からないが、長い時を生きる吸血鬼にこの様な思想、これは話に出た八雲紫にとって危惧すべきものだった、と。
その力も相まって、いつか終焉をもたらすかも知れない。そう、八雲紫は考えた。と、言う訳か。

妹紅はここで、少し一服。一度頭を落ち着けた。ここ最近、余り考えると言う事をしていなかったらしく、少々疲れた様子。だが、死にはしないと思考を再開。

ならば? そう、ならば、だ。初めっから納得出来る形に出来る様、全速力で駆けていけばいい。全速力、全力で、だ。

しかし、その方法がない。道標すらない。噂に聞く山の妖怪にも無理だろう。

幻想郷を外の力に頼り切らず、上手く完結させる方法。可能な連中。それは…………?

「そうだ! そうだよ!」

そこまで考えて妹紅は叫んだ。名案。そう名案が浮かんだ。湯呑みを置いて立ち上がる。
“自分は良く知っているじゃないか”、そう言う事が出来る“連中”を。多少気に食わないがぴったりだ。
二人が何事かとこちらを向くその表情、その表情は直ぐに喜色満面にだろうと妹紅は予想しつつ口を開き。

「“月”だ! 月の連中ならば“そう言う事も可能”な筈だ!」

だが、妹紅の予想に反し、その言葉は決して二人に喜びをもたらさなかった。

「…………………………あれ? どうしたんだ二人とも。」

妹紅は、自分が何かやらかしてしまったのかと恐れ戦いていた。
何故なら、妹紅を見つめる二人の表情は、唯々愕然としたものだったからだ。
月、それこそがキーワードだった。







―――――――――――月だ! 八雲紫はこの私に月侵略の手助けをさせる心算なのだ!!

時は決闘前に戻る。
回想を終えたフランは唯々身に走る怒りの感情を、否、激情を抑えていた。肌を刺すような寒さも彼女の身に走る怒りの血流には関係ないも同然だった。

東方紅魔郷の後、東方永夜抄の後日談、東方儚月抄! 八雲紫による紅魔館の連中を囮に使った月侵略! それは嘗ても行われたこの時空に置いてもほぼ確定と言って良い事象!! そう、これが答えだ!

フランの予想する八雲紫の考えはこうだ。
先ず、八雲紫がフランを警戒しているのは間違いない。フランの思想、力は脅威だ。このまま放ってはおけない。
だが、同時にその力は方向性さえ整えば幻想郷の未来を切り開く強靭無比な刃となる。その意味でも放置はすまい。
その刃を向かわせる先が月だ。だが、フラン自身は無駄に争う性格ではない。
ここで決闘、そして一ヶ月間の猶予の意味が出てくる。無駄に長いこの時間は礼儀ではあるが余裕などではなく、フランに考えさせる為の所謂熟成期間だ。
自身とその周囲に関連する重要な事故にフランは考える、唯只管に真剣に。フランの人柄を見、交友関係の中に彼女を導く(主に知識面であり、若しくは補助する)のに適任な人物がいるか調べ(この場合は慧音が直ぐ見つかった。(実際は文と妹紅がキーに))、そして悩ませる。袋小路に行き詰らせる。
もし、ここで答え(月)が出なかった場合。精神状態が不安定なフランは恐らく負ける。少なくとも勝率は極端に下がる。全力でいけないのだから。
その後は煮るなり焼くなりお好きに。あらゆる意味で打ちのめされた所に優しく月の事を教えるも良し、後の憂いを断つも良し。
仮に負けても、月の事を教えればリカバリーは効く(死んだ場合は藍に何らかしらで託す)。敗者は敗者なりに内心等素知らぬ顔で神妙に、そっと誘導する事も出来るだろう。
もし、答えが出た場合。これは恐らく合格だ。仮に自身が負けてもフラン等(ら)(慧音等のサポート)はやっていけると判断する。或いは信用できる最低限のライン。自身が死んでしまった場合でも、彼女には藍がいるのだ。結界の監視を任せられるほどに優秀な式神が。
月という目標が見つかっても、フランはそれを目指さない可能性は高い。だが、まるでそれに意識が向かない訳でもなく、そうでなくとも自分なりに考え解決策を導き出さんとする。言わば紫自身の保険の様なものだ。いずれにせよ幻想郷にとってプラスとなる。方向性を少しずつ修正する事も可能だろう。

何と言う悪辣さか。隙等まるで見当たらない。私が幻想郷に生きる以上、最良は月の技術力を手に入れる事だ。最善はそれに近い物を作り出す事だ。
私の人間性等とっくの昔に見抜かれていた。或いはあの場で見抜かれた。

フランは恐れ戦いた。全て手の内と言わんばかりの八雲紫に。

それが出来れば先ず、食料(人間)を外に頼らなくても良くなる。幻想郷は完結するのだ。妥協するも何もほぼ完璧だろう。
奴は私の思考を誘導し、意思を固め、貫く強度を手に入れさせた。
唯一、唯一奴の誤算があったとすれば、それは藤原妹紅の存在だ。力量を測ると言う目的は不完全となった。いや、これも計算の内なのか。考えれば考えるほど深みにはまっていくのが分かる。

フランは完全に八雲紫を甘く見ていた。儚月抄等のイメージから、その完全性が薄れていたのだ。
決闘? ちゃんちゃら可笑しい。それは確かに真剣だろうが、紫の瞳は遥か先を見据えているのだ。或いは自身の命をも糧として。

「ったく、ほんっとに遅い!」

霊夢の苛立ちの声が聞こえる。確かに遅い。巌流島の武蔵を気取るつもりか? あり得なくはない。事実私は現在怒りに震えて――

「あら、遅れたかしら?」

フランがそこまで考えた所で、八雲紫が空間の隙間より姿を現した。いつぞやの中華風の洋服姿。
それは、一度燃え盛った怒りの炎が沈下した。絶妙なタイミングだった。
そう、八雲紫は悪辣なのだ。敵に対しては当然の様に、全てに対して平等に。

「遅すぎよ! 紫!」

霊夢の苛立った声。紫は「御免なさいね。」と軽く笑ってスルーした。
霊夢はフン、と憤りを露わに、その寒さに赤らんだ頬を少し膨らませる。
紫はにっこり笑ったままフランに向き直った。

この様子だと気付いた様ね。

八雲紫は先程から見ていたフランの様子と今の彼女の様子。それらからそう判断。眼光鋭く気に食わんとばかりに敵意をむき出し。
おお怖い。紫は少ししなを作って口元を隠して見せた。挑発する気満々だ。
もう、フランドール=スカーレットを消す必要はない。これより如何なる道を歩むにしろ、幻想郷に深くかかわるであろう彼女には幻想郷に迎合するか、或いは上手く自分の目標(外に頼らない幻想郷)を達成するかの二択。
いずれにせよ紫の損となる事は無く。彼女、延いては幻想郷の得にしかならない

ならば後は、この決闘に勝つだけね。

八雲紫は完璧だった。
無駄なくフランを試す手法、誘導する手段、お膳立て、決闘のタイミング、現れたこの瞬間。

「じゃあ、さっさと決闘を始めるわよ。」

故に、彼女に敗因があるとすれば。

「ああ。」

「そうして頂戴。」

それは、フランの持つ知識とその思い。そして、紫(女)には理解しがたい男(彼)の意地と言う奴だろう。
霊夢がふわりと二人から距離をとる。そして数枚の札を持った右腕を振り上げ――

「それじゃ、決闘始め!」

掛け声と共に振り下ろした。結界が張られ、決闘は始まった。それと同時に、フランは宣言する。負ける訳にはいかない。

「十秒で片を付ける!」

紫は唯ゆらりと下がり、口元に浮かんだ笑みを、目を細めつつ扇子で隠すのみだった。







一秒、彼我の距離は凡そ十メートル。飛びかかる様な姿勢をしたフランの虹翼に火が灯る。
そして、爆風の様な七色のアフターバーナー。二人の距離はほぼ一瞬で零にならんとしていた。
対する紫は余裕の笑み。怒りに身を任せたその突撃を受け流さんと隙間を操る。
自分の直ぐ真正面と空に裂け目が出来たその瞬間にしかし。

「!」

ボン、っという低音の爆発と共にフランの姿が霧へと変わった。霧が紫の周りを駆け抜け、直ぐに渦巻く様に周囲へ広がる。
無駄な事を、紫はそう嘲った。
自身を殺すだけならば、能力を使って爆散させれば良い。だが、フランはそれをしない。命を掛けた決闘で、相手の生死はそれぞれの判断に委ねられる。
フランに紫を殺すつもりはない。フランの境界を操らない紫もそれは同じだが、能力の幅その一点に置いて紫は遥かに勝っていた。
その膂力や吸血鬼特有の能力は強力だが、それだけで負ける相手ではないのだ。
紫は半ば、勝利を確信していた。

二秒、濃い霧に包まれた周囲の中、紫の四方に気配が出現する。否、気配は五つだと紫は即座に訂正。先程開けた隙間を抜けたのであろう気配が上空にも一つ。分身を生み出したか。
しかし、紫は彼我が接している空間を相対的な境目とする事でそれぞれの位置を掴んでいた。潜む様に屈んでいるのは後方の一人、これが決め手かと思考。
八雲紫に死角はない。
フランが十秒と言う短期決戦を挑む事により、頭脳の差が出る戦術クラスの動作をさせない心積もりなのは読めている。
だが、まだ甘い。真正面から向かってきていない以上、これだけ情報が揃えば紫は十二分に戦術を練る事が出来た。

三秒、左肩越しに背後を窺う様な隙を紫が見せた。その隙を逃さず右方の気配がまず動く。
先程と同じ、七原色のアフターバーナー。カッ飛んで殴りかかってくるフランの手を、しかし、まるでそこに来るのが分かっていたかのように紫は掴んだ。そのフランの顔が驚愕に歪む。決まったかと思ったのだろう。
僅かに体を動かして左手でフランの右手を捕らえた紫は、躍り出る様に左へ踏み込んでいた右足を軸に、腰で払う様にフランを投げ飛ばした。
この瞬間投げ飛ばされたフランが地面に打ち付けられるよりも早く、先程正面にいたフランと左方にいたフランが動き出す。

「がはっ!」

四秒、フランが強かに地面へ打ちつけられ霧に返る。しかし、二人のフランが既に紫の直ぐ傍まで迫っていた。後方からは焼ける様な妖気の渦が感じられる。魔法による砲撃が来る予兆か。
しかし、紫はこれにも焦らず対応。予め用意していた隙間を開く。あくまでもこちらを殺す危険性のある能力は使わないつもりかと多少の苛立ち。
二人のフランが繰り出した紫の腹と顔への拳は、しかし隙間を通ってお互いの頬を打ち抜くにとどまった。
それぞれがそれぞれの衝撃により、霧に返る。同時に、後方より砲撃が放たれた。

五秒、浮いた体が地面に到達する前に消えたフランらを尻目に、紫は後方よりの一撃と、上空より迫るフランに対応する。
背後を振りむいている余裕はない。故に能力を全活用し、その砲撃を飲み込むほどの巨大な隙間を二つ作り出す。
一つは砲撃の迫る後方に、もう一つは上空のフランと紫との対称面になる様に。
上空のフランが避けようとするがもう遅い。その“挙動が少し可笑しかった”様な気がするが、紫は然して気にしなかった。
十秒で片を付けるなどとでかい口を叩いておいて、能力を使っていないとはいえこの体たらく、流石に興醒めしていたのだ。
悲鳴を上げる間もなく、上空のフランは砲撃に呑まれて消えた。砲撃の余波で霧が消し飛ぶ。

六秒、ふぅっと紫は溜息。背後から来たいのならば来るがいいとでも言いたげた。

七秒、「この程度?」と嘲る様に言い、気だるげに背後を振り向こうとし。
しかし、背後から聞こえた言葉に、半ばでその動きと口を止められた。



「マエリベリー=ハーン!!」



八秒、何故その名を? と思う暇すらない。しまったと思った時にはもう、遅かった。初動の後直ぐ制止、間抜け面晒して体は硬直している。
それでも目で見て対処する為に、左肩越しに顔を後ろへ向けた瞬間、爆発。光が目を焼いた。爆風と爆音が紫の身を強かに打ち付ける。

「きゃ!?」

九秒、多少飛ばされバランスを崩しつつも背後を向き、爆風に耐える紫。距離があった為傷は無いがしかし――

その背後には、虹翼を背負った悪魔がいた。

何をしたのか、爆発の影響だろう血塗れのフランはしかし、しかと紫を射程(Kill Zone)に捉えたのだ。

そして、十秒。その気配に紫は、困惑と共に己の敗北を悟った。

「これでぇ――」

フランが紫に飛びかかる。その赤い瞳で、背後を振り向き驚愕に目を見開く紫を捕らえ。

「終わりだぁ!」

紫が晒したその側頭部を、フランは右一閃で打ち抜いた。血塗れの拳と、火の灯った様な赤い瞳が軌跡を描く。

「っ――――!」

その衝撃を受け、信じられぬと言う様な、恐怖を含んだ表情のまま紫の意識は闇に落ちた。宵闇に浮かぶ鬼火の様なフランの瞳を見つめながら。
そして、ぐるんとその目が白目を向く。

嘲ろ、呆れろ、失望しろ。それがお前の隙となる。そして、この結果だ。

そうフランは内心で、倒れ行く紫を見ながら呟いた。
フランは端からまともにやって勝てる訳がないと思っていたのだ。故のこの策。白か黒か不確かな原作知識に、シュレーディンガーの猫に勝負を賭けた。
そして、彼女は賭けに勝った。
だが、それだけでは届かない。翼を使っても届かない絶望的な彼我の距離、故の先の爆発。フランは敵前までの、その隔たる距離を破壊した。
紫に拳を叩きこむまでに、二つの難敵を打破した彼女の勝利。

弱まってきた爆風に多少押されつつも前のめりに倒れる紫、その上に折り重なる様に倒れるフラン。
吹き付ける爆風に顔を庇いながらもその光景を見ていた霊夢は、確かに勝者を確認した。
そして、爆風が完全に収まると同時に粉塵の立ちこめる、二人のいた所に駆けていく。

「ちょっと、二人とも死んだんじゃないでしょうね。」

そんな言葉を吐く彼女の顔は不安気だ。何だかんだ言って彼女も人は良いのか。
そして、辿り着く。そして自然、呟いた。

「…………根性あるわね。」

そこには、血塗れで、しかし毅然と立つフランと、倒れ伏す紫がいた。
どうやら、息をしている様なので二人とも生きているらしいと霊夢は確認。
故に取り敢えずと息を吸い。

「勝者! フランドール=スカーレット! ……じゃ、紫運ぶから手伝って、吸血鬼なんだから行けるでしょ?」

宣言の直ぐ後の、どこまでもマイペースな霊夢のもの言い。フランはよろめきながらも苦笑し、唯「ああ。」と頷いた。正直きつかったが、そこは意地と言う物だ。
何せ、嘗て男であったものですから。きっと、そう言う物なのだと。







闇、深い闇の中。赤だ。赤い瞳、血塗れの体。赤い悪魔がその瞳に火を灯し、虹の翼を背負ってやってくる。
フランドール=スカーレット!

紫は闇に現れたフランに向かって叫んだ。
そして、一歩後退り、言う。

マエリベリー=ハーンと言う名前、お前はその名前の何を知っている。何を、何故。フランドール=スカーレット。知らない筈よ。

フランは一歩踏み出した。指先からポトリと一滴血が滴る。頭の天辺から爪先まで血塗れで、赤く爛々と輝く瞳は闇に軌跡を。
更に一歩、紫は後退り。

お前は何を知っているの。お前はどこから来たの? お前は何? 幻想郷を壊す悪魔か? いいや、お前は日常を愛しているわ。いや、それは嘘? 欺かれた? 私が? どこまで知っているの?

負けた事が衝撃だった自信の裏側にはいつも恐怖が潜んでいる。だが、それだけが原因ではない。
負ける事自体は不自然じゃない。でも、負けた原因が不自然だった。不気味だった。
人はいつだって不可解だ。その全てを知る事は困難で、ほぼ不可能で。それでも紫は努力してきた。だが、今回は少し、足りなかった。

負けたが目的は殆ど果たした。これで良い筈。でも、疑問が、恐怖が残る。ああ、壊すな、幻想郷を壊すな。そう、お前は壊したくはない筈よ。そうでしょう?

赤い軌跡を瞳で残す、鬼火の様なその灯。頭部に走った衝撃と苛烈な意思の瞳が記憶に傷を残していた。
フランが更に更に歩みを進める。赤い光が揺れた。

「……っ!」

だが、紫はもう下がらなかった。彼女はいつだって努力してきた。フランドール=スカーレットに幻想郷へ仇なす意思はない。そう断ぜれるだけの確信はあった。
ならば恐怖に足を竦めている場合ではない。そう自身に言い聞かせる。

そうだ。ならば目を開けろ八雲紫、今この瞬間に恐怖で目を瞑るな。目の前にいるのは夢幻の虚像だ。奴ではない、自分自身だ。可能性は幾らでもあるじゃないか。さぁ挑め、さぁ。私は腑抜けじゃないでしょう?

「い…かげ……お…なさい。ゆ…り。」

ああ、この声、霊夢? 霊夢が呼んでいる。そうだ。私は死んだわけじゃない。そうださっさと起きろ。何より、霊夢が呼んでいる。

紫は目の前のフランに手を伸ばす。虚像は消えると手を伸ばす。そして、触れた。
だが、ぬるりとした感触は無く、何故か柔らかな感触が。

「ちょっ!? ど…さ…ってん…………さっさと、起きろぉぉぉぉーーーーーー!」

紫の額に鈍痛。痛みに眉を顰めた。
確か、自分は頭を殴られて気絶したのではなかったか。そんな思考が脳裏を掠める。フランの虚像は、いつの間にか消えていた。

はぁ………………ああ、胸ね。胸ぐらいで騒がなくても良いじゃない。

僅かな苦笑と共に紫。闇が赤らんだ光の世界に変わる。全く締まらない。そんな呟きが心に洩れた。
現実への帰還を果たした紫は、先ず掌を額に当て。

「う……るさいわね。起きるわよ。痛いし。」

少し、拗ねた様にそう言った。

全く、仕様がない。

そして、そう心で呟き瞼を開く。赤らんでいた視界に明確な光が入ってきた。膨れっ面の霊夢が見えた。
彼女の呟いた言葉が霊夢に言った言葉なのか。はたまた自分に呟いた言葉なのか。それは、紫だけが知っている。



「…………起きたかラッキースケベ。」

「……何よそれ。」

寝起き一番にあの光景ではそう言いたくもなる。
どこか鬱陶しそうに体を起こす紫を見ながらフランはそう思った。そんな紫を、霊夢は膨れっ面で無理矢理布団に戻す。
何だかんだで心配なのだろう。恐らく、ずっと昔から知った仲だ。そう、フランは判断した。
霊夢自身に勿論そう言った感情は無いだろうが。唯、他人であるフランがいる状況だった為、彼女は少し慌てたのだ。誰もいなければと言う訳でもない。身内の恥、とでも言う様な感覚はあったのかも知れないが。

「心配しなくても大丈夫よ、霊夢。」

「駄目よ。一応寝てなさい。」

無理をしようとする母、いや、姉に駄目だしする妹。そんな光景だろうか、とフランはどこか遠くを見つめる様にそれを見ていた。或いは、少し共感していたのか、それとも憧憬を抱いていたのか。

「…………。」

フランは、この場にいるのが何となく野暮の様な気がして、正座の姿勢から立ち上がった。
血は既に乾いているが、いつまでもこの格好でいる訳にはいかないと、ぼろぼろの服についても思考を飛ばしながら。

「あら、どこに行くのかしら?」

紫の声、そちらに目を向ければ、顔だけを少し起こしてこちらを見ると言う。少し可笑しな姿の紫がいた。病床の花と言うには胡散臭すぎる表情は、ある意味流石。

「何、家に戻るだけさ。決闘直後だ。何をするにも無理がある。」

それに対してフランの答えは、紫への配慮を含んだものだった。
そんなフランの様子に、紫は苦笑しつつ身を起こす。止めようとする霊夢に、一度にこりと微笑んでそれを制しつつ。彼女はゆるりと立ち上がった。
霊夢はそんな紫に、不満そうな、不安そうな表情。
博麗霊夢に仲間意識は無いが、それでも紫とは手を組んだ事がある。その後他の者とも手を組んだ事はあるが、そこには紫が関わっていた。霊夢は紫を信用、否、信頼しているのだ。フランは何となしにつらつらと、そう思った。

「フランドール=スカーレット。貴女はこれからどうする心算?」

マエリベリー=ハーン関係の事は聞かないのか、聞く必要が無いと判断したのか。気になるのに。フランはそんな事を思いつつ、答えを返す。

「どうにも。唯、正しく在れる様。礼儀を果たせる様に生きていく。」

赤い瞳で真っ直ぐに紫を見ながらのその言葉。フランのその瞳と、その言葉に紫は何を感じ取ったのか。唯、少し満足気に「そう。」とだけ囁く様に言った。

「故に八雲紫、貴女の礼儀にも私は報いよう。」

そして、そんなフランの言葉に彼女は眼をパチクリさせる。そして、ふっと微笑んだ。そして言う。

「フランドール=スカーレット。貴女に八雲紫の名に置いて、幻想郷での祝福を。」

丁寧な礼と共に言われたその言葉。勝利者への祝福は、同時にフランの存在が、正式に幻想郷に置いて認められた事を示していた。
その重みは八雲紫の幻想郷への思いと同じ。フランが紫に、延いては幻想郷に牙を剥かぬ限り、決して違えられる事は無い。
フランは胸に手を当て、そんな紫に向かって一度綺麗に礼をした。まだ痛む体ではあるが、それはある意味向こうも同じ。

「幻想郷の妖怪として、恥じぬ様に生きていこう。」

紫のその言葉に、唯真剣にその思いを乗せて返した。
フランを上手く利用したいのならば友好を装って近づき、その力を利用すれば良い。
しかし、紫はそれをしなかった。それは、彼女の妖怪としての矜持だろう。
そして、幻想郷を愛する彼女は証を示さなければならなかったのだ。自身の幻想郷への愛に対して。
それらは、ある意味純粋なフランへの礼義ともなった。真剣に、全力で挑むと言う。

お互い同時にすっと上げられる頭。二人は暫し真剣な面持ちで見つめ合っていたが、やがてフランが動き出す事でそれは終わりと告げた。
彼女は障子へと歩み寄りそれを開け、部屋を出た。そして、部屋に向けて一礼をした後、障子を丁寧に閉めて去って行った。
部屋の外、日の出前の薄暗闇に妖気が広がるのが感じ取れ、そして、空へと去って行くのが二人には分かった。

「……堅っ苦しい奴ね。」

フランが空に去って言って直ぐ、紫を布団に寝かしつけながら霊夢。中々に面倒見が良い。

「そうね。」

そんな霊夢に苦笑しつつ紫、半ば夜に生きながら、昼の世界を目指し続けるフランの愚直さを思っていた。

フランドール=スカーレットに入り込んだ。彼と言う存在は言わば彼女にとっての陽光だ。
闇にいた彼女を照らしだした日の光。彼女となった彼、彼を受け入れた彼女。どちらでもある彼女は、日の光を知ったが故にそれを目指し続けている。
それは正しさ。それを求め続けるフランドール=スカーレットはまるで夕闇の様な存在だ。
やがて夜へと沈み行くその身、次の日の出をどう迎えるか、そんな事を考えている愚かな太陽だ。

ならば、少し見守るのも良いだろう。そんな事を紫は思い、心配そうにしている霊夢の為、静かに目を瞑るのだった。
やがて、寝息を立て始めた彼女が、いつまでも帰らぬ紫を心配した藍に、泣き付かれ叩き起こされるのは余談である。







朝日だ。

フランは紅魔館を目指し明け方空の飛んでいる途中で、その美しい日の出を迎えた。
美しい陽光が、博麗神社のある小高い山の向こうから徐々に幻想郷に広がっていく。

朝日、吸血鬼には決して直に触れられぬ物。日の光を直接浴びた吸血鬼は、その肌を焼かれ霧に還される。宵闇の者は昼には在らぬのだと在るべき姿に還される。
やがて夜が来て、凍える夜気と月光を浴びた時にのみ再び在れるのだ。
だが、私は。

やがて太陽の一部が姿を現し、空を行くフランを包み込んだ。
フランの羽が雪が散る様に光の中に溶けていく。その瞳が、青い蒼穹の色となった。怪しく輝く妖気は、澄んだ輝きの霊気へ。
フランは一瞬ふらつきながらも、日の光に目を細めながら紅魔館へ行く飛行を続ける。

だが、私は人となれる。私は日の光をこの一身に浴びれるのだ。これが、どれ程の幸運か。

フランは鼻腔一杯に爽やかな朝の空気を吸い込んだ。そして、記憶を呼び覚ます。

私は、嘗ての私は、薄暗い地下の部屋にいた私は、日の世界に強く憧れていたのだ。
唯外ではない。今なら明確に、その記憶を読み取れる。昼の世界。故に、彼女は狂った。夜の世界に生きる彼女、陽光を天敵とする彼女にそれは適わぬ事だから。愛おしく思いつつも、日の光を憎まねばならぬ。
そして、彼女はそこで元気いっぱいに遊びたかった。姉と、どこかの誰かと。唯一緒に。しかし、それはあらゆる問題に阻まれていた。

やがて、彼女の視界に霧の湖に囲まれた、紅魔館の姿が入った。

だが、今は違う。今は違うぞ。嘗ての私。

フランは万感の思いを以って、朝日に照らされる紅魔館を見つめた。日に照らされ輝く霧の湖は美しく、その中にある紅魔館は鮮やかで。
そして、ゆっくりとカーブを描いて正門へ進路をとる。これは凱旋。故に堂々と行きたかった。
徐々に高度を下げ、門の前に降り立った。そこでは、門番がしっかりと出迎えてくれた。その綺麗な笑顔、その瞳に、微かに涙を浮かべながら。

「お帰りなさいませ、妹様、いえ、フラン様。そのお姿。八雲紫に、打ち勝ったのですね……!」

「ああ、勝ったよ。美鈴さん。」

「そのさん付けにも慣れました。」そう言って苦笑する美鈴に、フランは微笑む。出迎えてくれる人がいる。それも。

「レミリア様達も、ほら、外に出てお待ちになっています。」

一人だけではない。玄関の前にはレミリア達、そして慧音、妹紅、文までいる。嘗ての私の中に“彼”が来てから仲良くなった妖精達も。

美鈴が門を開ける。黒い鉄の門が開くと同時に、フランは赤いレンガの道を駆け出した。
そんなフランに美鈴は「わっ。」と驚きの声を小さく上げる。だが直ぐに、微笑ましげにその後ろ姿を見送った。

ああ、嘗ての私よ。感じているかこの喜び、いや、感じているだろう。お前は私だ。私がこんなにも感じている事を、お前が感じていない筈がない。

駆ける、駆ける、何時かと同じ今は朝露に濡れている花々の応援歌を背に、痛む体も意に介さず。
身の内に走る喜びは一杯で、笑みとなって零れ出ているのが分かる。
後少し。弾む息、ちょっと縺れそうになった足。それに堪らなかったかレミリアが日の下に躍り出た。そして――

「ただいま! お姉様!」

フランはそこに辿り着き、レミリアのその胸に飛び込んだ。

「フラン! フランフラン! お帰り、お帰りなさい。本当に……。」

ああ、本当に、これほど喜ばしい事が他に在るのか。嘗て夜にすら逢わなかった、逢えなかった。顔を合わせる事すら少なかった姉と、日の下で抱き合える。万感の喜びのみと共にその体を抱きしめられる。

フランの頬に涙が伝った。レミリアもまた、涙を流し。見れば、他にも涙ぐんでいる者がいる。

正直に言えば不安だった。今の私が消えてなくなる事がどうしようもなく不安だった。心配する姉に、まともな笑顔で答える事すらできないほどに。
だが、今の私は勝利した。不安に、そして八雲紫に。ならば、ならば他に、恐れる物があろうものか。如何なる恐怖にも打ち勝とう。困難を打開しよう。運命は破壊した。今の私、このフランドール=スカーレットは、これからも前に進むのだ。

やがて皆もフランを囲み、皆彼女を祝福した。その帰還を喜んだ。それは、フランがフランである証であり。
朝日が皆を、紅魔館を、霧の湖を、幻想郷を照らしていた。
唯々、今日と言う日がある事を祝う様に。







[To be continued]









後書き

何でしょう。後書きを書くのが怖いのは初めてです。
と、言う訳で第七話。いかにもラスト、若しくはラストに向かって一直線ですが、その通りです。
一先ず次の話で東方虹魔郷は一区切り……な・の・で・す・が。
今回の話、かんっぜんに内輪ネタ入ってますよね、ハーンさん。
曖昧に書いてある様に、紫と彼の人の関係は不明です。最低限少なからぬ関わりはあると言う風になっております。
知らない人の為に書くと、八雲紫(妖怪)=マエリベリー・ハーン(人間)と言う仮説があるのです。二次創作に限りなく近い原作ですね。(仮説の仮説:人と妖怪の境界を?)
賛否両論ある(賛は切実に在って欲しい。)とは思いますが、感想板での議論は御控えになって下さい。
尚、その他ご指摘及びご意見ご感想をお待ちしております。この先更に続くかもしれないので、展開予測的なのはやはりご勘弁を。
では、また次回更新でお会いしましょう。



[10271] 東方虹魔郷 第八話(現実→東方Project TS)
Name: Alto◆285b7a03 ID:2b1ff819
Date: 2009/10/25 20:19
幻想郷、小高い山の上にある博麗神社の昼下がり。まだまだ夏は真っ盛りで、蝉の鳴き声が響くここ。
幻想郷が一望できるこの神社の、その裏手の縁側にてのほほんと冷たい麦茶を飲む少女が二人。
見ているのは夏の青空か、幻想郷を照らす太陽、透明な空に綺麗な雲、草木の香り、夏の外気。二人の視界に入る木より小鳥が一羽ばたいた。
あっと言う間に遠ざかる、その羽音とチチチと言う鳴き声を聞きながら。少女の内の一人、博麗霊夢がそっと溜息を吐く様に言う。

「暇ねぇ。」

博麗の巫女の仕事は妖怪退治、ちょくちょく妖怪退治はしているが、異変は起きない今日この頃。
そんな呟きに応えたのはもう一人の少女だ。
波打った金髪の上に白いリボンの目立つ黒い三角帽(魔女の帽子)を乗せ、白黒の服を着、ひらひらした白い前掛けのある黒いスカートを穿く彼女。人間の魔法使いにして霊夢の友人、霧雨魔理沙。
彼女は自身の金髪を団扇の風で揺らしつつ、苦笑しながらこう答えた。

「まぁ、平和が一番だぜ。」

平和な幻想郷に置いて、或いは一番合っている考え方。
霊夢はそんな友人を横目でちらりと見てから鼻で溜息。右側から来る団扇の風に涼みつつ。

「そうは言っても、こう何も起こらないんじゃ体が鈍っちゃうわ。」

そう言って麦茶を飲む霊夢に、魔理沙は微笑みながらやれやれと首を振る。そして、彼女も麦茶を一口、ふぅっと息を吐く。
こういった一時こそが得難い物、それが魔理沙の考えだ。
確かに変化の無い日常は暇で、彼女自身も騒ぎや弾幕勝負などは好きだ。しかし、だからこそこう言った一時を大切にしたいと言う気持ちが強かった。
気心の知れた、適度に話題を提供してくれる友人とお茶を飲む。そして、時折手合わせ程度に弾幕勝負。
薄暗い魔法の森にて日々魔法の研鑽をする彼女にとってしてみれば、それがどうしようもなく心地よかった。

まぁ、これでもう少し穏やかな性格だったら……いや、そんなの霊夢じゃないぜ。

想像に出てきた霊夢が余りにも可笑しくて、目を瞑り、眉尻下げて少し笑う。しょうもない想像と、少し苦笑も交じった様だ。
そんな魔理沙の様子を見て、「何よ、急に笑って。」と霊夢が言うが、魔理沙は唯、何でもないと首を振った。
そっけない返答に、少し霊夢は口をへの字に。白い団扇をパタパタやる友人をジト目で見て。

「あんたは楽しそうでいいわねぇ。」

そして、ぼやく様にそう言った。そんな霊夢の様子を見、ニカッと笑いつつ魔理沙。

「ああ、楽しいぜ。楽しみついでに軽く弾幕でもするか?」

お茶を飲む一時を、正直言えばもう少し楽しみたかった所だが、と内心で思いつつもそう言った。
心地よい一時を提供してくれる、そんな友人へのほんのちょっとした気遣い。

「ん~そうねぇ。」

それに対し、思案する様な声を上げる霊夢。しかし、思いっきり伸びをしたり体を左右にひねったりと既にやる気満々だ。

「おいおい、軽くだぜ?」

苦笑しながらそう言う魔理沙も、さっさと靴を履いて箒を手に持つなど中々にやる気十分の様子。
霊夢も靴を履いて立ち上がり、もう一度伸び、さぁ始めようかと歩き出した所で。

「あ、そうだ。あんた、負けたらお茶買ってきてよ。切れててさ。」

等と霊夢が言いだした。魔理沙はこれにげっと言う顔。
肩に箒を担いで言った。

「そりゃぁないぜ。」

しかし、霊夢の中ではもう決定事項の様子。

「良いじゃない。お茶が早く切れるのはあんたの所為でもあるんだし。」

「あんたの方が速いしね。」と続いた霊夢の言葉。
こう言われては弱い魔理沙。空を行く足の速さは兎も角、お茶をここで飲みまくっているのは事実であり。
魔理沙は顔を俯かせ、その口から溜息が漏れる。だが、顔を上げた彼女は妥協の笑顔でこう言った。

「ま、しゃーないか。でも、私は負けないぜ?」

そして、肩に担いでいた箒をくるりと回転。それにまたがりあっと言う間に空へ行く。
霊夢はその様子を見てにやりと笑い。

「そうこなくっちゃ。」

と、呟いて自身もまた空へと上がった。







東方虹魔郷
第八話 前準備





うぅん、どうしましょうか。

大きな武家屋敷の庭に面した一室。障子から透ける、穏やかな陽光に照らされたそこで、一人の少女が唸っていた。座敷机にのぺっと体を預けている。
彼女は着物と赤い袴の、所謂女袴の装い。緑の着物は黄色い袖で、そこには白で花の模様が描かれていた。
可憐と言っても良い、その容姿は純和風。同じ様な服装の、フランのそれよりも自然であると同時に、纏う雰囲気はどこかフランに似ている。

行くべきか行かざるべきか、募集すれば向こうからのアプローチも期待出来るでしょうし、無理に行く必要も無いのですが。

それもその筈この少女、年の頃十前後の容姿ではあるが、その実幾度も転生を繰り返した稗田阿礼その人である(これを阿礼の子と言い、男は阿礼男、女は阿礼乙女と言う)。
彼(彼女)は幾度も(現在九回目)転生を続け、求聞持と言う一度見聞きした事を忘れない能力を以って、人間に仇なす妖怪の資料を纏め続けているのだ。
最も、転生する度にその記憶は殆ど失われ、彼女が転生する目的である幻想郷縁起(妖怪の資料)関係の極一部しか知識は受け継がれないのだが。

ああもう、八代さんももう少し詳しく教えてくれても良いのに。

その所為だろう、長寿の者達に雰囲気が似ているとはいえ、彼女には年相応の幼さが多くあった。
彼の若さと彼女の幼さ、その両方を持つフランに、雰囲気が似ているのはその所為だろうか。境遇が少し似ていると言う、極々僅かな類似ではあるが。

うぅ、彼の吸血鬼も盟約に縛られてはいますし、多分大丈夫でしょうけれど。されど吸血鬼。良い人だから大丈夫だよとか言われても、いや、人じゃないですし。フランドールさんでしたっけ? “ちょっと変わった吸血鬼”だけじゃ分かりませんて。嗚呼、信ずれど、信じ難しはあの笑顔……一句詠んでる場合じゃないですよ。

座敷机から体を上げ、木で出来た、恐らくは上等だろう椅子の背もたれに背を預ける阿求。
どうやら彼女の悩みはフラン関係の様である。幻想郷縁起に書く為の資料集めに苦心している様だ。あーっと口を開け、体を逸らして天井を見上げている。

能力はありとあらゆる物を破壊する程度の能力らしいよあっはっはっ……あっはっはっ……いや、あっはっはっじゃないでしょう八代さん。吃驚だね? 貴方の存在に私が吃驚ですよ八代さん。

貴方の妹さんに貴方の性格が悪影響を与えない事をお祈りしています。そう一度思考を括り、阿求は体を起こした。
幻想郷のシステムはほぼ完ぺきで、しかしだからこそ僅かにある穴は恐怖を生む。吸血鬼はその穴を衝ける存在で、現在の、幻想郷の人間には穏やかな妖怪以外を知る彼女にとっては正に恐怖だ。
八代が大丈夫と言う存在で、聞けばあの上白沢慧音とも仲が良いらしく、しかし。

人間も妖怪も、会ってみなければ分からないもの。

妖怪は正に、人知を超える存在になりうる者。
とは言え、尻込みしていてもしょうがない。
と、主に八代に対する愚痴を頭の中で言い終えた阿求は外出の準備をするのだった。







最近は暑くて暑くて、碌に外出していませんでしたからね。

尤も、普段もそれほど外に出る訳ではありませんが。そう続いた阿求の独白。
赤い唐傘で真上から降り注ぐ陽光を避け、それでも浮き出る汗を拭いつつ、彼女は草履を鳴らして屋敷から出てきた。体が強い方ではない。寧ろ、転生の術のお陰で頭脳は明晰なれど、体は貧弱なのだ。彼女は三十までも生きられない。

少し残念ではありますけど。

僅かに及んだ思考にそう返答した阿求。その顔は傘の影の所為か少し沈んで見えた。
だが、そんな表情は瞬く間に消える。言っても詮無い事、それは分かっているのだ。唯、時折元気に遊んでいる子供等を見ると、やはり残念と少々思う時があるだけ。
阿求は草履を鳴らして土の道を行く。左右を家の塀に囲まれた牛車二台通れる程の道の右端。傘とは逆の左腕には小さな手提げ袋が揺れている。
道行く人と挨拶を交わし、夏の暑さに直ぐ辟易し、屋敷よりはみ出た松の影を潜り、三十間(約五十m)歩かぬ内に外に出た事を後悔し。
爽やかに撫でる風に少々勇気づけられた所で十字路、自身の向かう場所を思い浮かべる。無論、忘れてなどいない。求聞持(見聞きした事を忘れない)の能力は伊達じゃないのだ。腹ごしらえも兼ねて八代に聞いた定食屋へ。
そう、阿求は知らないが、最近良く珍しい客が入ると噂のその場所へ。



透ける様な白い肌には大分きつい、照りつける太陽に辟易と。日傘と時折吹く風に助けられ、漸う目的の定食屋に辿り着いた阿求。日傘よりは安心できる薄暗い店内に入り、ほっと一息。無論、冷房など無い為そこまで急激には変わらないが、外よりは遥かにまし。

「あら? っと、いらっしゃいませ!」

出迎えてくれたのは料理を運んでいる看板娘。自分には及ばないが中々可愛らしい顔立ちをしているとは阿求談。
彼女は料理を卓に素早く運んだ後、阿求の方へやってきて対応した。

「珍しいですね。阿求様がここへいらっしゃるなんて。」

「ええ、少し。」そう返す阿求は人間の里では結構な有名人。転生者等幻想郷にもそうはいない、と言うより現在確認できているのは阿求だけ。
家柄も有り、ある程度は敬われる立場。

「お席の方にご案内します。」

そう言って開いている奥の席を手で指示しつつ、案内しようとする娘さん。
しかし、それに従って阿求が進もうとした時、彼女の視界にどこか見覚えのある金髪が目に入った。
窓からの日の光と僅かな行燈の明かりに照らされた薄暗い店内。その奥の方の席、障子越しの柔らかな陽光に照らされた、奇しくも先の折にてフラン達が座っていたそこ。
彼女は、と阿求はその人物が誰かもう一度確かめた。そして、確認完了。
時間的に言えば今は掻き入れ時、娘さんに話を聞くのは野暮と言うより酷く邪魔。ならば、何かしらの情報を持っているかもしれないと見て、接触するのも良いだろう。そう思考した。

「娘さん、申し訳ないのですが、あちらの方と相席を願えませんか?」

故にと阿求がその様に言葉を発すると、何とも奇妙な反応が。

「ご、ご相席、ですか?」

娘さん、何故か一瞬何とも言えないと言う様な表情を。

「? いかがしました? 何か問題でも?」

怪訝に思った阿求がその様に尋ねるとしかし。

「あ、いえ、申し訳ございません。確認して参りますね。」

と言って、逃げる様に件の彼女の席に。
首を捻る阿求、相席で何かあったのだろうかと思案する。
暫く考えて、後で聞こうと結論が出た頃、娘さんが返ってきた。

「構わないそうです。」

そう言われ、そちらの方を見ると、二カッと笑みを浮かべてこちらに軽く手を振る少女の姿が。

「では、こちらへ。」

そう言って再び阿求を案内し出す娘さん。
阿求はそれについていき、席に辿り着いた。

「よぉ、確か稗田阿求だったっけ?」

「えぇ、御無沙汰しています。霧雨魔理沙さん」

その席にいたのは霧雨魔理沙、トレードマークとも言える黒い三角帽子は現在隣の椅子へ、箒は(店内に持ってくるべきだろうか?)壁に立てかけてある。
先ずは席に着く阿求、そして、娘さんに料理を注文した。量は少なめで。

「沢山食わないと大きくならないぜ?」

からかい気味にそう言ってくる魔理沙、余計なお世話ですと返す阿求。少し気にしているらしい。
すまんすまんと謝ってくる魔理沙と膨れっ面している阿求のこの二人はちょっとした知り合いだった。
趣味で妖怪退治を生業としている魔理沙は、阿求と全く無関係と言う訳ではなく。少し前に阿求は魔理沙を見かけた際、彼女をお茶に誘い、少しばかりインタビューをした事があったのだ。

「いやぁ、それにしても。あの時は、まさか女に声掛けられるとは思わなかったぜ。」

話題を逸らす為か、視線を逸らしながら魔理沙。
見え見えだが、今回も話を聞きに来た以上、子供の様に拗ねる訳にはいかないと阿求は軽く頭を下げて言う。

「その節はどうも。」

これにおっと反応したのは魔理沙だ。まさかあっさり通るとは思わなかったらしい。
すると、今度は子供っぽい反応をした自分は少し恥ずかしくなる。
魔理沙は軽く頭を下げ後頭部を二掻き、少し赤面しながら言った。

「いや、良いぜ。悪かった、余計な事言っちまった。」

阿求はそんな彼女に僅かながらに好感を、「いえ、構いません。」と言って水に流した。自身にしても子供っぽかった。
阿求の知る霧雨魔理沙は善悪のどちらともつかない人物だ。そこら辺は霊夢とよく似ている。
魔理沙は霧雨魔法店と言う、所謂何でも屋を経営しているのだが、半丁賭博の予想から異変解決まで請け負っているこれは、報酬成功払いで失敗時は料金を取らないと言う良心ぶり。適当にやると言う訳でもないのでお人よしと言う事が分かる(正し、店舗はあの魔法の森の中に在り迷いやすく、しかも留守の時が多い。大雑把と言う事が分かる)。
逆に、泥棒稼業にも精を出している。主に本の類を堂々と、真正面から借りていくらしい。曰く、借りていくだけ。こういう事柄では悪人であり、嘘吐きでもあるだろう。
良くも悪くも自分勝手、命取りになるのでは? と注意したくならない訳ではないが、今の所注意する様な間柄ではなく、何より彼女はまだ若い。
記憶の殆どを失っている以上自分もそれは同じ、そんな事を思いつつ、阿求は少し苦笑。幸い、まだ少し照れくさそうにお冷を飲んでいた魔理沙には気づかれなかった模様。

「所で、今日もまた、少しお聞きしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」

阿求は魔理沙が少し落ち着いた所を見計らい、言った。対する魔理沙はそんな事だろうと予想していたのだろう。

「ん? ああ、良いぜ。大抵の事ならな。」

割とあっさり了承した。大抵に大別されない事柄には答えてくれないだろうが。

「最近ちょっと噂になっているらしい吸血鬼、フランドール=スカーレットについてなのですが。」

それを聞いた魔理沙は少し顰めっ面。阿求はこれをおや? 興味を持った。何かしら関係があるとみて言い表情だ。
だが、魔理沙は少々阿求の思惑と外れた事を言った。強ち外れてもいなかったが。

「いや、な。その吸血鬼ってあれだろ? この前文々丸新聞の号外に出てた奴。」

文々丸新聞とは射命丸文が発行している新聞の事である。要はこれにフランの事が書かれたのだ。
曰く、紅魔館の主レミリア=スカーレット様の妹君、フランドール=スカーレット様に直撃取材。隠されていた素顔に迫る(写真無し)。
それは、随分と馬鹿丁寧に書かれた文章だった。割と好き勝手書く傾向がある文々丸新聞、書かれている内容自体は趣味だとか普段何をしているかだとか取り留めのないものだったが、少し頭の回る者ならば、山の妖怪が一歩引いて遠慮する程度には彼の吸血鬼が強力であると見抜ける文章。
何でも妖怪の山との融和を目指しているとか何とか。更に曰く、自分に厳しい性格だそうだが、どの程度なのかは彼女を知らない皆が大なり小なり疑っていた。

「何か、この店に良く来るらしいな、ちょっと私も気になってたから寄ったんだけど。」

今日は外れみたいだぜ、と軽く肩を竦める魔理沙に阿求は少々不思議そうに。

「おや、それが目的ではなく?」

そんな阿求の言葉に魔理沙は、隣の椅子に置かれた帽子をひょいっと持ち上げ言った。

「今日は使いっ走りだぜ。」

帽子ごと持ち上げられたそれは袋に入れられた茶葉。

「仕事ですか?」

阿求は内心以外に思いつつもそう口にした。件の店に客が入ったのかと。先ず有り得ない、ならば、出先での急な注文か。阿求はそう予想する。
そして、それは半分当たっていた。

「いいや、霊夢だぜ。」

魔理沙が博麗霊夢と仲が良い事は阿求も良く知っている。故に納得。

「ああ、博麗の。」

「ああ、霊夢だぜ。」

阿求の意味のない確認に、同じく意味無く言葉遊びをする魔理沙。
ニッと言う擬音の似合う笑顔に、阿求は軽くからかう事に。まぁ、これ位なら良いでしょうと。

「お好きなんですね。霊夢さん。」

これに対する魔理沙の反応。

「いいや、霊夢が私を好きなんだ。」

何とも捻くれていた。
これに対し、思わずふふっと笑う阿求。ちょっとばかし仲の良い友達と言うものを羨ましくも思っていた。
阿求はにこりと笑い、言った。

「仲、良いんですね。」

「まぁな、普通だぜ。」

ああ、捻くれている。そう阿求は思いつつ、お冷を一口。それを見て、魔理沙も口の中を湿らせた。
丁度そこに運ばれてくる料理、先ずは魔理沙の分。

「おお、やっぱここの料理は美味そうだ。美味いんだけどな。」

そう言って箸を取り、親指で挟み頂きますと手を合わせる魔理沙。娘さんはにこりと笑顔。お盆を胸に「ごゆっくり。」と軽く一礼してから去っていく。

「お先に頂くぜ。」

魔理沙は阿求にそう言ってから食べ始めた。
阿求はええ、と返し、「私の料理が来るまで、質問はよろしいですか?」と続けて聞いた。
魔理沙はこれに頷く事で了解。阿求は質問を続行する事に。

「先程、フランドール=スカーレットの話を出した時、何か気に入らないご様子でしたが。」

「ああ、あれね。」ともぐもぐ口を動かしながら魔理沙は言う。ごっくんと飲み込み。

「いや、珍しく興味が行く内容だったからさ、私も霊夢に言ってみたんだよ。どう思うって。」

まぁ、ここ最近(主に人間視点)変化の無い幻想郷では一番のニュースでしたね。と阿求。
魔理沙はそしたら、と繋ぎ。

「何かちょっと不機嫌になってさ。まぁ、ちょいと眉顰める程度だったけど。」

そして、またご飯を掻き込む魔理沙。暫くもぐもぐ咀嚼して、飲み込む。料理と共に運ばれてきたお茶を一杯。一息。

「何か、知りあいらしいぜ? つぅかこの前食った煎餅を持ってきたのがその吸血鬼らしい。お礼だとか。」

この前と言うのがいつか分からないと内心突っ込みをしつつ阿求。吸血鬼がお煎餅をお礼に持ってくる? とその内容に首を捻る。
そして、自分に厳しいは礼儀正しい程度にはと受け取っても良いのか、そんな事を思っていた。

「申し訳ありませんが魔理沙さん、後で博麗神社までの行き帰り、お願いできませんか?」

何にせよ巫女に話を聞いてみなければ分からない。故のお願い。

「ん? ん~まぁ、良いぜ。暫くあっちでのんびりして貰う事になるかも知れんが。」

少し迷った魔理沙だが、彼女自身も気になるのだろう、これを了承した。
そんな感じで質問は終わった。食後に神社行きの送迎を約束出来た阿求は一安心。
そして、暫くして運ばれてきた自身の食事。

「お待たせしましたぁ!」

元気の良い声と共に運ばれてきたのは夏野菜定食。
ニラの味噌汁に冷奴、茄子と胡瓜の漬物にふっくらとした紫蘇(しそ)ご飯。

「おお、そっちのも美味そうだな。」

ちょっと覗きこむ様に魔理沙。それを聞いた阿求と娘さんは苦笑。娘さんは先程と同じように去っていき。
阿求は、「あげませんよ。」と冗談めかして笑顔で言った。魔理沙は「そこまで食い意地張ってないぜ。」とさも心外と言う様に。
そうして暫し、和気藹々と食事は進んだ。



「有難うございました。」

店の入り口の会計所でまた一人客が清算を終えて出て行った。
阿求が来た頃が丁度ピークだったのか、既に店内の人間はまばら。もうこの時間ならば来る人も少ないだろうと思われる。

娘さんは暇そうにしており、注文も既に行き渡っているらしい今が好機か。

そう判断した阿求は早速娘さんに声を掛けた。

「すみません!」

すると直ぐに反応し、笑顔でこちらに来る娘さん。流石だ。と阿求は少し感心。

「はい、何でしょう。」

御注文ですか? と聞かない辺り、呼ばれた見当は付いているのか。阿求を知っていての反応、少し阿求の期待が高まる。

「少しお聞きしたい事があるのですが、宜しいですか?」

阿求がそう言うと、少し辺りを見回し「少しなら。」と言ってきた。現在いるお客の食事はまだ少し掛かりそうと見たのだろう。

「では、手短に。ここ最近、ここに来ていると言う吸血鬼の話なのですが。」

阿求がそう言うと、娘さんは来たと言わんばかりに微笑んだ。どうにも言いたくてしょうがない内容だったらしい。
阿求は、何故その様な反応をするのかと疑問に。だが、やはり期待できるかもしれないと興味を持つ。

「ええ、ええ、知ってますよ。唯、これが可笑しな話なんですよ。阿求様はご存じないと思いますが。」

途端、道端の姦しい娘達と同じような雰囲気を纏う娘さん。
曰く、この店に吸血鬼が訪れた事は唯の一度も無い。

「はい? では、記事は嘘を?」

眉根を顰める阿求。適度に嘘を吐く天狗でも、記事に嘘を書くとは思えなかった。
そんな阿求にしかし、娘さんはさも楽しそうに言った。

「いえ、ここからが面白くて。」

曰く、いかにも“らしい”人間の少女が記事に書いてあった時期位から人間の里に来だしていた。

「その子は良く、寺子屋の慧音さんと一緒に来るんですけどね。雰囲気も大人っぽいし、異国の風貌だし、条件にぴったり合致するんですよ。しかも名前がフランさん。」

「唯、目は青いし翼も無いので吸血鬼ではない、と。」阿求は確認するように言った。翼は兎も角目は可笑しい。
だが、娘さんは知らないだろうが、彼の吸血鬼が上白沢慧音と親交を持っている事を阿求は知っていた。
ダンピールだろうか? そんな考えが阿求の脳裏に浮かぶ。
それならば、人妖の上白沢慧音と仲が良い理由にもなる。少々こじ付け臭いが。また、日の下を歩ける理由にもなるだろう。聞くに日傘すら差してなかったらしい。

「ね、不思議でしょう?」

可愛らしく小首を傾げながらの娘さんに、阿求はそうですね、と相槌を打ちつつ。しかし、既に思考の海に埋没していた。誤魔化す方法は幾らかあるが、何故? と。
そんな阿求の様子を感じ取った娘さん。ターゲットを魔理沙に切り替える。
第三者でいながら話に耳を傾けていた魔理沙、少し引く。

「霧雨さんはどう思われます?」

そう聞いてきた娘さんの自身への呼称に魔理沙、少々眉を顰めた。
魔理沙は、「魔理沙って呼んでくれ。」と表面上はにこやかに対応。
現在魔理沙は勘当された身なのだ。家とは絶縁状態。霧雨と名乗ってはいるが、その心境はいかなものか。実家に関わるのは彼女自身避けている。

「ええ、じゃぁ、魔理沙さん。」

魔理沙の言葉に、直ぐにそう言い直した娘さん。魔理沙と彼女の実家の関係を知らなかったのか失念していたのか。もし後者ならうっかりだが、流石の対応でもある。
魔理沙は一度ニッと笑う。そして、顎に手を当て少し思案した後、答えた。

「まぁ、幻術って可能性もあるし、別に可笑しくは無いんじゃないか?」

それに対して娘さん、「所が。」と前に置き、卓に手を付いてずずずいと魔理沙の方へ身を乗り出した。
仰け反る魔理沙を気にせず、娘さんは言う。

「店にたまたま来ていた退魔師の方曰く、膨大な霊気こそ感じるが、妖気はまるで感じなかったと。」

それにえっ!? と顔を上げたのは阿求だ。間髪入れず娘さんの方に身を乗り出し、「それは本当ですか!?」と問い詰めた。
一瞬驚いた娘さんも、食いついて来た阿求にニヤリ、「本当なんですよ。」と囁く様な声色で言った。
何やってんだかとは魔理沙談。だが、彼女自身も結構気になっていたりした。

「まるでホラーだな、怖くないが。」

先ず魔理沙がそう口を開き、阿求と娘さんがそれにコクコクと頷く事で同意。
店に来ていると言う吸血鬼、天狗が記事に嘘を書くとは思えず、されどその姿は見えず。事情を知らないものからすればある意味ホラー。

「あ、そう言えば、天狗の方とも一度来てました。あの時、店を閉める前で迷惑だったんですよね。」

ふと、思い出したように言う娘さん。中々に度胸がある。これで、件の少女イコール吸血鬼、若しくは関係者の線が濃厚に。

「そういや、天狗の記事にはそいつが吸血鬼だとは書かれてなかったぜ?」

と、ここで人間説を唱える魔理沙。だが、これを阿求が否定する。

「いえ、それは無いかと。八代と言う退魔師からその人物について聞いたのですが、吸血鬼であるとは言っていました。」

嘘は吐きませんよ、彼、と続いた言葉に納得を。肝心な部分を思いっきり省きましたがね、あの野郎、と更に続いた悪態にはちょっと引く二人。
これで、この場での結論は無いかに思われたその時。

「それにしてもフラン。何の用事だったんだ?」

そんな声が店先から僅かに響いて来た。二人は呼び名と声、一人は呼び名に反応し、バッとそちらを向く計三人。そこには。

「ちょっと神社までな。」

上白沢慧音と件の異国少女、フランがいた。

「娘さん、餡蜜二つ追加で、後。」

「御相席ですね? 了解しましたぁ~。」

にやりと笑う阿求に、「いらっしゃいませ~。」とどこか猫撫で声で件の二人に言う娘さん。
魔理沙は唯、「やれやれだぜ。」と席を移った。



何故こう、ここでは初対面の人間と食事をする事が多いのだろうか。フランはそう心で独白した。

「つまりフランドールさん。」

「フランで良い。」

現在フランの対面の二席には阿求と魔理沙、隣には慧音だ。娘さんには流石に遠慮願った。酷く残念そうだったのが印象的だ。
食事待ちのこの時間だけ取材をとの事なので受けているのだが。

「貴女は吸血鬼でありながら人でも在れると言う訳ですねフランドールさん。」

この説明、幾度目だろうか。流石に少々疲れるらしいフラン。慧音に霊夢に紫に文。そして、この二人。礼儀と言えばそうなのだが。
いっその事記事にしてしまえば良かったか、そんな事まで思っていた。

「ああ、後、フランが良い。」

そう少し疲れ気味に答えたフランは、どっと背もたれに背中を預ける。隣で慧音が、斜め向かいでは魔理沙が苦笑していた。意味合いは少し違いそうだが。
それにこの阿求、文よりも頭が良い。恐らくはちょっとでも可笑しな事を言うと疑問を持たれる程度には。故に、対応には非常に気を使った。

「最初に申し上げた通り、これらの内容は幻想郷縁起に記載されますが。宜しいですね、フランさん。」

阿求の確認に、フランは体を起こし、「ああ、人間になれる様になった経緯一切を省けば問題ない。」と返した。

「つまり、なれる様になったのが姿を現す切っ掛けになったのは記載しても良いと?」

「ああ、そうだ。」

何も自身と身内の恥とも言える部分を書物に乗せる必要はないだろう。そう考えての取り決め。無論、簡単にしか説明はしていないが。

「分かりました。では、人となれるとだけ記載致します。他一切は不明と。」

恐らくは阿求の配慮。今言ったのは彼女自身少し迷ったからか。いずれにせよ。

「そうして頂けると有難い。」

フランにしてみれば有難い配慮だった。故に、膝に手を置き頭を下げて礼を言った。
これに対し阿求は少し困惑した様に、しかし、直ぐに落ち着きを取り戻して。

「いえ、取材させて頂いたのはこちらですし。」

元々からして退治すべき妖怪の情報を人間側で集める為の幻想郷縁起。妖怪本人への取材や確認は、平和な現象郷において下手に妖怪の不況を買わない為でもある。
阿求にとっての一昔前からしてみれば、考えられないこの現状にこの思考。
そして、更に考えられないのは人間相手に礼を尽くすこの吸血鬼だ。変わり者と言ってしまえば終わりだが、珍しいと言えば珍しいもの。

「吸血鬼と言やもう少し偉そうなもんかと思ってたぜ。」

魔理沙の言葉には阿求も同意だ。経緯を知れば確かに吸血鬼らしからぬのにも納得は行くが、それだけで納得しきれるほど吸血鬼は甘くないと言うもの。
恐らくこの吸血鬼に入った人物は、大分変り者だったのだろうと二人は思考。
この考えは、今の所フランの経緯を知った全ての人物が抱いた印象だ。
頭を上げたフランはこれに。

「偉そうじゃない、か。私は是非とも“偉そうに”なりたいものだな。」

と言ってにこりと笑う。偉いから偉そうなのであって、偉くない者が偉そうでないのはある意味当たり前だ。
つまり、フランはまだまだなのである。これに魔理沙はニカッと笑った。

「面白い奴だな。」

どうやら興味を引く程度には好印象だったらしい。フランはこれに困った様に頭を掻いていたが、少し照れた様に苦笑。短く「そうか。」とだけ返す。
魔理沙の様な人物は幻想郷に来てから初めてのフラン。ある意味ではチルノや文が似ていたが、それとはまた違った印象を受ける部分があった。
と、ここでフランと慧音の料理と、阿求と魔理沙の餡蜜が運ばれて来る。

「このまま、同席していても?」

阿求がそう二人に問いかけた。
フランと慧音はお互いに確認、頷いて阿求に了承を返す。
そんな二人に軽く一礼をする阿求と、我関せず餡蜜を頬張る魔理沙。
フランはそんな二人の内、魔理沙の方に声を掛けた。

「魔理沙さん。後で話があるのだが、構わないか?」

木製スプーンを咥え、今まさに餡蜜を味わわんとしていた魔理沙。そのままの格好で「ん?」と眼差しをフランに向ける。
多少急いで餡蜜を飲み込み、言葉を発した。

「んくっ。今じゃ駄目なのか?」

それに対しフラン、「出来れば後で。」と少し首を傾げ、窺う様に言う。
魔理沙は顎に握った人差し指を当て、暫し思考。そして、少し困った様に。

「あんたに会うついでに飯食ってくるって霊夢には言ってあるけど、余り遅くなるのは頂けないぜ。」

そう言う魔理沙にフラン。「私に会う為に……霊夢。ああ、神社から来たのか。」と納得を。
だが、それならば逆に丁度良いと思考した。

「つい先ほど、私も神社に言って来てな、逆に丁度良い内容の話だ。」

魔理沙はそれを聞き、丁度良い内容とは? と少し考えを巡らせる。だが、見当はとんと付かない。当然と言えば当然。

「ま、直ぐ済む話なら私は構わない。」

お茶が直ぐ切れてなくなる訳でも無し、それで霊夢が倒れる訳でも無し。

「感謝する。」

フランはそんな魔理沙に頭を下げた。
良く頭を下げる吸血鬼だと少し笑う魔理沙。

「おいおい、折角の飯が冷めるぞ。」

そんな様子を見ていた慧音がフランに声を掛けた。少々性急な友人に苦笑しつつの声だ。
フラン、慧音に対し「そうだな。」と薄く笑って言い、箸を手に取り手を合わせる。慧音も同様に、そして。

「頂きます。」

フランと慧音、二人揃って言ったそれ。似た声色で余りに綺麗に揃っていたものだから、魔理沙は少し噴き出した。それに軽く首を傾げ、お互い同時に顔を見合わせるものだから彼女にはもう耐えられなかった。軽くせき込む。
それを見た二人、お互いにアイコンタクト。二人揃った綺麗な動作でご飯を手に取り食べ始めた。明らかに態と。
魔理沙、案の定再び噴く。
阿求はそんな三人の様子を、何やってんだかと言う様な表情で見ていた。
少し輪に入りたくない訳でもない等と思いつつ軽く視線を巡らせ、娘さんが仲間に入りたそうに見ているのを見、視線を逸らす。
そんな目で見られても困ります、と冷や汗。瞑目し、見なかった事にして餡蜜を食べ始めた。氷の入ったそれは冷たく。程良い甘さの餡には頬が緩む。

それにしても、本当に可笑しな吸血鬼。

阿求はフランをそっと覗き見た。
フランは口調や雰囲気こそ(自身と同じく)普通の女児ではないが、こうやって食事をしたり談笑したりする姿はとてもじゃないが吸血鬼には見えない。
例えその身に人が入ったとはいえ、普通は慢心するものだ。そうでなくとも、人としての心は腐る。そう断言。
では何故、彼女は腐らないのか。それはとどのつまり、出来うる限り全てを認めてきたからだろう。そう確信。

人の強さ、吸血鬼の弱さ、人の弱さ、吸血鬼の強さ、彼我の関係。

吸血鬼となって、即座にその様な思考が出来たのかは分からなかった。いや、出来たとは思えなかった。
人の身でも強力なフラン故に尚更と考える。
ならば、余程出会いが良かったのか、その出会いを引き寄せたのは? 運命を操る吸血鬼か、それとも彼女自身の礼節なのか。そう疑問に。だが、少なくとも。

彼女の様に珍しい程度の変わり者でなければ、こうならなかった可能性は高い筈。

そうであるとは結論を出す阿求。
何にしても幻想郷縁起を書くにあたって面倒臭そうな人物ではあると、少し頬を緩ませつつそう思った。そして、幻想郷は再び移り変わる。そう、予感。
転生生活も悪くないものである。そんな事を思いつつ、阿求はこの騒がしい時からいつかの時へ、ほんの少し思いを馳せた。







「唯今帰ったぜ。」

現在、羊の刻(午後一時から三時)半ば。買い物と食事に行っていた魔理沙は博麗神社まで帰ってきた。
神社の裏手にふわりと降り立った彼女を迎え入れるのは、縁側に座る紅白の巫女。
少し不機嫌そうな彼女は、同様の声色で。

「遅いわよ。」

と言った。
その不機嫌そうな顔にはもう慣れたと言わんばかりは魔理沙だ。

「そう言うなよ。ほい、お茶とお土産。」

然して気にもせず頼まれた茶葉と、お土産の饅頭を手渡す。

「……ん、ご苦労様。」

それに対する霊夢の言葉は素っ気なく、それらを確認するとさっさと部屋の中に入ってしまった。
やれやれとポーズし、首を振るのは魔理沙だ。
彼女は靴を脱ぎ、縁側に腰かけた。そして、ふぅ、と一息。空を飛ぶと言っても疲れるものは疲れる様子。
暫し、入道雲の浮かぶ空を見上げてぼんやりと。

「ほら、お茶が入ったわよ。」

暫くすると、とっとっとと足音を立てて霊夢が部屋の中から出てきた。
その手にはお盆。その上にはお茶が入っている急須と湯呑み、お手拭きがあり。魔理沙が買ってきた饅頭も皿の上に乗っていた。

「おお、あんがとさん。」

魔理沙はニカッと笑って、お盆の上から自身の湯呑みをひょいっと取る。ふーふー冷まし、ずずぅっと一口。だが、少し急ぎ過ぎ。

「あちち。」

と、舌を出す羽目に。
魔理沙との間にお盆を置き、自身も縁側に腰かけた霊夢。それを見て嘆息。

「火傷なんてしないでよ。」

と言いつつお手拭きを魔理沙に差し出す。

「お、わりぃ。」

魔理沙は霊夢に礼を言い、受け取ったお手拭きで自身の手を拭いた。
こうした光景を見ていると、仕事帰りの夫と妻にも見えなくない。本人らが聞けば恐らく、片や呆れた様に眉を顰め、片や大爆笑するだろうが。

「で、何でこんなに遅れた訳?」

自身もお茶で一服しながらそう聞く霊夢。
魔理沙はこれに、饅頭を手に取りつつ。

「いや、実は例の吸血鬼に会えてさ。」

これを聞いた霊夢、軽く眉を顰めた。気に入らない訳ではないが、少々フランに苦手意識。当初の二人の印象が入れ替わった形になったか。
だがまぁ、そう毛嫌いする事も無いだろう。霊夢はそう考え、お茶を一口。

「でも、私ら……ああ、浅田屋で阿求って奴に会ってそいつからも吸血鬼について聞かれてさ、で、私らが食事を終えた後、その吸血鬼が来たんだ。人間だったけど。」

「ふぅん、私の所にも来たわよ。」

魔理沙の言葉にも素っ気ない霊夢。人間になれる事について言ってなかった事を聞かれるかと思っていたが、気にせずまたお茶を飲もうとし。

「知ってるぜ、私も依頼されたからな。」

その言葉でその手を止めた。
そして、「あんたにも?」と訝しむ様に聞く。
魔理沙はこれに対しあっけらかんと。

「おぅ、二つ依頼された。」

それを聞いて更に考えるのは霊夢だ。暫し黙考した彼女はやがて。

「約束を果たしただけじゃないって事かしら。」

そう、ぼそりと呟いた。







翌日、幻想郷牛寅の方角。鬼門の境にある八雲亭の昼過ぎにて。
紫はこの日もいつもの様に惰眠を貪っている様に見えた。無論、彼女が寝ている間に何をしているか等分かろう筈もないが。
少なくとも、自室の布団にくるまってくーすか寝息を立てている姿に、それ以上の意味を見出す事は出来ない。
女子高生くらいの外見故の所為か、何とも自堕落な若者にも見える彼女、親が見たらさぞかし嘆くだろう等と思い浮かぶ姿だ。

「ふぁ、んん~……。」

と、どうやら目を覚ました様子。もぞもぞと動き始めた。
流石にこの時間まで寝れば十分だろうと言うもの。昨日から換算して、今日は凡そ十三時間寝た計算。

「ん。」

寝起き特有のぼんやりとした目を開ける紫、彼女の視界はまだ少々歪んでいる様子。布団の中でごしごしと目を擦る。
うつ伏せになり、「ん~~。」と唸りながら猫の様に腕を伸ばして伸びをしたり、体を捻ったり、足を上に上げたりしつつ暫し。

「よしっと。」

漸く布団を跳ねのけ体を起こした。そして、ん~~っと再び伸びをする。ゆったりとした寝巻の下でボリュームのある胸が更に主張された。
寝起きは誰しもが大抵無防備なものである。もし、万が一この様な彼女の姿を見たとしても、そっとして置くべきだろう。

「紫様~お起きになられましたか?」

恐らくは紫がじたばたする音か気配を察知したのだろう、藍の声が襖を挟んで聞こえてきた。

「ええ、起きてるわよ。」

紫はそう言いつつ、「よっこらせ。」という掛け声と共に立ち上がる。ちょっと髪は乱れているが、既にいつも通りのカリスマだ。唯、寝間着姿が少し締まらない。

「失礼しても?」

藍の声に、紫は「どうぞ。」と短く返す。だが、足は既に箪笥の方へ向いていた。
すすぅっと襖が開かれる。開かれた先には、ボリュームのある九尾を持つ妖狐の式神、八雲藍。きちんと正座をしている彼女は先ず、一礼。

「お早うございます。紫様。昼食の準備が間も無く済みます。」

そんな丁寧なあいさつに、紫は自分の服をだしつつ背後を軽く見やり「ええ、お早う。」と微笑みつつ返した。

「厨房の方におりますので、お着替えが終わりましたらお声をおかけ下さい。」

藍のそんな言葉に「ええ、分かったわ。」と紫は返す。今日どの服を着るか、一応迷っている様だ。
そんな紫に、藍は言った。

「後、今朝新聞の号外が橙の住処に届きまして。あの子が持ってきたそれは、それは食卓の上に置いてあります。」

藍の言葉を聞き、紫は思考。新聞の号外、何か大きな事だろうか。橙はまだ賢いとは言えないが、高々普通の新聞程度を持ってくるとは思えない。
彼女は数瞬思考を続け、口を開いた。

「有難う。橙にもご苦労様と伝えて置いて。」

考えても無駄、一先ず保留と言う事だろう。「はい、では失礼します。」と襖を閉めて去っていく藍の気配を感じつつ、紫は着替える為に自身の服へと手を掛けた。



「ふぅん、中々面白い事やるじゃない。」

着替えその他を済ませた紫。この前とはほんの少しデザインが違う中華風の洋服を着た彼女は、丸テーブルのちゃぶ台でお茶を飲みつつ、例の新聞を読んでいた。
その内容は少なからず彼女の興味を引いた様子、少なからず楽しそうだ。

「お待たせしました。お昼御飯が出来ましたよ。」

と、そこに藍がお盆で食事を持ってやってきた。
メニューはご飯に豆腐の味噌汁、南瓜の煮付けと小魚の甘辛煮に青梗菜のお浸しだ。紫は新聞を座布団の横に置いた。

「相変わらず丁寧に作るわね。」

紫はにこりと微笑んでそう言い、「頂きます。」と手を合わせた後箸を付け始めた。
先ずはお味噌汁を一口啜る。出汁が良く効いていて、口に広がる味にはコクがあった。豆腐も食べやすい大きさに切ってある。
次いでご飯を一口。ふっくらした米粒は噛めば噛む程味が出た。
南瓜の煮付けに箸を付ける。ホクホクとした南瓜のその甘みは頬を緩ませるもので、それでいて適度なもの。
お茶を一口口直し。青梗菜にお醤油を少し垂らして頂きます。野菜の素直な味が生きていて実に美味だった。
味噌汁を飲んでから、ご飯を一口、茶碗を持ったまま今度は小魚。

「……作り甲斐がありますね、ホント。」

いつの間にやら(少なくとも紫にとっては)自分のお盆を持ってきた藍でそう呟いた。
紫の食べ方は丁寧だが、その速度は結構速い。

「んくっ、食べ盛りなのよ。」

噛み応えのある小魚を飲み込んで紫。今食べた甘辛煮の味も今日明日辺りは忘れられそうにないもの。
これが駄目なら美味しいご飯を作る藍が悪いのだ。そう言った思考が浮かんでいる時点で、最早紫に藍なしの生活は無理だろう。
藍は苦笑、日常生活に置いては藍の方が幾分有利か。いや、生きている二人には関係あるまい。
彼女もまた、自身の食事に手をつけようと手を合わせ、「頂きます。」と言った。
そして、先ず味噌汁を飲もうとお椀を手に取った所で。

「そう言えばあの新聞、どう思われました?」

と、紫に聞いた。彼女も気になっていたらしい。
丁度味噌汁を飲んでいた紫、ごくんとそれを飲み込んで言う。

「どうもこうも、面白そうじゃない。“ここ”らしくて悪くないわ。」

それを聞いた藍は「はぁ。」とどこか腑に落ちないような頷き。
「大丈夫でしょうか?」と続けて言った。これに紫、少し呆れたように目を瞑り、ご飯茶碗を持ったまま答える。

「貴女が気にしている様な事にはならないわよ。あれは神話に出てくるような化け物でも何でもないわ。」

そして、「唯の化け物よ。」と言って言葉を切り、彼女は再び食事を開始した。
藍もそれを聞き一応の所納得したのか、「紫様がそう仰られるのなら」と自らもまた食事を開始、持ったままだった味噌汁に口を付けた。
紫達が話していた新聞の号外。その記事にはこう、書かれていた。
とどのつまりそれは、いかにも“らしい”お祭り騒ぎであり。

『紅魔館主催、東方紅魔祭開催。』

一体どのような祭りになるのか、そんな事を考えながら、紫は食事を楽しんでいた。







後書き

今回で終わるとか書いておきながら、もう一話あると言う罠。次一区切りです。申し訳ない。
……と言う訳で第八話なんですが。八話と言えるような話の無い様でも無かった気がしますが、まぁ題の通りです。
阿求やら魔理沙に違和感がないか不安。紫はかなり違和感丸出しですが、これは仕様ですかね。
作品読み直していると沢山原作との矛盾点が見つかって頭が痛い。原作から離れすぎたかと結構後悔したり。
続いて欲しいと言う声は多数寄せられど、ここからリカバリーが効くかどうか。
一先ず最終話、力入れて書いていきます、が……空回らなきゃ良いなぁ(ぇ
では、また次回更新でお会いしましょう。


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