鏡の前に座り、寝癖を整える。いつだったか礼節を重んじる家系ゆえに備え付けられた姿見で、白を基調にした服装を整え、愛剣を提げる。
開け放った窓から見える空は憎らしいほど晴れ渡っていた。
第一話 針の回る刻
やってしまった。胸に大穴を空けられ噴出す鮮血を眺めながら他人事のように思ったのはいまだ劣化せず心のうちに存在した。
いつかこうなるだろうとは思っていた。この職業、退魔士において引退または死亡原因の理由は退治対象である魔のものによる傷がおよそ九割を占めているからだ。
当代においてもっとも最強の座にふさわしいと関係者うちで流れる言葉は、所詮戯言にしかならない。最強であろうとなかろうと、そうなるときはそうなるのだから。
正式に就いた時に覚悟はしていた。穏やかに布団の上で死ぬことはないだろうと。それは退魔士の平均寿命が三十台にも届かないことから分かる事だ。殺していいのは殺される覚悟のあるものしか許されない。それは人はもちろん動物も、さらには魔のものであっても変わることのない信念だった。それは幼き日に母からやられていやなことは人にしていけない、と優しく説かれたことが大きく関係していた。
最後の力を振り絞り、満身創痍だった敵を切り払った後、確かに死を感じ、受け入れたはずだった。寒気が襲い、どんどん体が重くなった果てに確かにそれは訪れたはずだった。そうして気がついたのは光の欠片すらない闇を切り取ったかのような暗黒世界。
死後の世界だと容易に悟った。身をおいたことはなかったが、平穏な世の中では魔のものさえ御伽話の存在だ。故に死後の世界というものがあってもおかしくは無いように思えたのだ。
いざ来てみると何もないところではあったが不思議と恐怖は感じなかった。それどころか不気味に響く音がなんとも心地よかった。
そうして、それが終わりではなく、新たな始まりであることを知るのにそう時間はかからなかった。
いつ見ても爽快だと、目の前の屋敷に頬を綻ばせる。昔、日本にいたころにはお目にかかれなかった石積みの屋敷が威風堂々と建っていたからだ。
顔見知りの衛兵に会釈し、門をくぐる。そこでふと見知った気を感じた。心の中で首を傾げるが、そのまま歩き続け植木のそばを通り過ぎようとしたとき、勢い良く輝く金色が体当たりしてきた。その髪を撫で、おはようございます、と言葉を出した。
「レイ~。何でいつも驚かないのよ」
どこか拗ねたような少女に微笑が浮かび、あなたのことでしたらお見通しです、と愛しさを込めて囁いた。
それに少女は頬を赤くし、隠すように胸に顔を押し付けた。
それはどんな生物よりも可愛くて、抱きしめようと腕が動くが自制する。己と少女の身分は違いすぎ、距離が縮まったとしてもせいぜい騎士どまりだろうということは明白すぎる事実だったからだ。
この世界に生まれてから十五年。御伽話のように輪廻転生したということに気がついたのは、生まれ出たとき。そして時代が違うと気がついたのは教育が始まった六歳のころ。
「レイ~、遊びましょうよ~」
「ええ、では行きましょうか」
そして、表の世界に産まれたと知ったのは剣術稽古の為に父が放つ奥義と呼ばれる矮小なそれを見た七歳のころだった。
世界には気と呼ばれるエネルギーが存在する。それは転生する前の人生で散々学んだ裏世界の常識だった。
気は、体とともに増加し、減少する。よく病気や老衰で死相が浮かぶというのは、体内に宿る気が著しく減少した結果だといわれている。そのことから気は人に宿る生体エネルギーだとわかるだろう。
気は消費した後、自然と回復する。それは栄養摂取の結果、体内エネルギーが発生するからだが、それだけでは説明不足だ。栄養摂取の結果、気が増えるのであれば、気は際限なく増え続けるはずだ。だが実際は体に異変がない限り、個人個人決まった周波数とともに蓄積できる最大値が設定されている。
では、増えた気はどこに行ったのか? それは仙人と呼ばれる智と武道の達人が説き明かした。一見何もない地と空の間に放出され、何者かに分け与えているのだと。それは科学の進歩と同時に、正体が判明した。ガイアそれが表社会での哲学的思考の元設定された正体。つまりは住まわせてもらっている地球、さらにはそこに存在するすべてのものが生み出す星としての脈動。星としての気として、まさに体内の白血球や細菌のように星に住む生物が知らないうちに星を支えていたのだ。
そしてそうであるからには星は生物であると、裏世界では認識されていた。
その結果、星の気を感じ取る試みが行われたのは当然の成り行きだった。そうして判明したこと。それが正確な星の寿命だった。
科学的なそれではなく、気単体を捉えると、星の気もまた脈動していた。本来ならば回復するはずのそれは、緩やかな、全体から見ればまことに些細ではあったが減少していた。それは環境破壊であったり、生物、つまり森林の極端な減少や、本来緩やかに行われるはずの温度変化の異常、つまり温暖化現象による環境に対応できない生物の大量死。
地球は緩やかではあったが確実に死へ向かっていた。
それを憂いた者たちは行動を開始したが、いかせん裏世界の住人は人口の三割にも満たない。さらに魔というものが表世界に露見した場合の被害は甚大で、大きな動きができなかった。
そうなると裏世界も自然傍観の姿勢に移り、どうせならと魔のものの排除にも力を抜いてしまった。その例外が自分。ゆえに最強と評されたのは、他のものが弱ってしまったからに過ぎない。だが、それを知らなかった。だからだろう、今と昔の気はほぼ今が若干多く、獲物が違っていても少々の無理は利きどうにでもなると思ってしまったのは。
「がッ!」
灼熱の矢が腕に刺さる。だがそれは燃えるだけ燃えて跡形もなく消滅した。焼ききれた筋肉に無理を言わせ、片手半剣に力を込める。
「ほう。小僧まだ立てるか」
目の前にはフードを深くかぶった性別不明の人物がいた。声から男、それも三十台から後の年齢だろうと推測するが、所詮推測に過ぎない。声は変えられるのだから。
知らなかった。このような戦いは未知の領域。フードが何かを唱えると、瞬間二十は軽く越える矢、それもどれもこれも炎でできたものが重力に喧嘩を売るがごとく宙に浮いていた。
先ほどの傷もそれで負った。気を使っての高速移動は体が完成していないため使うことができず、気を張り巡らし限界までに支障がない限りまで高めた身体能力を駆使して気を込めた剣で払い落としたのだが、物量に押され打ちもらした。
どうなっていると睨み付ける。確かに気は放つことができる、複数同時使用も可能だ。だがそれは光線のようなもので、形を変えることはない。更には気以外の例えば目前のような炎を帯びることなどありえない。それは最高峰の仙人でさえ不可能だ。
だが、現実はそのありえない事態が当然のようにまかり通っている。
「何者だ、貴様」
苦し紛れの問いかけ。それにフードはあざ笑うかのように答えた。魔法使いだと。
「ちぃッ!」
瞬間高速で飛来した矢を振り払い、しかし打ち漏らした炎の矢が肉を焼く。熱くはない。あまりに高熱すぎて痛さに変わっていたからだ。通常の生活では味わうことのない感覚。だがそれでも剣を振るった。
その程度ならば前世にていくらでも経験した日常だ。尤もその後は治療を専門とする気功師がいたのだが。
だが、後のことは考えられなかった。今たっているのは自宅ではない。月光に石積みの館が浮かび上がる。
そう、ここは、
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
少女の住む屋敷だった。
それは偶然だった。就寝直前、大量の気が消えるのを感じた。それと同時に一般人ではない明らかに修行を積んだレヴェルの気が町にいた。それに集中し場所を特定。時間を惜しみ防具もまとわずに得物一つで飛び出した。そしてついたのが屋敷だった。ただそれだけのこと。
怪我を顧みずに剣が届く範囲まで接敵する。
「炎の剣」
そんな声が聞こえた。それにかまわず剣戟をみまう。だがそれは、
「な、んだ」
見たこともない赤い炎の大剣が剣戟を防いでいた。
気ではない。すでにわかりきったことが頭を占める。
「私は研究者でね」
重さを感じさせない動きで、大剣が動き唖然としていた身体が吹き飛ばされた。
「戦いは苦手なんだ」
法螺吹きが。肉体が完全でないがゆえにすべての力を出し切れていないが、常人では反応すら不可能な攻撃を軽々と受け止めさらには押し返したフードに、身を起こしながら罵倒する。
気の大きさは、圧倒的にフードのほうが小さい。にもかかわらず優位であるのは正体不明の攻撃による的確な判断のせいだ。
おそらくは似たようなことを何度も繰り返しているのだろう。推測した年齢が正しいならば、転生後戦いというものに直面しなかった故に、前世をあわせたとしても戦闘経験では大人と子供ほどの差が存在する。
そのことに歯を食いしばらせ血が滴る。経験は時に力の差を覆すことを知っていたからだ。
「降参したまえ。君は良くがんばった。正直君の年でそれほど気を練り、戦闘をこなすものがいることに驚いているのだよ」
それは無理な相談だと、返答の変わりに剣を構えなおした。
「そうかい。根性は認めよう。その心意気も。だからね」
欲しくなってしまったではないか。
地をけり愚直に前へと進む。フードはそれを待ち構えていたかのように、何度目かの炎の矢を出現させると、一斉に放った。
「ッはぁ!」
柄から左手を離し突き出す。気合とともに気を打ち出した。白い光は尾を引きながら矢郡に当たり、予想外の爆発を起こした。
一瞬気をとられるも、すぐさま攻撃に移る。フードも気の打ち出しは予想していないはずだと。
「なにっ!」
「はぁぁぁぁ!」
驚愕の声にそれでも気を抜かず全力で剣を振り下ろす。
「がっ!」
衝撃とともに声が漏れる。全身がしびれ気を過剰に回しても動かなかったが、剣だけは離さなかった。
倒れ付した耳に足音が聞こえた。
「なにやってんのよ。たかがガキに手間取るなんて」
女だった。マントを羽織り紫色のルージュを引いた長身の女。
「いや助かった。私もここまでてこずるとは思っても見なかった。礼を言う」
女はそれに返さず、一歩ずつ近づく。
「にしてもこのガキ、いったい何者だ? あたしがいなかったら殺されていたなんて。本国の魔法使いでも倒せないお前を殺す? 馬鹿いっちゃいけない」
「だが事実だ。まだまだ私も精進が足りない、ということかな」
茶化すようにフードは笑い、女が何かつぶやいた。
「今よりも強くか? そりゃ化け物だろうが。それにあたしたちは研究者。それ以外の何者でもないよ。さて坊主さっきの戦いを評して一撃で消してやる。最後に何かいいたいことはないか」
しびれる体を無理やり動かして、言葉をつむいだ。
「そうか、そうか。くそったれ、とはなかなかいい根性だ。この状況で命乞い以外の、それも敵意を表せるのは並大抵のやつではできない。誇っていいよ。だけど、それまでだ」
上空で稲妻が走った。まったく持って理解不能な現象だったが、それでもなにをしたいのかぐらいはわかる。せめてもの意地で目の前の女をにらみつけた。
「ワオ、すごい殺気。でも終わりだよ」
稲妻の音が大きくなり、ひときわ大きくなった瞬間、
「やめろ」
フードが硬い声を出した。
「なにいってんだい。今消さないと…」
「われわれの目的は何だ。材料の確保だろう」
何のことかわからない。だが会話は続いていく。
「そいつの戦闘能力は高い。そして調べたらやつらよりも適合数値が高かった」
「まさか、こいつを材料に! だけどこいつは!?」
「計画では放逐する予定だった。確かに今のままでも危険なのだから完成しだいわれわれに報復してくるだろう」
「そこまでわかってんなら」
「だが、見たくはないか? われわれが想定していた以上の結果を。もちろん制御は専門のものを呼び寄せる。金がかかるがしょうがあるまい。それに材料は多いほうがいい。適合数値が高いのならばなおさらな」
誘惑に駆られたのだろう。女はしばし思案するように黙ると、またもや何かをつぶやいた。
「殺すか。まあそれもいたし方あるまい。残念だが…」
「なに勘違いしてんだ。麻痺だよ麻痺。運搬中に動き出されたら困るだろうが。あたしも見てみたくなったからね」
笑い声とともに、紫電の光が飛んだ。
「ッ!」
体がえびぞりになり、地面に打ち付けられる。剣は手から離れ反撃の手段を失った。
「さぁて、いくとしますか」
薄れ行く意識の中で、フードに抱えられた金髪の少女が映った。声に出せず、それ故に心の中だけで呟いた。すまないキティ、と。