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[10291] 紅の魔法騎士
Name: 綾◆65acb53a ID:4aac7903
Date: 2010/02/14 13:44
初めまして、綾と申します。
最近、ネギまが熱い様子でしたので、原作を読み、これは書くしかない!! と感じ書かせて頂きました。
 
とはいえ、注意事項があります。
まず、本作品のネギはネギではありません。中身別人の所謂転生物です。
チートかどうかは解りませんが、半端無い強さです。
更にいえば原作設定をいじっています。

以上の事が許せない、又は我慢できないと仰る方は、読まない方が懸命だと思われます。
それでも良いと仰る方は、どうぞごゆるりとご堪能下さい。

2/14…アルカディアをヲチる騒ぎの教訓からトリップ変更



[10291] 第一話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/14 21:21
鏡の前に座り、寝癖を整える。いつだったか礼節を重んじる家系ゆえに備え付けられた姿見で、白を基調にした服装を整え、愛剣を提げる。
開け放った窓から見える空は憎らしいほど晴れ渡っていた。

第一話 針の回る刻

やってしまった。胸に大穴を空けられ噴出す鮮血を眺めながら他人事のように思ったのはいまだ劣化せず心のうちに存在した。
いつかこうなるだろうとは思っていた。この職業、退魔士において引退または死亡原因の理由は退治対象である魔のものによる傷がおよそ九割を占めているからだ。
当代においてもっとも最強の座にふさわしいと関係者うちで流れる言葉は、所詮戯言にしかならない。最強であろうとなかろうと、そうなるときはそうなるのだから。
正式に就いた時に覚悟はしていた。穏やかに布団の上で死ぬことはないだろうと。それは退魔士の平均寿命が三十台にも届かないことから分かる事だ。殺していいのは殺される覚悟のあるものしか許されない。それは人はもちろん動物も、さらには魔のものであっても変わることのない信念だった。それは幼き日に母からやられていやなことは人にしていけない、と優しく説かれたことが大きく関係していた。
最後の力を振り絞り、満身創痍だった敵を切り払った後、確かに死を感じ、受け入れたはずだった。寒気が襲い、どんどん体が重くなった果てに確かにそれは訪れたはずだった。そうして気がついたのは光の欠片すらない闇を切り取ったかのような暗黒世界。
死後の世界だと容易に悟った。身をおいたことはなかったが、平穏な世の中では魔のものさえ御伽話の存在だ。故に死後の世界というものがあってもおかしくは無いように思えたのだ。
いざ来てみると何もないところではあったが不思議と恐怖は感じなかった。それどころか不気味に響く音がなんとも心地よかった。
そうして、それが終わりではなく、新たな始まりであることを知るのにそう時間はかからなかった。

いつ見ても爽快だと、目の前の屋敷に頬を綻ばせる。昔、日本にいたころにはお目にかかれなかった石積みの屋敷が威風堂々と建っていたからだ。
顔見知りの衛兵に会釈し、門をくぐる。そこでふと見知った気を感じた。心の中で首を傾げるが、そのまま歩き続け植木のそばを通り過ぎようとしたとき、勢い良く輝く金色が体当たりしてきた。その髪を撫で、おはようございます、と言葉を出した。
「レイ~。何でいつも驚かないのよ」
どこか拗ねたような少女に微笑が浮かび、あなたのことでしたらお見通しです、と愛しさを込めて囁いた。
それに少女は頬を赤くし、隠すように胸に顔を押し付けた。
それはどんな生物よりも可愛くて、抱きしめようと腕が動くが自制する。己と少女の身分は違いすぎ、距離が縮まったとしてもせいぜい騎士どまりだろうということは明白すぎる事実だったからだ。
この世界に生まれてから十五年。御伽話のように輪廻転生したということに気がついたのは、生まれ出たとき。そして時代が違うと気がついたのは教育が始まった六歳のころ。
「レイ~、遊びましょうよ~」
「ええ、では行きましょうか」
そして、表の世界に産まれたと知ったのは剣術稽古の為に父が放つ奥義と呼ばれる矮小なそれを見た七歳のころだった。

世界には気と呼ばれるエネルギーが存在する。それは転生する前の人生で散々学んだ裏世界の常識だった。
気は、体とともに増加し、減少する。よく病気や老衰で死相が浮かぶというのは、体内に宿る気が著しく減少した結果だといわれている。そのことから気は人に宿る生体エネルギーだとわかるだろう。
気は消費した後、自然と回復する。それは栄養摂取の結果、体内エネルギーが発生するからだが、それだけでは説明不足だ。栄養摂取の結果、気が増えるのであれば、気は際限なく増え続けるはずだ。だが実際は体に異変がない限り、個人個人決まった周波数とともに蓄積できる最大値が設定されている。
では、増えた気はどこに行ったのか? それは仙人と呼ばれる智と武道の達人が説き明かした。一見何もない地と空の間に放出され、何者かに分け与えているのだと。それは科学の進歩と同時に、正体が判明した。ガイアそれが表社会での哲学的思考の元設定された正体。つまりは住まわせてもらっている地球、さらにはそこに存在するすべてのものが生み出す星としての脈動。星としての気として、まさに体内の白血球や細菌のように星に住む生物が知らないうちに星を支えていたのだ。
そしてそうであるからには星は生物であると、裏世界では認識されていた。
その結果、星の気を感じ取る試みが行われたのは当然の成り行きだった。そうして判明したこと。それが正確な星の寿命だった。
科学的なそれではなく、気単体を捉えると、星の気もまた脈動していた。本来ならば回復するはずのそれは、緩やかな、全体から見ればまことに些細ではあったが減少していた。それは環境破壊であったり、生物、つまり森林の極端な減少や、本来緩やかに行われるはずの温度変化の異常、つまり温暖化現象による環境に対応できない生物の大量死。
地球は緩やかではあったが確実に死へ向かっていた。
それを憂いた者たちは行動を開始したが、いかせん裏世界の住人は人口の三割にも満たない。さらに魔というものが表世界に露見した場合の被害は甚大で、大きな動きができなかった。
そうなると裏世界も自然傍観の姿勢に移り、どうせならと魔のものの排除にも力を抜いてしまった。その例外が自分。ゆえに最強と評されたのは、他のものが弱ってしまったからに過ぎない。だが、それを知らなかった。だからだろう、今と昔の気はほぼ今が若干多く、獲物が違っていても少々の無理は利きどうにでもなると思ってしまったのは。
「がッ!」
灼熱の矢が腕に刺さる。だがそれは燃えるだけ燃えて跡形もなく消滅した。焼ききれた筋肉に無理を言わせ、片手半剣に力を込める。
「ほう。小僧まだ立てるか」
目の前にはフードを深くかぶった性別不明の人物がいた。声から男、それも三十台から後の年齢だろうと推測するが、所詮推測に過ぎない。声は変えられるのだから。
知らなかった。このような戦いは未知の領域。フードが何かを唱えると、瞬間二十は軽く越える矢、それもどれもこれも炎でできたものが重力に喧嘩を売るがごとく宙に浮いていた。
先ほどの傷もそれで負った。気を使っての高速移動は体が完成していないため使うことができず、気を張り巡らし限界までに支障がない限りまで高めた身体能力を駆使して気を込めた剣で払い落としたのだが、物量に押され打ちもらした。
どうなっていると睨み付ける。確かに気は放つことができる、複数同時使用も可能だ。だがそれは光線のようなもので、形を変えることはない。更には気以外の例えば目前のような炎を帯びることなどありえない。それは最高峰の仙人でさえ不可能だ。
だが、現実はそのありえない事態が当然のようにまかり通っている。
「何者だ、貴様」
苦し紛れの問いかけ。それにフードはあざ笑うかのように答えた。魔法使いだと。
「ちぃッ!」
瞬間高速で飛来した矢を振り払い、しかし打ち漏らした炎の矢が肉を焼く。熱くはない。あまりに高熱すぎて痛さに変わっていたからだ。通常の生活では味わうことのない感覚。だがそれでも剣を振るった。
その程度ならば前世にていくらでも経験した日常だ。尤もその後は治療を専門とする気功師がいたのだが。
だが、後のことは考えられなかった。今たっているのは自宅ではない。月光に石積みの館が浮かび上がる。
そう、ここは、
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
少女の住む屋敷だった。
それは偶然だった。就寝直前、大量の気が消えるのを感じた。それと同時に一般人ではない明らかに修行を積んだレヴェルの気が町にいた。それに集中し場所を特定。時間を惜しみ防具もまとわずに得物一つで飛び出した。そしてついたのが屋敷だった。ただそれだけのこと。
怪我を顧みずに剣が届く範囲まで接敵する。
「炎の剣」
そんな声が聞こえた。それにかまわず剣戟をみまう。だがそれは、
「な、んだ」
見たこともない赤い炎の大剣が剣戟を防いでいた。
気ではない。すでにわかりきったことが頭を占める。
「私は研究者でね」
重さを感じさせない動きで、大剣が動き唖然としていた身体が吹き飛ばされた。
「戦いは苦手なんだ」
法螺吹きが。肉体が完全でないがゆえにすべての力を出し切れていないが、常人では反応すら不可能な攻撃を軽々と受け止めさらには押し返したフードに、身を起こしながら罵倒する。
気の大きさは、圧倒的にフードのほうが小さい。にもかかわらず優位であるのは正体不明の攻撃による的確な判断のせいだ。
おそらくは似たようなことを何度も繰り返しているのだろう。推測した年齢が正しいならば、転生後戦いというものに直面しなかった故に、前世をあわせたとしても戦闘経験では大人と子供ほどの差が存在する。
そのことに歯を食いしばらせ血が滴る。経験は時に力の差を覆すことを知っていたからだ。
「降参したまえ。君は良くがんばった。正直君の年でそれほど気を練り、戦闘をこなすものがいることに驚いているのだよ」
それは無理な相談だと、返答の変わりに剣を構えなおした。
「そうかい。根性は認めよう。その心意気も。だからね」
欲しくなってしまったではないか。
地をけり愚直に前へと進む。フードはそれを待ち構えていたかのように、何度目かの炎の矢を出現させると、一斉に放った。
「ッはぁ!」
柄から左手を離し突き出す。気合とともに気を打ち出した。白い光は尾を引きながら矢郡に当たり、予想外の爆発を起こした。
一瞬気をとられるも、すぐさま攻撃に移る。フードも気の打ち出しは予想していないはずだと。
「なにっ!」
「はぁぁぁぁ!」
驚愕の声にそれでも気を抜かず全力で剣を振り下ろす。
「がっ!」
衝撃とともに声が漏れる。全身がしびれ気を過剰に回しても動かなかったが、剣だけは離さなかった。
倒れ付した耳に足音が聞こえた。
「なにやってんのよ。たかがガキに手間取るなんて」
女だった。マントを羽織り紫色のルージュを引いた長身の女。
「いや助かった。私もここまでてこずるとは思っても見なかった。礼を言う」
女はそれに返さず、一歩ずつ近づく。
「にしてもこのガキ、いったい何者だ? あたしがいなかったら殺されていたなんて。本国の魔法使いでも倒せないお前を殺す? 馬鹿いっちゃいけない」
「だが事実だ。まだまだ私も精進が足りない、ということかな」
茶化すようにフードは笑い、女が何かつぶやいた。
「今よりも強くか? そりゃ化け物だろうが。それにあたしたちは研究者。それ以外の何者でもないよ。さて坊主さっきの戦いを評して一撃で消してやる。最後に何かいいたいことはないか」
しびれる体を無理やり動かして、言葉をつむいだ。
「そうか、そうか。くそったれ、とはなかなかいい根性だ。この状況で命乞い以外の、それも敵意を表せるのは並大抵のやつではできない。誇っていいよ。だけど、それまでだ」
上空で稲妻が走った。まったく持って理解不能な現象だったが、それでもなにをしたいのかぐらいはわかる。せめてもの意地で目の前の女をにらみつけた。
「ワオ、すごい殺気。でも終わりだよ」
稲妻の音が大きくなり、ひときわ大きくなった瞬間、
「やめろ」
フードが硬い声を出した。
「なにいってんだい。今消さないと…」
「われわれの目的は何だ。材料の確保だろう」
何のことかわからない。だが会話は続いていく。
「そいつの戦闘能力は高い。そして調べたらやつらよりも適合数値が高かった」
「まさか、こいつを材料に! だけどこいつは!?」
「計画では放逐する予定だった。確かに今のままでも危険なのだから完成しだいわれわれに報復してくるだろう」
「そこまでわかってんなら」
「だが、見たくはないか? われわれが想定していた以上の結果を。もちろん制御は専門のものを呼び寄せる。金がかかるがしょうがあるまい。それに材料は多いほうがいい。適合数値が高いのならばなおさらな」
誘惑に駆られたのだろう。女はしばし思案するように黙ると、またもや何かをつぶやいた。
「殺すか。まあそれもいたし方あるまい。残念だが…」
「なに勘違いしてんだ。麻痺だよ麻痺。運搬中に動き出されたら困るだろうが。あたしも見てみたくなったからね」
笑い声とともに、紫電の光が飛んだ。
「ッ!」
体がえびぞりになり、地面に打ち付けられる。剣は手から離れ反撃の手段を失った。
「さぁて、いくとしますか」
薄れ行く意識の中で、フードに抱えられた金髪の少女が映った。声に出せず、それ故に心の中だけで呟いた。すまないキティ、と。



[10291] 第二話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/14 21:22
焦点の合わない虚ろな眼。脱力した身体は大の字になり手首と足首を黒い革に拘束される。天井と床に朱色の魔法陣が引かれ、時おり漏電したかのようにコロナのごとく電気が走った。
見るものが見れば、その場は異常なほどの魔力であふれていることが伺えただろう。だがここには拘束された少年以外誰もいない。
空間がゆらりと揺れた。少年が拘束されている台と同じ高さに、蜃気楼のごとく床と垂直に魔法陣が浮かんだ。はじめは点滅を繰り返し、次第に落ち着いたのか上下の魔法陣と同じようにスパークし始める。そして一つ、また一つと次々に魔法陣が浮かび、五つの魔法陣が現れ、上下を合わせて七つの魔法陣が整った。
それぞれの魔法陣が回転し始め、床と天井にかかれた魔法陣が剥離する。スパークはいっそう激しくなり、まるで結界のように少年と拘束台は魔方陣に包まれた。上下の魔法陣が縦軸に書かれた魔方陣と接触し結界が完成した瞬間、わずかな松明だけだった部屋が閃光と、絶叫に包まれた。

第二話 真の始まりの刻

流れ込む情報。それは火砕流の如く人という脆弱な精神を、脳を焼き蹂躙した。
媒介、杖、妖精、魔法、魔法剣士、契約。様々な知らない情報が頭の中に整理され詰め込まれる。正気ならば耐えられないそれは、まさしく拷問だった。だが、それだけでは終わらない。
あらゆる異形の怪物の情報、闇の眷属たち。脳裏に青い満月が浮かびガラスのように砕け散った。その破片は血潮に流され痛みとともに体を余すことなく支配する。
真紅の魔法陣が二重に現れた。連動するかの様に高速で回る。放電が二重の魔方陣のわずかな隙間に蓄積され、容量を超えた。爆発音とともにエネルギーが少年に向かい、ガラスの破片に供給される。ガラスは溶け肉体に染み渡り、融合し作り変えた。
少年の泉のような瞳が点滅する。血のような真紅と代わり合い、最後に色が消えるとゆっくりと紅く色づいた。
魔法陣が真逆に回転を始める。それと同時に少年の体からわずかに透明なものが漏れ出た。肌の色が点滅し、磁器のような白さに戻る。
魔法陣は回転を止めると、しばしその場にとどまり松明の炎とともに露と消える。
その日その時光の挿さない暗闇で、生物の王が誕生した。最強種族、吸血鬼の王が。だがその王はそれを自覚することもなくただ虚ろに視線をさまよわせるのみだった。

「あの町か。アイン一人残らず殺しつくせ」
「イエス、マスター」
感情を感じさせない声で返答した少年は、左右の腰に提げられた刀を抜き放ち、手始めにとばかりに空から極大の稲妻を放った。
「いいぞいいぞ! 私を馬鹿にした愚か者どもめ。ごみのように死ぬがいい!」
マントを羽織った老人が嘲笑する。
あの日、正体不明の二人組みに連れ去られてから五十年。少年は自我を封印された。闇の眷属、つまり魔のものは総じて力が強い。それは気も含まれ、前世では考えられなかったことだが魔力という魔法を起こす為の力も人々とは比べ物にならなかった。
そして少年は、自我を封じられてから、それらの頂点とさせるべく、封印された太古の術式で体を作り変えられた。吸血鬼。それが変化した種族の名前だ。
吸血鬼の弱点といえば、にんにくの花、十字架、教会、聖水、川、そして太陽の光。だが少年はそれらをすべて克服していた。いや、その言葉は正しくはない。術式によって改造されたというものが尤も正しかった。つまり体が作り変えられてからそれらの弱点も排除されたということ。
知性ある魔のものは厄介だ。それは少年の前世を顧みれば容易にわかる。人間がここまで勢力を大きくしたのには、道具で道具を作れるといった類まれなる知能があったからだ。それは作戦を考えたりと生き抜く上で脆弱である人類の最強の武器になった。それが強力な存在に宿っていたら? 考えたくもない。間違いなくそれは地上最強の名に当てはまるだろう。
だが、そういった魔のものたちは非常に少なかった。だがこの時代、否、この世界では違う。過去に転生したと思っていたのは間違いだった。体系が良く似た、そして決定的に違う世界だったのだ。この世界の魔のものは、少年のように作り出さない限り存在しない。それでも世界にはびこっている。この矛盾は簡単に解消される。世界はもう一つあったのだ。
そこに名前はついていない。さらには誰も確認したものすらいない。あるとわかっているのはそこから召喚と呼ばれる形で魔のものたちが術者に呼び出されるからだ。
それは少年の前世で物語の中だけで語られた悪魔の召喚に似ていた。決定的に違うのはそれが本体でないということだ。召喚される魔のものは、違う世界に本体をおき、分身体として召喚される。これらのほとんどが知能を持った者たちだが、人間を脅かすことはない。もちろん様々ではあるが身体スペックは人間を軽く超えている。だがそれでも倒せるのだ。それは本体とは比べ物にならない脆弱さ故。どういった原理が働いているのかは不明だったが、それらは総じて脆く、強くても人間よりも強靭なぐらいで、本来の鋼のような肉体ではない。力も格段低くなっている。専門のものにとってはよほど強いものでない限り一人で倒せるレヴェルのものばかりだ。
だからこそ、少年は最強だった。本来分身でしかないはずの魔のものが、本体で襲ってくるのだから。どのような存在も少年の前ではごみに等しい。
だが、それでも少年は本来の強さからは程遠かった。抑制された知性のみで、鍛錬もせず、術式で流れ込んだ知識にあった魔法を何の改良もせずただ力任せに放つだけなのだから。
少年が正気であれば魔法について調べ上げ、上昇した気とともに無駄のなくなるまで鍛錬しただろう。どの道魔のものとして追われ、襲われることになったとしても。
「いいぞいいそアイン。もっとだ、もっと私に見せろ! やつらの死を、もっと!」
魔法使いの町を結界で封鎖し、突入する。本来無理なはずの太刀の二刀流は、魔のものとなった体には負担すらかからない。
襲い掛かる魔法使いを切り殺し、抗うすべのない女子供を哀願とともに切り捨てる。
そこに生物の頂点に立つ者の威厳はない。少年は人間でもなく、魔のものでもなく、ただの操り人形だった。

「ちょっとあんた、こいつを殺してきなさい」
唐突に言葉が放たれる。連れ去られた民家、魔のものへ身を落とした彼らのアジトで女はイラついていた。
あれから約五十年。それだけ建っているにもかかわらず女は老いていなかった。不老。それが正体だ。
彼らの目的は吸血鬼を生み出すことではなかった。過去どれだけの人物が望んだ夢の果て、永遠の命。それが目的。吸血鬼はそれに最も近かった故に研究対象として選ばれた。そして数々の非合法的な実験の果て、女はたどり着く。
だがそれは完璧ではない。不老ではあっても、不死ではないからだ。吸血鬼は基本的に不老不死だ。弱点以外の攻撃を受けても死にはしない。それを克服した吸血鬼は女が定義する尤も完全な生命体に近かった。尤も弱点を克服したといっても代表的なものだけで、真に弱点のない生物は存在しない。それくらいは女もわかっている。だからせめて吸血鬼並みにと願ったのだ。
フードはいない。死んだからだ。寿命ではない。他殺。だがそれも仕方がないことだった。少年が守りたかった少女に少年とまったく同じ術式を施し吸血鬼へと仕立てた。だが、侮っていたのだ。元が貴族の令嬢であり血なまぐさいことに縁のない実験体が、反逆するなどとまったく考えなかった。死はその結果に過ぎない。
だが、それは女にとって看破できることではなかった。別に愛情があったわけではない。共通の目的を持ったただの共犯者だ。幸い少女に比べて適合数値の低かった少年を吸血鬼化させ、データを取ったので、不老までの術式は完成していた。だがそこから先が延々として進まなかったのだ。
二人そろえばアイデアが浮かぶとは確定できないが、論議はできる。そこから新たな糸口を見つけ出すことは可能なはずだった。事実それまではそうしてやってきたのだから。
共犯者ならば、ほかにも探せばいいと考えるだろうが、そうもいかなかった。まず当たり前だが術式を使うには魔法使いでなければならない。さらには古代の術式を理解でき、なおかつ応用できる頭脳が必須だ。
おおよそ研究者というものは大義名分の下どのように非道な実験もなしてしまうものだ。それは歴史が証明している。だが魔法使いという単語が入った瞬間それは難しくなってしまう。
この世界の魔法使いは、常々魔法を正しく扱うことをもっとうに掲げている。たとえ上層部が腐っていたとしてもだ。高名な研究者というのは潔白でなくては横槍が入る。故に悪道に平然と手を染める研究者は無名だ。さらには女のように身を隠しているので見つけ出すことが非常に難しい。フードという共犯者を得られたことは非常に幸運な出来事だったのだ。
女がイラついている理由はそれだけではない。不老の身であっても不死でないが故に食べなければ死ぬ。そう、食費だ。少年を使い町で強奪すればいいというのは安易過ぎる考えだ。魔法は秘匿すべきものであり、表の世界に広めてはならない。それが最上級のルールだ。破れば極刑もありうる。
だから魔法を使った犯罪は、常に世界を覆っている情報網に引っかかる。それを本国が探知し、しけるべき人員を派遣してくるまでには時間がかかるので逃げることはたやすいが、それを何度も繰り返せば犯行パターンや、最悪アジトの範囲が割り出され捜査される。それはなにが何でも避けたかった。少年がいることから強行突破は容易いが面が割れたら目も当てられない。
今は、裏の裏ルートで少年を貸し出し金を稼いでいるが、当局が嗅ぎ付けたらしくそれも減ってきている。途中、不老の術式を高値で売り払ったので切り札もない。くいっぱぐれて死ぬなど、プライドが許さなかった。
そうして目ととめたのが合法的な殺人。重罪を犯し今もなお逃亡を続けている犯罪者への捕縛または殺害。つまり賞金稼ぎだ。
そうして何枚もの手配書を渡してたたき出した。
少年は動き出す。自分の存在意義に疑問を持たないまま。

少年は狩って狩って狩り続けた。なぜそのようなことができたのか。少年はどれだけ距離が離れていても強い気は感知できる。気を探るのは前世での職業のせいだ。それが現在まで続き一種の職業病になっていた。最早本能レヴェルで、自我を封印されてもなお行っている。
賞金首の気は、人物を特定する際に押収された物品に付着した気の残滓を元にしている。物体に気が移ることはままあることだが、それは別の所有者に上書きされる。そのように移りやすいものの特定ができたのは、好条件が重なったためだ。
まず押収された物品は普段は誰も触らない。そして賞金首になったものの押収物は望めば公開されるが、それらを見てヒントにするものはまれで、いてもたいてい気が上書きされない程度の短い間しか手に取らない。今回渡された手配書はどれも殺人など直接的な暴力に訴える者たちばかりで、魔力が高い。魔力というものは基本的に気と同量なので、気も大きく見つけやすかったのだ。
気を探知すれば魔力に物を言わせてどこであろうが空間跳躍魔法で飛んだ。
そうして何十件もの対象を殺しつくし、報酬は小切手でもらい次の対象へと向かった。
何もない暗闇に姿を現す。刀は持っていない。表世界に潜伏しているやからが多いので女から禁止をくらったのだ。人目のあるところで帯刀はまずいと。
街灯もなく、どれもこれも閉められた寂れた裏通り。まさに犯罪のおんどころだ。こういった所には浮浪者が集まる場合もあるのだがそれすらない。
誰もいない。常人ならばそう思っただろう。だが、少年はこの場に不釣合いな歪みを感知していた。
結界。それは世界から隔絶され隠れるにはもってこいの術式だ。それの簡易術式が展開されていた。
少年が呟いた瞬間、結界に巨大な氷の槍が降り注いだ。轟音とともに煙が上がる。
少年の目が細まった。煙の中に人影を見受けたからだ。もう一度呟き魔法を発動させる。極太の炎が人影を中心に燃え上がった。命令を守るには矛盾した光景。だが魔法を侮ってはいけない。炭化していたとしても元に戻すぐらいはわけなかった。
「うぉい」
いまだ燃え盛る炎の中から人が現れた。
「俺様を殺ろうってのはどこの馬鹿だ」
四角い顔をした、無精ひげの男は、凶悪な顔を歪め少年を睨んだ。少年の手が腰に動き、結果得物がないことを確認することになった。
「ガキが。強力だったがな、あいにく俺にはきかねーんだよ」
余裕の足取りで近寄ってくる男に、少年はもう一度魔法を放つ。空気が鳴き、電気が男に向かって走った。
「だからきかねぇって」
男がにやつく。それでも少年は魔法攻撃をやめなかった。自我があれば異変に気がつき、ほかの対処法を思いついたのだろうが、魔法と力任せの剣でしか戦ったことがない故のミス。
そうしている間も男は近づき、
「だからきかねーんだよ!」
勢いのついた拳が魔法防御を突き破り、少年のあごに当たり体が浮かんだ。瞬間強烈な踵落しが脳天に決まる。
少年の体が力なく地面に横たわった。
「何だよ。もう終わりか? まだねんねには早いぜ」
はいつくばった少年にボールをけるような蹴りが放たれ、
「あ゛!?」
驚愕の声とともに華奢な手のひらで受け止められた。
「な、この!」
男は必死にその腕から逃れようとするが、掴み取られた足はびくともしない。
「まったく持って吐き気がする」
びくりと男の体が震えた。目線を提げると少年の紅い瞳と視線が交差した。
「あの女…だがこれだけは感謝しても良いか」
少年の唇が弧を描く。
「洗脳の魔法が解けた。どうやらおっさんのおかげらしいな」
目を細め男を見る視線に、小さく悲鳴を上げた。
「強盗、殺人、誘拐、強姦、他にも罪状はあるけど、主なところはそれだな。知ってるか、殺していいのは殺される覚悟が決まったやつだけだって」
「た、たすけ」
少年の言葉に、結末が見えたのか命乞いを始める男。すでに男にとって魔法がきかないなどというアドバンテージは、存在しなかった。
「良いよ。命はとらない」
軽く了承した声に、しかし男は安堵できなかった。
「私を正気に戻してくれたのはあんたのおかげだろうけど。それで罪がなくなったわけじゃない。ちょっと一緒に来てもらおうか」
尤も任意ではないがね、そういって同意するはずのない男の間接を外し、怪力で掲げもつと、騒ぐ男を無視して受付まで跳んだ。

女はイラついていた。使いに出した少年が戻ってこないからだ。一日と経っていないのだが、女は少年の実力をよく理解していた。気を探知する不思議な能力があることも。
だから賞金稼ぎなどという普通ならば時間がかかる物を選んだのだ。
ちょうつがいの軋んだ音とともに扉が開く。そこに少年の姿を認め、女は叫んだ。遅い、愚図と。
反応はない。当たり前だ。少年の自我は封印している。それは万が一にも暴走しないようにと、独学で学び一日に一回はかけていたのだから。
「金を出しなさい」
冷たい声が出る。もともと女に温かみを求めること自体が間違っている。そうなるのはおそらく誰かに恋したときだけだろう。
すぐさまかえってくるはずの返答は、なかった。
片目をすがめる。異常が発生したのだろうかとすぐさま疑念が浮かんだ。
ため息を一つ吐き、少年にしゃがんで視線を合わせた。魔法を発動しようと口を開き、堰とともに赤い液体が飛び出した。
なにが、と口にしかけ、少年の顔が嘲笑に歪んでいることに気がついた。脊髄に氷塊がつきこまれる。
「胸、見ろよ」
恐怖とともに胸を見下ろすと、ナニかが胸を貫いていた。それを目で追うと少年の肩につながっていて。
「あんた、まさか」
「あばよ」
いつか少年に言い放った言葉とともに、女の体が上下に分かれた。



[10291] 第三話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/14 21:24
女を殺した。けれど罪悪感の欠片すらなく、無味に、冷静に、冷酷に下半身と泣き別れしたモノを見下ろした。
自我が封印されていたころの記憶は存在し、何をやってきたのかも、できることもすべてを把握していた。
そうして久方ぶりの自由を得て始めにしたことは、殺した者たちへの懺悔ではなく女の脳を取り出すことだった。

第三話 交わらない刻

馬鹿面なわりに皺のよった脳を鷲摑みにし、魔法発動のため呪文を唱える。鷲摑みにした脳が淡く光り、脳全体を包み込んだかと思うと光が少年の体に侵食した。
瞬時に叩き込まれる情報の嵐。それは女が蓄積した本人も忘れたことを含めた知識と経験のすべてだった。
一分かあるいは十秒か。一度比べ物にならない情報の濁流に襲われた脳は、効率のいい収集法を確立したらしくそれほど苦痛にはならずに吸収は終わった。用済みの脳を体に投げすて灰も骨も残さない地獄の業火のごとき炎で焼き尽くした。
犯罪者には豪華すぎる葬儀の仕方だとも思ったが、この寂れた町に住む住民に姿を見られている。死体を残したままであればまず疑われるのは姿の見えない少年だろう。可能性は低いが本国に気がつかれた場合はさらに事態は悪化する。それ故の所業だ。
感傷に浸るまもなく女の記憶にあった役に立ちそうな数々の物品を片っ端から己の影へ放り込む。改造される過程で詰め込まれたのだが、吸血鬼の影にはよほどのことがない限り無限とも言える物品が収納できる。実に都合がいい能力だと最後の一つを放り込み笑みを浮かべた。
あらかた物品を回収すると、与えられた牢獄のような部屋に入った。部屋には家具一つなく、その場所だけ見れば空き家だといっても通用するほどのそれ。
ただそんな部屋にも一つだけ私物が置かれていた。濃紺の鞘に収められた二振りの刀だ。女の知識では武器屋で一番安いものを見繕ったらしく、二振りあるのはサービスされたからだという。
実際銘もない粗悪品だが、西洋の剣よりは使いやすい。何もそのまま使うのではなく気で強化するのだから気で強化された武器との衝突以外で壊れる可能性はほぼ皆無だ。魔のもの故にいずれは代えるときがくるのだろうが、それまでは二刀流の完成に付き合ってもらおうと腰に提げた。
玄関を出て、改めて家を見る。が、忌々しい気持ちしかわかなかったので空間跳躍魔法ですべての始まり、産まれた町へ跳んだ。

結界を張り刀を振り回す。あれから二十年、不老という能力のため故郷は後にせざる終えなかった。幸い資金は捨てるほどあったので困ることはなかった。
二刀流というのは意外と難しいものだと気が付いたのは、訓練を始めたすぐのことだった。一振りの刀で戦うのなら、前世の記憶と経験から万全の体制が取れたのだが、さすがに二刀流は初めてだった。
二刀流と聞き思い浮かべるのは宮本武蔵だが、かの剣豪は二振りの太刀ではなく、一振りずつの太刀と小太刀で戦っていた。刀は一見片手剣の様に見えるが、れっきとした両手剣である。確かに片手でも振ることはできなくないが、肉を切り裂くときに力が圧倒的に足りなくなる。
だが、吸血鬼はそのような人の理に縛られない。細身の体つきは筋肉の質が普通の生物とは違い、まったく異質、魔のもの特有の鋼のような硬さと空想の巨大ロボットとも渡り合えるほどの腕力を備えている。それ故に例え太刀の二刀流であっても、力が足りないということは心配無用なのだ。
ではなぜ難しいのか。二刀流はただ攻撃手段が二つに増えたのではない。ナイフであってそうだが巧みな連携、途切れることのない連撃がその真髄だ。その種類は二通りあり、一方の刃を攻撃に、もう一方の刃を防御に分けるスタイル。それ以上に難易度が高い、両方を分けることなくその場その場で使い分ける変幻自在のスタイル。少年は応用力と攻撃力が高い後者を選んだ。だからこそ全うに扱えるまで十年の歳月を費やし、技を磨くためにもう十年かかったというわけだ。師が存在すればその期間は圧倒的に短くなるのだろうが、魔のものに味方はいない。毎日が試行錯誤の連続だった。
およそ我流というのはあらが多いものだが、少年の技はこの世界に生まれ、少しの間だけであったが剣とソードブレイカーの二刀流を教えられた影響か、粗や隙が非常に少ない、立派な流派にも引けをとることのないものに仕上がっていた。そこには前世で最強といわれた天武の才があったことは否定できない。だがそれ以上に努力があったことは認めなくてはならないだろう。努力し継続することこそ力の礎なのだから。
魔法については順調だった。空間跳躍魔法は完璧で、鍛錬のたびに被害がそれほど確認できないサハラ砂漠まで跳んだ。基本的に主な属性は扱えるという異常さが判明したが、それは吸血鬼という理由で納得できた。これといったレアスキルはなく、あったといってもそれは魔法ではなく吸血鬼としての能力ぐらいなものだ。
魔法の原材料となる魔力は、気と非常に似ている。女の記憶では魔力と気はまったく異なる性質を持ち、互いに反発しあう。それにしてはおかしなことにうまく混ぜ合わせると倍や二乗を通り越したエネルギーが得られるというのだから、矛盾もはなはだしかった。
少年はそういった矛盾点に疑問を持ち、気と同じ扱い方をしたのだが、それがものの見事に当てはまった。だからこそ魔力と気を混ぜ合わせるという高等技術をすんなりとものにできたのも当たり前かもしれない。
そうしてある程度、一般の魔法使いでは到底太刀打ちできないレヴェルに育った少年は、本格的に仕事に入った。仕事、それは誰もが一度は憧れる夢。トレジャーハンター。それもただのハンターではない。魔法限定のそれも滅び去り現在ではあったという記録か、伝説上の物語と化した遺跡にもぐり、数々の試練を乗り越え蓄えられた財宝を探し出し私物化する職業、つまりは墓泥棒だ。
これまでも、剣術や魔法の実践訓練のために高度な空間認識魔法で空白地帯や、高レヴェルの結界で歪みが最小限になるように設定された遺跡にもぐっていた。
不思議なことにそれらの遺跡は例外なく魔のものが蠢いている。それも高レヴェルなものばかり。そしてさらに不思議なのはどれだけ倒しても術者がいないにもかかわらず、次から次へ召喚され途絶えることがない。質と量。そのどちらもそろったまさに超危険地帯。実際人の身では何度か死んでいた。不死である吸血鬼だからこそできる芸当だった。
「収集物は、黄金の魔弾と、付属の魔弾工房(ファクトリー)。工房はともかく、魔弾だけでも売るか」
砂漠地帯に埋もれていた遺跡(はかば)に潜った帰り、現在のアジトに跳んで成果を確認した。
魔弾という名前からわかるとおり、魔法の銃弾だ。だがこの時代、非魔法族の世界に流通する銃器は、先詰め式の所謂火縄銃である。にもかかわらず何故薬莢式の魔法の銃弾が存在するのか。それは盗ってきた場所に関係した。
古代遺跡。非魔法族の世界にも存在するそれと同様、魔法族のそれも現代では解き明かせない謎が含まれている。その一つが魔弾だということ。
尤も、魔弾じたいの生成方法は解明されており、魔法族の間では魔銃の存在は挿して珍しいものではない。しかしながら弾に付加させる属性には現在の技術では不可能なものもあり、そのせいか盗品の中にレア属性というものが存在する。今回盗った黄金の魔弾はすでに出回り、価値はそこそこではあるがレアであることに代わりはなかった。
幸い金には困っていない。遺跡を荒らしているのは、修行が主目的である。盗品は付属的なものに過ぎない。
小さな一軒家ではあるものの一軒丸ごと一人で所有しているが故に、部屋の数に困ることはなかった。だが緒戦は一人身、寝室の他はすべて倉庫になっている。どうせならと部屋数に物を言わせ、分類ごとに分けてしまっていた。
すべてを売る気にはならない。中には使えるものもあるからだ。今回で言うと、手のひらサイズの魔弾工房は、魔力供給さえすれば永遠に魔弾を生み出し続ける金のなる木だ。時たま手に入る魔法薬は現在では失伝しおり、二つの部屋を占拠している。一つでも売ってしまえば城の一つや二つ新たに建造することも可能な額になるのだが、遺跡には魔法薬が置かれているだけで作り方を書いたものは存在しない。不老不死の身ではあるが手札は多いことにこしたことはないのだ。
「お館様」
白い小動物が口を開く。その声に売り払っている盗掘品の売買ルートがばれたのかと勘繰った。
「なんだ。珍しく失敗でもしたか?」
「とんでもございません。万事抜かりなしにございます」
ならば何かと、いぶかしみながら先を促す。
「おっしゃっておられました娘を、発見いたしました」
ピクリと眉が動き、感情が揺れ動いた。
「何処に居られたのだ」
当然の問いかけ。だが、返答はない。その目には珍しくも躊躇っている姿が映し出されていた。
「…申し上げにくいのですが」
「いい。話してくれ」
あるいは死んでしまったかと、最悪の事態を想定し心なしかなくなったはずの心臓が早鐘を打つ。
「これを、ご覧ください」
小動物が差し出したのは一枚の厚紙。真新しいそれは、つい最近製造されたことが伺えた。
手に取り、広げると、思わず目を見開いた。
「馬鹿な…」
昔、剣一つで助けようとした少女の、六万ドルの手配書だった。

珍しく晴れたその日は、いつものことながら平穏とは程遠かった。
よろいを着込んだ騎士たちと、魔法使いの屍。元はさぞ爽快だったはずの草原は、いまや見る影もなく地面がむき出しになり、隕石群が降ってきたかのような有様だった。
馬鹿なやつらだと、少女は物言わぬ屍に憐憫の視線を向けた。それらに背を向け何度も改良を施した人形をつれ、その場を去る。
はじめの十年を思い出し、まさに地獄だったと視線を空に向ける。吸血鬼。それが少女の種族名だ。はじめは何がなんだかわからなかった。明日という日常が永遠に続くことを何の疑問も持たずにすごした日々。それが壊れたのは十三歳のときだった。
起きればそこは見知らぬ部屋。困惑するところに見知らぬ男が入室し、問い詰めるまもなくすべての経緯をしゃべっていった。屋敷を守る兵はもとより、家族同然だった使用人、母と父、それらの人々をどのように扱い、殺したか。それを幼い自身にもわかるように、丁寧に、そして残酷に語られた。泣き叫び、力の限り抗うも所詮非力な少女に過ぎず、何の苦もなく部屋に監禁された。
それから幾日が経っただろうか。ある日昏倒させられ目が覚めれば手足を拘束され、暗闇の中、魔法陣が浮かび上がり、この世のものとは思えない激痛を与えられた。あまりの惨状に泣き叫ぶこともできず、ただ諾々とそれを受け入れた。
そうして、幾日目か、ようやく変わってしまったのだということを受け入れ、憎しみと殺意に身を任せ男を八つ裂きにした。
震えた。血まみれになる自分に、目の前の死体に歯の根が合わず、不愉快な音を鳴らした。
だが、真の恐怖はそれからだった。どこから聞きつけたのか、魔法使いを名乗る者が、襲い掛かってきたのだ。恐怖に震えながらもそれを撃破したが、自体はますます破滅へと向かうことになるだけだった。
そうして気が付けば魔法使いの軍勢は十を越す単位で現れるようになり、今はもう賞金首にも名を連ねることとなった。
自己防衛とはいえ、たくさんの命を奪った。それ故に幸せになる資格などないと、一向に成長しない子供の姿のまま老成したかのように達観する。とはいえ、死んでやることもない。
魔法使いの情報も長く生きた事でかなり詳しくなった。本国と呼ばれる魔法使いのみが暮らす世界から発行された手配書。それに名を連ねるということは、遠からず死が待っている。幸せになる気はないが、死ぬ気もない。不幸を望んでいるわけでもなく、故に矛盾した思考。だから、思う。自分はもう、壊れてしまっているのではないかと。
雲が流れる。それを眺め見て、緊張が走った。
気を感じる。それもとてつもなく大きな気を。力の使い方もろくに把握できていなかったはじめの十年で捕らえられることがなかったのは、この技術のおかげだろう。それは在りし日、屋敷に通う少年に教わったものだ。そのおかげで隠れてやり過ごすことができた。
だが、逃げることはない。どれだけ強いものであろうと、やることは一つ。勝つか負けるかの真剣勝負。
それは、たった一人で生涯を送ることに耐えるたった一つの柱だった。
影が見える。自信過剰なのか、それとも馬鹿なのか。敵は真紅のコートを羽織り腰に左右一本ずつ剣を提げていた。
「こんにちはお嬢様」
突然真正面に現れた敵に反射的に距離をとった。
「…魔法剣士」
声は、ちょうど声変わりが終わったころの若々しい少年の声。コートに付いたフードで顔は見えなかったが、まず間違いはなかった。
少年の気の量つまり力の強さは自身を超えている。見たところ連れはいない。ということから前衛と後衛を分ける普通の魔法使いではなく、少数派の魔法剣士だということが伺えた。
心の中で舌を打つ。平凡な魔法使いは前衛と後衛の連携が高度でない限り、弾幕か、力押しで崩せる。だが魔法剣士はたった一人で両方をこなしてしまえるが故に、強さの比は主流派の魔法使いとは比べ物にならない。
「此度は突然の来訪お許しください。巷にあふれるものを見てしまったからにはいても経ってもいられなかったのです」
少年はそういうと、おもむろにフードを取った。
「それは、死ぬ覚悟ができているということだな?」
酷薄に笑う。圧倒的不利を承知でのその度胸。馬鹿か大物か。それは日ごろの少女の成果を見ればわかるだろう。
だが、可笑しなことに少年は、口を半開きにし唖然とたたずんだ。
「どうした? やらんのか。ならこちらから…」
「あなたは私を知らないのですか?」
少女の言葉をさえぎり、少年は顔を苦渋に歪め搾り出すかのように声を出した。
「ハッ、何を言うのかと思えば。知らんな、知るはずがない。何せ私はここ何十年、知り合いというものを作らなかったからな。貴様ら魔法使いのおかげでな!」
嘲笑と悪意。それは無意識のうちに少年が戦うことを望んでいないことを悟ったがゆえの余裕。
少年は何も言い返さない。ただ、両の手を握り締め、血を滴らせる。うつむき加減に傾いた顔からは表情が読み取れなかった。
「あなたに、渡すものがあります」
それでも少年は言葉を搾り出した。ズボンのポケットから何かが取り出される。
少女は、それに危機感を持ち無詠唱で何かを探る。そうして膨大な力が込められた何か。少なくとも悪意からのものではないことを感じ取った。
「ジュエリーシード。七つだけ。願いを七つだけ叶えてくれる発掘品です」
シャラリと少年の手からぶら下がった、それは、少女の目を釘付けにした。
太陽の光を受け虹色に輝く宝石が、魔法陣のかかれた銀色のプレートに固定され、銀色の鎖がプレートの両端につながったネックレス。
その美しさに、思わずわれを忘れていた少女は、差し出された動きに我に返った。
「貴様、いったい何が目的だ」
この世はギブアンドテイク。それはつまり何かをなすためには、何かを差し出さなければならないということ。それが少女が学んだ世界の真理だった。
「私は何も要りませんよ」
「フン、そんな言葉が信じられるか。大体貴様は怪しすぎる。帯剣しているというのに戦おうともせん。賞金首を前にして異常すぎる。そんなやからを疑うのは当然だろう?」
皮肉げな表情を浮かべ、少女は嘲笑う。それに苦笑を返し、さりげない動作で少女の手をとった。
「な、なにを」
その手にネックレスを落とし、そっと握らせた。
「信じなくてもかまいません。気に食わなければ捨ててもらっても。それでも私にはこれくらいしかできることはないのです」
唖然とする少女に背を向け、空を仰ぎ見た。
「あなたに、わかってほしかった。ですが、時が経ちすぎたのでしょうね」
「貴様、何を言っている」
眉を寄せ、怪訝な表情で少女はいぶかしんだ。
「お別れの、言葉です。分からなかったあなたに非はありません。ただ私の行動が遅かった。それだけです」
少年は静かな動作で振り向き、躊躇うように言葉を出す。
「安全とは言いがたいですが、達者な姿を見て安心いたしました。もう会うこともないでしょう」
手を少女の頭にのせようとして、躊躇し、手を戻した。
「私たちは永遠に生き続けなければならない存在です。あなたの安全は私が何とかしましょう」
魔力が放出され、少女は臨戦態勢を整えた。
「キティ。さようなら」
「えっ」
瞬間、魔力が収束し少年の姿が蜃気楼のように掻き消えた。
「まさか、レイ…なのか」
少女の言葉が、いちじんの風とともに呟かれた。



[10291] 第四話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/14 21:25
馬鹿だった。どれだけの時が流れたのかも自覚しないで、会えば分かってもらえると幻想を抱いていた。少女が分からないのは当たり前で、自身のほうがおかしかったのだと少年は自嘲した。
結局できたことといえば、探し出すのに時がたった謝罪の品だったものを渡すことだけ。それすら使ってもらっているのか分からない。
だが、約束した。少女の安全を。もう会う権利はないが、せめてそれだけは、日々を怯えてすごさずにすむ生活ぐらいは、捧げたかった。例え、自身がどうなろうとも。

第四話 最期の刻

刃を振るう。迫りきった炎は切り裂かれ、放ったものに一陣の風の刃が迫り、血の花を咲かせた。
次の獲物に詠唱しながら一瞬で距離をつめる。右の刀で切り裂かれた獲物は胴と腰が泣き別れし、崩れ落ちた。その一瞬に襲い掛かる中級魔法を、同じく中級魔法で迎撃し、魔力に物を言わせ押し返す。魔法を放った獲物どころか、その後方に控えていた獲物をも巻き込み建物に魔法が直撃した。
粉塵があがるその場に飛び込み刃を振るう。剣士の剣をそれごと断ち切りながらカーニバルを推し進める。真後ろから繰り出された槍を左の刀で撃ち払い、竹割にしようとした瞬間、右手の指に衝撃が走り、血が流れた。呪が返されたのだ。
僅か、時間にして一秒にも満たないその瞬間だったが、歴戦の獲物たちは硬直した一瞬を逃がさなかった。中級から上級の魔法が、幾重にも重なり合い複雑な属性へと変化しながら殺戮者に襲い掛かった。
目を焼き尽くさんとする閃光と、轟音。誰もが仕留めたと思ったそのとき、上空から初級の魔法の矢が放たれ、その低級とはとても思えない数の矢に魔法防御が飽和し突破され、物言わぬ屍へと変化した。
「終わったか」
真紅のコートをはためかせ、金の髪の少年は血の大地に落りたった。翼はないが見るものがいたとするならばその者はこう思ったであろう。堕天使と。
両手の刀を血も切らずに鞘に収める。その必要がないからだ。その刀はわざわざ未だ国名がつけられていない日本へ向かい、大金を払い作らせた業物。高野山や比叡の坊主と出雲の神官、陰陽師を交え、梵字から神字、大陸の文字までそれぞれの術式で刀身に刻まれ作られた。血を拭かないのは刃自体が血をすい、刀身をその性質を強化させる性質も持っているからだ。
目をつぶり、腕を組んでいると、その場に一つ気配が現れた。
「成果は」
「上々にございます。命に従い、魔法使いと思われる者たちを僅かに逃しました」
少年は一つうなずくと、休めと言い放ち、一枚の札を取り出した。それに飛び込む影。札がぼんやりと光った。
それからも続々と仲間と思われるもの達が到着し、成果を報告しては札に帰っていく。
「命に従い、すべての者を亡き者にいたしました」
「そうか。よくやった。ゆっくりと」
「主」
最後の影が少年の言葉をさえぎり問いかける。
「何故このような暴挙に及ぶのでしょうか。故郷での主は、このようなことをなさる方には思えませんでしたが」
「不服か、黒翼」
「とんでもございません。ですが我らにわけも話さずに実行なさる主は、いつもと違うように思えてならないだけ。主の命であればこの命、投げ出す覚悟もございます」
「それはいかん。命あっての物だねだ。たやすく捨てるなよ」
黒翼は思う。その優しさがあるからこそ自分達は付いていったのだと。だからこそ解せない。殺戮をする主が想像できない。
「私は、化け物だ」
ポツリと少年が漏らした。
「自然に生まれこの世界に本体を置く化生である黒翼たちとは違う、人工的な化け物だ。あの国は悪さをしない化生には寛大だったが、こちらは違う。黒翼はまだ知らないだろうが、化生、物の怪、所謂魔のものを見れば魔法使いどもは正義の名の下に駆逐する。それが善良なものであってもだ」
黒翼は考える。それだけを聞けば気に入らない魔法使いに喧嘩という名の戦争を吹っかけているだけだが、少年の性格上それはありえない。そのような性格であれば下ることなどなかった。故に何か理由が、他の理由があると、言葉を切った少年の言葉を待つ。
「私は、ただの人間だった。そのことは黒翼も知っていたな。力かなわず敗北を期したが、そもそも何故そのようなことになったか分かるか? 私は一人の少女を助けたかったんだ」
一滴、空から涙が降ってきた。それは徐々に強くなり、あっという間に地をたたきつける矢となった。
「私はその後この体になった。それは少女も同様だった。ただ少女はすぐさま逃げ出せたのだが、私は意識を縛られ行動することができなかった。少女は貴族の令嬢だ。私のように武芸に優れていたわけではない。想像でしかないが、身一つで世間に投げ出された少女は、その日食べるものすら得られなかったに違いない。さらに少女は逃亡の際さらったものを殺している。当然追っ手はあっただろう。それから逃れることも精神をすり減らしただろう」
黒翼にはその言葉は衝撃だった。少年以外にそれほどの力を持った存在がいるということが驚愕だった。
「黒翼も知ってのとおり私には気を探知する能力がある。少女を探したが、在りし日の私は気の消し方も少しばかり教えていてな、探し出せなかった。見つけ出せたのは数ヶ月前だ。力の使い方を覚えたのだろう。彼女は賞金首となっていた。額は低いが賞金首というものはいずれ狩られる運命にある。ちょうど魔法使い達が襲撃するという情報をつかんだから向かいいれるつもりで向かったのだが、時というものは残酷だった。彼女は私を覚えていなかったよ」
「主…」
「彼女はこれからかけられる賞金が上がっていくだろう。そうすれば安息のときはない。私達のような存在は不死だが、それでも限界はある。このままいけば命はないだろう」
少年はそっと泣き出した空を見上げ、独り言のように言葉を続けた。
「私は約束した。安全を何とかすると。私は武芸にしか才はない。知略というものが決定的にかけている。だからこうして、町を滅ぼし、彼女以上の脅威と、この世で最大の脅威とならなければならない。それしか方法が思いつかなかった」
「主は…」
「何だ?」
「いえ、何でもございません」
主は、少女を何よりも大事に思っている。そう黒翼は感じた。それが、家族愛なのか、恋や、愛なのかは分からなかったが、大事に思っていなければ認知されなかったにもかかわらず、体を張る必要はない。
「ですが主。それが成功すれば、主はいずれ」
「死ぬだろうな」
軽い返答に硬い手のひらを力強く握った。
「私は反対です。死ぬと分かっていながら、そのような!」
「黒翼」
激昂する黒翼に少年は静かにいさめた。
「私も死は怖い。死にたくはないさ。だが、だがな黒翼。世の中には命を掛けねばならない事というものが存在するんだ」
「ですが!」
「安心しろ。私が死んだら、黒翼達は故郷に転送される術式を組んである。死なせはせんさ」
そういって笑う表情は、いつか見た下るときの表情に似ていて、何も言うことができなかった。
「死なせはせんよ。お前達は大切な仲間なんだから」
大切な、な。

少年の名前はあっという間に世界に広がった。非魔法族の世界で暮らす魔法使いにとって少年の存在はまさに暗黒時代の幕開けだった。
一月に一度。どこにいるかも分からないはずの魔法族の集落を一つ潰す。決まって僅かな生存者を残して。男も女も、戦士も一般人も、赤子も年寄りも一切の区別なく殺戮する悪魔のごとき所業に、本国はすぐさま手配書を作成。
何度も討伐に向かうも生存者は見逃された者のみ。その者もあまりの惨劇に精神を病み、戦士として再起不能に陥るものばかり。
さらに標的とされる少年は、幾体もの魔のものを従えるという最悪の状況。その魔のものも普段召喚されるものに比べ、本体ごと召喚しているのではないかというほど屈強だった。
被害は甚大、されど目標の損傷は無いか、あってもごく僅か。魔のもの一体すら撃破することはできていなかった。
本国には噂を聞きつけた非魔法族の住む世界に在住する者たちが殺到し、難民が溢れ治安は悪化の一途をたどった。
だが、元から少ない魔法族を保護できるならば本望と、未開の地を切り開きながら全魔法族の避難を誘導した。
そうして非魔法族の世界に魔法使いがいなくなったとき、首脳陣は安堵した。これで襲撃はなくなると。魔法使いの存在意義、人助けはできないものの、人口の減少は避けられると。
だが、その考えは甘すぎた。緊急措置として破壊したはずの世界をつなぐゲートをどうやったのか突破し、少年は魔法世界に舞い降りた。
報復のつもりなのか、当時の首都を陥落させ珍しいこと一人の例外も無く殺しつくした。それでも魔法族の壊滅を望んではいなかったのか、少年は未開地の奥深くに城を建て、堂々と居場所を確保した。魔法使い達が避難できないのを知っていながら。
壊滅した首脳陣に変わる組織は、前代未聞の大混乱にもかかわらずすぐさま発足した。あるいは発足できたのは大混乱だったからこそだったのかもしれない。
新首脳陣はゲートの再建を急ぐとともに、魔法使いには珍しく討伐には向かわなかった。それは討伐隊を組んでも返り討ちを食らうだけだと分かったからだ。今までも討伐に成功したことは無い。さらに今回、少年は今までになかった本格的な本拠地を構えている。まず間違いなく防御機能が付いていることは明白だった。
幸い、少年は旧首都を陥落させてから一ヶ月を過ぎても襲い掛かることは無く、今は戦力を整える時だと首脳陣は判断したのだ。
そして、戦力が整う前に自壊させたゲートが復旧され、魔法使い達を非魔法族の世界へと逃がしたのだが、それが大きな間違いだと気が付くのはそれから一ヶ月経ったときだった。
非魔法族の世界に再び舞い戻った魔法使い達の一つの集落が、襲われた。模倣犯とも思われたが、生き残った者たちはそろえて例の少年だと主張した。
ゲートの警備は以前にもまして強化されている。密航は不可能で、使い魔であろうが魔のものの反応を感知すればすぐさま全自動ゴーレムが出動することになっていた。そして反応があったものは例外なく使い魔の類であった。ゲート自壊後の出現はゲートの機能が利用されたものともくされていたので、首脳陣の判断は当然の結果だった。
だが、さらに一ヵ月後他の集落が落とされた。ことここにいたって首脳陣は認めざる終えなかった。少年にはゲート以外に世界を行き来する方法があることを。
そして、行われたのは二度目の避難。どういうわけか少年は魔法世界の魔法使いは襲わないということが分かったからだ。
そうして、第一次決戦と呼ばれる攻城戦が行われたのだが、少年はおろか、使役される魔のものすら目撃することなく、城壁の防御機能により、戦線は終結した。珍しいことに死者を一人も出すことなく。
そもそも城をどうやって建てたのかすら不明なのだ。城壁の機能を調べることは不可能に近い。唯一の方法は体験する事だけだが、それすらも奥の手が残されている可能性があった。
降伏は許されない。魔法使いが悪に屈することは、魔法使いの存在意義にもかかわる重大問題だからだ。
そうして、第二、第三と何百年にもわたり攻防が続けられた。そのあいだ集落さえ作らなければ攻撃は無いことが、非魔法族の世界で人助けをする魔法使いの存在で判明し、修行を終えた魔法使い達が少数ずつ渡る事が続いた。
そうして舞台は一九九〇年台に移ることになる。

「黒曜、紅蓮! 黒翼達と城にもどれ!」
絶え間ない砲撃を迎撃し、刀を持った男を押し返す。
「しかし! 主はどうなさるのですか!」
短い黒髪に三角の黒い猫のような耳を生やした女が叫んだ。
「どうもこうも、っく、お前らじゃやられる! さっさと戻れ!」
「ですが!」
「くどい! たあッ! これは命令だ、黒曜、早くしろ!」
黒曜と呼ばれた女は、悔しげに口をかみ締め、城壁の外にいる地上部隊に黒い何かを放つと、その場から消えた。
「ハッ」
「くっ」
男が繰り出した竹割の一線を、右の刀で防ぐ。がら空きになった胴体に左を一閃。しかしそれは恐ろしく早い空中での移動でかわされた。
それを追おうと、空中をけり悪寒が走った。瞬間その下の地面が陥没する。
「重力魔法。くそっ! まだいるのか」
気を探知すると、強い反応が五つ。そのうち二つが至近距離に入っていた。そのとき気配を感じ、剣を振るう。いつの間にか近寄っていた刀を持った男との間に剣戟の火花が散った。
「たあぁ!」
胴に蹴りをいれ、振り向きざまに剣を振り気功弾を弾膜状に放つ。瞬間魔法の矢に迎撃されすさまじい爆発が起こった。
それに紛れ、接近する。気の探知は大まかな位置しか示さないが、それだけで十分だった。気を練り変化させ霊力へと変える。出来上がったそれを両目にまわし浄眼と呼ばれる不安定な霊体をも映し出すそれを開眼させた。
そうして隠れている敵に向かって刀を振り、
「いけねぇな坊主。ちっとばかしおいたが過ぎるんじゃねぇの」
いつの間にか接近されていた比較的背の低い男に腕をつかまれる。そしてその男は、大きな気の中で一際巨大だった正直人間とは思えない大きさの気の持ち主だった。
「貴様がリーダーか。なら話は早い」
「ほう。どうするってんだそのなりで」
フードの奥から見える男の口が弧を描いた。それに答えるかのように皮肉げに笑い宣言した。
「押し通る!」
瞬間、体に膨大な電力が流されたが、一瞬遅かった。燃焼させていた気を爆発さ、戦闘レヴェルを押し上げる。
その時、少年は風になった。

「主!」
城に入った瞬間、いくつもの声が少年を出迎えた。それらの声は一様に不安げで、大丈夫だと、かすり傷一つ無いと、安心させる。
吸血鬼の力は強力で、普段生活するときでさえスペックが尋常ではない。だが、今回の襲撃、そのスペックに迫る力の持ち主が現れた。
おそらく魔力で身体能力を強化しているのであろう連中の中で、一際大きな力を持った者の年頃は、おそらくまだ少年。末恐ろしいものだと思うと同時に、まだ大丈夫だと己の安全を確信した。
確かに敵の少年の能力は恐ろしいものだった。おそらく従えた者達が束になっても適わないだろう。だがそれだけに過ぎない。何故ならこの世界の気の使い方は年々退化しているからだ。
気を使った戦闘は体内の気を爆発させ行う。それは常識だ。この世界でも当初はそうであった。だが、現在の使い手は気を爆発させるということは知っていても、それをなしえていない。本人達が爆発させていると思っている現象は、せいぜい燃焼に過ぎない。爆発ではないのだ。
転生というまれな出来事に見舞われた少年の前世は、この世界とは比べ物にならないほど魔のものは脅威で、気の扱いも退化することは無かった。故に先ほどのように本気を出してしまえばその瞬間勝負が付く。
だが、このまま引き下がるとも思えなかった。何百年と続いてきた戦いに、漸く希望の光が見えたのだ。例えそれが到底叶わない紛い物だとしても、まず間違いなく魔法世界の首脳陣は全戦力を投入し決着をつけにかかるだろう。
少年も、対峙した者の名は聞いていた。たった一人で精霊兵器の軍隊を壊滅できるほどの力の持ち主。その者を中心に構成された十にも満たない現魔法世界最強の戦闘集団。
先程の戦闘では、精霊兵器は持ち出されていなかった。結果的に敗北を記したが、長年突破される事の無かった城壁を軽々と突破し手こずらせた事は事実。そこに精霊兵器があったならばと、首脳陣が考える事は明白すぎる事実だった。
「さて、どうやって私を楽しませてくれるのかな」
真紅のコートを放り投げ、刀を立てかけると持ってこさせた手配書を眺め見る。数百年前、厳密には魔法世界に城を構えた頃から変動がない、守るべき者の賞金に懐かしそうに目を細め、憮然とした顔つきで映し出されている絵の頬をそっと撫でた。
六万ドル。それが少女の金額だった。

「諸君。たった今朗報が入った」
現首都で行われている最高議会。十数人の首脳陣が顔を合わせる中、一人の男が口を開いた。
「彼らがマスター・オブ・デーモンの城壁を突破した」
その一言で会場がざわめいた。
「では、あやつは仕留めたのか! クリムゾンレッドを!」
初老に達した議員が叫ぶ様に問いつめた。仕方がない。ここ数百年、苦汁を舐めさせられるどころか、民間人の間までほぼ完全なる敗北感が漂っている現状、その原因。それを始末できたのならば、向こう一ヶ月は祝杯モードが蔓延する事は確実な情報だからだ。
だが、男は首を振る。円卓状のテーブルについた議員から明らかな落胆がもれた。
「だが、奴はデーモン達を避難させたらしい。つまり彼らの力は未だ撃破数ゼロの魔よりも強い事になる」
「それがどうした。結局はやられたという事なのだろう? ならば意味はない。我々は今までと同様、完全な敗北を記したというだけだ」
比較的若い議員は、眼鏡を押し上げ首を振った。魔法灯が明るく照らす中で、誰もが言いようのない敗北感を感じ口を閉ざした。
誰もが思っていたのだ。今度こそはと。各地で伝説級の化け物や、政府でさえ介入不可能だった組織を壊滅させたりと、この時代、否全時代最強の魔法使いとその仲間が討伐に向かったのだ。そう思うのも無理はなかった。
「打開策は…無いのか」
祈る様に手を組み額をのせる老議員の呟きが静かな会場に響く。打つ手はない。数百年前、居城を構えた時から、魔法世界は変化を遂げた。治安の悪い地帯は更に悪化し、犯罪者は賞金首の手配が追いつかない程までふくれあがった。
だが、よい事もあった。魔法世界に存在する各国が一つにまとまったのだ。更には獣人などに未だ魔法使い達と交流がない部族とも一致団結した。事は魔法使いだけには留まらなかったのだ。
「精霊兵器の使用を進言します」
男が口を開いた。
「精霊兵器と、全軍の一斉投入。さらには彼らにも協力して貰い、城を、いえ奴を滅します」
重い言葉だった。精霊兵器。魔法使いが集団になっても敵わないはずのそれ。最先端技術でできた極大砲撃兵器。だが、
「それは、以前防がれた様に記憶しているが? それとも君は改良したそれならば城壁を打ち破れるとでも」
それは以前行われていた。完全に一つにまとまった魔法世界の目的はたった一つ。レイの抹殺。そうして必然的に兵器開発にも力が入り開発されたのがそれだった。
そしてそれは今も研究され続けている。いつかその身を結ぶ時を夢見て。だから、次の一言は、議員全員に衝撃を走らせた。
「古代遺産、M-119を使います」
「馬鹿な! あれは制御機能が失われている! この世界を滅ぼすつもりか!」
「確かにあれは脅威です。ですがそれは全出力を回したときのみ。近接戦闘は行わずに精霊兵器と同じく、砲撃に徹すればあるいは」
「確かにその方法では制御は可能だろう。だが、肝心の威力が心許ないのではないかね?」
完全に起動しない兵器。普通であればそんなものは役に立たない。だが、
「七体全てを投入します。さらに全精霊兵器も。理論上大気中の魔力が消滅します。吸血鬼とはいえ使う物は魔力。全ての障害はなくなる事でしょう」
「それで、デーモンごと葬れると思っているのか。あやつらは砲撃を軽々と避けるのだぞ」
城を消し去れても、敵は討てない。それを指摘する議員だが、男の方が一枚上手だった。
「それ故の軍です。訓練兵を含めた全ての戦力を持って事に当たります。やつらの力が異常すぎるとは言え、所詮生物。疲れがないわけではありません」
会場が沈黙する。正気ではない。誰もがそう思っていた。だがそれが有効であろう事も誰にでも解っていた。
「遺族への処置はどうするつもりだ」
そうして時は動き出す。出撃される古代遺産の名は、巨神兵といった。

七体の赤き巨人が、一斉に口を開ける。それと同時に空中に浮かんだおよそ百機の精霊兵器の発射口が輝き始める。
瞬間、空気が泣き、光がほとばしった。
「主! 城壁が突破されました!」
「お前達は雑魚を相手にしろ! 近づくなよ。ったぁあ!」
いつかの刀を持った男めがけ、刀を振る。瞬時に距離をとった男だが、気の斬撃が発生し、焦った顔で同じものを放ち相殺した。
ぐっと唇をかみ締め、見通しの甘さを痛感した。並大抵の攻撃ではびくともしない城壁の成果はすでに確認済みだった。精霊兵器がどれだけ集まろうと関係なかった。だが、古代の代物を持ち出されてはさすがに分が悪い。いや悪すぎた。現に城壁は破られた。
だが、そこに自身がいれば防げた可能性もあった。空想具現化。それが城を作り出した能力。頭の中に描いた物を気と魔力、そして霊力を合成し、相容れない性質ゆえの尋常ならざる爆発エネルギーを使った、魔力でも、気でも、ましてや霊力でもない異質な物体を形成する。尤も時を置けば大気中に漂う魔力に汚染されその性質を失うのだが、城壁を守ることはできたはずだった。こやつらがいなければ。
「ッ!」
虚空をけり、軌道を悟らせないランダムな動きで宙を舞う。残像の一つ一つを巨大な光の柱が飲み込んだ。
そうしている間に呪文を唱え、瞬間空間の歪みとともに開放する。
重力と反重力が競り合い相殺する。巨大な剣が空から落ち、そこに巨大な電撃が放射された。
「ガッ!」
それをもろに受け、一瞬だけ意識が飛ぶ。その一瞬を敵は逃さなかった。気の斬撃がとび、光の柱が放射され、いくつもの剣が雨の様に降り、上下からはさむように重力魔法が発動された。
辺りを覆いつくす爆煙に攻撃の手が緩むが、緊張は解かれなかった。それが功を奏したのか、通常なら目視すら不可能な速度で爆煙の中から何かが飛び出した。硬いものをぶつけ合う轟音が鳴り響く。
「さすが吸血鬼。そう簡単には死なねぇか」
身の丈ほどもある木の杖を両手に持ち、刀の重圧に耐える。
「お前を逃したのは間違いだった。今日は殺させてもらう」
気で強化した右の刀を杖に押し当て、表情を消して、言い放った。そう、全戦力を投入する事になったのは、目の前のやからを一度目の襲撃にて止めを刺さず、逃してしまったからだ。
レイは魔法族の終焉を望んでいるのではない。その証拠に魔法世界に移り住んでからは、旧首都と非魔法族の世界の集落への攻撃以外、誰も殺していなかった。
吸血鬼という種族になってしまったのは、魔法使いのせいだったが、全ての人間が一人一人違うように魔法使いも様々な主義主張を持ったものがいると思ったがゆえに。
だが、今は四の五の言っているときではない。不死ゆえに死ぬことは無いが、仲間の魔のもの達に被害がいく可能性もあった。彼らは力づくで手に入れたのではない。主従関係を結んで入るものの、永遠ともいえる生の中、かけがいのない友だった。
幸い場内に進入したのは現在相手をしている五人を除けば、戦闘力は高いがそれも努力すれば手に入れられるほどの力量のみ。仲間が傷つくことは万が一にも無い。そして問題の五人も戦闘力の一番高い背の低い赤毛の魔法使いを下せば瓦解することは、先日実証済みだった。
だから、勝負を決めようと、気を爆発させた。
「がぁッ!」
その瞬間、四方八方から黒い何かが飛来し、体に突き刺さった。浮遊術が切れ、体が落下する。地面にたたきつけられるも、刀だけは手放すことなく、力が抜ける体を押して立ち上がった。
「あなたはやりすぎたんです」
ローブをかぶった重力魔法を放った魔法使いが地に降り立つ。
「手間かけさせやがって」
勝負は終わったと語るが如く、タバコに火をつける眼鏡をかけた無精ひげの男。
「この前の借りは返させてもらう。観念するがいい」
刀を鞘に納めた男が冷たく言い放つ。
「まだ立てるとは驚きだぜ」
長身の男が苦笑する。
「これは…どういうことだ」
身体を見ると、漆黒の柄が短い細身の剣が、ハリネズミのように体に突き刺さっていた。
マジックアイテムの類である事は確実。だが、身体異常と、何より降りかかったときの闘気や殺気がまったく感じられなかったことが信じられなかった。
「そいつは古代のしろもんだ」
リーダーと思われる赤毛の男が降り立ち、真剣なまなざしで口を開いた。
「発掘品か…。それで、対吸血鬼用の術式でも組み込まれてるって?」
血を吐きながら、気丈にも睨み返し、真偽のほどを確かめた。
「いいや、それだけじゃねぇ。対魔、対霊、対神。人間以外の全てに効果があるしろもんだ」
厄介だと、焦る。時間はもう限られていることを感じ取っていた。
「エスキューショナー以外にそんなもんがあったなんてな、ガハッ! それでこの変梃りんな代物はこれだけか?」
暗に殺すには足りないと言い放ち、数を確かめる。
「そうだな。それだけだ。議会の奴らが持ってたもんを片っ端から取ってきたからな、それ以外ないだろう。さて、言い残すことはそれだけか」
まずいなと、柄にも無く対抗手段が思い浮かばなかった。あがき苦しみ、それでも前を向いて歩み続ける。それが自身のスタイルだった。だから、最後に一つ疑問点を解決したかった。
「どうやって攻撃した…。その予兆は無かったが」
「俺にはわからなかったんだが、お前の戦い方は普通とは違うって仲間に言われてな。気の高まりが異常だって。それでその状態がお前の本気らしいからそれに反応するように術式を刻んだ。尤も摂理の鍵、その剣の名前だがな。ほとんど例がないそれぐらいの強度がなきゃ術式もかけなかったがな」
言い終わると同時に、杖を構えた。今この身は、吸血鬼ではない。気も魔力も纏わないただの十五歳の体に過ぎない。一撃を受けたらまず間違いなく死ぬだろう。
仲間とつながったチャンネルを開き、最後の別れを告げる。そのどれもが叫び、助けようと、待っていてくださいと、告げるが、そんな時間は無かった。何故なら、
「この、剣は残しておけないな」
目の前の赤毛の男の顔が怪訝な表情に変わる。
「すまないが、お前達の手にかかる気は無い。何故なら」
刀を握り締めるとともに、体に気の幻影が燃え上がった。
「てめぇ!」
男が攻撃するその一瞬前に、
「ハァッ」
目もくらむような閃光が走り、後に残ったのは、
「…自爆しやがった」
粉々に砕けた摂理の剣と、真っ白な灰になったレイの姿だった。
こうして、魔法世界最大の悪は倒された。魔法使いの誰もがそのことに喜び、祝杯を上げる。だが、魔法使い達は知らない。史上最悪の吸血鬼の目的が、たった一人の少女のためだということなど。それを知るものたちは、主を失った悲しみに、いつの間にか転送された故郷の森で、力の無さを悔やみ、唯一の者を失ったことから逃避するように自らを鍛え、一度だけ聞いた御伽話のような主の言葉に誰もがすがっていた。
レイは、異世界からの転生者だということに。もしかしたら姿を変え再び姿を見せてくれるのではないだろうかと。



[10291] 第五話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/14 21:27
「二人とも、早く!」
片手半剣を両手に持ち、幼馴染と実の姉を誘導する。
町は炎に包まれ、異形の化け物どもが我が物顔で闊歩していた。
魔力と気を合わせ、爆発的なエネルギーとともに両方の力を使えるようにする。だがそれでも及ばない。そもそもポテンシャルが違う。あの時とは違うのだ。
「たぁあ!」
角を曲がった出会いがしらに翼の生えた異形を一刀両断する。やはり幾分切れ味は鈍く、刀のほうが扱いやすかったが、無いものねだりはできない。
「だめ!」
姉の声が上がる。掃討していた異形の軍勢の中の一匹が、口に魔法の光をためていた。
「オン」
清明紋を素早く空中に描き、短く唱える。瞬間異形の口から閃光がほとばしった。
「あぁ!」
姉の砕けそうな声が聞こえるが、それは閃光が収まった瞬間驚愕の声と変わった。今まですれ違ってきた住民は皆、石になっていた。それは異形たちの仕業だと容易に分かる。そして先ほどの光線が最もその可能性が高いことも。だが、光線を放った異形は口を開いたそのままの姿で自身が石へと変化していた。
「な、何をしたの」
幼馴染が聞いてくるがあいにく答えている時間が無い。
「斬剣、破魔の閃光」
気を剣に乗せ放つ。一体の異形を切り裂いた横なぎの斬撃はそのまま見えない刃が放出され、放射状に居並ぶ異形を上下に切り裂いた。
「す、すごい。魔法でもないのに、こんなこと」
姉が呟くがかまっている暇は無い。今は一時を争うときなのだ。姉の手を握り、その姉が幼馴染の手を握る。魔力で身体強化ができない幼馴染に合わせて進むが、いかせん敵の数が多い。どうやら異形どもは人間を見かけたら戸惑い無く襲うようだった。そのタイプは二つに分かれる。一つは先ほどのように石化の光線を放つ者、もう一つが異形の強靭さを武器にじかに襲ってくるもの。
なるほどなかなかによくできた陣形だと、敵ながら前衛と後衛を分ける策略に見上げてしまう。だが、それは格の高い異形のみで、それ以外下級の異形は動きがばらばらだった。あるいはそれだからこそここまで生き残ってこれたのかもしれない。
家、否セーフティーハウスに着いた。姉と幼馴染には家が見えていないが、そこを強引に家に押し込み認識させる。家は自分以外の二人を異物と判断したが、二人が防御機能に襲われる前に、管理人権限で即座に術式を組み替える。簡単なようだが、まず登録された魔力を流し認識されたところで管理人権限を使うことができる。他のものでは認識されず、魔術的ハッキングやクラッキングをしていたらあっという間に防御機能にノックアウトされ永遠の眠りにつくことだろう。
「これって、どういうこと」
幼馴染の少女が呟く。それもそうだ、久しぶりの帰郷のその日に襲撃される。それも訳の分からない異形の大群に。助かったのは運がよかった。日ごろから変わり者と噂されている自分に着いて来たからこそ守り通せた。
姉も、夕食の準備の前に呼びに来たときだった。どちらもただ幸運だっただけだ。さらにこうしてセーフティハウスを用意していなかったら、自分の身は守れても、戦うすべの無い二人は石になるか、死んでいただろう。
「誰かが、この町を襲っている。この規模からして集団で行った儀式魔法か、生け贄を捧げたか。どちらにしても大掛かりな召喚術が行われたことに間違いは無い」
「そうじゃなくて! 何でよ! どうしてこんな目にあわなきゃなんないの!」
半ば嗚咽が混じった、叫び声に、答えられなかった。理由はあるかもしれない。だが、無いかもしれない。それは自分が過去に行ったことから容易に想像できることだったからだ。
「ところで、ここは何なの」
未だ学生とはいえ、最終学年の終わりにさしかかった姉は、先ほどから何かを考えていたようだが、漸くこの家の異常性に気が付いた。
「結界が張られていないにもかかわらず、隣の家の炎が燃え移っていない。それに私もそうだったけど、悪魔達はこの家が見えてないように見えるわ」
「結界は張ってある。ただ系統が違うんだ。学校の奥で見た、確か陰陽術だったかな。それに書いてあった結界を張ってあるんだ。東洋の術だから、あいつ等には分からない。もちろん魔法使いにも。見破れるとしたら、東洋の導師か、陰陽師だけだと思う」
真っ赤なうそである。はじめから術は知っていた。更に言うと学校に極東の島国の術式の乗ったものが置いてあるかは怪しいし、第一この世界、いやこの時代の陰陽術にこの結界が失伝している可能性、あるいは簡略化や、様式の変更があったかも知れず、今もなお使うものがいる事は確定できない。だが、
「そう。勉強熱心ね」
えらいえらいと頭をなでてくる姉にはたった一人の弟を疑うことなど考えることも無く、すんなりと信じていた。
それに少しばかり罪悪感を感じつつ、一際強い気が高速で接近してきたことに気が付いた。あわてて窓により外を見ると、空中で羽の生えた異形の首を片手でへし折っている赤毛の男性の姿が見えた。
「…お父様」
姉の言葉に、思わずめまいがした。生まれた記憶は無く、気が付いたのはこの町で姉と近所のおばさんたちに哺乳瓶を飲ませてもらっているところだった。親はどういうわけか一度も姿を見たことは無く、成長しころあいを見て姉に聞くとどうやら死んだらしい。育児放棄の末、勝手に死んだ大馬鹿者と、最低ランクに位置付けられていたが、どうやらそれは修正しなければならないらしい。最大の天敵と。
その姿は間違いなく、前世で生が終わることのきっかけとなった集団のリーダーだった。

第五話 再びの始まり

十五歳の夏。魔法学校の卒業式が行われた。
悪魔達が大挙して押し寄せてきたときに現れた、父にして英雄。とりあえず生まれてからの恨みと、前世の憂さ晴らしを行おうと、気、魔力、霊力を合成した超究極技を放った。ぶっ飛ばされる英雄にとりあえず気持ちを静めたが、それが再燃するのは早かった。
気を取り直した父が、何もしてやれなくてすまなかったな、などと今更ながらに馬鹿げた事を言い放ち、持っていた杖を差し出したのだ。噴火しそうになる気持ちを強制冷却させ、一つ芝居を打った。杖に名前を書いてほしいと。つまりはサイン。英雄として名高い父の名前と、贈られる自分の名前。それを刻んでもらいほくそ微笑んだ。高値で売れると。
事実その後姿を消した、駄目父に、一言はなしたかったと嘆く姉をいさめ、町を移り住んだときに、莫大な金額が手に入った。普段から使っているルートで流さず、正規ルートゆえの信頼性から売れたのだ。普通のものならば普段使っている裏ルートで流せば比較にならない金額が転がり込んでくるのだが、すでに亡くなったといわれている父である。今更サインつきの杖を流したところで偽物と疑われることは請け合いだ。二束三文で買い叩かれるに決まっていた。
とある事情で少年は莫大な財産を得ている。それを知る物はごく僅かで、一番身近な姉でさえ知らない。
卒業証書の授与と共に、一枚の羊皮紙が渡される。魔法使いの学校では、恒例の行事だ。真の魔法使いになるには学校を卒業しただけでは駄目なのだ。学校は基礎しか教えることは無く、本格的に魔法使いとして動くには卒業後の課題を通して修行しなければならない。
それには様々な形があり、一概にくくることは不可能だ。
様々な面で問題ありと評価されている少年にもそれは適応される。そして例年主席だった者には通常よりも難しい課題が下されるのだが、問題ありと評されている少年は、まごうことなき主席卒業生だった。
そうして一人、次の仕事を考えながら廊下を歩いていた少年の課題が紙に浮かび上がった。
「はあっ!?」
紙にはこう書かれていた。日本で教職につけと。赤毛の少年の名は、ネギ・スプリングフィールドといった。

「禁!」
空中に横一線。その瞬間、噴出された炎が見えない壁に衝突し防がれる。その間に九字を放ち、目の前のトカゲは咆哮と共に炎をブレスを止めた。
「たあ!」
漆黒の刀を両手で持ち、斬り付ける。だがそれは、硬いうろこに阻まれ致命傷とは程遠かった。
「オン」
清明紋を素早く描き、術を完成させる。瞬間先ほどから空気を吸い込んできたトカゲの口から青白い閃光が吹きすさんだ。
霊力を注ぎ込みそれを返す。だが返された閃光はトカゲの表面を凍らせるだけで、動きを止めることすらできなかった。
そのことから冷気に耐性をもっていることが分かり、氷系統の魔法攻撃は無意味だと判断する。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ」
魂の咆哮。俗にそう呼ばれる本能的な恐怖を引き起こす叫び声は、ネギにはきかなかった。それどころかその一瞬で再度距離をつめ気の代わりに霊力を纏わせた刀で大上段から斬りかかる。瞬間、鮮血が飛んだ。
痛みに怒り狂い、雷のブレスを吹くトカゲに再び清明紋を描き攻撃を跳ね返す。
「ぐぎゃぁぁぁぁああ」
耐性を持っていなかったのか、今度は体中から煙を出し、紫電が走る。そして魔法を解き放った。
「来たれ、煉獄の業火!」
刀の切っ先から竜巻のような炎の螺旋が伸びた。トカゲは動けない。それは迎撃されることも無く巨体に直撃し、トカゲの右半身を奪い取った。
だが、気は抜かない。退魔士のころに散々味合わされた理不尽な化け物の生命力。気を抜けば即、死に至ることはなかったものの、そのころは集団で行動しており、単独行動の今とは比べるべくもない。
ぐっと、周囲の空気が吸い込まれた。瞬間炎と、冷気、雷が融合したブレスが広範囲にわたりなぎ放たれる。それに飲み込まれたかと思ったのもつかの間、上空から幾つもの雷が降り注いだ。
だが、それしきのことでは通用しない。それは重々承知していた。故に、
「「これで最後だ。轟け雷光斬!」」
幾重にも重なった声に戸惑うトカゲの頭に、四体のネギが同時に刃をつきたてた。瞬間、柄から発生した紫電が刃に伝わり、頭部を内部から爆発させた。
四体のネギが、一つに戻り、呪文を唱える。頭部を失ってもなお動く魔のものもいる。そのことは経験から分かっていた。巨体が一歩踏み出し、そしてそのまま前のめりに倒れこんだ。
軽い地響きと共に、巻き上がる埃に目を凝らせば、トカゲ、ミラージュドラゴンは光の粒子と化していた。
「終わったか」
思わずため息を吐く。魔法学校卒業後、余った時間で以前から気になっていた遺跡にもぐったのだが、そこは小型ドラゴンの巣窟だった。およそ二週間を経てたどり着いたのが遺跡最深部の安置室。門番のドラゴンを倒し、巨大な鋼鉄の扉が自動で開いた。
刀を鞘に戻し、安置室に足を踏み入れる。そこは目もくらまんばかりの宝の山だった。
中央に安置された棺を中心に、刀剣、魔法銃、楯、魔法薬、鎧などが所狭しと置いてあった。
全ての品を手に入れる。それは素人の考えだ。古代魔法文明では、墓荒らしは禁止されていない。過去の王や、偉人達に謁見するための障害を突破した強者。その者にたった一つだけ安置された宝を与える。それが伝統だった。一度だけの挑戦。勝ちぬけても負けても二度目は無いそれに与えられる宝の質は障害に比例するが、今回ばかりは例外なく売れば一生どころか、三代にわたって豪遊できるほどの価値があるものばかりだった。
様々付加属性がかかっているが刀剣類はすでに持っているので必要なかった。魔力がこもった宝石も今は要らない。楯は戦闘スタイル上邪魔になるだけなので即却下した。散々検討し残るは魔法薬だが、どれもストックがあるものばかり。
障害の割には必要な物がなかったので、落胆のため息を吐く。それでも何も持ち帰らないのは骨折り損のくたびれもうけだと、失礼にならないように棺のそばに立ち、辺りを見回す。浄眼を開くと何気なく一つの品が目に止まった。浄眼を切り、それに近づき手を添える。瞬間流れ込む特徴と使い方。
自然と口が弧を描いた。
「陰陽師、いや、この場合は魔法使いか。どちらにせよその直感は馬鹿にならないな」
真紅を基調としたマント付きの鎧。それはどの遺跡でも見たことのない最高の防具だった。
「神秘の力を秘めし武具よ、我が名はネギ・スプリングフィールド。古き掟に従い、契約を更新する。答えよ、レイアース!」
頭に流れ込んだ説明に従い、鎧をものにするために唄う。瞬間ネギの体を光が包み込んだ。一秒にも満たない時間で霧散した光の後には、赤き鎧をまとい、サークレットのようなものを頭につけた姿があった。
状態を確認し、マントを翻す。空間跳躍魔法の使えない遺跡の帰りは危険に満ちている。だが、鎧をまとったネギは二週間かかった道のりをたった二日で突破した。

ところで、ネギが使っている刀はどうやって手に入れたのか。ファンタジー最強ともいえるドラゴンを倒したのだから、いつかのように鈍らであるはずがない。体の都合上二刀流は無理なのだが、両腰に提げた刀。実はその二つは前世で使っていた代物だ。
本来ならば本国の博物館で永遠に死蔵されているはずだったのだが、とある経緯で手に入れることに成功した。それには一匹の妖精が関わっていた。
オコジョ収容所。比較的軽い罪や、小規模の魔法の露見をしてしまった魔法使いと、オコジョ妖精を収監するむしょである。
「アルベール・カモミールだな」
ガラス張りの面会室で、ネギは一匹のオコジョ妖精と面会していた。
「兄ちゃん、こんなところに何のようだ。盗品の隠し場所ならいわねーぜ」
アルベール・カモミール。二十年の実刑判決。罪状は魔法道具の闇売買。本人の実力はかなり高く、逮捕に成功したのは偏に弟子のミスに他ならない。
「アルベール。お前の家系は代々その専門だそうだな」
オコジョの表情は変わらない。完全に沈黙を貫く体制を整えていた。
「アルフォンス・カモミール。お前の父が付いていた人物は私もしっている」
瞬間、オコジョの表情が崩れた。信じられない。顔全体でそう語っていた。それもそのはず、その事実が知れれば、一族は軒並み極刑に処されることは確実。それほどの情報。それが十代前半の若造に知られているなどあってはならない事態だった。
「何、あんずることはない。誰にも話していないし、これからも話すことはない。そんなことはどうでもいい。単刀直入に言おう。カモミール、私に付かないか」
何を、と言おうとした所で、少年の目がやけに真剣なことに気が付く。
「地獄の沙汰の金次第。東洋の言葉だ。魔法使いにも金は大事だ。ここの職員で金に困っているやつらのピックアップはすんでいる。事はいつでも起こせる」
皮肉気に笑う少年。その姿にいつか見た最強の悪の姿が重なった。まさかと思う心をあわてて否定する。だが、考えようによってはチャンスだった。脱獄の手配は整い、後は実行するだけ。それはとてつもなく甘美な誘惑だった。そしてオコジョは少年の欠点を見抜いた。だから、
「実行はいつだ」
そして、計画は実行され、脱走したオコジョの前に少年が現れた。
「方向が違うなカモミール。そっちは合流地点じゃない」
「何、簡単なこと。てめーは一つ間違った。オレッチを仲間にしたかったのならこう言うべきだったのさ」
「脱獄の代わりに味方になれか? 馬鹿にするな。それくらい分かっている」
オコジョの言葉にかぶせ、言葉を先取りする。
「何故、分かっていながら言わなかったかという顔だなカモミール。私はお前に聞かせたい言葉があった。味方に付くか付かないかはそれからでも遅くはない」
「な、なにを」
「カモミール。アルフォンスに言われなかったか? クリムゾンレッド、マスター・オブ・デーモン、最悪の吸血鬼レイは、転生者だと」
瞬間オコジョの顔が青くなった。言葉が出ない。何故それを知っているのかが分からない。それを知っているのはデーモンと評されたレイの仲間達と代々使えたカモミール家の者だけのはずだった。そもそもアルベールも、いつか再来するレイに仕えるために家の業、盗品の流れの扱いを指導されたのだ。そして一つの仮説が浮かび上がる。
「まさか、あんたは、いやあなた様は」
「頭の回転が良いなカモミール。そのとおりだ。私はネギ・スプリングフィールド。最悪の吸血鬼を討った英雄の息子であり、最悪の吸血鬼レイの転生者。さあ選ぶがいい。このまま何事もなかったことにしてこの場を去るか、自らの意思で私に付くか」
月光にかざされる紅のコートと燃えるような赤毛。それは幼いころに見た吸血鬼の雰囲気に似ていて、その吸血鬼よりもなおクリムゾンレッドの名がふさわしいように思えて、
「マイ・ロード…」
それが最悪の吸血鬼の仲間が一人戻った瞬間だった。
そうして、カモミールの情報操作で二振りの刀を誰とも知れない賊に盗ませることに成功、その後闇市に流れた刀を真の力を知らないが故の安さで第三者に購入させ、ネギの使者として、第三者から購入金額の二倍の額で購入。全てはネギのシナリオだったが、表向きは闇市に流れた盗品を、それとは知らずに正規の方法で手に入れたことになる。誰も本国の魔法使いでさえ法の名の下に取り上げることのできない状況を作り出した。
カモは悟った。父、アルフォンス・カモミールの言っていたことは本当だと。真に仕えるべき人物であると。
だから、ネギが日本に渡る際、盗品の整理ができないにもかかわらず付いていったのは当然の選択だった。

荷物も持たずに、空間跳躍したのは京都、嵐山。この場に最後の仲間がいるはずだと、結界の張られた山奥に入り込む。
途中出てきた害のない物の怪たちに尋ね人の居場所を聞き、驚くも楽しそうに行列を作る物の怪たちに苦笑した。物の怪たちも楽しいのだ。払おうとしないどころか、怖がる様子もなく気軽に接してくるネギとの関わりが。
「なあなあネギの兄ちゃん」
いつの間にか肩に乗ってきたトカゲのような物の怪が口を開いた。
「兄ちゃんが探してるのは知ってるけど、それよりもっと重大な情報があるんだ」
「重大な情報?」
トカゲはふむと重々しくうなずいて、言葉を続けた。
「俺達が次元の穴に落ちてこっちの世界に本体ごと来たのは兄ちゃんも知ってるだろ? それが最近も起こったんだ。俺達みたいな物の怪は落ちてこなかったんだけどな、あいつらが落ちてきちまったんだ」
自分で言って恐れおののいたのか身を一つ震わせと惑うように続きを話した。
「鬼族だよ。地域ごとにつながっている場所が違うのは知ってるだろ。この周辺とつながっている地域最強の種族、鬼族が落ちてきたんだ」
鬼族といっても一括りにはできない。いかにも重装備な長身の者や、巨大すぎる御伽話に出てきそうな筋肉質の者。そして、見た目は人と変わりなく、違うのは額にほんの少しばかり盛り上がり尖った角がある者。そして聞くにはどうやらタイプは最後の鬼らしかった。
ついているのか、いないのか。人と相違点が少ない鬼は、物々しい外見の鬼と比べ、非常に強い。というよりも規格外だ。その鬼族は、かの清明も使役していたと伝え聞く。
「それでよう。兄ちゃんが探してるおっちゃんが、じきじきに鍛えるとか何とかいって、最近生傷が絶えないんだ。俺達もおっちゃんにはよくしてもらってるからさ、何とかしてくれないか」
いや無理ならいいんだけどよ、と器用に頭を掻くトカゲの物の怪に、もとよりそのつもりだと安心させた。
だが、ネギの心中は複雑だった。おそらく戦闘指南でもしているのだろうが、それでもデーモンと魔法界に恐れられた者が、傷を負うくらいの強さ。それでも言葉を聞いているのだというのだから、交渉の余地はあるだろうが、どうも慕っているように思えてならない。それぐらいの器が仲間にはある。はたして引き離すことができるだろうかと、疑問に思えて仕方がないのだ。
「兄ちゃん、この先だ。ただ今の時間だと組み手やってるから俺達じゃ怖くて近づけねぇ。頼む何とかしてやってくれ」
いっせいに騒ぐ物の怪たちに、分かったと苦笑しながら手を振り茂みの中に入っていく。
「確かに強いな」
「なにがっすか、マイ・ロード」
いままで物の怪たちに弄くられていたカモが肩に乗る。
「いや、気が五つ、強いのがいるんだが。そのうち四つが異常に強くてな」
「だけどマイ・ロードなら何とかなるんじゃ」
「それがなぁ。今の私と探してる仲間は同じぐらいの強さなんだが、それ以上の強さ。それが四人もだ。罠や何やらを使えば勝てるだろうが、真正面からやって勝てたら奇跡だな」
木々の間を進み何気なく言い放った言葉に、カモが絶句する。魔法界最強の竜に分身体とはいえ楽勝とまでは言わずとも勝ったというのにと。
「そ、そんなに強いんすか!」
「ああ、強いな。正直今から不安だ」
説得力皆無の微笑みに、カモは絶句した。できるのかできないのかどっちなんだと。
「ッ! カモミール。隠れてろ」
いつになく硬い声に、抗議の声も出さず袖を伝い胸に隠れる。
二、三歩進んだところで、唐突に止まった。
「いるんだろ。出て来いよ」
口に弧を描く。一泊置き、木々の間から音も気配もなく二人の人が現れた。否、人ではない。よく見ると二人とも額に二つのでっぱりが出ている。
ちょうど成人男性ほどに見える二人の髪は漆黒。この鬼族は力の強さで髪の色が決まる。
階級が一番低い黒で、この気かと、笑みの裏で戦慄する。自分はもとより、探している仲間よりも強い気ではあるが、それでももう二つの気に比べれば圧倒的に低かった。
「何の用だ人間。先ほどの言葉から常人でないことは分かっている」
「ここは我ら化生の領域。人がたやすく入ってよい場所ではない」
戦闘態勢はとっていない。今はあくまで忠告なのだと、理解できた。
「分かっているがそうもいかない。私にも事情があってね。ここにいる烏天狗に用があるんだ」
そういった瞬間、二人の姿がぶれ、鋭く尖った爪が首に少しばかり刺さっていた。
「俺達はそいつに恩がある。噂を聞きつけ払いにいた、というならば今ここでその命、終わらせてやろう」
「選ぶがいい。何事もなく立ち去るか、この世を去るか。尤も選ぶべくもない問いだろうが」
尋常ならざる殺気。それにもかかわらず微笑みは消えることはなかった。
「まあ、待て。何も誰も払いに来たと言っていないだろう? ただ私は昔の仲間を誘いに着ただけだ」
横目に見える鬼の顔が怪訝に変わる。
「お前は人間だ。化生ではない。それは匂いで分かる。それに親方の仲間は化生以外だとただ一人。お前が」
「その筈はない、か? だが私が吸血鬼、レイの生まれ変わりだとしたらどうだ。お前達もあいつと共にしているならば聞いたことがあるはずだレイの名と転生の可能性を」
瞬間、首に添えられた爪が揺れる。
「まさか、そんなはずは」
「そうだ。そんなことあるはずがない! 親方は信じていたようだが、俺達は」
「信じないか。それでもいい。ならあいつの元に連れて行ってくれないか? もちろん装備は預けるし、拘束してもいい。会うだけならタダだからな」
「そんなこと信じられるか! 親方にあったら何するか分かったもんじゃない」
それでも辛抱強く言葉を続ける。
「気がよめないわけではあるまい? 仮にもあいつと共にいるならばそれぐらいはできて当たり前だ。その上で聞くが、私の力量であいつに傷を与えることができると思うか? 思えないだろう。当たり前だ。今の私はただの人間だからな」
その言葉に鬼達は沈黙する。事実気の扱いは教えられており、探ったところ比較にならないくらい弱かった。気を爆発させることで戦闘能力が上げられることは実践できてはいないが、知っている。それでも人間、化生双方共にその技術は失伝しており、仮にできる人間がいたとするならばそれは慕っている烏天狗の言う御伽話のような吸血鬼の転生体だけだ。
「良いだろう」
「おい! なに言って」
「落ち着けよ。人間の技術は退化してると習っただろう。仮に昔の道具を持ってたとしても裸に剥いたら何もできん。戦闘力はこっちのほうが高いんだからな」
「兄さん。でも」
「親方は強い。純粋な力だけだったら圧倒的に勝っている俺達相手に善戦できるんだ。それに兄貴もいる。遅れをとることはないさ」
双子だということに、僅かに目を見開く。言われてみれば気の質はよく似ていた。
「と、言う訳だ。悪いが裸になってもらうぞ」
兄と思われる鬼が宣告し、実行された。途中、カモが発見され騒ぐ一幕があったが語る必要はないだろう。
そうして、下着一枚ない丸裸で、仲間に会うことになった。
「で、連れてきたわけか」
鳥の頭をした黒い翼の修験服を着た、所謂烏天狗があきれたように声を出した。
「でもよ。親方いつも言ってたじゃねぇか。待っているんだって」
連れてきた鬼が、不満たらたらで、言い放つ。
「お前、ばっかじゃねーの。そんなのあるはずねぇっていつも言ってるじゃん」
「兄貴もかよっ。でもよむやみな殺生はよくねえって」
「時によりけりだ。が、会わせないわけにはいかん。親方は待ち望んでおられたのだから」
兄貴と呼ばれた髪が紫色の鬼と、山吹色の鬼がそれぞれ口を開く。どことなく力馬鹿な首領と、それを抑える参謀に見えたのはきっと気のせいではない。
「で、ネギとやら。お主は真に吸血鬼殿の転生者なのか」
山吹色の鬼が問いかける。その目は虚偽は許さないと鋭く光っていた。
「そうなんだが、信じれないだろう?」
「当たり前だ。親方は信じておられるが、私達はそんなことを信じてはいない」
どうやら烏天狗は鬼達に任せたようで、視線をよこすだけだった。
「そうだな。私の荷物に札がある。そいつを仲間に渡してくれ。それで分かる」
「できると思うか? 人の世では条件を満たすことで発動する術もあると聞いている。その札が親方に反応する可能性もある」
なかなかに賢い。最上級の力を秘めた紫の鬼は先ほどからひじで頭を支え地面に横になり欠伸をしている。てんで信じていないことは明白だった。
「仕方がないな。お前ら東洋の術には詳しいか?」
「それなりにはな。これでも親方の下で鍛えてもらっている」
「なら一つ、魂を肉体から剥離させる術は知ってるな。今からそれを行いたい」
「許すと思うか?」
「思わないが、それしかないだろう? 攻撃系の術とはまるっきり違うから基礎知識があれば違うと分かる。物的証拠をあらわすにはそれしかないんだよ」
「だが…」
「許してやれ。それで示せなければ人違いだっただけだ。それに私自身その術は見たことがある。違ったならば即座に攻撃すればいいだけだ」
奥の岩に座っていた烏天狗が漸く口を出してきた。どうやら鬼達の頂点にいるようで、紫の鬼以外、その言葉に従った。
「ならやらしてもらう。手始めに手の縄を解いてもらえないか?」
山吹色の鬼が首肯し、背後に立っていた鬼が腕を振った。はらりと地面に落ちる縄から手に異常がないか確認し、術を完成させた。瞬間崩れ落ちる体。だが、誰もそれに注意は払っていなかった。それどころではなかったのだ。
「さて、これで納得してもらえたかな?」
宙に浮かぶ、霊体は、なぜか三重にぶれて見えた。霊体はその者の本質を表す。例えば老いた者ならば、最盛期の姿が浮かぶ。悪しき者が使えば、霊体の周りに黒い帯が回り最悪の場合霊体自身が黒く変化する。
「あ、主」
烏天狗は唖然とした声で、僅かな言葉をひねり出した。三重にぶれたことは必然。二回死に、三回目の生を送っているからには、合計三つの姿がなければならない。一つは初めの人生、退魔士をしていた頃の姿。もう一つは現在のネギの姿。そしてもう一つが、最悪の吸血鬼、レイの姿。
重なって見えるそれは、知る者により見え方が違う。鬼達には重なっている事は分かるものの、ネギの姿しか認識できない。
だが、烏天狗には二つ認識できた。ネギの姿と、かつての主であったレイの姿が。
そうしてぼんやりしている内に、霊体が体に戻り、ゆっくりと起き上がった。
「分かったか。黒翼」
こうして全ては終わると思ったのだが、思わぬことに、鬼達が抗議した。親方をどこに連れて行くと。
もともと黒翼が鬼達を鍛えていたのは、そのほうって置けないという性格もあったが、いずれ訪れるかもしれない主の新しき戦力という側面もあった。
困ったネギは、現在の事情を話し、納得してもらおうとしたのだが、鬼達は粘りに粘り、一度最強である紫の鬼と戦い勝利を収めたのならば認めると、条件を出した。
はっきり言って無茶だ。だがそれだけ慕われているということで、一撃の威力で決めると、条件を出し、岩山をどこまで破壊できるかを競うことになった。
「じゃ、俺からだな。腰抜かすんじゃねーぞ」
右腕を回し、紫の鬼が岩山の前で構える。全身を気が包み込み、あまりの大きさに大気に漏れ僅かに放出された。
「はぁああああ!」
爆音。砂煙と共に何かが崩れ行く音が響き、煙が晴れた時には、突き出されたこぶしの前には、岩はなく、谷が形成されていた地面がえぐれるというおまけ付きで。
「どうだ、びびったか。これが俺の力だ」
得意そうに笑う鬼に、ため息をつく。勝てないと。最上級の紫。その色をいただく鬼の力を見くびっていたと。
「黒翼、後は頼んだ」
仕方がないと、返された上着を脱ぎ、無事な岩山に向き直る。
「おいおい、あれを見た後にやる気か。どんだけ…」
爆発する気、天井知らずなほどに膨れ上がったそれに言葉をなくす紫の鬼。
「たぁあ!」
突き出される拳。瞬間空気が泣いた。目もくらむような閃光が発生する。それにもかかわらず煙一つ起こさないで、収まった光に見たのは、鬼達に比べ背の低い少年が突き出す拳と、
「おい、嘘だろ」
きれいに更地になった元岩山だった。
鬼達が唖然とする中、少年が崩れ落ちた。そこに飛び出す影。
「サンキュ、黒翼」
「無茶を、なされますな」
それはまごうことなき主従のあり方だった。

とてつもなく古い、色あせたかばんを一つ。かなり大きな旅行バックを一つキャスターで引きながら、西洋風の建物が立ち並ぶ学園都市にやってきた。
平日の昼間ゆえにある程度すいている電車の席に座り、ぼんやり今後のことを考える。一体校長は何を考えていたのだろうかと。ぶっちゃけ馬鹿じゃないのかと。
百歩譲り日本で教職につくことは認めよう。前世での敗戦を機に何事においても学は必要だと思ったが故に、苦手なものを詰め込み、何故か大学卒業レヴェルの学力を手にしてしまったのだから。基本的なものから珍しいものまで以前よりも魔力がない事から魔法を習得した際に必要に迫られ習得した語学力は、他者に追従を許さない。尤も魔法学校なので、機械には弱かったが。
だがしかし、教職につく学校側の準備はどうなっているのかとカモを使い調べた結果、アホらしい事実と対面することになった。教育実習生という立場はまともだった。英語を担当するということも。だが、到着当日から即授業というのはどういうことかと、これが試練なのかと柄にもなく混乱してしまった。
ありえない。どれだけ優秀な者でも、プランを考えないうちに授業を受け持つことなど不可能だ。更に、学校側は現英語教師の表世界からの撤退を考えているようで、引継ぎの準備など皆無だろう。
ここは、自分でやるしかない。何百年と生き、人々に恐怖を与えた者とかは関係なく、ただ同じ年頃の少女達に笑われることはプライドが許さなかった。そうして予定よりも早く修行の地、麻帆良学園女子校エリアに降り立った。



[10291] 第六話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/18 12:44
季節は冬。正月も過ぎ、学校は三学期の真っ最中だ。
麻帆良学園都市。住民達に世界樹と呼ばれる超巨大樹木は、仮想で作られたこの木なんの木の歌に登場する木に匹敵する。その正体は魔力を発散する魔法の木だ。
魔法関係者はその木の保護のため世界樹を中心に、都市を形成。それだけでは理由が薄かったので幼稚園から大学院までの超巨大学園を作り、そのサポートのためだけに各種会社を招きいれた。
麻帆良は、世界樹の魔力を基にした、大規模な結界が何種類も張られており、住民の意識を操作し世界樹を受け入れさせている。また麻帆良学園は日本最大の勢力、関東魔法協会でもあり、同じく日本最大の勢力、関西呪術協会の過激派に幾たびも襲われている。
そのことから、都市内には多くの魔法使いが在住し、迎撃に当たっている。また教師陣にも魔法使いは多く、学園の教師が臨時に休むことが麻帆良以外の学校に比べ多いのは、それが原因だと思われる。
教師や、都市に在住する魔法使い以外つまり、学園の生徒にも魔法使いはおり、未確定情報だが関東呪術協会の刺客を撃退している。通称それらは魔法先生や魔法生徒と呼ばれ、NGOに参加しない珍しい魔法使いだといえる。
意外なことに、魔法使いがたむろする麻帆良学園において、科学とくにロボット工学は他の学校を凌駕し、世界各地に存在する会社おも追い抜き、世界一の技術を誇っている。砲台こそないものの蜘蛛のような多脚戦車が世界に向け発表されている。確定情報ではないが人並みのAIを備えたアンドロイドを完成させているという。さらには高度なAIこそないものの完全な戦闘用アンドロイドの量産計画が水面下で進められている。
最後になるが、本来秘匿すべき気が、麻帆良の地では何故か一般人であるにもかかわらず目覚めることが多数確認されている。原因は定かではないが、あるいは世界樹の影響である可能性も濃厚である。
「以上が、オレッチが調べ上げた情報でさ」
認識阻害の魔法を展開し、カモが調べ上げた情報を吟味した。が、特にこれといった情報はなく、何故魔法学校卒業後の課題として選ばれたのかが分からない。校長はお茶目な性格だったが、決めるところは決める性質だった。
何か必ず裏がある、と思うもあまりまじめにやる必要性は感じていない。
|立派な魔法使い(マギステル・マギ)になる必要はないのだから。
そもそも最悪の吸血鬼という、魔法世界共通の敵がいなくなった後、有り余った武力に物を言わせて東西に分かれた大戦争が起こった時点で、魔法使い達が掲げる立派な魔法使い、つまりは常に正義を行うための魔法という概念は失われたのだ。
そのことに気が付かない大馬鹿者達が、たかが英雄の息子だというだけで特別視し、期待と共に幼いうちから正義を教え込み理想的な魔法使いにしようなどという思惑に乗るなど、誰がするものかと、常々思っていた。
尤も課題を終えなければ一人前とは見られず、職にあぶれるので、今回はそれなりに平凡な人生を送ろうと思っているが故に、課題突破は必要不可欠だった。そんなことを思うのには、心配だった少女の手配がなくなっていたことが大きく関係していた。
守れたのか、守れなかったのか。そのどちらかは分からない。討たれた後の時代は魔法使いにとっての大戦争を経ていたので、巻き込まれていない限りは無事のはずだと思っていた。実際本国に不法アクセスするなどして当時のことを調べ上げたのだが、少女が討伐されたとはまったく載っていなかった。
石畳の地面を歩き、完全なる西洋風の町並みに、日本に来たと実感することもできず、麻帆良学園学園長にして関東魔法協会会長、近衛近右衛門に会いに、歩みを進めた。

第六話 新たな土地

学校内は授業中の適度な緊張と、チョークを走らせる音が響く。来訪者用の出入り口で、名前を書いたときに見た見取り図に従い、直接学園長室へと向かう。
それにしても、と疑問に思った。わざわざ女子校に部屋を置くことはないだろうと。
男とはすべからスケベである。それが最もひどいのが、坊主等の聖職者、先生と呼ばれる議員や弁護士、そして学校の教師である。
教師が教え子の女子にどうのこうのしたという事件は、世界中に溢れかえっている。だが、隠しているといっても仮にも学園のトップがそれを悟らせるような行為をしているのはさすがにおかしい。魔法使いということを加味し、この場所自体に何らかの呪術的要素があるのだとしたら当然の処置なのだが、今のところそのような波動は感じられない。むしろかなたに見える湖に浮かんだ都市の方がそれらの波動を発していた。
そんなことを考えている間に、目的の場所につく。ノックを一つ、名乗りを上げ応答と共に中へ入った。
「ネギ・スプリングフィールドです。期間的に見て若干の猶予が必要だと感じたため、予定より早いですが来訪いたしました」
もともとが日本人なので、深々と腰を折った。剃っているのか天然なのか、一部分だけしか生えていない長い髪を立つように括り、深いひげをなで、近衛は一つうなずいた。
「良くぞこられた。歓迎するぞい。まあ確かに、ちっとばかり到着が早かったが、若者にはよくあることじゃ。お座りなされ」
置かれたソファーに遠慮なく座り、近衛が座るのを待つ。
「さて、困った課題を貰ったのう。ネギ君や」
「ええまったくです。十五歳の若造に指導者の立場を求めるなど、校長は何を考えてるのやら」
深いため息を吐き、ここぞとばかりに攻撃する。魔法学校校長と、近衛が結託しているのは知っているのだ。
「何事も経験じゃて。さて、ネギ君や、挨拶はこれで終わりにして、君の処遇について話さねばならんな」
「そうですね。教員免許もなく、指導の経験もない。教育自習としても少し厳しい条件だと思いますが」
ねたは上がっている。暗に教育実習生で通しても無理があると訴えた。
「そうじゃのう。ネギ君。これを見てもらえんか」
そういって出されたのは白い薄い本のような物だった。受け取り開くと、思わず絶句してしまった。右に大きく写真が貼り付けられており、左に特徴や技能などが書かれた、所謂お見合い写真というやつだったからだ。
「どうかね。孫なんじゃが、うちのこのかを貰ってみては」
硬直が溶けた。近衛はあろう事か、孫の見合いで話をそらしたのだ。
「良いですね。どうやら家庭的な女性のようですし、一度機会を見て…」
思わぬ反撃に今度は近衛が硬直することになった。それを横目に嘲笑う。からかうなんざ十年早いと。
「いや、待った! 今のなし!」
「それで、やはり教育実習生というのは難しいと思うのですが」
ここにいたって近衛はからかわれたことを悟った。そして話をそらすことを失敗したことも。
「幼稚園生や小学校低学年ならともかく、十五歳で教育実習生など話にもならないと思うのですが。それとも私の担当は幼稚園などですか? それならば園児をだませても職員が納得いたしません。やはりここは故郷に帰るしか…」
「ま、待つんじゃネギ君」
それだけはならんと、声に焦りが出る。
「ではどうするというのですか? あるいは天才児とでも言えばいいと思っておられるのならはっきり申し上げてそれでも世間の目はごまかせません。そのときはマスコミが駆けつけるでしょうから」
「いや、なんじゃ。本来ならばそのとおりなのじゃが、ネギ君よ。こと麻帆良にいたってはその限りではないんじゃ」
「何故ですか? この地に何か秘密でもあると? ですがもし仮にそれが存在したとしても、おそらく魔法的なものでしょうから、オコジョの刑どころでは済まされませんよ」
大規模な物になるでしょうからね。そう嘯き、近衛を慌てさせた。
「い、いや、本国には連絡済じゃ。心配はいらん」
「ですが、この場合ばれたときは連帯責任で私にも事は降りかかるでしょうから、もちろんご説明願えますよね?」
断ることはできない。隠したくても先ほどの言葉から課題達成にはあまり関心がない様子を植えつけたからだ。事を画策した近衛としては、なんとしてでも引きとめ、課題を達成させなければならない。故に説明せざるおえないのだ。
「あい分かった。しからば説明しよう。ネギ君はすでに見たと思うがこの地には巨大な樹木がたっておる。あれは神木・蟠桃(ばんとう)といって随時身体に影響のない程度の魔力を発散しておる。わしらはそれを利用して、この地に結界を張っておるのじゃ。効果は一般社会で異常と思われる不思議を無意識にあるかもしれないというレヴェルで受け入れさせること。故にネギ君が教職についても不思議には思われんのじゃ」
分かってくれたかの、と僅かに目を開く。だが全てはネギの計画通りだった。
「話は分かりました。ところで何故そんな木がここにあるのですか? 普通そういったものは魔法使いによって厳重に管理されるはず。隔離もせず街が建っているということは、遅れを取ったということでは」
「ち、違うのじゃネギ君。もちろんこの地は先に魔法使いが見つけておった。だが…」
「では何故、街なんか建てたんですか。露見の危険性は?」
近衛の言葉をさえぎる。感じたのだ、このまましゃべらせていれば、秘密というベールで事実を覆い隠されてしまうと。
「そ、それはの、その、あれじゃ。そう魔法使いがこの地に移住したのじゃ。故に…」
「それだけでここまで大都市にはなりませんが? まさか、一般人に魔法が」
「いやいや、それはない。実は神木の効果を狙って、侵入者が多くての。それで無闇に魔法が露見できんように一般人を招きいれたというわけじゃ」
近衛はほっと一息ついた。このレヴェルの話は、軽く修行が終わった後で告げようと思っていたことだったので問題はなかった。が、ネギは容赦しない。
「では、一般人の護衛は誰がやっているのですか? まさか魔法使いが一般人の危険をほうっているわけはないですよね」
疑惑の目を向けるネギ。それはもちろん演技に過ぎない。だが焦る近衛にはそれを見抜く余裕がなかった。
「それはちゃんとしておるよ。心配は無用じゃ。だから君も立派な魔法使いに…」
「では、誰が侵入者の撃退をしているのですか? それでは数が合いません」
「そ、それはじゃな、あの、その」
ネギは目をそらさず近衛を見据える。冷や汗を流す近衛は、三分弱粘ったが、とうとう魔法先生と魔法生徒の情報を喋った。
だが、これで終わることはなかった。何故それほど魔法使いがいるのかという問いと、学園の関係者に魔法使いが多いことを指摘され、芋ずる式に関東魔法協会のことまで話してしまった。
もちろん全て知っている内容だったが、いつぼろを出す可能性があるか分からない。それゆえ全て喋らせたというわけである。
「ところで学園長。あの島は何ですか?」
これ以上は喋らないと口を閉ざした近衛に、先ほどから気になっていた魔術的波動を感じる湖に浮かんだ島を指す。
「ああ、あれは図書館島といって…」
これ幸いと飛びついた近衛の言葉に、なんとなく理解した。明治時代から集められている蔵書。いくら世界各地のものといっても魔術的波動が出るはずがない。普遍的な本に混じり、魔術書も収集されているのだろうと悟った。
それらを含め、誘導したといえど近衛の説明は実に見事な自爆だったといえるだろう。

麻帆良に程近い密林の近くにそれはあった。木製でできた別荘のような建物。庭は広いが手入れは整っていないことから、無人だと分かる。
玄関前、ポストの横に自作の表札を地面に突き刺した。「ネギ・スプリングフィールド、その仲間達」と書かれたものを。
預かった鍵でドアを開け、風の魔法で積もりに積もった埃を外へと追い出す。庭につながるガラス戸を開き、重力魔法で生い茂りすぎた雑草を根っこから引き抜き、火の魔法で焼却した。そこで窓を閉めようとしたのだが、何を思ったのか無詠唱で光の矢を一発空へとぶちかました。
完全に窓を閉めて拍手を一つ。簡易結界を張り、持っていた古ぼけたバックの中から札を十数枚取り出し、
「オン」
中に入っていた仲間達を外へと出した。ほぼ全ての者がネギへと挨拶をして、部屋割りを決める。その和気藹々とした姿は魔法界を恐怖のどん底に落とし込んだ、デーモンと呼ばれ今もなお恐れられる者達だとは到底思えない。そして優先的に与えられた個室に赴き、古ぼけたバックの中から、二振りの刀を取り出す。鹿の角でできた台に正しく横に置き、もう一度手を入れた。出てくるのはどこからどう見てもそうとしか見ない、スナイパーライフル。ただ普通と違うのは照準だけでスコープがないことだろうか。
それを、仕分けし床に置く。ついでとばかりに出てきたのは銃弾の数々。黄金の魔弾に始まり、紅蓮の魔弾や、蜃気楼の魔弾、さらに魔法無効化能力の付加された破魔の魔弾など。どれもこれも遺跡からの発掘品ばかり、更に言うと生成方法が確立されていないレア物。それを工房(ファクトリー)ごと持っていた。
次に取り出したのは何と畳。それを数畳中に浮かばせると、部屋の一角にきれいに並べる。気と、魔力と、霊力を合成し自分の中にあるイメージを緻密に思い浮かべる。
「告げる」
閃光が部屋に充満し輝いた。輝きがやみ畳のあった場所は、床と融合した完全なる和の空間だった。
「これで寝床は完璧と」
そうしてあらかじめ準備をしておいた布団一式を古ぼけたバックから取り出し先ほど作り出した押入れに入れる。
入り口から右手に刀も置かれた畳敷き、ベランダにつながる奥の窓の前に、これまた古ぼけたバックから取り出したマホガニーの執務机が置かれ、左手前にはライフル一式。
「ああ、これがあったな」
そういって、今度は一際大きな旅行カバンを開き、中から同じ色のマントがついた真紅の鎧を着せられた胴体から上だけのマネキンを取り出し、伸縮自在になっている支えを伸ばし背丈を整える。それを左奥に置き、おおよその準備は整った。
さあ、夕食の調達だとすぐ近くの密林に赴き、サバイバルとは思えない手料理の数々を仲間達に振舞うのはそう遠くない未来だった。

「魔法攻撃力AAA+、魔法防御B-、補佐魔法A+、召喚魔法D、近接戦闘測定不可能、魔銃操作B、隠密行動D-、危機察知能力測定不可能、索敵能力測定不可能、補足論理武装能力EX。以上がネギ君の成績です」
学園長室で、無精ひげを生やした眼鏡の男性が近衛に報告する。
「成績は優秀。いや優秀すぎるというべきか。この才能が魔法世界、独立学術都市国家アリアドネーで開花しておれば、即上位で騎士団入りじゃったろうな。タカミチ君、君はどう思うね」
タカミチ・T・高畑。現在英語を担当している教師にしてかなり上級レベルの魔法使い。その人物は、手をあごに当てて、考え込んだ。
「測定不能というのは、おそらくSランク以上だったためでしょう。田舎の魔法学校とはいえ随時生徒の行動を評価する結界が答えを出せないのはそれしかありません。あるいは結界の誤作動かもしれませんが、それでも私以上の力はある可能性が」
「君から見てもそうか。わしもそう思う。君はネギ君についての逸話を聞いておったかね?」
「変人だと、聞いております。主に剣を使う魔法使いだからだと思ったのですが?」
近衛は一つうなずいて、言葉を続けた。
「確かにそれもあるじゃろう。今の魔法使いは魔法剣士が非常に少ない。ましてや学校で教える魔法剣士型は魔銃の扱い方ぐらいじゃ。近接戦闘は子供の喧嘩レヴェルに過ぎん。おそらく鍛錬をしておったのを結界が感知した結果、測定不可能と出たのであろう。じゃがその中で不可解な結果があるんじゃ。それがネギ君が変人と評された真の理由なのじゃが、タカミチ君。もし君が学園図書館閉館後も魔道書を読んでいる途中、教師に見つかったらどうするかね」
「私なら、すぐさま逃げます。そもそも規則で閉館後は立ち入り禁止のはずですから、普通は入りません」
近衛は一つうなづく。
「そうじゃろう? じゃがネギ君はそうではなかった。聞くところによると押し通ったらしい」
「押し通った、ですか?」
「そうじゃ。見回りの教師に発見され説教を受けたネギ君はこう反論したという。ここは学び屋だ。勉強して何が悪い、と。それでも教師は説得したらしいのじゃが、魔道書を貸し出しもしないで、読めば怒るとは何事だ。そもそも魔道書は一日で読み習得できるものではない。尤もすぎる正論で教師を説教し、激怒した教師に追い返されること数回、それでも直さない態度に学校側はネギ君の主張を認め、魔道書の貸し出しを許可したという。それ以外にも正論で教師を言い負かしたことは数知れないらしい。それが変人という理由じゃ」
「そして本来あるはずのない補足、その理論武装EXのわけでもあるということですか」
近衛は答えない。何かを考えるようにして数秒おくと、タカミチに声をかけた。
「新たな任務じゃ。タカミチ君、これから特に忙しくないときは最低一週間に一度ネギ君のログハウスに向かってほしい」
タカミチの眉間にしわが寄る。
「彼の息子の偵察に心苦しいものがあるのは察しておる。じゃがネギ君の成績で明らかにおかしな物があることも確かなのじゃ」
「学園長、それは」
「隠密行動D-。D-は最低ランクの成績じゃ。じゃがおかしいとは思わんかね。隠密行動と索敵能力は密接な関係にある。片方は最低ランク、もう片方は測定不可能。バランスが悪すぎる。間違いかとも思ったのじゃが、先ほど監視魔法が迎撃された。それもたった一本の魔法の矢で。完全なるステルス性じゃ。この学園でも気が付けるのはごく僅かじゃろう。それをなんの緊張も悟らせることすらなしにごくごく自然な動作で迎撃したのじゃ」
「ですがそれだけならば」
「そうそれだけならば君に頼むこともなかった。じゃがその後もう一度監視魔法を向かわせたのじゃが、ログハウスが映っておらなんだ。結界じゃろうと様々なパターンで解析を試みたのじゃが、どうやらかなり古い東洋独自の結界だと分かったのみ。もちろん魔法学校ではそのような事を教えてはおらん。こちらの書物もなく誰かに教わったのじゃろうがそのような人物は報告されておらん。隠密行動が高くなければできないことなのじゃ。それも結界をだませるほどの能力。分かってくれるかの」
そこまで言われればタカミチも頷かざるおえなかった。
そして始めての訪問が開始されたのだが、デーモンと呼ばれた者たちは例外なく隠密技術が高く、誰一人発見されることはなかった。それでも空き部屋が使われた形跡や、無造作に置かれているスナイパーライフル型の魔銃それも必須のはずのスコープがついていないものや、オークションなどで時々しか売られることのない希少な発掘品。それらを発見し何かがあることだけはつかんだが、時間のほとんどを授業の引継ぎに費やされ、授業内容への意見を求められたり、テストは単語中心か、文法中心かを聞かれたりと偵察よりも感心することの方が強かった。
そうして、いよいよ初めての授業が開始された。



[10291] 第七話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/18 12:45
「では、紹介しよう。指導教員を務めるしずな先生じゃ」
いよいよ授業当日。学園長室で紹介されたのは、長い髪を波打たせた眼鏡の美女だった。
だが、それはネギに何の感慨も与えなかった。男なら誰もが振り返る美。特筆すべき大きな胸は目線を釘付けにすることは請け合いのはず。なぜ反応しないのか? 決して貧乳派ではないのだが、仲間には戦闘の邪魔にならない程度の者ばかり。
そもそもネギに恋愛うんぬんを求めるのは非常に難しい。第一、第二の人生を省みても、その兆候はなかった。
だからよろしくね、とウィンクつきでいわれてもびくともしなかったと言う訳である。

第七話 どっちのドッジ?

他愛のない会話をしながら受け持つクラスへ向かうべく歩みを進める。
紳士の見本のごとき笑顔だが、心の中は不安が枕の綿のようにぎっしり詰まっていた。
何度も家を訪ねるタカミチに、授業方針や内容を聞いてはいたものの、やったことのないものはやはり誰でも緊張する。
「そうそう、これクラス名簿よ」
だから、渡された名簿を開くことさえできなかった。
そうして、ついたのは年頃の少女独特の騒がしい教室。これが受け持つクラスかと、気を改め、堂々と引き戸を開けた。
瞬間、腕が自然に動いた。気づけば握っているチョークの粉がこれでもかとついた黒板消し。古典的な黒板消しトラップが歓迎の挨拶なのだったが、そんな余裕はなかった。
腕が自然にと言ったが、それは無駄がないという意味で、最悪の吸血鬼のころ討たれた経験から、闘気や、殺気などがない攻撃をどのようなレヴェルであろうと受け止められるように訓練したのだが、それが仇となった。常人には腕がかすみ、いつの間にか黒板消しをつかんでいたと映っているだろう。事実、しずなはおろか教室内も沈黙が漂っていた。
それに気が付き気を取り直し教壇へ進む。途中ワイヤートラップや、赤外線式おもちゃのボーガンをごくごく自然な動作で発動させることなく教壇に着く。
どうやら、トラップはクラス全員が知っていたようで誰もが目を見開いていた。
「しずな先生」
こちらもまた硬直してるしずなを呼ぶと、われに返ったしずなはネギを紹介するべく教壇に歩き出し、ずっこける音とともに発動されなかったトラップが続々と襲い掛かり、教壇に頭をぶつけ目を回していた。
歓声の上がる教室だったが、ネギは感じていた。しずなから湧き出る強烈な怒気を。
結果授業の四分の一が説教に費やされることになった。

「教科書一二八ページから始めます」
ネギの声が響く教室は依然沈黙が漂っていた。あの後怒り狂ったしずなが教室の後ろにいるという事もあるが、一番の理由はネギ自身にあった。
授業の進め方が悪いというのではない。ネギの存在そのものに問題があった。
十五歳という、一年上の男子が教える側に立っている。それだけでも驚愕に値するのだが、恐るべきはネギの容姿だった。
燃えるような赤毛はセンスよく短く切られ、この世界独特の人種による顔の違いがない故に、目鼻の整った顔はブラウン管の中のアイドルをも上回る美があった。一見優男に見えるそれも、ブラックのスーツに身を包めば、あまり違和感がない。むしろどこかの財閥の跡取りと紹介されても納得がいくほどのできばえだ。
「さて、この問題を解いてもらいましょう。龍宮真名さん」
「は、はい」
瞬間、教室に衝撃が走った。東南アジア系なのだろうか肌の色が濃く、それを引き立てるかのように茶色がかったブラックの髪が長く伸ばされている。
色恋沙汰に縁のないようなシニカルで通っている真名なのだが、なんと頬が若干赤く染まっていた。
「はい、正解です。龍宮さんの発音はとてもきれいでしたね。留学の経験でも?」
「い、いえ。昔からいろいろと渡り歩いていたのでその影響で…」
言葉に詰まっていた。目線もまるで助けを求めるかのように定まらず、せわしなく動いている。
「そうですか。それとお仕事、お気をつけて」
「えっ」
瞬間真名の目が見開かれる。真名の仕事、それは傭兵。先ほど渡り歩いていたというのは戦場をという意味であり、幼いころから殺しあいの世界に身をおいていた。
今は学園に身を置き、偶に学園側から入る依頼をこなしている。そんなガンスリンガーガールの思考が高速回転した。ばれているか、偶々か。おそらくばれているのだろうと、結論をつけたが、何故ばれたのかがわからない。
困惑しながら席に座る真名をよそに、授業は続いていく。
「ここの接続詞は…」
わかりやすいように矢印で線を引き、生徒に振り返った瞬間、右手がぶれた。
「うみゅっ」
かわいらしい声とともに、チョークが粉々に砕ける。
「綾瀬夕映さん。授業はちゃんと聞きましょうね」
「は、はい先生」
第二の衝撃がクラスに走った。綾瀬ユエ。比較的小さな背丈に後ろで二つに分けた髪の少女は、成績こそ悪いものの論理武装させたら並の者では歯が立たない。そんな彼女は今まで何度も注意されていたのだが、それを認め改善したことはなかった。改善するかどうかは今後現れるだろうが、認めたことには間違いない。
だが、衝撃の理由はそれだけではなかった。チョークをぶつけられ、いまだ額を押さえているというのに、ネギを見る視線には熱がこもり、誰が見ても頬が赤く染まっていた。
ユエ撃沈。だが、それでも納得がいく。生徒のほとんどがネギに釘付けになっているのだから。
だが、最大の衝撃は授業が終わった後で起こった。
終業の鐘がなり、一日のプランを終えた後の故郷イギリスでの話を面白おかしく話していた最中だったので、授業に支障はなかった。そうして行われる号令。そうして教材を持ったネギだったのだが、何を思ったのか転進。一人の生徒の前で立ち止まった。
「お化粧はいけませんよ、雪広あやかさん」
はっと身構える、あやかの長い金色の髪を掬い、ネギは続けた。
「校則だから言っているのではありません。雪広さん」
そっと、髪を伝い頬に手を当てる。
「お化粧は女性を美しく見せます。ですがその代償として肌を荒らしてしまうのです」
いきなりのことに顔を赤く染めることしかできないあやかを置いてネギは言葉を進める。
「あなたの肌は、上質の絹よりも滑らかだ」
そっと頬をなで、視線をあやかにあわせた。
「こんないいものを荒らすことは、世界遺産を破壊することと同義。何もお化粧をするなとは言いません。ですが、あなたは素顔のままでも美しいのですから、せめて中学の間だけは肌を荒らさないようにしませんか? もちろんその場その場にあわせてお化粧をしなければならないこともあるでしょう。そういう時はできる限り薄く塗ったほうがあなたにはあっています」
「ネギ先生…」
「何ですか雪広さん」
「あやか、とお呼び下さい」
隕石が衝突したといっても過言でないほどの衝撃が、クラスに放たれた。あやかのネギを見る目線は恍惚としており、真っ白い頬に色っぽい朱がさしている。
いいんちょの名でしたしまれるあやかは、常日頃から年下にしか興味はないと公言して他ならない。一部ではショタコンとも噂されるあやかだ。それが、美少年とはいえ年上のネギに明らかに惚れていた。前代未聞の大事件だ。
一度目、二度目とは比べ物にならない衝撃。クラスの誰もが我が目を疑い、目をこすった。だが現実はいつの非情で、どこからどう見ても恋の熱視線を向けているようにしか見えない。
このことはあやかのライバルにして、親友の神楽坂明日菜に最も強い衝撃をもたらした。ショタコンと渋いおじ様しか興味のないオジコン。いつも激突していた片方が崩れ去ったのだ。
こうして、ネギの初授業は大混乱の予兆を残し幕を閉じた。

「しずな先生。ネギ君の様子はどうじゃった」
空が赤く染まる夕刻。学園長室でしずなと近衛が対峙していた。
「来訪日時が早かったことが幸いしたのでしょう。高畑先生の授業内容を困惑のない範囲でうまく受け継いでおられました。海外からの先生に多い、日本の授業とは違う様式も見られず、文法重視のテストに適合した授業でした。また、一日に進めるプランも決まっているようで、余った時間には英国時代の雑談で埋めるなど生徒を退屈させない運び方は評価に値します。ですが」
十五歳には思えない内容に、近衛は半ば驚き、賞賛し嬉しく思ったが、最後に付け加えられた言葉の続きが、なかなか出てこない。深刻な問題なのかと、声をかけると、あるいはかなり深刻だと答えられた。
「その、ネギ先生は並みのアイドルでは及ばない容姿の持ち主です。性格も温厚どころか紳士の鑑。予想してしかるべき状況だったのですが、私の認識不足でした」
「どういう、ことかの」
判りつつも判りたくないと、内心冷や汗を流しつつ、近衛は先を促した。
「はい。二年A組の生徒たちほぼ全員が、ネギ先生に惚れてしまったようです」
聞きたくなかった。近衛は全力でそう思った。だが事実は事実。変わることはない。
「教師と生徒の禁断の恋。見てみたい気もするが、いくら神木の力があるといえども、問題にならないはずがない。対策を、考えるべきかの」
「ですが、ネギ先生の行動は故意によるものではないと思われます。注意したとしても直るかどうか」
「二-Aは個性的じゃからな。多少の障害ごとき苦にもならないじゃろう」
どうするべきか、答えは見つからない。唯一の解決策はネギをニ-Aからはずすと言うことなのだが、それでは魔法使いとしての試練、つまりは修行としてこの地を選んだ理由の半分が失われる。立派な魔法使いになってもらおうという近衛の思惑から外れてしまうのだ。
カラスが遠くの森で鳴く声が、問題がいかに馬鹿らしいかということを表しているように思えてならなかった。

湯を体にかけ、足の先から温度の高い湯の中に体を滑り込ませる。肩までつかり、大きく息を吐き出した。
ネギ・スプリングフィールドとその仲間たちの家は、今日も静かだ。ほぼ全ての者達はすぐ近くの密林で修行をし、自炊している。有事の際困るようにも思えるが、前世と同じように念話と呼ばれるテレパシーとは異なった技法、チャンネルと呼ばれる周波数が繋がっており、いつでも連絡が取れる。今この家にいるのは沐浴が習慣となっている者達だけだ。
それにしてもと、湯に浸りながらクラス名簿を思い出す。
出席番号二十六その存在に気が付いたのはいつだっただろう。授業が始まる直前にざっと写真だけは見たのだが、まったく気が付かなかった。ずっと捜し求めていたはずだというのに。
だが、それも仕方がない。その姿は最後に会った十三歳のそれではなく、高校生といっても通用しそうなほどまで成長していたのだから。
吸血鬼は成長しない。それが覆されたということは、何らかの必要に迫られて高度な術式を編み出したか、あるいは渡した宝石を使ったか。どちらにせよその必要性というのは想像出来た。
何百年も生きているのだ。当然人恋しくなることもあるだろう。精神は成熟しても、体は子供のまま。だがそのギャップに耐え切れなくなるほど吸血鬼の日常は暇ではない。
正義の名の下に襲い掛かる刺客におびえる日々。最小限まで減らしたそれだったがそれでもないとは言い切れない。その結果誰かにすがってもおかしくはない。誰か、自分を守ってくれる強き者か、心の安定を図るための異性か。
子離れするというのは、こういった痛みが伴うものなのかと、十中八九後者であろう事に、見えない刃で胸を貫かれたかのような痛みが走る。
感傷に浸る中、からりとガラス戸が開く音がした。
「主様…」
振り返ることはない。鈴を鳴らしたかのような声の主は把握していた。
「お背中をお流しいたします」
振り返らない。が、温度の高い湯は、体を温めすぎ、上がらなければならない状況を作り出していた。
「謀ったな、黒曜」
仕方なしに湯から上がり、目をつぶりながら備え付けのシャワーに向かう。
「目をお開けくださいな。転んで怪我をされてしまっては事にございます」
「なら、体にタオルを巻け。そうしたら目を開く」
「お戯れを。巻いてしまえば主様にご覧いただけないではないですか」
「女なら恥じらいを持てと何度も言っているだろう?」
そう、黒曜と呼ばれる女の化生は体を隠すことなく浴室に入ってきたのだ。だが、黒曜はネギの言葉は何のその、背中から抱きつき、豊富でもないがひもじくもない理想的な胸を押し当て、形をたゆませた。
「黒曜」
「はい」
困ったとでも言うように五本の指を額に当て、苦情を放った。
「それはやめろと何度言えば判る」
「ですが、お目に付かなければよいのでしょう? ならばこうすることもひとつの解決策かと」
「なってない。断じて解決策になどなっていない。いいか黒曜…」
「ですが主様のここは、こんなになっておりますが」
押し黙るネギ。これは黒曜だけでなく、女性型の化生全員に言えることなのだが、とにかく迫ってくる。何を言っても、たとえ命令だろうがお構いなしに。
時には裸で床に入っていたこともあった。幾度もそういう目では見れないと言っているのだが、あきらめる気どころか気配すらない。それは前世でも同じだった。ただ助かっているのは、力ずくでどうこうするという事がないことだけだろう。それ以外は、時に大胆に、時に恥じらい、時に色気を使い誘惑する。悪意がなくいつも真剣なので怒るに怒れない。
「いや、それはだな。男なら誰でもそうなると思うぞ」
「では、わたくしに興奮されていると考えていいのですね。では失礼ながらお情けを」
「だめだ。そういうことは好き合ったものでないといかん」
「わたくしのことはお嫌いだと申されるのですね。ならばこの世に未練はありませぬ。お先に」
「まてまてまて。何故そうなる。やめんか馬鹿者」
事ここにいたって、目を開けた。飛び込んでくるのは、白い肌を持った、ショートカットの女性だ。普通付いている耳はなく、その代わりに頭のてっぺんに三角状の黒い猫のような耳が付いている。
吊り上がりぎみの目は今は涙ぐみ、スレンダーな体系に沿うように伸ばされていた腕がくの字に曲がり黒い爪を鋭く伸ばし首に当てていた。
「ならばどうかお情けを。何百年と時がたっても未だ主は、劣情すら抱く様子もございません。主のお役に立てることはうれしゅうございます。ですが、女として欲しいのです。それが思いのこもらぬものであっても」
とは言うものの、黒曜に死ぬ気は微塵もない。このやり取りは何百年と続いており、気持ちが揺らいだら幸運だと思っているだけ。真に想っているのは、たった一人の少女だけだと知っているから。
「まあ、なんだ。とにかく湯に浸かれ。体が冷えるのはいかん」
それに、なんやかんやといっても、気遣ってくれるのがとてつもなく心に響く。だから今はそれで満足だと、ネギの本当の心を知っているが故に写真でしか知らない少女に宣戦布告する。主の心は私たちがいただくと。

昼休み。職員室で弁当を食べながら、小テストの結果を見て考える。
「この五人はどうにかしないとな」
百点満点中、二十点以下。ある意味猛者だと感心にも似た感情を持ってしまう。
「ネギ先生。調子はどうですか?」
ある意味達観していたところに、しずなが声をかけた。
「もう教師としてやっていけそうですか?」
「いえいえ、私なんかまだまだですよ。高畑先生に比べれば授業レベルも低いですし。それと皆さん聞いてくれてはいるのですが、視線が集中するんですよ。それが授業に対しての熱心さならいいのですが、どうも違うように思えて」
分かってないとしずなは手を額に当てため息を吐いた。初めての授業から何度も生徒を魅了してはいけないと忠告しているのだが、本人に自覚がないというのはなんと厄介なものなのだろうと思わず、問題児だらけにもかかわらず二-Aの生徒に同情してしまった。
「さて、そろそろですか」
「どうかしましたか、ネギ先生」
この後の受け持ちはないはずだと、席を立ったネギに疑問の声を上げる。
「体育の中村先生が体調を崩しておられましたので、ちょうど受け持ちの二-Aだということもありまして急遽代わりをすることになったんです」
困ったように笑うネギだが、それどころでない。ネギの身体能力は近衛から聞いていた。さらに机の上には体育の教本があるではないか。
しずなは突然襲っためまいの原因を理解した。二-Aの生徒達よ。堕ちるなかれ、と。

体育というものは屋内と、屋外でやるのもだとネギは思っていた。屋内の場合は体育館で、屋外の場合はグラウンドか、テニスなどのコート、夏ならばプールなどだと。
が、麻帆良の場合はそれが覆された。なぜかグラウンドの面積が少ないのだ。コートを作る面積がない。学園都市というマンモス以上の学校だというのにだ。
その解決策はあったようだが、それにも疑問点が尽きない。よりにもよって屋上にコートを作るなんてと。
そうして、予鈴がなると同時に中学部屋上コートに着いたのだが、しばらくしてやって来たのは高等部の生徒達だった。
始めは何故女子校エリアに男子生徒がいるのかと、詰め寄られたのだが、そこは論理武装EXの実力。様々な状況証拠を持ち出して認めさせた。そして何故中等部のコートにいるのかを理由を聞くと、言葉を濁し言い逃れを謀られた。
そのとき思い出したのだが、以前二-Aの生徒が高等部に嫌がらせを受けたとの報告があった。そのときは子供どうしの喧嘩だろうと、あえて遺恨を残さぬよう徹底的にやらせようと、わざとゆっくり現場に向かったのだが、タカミチが介入し解決していた。その時ちらりと見たのが目の前の女子高校生だというわけだ。
体育の授業と、自称レクリエーションのダブルブッキング。追い払うことは簡単だったが、この手の者たちは決着がつくまで様々な手段で嫌がらせを実行すると相場が決まっている。ここは今度こそ遺恨が残らぬように、徹底的にやらせようと考えた。
ただ、可能性は薄いが一応女であるので、喧嘩のあとが残れば一大事だ。幸い二-Aの授業は体育であり、女子高校生たちもレクリエーションといっている。女子高校生には悪いが、二-Aの踏み台になってもらおうと、ほくそ微笑んだ。
立派な魔法使いになる気はないが、将来のため、先生という課題はやらなくてはならない。受け持ちである二-Aと、関係のない女子高校生では優先順位が違う。
一応先生だということを振りかざし、運動で勝負したらどうかと提案した。一応レクリエーションにもなり大儀はあると。
こうして、二-A対女子高校生のドッジボール対決が決まった。

「ハンデをあげるわ。こっちは全員の十一人で、そっちは倍の二十二人で勝負をしましょう」
栄子と呼ばれるリーダー格の女子が二-Aに宣戦布告した。
「いいじゃない。その言葉後悔しないでよ」
鈴のついた髪留めでツインテールに結んだ、神楽坂明日菜が啖呵を切った。
「あらあら、勝てるとでも思ってるのかしら。二十二人といわず全員でかかってきてもよろしいのよ」
「うっさい! 全員でかからなくてもあんたらぐらい余裕で勝てるわよ」
「なら、勝ったらあんたたちの先生をもらうわよ。それでもいいわね」
「望むところよ!」
いつの間にか賞品へとかしていたのは予想外だったが、計画は順調だった。
だれでもドッジボールというのは体験したことがあるだろうが、逃げるにしても受けるにしても外野のない吸収型でない限りコートの範囲が邪魔をして身動きが取れない。
そのことを約三分の一の人数を減らされてようやく理解したらしい二-Aだったが、チーム黒百合というドッジボール大会優勝チーム相手にエース格のアスナもさすがにやられてしまい、あっという間に人数を減らされ、とうとう全員がやられた。
「さあさあさあ! 私たちが勝ったんだからコートから撤退してもらいましょうか。それと先生ももらっていくわよ」
高笑いがとまらない栄子を睨み付ける二-Aの生徒達だが、
「では、二回戦を始めましょうか」
「は?」
ネギの一言によってその構図が崩れ去った。
「な、何を言ってらっしゃるんですか先生。勝ったのは私たちで、約束も…」
「そうですね。約束は守らないといけません。嘘は泥棒の始まりとも言いますし」
にこりと笑い告げる。
「な、なら」
「ですが、二年A組は体育の授業中です。高校生にもなると分かると思いますが、今のうちから授業に出る意識を持たせないと、出席日数で苦労することになります。それにあなた方もレクリエーションなのでしょう? 十一人で、運動系は難しいと思いますが?」
「で、ですが、勝ったのは確かなんです。それを」
「では、最終的に勝てばいいのでは? それとも黒百合ともあろうチームがまさか負けることを恐れているなどということはありませんよね?」
くすりと笑う顔は、一見茶目っ気のある美男子に見えたが、栄子には悪魔の微笑みにしか見えなかった。その時になってようやく、嵌められたのだと気が付くがすでに栄子たちは舞台に上がった人形に過ぎず、ネギが決めたシナリオどおりに動かざる終えない。
その先に果たして何があるのかは分からなかったが、事はすでに始まってしまっていたのだ。有頂天になり気が付かぬうちに。
「さて、二-Aの皆さん。あなた方の先輩、チーム黒百合の動きを見ていましたか」
愕然とする女子高校生たちを無視し、参加していなかった生徒も含め、講義を始める。
「すでにお分かりのとおり、ドッジボールというのは意外に奥が深く、ただ当てて勝つだけで済まされる競技ではありません。実体験したおとり数が多ければいいというものでもなく、逆に少なすぎてもいけません。その点十一人というのは動きやすい人数に最も近い人数なのでしょう。さて、明日菜さん。黒百合の攻撃方法で分かったことはありますか?」
いつのも授業風景の延長のように流暢に話すネギに、特に気にしていない少数派のアスナは、いきなりの問いかけに戸惑うも、得意分野からか感じ取れたことが自然と口から出ていた。
「私がやられた太陽拳はともかく、トライアングルアタックとか言うのはなんとなく分かったわ。高速でパスをまわすことで私たちを惑わせて、集団からはみ出した一人か、ボールに追いつけなくなった奴を狙うって戦法よね。自慢じゃないけど私の全力投球を軽く受け止めたからにはただ投げるだけじゃ勝てないわ」
悔しそうに親指をかむアスナにうなずき、声を出した。
「そこまで分かっているのなら助言はいりませんね。チーム編成と、作戦は任せました。私としても二年A組から異動させられることは愉快ではありませんので、奮闘に期待しますよ」
ネギのことはどうでもよかったが、さすがに負ける、それもいけ好かない奴らにということに刺激されたのか、アスナは、陣頭指揮を執り、チーム編成を始めた。
結果組み込まれたのは、アスナを除き九名、出席番号順に有石裕奈、大河内アキラ、クー・フェイ、桜咲刹那、佐々木まき絵、龍宮真名、長瀬楓、雪広あやか、ザジ・レイニーディが強制的に参戦した。
アスナは始めから外野に三名も出すという自爆的行為を行ったが、それは黒百合が使ったトライアングルアタックを再現するためだった。
効果は絶大で、あっと言う間に敵の数を半数まで減らし、ユウナとアキラ、まき絵の三人が外野へ回されたものの、あやかは怪しかったが残りの者達の獅子奮闘の活躍により短時間で圧倒的な勝利を得ることに成功。
まだまだ二回戦ですわ、と闘志を燃やす黒百合たちと三戦目を行い、その途中で鐘がなった。
「七対四。私たちの勝ちね。約束は守ってもらうわよ」
意気揚々と告げるアスナに歯噛みする栄子。肝心のネギはというと戦いに参戦しなかった者たちが行ったドッジボールの評価を下していた。
こいつさえいなければ、と自らを嵌めたネギと、二-Aの中心的役割を果たしたアスナをねめつける。今はちょうど黒百合と戦ったチームの評価を下しているところで、ネギもアスナも背中を向けていた。
憎悪が燃える目に飛び込んだのは競技用の硬いボール。瞬間恨みを晴らす思惑が脳裏を占めた。ネギは危険だ。少年のなりをしていても教師。だが、アスナならば? 
思ったが早いか、栄子はボールを手に自らが出せる最高の速度でアスナの頭めがけ剛球を放った。
「えっ」
頬を手で打つような、ボールが肉に当たった音が響いた。
「確か、栄子君とかいったね」
だが、ボールはアスナに触れることすらかなわず、少年の左手に何事もなく納まっていた。
そんな馬鹿な、と恐れおののく。
少年、それもどう見ても優男に過ぎない者が、完璧なフォームと、渾身の力で放たれたボールを、何の苦もなく片手で受け止めたのだ。それも衝撃に腕が揺れることなく。
「闇討ちに卑怯も何もないと思うし、喧嘩の類はどんな汚い手段をとっても勝てば官軍とか言うけど、私の記憶している限り今の時間は体育とレクリエーションだったよね?」
笑っている。ネギは確かに笑っていた。にもかかわらず栄子の体は動かない。まるで金縛りにあったかのようだと他人事のように思う。
「体育にも、レクリエーションにもおふざけというのがあるのは知ってるよ? さて、これもおふざけなのかな、栄子君?」
「も、も、も、もちろんです先生。ただ少しふざけただけで」
これ幸いと乗ったが、それは木や鉄でできた船ではなく、
「じゃあ、これもちょっとした教師のおふざけだよね?」
瞬間、左手がぶれ、栄子が漫画のように吹き飛んだ。
「君たち、早く行かないと次の授業に遅れるよ」
唖然とする二-Aの生徒を送り出す姿に、薄れ行く意識の中で栄子は思った。乗った船は泥の船だったのだと。

「高校とのブッキングといわれて見にくれば、ネギ君はよくやったな」
コートが見えるまた違った屋上で、タカミチとしずながそろって見下ろしていた。
「いえ、よくやったというより、強かなように思えたのですが」
「いやいや、僕だったら止めるだけで、何もできなかっただろうね。ネギ君はどうやら徹底的にやらせることで決着をつけようとしたみたいだ。前時代的で犠牲は多くとも後のことを考えたらそっちのほうがリスクは少ない。それにそれだけじゃない。ドッジボールは子供の遊びというイメージが先行しているが、高度なものはただ当てるだけではなく、仲間との連携が必須のスポーツだ。あえて黒百合に一回負けることでそれを分からせ、成長させる。突発的自体であるというのにそれを思いつくとは、なかなか教師としてレヴェルが高いんじゃないかな」
珍しくタバコもくわえずに、まじめな表情で語るタカミチに、しずなは同意した。
「そうですね。それに最後の場面はいまどきの教師としては問題があるかもしれませんが、生徒を守り、戒めるという意味においては有効的でしょう。おっしゃるとおり魔法使い云々を抜きにして、教師としての才覚があるのかもしれません」
そうだね、と返答し、それでもタカミチは思った。ネギは魔法使いとして、否戦士としてかなり優秀だと。それは魔法学校の成績ではなく、一度だけ何気なく視線を向けられ微笑まれたからだ。
やはり、学園長の言うとおりネギ君の家には通ったほうがいいかもしれない。
今日の出来事は、タカミチに警戒心という名の鎖を与えた日でもあったのかもしれなかった。



[10291] 第八話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/20 18:27
三学期も終わりに近づき、一年間学んだ成果を出す学期末テストがいよいよ一週間後に近づいていた。
唐突だが、ネギのプライドは意外に高い。始めは当代最強と目される退魔士、その次は魔法世界を恐怖のどん底に落とし込んだ最悪の吸血鬼、そして今は望む望まぬは別にして魔法社会の英雄、ナギ・スプリングフィールドの息子にして、次期英雄と望まれる少年。これらは自身の努力があったものの、総じて善悪関係なく位が高い。プライドが高くなるのは当然で、むしろプライドで凝り固まった自己中心的な人間にならなかったのが奇跡とも言えるレヴェルである。
そんなプライド故に、このことを始めて知らされたときは愕然とした。二年A組=テストでの成績、学年最下位。
教師、正確には教育実習生を始めてほんのわずかしかたっていないので分からなかったのだが、言われて見ると二-Aはおバカが多い気がしないでもなかった。
優秀なものや普遍的なレヴェルの者に埋もれて見えていなかったが、とある五人を中心として、全体的に見ると筆記の成績が悪い者が三分の一はいる。
学年一位を目指す気は勿論、教師、否一人の人間として強引に自論を押し付ける気はさらさらなかったが、プライドはある。それに大学までの一人も脱落しない完全なるエスカレーター式の学園とはいえ、いずれ少女たちは社会に出なければならない。そのことを思いこのままではいけないと、一斉奮起することにした。

第八話 その頃の二-A

「さて、今日は授業を始める前に皆さんに言わなければならないことがあります」
いつもどおり静まっていた教室に小さなざわめきが走った。後ろで待機しているしずなにいたっては、今度はいったい何で生徒を魅了する気だと、戦々恐々とさせてしまっている。
「もうすぐ、学期末テストがあることは皆さんも知っての通りです。それに興味を持ち調べた結果、私も昨日初めて知ったのですが、ここ二年A組は、一年生の頃から学年最下位の名を欲しいままにしているというではありませんか」
びくりと、すでに魅了された生徒達の肩が一瞬震えた。
「安心してください。それを返上しろ、というつもりはありません。それが皆さんの努力の結果だということなら最下位でもやり遂げたのだと誇っていいでしょう。ですが心を鬼にして言わせてもらえば、この状況は甘すぎます。幸いこの学園は大学までの完全なるエスカレーター式。世間の学生を悩ませる受験戦争とは無縁の環境です。それに安心しきっている自分はいませんか? 厳しいようですが、学校を一歩出た外の社会は完全なる実力社会。昔はあった年功序列など古き風習と化しています。能のない者は窓際に追い込まれるか、不況のあおりを食らった首切り魔の標的となるしかありません。勿論勉強が全てだなどとは口が裂けてもいいませんが、芸は身を助けるという言葉通り、勉学は身に着けておくに越したことはないのです。男は度胸女は愛嬌といいますが、男女平等参画社会の現代においてそんな言葉は恋事のときにしか意味を成しません。もう一度己と向き合い、問いかけてみてください。本当にこれが全力なのかと。最大限の努力をしているというのかと。私が言えるのはそれだけです。後は皆さん自身の問題。長々と話しましたが今一度考えてみるときです。分かって頂けましたか?」
静かな目で教室を見渡すと、生徒の目に炎が燃えていた。しずなにいたっては涙が見える始末。作戦は成功した。今は必要以上に語らず授業を進めるとき。
そう判断し、普段と変わりなく授業を進め、最後にいつでも質問は受け付けると言い残し、教室を去った。

「しずな先生。どうじゃあれからネギ君について変わったことはなかったかね」
学園長室に久方ぶりに呼び出されたしずなに語りかける。少し前にタカミチから高等部との話を聞き、優秀だと喜ぶべきか、隠された何かがあると怪しむべきかと複雑な心境で毎日を過ごしていた。
そして丁度学期末テストの時期が到来し、普段と違ったことを起こすなら今しかないと訊ねたのだが、様子が変だった。
「学園長。私、自分が恥ずかしいです」
「ほっ?」
「ネギ先生を一ピコグラムほどでさえ疑った自分が情けない」
ハンカチを取り出し、目に当てる。その動作にいったい何がなんだか分からない近衛。
「ネギ先生は立派な教師です。学年最下位という目先の事実から、将来の展望を予測し生徒達を目覚めさせました。学が全てではない。けれども社会に出たときに必ず助けになる力だと。それに比べ私は、教育を施せばそれでいい、学校内の成績が今は全てだと愚かな考えの下生徒達に教鞭を振るっておりました。私は恥ずかしい。恥ずかしいのです学園長」
嗚咽を漏らし自らの愚かさに涙を流す。近衛は大体のことを理解できた。が、本当にネギがそんなことをするだろうか、という疑惑が際限なく湧き上がるのはとめることができなかった。
たしかにそれだけを聞くと生徒思いの厳しくも優しい、教師の鑑だろう。だが、うがった目線で見ると、生徒を煽っているようにも聞こえる。加えてネギの受け持つ二-Aは学園最下位だ。魔法学校で数々の校則や、説教を論理武装で破り捨て、己の道を歩んだからには、それなりのプイライドがあるだろう。そのプイライドが受け持ちのクラスの実力が学年最下位だということに耐えられるだろうか? 答えは否。否だ。
己の道を行く者というのは、独自のルールというものを作っている場合が非常に多い。ネギの場合にもそれが当てはまる。どのようなルールかは分からないが、着任当初、明らかに拒絶オーラを放っていた者がいきなり生徒の将来を考える? 非常に確率が低い。
近衛の判断は間違っていない。基本的にネギは善人である。それ故本心から言っているのだが、それと同時に様々な打算が働いているという事も否定できない。
だが、近衛にしてもそろそろ最初の試練を出さなければならないと思っていた頃だった。考えて見ればネギの決意表明は実に都合がいい。
「しずな先生」
「うっ、うっ、何でしょう、学園長」
未だ泣き続けるしずなに近衛はそっと一枚の手紙を渡した。
「これをネギ君に。立派な魔法使いになるための試練じゃと伝えてもらえんかの」
「分かりっ、ました」
泣きながら手紙を受け取るしずなに、こころもち不安になったのは仕方がないことかもしれなかった。

「そう、ここは前後の文を見て…」
「なるほど、そうすればよかったんだ。ありがとネギ先生」
ショートカットで元気印が特徴の新体操部員。佐々木まき絵は、今日も元気に職員室に立ち寄っていた。
お目当ては最近クラスに派遣された教育実習生ネギ・スプリングフィールド。なんとその教育実習生は自分たちよりも一歳年上の少年だったのだ。思えば異性に縁がない女子校で、優しさ満点の超絶スマイルを浮かべ教壇に立った瞬間落ちてしまったのだと思う。恋という名の甘美な罠に。
それから勉強嫌いにもかかわらず部活の合間を縫っては、顔を見るために、そして自分を見てもらうために問題の質問という形で押しかけている。
だが、今は違った。昨日行われた演説で、気が付かされたのだ。自分の現状を。本来ならどれだけ説かれても心に響かないはずのそれは、何故だかガードを突破し、心の核にクリティカルダメージを与えた。
はっきり言って自分は馬鹿だ。クラスが学年最下位の理由のひとつ、クラスで最も、否学年で最も馬鹿な部類に入るだけの実力があった。今までは自分は馬鹿だ、仕方がないと諦め、得意な新体操に励んでいた。だが、諦めていてはいけなかったのだ。
それを知ったが故に、今は真面目に勉強をしている。正直好きにはなれないが、それでも動き出した心は止められない。勿論邪な気持ちがないと断言することはできない。今もこうしてネギにあっているばかりか、成績が上がれば褒められるのではないかという期待感がある。
勉強の合間、ちょっとした気分転換。そう自分に言い訳をしてネギにあっているのだが、邪魔者というのはどこにでもいるもので、楽しかった一時はたった一言によって終焉を迎えた。
「ネギ先生。ちょっとよろしいですか」
「何でしょうかしずな先生」
だめ、いかないで先生と、まき絵の心が叫んだ。相手はあのしずな。まれに見る母性の持ち主にして、抱擁力たっぷりな大人の色気を自然にかもし出すしずなにはごくごく限られた者しか勝つ事はできない。
しずなは事務的に接しているのだが、そこは恋する乙女。そんなそっけない態度も照れているようにしか見えなかった。
「これを学園長から預かっています。試練だとおっしゃっていました」
取り出されたのは一つの封筒。まき絵は恐れ戦いた。まさか人目のあるところで堂々とラブレターを渡すとは、と。まき絵に学園長からという言葉は聞こえていない。恋する乙女はいつだって全力全壊なのだ。
「試練…ですか。まあここであけても問題はないでしょう。それくらいの配慮はある方だと思いますし」
開けちゃう!? 開けちゃうの!! とまき絵の心に震度七、マグニチュード八・二の衝撃が襲った。湾岸沿いだったので津波の危険性もあり、夕方、夕食を作る時間帯だったので二次災害の被害も予想される最悪の事態。
だからこれは仕方のなかったことだろう。とっさにまだ読んでいる途中の手紙を奪い取ったのは。そして破り捨てようとした瞬間、
「へ?」
見えたのはラブレターとは似ても似つかない内容。だが、ある意味事の重大さではラブレターに匹敵する内容が書かれていた。
曰く、先生になりたくば、二-Aを学年最下位から脱出させよ、と。
危険度EXのアメリカ産トルネードがまき絵を襲った。

人の口に戸はたたぬ。それをまさか実体験することになろうとは思ってもみなかったと、少年、ネギ・スプリングフィールドは思った。
学園長から試練の手紙が来た翌日の教室はまさに嵐の真っ只中。ほぼ全員が一丸となって勉学に励み、ノートが散乱する有様。何故分からないのかという怒号が響き、啜り泣きが聞こえる阿鼻叫喚な異世界。
さすがのネギも何故そこまでしているのかと、問いかける勇気は沸かなかった。
「しずな先生…これは、どういうことでしょう」
演説の効果であればあまりに遅すぎる。まき絵が情報を流したにしても少し否、かなり規模が大きすぎる。故に原因不明。おそらく分からないと思いながらも待機するために一歩後ろを歩いていたしずなに呼びかけた。
「ネギ先生」
軽く肩に手が置かれる。
「先生はご自身の魅力について今一度考え直したほうがよろしいかと」
「はぁ」
分からない。分かったのはどうやら自分が原因で、あるらしいという事と、しずなが傍観とともに目の前の事態を完全に把握しいるということのみ。
「まあ、とりあえずは授業を始めましょうか」
魔界と化した空間に一歩踏み込む。瞬間それが合図であったかのように、何十対もの目が一斉に向けられた。
「先生」
あやかが、幽鬼のように一歩を踏み出す。それに訳も無く背筋に悪寒が走り、本能が警鐘を鳴らす。
「あの情報は本当ですの?」
「あの、情報?」
何のことか分からない。助けを求めるかのようにしずなに視線を送るが、しずなは既に教室の後ろに陣取っていた。援軍は、無い。
「来週行われる学期末テスト。その結果このクラスを万年最下位の座から助け出すことができれば、先生ははれて実習生の身から卒業。正式にこの、二年A組の担任となるという情報は、本当なのですか」
言葉が出ない。確かに二-Aを最下位から脱出させれば正式にこの学園の先生となれる。それは確定情報だ。だが、このまま二-Aの担任になるかといわれれば疑問である。近衛の孫が在籍していることからその可能性は高いが、今まで観察したところ孫のこのかは神秘を扱う者ではない。保有魔力こそ膨大だがそれだけだ。
この学園に先生となる課題をだした魔法学校と麻帆良学園側の思惑は分からないので、可能性は高いものの、そうであると確定できない。
「どうやら先生は知らないようですわね。このかさん!」
「イエッサー、いいんちょ。じいちゃんに拷問(かくにん)したところによると、どうやらそれで決定らしいわ。ただ学年最下位から脱出できへんと、ほかのところに行くことも検討中やて。ほんまじいちゃんは何考えとるんやろな。いつもお見合いお見合い言うとんのに、こんなええお方との見合い一つ組まんなんて。もう年なんやろうかなぁ」
恐るべしこのか。まさか実力行使にでていたとはまったく予想できなかった。いつもぽややんとして、それでいて万事抜かりなく物事を進める将来誰かと結婚したら内助の功を体現するだろう女性なのだが、意外に過激なところが判明した。
「ネギ先生、最早私たちにテストへ向けての指導は不要。ご覧になれば分かるとおり私たちは私たちで助け合いながら知識を高めあっています。まことに口惜しいのですが先生はバカレンジャーの方たちを集中的に教えて差し上げてください」
「ばか、れんじゃーですか」
聞いたことも無い単語に思わず聞き返す。
「はい。我がクラス最大最凶のおバカさんたち、綾瀬夕映、神楽坂明日菜、クー・フェイ、佐々木まき絵、長瀬楓。この五人の方たちの事ですわ。ユエさん、まき絵さんは最近成績が上昇気味ですから割と教えるのも簡単でしょうが、クーさん、楓さんはコツが掴めずに難航している様子。最後にその五人の中で最もおバカさんな、アスナさんは高等技能過ぎたのか燃え尽きてしまっています。いくら私たちが励んだとしても、この五人の向上が無ければ最下位脱出は永遠に不可能。故に涙を呑んでお頼み申し上げます。どうか、彼女たちの成績アップにご尽力を」
ぐっとこぶしを握り締める。しばし唖然としたが、拳を両手で包み込みネギは言い放った。
「事情は、分かりました。あやかさん、どうぞご自身のご勉強に励んでください。熱意はしかと受け止めました。五人のことはどうか私にお任せを」
「ネギ先生」
あやかの目に涙が浮かぶ。それほど心配していたのだなと仲間思いの心に感心するが実態は違った。あやかは何故自分は馬鹿でなかったのだと後悔しているのだ。アスナ以下の馬鹿だったならもしかしたら夜までみっちりと一対一の誰にも邪魔されない個人授業を受けられ、もしかしたらネギの手料理を食べれたり、作ったりできたのにと。さらには禁断の夜の授業まであったかもしれないと。
だが、ネギはいない。そういないのだ。あやかは妄想の世界から帰還し現実に目をむけた。映るのはたった一人の男をめぐるライバルにして協力者達。その誰もが勉学に打ち込み身体を精神をすり減らし限界まで学を詰め込む。そのあり方は最早一つの到達点。その姿に震えながら猛者たちの中にあやかは足を踏み出した。

それは運命だった。綾瀬夕映はそう思い返す。祖父は偉大な哲学者で、自分は自他共に認めるおじいちゃん子だった。そんな大好きな祖父が他界し、美しく無限大の可能性を秘めているように思えた世界はとたんに色を失った。
そうして何も真剣に向き合えない中、出会ったのはかけがいのない親友達。それも一つの運命だろう。少しは色が戻った世界だったがそれでも何かがかけていて、真剣に打ち込む事など皆無だった。
そうしていつの間にかバカレンジャーの一員と化し、一年がたった。その日は久しぶりに祖父が書いた哲学書を徹夜で読みふけっていたので、教室に到着早々寝入ってしまった。
ぼんやりと聞こえる声が、夢と現を曖昧にさせ、心地よい浮遊感を感じていたとき、額にすさまじい衝撃を感じ飛び起きた。
何が起こったのかと辺りを見回すと、白いかけらが散乱していた。チョーク投げ。まさか物語でしか見る事のない高等技能を我が身に受けたのかと、戦慄と理不尽な怒りに投げつけた教師を見た。一瞬だった。抗議の声を出す口は馬鹿みたいに開き、額を押さえていた両手は動く気配すらない。
魅了された。教壇にいたのはいつも無精ひげを生やし、若いはずなのに中年くささを感じさせる高畑教論ではなかった。燃えるような赤毛を芸術的としか思えない形で切った、天使と見間違うほどの美男子がそこにいた。だが、それは付属価値に過ぎない。真に魅了されたのは少年の瞳。黒曜石のような瞳には、強い光と触れる者を焼き尽くさんと燃え盛る白い炎が宿っていた。それはどんな高貴な者であろうと宿す事のない真に強い者にしか許されない物だと、理性ではなく本能が悟った。
非科学的も甚だしいと思う暇もなく、注意が飛び、考えるまもなく承諾していた。普段の自分では信じられない事ばかり。だが、その時射抜かれたのだと、今まで体験した事もない乙女だけが持つもう一つの心臓を射抜かれてしまったのだと、悟るにはそう時間はかからなかった。
後は、図書館探検部の人脈を駆使して、名前から出身、身体データや好物まで徹底して調べ上げた。途中あまりの真剣さにこれが恋という名の病なのかと、胸が締め付けられのた打ち回った。
そうして、どうやって接近するかという事を考え、仕舞いには知恵熱を出す始末。だが、思わぬところで活路は開かれた。
期末テストが一週間後に迫ったその日の授業で語られた言葉。それは自分にこそ向けられたものだと感じ取った。自分自身に問いかける。それでいいのかと。否だ。断じて否。自分は真剣に取り組んでいない。そんな自分が許された者のみが宿す光と炎の目を持つ男性に恋する資格があるのかと。
それからは、まるで人が変わったかのように勉学に取り組んだ。気が付けば色あせて見えた世界は鮮やかさを取り戻し、自分の周りはこんなにも美しく可能性に満ち溢れているのだと祖父が亡くなって以来感じ取る事のできなかった真の世界がその目に映し出されていた。
先生に近づきたい。身体的な距離ではなく、存在としての格のようなものを近づけたかった。そうして何年ぶりかの努力をしている時に耳にした噂、先生に与えられた試練、その結果。
燃えた。過去そして未来の中で一番やる気になったと確信した。勉学に打ち込み、バカレンジャーらしくない成長を遂げている自信があった。だから今起こっていることは、がんばったご褒美に神様がくれた奇跡の時間なのだと信じてもいない神に感謝した。
「ユエさん。この数式は…」
「は、はい。こうやってとけばいいんですよね!」
手を伸ばせば容易に届く範囲。そこに男性はいた。
手を伸ばし抱きしめたい。魅了された瞳を見つめて思いのたけを語ってしまいたい。そんな誘惑が襲い掛かるが、耐え忍んだ。
今はだめだ。まだ自分は掴めない。手を伸ばせば届く。それは物理的な意味でしかない。肝心な心の距離はひらいたままだ。それでは手を伸ばす意味がない。想いが叶う事などない。
「ユエさんは英語も数学もできています。理科にいたっては現段階で教える事はありません。社会も詳しいですし、国語もできています。ただ文法は完璧なのですが、作者の意図を掴む問題に何がある様子ですが、これについては数をこなすしか道はありません。ユエさんなら分かると思うのですが、そもそも作者の意図を掴む問題というのは矛盾だらけなのです。作者の意図は、作者にしか分かりません。ですので真の回答というのは作者の心の中にしか存在しないのです。この問題の意図は、作者の意図を問うものではなく、社会全体で見た場合の常識と呼ばれる心理を問う問題なのです」
「それは私も思っていました。ただ私の場合ずれているのか回答が見当違いの方向へ向いてしまうのです」
恥ずかしかった。社会に適合できていない事を告白しているようで、情けなかった。だが、ネギはそうは思わなかった。
「ユエさん。人は何故戦争をするか分かりますか? 何故世界から争いが絶えないのか。答えは意外に簡単で、人が人である以上避けることができない理由なのです」
「人であるが故に避ける事ができない、ですか」
「そうです。人の最大の武器は知恵です。ですがその知恵というのは人により規模が違ったり、発想が違ったりとまちまちです。個性と呼ぶ事もできるそれが、争いの原因です。人は知恵を持ったが故に、違う考えを持った人とは相容れることが難しく、安易な戦いという道へと進んでしまうのです。ユエさん。ユエさんの回答もそんな個性の一つです。ユエさんがユエさんであり続けるために必要な宝物です。回答のテクニックというのはいかにして総合的な人のたどり着く思考を真似するかという事です。汚いようですが、社会というのはいつも自分をさらけ出す事のできない場所です。そのためのいわば変装道具がその思考で、常識と呼ばれる心理なのです。だから恥じる事はないのですよ。ユエさんがユエさんであるために、それは決して失ってはなりません」
言葉が直接胸に響く。頬が染まる事はない。そんな陳腐なものではないのだ。判読するまでもなくその言葉は正しく、それでいてしっかりと見てくれているのだと分かる内容だった。
「先生」
「何ですかユエさん」
ユエは問いかけるべきかかけないべきか少しの間迷い、のどが鳴る音とともに決意を固めた。
「先生は、先生の宝物は、どんなものなのですか」
聞かなくてもいい問い。羞恥で顔が染まるのを自覚した。
「私の個性ですか。そうですね」
ネギは、悪戯っぽく方目をつぶると、唇の前に人差し指を当て、ささやいた。
「ひみつです」

唐突に現れ、クラスの心を奪った魔性の男。ネギに対する評価はそんなものだ。いや、そんなものだった。
さんぽ部という変わった部活動に所属しているとても中学生とは思えない高い身長と誰おも魅了するスタイルの少女、長瀬楓は、甲賀流忍者である。その実力は大の大人にも匹敵する猛者。
ネギが何かの武術の達人という事は、教室のドアをくぐったその瞬間に分かった。無意識での罠察知能力、それを防ぐ腕のスピード。だがそれくらいは自分にもできる。前任のタカミチもそうであったが、この学校には猛者が多いと再認識したに過ぎなかった。
それが変わったのは、先日の土曜日、週末に一人学校に程近い密林で修行している時だった。
自分以外の誰かがいる。それは森に入ってからすぐに察知できた。それも一人ではない。迷子だろうかと、気配の元へ向かった事が真実への道のりだった。
普遍的な密林。木々が生い茂り、太陽の光をさえぎる薄暗い森の中。その一角で、凄まじい攻防が行われていた。
一人の異形と、四人の青年たちの自分には真似できない激闘。思わず手に汗を握り見入った。それは体に流れる忍び血故か、武人としての性か。
長い戦いだった。異形の者は戦いを巧みに操り劣勢をそうとは思わせない動きで翻弄し、青年たちは経験が浅いのか連携がなく力とスピードで推し進める。瞬動といわれる高速移動法や、縮地と呼ばれる歩法も使われていない戦いだったが、レヴェルはとてつもなく高い。そうして異形の者が負けた瞬間、五対の目が隠れているはずの楓に向いた。
勝てないと悟った。しかし相手は戦う事を選ばすに、事もあろうに迷子かと聞いてきたのだ。
異形の男は、威厳というものが邪魔をして口が硬直したが、青年たちはそうでもなかった。特に紫の髪の青年にとてつもない気軽さで話しかけられ、気が付けば名前と森にいる目的を話してしまっていた。
そうして驚く事に、青年たちも修行の真っ最中だったのだという。あれほどの技量を持ちなお修行が必要なのかと、武にかかわる者として素直に感心した。話はとんとん拍子で進み、一緒に修行をさせてもらう事となった。
そうして一日がたち、修行の最中に現れたのはなんと新任のネギだった。それだけならば同じく修行に来たのだと思えたのだが、なんと五人が膝を着いていた。それはまるで長老に報告をするときの自分のようで、そこに完璧な上下関係があることを表していた。
驚きの覚めやらぬなか、ネギは堅苦しいと顔をしかめ、ため息を吐いた。それにつられて紫の青年が同意し、会話が進んでいった。内容を聞くとどうやら技を教える約束をしていたらしい事が分かり、厚意で見学させてもらう事になった。
が、その結果は更なる驚愕をもたらした。てっきり紫の青年が教えるのだと思っていたのだが、完全に反対だった。そこで見たのは凄まじく早い移動方法。移動中に軌道を変えていることから一直線にしか動けない瞬動ではないと瞬時に分かった。ならば縮地かと問われれば答えは否。縮地も移動方法ではあるものの距離をつめる事を目的として完成された歩法であり、早さも進む軌道も自由自在な目の前の移動方法とはまったく違った。
細い目を驚きで見開き、交わされる言葉を聞くと、瞬脚という歩法らしい。霊力とか、流れに乗るとか意味不明の言葉が出てきたが、驚きすぎそれを理解しようとすることもできなかった。
そうこうしている間に、紫の青年が、完成したらどんな戦闘ができるのかと、興奮気味に言い出したのを機に、黒翼と呼ばれた異形の者と、ネギが模擬戦をすることとなった。
始めは遅く、だんだん速くしていくとネギが告げた後、二人の姿が掻き消えた。それも驚きだったが驚きすぎて逆に冷静になってしまった。激突する音は聞こえるのだが、姿は見えない。これで遅いのかと戦慄したがただでは転ばなかった。どうやら見えているらしい青年たちにコツを聞くと、観の目の要領で全体を見てみろと告げられ実行した。
始めは何も変わらなかったが、しばらくして視界に何かが横切った事に気が付いた。一度気が付いてしまえば何度も視界に現れている事を発見し、それを目で追った。徐々にはっきりと見えるそれは、地を木を宙を蹴り普通に戦っているがごとく自由自在に動き拳をぶつけ合う二人の姿だった。
見た事もない攻防に目を奪われ、徐々に速くなっていく動きに何とか最後まで追いつけた後は、柄にもなく熱くなり、歩法を教えてくれと頼み込んでいた。
さすがに他流派に教える事はできないのか、難しい顔をしていたネギだったが、条件付だがと承諾された。条件は今現在の技量の確認。納得できるレヴェルでなければ、逆に体が壊れると忠告され、赤の他人それも他流派にもかかわらず真剣に考えてくれている事に胸が熱くなった。
早速見てもらおうとしたのだが、どうやら時間がかかるらしく次の土曜か日曜でどうかと言われ一週間もまたなければならないのかともどかしさを感じたが、ネギは教職についている身でもある。それなりに忙しいのだろうと納得し頷いた。
そうして、それぞれの修行は終わり、いったん寮に帰ったのだが、どうにも寝付けなかった。目を閉じれば聞いた事のない歩法を使った高速戦闘が映し出され、胸が高鳴った。
だが、それにしては変だと、気が付いたのはその次の日の晩。幼少の頃から武にかんする好奇心は人一倍強く、技の教えをねだる事は多かった。だが、どれだけ高レヴェルな技を目にしても、身についた何処でもどんな状況でも眠る技術で寝入っていた。だからどれだけ興奮したとしても眠れないという事はないはずなのだ。
疑問に思ったらには解決しなければならない。学業に関してそういったことは頭をよぎる事すらないのだが、こと武に関することならそれが当たり前だった。
そうして思い返す、場面はどれだけ集中しても高速戦闘の場面のみ。何が問題なのだと、思い返すたびに高鳴る胸をおかしく感じながら、何度も繰り返し思い返した。そうして夜もふけた頃、思い返す場面の共通点に気が付いた。
だが、それが何を意味しているのかが分からない。共通点、それは必ずネギが写っていることだった。
何故だろうと、再び思考を押し進め、考え込むと、周りに景色や、異形の者に比べネギの表情が鮮明に残っている事に気が付く。それはどれも凛々しい。いつも人畜無害な優しげな笑顔を浮かべる者と同じ者とは思えなく、戦士特有の顔つきだと容易く分かった。
そしてもう一つの共通点。その場面、正しくは凛々しいネギを思い返すたびに高鳴る胸の鼓動。
まったく持って何なのか分からない。分からなかったのだが、翌日授業を受けたとき体に衝撃が走った。
優しげな笑顔で進める授業の最中、時折見せる十五歳とは思えない表情に、気が付いてしまった。それとともに思い浮かぶ戦闘時の凛々しい表情。今まで縁がなかった故に気が付かなかったそれは、自覚すると同時に顔が赤く染まり、心配されたのか声をかけられただけで目を見開き、自分でも何を言っているのか分からない状況に陥ってしまい、逃げ出すように教室を走り去った。
なんとも厄介なものだと、高鳴る胸を押さえ寮の布団に潜り込んだ。退散退散と呪文を唱えるが、呪詛のごとく脳裏にネギのさまざまな表情が浮かび上がる。
もう手遅れだと、未だ熱を持つ顔を枕に押し付け、敗北を認めた。自分はネギに恋をしてしまったのだと。
心の整理がつかないまま次の日も登校したのだが、そこで意外なことを告げられた。だが、そんな物は関係ない。自分は甲賀の忍び。学業を身につけ表社会に出る者ではなく、裏社会で光が一切届かない仕事をする運命にあるのだと。
だが、想像する。またもや学年最下位になり、英語の担当がタカミチになる事を。少し前に戻っただけではないかと、何も変わりはないと言い聞かせたが、駄目だった。秘密の修行があるといってもそれはまだ確定事項ではなく、確定したとしても顔を見られるのは一週間に二度だけ。それを想像するだけで胸の奥が針が突き刺さったかのように痛み、拒絶の叫びを発した。
だから、柄にもなく机に向かった。だが、一向に進まない。今まで必要最低限のみで過ごしていた報いなのか、少しでも問題のレヴェルが上がると分からなくなる。
聞きにいけばいいのではないか。一度はそう思った。だが武人として弱みを見せる事はできず、それ以上に惚れた相手に無様な姿を見られるのが嫌だった。
が、どうして天は放って置いてくれないのだろうかと、現在の状況に恨み言が漏れてしまいそうになる。
手に持つシャープペンシルは動く事はない。ちらりと横目で伺うと、温和な笑みを浮かべて先ほどと変わることなく立っていた。
これが武術ならばと、変わることのない現実に歯噛みする。どうか何もしゃべらず、去ってくれと、願うが現実は非情だった。
「楓さん。ここの数式は…」
見かねたのか、説明される内容は確かに正しく、染み込むように理解できた。教え方がうまいと思う間もなく、羞恥で顔が染まった。
「楓さん」
「あい」
自然と顔がうつむいた。顔を見る事ができない。その顔が落胆や軽蔑の表情を浮かべていたらと思うと、見れるはずがなかった。
「楓さんは、賢いですね」
馬鹿にされた。思わずそう思い、手を握る。
「楓さんは賢い。ずっと問題を考えて答えを出そうとする姿勢は誰にでもできることではありません」
何を言っているのだろう、と自然とネギの顔を見る事となった。そこには優しげな笑顔が浮かび、負の感情は一切浮かんでいなかった。
「ですが、時には人に頼る事も大事なのですよ? 森へはいつもお一人で?」
唐突に変わった話に、困惑とともに頷く事しかできなかった。
「一人稽古は、身にならず。そんな言葉があります。本来山篭りというのは一人で行うものですが、ただそれを続ければ力が付く、という事はありません。むしろ邪魔になってしまう事もあるのです」
楓もそれは分かっていた。確かにそのとおりだからだ。一人稽古よりも、相手のいる組み手。組み手よりも模擬戦。模擬戦よりも実戦。それが実力アップの考え方だ。
「楓さん。粘って考える事も重要ですが、時に誰かの助けを借りることも大事です。それは武芸の稽古と同じ。世の中は人一人だけでできているのではないのですから」
忍びの道。それを進まなくてもいいのですよ。
「拙者は…」
誰にもそんな事を言われた事などなかった。忍びにならなければならないのだとずっと思ってきた。それに、
「できる筈が」
「楓さん。目を開き周りを見て御覧なさい。ここにあなたは一人ですか?」
「ですが、拙者には、甲賀の者たちは」
そう、里の者たちがいる限り、呪縛からは逃れられない。逃れられるはずがないのだ。
「もし、もしもあなたが望むなら、私はその鎖を断ち切ってあげましょう。その鎖は決して砕けないものではありません」
「ですが、ネギ殿にご迷惑をかける事は」
「私が言えることではないのですが、楓さん。人の命は一度限り、それ故に歩んだ道も一つだけ。ですが、先のことは選び取る事ができるのです。反省はするべきです。失敗を省みて次に生かす。ですが後悔は永遠に思いが残る代物です。たった一度だけの人生。一度だけでも誰かを頼ってもいいのではないでしょうか」
「無理でござる。ネギ殿が思っているほど里は甘くはござらん。私は」
そう無理なのだ。何百年の昔から、科学が発達した現代においても甲賀忍者は生き残った。そこにあったのは硬く強固な血の掟。忍びの家系に生れ落ちたが最後、死ぬ意外に自由の身になる事はできない。過去幾度となく試みられた里抜け。その結果はどれも無残な最期のみ。掟を破った者は人としての尊厳を守る事すらできず畜生にも劣る扱いと死が待っている。
それは幼き頃から何度も言い聞かされた言葉で、死のときまで永遠に忍びの業に縛り付ける鎖であり、歴史の事実だった。
「なら一つだけお教えいたしましょう」
こわばった心に、草木を育てる光のごとく、その言葉は染み込み、解きほぐした。
「毛色は違いますが、私も戦忍びなんですよ」
はっと目を見開き、映ったものは、片目をつぶり、口の前に人差し指で秘密のしるしを作ったネギの姿だった。
「そんな、ネギ殿は、英国人のはず。そんな事は」
「信じる信じないは、楓さんの自由です。一応言っておきますが嘘は言っていませんよ?それ故に忍びの弱点というものを知っているのですよ。武力で制圧する事は容易いでしょう」
目を開け、笑みを作ったのはしかし、目だけは笑っていない事に気が付き、里の実力は嫌というほど知っているはずだというのに、戦慄とともにそれができるのだと悟ってしまう。
「ですが、それは楓さんの望む解決策ではないでしょう? ご安心ください。これでも以前は重役を任されていた事もあるので、何処をどうすれば里にとって致命傷となるかは手に取るように分かります。里の存亡と女忍び一人の人生。こういっては何ですが、里の存亡の方が重大問題だということは楓さんにも分かりますよね?」
「本当に」
ごくりと、息を呑む。信じられない。信じられるはずがない。だが、もし本当だったら? そんな思いと、何より幼い頃から人間の汚い部分を見てきたが故に、何か重く暗いものを抱えているにもかかわらず、未だ清涼な輝きを放つ瞳に嘘がない事が分かってしまい、
「お頼みしても、よろしいでござるか…」
何より、一生決められた事しかできないのだと思っていた心に、初めて自分の意思で好いた者を信じて死ねるなら、それはとても心地良いのではないのではないかと、年齢に合わない重い考えが支配し、
「勿論です」
口の端を皮肉気にあげた自信の有り余った表情に、双眸から暖かな雫が流れ落ちた。
「楓さん」
それを、人差し指でそっと拭き去ると、頭のてっぺんに手を置き、そっと撫でた。
「涙は、終わるまで取っておくものですよ?」
それはとても暖かくて、言おうとした言葉は出てこなかったが、
「あい」
ただ嬉しさがこもった一言だけで十分だった。

燃え尽きた。完全燃焼だった。クラス、あるいは学年一のバカ、神楽坂明日菜は、問題集と、ノートの上に上半身を投げ出していた。
何故こんな事になったのだろうか? 知恵熱でも出たのだろうか。まるで油が切れたブリキのように不愉快な音と速度で、思い返す。
まき絵の持ってきた情報は、夜だというにもかかわらず女子寮に蔓延した。だが詳しい情報がない。急遽設置されたネギ先生異動防止委員会は、一人の少女を学園側に侵入させた。
近衛このか。学園長の孫である。それが決まったときどうせ断るだろうと、傍観していた。だが、このかの行動は予想を裏切った。夜にもかかわらず、何に使うのかペンチと塩水につけた包帯、愛用の金槌を装備し、誰も否、このか以外誰も知らない学園長の寝室へ突撃してしまったのだ。
思わずこのか、お前もかと、いまさらながらにネギの魅力を恐ろしく思った。
そうして持ち帰られた情報。それに基づき、二-Aは臨戦態勢を整えた。勉強に次ぐ勉強。さまざまな刺客たちが、いいんちょ、あやかの手によって量産され、全クラスメイトの頭脳に襲い掛かった。
本当ならそんなもの無視してしまえばよかったのだが、このかの手招きに屈してしまった。けっして手にもたれた赤い物が付着した金槌が怖かったのではないと信じたい。
まあ、それはともかく、それくらいならば早朝のアルバイトを理由に断れたのだが、脳裏にあの時の姿がちらついてしまった。
高等部ドッジボールチーム黒百合。そのリーダー栄子が放った剛球。目視したときには避ける事も、受け止める事もできない距離まで近づいていた。
傷がつかなかったらいいなと、ぶつかる事を確信したその時、突然目の前が腕でさえぎられた。数瞬後響いた着弾の音に、我に返り、腕の主を見ると、皮肉気に笑った何時になく凶悪な顔が目に映った。
そうして語られる言葉。ようやく守ってもらったのだと実感したときには解散の号令がかかっていた。
問題はその夜からだった。目をつぶると思い浮かぶ皮肉気な表情。とくんと胸が高鳴ったのを感じた瞬間、勢いよくかぶりを振った。自分には高畑先生という人がいるではないかと。あんなガキには興味などないと。
だというのに、油断したころあいを見て、否定できない夢に出てきる事数回。まるで洗脳のようだと思い、夢を見た朝は暗澹とした気分だった。
だが、どういうわけかその洗脳は効果があったようで、自分的には今よりも、以前のようにあこがれの高畑先生にこそ担当して欲しかったのだが、誘いを拒絶できなかった。
今、燃え尽きているのは、普段しない勉強のせいでもある。だがそれと同時に自分でも分からないネギへの気持ちが原因の一端を占めている事は明らかだ。
「た~か~は~た~せんせ~」
気力回復の呪文を唱えるが、効果はない。ライフはきっとゼロをさしているのだろう。
ああ、短い人生だったわ、とおバカなことを考えながら、疲れを癒す。
「高畑先生なら、出張中ですが」
聞こえた声に、反射的に体が起き上がった。
「私ではお力になれませんか? アスナさん」
あぁ、やめて~、と天使のごとき笑顔が脳にインプットされる。これ以上フォルダをネギに使う事は避けなければならない。そうでないと愛しの高畑先生の脳内画像が容量を超え自動削除されてしまう。それだけは避けなければならなかった。
そんなバカな事を考えていたせいだろう、思わず反応してしまった。
「アスナさん。こっちを向いていただけますか?」
「なによ~ッ!」
振り向いた瞬間、整った顔がこれ以上ないくらいに接近し額が接触した。
「ふぇ、ふぇ、ふぇぇぇぇぇぇ!」
火を噴くがごとく顔が真っ赤に染まった。
ああ、よくみればすっごい美形じゃない。まつげも長いし、形は整ってるし。これなら、
「!!あんた、何すんのよ!」
そこまで考えそれ以上考えないために防御反応が検出され、急いで顔を離す。
「いえいえ。ぐったりしてらっしゃったので、熱でもおありなのかと」
「それだったら、さっさと帰ってるわよ! 今時そんなはかりかたする!」
真っ赤な顔のまま、怒鳴りつける。幸い今のクラスはそれに反応する暇がないので邪魔は入らない。
「それはすみません。小さかった頃よくそうしてもらっていたので。女性にする事ではありませんでしたね」
申し訳ありません、と腰を折る。怒っている、というよりは混乱の極みに陥ったアスナだったが、さすがにそこまでされたら許さないわけにはいかない。これ以上責めてしまったら逆にこっちが悪者だと、不承不承矛を収めた。
「さて、許してもらったところで本題に入りましょう。アスナさんは何処をやっておられたのですか」
天使のような笑顔がまた一つ脳内フォルダに保存された。それを感知するすべもなく、今は休憩中なのだと、追い払おうとしたとき、
「あれ?」
頭が軽い。先ほどまでのだるさがなくなっている。首をかしげて、ネギを見るが、マクドナルド以上の完璧なゼロ円スマイルしか浮かんでいない。
「あんた、何かした?」
眉をひそめ、確認する。
「何か? 何もしてませんが、どこかおかしいのですか?」
逆に心配されてしまった。首をかしげながらなんでもないと、話を打ち切り、一応回復したのだからと分からなかった部分を、問いかけた。
「アスナさんってバカなんですね」
解き方を教えてもらい、新たな問題に取り組み数分。普段の姿勢からは想像もできない暴言が放たれた。
「うっさい! そんなこと」
分かっているわよ、と続けようとしてのだが、ネギの顔はどういうわけかバカにしている表情ではなかった。
「見ていますと、問いかけの意味が分からない、という事でもないようですし、答えへの道筋もあっています。ただ、ミスが多いというのが気になりました。アスナさん」
何を言っているのだろうと、唖然と見つめるアスナに、人差し指を立て、確認の問いかけをした。
「焦ってはいませんか?」
「焦ってる?」
何のことかわからず、思わず聞き返す。
「はい。アスナさんの場合、理論を理解すれば答えまでの道筋をしっかりと立てています。アスナさんが問題を間違う理由は主に二つ。一つは理解できていない理論を元に解く問題が出たとき。そしてもう一つ。これがアスナさんにとって最も重要な事だと思うのですが、道筋の途中でケアレスミスをしている事です」
そうなのだろうか? だが言われてみれば答案用紙を埋めているにもかかわらず、赤ペンが付く事が多いのは事実だ。
「今もそうです。この部分はその前から見て単純なミスにしか見えません。うっかりしてらっしゃるのかとも思いましたが、アスナさんの筆の速度が比較的早い事から、焦ったが故の必然的なミスだと思います」
言われてみればそうかもしれない。焦っているという実感はないが、確かに次へ次へ急ぐ傾向があることは確かだ。
「尤もそういったことは、数の違いはあれど誰でも存在します。バカだと言ったのは、何故だと思いますか?」
笑みを消し、真剣な表情に胸が高鳴るも、真剣に向き合ってくれているのだからと、答えを探した。だが、悲しきなかどうにも答えが出てこない。そんな考え込んだアスナの頭に手を置き、そっと言葉を紡いだ。
「アスナさん。アスナさんは答案を書き終えたとき、何をしていますか」
「えっと、だらけて、いるわね」
なんとなく手を振りほどく事ができず、暖かさと気まずさから若干頬を染めた。
「そうだろうと思いました。さて、ここで質問です。犯してしまったミスを修正するには、まず何をしなければいけないでしょうか?」
犯してしまったミス。それがケアレスミスの事だというのは分かる。だが、修正するにはどうやるかなど、したことがないので分からない。それでもふてくされることなく真剣に考えている様子をどう思ったのか、ネギはヒントを出した。ウォーリーを探せはどうやるのかと。
まったく関係がないのでは、と思ったのだが、真剣な様子なので、考えてみる。いくつもの似た絵のなかから、たった一つだけ本物を見つけ出す。それをするには、何度も、
「あっ! 見直せばいいのね!」
目を見開き、恐る恐る確かめる。ネギはうなずき、そんな簡単な事だとはと、気づかなかった自分が恥ずかしかった。
「本当は、ミス自体を少なくする事が最もいいのですが、テストまで期間がない今は、その方法が無難でしょう。ただ、アスナさん。テストが終わってからはゆっくりで良いのでミスのないように答えるすべを身に着けましょうね」
それが一番ですから、と悪戯気に方目をつぶる表情に、アスナの顔が上気した。
あるいはアスナにとってテストよりも重大な、自身のアイデンティティーにかかわる問題が浮上したのかもしれなかった。

夜の帳が下りた頃、バカレンジャーと呼ばれた五人組が、とても寮に備え付けられた風呂とは思えない、あまりに立派過ぎる大浴場で、普段行わないが故の勉強の疲れを取っていた。
本来ならあやかの地獄の特訓メニューにより、そんな暇さえなかったのだが、授業を終えた後、ネギが勉強に打ち込むのも良いが、しっかりと休息をとるようにと、特に徹夜などはするべからずと、念を押したのが効果を挙げた。それでも渋ったものの、超鈴音という成績学園トップの少女が言葉巧みにそれを実証されているということを話したので、一同納得したのだ。
「それにしても大変ネ。これだけべんきょしたのは、日本語いらいヨ」
黄色がかった白銀の髪をツインテールでまとめた、背の低い少女、クー・フェイが、湯につかった息とともに言葉を漏らす。
だが、この状況に納得している部分もある。前任のタカミチもそうだったが、ネギも強い事が分かっているからだ。
常に強さを求めるクーにとって、どちらも戦ってみたい相手ではあったが、タカミチは断るだろう事は分かりきった事であり、それに比べ生徒との距離が比較的近いネギならばと、現状維持を望んでいる。その為には、苦手な勉強をひっきりなしにやる事もやぶさかではないと内心では思っていた。
「でもでも、先生がきてから私、小テストの点数上がったよ。私はネギ先生に担任になってほしいな」
頭を洗っていたまき絵が、恋心を隠し、支持した。
「拙者らの頑張りがあったとしても、ネギ殿の教え方はうまいでござる。拙者としてもこのままの方が」
「えー! 私は反対よ、反対! あんな子供より、大人で人生経験も豊富な高畑先生ほうが良いに決まってんじゃない!」
楓の言葉に、認める部分はあるものの、やはり渋いおじさん趣味なアスナは反対し、アスナの勉強に付き合っていたこのかが、しゃーないわな、とうなずいた。
「アスナのオジコンは、達人の域やからな。反対もしょうがない。でもなアスナ」
軽く肩に手を置き、一言。
「手ー抜いたら承知せえへんよ?」
ぞくりと、背筋が凍る。恐る恐る顔を見ればいつもの温和な顔で笑っていたが、目だけが危険な光を放っていた。
「アスナさんの身の危険はともかく」
ともかくじゃない、と心の中で叫び声をあげるが、当然誰にも聞こえず、届く事はない。
「伝を使って調べたのですが、どうやら他のクラスも二-Aに匹敵する猛勉強を開始しているようです」
「嘘!」
「ござっ!」
驚愕に叫び声をもらすまき絵と、楓。クーはそれはそれはとあまり真剣に取り合わず、このかはニコニコと周囲の空間を湾曲させていた。
「ど、どどどど、どういうことよ!」
このかのそばにいたアスナは異様な空気に、脱出のための叫びを上げた。
「そうでござる、ユエ殿!」
「ユエちゃん」
抹茶コーラと書かれたパックジュースをストローで飲んでいたユエは、深刻そうな表情をして、真実をもらした。
「ネギ先生の試練が漏れました。このかさんの情報も。そこからネギ先生を手に入れるわずかな希望を見つけ出したのでしょう。二-Aを最下位から脱出させないつもりのようです」
「そ、そそそ、それってまずいんじゃ」
「はい、非常にまずい事態といわずにはおられません。他のクラスに比べ、二-Aの成長が大きいとはいえ、クラスいえ、学年最上級のバカな私たちがいる限り、このままでは最下位は確実」
焦るまき絵と楓。まずい、まずすぎる。ユエの言う通り自分たち五人がクラスの足を引っ張っている事は事実なのだ。
「このまま、普通の勉強をしていても負けるのは確実。ですが、解決方法がないとも限りません」
「ユ、ユエ殿! それはいったい」
「ずばり、魔法の本です」
自信たっぷりに人差し指を立てたユエを中心に時が止まった。
「な、なーに言っちゃってんのかなゆえっちは。そんなもの」
「あるはずがない。そう思うのは無理もない事です」
硬直からいち早く脱出したまき絵が茶化そうとするが、ユエの表情は真剣だった。
「これは我が図書館探検部に伝わる情報です。湖に浮かぶ島の大図書館深層には、持てば頭のよくなる魔法の本がある、そう伝えられています。伝説のようですが、その場所への地図も完成しており、大学部の幾人かが目撃した例も多数存在します。尤も誰も手に取ったものはいないので、よくできた参考書のような物だとは思いますが、それでもないよりはまし。幸い皆さん学業はともかく、運動の方は類を見ない方たちばかり。途中に仕掛けられたトラップも何とかなるでしょう」
ごくりと、このかを含んだ全員ののどが鳴った。
「行きましょう。図書館島へ」












[10291] 第九話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/22 17:31
「アスナのおさる~!」
図書館島に突撃した五人は、大学部ですら到達困難なその部屋に着いた。だが、そこにはなんともファンタジーな、動く石像、つまりゴーレムが本を守護していた。
ゴーレムが繰り出す問題をなぜか色の代わりに文字のついた石版でツイスターゲーム式に答えていったのだが、いよいよ最後の回答を出そうとしたその時、回答のおさらを、アスナが「ら」の部分を「る」と押してしまい、石版が崩れ落ち、底が見えない奈落にまっさかさまに落ちていった。

第九話 必見!? ネギの一撃

まだ暗い朝の四時。床の間にダースベイダー行進曲が流れた。終わりのない曲といわれるそれを耳にし、行儀よく仰向けになり布団から顔を出したネギの手が、曲の本、学園関係者に必要不可欠な携帯電話に伸ばされ、ブツリと切られた。
「琥珀、なにやってんの」
携帯電話を掴んでいるのは、ネギの腕ではなく、白くほっそりと長い、布にさえぎられていない腕だった。
「主様の安眠のためでございます」
その手を布団に戻し、真紅の着流しを着ているネギを抱きしめる。
「そうだね。まだこんな時間だから確かに安眠妨害だ。でもな琥珀。お前の格好の方が妨害だぞ」
金色の長い髪が首にかかり、すぐそばまで近づいた首筋から、花開いた女の香りが漂い、さすがのネギも顔を赤く…しなかった。
「そんな事をおっしゃらずに。誰も見ている者は居りません。幸い今日はそういった日ではありませんから、心いくまでわたくしの体を堪能なさって」
ネギがため息を吐くのと、曲が流れるのとは同時だった。琥珀と呼ばれた女性は、またもやかかってきた電話にいらだちながら、ネギを誘う。
「女の一人寝は寂しゅうございます。お慕いいたしております主殿が、足をお運びになられないのは、女としての」
「はい、ネギですが。学園長ですか」
よよよ、と泣きまねをしていた琥珀は、どんよりと闇をおった。ネギが反応しないのは別にいい。いや、よくはないのだが、いつもの事だと割り切ってしまえる。だが、これはあんまりではないだろうか。女(なかま)を放っておき電話に出てしまうなど。
思わず、頭のてっぺんに生えている金色の三角型の耳がへたり込む。琥珀。磁器のように白い肌と、温和な大和撫子を思わせる女性は、神の領域に片足どころか首まで突っ込んだ、天狐と呼ばれる化生だった。
「はい。では今から向かわしていただきます。はい、では」
電話が切られ、ため息が聞こえる。だが、琥珀の気力は回復しなかった。だが、
「琥珀」
「はい、えっ!」
布一枚まとっていない体を、ネギが抱きしめた。
「あ、あああ、主様ッ」
心臓がうるさい。早鐘を打つ鼓動は耳に聞こえ、頬が赤く染まっていた。
遂に、遂にくるときがきたのか! と生まれてこのかた誰にも許した事のない体を、差し出すつもりで抱きしめ返した。
「主様、わたし、わたし」
そこから先は言葉にならない。これが黒曜や、紅蓮だったなら何か気の聞いたことをいえるのだろうと思ったが、所詮ないものねだりに過ぎない。
「主様、いえ、ネギ様。わたしは」
「すまんな。仕事とはいえスキンシップを無視して」
「ほぇ?」
赤らんだ顔が一瞬にして元に戻る。
「琥珀は大事な仲間だ。性交渉を狙ってくるのはいただけんが、仕事など比べ物にならん大切な宝物だ」
「あ、主?」
「普段ならとことん付き合うのだが、緊急の用事が入った。すまん。お前の朝の一時を邪魔して」
抱擁がとかれ、指を一鳴らし。瞬間、着流しから、戦闘用の紅いコート姿に変わった。
「本当にすまんな。これで許してくれ」
唖然とする琥珀の頬に柔らかな感触が触れた。
「あっ」
「行ってくる」
赤い宝石のついた漆黒のブレスレットを左手首につけながら、部屋を出て行く姿を見送る。わずかな扉の閉められた音にようやく我に返り、琥珀は頬に手を当てた。
感触を思い出し、思わず頬が赤くなる。何百年と待ってようやく手に入れたものは、望む物とは比べるべくもないものだったが、
「主様」
熱がこもる幸せ気なため息をはかせるには十分すぎる出来事だった。

「それで、深層に叩き落したというわけですか」
早朝の学園長室。そこにネギと近衛が対峙していた。
「私に救出に向かって欲しいとは、情報を流した本人が言う事ですか」
あからさまにため息をつくネギに、近衛はたじたじ。ユエ達に正確に言えば図書館探検部に情報を流したのは近衛本人。
バカレンジャー達と共に図書館に仕掛けられた罠の数々をクリアし、最終的に結果がどうであろうと叩き落す予定だった図書館深層部で、生徒達と共同生活の元、みっちりと勉強を教えてもらう事で試練を与えたつもりだったのだが、ユエ達が予想外、つまりネギを誘わずに向かってしまった。それを知ったのもゴーレム越しに見たとき。
餌にと備えていた魔法の本は本物で、どのような理由があろうと渡す事はできず、シナリオから脱線することは確実だったが、仕方がなく押し進めてしまった。
このままでは、ネギに魔法を使わずにあるいは一般人に悟らさせずに図書館のわなを突破させる事も、バカレンジャーと生活を共にし、絆を深めさせ先生という職業を、魔法学校と結託し出した課題を、強く認識させる事ができないどころか、本当に二-Aが最下位のまま教育実習生のままとなってしまう。
さすがにそれは避けなければならなかった。これからも二-Aという舞台で活躍してもらわねばならないのだから。
「そこをこうして頼んでおるのじゃ。ネギ君や、救出にいってやってはくれんかね」
だが、近衛には勝算があった。しずなや、タカミチからの報告から、ネギが二-Aを嫌っていないどころか、タカミチよりも面倒を見ている事を知っているがゆえに。
「まあ、仕方がありません。受け持ちの生徒ですから。すぐに救出して授業にもど」
「いやいや、それには及ばんよ。ネギ君はそこでテストの前日までみっちりと鍛えて欲しいのじゃ」
深層部に落ちた映像を見せたにもかかわらず、おそらくは魔法隠匿をできる自信があるのだろうすぐさま戻ってくるという言葉をさえぎり、計画を何とか遂行させようとする。
「それでは、二-Aの授業に支障が出ます。やはりここは」
「それについては、タカミチ君が戻ってきている。彼に任せたら良いじゃろう。それに聞けば生徒達は自主学習に励んでいるというではないか。ならば行かなくても問題はあるまい」
「学園長、それは本気で言っているのですか?」
頭が痛いと五本の指で額を押さえ、顔をしかめる。
「自主学習といえど、限度はあります。例えば分からないところなど。三人寄れば文殊の知恵ともいいますが、解けないこともあるのですよ? 学年一位の超さんと二位の葉加瀬さんがいるので深刻な事態になる事はないと思いますが、それでは二人の勉強がはかどりません。天才と称し放置する事は教育者にとってあるまじき行為。天才であろうと努力は必要なのです。しばらく海外で活動されていた高畑先生に今の二年A組のテンションについていけるか、それも非常に疑問です。高畑先生の能力を疑っているわけではありませんよ? 私に比べ高畑先生のほうが教暦は長い事は明白。実力も離れているでしょう。ですが、現場が変動しているのです。それは…」
さすが論理武装EXだと、近衛は冷や汗を浮かべる。何もネギは命を承諾しないといっているのではない。ただ教師として生徒を早急に救出し、他の生徒と一緒に勉学に励ませる事が最善だと言いたいだけなのだ。
それは近衛の思惑とは相容れない。だが、それは教師として正しく、故に話しに矛盾がない。
どうする事もできなくなった近衛は、結果強制命令を発動し、力押しで事を強行させた。

突風が吹き本棚がゆれた。現在ネギは図書館地下を爆走している。遠見の術で見られている気配がしたので、瞬脚は使わずに気での強化に過ぎない。それでも空気が乱れるほどの速度をだしていた。
都合のいいことに二日の間、魔法を使用できなくなる魔法、悪く言えば呪いをかけられた故に、空間跳躍魔法が使えず、時間を取ることになった。
図書館移動中の魔法使用禁止。その一言に近衛の思惑は読めた。秘密にしていた力だが、生徒のためには仕方がない。今頃部屋で仰天している近衛を思い浮かべ、口に弧を描き、急ぎ家に戻りとってきた古ぼけたバックを肩にかけ、罠が発射される前にその場を通り過ぎる。
途中のとても本を置く環境とは思えない天井と床の間が狭い通路を、軍の特殊部隊も真っ青な速度の匍匐前進で突破し、確かに先の見えない底へ続いている溝と、崩れた祭壇までの通路にさすがにやばいと、戸惑いなく虚空に身を躍らせた。
自由落下、は遅いが、今これ以上の力を見せてしまえば確実に怪しまれる。というよりも今でさえ隠していたことなのだから。
そうして、長い滞空時間の後、巨大な水柱が深層部を襲った。

一時間。それは何の時間か? それは目の前の光景を見れば分かるだろう。バカレンジャー五人と、着いてきたこのかが正座させられていた。その前には、延々としゃべり続けるネギの姿。
そう説教だ。ネギは軽く頭にきていた。魔法の本。それに頼るなんてと。弁解を聞いたのだが、それであれば尚たちが悪い。わざわざ参考書や問題集を用意してくれたクラスメイトを裏切る行為だと。
その言葉にまず、ユエが泣いた。なんとアホで愚かな行為だったのだろうかと。だが、アスナの放った言葉がここまで説教が長引いている理由だ。このままでは他のクラスに追い抜かれると。それを阻止するには魔法の本に頼るしかなかったと。
アスナと、ネギの一騎打ちは、ネギが勝利をもぎ取った。勝因はやはりあやかが信じられないのかという言葉だった。
ネギ自身の取れる時間は限られている。それ故に援護がなかったならば、今回の件も仕方がないと許せたが、そうではないのだと、援護があったのだと認識させねばならなかった。
一人ではできることが限られている。今回ツイスターゲームでそれを痛感したようだが、仲間を、そして自分自身を信じる能力に欠けていた。それは年齢ゆえに仕方がない事だったが、できれば分かって欲しいと延々と説教を続けたのだ。
「とりあえず顔、洗って来なさい」
全員の顔が涙で汚れていた。それは美しい涙だと説いたが、この後の予定を考えるとこのままではいけない。
何せ後二日、みっちりと勉強を教えなければならないからだ。
そして、その頃、タカミチは困っていた。お気楽な二-Aとは考えられない鬼気。そして、何故ネギがこないのかという質問の嵐。
さすがあの人の息子だ、とカリスマ性までも受け継いでいると感心した。それが現実逃避だと分かっていても。

月日とは早いもので、地下のはずだというのに何故か光り輝いている空間での生活はあっという間に二日がたった。
その間、適度な休みを入れながら、睡眠時間や、体を洗う時間なども考慮しながら勉強ははかどり、おのおの自分の弱点を克服していた。
まき絵、クー、楓は勉強をしないだけで、コツさえ掴めば綿が水を吸い込むように理解していった。
ユエは国語、それも作者の意図を問う問題ばかりをやらせ、模範解答を出せるようになった。
アスナも、筆が早く、ミスが多いのは相変わらずだったが、勉強を進めるうちに見直しの際の見逃しが少なくなり、理論が分からなかったものも、人よりも時間はかかったが習得した。
「それでは、そろそろ戻りたいと思いますので、皆さん準備は良いですか」
それに元気のいい声が返ってきて、ネギは笑みをこぼす。出口の場所も告げていないというのに、まったく悲壮感がない。それだけ信頼されているという事だった。
「出口はこっちですから、早く行きましょう。螺旋階段がありましたので、おそらく地上まで続いているものと思われますが、今の時間から出発すれば遅くとも夜の十一時には地上に着くでしょう。食事は」
「はいはーい。うちが持っとるえ~」
「という事なので心配は要りません。このかさん本当に私が持たなくてもいいのですか?」
見れば大きなバスケットを両手で持っており、女性には辛いのではないかと何度も聞いた言葉をもう一度紡ぐ。
「心配いらへんよ。これでもうち図書館探検部なんやから、こういう事にはなれとる。やからネギ先生はしっかり案内してな」
「そうですか。では、皆さん行きましょう」
なかなか強い女性だと、感心し、将来いい嫁になれるとも思ったがそこは口に出さなかった。そういうことはからかうときに言うもので、今言えば逆効果だと思ったからだ。
その判断は正解だといえる。もし言ってしまっていれば、このかからの逆襲はないものの、他の女子たちに睨まれるからだ。
それはさておき、滝の裏にある青いライトがついた非常口のマークのきらめくドアのない通路。
「ここは少し変でしてね」
ただ歩くのもなんだからと、ネギは言葉を紡いだ。
「何故か問題が刻まれていて、それに答えないと開かなかったんですよ」
「それって非常口の意味ないじゃん!」
ほんまやな~と、まき絵とこのかが言うと、全員が笑った。
「そういえば、あの石像は何だったのでござろうな」
ぼんやりとした楓の一言に、そういえばとネギを除く全員が考え込んだ。
「よく本に出てくる、ゴーレムという奴でしょうか? いえいえ、それはあまりに非科学的すぎます。そもそもゴーレムとは…」
そこは知識が豊富なユエ。持論を展開し、周囲を置いていく。
「ユエさん、ユエさん」
「ハッ、私は」
「かわいい癖ですが、直した方が良いかもしれませんね」
注意してくださいね、と言ったところで気温が下がったかのように感じ、周囲を見渡す。
ユエは頬を赤くし、まき絵と楓、さらにはこのかまでじっとこちらを見つめていた。
容易には口を出せない。どうにか打開策がないものかと、辺りを見回し、
「伏せろ!」
瞬間、轟音がなった。一階下の壁が破壊され、西洋甲冑を巨大化させたかのような石像が、一つ目を向ける。
「な、なんで此処まで追ってくるのよ!」
「大方あの時の崩壊に巻き込まれたのでござろう。だが確かに解せんでござるな」
アスナと楓が論議するなか、おずおずとまき絵が、あるものを差し出した。
「わ、私、もって来ちゃった」
「まき絵さん」
ネギがニコリと悪寒が走る表情を向けた。
「ち、違うんです! その、いいんちょにせめてものお詫びにって、その今回の事でたくさんお金を使っちゃったと思うから、これを商品化すればって思って」
一つため息が漏れた。びくりと肩が震えるまき絵。
「それなら仕方がありませんね。ですが、此処にあるということは一度生産されたという事ですから、商品化してしまったらそれはそれで問題になります。ですが、お友達のことを考えたのはいいことですよ。こんな結果になりましたが、それは誇ってもいい事です」
「は、はい」
暖かい微笑みに先ほどまでとは反対にまき絵の頬が赤く染まった。
「それを返すのじゃー」
「皆さん、あれは無視して自分のペースでゆっくり行きましょう」
どこか聞き覚えのある声に、頭が痛んだが、それを無視して何事もなかったかのように、先を促す。
「で、ですがネギ先生!」
「大丈夫アルよ。私が撃退」
「クーさんもです」
とたんに上がる抗議。それを無視して、クーを諭す。
「クーさん。あなたは確かに強い。ですがまだまだです。あの石像を壊す事は勿論、撃退する事も一人では難しい」
「そん」
「そんな事やってみなければわからないという台詞を仮に言うのだとしたら、敵との力量を正確に測れていない証拠ですが、クーさんはそんな事言いませんよね?」
「も、もちろんアルよ。ただネギ先生は何かするつもりよネ? だったら」
「手伝いたいんですか?」
にんまりと笑いコクリと頷くクーに、笑みを浮かべながら拳骨を落とした。
「うぅぅぅぅ、何するネ。私はただネギ先生の助けになればと」
「クーさん。あなたは一つ間違っています」
涙目で睨むクーに真剣な顔で言葉を出す。
「先生は、生徒を守るためにいるんですよ?」
「まつんじゃっ!」
そうこうしている間に追いついた石像を、臨戦態勢に入ったクーと楓を無視するように、ごくごく自然にただ手のひらを石像のどう部分に当てた瞬間、
「ノーォォォォォォォォォォォ」
反対側の壁まで吹っ飛び、ぶつかった反動で螺旋階段特有の中央に開いた穴に落ちていった。
「分かりましたかクーさん。これが撃退するという事です」
その笑顔にクーは勿論、誰も声を出す事ができなかった。

それからも、石像の襲撃はあったが、ネギの放つ一撃で階段の初めまで落とされ、追いつく時間が徐々に遅くなっていった。
「さて、そろそろ夕飯にしましょう。もう六時ですよ」
「ほな、広げるで~」
バスケットの中身を開き、重箱のように重なった箱を取り出す。
「ブルーシートがないんが残念やな~」
「そりゃ、遠足じゃないんだから」
このかとアスナの掛け合いに、微笑ましい空気が流れ、楽しいお弁当タイムが始まった。
「か、返すの」
石像の声と共に鳴り響く打撃音をバックミュージックに、お喋りに花が咲いた。こういうとき男には入れない結界が自動展開されるんだよな、と一人寂しく弁当をつまむネギ。
そんなネギに話題を振ったのはまき絵だった。
「ネギ先生。あれって結局何なのかな?」
さすがに皆興味があったのか、ネギに視線が集中した。
「多分なんだけど、あれはロボットだろうね」
「うそや~。あれは絶対ゴーレムやって。な、アスナもそう思うやろ?」
「うーん、でもゴーレムってあれよね、よくゲームに出てくる。でもそれって架空の産物なんじゃないの?」
「そうですね。ゴーレムというのは魂と彫られた文字を動力源に動く、試験品です。ですが、それはやはり架空の産物で、そもそもゴーレムは…」
このかの問いにアスナが答え、ユエが自説を展開する。それに納得できないのは初めに聞いたまき絵だった。
「みんなはゴーレムだって言ってるけど、ネギ先生は何でロボットだと思ったの?」
このかとアスナが漫才を、ユエが自説の展開をやめ、またもや視線が集中した。
「私も麻帆良にきて日が浅いですからね。独自にいろいろ調べてみたのですよ。麻帆良といったら特にロボット工学が進んでいることで有名ですから、勿論それも調べました。ずいぶん前に二足歩行型の巨大ロボットを作る計画があったみたいなのですが、その頃はガンダムが再燃してた頃だったみたいだったから当然といえば当然なのでしょうね、麻帆良の方達はのりのいい方たちばかりですから。結局時代は流れて今の多足戦車に落ち着いたみたいですので、あれはその試作機か、あるいは完成品。そう思ったというわけです」
AIもワンパターンですからね。
「なーんや、ゴーレムやないのん? せっかくファンタジーでオカルトな世界が垣間見えたとおもうたのに、残念やわ」
「へー、麻帆良にそんな歴史があったんだ。そういえば麻帆良祭のときはロボ研が毎年すごいものやってるものね」
「確かにネギ先生の言うとおり、行動がワンパターンだしね。AIが古いって事も納得かも」
このか、アスナ、まき絵がそれぞれに納得し、クーと楓にいたってはそんなもんかと直接戦っていない事が功を奏したのか、少しばかりの疑問と共に納得していた。
そうして、石像を撃退しながら、最上階に着いたのだが、
「これって」
「現実を疑うアルね」
そこには、地上への直通エレベーターがこれでもかと言った装いで設置されていた。
「停電でも起きない限り、大丈夫ですね。これ以上階段もありませんし、皆さん予定よりだいぶ早いですが、これに乗って」
「きゃー!」
そこまで言い終えたとき、突如悲鳴が起こり、急いで振り返った。
「まき絵―!」
「まき絵ちゃん!」
そこにはまき絵が石像に捕まり、ひん剥かれていた。
「何するカ! この変体ロボッ!」
クー怒りの一撃が石像の足にヒット。だが状況は変わらない。
「ネギセンセー!」
まき絵の叫びと共に、石像の腕が砕け散った。
「えっ」
まき絵は何が起こったのかわからず、自分以外の何か暖かい物に包まれている事に気が付き、
「ネ、ネネネネネ、ネギ先生!」
肩と、膝の下を支えられた抱え方、つまりはお姫様抱っこに顔を真っ赤にした。
それに返す事をせず、優しく地面に下ろすと、下がらせた。
「貴様」
びくりとこのか、アスナ、まき絵、クーの肩が震えた。
「私の生徒に手を出して」
瞬間、ネギを中心に突風が吹き荒れた。紅いコートがはためき、一歩石像に近づく。
「ただで済むと」
石像は動かない。否、動けない。それだけの覇気。常人がまともに浴びたら気絶するか、そこに死を見てしまうほどの強烈な覇気。
「思ってるわけじゃ、あるまいな」
絶対零度で放たれた声に、石像は恐慌をきたしたのか手に持った槌を振り上げ、襲い掛かる。
「ネギ殿!」
目を開き楓が叫ぶ。いくらネギでもまともに食らったら危ないと。だが、そんな常識は通用しなかった。
衝撃音が鳴り響く。
「ネギ、どの」
だが、
「それが全力か、木偶の坊?」
血を流す事も、構える事もせず、その槌を脳天から受け、まったくの無傷でその場に立っていた。
「ま、魔力は」
「勿論封印されているよ? だが、相手が悪かったな。これで貴様は」
終わりだ。
それは誰にも見えなかった。否、正確にはネギがそこに立っていた、という事しか分からなかった。気が付けば石像は高高度から落下したとしてもそうはならないだろう程に、木っ端微塵に、いや正しくは砂に変わっていた。
唯一つ、それが石像だと示す真紅の瞳が一つ音を立てて床に落ち、
「雑魚が」
ただ踏んだだけで、床に落ちたガラスのように、原型を示す物が影一つなく、砕け散った。

それは衝撃だった。石像を撃退する突きや、蹴りには技という物がまったく感じられない、力だけの素人のものだった。
体のなかに力があることを感じ始めたのは最近のこと。武道を極め麻帆良で最強といわれる用になったが、それが何なのかまだつかめていなかった。ただ技を放つ際、時々だが予想以上の力や、スピードがでることに何か関連があるのではと疑っていたので、ネギが放つ常人とは思えない力もそれなのだろうと納得できていた。
だが、違った。ネギは素人がたまたまそういった不思議な力を手に入れただけではないと、思い知らされた。
エレベーターの前で注意が散漫していたのだろう、まき絵が石像に捕まった事は誰にも予想できなかった。助け出そうとして攻撃を放ったが小さくひびが入るだけ。
自分の非力さを思い知らされたその時、いつの間にかそこにいたネギが何かをした。そう何かを。
その瞬間、石像の腕は砕け散り、まき絵が落下。それもまたしてもいつの間にかそこにいたネギが確保していた。
まき絵を下ろし、下がらせた後吹き荒れた風はなんだったのか、それは分からない。だがそれ以上にネギの声が怖かった。自然と一歩後ずさっている事に気が付いたのは事が終わってから。
楓もいつの間にか下がっており、石像が砂に変わった。ネギが何かをした。それだけは確かだが、何をしたのかまったく持って分からない。想像すらつかない。何せネギはその場から微動だにしなかったのだから。
石像の槌を身に受け無事だったのは、硬気と呼ばれる技の一種、その到達点だと予想がついたが、それ以外はまったくの不明。目にした武術に関してこれほどまで分からない事はかつて一度たりともなかった。
ただ、それでも分かった事がある。ネギは怖い。それは優しさからくる怖さだと冷静になって判断できたが、あれほどの鬼気は感じた事がない。そしてもう一つ、ネギは素人などではない。玄人、それも歴史に名を残せるほどの達人。おそらく素手での武術はやった事がないのだろう。無手での格闘は武の基本だが、流派によると無手での格闘を教えず、完全に武器の扱いのみに終始する物もあるという。得物を持っているようには思えなかったが、それしか可能性は考えられなかった。素人であのような事ができるのならば、今頃地球は達人たちの戦いにより破壊されている筈だ。
どうすれば、ネギのようになれるのか。どうやればネギを打ち倒せるのか。そんな事が頭を占め、隅の方でどうやったら婿に迎えられるかと、思考していた。
武術と、おいしい食べ物。そして強い男が大好きなクーにとってその思考は当たり前。考えない方がおかしかった。

ぐっすり睡眠もとれ、テストは思った以上に快調だった。
今までが嘘のように問題が解ける。その面白さと爽快さ。それは今まで体験した事のない快感だった。
それが、ユエ、アスナ、クー、まき絵、楓全員に共通するテストでの出来事。
事、此処にいたってさすがのアスナも認めざるおえなかった。教暦はともかく、慕うタカミチよりも、たった十五歳のネギの方が教え方がうまいと。
二日後、点数付けを終えた教師陣の元から寄せられた情報を元に、麻帆良中等部報道部主催の学年ランキングが大々的に発表された。
テスト毎に行われる恒例行事だが、今回の熱の入れようはいつもとは違った。各クラス、否学園全体の注目の的、子供先生ネギの行方がかかっているからだ。
大多数は二-Aの最下位を望み、二-Aはしたから二番目でも良いから最下位の回避を望んだ。
そんな、生徒達の熱意を酌んだのか、面白がったのか、一位と最下位を秘密に発表は進めれら、ブービー賞に二-Pが出終わった瞬間、画面が切り替わり、前髪を右側で止め、パイナップルの葉のように後ろに髪を上げた中学生とは思えない無理をすれば大学生でも通る体つきをした少女が映し出された。
少女、二-Aのパパラッチの異名をとる朝倉和美は、これまでの経緯と、何処から手に入れたのか、ネギのこれまでの行動記録を波をつけ観客受けする口調で煽りに煽り、画面越しに見ている生徒の熱気が最高潮に達したとき、カメラを動かし、ドラムロールと共に、そこに張られた二つの紙をいっぺんに剥がした。
片方には一位と祝福の花模様が描かれ、最下位には血文字のごとく文字のインクが重力に従い垂れている。
そして結果は……
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ! 食券ゲーェェェェェェット」
「ついでにネギ先生もゲット」
「ゲットだぜ」
ひそかに開かれていたトトカルチョ、大穴の二-A一位に賭けていた者は涙を流して喜び、二-Aのいたずらっ子の異名を持つ双子はホクホク顔。
こうして二年A組は二位に圧倒的な差をつけ、堂々の第一位を獲得した。

「失礼いたします」
女子校に存在する学園長室。二年A組圧勝祭が開催される中、ネギは近衛に呼び出され、生徒達に別れを告げ学園長室まで足を運んでいた。
「おや、どうされたのですか、学園長?」
「どうもこうも、おぬしがやったのではないか」
近衛はいつものいすに座らずに、ソファーに横になり、ミイラと間違うほど全身を包帯で巻かれていた。
「ああ、あのゴーレムはやはり学園長が操っていたのですね。ですが何故怪我の可能性がある憑依型の魔法を使ったのですか? 私が行かずともクー・フェイに長瀬楓の二人がいます。怪我を負う可能性はあったはずですが?」
「い、いやそれはのう」
言えない、言える筈がない。ぴっちぴちの肌をより感度良く触れるために、フィードバックの高い憑依魔法を使ったなど。
「そ、それはそうと、ネギ君や、君はいったい何をしたのかね。あの一瞬、憑依体とはいえ動きが見えんどころか、何をされたのかすら判らんかった。ネギ君、君はいったい」
「学園長」
「うむ」
ネギの尋常ならざる様子に近衛は冷や汗をかく。
「あなたは私の生徒に危害を加えようとした」
「あ、あれは」
「言い訳は無用。女子校に部屋を構えるほど、スケベだという事はわかっていました。ですが、裸に剥いてしまおうとするとは、教育者の風上にも置けない行為。学園長は一度…」
くどくどと永遠と思えるほどの説教から逃れようと、近衛は話を変えた。
「そ、それはそうと、メルキセデクの書を知らんかね。あれから探したのじゃが、何処にもなくての、ネギ君しか持っている者はいないんじゃよ」
「ああ、それなら此処に」
ネギはそう言って普通のかばんから一冊の書物を取り出した。
「一般人には分からないように偽装されていますが、このかさんが読んでしまえば内容を理解してしまうでしょう。このかさんはこちら側の人間には見えませんでしたので今まで預かっておきました」

密林の近く、別荘のようなログハウス、ネギ・スプリングフィールドとその仲間たちの家の一室で、魔力を込み完璧に写し取られた一冊の書物と、完全に脱力し寝そべっている一匹のオコジョ妖精が見られたのは、ほんの些細な事に過ぎない。









[10291] 第十話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/24 17:56
夜の闇に紛れ、一人の少女がひた走る。目的地はもう目の前。何故だかその場所は自身以外には秘されている。
それを思い出し、鍵を開けながら好都合だと笑みを形作った。
その夜、この世のものとは思えない絶叫が麻帆良の地に響き渡った。

第十話 お見合い

「ここの接続詞は…」
黒板にいつもどおり矢印で関係を描き、丁寧に説明される。麻穂良の地では、終業式まで授業が続けられる。尤もその内容は各教師に任せられ、中には自習や、レクリエーションに使うものもいるが、たいていの教師は生徒のためを思い、一年間習った範囲をおさらいする。
これは、新たな学年になった時、普段なら行われるおさらいが、新一年生を除き行われないからだ。
だが、今はそんな事は関係なかった。バカレンジャーを含む二-Aの生徒は先日行われた期末テストまでの猛勉強で授業内容を理解していたからだ。
ネギのそれを分かっていて尚、授業を行っている。一つは自習や、レクリエーションにした場合、確実に問題を引き起こすから。もう一つは心配だったためだ。猛勉強をしたといっても中には一夜漬けのようにただ知識を闇雲に詰め込んだ者もいる。そういった者は例外なく時間と共に叩き込んだものを忘れてしまう。それ故に、内容は残っているが理解にいたっていない者たちに、理解させ後々まで覚えてもらうために授業を行っていたのだ。
が、完全に理解しているものにとっては、退屈なものに過ぎない。過ぎないのだが、誰もがノートを取りながら、ネギに見惚れていた。
ノートをとらなかったり、明らかに聞いていないものには、ネギ必殺の弾丸チョークが飛ぶ。たかがチョークと侮るなかれ。裏世界に名の知れた超絶スナイパー真名も見切る事ができない、超高速の攻撃なのだ。幸い学園側が用意したチョークは経費削減のためなのか安物のようで脆く砕けやすい。故に超高速にもかかわらず、ダメージは比較的低い。悪くてせいぜい一日赤くなるだけだ。
そんな授業中、近衛このかは、ノートをとっていなかった。それなりに優等生なこのかには珍しい状況。勿論チョークが何度も飛んだが、このかは苦にもしなかった。
その理由が明らかになるのは、その日の夜の事だった。

その日の夜、ネギの携帯電話に近衛から連絡が入った。今から伝える場所に正装に着替え一人で向かうようにと。
告げられた場所は、伝統ある帝国ホテル第二支店。表社会の重役はくる事がほとんどないが、麻穂良、正確には関東魔法協会を目的に訪れる裏社会の重役が会合や、会食、滞在場所として使う超高級ホテルだ。
どんな相手に会うのだろうかという事は、ネギにとって重要ではなかった。近衛の名を出せば通されると、聞いていたので、おそらく料金は近衛もちだろうと唯一の懸念材料が消えている事がとても嬉しかった。そうでなければ一生縁のない場所だっただろうからだ。
そうして、黒いカシミアのコートを預け、いつも授業で着ている安物のスーツではなく、ブランド物の茶色のスーツに身を包み、レストランの個室に通された。
「こんばんは、ネギ・スプリングフィールドはん」
そこには、髪を結い上げ、派手やかな着物を着た教え子が座っていた。
「何を…やってるんですか。このかさん」
状況不明、理解不能。近衛からの連絡内容から推測したのは、どこかの重鎮との会合のはずだったのだが、何故此処にこのかがいるのか? 
確かにこのかの魔力は特筆すべきものだ。だがいったい何の冗談か本人は魔法使いや、陰陽師といった神秘を扱う者ではなかった。少なくともそう判断していたし、近衛も否定しなかった。
もしや、このかは関係者なのか? そう思うのも無理はない。だが行動はできない。今の状況は理解できないが表の者だという可能性は否定できないからだ。
「まあ、いややわぁ。すぐばれてしもた。ところでセンセ。この格好どうやろか」
変やない? と不安げに聞かれることに、ネギは自然に反応し、良くお似合いですよと賛辞を送った。
「え、ほんま。お世辞やないんよな? どないしよ。うちめっちゃ嬉しい。うれしゅうて心臓がとびでそうや」
ほんのりと頬を赤くして、照れながら笑うこのかは、実に愛らしかったが、このまま状況をほうっておく事はできない。
「このかさん。これはいったい」
「あのな、驚かんといてな」
両手を合わせ照れくさそうに動かしているこのかの様子から、魔法使いの可能性はほぼなくなった。だが気は抜けない。ほぼであり完全にではないのだから。
「あの、そのな。う、うち、その、じいちゃんの趣味、しってはる?」
「学園長の趣味ですか。存じませんが」
それが何か、と続けるとこのかの頬がさらに赤くなった。
「じいちゃんの趣味って、そのうちのお見合いなんよ。いつもは、嫌でことわっとるんやけど、そのな、今回はうちが頼んだんや。その」
ネギ先生とお見合いさせてって。
それでかと、ようやくネギの心に平穏が戻った。どこか緊張した近衛の声は裏のことを匂わせていたように思ったが、以前の冗談を気にして孫にちょっかいをかけることを懸念していただけなのだと。
「その、ネギセンセはいや、やったかな」
うつむき加減に上目遣いに見つめるそれは、中学生とは思えない愛らしさとあいまって、並の男なら一撃で落とされた事だろう。だが、
「いいえ、そういうことでしたら、月の昇る夜の短い間だけですが、つき合わせて頂きましょう。さしずめこのかさんの格好から、私は姫君を守るナイトといった役割でしょうかね?」
きざな台詞をはき、茶目っ気たっぷりにウィンクする余裕さえあった。それは逆にこのかを魅了し、嬉しいが恥ずかしそうに朱の入った頬がさらに赤みを増した。
「失礼いたします。お料理をお持ちいたしました」
丁度良くボーイが入室し、ワゴンで料理を運んできた。音一つなくテーブルに置くと、一つ礼をして不愉快にならない程度に去っていく。
さすが日本屈指の高級ホテルだと感心すると共に、いまさらながら本当にお金の方は大丈夫なのかと心配になった。近衛が先に払っていなかった場合、このかがカードを預かっている事だろう。だが、年上であり、仮にも教師なのだ。形だけとはいっても教え子に奢られるなど、目も当てられない。
カードはないが、幸い現金ならばスイートルームに一泊して、サービスを一周しても尚あまるほどの額を持ってきてはいるが、できれば払いたくはなかった。金は無限ではなく有限で、有り金は多い事に越した事はない。
だが、恥と男の見栄は、それを凌駕するものなのだ。
「ネギセンセ」
ふと、このかに呼ばれ現実に戻る。
「その、うち日本料理なら自信あるんやけど。西洋のお作法って知らんのよ。よかったら、その、教えてくれへんかな?」
恥ずかしいのだろう、俯いて手を合わせている。その姿に、微笑ましいものを感じ、席を立った。
「センセ?」
「このかさん。まずナイフとフォークは両端から順に…」
このかの後ろに回りそっと手をとる。まさに手取り足取りの状況に誘ったこのかの頬がこれ以上ないほどに高潮した。
「ナイフは良く切れますから力を要れず、そっと添えながら引いて、このかさん大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫やえ。で、でもちょっと恥ずかしいかもしれへんわ」
でも、やめんといてな。と小さくつぶやき、ネギはそっと笑った。

「そんでな、これ見てえな。この人なんか倍も年はなれとんのよ」
「それは学園長が悪いですね。趣味とはいえ、まだ年若いお嬢さんを」
「そやろ。じいちゃんももうちょっと考えて欲しいわ」
一通りの説明が終わると、食事を食べながらの談笑となった。
このかは、見合いを勧める近衛に文句を言い、ネギがそれに答える。
穏やかな時が流れ、デザートが運ばれてきたとき、それは起こった。
「センセ。ネギセンセ」
なんだい、と微笑を向けるネギに、このかは意を決したように頬を真っ赤にしながら口を開いた。
「ネギさんって呼ばせてもろて、ええかな」
「あれ、やっぱり先生って感じはしなかったかな?」
困ったなと苦笑するネギに、このはは頭を振った。
「ちゃうねん。センセはいいセンセやとおもうよ? でも、今はお見合いの途中やから、その名前で、呼びたいなって…、でも嫌やったらええんよ。むりせんといてな」
「そうですね。ですが、もうお見合いの時間も終わりですよ?」
困ったように笑うネギに、このかは言い募る。
「う、うち。お見合いは嫌いやけど、今日は、今日だけはすごく楽しかったえ。その、お見合いっていうんは、何回も重ねて、親しいなって、結婚とかも考えるもんで、ってうちなに言ってるんやろ。そんな、センセにっ、迷惑っ、かけるだけやのに、ひっく」
自分で言いながら訳が分からないようになり、仕舞いには自分でも嫌っていた見合いの強引な将来の決め方を認めるようにしゃべってしまい、あまつさえそれをネギに押し付けようとした事が、とても恥ずかしくて、嗚咽を漏らしてしまう。
それを見たネギは、一瞬驚くも、そっと席を立ち、このかを後ろから抱きしめた。
「セ、センセ」
「このかさん。ネギで良いですよ」
耳元でそっとささやき、片腕で安心させるように優しく頭を撫でる。
「で、でもうち、あんな事言って、それにお見合いは終わりやって」
「他の生徒の前で呼ばれるのは少し困りますが、それ以外ならこのかさんの自由にして結構です」
「で、でも、迷惑が」
それにほのかに笑い、囁いた。
「こんな綺麗なお嬢様に呼んでいただけるのなら、困る事などありませんよ?」
「あ、うっ」
このかの頬にしずくが流れ、
「ネギ、さん」
「はい、このかさん」
優しく指で掬われた。

結局、近衛は先払いしていなかったようで、カードを出そうとするこのかを制し、心で苦く思いながら高級ホテルの名に恥じない額の現金を払い、その日は寮までのエスコートで終わった。
暗い夜道を一人の少女が進み、誰に見られる事もなく明かりの消えた一軒家に鍵を開けて入り込む。
持参した懐中電灯を点灯させ、目的の部屋まで歩き、ドアノブをまわした。
「じいちゃん」
ゆっくり光が目標にあわせられる。
「じいちゃん。お見合い成功したえ」
部屋の隅に光が当たった。
「全部じいちゃんのおかげや。ネギさんとの仲も少しやけど進んだし、ありがとうな」
そこには、全身を縛られ、
「でも、あれだけ粘るなんてなんでやの。ネギさんはとってもええ人やえ。今までじいちゃんが進めた人とは大違いや」
猿轡をかまされ寝転がされた姿があり、
「じいちゃんが悪いんやえ。どれだけ言うてもネギさんだけはあかんなんて言うから。ほんま、うちやってこんな事したくなかったんやよ?」
窓から入った車のライトが暗闇の中一瞬少女の目に怪しく反射する。
「こんどは邪魔せんといてな。じ・い・ちゃ・ん」
ライトに照らされたそこには、血が固まった近衛の姿があった。

「とかだったら嫌だなぁ」
風呂につかりふっと呟く。
「それで、主様。そのお見合い、はどうなったんですか」
「え゛、いやその」
「まさか、主様!」
「いや、なんでもない、いやいや何もなかったって」
「怪しい、怪しいです。主様本当の事を…」

その夜、とある一軒家から再び絶叫が響いた。







[10291] 第十一話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/25 14:14
「な、何が起こって…」
広い屋敷の中、でっぷりと肥えた男性に襲い掛かったのは、素顔を隠し、ライトに鋭く反射する刃を持った、刺客だった。
だが、その刺客の思惑は邪魔をされた。
「貴様、何者だ」
同じ人とは思えない速度、瞬動や縮地と呼ばれる技術を駆使して出した超速度。狙われている男性には追うこともできないそれを、一人の異形は軽々と付いて来た。
仕事を邪魔された。それ以上にプライドを刺激され、誰何した問いは沈黙と持って答えられた。
「そうか、では死んでもらう」
刺客が瞬時に消え、異形を切り払った。が、
「残像! ど、どこだ!」
それは、本体ではなく、故に傷一つつかない。慌てる刺客が背後に現れた異形に気が付いたときはもう遅かった。
「眠れ」
慈悲を一遍も感じさせない一撃。抗うすべもなく刺客は昏倒し崩れ落ちた。
「き、君は、いや君たちは何者なんだ」
己を取り戻した男性に、異形は静かに告げた。クリムゾンレッドの配下だと。

第十一話 籠から飛び立つ野鳥

「これは、どういうことだ! 我らが後れを取るとは!」
木の板を引いた一階建ての武家屋敷の一角で、怒髪天をつく怒号が上がった。
「この一ヶ月、依頼はことごとく失敗。このままでは我ら甲賀忍軍の信用が地に落ちる」
「否。すでに暴落している。依頼も減り続けている現在奴らを倒すしか、回復の道のりはない」
「それだけではない。里の食料や武器の支援が滞っておる。奴らがどうやったのかは知らんが、表社会においての立場からこれ以上の支援は不可能だと抜かしおった」
その一言に場がざわめく。依頼の減少は難しく険しい道だろうが今後回復すれば良い。それくらいの危機は、数百年の歴史では珍しくもない。だが、経済援助は別だ。
科学が発展した現在、忍者という存在は過去の遺物に化そうとしている。以前まではその役割を担っていた者たちが、スパイと呼ばれ銃器を持ち電子的攻防をするようになってからはそれに拍車がかかった。
だが、甲賀は生き残った。それは偏に一般人との力量の差にある。幼き頃から忍びの業を教え、育て上げる。それは気というものがあったが故に生き残りを成功させた。
だが、時代の移り変わりから情報の要だった忍者はその任を解かれ、変わりに戦闘を得意とする戦忍びが重宝された。だがそれは、銃器が主役になった戦場ではなく、決して表には出る事のない暗殺という形ではあったが。
だが、生き延び、今も尚勢力を保っている。その事実は甲賀忍軍の誇りだった。だが戦忍びというのは諜報専門の忍びよりも教える事は多い。また、甲賀が生き抜くために需要は多くとらねばならず、結果畑を耕し、稲を育てる者の人数が足りなくなり、外部からの援助に頼ることになった。
それは里の生命線だった。外部の勢力は、主流ではないとはいえ諜報もできる忍びゆえに致命傷となる情報を握り、離れる事ができないようにした。いや、した筈だった。
「静まれ」
重々しい上座からの一声に、ざわついていた場が静寂へと移り変わった。
「外部からの援助停滞。これは確かに由々しき問題じゃ」
それは髭の生えた能面で顔を隠した老人だった。
「そして、連続した依頼の失敗。どちらか一つであれば解決する事もできたであろう。事実、一週間後に迫った大仕事にさえ成功すれば信頼は回復する」
どよどよと同意の声が上がった。それが静まるのを待ち老人は再び口を開く。
「じゃが、おかしいとは思わぬか。これら二つはわれらの生命線。甲賀忍軍がただの人に落ちるのを防ぐためになくてはならない、命綱。これら二つが同時押さえられた事が果たして偶然なのか。皆には悪いがわし独自にこの件を調べさせてもらった。そうしたら出てきおったよ。その二つを握っているのは同じ人物、クリムゾンレッドと名乗る若造じゃ」
瞬間、幾人かの重鎮が凍りついた。
「それは、間違いないのですか」
彼らはこの中でも魔法使いの存在を知っている数少ない者たち。彼らは何時の日か対峙する事になるやも知れぬと、魔法使いを調べた。それ故に知っていた。此処とは違う世界、俗に魔法世界と呼ばれる世界にて、数百年の長きにわたりかつてない暗黒時代の訪れを導いた者の名前を。
マスター・オブ・デーモン、最悪の吸血鬼、そしてクリムゾンレッド。それがその者の呼び名だ。
その強さは誇張された分を除いても強大で、とてもかなう者ではない。それと同じ名前が出されたのだから恐怖するのも当たり前だ。何せ死を確認したのはたった五人の魔法使いたちで、遺体すらないというのだから。それは彼らに限らず、魔法使いの間でも少なくない数の者が思っていること。もしかしたら生きているのではないのかという恐怖。
「あんずるな、奴とは違う」
だからその一言に心底救われた。だが、
「それに対しわしは精鋭を幾人か放った。じゃが」
そう言って取り出されたのは、六つの小さな木箱。それを一つ開けながら言葉を続ける。
「送り返されてきた」
そこにあったのは二つの親指。老人が放ったのは丁度六人。そして送られてきた箱も六。つまり全員が捕らえられたか、あるいは殺されたか。生きていたとしてもどの道忍びとして復帰はできない。物をつかむ際重要な親指を無くしたのだ。
それは、箱を見た誰もがわかった事。生死は問わない。何時死ぬか分からない。それが忍びの常識なのだから。
「これがどうやって送られてきたのか。それすら不明じゃ。気が付けば机の上にあった。手紙を付けののう」
「手紙、とはいったい」
老人は一つうなずいて、便箋に入った手紙を差し出した。
「これは…バカな! たった一人の小娘のせいだと言うのか!」
「じゃが事実じゃ。彼はわれらの一粒種。次世代の忍び立ちの中で尤も優秀じゃった楓の身を要求しておる」
「ですが、里抜けは掟で…」
「そうじゃ。故に我らは認める事はできん。とはいえ、このままでは甲賀忍軍存亡にかかわる事も事実。彼の者、ネギ・スプリングフィールドを討つ」
すっと老人が立ちあがり、両腕を広げた。
「たて戦士たちよ。今こそ我らの意地を見せる時。甲賀の力を見せつけよ!」
湧き上がる歓声と共に、一匹の白い蛇が梁を伝いその場を後にした。

「やっぱり忍者って口堅かったな」
麻帆良に居を置かれた別荘のような家の一室から声が漏れた。
「でもよー。魔法薬使ったら一発だったじゃねーか、マイ・ロード」
タバコをふかすオコジョがマホガニーの机に座り、笑った。
「それにしても学園長もえぐいぜ。こんな家の地下に牢獄が付いてるなんてよ」
「麻帆良だからな。それも普通だ。しかしなかなかやるな、甲賀忍者の諜報能力も」
「どういうことですかい? あいつらが来たのは予定通りじゃ」
カモが不思議な顔をするが、ネギの顔は変わらない。
「一週間ばかり到着が早かった。少し侮っていた結果だ。だがあれで精鋭とは笑わせる。私のところであれだけいれば、今の私ぐらい葬るのはわけもあるまい」
「そ、そんなに強いんすか! マイ・ロードの所は」
「だが、それでも昔に比べれば戦力が落ちたと聞いていた。そんな事より、帰還したようだな」
「へっ?」
カモが疑問の声を上げた瞬間、ドアがノックされた。
「入ってくれ」
そうして、音もなく入ってきたのは、白い狩衣姿のおかっぱの少年だった。
「ハク、どうだった」
「お館様のご推察どおり、ことに及ぶつもりのようです」
場に合わせているのか、右手を折り、一礼してから話し始める。
「そうか。何時ごろかは分かるか」
「明日、遅くても明後日には行動を起こすでしょう」
「ずいぶん早いな。甲賀忍者は散っているはずだが?」
「長が予め集結させていたようです。それ故の行動の速さかと」
「ご苦労。攻め入られるときの出番はおそらくないだろうからしばらくゆっくり休んでおけ」
頷き、笑いかけたが、ハクはその場に立ったまま。何かを悩み口に出した。
「お館様、無礼を承知でお願いがございます。私も次の戦いにお使いください」
じっと見つめる黄色い目に、ネギは困ったかのように苦笑を返し、肩をすかめた。
「遠中距離からの攻撃が得意なお前をか? 白兵戦はできんだろ」
「ですが」
「ハクの気持ちはありがたくもらっておく。だがばれるのはまずいんだ。今回の件はおそらく学園長も介入はせずとも見てくるだろう。その場で魔法世界で有名な広範囲殲滅攻撃をすれば最悪ハクだけのことだけではなく、他の者にまで手が回るかもしれん。今も高畑からお前たちを隠しているんだ」
「しかし」
「高畑は怪しんでいる。ばれている事はなさそうだが、此処に何かがあると確信しているようだ。お前の気持ちも分かるが、せめて私が陰陽術に精通している事がばれるまで控えていてくれないか? 尤も此処に来てから何かと荒事が多い。ばれるのも時間の問題だがな」
ハクは黙り、少し俯いた。
「お館様。正直に申してください。私は、やはり必要ではないのでしょうか」
ハクは、昔地域の人々に崇められた龍神だった。だが、信仰は時代の流れと共に失われ、住処の湖は住宅開発のために埋め立てられた。それでも移築した祠があったのだが、それすら取り壊されてしまい。龍神としての能力を制限され、捨てられた神として生きていたのだ。
それから最悪の吸血鬼の仲間となり、慕う主のために力を振るった。だが今はそれすらできない。
役に立たないのなら必要とされないのではないか? そう思ったのも無理はなかった。
ハクの言葉にため息を吐く。それに肩が震えた。
「ハク。正直に言うが、お前バカだろ」
「は?」
思いもよらぬ言葉。思わず口から間抜けな声が漏れた。
「ずっとそばで見てきたのなら分かっていると思うが、私は欲深いんだ。一度手に入れたものをみすみす逃すように見えるか? 大体ハクはだな…」
こんこんと続く説教にも似たそれは、弱気なハクの心を元気付けるには十分すぎる物で、自然と頬が綻んだ。

そろそろ就寝かという時間帯に、携帯電話からゴットファーザーのテーマ曲が流れた。通知された相手に高鳴る胸を押さえ通話ボタンを押し、耳に着ける。
「もしもし」
「今晩は、楓さん」
耳に聞こえる心地よい声音。だが愛しの人物は目的なしにかけてくるようなかわいい性格をしていない事は知っていた。そもそも、教師と生徒。私的な交流はできるだけ隠れてやるようにと伝えられている。
「何の用でござるか? 何か問題でも」
「大丈夫。ただ最後の仕上げに楓さんの協力が必要なんだ」
髪を揺らし首をかしげる。あの巨大な石像すらたった一人で撃退し、塵へと返したネギが実力的に圧倒的に下のはずの自分の手助けが必要? いったい何が起こったのだろうと、問い詰めるが、答えはただ、なんでもない、家に来てくれば良いからと、言うのみ。
「それじゃあ、待ってるから」
「ネ、ネギ殿! 待つでござ、切れてしまった」
それからの行動は早かった。自分に頭脳を求める事はないだろうと、忍び装束に素早く着替え、里から大量に持ってきた武器を携帯し、気を体に張り、暗闇を駆け抜ける。
期末テスト後の日曜日に、合格をもらって以来、瞬脚を習う前の段階として、気をさらに高度なエネルギーである霊力に変える訓練をしている最中で、あの圧倒的速さの瞬脚は初歩の段階ですら使えない。
それでも、己が持てる全力で走りネギの住むログハウスに着いたのだが、
「な、何でござるか、これは!」
目に映ったのは倒れ付す人の群れ。ただの人でない事はすぐに分かった。なぜなら皆一様に同じ装束を着ていたのだから。それは楓にとって尤も見慣れた装束。そう、今自身も着ている忍び装束だった。
「早かったね。楓さん」
何時の間にそこにいたのか、楓は倒れ付す集団の中央に立っていたネギに声をかけられるまでまったく気が付かなかった。
「こ、これはいったい、どういうことでござるか!」
「いつか言った言葉を覚えてるかな」
それに答えず、飄々と笑顔で囁いた。
「な、何のことでござろう?」
訳が分からなかった。いつか言った言葉。それに該当するものは多すぎて、特定できない。今更になって目の前の少年から与えられたものが、とてつもなく多い事を実感する。
そんな楓をよそにそっと風に乗って言葉が届いた。
里を、抜けさせてあげる、と。
瞬間、細い目が極限まで見開かれた。有り得ない。あれは一時の気休めではなかったのか。少なくとも自分は現実達成不可能な気休めだと思っていた。だが、本当にそれを目的に動いているというのならば今のこの状況にも納得がいく。
「それで、最後の仕上げなんだけど」
その言葉にまた驚く。最後の仕上げ。つまりそれ以外の細々とした掛け合いなどはもう終わっているという事だ。
「ど、どうやって」
だからその言葉が漏れたのも無理はないだろう。
「さすがに一人じゃ無理だから、黒翼達に手伝ってもらった」
達というからには、他にもいるのだろうと、土日以外、ネギが教職で忙しいときに修行をつけてくれる烏天狗並の強者の存在に、我知らず武者震いがした。
「それで、拙者が手伝う事とは」
「ちょっと甲賀忍者の里まで用があってね。こいつ等も連れて行かなきゃいけないし、その協力」
訳もないと、のほほんとした顔で告げるが、言ってる内容は攻め入ると宣言した事と同義だ。
さすがに焦る楓だが、ネギは容赦しなかった。
「楓さん」
「ほぇ!」
いつの間にか目の前にいた、ネギの顔が至近距離に存在した。まるでキスをする直前のようだと、他人事のように思い、瞬間空間が歪んだ。
一瞬だった。そこはすでに麻帆良の地ではなく、見慣れた甲賀の里。だが今はそれよりも先ほどまで起こっていた自体の鎮圧が最優先だった。
ネ、ネネネネネネネ、ネギ殿はなにを、何をしたかったのでござるかァァァァァ! とパニックに陥り、火が出るのではと思うほど顔が真っ赤に染まった。
「楓さん、行きますよ」
そんな楓を知ってか知らずか、手を握り真っ暗な道を歩く。そこには里のものしか知らない侵入者防止用のトラップがわんさか仕掛けられているのだが、一つも発動させる事なく、里で一番大きな、武家屋敷に到着した。
「こ、此処は長老の」
「さ、止まってないで行きますよ」
ようやく我に返り、目の前の建物の意味を告げたのだが、ネギはまったく気にした様子はない。
まるで我が家のように進み、とある部屋の前で立ち止まった。
「さて」
びくんと楓の肩が震えた。
「今更ですが、楓さん、里抜けの覚悟がありますか」
笑顔である。ネギは確かに笑顔ではあった。だが目が笑っていない。それに怖さよりも真剣さを感じ、臆することなく答えた。
「ネギ殿が、ネギ殿がいてくだされば、里の掟を破り死んでしまっても悔いは無いでござる」
覚悟は決まった。そうして何故今更問うたのかも理解した。何をなすにも、覚悟は必要で、それが無い者は遠からず滅びる運命にある。それが自滅か、他者によるものかの違いはあれど。
これで死んでも悔いは無い。ただ心残りなのはネギを巻き込んでしまった事だけ。だから隣にいる想い人には内緒でもう一つ決意した。ネギだけは何があれども生き抜いて里から脱出してもらおうと。
麻帆良の地はあれで意外に猛者が多い。クーレヴェルでは食い止める事は無理でも、タカミチ他、教師陣にはあれで強い者が多く、質はともかく数がさして多くない甲賀忍軍を食い止めるか、あるいは殲滅するかはできるだろうと。
「では、楓さん。行きましょうか」
返事は決まっている。ただ一言、頷くだけだ。
「あい」
引き戸が静かに開けられた。その間は全忍者集合の地。居並ぶ忍びたちに震えが走る。それを押し殺し、ネギと共に一歩、また一歩と上座へと歩んでいった。
「座れ」
重いその一言で、居並ぶ忍びたちが一部の乱れもなく胡坐をかいた。
「良く来たのう、クリムゾンレッド、いやネギ・スプリングフィールドよ」
目の前には、
「お礼参りは、この世界では常識でしょう? 長瀬朱雀翁」
めったな事では面をはずさない、甲賀忍軍総大将、翁の名で呼ばれる最高権力者が、火傷に爛れた素顔をさらしていた。

「良く我らの精鋭を破った。伝え聞く魔法、とやらを使ったのであっても賞賛に値する」
圧倒的威圧感。見据えられるだけで、自然に体が下がろうとしてしまう。そんな自分をよそに、ネギはその威圧感を正面からまともに受けているというのに、笑み一つ絶やさない。
「魔法、その情報を知っているとはさすがは東洋の諜報部隊。ですがこれは知らなかったようですね。彼らを倒したとき、私は一切の魔法を使っていませんよ?」
魔法。それが何を意味するのか楓には分からない。だが今現在、目に見えない精神が物理的に作用するほど強烈な言葉だけではない応酬が繰り広げられている事だけがおぼろげに分かる全てだった。
「ほう、体術だけで我らを下したというのか。俄かには信じがたいが、お主が使う配下の技量を考えればそれも当然か。して、ネギ・スプリングフィールド。あえて聞くが何が望みだ」
その言葉と同時に、まるで真実を見極めるがごとく目を細めた。
「楓さんの自由を貰いに来ました。里抜けがご法度だと聞いたので態々足を運んでね」
その鋭い視線に、怖気づくどころか皮肉気に笑いこちらも今更ながらの言葉を吐いた。
「掟。それはこの里を、否甲賀忍軍をこの世から失わせないためにはるか昔から受け継がれた血と結束の証。それを知っての行いか」
「当然。時代がめまぐるしく変動する現代で、過去の遺物に縋り付くのはどうかと思いますが?」
「どう言われようと、姿勢は変えられん。甲賀は此処まできたのだ」
「多数の里抜けと、血が流れながらですか?」
誰も口を挟めない。それぞれはそれぞれの信念の元に論議しているからだ。
「だがらこそ、甲賀はこのままの姿勢を貫かねばならん。その犠牲を無駄にせぬためにも」
「逆ですね。その犠牲を思うなら、今一度問うべきです。古き姿を捨て時代に適合した姿に生まれ変わらなければ、今後も血は流れ続ける事でしょう」
「お主なら分かるであろう? 我らがどういった存在なのか、これからもどういった存在でなければならないのか。忍びの性を。我ら弱点を的確についてきたお主ならば」
「分かります。私も昔は忍びでした。ですが、いや、だからこそ、変わらなければならないといっているのです。小さく纏まっているだけではこの時代、乗り切る事ができません」
瞬間、ネギの腕が動いた。
「ネギ殿? 何をっ!」
楓は何がなんだか分からなかったが、あげられたネギの腕を見て血の気が引いた。手裏剣、それも殺傷能力の高い棒手裏剣がその手に収まっていたからだ。それは投げるというよりも、掴んだという持ち方で、棒手裏剣の切っ先は頚動脈が存在する首筋に向かっていた。
「長! 何故今こやつを殺さないのです! 我ら全員でかかれば」
「愚か者が!」
一喝。それを向けられた本人でもないのに楓の体が萎縮した。
「で、ですが」
「貴様には…」
「朱雀翁」
場違いなほど涼やかな声が放たれ、
「こういう輩には体で教え込む方が早いですよ」
「ひゃッ」
小さな叫び声と共に、立ち上がり抗議していた一人の忍びが床に激突した。好奇心に駆られ覗くと、口から泡を吹いて気絶していた。命が危ないのか体が時折痙攣する。
「貴様! 何をした!」
いっせいに立ち上がり臨戦態勢を整える忍びたち。その顔は怒りで高揚しているにもかかわらず、どこか恐怖しているようにも見えた。それもそのはず。ネギは一切体を動かしていなかったのだから。
理解不能な攻撃。楓は石像が砂に変わったときを思い出し、瞬脚を使ったのかと思ったが何かが違う。気を霊力に変化させる修行では、気の探知の仕方も教えられる。気の本来の使い方も。だがそのいずれも感じられなかった。その点においては合格点を貰っているにもかかわらず。その時ネギは確かに言ったのだ。今の自分なら石像を壊した攻撃も探知できる、と。だから違うはずだと、何らかの手段をとったネギを見つめる。
「静まれぇい!」
先ほどよりも凄まじい一喝。瞬間、騒いでいた忍びたちは萎縮し、勢いをなくした。
「若い衆には分からんかったようじゃ。ネギ・スプリングフィールドよ。語ってみてはくれんか」
わが身の恥。そう顔中で表現しネギへ視線を向けた。
「私の講義は高いですよ? それでも良いのなら説明しましょう。あれは気当てです」
再びの一喝を恐れたのか、控える忍びの間で小さくざわめきが広がった。
「それだけではあるまい?」
分かっているのだと、翁が言葉を出す。
「そうですね。そのとおりです。ただの気当てならば皆さんでもできるでしょう。闘気や殺気と言ったものを放てば良いだけですから。私がやったのも同じ。ただ先ほどの方は少し悪戯が過ぎたようですから、少々きつめの殺気を一点集中で放った。ただそれだけで、後は気当てと同じ原理ですよ」
ただの殺気。だが、誰も、否翁以外誰もそれに気が付かなかった。それほどまで絞られた殺気を受けたのならば、集団心理の逆で一人だけという状況に状態が悪化したのも理解できる。
「さて、愚か者のせいでずれましたが話を戻しましょう。単刀直入に言います。楓さんの里抜けは、認められないのですか」
「左様。掟に一切の例外は無い。お主ならば理解できるじゃろう? たった一つでも例外を作ってしまえばどうなるかを」
「そうですね。それも当然の結論でしょう」
楓の手が握り締められる。やはり駄目だったかと。だが、ネギはこんなところで終わる男ではない。
「さて、話は変わりますが、今度の金曜日に開かれるとある財閥のパーティー。そこでの要人暗殺の手配は、成功しそうですか?」
再び場がざわめきに包まれた。その情報は里の信頼を回復するための秘中の秘の情報。それが事もあろうに今まで邪魔してきた者にばれている。その衝撃は計り知れなかった。
「何を…」
「もう一つ。この里に援助していた財閥関係を抑えた方法。それ、何だと思いますか?」
翁の言葉をさえぎり、皮肉気な表情で紡がれたそれに翁の顔が険しく歪んだ。
「まさか御主」
「ええ、そうです。そのとおりです朱雀翁」
ネギは笑う。幼子のように純粋に笑った。
「楓さんを里抜けさせてもらえば、暗殺の阻止はいたしませんし、そちらが何事か事を起こさない限り、今後一切邪魔をしないと誓いましょう。それでも否というならば、今まで押さえていた企業の弱点、それを上回る弱点を楓さんと交換で売り渡しましょう」
「そんな事は…」
「それでも誇りにかけて断るのなら、甲賀忍軍はそう遠くないうちに潰えます。私を含め十六名でこの地を更地に変えても良いのですが、ご安心を。それはあまりに非人道的ですのでいたしません」
沈黙が流れる。それを打ち破ったのはやはりというべきか忍びとしての冷徹な顔に戻った翁だった。
「それを許すとでも、思うたか」
底冷えする鬼気に楓の体が震え、歯の根が合わず不愉快な音を鳴らすが、ネギは微動だにしないどころか、この状況下ですら微笑んでいた。
「許す? 朱雀翁、あなたは間違っている」
「なにぃ」
そこに表面上ですら温和な会話は無い。水面下で行われていた攻防が表面化したのだ。
「すでに、この地に仲間は集っている。襲撃のときは今すぐにでも可能。経済援助をしてきた財閥は取り押さえられ、業界で必要不可欠な信用を取り戻せる計画すら露見している。全ての状況が甲賀の滅びを示している今、何故私がここに着たか? 危ない道を渡らずとも放って置けば遠からず滅ぶ此処に」
ギリリと翁の歯がなった。これでも一族の長。それくらいははなから承知していた。
時に、物の怪と交渉するには、何が一番手っ取り早いか分かるだろうか? 親身に説得? それとも協議した末の妥協? そうではない、一番早くなおかつ自身の意見が通る方法は実に簡単だ。右手で剣印を作り、左手に札を持ちちらつかせる。卑怯という無かれ。これは正攻法である。
交渉とは武力的や技術的に優れている者が優位なのは歴史が証明している。今現在もアメリカや中国、ロシアがそれを体現している。
今回の事も、すでに幾度も行われたそういった交渉事の一つに過ぎない。
翁にも分かっていた。逃れるすべは無いのだと。だからこの世から消そうと軍勢を送った。
先ほどまでネギが目の前で温和に交渉していたのは、それだけの余裕があったため。そして事を穏便に済まそうと考えたため。だが、それが分かっていながらも翁には、否何百年と続く甲賀忍軍を纏める者として、甲賀忍軍の誇りと、どれだけの血と涙が流れたか知れない苦痛を伴いながらも脈々と受け継がれてきた血の掟を守るために、決して屈する事はできなかった。
「それでも、それもでわしは、わしらは…」
苦痛を伴う言葉。たとえ滅びるとしても誇りだけは守らねばならない。その為には、たとえ自身が滅びようと、目の前の少年を、
「翁、これで手打ちにしませんか」
消そうと考え実行に移そうとしたその時、一枚の巻物が放り投げられた。
反射的に受け取り、記された文字を見て驚愕に目を見開く。
「これは…、いやまさか、失伝したはずでは…」
鬼気を納め、ただの老人のように目を瞬かせる翁にネギは確かめろ、と言い放った。
「これは確かに!」
御主これを何処で手に入れたと、聞こうとした先をネギが取る。
「今、楓に教えてる。それがあれば暗殺なんてちゃちな仕事から抜け出すことも、銃器が主役の戦場に再び立てることもできるはず。尤も練度しだいではあるけれど」
「これを、これを渡す意味が分かっているのか!」
巻物を開いた翁の手は小刻みに震えていた。楓は何が起こったのかまったくわからない。
「意味といっても、所詮昔流行った戦闘方法。それだけですが?」
翁は悟った。目の前の少年にとって、自分が、否自分たち武に通じる者が求める気の限界を越えた更なる強さの段階は、児戯に等しいレヴェルなのだと。それほどの高みにいるのだと。
「襲撃はなし。財閥の弱みも渡す。パーティーを含めた今後一切の邪魔をしない。さらにそれをあげますから、楓の里抜けを許してはもらえませんか」
翁は即断した。
「許す」
瞬間場がざわめいたが、再び翁の一喝で納まり、説明が始まった。
「皆のもの、既に気、という力は知っておるな。我らが生き残れたのには様々な工作があったが、その気の力があったが故といっても良い。だが、この世には霊力というものがある」
瞬間ピクリと楓が反応した。
「今は失伝された技術じゃが、気は霊力と合わせることで山を割る事すら可能だと伝えられてきた。それが事実か否かを知ることはできなかった。そうできなかったのだ。今此処にある巻物にその方法が書かれている。失伝されたと言っても完全に無くなったと言うわけではない。一部は代々の長老に伝えられている。それが符合した」
誰も、何も言わない。静かな空間で、翁が一人声を出す。
「代々伝わる血の掟。重いそれは永遠に続くものであり、破れば例外なく掟の元に重罪が待っている。じゃが、わしはその例外を作るつもりじゃ。それが後々になり危険な方向に傾くかも知れん事は分かっておる。じゃが、それ以前に我らは忍び。諜報技術は時代の移り変わりと共に用を成さないものになったが、戦闘技術は未だ通用する。それでも飛び道具が主流となった戦場には足を踏み入れる事はかなわなんだ。もとより戦忍びも戦場の主役ではない。じゃが忘れてはいかん。我らは甲賀忍軍。暗殺業で終わることが果たして誇りを持てるものなのか。その解決策が目の前にある。わしは受け入れよう。生涯ただ一度の敗北を。圧倒的な敗北を。それで甲賀がより発展するならば!」
里、甲賀忍軍最高権力者が一つの例外を認めた。それに不服を感じても、この地は民主的ではない。変えたくば自らが長となるしかないのだ。
翁には確信があった。今は不満が蔓延しようとも霊力の力を得たときそれは解消されると。巻物に記してあった数々の技。それが実践できれば暗殺しかできなかった甲賀忍者は戦場に舞い戻り形骸化し始めた誇りを、在りし日の誇りを取り戻せると。
「それでは、私たちは行きますね」
考え込んでいたところにネギが言葉を放った。
礼は言わない。これはいわば人買いのような物だからだ。巻物と、楓。それの交換。だが、翁は口を開いた。
「楓」
「はっ!」
反射的に楓は方膝を突いた。
「御主はこれで自由じゃ」
「はっ」
楓の声には喜びの音が満ちていた。
「じゃが、御主は忍び。この里に産まれたものじゃ。忘れるな御主が何処にいこうとも忍びの業からは逃れられん事を」
楓は答えられない。思い当たる節があるからだ。だが、
「武を扱うもの。その性。それは忍びの業ではありませんよ朱雀翁」
何せ私もそうですから、と微笑むネギがそこにいた。
「御主が、御主が言うのならばそうなのかも知れんな」
さらばじゃネギ・スプリングフィールド。そういい残し、翁は奥の部屋に消えた。
「ネギ殿」
翁の言葉に不安になった楓は、ネギを見つめる。
「大丈夫ですよ。楓さんが瞬脚を習いたいと思ったとき、戦いの事、ましてや忍びの事を考えてはいなかったでしょう? 武を求める者はよりすぐれた技を見ると求め、作り出すものなのです。それは現在まで伝えられた多くの格闘技や、流派を見れば分かる事」
それでも、不安は晴れなかった。頭では分かっている。だが、もしもと考えてしまう自分がいるのだ。
それを察したネギは、楓の手を握り、囁いた。
「それでも不安ならば、僭越ながら私が保証しましょう。楓さん。あなたの里抜けの勇気は本物でした。恥ずかしながら私は里抜けすることすら考えた事がない。それに修行中の楓さんは、ただ武を極めようと足掻く一人の少女にしか見えません。楓さんが今まで習った術を使っても、もうあなたは忍びではないんです」
それを聞き、まるで子が母を求めるかのように、つながった手を握り締めた。
「それとも楓さんは、私の保証では安心できませんか?」
「うっ、うっ」
それは嬉しさか、心地よさか。途方も無い罪から許されたかのように、幼子の如く涙をなす。
「楓さん」
そっと足が止まった。屋敷からずいぶん離れた丘で、ネギは空を見上げる。
「今日は月がきれいですよ」
つられて見上げた楓の目に、中天に上った満月が、珍しい青い光を地上に向けていて、
「まるで祝福されているみたいですね?」
考えていた事と同じ事を言葉に出され、ただ一つ頷いた。










[10291] 第十二話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/26 18:05
走る、走る、走る。街頭で照らされた石畳の通りを必死で走りぬける。
ちょっといつもとは違った浴場に行っただけ。それ以外は日常となんら変わりなかった。
何かに見られている。その視線を感じ、恐怖で足がすくんだ。それでも必死に動かし、人のいる寮へひた走る。
小さく何事か唱えられる声の後、わずか後方の空間が爆発した。爆風に足をとられ、へたり込む。
逃げないと、逃げないとだめ。そう分かっていても、限界を突破し、疲労しきった足は、一度止まった事で動く気配がない。
「お前は良くがんばった方だよ」
鈴を転がしたかのような声が、背後から響いた。
「あ、ああああああ」
何も言葉にならない。パニックで思考がめちゃくちゃになる。
「その血、計画のために頂かせてもらうぞ」
「た、たた、たすけ」
「何心配はいらん。少しばかりくすぐったいだけだ」
あるいは気持ち良いかもな。
「ネギせんせー」
一陣の風と共に、桜の花びらが舞った。

第十二話 その名はエヴァンジェリン

「「「三年A組」」」
ネギセンセー!
その叫びに、ずいぶんと慕われたものだと、微笑を深くする。
「改めまして、今日から一年間、このクラスを担当する事になった、ネギ・スプリングフィールドです。エスカレーター式とはいえ、中学最後の年ですので、悔いのないよう、各自思う存分楽しんでください。勿論勉強もですが」
最後の言葉にブーイングが起こったが、経過は順調。先生をせよという魔法学校卒業の課題が何処までさしているのかは判らなかったが、今はともかく、生徒達の面倒を見る事が最優先だった。
「さて、今日は身体測定がありますので、皆さん保健室まで向かってください」
「はいはーい」
あやかが号令をかける前に、一人の少女が手を上げた。
「椎名桜子さん。何でしょうか」
「先生は来ないんですかー」
何をバカなことをと、桜子に苦笑を返す。
「年齢は十五歳でも教師ですからね。教え子に手を出してしまっては先生失格ですから」
「でもでも、このクラスって平均高いし、中には中学生とは思えない人もいるから、先生だって見たいんじゃないの?」
瞬間、視線がとんだ。それを華麗に無視し、口を開く。
「まあ見てみたくないといったら嘘になる…」
瞬間静寂が訪れ、悲鳴にも似た叫び声が上がった。
「先生の…」
「というのはあくまでも冗談ですよ?」
一斉に叫び声が掻き消えた。
「さて、しずな先生も来たようですよ。私はここに残っていますので、測定が済んだ方から順次戻ってきてくださいね? 尤も今日は時間が限られていますので、授業ではなく、私の昔話でもしましょうか」
瞬間生徒の目が光る。その後の行動は早かった。しずなが訪れると共に、真名と楓がしずなを拘束、それぞれ両肩を持ち、高速で保健室まで引きずっていった。
それに続くが如く、あやかを筆頭に生徒達が廊下を爆走。残ったネギは、持参した本を読む事にした。
そうして本を読む事数分、携帯電話からダースベイダー行進曲が流れ、二、三話すと、黒板に大きく自習と書き、急ぎ足で教室を出て行った。

「それで、まき絵さんの状態は」
現在身体測定が行われている第一保健室ではなく、入り口に程近い第二保健室にネギの姿はあった。
「ただの貧血ですね。ただ、これと一緒に桜通りで発見されたので、風邪を引くかもしれません」
そう言って差し出されたのは、入浴道具一式。
「悪戯された形跡は」
そう。これが一番重要だ。相手は女の子、怪我をしていないのであれば安心というわけにはいかない。状況から見て一晩屋外で放置されたのだ。
「ご安心を、そういった形跡もありません。いたって健康体です」
そこで漸く一息つく。
「犯人はやっぱり…」
「どうかしましたかネギ先生?」
「あ、いえ何でもありません。それでは教室の方をほったらかしにしているわけにはいきませんので、これで失礼させて頂きます。彼女がおきたら携帯の方まで」
そういって、教室に戻るネギの表情は硬かった。が、そんなものは黒板にでかでかと描かれた吸血生物、チュパカブラなる新種の宇宙人の様な絵に、崩れ去った。

友人と別れ、女子寮に向かう道すがら、少女、宮崎のどかは、温かな気持ちでいっぱいだった。
同じ図書館探検部員であり、同室の親友、綾瀬夕映が何時になく元気だからだ。
始めてあったときはとてもドライな少女だと思った。それは親友になり、同じ時間を共有しても尚変わることが無い部分。
世界をなめているのではなく、どこか冷めた目線でしか見れない親友に、世界を見てもらいたかった。だが、自分にはどうする事もできず、二年の時がたとうとした時、それは起こった。ユエが恋をしたのだ。
相手は一つ年上の少年。だがただの少年ではない。教師としてやって来た者だった。初めは教育実習生という形で赴任してきた少年は、クラスの半分以上を魅了してしまったらしい。
ユエがその中に入っていると知ったのは、クラス全体が阿鼻叫喚の勉強地獄に陥った、学期末テストのときだった。なんと何時になく勉強をしていた。普段どれだけ注意されても興味のあること以外には目も向けないユエが。
それからのユエの行動は、それ以前よりも活発で、以前の傍観は何処へやら、完璧な年頃の少女だった。
のどかはそれを嬉しく思い、少年に感謝した。嫉妬がないといえば嘘になる。だが、それ以上に親友に真の世界を思い出させてくれた事が嬉しかった。
ユエもなかなかかわいいところがあると、昨晩と今朝のことを思い出す。寝言で少年の名を呼び、それを朝からかうと顔を赤くし焦りながら興味がないと、嘘である事がばればれな言葉を口に出し、その後それをどう思ったのか、一人で悶々としていた。
風が一陣吹いた。それに足を止め、空を見上げると白い満月が昇り、植えられた桜たちを照らし出していた。
ぼんやりそれを見ていると、ふと一時間目を思い出した。
血の滴るぼろ衣をまとった、吸血鬼。
親友早乙女ハルナの噂話。それに思わず鳥肌が立ち、足早に去ろうとするが、寮には目の前の桜通りを抜けなければたどり着けない。
早くなる足を自覚しながら、脳内に先ほどの言葉が幾度も再生される。
「怖くない、怖くない、怖くない」
中学、それも最終学年になって根拠の無い噂話に恐怖する事が恥ずかしかったが、今はそれどころではない。
物語が大好きで、いつも何がしかの小説を持ち歩き、クラスメイトにお勧めの本はと聞かれると即座に答えられるほどの本好きから、いつの間にか着いたあだ名、本屋ちゃんの言葉通り、のどかの想像力は群を抜くものがある。それ故、単なる噂話もリアルに想像してしまい、恐怖し、それがますます想像に拍車をかける悪循環に陥っているのだが、本人は気が付いていない。
必死に怖くないと言葉に出すのどか。だからそれも無理は無かったのかもしれない。自分の名前が風と共に耳に聞こえた瞬間、足が固まったかのように凍り付いてしまったのは。
「悪いが、少しだけ血を分けてもらうよ」
固まった思考で声の主を探し、電灯の上に立つ、人影に目を見開いた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁあ!」
腕を振りまわし、恐慌状態に陥る。何故自分が、そんな思考が頭をよぎった。
「何、慌てる事はない」
鈴を転がすような声音に恐怖する。だがそれ以上にそれが背後から聞こえたということに、反転しようとした体は足がもつれ、尻餅をついた。
「今夜は、こんなにも月が綺麗なのだから」
すっと後ろから抱えられる抱擁のようなそれに、されど安堵は無い。
「恨むなら、私を恨みな」
露出した首筋を小さくなめられ、反射的に体が反応し、
「告げる」
何処からとも無く聞こえてきた、声音に、
「た、助け」
助けを求めようとして、
「大気よ、水よ白霧になれ」
ただその声はどこかで聞いた事があるような気がして、
「かの者らに一時の安息を」
思い出す。それは感謝してもし足りない、親友の想い人、
「ネギせんせ…」
「眠りの霧」
そう呟かれた言葉を最後に、意識を失った。

間に合った。一つだけ安堵のため息を吐く。
「もう気付いたか」
そう呟く女性が、これ以上心を痛めないように。ただそれだけに安堵した。
「何時から気付いていた。先生。いや」
それ以上は聞きたくない。思わず心が拒絶する。何故ならその言葉は、
「ネギ・スプリングフィールド」
彼女との、関係が切れた証明なのだから。
「キティ。いえ、エヴァンジェリンさん。こんな夜更けにお散歩ですか?」
痛んだ心を悟られないように、仮面をかぶる。ただ、その仮面の裏で頬が綻んでしまったのは仕方がない事だろう。
「夜は危険に満ちています。それが、あなたのように美しい女性ならなおさら。早めに帰った方がよろしいですよ?」
かつて守れなかった少女は、既に少女にあらず。昔と変わらない癖の無い黄金色の髪を長く伸ばし、鋭いがそれでも引き込まれそうな真紅の瞳と、整った鼻梁。口紅をつけなくても鮮やかな淡い桜色の唇。服の上からでも尚分かる理想的な胸の膨らみと、引き締まった腰。
それはどのような彫刻家にも作る事のできない美を体現させ、昔は浮かべることの無かった冷たい笑みを浮かべ、そこに立っていた。
「戯言を。はいそうですかと、帰るはずが無かろう? 坊や」
嘲笑を一つ、それと共にわずかに動いた腕に、変わらない笑顔で、言葉を紡いだ。
「魔法合戦は、止めませんか? 此処にはのどかさんがいます」
「魔法合戦。それは坊やと、私が互角だった場合だろう? 夜、それも最も力の出せる満月の夜に、私にかなうとでもおもうのか」
口の端を上げ、嘲笑う。何処でそのように性格が捻じれてしまったのだろうと、心の中で泣いて、音も無く飛び立った。
「逃げる、という訳ではないようだな」
どういうつもりだ、と同じように飛んだエヴァに微笑を返す。
「生徒指導室までご同行を、というのは冗談ですが、一応受け持ちの生徒です。軽い説教は、しなければなりません」
高いビルの屋根に降り立ち、二人は向かい合った。
「説教? 体罰の間違いじゃないのか、センセイ?」
皮肉気に返された言葉に、確かにそうだと苦笑を浮かべる。
「まあ、そうなんですが。できれば教育委員会には御内密に。今職を解かれると将来が難しくなるんです」
「それも良いかも知れんぞ。決まってしまった道ほどつまらない物は無い」
だが。
「その先すらない者には、意味の無い言葉だったかも知れんな」
茶々丸。そう呟かれた言葉に、隣のビルからもう一つの影が降り立った。
「紹介しよう。我がパートナー。魔法使いの従者、絡繰茶々丸だ」
緑の長い髪と、すらりと細い身体。主従共々綺麗な事この上ないと思うが、茶々丸と呼ばれた少女は人間ではない。各関節部はスリットが入り、本来耳がある位置には、後方に飛び出た棒のようなものが付いている。そして何より、気を感じなかった。感じるのは魔力のみ。生命体ではない証拠だった。
「チャチャゼロを出しても良かったんだが、あいつの体では目的が実行できるか怪しかったからな。身体サイズが人間大のこいつを連れてきたわけだ。さて、センセイ? 得意の呪文を唱えてみるが良い」
説教をしたいのだろう。そう言い放たれた瞬間、口は動いていた。
「告げる。風の精霊二十二人」
瞬間、気で強化された者並のスピードで、茶々丸がデコピンを放ち、
「なっ!」
それを華麗に避けた。
「縛鎖となりて」
「茶々丸!」
瞬間、さらに茶々丸の速度が加速する。今度は手加減できないのか、拳が顔面めがけ突き進み、蹴りが放たれる。
それを、魔力で強化した体で捌きながら、詠唱を続ける。
「敵を捕まえろ」
「チィッ!」
指が鳴り、
「魔法の射手。連弾・戒めの風矢」
高速度で行われる攻防。その後方に三つの光の玉が発生し、尾を残しながら茶々丸とエヴァに襲い掛かった。
「エヴァンジェリンさん。そろそろ止めにしませんか?」
一瞬の閃光の後、茶々丸は地面から伸びた伸縮性のある白いテープのような何かに拘束され、
「残念だが、その提案は受け取らない事にしよう」
煙の向こう側から、無傷のエヴァの姿が浮き上がった。
「ですが、パートナーの茶々丸さんは、この状態ですし、そうするしかなかったとはいえ、あの場に残してきたのどかさんも気になります。それに、そろそろお説教タイムといきたいのですが?」
いつもの微笑で、問いかけるが、エヴァの表情は動かない。
「ふふ、私も落ちたものだな。闇の福音といえば、少々名のしれた賞金首だったのだが、今では魔法学校を卒業したばかりの坊やに侮られる始末。だが、坊や」
月の光に、真紅の瞳が輝く。
「パートナーがいなくとも、私の力は…」
「チェックメイトですよ。エヴァンジェリンさん」
瞬間、何もなかったネギの後方に光の玉が現れ、
「くっ」
指を鳴らそうとするそれよりも早く、エヴァをネギの魔法が拘束した。

「さて、何故このような事を?」
目の前には、拘束され、どこか目が虚ろな少女が一人。それもそのはず、通常数分で切れるはずの捕縛魔法がどれだけたとうと切れる事が無いどころか、その時間を利用して、当直の魔法先生にのどかの保護を頼んだ後、延々と説教されていたのだから。
その時間およそ四十五分。何が語られたのかはネギと、アンドロイドである茶々丸の脳内にあるのみ。エヴァは途中で投げ出した。尤もそれが長引いた最大の理由なのだが。
「決まっているだろう。私が悪の魔法使いだからさ」
問いかけに漸く自分を取り戻したエヴァが、捕らわれているにもかかわらず皮肉気な表情を浮かべた。
「では、その自称悪の魔法使いであるエヴァンジェリンさんは、何のためにのどかさんや、まき絵さんを襲ったのか、ご説明願えますか?」
自称ではないと、若干顔をゆがめながら、それでも世の中を知らず、魔法使いが教える正義感に凝り固まっているはずのただのひよっこが、悪を認めた事に驚きつつも、苛立たしげに鼻を鳴らす。
「おまえを誘き出すためだ。全ては呪いを解くお前の血が必要だったため」
「呪い、ですか」
その言葉にエヴァの歯がかみ締められる。
「真祖の吸血鬼にして、最強の種族の私が舐めさせられた苦汁。全ての原因はお前の父、サウザンドマスターにかけられた最低な呪い」
あのバカが。ネギの心は最低ランクであり、天敵でもある育児放棄をした父、ナギ・スプリングフィールドへの罵倒で埋め尽くされた。
「十五年だ」
一滴、握られた手のひらから血が滴り落ちる。
「私は十五年ずっと、ずっと学校に通い続けた。いや、させられかけたと言うべきか。幸い始業式と終業式にさえでれば呪いはたった一つ、この町から一週間以上出られないという制約のみが発動している」
「キティ…」
エヴァは俯き、怒りに肩を震わせた。
「それだけだと、たったそれだけだと貴様も思っただろう? 十数年しか生きていない貴様に分かるものか。永遠に続く生、それを紛らわす刺激の無いこの十五年が」
「キティ」
ネギは拘束されたエヴァをそっと抱き込もうとして、
「触るな!」
怒号が響いた。
「私は、私は、誇り高き悪の魔法使い、エヴァンジェリン。正義だ何だと騒ぎ立てる、お前らに、どれだけ…」
「キティ」
それでも、ネギはエヴァを胸に抱いた。
「解除」
ポツリと呟かれた言葉を合図に、茶々丸とエヴァを拘束していた魔法が解ける。
「はな…」
「飲みなさい」
瞬間、魔力をこめ離脱しようとしたエヴァの耳に、囁きが聞こえた。
「呪いの解呪に私の血が必要ならば、好きなだけ飲んで良いですよ」
有り得ない。エヴァの思考が硬直する。こんな事態は想定していなかった。そもそも呪いの効果で完全状態ではなくとも、魔法学校を卒業したばかりのただのひよっこに、闇の福音ともあろう自身が負ける事などあるはずが無かった。
本気ではなかった。それは確かだが言い訳にはならない。こちらには呪文を詠唱する最中、無防備になる間魔法使いを守る、魔法使いの従者とも呼ばれる前衛を担当するパートナーまでいたのだ。その上での完全なる敗北。
だが、それ以上に血を差し出す思考が分からない。
「貴様、何をいっているのか分かっているのか!」
だから、無知ゆえの偽善行為だと思うのも無理は無かった。だが、そうではないのだとすぐに理解する事になる。
「血を吸われる意味ですか? 血を通した簡易身体改造、つまり吸血鬼化。さらには噛む吸血鬼であるエヴァンジェリンさんの操り人形になる事ですね」
理解不能。そこまで分かっているのならば何故、と数百年にわたる経験にも無かった状況に回答が見出せない。
そうこうしている内に、エヴァの頭の後ろに手が添えられた。
「そ、そんな、そんな事をして、お前に何の得が」
「キティの頼みですから。今の私にはこれくらいしかできることがありません」
キティの頼みですから。何時だってあなたのそばにいますよ。いつか聞いた遠い昔の言葉が蘇った。
「さあ、早くしなければ、時間が来てしまいます」
ほんの少ししゃがみながら、戸惑うエヴァの頭を押し、口元を首筋に付ける。
目の前に求める物がある。その誘惑に無意識のうちに口を開いた。吸血鬼の本能ともいえるものが、人間と変わらなかった犬歯を尖らせる。
先端を首筋にあて、ほんのわずかに力をこめた。とたん一瞬だけ抱きしめられる腕が震える。
一陣の風が吹く。求める物はあと少しで手に入る。それなのに、
瞬間、静寂が破られた。響いた携帯電話の音に、緩んだ抱擁を抜けだし、後退する。
「時間が、来てしまいましたね」
答えられない。何か、悪の魔法使いらしい言葉を捜すが、何も出てこない。
「今晩はお別れです。今の私は騎士見習いではなくただの教師。所詮雇われ者ですから、仕事を優先しなければいけません」
それでは、と華麗に一礼し、紅いコートをはためかせ天井から飛び降りた姿に、思わず駆け寄った。
だが目に映るのは街灯の無い暗闇。求める物はそこに無く、ただ一言呟くだけしかできなかった。
「行くぞ、茶々丸」
思考は行き着く答えを求め、されど解は得られず困惑が増す。
たった一人の少女の為、世界に喧嘩を売った少年だと知らないがゆえに。










[10291] 第十三話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/07/27 20:01
気を消し、そっと見守る。その視線の先では、一人のロボットが猫にじゃれつかれていた。

第十三話 幸せな夢

その日の放課後は、珍しく何の目的も無く麻帆良内をただ歩いていた。といっても女子校エリアのみだったのだが、そんな時、一人今気になっている生徒の姿が見えた。
歩道橋で老婆を背負い一人歩いている生徒、絡操茶々丸。その正体は人ではなく、ロボットだが、その行動は誰よりも人だった。
風船が飛び、木に引っかかり泣いている少女を見れば、ジェット噴射で風船を取り笑顔に戻す。どぶ川で子猫が流されているのを見れば、自身が汚れるのもかまわず川に入り、助け出す。それは人として当たり前で、されどなかなかできることではない。
手提げ袋が気になり、その後も付いていったのだが、見たのは野良猫に餌を与えているところ。
ロボットに感情は無い? そんな事は目の前の光景を見れば誰もが否定できる。だからだろう、ただの物としてではなく、者として近づく事にした。
「こんにちは、茶々丸さん」
「ネギ…先生」
何気なくを装う事は無い。この場は学校から何処に行くにしても通る事の無い場所だからだ。暗につけていたと、明かす事になるが、それでも良いと思っていた。
「そうですか。油断しました」
頭の後ろに付いたゼンマイのネジをとると、臨戦体制を整える。
「ですが、お相手はします」
勘違いしていた。それはもう完璧に。それも仕方がないと、苦笑し、少しだけ付き合うことにした。
「適うとでも思っているのですか? エヴァンジェリンさんもいないというのに」
「負けることは分かっています。ですが、私はマスターの従者。戦うしかありません」
そう呟く、茶々丸に表情は無く。それ故に、
「茶々丸さん」
瞬脚を使い、センサーですら捕らえる事が不可能な速度で近づき、一瞬で地面に組み伏せた。
「マスター。私が動かなくなったら猫に餌を」
完全に完膚なきまでにやられると思っている茶々丸に、そっと笑いかけた。
「お茶、しませんか?」

異性同士のお茶をするという意味。デート、そういわれるものの一歩手前の段階の事だ。
だが、今回に限りその意味は通用しない。なぜなら茶々丸はアンドロイドだからだ。だというのに目の前の光景は何なのだろうか? 
「茶々丸さんは飲まないんですか?」
ブラックのスーツに身を通した、赤毛の美少年が笑顔で問いかける。
「私は、ガイノイドですので、飲食する事は」
では、何か好きな事はありませんか? そう問われ、正直に答えたのが、
「ひゃっ、あン…ネギ、はぁ、せんせ、い」
何かの間違いだったのかもしれない。まるで男女のそれのように嬌声にも似たそれをもらし、周囲の視線を集める。
「だめ、だめですぅ…ネギ、先生の、あぁ、すごくて、私、私、壊れてしまいそぅ…」
生徒と行き着くところまで行ってしまったのか? それも人前で。
「そんなに良いんですか? なら、もう少し早く…」
「だめ、だめです。頭がぼうっとして、もう、ゆるして、ゆるしてください」
それは残念です。その言葉と共に、茶々丸の試練は終わった。ネギが正面に座った事も知覚せず、虚空を焦点の合わない瞳で見つめる。
脳内に凄まじいスピードで何十通りものネギの画像が再生される。
「茶々丸さん」
その声に、ぼんやりと正面を向き、目を見開いた。いつも見せる微笑に似た、愛おしげななんともいえない甘い表情。それは瞬時に茶々丸の脳内に天使のような悪魔の微笑みと名づけられ、最重要画像として保存される。
「気持ちよかったですか?」
気持ちよかった? 何が? 茶々丸ははっきりしない頭で自問自答する。そうして出た答えは。
「あ、茶々丸さん!」
ジェットスピードでその場を去ることだった。お茶の代わりに頼んだ事。大好きなゼンマイのねじ巻き。純粋無垢な茶々丸にとって深い意味の無かったそれは、ネギの絶妙な魔力加減と、早すぎずそれでいて遅すぎない、焦らすようで丁度良い、少しばかり矛盾した巻き加減と相まって、マスターであるエヴァに巻かれるのとは比べ物にならないものが全身を駆け巡った。
それは、駆動機関のある胸が切なく縮まり、それでいて回転速度が速まり、体内魔力が全身に掛けめぐり身体をしびれさせた。それが何なのか茶々丸には分からなかった。ただ、いえるはずが無い。気持ちよかったなどと。だから逃げる。
わざとではないのだと、この効果を狙っていたのではないのだと、今もリピートされる微笑で分かってしまう。完全な善意。それ故に性質が悪い。だが、それでも、考えてしまうのだ。
もっと、巻いて欲しいと。
それは、人では無くただ人のそれに擬態したAIの搭載されたガイノイドである茶々丸が、初めてプログラムに無い己の感情を自覚した瞬間だったのかもしれない。茶々丸には分からなかったが、それはまごうことのない恋、と呼ばれる感情だった。
リフレインされる、ネギの言葉が。
「茶々丸さんは、アンドロイドなのでしょう。ですが、あなたは誰よりも人らしい。いつか人でない事を悲観する事が来るかもしれません。ですが、あなたは誰がなんと言おうと人です。何故人が他の動物とは違うか分かりますか? それは何かを思い、思われる種族を超えた優しさや、悲しみ。それをあらわせ伝えられ、そして誰かに与える事ができるからです。それができる茶々丸さんは、立派な人なんですよ?」
生まれも、その理由も話した。だというのに人だという。論理的ではない。感情論だ。だが、それでもどこかであらんでいたものが癒された心地よいものを確かに感じてしまった。
戦いたくない。それがふと思ってしまったこと。だが、自分はエヴァの従者なのだ。所詮操り人形。
壊れてしまいたい。溢れる矛盾した感情の波に、それができたらどれほど楽だろうかと考えてしまう。そして蘇るのは主人のエヴァではなく。
「何故、あなたなのですか…」
微笑を浮かべるネギの優しい姿だった。

コクリとサイドボードに置かれた湯飲みから玉子酒を飲む。若干温まった体から自然と息が漏れた。
情けない。真祖の吸血鬼がこの様とは。内心で一人ごち、ベッドに横になった。こんな時、誰かがいてくれた。思い出すのははるか昔。吸血鬼になる前の時代。風邪を引けば父と母、使用人まで見舞いに来てくれたが、いつも一番来て欲しい人物はこなかった。その人物はその時代ただの風邪であろうと命を落とす事が多いゆえに、いつも必死に山々を駆け抜け、その者のみが知っている薬の元を探し出してきた。それを飲めばどれだけ医者ががんばったものであろうと途端に直った。だが、そんな物はいらなかった。一番欲しいのはその人物が見舞いに来てくれる事。毎日とは言わない。ただそれだけで元気になれるのにと、いつも思っていた。
今も、少しだけ望んでいる。来てくれる事を。だがその人物はもういない。もう、いないのだ。それが少し、ほんの少しだけ苦しかった。
「キティ」
そんな、朦朧とする意識の中で、その人物がよく読んだ己の名を聞いた気がした。

昨日茶々丸とお茶を共にしたときふと感じた疑問、彼女らは学校に来ているのか? それを解決するために、資料を調べようとしていたとき丁度前任のタカミチがいたので時間短縮のため直接聞くと、やはり来ていなかったらしい。来ていたのは言われたとおり始業式と終業式。それも式に出るだけで後は帰っていたらしい。
何処で曲がってしまったのかと、昔を思い悲しく思い、丁度急ぎの仕事もない事だからと放課後、寮住まいではない彼女を訊ねる事にした。
学校からある程度離れた所にあったログハウスは、今自分が使っている家に似ていたが、住んでいる年季というものなのだろうか、若干より良く整っていた。それと漂ってくる家に染み付いた気が悪と自称していても尚、根底は昔と変わらないことにどこか胸をなでおろした。
呼び鈴を鳴らそうとして、茶々丸が出てきた。丁度良いと茶々丸に直接挨拶をしたのだが、気のせいか茶々丸の動きがギクシャクしていた。どこか具合でも悪いのかと聞くがなんでもないと返される。
それよりも、丁度猫に餌をやりに行くところで、一緒に行かないかと誘われたが、今日の目的は彼女ではないので丁寧に断った。
その目的の人物を聞くと、風邪にふせっているとどこか残念そうに言われ、少しばかり焦った。だが幸いもうほとんど治っているというので、安堵する。彼女は昔から風邪にかかりやすいのだ。
聞くところによると、夜はその限りではないのだが、呪いの影響で昼間は魔力を抑えられ普通の少女と同じらしい。そうしてどこか残念そうな雰囲気をまとった茶々丸に少女を任され、家の中に入った。
家の中は、昔の事を覚えているのか、一見質素に見える質実剛健なたたずまいをしており、育ちの良いことが伺えるアンティークや、少女らしいドールが飾られ、昔のことを思い出した。
二階に上がり、教えられたドアをそっとノックする。返答は無い。寝ているのだろうと女性の部屋に無断ではいるのはマナー違反だと分かっていたが、様子を見たくて中に入った。
サイドボードに飲み終わった湯のみが置かれ、少女、エヴァンジェリンが眠っていた。規則正しく上下する胸を見て、一つ息を吐く。昔は少しでも調子がよくなるとじっとしておらず、眠りもしなかったのだが、やはり精神は老成したという事なのだろうか。
「キティ」
そのことに少しだけ時の流れを忌まわしく思い、少女の名を呟く。本来なら既に許されない呼び方。多くの人を殺戮し、血に濡れ、挙句の果てには守ると誓ったはずだというのに討たれ、まったく縁のない者に転生してしまった自分には、親しい者だけが呼んで良い愛称を呼ぶ資格は無い。それでも口に出してしまうのは、振り切れない過去の残滓か、執着か。どちらにせよ良いものではない。
「うぅ…」
そんな事を思っていると、苦しいのか声が漏れた。
「あつい…」
急いで、額に手を当てようとして、
「ッ」
一瞬躊躇する。果たして自分が触れて良いのだろうかと。先日は理由があった。呪いを解くためという理由が。だが、今は? 自分がしなくてもする者がいるのではないのか。
「キティ」
だが、そうであろうと今は自分しかいない。触れた額は通常よりも熱を発しており、未だ治っていないことを表していた。
チャンネルを開き、一番薬草に詳しい撫子に指示を出す。それをしながら布団を跳ね除けようとする腕を制し、気が付いた。パジャマの袖がぬれている事に。
失礼に当たることを承知で布団を剥がし、パジャマに触れると大量の水を含んでいた。これでは治るものも直らない。そう判断し、クローゼットをあけ、二番目の棚を開けた。
そこには案の定パジャマが置かれ、癖も変わっていないことを告げていた。その中から無造作に一枚選ぶと、詠唱する。
「告げる。炎精霊召喚、サーヴァントワン」
瞬間何処からともなく姿を現す、レイの姿をした炎の精霊。
「丁寧に、いいか丁寧に着替えさせろ」
それに、パジャマを渡し指示を出す。コクリと一つうなずくそれを見て、エヴァに背を向ける。幼かったあの頃であろうと、着替えを見るのはいけない。それが成長し高校三年生といっても余裕で通る姿ならなおさらだ。
しばらく衣擦れの音が響き、終わったのか精霊が消えるのを感じた。振り返ると不快感が消えたのか、涼やかな寝顔がそこにあった。身体に付着した汗も炎の精霊が飛ばしていたので問題は無いはずだ。
その姿を見て、感嘆のため息を吐く。凄まじく整った造形美。今もそうだが成熟すれば誰もが振り返る美女になるだろうことは請け合いだ。
近づく事を諦めて正解だったと、今更ながらに思った。最悪の吸血鬼レイに姓はない。それだけの身分ではないからだ。二人の魔法使いさえ現れなければ、今のように成長し、噂を聞きつけた貴族たちが押し寄せていた事は容易に予想できる。そこに自分が入る余地は無い。それでもせめて騎士にと願ったのはそれだけ執着があったからだ。そんな執着は初めから終わりまでもう感じる事は無いだろう。そう思ったことでさえ奇跡のような物なのだから。
「や、やめろ、サウザンドマスター…」
その声に、頭痛がした。またお前かと。いつか殴り倒してやると姉を悲しませた為に誓っていたその事項が、さらに追加される事になるようだと顔が引きつる。
「告げる」
本来はやってはいけない事なのだろう。
「夢の妖精、女王メイヴよ」
だが、奴がどれだけのことをしたのかを知らなければ、加減がわからない。それに、本当は討たれた後、目の前の少女がどのような道を歩いてきたのかが気がかりだった。
「扉を開けて夢へといざなえ」
少女が眠るベッドを背に、ゆっくりと意識が落ちた。

「危なかったなー、ガキ」
目の前にいるのは、一人の青年。それはいつか見た駄目父の若き日の姿だとすぐに分かった。
それに助けられているのは、まだ今の姿にはなっていない十三歳のまま時を止められた少女。
「お前、私のものにならないか」
いつの間にか舞台はとび、荒野を歩いている最中、少女が問いかけた。よくよく見れば頬が赤く染まっている事が伺える。
「もう一ヶ月になるぜ。俺についてきてもなにもいいことねーぞ。どっか行けって」
「やだ。お前がうんと言うまで、たとえ逃げても地の果てまで追ってやるぞ」
その言葉に、ため息を吐き、頭をかく青年に再び舞台が移り変わった。
「漸く追い詰めたぞ。この東洋の島国でな。今日こそ貴様を打ち倒し、我が物としてくれる」
そこに少女はいない。いるのは今よりも尚成長し、二十台前半の女性とあいも変わらず呆れ顔を浮かべた青年のみ。
「いい加減諦めろって」
「嫌だ。それにこれじゃ不満か?」
身体をアピールし誘うが、青年は乗らない。
「幻術だろうが。本体はただのちびのガキ」
やれやれと肩をすくめる青年に女性は煙と共に少女に戻った。
「おい、私の何が不満なんだ。歳か! 年ならお前よりも…」
「だから、ガキに興味はねーんだって」
小さな人形と共に押し黙る少女。
「…幻術で無ければ良いんだな」
「ア?」
少女は一つうなづき、右手を胸へ持っていった。
「本体が、ガキじゃなければ、いいんだな」
「そうだな。そうすれば考えない事も…」
「なら、問題は無い」
少女は胸に吊り下げられたペンダントを握る。
「おいおい、冗談言うなよ。お前は吸血…」
「私を成長させろ!」
少女が叫んだ瞬間、閃光が当たりいったいを包み込んだ。
そうしてはれたときには、
「これで、文句は無いな」
自信たっぷりに笑う、高校生ぐらいに成長した少女の姿があった。
「おいおいおいおい! ちょっと待てよ。今の何だ! 何でお前が」
成長してんだよ。その言葉は紡がれなかった。成長した少女が、人形と共に襲い掛かったからだ。
「パートナーのいないお前が私に適うはずが…うぇ!」
とっさに後ろに飛んだ青年が杖で地面を突くと、それにあわせて、少女の立っていた地面が崩壊し、水柱が立った。
「落トシ穴ダ、御主人!」
「そんな事は分かっている。サウザンドマスター! これは何のまねだ!」
人形がしゃべり、少女は抗議の声を上げた。
「いやー、襲われたら撃退するのは当たり前だろ。それよりほれ、お前にプレゼントだ」
そう言って何処から取り出したのか大きな袋の中身を水が入った落とし穴に落とし入れる。
「ひ、ひぃぃぃ! 私の嫌いなニンニクとネギ! や、やめろーぉ」
「お前の嫌いな物は調査済みよ」
「何でだ! 何で、お前の言うとおり魅力たっぷりな姿に成長してやったんだぞ! これ以上何が不満なんだ!」
目に涙をため、少女が訴えるが、青年は笑って一言告げた。
「タイプじゃねーんだよ」
瞬間、少女が動きを止め、世界から音が消えた。
「まあ、これ以上付きまとわれるのもなんだし、丁度麻帆良のじじいが警備員欲しがってたところだ。ちょっとばかし呪いかけさせて貰うぜ」
マンマンテロテロ…と続いていく呪文に、少女は声も無い。
「登校地獄」
「い、いやぁぁぁぁ! 助けて!」
襲い掛かる魔力にとっさにペンダントを握る。瞬間、
「えっ」
ガラスが割れるような音と共に、ペンダントについた宝石が砕け散った。
呆然とした少女を残し舞台が再び変わった。
「これはこれはめんこい警備員が増えた事じゃのう」
震えながら屈辱に耐える少女を尻目に、事態は進んでいく。
「聞くに、元は十三の姿だったのじゃろう? ならば中等部から始めてはみんかのう」
「勝手にしろ」
歯を食いしばる少女の頭に、青年の手がのった。
「光に生きてみろ。卒業には戻ってきてやる。それまで俺に相手がいなかったら考えてやらん事もねーぜ」
その言葉を聞き少女は勢い良く顔を向けた。
「本当だな! その言葉忘れるなよ!」
先ほどまでの空気は何処へやら、まとう空気は実に陽気な物に変わっていた。
華が綻んだ様に笑う姿は、とても輝いていた。

ゆっくりと目を開ける。
「お目覚めでございますか? お館様」
答える声は無い。
「煎じていたゆえ、時間がかかりました。お許しください。この、娘に飲ませるのですか?」
それに答えることなく、ゆっくりと立ち上がった。今だけは誰にも見られたくない。そんな考えが頭を占める。
「ならば私が」
「いや、私がやろう」
それでも、今は仲間がいる。桜色の着物を着た黒髪の美女の手から薬を奪う。
「なにも、お館様自身がおやりになる必要は、お館様?」
疑問の声を無視して、そっとエヴァに近づく。
「どうかなさいましたか? おなみ」
「撫子は飲み物を用意してくれないか」
言葉をさえぎり、いささか強い口調で命を下す。
「ですが」
「早くやれ」
普段は行わない声に言霊を乗せ強制させる。彼女たちは仲間だが、式だ。主であっても普通の命令ならば逆らう事も可能だが、言霊を乗せた命令は拒否できない。
撫子が去っていった事を確認して、袖で目をこする。無様な姿は見せられない。
「こんな事、予想していたのにな…」
エヴァがこの姿になるため術式や、渡した宝石を使った事は既に予想していた。その理由も。だから今更知ったところで何の意味も無いと思っていた。
「お館様。お湯をお持ちいたしました」
盆に載せられた湯のみを受け取り、そっと笑った。
「すまないな。強制させて。仲間にする事じゃない」
撫子は首をかしげる。
「私たちはお館様の式にございます。それは普通かと」
「いや、下ったといってもお前たちは大切な仲間だ。それを…。撫子、愛想を尽かしただろう? 出て行っても良いのだぞ」
ああ、
「いいえ、私はお館様について行きます。何があっても。何を命じられても。それはご存知ではございませんか」
なんて、
「そうだったな。変なことを言った。先に帰っていてくれ。私はまだ用がある」
「はい」
なんて、汚い事か。すっと下がる撫子をみて、己を罵倒する。撫子が決して離れない事を知っていながら、ただ弱い自分を励ます材料にするためだけに無意味な問いをするなど、本当の仲間にする事ではない、と。
「う、あ」
その時エヴァが目を覚ます。それを察知し瞬時に幻術を自分にかけた。
「キティ。目が覚めた?」
「えっ」
そこには、ネギとは似ても似つかない金髪の少年が立っていた。
「レ、イ。レイなのか」
「キティ、いつもの薬、持ってきたから早く直してくださいよ?」
疑問には答えず、背を支え、口元に丸薬をささげる。
「答えろ! お前は、お前はレイなのか!」
風邪だと言うのに、凄まじい勢いで問い詰めるエヴァに、されど微笑を浮かべたまま、そっと告げた。
「何を言っているのですか。それにそんな事はこの薬を飲めば分かるでしょう? 私の薬はまずいといつも言ってらっしゃったのは何処の誰でしたか?」
「そ、それは」
「お湯も用意してあります。今は風邪を治すときですよ。お飲みください」
目を瞬いていたエヴァは、その言葉にわずかに口を開けた。その瞬間を狙って丸薬を放り込む。条件反射なのか、瞬間丸薬が砕ける音がした。
「み、水ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
エヴァが叫ぶ。目じりには涙が浮かんでいる。それに焦らず、急がずそっと湯飲みを差し出した。瞬間飲み干されるお湯。
「ああ、苦かった。と、言う事は、お前は本物か! おい、今まで」
「キティ」
そっと迫ったエヴァの額に剣印を当て、さようならと呟いた。
「ま、まて、私はまだ」
「オン」
「なにも、いって、いないの…」
脱力した、エヴァを支え、ベッドに戻す。そして幻術をとかしながら、そっと呟いた。
「望む夢が見られる術をかけました。せめて夢の中だけでも、あのバカと幸せになってください」
肌蹴られたシーツをかけ直し、そっと髪を掬った。
「目的が、できてしまいました」
その黄金色の髪にキスを落とそうとして、そんな資格がない事を思い出した。
「ナギ・スプリングフィールドを見つけ出します」
髪から手を離し、そっと告げる。
「何処にいるのか分かりませんが、必ずあなたの前に引き連れてきましょう」
目をつぶり宣言する。
「あなたが好きになった、共にすごしたいと願ったあのバカを、あなたの前に」
玄関の開く音に、ゆっくりと目を開き告げた。
「この前の約束は、最後まで守りきれませんでしたから、信憑性にかけますが、それでももう一度。もう一度約束します」
キティ。あなたに幸せを。








[10291] 第十四話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/12/21 20:09
暗い部屋。照明一つともされていないコンピューター教室に、その姿はあった。
「どうだ?」
一台のコンピューターが動き、画面から光を放ち、あたりに不気味な雰囲気を作りだしていた。
「マスターの予想通りです」
人差し指から接続端末をコンピューターにつなぎ、操作している機械仕掛けの人、茶々丸が、言葉を返す。
「サウザンドマスターがかけた登校地獄以外に、マスターの魔力を押さえる呪いとリンクした結界が麻帆良全体に張られています」
「そうか。麻帆良から出たときに力が満ちるのを感じたのは間違いではなかったか。それで茶々丸。この結界の条件はなんだ」
瞬間画面に麻穂良の全体像が3Dで浮かび、色が抜け落ちた。
「麻穂良を囲っている結界沿いにこのように」
瞬間、円形の魔方陣が建物が建っている下に黄色で描かれた。
「形作られています。これは魔力の代わりに大量の電気を使い稼動しています」
「つまり、電力供給がストップすれば私は全盛期の力を取り戻せるという事か」
思案顔をしたエヴァは、うっそりと笑った。
「茶々丸。戦闘の準備をするぞ」
「マスター?」
それに答えず、夜空に飛び立つ。
「もうすぐ、もうすぐだ。まっていろ小僧」

第十四話 復活のバトルロンド

「さて、今日の授業はここまでです。各自復習を欠かさないように。今日のところはテストに出すかもしれませんからね」
終業の鐘が鳴り、雑談を取りやめる。
「そ、そんな~! それなら言ってよ先生!」
まき絵がいきなりの言葉にショックを受けるが、ネギは取り合わない。そもそもまき絵もしっかりと書き取っているからだ。
「今日の授業はこれで終わりですので、少し早いですがホームルームを始めましょう」
その時、教室の時間が停止した。てっきりいつもどおり一度職員室に戻ってから始める物だと思っていたからだ。
何があるのか。何が告げられるのか。誰もがネギの口元を注視した。
「きょ」
どくんと鼓動が高鳴る。何か重大発表でもあるのかと。
「今日は学園のメンテナンスが行われます」
「はぁ?」
あやかの口から声が漏れた。それは全員の代弁だっただろう。
「夜八時から十二時まで電気が止まりますので、各自ろうそくや懐中電灯の準備を欠かさないようにしてください。特にろうそくは火災の元ですので取り扱いには注意してください。大体七時半頃から用心するように。安易に大丈夫だと考えず部屋でじっとしていてください」
「せ、せんせー。それって重大発表なんですか?」
桜子が手を上げ疑問の声を上げた。
「そうですよ。聞き逃してもらってはいけない問題なので誰も帰らないうちに言わせて貰いました」
「で、でもそれってみんな知ってることじゃ」
「そうですね。ですからいつも以上に聞いてもらいたかったのです」
その言葉に一人ユエは納得した。さすがネギだと。
「皆さんは寮内での停電は四度経験され、既になれていると思います。だからこそ注意が必要。何事も慣れ始めが一番怖いのですよ? それに毎回この停電で骨を折るなど病院のお世話になる方が百人単位で出ています。皆さんにはそうなって欲しくなかったので注意したのですが、分かってくれましたか」
此処にいたって、全員がなるほどと感心したわけなのだが、ふとした疑問が心を占拠した。
停電の間ネギはどうするのだろうか、と。
「ネギ先生!」
「何でしょうあやかさん」
ここで三-A突撃隊長雪広あやかが突っ込んだ。
「先生は停電時何処で過ごされるのでしょうか!」
よく言ったあやか、さすがいいんちょ、と心の中で拍手を送る者たちに気が付かずあやかはネギに熱視線を向けていた。
「基本私たち教師は見回りです。あなた方の誰かは体験済みかもしれませんが、停電の中、肝試しなどと称して遊ぶ方々がいらっしゃいますので、そういった生徒を取り締まる仕事です。後は不審者がいないかと言った具合ですね」
「そ、それはネギ先生も含まれるのでしょうか! こういってはなんですがネギ先生はまだ十五歳。他の先生方に比べてまだ危ないのでは? あっ! いえ、先生の実力を疑っているのではありません。ただ先生が心配で」
薄く頬を染め恥ずかしそうに視線をそむけるあやかに、生徒達から視線が飛んだ。曰く抜け駆けするなと。そう、すべては作戦なのだ。此処でネギが心配の原因が好きだという事に気が付いたなら、うまく進めばあやかは圧倒的リードが得られる。そこらへんの知略は幼くても女と言ったところだろうか。あるいはネギの天然ぶりにそうならなければならなかったのかはようとして知れない。
「ご心配ありがとうございます。あやかさん。私は大丈夫ですから決して部屋から出てはいけませんよ?」
「で、ですが」
「あやかさん」
そっと頬に手を添えてくるネギにあやかは、
「はい。ネギ先生」
そう答えるしか道は無かった。

「こちらは放送部です」
静まり返った学園内に、アナウンスが流れる。
「これより学園内は停電となります」
ひときわ強い風が吹きすさび、時計塔の名で親しまれる塔の屋根でマントがはためいた。
「学園生徒の皆さんは、極力外出を控えるようにしてくださ」
時計の長針が天を指し、重い音で鐘が鳴り響く。
「さあ」
それは、先触れ。
「ショーの始まりだ」

ブーツの音を響かし、石畳の道を進む。懐中電灯は一つ。だが、それはつけられていなかった。闇にぼんやりと光る蒼い目。普段の泉のような瞳とはまた違った色のそれは、浄眼と呼ばれる霊力を両目にまわし人工的に作った魔眼の一種だ。
コツリと、足が止まった。
「出てきなさい」
声が響く。だが、此処は街路。それも寂れた場所であり、建物どころか木一つ無い。浄眼を開いている事から分かるとおり、街灯すら設備されていない。つまり人の隠れられる場所などひとつもないのだ。
だが。
「ばれちゃった」
くすくすと小さな笑い声と共に、一人、二人、合計四人が何処からとも無く姿を現した。
「まき絵さん、ユウナさん、アキラさん、そして亜子さん。どうやら悪い子にお仕置きしなければならないようですね」
「先生、好きよ」
「それはそれは、ですがこの状況で言う事ではありませんね、アキラさん?」
長い髪をポニーテールで纏めた長身の少女が笑いかける。その姿は何処から手に入れたのかフレンチ風のメイド服だった。
「先生、もう駄目。抱いて」
「なかなか過激ですね。あるいは生徒で無ければ、と言ったところでしょうか、まき絵さん?」
正面から一歩近づいてくるのは、同じくメイド服に身を包んだまき絵。ただ、それはメイド服というには少し度が過ぎていて、男をその気にさせるためだけの格好のように見える。
「先生。お父さんが一度会ってみたいって。一度来てくれないかな」
「お父さん…ああ、明石教授ですか。ですが何のようなんでしょうかね。知っていますか、ユウナさん?」
短パンにシャツ。だがただの服装ではない。ユウナが所属するバスケ部のユニフォーム。それにユウナは身を包んでいた。
「先生。始めてあったときから好きでした。抱いてください」
「それはそれは、所謂一目ぼれという奴ですか。ですが亜子さん、女の安売りはいただけませんよ?」
此処が一番意味が分からなかった。何故かミニスカナース服。それもトラ縞の猫耳と尻尾を着けた。言っている内容と格好で、完全に誘っているようにしか思えない。そう、こんな状況でなければ。
「お遊びしてあげても良いのですが、あいにく先客がいましてね」
瞬間、ネギの右腕がぶれる。それにあわせて四人が四方から飛び掛ったが、
「良い夢を」
銃声が鳴った。弾は四人を正確に貫いており、空中で脱力する。慣性の法則に従い、四方からネギに寄りかかった四人は、されど倒れることなくネギが支えた。
「う…」
そうしているうちに、青い髪から色素が抜けかけた色をしたショートカットの亜子が目を覚ました。
「あれ、私」
「亜子さん」
「ふぇ!」
後ろから抱き着いていた亜子は、その声と共に、誰に抱きついているのかを把握し、顔が瞬間沸騰した。
「ネ、ネネネネネネネネネネ、ネギ先生!」
「なかなかかわいい反応をありがとうございます」
かわいい。その言葉が亜子の心で二重三重に再生される。既に目は回っていた。想い慕うネギに抱きつき、あまつさえかわいいと言われたのだ。脳内回路があったならばショートしている事は確実だった。
「さて、亜子さん」
「は、はははははい!」
びくりと一つ身を震わし声に反応する。思い返せば何を言ったのか覚えてはいないが、言いつけを破り停電であるにもかかわらず外に出た事は事実なのだ。それもこんなに恥ずかしい格好をして。
嫌われてしまう。その恐怖に身を小さくした。
「亜子さん。麻薬でもやっていたのですか?」
「ふぇっ?」
何の事だろうと、意味を判読する。そうして意味を理解したとき、
「やるわけ無い! 先生はそんな目で」
「いえそれなら良いのですが、先ほどまでの皆さんは足取りが不確かでしたので、もしかしたらと。疑って申し訳ありません」
悲しさで怒ってしまったが、問題は無いようだった。
「あの」
「何ですか? 亜子さん」
「何でウチ、いえウチらは此処にいるんやろ?」
先生は何か知ってますか? それは亜子にとって一番の疑問だった。確かに此処にきたような記憶はある。だが、今着ている服に着替えたときも、寮からここへ来る間も、まるで夢の中のようにはっきりしないのだ。不安になるのも仕方が無かった。
「その前に、少し手伝っていただけないでしょうか」
何がと、見ると、なんとネギに寄りかかっているのは自分だけではなかった。それに驚きながら、路地にそっと下ろす作業をする。
「せ、先生ウチら」
亜子の目に涙が浮かぶ。尋常ではない。明らかに普通ではない事が自分たちのみに起こったのだ。今更ながらに恐怖するのも無理は無かった。
「亜子さん、ちょっと失礼」
が、その恐怖は長くは続かなかった。なんと抱きしめられたのだ。
「ネネネネネネネ、ネギ先生!」
亜子は先ほどまでの恐怖を忘れ、頬が高潮した。
だが、それだけではない。ネギの腕がさわさわと背中を触っているのだ。
思わず声が漏れそうになるのを我慢し、どれだけたったのか、ゆっくりと開放された。
「はぁ、ネギ、先生。なにを」
「ちょっとした確認です。悪戯されていないか気になりましたから」
「えっ」
悪戯。女が体験するそれは一つしかない。それの意味を悟り赤から青に顔色が変わった。
「大丈夫です。何もされてません」
それを察したのか、優しく抱きしめられる。触られただけなのに何故分かるのか? そんな事は何故か疑問にならなかった。
そうして、起き始めた者たちにも同じ事をするのだが、そのときの亜子の心情は察して余りある物だったに違いない。

「センセー。ありがとー」
「気をつけて帰るのですよー」
持っていた懐中電灯を渡し、笑顔で見送った後、ネギの表情が硬くなった。
「さて、もう一人、いえ二人の生徒に注意を促しに行きますか」
瞬間、ネギの目に映る空間が変わり、目の前にはこちらを妖艶に見つめる一人の少女がいた。
「遅かったじゃないか、センセイ」
「それはすみません。吸血鬼化の後始末をしていましたから。それにしてもさすがは真祖の吸血鬼。逃走するどころか、その場から一歩も動かないとは、正直驚いています」
そこは時計塔の屋根の上。エヴァンジェリンが茶々丸を引きつれ、真っ黒なマントに身を包んで堂々とたっていた。
「逃げる? 坊やごときに私が逃げるわけ無いだろう? だが前回は敗北した。それは認めよう。だが、今は」
瞬間、エヴァから膨大な魔力が湧き上がった。
「分かるだろうこの力が。今の私は、あの時の私とは比べ物にならないぞ。それに」
指を一鳴らし。エヴァの後ろから、いつか見た小さな人形が姿を現した。
「こいつの名はチャチャゼロ。この前は甘く見て失敗したからな。今回は全力で事に当たらせてもらう」
「此処でですか?」
皮肉気に笑い問いかけた返答は、
「イエスだ、坊や」
茶々丸とチャチャゼロの猛攻だった。
「リク・ラクラ・ラック・ライラック」
チャチャゼロの両の手の刃物を避け、何処からとも無く木刀を取り出す。
「告げる」
茶々丸の胴を蹴り飛ばし、チャチャゼロと魔力で強化した木刀で切り結び、空中での回し蹴りを放ち吹き飛ばす。
「氷の精霊十二頭」
「炎の精霊二十四柱」
そこにできた道を進む。瞬間、魔力障壁に何かがぶつかった。
ロケットパンチ。そんな能力まであったのかと、それを飛ばしてきた茶々丸を見てしまった。それに、視線をそむける事で答える茶々丸。
「集い着たりて敵を切り裂け」
「集い着たりて敵を焼き焦がせ」
詠唱は一瞬エヴァが早い。
「魔法の射手。連弾・氷の十二矢」
「魔法の射手。連弾・炎のっく」
木刀を振り、氷の矢を叩き落す。
「どうした坊や! この前の威勢は何処に行った!」
「炎の二十四矢」
それに答えず詠唱を完成させる。
来るかと、今からでは間に合わない詠唱に、されどあまり魔力のこもっていない炎の矢を魔力障壁でさえぎるため、魔力を注いだ。が、
「なに?」
完成された炎の矢は、全て空へ放たれ、途中、何かと衝突したかのように消え去った。
「まさか貴様!」
瞬間たどり着いた答えに、エヴァの表情が崩れる。
「茶々丸さん、チャチャゼロ。全力で防御しなさい」
それに答えず、冷え切った声が放たれ、
「離れろ!」
「斬撃、十六夜」
木刀が振られたのと同時に、弧の形で放たれた衝撃波、否、魔力の斬撃が空を染めた。
「な、なんだこれは、この気の強さはッ!」
一瞬震える体を抱きしめ、エヴァが叫んだ。
「解析不能。データ該当なし。新種の攻撃法と思われます」
「オイオイ冗談ジャネーゼ」
電磁防御でもしたのか、帯電している茶々丸と、下半身が砕けたチャチャゼロも言葉を漏らし、
「キティ」
ゆっくりと俯いていた顔を上げるネギは、
「お仕置きの時間です」
嗤っていた。
「リク・ラクラ・ラック・ライラック」
「切リ刻マレロ」
「照準固定、魔力砲スタンバイ」
それでも、最強種族の名にかけて負けられないと、主従共々臨戦態勢を整える。
「燃える天空」
だが、立った一言呟かれた言葉で発生した炎の柱が空を舐めるように暴れ周り、
「魔法の射手。連弾・雷の二九九九矢」
背筋があわ立つかのような、膨大な量の帯電した球体が尾を残し地上の至る所に撒き散らされた。
「坊や、どういうつもりだ」
詠唱をやめ、静かに問い詰める。おかしかった。中級魔法の詠唱破棄、同じように異常な量の魔法の射手の詠唱破棄。そのどちらも遊んでいた自分たちに放てば余裕を持って勝てた。それだというのに一見無駄に見える魔法の使い方をしている。だが、そこに意味があるはずだと、けっして力の誇示ではないと何故だか確信し、目を細め睨みつける。
「覗きは、お嫌いでしょう?」
皮肉気に返された言葉に理解した。学園側には全て漏れていたのだと。自分の計画その全てが。その上で放置する。その意図は、
「おまえの、成長への足がかりか。私も落ちた物だ」
目の前の少年はかの英雄、ナギ・スプリングフィールドの息子。ナギのように曲がっているわけでもないそれは、正義をうたう魔法使いたちにとって力をつければ正しく立派な魔法使いの称号を得る存在にして、魔力の膨大な次期英雄候補。
勝っても負けても、成長するにはうってつけの存在が自身エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。襲ってこない限り女子供は殺さないその性質から、標的とされても殺されはしないと判断したのだろう。
まったく持ってそのとおり。あまりに不愉快すぎて笑いが漏れる。事実殺す気は無かった。それはその事実を知っても尚信念の元に誓うことができる事実。いつの間にか飼い殺され、餌付けされていたことに気が付く。
くそったれと、一つ罵倒し、考えた。何故ネギはそれを把握しようとしていた学園長を知っていたのだろうかと。だが、
「キティ」
「なんだ小僧」
苛立ちが言葉に出る。
「全力でやってみたくはありませんか?」
「本気か小僧? 力量の差が分からないわけではあるまい」
「ですが、せっかく全力を出せるのです。私ごときでは適わないでしょうが、徐々に力を上げていったら少しは楽しいかと思いますが?」
幸い、邪魔者もいない事ですし。その一言で全てを理解した。
「貴様、初めからそのつもりだったというわけか」
無表情で睨みつけるが、ネギの表情は変わらない。それに思わず口の端が吊り上げる。
「良いだろう。後悔するなよ坊やッ!」
虚空を蹴り、一直線に移動する。俗に虚空瞬動と呼ばれる高等技術。後ろに回り拘束するつもりだったのだが、
「ッ!」
現れたその場に、炎の矢が一矢頬をかすった。気が付けばそこに誰もおらず、気を探知するとどうやったのか後方に反応があり、振り返った目に笑顔で手を振る姿があった。
「きーさーまー!」
怒ると同時に納得する。見せたくなかったのは自分が本気を出す舞台を整えるためと同時に、ネギ自身の実力をも隠すためだったのだと。
ネギが放った炎の柱は術が消える時間を越えてもなお持続されており、その炎の中から魔法の矢が引っ切り無しに飛び交っている。それだけこの場を偵察したいという学園側の思考がよみとれ、怒りを感じると共に、それだけの事を片手間に制御しているネギに戦慄した。
だが、
「見るが良い! これが真祖の力だ!」
氷神の戦槌! そう言い放つと共に、巨大な氷塊が天空に現れ、隕石のように地面に、ネギに向かって高速で落下した。
「リク・ラクラ・ラック・ライラック」
だが、それくらいでは死なない事は身にまとっていた雰囲気で分かる。事実詠唱を続けるその目に、放ったはずの氷塊が閃光と共に粉々に、粒一つ残さず砕かれ、消え去るのが映った。
「来たれ氷精、闇の精。闇を従え吹雪け常夜の氷雪」
懇親の魔力を込め唱え終わった瞬間、さらに魔力を込め詠唱を完成させる。
「闇の吹雪!」
瞬間、黒き低温の螺旋の束が放たれた。
「雷の暴風」
呟かれた言葉と同時に、同レヴェルの魔法がぶつかり合う。
予想通りのそれに思わずエヴァは笑ってしまう。無詠唱と詠唱。その差は速さにある。だがそれだけではない。時間のかかる詠唱を行った場合、詠唱に魔力を込める事でその結果放たれる魔法の威力が僅かだが上昇する。そう僅かだ。それは普通の魔法使いの場合。保有魔力が桁外れな吸血鬼、それも真祖のそれは、その範疇に収まらない。結果、
「それで終わりか!」
黒き螺旋は本来圧倒的強さのはずの稲妻を、かき消し、
「終わると思いますか、キティ?」
そばで聞こえた声にとっさに反応し、手刀の先から伸びる、青白き光を振るった。
そうして我に返る。やってしまったと。今展開している魔法は何者にも遮られる事の無い断罪の剣。それをただの木刀で戦っているネギに向けたらどうなるか? そんな物簡単だ。防ごうと木刀と触れた瞬間、それを二つに割り、止まらない勢いはそのまま肉を、骨を切り裂き、胴体を真っ二つにする。その結果は死。
だがもう止まらない。だからせめてもと自分の罪を刻み込むために止まらない身体が織り成す結果を見つめた。
「で、それが本気ですか?」
だが、
「何故、生きている」
ネギはただの木刀で、何者をも切り裂く断罪の剣を受け止めていた。
「決まっているじゃないですか」
ふんわりと微笑んだ顔は、危機を危機とも思っていない何の邪気も無い晴れ渡った物で、
「私が弱いからですよ」
予想とは違った言葉の意味を考え、思わずエヴァは微笑んでしまった。
「もっと、強くなりたいのか?」
だからこれはただの儀式。
「ええ、ある人を守るために、ある人の願いをかなえるために」
ただ、その答えが、その答えに出てくるある人とは、とても幸せ者なのだなと、エヴァはらちもない事を考え、
「おい」
「それでは」
何故か互いの考えが分かり、笑いあった。
「「続きを」」
最早遠慮は無用。両の手に断罪の剣を作り出し、攻撃を繰り出す。
それに答えるかのように、ネギも何処から取り出したのかもう一本木刀を構え、二刀流で受け流す。
「リク・ラク」
「告げる」
近接戦闘はやや分が悪い事を感じ、詠唱を開始する。
だがそれはフェイント。
「氷爆!」
威力は要らず、一瞬の隙ができればそれで良い。案の定それに引っかかり後退するネギ。虚空を蹴り、後ろに回りこむ。切り裂く事は不要。勝利判定は誰にもできないがネギは馬鹿ではない。首筋に添えられたら負けを認めるだろうと、それでも止められるぎりぎりの速度で腕を振った。
「ッ!」
だが、それは適わなかった。一瞬で消えるネギの姿。この場合は後ろしかないと、振り向き、されど誰もいない事に気を探った瞬間。
「くっ!」
「私の勝ちですね」
どうやったのか先ほどまでいたところに再び姿を現し、右の木刀の切っ先を背中に突きつけられていた。
それに、両手の剣を消し、両手を挙げ、手首を折った。
「降参と見て良いのですか?」
その言葉にされどエヴァは邪悪に笑った。
「降参じゃない。このままでは引き分けだ」
はっと振り向くネギにますます笑みを深くする。後方にはいつの間にか魔力砲スタンバイ済みの茶々丸がいた。
「ですが、これで発射してもあなたはッ!」
勢い良く振り向くネギに、再び発生させた断罪の剣を首筋に近づけた。
「これで私の勝ちだな」
瞬間、ネギの後方にある先ほどまで木刀を突きつけていたエヴァが氷の破片となり砕け散った。
「私が、振り向いたときですか」
「良く分かっているじゃないか坊や。私が悪の魔法使いだという事を忘れていたな」
そう、エヴァの負けに見えたその時、思い出したのは茶々丸たちのこと。とっさに念話でロックするように告げ、それが終わり次第、茶々丸たちのことをにおわせた。その結果確認のために振り向く事を予測して。
案の定振り向いた瞬間に無詠唱の氷を使った分身を作り出し、念のため気を消して死角に回り込んだというわけだ。
「分かりました私の負けです」
「だが、その割には木刀を強く握っているな?」
言葉に詰まるネギにエヴァはうっそりと笑う。
「しりの青い小僧かと思ったが、なかなかに強かじゃないか。どうだ私と一緒に悪の道を目指さないか?」
「それも良いですね、エヴァンジェリンさん?」
うっふっふっふっふと笑いあう二人。長い間根競べが続いたが、
「分かりました。これで良いですか?」
両手から木刀を消すネギにエヴァが笑う。
「これで正真正銘私の勝ちだな」
手の剣を消し、向かい直る。
「さて、敗者は勝者に従うものだ。首を差し出せ」
ネギは無言で、エヴァを抱きしめ首筋に顔を埋めさせた。
「…この前もそうだったが、貴様はこういうのが好きなのか」
「いえ、この方法が一番吸い易いと思いまして」
事実だ。吸血鬼であった経験から、後ろか前か、どちらから吸った方が楽なのかというと、前から吸った方が若干楽なのだ。基本的に吸血鬼の吸血は、性感を刺激し、相手を気持ちよくさせる。その時動かれても正面からならば、幾分拘束しやすく、相手も無意識に抱きしめてくるので楽なのだ。尤も吸血鬼の腕力ならばどちらも同じと言われればそれまでだが。
「仕方がない。それより今更だが良いのか? こう簡単に諦めて」
「キティは忘れたのですか? 諦めるも何も、この前から吸って良いといっているではありませんか」
そう言えばそうだったと、エヴァは今更ながら思い出した。そして一つ疑惑が沸く。
「まさかわざと負けたわけじゃ」
「そう思いますか? 傷つけないレヴェルに押さえていましたがあれでも勝ちに行くつもりだったんですよ?」
押さえていたという言葉に、全力ではなかったのかと軽く驚いたが、確かに最後まで諦めてはいなかったと、なかなか木刀を放さなかった事を思い出す。
「だから、遠慮なく吸ってください」
そうして前のように頭の後ろに手を添えられ、首元に近づけさせられた。
「長い人生だったが、そんな事を言う馬鹿はお前が初めてだよ。安心しろ女子供は殺さん主義だ。貧血程度に抑えてやる」
「それはありがたいですね。つい最近私にも目的ができましたから」
それまでは死ねません、と。おかしそうに笑う。エヴァは目的を聞いてみたかったが、大方父親を超えるといったものだろうと、宣言もせず首筋に噛み付いた。
「うっ、はぁ、っく」
頬が高潮し、漏らされる声にエヴァの頬も赤く染まる。そうして吸ったネギの魔力は濃かった。それはもう改造されているのではないかと言うくらいに。だが、足りない。願いをかなえる宝石が砕け散りながら軽減した呪いは、それでも強固で、崩れる気配すらなかった。
計算違いも甚だしい。吸血鬼の体は特別で、保有魔力量に限界が無い。それは吸血と言う他者からの魔力補充に原因がある。保有魔力量に限界があったら吸血行為は魔力が弱ったときにしか意味を成さない。それでは最強種族とされている意味がない。
だが、魔力と言うものは随時大気から取り込み、放出し循環している物だ。それ故に徐々にだが単体で吸収可能な魔力量を上回れば出て行ってしまうのだ。
「キ、キティ」
ぐらりと、ネギの体が傾く。それに吸血をやめ、顔を覗き込んだ。そこに先ほどまでの微笑は無く。完全に気を失った安らかな表情があるだけだった。



[10291] 第十五話
Name: 綾◆a32e04ef ID:4aac7903
Date: 2009/12/21 20:12
ホワイトボードの前で語られる言葉を、ノートに取り、疑問点を質問する。それに返された言葉を胸に刻みノートに赤線を引き記入した。
駅前に建てられた其処は、担任となった先生から進められた教室。まあそれなりにあってるんじゃないかとそのときのことを思い出しながら頬を染める。きっかけの一つ。机に置かれた無粋な丸めがねに触れながら。

第十五話 まだまだたまご

いやいやいや、有り得ないって。内心で現実を否定したのは、まだ学年が二年生の頃だった。
三学期も終わりに近づいたその季節、担任だと言うのに責任感が欠如しているとしか思えないほど代理を立てる、タカミチの代わりに派遣されてきた教師。それがネギ・スプリングフィールドだった。
英語を担当する事になったのは、生粋の英国人として当然の事だったのだろう。授業の組み立ても良くできていて、何の問題もない…わけではなかった。
少なくとも長谷川千雨にとっては。
思えばその頃は奇奇怪怪な学園の状況に気が付き、それから必死に目を背ける精神的に一番参っていたときだったのだろう。
初等部の頃から学園にいたからこそ気が付かなかったが、麻帆良学園都市に自生する、世界樹の愛称で呼ばれるどでかいとしか言い用がない全長二七〇メートルの樹木。
噂でしかないが、困ったときやピンチに陥ったときに何処からとも無く現れると言う、魔法少女や魔法オヤジ。さらには、校内新聞を飾った桜通りの吸血鬼事件。そんな噂ならよかった。世界樹は別にしても、ただの噂だ。だが、ある日見てしまったのだ。
学園の中には一つの系統にとどまらず、様々な学校が建てられている。其処に属する、世に言う不良たちの抗争を、無感動にまたやっているなと、見ていたときだった。一瞬目を疑った。人が空を飛ぶなんて、と。
がやがやとはやし立てる外野はその事の重大さを理解していない。自分だけが気が付いた事の重大さに思わず食べていた肉まんが手から落ちた。
二つの不良グループ。その間にいたのは、その当時の担任、若いはずなのに無精ひげと渋いめがねで三十台に見られるタカミチ・T・高畑だった。その存在はただ両手をズボンのポケットに入れているだけだと言うのに、襲い掛かった不良たちを手も触れず吹き飛ばす。結果三十人はいた不良たちは全員地に倒れた。
思った。なんだあれは、と。手も触れないで相手を倒す方法は聞いたことがあった。気当てと呼ばれる気合いの一種だ。だが、目の前で行われたことは、そんなレヴェルの物ではない。世界を、あるいは常識を超えた現象だった。気当てならば、不良に物理的ダメージが与えられるはずが無い。
このとき、ぐらついた常識と言う強固な塔の基礎部分は、その新しい担任。ネギ・スプリングフィールド、通称子供先生によって木っ端微塵に砕かれた。
労働基準法? 教員免許? 何だそれ食えるのかというがごとき理不尽な現実に、思わず体が震えた。
ふらり、ふらりと地に足が着いていない歩みで自意識も呆然としながら、授業が終わったその日も這々の体で寮の自室に辿り着いた。
「違うだろ」
ぼそりと、一人部屋に置かれたパソコンのスイッチを入れながら呟く。
「普通の学園生活って、こうじゃないだろ」
千雨は制服を乱暴に脱ぎ捨て、唇にルージュを塗った。
「うったえて、訴えてやる! この理不尽を社会に! 大衆に! うったえてやるっ!」
パソコンが立ち上がるまでに、既に手馴れてしまったお化粧を鏡を見つめながら進めて行く。
其処に眼鏡は無い。そうしてパソコンが立ち上がり、コスチュームに着こんだ者は既に長谷川千雨ではない。
「私は」
回転いすに腰掛け、キーボードをたたきつけた。
「ネットアイドル界ナンバーワン」
そう、今だけは理不尽な世界を忘れる事のできる唯一の自分。
「ちぅ様よ!」
それが、以前から現実を疑いつつあった千雨の逃避手段だった。
ネット界に何万と存在する営利目的ではない所詮、自己満足の、自称アイドルと名乗る有象無象の中で、千雨、いや、ちぅの熱意は、一線を画すものだった。
デジタルカメラで自作コスチューム姿を撮影して、取り込み画像をより綺麗に見せるために何時間もかけて修繕する。その結果自作ホームページに載る写真は、お色気に走った露出狂予備軍のそれとは全くできが違っていた。
色気が無いわけではない。ただ露骨ではないのだ。肌を隠しているにもかかわらずそういったものが自然と漂う。
だが、ちぅの名声はそれだけで作れられた訳でもない。ちぅ、いや千雨は凄腕のハッカーでもあったのだ。
勢力拡大中のネットアイドルを発見すれば、即座に掲示板荒らしという名の破壊工作を仕掛け、その報復には自作の防御プログラムを使う。
その繰り返しで、普段目立たない少女、千雨は、ネット界を牛耳るナンバーワンネットアイドルになったのだ。
「表の世界では慌てず騒がず、危険を冒さず」
アリスを意識したゴジックロリータファッションに身を包み、掲示板に目を通す。
「あはははいい、いいぞ! そうリスクの少ない裏世界でトップを取る。それが私のスタンス」
それこそが理想の私。
「千雨さん」
「だからいつかあいつも私の虜に…」
そんなハイテンション名千雨の耳に何かが聞こえた。それは最近良く聞く声だった。
「いやいや待て、あいつがそんな、人の部屋に無断で入るような性格か? 幻聴に決まって」
「千雨さん」
ああ、そうだ認めよう。認めるしかない。
「先生? ネギ先生ですか」
振り向く勇気は無い。これが幻聴の可能性をまだ信じているのだ。だが、やはり現実は非情だ。
「そうですが、どうかしましたか?」
ゆっくりと振り向く。そこには言葉通りいつも教壇で浮かべている微笑をたたえた、子供先生、ネギ・スプリングフィールドがいた。

ゆっくりと目を開ける。ああ何か嫌な夢を見たな、というのがいつもどおりの天井を見て思ったことだった。
ネギが言いふらすような性格ではない事は容易に想像できる。では何故夢の中で自分は慌てたのか? いやあれは恐怖、何故恐怖したのか? それが千雨には分からない。
「もしかして、私も堕ちたのか?」
いやいや、そんな馬鹿なと、自分の言葉を否定する。ネギの容姿は良い。それはもうアイドルが廃業を覚悟するほどに整っている。さらには頭も良い。それは日ごろの授業を受けていれば分かる事だった。
だが、堕ちるはずが無いのだ。容姿が良くても、頭が良くても、常識から外れている存在である以上、惚れるはずが無かった。どれだけ魅力的であろうとも、相手は労働基準法なにそれおいしいの、な規格外生命体。自分にとって常識外のことは最も嫌っている事なのだから、惚れるほうがおかしかった。
朝から夢見が悪いと、身を起こしたとき。
「あれ、千雨さん起きたんですか」
「ネ、ギ先生…」
夢ではないと理解してしまった。
「な、なんで先生がいたんだ! 普通ノックもなしに部屋に入るか! それも女の!」
敬語も忘れ、問い詰める。頭の隅で、見られた以上殺すしかないと、物騒な考えが突然の事態に混乱しながら駆け巡っていた。
「ノックはしましたし、返事もありましたよ? 少しハイテンションになっていたようですが」
「そんな筈は…」
否定しようとして、思い出した。思いっきり高笑いしていた事を。ノックは聞こえなかったが、それを入室の合図だと勘違いしてもおかしくは無い。
「それにしても千雨さんの趣味はかわいらしいですね」
瞬間、顔が沸騰した。
「コンピューターの事は詳しくありませんが、テレビで見ました。ネットアイドルという物でしたよね?」
駄目だ、何か凶器は。既に千雨の思考には、ネギ抹殺の事しかなかった。気付かれぬ様に目線で辺りを見回すが、これと言った物はない。
絞殺か! 幸いネギの顔は目と鼻の先にある。だが、握力が心もとない。しかし殺るしかない。千雨がゆっくりと手を伸ばし、
「やっぱり、こっちの方が綺麗ですよ」
自然な動作で頬に手を添えられ、微笑まれた。
「ななななな、何の事だ。き、綺麗とかいったい…」
「聞いていませんでしたか? パソコンの中の千雨さんよりも、ここにいる」
そっと未だ頬にあっていた右手で頬をなでる。その感覚に背筋に電気が走った。
「千雨さんの方が何倍もお綺麗ですよ」
ああ、やっちまった。千雨は熱い身体をもてあましながら思った。惚れてしまったと。
「なんで先生はこっちの方が良いんだよ。自慢じゃないが、ちぅの方は手間隙かけて妥協一切無しの最高の作品だ。普通は誰だってちぅを選ぶさ」
劣等感。三-Aは普通のクラスじゃないが、女としてのレヴェルも普通じゃない。眼鏡さえかけなければ、一般的なクラスなら美少女として通る千雨も、有象無象のその他の少女になってしまう。
その点、ちぅが現実にいれば真の美少女だらけの三-Aでも美少女としてやっていけるだろう。だが、現実での自分はちぅではなく、千雨なのだ。綺麗なはずが無い。
「確かに、千雨さんが作ったちぅさん? は、お綺麗ですよ」
ほらやっぱり、と千雨の心に雲がかかる。
「ですが、私は映像でしかないちぅさんよりも、生きた人である千雨さんのほうが好きです」
「えっ」
思わず顔を上げ、目を丸くする。其処には嘲りも、見下した物も無い。純粋な人を褒め称える透き通った笑みがあった。
「な、何言って」
「それに」
「あっ」
瞬間、千雨の体が引き寄せられ、ネギの胸に包み込まれた。
「こうして触れる事もできます。さらにちぅさんを作れたのも、ここにいる千雨さんがいたからです。千雨さんはもっと自分に自信を持って良いんですよ?」
意外と胸板が厚い。などと考えていた千雨は我に返り、離れようとしたが、ネギは放さない。そうしていっその事と逆に抱きしめ返した。
「でも、私はクラスの中じゃ」
「綺麗じゃない、ですか? そんな事を言ってしまったら、テレビに出ている人たちも初めは何も変わらないただの人だったのですよ?」
正論だ。勿論なかには初めから光るものをもっていたものがいるだろう。だがそれはきわめて少数に過ぎない。
「どんな物も一見ただ曇ったガラスにしか見えません。ですがそれを磨くと光り輝く宝石になるのです。千雨さん。表舞台に立ってみたくはありませんか?」
「表舞台?」
「リスクの少ない裏世界でトップをとってもそれはごく限られた狭い世界での一番です。それが悪いとは言いません。ただ、既にその地位に立っているならば、もっと広い世界に挑戦しても、良いのではないでしょうか」
もっと広い世界。それはテレビや雑誌でのアイドルや女優のことをさしているのだろう。千雨も思わずその言葉に一瞬だけその成功した姿を夢見る。だが、
「無理だ」
「千雨さん?」
駄目だった。なぜなら自分は、
「私、眼鏡がないと、人前に出られないんだ」
それが千雨の弱点。正体を隠しちぅとしてコスプレに出られない理由。
「そんな私が、表に? そんなの無理に決まってんだろ」
自嘲しながら、身を放す。上からため息が聞こえた。それにやはり自分は駄目なのだと、唇を噛み体が震える。
「千雨さん」
抱きしめられていた体から腕が離れていく。呆れられた。その事を悟り自然と顔が俯いた。
「では、行きましょうか」
「えっ」
抱きしめられていた腕は、いつの間にか細い手首を掴んでおり、
「ま、まて! 眼鏡を」
強制的に部屋から出される。ネギは子供だが紳士だ。寝ていた自分の格好がコスプレのままだということは分かりきった事実。
「千雨さん」
「だからやめッ!」
寮の玄関まで来たときに、漸く立ち止まったネギに抗議の声を上げ、されど突然合わされた額と共に、急接近した顔に反射的に目をつぶり、何事か小さく呟かれるのが聞こえた。
「行きましょうか」
そっと手をとられ、玄関が開いた。そうして、唖然としている間に連れ出されたのは未だ人気の多い路地。自然視線が集中する。
「千雨さん」
そっと声をかけられ我に返るが、
「眼鏡は、してないよな」
不思議な事に恥ずかしさが沸かなかった。視線が集中していないわけではない。学園で何かと話題の美少年先生ネギの噂は中学どころか、高校までいきわたっている。それが派手な衣装を着た女子生徒を連れていて注目されないはずが無い。
「さて、千雨さん」
その声に困惑しながら、振り向いた。
「眼鏡は要りますか?」
掲げられたのは、いつも着用している味も素っ気も無い丸眼鏡。だが千雨にはそれをとる気にはなれなかった。

レッスンが終わり、寮までの道のりをゆっくりと歩む。あの後、何処から取り出したのか女優養成講座のパンフレットを見せられ、散々悩んだ結果やってみる事にした。
ごろつきが集まった、集会、のような物を見ながら歩みを速める。その場にもう一つ近づいてくる集団が見えた。
眼鏡は今でも着用している。だが、それは中学での授業を受けるときだけ。
二つの集団がぶつかり合う音に足をさらに速める。
あの日を境に眼鏡をかけることなく人前で堂々としていられるようになった。今ではちょっとした演技もできる。
これはもう僕の出番だね、と見知った声が聞こえたのを無視しできる限りその場を離れようとした。
ネットアイドルちぅは現在も続けてはいるが、今までほど熱は入れていない。それでもナンバーワンの地位は不動だという事が、悔しいがネギの意見が正しい事を語っていた。ちぅ、否長谷川千雨の素材の良さ、それをレッスンで磨かれ、原石が研磨されていく輝きはネギの言うとおりだった。
目の前で人が宙を飛び、何もされていないはずなだというのに物理的なダメージを受け倒れていく光景に、速くなった足は遂に寮へと走り出す。
だが、だがあの恥ずかしさを忘れたわけではない。ネギに覗かれ失神した恥ずかしさを。だから誓った。いつかそう遠くない日に、輝きを増した自分の魅力でネギをおとすと。そうして、世間に暴露してやるのだ。人気女優、長谷川千雨の恋人は元担任教師だということを。その禁断の恋の歴史を赤裸々に告白してやるのだと。
だが、人間早々変わることはできない。今はただ元担任、タカミチ・T・高畑の起こす異常現象から全力で逃げ出す事が最優先だった。
「待ってろよ。ネギ・スプリングフィールド」
お前は私が貰うんだ。


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