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[10452] ブレイク・トリガー(リリカルなのは・オリ主:全四十一話+後書き・完結+番外編)
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2011/01/02 00:31
 Part1:ベルカな日々

 見上げた空は青く、高く。
 もっとも、見上げるまでもなく、前を見れば大パノラマで視界全体に空が映るのだが。
 ああ、いや。視界の脇には少しばかり森やらフェンスやらが見えるか。
 ともあれ、ヴェロッサ=アコースに取っては見慣れた光景だった。
 勿論、それを喜んでいられるほど、病んだ神経はしていない。大体、目に砂が入って視界がぼやけるし。
 ため息を吐く。
 横に転がっているはずのデバイスを引っつかんで、身体を起す気力もわかない。
 だって身体を起したら、はるか彼方に仁王立ちしているであろう怖い女性の姿を視界に納めねば成らなくなるから。
 
 「あのさぁロッサ君」
 
 絶対に起き上がらないでござる、そんな風に考えていたヴェロッサの傍らから、ポツリとやる気の無い声が響いた。
 視線を―――顔を動かさずに―――横にずらす。
 ヴェロッサ自身の深緑の髪よりも色鮮やかな、翠緑色の髪の少年の姿が見えた。
 彼と同じように、騎士甲冑を纏っている。仰向けに倒れているのも、同様。
 ……そろそろ倒れたまま十数分が過ぎようとしているのに、一向に起き上がろうとする気配がないのも、同様だった。
 「なに? クロス君」
 ヴェロッサは自身に問いかける少年の言葉に、同じくやる気のない言葉で返した。
 このやり取りも毎度のこと。今日だけで―――本日早朝、訓練開始から現在までの二時間ばかりの間だけで―――三度目の事だったから、彼としても慣れたものだ。
 会話のないように意味などない事を、十分に理解している。
 「何で前衛に居たロッサ君が後衛のオレの傍に居るのかな」
 解りきった事を興味が無い風に聞く。答えも期待していないのだろう。
 全くもって、何時もどおりのクロス=ハラオウンだなとヴェロッサは思った。
 「そりゃあクロス君。前線で思いっきり吹っ飛ばされたからに決まってるじゃない」
 お陰で腹が痛いし。食事前で良かったヨネとから笑いである。
 クロスはそんなヴェロッサの返しに特に興味も見せず、またポツリと口を開いた。
 「じゃあさぁロッサ君」
 「なんだい、クロス君」
 ヴェロッサも単純に現在の間延びした思考状態を続けて居たかったので、また同じように言葉を返した。
 「空を飛んでいたオレがどうしてロッサ君の隣で砂被ってぶっ倒れているんだろう?」
 居るはずもないトンボでも捕まえたいのか、クロスは人差し指を天に据えてぼやいていた。
 「……そりゃあ、前線で思いっきり吹っ飛ばされた僕がクロス君に激突したからに決まってるじゃない」
 「だよねぇ。……まったく、どうしてこんなことに」
 掲げていた腕をパタンと下ろして、クロスは感情の篭ったボヤキ声を上げた。
 どうしてこんなことに。ヴェロッサも全く同意したい心境だったが、ここで下手に固有名詞を出すと藪で蛇と言った感じになるので、自重する事にした。その代わり、もうちょっと意味のない会話を続ける。
 ……自分たちが倒れたままで居られる時間がもうちょっとしかない事も気づいていたことだし。
 「どうしてってそりゃぁ、クロス君、来週にはもう叙勲だろ? 訓練にも気合が入るって」
 訓練と書いて虐待と発音しながら、ヴェロッサは言った。僕はつき合わされているだけだけどねと、全く他人事だった。
 クロスは、眉をしかめた。
 「……それだよ。な~んでオレが騎士なのかなぁ。グラシアさんちのロッサ君ならまだしも」
 ガリガリと砂混じりのグローブのまま髪を掻いている。
 ヴェロッサはそんなクロスの姿に、やれやれまたかと苦笑していた。

 その道を目指す他の誰もが羨むであろう、最年少での騎士叙勲と言う栄誉。
 それが、九歳のクロス=ハラオウン少年にとっては、酷く、どうしようもなく避けて通りたい物らしいのだ。
 「嫌なら何で促成コースになんて乗ったのさ」
 現在のところ彼らの地位はセント・ヒルデ魔法学院の学生と言う身分に過ぎない。
 同期入学から四年目。お互いそれなりに飛び級を重ねているが、クロスのほうは更に一歩飛びぬけていた。
 その理由が、騎士養成促進課程。
 「奨学金で学費全免って処しか見てなかったのが失敗だったよなぁ。……やっぱ、学費ぐらいは親の脛を齧っておけば良かったのか」
 「元々、教会が運営してる孤児院の院生に向けて、将来性の在りそうな子供を囲い込んでおくための制度だからねぇ。外から申し込んだのってクロス君くらいじゃない?」
 そして、孤児院の院生に対する専用の制度に、外部から申請してそれが受理されたというのもクロス一人だったりする。
 むしろ、普通は申し込もうということを考え付かない。その辺の反則業を平気でやってしまうのがクロス=ハラオウンという少年だった。当時四歳だったが。
 「何ていうんだっけこう言うの。……安物買いの銭失い?」
 普通、ベルカ自治領に於いて騎士叙勲の栄誉を安い買い物と表現する人間は居ない。
 「どうせ任官しても義姉さんの近侍にでも回されるだけだろうし。そこまで嫌がらないでも」
 ヴェロッサは苦笑して慰めるような言葉を口にしたが、返ってクロスは不貞腐れてしまった。
 「あの無茶振り姫とシャッハさんがセットになってるような状況なんて地獄以外の何物でもないだろ。……ところで、地獄って表現、聖王教会の教義的にアリだっけ?」
 「よくそれで、神学者志望とか入学時に言えてたね。……まぁ、同意するけどさ」
 因みに、ヴェロッサ自身はこのまま後数年セント・ヒルデ魔法学院に通った後、時空管理局訓練校に進学する予定である。
 友人が自身の義姉と姉モドキに虐げられる未来を嘆くことを、生暖かい目で見守るだけだった。
 「だいたい、同じ日に叙勲するはずの姫が冷房の聞いた部屋でのんびり読書してるだけなのに、同じ立場のオレはなんで地面に叩きつけられて砂塗れになってるんだろう。アレか。レアスキル持ちの贔屓ってやつか」
 「レアスキルって……、クロス君もレアスキル持ちだよね」
 いよいよもって口調が乱暴になってきているクロスに、ヴェロッサはやれやれと笑うだけだった。
 「ああー、羽ね。アレあんまり役に立たないからなぁ。オレの戦法にあわないし」
 「いやむしろ、あの羽持っていて接近戦を避けようとするクロス君がおかしいんだと思うよ」
 レアスキルと言うのは、所謂生命因子レベルで刻まれた古代の超魔法の遺産のようなものだ。
 例えばヴェロッサのように影から犬を出したり、その義姉であるカリム=グラシアのように”よげんの書”を作成したりと、あからさまに人間には有り得ない特殊な能力が生まれながらに備わっている場合の事を指す。
 ベルカ文明圏においてそれらは貴顕なるものの証として尊ばれる場合が多く、だからこそクロスは最年少で騎士叙勲などということになったし、ヴェロッサにしても身寄りのない孤児に過ぎなかったというのに長い歴史を持つグラシア家に引き取られることになったりしたわけだ。
 クロスの場合は背中に羽が生える。これは母リンディ=ハラオウンの血族からの遺伝らしい。兄クロノには現れなかった形質だった。

 「……ところで、何でクロス君は自分のレアスキルに”H.G.S”なんて名づけたの?」
 ヴェロッサは唐突に思い出して、気になっていた事をクロスにたずねた。
 ベルカ文明圏においては、現在では当たり前のように管理世界公用語が用いられていたが、プライドの問題なのだろうかそこかしこの用語にベルカ語風の発音で名称をつける事が多かった。
 ヴェロッサ自身のレアスキルにしても”ウンエントリヒ・ヤークト”という、正直自分でも発音しづらい名称が付けられている。
 だが、クロスは自身のレアスキルを"H.G.S"と言い切った。
 元来家伝としてそういい慣わす物なのかと思えば、そうでもないらしいのはコレまでの会話で判明している。
 彼のデバイスである”SS4"と変わらぬくらい、機械的で良く解らない呼び名だった。
 そして、ヴェロッサの問いに対するクロスの答えは、何時もどおり良く解らない物だった。
 彼は、寝たままで肩を竦めて、こう答えるのだった。

 「この世界観なら、羽っていえば”H.G.S”だろ?」

 毎度毎度の返しの言葉に、ヴェロッサは同様に肩を竦めるしかなかった。
 「……意味が解らないよ」
 『二人とも、休憩時間は終わりです。訓練を再開しますよ』
 やれやれとため息を吐いたヴェロッサの内側に、硬い女性の声が響いた。
 彼ら二人を地に叩き伏せた、はるか彼方に仁王立ちしているであろう女性からの念話だった。
 「何時から修道女がトンファー振り回すようになったんだろうな、この宗教……」
 クロスも聞こえていたらしい。やれやれといった風にデバイスを杖代わりにして身体を起していた。
 「あれ、剣らしいよ一応。あと、精神修養の一環なんだってさ」
 長髪のほこりを払いながら答えるヴェロッサの言葉に、クロスは呻いた。
 「どうして本職見習いのオレらよりお祈りの片手間でやってるシャッハさんのが強いのさ。」
 「いや、騎士見習いはクロス君だけだから。僕はつき合わされてるだけだし」
 この裏切り者めと睨むクロスに、何も知らないとばかりにヴェロッサは天を仰いでいた。
 「で、作戦だけど。クロス君が羽を出してシャッハに特攻……」
 「ロッサ君がワンちゃんと一緒に前衛ね。オレが上から狙撃、と」
 噛合わない会話ににらみ合うこと数秒。
 『二人とも前衛です。今回は砲戦無しの近接格闘訓練とします』
 二人同時に、ため息を吐いた。
 シャッハ=ヌエラの無慈悲な声によって、形なき闘争は終了した。
 「SS4、待機モードへ」
 『It consented.』
 クロスは取り回しの悪いデバイスを待機状態に戻し胸元に押し込んだ。ヴェロッサも同様にしていた。
 近接の殴り合いでシャッハに勝てるわけもないし、二人ともテンションが上がるはずもなく仕草は適当なものだった。
 「何でこんなことになっちゃったかなぁ……」
 とぼとぼとシャッハの待つところへ向かう傍ら、クロスはもう一度ぼやいた。
 「義姉さんに気に入られちゃったのが、運の尽きなんじゃない?」
 クロスとヴェロッサの義姉カリム=グラシアの付き合いは魔法学院入学初日からであった。
 何か色っぽい物が混じっていると言う事も無く―――年齢的に考えれば当然だが―――何故かカリムに無理難題をけしかけられて難儀しているクロス、と言う構図はもう見慣れた物になっている。
 常に面倒なことに巻き込まれているせいか、クロスはカリムの事を”無茶振り姫”と称していた。
 カリムの傍付きであるシャッハに”教育”されているのも、基はといえばカリムと親しくなったせいである。
 ……因みにヴェロッサとは別口で知り合い、その後に多様に女二人に虐げられる状況に意気投合した。
 「いや、そういうことじゃなくてさ」
 だが、今回のボヤキはそういった意味の物ではなかったらしい。
 どうした事かとクロスを見れば、彼は空の更に果て、何処か遠いところを見るような目で、呟いていた。

 「どうせ同じ都築ワールドなら、わんことくらそうの世界の方が良かったのになぁってね。せめて桜待坂とか、こう、平凡なのを。……リリちゃ箱とか、マイナー過ぎるじゃん」
 
 わんこも結構マイナーだけどと、それはとてもとても、ヴェロッサには意味が解らない言葉だった。

 つまりこれが、そう。
 クロス=ハラオウン達の日常だった。





    ※ 見切り発車で開始。
      エンジンが暖まるまでは基本、一発書きで。
      温まりきらなかったらそのままフェードアウトかなぁ。



[10452] 第二話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/20 22:06


 Part2:クロス=ハラオウン


 2002年6月14日、午後。
 
 ガードレールを突き破ってきた自動車に撥ねられて、死亡。
 最後に視界に入った物。
 買ったばかりの、A4サイズはあろうかと言う、白い箱。
 ……せめて、ミニシナリオを攻略した後に撥ねてくれないかなと、それが、最後に考えたことだった。

 そうして、クロス=ハラオウンは生まれた。

 身動きが取れない。
 視界がぼやける。
 靄がかかっているかのように、思考が覚束無い。

 まず目に映ったのは、緑、そして黒。巨人。……自分が小さいのだと気付いたのは、数瞬後だった。
 まず聞こえた物は、赤ん坊の泣き声。自分が上げているのだと、気付いて止めようと思っても、止められなかった。
 そして覚束無い思考は、ぼやけた視界は、暗転と覚醒を繰り返す。
 繰り返すたびに、別の場所、別の時間、同じ人々が視界に映り、そして消えていく。
 必死で状況把握に努めようとしても、スイッチを切ったテレビのように、突然思考が中断してしまい、また初めからやり直し。
 それどころか、時を経るに従って”自分”と言う物が把握しきれなくなっていることに気付き悪循環だった。
 
 もっとも後日それは、基礎言語が日本語からこの世界の言葉に切り替わってしまったせいだと気付いたのだが。

 その辺りの問題も何とか落ち着き、漸く思考が暗転して来た頃、さてここは何処だろうと周りを、自分の身体を見渡してみれば、なるほどとんでもない状況になっていると彼は気付いた。

 赤ん坊だ。自分が。

 壁に掛けられた時計には謎の言語。
 ベビーベッドから這い出して手近にあった書棚を覗いてみれば、やっぱり謎言語。
 カーテンの隙間から窓の外を見てみよう。
 明らかに日本とは違う輝き具合の陽光が……いや、それ以上に気になるものは、白くうっすらと青空に残る”二つ”の月。
 
 目が覚めたら赤ん坊になってしまった事と、周りを見たら別世界だった事とどっちが驚きだろうと考えるに、どっちもどっちかと赤ん坊の姿のまま、それにあるまじきため息を吐いていた。
 実際のところ、それほど驚いては居なかった。
 覚束無い思考のままで何となく考えていた事でもあったし、それにそう、彼は確実に自分の死を認識していたのだ。
 目が覚めたら別の場所、ではなく、死んだら別の場所に居た、と考えれば、なぁに、そんなに驚くまい。
 なにせ、死んだ後にどうなるかなんて誰にも説明できない事だったのだから。
 
 死後の世界。いや、転生か。
 どちらでも良い。外国なのか、それとも本当に異世界だとでも言うのか。天国?地獄?
 ……いや、うん。赤ん坊として身動き取れないのはある意味地獄だが。排泄とかの意味でも。

 まぁ、何でも良い。
 彼は気楽に考えていた。
 何しろ一度完璧に死んでしまったわけだし。文字通りの第二の人生。精々、楽しませてもらおう。
 第二の人生として考えると、記憶が死ぬ前から地続きなのが気になるところではあったが、些細な事だ。
 案外、皆そうなのかもしれないし。追々この世界の事を理解していけば良いだろう。

 幸いにして、両親、そして兄ともどもに善良そのもののようだし。彼はこの時点では気楽にそう判断した。

 そうと決まれば、まずは自分の名前を確認しよう。
 クロス=ハラオウン。
 カタカナである。いや、実際は現地語だが。
 しかしハラオウン。珍しい響きに聞こえるが、彼には何処かで聞き覚えがあるような気がしていた。
 次、父と母の名前。
 父はクライド。母はリンディ。
 因みに父は黒髪、母はびっくりの緑の髪だった。
 色素とかどうなってんのソレとか突っ込みたかったのだが、たまに外に連れ出されて散歩とかしてみると、死ぬ前にはありえなかった髪の色をした人々がちらほら見えていたので、諦めた。
 と言うか、伸びてきた自分の髪が緑色だった時点で、彼には納得する以外の選択肢は残っていなかった。
 ……二歳上の兄のクロノは黒髪だったが、本当に遺伝とかどうなっているんだろうなどとは、多分考えるだけ無駄なのだろう。
 
 彼は、一度死ぬと言う稀有な経験をしてしまったため、大抵の事には驚かない精神を身につけていたのだった。

 もっともそれは、母リンディと兄クロノ。両者二人の名前と立ち姿を並べて、ちょっとした関連性に気付いてしまったところで崩されたが。
 
 リンディ=ハラオウン。翠緑色の長髪。ポニーテール。
 クロノ=ハラオウン。黒髪。聡明な少年。

 リンディ。クロノ。ハラオウン。
 さて、その関連性に気付いてしまうと、他の事が気になってくる。
 この世界は何と言うのか。
 自分が住んでいる、この都市の名前は?
 この発達した文明はどのようにして築かれているのか。
 
 ミッドチルダ。首都クラナガン。……魔法文明。
 それはどうしようもなく、18禁エロゲーの世界だった。

 とらいあんぐるハート3:リリカルおもちゃ箱。

 買ったのは去年だっけと彼は思い出していた。そりゃ思い出しもするだろう。その一年後、DVDエディションの限定版を買った当日に自動車に撥ねられて死んだのだから。
 そういえば結局ミニシナリオプレイして無いやと悲しい事実にも気付いた。テーマ曲集とかリピートで聴く予定だったのに。
 
 それはさておき、漫画アニメどころか、エロゲー―――ギャルゲーですらなく―――、しかもファンディスクの世界に生まれ変わるなんて笑い話にしかならない状況に落とされてしまうと、果たして自分は本当に死んだんだろうかと言う疑問が湧き上がってきてしまう。
 だいたい、クロノの弟だからクロスとか、ネーミングが適当すぎる。……トリガーとかブレイクとかじゃないだけマシかもしれないが。

 実は、車に撥ねられて死亡してしまった事も含めて全て夢で、頬をつねれば何時もの日常が始まるのではないか。
 彼はそんな風に考えてしまう事もある。何せ中途半端にマイナーな世界だ。ファンディスクのミニシナリオの台詞の片隅に出てくるような裏設定の世界に生まれ変わるなんて。

 夢だった場合は、精々ヲタク仲間に変な夢を見たんだと伝えて笑い話にでもしてしまえばいい。ホームページに書いてしまうのも有りか。
 夢じゃない場合は……少し、問題がある。
 とらハ3本編と違って、何週もプレイしたわけではないから台詞丸ごと暗記していると言う事も無いのだが、大雑把に言って母リンディと兄クロノは対立する。
 世界の危機、ソレを回避する方法を巡って。
 どっちも自己犠牲が当然とか思っている辺り、なるほど目の前に居るこの母と兄なら有りえそうだと思えてしまうのが困りものだ。
 まぁ、結果的には魔法少女な高町さんちのなのはたんのお陰で万事丸く収まるのだが、当事者に近しい人間として誕生してしまった彼としては、結果ではなく過程も大分大切にしたい。
 
 何せ、リリちゃ箱のミニシナリオ内では、彼と父には出番がカケラもないのだから。
 兄と母は組織を巻き込んだ結構壮絶な争いを繰り広げるはずだから、画面からは見えない部分で彼と父も巻き込まれている事は想像に難くない。
 記憶消されるし、下手すると。
 早急に対処せねばならない問題かもしれないのだが、如何せん、彼は現在碌に会話も出来ぬ赤子だった。

 とにかく、何をするにしても自己主張が出来るようにならねば何も始まらない。
 幸いにしてこの世界においては年齢一桁で大人を凌駕するびっくり頭脳というのもそう珍しくないらしいので、喋れるようになりさえすれば幼児にあるまじき状況判断能力を発揮しても問題はないだろうと彼は考えていた。
 当面は、母と兄の関係を良好に保ちつつ、彼自身はそこから距離を置く。巻き込まれるのは怖いから。
 父には……頑張ってもらおう。

 そんな感じで、死ぬ前の知識と言うよりは論理的な思考能力と、親譲りのハイスペックな頭脳に助けられながら、彼は自らを天才児として周囲の人間に演出する事に成功させて、歳に見合わぬ社会情勢などの知識を身につける環境を整えながら数年を過していた。
 その中で湧き上がった疑問としては、母の就いている役職が違う事。
 彼の記憶では、母リンディ=ハラオウンの職業は最高行政官なるものだったと思っていたのだが、この現実では時空管理局執務官なる、なんともコメントに困る役職だったのだ。
 なんでも、あまねく平行宇宙の平和と安全を守る仕事、らしい。因みに父は同組織の提督閣下だった。
 軍人……と言う訳でもないらしいが、それに似た物。というよりもこのミッドチルダ世界が軍部独裁政治みたいなものらしい。
 如何にもSFチックな双胴型戦艦を指揮する父を見送る事になったときには流石の彼も眩暈を覚えた。
 そういえば、兄クロノの魔法は理系の理論で出来ているんだっけ。
 それにしたって戦艦はやりすぎだろうと彼は思った。
 
 まぁ、何せ画面には殆ど映らなかった世界の設定である。殆ど未知の物であっても驚く事はあるまい。
 劇中では小学生のなのはたんに触りだけしか教えていなかったと言う考え方もあるしと、彼は納得する事にした。
 案外、母もこれから最高行政官なる職種に就くのかもしれない。
 兄クロノがなのはたんと同い年になった辺りが危険な時期だろうから、ソレまでに何とか家族と距離を置こうと、彼は安直に判断した。

 それだけで済むと思っていた。

 父が、死ぬまでは。



   ※ すごい せつめいの かい。
     まぁ、こんなルールで話を進めようと思います。


 



[10452] 第三話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/21 21:39

  Part3:死と世界に対する彼等の解釈

 クロス、二歳。
 クロノ、四歳。

 その日、父クライドは死んだ。

 事故とも、事件ともつかぬ理由だった。
 宇宙戦艦―――正確には次元航行艦らしいが―――でロストロギアなる口にするにも頭の痛い”ちょうこだいのきけんないぶつ”を運搬中に、何でもソレが暴走してしまったらしい。
 丁度ミッドチルダの宇宙港に帰還直前で、ハラオウン一家は揃って父が指揮を取る船の寄港を待ち構えていたのだが……。
 次元跳躍を終えて現実空間に忽然と現れたそれは、見るのもおぞましい触手まみれのありあさまだった。
 騒然となる管制室。
 当然だが、母リンディの職務権限で特別に見学していただけのクロスとクロノには何もする事は出来ない。
 何も出来ないから、見るしかない。
 父が乗っているはずの、その船を。
 そして見ていれば素人にでも解ってしまう事だが、危険な状態だった。
 モニター越しにもわかる、軋んだ船体。あちこちから火花が散っていた。
 コレはまずいなと、子供心に冷静に考えてしまった次の瞬間、モニターはその船のブリッジへと切り替わった。
 父の姿がそこにはあった。
 父の姿しか、そこには無かった。
 血を流しながら語る父の言葉を整理するに、次元空間内で突然ロストロギアが暴走し艦船のメインシステムを掌握されたらしい。
 乗員達は次元空間内で脱出艇に乗せて離脱させたが、自分は何とか出来ないかと一人で残ったらしい。

 その結果が時空管理局の基地港前に出現では失態もいい所ではないかと考えてしまった辺り、この時点ではクロスはまだこの世界の人間としての自覚が無かったのだろう。
 実際、人事のように思っていた。
 死ぬ前の記憶があるお陰で、目の前の血を流している父を父と認識できず、蒼白になりながらもクロスとクロノを抱きしめて気丈に立っていたリンディに対してだって、母と思えるはずも無かった。
 だからぼうっと、洋画を見ているような心境で事態の推移を見守っている間に、父はあっさりと死んでいった。
 僚艦からの主砲による射撃により、宇宙空間に塵一つ残さずに、父は死んだ。

 その光景を見ても泣き崩れる事一つ無かった母が、印象的だった。

 黒は鎮魂を表すのだと言うのは、何処の世界でも変わらないらしい。
 クロスは雨の中、地に埋められた棺おけの前に立ち尽くす人々を眺めながら、茫洋とそんな事を考えていた。
 人の数は多い。父の人徳なのだろう。
 丁度棺と正面から向き合うように立ち尽くしていた老人の姿が、印象深かった。
 ギル=グレアム氏。父の直接の上司とも言える、時空管理局の重鎮の一人。
 父を殺した人と、状況だけを見ればそうなのだろう。
 むろんの事だが、クロスは死ぬ前から数えれば立派に成人だったから、その事について恨みを抱くはずも無い。
 後々調べて理解した事だが、あれ以外に―――塵一つ残さずに船ごと消滅させること以外に―――方法は無かった。
 最善の手ではないが、最悪の中で打てる手はアレくらいしかなかったのだろう。
 むしろ、危険だと解っていながら運搬中に暴走させてしまった父の不手際の責任を取らせてしまったと、恐らくは身内として謝罪せねばならぬ立場だった。
 実際、リンディは父を撃ったと悔やむグレアムに対して、そうした。
 グレアム氏は勿論その謝罪を受け入れるような事は無かった。ただ自分を、自分だけを責めているようにクロスには見えた。
 墓前に集う人々の顔は、一様に沈んでいた。
 唯一それとは違う印象を示していたのは、兄のクロノだった。
 
 中身の無い棺を見下ろして、その顔はきっと、怒っていた。

 死んでしまった父に対してではない、撃ったグレアムに対してでも、無い。あるはずが無い。
 クロノは、最善を尽くそうとした人々に訪れた世界の理不尽さに怒りを覚えていたのだ。

 さて、日頃穏やかなばかりの兄が能面のような顔を浮かべて、幼子にあるまじき世の不条理に異を唱えようとしていた時に、クロスはどんな心境だったかといえば単純だ。

 世界は、まぁ精々こんなもんだ。

 彼はそんな風に考えていた。
 考えざるを得なかったとも言えるだろう。
 死んだらエロゲーの世界に生まれ変わっていた。笑い話にしかならない、とても素敵な体験である。
 トラブルは上手く回避して、精々楽しんでやろうかと気楽に考えていれば、この状況。
 自分にだけ美味しいなんて、世の中はそう上手くはできていないのだと、思い知らされるしかなかった。

 そして同時に、クロスは一つの事実に気付いた。
 リリちゃ箱のミニシナリオでは、彼自身と父の出番は無い。説明すらも無かった。
 それは単純に、”実際には居るけど出番が無いだけ”だとこれまでは双考えていたのだが、本編開始前に、父は宇宙の霞となった。
 なるほど、開始時点で居ない人間なのだから、登場するはずもあるまい。

 なら、クロス自身は?

 クロスはクロス=ハラオウンなんて登場人物は知らなかった。
 それは画面には映らなかっただけで、そう気楽に考えていたら、同じ立場の父は死んだ。
 ならば当然、自分も同様の目にあうのではないかと、クロスがそう考えるのも無理は無かろう。
 特にクロノの設定として、”悲しみを嫌う”というようなものが存在していれば、なおさらだ。
 父と弟を立て続けに失うとすれば、それは悲しみを避けたくもなるという性質にも合致する。
 案外、母の自己犠牲精神も、そこら辺の事情から気付かれたのではないか?
 考えれば考えるほど、クロスは深みにはまっていく。
 流石に二度死ぬのは避けたいと、クロスは心底そう思っていた。
 悲しむべき、父の葬儀、墓前の前で。彼は自分の事しか考えていなかった。

 世界は、まぁ精々こんなもんだ。

 クロスは土に埋もれていく空の棺おけを見ながら、己を自嘲していた。
 当時二歳。世を儚むには、早すぎる年齢だった。

 母が職場に復帰し、クロノとクロスは母のツテでグレアム氏の邸宅に預けられる事となった。
 今回の事件が相当堪えたということなのか、グレアム氏は艦隊勤務を辞して、オフィス仕事に切り替たらしい。
 それとは逆に、母は父の居場所を守るかのごとく、次元航行艦の艦長に昇進して、前線へ向かう事となった。
 そんな訳で、幼子二人は人手の余っているグレアム氏の家へと預けられる。
 彼等の世話役を仰せつかったのは、リーゼアリア、そしてリーゼロッテ。グレアム氏が所有する二匹の使い魔だった。
 猫耳の生えた妙齢の女性にしか見えないのだが、これで元は普通の四速歩行の猫だったらしいと聞いたときは、クロスは例によって頭痛を覚えた。理論的かと思えば、無茶苦茶すぎるぞ、魔法。
 グレアム邸での暮らしは、それなりの快適さだったと、クロスは後に述懐する。
 歴戦の魔法使いらしく、グレアム氏の書斎は専門的な書籍で埋まっていて、インドア派の彼を飽きさせる事は無かった。
 何せ中身は二十代だ。やって良いこと、悪い事の区別くらいはつくし、それを世話役のリーゼ姉妹は直ぐに理解してくれた。
 からかい甲斐が無くてつまらないガキだとは、リーゼロッテの弁である。
 ようするに、彼は邸宅内では適度に放置されていた。

 勿論の話だが、クロスは意図的にそうなるように仕向けていた。
 流石、元は猫だけある。動かないものにはイマイチ興味が沸かないらしい。
 自分が死ぬかもしれないという限りなく高確率で訪れる未来を回避する手段を考えなければならない彼にとって、それは最良の状況だった。
 当然、片方が動かないなら、もう片方の動く方へと興味が向くであろう事は、猫の本能として当然かもしれない。
 焦るように身体を動かすクロノの事を、世話役の姉妹はよく構っていた。
 
 焦るように、焦るように。無力な自分に憤るが如く。

 今ひとつあれば荒んでしまいそうなクロノの心を、リーゼ姉妹は上手くリフレッシュさせていた。
 幼いクロノはその事実に気付かず、ただからかわれて弄られているだけだと思っていたから、そうした時は何時も不貞腐れていた。
 クロスは、そんな兄の姿を見て、あの二人に任せておけば安心だろうと二十代の精神で考えていた。
 更にリーゼ姉妹はそんなクロスを見て、奇妙なガキだと薄気味悪い心持だったという事実は、ご愛嬌だろう。

 兄は焦る。弟も、別の意味で焦る。奇妙な兄弟だと、世話役達は首を捻る。
 そんな風に日を数えていったある日、兄弟の寝室で、兄は弟に宣言した。

 執務官になる。



    ※ グダグダなノリを予定してたんですが、微妙に暗いですよね。
      
      あと、2002年に死んだ男が2006年発売のゲームについて知っていると言う事実は気にしないで下さい。
      あのネタだけは書きたかったんだ……



[10452] 第四話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/22 21:34

 Part4:そして始まり

 弟の事を一言で言い表せば、と問われればクロノはこう答える。
 
 ”天才”だと。

 二言といわれれば"天賦の才"だと返し、三言目は必要ないだろう。
 そもそも母と共に退院して、ベビーベッドの上で寝転がっていた頃から知性らしき物が見えていた。
 自身の周囲を観察し、周りの人間の言葉を確実に聞き分け、目に付く全ての物に対して十全に用法を理解していた。
 生れ落ちて一年とたたぬ頃からそんな風な弟だったから、ある程度身動きが取れるようになってからは貪欲に知識を欲する姿勢を示した事に驚きは無かった。
 そして、欲した分だけ身につけた。
 自らを取り巻く次元世界、その構成。魔法の生み出す文化、その運用。その事如くを。
 少なくとも、事実はどうあれ幼いクロノにはそう見えた。

 クロノとは違う母譲りの翠緑の髪。
 魔力保有率の高い人ほど自然界にありえざる髪の色になるらしいよとは、自分の髪を奇妙な物を見るかのような目つきでつまみながらクロス自身が言った言葉だった。
 兄さんの髪も少し青みがかってるしねと言われて、何処か安心した気持ちになったのをクロノは覚えている。
 クロスは自身の言葉どおりに、魔法に対しても稀有な才能を示した。
 クロノが十回かかって漸く成功させた魔法を、クロスは十回目にはそれまでの過程を発展させた何か教わっていない別な魔法に応用する事を試していた。
 くろすけ二号は弄り甲斐がなくて面白くないとは、彼ら兄弟に魔法の手ほどきをした、リーゼロッテの弁である。

 そんな弟だったから―――クロノは思った。恐らくクロスは、自分よりもずっと、父の死について冷静に理解していると。
 だから、自身の気持ちを伝えた。
 
 伝えたうえで、期待した。

 期待されてしまって、クロスは、とても困っていた。
 
 隣り合った勉強机の椅子に座り、読書をしていたクロスに向き合い、手を膝に置いて真剣な顔をした幼い兄。
 脚が床に届いていないのはご愛嬌だろう。いっそ、哀れですらあるなと二十代の精神でクロスは思った。
 さて、どうしたものかとクロスは悩む。
 まずは読んでいた”因果確定存在による多次元並行世界解釈”なる書籍を閉じて、兄と向かい合う。
 そのゆったりとした仕草は、端から見ればどちらが兄だか解らないと言いたくなるだろう。実際、彼等の部屋と向かい合った庭先で猫の姿で二人の姿を窺がっていたリーゼアリアはそう思った。
 
 「執務官に?」
 「ああ」
 
 問うてみれば、簡潔な言葉が返ってきた。
 ”なりたい”ではく”なる”。いやむしろ、”ならない訳にはいかない”。そんな風な響きを伴っていた。
 「兄さんなら、ちゃんと勉強してけば十歳くらいまでには資格取れると思うけど……」
 「そう、思うか?」
 思うけど、それが良い事かは解らないと言葉がしぼんでいったクロスに、クロノは熱の篭った言葉で問うてきた。
 クロスは、気まずい顔で頷いた。クロノの顔は気色に富んでいた。
 
 ああ、良くないなぁと。
 それなりに社会のろくでもない面を知ってしまった人間として、クロスは頭を抱えたくなった。
 どうしてこうなるまで、この子を放って置いたんだ。
 母さんでも、猫姉妹でも、グレアム老でも良い、誰か大人が止めてやらなきゃまずいだろう。
 とは言え、それが無理な話だということはクロスは理解していた。
 母は、父の死のショックを誤魔化すために仕事に没頭し、親としての職務を半分放棄している。
 猫姉妹は、……それなりに付き合ってみたが、猫は猫だった。よく訓練された飼い猫らしく飼い主の言う事は聞いていたが、それ以上のことは興味が無い限りはしてくれない。
 その飼い主のグレアム老はといえば、自らが討った男の息子の望である、反対しようとはしないだろう。
 例え片方でも親一人が居なくなるだけで、あの穏やかなだけだった兄がこれほど螺子くれてしまうのだから、世の中難しい。
 大体、子供と言う物はもっと独善的で利己主義で、我侭で乱暴な物であるべきというのがクロスの持論である。
 無私の奉公の精神などと言う物は、大人になってから建前として利用する程度で充分だ。けして、自らの芯に置いて良いものではない。
 使命感に溢れた子供など、害悪にしかならないと言うのに、全く、この世界は歪んでいるとクロスは頭の中で罵った。
 天才時教育だかリンカーコアの活性化による知性の発達だか知らないが、就業年齢が低すぎる。
 社会の裏表も理解していないような世代をぽんぽん表に放り投げて、馬鹿を量産して何がしたいのだ。
 
 そういう観点から見ても、クロスは率直に言って両親の所属している”時空管理局”を信用していなかった。
 異なる世界の常識を備えていた事が幸いしたのだろう。
 大義により管理された平和な世界と言うものの歪さが、恐らく両親以上に理解できていた。
 大体、お題目で正義を押し売りしてる組織なんて、何処の世界でも害悪でしかないだろう。
 父に似た直情さを持っている兄を、そんな世界に送り出したくは無いと、クロスは思った。
 警察と検事と裁判官を足して割らずに済ますような管理局の人手不足を象徴するような、面倒な駆け引きを極まったような仕事が兄に向いているとはとても思えないし。
 成れる成れないは別として、そういう公務で悪党をする仕事は、クロス自身や母リンディのような腹黒い人間向きの仕事だろう。
 ……じゃあ配属先が母の艦だったら問題ないか?

 いやいやそういう問題じゃないだろう。クロスは首を振って己を嘲った。

 「クロス?」
 クロノが不審気―――正確には、心配そうにだったらしいが―――な顔で苦笑するクロスを見ていた。
 それに肩を竦めて答えとし、クロスは椅子の背もたれに思い切り背を預けて天井を見上げた。

 そう、そういう問題じゃない。

 問題はこの”イベント”が自分の死に絡んでくるのかどうか。それだけだ。
 クロスにとって重要なのはそれだけ。

 自分が死ぬか、どうなのか。

 それ以外は、正直どうでもよかった。
 彼の”二十年以上”の人生において現在の兄や母の占める要素は限りなく低い。
 家族以前に、ゲームのキャラだ。その解釈が先にたつ。
 所詮は二次元の世界の登場人物の安否を、自分の身の安全以上に優先する理由が無い。
 だから、兄が執務官に成りたいというなら、成れば良い。

 問題は、兄クロノは自分が執務官になるから弟クロスに対しても同様の事を要求しているという事だ。
 それにどう答えれば自分の死を回避できるのか、それが重要だ。

 執務官。管理世界外へ赴き、不法犯罪者を取り締まり、危険な古代遺失物の管理までする。
 危険な仕事だ。死ぬ様な目にあう事情に事欠かないだろう。
 だが断ったら……そもそも、断れるのだろうか。現状を鑑みるに。
 なにしろ、職務中の事故―――過失とかクロスには思えないのだが―――で死んだ勇敢だった父の志を共に都合と言っているのだ。
 普通、状況から考えて、兄弟仲の良さからも考えて、断るという事実は存在できないだろう。
 そして、クロス=ハラオウン。
 死ぬ前の別の人生の記憶を持つという異常を取り外してそれ個人の思考をトレースしようとすれば、やはり断るという事は無いと思える。
 優しかった父が死んで親しい兄に誘われれば、そして”表向き”正義としか思えない仕事を目指そうといわれれば。
 断る理由は、無い。
 
 つまり、断らないというのが”正規の”イベントどおりの進行なのではなかろうか。

 クロスは最終的に、そう判断した。
 と、言うよりも本編に流れない裏シナリオなんて、判断材料が少なすぎて運を天に任せるしか無かったと言うのが正確だが。
 クロスは視線をクロノに戻し、はっきりと告げた。

 「兄さんが執務官になる。それなら僕は、僧侶になろう」
 
 笑顔で、はっきりとそう告げる弟に、クロノは戸惑いの表情を浮かべた。
 「……僧侶?」
 何故、僧侶。何処からそんな言葉が出てくるのか。クロノには弟の思考がさっぱり理解できなかった。
 クロスは肩を竦めた。それから、神妙そうな顔で言った。
 「執務官になる。つまり兄さんも母さんも、ミッドチルダから遠く離れた管理外世界の果てに行く事になるんだろう? ……だったら僕一人くらいでも、傍に居てやらなきゃ父さんが可哀相じゃない?」
 
 情感たっぷりな言葉だった。
 少なくとも、クロノにはそう聞こえた。家族愛に溢れた。つまり、納得するしかない理由だった。
 勿論その言葉の裏側には、利己主義で独善的な思考以外は存在していなかったのだが、幼いクロノに気付くはずも無い。

 かくして、兄は管理局訓練校へ。
 弟は、ベルカ自治領へと、それぞれの道を進む事と成った。




   ※ 纏まりが無いつーかなんつーか。
     しばらくは指が動くに任せて、方向性を確認する作業になりそうです。
     次回からはもうちょっと軽めの展開で。




[10452] 第五話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/23 22:13
 Part5:ひきがね

 ベルカ聖王教会。

 古代に存在した、神託を受けた聖王なる人物を崇め奉る宗教、らしい。
 神様じゃなくて、王様をあがめる。
 基督教もそんな感じだったろうか。神道とかの方が近いか。
 いやそもそも、王様をあがめてるのに、別に法王が存在するってどうなんだろう。
 大体崇めてるのが神様じゃないのになぜ神父、神官が存在するのか……いや、これは自分が無理やり聖職者を日本語変換してしまっているからか。

 クロスは二十一世紀初頭の日本人らしい宗教的無関心さで、そんな事を考えていた。
 五歳。クロスは世話になっていたグレアム邸を離れ、一人ベルカ自治領内にある寄宿制の学校へ進学する事となった。
 勿論その旨は、確信犯的に全ての支度を一人で整えた後、保護者達には事後承諾を願っている。
 長距離通信用モニター越しの母の表情が、何か異質な物を観察するかのようなものだったのが印象的だった。
 少なくとも愛する息子を見る目ではないだろう。兄が執務官になると告げたときは、もっと情感の篭った眼差しをしていた。
 兄に対する時と同じ建前を使って許可を求めたのがまずかったのかもしれない。
 クロスが打算的に動いてるに過ぎないのが、きっとリンディには解っていたのだろう。
 あの母親とは今後一生気が合わないのだろうなと、クロスは漠然と考えていた。
 父が存命だったら、それは同属嫌悪だと笑ってくれたろうが、それも最早望めない。今後板ばさみになる兄の苦労をしのばずにはいられなかった。
 詮無い事だ。
 クロスは自嘲した。そもそも、彼は自分が本気で兄を心配しているなんてカケラも信じていない。

 ここはゲームの世界。
 ゲームの世界で、兄はゲームのメインキャラクター。
 過去に何がしかあって、悲しみを嫌う性格になった……つまりきっと、これから、なる。
 その原因たる一助に、自分が関わるかもしれないと思うと、胃が重たい。
 なにせもう、クロスは五歳。つまり兄クロノは七歳なのだ。
 クロノ自身の実年齢は、本編中では詳しく明かされることは無かったのだが、だいたい高町なのは戸同じ歳位に考えて間違いないだろう。
 そして、なのはは確か小学三年生くらい。つまり、9~10歳。それに対応するとしたら、クロノもきっと9歳か、いっても11、12歳程度と考えて差し支えないだろう。
 ……案外成長期が遅くて、あの見た目ですでに14、15歳くらいというのも無きにしも非ずだが。
 さておき、兄クロノはもう七歳なのだ。早ければ二年後には本編が開始される。
 
 何かイベントが起こるとしたら、今年か来年。
 
 それが自分の命に関わる事なのか、否か。
 命に関わるとして、それは回避可能なのか、否か。
 そもそも自分がどうしてこんな目にあっているのか、それすらクロスは理解していなかった。
 始めは人生のボーナスステージか何かと思っていたのだが、案外、バツゲームか何かなのかもしれない。
 人が悩み、胃を痛めているのを見て何処か高いところから見下ろして楽しんでいる者が居るのではないだろうか。

 「カミサマ、そこのところはどうなんですか?」

 クロスは、目の前に屹立した神聖そうな雰囲気を漂わせた彫像を見上げて呟いた。
 ザンクト・ヒルデ魔法学院魔法学院の敷地内、高々とそびえる本校校舎の昇降口前に聳え立つ人の姿を写し取った立像。
 正門からここまで通ってきた大通りに至るまで、実は至る所に同じ物が存在していた。
 「神様じゃなくて、聖王様ですけどね」
 呟きに答えが返ってくるとは予想していなかったから、クロスは珍しく本気で慌てて背後を振り返った。
 金髪、ヘアバンドをした美人……と言うか、美人候補がそこには居た。
 制服のリボン、背の高さから見るに、歳はクロスより上のようだ。
 育ちの良さそうな少女が、笑顔でクロスを見ていた。
 
 ところで、クロスは何処にでも居る現代日本男子のオタクであり、その例に漏れず人付き合いと言う物は余り得意ではない。
 一風変わった趣味に傾倒している人間のご多分に漏れず、初対面の相手には警戒感を以って接してしまうのが常だ。
 早い話、見知らぬ女性―――少女だが―――に突然声を掛けられて、思いっきり警戒していた。
 顔に出さず無表情で、相手の出方を窺がう。
 その間に、美形は美形で結構面倒なんだなと、どうでも良い事を考えていた。
 平均未満の―――大学で見知った女性達、談―――容姿だった一度死ぬ前と違い、美形の両親の元に生まれた幸運だったせいか現在のクロスはそれなりに容姿に恵まれていた。
 そうでもなきゃぁ、一人で彫像の前に立ち尽くす怪しい男になんか話しかけようとしないもんなぁと、どうでも良い事を考えている。……当たり前だが、現在のクロスは端から見れば五歳の子供に過ぎず、小さな身体で一人でぼーっと像を見上げている姿は、別に不審者には見えないのだが。
 
 一人内心で焦りながら、分割思考まで使いつつ状況の対処法を求めるクロスを差し置いて、女性はもう一度ニコリとクロスに微笑みかけた。
 「ごきげんよう」
 噴出しそうになった。堪えた。変わりに咽た。
 女性が肩をさすってくれた。
 「あ、あの?」
 「あ、いえ。スイマセン」
 まさか漫画な容姿をした人から漫画な台詞が飛び出してくるとは予想していなかった。
 流石エロゲ時空。無駄に和製ファンタジーなおも向きを残すベルカ自治領の風景にマッチしていた。
 そしてこの女性、サブキャラとは思えない容姿をしている。メインキャラだろうか。いや、メインキャラならクロノの方に行くに違いない。そもそもリリちゃに攻略可能キャラなんてフィリス先生くらいしかいねーよ。
 「それで、えーと。オレ……あ~僕に、何か御用でしょうか?」
 分割思考の一部を何とか通常に戻して、金髪の少女と向かい合う。
 入寮手続きを済ませて校内施設をぶらついていただけである。入学式目前と言う日にちが日にちだけに、似たような子供は辺りにも幾らか存在している。特別に上級生に話掛けられる理由が、クロスに有るとも思えない。
 まぁ、しらふで”ごきげんよう”などとのたまう人のようだし。天然キャラ属性なのかもしれない。
 少女はクロスの問いに、もう一度微笑んだ後に答えた。
 
 その前に一つ確認したいのですが。

 少女は窺がうような声でそう言った。
 何をでしょうかと、鋳型に嵌めた礼儀正しさでクロスは返した。
 少女は、一つ頷いて答えた。

 「異なる世界、異なる視点。触れ得ざる場所より我らを観測せしめた者。―――貴方の事で相違ありませんね?」

 「……何?」
 今、何と言った。この目の前の金髪の女は。
 クロスは彼女の言葉がさっぱり理解できなかった。理解できなかったが故に考察した。
 分割思考能力を有する人間特有の、無意識下での高速解析術。
 それは幾つもの仮説と推論を重ねながら、一つの答えを導いた。
 
 異なる世界。死ぬ前の。
 異なる視点。三次元現実から。
 触れえざる―――当たり前だ、二次元の住人に触れるはずもない。
 
 ……死亡フラグが歩いてきた?

 愕然と、その事実がクロスの中で頭を擡げた。
 可能な限り危険なものから遠ざかろうと、一人で校則が厳しそうな学校へ入学してみれば、これだ。
 つまりアレか。先日の選択肢は間違った―――ある意味正解とも言えるが―――方を選んでしまったという事か。
 それとも、これが所謂因果の修正力というヤツなのか。いやまさか、ゲームじゃ有るまいし。
 ……ってゲームだったコレ。

 きっと”いいえ”と答えても、”はい”と答えるまで会話がループするに違いない。

 クロスは諦めて、肯定も否定もせずに肩を竦めた。
 思い当たる事はあると、その姿で証明して見せた。
 金髪の少女は、クロスの態度に安心したように吐息を漏らした後に、ニコリともう一度、微笑んだ。

 「貴方をお待ちしておりました。起こりうる全ての予言、その全てを打破し得る可能性となる、ひきがねの人よ」

 わたしは、カリム=グラシアと申しますと、少女は最後にそう結んだ。
 かくて、彼の物語は動き出す。



    ※ なぜ僧侶なんて言葉を使ったかといえば、今回の語った通り。
      神に仕える訳でもないのに神父って可笑しいよねとか思ってしまって。
      まぁ、原作で普通に神官神父なんですが。
      坊主って表現もなんだかなーって思ったので。



[10452] 第六話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/24 22:46
 Part6:そしてつまり、ベルカな日々

 体が浮かび上がる感覚。
 
 その後、腹に何か重たい物が激突したように感じた次の瞬間、背に強い衝撃を受けた。
 一瞬、黒に染まった視界が次の瞬間蒼に変わった。
 空。

 「……どうしましたクロス。何時にもまして集中力が欠けていますよ」

 視線を下にずらせば、拳を突き出したまま構えを解かないでクロスを見下ろしている騎士甲冑姿の女性の姿が合った。
 「ははは、やだなぁシャッハ。その言い方じゃまるで、何時ものクロス君に集中力があるみたいじゃないか」
 茶化すような声は、クロスの直ぐ傍から聞こえた。
 視線を左に移すと、うつ伏せに突っ伏したヴェロッサの姿があった。
 「随分余裕があるようですねヴェロッサ。……もう一戦行きますか?」
 「謹んでご遠慮仕ります、マム」
 構えを解いて剣呑な視線でねめつけるシャッハに、ヴェロッサはデバイスの如き慇懃さで拒否を示した。
 膝の力だけで跳ね起きて、ご丁寧に正座までしていた。
 そのザマに苦笑してクロスは身体を起した。やれやれと、手ひどく吹き飛ばされた事に少しも堪えてないかのように、騎士甲冑についた砂埃を払ってみせる。
 そのマイペースな仕様に、シャッハは深々とため息を吐いた。
 この子は本当に、全く扱いづらい子供だ。
 「それで、今度は訓練中に何を考えていたのですか? 十七次元的並行宇宙解釈論ですか? それとも、近似時空連続体に関する非特性体情報転移物質による構造体乖離現象の概論でも?」
 「ああ、最近はジェイ何とかって博士が書いた鏡面性次元解釈論による内包次元観察に関する論文に興味があるんですが……まぁ、その辺は寝てる間でも分割思考で考察してる事ですし」
 授業中に講師の話をカケラも聞かずにやっている”内職”に関しても知っているぞと揺すってみても、クロスはシャッハには全く理解できない領分の回答を示すだけだった
 「そんな学会でオカルト扱いされてる論文ばっかり読んでるから、神学の知識入らないんじゃないの?」
 「いや、それに関しては神学の担当講師から”お前に神学の論文を書かせたら、数百年ぶりに禁書目録に一行追加しなきゃいけなくなる”と遠回りに受講を断られたのが原因なんだけど」
 「クロス。……貴方、本当に来週騎士叙勲されるんですよね?」
 額を押さえたシャッハの呻きに、クロスはらしいですねとまるで興味がなさそうに肩を竦めた。
 シャッハはその姿にため息を吐いた。ヴェロッサは笑って言った。

 「で、叙勲の栄誉もシャッハの折檻も気にならないほど、クロス君は何を考えに耽っていたの?」

 ヴェロッサの言葉に、クロスは一瞬瞬きした後、ニヤリと笑って応じた。
 「おや、煙に巻けると思ったのに」
 「クロス君とももう五年の付き合いだしね。ついでにこれでも、監察官志望なんで」
 ヴェロッサは得意げに笑って見せた。それをクロスは鼻で笑った。
 「オレに地獄を押し付けて、ね」
 「いやいや、両手に花で羨ましい限り……って、そうじゃない。確かに最近のキミは嫌に集中力に欠けている面がある。大体、さっきのデバイス有りの時だって、僕が激突するまで動こうともしなかったのも可笑しいじゃないか」
 駄目か。駄目だよと目で会話をして、結局クロスは折れる事にした。
 どの道、この悩みは自分にしか解らないし、このまま問答を続けてもシャッハに折檻される理由が増えるだけの気もしたから。
 ため息を一つついて、クロスは事も無げに告げた。
 「オレ、もう9歳になったんだよね」
 「そうだね、最年少叙勲オメデトウ」
 何を言いたいのか解らないという風に、ヴェロッサは棒読みで言葉を流した。
 その反応に対して、クロスはほれ見ろとばかりに方を竦めた。
 そして、告げる。
 「オレが9歳って事はさ、ウチの兄さんがもう11歳になるって事なんだよね」
 「……そういえば兄君は執務官試験に合格したらしいですね」
 それまで話を見守っていたシャッハが口を挟んだ。クロスは頷いて答えた。
 「ええ、三度目の正直ってヤツで。……兄さん一度負け癖付くと長く尾を引くタイプなんで、今回が駄目だったら多分もう無理かなと思ってたんですけど、まぁ、頑張ったんじゃないですか」
 「管理局最難関と言われる執務官試験に、僅か三度の挑戦で合格を勝ち取ったのだから、充分立派ではないですか。……まさか自分だったら、一度で合格できるとでも言いたいのですか?」
 実の兄に対する余りに辛らつな評価に、シャッハは流石に苦言を呈した。
 そんなシャッハにヴェロッサが首を振って伝えた。
 「あのねシャッハ。クロス君ね。この間の新聞に載ってた執務官試験の筆記考査の問題、解かせたら合格ライン乗ってたよ」
 目を剥くシャッハに、似たような問答をした時に話の流れからそう言う事になったと説明した。因みに、ヴェロッサは不合格だった。
 シャッハはクロスに確認の視線を向ける。
 クロスは事も無げに頷いた。
 「まぁ、筆記で受かってもオレの場合は倫理検査と業務適正で落とされますからね。縦しんば受かっても、ウチの母かレティ叔母さん辺りが人事に圧力かけて不合格にするでしょうし」
 「そりゃまた、何で?」
 倫理基準は満たしてないのは解るけどと要らない言葉を継ぎ足しながら、ヴェロッサが聞く。
 クロスは笑いもせずに、むしろ哂いながら答えた。
 「せっかく偉い人達の主導権争いも、守旧派と革新派の二派閥の一騎打ちに持ち込めるまで集約させたのに、ここに来て第三勢力なんか作られたら目も当てられないだろ?」
 「……貴方にはお母様にご協力すると言う選択肢は無いのですか?」
 げんなりとしたようなシャッハの言葉に、クロスは事も無げに頷く。
 「育児放棄して自分の趣味に邁進してる人に、子供が付き合ってやる義理もないでしょうが」
 その言葉にヴェロッサはさも聞きたくなかったとばかりに呻く。クロスはそれを見て更に哂った。
 クロスとて別に、リンディの人格を否定したいわけでも、そうせざるを得なかった彼女の心情を慮れないわけでもないのだが、そうだからこそ言わずには居られなかった。
 クロスにとってリンディは、親と言う特別な存在ではなく、何処にでも居る”自分と変わらない”大人の一人に過ぎなかった。
 それゆえに、大人としての自分の視点から見てはっきりとリンディの行動を批難している。
 クロノが理想的な子供として成長したのは偏に彼であるが故に幸運の結果であり、クロスは精々リンディ自身の失態を表すろくでもない子供で居てやろうと言う腹積もりだった。
 「ま、これもある意味親への甘えなんだろうけど」
 「クロス君、何か言った?」
 すっかり話を逸らされた事に気付かずに訓練場にトンボを掛けていたヴェロッサに、クロスは肩を竦めて返した。
 
 だって言えるはずも無い。
 何時までたっても本編が始まらないだなんて。
 説明したって、きっと誰にも解らない。
 クロノはもう11歳。見た目的には本編に登場したときのような姿そのままを保っているが、そろそろ成長期に入る。
 そうなれば、原作とのズレが、いよいよを持って。
 
 いや、そう。クロスはいい加減自分を誤魔化すのが辛くなってきていた。
 「ロッサ君さぁ」
 やる気の無い仕草でトンボをかけながら、クロスはヴェロッサに声をかけた。
 訓練場の入り口の方へ向かっていったシャッハに視線を送っていたヴェロッサは、また何時ものやる気の無い問答かと思って答えた。
 「何だい、クロス君」
 クロスはため息を一つついて、さり気ない口調で聞いた。
 「―――”ヒドゥン”って知ってる?」
 「ヒド……えっと、何?」
 聞きなれない単語に首を傾げるヴェロッサに、クロスは何でもないと首を傾げる。そして心中で独り思う。

 ほれ見ろ、これだ。いい加減、諦めるしかないだろう。

 「ヒドゥン。確か、旧暦以前、超古代に発生したといわれる伝説の次元災害の事ですね」
 訓練場に似つかわしくない、涼やかな声が響いた。
 「カリムさん」
 シャッハを背後に伴って、カリムが何時の間にやら現れていた。
 「ごきげんよう、クロスさん」
 初対面の時から変わらない、相変わらずのお嬢様染みた微笑であった。
 始めの頃はそう言われる度に面食らっていたが、五年も付き合っていれば流石に慣れる。クロスはやる気なさげに言葉を返した。
 「はいごきげんよう。珍しいですねカリムさんが訓練場に出るなんて。……叙勲目前に、綺麗なお顔に傷なんてつけたら勿体無いですよ?」
 厭味としか取れない―――シャッハは勿論そう受け取った―――が、一応ただの挨拶程度のつもりのクロスの言葉に、カリムも慣れた物で可愛らしく微笑んだ。
 「ご丁寧にありがとうございます。クロスさんも、埃だらけになっても何時もどおり格好良いですよ」

 荒事など全く似つかわしくない、花でもめでていた方がいっそ”らしい”だろうと言うカリムであったが、クロスと同日で騎士叙勲が内定している。
 当然、見た目に相応しく武門に於いてはシャッハはもとよりヴェロッサにすら劣るが、それでも騎士に叙されるのは彼女自身の先天的技能と、後は単純に、政治的な理由だった。
 彼女の祖父は枢機卿の地位についており、聖王教会内で最大勢力の派閥を構築していた。
 カリムは、何れその全ての地位を継承するとされており、騎士叙勲はまずはその第一歩とされていた。
 余談だが、クロスの最年少叙勲を後押ししたのもグラシア枢機卿の派閥である。
 生まれながらに面倒な立場に於かれていながら、そしてそれを十全と理解していながら、カリムは実に前向きに生活していた。
 在るべきを在ると受け入れ、その上で日々を笑顔で過せる。
 ”年下”ながらに尊敬できる人だというのが、クロスの評価だった。
 
 「それでヒドゥンがいかがいたしまして?」
 愛らしく微笑んで―――その裏で何を思っているのかは理解が及ばないが―――カリムはたずねた。
 「いえ、まぁ、その。最近読んだ論文にそんな事が書いてありましてね」
 「そうですか。クロスさんがそうおっしゃるのでしたら、そうなのでしょうね」
 あからさまに誤魔化している言葉にカリムは―――その裏で何を思っているのかは理解が及ばないが―――微笑んで応じた。
 聞かれたくない事はちゃんと流してくれる。こういう気遣いが出来るところも、クロスがカリムを尊敬している理由の一つだった。

 これで、予言がどうのとか言うのがなければ、交際を申し込みたい気分なんだけど。

 クロスは使い終わったトンボを肩に担いで一人ため息を吐いた。
 今でも忘れない初対面の頃。
 カリムとのあのやり取りで、クロスはこの世界が自分の知るリリちゃ箱の世界とは違うのではないのかと半ば確信してしまった。
 自分が居るせいで、バタフライ効果とやらが起こったのか。
 それとも、元々世界が違うのか。
 何時までたっても起こらない本編。母や兄は知っている職業とは違う。
 そして、ヒドゥン。
 ゲーム中では地球とミッドチルダを巻き込む超次元災害か何かだった筈だというのに、未だにこの世界ではそれが起こる兆候すら見えない。
 カリムの先ほどの言葉のように、超古代にそれらしきものが発生したという記述が神話の中に記されていた、その程度である。
 
 似ているだけで、違う世界。
 だから、僕には実は死亡フラグなんて存在しないかもしれない。
 しかし、それを確認する要素は何処にもない。
 それでもってカリムの語る予言のくだりである。

 起こりうる全ての予言、その全てを打破し得る可能性

 まるで”主人公”を相手にしたかのような、大仰な語りである。
 主役はクロノだろう。クロス。そんな登場人物は知らない。
 クロスは叫びだしたい衝動に囚われていた。叫んだところで解決しない。常に諦めが混じる大人の思考で自重していたが。
 とにかく現在は、死なないようにある程度の力と知識を身につけて、後は流動的に物事に当たるしかないというこの状況がもどかしい。
 これで最年少騎士叙勲なんて栄誉まで、頼んでもないのに勝手にやってくるんだから。
 窺がうように見ていたカリムに、クロスは苦笑して見せた。
 それぐらいしか、出来る事がなかったから。

 巻き込まれ型主人公。

 そんな言葉が、クロスの脳裏を掠めた。




    ※ そろそろプロットが必要になってきた気がします。
      せめて海鳴にたどり着くまでは流動的に行きたいんですけどねぇ。
      まぁ、当初予定していたグダグダ感がようやく出せてきたかな。 



[10452] 第七話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/25 19:54
 Part7:ブレイクポイント・1(前編)

 「それで、結局何のようなんですか?」
 「あ、ごめんなさい。実は私達でお客様の応対をするようにとアレスタ上級神官様から」
 「カリム、それ押し付けられてるんじゃないの?」
 「間違いなく押し付けられています。言うなれば、招かれざる客。そういう方ですから」

 「へぇ、何て人?」
 「時空管理局、レジアス=ゲイズ三等陸佐だそうです」

 そんな会話を交わしたのが、一年前。

 踏みしめる大地の重みを流れる動作に沿って拳に伝える。
 相手の繰り出す同一のそれを刹那の交差で交わし、驚愕にゆれる瞳を視界の端に収めながら、必殺の一撃を、胎へとめがけて―――。

 「―――まいりました」
 その言葉に従って、寸前で止めていた拳を下ろして、構えを解く。
 「お疲れ様です。―――シャッハさん、少し鈍ったんじゃないですか?」
 「貴方が珍しく真面目に訓練に付き合ってくれたお陰でしょう、騎士クロス。お陰で手も足も出ませんでした」
 賞賛と言うよりは、それは体よくあしらわれてしまった自分を恥じるかのような言葉だった。
 それに、クロスは笑う。
 師匠が良かったからですよ。勿論、貴女のことですがと、少しも本気に見せずにそんな事をいうのだった。
 仮にも上級者、そして今まさに一本奪われた相手に言われてしまえば、シャッハには返す言葉もない。
 傍から見ていればひたすらに人生を手を抜いて生きているようにしか見えないのに、たまに真面目に動いて見せるだけで、周りを遥かに超越してみせる。
 ベルカ聖王教会、騎士クロス。
 とらえどころのなく、露悪的な、そういう評価に困る人間だった。
 生真面目を美徳とするシャッハとしては、最も付き合いづらい人間である。
 さも子供らしく拗ねて見せる事もあれば、自分よりも遥かに年上に見えるときもある。
 ひけらかす様な真似はしないが、自身があらゆる面で能力的に優れている事を隠しもしない。
 苦手ではあるが、子供の頃からの付き合いでもある、嫌いにはなれそうもない。
 その辺りの微妙な心情も、たまに全て読まれているのではないかとシャッハは思うときがあった。
 
 色々と頼りにはなるが、余り深くは付き合いたくない。
 教会中央本部において、それが最年少で騎士叙勲の栄誉を賜った、クロス=ハラオウンに対する周囲の評価だった。
 「お疲れ様ですクロスさん。今日も変わらず素敵でしたよ」
 そんなクロスに、そうするのがさも当然とにこやかに声を掛ける人間など一人しか居ない。
 「珍しいですね、カリムさんが訓練場に来るなんて。ますます綺麗な顔に傷が付いたらもったいないですよ」
 クロスは気障ったらしい仕草でカリムの手渡すタオルを受け取りながら、言う。
 お世辞に嫌味を返しているようにしか見えないその会話に、生真面目なシャッハとしては反応に困る。
 幼馴染と言っても良い程度に長い付き合いであるこの二人。
 傍から見ていて仲が良いやら悪いやら、未だにシャッハには判断が付かなかった。
 これでヴぇロッサくらい解りやすい人間だったら、悪い虫を追い払う要領でクロスをカリムから遠ざけるんだけど。
 シャッハは管理局訓練校へ進学してしまった弟分に愚痴を言いたい気分になった。
 
 「で、カリムさん。本当に訓練してく? シャッハさんは動き足りないみたいだし」
 「私ではシャッハの動きには付いていけませんもの。それは来週帰宅予定のヴェロッサにお任せします」
 さらりと笑顔でかわすカリムに、ロッサ君もご愁傷様ですねとクロスも笑って本題を言うように促した。
 「はい、管理局のレジアス二佐がお越しになっています。クロスさんをご指名ですよ」
 「うげ」
 カリムの朗らかな言葉に、クロスは単純明瞭に呻いて見せた。
 「あのオッサンまた来たの?」
 「騎士クロス。仮にも管理局の佐官に向かって、言葉遣いがなってませんよ」
 シャッハの忠言にも、クロスは嫌そうな態度を隠そうともしなかった。
 「アポも取らずに気分だけで押しかけてくるんだもの。オッサンで充分でしょ?」
 「あら、アポイントメントでしたら、ちゃんと先日、私が伺ってますよ」
 乱暴なクロスの言葉に、カリムが笑顔のまま言った。
 「聞いてないよ、オレ」
 「ごめんなさい、伝え忘れておりました」
 相変わらず笑顔のまま、反省の色もゼロでそもそも本当に伝え”忘れて”いたのかも窺い知れない。
 美人は得だねと、クロスは思った。笑ってれば大抵の男は騙しとおせるんだから。
 タオルをカリムに返し、騎士甲冑を解除する。
 「貴賓室で良いのかな?」
 「はい。ああ、それと初めてのお客様もご一緒でしたよ」
 カリムの続く言葉に、クロスはさらに眉をしかめる。
 「……あの人、オレの事を便利な御用聞きか何かだと思ってるんじゃないだろうな」
 間違いなく思ってるよなと言う口調で、クロスは言った。
 「頼りにされている、良いことではないですか」
 「教会どころか魔法すら嫌いなくせに、都合の良いときばっかり頼ろうとするのは勘弁してもらいたいよ」
 「……教会の権威をかけらも信じていないのは貴方も同様ですよね、騎士クロス」
 むしろ貴方の方がたちが悪いと言う風に、シャッハが口を挟んだ。
 「見えないものは信じないタチなんで」
 「そして見えるものは見尽くして否定する、ですね」
 肩をすくめるクロスの言葉を、カリムがズバっと切り捨てた。
 お後が宜しい様でと、クロスはまったく堪えてないくせに項垂れてみせる。

 「どうしてこう、癖の強い人ばっかりオレの周りには集まるのかなぁ」
 貴賓室へ向かう回廊を進みながら、クロスは天を仰いだ。
 教会の僧衣の襟元を開いて、次元世界に遍く布教する全ベルカを束ねる中央本部の中だと言うのに、まるでだらしがない格好である。
 その姿にすれ違う神官、修道女たちの誰一人として注意をしないのは、彼だからと諦めているからか、隣を歩いているのがカリムだからかは解らない。
 この一年の間に、教会中央においてクロスはグラシア家の私兵とみなされるようになっていた。
 理由は、言わずもかな。明らかな縁故採用のカリムの直率のような物だから当然とも言えた。
 「昔の人は言いました。類は友を呼ぶと。……でも、それだと私は当てはまらないですし、不思議ですねぇ」
 「……騎士カリム。それは私なら当てはまると言う事ですか?」
 カリムの笑顔のままの言葉に、シャッハが項垂れたように言った。
 クロスは、あえて何も言わなかった。この人には何を言っても無駄だしなとか考えている。
 「ところで、連れってどんな人だった?」
 「そう、ですねぇ……」
 クロスの問いに、シャッハは少し考えた後、愛らしい仕草で両手を胸の前で合わせて微笑んだ。
 「何となくですけど、クロスさんと気が合いそうな方でしたよ」
 その言葉にクロスは肩を竦めた。
 「ようするに、毎度の如く癖の強い人が来たって事ですね。……カリムさんみたいな」
 「?」
 軽くつついてみたら、笑顔でかわされた。むしろ笑顔が怖かった。

 そして、貴賓室にたどり着いた。
 「では、私達はこれで」
 「御武運を、騎士クロス」
 あからさまに人事ですからと言う笑顔のカリムと対照的に、シャッハは割と本気で同情気味だった。
 立ち去る二人に苦笑して手を振りながら、クロスは貴賓室の扉を押し開いた。
 四人がけの革張りのソファに、二人の男性が座っていた。
 クロスはその一人に声を掛けた。

 「お久しぶりですレジアス二佐。ご昇進なさったようで、おめでとうございます。……で、そちらは」
 挨拶の中に、疑問を織り交ぜる。
 クロスの入室に気づいたレジアスが、いかつい顔の中に笑顔を浮かべて、自身の隣に座っている男を紹介しようとしたのだが、それを遮って、その男は自らをこう語った。

 「はじめましてクロス=ハラオウン君。わたしは、ジェイル=スカリエッティと言う」

 爬虫類のような目をした男だ。クロスはそう思った。



   ※ ひたすら無駄話させてたら行数が……。
     つー訳で後編に続く感じで、今回は何も起こりませんでした。

     ……何も……?



[10452] 第八話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/26 18:54

 Part8:ブレイクポイント1(中編)

 「ジェイル=スカリエッティと言うと……アレの図面引いた人ですか?」
 
 直接本人に挨拶は返さず、クロスはレジアスに尋ねた。
 「ああ、うむ。……彼は何と言うか、色々と素行に問題があるが、腕だけは確かな魔道師でな」
 レジアスがチラと隣に座っているスカリエッティを見ながら答えた。
 その微妙な評価に、当のスカリエッティ本人は得意げに頷いて見せた。
 スーツの上によれた白衣。髪は伸びるに任せてまともに手入れしているようにも見えない。
 日ごろ滅多に屋内から出ないせいだろう、肌は不健康に白いのに、目だけは異様に力が篭っていた。
 街中をうろついていれば、十中八九不審人物として警察のお世話になる。
 ジェイル=スカリエッティにはそんな雰囲気があった。
 「なるほどね」
 クロスは頷いた。マカボニー製の高級テーブルの上に広げられている”特秘”と朱印が押されたプリントアウトの束を手の甲で叩きながら言う。
 「こんな子供の世迷言を本気で実現するような人だから、どんなマッドサイエンティストかと思ってましたけど。イメージどおりで安心しましたよ、ドクタースカリエッティ」
 遠慮と言う言葉をさしはさむ余地もないクロスの言葉に、レジアスが目をむく。
 しかしマッドサイエンティストと名指しされたスカリエッティはむしろ楽しげに笑っていた。
 「それは上々。私もこんな非常識な思想の持ち主はどんな人間か楽しみにしていたのだが、いやいや、これは期待以上だ、ミスタ・ハラオウン」
 ニヤリと、スカリエッティは獲物を見つけたトカゲのような笑みを浮かべた。
 クロスはそれに、空から狩の様子を伺う鷹のよう目を細めて答えた。
 レジアスは唐突に始まった怪しい空気についていけなかった。
 少しの間、広い空間を持つ貴賓室に寒々しい空気が流れた。

 「それでレジアスさん。今日はどんな御用で?」
 クロスはスカリエッティから視線をはずし、レジアスに尋ねた。
 言外に、オレも暇じゃないんですけどと語っている。
 「ああ、うむ。その……なんだ”計画”の最終概要が組みあがったので、ここで一つ、主要人物を集めて意見交換をと思っていた、の、だが……」
 止めて置けばよかったかもしれない。
 日ごろ他者の心情を慮らずに突っ走る傾向にあるレジアスをして、そう思わずにはいられない空気だった。

 混ぜるな危険。

 先日、風呂掃除の手伝いをしようと洗剤をぶちまけていた娘を注意したときに自分が言った言葉を思い出した。
 「計画、ねぇ」
 そんなレジアスの心情など図る気も微塵もなく、クロスは引きつった笑いを浮かべていた。
 テーブルの上のプリントを引き寄せ、ぱらぱらとめくる。
 「外的強化装甲を用いた非魔道師による攻撃的魔法運用法……略してA.M.F。良くもまぁ、実証段階にまで持ってきたと言うべきか」
 「全てはクロス君。キミの言葉があってこそだった。感謝してもし足りないよ」
 クロスのぼやくような声に、レジアスは熱の篭った言葉で答える。
 スカリエッティは、クロスがどんな心境かを確実に推察しているかのように、薄く笑うのだった。

 クロスとレジアスの出会いは、一年前にさかのぼる。
 当時まだ騎士見習いとして教会で修練に―――形の上では―――励んでいたクロスは、ある日、監督役の上級神官から、来賓の応対を任された。
 そのとき訪れたのが、当時時空管理局三等陸佐だったレジアス=ゲイズ。
 レジアスは、常日頃から時空管理局陸上部隊の戦力不足に頭を悩ませており、その解決策の一助となるかを確かめるため、ベルか聖王教会の門を叩いた。
 望む物は、ベルカ式魔法の真骨頂、カートリッジシステム。
 低ランク魔道師であっても瞬間的な出力向上を可能とするベルカの切り札とも言えるシステム。
 陸上部隊の戦力底上げのためにも、レジアスは個人の心情としてまったく気に入らない連中だった聖王教会に頭を下げる事も厭わない覚悟だった。

 そんな決死の覚悟で教会の門をくぐったレジアスの態度は、傍から見ればただの迷惑なオッサンだった。
 自分が頼みごとをしに来たのに、何故か無意味に上から目線。口調は乱暴で、一度語りだすと関係ない領域にまで話が飛び、その後に愚痴にまで発展する。
 なんて迷惑なオッサンだと、応対を押し付けられたクロスは思った。
 カートリッジシステムは現在においても安全性にいくらかの問題を秘めており、運用には極細の注意を持ってあたらなければならないものだったから、こんな感情的な中年に教会が情報公開などしようはずも無い。
 見習いに番茶でも添えて、適当にあしらって追い返せと言うのが、教会上部の意見だった。
 一人演説にふけるレジアスを適当にあしらいながら、いい加減面倒くさくなってきたのでクロスは口を挟んだ。
 
 「そこまで行ったらいっそのこと、背中にバッテリーパックでも背負わせた一般人を使った方が早くないですか?」

 そんな事を、語ってしまったのだ。
 ようするに、カートリッジによる強化によって質の向上を図ろうとしていたレジアスに、クロスはいっそのこと量を増やした方が早いだろうと語ったのだ。
 カートリッジシステムと言う、用は魔力を蓄積する媒体は完成しているんだから、それをもうちょっと発展させて電池に見立てて動力循環システムでも構築すれば良いと、まさしく子供の思い描く絵空事だった。
 
 そんな子供の思い付きに、目を光らせて飛びついた大人がいた。
 天啓を受けた修道士のように瞳を輝かせて、レジアスはクロスに続きを促した。
 その暑苦しい顔に少し引き気味になりながら、クロスはその場しのぎとばかりに思いつきの言葉を並べ立てていた。
 半刻後、レジアスは喜色満面のまま教会を後にした。
 
 それから数日過ぎて、面倒な客だったなとクロスはレジアスのことを記憶の底に沈めようとしていた。
 そんな時、沼の底から這い上がってくるかのごとく、レジアスは再び教会に現れた。
 ご丁寧に、今度は初めからクロスを名指しで指名して。
 その手には、非魔道師に対する強化プラン、なる書類が収まっていた。
 完全に面倒ごとに巻き込まれたと言う体で、クロスはやる気もなくレジアスの持ってきた書類に意見をしていった。
 そのたびにレジアスは熱視線でクロスの話に耳を傾け、満足げに頷いて帰っていく。そしてまた、新たに書き直した書類を持ってクロスの元を訪れる。
 その繰り返しだった。

 クロスとしては面倒な事この上ないと言う具合だったのだが、レジアス=ゲイズというこの中年。放り出すと危険な方向に突っ走りかねないと危惧する部分があったため強く突き放す事もはばかられていた。
 人の話を聞かずに、良かれと思ってろくでもない方向に突っ走りそうに見えた。
 言うなれば、目的のために手段を選ばないタイプ。そして一度決めたら、それが間違いだとしてもそのまま最後まで走り続けてしまう、そんな風に見えた。
 この手のタイプは本人としては世のため人のためになると信じているから、自分の間違いをかたくなに認めようとしない。
 間違いを指摘されれば、逆に間違っているのは自分以外の世間だと言い出す始末だろうと、クロスはそう当たりをつけた。

 そう理解してしまえば、危険すぎて迂闊に世間に放り出せない。
 何故オレがこんな面倒をと頭を痛めながら、クロスは自分が信用の出来る、手綱を上手く握れそうな心当たりのある人間とレジアスを結びつける手伝いまでする羽目になった。
 それがたまたま管理局の人事部に勤める母の友人だったせいか、人手不足に嘆くレジアスにとりクロスの評価は急上昇してしまうのだった。
 そして気付けばいつの間にか、歳の離れた盟友扱いされてしまっていたのは、クロスにとって不本意以外の何物でもない。
 
 「このプランを完成させれば、管理局は一気に人材不足を払拭できる。これまで戦力として数える事が出来なかった人材までも、戦力としての運用が可能となるのだからな」
 熱く語るレジアスを横目に、クロスは面倒そうに資料を読んでいた。
 何故か発案者の一覧に、自分の名前が記されている事が彼の胃を更に重たくした。
 「……? ドクタースカリエッティの名前が見当たりませんね」
 クロスは、発案者一覧の中に、スカリエッティの名前がないことに気づき声を上げた。
 スカリエッティは楽しげに肩をすくめ、レジアスは気勢を落として、言葉を濁した。
 「うむ。……まぁ、その辺りは色々あってな」
 「なに、その玩具の開発に夢中になっていたら、別件で承っていた仕事を疎かにしてしまってね。お陰でシリンダー……ではなかった、そのスポンサーは大激怒さ。いやいや、ほとぼりが冷めるまで迂闊に名前が出せなくなってしまったのだよ」
 へぇ、と。クロスは興味も無さそうに頷いた。
 レジアスはスカリエッティの言葉に苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
 「まったく上の連中は。不測の部分が多すぎる機人の研究にばかり金を注いで、実効性の明確なこのプランには顔を顰めるばかりだ。これだから、陸の現場を知らない連中は、そもそも本局にしても……」
 「愚痴るのは良いですけど、そこで思考停止はしないで下さいよ。何のためにレティ叔母さんに渡りをつけたのか解らなくなりますから」
 迂闊に口に出してはいけなそうな不穏な言葉は全力で聞き流して、クロスはレジアスの愚痴を封殺した。
 「おお、うむ。勿論、ロウラン提督にも、ハラオウン提督にも、日頃から常々お世話になっているとも」
 レジアスはクロスの言葉に、肩を震わせて言った。妙に焦っている……と言うか、クロスは母リンディにまでレジアスを紹介した記憶はないのだが、まぁ良い。あの人が手綱を握ってくれるならこの迷惑なオッサンも迂闊な行動は取らないだろうと思う事にした。

 「それにしても、良くぞこんな非常識な発想に行き着いたものだねぇ」
 クロスがため息を吐いてお茶を口に含んだ時、スカリエッティがフラスコの中の小人を観察するような目つきで言った。
 「非常識?」
 「ああ、非常識だ」

 とがめるような口調の癖に、スカリエッティは実に楽しげな笑顔を浮かべていた。



   
    ※ はえ の はばたき が きこえる

      ・・・・・・もう一回続きます。



[10452] 第九話
Name: yaduka◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/27 19:41
 Part9:ブレイクポイント1(後編)
 
 「おいおい、こういうのは非常識ではなく革新的と言うのだよ」
 
 微妙に冷たくなった空気に、レジアスが割ってはいる。
 しかしクロスもスカリエッティも、そもそも初めからレジアスの事を視界に入れていなかった。
 端から見れば薄ら寒いとしかいえない笑みで、お互いを観察しあっている。
 「革新的。なるほどものは良いようだ。だがね陸佐。革新と言うのはつまり方向性の転換に過ぎない。基礎となる部分は実は変わらないのだよ。……だが、ミスタ・ハラオウンの発想は違う。一体何をどうすればこんな発想に行き着くのか、私には不思議でならんよ」
 芝居がかった仕草で身振り手振りを繰り広げながら、スカリエッティは楽しそうに哂っていた。
 「さて。戦力が足りないなら新しく用意するしかないと言うのは、割と常識的な発想かと思いますが」
 クロスは肩を竦めて言った。その言葉に、スカリエッティは声を上げて哂った。
 「はっはっはっはっは。常識? なるほど常識、常識ね。そう、足りなければ増やせば良い。なるほど、真に自然、常識的な発想だ。……ところでミスタ・ハラオウン、それは何処で身に付けた常識だね?」
 
 何処?

 ああ、と。クロスは自分の失態を自覚した。
 なるほどカリムの言ったとおり。目の前の白衣の男は、クロスと実に気が合いそうな、陰険で露悪的な男だった。
 罠に嵌め、退路をふさぎ、じっくりと追い詰める。
 まぁ、都築ワールドってあの見た目に反してブラックな展開も多いしな。
 クロスはそんな風に思って、哂って見せた。
 さて何処でしょうと、強気に聞き返す。
 その態度に、スカリエッティは嬉しそうに頷いた。
 「ミスタ、悪いが君の事は事前に調べさせてもらった。船乗り一家ハラオウン家の次男。オーバーSランクの才児。何でも、ロストロギアの暴走事故で失った父の敵を取る力を得るためにベルカの騎士となったとか?」
 最後の一言でクロスは咽た。
 敵討ちのために力を求めるとか、何時そんな漫画な展開になったんだ。
 ひょっとして兄さんがオレのベルカ自治領行きにあっさり納得した理由って、そう誤解したからだろうかとクロスは今更ながらに思った。
 知りもしなかった周囲の評価に顔を引き攣らせているクロスを楽しそうに観察しながら、スカリエッティは続けた。
 「多方面に対し才能を発揮、惜しむらくは体制にやや批判的な側面があることだが、まぁそれもキミぐらいの年齢であれば許容範囲だろう。陸佐くらいの歳までそれを持っていては問題だが。……そういえば、平行次元にまつわる論説に興味があるらしいね。私も昔暇つぶしで論文を書いた事があったが、学会で大笑いされてしまってねぇ……いや、まぁ良い。所詮愚民には理解できん領域の話だよ、アレは。さて、話がそれたね。要するにキミは、子供らしい反骨精神は持ち合わせているようだが、管理世界において極めて”常識的な”生活をしている人間と言うことだ」
 芝居がかった語りに少し楽しくなってきたクロスは、それでと続きを促した。
 スカリエッティは哂って頷いて、続けた。
 
 「それが何故このような、”非魔道師”に力を与える、管理世界の常識ではありえない発想にたどり着くのか、私はそれが不思議でならないのだよ」

 探るような窺がうような、刺すような目つきでスカリエッティはクロスを睨んだ。
 「おいおい待ちたまえ、今まで誰も考え付かなかった事を思いついた。ただそれだけの事ではないか。これまでは単純に、盲点とされていたと言うだけだろう?」
 話について来れないレジあすの焦ったような言葉を、クロスは肩を竦めて否定した。
 「誰も今まで考え付かなかった。今まで誰もやろうとしなかったと言うことはつまり、技術が追いついていなかったのか、それとも、誰しもが考える事だけど、考えれば無駄だと解ってしまうからか」
 「―――それとも、考え付かないように、そういう風に”管理”されているか」
 最後の言葉を、スカリエッティが引き継いだ。視線が絡み、笑みが深まる。
 「管理世界。ミッドチルダ。しかも管理局中枢のお膝元。クラナガンで生まれて育った人間が、何故管理世界の禁忌に辿り付くのか。いやいやミスタ。キミは実に興味深い人材だよ」
 「貴方も人のこと言えないでしょうに、ドクター。伊達にマッドサイエンティストな見た目してませんよ」
 それはごもっともと、スカリエッティは哂った。
 レジアスには二人が何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、詳しく聞かない方が良いのだろうと、普段の彼にはそぐわない賢明さを発揮していた。

 「それにしても、やっぱり徹底して愚民教育と選民思想を押し付けてるんですね」
 「うむ。連中、必死に作った自分たちの成果を維持する事に躍起になっていてな。愚民は馬鹿でなければ扱いに困ると言うやつだ。まったく、最早自分たちが思考すらしていない事を理解できていない。知ってるかい? 脳に精神は宿らない。そこには蓄積された記憶という情報しかないのさ。……最早自分たちが、ルーチン化されたプログラムになっていることにも気付いてないのに、まったく。水槽の中から出られもしないくせに、偉そうで困る」
 ついて来れないレジアスを放ったまま、クロスとスカリエッティの会話は続いていた。
 二人とも管理世界に於ける普遍的な常識と言う物に常々懐疑性を抱いていたため、会話は実に弾んでいた。
 「水槽ねぇ。ドクターのスポンサーは、ひょっとして水棲知類かなにかですか? ……ああ、答えなくて良いです。この若さで背中の心配しながら生きたくは無いんで」
 「それは残念。キミなら連中の馬鹿さ加減を私と共に笑ってくれると思ったのだが。それから背中の事は心配しなくて良い。先日のポッドメンテナンスの時に遅効性の……おっと、私は今何も言わなかった」
 勿論解っていますともと言う風に優雅に頷くクロスに対して、レジアスの顔面は蒼白だった。
 聞いてない。私は何も聞いていないと呟いていた。二人とも思考の片隅にすら認識していなかったが。
 「何はともあれ、この発想は面白いよミスタ。私もどうやら、随分管理世界の常識に毒されていたと気付かされた。一を二にするのではなく、"零を一にする”。まさに発明だ。これに比べれば、今手がけていた生体改造など、ただの改良行為に過ぎん」
 余りの喜びに調子に乗って研究資料を纏めてシュレッダーに掛けてしまったら、スポンサーから大目玉だったよとスカリエッティは楽しそうに笑っている。
 「しかし、バッテリーパック方式だと出力の確保が面倒だねぇ。魔法術式も全てAI制御となってしまって、効率が悪すぎる。……出来れば擬似リンカーコアの添付して動力の安定供給まではさせてしまいたいのだが」
 「バッテリーで限界あるなら、動力車でも用意して、エネルギーの無線送信システムでも作りますか? で、擬似リンカーコアですか。そこまで行くと、強化服って言うかまんまユニゾンデバイスですよね。……まぁ、それならそれで良いのかもしれませんけど」
 ユニゾンデバイスって非魔道師でも融合できるんですかねと、また適当に思いついた風にクロスが発言すると、スカリエッティが興味が惹かれたように顎に手をやって黙考した。
 「無線供給方式。なるほど、ならバックパックに受信翼でも付けるか。戦艦の反応炉をトレーラーサイズに縮小すれば……。まぁそれは良い、変更は容易だ。それよりユニゾンデバイスの方だな。ベルカの伝承に伝わるロストロギア……実用に足る擬似リンカーコアの生成方も含めて、現状では製造法が無い。発動から制御まで全てをデバイスに一元化。全く鍛えることなく非魔道師が魔道師を越えるというこの計画においては、確かにそれが一番有効とも言えるが……しかし、製造法。ゼロから作り始めて、いやラボで研究していては、また老人どもが騒ぐか」
 ブツブツと目を細めて呟いている姿は、どうしようもなく不気味だった。レジアスは帰りたそうに入り口のドアを眺めていた。
 「ドクター、なんでしたらウチに来ます?」
 クロスは肩を竦めて、スカリエッティに言った。
 
 ウチ?
 スカリエッティが首を傾げる。
 「……それはつまり、聖王教会にと言う事かね?」
 私は神など信じないがと言う口調でたずねるスカリエッティに、クロスはオレも信じてませんと言う風に頷きながら続けた。
 「ええ、聖王教会に。オレの所属部署、第三秘蹟監察部って言うんですけど、協会が保有もしくは確認しているロストロギアとレアスキルの管理維持、調査までが任務なんですが、如何せん武等派のベルカらしく事務方は人手不足でして。ウチに入れば、教会保有のロストロギアのデータ参照し放題ですよ」
 間違いなく目が輝いていたと、後日レジアスは述懐している。
 「それは素晴らしい。教会は秘密主義で管理局でも把握していないデータが多いからね、一度システムに侵入を試みた事もあっ……いや、私は何も言わなかった。うむ。是非一度拝見してみたいと思っていたのだよ。……それになにより、教会の権威が後ろ盾にあれば、老人どもに対する牽制にもなる」
 是非とも詳しい話を聞かせてもらいたいと、スカリエッティは身を乗り出した。
 「ドクターのような優秀な人材は、教会も喉から手が出るほど欲しいですしね。安心してください、何せオレは騎士ですし。権力は有用に活用します」
 「なるほどなるほど。ミスタ、今日キミに会いに来たことは間違いではなかった。この出会いを神に感謝せねばな」

 あからさまに悪巧みをしているとしか言えない会話に、レジアスは深く深くため息を吐いた。
 何処かで道を間違ってしまったような、そんな焦燥が思考の片隅に浮かんでは、消えた。
 まぁ良い、私は何も聞かなかったと、レジアスは一人思った。
 状況はどうであれ、この非魔道師の強化プランがあれば、陸の戦力は大幅に強化される。
 それこそが陸の悲惨な現状を嘆いてきたレジアスの望む唯一の事だし、そのためならば悪魔と契約する事だって厭うつもりは無かった。
 それが建前だけでも神の使徒の協力を得られているのだから、例えそう、教会中央の貴賓室だと言うのに、神を蔑ろにする会話が繰り広げられていようと、些細な事だ。

 未だ続く危険な会話も些細な事だと、レジアスは自分を誤魔化す事にした。



   ※ 魔法少女リリカルなのはStrikerS 完



[10452] 第十話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/28 19:01
 Part10:アースラな日々

 時空管理局・巡航L級8番艦。次元空間航行艦船”アースラ”。

 管理世界標準時間午前六時。
 現在次元空間を航行中のその艦のブリッジには、艦内各部署の主要メンバーが集合していた。
 「艦長、宜しいですか?」
 集まった人員の中、唯一なぜかバリアジャケット姿の黒髪の少年が、艦長席に腰掛ける翠緑色の髪をした女性に伺いを立てる。
 「ええ、初めて頂戴クロノ執務官」
 「では、本日午前のミーティングを開始する。まず、航行プランに関してだが……、何だエイミィ」
 粛々とミーティングを開始しようとしていたクロノは、突然挙手をして話をさえぎったエイミィ=リミエッタ執務官補佐の態度に顔をしかめる。
 しかし、エイミィは何故か笑顔を浮かべていた。視界の橋に映ったリンディ=ハラオウン艦長も微笑んでいる気配がある。
 いや、良く見ればブリッジに集まったスタッフ全員……?
 クロノ=ハラオウン執務官は言い知れぬ不安に囚われた。
 ただでさえ、今日は”面倒ごと”が訪れる事が確定していると言うのに。この上これ以上何かあるというのか。
 「うん。ミーティングの前にクロノ執務官に報告があるのです」
 得意げな顔で笑うエイミィ。
 仮にも管理局が保有する最高戦力の一つ、次元航行”戦”艦の中に居るとは思えないアットホームな空気だった。
 それこそがアースラの強み、中に居る人間であれば誰もが胸を張ってそう言うだろう。
 今、話の腰を折られて顔をしかめているクロノとて、それは例外ではない。
 例外ではないが、出来れば自分が巻き込まれるであろうトラブルは、可能ならば回避したいとクロノは常々思っている。

 兄さんはホラ、巻き込まれがた主人公だから。諦めるしかないんじゃない?

 いつか弟に言われた言葉が胸をよぎった。
 そう言われたときに、主役云々はさておき巻き込まれ型ってのは否定できないよなと、クロノ自身も思ってしまったのは否定できない。
 「発言を許可するエイミィ執務官補。……と言うか、そういうのは通常の報告が全部済んだ後にやって欲しいのだが」
 「ダイジョブ、全部署の業務連絡はミーティング前に終了しているから。後はクロノ君のサイン貰うだけだよ」
 そう言って、全ての項目に許可印が押されたデータファイルが手渡された。ご丁寧に、艦長の捺印までなされている。
 空いているのは執務官が記入しなければいけない場所だけだった。
 「・・・・・・エイミィ。いや、艦長に言うべきなのかコレは」
 「まぁ良いじゃないのクロノ。仕事が速く終わるのは良いことよ」
 頭を抱える息子を前に、リンディは朗らかに笑った。
 リンディはたまにこういった、職務規定違反ギリギリの悪戯を仕掛けて息子をからかって楽しむ癖がある。
 周りでニヤついているスタッフの顔を見れば、なるほど知らなかったのはクロノだけらしい。
 
 今日だけは周りの空気に流されずに、気を引き締めていこうと思っていたのに。
 クロノはいきなり出鼻をくじかれた格好だった。
 「艦長の許可が得られているなら僕から言う事は何もない。もう良いから続けろエイミィ。今度は何だ? 艦長主催の甘味早食い対決か? それとも機関部主催の清掃ユニット競馬のレート上げに関する陳情か?」
 こうやって、いつの間にかクロノの周りに外堀が埋められていたと言う状況は、不定期に訪れる。

 胃が痛い。ああ胃が痛い、胃が痛い。

 クロノは医務室へ退場したくなった。生憎、医療班長もこの場で一緒にニヤついていたが。
 顔をどんよりさせるクロノの姿を楽しげに見て、エイミィは景気の良い声で言った。
 「本日艦内時間午後二時より、食堂区画において艦長主催のクロノ執務官の誕生日パーティーをやります! 皆様ふるってご参加くださいーい!!」
 
 おおおおお。

 すかさず手際よく、なれた仕草で合いの手を入れる艦内上級職者一同。ノリノリである。
 「誕、生日……?」
 そんなテンションの高い連中に囲まれて、クロノだけが一人目を丸くしていた。
 「クロノくん、ひょっとして自分の誕生日忘れてたの?」
 しょうがないなぁ、そんな笑顔でエイミィが聞いた。
 「いや、そうか。……誕生日な。すまない、忘れていた」
 口をついてしまった風な謝罪の言葉と共に、クロノは呻くような声でそう言った。
 なるほど、思い返してみれば今日は自分の誕生日だ。今日で目出度く14歳。執務官になって三年目になるのだ。
 職務に忠実、と言うか生真面目すぎるクロノではあるが、これまでは流石に自分の誕生日くらいは忘れたりはしなかった。
 毎日日報を書いて日付を記入しているのだから、当然ともいえるが。
 それが今年に限ってすっかり誕生日の日付を失念していたのは、勿論理由がある。
 
 「弟君が来るからってそっちにばかり気を取られてたんでしょう?」

 ニヤニヤとしたエイミィの声に、クロノは眉をしかめた。
 実際それは事実だったから、迂闊に反論も出来ない。
 ため息を吐いてエイミィから視線を外すと、目に入ったスタッフの一人が、良くわからないという顔をしていた。
 ぐるりと見渡してみれば、他にも何人か状況が把握できないと言う顔をしている。
 ああ、とクロノは頷いた。
 「構いませんか、艦長?」
 クロノは発言の前に、一応の確認を取った。
 誕生日パーティー云々の件は、とりあえず端に寄せておこうとクロノは心に決めていた。
 しかし、クロノが貴方もからかったら唯じゃおきませんよと言う顔を母に向けてみれば、、貼り付けたような対外的な笑顔を作っていた。

 クロノの胃が、より一層重たくなった。
 それから、だから無駄に自分に秘密にしてこんなイベントをやって気分を盛り上げようとしていたのかと気付いた。
 
 ……いや、ひょっとしたら子供染みた嫌がらせのつもりで、このイベントを企画したんじゃあるまいな。
 何しろ母と弟は……いや、よそう。精神衛生上深く考えるべきではない。
 端から見ていれば仲睦まじいじゃないか。少なくとも表面的には。
 内面? 知るか。
 クロノは頭を振ってリンディから視線を外した。
 そして、疑問符を浮かべているスタッフ達に向けて説明の言葉を放つ。

 「艦内時間で本日午後一時半に、超長距離次元転送の中継点確保の目的で、当艦にベルカ聖王教会上級騎士、クロス=ハラオウン卿が来賓する。卿は任務のために目的地へ向かう途中にほんの数刻程度の滞在になる。通信管制担当等は既に知っていたと思うが、他のスタッフ達もその旨を充分留意して、艦内の綱紀引き締めに勤めて欲しい。……聖王教会上級騎士ともなれば管理世界内における星系内国家高官相当のVIPに等しいからな。卿が艦内の視察等を行う予定は無いが、だからと言って羽目を外していても平気と言う訳では勿論無い。アースラスタッフとして恥ずかしくない行動を心がけてくれ」
 淡々と語られる執務官の言葉に、浮ついた空気を伴っていたブリッジの空気がザワリと揺れた。

 上級騎士。
 国家高官クラスのVIP。
 短期間ながら艦内に滞在。

 いや、それ以上に。

 クロス=”ハラオウン”?

 「そういうこと。クロノ君の弟さんがアースラにやってくるから、皆、仲良くしようねー」
 「エイミィ!」
 場の空気を戻そうとするエイミィの軽い言葉に、クロノは尖った声で咎めた。
 予想外の冷たい響きに、エイミィがふてくされたような顔をしたが、クロノは取り合わなかった。
 艦長に視線を移す。
 そこには、笑顔の女性がいた。
 「そういうわけなので艦長。僕の誕生日パーティーの件、真にありがたいのですが時間的な問題もあります、後日と言う事で……」
 「駄目よ」
 頼むからこれ以上胃痛の種を増やさないでくれ。
 言外にその意を含めて伝えた言葉は、笑顔のリンディにあっさりと弾かれた。
 「貴方の誕生日に折角クロスがアースラに来るんですもの。この幸運を逃す手はないでしょう?」

 誰に対する幸運なのか。何に対する幸運なのか。
 リンディは笑顔だった。楽しそうである。実に、本当に。

 その裏に何かあるとは思いたくないし、これからトラブルが起こるのかもしれないとは考えたくも無い。
 そもそも、久しぶりに家族が再会するだけの、唯それだけの問題なのだから、何も起こる筈も無いし。
 クロスは大人びた弟だから、ちょっと艦内がざわついていても特に文句は言わないだろう。
 
 だけど。
 ああ、だけど。
 クロノは気付いていた。
 たまに、片手で数えるほどしかない、弟と母の団欒。
 笑顔の会話の奥に秘められる、凍てついた空気。
 それが何を意味しているのか、クロノには問い質すのも憚られた。
 いや、本気で憎悪しあっていて、仲が悪いわけじゃない事は解ってはいる。多分だけど。逆に仲が良すぎるというか、手の内を読みあって表面的な会話に終始しているのがぶっちゃけ怖いと言うか母さんクロスのこと自分の子供と言うかその辺の同年代の男と同様の扱いしてるよね、クロスはクロスで、丁寧な言葉遣いの癖にまるきり感情が篭っていない風だし、何で日常会話が何時も喧嘩腰なんだこの二人。あと頼むから僕がいるときに限ってそんな空気作らないで欲しいというか頼むそこで話を振るなどっちの味方もしたくないから。

 閑話休題。
 見ないで済むなら、済ませたい。
 なのにクロスは訪れるし、それを図ったかのように、リンディはイベントを企画した。

 「ウチの子が来るのは本当だから、皆仲良くしてね?」
 「おー! クロス君と一緒にクロノ君の誕生日を盛り上げましょー!」

 無責任で天然気味にしか見えない母の言葉を横目に、その裏にある物をなるべく考えないようにして、しかし失敗した。

 胃が痛い。
 クロノは大きくため息を吐いた。






    ※ さて皆様お疲れ様です。中西矢塚です。
      何とかかんとか、二桁話数まで展開する事が出来たので、今回から本板の方へ移動させてもらいます。
      まぁ、ネタが切れない限りは続けていく予定ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
      
      で、せっかくですので今更ながらにこのSSのルールでも簡単に触れておきます。
      前に投稿させてもらったSSは、基本的に原作の展開をなぞる事を至上命題としていましたが、それに対する感想で
     「原作通り過ぎてちょっと……」と言うものを幾つか頂いていたのが少し心残りだったりしました。
      まぁ、アレは元々そういうつもりで書いていたので仕方なかったのですが、なら、次にSS書くなら積極的に変えていく
     方向でやろうと思い立ちました。
      そんな訳ですので、今後ともどんどん展開は混沌としていきます。
    
      収拾がつかなくなったときが終わりかなー。

      あ、あと。今回は記憶喪失は無しです、多分。まだ肝心のヒロイン未定ですがね!  
      



[10452] 第十一話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/29 18:58
 Part11:ベルカ、その日の終わり(前編)

 「あの……。あ、あー……あの、さぁ。……クロス君?」
 
 見上げた空は青く、高く。
 視線を下に降ろしたらきっと、余り見たくない光景が広がっているんだろうと思ったから、ヴェロッサは天を見上げたままだった。
 若干どころではなく、完全に声が引き攣っている。
 「なに?ロッサ君。……あ、オレが答えるパターンって初めてじゃね?」
 うおスゲーとか、まったくちっとも完全に凄いとも思っていない風に、クロスは感情の篭らない声で返した。
 ヴェロッサはため息を吐いて、……その拍子に視界の端に見たくなかった光景が映ってしまったためもう一度ため息を吐いて、ポツリと口にした。
 「あの円筒形の物体は……どうして庭園を光線で焼き払ってるの?」
 ヴェロッサはいい加減諦めて、視線を前に向けた。
 ミッドチルダ、ベルカ自治区。聖王教会中央本部の中庭に位置する庭園。
 広大な花園となって巡礼者達を出迎える筈のそこは、現在戦場も掻くやと言う光景を展開していた。
 人間大の円筒形のカプセルのような物体が宙に浮いている。
 それには一つ目玉のようなカメラアイが設えられており、そこから、まぁ。つまり要するに、”びーむかっこわらい”を放って花壇を丸焼きにしていた。
 ついでに、何故か遠くから高笑いが聞こえる。
 新手の拝礼方なのだろうか。
 一年ぶりの帰郷で、ヴェロッサは聖王教会に新たな啓示でも下ったのかと考えてしまった。
 そんな思い悩むヴェロッサに対し、クロスは面倒そうに頭を掻きながら言う。

 「……試射は練兵場でやれって言っておいたんだけどなぁ」
 「そこだけなんだ、突っ込むの」
 思わず突っ込むヴェロッサに、クロスはそれ以外に何に突っ込め、と不思議そうな顔を向ける。
 よくよく考えてみれば、庭園が焼かれているというのに、教徒達が余りにも冷静だった。適当に顔を見てみると、皆諦めの混じった表情をしている。
 ヴェロッサ以外の人間にとっては慣れた状況らしい。
 速やかに形成されるバケツリレーが、いっそ状況のシュールさを引き上げていた。

 がっくり。

 ヴェロッサは項垂れた。
 自分の知らない間に、聖王教会は随分とはっちゃけた組織になったらしい。
 いや、うん。監察官なんて役職だから色々と横の動きも把握してるんだけども。
 ジェイル=スカリエッティ。
 管理局の裏も裏。縦から横から上から下に至る深いところまでパイプを巡らしていた特一級の危険人物。
 何でも、半年ほど前から全方位にたいして突然音信不通になってしまった最高評議会ともつながりがあると噂されていた、管理局の闇の象徴。
 そんな人物が何故か、当たり前のように公然と聖王教会に所属してしまった。
 ヴェロッサの友人である、クロスの紹介で。
 しかも置き土産とばかりに管理局上層部の直轄領を片端から爆破して自身の経歴を抹消してしまうというオマケつきで。
 最近付き合いのあったランスター執務官が、この件で非常に憤慨していたのをヴェロッサは覚えている。
 執務官試験合格から足かけ二年の調査記録が無に返したと、愚痴っていた。
 今では最早、この目の前の惨劇を作り出しているジェイル=スカリエッティと管理局の表の部分が必死で追いかけてきた犯罪者のジェイル=スカリエッティは完全な別人と言う扱いになってしまったという有様だ。
 この件で歯噛みをしている人物はそれこそクロスの兄のクロノ=ハラオウン執務官を含めて星の数ほどいるのだが、管理局は現状への対応で上層部が機能停止状態に陥っているため、教会との対立構造までは発展していない。
 何せ、設立から百年を超えて管理局を管理してきた最高評議会が突然ロストしてしまったのだから、周囲に目を向けている場合ではないだろう。
 陸も空も、空いたポストを巡り熾烈な生存競争が巻き起こっている。
 
 因みに今のところ、革新派のギル=グレアム派閥が優勢とか、何とか。
 地上のレジアス=ゲイズを取り込んで、上手いことやっているらしい。

 上層部の消失から管理局の局地的な混乱の流れはは狙ってやってるよねとクロスに尋ねたことがあったが、肯定も否定もされなかった。
 ただ、エロゲ時空で政治的陰謀劇なんて、見世物としてはイマイチだったよね、と呟いていた。
 つまり、ある程度狙ってやっていたらしい。
 昔から反骨精神の強い友人だったが、何時から革命思想まで身に付けたのだろうかと、ヴェロッサはため息を吐く気力もなかった。
 
 そして聖王教会でジェイル=スカリエッティが何をしているかといえば、何と言う事もなく、自身の研究に勤しんでいる。
 使っていなかった地下室の一角を研究所に改造して、日がな一日薄暗い部屋で高笑いを浮かべているとか、なんとか。
 魔法の改良、システムの機械化、効率化。及び未研究のロストロギアの再分類化。
 趣味の片手間と本人は嘯いているが、事務方の作業員が不足気味の教会にとってはそれなりに役に立つ人間として認知されている。
 聖王教会内での評価は、たまに役に立つけど基本的にはた迷惑な年齢不詳の人物。あと、一度で良いから教典よんどけ。
 そんな感じで、割と陽性のものだったりする。
 
 「類は友を呼ぶとは言うけどさ、引き抜く人くらい、もうちょっと考えて選ぼうよ」
 消化班が到着し、水蒸気まみれで視界の悪くなった庭園から離れて、ヴェロッサはクロノに言った。
 水の入ったバケツを次々と持ち替えていたため、手が痛かった。
 「あのねぇロッサ君。選んだから引き入れたんだよ。……一度興味をもたれちゃったら、後は敵か味方かどっちかしかないからね、ああいうタイプは」
 クロスは意外にも、不本意だという顔で言葉を繋げた。
 「まぁ、スカさん一緒に遊ぶには面白いから良いんだけどさ。ウチの母さんと同レベルの腹芸が出来る人なんて、ここにはカリムさんくらいしか居なかったから退屈してたし。……でも、いい加減そろそろ”始まり”そうなのに、ここへ来てまた知らないキャラが増えるってのは勘弁して欲しいんだよねぇ」
 「キミは何時になっても、たまに訳の解らない事を言うよね」
 ヴェロッサは久しぶりの再会だというのに、まるで変わったように見えないクロスの態度に苦笑した。
 クロスは憮然とした態度で、理解者が増えたらそれはそれで問題だよと応じた。
 「で、結局さっきのアレはなんなの?」
 「あー。警備用と言うかお手伝い用と言うか。今、"ガジェット”か”ドローン”のどっちにするか、名前を揉めてるんだよね」
 因みにシャッハはガジェット派で、カリムはドローン派だけどとクロスは続けた。
 「何のお手伝いをするのに光線を放つ機能が必要なのさ。……って言うか、揉める部分そこだけなの? もうさ、二つ足して”ガジェットドローン”で良いよ」
 「因みに腹が縦に割れて、A.M.F弾頭搭載型ミサイルも撃てるけどね。……ガジェットドローンねぇ。略して”ガド”か。何か納品拒否くらいそうだね」
 相も変わらず訳のわからない単語を織り交ぜるクロスの言葉だったが、ヴェロッサには聞き逃せない話題があった。

 「ミサイルって……。それ、質量兵器使用禁止条約に抵触するんじゃ」
 というか、完全にしているよねと言う口調でヴェロッサが咎めるが、クロスはしたり顔を浮かべて首を振った。

 質量兵器使用禁止条約と言うのは読んで字の如く。
 戦闘目的で使用される兵器は科学的手法で精製された実体である事は望ましくない、という管理局の基本理念に則って作られた条約である。
 戦闘機や戦車、弾道ミサイル等を含めた各種火薬兵器どころか、携帯用の拳銃ですら使用禁止だというのだから、徹底している。
 そのくせ、街を歩けば当たり前のように発達した科学文明の恩恵を受ける自動機械を当たり前のように目にする事になるのだから、クロスがこの条約を始めて知った時に感じた違和感といったら、想像に難くない。 

 「ミサイルっていっても目標近辺で自爆して魔力素の運動を阻害させるチャフみたいなものをばら撒くだけだしね。あ、因みにさっきのビームはケミカルレーザーだから質量兵器には当たらないよ」
 「……また、ルール違反ギリギリのところ突いてくるね」
 楽しそうに語るクロスの言葉を、聞かなければ良かったと、ヴェロッサ=アコーズ査察官は思った。

 「騎士クロス、こちらでしたか。……ヴェロッサ。帰っていたのですか」
 幼い頃から変わらない無駄話を続けながら回廊を歩く二人に、シャッハが足早に近づいてきた。
 二人の前に立ち止まると、クロスに対して一礼する。見慣れないその姿にヴェロッサが笑った。
 「シャッハがクロス君に頭を下げるとか、変な感じだねぇ」
 ギロリ。
 シャッハのさっきの篭った瞳がヴェロッサに放たれた。
 「……何か言いましたか? アコーズ監察官」
 「何でも在りません、マム」
 押しなべて何時もどおりだなと、クロスは肩を竦めた。
 「それで、シスターシャッハ。何の御用でしょうか」
 「珍しく私をシスター呼ばわり。貴方も何か言いたいことがありそうですね、騎士クロス。……まぁ、良いでしょう。騎士カリムが貴方をお呼びです。室長室までお越しください」
 第三秘蹟管理部特務第一室。カリムとクロスが所属している部署である。因みに、所属人員は三名。あと一人は室長カリムの補佐役の、シャッハである。
 つまり、クロス一人がこき使われる平役人であった。

 室長自らの呼び出し。それはつまり、面倒ごとの呼び水であるとクロスのこれまでの経験が告げていた。
 クロスはため息を吐いて頷いた。
 「りょーかい。直ぐ向かいます。……ああそうだ、多分ラボに逃げたと思うから、ドクター捕まえて説教しておいてくれます? 練兵場空いてる筈ですから」
 クロスの言葉にシャッハは一瞬顔を引き攣らせた後、笑顔で頷いた。
 「ええ、解りました。何時ものように躾け直して起きます。何時も通りの肉体言語で。……丁度良い。ヴェロッサ、貴方も来なさい。久しぶりに鈍っていないかどうか私が確かめてあげましょう」
 「え、ちょ、待って。僕まだ義姉さんに挨さ・・・・・・っ!」
 なにやら叫ぶヴェロッサの襟首を掴み、優雅に一礼した後にシャッハは去っていった。

 クロスは救いの手を求めるヴェロッサに、笑顔で手を振った。

 


    ※ 積極的に無駄話を書くってのもコンセプトの一つなので仕方ないですけど、展開が亀の歩みですね。
      つー訳で、次回でベルカ編(今名付けた)ラスト。
      
      家族の肖像は多分、その次か、次の次か……。
      海鳴が遠いです。



[10452] 第十二話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/30 18:50



 Part12:ベルカ、その日の終わり(後編)

 プロフェーティン・シュリフテン。
 
 何度聞いても、思い浮かべても舌を噛んで痛い思いをしそうになる名前だが、その効果の程を知っても痛い思いをするのは変わらない。舌か、頭か。その程度の違いである。
 
 予言の書を作成する。

 そんな、明らかにヒト種の生物が生まれながらに所有するにしては在り得ないだろう超絶レアスキルである。
 これにくらべれば、クロス自身が持つ”羽”などまだまだ常識的な範疇に収まりそうである。実際はどっちもどっちだが。
 もっともレアスキルと言う物は得てしてそんな奇妙奇天烈な物ばかりで、その一端を知るたびにクロスは、ここがエロゲ時空だと再認識するに至っていた。
 
 因みに予言の書のその機能の実態は、古代において次元世界各所に設置されたベルカの探査装置から収集されるデータを統合し、経験則から来る未来予測の要領で書き出す、と言う理解できないでもない代物だったりする。
 ただ、書き出された文章が詩文散文的で、しかも現在では使われていない古代ベルカ語で書かれているものだから、解釈に多様性が生まれてしまい的中制度が落ちることになる。
 
 良く当たる占い程度のものですねとは、このレアスキルの所有者であるカリムの弁である。
 愛らしく微笑みながら、持ち主自身にそう言われてしまえば大抵の人間は納得するしかないのだが、ごく個人的な事情でこの予言の実在を納得できない者が、一人居た。
 
 「断固拒否。……とドアを開けた瞬間に言ってみてもどうせ無駄でしょうから良いですもう。ごきげんよう、カリムさん」
 「理解が早いところも素敵ですよ。ごきげんよう、クロスさん」
 第三秘蹟管理部特務第一室・室長室。
 教会中央本部の片隅に設置されたその部屋に立ち入ったクロスが出会い頭に放った言葉は、当たり前のようにカリムの悠々とした微笑にいなされた。
 指し示された来賓用のソファに腰掛けて、室長手ずから入れてくれるお茶を待つ。
 「またトラブルですか?」
 肩を竦めて言うクロスに、ティーポットを傾けながらカリムはやんわりとその言葉を否定した。
 「トラブルと言うのは突発的に発生する事件をさす事でしょう? これは、もうずっと前から起こると解っていたことですから」
 ですからトラブルには当たりませんと、お茶を手渡しながらカリムは言った。
 「どうせ予言、天気予報の後の占いレベルの問題でしょうに」
 手渡されたお茶を啜りながら、クロスはふて腐れたように言う。砂糖は一個。ミルクは一匙。常識的な数である。
 カリムは自分のカップに砂糖を二つほど落としながら、困ったように微笑んだ。
 「なんだか駄々っ子みたいですよ、その言い方ですと」
 「駄々こねてでも断りたい事も在るって事ですよ。……これまでの経験則から、ね」
 経験上、砂糖が一個しか入っていないお茶を手渡される時は、良くないことが起こる。

 因みにクロスは、親譲りの甘党であった。
 生前はそんな事はなかったから、”羽”を有するハラオウン家の人間の体質なのではないかと無駄に深く考察している。
 本来人間にない器官が存在しているため、余計に糖分を必要としているのではないかとか、何とか。
 ……母リンディ並みの味覚破壊は起きなかった事は喜ぶべきところなのか今でも思い悩んでいる。

 「私の経験則から言っても、予言に関してお頼みできるのはクロスさんしか居ませんから」
 シュガーポットに手を伸ばすクロスの手を上から押さえて、カリムは微笑んだ。そのまま、捧ぐ用にクロスの手を掴む。
 「お願いできませんか?」
 
 にっこり。

 兄と同じ歳の年上の美少女に微笑まれれば、元ヲタクのクロスとしてはなんとも返す言葉に困る。
 実際にはそれが自身の半分以下の年齢の少女であっても、だ。いやむしろ、だからこそとも言える。
 美人は得ってのは想像通りだったけど、美形は美形なりに苦労を背負い込まなければいけないものらしい。
 いや、男は全て、須らく苦労を背負うものだと言った方が正しいか。
 それなりに恵まれた容姿に生まれ変わった我が身を嘲笑いつつも、クロスはそんな風に思った。
 
 「で、今度は何です? 竜退治? それとも、火山の噴火か隕石の衝突か、六十メートルの大津波でも止めてきますか?」
 キザったらしく笑いながら、クロスは冗談のような言葉を続ける。
 「火山を氷漬けにするのも隕石の軌道を変更するのも、津波を両断するのも今回は無しです。……多分、ですけど」
 シュガーポッドの上で重ねた手を両手で包みながら、カリムは困ったような風に微笑んだ。
 「私の能力は所詮自動筆記のような物ですから……何度も繰り返すようで申し訳ないのですが、予言に対して能動的に干渉できるのは、クロスさんだけなんです」
 真摯な瞳で訴えられても、眉をしかめるしか出来ないのは、単純に自分に甲斐性が足りない性なのだろうか。
 クロスは肩を竦める事しか出来なかった。
 
 カリムの能力より発する予言は、あらゆる物、事象に対する統計学的な行動の予測に他ならない。
 危険を訴える予言があったとして、それを遮ろうと多方面に手を尽くそうと、結局危険は発生してしまう。
 過去、幾度も試みられた予言に対する防衛法は、後になって調査したところ全てにおいて返って危機の発動を誘発しているという結果を生んでいる事がわかった。
 当然だろう。
 予言は、あらゆる物に対する行動予測。そこから導き出される結果である。
 あらゆる物。
 すなわち、予言の結実を阻止しようと動くであろう人々の行動も含めて予言しているのだ。
 これでは防ぎようが無い。

 だがクロスだけは、別だ。
 クロス=ハラオウンだけは、予言を覆す事が可能であると、カリムは言った。
 
 その意味について、クロスは幾度となく考察を繰り返してきた。
 統計学に基づいた未来予測を覆す方法は、統計に則らない行動を取る事。否さか、それすらも統計として出た結果であれば結局は同じこと。
 で、あるならば。
 それを覆すには統計の取れない人間の干渉を得るほか無い。
 それこそが、クロス=ハラオウンと言う因子。この世界のイレギュラー。

 しかし、それ以上に。
 何よりクロス自身が、その意味を十全と理解していた。
 
 だってこれは、エロゲーの、物語の世界だ。
 物語には、始まりがあって、そして、終わりも決まっている。
 登場人物たちは、必要があるからこそ用意されていて、その行動は全てが制御されている。
 
 だけど、クロスだけは。

 何度考えても、そうだという答えしか導き出せない自分の限界が、クロスはたまらなく嫌だった。
 ”ゲーム”において物語に干渉できるのは、”選択肢”を”選ぶ”権利を持つ、プレイヤーだけに他ならない。
 それ以外の人間は、登場人物は決まった行動しか取らない。
 考えるたびに、空恐ろしい気分になる。
 自分だけは違うという幸運なのか、それとも、自分すらもそうなのか。

 「クロスさん?」
 
 カリム=グラシアという少女は、こうした時、大抵クロスを労わる様な仕草を見せる。
 でも、実はそれすらも……、そこまで考えて、クロスは首を振って思考を停止させた。
 陰鬱に過ぎる。精神衛生上悪い考えだ、これは。

 クロスは包まれていた手を一度離し、その上で改めて自分から、カリムの手を恭しく取った。
 「お聞かせくださいな、お姫様。騎士めは役目を果たすでしょう」
 突然の芝居がかった仕草に一瞬きょとんとした顔をしたカリムだったが、直ぐに茶目っ気たっぷりに微笑を浮かべた。
 「よしなに……で、良いんでしょうか?」
 良いんじゃないでしょうか。
 二人して笑いあった後に、真面目な顔を作ってデータウィンドを中空に表示させた。
 「日付に、場所に、抽象的な事件予測……何時もどおりですね」
 ウィンドウは二枚表示されている。
 一枚目は、彼女の能力によって発生した古代ベルカ語の予言をそのまま引き写した物。
 もう一枚は、第三秘蹟監察部で解析を試みた結果を表示した物だ。
 もう何度も見かけたことのある、最近もっとも精度の高い解析法により、発生場所と発生時間だけはかなり具体的に解析されていた。
 
 「星辰の門開かれしとき、災いの種が地に潅ぐ。災いの種……種、ね」
 「監察部ではこの”災いの種”と言う物に対する解釈で意見が分かれています。原因となる何かの事件が発生するのか、それとも、それそのものが形となって地に落ちるのか。クロスさんは……」
 どう思われますか?
 そう尋ねようとして、カリムはクロスの顔を見てしまい、言葉を止めた。

 クロスは、何か見てはいけない物、絶対に見たくない物を見てしまったような、そんな顔をしていた。
 
 「災いの”種”ね。なるほど。……なるほど、そう来たか。クソが、散々違う展開持ってきておいて、ここだけは一緒って事かよ。アレか? 兄さんの成長期が遅いのもこのせいか?」
 それは、クロス=ハラオウンらしからぬ乱暴な言葉遣いだった。辛酸を舐めさせられた大人の男のような、だからこそクロスに良く似合っている顔とも言えた。
 「オーケイ、解った。良く解ったとも。無い知恵絞って考えてた全てのパターンがこれで台無しだ。行けと? そうか、黙ってさっさと行けって事かよ」
 「あの、クロスさん?」
 突然頭を掻き毟りだしたクロスに、カリムがおずおずと尋ねる。
 クロスはしかし、カリムの呼びかけにもしばらくは反応しなかったが、唐突に顔を上げて宣言した。

 「かしこまりましたお姫様。ばっちりしっかり、干渉しまくってきます、完璧にね。ええもう、嫌になるくらいに」
 「あ……はい。お願いしま……す?」
 唐突の了承の言葉に首を傾げるカリム。
 そんなカリムに苦笑を浮かべて、クロスはもう一度データウィンドを流して読んだ。
 
 星辰の門開かれしとき、災いの種が地に潅ぐ。
 そんな、ありきたりに過ぎる不吉な言葉と共に、目的地点に関する具体的な情報が記されていた。

 予測次元座標:第97管理外世界(固定・変動値誤差無し) 有人惑星・地球(周辺星域に関する詳しいデータは、ファイルナンバー006を参照)
 現地名称・日本国××県海鳴市(現地情報に関する詳しいデータは……)

 さあ物語の始まりだ。そう言って、納得しろとでも言うのか。
 
 クロスは、近い将来己が身に降りかかるであろう危機を思い、自らを嘲笑うのだった。






    ※ この二人は仲が良い。
      良いけど、変わり物同士で気が合うって感じで、ラブ度は低そうだよねぇ。
      後、カリムさんは今後しばらく、多分出番が無いから、ヒロインにするにもねぇ……。



[10452] 第十三話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/07/31 19:34

 Part13:家族の肖像、あるいは焦燥

 「……で、何だこれは」

 振ってみる。音がした。軽い。
 「だから、誕生日プレゼント」
 「それはさっき聞いた。……なんだ? 最近ベルカでははこういうものを送るのがトレンドなのか?」
 クロノは出会い頭に弟から投げ渡された掌大のパックを弄びながら言った。
 「育ったものを送ればそれなりに喜ばれるだろうけど、その状態のを渡されても割と嫌がらせだよねぇ」
 クロスは、クロノが共にあった幼い頃と変わらないように、面倒そうに肩を竦めた。
 ため息を吐く。モニタ越しではない直接の再会は久しぶりだというのに、この弟、全く変わっていない。
 「……つまりお前は、僕に嫌がらせをしたいわけだな」
 「まさか。兄さんにはしないよ」
 
 じゃあ、誰に対してならするんだと、口からでかかった言葉を、クロノは慌てて押し込んだ。
 そんなクロノの態度を見て、弟は弟らしからぬくたびれたような笑いを浮かべていた。
 「まぁ、変わって無いようで安心した、と言うべきなのか?」
 「兄さんはもうちょっと変わったほうが良かったと思うけど」
 主に背とか。
 全く同じ目線の高さから、二歳年下の弟が混ぜっ返すように言った。
 「あ、それ解るなー」
 「エイミィ!」
 転送ポートの真ん中で突然コントを始めた兄弟の背後から、女性の声で合いの手が入った。
 クロスが冷めた笑顔で視線を移すと、兄より一回り背が高い女性が二人の事を覗き込んでいた。
 興味深そうな顔でクロノと瓜二つの姿をしたクロスの事を見回している。
 実に楽しそうで親しげで、アットホームな空気が伝わってきそうである。……が。
 クロスとしては一応賓客と艦内高官との会話だから、それを遮るのは如何なものだろうかと思わないでもない。
 「とは言っても、倍も年下の女の子にキレるのもアレだしねぇ……」
 「……何か言った?」
 思わず口をついて出た言葉に、エイミィが反応したが肩を竦めてかわす。
 そのままニコリと笑顔で言う。
 「はじめまして義姉さん。ご挨拶が送れて申し訳ありません」
 「クロスっ!」
 悲鳴のような叫びを上げるクロノに、何か間違えたかと真面目な顔を向けるクロス。
 「義姉さん、オレは何か間違いましたか?」
 尚も続けるクロスに、エイミィは若干頬を赤らめながらも応じる。
 フハハ小娘、いい気味だとか、クロスは小悪党みたいに心の中で笑ってみた。そのあと、これまんまエロゲの友達キャラの台詞だよねと気付いて誰にも気付かれずに凹んでいた。
 「う、う~ん、急に責任を取れって言っても、オトコの子は困っちゃうらしいからねぇ」
 「何の責任だ! 何の!? ……と言うか、何で揚々と会話に追従しているんだエイミィ!」
 えへへやだなぁクロノはもぉ、と照れ笑いを浮かべながらバンバンとクロノの背中を叩くエイミィ。
 状況は混沌とする一方だった。
 「……クロス」
 どうしてくれると視線を送ってみれば、クロスは転送ポートが設置されたこの大広間の、壁際の方を見やって苦笑していた。
 「……クロス?」
 「なんでもないよ。案内頼める? 兄さん」
 クロスは肩を竦めて、とりあえず場所を変えようと促した。

 案内。何処へ? 決まっている。
 艦に客が訪れれば、艦長に目通しするのが礼儀と言う物だろう。
 それは当たり前で当たり前な、とても当たり前すぎることだから、知らず、クロノはため息を吐いた。
 「何ならオレ一人でも良いけど?」
 「……馬鹿を言うな」
 むしろ、そっちの方が胃が痛いわ。見て無い間に何が起こっているか想像しないといけないだなんて、そんな、恐ろしい。
 諦めろ、逃げることは出来ない。
 この家族の中に生まれたことを不幸だとは思わないが、それでもたまに、もうちょっとどうにかならないかと思うときは、ある。
 父が存命だったら。
 そうしたらクロスもこんな賢しい子供には成長しなかったか……いや、ベビーベッドに寝転がってる頃から、コイツはこんなだった。
 
 ……じゃ、もう一人くらい兄弟できないかな。優しい妹とか。この苦労を分かち合ってくれる人が。

 最後尾を進みながら、クロノはぼんやりとそんな事を思った。
 
 「さて、それじゃあわたしは食堂の設営の様子でも確認してこようかなー。あ、弟君も楽しみにしててね、パーティー」
  言うが早い。
 颯爽ときびすを返して、エイミィは足早に兄弟の前から退散した。
 「父さんも、結婚するならああいう人を選べばよかったのにねぇ」
 「……それだと多分、僕らは生まれていないだろう」
 否定しなければいけない部分だったのだが、クロノには否定し切れなかった。むしろ、微妙に肯定したかった。
 「生まれないのは多分、僕だけだと思うけど……まぁ、良いや。これ以上ピーピングされているのも正直癪だし、早いところ家族の団欒と行こう」
 「……ピーピング?」
 全く道に迷うことなく艦長室への通路を進むクロスを追いながら、クロノは疑問に思った言葉を口にした。
 クロスは肩を竦めて事も無げに答えた。
 「母さんね。見てたと思うよ、僕らのやり取り、全部」
 そのくせ、実際に会ったら、そんな事は微塵もしてませんみたいな顔をしていると思うよと、どうでもいい事を伝えるように続ける。
 「何のためにそんな無駄な権力の使い方を……」
 「パーティーとか言ってたから、そーいうの苦手なオレが、愛想笑い浮かべて取り繕うのを見て鼻で笑いたかったんでしょ? 息抜きの仕方としてはどうなんだろうね。頑張れば可愛いって言えなくも無いんじゃない?」
 クロスは騒がしい事が苦手らしい。
 と、言うのは本人がそう言っていただけで、現実祝い事で人が集まったりする時は笑顔で対応しているから、端から見たら苦手には見えないのだ。
 クロノですら饅頭が怖いというだけの話じゃないかと疑っているのだが、リンディだけはその言葉が真実と気づいているらしい。
 らしいとつくのは、これもクロスが語っていた事だからである。
 クロスがそう断言した理由は単純。本当はリンディも騒がしいのが得意じゃないから、同じ匂いのする人間が解るのさとの事である。
 「その同属嫌悪に挟まれる僕の身にもなってくれないか……」
 クロノとしては、ため息しか出てこない。クロスはうっすらと嫌な笑いを浮かべて首を振った。
 「あの人は、……ようするに、僕もか。まぁ良い。自分の掌に乗っている人間には常に優しい。初めから乗っていない人間には、まぁ、表面上は優しいかな。そうして置いた方が楽だからね。……でも、掌から零れ落ちた人間には」
 落ちた金貨に興味を抱けない。特に自分から転げ落ちたのなら、尚更。
 自嘲するかのような弟の言葉は、クロノにも何故か理解できる物だった。
 クロノは理解している。ただ家族だから。大事に、大事に。母も弟も、自分の事を落とさないように、掌にそっと置いていてくれていることを。
 「……母さんは、その、なんだ。お前の事を嫌っている……のか? ああ、いや、すまない。今のはナシで」
 思わずといって言い具合で漏れてしまった言葉を、慌てて否定する。しかし弟はどうでも良いとばかりに肩を竦めるだけだった。
 「どうだか。まぁ、どんな完璧人間だって、何処かで発散しなければいけないこともあるから。……親だってただの大人。何処にでも居るただの人間と変わらないんだから。その辺は、そうだね。兄さんも大人になれば解るんじゃない?」
 「……なんとも納得の出来る言葉は言葉だが、なんだ? 僕より年下のお前には言われたくない気がするんだが」
 それはごもっとも。
 クロスは笑った。クロノは、苦笑いしか出来なかった。

 子供らしからぬ、言葉。
 賢しいだけじゃない、真に迫ったような。まるで体験したことがあるかのように語る、その姿。

 あの人は元々一人で居るべき人なんだよ。だって趣味の人だもの。父さんがあの人を射止めたのはまさに奇跡だね。……だから、親に向いていない。僕らがこうやって、放っておかれるのも仕方ないことなのさ。

 自身の母親に対しての、それが、クロス=ハラオウン当時3歳の評価だった。
 母が、クロノですらも、クロスの思考の異質さに気付き始めていたときの頃である。
 確認。何かを確認するかのような会話の積み重ね。当時のリンディとクロスの会話は、概ねその繰り返しだった。
 その間中、リンディはクロノに対するときとは違う顔をクロスに向けていた事をクロノは覚えていた。
 それ以来クロスは、母を母として扱うのをやめ、リンディもそれにつられるように子を子として扱うことを止めていた。

 最低なんでしょうね、私は。……見透かされて、反発して。どちらが子供なのか、解らないわ。

 黒に染まったモニタに視線を固定したまま、疲れたような言葉を言っていた、母を思い出した。

 それは多分、本当は。
 自分と同年代の大人にしか見せはいけない一面。
 親は親として、子供の前ではあらねばならないから、一人の女性の姿であってはならないのだ。
 だというのに、母リンディがクロスに接する様は、同年代の気に入らない男に対する一人の女性としてのそれだった。
 そしてそれを、クロスは当然のことのように受け取っている。
 真実ただの子供に過ぎないクロノとしては、そんな場面を見せられれば居心地が悪いことこの上ない。
 
 艦長室のドアの前。
 開錠を促すクロスに押されて、クロスは扉の前で一人、大きくため息を吐いた。
 顔を落とした時丁度、手に持ったままだったクロスから貰った”誕生日プレゼント”が目に入った。
 
 花の種。

 災いが芽吹いたりしなければ良いけど。
 それは無理な願いだと自嘲しながら、クロノは艦長室のドアを開けた。

 


    ※ 次回はこのSSで初の(ある意味)バトル回。
      このSS、萌えが足りんね。



[10452] 第十四話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/01 17:11

 Part14:めしどこか、たのむ

 「ごきげんよう、母さん」
 「ごきげんようクロス。しばらくぶりだけど、随分おしとやかな挨拶をするようになったのね」

 何故だろう。朗らかな挨拶の筈なのに、空気が痛い。
 正座で足がしびれた訳でもないのに、背中から嫌な汗が流れ出している気がする。
 クロノは、早くもこの場を離脱したい衝動に囚われていた。

 畳敷きの居間。純和風に設えられた艦長リンディの私室を訪れたクロノとクロス。
 日ごろ離れて暮らしているクロスとリンディにとっては、実に久しぶりの再開である。
 弟はまだ12歳。就業年齢の低いミッドにおいても、まだ”幼い”と表現されて然るべき年齢である。
 そんな幼い弟だから、久しぶりに再会した家族との会話は、うん。
 クロノは知らずため息を吐いていた。どうしようもなく自分の願望でしかなかったから。
 チラと、並んで座る弟を見る。その口元は、皮肉気に歪んでいた。

 「ええ、何せベルカは華やかな人が多いんでね、自然こういう話方にもなりますよ」
 「そう、お友達が居たの。でも、貴方には似合わないんじゃないかしら」

 似合わない、と言う単語は何処にかかっている言葉なのか聞いた方が良いんだろうか。
 言葉遣いが似合わないのか、それともまさか、友達が居ることが似合わないのか。
 いや、考えすぎだ。クロノは頭を振った。

 「ええ、なんでしょうかね。こういうの、親譲りの才能って言うんでしょうか。灰汁の強い友人ばかり集まってくるんですよ」
 「やっぱりそっちなのか!?」
 思わず突っ込んでしまった。
 「どうかしたのかしらクロノ」
 「いや、別に……」
 怖い笑顔向けないで下さい、頼むからとクロノは視線を壁の端にずらした。
 「ハハハ、変な兄さん」
 「フフフ、久しぶりに貴方に会えてはしゃいでるのよ。それに今日は、誕生日ですもの」
 笑顔に笑顔。笑顔がゲシュタルト崩壊しそうな空気だった。何故こんなにも、息が詰まるのだろうかとクロノは独り思う。
 おかしいな、バリアジャケットは脱いでいる筈なのに。
 「誕生日ねぇ。そう言えば、パーティーなんてやるんですね。……景気が良さそうで何より」
 「あら、待っていればお布施が振り込まれる宗教と違って、ウチもそれなりに苦労してるのよ?」
 返す刀で切り捨てる。そんな言葉がクロノの胸をよぎった。
 返す返すも何時もどおりの親子の会話といえば、それまでなのだが。
 「戦艦の中でパーティー開ければ、充分儲かってるっていえますよ。僕の友人に、偉くなったのにお金の無心に年から年中走り回ってる人が居ますよ。次元航行艦の中でパーティー開いてる何て知ったら、また愚痴に付き合わされそうです。……まぁ、あの人は態度がでかくて損してるっていう自業自得な面もあるんですが」
 多分あの人のことを指してるんだろうなぁと、クロノは中りをつけた。最近、母とレティ=ロウランに捕まったあの中年の陸将。
 立場的に大分楽になった筈なのに、逆に眉間のしわが深くなっている様が我がことのように思えて、クロノには笑えない事だった。
 「変わったお友達が居るのねぇ。……でもお友達が増えるのは良いことだわ。今度是非、母さんにも紹介して頂戴」
 
 コトン。
 部屋の四隅に付けられたスピーカーから、環境音が零れる。竹と流水を用いた古典的な鳴子だとか。
 
 クロスが、わざわざパーティーなんて開いたのは、このネタに振る為かと、呟いたのが聞こえた。
 リンディは、そ知らぬ顔で自身の湯呑に角砂糖を零している。その目はしかし、わかっていた事でしょう? と言ってる様ですらあった。
 クロノは、ため息を吐きたかったが、失敗した。余計に空気が重くなったような気がした。

 沈黙を破ったのはクロスの朗らかな言葉だった。
 まるで凍った空気など存在しなかったかのように、自然な口調で途切れた会話の流れを拾った。
 少なくとも本人はそのつもりだったし、対面の女性もそう取った。クロノだけが、胃が痛かった。
 「母さんはオレが紹介したこと無い人とだって、既にお知り合いらしいじゃないですか。……尻に敷かれて苦労してるって、この間愚痴ってましたよ」
 髭面で、と付け足して楽しそうに笑った。
 対する母も微笑んで応じた。
 「あらあら、大変ね。レティの尻に敷かれてるなんて」
 クロノが咽た。が、二人とも気にも止めなかった。
 「ええ、大変らしいですよ。何でも、羽の生えた女に追い掛け回される夢をしょっちゅう見るとか」
 「あら、そうなの? そういえばクロス、顔立ちがちょっと女の子っぽいものね」
 
 うふふ。あはは。

 寒々しい笑い声が室内を満たす。
 デフコン1でも発令してくれればこの場を後に出来るんだがと、クロノは本気で願っていた。
 リンディが、ゆったりとした仕草でお茶を啜った。クロノとクロスも何となくそれに習う。
 当然だが、一番初めに飲んだ人間が、一番早く飲み終わる。
 「ところでクロスのお友達の、ジェイル=スカリエッティの事なんだけど」
 ブフォウッ。
 一息入れようと思って口に含んだお茶を、クロノは思い切り噴出した。
 母から手渡された布巾で、弟が畳を拭いていた。良く訓練されたコンビネーションだった。
 「人付き合いが苦手で、最近運動不足でよく練兵場で転げまわっている彼がどうかしましたか?」
 クロスは兄の口元を拭いながら、何てことも無い風に答えた。口元は微笑んでいる。目は、母と同じで全く笑っていなかったが。
 「紹介してくれないかしら」
 母の要求は、これまでになく手短だった。オマケに、淡々としていた。
 弟は兄と戯れるのをやめて姿勢を正して母と向かい合う。
 「構いませんが、なにぶん出不精な人なんで母さんが会いに来てください……一人で」
 「一人で?」
 ニコリと笑いながら聞き返すリンディに、クロスもええ一人でと笑顔で応じる。
 「彼の居住、ベルカ中央大聖堂内ですよ。聖堂内で騒がしいのは、流石に遠慮して欲しいですから大勢で押しかけられると、ちょっとね。……ああ、ところで母さん知ってますか? 聖堂に参拝する時は、デバイスの持ち込み禁止なんですよ。まぁ、最近ミッドも物騒ですから、仕方ないといえばそうなんですけど」
 面倒ですよねーと、楽しそうに笑いながら、クロスは言った。
 「遠因が良くも言えたものね……」

 笑えなかったし、オーバーリアクションで誤魔化すことも、クロノには出来なかった。
 
 忌々しげな。
 
 そうとしか表現できない口調で、母が呟いた。弟が、鼻を鳴らすのが聞こえた。
 「お陰で母さんの派閥だって大躍進なんですから、精々親孝行程度に受け取ってくださいよ。グレアムおじさん、今度理事会選挙に出馬予定なんでしょう? しかも、陸師の椅子はレジアスさんに抑えさせるらしいですし」
 後手後手に回った割には、全部リザーブ出来たんだから良いじゃないですかと、肩を竦めての言い訳ですらない堂々とした物言いに、リンディの顔から遂に笑顔が消えた。
 横目に弟の姿を確認すれば、自分と全く同じ顔が、自分には絶対作れないような冷たい顔をしていた。
 「誰かの火遊びがなければもっとスマートに、混乱も最小限で事が運べたのよ。……クロス。この際だからはっきりといっておきますけど、今回の一件はやり過ぎです」
 それはまさしく、絵に描いたような”母”の言葉で、だからこそ、子供は冷笑のままに肩を竦めるのだった。
 「さて、今回といっても、どの回のことやら」
 くだらない事を言って失望させないでくれとでも言いたそうな口調。リンディの顔が引き攣る。
 「……とぼけたいのなら全部言ってあげましょうか? 三年前、貴方がレジアス陸将に出会って以来の、一日違わぬ全ての行動を」
 「この艦に乗ってからの行動を全て観察してきたように、st.ヒルデに入学して以来出来る範囲でオレの全ての行動を把握してきたように、ですか? ……ああ、そう言えば初等部の時の戦闘魔法の教師は母さんの後輩の方だったらしいですね。他意はありませんが」
 それは怖いなと、クロスは何か面白い物を見つけたという顔で言った。

 子供の行動を逐一監視、か。
 まぁ、この親子だったら平気でやるだろうなと、あっさり納得できてしまう自分が、クロノはたまらなく嫌だった。
 ついでに、監視したくなる母の気持ちが十全と理解できてしまうことも。
 実際、上級騎士などになってそう言った事を行うのが難しくなってきた瞬間、この弟は管理局上層部を阿鼻叫喚の大騒乱状態に落として見せた。しかも、このアースラが長期外征任務に出発した半年前に計ったようなタイミングで。
 「怖いと思うなら、貴方のお友達を是非私に紹介して頂戴。そうね、私の恩師やレティも会いたがってるし」
 「ですから、お会いしたいのならば教会にお越しください。教会は万人に門戸を開いておりますゆえ。ああ、勿論物騒な物は置いて、ね」
 
 舌戦と言う言葉が相応しい”おやこのかたらい”を続ける母と弟を横目に、クロノは深いため息を吐いた。
 艦内で慈母の如く振舞っている母の、これもまた一面。乗員には絶対に見せられない姿だし、クロノ自身だって、見たくは無い。
 クロノがここではない何処かに精神を飛ばしてやり過ごしている間に、会話はいよいよ直接的な物言いに到達していた。

 「一つ忠告しておきますが、聖王教会は管理局と協力関係にありますが、あくまで管理局とは別個に独立した利益団体です」
 「騎士クロス。それが教会代表としてのご意見だと解釈して宜しいのですね」
 クロスは肩を竦めて天を仰いだ。やれやれと、わざとらしい仕草で手を振りながら、続ける。
 「―――? 僕は親子の会話を楽しんでいたつもりなんですがね、ハラオウン提督」

 まるで敵を見るような目つきで。
 実の親にそんな目を向けられたら、どうだろう。クロノは自身に当てはめて考えてみた。
 耐えられないだろう。答えは直ぐに見つかった。それから何故、弟はこんな時でも楽しそうに笑っていられるんだろうかと思った。

 兄さんも、大人になれば解るんじゃないかな。

 そんな言葉が、頭の奥のほうで響いた。
 こんな胃の痛い状況で笑わなければいけなくなるなら、もうしばらくは子供といわれて構わない。クロノは切にそう思った。
 「二人とも。僕は主賓として自分の誕生日パーティーには遅れたくないのだが」
 
 誕生日パーティー。
 場にそぐわぬファンシーな響きに、母と弟は目を瞬かせる。
 そんな二人にクロノはなれない仕草で苦笑して見せて、早口で続ける。
 「そう言う訳なんで、そろそろ僕らも食堂へ向かいましょうよ。いい加減、腹が減りました」

 自分が道化に成ってでも場の雰囲気の改善を図って見せるのは、結構大人な行動なんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?
 クロノは一人、それこそ道化の如くそんなことを思った。


 「それじゃあ、元気で」
 「ああ、余り無茶するなよ」
 「そうね、くれぐれも無茶はしちゃ駄目よ」

 アースラ内、長距離次元転送ポート。広い円形ホールの中心で、家族三人が向かい合っていた。

 しばし、無言で向かい合う。
 見送りが艦の首脳であるリンディとクロノのみだったのは、乗員が気を使ってくれたのか、それとも、食堂でその一端を垣間見せた薄ら寒い空気に恐れをなしたせいなのか。
 クロノは考える事をやめた。冒頭の母の言葉が心配から出た言葉だったのかどうかも、深く考えないことにした。
 「母さんこそ、余り羽目を外さないようにしてくださいよ?」
 にこりと、それなりに歳相応に見えるように、クロスが微笑んだ。その言葉に皮肉が混じっていなければほほえましい光景なんだけどなと、クロノは諦めの入り混じった思考を浮かべた。
 さて、と一言呟いて、クロスは自らのバリアジャケット―――ベルカ風に言えば騎士甲冑―――を転送時の身体保護のために着用した。
 出発をする、と言う意思表示。
 クロノとリンディは、頷いてクロスの傍から離れる。
 「あ、そうだ兄さん」
 ホールの床面ほぼ全域に書き込まれた魔方陣から退避し、壁際に寄っていたクロノを、クロスが思い出したように呼び止めた。
 振り返る。魔方陣が、薄らと発光を始めた。
 「兄さんに渡したプレゼント、間違っても地面に蒔いちゃ駄目だよ?」
 「……? 何だ? コレはそういう類の植物なのか?」
 クロノはポケットに入れっ放しだった何かの種が入ったビニルパックを取り出した。
 「いんや。適当に選んだやつだから何が咲くかは解らないけど」
 クロスは展開状態にしたデバイスを面倒そうに肩に担いで言った。クロノは思いっきり顔をしかめた。
 「つまり、やっぱり嫌がらせだった訳だな、コレは」
 お前の冗談は歪曲過ぎて解りづらいと苦言をもらすと、クロスは楽しそうに笑った。
 「ハハ、どうだろうね。コレが芝居だったなら、兄さんもたいした役者なんだろうけど、わからないよ。……まぁ、良いや。名残惜しいけど、もう行くよ」
 「あ、オイ―――」
 呼び止めるクロノの言葉も聞かず、クロスは一方的に宣言してデバイスを振り回す。
 
 『High Dimension Transporter 』

 デバイスから無機質な機械音が響く。
 室内全域が閃光に包まれ、それが収まった時には、魔方陣の中央に立っていたクロスの姿は消えていた。
 「行ったわね」
 リンディが何処か疲れたように呟いた。
 「……本当に、監視するんですか?」
 クロノは決まり悪げに、リンディと視線を合わせないまま、聞いた。母は、躊躇いもなく頷いた。
 「するわよ? だって私達は”時空管理局”ですもの。要注意人物が管理外世界へ単独潜行するのだから、見張らない訳にはいかないでしょう? ……それに、教会だってそうなる事を想定していたに決まっているわ。彼の起こすアクションに即応出来るからこそ、アースラを中継点に選んだんでしょうね」
 クロノは大きくため息を吐いた。話の内容に、ではない。実の息子を”彼”と表現したことにだ。
 「……前から思っていたのですが、艦長はクロスの事を何だと思っているんですか?」

 リンディは、クロノの言葉に虚を突かれた様だった。
 聞かれることを予想していなかった、と言うよりは、聞かないでいてくれると思っていた自分に気付いたのだ。
 駄目な親ね、私はと自嘲した後、それでも何とか、子供の質問に誠実に答えて見せた。

 「私の子供の皮を被った、別の生き物ね」

 そんな言葉を、実の親から聞きたがる子供は居ない。
 反射的に浮かべたクロノの表情は、推して知るべし、と言った風だった。
 リンディは、宥めるように首を横に振った。
 「仕方ないでしょう? 他ならぬあの子自身が、自分のアイデンティティをそうやって維持しているんですもの。……違うわね、そうしなければあの子はきっと、"生きていけない”んだわ。アレがあの子の最大限の譲歩、それ以上を求めたらきっと」

 あの子は壊れてしまう。

 だから、私はあの子に、あの子が私の子供である事を押し付けられない。
 諦観の入り混じった母の言葉は、クロノには到底理解しがたいものだった。
 最後に一つ、疲れたように微笑んだ後、リンディはクロノをおいて転送室を後にした。
 「別の、生き物」
 ポツリと、広々としたホールに声が漏れる。
 別の生き物。なるほど、上手い表現だと思えてしまった自分がクロノはたまらなく嫌だった。
 だって実際にアイツは、何処か人とは違う空気を纏っているから。
 ホールの中央、魔法陣の中心を見る。誰も居ない。居る訳が無い。弟は此処には居ない。
 じゃあ何処に居る?
 クロノは大きくため息を吐いた。
 あの弟は理解できない。享楽的な表面的行動もさておいても、その内面を推し量ることなど、持ってのほかだ。

 だからと言って、打ち捨てる気など、微塵も無い。
 それが家族と言う物だろうと、クロノは父に問いかけて、独り転送室を後にした。


 

    ※ 親の心子知らず、というか母は強しと言うか。
      サブタイからも解るとおり、当初はもうちょっとコメディなオチにする予定だったのですが、
     次回との繋ぎもあったのでシリアス目な締め方になりました

      もうクロノがヒロインで良いんじゃないかな。



[10452] 第十五話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/02 18:32

 Part15:オープニングセレモニー・喜劇の始まり

 そうして、彼は独り、感動していた。

 排気ガスの入り混じった汚い空気、翳んだ空。
 けたたましく鳴る、耳に煩わしいガソリンエンジンの響き。
 視界一面灰色に塗りつぶされた、コンクリートとアスファルトの都市。
 
 それら全てが、クロスを郷愁に誘っている。
 「帰って来た、か……ハハ、何だコレ。帰って来ただって。ハハハ……案外、感動できる物じゃないか」
 それがまがい物だったとしても。
 街を歩くカラフルな髪をした人々も、他ならぬ宙を舞うクロス自身も、彼の常識からはありえざる光景の筈だったが、それでも、それでも、そこが超常的な減少が蔓延するゲームの中の日本だと解っていても。
 
 遂に、非常識の蔓延する世界から帰還したのだ。

 クロスの知る常識に限りなく近い世界が、地球が、日本が、眼下には広がっていた。
 感動に打ち震える一つの思考とは別に、分割されたクロスの思考はしかし、片一方で冷徹に現状を分析していた。
 
 確かめることは、幾つも在る。
 地球、コレは間違いない。そして日本で、間違いない。眼下に広がる都市は。限りなく近いからこそ、疑問は幾らでも沸き立ってくる。
 特に、気になることは、決まっていた。決めていた。はじめに確かめるべきことは。
 「……全部、確かめてみるしかないだろう」
 思考の中心を冷徹な部分に切り替えて、クロスはデバイスを振るった。
 『Hermit Clothes』
 隠者の衣。個体用簡易認識阻害結界を自身の周囲に張り巡らせ、ゆっくりと都市の中へ降下する。
 ビルとビルの合間にある、狭い児童公園。人の姿の見えないそこへと着陸し、騎士甲冑を解除してデバイスを待機状態に戻す。
 騎士甲冑を解除したことにより生命維持のための気温管理がなされなくなったため、まだ少し冷たい空気がクロスを襲った。
 「二月……いや、三月の頭くらいか?」
 桜の蕾も芽吹いていないし。クロスは葉の無い街路樹を眺めてそう当たりをつけた。
 今の自分の格好、長袖のシャツ一枚だけだと、少し肌寒い。
 教会の総務部が用意した現地用の金銭が詰まっている筈の財布を尻ポケットから取り出し、中身を確認する。
 クリップで下手糞なアラビア数字の書かれたメモが止められた、キャッシュカードが一枚きり。通帳ですらなかった。

 「6と9を間違えたりしてないだろうな? ってか、コレ、9じゃなくて7で良いんだよな? ……つーか、どっから用意したんだこの残高」
 十年以上振りの筈のATMも問題なく使用でき、クロスはそれなりに纏まった金を引き降ろすことに成功した。もっとも、管理世界内にも似たような形式の機械など腐るほどあるので、使用できて当然と言えば当然なのだが。
 柄にも無くはしゃいでいるらしい自分を笑って、彼はATMを出る。
 四車線の道路が走る、大通り。何とはなしに人の流れを追って視線を移してみれば、ビルの隙間から電車が走る高架が見えた。
 どうやら、駅が近いらしい。
 首に下げたカード型の待機状態のデバイスに視線を落とす。

 行くべき場所も、見るべき物も、やらなければいけない事も、解っていた。
 カリムの予言が実際半端無い現実を披露してくれると言う経験則も当然のことながら、クロスは自身の生前の知識から来る未来予知によって、これから起こり得る事の重大性が見えていた。
 だから本当は、可能な限り準備して、来るべき物に備えなければならない。

 「備えなければならない、筈なんだけど」
 クロスは駅の自動改札を潜り抜けて、ため息を吐いた。
 万札で買った切符に書かれた文字を確認する。
 それは忘れる筈も無い、クロスの本当の故郷の名前が記されていた。
 どうしても、行きたかった。自分を止める事など、出来なかった。

 そして、幾らか時間のたった、夕暮れ。クロスはランドセルを背負った小学生達とすれ違った。
 外国人にしか見えないクロスに一瞬興味を惹かれたようだったが、それだけだった。翠緑色の髪については、何の気も惹かれないようである。
 なんてことは無い、小学生たちの中にも赤や青の髪が混じっていた。
 とぼとぼと、小学生たちを見送りながらクロスはため息を吐いた。
 「……そりゃさあ、途中の駅に”海鳴”なんて見慣れない名前があったから、薄々解っていたことだけど」
 ショックはショックだと、誰にとも無く項垂れていた。
 実家があったはずのそこは、区画ごと高層マンションに変わっていた。
 通っていた中学は、見たことも無いデパートに、電信柱が乱立して危ないことこの上なかったなつかしの通学路は、そう思って夕焼け空を見上げると。
 「ライフラインは全部地下ですか。……どんだけ税金使ってんだよ、コレ」
 むしろ全部違っていればまだ諦めがつくと言うのに、所々クロスの記憶と一致するからたちが悪い。

 似て非なる。

 その意味を、クロスは漸く理解し始めていた。
 正直なところ、精神衛生上宜しくない光景ばかりである。
 これならばいっそ、この世界の自分と鉢合せ、等と言う事が在った方がまだ諦めがつくのだが。
 クロスは肩を落としてそんな事を考えた。そういえば、オレの住んでたマンションはどうなってるだろう。
 「大体」
 クシャリと音を鳴らしながら、丸めてポケットに突っ込んだままだったATMの使用履歴を取り出す。
 残高は生前のクロスには拝んだことの無いような数字が並んでいたが、それは今は関係ない。
 西暦2004年。
 そう、記されている。
 これでは、クロスが”死んで”から二年しか経っていない事になる。
 まぁ、別世界だと思えば驚くようなことは無いと言えば無いのだが、どうにも居心地が悪いのも事実だ。

 根源的に自分を否定されている。そんな気分になる。

 コンビニで週間少年誌を流し読みしてみても、クロスの知識とは違う漫画が連載されていたし、新聞を読むと、聞いたこともない名前の閣僚の不祥事が記されていた。総理大臣の名前すら違う。と、言うか与党が連立を組んで居ないとか、何かのギャグかと思わずには居られない。
 これで”かしこきところ”に住まう人の名前まで違っていたらと思うと背筋が寒かったが、生憎と調べようが無かった。
 とりあえず、落ち着いたら図書館へ行って知識を仕入れる必要がある。クロスはそう決心した。
 そして、その場から逃げ出すように、足早に駅を目指した。

 「ええ、そういう事なんで。そろそろ現地へ到着します」
 『そうですか、管理外世界はなにぶん初めてだったので、総務がちゃんとやってくれて助かりました』
 沈みかけの夕日が差し込む海岸線沿いの電車の中。
 車内には自分以外の乗客は居なかったから、クロスは堂々と次元間通信を試みていた。
 「管理局が開拓して教会は地ならしって役割分担でしたしね。まぁ、ここは文明レベル高いですから」
 『文明レベルが高い方が、身分証明の作成は大変らしいって伺いましたよ? ……それにしても、これだけ次元座標が離れているのにリアルタイムで通信できるって凄いですね』
 通信相手のカリムは、彼女の自室の宙に浮いている筈の平面モニタを不思議そうに撫でながら言った。

 時空管理局の中枢の在るミッドチルダを次元座標0.0.0.0として、単純に言えば数が多くなるほど遠いと言う事になる。平面的に言えば中心から円を書くように外へと新たな次元を開拓していっているからだ。
 そして、発見順に番号を割り振っていくから、クロスの今居る第97管理外世界は、ミッドチルダからそれ相応の距離と言う事になる。
 転送に中継点を用いなければ成らない事からもそれは推察できるだろう。

 「まぁ、マッドサイエンティストに不可能は無いって事なんじゃないですか」
 『これで、もうちょっと庭園を荒らすのを控えてくれれば素直に感心できるんですが……』
 ひたすら高笑いを浮かべる共通の友人(?)を思い浮かべて、遥か次元の壁を越えてため息を吐いた。
 単独での管理外世界潜入と言う事で、当然クロスは可能な限りの準備をしてきた。もとより、自分が望んで行っている事ではないのでそれも当然である。
 この超長距離リアルタイム次元通信も、その成果の一つである。
 クロスの知識が正しければ―――もはや怪しい事だが―――この先起こる事件はアームドデバイスを振り回していれば片がつくものでもないので、多少マッドだったとしてもオブザーバーが居てくれた方が都合が良かった。
 「困ったときのスカえもんってね……この世界でも、やってるのかな」
 茶化そうとして、要らない言葉を口走っていた。
 『……クロスさん?』
 とても心配そうな顔が、モニタ越しに見えた。なんでもないと、笑って肩を竦める。カリムの表情が更に曇った。
 失敗したらしい。
 『何か、嫌な事でも? その、お母様と何かあった……とか?』
 言われて今度こそ、苦笑してしまった。
 近しい人間は―――空気を読めないレジアス以外―――誰でも知っていることだが、クロスとリンディは不仲である、というのが定説である。
 現実はお互い難しい思いを抱いているのだが、それは端から見ていては解らないだろうから仕方ない。
 一応、中身はどうあれ、外面だけは、多分きっと、心優しい部類に入るんじゃないかと思わないでもないカリムであるから、そういった事情を心配してもおかしくない。
 同時に、そういう心配事が現実になる事もこの人には予想できてた筈だよなとも思うクロスだったが。
 
 だから逆に心配しているのか。柄にも無く、凹んでいるように見えるから。

 ああ、と納得して今度はカリムを不審がらせる自然な笑いを浮かべる事に成功した。
 「そうですね、ちょっとショック受けてまして。……何ていうか、何て言うかな。そう、OVAのつもりでレンタルしたのにTV版だったとか、そんな感じですかね」
 タイトルが三文字足りませんでしたねと、クロス以外理解できない言葉を続ける。
 カリムはそんなクロスに、良く解りませんけど平気みたいですねと笑った。
 美少女の笑顔で、それなりに気分が落ち着くのだから、オトコと言うのは楽なものだとクロスは自嘲した。

 次は、海鳴。海鳴になります。

 車内放送が、到着駅を伝える。
 「着くみたいです」
 クロスは完結に言って立ち上がった。買ったばかりの厚手のジャケットを着込む。
 『御武運を祈っております』
 真面目な表情で、カリムが言ってくれた言葉に、笑顔で頷いてモニタを閉じる。

 窓の外の流れる景色が、次第にゆっくりとした物に変わっていく。
 到着は、近い。
 似て非なる。
 ここはそういう場所で、クロスが知っている筈の物は最早クロスの記憶の底にしか存在せず、きっともう、それ以外の意味を成さない。
 ずれ始めた、多分その頃からずっと解っていたつもりだったが、それでも縋る部分があったらしい事に、クロスはここを訪れて初めて気付いた。
 帰りたかったのだ、自分は。
 あのころ、あの場所、あの自分。
 こんな馬鹿みたいな和製ファンタジーの世界から、逃げ出してしまいたかった。
 そういう気持ちが確かにあって、きっと此処へ来れた事を、そのチャンスだと錯覚してしまった。
 そして無様に、こんな顔をしている。
 「……迷子の子供にしか、見えないな」
 光を反射した窓に映った12歳の子供の表情に、苦笑してしまう。コレで中身が三十路過ぎなのだから、尚更。
 そして真実、この子供には帰るべき家は存在しないのだ。
 この世界の家族は家族足りえず、真実彼が認める家族だった筈の人達は、きっとこの世界には存在しない。
 自分が何故此処に存在するかも解らないから、全てを他人事のように、享楽的に刹那を生きるしかない異邦人でしか、在り得ない。

 お前もいい加減いい歳なんだから、自分の帰る家くらい作れ。

 今まで一度として思い出した事の無い、誰かから言われた言葉を思い出して、クロスは自らを哂った。
 まったく、一度浮かび上がった里心と言う物は、どうしようもない。
 
 電車が止まる。ドアが開く。一歩を踏み出す。
 彼の知らない、彼の良く知る場所に似た処へ。
 
 物語が終わったとき、演者達は何処へ帰るのだろうか。帰る場所は、あるのだろうか。

 クロス=ハラオウンに、帰る場所はあるのだろうか。




   ※ 今回は、異世界に転生しちゃった人としてやらない訳には行かない話し。
     上手く纏めきれなくともこの設定にするからには絶対に入れようと思っていたパートでした。
     結果は、推して知るべし。

     後半強引にカリムさんを引っ張りこんでますけど、まぁ、アレです。やむおえんつーか。
     この男、一人にしておくとどんどん暗い方向へ突っ走っていくから……。



[10452] 第十六話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/03 18:54

 Part16:花咲くころに会いましょう

 陵辱ゲームと言うジャンルが在る。

 エロゲーの話である。
 まぁようするに、早い話が読んで字の如く。
 男の一方的な都合と欲望で、女の子を好き放題”いただいて”しまう、と言う内容である。
 対象は多岐にわたる。
 女子高生は言うに及ばず、ナースにウェイトレスにバニーにメイドに女将に女教師に車掌に婦警に看護婦にエトセトラ、エトセトラ。
 中には、まだまだ年端のいかない、どう見ても小学生程度にしか見えない―――18歳未満の登場人物はこの物語には登場しません―――までいただいてしまうものまで在る。
 と、言うか。
 クロスが死ぬ少し前辺りから、陵辱に限らずソレ系を対象に選ぶエロゲーは増えてきた。
 冷静に考えるまでもなく酷い話以外の何物でもないのだが、現代日本が誇るエロ原画師達の職人芸によってソレは、見事にフェティッシュと淫靡さと両立された物として完成する。……まぁ、酷いのは本当に―――クオリティ的な意味でも―――酷いが。

 例え泣き叫び押し倒される幼女の絵であっても、二次元に落とし込みデフォルメすれば、それなりに見れる物になる。
 逆に言えば、”二次元だからこそ”見れる物なのであって。

 率直に言って、吐き気がした。

 その光景の余りのおぞましさに、瞬間的に喉の奥に酸っぱい物が立ち上ってきた。
 どのくらいおぞましかったかと言えば、生まれてはじめてみた、ドラゴンのブレスに焼き尽くされた集落に転がっていた赤子の生焼けの死体を見た時、それ以上に眼前の光景はおぞましかった。
 と、同時に。
 二次元は所詮二次元。現実とは絶対に容喙しない物だと、クロスはそんな事を再確認していた。

 「なんだ、このガキ!?」
 「てめぇっ! ちゃんと見張っとけって言ったろうが!」

 窓の外に半身を晒したまま、その錆びれた室内の様子を観察していたクロスの耳元に、不快なノイズが走った。
 勿論、分割された思考の一つは、ソレが言語であると冷静に解析していたが。
 クロスは我知らず、ため息を吐いていた。
 今日は厄日、そう言う事らしい。
 精神力を消耗したと思ったら視覚的なダメージを追い、挙句、一日の締めがこのザマである。
 ただのヲタクでしかなかった生前であれば、絶対に傍に近寄ろうとしなかった人種が、無理に作ったような怒り顔で近づいてくるのを見て、クロスはもう一度大きくため息を吐いた。

 少し、時間を遡る。

 有体に言ってしまえば、ショックが抜け切っていなかったと、そう言う事なのだろう。
 クロスは自らがクロスだと言う事を失念していた。
 夜の海鳴の街並みを、おのぼりさん宜しく忙しなく視線を動かしながら歩いていたら、警察に呼び止められた。
 
 こんな所で何をしているんだいボウヤ。

 端から見れば鞄一つ持たずに歩いている、年齢12歳の外国人である。
 しかも、視線は常に一定とならず、あちらこちらと眺め回している。
 迷子か。警察がそう思う事も無理は無い。
 そう、真実この瞬間まで、制服警官に中腰で視線を合わされ尋ねられるまで、クロスは気付きもしなかった。
 ここは現代日本である。
 そして自分は、クロス=ハラオウン12歳。
 十年も生きていれば、それなりにその世界に染まってしまうという事か。クロスは現代日本の常識を失念していた。
 そう、12歳といえば、この世界ではまだ義務教育も終了していないただの子供。
 日本どころか、世界の何処に言っても子供以上の何かでは在り得ないだろう。
 言い訳をしながらクロスは警察を振り切って、焦燥に胸を焦がしていた。
 そして、ビジネスホテルにでも宿を構えようとした彼を待ち受けていた現実は、当たり前の事実の確認でしかなかった。
 
 幾ら金を持っていても、子供一人がホテルに宿を取れる筈も無く。

 クロスは夜の街を一人、それこそ迷子の子供のように練り歩く羽目になった。
 常識と言う物がいかに主観に頼っているかと言うことの良い証左だろう。恐らく、この世界の事を事前に調査した教会の総務部のスタッフも、ミッドチルダの常識に当てはめて、12歳であれば活動に支障は無いと考えてしまったに違いない。
 寝床の確保など容易だろうと考えてしまったのだろう。
 十数年ぶりに口にした日本でもっともチェーン展開著しいファーストフード店のハンバーガーにかぶりつきながら、クロスは大きなため息を吐いた。
 相変わらず、塩辛い。いやいや、そんな事はどうでもいい。っていうか、何時値上げしたんだろう。
 中身の無いスカスカのポテトを口にしながら、どうでもいい事を思考の片隅に追い出し、現実的な思考に切り替える。
 まずは宿を、どうするべきか。
 仕事中の野宿は、決して珍しくない。
 次元世界は一つの次元内、一つの惑星内においても九割未開発の地域というような次元ばかりだから、”自然の中でさえあれば”野宿自体はクロスにとってはしょっちゅうの経験である。
 生憎と、第97管理外世界は、発見された次元世界でも有数の文明発達世界だったが。ここまでの人口密度は、次元世界の中枢であるミッドチルダですらありえないのだから、その凄さも理解できるだろう。

 コンビニの裏側でものぞけば段ボール箱くらい見つかるだろうか。
 いや、それ位するならいっそ、24時間営業のファミレスにでも居座った方がマシだ。
 ……今の自分が、12歳の身体で無ければ。
 ファミレスだって、深夜にまで居座っている小学生が居たら、不審に思うだろう。
 腕に自信があるからといっても、任意同行を求める警察と立ち回ることなど、絶対にしたくは無い。
 
 幸いといって言いのか悩むところではあるが、海鳴は郊外へ行けば山林地帯が広がっている。
 騎士甲冑を纏えば寒さを凌ぐことなど別けないから、最悪の場合は本当に野宿である。問題は、今が最悪の状態と言う、単純な事実だ。
 率直に言って、クロスは疲れていた。
 超長距離次元転送はそれなりに身体に負担がかかるし、それを於いても母との対話や故郷のような物を見てしまったが故の精神的疲労が大きい。
 ベッドでとは言わない、せめて、屋根のある場所で眠りたかった。
 選択肢としては、どうか。
 映画館でレイトショーや漫画喫茶。これは、入店時に弾かれるだろうから不可能。
 駅の構内で……駅前は、交番が近いので余り近寄りたくない。
 何で愛と勇気の溢れる都築ワールドで、こんな殺伐とした事を考えなければいけないのか。クロスは作り物そのままの味のしたジュースを啜りながら、項垂れていた。 
 そして、自分の思考に閃く物を発見した。

 都築ワールド。そう、ここはとらいあんぐるハートの世界である。
 クロスの現在地は、駅前の大通りを少しいったところにあるハンバーガーショップである。
 駅前に掲げられていた地図から把握するに、繁華街が近い。少し歩けば、臨海公園も見える。道なりに歩けば、山道へと続く。
 少し、自力で気分を盛り上げたい気持ちもあったのだろう。
 クロスは自信に都合の良い部分のみを考察しながら、宿を取るべき場所にアタリをつけた。
 
 正確な位置を把握出来ると言う意味では、神社。
 距離的な意味で言えば、繁華街の裏に在る廃ビル。
 
 どちらにしようかなと、投げやりな思考で盆の上の上のポテトをより分けて花占いと洒落込んでみると、廃ビルのほうに決まった。
 場所がわからないのが問題だが、そこは自分の記憶の中にある背景の一枚絵の印象に賭けるしかない。
 まぁ、そこまで拘りが在るわけでもないし、近いものが在れば御の字程度の物である。
 折角のエロゲ時空。観光気分で楽しまなければこの先持たないと、クロスは自らを誤魔化しながら、ハンバーガーショップを後にした。

 その結果が、コレだ。
 目的の物は、都合よくあっさりと見つかった。
 軽く建物を確かめてみれば、何か鋭い刃物でつけたかのような切断痕がそこかしこに見つかった。穿たれた穴は飛針でつけたものだろうか。
 少し盛り上がってきた気分のままに、クロスはシャッターの降りた入り口を無視して、三階の割れた窓枠を目指して跳躍した。

 跳躍して、そのおぞましい光景を目にする羽目になった。
 泣き叫び、埃まみれで頬は叩かれたかのように腫らした金髪の少女。
 それを取り囲む柄の悪い男たち、生理的嫌悪感を催す飢えた獣のような顔、顔、顔。一人だけ怯えたような物が混じっているのは、自分はこいつらとは違うと思いたいつもりなのだろうか。
 少女は無理やり床に押さえつけられており、来ていた服は下着ごと無残に引きちぎられていた。
 おぞましい。
 吐き気がする。
 クロスは、自身に正義感などあるとは思っても居ない。
 思っても居ないし、持った力を意のままに振るいたいと思ったことも、それほど無かった。
 
 だというのに自然に体が動いていたのは、クロスにとって小さな驚きだった。
 窓枠を乗り越えて、室内に踏み込む。
 なにやら叫びながら近づいてくる男たちに視線を合わせることも無く、一直線に少女の方へ。
 その途中、”しょうがいぶつ”にぶつかりそうになった。
 クロスの戦闘意欲に激発されたらしい、彼の胸元に待機状態のまま収まっていたアームドデバイス”SS4”が自動的に騎士甲冑を構成した。
 男たちの戸惑う仕草に構うことも無く、鉄甲を備えた裏拳を叩き込む。
 吹き飛ばされるしょうがいぶつ。一つ二つと、壁際に、跳ね飛ばされるように。
 それでもクロスは構うことなく、一直線に少女を目指す。
 コンと、床を金属が撥ねる音がした。鉄パイプ。
 男たちの一人が持ち出したらしい。奇声を上げながら、それをクロスに振り被る。
 『Line Shooter』
 デバイスがクロスの視線誘導に従って自動で魔法を発動する。超高速の半実態魔力線射撃。
 それが何であるかすら理解できない男たちに、かわせる筈も無かった。非殺傷設定の魔法は、違うことなく男の意識を刈り取る。
 ただ、半実体化された魔力の激突による物理的な衝撃は相殺される事は無く、魔法の直撃を受けた男は、他の男たちと同じように、壁面にその身体を叩きつけられた。
 そうして、クロスは少女の前にたどり着いた。最後の一人、少女を押さえつけていた男は、仲間たちのところへ帰れるようにと方向を定めて顔面を蹴り飛ばした。
 「SS4」
 『CrossLine Bind』
 クロスの指令に従って、幾筋もの魔力線が、複雑に絡み合いながら立方格子の檻を構成し男たちを拘束した。

 それを確認し、クロスは気分を入れ替えるために、一つ息を吐いた。
 床に倒れたままの少女の姿を見下ろす。半裸のそれは目に毒と言うよりは、痛ましいものだった。自分の思考の正常さに、クロスは安心した。
 二次元は所詮二次元で、現実にするべきではないと再確認。
 騎士甲冑を解きながら、クロスは呆然とこちらを見据える少女に向かって手を差し出した。
 「立てる?」
 気の聞いた言葉が浮かんでは消えて、結局出たのは単純な単語に過ぎなかった。
 いまだ思考が混乱から立ち直れないのだろう、少女は、ふらふらとした仕草で、クロスに自らの手を差し出した。
 「アンタ……何?」
 少女の声、それは本当なら勝気なものであるべきなのだろうそれは、枯れきったようにか細いものだった。
 引き起こした少女と視線を合わせながら、クロスは今度こそ芝居がかった口調で言って見せた。

 「クロス=ハラオウン。まぁ、何処にでも居る魔法使いの一人です。……出来れば、お名前をお聞かせ願いますかお嬢様」

 決まった。
 そんな、戦闘後の興奮状態の精神からくる馬鹿らしい思考がクロスの脳内を掠めたことに、少女は気付かないでくれたらしい。
 クロスから手渡されたジャケットを肩にかけながら、ポツリと、言った。

 アリサ=バニングス。

 少女は名乗った。
 クロスは、きっと間抜けな顔をしていた。




    ※ まともに戦ってるシーンって初ですかね? ただ苛々を当り散らしてるだけのようにも見えますが。
      コレ書いて、そういえばなのはSSのお約束の「ぼくのかんがえたかっこいいデバイス」をやってない事に気付きました。
      まぁ、やるタイミングを既に逸してるような気もしますし、流れがおかしくない所でやります。
      ……全部『デバイスを』とかの文章で済ませてたね、今まで。誰にも突っ込まれなかったから、気付かなかった……


 
    



[10452] 第十七話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/04 18:19


 Part17:バニングス、つまり彼女の解釈

 まぶたを開くと、カーテン越しの朝日の中に、ベッドに備えられた天蓋が見えた。

 一瞬、グラシア邸に宿泊したのかと錯覚してしまうが、視線を横にずらしたときに目に入った掛け時計に刻まれていた文字がローマ数字だったことで、クロスは現状を認識した。
 カーテンのかかった窓の隙間からこぼれる風景に目をやる。
 彼の知る現代日本では在り得ない様な西洋風庭園が広がっていた。
 もっともこれに関しては、本当にクロスが知らないだけで彼の知る現代日本の何処かに確実に存在していたのだろうが。
 ゆっくりと体を起こす。寝巻き代わりのシルクのバスローブの感触が、いっそわずらわしかった。
 首に掛けたままだった、待機状態のデバイスがこれほど心強かった事はない。

 コンコン。
 
 広大な客間の隅にあるドアを、外側から叩く音がした。
 「お目覚めでいらっしゃいますでしょうか、ハラオウン様」
 一本芯の通った老人の声が、クロスを呼んでいた。
 ベッドから這い出て、素足のまま絨毯の上をとぼとぼと歩き、ドアを開く。
 燕尾のタキシード姿の老人が、柔和な笑顔を浮かべていた。
 「お早うございます、ハラオウン様」
 「お早うございます、ミスタ・鮫島」
 バニングス家執事の鮫島老人が、寝ぼけ眼のクロスに向かってゆったりとした仕草で一礼した。
 その動作にしたがって、彼の後ろに控えていた年若い女中達もクロスに向かって頭を下げる。
 「お着替えは……」
 「自分で出来ますから、貰えますか」
 後ろの一人は確実に格闘技の有段者だなと当たりをつけながら、クロスは即答して手のひらを示した。しっかりとアイロンまで掛けられていた自身の服を、受け取る。
 「お着替えが終わり次第こちらの者に声をお掛けください」
 鮫島の言葉に従って、女中の一人が頭を下げる。三人居た女中の中で、一番の達人らしかった。クロスは肩をすくめて頷いた。
 人前で着替えるのが恥ずかしいとも特に思わない。
 彼女らは、真実それが仕事だから、深く気にした時点で負けである。
 ……グラシア邸に招かれるたび、クロスは心底それを身に着けていた。
 しばし無言のまま、ドアの傍に立つ女中を置いて、クロスは着替える身支度を整える事だけ専念する。
 冷水で顔を清めて、衣服を身にまとえば、後は持つ物は財布以外はなかった。
 そして財布を手に取ろうとして―――クロスはチラリと女中の顔を伺う。
 無言、無表情。
 クロスはため息を一つ吐いて、財布をサイドテーブルの上に戻した。
 お待たせしましたと言いながらドアへ近づけば、女中は少し意外そうな顔をしていた。
 
 そんな顔をされても、別に逃げ出しやしない。

 クロスは胸の片隅でそんな事を思った。
 ついでに行ってしまえば、ミッドチルダの魔法テクノロジーを用いれば、科学技術に裏打ちされたキャッシュカードの一枚くらい簡単に複製できるから、置き捨てて言っても何も問題なかったのだ。
 
 朝食の準備が出来ています。
 女中の言葉に従って、天井の無駄に高い廊下を進む。
 昨晩も思った事だが、流石エロゲ時空。生活性は放棄して、無駄に本格的な内装だと思わざるを得なかった。
 片側一面に張りこめられた窓から、朝の陽光が注ぐ。
 午前七時前と言ったところか。ミッドチルダと時差が無かった事が幸いなのか、クロスは眠気を覚える事もなかった。教会暮らしの長いクロスにとって、早朝に起床と言うのはまったく日常的なことだったから。
 窓の向こうの中庭の風景は、まったく日本的ではなかった事が、むしろクロスの精神を落ち着けていた。
 ここは、違う場所だと、認識できるから。

 「あ……」
 朝食の支度が整えられている食堂―――会食用の大広間ではなく、住人達が食事を取るためのこじんまりとした物―――でクロスを出迎えたのは、そんな、気の抜けた声だった。
 案内をしてくれた女中が一歩横に控えたので、クロスは慣れた仕草で悠々と前へ踏み出した。
 「お早う、レディ・バニングス」
 半分友人のような怪しい知人のような呼びかけ方で、食卓に腰掛ける少女に向かって挨拶をしてみる。
 腰まで届く緩やかに流れる金色の髪。勝気そうな瞳はしかし、何処か不安に揺れていた。
 金糸に映える白い制服は、クロスには見覚えがあった。彼女が着ている理由については、皆目見当はつかなかったが。
 アリサ=バニングス。
 この日本に存在するとは思えない西洋屋敷の主人……の、一人娘。
 昨夜、精神的疲労がピークに達していたクロスが、ストレス発散の行為の余波で図らずも救ってしまった少女。
 昨日はよく眠れた? などとわざとらしいほどに当たり障りのない言葉を吐きながら向かいの席に腰掛けるクロスに、アリサはもごもごと口を動かして俯いた。
 その傍にひかえていた鮫島に視線を向ける。
 老練そうな執事は、しかし何も語らなかった。主人達の会話に執事が立ち入る不作法はしないらしい。

 さて、とクロスは俯く少女を前に悩んでいた。
 形の上では暴行の現場から救い上げ、その後、まぁしがみ付かれて放してくれず、変な風になつかれてしまって一晩の宿を借りる事になってしまった。
 宿が決まっていないのなら泊まっていっては如何かと提案したのは、実際には執事の鮫島だったが。
 アリサは迎えのリムジンの中で、クロスのジャケットの袖を掴んで疲れきったように寝息を立てていたから。
 守るべき幼い主を危険な目に合わせてしまったことは、鮫島にとって痛恨の出来事だったのだろう。
 理由を聞けば、何でも迎えが遅れそうになったと連絡したら、なら今日は歩いて帰るという気まぐれの言葉を受けてしまったらしい。
 少女の移り気は、稀な頻度である事だから、日がまだそれなりに昇っていた事もあって、執事はあっさり納得してしまったらしい。
 その結果が、廃ビルへの拉致に繋がる。
 拉致犯の一人に、目覚めて怯えているところを犯さないと気分が出ないと言う、どうしようもない趣味人がいた事が、逆にアリサの貞操を救った事になる。
 その後は、クロスの乱入から警察、鮫島への連絡と気を失った犯人の確保へと続く。
 クロスは鮫島の機転から犯人に共に攫われていたバニングス家の客人と言う扱いにされ、無事身元確認を逃れた。
 仮に犯人達が変な格好をした子供にやられたと言っても、警察は誰も信じはしないだろうから、その辺も問題は無い。
 バニングス家のボディーガードがやったとでも、考えるだろう。
 そのまま警察署を後にして、寝床の確保のために神社にでも足を運ぼうかとクロスが考えていたら、鮫島の強い誘いへと繋がった。

 魔法と言う、個人が持つにしては大きすぎる力で文明を打ち立てている世界で長く暮らしていたため、クロスにとってはああいった現場を目にする事はさして珍しい事でもなかったが、表向き平和な現代日本で暮らすこの少女にとっては別だろう。
 あんな経験、一度でも受ければ幾ら未遂だったとは言え、一生モノののトラウマである。
 然るに、それをごまかすための代替手段として扱われているわけだなオレは。
 クロスはため息を吐いた。
 いやな事があったら楽しい事に没頭して忘れよう。そう言う事だ。
 突然目の前に現れた自称魔法使い。没頭するには、充分すぎるガジェットだった。

 それじゃあ昨夜はお世話になりました。これで、失礼します。

 そんな言葉を、未だに言葉に悩む少女に向けてはなったら、どうなるだろう。
 なに、こっちは所詮見た目小学生だ。他称空気が読めないことも当たり前。使用人たちは文句をいえまい。
 「なんて、出来るわけないか」
 ポツリとそう呟いて、クロスは苦笑した。
 「―――っ!? 何!?」
 クロスの言葉を聴きとどめて、アリサがガバリと顔を上げる。クロスは笑って肩をすくめた。
 「いえ、別に。この朝食、美味しいですねと、思いまして」
 「そう?―――そ、その。そう思うんだったら、しばらく、ウチで食べていっても良いわよ!? だってホラ、アンタその、アレでしょ? アレなんだから、その、住む場所とか……」
 あせったような口調で、早口の言葉が連ねられる。
 言葉の内容は、クロスにとってはやはりそれかと納得できる物だったので、直接答える前に鮫島の方に視線を移した。
 良いのかと、視線で問うても年輪を重ねた老人は黙して語ることはなかった。
 ただ、その瞳は幾らかでも、幼い主人の意を汲んでくれたらと願っているように見えた。
 主人と言うより、孫を見る目にも感じられる。
 クロスは薄く微笑んだ。
 いくらなんでも、自分から幼い少女に心の傷を背負わせてしまうのは寝覚めが悪い。その程度の気遣いは流石のクロスにも存在した。
 もうちょっと偽悪的に生きられれば、楽なんだけど。そんな風に思う。
 出来ないから、こんなトラブルに巻き込まれるのさと、苦笑した後で、クロスは口を開いた。
 「レディ・バニングス。実は折り入って頼みがあるのですが」
 「何? ……取り合えず言って見なさいよ。アンタには一応恩があるから、聞いてあげないことも無いわよ!?」
 瞳を輝かせて言葉を並べる少女に対して発した言葉は、とてもとても歪曲名表現を織り交ぜながら、あっさりと受け入れられた。
 何ていうんだっけこう言うの。ツンデレ?
 微妙にアニメ声で真っ赤になってまくし立てる少女を眺めながら、クロスは毒にも薬にもならない事を思っていた。
 鮫島老人が、クロスに向かって一つ、目礼した事に気付く。肩を竦めるだけに留めておいた。
 
 「で、でも、ウチで暮らすんだからちゃんとウチのルールは守ってもらうからね! まず、アンタのご主人様はわたし。それから、その……あ、そうだ! その変な呼び方、止めなさいよ!」
 「では何とお呼びすれば? アリサ」
 先手を打って答えて見せたら、真っ赤になって俯かれた。恨めしそうな表情が、実に愛らしかった。
 何をやっているんだろうねオレはと、クロスは頭の片隅で自身に呆れていた。
 まるでゲームの主人公のような、そのまんまの行動である。

 こうして、クロスはバニングス邸に居候する事となった。
 バニングス。
 ローウェルではなく、バニングス。
 彼の知識と、違う苗字、違う環境にいる少女。
 そして彼の知識に、限りなく近いめにあっていた少女。
 他人の空似か、それとも。その違いが何を意味しているのか、今のクロスには知る由もなかった。
 




   ※ テンションの高いキャラって書くの難しいなぁと思う今日この頃。
     
     少し真面目な話をすると、前話に関しての感想については色々参考になりました。
     原作がそうだから、と言ってもこのサイトの閲覧層がそうだとは限りません物ね。
     次以降の参考とさせていただきます。


     



[10452] 第十八話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/05 17:53

 Part18:ローウェル、つまり彼の認識

 「それじゃあわたしは行くけど、その、勝手にわたしの部屋に入っちゃ駄目だからね! あと、外で変なものも食べちゃ駄目! 夕御飯までにちゃんと家に居る事と、それから、えっと……」

 「アリサお嬢様、遅れますよ」
 ドアの付近で食堂に振り返り、早口で意味の無い言葉をまくし立てる少女に向かって、老練な執事がやんわりとした声を掛ける。
 穏やかな老人の言葉に、アリサは眉をしかめた。
 「もうっ、わかったわよ。……っていうか、何で鮫島はそっちに居るのよ」
 本来アリサの運転手を務める筈の鮫島は、何故か食堂のテーブルに一人付き紅茶を嗜んでいる客人の背後に立ち給仕をしていた。
 「申し訳ありませんお嬢様。本日この鮫島、旦那様よりの用件を仰せつかっておりますゆえ、お嬢様のお車は黒田に担当させます」
 「亜矢さんに? ……そ、まあお父様の用事じゃ仕方ないわね。それじゃ行って来ます。……えっと、ハラオウン?」
 疑問系に苦笑しながら、まるで自分が屋敷の主人かのように優雅に食後の茶を嗜んでいたクロスは、カップから口を離して少女の望む言葉を言った。
 「クロスで構わないよ、アリサ」
 「そ、そう? それじゃあ行って来るから、鮫島の言う事を良く聞いて良い子にしてるのよクロス!」
 喜色満面といった具合で食堂を痕にする少女の姿を見送って、クロスは肩を竦めた。
 吊橋効果って凄いなと、夢も希望もない事を考えている。まぁ、曲がり角で激突よりは現実的かもしれない。
 チラリと、背後で二刻半の角度で礼をしている老人を眺める。
 昨夜の件を鑑みて、女性の使用人を傍につけるとは何とも良く訓練された執事であるなと、クロスは他人事のように思った。
 
 「クロスさん、お茶のお変わりはいかがですか?」
 暫し無言で寛いでいると、鮫島老人がクロスにそっと問いかけた。
 「頂きましょう。……ああ、砂糖は四つ以上で」
 クロスはさも当然とばかりに頷いて答えた。要求に遠慮を混ぜない。それが、こういった仕事人に対する礼儀であると理解している。
 鮫島老人は一礼してティーポットから紅茶を注ぐ。手渡されたカップには砂糖が六つほど入っていた。素晴らしい仕事である。
 「それにしても、ミスタ・鮫島」
 「何でしょうか」
 湯気を息で吹流しながら、クロスは鮫島と視線を合わせぬままポツリと呟いた。
 「割とオレは、自分が不審者だと自覚しているんですが。……良いんですか?」
 「主人の決定と在らば、執事は何も口を挟まぬものです」
 いや、ゲームじゃあるまいし執事ってそういう仕事と違うだろうと思わないでもないが、その後でこの世界はエロゲ世界だったと自覚した。
 ……月守台だっけ。月村屋敷があるの。ロボットメイドとか、実在するのだろうか。
 「なら、良いんですけどね」
 「はい。ごゆるりと、当家に御逗留くださいませ」
 愚にもつかない事を考えながら言った言葉に、鮫島老人は然り、と頷いたようだった。
 お互い、口には出さないがアリサの精神安定のためにも、しばらくはクロスが傍に居る必要があることは理解しているから、余計な事を語り合う必要は無かった。
 昨夜の事件が突発的なものなのか、計画的なことなのかも、クロスには知る必要が無い。
 面倒ごとは他に控えている訳だし、最悪の時は”困ったときのスカえもん”を頼りに、記憶消去でもしてしまえと考えていた。
 
 欲しい知識は、他にある。
 聞けば、更なる混乱に陥る事も理解していたが、今後の対応をどうするか考えるためにも、聴かないわけにはいかない。
 「ミスタ鮫島」
 「なんでしょうか」
 クロスはチラリと鮫島老人を振り返って言った。
 「ローウェルさんってご存知ですか?」
 鮫島老人は片眉を上げたのを見て、クロスは逆に驚いた。少なくとも聞いたことはあるらしい。
 鮫島老人は首を捻りながら問いに返す。
 「それは……奥様のご実家のローウェル様の事ですか?」
 奥様のご実家、なるほどそう来たか。クロスは笑い出しそうになるのを堪えて、一つ頷いた。
 「やはりそうでしたか。グレアム叔父……ああ、すいません。親戚の家に世話になっていた頃に、何度かお付き合いがありまして」
 「と、いう事はクロスさんはアメリカに?」
 適当にそれらしい言葉を返したら、探るような視線を返された。
 それに軽く首を振って、いえ”前は”イギリスの方にと適当に内容が結びつかない言葉で答える。
 鮫島老人はそうですか、と一つ頷くだけだった。きっと、後で確認を取るつもりだろうが、残念ながらグレアムなるイギリス人は実在する。
 管理外世界出身の管理世界人は、条約により緊急時の管理世界出身者の身元確認手段として用いられる事が定められているから、後は管理局が上手く話を合わせてくれる事だろう。
 
 そして、分割された思考の一部を使って、生前の知識と照らし合わせを始める。
 アリサ=ローウェルはあの、何故かとらハ3のハートフルな空気を読まずに陵辱シーンがあるおまけシナリオに登場するキャラだった筈。
 見た目的には、昨日、同じような状況に陥っていたアリサ=バニングスと変わらない。瓜二つである。
 着ていた制服が、とらハ3のなのはの立ち絵にあった聖祥大学付属小学校の制服だったから、それも同様と言える。
 苗字が違うのが気になったが、今の鮫島老人の話によれば、閉じきれない矛盾でもないが……そういえば、アリサ=ローウェルは孤児とかいう設定だった気がする。
 これからこの家が没落して孤児院に押し込まれるとか、そう言う事か?
 それに疑問がある。
 おまけシナリオで語られた顛末によれば、劇中当時浮遊霊だったアリサ=ローウェルは、とらハ3本編開始の数年以上前に死んでいた筈だ。
 だが、時系列的に現在は、リリカルおもちゃ箱の時間帯。とらハ3本編の一年かそこら後の筈である。
 先日の陵辱未遂現場がおまけシナリオで語られたアリサの死の顛末だとしたら、リリちゃ箱のイベントが開始するのは今から数年後。
 しかし数年たってしまえば、幾ら成長期の遅い兄クロノと言えどそれなりに成長してしまうだろう。
 立ち絵のCGとは遥かにかけ離れた容姿になってしまうし、身内にロリコンが発生する現場は正直拝みたくない。
 だいたい、数年後ではカリムの予言が指定した時間と合わない。遅すぎる。尤もこれに関しては、予言の解釈に失敗したと言う事もありえるのだが。
 現在時空管理局は”ちょっとした事件”で空いた上層部のポストを巡り争奪戦が繰り広げられているから、後数年で母リンディが最高行政官―――生憎、管理局にそんなポストは無いが―――に就任、ヒドゥン観測、兄と対立まで持っていくと言う可能性も否定できない。
 
 ……その場合、最近すっかり忘れかけていたクロス自身の死亡フラグが再び復活するので遠慮したいのだが。

 「解らないことだらけ、か……」
 その上、相談相手もいないことが、クロスの精神を重くした。
 スカリエッティ辺りに言えば、それなりに上手く解釈してくれるのだろうがその場合有望な観察対象に指定されてしまいそうで御免こうむりたい。
 母や兄は論外である。何となく、話したら状況が悪化するような気しかしない。
 カリムには……無理だろう。アレはクロス以上に傍観者の態度だ。悩み相談をしても一人で壁打ちしている事と変わらない。

 確かめるためには、自分で外を歩いて見るほか無い。
 外を歩けば、ヒントなど幾らでも転がっている事は、クロスには解っていたから。
 こことか、そことか、あそことか。
 見るべき場所は幾らでもある。幾らでもあるけど、そのどれもに軽い死亡フラグがついて回るのが海鳴死、いやいや、海鳴市である。
 何せ街中を平然とニンジャがうろついている様な世界だ。
 例え魔法使いのクロスと言えど、迂闊な行動を見せれば背中からずぶりと行ってしまうかも知れない。

 それでも、ただじっとしているのとどっちが精神的に楽かと言えば、考える予知は無かった。
 「出かけます」
 立ち上がり、告げる。
 「どちらまで?」
 鮫島老人が問いかける。
 クロスは少し考えて答えた。
 そういえば、外に出る以外決めていなかった事に気付いたのだ。
 何処が良いか。例えば、原作登場人物たちの住まい。
 現実的に考えて、見ず知らずの他人を歓迎してくれる筈も無い。……いや、自身の現状を鑑みるに、エロゲ時空なりの超展開でそれも否定できない話なのだが。
 逆に歓迎されすぎて背中を心配しながらの生活を送る羽目になりそうだから、除外したいところだ。
 道場のある家とか、山の上の女子寮とか、ケーキが美味しい喫茶店とか、絶対駄目だろう。
 高台にあるらしい墓地とかは……調べるのが手間だから、駄目か。市役所に行って住所だけ見てみるとかも考えられるが、個人情報の保護もそれなりに無い事も無いだろう、一応現代日本だし。
 そうなると、行動範囲は自然と限られてくる。クロスは、まずは当たり障りの無いところから始める事にした。
 「まずは図書館辺りから始めますかね。本当はPCショップも見てみたいですけど、年齢が……まぁ良いや、出来れば場所を教えてもらえると」
 「宜しければお車を回しますが……」
 申し出には丁重に断りを入れて、プリントアウトされた地図を用意してもらった。
 そういえば、ネットで情報をさらってみるのもありだなと言う事に気付く。履歴を浚われると面倒だから、ネットカフェでも探す事にしようとクロスは心に決めた。
 
 「何時ごろのお帰りでしょうか?」
 用意された客間へ戻り財布を手に取り、そのまま玄関へ向かうクロスに、鮫島老人は尋ねた。
 言外に、ちゃんとここへ戻れと言われているようだった。
 「お嬢様の帰宅までには戻りたいですけど……あ、塾通ってるんですか。ってことは、5時6時過ぎくらいで構いませんか?」
 肩を竦めて答えるクロスに、鮫島老人は頷いた。
 色々な理由も含めて、クロスはまだこの屋敷から姿を消すつもりは無かった。
 アリサはなにせ、聖祥大学付属小学校に通っているらしいし、話を聞いてみれば面白い繋がりがあるかもしれないから。
 偶然も、三度続けば必然と言う。往々にして、”登場人物”と言うのはあらゆる場面で結びついているものだから。
 ついでに現実的な話としても、クロスはここを出ても行く充てが無かった。

 「それじゃあ」
 一声告げて、玄関を踏み出たクロスに、鮫島老人が声を掛けた。
 「行ってらっしゃいませ」
 その言葉に、危うく立ち止まりそうになった。

 行ってらっしゃい。

 その言葉は、帰って来る者のためにかける言葉だったから。
 クロスは、顔だけ振り向いて、軽く笑った。
 「行ってきます」
 鮫島老人が満足げに頷くのがわかった。
 不思議な気持ちが、クロスの胸を満たす。 

 帰る場所。
 案外と、簡単に出来るものなのだと、クロスは初めて理解した。

 それが一時のものになるか、永遠となるのかは、まだ解らないけれど。







    ※ 台詞が在るモブ程度のキャラとの会話で一話使い切る。
      それがオレのジャスティス。

      ……気のせいか、鮫島さんアリサより台詞多くないかな。



[10452] 第十九話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/06 18:31

 Part19:月詠む頃に歌いましょう

 端的に言ってしまえば、彼の知る世界とそう変わらない歴史だった。

 21世紀になっても東の超大国が存在している、なんてことはないし、北とか南にある島々の領有を日本が確立している何てことも無い。
 終戦記念日も緑の日も、体育の日ですらクロスの知っているのと同じ日付だったし、クリスマスは勿論あれば、バレンタインにチョコを渡すのも変わらなかった。
 強いて言えば、大戦の経過がちょこちょこと違っていたり、そこかしこで見知らぬ人物が歴史で活躍していたりしたのだが、生憎とクロスは歴史についてそこまで詳しい知識が無かったので気付かない部分が多かった。
 「昔の歴史書とかを読むと、公然と異能者が存在していたみたいな描写はあるんだよな……まぁ、こっちの教科書には乗ってないし、公然と存在を抹消したって事か?」
 パタンと、読んでいた本を閉じて呟く。
 平日の昼過ぎ。昼食のために一度外に出た以外は、クロスは市立図書館内で読書をする事に没頭していた。
 自分の知識と現実の情報を照らし合わせていく作業は、パズルゲームのような面白みがあると、クロスは常々そう思っていた。
 惜しむらくは、自分以外にこの楽しみを共有してくれる人間がいないことだ。
 そんな時に、自分はやはり異邦人なんだなと、クロスは再認識するのだった。

 「まずいなぁ」
 なまじ分割思考などに長けていると、自分の精神状態が余り宜しくない事を自己分析できてしまう。
 一度ついた里心は、どうやらそう簡単には抜けてくれないらしい。クロスはため息を吐いた。
 昨晩不良どもを叩きのめした時だって、どう考えてもオーバーキルだった。弱いもの虐めなど―――悪人に人権が無かったとしても―――あまり後味の良いものではない。
 平日の昼過ぎとあれば、そう人の姿は無かった。ぽつりぽつりと学生の姿も見え始めているから、もう少し時間もたてば多少は賑やかになってくるのだろうが……そう思い、広々とした図書館を見渡す。
 本棚の影に入り、少し光の届かない場所から。
 何かに取り残された気分になって、クロスは手にした本を棚に戻して、この場を離れようと決めた。
 これはどの道解決しない問題なんだからと、そう納得するしかないのだ。
 チラリと、本棚の脇に設置されたチラシ置き場に目をやる。

 明心館空手・本部道場入会案内
 風芽丘学園護身道部春季一般公開練習のお知らせ

 頭痛がした。
 現実を受け入れるしかないのだと、クロスは思わず苦笑してしまった。
 何せ地元の観光案内に、本当に九台桜隅の自然保護区―――私有区域有り―――や月守台の温泉街があるのだ。
 どれだけ否定しようとも、エロゲ時空であると納得するより他は無い。よもや、”千堂瞳の護身道入門”なる映像ソフトまであるとは想像していなかったが。本屋に並んでいたのを見た時は、流石にシュールなものに見えた。
 ここまでギャグのような世界だと、もういっそ、実は自分は未だ死にかけている途上で、この世界は自分の願望が作り出した夢か何かだとでも思いたくなってくる。
 「思い続けて早12年、なんだけどな……」
 お迎えの天使はまだ来ない。何となく、この世界で死ぬまでは来ないんだろうなとは思っているのだが。
 「……天使か」
 クロスは一つ思いついた。天井より吊るされた、館内案内のつり看板を眺める。
  
 視聴覚コーナー。
 ちょっとした広さの図書館であれば、必ず一つは存在するだろう。
 教養になり道徳的な映像作品を、その場で視聴するための施設である。
 施設と言うか、テレビと再生機器、それからヘッドホンとソファが設置されているのが常だが。
 この海鳴市立図書館も、その辺は変わらなかった。ただ、よほど税収が良いのだろうか、大型の液晶テレビだった事に、クロスは少し驚いた。
 尤も、図書館と言う性質上、5.1chのサラウンドスピーカーなんてものは無かったが。
 「さて、肝心の天使様は、と……」
 クロスは、映像作品の陳列された棚の、特に音楽関係の部分を探した。
 そして目当てのものは、あっさりと見つかった。

 ティオレ=クリステラ 海鳴公会堂最終公演
 クリステラ・ソング・スクール全世界ツアー 2003年版
 SEENA 全曲集

 「……シュールだ」
 道徳と正対の位置に存在するエロゲのヒロイン達のボーカルアルバム(?)が市立図書館に堂々と並べられている。
 この世界の歌謡史はどうなっているのだろうかと心配になってしまう。その横の棚に、モーツァルト全曲集とかが置いてあるのだから、尚更だった。
 まぁ、良いやと顔を若干顔を引き攣らせながら、クロスは一番新しそうなものに手を伸ばした。本日より貸し出し開始と書いてある、昨年の海鳴公会堂でのクリステラ・ソング・スクールの公演の様子を収めたDVDだ。
 天使の歌声。
 どう考えてもまるっとアニソンとしか思えないそれの、実物はどんなものか、是非とも聴いてみたかったから。
 
 「……あ」
 「お?」
 間抜けな声が出てしまった。
 小さな掌、細い指と、クロスの皮の厚くなった硬い手とが、DVDケースの前で重なっていた。
 顔を横に向ける。全く同じタイミングだったらしい、ばっちり視線が交差した。
 白いヘアバンドの映える夜色の髪の少女が、きょとんとした表情でクロスを見ている。
 少女の深い色をした瞳に映る、クロスの顔も少女と全く同じものだった。そのクロスの瞳の向こう側にある少女の顔も、やはり同じで。
 クロスは/少女も、視線を外す事は出来なかった。
 そして何故か、それを焦りも覚えない。不思議だとも感じない事が、クロスには不思議だった。
 少女も同様の気分だったのだろうか。見ず知らずの人間と視線を合わせ、手を重ね合わせているのに、それを嫌ともいわないし、怯えたようにも見えない。
 
 見つめ合う。まるでそうするのが当然のように。
 見つめ合う。それ以外の行動を、失ってしまったかのように。

 それが破られたのは単純に、隣で棚を眺めていた老婆が、クロスにぶつかったからである。
 振り返る。
 「あらごめんなさい」
 「いえ、こちらこそ」
 ゆるりとした口調で謝る老婆に、クロスも微笑んで首を振る。
 そして、自分は何をしていたのだろうかと首を捻った。視線をまだ感じていたから、もう一度少女の方を振り返った。
 髪と瞳の夜の色以外は、肌も、着ている物も含めて、清楚な白い少女だった。クロスよりも少し目線が下にあった。少女にしては背が高い方か。クロスは漠然とそんな事を考えていた。
 自然、言葉を発する事は無かった。まるでそうするのを忘れてしまったような、不思議な感覚。
 何時までもそうしているわけには、いかないのに。
 「あのっ」
 きっとそう思ったのは、少女の方が少しだけ先だったのだろう。
 図書館で発するにしては大きな声だったので、周りに居た人々が何事かと思って振り返った。
 それに気付いて、少女は赤くなって俯いた。
 クロスはその姿に微笑んでいた。
 「何?」
 穏やかな、自分の精神状態を考えれば、信じられないくらい穏やかな声音で、クロスは少女に尋ねた。
 「えっと、よければその、……一緒に見ませんか?」
 まるで思い人に恋文を手渡すかのような仕草で、少女はDVDをクロスに示した。
 断る理由は、無かった。
 断らない理由も無いことに、クロスは終ぞ気付かなかった。

 端的にってしまえば、感服していた。
 広いホールで堂々と、高らかに歌い上げるドレス姿の女性達。
 それは真に迫って心の奥深くまで届く、美しいと言うほか無い響きを持っていた。
 二人掛けのソファに腰掛、ヘッドホンをつけてDVDを鑑賞する。
 現実として存在すると、元二次元であったとしても中々侮れないものになるなと、クロスは少し感動していた。 
 また一つ極が終わって、ヘッドホンの向こう側から小さく手を叩く音がしている事にクロスは気付いた。
 ちらと、視線を横にずらす。少女が液晶テレビに向かって手を叩いているのが解った。
 その姿にクロスが思わず微笑んでしまうと、少女はクロスの視線に気付いたらしい、頬を赤らめてはにかんだ。
 薄く笑って、視線を画面に戻す。
 不思議な時間だなと、クロスは思う。
 事実としてあるのが、心地良い空間。この少女の隣に居る現実に、クロスは酷く落ち着いている自分に気付いた。
 何故だろうか。
 ”この世界”に生まれてこのかた、一度として味わった事の無い、安心感。そう、安心感。

 異邦たる自分を、それを許容してくれるような、そんな感覚。
 それを、何処にでもいそうな、幼い少女に対して感じている。

 ―――何処にでも、居る?

 曲を聴く傍ら、少女の姿を観察する。
 白いヘアバンド。先へ行くに従って緩やかにウェーブの掛かった、腰まで届く夜色の髪。
 着ている白い制服は、今朝見かけたアリサと同様のもの。私立聖祥大学付属小学校のもので間違いないだろう。年齢もきっと、アリサとそう変わらない筈だ。
 所謂、何処のエロゲ時空にでも存在しそうな、あと五年も経てば立派な攻略対称キャラになりそうな美少女……いや、それにしては見覚えがある。
 最後の曲が終わる。DVDが止まる。少女が、ヘッドホンを降ろした。
 満足感たっぷりの笑顔を、クロスに向ける。その拍子にすこしだけ、窓から差し込む夕日が、少女の瞳に反射した。
 夜色の瞳が、紅く、輝いて見えた。

 「―――、夜の一族?」
 「――――――っ!!」

 瞬間、”爆ぜた”。
 収縮する空気のゆがみ、その後の膨張による、破裂音。
 咄嗟に顔を腕で覆って視界を妨げたクロスは、次の瞬間にそれを目撃した。
 舞い散る、ソファに詰まっていた綿だったもの。
 少女が座っていた筈のクロスの隣は、何かの衝撃に耐え切れずにズタズタに破けていて、中からスプリングが飛び出している。
 液晶テレビが、ぐらりと棚から崩れ落ちた、鈍い音、砕ける硝子。バタバタと、それ以外にも周囲では、背の高い本棚が幾つか崩れ落ちている事が解った。
 突然巻き起こった正体不明の大惨事に、あちらこちらから悲鳴が上がるのが聞こえる時になってようやく、クロスは状況を認識した。
 クロスが呆然としている視聴覚コーナーから、一直線に図書館の出口までを目指して、本棚がなぎ倒されている。
 そして、クロスの隣には、既に少女の姿は無かったから、誰がこの惨事を引き起こしたかは明白だ。
 そして少女がこのような突発的な行動を引き起こした理由も想像がついていたから、つまり、この惨事の原因がクロスの不用意な一言にあることも、当然理解できていた。
 
 夜の一族。
 都築ワールドにおける、ようするに吸血鬼の一族である。
 血をすったり、猫耳を出したり、怪力だったり切断された腕がくっついたり、後はまぁ、ごにょごにょ。
 総じて、味方に甘く、敵にはとてつもなく厳しい。

 「……これ、ヤバいんじゃないのか」
 クロスは、呆然と呟いた。
 目の前の惨状ではない、自分の置かれた、不用意に立ってしまった現状を認識しての言葉だ。
 夜の一族と言うのは確か、自らの存在をなるべく秘匿するように行動していた筈だ。
 そして少女の髪は夜の色。桃色ではなく、夜の色。”どちら”に似ているかと言われれば、答えは一つしかないだろう。
 そして、そちら側にはバックに二刀流の用心棒が控えている。
 いや、ルートによってはそうでもないのか? ……いやいや、どのみちロケットパンチを備えたメイドくらいは平気で出てくる。
 ついでに言えば、肝心の彼女自身も、見事な怪力の持ち主だった筈だ。
 出てくるものがその誰か一人であっても、”敵”と認定された人間がどんな目に合わされるかなんて、考えるまでも無い。

 海鳴市。普通の美少女から戦闘美少女まで完備した人外魔境。
 迂闊な行動が即座に死を招く、エロゲ時空でも有数の危険地帯。
 
 まさか初日から、背中の心配をする必要が出てくるなんて。

 クロスは己が迂闊さを呪って、項垂れた。






    ※ 今回から月光編開始。
      原作本編の前哨戦見たいなノリで、複数回続くと思います。
      とりあえず、そろそろ戦闘シーンが必要な頃だよね。



[10452] 第二十話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/07 18:25
 Part20:ミス・ムーンライト1

 扉の前で深呼吸。大丈夫、わたしは出来る女。

 「ク、クロス? 入る、入るからね!」
 夕食後。既に、風呂も済ませ、後は寝るだけの時間帯。
 愛すべき両親は、海の向こうで大事な仕事があるため、ここしばらく居ない。
 アリサは、高らかに―――声が引き攣っていた事は気にしてはいけない―――そう宣言して、クロスが間借りしている客間へと踏み込んだ。
 クロスの姿は、直ぐに見つかった。窓際の長椅子に身体を預けて……預けて。
 アリサには理解しかねる、ファンタジーな光景を演出していた。
 
 「ええ、”シンクレア”の設置も無事に完了しましたし、後は事件が起こるだけってトコですね」
 『何も起こらないでくれれば、本当はそれが一番良いんですけどね。でも……本当にドクターの仰ったとおりの効果を発揮できるんですか? ええと、全領域型情報集積デバイス、でしたっけ。使用者の生体因子の移植による高密度のデータフィードバックシステムなんて、私には危険なものとしか思えないのですが。……後、シンクレアって名前は何処から取ったのでしょう?』
 
 一言で説明すれば、大きな人の顔だった。女性。美人である。胸元が見えそうな寝巻きなのは、突っ込むべきなのだろうか。
 人の顔が、浮いている。いや、正確に言えばテレビのモニター部分だけが半透明で宙に浮いていると言う事なのだが、どちらにせよアリサには理解できないテクノロジーだった。
 発明マニアの親友の姉だったとしても、こんな物は作れないだろうと思う。
 中庭に面した窓際と、廊下側に面したドアは一番離れていたから、ドアに背を向けていたクロスはアリサの来訪に気付いていないらしい。
 画面(?)に映る美しい女性と、談笑を続けている。
 「確か、有名な女優の名前だったと思いますよ、多分。……まぁ、そこはスカえもんを信じるしか無いんじゃないですか。一応、飛ばした後でもH.G.Sの展開は成功しましたし。……お陰で、魔力馬鹿食いですけど」
 『何で疑問系なんです? 微塵も信用していない口調も素敵ですよクロスさん。……あら?』
 目が合った。思わず、アリサは後ずさってしまった。
 綺麗な微笑を浮かべた女性が、半透明の画面越しにアリサの事を見ていたのだ。
 「どうしましたカリムさん……って、あれ? アリサ?」
 何か魔法的な現場を見てしまったアリサを咎めている、という訳ではなく単純に彼女が居る事に始めて気付いたというような顔で、クロスがドアの方へ振り向いた。
 笑顔でひらひらと手を振っている。見ると、画面の中の女性もアリサに向かって―――まるで”子供”に対するように―――手を振っていた。
 
 物凄く。何故だろう、物凄くカチンときた。

 画面の向こうのネグリジェ姿の女性と、如何にも子供―――当たり前だが―――が着るパジャマ姿の自分を見比べて、一瞬涙が出そうになったが、それでも雄雄しく堂々とした態度で、アリサは客間へと踏み込んだ。
 ドカドカとフカフカの絨毯の上を進み、クロスの腰掛ける長椅子の横に仁王立ちする。

 なにやら気合の入っているアリサの目を見て、クロスは気を利かせて何もいわないことにした。ただ、軽くアイコンタクトをカリムに送る。
 カリムは薄く笑った。
 その笑顔を見て、やはりこの人の本性は黒だなと、クロスは思った。図書館の少女ともう一度戯れたいなぁとも。
 
 『ごきげんよう』
 「ごっ……ごきげん、よう?」
 先手を切ったのはカリムだった。明らかにアリサの反応を見て楽しんでいる事がクロスには解っていたが、後が怖そうだったので何も言わない事にした。
 アリサは、彼女自身もお嬢様だろうに、カリムのお嬢様な挨拶に気勢をそがれたようだった。
 勇んで踏み出してみたけどその後の事を考えていなかったらしい。どうしようというような視線を、クロスに投げかけてきた。
 いや、そこで涙目で見られてもと、クロスとしてはそう言うしかないのだが、仕方が無いとばかりにため息を吐いた。
 何故か乾いていた喉を潤すために、砂糖七つ入りの紅茶を口に含みながら、優雅に、あくまで優雅に軽い口調で、言った。
 「えっとね、アリサ。こちらはカリム=グラシアさん。簡単に言えば……」
 『妻です』
 ブフォオゥッ。
 兄クロノに勝るとも劣らない、見事なリアクションをクロスは披露した。
 「つ、つ、つっつつつつっつつつ、つっ、妻ぁ!? クロス、あ、あぁあああんた、け、ケコ、結婚してたの!?」
 紅茶が器官に入ったため咽るクロスの襟首を掴んで、アリサはがくがくと振り回す。
 『それでクロスさん。”夫婦”の語らいを邪魔しくさったその泥棒猫を、早く紹介していただきたいのですが』
 付き合いの長いクロスには解っていた。この女、天然そうな言葉の裏で、物凄いノリノリである。
 クロスは投げやりそうに答えた。予防線を張っておくのも忘れない。
 「……ああもう何ていうか、この子はホラ、カリムさん風に言えばアレだよ。現地妻。それ以上は面倒だから”ここでは”聞かないでくれ」
 「げ、げげ、現地妻って、何よ!? ……ホントに、どういう意味?」
 クロスの思いつきの言葉に、9歳の少女は混乱してくれたらしい。カリムに対して”本当に”伝えたかった部分には気付かないで居てくれたようだ。画面の中のカリムだけが、一瞬のクロスの真面目な表情でそれを理解して、軽く頷いた。

 出会った事情が何なのか。
 そんな事を聞かれたら、少女の塞がりきっていないであろう心の傷を呼び起こしてしまう事になる。
 だからその後は、アリサの事をからかいつつも当たり障りの無い会話に終始する事になった。
 クロスが図書館で巻き起こした事件にまで話が及んでしまった関係で、彼が一方的に虐げられる事になってしまったことは、語る事でもないだろう。

 翌朝。昨夜遅くまでクロスの部屋で繰り広げられたカリムとの喧嘩腰でのやり取りが尾を引いているのか、アリサは若干寝ぼけ眼で食堂へ訪れた。
 「お早う」
 「……オハヨ。良いわねアンタ、学校無くて」
 まるで惰性で学生生活を送る高校生のような口調で、アリサはクロスに言った。
 クロスは肩を竦めて苦笑した。
 「生憎、君らの言うところの大学までは卒業しているんだ」
 事実である。が、アリサは信じていないようだった。彼女のイメージする、聞き伝の”魔法の国”のイメージの中には大学なんて物は存在しないのだろう。昨晩はカリムの事を最後まで、意地悪な魔女としか思って居なかったようだし。
 「アンタ今日はどうするの?」
 だらしの無い姿でオレンジジュースを啜りながら、アリサは尋ねてきた。
 因みに、昨日のバニングス邸への帰宅は、アリサのほうが先だった。クロスは玄関を潜り抜けた瞬間怒声を浴びる羽目になった。
 クロスは少し考える。
 どうするか。どうするもこうするも、予言の指定した刻限までは、待機しているしかない。
 スカえもん謹製のシンクレアも展開済みだし、本当にやる事が無かったのだ。
 本音を言えば、この間に情報操作を織り交ぜて何処かに部屋でも借りて拠点を築きたかったのだが、それでは目の前の少女を放り出す事になってしまう。
 そしてその件に関しては、精々時間に解決してもらうほか無いから、本当にクロスに出来る事は無い。
 
 ……まぁ、そんな暢気な事を言えたのも先日までの話なのだが。
 図書館での一件が頭を過ぎる。
 可憐な、何故か傍にいると落ち着いた、少女の姿。そしてその後の惨事。
 適当に驚いて見せた後に慌てる人々に混じって逃亡してしまったから、その後に何が起こったかは解らない。シンクレアを昨日のうちに展開していれば消えた少女の姿を探す事も可能だったのだが、生憎とそれを行ったのはバニングス邸に帰宅してからだった。
 命の危険を避けようとするのならば、このいえの中に居るのが良いのだろうが、主人不在の家に正体不明の客人が居るとなると、使用人一同が落ち着かないだろう。
 クロスはため息を吐いた。
 「今日も、ちょっと街に出て調べものかな」
 「……そ。ちゃんと帰って来るのよ?」
 半眼になりながら呆れたように、しかし最後だけは真摯な瞳でアリサは言った。
 クロスは勿論と頷いた。アリサは、落ち着いたように微笑んだ。

 昼過ぎ。クロスは一人、市立図書館を訪れていた。
 図書館は案の定と言うべきか、警察によって封鎖されていた。パトカーが何台も止まっており、遠めに見える館内を覗けば、調査をしている人員の姿が見える。
 遠巻きにそれを眺める野次馬達に混じって、クロスはそれを眺めていた。
 ため息を一つ吐く。此処へ来れば何か解るとは思っていなかったし、来て、見たもの自体も予想通りのものだった。
 それが初めからわかっていたのに、何故此処に着たかといえば。

 「……此処に来れば、もう一度会えると思っていたのかも、な」
 なんとはなしの未練というヤツだろう。
 思えば、執着心と言う物を抱いたのは、この世界に生まれて初めてかもしれなかったから。
 出来ればもう一度、会いたかったのかもしれない。

 「ハァイ♪ 誰かをお探し?」
 そんな、快活な響きが聞こえたのは、クロスが自嘲に浸っていた時だった。
 クロスは、背後から聞こえた歳若い女性の声に、始めは反応せずに、ただため息を吐いた。
 どう考えても、会えるとした”こっち”だろうなと、それもまた予想できていた事だったから。
 あからさまにため息を吐いたクロスを見て、女性が不機嫌そうになったのが気配で解る。クロスは振り向いた。

 夜色の髪、深い色を湛えた瞳。

 月村忍が、そこに居た。






    ※ 記念すべき20話の大台なのに、凄い繋ぎの回。
      当初はもっと、こう言ったグダグダなノリの多い話にするつもりだったのに、何時の間にか前のヤツと余り
     変わらない感じになってきてるよねぇ。
      と、言う訳でラブコメ。維持でもラブコメ。今後とも強引に入れていく所存。

      こんなんでハーレムエンド(予定は未定)の栄光をつかめるのだろうか。

      あと、10万PV、ありがとうございましたー。



[10452] 第二十一話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/08 14:13



 Part21:ミス・ムーンライト2

 「ねぇ、ボウヤ。ちょっとお姉さんとお話しない?」

 さて、遂に出会ってしまった。

 頭一つ背の高い女性を見上げて、まずクロスが思った事はそれだった。
 兄や母、ついでにアリサに先日の少女。これまで出会ってきたキャラは悉くサブキャラばかりだったが、遂に”メイン”のキャラが眼前に登場してしまった。

 月村忍。
 忘れる筈も無い。とらいあんぐるハート3のヒロインの一人である。
 クロス個人としても好みのキャラだったので、彼女のルートは片手では数え切れない周回はクリアした記憶がある。
 今目の前に居る女性の背後に控えている、スーツ姿の女性のルートと合わせれば、攻略回数は二桁を超えるだろう。
 まぁ、何週も攻略したシナリオだから、ある程度は月村忍の事は理解できている。
 基本、善人。心を許した人間には非常に優しい。
 問題があるとすれば、自分が”高町恭也”では無いという、その一点に尽きるだろう。
 何せ、エロゲのヒロインってのは主人公のためだけに用意された人間って事だし、彼女らは主人公以外の異性を必要としない。
 これで自分が赤星啓吾あたりだったなら、まだ当たり障りの無い展開に移行できたのだろうが、先日の件もある。実に難しい。
 下手すれば、”主人公”の主観から見て敵キャラをやらされている可能性すらあるのだ。
 ……実際、とても困ったと言うか予想通りと言うか、図書館を眺めている人ごみの群れの中から、やたら鋭い気配を感じる事だし。
 居る。絶対居る。銃刀法違反者が必ず背後に一人居る。あ、前にも居るか。……でもあれ、広義では人じゃなくてモノだしなー。
 
 「……ねぇ、ノエル。この子なんでさっきから、黙ったままなのかな?」
 「お嬢様。この年頃の少年はとても難しいお年頃なんです。”ボウヤ”はまずかったのではないかと愚考します」
 クロスがどうした物かと悩んでいると、月村忍も困ったような顔で背後に控えていた女性に問いかけていた。
 おお、なんとも”ホンモノ”っぽいなと感心しつつも、こちらからリアクションを取らないとどうにもならないのかとクロスは思い至った。
 「一つ、良いでしょうか」
 背伸びした子供が得意げに語る様を意識しながら、クロスは月村忍に声を掛けた。
 「あ、うん。何かな?」
 釣れた、と心の中だけでニヤリと笑って、クロスは何時もどおりの自分の仕草で肩を竦めて苦笑した。
 
 「お話しするのは構いませんが、まずそちらの戦闘用アンドロイドの女性の腕を背中に回すようにして頂けませんか?」

 「――――――ッ!」
 月村主従の顔色が変わる。そして、背後から感じていたカタナのような気配が更に濃密になった。
 クロスはニヤリと、顔に出して笑った。位置特定、成功。思考の片隅で、シンクレアに標的としてロックオンするように指示する。
 『Uberlassen Sie es mir』
 スカリエッティ謹製のデバイスは、超長距離からの指示もカタログスペックどおりにリアルタイムで送受信した。ついでに、念のためSS4も準待機モードに移行させる。
 下準備は完了。
 ありありと警戒の表情を浮かべる女性達に、クロスは微笑みかける。
 「ついでに、僕の斜め後ろに居る男性を、こちらに呼ぶか半径1キロ以上遠くへ離れさせるかしていただけると、お話しやすいのですが」
 「アンタ―――っ!」
 「お嬢様、お下がりください」
 警戒した声で、スーツ姿の女性―――ノエル=綺堂=エーアリヒカイトが、驚愕に揺れる主の前に一歩踏み出す。
 クロスは、背後の気配に若干冷や汗を流しつつも、意味が解らないという顔を作って首をかしげた。
 「―――? 会話をするのは、そちらの方で宜しいのですか?」
 ノエルのほうを見ながら―――視線を変えるついでに脚を少し開いて―――告げる。
 
 平日の昼最中。市街地から少し離れたい地に存在する、市立図書館の前。
 昨日の正体不明の”事故”の調査が続く館内を遠巻きに眺める野次馬達の群れの一角。そこに、異質な緊張感が発生していた。
 特にクロスの背後に存在するであろう一流の武芸者が練りだした濃密な気配は、野次馬気分の一般大衆には酷い毒だったらしい。
 ザワリと空気が揺れて、クロスたちを中心に人垣が成立してしまいそうだった。
 少し慌てたような顔をしている月村忍を放って、クロスは早々と降参とばかりに両手を挙げた。
 「提案。……場所を移しませんか?」
 そう、目の前の女性達にではなく、背後に向かって声を掛ける。
 視線を移せば、隠れ蓑としていた野次馬達の姿は失せており、全身黒ずくめの男の姿が確認できた。
 なるほど、兄クロノに似ていると言えば似ている。もう少し背が伸びれば、割とそっくりだろう。
 男は眉間に深い彫りを作ったまま、隙の無い態度でクロスたちの傍へと歩み寄ってきた。
 
 ”やる”ことになったら”やる”気で”やら”ないと”やら”れる。
 クロスの傍らを通り過ぎ、自然な仕草で月村忍の横に立った男を見て、漠然とクロスは理解した。
 「……恭也」
 「大丈夫だよ」
 不安げな声を上げる月村忍に優しい顔で声を掛ける。
 そして男は、ヘラヘラと笑っている風なクロスの姿を観察した後に、静かに口を開いた。
 「提案だが。場所の指定はこちらがしたい」
 静かで、それで居て重厚な響きを持った声だった。
 長身の黒尽くめ、無表情の男から放たれれば、それは恐ろしい物としか思えないだろう。
 何時ぞや、レジアス陸将に引き合わせてもらったゴツイおっさんと同じ空気を持っているなと、クロスは思った。
 尤も、感覚的に相手が殺す気を持っていないと言う事は、それなりの死線を潜り抜けた事も在るクロスには解っていたから、彼個人としては恐れる物は特に無かった。脅しと本気の区別くらい付けられる。
 だから、クロスはあっさりと肯定した。
 そのあっさりとした態度に、男は困ったように笑った。なら、初めからそう言って欲しいと言いたそうだった。
 お生憎様とクロスは一人思う。主導権を握られたまま会話を進めることになるなんて、御免だったから。

 「あ、砂糖四つ以上でお願いします」
 「かしこまりました」
 郊外。山林地帯の一角にある、広大な面積を誇る月村屋敷。
 クロス個人の感想としては、デザイン的にも広さ的にも、バニングス邸とどっこいだな、といった無関心な物だった。
 その一角にある中庭に面したリビングに招かれたクロスは、非常に落ち着いた仕草で革張りのソファに腰掛、メイド服に着替えたノエルにリクエストをしていた。
 「なんか……慣れてるね、キミ」
 月村忍が、そんなクロスの態度に呆れ声をもらす。
 「……と、言うか。砂糖四つは多すぎるんじゃないのか?」
 その隣に腰をかけていた高町恭也は、何処か嫌そうな声を上げた。そういえば甘い物が苦手とか言う設定だった筈とクロスは思い出していた。
 「知人に金持ちが居まして。住んでる場所はほとんど城って感じでしたね、アレは。何度か泊まった事あるんで自然と慣れました」
 肩を竦めて笑いながら、ノエルから手渡された紅茶を受け取る。
 シンクレアによる毒性調査。何も入っていない。安心して口に含んだ。苦かった。砂糖は、恐らく三つだけだなと思った。

 しばし、三人でテーブルを囲んでお茶を飲むだけの時間が流れる。
 無論クロスは思考の片隅で、自身が”監禁”されているこの月村屋敷内の広域サーチを行っていた。
 シンクレアによる熱源探知。動体反応調査。……感有り。小動物らしきものが屋敷の一角に大量に押し込まれている。猫だろうか?
 それ以外に、どうやら玄関ホール近くに在る書生室……いや、屋敷内の電気配線の流れから察するに、監視カメラを管理するモニター室らしい。小さな部屋で、待機している者が一人。……いや、”物”かコレは?
 今、クロスの背後、ドアの傍に控えている自動人形のノエルに近い動体反応。
 また、知らないキャラか。クロスは顔をしかめた。それを恭也が、目ざとく見咎めた。
 「どうかしたかい? ……ああ、多少苦くても我慢するのをお勧めする。糖分の取りすぎは、良くない」
 経験談かもしれない恭也の言葉に、クロスは苦笑して首を振った。
 気分を切り替える事にする。深く考えるまでもなく、この目の前の相手たちには自分を拘束する意図があるのだ、正体は不明だが、伏兵であること自体は間違いない。

 「スイマセンでした。……で、昨日の女の子の話で良いんですよね」
 苦い紅茶が良い気分の切り替えになったとばかりに、クロスは口火を切った。
 ノエルは背後のドアに控えている。窓側に忍と恭也。つまり、クロスは挟まれた形だった。何となくの仕草で、首もとのSS4を弄る。
 「……そうね。私が聞きたいのは、ソレ」
 忍は顔をしかめて肯定した。恭也は腕を組まずに頷いた。両手はソファの肘掛に置かれたままだった。
 「そちらの、えーっと、高町恭也さんも含めて話を進めて宜しいんですね?」
 クロスは恭也が”知っている”事を知っていたが。忍たちはクロスがそれを”知っている”事を知らない。
 面倒な話だが、聞かずには置けない質問だった。忍が嫌そうな顔をしたのが解った。そうなると解っていたから、クロスとしても嫌な気分だった。
 両者の肯定を得られたから、クロスは話を進めることにした。
 「とは言っても、余りお話できることも無いんですよね。あなた方がどの辺りまで昨日の事を認識しているかは解りませんが、オレが認識している事情としては単純です。知ってる言葉を口走ったら当たりを引いてしまったと、それだけですので。……いえ、驚かせたのは申し訳ないと思うのですが」
 「知っている……ね」
 何を何処まで知っているかなど語っていないが、コレまでの会話の流れからおおよその察しはついているのだろう。
 一度、隣に座る恭也とアイコンタクトを交わした後、忍はクロスに向けていった。
 「キミが何を、何故知っているのか、出来れば聞かせて欲しいんだけど」
 それなりに丁寧な態度で、実際には監禁して脅迫しているのと変わらない言葉を受けて、クロスは肩を竦めた。

 此処からは、完全に流動的だった。
 とらハ3本編では、退魔師を筆頭にオカルト方面も出てくるし、何より忍自体がそちら側の生き物だ。ノエルの件もある。
 此処は文明の中にオーバーテクノロジーが見え隠れする世界で、それらを扱う物たちは自分たちの所有する領分以上にある程度そちら側の事情を理解しているのが常……だった筈。多分、劇中の描写を見る限り。
 リリちゃ箱では確か兄クロノと月村忍との会話は存在していたような記憶はあるけど、アレは確か遊んでただけで、中身は特にといった風だったと思う。
 今の現実の管理局のこの第97管理外世界に対する認識もいい加減な物で、”科学文明により単一惑星内のみで高度に発達した文明”という調査結果しかない。その中に、モノノケ幽霊が存在するなんて報告は、無かった。
 だから、予想がつかない。
 次に放とうと思っている言葉を言った瞬間、警戒度がマックスに跳ね上がってしまう危険がある。
 かといって言わなければ、”知っている”事を説明するのは難しいだろう。
 一昨日の夜、泣いている女の子の気分を誤魔化すために放った戯言とは違う重みが、どうしても掛かってしまう。
 
 そこまで考えて、クロスは何故自分がこれほど彼女らに気を使っているのかと言う理由に気付いて苦笑した。
 なんてことは無い、自分は目の前のヒロイン以上に、昨日の少女にもう一度会いたかったのだ。
 何を以ってして、自分はこんなにも年下の少女に御執心なのか、クロスは奇妙な高揚感を味わっていた。
 その繋がりとして目の前の女性達が存在しているから、クロスはなるべくなら、友好的な関係を築きたいと思っていた。
 
 もう一度、自らを笑う。
 不審な視線でクロスを見る女性達に対して、あっさりとした口調で、続けた。

 「魔法使い。そう言えば、ご理解いただけますか?」

 存在するのか、しないのか。していたとして、どう言った存在なのか。それが問題だった。
 



    ※ おっすオラ恭也! いっちょ模擬戦やろうぜ!
      ……みたいな展開を考えないでもなかったのですが、どう考えても私の芸風と違うので、何時もどおりの舌戦となりました。

      そろそろ真面目に戦ってくれないと、折角のチートスペックも意味が無いんだがなぁ、この男……。

      あと、今日は所用があるので更新むっちゃ早いです。……このあともう一回更新があるとかは無いので、あしからず。



[10452] 第二十二話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/09 18:20
 Part22:ミス・ムーンライト3

 「あー、何か聞いた事あるかも。そっか、魔法使いか」

 クロスなりに覚悟を決めての言葉だったのだが、月村忍はあっけらかんと言葉を返した。
 「知っているのか?」
 「うん。新大陸……ああ、アメリカの事だけど。中世期に欧州からそっちの方に集団で逃げ出して、今でもまだコミュニティを維持してるとか、前にさくらに聞いたことがある」
 何か考え込むように尋ねる高町恭也に、忍はあっさりと答えていた。
 興味深そうに頷く恭也を横目に、クロスは表情を出さずに驚いていた。
 何だその、裏設定。自分の知る現代日本にも、実はそういったものが存在したのだろうかと考えてしまう。
 「退魔の霊能者達の集団のような物か?」
 「方向的にはそんな感じなんじゃないかなぁ。あ、でも集団ごとの縄張り争いとかが多いから、そういう繋がりは薄いって聞いたかも」
 その辺どう? と話を振られても、クロスに答えられる事など無い。
 「まぁ、魔的な物は土地に縛られる定めにありますしね」
 肩を竦めて当たり障りの無い言葉を返しておいた。
 だよねーと、忍はクロスの言葉に頷いた後で、目を細めて言った。
 「―――じゃあ魔法使いのキミが、他人の領地に無断で踏み入ったのはどういう理由からなのかな? ”線のこちら側”の住人なんだから、当然こちら側のルールは解っていた筈でしょ?」
 
 コン、とテーブルにカップを置いた音が、広いリビングを満たした。
 やっぱり何となく予想はしていたんだけど、この辺り一帯って、霊的な意味で月村の領地なんだろうと、クロスは理解した。
 うん、魔力素の密度の高い土地を魔法使いが占有すると言う形式の原始魔法文明の世界は、次元世界において珍しい話ではないから、コレも似たような物だろと解釈できる。
 当然、管理者側からしてみれば同業他者に己が領地に介入されたいとも思わないだろうし、踏み入ろうとするのであれば一言断りを入れるのが礼儀と言う物だと考えるのも当然だ。
 総務の連中、まともに仕事しろよとクロスは内心毒づいていた。
 頭を抱えたくなる。中途半端に説明しづらい状況だったから。
 お宅の庭に災厄の種が降ってくるらしいので、回収に来ました。そんな事を言ってみろ。原始魔法的な世界の常識に則れば、どうしようもなく余計なお世話だ。速やかに退去を迫られるだろう。
 いや、眼前の人物達がとらハ劇中どおりの性格であるとすれば、そういうことも起きないかもしれない。
 変わりに、親切心から帰りなさいと言われそうな気もするけど。

 「まぁ、仕事です。……こっちにも事情があるので、内容までは聞いて欲しくないですが」
 言いたい事は解って欲しいのですがと、危険な仕事をしているであろう恭也の方に視線を向けて、言ってみた。
 守秘義務という言葉を理解している男は、一つ頷いてくれた。警戒を解いてくれたわけでは、勿論無かったが。
 忍は眉をしかめているようだった。明らかに誤魔化している言葉を返されたのだから、当然と言えるだろう。
 「その仕事の理由を聞かせてくれないと、キミを帰してあげることは難しいんだけどなぁ」
 「……忍、だらしない」
 ぐてんと、身体を背もたれに預け、不貞腐れた声で、忍が投げやりそうに言った。シリアスな状況に飽きてきたらしい。恭也が嗜めるような声を掛けるが、聞きやしなかった。
 一応警戒は緩めてくれたのだろうかと思わないでもないが、油断できない。クロスは、一応予防線を張る事にした。
 「因みに、記憶消そうとしたら全力で抵抗しますからね、オレは」
 忍はその言葉に一瞬身体を跳ね起こしたが、次の瞬間、そりゃ知ってるかと思い直して眉をしかめるだけに留まった。
 「何か可愛くないねぇ、キミ」
 「まぁ、愛想が悪いとか態度でかいとか上から目線とか、”前”から良く言われますかね。……出来れば、夕過ぎにはお暇させていただきたいんですけどね。門限があるので」
 二日連続でようじょから説教は勘弁だった。たとえ、ほほえましい光景だったとしても。
 「……門限、と言う事はつまりキミは帰る場所があると言う事か?」
 恭也が気付いたように尋ねた。クロスは迂闊だったかと片眉を跳ね上げたが、首を竦めるだけに留めた。
 「て言うか、キミ、何処から来たの? 何かこう、自称魔法使いってのを別にしても、空気が違う感じがするんだけど」
 「ああ、確かにそれは言えるな。優れた戦闘者だと言う事を別にしても、此処ではない人間の空気がする」
 
 何だろう、この感性だけは鋭すぎる生き物達は。本当に、現代日本の住人なのだろうか。
 クロスは、どう答えた物かと思案した。そのまま全部の事情を話しても、実は何も問題なく感心だけされそうだと、なんだか投げやりな思考で考えてしまった。
 どうしよう、本当にやってみようか。

 「俺個人としては、キミの事は実はそれほど、まぁ、怪しいには怪しいのだが、悪性を感じている訳ではない。聞いた言葉を鵜呑みにするのもどうかと思うが、すずかちゃんとの事だって……」
 「すずか?」
 明後日の方向に思考を飛ばしていたクロスは、恭也の言葉の中に耳慣れない名詞を聞いて、話を遮っていた。
 恭也はクロスの態度を不思議な物を見るような目で見ていた。首を捻って、ソファの背もたれにしがみついている忍を見る。
 忍は、何かろくでもないモノを思い出したかのように、面倒そうに手を振って見せた。
 「すずかよ、すずか。月村すずか。キミが昨日コナかけた私の妹。勘弁して欲しいわよ、始め恐怖体験でも話し始めたのかと思ったら、途中まで完全にノロケ話なんだもん。気付くと何度も同じ話ループしてるし、ちゃんと聞かないと怒るし。……今日だって、私達がキミを探しに行くって言わなければ、あの子学校休んで一人でキミを探すつもりだったんだから」
 一気にまくし立てられた言葉の半分も、クロスは理解する事が出来なかった。
 分割思考を用いた高速度情報処理を以ってしても、意味が解らない部分が合った。

 「……いもうと?」
 妹。本人から見て、傍系二親等以内の女性。いや、それは当たり前の事実に過ぎない。
 ”月村忍”に、妹だと?
 そんな”設定”、クロスは聞いたことが無いし、何度も繰り返して攻略したシナリオ内にも、そんな言葉は登場しなかった筈だ。
 「いや、もう驚くほどの事でもないのか……?」
 冷静に考えれば、クロノ=ハラオウンに弟―――つまり、自分自身―――が居るなんて設定も終ぞ見た事は無いし、アリサ=バニングスなんて登場人物も見た事も聞いたことも無い。
 恭也が平然と忍と一緒に居るということは、やはりとらハ3本編終了後と言う解釈で間違いないのだろうけど、だろうけど。
 毎度毎度の、この微妙な違和感に頭が痛くなる。
 コレで実は高町家だけ、本来居る筈の妹が存在しないとか言うオチだったらどうすればいいのやら。
 その場合、兄は誰と結ばれれば言いのだろう。……ああ、あのオペレーターの人で良いのか。
 それにしても、妹。月村忍に、妹。

 「一応情報の確認をしておきたいのですが、月村さん、ご両親は存命って事は……ですよね、失礼しました」
 「マホーツカイは世事に疎い連中だってさくらが言ってたけど、本当なのね」
 忍は、これでもないくらい嫌そうに顔をしかめて、クロスの謝罪を放り投げた。
 「すいませんね。どうも幾つか、事前に調べておいた知識と齟齬があるみたいで。……妹さん、いらしたんですね」
 心底困ったような顔で問いかけるクロスに、忍も恭也も、顔を見合わせてしまった。
 クロスには理解できない事だったのだが、忍と恭也にとって、彼がすずかの存在を知らないと言う事実は、予想外だったのである。
 恭也が、伺うような言葉を放つ。
 「クロス君。もう一度だけ、聞きたい。キミが此処へきた目的は何だ?」
 質問に質問で返されても困る。ましてやそれが、答えられない質問なのだから、尚更。
 いや、とクロスは発想を転換する。
 彼らにとってこれは、答えてもらわないと困る類の質問なのだろう。
 彼らが知りたい事。クロスが此処へ来た目的。
 正体不明の超上能力の持ち主が海鳴へ訪れる事なんて、原作の兄も含めてまったくこれっぽっちも珍しい事ではないだろうに、何故、それを知りたがるかと言えば。
 そもそも、彼らがクロスを捕獲したのは、昨日、クロスが彼等の語るところの”妹”に接触したからである。
 接触時に放った言葉が不審を呼び、最大限の警戒を持って……何を警戒しているのやら。考える。
 
 考えて、そして、自分の常識を否定してみた時、答えは出た。
 似て非なる。
 つまり、この二人は結ばれているのに、まだ問題は解決していないというのはどうだろう。
 大体において、忍ルートではエピローグまでノエルは目覚めていない筈。それに関してはリリちゃ箱優先で考えると可笑しくないので弱いのだが、アリサ=バニングスと月村妹という存在も在る。
 もう、クロスの知っているシナリオ通りには行かないと判断した方が言いのだろう。

 結論。この家はクロスの存在関係無しにトラブルに見舞われている。
 だからこそ、自分たちの存在を知る正体不明の人間の存在を警戒している。
 そこまで判断して、クロスは思った。無実を証明する方法など、無いことに。自分が関わっていない事を証明しなさいと言われても、それは悪魔の証明に他ならない。
 そして彼らは、何らかの確証を持って動いているのだろう。白に近かろうが、灰色の存在であるクロスを自由にする迂闊さは発揮しない筈。
 まずった、門限に遅れる。アホらしい考えは、クロスの現実逃避の表れだったのだろう。

 「し、し、忍お嬢様ぁああ~!」
 「邪魔だ」
 廊下の向こうで、何かが跳ねる音。
 声は、その後で認識した。認識する前に、クロスは立ち上がっていた。
 恭也も、そしてドアの傍に居たノエルも同様だったようだ。
 ”いやな”気配。
 それは独善的で暴力的な、ぎらついた欲望丸出しの気配だった。
 ドカンと、弾かれるように彼等の居るリビングの扉が打ち破られる。
 薄くまった埃の向こうに、歳若い男が立っていた。
 「遊―――!? ファリン!」
 忍が、ドアの向こう、廊下に崩れ落ちるメイド服の少女の姿に気付いて、鋭い声を上げる。
 恭也が腰を下げて唸るような声を響かせる。
 「貴様!」
 「フン、下等種に貴様呼ばわりされる筋合いなど無い。それに、今日の僕の目当てはお前ではない」
 あからさまに偉そうな態度で、男はそう言ってリビングの中にわざとらしく視線をめぐらせ、そして、クロスの姿を見据えた。
 クロスは、またもや登場した、見た事も無い登場人物に気を取られて、氷村遊の姿を視界に入れていなかった。
 氷村はニヤリと、整った顔立ちには不似合いな、欲望が丸出しの笑みを浮かべる。
 「先日我が領地に無断で立ち入り、更にその後我が姪御をその手に掛けた下種な人間の魔道師。こきげんよう―――まずは、死ね」
 
 言葉が音となって届く前に、男の影がクロスを覆い、スーツを纏ったその腕が、超速で振り下ろされた。

 夜の一族。

 その常人をはるかに超えた身体能力、強靭な肢体から繰り出される高速の一撃は、例え鍛え上げた武芸者であったとしても、回避は難しかっただろう。
 事実、リビングの入り口から超速でクロスの眼前へ移動してのけた襲撃者の一撃を、御神流なる暗殺剣術の達人である恭也は知覚しきれなかった。
 氷村遊。
 近頃”再び”騒がしくなってきた月村邸の平穏を脅かす蝿どもの、首魁。その裏に居ると思われている夜の一族の放蕩児。
 よもや黒幕自らが此処まで出陣してくるとは思わなかった。
 恭也は、自らの迂闊さを呪った。通り抜ける殺気に、反応する事も適わなかった、その刹那の間に。
 
 氷村遊の狙いはクロス=ハラオウン少年。自称魔法使いであり、恐らくは恭也以上に”線の向こう側”の世界に関して詳しいであろう、この街の外から訪れた異邦人である。
 突然現れ、忍たちの事情について理解している異物がこのタイミングで現れたのであらば、疑って掛かった恭也に過失があったとは言えない。 しかし、それは恐らく誤解だったらしい。
 それゆえの、一瞬の間隙。
 いかな達人といえど挽回不可能な、心の隙を突かれて。呑気に状況把握に走ってしまった自身の思考が、恭也には憎かった。
 あの速度、人間には避けられない。

 だがそれは、つまり人間を超える反応速度を以ってすれば、容易に可能だと言う事と同義だ。

 イィンッ!

 振り下ろされる高速の一撃による空気の軋んだ音か。否、それは突如として空間を切り裂いた閃光の煌きだった。

 『Lattice Armor』

 無機質な響きが、何かを告げる。
 幾筋もの光の線が交差して、それは半球形の格子の障壁を形成した。
 「何っ!?」
 驚愕の声は、恭也も、攻撃をした氷村も、その光景を目にした全ての人間が発した物だったのだろう。
 ただ一人、突如として巻き起こった幻想の渦中に居る少年だけが、冷徹そのものの瞳を描いていた。
 少年。
 突然の攻撃を受けたクロス=ハラオウンの足元には、青白く光り輝く、正三角が回転していた。
 魔方陣。そう呼ぶほかに、それを示す言葉はなかった。クロス=ハラオウンは魔法使いなのだ。今更ながらに、恭也はそれを認識した。
 周囲に満ちる光の粒子の影響による物か、ゆらりと翠緑色の髪を靡かせながら、クロスは片手を宙に掲げた。

 『Shooting Mode』

 再び響く、機械音。何処からともなく響く声に従い、クロスの伸ばした手の先に、何かが。

 それを一言で言い表せば、”弓”と、そう呼べばいいのだろう。
 だがそれは、弓と言うには形状を逸脱し過ぎている。円弧を描く金属板の二つの頂点を弦で繋いで、そこだけを見ればまさしく弓なのだが、何故か円弧の中心を貫くように、大砲のような、杭打ち機のような、無骨なガジェットが饐えられていた。強いてたとえを上げるのならば、SF作品に登場するような、開放式の電磁投射砲といった所か。
 光り輝く宝玉の周りに、複雑な―――銃器に用いるような―――シリンダーギミック。
 弓のようであり、金属の羽の生えた大砲のようであり、クロスボウというには、些か形状が複雑すぎる。

 それを一言で言い表すのならきっと、”魔法使いの杖”と、そう呼ぶしかないのだろう。

 出現したその、武器と言うほか無い魔法の杖に合わせるように、クロス自身にも変化が現れた。
 足元に浮かび上がっていた青白く輝く魔方陣が、彼の身体を、CTスキャンの赤色光ようにすり抜けていく。
 厚さを持たない魔法陣を潜り抜けていった傍から、彼の姿は変わっていった。
 濃紺の法衣。手甲と脚甲、胸甲を纏い、その上からさらにケープを羽織る。それは幻想世界の住人の戦支度に他ならない。
 
 魔法使いにして、弓の騎士。そう呼ぶしかない存在が、そこに居た。

 クロスは、魔法使いとしての正体を現したクロスは、未だ格子の盾に腕を下ろした姿勢で固まっている氷村を、静かに見据え、呟いた。
 「月村さん、お屋敷の破壊許可を頂きたいのですが」
 小柄なクロスには大きすぎる”弓”を氷村に向けて構えながら、そう言った。再び、彼の足元に魔方陣が発生する。
 クロスは自身が攻撃を受けた理由を理解しきれて居なかった。だが、解らないからといって、突然攻撃を仕掛けてきた”敵”を放っておく事など出来ない。
 「チィ!」
 氷村が、舌打ちしてドアの位置まで飛びずさった。その姿を追うように、クロスは向けていた弓の弦に指を掛けた。
 忍の許可が合った瞬間、どんなものかは解らないが、部屋を破壊して有り余る威力の物をためらいもなく撃ち放つつもりだろう。

 「まて、クロス君。……いや気持ちは解るが、少し落ち着け」
 目の前で巻き起こる幻想に唖然としていた恭也が、慌てて推し留める。呆然と目の前の光景を見守っていた忍も、それに続いた。
 「うん、そう。恭也の言うとおりっ。気持ちはホント解るけど、お願いだから落ち着いて。この家一年前にリフォーム済んだばっかりだから! ―――ちょっと、どういうつもりなの遊。勝手に……しかも、変化まで使って人の家に上がりこんで、しかも人の家の客に暴力まで振るって!」
 恭也は忍の言葉で、なぜ氷村遊の存在を事前に察知できなかったか理解した。なるほど、たしかにそれなら”人の気配”はしない筈。
 「……先に言った筈だ。その下等種の魔道師は不遜にも僕の領内で僕よりも高く飛んで見せた。滅ぼされて余りある」
 弓を構えるクロスを忌々しげに睨みながらも、氷村は忍の問いに答えた。 
 「飛ん……、ってアンタ。そんなくだらない理由で人の家のメイドに怪我させた訳?」
 忍が、廊下の向こうでうずくまるファリンを見やりながら、鋭い声を上げる。
 その怒りの声こそが、いっそ氷村は調子を取り戻したらしい。得意げにオーバーアクションで身振りをつけて語りだす。
 氷村遊は、こういった子供染みた芝居癖があった。年齢的には、忍の叔母のさくらよりも、尚上となるのだが。
 「おいおい、冷たいな忍。僕の話をちゃんと聞いていなかったのかい? 僕は言っただろう……」
 「”我が姪御をその手に掛けた”―――と、言ったな。オレが誰をどうしたって? 生憎、図書館でデートをした記憶以外無いぞ」
 ゆったりとした氷村の語りを遮って、クロスが端的に言った。
 恭也は一瞬考える。姪御。氷村の。彼は綺堂さくらの異母兄弟にあたる。つまり、親族構成はさくらとかわらず、姪御と言えば―――。
 
 「貴様! すずかちゃんをどうしたっ!」
 この場に居ない、忍ではない氷村のもう一人の姪。嫌な予感以外は、無かった。
 氷村は、下等種たる恭也のぶしつけな言葉に怒りも見せず、それどころか、とてもとても楽しそうに笑って見せた。
 「どうしたもこうしたも、無い。その下等種が殺してしまったさ。だからこの僕が粛清に来た。―――ああしかし、悲しいかな。僕が来たときには忍まで死んでしまっているとは。……これほど悲しい事は無い」
 それはあからさま過ぎる、作り話にもならない物語だった。
 「くだらない戯言はいいっ! すずかちゃんに何をした! 今、何処に居る!!」
 「アンタっ……!」
 恭也が、忍が、激昂して怒鳴った。氷村はそれこそが至上の喜びとばかりに、肩を竦めた。
 「僕が知るはずも無いだろう? ……でも、そうだなぁ。例えばあの下種の安二郎辺りが何かをしたとすれば、きっと手下を使って今頃は廻している最中じゃないか?」
 「安二郎、ですって!? アイツをケツを叩いて火遊びを始めさせたのは、やっぱりアンタだったのね!?」
 「ならばその繋がりを、吐いて貰う! 行くぞノエル」
 「御意」
 ドアの脇に控えていたノエルともども、恭也はてにした小太刀で切りかかる。
 腕部ブレードを展開したノエルと合わせて、二対一。しかし戦力は、拮抗していた。
 切り結び、避け、穿ち、爆ぜる。

 クロスは、その全てを弓を構えたままつぶさに監察していた。
 会話が、というか展開が恭也達を主導で進んでしまったため、半分部外者のクロスは状況に取り残されてしまったのだ。
 まるで特撮作品でも見ているような、非常識な殺陣が眼前で光景されている様を、眺めているほか無かったとも言える。
 基本的に怒りが長続きしないタチで、しかも他の人間が怒っている現場を見れば冷めるのも早いのがクロスの本性だったから、彼は冷静に状況を整理する余裕があった。
 弦から指を外し、戦闘中の人間達に気付かれないように、窓際の戦闘域圏外へ下がる。どのみちSS4はシューティングモードで展開済みなので、危機に陥れば先ほど以上に高速で魔法が発動できたから、構え続けている必要も無かった。
 
 状況は、宜しくない。
 早い話が、登場したとらハ1の中でも馬鹿なお坊ちゃん丸出しだった氷村遊が、何故だか月村家へちょっかいをかけていると言う事だろう。
 それに、とらハ3で(ある意味)大活躍だった月村安二郎が乗っかっていると、そういう風だと思う。
 そして、わざとらしい氷村の話を総合するに、今此処には居ない図書館の少女が、アリサのように貞操の……そこまで考えて、クロスは気付いた。
 
 幼女の貞操の危機。
 何だろうね、何処かで聞いた話だ。そういえば鮫島さんも、犯人の裏が取れないと言っていた。

 クロスはおもむろに、戦闘域圏外に居た忍の方へと近より尋ねた。
 「月村さん、聞きたいことがあるんですが」
 「―――っ!? あ、クロス、君?」
 戦闘の経過に集中しすぎてクロスの接近に気付いていなかったらしい、忍は一瞬驚いた顔を浮かべた。それにさらりと頷くクロス。早口で用件を継ぎ足す。
 「妹さん―――すずかさん、でしたっけ。ひょっとしてお友達に、バニングスって名前の子とか居ません?」
 忍は再びぎょっとした目を向けた。
 「ちょ、バ、バニングスって、アリサちゃんの事よね。何でキミが知ってるのよ!?」
 忍の質問には答えずに、クロスは苦笑してやはりなと呟いた。
 何時かの予想通り、意外なところで意外な物が結びつく。
 そして、何となく天を見上げて、言葉を紡ぐ。
 「シンクレア。アリサ=バニングスを基点として周囲半径200m以内をサーチ開始。月村忍の生体情報に近いものを特定しろ」
 「ちょっと、キミ何を言って……?」
 忍の戸惑う声も聞かず、クロスは天に存在する筈のデバイスに向かって指令を下した。
 広域情報集積に関しては管理世界の常識を百年超越すると製作者が語る特性デバイスは、その大言に相応しい成果を即座に示した。
 『Ich fand es sofort』
 軽快な、弾むような声をクロスの脳内に響かせながら、シンクレアは情報を送信してくる。

 熱源探知。音波識別。集音知覚情報。魔力素密度変化。......感有り。標的一確認。

 頼んでも居ないのに送りつけてきた各種分析済み情報と共に、何故か視覚情報まで存在していた。
 展開。空撮した、学校の中庭らしき映像だった。大きな木を囲うように設置されたベンチの一つに、三人の少女が腰掛けている。
 真ん中にアリサ。そして、左隣に座っている少女は、夜色の髪と白いヘアバンドが確認できた。
 見つけた。くすりと、クロスは微笑んだ。
 眼前に居る月村忍と似た―――つまり、夜の一族の魔力形質に近いものを探せば見つかるかもしれないと思っていたが、予想通り簡単に発見できた。
 「妹さん、無事みたいですよ。学校で美味しそうにお弁当食べてます」
 「―――は? ちょっと、何でそんな事解る……って、そうか。良いわね、魔法って便利で」
 心底感心したように、むしろ呆れたかのように、忍は言った。その後直ぐに、表情を厳しい物に戻す。
 「でも、何で無事だったのかしら。……遊がこれだけ大胆な行動に出るんだから、それなりに宛があっての事でしょうに」
 「ああ、それ多分……」
 逆に妹の身が無事だった事を不審に思う忍に、クロスはあっさりと種をばらした。
 
 「その安二郎とか言う輩の手下をオレが一昨日ボコっちゃったからじゃないですか?」
 



    ※ 今回微妙に長いのは、二話を一話に統合したから。   
      読み返してみるとビミョーだったんですよね。分けたままだと。
     
      それにしても、折角変身したのに戦わない変身ヒーローってどうなんだ、この主人公。
      因みに当初は、スーパーイレインを引き連れた安二郎さんでも出そうかと思ったんですが、無駄に長くなりそう
     だったので、とらハで一番マイナーで小物っぽい人にご出陣願いました。
      御剣兄の方がまだ有名だよね、きっと。



[10452] 第二十三話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/10 18:42

 Part23:ミス・ムーンライト4

 『ワ、ワシはそんなガキのことなんて知らん! ワシが指示したのはすずかを襲う……いや、今のはナシや、ええか忍……』

 「……そう。良く解ったわ。近いうちに会いに行くから、首を洗って待っていなさい」
 ぷつりと、耳に当てていた電話の子機を放し、忍は一方的に通話を終えた。
 「……居るものだな、小悪党というのは」
 クロスのように魔力で聴力を拡張していた訳ではないだろうに、恭也には受話器の向こう側の言葉が全て聞こえていたらしい。
 大きなため息を吐いている。
 「どうぞ」
 「どうも。……しかし、しでかした事の大げさ具合に比べて、行動が一々ずさんでしたねぇ」
 ノエルの差し出すティーカップを受け取って、クロスはそれを口元に運びながら言った。程よい甘さ。砂糖は七つ入っていた。
 「綿密でなくて良かったって事なんでしょうけど、ホント呆れるわ。部下の管理も何もあったものじゃないわよ。……あんなだから、幾らお金を注ぎ込んでも会社を傾けるのよね。クロス君が居なかったらどうなっていた事やら」
 忍が疲れたようにソファに倒れこみ、言った。その言葉に恭也が真面目な顔で続く。
 「それに関しては同感だ。と言うよりも、クロス君。キミには幾らも感謝しても足りないと思う。改めて……」
 そのまま頭を下げる動作に入りそうだったので、クロスは慌てて推し留めた。
 「いや、それに関しては割と本気で偶然の産物なんで、礼を言われても困るだけなんで良いです。愉快犯に愉快に遊ぶ隙を作らせたって意味では、オレに責任があるといえばありますから。オレの方が謝らなきゃいけない立場ともいえますし……不本意ですけど」
 「それこそ私達にしたら身内の不始末そのままだから、良いんだけどねー。……んでも、クロス君さっきの情報収集能力があれば自分に蝙蝠が張り付いてる事くらい解らなかったの?」
 ソファに寝そべり恭也の膝枕を受けたまま、空を指差て忍は言った。
 つられてクロスは視線を上に上げる。天井が見えた。……その遥か高い位置に、シンクレアが設置されている筈。クロスには生体因子を用いた高密度リンクでその位置を正確に理解していた。驚くべきは、ジェイル=スカリエッティ脅威の技術力、と言った所か。
 「アレ、特定の何かを探すのは得意なんですけど、満遍なく適当に不審そうな物を見張るってのは苦手なんですよ。……ただでさえ、別の用事を調べる事にリソース割いてますからね」
 「面白いなぁ。何か、魔法って言うよりハイテクって感じだよね。……今度調べさせてくれない? ソレも含めて」
 肩を竦めて答えるクロスの胸元―――そこにあるSS4を指差して、忍は楽しそうに言った。
 その姿を見ながら、クロスはこの女性とスカリエッティを引き合わせたらどんな化学反応を起こしてくれるんだろうと、刹那的な衝動に囚われるのだった。

 紅茶の湯気を吹き飛ばし、その向こう側、窓の外を見る。
 緑生い茂る月村邸の中庭は、漆黒の闇に覆われていた。夜。夕食後の、弛緩した時間帯。
 当たり前だが、アリサ曰くのバニングス邸の門限の時間は、とうの昔に過ぎている。
 しかし、問題は無かった。

 最初にソレに気付いたのは、やはり恭也だった。深い絨毯の敷かれた廊下を歩く小さな足音を、正確に聞き届けたらしい。
 ノエルも忍も、生き物の特性としてやはり、気付いていたらしい。クロスが一番遅かった。
 一番遅かったから、気付いた時には年上の三人の嫌な笑顔に囲まれていた。
 「……何ですか」
 ぶしつけな視線をぶつける大人たちに、クロスは不貞腐れた子供のような声で言った。
 三人は顔を見合わせた。

 「べぇっつにぃ~。……あ、何時でもお姉ちゃんって呼んでくれて良いからね」
 「すると、俺もキミの兄か。ハハハ、良いな。今度是非ウチに遊びに来てくれ。道場で一本やろう」
 「ファリンの主人になるということは、間接的に私とも主従が成立しますね。末永く、よろしくお願いします」
 グダグダだった。
 ほんの三、四時間前まで戦闘状態にあった人たちとは思えない、全く気の抜けた態度である。
 クロスはガクリと項垂れた。エロゲのメインキャラ三人に囲まれてお茶を飲むという、思えば凄い体験をしている筈なのに、何故だろう、ちっとも感動が浮かび上がってこないのは。
 コンコンと、クロスが項垂れている間に、既に修復済みのリビングのドアを、叩く音が鳴ってしまった。
 ノエルが、意味ありげな視線をクロスに向けた後に、ドアの方へと向かう。どうやらこのロボは、忍ルート消化済みで感情が発達しているらしい。
 向かいのソファに座る馬鹿ップルはニヤついていた。クロスはラインシューターを抜き打ちしたい衝動に駆られた。
 カチャと、ノエルの手がドアノブに掛かる音が聞こえた時、クロスは心の中で一つ宣言していた。
 
 俺はロリコンではない、断じて。

 「お姉ちゃん、お話はもう終わった?」
 「すいませーん、クロス引き取りに着ましたー」

 開いたドアの隙間から、少女二人が声を上げる。
 太陽の色と、夜の色。どちらも腰まで届く、長い髪。風呂上りで、水分を吸って、流水のように、透き通っている。
 寝巻き姿のすずかとアリサが、そこに居た。

 先にすずかの名前が浮かんだのは、特に理由は無かったとクロスは思いたかった。
 気付いてしまえばなんて事は無い。クロスはこの世界で外れた存在であるすずかに、自分が世界から外れた存在であるからと、一方的に親近感を抱いていた訳だ。
 何となくそれで、自分を受け入れてくれるのではないかと、そう、自分に都合よく解釈していた。
 ……と、いう方向で無理やり自分の中で決着をつけていた。でないと、クロスは本気で自分をロリコン認定しなければならなかったから。
 端から見ればクロスは12歳の少年でしかないので、9歳の少女を好きになったところで何も問題は無い筈なのだが、彼はソレに気付いていないようだった。中身は三十路過ぎである。そう簡単に割り切れる問題では、無かった。

 「にしても驚いたわよ。すずかの家に遊びにきたら、クロスが居るんだもの」
 「私も、驚きました。家に帰ったら、クロス君がお姉ちゃんとお話してるし、それに、アリサちゃんともお知り合いだなんて……」
 「まぁ、ね。世の中どう繋がるか、良く解らないって感じだよねぇ」
 「でも、良かったですねお嬢様。こんなに早く再会できるなんて、やっぱりうんむぇ……っ!?」
 ドジっ子が思い切り口をふさがれている様を見て、クロスはガクリと力が抜けそうになった。
 二人の少女の間に挟まれ、更に背後にはメイドを一人引き連れて、広い屋敷の廊下を進む。
 本当に、どうしてこうなったのだろう。ほんの数時間前までは、かなりシリアスな展開だった筈なのに。
 あのコウモリが小物過ぎたせいか。偉そうな口を聞いて、あっさり逃げやがって。まぁ、とらハ1で実際に出てきたときも、あんな感じのキャラだった気もするけど。
 「ファリンさん、でしたっけ。お体はもう平気なんですか? ……大分派手に、壁に叩きつけられてるように見えたんですが」
 クロスは、嵌めなおされた廊下の窓を見ながら、幼い主人に口をふさがれているメイドの少女を見る。
 見覚えの無い”キャラ”だった。髪の色を茶色に変えれば、あるいはと思えなくも無いが。
 「ぷぁっ……、ふぁい、お陰さまで。私、頑丈さには自信あるんです!」
 すずかの手から逃れ、呑気にガッツポーズして見せる様は、とても頑丈そうには思えなかったが、何せノエルの”妹”である。
 お陰さまでノエルはとらハ3通りのロボ―――残念ながらロケットパンチは拝めなかったが―――だったので、同じ髪で妹を名乗るのであれば、この子もきっとそうなのだろう。
 「本編じゃなくて、二次創作の世界にでも着ちゃったのかなぁ……」
 最近は、どちらかと言うとこの世界の事をそう解釈するようになっていたクロスだった。
 でないと、この微妙な設定の改変具合に頭がついてこれなかったから。

 「クロス君?」
 呟くクロスに、月村すずかが不思議そうな顔をしていた。それに、笑ってなんでもないと首を振る。
 変な出会い方をして、変な別れ方をしたと思ったら、今は当たり前のように会話をしている。
 その姿を何処か面白くなさそうに見ているアリサの事はとりあえず置いておくとして、なんとも実に、不思議な関係だった。
 「そういえば、君付けなんだねぇ、すずかは」
 良く考えたら、共に食した夕食の時も含めて、出会って以来殆ど会話らしい会話をしていない事にクロスは気付いたから、思いついた事を振ってみた。
 「……えっと、さんとかの方が良いのかな? 年上だし。そういえば、クロス君って何歳なんですか」
 「今年で12歳かな、確か。……あと、さん付けだけは出来ればやめて欲しい。ちょっと、別の怖い人を思い出すから」
 丁寧さと気軽さが入り混じったような口調で聞くすずかに、クロスはお嬢様口調でさん付けはやめてと首を振った。
 「それ、カリムさんの事でしょ」
 アリサがジト目で話しに割って入った。その言葉に、否、言葉の内容に、すずかは笑みを浮かべた。ファリンが一歩下がった。素晴らしい危機察知能力だと、クロスは感心した。きっと某退魔師をモデルに制作されたに違いない。

 ファリンの存在そのものについては、もう突っ込む事は放棄していた。
 よく考えたらここに居る、自分を含めて四人の人間は、ゲーム原作に登場する人物と、似ているけど違う人の集まりである。
 偶然か、必然か。であったことに何か意味があるのかもしれないと、クロスは思っていた。
 
 「カリムさんって、どちら様でしょうか?」
 「コイツの妻だって」
 「あ、そのネタまだ引っ張るんだ」

 おかしい。こういうのは、オレの仕事じゃない気がする。助けろ兄さん。

 くだらない事を考えつつも、クロスは自身が道化になる事を受け入れた。
 事情を俯瞰できる程度の冷徹さを持つクロスを含めた大人たちと違って、この少女二人は、まだまだ現実に対して強くは無い。
 彼女らの主観で見れば、まさしく眼前に危機が迫っていた状況であるが故に―――そこから、少しでも気を逸らせると言うのなら。

 そんな風に思いながら、一連の事件の事を思い出す。複雑で面倒で、そして、適当で乱暴でいい加減な事件だった。
 




   ※ よし、ベタな展開書けた!コレで勝つる。
     つー訳で、ギャルゲーっぽい展開を標榜していた月光編、次回で終わり。

     前哨戦が終わりって事は……さて。



[10452] 第二十四話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/11 18:22

 Part24:おわりと、はじまり

 とにかく金が欲しい。あと、あの小娘を跪かせたい。と考える益体も無い中年が居て。
 それから、そいつを利用しつつ、自分に利が出るような遊びが無いか。そう考える男が居た。

 そしてそんなある日。金の無心に来た中年を適当にあしらった男の視界に、空から舞い降りる少年の姿が見えた。
 舞い降りる少年の周囲には靄が掛かっているようで、常人には視認が難しかったが、男の持つ”高貴な血”は凡俗には難しいソレを可能としていた。
 魔なるモノを操る気配。下等なる人間の癖に。それらは、男たち真なる魔性とは相容れぬ、魔法使いと言われる存在だった。
 そんな下劣で下等な魔法使いが、領主たる男に断りもなく、堂々と我が物顔で天を舞う姿は、男のプライドに傷をつけて有り余る物だった。
 どうしてくれようか。眷属たる蝙蝠を貼り付ける。少年は、男の領地をしばらくうろついた後で、月村の領域に踏み込んだ。
 月村。
 当主自らが下等種と積極的に迎合する、恥知らずの管理する領域。
 男にとっては腹に抱えた物のある、綺堂の後援を受けている事も、男には気に入らない要素だった。
 そこに、領地を”荒らした”魔法使いが入る。気に入らない、気に入らない。男にとっては気に入らない、そして、面白い展開だ。
 優秀な男の頭脳は、すぐさま筋書きを導いた。そして、生来の性急さで即行動に移る事を決めた。
 金の無心にきていた中年の襟首を掴む。おい、明後日までに月村すずかを襲え。
 
 言われた中年は、困った。
 中年は、金が欲しかった。纏まった金が、今すぐに。逆に言えば、直ぐに動かせる、纏まった金は中年の手元に無かった。
 少女を襲うとあらば、後先を考えれば自分の手を汚す訳にも行かない。
 しかし、”使える”人材を動かそうとすれば、纏まった金が掛かる。
 金が無いから、不可能。そんな言葉が、この何時までたっても子供の気分の抜けない家柄だけの男に、通用する筈も無い。
 仕方がなく、中年は羽振りの良かった頃―――遺産相続の後の、ほんの一瞬だけだったが―――は絶対に使おうとは思わなかった、どうしようもない屑どもを使用する事にした。
 
 この写真の少女を明後日までに襲え。
 屑は、受け取った写真を見た。三人の少女が海岸沿いを歩いている。明後日までに、写真の少女を。
 では、”まずは”この金髪の少女から。
 写真には三人の少女。真性の屑は、その三人を襲って構わないと言う免罪符を手に入れたのだと、都合よく解釈した。
 
 その後。正義の魔法使いが少女の前に現れたのは、奇跡と言うほか無いだろう。

 さて、謀―――他人からすれば、とても謀っているとは言いがたいものだったが―――を企てた男の方である。
 男は、自分の計略に酔っていた。
 そして、生来のあざとさで、失敗しても、何。実家の威光で誤魔化せば良いと、そう考えていた。幸い、五月蝿い義妹である綺堂さくらは、今は外国だし。
 謀が成功してしまった場合、その義妹と全面戦争になるだろう事実は、男の思考の片隅にも浮かばなかった。
 そして、肝心の謀の中身だが、単純な物である。
 月村すずかを襲わせる。それと同タイミングで、蝙蝠をつけて置いた魔法使いを始末する。ついでに、月村家の人間全てを始末できれば、上々。
 後は全ての責任を外来の魔法使いに背負わせ、それを始末した自分の威光で以って、月村の領域を制圧する。
 
 それが実際に可能か否かと問われれば、十中八九の人間が、不可能と答えるだろう。
 世の中は、そう都合よくは行かない。
 だが男にとって世の中とは、須らく”特別な自身”にとって都合よく行くものだった。
 ……学生時代の失態?
 そんな物は、些細な事。今更、記憶の底に一ミクロンも残っていない。
 この男、なまじ地力があるものだから、周りの取り巻き連中も大きな声を出せなかったのが問題とも言えた。

 結果は、推して知るべし。
 端から見れば、最初の奇襲を防がれた時点で、失敗であり―――と、言うか。中年が失敗した時点でもはや男が望む成功は無かったのだが―――男から見れば、自分が飽きたから、止めただけ。
 しばらくは、周りが五月蝿いだろうから地下に潜ろう。男は、蝙蝠からボロボロのスーツ姿に戻り、そんな事を思った。
 たった今襲撃を仕掛けた家の女主人が、男の義妹に既に今回の乱行について連絡をしている事など、予想だにしない。

 つまり、これが複雑で面倒で、そして、適当で乱暴でいい加減な事件の顛末だった。
 一番泡を食ったのは、中年だろうか。頼みにしていた男も消えて、姪は当然だが激怒の姿勢である。
 待っているのは粛清、その一言以外に在り得ない。
 では、一番得をしたのは、誰なのだろうか。自己満足は充足できた男だろうか。
 いやいや、居るだろう、得しかしてない人間が。 

 「こういうのを漁夫の利……とは、言いたくないよなぁ」
 「クロス君、何か言いました?」
 すずかの広い寝室。
 隣に座っていた―――何故か、とてもとても近い―――すずかが、呟いたクロスに問いかける。
 クロスはいや、と笑って首を振った。年端の行かぬ少女達の前で考える事ではなかった。ついでに、隣のソファに座っているアリサが、何故か睨んでいる理由も考えない事にした。ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な才能だった。
 アリサは愛らしく頬を膨らませて言った。
 「……結局、わたしが誘拐したのって、その、すずかのストーカーだった奴らって事で良いんでしょ? 全く冗談じゃないわね。ストーカーなんて。女の子を何だと思ってるのかしら!」
 在る程度の理由が在れば、人は自動的に納得する生き物だ。
 アリサは、断片的な真実を織り交ぜて語られた、自身が受けた被害の顛末を、自分なりに消化して解決とした。
 心理学者ではないので、詳しくは解らなかったが、クロスの目から見たらほぼ完全に立ち直っているっぽい。
 かなり前向きな思考になっている。
 その理由の一端に自分が関わっているとは、クロスはあえて考えない事にしている。ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な才能だった。

 「……私のせいでアリサちゃんまで危険な目にあわせちゃって。本当に、御免なさい」
 「もうっ! お風呂でも散々話したでしょ? こんなのすずかだって被害者じゃない!」
 一方のすずかは、少ししょげているようだった。
 当然だろう。一般人のアリサと違って、初めから線を踏み越えているすずかは、事の裏表を正確に理解している。それだけの知性も持っている。
 だから、親友に真実を話せない事が心苦しいのだ。
 契約を交わさなければ、夜の一族たる少女は、自らの本質を他者に語れない。
 そこまで考えて、クロスはあることを思い出した。
 自分が、すずかの事情を―――つまり、彼女が夜の一族であるという事を―――既に理解している事に。
 確か、”選ぶ”必要が、あるんじゃないのか? 知っている以上、それは掟として避けられないとか、そんな設定だった気がする。
 隣に座る少女を見る。目が合った。微笑まれた。クロスは考えるのを止めた。ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な才能だった。
 
 「クロス様、お茶のお替りは如何ですか?」
 主人と、その客人たちの傍に控えていた、少しだけ年上の少女が、やんわりとした口調でクロスに尋ねた。
 何故”様”付けなのか、尋ねた方が良いのかとクロスは一瞬考えたが、薮蛇になると思って、止めた。ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な才能だった。
 苦笑して、立ち上がる。
 クロスに身体を預けていた形だったすずかが、その拍子にバランスを崩した。クロスの脚に、しがみつく形になった。アリサの顔が怖い。クロスは絶対に気にしないように誓った。ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な……もう良いって。
 やんわりとすずかの手を取って、彼女をしっかりと座らせてやった後、クロスは宣言した。
 「いや、もう遅いから。そろそろお開きにした方が良いと思うんだ。……二人は、明日も学校だろう?」
 クロスの言葉に、二人の少女は時計を見た。日付が、変わりそうな時間帯。
 「残念ですけど、クロス君の言うとおりですね」
 「そーね。早く寝ないと。……良いわねクロスは。学校無くて」
 朝にも聞いた言葉を、アリサは生あくびをしながらもう一度いった。
 「クロス君も学校に通えば良いのに」
 「だから大学出てるから、オレ。……ついでに、実際通う事になったとしても、どうせキミらとは学年違うだろ」
 肩を竦めるクロスに、アリサがにやりと笑った。
 「へぇ~。クロスは私たちと同じクラスが良かったんだ」
 薮はこんな所にあったのかと、クロスは顔をしかめた。
 ノーコメント。そう答えると、ファリンを含めた少女達の姦しい笑い声がすずかの寝室を満たした。

 零れるような笑顔に見送られ、クロスは用意された客間へと通された。
 「それでは、ごゆるりとお休みください」
 「ええ、おやすみなさい、ファリンさん」
 暗い廊下に消えていくファリンを、クロスは客間の中で見送る。
 時刻は、もう直ぐ深夜12時。
 寝るには丁度良い時間だ。人様の家である。寝坊も出来ない。
 当たり前のように天蓋を備えたベッドに、身体を預ける。
 この世界に来てから、まだ三日。事件、事件、また事件。
 伊達にエロゲ時空ではないという事か。これで、知り合う人々が美少女じゃなければ、速やかに退去を申請したいところだったが、その辺りはやはり、良かったとでも言っておくところなんだろうなとクロスは思った。

 「流されているな……」
 ため息を吐く。少し、自分に戻ったような感覚。
 環境の変化と言うのはやはり、それなりに心理的影響を与えるらしい。
 今までに無く、状況を積極的に受け入れて動こうとしている自分にクロスは驚いていた。
 良い変化なのか、それとも。
 未だ自分が”この世界”に生まれてしまった意味も理解できていないクロスとしては、判断に困る。
 きっとそれは神様なんて物の気まぐれで、探している意味なんて何処にも無かったとしても。
 可能性を否定しきれない以上、クロスは、”自分”を捨てる事なんて出来なかったから。
 鈍感に生きられたら。
 ある程度の鈍感さは、人生を楽に生きるためには必要な才能だ。
 そう出来るなら、少女達に囲まれ、それなりの苦労を背負いつつも、楽しい日々を送れるだろうに。
 詮無い事だ。ため息一つを吐いた。
 出来ないから自分が、自分で居られるのだと、真摯にそう思う。

 瞼を、降ろす。

 『Es ist die Klette, die Suma zu einer Sache und der Zeit des Spases, der Offnung in einer Showzeit, ist』

 跳ねるような声音で紡がれる、機械音。
 クロスは、跳ね起きた。

 「シンクレア?」
 『Auf Wiedersehen, meistere.』
 ショータイムの、始まり。
 マッドサイエンティストが自ら調律して見せた自立制御機構が、芝居がかった口調でそう告げた。
 
 それは、災厄の種の現出を告げる、開会の宣誓に等しい物だった。





 

   ※ 因みにデバイスの台詞は全部エキサイト先生の自動翻訳をベタ書きしているだけだったりします。
     文法とか用法とか、細かい事は気にせずに気分武装みたいな感じで。

     さて、次回から漸く原作の時間軸へ―――ねぇ?



[10452] 第二十五話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/12 16:59


 Part25:ブレイクポイント2

 客間の全面窓を開け放ち、バルコニーへ踏み出す。
 踏み出す速度のままに跳躍し、空を舞う。

 『Barrier Jacket set up』

 首に下げたSS4が光を放ち、瞬時に騎士甲冑を構成すると、クロスは反転して月村屋敷の屋根の上に降り立った。
 『Shooting Mode』
 金属が複雑に組み合う音が響き、クロスの腕にアームドデバイスSS4が本来の姿を出現させる。

 ベルカ式カートリッジシステムを備えた、弓形武装。
 それは最早”砲”といっても過言ではない見てくれをしているが、クロスはこれを弓だと言い張った。
 ベルカの文化的事情として、ミッドチルダのような遠距離からの”砲戦”という概念は忌諱される傾向にあったからだ。
 武器は原始的な戦争用具である剣や槍、鉄槌や斧が望ましい。それがベルカの騎士たる本本懐である。
 しかし、クロスは元々騎士になりたくてベルカに来た訳でもなく、騎士になってしまった後でも接近戦なんて御免だった。
 それゆえに選んだデバイスの形状が、弓であった。遠距離攻撃が可能な、中世的な武装。
 ストレージに登録されてある魔法が射撃系ばかりなのだから、上辺だけも良い所である。
 因みに、その接近戦が嫌だと言う考えが仇となり、返って公然と遠距離攻撃手段を用いるクロスは重宝される事になり、戦場に出る機会が増える事となってしまった。皮肉であろう。
 
 『Sleeping Fog』
 まずは、とばかりにクロスはためらいなく足元の屋敷全体に魔法を放った。
 強制睡眠魔法。魔法効果範囲内の全ての生物の意識を刈り取る、睡眠魔法である。
 たとえ武術の達人だったとしても、回避方法がわからなければ眠るしかないと言う代物だ。
 『Alle Mitglieder schliefen』
 屋根を睨むクロスの耳に、陽気な声が響いた。
 「本当に間違いは無いのか? ……解析された指定日時はまだ二週間以上先だったろう。早すぎる」
 夜空を睨み、油断なく弓を構えながら、クロスは”このためだけ”に用意した新たなデバイスであるシンクレアに問うた。
 『Konnen Sie nicht, ich irre mich? Die Zunahme der Raum-Rhythmusverzerrungsrate setzt fort』
 シンクレアは、道具に対するクロスの好みとは正反対に位置する人間味たっぷりの声で、答えを返した。
 「……確かに、歪みが酷くなってるな。アースラ……兄さんに、動きは?」
 次元の壁の向こうから、何かがこの次元に近づいている。
 全領域型情報集積デバイス”シンクレア”はその兆候を―――次元の向こうで巻き起こった怪異を―――確実に探知していた。
 怪異。次元世界に対する。
 このタイミングで、この第97管理外世界を巻き込んで発生するのならば、予測しうる物は一つしかない。

 星辰の門開かれしとき、災いの種が地に潅ぐ。

 予言の一節に記された、その記述。
 そしてクロス自身の知識の中でも、それに近いものの存在を認識していた。
 だから、この現象が発生した瞬間疑ったのは、兄クロノの干渉が、あるか否か。
 クロスは、その情報収集能力の大半のリソースを割いて調査させていた次元空間を航行中の時空管理局・巡航L級8番艦アースラの様子をシンクレアに尋ねた。
 『Ein Motor ist gut und es gibt vorwarts keine Anomalie.Haben Sie nichts, ich schlafe, und das sturmisch Sein』
 しかしシンクレアが茶化す言葉と共に伝えてきた情報では、アースラに動きは無しと言う単純な事実だった。
 クロスは眉をしかめる。
 この世界に事件を持ち込む存在が居るとしたら、兄以外には存在しない筈なのに。
 身内を疑わなくて済む事の喜びなんて物は、クロスには無かった。知っている通りに事件が起こらないことこそが、最大の不安だ。
 『Was wurden Sie bald machen?』
 悩むクロスを他所に、シンクレアが機械にあるまじきアバウトな表現で”それ”が近いことを告げた。
 クロスは、顔を落とし大きく一つ、息を吐いた。気持ちを切り替える。
 天を見る、弓を構える。
 いまや次元の揺らぎが、この世界からでも視認できるほどに大きくなっていた。

 「シンクレア、SS4、データリンク。照準補正シンクレアに合わせ」
 『All Right』
 『In Ordnung』
 二つのデバイスが肯定の返事をし、SS4の照準がシンクレアの集積された情報もとに最適な物へと……。
 「っぐ……!?」
 次元歪曲率、次元航行速度、平面空間適合率、物質化密度、滞留魔力濃度、残留魔力光度、質量硬度、加速度、熱量、原子配列、霊体因子構成……。
 必要も無いほどに莫大な情報が、クロスの脳を突き抜ける。
 シンクレアが解析した、解析しすぎたデータの渦。その余りの密度に、クロスは眩暈がして、呻いた。
 蹈鞴を踏んで、膝を突く。情報は恐ろしいほどの速度でクロスの脳髄を駆け巡り、神経がひり付く様な痛みを幻視させる。
 こんな状態で、精密狙撃など出来る筈も無い―――!!

 『Meister!!』

 シンクレアの悲鳴のような鋭い声に、クロスは気を取り戻した。頭を振り払って、立ち上がる。
 「シンクレア、データリンクカット! SS4、マニュアル照準! ……スカえもんの馬鹿! 情報過多で役立たないぞコレ!!」
 ここには居ない製作者に罵声を浴びせながら、シンクレアとの接続を最低レベルまで落として情報流入を防ぎ、再びSS4を構える。
 月明かりを薄雲が隠す夜の空が、今や完全に歪んで映っていた。
 「シンクレア、転移までのカウント頼む。SS4……カートリッジロード!」
 『Load Cartridge. Shooting Mode-Acceleration』
 SS4のコアクリスタルの基部から発生するシリンダーユニットが鈍い金属音とともに高速でピストンし、空の薬莢を排出する。
 その瞬間、渦巻くように青白い閃光がSS4から解き放たれ、クロスを満たす。
 ベルカ式カートリッジシステム。瞬間的な魔力向上を可能にするという、その真価の発露だった。
 『Ein Countdownanfang.5……4……3……2……1……Showzeit』
 
 音は無かった。故に、空を見上げる者でなければ、気付くことは無かっただろう。
 その瞬間、確かに夜空にひびが入り、その向こう側から閃光が迸った。
 しかしそれも一瞬の事。
 開かれた次元の裂け目は、世界の修正力によりすぐさま復元され、すなわち、次元の外側より飛来した煌く星屑のような”なにか”という現実のみを、世界に受け入れた。
 空に舞う、光り輝く、星の種。

 地に潅ぎ災厄を呼ぶ、それをしかし、弓の騎士は逃しはしない。
 「螺閃」
 『SpiralLine』
 冷徹な言葉を、向き質な声が追従する。
 構えた弓に、引き絞る弦に、青白い魔力光が集約し、銃口とも言うべきシリンダーユニットの先端に、ベルカの正三角の魔方陣が出現する。
 狙うべきものは、空に現れた、災厄の種。
 「旋封―――っ!!」
 『-Sealing』
 強い言葉と共に弦を放つ。そのトリガーアクションに従い、SS4の銃口、正三角の魔方陣より螺旋の渦が解き放たれた。
 それは、幾筋もの閃光を束ねて円錐状の網となし、その内側に発生した魔力の乱気流によって目標を捕らえつくす。
 螺旋の渦、魔力の竜巻を以ってして狙ったものは確かめるまでも無い。空に見える災厄の種。
 未だ正体の知れぬ幾つもの煌き、それら全てを、渦の内側に閉じ込めていく。
 閉じ込められた災厄は、螺旋の流れに従って、秘めたる力を受け流されながら、ゆっくりと、しかし確実に、術者であるクロスの手元にまで近づいてきた。
 
 「取りこぼしは……」
 怪異の収まった空を油断無く睨みながら、クロスはシンクレアに問いかけた。
 『Es gibt nicht es.Es ist Vorhanganruf.』
 シンクレアが気楽そうな声を返してきた。
 「―――……ふぅっ」
 手に取れる位置にまで”種”が落ちてきたのを確認して、クロスは弓を下ろし息を吐いた。
 空に放たれた閃光の渦は、捉えた災厄を包み込むように、球形の籠に姿を変えていた。
 眼前に浮かぶ籠の中の、輝く輝石の姿を、クロスはじっくり確認する。
 紅く輝く、美しい宝石だった。複数あり、それぞれに違った数字が刻まれている。
 「高密度魔力結晶……か? 種、と言うか宝石って感じだけど……リリちゃで形に関する描写ってあったっけか?」
 ブツブツと呟きながら、一応の封印―――外界からの切り離しによる状態の無力化―――が完了している”災厄の種”らしきものを監察する。
 正確に数えたら、数は全部で21個あった。見た限り、現代技術を用いて作られる魔力カートリッジを遥かに凌ぐ高密度の魔力結晶体である事が解る。どのような機能があるかは詳しく調べないと解らないが、ただの純魔力として使用するだけでも、これほどの量があれば凄まじい力を発揮する事が出来るだろう。
 もし、制御に失敗すれば大惨事が引き起こされるであろうことも想像に難くない。
 災厄の種と呼ぶに相応しい、正真正銘のロストロギアだった。
 
 「SS4、封印したままストレージに格納。Dドライブの要領が足りなかったら、Cドライブの使用頻度の低い魔法消していって構わない」
 『Consent. Please register the name. 』
 光の籠の前に突き出されたSS4は、コアクリスタルを煌かせながらクロスに尋ねた。寡黙でなるこのアームドデバイスにしては、主に質問するなど珍しい事である。
 名前かと、クロスは少し考えた後で、考えるまでも無いと首を竦めた。
 「仮称”イデアシード”だ。格納開始」
 『D-drive is sealed 21 ”Idea Seed”.』
 光の籠とSS4のコアクリスタルが共鳴するかのように輝き、一瞬クロスの視界を閃光が満たした後、イデアシードと名付けたロストロギアは全てSS4の”内部”に封印された。
 それを確認して、クロスは一つ、ため息を吐いた。
 終わってしまえば、あっさりとしたものだ。
 「シンクレア、アースラの様子は?」
 『Es gibt nichts.Sie sind ein worrywart.』
 ため息でも吐いているかのように、シンクレアはクロスの問いかけを否定した。
 兄は、そして母も、結局何もこの件に絡んでこなかったらしい。
 「違ったのか……それとも、バタフライ効果でかつ歴史の修正力ってやつか……」
 考えてみても、解る筈は無かったが、結局何も起こらなかったのであれば、それが一番良いと言うのは確かである。
 とにかくコレで、予言の一節目はクリアしたのだからと、クロスは自分を落ち着ける事にした。夜も遅い事だし、部屋に戻って休むべきだろうと考える。

 「その石を、返せぇぇ―――っ!!」
 
 弛緩した空気を、威勢の良い声が打ち破った。
 上空から。クロスは反射的に顔を挙げ、バックステップで位置を変える。
 緑色の魔力光が、幾本も、明らかにクロスの居た位置を狙って降り注ぐ。それらは鎖の形をしていた。
 「―――! バインド!?」
 魔力で編まれた鎖に混じって落下してくる小さな影に、クロスは躊躇い無くSS4を向けた。
 害意を以った何ものかが、襲撃を仕掛けてきた。理由など知る必要も無く、クロスにとってはそれで充分だった。
 『Line Shooter』
 SS4がクロスの意思に従って、高速の魔力閃を放つ。
 『Round Shield』
 サンプリングされた女性の声。デバイスの放つ機械音声が襲撃者の首元から響き、ミッドチルダの正円の魔方陣を襲撃者の前に形成しクロスの攻撃を弾いた。
 しかしクロスは、ベルカの騎士の中でも有数のしたたかさを持っていた。
 『Line Shooter-Orbit Change』
 「う、うわっ!」
 SS4の告げると共に、弾かれたラインシューターの光線が、鋭角的に軌道を何度も変えて、魔法陣の防御のなされない上空から、もう一度襲撃者に襲い掛かる。

 ベルカ式アームドデバイスは、魔法を登録しておくストレージの容量がミッドチルダ式のストレージデバイスに比べ、少ない。
 それは、本来アームドデバイスと言うのはトリガーアクションに伴う魔力付与程度しか攻撃魔法を用いないためである。
 ミッドチルダのように幾つもの射撃魔法を使い分けるような事は少ないのだ。
 それゆえにクロスは―――それでも、射撃戦に特化しようと意地になっていたクロスは―――1種類の魔法を複数に分岐させると言う方法を用いて、状況に応じて選択肢の数を増やすようにしている。
 クロスの用いる魔法は、攻防全て、その殆どが直線射撃魔法ラインシューターの派生だった。

 『Sphere Protection』
 しかし、必中の一撃は緑色の球状結界に防がれた。滞留魔力を消失したラインシューターは、今度こそ拡散して消えた。
 クロスは、強力な防御結界を見やって舌打ちした。
 場所が悪い。隔絶結界を展開していない通常時空で、月村邸の屋根の上と言うこの状況は些かやりづらい。
 非物理破壊設定で魔法を用いないと、屋敷を破壊してしまう。そうすれば、いかな魔法で眠らせているとは言え、中の人間達は目覚めてしまうだろう。
 緑色の防御結界に覆われた襲撃者の姿を確認する。
 歳若い、というより明らかに幼いマント姿の少年。下で眠るすずかやアリサと同年代くらいかもしれなかった。
 それが、歯を食いしばってクロスを見ている。胸元に見える紅い輝石は、恐らく彼のデバイスだろう。
 石を返せ、彼は初めにそう言っていた筈。だがこんな危険なものを、突然攻撃を仕掛けてくるような人間に渡してやれるほど、クロスはお人よしではなかった。
 しかし、状況的にこの少年を確保できれば事情説明を引き出せる可能性が高い。
 一撃で、相手の固い防御を貫きながら、しかも非殺傷、非物理破壊設定の魔力衝撃のみで意識を刈り取るしかない。
 方法は、限られていた。
 そして騎士クロスは、行動に躊躇いと言う言葉を混ぜない事で有名だった。

 「シンクレア、やれ」
 『Sind Sie wirklich gut?』
 呟くクロスに、シンクレアが驚いたような声で尋ね返してきた。マスターの命令に反論をしてみせる、製作者に似た扱いづらいデバイスだった。
 いいからやれと、クロスがもう一度思念を浮かべると、シンクレアは了解の意思を伝えてきた。
 そして、術式詠唱が始まる。
 『Sie, es ist sanfter Wind.Methode versiegelt Absage.Eine H.G.S-Verbindung.』
 その瞬間、ガクリとクロスの内側から魔力が大きく削られる。今はここには無いはずの背中の”羽”が、強引にもぎ取られたかのような錯覚を覚える。
 膨大な魔力が、天に集約するのをクロスは感じていた。
 視線を、襲撃者の少年に向ける。
 厳しい表情のままで、少年はクロスに告げた。
 「もう一度言います。ジュエルシード……貴方が奪った石を、返してください。それは危険、な」

 『StarLine Blaster』

 元より聞く気の無かった言葉は、最後まで語られる事は無かった。
 余りにも無常な響きと共に、閃光が、超高高度より降り注ぐ。
 それは視認するのも困難なほど、細く、鋭く、そして強烈な破壊力を秘めていた。
 強力であろう緑色の防御結界を苦も無く撃ち貫き、回避の隙も与えぬ超速でもって、襲撃者の少年を遅う。
 スターライン・ブラスター。最大魔力を最大収束して放つ、クロスの持つ最強の攻撃魔法の一つ。
 いかに非殺傷設定とは言えその直撃を受ければ、幼い少年に耐え切れる筈も無く。
 緑色の結界が割れるように空に消えうせて、少年は、ゆっくりと屋根の上に崩れ落ちた。
 その姿をしっかりと確認したのだろう、シンクレアが気楽そうな声を上げる。
 『Ich bestatige einen Schlag.Dank zu Ihnen, ich bekam gute Daten』
 「そりゃご苦労。……っ!?」
 魔力の莫大な消費もあって、完全に気が抜けていた。

 『Emergency Transporter』

 サンプリングされた女性の声。うつ伏せに倒れた少年の腹の下から響いた。
 浮かび上がるミッドチルダの正円の魔方陣。
 術者の危機に基づいて、インテリジェントデバイスが自動で魔法を発動したのだ―――!

 「逃がすなっ!」
 『Line Shooter』
 SS4を突き出し、既に転送魔法の光に包まれ浮かび上がり始めている少年に向けて高速の射撃を放つ。
 容赦は一切なし。殺傷、物理衝撃可の一撃だった。強引な痛みを与えてでも、デバイス制御による無意識下での魔法使用の妨害を試みる。
 
 ―――ジュッ、と。

 それは、人体の一部が焼ける音ではなかった。
 カン、カン、カン……と、その後に続く屋根を跳ねる軽い音が響く。
 少年の姿は、そこに無かった。転送魔法が、何処かに飛ばしてしまったのだ。
 クロスの魔法は、浮かび上がった彼の首元。デバイスを結ぶ紐を焼ききっただけで終わった。
 「……シンクレア。探知出来たか?」
 ため息をついて屋根に落ちたデバイスに近づきながら、クロスはシンクレアに問いかけた。
 『Ich bin jetzt eine Schiesereiform.Ich kann es nicht jagen, wenn es zum Suchen auserhalb es nach der feindlichen Auswahl weggelaufen wird.』
 「……スターラインの試し撃ちしたのが仇になったか」
 紅い宝珠型のインテリジェントデバイスを摘み上げて、もう一度ため息を吐く。
 通常であればシンクレアは惑星内の半球全てを探査域に於けただろうが、射撃形態へ以降済みでかつ、次元航行中のアースラの探査にリソースを割いていたため、急な跳躍を追いきれなかったらしい。
 拾ったデバイスを観察する。 何処かで見覚えがあるようなデザインだが、デバイスとしてはこういった宝玉形態は珍しくないし、ミッドチルダで見たのかもしれない。
 どうやら自立閉鎖モードに入っているようだった。
 こうなると、専門の機材が無ければ迂闊に調査も出来ない。
 この状態では内部を暗号化されていて、下手に弄ると破損させてしまうかもしれないからだ。

 「一難去ってまた一難って事か。……とりあえず、一眠りした後に兄さんに連絡かな」
 どうせ見てるんだろうけどと呟いて、夜に沈む月村邸の庭園を見下ろす。

 これも予言の一部に含まれるのだろうか、それとも。クロスには判断の付かないことだった。






    ※ 魔法少女リリカルなのは 完




[10452] 第二十六話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/13 18:03

 Part26:ドライブ・イグニッション

 「あ、やっぱり事件なんだ」
 
 『ああ。次元航路を単独航行中だった個人所有の輸送船の残骸を暗礁宙域で確認した。魔法の痕跡も、な』
 その日の、朝。
 クロスは四時間ばかりの短い睡眠をとった後、まだ月村屋敷に住まう誰もが目覚めぬ早い時間に、兄クロスと次元通信を行っていた。
 内容については、当たり前のように、”仮称イデアシード”落下事件に関すること。
 当直を外れて睡眠中だったらしい兄はしかし、弟から連絡が入った瞬間、あっさりと自分の時間を弟のために割り割いた。
 そして、弟から送られてきた各種情報を睨みながら、艦橋への通信を開いて幾つかの指示を始めた。顔色は、不機嫌なそれだ。
 情報を元に怪しい座標を調査してみたところ、大当たりを引いてしまったらしい。
 「てことは、兄さん達の出番だ」
 話を持ち込んだ弟はしかし、如何にも他人事のような口調で言った。
 実際にクロスは他人事気分だった。
 やろうと思えば”仮称イデアシード”を捕獲したその場でアースラに通信を送る事も可能だったのに、それもせずにまずは人眠りから始めているのだから、やる気などありはしない。
 『……そうだな。現場に一番近いのは我々アースラだ。何故お前が次元空間を航行中のアースラの現在地を正確にトレースしてリアルタイムで通信出来ているのかは、解らないが』
 「まぁ、その辺はベルカ脅威の技術力って事にしといて。……だいたいそれを言ったら兄さんらしくも無い。発信元不明の通信を逆探知もせずに出るなんて、まるで誰から通信が着たのか、初めから解っていたみたいじゃない」
 クロスがやる気もなさそうに天蓋付きのベッドに寝転がりながら言うと、起抜けの癖に生真面目な顔で制服をしっかり着ていた兄は顔をしかめた。
 兄が言葉に困っていると、弟は母さんもマメだよねぇと薄く笑った。嘲笑しているようにも見えた。
 クロノは大きくため息を吐いた。その後、恐らくこの通信も”聞いている”のだろうなと察した。

 因みに、弟の行動をアースラが監視していたのは事実であるから、当然クロノは弟が昨夜何者かに襲撃を受けた事も知っている。
 だが、聞かない。一応のマナーか。それとも、クロノが恥と言う言葉を理解しているからだろうか。
 母ならば容赦なく聞くのだろうと思いながら、クロノにはそれが有効だと認めつつも、同じように出来そうには無かった。

 『……せめて見せ掛けだけでも、もう少し仲良くしてくれると僕の健康にも良いんだがな』
 誰と誰がとは、言わずもかなと言う奴だろう。弟は面倒そうに手を振った。
 「それやると多分、兄さんの胃に穴が開くと思うよ」
 そうかもな、とクロノは思わず頷いてしまった後、頭を抱えた。大きく頭を振って思考を切り替える事にした。

 『話を戻すぞ。あの宙域は魔力素密度と次元積層率が不安定で通常の方法では通信が行えない。それ故に海賊達の根城になっていて、普通の商船だったのならば絶対に取らない航路なのだが。……特に、貴重品を運ぶのならな。何故こんな場所を使ったと思う?』
 「余りその辺は詳しくないから解らないけど……って言うか、それオレに話して良いの?」
 職務上の機密に含まれないのかと弟が問えば、兄は肩を竦めて返してきた。
 『この仕事はお前が持ち込んできたんだろう。物理的な協力をする気が無いなら、これくらいは手伝え』
 「そーゆーのはベルカを通して言って欲しいんだけど……って、個人回線で通信してるオレが言えた義理じゃないか」
 クロスは自分の言葉に自分で苦笑して見せて、脚を跳ね上げるようにしてバネをつくり、上半身を起こした。ボリボリとだらしない仕草で頭を掻きながら、面倒そうに兄に言う。
 「ま、その辺がスクライアって事だろ?」
 モニターの中の執務官も確かに、と頷いている。
 ベルカで面倒な仕事に就いているクロスと同様に、執務官としての仕事をしている兄も、スクライア一族の気まぐれで苦労した事があるらしい。
 『スクライアでは仕方が無いか。……あそこの本体にも一度、大掛かりな調査をした方が良いんじゃないかと言う意見は結構な頻度で出るんだが、中々難しい。管理局の色々な部署にコネを持っているからな、スクライア一族は』
 「連中のお陰で旧時代のテクノロジーの復元が早まっているっていう事実もあるにはあるからねぇ。ま、その辺は立場的に踏み込めないから任せるよ。それよりどう? そろそろ渡したデータ全部解析終わった頃じゃない?」
 クロスはモニターの向こう、兄の肩口当たりを見ながら問いかけた。
 すると、ひょこりと飛び出すように平面モニターがクロノの肩越しに浮かび上がった。

 『エイミィ!?』
 『やっほー弟君、四日ぶり。やー、正直助かったよー。弟君が連絡してくれなければ、逆探も不可能なくらい残留魔力が希薄化しちゃってるところだったからねぇ』
 平面モニターの向こうに更に平面モニター。どうやら、シンクレアを用いた秘匿通信への割り込みは不可能だったらしい。
 ある意味、とてもアナログな光景だった。
 「やぁ義姉さんお久しぶりです。逆探知が成功したって事は、もしかして、犯人固定砲台からぶっ放したって事ですか?」
 普通、派手な事件を起こすなら撃って逃げるってのがデフォルトなんじゃないのかとクロスが問うと、エイミィも眉根を寄せてよく解らないという顔をしていた。因みに、やはり頬が少し赤かった。
 『んぅ~。それがねぇ、どーも単独で次元跳躍魔法を使うような猛者だったみたいだから、腕に自身ありってトコだったんじゃない? しかも魔力素の安定しない次元空間から撃ったみたいだからびっくりだよね。』

 次元跳躍魔法とはその名の如く、一つの次元から別の次元へと干渉を行う大魔法である。発動には熟練の制御力と、膨大な魔力量が必要となる。歴史の節々に於ける戦争期になると決まって発達するジャンルの魔法でもあった。科学文明的に言えば、長射程の大量破壊兵器のようなものだと考えれば、解り易いだろう。
 因みに、クロスがシンクレアを用いて使用している、リアルタイム次元間通信も広義の上では次元跳躍魔法の一種となる。次元間を隔てた対象物の座標特定、システムへの強制介入を行うと言う魔法だから、使い方によっては幾らでも悪用できる。便利な分、何気に魔力消費が激しいと言うお約束は存在するが。
 だからと言って睡眠をとってから通信としたのは、別に昨晩消費した魔力を回復するためなどではなく、単純にクロスの怠惰ゆえだが。
 
 『恐らく事件の発覚はもう少し遅れると犯人は考えていたのだろう。実際クロスの報告がなければ関係者の通報が無い限り管理局は気付きもしなかった筈だ。……もしくは、後先を考えていないから、早急にバレてしまう事も想定済みだったのかもしれないが』
 そうなると厄介だがと、クロノは腕を組んで考えている。どんな世界でも、捨て身の相手ほど恐ろしい物は無いからだ。
 後先を省みない強力な魔法の使い手と相対せねばならぬかもしれないとなれば、慎重に動く必要がある。
 『目標への強襲部隊の編成を組みなおす必要があるかもしれないな。応援を……呼んでいる暇は無いか』
 「無いだろうねぇ。悪いけど、オレも後先考えずに派手に撃っちゃったから、元々この世界にお宝を”落とす”つもりだったのなら、とっくに犯人もそれに気付いていると思うよ」
 クロスは悪びれもせずに言ってのけた。兄は顔をしかめ、エイミィは苦笑いをしていた。
 『暇なら犯人確保の方も是非手伝って欲しいんだがな、騎士クロス。たまにはオーバーSランクの実力を発揮して見せてくれ』
 「……生憎、仕事はしばらく掛かりそうだからここから動けないんだ。悪いね執務官殿」
 瓜二つの顔で、同時に肩を竦める。
 『聖母の予言か。……よく当たる占い程度の的中率と聞いていたが、中々どうして、ちゃんと当たる物なんだな』
 「……あれ、兄さん。カリムさんの辻占いの内容知ってたの?」
 むしろ教義の内側に居る同僚の方が酷い言い草だった事に、クロノは苦笑しながら首を振った。
 『秘密主義の教会が、そう簡単に教えてくれるわけも無いだろう。……単純に、お前と騎士カリムの関係と、今回の事件の発生を考えれば、お前がそこに居る理由も推察できる』
 『騎士カリムってあの金髪の美人さんでしょ? 弟君も隅に置けないよねー』
 同期で騎士叙勲を受けた同年代のカリムとクロスは、解りやすいゴシップのネタとして各所に噂が広まっている。
 その噂の出所が何処なのか―――カリム本人なのか、それとも実の母なのか、あるいは両方か―――クロスはそれなりの頻度で調べているのだが、未だに実態は洋として知れない。
 「兄さんからそういう話が出るとは思わなかったよ」
 クロスが呻くと、クロノが歳相応の子供らしい笑みを浮かべた。
 『たまには、な。……まぁ、つまらない種明かしをしてしまえば、グレアム叔父さんを中心にすえた母さん達のグループと、聖王教会のグラシア枢機卿の派閥が、お前とロッサ君を仲介と称して付き合い始めたからなんだが』
 「ああ、人質交換みたいだもんね、オレとロッサ君」
 内容には特に興味を抱かずに、ヴェロッサと兄が知り合いになった事だけに興味を浮かべてクロスは返した。
 奥で見ていたエイミィは、嫌な兄弟だなぁと思った。こんな信頼の作り方だけは、したくないとも。
 
 『さて、それじゃあ最後の懸案だが』
 「懸案? 何かあったっけ?」
 そろそろ早朝と言うにも難しい、日の光も明るくなってきた頃、クロノはおもむろに切り出した。
 とぼけるクロスに構いもせずに、続ける。
 『お前の確保している肝心のロストロギアと思しき結晶体の引渡しに関してだが……』
 「教会と管理局の協定に基づく管理外世界行動指針に則り、該当世界内における遺失物確保に於ける取得優先権を行使させてもらいます。……と言うわけで、昨日オレが”この世界内”で拾ったロストロギアは、教会の保有って事で宜しく」
 クロスが早口で答えると、クロノは大きなため息を吐いた。予想通りとでも、言いたそうな顔だ。
 『どうしても、か?』
 「どうしてもだよ。―――こっちも仕事だから」
 義理立てするなら兄より女―――と言うつもりは微塵も無い。どちらが怒らせると怖いかと言う、単純な判断基準である。
 ついでに言ってしまえば、”兄”に”このロストロギア”を、クロスの判断基準から言って渡せる筈も無かった。
 『聖母の予言、か。まったく、教会は初めから面倒ごとを全部僕らに押し付けて得だけ持っていくつもりだったんじゃないだろうな?』
 「ご公務お疲れ様でございます」
 クロスがしかめっ面の兄におどけて答えると、兄は五月蝿いよと言って通信を切ろうとした。
 それを慌ててクロスは推し留めた。
 「―――待った。一つ忘れてたんだけど、後で手荷物を一つ送りたいから時間指定でポートを開いてくれる? 」
 平面モニターの接続解除ボタンに手を伸ばしていたクロノは、首を捻って疑問形を浮かべた。
 『手荷物? ロストロギアを送ってくれる訳でもないだろうし、今度はどんな面倒だ』
 「うん、美人さんを一人」
 『美人? ……なんだ、ひょっとして容疑者を既に捕まえてあるのか?』
 アースラの探知にも掛からないように。
 そうだとしてもお前の事だから驚かないがと続ける兄に、弟は肩を竦める。枕元に転がしておいた、赤い宝石を手にとってモニタに映るように示した。
 「事件の関係者と思しき少年が取り落としたインテリジェントデバイスなんだけど、オレの手持ちの機材じゃ調査出来ないんだよね。……コレはあげるから、そっちで調べてよ」
 
 弟が笑って、兄が顔をしかめていた。


 ―――丁度、その頃。

 
 八神はやてが住まいのある海鳴市を遠く離れたこの街の病院に居たのは、勿論偶然ではない。
 はやての主治医である石田医師に、歩行機能障害に関する専門的な設備の整った医療機関として紹介され、海鳴総合病院では出来ない専門的な検査を受けるために入院していたのだ。
 勿論八歳の少女が付き添いも無しに入院している何ていう事実は無かった。
 はやてには家族の女性が―――はやてが家族と言って憚らない外国人の女性が、付き従っている。
 薄い金色の髪の、落ち着いた雰囲気の女性。
 今はやては、その女性に車椅子を押してもらいながら、病院の敷地内の森林で早朝の散歩と洒落込んでいた。
 桜も芽吹かぬ初春の朝。小柄な体全体を包むケープを巻いて暖を取り、膝の上には古めかしい早朝の本を置いていた。
 早朝の森の息吹を吸い込みながら、車椅子を押してくれている背後の女性に向かってか、視線を膝の上に置いた本に向けたままで、はやては言った。
 「ごめんな皆。ホンマならせっかく遠くへ来たんやから、皆で一緒にピクニックでもしたかったんに」
 皆―――違う事無い複数形であったが、この場に居るのははやてと、女性の二人のみであった。携帯電話を使っている素振りも無い。
 故に、はやての言葉に返したのは、彼女の背後の女性以外ありえなかった。
 「はやてちゃんが謝る事なんて何も無いですよ。本当は、私たちが迷惑を掛けている立場なんですから」
 女性の心底申し訳なさそうな言葉に、はやては笑顔で首を振る。
 「迷惑なんて何も無いよ。シャマル達が出てきてくれるようになってから、わたしは楽しい事ばっかりや。わたしの魔力がもっとぎょうさんあって、皆を出したまま維持出来るようになれば、もーっと楽しくなるんに」
 はやては膝の上の本を愛しげに撫でながら、続ける。
 「駄目な主人で、ホンマごめんなー」
 もっと精進せんと、と笑うはやてに、背後の女性―――シャマルは、複雑そうな顔を作った。
 
 はやては、元来体の弱い子供だった。そしてそれ故に、魔力の精製が安定していない。
 更に加えて―――。

 シャマルには、はやての自身等への厚遇は、余りにもありがたく、余りにも申し訳ないものだった。
 なぜなら、それは。
 何時ものように、シャマルが内向きの思考へと閉じていこうとしたその時、森の中に、一つの声が響いた。

 『……誰、か。……僕の、声を……』

 か細い、消えそうな。そう表現するしかない、声。
 はやてとシャマルは顔を見合わせる。はやての膝の上の本が、気のせいだろうか、ひとりでに揺れたように震えた。
 「―――シャマル、これ」
 「はい、はやてちゃん。―――念話です。でも、この世界で一体誰が―――?」
 シャマルは何かに怯えたかのような声で呟く。この科学文明の世界で、彼女の知る魔法が介在する余地があるとは、信じたくなかったから。
 しかし、怯えた姿のシャマルを他所に、はやては車椅子の上で使命感のある顔を作った。
 「誰でもええ。早く探さな、きっと大変や。きっと近くに居る。シャマル、手伝ってぇな」
 自分に出来る事があれば、それを全力で為そうとする。求められれば、あらん限りの力を振り絞り、その手を掴もうとする。
 それが、八神はやてという少女だった。
 シャマルは、例え恐れを抱いていても、それを推し留めることなど出来ない。体が不自由なはやてに、唯一の自由である意思を縛るなど出来る筈も無かった。

 故に。

 「クーラルヴィント、お願い」
 『Ja. 』
 故にシャマルは、自身の胸元を飾る輝石に問いかける。
 エリアルサーチ。領域内探査魔法を発動する。念話の発信源を、特定するのだ。
 「見つけましたはやてちゃん、その木の、後ろ」
 「解った。シャマル、お願い」
 車椅子を押してもらい、シャマルが指差した木の根元まで急ぐ。

 そこには、煤で汚れたフェレットが倒れ付していた。か細い息。でも、生きている。
 「この子が……喋っとったんかいな?」
 はやては、シャマルが抱きかかえたその小動物に躊躇いがちに手を伸ばした。

 『……誰……か。……お、願……い』

 再び響く、か細い響き。
 「安心せぇな。ちゃんと助けたる」

 はやては、安心させるようにそっと、力なく伏せるフェレットの頭を指で撫でた。




   
    ※ 魔法少女リリカルなのはA's 始まります




[10452] 第二十七話(微妙に修正)
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/14 19:58
 Part27:はじまりは突然に―――……なの。

 「祈願実現型魔法……ですか」

 『うむ。旧時代の旧時代。……その更に旧時代の旧時代の、これまた旧時代。そんな結構な時代を遡っていた頃に使われていた魔法形式さ』

 平面モニターの向こうのジェイル=スカリエッティは、クロスが待機状態のデバイスの上に掲げた赤い宝石を興味深げに眺めながら、何時もと変わらぬマッドな口調でそう言った。
 気のせいか、頬や額に擦り傷があるように見えたが、クロスは節度を持って指摘しなかった。
 ただ何となく、また庭園を荒らしたんだろうなと思っている。
 第一声が、ガジェット・ドローン二型が完成したと言う言葉だったし。因みに一型がまだ実用段階に入っていない事は気にしてはいけない。

 月村邸の玄関で学校へ登校するすずかとアリサを見送ったクロスは、やはり大学へ通学すると述べた忍と恭也とも別れ、一人で桜台の登山道を上り、高台まで足を運んでいた。
 まだ昼前で人影が少なかったから、魔法的な手段で会話をするには丁度良かったからだ。
 話し相手は、スカリエッティ。マッドサイエンティストとして、拾得したロストロギアに関する考察を聞きたかったのだ。
 そして、挨拶もそこそこにSS4の中に格納していたロストロギアの一つを示して見せたクロスにスカリエッティが継げた言葉が、これだった。

 祈願実現型魔法。

 『人の想いを奇跡に変える……現代のテクノロジーとしての魔法ではなく、”ホンモノの魔法”と言うヤツだ。全ての魔法の原型とも良い』
 「何か詐欺臭いハナシですね。つまりなんですか? コレを胸に当てて祈れば、願いが実現するとか?」
 クロスは怪しい通信販売の広告でも見るような目つきでSS4の上の宝石を見ながら言った。
 スカリエッティは如何にもと頷いた。
 『然り。願えば叶う。それこそが祈願実現型魔法だ。強い思いを形にする。それが例えどんなものであっても。……とは言え』
 高らかに歌う様に告げた後に、スカリエッティはニヤリと笑った。クロスも苦笑していた。
 「とは言え、ですよねやっぱ」
 上手い話には罠が在る。詐欺の常套手段である。
 『そんな便利な奇跡が、現代に伝わる”不便な”魔法に取って代わられたのには当然理由がある。そもそも、願いとは何ぞや? テクノロジーとはどうあるべきか? 君には言うまでもないと思うが、簡単なハナシだろう?』
 返答と言うよりは問いかけを行うスカリエッティに、クロスもまぁねとばかりに頷いた。
 「”人の意思”と言うものがそもそも曖昧で形のない、未だに説明できない物である以上、そこから生まれる”願い”とやらも明瞭な形を伴う筈も無い。―――形を伴わない曖昧なものを、現象として発現させたとなるとその結果がどんなものになるか……ちょっと、考えたくないですよね」
 肩を竦めるクロスの言葉に、スカリエッティも大きく頷いた。
 テクノロジーを信奉するスカリエッティにとって、奇跡というなの曖昧すぎるものは唾棄すべき存在なのだろう。
 『そのロストロギアの原料となる鉱石は、特殊な形質を秘めていてな。人の意思と言うものに感応しそれを増幅、呼応して空間の魔力素を揺らす効果があるんだ。祈願実現型魔法の発動発起点とも言われている。だが当然、願いを形に出来るほどに明瞭にできる存在など、数限られている。……誰もがその有用さを追い求め、その誰もが悉く失敗していった。そして人々は失敗を恐れるようになり、魔法は万能性を失ってその代わりに汎用性を手に入れて、奇跡をテクノロジーにデチューンする事となった、と言う訳だ』
 「本末転倒と言うか何と言うか……。まぁ、一部の人間だけに対する万能性なんて、害悪でしかないってのは理解できますかね」
 
 便利すぎるが故にそれに魅せられ、歴史の中において何度も再現を試みられ、そのたびに手痛いしっぺ返しを食らっていると言う。
 力の、意思の、奇跡の、欲望の暴走により崩壊した文明も数知れずと言う話だ。
 
 正式名称”ジュエルシード”。
 スカリエッティとの通信を終えたクロスは、そんな名前のを持った人の欲望の結晶を眺めながら、ため息を吐いた。
 「イデアじゃなくて、ジュエルねぇ」
 また微妙に違う名前だと、クロスは頭を抱えたくなった。
 ついでに、それがこの世界に紛れ込んだ事情まで違う。
 物の価値としては正に”災厄の種”と呼んで過言ではないから、このロストロギアの落下がカリムの予言の一説を示していたと考えて間違いは無いだろう。

 管理世界内の旧時代の遺跡から、不定期に似たようなものが発掘されるのだとスカリエッティは言った。ただ、今回のように21個ものそれが一度に発掘されたと言うのは初めて聞くとも。
 祈願実現型魔法。
 なるほど、それほど有用なものであれば、知識マニアなスクライア一族が、管理局への報告も為しに持ち逃げしているのも頷けるとクロスは思った。
 スクライア一族は古代文明の発掘を生業にしている事で有名な一族であり、考古学者一族とも言われている。
 もっとも、クロスが彼らに抱いているイメージは精々が『盗掘屋』と言ったところなのだが。
 言ってしまえば、スクライアと言うのは学術探求以外に興味が無い人間の集まりである。
 彼らは自らの学術的な興味の赴くままに遺跡を掘り起こしては、自分たちでは管理しきれない危険なものを掘り起こして、その度に管理局や聖王教会に管理を押し付ける。
 そのくせ、その遺跡の中で見つけた自分たちの興味を引くものだけは、ちゃっかり管理局に報告もせずに自分たちで研究し尽くすまでは手元に置いておくと言うのだから、仕事が被る同業他社の人間にとってはたまらない。
 兄クロスは、スクライア所有の輸送船が撃沈されていたと語っていた。これほど危険な力を秘めたロストロギアを輸送していながら、管理局の警備艇が付いていなかったのだ。
 それはつまり、この輝石の事をスクライアが管理局に秘密にしていた事に他ならない。

 「……って事は、昨晩のガキは被害者の側って事か。秘密にしてたら盗まれて、取り返しにきたらボコられて。……ご苦労なこった」
 そうであるなら放っておいても向こうからもう一度やってくるだろう。
 探すのも面倒だし、放置で構わないかとクロスは漠然と考えていた。どう考えてもボコった当人が言えた事柄ではないが。
 どの道、管理局に未登録のロストロギアなのだから幾ら自分たちが奪われたと言っても、返還を迫る所有権など持ち合わせている筈も無い。
 クロスは、スクライアにこのロストロギアを渡す気などカケラも持ち合わせていなかった。
 彼は彼で、教会の仕事の端々でスクライアの”堀り”起こした面倒につき合わされていたから、率先してスクライアに利する行動をとろうなどとは思えない。
 
 「モノがモノだけに、兄さんに預ける気は起きないし。……スカえもんの玩具箱行きかな、コレは」
 クロスはジュエルシードを掲げたまま、気だるげに言った。
 玩具箱。
 正式には聖王教会の宝物庫という名前なのだが、究極の趣味人であるスカリエッティが好き放題に管理する事になってしまったお陰で、現在はそんな名称で呼ばれるようになってしまっている。

 さて、とクロスは飛び散らかっていた思考を閉じて、空を眺めた。
 雲がゆったりと流れている、初春の穏やかな空。
 老人のように、掛けていた長椅子の背もたれに身体を預け、ぐったりと、天を見上げる。それだけ。
 それだけしか、やる事がなかった。
 調べれば調べるだけ謎が増えていく、自分の記憶と微妙に違うこの世界の真実を探ろうなどと言う気持ちも、余り盛り上がらなかった。
 元来世界とはそういう物、自分の知っている部分の方が少なすぎて当たり前だから。
 そう考えるたびに走る胸の痛みの正体が解らないけど、クロスは今は、動きたいと思わなかった。

 次の予言の一節が記された期日までは、今しばらくの時間がある。
 具体的には、一年後。冬。
 
 『祝福の風は未だ吹かず。王は闇に囚われ、騎士は嘆き、その身を修羅へ変える。』

 そんな、ろくでもない未来を暗示するかのような、詩だった。
 クロスにとって問題なのは、それが”何”を意味しているのか自分の知識では全く予想できない事だ。
 ここから先は未踏の領域。作られていない、シナリオの先の話、という事なのだろうか。それとも。
 そういえば、”今年”は2004年だった筈。DVD版が出たのが2002年だから、案外その後四作目が出たとかアニメ化とかしたのかもしれない。
 それが正解だったとして、事態解決の一助になるかと言われれば、そうでもないが。
 重ねて言うが、クロスはこの後の展開が解らないのだから。

 「一年だと、なぁ。アリサの処に何時までも居る訳にもいかないし、家でも探さないとまずいか。それとも、一旦引き上げるか……月村邸辺りに間借り出来れば楽なんだけ……、っ!?」
 自分本位に、事この期に及んでも何処までも自分本位に悩みながら、手の中のジュエルシードを弄ぶ。

 コウッ。
 音もなく何かが広がっていく。空気の密度が、急速に変化する。
 青空が、音もなく灰色に変わる。辺りの景色が、色を無くす。

 「―――結界!?」
 クロスは叫んで立ち上がった。
 魔力素の密度の変化を感じる。空間の支配権を、何ものかが占有している。
 魔法による位相次元の精製。隔絶空間が発生したのだ。
 クロスは結界の内部に、閉じ込められたのだ。周りを散歩していた筈の、少ないけれど確かに存在していた人の気配が、何処にも無い。
 高台には、クロス一人しか居ない。
 「オレの魔力に反応して入り込んだだけか……ピンポイントで、狙われたか」
 後者だろうか。クロスは油断なく周囲を観察しながら、思った。
 心当たりは在る。昨晩のスクライア一族と思しき少年が、再びクロスからロストロギアを強奪すべく―――既にクロスは、ジュエルシードを自分の物と確定していた―――現れたのだ。

 「―――告げる」

 だがその声は。
 クロスの頭上、空から響くその強い声は、女性によるものだった。
 見上げる。そこには、鎧姿の―――ベルカの騎士甲冑のような、魔力で編まれた鎧姿の女性がクロスを轟然と見下ろしていた。
 桜色の長い髪を、後ろの高い位置で縛っている。切れ長の瞳は、何者をも寄せ付けぬ難い意思を秘めていた。
 腰を落とし様子を伺うクロスに対し、女性は、片手に持っていた刀剣型のデバイスと思しき武器の切っ先をクロスに向けて―――否、クロスが右手に握り締めていたSS4の上で発光していたジュエルシードに切っ先を向けて、言葉を放った。

 「告げる。烈火の将シグナムが、我が主の命に従い、貴様が強奪したジュエルシードを奪還に参上した。潔く、我が主の御前に玉石を引き渡すが良い」



 ―――かくて喜劇は、演者を違えたまま廻り続ける。






    ※ 基本、このSSは(作者含めて)誰も自重しません。
      多分作戦がデフォで『がんがんいこうぜ』とかになってると思います。
      なぜなら、自重した瞬間にそいつの出番は……。


      こっからはちょっと真面目な話。
      デバイスの発言が解らない。と言うご意見を幾つか頂いていますのでお答えします。
      アレはどちらかと言えばデバイスの発言内容に意味があるというよりは魔道師がデバイスと掛け合いをしているという
     「なのはっぽい」雰囲気を出したいがためにやっている事なので、発言の内容自体は割とどうでも良いものだと考えています。
      読めないなら読めないで構わないくらいの気持ちで。
      ようは『肯定』か『否定』を遠巻きな表現で述べているだけにすぎません。
      ……でなきゃエキサイトのベタ貼りなんて適当な事は流石にしませんし。
      
      とは言え、知りたいって意見が多いみたいですし、A''s編に突入したのに合わせて、原作遵守で字幕付きと言うのもありかもしれんとも
     思いますし、少し考えて見ます。




     追記・流石に露悪的過ぎるなと、読み返してみて思いましたので多少修正しました。
        感想くれた皆様方、申し訳ありません。
        まぁ、主人公の言動が気に入らないと言う方に関しては正直どうしようもないんですが。
        こっちに関しては、変えるともう根本から変わらんとならんので。 



[10452] 第二十八話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/15 17:27
 Part28:戦いの嵐

 「もう一度告げる。速やかに我が主の前に、強奪したジュエルシードを引き渡せ」

 警告は二度送った。
 不戦主義のぬるい温情など、持ち合わせているシグナムではない。
 それに、眼下の少年を一目見た時から解っていた。他人の言葉に従わない目だ。
 あれは、行動に自分の意見以外を差し挟んだりはしない、徹頭徹尾、魔道師の目である。
 現に今も、少年は顔だけは戸惑うような表情を作りながら、手に持っていたデバイスに出していた玉石を戻し、腰を落として体幹を整えている。
 戦闘準備以外の、何物でもなかった。
 故にシグナムは、二度の警告が無駄になることは解っていた。
 
 「……重ねて、告げる。速やかに、ジュエルシードを引き渡せ」
 だがシグナムは、迷うことなく三度目の警告を送った。
 理由があった。無駄かもしれない警告を送ってでも、万に一つの可能性に掛けてでも、”強引な方法”でジュエルシードの奪還を回避したいと言う理由が、シグナム達にはあった。
 『……シャマル。そちらからではやはり無理か?』
 シグナムは、結界の外でこちらの様子を伺っている筈のシャマルに向かい、念話を送る。
 からめ手を好まないシグナムにしては珍しい、手段を選ばない方策を望んでいる。
 『駄目みたい。結界の展開と同時に向こうのデバイスによりこちらも干渉妨害を仕掛けられたみたい。今、突破できないか試みてるけど、二重三重にラインが偽装されていて、直ぐには難しいわ。力押しは、それに……』
 だが、シャマルの答えは思わしくなかった。
 解ったと一つ告げて念話を終えたシグナムは、眼下の相手に気付かれぬ程度に眉をしかめる。
 支援特化のシャマルを以ってしても直ぐには突破が難しい妨害工作を、しかも不意打ちを仕掛けられているこの状況で仕掛けてくる。

 手ごわい。
 いや、その程度の地力がなければ”暗礁宙域で単独で輸送船を襲う”何て大それた行動をとる筈も無いだろう。
 この相手を”敵”として挑まねばならぬとあらば、恐らくシグナムもそれ相応の力で持って挑むほか無い。
 眉間のしわを深くする。
 それはシグナムには、避けて通りたい現実だった。
 
 ”闇の書”の覚醒は未だ不完全である。
 それ故に、本来王の守護者たる四人の騎士―――ヴォルケンリッターは逆に王の庇護を求めねばならぬ不完全な状態だった。
 魔道生命体であるシグナム等は、本来的に覚醒していれば自らを維持する魔力を自ら捻出する事が可能である。
 だが現在は。
 守護騎士たちの覚醒はまだ先のはずだった。今生の闇の書の主が確定したのは、数年前の近い過去に過ぎない。
 本来であれば闇の書は、そこから更に数年を掛けてゆっくりと主の魔力を吸収して行き、守護騎士を含めたそのシステムを覚醒していく筈だった。シグナム達、四人の守護騎士の覚醒は早くてもあと一年は先―――の、筈であった。
 だが、現実は。
 シグナム達はこうして目覚めている。自身の生存を確保するための魔力を自身で賄いきれないほどの、不完全な状態で。
 
 家族が、欲しい。

 主の望み。王の願い。
 それが、未だ覚醒せぬ闇の書の意識を揺り動かしたのか。
 シグナム達は目覚めた。目覚めたのならば理由は要らぬ。彼女らの存在は、主命を果たす事のみに帰結するから。
 求められた救いの手に、我が身を省みず手を伸ばした王の意思を、確実にかなえて見せてこそ騎士の務め。
 だがそれでも、シグナムは戦闘をためらっていた。
 シグナムが戦闘を―――魔力の消費を行う事。それは、不安定な主の魔力を削る行為に他ならない。
 主の魔力供給がなければ生体を維持しきれない状態のシグナム達が戦闘行為に魔力を使用しようと言うのであれば、やはりそれも主の魔力を持って賄うより方法は無い。
 心身健康とは言い難く、それ故に魔力の精製も不安定な主の御身を考えれば、余計な魔力消費は控えたいと言うのがシグナムの本音だ。
 
 だが主命は下されている。
 新たな友の願いに答え、彼の者の望む宝珠を取り戻せと、主は主命を下したのだ。例え戦闘になっても。
 意思を持った強い瞳で、轟然と。主はシグナム達に告げたのだ。

 「返答は如何に?」
 最後通告。そのつもりでシグナムは眼下で身構える少年に告げた。
 少年は答えず、少年のものとは思えぬ薄暗い目でシグナムを観察するだけだった。
 そう、見慣れぬ風景を眺めるように、たまたま目についた道端の雑草でも眺めるように、少年はシグナムを観察していた。
 感情の篭らぬ瞳で。 
 
 ――――――ハァッ。

 ため息。くたびれた老人のような、そんな音が響いた。それは、少年の口から発せられた音だった。
 ため息を吐く、顔を伏せる動作に合わせて、少年は片手に持ったデバイスに魔力を流した。

 『Shooting Mode』

 ハウリングを伴う合成音。少年の全身を青白い光が包み、右手に持ったデバイスが拡張し姿を変える。
 濃紺の法衣の上から甲冑を身に付け、さらにたなびくケープを羽織る。
 手に握り締めるは、機械仕掛けを施された鋼の弓。
 少年は無言で、その弓をシグナムへ向けた。弦に手甲で覆われた指を番える。青白い正三角の魔方陣が、足元の地面に浮かび上がった。

 古来より、甲冑を纏い武器を向け合ってしまえば、ベルカの騎士に語る言葉は最早無い。
 
 シグナムは一つ頷き、少年を指し示していたデバイスを両手で握り締め、腰の脇に構えた。
 ”敵”―――”最早敵”が如何様な存在だったとしても、今はそれを考えるべきときではない。
 足元。シグナムは宙空に、紅色の正三角を現出させる。
 「返答は、弓と矢で。……確かに承った。ならば、炎の魔剣レヴァンティン―――その威力を、とくと身に刻むが良い!」
 
 一撃必殺。その意思を込めて、シグナムは脇に剣を構えたまま急加速で接敵を仕掛ける。
 「レヴァンティンッ!」
 『Ja. 』
 シグナムの叫びに答え、アームドデバイス”レヴァンティン”が炎を纏う。
 完全なる奇襲として、弓をこちらに向けたままの少年に向かい、それを横凪に振り抜く。
 
 一閃。

 「SS4っ!」
 横凪に繰り出した炎の剣風をしかし、少年は飛翔魔法を用いたのか、高加速で後方へ飛び去ることで回避した。回避の動作に合わせて弦を引き絞り、放ち、放ち、繰り返す事六度それを放つ。
 『Line Shooter-Diffusion chain』
 放たれた六つの光の帯が、さらにそれぞれ六つに枝分かれし、複雑に絡み合いながら地面に突っ込む形となったシグナムを襲う。
 眼前視界全てを覆いつくすほどの光のシャワーを前に、しかしシグナムは躊躇うことなくその雨に向かい突っ込んだ。
 「―――突、貫っ!」
 気勢を上げて身体強化による加速を施し、シグナムは地を駆けた。超速で飛来する光線を全て、紙一重の瞬間に避け続け、少年との距離を詰める。
 尋常ではないシグナムの動体反射に、無表情だった少年の瞳がわずかだが、驚愕に揺れた。
 舌打ちをして再び指を弦に番える少年に、しかしシグナムがその隙を逃す筈も無い。レヴァンティンを振り被り、炎を纏わせ、一気に振り下ろす。
 「―――ッチィ!!」
 『Load Cartridge.Multiple Lattice Armor』
 鈍い金属のピストン運動。排出される空薬莢。轟然と湧き上がる膨大な魔力が、瞬間的な魔法行使を可能とする。
 青白い光の線が幾筋も、幾筋も幾筋も多重に積層を重ね、光の壁を少年とシグナムの間に出現させる。
 刹那の交差。
 突如出現した光の壁に斬撃を弾かれて後退したシグナムは、武人の見切りでそれがカートリッジシステムの行使によるものと断定した。
 空中で反転し、大地を踏みしめる。衝撃を運動エネルギーに変換し、再び、壁に向かってシグナムは突っ込んだ。
 そして、シグナムは強大な壁を前に、最早是非も無しと自らのデバイスに備えられた力を解放した。
 「紫電っ」
 振り被るレヴァンティン、その刀身の付け根に備えられたダクトがスライドし、空薬莢が排出される。
 纏う炎風は、更に湧き上がった紅色の魔力を吸収して炎の嵐となる。吹き荒れる炎の嵐を天頂高々と振り被り、シグナムは光の壁ごと少年をを叩ききらんと振り下ろす。
 「―――、一閃!!」

 色を失った結界の内部、高台に座する展望台で、朱色の華が咲いた。

 




     ※ 交渉失敗の原因は恐らく、人選ミス。
       シャマルさんが出てきてたら今回で最終回だったのにねー。

       因みに、明日は有明まんがまつりに参加するので更新はありません。次の更新は月曜、17日となります。



[10452] 第二十九話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/17 18:27

 Part29:乱戦

 紅と蒼。

 吹き荒れる膨大な魔力が激突し、灰色掛かった空に爆音を伴う大輪の華を咲かせる。
 その光景を、結界内の遥か遠く、都市部のビルの屋上から眺めている存在があった。
 「お~、た~まや~って感じかねぇ」
 「笑い事じゃないわよロッテ。……でも、二号がガチンコに付き合うなんて珍しいわね。アイツ、正面戦闘は馬鹿のやる事だ何て考えてる節があったのに、趣旨換えでもしたのかしら?」
 時空管理局の制服。猫の耳。姿かたちも瓜二つで、髪の長さだけが違う。
 女性二人が、そこには居た。
 そのうちの髪が短い方は、何処か戯れた態度でフェンスに肘を預けクロスたちの戦闘現場を眺めていたが、もう一人の髪の長い方の女性は生真面目な顔を崩さずに、眉を顰めるのだった。
 髪の短い方―――リーゼロッテは、自分と瓜二つの姿のリーゼアリアの生真面目な観察を笑った。
 「いや、アレ本人は相当不本意だと見たね。何時もどおりの不貞腐れた顔してるじゃん。まぁ、何時も偉そうにしてるんだからたまには痛い目に合うべきよね」
 リーゼロッテはカケラも親愛の情を見せずに笑っている。リーゼアリアとしても双子の姉妹の言葉に断然賛成ではあったが、事が自ら等の使命に関わってくる関係上、そう笑ってばかりも居られない。
 「だから笑い事じゃないわよロッテ。二号には、普段無意味に偉そうにしているだけの地力があるのは解ってるでしょ? 今のところ”好みじゃない”接近戦で苦労してるみたいだけど、アイツが防戦一方のまま終わるなんて有り得ないし。絶対何時ものアイツらしい趣味の悪い反則技で形勢逆転狙ってくるわよ」
 遠く離れた高台で戦う二人のベルカの騎士の様子を獣の目でつぶさに観察しながら、リーゼアリアは言う。
 真面目なリーゼアリアの言葉に、リーゼロッテはフェンスに肘を掛けたまま面倒そうに頭をかいた。
 「あ~……ったく。なーんで二号は平気でお父様への嫌がらせばっかりするかなぁ」
 「人の気持ちが解らないからでしょ。……ま、それと同じくらいあいつの気持ちも誰も理解できないけど」
 
 リーゼアリアとリーゼロッテの姉妹は、時空管理局の提督、ギル=グレアムの使い魔である。
 彼女らは現在、ギル=グレアムの内密な命令を以ってこの第97管理外世界へ潜伏していた。
 目的は単純。
 時空管理局を出し抜き発見した今代の闇の書のマスター。その監視である。
 闇の書。転生と暴走を繰り返し次元世界に災厄を振りまき続けてきたロストロギアを、ギル=グレアムは執念を持って追い続けてきた。
 グレアムは闇の書に対して個人的な怨恨がある。故に、決着を自らの手で付けたいと願っている。
 計画は立てた。前回の闇の書の暴走の果ての消失から10年。闇の書そのものの探索と平行して、グレアムはそれを完全に封印する方法を打ち立ててきたのだ。
 確立された方法は、多少の不確定要素をはらむがこれしかないというものに仕上がっており、現在もその目的を達成すべく準備は急ピッチで進められている。
 その計画では、完全に闇の書が覚醒した瞬間が勝負となる。その瞬間のみ、闇の書の封印は可能であるとグレアムは確信していた。
 現在の闇の書は、未だ完全な覚醒には程遠い。
 今代のマスターである9歳の少女、八神はやてが余りにも幼いせいもあるのだろう。
 闇の書への対策のために行った研究には無い覚醒の段階を重ねているらしい。具体的に言えば、四人同時に現出する筈の守護騎士プログラムが、一騎ずつ覚醒していっている事等がそれに当たる。
 だが覚醒手順にズレはあるが、覚醒自体は一応進行しているから、慎重に観察していけばグレアムの悲願に届く日も遠くない筈だ。

 今は、見守る事。怒りも憎悪も、今は隠して、静かに見守るしかない。 
 それが、主を愛する二人の使い魔の共通見解だった。

 繰り返すが、グレアムの大望を果たすためには、闇の書の完全な形での覚醒が欠かせない。
 例えば、覚醒前に守護騎士プログラムに欠損が発生してしまうなど、在り得てはならない。
 それ故に。リーゼアリアとリーゼロッテ。主に忠実な使い魔達は、不確定要素の排除を求めねばならなかった。

 「仕方ないね」
 「人を呪わば穴二つ……いや、身から出た錆びって事で二号には我慢してもらおう」
 使い魔の姉妹は向き合って、頷いた。
 その最中、戦闘が続く高台を中心として空間の歪みが広がるような気配が拡散する。
 その気配にリーゼロッテが舌打ちした。
 「あの、早漏が……。堪え性ってもんが足りないんだよ!」
 「急ごう、ロッテ。二号が無茶する前に、何とかしないと」
 クロスを隔離するために結界を展開したのは闇の書の守護騎士なのだから、その結界を歪めようとしているのはクロスに違いない。
 強敵との直接戦闘中に結界にまで干渉する。
 幼児の頃から有り余らせて不足の無かった才能を駆使した力技だった。


 『Line Shooter-Parallel Shift』

 弓身の先端から正三角の魔方陣が浮かび上がり、並列した二本の光条が迸る。
 至近から放たれたそれをしかし、女騎士は身体を捻るだけでかわしきる。そのまま、捻った反動を返して炎を纏ったデバイスを叩きつけてくるのだからクロスにとってはたまらない。
 『Orbit Change』
 避けられてあらぬ方向を焼きながら進む二対の光線に意思を送り軌道変更を促す。光線はクロスの意思に従って鋭角的な軌道変更を行いながら、音も立てず背後から再び女騎士を襲う。
 「はぁあっ!」
 しかし女騎士は、視界の届かぬ背後からの連撃となるはずだった光線を、視界に収める事も無く振るった剣で切り捨てた。
 「くっそ!」
 悪態を付いてクロスは距離を取った。
 それを許さんとばかりに接近してくる女騎士に対して、牽制の攻撃を幾連も放つ。

 距離が悪い。
 機動力を生かした高速戦闘に、カートリッジシステムを生かした剛剣。
 対してクロスは弓。勿論、SS4は形が弓なだけで実際には魔法の杖以外の何物ではないから、接近戦も出来ない訳ではない。
 だが、得意ではないのだ。明らかな達人相手に得意ではない領域で勝負をしなければならないのはクロスには荷が勝ち過ぎる。
 クロスの戦法は基本的に、遠距離から秘密裏に一撃必殺だった。理想は、ジュエルシードを確保した時のように、やる前に結果が見えている状況を常に作り出しておく事である。突発的な遭遇戦は好みではない。
 出来るなら、H.G.Sを展開して高速機動で一気に距離を取りたかったが、生憎それは、現在通信が阻害されているシンクレアのほうに展開されているから不可能。
 予想外に、強力な相手。こんな敵と戦わねばならないなどとは想定していなかったから、これは完全にクロスの油断だった。
 女騎士の動きは流石と言うほか無い。伊達に”暗礁宙域で単独で輸送船を襲う”ようなぶっ飛んだ思考の主に仕えていないと言う事か。
 てっきり先日のスクライア一族の少年が来たのかと思ったら、輸送船を襲った側の人間が、お宝の回収に来たらしい。
 そりゃそうだ、そういう選択肢があるよなとクロスは今更ながらに思っている。
 そもそも輸送船を襲った犯人が一人とは限らない訳だし、狙ってこの世界にお宝を落としたのであれば当然後で拾いにくる。
 タイミング的に考えても丁度良いし、呑気に一眠りして兄への報告が遅くなったのが仇になったとクロスは頭を抱えたくなった。
 ジュエルシードを拾った直ぐ後に報告していれば、拾いに来る前に賊のアジトで兄が一網打尽にして―――。
 
 「くれないな。―――ちょっと強すぎるだろ、コレッ!」
 火の粉を巻きながら突進してくる女騎士の攻撃を、格子の盾で受け流しながらクロスは呟く。
 シンクレアとの通信を隔絶するほどの強力な結界を展開した術者に、眼前の凄まじい剣筋を見せる女騎士。
 これ等の主と言うのだから、その存在は更に強力なんだろう。
 知人の陸将曰く、海は有能な人材を掻っ攫って言ってしまうという具合で、無節操に集められた魔道師たちであったとしても、アースラで最高戦力と目される兄クロノがクロス自身に若干劣る程度の戦闘力なのだから、その実際はたかが知れている。精々が中の上とか、その辺だ。
 幾ら中程度の力を持つ戦闘魔道師を顔首そろえても、アースラ単艦で下手人達を一網打尽など不可能だろう。
 眼前の女騎士と同等以上の力の持ち主が居るとすれば、どうだろう。クロノ一人で対処しきれるだろうか。最悪リンディお母様のご出陣となるかもしれない。
 それはそれでレアな光景だ。
 是非とも見てみたい。ああ、兄の誘いを断るんじゃなかったとクロスは苦笑していた。

 「戦闘の最中に笑って見せるとは―――なぁっ!」
 言葉の端に怒りを纏わせながら、女騎士が烈火の剣を振りぬいてきた。
 戦闘は空中での打ち合いに発展していたので、急降下でクロスはそれを避ける。
 横凪に剣を振り切った姿勢の女騎士の真下から、ラインシューターを連射する。それは当たり前のように回避されたが、クロスはその間に距離を取る事には成功した。
 距離を取り、高さをあわせて女騎士とデバイスを向け合う格好。気付けば戦場は、高台から都市部へと移っていた。
 正直、クロスは疲れていた。体力的にではなく、精神的にこの千日手のような状況に。
 基本的に相手有利の状況で防衛戦に徹していたせいで、ダメージばかりが積み重なっていく。
 切り傷擦り傷、ついでに打撲。デバイス任せのオートヒーリングをかけているため、粘っていれば自然と回復していくのだが、だからと言って生傷が増えていく状況は嬉しくない。
 対して、相手には目に見えるダメージは見られない。
 基本的に魔法攻撃に徹しているクロスの攻撃は、肉体的な損傷はそれほど起こらない。魔力で編まれた甲冑は、多少焼ききれても直ぐに復元可能だったから、尚更だった。
 一応何回か攻撃は当たってはいるのだから、ダメージはある筈と思いたい。
 このまま戦闘が続いたらどちらが不利か―――。考えるまでも無いなとクロスはため息を吐いた。
 なにせ、最低でももう一人は向こうには味方が居るのだ。たいして、こちらは一人。アースラがまだ監視していてくれれば兄辺りの増援が期待できたのだが、生憎アースラは敵のアジトへと航行中だろうから、この世界の事は解らない筈。
 そこまで考えてクロスは気付いた。先ほどから時折見せる敵の焦った表情。これはつまり、相手はアジトに管理局の襲撃があったと気付いている。それ故に、焦っているのだ。

 決定的な状況になるまで時間を稼ぐか?
 後退戦は苦手ではない。長時間戦闘も、今以上に生傷が増える事さえ我慢すれば何とかならないこともないが。
 クロスがそこまで考えたときに、耳の奥で、何か陽気な声がノイズのように響いた。
 現在は、睨みあってのこう着状態。

 ―――チャンスだ。

 ニヤリと、敵対者が訝しむほどに、笑みを形作る。
 「―――やれ」
 『Ich wartete♪』

 ココではない何処かに、魔力が引きずり取られていく感覚。戦闘中であったなら絶対に認められない虚脱感が全身を満たす。

 『Sie, es ist sanfter Wind.Eine Methode, Zustimmung.―――StarLine Blaster』

 無色の世界に、天頂から光の柱が打ち落とされる。
 「何っ!―――しまった、シャマルっ!?」
 女騎士の焦ったような声。だがもう、遅い。妨害を振り切ってリンクを回復したシンクレアからの、結界破壊の一撃。
 色を失っていた空に皹が入り、世界が、急速に色を取り戻す。
 焦って一瞬我を失った女騎士を横目に、クロスは高速で飛翔して距離を取った。
 「SS4!!」
 『Load Cartridge.Line Shooter Maximum O.S.P』
 カートリッジシステムにより巻き上がる魔力に任せた、最大出力、最大速度の一撃。それをさらに、弓身を貫くように備えられたシリンダーギミックから突き出た二枚の剛板―――開放式の魔力加速器により威力を増幅させる。
 発射までに時間が掛かる事だけが欠点だが、威力は充分。
 回避を取ろうにも間に合わず、防ごうにも堪えきれず、遠く離れ弓を構えるクロスの姿を漸く見咎めた女騎士の身体を、今放たれんとする光の矢は確実に撃ち貫く―――……、筈だった。

 メキリ、と。

 それが、足刀が騎士甲冑に守られた腕を叩き折る音だとクロスが気付いたのは、背中に走った激痛と共に顔面からビルの屋上に叩きつけられてからだった。
 完全な不意打ち。
 大魔法の発射のために意識を集中していたが故、予想外の第三者による攻撃にクロスは気付けなかった。
 コンクリートで固められた屋上に、無防備な体制で叩きつけられ、一瞬、息が止まる。喉の奥から鉄臭い匂いの液体が湧き上がった。
 混乱。
 しかし混乱の中でも謎の襲撃者からの第二撃―――上空から落下加速を加えた首を狙った踵落しをかわし切ったのは、クロスを上級騎士足らしめる天性故だろう。
 無様に転がるように攻撃をかわす。
 外れた一撃は屋上のコンクリートに隕石でも落下したかのような陥没を発生させる。
 その衝撃で浮かび上がった身体を、クロスはそのまま飛行魔法で飛翔させる。
 出来ればSS4で撃ちたかったが、SS4を持っていた左腕は、完全に初撃で折れていた。SS4も、気付かぬ間に待機状態に戻ってクロスの首に掛かっている。
 激痛を魔力で遮断して、クロスは上空からビルの屋上に脚を埋め込んでいる新たな襲撃者の姿を確認した。
 
 仮面を付けた、白い装束の長身の男。―――仮に”怪しいもの”の例を挙げよと言う試験があったとしたら、誰もがこぞってその男を指差すだろうと思わずには居られない、一目で解る、怪しい男だった。
 仮面には釣上がった目のような部分以外に目立った特徴は無い。
 クロスには見覚えが無い男だった。状況から言って、女騎士の仲間か。
 「何ものだ。……仲間割れか?」
 クロスと向かい合うような位置で、デバイスを構えたまま油断無い目つきで女騎士が呟いていた。
 伺うような視線が宙に居るクロスと女騎士の間で一瞬交差する。そしてその後、タイミングを合わせたように同時に屋上の仮面男を見た。
 戦闘中にあった二人とも、知らない存在。
 第三者の介入。
 何のために―――いや、今度こそスクライア一族の仲間か。だが衣装が、スクライアの特徴的なものとはまるで違う。
 男はゆらりと陥没した屋上から脚を引き抜き、上を―――女騎士のほうを、見上げた。

 「―――今日は仕舞いだ。何れ人も集まってくる。湖の騎士と共に速やかに引き上げろ。……主にこれ以上負担を掛けるのは貴様らの望む事ではないだろう」
 「ッ―――貴様!? 我らの事を―――……っ、く!」
 仮面の男の言葉に、構えた剣を振り被ろうとした女騎士は、しかし一瞬耳元に視線を逸らすようにした後にそれを推し留めた。
 念話だろう。シンクレアと妨害合戦を繰り広げていたであろう味方からの、恐らく撤退指示。
 そうでなければ今のクロスのコンディションで三対一―――もしくは、二対一対一の可能性もあるが、とてもじゃないけど勝ちきれない。
 女騎士はギリっと歯音を立てて顔をゆがめると、クロスを一瞥して、遠く何処かへ飛翔していった。
 咄嗟の判断でシンクレアに追わせようとするが、そう思った瞬間反応がロストした。おそらく、結界魔法の術者の方が何かをしたのだろう。
 ジャリと、仮面の男がビルの屋上を踏みしめる音がして、クロスは視線を返した。
 未だ射撃状態のままで待機しているシンクレアのスターラインブラスターで一撃必殺を狙うか。いや、成功したとして伏兵が居た場合はどうなる。それに魔力も消耗している。撃てば身動き取れないなどという状況になりきれない。
 現状、格闘戦を挑まれたら話にならない。確実に瞬殺される。
 逃げるか。―――どうやって?
 結界も解けたビルの立ち並ぶ都市部の空。時刻は朝。社会人たちもとっくの昔に活動を始めており、恐らくこうして悩んでいる今も、空を飛んでいるクロスの存在に気付いているものは居るだろう。
 後始末が面倒な展開になってきたとクロスは思った。下手すれば、このまま強制送還である―――生き残れるなら望むところだが。
 向かい合う。にらみ合う。仮面越しの視線は伺う事は出来なかったが―――恐らく、クロスと仮面の男はにらみ合っていた。
 
 時間にして、ほんの一瞬の事だったのかもしれない。
 クロスの体感時間ではとても長かったように思われたその緊張感に満ちた瞬間は、唐突に終わりを告げた。 
 男は、足元に正円の魔方陣を出現させたかと思うと、唐突に姿を消した。霞のように、消え去った。
 
 「―――逃げた、のか? いや、見逃された……?」
 クロスは呟いて、それからこの場に留まっているのはまずいと気付いた。
 なにやら下―――道路の方を見下ろすと、何人かの人々がこちらを見ているように感じる。
 離れないと、この場を。気が抜けたせいか、魔力で遮断している筈の痛覚が戻ってきたような気がする。騎士甲冑を”締めて”固定しているだけで、実際は骨が折れて肉が抉れている。誤魔化しきれる痛みではなかった。

 クロスは痛みを以って意識を繋ぎとめながら、昼の青空を飛翔して、都市部を離れた。






     ※ まぁ、ボコボコにされるのが主人公の仕事みたいなものだよね。



[10452] 第三十話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/18 18:27

 Part30:ご都合主義者たちの憂鬱

 『どういうつもりよ!!』

 ……怒られた。
 まぁ、この子だったら怒るよな、この状況ならと思いつつも、クロスは鼓膜を守るために遠ざけていた受話器をもう一度耳元に当てなおした。
 『ど、お、い、う、つもりよ!! ……アンタねぇ、三日も姿を消しておいていきなり電話してきたと思ったら、何言ってくれてる訳!?』
 「……二段オチか」
 キーンと、ハウリングを伴う怒り声が鼓膜を直撃した。言葉の間にドカンという音もしたから、きっとテーブルでも叩いたのだろう。
 電話の相手―――アリサ=バニングスは、予想通り怒っているらしい。
 クロスはため息を吐こうとして―――止めた。流石に失礼に過ぎる。
 「だからねアリサ。繰り返すけど、しばらく仕事が忙しくなりそうだから、そっちへは行けない」
 添え木で固定した左腕に視線を落としながら、言った。包帯と消毒、ついでに地下室が故の―――空調設備は働いている筈なのだが―――よどんだ空気で、気が滅入りそうだった。もう三日もここに閉じ込められているのだから、尚更。
 いっそアリサの直線的な怒り声がありがたかった。それが自分に向けられていると言う事実は、まぁ、甘んじて受けるべきなのだろう。
 とりあえず、申し訳ないと平謝りするクロスの言葉を受けて、受話器の向こうでアリサが深々と息を吐いているのが解った。
 おや、とクロスは首をかしげた。アリサらしくも無い、湿っぽい空気が不思議だった。

 『アンタは……』
 押し殺したような声が、クロスの耳元に届く。
 「いや、ホント悪いとは思ってる。せっかく寝床貸してもらったのに、碌に……」
 『そうじゃないだろこの馬鹿っ!!』
 再び、罵声。反論しようとクロスは一瞬思うものの、アリサは息もつかずに言葉を繋げて来た。
 『そうじゃないでしょ、ホントに、もうっ! アンタが何処から来て何処へ行くのかは知らないけど、今はまだアンタはウチに居て良いの! パパにだってちゃんとお願いしてあるんだからっ!』
 最後の部分はクロスには初耳だった。だが、突っ込むべき場面でもないだろう。
 「だからそれは本当にありがたいと思うんだけどさ。今はちょっと立て込んでて、しばらくはそっちに行けそうにも……」
 『だからなんでそんな言い方するの! ”行けそう”ってなによ! 良い? アンタは今ウチに”居るの”! ……そういう時はしばらく”帰れない”って言いなさい!!』
 一息に。真摯に、苛烈に。少女の言葉に、クロスは呆然としてしまった。
 『……解った? 何時でも良いから一度、ちゃんと”帰って”きなさい。その後で何処かへ行くんだったら、ぶっとばして見送ってやるから。……返事は?』
 「……ぁ。―――あ……ああ」
 我知らず、クロスは頷いてしまった。
 間抜けな顔をしていたのだろう。背後に感じていた気配が、クスリと微笑んでいるのがクロスには解った。
 『ホントに解ってるんでしょうね? ……まぁ良いわ。じゃ、怪我しないように気をつけて―――……行って、らっしゃい』

 最後に付け足された言葉は、小さく、密やかな想いが込められていた。その程度の事は、クロスにも理解できた。
 通話が終わり、電子音が等間隔で響くだけとなっていた受話器を置く。
 クロスは自分の無様に苦笑を浮かべようとして―――失敗した。
 空いている手で頭を掻こうとして、左腕は固定されているのだと思い出した。
 「踏んだり蹴ったり……ですか?」
 背後から響く夜草の囀りの様な音は、楽しげであった。
 振り返る。
 今現在クロスが閉じ込められている―――正確に言えば、閉じ込めて”もらっている”―――月村屋敷の住人の一人、月村すずかが微笑んでいた。
 クロスはその心底楽しそうな微笑を見て、今度こそ苦笑形作る事に成功した。
 「まぁ、自分の最低さ加減を再認識したと言うか、ねぇ」
 「自嘲癖のある人って、大抵ホントは自分が言ってるほどには、自分が悪い事を理解できてないんだって、前にお姉ちゃんが言ってましたよ。……都合の良いときだけ利用して、後はポイ。まるでドラマみたいに最低ですよね」
 すずかは責めているようでもあり、楽しそうでもあった。単に、責める事を楽しんでいるのかもしれないなとクロスは思った。
 「アリサちゃん、クロス君のこと大好きなのに」
 ベッドに身体を預けるクロスの肩口に顔を乗せながら、すずかは楽しそうに、心底楽しそうに言った。
 まさぐるようにクロスの胸に手を這わせ、自らが付けた首の付け根の二つの傷痕を、舐める。年齢一桁とは思えない艶やかさだった。
 すずかが舌を這わせた傍から、クロスについていた傷痕は消えていく。因みにこの傷痕、アリサとの電話の最中に付けられたものである。
 
 「……何ていうか、オレからしてみれば君もアリサも子供だからねぇ」
 遠まわしに、そういう方向での”アピール”は大人になってからやりなさいと言いながら、クロスはアリサの手を取って身体を離すことに成功した。身体を入れ替えて向き合ってみると、すずかは子供らしい膨れ面を浮かべていた。
 「……クロス君だって、たいして年齢変わらないじゃないですか」
 「いやいや、こう見えても、そろそろ三十台後半なんだよね、オレ」
 すずかの不貞腐れた言葉に、クロスは苦笑して返した。
 笑われると思って返した言葉だったのだが、しかしすずかは、違った。
 「―――ああ。だからなんだ」
 その言葉は、その顔は。まるで永の疑問に遂に納得がいったといった風なものを秘めていた。
 「……驚かないねぇ。すずかは」
 むしろ口にしたクロスのほうが驚いたといった口調に、すずかは苦笑した。
 「じゃあ、ウソなんですか?」
 「いや。……ホントだけどさ」
 クロスが困ったように答えると、すずかはそうですよねとばかりに頷いた。
 そのまま微笑んで、クロスの膝にのしかかる様に顔を寄せてくる。
 「私、チカラはお姉ちゃんほど強くないですけど、その替わり―――感覚とかが、鋭いらしいんです」
 
 例えば図書館で見かけた初対面の外国人の男の子に、自分と同じものを感じてしまったり。
 すずかは、甘えるような仕草でクロスの首に腕を廻しながら続ける。
 「あの時、思ったんですよ。この人とは良い付き合いが出来るんだって」
 「―――何だいそれ? 乙女のカンってヤツ?」
 おどけて空気を壊そうとするクロスに、しかしすずかは首を振った。その拍子に揺れた髪が、クロスの頬に掛かる。
 解っているくせに。
 細められたすずかの瞳は、そんな風に語っているようだった。
 「そういうのじゃないです。もっときっと、打算的な―――……。クロス君は、私”達”のこと」
 細められた瞳の中の光が、地下室を照らすオレンジの明かりに揺れたような気がしたが、クロスは遠慮も混ぜずに、微塵も躊躇いもせずに頷いた。彼らはつまり、そういう関係だったと言える。
 「知ってる。―――うん、良く知ってる」
 ツプリという音がかすかに聞こえた。首元が濡れたような、少しの痛みとともに、それを感じた。
 廻されたすずかの腕。爪の先が、クロスの首元を浅く裂いていた。
 
 視線が絡む。すずかは怪しく微笑んでいた。
 
 「隠し事があるって、辛いなって思うときありません? そんな時は気を使わなくて済む誰かがいればとか、ずっと前から思ってたんですよ。私が何を言っても、私にちっとも気を使ってくれない人、何処かに居ないかなって」
 言ってる事は冷徹で、我侭で自分勝手で、目は本気そのものだった。そのくせ、首に廻された手だけは微かに震えているのだから、なんとも愛らしいなとクロスは思ってしまった。
 「それで、オレだ」
 「ハイ。―――でも、自分から話す前に私のことを知っていた事には、流石にびっくりしちゃって、その……」
 驚いて、あの図書館の惨状が完成してしまったらしい。チカラが無いって嘘だよなと、クロスは場違いな事を思って笑った。

 隠し事は、辛い。そう、辛い。
 なるほど、共感を求めたくなって当然だ。
 どうせ言っても理解してくれないけれど、だからそれを、無理に理解しないで居てくれるなら、それほどありがたい事はない。

 「―――決めた、それで行こう」
 「はい?」
 疑問系で問い返す隙間に、一瞬首に巻かれたすずかの腕の力が緩んだ。恭しくそれをはずしながら、クロスは近い距離ですずかと視線を合わせて、言った。
 クロスは知っている。
 ”彼女達”は自分が裏切らない限り、裏切らない事を。なぜなら初めから、彼女達はそういう世界の生き物なのだ。
 だから平気で、こんな事が言えた。

 「契約しようか、すずか」

 「―――あの、まさか」
 すずかが、引き攣った声を漏らした。

 契約、その言葉をこの月村屋敷内で使うのであれば、その意味は一つしかない。
 夜の一族、その真実を知る物としての、互いのあり方を決めることを指す。

 クロスはすずかの顔を楽しげに見やって、軽やかに言葉を続けた。
 「打算的でいよう、オレ達は。お互いがお互いを都合が良い時に好き勝手に利用しあう、そんな都合の良いな関係だ」
 少年が少女に語る言葉では、まず在り得ない物だった。否定されて然るべき、それは碌でもない内容だった。
 だが、少女は困ったように笑うのだった。面白いものを見た、面白いものに―――付き合わされる事に、なった。それはつまり、言葉を否定する事はカケラも考えていないという事だ。
 「例えば今のクロス君みたいに、ですか?」
 「ああ、勿論。―――酷いい方だけどね、万能薬扱いするつもりだったし、オレ」
 クロスは本気で悪びれもせずに頷いていた。
 三日前は確実に折れていた―――と言うか、”千切れて”いた、今はほぼ健常に戻って念のために固定されているだけのクロスの左腕をなでながら、すずかは笑った。

 三日前、傷だらけで自身の部屋に窓から上がりこんだこの男は、迷うことなく自らの血を要求してきた。
 夜の一族の強靭な生命力を秘めた、血。クロスはそれを自らに投与して、ボロボロの身体を修復しようとしたのだろう。
 代価など、無い。一方的な要求だけがそこにあった。
 断れば恐らく、代償も取らずに立ち去っただろうに。
 だと言うのに。すずかはそれを了承した。
 わざわざ姉に内緒で―――きっとばれているだろうが―――使っていない地下室を人が住めるような状態に整えて、無理な頼みを願い出た男を屋敷に連れ込んでしまった。
 当然、親友であるアリサにすらこのことは告げていない。一緒になってその安否を心配する演技までして見せた。
 そこまでしてこの男の頼みを聞いた理由は―――結局、すずかは自身の感性に従ってそう行動する事が正しいと思ったからだと結論付けた。

 恋?

 正直、姉と義兄の姿を毎日見せられている身としては、恋はしばらくは食傷気味である。自分の分は遥か先で良いと、そう思う。
 これは恋ではなく、愛だ。それも飛び切り強烈な、自己愛。
 そして今やクロス=ハラオウンは、血を分けた自らの一部であり、だからこそ自己の感性を信じるすずかに取り、クロスから出た思いつきの言葉を否定する要素は存在しない。

 「素敵なんだか素敵じゃないんだか、よく解らないですね」
 コテンと愛らしくクロスの胸元に顔を落としながら、すずかは笑った。クロスはおどけて、肩を竦めた。
 「いやいや、それなりに特別な関係である事は保障するよ。なにせ、オレは自分が三十路過ぎだって誰かに話したのは、12年生きてきた中で初めての経験だからね。――――――ねぇ、カリムさん?」
 最後の言葉は、二人しか居ない筈の地下室の隅、置き捨てられた木製の箱の詰まれた辺りを眺めながら語られた。
 聞いたこともない女―――はっきりと決め付けて掛かった―――の名前を耳にして、すずかもクロスの視線が行く先へ振り向く。
 薄暗い照明が当たらずに影になっている部分。
 そこに、薄く厚みの無い光の幕のようなものが浮かんでいた。

 『はい、私も初めて聞きました。―――女との睦言の最中に別の女の名前を出すところも、相変わらず素敵ですよクロスさん』
 
 金髪の女の顔が、宙に浮かぶパソコンのウィンドウのようなものに映っていた。
 クロスは照れもせずにすずかを膝の上に乗せたまま、カリムとの会話を始めた。

 その姿は微妙にすずかの癪に障った。気を使わなくて良い相手。クロスには自分以外も、居たのだ。
 「ごきげんよーカリムさん。……連絡、遅くないですか?」
 しかしクロスはすずかの想いに気付くそぶりも見せず―――きっと、気付いているだろうに。そのまま、会話を続けている。
 『少しこちらでも調整しなければいけない事がありましたので。相手が相手ですから、管理局も自己主張が激しいですし。苦労したんですよ―――ヴェロッサが』
 「使い走られてるねぇ、ロッサくんも。監察室で教会側の利益のために行動したら針のムシロだろうに。―――んで、一昨日送ったデータはどうだったの? ああ、スカえもんが喜んでいるとかそういうどうでも良い話はしなくて良いから』
 あれよあれよと言う間にすずかの知らぬ名前が幾つも現れた。本当はきっと、隠さなければいけない世界の話だろうに、クロスはすずかに気を使う事を本気で放棄しているらしい。
 これが喜ばしいと思えてしまう自分は果たしてどうなのだろうか。
 すずかはそんな風に思って、思った後に、どうでも良いかと首を振った。
 彼/私が私/彼に気を使わないと言うのであれば私/彼も彼/私に気を使う必要は無い。
 
 少しの稚戯と、軽く妬みなんかも混ぜて。すずかは、未だ自分以外の誰かと談笑を続ける男の首筋に、犬歯を立てた。







    ※ 一戦終わった後の話。キリが良い話数のときに限って繋ぎの話が多いですね。
      何か今回で出番が終了っぽい人が居ますけど、多分もう一度くらいはでます、多分。ホント多分。

      ほんで、主人公ヨエーについて。
      まぁ、二対一でさらに不意打ち気味に追加で一だと、あんなもんかなぁと思って書いてましたけど、微妙って意見が大勢ですか。
      原作でもSランクの連中が苦戦してる描写って殆ど無いですし、ご尤もって言えばそうですしね。
      
      修正の予定は無いので、後付ですが理由を(無理やり)考えて見ます。
      どっかで「シンクレアは魔力を馬鹿食いする」と言うのを書いたと思いますので、それが一つ。
      後は29話内で軽く触れられてましたけど、多分結界への干渉もシグナム相手にするのと同時に行ってたとか?
    
      まぁ、魔力減ってるからって反射神経が落ちる訳ではないだろって考えるとそれまでですが。
      



[10452] 第三十一話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/19 13:34

 Part31:そのひ、うんめーにであう

 「僕の、……せいだ」

 自らを責める言葉に、それを推し留めてくれるものは存在しなかった。
 病室。簡素な空気に満たされている。室内にユーノ=スクライア、彼一人だけ……ではなかった。
 個室のベッドで、腕から細いケーブルを流して眠る少女の姿が、あった。眠り続けている、といった方が正しい。
 この少女はもう、五日間も眠り続けている。
 
 僕のせいだ。

 ユーノは少女の眠るベッドの脇のパイプ椅子に座り、もう一度音にならぬ言葉を繰り返した。
 ユーノの顔は、焦燥に囚われて、頬はやつれ、目元は黒く落ち込んでいた。
 心身は健康そのもの、現代医学では原因究明が不可能の状態で眠り続ける少女の姿と比べて、どちらが病人と呼ぶに相応しいかといえば、誰もがユーノのほうを指差すであろう。
 ユーノは自らを糾弾し、自らに絶望していた。
 自らの行動が巻き起こした災禍、その末路こそが、眼前で眠り続ける少女のそれだ。
 
 ジュエルシード。
 願いをかなえる奇跡の宝珠。禁断のロストロギア。
 使い方を誤れば、次元世界に騒乱を巻き起こすであろうそれを、しかしユーノ達スクライアの一族は、歓喜を持って自らの手に収めた。
 此れなる力を持って世界を手にしようなどと、そんなつもりは毛頭無かった。
 スクライアは学術の徒である。ゆえに、その無限の可能性が導き出す古代の歴史の顛末の一端に触れたかったという、その気持ちしかなかった。

 こんな貴重な、こんな歴史的発見を、公権を持って一方的に封印してしまおうなどと、学徒として許せる筈も無い。

 かくてスクライアは、何時ものように管理局には未報告のまま、危険なロストロギアを自らの懐に納めた。
 調べ終わったら返すから、何も問題は無い。窃盗犯の発想である。
 そして自覚無き悪意は、更なる悪意によって粉砕された。粉砕した側も、悪意なぞ微塵も持ち合わせて居なかったと知ったら、ユーノはなんと思うだろう。最早それは、知りようも無い事実だが。
 とにかく、暗礁宙域において彼等の乗っていた輸送船は破壊され、禁断のロストロギアはまるで謀ったかのように―――後で解った事だが、実際に謀っていたのだ―――その数21個、全てが違うことなくある次元世界へと転移していった。
 この、魔法の存在しない筈の第97管理外世界へと。

 そこには、圧倒的な力を持つ魔道師が居た。
 見た目幼い、しかし冷徹な瞳で光で編まれた籠に封印したジュエルシードを観察する魔道師。
 ユーノには一目で理解できた。彼が持つ、あの長大な”大砲型”のデバイス。あれで、輸送船を狙撃したのだ。
 現実世界から、次元世界への直接射撃。しかも、一撃で大型の輸送船を破壊できるほど強力な一撃。
 恐るべき力の持ち主であるとユーノには一瞬で理解できた。そしてその恐ろしい力の持ち主が、危険なロストロギアを手にしてしまったのだ。
 ためらいなく―――性急に、とも言える―――ユーノは宝珠の奪還に動いた。一撃で相手を拘束し、多少傷を負わせる事になってもジュエルシードを奪い返す。
 だが。
 きっと、この期に及んでも”傷だけで”済ませようなどと考えていたユーノが甘かったのだろう。
 拘束魔法は難なく回避され、反撃の一撃で以って意識を絶たれた。挙句に、自らの相棒とも言えるインテリジェントデバイスを失った。
 殺されずに済んだのはきっと、意識が途切れる最後の一瞬に、相棒が助けてくれたからだろう。

 ユーノが次に目を覚ました時に目の前に居たのは、車椅子に腰掛けた少女と、それに付き従う女性だった。
 車椅子の少女は、膝の上に強力な力を秘めた魔道器を置いていた。
 少女の名は、八神はやて。強力なロストロギアと契約を果たした、魔法少女だった。
 八神はやては穏やかな声でユーノに問いかけた。

 一体、何の助けが必要なのか。私に、何か出来ることはあるのか。

 力なく小動物の姿で臥せっていたユーノにとって、その言葉は希望を持つに余りあるほどだった。
 先ほど自らを叩きのめした男に匹敵するほどの、いや、それ以上の力を持つ少女。無垢な使命感に燃えた瞳は善なる者のそれだ。
 僥倖。八神はやてとの出会いは、ユーノにとってそう言う他無かった。
 
 助けて欲しい、貴女の力で。
 助けてあげたい、君の事を。

 かくて契約は為り―――その結末が、これだ。

 少女は自らの手足である守護騎士の力を振るうたび、自らの不安定な魔力を急速に消耗していくのだ。
 悔恨そのものの表情で、しかしユーノの事を一切責める事も無く、剣の騎士が語った言葉が全てだった。
 敵は強かった。
 本来ユーノとは何も関係の無かった少女が、意識を失いそのまま目覚めなくなってしまうほどに、敵は強かったのだ。
 
 そして、守護騎士たちは主の身体を少しでも労わるために姿を消し、ユーノは一人ではやての眠る病室に取り残された。
 少年の姿で、彼女の傍らで自らを責め続ける。それ以外に、できることが無かった。
 
 「僕は、どうすれば……」
 
 どうすれば。何をすれば。何を、どうやって。やるべき事はきっと幾らでもあるはずなのに、ユーノの思考は、混乱の坩堝に嵌まっていく。
 その時。
 はやての眠るベッドの脇に置かれていた、彼女の魔道器である”本”が、その表紙に刻まれた十字の刻印が俄かに発光を始めた。
 光は急速に拡大し、俯き伏せるユーノをも巻き込んで、狭い病室を満たした。
 光。
 それは黒い、漆黒の光だった。

 すなわちユーノは、無明の闇に閉じ込められた。

 そして、夜が訪れる。
 眠り続ける主の身元に、四人の騎士が姿を現した。
 彼女らの眼前には、力無く瞬く”闇の書”が浮遊している。
 闇の書は主に成り代わり騎士たちに命じた。

 主を救うために、力を。魔力を。その源たる、リンカーコアを。
 取り込んだ少年魔道師から捻り出した僅かな魔力を持って守護騎士たちを召喚し、闇の書、その管制人格は主を救わんがために動く。

 騎士たちにそれを拒むものは居なかった。


 『―――派手にやられたらしいな』
 
 クロノ=ハラオウンは開口一番、モニター越しにこう言った。一仕事終えて疲れているはずだろうに、姿勢は何時ものように几帳面に整っている。
 その顔はぶすくれているようだが、実際には弟の事を心配しているのは誰もが理解していた。例えばアースラに居る周りの人間とか、言われた弟本人とかも含めて。
 言われて、クロスは包帯の巻かれた腕を示しながら苦笑した。
 「まぁ、ねぇ。向こうの電源切っておけばもうちょっと余裕で勝ちにいけたんだけど、まぁ、全開でもアレは実際強かったかな。……化け物ってのは居るものだね」
 『その化け物に関してだがな』
 一先ずは弟の無事を確認して落ち着いたのか、クロノは身体を背もたれに預けて、大きく息を吐いた後に言った。
 『お前が一週間前に寄越した報告だと、輸送船襲撃犯の一味と思われると記されていたが、こちらの調べによるとどうも違うらしい事が判明した』
 『クロノ君、弟君が怪我したって聞いて、必死で捜査してたもんねー』
 クロノの座る椅子の背後から、ひょっこりとエイミィがモニターに顔を突き出してきた。
 クロノの私室の筈だったのだが、どうやら共に居たらしい。仲が良い事でと、クロスは肩を竦めた。
 『エイミィ、余計な事を言うな! ……済まんクロス。それで違うという理由なんだが』
 「ああ、良いよ。どうせもう直ぐそっちへ行くことになるんだから」
 手元においてあったのだろう資料を手に取り説明を始めようとした兄を遮り、クロスは月村邸地下室のベッドの上で手を横に振った。
 『そうか。……まぁ、そうだな。しかしその様子だと、お前に切りかかった賊の正体については目星がついているようだな』
 クロノは弟の言葉に頷いて、言った。

 ”お前も”目星がついているんだなと、確認するように目を細めた。

 弟は頷いた。エイミィは、流石に話には割ってはいる事はしなかった。
 「流石にね。幾らオレでも、アレについては調べられる事は調べるくらいの事はするよ。因縁って言うのかな。まぁ、世の中こんなもんだよねって思ったよ」
 クロノは弟の言葉に沈痛そうな表情で頷いた。
 『因縁、か。確かにそう言う以外に僕らにとっては言葉が無いな。……10年前の映像資料に合った姿と、甲冑以外はまるで同一の背格好なんだから、間違う訳も無い』
 
 ……はぁ、と。モニター越しに兄弟揃ってため息を吐いた。
 「やめよう。どうせ後で幾らでも話す事になるんだから」
 弟は面倒そうに首を振った。兄はそうだなと頷いて、あからさまにわざとらしく、そういえばと続けた。

 『すっかりバタついていて言い忘れていた事があったんだが。……その、な。今度、その……新しく、妹が出来る事になったぞ』

 いもうと。
 言われてクロスは首を傾げた。
 妹。義妹だろうか。いやいや、兄がそんな言葉の使い分けをする筈も無い。
 「……はぁ。つまり、母さんが再婚するって事? 相手は誰。兄さん?」
 『何で僕なんだ!! ……いや、そうじゃない。大体お前は、その、……何だ? 母さんがそういう風になっても平気なのか?』
 弟の言葉を顔を真っ赤になって否定してきた後、クロノは非常に聞きづらそうな顔をしてクロスに問うて来た。モニターの向こうでエイミィが肩を震わせて笑いを堪えているのが解った。
 クロスは、如何にも真面目な顔を作って兄に返した。内心はエイミィと同様だったが。
 「子供が二人とも社会人なんだから、別にもう母さんも好きに生きても良いんじゃない? ……まぁ、兄さんが母さんを独り占めしたいって言うなら止めないけど」
 『お前は……いや、良い。今のは失言だった事にしてくれ』
 兄は実に気まずそうな顔で首を振って項垂れた。エイミィはクロノの背中で大爆笑である。
 クロスも少し笑った後に兄に聞いた。
 「んで、妹って?」
 『ああ、それなんだ……ん? ……スマン、来客らしい。ちょっと待って……いや、丁度良い。少し待ってくれ』
 兄は席を立って、弟は笑い転げているエイミィの映るモニターの前に一人取り残された。

 ファリンに頼んで紅茶でも持ってこさせようかなと考えながら、包帯の巻かれた腕を眺める。
 肉も骨も、完全にくっついている。とても一週間前まで千切れて皮だけで繋がっていたとは思えない脅威の回復力だった。
 魔法による修復でも、ここまで急速に修復は不可能だったろう。
 身体の修復と平行して、クロスは攻撃してきた”モノ”たちの情報を集めていた。
 切り結んだ感触で解ったが、どうにも普通の人間とは違う。機械、傀儡と言うほどに不自然ではないが、人間と言うには不自然に過ぎる。そんな生き物だった。
 魔法的な力で作られた生命体。その線から調べていって―――行く前に、あっさりと事実は割れた。
 クロスもクロス=ハラオウンである以上調べないでいられない筈も無かった、一つの事柄に打ち当たったから。

 闇の書。その守護者たる、四人の騎士。

 父。父である筈の人の命を結果的に奪う事となった、危険なロストロギア。
 最終的には10年前に管理局の次元航行艦による艦砲射撃によって塵に帰した筈だったのだが、復元されたらしい。
 そうと解ってしまえば、それが予言の一節に記されていたものに関わっていると知れてしまう。余りにも内容に一致しすぎていたから。
 闇の書はつまり、地球へ転生していたのだ。
 
 そして、闇の書の復活が確認されたと言う事実が管理局に知れた瞬間、クロスは管理局へと出向する事となった。
 管理局としても、これまで何度も煮え湯を飲まされてきた闇の書に対して、聖王教会だけにその対処を任せるわけにもいかなかったようだ。
 協会側としては勿論、予言の一節に関わる事なのだから、管理局がでしゃばってきたからと言って、後はヨロシクとは簡単に言えるはずも無い。そしてこの場合、現場に居るクロスの意見など差し挟む余地など何処にも無いのだ。
 結果、両者の言い分をそれなりに満たすために、クロスは近隣の次元航行艦アースラとともに闇の書の対策に当たることと決定してしまった。

 聖王教会上級騎士クロス=ハラオウンは管理局次元航行艦アースラに乗艦し任務に邁進すべし。
 任務も何も、予言が成立し始めてしまった段階で、事前介入担当のクロスに出来る事は既に終わっているのだが、それを指摘してくれる人は居ない。
 上司のカリムですら賛成しているのだから、クロスには肯定する以外に他無かった。
 宮仕えの辛さだろう。

 厄介な事になったなと、クロスは思う。
 ジュエルシードの確保の時のように、機械的に淡々と事件を処理する、と言う訳には行かないような気がするから。
 そんな風にぼんやりと考えていると、兄がモニターの前に戻ってきていた。因みに、エイミィは端に転がされていた。

 『スマン、待たせた。この子は人見知りでな……、フェイト、平気だからおいで』
 兄は椅子に腰掛けて、モニターの外側に向かって手招きした。

 金色。白、赤。
 そんな、三歳くらいの幼女が、モニターの向こうで不思議そうな顔をしていた。首に、瞳の色と同じ赤色の宝珠をかけている。
 クロスを見ている。大きな赤い瞳で、クロスをじっと見ている。クロノはそんな幼女の姿を、ほほえましそうに見守っていた。
 向かい合って見詰め合って、ちょっとした時間が経ったあと、遂に幼女は口を開いた。

 『……みどりのくろの?』
 
 ガクっと、モニターの向こうで兄が身体を崩したのが解った。恐らくクロスも自身が同じような事になっているなと解った。
 兄に目線で問いかける。クロノは、苦笑して頷いた。
 「はじめましてお嬢さん。クロスと言います。お名前をお聞かせ願いますか?」
 クロスはやれやれと言った風に笑いながら、モニター越しにクロノを見つめる幼女に言った。
 幼女はクロスの言葉に、一瞬慌てて、それからモニターの外と、次にクロノを見た後に、大きく息を吸って再びクロスと向き合った。

 『は、はじめましてっ! ふ、ふぇいと、はらおんですっ! ……よんさいです!』
 
 こうしてクロスに、新たな兄妹が出来る事となった。








    ※ ユーノ=スクライアさんがクランクアップを迎えました。お疲れ様でした。

      ……なーんてユーノのことに突っ込んでる場合じゃないよねきっと。
      うん、でも何ていうか。
      一人が画面に映らず、一人が眠りっぱなし。……とくれば最後の一人にだけまともな出番が在る筈も無く。
      当初から予定していた事なんだな、これが。

      そんな訳で、今日は夜まで外なので早い更新でした。

  



[10452] 第三十二話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/20 18:16

 Part32:呉越同舟

 「それじゃ、月村さん達に宜しくって伝えておいて」
 「それは解りましたけど……アリサちゃんには、何も無いんですか?」
 
 ある日の夜。
 月村邸のバルコニー。向かい合い別れの言葉を口にするクロスに対し、すずかは余り興味がない風に、しかし一応の礼儀として問いかけた。
 クロスはアリサの言葉に一瞬視線をすずかから外して何か考えたようだったが、そのすぐ後に自らを皮肉るように首を振った。すずかはそんな男の姿を見て、ああ、この男はまた自分を被虐して酔いに浸っているなと思うのだった。
 「こういう時って、戻ってきてから自分で言うよって答えると格好良いかな?」
 「クロスくんの格好つけのために親友の前で仮面被らなきゃいけない私ってどうなんでしょうね?」
 ニコリと笑顔で棘を刺すすずかに、クロスは苦笑して肩をすくめた。
 「愚痴なら聞くよ」
 「聞かせます。……お気をつけて」

 うん、それじゃぁ。
 その言葉を最後に、クロスの姿は掻き消えた。
 最後まで、”いってきます”も”さようなら”の言葉もなかった。ああいうのを駄目な男の典型というのだろうと、九歳の少女は思うのだった。
 その背後で控えていたメイドが、主人が駄目な男に引っかかった駄目な女になっていくと嘆いている事には、気づいていなかった。


 そんな愁嘆場にもならない離別劇を繰り広げた数時間後には、クロスは航行次元艦アースラ内の、あにクロノの執務室において書類をめくって眉をひそめていた。
 「プレシア=テスタロッサ、ねぇ。ヒュードラの暴走事故……って何時だかテレビの特集で見たような気がするけど、二十年以上前の話だっけ? 天才が馬鹿なことを考えると始末に終えないって感じか」
 いかにも呆れた、と言う顔をしている弟を確認して、同室内に居たクロノはため息を吐いた。情緒面を重要視する彼であっても、それは納得したい部分だったからだ。
 「事故に巻き込まれて死んだ娘を生き返らせるために、八方手を尽くした挙句、ロストロギア頼みって処は……どうなのかな。いや、”自力”で生命創造まで至ったのは執念って感じだけど。スカえもんだって投げ出した分野なのに、専門外で良くやるよ。……って、スカえもんが投げ出したのはオレのせいか」
 「……最終的には死んだ娘と同年齢の九歳まで培養した後、お前が横取りしたロストロギアを用いて記憶の転写を行うつもりだったらしい。しかし、自力で全部やったと言うのがいかな天才とはいえ無理があったということなのだろうな。フェイト……あの子は未だ、四歳に満たない」
 クロスは”横取り”したと言う部分にだけ眉をひそめ、他の事情には特に興味が無さそうだった。資料を指ではじくようにめくりながら、思い出したように兄に問う。
 「そう言えば、生命操作系の技術って管理局の第一種優先拾得目標だろ? 良いの? 母さんが勝手に横取りなんてしちゃって」

 永遠の命、無限の若さ。
 所謂、老い先短い老人の夢だろう。
 権力を求め闘争を繰り広げている間に、気づけば年齢を重ね若さを失う。故に、手に入れた権力を持って、代償として失った若さを求める。自らが否定し、他者のそれを追い落として手に入れたはずの権威の永続性を求めようとする。
 時空管理局では、上層部の規定によって、生命操作技術の確保については厳しく定められていた。
 『平気よ。あの子は……フェイトは、プレシア=テスタロッサの実験のために誘拐されたただの子供だもの』
 中空に平面モニターが開き、お茶を啜るリンディのすまし顔が映った。
 クロスが一瞬眉を蠢かせ、クロノがドアの方に視線を移していた。
 「……流石に上層部の人間になると、無理が利くんですね」
 心底感心したような口調で弟が言った。母はすまし顔のままだった。
 『何処かの誰かが上層部を滅茶苦茶にしてくれたお陰よ。現場の裁量が強くなってきたの』
 「何処の誰とも知らない人間にあっさり滅茶苦茶にされるんですから、管理局も程度が知れますよね」
 
 あいも変わらず。
 クロノはそっとため息を吐いた。弟と母のやりとりは表面的な嫌味の飛ばしあいに終始している。
 毎度の事ながら異が痛い事この上ないが、同時にこうも考える。
 この二人は、表面的な会話以外出来ないのではないだろうか、と。クロノは最近そう考えるようになっていた。
 切っ掛けは、母の漏らした一言から得たのだが。
 
 あの子は、壊れてしまう。

 確かにそれを前提に弟の会話の仕方を考えてみれば、あの弟は自身の内面に踏み込まれる事を好まないタチだということが解ってくる。
 ただ、その理由がクロノにはわからない。そしてきっと、母にも解らないのだろう。
 培養液で満たされたカプセルの中に浮かんでいた幼児を、あっさりと自分の娘として認めてしまうような母だ。弟が内に抱えている物が欠片でも理解できて居れば、ためらいもなく踏み込んでいくはずなのに。
 母は常に、弟の前では足踏みをしている。そう見える。
 異質に過ぎて、踏み込めないのだと。クロノは最近母の弟に対する姿勢をそうそう理解できるようになってきた。

 クロノはため息を吐いた。
 クロノには弟の事は理解できない。母の事も、実はそれほど理解していない。新しく出来た妹など、もっての外だ。
 だが理解できないからといって外から眺めて放置しておく事など、クロノには出来ようも無い相談だ。彼の知る家族のあり方が、それを否定していたから。
 家族であっても理解できない、踏み込めない部分がある。それは弟との付き合いでよく理解している。だがそれは、踏み込まなくて良いという理由にはならない。
 何故か? 家族だから。理由はどうあれ、クロノにはそれで充分だ。
 家族は互いを助け合い、互いをぶつけ合うべきだと、そうする事で他に変えられぬ絆が生まれるのだと、今は亡き父から教わった。
 とはいえ、あえてぶつかり合う事を避けるために表面的な舌戦に終始している母と弟に対し、クロノの出来る事は少ない。とても少ない。というか、無い。
 なぜならこの二人は、無駄と思えるほど高速に頭が回るから。
 どちらかと言うと愚直さを美徳とするクロノにとっては、相対しかねる相手である。
 頭を使って策を弄そうと、より頭の良いものたちには通じない。そう言う事だ。
 策を用いて通用しないなら、偶発的な可能性に掛けるしかないのだが、万事において隙無しと言われるほどに生真面目なクロノが、そんなトラブルを巻き起こすはずも無い。
 さて、どうすればこの胃が痛い空間を終了できるか。クロノが頭を抱えていたときだった。

 「……くろの、あたまわるいの?」
 金色の波が、視界を満たしていた。
 「フェイトっ!? ……って、どうやって入ってきたんだ。ドアはロックしてあっただろう? それから、そういう時は”悪い”じゃなくて”痛い”って聞いてくれ」
 突然眼前いっぱいに視界を満たした妹に慌てながら、クロノは問いただした。
 「あのね、どあがあかなくてこまってたられいじんぐはとがあけてくれたの」
 『It was a simple task. 』
 首に下げた赤い宝石を煌かせながら、フェイトは得意げにそういった。デバイスまで得意げである。
 因みにこのインテリジェントデバイス”レイジングハート”は、一週間ほど前に弟から”拾得物”として送られてきたものである。自己封印状態だったため後で解析しようと執務机の上に放置していたら、いつの間にか部屋に入り込んでいたフェイトと契約していた。
 デバイス当人いわく、フェイトの魔力と相性が良かったから、らしい。自分に合う魔力の反応があれば自立的に目覚める設定にしていたのだとか。
 元の持ち主の情報もある程度把握済みで、デバイス自身が納得しているのだから一応問題ないかと使用魔法に制限をかけて放置されていた。
 現在行方不明の元の持ち主が発見されたときどうするかを考えると頭が痛いのだが、フェイト、デバイス共に喜んでいるこの状況だとどうにも手を出しにくい。
 一週間の間に随分仲良くなったようである。

 「くろの、あたまいたいの?」
 再び尋ねる妹に、いや、君の奇行に頭を抱えただけだとも流石に言えず、クロノはドカリと彼に似合わぬ仕草で背もたれに体を預けて、フェイトの存在に気づかずに舌戦を続ける弟と母を指し示した。
 「……けんか?」
 「ケンカだ。仲良くケンカするのがあの二人の趣味だからね。人生の楽しみ、と言うヤツだ。楽しい事は程ほどにしておけと常々注進しているのだが、中々聞き入れてくれないのさ」
 首をひねるフェイトに、クロノはしたり顔で頷いた。フェイトは腕を組んで云々うなった後に、得意げな顔で言った。
 「けんかはいけませんとりにすはいってました」
 「全くだ。フェイトはえらいね。でもあの二人は大人になってもそれが理解できていないんだ」
 ぽんぽんと、フェイトの頭をなでながらクロノは母達の愚痴を述べた。そんなクロノの態度に、フェイトは大きく頷いた。
 「けんかはいけません。―――とめてきます!」
 「あ、ちょっと、フェイト―――……まぁ、良いか」

 大きな声で宣言して、平面モニターと向かい合う弟に突進していく妹。
 弟も流石に戸惑っている。何せ子供というのは容赦が無いから、空気を読むという言葉を知らない。積極的に他者に踏み込んでいく事こそ、正しい事だと思っている節がある。
 弟も母も、兄になら通じる言葉だましが通じない相手の出現で、戸惑っているようだった。
 なるほど、これは良いとクロノは思った。
 はじめ、母があの少女を自分の娘として引き取ると言った時には流石にどうかと思ったのも事実だ。
 何処かの誰かの娘を引き取る前に、自分の息子と和解するなりどうするなりして欲しかったから。
 しかし、結果的に見ると母の選択は”クロノにとって”正解だったような気がする。新しい妹はどちら側にもつかない。どちらかと言えばクロノの味方だ。今まで弟と母の間に板ばさみだったクロノに取り、これほどの幸運は無い。
 率直に言って、良い薬だとクロノは思って少し良い気分に浸っていたとき、再びドアが開いて来客が訪れた。

 「すいませんクロノさん、フェイトがこちらにお邪魔していませんか?」
 クロノは、ロックしてあったはずのドアが勝手に開いた事には最早突っ込まずに、そこに立つ女性を招きいれた。

 「ええ、あそこで大活躍しているところです。―――どうぞ入って構いませんよ、リニス」
 





    ※ 念のため一応書きますが、流石に登場させたキャラで原作で死ななかった人を殺して楽しむとかはしませんので。
      出てない、出しようがない人は初めから”居ない”と考えるしか無いですが。



[10452] 第三十三話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/21 18:06

 Part33 ブレイク・オブ・マイン(前編)

 蒐集が始まった、らしい。

 らしいと付く理由は、実際の現場を確認した訳ではなく、そうとしか思えない残骸を目撃したとの情報がアースラに届けられたせいである。
 クロスがアースラに乗船して三日目の事である。朝のミーティングにおいて、クロノの口からその旨が乗員に達せられた。
 
 蒐集。
 闇の書の守護騎士プログラムによる人間を含めた魔法生物に対するリンカーコアの強奪行為を指す。
 強奪したリンカーコアに滞留した魔力、及びそこに刻まれた魔法式を闇の書に”喰わせる”事により闇の書の白紙のページを埋めていくらしい。
 理由は不明。原因は不明。
 ただ、この蒐集行為が続く事により結果として周囲を巻き込んだ闇の書の暴走と言う結末が待っていると言う事実だけが絶対として存在しているから、時空管理局としては対処しない訳には行かない。
 いや、初めこのロストロギアの存在が確認された頃は何とかその存在意味を解き明かそうと試みられた事も合ったのだが、その度、結果的な破滅が待っていると言う事態が続いたから、現在では発見しだい速やかに捕獲、封印すべきと言う意見が大勢を占めている。
 特に、前回―――10年前にその存在が確認された時は、最終的にミッドチルダ次元宙域に於いて管理局の航行次元艦を取り込み、あわや管理局中枢を巻き込んでの暴走と言う事態にまで発展しそうだったから、現在では尚更である。

 現状、アースラが解明している事情は少ない。
 闇の書の主は恐らく第97管理外世界に存在し、その近隣次元において蒐集行為が行われている。
 目撃情報から、守護騎士プログラムは四騎全てが稼動中。ウチ、一騎の手に闇の書と思しき魔道書の存在が確認された。
 マスターの存在は依然として不明。行動目的も同様。
 クロス=ハラオウン教会騎士が保持するロストロギア”ジュエルシード”の捕獲を狙っているらしいが、その理由も不明。何故ジュエルシードの存在を知ったのかも不明であるが、現在行方不明である暗礁宙域における輸送船襲撃事件の被害者であるスクライア一族の少年の安否と関係があるのかもしれないとの推測も出ている。

 不明不明、全てが推測ばかりで想像の域を出ない。
 ゆえに現状、アースラが出来る事は探査作業を密にして蒐集の現場を確保、それを行っている守護騎士プログラムを拘束する事を目標とする―――平行して、第97管理外世界に潜伏していると思われる闇の書の主の捜索を行う、程度の事しかない。
 完全に出たとこ勝負の人海戦術としかいえないが、アースラ単艦で捜索任務を行っているのだから、出切る事などたかが知れている。
 艦長のリンディは本局に対し増援の要請を行っているのだが、何処かから力が働いていて動きが鈍いらしい。

 さてその人手不足のアースラが藁を掴もうとしている中で、教会より対闇の書の共同作戦のために派遣されたと言う形となったクロスが何をしているかといえば―――。

 「……またまけました」

 戦艦の中とは思えない、無駄に広いトレーニングルームの中に、落ち込む幼女の声が響いた。
 ふわり、と弾性素材が敷き詰められた床の上に着地したクロスは、金色の杖を手に項垂れる幼女の前で苦笑いを浮かべるしかない。
 「まぁ、一応こっちも職業”騎士”だから、幼女に負けてあげる訳にはいかないよ」
 「ようじょではありません。ふえいとですっ! みどりのくろのはものおぼえがわるいです」
 ふえいとではなくフェイトではないのか。と言うか、オレはもう”緑のクロノ”でもう固定なのか。いや、たまに自分でも2Pカラーだよなとは思っていたが。
 クロスは杖を振り上げて訂正を求める少女を前に、突っ込むべきか迷うところだった。その後で、オレは何をやっているんだろうかと高い天井を見上げる。三日も通い詰めていれば、いい加減見慣れる風景である。
 「何やってるんだろうねぇ、ホント……」
 「こーぎです!」
 ポツリと漏れた呟きに、クロスより頭一つ二つも低い幼女が元気よく答えを返した。赤い瞳をめいっぱい開いて非常に元気なものだ。
 子供ってこういう生き物だよなと肩を竦めてクロスはバリアジャケットを纏ったフェイトの頭を撫でた。金糸のような髪がふわふわと揺れる。
 その心地よい感触に和みそうになりながら、クロスはまた苦笑して首を振る。
 いかん、流されている。
 そして、そうなるようにあからさまに仕向けられている。クロスは幼女に知れぬようにそっとため息を吐いた。

 有体に言って、現在クロスは何もしていなかった。
 乗船して三日、クロスのやっている事と言えば手元に戻したシンクレアを用いたカリム等との秘匿通信による内職をするくらいで、他にはやる事が無い。と言うか、与えてもらえなかった。

 因みにシンクレアは、既に正体が敵に知られている以上置いて置いても警戒されて返って邪魔と言う意見が艦内から上がったため、海鳴上空から撤去している。
 これがあるお陰で第97管理外世界では蒐集が行われていないんじゃないのかと言う意見も合ったが、次元世界からアースラの監視が行われている以上、変わらないだろうという意見が大勢だった。
 なにせ、アースラに気付かれずに次元跳躍を行っている相手である。アースラの存在には確実に気付いているだろうから、迂闊な行動は取れないだろう。

 未だジュエルシードは彼のデバイスの内側に格納してあるのだから、それを持って第97管理外世界をぶらつけば向こうから目標がやってきてくれるのではないかと一応挙げてみた提案も、いかなる理由によるものか却下された。
 そして、クロスは教会騎士ではあるが管理局員ではない。次元世界に於ける恒常的な捜査権限など持ち合わせていないから、迂闊に現場に出られない。おまけに上級騎士などと無駄に階級が高いものだから、艦内指揮系統に組み込みにくいとくれば、腫れ物扱いで部屋の隅に飾っておく程度しか対応しようが無いというのがアースラクルーからの意見だった。
 そも、クロス当人としても自分の仕事は予言が”起こる前”に制圧する事であり、起こってしまった予言への対処は業務範囲外という感覚だった。

 ジュエルシード事件に関しては、自身の知識的なこともあって万全を期して当たっていたが、この事件に関しては特にそう言う物もない。”いつもの”カリムが持ち込む面倒ごとの一つでしかない。
 家族の死因に関わりがあるといえばそうなのだが、只の物に対して憎しみを抱き続けると言うような強靭な神経もクロスは持っていなかった。これは、クロスにとって父とは余り親しくする期間も無かったからという理由もあるかも知れない。
 なにせ、父クライドが死んだ時クロスは二歳である。クロスが生まれて半年と絶たぬうちに長期航海任務に赴き、帰還した瞬間に会話をする間もなく死亡、だったから父に関する記憶は殆ど無い。その当時のクロスは今以上に自分の現状に現実感を抱いていなかったから、それも尚更と言える。
 ゆえに、一度手痛く地を這う事となった遺恨自体はあるが、この事件に対するモチベーションはそれほど高くない。管理局が単独で解決できるのならしてくれて構わない。諸手を挙げて賛成である。この事件を巡る管理局、教会を含めた各部署の政治的主導権争いとかはさして興味も無いのだ。
 出来なければ……逃げる、訳にもいかないのだろう。その時がきたら全力で立ち向かわねばなるまい。なにせ、カリムの持ち込む面倒ごとである。確定的未来として、怠惰が悲惨な状況を招くのは解っていたから。ついでに、一応家族に対する情も、礼儀程度にはクロスも持ち合わせている。最悪の状況が訪れた場合でも逃げないだろう兄達を考えれば、彼等の生存を確保する程度には努力せねばなるまい。
 悪党になりきれない小悪党の発想であった。

 そんな訳で、クロスはお呼びが掛かるまで積極的に動く事を放棄して現状を甘受していた。
 暇だからと身体を動かしては、定期的に顔を出す新しい妹となってしまった幼女の挑戦を受けて立っている。
 それなりに緊張感を持って動いている艦内人員に比べて、極めて平穏な毎日だった。
 「さぁみどりのくろの、もーいっせんつきあってあげましょう!」
 白いセパレートの水着の上に腰巻とマントを羽織ったようなデザインのバリアジャケットを纏った幼女が、頭にクロスの掌を置いたまま何やらたいそうな宣言をしている。
 クロスは苦笑いを浮かべてそれに頷こうとして、トレーニングルームの脇にある休憩椅子から発せられる視線に気付いた。
 「……いいや、今日はここまでにしておこう。残念ながらオレはもう疲れて限界なんだ。シャワーを浴びて、もうお休み……って、シャワー、一人でできる?」
 「もんだいありませんっ! ではみどりのくろの、あしたはもっときびしくいきますよっ!」
 幼女も幼女なりに疲れていたらしい。
 クロスの提案にさして反論もせずに頷いた。そのまま、よたよたと起動状態のデバイスを抱えたまま、休憩椅子―――そこに座る、女性の元へと向かう。
 女性は傍に来たフェイトと、一言二言、穏やかな顔で会話していた。フェイトも微笑んでいる。
 そして、フェイトはトレーニングルームに隣接するシャワー室へと向かい、女性は、椅子からそっと立ち上がった。

 穏やかだった筈の瞳が、明らかな敵意を持ってクロスを見ていた。

 極めて平穏な毎日だった。―――ただ一点、人間関係の構築に関する事を除けば。
 母とは、相変わらず微妙な関係である。尤もこれは何時もの事で、逆にお互いのリズムをつかめていると言う意味では、何の問題も無い。
 高い結束力を誇る艦内スタッフから見れば、クロスは明らかな異物であった。とはいえ、艦長及び執務官の親族とあれば、それなりに親しく付き合えてしまうのがアースラの持つ雰囲気だった。
 新しく出来た妹とも、特に問題なく付き合えている。幼い子供ほど適応力が高いと言う事なのだろうか。それがあの幼女の個性なのかもしれない。
 
 「お疲れ様でした」
 氷で作ったナイフのような声で、女性はクロスを労った。
 クロスにしてみれば、ぶしつけな言葉も予想通りなものだった。軽く罠を仕掛けてみたら、あっさりと引っかかってしまったからムシロ拍子抜けとも言える。

 ―――所詮は、獣。そういうことなのかもしれない。

 「ええ、リニスさんこそ、退屈じゃありませんでしたか?」
 クロスは肩を竦めて、殺意を持って自身を見つめる法衣のような衣装を纏った女性に答えた。
 高ぶった感情は逆に表情を失わせると言う事なのか。リニスは冷徹な眼差しでクロスを見て、言う。
 「退屈な時間など―――、一片たりとも。貴方が何時フェイトの命を奪うか解りませんでしたから、気を抜く暇もありませんでした」
 「―――ああ、そう。……そりゃ、何より」
 クロスは路肩の看板を確かめる程度の表情を作って頷いた。リニスは眉を顰めた。
 クロスは内心、ため息を吐きたい気分ではあった。ここまで明確に敵意を向けられると言う経験も、無いことだったから。
 このまま何食わぬ顔で切り抜けてしまおうか、そうも考えるが、折角あの幼女を追い出してこういう場面を作ってみたのだ。
 どちらの方向に振れるにせよ、そろそろこの面倒くさい状況を打破すべきだろうとクロスは思い直し、リニスが望む言葉を口にするのだった。

 「んで、貴女は一体何故、オレにそんな恨みがましい目つきを向けるんですか? リニス―――テスタロッサさん?」







     ※ そろそろ盤上も詰めの局面、でしょうか




[10452] 第三十四話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/22 16:59

 Part34:ブレイク・オブ・マイン(後編)


 反射的に動いていた手はスナップを利かせて少年の頬を叩く―――筈だった。

 躾がなってない。
 そうとでも言いたそうな無表情で、少年、クロス=ハラオウンはリニスの右手を避けた。わざとらしく―――実際わざとなのだろう、クロスはありありとした仕草でため息を吐いた。
 「折角ヒトガタを与えられてるんですから、手を出すより先に口を出してもらえませんかね?」
 「そのっ―――私に、コトバを与えてくれたあの人を、貴方がっ!」
 明らかに挑発を仕掛けてきているクロスの態度に、しかしリニスは自分を抑える事など出来ようも無かった。
 出会ってから、三日。

 リニスはクロスを殺したかった。八つ裂きにしたかった。首を削ぎ落としたかった。

 あの可哀相な人の、絶望に塗れたままの顔が、未だ忘れられないから。
 「貴方がプレシアを、あの可哀相な人を、殺した! あの人にはジュエルシードが必要だったのに! もうそれ以外に方法は無かったのに、アリシアを救うためにはジュエルシードが必要だったのにっ!」
 激情の赴くままに声を荒げるリニスに、クロスは一瞬目を瞬いて、それから―――ずっと前から解っていたに違いないのに、たった今思い出したかのように頷いた。
 「アリシア=テスタロッサ。……確か、輸送船襲撃犯のプレシア=テスタロッサの死んだ娘でしたか」
 
 その、現象を俯瞰するような口調が、鼻につく。
 他人の感情全てを、たかが自然現象に貶めているようで。出会ったその日から、リニスはこの男が好きになれなかった。
 何故だろうか。きっとそれは、リニスの本質が獣であったからかもしれない。母性と言うものを、持ち合わせていたせいかも、しれなかった。
 リニスはそれを極めて強く持つ、山猫を素体とした使い魔だった。
 製作者は、プレシア。本来、主であるプレシアの死と共に彼女も消える筈だったのだが、消える寸前に居合わせた時空管理局の魔道師―――クロノによって救われ、その後、培養槽の中から覚醒させられたフェイトと再契約する事となってこの艦に乗艦することとなった。
 現状に、不満は無い。幼い、無垢で無知な―――基礎的な知識の刷り込みのみでアリシアの記憶転移を行っていなかったフェイトにとっては、母性に狂っていた末期のプレシアと共にあるよりは、現状のハラオウン家に保護されている状態の方が幾らか幸福だろう。
 なぜならフェイトはプレシアの事を知らないから。彼女は培養槽の中で眠っていただけで、何も、彼女を生み出した人のことを、彼女はなぜ生み出されたのかを、知らないから。無知とは幸福である。

 だが、リニスは覚えている。
 プレシア=テスタロッサ。ただ母であった、ただ母でありたかったあの可哀相な女の、絶望と妄執を。
 事故で娘を失い。それを認めず。復元を目指して、失敗して、それでも挫折できず、足掻き、足掻いて、もがき苦しみ、病に臥せり、そしてそれでも、絶望できなかった。
 その執念が実を結んだのが、ある研究者が放棄した情報を元に作成したアリシアのクローン、フェイトだった。
 完成したフェイトは培養槽の中で順調に育成され、後はアリシアの記憶データを転送すれば全てが完了―――という段階で、躓いた。
 アリシアの―――保管してある死んだアリシアの脳から―――記憶の抽出に失敗したのだ。
 断片的なデータばかりが浮かび上がり、アリシアをアリシア足らしめるはずの記憶の核の部分と言うべきものが、全く拾い上げられない。
 いかなる方法を試しても、いかなる手段を持ってしても。
 もとよりプレシアにとって生命操作技術は専門外の領域。クローンのフェイトの製造に成功しただけでも奇跡に奇跡が重なった偶発的な成果だった。そうであるから、元々足りない知識で施したアリシアの遺体に対する保護作業にミスがあったとしても何もおかしくは無い。
 記憶。記憶。アリシアの記憶。
 からだは全部、元通りになったのに。
 
 心が無ければ、あの子はもう一度微笑んでくれる事は、無いのだ。

 そんな時だろう、既に非合法の領域に全身を浸していたプレシアの手元に、ジュエルシードの情報が届いたのは。
 祈願実現型魔法。
 願えば叶う、そんな奇跡。その媒介。
 危険すぎるそれを、迂闊にも独自に輸送するフネの存在を。どうして見逃す事が出来ようか。
 行動は迅速、否、拙速と言うほどの速度で行われた。
 落下座標を固定して行った次元跳躍魔法による攻撃。一撃で輸送船は破壊され、事前に計算された起動どおりに、目当ての宝珠は目当ての世界―――魔法の存在しない―――世界に、落下した。
 後はそう、使い魔に回収を命じれば良い。プレシアはそう考えて、リニスを呼び出す。彼女らの住まう、時の庭園の大広間に。
 
 そうして、フェイトの眠る培養槽の管理を行なっていたリニスが大広間に赴いた時、プレシアは死んだ。

 大広間の壁面一杯に満たされたモニターには、くたびれた顔をした少年が、光の檻に封印したジュエルシードを観察している場面が映されていた。
 その光景を、驚愕の眼差しで見つめていたプレシアは、発作的症状により吐血した。吐血して、きっと今までなら気力で自身を取り戻せていただろうに、彼女は、絶望に臥せり、立ち上がることを放棄した。
 倒れ付すプレシア。近づくリニスが、走る傍から力が抜けていく、意識が落ちていくリニスが見たプレシアの最後の顔は、絶望的なそれだった。

 だというのに、プレシアに最悪の絶望を届けたであろう少年の顔は、なんて事は無い。
 まるで全てに興味を抱かないかのような、無表情だった。

 「ジュエルシードがあれば、アリシアを取り戻す事が出来た。あの可哀相な人の全てを満たしていた絶望を、ほんの少しでも取り除く事が出来たのに! 貴方が、貴方がその機会を永久に奪い去った!」
 リニスの言葉は一方的だった。そもそもプレシア=テスタロッサの顔すら見た事が無いクロスに、受け入れられる話ではない。
 「それ、言いたくは無いですがただの逆恨みじゃないですか。他人が一々自分の事情を理解している訳が無いでしょう?」
 面倒そうにため息を吐くクロス。リニスは更にクロスに一歩踏み込んだ。
 「そうですね、ええ、そうでしょう。だから私は貴方の事情は介さない。私は私の理由で貴方を許す事が出来ないっ!」
 リニスの言葉が作り出せたクロスの表情は、精々、思ったよりも面白くないものが出てきたなと言った程度の面倒そうな顔だった。
  
 苛つく、苛つく、とても、頭にくる。
 激昂には激昂を返すべきではないのか。何故、そんなに興味がなさそうな顔が出来るのか。
 
 一つ、ため息を吐いた後にクロスは言った。子供をあやすような口調だ。
 「オレが貴女に言える事は精々一つだけですよ。貴女方がジュエルシードを……、ジュエルシードと、あの無知なフェイトを使って何をしようとしていたのかは想像が付きます」

 祈願実現型魔法を用いた失われた記憶の複製。

 完全に、クロスはそれを言い当ててきた。興味の無い風だったくせに、頭ばかりは回るらしい。
 クロスの淡々とした言葉は続く。
 「空っぽの器のフェイトに、アリシア=テスタロッサの記憶を復元して転写するするつもりだったんでしょう? 人の心の受け皿となる媒介、”ジュエルシード”を用いて」
 「それが、何です! 非人道的とでも言いますか? 絶望に囚われていたあの人の、唯一の希望だったそれを、あの人の事情を一片たりとも理解していない貴方が言いますか!?」
 今まさに、プレシアの事情、そして行動そのものを言い当てた男に対し、リニスは憎悪で以って斬り返した。
 知ったような風に、興味もなさそうな顔で。許せないのだ、どうしても。
 クロスはリニスの態度に肩を竦めて、言葉を続けた。
 「別に、そういう風には言いませんよ。知人のマッドはもっと非人道的な事を平気でやってますし。……神の庭でアレは無いよねぇ。―――とにかく、それは単純に失敗すると言いたいだけです」
 
 クロスの言葉はあっさりしたものだった。
 故にリニスには、一瞬言葉の意味が理解できなかった。

 「……なに、を」
 何を言った、目の前のこの男は?
 プレシア=テスタロッサ。狂気に駆られても尚、否、狂気を纏ったからこそ完成した、天才魔道師。
 他の誰であっても不可能だっただろう、かの狂気の天才ジェイル=スカリエッテイすら放棄した生命創造の大秘奥を完成させるに至った、傑物。
 その彼女が唯一絶対の手段と求めた方法を、この男は何と、何と言った?
 リニスは驚愕の面でクロスを見る。クロスはやはり、さして興味がなさそうな顔のまま、頷いた。
 「失敗します。確実に。記憶の移植に成功しても、それはただアリシア=テスタロッサの記憶を有したフェイトが出来るだけですから。だって記憶は、ただの―――ただ、の。……そう、うぉ、ぉおえぇえぇえっぇえぇぇぇ」
 
 吐瀉。
 突然、無表情が崩れたのかと思えば、弾性素材の埋め込まれた床に膝を落としたクロスは胃の中のモノをぶちまけた。
 「うぉっ、げぇ。……ぐぉおっ、ぇっぇええええぁ……」
 最早胃液以外残っていないだろうに、クロスは、咽ぶように嘔吐を繰り返す。肩を震わせて。時折、涙を零しながら。

 リニスには理解できなかった。
 理解できる、筈も無い。ただ、会話をしていただけで、その途中で、こんな。
 何故、嘔吐などしている。その苦悶の表情はなんだ。何故、何をそんなに辛そうに。今までの何ものをも興味がなさそうな顔は、何処へ消えたのだ。
 ともかく。リニスは気分を切り替えてうずくまるクロスの背に手をやった。震えている。一体何に、まるで、怯えるように。
 「クロス、さん……?」
 俯く少年の顔を、覗き込もうと顔を寄せる。

 それはきっと、狂気に満ちていたから、だからそれは、リニスにとって見慣れたものだった。

 「そうだ、……そうだ。この世界の常識では”記憶”と”精神”は別のものだ。主観とは、精神から為り記憶によって補完される。精神の構造は生命として成立した瞬間に決まっていて、だけどそれは未だにカタチとして成立されていない。故に複製は出来ない。不可能だ。知らないものは生み出せないっ! だから例え祈願実現型魔法であったとしても、いや違う! 祈願実現型魔法だからこそ出来る筈は無い! 知らないものを明確にカタチとしてイメージできる筈が無いから! それ故に記憶、知識と言う名の記憶だけが引き継がれる。引き継がれても、精神自体は別のものだから、だから、そうだっ! 」

 たとえ、生まれる前の知識を持っていたとしても、精神が別の存在である以上、その記憶を持っていた人物とは、別の存在。

 そう呟いて、クロスは、哂った。
 「―――っく、はっはは、ハッハッハハハハハハ! チクショウ! 畜生がっ! オレは―――くそっ、だから、くそっ! オレは、だから―――クソっ! 何だオレは! 違うって言うなら、何で! 何でだクソっ!」
 哂う。
 哂う、ただ、哂う。クロスは自らを嘲笑う。傍にリニスがあることにも気付かずに、自らの世界で、自らにしか解らぬ世界を。

 狂気に囚われ哂い続ける狂相が、一瞬、視界の端にリニスを捉えた。
 空ろな眼。壊れてしまったような。初めから壊れていて、たった今、それに気付いたような、そんな瞳だ。
 恐ろしいものが、リニスを視界に映していた。
 最早失ったと思っていた動物的な本能が、リニスに直感的な絶望を喚起させた。
 だがそれも一瞬の事。次の瞬間には少年は、狂気の面は何処かに消え、そこには、何か取り返しの付かない間違いを犯してしまったことを悔やむ子供の顔が合った。

 ごめんなさい。

 そう、クロスの口からそんな言葉が漏れた。
 え、と聞き返すリニスに、クロスはもう一度、ごめんなさいと呟いた。
 「―――そう、ですよね。”大切な人”の”死”を認めたくないなんて、そんな、―――そう、そんな事は当たり前なんです。方法があれば、そこに縋ろうとするなんて、そう、この”オレ”が一番良く知っているのに。だから、そう―――そうだよ、認められない、認められる訳、無いじゃないか! だって”記憶”はある! あるんだ!! それなのに、オレは―――オレ、は」
 再び、誰にもうかがい知れぬ狂気に囚われかけて、クロスはそのまま消沈した。
 ゆらりと、それは幽鬼のように立ち上がった。纏っていた騎士甲冑が解けて、聖王教会のお仕着せの法衣姿に戻る。
 リニスはつられて、立ち上がっていた。
 何も言えない、何も、理解できない。リニスの激情が届いた―――訳が無い。
 結局最後まで、リニスの言葉は届かなかったのに、クロスは何故か、リニスの望む贖罪の言葉を口にしていた。

 「すいません。―――本当に。きっともっと早く、オレは貴方達に会うべきでした。きっとそうしたら、そうしたらきっと―――」

 協力、したのに。

 クロスはそう呟いて、力ない仕草でリニスに一礼した後、トレーニングルームを後にした。
 その姿を、追う事もせずに見送って、リニスは、ただ呆然と立ち尽くすだけだ。
 断罪は、果たされなかった。しかし、贖罪は受け取った。
 理解できない。理解できなくて、リニスは以前クロノに聞いたクロスに関する言葉を思い出した。

 きっとアイツの事を、本当に理解できるヤツは居ない。つまり―――可哀相なヤツなんだろうな、クロスは。

 リニスにも、やはりクロスのことは理解できなかった。ただ、クロノの言葉が真実である事だけは解った。
 クロスが立ち去った出口のドアを茫洋としたまま眺めていると、視界の端に髪をぬらしたフェイトの姿が見えた。
 狂気の時間は、終わりだ。自身の持つ母性が、それを十全と理解した。
 床に撒き散らされた吐瀉物がフェイトの視界に入らないように、リニスは自ら幼女に近づいていく。
 水滴を撒き散らしてこちらに駆け寄ってくるフェイトの姿に微笑を浮かべながら、リニスは思う。

 二度と、きっと。
 私は、クロス=ハラオウンと触れ合う事は無いだろうと。






    ※ 何事も上手く言っている時に限って、普段なら何て事の無いところで躓く、と言う話。



[10452] 第三十五話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/23 17:43

 Part35:こんなはずじゃ、なかったのに


 「……あのさぁ、ロッサ君」

 湯気の向こう、白い天井を見上げながら。クロスは呟いた。
 『なんだい、クロス君』
 何時ものようにやる気無さ気で、モニターの向こうを満たしている湯気に辟易しているような口調で、ヴェロッサは答えた。
 自分の呼びかけに返事を返してもらったと言うのに、クロスは湯船の縁に肘を掛けて天井を見上げたまま、ただ、ぼうっと天井を眺めていた。
 しばし、時間が流れる。
 ヴェロッサはクロスの態度に不信を向けるでもなく、淡々と自分の手元に開いている資料の整理をしているらしかった。この二人の会話は、大体こんな物である。
 モニター越しであろうともそれは変わらない、昔からの付き合いだった。
 
 ぴちょん。

 天井に溜まった水滴が風呂に零れ落ちた。
 それを視線で追って、その視界の端に平面モニターが浮いている事に思い出したのか、クロスは再び口を開いた。
 「……なんで、次元航行艦に大浴場が備わっているのかな」
 湯船に体を浸したまま、興味も無さそうに呟くクロスに、ヴェロッサは手元の資料に何がしかを書き込みながら答えた。
 『それはホラ、長期航行任務に対する慰安とか込めてるんじゃない? ……あと、何だかんだで魔法使いって人種は女性の割合が多いからね』
 一般的に女性の方が魔力素に対する適正が高いといわれている。平均して魔法力が高いと言う事だ。魔法至上主義の世界において、男性と女性どちらが強い権力を握れるかと言えば、考えるまでも無いだろう。
 「つまり、職権乱用ってヤツだな。……解るなぁ、レジアスのオッサンの気持ち」
 『海は女性が強いからね、ホント……』
 現場を知る男の悲哀が篭った言葉だった。
 ぺらりと、ヴェロッサが資料をめくる音が漏れる。クロスは再び天井を見上げた。
 そう言えばトレーニングルームに”ぶちまけた”モノを片付けるのを忘れていたななどと人事のように考えている。清掃ロボットが勝手にやってくれるかとも、思っていた。

 『クロス君さぁ』
 「……何、ロッサ君」
 ヴェロッサが手でボールペンを弄びながら呟いていた。クロスは天井を見たまま尋ね返す。
 『……何かあったの?』
 聞かれた。
 いよいよもって間が持たなくなったと言う事なのだろう。面倒な仕事の打ち合わせも既に済んでいたから、話の内容がこちら側になる事も避けられない事だった。
 「何か、ねぇ」
 クロスは答えようにも答えようが無く、天上を見上げるしかなかった。
 トレーニングルームでの会話を思い出す。
 一方的な絶望も妄執も、きっと自分には何一つ届かなかったのに、何故か、自分で言った自分の言葉で、クロスはあっさりと壊れてしまった。
 ただ単純に、何時ものように無感動に相手の心を切り捨てる、それだけの筈だったのに。
 兄の口癖を借りるなら、”世界は何時だって、こんな筈じゃなかったのに”という所だろうか。いや、こんな場面でこの言葉を使ったら兄に怒られそうだ。
 クロノは口元をゆがめた。
 「何も、無いね。うん、世は常に事もなし、と言った所かな」
 言葉騙しのような口調だったが、クロスは心底そう考えていた。

 そう、何も無い。何かあったのはクロスの内面だけで、世界は何一つ、変化は無い。
 例えクロスの内側がズタズタに引き裂かれていたとしても、世界には何一つ、影響が無い。
 単純に言ってしまえば、狂人が自らが狂っている事を認識したという、それだけの事実だ。
 狂気を退けたわけでもなく、現在進行形でクロスの内面は狂っていた。
 狂って、いる。
 その事実が、辛い。きっと誰に言っても理解されないだろうから、なお更。

 『あ、そう。……まぁ、何かあるなら姉さん辺りに相談して笑い飛ばしてもらうと良いよ。シャッハに付き合って体を動かして忘れちゃうのも良いかもしれないけど』
 ヴェロッサはクロスの言葉に、深く尋ねる事をしなかった。きっと聞かれたくないことだったのだろうなと思う。
 『それじゃあ、後は予定通りに。……クロノくんにも宜しくって伝えておいてね』
 「りょーかい。そっちも頑張ってよ」
 何事も無かったかのように、二人そろって惜しむことなく別れの挨拶を口にして、通信を終えた。
 アースラ艦内、居住区に備えられた100人は同時に入浴できそうな大浴場に、クロスは一人で取り残された。

 一人で、取り残されると、不安になる。
 「オレは、誰だ……?」
 呟く。まるで思春期の子供のような禅門等だと思いながら、それ以外やりようが無かった。
 自らが何者であるかと自らに問えば、クロスは必ずこう答える。
 自分は、クロス=ハラオウンだと。
 だというのに、クロスは自分を構成する主観をクロス=ハラオウン以外の人間の主観に頼っていた。
 記憶がある。死ぬ前の。
 ”誰かが”死ぬ前の。クロスではない誰かの記憶が、生まれたときからクロスの中にあった。何故かは解らない、疑問に思った事は数知れず、しかし疑問に思ったその内容は、”自分”は何故ここに居るか、そう言う事だった。何故こんな記憶が存在するか、ではない。
 クロスは自らの主観をその確固とした記憶に頼って、そして、今さっき破綻した。自らの迂闊な言動ゆえに。

 記憶と精神は同一では無い。
 この世界に於いてクロスがそれなりに信用を於いているマッドサイエンティストの言葉だった。
 記憶とは所詮データに過ぎず、人を人足らしめる要素には為り得ない。人は”精神”、ココロなる形無き何かを有するが故に人であり、そしてそれは、誰にも存在を証明できない。しかし現実として存在していると証明できるのだと狂気の魔道師はそう言った。
 何故か?
 簡単だ。試したから。肉塊に記憶と言う情報を組み込んで、ヒトガタに鋳込んで見ても、それはヒトにはなり得なかったからと、呵呵大笑を交えて魔道師は笑っていた。
 そのくせ、人工子宮で人工授精を試してみたらあっさりとヒトが完成するのだから、研究者としてはたまらない現実だったと付け加えて。

 だから何かきっと、未だ誰にも発見できない神秘とも言うべきものが、我々の中には存在している。

 酒の席、何処からか流れ着いた会話の端で放たれた言葉に、クロスはその場では納得していた。

 しかし、クロスの主観は生まれながらに持ち合わせていた記憶と同一だった。
 生まれたときから死ぬ前の記憶を持ち合わせていたクロスにとって、この記憶に寄った主観は絶対だ。例えそれが学術的定義において他者の記憶であったとしても、クロスにとっては自分の記憶に等しい。
 この世界の定義において、クロスは自らの立脚を自らのものではない記憶によって為そうとすることは、”おかしい”。
 クロスの精神、ココロはクロス独自のものとして確かに存在していて、それは誰か別の存在の記憶とは同一ではない筈だから。
 何よりもその主観の方向性を持っているのがクロス一人だけなのだから、尚更。狂っているとはっきりと言いきれるだろう。

 しかし。
 しかし、だ。クロスの主観においてこの世界は”おかしい”。
 何処が如何、と言う問題ではなく、こんなゲームの中の世界が存在している、自分がその内部にいるという現実事態が、おかしい、ありえない事だ。
 クロスの主観においてはこの世界を否定する自分は”正しい”。
 世界が間違っており、狂っており、正しいのは、自分独りだけ。 

 世界を受け入れるならば、狂っているのは自分で、受け入れないのならば、世界が、自分一人を除いて狂っている。
 どちらの解釈が正しいにせよ、恐ろしい事だ。何より、自分が狂っている事を受け入れると言う事が、”自分”が死んでいる事を受け入れる事と同義なのだから。
 だからと言って、自分が狂っていると言う事実を受け入れる事も、自分以外の全てが狂っていると言う思考を肯定する事も、クロスには出来ようも無かった。
 良くない。この考えは良くない。
 口元まで湯につかり、クロスは自らの精神の危うさを初めて認識していた。
 よくも今まで、無自覚に生きられていたものだ。あんな気楽に、否、気楽な振りをしていなければ、早晩こんな状態になるであろう事を、心の片隅で気付いていたのかもしれない。

 こんな思考を続けていたら、”壊れてしまう”。

 「泣きそうな顔、してるわよ」

 穏やかに過ぎるその声が耳元に届いたのは、いよいよもってクロスの精神が追い詰められていた、その時だった。
 いつの間にか水面に映る自分の顔を見つめていたクロスは、顔を起こして、それから―――体を滑らせて湯船に沈みそうになった。
 裸体。
 角ばっていない、柔らかな曲線で構成されたそれは、見間違うはずも無い、女性のものだ。
 湯気の向こうで、それを隠す事もせず、背に翠緑色の髪をなびかせて。

 「……かあさん?」
 「ええ、お邪魔するわよ」

 惚けたように言葉を漏らすクロスに返事も求めずに、リンディは優雅な仕草で浴槽の縁を跨ぎ、クロスの漬かる湯船に身を浸した。

 「……準戦闘配備中は乗員のこの風呂の使用って禁止じゃないんですか」
 正直、応対に困っていたクロスの口から出た言葉は、何処かに在りそうなお仕着せの提案染みたものだった。
 しかし、湯気の向こうに居る大人の女性は呑気なもので、片手に持っていたタオルで長い髪を湯につけぬ様に纏めながら、湯船に身を沈めていくだけだった。
 出て行く気は、ないらしい。
 ため息を吐きたくなって、そこで、実の親に情欲を抱くような畜生ではなかった自分に気付いて、クロスは内心安堵していた。
 湯気の向こう、丁度向かい合う形で、美しい肢体の女性が同じ湯に浸かっている。
 だと言うのに男の生理的なものが全く反応を示さないのだから、クロスは内心、目の前の女性を”親”と認識しているのだろうと考えた。
 親。親、ね。そう考えられるんだから、やはり狂っているのは自分だ。クロスは自らを嘲笑った。余りにも可笑し過ぎて、吐き気がしてくる。
 その事実が、嫌だった。つまり自分は、世界が狂っていて欲しかったのだろうか。度し難い事だ。自分独りであっても正しくありたい等と。その正しさの基準がそもそも、狂気から発していると言うのに。

 「貴方も一応、この艦の乗員でしょう?」
 唐突に返された言葉は、浅い響きも込められてすらいないものだった。だからクロスは、壊れかけ寸前の精神状態でありながら、それでも返答を行う事が出来た。内容に意味など無い。会話自体すら、そうだ。そんな会話ばかりを、この”親”とはずっと前から続けてきた。
 「艦長閣下から送られたIDは客員用のものでしたので。呼ばれなければブリッジどころか居住区から出られませんからね、オレ」
 表面的な会話。思考の片隅を使って、相手の次の発言を読みあいながら組み立てる、思考ゲームのようなものだ。
 「それは仕方ないわよ。プライベートルーム内でとは言え、艦のシステムに介入して何処かと秘匿回線を用いてデータのやり取りをしている疑いがあるって、オペレーターからそういう上申があったんだもの。勿論私はそんな事は信じていないけど、疑わしきである以上、迂闊に艦橋にあげるわけにも行かないでしょう? 周りの目も、ありますからね」
 しかし表層的なものであっても、それなりに積み重ねていけば思考に占める割合は大きくなっていく。他のくだらない事を考えられないほどに、いつの間にか。
 「そりゃあ、ミーティングで示した提案が、端から却下されてしまったら教会利益代表としてここに居る意味がなくなりますからね。裏工作くらいはしますよ」
 それはようするに、そうなるように仕向けられていたという事なのだろうと、クロスは今更ながらに理解した。
 「貴方の提案を片端から受け入れていったら、この艦が海賊船になってしまうわよ。ウチの子達は貴方と違って後ろ暗い仕事は慣れていないんだから、気をつけて頂戴」
 余計な事を考えては、いけないのだ。常に周りの異状にばかり目を向けて、自らの異状を認識しては、いけない。
 「そんなに駄目ですかね? 有効だと思いますよ、何せ連中は理由は解らないけどオレが持ってるお宝を狙ってるんですから。連中の頭の上でも適当に飛び回ってれば勝手に食いついてくれます。……ついでに、別のものも釣れるかもしれませんが」
 でないと、壊れてしまうから。

 「自分の子供をおとりに使う親が何処に居ますか」

 水が、はねる音が響いた。
 その日、初めて親と子の視線が絡み、どちらがどちらとも、何か奇妙なものを見てしまったかのような顔をしていた。
 子は、母の言葉に驚いて、母は、子の表情に驚いていた。
 「……オレは貴女の子供ですか」
 どうしようもないほど戸惑ったような口調で、クロスは尋ねていた。リンディは穏やかな顔で頷いた。口調自体は、何処か捌けた、親が子に送るというよりは、先達が後進に語るような口調だったが。
 「ええ。貴方は私の子供。……例え貴方自身がどう思っていようとね」
 例えお前が認めなくても、世界は在るがままに回り続ける。愚かな自分への戒めのようで、クロスには痛烈な批判に聞こえた。
 「……傲慢、ですね」
 「ええ、傲慢なの。知らなかったかしら? 親って言うのはそういう物なのよ」
 搾り出すような言葉を紡ぐクロスに対し、リンディの応対はあっさりしたものだった。記憶の年齢を継ぎ足せば、きっとクロスとリンディは歳もたいして変わらないはずなのに、少しズレてしまっただけで、こうも簡単に馬脚を現してしまう。
 それはきっと、この記憶がクロスのものではないから、実際のクロスの経験は、僅か12年の時間しか無いからなのだろう。

 ああ、クソ。自分を立脚するべき部分が揺らいでると、思考がまともに成立しない。

 そんな、余りにも解りやすい思春期の少年の思考に囚われている息子の姿に微笑を浮かべながら、リンディは言葉を続けた。
 もっと早く、一度こうしてしまうべきだったのだろうかと、自身の行動を述懐しながら。
 「本当の貴方が、子供が、どういう人間で、何を望み、何をしているかなんて、そんな事は全て、親にとってはどうでもいいことなの。親にとって子供と言う物は自分の作り出した”自分の”作品。自分のもの、自分の一部と言ってもいいわ。だから、自分の主観に寄る行動を子に望み、自分の主観が望む未来を子に描く。……現実とそれが乖離したら? そんなのは簡単よ。自分を誤魔化せばいいだけ。貴方も大人になれば解るわよ、歳を取るごとに、他人を誤魔化す事以上に、自分を誤魔化す事が上手くなってくるものなの」
 物心が付けば、子供はその傲慢さに反発したくなる。そういうものを何というか解るかしらとリンディはクロスに問うた。
 クロスは、クロスは一度顔を水面につけた後、湯を跳ね上げながら天上を見上げて、呟いた。
 
 反抗期。そういうものだった。

 貴方は飛び切り早くから反抗期だったけどねと、リンディは笑う。
 端から見ればクロスは、幼児期からひたすら聡過ぎる子供だった。その内側が実際”何”であるかなんて、誰も気にしない。
 だから、貴方の悩みは取るに足らないものだから、もう止めておきなさいと。
 それはきっと、真実、母の愛とも言うべきものなのだろう。
 「そんな、子供みたいな言い分を……」
 納得したくないのだ、自分は。クロスはそれでもそう思う。記憶があるから。その一点だけに全てを賭けて。
 「つまり人間は、そう言う物なのよ。誰だろうと多かれ少なかれ、他人に、世界に好き勝手に自分の理想を押し付けて、それで一喜一憂して、それは特別な事ではなく、誰だってそういうものなの」
 諭す様に―――諭されているのだ、実際。それが親から子へと語られる言葉だから、それ以外の意味は無い。
 「それが、人間ですか」
 貴方は狂ってなどいない。さりとて、世界が狂っている訳でもなく。
 「ええ」
 ただ、理想と現実の違いに失望しているだけだと。
 「この世界の、人間ですか」
 自分もその中の一部であると、認めるしかないのだと。
 「そうね」
 簡潔な母の言葉に、クロスは遂にため息を吐いた。それは彼らしい、何処かくたびれたものだった。
 「―――はぁ。嫌な、世界ですね」
 リンディは息子の言葉に微笑んだ。余裕を持った、母の笑みだった。
 「そうね。本当にそう。―――でも、”世界は何時だって、精々こんなもの”でしょう?」

 向かい合うクロスは、笑顔を作る事が出来ていただろうか。






 
     ※ 結局、自分の中で折り合いをつけるしかない問題、と言う事でしょうか。




[10452] 第三十六話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/24 19:12

 Part36:時間よ、止まれ

 『時間がありません』
 
 切迫した声でそう告げる娘に、グレアムは深いため息で答えた。
 管理局機密情報部の秘匿回線を使用した、絶対に外に―――内部にすら―――漏れない特殊な波長による次元間高速通信。
 ギル=グレアムの娘―――使い魔であるリーゼロッテ、リーゼアリア姉妹は、平面モニター越しに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
 そしてそれはきっと、グレアム自身も同じだっただろう。有体に言って、グレアムは焦燥の念に駆られていた。
 十年の大計が、ほんの僅かなイレギュラーのせいで、脆く崩れ去っていきそうだったから、それも当然といえるだろう。
 闇の書を屠り去る、この一点に全てをかけて、持ち得るあらゆるものを賭して進行してきた計画の全てが、今、水泡に帰そうとしていた。

 『時間がありません、お父様。このままでは、闇の書のマスターは持ちません』
 
 再び、リーゼアリアが言葉を繰り返した。
 最早それは、何度も聞いた。詳細なデータも既に、その対策すらも。
 防がねばならない。防がねばならない。闇の書は滅ぼさねばならない。権威も情愛も、全て捨てて構わない。だから、滅ぼさねばならない。
 それだけが唯一の、ギル=グレアムがギル=グレアムを救うための絶対の方法だから。
 娘達はそう信じていたから、父に決断を促す。父も娘達に強いてきた苦労、そして使命に駆ける熱意を知っているから、苦悩する。
 口元で両手の指を絡め、グレアムは再度黙考する。
 既に、娘達から報告は上がっている。状況を解決する、尤も最適な方策が。
 後はグレアム自身が承諾するだけ。それだけで、心を分けた娘達は成果を上げてくれる……上げてくれる、だろうか。
 彼が関わってしまう事柄だからだろうか。グレアムには絶対の自信を抱けないでいた。

 闇の書のマスター、昏睡状態の八神はやては、もう”長くない”。
 魔力の枯渇が生命の維持すらも脅かし始めている。闇の書の守護騎士達は、主の命を救うために必死で蒐集行為を繰り返しているが、間に合わない。闇の書の覚醒が蒐集の速度、魔力の枯渇速度すら上回り、急速に始まっているからだ。底の空いた桶に幾ら水を注いだところで、何の意味も無いのと同じだ。
 サポート特化の湖の騎士も含めた、四騎総出で蒐集を行っているというのにその状態が解決できないのだから、このままのペースでは、確実に間に合わない。
 闇の書の覚醒よりも先に、蒐集により集めた魔力で生命を補填しきるよりも先に、八神はやての命は尽きる。確実に、死ぬ。

 時間が、無いのだ。

 今このタイミングで八神はやての命が尽きてしまえば、未覚醒のままの闇の書は自動的に何処かへ転生してしまう。
 場所も、時間もわからない、何処かへと。
 それを、運良くグレアムが再び発見できるだろうか。不可能だろう、恐らくは。
 グレアムが今代のマスターを発見できた事すら奇跡のような確率だったというのに、それが二度続けて起こる程の幸運を持ち合わせているなどと、グレアムは自身を信じていない。
 ……真に幸運であるのならば、あの時、あの場所で。自身が引き金を引く事は無かった筈だから。

 『二号の馬鹿が暴れたりしなければ……っ』

 押し殺したような罵り声が、リーゼロッテの口から漏れる。
 二号。何故彼を二号と呼ぶのかとグレアムは以前問うた事があったが、彼の兄の方を”クロすけ”なるあだ名で呼んでいるから、との事だった。
 人を二号呼ばわりとは、多分に悪意が含まれているとは思ったが、グレアムはその件について口を挟んだ事は無かった。
 彼が、その程度の悪意を介する人間ではないと、遠目から見ていたグレアムでさえ気づく事だったから。
 彼には悪意は無い。善意も無い。感情を何処かに置き忘れてしまったかのように、作り物の表情で、あらゆる事象を気まぐれに、自覚無しに破壊する。
 自然現象のようなもの。近づかなければ何も問題は無いと、グレアムは彼が自らベルカの門を叩いた事さえ喜んでいた。
 純朴そのものと言った兄の方と違い、アレは手元においておくと手ひどい火傷を負うことになる、そう確信していたから。
 遠くから眺めて、被害が自身にまで及びそうに成るか成らないか位のところで動くくらいが丁度良い付き合い方だと信じていた。
 これまでは実際その通りだった。それ故に、グレアムは今日の栄華を手に入れることに成功したのだから。
 
 果たしてそれは、成功と呼べるものか?

 いつの間にか、いつの間にか。彼の巻き起こす騒乱に巻き込まれて、グレアムは自身が求めない領分の、更なる権力闘争に関わらざるを得なくなり、気付けばかつてなけなしの持ち駒を活用して牛歩の歩みで計略を勧めていた頃が馬鹿らしくなるくらい強大な権力を握っていてしまった。不必要なほど強大な、それをだ。
 今なら間違いなく、こんな穢れたやり方ではなく真っ当な手続きを踏んだ上で容赦なく闇の書を粉砕する事が出来るだろう。
 そう、今や権力の座についてしまったグレアムにとって、長年勧めてきたこの計略は既に重荷だ。しかしそれを、止める事は出来ない。
 現実として闇の書は存在していて、今も危機を巻き起こさんと胎動している。しかしグレアムは、その存在を特定しながらこれまでずっと、管理局に秘匿としてきたのだ。 
 今から真っ当な方法に切り替えようとしても、その事実が公表された瞬間に、グレアムは”終わり”だった。
 立場に縛られ計略にも遅延が見え始め、その隙を縫うようにして計略に対する致命傷を浮かび上がらせて見せる。
 狙ってやっているならまだ許せる。彼は確実に無意識で、こちらの思惑など微塵も考えずに行動しているのだろうから、始末に終えない。

 不意打ちを狙いましたけど殺し損ねましたという娘達の報告を聞いても、グレアムが眉をしかめた部分は殺そうとした事実ではなく、殺し損ねたという一点のみだった。価値観の理解できない人間がどういう行動に出るかなど、グレアムにはまるで想像出来なかったからだ。
 価値観が違う。そう、価値観が違うのだ、彼は。
 同じものを、常に違う視点から観察している。幼い頃からそれは変わらず、それ故に、恐ろしい。
 グレアム自身が殺す事になった、グレアムの息子とも言うべき青年の子供だというのに、自身にとって孫と言っても過言ではない筈の生き物なのに、グレアムは彼が恐ろしくて仕方が無かった。
 できれば見たくも無く、遠ざけておけるなら幸運であろう。そう信じていた。
 だが、どうやらそれが、間違いだったらしいから、グレアムは視線を落として深いため息を吐いた。

 暗澹たる気分であった。
 娘達の示した策謀が気に入らない、と言う訳では勿論無い。既にグレアムは、それ以上の汚泥に自ら進んで身を浸している。
 手元のパネルを操作して送られてきたデータファイルを解凍する。
 金色の髪の幼い―――八神はやてと同年齢だろうか。望遠レンズで遠くから撮影されたらしい少女の写真。
 彼が、”あの”彼が娘達の襲撃を受け負傷中であっても、最優先で自分から連絡を取ろうとした相手。現地の通信装置から抽出された通話記録も存在している。内容を見れば、それなりの関係であると推察するのは容易いだろう。
 常識的な考え方をすれば、彼にとっての致命傷となるべき部分と為りえる、筈だ。筈なのだが。
 
 『……時間が、無いのです』

 リーゼアリアの躊躇いがちな声が響く。
 グレアムはそれに―――その気分に全く同意するかのように、頷いた。
 ”あの”彼をもってして、我ら一般大衆の常識が通用する為りや? つまりは、その考えで一致していた。
 成功確率が低い謀を彼に仕掛けるという事実が如何ほど危険か。考えるだけで頭が痛い。
 グレアムの苦悩を察したのだろう、リーゼロッテが取り成すように付け足した。
 『可能性は、あります。むしろ高いとさえ言えるかもしれません。確かに、二号が単体で存在していた場合なら、こんな策は切って捨てられるでしょう。しかしアイツは今、アースラと行動を共にしています。それはつまり』
 そこまで言ってリーゼロッテが言葉を切った。グレアムは頷く。言いたい事は解る。
 アースラ。あの艦には、グレアムが知る中でも飛び切り情が深い女性と、純朴な少年が指揮官として存在している。
 たとえ彼が一人で反対したとしても、人情を重んじる彼女らがそれを受け入れれば、彼も動かざるを得ないだろう。動かざるを得ない、筈だ。
 希望的観測に過ぎぬと、恐らく娘ともどもに理解している。それほど彼の行動は読めなくて、そしてグレアムたちに、時間が無かった。

 『それ故に、ジュエルシードです。二号が持つあの輝石を闇の書にくべれば、書はその魔力を喰らいたちどころに完成に至りましょう。都合よく、と言うのは流石に憚られますが、現状守護騎士達は四騎士全てが第97管理外世界の外次元へと出払っており、マスターを守るものは居ません。この作戦が有効に使えるのは、今このタイミングをおいて他には無いと言えます』
 リーゼアリアが並び立てる言葉を、グレアムはまんじりとした態度で聞いていた。
 ジュエルシード。現代魔法技術では精製不可能な、高密度魔力結晶体。祈願実現型魔法の発動発起点。
 祈願実現型魔法自体は、管理世界で通説とされている眉唾物に過ぎないだろうが、抱えている魔力自体は本物だ。
 彼がアースラの秘匿回線を用いて教会に送った詳細データから判別するに、それは理解できる。
 時間が無いのなら、その間に全てを完結させてしまえば何も問題は無い。だからこその、ジュエルシード。
 
 絡めていた指を解き、視線を平面モニターに移る二人の愛娘へとグレアムは向けた。
 「……デュランダルの最終調整は、管理世界標準時間で明日午後には完了する。そちらに届くのは明後日の早朝と言った所になるだろう。だから、お前達にはそれまでに全ての関門を突破してもらわなければならん」
 皺枯れた老人のような声だったと、グレアムは我が事ながらそう思った。そして実際、自分は歳を取ったのだろう。
 正義を求め、理想を信じ。そうあろうと共に語り合った、歳の離れた、友であり子であった男を自らの手で殺めた時から。
 あれから、もう10年。理想は枯れ、妄執だけが残った。それを果たさねば、グレアムはきっと何処にも進めない。
 「闇の書は、完全にこの世から滅さねばならん。例えどんな外道を働こうと。畜生に身を落とそうと」
 『私達の心は』
 『常に、お父様と共に』
 娘達二人は、揃って決意を込めた視線を持ってグレアムに言葉をもたらした。
 鷹揚な態度で、それに頷く。せめて娘達に、不安を持たせないようにと。
 友の敵を討つために、友の息子に謀略を仕掛けるなどと、愚か極まりないその行為に、躊躇いを持たさないように。

 平面モニターがもたらす薄明かりも消えて、光の差さぬ執務室に取り残されたグレアムは、一人、末期の老人のように背もたれに身体を倒し、深い息を吐いた。
 どのような結果が待っていようと、娘達は動くだろう。グレアムのために。
 グレアムの望みを、果たすために。
 彼女達は使い魔だ。主の望みをかなえるためだけに、存在しているのだから。例え、外道畜生に身を落とそうと、高潔なる意思を持って、ただ主のためだけに働き果てるだろう。
 ならば、今グレアムに出来る事は何か。愛しき娘達の献身に答えるには何をすべきか。
 「最悪の状況を、考慮せねばならないか……」
 手元のコンソールを操作して、平面モニターを映し出す。
 時空管理局・次元航行第三特務艦隊。
 他ならぬ彼の気まぐれによってグレアムが手に入れた、新たな力の一部。直属指揮官のみが下せる特務命令によって、あらゆる―――あらゆる任務を遂行する本来時空管理局には”存在しない”筈の艦隊。
 装備、人材面は極めて優秀。通常指揮系統の支援を受けられない関係上、可能な限り最良なものが備えられている。
 対消滅魔力弾頭”アルカンシェル”すらも、装備には含まれている。
 最悪の事態。彼のことだ。最悪の事態が、訪れる可能性は高いと言わざるを得ない。
 そのとき彼はきっと鼻で笑いながら、グレアムから全てを取り上げてしまうだろう。地位も名誉も、生涯全てをかけると誓った復讐すらも。
 
 闇の書の封印に失敗する事が、最悪の事態なのではない。
 手の届かない位置に、その他大勢に押しやられてしまうのが、許せないのだ。
 あれはきっと、そういう”情”と言う物が理解できない生き物だから、平気で私を、事態の中心から追いやってしまうだろう。

 「君ならば、きっと機械の様に上手くやるのだろうけどね……。だが私は、後悔したくないのだ」
 自らの手で果たさねば、自らの意思の結末を見ねば。

 グレアムは、極めてゆっくりとした動作で、特務艦隊への極秘回線を開いた。
 



   ※ ところで、某カードデュエルアニメでは、伏せたカードをリバースする前に説明すると言う演出が入ると、
    必ずそのカードの発動は失敗すると言うジンクスがあるわけですが。
     ……いや、他意は無いですけど。

     



[10452] 第三十七話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/25 18:36

 Part37:ざぶとんをなげては、いけません


 『告げる』

 艦橋の巨大モニターに映されたモノクロームの空の中心。
 長髪を後頭部の高い位置で纏めた鎧姿の女が、悠然と空に佇んでいた。
 緊急招集によりアースラの艦橋に集った誰もが、その姿に魅入られていた。その女が小脇に抱えた金色がたなびく何かに、目を奪われていた。
 突如として第97管理外世界、現地名称”海鳴”の都心部にに発生した隔絶結界。艦に搭載された特殊な探査装置を用いて映し出された、結界空間内部の映像は、何処か芝居じみたものを感じさせる異様なものだった。
 観客の居ない舞台で、主演女優が歌うように言葉を紡ぐ。そう感じさせる光景だ。

 『告げる。烈火の将シグナムが、主命に寄りて推参仕った。これより告げるは我が主の言葉と同義と取るが良い』

 女の視線は、何処か遠くを見つめていて、モニターの方には視線が合っている訳ではない。
 だがこの女は確実に、このアースラに向かって言葉を紡いでいる事だけは、誰もが理解できていた。
 
 『弓の騎士よ。これより二刻後、結界を解除する。その時我が眼前に出で、ジュエルシードを引き渡せ』

 弓の騎士。
 女の言葉につられるように、艦橋に居た全ての人間の視線が、一点に集まる。
 ドアの脇。艦内で唯一、ベルカ聖王教会の法衣姿の少年が、腕を組んでモニターを眺めていた。
 その瞳は、やはり。何時もと変わらず、誰のものとも違うものに見える。
 何時もどおりだからこそ、それが逆に恐ろしい。そして艦橋に集った全ての人間が、それ以上に恐ろしかったのは。
 
 艦橋はその構造上、艦長席を頂点として扇状に広がるようにオペレーター席が設置されている。
 入り口、ドアの部分は艦長席の更に後方に位置しているわけだから、艦長除く全ての人間がドアの方向へと振り向けば、それは必然、視界に艦長の姿が映るということである。
 背後の少年と同じ翠緑色の髪の、この艦の主が、その眼差しが。凍れるほどに怒りに震えているのを理解できないものが、この艦橋に存在しなかったから。
 彼女はこういう策謀を何よりも嫌う。それは善的な思想で以ってそう信じているわけではなく、実際は、タネの割れた仕掛けを披露するのは醜いものだと確信しているからだった。

 しかし、モニターに映る哀れな女に、その事実を理解する事は出来ない。

 『出でぬならばよい。ただし、その時は心得よ。この幼き少女の命が我が手によって尽きることを』
 女は劇場の舞台に上がった道化師の如く高らかに、小脇に抱えていた金髪の少女の姿をモニターに晒した。
 舌打ちの音が、艦橋に響いた。寒々とした空気が、満ちる。

 その事実。
 自らが最悪の一手を打ってしまったと言う、その事実を。

 話はこれで終わり、と言う事か。
 モニターの中で飛翔していた女は、ゆっくりと、結界内の一番高いビルの屋上へと落着した。
 無言で立ち尽くしている女の映像が、巨大モニターに取り残される。
 オペレータの一人が気を利かせて、女の映るウィンドウのサイズを小さくした。
 艦橋スタッフ全員で、艦長の様子を―――恐る恐る―――伺う。怖い。全員で目を逸らした。一瞬オペレーター全員で視線を交わしあい、その後躊躇うことなく一斉に執務官席に座る少年に視線を集めた。
 少年は、一瞬嫌そうな顔を浮かべたが、状況が状況である、仕方ないと諦めたらしい。沈痛な空気を払うように声を張った。

 「全員、聞いていたな。―――状況は明白であり、そして対応を取るには時間が足りない。決断は急がねばならない。騎士クロス、一応の確認だがあの女騎士に囚われている少女は……」
 公的な呼び方で兄に問われたドアの傍に居た少年は、組んでいた腕を解いて頷いた。
 「アリサ=バニングス。九歳。貿易事業で財を成した資産家の一人娘で、現在は親元を離れて該当世界内―――面倒だな、以降、現地名”海鳴”で通すぞ。んで、彼女は現在海鳴で数名の使用人たちと共に郊外の屋敷で生活を送っている。学業及び交友関係を含めた私生活は極めて良好。ただ、多少問題があるとすれば……ほんの二週間ほど前に、行きずりの男を家に囲っていた事実がある事ぐらいかな。……人を見る目が実は無いのかもしれない」
 最後に付け足された言葉にオペレーター全員が気まずそうな顔で視線を逸らした。
 突っ込み待ちなんだけど、と言う視線を兄に送ったまま、クロスは流れるような語りを止めた。
 因みに艦橋に集った全ての人間が、その”行きずりの男”がクロス自身であることは解っている。
 それ故に、全員今ひとつ、クロスの冗談に反応が鈍かった。そもそもオペレーター陣は付き合いがそれほど長くないので、それを冗談として受け取って良いのかさえ図りかねていた。
 兄である執務官クロノは一人でため息を吐いた。その拍子に、艦長席に座る母の顔が目に入った。恐ろしいのは変わりないが、何処か雰囲気が違うだろうか。楽しそう、というほどでもないが、何処か。
 「で、騎士クロス。つまりあの少女は、君にとっては大切な人であるとの認識で構わないんだな?」
 「あらクロノ。そういう時は、”僕の新しい妹はあの子で良いのか?”って聞けば良いのよ」
 ため息混じりの言葉に口を挟んだのは、すまし顔の母の声だった。クロノは咽た。オペレーター席の一部から笑い声が上がった。
 揶揄された形のクロスは、返ってありがたいとばかりに言葉を続けて見せた。

 「因みにあの子はただの現地妻なので、オレの嫁は別に居ますよ。……ああ、あと愛人も出来ましたが」
 ゴンと鈍い音を立てて、クロノは自身のデスクに頭をぶつけた。
 頭を抱えて唸るクロノを他所に、あらそうなの。ええそうなんですなどと、弟と母は場違いに朗らかに会話を繰り広げていた。
 準戦闘配備中に二人して頭を濡らして現れて以来、どうにも、様子が変わったような気がする。
 厭味の応酬、隙の無い会話は変わらないが、何処か雰囲気が違うとクロノは感じていた。上手くは言えないが、強いて言えば距離感の問題か。
 表層的な思考の飛ばしあいに終始していたこれまでと違い、二人とも”考えて”会話をしているように見える。
 
 たまにあるんだよな、この二人。無駄に波長が合う日が。
 クロノはそんなことを思う。そういう日にめぐり合うと、運良く胃を抑えないまま暮らせたりするので、クロノにとって現状は良い事といえばよいことでは在る。

 ただ、クロノに対するからかいが、通常は単一方向二種からの同時攻撃に過ぎなかったのに、双方向による波状攻撃に変形してしまうのは頂けない真実だった。胃ではなく、頭が痛い。
 毎度の事だが、頭の良い人間が徒党を組むと、始末に終えないとクロノは実感していた。ああ、純粋な妹が居て良かったと心から思う。
 生真面目でなる執務官ですらこの有様だから、艦橋を満たしていた緊密とした空気は最早存在しなかった。
 緊迫とした場面の筈が、途端に軟くちゃになっていく。
 オペレーター席に座っていたエイミィが、微笑ましい家族の交感を一旦控えるようにと声を掛けた。
 「……話、戻しません?」
 エイミィは巨大モニターの端に映った、無表情な女騎士を指し示しながら、苦笑いで言う。
 最早それが危機にも恐ろしいものにも見えはしなかったから、扱いもぞんざいなものだった。

 そう、何せこれは道化の仕儀だ。この場に集う誰一人とて、この仕儀に危機を覚えている人間は初めから存在しなかった。

 最早片の付いている問題で、あとはそれを、実行に移すだけ。
 とは言え、道化であればこそ、稚戯は必要であろう。その自信が絶対足らんと確信しているのならば、尚更に。
 「よりによって本当に誘拐、とはな……」
 深く考え込むようにクロノが腕を組んで唸る。解決策の提示を求められている訳ではないから、それはその実行された事実に対しての疑問の言葉だろう。
 「原始的とは言え有効な手段ではあるわよ。……こちらの思考が読めればこそ、なんだけど」
 その辺はどう考えているのかしらねと、さして疑問でもなさそうな風にリンディが繋ぐ。
 「オレはどっちかと言うと、馬鹿らしいとしか思えませんが。……誘拐ってのは勝っている時に駄目押しでやるものでしょう? 使う局面が間違ってますよ。……連中、つまりそれほど追い詰められてるって事なのかもしれませんけどね」
 これは分の悪い賭けだと、クロスが首を捻る。策を弄するのは彼の好みのスタイルだったが、それはスタイルに拘っていられるだけの余裕があるときにのみ用いられるべきだと信じていた。非常事態であれば、あらゆる手段を用いて、最善の手を―――すなわち、そうであるからこその正攻法で挑むべきだと言うのがクロスの持論だった。
 首にかけてあったSS4を手に持ち、その上に封印したままのジュエルシードを表示する。
 赤い輝石。高密度魔力結晶体。
 「普通に頭下げれば、話くらいは聞いたんだけどねぇ」
 同じベルカ者なら尚更ねと、デバイスを弄りながらため息を吐く。クロスは高圧的だったり、不意を撃ってきたりするような輩とは、基本的に口を聞く気が無い男であった。
 
 「―――では?」
 クロノが、真意を問うかのように弟に視線を向ける。
 クロスは頷いた。
 「賽は投げられた、とでも言うべき状況じゃない? ―――艦長」
 クロスは母に視線を向ける。椅子を返して、リンディはクロスと向き合った。
 「何でしょうか、騎士クロス」
 あらかじめ、取り決められた三文芝居。
 「当該時刻を持って、ベルカ聖王教会上級騎士クロス=ハラオウンは管理局、及び聖王教会の共同作戦提言内の行動補足事項に基づく自由行動権限を発動させていただきます。以下、この事件に対するベルカ聖王教会の全人員は―――無論私のみ、ですが―――私の直轄指揮系統内に組み込まれ、管理局からの行動制限を一切受け付けません」
 騎士クロスの言葉に、リンディは鷹揚とした態度で頷いた。
 一言、認めますと、それだけを返して、椅子の向きを戻す。そのあっさりとした態度に、クロスは肩を竦めて兄の方を見た。
 クロノもゆっくりと頷いている。
 
 これを以って勝敗は決した。あとは、事実が結果となって現れるのみである。
 





     ※ ラストを目前にして微妙に仕事が忙しくて困る。
       何とか休まずに終わりまでもっていきたいんだけど、どうなる事やら



[10452] 第三十八話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/26 17:35


 Part38:因果応報

 
 メキリ、と。

 それが、自らの肘の関節を外された音だとリーゼロッテが気付いたのは、背中に走った鈍痛と共にビルの屋上に叩きつけられてからだった。
 一瞬呼吸が止まり、視界が黒く狭まる。修練から来る咄嗟の判断で立ち上がろうとしても、完全に関節を決められていて身動きが取れない。
 
 何故、何が、一体どうして。
 同時に湧き上がる複数の疑問も、しかし神経がねじ切れそうな痛みと共に胡散していく。本来ありえない位置での関節部の固定により、額には脂汗が浮かんでいるのが解る。集中できない、意識を保てないから、当然、使用中の魔法を保つ事も、出来ない。
 地に叩き伏せられた姿勢のまま、コンクリートの床面を舐めるような屈辱的な体制のまま、リーゼロッテはそうと望まぬままに己が身に施した魔法を解除する事になった。
 薄紅色のポニーテールが、儀典用の装飾甲冑のような騎士甲冑が淡く輝き解き解けて行く。
 猫の耳。肩口で切りそろえた髪、管理局の制服姿のリーゼロッテが、その姿を現した。

 「……ロッテか。という事は、こっちの仮面の男がリーゼだな」

 地に伏せる形となったリーゼロッテを見下ろしていた聖王教会のお仕着せの騎士甲冑姿の少年が、辛酸憚らぬような口調で声を響かせた。
 反射的に身体を起こして怒鳴りつけようとしたリーゼロッテはしかし、彼女を押さえつける人物により頭を押さえつけられた。
 少年の背後にはリーゼロッテと同様に倒れた人影が見える。
 完全なる奇襲に成功した筈の、変身魔法により仮面の男の姿に扮したリーゼアリアが、バインドで拘束され寝転ばされていた。
 上空で撃墜され、受身も取れずに地に叩きつけられた挙句に拘束魔法を施された。
 リーゼロッテは意識を途絶えさせたまま濃紺の魔力光により形成された荒縄により雁字搦めに縛られており、脱出する事は不可能だろう。
 変身魔法も、維持しきれまい。
 未だ”人質だった筈の金髪の少女”に拘束されたままのリーゼロッテ自身と合わせて、これでもう、万策途絶えたと言う事か。
 リーゼロッテは、自由に身動きできぬ我が身を呪い、歯噛みした。
 何故こうなったと、自問自答に陥る。

 悪銭身につかず、そうだとは考えたくない。
 ある程度の痛みは覚悟していた。どちらか片方が欠け様とも、たとえ最悪、眼前の少年の命を奪う事になろうとも、成功させるつもりだった。
 当然、外道などと罵られる事は、とうの昔に覚悟の上。十全の決意が使い魔姉妹にはあった。
 方策も練った。出来る範囲で、出来うる限り。
 まだ、こちらの情報が知られていないと言う利点を生かして、一瞬で全てを終わらせる方法を。
 例え天高く、次元の彼方から睨まれていても、防ぎきれないであろう方法で。
 そもそも、潜伏していたリーゼアリアが発見される筈は無かったのだ。
 彼女らが用いていた探査阻害魔法は、管理局の次元航行艦に搭載されている探査システムの”隙間”を利用しているから、例えアースラの探査能力を最大にしていても、絶対に見つからない筈だった。転送魔法にしても同様。特殊戦隊用に調整された術式を用いており、”味方だからこそ”探知できない仕組みになっている。
 そしてこちらは、地の利を生かして先に半径100キロメートル範囲内を精密に探査し、その範囲内に伏兵が居ない事も確認していた。
 クロスがこの世界に現れた段階で、待ち構えていた自身らの周辺都市部全てに対し魔法干渉妨害を仕掛けたから、増援の到着も遅くなる筈であった。
 それなのに、何故。
 
 何故クロスを背後から奇襲したリーゼアリアは、逆に横合いからの射撃魔法による迎撃を食らっていたのか。
 探査範囲外から、狙撃を受けたと言う事だろうか。しかし獣の本分を生かしたリーゼアリアの超速の突撃を完璧に捉えて直撃弾を中てるなど、そんなことが出来るのはそれこそ、この第97管理外世界の近隣次元域ではリーゼアリアの攻撃を受ける立場だったクロスくらいしか存在しない筈である。
 疑問はまだある。
 そもそも、今リーゼロッテ自身を地に叩き伏せた形になっているこの金髪の少女は何ものだ?
 近接格闘技能では管理局執務官クラスですら追従しきれないリーゼロッテに対し、完璧に関節技を決めている。
 アリサ=バニングスはこの世界に住む一般人の少女、そのはずだ。 攫った時は、間違いなくただの少女だった筈だ。寝ているところに、更に沈静魔法を施して、魔法抵抗能力の無い一般人が目覚める筈も無かった。”ベルカ式の格闘術”など使えるはずも無い。
 まさか、クロスが教えた? そんな暇は無かっただろう。だいたい、付け焼刃の技でこれほど見事な”外し方”は出来る筈も無い。リーゼロッテは素人に不意を撃たれるほど、迂闊ではない。
 リーゼロッテが痛みを堪えながら状況把握に努めていると、他ならぬ彼女にのしかかっていた金髪の少女から声が掛かった。

 「クロス君からこういう状態になったら伝えてくれって言われてる言葉があるんだけど。……聞きますか?」

 それは明らかに年端も行かぬ少女の声で、だからこそ、何処か場慣れした雰囲気が不自然だった。
 リーゼロッテの疑問に答えぬまま、金髪の少女は一方的に言葉を紡ぐ。
 言葉を、紡ぐ。紡いでいくその少女から、魔力の光が淡く解け剥れてゆく様を、リーゼロッテは視界の端に捉えて、驚愕した。

 「”暗いところばかり見ていたせいで、猫目の癖に目が曇ったんじゃないですか?”だ、そうですよ。―――はじめまして、ギル=グレアム提督の使い魔さん。時空管理局、査察第三課。ヴェロッサ=アコース査察官です」

 魔力光が吹き止んだそこには、リーゼロッテと変わらぬ管理局の制服姿の長髪の少年の姿があった。
 「変身魔法っ……!」
 ギシリと歯を鳴らして呻くリーゼロッテに、関節を決めたままの姿勢でヴェロッサは器用に肩を竦めて見せる。首には見た事も無い幾何学的な文様が施されたデバイスらしきものが掛かっていた。
 「変身魔法専用特化型デバイス”ライアーズ・マスク”。……まぁ、何時もどおりのベルカ脅威の技術力ってヤツですね。こんなのあると査察官としては仕事が面倒になって仕方ないんですけど、最近の聖王教会は自重って言葉を忘れてるらしいので」
 本当に勘弁してくださいと、芝居がかった口調でありながら底だけは実感が篭っていた。
 だが、囃子染みたその言葉にもリーゼロッテは付き合っていられない。
 変身魔法。変身魔法。最悪、最悪だ。最悪の事態が訪れてしまった。今更ながらにそれを理解する。
 ”最悪の事態がとっくの昔に訪れていた”、その事実に驚愕する。

 クロス=ハラオウンは使い魔姉妹に初撃を頂戴した段階で、その策動に気付いていたのだ。
 そうでなければ、行きずりの少女にわざわざ替え玉を用意して備えるなどとするはずが無い。闇の書の守護騎士が本来リンカーコアを持たない人間に興味を示さない事を、理解していた筈だから。”それ以外”の襲撃を警戒―――予測、或いは予知―――していた証だ。
 何処からたどり着いた。いや、最早そんなことを言っている状況ではない。
 お宿違いだろうに監察官まで引っ張り出して、一体クロスは ”何処まで”たどり着いている?
 「二号っ……アンタはっ!」
 眼前の少年を忌々しげに睨みながら、リーゼロッテは唸るような声を上げた。振り解けない、自由にならない身体。これ以上無理に動かそうとすれば、全身の関節と言う関節を外されるだろう。
 クロスはそんなリーゼロッテの姿を作り物のような顔で眺めながめていただけだったが、やがて、一つ大きなため息を吐いた。

 「クロスの言うとおり、本当に目が曇ったんじゃないのか、キミは」
 クロス=ハラオウンの言葉としてそれは、おかしなものだっただろう。
 しかし、その純朴そうな苦悩に塗れた顔から出た言葉だとすれば、何も驚く事は無かった。
 リーゼロッテはその顔を、良く知っていたから。
 そう、何故気付かなかった。リーゼアリアを縛る”濃紺”の魔力光。クロスの放つそれはもっと青白いものだったというのに。
 その色の魔力光を持つのは、クロスではなく―――。
 「……クロすけか、アンタ」
 うめき声にしかならなかった呟きに答えるように、クロスの姿を燃したものから魔力光が解き放たれていく。
 翠緑色の髪にケープを羽織った騎士甲冑の姿だったそれは、黒い髪、そして黒い無骨なバリアジャケット姿に変わっていく。
 クロノ=ハラオウン。時空管理局執務官。クロスの兄が、そこに居た。
 クロノはくたびれたような表情で、首に下げていた変身魔法特化型デバイスを弄びながらリーゼロッテに告げた。

 「そもそも、僕と同じで愚直なきらいのあるグレアム叔父さんの半身であるキミ達二人が、策謀家としてあの弟に勝てる訳が無いだろう? 何でこんな無様なやり方をしたんだ」
 その言葉は罵倒に他ならない。
 故に、反射的な怒りと共に、幾つもの反論が、リーゼロッテの思考に浮かび上がる。
 ヴェロッサに”頭を押さえつけられたまま”の、地に伏せたままの状態で。リーゼロッテは自らの父への侮辱を晴らさんがために、同時に幾つもの思考を思い浮かべる。思い浮かべて、しまうのだ。

 それこそが罠。そこまでも計略のうち。
 でなければわざわざ、遠くミッドチルダで活動するヴェロッサ=アコースを招聘したりはしない。
 レアスキル”思考捜査”による文字通りの、思考を直接読み取る捜査法。ヴェロッサはそのために呼ばれて、クロノはそれを助けるために、わざと思考を一本化するように挑発しているのだ。
 クロノは誰にも気付かれぬように、そっとため息を吐いた。
 こういう謀は何時までたっても慣れはしない。確かに足りない情報を集めるためには有効な手段と言うのは理解できるのだが。
 いずれは提督位を目指すのだから、覚えておいて損は無いはずなんだけれど、向かないものは、向かない。
 まんまと思考を読み取られているリーゼロッテから視線を外してクロノは都市の向こうの水平線を見やる。

 その向こうにいるはずの弟の、早期の到着を祈る。
 

 『It hit completely, perfectly, and certainly. 』

 アームドデバイスSS4が、普段はありえないような誇らしげな声を上げる。
 アメリカ東海岸。某州、某都市。連なるビル群の中でも特に高度のある一つの高層ビルの屋上、ヘリポート。
 そこで、クロスは騎士甲冑を纏いデバイスを構えた体勢で佇んでいた。
 眼前には近代的な都市の夜景の向こうに水平線が夜と交じり合っている姿しか、見えない。海鳴市など、見えるはずも無い。
 だが、クロスは躊躇わずに撃った。そして、直撃弾を中てた。一撃で。その技量を持ってこその、最年少騎士叙勲の栄誉である。当然と言えた。

 「何か……魔法って言うか科学よね、ソレ」
 ビーム出たわよビームと、ヘリポートに上がる階段付近から、恐る恐ると言った声が掛かった。
 この街では珍しくないだろう、金色の髪をした幼い少女。ビル風に靡く長い髪を抑えながら、ゆっくりとクロスに近づいてきた。
 クロスはその姿に苦笑して、デバイスを構えていた手を下ろした。
 「発達した科学は魔法にも何とやら、だっけ?」
 「どうせなら、私をこっちに送る時もその発達した科学でやって欲しかったんだけど」
 金髪の少女のつんと澄ましたような態度に、クロスは肩を竦めてとりなしの言葉を告げる。
 「いや、あそこで魔法使ってたら、アリサは今頃確実に捕まってたんだけどね」
 「このアリサ=バニングスが廃品回収車に紛れ込んで屋敷から逃げ出すって事実が耐えられないのよ」
 全くそんなことを思っていない態度で、得意げな態度でアリサは言った。クロスもつられて笑ってみせる。
 「そう言えば、学校ってホントに平気なの? 私、休みにはならないって聞いたけど」
 アリサが思い出したように言った。脱出の手引きをした時空管理局監察課のスタッフに聞いた事を思い出しているらしい。
 因みに、屋敷の人間は全員揃ってヴェロッサの同僚達に入れ替わっている。鮫島ほか屋敷の女中達全員が、今はこの米国の都市部に来ていた。
 「ああ、ロッサ君が頑張って小学生女子のフリをしてるって聞いたかな。……録画映像残ってると良いけど」
 最後だけ悪そうな笑みを浮かべながらのクロスの返事に、アリサは微妙な顔をしていた。
 「……”君”付けって事は、男よねそれ」
 「―――まぁ、すずかにフォローを頼んであるし、大丈夫じゃないかな、多分。逆にそのせいで面白おかしくされそうだけど」
 クロスもそこだけは真面目な顔で冷や汗をたらしていた。アリサは多分と言うか絶対、面白おかしい事になっているんだろうなと思った。

 暫しの間、無言の時間が流れた。しんみりとしたものでも、乾いたものでもなく。
 どちらとも無くため息を吐いて、気分を入れ替えるように言葉を繋いだ。
 「まぁ、じゃ。行くよ。兄さんがそろそろ涙目になってる気もするしね。……ミスタ・デイビットに感謝していますって伝えておいてもらえる?」
 父親の名前を出されたアリサは、さりとて驚いた風も無く頷いた。
 「パパは新しい商機と商路が見つかって大喜びだもの。むしろパパのほうが感謝してるんじゃないかしら」
 「……防げたとは言え、大事な一人娘を危険な目に合わせかけた立場の人間に感謝するってのもどうかなぁ」
 クロスはそこだけは心底真面目な態度で、呟いた。アリサはそれを鼻で笑って見せた。
 「その前に一回助けてもらったんだから、これでチャラで良いわよ。っていうか、クロス、そういう事気にするタイプだったっけ?」
 逆に問われる形となったクロスは、その言葉に苦笑した。
 「……まぁ、そろそろその辺も気にしていかないと先細りって感じだからね。日々進化する男って風にでも思っておいてよ」
 茶化したようなクロスの言葉に、アリサは彼の本音を垣間見た。だからこそ、何も言わない。出来る女の見本のようである。
 「そ。……じゃあさっさとお仕事を終わらせてその進化した部分見せてみなさいよ」
 
 姫の仰せのままに。
 クロスはステップを踏むような足取りで足場を蹴ったあと、ふわりと夜空に浮かび上がった。
 イィンと、耳慣れぬ音が空間を満たし、クロスの腰元から六枚の青白い光の結晶が広がる。
 「……羽」
 アリサがそっと呟く。そう、騎士甲冑の背から生えるそれはまさしく、羽根であった。
 クロスは恐らく意思と連動させているのだろう、確かめるように六つの結晶板のような羽根を小刻みに動かした後、満足したように頷いて、足元に立つアリサを見た。
 無言で数秒、言葉を考えて、それから言った。
 「それじゃあ―――、まぁ、行って来ますと言う事で」

 最後は余計。行って来ますとそれだけで良いと駄目出しをくらい、クロスは笑いながら夜闇の中に飛翔した。






    ※ ミステリー的に言えば、首を切ってもまだ生きていたとか、犯人はパラドキサアンデッドでした並みに
     無茶なオチですよね、コレ。

     一応くどいくらいに”内職している”とは書いてあったんですが。



[10452] 第三十九話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/27 19:57

 Part39:最後の一手


 数分と経たずに大陸を超え海を渡りきり、クロスは殺伐とした空気が充満する海鳴の上空に到着した。

 どうやら既に変身魔法は解除してしまっているらしい。クロノとヴェロッサが、使い魔姉妹をビルの屋上で拘束していた。
 兄の得意のバインドで拘束されているリーゼアリアに、ヴェロッサに頭を押さえつけられているリーゼロッテ。
 クロスは落下の体勢を取りながらため息を吐いた。よりによって感情的なところの強いリーゼロッテの方が起きているとは、面倒なと考えている。
 
 「―――クロス。来たのか。……珍しいな、羽を広げているとは」
 「うん、お待たせ」
 片眉を上げて声を掛けてきた兄に言葉を返しながら、クロスはビルの屋上に着地した。そして、躊躇いも無くSS4をリーゼロッテへ向けた。
 「二ご……ぅっ!?」
 スタンウェイブ。高密度振動波で脳を揺さぶり、物理的に意識を刈り取る魔法。暴徒鎮圧、もしくは害獣駆除に用いられるその魔法を、クロスは会話の隙も持たせずにリーゼロッテに叩き込んでいた。
 「……流石に、容赦が無さ過ぎないか?」
 「っていうか、カタチだけでも会話から入ろうよ。羽根出してる時って何時にもまして容赦ないよね」
 年上二人から入るクレームを、しかしクロスは肩を竦めて避けた。羽根を光に帰しながら、軽い足取りでリーゼロッテへと近づく。
 「結界も張ってないビルの屋上で騒がしいのなんて、嫌でしょう? ……あと、コレ出してると魔力が有り余っていて攻撃的になるんだよ」
 意識が途切れた事を確認して拘束を解き立ち上がったヴェロッサを片目に、クロスはリーゼロッテを仰向けに起こして胸元を探る。
 「そういえば、昔からロッテたちとは不仲だったな、お前は」
 「クロス君、動物とかには嫌われるタイプだもんねぇ。前世に何か悪事でもしたんじゃないの?」
 前世、と言う言葉の部分だけ誰にも気付かれぬように笑いながら、クロスはリーゼロッテの制服の内から目当てのものを発見した。
 固い感触。平面的な板。取り出してみればそれはデバイスだと解る。しゃがんだまま背に掲げてヴェロッサに確認を求める。
 「……ああ、間違いないよ。特務部隊で次元通信に用いるタイプだ」
 「エイミィがたまに感じるといっていた”ノイズ”の正体だな」
 クロノが苦虫を噛み潰したような声を出す。

 彼とて弟の企みごとに付き合っている立場だから、この現状がどうして完成したかは理解している。
 だからこそ、と言えばそれまでなのだが。
 クロスはそんな悩みに耽る兄の姿を余り見ないようにしていた。どのみち、ここから先は更に凄惨だったから。
 リーゼロッテをクロスラインバインドで拘束しながら、通信用デバイスをヴェロッサに投げ渡す。
 「使えそう?」
 「……ちゃんと資料見て覚えてきたよ。姉さんと言いクロス君と言い、別の組織の人間をアゴで使いすぎだよね」
 手際よく、正しい手順で魔力を通しながら、ヴェロッサは通信用デバイスの秘匿回線を開放していく。その姿を見て、やはりクロノが眉根を寄せた。クロスは肩を竦めるだけだった。
 「ここのフラグをこっちで、このパスをブレイク、ここのラインをスルー……お、繋がるよ」
 ヴェロッサはテレビリモコンでも使うような持ち方で、宙に向けてデバイスを指し示した。

 平面モニターが、中空に表示される。初めそれはノイズ混じりの灰色の画像を表示させていたが、二度、三度と明滅した後、はっきりと人影を映し出した。
 沈痛極まりない面持ちをした、老人の姿を。

 「……グレアム提督」
 クロノがかすれた声で呟く。彼にとっては恩師に当たる人物であるから、当然と言えた。
 方や隣に立つクロスはと言えば、何とも軽薄な態度で手芝居まで織り交ぜて挨拶の口上を放っていた。
 「お久しぶりですグレアム小父さん。直接お会いするのは何年振りでしたか。まぁ、そちらとしてはオレの動きは把握していたらしいですから、久しぶりって事も無いですか」
 挑発そのままのクロスの言葉に、モニターの解像度を調節していたヴェロッサが、嫌そうに首を振っていた。
 『査察部を抱き込んでいたとはね……。全て君の掌の上、と言ったところかね? ―――、一体何時、君は私に気付いていたんだね』
 人生の終末を迎える老人が如き声も、クロスには特に感慨を抱かせないものだった。
 「お宅の娘さんが変態仮面に扮して人の腕をへし折ってくれた時から、普通に気付いていましたよ」
 つまりは、初めからだ。初撃の奇襲。正確にはその少し後から。淡々と告げるクロスの言葉に、グレアムは流石に驚いた。
 『初めから、だと? ……いや、正規の情報系統でアースラにリーゼ達の事を伝えなかった事から君が管理局を疑っている事は気付いていたが、それにしても、些か……』
 早過ぎないか。口元で組まれた指の向こうから零れる言葉は、最後まで形にならなかった。
 「単純な話ですよ。お宅の娘さん、転送する時にミッドの魔方陣表示してましたからね」
 その程度で驚かれても正直困るとばかりに、クロスは面倒そうに種明かしをした。

 なるほど、特殊な転送魔法だったため探査は出来なかった。しかし、目視情報として”ミッドチルダの正円の魔方陣”と言う物が存在してしまえば、幾らでも想像の余地はある。
 闇の書の守護騎士は間違いなくベルカの正三角の魔方陣を使用していたし、クロスも同様。
 闇の書はあらゆる魔法を蒐集しているデータベースとも言われているから、ミッドチルダの魔方陣を表示する事自体はおかしくない。
 しかし、あの女騎士は仮面の男の存在を疑っていた。おそらく、ビルの屋上に立っていた仮面の男―――使い魔姉妹のどちらかには、女騎士の呟きは聞こえなかったのだろう。
 仲間割れか? そう、あの女騎士は口にしていたから、つまり仮面の男は闇の書の守護騎士が知る物ではない。
 そこまで推察できれば、後は投網の要領である。”当たりそうな”場所へ向かって、網を投げてみる事を繰り返せばいいだけだ。

 「……その網って、もしかしなくても僕のことだよね」
 「いや、管理局の内部事情を公的に調査できる手駒が無いかってカリムさんに相談したらロッサ君の名前しか出てこなかったから」
 ヴェロッサの諦め口調な呟きを、クロスは何を今更と言う態度で頷いた。
 因みに、カリムに人を紹介してくれと言う相談をすると言う事は、暗黙の了解で”ヴェロッサを貸してくれ”と言っている事と同義語だった。
 『君は昔から、管理局と言う存在そのものに疑問符を浮かべていたね』
 「現に真っ黒でしたしね、某マッドの証言曰く。叔父さんみたいに潔白そうな人にまでこういう汚れ仕事を躊躇わないようにさせちゃうんですから、疑問符浮かべておいて正解でしたよ」
 汚れ仕事と、返された言葉に、グレアムは眉間の皺を深くした。逡巡と、黙考。言い返したいことは幾らでもあったが、結局放たれた言葉は誰が聞いても”言い訳”としか思えないそれだった。
 『……必要な事だった』
 尊敬する恩師の沈痛そうな態度に、クロノが顔を背ける。聞きたくない言葉を聞いてしまったとばかりに。
 しかし、ヴェロッサにとっては職務の一環であり、クロスにとっては精々が遊びの範疇だった。

 そう、既に決着は付いているのだ。幾ら引き伸ばしをしようとも、どれほどの同情を引こうとも。

 「……必要、ですか。じゃあオレも、必要ですから躊躇う必要は無いですね。お望みどおり貴方から、一切合財躊躇う事無くありとあらゆる物を取り上げさせてもらいます」
 例えば、貴方の大切な、”闇の書”とか。
 呟く言葉にグレアムの目が見開かれた。予想していた言葉だろうに、それでも、受ける衝撃は計り知れなかったと言う事か。
 『闇の書を、私の手から遠ざける、と?』
 押し殺したような響きは、何かを堪えているようで、その実反撃の糸口を見つけて勝ち誇っているようですらあった。クロスはグレアム本人も気付いていないだろうその薄暗い情念を冷めた視線で眺めながら、頷いた。
 「ええ。―――ここから先はオレの仕切りです。ギル=グレアム。貴方の干渉は全て禁じます」
 あっさりと言い切るその言葉に、むしろ衝撃を受けたのは隣に立っていた兄の方だった。
 相も変わらず、こう言う時には情も涙も何も無い。弟の本質を垣間見ていた。

 しかし画面の中、薄暗い室内で一人座していたグレアムは、幼子の無常な物言いに、深いため息を吐くだけだった。
 禍根も、過ちも、後悔も全て押し流してしまうかのように、長く、長く。
 やがてゆっくりと顔を上げて、グレアムはクロスと―――今日ここで、初めて視線を合わせて、言った。
 『ならば私は、私の責任において、その世界に闇の書が存在する事を知る唯一の人間としての責任を果たすために、行動に移らねばならない。―――特務一個艦隊による対消滅弾等による共鳴連鎖次元崩壊攻撃。それによって闇の書の完全なる破壊を試みさせてもらおう』
 「提督!? 一体何を考えているんですか!? 」
 狂気の沙汰そのままのグレアムの言葉に、クロノが焦ったように声を荒げる。
 しかしモニターの向こうのグレアムは、黙してクロスを睨みつけるだけだった。
 
 お前が私に場を譲れと言うのならば、その場諸共に消し飛ばしてしまうぞ。

 観念で固定されてしまった老人の、どうしようもなく哀れな懇願―――”おどし”と言うものだった。
 どうか、この老人の願いを聞き届けてくれないかとの言葉は、しかし、当然ともいえる結果しか導かない。
 
 「そうは言いますけどね小父さん。そもそも、この第97管理外世界に―――”闇の書”なんて物は存在しませんよ?」
 
 その瞬間、空気が凍りついた。
 冗談のような口ぶりで、心底本気でそう信じているように、クロスは言葉を放っていた。

 闇の書なんて、ここには無い。

 『……何を言っている?』
 グレアムも流石に戸惑ったような口調だった。クロノも、事前に聞いていた話と違うので理解が追いつかない。
 ”闇の書”の所在をつかんでいる筈のリーゼロッテ、リーゼアリアを拘束して、闇の書のマスターの所在を特定すると言う作戦ではなかったのか?
 クロノは慌てた風にヴェロッサに視線を送った。ヴェロッサは肩を竦めて諦めろという風に口を動かしている。
 ヴェロッサは、どうせカリムとクロス、ついでにジェイル=スカリエッティが揃って仕掛けた”あそび”なんだから、碌でもない結果を用意しているんだろうと初めから予想していた。
 クロスは周囲の戸惑いこそが我が本懐とばかりに気取った風に手を広げながら言葉を続ける。
 「ですからですから。闇の書―――確か、管理局が”まだ発見できていない”危険なロストロギアでしたね。そんな物はこの次元には存在しません。ただ―――そう、最近この次元でベルカ聖王教会にとってはとても貴重な物が発見されたんですよ。何ていいましたか……そう、”夜天の書”。古代ベルカ、偉大なる聖王の盟友であった夜天の王の神器です」
 
 その言葉こそが悪い夢のようで、しかしそれは、まだ続きがあるのだった。
 
 「夜天の書。いやいや、びっくりしましたよ。現在もう半覚醒状態にあって、正当なるマスターが存在しているって事なんですから。”夜天の書”の正当なる主、つまりは”夜天の王”です。夜天の王の血統がつまり―――この第97管理外世界に残されていたと言う事実は、勿論聖王教会において見過ごす事は出来ません。ああ、ところで当代の夜天の王の名前はまだ言っていませんでしたね。良いですか? 良く聞いてください小父さん。ベルカ聖王教会が”保護して然るべき”大切な方の恩名ですから」

 八神はやて。
 そういう、名前なんですよ。

 『ふざけるなっ!』
 まごう事なき罵声を上げて、グレアムは机を叩いて立ち上がった。
 『馬鹿にしているのか君は! そんな言葉騙しが通用する筈が無いだろう! 闇の書はある! 八神はやてが契約している。当然、私がそれを知っている! 当たり前の事実をそんな言葉騙しで誤魔化されると思っているのか!』
 張りの在る、怒鳴り声。気の弱いものなら身を竦ませてしまうほどであったろうが、生憎とモニターの向こうの小僧どもはどれもがふてぶてしい、タフな精神の持ち主だった。
 クロスはグレアムの罵声の傍ら、ヴェロッサに視線を送る。ヴェロッサは一つ頷いた。証言確保。そして何事も無かったかのようにグレアムに言葉を返す。
 「ですが、管理局はこの世界にそんな危険なロストロギアが存在しているなんて事実は”知らない”んです。ええ、捜索中である”かもしれない”との予測も出てますが、それは確実性の無い予測ですから充てには出来ません。知らないという事は、公的には”存在していない”のと同じ事ですよね。そしてオレはこの世界で”夜天の書”というベルカの神器を見つけて、それを教会と管理局に報告しました。先日丁度、その結果がこちらに届いたんですよ」
 激昂していたグレアムは、滔々と語るクロスの言葉に、言わんとすることを理解した。
 『管理外世界に於ける遺失物拾得に関する特記事項に基づく教会の優先権を発動するつもりか……っ!? だが、それが真実”闇の書”であると判明してしまえば意味はあるまい。管理局は闇の書をみすみす逃しはしない』
 そして、闇の書に関する最終権限は、私に委託される公算だと、グレアムは勝ち誇ったように言葉を切った。
 一瞬の空白が寒々しく流れる。
 反論不能。闇の書の封印は、やはり自分の手によってなされるべきであるとグレアムがクロスを睨む。

 クロスはしかし、無言のまま楽しそうな笑みを顔に張り付かせていた。
 「優先権―――? そんなぬるい話じゃありませんよ、これは。オレが言っているのは、”自治権限”です。管理局、ミッドチルダの法の介入を許さない。―――聞きなさい、叔父さん。この第97管理外世界は、当該時刻―――担当司祭の現地への着任を受けて、最早”ベルカ自治領”へ編入されたんです」
 
 ベルカ自治領。
 文字通り、管理局の内政を受け付けずベルカ聖王教会が独自の法でもって運営する自治国家である。
 
 「……そん、な、無茶な話があるか? 神器が見つかった程度で、管理外世界を自治領へ格上げなんて、そんな。優先保護区域ならまだ理解できるが、幾らなんでも……?」
 無茶だろう、と。一番初めに声を出したのはクロノだった。ヴェロッサは、ああやっぱりと諦め顔だった。
 そしてグレアムは、未だにクロスの言葉を理解できていないかのように、戸惑った顔をしていた。
 しかしクロスは疑問も戸惑いも置き捨てて薄く笑い、言葉を続ける。
 「それが出来るんだな。ベルカ自治領への格上げは単一国家、領土内において信徒数十万以上を確保出来た場合に申請が可能だ。そして管理外世界と言う物は例えその内部の政治形態がどのような物であっても、”一次元単位で以って一つの国家とみなす”とある。つまり、この第97管理外世界の場合はこの有人惑星丸ごと一つを国家として認識しているって訳だ。……後は解るだろう? オレがなんでわざわざ一週間も幼女の家に潜伏していた理由とかも、簡単にさ」
 いいや、さっぱり理解できないと言う顔を向ける兄に、弟はそりゃそうだとばかりに肩を竦めて、待機状態にしていたSS4を指で操作して、小型の通信モニターを呼び出す。
 『あら、ハラオウン君。……出番かしら?』
 モニターに表示された桃色の髪の妙齢の美女は、突然の通信にも驚く事無く応対して見せた。クロスは我が意を得たりとばかりに頷く。
 「ええ、ミス綺堂。出来れば現地の人間からの直接的な声明が欲しい場面です」
 請われて女性は一つ頷いて、周囲の人の姿を確認し―――中空に表示された平面モニターに映るグレアムと向かい合った。
 『はじめまして、時空管理局の方。わたしは夜の一族利益代表、綺堂さくらと申します』
 「夜の一族?」
 「ああ、亜人の集団の現地名だよ。この世界、科学文明全盛のように見えて、結構いるみたいなんだよね。……そう、少なくとも”十万人以上”は固いかな」
 クロノが意味が解らないと首を傾げると、ヴェロッサが補足した。その言葉に大体のことが理解できて――ー流石に、唖然とした。
 つまり、このタイミングでこんな女性が出てくると言う事は、だ。
 『我々夜の一族の総意として、ベルカ聖王教会信徒への改宗を決定しました。既に月村領海鳴市内に聖王教会の教会を建立中です。時空管理局の皆様方に置かれましては、努めてご確認の程よろしくお願いします』
 予想通りの悪辣な手段だった。余りにも強引に過ぎる。どう考えてもこんな物は建前で―――そもそもこの女性は”利益代表”などと名乗った―――裏から物凄い力を働かせていたに違いない。
 住居区画で大人しくしていてくれると思っていたのだが、大絶賛で内職をしていたらしいと今更ながらに思い知る。クロノは頭が痛くなってきた。
 こんな感じで良いかしら、とモニターの中から視線を向けるさくらに、クロスは謝意と共に頷いた。
 そして、場をかき回したまま収拾もつけずに通信を終えてしまう。

 『こんな、馬鹿な事が……』
 「残念ながらありえるんですよね。……猫師匠が腕折ってくれた事が結果的に、すずかとの契約もスムーズにしてくれましたし、その辺は猫師匠のスタンドプレーに感謝ですかね。ま、彼ら身内には親切ですから、技術提供とか管理世界への移住申請とか受け付けたら、結構あっさり乗ってきてくれましたよ」
 呻くグレアムに、クロスは肩を竦めて気楽に言い放つ。
 とっくの昔に終わっていた舞台に、幕を引き降ろすために。
 「担当司祭―――勿論オレですが、既にここに到着しているので、ここはもう、ベルカ自治領です。それでもアルカンシェル撃ちますか、小父さん? 撃ったら確実にミッドチルダとベルカの大戦争ですよ。他国の領土を次元崩壊なんて、宣戦布告とかそういう次元を超越してますしね。―――もう一度繰り返しますがここはもうベルカの領土です。ですので、そこで見つかったロストロギアは、当然ベルカの所有物になります。例えそれがどんなに危険な物であったとしても。……なにせ、管理局の理事会でもこの件は承認済みですし」
 『……理事会、だと? 馬鹿を言うな、私はそんな承認をした覚えは無い』
 今や紛れもなく時空管理局最高理事会の一員であったはずのギル=グレアムは、焦りも顕に言葉を上げた。

 「その事なんですがね、グレアム元提督」
 グレアムの疑問に返答したのは、それまで黙っていたヴェロッサだった。状況の整理で頭が追いつかないクロノが、ヴェロッサの言葉に少しの疑問を思う。何かおかしかった。
 『……元、だと?』
 そう、それだ。他ならぬグレアム自身から洩れた呟きで、クロノは納得した。グレアム”元”提督。ヴェロッサは確かにそう言った。
 どう言う事だと視線を向けるクロノに、ヴェロッサは頭を掻きながら口早に言った。
 「そちらに居るギル=グレアム氏の提督位、理事職、どころか管理局での職籍は全てもう、剥奪済みなんだよ。理由はまぁ、単純に防衛予算の私的流用。特定企業に対する便宜を図った疑い、それから勿論、使い魔の無断での管理外世界への派遣。……そして止めに、特務艦隊に対する偽造命令。……職務停止命令が発行された後に出された命令だからね、出されたのが確認された瞬間に握りつぶされたよ、多分だけど」
 最後に付け足された一言で、グレアムは力尽きたようにふらついて、椅子に座り込んだ。

 クロノは、言葉が出なかった。掛けようも無いだろう。尊敬する小父の、その末路。因果応報とは言え、余りにも惨い。
 ヴェロッサは自分の役目はここまでと、クロスに視線を振った。彼にとっては、長く担当していた仕事の結末を見届けているに過ぎないから、感慨深くは合っても、同情の気概は浮かばなかった。
 クロスは、グレアムの言葉を待つ事にした。幕引きの言葉くらいは、本人の意思で言わせるべきだろうと考えていたから。
 項垂れたように力なく椅子に腰掛けたまま、視線も上げずにグレアムは呟いた。
 『聞かせて欲しい。……闇の書を、君は如何するつもりだ?』
 それだけが最後まで、老人に残された物だったから。クロスは完璧に老人の望む言葉を返してやることにした。

 「貴方には関係の無い話だ」

 平面モニターの向こうのグレアムは、クロスの言葉に顔を上げて微笑んで、頷いた。
 
 『やはり君は、最低の人間だ』

 平面モニターが泡と消えた。

 そうして、秘匿回線を用いた長距離次元間通信は終了した。
 平日の昼間、人払いの魔法を施されたビルの屋上で、三人の少年が取り残される。倒れたまま拘束された猫の使い魔たちは、まだ目覚めない。
 乾いたような空気が、満ちる。口火を切ったのは、ヴェロッサの空気を読まないフリをした言葉だった。
 「……で、実際問題どうするのさホントに。この後の展開って聞いてないんだけど、僕」
 使うだけ使ってポイとか酷いよねとクロスに話を振る。しかし、クロスは肩を竦めただけだった。
 「いやホラ、ここから先はベルカ者の領域だから。管理局の皆様は速やかに次元外にお引取りくださいって事で。……あ、マスターの所在だけは教えていってね」
 「うわ、酷い。ホントに使い捨てなんだ。……まぁ、何時もの事だけど」
 ヴェロッサがたいして驚いてない風に呻くが、執務官として闇の書事件を担当しているクロノとしては聞き捨てならないことだった。
 「待てクロス。グレアム小父さんに関しては……いや、後でじっくり話し合わせてもらうぞこれも。いや、まぁ良い。良くは無いが。とにかく、闇の書の問題そのものはまだ何も解決していないんだ。立ち去れと言われて立ち去れる訳が無いだろう」
 事実、その通りであった。ギル=グレアムが闇の書に抱いていた妄執事態は片が付いたが、肝心の闇の書そのものは、その守護騎士達は今も蒐集を続けている。早急に対処をせねばならない問題だ。
 しかし、ここへ来て協調姿勢を見せていた筈の聖王教会が早駆けに出し抜きも重ねて、管理局を突き放してきた。
 グレアムの介入を退けるための方便かと思っていたが、どうやら、本気で管理局そのものの介入を排除する算段らしい。
 クロスは迫る兄の言葉に軽く笑って首を振った。
 「まぁ本当に、管理局の人間が居るとやり辛いんだよ。……ぶっちゃけ、反則スレスレに踏み越えてるからね」
 出て行ってもらわないと、勝ちきれないからと笑う弟の言葉に、クロノは大体の事情を察してため息を吐いた。どの道、母が既に好きにやれと許可を出してしまっている以上、自分がここで何を言っても無駄なのだろう。
 闇の書。父の仇。その結末を、見届けたかったのだが。
 何故か見届けてしまうと、胃が痛くなるような気がしてしまって、これ以上ごねるのも躊躇われていた自分にクロノは自然と苦笑いを浮かべてしまった。
 「……ようするに、まだ悪辣非道の手順は続く訳だな?」
 
 兄の呆れ声に、弟は笑って頷いた。






    ※ 勢いで見せたいところだったので切らないで全部流してみたら、長いね、今回。
      まぁ、ある意味最終決戦みたいな物だし、コレはコレで良いか

      あ、あと東海岸で正解です。
      理由は単純に絵面を想像すると、その方が寄りいっそう馬鹿馬鹿しいスケール感があって面白いから。
      大事なのは勢いです。実際どうやってるのかは知らんが。


     
     追記:何か色々問題が出そうな後書きの書き方をしてしまったのでスイマセン、追記。  
        説明しようと思えば無茶理論で理屈付けは出来ます。何時もの無茶理論ですが。
        ただ、流れ的にさして今のところそれも必要を感じないので”知らん”と言う事にしておきます。
        読んだ人が面白おかしく考えてくれて構わないんですがね、こういう曖昧な部分は。
        それ以上は特に現状は無いかなぁ。


  



[10452] 第四十話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/28 19:08
 Part40:魔法少女なんて、居ない


 やぁやぁごきげんよう、闇の書の守護騎士諸君。
 
 おおっと、まずは武器をおきたまえ。さもないとこの寝たきりのマスターを刺し殺すよ?
 湖の騎士も無詠唱魔法を発動しようなんて考えない事、危ないなぁ。
 ……よし、全員武装解除したな、それじゃあ……と言いたい所だけど、正直君たちじゃ話にならないんだ。管制人格を呼んでくれないか。
 五秒以内。ごぉー、よぉーん、さぁーん、……はじめまして、ご機嫌麗しく。
 さて、じゃあ早速だけど君にやってもらいたい事がある。―――拒否権? ああ、マスターを今すぐ殺せって事? 別にそれでも一向に……なんだ、違うの? 紛らわしいねぇ。
 話し進めてオーケー? ……よし、それじゃあコレを見てくれ。
 うん、見ての通りのロストロギアだ。名前はジュエルシードと言う。
 君にはコレを使って自分をフォーマットして貰いたい。うん、バグってるのは解ってるから……なんだ? 鉄槌の騎士。
 バグってるなんて知らない? ―――知らなくて当たり前だろう。お前らシステム上ではアタックプログラムだろ? 武器に本体の自己診断機能が搭載されてる訳無いじゃないか。
 ―――うん。管制人格が知らない訳無いよね? 知っているからこそ、お前は滅多にマスターの前に出てこない。離別が確定しているから厚情が怖いんだろうけど、まぁ、その辺は個人の好みか。立ち入った事言おうとして申し訳ない。
 ―――話を戻すぞ。
 単純な理屈なんだけど、自分が壊れているって言う認識が出来るって事は、要するに正常な状態を正しく認識できているって事だろう?
 ならば話は早い。
 管制人格、君は人ではなくマシーンだ。それ故に人には不可能な正確な思推の確定が出来る。
 ならば出来る筈だ。このジュエルシードを用いた”完璧な祈願実現型魔法”が。……少なくとも、某マッドはそう保障した。
 君はここにある全部で二十個のジュエルシードを用いて、自らを正常な状態に回復してもらう。
 ……危険? まぁそりゃそうだろうけど、ぶっちゃけ君ら―――ついでにオレも―――に拒否権無いし。失敗した後のこととかも、どうせその時は君ら消えてるだろうから気にする必要も無いよ。
 うん。
 残念だけどこれが君らの現実だ。最善でも、最悪でもなく、ね。
 君らは君らの事情ではなく完全に他人の事情で以って、あるべき姿に戻ってもらう。

 じゃあ、始めてくれ。今すぐ。速やかに。

 ・
 ・・
 ・・・

 「……と、言う訳で八神はやてさんは、第18管理世界”ウォルフェウス”、ベルカ自治州内にあるザンクト・ヴァルナ修道院に病院を退院次第入院してもらう。期間はそうだな―――最短で確か、……三年、いや四年ってところじゃない? ベルカの修道士の資格と平行して管理世界の一般教養を学んでもらわないといけないから、案外それ以上掛かるかもしれないけど」
 
 桜がいよいよ花を咲かせる、そんなある日。
 早朝の病院の中庭、人払いの結界が張られたそこで、男女六人が車椅子の少女を囲んで話し合っていた。
 全員がベルカに関わりの在る者達だったが―――揃って沈痛な顔をしている中、滔々と説明を続けるクロスだけが、微妙に浮いていた。
 当然だろう、実質ここ二週間ほど敵対していた筈なのだから。
 主を守るように囲って立つ四人の守護騎士達にとって見れば、未だに―――いや、今だからこそ敵対している気分である。

 突如として主の寝所を襲い、脅迫を仕掛けてきた上―――何故か、我らを救ってしまった。

 行動も言動も悪辣非道。外道そのもののそれだったと言うのに、結果だけを見れば万事が丸く収まっている。
 ただしそれは、守護騎士たちが望んだ結末ではなかった。必死であった守護騎士たちを嘲笑うように、頭越しに一瞬で全てを片付けてしまった目の前の少年。
 居住まい装備から言ってベルカの騎士そのものだろうに、騎士たる気概などまるで持ち合わせていない。
 だがそんな少年が、結果的に主を救ったのだ。結果だけを見れば、感謝して然るべき、―――ああ、しかし。

 もっと良い答えが合ったのではないか? 皆が、納得できるような。
 
 そんな守護騎士たちの居心地の悪そうな気持ちを知ってか知らずか、クロスは真剣な顔で話を聞いている闇の書の主―――夜天の王、八神はやてに事務的な説明を続けている。
 「守護騎士諸氏に対してはD-相当にリミッター設定。所持していたアームドデバイスは全て機能停止処置を施した上でベルカ聖王教会本部宝物殿に封印。闇の書―――失礼。”夜天の書”本体に関しては、蒐集機能を消去し新規の魔法登録を原則禁止。管制人格はユニゾンシステムを封印して、……そんなところか。初期化したお陰で今まで登録していた魔法も全部消えたからね。―――うん、修道院はベルカにしては戒律が厳しいし、布団の中での話し相手にはぴったりなんじゃないかな」
 最後だけ、はやての背後に控えていた銀髪の女性に向かってクロスは言った。だが、女性は何の反応も示さなかった。
 感情が無い訳ではなく、単純に返答に値しないと言う事だろう。
 クールな美人は好きなんだけどなぁと、どうでも良い事を考えながらクロスは何か質問は無いかという風にはやてに目線を送った。

 はやてはクロスの視線に居住まいを正した後、尤も気になっていた事を聞いた。
 「あの、私のことは解りました。そんで、あの……ユーノ君は」

 ゆーのくん。
 
 言われて一瞬誰の事か解らなかったクロスだったが、直ぐに思い出した。
 闇の書のフォーマットの最中に本体の中から零れ落ちてきた、イタチだ。
 この第97管理外世界内で行方不明となっていたが、アースラにおいてすら捜索が後回しになっていたスクライア一族の少年。
 出会い頭にクロスに先制攻撃―――ユーノからみれば、クロスの方が先に仕掛けたと言う事なのだろうが―――を仕掛けてきた気合の入った少年である。
 いかにもスクライア一族らしい小動物の姿に変身したまま酷く衰弱していたのだが、どうやら闇の書の内部で雑巾の如く魔力を搾り取られ続けていたらしい。
 クロスははやての疑問に答えるように頷いた。
 「どうも彼、大分衰弱していたらしくてね。先ごろ目を覚ましたらしいけど、ここ数週間の記憶が曖昧らしいんだ。乗っていた輸送船が襲われた辺りからの記憶が殆ど朦朧としているらしいから、うん。……面倒だから、輸送船爆発の際に意識不明になって、そのまま管理局の次元航行艦に収監されていたって事になってるよ」
 「衰弱って……平気なんですかっ!?」
 因みに何故衰弱していたかまでは、クロスははやてに伝えていない。早晩伝わってしまうだろうが、自分が他所様のお宅の面倒を背負い込むのは御免だと考えていた。
 だから、心配そうな顔を全てで表現しているはやてに、取り成すように頷くだけだった。
 「うん。まぁ、五体満足で生命反応さえあれば、大体が如何とでもなるのが現代魔法技術ってヤツだからね。アースラ……ああ、そのユーノ君が乗ってる次元航行艦だけど、ミッドチルダに帰港するらしいからでかい病院にでも放り込んじゃうだろうし、まぁ、平気でしょ」
 「……あえへんのですか?」
 とにかく命に別状は無い事は理解したから、はやてはポツリと要求染みた事を言った。

 幼い少女の純粋向くな頼みだった。
 クロスはあっさり黙殺した。
 「理由が無い。―――言ったろ、ユーノ=スクライアは君たちと関係があった事実が存在しない。今後も一切存在させない。故に、君が彼と会う必然性が発生しない」
 言外に”会えない”ではなく”会うな”と高圧的に言い放った。俯きふさぐはやても、目を吊り上げる守護騎士たちの視線も物ともしない。
 ユーノ=スクライアははやての事を覚えていないから、二人が出会う場合ははやてがユーノの元に赴かなければならない。
 ”闇の書”のマスターをミッドチルダに放り込む?
 そんな馬鹿な事を考えるほど、クロスは呑気な人間ではなかった。
 クロスは―――と言うか、ベルカ聖王教会は総意として八神はやてをベルカ自治州に当面の間隔離するつもりだった。
 夜天の王、正当なる血統に対する初歩教育と言うお題目である。そのままベルカの思想に染めてしまうのかどうか、それはクロスは知らない。
 そこまで気にしてやるほどの付き合いではなかったし、どうも直情傾向に見えるこの少女にはベルカの”なんとなく”な気風を押し付けるのは丁度良いと感じていたから。
 因みに、守護騎士たちに関しては、”危険な闇の書の守護騎士”が近隣次元世界を徘徊しているらしいから、第97管理外世界内で保護すると言う名目である。闇の書と夜天の書は別物と言い続けるつもりであった。

 現状、管理局ではギル=グレアムが逮捕された事による熾烈なポスト争いが激化しており、だからこそ守護騎士達の様な”脛に傷を持つ”輩を率先して取り込もうとする派閥は存在しなかった。
 飛ぶ取り落とす勢いだったグレアムを追い落とすために、一時とは言え手を結んで、新暦初頭のカビの生えた立法まで持ち出してきた既得権益者達も、一つ敵が居なくなればすぐさま敵対関係に戻ってしまった。
 故に、何処の勢力も今は一瞬たりとも対抗勢力に隙を見せる訳には行かない状況となっている。
 他ならぬグレアムが脛に抱えていた傷を暴かれて権力の座から押し出されたのだから、当然と言えるだろう。
 数々の破壊を繰り広げてきた闇の書に対する破格の厚遇―――しかし早い話が、それは厄介払いだった。
 王はベルカの檻の中。騎士達は揃って魔法の存在しない世界に落としこむ。

 それが、闇の書事件の結末だった。
 
 他に何か聞きたいことはあるかとのクロスの言葉は、はやてが横に首を振ってしまった事により否定されて、結局、事後処理的な出会いもこれで終わりだった。
 同じベルカ者どうし、何れはまたで会うこともあるだろうが、その程度。
 すれ違って偶然視線が絡んでしまった赤の他人。それがクロスの八神はやてに対する感想だった。
 闇の書の守護騎士達に関しては、特に感慨も抱かない。親を殺されたと言う現実が確固として存在している以上、仕事の上でなければ会いたいとも思えなかった。
 いらない事ばかり考えてしまいそうで、会話は必要最低限で充分だと思っていた。

 だから、クロスは何れ担当の人間が挨拶に来るだろうと最後に告げて、病院を、夜天の王達の前から姿を消した。
 一人、病院の前の坂道を登り、展望台にでも足を伸ばそうとしていたところで、背後から呼び止める声が聞こえる。
 振り返る。
 管制人格の女が、そこに佇んでいた。
 「……何か?」
 「一つ聞きたい」
 互い、淡々とした口調で言葉を重ねていく。この人とは気が合いそうだとクロスは思った。女がどう思っているかは解らないが。
 「私が祈願実現型魔法の発動に失敗した場合、お前はどうするつもりだった? あれは成功確率の低い賭けに見えた。―――書の無力化に来たのだろう、お前は」
 女の言葉にクロスは、なるほど、と頷いた。
 案外、そんな賭けに出るほどお人よしな人間と思われている、いや、思いたいのかもしれない。

 そんな現実は勿論存在しなかった。
 尤も成功確率の高い闇の書の無力化方法で、その手の魔道器の専門家であるジェイル=スカリエッティと議論を重ねた結果出たのが今回実行した方法だった。
 勿論、他にも似たような、もっと安く済む方法も発見されていたが、クロスは躊躇わずにこの方法を選んだ。
 理由は単純。
 フォーマット時の全データの流れをシンクレアに収集させる事を、スカリエッティが希望したからである。
 結果として、クロスは闇の書が蓄積していた膨大な古代魔法のデータ、及び闇の書の真髄とも言える”ユニゾンシステム”の詳細な機能までコピーする事に成功していた。
 お陰でスカリエッティは大喜びである。さっそくユニゾンデバイスの模倣を開始してベルカ大聖堂の庭園を灰に変えているらしい。
 既に一号機”ウーノ”から四号機”クアットロ”までの開発に成功しているとか。 
 ……尤もそれに比例するようにシャッハの眉間の皺は急速に増えているらしいから、しばらく本部には帰りたく無いなとクロスは考えていた。
 この事実は無論、闇の書の側には一切知らせていない。
 慈善事業のように見えて、まんまと漁夫の利をせしめているのだった。

 だが確かに、いきなり出会い頭にあの展開だったから、闇の書の側からしてみれば博打にも等しいものに見えただろう。
 だが、クロスだった。
 脅迫は勝ちに対する駄目押しのためにすると公言してしまう、そんな男だった。
 クロスは首に掛かっているSS4を操作して、中に格納してある物を表示した。
 
 紅い輝石。

 女の目が、見開かれる。全部で二十個、そう言っていたのに。まだ一つ、隠し持っていたのだ。
 無表情のまま驚いている女に、クロスは苦笑して告げた。
 「君がフォーマットに失敗して暴走した場合、だね。暴走してしまえば君は無限に自己増殖を繰り広げていく。そしてその都度食い荒らしていった魔力が飽和した段階で、ドカン。―――なら、対策は簡単だ。暴走が始まる瞬間にリープライン・トランスポーターを最大出力で叩き込んで君を―――闇の書の本体を次元空間に強制転移させる。」

 その後は、解るだろう?
 
 維持の悪い笑みで、クロスは続ける。
 「最後の一個のジュエルシードを用いて虚数空間を開き、そこに暴走した闇の書を落とす。無限に崩壊する虚数の渦で、君は無限に増殖を続けると言う算段だ。永遠に魔力は飽和せず、故に破裂も出来ない。後は虚数の門が閉じてしまえば、何も問題は無いだろう?」
 丁度、虚数空間を開くのに必要な魔力を引き込めるような反応炉にもアタリがあったしねと、クロスは話を締めくくった。
 そのまま、もう良いだろうとばかりに踵を返して山頂の方へ歩き去る。

 管制人格は言葉も出ない。
 そうなってしまえば、自分は、主は、無限の破滅と再生の地獄に囚われていた。
 これからの主の境遇を思い、それが不憫でならないと信じていた管制人格は、しかしそれが、幸運そのものである事を理解してしまった。
 
 それが、現実。

 最善なのか、最悪なのか。きっとどちらでもない。
 どちらであっても、きっと他に答えがあったのだろうに、その全てが今や永久に失われていた。
 何処かできっと、何かの螺子が狂ってしまって。何処で、何が。管制人格は思う。
 朝の山道を歩く、小柄な少年。

 きっと、それこそが―――。
 
 
 そうしてクロスは一人、朝の展望台に立ち尽くしていた。
 眼下に広がる海鳴の光景。
 朝日に照らされて輝きを増していくそれを見やりながら、クロスは大きなため息を吐いた。
 これで、終わり。
 カリムの持ち込んだ面倒ごとがまた一つ、片付いた。予言に記されていた事実は、一先ず、ここまでで全て。
 肩の荷が下りた、そう言う事だ。だというのに、クロスの思考の淀みは晴れることは無い。

 きっと一生抱えていくしかないんだ。それが今や、自分の現実なのだから。

 世界の面倒ごとは片端から片付いていくのに、自分の中の面倒は一切片付かない。
 クロスは視線を落として己が現実を嘲笑う。
 その拍子。
 胸元に垂れ下がるSS4が視界に映る。その内側にしまった物に、思考が移る。

 ジュエルシード。奇跡の輝石。
 願えば、叶うだろうか。
 気付けばいつの間にか、クロスはジュエルシードを解凍していた。

 中空できらめきを放つ紅い石。

 クロスはそれにゆっくりと手を伸ばし、そして―――。






    ※ 魔法少女リリカルなのはA's 完


      はや四十話。気付けば八月も終わりですか。
      始める時に次こそはキリが良い話数で終わらせるってつもりで描き始めたのですが、今回も一話あぶれました。
      まぁ、元々三十話くらいで終わらせる予定だったので、既に十話もオーバーしている訳ですが。
      ……と、言う訳で次回最終回です。最後までお付き合いの程、どうぞよろしくお願いします。

      今更だけども、例の長距離弾道魔法(仮)がやたらと食いつきが良かったのは、ここでこのハナシが終わるって気付いてる
     人が居なかったからですかね。
      流石にあそこまでの無茶ネタは、締めに近い段階でしかやらんし、中途だと思ってみると、キツイですか。
     
      あと、飛行速度はぶっちゃけミスですね。うん、早すぎた。……まぁコレはコレで良いか。

 



[10452] 最終話
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/29 18:11

 Ending:ある日の始まり、ある喜劇の結末


 壊れて、消えてしまえ。

 横合いから伸ばされた指が、赤い輝石に触れた。
 その瞬間、ジュエルシードは一瞬の明滅の後、砂となって崩れ落ちた。
 自分は、何を望んでいたのか。
 幽鬼の如く手を玉石にさし伸ばしていたクロスは、一瞬の呆然の後で、その白い指の持ち主の姿を見やる。
 振り返る視線の先に、高台の春風を受けて、紺色の法衣を舞台に金糸が舞っていた。
 「……カリムさん」
 
 「お早うございます、クロスさん」

 そこにはカリム=グラシアが、何時もの笑顔で佇んでいた。
 ミッドチルダを遠く離れたこの海鳴の地に、その姿は酷い違和感があった。
 
 それと同時に。
 クロスはここに彼女がいるという事実がどうしようもなく自然な事だと感じていた。
 「えーっと……なんで?」
 何が疑問だか自分でも解らないまま、クロスはカリムに問うた。彼女ならそれで、万難全てを廃して疑問を解決してくれると理解していたから。
 だと言うのに、カリムはクロスの顔を―――瞳を、じっと見つめて言葉を返すことはなかった。
 穏やかな筈の、視線。それが何故か、とても恐ろしい物に、クロスには感じられた。

 ―――何か、怒っている?

 無言の圧力の持ち主と言う言葉がコレほど相応しい女性を、クロスはカリム以外知らなかったが、普段彼女が発しているそう言う物とも、今日は何処か毛色が違う怒りを感じる。
 もっと深く、もっと、単純。その意味が理解できないけど。
 
 ―――はぁ。

 ため息を一つ、それからカリムは、クロスが知る何時もどおりのカリム=グラシアを取り戻していた。
 「―――新しくここに教会が出来るじゃないですか。……外観が教会じゃなくてただのオフィスビルですけど。私、今日付けでそこの担当司祭になりましたから」
 つまらなそうに、心底つまらなそうな口調で、カリムは言った。
 クロスはその言葉に―――態度の謎に関しては、既に諦めていた―――首をかしげた。
 「オレの後任、カリムさんなんですか? ……あんな箔付けの建前のために、どうして」
 カリムのような教会の高い地位が保証されている人間が、一時の場凌ぎの建前の保障に借り出される筈など無いはずだった。
 「……大体、理事会で再審後否決されたでしょう、アレ」
 
 実際、そうなのだった。
 第97管理外世界のベルカ自治領への編入。
 ギル=グレアムの闇の書に対する介入を跳ね除けるためだけに持ち出した、時空管理局がまだ組織として成立しきって居なかった頃の忘れられていた法律。
 当時、組織としてまだ力不足だった管理局は、その後ろ盾として聖王教会の保障を欲していた。そのために作られたのが、先日持ち出したそれである。
 だが、その後しばらくしてから、管理局と教会の力関係は完全に逆転してしまったため、教会自体が率先して勢力の拡大に動かない事もあり、それは廃案にされる事もなくただ死蔵されるだけとなっていたのだ。
 敵の敵は味方、と言うシンプルな理論でグレアムの敵対勢力が結集して一度は成立したのだが、その後ある事情により再審理が掛かり、そこで廃案とされる事となってしまった。
 元々一度きりの使い捨ての毒のつもりだったから、それで全く問題は無かった。

 「廃案の原因を作ったのって、クロスさんですよね? ……確か、現地の管理局の外交窓口から働きかけたとか」
 カリムの言葉に、クロスは疑問顔のまま頷いた。
 「そりゃ、まぁ、うん。別にベルカ最強万歳! とか言えるほどの信仰心も無いから、あんなもの百害あって一利無しだからね。アリサの親父さんに財界の管理局とコネがある人に働きかけてもらって、廃案になるようにしたけど。――― 一応、現地人から反対意見が出たって形が重要だし」
 突然幻想世界に紛れ込む羽目になったアリサの父、デビット=バニングスにしても、その”事実”を把握した事によりそれを知るもの達の”グループ”の一員になれたのだから、取引としては悪くないと語っていた。
 そして、夜の一族と言う裏側の人々の意見に対し、表の人間からの意見として反対だと言う声明を伝え、数の利でそれを成立に持ち込んだと言う訳だ。
 「……まぁでも、夜の一族が―――物凄い口先だけ―――改宗したって事実も、ベルカ教会海鳴支部って言うハコが存在するって現実もあるにはあるし、優先保護区くらいの扱いで落ち着くんじゃないかな?」
 多少縛りは弱まるが、それでそれなりの組織からの後ろ盾が手に入るのだから、夜の一族としても悪い話ではないだろう。
 もとより、ここまでの全て―――成立から、再審議による否決まで―――を含めた上でのクロスと夜の一族の密約だったから、何も問題は無いかった。
 結局はカタチの上だけの事実ばかりで、現実を求める必要は無い。

 「……で、そうだよ。何でそこにカリムさんなんて大物が登場するのさ」
 言葉騙しで渡りきった筈の見えない橋の上に、ホンモノの女神が登場してしまった。一体どうなっているのか、クロスには理解できない。
 疑問符そのままのクロスの顔を見て笑いながら、カリムは簡単な事実を口にした。
 「だってほら、ウチのお爺様に最近”次元犯罪者”のギル=グレアムと繋がりが出来てたじゃないですか。その件を枢機卿会議で対立派閥から散々突っ込まれて、お爺様のグループ、今権益をバサバサ切り倒されて大変な状態なんですよ。―――そのあおりを受けて、私もここへ来る事になりました。……所謂、左遷ですね」
 愛らしく頬に指を沿え、教会の鬱々とした内幕をカリムは滑らかな口調で語りきった。
 「この世に神は居ないと確信できるね、それは」
 修道院送りになった八神はやての今後は大丈夫だろうかと、クロスは流石に不安になってしまった。
 直属の上司がこうなってしまった以上、今更どうにも出来ないのだが。
 カリムさんが左遷って事はオレもだよね、とクロスが尋ねると、カリムは勿論と頷いている。副司祭として海鳴勤務らしい。確実に出世街道は閉じていると理解できた。別に出世したかった訳でもないのだが。
 最後にとんだオチが付いたと頭を掻くクロスに、カリムはにこりと微笑むだけだった。

 純粋な、笑顔。とてもとても、嬉しい事があったような。

 「……なんかさ、左遷されたってのに嬉しそうだよね。オレの家と違って、家族仲が微妙とかって事も無いのに」
 祖父との仲も良好だったろうに、怒っていないのだろうかとクロスが尋ねれば、カリムは―――それはそれは、どうしようもなく、この上なく楽しそうに―――微笑んだ。
 その笑みの裏に、クロスへの真剣な怒りを混ぜながら。

 「だって、ようやくA'sが終わってリリカルな物語から開放されたんですよ? これでもう、私もミッドチルダで難しい顔で予言について悩む仕事をする必要がありませんし。―――後は好きなだけ、この世界のアニメや漫画見ながらゲームして暮らすだけで良いんですもの。……しかもミッドとの物価の影響で、教会の雑費だけで充分遊んで暮らせるんですよ? むしろ、何でそんなにクロスさんは落ち込んでるんですか」

 もう、どう頑張ったってストライカーズは起き様が無いですし。
 これでせっかく、全部終わったのに。なのに、何で自分を消そうなんて考えてしまうんですか。

 最後だけは、真剣な怒り顔でそう言って、カリムは言葉を閉じた。
 クロスは、表情が固まったまま動けなくなった。
 カリムが本当に自身に怒りを向けていたから、ではない。
 カリムの言葉がクロスには、理解が、理解に、理解しようにも。幾つもの疑問。咄嗟に理解しようと、推論を複数同時に展開する。
 何よりも疑問は、”リリカル”な。そんな表現を使うような人間は―――自分独りだけしか、居ない筈なのに。
 「いや、―――え?」
 それは間抜けな顔で、だからカリムは何かに納得したようだった。
 「前から薄々感じていた事なんですけど、クロスさんってやっぱり”アニメ版”のこと知らないんですか。―――よくそれで、こんなに派手に原作のフラグを破壊し尽くせましたね」
 知らなかったからこそ出来たのかもしれませんけど、と一人納得するカリムに、クロスは言葉が無い。

 クロスには、カリムの言葉の意味が理解できなかった。
 理解できなかったからこそ―――、一つだけ理解できた事がある。
 「……つまり、アンタは」
 常ならぬぞんざいな口利きに、カリムはまるで怒った風も無く、ただただ、困ったように笑うのだった。
 
 「あのねぇ、クロスさん。”聖母像”の前で”ごきげんよう”何ていうお嬢様は、”別の作品”の中にしか存在しませんよ?」

 それはきっと、初めての出会いの日の事だろう。生憎と、像に象られていたのは聖母ではなく聖王だったが。
 あれできっと、気付いてくれると思っていたんですけどと語るカリムに、クロスはその事実を確信してしまった。
 「……居たのか、オレ以外にも」
 「居ますよ。……と言っても、私も生憎、クロスさん以外の人には会った事ありませんけど」
 苦虫を噛み潰したかのようなクロスの言葉に、カリムはあっさりと頷いた。その返答に更に眉根を寄せるクロスを他所に、カリムは言葉を続ける。
 「クロスさんみたいな原作未登場キャラと違って、私なんか三期の中途半端にサブだかメインだかって役になっちゃいましたからね。―――”シナリオ通り”に進んだら、私の場合絶対巻き込まれますから、色々と昔から対策を練ってたんですよ」

 例えば原作のメインキャラで、引き込めそうな人とか居ないか。
 安易な発想と言えばそう、だが幼かった当時のカリムに出来る事は限られていた。
 管理外世界の人間や、半分犯罪者に首を突っ込んでいる人間達を見つけられる筈も無く。
 同じ、ミッドチルダに暮らす、原作キャラクターの家族関係を調べる事くらいしか出来なかった。
 丁度、その時”原作イベント”が発生して、時空管理局の次元航行艦がロストロギアの暴走に巻き込まれて爆発消滅すると言う事件がおきたから、それは簡単に見つかった。

 見つけてみたら、何故だか、見覚えの無いキャラが居た。
 翠緑色の髪を持つ、その少年。

 「それでちょっと詳しく調べさせてもらったんですけど、クロスさん、私と殆ど似たような行動とっているんですもの」
 それは幼児とはとても思えないような行動力。そして、他者と異なる―――カリムと同一の―――思考原理。
 カリムの期待は確信へと至り、そして、幸運が訪れた。
 「……オレのベルカ行きは、オレの意思……だよな?」
 「―――だと、思いますよ。少なくとも私は何もしていませんから。……”他の方”が居た場合は、その限りではないのかも知れませんけど」
 若干震えるような声のクロスに、カリムはそこだけは真面目な顔で取り成した。
 その後は、語るまでも無い。なぜならば、これまでに語られて来た全てが、現実そのもの。

 高台に、風が吹いた。ふと視界に映った、手を付いていた安全柵から向こうに見える海鳴の都市の景観に、クロスはどうしようもない虚脱感を覚えた。
 自分が特別だなんて、思っていた訳ではない―――なんて言葉は言い訳にすらならないくらいの、これが、現実。
 「……何なんだ、この世界は」
 そう言う他に、言葉が無い。クロスにとっては少なくとも、自身の狂気すら信じて進まなければならない、そういう場所だった筈なのに。
 柵に手をかけたままがっくりと項垂れるクロスに、カリムはそっと歩み寄り、微笑んだ。
 
 「少なくとも私が言えることは―――そうですね、ここはもう、誰も知らない世界に”なってしまった”と言う事でしょうか」

 たとえ、元が”魔法少女リリカルなのは”の世界だったとしても。
 語るべき物語が、筋書きが整えられていた筈だとしても。
 他ならぬクロス自身が、それら全てを、訪れるべきだった全ての物語を、粉々に破壊してしまった。

 故に、この世界は、もう―――

 「一応原作どおり―――五年位前から既に原型を留めなくなってましたけど―――ここで物語を終わり、と判断すればこの世界は”そして幸せに暮らしました”で括られる世界です。そうでなかったとしたら、きっと”私達の知る”世界とさして変わらないただの何処にでもある世界となってしまったんじゃないでしょうか」
 
 だってもう、この先に脚本は存在しないから。
 物語の終わりは、これはだって、本当は心優しい魔法少女の物語だから、”そして幸せに暮らしました”で締められる。
 その後の展開はその一言から、誰もが勝手に想像すれば良い。
 それを望まないとすれば、ここはきっとただの世界だ。
 個人の意思などちっぽけな物で、一人の人間が関われる事などたかが知れているから、自分に出来る事をしながら、自分の望みを実現するために必死で生きるしかない。
 つまり、ただの普通の世界だ。

 「前から思ってましたけど、クロスさんってやる事が大雑把な割りに、自分の事はやたらと難しく考えるタイプですよね」
 「……いや、むしろカリムさんが大雑把なんだと思うけど。普通、おかしいと思うだろうこんな状況」
 朗らかなカリムの言葉も、クロスにしてみれば理解に苦しむ事多数だ。
 女は強いとか、オタクとしての地力が違うとか、多分そんな一言で納得すれば良いことなのかもしれないが、それで納得できないのがクロスの本質だった。
 「大体何なのさ、さっきから聞いてれば。とらハ3本編じゃなくてリリちゃをアニメ化とか、それ本当なの? おかしいだろそれ。カリムさん、僕の知ってる世界と別の世界で生まれたんじゃないだろうな」
 「あ、3もちゃんとアニメ化してますよ。……ビデオですけど。それから、箱とは名前以外は全部別物ですから。まず声から違いますし」
 それは問題だろう、と真剣な顔で突っ込みを入れそうになってしまったクロスを、カリムは押し留めた。
 眼下に広がる都市の景観を眺めながら、一時何かを考えるような顔をして、それから。

 「今日は休日―――ですよね?」
 そんな、不意の一言を述べたカリムに、クロスは虚を付かれてしまう。
 「確か―――うん、日曜だとは、思うけど」
 言葉の意味を理解できず、事実だけを返すクロスに、カリムは。

 楽しそうな笑顔。
 世界はそう、悩む前に楽しむべきで。

 「どうせなら、お茶でも飲みながら話しませんか? ―――”翠屋”、クロス君もまだ行った事無いんでしょう? せっかくホンモノの海鳴市に来れたんですから、まずは主人公から見に行かないと。基本ですよね、基本。どうせもう、面倒な政治ごっこに付き合う必要も無いんですから、歳相応に楽しんじゃいましょうよ。―――あ、先にこれだけは言っておきますけど、中の人の年齢を聞く事だけは、却下ですから」

 朗らかな笑顔で、クロスの手を掴む。
 「何をすれば良いのかわからなくなったら、とりあえず、自分の一番やりたい事をしてみれば良いんですよっ」
 そう言われてしまえば、クロスとしては苦笑いを浮かべるしかない。
 「……つまり、最初から全部、カリムさんがやりたかった事だった訳でしょう、コレ」
 滑稽に踊り、踊らせ、踊らされ。
 果たして何か手に入れる事が出来たかと言えば―――結局、ずっと昔から振り回されていたと言う事実だけが唯一確かな事と解っただけ。
 「この貸し、高くつきますからね?」
 「そのお陰で幼女ハーレムを築けそうなんだから、むしろ感謝して欲しいですよ。オトコの子の夢でしょう? そういうのって」
 
 言葉は弾み、会話は踊る。

 そのまま、笑顔のままで。山道を目指す。

 かくて舞台は閉じて、行き場を失っていた愚者は、その愚かを嘲笑でも侮蔑でもない、たおやかな笑みで振り回す乙女に連れられて。

 自然自然と、苦笑が、ただの笑顔に変わり行く。

 この先は誰も知らず、故に語るべき言葉も無い。

 物語であるならば、そして二人は幸せに暮らしましたと―――そんな、ちっぽけな言葉で充分。

 そうでないなら、あるいは。そろそろ現実と言う物と戦う時が来るのかもしれない。

 さりとて、今は一端の終幕。

 だからまずは、山を下って。

 ”魔法少女”に、会いに行こう。

 


 ブレイク・トリガー 完 




     ※ 読了多謝。
     
       次回更新で後書きを追加予定です。明日中に纏まると良いですが、難しいかな。



[10452] 後書き
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/08/30 16:57


 OmakePart:後書き

 
 さて皆様お疲れ様です。当SS作者、中西矢塚です。
 ブレイク・トリガー、これにて完結ということでここまで四十数日にわたりお付き合いのほど、真にありがとうございました。
 ここから先は、前作”奏楽のレギオス”でもやりましたが、本編中では控えていたぶっちゃけ話、無礼講コーナーとなります。……故に、今まで出さないようにしていた奏楽って単語も平気で出てくるので、意味が解らない人は……まぁ、別に良いか。

 ここから先にに書かれている文章は全て、本編に影響を与える事はありません。
 本編を読んで皆様方が解釈されたそれが本編中の真実です。
 ただ単純に、”では何を考えてこうなったのか”という部分を思いつく限りひたすら書き連ねていくだけの場所に過ぎません。
  
 当たり前の話ですが、本編中のネタバレ上等です。
 未だ本編を読まずにここから先を読み始めるような不貞の輩は……それも、二次創作の楽しみ方としては、一興。
 今回は奏楽と違ってオチがあんなですから、余韻を汚す事になるとかは、多分ないんじゃないかなぁと思います。

 では、始めます。片手に缶ビールでも持って、気楽な姿勢でしばしのお付き合いのほどを。

 ・承前
   奏楽も書き終わって、夏コミの新刊の入稿も終わったあと、さてそろそろ新作をやろうかと考えました。
   そのときに漠然と考えていたのは”オリジナルの異世界転生モノ”。
   しかし、いくつか構想を練ってみると、やはりゼロから異世界を組み立てるというのはいきなりやるには難易度が高い。
   それならば、元々ある世界をお借りしようと考えて、アルカディア的な論理で上がったのが二つ。”なのは”と”ゼロ魔”。
   で、ゼロ魔だと内政モノで難易度さらにアップだよねーとか思ったのでなのはに落ち着きました。

 ・なのは不在
   魔法少女リリカルなのはである。
   人気作である以上作られた二次創作も膨大で、ネタとしてもどうにもやり尽くされた感があることも否定できない。
   では他の方のSSと並べたときに何処か目を引く部分が用意できないかと考えたのが、ずばり”なのは不在”。
   そも、転生系であるから原作に介入するのは必定であり、ならば一番インパクトのある原作介入の方法はなんだろうと考えたときに思いついたネタだったりします。
   結論として、冒頭から変える。
   本物の物語の第一歩にいきなり土足で踏み込んで、全部持っていってしまう。
   以降、どう頑張ってもまともな展開が出来なくなるくらい、徹底的に。
   ではリリカルなのはで一番重要なファクターってなんだろうか、何を削れば一番致命的だろうかと行き着いたのが、これである。

   物語の牽引力である”主人公”が出てこない。
   
   後は、そこへ至るようにキャラを配置していくだけである。

 ・ブレイク・トリガー
   この二次創作のタイトルである。
   主人公の名前から安易につけたように思われて、その実しっかりと中身があるような。
   凄い中二病っぽい、これはタイトルからして地雷、みたいな個人的にはお気に入りのタイトルだったりします。
   ……そんなだから、タイトル見ただけで読むのやめた人とか居るんでしょうけど。
   でも、今時”クロノ・ブレイク”のネタが通じる人って居るんですかね……?

 ・コンセプト
   ”評価の高い展開を続ければ人気は維持できる”。
   ……と、言うやり方は奏楽のとき散々やり尽くしたので―――アレもラストでぶん投げてますけど―――今回は少しベクトルを変えていこうと言うのがありました。
   ではどうすると考えて、出した答えは”常に意表を突く”というもの。
   一箇所で首をひねっていると次の瞬間周りの風景全部変わっているような―――そういうどんでん返しを最後まで続け切る事。
   良くも悪くも”期待を裏切る”事実には違いないので、感想板に嵐が吹くのは実は多少覚悟の上だったりしましたが―――結果的には、夕立が何度かありましたけど、くらいに落ち着いてくれましたかね。
   皆様のご配慮に改めて感謝を表明します。

 ・各話解説
   具体的な細かい話に移ります。

   ・冒頭、導入部(1~5話)
     こればっかりはどうしようもない、普通に説明の回です。
     ごく有り触れた説明的展開を引っ張るために、だいぶ主人公の思考をエキセントリックにしておいたのですが、最後までそれが足枷になったような気もします。

   ・ブレイク・ポイント1(6~12話)
     第一チェックポイント。
     これが受けるか受けないかで、このSSの打ち切りか続投か図ってました。
     皆がまじめな顔をしてそれっぽい事を語っているようで、実はストライカーズの発生を潰すと言うのが最大の目的。

   ・イン、アースラ (13、14話)
     実を言えば、始めリンディ母さんとの会話を載せる気はありませんでした。
     ”クロノは胃が痛い思いをした”と書いて暗転、みたいな感じにするつもりだったんですが、試しに書いてみたら進む進む。
     完成してみると実に悪趣味なものが出来てしまったので、これは叩かれるねぇと思って、それでも一応公開してみると、何故だろう、高評価。
     皆よっぽどなのは二次のお約束に食傷気味なんだなーと気づいた反面、いくら好評でも”賢しい顔をして親をなじる”なんて悪趣味な展開を続けるのは精神衛生上宜しくない。
     そんな感じで、次回以降の展開がグイっとテンプレな方向に近くなりました。

   ・月光編(15~24話)
     インターバル回。
     ここまでひたすら突飛な展開が続いてきたので、ここで一息入れておかないと、今後の展開を誰も驚かなくなるだろうと言うのがありました。
     そんな訳で徹底的に”普通”の”よくある”展開を目指しました。上記の理由もありますし、そこは徹底的に。
     で、何ですずかなのかといえば、単純に作者がとらハ3の忍ルートが好きだからである。
     最初期プロットでは月村邸に篭城、イレイン五体襲撃。衛星砲で庭園にクレーターを作る、とかそれどんなやねんな展開が待ち受けていたのですが、何話かかるか解らないと言うことであんな感じに落ち着きました。
     後は、トンデモデバイス”シンクレア”の説明を兼ねてるってのもありましたねー。

   ・ブレイク・ポイント2(25話)
     本編。
     この回だけに全てを積み上げてきたようなものです。
     故に、この回が終わったら後は物語をたたむ作業に入るだけでした。
     このネタ自体は、きっともう誰か別にやった人とか居るんじゃないかなーと思ってたんですけど、そうでもなかったんですかね。
     良い感じにウケてくれたのは、まぁ、良かったです。

   ・A's開始 (26~29話)
     三期と一期が終わったんだから、二期も当然……と思わせておいて当然のように始まる二期。

     ここに四十枚のカードがあります。
     中身は全てジョーカーしか存在しません。
     ルールは単純、順番にカードを引いていって、エースを引き当てた人が勝利です。

     ……そんな、無茶振り。
     ”なのは不在”の影響が最大限発揮されて、”敵対勢力と拳で語り合う”という発想を誰もしないのがポイントでしょうか。
     どいつもこいつも別の方向を向いている感じを意識しています。

   ・イン、アースラ2(30~35話)  
     締めに入る以上、主人公の内面にも一応の決着らしきものをつけないとまずいよねーという感じで企画された展開。
     後々見てみると、奏楽の締めの展開と何も変わっていない事に気づく。
     ロリフェイトに目を向けさせておいて、実は必要なのはリニスのほうでした、という辺りが仕掛けでしょうか。
     後は、風呂。これに関しては後述。

   ・A's後半(36~40話)
     締めなので派手に。
     それ以上の意味は無いのですが、さすが原作が人気作品という事なのでしょうか、まぁ、作者が予想外のところで火の気が上がる。
     ラストでばっさりとオチをつけるつもりだったので、途中の流れは放置しているように見えてしまったのも問題でしたね。
     この辺は、甘く見過ぎていた部分でしょうか。ストックも切れ気味で渇々の進行でしたし。

   ・締め(41話)
     今回は誰にも文句が出ないくらいのハッピーエンドで。
     と言うのが目標の一つでしたので、それに沿うように。
     展開的には、前回は”お別れ”で終わったので今回は”出迎え”で終わるように構成してみました。
     あの後は、”そして二人は幸せに暮らしました”以外はありえません。

 ・人物考査
   劇中に登場した登場人物に対して、つらつらと。書き漏らしがあった場合は……それが運命で。

   ・高町なのは
     本編主人公。
     ある春の夜、不思議な声に導かれて魔法の世界に足を踏み入れ、幾つもの出会いと別れのなか、成長していく。
     ―――筈なのだが、このSSではさっぱり影も形も見えません。いや、一瞬影くらいは見えたような。
     プロットの調整で最後まで登場しない事になりましたけど、それがなければ割とフツーに登場して、”兄の友人である”クロスと極々平凡な会話を交わす、程度の出番があったとか。
     
   ・フェイト=テスタロッサ
     第一期ヒロイン。
     狂気に囚われた天才魔道師に作られた人造生命体。”母”の笑顔が見たいがために凶行を繰り返すのだが、一人の少女との出会いが彼女を変える。
     ―――筈なのだが、このSSには登場しません。似たようなのが居ましたけど、ぶっちゃけ別人である。
     端的に言ってしまえば、主役がいないのにヒロインが居られる筈もなく、姿が見えないのも当然である。
     でも、当初はやはり、フツーに出番があったんですよね。ロリの方がインパクトがあるかと言う理由であっさりと黙殺されましたが。

   ・八神はやて
     二期のキーマン。実質主役。
     無限の地獄に囚われた虜囚者達の心を救い、祝福の風をもたらす存在となる。
     ―――筈なのだが、本編ではほぼ寝たきりである。あんなに大仰な登場の仕方をしたんだから、普通活躍すると思うよね。
     しかし何処まで言っても”なのは不在”の世界であり、その影響で管理局側の動きが非常にシステマチック。
     責任も使命感も背負わさせてもらえないって、考えれば酷い扱いだと思います。結果論としての幸福は果たして人を幸せに出来るのか、否か。今後の生き方次第、何でしょうか。

   ・クロス=ハラオウン
     このSSのメインキャラクター。一応主人公。主役というより、精々メインキャラって感じですよね。
     悩める精神年齢三十代であり、その思考は難解。正直、書いてる作者も最後まで掴みきれませんでした。
     もうちょっと表面的な部分を道化に徹しさせてしまえば個性が出たんでしょうけど、コレは失敗だったかなぁ。
     性能的には有無を言わさずチート。ネタになるくらいチートである。強い事に主役だからと言う以外理由付けが存在しません。
     その割りに負けるときはあっさり負けますが、まぁ、主役と言うのはラスボスを倒す以外は基本的に活躍しないほうが良いので、あんな物だと思います。
     元々は”大人数が入り乱れての空中戦”なんてモノを書くなんて悪夢以外の何物でも無いなと思って”一人ですべて解決できる”ように廃スペックを与えられていました。
     結果として殆ど戦闘が起こらなかったので、宝の持ち腐れ感が出てますけど。
     因みに、大人と動物には嫌われて、子供には好かれやすいと言う設定があったり。
     エンディング後は、ブチブチ文句を言いながらそれなりに平凡な人生を送るんじゃないでしょうか。

   ・カリム=グラシア
     全自動ハッピーエンド精製装置。一番最初に仕掛けた、一番最後の大仕掛け。
     ヒントとしては劇中で語られたとおり、”冒頭の出会い”、”無駄に正確な予言”、そして”原作では管理局に協力的なのに何故か秘密主義”という部分でしょうか。
     性格の違いは、他のキャラも結構変わっちゃってるので難しいですね。場合によっては別の終わり方をさせるかもしれなかったので、微妙にぼかしてました。
     中の人はしっかりと女性なので、その辺はご安心ください。
     エンディング後は、自分がまだ未成年で、買えない物が多すぎると言う事実に気付き絶望するとか、しないとか。

   ・リンディ=ハラオウン
     性格が途中で変わった。
     ―――というコメントが結構な量寄せられていましたが、そんな事はありません。
     と、言うのも彼女の内面に関する考察は全てクロノとクロス、二人の子供の側から見た印象しか書かれていないため、実際のところは解らないからだったりします。
     彼女自身は何も変わっておらず、ただ見方が変わっていただけと言うカタチではあるのですが、これに関してはぼかしたままにするつもりだったので、解釈は読んだ方の好き好きにお任せします。
     実際に何を思っていたのかは、さて、どうなんでしょうね。

   ・クロノ=ハラオウン & エイミィ
     胃が痛い。
     悩めるお兄ちゃんで、最後まで悩んでるだけのような気もしますが、終わった後も多分そんなんだと思います。
     クロノほど受難が似合うキャラはそう居ませんよね。
     因みにクロノとクロスと二人の会話になると、書いてる自分が一番混乱します。
     ”クロノの弟だからクロスで良いか”とか安易に名前を決める物ではないですね。
     エイミィさんは、何だか一番原作と変わっていないような気がします。出番が無かっただけの気もしますが。

   ・ヴェロッサ=アコース
     実はラストで活躍していたのはクロスではなく彼のような。実質一人で下準備を整えているんだと思う、一晩で。
     姉の手駒その一として、子供の頃から色々仕込まれていると言う裏設定があります。
     しかし、設定、立ち居地、能力的に便利すぎますよね、このキャラ。もうこいつだけで良いんじゃないかな。

   ・ジェイル=スカリエッティ
     ベルカ脅威の技術力。困ったときのスカえもん。
     所謂デウス=エクス=マキナであり、そう使う以外に扱いようが無いというか。
     出さないままだと読者が存在を疑うし、出したら出したで陰謀を疑うしで、ギャグに逃げる以外道が無かったのが本音。
     このSSでは困った発明小父さんに落ち着いてもらいました。
     人造生命技術に関するデータを思わずシュレッダーにかけてしまったお陰で、プレシアさんが苦労する事になったんですがねー。

   ・レジアス=ゲイズ
     まぁ、ストライカーズを発生させないためにはスカリエッティとレジアスを抑えるしかないよね、という事であんな扱い。
     劇中その後にどうなったかと言えば、グレアムの失脚により派閥の看板として矢面に立たされて、苦労しているとか居ないとか。
     死ぬよりはマシだと思います。

   ・シャッハ=ヌエラ
     ……特に無し?
     まぁ、冒頭がベルカである以上、居た方がベルカっぽいよねくらいでしょうか。案外、カリムの左遷に付き合って一緒に海鳴に来てるかもしれません。
     多分、性格が変わって自堕落になったカリムの尻を叩く仕事を続ける事になるかと。

   ・ふぇいと=はらおうんよんさい
     皆のアイドル。嗜好のロリキャラ。
     まさか幼女を出したからと言ってほんわか感動家族ごっこが始まるとか想像した人は居ないと思いますが、当然そんな事はありません。
     どちらかと言えばリニスがアースラに居る事が重要であり、その理由付けに用意されたキャラクターです。
     元々は、”レイジングハートをフェイトが持つ”事により”なのは不在”の駄目押しを印象付ける事を計画していたのですが、だったら幼女にでもしたほうがよりインパクトが出るだろうと、まぁ上で語られた通り。
     ある意味オリキャラです。

   ・リニス=テスタロッサ
     締めに行く前に一度主人公を叩いておく必要があったので、さて誰が居るだろうと見回してみて抜擢された人。
     使い魔なので”主>>>>>(越えられない壁)>>>>>その他の人”みたいな性格を強調してます。
     彼女はアリシアが救いたかった訳ではなく、単純にプレシアの死に様が納得できなかったのです。

   ・ユーノ=スクライア
     ユーノに何か怨みでもあるの?
     ……と言うコメントがありましたが、特に無いからこういう扱いでした。罪を被せる気も、活躍させる気もありませんでしたし、あの辺りが出演の限界。
     とは言え、初期のプロットだとレイジングハートと一緒に捕まってアースラ行きになる予定でした。その場合は幼女フェイトと仲良くなって、もうちょっと活躍出来たのかなぁ。
     本編どおりの展開になった理由は、初期プロットのままだとA'sを発生させるまでにワンクッション出来てしまうから。
     お陰で酷い扱いになりましたね。ホント、御免。

   ・ヴォルケンズ
     台詞無い人が居ます。鉄槌の人は存在してる事は解りましたが、盾の人なんて説明すらありません。ちゃんと居ますけど。
     ようは”なのは不在”であり、ヴォルケンズは闇の書の機能に過ぎないと言う考えしかなかったのが最大限影響が出ているのだと思います。
     ボツネタとして、カリム、すずか、リニス、シャマルでスーパーキャラ被り大戦とかもあったのですが、やっていたら多分地獄。誰が誰だか解りません。
     因みにはやてが昏睡状態になった理由はユーノのせいではなく、頑張りすぎたシグナムのせい。そりゃ、ユーノを責めたりせんわ。
     やり過ぎという言葉を覚えるべきだと思います。

   ・管制人格
     この後ちゃんと名前を与えられるんですかねぇ?
     初期プロットではちゃんと暴走部分を切り離し、十個ずつのジュエルシードを共鳴させてフォーマット、等というスペクタクルが合った筈なのですが、この主人公が暴走まで何もしないとか無いだろう、とか思ってしまったお陰であの結末。
     きっと今後は、一抹の後悔を抱えながら、主に寄り添って生きて死ぬ、と言うことになるんだと思います。

   ・アリサ=バニングス
     アリサと言ったらあの展開だよねーとやってみたら大不評でした。
     サブタイトルと冒頭一行で、展開が全部予想が付くというネタだったのですが、中々難しいです。
     落ち着いたヒロインだと奏楽と何も変わらないから、今回はツンデレ系でとか思ってたんですけど、上手く動かせませんでしたね。
     扱いがこじんまりと纏まっちゃった感じだなぁ。この辺は課題。

   ・月村すずか & その関係者の皆様
     SSのストーリー展開に関係なく、夜の一族は全員出す、と言う裏のテーマがありましたので、まぁ成功かな。
     必要以上にプッシュされてるのは、単純に作者の趣味であり、それ以上のものはありません。二次創作と言うのはそういうものです。
     初期プロットの月村邸篭城戦が実行されていたらもっと出番が多かった事を考えると、大分削ったほうですよねー。

   ・ギル=グレアム一家
     敵キャラは徹底的に敵役に徹してもらった方が味が出るだろうと言う持論が在りますので最後まであんな感じです。
     基本的に主人公に説教させて反省させるとかはやるつもりがなかったので、最後までふてぶてしいままで退場してもらいました。
     因みに、ベルカ自治領云々が無くても逮捕される事は確定していたので、あそこまで大げさにやる事になったのは多分、腕を折られた事を内心相当怨んでいたからなんではないかと思います。
     実はアースラは闇の書を発見した後でどうするか、という事が全く書かれて居なかった事に気付いた方、居るだろうか。
     ……ホント、どうするつもりだったんだ俺。

   以上、でしょうか。書き忘れていた人が居たらごめんなさい。
   大分二次創作的な曲解を繰り広げているので、ドイツもコイツも癖の在るキャラになっちゃいましたよねぇ。
   まぁ、主人公からしてあんなだから、もう運命みたいなものですが。

 ・デバイス
   なのは二次創作お約束、俺デバイスである。このSSにもご多分に漏れず登場しました。
   ただ、構想段階でデバイスを相棒役にして掛け合いで話を進めるのを止めようというのがあったので、余り目立ってませんよね。
   そもそも戦闘シーンが、殆ど……。
   以下、解説。

   ・シンクレア
     衛星兵器。スカえもんがベルカに入ってから作った物なのでベルカ語で話します。
     因みに、元ネタの銀髪の人と同じで僕っ娘である。
     見た目の説明が一切無かったのですが、鏃のような形で衛星軌道上に展開されていました。
     クロスの生体因子を移植しており、魔法的な意味で”クロスの身体の一部”とすることが可能で、それ故クロスのレアスキルである”羽”を展開する事が可能と言う物が在りましたが本編で説明する隙間は特にありませんでした。
     六枚の羽根をカートリッジの様にロードする事で大魔法を発動可能。
     闇の書がちゃんと暴走してくれれば、SS4と合体してパイルバンカーモードへ以降、突撃魔法”スターダストブレイカー”で必中突貫と言う大活躍をする予定だったのですが、まぁ、蓋を開けたらあんな感じ。  
     ユーノ君をオーバーキルするくらいしかやる事がありませんでした。
     元々はジュエルシードを問題なく回収するための理由付けに用意したものだったので、使い終わったらちゃんと壊しちゃうべきだったかなぁと思います。
     そんなわけなので、後半は自然とフェードアウト。

   ・SS4
     スイート・ソング・フォーエバー。とらハ3のサブタイトルから取っています。略してSS4。
     お兄ちゃんのS2Uに習って命名していますが、本編で一切説明がありません。このSSのデバイスの重要度が良く解る話だと思います。
     見た目的には何ていうかカレイドアロー。
     クロスの初期設定が弓しかつかえないシグナムのパチモノという事だったので、使う魔法とかもその名残。
     その後に”なのは不在”となったので更に砲撃特化と言う形になりました。
     ベルカ式の魔方陣を展開するのに何故かミッドの魔法を発動するとか、正直どうなってるのか良く解りません。
     因みに裏設定で、SS4のコアクリスタルはリンディが贈った物と言うのがあります。
     内部にはバックゲートが仕掛けられており、リンディとSS4が一定距離に近づくと、クロスのバイタルデータをリンディの手元に自動転送すると言う隠し機能が存在しています。
     風呂場にタイミングよく現れたのは、そのためですね。

 ・レアスキル:H.G.S
   意味も無く特殊能力を持ってこその転生者だよね、と言うのが構想段階でありましたので、羽根。
   一期でリンディさんが見せた物を拡大解釈。モノとしては実際にとらハのH.G.Sと変わらないんじゃないでしょうか。
   粗略としては、空間の重力子を集約し魔力に変換していると言う物だとか。それ故に発動中は飛行魔法に寄らない空間戦闘が可能になるとかならんとか。
   結局戦闘シーンが殆ど無かったせいで、地球半周旅行に使う以外出番が在りませんでした。

 ・その他
   思いついた事をつらつらと

    ・今回は奏楽のときとは逆に、削るではなく積み上げる要領でやってみようと思ってキャラ増やす、移動場所を増やすとか色々試してみたのですが、結果を見ると最終的には削る作業に入っちゃってますね。
     何かもう、癖って感じです。

    ・主人公が嫌い。
     そんな事を誇らしげに宣言されても特に返しようが無かったのですが、まぁ、劇中内でも嫌われてますし、実際やってる事も外道のソレだし、言動はアレだしで仕方ないと言えばそうなのです。
     今回は主人公の鼻に付く言動に突っ込みを入れてマイルドにしてくれる可愛い女の子の相方が不在だったため、余計にそう感じる部分が多かったのではないかと思います。
     奏楽が甘口だとすると、このSSは中辛くらいでしょうか。やってる事自体は余り変わってないんですよね。
     一番書く必要があるキャラだから、一番手癖で動かせるようにってデザインしてますし。

 ・感想
   基本的に作者は人の意見を気にするタイプの人間なので、投稿された感想に関しては全て目を通していると思います。
   うん、反応はしないように心がけてましたけど、凹んだり喜んだりで大変でしたよ。そういうのも二次創作の楽しみの一つなんですがねー。
   しかしまぁ、熱狂的なファンの居る作品の二次創作だったので、賛否両論って感じでしたね。
   戦闘に関することが一番批判が多いのが、なんとも。設定好きの方が多いんですかね、なのはって。
   とは言え、読んでいただけたことがまず感謝するべき事ですので、繰り返しますが、読了真にありがとうございました。

 ・その後、外伝、その他
   一応終わらせた物ですので、後は読者様のご想像にお任せします。
   今回はちゃんとハッピーエンドに出来ましたよ……ねぇ?
 
 ・後書き
   今回も長い。
   まぁ、最後ですので立つ鳥が物凄い後を濁す感じで。
   グダグダとした雑談に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また。
 いつか何処かでお会いしましょう。

 2009年8月31日 中西矢塚



    ※ お疲れ様でした~。



[10452] 新春番外編
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:2cf596ed
Date: 2011/01/02 00:32

 Extra Part :デイ・ブレイク・デイ


 窓の外は雪景色。

 『駄目よ黒斗! あたしたち姉弟なんだよ!?』

 おこたみかん。

 『だったら叩くなり押しのけるなりすれば良いじゃないか! 手で隠そうとすらしない段階で、姉ちゃんだって……っ!!』

 古めかしい灯油ストーブの上には、シュンシュンと鳴っている、薬缶。

 『そ、それは、その……―――だって、黒斗が、そんなに……見る、から』

 座椅子に座布団乗せて、ジャージで、どてら着込んで。
 ついでに眼鏡は実用重視のレンズの大きい黒ぶちだった。

 『見たいんじゃ、無い。―――触り……いや、触る。……止められたって、触ってやるからな、姉ちゃん』

 それでもって、ノートパソコンにUSB接続した小型のマウスをカチカチカチカチカチカチと……。

 「―――姉さん」
 「何かしら、ロッサ」
 
 つれない返事は、視線すら合わせられず。
 礼儀を重んじ節度を守れという、ベルカの教えに真っ向から反するその態度。
 ヴェロッサ・アコーズは、義姉であるカリム・グラシアのだらしないに過ぎる態度に、涙が出てきそうだった。
 「新年のミサにも参列しないで、何してるのさ……」
 「ベルカの暦とこの世界の暦とは違うのだから、別に良いじゃないですか」
 「今年はベルカ―――と言うかミッドだけれども―――とこの97管理外世界との暦の周期が、たまたま新年初日に一致するんだって……確か大分前から解ってたはずだよね?」
 「ああ、ですから今日はシャッハの姿が朝から見当たらないのですね」
 ディスプレイの脇についたスピーカーから漏れるわざとらしい喘ぎ声をctrキーを押しっ放しにすることによりスルーしながら、カリムは言った。
 そのほんわかとした態度は、格好のだらしなさにさえ目をつぶれば身内であっても愛らしく見えてしまうものだったのだが―――如何せん。
 「風邪引いたフリして代理を押し付けておいて、よく言うよ……」
 義姉が病床に臥せっているとベルカ大聖堂でシャッハから聞いて駆けつけてみれば、この有様である。
 正直な話、ヴェロッサは手に持っている見舞い用のフルーツの詰め合わせのバスケットを、思いっきり叩きつけてやりたい衝動すら覚えていた。
 義姉にではなく、淫猥な画像を一面に広げているノートPCにだが。
 「シャッハ、もの凄い愚痴ってたよ。カードの支払請求に、変な会社の名前が沢山並んでるって」
 「あら、結構メジャーなブランドにしか手を出していませんのに」
 「マイナーな業界のメジャーなブランドなんて、誰も解らないって……って言うか、教会の経費でそういうゲーム買うの止めようや」
 「何を言うのですか、ロッサ。こういった地道な社会勉強を続けてこそ、私たちのような異邦人が管理外世界の文化風俗に溶け込めるのではないですか」
 勉強ですよ勉強と、カリムはしたり顔で選択肢前セーブを行う。手馴れた動作だった。そして、選択肢を選んで数クリック後にはバックログジャンプを行っていた。
 セーブした意味あったのかと、ヴェロッサは義姉がやっていることが理解できてしまう自分が死ぬほどイヤになった。

 「文化風俗って言うかそれ、どう考えても性風俗の範疇だよね……。僕には割りと今更だと思うけど、クロス君には気づかれないようにしなよ―――って言うか、そこで寝てるみたいだけどさ」
 コタツの一角に体ごと突っ込んで眠っている、翠緑色の特徴的な髪色をした少年をヴェロッサは指し示す。
 クロス・ハラオウン少年。
 何時もより髪の青が濃くなっているように見えるが、気のせいだろうか。
 子供向けのトレーナーを乱雑に着込んで寝転がっている姿からは想像しがたいことではあるが、これで教会最上位クラスの騎士だったりする。
 「此処に島流しにされてからすっかり牙も抜けちゃった空気もあるけど、クロス君、基本的にはストイックな人だしねぇ」
 どう考えても二次元でドリームな義姉の趣味とは相容れないだろうなと、ヴェロッサは考えている。
 「そうね。大変よね、こんな趣味がバレたら」
 「解ってるんなら、さぁ……」
 「大丈夫よ、”直接現場を押さえられなければ、親しい人でも誤解したまま”だもの」
 クスクスと、何をそんなに楽しそうなのかというくらい可笑しげに笑いながらカリムは義弟の言葉に頷いた。
 「そりゃ、姉さん外面は良いし、クロス君もあんまり他人に興味が無い人だから、直接見られさえしなきゃ姉さんにどんな趣味があっても平気だろうけど……―――流石にこの状況ってどうなの」

 あらゆる意味で。

 ほんの半年程度前までは、次代のベルカの中枢を文武担って立つべき二人とすら言われていたコンビなのに、管理外世界の僻地で、片やコタツで丸まって居眠り、片やエロゲーである。
 聖職者が迎えるべき新年の態度では在り得ないだろう。
 ベルカ中央どころかミッドチルダ―――時空管理局中枢すら、現在は割りと大混乱で収拾がつかない状態が坂を転がり落ちるように拡大していっている最中なのだから、手順さえ踏めば実力あるこの二人なら何時でも復帰できる筈なのに、その気配の欠片すら見せない。
 十畳畳敷きの和室の真ん中にコタツが置かれたこの状況を眺めていると、二人はまるで、このままこの管理外世界に骨をうずめそうな気配すらしてくる。
 
 そんな馬鹿な話があるか、とヴェロッサは自身の考えに失笑を覚えた。
 と、そこまで考えていてふと気づく。

 「―――それにしても、クロス君起きないねぇ」
 ベルカにいた頃は、どこか何時も気を張り詰めている風ですらあったから、寝顔を拝めることすら稀だった。
 他人が近くにいると熟睡できないと、神学校の寮生活時代に言っていたような記憶もあったのだが。
 「ええ、この人パーソナルスペースが他の人よりも広く取っているみたいだから。普通なら起きてるわね」
 カリムはヴェロッサの言葉を肯定した。あからさまに含みを込めて。
 「……つまり、普通じゃない状況なんですね」
 「ええ。―――正解は、コレ」
 義弟の疲れた言葉にしたりと頷いたカリムは、膝の脇に置いてあったのだろうハードカバーの本を取り出した。
 ベルカの剣十字が大きく刻まれた、辞書並みの厚さはありそうな、本。
 「……闇の書、ですか」
 正確には夜天の書と呼ぶべきなのだろうが、彼らの主観ではどうにもそんな雅な名前では呼びづらいところがあった。
 何しろ、この本についての話題となれば、何処かの誰かの高笑いを一緒に思い出す。あと、しゃっはぱんちも。
 闇の書と言うか、ぶっちゃけ、何が起こっても責任がもてない、むしろ絶対何かが起こることは確実な闇(鍋)の書扱いである。
 「ドクターがコピーした十冊目の……ええと、”ディエチ”だったかしら。実験的にオリジナルに登録してあった魔法をフルコピーしてあるのよ」
 「―――そういうの、”ロストロギア”って言いませんか?」
 何時の間にそんな物騒なものを管理外世界に運び込んだんだろうかこの義姉。
 そういえば最近、ドクター・スカリエッティはベルカ総本山の地下から出てこないなと、思い出したくないことも思い出してしまう。

 最近は、地震が多いね、ミッドチルダ。―――字余り。

 「それで、その融合型デバイスが、今のクロス君とどういった関係で?」
 忘れよう、とヴェロッサは強引に話を戻した。カリムは微笑んで頷くのみだった。
 「闇の書には融合したマスターの記憶を再構築して、本人―――どちらの事なのか、判断に難しいところだけど―――の望んだ夢を見せるって言う魔法があるのよ」
 本当なら、更に夢の中に物理的にマスターの肉体すら取り込むことも出来るらしいが、今は、夢を見せているだけの状態らしい。
 なるほど、融合騎と融合済みであるから、何時もと髪の色が違って見えたのかとヴェロッサは頷いて―――それから、眉根を寄せた。
 「……なんでそんな魔法使ってるんですか?」
 
 カリムはふんわりと微笑むのみだった。



 …
 ……
 …………

 

 ―――クロ、そろそろ起きなさい。

 浮上する。
 それと同時に、沈んでいく。
 体重という存在を思い出して、体が生の重みに縛られていることに気づく。
 瞼の重さを抗って、ぼやけた視界―――色のある世界。開けた闇の向こうの、それが、彼の現実。

 「姉ちゃん、帰ってたの……って、そうか、正月だっけ」

 日ごろ都内で一人暮らしをしており、ゴールデンウィークなどの長期休暇のときでも実家には寄り付かない姉も、流石に新年ともなれば家に帰ってくる。
 彼にとっては実に煩わしい存在でもあったが―――まぁ、年に一度のことだ。

 「―――、そう、よ。ヨシ君たち来たみたいだから、起きて顔洗ってらっしゃい」
 「んげ……」

 玄関のほうで聞こえた音は、従兄弟たちの来訪を知らせるものだったらしい。
 とうとう甥っ子にお年玉を渡さねばならない立場に追いやられた身としては、ますます起きる気力が失われてくるが、頑張って、何とか身を起こして―――。

 ズキンと、痛みを覚えたのは、どの部分なのだろうか。

 腹か、頭か、はたまた。
 なんにせよ、それで目が覚めたのは事実だ。
 「―――流石に、飲み過ぎた……」
 「成長期が始まったばかりなのに、酒盛りなんてするからですよ」
 「ブルジョワ連中にとっては、ワインは水と変わらないらしいですよ」
 薬缶のお湯を急須に移し返している呆れ声に、クロスは額を押さえながら返す。
 バニングス邸から月村邸を梯子しての年の瀬、新年を祝う酒宴から帰宅したのが確か、昼過ぎのこと。
 窓の外はいつの間にか、夜の闇に包まれていた。
 「今、何時ですか?」
 「もう直ぐ、一月一日が終わりますよ」
 ノートPCでなにやら―――画面が見えずともクロスが間違えるはずも無い、エロゲのBGMがもれ聞こえているが―――やっているカリムは微苦笑を浮かべている。
 「うわ、寝正月って感じですね」
 「年初めを幼女とくんずほぐれつ戯れた挙句、帰ってきたと思ったらコタツで寝に入る。―――クロスさんたら、駄目人間が極まっていますね」
 「年始からエロゲってるアンタには言われたく無いですけどね……」
 オマケに、寒いから初詣なんてゴメンだと断言していたのだから、カリムもかなり救いようがなかった。
 「さっきまでヴェロッサが来ていましたけど、クロス君がちっとも起きそうに無いからって、もう帰っちゃいましたよ」
 「あ、ロッサ君こっちに来てたんですか。―――……どうせ、明日辺りミッドで会うでしょうから、まぁ良いか」
 思い出したら憂鬱になってきたという体で、クロスはカリムに入れてもらった苦い緑茶を口に含んで渋い表情を浮かべた。
 「ご実家はお嫌い?」
 「―――言わずもかな」
 「愚問でしたね」
 短い言葉にこそ万感が込められているのだと、カリムもそれを理解していたから困った風に笑うだけだった。
 「……ですけど」
 いつもならそこで終わるはずなのに。
 
 「親孝行は、出来るうちにしておくと、良いですよ」

 カリムは不意に、そんな言葉を口にした。

 「それは……」

 意味は尋ねるまでもなく理解できるはずだろう。
 クロス・ハラオウンの立場ならば。
 母の細腕一つで育ててもらったという事実としての恩義は、否定しようも無いのだから。

 でも、彼としてもう一つ。

 「―――クロスさん」
 どうしようもなく焦燥感のようなものを覚えてしまう胸のうちが、気づかれたのだろうか。
 カリムはクロスに微笑を向けてきた。優しげで―――そして、親しげな。
 「寝るのがちょっと早かったですけど、初夢は、見られましたか?」
 「初夢……」
 「良く間違われますけど、元旦から二日の夜にかけて見る夢こそを、指すらしいですよ」
 「ああ、大晦日から元旦は、間違いなんでしたっけ? ―――俺、そもそも大晦日は徹夜でしたけどね」
 ドロドログチャグチャしそうな状況だった月村邸の惨劇を思い出して、クロスは身震いした。
 フリフリでピンキーでハートフルだったバニングス邸もそれはそれで大概だったが。
 「それで、女遊びを繰り返して帰宅した挙句、御節を用意して待ち構えていた嫁の相手もせずに今まで寝入っていた訳ですが……どうですか? 初夢、見られましたか?」
 「御節なんてシャッハ女史の作り置きだったじゃないかとか、アンタは俺の嫁だったのかとか、色々と突っ込みたいところもあるんだけど、まぁ、良いや……夢、ねぇ?」
 カリムの戯言を聞き流しながら、クロスは眉間に皺を作って記憶を掘り起こす。

 思い出せる事といえば。

 何時もより眠りが深かったな、そう言えばと、それから。
 有り触れた新年の情景―――それは、果たして。

 カリムのほうを見る。
 微笑。
 優しげで、それから本当に、親しげな笑顔。

 終ぞ見覚えが無い―――むしろ、不安を掻き立てるようなと、そう思えてしまえばそれが、真実なのではないかと思えてしまう。
 「親孝行は、出来るうち……」
 「はい」
 「俺は、親不孝者ですかね」
 怒鳴られ、貶され、不出来な自分に不貞腐れもしながら、だから余り、良い思いでも無いのだが。
 そんな風に思う彼に、彼女は。

 「それでも、子供が自分より先に死んじゃうなんて、親としては耐えられないわよ」

 ―――そう、告げた。

 それは、うん。理解した。
 
 「じゃあ―――……」
 何かを聞こうとして。
 「―――?」
 「……いえ」
 その微笑にさえぎられたような気がした。
 例えばそれは、暗黙の了解とでも評されるべきものだろうと、多分、お互いの中で結論付けて。

 「夢の内容なんて、一々覚えてませんよ」

 全部、忘れる。
 「あらら、忘れちゃいましたか」
 「忘れちゃいましたね。よっぽど昨日―――いや、今日なのか? ―――とにかく、現実のほうが印象深い出来事ばかりでしたし」
 「さすが幼女ハーレムを実現した漢。言うことが違いますわね」
 「うっさい黙れ」

 くだらない内容の会話に、全て切り替えた。

 「―――ところで、ソレ。俺が買ったやつじゃないですか?」
 会話中もずっと、オートモードだったせいか喘ぎ声を余すことなく再生していたノートPCを指し示して、クロスは首をかしげた。
 ノートPCの脇に置きっぱなしの箱のパッケージの図柄は自室の机の脇に積みっぱなしだったソレと同一に見えた。
 ジト目で睨むクロスに、カリムはほんわか微笑んだ。
 「年明けですから、去年の厄落としもかねまして」
 「それで、厄落としならぬ積みゲー崩しとでも? あのさぁ、姉ちゃん。いい加減俺の部屋のゲームと漫画、勝手に持ってくの止めてくれない? 戻ってくるの一年後になるんだから」
 「仕方ないじゃない、自分で買うと高いんだから」
 「漫画くらいならいいけど、箪笥の奥に隠してあるやつは持ってくなっての」
 「アレで隠してるつもりだったのなら、アンタ、モノを隠すのが下手なのよ。パソコンのゲームって長いから、たまにやると良い時間つぶしに―――……」


 空白。


 現実では暗転なんて、しない。
 夢のようにいつの間にか終わることも、ゲームのように場面転換することも、無い。

 だから、甲高い声で朗読される淫語をBGMに、丸く見開いた目を向け合って固まる。
 
 ―――固まって固まって、それで結局。

 「……まぁ、ひとが隠そうとしていることを無理やりこじ開けると、碌なことにはなりませんよね」
 「そうですね。最低限のプライバシーは遵守しましょうね」
 
 臭い物には蓋で、それはそれは現実的な対応と言えた。

 「―――新年初日からこんなだと、今年一年不吉な予感しかしませんよね」
 「少なくとも今日私が見るであろう初夢は、碌なものでは無いでしょうね」
 「カリムさん、自業自得って言葉をそろそろ知るべきだと思いますよ」
 「あら、クロスさんにこそ、その言葉は相応しいと思いますよ?」
 
 不気味な笑みの二重奏が、海鳴りの片隅の教会から広がっていく。

 現実は思ったよりもハッピーエンドのままでは居られず、センチメンタルも長続きしないのは、幸か不幸か、果たして―――。






     ※ あけましておめでとうございます。中西矢塚です。
       昨年もArcadia様には大分お世話になりましたので、そのお礼も兼ねて、新年一筆目と筆を取ってみましたが―――。

       ―――何と言うか、こんな感じです、毎度のごとく。

       やっぱ、絶賛永久凍結状態の遠奏の残骸でも公開したほうが良かったような気もします。
       それはそれで新年からどうなのよって話なのですが。

       まぁ、このSSは割と残念な空気が良く似合うと思いますので、正しいといえば正しい結果のような気がします。
       後付上等で勢い任せに組み立ててみましたが、思いのほか上手く嵌っちゃったかなぁと。
       残念系主人公と、残念系ヒロインみたいな。
       ソレで結局どうなのよって辺りは、ご想像にお任せします。

       そういえば、書き終わった後で気づいたんですが、例によってなのはのなの字も出てきませんでした。
       ロッサ君のお土産を翠屋のケーキにでもすれば良かったのに。

       兎角、そんな感じで。
       続きとかどう考えたって無理ゲー過ぎる、とか連載終わらせた時は思ってましたが、案外なんか、出てくるときは出てくるものですね。
       書いたこちらとしては不思議な楽しさがありましたが、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。

       それでは、今年もどうぞ一年、よろしくお願いします。


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