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[10962] CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:23
 以前同タイトルで投稿させていただいておりました、I.L.Mです。
 大変かってなことながら私生活上の理由により何のお知らせもせずに、一年弱ほど投稿することも、こちらを訪れることもできずにおりました。まずはそのことを謝罪させていただきたいと思います。

 一年も放置しておいて今更、とお思いになられる方も少なからずいらっしゃるでしょう。確かにその通りです。ですが、この一年間ほどこのことをとても気がかりに思っており、現在では投稿することも可能となりました。以前よりはスピードが落ちることが予想されますが、投稿を再開させていただく余力も得ることができましたので、今回より投稿を再開させていただきます。

 また、これも大変恥ずかしい話ですが、その一年間でパスワード管理を怠ったがために同スレッドでの投稿ができなくなってしまいました。そこで、一度削除申請をいたしまして、削除されたことを確認いたしましたので、新しくスレッドをたてての投稿となっています。(以前皆様からお寄せいただいたご意見、ご感想は大切に保管させていただいております。ありがとうございました。)

 投稿させていただく以上、完結させることが最終目標ですのでどうかお付き合いいただければ幸いです。

 それでは“CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-”を再開させていただきます。


8/12
 ずいぶんと間があいてしまったため、自分自身もこの作品を見つめ直す意味でまずは前回投稿分の半分ほどをひとまず投稿し直させていただきます。何か疑問に感じられた点等がございましたら遠慮なくお知らせください。可能な限り対応いたします。
 ですが、見直すといっても大幅な変更を施すわけではなく、話の筋、登場人物などには変更はない、というよりもまず変更はないと思っていただいて結構です。
 明日(12日の夜)には残りの半分と新たな話を投稿することができると思われます。



[10962] Stage1.戦火 の 残り火
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:26
 皇歴2010年 8月10日

 神聖ブリタニア帝国の日本進攻に端を発した一連の戦闘は中華連邦、EUの武力介入を待つまでもなくわずか1ヶ月間の戦闘の後、日本側の全面降伏というかたちで幕を閉じた。


 大なり小なり戦争が起これば壊れゆくもの、奪われていくものがある。わずか1ヶ月間の戦闘とはいえこの戦争の結果も例に漏れず凄惨たるものであった。建造物はもちろんのこと人、家族、絆、そして「日本」という国の名前、「日本人」としての誇りさえもさえも失われていくこととなる。


帝国領第11占領区、通称エリア11それがかつて極東の島国であった地の名となり、“イレブン”、それが元の国民を区分するための呼び名となった。名誉ブリタニア人として帰化する道を選ばなかった者たちは住む場所を追われ、日本人居住区ゲットーの瓦礫と砂塵、汚濁にまみれた地へと移り住む。


名も、家も、人も奪われた彼らに残されたものは日本人としての誇り、そして尽きることのないブリタニアへの恨みと怒り。それらの感情は殺意と化し武力を伴う反抗運動として表面化する。旧日本軍を中心に展開される運動は各地に飛び火するものの、超大国ブリタニアを相手に効果的な成果を上げることのできる集団は現れなかった。そしてその当然の結果として、今はまだ先の戦争の残り火が差別と侮蔑、嫌悪という形をとり燻り続けている。


 だがそれから7年後、かつて例を見なかった一大反抗運動、いや独立戦争がその幕を開ける。奪われたものを取り返さんとする者、現状の中で足掻こうとする者、ただひたすらに耐える者、絶望から立ち直れぬ者、略取する者、何も知らない者…、望むと望まざるとに関わらずその地に存在する全ての命を巻き込みながら戦争は加速してゆく。そして、その戦火はやがて世界をも巻き込まんと天高くその焔を燃え上がらせ、世界は変革の声を聞くこととなる。
 その先に待ち受けるものが歓喜か、絶望か…その時に至るまであと6年の歳月を残した今ではまだ誰も知ることはできない。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage1.戦火 の 残り火










少年の細い体が地面に叩きつけられる。少年は気丈にも殴った男を見返すが、殴られた頬は赤くなり見るからに痛々しい。口の中を切ったのだろう、血が一筋少年の白い肌をつたって落ちた。その態度が気に食わなかったのか少年を見下ろす形になった男が怒りに顔を歪ませる。


「気にいらねーんだよ!てめえらのそうゆう態度が!」

「…すぐに出て行くと言っただろう」


 ぷっ、と口から血を吐き出しながらの返答。血と一緒になにか堅いものが地面にぶつかる音がした。血を吐き出すために一度伏せた顔を再びあげそう言う少年の歯が一本欠けているのが見て取れる。


 その仕草を侮蔑的な意味でとった男は少年を組み敷いて馬乗りの態勢をとる。


少年はまだ体も小さく、年頃の子供たちと比べても明らかに体の線も細い。だが、男には我慢がならなかった。人の土地にずかずかと断りもなしに入ってきたかと思えば、一向に悪びれた様子も見せない。その姿が侵略者たるブリタニアの姿そのもののように思えてならなかった。


あまりに勢いが強かったせいで少年は頭を打ち付けてしまいか細い呻き声をあげた。だが怒りに震える男はそれでも少年を開放しようとはしない。それどころか腕を振り上げ今にも殴りかからんとしている。戦争の残り火として燻り続けていた怒りが男から考えることを奪っていた。


 とそこに一人の少女が走り寄ってきて、振り上げられた男の腕にしがみついた。


「止めるな、この馬鹿女!」

「うるさい、やめるのはあんたの方だ!」


 いきなり大声で言い争いを始めた二人。そのくだけた物言いに少年は、知り合いなのかな、と少しはっきりしない意識の中でその光景を見ていた。しばらくその続いた言い争いは、男が少女を振り払うことで決着がつく。それでもなお少女はきっ、と男を睨みつけ一向に退こうとはしない。


「…っ、相手はまだ子供なのよ!」


 それはお前もだろうが、と少年は徐々にはっきりしてきた頭でとっさに思った。意識が回復してくるにつれて、冷静さを取り戻していた少年の思考は沸々と湧きあがる怒りを覚え始めていた。目の前の暴力漢にはもちろんのこと、助けようとしてくれている少女にさえも。


「それでも…それでもこいつはブリタニア人だ!」


少年にはその言い分がひどく子供じみたものに聞こえた。子供なのはこいつの方だ、意識的にふっ、と鼻で笑ってやる。それが聞こえたのだろう途端に男が振りかぶっていた腕を振り下ろす。鈍い音が響いた。少女が悲鳴を上げて再び駆け寄ってくる。


「何がおかしい、このブリキ野郎がぁ!」


 殴られたことではっきりしかけていた意識が再び薄れていくのを少年は感じた。殴られた個所は痛いというよりも熱い。だがその熱が少年の心に火を点けたのか、この一方的な暴力に対する怒りだけは弱まることなく燃え上がる。だからだろうか、少年は朦朧とした意識の中で男に話しかけていた。


「…生まれだけを理由に居場所を奪われる…無力だという理由だけで言葉を奪われ、存在を否定される」


 怒りの激しさに反して少年の口から発された言葉は弱々しく、無理に押し出すような声になっている。こんなことを言っても自分を取り巻く世界は何一つ変わらない。そう分かっていても少年は言わずにはいられなかった。


「なあ、教えてくれよ…俺はどうやって生きていけばいい」


 言ってしまってから気付いた。こんなものはただの弱音にしか過ぎない、そう思うとさっきまで煮えたぎっていたはずの怒りはどこかに霧散してしまう。なぜか少年は無性に泣きたくなったが、代わりに漏れ出たものは自嘲めいた乾いた笑い声だけであった。


「それともやはり俺は…」


 張りつめていたものが抜け落ちていったことで、最後の言葉の続きを発することなく少年の意識も辺りの夜陰よりもなお暗い暗闇の中へと落ちていってしまった。















 その少年が目を覚ましたのは翌日の朝になってからであった。目覚めると低いベッドに横になり白いシーツに身をくるまれていた。服も子供用のパジャマに変わっている。昨夜二発も殴られた左の頬はひどく腫れあがってはいるが、きちんと湿布が張ってあり誰かが治療を施してくれたことがわかった。


 とにかく状況を把握しようと少年が身を起こすとベッドがギシギシと音を立てる。そういえばベッドで眠るのもずいぶんと久しぶりだな。少年はそう思うとやはり自分で自分を笑った。声は立てずに、昨日自分を殴りつけた男を笑ったように鼻を一度だけ鳴らして。


 その時ぎぃ、と音を立てとこの部屋の扉が開かれた。少年が音のした方へと顔を向けると、そこには昨日自分を助けようとしてくれた少女が立っていた。四方八方へとはねあがった紅い髪、日本人のそれよりも白い肌、青い双眸、その全てが日本人を思わせないものであった。


背丈も年の頃も同じような二人は一瞬のこう着の後、全く同じタイミングで全く同じ言葉を互いに掛け合った。


「「…あの、っあ」」


 再びの沈黙。今度は一瞬とはいかずお互い相手にかける言葉を言いあぐねてしまっていた。その沈黙を破ったのは少年の痛みを堪える声だった。考えを巡らすことで覚醒してきた意識が頬の痛みを伝えてきたのだ。


「あっ、大丈夫?」


 少女がその特徴的な髪を揺らしながら少年に駆けよる。少女としてはそっと触れたつもりだったが、少年は思いのほか痛そうに顔をしかめた。ごめん、とあわてて手を引っ込めたと思ったらくるっと回れ右をして、お母さん呼んでくるね、と部屋を出ていこうとする少女。


「あっ、ちょ、ちょっとまってくれ、ここは…」

「ここ?ここは私の家のお兄ちゃんの部屋だけど」

「…ブリタニア人なのにゲットーに住んでいるのか?」


 それを聞いた少女の表情が一気に険しいものへと変わる。さっき少年をいたわっていた優しさは息をひそめ、眼を吊り上げて不機嫌そうに口をへの字に曲げている。心なしか髪が逆立っているようにも見える。


「ブリタニア人なんかじゃない!私は日本人だ!そう言うあんたはブリタニア人なのになんでゲットーになんかいたのよ」

「別に…ただ屋根のある建物の中で眠ろうとしていただけだ」

「…家出でもしてるの?」

「そんなところだな」


 むきになる自分に脅えるでも、逆上するでもなくたんたんと話を進める少年に毒気を抜かれたのか少女はだんだんと落ち着きを取り戻していった。今度こそ母を呼ぼうと部屋を出ようとする少女は肝心なことを聞いていなかったことに思い至った。


「あんた、名前は?」

「そういうお前は誰なんだ?」


 質問に質問で返すな!と大声を出しそうになるのを必死でこらえる。後に少女は子供ながらによくこらえたものだ、と目の前にいる少年に苛つかされる度に思い返すこととなる。


「…紅月カレン。答えたわよ…それで、あんたは?」

「…ルルーシュだ」


 憮然と互いに視線で威嚇し合いながらの自己紹介とは言いづらい様な自己紹介。雰囲気は最悪。殺伐とした空気。それが二人の出会いであった。















次回予告
 
期せずしてゲットーにしばらく身を置くこととなったルルーシュ

そこで改めて目の当たりにする様々な現実

その現実に触れた時、ルルーシュは反逆の意志を胸に刻み再びあの言葉を口にする

そして、その言葉を聞いたカレンは…

子供たちの胸に芽生えた小さな、しかし確かな意志が反逆の産声を上げる

Next Stage.反逆 の 産声



[10962] Stage2.反逆 の 産声 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 02:25
 いつもは兄が使っている部屋から出てきたカレンはこれでもか、というほどむくれていた。


「なんなの、あいつ!助けてやったのにありがとうの一言も言えないわけ?!」


 独り言というには大きすぎるほどの声でルルーシュと名乗った少年への文句を垂れ流す。おそらくあの少年にも聞こえているだろうと思ったがそんなことはどうでもよかった。むしろ聞かせてやれ、そのくらいの気持ちでいたカレンは目の前に立つ人物の存在にぶつかるまで気付かなかった。


「どうしたんだカレン、そんなにむくれて?それにあいつって?」

「あっ、お兄ちゃん」


 ぶつかってしまったのはカレンの兄であるナオトであった。兄に変なところを見られてしまったと思ったカレンは少し頬を赤らめて俯き加減で返事をする。


「昨日玉城に殴られた男の子のこと」

「目が覚めたのか?」


 うん、と頷いたカレンに、よかった、と返すナオト。


ルルーシュが気を失ってしまった後、あの騒ぎを収めたのはナオトであった。子供を殴り気絶させてしまったことにさすがに罪悪感が湧いたのか、玉城と呼ばれた男はバツの悪そうにルルーシュを開放した。だが、気を失ってしまった少年を前にしてどうしていいかわからずカレンがナオトを呼んでくるまでなにもできなかった。その後ルルーシュはカレンの家に運ばれ、一方玉城はナオトをはじめとする仲間内の人間に散々罵倒されるはめに。


「じゃあ、母さんを呼んできてくれ。その子には俺がついとこう」


 もう一度うん、と頷いたカレンは母がいるだろうリビングへと駆けていった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage2.反逆 の 産声










 ナオトが少年の寝ている部屋の扉をノックすると中から、どうぞ、と返事があった。いつもは自分のものとして使っているだけに中から返事がある、ということにすこし違和感を感じ思わず苦笑が漏れる。扉を開けて中へ入ると上半身だけを起こしてこちらを見ている少年の紫の瞳と視線が重なった。


「気分はどうかな?ずいぶん手ひどくやられたみたいだけど」

「おかげさまで大事には至らなかったようです。ありがとうございました」


 そこで一度頭を下げるルルーシュ。その一連の動作、態度はどこか大人びていて、きちんとした教育を受けていたことを思わせる。しかし、とナオトは先ほどの妹の癇癪を思い浮かべる。子供相手になら態度を変えるところを見るとまだまだ子供なのだろう。ナオトはそう考えるとこの少年が少しほほえましかった。


「俺はナオト。カレンにはもう会ったよな?あいつの兄貴なんだ」

「兄妹…」


 そう言ったかと思うとルルーシュの表情は難しいものへと変わってしまった。何かに耐えているようにも見えるその表情。それを見てナオトは若干ルルーシュをいぶかしむが、なにか事情があるのだろうとあえてそこには触れずにおいた。自分たち兄妹も境遇としては少し複雑な背景を持っているのだから、この子も触れられたくないなにかがあるのかもしれない。そういう思いがそこにはあった。


 少しの間沈黙が部屋を包んだが扉をノックする音がその静寂を破った。ナオトが中から扉を開けると、カレンとその後ろに盆の上にいろいろと物を載せた母の姿があった。


 それからルルーシュは口の中が切れているので痛そうにしながらも、カレンの母が用意してくれたお粥を口にする。ルルーシュ自身、食欲はなかったが胃に食物が納まることで気分が良くなっていくのを感じていた。


何かを口にして少し落ち着いたのを見て、カレンの母はほっ、と胸を撫で下ろした。しかし、この場ではあまり気を緩めるわけにもいかなかった。この少年について分かっていることはルルーシュという名前のみ。家出中だとカレンに言ったようだが、それにしてもブリタニア人、それもこんな子供がゲットーになど一人で近づくものだろうか。


「少し聞いてもいいかしら?」


 そう尋ねるとルルーシュはい、と頷いて見せたものの挑むような表情に変わった。明らかになにかを警戒している。


「家出中ということだけれども、なぜゲットーに?」

「ブリタニア人が近寄らずに夜風をしのげる場所を考えていたらここしかないと思って」

「なぜ家出なんてしようと思ったの?」

「ちょっと喧嘩をしてしまって」


 苦笑しながら答えたルルーシュは内心舌打ちせずにはいられなかった。こんな言い訳が通じるわけがない。これ以上追及された時にどう答えればよいかだんだん分からなくなってきていた。


そして、やはりと言うべきかその言い訳は相手に通じていなかった。


喧嘩?はたしてそんなことぐらいでゲットーに入りこもうと考えるだろうか。きょう日
ブリタニア人であろうが日本人であろうが、租界とゲットーの境界線を越えようとする気にはなかなかなれない。その線を越えてしまえば差別と暴力が待ち受けていることは子供でも知っていることだ。それに、とナオトと母はさらに疑問に思える点を思い浮かべる。


「どのぐらいの間家に帰っていないの?」

「……」


 その質問にルルーシュは返す言葉を持たない。そのときには嘘をついてもばれてしまうことは明らかだと感じていたから。殴り倒されたとはいえあまりに薄汚れていた服。ほとんど中身の入っていない財布。そして、同年代の子供と比べても細すぎると言ってよい体とこけた頬に、いくらブリタニア人とはいえ白すぎる顔。


「何か事情があるのかしら?人には言えないようなこと?」


 最初は自分たちが日本人、イレブンだから警戒しているのかとも思ったがそうではないようだとナオトと母は思った。その証拠にきちんと礼を述べてくれるし、なによりも他のブリタニア人がイレブンに向けるような蔑視の眼差しを向けてこない。


「…すみません。詳しいことは言えませんけど、家出とゲットーに入った理由は人探しとあとは……ブリタニアが嫌いだからです」


 嘘をつき続けてもぼろが出ると感じたルルーシュは真実を織り交ぜつつ、なんとかしてごまかそうと思考を巡らせる。


「嫌いって…ブリタニア人なのに?」


 今まで黙って話を聞いていたカレンが思わず質問してしまうほどにその答えは彼女にとって意外なものだった。彼女たちが出会ったことのあるブリタニア人といえば、ブリタニア第一主義でエリアに住むものたちを人間とも思わないような連中ばかり。ブリタニア賛美こそすれ、批判するようなことはなかった。


 だが目の前の少年ははっきりとそれを口にした。嫌いだ、と。


「嫌いさ…憎んでいると言ってもいい」


 その言ったルルーシュの表情は一瞬、悲痛そうに歪んだがすぐに苦笑を浮かべてごまかす。それを見たカレンの母は二児の親として子供にこんな表情をさせてはいけないと思った。


「そう…怪我が治るまででもいいから、ゆっくりしていってね」


 それを聞いたルルーシュは、へ?、と不思議そうな顔をしている。カレンたちがブリタニアを嫌うブリタニア人に驚いたように、ルルーシュもまたブリタニア人に優しく接する日本人の態度に驚きを隠せなかったのだ。


 だが、とルルーシュは気を引き締める。優しく懐柔しておいて油断を誘う。そんな人間は掃いて捨てるほどいる。いや、むしろそんな人間たちしかルルーシュは知らなかった。根拠もなく人を信じることほど愚かなことはない。それはルルーシュが短くも壮絶であった人生で学んだことであった。


 その手には乗るものかと化けの皮を剥いでやるつもりでカレンの母を見返した瞬間、ルルーシュの動きが止まった。自分を見る目の前の女性の表情に見覚えがあったのだ。そうあれはまだ自分のもとに母が、妹がいた幸なころに見た、母が自分を心配そうに見やっていてくれたような、そんな表情…。


 肌の色も、眼の色も、着ている服も違う。似ているところと言えば髪の色くらいの全くの別人なのに、なぜその表情が重なって見えるのか、その時はまだルルーシュには分からなかった。ただ、涙が溢れそうになるこの感情の名は知っていた。確かに失ったものを思えば悲しかったが、今目の前に見えるものに胸が温かくなるのを感じた。







 もう少し横になっているようにと言われたルルーシュは意外にもあっさりとそれに従った。私が名前聞いた時にはあんな素直じゃなかったのに、とカレンはどこか納得のいかない感情を持て余していた。


 それと同時にルルーシュが口走った言葉が頭の中をぐるぐると回っている。


「ブリタニアが嫌い…、ブリタニアが憎い…」


 昨日、玉城に組み伏せられたルルーシュの言ったあの言葉。


「奪われた…、否定された…」


ブリタニア人のくせになぜそんなことを言うのかその時のカレンにはまだ理解できなかった。ただその言葉は彼がみせた数少ない本音であろうことだけは理解できた。


カレンはなんだかすっきりしない気分を引きずりながらも学校へ行くための準備を始めた。















ゲットーの中とはいえ学校は存在する。非公式の学校であるため履修認定はされないが有志で集まった教師たちが小学生、中学生程度のレベルの授業を受け持っている。教師といっても本当に戦前に免許を取得した者もいれば、単に高校を卒業していてそのレベルの問題なら教えることができるといった素人もいる。


扇要はその前者の教師団員であり、比較的若いグループに属している内の一人だ。本人はもともと教師志望でその道を進むと決めていた。だが念願の教師になれたと思ったのも束の間、戦争によってその夢を摘まれた過去を持つ。だから不謹慎だとは思いながらも、今こうして子供たちにものを教えられている現状に充実感を得られる日々を送っていた。


しかし最近はその心境にも徐々に変化があらわれ始めていた。そのきっかけを作ったのは友人である紅月ナオトの一言。昨日も玉城のことで集まった面々を前にナオトは玉城をこれでもかと叱った後で急に態度を変え、みんな集まっているよい機会だから、と前置きをしてからブリタニアへ対する反抗運動を皆に訴えかけていた。


扇も今のままでは日本人にとって何一つ良い結果をもたらさないであろうことはよく分かっていた。なにより今自分が面倒を見ている子供たちの将来を考えるとなにかしなくては、という衝動に駆られることもある。


だが戦う相手はあまりにも強大だ。世界の三分の一を支配下に治める超大国ブリタニア。たかだか十数人で構成されたレジスタンスが敵うような相手ではない。そして、そういった反抗組織の末路もまたよく知っていた。


そこまで考えるとまた、でも、と考えている自分がいることに気付く。ここ数日はこうして堂々めぐりを繰り返しては陰鬱な気分になってばかりだ。こんなことでは生徒に悪い影響を与えてしまうな、と思い気を取り直してから扇は生徒の待つ教室へと向かった。


「おはよう」


 朝の挨拶とともに扇が教室へ入ると部屋の一角に生徒が集まっているのが見えた。何事かと様子を窺っていた扇だったが、その入室に気付いた数人の生徒があわてて駆け寄ってきて扇の手を引いた。


「扇先生、あさちゃんが大変なの!」

「大変って…なっ、麻倉!どうした?!」


 そこで扇が見たものは自分の受け持っているクラスの生徒が一人地面に倒れ蹲った姿であった。額に大粒の汗を浮かべて浅い呼吸を繰り返している。


「みんな離れて!近づかないようにしてくれ!」


 ゲットーの衛生環境はお世辞にも良いものであるとは言い難い。そのためまず誰かが病気にかかった時に一番心配しなければならないのは感染症、伝染病であった。一人が発症すればその家族が、そして近隣住民にも伝染してしまえばもう収拾のつかない事態になってしまう。


 そんな事態を回避するためゲットー内での掟としてそういった患者は隔離され、最悪の場合伝染を防ぐため安楽死を選択させその遺体を焼きつくす処置がとられる。つい二週間ほど前にも感染症と判断された少年が隔離対象となりその数日後には息を引き取った。


 扇はぎゅっと下唇をかんだ。死なせてたまるものか。沸々と焦燥感が湧きあがるのを感じる。


「吉田!教員室に行って誰かに飯田先生に連絡を取るように、それと幸田先生に全生徒を下校させるように言ってくれ!それから高井はみんなをまとめてすぐに下校の準備をさせて…それから、えーと……」


 口調は普段の彼と比べると驚くほど激しいものとなったが気にすることはなかった。死なせるものか絶対に!その思いだけが扇の心を支配していた。















 学校に行ったはずのカレンが昼にもならないうちに帰ってきたことを不思議に思った母がたずねてみると、麻倉が…、という答えだけが返ってきた。彼女には、いやゲットーに住む人間にならそれだけで大まかな意味は伝わる。


「そう…それで今日はもう学校お休みなのね?」


 うん、と頷いたカレンの表情は冴えない。カレンは倒れた子と特別親しかったわけではないが、見知った人のあのような姿を目の前で見たことはまだ両の手で足りる歳の子供にはショックであったのだろう。それでなくても二週間ほど前にも同じ学校の生徒がそうして亡くなっているのだ。子供心にそのような事態が続くことに辛い思いを抱いている生徒は多い。


戦争で亡くなっていったのは青年や大人たちであったが、戦後はこうして子供たちが真っ先に命を落としていく。食糧不足、医療品不足、衛生環境の悪化、こうした現実は否応なしに免疫も生命力も備わりきっていない子供たちに襲い掛かる。


そして、その事実に苦しむことになるのは子を持つ親も同じことだ。カレンの母も女手一つで二人の兄妹を育てる身であるから、自分の子たち、特にまだ幼いカレンがいつか犠牲になってしまうのではと内心気が気ではない。


だが、不幸にも感染症に関わらず少しでも思い病気にかかろうものならば、親たちはおのれの無力を呪う他ないさらに辛い現実が待ち受けているのだ。それを思うとカレンの母も心が痛んだ。おそらく午後になればナオトを中心に扇や友人たちが、その現実をなんとかしようと集まってくるだろう。


「それじゃあカレン、あの子を連れて来てくれないかしら?湿布の交換をしてあげたいの」


 そう言いながら無意識に彼女の手は優しくカレンの頭をなでていた。どうかこの子が無事でありますように。そして、できることならばあのブリタニアの少年にも救済があらんことを、そんな祈りを込めて優しく、優しく娘の紅い髪の毛をもう一度なでた。



[10962] Stage2.反逆 の 産声 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:33
 ルルーシュにとって母は憧れであった。義姉や護衛の者から聞かされた武勇伝。普段のたおやかで愛情にあふれていた笑顔。公の場での毅然として何事にも屈することのなかった姿。母を見れば見るほどその姿に憧れた。


 ルルーシュにとって妹は安らぎであった。義妹と楽しそうに走り回る姿。ころころと表情を変えて、愛くるしいという言葉がぴったりであった仕草。お兄様、お兄様と自分の後ろをついて回っていた時の笑顔。妹を見れば見るほどその姿に安らいだ。


 ルルーシュにとって二人の存在は希望であった。歳をとり、世の中を知るにつれ分かってきた家族を取り巻く環境も、向けられる悪意も二人がいればそれだけで何でもないことのように感じられた。二人を見れば見るほど、その度に二人を守るのだとその思いを強くしていった。


 だから、あの日突如として突きつけられた現実はルルーシュの心を粉々に粉砕した。


 体中に銃弾を浴びて倒れこんだまま動かなくなった母。その腕の中で目を見開き戦慄いている血塗れの妹。何もできずにただその光景を唖然と見つめる自分。


 母は殺された。ならば自分に残された希望は、そう思い妹を見ると視線の先で彼女はゆっくりとその紫の瞳を閉じる。その様は幼いルルーシュには死を思わせるのに十分な恐怖を孕んでいた。本能の告げるままに妹に駆け寄る。護衛達が手を伸ばして何か喚いているがそんな言葉は耳には入らない。覚えているのはその護衛達の手を振り払い狂ったように妹の名を呼ぶ自分。そして戦慄いていた手を地面に落とし死んだように目を閉じた妹の姿だけであった。















「……あんた、本当に大丈夫なの?なんだかうなされてたけど…」


 瞼を開けるとそこには一人の少女。先ほどまで夢の中で見ていた妹とは似ても似つかない紅髪の持ち主がルルーシュの顔を覗き込んでいた。


「…ああ、大丈夫だ」


 少女、カレンの目を見ずに自分に言い聞かせるように呟くルルーシュ。身体が冷たい、そう思いルルーシュが体を起こすと寝汗でパジャマがぐっしょりと濡れていることに気付いた。背を伝う汗の感触にぶるりと身体が震える。


「食欲はある?お母さんがお粥作ってくれてるの」

「…いや、いらない。今は食べる気になれない」

「ダーメ!あんたそう言って昼も抜いてたじゃない。あんたが食べないとねお母さんが心配するの!」


 だから食べなさい、と言うカレンに、だったら食欲はあるかなんて訊き方はするな、とルルーシュは思ったが口に出して口論になるのも馬鹿らしく口を開くのをやめる。その沈黙を了承の意でとったカレンは早く来なさいなよね、と言うと先に部屋を出ていった。


 ゆっくりとベッドから腰を上げるルルーシュ。陰鬱な気分に変わりはないし、食欲もあまりなかったがまたあの女が怒鳴りこんでくるのも嫌だったので扉を開けて廊下へと出た。










 ナオトの部屋からリビングへと向かう廊下の間にこの家の玄関がある。家に上がる時には靴を脱ぐといった慣習に未だに違和感を抱いていたルルーシュであったが、今日という日に限ってはその慣習に感謝した。


 玄関の靴を見れば誰がその家にいるのか親しいものならばすぐに分かるだろう。たとえ交流の無いものが見たとしてもその数を見れば家人の人数ぐらいは予想がつくというものだ。だからルルーシュにもその異常がよく分かった。カレンとナオトとその母。三人のものにしては明らかに数が多すぎる。そして、居間から漏れ聞こえる複数の声。


 油断していた、そう思い下唇をかむルルーシュ。そうそう簡単に日本人がブリタニア人に親切にするわけがない。それだけ恨まれることを今まで、いや現在進行形でやってきているのだから。


 こんな日も落ちた時間帯にブリタニア人がいる家に一体何をしに?俺の素性が…馬鹿なこれはあり得ない。かくまっていることがばれて俺を…。それとも始めからこの家の人間もぐるで?


 そのことを考えるとルルーシュの胸が少し痛む。あのカレンの母が見せた表情を嘘だとは思いたくなかった。それを否定することがまるで自分の母を否定することのように感じられて。


そこまで考えてルルーシュは一度頭を振り思考をクリアにすることにつとめる。判断を下すには情報が足りないと思いルルーシュは少し開いていた居間の扉から中を盗み見た。中には家の住人の他に10人前後の男女の姿が見て取れる。そのなかに昨日自分を殴っていた男の姿が見えたためルルーシュは気を引き締めたが、会話を聞いているとどうも自分の話ではないようであった。















「それじゃあ感染症じゃなかったんだな?」

「ああ、飯田先生の話じゃ薬さえあればなんとかなるって。だけど…」


 ナオトの問いに答えたのは扇であった。その表情は苦々しげに歪んでいる。


「飯田先生のところにはその薬はないらしい」

「それじゃあ武田先生のところは?」


 カレンと、その母を除いて2人しかいない女性のうちの一人、井上がいたたまれない様子で扇に問う。しかし、扇は申し訳なさそうに首を横に振ることしかできなかった。


「じゃあ、高波のところに―」


 玉城がさも当然のようにそう口にすると言い終わらないうちに反論が返ってくる。


「どの面下げてあいつのところに行く気だ?忘れたのか、この間ほとんど脅迫まがいで薬を買って以来、今まで以上に金を吹っ掛けるてくるようになっちまっただろ」

「今回はカンパもあまり集まらなかったしな…」

「しょうがないさ。ここのところ頻繁にこういったことが起きてるからな…みんないっぱい、いっぱいのところで暮してるんだ」


 そこで一旦会話が止まる。悔しさと重苦しさが皆の顔に見て取れた。そんな沈黙を破ったのは意外にも一番幼いカレンであった。


「…ねえ、なんで薬売ってくれないの?高波さんって日本人だよね?」


 居心地悪そうにしながらも真剣な表情で母にそう尋ねるカレン。息子とその友人たちはこの場にカレンを置いておくことに賛成しなかったが、カレンの母はそうは思わなかった。この先カレンがどういった人生を送っていくのか分からないが、ゲットーで暮して行くのならばこういった話は避けては通れない道だ。ゲットー内では普通中学の教育課程を終えれば何かしらの職につくことになる。カレンも今年で10才だ。そろそろ日本人、イレブンを取り巻く現実を教えていくべきであると母は感じていた。その上で娘がどういった反応をみせるのか見たかったのだ。もしカレンが望むのであればブリタニア人としても生きていけるのだから。


「ええ、高波さんも日本人よ。でもね、カレン…」

「母さん、そこから先は俺が言うよ」


 そういって話を継いだのはナオトであった。もちろんナオトもカレンがここにいることにあまりいい顔はしなかったが、カレンの真剣な眼差しに応えてやりたかった。


「これから言う話はあまり気持ちのいい話じゃない。それでも聞く覚悟があるか?」


ゆっくりと頷くカレンを見てナオトもまた覚悟を決めた。大丈夫、この子は自分たちが思うよりも強い。ナオトはしっかりとカレンと視線を合わせて重い口を開いた。










最初、カレンには何が何だかよく分からなかった。なぜ、日本人がブリタニア人の言いなりになっているのか。なぜ、同じ日本人からお金を巻き上げるようなことをするのか。なぜ、なぜ…。そんな思いがぐるぐるとカレンの頭の中を回っていた。


ナオトの話を要約すると次のようになる。高波という医者は租界のブリタニア人の言いなりで、ゲットーに医薬品などが不足しているのをいいことに法外な値段でそれらの品を売りさばいている。だからいつもはカンパを募って薬を買うのだが、ついこの間とうとう辛抱しきれず高波を脅して薬を安く売らせたため今回はいつも以上に値を上げてきた。だから、麻倉を救おうと思ったら租界に行って薬を買ってくるしかないのだが、保険証など持っていない“イレブン”には売ってくれるかどうかもわからないし、まともに取り合おうともしないだろうと。


「…そんな、そんなのって…。同じ日本人なのに…」


 誰もその言葉に返す言葉を持っていなかった。再び重苦しい沈黙が居間を支配する。ナオトの話を聞きながら誰もが再認識してしまったのだ。助けるための手段はもう残されていないことを。カレンは泣きそうになるのを堪え、母はそんなカレンを抱き寄せる。ナオトや扇たちは皆俯いて悔しそうにしていた。いつもはぎゃあぎゃあとうるさい玉城までもが口を噤んでいる。ナオトがもう今日は解散させようと思い立ち上がった、その時…。


「租界に行けばその薬を買えるのか?」


 一斉に声がした方を向く一同。そこに立っていたのはこの場でただ一人のブリタニアの少年、ルルーシュであった。


 皆が口をポカンと開けてこちらを見ている様子にルルーシュは動ずることなくもう一度同じ言葉を口にした。


「租界に行けば買えるのかと聞いたのだが?」















「それで、なんでお前がついてくるんだ?」

「あんたがそのお金持って逃げないようにするためだって自分で言ったんでしょ?もう忘れちゃったわけ?」


 ルルーシュが居間に現れた後、ようやく反応を示した面々にルルーシュは自分ならブリタニア人だから薬局でその薬を買えるだろう、と改めて提案した。その場にいた面々は昨夜の事情を知っている者たちばかりだったのでルルーシュがこの家にいることに疑問を投げかけることはしなかったがやはり人となりをよく知りもしない人間に頼みごとを、それも人一人の命がかかった頼みごとをするのはためらわれた。


 それなら、とルルーシュがカレンを指さして「不審に思うならそいつを監視にでもつけろ」と言ったことによりこのような展開になったのだが…。


「本当ついてくるとは思わなかった」

「なに、やっぱり逃げるつもりだったの?」

「俺はそこまで腐った人間じゃない」

「どうだか」


 この不毛な会話はゲットーを出て租界の端に着くまで延々と続けられた。ちなみにカレンが不機嫌なのはルルーシュが、カレンならブリタニア人に見えるだろうから租界に行っても平気だ、という内容の言葉を口にしたからだ。自分を日本人と自負しているカレンにとってはその言葉は耐え難い屈辱であった。


「薬局がどこにあるか知らないのか?」

「知らない。租界になんて来ないから」

「…そうか」


 心底嫌そうに租界と口にしたカレンはルルーシュが、またなにか突っかかってくるだろうと身構えていたがあっさりとした返答に拍子抜けしてしまった。


 それから後は二人でしばらく無言のまま歩いて目的の薬局を発見した。そこの薬剤師は思いの外簡単に飯田医師の書いた処方箋を受け取ってくれ、緊張と嫌悪感でガチガチだったカレンはここでも肩すかしをくらったかたちになる。なんだかいろいろと気を立てていた自分が馬鹿らしく感じられたカレンは、受付の女性が笑顔で、あっちで待っててね、と言った言葉にあっさりと従っていた。


 もちろんその女性もブリタニア人である。ブリタニア人にはこんなに優しく接するくせに、なぜ日本人にはあんなに冷たいのだろう。いや、それは日本人も同じか。でも、とカレンは思う。日本人にはちゃんと理由がある。奪われ、蹂躙されたという過去がある。それはこれまで10年間生きてきたカレンの不文律であり、また彼女が日本人でいたいと思う一つの理由でもあった。


 カレンも別にブリタニアからの同情が欲しいわけではない。ただ日本人を、ナンバーズを嫌うその理由を教えてほしかった。たぶん、それを聞いたとしても納得はしないだろが。


 ふとルルーシュを見るカレン。そう言えばこいつが来てからいろいろと考えてばかりだ。薬の完成を待つ間備え付けられたソファに座っていた二人だったが、少しでも疑問を解消したいと思ったカレンが口を開く。


「あんた、なんで薬を買ってこようかなんて言ったの?」


 謎の少年。それがカレンのルルーシュに対する印象である。なぜ名字を名乗らないのだろう。なぜ人探しのためとはいえ家出なんてしているのか。なぜブリタニア人なのにゲットーに宿を求めて入りこむのだろう。なぜブリタニア人のくせにブリタニアが憎いと言うのだろう。そして極めつけがこれだ。なぜ日本人を助けようだなんて思ったのだろう。それはカレンの内なる常識に存在するブリタニア人ならば決してしない行動であった。


「ブリタニア人でしょ?日本人が…イレブンが嫌いじゃないの?」


 イレブンという言葉を自分が口にするのを嫌悪するように顔を歪めるカレン。ルルーシュはそんなカレンの様子に「質問の多い奴だ」と言いながらも、肘掛に肘をつき考えるような仕草を見せる。


「別に日本人が嫌いなわけでも、好きなわけでもない。嫌いたくはないと思ってはいるが…。それと、薬を買ってこようと思ったのは、そう…」


 ルルーシュはこの現実に無性に腹が立っていた。弱者を食い物にする連中にも、現状に甘んじることしかできない連中にも、等しく憤りを感じていた。ブリタニア人もブリタニア人なら、日本人も日本人だ。本当にその人を救いたいならカレンをお使いにやれば済む話だ。眼先の感情に踊らされるあまり真実何が重要なのか見えていない奴らばかり。それでは見て見ないふりをしているだけで言いなりになってしまっているのと変わらない。そう思うと無力な自分が悔しい。だから、少しでもその現実に歯向かってやりたい、ルルーシュにはそういう思いがあった。


 ただ、それをそのまま言うとまたカレンがキャンキャンとうるさそうだと思い、当たり障りのない箇所だけも伝えようとする。それでもその言葉に込められた自らの思いの強さを隠し通すことはできなかったが。


「…ただ認めたくなかっただけだ。弱者であるからという理由で誰かが虐げられるという現実を」


 そう語るルルーシュの顔には今朝一瞬だけ見せた悲痛な面持ちが浮かんでいた。またひとつカレンの胸中に疑問が浮かぶ。なぜ真実を話す度にあんなつらそうな顔をするのだろうと。


「それが、ブリタニアが嫌いな理由?」


「本当に質問の多い奴だな…そうだ。ブリタニアは弱者の存在を認めない。百歩譲って存在を認めていたとしても同じ人間だとは思っていない。…だから」


 決して大きな声ではなかったルルーシュの言葉。しかし、カレンはその時聞いた言葉を生涯忘れることはなかった。


「だから俺は…ブリタニアをぶっ壊す!」


 ルルーシュはお世辞にも屈強な体つきをしていない。むしろ今の姿はひょろひょろとしていて頼りなく、健康であればきれいに見えるだろう白い肌も今の顔色ではまるで幽霊だ。


 そんな少年が一体どうやってブリタニアを破壊するなんてことを成し遂げる気でいるのだろうかカレンには分からない。分かったことといえばルルーシュが一層表情を歪めていたことだけ。つまり、これもまた彼の偽りのない本音であるということ。


「お前はどうなんだ?」


 いきなり投げかけられた言葉に思考の渦に沈みかけていたカレンの意識が一気に現実に引き戻される。


「ただ憎むだけなのか?それじゃ何も変えられない」


 ルルーシュはそれまで受け付けの方に向けていた視線をカレンに合わせる。やはり表情は変わらず険しいままだ。


「認めたくはないが、今の俺は無力だ。だが必ずいつか力を手に入れてみせる!ブリタニアを破壊するための。そして…優しい世界を作るための」


 大人が聞けば笑っていただろうとカレンは思う。子供の戯言だと、夢想だと思ったことだろう。現実を見てこいと言われるかもしれない。けれどもカレンにとってそれは、とても尊い願いだと感じられた。言い方も、方法も物騒極まりないが真実少年が願っているものはきっと間違っていない。


 分からないことばかりで混乱しそうな頭の中でも、今までで一番顔を歪ませて紡いだ言葉が少年の絶対的な信念であること、嘘偽りのない言葉であることはまだ幼いカレンにもよく分かった。それだけその時のルルーシュは感情のままに動く、剥き出しの一人の少年のようであったから。そしてそれがルルーシュの真実だとするならば、もっと堂々としていてほしいとも思う。恥じることも卑下することもしなくていい。それだけ大切な思いならばなおさら。それができないルルーシュをカレンは見ていられなかった。いや、見ていたくなかった。





 こんな話をするなんて今日の俺はどうかしている。そもそもこんな話を振ったのは昨夜自分が吐いた弱音を撤回したかったから。そして目の前に突きつけられた現実に対する怒りをどうにかして発散したかったからだ。ルルーシュはそう思うと視線をカレンから外して、忘れてくれ、そう言うつもりでいたのだが…。


「そんなひょろひょろした体でどうやってブリタニアと戦うつもり?」


 そんな予期せぬ反応が返ってきた。一度外した視線をもう一度カレンに向けるルルーシュ。その視線の先でなぜだかカレンは微笑んでいた。


「…体を使うだけが戦いじゃない」


 終わらせるつもりだった会話なのになんで俺は答えを返しているのだろう。本当にどうかしていると思いルルーシュは話を切り上げようとするが、カレンがそれより先に言葉を発する。


「それでもそういう力も必要…違う?」

「…何が言いたい?」


 突き放すように答えるルルーシュ。しかし、カレンは得意げに胸を張り言い放つ。


「私がその力になる!」


 ルルーシュはその答えに口を開けたまま唖然とカレンを見つめる。まさかとは思っていたが本当に口にするとは考えていなかった。ルルーシュとしてはただ今のままではだめだと言いたかっただけなのだ。誰かを自分の行動に巻き込んでしまう覚悟などその時のルルーシュは持ち合わせていなかった。


そんなルルーシュの思いなど知る由もない当のカレンは駄目?と首をかしげているだけだ。


「私、体力には自信があるし、成績も結構いいんだよ。きっと役に立つと思うんだけど」


「………お前は、昨日今日少し会話を交わした程度の人間が言う言葉を真に受けるのか?」


「けど、あんたは本気でそう思ってるんでしょ?だったら私も本気で答えなきゃいけないってそう思っただけ」


 最後にはご丁寧にあんた嘘つくの下手糞だから、とまで言い放ってくれたカレン。依然としてあっけにとられたままのルルーシュは無意識に目の前の少女と自分の唯一の親友の姿を重ねていた。思えば少女の言葉は本当ならその親友にこそ言って欲しかったものであったかもしれない。そう思うとルルーシュは不満そうな顔でちらりと受付を見た後、すっと立ちあがるとカレンの手を引いた。


「薬ができたみたいだな。もういくぞ…それと」


 カレンからしてみれば握られた手に込められた力は頼りない。湿布で隠れていない方の頬は湿布に負けないくらい白い。見上げた先にある少年の体は驚くほど細い。けれど、カレンには小さいはずの少年の背中が少しだけ大きく見えた。


「…ありがとう」


 それは小さな声ではあったがちゃんとカレンには届いていたのだろう。頷きながらルルーシュに微笑みを返すカレンがそこにはいた。ルルーシュの表情が歪んでいたからきっとこれも彼の本音なのだろう。表情がそのままであったことには不満だったが、ルルーシュのその言葉には今までになかった何かを感じることができたカレンであった。




 それから数日後二人が持ち帰った薬によって病床にふせっていた少女、麻倉は無事快方に向かう。


 それは小さな、小さな二人の反逆者が上げた初めての成果であった。















次回予告

薬を無事送り届けた翌日、一つの悲劇がルルーシュを襲う

絶望の淵に立たされたルルーシュに手をさしのばすカレンだが…

進むべき道を見失った少年は自らの生を顧みる

そして、思いに意味を見出した少女は世界へと目を向ける

その先に二人の道が交わるものだと信じて…

Next Stage.誓い の 言葉



[10962] stage3.誓い の 言葉 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:36
「租界に?」


 ルルーシュとカレンが薬を買って帰ってきた翌朝、ルルーシュは租界に出てくると告げた。もともと人探しの目的でこの地域に来たのだから、その人のところに会いに行くのだと言う。


「はい、知人を訪ねに。その人に会いにここまで来ましたから」

「そう。…それでその後はその方のところでお世話になるの?」

「…どうなるかはわかりません。訪ねていくことは伝えていませんから」


 ルルーシュの言葉には覇気がない。昨日のルルーシュを知っているカレンには敬語を使い、肩を落とし気味なルルーシュがなんだか別人に見えた。誰に会いに行くのだろう。カレンの中でまた一つルルーシュへの疑問が増える。


「知りたがってる…のかな?」


 ふと漏れた呟き。誰に問うでもなかった言葉。だと言うのになぜか反応が返ってくる。


「誰が何を知りたがってるって?」


「へっ?あっ、お、お兄ちゃん!?」


 声のした方へと目を向けると、ナオトがカレンの顔を覗き込むように立っていた。昨日に引き続き今日も兄に恥ずかしいところを見られた、と思ったカレンの頬が見る見るうちに赤くなる。


 あれもこれも全部ルルーシュのせいだ。そう全部あいつが悪い。勝手にたどり着いた結論にカレンがうん、と一人頷く。ナオトは訳が分からず「カレン?」と声をかけてみたが反応が返ってこない。カレンは怒りを込めてルルーシュを睨むが、理不尽な怒りを向けられている当のルルーシュは母と話し続けていてそれには気付かない。傍から見ればみればその行為の方がよほど恥ずかしいものであったが、カレン本人はそんなことは分かっていなかった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage3.誓い の 言葉










 ルルーシュが紅月家から出ると横薙ぎの風が頬をなでていった。風になびく前髪をうっとうしそうに押さえるルルーシュ。一月前に家を出た時に比べると長くなったものだな、と思い自分の黒い髪を一房摘まんでみる。前髪は目に入ってくるほどで、後ろ髪は肩よりも少し下のあたりまで伸びている。これではまるで…。


「女の子みたい」


 自分でも思った通りのことだが、やはり男として人から、それも異性から言われて嬉しいことではない。自然と口調は不機嫌なものへと変わっていく。


「…なんの用だ?」

「一人でゲットーの中歩いてたらまた襲われるだろうからついて行けって」

「学校はいいのか?」

「よくないけど、お兄ちゃんもお母さんも急がしいから仕方ないのよ」


 ナオトは外で働き、母は家で内職をしなくてはいけない。生きていくためにはそれらを休むわけにはいかないのだ。


「…ゲットーを出るまでだ。それから後は付いてくるな。…絶対に」


 昨日までの悲痛さとはまた違う辛さをにじませながらそう言ったルルーシュ。そんな思いまでして一体誰に会いに行くというのだろう。カレンはますますそのことが気になり始める。だから、すんなりと「わかった」とルルーシュの言葉に頷いておいたが、その後もこっそりとついて行く気でいた。


 ゲットーの中を歩いている間もルルーシュの様子は昨日とは明らかに違っていた。カレンが話しかけても生返事ばかりで、顔も俯けたままだ。だからといって落ち込んでいるわけでもないだろう。家出までして会いに行く相手なのだから。そう、その姿は強張っているとか、緊張しているとかそんな感じの印象を受ける。誰に会いに行くのか気になって仕方のないカレンは、駄目もとでルルーシュに訊いてみることにした。


「ねえ」

「…なんだ」


 反応も少し鈍い。ここまで来ると興味よりも心配の方が強くなってくる。


「誰に会いに行くのか訊いてもいい?」

「…ブリタニア人の名前なんか言ってもお前には分からないだろ?」


 突き放すような物言いだがやはり声にいつもの張りがない。カレンは諦めるものかと少し質問を変えてみることにする。


「それはそうだけど…。じゃあ、どんな関係の人?」


「………」


 やっぱり答えてくれないかな、と思いカレンが今度はどんな訊き方をしてやろうかと考えていると、ルルーシュはぽつりと何かをつぶやく。


「……とだ」

「へ?」

「…見送りはここまででいい。ありがとう」


 気付けばもうそこはもう租界の端であった。キョトンとしているカレンを置いてルルーシュは背を向け歩いて行ってしまう。はっとしたカレンは声をかけようとしたが、あとをつけて行くのだったと思い直してあわてて口を閉じた。


「それにしても兄妹がいたんだ」


 最後にルルーシュが呟くような声で言った言葉はカレンには妹と聞こえていた。そこまで考えてまたひとつカレンの中に疑問が生まれた。なぜ兄妹なのに別々に暮らしているのだろう。















 ルルーシュの後を追ってたどり着いたのは租界の一角にある高級住宅街だった。ゲットーでは見ることのない大きく豪奢な造りの家々が立ち並ぶ。数軒の家の前にはブリタニア国旗が掲げられていて、今日の少し強い風がそれらをばたばたとたなびかせている。嫌なところだ。そう思うカレンはこんなところにはいたくもなかったが、ルルーシュがそこにいるのだから離れるわけにもいかない。


 カレンの尾行に気づく様子もないルルーシュは、一軒一軒門扉にかけられた家名を見て回っている。やがて、10軒ほど見て回ったところでルルーシュの足が止まった。ようやく目的の家を発見したのだろうと思っていたが、ルルーシュはその屋敷を見上げるだけで何もしようとはしない。それもそのはず、その屋敷の玄関には“売り家”の札が掛けてあったのだから。


 状況をうまく飲み込めずポカンとしていたカレンはルルーシュの変化に気づくのが遅れる。ルルーシュは突然門扉を握りしめたかと思うと、がたがたと震えだしたのだ。さすがにカレンも様子が変だと気付きもう少し近づいてみようと身を乗り出した瞬間、ルルーシュは何を思ったのか隣の家の前に立っていた守衛に掴みかかっていた。










「隣の、隣の家の人はどうしたんですか!?」

「し、知らないよ。一か月くらい前に突然消えるようにいなくなってしまったきりで…」


 初老の域にかかろうかという守衛の服をつかんで必死の形相で尋ねるルルーシュ。閑散とした住宅街にその声が木霊する。


「小さな、車椅子に乗った少女がいたはずなんです!何か、何か知りませんか!?」

「何かと言われても…ダングルベール家の方々はあまりご近所のお付き合いにも顔をお出しにならなかったし…娘さんがいたという話は聞いたことがないよ」

「そんな…」


 ルルーシュの表情が一気に生気の無いものへと変わる。


「ああ、そう言えばちょうどその頃ちょくちょく軍人さんがいらしてたな。まだお若いのに大佐なんて呼ばれていたから随分と有能な方なんだろうけど」

「軍人…」


 人間が絶望を表情で表現できたなら、まさにその時のルルーシュの表情がそれであっただろう。目は虚ろで焦点の定まっていない瞳が揺れている。守衛に掴みかかっていた手を離すと、ルルーシュはふらふらとした足取りでその場から離れていく。その姿はまるで幽鬼のようで今にも消えてしまいそうなほど儚げであった。


 そんなルルーシュの様子に本当なら今すぐにでも駆け寄っていきたかったカレンだったが、ついてくるなと言われた手前どうやって声をかけていいか分からない。カレンが悩んでいる間も、ルルーシュはしっかりしない足取りでどこへ向かうともなく歩き続けている。










 カレンが慌ててルルーシュに駆け寄ったのはそれからすぐのことだった。ルルーシュが赤信号にもかかわらず車道に飛び出しそうになったからだ。周りにいた人たちに押さえられて飛び出すことこそなかったが、俯いたままで叱責の声もまるで聞こえていないようだ。 


 ルルーシュの周りに集っている数人の大人の間から顔をのぞかせたカレンはルルーシュを見て息をのんだ。昨日は幽霊みたいだと思ったが、今の顔は本当に死んでいるみたいだ。話しかける声にも無反応で、光を宿していないかのような瞳をじっと地面に向けている。いても立ってもいられなくなったカレンはルルーシュの手を引いて強引に連れて歩く。強引にと言っても抵抗はほとんどない。ルルーシュはまるで人形のように為されるがままだ。


 どうすればいいのか全く分からないカレンは、ルルーシュの手を引いて今朝来た道を辿り自分の家を目指していた。こんな時に頼りになる存在と言えば母と兄をおいてほかに知らなかったから。できることならば今すぐどうにかしてあげたいのだがカレンにはその方法が分からない。ただ、ルルーシュを何とかして救いたいその一心だった。ふと後ろを振り返りルルーシュを見る。昨日は大きく見えたはずの姿が今は別人のように小さく感じられた。


 結局そのままなに一つ会話もないまま二人は家に帰ってきた。その間もルルーシュはカレンに、いや周りの全てに何の反応も示さない。こうまで酷い状況になるとカレンも心配と言うよりも恐ろしくなってくる。ルルーシュのその姿よりもむしろ、こうなってしまった彼がこのままどうにかなってしまうのではないか、それが怖くて仕方がなかった。


「お母さん!」


 ただいまを言う暇も惜しい。昨日ルルーシュは母の言うことなら素直に従っていた。それが解決の糸口になるか分からなかったが、その時のカレンにはもうそれしか縋るものは残っていなかった。


「お母さん!」


 カレンがもう一度これ以上ないというほど大きな声で母を呼ぶと、居間の方から慌てて走ってくるような足音が聞こえる。これで何とかなるかもしれない。カレンは確かにその時までそう思っていた。そして、事態は確かに動きを見せはした。結果は見るに堪えないものであったが。















 随分と遠くの方で自分を呼ぶ声がする。ルルーシュには自分がどこにいるのかも、何をしているのかも分からなかった。なにをしていたんだったっけ?そう思い返してみてもなかなか思い出せない。とても大事なことだったはずなのに。


 またルルーシュは自分を呼ぶ声を聞いた。今度はさっきよりも近いところで呼んでいるみたいだ。でもまだ誰が自分を呼んでいるのかルルーシュには分からない。分からなくてもいいのかもしれない。こうやって何もせずに、何も考えずにいられた方が随分と楽だ。そう思うとなにかがルルーシュの脳裏に引っ掛かった。一体何と比べて楽なのだろう。


 もう一度ルルーシュの名を呼ぶ声が聞こえた。随分と近づいてきたみたいだな。そう思って顔を上げた先に見たのは、死んだはずの、殺されたはずの母、マリアンヌの顔であった。


「嘘だ…」


 そんなことはあり得ない。目の前で見たじゃないか。あんなに赤く染まった母の亡骸を。ルルーシュはさらにもう一度自分を呼ぶ声を聞いた。


「嘘だ……嘘だ!」


 死んだ!殺されたんだ!だから、母上はもういない!だから俺が、俺が…。またルルーシュと呼ぶ声を聞いた。


「嘘だ!…うそ」


 そうだ、今目の前にいるのは自分の母じゃない。一昨日から世話になっていた紅月の家の…。だから……母上はもういない。だから俺が、俺がナナリーを…。ルルーシュがそこまで思考を巡らせると、ここ一ヶ月間の記憶がフラッシュバックのように蘇ってくる。


 一週間ごとに必ず送られてきていた妹からの手紙が突然途絶えたこと。


 路頭に迷おうが、追剥に会おうがただひたすらに妹の安否を知りたい一心で歩き続けたこと。


 どんなことがあろうと決して手放すことのなかった妹からの手紙の数々。


 そして今日、自分に残された最後の希望が最早手の届かない所にいってしまったであろうこと。


「………ナ、ナリー」


 ああ、そうだ…俺は結局何一つ守れやしなかった。そう思うとルルーシュの意識は一気に遠のいて行った。意識を失うその刹那、もう一度自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたがルルーシュにはもう応えるための力も意志も残されてはいなかった。















 カレンは目の前の光景に言葉を失った。カレンの母がルルーシュを抱き上げて「ルルーシュ君!」と何度か呼びかけるうちに何かを叫び始めたルルーシュ。そしてそれが納まったかと思えば突然、糸の切れたマリオネットのように手足を中空に放り出して、母の腕の中で意識を失った。


 昨日まではあんなに気丈そうに見えた少年の面影はそこにはなく、打ちひしがれ力なく四肢を投げ出した姿があるだけ。


 ルルーシュはそのまま日が暮れる頃になっても意識が回復せず、今までと同じようにナオトの部屋で寝かされている。出先から帰ってきたナオトが二人から事情を聴くと沈痛な面持ちになった。


「つまり、妹に会いに行ったけれどその家には誰もいなかった。それがショックでこうなってしまったと…」


 涙を眼の端にためてカレンがうん、と頷く。その説明だけを聞いているとどうも裏のありそうな話だ。訪ねていった妹の家が大邸宅、それも軍人と懇意にしている貴族が住むような屋敷であったこともそうだが…。ここまでの反応をみせるほどのルルーシュが背負っているバックグラウンドとは一体…。考えても分かるわけがない、そう思いナオトは思考をルルーシュ救済の方向へ向けた。


「正気を失っていたのなら誰かがついていないと危ないかもしれないな」


 母がそうね、と相槌を打つ隣でカレンは不思議そうにしている。


「なにが危ないの?」


 確かにあの時のルルーシュは正気であったとは思えない。けれど、周りが見えていなかっただけで、誰かを傷つけるようなことをしていたわけではない。そう思っていたカレンには何が危険であるのか分からない。


「正気を失っていれば意味のあることはしない。だけど、一度冷静になってしまえば…」


 ナオトはあえてその先を口にはしなかった。絶望の果てに人が辿り着く結論を知っていたから。だが、その沈黙はカレンに余計な心配を与えただけであった。ナオトが話す気がないことを悟ったのかカレンは居間から走り去ってしまう。ナオトも、母もどこに、とは思わないし、訊くこともしない。分かり切っていたことだから。










 カレンはそっと扉を開けて兄の部屋へと入る。兄のと言ってもそこで横になっているのはルルーシュなのだが。部屋の中は暗く物音一つしない。その暗闇と静寂の中でルルーシュは眠っている。それらはルルーシュの心中そのものでありまた真逆のものでもあった。ベッドの横に出しっぱなしにされていた椅子に腰かけるカレン。


 カレンにとってこの部屋は楽しい思い出の宝庫であった。母に黙って兄と一緒に夜更かしをしたり、窓から二人で星を眺めたり。そのどれもが忘れ難い思い出だ。だから、ルルーシュにも兄妹がいたならば一緒に暮らしたかったのではないだろうかと思う。一緒に暮らしてカレンとナオトが作ってきたような思い出をルルーシュも作りたかったのではないだろうか。きっとルルーシュにとって彼の妹は何物にも代えられない存在だったのだろう。でなければ、今日の取り乱し方はおかしい…。


 なんだか無性に悲しくなってきたカレンが顔を俯かせると、地面にルルーシュが身につけていたリュックサックが転がっているのが見えた。この部屋に慌てて寝かせようとリュックを引っ張った拍子にチャックが開いたままになっていた。何の気なしにそのリュックを眺めていたカレンはその隣に落ちていたあるものに気がつく。


「折り鶴?」


 カレンが見つけたものは桃色の紙で折られた鶴。自分はそんなものを折った覚えはないし、兄や母がするとは思えない。ならばルルーシュのものかな、とカレンはそれをリュックに入れてやろうとする。だが、椅子に座ったままの状態でリュックを逆さに持ち上げてしまったため、中身がばらばらと床に転がり落ちてしまう。カレンはその中に昨日中身を調べた時には入っていなかったものが混じっていることを発見した。


 白い長方形の封筒。昨日はなぜ気がつかなかったのだろうかと手元に残っていたリュックを注意深く探ってみると、背中に接する部分と内部の間に小さな切れ目が入れてあった。その隙間に床に落ちているのと同じような封筒がいくつも入っている。


 その封筒を拾い上げ表を見てみると宛名の欄には“ルルーシュ・アウグシュタイナー”とあり、宛先は福岡租界となっている。つまり、この少年は九州から関東までだれにも頼らず一人で旅をしてきたことになる。カレンは驚きもそのままに続いて送り主の名前に目をとめた。そこには“ナナリー・ダングルベール”と記されている。


「ナナリー…」


 それは確かルルーシュが気を失う前に呟いた言葉であったことをカレンも覚えていた。封筒の中をみるとまだ手紙が入れてあるままだ。カレンは罪悪感を引きずりながらもその中身を読んでみることにする。もしかしたらこの中にルルーシュを助けるヒントになるものが書かれているかもしれない。そう思うともうカレンは止まることはできなかった。


 手紙は次のような一文で書き始められていた。





“お久しぶりです、お兄様”




[10962] Stage3.誓い の 言葉 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:38


“お久しぶりです、お兄様。と言ってもいつもの通り一週間ぶりなんですけどね。

 今週はあまり変わったことはありませんでしたけれど、この間メイドの方が猫を連れて来てくださったんです。

 抱っこをさせてもらったのですけれど、とても小さくて鳴き声も可愛らしいんです。にゃーん、って。

 私にはどんな姿をしているのか分かりませんけれど、メイドさんのお話では真っ白な子猫なのですって”


“お兄様、そちらはお変わりありませんか?私の方はだんだんと温かくなってきました。こちらにもそろそろ春が来そうです。

 この間言っていたメイドさんが猫と私が遊んでいる写真を撮っていてくださったそうなんです。このお手紙と一緒にお送りしますね。

 ですが、もしその写真がお兄様のお邪魔になるようでしたら人目につかないように捨ててください。

 お兄様と私の素性がばれるようなものが外に出るようなことがあってはならないとは分かっています。けれど、どうしても今の私の姿を見ておいてほしくて。

 ごめんなさい。こうやってお手紙でやり取りできるだけで満足しなくてはいけないのに。こんなことでは天国のお母様に笑われてしまうかもしれませんね”


“お元気ですか、お兄様。私は変わりなく元気に過ごさせていただいています。

 今週は日本人のメイドさんからとても良いことを教えていただきました。

 紙で鶴を千羽折ると願いがかなうのだそうです。折り方を教わったのでお兄様にも一羽お送りしますね。

 きっと何をお願いしたのか気になさっていますよね?内緒にしておいた方が楽しそうですけれど、お兄様にだけ特別にお教えします。

 またお兄様と一緒に暮らせる日が一刻も早く来ますように、そうお願いをするつもりなんです。

 なんて、我が儘のようなことを言ってしまってごめんなさい。

 けれど、もしこの我儘に付き合って下さるならその鶴を持っておいてくださいませんか?また、お兄様とお会いできる日までに私が残りの鶴を作っておきますから。それとお兄様の持っている一羽を合わせて完成させたいのです。

 またお兄様と私とスザクさんの三人でお話のできるような、そんな優しい世界が訪れるよう一生懸命願いを込めて作りますから、お兄様もどうかその鶴をその時まで持っていてくださいね”















 カレンはその手紙たちが伝えてくる事実に言葉を失う。兄妹で別々に暮らしていただけではなく、すでに母親も亡くしていたこと。妹は盲目で足も不自由なこと。家族で一緒に暮らしたいと願うことさえ許されない兄と妹。


 一体ルルーシュの妹は、ナナリーという子はこの手紙にどれだけの思いと願いを込めて書いたのだろう。どんな思いで写真を捨ててもいいと書いたのだろう。どんな思いでこの鶴を折ったのだろう。


 目が見えないからだろうか、書かれている字はところどころよれよれとして読みづらい。けれど、きっとこの少女は自分で書きたかったのだろう。兄に元気なことを知らせたくて、兄に心配をかけたくなくて。


「どう、して…」


 声が震える。こんなにもこの兄妹は互いを思い合っているじゃないか。どうして会いたいと願うことさえも許されない。なぜその願いを口にしただけで謝らなくてはならない。


 ルルーシュに対する疑問は増えるばかりだったが、その時のカレンにはそんなことはどうでもよかった。ただ、当たり前の願いさえ叶えることのできない少年とその妹を思うと悲しみが溢れるばかりで。そしてまだ幼い少女にはその溢れる感情を抑えることができなかった。










 ナオトと母が部屋の中に入ってきた時、カレンは床に座り込んで泣いていた。その手に一通の手紙を握りしめて肩を震わせて泣いていた。見れば握っているのと同じような手紙がカレンの周りに散らばっている。


「…ねえ、どうして?」


 カレンの声は二人が聞いたこともないほど悲しみに震えていた。その様子に二人ともなにが、と問い返すこともできない。


「どうして、こんな…」


 溢れ出す感情を言葉にすることが出来ない。涙を堪えることもできない。カレンはもう一度ベッドの上のルルーシュを見た。兄と妹が願ったものの果てがこんな結末だったなんて悲しすぎる。また一粒涙がカレンの頬をつたって地面に落ちた。










 嫌がるカレンをなんとかなだめて寝かしつけた後、ナオトと母も問題の手紙を読んでみることにした。ルルーシュの妹が綴ったという手紙の数々。確かにそのどれからも兄妹の愛と、切なる思いを垣間見ることができる。


 しかし、二人はカレンと違い大人である。思うところはあってもこうまで謎の多い少年をそのまま放っておくことはできない。最低限の情報だけでも訊き出さなくては。それはこんな状態の少年に問いただすのは気が引けたが、もはや避けては通れない道であることは明らかであった。


 未だに目を覚まさないルルーシュに目を向ける二人。窓から射す月光に照らしだされた少年の姿はまるでよくできた人形か、でなければ眠るように死んでいる人間の様でもあった。










「悪いとは思ったがこの手紙を読ませてもらった」


 部屋の中にいるのはカレン、ナオト、その母、そしてルルーシュ。その日は休日であったためカレンもナオトも家にいた。


 翌日の昼過ぎ頃になってようやく目を覚ましたルルーシュは思いの外落ち着いているようだった。取り乱すこともせず、ナオトが語りかけた言葉にも「そうですか」ときちんと反応をしてみせた。


「…それで何が知りたいんですか?」


 全く感情のこもっていないかのような声色。ルルーシュにしてみればもう全てのことがどうでもよかったのかもしれない。彼の希望は妹だけだったのだから。


「…それじゃあまずこの手紙の送り先、アウグシュタイナーさんの住所が福岡になっているけれど、九州からここまで一人で来たの?」


 ルルーシュの態度に胸が痛む思いだったが、何も訊かずにおくこともできない。彼が答えてくれることだけでも訊き出しておこうと、母はルルーシュの目をしっかりと見返す。


「そうです」


 簡潔な答えが返ってくる。多くを語るつもりがないのか、それとも口にすることもはばかられるような背景がそこにはあるのか判断がつかない。それほどまでに今のルルーシュは感情の一端すらも覗かせない。


「君みたいな子供がどうやって…金だってそんなに持っていたわけじゃないんだろ?」

「家を出た時には少しは持っていたんですが、やはり九州からとなるとあまりに少なすぎましたけれどね」

「それでどうやってここまで…」

「お金がなくなればゲームセンターなんかにいって拾ったり、ゲットーでの炊き出しに雑じったり、どうしようもない時には公園の水だけですごしていました」


 何でもないことのように言うルルーシュに唖然とする紅月家の面々。そこまで言い切るとルルーシュはやっと表情を変えた。その顔にはいつか見たような自嘲めいた笑みを浮かべている。


「なら、なぜ君と君の妹は別々に暮らしていたんだ?」


 妹、と聞いた瞬間ビクッと身体を震わせたルルーシュ。やはり何でもないように装っているだけで、彼の心の中は未だに整理がついていないようだ。


「…戦争が終わった後、身寄りのなかった俺と妹を引き取った家が別々だった。それだけですよ」


 努めて無表情を装っている。おそらくこれは嘘だろう。ナオトはそれを見抜いてはいたがあえて追及はしない。そんなことをしてルルーシュが心を閉ざしてしまっては元も子もないのだから。


「引き取ってくれたのが貴族だったのはどうして?」

「それだけの価値が俺たちにはあったから…そう言ったら信じてもらえますか?」


 ルルーシュは笑みを浮かべているが、声色や眼差しがぞっとするほど冷たいものへと変わった。だがそれも一瞬、すぐに先ほどまでのような感情の窺えない笑みに戻る。


「冗談ですよ。そんなわけないじゃないですか…。ただの貴族の道楽ですよ。戦争孤児を養子になんて世間体がいいでしょ?」


 誰も何も言えない。ルルーシュはどう考えておかしい。昨日まではきちんと感情豊かにとは言えなくとも、それなりの反応は返してくれていた。どうにかして嘘をつき通そうとしているのだろうが、あまりに露骨に無表情を装っている。これでは嘘をついていると白状しているようなものだ。


 では、貴族が利用できると思うような価値とは何であろうか。ルルーシュの妹が送ってきたという写真に写っていた姿を思い出す。見えない瞳を閉じ、動かせない足を補うために車椅子に乗っている少女。猫を抱いてカメラに笑い掛ける様は確かに可愛らしかったが、そんな社会的ハンデを負っている少女が持つ利用価値とは一体…。


「…もう訊きたいことはないんですか?」


 謎が謎を呼び誰もが口を閉ざしていた中、ルルーシュがそう抑揚のない声で問う。


「もう終わりなら少し一人にさせてくれませんか?」


 思わず頷きそうになったナオトを母が止めた。ルルーシュが未だに昨日の出来事を引きずっているだろう状況で、彼を一人にするようなことはできない。


「変なことは考えないでね…」


 それは忠告であり、またルルーシュのことを心配しての言葉でもあったが、今のルルーシュにはその真意は届かない。


「変なことってなんですか?…俺が自殺でもするんじゃないかってことですか?」


 自殺、その言葉を聞いたカレンが今まで伏せていた顔をがばっと上げた。眼を見開いてルルーシュを見つめている。まさか自殺なんて物騒な言葉を耳にするとは思っていなかったカレンは、内心今までにないほど動揺していた。


「…それもいいかもしれませんね」

「ダメ!ダメに決まってる、そんなこと!」


 突然立ち上がり聞いたこともないほどの大声で叫んだカレンに思わず怯んだルルーシュ。それを見たカレンは、ともかくどうにかしてルルーシュを思いとどまらせないといけないと思いそのための言葉を探す。


「そんなことしていいわけないじゃない!冗談でもそんなこと言ったらダメ!」


 カレンは必死に言葉を探すがそんなありきたりな言葉しか出てこない。するとそれを聞いたルルーシュはふっ、と鼻で笑う。


「冗談じゃない。俺は本気で言ってるんだよ」

「なら、なおさらダメに決まってる!」


 ここで引き下がったら本当にルルーシュが手の届かない所に行ってしまう。カレンの本能がそう告げる。だから、何を言われようがここで引き下がるわけにはいかない。キッ、とルルーシュの目をまるで睨むように見返す。そのカレンの態度に目に見えて不機嫌になっていくルルーシュ。それはその日初めて彼がはっきりと見せた感情の変化であった。


「べつにいいだろ…、俺にはもう生きてる意味なんて…」

「行方が知れないだけでしょ?まだどうにかなったってわけじゃ…」


 それを聞いたルルーシュの表情が一気に怒りに染まる。眼を吊り上げ、まるで獣が牙をむくように口を開く。


「俺たちにはそれだけでもう何もかも終わってしまったことと同じなんだよ!何も知らないくせに勝手なことを言うな!」


 さすがのカレンもルルーシュのその剣幕には驚いた。怒りを露にして今にも掴みかかってきそうなその形相に恐怖を覚えるカレン。けれど、引き下がるつもりも彼女にはなかった。何かルルーシュにかけてあげられる言葉はないか考えを巡らせる。しかし、その間もルルーシュの怒りは収まる様子を見せない。ただ、怒りの対象はカレンから自分自身へと向けられていった。


「何やってるんだろうな俺は…ナナリーを助けるためにここまで来たって言うのに。昨日だってあんなことには付き合っておいて、ナナリーのところにはいかず仕舞いだ!」


 はは、と乾いた笑い声をあげたルルーシュ。


「どこかで諦めてたのかもな…。最低だ…最低の兄だ。無力で何もできやしない…いや、無力だと言っていれば救われた気にでもなっていたのか知れない」


 誰に言うわけでもない。ルルーシュは自分で自分を傷つけている。そのための言葉を口にし続けている。それがカレンには我慢がならなかった。


「…諦めていたって言うんだったらその手紙も、写真も、折り鶴も、今ここで破って見せなさいよ!」


 づかづかとルルーシュに近寄ってその手に写真と折り鶴をのせるカレン。昨日ルルーシュが語った決意も、妹のために一人でここまで辛い思いをしてまで旅をしてきたことも決して嘘なんかじゃないはずだ。カレンはルルーシュにこんなにも決意に、思いに溢れたものを否定してほしくはなかった。


「どうしたの…?やっぱりできない?」


 ルルーシュが返事をしなかったのでカレンはここぞとばかりに捲くし立てる。


「あんたは無力なんかじゃない。どうにかしたくて、でもできない…そんな現実をどうにかしたくて行動してるじゃない!」


 自然と声が大きくなる。けれど、そんなことは気にならない。カレンにはどうしても伝えたいことがあったから。


「福岡から一人でここまで旅することだって勇気がなければできることじゃない!それに、そこまでしてでもナナリーちゃんのこと助けたかったんでしょ?!なら、あんたが諦めたなんて言ったりなんかしたらダメ!たった二人っきりの家族なんでしょ?」


 そこまで一息に捲くし立てるとカレンはルルーシュの反応を待った。ルルーシュは手のひらにのせられた写真を凝視したまま動かない。誰も口にすべき言葉を待たないかのように何一つ喋ろうとはしない。










 その沈黙を破ったのは玄関から聞こえる人を呼ぶ声であった。その声に気付いたナオトが後ろ髪を引かれる思い出はあったが、応対をするために玄関へと向かった。


「ああ、こんにちは。返事がないので留守かと思ってしまいました」

「あなたは」


 玄関にいたのは麻倉夫妻とその娘であった。娘の方はまだ病状が芳しくないのだろう、少し辛そうな表情を見せている。なにか、とナオトが尋ねると、カレンを呼んでほしいとのことだった。


 2日前の薬の件はブリタニア人であるルルーシュの名を出すわけにもいかなかったので、カレンが買って来てくれたとして皆には説明していた。だから、そのお礼のつもりできたのだろうと思ったナオトは素直にカレンを連れてくることにする。


 自分の部屋に戻るとそこは未だに沈黙が支配していた。それでもカレンは連れて行かなくてはいけないので、ナオトはあえてその痛苦しいまでの静寂に割って入る。


「カレン、玄関に麻倉さんが来てる。お前を呼んでるから、きっと薬のお礼が言いたいんだよ」

「麻倉が?」


 カレンはルルーシュに向けていた視線を外すことなく返事を返す。ナオトが「だから、一緒に玄関に来てくれ」と言うより先に、何を思ったのかカレンは部屋から走り出て一直線に玄関の方へと向かう。


 唖然としてその後ろ姿を見送ったナオトと母。何が起きたのかを理解するよりも早くカレンは麻倉の娘の手を引いて部屋へと帰ってきた。そして、そのままルルーシュの前に立つと再び声を荒げる。


「この子、麻倉っていうんだけど、あんたが助けたんだよ?人一人の命を救ってるのに今のあんたが無力なはずないじゃない!」


 気が高ぶりすぎてだんだんと自分が何を言っているのか分からなくなってきていたカレンだったが、口を閉じる気にはなれない。


「だから、諦めたりしたらダメだよ!何度でも、何度でも後を追えばいいじゃない!」


 そこまで言ってもまだ顔を上げてくれないルルーシュに、なぜだかカレンの方が泣きたくなってくる。


「私、力になるって言ったよね…一人でできないことがあったら言ってよ。絶対に役に立ってみせるから…だから、…だから」


 耐えきれずにとうとう涙を流し始めたカレンを母がルルーシュごと抱き寄せた。二人の背中をゆっくりとなでていく。ぽろぽろと涙を流すカレンの隣でルルーシュがようやく口を開く。


「…俺は、まだナナリーのことを、思っていてもいいのか?」


 母は優しく背中をなでながら耳元で囁く。


「いいのよ。あなたたちは家族なんだから当たり前じゃない」


 ルルーシュの小さな体が小刻みに震え始めた。手に持ったままだった写真と折り鶴を両手で大事に胸元へと抱き寄せる。


「…こんな俺がまだ、ナナリーのことを思いながら生きていても………」

「いいのよ。あなた以外の誰にそれができるというの?」


 その日、ルルーシュは生まれて初めて人前で声もはばからずに泣いた。溢れ出す感情のままに涙を流し、嗚咽を漏らした。何度も妹の名を呼び、その度に新しい涙がその瞳から零れ落ちていく。その様子にカレンの母が笑みを浮かべる。そうだ、まだ子供なのだから辛いことがあれば思い切り泣けばいい。ぎゅ、とルルーシュを抱く腕に力を込める。きっとこの子はもう大丈夫。明日にはまた一歩大きくなった姿を見せてくれるはずだ。


 一人取り残されて状況についていけない麻倉は目の前の光景に首をかしげていたが、ナオトに連れられて両親の待つ玄関へと帰っていった。


 結局そのままルルーシュは眠りについてしまいその日はなんとか事なきを得た。















 翌朝早くカレンはルルーシュの眠る部屋の前に来ていた。昨日はなんだかうやむやのままに終わってしまったのでまだ心配なままであったから。母とナオトはもう大丈夫だろうと言っていたが、まだ油断するわけにはいかない。カレンはそっと扉を開き中を覗き見ると、すでにルルーシュは目を覚ましていた。ベッドに腰かけて妹の写真をじっと見つめている。カレンは思い切って話しかけてみることにする。


「お、おはよう」


 昨日は好き放題言ってしまったので、どことなく話しかけづらい。ルルーシュはゆっくりとカレンの方を向くと「おはよう」と返事をした。


「あの、昨日は…」


 ごめん、と言う前にルルーシュの方が一足早く…。


「昨日は悪かった。当たり散らしたりして」


 カレンは予想もしていなかった事態に、へ?と素っ頓狂な反応をしてしまい、それを見たルルーシュがクスッと笑った。途端にむすっとした表情へと変わるカレン。まるで百面相のような仕草にルルーシュはますます笑みを深くする。


 堪らず抗議の声を上げようとしたカレンだったが、そういえばルルーシュの笑顔を見るのは始めてだと気づくとその怒りをおさめた。


「それと、ありがとう。俺のためにあそこまで言ってくれて。あそこまで叱られたのは久しぶり、いや初めてかもしれない」


 そう言うとルルーシュはすっと右手を上げてカレンに握手を求めた。訳が分からずその手を見つめ返すカレン。


「こんな俺でよかったら是非、力になって欲しい。一人ではまた挫けてしまうかもしれない。でも、お前みたいな人が力になってくれるなら…」


 カレンは何度かルルーシュとその右手の間で視線を往復させた後、表情を崩して笑顔を作る。本当にもう大丈夫そうだ。そう思うとうれしくて堪らない。そして、カレンはしっかりとルルーシュの手を握り始めて少年の名前を口にした。


「よろしくね、ルルーシュ!」


「ああ、こちらこそよろしく、カレン」


 朝日が差し込む部屋の中で、お互いを初めて名前で呼び合ったその時、二人は誓いの言葉を交わす。


「「優しい世界を」」


 それが、少年と少女の原初の願いであり、生涯をかけて誓いあった言葉であった。















次回予告

 ゲットーで二度目の生を受けたルルーシュは一年をその地で過ごすことに

 徐々に自分の居場所を築き始めていたルルーシュは租界である一つ噂を耳にする

 選択を迫られた少年は一つの決意を胸に未来への新たな一歩を踏み出す

 そして、その時少女は胸に秘めたその思いを…

Next Stage.色を 変える 世界



[10962] Stage3.5.記憶 と 思い出
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:41
*今回の話は番外編的な扱いになるため本編のストーリー展開にほとんど触れていません。次回から今まで以上にシリアスな展開となるため、息抜きとしてほのぼのを目指して書いたお話になります。なので、シリアス展開を期待されている方々にはあまりお勧めできません。それでもよし、というお方は下の文にお進みください。






CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage3.5.記憶 と 思い出





Scene1.あの日 の 真実

 その日の紅月家にはナオトの仲間がずらりとそろっていた。今日、この家で行われるとあるイベントを見るために。そのイベントの主役は二人。


 一人は先日ゲットーに入ってきたというだけでブリタニアの少年を二発も殴り気絶させてしまった玉城真一郎。


 もう一人はその被害者であるブリタニアの少年、ルルーシュ・アウグシュタイナー(仮)。


 そして、そのイベントとは玉城が誠心誠意の詫びの気持ちを込めて額から血が出るくらいまでルルーシュに対して土下座をする、といったものである。ギャラリーたちからしてみればその玉城の姿こそが見ものである…はずであった。


 しかし、蓋を開けてみればどういうことかまだ玉城が土下座をしていなにも関わらず、ギャラリーたちは笑いをこらえてその光景をちらちらと盗み見るようにしている。さらになぜか土下座をするはずの玉城にいたっては笑い声を隠そうともしていない。


 ただ一人、皆の視線の先にいたルルーシュだけは笑みを浮かべていない。むしろその顔は憤怒に染まり今にも喚き散らしそうだ。眉間には青筋をたてて、口元はひくひくと痙攣している。そうしながらも、なぜこんなことになってしまったのかと、ルルーシュは己の言動を悔いていた。





 話は二時間ほどさかのぼる。


 その日は玉城にルルーシュへの謝罪をさせるということでナオトの仲間が集まってくる。その場で改めてルルーシュのことを紹介しておこうということになっていた。なので、まずは身だしなみを整えるため髪を切ろうと話がまとまったところまでは良かったのだが…。


「まあ、私に任せなさいって!」


 なぜかハサミを持っているのはカレンで、椅子に座らされているルルーシュは若干青い顔をしている。紅月家では経費節約のためにいつもなら母が子供たちの髪を切ってやるのだが、今回はカレンがやってみたいと言ったので少しだけやらせてみようか、ということになってしまったのだ。


「大丈夫だって、いつもお母さんがやってるの見てたから!信用しなさい!」


 だが実験台にされるルルーシュからしてみればたまったものではない。確かにカレンのことは信頼できる相手だとは思っているが、それは状況によりけりだ。下手のモノ好きほど周囲の手に負えないものはない。予想などせずとも結果が悲惨なものになることくらい想像がつくというものだ。


 それでも、ルルーシュは信じてしまった。自身に満ち溢れたカレンの表情を。そして、フォローするからと言った彼女の母の言葉を。思えばこの時すでに悲劇は終幕を告げていたのかもしれない。


「「あ゛っ…」」


 ルルーシュの信頼はものの一瞬でもろくも崩れ去ってしまった。





 その後なんとか修正を加えひとまず着地点を見つけるには見つけたのだが、どうやら着地には失敗したらしく不時着という結果を招いてしまったようだ。周囲は忍ぶように笑っているのに、ルルーシュは鏡を見たまま固まってしまっている。ナオトは同性として同情せざるをえなかった(もちろん忍び笑いをしながら)。あんな髪型になるくらいならいっそ丸刈りにでもした方がましかもしれない。


 鏡に映るルルーシュの頭は見事なまでのおかっぱ頭になっていた。





 こうして話は冒頭に戻るわけだが、その場に集まった誰もがその見事なおかっぱ頭に笑いを禁じえなかった。この惨状の主犯格たるカレンまでもが笑っている。奇麗で端整な顔立ちをしているのに、その髪型が全てを台無しにしているルルーシュ。そのミスマッチ加減が絶妙に笑いを誘っているのだ。


 結局その日は謝罪も何もできないままお開きになり、イベントは翌日改めて執り行うことになった。以外にもあっさりとルルーシュが引き下がったことに、ほっとした一同であったが、後日彼等がルルーシュを怒らせると恐ろしいと思い知ることになるのはまた別のお話である。










Scene2.兄妹


 世間一般的に言えば妹とは自分よりも遅く母から生まれてきた女性のことを指すわけだが、それだけでは済まされないほどの絆で結ばれた兄と妹たちが存在する。そういった兄たちは総じて妹馬鹿だとか、シスコンといった言葉で纏められている。


 しかし、忘れてはならない。兄が妹を愛するように、妹もまた兄を愛している。それこそが、彼等の不文律であり、決してそれを破るようなことを犯してはならないのである。だからこそ、可愛がることはしても甘やかすようなことはしない(たぶん)。どこに出しても恥ずかしくないような妹に育てようとしている(出す気もないが)。そりゆえ兄は自らの妹に絶対の自信を持っているのだ。


 そして、ここトウキョウ租界外縁に位置するゲットーにもそんな兄たちが存在する。





「ナナリー、のことですか?」

「そうそう、お前の妹ってどんな感じ?」


 ナオトは同じように妹を持つ兄としてルルーシュがここまで大事に思っているナナリーに興味を持っていた。手紙の文体から窺える人柄は幼いのにしっかりとしたものであったが、目も見えず、足も不自由であるというルルーシュの妹。そして、彼にとってたった一人だけの血の繋がった家族。


 その妹のことを少し知りたかっただけなのだが、どうもこれはルルーシュにとってある意味で禁句であったらしい。


 ルルーシュは嬉々として妹の自慢話を次々に披露してくれたのだ。口を開けばやれ「かわいい」だの、やれ「すごい」だのといった賛美の言葉ばかりが飛び出してくる。ナオトもカレンのことを可愛がっているにはいるが、正直こうまで熱心に自分の妹の話をできる自信はない。ただ、そう思っているのは本人だけで周囲の人間はナオトもルルーシュも同種の人間のように見ているのだが。


 そんななか、ナオトはルルーシュの話のある部分に引っ掛かりを覚えた。


「それから、なかなかやんちゃなところがあって、小さいころはよく手を焼いて…」

「やんちゃって…確か盲目で足も不自由なんじゃ」


 それを聞くとさっきまであんなに饒舌だったルルーシュの口が止まった。どうやら自分は地雷を踏んでしまったらしいことをナオトは気付くが、もはやこうなってしまっては後の祭りである。


 ナオトはすっかり顔を俯かせてしまったルルーシュに謝ろうとしたが、それよりも先にルルーシュの口が開かれた。


「ナナリーの目も足も…先天的なものじゃないんです」


 そう言葉を紡いだルルーシュの顔が苦々しげに歪んだ。


「…詳しくは言えませんけれど、小さかった頃にあることに巻き込まれて、その時に」


 ルルーシュは歯をギュッと噛みしめて、何かに耐えるように手を握りしめている。


「その時も俺は見ていることしかできなくて…誰よりも護りたいと思っていたはずなのに」


 その言葉はまるで血を吐くような苦痛に満ちていた。


 その態度を見ていてナオトはようやく納得がいった。ルルーシュがここまで妹を溺愛している理由に。そんな状態になってしまった妹をたった一人で支え続けてきたのだろう。ひょっとしたら護れなかったということへの贖罪の気持ちを抱いているのかもしれない。もしそうであるならば、それはとても悲しいことだ。


「後悔しているのか?護れなかったことを」

「…ええ、今にもたまに夢に見てしまうくらいですから」


 ナオトは震えた声色で答えたルルーシュの頭を乱暴に撫でつけた。驚きに身を固くしたルルーシュは為されるがままで、大した抵抗もできていない。ようやくその乱暴なスキンシップが終わり抗議の声を上げようとしたルルーシュが見たものは笑顔のナオトであった。


「後悔しているのならそれでいい」

「はい?」


 妹を持っているナオトからしてみれば、ルルーシュのようなまだ幼い少年がいろいろなものに縛られたまま生きていく姿は、できれば見ていたくないものだ。だから少しでもいいからその重荷を軽くして、ルルーシュが背負ったものに押し潰されないようにしてやりたかった。


「後悔は反省につながる。そして、反省は次の成功へとつながっていく。よく後悔はするなと言うがそれは場合によりけりなんだよ」

「…でも、俺は今回もまた何もできないままでした」

「日本の諺に“三度目の正直”ってのがある。後悔は反省に、自分への怒りは次への原動力に変えていけ」


 そう言ったナオトはポンとルルーシュの頭に手を乗せて今度は優しく撫でていく。いつもは子供扱いされることを嫌うルルーシュだがこの時は何も言わずに黙っているままだった。


「俺もお前ほど過酷じゃないが、似たような経験があるからな」


 その言葉に意外そうにナオトを見上げるルルーシュ。しかし、それも一瞬だけのことでよく考えなくても分かりそうなことだと思い直した。ブリタニア侵攻後の日本でカレンのような妹を連れていればあり得そうな話だ。


「もう気付いていると思うが俺とカレンは父親が違う。俺は両親ともに日本人だが、カレンの親父はブリタニア人だ。昔はそのことでよくあいつを辛い目にあわせたもんだ」


 肌の色、髪の色、瞳の色。視覚に訴えてくるそれらの部位は、カレンを差別の対象に至らしめる十分な影響力を持っている。たとえ母が日本人であろうと彼女を日本人と認めないものも少なくなかった。


「俺もその度に自分を責めた時期があったもんだが…逆にカレンに励まされたよ。どんなことがあっても挫けなかったあいつの姿に」


 それまでここでないどこか遠くを見るようであった視線をルルーシュへと向けるナオト。


「お前の妹はお前が信じてやれないくらい弱々しいのか?」

「違う!確かに身体的なハンデはあるけれどナナリーはそんなに…」

「なら、信じてやることだな。ナナリーちゃんを。そして、今度こそお前が護ってやれ」


 思わず声を荒げてしまったルルーシュであったが、それに続いたナオトの言葉に怒りを抑えた。どうやら、本音を話させるためにわざと怒らせてくれたようだ。それはそれで面白くないルルーシュだったが、ナオトの助言は素直に胸に留めておくことにする。


「言われなくても、そのつもりですよ」


 だから、ルルーシュは抗議する代わりに、今自分にできる精一杯の強がりで答えておいた。そんなルルーシュの様子をナオトは目を細めてうれしそうに見ているものだから、ルルーシュは自分がまんまとはめられてしまってみたいで余計に面白くない。


「ルルーシュ、お母さんが呼んでるからこっち来て!」


 噂をすれば何とやら、二人の間に割って入ってきたのは部屋の外からルルーシュを呼ぶカレンの声であった。ナオトは「それじゃあ」と言ってカレンの下に駆けていくルルーシュに手を振って見送る。視界の端にその光景を捉えたルルーシュがまた憮然とした表情を浮かべたのを見てナオトは、「からかいがいのある奴だな」と新たなルルーシュの一面に笑みを浮かべた。


「弟のいる生活も悪くないかもしれないな」


 そう一人呟くと自室の方へと足を進めたナオト。今日はこれから仲間内での集まりがある。そろそろ皆本格的にレジスタンス活動に興味を示し始めてきていた。そう、護りたいものがあるのなら時には闘う必要があるのだ。きっといつかルルーシュも彼の大切なものたちのために闘わなくてはいけない日が来るだろう。それまでは、自分が護ってやろう。ナオトはそう心に決めるともう一度「弟か…」と呟いた。










Scene3.記憶 と 思い出


「写真を撮ろう!」


 ルルーシュが紅月家を出て行くその日、朝早くからどこかに出ていたナオトが返ってくるなりそう言った。彼の右手にはインスタントカメラが握られていて、なぜか彼の後ろにはいつもこの家に集まっているメンバーがそろっていた。そして、その中に紛れて麻倉家の姿も見える。


「記念にってわけじゃないけど、思い出になりそうなものを残しておきたいんだよ」


 嫌がって最後まで写真を撮られることを拒んでいたルルーシュだったが、ナオトにそう押し切られて少しだけならという条件で写真を撮ることを承諾した。まずはその場に集まった十数人全員でルルーシュを囲むようにして撮影会は始められた。


 しかし、人間がこれだけ集まれば悪乗りしだす人間が必ずいるものでルルーシュはしばらくの間まるでおもちゃのようにあっちへ引っ張られ、こっちへ引っ張られ、と散々な目にあうはめに。


 大方カメラの制限ギリギリまで撮り終える頃には、ルルーシュはぐったりと疲れ切った表情をしていた。これから人生をかけた交渉事に向かうというのにこんなことでいいのだろうか、と思いもしたが今日でこんな騒ぎも最後かと考えるとどこか感慨深い。


 ナオトの友人たちにもいろいろと世話になったし、紅月の家には語り尽くせないほどの感謝の念を抱いている。ここを離れるとなるとやはり名残惜しい。


 けれど、だからこそルルーシュにはここを出ていき強くなる必要がある。護りたいものがここにはたくさんできたから。これから待ち受けているだろう苦難もそのためなら耐えていけるはずだ。未だに騒ぎ続けている面々に視線を移すルルーシュ。呆れながらも、この光景をしっかりと目に焼き付けておいた。


 写真は記憶をそこに留めておいてくれる。おそらくルルーシュはこの写真を自分が手にすることはないであろうと思っていたので、せめてこの光景を思い出として想いだけでも胸の内に刻みつけておこうとする。辛いことも、悲しいこともたくさんあったゲットーでの生活。けれど、なにものにも代え難い記憶と思い出をくれたこの生活を忘れることはないはずだ。


 ルルーシュが一人感慨にふけっているとナオトが手招きをしている姿が見えた。何事か近寄ってみるとそこにはカレンもいる。なぜか顔を赤くしてルルーシュと視線を合わせようとしない。事態が把握できず「何か?」とルルーシュがナオトに問う。


「ああ、カレンがお前とツーショットで…」

「お兄ちゃん!」

「分かったって…俺がどうしても二人の写真を撮りたいからそこに並んでくれるか?」


 そんな二人のやり取りに首を傾げながらもカレンの隣に並ぶルルーシュ。心なしかカレンの顔は先ほどまでよりも赤く染まっているようにも見える。


 一方、カレンはナオトが変なことを言うものだから、内心どぎまぎしていた。二人だけで撮ってやろうかと訊いてきた兄に、恥ずかしかったけれど頷いただけだったのに…。変に誤解されても困るとルルーシュの様子を窺って見たが、不思議そうに首を傾げているだけ。それはそれですっきりしないのだが、この際どうでもいいかと思い直してルルーシュの隣に並んだ。


 それから写真を撮るまでの間ナオトが「もっとくっつけ」だとか「手を握れ」なんてことを言うものだから、その度に撮影は中断になってしまう。結局普通に横に並んだままでの撮影となり、その一枚でフィルムの限界がきてしまったため撮影会も終了となった。


 終了とともに後は紅月家の三人で見送りをしたいだろうからと他の面々は帰っていった。


「すっかり疲れた顔してるな…」

「今日、これから大丈夫かしら…」

「相変わらず体力ないわね…」


 こういった疲労感はおそらく体力の有無とはまた違うところにあると思っているルルーシュだったが、あえて反論はしなかった。最後の最後で喧嘩別れなんて馬鹿げたことは嫌だったので。


 それに、とルルーシュは思う。確かに疲れはしたがそれ以上に有意義なものをもらえた気がしていた。ゲットーで得た記憶も思い出も忘れることなくいよう。そう思うだけでルルーシュの気持ちが晴れ渡っていく。


「ありがとう」


 自然とこぼれた言葉にルルーシュ自身驚いたが、それは彼の嘘偽りのないそして飾ってもいない心からの思いであった。一瞬驚いた顔をしていた紅月家の三人もすぐに笑顔に変わっていく。


 それから一時間ほど休んだ後、ルルーシュはようやく旅立っていった。





 その後、ちゃっかり和美がルルーシュとツーショットで写真を撮っていたことを知ったカレンは、後れを取っていたことに少しの敗北感と、大きな対抗心を燃やすことになるのだが、これもまた別のお話。





[10962] Stage4.色を 変える 世界(前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:43

「アッシュフォードがこのエリアに学校を?」


 トウキョウ租界のビジネス街に並び立つ高層ビル。その一棟の最上階に位置する部屋に二人の男がテーブルを間に挟み、向き合う形でソファに座り会話を交わしている。


 尋ねた方はまだ若く、少しくすんだ茶髪はきっちりと中分けされ、軍服に身を包んでいる。そしてもう一人は恰幅の良い初老の男で、着ているものは高そうなスーツだ。


「ええ、我々の出方を窺っているのか…もしくは」

「片割れを誘っているか…でしょうねぇ」


 軍人と思われる男はさも愉快そうにそう言いながら懐に手を入れ、取り出した煙草に火をつけた。ふぅ、と吐き出された紫煙が輪の形をなして浮かんでいる。


「よほどあなたが裏切ったことが堪えていると見える」

「裏切ったとは人聞きの悪いことを。私どもは現状では、行方知れずということになっておるだけです」

「それとて今だけは…ということに違いはないでしょう?」


 軍服の男は身体を深くソファに沈め、何がおかしいのかクスクスと笑い続けている。一方、紳士風の男は表情どころか姿勢も背を伸ばしたまま一切変えていない。その態度だけを見ていればスーツの男のほうがよほど軍人らしい。


「まあ、どちらにしても私たちの目標であった皇女殿下は手中に収めたわけですから放っておいても問題はないでしょう。それに、今のアッシュフォードにできることもたかが知れていますからねぇ」


 フィルター辺りまで短くなった煙草を灰皿にぎゅっと押し付けてから、立ち上がった軍服の男がこの部屋の出入り口へ歩を進める。その出入り口の傍にはもう一人、軍服を着た長身の男が背筋を伸ばして立っており、若い茶髪の男が隣に立つと教本通りの敬礼をして見せた。


「そろそろ行こうかサハロフ君」

「イエス・マイロード」


 その様子を見ていた紳士風の男が相変わらずの無表情で尋ねる。


「奴隷狩りですかな?」

「奴隷?違いますよ、ナンバーズはどうしてなかなか反抗的ですからねぇ。言うならば飼い主の手を噛もうとするくせに、結局は搾取されることしか能のない家畜といったところですよ」


 そこまで言うと茶髪の方の軍人はもう一本煙草に火をつけてから、再びクスクス笑い始める。


「それを私が奴隷に、つまりは人間として扱ってやろうというのですから、まったく、ナンバーズには感謝してほしいものです」


 紫煙をくゆらせたまま軽薄そうに言うと、今度こそ紳士風の男に背を向けて手をヒラヒラと振った。背を向けたままでもクスクスと笑う声が聞こえる。


「それではまた後ほどお会いしましょう。アシュレイ・ダングルベール卿」

「ええ、それではまた、オーセリー・ベルトゥーチ大佐」


 わざとらしくフルネームで互いを呼び合う両者。大佐と呼ばれた男、ベルトゥーチは先ほどまでの微笑ではなく、今度は声を上げて笑い始める。自動ドアが閉まるまでの間、室内にもベルトゥーチの下品な笑い声が響いていた。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage4.色を 変える 世界(前編)










 ルルーシュが立ち直った次の日、改めて麻倉家の面々がお礼を述べるために紅月家を訪れていた。その時、カレンがどうしてもと言ったものだから、仕方なく真実を話してルルーシュを麻倉家にも紹介することとなる。カレンは、麻倉の命を救ったのはルルーシュなのだから当然だと思っていたし、ルルーシュもうれしいはずだとも思っていた。


 一方、ルルーシュはこの事態に困惑していた。ブリタニア人に助けられたといってもあまりいい顔はされないだろうと思っていたし、下手をすれば紅月家にまで迷惑をかけかねないとも思っていた。思っていたのだが…。


「あ、あの私、麻倉和美っていいます。それで、その、く、薬…ありがとうございました!」


 がばっと音がするほど勢いよく頭を下げた麻倉和美。その娘の姿につられたのか麻倉夫妻も深々と頭を下げてみせる。過剰と言ってもいいその態度にルルーシュは返す言葉を持っていなかった。


 結局その後、しどろもどろになりながらも麻倉家の面々とあいさつを交わすルルーシュを嬉しそうに見つめるカレン。そして、簡単にルルーシュが紅月家で世話になっている経緯を麻倉夫妻に説明しているナオトとその母の姿がそこにはあった。どんな説明の仕方をしたのかはルルーシュには分からなかったが、麻倉夫妻は思いの外友好的な接し方をしてくれた。


 なぜかその間、麻倉家の娘、改め麻倉和美は両親の影からルルーシュをちらちらと窺っている。最初はブリタニア人だから警戒されているのかとも思ったが、怯えた様子も威嚇してくるような様子もない。ルルーシュには何が何だかよく分からなかった。


 それからさらに2日後、ルルーシュはゲットーの顔役たちと面談し、紅月家の居候としてゲットーでの生活を許された。中にはやはりルルーシュを嫌疑の眼差しで見る者も少なくなかったが、薬の一件と若手のリーダー格であるナオトの推挙もあって、比較的穏やかに話がまとまった。


 それでもしばらくは差別の対象となって生傷が絶えなかったし、遠巻きに見ているばかりで近付こうとするものは少なかった。ルルーシュからすればそれは当り前のことであり、避けては通れないことであると分かっていたので気にする素振りも見せない。


 むしろそのことを気にしていたのは紅月家の面々で、母は何一つ悪くないのに力が足りずにごめんなさいとあまっていたし、ナオトはそういった差別をやめるように周囲を説得してくれていた。カレンにいたってはルルーシュが外に出る時は頑なに傍にいようとしていたほどだ。


 そしてなぜかその間も、和美はちょくちょくルルーシュに会いに来ては世間話にもならないような会話をして帰っていった。自分と一緒にいれば奇異の目で見られるだろう、と説得してみてもやはり、次の日になると和美はルルーシュに会いに来る。どうにも、ルルーシュには訳が分からない。





 そんなルルーシュが認められるようになっていったきっかけは、租界への買い出しであった。


「重い…」

「重いって…あんたねぇ、私より持ってるもの少ないじゃない!」


 ゲットーで不足しがちな生活必需品を租界へ行き買ってくる。それはブリタニア人であるルルーシュならば容易にできることであったため、ゲットーでの生活を許される代わりにと自発的に行っている。とはいえ、ルルーシュも子供で一度に複数の物を運ぶことは困難であったため、休日はこうしてカレンがそれに付き合っていた。


「男のくせに体力なさすぎなんじゃない?」

「そう言う、お前は、女のくせに、になるぞ」

「私も自信あるって言った手前、普通とは言わないけど…あんたのはいくらなんでもなさすぎ!ホントに九州から歩いてきたの?」

「こんな、大荷物は、も、持っていなかった、から、なっ…!」


 毎回、息を切らせながらよろよろと両手に袋を下げて帰ってくるルルーシュ。だが、そのおかげでゲットー内の物資不足も少なからず改善されてきていた。最初の頃は施しなど受けないとしていた者達もいたが、徐々に徐々にルルーシュの行いは認められるようになっていく。


 そしてその間、和美は物資を受け取りに来ている日でもなくても、その都度ルルーシュに「ありがとう」とお礼を述べに来ていた。やっぱりルルーシュには和美に懐かれる理由が分からない。そして、その度にカレンが喜んでいるとも、怒っているともとれる、見たこともないような表情をしているのかも分からなかった。










 一年も経つ頃にはすれ違えばあいさつを交わしてくれる人も出てくるなど、ルルーシュはゲットー内での立場を築きつつあった。それでも未だに彼を信用せず、租界から買ってきた物に手をつけようとしない人々も存在する。そこにはルルーシュの思っていた以上に根の深い遺恨が存在しているようだ。受け取りを拒否される度に悲しくもあったが、なによりそれをどうにもできない自分を悔やんだ。


 助ける力を持っていて、その力を困っている人のために使っているのに、その救済の手は振り払われる。それがいかに今の自分に精一杯出せるだけの力だとしても、そこには限界が存在するのだということをルルーシュは学んでいく。


 そして、その限界を超える力を得るためにはゲットーにいるだけでは駄目なのではないか、とルルーシュは考え始めていた。それこそ、ブリタニアを崩壊させられるだけの力など手に入らないのではないかとも。


 だからと言って、ルルーシュにはゲットーの外にいる知人などアウグシュタイナー家の人間しかいない。自分の素性を考えるとナナリーの行方が知れない今、迂闊に預け先の家を頼ることなどできるはずもない。


 ほんの些細なきっかけでもいいから、現状を打破できる機会を見つけようと必死でもがいてはいるが現実はそんなに甘くはない。それを知っているからこそに余計に焦りが生まれてくるルルーシュ。つまり、その時のルルーシュは八方ふさがりの状態に追い込まれていたのだった。


「はぁ…」


 最近では一人になるとため息まで出る始末だ。今のルルーシュに出来ることといえば本を読み知識を蓄えることくらい。それもゲットーに置いてある程度のレベルの本であるので良書と言えるものは少ない。ルルーシュにはそんな毎日がもどかしく感じられていた。その上、この生活も不自由ではあるけれど、居心地がいいので甘えそうになってしまう。


「なぁにため息なんかついてんのよ。今日も租界に行くんでしょ?」


 言外に、私もついて行く、と支度を始めるカレン。ルルーシュはこの気持ちを何度かカレンにでも相談しようかと思ったこともあるが、つまらないプライドが邪魔をして結局未だに誰にも相談できていない。ルルーシュはもう一度ため息を吐くと陰鬱な気分を引きずりながらも租界へ出かけるために重たい腰を上げた。










 最近のルルーシュは元気がない。それはカレンにもよく分かっていた。ようやくみんなから認められるようになって、一人でゲットーを歩いていても襲われることも無くなったというのに。


 カレンはルルーシュが来てからの一年間を思い返してみる。最初からしてまともなやつだとは思っていなかったが、その通りだった。質問には質問で返すは、変なところで偉そうだは、頭でっかちのくせに体力は壊滅的に足りていないは…。世間ではこんな男をまともだという人間は滅多にいないだろう。そう思うのだが、ルルーシュは猫を被るのがうまいらしく外部の人間にはそういった本性を暴かれていない。カレンからしてみれば、こんなに嘘を吐くのが下手糞なやつはなかなかいないというのに。


 けれど、なにも嫌な奴だと思っているわけでもない。芯の通っているところがあるし、以外と律儀な奴だし、体力はないけど根性はあるし、それから変なところで優しいし…。なにより、ルルーシュはカレンの知っている誰よりも強い意志を持っていた。時々頼りないけれど…。


 それに約束もある。一緒に優しい世界を作るのだと誓い合った仲だ。今では母や兄と同じくらい信頼できる相手でもある。と言っても懸念事項がないわけではないが。


 そこまで考えを巡らせたカレンがちらりと横を歩くルルーシュを盗み見る。信頼はしている。けれど、ルルーシュはあまり自分のことを話したがらない。未だに多くの謎を抱えたままで真実を語ってはくれない。カレンにはそれが少し不安だった。信頼しているのはこちら側だけで、ルルーシュはまだ完全に信頼してくれていないのではないかと。そう思うと胸がチクリと痛んだ。


 カレンは右手の手のひらを開きじっと見つめてみる。一年前に交わした握手と誓い。互いに力になると約束した。その誓いが有効である限りルルーシュを疑うようなことはしたくはない。だから、カレンはじっと待っている。いつか彼が全てを語ってくれる日を。そして、それまで自分はずっと彼の傍にいて、彼を支えよう。


 そう思い直してからいったん冷静になってみると、随分と恥ずかしいことを考えていた気になってきたカレン。ずっと傍にだなんて何を考えていたんだろう、と思うと顔が赤くなることを止められない。カレンは変な想像はやめにしようと勢いよく首を横に振ったのだが…。


「……一人で何をやってるんだ?」


 カレンがはっとなって顔を上げると数歩ほど前にルルーシュが立っていた。せっかく湯でった思考を覚まそうと思っていたカレンにしてみればこれでは逆効果だ。先ほどよりも顔が赤くなっていくのが分かる。


 けれど、その恥ずかしささえも一瞬で忘れさせてくれることが、ルルーシュの才能の一つでもあることをカレンは知っていた。いや、思い知らされていた。


「ボケっとしているとおいて行くぞ」


 思わずカチンとくる。こっちはあんたのこと心配してやってたていうのに、あんたは言うに事欠いてそう仰るわけですね。今度は怒りでカレンの顔が赤く染まっていく。


「誰が誰をおいて行くって?あんたの体力で私をおいて行けると本気で思ってるの?」

「っぐ…!」


 ルルーシュが言葉に詰まったのを見て取ると、カレンは勝利の微笑を浮かべた。カレンは口でルルーシュに勝てることは滅多にないため、何だか無性にうれしい。ただ、それも今のルルーシュにいつもの気力というか元気というか、そういったものが足りていないせいであることは想像がついたので、すぐにその微笑も引っ込めた。


 こういう時こそ私が支えてあげなければ。そう思ったカレンはうん、と一度頷いてから、ルルーシュの手を取ってぐいぐいと引っ張って行く。ルルーシュが何か抗議の言葉を発しているようだがそれも無視して歩き続ける。ルルーシュのことは知りたいけれど、今はルルーシュを元気づけることが最優先だ。結局そういう結論に至ったカレンは、どうやってこの少年を元気づけたものかと思考を巡らせ始めた。










 それから約3時間後、二人は目的のものを全て買い終えて帰宅の途についていた。この時点ですでにルルーシュはぐったりとしていて、例によって今日もカレンの方が重い荷物を持っている。


 買い物の間は悩む暇もなかったのか今のルルーシュの表情は疲労感でいっぱいだ。カレンもカレンで未だにどうしたらいいものか分からず仕舞いで、自然と会話は少なくなっていた。これでは駄目だと分かってはいるが何を話したものか判断に迷う。


 こんな時にルルーシュが興味を示しそうな話などそれこそ妹の話ぐらいだ。たまにナナリーのことを話すルルーシュだが、その時ほど彼の表情が輝いている時は他にない。その光景はほほ笑ましくもあったが、カレンはそのことが少し悔しかった。自分、いや、自分たちではルルーシュにそんな顔をさせることができないから。


 カレンは一瞬考えてしまったことに再び頬を赤く染めた。そう、あくまでも“自分たち”であって“自分”ではない。断じて否!うん、うんと何度も自己完結した結論に頷いて見せる。


 一方ルルーシュはそんなカレンの仕草に気付きもせず、両手の袋をまるで引きずるようにしてとぼとぼと歩いている。これでもこの一年間で体力はついているはずなのだが、なぜかいつまで経ってもこの買い出しはまるで苦行であるかのようにルルーシュを苦しめる。


 これも一種の力の限界なのかもしれない。そんなことを考えていると、重機が何台も連なって移動している光景に出くわした。


 このトウキョウ租界では何も珍しい光景ではない。戦後再建や、ブリタニア本国から進出してきた企業のビル群が建設されるなど、租界は日々その姿目まぐるしく変化させていっている。


 今度は何ができるのだろうかと思い重機の行方を目で追ってみると、かなり開けた土地が広がっていた。ルルーシュは、あんなに広い土地に一体何を建てるつもりなのか興味を惹かれて立て看板を見てみる。しかし、そこに書かれた文字を読んだ瞬間ルルーシュの動きが止まった。





 カレンが気付いたときには随分とルルーシュとの距離が開いてしまっていた。自分で自分に言い訳をしているうちに、おいて行ってしまったのか、それともとうとう彼に体力の限界が訪れたのか、と思い来た道をルルーシュの元まで引き返す。


「なにしてるの?ホントにおいて行くよ」


 ルルーシュからの返答はない。


「まさかへばったってわけじゃないでしょうね?」


 そう話しかけてみてもルルーシュからの反応はない。よくよく見れば、ルルーシュは道路の向こう側に立てられた工事現場の看板を凝視していた。つられてカレンもその看板を見て、書かれている文字を口に出して読んでみたが、それのどこにルルーシュがここまで強い興味を示しているのか分からない。


「アッシュフォード…学園、建設予定地?」


 その時すでに、ルルーシュの頭の中で一つの“賭け”とも言える考えが渦巻き始めていた。






[10962] Stage4.色を 変える 世界(後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:45


 ああ、まただ…。それがカレンの租界に帰ってきた瞬間に思ったことであった。


「ル、ルルーシュ君。お疲れ様」


 カレンは今日もまた形容しがたい感情を持て余していた。租界から帰ってくるなり和美がルルーシュに走り寄って、「おかえり」だとか「お疲れ様」だとか労いの言葉をかけてきたからだ。


 ルルーシュが周囲に認められるのはカレンとしてもうれしい。だが、和美の行動だけはどうして心の底から喜ぶことのできない自分がいる。なぜと問われてもうまく説明できないけれど、ともかくカレンは何かが気に入らない。


 そして、もう一つ気に入らないことはルルーシュが満更でもない感じであること。少なくともカレンにはそう見える。これも、なぜと問われたところでうまくは説明できない。カレンには、なんだか胸の奥がざわつくとしか言えないのだ。


 カレンにも和美がルルーシュのことを好きであろうことぐらいは分かる。だとしたらこれは嫉妬という感情ではないのだろうか。そう考えた瞬間、頭を横に振る。それはありえない、そうカレンは思っていた。なぜなら、これが嫉妬というものならば自分もルルーシュが好きだということになる。そんなことはないはずだ。たぶん、いや、きっと。だとしたらこの感じは一体何なのかは、やはりカレンには分からずじまいだった。


 今日もまたそんなもやもやした気持ちもまま家に帰るのかな、とカレンは思っていたがどうもルルーシュの様子が変だ。そう、ちょうどあの看板を見たあたりから。和美の言葉にも生返事しか返さない。人の話を聞かない時、それはルルーシュが何か考え事をしている時のサインだ。


「うう…カレンちゃん、私嫌われちゃったのかな?」


 流石にいつもと違うルルーシュに様子に気付いた和美がカレンの横に並ぶ。カレンは和美とルルーシュ関連でこの一年間の間に随分と親しくなったが、この少しおどおどしたところは直してもらいたいものだと常々思っていた。なにしろ和美は背が高い。カレンがつま先で立ってようやく同じくらいの身長だ。それなのにこの性格が邪魔をして縮こまっているものだから、実際の身長よりも小さく感じられる。


「別に嫌われてるわけじゃないと思うけど…あいつ、考え事してる時はいつもあんな感じだから」


 だからと言ってそう簡単には変われないのが人間の性というものだ、とこの一年間の付き合いで実感していたカレンはあえてそのことには触れずにおいた。


「そうなんだ?」

「そう…後は肘ついて手の甲に顎をのせてる時もそうかな。何かに集中してる時はだいたいあんな感じだよ、あいつ」

「やっぱり、カレンちゃんはルルーシュ君のことよく知ってるよね」


 そう言った和美の声はどこか羨ましそうだった。


「そりゃあ、一緒に住んでればそうなるって」

「…そういう意味じゃないんだけどな」

「へ?」


 和美の最後の言葉は小さくて聞き取りづらかったので思わず聞き返してしまうカレン。しかし、当の和美は慌てて手と首を横に振りながら「な、何でもない」と言って黙ってしまう。その顔は少し赤く染まっていた。


 結局その日、ルルーシュは一日中その調子で、カレンも和美もやきもきした気持ちのまま過ごすことになった。


 その時にはまだルルーシュが何を考えているのか二人には知る由もなかった。















 次の日になってもまだルルーシュは何かを考えているようだった。自室に閉じこもってなかなか出てこない。おまけに今日はナオトがぞろぞろと仲間を連れて集まって来ていたので、カレンも部屋に閉じこらざるをえなかった。いつもならその中に雑じっていてもとやかく言われないのだが、最近はそれを許してくれない。それもここ何週間は、いつもより頻繁に集まりが開かれるようになっている。そんなわけで、その日のカレンは暇を持て余していた。


 それ以外はいつもの通りその日も比較的穏やかに終わるはずだと、カレンはそう思っていた。










「ゲットーを出る?」


 その日の夜、ナオトの仲間たちも帰り夕飯も済ませた頃になって、ルルーシュは話があると言って三人を居間に集めてからそんなことを言い出した。


「はい。今度、租界に越してくる知人のところでお世話になろうかと考えています」


 三人とも言葉を失っていた。ルルーシュはそんな兆候は今まで見せてこなかったから。ようやくゲットー内での立場もしっかりとしたものになってきていたし、ルルーシュ自身ここでの生活を気に入っているふしもあった。初めのころこそ遠慮して出ていった方が良いのではと言っていた時期もあったけれど、今ではすっかり紅月家の一員となっていただけに、この時期に再びその言葉を聞くとは思ってもみなかった。


「勝手なことを言ってすみません…けれど、俺にとって必要なことなんです」


 しかし、あの頃と違うこともある。遠慮からそう言っていたころとは違い、今のルルーシュの表情や声色からは並々ならぬ決意を窺うことができるのだ。それゆえに今回は本気で出ていくつもりであることが分かる。今までとて本気であったことに違いはないであろうが、その度合いがまるで違う。


 だからと言って、そう簡単にそれを許すわけにもいかない。ルルーシュの置かれている境遇はそう甘いものではないからだ。家出した家にも戻ろうとしなかった上に、彼の妹からの手紙にも書かれていた、素性がばれてはいけないという言葉。それらの点から鑑みるに、ルルーシュが唯のブリタニア人でないことくらいは予想がつくというものだ。彼の気持ちを考えてあえて深くそのことを追求することは避けてきたが、心配であることに変わりはない。


「失礼だけれど、信頼できる方なの?」


 母はルルーシュの意志を尊重したい気持ちもあるが、今は何よりも彼の安全を優先したかった。一年前に見たようなルルーシュの打ちひしがれた姿はもう見たくはなかったから。だから、せめて大丈夫であるという確証を彼の口から聞かせてもらいたかったのだが…。


「いいえ、そう易々と信頼していい相手でないことは確かです」


 ルルーシュは顔色一つ変えることなくそう言い放った。唖然とする面々に対してルルーシュはなおも言葉を続ける。


「遅かれ早かれその人たちも俺のことを見限る可能性は非常に高い。だから、これは一種の賭けなんです」


 その言葉を聞いた途端、ナオトが立ちあがりルルーシュにつめ寄った。


「賭けって…分かってるのか、それは自分の命を代償にするってことだぞ?!」


 それでもルルーシュの表情は変わらない。決意をにじませたままナオトの顔を見つめ返した。


「分かっています…でも、ここにいるだけじゃあ俺の望む力は手に入らない!」


 思わず声を荒げてしまったことにルルーシュは若干苦い顔をしたが、ここで引き下がるわけにもいかない。とても傲慢で、我が儘なことを言っていると思ってはいるが、引けない理由がある。ルルーシュには、止められてでも、嫌われてでも、ゲットーを出ていく覚悟が既にあった。


「どうしても叶えたい、譲れない約束があるんです…そのためにはここで過しているだけじゃあ駄目だから」


 覚悟はできている。けれど、この一年間、親身になって自分に接してくれた紅月家の三人には、できれば嫌われたくないと思う自分がいることにルルーシュも気付いていた。これも、ただの弱音だとは彼自身も分かっている。ただ、いままでそれを許容し甘えさせてくれたこの家の人々には特別な思いを抱いているのも確かだ。それはまるで失ってしまった日々に感じていたような、そんな優しい気持ちを。


「今まで、俺みたいな素性も何も知れない人間をこの家においてくださってありがとうございました。…何か俺のことで訊いておきたいことがあれば、今のうちに訊いてください。今なら、嘘も何も吐きませんから」


 ああ、また甘えてしまっているな、とルルーシュは思う。黙っておくことが辛く感じるから訊いてくれだなんて…甘えもいいところだ。言わないでおいた方がきっとどちらも穏やかに過ごしていけるはず。そう分かってはいても、ルルーシュはこの三人に隠し事したまま出ていってしまうことには気が引ける。だから、もし訊かれたなら真実を全て話してもかまわないつもりでいた。


「…いつここを出ていくつもりなの?」


 そんなルルーシュの覚悟に反して、投げかけられた疑問はありきたりなものだった。それに面喰ってしまったルルーシュであったが、きっとこれから徐々に真実に迫ってくるのだろうと思い直す。


「早ければ明日にでも…」


 それは、あまり長くいてしまえば覚悟が鈍るかもしれないことを恐れてのこと。それほどここでの生活はルルーシュを安らがせてくれていた。


「そう…寂しくなるけれど、ルルーシュ君がそう決めてしまっているのなら反対はしないわ」


 そう言うと母はルルーシュを抱き寄せて「気をつけてね」と優しく囁いた。ルルーシュが覚悟を決めていることは嫌というほどに伝わってきていたから、母は自分も覚悟を決めなくてはと考えていた。自分の手の内から飛び立とうとしている少年をきちんと送り出してやる覚悟を。


 これに驚いたのはルルーシュで、どうして何も訊かずに送り出そうとしてくれるのか分からない。


「……何も訊かなくていいんですか?」

「訊きたいさ。でも、こんな形じゃなくていつかお前が自分から話してくれる時を待つよ」


 ルルーシュがそう答えるナオトの方を見ると、そこには優しく微笑んだ顔があった。ナオトもまたルルーシュの覚悟に応えてやりたかったから。できればもう少し大きくなるまで守っていてやりたかったが、今日のルルーシュの顔を見ていたら思っていた以上に強い子だと感じられた。だから、ここは素直に送り出してやろう決める。


「待つって…出ていくんですよ、俺?」

「だからと言って会えなくなるわけじゃないだろ?」


 唖然とするルルーシュをよそに、母がその言葉を継いだ。


「ここもあなたの家なんだから、当然でしょ?」


 ルルーシュは目頭が熱くなることを止められなかった。目の前の人たちは自分を、ブリタニア人である自分を、ここまで受け入れていてくれたのかと思うと涙が出てきそうになる。けれど、ここで泣いてしまっては不安がらせてしまうかもしれないと考え、必死で涙を押しとどめた。


「あなたはもうこの家の一員なんだから、いつ帰ってきてもいいのよ」


 帰ってくる。確かにそう言う感じかもしれないとルルーシュは思う。アッシュフォードの下へと、再びブリタニアの下へと歩を進めようとも、そこに帰って行くという感覚は微塵もなかった。確かに、帰ってくるというのならこの場所をおいて他にはない。


「…ありがとう、ございます」


 自分にも帰るべき場所がある。ただそれだけの事実がルルーシュにはひどく温かいものに感じられた。やはり、この場に涙は似合わない。そう思い今のルルーシュにできる限りの笑顔で応えてみせる。


 そして、ルルーシュはその胸に新たな決意を刻みつけた。今度こそ大切なものを守って見せようと。そのために必ず力をつけて、そしてここに帰って来るのだと。


 こうして、その騒動は穏やかなままに決着がついた。カレンがその間、一言も発さなかったことを除けば…。















 カレンは自分の部屋に置いてあるベッドの上で膝を抱えていた。


 ルルーシュが出ていくと言ってから既に二時間が立っていたが、カレンは未だに心の整理ができていなかった。居間で話を聞いていた時も、こうして一人で考えてみても一向に胸のざわめきが治まらない。いろいろな言葉だとか、感情だとかが頭の中をぐるぐると回っていて一つ所に落ち着かない。そうこうしている内に、胸のざわめきはだんだんと痛みに変わっていく。


 トントン、と不意に扉をノックする音がカレンの耳に聞こえてきた。そして、その相手とはこういう時に限って今一番会いたくないような、会いたいような、そんな奴で…。


「カレン、起きてるか?」


 いつもの通りのルルーシュの声が聞こえる。元気のなくなる前に聞いた声が聞こえる。それが今のカレンには余計に苦痛を与えた。彼が出ていってしまうのが、もうどうしようもない確定事項であることを再認識してしまうようで。


 それでも会って話をしたいという衝動に駆られるまま、カレンは自室の扉を開けた。


「どうしたの、こんな時間に?」


 ルルーシュの決意を鈍らせるようなことはしてはならないと思い、わざといつも通りの自分を装うカレン。本当はどうしたらいいのか分からなかったからなのだが。


「…少し話したいことがあるんだ。入ってもいいか?」


 少し間をおいての返答。カレンはうん、と一度頷いてからルルーシュを部屋に入れた。明かりをつけようと数本の蠟燭に火をつける。ゲットーでは電気の供給も完全ではないため夜中はこうして暗がりをしのぐことが多い。


 二人はそのままベッドに並ぶように腰かけた。話があると言ってきたはずのルルーシュはなぜか黙ったままで、しばらくの間、部屋の中を静寂と蝋燭の微かな明かりが支配していた。


 カレンはちらりと隣のルルーシュの横顔を盗み見る。その顔は蝋燭の揺らめく火に映し出されていて見えにくかったが、視線が下を向いていることは分かった。それは、ルルーシュが何かを堪えたり、言い出しかねている時のサインだ。カレンはこの一年間でルルーシュの癖や行動の傾向をしっかりと把握していた。それだけ、ルルーシュの隣にいて、彼を見続けてきたのだ。


「話…あって来たんじゃないの?」

「ああ」


 カレンが声をかけてみると、ようやくルルーシュが口を開く。重苦しい雰囲気がそこにはあった。その重圧にカレンの心は今にも押しつぶされそうだ。たまらず、ぎゅっと目を瞑って耐えようとしたのだが…。


「まだ、お前に謝ってもらっていないのを思い出してな…」


 ルルーシュはそんなわけの分からない言葉をのたまってくれた。先ほどまでの重圧などどこへやら、思わず「はぁ?」と上ずった声で訊き返してしまう。


「一年前、俺の髪で遊んだことだ!あんな、おかっぱだとかいうふざけたカツラみたいな髪型にしてくれたくせに、まさか忘れたなんて言うつもりじゃないだろうな?」


 ああ、とカレンもその時の記憶を呼び戻す。ルルーシュの伸びた髪を切るということになったとき、何を考えたのかカレンがその役を買って出た。案の定、見事に失敗してしまい、その後を継いだ母がなんとか修正したのだが、結果としてルルーシュは不自然なまでに切りそろえられた髪型にされてしまったのだ。思わず言葉を失いそうになるが、今さらそんなことを引き合いに出してくるルルーシュにむかっときて反論を返す。


「…そんな昔のこと今さら持ち出さないでよ!それに、それって今話さなくちゃいけないほど重要なこと?」

「重要なことかだと?あの後どれだけ俺が笑いものにされたかを、お前もその眼で見ていただろう!しかも、お前まで一緒になって笑っていた!」

「そりゃあ笑っちゃうわよ、あんな格好!」


 だんだんと白熱していく口喧嘩。その最中でカレンはこれがまるでいつもの二人のやり取りであるように感じられた。くだらないことで口論になったり、張り合ってみたり。けれど、思い返してみれば決して不快ではなかった。遠慮なく本音をぶつけ合える相手であったし、楽しいことだってたくさんあった。


 だけど、明日にはルルーシュがこの家を出ていく。そうすれば、この生活にも終止符が打たれてしまう。そう思うとなぜだか視界が歪んでいった。突然さっきまでのルルーシュの声がやんだものだから、どうしたのかと顔を向ける。けれど、視界が歪んだままで彼がどんな表情をしているのかまでは見分けがつかなかった。


 不思議に思っているとルルーシュがハンカチを持った手をカレンの顔の方に伸ばしてきた。そのハンカチが目のあたりに触れた瞬間、一瞬だけ視界が正常に戻る。その時になってようやくカレンは自分が泣いていることに気がついた。さっきからルルーシュがいくらハンカチで拭っても途切れることなく涙が溢れてくる。


「…すまない」


 泣き続けるカレンの涙を拭いながら、ルルーシュが謝罪の言葉を口にした。


「なんで、謝る、のよ…」


 こみ上げてくるものが邪魔をしてうまく言葉を続けることのできないカレン。


「いつもみたいに接してみれば緊張もほぐれるかと思って…逆効果だったな。それと、何も相談せずにいたことも」


 相談されていたら、どうしていただろうか。カレンはルルーシュの譲れないと言った約束のことも、叶えなくてはならない目標があることも知っていた。だから、きっと相談されていても止めることはできなかっただろうと思う。


 けれども、やはり本音は違うところにある。


「私が、嫌だって言ったら…なんで、ブリタニア人のところになんか行くのかって言ったら考え直してくれるの?」


 離れたくない。その思いが、カレンにそんな言葉を口にさせる。ルルーシュが何か答えるよりも先にカレンが言葉を続けた。


「分かってる、こんなのただの私の我が儘だって。だから、答えなくてもいい…」


 離れたくない。だけど、ルルーシュの決意も知っている。だから、止めたりすることもしたくない。


「答えなくてもいいから…」


 力になると誓った。だから、今はルルーシュの背中を押してやろう。そう思い、カレンはルルーシュの前に右手を差し出した。


「答えなくていいから、もう一度約束して」


 自然と涙は止まっていた。一度自分の本音と向き合ってしまえば何と言うこともなかったことだ。なぜ胸がざわついたり、痛かったりしたのか。なぜ離れたくないと思ったのか。ああ、きっと私はルルーシュのことを…。


 涙の代わりに笑顔を浮かべて、カレンもまた決意を固めた。自分も強くなってみせると。


 ルルーシュがカレンの手を握る。一年前のあの時よりも力強く。少しカレンよりも背がたくなってきたルルーシュ。カレンにはそれがなんだか頼もしく見えてきていた。


「「優しい世界を!」」










 二人はそのまま夜が更けて、空が白み始めるまで思い出話に花を咲かせていた。楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、うれしかったこと。数ある思い出と、たった一つの誓い。それが今の二人の絆であることを再確認するかのように。


 カレンはその間、ようやく自覚した、昨日の昼には否定してみせた己の感情と向き合ってみた。その気持ちに嘘はないはず。たぶん、いや、きっと。


 けれど、今はその思いは胸に秘めたままにしておこうと決めた。ルルーシュの決意が鈍ってもいけないし、やはり返事を聞くのは少し怖い。いつか二人が強くなって、この気持ちときちんと向き合えるようになるその時まで秘めたままでいよう。麻倉になんか負けるものか!そう思うとなんだか照れくさかったが、これから先が楽しみにもなってきた。


 結局、カレンもルルーシュも話の最中に寝てしまいその日の騒動にもようやく幕が下りた。





 翌日の正午過ぎ、ルルーシュは一年間を過ごした紅月家、そしてゲットーを後にする。その細い体に揺るぎのない決意を秘めて。


 そして、その少年を見送る側も、それぞれの思いを胸に手を振って彼を送り出す。


 この時はまだ少年も少女も、二人の道が交わるものだと信じて疑わなかった。




















 その日は朝から雲一つ無いくらいに天気が良かった。日差しもそれなりに強い言えば強いが、頬をなでるように吹く風が心地よい。そんな日であった。


 そんな日に少年は瓦礫の山の上を歩いていた。辺りからは何かが焼ける臭いがするが、少年は足を止めることはせずふらふらと歩いて行く。


 やがて目的の場所にたどり着いたのか少年が足を止め視線を前に向けた。しかし、そこにも周りと同じようにただ瓦礫が積み重なっているだけで、特に何も気に留めるようなものはない。


 それを見た少年は膝から崩れ落ち、聞く者の胸を刺すような絶叫を上げた。


 その日、少年は再び帰るべき場所を失った。


 望むと望まざるとに関わらず、世界はその色を加速度的に変えていく。










次回予告

 アッシュフォードへと向かったルルーシュ、そしてゲットーに残ったカレン

 それぞれの身に降りかかる残酷とも言える運命

 そして、逃げることの許されない現実

 悲しみの果てに少年と少女が行き着く先とは…


Next Stage.悲しみ の 果てに



[10962] Stage5.悲しみ の 果てに (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:48

 ミレイ・アッシュフォードは元来お祭り好きで詮索好きな性格である。祖父の影響を色濃く受けたのか、幼いころからいろんな場所に顔を出し、いろんなところに首を突っ込み、成長した今でこそ滅多にしなくなったがこっそりと盗み聞きなんてこともしてきた。


 その性格も手伝ってか父のエリア11への視察にもついてきていた。アッシュフォード家は今でこそ落ち目の憂き目を見ているが、元々は大きな財団を率いてきた名家である。種々の事業に手を出しその影響力も多大なものを持っていた。今回は二年ほど前に新たなエリアとして平定された日本での学園経営へと乗り出そうというのだ。


 ミレイは自分が通うことになるだろう学校を下見しておくため、そして理事長への就任が決まっている祖父がすでに日本に滞在し建設指揮に携わっているので、その労いをするための同行であった。


 だがその道中、その祖父からかかってきた一本の電話によってその予定は全て覆されることとなった。その電話を受けた父の表情は難しいものへと変わり、次いで黙り込んで何かを考えるようなものへと変わっていく。その一連の行動はミレイの持つあくなき探究心をくすぐるのに十分な魅力を持っていた。


 トウキョウ租界につくなり、父は祖父のいるはずの建設予定地ではなくとあるホテルの一室へと向かうと言う。ミレイはこの状況にますます胸を躍らせていた。何が何だか分からないがそれが逆に彼女の興味を掻き立てる。


 そうして到着したホテルの最上階、そこはまるまる一階が部屋になっているような構造になっていて、居間の他に寝室が三つも付いていた。祖父はそこの居間のソファに腰掛け誰かと何かを話しているようだった。


 父がそちらの方へ歩いて行くのでミレイもそれについて行こうとしたが父に席を外すように言われてしまい、仕方なく寝室の一つへと入っていく。だが、それしきのことで彼女の高ぶる探究心を抑えつけることはできない。こっそりと寝室を抜け出すと、居間の方へと足音を忍ばせて近付いて行き聞き耳を立てる。


「それではアウグシュタイナー家を出た後、この一年間はどこでお過ごしになられていたのですか?」


 これは父の声だ。


「それよりもまずこちらの質問に答えていただきたい。ナナリーの行方をそちらは本当に把握していないというのだな?」


 この声には聞き覚えがない。けれど大人のものには聞こえない幼さの残ったままの声だ。それなのに何だか偉そうで、大人二人を相手にしているというのに全く物怖じしていない。


「我々も方々で手を尽くしてはいるのですが、ダングルベール家の足取りは未だに掴めておりません」


 その次に聞こえてきたのは祖父の声だ。父も祖父も子供相手だというのに言葉使いがいやに丁寧だ。


「ではこの失踪事件にはアッシュフォードは絡んでいないと?」

「我々を疑っておられるのですか、殿下?」


 その父の言葉にミレイは声を失った。殿下といえばそれは皇子、つまりは今父と祖父が相手をしている子供は皇族であるということになる。改めて周囲を窺ってみるミレイであったが護衛らしき者の影はない。皇族であるならば護衛の一人や二人どころか何人も引き連れていておかしくないはずだ。それならばなぜこの場には誰もいないのだろうか。


「当然でしょう。アウグシュタイナー家もダングルベール家もあなた方が推挙するからこそ潜伏場所として選んだのですよ?それがこのありさまでは信用しろと言うのには無理があるのでは?」


 その声の持ち主が気になってしょうがないミレイは少し身を潜めていた物陰から身を乗り出す。そこで見たものは、やはり思った通り一人の少年であった。父と祖父に対峙するように座り、油断なく鋭い眼光を二人に向けている。


「それに、その身分はとっくの昔に捨てたものです」


 そう言って視線を一度二人から切った少年が物陰に隠れていたミレイの姿を捉えた。さすがにこれ以上ここにいてはまずいと判断したミレイは音をたてないようにゆっくりと、しかしできるだけ速く寝室へと戻っていった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage5.悲しみ の 果てに










 結局その話し合いは三十分もしないうちに終わり、ミレイは父に居間へと呼び出された。覗き見ていたことがばれたのかと思ったが、そうではなく先ほどの少年とあいさつをしなさいと言う。


「ミレイ、こちらは私の知人の御子息、ルルーシュ・ランペルージ君だ。お前よりは一つ年下に当たるが、今度から同じ学校で学ぶことになる」


 ルルーシュと紹介された少年はミレイの前に立つと恭しく一礼してみせた。


「ルルーシュです。よろしく」


 ルルーシュの顔には微笑が張り付けられていた。まかり間違っても微笑を浮かべているのではない。文字通り胡散臭い微笑が感情を隠すための仮面として少年の顔に張り付けているのだ。少なくともその時のミレイにはそう見えた。盗み聞きしていなければ信じてしまっていたかもしれないが、あんな話を聞いてしまった後ではそう易々と信用のおける相手ではない。


「ミレイ・アッシュフォードです」


 ミレイは返礼をしながらも油断なくルルーシュを見つめる。それはルルーシュも同様で彼女の出方を窺っているようだ。


「私たちは少し席を外してくる。その間二人で大丈夫だな?」


 父の言葉に頷きながらも内心緊張が増していくミレイ。この状況で二人っきりになるだなんて、正直遠慮したいところではあるがそうもいかない。第一、いくらミレイが逃げようとしてもルルーシュはそれを許そうとはしないだろう。










「なんで私が盗み聞きしていたことを黙ったままだったのかしら?」


 父と祖父が部屋から出ていった瞬間、まずはミレイが先手を打つ。これから先は腹の探り合いだ。


「意味がないからですよ。あなたもアッシュフォード家の人間ならばいずれ知ってしまうことですから」


 ルルーシュはそう言うとできるだけ自然に見えるような笑顔を作ってみせる。


「それじゃあ、あなたが皇族だっていうのは本当なのね?」

「アッシュフォード家没落の原因を知らないわけではないでしょう?」


 三年前まではブリタニア国内でも有数の名門であったアッシュフォード家。幼かったとはいえミレイもその原因は知っている。それほどその原因となった事件は当時のアッシュフォード家にとっては衝撃的な出来事だったからだ。


「ということはあなたが、マリアンヌ様の…」


「ええ、元はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと名乗っていました」


 アッシュフォードの後ろ盾を得ていた皇妃マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。庶民の出自ながらも騎士候を与えられ皇帝へと嫁いだ異色の皇妃。皇妃となる以前からのよしみでアッシュフォードが後ろ盾を務めることとなりいよいよもってアッシュフォードも名声を極めてかに見えた。


 しかし、実情は庶民の出であるマリアンヌをよく思わない皇族の妨害にあい思うようにはいっていなかった。さらにマリアンヌが何者かに暗殺されたからは要人を護りきれなかったこと、そして宮廷内での足がかりを失ったことによりアッシュフォード家の地位も名声も瞬く間に地へと落ちていった。残ったものは財団としての形だけ。


 そんなアッシュフォードがかろうじて手中に収めたのがマリアンヌの遺児である二人の兄妹である。マリアンヌの死後、関係の悪化していた日本へ人質というかたちで送られた二人を、ブリタニアの日本侵攻後に庇護下においた。まずは彼等を匿うための万全の準備をする期間が必要だということで、二人をアッシュフォードとは別の家々に兄妹を離して預ける措置が取られる。これは以前マリアンヌの後ろ盾を務めていたアッシュフォードが疑われやすい立場にあったこと、そしてブリタニア側は日本に送られていたのが兄妹であると知っていたことを考慮したためであった。


 しかし、アッシュフォードが着々と準備を進めていた矢先、再び事件が起こった。件の兄妹が行方をくらませたのである。それも妹の方は預け先の家の者共々突如として失踪してしまったのだ。何がどうなっているのか調査を行っても全く分からない。そうして事件の真相は誰にも分らぬまま一年が過ぎていた。


 そこに再び兄の方がアッシュフォードの前へと姿を現したのだ。なるほど、とミレイは思う。それならば、父と祖父のあの態度も頷ける。だが、その程度で恐れをなすほどミレイも甘くない。何より謎を抱えた元皇子ルルーシュへの興味が先に立っていた。


「この一年間はどこにいたの?」


 言葉を選んだほうが良いかとも思ったが今はもう皇族でないのならば必要ないかと考え直し、率直な質問をぶつけてみたミレイ。


「ブリタニア側に見つかるわけにもいかないのでゲットーの中で息を潜めていました」

「ゲットーで?!」


 ルルーシュは「ええ」と頷きながら苦痛に満ちた表情で俯く。もちろんこれも演技だ。ルルーシュはまずはミレイに取り入ることを考えていた。興味と同情を引き、自分の側に引きずり入れる。それによってアッシュフォードの出方をミレイに探らせる腹積もりであった。この少女がどこまでアッシュフォードの内情に接触できるのかは分らないが、警報機代わりくらいにならなるだろう。それを考えると今のミレイの態度はルルーシュにとって上々の滑り出しと言える。


 真実を歪曲して伝えミレイの同情を引く。その上で懐に入り込めれば後はた易くいくはずだ。そう思うとルルーシュは、自分の思考傾向がゲットーに入る以前の頃のそれに戻っていることに内心自嘲した。他人を利用して保身を図る行いに胸が痛んだが、今はそんなことを言っていられる時ではない。何に代えてでもミレイからの興味関心を惹かなければならないのだから。


 下に向けていた視線を上げミレイの方を窺うと、そこにいたのはなぜか笑顔を浮かべたミレイであった。


 ミレイは父と祖父の態度からルルーシュが元皇子であることには疑いを持っていなかったが、どうにもそれから先が嘘くさいと感じていた。それでも興味がないわけではない。むしろとても面白そうだと思っていた。少しの間この王子様のお話に付き合ってみてもいいかな、と一瞬だけ笑みを浮かべてからすぐに心配そうな表情を作ってみせる。祭り好きを自負する彼女は当然と言うべきか乗りの良い性分でもある。


「まあ、それはさぞかし辛かったでしょう?」

「は?…っえ、ええ、それはもう」


 突然口調と態度を変えたミレイに一瞬たじろぐルルーシュ。こうなってしまえば後はもうミレイのペースに引き込まれていくだけだ。結局、ミレイの父と祖父が部屋に帰ってくるまでの間、ルルーシュは根掘り葉掘り空白の一年間に起こった出来事を訊き出されることに。もちろん全て真実を話したわけだはないが、所々彼女の勢いに押されてつい本音を口走ってしまう場面も見られた。


 だが、とルルーシュは疲労感で若干鈍った思考を巡らせる。一応の目的であったミレイの興味を惹くことには成功した。親しくなったとは言い難いかもしれないが、この調子ならばそれも十分可能かもしれない。残る問題である彼女の利用価値はこれからじっくりと見極めていくことにしよう。そんな考え方にルルーシュ自身内心で反吐が出る思いであったが、今はこの姿勢が必要だ。そう思い直すと父に連れられて部屋を出て行くミレイに手を振ってみせた。















 その後、ルルーシュはミレイの祖父、ルーベンと細々とした内容の話を済ませていく。ルーベンは学園の居住区が完成するまでの間、この部屋を自由に使っていいと言ってくれたが、さすがに一人では気が引けると反論すると、ならばアッシュフォードの者もそこに泊まらせようということになった。気が休まる暇がなさそうではあるが、相手の出方を窺うにはむしろこちらの方が適しているといえたためルルーシュもそれに同意した。


「はぁ…」


 知らず漏れるため息。まだ一日しかたっていないというのに凄まじい疲労感がある。仕方がないか、と寝室に入りベッドに倒れこむルルーシュ。予定外にミレイやその父に対面することになってしまい、考えていた以上に緊張を強いられていたのだから。しかし、まだまだ化かし合いとも言える交渉は始まったばかりだ。


 おそらく互いに裏切ることを前提とした交渉だ。問題はどちらが先に手持ちのカードを切るかだが、未だにルルーシュには有効そうな手札は一枚もない。そう言う意味ではこれはまだ交渉にすら持ちこめていない。立場や力関係がある程度拮抗していて初めて交渉と言えるのだから。


 だからこそルルーシュは、ミレイを取り込めるチャンスがあちらから転がりこんで来てくれたことに感謝していた。今は手段を選んでいられない。ミレイには悪いが利用できそうなものは利用していかないといけない。


「一筋縄ではいきそうにないな…」


 今日はミレイのペースに乗せられて話しているだけであった。今度はもう少し、信用を得られるように接しなければ。そこまで考えるとルルーシュは思考を放棄して疲労感にみを預け眠りにつく。久しぶりに横になる柔らかいベッドはなんだか船に揺られているようで気持ちが悪かった。















 エリア11の政治の中枢である政庁。そこにはエリアの最高指導者である総督が居を構えているため、軍事の中心としての役割も持っている。その政庁の総督執務室に入ることが許されるのは限られた者たちだけである。


「なに、テロリスト共の拠点を捉えただと?」


 現エリア11総督である第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニアは執務室に報告に来ていた二人の軍人と対峙していた。


「はい、諜報部からの報告によりますと、シンジュクゲットーにいくつかのテログループが潜伏しているとのことです」


 そう言って数枚の報告書をクロヴィスに差した軍人はベルトゥーチであった。そして、ベルトゥーチの影に控えているのは彼の腹心であるサハロフだ。


「それが事実であればトウキョウ租界周辺の鎮静化も進む。行方をくらませる前に叩くのが上策か」


 クロヴィスはろくに報告書には目も通さずにサインを書き込み、それをベルトゥーチへと返した。受け取ったベルトゥーチがクロヴィスの言葉に相槌を返す。その表情はいつか見たような下卑た笑みはなく、まるで別人のように真面目な面持ちをしていた。


「命を下されるのであればどうかこの私にお任せいただけないでしょうか?」

「しかし、貴公は本国から戻ってきたばかりであろう」


 クロヴィスの労うような言葉にベルトゥーチは首を横に振った。


「帝国臣民の敵、そして殿下のお手を煩わせるような輩を廃するために我らが存在するのです。そのお言葉で労はねぎらわれたも同然にございます」


 深く腰を折り一礼するベルトゥーチ。その態度に何か打たれるものがあったのかクロヴィスが顔を上げさせた。


「そこまで言ってくれるのであればこの件は卿に一任しよう」

「イエス・ユア・ハイネス!」


 ベルトゥーチが手本のような敬礼を返してみせる。その様はどこから見ても立派な軍人そのものであったが、彼は内心でほくそ笑み、目の前の皇子の無能ぶりに感謝していた。


「書類等はこちらで準備いたしましましょう。準備が整い次第、殿下の下へ送らせます」

「良い報告を待っているぞ」

「イエス・ユア・ハイネス!このオーセリー・ベルトゥーチの命に代えても、必ずや殿下のご期待に応えてみせましょう!」


 威勢の良い返事を残してベルトゥーチとサハロフは廊下へと出ていく。しかし、ベルトゥーチはクロヴィスに背を向けた途端、いつものようなうすら笑いを浮かべていた。まるで自らの主君である皇族を小馬鹿にするように。


「こうまでうまくいくと後々なにかしっぺ返しをくらいそうで怖いなぁ、サハロフ君」

「計画に抜かりはございません」


 部下の言葉にうんうんと何度も満足そうに頷くと、ベルトゥーチは手元の報告書をサハロフに渡した。相変わらずニヤニヤと口の端を吊り上げながら。


「こんなでっち上げの報告書にも気付かないとねぇ。やはり総督の器ではないよ、あの皇子様は」


 どこに誰がいるか分からないため声を上げてこそ笑いはしなかったが、ベルトゥーチの口は今にも大きく開かれていきそうだ。視線で同意を求められたサハロフは「ええ」と一言を述べるにとどまった。


「現実なんてこんなものなのかねぇ。人を一番殺しているのは実は勇猛果敢な騎士でも、頭脳明晰な指揮官でもなく、無能な指導者…」


 そこで一度言葉を止めるとどうしても我慢しきれなかったのか肩を揺らして笑い始めたベルトゥーチ。


「いや、それを利用して生きている我々こそがそうとも言えるかもしれないなぁ」


 政庁内に与えられた自室へ戻るまでの間、ベルトゥーチは事あるごとにクスクスと笑みを浮かべていたが、サハロフは一言も発することはなかった。




















 それから2日後、シンジュクゲットーは炎に包まれた。まるで二年前の悪夢の再現のように。






[10962] Stage5.悲しみ の 果てに (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 01:49


「イレブン共の中から何人か見繕って連れて行け。テログループのリーダーとして仕立て上げる」


 あらかた戦闘行為が終わった後、指揮車両の中でベルトゥーチがサハロフにそう命じた。サハロフは表情を崩すことなく敬礼と共に、その命を実行するためベルトゥーチに背を向ける。


「ああ、それと分かっているとは思うけどねぇ、計画通り何人かは実験用に連れて来るんだよ。どちらも人選は君に任せるから」


 ベルトゥーチは何かの書類をパラパラとめくりながらサハロフの方を見ることなく付け加えるように言った。当のサハロフは一瞬だけ立ち止まった後、何事もなかったかのようにその場を後にした。ベルトゥーチはサハロフが出ていったことを横眼で確認するとクスクスと笑い声を洩らした。


「彼もまだまだ染まりきってないなぁ」


 そう一人で呟くと書類から外の風景へと視線を移した。


 焼け落ちる家屋、逃げ惑う人々、足下に転がる瓦礫と死体、頭上に舞い上がる煙と悲鳴、それはいつか見た悪夢にも似た現実。


 確かに二年前に戦争は終わった。しかし、多くの者の心の中で悲劇は未だにその幕を下ろしてはいない。















 ルルーシュは租界の中を走っていた。すっかり息は切れてしまっているが気にしてなどいられなかった。彼の頭の中から今朝のニュースで見た光景が離れてくれないのだ。その時のルルーシュを突き動かしているのは焦燥と後悔、そして言いようのない恐怖であった。また大切なものを失うかもしれないことへ対するそれらの感情が胸の中で渦を巻いている。


 しかし、目的地に着く前に検問が敷かれていたため、ルルーシュは足止めをくらってしまった。


“昨日、トウキョウ租界の数区画を軍が封鎖していた件について今朝、軍広報から正式な発表がありました”


 そんな今朝のニュースで聞いた一文が思い出される。


“その発表によりますと軍は昨日、シンジュクゲットーに潜伏していたとみられるテログループに対する掃討作戦を実行し、概ねにおいて成功を収めたとのことです。現在もゲットー内での調査は続けられている模様で、テロリストの租界侵入を防ぐため、現在シンジュクゲットー周辺の区画では検問が敷かれています”


 ルルーシュはギリッと歯を食いしばる。


「テログループが潜伏…だと?」


 それが事実でないことは数日前までそこの一員であったルルーシュにはよく分かる。確かにレジスタンス活動を始めようという動きがあるにはあったが、まだ計画段階で外部にそれが漏れていたとは考えにくい。それほどナオトのグループは結束が固かった。それなのに、この事態は一体どういうことなんだ。ルルーシュは混乱しそうになる思考を無理矢理抑え込む。今は考えるより先にすることがある。


「検問が越えられないなら…!」


 ゲットーの先人達が開拓してきたもしもの時のための脱出経路、それを辿ればゲットー内に入れるはず。ルルーシュは息を整えることもせず再び走り始めた。汗も流れるままにまかせ地下道を走り抜ける。


 やっとの思いで辿り着いた地下道の出口には上に瓦礫が積もっていて抜けることが出来ない。一つ目が駄目でも、そう思い次の出口へ、それが駄目ならその次へ。そうしてようやく辿り着いた先で見たものは、逃れることのできない現実であった。















「何が調査を続行中だ…誰もいないじゃないか」


 崩れ去った建造物の上を歩く。三日前まではあったはずのものがなく、いたはずの人がいない。ルルーシュはそれを目の当たりにする度に体が重くなっていくような気がした。それが疲労感と相まって足取りを不確かなものにしている。何度も、何度も転びそうになりながらも足場の悪い瓦礫の上を自らの家を目指して歩いた。


 倒壊した建造物の残骸から場所を予測しながら進んでいく。しかし、ことごとく破壊された家々を見て行く度に嫌な予感が増していく。最悪の結末ばかり浮かんでくる思考を投げ捨てるようにして自分を奮い立たせるルルーシュ。


 だが、ようやく見慣れた風景の一角に出たと思った時には既に、ルルーシュは紅月の家の真上に立っていた。


「はっ、ははは…」


 まるで目の前の現実から逃避するように笑ってみる。けれど、自分の奥底から湧き上がってくる感情がルルーシュにそれを許してはくれなかった。悲しいのか、悔しいのか、憎いのか、怒っているのか己の感情だというのに判断がつかない。言葉にならない気持ちが悲鳴となって溢れ出す。ルルーシュはその場に蹲り感情に流されるがまま声を張り上げ、考えることを放棄した。










 その日までルルーシュは悲しみと絶望の果てに人が行き着く結論は自ら命を絶つことであると思っていた。自分がそうであったから、人はそう考えるものだと思っていた。だが、今もはや何度目か分からない絶望と悲しみの果てに辿り着いた結論はそうではない。彼の内に芽生えたものは尽きることのない憎しみと、明確な殺意であった。


 母の死を画策した奴らに、妹を連れ去った連中に、そして、この惨劇を引き起こした首謀者に筆舌に尽くせないほどの苦しみを与えてやりたい。ルルーシュはその思いを胸に元は紅月の家であったもののなれの果て、その残骸をどかしていった。朝から走り続けた疲労感で力の抜けそうになる体に鞭打って何かにとりつかれたようにして、自分の力で動かせるものを動かしていく。


 ルルーシュにとって唯一救いであったことは家の下から誰の死体も出てこなかったことだけ。それだけでも随分と救われた気にはなったが、それはまやかしの安堵感であることは分かっていた。


 どれだけそうしていたのかルルーシュが気付いたときには日も暮れ始めていた。手のひらは真っ黒に汚れてしまっている上に傷だらけだ。体中のいたるところが悲鳴を上げているがいつまでもここに留まるわけにもいかないと腰を上げるルルーシュ。今朝通ってきた出入り口に向かうまでの間、人の気配のしないゲットーをもう一度目に焼き付けた。憎しみと殺意と共に。










 ルルーシュ以外に誰もいない地下道に足音が木霊する。幾重にも重なって聞こえる自分の足音が何だか気に入らない。いや、今のルルーシュには目に映るもの、耳に入ってくるもの全てが気に入らなかった。それだけ気が立っていたし、今までに感じたこともないほどの破壊衝動が全身を駆け巡っていた。


 その時、ふと何かがルルーシュの目の前を横切る。距離が開いていたのではっきりとは分からなかったが、大きさからして人間のようであった。怒りに支配されていたルルーシュは身を隠すこともせず、「誰だ?!」と大声で姿の見えない相手に問いかけてしまう。当然答えは返ってこない。


「誰だ?!」


 もう一度問いかけると今度は先ほど影が横切ったあたりで物音がした。ルルーシュはゆっくりとその音に近付いて行く。その過程で武器になりそうな鉄パイプを手にとり距離を詰めていく。その間、ルルーシュの足音以外は何も聞こえてこなかったので相手は動いていないことが分かる。


 目視できる距離まで近づいて行くとそこにいたのはやはり人間であった。汚れた布切れで全身をくるんでいるのでいる上、後ろを向いていたので顔は見えないが、体系から判断するに大人ではないようだ。その場にまるで尻もちをついたかのように座り込んでいる。風貌から見てブリタニア人ではないと判断すると、ルルーシュは若干警戒を解いて相手にこちらを向くように言った。


 その人間は恐怖からだろうか全身を震わせながらゆっくりと顔だけをルルーシュの方へと向ける。その視線が交差した瞬間、二人は同じように口を開けてしばらく声を出すことができなかった。


「お前、麻倉…か?」

「ル、ルーシュ君?」


 ようやく口にできたのはそんな言葉だけでその後のしばらくは互いに何もすることができなかった。その後、とりあえず現状把握だけでも出来ないかとルルーシュが麻倉和美の前にしゃがみ込み尋ねる。


「…他の皆は?」


 もっと気の利いた訊き方があるような気もしたが、その時のルルーシュにはそれが精一杯の訊き方であった。和美は顔を俯けて首を横に振る。


「…途中までは扇先生たちと一緒だったけど、はぐれちゃって。……その後は怖くてずっとここに隠れてたから、…みんながどこに行っちゃったのか分からないの」


 震える声で答える和美。


「それで今朝、足音が聞こえたからどこかに逃げなくちゃ、と思ったんだけどどこに行ったらいいのかも分からなくて悩んでたら…」

「今朝のは俺の足音だよ…」


 ルルーシュは震え続けている和美を安心させるようにできるだけ穏やかに話し掛ける。それでも和美は気持ちが落ち着かないのかついには涙を流し始めた。涙を拭いてやろうと和美に近づき手を伸ばすと、彼女はルルーシュにすがるようにして抱きついてきた。


「お父…さんも、お、母さんも…どこにいるのか、わ、分からなくて」


 しゃくり上げる和美。ルルーシュの背に回された手にはルルーシュが痛みを覚えるほどに力が込められている。思わず痛みに顔をしかめたルルーシュであったが、目の前の少女にかけてあげられる言葉を持ってはいなかった。できたことといえば赤子をあやすように彼女の背中をさすってやることだけ。ルルーシュはそれが歯痒くて下唇を噛む。泣くことこそしなかったが、その表情はひどく歪んでいた。










「…落ち着いたか?」


 声がかれるほど泣いた頃になって和美はようやくルルーシュを開放した。まだぐすぐすと鼻をすすりながらではあるが、和美は頷いて見せる。ルルーシュがハンカチを使って涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった和美の顔を拭ってやる。


 とりあえずこのままここにいることはできないので、ルルーシュは自分の上着を和美の肩にかけてやると、彼女を立たせた。


「ずっと隠れていたということは昨日から何も口にしていないのか?」


 こくんと一度小さく頷いた和美。ルルーシュとしても何か持って来てやりたいがすで日は落ちかけているし、夜になってしまえばホテルにはアッシュフォードの人間がいるため抜け出すようなこともできない。そう考えるとルルーシュは苦肉の策に出る。















「…何とかなったか」

「ま、まだ心臓がどきどきしてる…」


 自分に与えられたホテルの部屋の中でルルーシュと和美は青い顔をしている。あの後、ルルーシュは和美を連れてホテルに戻ろうと提案した。当然、周りがブリタニア人ばかりの場所に行くということに和美は脅えて拒否していたが、ルルーシュに押し切られて最終的にはこういう結果に落ち着いた。和美がルルーシュの提案を拒んでいた理由はそれだけではないのだが、ルルーシュがそれに気付くことはない。


 幸い、部屋にはアッシュフォードの者達はいなかったので、こそこそとすることなく二人は三つある寝室の内の一室に入ることができた。


 とりあえずは明日まで和美を隠し通して、明日からはゲットーから逃げることのできた人間を探してみようとルルーシュは考えていた。いつまでもここに和美を置いておくことはできないし、かといって一人でゲットーをさまよわせるわけにもいかない。ただでさえ綱渡りのような状況にあったルルーシュはとてつもない疲労感に襲われ、集中力が非常に散漫になっていた。なぜか顔を真っ赤に染めている和美に気付くことができなかったばかりか、部屋の外から聞こえてくる足音にも気付くことができなかったくらいに。


「たっだいまぁ!今日もいい子にしてたかな、ルルちゃん?」


 そんな言葉と共にルルーシュの寝室へと入ってきたミレイが見たものは、目を見開いてこちらを見つめてくる少年と少女。一瞬その場の空気が凍りついたが、その後にミレイが残した台詞が新たな波紋をその部屋に残していった。


「お邪魔だったかしら?それじゃあ、ごゆっくり♪」


 少しだけ頬を赤く染めたミレイがニヤリとした笑みを浮かべて部屋を出て行く。ルルーシュは、ようやく今の状況が他の人から見ればどんなものとして映るか理解したが、そんなことを気にしている暇はない。ルルーシュは頭痛の種がまた増えたことにこめかみを押さえながらもミレイを追いかけて部屋を出て行く。


 一人残された和美は状況について行けず顔を赤くしたまま固まっていた。




















「腐ってる…」


 そう呟いた少女の眼下に広がる光景はまさに繁栄の象徴そのものだ。立ち並ぶ高層ビル群、夜だというのに煌々と灯る街の明かり。その様はさながら不夜城を思わせる。空から見下ろしただけでこれほど明るいのだから、地上に降りて間近で見れば、それこそ目を細めなくてはならないほどの明かりに違いない。


「腐りきってる…」


 少女はもう一度そう呟くと目を閉じた。それでもまぶたの裏に焼きついたかのように、先ほどまで見ていた明かりの残像が消えてくれない。やがてその残像はゆらゆらと揺らめき炎へと姿を変える。それは二度にわたり少女の脳裏に焼きついた悪夢の記憶。


「本当に夢だったらよかったのに…」


 その炎が少女の目を焼いたかのように痛みが広がる。滲んだ涙を流すまいとまぶたを閉じる力を強くした。そう、あれは夢ではない。二年前も、そして、今回もそれは間違いなく起こってしまった現実。それを何より今自分が感じている痛みが物語っている。


 誰かにとっての悲劇は、きっとこの国の人間にとっての喜劇になるのだろう。いや、ひょっとしたら喜劇にすらなりえないのかもしれない。同じ飛行機の機内に乗り込んだ乗客の顔を見渡す。少女には皆が皆、ほくそ笑んでいるように見えた。そう思うといい知れない怒りが湧き上がってくる。


 眼下に広がる光も、その上空を飛ぶこの飛行機も、その繁栄の全ては略取と虐殺で得たもののくせに。少女は今見える全てのものを憎んだ。もはや失ったものを悲しむなどという段階はとっくに過ぎ去った。少女は悲しみの果てに、抑えきれない憎悪と殺意にも似た衝動を覚え始めている。


 何も知らずにその繁栄を謳歌するものが憎い。知っていて何も感じない連中が憎い。奪うものが憎い。全てが憎い。この国の全てが。


 少女は自分の白い肌を見つめる。自分の母や兄たちとは違う色。自分が忌み嫌い、憎んできたこの身体に流れる血が今まで以上にけがらわしいものに感じられる。


 そんな思いを抱いているのに、少女はこれからその国へと足を踏み入れ、その国の一部として暮らしていかなくてはならない。それは少女にとっての耐え難いほどの屈辱であり、また苦痛でもあった。


 母には何度も何度も嫌だと言ったのに、母はこれが一番いい道なのだと言うだけで少女の言い分は聞き入れられなかった。思い出の地を追われただけでなく、今まで持ち続けてきた誇りまで捨てて生きていくことに疑問を感じる少女。


 それでも、生きていかなくてはならないと言うのならば、この命は生きるためには使わない。この感情の赴くままに復讐のためだけに生きよう。それはまだ幼い少女に初めて芽生えた裏も表もない暗く深い感情であった。


 機内に着陸を告げる放送が流れる。少女はもう一度、窓の下に広がる光景を見つめた。これだけ上空から見てもこれだけ腐っているのが分かるのだから、下に降りてみればきっととんでもない腐臭がするに違いない。できれば今すぐにぶっ壊してやりたい。けれど今の自分にはその力はない。


「ルルーシュ…」


 共にこの国を破壊すると誓った少年の名を呟く。彼は破壊するための力を蓄えると言った。ならば、と少女は思う。自分もそのための力を手に入れるべきだ。この国を破壊するための力を、この国で得ようと言うのだから皮肉な話だ。少女は今まで浮かべたこともないような蔑みに満ちた笑顔で窓の下を見つめる。










 その日、紅月カレンはカレン・シュタットフェルトとしてブリタニアの大地へと足を踏み入れた。















次回予告

 再びゲットーへと足を向けるルルーシュ

 やっとの思いで辿り着いた場所で彼が見たものとは…

 そして、故郷を去りブリタニアへと渡ったカレン

 膨れ上がり続ける憎しみが彼女の精神を蝕んでいく

 少年と少女はそれぞれが歩み始めた道の先に何を見るのか

Next Stage.失われた 自分



[10962] Stage6.失われた 自分 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:09

 都心の一等地に建つ高級ホテル、その最上階に位置する部屋の一室で向き合う三人の男女。と言っても何も艶のあるような話ではない。そこにいるのはまだ幼さの残る子供たちであるのだから。


「だから何度も言ってるでしょう、そんな話じゃありませんって!」

「いや~、でも今どきの若い子はませてるからね~」

「急に老けこまないでください!今どきも何も歳は一つしか違わないじゃないですか…」


 不毛な会話の応酬に頭を抱え込んでしまうルルーシュ。一方、ミレイは相変わらずニヤニヤとしてルルーシュを見ている。彼女もとっくにルルーシュが邪な理由で女の子を部屋に上げているのではないと分かってはいたが、どうにもルルーシュの反応が面白くてなかなかやめられない。とは言えこのままでは一向に話が進まないためミレイもようやくルルーシュをからかうことをやめた。


 ミレイはルルーシュから視線を外して、ソファに申し訳なさそうに小さく縮こまって座っている少女を見る。その少女は二人の会話に笑いを耐えるようにしていたが、ミレイと目があった瞬間にものすごい速さで顔を伏せてしまった。


「ご、ごめんなさい…」


 そう言ったきり俯けた顔を上げようとはしない和美。和美は、ちらりとルルーシュの方へ助けを求めるように視線を向けた。ミレイはルルーシュの知り合いらしいので若干警戒心を解いてはいたが、この場所がブリタニア人の街に存在しているということ、そして、目の前にブリタニア人がいるということが少なからず彼女の恐怖心を煽っている。しかも、今のミレイの格好はお嬢様そのもので、ブリタニアの高貴な人物が自分を見ていると思うと意味もなく恐れを抱いていた。


「大丈夫だよ。少なくともお前に害を与えるようなことはしないはずだから」


 不毛な会話と疲労感が相まっていらついていたルルーシュであったが、和美をこれ以上脅えさせるわけにもいかないので何とかそれを抑え込み、ちらりとミレイの様子を窺う。


 ここ数日、ルルーシュはミレイに質問攻めにあい会話もよく交わしていたため、ミレイの人となりというものがおぼろげながらも掴めてきていた。詮索好きなところはあるが、少なくとも人の秘密を口外するような人物ではないとルルーシュは判断している。それは、ミレイの父や祖父に話していないようなことを彼らに漏らしていないことを見ても分かることだ。


「それはもちろん。で、本当はこの子どうしたの?」


 ミレイもさすがにおちょくるような口調をやめ、ルルーシュの方へ向き直る。


「それも何度も説明したはずですけどね…。ゲットーにいた時の知人ですよ…今朝のニュースを見ていないんですか?」


 ルルーシュの話を不思議そうに聞いていたミレイに確認の意を込めて尋ねてみたのだが…。


「いや、ニュースは見てたけど………ルルーシュって本当にゲットーにいたんだ」

「…あなたが俺をどういう目で見ていたのか、よーく分かりましたよ」


 返ってきた言葉に再び頭を抱え込みそうになるルルーシュ。この数日間の怒涛の質問攻めは一体何だったのかと思いたくなってくる。と同時にルルーシュは、やはりあまり信用はされていなかったようだな、ということも再確認していた。一筋縄ではいかないとは考えていたが、根底にある話から信じられていなかったという事実に少しだけ警戒心を抱くルルーシュ。


 一方のミレイはミレイで、ルルーシュのことを嘘くさい奴だと感じていたので、全部とは言わないが彼の話を作り話の一種だと思っていた。元とはいえ一国の皇子が、他国のスラム街のような場所に住んでいたと考えられなかったこともある。だが、今ミレイの目の前にいる少女は間違いなくブリタニア人ではない。まだ完全に信用するわけではないが、徐々にルルーシュの語っていた過去が信憑性を帯びてきた。


 そうして、ルルーシュとミレイが頭の中で今の状況を整理していた時、二人に挟まれるようにして座っていた和美のおなかが鳴る音が聞こえた。


「た、度々すみません…」


 今度は恥ずかしさから顔を俯けてしまう和美。緊張感を孕みつつあった室内の空気が緩む。ミレイはクスリと微笑むと携帯電話を取り出しどこかへと連絡を取り始めた。慌ててルルーシュがそれを止めようとするのをミレイが視線で咎める。ルルーシュはいつになく真面目な様子のミレイに動きを止める。だが、怪しんでいることには変わりなく、油断なく彼女の一挙手一投足を見つめている。


 再び室内に緊張感が走るが、携帯電話を切ったミレイは和美に優しく笑いかけた。


「今、頼りになる人を呼んだからもう少し待っててね」

「頼りになる人?」


 ミレイの言葉を訝しんだルルーシュが問い詰めるが、ミレイは相変わらず微笑んだままだ。


「そんなに警戒しなくても大丈夫よ…これからはあなたのこと、もう少し信じてあげるから、私のことも信じてみてよ」


 未だに警戒心は拭えないでいたルルーシュだったが、ここがブリタニアの街の中に存在する以上、今は彼女の言葉に従うしかない。何が起きてもいいように対策を練ろうとした矢先、部屋の扉をノックする音が聞こえた。ルルーシュと和美はビクッと身を強張らせ扉の方を見る。今アッシュフォードの人間が誰か入ってきてしまえば和美は無事には済まないだろう。


 だが、ミレイは「来た、来た」と言いながら扉の方へと向かっていく。ルルーシュが制止する間もなくミレイが扉を開け放つと、そこに立っていたのはメイド服を着た一人の女性であった。その女性はミレイに促されると名前を述べて丁寧にお辞儀をして見せた。


「アッシュフォード家にてお世話になっております、篠崎咲世子です」










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage6.失われた 自分










 和美を連れて帰った次の日、ルルーシュは再びゲットーへと来ていた。部屋に残してきた彼女が心配ではあったが、今日はミレイが部屋に残って面倒を見てくると言ったので少しは安心できる。


 篠崎と名乗るメイドが来た後にルルーシュとミレイはもう一度じっくりと話し合い、ミレイはルルーシュに協力を申し出た。もちろん、ブリタニアへの反意絡みの話はしていないが。まだ完全に信用できると判断はできないけれど、昨日の態度からはしばらくは安全であると感じられる。その気があれば昨日の内にどうとでも出来たのだから、それをしなかっただけでもミレイを信じてみようかという気にはなる。


 そうやって油断を誘っているのかとも思ったが、それはあまりにも意味がないことだ。遊ばれているという考え方もできるにはできる。しかし、今のルルーシュには信じることしかできない。早く自分で現状を打開できるような力を手に入れなければと、改めて思わされるルルーシュ。


 それに、とルルーシュは思う。名誉ブリタニア人とはいえ、日本人が和美の傍にいてくれることは随分と救われた気になった。和美も安心したようで、まだぎこちないが会話を交わすくらいには咲世子に気を許している。


 だからと言って、このまま和美をあの場においておくわけにはいかない。いつばれるともしれない上に、あんな所では彼女の気も休まらないだろう。だから、ルルーシュはこうしてゲットーへ来ている。生き残った人間がいるのなら、その行方を知るためのヒントがどこかにありはしないかと探るために。


 昨日は精神的に衝撃が大きかったため細部には目を向けていなかった。それに、ゲットーからの脱出経路は何も一つではない。思いつく限りの場所をしらみつぶしに回って、何としてでも手掛かりないし、出来得るならば誰か見知った人を探し出したいとルルーシュは思っていた。


 昨日とは違うルートからゲットーに侵入し、よく人の集まっていた炊き出し時に使っていた広場や、露天商の立ち並んでいた通りなどに足を向けた。地下道の横穴にも入ってみたし、知り得る限りの知人の家の跡地にも赴いた。それでも、どこにも誰もいないどころかどこに向かったのかの手がかりも見つからない。


 そうこうしている内に時間も経ち太陽もだいぶ傾いてきた頃になって、ようやく一つの手がかりを学校の跡地で見つけることができた。その場に落ちていた大きなコピー用紙に印刷された、“緊急避難先”の文字がルルーシュの目に留まったのだ。だが、こんなものが落ちていたのであればブリタニア兵にも見つかっていてもおかしくはない。ルルーシュは不安と期待で逸る気持ちを落ち着かせてから、その紙に描かれている場所へと向かった。










 ルルーシュが辿り着いた先はもともと大きなデパートして使われていた建物であった。そのデパートの地下スペースを利用して様々な物資が運び込まれており、緊急時の避難先として使えるように改装してある。とはいっても電気は決して大きいとは言えない発電機が一機あるだけなので、十分なエネルギーを確保できているとは言えず、室内は薄暗い明りに包まれていた。


 ルルーシュはまず明かりがともっているという事実に歓喜した。それはつまり人がいるということであり、生き残った人間が逃げてきている可能性がぐっと高まる。しかし、まだブリタニア兵が罠を張っているという可能性も捨てきれないため、ゆっくりと様子を窺うように明かりに近付いて行った。


 すると突然、後ろ側から何か強い力によって弾き倒されてしまう。驚く間もなく今度は誰かに仰向きに寝転がされ、腹の上に強引に乗ってきた。訳も分からずただ自分を襲ってきた犯人を見返すことしかできないルルーシュであったが、相手の顔を見た瞬間その顔に安堵の表情が浮かんだ。


 ルルーシュを押し倒した相手は玉城であったからだ。相手が玉城であることも、乱暴に扱われていることも気にならないほどの安堵感が溢れる。見知った人が生きていてくれた、ただそれだけのことが信じられないほどうれしい。ルルーシュが思わず「よかった」と玉城に声をかけようとした瞬間、頬にいつか感じたものと同じような痛みが走った。そう、玉城に初めて会った時に頬を思い切り殴られた時と同じ痛みが。


「よくものこのこと顔を出せたもんだなぁ!」


 遠慮なしにルルーシュを殴った玉城はそう吐き捨てると、ルルーシュの胸倉をつかんで引きずるようにして避難所の中に連れ込んだ。そして、玉城はそのまま開けた場所にルルーシュを投げ捨てるようにして手を離した。


 為されるがままであったルルーシュはなぜ自分がこんな目にあっているのか理解できない。いくら玉城とはいえ一年間、ルルーシュのゲットーでの生活を見てきたのだからいきなり理由もなしにこんな暴挙にでるとは考えにくい。しかし、ルルーシュにはその理由に見当もつかない。


 状況を確認しようと周りを見渡すと、そこには多くの人間がルルーシュを囲むようにして床に座っていた。中には親しく接してくれた者の姿も見えるが、なぜか皆に共通していることはルルーシュを蔑むように見ているということ。


「裏切り者が!よくも俺達を売ってくれたな!」


 そして、突如として上がった罵声を皮切りにして、次々と似たような非難の声が辺りを包んだ。


「油断させておいて…所詮はお前もブリキの冷血人間だったんだな!」

「あんたみたいな人間に毎回お礼を言っていたのかと思うと虫唾が走るわ!」


 加熱していく周囲とは逆にルルーシュは何もできずにただその罵詈雑言を聞いているだけだ。ついには物をルルーシュめがけて投げつける者達まで出てきて、そのうちの幾つかがルルーシュにぶつかる。


「言い訳する気なら今の内にしておくんだな!」


 ルルーシュへの投擲が終わると、傍に立ったままだった玉城が髪をつかんでルルーシュを立たせた。そのころになってようやく考えることのできるようになってきた彼の思考はおぼろげながらもある一つの仮説を打ち立てていた。


 「裏切り者」。つまりはここにいる人たちは、ルルーシュがブリタニア軍にレジスタンスグループ結成の動きがあると密告したと思っているのだろう。今すぐ「誤解だ!」と声を上げたかったが、うまく声を出すことが出来ない。それだけ、自分を受け入れてくれていたはずの人々から拒絶されたことがルルーシュの心を深く抉っていた。


「ち…がう」


 戦慄く唇からやっと出せた言葉は震えていて聞き取れないほど小さい。だが、ルルーシュの顔を覗き込むように見ていた玉城には聞こえていたのだろう、ルルーシュの髪を乱暴に引っ張り再び引き倒した。


「何が違うだ!それならなんでブリキ共はここを攻めてきたってんだよ!」


 そうだ、そうだ、と取り囲んでいる者達からも声が上がる。殴られた頬も痛い。掴まれていた髪の付け根も痛い。しかし、それより何よりも信じていたはずの者達から投げかけられる罵声の数々のもつ刺の方がはるかに痛かった。本当なら無事に逃げきってくれた彼等の無事を喜びたいのに、彼等は今こうしてルルーシュを拒絶している。


 ルルーシュにとってシンジュクゲットーは、生まれて初めて差別や悪意を乗り越えて自分を受け入れてくれたはずの場所であった。確かに根深く残る遺恨も存在していたが、あれだけ多くの人々に自分の存在を認めてもらうことができたことは今までになかった。皇子であったころも、初めて友達ができたころにも感じたことのないような安らぎを与えてくれていた場所でもあった。


 それが、たった一度の事件でここまで拒絶されるようになってしまった。それは。当然と言えば当然なのかもしれない。二年前の戦争も、それから後の占領政策も、その全てに怒り絶望してきた日本人には、たった一度のことでも築き上げた信頼を叩き壊すのに十分すぎる出来事であったのだろう。それも、相手がブリタニア人であるのならば尚更に。


 それは、否が応でも認めずにはいられない一つの事実をルルーシュに叩きつける。ルルーシュは帰るべき場所を破壊されただけでも、親交のあった人たちを殺されただけでもなく、その帰るべき場所だと思っていた所から弾きだされてしまったのだ。


 理解してしまうことは簡単だった。しかし、受け入れてしまうことは容易ではない。ルルーシュはもう一度周りを見渡してみたが、やはり皆が皆、険しい顔つきでこちらを睨んでくだけで、誰もルルーシュを助け起こそうなどとはしない。それはどんな言葉よりも雄弁に、彼がもはやこの地の住人ではないことを物語っていた。


 打ちひしがれたままのルルーシュに未だに浴びせかけられる罵声の数々。耳をふさいでしまいたいけれど、体が思うように動かせない。自分の体ではないように全身が重く感じられる。周りの声も遠く聞こえる。ルルーシュはまるで自分がこの世界から切り離されてしまったかのような感覚の中にいた。










 広間の騒ぎを聞きつけた扇がその場に赴くと、そこには何者かに対して散々罵詈雑言を吐き捨てる人々と、その中心に誰かを睨むようにして立つ玉城がいた。扇が身を乗り出して何があったのか確かめようとすると騒ぎの中心にもう一人、少年が倒れ伏していることが分かった。その誰かが何者であるか気付いた扇がすぐに倒れている少年の下へと走り寄った。


「おい、大丈夫か?!」


 抱き起した少年、ルルーシュは扇の登場に一応の反応はみせたが、何も言わずに目を瞑っている。多くの者はルルーシュを疑っていたが、扇のように彼を信じている者達もいる。主にナオトの仲間であった者達の多くはルルーシュが裏切ったという推論を否定的に捉えていた。


「…幾つか訊いてもいいですか?」


 扇がルルーシュを助け起こしたことに再び非難の声が上がる。そんな中、ようやくルルーシュが口にした言葉がそれであった。扇はルルーシュの様子を心配しながらも頷いて見せ、先を促した。


「紅月の家の人達はここにいますか?」


 彼等はルルーシュにとって今や家族も同然だ。もし、紅月家の三人にまで疑われているのならば、自分は本当に帰る場所を失ってしまったことになる。それは、現在のルルーシュにとっては止めにも近い耐え難い苦痛だ。


「……いや、初日にはいたんだがそれから後は誰も姿を見ていない。それと、ナオトは初めから誰も見ていない」


 申し訳なさそうに扇が答える。だが、それはルルーシュにとって唯一とも言える救いであった。ただ、ナオトのことが気がかりではあるが、今は安否を確かめることもできない。今はただ、現実を受け入れるしかないのだ。それが例えどんなに残酷で受け入れがたいことであろうとも。こういった現実もいつか自分の力で変えていくしかないのだから、今はひたすらに耐えようと拳をきつく握り締める。


 もちろん、扇のようにまだ自分を心配してくれる者がいたこともうれしかったことに変わりはない。だから、今はそれだけを頼りにこの現実を受け止めようと決意を固めた。誤解されたままでいることも辛いが、今は何を言っても信じてはもらえないだろうことは分かっていたから。


「そうですか…」


 ルルーシュはそう言うと扇の手を解き立ち上がると、出口を目指して歩き始めた。周囲からは逃げるのかと怒声が上がるが、追ってこようとする者はいない。まだ命を奪われるほどに疑われてはいなかったという事実に、またほんの少しだけ救われた気になったルルーシュ。ただ、そう受け入れてしまっていることが悲しくもあったが。


 ルルーシュが階段をのぼり地上へと帰ってくると、後ろの方から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。やはりあの程度では恨みを晴らしきれなかったのか、と音のする方を見つめていると、扇が何かを手に持って駆けてきていた。


「…あの、これさ前に撮った写真なんだけど」


 そう言って差し出された封筒の中には確かに写真が納められている。そこに映し出されている光景はルルーシュが旅立つ日に撮られたものばかり。それを目にした瞬間こみ上げてくるものに耐えきれなくなったルルーシュは扇に背を向けて全速で走り始めた。まるで、現実から逃げ去るかのように。


「待ってるからな!俺達はお前のこと信じてるから!」


 そんな扇の言葉を背にしながらルルーシュは、沈む夕日に照らされていたゲットーから走り去った。ゲットーでの記憶と思い出の断片を手にして。





[10962] Stage6.失われた 自分 (中編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:11


「玉城、いくらなんでもやり過ぎだ!証拠があるわけでもないだろう!」

「じゃあ、なんでブリキ共が襲ってきやがったんだよ?!」


 ルルーシュが去った後、扇は玉城を別室に連れ出した。扇にも多くの者がルルーシュを疑いたくなる気持ちも分かる。物的証拠はなくとも、状況証拠がそろってしまっているのだから。擁護派も嫌疑派も決定的な証拠を持っていないとなれば、ものをいうのはどちらの数が多いかだ。日本とブリタニアの間に存在する決定的な亀裂がある限り、ルルーシュを疑いたくなる者が多くなることも頷ける。


 だが、彼が今までゲットーにもたらしてくれていた物の数々を思えば、もっと擁護派の人間がいてもおかしくはない。おかしくはないのだが…。


「なんであいつらが死ななきゃならなかったんだよ…。ナオトだって…」


 それでもルルーシュを疑わずにはいられない理由は、皆がそうやって今にも潰れそうな心を保っているからだ。折れてしまいそうな心を何かを、そして誰かを恨むことで繋ぎ止めている。恨み憎む力をまるで生きる力に変えていくように。そうして、悲しみと絶望に染まった自分たちをごまかして生きている。


 扇とて多くの知人、友人を失ったのだから皆の気持ちも痛いほどに分かる。それも一度ならず二度までもブリタニアに蹂躙されたとあってはその憎悪の気持ちが向けられる相手が自ずと決まってくることにも納得はいく。ただ、この場に現れたのがルルーシュであったことが彼にとっての最大の不幸であったのかもしれない。本当ならば他の者たちに向けられていたはずの負の感情がルルーシュに向けられてしまったのだから。


「まだ死んだと決まったわけじゃないだろ…」


 いつまで経ってもナオトの安否の確認が出来ないことも皆が心を乱している大きな要因の一つだ。若手のまとめ役であった彼がいなくなったことで、この集団内に多少なりとも混乱をきたし心の内に不安を招いている部分がある。


「………そうだな」


 玉城はいつもの彼らしくもない覇気のない声でそう言うと部屋を出ていった。あの惨状からもう少しで二日目の夜を迎えることになる。ナオトが無事であるのならばとっくの昔に合流していてもおかしくない。いや、ここにいないはずがない。


 それがいないということは、動くことのできない状況にあるかもしくは…。そこまで考えて扇は頭を横に振る。それ以上を想像してしまえば自分も何かに当たらずにはいられないと、考えることを止めようと床に腰を下ろした。だが、止めようと思えば思うほど紅月家の面々のことが思い出される。


 初日の夜にはいたはずのカレンとその母の姿は翌日の朝にはどちらも消えて見ることができなくなった。誰にも何も告げずにこの緊急避難所からいなくなった。ナオト、カレン、二人の母、そしてルルーシュ。つい先日まではこのゲットーで見ることのできた家族の風景を今はもう見ることはできない。


「すまない、ナオト…俺、お前の大切なもの何も護ってやれなかったよ」


 扇は懐から自動式拳銃を取り出し、グリップを握りしめた。レジスタンス活動を始めると決めた時、まず手配した物がこの拳銃だ。方々に手を尽くし一月以上の時間をかけてようやく人数分の数を用意した。それからも逐一物資を蓄え、行動に移ろうとした矢先の事件。


「護りたいものがあるなら、時には闘わなくてはいけないこともある……か」


 グループ結成の時、渋る幾人かのメンバーを前にしてナオトが言った言葉だ。扇もその言葉を聞いて活動への参加を決心したうちの一人である。自分の教え子たちに、大切な者達に未来を、そう思ってこの銃を手に取った。


 だが、と扇は思う。果たして今の自分は闘えているのだろうか。あんな子供が鬱憤のはけ口にされるような現実を相手にとって、自分は闘うことができるだろうか。闘うとなれば相手は同じ日本人ということになる。今回は親交の深い玉城が相手だからこそ多少は強気にでることができたが、広間に集まっている他の面々全てを相手取って闘うことが出来るかと問われれば、躊躇いなく頷けるだけの自信はない。


 昔からよく知っている人たちがいる。何かと面倒を見てくれた人たちがいる。そう思うだけで躊躇してしまう自分がいることを扇は気付いていた。さっきは咄嗟のことだったので助けにはいることが出来たけれど、初めからその場にいれば出来なかったかもしれない。


 情けないという思いが銃のグリップを握る力を強くさせる。


「ナオト………俺、どうしたらいいのか分からなくなってきたよ」


 ブリタニアと戦わなくてはいけないという気持ちに変わりはない。けれど、その思いが強すぎるあまりに恨みや憎しみが先に立ち、ルルーシュのような罪もない人たちを苦しめる。本当にこの銃を向けなくてはいけない相手は誰、いや、何なのだろうか。扇は銃のグリップエンドを額に押し付け、現実から目を背けるように硬く瞳を閉じた。















 ブリタニア本国のとある都市内に存在する豪奢な造りの建物。何もどこかの貴族の豪邸というわけではない。本館に負けないほど大きく煌びやかな門扉にかけられたプレートには「学園」の文字。カレンは今度からこの学園の中等部へと通うことになると“父親”に告げられた。その“父親”は彼女の隣で出迎えに出てきた学園関係者と何かを話している。





 ブリタニア軍によるゲットー襲撃の日の夜、カレンの母は眠っていた彼女をおぶってゲットーを離れた。ナオトの安否を確かめることもなく、ゲットーの誰かに告げることもなくその場を離れ、訪れた先はよりにもよってブリタニア人である“父親”の下であった。


 カレンは仲間を殺され、土地を追われたその日の内に、ブリタニアに助けを求めるようなことをしでかす母の精神を疑った。それはひどい裏切りであり、何よりも嫌っていた己の半身を受け入れなければいけないということへの嫌悪感から、何度も母に嫌だと詰め寄ったが結果は変わらない。


 カレンの他に子を持つことが出来なかったからであろうか、“父親”は助けを乞い願う母を受け入れた。そうして、カレンに新たにシュタットフェルトという姓が与えられることとなり、日本人の少女としてではなく貴族の令嬢として生きていくことを要求される。それは、これまで短いながらも歩んできたカレンの人生の全てを否定して生きるということ。しかもそれを“父親”だけにではなく、今まで信じてきた母にまで言われたことが何よりも少女の幼い胸の内を苦しめた。


 それだけならばまだしも、母は自分を下女として雇ってほしいとまで言いだしたのだ。その姿は敗戦国の辿る運命そのものであると同時に、日本人を名乗る者達への裏切りの姿でもある。強者に媚びへつらい許しを乞い、己の保身を図る。そうして得られるものはわずかながらの平穏と、ブリタニアという絶対的存在の支配。


 はたしてそれが幸福に通じているのかと訊かれれば、カレンはそうは思わないと答えただろう。「日本人になりたい」それは彼女が物心ついた時から願っていたこと。当初はやはり見た目が邪魔をして、いくら口で自分は日本人だと主張しようとも受け入れてもらうことは難しかった。それでも、時が経ち周囲との関係が構築されていく中でようやく日本人だと認めてもらうことができたのだ。それはカレンにとっての誇りであり、カレンをカレンたらしめているものでもある。それを母も知っていたはずだ。それなのに、母はカレンにブリタニア人になれと言う。そして、自分はブリタニアに隷属するという。


 この先に幸せなど存在しない。それがカレンの到達した結論。なぜなら、これまでに彼女が得たものといえばブリタニア人としての姓、憎しみと悲しみと、自分の母であったはずの使用人。これらのどこに自分の望んだものが存在する、これらのどこに幸福を感じることができるというのだ。


 裏切られた。その思いが徐々にカレンの胸の内を侵食していく。かつて誰よりも信頼し自分を思っていてくれていた人をも憎んでしまいそうになる。嫌いたくないと思っていてもその顔を見る度に、自分に頭を下げる姿を見る度に、「お嬢様」と呼ばれる度に腹が煮えくりかえりそうになる。怒鳴り散らして張り倒してやりたい気持ちになる。カレンはそんなことを考えてしまう自分をも嫌悪し始めていたが、荒れ狂い暴走しだしそうになる感情を抑える術を知らない。





 結局、シュタットフェルト家に引き取られたカレンはその後、貴族の娘として相応しい教養を身に着ける必要があるとしてブリタニア本国へ送られ、そこで貴族御用達の名門学園へと入れられることとなった。そこは思った通りというか、それ以上というかともかく無駄に煌びやかでとても学校には見えない。


「カレン・シュタットフェルトです。これからよろしくお願いいたします」


 出迎えに出てきた学園関係者たちにそう挨拶をしたきり、カレンは学園の中を見学する間に一言も発することはなかった。奇麗に清掃された校内、まるで大学の大教室かと見紛うほどの教室の数々、見たこともないほど大きな体育館。学園関係者たちが自慢げに紹介してみせるものがいちいち憎たらしい。いくら設備が充実していようとも、いくら高い水準の教養を誇っていようとも、そこには彼女の望むものは存在しない。


 いや、たった一つだけ望んだことがあるとすれば、ブリタニアへ反抗するための知識と情報を蓄えることが出来る機会を得たということ。それは日本にいた頃には絶対に得られなかったものだ。ならば、せいぜい利用させてもらおうではないか。カレンは段々と自らの思考が物騒になっていくことに気付いてはいたが、あえてそれを無視する。それほどに少女の胸の内に芽生え始めた負の感情が根を深く張り始めていた。










 見学を終えて“父親”の自宅へと帰ると、使用人たちがきれいに列を作って主人の帰宅を出迎えた。その中に一人だけ、毛並みの違う使用人が混じっている。その使用人がこの職について数週間経つが、未だに不慣れな部分が多々見受けられる。そうして、不始末を起こす度に家の者や他の使用人たちに小言を言われている。


 カレンはかつて母と呼んだその女性を一瞥すると、与えられた自室へと向かおうとした。


「カレンお嬢様、お荷物をお持ちいたします」


 向かおうとしたのだがその前に件の女性がすっと前に出てきて、軽く頭を下げながらそんなことを言ってきた。その態度も、その言葉遣いも全てがかつてものと異なる。それがまるで今の自分が既に日本人ではないのだと思い知らせてくるようで、なによりもうこの人の娘ですらないのだと認識させられているようで我慢がならない。


「結構よ!」


 そっちがそう言う態度に出るのなら、こちらももう紅月カレンとしては接していられない。その思いがカレンの口調をかつてのものとは全く異なるものへと変える。怒鳴るように放った言葉を残してカレンは足早にその場を去った。


 乱暴に自室の扉を開け、感情の赴くままにまかせて力任せに扉を閉める。バタンと大きな音を立てて扉が閉まった後、明かりの点けられていない部屋に訪れたのは静寂と暗闇。カレンはその静寂を嫌うかのように持っていた荷物を床に叩きつけると、自分はベッドに伏せった。紅月の家にあったように硬いベッドではなく体が沈みこむかと思うような柔らかなベッド。慣れなかったこのベッドにも随分と慣れてしまった。


 カレンはベッドの小脇に備え付けられた小物置へと手を伸ばし写真立てを手繰り寄せた。そこに写っているのはカレンとナオトとルルーシュ、そして顔をシールで隠された母。本当はこの写真も破って捨ててしまいたかった。母の写っている部分だけでも油性ペンで塗りつぶしてやってもよかった。一時期のカレンは本気でそれを実行する気でいたし、自分なら出来るものだと思っていた。


 けれど、結果はシールを張ることだけに思いとどまっている。それを女々しいことだと思いながらも実行に移すことが出来ない。それをやってしまった瞬間に自分の中で何かが終わってしまう気がして。


「お兄ちゃん…」


 写真立てのガラス越しに兄に触れてみる。あの日、ナオトが避難所に来ることはなかった。あの惨状の中だ、ナオトならば皆の安否を確かめに真っ先に様子を見に来てもおかしくはない。けれど、彼の姿を見たという人はいなかった。それでも、とカレンは思う。たったの、そう、たったの一日、いや、まだ事件が起きてから半日程度だ。どこかで怪我をして動けないのかもしれないし、外に敵がいて動けないのかもしれない。


 心配は募るばかりであったが、真実は分からず仕舞いのまま母はカレンを連れてゲットーを後にした。そのことも母を許すことのできない理由の一つだ。こうして、写真に写っている兄の姿を見る度にカレンの胸は締め付けられる。無事であることを願いつつ、どこかで受け入れろとささやく声が聞こえることも事実だ。それだけあの日の光景は凄惨なものであったし、たった半日の内に目を覆いたくなるほどの人が殺されていった。


 カレンはぐっと唇を噛みしめると頭の中で聞こえるその声をやり過ごす。それを認めるということはカレンにとってはあってはならないことだから。それもまたカレンが紅月カレンでいるために必要なことなのだ。


 しかし、ブリタニアに住み、貴族の子となり、令嬢として生き、そして母を忌み嫌う、その姿はもはや紅月カレンのそれではない。かと言ってシュタットフェルト家の人間として生きていくつもりも毛頭ない。


 紅月カレンでもなければ、カレン・シュタットフェルトにもなれにない。だとしたら、今の私はいったい誰なのだろう。気持ちの整理が尽いていないその時のカレンには自分がこれから何をして、どのように、そして誰として生きていけばいいのか分からなくなっていた。


「ルルーシュ…」


 それでも、心の中に確かに存在していたのは日本人としてのブリタニアへの反意。そして、たった一つの誓いの言葉。カレンの中で唯一許すことのできるブリタニアの存在、ルルーシュ。


 妹の喪失から立ち直った彼と、別れの際の彼と交わした誓いの言葉。今のカレンにとって疑念も淀みもなく信じられるものはそれだけだ。“父親”はもちろんのこと、母のことも、兄の安否も、自分のことさえも信じることが出来ない中で唯一の真実。


 だが、強すぎる思いはやがて形を変えていってしまうものだ。忌まわしい記憶はより醜悪なものへと姿を変え、逆に輝かしい記憶はより光を伴うものへと姿を変える。精神的に極限状態にいたカレンは次第に現実ではなく思いの中に自分を見出すようになっていく。そうして、自分をごまかして生きていこうとしていた。思いの中にいる自分こそが本物なのだから、こうしてお嬢様を演じようとしている自分も、母を否定して生きている自分も決して真実の自分ではないのだと己に言い聞かせることで必死に自分をごまかして生きていこうとしていた。


 こうして美化されていった思い出がどれだけ現実とはかけ離れていったのかにも気付かぬままに、カレンは静かに目を閉じる。うつ伏せになり肘を立てて覗き込むようにしていた写真立ての上に涙が落ちた。その雫はガラスの上をすべりベッドのシーツに染みを広げていく。カレンはなぜ自分が泣いているのか理由も分らぬまま、その写真をそっと胸に抱いた。


 積み重なる負の感情は徐々に幼い少女から様々なものを奪いつつある。それは本人が知り得るところでも、知り得ないところだろうとお構いなしに。





[10962] Stage6.失われた 自分 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:13


 シュタットフェルト家の侍女達に与えられて部屋の一室、そこには無残に引き裂かれた衣類が床に散乱している。それだけではなく、壁一面に書きなぐられた誹謗、抽象の言葉の数々が見受けられる。それでも、その部屋の主であるカレンの母は文句の一つも言わないどころか、顔色一つも変えずに散らかった元は衣服であった布切れを片していく。それはもう既に彼女にとって日常の一部と化しつつあるほどに頻繁に見られる光景であったから。


 犯人は考えるまでもなく明らかだ。シュタットフェルト家といえば少しは名の知れた貴族であり、その家で働けているということは他の侍女達にとっての一種のステータスである。その誇りとも言える職場にナンバーズがいるということが耐えられないのだろう。日々彼女たちからの嫌がらせはエスカレートしていく。それでもまだこの程度ならばいくらでも耐えてみせる、と母は腹に決めていた。


 いくら自分の子供とはいえ、意見も聞かずに生き方を強要することがどれだけ身勝手なことは分かっている。だが、彼女にはあのままゲットーに残っていても選択肢は残っていなかったように思えた。


 あそこまでゲットーが破壊されてしまっては、もはや自分たちの力で立て直すことは不可能だ。今までとてぎりぎりの生活が続いていたというのに、あれではもう生活は成り立たない。他のゲットーに移り住むにしても、生き残った全員を受け入れてくれるような余裕のあるゲットーなど少なくともトウキョウ租界周辺には存在しない。


 そうなると幼い子供を持つ親たちは今まで以上の苦労を強いられることになるだろう。今まで自分たちが味わってきた以上の苦悩を子供たちに味あわせなければならないのか、そう思うと居た堪れない気持ちになる。そのままあのゲットーに留まっていたところで幼い者達に未来を手渡してあげることは不可能であることは目に見えていた。それはたとえナオトがいようがいまいが変わることのない事実だ。


 選択肢も未来もない今よりも、今この時は生き方を選べずともいつか自立できるだけの成長を遂げた時にもう一度、自分の生き方を選ぶことのできる未来を与えてやりたい。ナオトは既に成人し自分で進む道を見定めていた。本当ならば彼女も息子の安否も気が気ではなかったが、そのことを考えるとまだ幼さの残るカレンにどうにかして未来を手渡したい。


 彼女は意を決すると胸の中で何度もナオトに、そして他のゲットーの住民に謝罪を述べながら娘をおぶってその場をあとにする。たとえこのことで恨まれてもそれは仕方のないことだろう、彼女はそう覚悟を決めながらもこれから娘が辿るだろう道と残してきた息子のことを思うと後ろ髪を引かれる思いであった。


 だからこの嫌がらせはひょっとしたら自分が受けるべき罰なのかもしれない。それならば甘んじてこの罰を受けようと、彼女は部屋中に散らばった布切れを屑籠へと捨てた。


 カレンにも随分と嫌われてしまったが、それでも何もできない母親なりに最大限の未来への猶予を娘に与えてやることのできる方法であった。そして、娘の成長を見届けることが自分に残された母親としての最後の務めであろう。そのことでどれだけカレンに疎まれることになろうと、同僚達に蔑視の眼差しで見られようと、それぐらいの代償ならばいくらでも払えるつもりでいた。


 だが、人間は何事にも限度というものが存在する。蓄積されていく苦痛と罪悪感は知らず知らずのうちに、しかし確実に彼女の精神を蝕んでいた。特にカレンに冷たくあしらわれることは覚悟していたこととはいえ、想像以上の辛さがある。最近では言葉を交わさないどころか、目も合わせようともしてくれない。


 沈み込みそうになる気分を奮い立たせて彼女はそっと部屋をあとにして、人目につかぬように細心の注意を払いながら屋敷の裏門から出ると街へと向かった。人目につけばシュタットフェルトがナンバーズを雇っているとして悪い噂が経つと他の侍女達に言われていたため、たったこれだけのことでも一苦労だ。それでも街に出て服を買わなければ、もう仕事着以外に切ることができる服がなくなってしまうし、他にも街に出なければならない用事がある。彼女は財布だけを手にして街中へと急いだ。


 街に出てもそこはブリタニア人の街であり、やはりナンバーズのそれも女性が一人で出歩くのは危険なことでもある。しかし、その日は、いや、その日もカレンの母は一人ではなかった。つい先日知り合った同じナンバーズの女性が彼女の隣にいる。


 出会いは特筆するようなことは何も無く、ぶつかった拍子にカレンの母が持っていたグラスが割れてしまい、お詫びにと相手の女性が弁償を申し出たというだけのことだ。今日はそのお詫びをしてくれると言うので予め落ち合うことになっていたのだ。最初はお詫びなど必要ないと断っていた母であったけれど、最後には押し切られるかたちになり今日にいたる。


「無理を言ってしまってごめんなさいね。だけど、あのままじゃ私の気が済まなくて」


 相手の女性はグラスを弁償した後も、こうして知り合ったのも何かの縁と言って買い物についてきた。最初はそこまでしてもらうわけにはいかないと遠慮していたが、話してみるとなかなか気さくな女性のようで、彼女もカレンの母と同じようにブリタニア人の下で雇われて仕事をしているという。


 カレンの母は久しぶりに会話らしい会話を交わしたことも手伝って、二人が打ち解けるまでにそう時間はかからなかった。同じナンバーズとして同じような悩みを持ち生活しているようで、自然と会話はお互いを励まし合うものへと変化していった。


「…そうよね、辛いこともたくさんあるけれど気を落としてばかりもいられないわよね」


 そう言った相手の女性は少し声の大きさを落としてまるで囁くように次の言葉を発した。


「でも、もしその辛いことを少しでも忘れることができるとしたらどうする?」


 先ほどまでの和やかな雰囲気は一気に崩れ去り、少しばかりの緊張が走る。


「楽しく、幸せだった頃の日々をもう一度見ることができるとしたらどうする?」


 そんなことはあり得ないと考えながらも、カレンの母にはもしそれが敵うことならば少し見てみたいという気持ちがないわけではない。むしろ、最近の生活を思えばそれはまさしく夢のような提案でもある。


 娘がいつものように傍にいて「お母さん」と笑いかけてくれたあの頃に、息子が頼りがいのある青年に成長していく姿を見ていたあの頃に、新しくできた家族が心を開いてくれていく様を見ていられたあの頃に戻ることができたならば、それ以上の幸せは今の彼女には考えることはできない。


「私ね、いい方法を知っているの…」


 本当にそんな方法が存在するのなら手を出してみるのもいいのかもしれない、その思いいが徐々に彼女の胸の内に広がっていく。生活は苦しくても家族で暮せていたあの頃に帰ることができるのなら、試してみる価値は存分にある。


「…どんな方法なんですか?」


 とりあえず話だけでも聞いてみようと思ったことが彼女にとって最大の間違いであったのかもしれない。ゲットーを無断で去ったことよりも、娘の言い分を全く聞かなかったことよりも、息子の安否を確かめようとしなかったことよりも、誤った判断であったかもしれない。


 だが、その時の彼女には過去に戻れるという疑わしいことこの上の無い話であろうと、驚くほど魅力的に聞こえていた。アッシュフォード家での苦痛に満ちた生活が、さっきまで目の前の女性と話していた昔話が脳裏をよぎり、彼女の思考を麻痺させていく。


 そんなカレンの母の様子に、相手の女性は薄く笑みを浮かべて甘く囁くように言葉を返した。


「リフレインって知ってる?」




















 ルルーシュがゲットー捜索に出かけてから既に十時間以上が経っている。今はもう日もほとんど沈み租界を徐々に夜陰が包みこみ始める時間帯だ。しかし、いくら待っても彼が返ってくる気配は一向になく、遅れるという連絡も入ってこない。そんな状況に和美はルルーシュの身を案じずにはいられなかった。見えるはわけもないのに窓から租界を見下ろしてみたり、物音がする度に部屋の扉を見たりとそわそわしていて落ち着きがない。


 今、ルルーシュの寝室にいるのは和美とミレイだけだ。先ほどまでは咲世子もいたのだが、あまりに和美が心配そうにしているのでミレイがロビーを見てくるように頼んだのだ。だがそれは失敗であった。ブリタニア人と二人きりというシチュエーションに置かれたからか、和美は余計にそわそわとし始めてしまった。


 無理もない、とミレイは思う。名誉とはいえ同じ日本人の咲世子にさえ最初は警戒心をむき出しにしていたくらいだ、今の和美にとって味方だと断言できる存在はルルーシュしかいないのであろう。


 そこまで思考を巡らせるとミレイの中に眠る、探究心という名の触手が反応し始める。それこそ小動物のようにビクビクと周囲を警戒している和美が、なぜこれほどまでにブリタニア人であるルルーシュを信頼しているのだろうか。一年間の付き合いがあるからという話は聞いたが、ミレイの持つ女性としての部分が嗅覚を働かせる。ミレイは余計に不安がらせてしまうかなと考えつつも、和美に話しかけてみた。


「ねぇ、少しお話しない?ルルーシュが帰ってくるまででいいからさ」


 それを聞いた和美はキョトンとして二、三度左右に視線を移した後、おずおずと自分を指さしてミレイに確認を求める。確認も何もこの部屋にはミレイと和美の二人しかいないにも関わらず。そんな和美の姿を見てミレイは悪いと思いつつも思わず笑みがこぼれる。


「そんなに緊張しないでよ。ちょっと訊きたいことがあるだけだから」


 和美は心の中で何度も自分に「落ち着け!」と繰り返し、必死に平静を取り戻そうとするが、逆に焦るばかりで一向に落ち着く気配はない。そんな中でもどうにか頷くことだけは出来たので、ミレイは苦笑しながらも話を進めた。


「どんなふうにルルーシュと知り合ったのかなって思って。ほら、ブリタニア人と日本人なのに随分と仲がいいみたいだったから」


 和美は混乱しそうになる頭で質問の意味を何とか理解すると、ろくに考えることもせず、いや、できずに答えを返す。


「そ、その初めてルルーシュ君と出会ったのはカレンちゃんのお家にお礼に行った時に、あっ、カレンちゃんっていうのはと、お友達の名前で」


 息継ぎもせず捲くし立てる和美。その様子にますます苦笑せざるをえないミレイ。なかなか会話になりそうで会話にならない二人。そうなれば自然にミレイがリードしていかなくてはならない。ならないのだが、なぜかミレイはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ始めた。


「お礼って一体何の?」


 ミレイの頭の中でこの状況を利用してやる算段が出来上がっていく。慌てたままの状態ならば嘘をつくこともない上に、隠したいと思っていることも口を滑らせるかもしれない。相変わらずルルーシュの言った言葉が全て真実であるとは思っていなかったミレイは彼の嘘を暴いてやるつもりでいた。


「それは、その…」


 結局、こんな状態の和美が機転を利かせることなどできるはずもなく、彼女もルルーシュと同様にミレイに根掘り葉掘り訊かれてしまうのであった。





 ものの十分も経った頃には頬どころか顔じゅう真っ赤になった和美と、ニヤニヤとした笑顔のミレイが出来上がっていた。


「それで、優しい優しいルルちゃんに惚れてしまったわけだ~♪」

「ああ、こ、このことはルルーシュ君には…」

「大丈夫、大丈夫、もちろん内緒にしとくからさぁ」


 お願いします、と言いながら和美は不思議な感覚にとらわれていた。つい先ほどまでビクビクと警戒していたのに今は何だか自然と会話ができている気がする。ミレイの方を見ると相変わらず楽しそうに笑っているので、和美も釣られて笑ってしまう。そして、その様子に気づいたミレイが満足そうにうんうんと何度も頷いた。


「大切にしなきゃね、そういう想いっていつだって持っていられるわけじゃないから」


 和美は再び真っ赤になりながらもはいと頷くことができた。それと同時にやはり不思議な人だなと思う。いつの間にか彼女のペースに乗せられてしまっていたけれど、決して不快ではなかった。むしろ安心できるというか包み込むようなところがある人のように感じられる。たったこれだけの遣り取り、それも一方的に手玉に取られたように洗いざらい白状させられただけであるにも関わらずに。


「う~ん、あなただけ秘密を話すのも不公平だから、私の秘密も少し教えてあげてもいいかな」


 和美がミレイについてあれやこれやと考えていると、当のミレイがそんなことを話し始めた。それもニヤニヤとした笑い方ではなく、自然と浮かんできたような笑顔で。ただ、その笑顔にはどこか影があるようにも見えた。


「私ね、高校卒業したら結婚することになってるの」


 突然の告白に驚くというよりどう反応していいのか分からない和美であったが、そんな彼女はおいておいたまま次の言葉を紡ぎ始めるミレイ。


「相手が決まってるわけじゃないの。でも、アッシュフォード家を再興させるためには必要なことなんだってさ」


 そこまで話し終えるとミレイはぐっと和美の手を握って詰め寄るようにして顔を近づけていく。


「だからってわけじゃないけど、応援してるからね!」


 そんなことを言いながらもミレイはこの恋が叶うことはないであろうと考えていた。なぜなら相手はいくら元とはいえブリタニアの皇族である。そうでなくとも被支配者であるイレブンとブリタニア人である。よしんば結ばれたとしても前途は途方に暮れるほど多難な道となることは火を見るのよりも明らかだ。


 それでも、ミレイは選択の余地があるということはそれだけで幸せなことだと思っている。だからこそ、まだ選択肢の残されている子供の内は、せめてモラトリアムの間くらいは好きなことをして楽しんでいられたら、と奈川図にはいられないのだ。


 没落の憂き目を見ている家の娘として決められた政略結婚という未来が待ち受けているのならばそれでもいい。たとえその時がきて、一生をその運命の下で人生を過ごすことになろうとも、自分の生涯は幸せであったと言えるような人生を送ってやろうと、ミレイは心に決めていた。そのためにはこの子供時代が充実したものでなければいけない。きっとそれは自分だけではなく、全ての人に共通して言えることだ。


 どうにもならない運命という名の現実が誰の人生にも訪れる。その時に支えになってくれるものはきっとそんな思い出たちなのだろう。ミレイは自分がそうでありたいと願うとともに誰にでもそうであってほしいと願っていた。だから、出会って間もない和美が相手であってもそれを願わずにはいられなかったのだ。


 ねっ、と念を押すようにさらに顔を近づけてきたミレイの迫力に負け思わず頷いてしまう和美。それを見たミレイは再び満足そうに何度か頷くとようやく手を離した。


 実を言えば和美にはミレイの言っていることがよくは分かっていなかった。なぜ家のために結婚などしなければいかないのかなんてことは、その時の彼女には知りえないことであったから。それでも、ミレイの人となりは信頼できるのかもしれない、という漠然とした感想を抱いていた。自然と笑顔を人に伝染させてしまうような人なのだから。和美はいつしか緊張感と不安が不思議と和らいでいくのを感じていた。





 部屋の空気がどことなく和み始めていたその時、部屋の扉が開けられてルルーシュと咲世子が入ってきた。和美の心配もよそにルルーシュはいつもと変わらぬ様子でソファに腰かける。無事であったことに安心して和美が近づき声をかけると、なぜかこめかみを押さえて顔を俯けてしまった。


「ど、どうかしたの?」


 もしかしたら、ゲットーで何かよくないことがあったのではないかと思わざるを得ないような態度だ。和美からしてみればルルーシュのことはもちろん心配であったが、両親の安否もまた最大の心配ごとの一つである。彼女は最悪の結果を予想しそうになる思考を無理矢理押し止めてルルーシュの返事を待った。


「すまない…ゲットーの皆がいる場所は分かったんだけど、お前の両親のことを訊き忘れていた」


 申し訳なさそうに答えたルルーシュ。和美はその言い分に納得がいったようだが、ミレイはその言葉に疑問を感じた。今日彼がわざわざ二日連続でゲットーまで出向いた理由は生存者の発見と和美の両親の安否を確かめることであったはずだ。それを忘れていたということは少し考えにくいことである。


 となると訊くことが出来ないような状況にあったか、訊くことを拒まれたか、でなければ本当に忘れていたということになるが、当初の目的を忘れてしまうほどの何かが起きてしまったかと考えることもできる。いずれにせよルルーシュにとって愉快な話ではなかったであろうことは想像がつく。


 そもそも無事な人々がいることが分かったのならば、もう少し嬉しそうにしていてもよさそうなものである。それなのに、ルルーシュは和美に話しかけられるまで「ただいま」の一言さえも発することはなかった。考えれば考えるほどルルーシュがいつも通りでないように思えてくるミレイ。その場で問いただしてもよかったが、和美に聞かれてはまずい話かもしれないと考え直しルルーシュと和美の話が終わるまで待つことにした。漠然とした不安と共に。















次回予告

 進む道を選ぶことしかできなかった少年と少女

 そして、もう一人の少女も自らの生きる道の選択を迫られる

 現実に翻弄され続ける子供たちが世界に抗うため身につけることを望んだものとは


Next Stage.運命 に 抗う ために



[10962] Stage7.運命 に 抗う ために (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:15

「じゃあ、扇先生たちは無事だったんだね?」


 心配そうに眉根を寄せながらルルーシュの話に聞き入っていた和美は、誰それが無事であったと聞かされる度に表情を和らげていった。ほっと胸をなでおろす和美の姿を見て、ルルーシュは彼女には見えないようにして顔をしかめる。


「ああ、だからお前の両親のことはまだ分からないけど、明日にはそこに連れて行くから」


 そう言うなりルルーシュはすっと立ち上がり、部屋を出て行こうとしているのか扉の方へと歩いて行きドアノブへと手をかけた。もう片方の手には何か封筒のようなものを持っている。はっとした和美が声をかけようとしたが、何か思うふしがたあったのか何も言わずに部屋から出て行くルルーシュの背を見送った。


「よかったの…何か訊きたいことがあったんじゃない?」


 二人の無言の遣り取りを見ていたミレイはその光景に納得がいかない。もし明日先ほどの話の通りにことが進むとしたら、和美とルルーシュは離れ離れということになってしまう。いくら和美が日本人であり、ここにはいられないとしても、このまま別れてしまったのでは後味が悪すぎる。訊きたいことも訊けずにもやもやしたままお別れなんてことになってしまえば、後になって後悔することは目に見えているのだから。だからこそ、和美に尋ねずにはいられなかった、このままでいいのかと。


「訊きたいことは山ほどあります…だけど、ああいう時は何を言っても駄目ですから」


 和美とていつもと様子の違うルルーシュが心配で訪ねておきたいことはたくさんある。だが、一年間の付き合いの中でああいった状態時の彼が周囲を相手にしないことを知っていたので、話し掛けることをつい躊躇ってしまった。


「でも、明日でお別れになるならチャンスは今しかないのよ?」


 ルルーシュが帰ってくるまでの会話の名残か、ミレイは思わずそんなことを訊いてしまった。それを一番分かっているのはきっと他ならぬ和美であろうと知っていながらも。


「でも、少し辛そうにしていたから…きっと、ゲットーで何かあったんだと思います」


 その言葉にミレイは意外そうな表情を浮かべた。つまり和美はルルーシュの様子が変だと気付いていながら、あえてそのことには触れずにいたということになる。それも辛いという明確な感情の変化をとらえておきながらだ。


「ゲットーに来てすぐの頃も、あんな感じでいることが多かったんです」


 誰かのためになることをしながらもそれが認められることのなかった頃にもよく、ルルーシュがああやって一人で考え込むことが多かったことを和美は思い出していた。


「日本人の中で一人きりのブリタニア人でしたから…詳しくは分からないんですけど、きっといっぱい辛いことがあったんだと思います」


 それでも、あの頃はまだ彼の隣に紅い髪の少女がいた。いつも彼の傍にいて、彼を支えていた少女がいた。しかし、今はそうやって寄り添うことのできるほどルルーシュと深い関係にある者はこの場にはいない。


「そこまで分かっているならなおさらどうにかしなきゃいけないんじゃないの?」


 和美もあるいは自分ならばできるかもしれないと思うには思うが、今は自分の中で様々な感情が渦巻いていてそんな勇気は湧き上がってはこなかった。


「私、案外薄情な人間なのかもしれません。目の前に辛そうにしてる友達がいるのに、助けようとする勇気もないし…本当はお父さんとお母さんのことも心配しなきゃいけないのに、さっきからルルーシュ君のことばかり考えてて」


 それは和美の本心ではない。本当は両親のこともゲットーの人達のこともルルーシュのことも心配で、けれどその感情全てを一度に処理することができずにいるだけだ。今にも崩れ落ちそうな心を支えていくためには何かを思考の中から除いていかなければならなかった。


 しかし、和美の元々の性格であるのかそのことに胸を痛めずにはいられない。何もかもが、誰もかれもが心配の対象だけれども、何もすることのできない自分が情けなかった。眼と鼻の先にいる少年に近づく勇気もないくせに、今この時に恋愛感情などに踊らされていることへの苦悩はある。いったい、自分が何をしたいのか和美には次第に分からなくなっていった。


 一方、ミレイもまた和美の様子に心を痛め、自分の軽率な行動を悔やんでいた。和美は何もルルーシュのことだけでこんなに悩んでいるのではないと先ほどの言葉で分かってしまったから。そう、今の和美の胸中ではルルーシュだけでなく、両親や友人たちへの不安もまた渦巻いているはずなのに、自分は一時の感情に踊らされて彼女を焚き付けていた。それが、和美を追いこんでいるとも知らずに。


 それはルルーシュが帰ってくるまで自分が考えていたことのはずであった。どうにもならない現実が今まさに彼女の目の前に広がっているのである。そして、支えになってくれるはずの思い出もまた彼女を苦しめる要因の一つとなっている。


 没落気味の家の娘とはいえミレイは貴族の娘として育てられてきた。世の中のことに疎いとは言わないが、それもその年の裕福な家の子供としてはというレベルでの話である。ナンバーズという被支配民がいて不遇な扱いを受けていることは知っていても、これほどまでに残酷な現実が彼らに待ち受けているものだとは予想していなかった。だが、事実としてルルーシュや和美のような、一つしか違わないとはいえ自分よりも年下の子供達がこうして追い詰められている現実が存在している。


 ミレイは自分の考え方が甘かったことを思い知らされた。自分は押しつけられた現実を受け止めていくことができたが、これだけのことを全て受け入れても今のままのように生きていくことができるだろうか。


 ミレイが和美の方を窺うと彼女はルルーシュの出て行った扉をじっと見つめていた。さっきまではあんなにわたわたとしていて落ち着きがなかったというのに、今はただ座ったままほとんど身動きしない。ミレイは和美を素直な子だと思っていたけれど、その時ばかりは彼女が何を考えているのか分からなかった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage7.運命 に 抗う ために










 ミレイが部屋を出て明かりの点いているリビングの方へと行くと、ルルーシュが一人でソファに座っていた。前屈みになって手に持った何かを見つめているその様子はいつものように気取って本音を見せない姿ではなく、明らかに気落ちした雰囲気を漂わせている。ミレイはそっとしておこうかとも思ったが、足は自然とルルーシュの方へと向かっていた。


 すると、ミレイが近づいてくるのが分かったのだろうルルーシュは、はっと顔を上げて手に持っていたものを隠そうとして逆に床にばらまいてしまった。髪のような薄さのそれは床の上を滑るようにして数枚がミレイの前へと落ちていく。悪いことをしたと思いミレイがその落ちてきたものに手を伸ばした時、ようやくそれらが写真であることが分かった。ミレイの前に落ちてきたものの全てがルルーシュを中心に撮られている写真であり、ぎこちないながらも笑顔をみせている彼が写っている。


 ミレイが拾った写真をルルーシュへと渡すと、彼は少しばつの悪そうにしながらもそそくさと受け取った。その時に見えたルルーシュの表情はいつもの通り薄い笑顔であったが、今ならそれが演技であることに確信を持てる。写真の中に写っている笑顔とあまりにも違う今のルルーシュの笑顔。作られたその表情の下に一体何を隠そうとしているのだろう。和美の言う通り苦痛を隠そうとしているのなら、それはとても悲しいことであるようにミレイには思われた。


「何かあったの?」


 ルルーシュの様子にそんな言葉がつい零れるミレイ。もはや訊くまでもないことだったと後悔しながらも、後悔よりも不安と心配の方が先に立っていた。もしも、ルルーシュがなにか苦痛を抑え込もうとしているならそれは少し危険だ。人間、溜めこめば溜めこむほど後々反動が大きくなっていく。まして、ルルーシュがどれほど壮絶な人生を歩んでいようと彼はまだ幼い。その小さな体に詰め込める苦痛などそう大きくはないはずだ。


 それに、とミレイは思う。今までは先ほどの写真に写っていたようにルルーシュを支えてくる存在がいたのだろう。今も和美がいるといえばいるが、彼女も彼女で心労は多大なものがあるだろう。しかし、ルルーシュも和美もなかなかそれを表には出そうとしない。


 その態度は気丈で精神的な強さを持っているようにも見えるが、その強さはあまりにも危うい精神状態の上に成り立っている。幾層にも積み重ねられた負の感情の上に成り立っているものであり、今やその重さによって彼等の心には亀裂が走っているのだから。それは、短い付き合いながらもここまでの変化と現実を見せつけられれば分かりそうなものだ。


 単なる同情と取られるかもしれない、ミレイはそう思いながらも訊いてしまったものを今さら撤回しようとは考えなかった。


「何かも何も、先ほど言った通りのことがあっただけですよ」


 ルルーシュはミレイの顔を見ずにそう答えた。ミレイから受け取った写真を封筒の中にしまい込む自分の手を見つめている。元から答えてくれるとは思っていなかったミレイは「そう」と軽く流しながらも、視線だけはルルーシュから外さない。そして、ミレイのその行動をいぶかしんだルルーシュも彼女と視線を合わせた。


「まだ何か用があるんですか?無いなら俺は…」

「待って、まだあと一つだけ答えて欲しいことがあるの」


 ルルーシュは遮られた言葉を飲み込み、若干の間を空けてから先を促した。だが、当のミレイは何度か口を開きかけては閉じるという行動を繰り返し、話が前に進まない。やはりまたの機会にしてもらおうとルルーシュが断りを入れようとした時、ようやくミレイがその重たい口を開いた。


「…自分じゃあどうにもできないことがあって、それが自分の想いや考え方に反することだったとしたら、あなたならどうする?」


 当然、ルルーシュは意外そうな顔をしてきょとんとミレイを見返している。どうしてそんなことを訊くのか、と訊き返しそうになったがふと思うことがあって口を噤んだルルーシュ。


「そう言うあなたはどうしたいのですか?」


 いつかカレンに訪ねたことと同じだ、とルルーシュは思う。あの時はただ心の中で思うだけであったカレンに行動をしなければ何も変えられないと言いたかったからそう言った。今回の状況は少し違うが概ねは同じことだと考えていいだろう。


「その想いがどうしても譲れないものならば自分で行動を起こすしかありません。少なくとも俺ならそうしますよ」


 ルルーシュの答えを聞く間、ミレイはいつものひょうひょうとした感じを潜めて真剣な面持ちでルルーシュを見つめていたが、また一つの疑問をルルーシュに投げかけた。


「その時、立ち向かう相手が運命だとか自分だけでは抗えないような存在でも?」


 これはミレイが自分自身に問いかけ続けてきた疑問でもある。誰かに押し付けられる現実、政略結婚。それが、彼女にとっての運命であり、それを彼女に強いてきたのは彼女の両親だ。幼くまだ両親の庇護下にあるミレイには逆らい難い相手であり、政略結婚自体が貴族の間ではそう珍しいことではなかったため、ミレイはこれまで嫌だ嫌だと言いながらもそれを受け入れてきていた。いや、思えば口でも「嫌だ」と言うだけで、に文句の一つも言ったことがないかもしれない。


 しかし、ルルーシュや和美との出会いが急速に彼女の中での考え方を変えつつあった。自分よりもなお厳しい現実にさらされながらも、それに耐える彼等の姿。そういう言い方をすると、どちらも耐え忍んでいるように聞こえるだろうが、ミレイはそうではないと考えている。


 ミレイの場合はそれを受け入れようが、反抗しようがおそらく財団の力が残っている限り不自由のない未来が待っているだろう。だが、ルルーシュや和美の場合は耐え忍ぶこともまた戦いの一部である。いや、生きていること自体が何かに抗い続けることと同意なのだ。


 日本人、被支配民族イレブンである和美。そして、ブリタニア人でありながらゲットーに身を置くだけでなく皇族でもあるルルーシュ。特にバックグラウンドを知っているルルーシュの人生がどれほど現実との戦いに満ち溢れていたかは想像に難くない。


 だからこそ、ミレイはルルーシュにこの質問をぶつけたのだ。彼と自分が抱えている問題では程度が違うが、その姿に思うところがある。ただ現実を受け入れてどうにもできない苛立ちにも似た感情を抱くだけであった自分と、常に抗い続けてきた彼等。そう考えると、自分が少し情けなくもあり悔しくもある。


「たとえ何が相手であろうと俺の生き方は変わりません。それに…」


 いつになく真剣なミレイから視線を逸らすことがなかったルルーシュがその時初めて彼女から視線を切って、手に持った封筒を見つめた。


「自分だけではないと思っていますから」


 ルルーシュの表情は一瞬だけ緩んだように見えたが、すぐに険しいものへと変わっていく。一人ではない、そう思ってはいても今日のゲットーでの出来事は忘れることは出来ない。扇か最後にかけてくれた言葉と、カレンと、初めてできた仲間と交わした誓いを信じていくしかないのが現状だ。だが、それでも今までの人生を思えばまだ救いのある方だ。そう思うとルルーシュは一度目をつむった後で、ミレイに向き直った。


「参考になりまし、たか…?」


 そして、ルルーシュが向き直った先で見たものは、いつもの通りどこか含みのある笑顔を浮かべたミレイ。どこか満足そうに何度か頷いた後でミレイはようやく「ありがとう」と礼を口にした。さらに、状況がうまく飲み込めないルルーシュがボケっとしている内に、ミレイはこれまたなぜかルルーシュの部屋へと歩を進め始める。


「いろいろありがとうね、ルルちゃん♪おかげで考えがまとまってきたわ」


 そう言ってルルーシュの寝室の扉の向こうへと消えてしまったかと思えば…。


「ああ、そうそう。私がいいって言うまで入ってきちゃだめだからね」


 そんな、ルルーシュにとって意味不明な捨て台詞を残して今度こそ本当に扉の向こうへと消えていった。おかげでルルーシュは自分の部屋であるはずなのに、しばらくの間締め出しをくらうはめになってしまい、おまけに部屋から出てきた時のミレイの含み笑いがルルーシュを心底不安にさせる。そして、もうひとつおまけにと、部屋の中にいた和美までもが急に真剣な顔をしたかと思えば、急に自信なさげに顔を俯けたり、ルルーシュをちらりと窺った瞬間に頬を赤くして視線を逸らすといったことを繰り返しているものだからルルーシュには訳が分からない。


 結局ルルーシュは和美にベッドを譲りソファに横になりながらも、釈然としない気持ちを引きずっていた。次の日の昼過ぎ、ゲットーに送り届けたはずの和美がなぜか租界に帰ろうとしたルルーシュを追ってきたり、なぜか租界にいる咲世子にさらに唖然とすることになるとは露知らず、ルルーシュはゆっくりと眠りに落ちていく。


 ゲットーでのことがあったからだろうか、その日のルルーシュの夢にはカレン、次いでナナリーが出てきた。それは、ルルーシュにとって少しだけ幸せな時間でもあり、また虚しさの募る時間でもあった。















 トウキョウ租界ブリタニア政庁、一定以上の階級を持つ者たちに与えられる個別の執務室。その一室で鳴り響く電子音。背の高いスキンヘッドの男が室内に備え付けられた電話の受話器を取ると、先ほどまでけたたましく鳴っていた電子音が鳴り止んだ。


「大佐、本国からです」


 そう言いながらスキンヘッドの男、サハロフは受話器を置き内線を使い上司へと電話をつないだ。そして、自分の机の上に置かれた子機を取った上司、ベルトゥーチが電話をかけてきた相手と会話を始める。電話先からの報告を聞く度に満足そうに笑みを浮かべて、終いには今にも声を上げて笑いだしそうなものへと変わっていくベルトゥーチの表情。


 やがて、ベルトゥーチはゆっくりと受話器を置くとすぐに煙草へと火を点けた。幸せそうに一気に息を吸い込むと、これまた幸せそうに紫煙を吐き出した。


「サハロフ君、朗報だよ!皇女殿下が我々の考えに賛同すると言ってくだされた!」


 大げさに両手を広げながら喜色一面のベルトゥーチはサハロフにそう告げる。一方のサハロフはいつもの通り表情一つ変えずにただ頷くだけ。


「ただ、然る教育を受けて責任ある行動がとれるようになった後だそうだがねぇ」


 子供のように口をとがらせてはいるが、ベルトゥーチの口調は相変わらず楽しげなままだ。「何年後の話になるのかねぇ」という愚痴めいた言葉までもが弾んでいる。


「後はダングルベール卿の実験の成功を待つばかりか…実に楽しみだ、実にねぇ」


 執務室中に響き渡るような笑い声が弾ける。蠢きだした陰謀によってどのように未来が変えられていくのか今はまだ誰も知らない。





[10962] Stage7.運命 に 抗う ために (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:16


 あれは学校かな。あれは誰それの家かな。和美は辺り一面に広がる光景に視線を走らせながら、想像していた以上の惨状を前にしてそんなことしか考えることが出来ない。和美はあの時は逃げることに必死であったし、その後はひたすら地下道で息を潜めていたので、こうしてまざまざと破壊の跡を見ることは初めてであった。


 変わり果てたゲットーの様子からはまるで人の気配は感じられず、音を立てているものは前を歩くルルーシュと和美自身の足音だけ。その静寂と荒廃は彼女に二年前の戦争の後に訪れたそれよりもなお強い空虚感を与えてくる。この光景と人々の衰弱ぶりを見れば、二度にわたる破壊と蹂躙が残していった爪痕はこの先癒えることがあるのだろうか、と誰もが疑問に思うことだろう。


「着いたぞ」


 そんなことを考えている内にいつの間にか周りの景色は変わり、目の前に大きな、けれど崩れかけの建物があった。ルルーシュが着いたと言うからにはここに皆が避難してきているのであろう。


 すると突然、緊張した面持ちでその建物を見つめていた和美の肩をルルーシュが掴み、向き合うように体制を変えさせた。自然と近くなる二人の距離に顔が熱くなることを止められない和美。しかし、ルルーシュはそんな和美の様子に気付いていないのか態度を変えることもなく次のようなことを言い出した。


「麻倉、一つだけ約束してほしいことがある」


 ルルーシュの表情がこれまでに見たこともないほど沈痛なものであったことに少し驚きながらも、和美は「分かった」と緩みそうになっていた気持ちをきっと引き締めた。


「この中に入った後、俺がお前を連れてきたということは扇以外には言わないと約束してほしい」


 有無を言わせぬような迫力すら感じさせる声色で、そう願い出てきたルルーシュに思わず頷いてしまう和美。できることならば訊き返して真意を確かめたいところであるが、ルルーシュがここまでの態度で言うのだからきっと答えてはくれないだろう。和美はそう結論付けてからもう一度首を縦に振った。それを見たルルーシュはほっとしたような表情を浮かべ和美を開放する。


「それじゃあ、ここでお別れだな」


 今のルルーシュには別れという言葉がいささか苦痛ではあったが、惜しんでばかりもいられないと気持ちを即座に入れ替える。最も本当に切り替えられるはずもなく、かろうじて表情を取り繕うことができた程度であったが。


「たったの一年間だけだったが、楽しかった…ありがとう」


 微笑を浮かべながらそう言ってはみたものの、これでゲットーと自分をつなぐものがあの写真だけになるのかと思うとやはりやりきれないものがある。それでもいつかカレンやナオト、二人の母、そして、和美や扇といったゲットーの皆とも再開できるもだと固く信じて強く心を保とうと心掛けた。それがルルーシュが手紙の先の妹、そして初めてできた仲間と交わした誓いを守ることでもあるから。


 それまで閉じていた目を開くとあまり長居して感情に収集がつかなくなってしまってはいけないと、ルルーシュは断腸の思いで和美に背を向けて歩き始めた。


 和美はなぜかルルーシュに一言もかけることなくその後ろ姿をしばしの間、見つめていた。そうして、ようやく動き出したかと思うと今度は全速力で避難所の中へと入っていく。その時の和美の頭の中では昨夜のミレイとの会話が思い返されていた。















 ミレイは部屋に入ってきたかと思うと、扉の間から頭だけを覗かせてルルーシュに向かってだろうか何事かを話しかけている。和美がそれを不思議そうに眺めていると話し終えたミレイがくるりと振り返ると、やけに真剣な面持ちで和美へと視線を合わせた。


「突然で悪いけど、私の話、いえ、お願いを聞いてくれるかしら?」


 そう言ったミレイの表情は今までになく真剣で言い知れぬ迫力を感じるほどである。だからと言って今さら和美が脅えることはなく視線をそらさずに、ただ「はい」と頷くだけの返事をした。


「きっとあなたにとってとても残酷で、恐ろしく自分勝手なお願いをすると思う…それでも聞いてくれる?」


 やけに念を押してくるミレイを不思議に思いながらも和美はもう一度「はい」と頷くと、その返事に一層顔を険しくしたミレイ。急激に言いようのない緊張感が室内に広がる。咲世子が気を利かせて部屋を出ようと頭を下げたが、ミレイは咲世子もここに残るようにと言った。


「それじゃあ、単刀直入に言わせてもらうわね。もし、あなたのご両親がゲットーにいらっしゃらなかった時は、ルルーシュの傍にいてあげてくれないかしら?」


 おそらく、いや、確実に今の和美の心の中では両親や友人たち、ルルーシュへの不安と心配が渦巻いているであろうことはミレイにも容易に想像がつく。だからこそ前置きをしてさらに念を押してからこの話を切り出したのだ。


 もちろん、これが保身ともとれる言動であることもミレイはよく理解している。それは未だ彼女の中に残る恐れと弱さの表れであり、彼女自身こんな言葉を使わなければ真意を口にすることが出来ない自分が悔しかった。


 それでも今の二人を見ていると離れ離れにしてはいけないのではないかとミレイには思えてならないのだ。和美の両親が生きていれば話は別だが、彼女の両親がもしも亡くなっているようなことがあれば彼女は一人きりになってしまう。今朝のニュースではちらりとしかゲットーの様子を放送していなかったが、それだけでも十分すぎるほど手に職も付いていないような幼い少女が一人で生きていける世界ではないと分かる。彼女の面倒を見てくれる人もいるだろうが、和美やルルーシュの話の断片から想像するにかなり厳しい思いをすることになるであろうことは想像に難くない。


 ルルーシュはルルーシュで今この実情をたった一人で乗り切ろうとしている。先ほどのような態度ではミレイに頼ってくることはまずないであろう。彼女はまだそれほどまでにルルーシュからの信頼を得ていないのだから当然と言えば当然の結果である。しかし、そうやって一人で戦っていけるほど現実は甘くない。それは今日一日の出来事を通してミレイが学んだ最たるものであった。


 そして、ルルーシュとの会話の中で彼が言った「一人ではないと思っている」という言葉。思っている、ということは物理的には一人であるということになる。ミレイにはルルーシュが今までどれほど過酷な人生を送ってきたのか簡単に知っているとは言うことはできない。だが、子供が一人で抱え込むのにはあまりに大きすぎる苦痛と苦悩を彼は一人で負おうとしていることを見過ごすわけにはいかない。


 もちろんミレイ自身、ルルーシュの力になってあげたいと思う気持ちは強い。それでも今はまだ信頼されておらず、これから先彼が心を開いてくれるという保証もないのだ。このまま放っておけば間違いなくいつかそう遠くない未来、ルルーシュは重圧に押しつぶされてしまう。


 それを防ぐためにはどうしても和美の力が必要なのだ。彼等の間には自分とルルーシュの間にはないような確かな関係が築かれており、互いに口にはしないが心の支えになってくれる人物を望んでいる。それならば、二人はこのまま離れずにいた方が良いのではないか、それがミレイの考えであった。


 自分にできないことだから他人にやってもらおうと捉えることもできるし、実際はそういうことになってしまうだろう。さらに言えば和美の両親が既に他界していることを前提としているということにもなる。いくら尤もらしい言い訳を並べようともそれは覆すことのできない事実だ。しかし、ミレイは目の前で崩壊への道を歩もうとする少年少女を黙って見ておくことができるような人間ではない。


 もし和美がこの話を断るようなことがあればどうしたら良いのかと思いもしたが、それはその時にならなければ分からないことが多くまだ答えを導き出すことが出来ない。結局、ミレイは他人に頼ることしか解決の糸口を見つけ出すことのできなかった自分を悔やんだ。自分よりも一つとはいえ幼い子供達が必死に足掻いて生きようとしているというのに自分はあまりに無力だ。ミレイはこれほどまでに何かに抗うために力を欲したことはこれまでに一度としてなかった。










「私は…」


 ミレイが悔しさのあまりいつの間にか伏せてしまっていた顔を上げると、視線をベッドのシーツへと落としてしまっている和美が口を開いた。


「私はまだ自分がどうすればいいのかよく分かりません。お父さんとお母さんには会いたいけれど正直に言えばゲットーに戻ることは少し怖いんです。いつまたあんなことが起きるかと思うと…」


 同じ場所で同じような破壊と虐殺をまざまざと見せつけられた場所。いくらその場所が自分の故郷であろうと、今の和美には十分すぎる恐怖を呼び起こす場所である。


「だからと言って、こうしてブリタニア人ばかりの環境で生きていくことも恐ろしくて」


 今はこうして下界から切り離された部屋の中にいるからいいようなものの、ゲットーを出てこの部屋に来るまでに感じた恐怖を考えるといくらルルーシュが隣にいてくると言っても不安は残る。


「だけど…」


 だが、和美は心に芽生えた感情は無視できることなどできないほどに大きくなりつつあることも事実だ。一度ならず二度までも自分を救ってくれたルルーシュ。ブリタニア人であるのに日本人のことを思って行動してくれていたルルーシュ。和美が知っているルルーシュは優しく頼りになる存在そのものである。


 その少年が今、目と鼻の先で悩んでいて自分の助けを求めているというのなら、そう思い伏せていた顔を上げてミレイの目を見返す和美。そうして導き出された答えは…。















 ルルーシュは困惑していた。つい先ほどゲットーの避難先に案内し、そこに入っていたはずの和美がなぜか息を切らせながらも租界周辺までルルーシュを追ってきたのだ。これで和美のことは完全にではないが解決したと思っていたルルーシュにとって、それは思いもよらないことであった。


「あ、あのね、私ルルーシュ君に話しておきたいことがあるの」


 ここにくるまで足場のしっかりしない瓦礫の上を走ってきたのだろう、和美の方は大きく上下に揺れており、息は絶え絶えとしている。それなのに彼女は息継ぎもせずに言葉を紡ごうとしている。和美がなぜ自分を追ってきたかは当然気になるが今は彼女の体調の方が心配だ、とルルーシュが和美に近付こうとすると彼女は手でそれを制した。


 状況の飲み込めないルルーシュの視線が和美の視線と合わさる。和美は口調こそいつもの彼女のものであるが、目じりをきっと上げて確かな強い意志を感じ取ることのできる表情をしていた。ルルーシュは彼女のそんな表情を見たことがなかったので思わず息をのんでしまう。


 一方、和美はこれから自分の口にしなければいけない言葉を胸の内で反芻する度に速くなっていく動悸と戦っていた。表情が緩むことは抑えることは出来たが、声が震えることや裏返りそうになることを抑えることはできそうになかった。


 だが、それを恥ずかしがっていてはきっとルルーシュに自分の気持ちを伝えることは出来ない、そう思い自分の心を奮い立たせる和美。そして、もう一度自分がルルーシュに伝えなくてはいけない気持ちを頭の中で思い描こうとしたが出てきてくれた言葉はたった一つだけであった。


「私は…私はルルーシュ君の、あなたの力になりたい!」




















 右を向けば正にお嬢様といった豪華絢爛な髪飾りを着けた少女がいて、左を向けば己こそ紳士であると言わんばかりに胸を張り、すました顔でいる少年がいる。前にいる少女が身につけている装飾品は素人目にも高価であることが分かるほど煌びやかであるし、姿の見えない後ろの者からは大人びた感じの香水の匂いがここまで漂ってくる。


 カレンは件の学園中等部入学式へと出席し、目立たないようにこれから共に机を並べることになるだろう者達を見まわしていた。流石に伝統ある貴族御用達の学園だけあって誰もかれもが見るからに裕福な出自であることを思わせる出で立ちだ。カレンにはこれから自分がその中に溶け込んでいける自信は微塵もない。いくらはねかえっていた癖毛を梳いて下ろしてみても、驚くほど肌触りのよい制服に身を包んでみても、作法や言葉使いを習ってみても何一つしっくりとこないのだ。


 こうして名家のお嬢様として華やかな場に身を置いてみても、何もよりもまず先に立つものが嫌悪感と怒り。本当ならば今すぐにでもこの場から去り、図書館なり国防技術資料館なりにでも行きたいものだとカレンは思っていた。なぜそんな場所に行くのかと問われれば、彼女は口頭では嘘八百を並べながら内心でブリタニアと戦うためにと答えを返すことだろう。


 ブリタニアと対抗しうるだけの力と考えてカレンが真っ先に目を付けたもの、それはKMF(ナイトメアフレーム)と呼ばれる人型機動兵器であった。正しくは人型自在戦闘装甲騎と称されるその兵器の有用性は当時日本にいた人間であれば誰もが知っていることだ。大地をまるで滑るかのように自在に走りぬけ、日本軍にもはや塗るところはないというほどに泥を塗り、日本国民に筆舌に尽くせぬ恐怖を与えた兵器、それがKMF。


 その怖さを知っている者だからこそ、その有用性もよく分かる。日本侵攻以降におけるブリタニア最大の武器として世界各地へと配備されている事実を見れば、なおさらに理解しやすい。


 だが、そんな兵器の詳しい情報が一般に公開されている訳もなく、カレンも図書館や資料館をしらみつぶしにあたり少しでも情報を得ようと試みてはいるものの満足のいく情報を得ることはできていないのが実情だ。しかもその類の書物は専門用語のオンパレードで基礎知識がほとんどないカレンでは読み解くことでさえ困難な作業である。それでもカレンは自分の浅はかさを悔やみながらも、諦めることはしなかった。ブリタニアと対等以上にわたり合おうとするならばKMFの力は必ず必要になってくるはず、そう考え暇さえあれば関連資料を漁っている。


 最近ではそうして何かに打ち込んでいることが精神安定のためには欠かせぬことになってきているカレン。暴れ出しそうになる暗い感情を紛らわせるには他のことを考え続けることが最善の道であったのだ。今も今とて周囲への嫌悪感を紛らわせるために昨夜読んだ書物のことばかりを考えるようにしていた。それでも、やはり目につくものを無視し続けることは容易なことではなく、これから何年間もこの中で過ごすことになるのかと思うだけで吐き気と目眩がする。


 カレンは入学式が終わりクラスごとのホームルームが終わる頃には、すでにこの学園に辟易していた。担任についた教師は貴族の子供ばかりが相手であるからかやけに腰の低い態度であったし、生徒の中にはやたらと高圧的な印象を受ける者もいる。こんなことで本当にまともな教育が享受されているのか甚だ疑わしい。カレンは腹の底から漏れ出そうになるため息を飲み込み、早く終わらないものかとずっと時間ばかりを気にしていた。





 その日の日程を終えると足早に教室を出たカレン。できるだけ早くこの場を去りたい一心がカレンの歩みを速める。だが、急ぎ過ぎるあまり長い廊下を横切り、校庭へと出たところで前を歩いていた誰かにぶつかってしまった。おもわずよろけてしまったカレンだったが、前方から聞こえてきた小さな子供のような悲鳴にすぐさま体勢を立て直す。


「あっ、ごめんなさい!」


 ぶつかってしまった相手に謝ろうと顔を上げると、そこにいたのは子供ではあったがとても小さいとは言えない少年であった。


「前方不注意は危険だから気をつけた方がいいんじゃないですかね、先輩?」


 先輩と言うからにはその少年は年下ということになる。見れば確かに中等部の制服ではなく初等部の制服を着ているが、身長はカレンよりも頭一つ大きい。人好きのしそうな笑みを浮かべており、カレンの不注意を責めるような口調ではない。


「何があったのですか、ジノさん?」


 カレンがもう一度謝罪を述べようとすると、少年の前方からさらにもう一人の声が聞こえてきた。声色から判断するに先ほどの悲鳴はそのもう一人のものであるらしい。


「いえ、人にぶつかってしまったので少し注意を」


 そう言って背の高い少年が反転すると、そこに現れたのは車椅子に乗った少女であった。両目を閉じウエーブのかかった髪を揺らして首を傾げるその姿にカレンは思わず息をのんだ。一瞬、自分の目を疑いそうになるが、そこにいるのはルルーシュの持っていた写真の中で見た少女の姿そのもの。


「あなたは…」


 疑問を述べたのか、確信を持って尋ねているカレン自身にも判断がつかないほどの動揺が胸中に広がっていき、震えそうになる声をなんとか抑えることで精一杯であった。


「ナナリー…ちゃん?」


 その言葉を聞いた長身の少年と車椅子の少女がはっとした表情をしたことで、疑念と不確かであった確信は、確かな証拠を伴った真実へと姿を変える。誰一人として声を発する者はなく、その場はまるで時間が止まってしまったかのような静寂に包まれていた。




















次回予告

 ルルーシュとカレン、新たに始まったそれぞれの学生生活

 取り巻く環境も、出会っていく人々もまるで違う中でも想い続ける願いは一つ

 刻一刻と迫る再会の時、裏で蠢く陰謀、人知を越えた者たちの意志

 表での静けさとは裏腹に、世界は変革の時へとその歩みを進めていく


Next Stage.偽り の 平穏




[10962] Stage8.偽り の 平穏 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:18

 まだ朝日も昇り切っていない時間帯に、真新しい建造物の玄関前を掃き清める一人の少女。その少女は肩口辺りまで伸びた黒髪を頭の後ろで結っており、顔立ちの幼さとは裏腹に背は随分と高い。黒を基調としたワンピースの上に白いエプロンを身に着け、頭の上には白いカチューシャを乗せている。


 清掃作業が一段落し作業用具を所定の位置へと片づけると、両手を組み大きく体を伸ばしたまま息をすぅと吸い込んだ。そうして、空に向かって突き上げていた両腕を下ろすと吸い込んでいた息を吐き出す。朝の涼気が先ほどまでの仕事で火照った体に心地よいのだろうか、少女は気持ちよさそうに目を閉じた。その間にも夜は明け続け朝日が少女の姿を照らしだし、大地に彼女の影を映し出している。少女がゆっくりと目を開けると飛び込んでくる朝日の光が目に太陽光特有の刺激を与えてきた。


「今日も一日中晴れてくれるかな」


 誰に問うわけでもなく独り言を呟く少女。できることならばこの陽気が続いてくれることを願いながら、少女は立派な洋館のような建造物の玄関をくぐりその中へと入っていった。


 その館の中は特別豪奢な造りになっているわけでもないが、メインホールが吹き抜けになっていて開放感のある構造になっている。メインホールは大人数を収容することができパーティー用の台等も完備されているのだから驚きだ。しかも、それだけではなく宿泊設備やミーティングルームまでもが多数設けられているこの建物。これが学校の一施設だというのだからさらに驚かされる。少女がそれまで住んでいた雨が降れば水が漏れてしまったり、風が吹けば隙間風に体を震わせなければならなかったような最低水準の家屋とは雲泥の差だ。


 そして今、その立派な施設で少女はこうして仕事を与えられているだけでなく、部屋も与えられ見習い女中として日々研鑽を積んでいる。研鑽とは大げさで的外れな言葉を使うと思われるかもしれないが、どうしてなかなかいかなる職種であろうともその極意は一昼夜で会得出来るほど浅いものではないのだ。事実、この仕事に従事してからというもの少女の生活は新たな発見に満ち溢れているのだから。


「和美さーん、掃き掃除が終わったなら厨房へ来てください」


 未だにメインホールで足を止めていた少女の下へ彼女を呼ぶそんな声が聞こえてきた。その声の主は少女の上司であり、師でもある女性のものである。声の大きさから察すにおそらく厨房から少女を呼んでいるのだろうが、メインホールと厨房とではそれなりに距離がある上に、朝方から大きな音を立てるわけにもいかないので少女も細心の注意を払って屋内を歩いている。


 にもかかわらず、少女の師はいつもこともなげに少女の足音を聞きつけて彼女を呼ぶための声を上げるのだ。そんなことだから少女は常々自らの師を一体何者なのかと疑問に思いながら一日の始まりを迎えている。


 とは言えいつまでもそんな事ばかり考えて師を待たせるわけにはいかないので、歩を厨房の方へと急がせる少女。普段は温厚そうに見える師であるが、時折見せる影の部分がなんとも…、一瞬浮かんできた薄暗い思考に背筋が凍る思いがする。とにもかくにもこれ以上遅れるわけにはいかないと自然に速まる少女の歩調。


 場所はアッシュフォード学園建設予定地内、クラブハウス予定棟。少女、麻倉和美は篠崎咲世子の師事の下、侍女見習いとしての新たな生を歩み始めていた。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage8.偽り の 平穏










 その日の夕方、和美はもう一度クラブハウス前の清掃のために箒を手に立っていたが、慣れない作業にフラフラになるまで体力と精神をすり減らした後であったので手にした箒をまるで杖のようにして作業をしている。朝の静けさとは打って変わり未だ建設途中にある他施設の工事が行われているため、周囲は重機の動く音で騒がしい。だが、日は傾き夕焼けが辺りを茜色に染め始めているので、この喧騒もあと数十分もすれば終わってしまうことだろう。


 そんなことを考えながらふと建設現場へ視線を移すと、既に帰宅の途につこうとしている人の波に逆らうようにして一人の少年がこちらへと歩いてくる姿が見えた。和美は思わずゲットーにいたころのように手を振って走り寄り「おかえり」と出迎えそうになった瞬間、師である咲世子の「この服を着ている間はきちんと公私を考え行動してください」という言葉が脳裏をよぎる。そう、今の少年は和美の主でありそれに見合った出迎え方をしなければならないのだ。


 和美はすっと箒を両手で地面と水平になるように持ち深々と腰を折った。


「お帰りなさいませ、ルルーシュく…様」


 ついいつものと同じように君付けで呼びそうになってしまったが、これならまあ及第点はもらえるだろうと自分に言い聞かせる。他人行儀っぽくてあまり好きじゃないんだけどな、と思いながら和美がそっと顔を上げると、何とも言えない表情を浮かべたルルーシュが目の前に立っていた。


 和美がどこか変なところがあっただろうかと不安に思っているのをよそに、ルルーシュはクスリと小さな笑い声を漏らした。なぜ笑われてしまったのか見当もつかない和美の思考は一気に停止状態へと追い込まれ、笑われたという事実が彼女の顔をみるみるうちに赤く染めていく。わたわたとし始めそうになる和美を見てルルーシュはもう一度小さく笑った。


「お互いに慣れないことはするものじゃないな」


 ルルーシュはそう言うと和美にいつものようにしてもいいと促したが、和美は頑なにそれを拒否した。その態度があまりに普段と違うので疑問に思ったルルーシュがその理由を問いただしてみると…。


「ルルーシュ君は咲世子さんのことよく知らないからそんなことが言えるんだよ!」


 などという答えが返ってくるものだから余計に訳が分からなくなってしまうルルーシュ。分かったことと言えばあれほど拒んでいた地がついでてしまうほど、この話題は和美にとっての地雷原であるということだけであった。しかも和美はその言葉を口にしてしまってから、それまで赤くなっていた顔を瞬く間に青白いものへと変えていってしまったものだから今後は細心の注意を払うようにと心に刻みつけたルルーシュであった。


「そ、それじゃあ俺は部屋に戻っているから、また何かあったらそこまで来てくれ」


 そう言い残すとルルーシュは止めていた足を動かし始めクラブハウスの方へと歩いて行く。その後ろ姿を見つめながら和美はため息を漏らした。思い返されるのはアッシュフォード家に雇われることになった日のこと。「力になりたい」と言ったもの最近ではこんな遣り取りばかりで少しもルルーシュの支えになれていない気がする。あの日から和美の生活は180度変わってしまったが、特段二人の間に何かがあったわけではない。


 それはそれでミレイが言っていたようにルルーシュが潰れてしまうようなこともないので安心と言えるのだが、和美はどうにも釈然としない気持ちを引きずり続けていた。何がおかしいということを確かな言葉として表現することはできないが、強いて言うならばあれだけのことがありながらもルルーシュの態度があまりに変わらなさすぎるということが大きな懸念材料だ。










 ゲットーの避難所へと向かったあの日、結局和美は両親に会うことはできなかった。その捜索の過程で再会することができた扇も和美の両親のことは見ていないという。覚悟していたこととはいえ少女の肩に重くのしかかる事実。これからしなくてはいけないことがあるというのに零れ落ちる大粒の涙が止まらない。それでも和美は漏れ出そうになる嗚咽だけはなんとか耐え抜いた。


 そして、彼女は拭っても拭っても止まることのない涙を気にすることをやめ背中をさすってくれていた扇へと向き直り、揺らぎそうになる心を奮い立たせて口を開いた。


「昨日、ルルーシュ君に何があったんですか?」


 それは彼女が面と向かってルルーシュに尋ねることのできなかったこと。本人が隠そうとしていることを探っていることに良心が痛むが、ルルーシュのことを支えると決めたからには彼のことをもっと知らなくてはならない。そして、彼の苦悩を少しでも知ろうとしなくてはいけない。


 自分にもう少し勇気があれば彼の内面に踏み込んでいくことができただろうと和美は思う。しかし、今はまだその勇気も余裕もなく、そして悔しいけれど、どこかでルルーシュとの間に心の壁を感じることもあった。頑なに他人の侵入を拒み続けていた部分が彼の中に存在しているように思われてならないのだ。和美の知る限りその部分に踏み込むことができたのは紅い髪の少女だけであり、しかもその少女でさえおそらく片足程度しかそこには踏み込めていない。


 和美はそれを暴きたいと思っているわけではない。もちろんルルーシュのことを知りたいという気持ちはある。しかし、それは今必要のないことである。今必要なことは彼に何があったかを知ることなのだから。そう自分に言い聞かせて悲しみも悔しさも、その他にも胸の内で渦巻く感情も一緒くたになだめていく。ルルーシュのためにと思うだけで少し救われた気になる自分に思うこともあったが、和美は自然と勇気が湧きあがってくる不思議な感覚に驚きを感じていた。


 その和美の様子に驚いたのは扇も一緒であった。扇の知っている和美といえば人見知りの激しい引っ込み思案な性格の少女であって、ここまで明確に意志を感じ取れるような表情をすることも、ここまではっきりとした言葉遣いをする姿を見たことはない。その兆候はルルーシュが現れてから徐々に窺い知ることができていたが、こうも顕著にその変化が表に出てきたことは初めてのことだ。


 そしてさらに彼を驚かせたものは和美が口にしたルルーシュという言葉。まさか和美とルルーシュが一緒に行動していたとは知る由もない扇はなぜ彼女の口からルルーシュの名前が出てくるのか皆目見当もつかない。お互いに状況確認が必要であると感じた扇はひとまず和美の質問は置いておき、ここ数日の出来事を話し合うことにした。










 お互いの置かれた状況を確認し終わる頃には和美の涙も止まり、冷静さを取り戻しつつあった。そして、昨日ルルーシュが遭遇してしまった事実を知ったことで本当の意味でゲットーを離れる決心がついた和美。


 それは彼女がゲットーに愛想を尽かせたとう訳ではなく、このままでは本当にルルーシュが孤立してしまうと感じたからである。彼女自身、たった一日ではあるが孤独を味わった身であるからそれがどれだけ心細く不安であるかよく分かるのだ。ルルーシュがこれから身を置かなくてはならない精神的な孤独。ミレイがいると言えばいるが彼女は和美よりもさらにルルーシュと遠い位置にいる。彼女だけでどこまでルルーシュを支えていけるのかと思うと不安が残るというものだ。


 これまではルルーシュに助けられてばかりいた。初めは見ず知らずの人間、それもブリタニア人が日本人のために薬を買って来てくれ、それからはゲットーの皆のために日用必需品を買って来てくれた。それがどこまで彼の真意からきた行動であるのか和美には分からない。周りには彼を疑う人間が少なからず存在していたし、彼自身抗議するようなことはほとんどしてこなかった。けれど、ただの気まぐれや同情だけで一年間も他人のために、それも自分を疑っている人間のためにあそこまでのことができるとは思えない。だから和美はずっとルルーシュを優しい人間だと思い、慕い続けてきたのだ。


 今度は自分が彼を助けてあげなければいけない、その思いがむくむくと和美の胸中で膨らんでいく。もはや居ても立ってもいられなくなった和美はルルーシュの後を追わなくてはと走りだそうとしたのだが、その手を扇が引きとめた。何をするのかと疑問に思った和美が扇の方へ振り返る。


「ルルーシュの所に行くのか?」


 扇のその言葉に自分がどれだけ慌てていたか今さらながらに思い知らされた和美。せめていつも世話になっていた扇にくらいはこれからのことを伝えておかなくてはと、一度深呼吸をしてはやる気持ちを静める。


「はい…私、これまでは助けられてばかりだってけど、今度はルルーシュ君のことを助けてあげたいんです、だから…」


 自分でも言葉が足りていないことはよく分かっていたが、どうしても焦ってしまい自分の気持ちをうまく言葉にできない。だが、扇にはそれだけで十分であった。これまで何十人、何百人といった生徒達を見てきたが、これほどまでの決意を持った子供を大人が止められ訳がないことをしっていたから。


 扇は和美に少し待つように言うと、小さな扉の向こうへと消えてしまう。そわそわと落ち着きなく待っていた和美の下に戻ってきた扇の手元には大きな紙袋があり、その中には箱が一つだけ収められていた。扇はそれを和美に握らせると彼はそれをルルーシュに渡すようにと言い、決してルルーシュが許してくれるまで中を見てはいけないと念を押してくる。急いでいた和美はそのことをあまり気にも留めず、簡単な挨拶を済ませると避難所を後にした。











 それから数週間、意気込んで出てきたところまでは良かったがそれから先はうまくいっていない。力になると言っても一体何をしていいものか分からない上に、日中は仕事があるためルルーシュの傍にいることができない。まさか夜に二人っきりでいるというわけにもいかず、自分は何もできていないのではないかと思い悩む日々が続いている。ミレイはそれだけでも十分彼の支えになっていると言ってくれているが、和美にはその実感はまるでない。

 ふと、和美の頭の中に紅髪の少女の姿が浮かんできた。物理的な距離からすれば和美の方がルルーシュに近いというのに、心理的にはカレンの方が彼に近い位置にいる。ルルーシュを本当の意味で支えようとするならば、自分がカレンの位置に辿り着く必要性を感じる和美。


「こんな時、カレンちゃんならどうするんだろ…」


 あの日以来行方が知れないという友人を想い、和美は顔を空へと向けた。薄い色の雲が点在した茜色の空。彼女は生きているのだろうか。生きているとしたらどこで何をしているのだろうか。和美はすっと目を閉じて風に吹かれるまま、咲世子が呼びに来るまでそうしていた。




















 カレンはもちろんのことナナリー、そしてジノ、その場にいる全ての人間が困惑していた。カレンは目の前に突然行方不明であったルルーシュの妹が現れたことに、ナナリーとジノは見たこともない人間がナナリーの名前を知っていたことに驚きを隠せずにいる。


 はやる気持ちをどうにか抑えてかけるべき言葉を探すカレン。不審人物に思われることのないようにできるだけ温厚に、そして核心をつける言葉を選ばなくてはならない。それならこのことを聞くほかないであろうとカレンは依然として呆けたままであった車椅子の少女へと問い掛ける。


「あの、人違いだったらごめんなさい…あなた、ルルーシュという名前に心当たりはないかしら?」


 ルルーシュという単語を聞いた途端、ナナリーは問い掛ける言葉のする方へと顔を向けた。その顔には驚愕の色がありありと見てとれる。だが、ナナリーの後ろに控えていたジノはよく分からないといったふうな表情をして状況を見守っているままだ。カレンはこの二人の反応の温度差を若干不思議には思ったが、その時にはそんなことを気にしていられる余裕はなかった。


「………ジノさん、少しこの方と二人にしてはもらえないでしょうか?」

「はっ?しかし…」

「お願いします」


 ナナリーからの申し出にさらに困惑の色を深めたジノであったが、いつものたおやかな態度とは違うその姿に気圧されるようにしてしぶしぶといった感じで中庭を離れ校舎の中へと入っていく。


 そしてナナリーの言葉に驚いたのはカレンもまた同じであった。まさか二人っきりで話をすることになるとは思ってもいなかったことだ。さらに言えば、なぜ二人だけで話す必要があるのかということにもつながっていく。確かにルルーシュは謎の多い少年であったが、これもその秘密に関係していることなのだろうか。自然と精神が身構える態勢へと移行していくカレン。


 重たい空気の流れ始めたその場で最初に口を開いたのはナナリーであった。不安そうな面持ちでゆっくりと言葉を口にする。


「あの…お兄様とはどこでお知り合いに?」










 一方、その場を追いだされたジノは校舎の影から見張ることにし、窓枠に肘を乗せ掌で自分の頭の重さを支えている。初等部最年長になった矢先、家からいろいろと学校生活での面倒を見るようにと言われて引き合わされた少女、ナナリー。なんでもヴァインベルグ家の遠縁にあたる家筋の者だそうで、親元を離れわざわざこの学校へと編入してきたのだという。


 こう言ってはなんだが、社会的なハンデを負っている少女がなにも一人でこんなことまでしなくてもというのがジノの所見である。それほどの魅力がこの学園にあるとは思えないし、社会的ステータスを必要以上に気にする貴族の世界での風当たりは強いはずだ。まあそんなことのないように自分が彼女の面倒をみせられているのだろうなとジノは考察していた。


 ヴァインベルグ家といえば知らない者はいないというほどの名家である。その子息が常にではないが後ろに控えているという事実は他の生徒に対する大きな牽制になる。しかし、それも今年限りだ。ジノは初等部を卒業した後、士官学校へ進学することが既に決まっている。その後もナナリーの面倒を見る者がいるにはいるが、家柄はヴァインベルグ家ほどではない。とそこへジノの後ろからむすっとした不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「ヴァインベルグ卿、こんなところで何を?ナナリーさんはどちらに?」

「噂をすれば、ってか…?」


 校庭へと向けていた視線を声のする方へ向けるジノ。そこにいたのは自分の胸元辺りまでの身長しかない少女。と言っても彼女の背が引くわけではなく、ジノの身長が年の割には大きすぎるというだけであるが。顔だけでなく体ごと後ろに向き直り、良く言えば人好きのする笑顔、悪く言えば軽薄そうにみえなくもない笑顔を浮かべて堅苦しい表情をしている少女へと返事をした。


「いや~、どうも追い出されちゃったみたいでさ…そう怒った顔しないでくれよ、レイラ・サハロフ卿」


 レイラと呼ばれたその少女は一層眉をひそめてジノを睨みつけてくる。今日はろくな日になりそうもないなと、ジノはそっと天を仰ぐのであった。





[10962] Stage8.偽り の 平穏 (中編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:19


「大佐、ダングルベール卿からの報告書です」


 スキンヘッドの軍人、サハロフがクリップで留められた数枚の書類を持ち上官であるベルトゥーチの前へと差し出した。ベルトゥーチはそれを受け取ると、それまで吸っていた煙草を携帯灰皿の内側へと押し付け火を消す。その場にはサハロフとベルトゥーチしかいなにも関わらず、彼はやけに真剣な面持ちで書類に目を通していった。


「今回の成功例は一件だけだそうだよ。やはりここまで順調だったぶん、この程度は我慢しなければならないのかねぇ」


 束ねられた書類全てを確認し終わった途端、彼は再び煙草に火をつけながらサハロフへと報告書を返す。いかにも不満だという声色であったが、ベルトゥーチの表情は薄い笑みを浮かべたものであった。


「まあ、今はこれで良しとしようか。これまでの成功例がたったの一件であったことを考えれば、上々の滑り出しとも言えるからねぇ」


 受け取った報告書へサハロフも目を通していることを横眼で確認しつつ、ベルトゥーチは煙草の灰を携帯灰皿へと落とす。そしてその眼はサハロフの眉根がピクッと反応したことを見逃さなかった。机の上に置かれた別の書類を手に取ると、いかにも今思い出したという風を装って声を上げるベルトゥーチ。


「ああ、そう言えば本国からの次の定期連絡はいつだったかな?」

「前回が二日前でしたので、次は一週間後になります」


 手にした報告書から目を離さずにそう答えたサハロフ。その顔にはいつもの通りの無表情が張り付けられているが、指先に力が込められているのか手元の報告書には多くの皺がよっている。


「すまないねぇ、君の家族まで巻き込むことになってしまって」


 声のトーンを下げ心底後悔しているといった様子でベルトゥーチは目を伏せた。彼のことをよく知らない人間であったなら本当に申し訳なく思っているように見えただろう。だが、サハロフがベルトゥーチの腹心となってから既に数年が経っており、彼の裏の顔を見続けてきたサハロフからすればその態度はこちらを小馬鹿にしているようにしか見えない。


 サハロフはベルトゥーチから見えない位置で手のひらをぐっと握り、さらに奥歯を食いしばる。そうして必死に怒りを飲み込み、決して視線だけは合わせることのないようにしながら「いえ」とだけ言葉を返した。


 ベルトゥーチは部下のそんな態度にも不快になる様子は見せずに、もう一度「すまなかった」と言うと椅子を反転させてサハロフに背を向ける。その裏で浮かべた醜悪な笑みを隠すように。ギィという椅子の軋む音が室内に響く。それほどまでに静けさが包んでいた部屋の中でサハロフは机の上に立てかけてある写真立てへと目を向けた。


 そこに写っているのは今よりも少し若く見えるサハロフと一人の少女。少女は恥ずかしそうにしながらも真新しい制服に身を包んで嬉しそうに微笑んでいる。日に焼けたわけでもない褐色の肌に濃い黒髪が特徴的だが、そのどれもがサハロフのそれとは似ていない。


 二人の関係はその写真からだけでは窺い知ることは出来ないが、写真の中の表情を見ればお互いを大切に思っているであろうことは分かる。その様子からは予想もできないような無表情のままサハロフは写真から目を離すと、報告書に目を通す作業へと戻った。















「その程度のことでほいほいと見ず知らずの人とナナリーさんをそこに残してきたと言うのですか、あなたは?」


 ジノがレイラへと事の顛末を告げると、こめかみを押さえ上目づかいで睨まれてしまった。レイラは口調こそ丁寧であるが、家柄的に随分と差があるジノに対して媚びる様子もなく毅然とした態度で接している。飄々とした性格のジノとは正反対の常にきっちりきっかりとした性格の彼女だが、他の生徒たちとは違うその態度はジノには新鮮に感じられていた。


「まあ、大丈夫でしょ。共通の知り合いがいるみたいだし…それに、結構可愛い子だったから」

「いい加減にしてください!理由になっていません!」


 だが、ナナリーのこととなるとその態度は一層硬化してしまうものだから、ジノも自然とナナリーに気を配る形になる。いちいちこうして小言を聞かされたのではそれも当然だろうが。


「そう怒鳴るなって。なんかいつもと雰囲気違ったから、邪魔しない方がいいと思うぜ」


 怒りを露にしたレイラをなだめるジノ。ただ、未だかつてこの努力が報われた例は一度といしてないのだが。ジノは心の中で一刻も早く二人が帰ってくることを願いながら、今回も徒労に終わってしまうだろう試みを続けることにした。










「あの…お兄様とはどこでお知り合いに?」


 閉じられたままの瞳をカレンに向け、不安そうな表情でそう尋ねたナナリー。その正面に立ったカレンはもう一度足の先から頭のてっぺんまで盲目の少女を見つめ、車椅子に乗ったその姿を記憶の中の写真に写った姿と比べてみる。髪型や身長は違っているが、やはりカレンには何度見ようと目の前の少女とルルーシュの妹の姿が重なって見えた。それほどまでにカレンの中であの日の出来事は彼女の人生の転機であっただけに、鮮烈に記憶の中に残っているのだ。


「すみません、まだお名前を伺ってもいないのに不躾なことを訊いてしまいました」


 カレンからの返事がないことを自分が無礼であったからと捉えたのだろうか、ナナリーは沈んだ声で謝罪の言葉を述べた。その態度にはっと意識を覚醒させたカレンが慌て取り成そうとする。考えてみれば失礼であったのはこちらの方だったと、カレンもまたナナリーに謝罪を述べた。


「い、いや、こちらこそごめんなさい…そうね、まずはお互い自己紹介から始めましょう?」


 その提案に頷いたナナリーの表情は若干和らいで見えたが、相変わらず不安そうに眉が下がったままである。あの日手紙の文面に見た兄に対する妹、そして狂おしいまでの兄の妹に対する愛情。こうして会うことが出来ずとも未だにこうして彼等は互いを想い続けている。


「私は、カレン…。中等部の一年よ」


 未だに己の姓がシュタットフェルトであると言うことに抵抗を感じていたカレン。だからと言ってこの場で日本人としての姓を使うわけにもいかないので、彼女はあえて名前だけを述べるに留まった。


「カレンさんですね。私はナナリー・ベルトゥーチ、初等部の四年に通わせていただいています」


 座ったまますっと頭を下げるナナリー。洗練された物腰に改めて彼女が貴族としての教育を受けていることをカレンは再確認していた。そして、もう一つ気になった点は彼女の名字である。カレン自身よく覚えてはいないが、確かベルトゥーチなどといったものではなかったように記憶している。


 その辺りのこともこれからの会話で明らかになっていくのだろうかと思うと、カレンの胸の内に僅かな罪悪感が芽生えてきた。ルルーシュの知らないところで意図的にではなくとも、兄妹の秘密を探ろうとしている自分が卑怯なことをしているのではという気にさせてくるのだ。


 さらに言えば事実を知ってしまうことが怖くもあった。ルルーシュが頑なに隠し通そうとしていた兄妹の秘密。最後は訊いてくれれば答えると言ってくれたが、それも自分から言おうとはしていない。もしもその秘密を知ってしまうようなことがあれば、カレンとルルーシュの関係に何かしらの亀裂が入ってしまう気がして仕方がないのだ。


 しかし、ここまできて人違いであったと言ってごまかすようなこともできない。それに見ず知らずの人間と二人きりになってまで兄の安否を気にかけているナナリーを、同じような身の上であるカレンには見過ごすようなこともできなかった。


「それで、あなたはルルーシュ・アウグシュタイナーの妹…でいいのよね?」


 これは最後の確認であり、途切れてしまった会話を再開させるためのキーワードでもある。二人をつなぐものはルルーシュという人物であって、お互いに指示している人物が同一のものであるという確証を得ることから始めなくてはいけない。これまでの状況からでも十分すぎるほどの証拠は上がっているが、それはカレンがナナリーの顔を知っていたからであって、ナナリーからすればカレンに対しての不信感はぬぐえていないはずである。だからこそあえて今度は名字を使い改めて確認を取ったのだ。


「…はい、確かにその方が私の兄で間違いありません」


 わずかな間をおいての返答。その時間の内にナナリーが何を考えたのか、何を思ったのかカレンには分からない。おそらく、いや、確実にルルーシュと彼女自身に関連したことなのだろうが。


「どこで私とルルーシュが出会ったかだったわよね?たぶんあなたの思っている通りの場所だろうけど…日本よ」


 それを聞いたナナリーが驚いた様子もなく小さく「日本…」と呟く。ルルーシュとナナリーの元の家が日本に存在していた以上、この程度は予測がついていてもおかしくはない。音信不通となってからの空白の一年間が存在していることが唯一のネックであったが、今のナナリーの態度を見る限りではやはり日本に兄がいるとふんでいたようだ。


「あなたと連絡が取れなくなった後、一人であなたを探しに東京租界まで来たんだけど入れ違いになっちゃたみたいで…」

「一人で東京まで?!そんな、だってお兄様はあの時は確か福岡に…」


 ナナリーの表情が初めてルルーシュの名前を出した時のように驚きに染まった。それもそうだろう。ルルーシュの妹なら彼の体力のなさはよく知っているはずだ。福岡から東京までは直線距離でもおよそ900kmもある。それをたった一人の少年が妹の無事を知りたい一心で歩いて旅をしたというのだから、彼のことを知らない人間でさえもこの話を聞けば驚くことだろう。


 カレンに言わせればなぜ世話になっている家のものに訊こうとしなかったのかということも疑問の一つであったが、ルルーシュのことだから居ても立ってもいられなかったのだろうと当時のカレンは結論付けていた。それはあれだけ謎が多く、様々なことを隠していた風なルルーシュが隠そうともしなかった数少ないものの一つが妹への愛情であったことを思い返してみてもよく分かる。あるいは彼のブリタニア嫌いがそうさせたのかもしれないが。


 だが、ルルーシュのことを注意深く見るようになってからは違った見方もするようになっていた。ルルーシュの言った貴族の道楽という言葉が本当に嘘で、幼い兄妹に本当に貴族の欲しがるような利用価値があったとしたら…。彼の背後に見え隠れしていた複雑な生い立ち。それに今自分は立ち入ろうとしている。それも彼に無断で。そう思うとやはり罪悪感を抱かずにはいられないカレン。


「それで、元の家に戻ることを嫌がったルルーシュを家が預かることになったんだけど…」

「では、今お兄様はカレンさんのお家にいらっしゃるのですか?!」


 後ろめたい気持ちから自然と声が小さくなっていくカレンの言葉を遮るようにして、ナナリーが縋るような大きな声を発した。思わず驚きにたじろいでしまうカレンの気配に気づいたのだろう、ナナリーがはっとして申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい…その、お兄様のことが心配で」


 しゅんと項垂れるように伏せられた小さな頭。そこから感じ取ることのできる不安と気がかり。それはあの手紙の文面だけからでも容易に窺い知ることのできた兄妹の強い絆と同じだ。ルルーシュがナナリーを想っていたのと同じように、ナナリーもまたルルーシュを想い続けてきたのだろう。


 そう思うと自然とカレンの頬は緩んだ。ナナリーの目の前まで歩み寄ると顔の高さを合わせるように屈み、彼女の手をとり優しく握る。その一連の行動に初めは驚きを露にしたナナリーであったが、カレンが口を開く気配を感じ取ると覚悟を決めたような面持ちになった。


「今は一緒には住んでいないわ…ルルーシュはまだ東京租界にいるはずよ」


 そっと包み込まれたナナリーの手の震えがカレンにも伝わってきた。わずかに芽生えた兄と会えるかもしれないという期待感がナナリーの中で薄れていく。この二年間以上、ナナリーの大部分を占め続けていた兄への想い。やっと掴みかけた手がかりが指の間から抜け落ちていく感覚。堅く閉じられていたナナリーの瞳から一筋の涙がこぼれ、その一滴がカレンの手の甲に落ちた。


「探せばすぐに見つかると思うわよ。確か租界の知人の家を頼ると言っていたから、あなたも知っている方じゃないかしら」


 それはカレンが泣きだしてしまったナナリーを慰めるつもりで言った言葉であったが、ナナリーは首を横に振った。


「いえ、お兄様が無事だと分かっただけで私は満足です」


 首を横に振り無理矢理作った笑顔でカレンを見るナナリー。悲しみを押し殺すようにして作られたその笑顔がカレンの胸を締め付ける。ナナリーからの手紙にも書いてあった二人の素性がばれるとまずいという言葉。そこから鑑みるにルルーシュもナナリーも誰かに居所を知られることに足して並々ならぬ注意と恐れを抱いているように見える。


 だからこそカレンはそこで踏み止まる判断を下した。先ほどまで感じていた後ろめたさも手伝い、カレンの中でこれ以上踏み入ってはいけないという警鐘が鳴らされ始める。これから先は軽々しく知りたいという興味本位だけで突っ込んでいいようなところではない。そうカレンの考察と本能が告げる。


 それに、とカレンは思う。出来ることならばそのことはいつかルルーシュ本人の口から聞きたいという思いもカレンにはあった。再会できるという保証もなければ、ルルーシュが必ず話してくれるという保証もない。けれど、今はその不安な気持ち以上にルルーシュを信じる気持の方がはるかに強い。その想いに縋っているとも言える今のカレンだが、どうあろうと変わらない想いであることも確かだ。


「あの…お兄様はお元気でしたか?」


 たったそれだけの確認が今の兄妹が他人に見せることのできるギリギリの境界線なのだろう。それほどまでに二人の生い立ちは混迷を極めているに違いない。ならば今現在、自分ができることといえば、少しでもこの少女の不安を取り除いてあげることだけだろう。そう考えたカレンはもう一度ナナリーの手をしっかりと握り直し、穏やかな口調で返事をした。


「ええ、だからそんな顔をしないで。きっとルルーシュが今のあなたを見たら心配し過ぎて卒倒しちゃうわ」


 安堵からか、それともカレンの言葉に思うところがあったのか初めてクスッと声を出して笑う。握られている手にも力が戻っていくのが分かったカレンの顔にも笑みが広がった。


「カレンさん、ありがとうございました。それが聞ければ私は満足です」


 ぺこっと頭を下げ丁寧なお辞儀でカレンへと感謝の気持ちを伝えるナナリー。少しは力になることができたかな、とカレンも満足そうに頷いた。


「それじゃあ一緒にいた人のところまで行きましょうか?」


 はい、というナナリーの返事を聞いたカレンがゆっくりと車椅子を押し始める。だが、ほんの数歩ほどあるいたところでナナリーがおずおずとカレンに話しかけたことで再び二人の足は止まってしまった。


「…カレンさんは私に訊きたいことはないのですか?」


 正直に言えばカレンも知りたいことが山ほどある。まだルルーシュについて知らないことが随分とあることに不安を感じずにはいられないことだってある。それでも、あの約束がある限り私はルルーシュを信じつづけよう、とカレンは心に決めていた。


「訊きたいことはたくさんある。だけど、今はいいの。いつかルルーシュが私に話してくれるようになるまで待っていたいから」


 そう言うカレンの言葉に驚いたのだろう、ナナリーが一瞬だけ呆けた表情で後方を振り仰いだ。だが、それも徐々に申し訳なさと安堵感を綯い交ぜにしたような複雑なものへと変化していく。カレンが念を押すように「だから気にしないで」と言うとぎこちないながらも微笑みが返ってきた。


 その笑みを見ていると、なぜルルーシュがあそこまでこの妹のことを想っていたのか少しわかるような気がしたカレン。こうしているとまるで自分が妹を心配する姉のような気分になってくるな、と想像を巡らせていたカレンだったが、ふとその考えに引っ掛かりを感じた。


 ナナリーちゃんが私の妹ということは、私とルルーシュが…。カレンは浮かび上がりそうになる想像図を、頭を振ることで無理矢理打ち消す。いくらなんでもそれはいきすぎた想像だと自戒するのだが、一度茹でり始めた思考はなかなか冷めてはくれない。


 とそこへ追い打ちをかけるようにナナリーの言葉が襲い来る。


「…少し安心できました」

「安心?」


 隠していることが知られなかったことを言っているのだろうか、いや、まさか私の前で態々そんなことは言わないだろう。カレンが冷静になれない思考のなかでそんなことを考えていると、先ほどとは打って変わってナナリーが随分と嬉しそうに「はい」と返事をした。


「カレンさんがお兄様のことを大切に思っていてくださっていると確信できましたから。だから、そんな人がお兄様の近くにいてくださったことに安心できました」


 「大切に」のくだり辺りから余計に赤くなってしまったカレンの頬。それをごまかすようにカレンはぐっと力を込めてナナリーの乗っている車椅子を押し始める。あの背の高い少年がどこまで行ってしまったのか定かではないが、その時のカレンは気恥ずかしさから何かをせずにはいられなかった。


「安心できましたけど、少し妬けちゃいます。そこまでお兄様を想っていてくださるなら、お兄様もきっとカレンさんのことを大切に想っていているはずですものね」


 穴があったら入りたい、その気持ちを生まれて初めてその身を持って実感したカレンの歩く速度が自然と速くなる。そんなカレンの姿が見えていないからなのかは分からないが、ナナリーは徐々に速度を上げていく車椅子の上で楽しそうに微笑んでいた。




[10962] Stage8.偽り の 平穏 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:21


 凄まじいスピードで回転するホイールに捲き上げられる砂塵。そのホイールを脚部に持つ鉄の巨人は縦横無尽に大地を駆け巡る。コクピットの左右に取り付けられたレバーを左に倒せば機体も左へ、右に倒せば機体も右へと滑らかに操縦者の意志のままにその動きを変えていく。


 レーダーに反応のあった場所まで移動するとその通りの場所に敵影を捉えることができた。ここに辿り着くまでに二桁にのぼる戦車を破壊してきたが、今度の相手はこちらと同じ第四世代型KMFグラスゴーでありさきほどまでの愚鈍な動きしかしてこなかった戦車達とはわけが違う。敵のグラスゴーもホイール、ランドスピナーを唸らせて一気に距離を詰めてきた。


 敵機は下げられていた腕を上げアサルトライフルを構えトリガーに指が掛ける。そして銃口が向けられた瞬間、こちら側のグラスゴーはぐっと機体を旋回させグラスゴーの機影を隠すほどの巨大な砂埃が巻き上げた。突如として視界から機体が消えたため敵はライフルを発射できず、状況確認のためにファクトスフィアを使おうとその足を止めてしまう。


 次の瞬間、鉱物がぶつかり合う音が周囲に響いた。消えたと思ったグラスゴーが低姿勢のまま砂埃の中から直進してきて、一瞬の内に敵機の懐に潜り込んだのだ。下から突き上げられる形となった敵はそのまま仰向けに倒れ込み、身動きが取れなくなったところでライフルを押しつけられた。


「こいつでっ!」


 ライフルを突きつけた側のコクピット内でそんな声が上がると、ライフルから止まることなく弾が打ち出されていく。ゼロ距離からの射撃を仰向けのままよけられる訳もなく、敵のグラスゴーはあっという間に炎に包まれた。


 その瞬間、勝利したグラスゴーのコクピットの画面が黒く染まり、これまで映されていた砂漠の戦場に代わって“ミッション・コンプリート”の文字が表示される。やがてその表示も消えコクピット内に訪れた暗闇と静寂。


 暗くなったメインスクリーンにほのかな光と共に映し出されたものはまだ幼い少女の顔であった。既にスクリーンには何も映し出されていないというのに、未だに鋭い眼光で前方を睨みつけている。だが、その緊張に染まった目とは違い、口元には薄い笑みが浮かべられていた。額から流れ落ちる汗、吊りあげられた眉、血走った眼、が少女の緊張と疲労を物語る中で、その少女、カレンは確かに笑みを浮かべていたのだ。


 どれだけの間そうしていただろうか。その静寂と暗闇を終わらせたのはコクピットの外側から聞こえる声、コクピットハッチが開く音、そして漏れてくる光。


「ナイトメアの操縦が初めてなんて嘘だろ?」


 カレンが振り返るとそこには金髪、長身の少年、ジノ・ヴァインベルグが立っていた。汗で顔に張り付いた紅い髪の毛をうっとうしそうに払いのけながらカレンは先ほどまで浮かべていた笑みを隠す。


「そんなはずないでしょ。軍事学校にも通っていない貴族の一人娘が一体どこでこんなものを操縦する機会があるって言うのよ」


 そう言って苦笑しながら答えたカレン。もしその言葉が本当ならば恐ろしいことだ、とジノは思う。カレンが見せた機動は初搭乗した人間ができるようなものではない。何の損傷もなく12機の戦車を撃破し、一機だけとはいえKMFまで打ち破ったのだから。


 何より度肝を抜かれたのはナイトメア戦で見せたあの旋回機動だ。ランドスピナーの片方だけを強制的に停止させ地面にこすりつけながら、残った方のホイールを加速させ最小限の旋回で砂埃を巻き上げる。言うことは容易いが実際に一回や二回でその機動を再現できる者はそうはいないだろう。まず大抵の人間ならばバランスを保つことができない。いくらKMFに高性能なバランサーが搭載されているとはいえ、その場で勢いよく回転する巨体の自重に引っ張られて左右どちらかに放り出されてしまうのがおちだ。


 さらにその後敵が動きを止めた瞬間、止めていたホイールを再加速させ敵との距離を一瞬でつめた判断力と思い切りの良さ。通常それらは軍人が訓練と実戦での経験の末に会得するものだ。それを訓練すら受けたことのない少女がやってのけたのだから、もはやこれは天性のものであると言っても過言ではない。


 ジノがあれやこれやと考えを巡らしている内に、カレンは疑似コクピットから出てタオルで汗を拭き始めた。今まで少女が乗っていたのはグラスゴーの性能を忠実に再現したシミュレーターであり、実際のものとは若干異なるがそれでも随分と熱がこもる。


 それにしても、とカレンはシミュレータ―へと視線を移した。軍事機密の塊であるはずのKMFの技術を個人で所有できている辺り、改めてヴァインベルグ家の国政、軍事における発言力の高さを思い知らされる。だが、これでようやく念願のKMF操縦経験が積めるのかと思うとそんなことはどうでいいことだ。カレンはジノがこの家を離れるまでの一年間、出来る限りのことを学びとるつもりでいた。










 なぜこのような事態になったのかということを説明するためには少々時間をさかのぼる必要がある。


 カレンとナナリーが出会ったあの日、ナナリーをジノの下へ送り届けた後にカレンとジノ、そしてレイラの三人も自己紹介をしておくことにした。奇妙な縁で知り合うこととなった四人であったが、ナナリーが間に入って潤滑油となったおかげか気まずくなるようなことはなく自己紹介は進んだ。


 その後ナナリーがカレンに「またお会いできますでしょうか?」と尋ねたことをきっかけに、この四人で集まることが増えていった。そうなれば嫌でも彼等の人となりを垣間見ることとなるカレンは、断片的にではあるが自分の中で三人から得られた情報を整理していく。


 まずはジノ・ヴァインベルグ。ブリタニア屈指の名門であるヴァインベルグ家の息子であり、将来的には軍人となることが既に決まっているという。飄々としていて掴みどころのない性格をしているが、いい加減に行動しているというわけではないようだ。その証拠になるかどうかは分からないが成績は悪くはないという。なにかと話しかけてくるのでひょっとしたら三人の中では一番会話を交わしているかもしれない。


 次にレイラ・サハロフ。サハロフ家は新興の貴族で代々軍に籍を置いてきており、数代前に長年の献身を認められ男爵に封じられたそうだ。彼女もジノ同様、父親にナナリーの面倒を見るようにと言われているという。ただ、彼女がジノと違う点は一般生活においてもナナリーの世話をしているという点だ。何でもナナリーは今サハロフ家に身を置いているそうで、昼夜問わず傍にいるらしい。すぐに、それもナナリー関連のこととなるとむっとするところがあるが、それは彼女の誠実さと優しさの裏返しであるこは近くで見ていればすぐにわかるこであった。


 そして、ナナリー・ベルトゥーチ。彼女を引き取ったベルトゥーチ家も軍事関係に従事してきた家系で、カレンも父からその家がブリタニア軍内で重責を担ってきたとう話を聞き出していた。父に話しかけることも、裏でこそこそと情報を集めることも吐き気がするほど嫌なことであったが、ナナリーが預けられているという家が安心できる所なのかどうか知っておく必要があると感じての行動だ。まあ、こうして学校に通わせ、傍に人をつけているところを見れば悪い扱いは受けてはいないことは分かるが。


 初めこそナナリー以外には気を許していなかったカレンも、徐々に会話の中で彼等も悪い人間ではないということはカレンにも気付かされていく。他の生徒達に見られるような階級を鼻にかけた態度ではなく、普通に学友に接するようにしてくれていたことは、荒んでいたカレンの心を僅かにではあるが穏やかにしてくれた。


 しかしカレンは、ブリタニアの繁栄の裏で何が行われているかも知らずにいるという思いも捨てきれず、一定の距離を保たずにはいられない。よしんば事実を知っていたとしても日頃の彼等の態度からはそれを悔いているような言動は感じ取れない。敵だとは思いたくはないが、相手がブリタニア貴族の関係者であると思うと余計な感情がカレンの思考を妨害する。そして、ただルルーシュの妹であるという理由だけでナナリーだけを特別視している自分がいることにも、等しく嫌悪感を抱かずにはいられない。


 三人について気になることはそれだけではない。得られた情報から見えてくる三人の共通点に各々の家が軍事に深く関わっている、という事実もカレンを悩ませているのだ。その事実は、これまでブリタニア軍が日本で行ってきたことを目の前で見てきたカレンにとっては嫌悪すべき対象である。だが、カレンはそれと同時にチャンスであるとも感じていた。この状況をうまく利用できれば、遅々として進まないKMFに関する知識の取得に対して感じている苛立ちを少しは解消できるのではと考えたのだ。


 周りには敵しかいないと考えていたカレンにとってナナリーやジノ、レイラとの出会いは枯れていた心に潤いを与えてくれている。だからそんな人達を利用することは気分のいいものではない。それでも今はこれ以外に手段を持たないカレンにしてみれば選択の余地など存在しなかった。カレンも別に迷惑をかけることはしないつもりでいたし、この面子ならば無理なことは無理と言う者たちばかりだろうという気持ちもある。


 そこでカレンは話の話題の中でKMFに興味があることをちらつかせると、簡単にジノがその話にくいついてきた。KMFの話題がカレンの口から出るとジノは、興味があるなら家にいい物があるからカレンを招待する、という話を持ち掛けてきたのだ。その結果が冒頭の展開につながるというわけである。


 少年とはいえ男の家に出入りしていることを義母から口悪く言われたこと、いつまで経っても気持ちの整理のつかないこと、そして母に対する複雑な想いのことを除けば概ねは良好な生活を送っていると言えたカレンの生活。ただ、それはあくまでも“表面上は”という注意書きが必要な平穏であったが。鬱積し続けてきた負の感情と渦巻く様々な悩みの種。それでも続けなくてはならない穏やかな日常。いつしか自分を偽ることがカレンの中で当たり前になってしまった頃に事件は起こった。















 部屋に閉じこもり知識の収拾のために様々な分野にわたる著書を読み漁る。それが最近のルルーシュの日課だ。和美がメイドとしてアッシュフォード家に雇われるかたちとなり、懸念事項が一つ減ったことによりいくらか気分が和らいだことで自分のための時間を作れるようになったルルーシュ。


 それでもそれはルルーシュの中に眠る幾つもの不安のほんの一つが解決されただけにすぎない。一向に行方の知れないナナリーのこと、貧困に喘いでいるだろうゲットーの人々のこと、誰一人として安否の確認の取れない紅月家の皆のこと。ふとした瞬間や、夢の中に出てくるそれらの光景は確実にルルーシュの精神を苦しめている。


 今のところ数少ない救いは、扇の信じているという言葉と、慣れない生活に果敢に挑もうとしている和美の姿、そしてカレン達が死んでいるという確証もないということだ。ルルーシュとて最悪の結末だけは免れたいところだが、それらのことを考えずにはいられないし、現実から逃避してばかりもいられない。そして、その行き場のないもやもやとした気持ちを本にかじりつくことで紛らわそうとしている現状。


 結局のところは自分の中で解決しきれない感情の奔流に踊らされている。そんなことを考え始めるともう集中力は続かない。ルルーシュは栞を挟むとそのまま本を閉じ立ち上がると自室を後にした。





「あれ、ルルーシュどこ行くの?」


 ちょうどルルーシュがクラブハウスを出ようと玄関の扉を開けると、いつもはホテルにいるはずのミレイが立っていた。と言っても彼女はこうして暇さえあればこのクラブハウスに顔を出しているので特段珍しいことではない。


「読書ばかりでは気が滅入ってしまいそうで、気分転換に租界散策でもと思いまして」


 ルルーシュがそう言って肩をすくませてみせるとミレイは、ルルーシュの後ろに回り込み肩に両手を乗せた。何をするつもりなのかとルルーシュが尋ねるよりも先に、ミレイは万力を込めて肩を揉み始める。いくら女性の力と言っても何の備えもなしにありったけの力を込めてそんなことをされれば、痛みに顔を歪ませざるを得ないというものだ。


「う~ん、確かにちょっと肩もこり気味みたいだし…よし、しっかり気分転換して来なさい!」


 そう言い捨てるなり、ルルーシュの背中を思い切り叩いてクラブハウスの外へと弾き出すミレイ。ルルーシュが抗議の声を上げるよりも先に、扉の隙間からほんの少しだけ顔を覗かせて「じゃ~ね~♪」と言いながら手を振るミレイによって扉は閉められてしまった。


 もはや日常茶飯事と化しつつあるミレイによるルルーシュいじり。いちいち反論していても相手をつけ上がらせるだけだと分かってはいても、性格上の問題なのかつっこまずにはいられないルルーシュ。そんなことだからミレイもおもしろがって止めようとはしない。


 ルルーシュは一度大きくため息を吐くと、租界へ向けて歩き始めた。確かにミレイにはこうして日々いいようにおもちゃにされているが、彼女には世話になっている手前なかなか強気にでられないところがある。和美が名誉ブリタニア人となりメイドとして雇われることとなったのも全てミレイのおかげだ。










 和美がルルーシュに「力になりたい」と言ったあの日、それを認めようとしないルルーシュと、諦めようとしない和美の会話は平行線をたどったまま一向に決着を見ることができなかった。ルルーシュは、和美のような名誉でもないただの日本人が租界に居場所など作れるはずがない、として反対していたのだが、その反論は突如として現れた咲世子の言葉によって一蹴されてしまう。


「そのことならばご心配はいりません。既にアッシュフォード家にて和美さんを名誉ブリタニア人として雇用する準備が整っておりますので」


 ルルーシュと和美は何の前触れもなく突如として目の前に現れた咲世子に唖然として言葉を失ってしまったのだが、咲世子はその沈黙を両者の了解が得られたものと思い二人をホテルまで行くようにと促し始めた。そうしてルルーシュが気付いた時には既に和美はアッシュフォード家のメイドという居場所を手にしていたのだ。


 計画性があるのか、それとも行き当たりばったりでものごとを考えているのかいまいち分からないミレイ。思えば出会った時から振り回されてばかりだな、と思いながらルルーシュは辿り着いた先の公園のベンチへと腰かけた。


 走り回る子供たち。それを遠巻きに見つめている親たち。そのベンチから見える景色は正に平和そのものだ。誰もが一度はこうして何事もなく平穏な日常を送りたいと思うものではなだろうか。だが、それを謳歌することができる者達は限られた人種、職種、そして一部の特権階級に属している。それ以外の者達は虐げられ居場所を失い、骨の髄までしゃぶり尽くされ挙句に捨てられていく。それらの人間たちの間に存在する違いは恐ろしく僅かなものであるが、社会的に見れば途方に暮れるほど大きな違いが存在する。戦争の勝者と敗者という明確な線引きがそれだ。


 しかし、そうして得られた平穏など所詮は偽りのものにすぎない。こうして何事もなく送られている日常の裏では憎悪と殺意が渦巻いたブリタニア軍と日本側のレジスタンスとの戦闘が続けられている。大人たちがそれを知らないはずはないというのに、まるでそれを知らないように平穏に過ごしているのはなぜなのだろうか。もはやそれを当たり前のこととして受け入れてしまっているのか、自分たちには関係のないものだと思っているのか、それともそのことを知りながらも必死に平穏にしがみつき目を背けようとしているのか。


 こんなことを考えてしまう時は決まってナオト達の顔が思い浮かんでくる。彼等も戦うことで自分たちの平穏を取り戻そうとしていた。それが決行されていればおそらくまた新たな争いの火種になっていたはずだ。それでも彼等はそうしなければならなかった。誇りを取り戻すために、人として最低限の尊厳を取り戻すために、そして何より生きていくために必要なことだった。だからルルーシュにはその戦いを否定することはできない。


 だが、その日本人たちの争いにも終わりが見えないままだ。集人数で構成されたレジスタンスグループのテロまがいの攻撃。報復に行われるゲットーへの粛清。途切れることのない負の連鎖が繰り広げられている状況の上に一体どれだけの平穏が存在するというのか。


 和美が扇から預かったと言って持ってきた紙袋の中には箱の他に一通の手紙が入れられていた。そこには見覚えのある字で“帰ってくるべき時期が来たらその箱を開けて欲しい”とだけ綴られていたため、ルルーシュは未だに箱に手をかけていない。


 できることならば今すぐにでも開けてゲットーへと帰りたい。だが、大した力もない今の自分が行ったとしても足を引っ張ることが関の山だ。そう、今は耐え忍ばねばならない時なのだ、とルルーシュは自分に言い聞かせることで折れそうになる決心を支えている。


 最愛の妹が望み、共にその世界を作り上げようと誓ってくれた少女のためにも、偽りでない本物の平穏をこの国に。気持ちが高ぶってきたことで再び気力が湧いてくると、ルルーシュは公園を去りアッシュフォード学園へと帰っていった。来るべく反逆の日に備えるために。















次回予告

 いよいよジノが学園を去ろうかという頃、ある一つの事件が発生する

 その事件を巡りカレン達の関係に変化が生じ始めていた

 一方、ルルーシュの方でも始まったアッシュフォード学園中等部での生活

 その中でも積り続けていく不安と焦り

 そして、本人たちの知らぬところで少年と少女の運命の歯車は再び噛み合おうとしていた


Next Stage.凶弾 と 生命



[10962] Stage9.凶弾 と 生命 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:23


 クラブハウス内に設けられた幾つかのミーティングルームの一室。その中央に置かれた大机には所狭しと用途の分からない紙が積み上げられている。そして、その大量の紙の山の向こうからとびっきりの笑顔で入室者を迎えたのはミレイ・アッシュフォードである。

「どういうことなのか説明を願えますか?」


 感情の窺えない無表情でたった今入室してきたルルーシュが尋ねると、ミレイは不思議そうにしながら堆く積まれた紙を指さして見せた。


「まさか私だけにこの書類の山を処理させるつもりじゃないでしょうね、ルルーシュ?」

「一応訊いておきますけど、なぜ俺が手伝いを?生徒会の仕事なら他の役員にでも…」

「あれっ、言ってなかったっけ?」


 ミレイは首を傾げて「ちょっと待ってて」と言いながら書類の山をあさり始める。


 ようやく開校にこぎつけたアッシュフォード学園。校内は卸したての制服に身を包んだ生徒達のにぎわいでなかなかに騒がしい。このエリアに来て間もない生徒や、初めて親元を離れて寮生活を送ることになっている生徒が多く、そういった事情に配慮し学園側では様々な対策が採られている。


 その対策の一つとして、生徒の大半はお互い顔も知らない者同士であることから、生徒会役員選挙等は行われずに夏季セメスターの間は有志で集まった面々で生徒会を構成することとなった。そのような理由から、ミレイは晴れてアッシュフォード学園中等部の初代生徒会長の座に就くことになったのだが、それは他の集まった生徒達を見れば当たり前のことであったように思える。


 なにせミレイの他にこの部屋の中にいる生徒はルルーシュを除けば二人だけしかおらず、しかもそのうち一人の少年はクラス分けがルルーシュと同じであった一年生だ。さらに言えば、一人離れた場所で椅子に座っている眼鏡の少女は自信なさげに俯いたまま顔を上げようともしない。これでは自然とミレイが理事長の孫云々の話を抜きにしても彼女が会長をするしかないように思える。


 ルルーシュが室内を見回しながらそんなことを考えていると、書類の束から一枚の紙を引き抜いたミレイがそれをひらひらと揺らしながらルルーシュの目の前へと持っていった。


「はい、これ。時間がもったいないからさっさとサインしちゃってね」


 怪訝そうに受け取った紙へと目を通し最初の一文を読んだ瞬間、ルルーシュが信じられないといった表情でゆっくりと顔を上げる。視線を投げかけられたミレイはにこやかに万年筆をルルーシュの手に握らせ、「速く、速く」とルルーシュを急かし始めただけで、その書類についての説明を一切口にしようとしない。ミレイが何も言う気がないことを悟ったルルーシュがもう一度視線を下に落とし大きくため息を吐いた。


“ルルーシュ・ランペルージ殿 本校における生徒会規約に則り、貴方をアッシュフォード学園中等部生徒会副会長に任命いたします。 同生徒会会長 ミレイ・アッシュフォード”


 その一文の後には幾つかの生徒会規約と思しき箇条書きの文面が続き、サインを書き込む欄には推挙人としてミレイが既にサインを済ませている。つまり、後はルルーシュが名前を書くだけで、名誉があるかどうかはともかく彼の初代副会長への就任が決定するという仕組みだ。


「そういうわけだから、これからよろしくね副会長♪」


 ルルーシュが左手に辞令、右手に万年筆を持ち恨みがましそうにミレイを見たその時、ミーティングルーム改め生徒会室の扉を叩く音が聞こえてきた。何事かと振りむこうとしたルルーシュの顔をミレイが両手で挟み強引に椅子へと座らせる。


「ほらほら、外は私が見てくるから、ルルちゃんはそれにさっさとサインしといてね」


 正に満面の笑みでルルーシュに拒否権など無いことを告げると、ミレイは足取り軽く生徒会室から出ていった。残されたルルーシュを見つめる四つの瞳。好奇の視線を向けてくるクラスメイトに、目があった瞬間に再び顔を伏せた眼鏡の少女。一応挨拶だけでもしておくかとルルーシュが取り敢えず反応の返ってきそうな少年と視線を合わせる。


「確か同じクラスだよな?俺、リヴァル・カルデモンド。これからよろしく、副会長!」


 よく通る声が室内に響くと、それまで顔を伏せていた少女も顔を上げてリヴァルと名乗った少年の方を向いた。それを捉えたルルーシュとリヴァルの視線。突然自分に注目が集まったことに緊張したのか少女は眼だけを伏せ小さな声で呟くようにして声を発する。


「ニ、ニーナ・アインシュタインです。よろしくお願いします、リヴァル君と、副会長…」


 既に生徒会内部で副会長という役職が認められてしまったという事実。それは、あらゆる意味で波乱に満ちたルルーシュの学生生活の始まりを告げる号砲が打ち鳴らされた瞬間であった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage9.凶弾 と 生命










 一方、部屋を出たミレイを待っていたのはカートの上にティーセットと茶菓子を乗せた和美である。


「ミレイお嬢様、お茶をお持ちいたしましたが、本当にここまででよろしいのですか?」


 ミレイが咲世子と和美にお茶を持ってきてほしいと頼んだ時、彼女はなぜか部屋の外まで持って来てくれればいいと言っていた。それを疑問に思わなかったわけではないが、今の和美は彼女の使用人であるのでまずは仕事をこなすことの方が先決である。こういったことが考えられるようになったあたり自分も成長したものだ、と珍しく自画自賛しながらもこうしてきちんと準備を済ませてきたので、今ならば訊いても大丈夫であろうと和美は疑問を口にしてみた。


 するとミレイも珍しく言い難そうにして視線だけを閉じられた扉へと向ける。


「今、私の友達が中にいるんだけど、ほら、さっき玄関で出会った子…その子があなた達のことを怖がっちゃってね」

「怖がる?私と咲世子さんをですか?」


 申し訳なさそうに頷くミレイを見た和美の顔がより一層不思議そうなものへと変わっていく。こうして彼女が驚くのも無理は無い。何しろ和美とそのミレイの友人は今日初めて出会い挨拶をした程度の関わりしか持っていないというのに、怖がられていると言われたのだから。


 何か粗相があったのだろうかとミレイよりも背の高いその体を不安そうに縮ませてしまう和美。確かに仕事には慣れてきたが、こういったことで自信を持てないところは依然と変わっていない。


「ああ、別にあなた達が何かしたってわけじゃなくてね…あなた達をって言うよりも日本人を怖がってるのよ」


 ミレイは苦笑いを浮かべてなだめるような声色でそう言った。


「日本人を、ですか?」


 ブリタニア人が日本人、イレブンを恐れる。それは和美にとってにわかには信じられないことだ。ミレイのように分け隔てなく接してくれる人もいるが、大抵のブリタニア人はナンバーズを蔑み下に見ている。そのブリタニア人が日本人を恐れるなどとことがあるのだろうか。


「ほら、最近租界の周りでも物騒な事件が多いでしょ?それで、ね」


 和美も自分では気付かぬうちによほど信じられないといった表情をしていたのだろう、訊いてもいないことをミレイが説明してくれた。


 確かに最近の租界周辺では非常に危険な事件が続いている。そのほぼ全ての事件における首謀者が日本人であり、内容も人質をとったり無差別な暴動であったりと見境のないものばかりだ。メディアはシンジュクゲットー壊滅作戦がイレブン達の抑圧されていた反抗心に火を付け、こういった卑劣なテロ行為へと走らせているのだろうと報道している。


 だからと言ってブリタニアのメディアが日本人の行為を肯定的に捉えるはずもなく、事件の残虐性ばかりを強調しシンジュクゲットー以上の背景を報道しようとはしない。コメンテーター達は口をそろえて「卑劣なテロ行為を許してはいけない」と声高に叫び、イレブンや名誉ブリタニア人に対してもさらに監査と監視を強めるべきであると主張している。それが実現してしまえばいよいよもってこの地に日本人の居場所じゃなくなってしまうだろう。


 弾圧が原因だったと言いながら、さらに厳しく抑えつけるべきだと主張している矛盾。和美はルルーシュが少し前にふいに漏らした言葉を思い出した。意図的にその矛盾を作り出しているのならばあまりにも悪質な釣りである、意図的でないならば保身を図るために深く考えもせずに話している。どちらにしても、終わりのない鼬ごっこを続けることになるだけだ。その時のルルーシュはそう言い放ち、それまで見ていたテレビを消すといつものように自室に閉じこもってしまった。


 その言葉からは苛立ちを、その行動からは焦燥を感じ取れる。そう思っていたのはミレイも同様のようで、勤務時間外に相談を持ち掛けるとまずは取り敢えず引きこもりがちなところからどうにかしていこうという結論に至った。


 その手段の一つがルルーシュの生徒会副会長への就任である。ミレイがルルーシュのクラスメイトに聞いた話では浮いているということもないが、自分から人に話しかけて友達を作ろうというつもりはないようだ。おかげで学校が始まっているというのに、すぐにクラブハウスに帰ってきては自室にこもりなかなか出てこようとはしない。


 それならば無理矢理にでも対人関係を築かざるを得ない状況を作り出さなければならない。そこでミレイは、生徒全員がクラブ活動に参加しなければならない、とう決まりを利用してルルーシュを引っ張り出した。


 それがルルーシュ副会長就任の経緯であるが、もちろんそんなミレイと和美の思惑を知るわけもないルルーシュからしてみれば突拍子もない話だ。果たしてうまくいくものかどうかの確証はないもののやってみる価値はある。このまま一人で自分自身に潰されていくことよりかは遙かにましであると言えるだろうから。





 かくして始まったルルーシュの生徒会生活。それは新入生歓迎パーティーに始まり、夏休み前夜祭、逆ハロウィーンパーティー、季節逆転の日、不幸自慢大会、果ては初等部、中等部、高等部、大学部全ての授業を三日にも渡り完全休講させて行われた学園祭と想像を遙かに超えたハードなものとなった。


 初めは夏季セメスターの間だけという話であったのに、冬季セメスターもそろそろ終わり卒業兼進学記念パーティーの企画が進められている時期になってもルルーシュは副会長という役職のままであった。今では廊下ですれ違う生徒に副会長と声をかけられるまでに定着したイメージができている。ミレイにうまいことはぐらかされている内にこのままでもいいかという諦めにも似た結論へと達したルルーシュ。


 だが、一年間も一緒に仕事をこなしていれば他のメンバーとも親しくなるというもので、たった四人の生徒会も自然と和やかな雰囲気のものとなり、ルルーシュも予想に反して次第に居心地の良さを覚えるまでになっていた。


 それはやはり和美に力不足を実感させる結果にもなったが、以前の思いつめたような表情は影を潜め、随分と穏やかな顔つきをするようになったことは彼女も素直に嬉しかった。特にリヴァルという少年とは馬が合ったようで、一緒にいるところを和美も度々目撃するようになる。


 一方のニーナはというと、ルルーシュ達とは打ち解けたのかいちいち塞ぎこむことはなくなった。だが、それでもやはり和美や咲世子には警戒心を抱いているらしく、挨拶をしただけで逃げるようにしていなくなってしまう。それならば無視すればよいと言われるかもしれないが、アッシュフォードに世話になっている身としては礼を欠くことはできない上に、和美と咲世子の性格からしてそんなことが出来る訳もない。


 こうしてゲットーの外から改めてブリタニアと日本を巡る関係を見つめてみると、やはりどちらにも拭いきれない遺恨が根付いていることに気付かされる。戦争の報復のテロ、テロの報復の武力弾圧、その延々と続く連鎖が生み出している悲しい現実。


 和美自身は日本人であり、目の前でブリタニアがありとあらゆるものを破壊してきた光景を見ているため、どうしても日本側を贔屓目に見てしまう。けれど、それがあまりに強すぎて盲目的にしか物事を見られなくなってしまっては誤った道に進んでしまっても気付くことが出来ないものだ。


 だからこそ、何かを考えるとき対象を多面的に捉える必要がある。そのため時には離れたところから対象を吟味し、近くで見て来た時の考え方とその時の考え方を比較してみることも重要なことだ。そうすれば見えてこなかったものが自然と見えてくるようになる。


「まぁ、全部ルルーシュ君からの受け売りなんだけどね」


 いつものごとく生徒会室へとお茶や菓子を届ける道すがら、思いがけず小難しいことを考えていた和美はその場には誰もいないにも関わらず、そんなことをついつい口走ってしまった。


「俺が何だって?」

「へっ?…う、うわぁっ?!」


 誰もいないと思っていた和美に突如としてかけられた声。それがルルーシュのものであると分かった瞬間、和美は素っ頓狂な声を出して後ずさるようにしてルルーシュとの距離をとってしまった。不意打ちも同然の出来事であったため、独り言を聞かれてしまったという気恥ずかしさは後から後からやってくる。徐々に赤くなっていくことが分かる顔をおずおずとルルーシュの方へと向けると、やはりルルーシュも驚いたようで半歩ほど体を引き上半身をのけ反らせた状態で和美の方を見つめていた。


「と、突然声をかけたりして悪かった」


 ひきつった苦笑でルルーシュがようやく口にすることができた言葉はそれだけ。和美は、お願いだからそんな顔で見ないでと頭の中で叫びつつも、温度を上げ続ける思考をフル回転させ何とかしてこの微妙な雰囲気を打開しようとするのだが…。


「それで、俺がどうしたって?」


 話題を元に戻されてしまったことに一層困惑しだしそうになる和美の脳内。いや、元より会話が成り立っていなかったのだから話題などと言えないかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。今彼女にとって重要なことは現状の雰囲気を打開することなのだから。


「それは、その…ル、ルルーシュ様もだいぶこの生活にも慣れていらっしゃったようで安心しましたということを言っていたんです!」


 最初に頭に浮かんだ言い訳を息継ぎもなしに一気に言葉にした和美。別に元々考えていたことを素直に話してもよかったのだが、追い詰められた人間の思考とは不思議なものでなぜかそれを悪いことのように隠したがるものだ。そしてそんな時に冷静になれなければ思いつくこととはありきたりなものばかり。あたかもとってつけたような言訳臭さがぷんぷんと漂う言葉で、どこまでルルーシュの気を紛らわせることができるというのだろうか。疑われた時には何と言えばいいのだろう。


「ああ、そういうことか…確かにすっかり慣れてきたかな」


 そんな和美の心の葛藤などどこ吹く風、ルルーシュは合点がいったという表情を浮かべて頷いた。普段は思慮深いというのに変なところで鈍いというか抜けているルルーシュの思考回路。和美は時たまそのことをもどかしく思ったこともあったが、今だけはルルーシュの性格に感謝しながらその話に乗っかることにした。


「ええ、この間などはリヴァル様と連れだって租界に遊ばれに行かれていたようですし、充実された生活をお送りしていらっしゃるようでなによりです」

「リヴァルは良くも悪くも裏表のない奴だからな、変に気がまえなくてもいいから楽に接していられる」


 ルルーシュ特有の照れ隠しなのか、滅多にきちんとした言葉で相手を褒めるようなことはしない。それでも昔のぎすぎすした雰囲気が緩和されていることを見れば、随分と気を許していることが分かる。


 できればその役目は自分が果たしたかったな、などという想いを隠しつつルルーシュの関心を逸らせたことに安堵する和美。ようやく収拾のついてきた思考を働かせ、どうにか無事生徒会室前へと辿り着いた二人。


 ルルーシュが扉を開けると和美を先に中へと入るように促した。和美も今日はニーナが不在ということをミレイから聞かされていたため素直にそれに従う。それだけであったならばルルーシュの気遣いに幸せな気分でいられただろうが、二人は完全に失念していた。一体誰がその室内にいるのかということを。


「おんや~、今日は仲良く同伴出勤ですか、副会長殿?」

「よく見ておきなさいリヴァル。やっぱり権力を持っている男にはああして女の子が自然とついてくるものなのよ」


 もはや挨拶と化しつつあるミレイとリヴァルのルルーシュ、和美弄り。ルルーシュの方はすっかり耐性が尽いてきたのに対して、和美は相変わらず顔が見る見るうちに赤くなっていく。それでも取り乱すことがなくなったあたりは成長と言えるかもしれないが。


 いつもならば、そんな二人の態度が気に入らないのかやいのやいのと余計に騒ぎ立てるミレイとリヴァルの姿が見られるところだが、最近では効果が薄いことに気付いたのか積極的にはやってこない。


 つまらなさそうにしているミレイ、リヴァルとは対照的にルルーシュ、和美はどこか呆れた表情を浮かべつつテーブルの上へとティーセットを広げていく。お茶の時間ぐらいは生徒会の仕事のことを忘れていいだろうと、ルルーシュはティーカップ片手にテレビの電源を入れ変な方向へ走りがちな室内の雰囲気を変えようとした。


 だが、画面に映像が映し出されたほとんど間も空けず、ルルーシュはティーカップを手から落としてしまう。部屋中に響き渡るその音に皆の視線はルルーシュへ、次いで彼が凝視したままのテレビ画面へと移っていった。


 そこに映し出されていた映像はニュース映像。内容はブリタニア高官の暗殺を狙ったイレブンが発砲事件を起こしたというもの。だが、ルルーシュが驚かされたところはそこではない。問題は事件の首謀者として映し出された人物の顔写真であった。それはルルーシュのみならずカレンも和美もよく知っている人物であったから。和美もそのことに気付いたのだろう、小さな悲鳴を上げると戦慄く口元を両手で覆う。


“首謀者と見られる男はその場で警察により射殺された模様です。たった今入ってきた情報によりますと、男の氏名は飯田憲明、戦前は医師であったとのことです”




















 あれだけ豪華な造りの学園にも全く負けていないヴァインベルグ家の屋敷。大きさもさることながら、内装も見るからに高そうな装飾品で彩られている。


 その屋敷の長い廊下を褐色の肌を持つ少女、レイラ・サハロフが一人で歩いていた。なぜ彼女がこんな場所に一人でいるのかというと、特筆するような理由は無く、単にジノに招待されたからである。もうすぐジノの卒業も近いということもあって、近頃はいつにも増して四人で集まることが多くなっていて、こうしてジノの家に集合することも珍しくなくなった。


 それにしても奇妙な縁もあったものだ、とレイラは廊下の窓から射し込んで来る光に目を細めながら今自分が置かれている状況を見つめ直してみる。


 レイラ・サハロフが父であるグレゴリー・サハロフにナナリーの世話を申しつけられてからもうすぐ一年が経つ。彼女がナナリーについて父から教えられたことは少ない。父の上司に縁のある者であること。そして自分と同じで既に母親を亡くしているということ。その程度の情報だけしか与えられなかったが、さしあたってはそれだけで十分であった。彼女にとって問題であるのはナナリーが何者かではなく、父の言いつけ通りにナナリーの面倒をきちんと見ていけるかということ。


 母親を持たず、父親とも血のつながりのない親子だが、それでもレイラは自分を本当の娘のように扱ってくれる父を慕っていた。好き嫌いの話は置いておいて、こんな立派な学校に通わせてくれていることだけでも言い尽くせない感謝の念を抱かずにはいられない。いつか自分が成長した時には父が遠慮してしまうぐらいの恩返しをしたいとも思っている。


 そんな気持ちでいたところに転がりこんできた父からの頼みごと。レイラからしてみればこれで張り切らないはずがない。ナナリーの人柄も手伝って手間取るようなこともなかったことから、最近の生活は随分と充足したものになっている。


 当初予定になかったヴァインベルグ家の息子の介入や、何のつながりも持たなかったシュタットフェルト家の娘との出会いもあったが、今のところ問題になることもないので目くじらを立てる必要もないだろう。そう判断した結果として思いがけず親しくなってしまった彼等。


 サハロフに引き取られるまでの生活も、ナナリーに出会うまでの学生生活も決して友人に恵まれていたとは言えなかったレイラ。引き取られる前の記憶が曖昧なことや、家柄が低いということで周囲からあまり相手にされていなかった彼女からしてみればナナリーは初めてできたまともな友人である。もちろんジノとカレンも同様に。


 ただ、根が真面目であることと、友達という存在にどう接していいのか分からないが故に他の人間に対してと同じようにきつい態度にでてしまうことばかりなことが気がかりではある。できることならばもっとくだけた関係を築ければとも思うが、一年もの付き合いがある相手に対していきなり態度を変えるというのも難しい話である。


 どうしたらいいかも分からず、だからと言ってそれを相談できるような人もいない。レイラは、はぁと一度ため息を吐くとジノの自室へと向かう足を少し早める。


 いつもは一緒にいるはずのナナリーは、レイラが父への報告所を送付しなければならなかったため、メイドに頼んで先に行かせておいた。レイラは早くいつものように傍についていられるようにしよう、と急がせた足であっという間にジノの自室前へと辿り着くと何かいつもとは様子が違うことに気がついた。


 扉が閉まっているためきちんとは聞き取れないが、何か言い争っているような荒々しい声が聞こえてくる。不安に駆られたレイラが一気に扉を開けると、そこで聞こえてきたのは言い争いの言葉ではなく、パンという乾いた音であった。そして、その音の発生源はカレンの右手とジノの左頬。


 なぜカレンがジノをぶったのかという疑問を口にすることさえ許されないような重々しい雰囲気に包まれた室内。カレンとジノの間にいるナナリーもどうしたものか分からないらしく、おろおろと二人の間を見えない視線を往復させている。重苦しい雰囲気の中で何もできずにいる面々。当人たちでさえ次にどうすればいいのか分かっていないようだ。


 その空気はカレンが無言で部屋を去っていくまでの間、途切れることはなかった。




[10962] Stage9.凶弾 と 生命 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:25


 それは多くの人が見落としてしまうほど小さなニュースであった。時間にして僅かに一分程度の放送。司会者もコメンテーターに意見を求めるようなこともせず、すぐに次の原稿へと移っていく。それでもカレンがそのニュースに引き寄せられたのは偏にエリア11という言葉が聞こえてきたからだ。


“では、次のニュースです。エリア11でまたしても政治家を狙った凶悪事件が発生いたました”


 ここまでであったならばカレンも過剰に反応することはなかったかもしれない。この一年間で急増したエリア11でのテロ事件の報道はブリタニア本国でも度々取り上げられていたが、さすがに一年も経てば人の関心など薄れていくもので今はもうほとんど取り上げられることはない。あったとしても今回のようにほんの一、二分の事実報告に留まるのにで、多くの人は見逃してしまいがちだ。


 だが何の悪戯か、偶然にもカレンはレイラの到着を待つジノ、ナナリーとともに見ていたテレビでそのニュースを目にし、かつて見知った者の変わり果てた末路を告げるアナウンサーの声を聞くこととなってしまった。


“犯行グループはエリア11政庁から自宅へ移動の途中であった政務官の下車した瞬間を狙い襲撃をしかけましたが、護衛の任についていた警察と銃撃戦の末に実行犯四人全てが射殺されたとのことです。現場の状況から主犯は飯田憲明というイレブンの元医師であると思われ…”


 飯田というなと共に画面に映し出された顔写真はカレンもよく知る人物のもの。荒廃したゲットーの地でも常に良心的に患者のためにあろうとしてくれていたことを、会うことのできなくなってから一年以上がった今でもよく覚えている。決して匙を投げずに命を重んじてきたはずの彼。そんな人でさえも人を殺そうと考えるようになってしまう状況が今のエリア11、日本には存在している。


 もちろん当事者ではないカレンには、どんな経緯があって医師である飯田が銃を人に向けたのかは分らない。だがその理由にならば多少は予想がつく。ゲットー内で彼が人一倍心を痛めていたこと、それは医療品の不足であった。ただでさえ不足していたそれらの品はあの事件以来さらに確保が困難になったはずだ。


 そして、その元凶を作り出したであろう高波をはじめとするブリタニアの言いなりとなりはてた者達と、彼等をとりまとめていたと見られるブリタニアの企業もしくは政治関係者。おそらくあの日以降も、意図的に物資の流通量を操作し物価を吊り上げ続けていたのだろう。医者として人の命を救う立場にあった者としてそれに耐えきれなかったに違いない。でなければ彼が人の命を奪おうとするなどしないはずだ。


 だが、その行動の果てに彼は殺されてしまった。さぞ悔しかっただろう、悲しかっただろう、そう思うと自然と涙がこぼれそうになる。できることならばきちんとした形で彼を送り出してあげたいが、日本から離れたブリタニアの地で、それもブリタニア人たちの前で感情を露にすることもできない。ナナリーはともかく軍人になるというジノの前で滅多な態度にはでられないので、カレンは静かに黙禱をささげようと目を閉じる。いつか自分が彼の無念を晴らしてみせようと心に決めたその時、一緒にその映像を見ていたジノの声が聞こえてきた。


「おっかないな、テロリストってのは」


 言葉の意味とは裏腹にジノの声色は苦笑交じりでまるで怖がっている風ではない。まるで同意を求めるように顔を傾けてカレンの方を向きながら発した言葉。しかし当のカレンはその言葉に相槌を打つことはせず目を閉じたまま顔も伏せるようにしたため、ジノからは表情を窺うことができない。具合でも悪いのだろうかとジノが伏せられたカレンの顔を覗き込もうとすると、ようやくカレンから反応があった。


「………スト…ない」

「はっ?今、何て言った?」


 いつものカレンとは違い、思わず聞き返してしまうほどの小さな声。その様子が心配なのかナナリーもカレンが座っている方へと顔を向けている。本当に体調が悪いのかもしれないと思ったジノがカレンの肩に手を乗せた瞬間、弾かれた様にしてカレンが立ち上がり先ほどとは真逆に部屋中に響き渡るほどの大声で言葉を発した。


「テロリストなんかじゃない!そんな言い方はやめて!」


 閉じられていた瞳はかっと見開かれ、怒りに染まった形相でジノを睨みつけるカレン。そんな彼女は今まで見たこともなかったので、ジノもナナリーも呆気にとられたまま何の反応も返すこともできない。その間もカレンの怒りは治まることを知らず、次第に肩を震わせるほどに全身から怒気を感じさせるようになっていく。


「何も知らないくせに…そうやってあんた達が考えもせずに皆悪者にしていくのよ!」


 ジノにしてみればそれは何のことはない話題をふったつもりだったのだろう。だが、カレンにとってその言葉は黙って見過ごすことのできないものであった。少し前まで連日のように報道されていたエリア11、日本での事件の数々。そのどれもがイレブン、日本人達をテロリストと呼び、口々に“卑劣だ”、“残虐だ”と彼等を非難していた。確かに一般人を巻き込んだ破壊行動は許されたものではないだろうが、そんな言葉を吐く前に己の行動を思い返してみろ、というのがカレンの言い分だ。


 ブリタニアは戦争が終わった後でも人々を虐げ搾取することしかしてこなかったくせに、被害者に回った途端、責任は自分にはないのだという態度にしかカレンの眼には見えなかった。これまでは一人で歯を食いしばり外では無関心を装い、一人になるとこみ上げてくる怒りと悲しみに耐えてきた。しかし、何の不運かジノのふとした一言にとうとう積もりに積もった感情が爆発してしまったのだ。


「あの人たちがどれだけの想いと覚悟であんなことをしたのか、いえ、しなければならなかったか一度でも知ろうとしたことがある?!」


 制御しきれないほどの怒りの渦が次々とカレンの胸の奥底から巻き上がる。喧嘩を売るつもりはなかったのに自然と態度は高圧的で、挑むようなものへと変化していった。


「ないんでしょうね…でなければそうやっていつもへらへらと笑っていられる訳もないし、軍隊に入るなんて簡単に言えるわけがないもの」


 ここまで言われては流石のジノでも癪に障ったのか、呆けていた表情を引き締めると反論を口にする。


「何も考えてないわけないだろ。例えどんな理由があろうともあんなことをすればテロリストと言われても仕方がない。そんな連中から国民を護るために軍にはいるんだよ」


 あえてテロリストという言葉を使ったあたり、ジノも珍しく怒りをあらわにしていることが分かる。


「テロリストじゃないって言ってるでしょ!」

「じゃあ、連中がしていることを認めろっていうのか?」


 ヒートアップしていく二人の掛け合いを止めさせようとナナリーも必死に言葉を探すが、なかなか収まる気配がない。どうにかしてこの場を静めたいナナリーの思いとは裏腹に、自分一人ではカレンとジノを止めることはできないと考えたナナリーが、レイラが早く来てくれることを祈っていた矢先のジノの言葉が止めとなった。


「ナンバーズが何をしようと命を無駄に捨てるだけだ!」


 ついカッとなってしまって出た言葉だったかもしれない。いつものジノであれば決してこんな思慮に欠けたことは言わなかっただろう。それでも、その言葉は確実にカレンの逆鱗に触れてしまった。


 振り上げられたカレンの右手が真っ直ぐにジノの頬と打ち、部屋にパンという音が響く。今まで飛び交っていた怒声が嘘のように絶え、室内に重い沈黙が下りてきた。その静けさがカレンとジノにも冷静さを取り戻させたのか、お互いにやり返すことも言い返すこともしない。やがてその沈黙に耐えきれなくなったカレンはいつの間にか部屋に入ってきていたレイラの横を何も言わずに通り過ぎると、一気にヴァインベルグ家の館から走り出た。


 『ナンバーズが何をしても命を無駄に捨てるだけだ』


 シュタットフェルトの屋敷へ向けて走りながらもジノが最後に発した言葉が頭から離れてくれない。貧困に喘ぐ人々のために銃を持ち戦うことを選んだ飯田の行動が無駄だというのなら、一体どんなことになら意味があるというのだろうか。何もせずに痩せ衰えて死んでいった方が意味のある命の使い方だというのだろうか。


 だが、国民を護るという言葉には賛同できる。飯田が行動を起こしたのも同じ日本人を助けたい、護りたい一心でのことに違いない。同じように自国民へと向けられる優しさを、なぜ他の人々に向けることが出来ないのか。子供のころから持ち続けてきた疑問が再び湧き上がる。


 それが出来ない所にいかにブリタニア人がナンバーズを蔑視して見ているかが現れている。少なくともカレンにはそう思えてならない。だから、ジノの言葉を許すことができなかったのかもしれない。いつもは誰かを蔑んだりすることのないジノですら、怒りで正常な判断ができていなかったからとはいえ、とっさにあんなことを言ってしまうのだから、ブリタニア人の心の内に根付いたナンバーズに対する考えは相当のものだろう。


 その考え方がある以上、いずれはジノやレイラ、ナナリーとも事を構えなければならない日が来るかもしれない。それでも、カレンはブリタニアと戦うつもりでいた。なぜなら彼女は…。


「私は、日本人だから…」


 その時から、いや、本当は自分と前からカレンの心の中で一つの想いが捻じ曲がってしまったのかもしれない。ルルーシュと誓った“優しい世界”が一体誰が望んだものであるのかを完全に失念していたのだから。そして、彼女の中で構成されていく記憶と作りかえられていった思い出が後に問題を生むことになる。






















「何してんだよ、ルルーシュ」

「大丈夫、和美ちゃん?」


 しばらく茫然としていたルルーシュと和美を現実に引き戻したのはリヴァルとミレイであった。気がつくと既に飯田医師のことを報じていたニュースは終わり、先ほどまで真剣な面持ちでニュース原稿を読み上げていた女性キャスターは、トウキョウ租界のお勧めランチスポットをとびっきりの笑顔で紹介している。


 足下には割れたティーカップの破片が散乱し、中に入っていた紅茶の小さな水たまりができていた。その水面に反射して見えた自分の顔はひどく生気の抜けたものに感じられる。和美の方を向いてみると、彼女もまた同じようにショックで呆然としテレビ画面から目を離そうとしない。


「ルルーシュも和美ちゃんも、ひょっとしたら具合が悪いんじゃない?顔色が悪いわ」


 その二人の様子から、先ほどのニュースが何を意味していたのか察しのついたミレイがすぐさま二人を気遣う言葉を口にする。


「今日は生徒会の活動もお休みにするから休んだ方がいいわ。和美ちゃんも、ここ私たちと咲世子さんに任してくれていいから、ねっ」


 促されるままに部屋の外へと出たルルーシュと和美。何かに耐えるように顔を伏せた和美の肩は小刻みに震えていた。


「辛いのなら、泣いたっていいんだぞ」


 そうルルーシュが声をかけると和美は首を横に振り、顔を上げた。気丈そうに、だが、無理矢理に笑顔を浮かべて。


「ここでは泣けません。今はまだこの服を着たままですから。後で一人になってから思いっきり泣こう思います」


 アッシュフォード家に雇われているメイドとしての本分を全うするかのように、一礼して自室の方へと小走りに抱えていった和美。残されたルルーシュはその後ろ姿を見送りながら自分の中の感情と向き合ってみる。


 飯田医師が死んだと分かった時にルルーシュが感じたものは悲しみはもちろんであったが、それと同じくらいに恐怖感を抱いていた。もちろん、今さらブリタニアへ対して牙をむくことに恐怖しているわけではない。ルルーシュが怖がっていることはいつか自分が行動を起こした時にも今日のように誰か身近にいた人間が死んでいくかもしれないということだ。


 争いが起これば傷つく人がいて、命を散らしていく者達が現れる。ルルーシュも当然そんなことはとっくの昔に知っていたし、そのことも覚悟していたつもりであった。だが、ゲットーに住みついてから思いもしなかった出会いばかりが続き、本来なら何の接点も持たなかったであろう人々と出会い、彼等に以前ならば考えられないほど気を許している自分がいる。その自分は覚悟に反して彼等を巻き込みたくはないと訴えかけてくる。


 ルルーシュの最終目標はナナリーが幸せに暮らすことのできる世界を作ることであって、日本を開放することではない。それでもそんな優しい世界を作りたいのならこの国の現状を見過ごしておくこともできない。できることならば、その目標の到達段階の一つとして日本を開放してやりたいとも考えていた。


 しかし、日本人が日本の解放を望む限り、日本人自らが矢面に立ってブリタニアと戦うほかない。それが自然な流れであり、他にそれを成し遂げようとする者がいないのだから当たり前のことでもある。そして、その過程の中で多くの日本人の命が失われていくだろう。その誰かが自分の見知った人間でないという保証はどこにもないのだ。


 そのことを考えた途端、ルルーシュは急にそれが怖くて仕方がなくなっていた。子供の覚悟など現実の前にはこうまで脆いものなのか。悔しくて必死に恐怖を打ち消そうとする者の、頭の中には次々にゲットーで知り合った人々の顔が映し出されていき、その人たちが無残に殺されていく光景を想像してしまう。


 大きな行動を起こせばそれ相応の結果が付いて回るのが世の常だ。その先に待っているものが血の海と死体の山だとしても、果たして自分は戦っていけるだろうか。


 自室に戻るまでの間ルルーシュは自問自答を繰り返しながら歩いてみたが、結局その問いに答えを見出すことはできなかった。















 そうして、誰もが答えを見つけられぬまま時間はいたずらに過ぎ去り、そのまま二年の月日が経過していった。














 皇歴2016年


 ブリタニアにより日本にエリア11が置かれて占領政策が始められてから六年。未だに続いているブリタニア軍とイレブン、日本人の戦闘行為。しかし、今ではそのどれもが下火と化し租界に住む人々は争いのない日々を謳歌している。その影響か、この一年間でブリタニア本国から進出してくる企業が随分と増えてきた。新しいビルが立ち並び、行き交う人々の姿も間違いなく増えている。


 その波はここ、私立アッシュフォード学園にも押し寄せており新入生、転入生の数は過去最高を記録した。それに伴い施設も充実し、高等部、中等部、初等部ごとに体育館を持ち、現在はそこでそれぞれの入学式が行われている最中だ。ルルーシュをはじめとする生徒会の面々もミレイに遅れること一年で高等部への進学を果たした。


 入学式が終われば掲示板にクラス分けを明記した紙が張り出され、生徒達が各々の教室へと移動していくことになる。前述したように生徒数が増加したためルルーシュの知らない生徒も多い。形式ばった式の進行にすっかり飽きてしまったルルーシュは視線だけをさまよわせ、これから三年間を共にすることになるであろう一年生を見渡してみた。


 なるほど、これほどの人間がいながらも見るからに個性的な特徴を持った面々がちらほらと見られるあたり、この学園の校風はそこそこ周囲に認知され始めているらしい。だが、これから高等部でも生徒会長に就任したあの人に翻弄されて初めて、アッシュフォード学園の本領を知るところとなるのだ。おそらく良くも悪くもにぎやかな青春を送ることになるに違いない。


 そんなことを考えながらも視線だけは生徒の間を行ったり来たりさせているルルーシュ。その中に人目を引く髪の色をした生徒が目に留まった。それはいつか見たあの紅に酷似した、いや、離れた距離から見てもあの少女が持っていた髪の色と全く同じものに見える。もしかすると、という思いがルルーシュの鼓動を速まらせ、視線をその女性から逸らさせようとしない。


 彼女は日本人なのだからこの学園にいるはずがない。髪型だって違う。そう思考が訴えかけてくるが、ルルーシュはどこかで確信めいた気持が大きくなっていくのを感じていた。この式が終わった瞬間に駆け寄って事実を確かめなくては、その思いが退屈だった入学式を余計にくだらないものに思わせてくる。


 そして、いよいよ閉会となりいざ近寄ろうとしたルルーシュの行く手を人の流れが遮って、なかなか前に進むことができない。しかもその少女は足早に体育館を出てい子とするものだから、ルルーシュは彼女を見失わないようにするだけで精一杯だ。堪らずその少女のものだと思われる名前を口にしようとするとどこからか自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


 そういえば、式が終わった後にリヴァルと一緒にクラス分けを見に行く約束をしていたことを、焦る頭で思い出したルルーシュ。しかし、リヴァルには悪いがこの疑問を解消することの方が先決だ、と再度名前を呼ぼうと思わず振り返っていた顔を少女の方へと向けると、先ほどまではいそいそと会場を後にしようとしていた少女が足を止めて周囲をキョロキョロと見回している光景が目に入ってきた。


「ルルーシュ、無視すんなっての!それとも俺との約束忘れて…って、お前何見てんの?」


 ようやくルルーシュに追い付いたリヴァルがそう言った声が聞こえたのか、紅髪の少女がばっと二人のいる場所へと向き直る。刹那にして交わるルルーシュと少女の視線。確信は現実と化し、ルルーシュの目の前に姿を現したのである。


 しばらくルルーシュも少女も金縛りにあったように動くことができなかったが、やがてどちらともなく間を縮めていき、手を伸ばせば触れられる距離まで近づいたところで足を止めた。一人、状況について行くことのできないリヴァルは眼だけを二人の間で行き来させている。


「カレン…」

「ルルーシュ…」


 ゆっくりと懐かしむように名前を呼ぶと、紅髪の少女、カレンも同じようにルルーシュの名を呼んだ。感極まったのか、カレンの表情が崩れ今にも泣き出しそうなものへと変わっていく。どうしたものかとルルーシュがカレンに手を伸ばした瞬間、何を考えたのかカレンはルルーシュに体当たりでもするようにして抱きついてきた。


「ルルーシュ…会いたかった」


 いきなりのことに一瞬呆気にとられたルルーシュが気を取り直してカレンをなだめようとすると…。


「あのさっ…お取り込み中申し訳ないんだけど、皆見てるぜ?」


 そんなリヴァルの声が聞こえてきた。はっとして改めてルルーシュが辺りを窺って見るとまだ周囲に残っていた多数の生徒が興味深そうに、あるいは恨みがましそうに二人を見ていることに気付く。その時になってようやく今自分がどれだけ誤解を招く状況に置かれているのか理解したルルーシュであったが、こうなってしまってはもはや後の祭りだ。ルルーシュは言い訳を後で考えることにして、カレンを引きはがすとその手をとってとりあえずその場から走り去るほかなかった。














次回予告

 別れから三年を経て再会を果たしたルルーシュとカレン

 空白の時間を埋めるようにお互いのことを確認し合う二人

 しかし、三年という月日は二人の在り方を変えてしまっていた

 すれ違うルルーシュとカレンの心

 そして、溝を埋めることができずに思い悩むルルーシュは夜の租界である光景を目にする


Next Stage.二人 の 夜



[10962] Stage10.二人 の 夜 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:27

 入学早々すごいものを見てしまった。それがアッシュフォード学園高等部へ新たに入学したシャーリー・フェネットが、入学式の最後に感じたことである。何を見たかと言えば一人の女子学生が男子学生にいきなり抱きついた姿であった。しかも抱きつく前に二人が醸し出していた雰囲気は他の生徒達を寄せ付けないというか、二人だけの世界を作り出していたものだから、皆声をかけることもできず遠巻きに見つめているだけでなにもできない。


「オープンな校風だとは聞いてけど、まさかここまでだったなんて」


 入学前にシャーリーが聞いていた噂は、年数回どころか月数回単位で何らかのイベントが催されるだとか、それを指揮している敏腕の女生徒会長がいるだとか、特定の生徒のファンクラブがおおっぴらに活動しているだとか、ともかく他の学校では考えられないようなことばかり。それでも校内で堂々とした男女交際が認められているとは思っていなかった。シャーリーは風紀委員はさぞ頭を悩ませていることだろうとも考えたが、これではそもそも風紀委員自体が存在するのかどうかも疑わしい。


 抱きつかれた男子生徒が女子生徒を連れてどこかへ行ってしまったことで、その場の雰囲気も元に戻るかと思ったが、むしろ本人たちがいなくなったことで様々な憶測が飛び交い、辺りは事件発生当初よりも騒がしくなってきている。どうも男子生徒の方は中等部からここの生徒であったらしく、なかなか有名人であったらしいことをシャーリーも周囲の噂話から感じ取っていた。


「さっきの見た?ルルーシュ君って彼女いたんだね~。ちょっとショックかも」


 そう言った少女の周りでうんうんと他の女子生徒も頷いている。どうも件の少年の名前はルルーシュといい、女子の間では人気のある男子であるようだ。シャーリーも先ほどの男子の顔立ちを思い出してそれも分からないでもないと思った。彼女から見てもルルーシュという男子生徒の容姿は魅力的に映っていたものだから、もう少しこの話を聞いてから自分のクラスを確認しに行こうかな、なんてことまで考え始めるくらいにあの光景に引かれるものを感じていた。


 だが、どうもよく聞いてみるとろくでもないと言うか、度し難いというか、ともかくルルーシュという少年の噂はどうも一つ所に落ち着いていないようだ。


「でも、ルルーシュ君の彼女ってミレイ会長じゃないかって噂なかったっけ?」

「あっ、私もその噂聞いたことある。だから、一人だけ寮じゃなくてクラブハウスに住ませてもらってるとかいう話だよね」

「私の聞いた話じゃ恋人じゃなくて婚約者で、いつもあの二人が生徒会役員やってるのもただののろけだって」

「ええっ、私はクラブハウスのメイドさんがそうじゃないかって聞いたよ?」

「けどさ~、他にもいろんな噂あるけど、どれもしっかりとした証拠ってないじゃん?」

「そう言われると、そうよね。あっ、でもそれなら今回のことはれっきとした証拠になんじゃないの?」

「真実はどうであれルルーシュ君ファンクラブは黙っちゃいないだろうね~。くわばら、くわばら」

「そういや、あんたってファンクラブ会員じゃなかったっけ?」

「ふふっ…何を隠そう、うちは会員ナンバー一桁代のディープファンやけんね。早速皆に報告させてもらうよ~」


 それからもあれやこれやと喧しく論議は展開されていたが、シャーリーはすっかりその話を聞く気など無くしていた。件の彼は、見た目は素敵でも浮ついた噂の絶えないプレイボーイか、もしくはやっぱり奇麗な顔立ちはしているけど優柔不断な浮気野郎、というイメージがその噂話の間に定着してしまったのだ。見た目だけでもねぇ、などという感想を抱きながらも、その時からルルーシュという名の少年のことは彼女の中で強く印象に残っていく。


 この時にはまだ自分が四六時中その男子のことを考えるようになるとは思いもよらない、シャーリー・フェネット高校入学時の一コマであった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage10.二人 の 夜










 カレンの手を引いて人気のないクラブハウス付近まで辿り着くと、ルルーシュはようやく足を止め一息つくことにした。普段は滅多にしないような全力疾走でここまで駆け抜けて来たため、呼吸は浅く膝に手をついて肩を大きく上下に揺らしている。その姿を見たカレンがクスッと笑い声を洩らすものだから、ルルーシュとしてはおもしろくない。軽く睨むようにカレンへと視線を向け、「何が面白い」と目で問い掛ける。


「相変わらず体力ないままなんだ?」

「…お前こそ相変わらずの体力馬鹿っぷりだな」


 鋭い目つきで見つめ合う二人。他の人が見れば一触即発の雰囲気に見えるだろうこの光景も、すぐに二人の笑い声でかき消されていく。ルルーシュとカレンにしてみれば、こんな遣り取りはゲットーにいた頃に何度となく繰り返しやってきたことだ。思いもよらない再会であったが、今お互いにこうして昔のように接していられるということがうれしくて堪らない。


 ようやくこみ上げてくる笑い声に収まりがつくと、二人は芝生の上へと向き合う形で座る。そしてどちらともなく口を開くと、この三年の間に起こったことをお互いに話し合った。ゲットー崩壊後のそれぞれの状況。カレンはゲットーを追われたルルーシュを労わり、その事実を悲しんだ。一方、カレンがシュタットフェルト家に引き取られていたことに驚きを隠せないルルーシュであったが、それ以上に彼の興味を引いたのはやはりナナリーの話題であった。


「ナナリーが?!」


 ナナリーという単語が出た途端、血相を変えてカレンにつめ寄るルルーシュ。カレンが思わず少し身を引いてしまうほどにその反応はきゅうげきなものだったが、何年間も行方の知れなかった妹のことが分かったのだから無理もないと思い直す。ルルーシュはルルーシュで、興奮のあまりにカレンの方まで掴んでしまっていた自分に気がつくと、「すまない」と少し恥じた様子で手を離した。そう言うところも昔のままだな、などという感想と若干のナナリーへの嫉妬を抱きながら、カレンは向こうの学校で過ごした日々をルルーシュに話して聞かせていく。


「ジノ・ヴァインベルグ…その男は確かにそう名乗ったのか?それからナナリーの名字はベルトゥーチで間違いなんだな?」


 最初の頃こそナナリーの無事を喜んでいたルルーシュであったが、話が進むにつれて顔をしかめていき何かを考えるように黙り込んでしまった。かと思えば突然カレンに上記した問いの答えを求め、カレンが頷くのを見ると再び黙り込んで何かを考え始める。


 カレンはルルーシュがヴァインベルグという名に過剰に反応したことに疑問を感じざるをえなかったが、すぐにその思考を頭の中から追いやる。結局ジノとの間にあったあの事件の後ジノとは顔を合わせることもなく、彼の卒業を祝うこともしなかった。できることならばあの日のことは思い出したくない、とカレンは思っている。


 彼女の中に存在していたブリタニアに対する憎悪や反抗心に、ブリタニア人に対する心の壁までをも抱かせてしまったあの日の出来事。あれ以来、ナナリーに対しても、レイラに対しても以前のようには接することはできなかった。いつもの通りの自分を演じながらも、意識的に彼女たちを避けるようになり、そしてその生活に慣れるともはや意識せずとも誰も彼をも避けて過していたカレン。


 だが、こうしてルルーシュと再会出来たからにはこんな生活も終わるはずだ。偽りのない自分をさらけ出せる唯一の相手がいるのだから。そんなことを考えながらカレンは、未だ何かを考え続けているルルーシュをそっと見やった。


 一方のルルーシュはどうもヴァインベルグという名前が引っ掛かって仕方がなかった。ヴァインベルグといえば超がつくほどの強大な発言力を持った貴族だ。ベルトゥーチという家の名前は知らないが、とてもヴァインベルグ家を動かせるだけの力はないだろう。いや、たとえどれだけ大きな貴族が相手でもそうそう簡単にはいかないはずだ。となれば彼の家が自主的に動いたか、もしくは貴族以上の存在、皇族が後ろについている可能性が高い。


 後者の場合であるならばさらに問題が生じてくる。皇族がナナリーの後ろにいるのならば、なぜ傍に三つもの家の人間が関わる必要があったのだろうか。ヴァインベルグ家がナナリーの後ろについているのなら、態々サハロフ家やベルトゥーチ家の人間を持ちだしてくる必要は全くないはずだ。


 しかもナナリーの名字がベルトゥーチであるということは、彼女の後ろ盾として重きをなしているのがベルトゥーチ家であることが分かる。なぜヴァインベルグ家ではなくベルトゥーチ家がということへの疑問は尽きないが、それよりも不安の方が強い。もしも両家を押す勢力が存在しているならば、ナナリーが再び政治の道具として使われてしまっているということも考えられる。ヴァインベルグ家を動かせるだけの皇族というのも限られてくるだろう。


「ルルーシュ、私の話ちゃんと聞いてる?」


 ルルーシュが自分の思考の中にどんどん埋没していくのを止めたのはそんなカレンの言葉であった。はっとして顔を上げるとむすっとしているカレンが目に入ってくる。どうやら考え込んでしまっていた間も話を続けていたらしい。


「あ、ああっ、すまない、聞いてなかった…」


 「やっぱり」とあきれ顔のカレンに思わず苦笑いを浮かべてしまうルルーシュ。どうにか話題を振ろうとして、そういえばまだ聞いていなかったことがあったと思い疑問を口にした。


「そういえば、お前の母さんは今どうしているんだ?」


 その言葉を聞いた瞬間、それまで子供のようにふくれっ面でいたカレンの表情が無表情なものへと変わっていく。それを不思議に思ったルルーシュがもう一度同じように問うてみると、カレンは吐き捨てるように声を張り上げた。


「どうだっていいじゃない、あんな女のことなんて!」


 ルルーシュの方を見ることもせず、ただ感情の赴くままに発せられた言葉。初めは何が何だかよく分からなかったルルーシュも、カレンのあまりの剣幕に彼女が本気でそう言っていることに思い至った。


 それはルルーシュにとって信じられない言葉であったことは間違いない。自分が一種理想の家族像として抱いていた紅月家の面々。子供思いな母に、妹思いの兄、そして誰よりも家族を大切に思っていたはずの妹。だというのにこの反応はどうしたことだろうか。


 確かにカレンを彼女が嫌っていたブリタニアの家に預けたことを鑑みれば、多少の嫌悪感を抱かずにはいられないだろう。だが、それ以降もこうしてその憎しみが持続し、かつ膨れ上がっているようにも感じられるのはどうしてだろうか。まだカレンの口からは彼女がカレンをシュタットフェルト家に連れていったことだけしか聞かされていない。その後の彼女は一体どうしてしまったのだろうか。


「…カレン、お前の母さんは今どこ何をしてるんだ?」

「どうでもいいって言ってるでしょ!」


 カレンは再び声を荒げたかと思えば、今度はしっかりとルルーシュの目を睨みつけてくる。昔もよく喧嘩をしたけれど、これほどまでにカレンが怒りをむき出しにしている姿をルルーシュは見たことがなかった。


「そんなことより、これからのこと話しましょうよ。どうやってブリタニアをぶっ壊すのか」


 どうしても母の話題には触れたくないらしく、カレンは薄い笑みを浮かべてそんなことを言い出した。その時彼女が浮かべていた笑顔は苦笑でもなく、嬉しそうにでもなく、ただ感情のこもっていない嘘の笑顔。これもまたルルーシュがこれまで見たこともないものだ。ルルーシュの知っているカレンはこんな風に自分を偽っているような人物ではなかったはずだ。


「あれから三年も経つんだから、何か一つくらい計画なり何なりあるんでしょ?」


 依然としてルルーシュが見たこともない笑い方をしながらカレンがルルーシュにつめ寄る。言い知れぬ悪寒を感じたルルーシュは嫌な汗が背中をつたっていく感触を感じていた。


「まだ何も出来上がってはいない」


 かろうじてそれだけを答えたルルーシュ。実際にはあれこれと考えていることがあるにはあるが、今はそのどれも実行に移せる段階ではないとふんでいた。何か一つ感がつくたびに、今の自分ではできないと無意識のうちすぐにブレーキをかけてしまっては、焦燥感だけが積み重なっていくということをこの三年間、いや、正確に言うならばこの二年間繰り返してきている。


「何もって…じゃあ、あんたは三年間も何してきたって言うのよ?」


 だが、そんなルルーシュの葛藤を知る由もないカレンにはその答えは我慢のならないものであった。母のことを問われてカッとなっていたこともあったかもしれない。その怒りも手伝ってかカレンは段々と感情が自分の制御下から離れていく感覚を感じていた。


「ブリタニアと戦う力を手入れるためにゲットーを出たんじゃなかったの?」


 いつかジノに平手打ちをくらわせた時のように怒りが彼女の内側を侵食していく。


「私はこの三年間ずっとそれだけを考え続けて来た!腐臭のする貴族の学校にも、嫌なものしかない家にも耐えて、ただブリタニアを壊すことだけを!」


 そして、そんなカレンの心を支え続けて来たものはルルーシュと交わした誓いであり、父の仕事の関係で再び日本へ行けると分かった時は生まれて初めて父に感謝したほどだ。それほどまでに今日のこの瞬間を待っていた。過剰なまでの期待と、いつの間にか歪んで形を変えてしまった思い出をその胸に抱いたまま。


「それは、分かってるつもりだ…。ただ今はその時期じゃない」

「時期じゃないって…ならいつならいいって言うの?そんな悠長に構えてる時間なんて私たちにはないんだよ?!」


 カレンはアッシュフォード学園内からでも見える高層ビル群をばっと指さす。


「あんた、租界があんな風に変わっていくの見て来たんでしょ?そのうちゲットーにもあんなものが作られていくんだよ!それを指をくわえて見てろって言うの?!」


 一息にそう捲くし立てと後に訪れる沈黙。何一つ物音がしないというのにルルーシュは耳が痛くなるような感覚に襲われる。カレンの言い分も十二分に理解できる。ルルーシュとて、できることならば今すぐに何か行動を起こさなくてはという衝動に常に囚われているが、やはりどこかで自分にストップかけている部分が存在していた。


 二人とも何も言えないまま時間だけがいたずらに過ぎていく。その間もカレンはルルーシュを睨み続け、やがて根負けしたルルーシュが俯くようにして視線をそらした。それが合図となったのかカレンは最後に一言だけ残してルルーシュの横を通り過ぎていった。


「ブリタニア人の中にいて随分と腑抜けたんじゃない?」


 残されたルルーシュはその場から動くことなく、その日のHRにも参加することはなかった。










 その光景を物陰から窺っていた二つの影。


 一つは入学式の後、掲示板前に群がる人ごみがいなくなるまで校内を見学して回ろうと考えていたシャーリー・フェネット。改めてすごいものを見てしまった、と理由もなく唾を飲み込んだ。一日の内に恋人(仮定)の抱擁と喧嘩(推測)を見てしまうとは。やっぱりルルーシュという男はろくでなしなのかななんてことを考えずにはいられないシャーリーであった。


 そして、もう一の影は外が騒がしいので様子を見に出てきていた麻倉和美。口論をしている内の一人がルルーシュだと分かるやいなや駆け寄ろうとしたのだが、その相手に目が止まると足を止めた。見覚えのある紅い髪に幼い日の面影の残る顔立ちにすぐにその女子が誰であるか予想がついたのだ。


「カレン、ちゃん?」


 いつの間にか口論は終わり、カレンは校舎の方へと歩いて行ってしまう。しばらく茫然とその後ろ姿を追っている内にルルーシュの方もどこかへ行ってしまい、その問いに答えを得ることはできなかった。















「なんかさ、最近元気ないよな?」

「そうか?いつもこんな感じだろ」


 カレンとの再会から数日後。あれからお互いに顔を合わせ難く、悶々とした日々を過ごしているルルーシュ。その間は覇気の感じられないルルーシュを、高等部になっても半ば強制的に入らされた生徒会の面々は心配していた。何か知っている風であった和美もその理由を話したくはないようで、リヴァルも締まりのない数日を送っている。


 だから今日は少しでもそんなルルーシュを元気づけてやるつもりで、放課後に租界へ行こうと誘ったのだが当のルルーシュは何を話しかけても生返事ばかりで一向に会話が弾まない。今もバイクのサイドカーに乗ってリヴァルとは正反対の方向を見ている。


 はぁ、と小さくリヴァルがため息をつくと、前の方で何が大きなものがぶつかり合うような大きな音がして慌ててバイクを止めた。どうやら車同士が接触事故を起こしたらしく、ぶつけられた方も、ぶつけた方も運転手が出てきて被害のほどを見ているようだ。


 しかし、しばらくするとぶつけた方であるはずの車の持ち主が、ぶつけられた方であるはずの老夫婦にケチをつけ始めた。それは徐々にエスカレートしていき、いつの間にか被害者であるはずの老夫婦が悪いかのような言い分になっている。体格で勝っている男の剣幕に気圧されているのかその老夫婦はうろたえるばかりで、ろくに反論もできていない。周りにいる人々もその様子を見ているだけで誰一人として老夫婦を助けようとする者はおれず、リヴァルもどうしたものかと手をこまねいていると、サイドカーに乗っていたはずのルルーシュがその現場に近づいて行っている姿が見えた。


 何をするつもりなのかとハラハラしながら見ているリヴァルのことなど知ったことではないのか、ルルーシュは無表情のまま歩いて行く。そして、事故現場の近くに止まっていたクレーン車のクレーンをつかんだかと思うと、それをぶつけた側の車に引っ掛け何食わぬ顔でサイドカーへ帰ってきた。


 案の定、その車はクレーン車が発信するのと同時に引きずれていってしまい、それに気が付いた男は必死に後を追っていき老夫婦はようやく解放されることができた。何が起きたのか理解できた者は少なかったが、リヴァルは一部始終を知っていたのでどこかスカッとした気分になれ、しかも男があまりに必死に走っているものだからついつい笑いがこみ上げてきてしまう。


 だが、ルルーシュはといえばその前と何一つ変わらずに、相変わらずの無表情でどこか遠くの方を見るようにしている。リヴァルはもう一度ため息をつくと、バイクを発進させた。










 何の因果か、偶然にもその光景を見ていた二人の少女。


 一人は、偶々租界に買い物に来ていたシャーリー・フェネット。事故が起きる瞬間から、ルルーシュ達が立ち去るまでの一部始終を見ていた彼女は、それまで抱いていたルルーシュに対するイメージが徐々に変えていった。


 それまで不真面目で女性関係にルーズな奴だと思っていたが、思いがけず正義感のあるところを見てしまったのだからそれも分からないではない。しかし、おかげでますますルルーシュについてどんな人物なのか分からなくなっていく。


 それと同時に、これってマンガとかでよく見るパターンなのでは、なんてことを考えたりもしていた。不良がふとした瞬間に見せる優しさみたいなのにキュンとくるってやつ。シャーリーは激しく頭を横に振って頭の中に浮かんできたその図式を振り払う。あんな浮気癖のあるかもしれない男子を好きになるなんてことは、今のところシャーリーには想像ができなかったから。それでも一層ルルーシュに対する興味がわいたこともまた事実で、もう少し彼について知ってみたいと思っていた。それが彼女の生き方を大きく変えることになるとは知らずに。


 そして、もう一人の少女は学園から帰宅の途についていたカレン・シュタットフェルト。彼女もまた一連の騒動全てを見ていおり、もちろんルルーシュがしたこともしっかりと見ていた。バイクのサイドカーに乗り去っていくルルーシュの背中が見えなくなるまでその場に止まっていたが、やがてゆっくりとした足取りでその場を後にする。





 結局、リヴァルと別れた後もルルーシュは何をするでもなく、ただ単に目的も無く歩いているだけ。ここ最近で起こったことをぼんやりと考えながら歩いたからであろうか、気が付いた時にはシンジュクゲットーの近くに辿り着いていた。そこは、今なお建造物倒壊の恐れがあるとして一般の人間は立ち入りが禁止されている。再建案も浮上しているというから、ひょっとしたら年内には業者が入るかもしれない。


 路線一つ跨いだ先に広がる荒廃した街の姿。清潔さや綺麗さとはかけ離れた場所ではあったが、確かに自分はあそこでかけがえのない美しいものを得た。ルルーシュの胸に去来する思い出の数々。


「懐かしんでいる…、いや、戻りたがっているのか、あの頃に?」


 そんな独り言を口にしてしまったことに苛立ちが募っていく。それでは自分があの場所を離れた意味など無くなってしまうではないか。あまりにも馬鹿げている、と頭を振り別のことを考えようとするのだがどうもうまくいかない。自分のこと、ナナリーのこと、ゲットーのこと、カレンのこと。わずか数日の間に急激に重みを増してきたそれらのことがルルーシュを悩ませる。


 もちろんカレンと再会するまでの間も同じようなことを考えていた。しかし、新たに得た情報や変わってしまったカレン、その母、そして自分自身。三年間という年月は人を変えてしまうには十分すぎる時間であるようだと、ルルーシュも身を持って知ることとなった。


「腑抜けた、か…」


 確かに昔はナナリーの望むものを、彼女が幸せに生きることのできる世界を作るためならば何を犠牲にしてもいいと思っていた。その考え方はルルーシュを行動に移させるに余りある原動力となっていたが、彼にはゲットーでナナリー以外にも大切にしたいと思えるものができてしまった。知らず知らずの内にルルーシュの中で大きくなっていったそれらの存在。特に紅月家の三人はナナリーに向けるものに似た感情を抱くほどにかけがえのない存在だ。


 その思いがいつの間にか自分にブレーキをかけさせていたのかもしれない、そう思うとルルーシュはいつかそうしたように自分で自分を笑った。つまるところ、カレンの言う通り怖がっているだけなのだろう。それにこうしているだけではナナリーに近づくこともできない。だからと言って果たして今の自分に全てを振り切って現実に立ち向かっていけるのか、そう自問してみても答えが返ってくるはずもなく、ルルーシュはただいたずらに時間だけを浪費していった。










 そうこうしている内に完全に日も暮れ、廃墟と化したシンジュクゲットーも夜陰に包まれている。そんな時間帯になってもルルーシュはその場所を離れる気にはなれず、かといって何かを考えることもできず、ただ瓦礫の山を見つめていただけ。


 ルルーシュがようやく重たい腰を上げたのは携帯電話のバイブレーションが着信を告げてきてからだった。気付かないうちに4件も着信を無視していたらしく、リヴァル、ミレイ、ニーナ、クラブハウスからそれぞれ一件ずつかけられてきていたようだ。今も震え続ける携帯電話の液晶画面には“クラブハウス”という文字が映し出されている。


 出ようか出まいか迷っている内に、自然と留守番電話へと切り替わりメッセージが録音されていく。ルルーシュは無視したままでいることにも気が引けたので録音された音声を再生させてみた。


“あっ、ルルーシュ君?和美です。帰りが遅いからもう一度電話してみたんだけど、まだ帰ってこられそうにない?ミレイさんやニーナさんもリヴァルさんも心配してるから連絡は入れておいてね。お夕飯は一応作ってあるから、もしまだ食べてないなら帰ってから食べて。それじゃあ、あんまり遅くならないでね”


 いつも通りの、ではなくまだ勤務時間であるにも関わらず敬語を使っていない和美からの電話。どうやら本当に心配をかけてしまったらしい。それも彼女だけではなくミレイやリヴァルにまで。こうして心配してくれる友人たちのいる環境の居心地の良さもまたルルーシュが行動に移ることを躊躇わせている要因の一つだ。


 ここでブリタニアへ敵対行動を起こせばいずれは間違いなくトウキョウ租界が戦場になる日が来る。占領政策の中心地である政庁があるのだからそれは決して避けては通れない道だ。そして、そうなってしまえば今の生活は音をたてて崩れていってしまうだろう。憎んでいたはずのブリタニアの中で見つけてしまった一時の憩いの場。限られた時間の中での関係すらも捨てる勇気のない自分になど、一体何ができるというのだろうか。


 徐々に卑屈になっていく思考に吐き気にも似た感覚を覚えたルルーシュは、今日はもう何をしてもだめだろうと学園へと戻るために腰を上げた。もう一度だけ夜のゲットーを見つめてから、ゆっくりと足を動かし始める。振り返ってみれば明かりの灯っていないゲットーとは正反対に明かりに満ちた眠らない街。


 その日に限っては、自分がその明かりの中に入っていくことに後ろめたさを感じずにはいられなかったルルーシュ。その明かりから逃れるように狭い路地を歩きアッシュフォード学園へと帰っていった。


 その道中、ふとルルーシュの目を引く人物を見かけた。見覚えのあるその佇まいはたとえ着ている服が違っても見間違うことはない。顔も多少やつれ、顔も俯き気味であるが、ルルーシュはその女性がカレンの母であることに気が付いた。


 カレンとの一件があって以来、会いに行くべきかどうか悩んでいただけに、いざばったりでくわしてみても声をかける勇気が湧いてこない。向こうもルルーシュには気付いていないようで、入り組んだ暗い路地を歩いている。どうするべきかルルーシュが判断に困りながらもカレンの母の姿を目で追っていると、その様子が少しおかしいように思えてきた。


 頻りに周囲を気にしているようで、かといって何かに注意を払っているようではなく、そわそわとして落ち着きというものが感じられない。その様子を不審に思ったルルーシュはひとまず声をかけることは止め、何をするつもりなのかを突き止めることにした。


 久しぶりの再会だというのに、話もしないまま後をつけていることに後ろめたさを感じずにはいられなかったが、話に聞いた通りの状況に彼女が置かれているのならば、情緒不安定になって何かをしでかすかもしれない。ルルーシュとしてはどうしてもそれだけは避けたかった。あれだけ仲の良かった家族が今やバラバラになってしまっているというのに、今また何かが起こってしまえば本当に家族という絆が失われてしまう気がしてならない。言いようのない不安に駆られながら、ルルーシュは音をたてないようにしてカレンの母の後ろを追い路地の暗闇の中へと消えていった。










 やがてカレンの母とその後をつけて来たルルーシュは人気のない倉庫街へと辿り着いた。夜間の運送はされていないらしく辺りは閑散としている。人の気配も感じられず外灯もまばらであるので、薄暗い空間が余計に薄気味の悪いものに感じられる。


 こんな人気のない所に一体何をしに、とますます疑問と不安を募らせていくルルーシュ。そのことなど知る由もないカレンの母はある倉庫の前で足を止めた。誰もいないと思っていたその場所には一人の男が立っていて、カレンの母と一言、二言、言葉を交わすと彼女を倉庫の中へと招き入れる。


 それは映画や刑事ドラマでよくありそうな裏取引だとかの場面を連想させる光景であった。画面を通してみている時は、そんなおきまりのパターンじゃ緊張感も何もあったものではないと持っていたが、その時のルルーシュはしばらく感じることのなかった胃の痛くなるような緊張感を抱かざるをえない。


 引き返さなければと本能が危険信号を灯している。しかし、とルルーシュは緊張に震える心と体を引き留めた。ここで引き返せば結局あの中で何が行われているのか知ることはできない。善からぬことであろうという想像はできても、そのことには全く意味がないのだ。後で問い詰めるという手段もあるにはあるだろうが、そこで真実を得られるという確証はなに一つ無い。そもそも隠れるようにここまで来ているのだから誰かに話せることではないのは確実だ。そこまで考えるとルルーシュは意を決して自分も倉庫の中へと近づいてみることにした。


 そこで見たものは正に異様としか言いようのないものであった。その中にいたのはチンピラのような男が数人と、彼等とは少し離れた位置いる不特定多数の男女。異様であったのはチンピラ風の男たちを除く全員。誰もいない空間に向かって話しかけている者もいれば、暗闇の中を駆け回っている者もいる。ありていに言えば誰一人として正気を保っていない状態だ。


 一体何がどうなっているのかパッと見ではよく分からない。物陰から様子を窺っていたルルーシュが少し身を乗り出してカレンの母の姿を探すと、ちょうど男たちから何かを受け取っているところが見えた。カレンの母は男たちから離れた場所へ行きその何かを腕へ押し付け、次の瞬間には意識を失ったかのように体全体で前方へ傾く。


 その姿にルルーシュは思わず大きく身を乗り出してしまった。しかも運悪く身を潜めていた場所に立てかけてあった鉄パイプがバランスを失い、多くナオトをたてて地面へと倒れてしまう。ガラの悪い男たちは一斉に音のした方を向き、ルルーシュの存在に気がつくとむっくりと距離を詰めて来た。


「坊ちゃん、ここがどういうところか知ってて来たんだよな?」

「…ええ」


 内心自らの失態に舌打ちをしながら男たちと対峙するルルーシュ。先ほどまでは暗がりでよく見えなかったが、男たちの中には銃を手にしているものもいて、外から漏れてくる薄明かりが反射して、銃身が不気味に光っている。


「じゃあ話は早い。どれをお望だい?大抵のクスリは揃えてあるつもりだぜ」


 一人の男がそうルルーシュに話しかけている間に、他の男たちはぐるっとルルーシュを囲み退路をふさいだ。ここが麻薬の取引場所であることは分かったが、今さらそれが分かってもどうにもならない。逃げだそうにも相手もルルーシュを疑っているらしく、うすら笑いを浮かべながらも油断なく様子を窺っている。


「今のお勧めはこのリフレインだ。どうだい、一見さんからは御代を頂かないのがうちらのやり方でね。必ずリピーターになってもらえる自信があるんだ」


 男がズボンのポケットから取り出した簡易式の注射器のようなものにルルーシュが目を奪われている間に、他の男に腕を掴まれ制服の袖をまくられてしまった。抵抗する間もなく男はその注射器のような何かをルルーシュの腕に押し付け、液体を血液の中へと注入していく。


「やめっ……ろ…」


 弱々しい声でそれだけを言うことが精一杯であったルルーシュの意識は急速に失われていった。





[10962] Stage10.二人 の 夜 (中編-1)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:29


「どうだった?」


 朦朧としていた意識が徐々にはっきりとしてきた。だが、そのスピードは遅く、すぐ傍で交わされているだろう会話も遠く聞こえる。目もぼやけていて何かが近くで動いていることは分かるが、それが何であるのかまでは判断がつかない。


「どうもただの学生のようですぜ。シマを荒らしに来たわけでも、他のディーラーの手のもんでもないみたいでさぁ」


 その言葉の後を受けてもう一つ別の声が嘲笑うように言う。


「ここには女の後をつけて来たみたいですよ」


 それを聞いた周囲の男たちが鼻で笑いながら、焦点の定まっていない瞳で声のする方を向いているルルーシュを蔑んだ目で見つめた。


「ブリタニア人のくせにイレブンの女のケツを追っかけてんのか?」


 さも楽しそうに下卑た笑い声を洩らし、一人の男がルルーシュの前髪を掴んで顔を覗き込んだ。ルルーシュは依然として意識がはっきりとしていないようで、全く抵抗するそぶりを見せない。


「へっ、だらしねぇ顔しやがって。そんなに怖かったのか?クスリでも打たれたんじゃないかってよぉ」


 そう言った男が空になった薬瓶が付いたままの簡易式注射器をちらつかせる。結論から言えば男たちがルルーシュに打った薬物は自白剤の一種であった。陰に隠れて様子を見ていたルルーシュを不審に思った売人たちは、その薬を使うことでルルーシュの身元を明らかにしようとしたのだ。


「それで、こいつは本当にこのまま帰しちまってもいいですか?やっぱりバラシちまったほうがいいんじゃないですかねぇ」


 未だにルルーシュの髪を掴んでいる男がまとめ役らしい男にそう尋ねた。男のルルーシュを掴んでいるのとは別の手には小銃が握られており、銃口をルルーシュに向けている。


「やめろ。いくらサツも一枚噛んでるとはいえ、奴等も一枚岩じゃない。何か面倒事を起こして売り場を荒らされたんじゃ元も子もないからな」


 ルルーシュを掴んでいた男は、つまらなさそうにしながらもその言葉に従い、銃口を離した。しかしやはりその命令が不服であったのか、乱暴に前髪を引っ張るとルルーシュを地面へ叩きつける。


「ただし、そいつが口外しないように、意識がはっきりしたら脅しをかけておけよ」


 最後にそう言い残すとリーダー格らしき男は姿を消し、その場には数人の部下と地面に伏したまま動かないルルーシュが残された。










 それからしばらくしてようやくルルーシュがはっきりと意識を取り戻した頃には、辺りにほとんど人の姿も消え、口々に過去の幻影に話しかけていた人々の声も聞こえない。初めのうちは、自分がどうしてこんな場所にいるのかも思い出せないルルーシュ。だが、徐々に脳の活動が活発になってくる中で、未だに薄暗い倉庫の中に映る女性の影を捉えた瞬間から一気に意識が覚醒していく。


 ルルーシュはその女性に近づくために、なぜか力の入らない体で立ちあがろうとした。その行動を止めたのは先ほどからルルーシュをぞんざいに扱っていた男だ。例によって、ルルーシュの髪を掴んで、無理やり自分の方へ顔を向けさせる。身体が言うことを聞かないため、ルルーシュは一切抵抗することが出来ない。


「もしかしてあれが、お前が後をつけて来た女か?随分と年上が好みなんだな、ルルーシュ君?」


 男がそう言うなり、はっとして男を見上げるルルーシュ。相変わらず身体はほとんど言うことを聞かないが、活発な活動を再開した脳が自分の置かれていた状況をルルーシュに思い出させる。今自分を見ている男とその仲間達に捕まり、無理矢理何かしらの薬物を腕に打たれた。そこまでの記憶はある程度はっきりとしている。その後は何かされていたような気もするのだが、その何かをまるっきり思い出すことが出来ない。


 だが、その何かが今この状況で一番重要なことの一つであることは確かだ。なぜか目の前の男が自分の名前を知っているということが、その何よりの証拠だ。ルルーシュの記憶が確かならば、今日は身分を証明するようなものは何も持っていなかったはずなのだから。


 そこでルルーシュは意識が朦朧となる前の状況を思い返してみた。そこでまず引っ掛かったことは、腕を掴んでいた男が言った“リフレイン”という言葉だ。


 “リフレイン”といえばニュース等でも取り上げられることのある有名な薬物だ。報道されている情報が確かならば、強い幻覚作用と中毒性を併せ持つ薬物であったはず。しかも、過去に自分の体験した幸せだと感じた過去を幻覚として見せることができるという。だが、ルルーシュはそんな幻覚の類を見た覚えはない。そういった作用を持つ薬物であるのかとも思ったが、見えた幻覚を覚えていられないのならば、ここまで人々を虜にさせる快楽性は得られないのではないだろうか。薬物の常習性だけで人気が出るのなら、わざわざ新しい薬物を作る意味などないのだ。


 となると自分が打たれたものはリフレインではない可能性がある。そう結論に達したルルーシュだったが、今さらそれが分かったところであまり意味はない。僅かばかり得られて安堵感も、こうして未だに男達に捕らわれている状況では気休めにもならなかった。その緊張が顔に出てしまったのか、ルルーシュを掴んでいる男の顔が意地悪く歪む。


「安心しな。お前に打ったヤクはリフレインじゃねぇ。自白剤の一種だ」


 男はルルーシュがどういった反応をするのかが楽しみなようで、下卑た笑みを隠そうともしない。それが悔しくて、どうにもならない状況だというのにルルーシュは睨むようにして男の視線を見返した。そして当然の結果として、その行動は男の怒りにふれたようだ。男はルルーシュを引きずって、未だに幻覚症状から抜け出せていないカレンの母の前へと連れていった。


「生意気な面しやがって…あんまり俺達のことなめてると、てめぇもこういう風なっちまうって分かってんのか?」


 仰向けに放り出されたルルーシュの視線が、カレンの母の姿をしっかりと捉える。まじかで見たその姿は三年前のそれから明らかにやつれた顔つきをしていて、幻覚を相手に言葉を交わしている様はまるで幽鬼のようだ。その姿を前にして何もできない自分が悔しくて、それ以上に、自らの恩人がこんなになるまで追いつめられてしまっていたことが途方もなく悲しくて、ルルーシュは涙が滲むことを耐えることができなかった。男はそんなルルーシュの姿を見て、今にも腹を抱えて笑いだしそうにしているが、そんなことも気にならないほど感情の制御がきかない。


「ほらほら、カレン、いつまでもむくれていないで、ねっ。ナオトもつまらないことで意地を張らないで。大人げないわよ…」


 彼女の口から出てくる子供達の名前。考えるまでもない。彼女の幸せだった過去は、自分の子供たちと貧しいながらも一緒に暮せていた日々だったのだ。今、彼女がどういった環境に置かれているかは分らないが、リフレインに手を出すような状況では、どう考えてもその過去より充実した生活を送れているはずがない。それを思うと殊更悲しみが増してくる。それでも何とか涙が零れることだけは我慢していたのだが、不意打ち気味に彼女の口から発せられた言葉にとうとう我慢の限界を向かえてしまった。


「二人ともそんなことじゃ、ルルーシュ君に笑われるわよ」


 カレンの母が口にしたルルーシュの名。彼女の子供だけではない、全くの赤の他人だった自分まで、彼女の幸せであった時間の中に存在している。


「俺も…、俺も、あなたの中に居場所をもらえているんですね」


 自分にしか聞こえない声でそう言うのと同時に、大粒の涙がルルーシュの頬を伝う。大切だと思えるものなどほとんど持っていなかった自分に、本当の家族のように接してくれた三人の家族。多くの思い出が詰まっているあの日々も今ではもう過去のものなのだ。


 それはいたって自然な、今さら考えるようなことではないと言えるかもしれない。だが、今こういうかたちで見て初めて、ルルーシュは自分の中でそれを実感することができた。それほどに、どん底にいたルルーシュには輝かしい記憶として焼きつき、同時に執着の対象でもあった。


 だからこそ、ルルーシュはそこにあるものを失うことが怖くて、飯田医師の一件以来、意図的にも無意識下でもそのことを考えることを避けてきた。自分にも帰ることのできる場所があると思えることが、ルルーシュにとってそれだけ幸せなことだった。


 だが、現実はどうだ。ゲットーは壊滅し、多くの命が奪われたばかりか、生き残った人々でさえ散り散りになってしまっている。いくら過去を懐かしんだとて、いくらその頃に戻れたらと望んだとて、その手段はこうやって麻薬の手を借りることで幻覚を見ることぐらいしかないではないか。


 そう、いくら切望しても時間をさかのぼることなど出来ない。しかし、今という現実に憤りを感じ、過去に羨望を感じるのならば、たった一つだけ理想に近づくことのできる手段が残っている。今でもない、過去でもない、自分が望む未来を自らの手で作り出していく他ないではないか。


 ついに我慢しきれなくなった男がげらげらと笑い声を上げる中、ルルーシュの中にいつしか消えかけていた反逆の炎が勢いを増していた。




















 午後の授業も全て終わり、帰宅の途につく自宅生でごった返す校門。それなりに社会的ステータスを持つ者達の子供も通っているだけあって、中には大きな車での向かいが来る光景も見受けられる。その生徒達の中に混ざってもなお存在感を主張する紅髪。その髪の持ち主であるカレンもまた自宅から学園に通っている生徒の一人だ。


 アッシュフォード学園には立派な寮も存在しているため、親元を離れて寮生活を送っている者も多い。カレンもあの家から離れられるのならば寮にはいるのもいいか、と考えていたこともあったが、日本に帰ってきてまで、四六時中ブリタニア人ばかりの場所にいるつもりにはなれなかった。自宅にいれば少なくとも自室にこもっている間は自分一人だけになれる。継母などはカレンに家を出ていってほしかったようだが、思い通りになってやることも癪だったというのも入寮を思いとどまった理由の一つだ。


 あまり学校に行く気にはなれない上に、学生生活などブリタニアへの反抗運動のために捨てる気でいたカレンだったので、病弱という設定にしてなるべく登校日数を減らそうと考えていた。しかし、ルルーシュと出会ってからというもの、気づけば学園へと足を運んでいる。皮肉にもクラスまで同じときたものだから意識せずにはいられない。


 かといって正面切って顔を合わせることもなく、まるでお互い何も知らないと言った風に過ごしている。だが、周りはそれを放っておいてくれない。どうも入学式での一件を見ていた生徒達があらぬ想像を巡らせている生徒達がいるらしく、チラチラと様子を窺ってくる視線が絶えることがないのだ。話しかけてくる生徒達も遠慮がちにその話題を持ちだそうとするものだから、そう言う時には病弱を理由に教室を出ていくことにしている。その行動が逆にまた様々な憶測を呼んでいるというのも困りものだが。


 それでもこうして学校に来ているあたり、やはりどこかで期待している自分がいるのかもしれない。昨日、租界で見た事故の光景から鑑みるに、ああいった理不尽な状況を放っておけないところは昔のままであったルルーシュ。しかし、そんな彼がなぜ今の日本が置かれている状況に対して何も行動を起こさないのだろうか。再会した日には母のことを聞かれてつい冷静さを欠いてしまったが、後から考えてみれば何か理由があったのかもしれないとも思える。そうでなければ彼は本当に腑抜けたことになってしまう。それを嫌だと、悲しいと感じている自分。つまりはまだ信じていたいのだ。この三年間、ルルーシュのことだけが心の支えだっとだから、そう簡単には見限りたくない。


 だからもう一度冷静になって話してみてもいいかな、と思い今日は学校に来たのだが、生憎ルルーシュは欠席で一度も教室に姿を現さなかった。正直、未だにルルーシュと顔を突き合わせた時に本当に冷静になれる自信がなかったので、もう一度気持の整理をつける時間をもらえたのだから今日のところは良しとしよう、と自分を納得させてから歩を校門へと進め始めたカレン。そうと決まればさっさと学園から離れて一人になりたかった。悩みは何もルルーシュのことだけではないのだ。ゲットーに皆のこと、これから自分が起こすべき行動、どれもこれも彼女の頭を悩ませるものばかりだ。


 日本に帰ってきてからゲットーには一度だけ足を運んだが、流石に三年も経てばあんな廃墟には誰一人として残っていなかった。今、皆がどこにいて何をしているのか、そもそも無事であるのか、心配は尽きない。


 そして、これからの身の振り方も考えなくてはならない。できることならば今すぐにもブリタニアを破壊してしまいたいが、たかだか一人の、それも武器も何も持っていない高校生がどうにかできるはずもなく、それがたまらなく歯がゆく思える。ナオトの仲間たちが見つかればすぐにでも反抗運動にでるつもりでいたが、これでは何も行動に移せない。


 そんな状況だからこそ、尚更ルルーシュには再び奮い立ってほしい。昔のように自分に夢や希望を見させてくれる存在であってほしい。勝手な話だが、彼がいれば何とかなるのではと思う自分がカレンの中には存在している。


 一人では答えの出せない考察に耽るようにして、とぼとぼと歩いていたカレンがちょうど校門をくぐった時、カレンは不意に名前を呼ばれた気がして立ち止った。一体誰が、と辺りを見回してみると、アッシュフォード学園の制服に身を包んだ生徒達の中に一人だけ私服でいる少女が目に留まる。


「あの、私のこと覚えてる?」


 その少女と目が合うと彼女は困ったように笑った後にそう言った。ブリタニア人とは違う肌の色に、黒い髪の毛、さらにカレンが少し見上げなければならないほどの長身、それでいてどこか自信なさげに見える少女。カレンの記憶の中でそんな特徴を持つ人物は一人しかいない。


「麻倉、なの?…どうしてこんなところに?」










 思わぬところで和美と再会したカレン。和美がカレンに話があると言うので、二人は人通りの少ない場所へと移動した。少しぎこちない笑顔で「久しぶり」と言った和美の言葉から二人の会話は始まる。


「久しぶり…って、そうじゃなくて、どうしてこんなところにいるのか答えてよ。まさか生徒ってわけでもないんでしょ?」


 カレンからしてみれば、あの和美がこんなブリタニア人ばかりのいるところにいる意味がさっぱりわからなかった。だが、問われた方の和美は一度「うん」と言って頷いたきり、もじもじとしてなかなかその理由を話そうとはしない。最初は三年ぶりに出会ったものだからぎこちないところがあるのかとも思っていたカレンだったが、和美の様子からどうも違う理由があるらしいことに、そしてその理由がいった何なのかにも気が付いた。


「麻倉、あんたもしかして“名誉”になったの?」


 その言葉を聞いた途端、和美の体がビクッと小さく震える。そのことが何よりも雄弁に和美が“名誉”、つまり名誉ブリタニア人になってしまったことを物語っていた。


 なるほどと、カレンは思う。ゲットーでも名誉ブリタニア人は裏切り者と捉えられることが多く、“奴隷”だとか“ブリタニアの犬”と揶揄される対象でもある。そうなればもうゲットーのコミュニティーの中では生きていけない。和美のはっきりしない態度はかつて見たそういったことへの恐れが理由なのだろう。


「それで、この学校で働いてるわけだ」


 そのことを理解したカレンの口調は自然と厳しいものへと変わっていく。以前のカレンならいざ知れず、今の彼女にはやはり和美が日本を裏切った、という風にしか見えなかったのだ。シュタットフェルトに引き取られてから見続けてきた、あの母の姿が脳裏をよぎる。


「その、学校っていうか、クラブハウスで家政婦さんと同じようなことを…」

「クラブハウス?」


 和美までもが母と同じようにブリタニア人に傅いて、頭を下げる日々を送っているのかと思うと、もはや腹立たしいというよりも呆れてくる。ただでさえ蔑まれる立場にいながら、なぜ本当に奴隷のような生活を送る道を選ぶのか、カレンには理解できない。


「うん、あの校舎から離れた場所にある建物のこと」


 ああ、と相変わらず俯き加減で言葉を返す和美の答えにぞんざいに答えるカレン。そこでふとある疑問が湧きあがってくる。『家政婦のような』ということは、つまり誰かの面倒を見ているということではなだろうか。寮ではなくあんな所に住んでいる生徒がいるのだろうか。いや、そもそも生徒に限定することもできないか。と考えてはみたものの、特段興味を惹かれる内容でもなかったので、和美に答えを聞いてさっさと疑問を解消してしまおうという結論に達した。


「誰が住んでるの、そのクラブハウスに」


 カレンは何でもないように尋ねた言葉だったのだが、和美は名誉ブリタニア人になったと言い当てられた時のように、身体を震わせすぐには答えようとはしない。また何か隠しておきたいことでもあるのかと、カレンが小さくため息をついたその時、ようやく聞き取れるか、聞き取れないかというほどの小さな声で聞こえた。


「……シュ君」

「えっ?」


 訊き間違いであっただろうかと、もう一度答え催促するカレン。一方の和美は意を決したように顔を上げ、今度は誰が聞いても分かる大きさで言葉を発した。


「私、今はクラブハウスでルルーシュ君のお世話をさせてもらってます。今日は、ルルーシュ君のことで話があって、カレンちゃんを呼びとめたの」





[10962] Stage10.二人 の 夜 (中編-2)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:32


 この三年間、“あの時”にはいつも感じている感覚。夢から覚めるように唐突ではなく、一度まどろみ、それから緩やかに浮上していく意識。だが、彼女にとってそれは正しく夢の終わりを意味しているのだ。過ぎ去った現実。夢の中でさえ容易くは見させてはくれないその時を、一時とはいえ望む時に見せてくれる。そう、“夢の薬”さえあれば。


 それがどれだけの代償を払わなくてはいけないことか、重々承知していたつもりだった。おそらく、いや、きっとこの“夢の薬”を使っている大抵の人はそういうつもりで手を出したのではないだろうか。だが、一度でもこの薬に手を出してしまえば、その中毒性以上に幻覚作用に魅せられ、もはや元の自分には戻れなくなってしまう。それが自分自身に自らの弱さを露呈させることになろうと、どれだけ近い将来の破滅を予見させようと、時間という境界線を取り払ってしまうこの魅力には打ち勝てなかった。


 息子がいて、娘がいて、自分がいて、そして新たに一人の少年が家族として加わったあの頃。夢に見る日々は決まっていつも同じだ。今はもう娘以外の顔を見ることもない自分の家族。息子はどうなったのだろうか、彼は、ルルーシュ君はどうなっただろうか、不安は尽きない。せめて、娘だけでも傍におき、成人するまで、彼女が一人でも生きていけるようになるまではその姿を見届けようとしていたが、その娘にも一番身近にいるのに何もしてやれないどころか、忌み嫌われてしまっている。


 当然と言えば当然の報い。覚悟もしていたし、耐えていけると思っていた。それが、たった一言の甘い囁きによって打ち砕かれたのだ。自分でもなんと意志の弱い人間だろうかと感じているけれども、もはや戻れないところまで来てしまっている。行き場のない不安は夢の中へと置き去られ、自分の身勝手さには自らの崩壊という形で幕が下りだろう。それすらもまた勝手な振る舞いだろうが、今となってはそれを咎める者もいない。ゲットーを娘を連れて出て行った日から、こうなることは決まっていたのかもしれない。自分のような愚か者には相応しい最期となるであろう。


 夢の中から、現実へと引き戻される最中にそんなことを考えながらいたカレンの母。日本に戻ってきて少し感傷的になっているのかもしれない、と徐々にまとまりを取り戻しつつある思考の中で思う。それに伴い目の前に靄のようにかかっていた幻覚も晴れていく。後はいつものように薄暗い空間に放り出されるだけだ。


 そう思っていたというのに彼女は、今回は何かが違うことを感じ取っていた。まず目の前が思っていたよりもさらに暗く、いや、黒く彩られている。それが服の生地であると気付くまでに若干の時間を要し、さらに自分が誰かに抱きしめられているということに気づくまでにさらに数瞬の時間がかかった。


 これは夢の続きなのだろうか。訳が分からずにそっと顔を上げて、一体誰がこんな奇特なことをしているのだろうか確かめようとする母。そして、自分を腕の中に抱いている人物が誰なのかを知ることで、やはり自分は未だ夢から覚めてはいないのだろうと思わざるをえなかった。一年間も家族同然に過ごしていたのだ、成長して背が伸びようが、顔立ちが変わろうが、自分が見間違えるはずはない。


「ル、ルーシュ、君…」


 うまく言葉にならない。なぜこんなところに。なぜこんな状況に。ルルーシュの体から伝わってくる体温が、痛いほどに力の籠められている腕が、これが現実の事象であることを伝えてくるのだが、彼女の頭は混乱するばかりで、それらの情報を処理しきれないでいる。


「はっ、そんなにその女が大事かい?だがな、もう分かってるたぁ思うが、これ以上首を突っ込もうなんざ考えねぇことだな」


 ルルーシュばかりに気を取られていたため、彼女は自分の後ろに人が立っていることに、その声が聞こえてくるまで気付くことができなかった。声色や物言いから鑑みるに、薬を売っている者達の一人だろう。


「警察に垂れ込もうたって無駄だぜ。さっき見ただろ?あのナイトメアポリスをよぉ」


 どすの利いた声でこちらを脅してくる男。自分には覚えがないことからそれがルルーシュに向けられたものであることが分かる。その雰囲気から、理由は分からないが、彼が良くないことに巻き込まれていることも。こんなところにいる時点で真っ当な展開になっていないことは予想できる上に、これからもろくなことがないであろうことにも予想がつくというものだ。いや、もうそんな事態になっているのだろう。彼の腕の中にいるためよくは分からないが、顔にはあざのようなものが見える。


「こっちはお前の名前も、通ってる学校も分かってるんだ。下手なことは考えるなよ、坊ちゃん?」


 さらに増えた男の声。おそらくは売人の仲間だろう。


「その傷も家族には適当にごまかしを入れておくんだな。誰かに悟られるようなへまはするなよ?」


 もはや、どう考えてもルルーシュが彼等に脅されていることは疑うべくもない。だというのに、彼女が心配になって覗き込んだルルーシュの顔は一瞬だけ、相手をせせら笑うように口が弧を描いていた。


「…ええ、大丈夫ですよ。嘘は得意なんです」










「カレンに会いました…。今、同じ学校に通ってるんです、俺達」


 誰もいなくなった倉庫に残された二人。しばらくは無会話らしい会話もなく、青痣のついたルルーシュの頬を一度心配そうにカレンの母が撫でただけであった。それはゲットーで出会った日のような優しさを感じられる光景ではあったが、今の二人の間にはそれ以上の気まずさが流れている。そんな雰囲気の中ようやくルルーシュが発した最初の言葉が上記の物であった。


 だが、“カレン”という名前を聞いた途端、カレンの母はびくっと体を震わせ、顔を俯かしてしまう。そして、弱々しい声で「あの子には…」と言葉にしたきり、顔を上げようともしない。ルルーシュにもその言葉が何を意味するのかは分かっていたし、通常ならばその場の気まずさに口を噤んでしまうであろうが、今はそれ以上に聞いておかなければいけないことがある。


「あいつは頑なにあなたの話題に触れることを嫌っていました。“あんな女なんて言い方までしていました”」


 ここまで言ってもまだ彼女は顔を上げようとはしない。耳をふさぐようなこともせず、淡々とルルーシュの言葉を聞いているようだ。


「何があったか教えてくれませんか?あなたとカレンの間に何が…」

「あの子は何も悪くないの…。全部私のせいだから、そんな風に言われても何かを言える資格なんて、今の私にはないのよ」


 ルルーシュの言葉を遮るようにしてそう言ったカレンの母は、ようやく下げていた頭を上げ、だが眼は伏せたままで、ぽつりぽつりとこの三年の間に起こったことを話し始めた。彼女からすればそれすらも贖罪の一部であったのかもしれないが。















 ルルーシュがクラブハウスに帰ってこられたのは、日付も変わり学園の周りには誰一人としていない時間帯になってからであった。大きな建物なので少々の音を立てても人を起こすことはないだろうが、そこは人間に心理というか、ばれることを嫌うかのようにそっと音をたてないようにして中に入る。


 その時のルルーシュの頭の中を駆け巡っていたのは、カレンの母から聞かされたこれまでのことであった。彼女がカレンを連れて、カレンの生家であるシュタットフェルト家へと赴き、今はそこでカレンはシュタットフェルト家の一人娘として、彼女はメイドとしてその身を置いていること。それがカレンの意思を全く無視しての行動であったこと。その結果としてカレンからは邪険にされていること。そして、精神的に疲弊していた頃、リフレイに手を出してしまったこと。そして、話し終えた後、彼女は頻りにカレンには話さないでいてほしいという言葉を繰り返していた。


 なるほど、確かにその話を聞けばカレンが彼女をあそこまで嫌うことにも、彼女がリフレインなどに手を出してしまったことにも納得がいく。だが、それで終わっていていいはずがない。このままでいいはずがないのだ。


 ルルーシュは自室へと辿り着くと部屋の電気を点けると、クローゼットの奥底に隠すようにして置いていた紙袋を取り出した。その中には大きな箱が一つだけ収められている。それは三年前に扇がルルーシュに渡してくれと言って和美に手渡したものだ。かつて一度だけ封を開けて以来、手にしてはいなかったもの。部屋の電灯に照らされたそれは鈍く光り、手にするとずしっとした重みがある。それを頭の高さまで持ち上げ、体の前へと突出す。ルルーシュが鏡に向かって立つと、そこに映し出された彼の手には銃が握られていた。


 箱の中に銃と一緒に入れられていた手紙には扇の字で、“それはナオトがお前に用にといって用意していたものだ。必要だと感じたときに、お前が使わなくてはいけないと感じたときに使ってほしい”と書かれていた。


「使わなくてはいけない時…」


 今をおいてそれが相応しい時があるだろうか。


「思っているだけでは、何も変えられない…」


 それはかつて自分がカレンに言った言葉。ブリタニアを憎むだけで何もしようとしなかった者達へと向けた言葉。それが今、そっくりそのまま自分の下へと向けられている。結果はどうであれカレンの母は行動を起こした。娘に嫌われることなど覚悟の上で。


「確かに腑抜けていたみたいだな、俺は」


 リスクを背負わないで起こすことのできる行動などない。始めから結果を恐れていて起こすことのできる行動も存在しない。守りたいものも、大切に思っているものも、今こうしている瞬間にも失われつつあるのかもしれない。自分が何もしないでもそれは起こりうる現実なのだから。ならば、自分が取るべき行動はただ一つだけだ。


 人差指に力をこめ、引き金を引くとカチンという音がするだけで、弾は発射されない。以前見たときにマガジンは抜いておいたのでそれは想定の範囲内のことだ。ゆっくりと銃を下し、箱の中に収められているもう一つのものへと手を伸ばした。


 とその時、突如としてルルーシュの部屋の戸を叩く音が聞こえてきた。状況が状況なだけにルルーシュは一瞬えも言えない緊張感に襲われたが、ここにいるのは咲世子か和美だけであったことことに思い当たると、銃と箱を紙袋の中へとしまい、その袋事態ももう一度クローゼットの中へと戻す。


「あっ、お帰りなさいませ」


 そう言って深々と頭を下げたのは案の定、和美であった。もうとっくに仕事時間など終わっているにもかかわらず、今だに黒のワンピースにエプロンといういつもの作業姿のままだ。口調も畏まっている。


「何度かお電話さし上げたのですが、お分かりになりませんでしたか?」


 そう言って小首を傾げた彼女にルルーシュは返答に詰まってしまった。言い訳も考えつかぬまま帰宅したことに、その時になってようやく思い至ったのだ。それほどその時のルルーシュの心の中はこれから自分が為すべきことに向けての思考に支配されていた。とっさにまずいと思い頬の痣を隠そうと手を伸ばしたが、それよりも早く和美の手がルルーシュの頬にふれる。


「怪我が…お怪我をなされているのですか?」

「だ、大丈夫だ。大したことはない。そ、それよりもこんな時間までなぜそんな恰好を?」


 とっさにごまかすにしても随分と馬鹿な事を訊いた、とルルーシュはその言葉を言った後で内心自分を叱責した。


「どうにも無作法で、溜まっていた仕事がありしたので、寝る間も惜しまなくては明日に差し支えますので」


 苦笑いを浮かべながらそう言った和美。そんなものは嘘であることはルルーシュにもすぐに分かる。いつも見ているわけではないが、彼女がそこまで不調法でないことは知っている。三年前ならいざ知らず、今の彼女がそんなへまを起こしはしないだろう。


 待っていてくれたのか。言葉にはしないが、それを察することは難しくない。ルルーシュはただ、それが無性にうれしかった。自分の帰りを待ってくれている存在がいることが、とてもうれしかった。それは忘れかけていた感情の一つ。ゲットーでは当たり前のように得ることができた充足感を感じずにはいられなかった。


「今は聞かないでほしい。この傷のことも、今日何があったのかも。でも、いつか必ずお前にも話すことになると思う。だから、待っていてほしいその時まで」


 その時が来るのはきっと日本をブリタニアの手か解放できた時になるであろう。我が儘な話だが、それまでこれからしようとしていることを知られるわけにもいかない。それに、と考えながらルルーシュは心配そうにしながらも真剣な面持ちでこちらを見ている和美の顔を見た。こうして自分の帰りを待ってくれている場所が、これから訪れるであろう過酷な日々の中で少しでも安らぎとなってくれる場所があってほしい。


「分かりました。今は何も聞きません…でも、お体大切になさって、無茶なことは決してなさらないでくださいね?」


 そんなルルーシュの願いなど知る由もない和美であったが、彼の雰囲気に感じるものはあったようで、釘を刺した上で彼の言葉に従った。ルルーシュは若干の後ろめたさを感じながらも、「ありがとう」と礼を言うと、仕事はもういいから寝るようにと彼女に促す。すると和美はカチューシャを外し、今度は頭を下げずに「おやすみ」と言い自室へと
帰って行った。


「無茶はするな、か…」


 和美の姿が完全に視界から来たことを確かめ、ルルーシュはぽつりと呟く。おそらく、いや、絶対にその彼女の願いを自分は破ることだろう。でなければ成し遂げられない目標があるのだから。だから、せめて彼女の前ではいつもの自分でいられるようにしよう。


 ルルーシュが部屋の扉を閉めるとクラブハウスの廊下は暗闇と静寂に包まれた。それがまさしくルルーシュの予想をはるかに超えた嵐の前の静けさになろうとは、その時は思いもよらなかった。




















「それで、あいつの帰りが遅かったことを私にどうしろって言うの?」


 人気のない校舎と生垣の間にある薄暗い空間。そこで対峙する二人の少女。疑問を口にしたのはアッシュフォード学園の制服に身を包んだ少女、カレンだ。ルルーシュのことで話があると言って声をかけてきた昔の友人、麻倉和美から今彼女がルルーシュのメイドとして働いている経緯を軽く説明された後、和美の話し始めた話題が昨夜のルルーシュの帰宅の時間が遅かったということであった。


「まさか、私が関係してると思ってるの?だとしたら見当違いね。私は何も知らないわ」


 どういった経緯で私が関係しているのではと思ったのだろうか、と思いながらもカレンはそう答えを返した。なんだか言いがかりをつけられているようで、ただでさえ悪かった機嫌は悪化する一方だ。


「それだけなら、何もわざわざカレンちゃんになんか訊きに来ないよ」


 だというのに、和美から返された言葉はどこか挑発的で、カレンが知っている和美とはどこか違う物腰に、カレンは思わず面喰ってしまった。だがそれも一瞬のこと。ならばいったい何が言いたいのか、と目の前の和美に鋭いまなざしを向けるカレン。


「カレンちゃんが、あなたが日本に帰ってきてからずっとルルーシュ君の様子がいつもと違うの」


 そんなカレンの眼差しにも一向に怯むことなく、真っすぐな視線を返す和美。そこには先ほど、カレンとの再会の時に見せたようなもじもじとした様子は全く感じられない。


「私、見てたよ、二人が言い合ってたところ。あの日からルルーシュ君の様子がおかしいの。話しかけても上の空なことが多いし、ずっと難しい顔してる」

「それが私のせいだって言うの?」


 カレンもそのことについてはいささか自覚もあるし、できればどうにかしたいという思いも持ち合わせている。だが、あくまでそれは二人の問題であるし、他人に口出しされることではない。もう自分でどうにかしようとしているのだから、余計なお節介は無用だ、と口にはしないが態度で拒絶を示す。それでも、和美は全くひるむことはなく真正面からカレンの子を見返した。


「そうじゃないよ。でも、無関係とは言わせない。この三年間、ルルーシュ君があんな風に変わることなんてなかった」


 和美からしてみればここ最近のルルーシュの落ち込み様は異常であった。何がどうしてそうなったかは分からないが、転機はまず間違いなくあの日だ。


「そうだとしたら、私にどうしてほしいわけ?」


 カレンにしてみればまるで端から自分が悪いと決めつけられているようで面白くない。自然と口調もますます憮然としたものへと変わっていく。相手が和美であるということがまたカレンの心を逆撫でしているようだ。


「事情は分からないから何とも言えないけど、でも、もう一度きちんと話をしてほしいの」

「大きなお世話よ…」


 後になって思い返してみてもカレンにはあの時、どうして自分があんな言葉を使ったのか、と後悔することになるのだが、その時にとっさに出た言葉はそれであった。和美は信じられないという顔をしてカレンを見返している。


 あんたに言われなくてもこっちはそうするつもりだったと言えれば少しは楽になったかもしれない。けれど、カレンはよく分からない和美への対抗心とが先に立ち、ただそれだけを言うとその場を後にしようとした。


「そんな言い方…ルルーシュ君が心配じゃないの?」


 そんな和美の反応もカレンはかなり冷ややかな目で見てしまっていた。


「そんなに心配ならあんたがどうにかしてやればいいじゃない」


 どう考えてもそれは配慮に欠けた、いつものカレンらしかぬ言葉。ただ、状況とタイミングと目の前の相手の存在がそれを彼女の口から吐き出させてしまったのだ。一度口にしてしまえばそれがどれだけ無遠慮な言葉であったか、カレンにも分かったが、それはもはや後の祭りである。案の定、和美はまるで今まで堪えていたかのような大声でカレンに食ってかかった。


「何も考えずに、何もせずにここにこうして来てると思ってるの?本当はこうしてあなたに訊きに来ることもすごく悔しいよ…!」


 ぎりっと奥歯をかみしめる音が聞こえてくるような形相で和美はカレンへ言葉を返す。


「いつだってそう…ルルーシュ君の一番近くにいたのはあなただった。彼の心を動かすのもあなただった…それが良い時でも、悪い時でも。私はただそれを見てることしかできない」


 和美はカレンが見たこともないほど顔を歪ませて言葉を紡ぐ。その様子にカレンは思わず気圧されるようにして半歩ほど足を引いた。


「なんで私じゃ駄目なんだろ…なんで傍にいる私じゃ力になれないんだろっていつも思ってた」


 それは単なる独白にすぎない、和美の感じていた劣等感にも似た感情が吐き出させた言葉であった。物理的には一番近い距離にいながら、心理的には一番にはなれない。和美の知る限りではその位置を占めていたのはカレンである。


「きっと今回もあなただけしか彼を変えることはできない…。やらないって言うんだったら私に教えてよ、どうやったらあなたみたいになれるのか」


 思いすごしかもしれない。けれど、自分に向けられるルルーシュの感情は、表情は作られたものであったように感じられた、この三年間。和美自身、例え、良くない感情であろうと、辛いことがあるならば、苦しいことがあるならば、自分に見せてほしいと願ってきたし、そういう存在で在れるように努力してきたつもりだ。そうでなければ力になどなれるはずもない。


 そうして自分を隠していることがルルーシュの優しさの一部であることも分かる。だが、それはルルーシュと和美の間に存在する壁を、残酷なまでに和美に悟らせるのだ。ゲットーで見たルルーシュとカレンのような関係には自分はなれないのではないか。三年の間、和美の頭にはそんな疑念が浮かんでは、それを無理矢理打ち消すということを繰り返してきた。そうして鬱積してきた感情が今、和美自身思いもしなかった形で爆発している。


「傍にいるのに何もできない…。それがどれだけ悔しいか、どれだけ辛いか…絶対にあなたには分からないよ!」


 吐き捨てるようにその言葉を残して、和美はその場から走り去って行った。カレンと交差する瞬間、その眼には涙が光っているようにも見えたが、声をかける暇も、それをするつもりもなかった。


「そんなこと言われても、私にも分からないわよ…」


 カレンがやっと呟くことができたのはそんな嘘だけ。彼女は知っている。なぜ、ルルーシュが自分を心理的上位に置いているか。僅かながらも彼の過去を知り、そして、彼の願いを知っている。それが、今の和美とカレンの差であろうことを知っている。


 理不尽な感情をぶつけられたが、初めに引き金を引いてしまったのは人のほうだろうことはカレンも分かってはいる。だから、その言葉はせめてもの強がりだ。醜い感情を抱いているのは何も和美一人ではない。こんな状況にあってまだ、意地を張ろうとする自分に、カレンはえも言えない吐き気を覚えていた。















 その翌日のクラブハウス内にはひどく落ち込んだ様子の和美の姿があった。思い返してみても、穴があれば入りたくなるほど馬鹿な事を言っていたと思う和美。あれではただのヒステリーだ。カレンも当然これまでの間たくさん辛いことはあったはずなのに、ただ自分の都合を押し付けていただけ。私はただ二人に昔のように戻ってほしかっただけなのに。と思い返しては落ち込むことを昨日、カレンと別れて冷静になってみてからというもの散々繰り返している。


 正直に言えば本当に昔のように戻られてもそれはそれで困るのだけれども、それでルルーシュ元気になるのならば、それぐらいの危険は見過ごしてもいいだろうと思っていたのだが、自体はそれどころではない方向へ向かってしまった。全面的に自分のせいであると自分を責めてばかりで、仕事にも力が入らない。


 肝心のルルーシュはといえば、やはりいつもとは違った様子である。ただ、それもここ数日のものとはまた違っていた。相変わらず難しい顔をしていたが、どこか覇気が感じられる姿であった今日のルルーシュ。ますますもってあの日の夜に何があったのかが気にかかる和美。しかし、それ以上に気にかかるのは、本当に自分がしたことが大きなお世話であったかもしれないということだ。それを思うとますます体か力が抜けていく。


 はぁ、と一つため息をついたところで今更何が変わるわけでもないが、その時の和美はそうせずにはいられなかったのだ。気を取り直して中断していた生徒会室の掃除を再開すると、突然後ろから誰かが、がばっと抱きついてきた。そんなことを和美にする人物と言えば一人だけしかいないので、和美は特にうろたえることもなく、自分の腰に回された腕をそっと解く。


「ミレイお嬢様、今は勤務中ですのでこのようなお戯れはお止めください」


 そう言って和美が振り返ると、ひどく残念そうにしているミレイがこちらを見ていた。


「まあまあ、そう固いこと言わずにさ~。私なりに元気づけようとしての行動なわけだし」

「元気づける、ですか?」


 和美が訊き返すと、ミレイはうんうんと何度が頷いてから椅子を引いてそこに座る。そんなに落ち込んだ雰囲気を漂わせていただろうか、と疑問に思っているとミレイはもう一つ椅子を引くとそこを指差し、和美も座るようにと促した。和美は勤務中だからと断ろうとしたのだが、こういう時のミレイの押しの強さは身をもって知っていたので、素直にそれに従った。


「そんなに気の抜けたような態度だったでしょうか?」


 自覚はなかったが、周囲から見れば今日の自分はおかしかったのだろうか、と和美は素直な気持ちをミレイにぶつけてみる。するとミレイはクスッと笑い和美の口元を指差した。


「この部屋の入り口まで聞こえてたわよ。その大きなため息」


 はっとして口に手を当てたが、今更そんなことをしても無駄だ。和美はそっと手を膝の上に戻すと、頬を薄く赤らめた。


「話してみてよ。何かあるんでしょ…悩み事」

「ですが、今は…」


 仕事がと続けようとした和美の言葉は、ミレイによって打ち消される。どうもミレイは今は主人とメイドとしてではなく、ただのミレイと和美として話すことを望んでいるようだ。


「雇用主である私がいいって言ってるんだから…さっ、断片だけでもいいから」


 はたから見ればミレイは楽しんでいるようにも見える。けれど、それは彼女なりの思いやりの一部だ。不思議と不快にはならないように、話しやすいようにと相手に合わせて誘導するように相談に乗ってくれる。これまで和美も何度となくミレイに相談に乗ってもらい、時にはアドヴァイスを受け、時には励ましてもらってきた。ただ、今回はあまりにも醜い感情をミレイの前に曝け出してしまうことに抵抗を覚えたため、事実をかいつまんで話をすることにした和美。


「ミレイさんは嫉妬ってしたことありますか?」

「嫉妬?」


 その言葉が意外だったのかミレイは思わず訊き返していた。普段はおとなしい和美からはなかなか連想できない言葉だったのかもしれない。


「一人の女の子がいて、その子は私にはできないことができるんです。私もその子みたいになりたくて、でもなれなくて。それが悔しくて気がついたらその子にひどいことを言ってしまっていて…」


 和美は自分でも不思議に思うほど饒舌に昨日のことをミレイに話し始めた。ミレイもその雰囲気が重々しいことをいち早く察し、真剣な面持ちで和美の言葉を聞いている。


「本当はそんなことを言うつもりじゃなかったんです…でもただただ悔しくて。自分がこんなに醜い人間だなんて知りませんでした」


 話せば話すほど自分の愚かしさを痛感するようで、和美の頭はだんだんと俯いていく。こうして話していること自体が自己弁論のようで、それがまた愚かであるように感じられる。それでも話してしまうというのはきっと自分の弱さの表れなのだろう、と再び自己嫌悪に陥りそうになった和美は、ミレイから帰ってきた言葉にはっとして顔をあげた。


「私も嫉妬なんてしょっちゅうしてるわよ」


 えっ、と思いがけず漏れた和美の言葉にミレイは穏やかな表情で笑いかける。


「人間なんだから、そのぐらいのことは当然あると思うけど」


 和美の中でミレイという存在は一種の憧れであった。容姿といい、人好きのする性格といい、たまに羽目を外し過ぎるところを除けば理想的な人物といえる存在。それが、ミレイ・アッシュフォードであったのだ。和美にはそんな彼女が自分と同じように愚かで、醜い感情を抱いているということが信じられない。


「確かにそれで相手を傷つけるようなことを言ってはいけないけれど、誰だってそういった感情は抱くものよ」


 ミレイはぎゅっと和美の手を握ると顔を近づけ、その目を覗き込んだ。それだけ、その時のミレイの目には強い意志が宿っていたのであろうか。それだけで和美は自分の内側をのぞかれているかのような錯覚に陥ってしまった。


「その相手の子って噂の紅髪の子?」

「なんで知って…」


 まるで本当に心の中を見透かされたようで、和美の思考は混乱間近まで追いつめられる。しかし、ミレイはまたいつものように意地悪そうに笑うと和美の鼻っ柱をつんと突いた。


「あなたの悩み事なんてルルーシュ関係がほとんどなんだからすぐに分かるわよ」


 ううっ、と言葉に詰まって頬を赤くする和美に、ミレイはもう一度意地悪い笑みを浮かべると自分は席を立って窓を背にして和美のほうを向いた。もうからかう気はないのか、今度は穏やかな微笑みを浮かべながら。


「いいんじゃない。その子にできることがあなたにできなくても。その子と同じように、きっとあなたにしかできないことがたくさんあるわよ」


 「でも…」と反論しようとする和美を静止して、ミレイは言葉を続ける。


「少なくとも、この三年間であなたがルルーシュのためにやってきたことは、彼女にはできなかったことでしょ?」

「でも、それは…」


 それでも、自信なさげに言いよどむ和美に、ミレイはゆっくりと近づき和美の肩に手を置いた。


「私はそうは思わない。あなたがいたからルルーシュが助けられたことって、あなたが思っている以上にあるわ。あなたは、あなたにしかできない方法で彼を助けてあげるといいと思うけど」

「私にしかできない方法…」


 そんなものがあるのだろうか、と


「もちろん、その子には後で謝らなくちゃいけないけど、卑屈になって手を引いたりしたら駄目だからね」


 ミレイはそこでいったん口を閉じると、くるっと後ろを向いて窓のサッシに手をつく。和美にはなぜだか窓から差し込む陽光に照らされたその背中が、いつもの快活で活発なミレイのそれとはまったく別のものに見えた。


「そんなことしたら、絶対に後悔することになるから。あなたはそんな思いしたらだめよ?」


 何かあったのだろうかと和美が声をかけようとすると、ミレイは再び和美のほうへと向き直り、まるで姉が妹に言い聞かせるようにしてそんなことを言ってきた。その姿があまりにもいつものミレイ然としていたので、どうも考えすぎだったようだ、と和美は先ほど感じた違和感を頭の中から捨て去る。


「分かりました。できるかどうか分かりませんけど、探してみます、私にしかできないこと」


 その言葉を聞いたミレイは満足そうに頷いた。本当にそんなものがあるのかどうか、和美は不安ではあったが、負けたくないという思いは未だに強く、何が何でも見つけ出してやろうというつもりで、ぐっとこぶしを握り締めた。


「おっ、やる気になったか。それじゃあお姉さんが景気づけに魔法の一つでもかけてあげましょうか」


 その後の生徒会室内にはミレイの「ガ~ッツ!」という大声と、くすくすと洩れる笑い声が響いていた。





「でも、意外でした。ミレイさんがしょっちゅう誰かに嫉妬してるだなんて」

「意外?」

「だって、ミレイさんは美人だし、気配りも出来て、行動的で、誰かに劣っているようなところなんてどこにも…」


 あらかた話も終わり、和美も仕事に戻ろうと腰を上げた時、ふと疑問に思ったことを口にしてみた。一体誰に、どんなことで嫉妬するというのだろうか。和美から見ればそんな相手など彼女の周りにはいないように思えるのだ。


「そりゃあ私だってあなたと一つしか違わないんだもの。そういう悩みの一つや二つくらい持ってるわよ」


 ミレイにしては珍しく拗ねたような表情でそう言うと、ミレイはおもむろに和美に近づきおでこをつんと突いた。


「どうやらあなたは私のことを勘違いしてるみたいね。別に私なんて完璧でも何でもないのよ。本当の私なんて…臆病なだけなんだから」

「臆病?ミレイさんが、ですか?」


 失礼な話だが和美の頭の中では、いつも大胆不敵で怖いもの知らずと言っても何ら差し支えないほどの行動力を見せる彼女と臆病という言葉が全くイコールでつながらないし、臆病そうに振る舞うミレイの姿など全く想像ができない。


「いつも見えてるものが本当の姿だとは限らない、ってことよ。だれだってどこかで自分を演じてる部分があるんじゃないかしら?まっ、私の場合はほとんどが地だけどね~」


 最後は茶化すように言いながら、ミレイは部屋の出口へと向かっていく。ひらひらと後ろ手に手を振りながら部屋を出て行った彼女の後姿はやはり、いつもとは違って見えた。










「何言ってるんだろ、私…」


 誰もいない廊下にミレイの小さな声が消えるように溶けていく。演じている自分。臆病な部部を隠すために被っている今の“自分”という仮面。思いを気取られるように、けれど離れずにいるために、今を壊さずにいるために演じる自分。そのくせ他の人にはがんばれとエールを送り、臆するなと言う。自分は肝心なところでいつも身を引いているというのに。しかたがないことだから、もう決まっていることだからと理由をつけては逃げ道を作っている。そして、いつも時間切れを待っているのだ。


 何も知らずにいれば、これまでのようにそうして過ごせていたかもしれない。ルルーシュや、和美に出会わなければ今までのように仮面を被ったままでいられたかもしれない。だが、彼女は知ってしまった。彼らと出会うことで、運命に抗う術がこの世界には存在しているのだということを。


“その想いがどうしても譲れないものならば自分で行動を起こすしかありません。少なくとも俺ならそうしますよ”


 あの日にルルーシュから聞いた言葉が彼女の胸の内をかすめていく。


「譲れないもの…」


 口に出してみてもどこからか答えが返ってくるということは決してない。その問いに対する答えは自分で導き出すしかないのだから。はたして“この想い”は自分にとって譲れないものであるだろうか。他の誰かに先を越されても許せるものであろうか。ミレイはいつからか気付き始めていた自らの気持ちに、未だ結論が出せぬままでいた。





[10962] Stage10.二人 の 夜 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:33


 和美が走り去ってからしばらくして、カレンもようやく家路についた。ひどく後味の悪い再会だった上に、自分の幼い馬鹿げた言動にも腹が立つ。少しでも気を抜けば病弱設定にしていることを忘れて、走ってこの場から逃げてしまいたい、という衝動に駆られる。そんな感情をどうにか抑えつけ、苦々しげに歪んだ顔をいつものように儚げなそれへと変えた。


 気分は沈んでいるというのに、体は少しでも早くここから去ろうと急いている。だからといって、帰る場所が帰る場所なだけに、それで気分が優れるかといえばそうではないのだが。それでも、今の自分では結局そこにしか帰り着けない。カレンは顔を俯かせ、小さく自嘲めいた笑い声を上げた後、足を踏み出した。


 それでも考えてしまうのは先ほどのこと。そして、懐かしい人たちとの再会によって呼び起されていく過去の記憶。ルルーシュと出会い、薬を買いに彼と租界に行き、二人で約束を交わし、和美に知らず知らずの内に対抗心を燃やし始めて、その気持ちを自覚した途端に訪れた別れ…。そこまでならばまだ救いがあっただろう。それから先のことは、できるならば思い出すこともしたくない。ブリタニア本国の息の詰まるような学校に通い、何かと突っかかってくる継母と過ごし、そして“母”を失った。だが、それでもナナリーと出会うことができ、友人といってもいいような者達にも出会ったことはまだ救いがあった方だろう。気分は少しも晴れないが。


 ようやく日本に帰って来れただけでなく、ルルーシュや、かつての友人と再会できたというのに、期待していたようなことなど何一つなかった。


 共に立ち上がるものだと信じていた少年はどこか昔とは違っていてしまい、かつての友人は日本人であることをやめていた。名誉ブリタニア人となり、家政婦となる。そんなどこかで見たことのあるような経歴がまたカレンの心を揺さぶった。


“傍にいるのに何もできない…。それがどれだけ悔しいか、どれだけ辛いか…”


 そんな和美の言葉を思い返した時に、ふとカレンの頭の中に母の姿が浮かんできた。その途端にカレンは頭を振ってその姿を打ち消そうとする。


「なんで、あんな女のことなんて…!」


 それは悔しいのは当り前だろう、辛いのは当り前だろう。でも、あの女は私を裏切ったんだ、そう思ってみてもなぜかその日はなかなか母の姿は頭の中から消えてはくれない。


「なんで…」


 なんで、と呟いたカレンの動きが止まる。そう言えば自分はこうして何かにつけて怒りを吐き出しているだけだ。自分の思い通りにいかないことに、自分の気に入らないことに怒り、どうしてこうなってしまったのだろうかということにとんと目を向けてこなかった。ルルーシュのことはなぜと考えることがあったくせに、母のことになるとなぜとは考えてこなかった。無意識のうちに考えることを止めてしまっていたのか、そう思わずにはいられないほど三年もの間、一度もその話題に目を向けていない。いや、初めの頃はしょっちゅうそんなことを考えていたように思う。ではいつからそれを止めてしまったのか。


 始めの頃は母が“日本”を、“日本人”を裏切ったと考えていたはずだ。それがいつから母は“私”を裏切ったなどと考え始めたのだろうか。いや、確かに結果から見れば母は十分にカレンを裏切ったと言える。だが、自分の中でその思いだけが膨らみ続けていったのはなぜだろう。そもそも、彼女があれだけ居心地の悪い家に居続けるのはなぜだろう。


 しばらく考えてみて最初の問いの答えに行きつくことはそう難しくはなかった。要するに私はそれほど母を信じていたのだろうと。そして、いつしか自分のことに関する思いばかりが胸の内を占めるようになり、“日本”はやがて“私”に移り変わっていった。それだけ、カレンは心理的な部分で母に依存していたのだ。


 それは悔しくありながらも、今更変えようもない事実である。そしてこんなことを考えること自体も今更だ。だからこそ自分はこんなにも怒りを覚えているのだから。どうでもいい相手になこうはならなかったであろう。


 では、後者の問いへの答えはどうだろうか。どうして今までこんな基本的なことを考えてこなかったのだろう。いや、眼を背けてきたのだろうか。それほど自分は怒りや憎しみに身を任せていたのか。それほど冷静さを欠いていたのだろうか。それとも自分は既に答えを得ていて、それを否定したくて、遠ざけたくてどこかに置いてきてしまったのか。


 ただ生きていたいから?死にたくないから?もうゲットーでは暮らせないから?どれも理由としては弱い。そんな理由ならば、戦争が終わった時点でシュタットフェルトを頼っていてもおかしくはないのだから。


 お兄ちゃんがいなくなったから?遠慮する必要も、お兄ちゃんのことを気にかける必要が無くなったから?ならばなぜこんな思いをしてまでこの家にいる必要があるというのだ。周りからは偏見と蔑視の眼差しで見られ、いびられ、実の娘には倦厭され、罵倒される。生きていたい、死にたくないという理由が妥当ではないのなら、こんな場所に居続けるのは一体何のためか。


「傍にいるのに…」


 こんな生活、悔しいのは当り前だろう。辛いのなんてなおのこと当然だ。それでも彼女は笑っている。そして口調も、接する態度も何もかも変ってしまった彼女の中に未だに母の姿を見続けている自分も未だにいる。


「傍に…」


 最後にそう言ったきり、カレンはそれ以上考えることを止めた。胸の奥がひどくざわつくのを感じる。それは少し切なくて、けれど、それ以上にどこか怖い感覚であった。















 それからさらに十日ほどが過ぎ、その間カレンは一何となくルルーシュと顔を合わせづらく、一度しか学校には行かずにいた。しかもその日は運良くか、悪くかはともかく、ルルーシュは欠席ということで顔を合わせてはいない。三日ぶりに登校することにした今日もまだ、もやもやとした気持ちはいまだに引きずったままだ。


 しかも、噂に聞いた話ではルルーシュもその期間中はほとんど欠席していたらしい。そのことでまた根も葉もない噂がたっているらしいが、問題はそこではない。帰りが遅く、顔にあざまで作って帰ってきた翌日から休みが立て込む、というのは裏に何かあるということを如実に物語っている。


 和美に言われたからという訳ではないが、カレンもここまでくるとさすがに心配の度合いが違ってくる。本音を言えば、もっと早く会いに行くべきだと思っていたが、今日こそは例えルルーシュが休みであろうと、クラブハウスに押し掛けてでも話をするつもりでいた。


 何を話せばいいのかは分からない。謝るつもりもないし、謝罪を期待してもいない。ただ、一つ聞きたいことは未だにその胸に戦う意思が宿っているかどうか。


 心配というものとは少し違うが、気になることがもう一つ。ここ最近の母の様子がどこか今までと違うように感じられることだ。今までは嫌だと言っても何かと理由をつけてはカレンの傍にいたというのに、ここ数日の間はカレンの顔を見るとどこかそわそわとして、あまりカレンの周りに寄ってこない。ある意味ではいつも以上にカレンのことを気にかけているようにも見えるが、その仕方が異常である。まるで何かに脅えているようにも見えるその仕草。


 寄ってくる間は煙たがっていたが、寄ってこなくなればそれはそれで気になる。どこまでも私の心をかき乱すのね、と身も蓋もない悪態を心の中でついてはみるものの、どこか釈然としない。腹が立つからといって手を上げた覚えはないし、何の前触れもなく突然に、彼女に何かしらの心境的変化があったとは考えにくい。


 だとすればそんな行動に出るのは何故か。シュタットフェルト家の内の誰かがかかわっているという可能性は低いだろう。三年もの間、周囲からの罵詈雑言、嫌がらせを受け続けてきた女が、今更何かをされた程度で態度を急変させることはないはずだ。だとすれば、原因は外部に存在することになる。日本に帰ってきて日が浅い内に起きた彼女の変化。安易には結び付けられないかもしれないが、タイミングから考えれば関連事項があると考えてもいいだろう。


 昔の知り合いとでも会ったのか。いや、そんな理由であの態度に出るのはおかしい。ならば、人に言えないようなことにでも手を出して…。


 カレンがそこまで思考を巡らせると、いきなり自分を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げるとそこにいたのは同じクラスの女子達。久しぶりと言いながら話しかけてくる彼女たちを、カレンは若干うとましく感じながらも返事を返す。それと同時に、なぜか自分がひどく残念がっていることに気づいた。


 会えば話をしようと考えていただけだというのに、自分は一体何を期待しているのだろう。彼から話しかけてくることでも望んでいるというのか。それとも決心はついたと思っていても、自分にはまだ彼に話しかけることにそれほどの緊張感を抱いているというのか。そう思う度にカレンの脳裏に和美の顔がよぎる。


 誰も見ていなければ歯ぎしりでもしていたかもしれない。そう思うほどに気分が逆立ってくる。あんなことがなければもっとスムーズに、もっと自然にできていただろうに。それが自分の弱さをごまかしていることだとは分かっていたが、あまりにもタイミング的にも、感情的にもうまくいかないものだから、何か理由を見つけてそうでもしていなければ、こんな友達ごっこなどやっていられない。


 周囲に集まっている女子達の間からルルーシュの席を窺ってみるが、そこに彼の姿はない。まだ来ていないだけなのか、それとも今日も欠席なのだろうか。次第に自己の思考に埋没しそうになるカレン。


 その視線と仕草を何か勘違いしたらしい女子達はニヤニヤとしながらカレンを見ている。カレンもそれに気が付いていたが、そんなものにいちいちかまっていたら、本当に学生生活などやっていけない。それこそ苛立ちの余り問題行動でも起こしかねないだろう。


 それ以上、平静のまま教室にいられる自信のなかったカレンは、椅子を引くとカバンを持って立ち上がった。


「ごめんなさい。やっぱりまだ気分がすぐれないから、今日は帰らせてもらうわ」

「えっ?でもまだHRも始まってないよ?」


 「こんなところにいつまでもいられるか!」という言葉を飲み込み、儚く柔和な笑顔を浮かべるともう一度、ごめんなさいと言い残して教室から出て行く。後に残された女子達は互いに顔を見合わせたり、肩をすくめたりするだけで後をおうようなことは誰もしなかった。










 制服で街中をうろつくわけにもいかず、真っ直ぐに家に帰ってきたが、家に帰っても特にすることがあるわけでもなく、ただ暇をもてあそぶことしかできない。カレンはそんな自分がたまらなく無力に感じられて、ここのところたまり続けていた鬱憤が余計に募っていく。


 何かあったのかと訊きにくるメイドたちを、気分が悪いから部屋で休む、と言い追い返す。その中にはもちろんカレンの母の姿もあったが、いつものようなしつこさはなくすんなりと引きさがって行った。それがまたカレンの注意を引くのだが、意地でも気にしないようにしたいのかカレンは自室へと入っていく。


 起きていてはまた何か考え出してしまいそうだったので、いっそのこと寝てしまおうかとベッドに身を沈めるカレン。最近夜になるといろいろと考え込んでしまうせいなのか、十分な睡眠時間をとっているとは言い難い。いつもならば体を動かすことでそういったもやもやとした気持ちを晴らすのだが、その日に限ってはすんなりと眠ることができそうだったので、眠気に逆らうことなく身を任せた。










 彼女が目を覚ました時には日も暮れた、と言うよりも深夜といっても何の差し支えもない時間になっていた。時計を見て若干の驚きを感じつつ、ゆっくりと体を伸ばしてベッドから起き上がる。寝起きでしっかりとしない頭を起こすために、夜風にでも当たろうかとベランダへと足を進めた。


 カーテンを開け、錠を開け、ベランダへと出ていくと、ちょうど心地よい風が頬を撫で、髪をなびかせていく。カレンはもう一度大きく体を伸ばすと、手すりに手をかけもっと風に当たろうと少しだけ身を乗り出した。


 すると裏庭の方から何か物音がすることに気がついた。誰かが裏門を開けようとしているのか、ギィという金属の擦り合う音がしている。誰かが忍び込もうとしているのかとも思ったが、屋敷の外に立っている外灯に照らされた門扉から人が出ていく姿が見えた。こんな時間に一体誰が、とさらに身を乗り出し目を凝らしてみれば、その姿、いや身につけている服でそれが誰なのかに思い至ることができる。


「こんな時間に租界に?」


 ただでさえイレブンに厳しい街に、それも時間的にたちの悪い連中も徘徊するようなこんな時にどこに行こうというのか。後を追ってみようかと考えて一瞬動きが止まるカレン。追ってどうするというのだろうか。そもそも私には関係のないことではないか。という考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。意地でも気にしないようにしようとも思ったが、最近彼女の様子がおかしい理由が分かるかもしれない、それが分かったら今度こそ彼女を気にかけることはやめよう、と釈然とはしないながらも彼女の後をつけてみることに決めた。





 夜の街をぬけ、人通りの少ない路地を通り、たどり着いた先はどこかくたびれた感のある人気のない倉庫街であった。周囲には錆びたコンテナが積まれていて、今は使われていないことが分かる。カレンは彼女を見失わないように細心の注意を払いながら、コンテナとコンテナの間にできた隙間から彼女を視線で追いかけた。


 すると彼女はやがてある倉庫の前で立ち止まると、その倉庫の前に立っていた男と一言、二言、言葉を交わしてから一緒に中へと入って行った。表に誰もいなくなった今なら中に入れるかと思い、カレンもその倉庫へと近づいていく。だが、入口まであと少しというところで倉庫の中から一人の男が出てきてしまい、中へ入ることはできなくなったしまった。思わず漏れ出そうになる舌打ちを抑えつけると、どうにかして中の様子を窺えないものかと辺りを窺っていると、いつの間にか男の前にもう一人誰かが立っているのが目についた。


 その男の顔に視線を上げた瞬間、カレンは漏れ出そうになる驚愕の声をどうにか抑え込んだ。なぜこんな時間にこんな租界のはずれに。そんな思いがカレンの中を駆け巡る。なぜなら、そこにいたのは誰あろう、ルルーシュであったのだから。


 驚いたのは倉庫から出てきた男の方も同じようで、眼を見開いて私服姿のルルーシュを見ている。しかし、それも一瞬のことですぐに笑みを浮かべるとルルーシュに近寄り、それが確かにルルーシュであると確信するとさらに笑みを深めた。


「なんだい、坊ちゃん、また来たのかい、え?」


 “また”ということは、当然以前にもここに来たことがある言う訳で。この中には先ほど見たようにカレンの母もいる。となれば、二人はすでに再開していたといことだろうか。もしやそれがここ最近母の様子がおかしかった理由に関係あるのだろうか。カレンがそんなことを考えている間もルルーシュと男の話は続く。


「今度は一体何が目的だ?答えによっちゃぁ…」


 男は腰のあたりから何かを手に取るとそれをルルーシュの額に突きつけた。それが何であるかを理解すると、カレンの頭の中から母とルルーシュの間に中があったのではという考えは消えうせてしまう。


「こんどこそ命はねぇぞ」


 驚愕の余り動くことのできなくなってしまったカレンとは違い、ルルーシュは銃を額に当てられても慌てふためく様子はない。それどころか薄く笑みを浮かべ、男の視線を真っ向から受け止めた。


「今日は客としてきたんですよ。お金だってほら」


 ルルーシュが片手に下げていたアタッシュケースを男の視界に入るように掲げてみせる。“命はない”だとか、“客”だとかいったい何の話をしているのかカレンにはさっぱり理解できないが、ここが相当危険な場所であることは理解できる。銃を持った男に、客や金といったきな臭さを感じさせる単語。そして人気の少ないくたびれた倉庫街という場所。まるで映画かドラマの中のようにできすぎている状況。映像の中でこんなものが流れようものならば、今どきそんなべたなと思ってしまうほどに。しかし、いざ現実として目の前でそんな光景が繰り広げられてみれば、それはやはり馬鹿にしたものではないのかもしれないと思えてくる。


「信じてもらえませんか?俺にだって忘れたい過去なんていくらでもありますよ。例えば、この間あなたにされたことだとか」


 ルルーシュらしい皮肉交じりの言葉。男は一瞬眉を吊り上げたが、すぐに表情を崩して銃を下した。


「それなら話は別だ。金があるならいくらでも売ってやるよ。ただし、一見さんは後払いがここの決まりなんでね」


 男はいったんそこで言葉を切ると、何かを取り出そうと銃をしまうと腰から下げていたベルトポーチに手をかけた。それを好機と見たか、今度は一転してルルーシュの方が忍ばせていた銃を男に突きつける。それを見た男が慌てて自分の銃を握りなおそうとするが、ルルーシュが制止をかけた。


「動くな!お前も武器を扱うなら分かるだろう、これが本物かどうかぐらい」

「さ、さあな、最近のモデルガンは良くできているからな…」


 じりじりと倉庫の内部の方へと男のからだが後退していく。強がっているのか、本物かどうか判断しかねているのか、男の口調ははっきりとしない。


「そうか…ならば、お前の体で試してみるのもいいな」


 そう言葉を綴るルルーシュはやはり緊張しているのだろう、笑顔がひきつっている。その表情からまさか偽物なのか、とカレンがハラハラとしながら様子を窺っている間にも、ルルーシュの中指の位置がゆっくりと、だが確実に変わっていく。ルルーシュと男の視線が交わり、さらに緊張感が増した。


「五つ数えるうちにゆっくりと後ろを向くんだ。でなければ本当に撃つ」


 膠着しかけた空気を動かすために唐突に告げられた最終警告。男は悔しそうに歯を食いしばった後で、指示通りにゆっくりと後ろを向いた。するとルルーシュは持っていたアタッシュケースを地面に置くと、空いた手で誰かを呼ぶようなしぐさをしてみせる。仲間がいるのかとカレンが目を凝らしてみると、暗闇から一人、誰かがこちらに駆けてくるのが見えた。


「俺が牽制しておくので、武器を奪って、腕を縛って口には猿ぐつわを」

「分かった」


 “分かった”たったそれだけの言葉だけで、ただでさえ上がっていたカレンの心拍数がさらに跳ね上がる。それは昔、ゲットーで何度も聞いてきた者の声だったからだ。よく見れば後ろから来ていたのは一人だけではなく、数人の武装した人間が来ていた。それら全てがカレンのよく知る人物ばかり。


 吉田、南、井上、杉山、さらには玉城の姿までがそこには見える。他にもナオトと懇意にしていた人の姿がちらほらと。これだけそろっていて扇さんはいないのだろうか、と混乱しているにしては意外と働いているカレンの思考もそれ以上のことには考えが向かない。何の前置きもなくあまりに唐突に展開されていく光景は、もはやカレンの理解の限界を超えていた。


 やがて、男の拘束が終わると皆は散り散りにそこの周囲へと展開していき、そしてルルーシュはなぜかフルフェイスのヘルメットを被り男を前に立たせて倉庫の中へと入って行った。唖然としながらそれを見ていたカレンは、意を決すると自らも倉庫の中へと入って行く。果たしてここで何が行われているのか。ルルーシュはみんなと一緒になって何をしようとしているのか。自分の目で確かめずにはいられないから。


 そうして足を踏み入れた先で見たものを、カレンは生涯決して忘れることがなかった。いや、忘れることができなかった。















次回予告

 カレンの前で繰り広げられる壮絶な光景

 銃を持ち目の前に立つゲットーで見知った面々と、仮面を剥いだルルーシュ、そして母の姿

 カレンのあずかり知らぬところで一体何が起こっていたのだろうか

 その日を境に少年と少女を取り巻く世界が大きく変わり始める

 例えそれが上辺だけのものであろうとも


Next Stage.仮面舞踏会



[10962] Stage11.仮面舞踏会 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/12 23:38

「異常はないんだな?よし、それじゃあ、機体をかがめて、そう、そのまま真っ直ぐだ」


 日も落ち始め、夜の暗がりが支配しつつあるゲットーの一角。大きなトレーラーの荷台に、体を折って鉄の巨人が乗り上げていく。荷台がその重量のために一気に沈み込んだ。


「ストップ、止まれ!」


 制止の声が聞こえてくるまでゆっくりと進んでいた巨体が合図とともに動きを止め、機体後部の乗降口が開く。スライドして外部へ飛び出る形となった操縦席。そこから特徴的な髪形をした男が荷台の床へと飛び降りた。


「武装も全て積み込んだな?よし、予定通りこのトレーラーは租界を大きく迂回して目的地へ向かう。他は地下道を伝い一番近い場所から出て、ルルーシュと合流後もう一度作戦概要を確認するんだ」


 まるでその男が降りてくることを待っていたかのように、荷台後方へ集まっていた十数人の男女から上がる「おお!」という威勢の良い返事。皆一様に硬い面持ちをしており、声色からもその心情を窺うことができる。


「各自装備を再確認してから出発だ。合流後、直ちに作戦行動にでる!」


 もう一度上がる大きな掛け声。それはゲットーの荒廃した建造物の間に吸い込まれていき、わずかな残響を残してかき消えていく。だが、その場にいた全員の心の内の決意までが鈍ることはない。この寒く暗い時代に立ち上がろうと息巻いている人間が集まっているのだ。既に数度の小競り合い程度ならこなしてきた経験のある者もいるくらいだ、これから戦地へ赴くというと段階になって怖気づくことはない。


 だからといって、不安がないわけではない。特に今トレーラーの荷台に積んだKMF、グラスゴーの慣熟が思うように進まなかったことは誤算であった。もう少し準備期間が欲しかったが贅沢は言っていられない。今回の機会を逃せば次はいつチャンスが訪れるのか分からないのだから。


 そうやって高ぶる自分の気持ちを落ち着かせると、KMFから降りてきた男が、全員が装備確認を終えたことを確認し再び口を開く。


「三年の間、皆よく耐えてくれた。今までの細々とした小金稼ぎとは違う、今日これから俺達はようやく本格的に行動に移ることになる」


 皆思うことがあるのだろう、こぶしを握る者や、さらに目が鋭くなっていく者など様々なところで表に気持ちがにじみだしている。


「相手は政府組織ではなく、ただの麻薬販売を行っている小さな組織にすぎない。これに勝ったからと言って、日本の開放へ向かう歩みは微々たるものにすぎないだろう」


 男達の間で先だって問題は解決済みとはいえ、男は半ば祈るような気持ちで言葉を綴っていく。この作戦を決行するにあたって最大の懸念材料は、ターゲットのことが原因で皆がばらばらになってしまうことだった。反ブリタニア政府組織。そう言ってしまえば大それたものに聞こえるが、今はとてもそんな大業なものではないこの組織。それでも、元はナオトの呼びかけから始まった自分達だから、ここから始まることは過去に踏ん切りをつけるいい機会だろう。第一、この程度の規模の相手にてこずっているようでは話にならない。


「それでもやってくれると言ってくれた皆に改めて感謝したい。後は計画通りにことを進めるだけだ」


 男がもう一度全員の顔を見回す。興奮しているからか、不安からかは分からないが、何かを忘れている気がしてならなかったが、装備も、KMFも、何度も点検したのだから大丈夫だ、と自分を納得させた。


「よし!皆、行こ…」


「なぁ扇、荷台に積む動作なんだけどよ、マニュアルじゃあオートで出来るって書いてあるぜ」


 扇と呼ばれた先ほどまで全員を鼓舞していた男の檄を遮り、遅れてきた男が分厚いマニュアルに目を通しながら現れた。当然、一斉に皆の眼がその男に向けられ、非難がましい視線が集まっていく。集団の真ん中にたどり着くまでマニュアルから目を離さなかった男もそこまでたどり着くと、ようやく自分に向けられる視線に気がついたのかマニュアルから顔を上げ、あたりをきょろきょろと不思議そうに見まわした。視線には気がついても、なぜ自分に注目が集まっているのかまでは分かっていないようだ。


「玉城、お前はもう少し…いや、言うだけ無駄か。変に変わられてもそれはそれで困りそうだ」


 先ほどの「おお!」という返事と同じように、いやそれ以上に寸分の狂いもなく全員の口から漏れ出る「はぁ…」という溜息。扇は肩の力が抜けたと思えばいい、とその場の空気に見切りをつけ、改めて出撃のための声を張り上げた。そこでようやく自分があやうく置いて行かれるかもしれない、ということに気づいた玉城は大急ぎで自分の装備を整え始める。


 こんなことで本当に大丈夫だろうか。危うく忘れかけていた、本当は忘れたかっただけかもしれないが、そんなもう一つの不安要素に心を揺さぶられながら、荒れた道を進むトレーラーの助手席で揺られる扇の体。何はともあれ作戦決行は今更揺るぎはしない。扇は自分の両頬を力いっぱい、パンと叩いて気合いを入れ直すと、助手席から見える風景に目を移す。痛みに微かににじませた涙の向こうに見えたものは夕日に照らされ、赤く、燃えるように赤く染め上げられたゲットーの風景。


「ナオト、今度はやってみせる、今度こそ…。これが始まりになるんだ。これで、こんなところで終りになってしまわないように、どこからでもいい、祈っててくれ」


 僅かに開け放たれた窓から外へ扇はそんな言葉を口にした。運転している仲間はそれが聞こえていたのか一層表情を引き締め、ハンドルを切る。トレーラーはちょうど車の通りの少ない場所から、ゲットーの外、かつては故郷であったはずの敵地へと出て行くところであった。










CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage11.仮面舞踏会










 一歩ずつ歩を進める度に砂利がすれ合う音が聞こえる。扇をはじめとする面々がゲットーから目的地へ向け出発した時間からさかのぼること十日、早朝から扇はシンジュクゲットー壊滅前に元々活動拠点として使う予定でいた場所へと来ていた。といってもそこにあるものは、すでに廃墟と化していてとても活動拠点としては機能しそうにない廃屋だ。


 拠点を移してからというもの、特に何もない日は夕暮れ時になるとそこに必ず足を運ぶようにしている。あの時の悲しみ、悔しさ、怒り、苦悩、それら全てを忘れないため。そしてある人物がここを訪れるのを待つために。


 昔は何らからの施設の地下部分であったのだが、今では地上部分はそのほとんどが崩れ落ち、肝心の地下も一部崩壊してしまっている。そのため、中に入るには地下部分とつながっている地下道を通っていくしかない。本来ならばそんな危険な場所には近寄らない方が身のためだ。しかし、“待ってる”と言った手前、そこに足を運ばなくてはならない。


 その待ち人と会える日が訪れるのはいつになるか分からないし、今その人が何をしているのか、どこにいるのかも分からない。それでも信じたいという気持が強いのは甘いことなのだろうか。


 はぁ、と一度ため息を吐く。今を憂い、未来を作りたいと願っていながらも、自分達が見ているのはいつになっても過去ばかりだ。それも以前は戦争前の状況を思い浮かべていたものだが、今思い起こされるのは廃墟と化したゲットーでの生活がほとんどだ。なんだかんだといっても、多大な苦心と労力を要して送ってきた数年間の方が、これといった不自由もなく過ごしてきた十年を超える日々よりも思い返されるのは、当然と言えば当然なのだろうが、そもそも根本から記憶を思い起こすといった行為が持つ意味合いそのものが扇の中で変わってきているのだ。


 シンジュクゲットーで過ごしていた頃には過去のことを懐かしんでいた。それなりの楽しさの中で夢を追いかけていられた、そしてなによりさしたる苦労もなく過ごしていられた時間。世間に戦争の影が忍び寄ってきていた時でさえも、どこか漠然とこれからもこんな日々が続いていくのだろうな、と感じていた。今となってはどこまでも馬鹿らしい考え方であったと思わざるを得ない。


 そして次第にそうした過去への郷愁は薄れてゆき、シンジュクゲットーが焼け落ちた後では、本当の意味で自分の力で生きていくこととなった、もちろん自分“ひとり”の力ではないが、時間と共にそういった過去を悔むようになっていった。戦争が始まる前に、ゲットーがなくなる前に何かできることがあったはずではないのかと。


 実際にはそんなものは本当に些細なことしかできなかったであろう。だがいろいろとこれからという時期であった三年前は特に悔しかった。何もできなかったことが悔しくてしかたがなかった。


 三年前に自問したように、未だ彼の中で真に倒すべき存在が何であるのか、という問いに対する明確な答えは出ていない。それでも、この国にブリタニアがとどまり続ける限り、今の状況は変わらないのだ。もちろんブリタニアを日本から追い出すことは現状の最大目的だが。今日も午後からグループのメンバーによる方針決定会議が行われる予定になっている。つい最近になって手に入れたあるものの使い方を巡って意見が多少メンバー間で割れているのだ。


 近頃のゲットー、市民系レジスタンスをめぐる環境は数年前では考えられないほど変化しつつある。扇達のグループも、散っていった者もいるし、新たに加わった者もいてその姿はやはり数年前とは異なる。しかし、皆の日本に対する思いだけは変わらない。


「変わらないのは、この風景も同じか……」

「それなら、こんなサプライズはどうですか?」


 返事が返ってくるはずもない独り言が、まるでハンマーで殴られたような衝撃をもって扇にかえってくる。声がした方向は彼の後方。レジスタンス生活で身に付いた防衛本能が危険を告げる。一気に跳ね上がった心音のスピードを無視して、扇は相手の出方を窺う。とはいえ、声から分かる情報は相手が男、それも年はとっていないだろうということぐらい。


 わずかな沈黙の後、砂利道を歩くような音が扇の耳に聞こえてきた。相手が近づいてきているのを背中越しに感じる。足音は一つ。だが一人とは限らない。どうするべきか。悩んでいる間にも足音は着実に近づいてくる。


 覚悟をきめて振り返ることを決めた扇に思ってもみなかった好機が訪れた。男が背中越しに武器とおもわれる形状のものを押し付けてきたのだ。先端が尖ってはいないので刃物ではない。恐らくはハンドガンか鈍器。


「ゆっくりとこちらを向くんだ」


 聞こえてきた声の感じでは距離はほんの一歩か、あっても一歩半ていど。鈍器にしては短い。先端が細いので一撃の威力はそこまでではないだろう。その一撃でのされることはよほど当たり所が悪くなければなさそうだ。よしんば相手の持っているものが銃であったとしても、普通はここまで近づいてきたりはしない。腕に自信がないか、使い慣れていない、いずれにしても実戦経験の極端に乏しい相手だ。武器を必要以上に近づければ払われやすくなるのは明白。扇は自分の銃をいつでも取り出せるように心構えをしてから、一気に背中を相手の武器の先端に押し付けて反転する。


 案の定、武器らしき物の先端は扇の背中から外れ、自分が完全に優位に立っていると確信していたのだろう、男は扇の動きへの対処が遅れ逆に無防備な自分の側面をさらしてしまった。


 形成は一気に逆転する。男の横腹に肩から思いっきり突っ込んだ扇は、男が床に叩きつけられる様を確認しながら懐から拳銃を抜き、相手に向かって構えた。予測した通り、吹き飛ばされた男のわずか先に銃が転がっているのが見える。それに油断せずに周囲を目だけを動かして男の見方がいないことを確認する扇。うめき声を上げながら顔を上げた男は、現状を把握したようで観念したといわんばかりに両手を頭の上にあげる。


「ブリタニア人がわざわざこんな廃墟まで何の用だ!?」


 男は帽子を深めに被っていて、顔全体を見ることはできないが肌の色から判断するに彼はブリタニア人だ。ゲットー周辺を軍事オタクのブリタニア人がうろついていることはたまにあるが、ここまで深いところまで入ってくることはない。何かそれ以上の目的があってのことではないか。それにしては訓練された軍人のようではないし…。すぐ引き金を引いて終わらせてしまうこともできたが、この疑問を解決しない限りそれは得策ではない。声と見かけから判断するに男はまだずいぶんと若そうで、扇の性格上ためらいが生れずにはいられなかったが、いざとなれば……。


「……あなたを探しに」

「……は?」


 扇の覚悟とは裏腹に、二流の恋愛ドラマにでもでてきそうなセリフ。それを言うことができるのはただ一人、扇の前に両膝をつき両手を上げている男だけだ。面喰った扇とは対照的に、男はクスッと笑い声を洩らすと片方の手を下ろして帽子を脱ぐ。


 そこから現れたのは黒い髪の毛と端正な顔立ちの少年の顔。同年代の少女ならば大抵のものは振り向いてしまうような顔をしているが、扇が目を奪われたのは少年の瞳の色であった。それはいつか見た、わずかな間だったが自分の教え子に一人であった少年と同じ紫。そういえば、先ほどこの少年の手から離れていった拳銃も今自分が手にしているものと同じもんではなかったか。驚きに口を開く前に、件の少年が立ち上がる。


「お久しぶりです、扇さん。お忘れで……」

「本当にお前なの……か?」


 少年の言葉を継ぐようにして口にした質問は彼のどこか遠慮がちな笑顔によって返答がもたらされた。


「本当に……ははっ。こんなに大きくなりやがって」


 扇が少年に近寄って懐かしむようにその肩に触れる。彼が少年と別れたのはちょうど子供達が成長期を迎えようかという頃であったため、今の背が伸びた彼の姿には感慨深いものがあった。


「ここまで来るのは大変じゃなかったか?」


 ぐっとこみあげてくる感情をどうにか抑えつけて扇が少年に問う。


「こんなに分かりやすいメモ書きをもらっていたんで、すぐに見つけられましたよ」


 少年が上着のポケットから取り出した小さな紙切れ。それはかつて扇が人づてに少年へと渡した、無い悪知恵を絞ってこの場所を示す暗号を書き綴ったもの。それを「こんなに分かりやすい」と言われてしまってはかつての教師役としては立つ瀬がなかったが、この少し生意気なところも昔のやり取りを今また再現しているようで全く不快にはならない。それどころか、余計に扇の心は満たされていくのだ。


「あー、なんていえばいいのか言葉に困るが……とりあえずは、な」


 そう言うと扇が手を前に差し出す。


「おかえり、ルルーシュ」


 数年ぶりにその名を扇から呼ばれた少年が扇の差し出した手をしっかりと握り返して、こう言った。


「……ただいま」















「まさか…KMFグラスゴー。どうやって、こんな……」


 久しぶりの再会から数時間後、二人がいるのは現在扇達が拠点として使っている場所。たどり着くまでの間、二人は別離以来互いにあった出来事を話し合いながら歩いていたが、その拠点にたどり着くなりルルーシュが目を奪われたのは、トレーラーの横に縮こまるようにして身をかがめているKMFだった。こうして見ると動きまわっている時がウソのように小さく感じられる。


「あの日から得た、有るものも、無いものも、俺達の持てるほとんど全てのものをこいつにつぎ込んだ」


 そう言った扇の横顔は昔とは違う、どこか哀愁が漂っているようで、その苦労のほどがうかがい知れるものであった。


「それにしても、専用の武装まで手に入れられるほどの大金を良く工面できましたね」


 体をかがめ倉庫内に納まっているグラスゴーの足元には、とても人一人が抱えられるとは思えない大きな銃が置かれている。銃口数十ミリメートルはあると思われ、人が食らえばばらばらに吹き飛ばされるに違いない。よく見ればマガジンらしきものまで置いてあり、さらにルルーシュを驚かせた。


「本当ならここまで手が回るはずはなかったんだが、シンジュクゲットーの事件以来事情がいろいろ変わってきてな」


 三年前のシンジュクゲットー壊滅による影響は、何もそこに住む人間たちにばかり及ぼされたものではなかった。最初にそのあおりを受けたのは旧日本市民系の反政府グループだ。潜伏場所がばれれば即ゲットー壊滅につながることへの恐怖心が募り、組織の上部にはブリタニア何するものぞ、という気概があるにはあったが、下部構成員たちは尻すぼみになり思うように行動ができずにいた。


 戦後数年が経っても反政府運動がなかなか衰えない理由として、早期の戦争終結により戦力の損耗が少なくて済んだことがよく挙げられるが、実はそれはあまり重要な点ではない。終戦間もない頃は確かにそれも要因の一つであったが、現在は政府高官達による画策が働いているところに最も大きな要因があると言っていい。軍事物資の横流しによって大金を得ている高官達の稼ぎを途絶えさせないため、あえてテロ組織を徹底的に叩くことはせず、余力を残して反攻の意思を失わせないようにしてきた。つまり租界に対するテロ行為は政府高官の懐を温め続けるために、ある程度見逃されてきたということだ。


 だが、何も対抗措置を取らないというわけにもいかず、本国や監査機関の目をごまかすためにも時には積極的に打って出なければならない。その格好の的であったのが旧市民系の組織だ。彼等は軽火器を多く取り扱ってくれるお得意様でもあり、それなりに資金の潤沢なグループであればKMFにまで手を出してくれる。とはいえ規模としては小さく、こちらの被害も相手に与える心理的重圧も少なくて済むため、間引きとプロパガンダの餌食とされてきた。


 普通の政府組織、機構を持っていればすぐにでもそのような不正は裁かれそうなものだが、彼等にとって幸運だったことはエリア11の総督がクロヴィスであったことである。意欲だけはあっても、政治に深い造詣があるわけでもなく、兄や姉といった他の皇族達のように人を率いることに関して圧倒的なカリスマがあるわけでもないクロヴィス。雑多な報告であろうとそれに疑問を投げかけることはほとんどなく、彼のやりたいことさえやらせておけば、後は好きにできると形が徐々にできあがっていってしまう。


 こうして形成されていった武器売買ルートと、エリア11高官達による反政府組織の操作。そこにひびを入れた事件がシンジュクゲットー壊滅であった。彼等を間に介さず、ベルトゥーチが直接クロヴィスに出撃許可をとったことにより、事前にそれを阻止することができなかったのである。そして、それによる小規模反抗組織の不活性化は彼等の懐に少なからぬ打撃を与えることとなった。


 小規模組織の行動が下火になるにつれ、口減らしの対象を旧日本軍系の大規模組織に絞らざるをえない状況へ現状は移行する。そうなれば当然双方の被害は大きくなり、独自の物資補給ルートを持つ大規模組織が相手ではなかなか懐を温めることもかなわない。それどころか、いたずらに大規模組織を叩いてしまっては彼等の開拓した市場が壊滅しかねない。さらに万が一、敗北を喫するようなことがあれば本国の政治家、軍人達が黙ってはいないだろう。


 そこで、彼等が考えついた結論は至極単純なものであった。小規模組織へ流通させている武器の量を意図的に増やし、再びその行動を活性化させようとしたのだ。具体的にしたことと言えば、兵器売値の下方修正と、これまであまり表には出そうとしてこなかったKMFを取引材料として使うこと。


 これまで軽火器中心で組まれていた旧市民系グループにも、KMFという強力な兵器を手にすることのできるチャンスが巡ってきた。それが自分達を対象に撒かれた餌だと気づかぬ者も、気づいた者も幾度となく目の当たりにしてきた恐怖の対象が自分たちのものになるかもしれない、という魅力には打ち勝てなかったのだろう、手を上げるところがぽつぽつと現れ始めたのだ。


 さすがに狡猾な高官達は、自分達が不利になるようなことはないように流通量をコントロールしながらも、活発的にKMFの横流しを始める。そして、それが関東一円の勢力図を徐々に変えつつある、とさすがにベルトゥーチ云々の話は彼等まで伝わってはいないが分かっている範囲で扇は語ってみせた。


「日本解放戦線みたいな大きなところでもかなりまいっているらしくてな、最近は活発的な行動を避けているようなんだ。逆に俺たちみたいな小さいところが、ナイトメアを手に入れられているように力をつけつつある。といっても上限もたかが知れているし、奴等の思い通りになっているだけだがな……」


 さも悔しそうに最後の言葉を発し、扇はグラスゴーの方へと歩いて行き、ルルーシュもそのあとに続く。


「それでも何かできなるんじゃないかと思ってしまうあたり、やっぱり俺達は相当こいつ等に悪夢を見せられていたみたいだ」


 扇の手がグラスゴーを撫でる。思い出されるのは二度の大きな戦火。実際に目にした機会は少ないが、その少ない場面、場面で体験した恐怖はとてつもなく大きかった。ナオトのいなくなった組織をなんとかまとめ上げ、資金を貯め、時には人には言えないような仕事にも手を染め、ようやく手に入れた力。


 だが、とルルーシュは思う。確かにナイトメアは強力だ。その機動性と凡庸性は今や戦争の方法を変えたとも言える。しかし、どんな強力な兵器だろうが、その力がいかんなく発揮されるのは十分な支援が得られる場合に限られる。


 日本の反政府組織の行動がうまく機能しないのは、この支援の差があまりにも違いすぎるからだ。唯一の救いは日本の地形に山野が多いこと。主戦場が旧市街地や山野であれば、長距離攻撃、航空兵器による支援はある程度は軽減できる。ただ、それでも特に航空兵器の差はいかんともし難い。その差からくる空間把握、情報収集能力の顕著な違いを前提に、さらに物量、補給能力といった点をも考慮に入れて戦わなくてはならない。


 ここまで考えると、よく今でもこれだけ活発に反政府運動が行われているものだと思わざるを得ない。そうなると確かに租界の高官達は狡猾に戦場を操作している。生かさず殺さず、限界まで搾り取る。ゲットー再建が進み扇達のようなグループが行き場を失えば、そこで名実ともにこの世界の表舞台から消え失せるであろう“日本”という存在。ルルーシュには国そのものへの思いは他の者達にはるかに劣っているが、これ以上ブリタニアの専横を許すわけにはいかないという気持ちは遜色ない。ここまでの条件がそろっていればやり方次第では、時間はかかるだろうが、今まで以上に大規模な犯行も可能になるってくるグループも出てくることだろう。


 しかし、どこか現状をうのみにはできない、漠然とした疑念をルルーシュはこの時に抱いていた。話がうまくいきすぎているというか、筋は通るかもしれないが、保身的な高官達がそこまでのリスクを負うほどの利益があるのだろうか。実情は扇の話の通りになっている。だが全てに納得してしまうことは危険ではないか。


「どうした?」


 自己に埋没していたルルーシュがはっとして声のした方を振り向くと、扇が気遣うように顔を覗き込んできた。


「緊張しているのか?大丈夫だ、皆お前のことを歓迎するさ」


 ルルーシュの異変をそう解釈した扇が背中をバンと音がするほどの強さで叩く。予想していなかった上に、思いのほか強い力で叩かれたので二、三歩よろめいたところで何とか踏みとどまり恨めしそうな顔で扇を見返す。扇は悪いと謝るように手を上げた。その顔には苦笑が浮かんでいる。そんな表情では相手も安心できないですよ、と思いながらも以前と変わらぬ不器用な性格に、ルルーシュもまた苦笑する。


「信頼していますよ……」


 信用ではなく信頼という言葉を選んだルルーシュに、今度は本物の笑顔になった扇。実際には数年の時間であるが、遠い昔に失ってしまったものを再び見ることができた気がしたルルーシュはすっと先ほど頭の中に浮かんだ疑問を拭い去った。その時の彼にとってその程度でしかなかった疑念。それよりも何よりも今の彼には皆に認めてもらわなければならないという試練が待っている。正確に言えば“皆”ではなく“一人”かもしれないが。


 来い、という風に手招きをして背を向けた扇の後をついてルルーシュも歩き始めた。ルルーシュの視線の先には扇と、そのもう少し先に見える錆びついた鉄扉。いかにも開閉が面倒そうなその扉は彼のこれからを暗示しているようで、ルルーシュの足取りも本人でも気がつかないほどに重さを増していた。


 これから彼はこのグループの仲間として受け入れられるかどうか、かつての仲間の、少なくとも彼は仲間だと思っていた者達の待つ部屋へと入っていく。自らの手で運命の歯車を動かし始めるために。















「あいつはここに来ないでどこほっつき歩いてんのよ!よりによってこの忙しい時期にいないなんて信じられない!」

「そうは言っても今日はあいつの持ち回りじゃ……」

「そこ、無駄口叩かず手を動かす!」


 午後のクラブハウス内、生徒会室でミレイは荒れていた。原因は単純明快、今は来週に迫った新入生歓迎の催し物の細部を考え、その準備に追われる時期に位置するというのに、役員の一人であるルルーシュが今はここにいない。補足すると、高等部でも生徒会長に就任したミレイは、経験があるという理由から中等部から上がってきた元生徒会役員を高等部でも自分の手元に置いている。そして、今は新歓イベントの詰め作業に追われる日々が続いているのだ。とはいえ、メンバーもそれぞれ事情があって全員で作業に取り掛かれる日はわりと少ない。平等性を考え最近は作業日をそれぞれに割り当て、たまたまこの日はルルーシュの休養日であった。


 そのルルーシュなのだがどうも最近はどこかおかしい。いつもすました余裕顔をしているのは変わらないが、逆に余裕があり過ぎるように感じられる。リヴァルもそう感じているようで、入学式以来どこか沈みがちであったためそのぶり返しかもしれないとは彼の弁。沈みがちと言ってもそれを見分けられる人間は少ないが。確かに、その時期にルルーシュが抱えていた問題が解決しただけならそれは全くかまわない。だが、彼の素性がそれを容易には許してはくれなのだ。


 あまり目につくような問題行動が起こるようならミレイの父や母が動いてくる。元皇太子、それも死んだはずの皇子を手元に置いているのだからその行動に過敏になるのは仕方がない。それもアッシュフォード家再興の鍵を握るかもしれない人物ともなれば尚更だ。


 当初はかなり監視カメラや盗聴器を用いるなど厳重な監視体制が取られるはずであったのだが、ミレイが事前になんとかそれを止めさせた。咲世子にもルルーシュを監視するように上から指示があったようだが、それも彼女から知らせてきてくれたので程度を大幅に縮小させることで事なきを得たのだ。


 無論それはミレイのルルーシュ、ひいては和美への変わらぬ信頼があってこそ。


 それなのに本人の行動のせいで下手に疑われてしまったのでは、それらがすべて水の泡になってしまうではないか。彼のあずかり知らぬところでのこととはいえ、ミレイとしては、彼には自重してもらわなくては困るのだ。でなければ本当に人間性など無視した監視体制が敷かれかねない。心配のしすぎかとも思えてくるがことがことだ。常に油断は許されない。それは彼も分かっているだろうから、最後のしっぽをつかむところまでは簡単にはさせてくれないだろうが。


 そんな苛立ちが表にもにじみ出てきているのだろう、珍しくリヴァルやニーナが怯えた様子でミレイをちらちらと盗み見ている。その様子に気が付いたミレイは、こんな時こそ会長たる自分がしっかりせねば、と静かに気合を入れ直し作業に戻ろうとした。


 その時、生徒会室の扉が開き咲世子と和美がティーセットを乗せたカートを押してきた姿がミレイの目に飛び込んできた。それを見たミレイは音もなく立ち上がると、いつものようにニーナに気をつかい、扉の一番近くに座っていたリヴァルに申し訳なさそうにカートを預けると、部屋を出ようとしていた和美の後を追って廊下へと足を進める。


 ミレイの気遣いから和美はお家のごたごたには係わらせないようにしていたため、たまに相談相手になるとき以外には、彼女が知っているルルーシュ関連の情報はミレイの下には自然に入ってくることはない。そのため咲世子が把握していないことでも、彼女ならば何か知っているのではないかと考えての行動だ。


 ミレイは彼女に追いつくとぽんと肩と腰に手を置いたかと思えば、お代官様のお戯れよろしく、もし和美が遊女であれば何回転かしてしまいそうな勢いで和美の体を半回転させた。和美の方は何の言葉もなくいきなり辱め、もとい理不尽な扱いを受けたため全く状況が飲み込めておらず、困惑した顔でミレイに向かって「あの…」と問いかけることが精一杯。後はおとなしくされるがままであった。



 鳩が豆鉄砲を食らったようなとはよく言ったもので、和美の顔はまさにそれであった。目は点になり、せわしなく瞬きを繰り返す。ちょっと気の毒なことをしたかなと思いつつも、ミレイはそうも言っていられないと本題を切り出すことにした。


「最近のルルーシュのことでちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」

「は、はぁ…」


 ここまでしておいて今更断りを入れるのかとは口が裂けても言えない。


「あの紅髪の子と噂が立ってからしばらく沈んでじゃない?」

「……まあ、そういう見方もできますね」


 微妙に言葉を濁したが、和美もまた彼の調子が乱れていたことを感じ取っていたということだろう。ミレイは次の質問で核心を突こうかと口を開きかけた。だが、それは和美が先手を切ったことで不可能となる。


「でもここ数日はすっかり元のルルーシュ様にお戻りになられたようですし、あまりお気にとめることもないのではないですか?」


 「すっかり元の」ということは、和美は今のルルーシュにさして違和感を覚えていないのか。一番彼と付き合いが長いだけあって、最もルルーシュの感情の機微に敏感なのは和美である。その和美がそう言っているということは自分の思いすごしだったのだろうか。


「あっ、す、すみません、話の腰を折ってしまいましたね?あの、それでそのことで私に何かご質問がおありですか?」


 ミレイがすぐに返答しなかったためか和美が慌てた様子でおろおろとし始める。どうもこれ以上訊いても新しい情報は手に入りそうもないし、本当に何も無かったのかもしれない。


「う~ん、どうも最近忙しいから無理させすぎて逆に平気な振りしてるのかもとか思ったんだけど、大丈夫みたいね」

「はい、私も大丈夫だと思いますよ」


 そう言うと和美はミレイの背後に回ると、最近の疲れを労うように肩をもむ。


「お嬢様こそお疲れではないですか?まずはご自愛していただかなくては。皆様の下に戻られて、ご一緒にお茶でもなされば少しは気も紛れるかもしれませんから」


 そうね、と返答するとミレイはどこか釈然としない気持ちを引きずりつつも生徒会室へと帰って行った。去り際にありがとうと、と言葉をかけ手を振りつつ去っていくミレイを見えなくなるまで見送ると、和美は一人佇みポツンと自分以外には決して聞こえないような大きさで一言発する。


「ホントの原因なんて私にだって……」


 和美は一瞬思いつめた表情をした後で、ぱんと両頬を叩くと今度は鼻息荒く仕事に戻って行った。





[10962] Stage11.仮面舞踏会 (中編-1)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/23 20:53


 ざわめきの静まった部屋の中には見知った顔ばかり。各々思うところがあるのだろう、新参者を見つめる瞳から読み取れる感情は異なる。この空間内でたった一人のブリタニア人である少年を改めて見極めようとしている。


「……ルルーシュ」


 誰かがぽつりと呟く声が聞こえた。呼びかけではなく、はっその少年が誰であるか気づいたわけでもない。感情が言葉をなさずに漏れ出たように呟いた本人以外には何の意味もなさないはずの言葉。そのはずなのにルルーシュは落ち着かない気持ちにとらわれてしまう。何せ自分は一度拒絶された身なのだから。ある種のトラウマ体験となっているあの出来事は今なお脳裏に焼き付いて離れない。その記憶をあえて呼び覚ますように目を閉じると、ふぅと一度小さく深呼吸すると一歩前に出る。まだ心の整理は完璧にできたわけではない。それでもいつまでもこのままではいられないのだ。意を決して目を開け、もう一度だけ全員の顔を見ると、意外なことに柔らかな表情がそこにはあった。


 数人が席を立ってルルーシュの方に寄ってくると、思わず身構えてしまったルルーシュにかまうことなく「大きくなったなぁ」だとか、「久しぶり」だとか言いながらしげしげと彼の顔を覗き込んでくる。懐かしむようでもあり、驚くようでもあり、けれどそこにあったのは拒絶ではなくいずれもかつての彼等が示してくれた優しさそのものだった。井上などは少し涙ぐんでいるようでもある。


 想定外の出来事にすっかり虚を突かれたルルーシュはどうしていいのかわからず、これはどうしたことかと扇を仰ぎ見た。


「お前が出て行った日から皆知っていたことさ。いつか戻ってくる、戻ってきた時は今度こそちゃんと迎えてやろうって」


 思いがけない歓迎を受け拍子ぬけしてしまい本当は心の底から喜ばしいことなのだけれど、ルルーシュは素直にそれを態度で示すことはできなかった。それでもほっとできたことは精神的にずいぶんと楽になれた。例え一人だけ険しい目つきでこちらを見つめている者がいようとも。


「ナオトがいれば、本当に喜んだだろうな」


 ふと誰かが漏らしたナオトという名前。それを聞いた途端、思いがけず得られた安堵感は緊張感へと上書きされる。今日ここに来た理由は二つ。もう一度彼等に受け入れてもらうこと。そしてもう一つは紅月家の二人のことを伝え助力を願い出ること。当然二つとも達成できればそれに越したことはない。しかし、優先度でいえば前者よりも後者の方が高い。二人が生きていたことだけでもまずは伝えなくては、とルルーシュはこの部屋に入って初めてまともに口を開いた。願わくば自分に示してくれた以上の優しさを彼女たちにも示してくれるよう。


「あの、実は……」










 ルルーシュの話にその場が一喜一憂する。二人が生きていたことをまるで自分のことのように喜び、娘の気持ちを悲しみ憂い、母の変貌に悲痛さが滲む。彼等にとってあの親子は知人、友人を越えた家族に近い存在だった。当然といえば当然のその反応。だがそれがルルーシュには嬉しかった。自分が受け入れられた瞬間よりもずっと。その時になってようやく本当の意味で帰ってきたのだなと感じることができたほどに。


「まずはクスリのことだけでもどうにかしないとな……」

「最近のこういう連中の行動は目に余る。こう思うように動くこともできない状況が続けばこの中からもクスリに走るやつが出てくるかもしれん。どうにかしないといけないのは俺達にとってもそうだな」

「だったらどうするっていうんだ?いったいどれだけの密売人が租界にいることやら……」

「今はそんな話よりもまず二人の心配をしなさいよ!」


 皆が思い思いに口を開き話が過熱していくなか、いつもなら真っ先に騒ぎ立てるはずの男、玉城が未だに一言も口にしていない。じっとルルーシュをねめつけ視線を外そうとはしない。そんな男がようやく口を開いたのはルルーシュと何度か目があってからのことだった。


「……てめぇはそれを俺達に伝えてどうしてほしいんだよ」


 彼の見た目や普段の行動からは想像しがたいほど落ち着いた声色。だが、視線だけは相変わらず鋭くルルーシュを見つめている。皆が議論に夢中でいるなか、彼の行動に気が付いているのは本人たちだけだ。


「ただ伝えにきたわけじゃねぇだろ?……どうしてほしいんだよ?何がしたくてこんなところまで来たんだよ?……答えろよ」


 二度目の問いかけと同時に玉城が席を立ちルルーシュの目の前に立った。その時になってようやく他の者も玉城の行動に気がつくが、間に入る前にすでに二人の間の距離は一歩あるかないか程度に縮まっていた。


「………」


 言葉なく顔を合わせる二人。今までとは異なる緊張感が漂い始める。周りの人間は玉城が今にも手を出すのではないかという心配が絶えない。手はズボンのポケットに入れたままだが、目は離せない。何せ彼には前科があるのだから。


 はらはらと見守るだけで誰も動かずにいたなか、先に動いたのは少年だった。それも意外なかたち、皆がまさかと思うようなかたちで。


「なんのまねだよ、そりゃ」


 玉城の眼前には深々と頭を下げた少年が一人。玉城から見えるのは彼の後頭部と背中だけだ。


「あんたが俺を良く思ってないのは知ってる。疑っているままでいるのも仕方がないかもしない。まだ、殴り足りないなら気が済むまで殴ってくれてもいい。ただ、一つだけ俺の願いを聞いてほしい。あの二人を……」


 そこでいったん息をのむ。目を閉じ三人の顔を思い浮かべる。母とナナリー以外の人間に、それも生まれた国から遠く離れた地でこんなにも心を許せる者達と出会えた。友達ができただけでも驚きだったのに家族と言っても差支えないような人にまで出会うことができるなんて、ここに追いやった連中も思いもしなかったはずだ。今はもう三人から二人になってしまった。前の時には何一つすることができないどころかその場にいることさえできなかった。次は指をくわえたまま見過ごしてしまう訳にはいかない。例え何があろうとも彼女たちは救いたい。


「あの二人を助けたい!だから、皆の力を貸してほしい!……一人じゃだめなんだよ。だからってこのままになんてしておけない。だから……」

「覚悟はできてんだろうな?ここに来て、これから俺達と一緒に行動するってことは、いつ死んでもおかしくないんだぜ。それとも俺達にまかせてお前は手ぇださねぇつもりか?」


 玉城の声色が低く挑みかかるような口調へと変わる。ルルーシュは下げていた頭を勢いよく上げると再び玉城と視線を交えた。しばらくの間固まったように二人とも動こうとしない。見守る周囲の視線も玉城と同様にルルーシュへと集まっていく。彼の視線は鋭く力強い。ゲットーに来た頃とは違う、成長した姿と思い。それを見るだけでルルーシュが何を考えているかわかると言っても言い過ぎではないだろう。


 声もなく皆が見つめていた光景が変わる。玉城がポケットに突っ込んだままだった手を引き抜きと勢いよくルルーシュの肩を突き飛ばした。あわてて数人が駆け寄ろうとするが、ルルーシュは数歩ほどよろけて、しかし倒れることなく踏みとどまる。勢いの割には力のこもっていなかった一撃。そのルルーシュの姿を見ると玉城はちっと舌打ちをしてルルーシュに背を向けた。


「てめぇを信じたわけじゃねぇ、頼まれたからでもねぇ……ただ世話になった人をむざむざ見捨てるようなことはしたくねぇ、それだけだ」


 一度も振り向くことなく部屋の出口の前に立つとそのまま取っ手に手をかける。


「そんな風に頼まれなくってもな、やってやるさ、徹底的になぁ!」


 いつもの彼のように吐き捨てた言葉を残し、玉城は乱暴に扉を開けてそのまま閉めることなく出て行ってしまった。部屋の中に残された皆が顔を見合せて、誰かが苦笑をもらすと一斉に緊張感が解ける。


「あいつはあいつなりにお前のことを気にしてたんだよ。最後があんなことになってしまったからな」


 玉城が出て行った扉を一人だけまだじっと見ていたルルーシュの肩に手を置いて扇が彼に話しかける。ルルーシュからしてみれば玉城が自分のことなど気にかけていたなど信じられるはずもない。


「あいつは隠そうとしてるけど、あの後自分なりにいろいろと考えて、まあまだお前を信じてるってい言うよりナオトを信じてるって感じだけど」


 “ナオトが信じていたから、信頼はしないが証拠もなしに疑うことは止めておく”。いなくなってしまった後も、会うことができなくなってしまってからも、俺はあの人に助けられているのか。それだけ彼等の中でナオトの存在が大きかったことと、ルルーシュ自身が今はまだまったくと言っていいほど無力であることを示すその事実。もちろんありがたいと思う気持ちの方が強いがふがいなさも残る。だがここで焦ってしまうことはないのだ。まずは一歩ずつ仲間として溶け込んでいくしかない。


「徹底的にって、どうするつもりかしら?あの調子じゃその組織ごと潰してやるつもりみたいだけど」


 玉城の残したセリフに反応して、話はどうやってカレンの母をクスリの誘惑から引き離すかに焦点が絞られていく。カレンと母の関係よりもまずは彼女自身をどうにかしなければそれどころではなくなってしまう。


「そこまでやる必要はないかもしれないが、やってみる価値はあるんじゃないか。グラスゴーを手に入れたからっていきなり軍隊相手じゃこっちも荷が重いぜ」

「予行演習……にしては危険すぎる気もするが」

「いつまでもそうはいってられないだろう。いずれ軍を相手にする時はもっと危険なわけだしな」

「やるとしたら問題はどこまでやるかだな。警察はともかく、他の連中はただ殺してしまったら本物のテロリストになってしまう」

「そんなに穏便にはいかないと思うけどな…」


 誰もが彼女のためだけでなく、ブリタニア人の横暴を憎むがゆえに気持ちはやってやりたいという方へ傾いてはいる。だがこちらもチームとして動いている以上個々人の感情で動くわけにはいかない。反政府組織として行動していくにはそれなりの大義が必要である。それを守るためには彼等はあくまでレジスタンスでなくてはならない。無差別な破壊と殺人を繰り返すテロリストではなく。何をやっても租界ではその行動をテロイズムと報じるだろうが、自分達のなかにある信念を違えることがなければいい。


 非合理的に聞こえる話だが小さな組織になればなるほどこうした意識が必要となってくる。連帯感を強め、行動に一貫線をもたせるには最も単純で最も効果的な手段であるからだ。組織として大きくなればなるほど分業も進み、外部からの経済的かつ政治的干渉、戦闘以外で求められるものなどもあるため誰もかれもが常に行動を共にするわけでもないのでそこまで徹底させる必要がない、というよりさせることが難しい。ただ逆にこうした組織では大きなところでもそれを行おうとして内部、それも上層部がまとまらない場合も多いのだが。


「どこまでやるかは抜きにしてだ、皆やる気はあるってことでいいのか?いいならその線で話を進めたいんだが……」


 扇の問いに異論をはさむ者はいない。扇は一度頷くと今度はこう言った。


「誰か玉城を連れ戻してきてくれ」


 聞こえは悪いがこの展開はルルーシュが思い描いていた通りの展開。いや、実際にははるかにうまく話が進もうとしている。ルルーシュは今一度ゲットーで知り合った皆の顔を見渡し、心の中で腰を深々と折り頭を下げた。















 決定が下ってからの行動は早かった。まず彼等は敵の情報を得るために動き出す。といっても直接動くのは彼らではない。租界、もしくはその周辺で軍人筋、政府筋と関係をもつ者たち、それも肉体的に関係のある者達の協力を得る必要がある。


 公にはならない情報でさえ取引される租界の暗部。そこで暗躍しているのが政庁の役人が出入りする高級クラブから、ゲットー周辺の未だに治安が悪い復興地区で警官などの相手をしているわけありの安宿までいたるところにいるイレブンの女性だ。そうした場所で働く女性たちは大抵無理やり連れて行かれ非人道的な扱いを受けていたり、クスリや度重なるレイプによって精神的ダメージによって廃人同然になってしまっている者もいるが、中には政治的、経済的情報を客からうまく引き出してそれを売っている女性たちも存在する。


 酒の席、享楽の場で手にしたとは思えぬほど内情に精通した情報もあり、買い手も扇達のようなレジスタンスに限らず、企業間抗争にも利用されることさえも。それもまた詳細を手にするための手段の一つではあるが。組織している大本も政治家であったり、あるいは企業や反政府組織と手をとり情報を横流しにする場合もあり、非常に重宝されている。


 そうした女性たちのネットワークは強力で、特に租界の中心部から離れていくほど互いが強く結び付いている。そうしなければ生きていけないという状況もそこにはあるが、ある意味最前線で敵と接している彼女たちは誰よりも覚悟を決めて反政府組織に協力をしている。失敗は常に死と同義。だからこそ相手の懐にギリギリまで踏み込んでいくことが可能だし、どんな辱めにも耐えることもできる。


 扇グループもまた彼女らに援助をしてもらっている。小金稼ぎの仕事を斡旋してもらったり、租界の現状を彼女らの知る限りで教授してもらうなどしてきた。ただ、今回は特定の組織の行動予定を追ってもらうのでいくらか時間がかかるだろうと踏んでいた。その間にグラスゴーの慣熟を済ませ万全を期してことに臨む、それが彼等の描いた理想だった。


 だが、机上の計画の通りにことが進まないのが現実だ。依頼からわずかに三日後、魅惑の間者たちは予定よりもはるかに早く目標のしっぽをつかむことに成功してくれた。いや、この場合は成功してしまったというべきか。


 標的の規模は十七人。大本に政庁の高官がついており警察、役人共に多少は顔が利くが庇護下にあるわけではなく、傀儡の傀儡ともいえる小間使い、使い捨ての小さな組織だ。ナイトメアポリスが一台のみ警察より使わされているが、支援というよりも監査の意味合いの方が強く、たいした連携はとれないだろう。そして肝心の次の集会はちょうど一週間後。


 いったいどんなことをすればここまで詳細な情報を手に入れることができるのだろうか。どうにもそれが分からないルルーシュは扇に問うてみたが、「あー、何というか、女には聞いてはならないことがあってだな……」とお茶を濁した答えが返ってくるだけ。ただ、今回に限っては相手が麻薬組織ということで、彼女たちも奮起してくれたらしいということは教えてくれた。そういった輩は彼女らの店でも平気でクスリを使ったり、無理やり使わせたりといった行為を繰り返すため嫌悪の対象であるらしい。ルルーシュは首をひねりながらも一応納得してみせた。どだい彼が女の謎について考えてみたとしても答えが得られるはずもないのだ。


 話を本筋に戻そう。武器、情報はすでに手の中にある。あとはそれらを加味した作戦が必要だ。見張りを盾に内部へ侵入するところまではすんなり話もまとまったが、それからどうすべきか、というところで会議はなかなかまとまりをみせなかった。ある者はグラスゴーがあるのだから正面切ってでも戦えると主張し、またある者は倉庫ごと破壊してしまえだとか、自爆も辞さないなどとあらぬ方へ余りある意欲をむき出しにしている。


 後の二つの意見は守るべき日本人たちまで巻き添えにしかねないという理由からも即刻ボツ。ならば正攻法で攻めるのかといえば、訓練を積んでいる警察のナイトメアポリス相手に未だグラスゴーに不慣れな自分達で倒すことができるのかという反論にこちらもかき消されていった。


 万全を期するための必要十分条件は相手を一か所に集め、かつナイトメアポリスを危なげなく無力化すること。ルルーシュが見た敵の感じでは最初の条件はほぼ満たすことができそうだが問題はやはり後者をどう片付けるかだ。不意を突くにしてもどうやって、そんな議論が堂々巡りを繰り返す。時間がない分グラスゴーの慣熟を進めなくてはならないので議論にばかりかまけていられない。


「ルルーシュは?あんまりしゃべってないけど、何かない?」


 焦りが逆に沈黙を誘い始めた頃、井上がルルーシュを指して意見を述べるよう促した。立場上ルルーシュが自発的に発言することは難しく、かといってリーダーである扇が新参者を気にかけ過ぎてしまえば組織の分裂を招きかねない。そこで扇は事前に副長的な位置にある南と、女性陣を取りまとめている井上に代わりにルルーシュを気にかけてくれるように頼んでおいたのだ。議論が行き詰った今なら彼が発言する隙もあろうということで井上が半ば思いやりで、半ばやけくそ気味に気を利かせ扇との約束を守った。


「……まずは俺が一人で侵入するのはどうでしょう?」


 だからそんな言葉で始まったルルーシュの提案などは最初から期待してはいなかった。他の者もそうだったのだろう、皆少なからず表情を変えた。


「うまくいけばこちらに損害なくナイトメアポリスを無力化できるはずです」


 誰もが頭をひねって導き出そうとしている答えを自分は持っている。そう言いきった少年を様々な表情が見つめる。純粋に興味を示す者よりもやはり疑わしげに見つめる視線の方が多かったが彼には、ただ一人敵を見たことのある人間としてうまくいくという自信があった。















「……話は分かった。正直今まで出た案よりも良くできていると思う。だが、そううまくいくものか?」

「重要なことは相手に考える時間を与えないこと。いの一番に相手にこちらがウソをついていないと思わせることができれば不可能ではないでしょう」

「その重要な役をお前にまかせてもいいのか?」

「重要である分、最も危険な役でもあります。この話を持ちかけたのが俺である以上誰かに任せるわけにはいきませんよ。それに連中と直に会ったことがあるのは俺だけですし、敵の内数人の性格もわずかながら把握できています」

「……そこまで言うんだ、覚悟はできてるんだろうな?」

「……何があってもそれだけは信じてもらいたい」


 議論は続いていたが多くの者がこの案でいくことになるだろうと確信していた。扇もまたその内の一人。内容もさることながら、ルルーシュの話し方とでもいうべきか、プレゼンテーションの能力にたけている印象を強く受ける。出会った頃はどこかとげとげしさが抜けない少年だったが、徐々に付き合いを重ねていくうちに小生意気なところはあっても、とげはなくなっていった。今はその経験が生かされているのだろう、理詰めで話を進めながらも嫌味がない。質問は出るが異論、反論はなかなかでてこない。気が付いた時には彼の話に引き込まれている感覚だ。どこかドラマ仕立てでまだまだと感じる部分もあるが、いずれ経験を積めばこの場にいる誰よりも作戦立案能力に長けた人材になれるかもしれない。


「誰か他に言いたいことのある者は?いないのなら今の案を基本に話を詰めていきたい」


 扇が問うが誰も異論を唱える者はいない。ほっと胸をなでおろしたルルーシュを見て扇も苦笑を洩らしたがすぐに気を引き締める。


「決定だな。南と井上はルルーシュと細かい個所を詰めておいてくれ。他は必要な装置の用意と装備の点検。足りないものがあれば俺か南に言ってくれ。それとルルーシュ…」


 扇の目がルルーシュのそれを捉える。言葉の通り覚悟は決めてきていることがうかがえる、強い意志が感じ取れる。だがそれだけでは足りない。まだ彼には集団で戦いという経験に乏しい。それをこれから徹底的に肌身で感じ取ってもらわなくては。


「危険だから、自分が言い出したから自分でやると言ったが、あんまり俺達をなめないでほしい。皆お前と同じように覚悟は固めているし、ふさわしいと思えばそいつに任せるさ。ああ後、いい加減敬語は止めてくれ。もうお前は俺達と同じ土台に立っているんだから、こんな小さなグループ内で、敬語で話す必要はない」

「は……わかった」


 「はい」と言いかけた言葉を飲み込み、次に口にしたのはぎこちないタメ口。大きな組織ならいざ知れず、自分達はこれでいいはずだ。こうして一歩ずつ少年は仲間としての階段を上っていく。扇の教え子でもある多くの若者はその途中で散っていった。若い者ほど勢いこんで逆に自ら死地に飛び込んでいってしまう。そんな光景をいやというほど見てきた扇は教師としても、一人の人間としてもこの少年にまでそんな死に方をしてほしくはなかった。


「よし、解散して各自行動に移ってくれ!」


 ばらばらと皆が席を立つとやがて部屋の中に残ったのは扇一人だけとなった。ふぅ、とため息を一回。人を率いることに未だに慣れていない。教師をしていたときは子供相手の方が大変だと感じていたが、今となっては全力で前言を撤回したい。


「はぁ……、よしっ!」


 先ほどのため息とは真逆の気合の入った声で自分自身を一括すると扇もまた部屋を出て一週間後の決戦に備えるため切り札の置いてある倉庫まで歩を進めた。絶対に成功させてみせるという強い意志を胸に秘めて。















 こうして動き始めた計画は予定通りその一週間後、実行に移された。





[10962] Stage11.仮面舞踏会 (中編-2)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/08/23 20:55


「これからお出かけ?」


 その日は午後から休みをもらっていた和美だったが、特にすることもなかったので時間のあるうちにと生活用品の買い出しからもどってくると、ちょうどルルーシュが出かける場面に遭遇した。オフモードなので口調もいつもの丁寧なものから友人のそれにかわっている。だというのに、ルルーシュはなぜか虚を突かれたように一瞬ぎくっとして半歩後退する。


「もうすぐ日も落ちるけど……今日も遅くなりそう?」


 和美もすぐにその動揺に気が付いたが追及することなく会話を続ける。どうかしたの、と訊いても答えてはもらえないことをこの数年間の付き合いで彼女もよくわかっている。


「ああ、たぶん帰って来られるのは日付が変わる頃になるかもしれない」

「じゃあ晩御飯は用意しなくてもいいのかな?」


 メイドと名義上の主人という関係でなければ多分に誤解されそうな会話である。彼がリヴァルと賭けチェスなど少々危険な遊びに出かける時にも、何度か同じような会話を交わしたことがあるので当人たちはいちいち気にかけはしないが。


 だからといって今回もいつものように送り出すことを和美は躊躇していた。前回遅く帰ってきた時には怪我をしていたし、最近はカレンの存在だとか、ミレイが言っていたような不安な要素もぬぐいきれていない。訊き出す手段をもたない自分がどこか愚かに思えてくるほどの焦燥感。力になりたいと言って追いかけてきたくせに出来ることいったら家事手伝い程度か。手に持ったビニール袋のおかげでぎゅっと握ったこぶしはばれていないだろう。例えばれたとしても何が変わるわけでもないだろうが。そんな思いが余計に彼女の心を波立たせる。


 こんな時に彼女なら……、だめだ。それを考えてしまっては負けてしまうことになる。このまま自分はメイド以外の部分で役に立つことなどできないのでは。そんな不安が頭をもたげてはなお一層彼女の頭の中をひっかきまわす。


「そう、だな。外で済ませてくると思う」

「うん、わかった……ねぇ、今日はどこにいくのか訊いてもいいかな?」


 自分でも馬鹿なことをしたと思った。待っているのは拒絶だけに決まっている。こんなに不安なのにさらに自分で追い打ちをかけてどうするんだ。なにより嫌だと感じたのは彼の事情よりも自分の不安を優先させてしまったこと。だから彼に余計な気遣いをさせてしまう前に引いてしまおう。


「ごめん、プライベートなことだったよね、忘れて。晩御飯のことは咲世子さんに伝えておくから。それじゃ、いってらっしゃい」


 和美はそこまで言うとルルーシュの横を通り玄関の扉を開ける。ルルーシュは戸惑った表情で彼女の行動を追っている。


「お願いだから、気をつけてね」


 最後にこの間のように怪我などしてこないでと念を押してから、和美はクラブハウスの中へと姿を消した。それを見届けたルルーシュはしばらく動こうとしなかったが、やがてゆっくりと歩き出し校外へ出て行った。


 ルルーシュが歩く様子を玄関から一番近い窓から見ていた和美の視線がルルーシュから外れることはない。無事に帰ってきてほしいけれど、おそらくその願いは何らかのかたちでかなうことなく終わることだろう。直感以上の何かが彼女にそれを確信させる。


 ルルーシュの姿が窓から見えなくなる頃、和美の姿もまた窓の前から消えていた。




















 それから数時間後のこと、倉庫の中には買い手である日本人が数十人、そして売り手側の男達が十人。人質の男を含めれば十一人。情報通りならば姿を潜めている相手は六人。恐らくはナイトメアポリスと共に後詰に半分、残りはそう遠くない範囲内で警戒にあたっているはず。どちらかに一人という事態は考えにくい。よしんば、六人ならば人数に違いがあってもここまで分散してくれていれば人数の面ではこちらが上に立てるし、奇襲をかけることが可能であるぶん優位であることに変わりはない。あとはタイミングさえ間違わなければ十分に勝てる。


 自信はあるがどうなるかは誰にも分からない。それでも頭の中で何度も自分に言い聞かせることで、激しくなる動悸、それとともに大きくなる胸の上下動を制止する。息苦しく感じるのは決してヘルメットのせいだけではないはずだ。一歩を踏み出すことがこれほど苦しかったことがあっただろうか。こんな心境のヘルメットの男を支えているものは自らたてた計画ではなく、仲間への信頼と恩人への思い。今彼に出来ることは信じるものを信じ、行動を起こすことだけだ。


 彼が最後の一歩を踏み出すと、いよいよ顔を覆い隠すヘルメットをかぶった男の姿が月明かりと僅かに灯された照明によって映し出された。暗がりの中でも手に持つ小銃とアタッシュケースをはっきりと目にすることができる。そんな奇妙な男の前には両手を体の後ろで縛られ、顔は猿ぐつわをされたさらに奇妙な男。だが状況を把握するにはそう時間を有しない。緊張が走り、沈黙が降りる。


 まさかカレンが物陰からこちらを見ているなどとは露も知らぬヘルメットの男は、依然として一人の売人に銃を突き付けたまま仮面の下で笑みを浮かべていた。だがそれは決して余裕の表れなどではなく、少しでも自分の中で平静を保とうとしての行為だ。その証拠に、男はここに来た時から冷や汗が止まっていない。


 銃を握っていない方の手にはアタッシュケースを持ち、他の売人達と対峙した謎の男。その姿を見た途端に彼等の顔色が変わっていくのが分かる。といっても驚きによるものばかりで、怯えているわけではない。いち早く冷静を取り繕うことができたリーダー格の男が口を開く。


「そんな物騒な物を持って、どんな用向きかな?」


 その言葉を切掛けに、売人たちはヘルメットの男に対抗するように皆一様に各々の武器を突き付ける。片手で持てるようなハンドガンを向けている者、肩から下げられたアサルトライフルを構えている者もいる。一対多数の状況に有利性を感じているのか、そうして脅せば片がつくと思っているのかは分からないが、確かにこの状況ではいくら仲間の一人を人質にしているとはいえヘルメットの男は圧倒的に不利だ。


 だが当人ははやる気持ちを必死で抑え、動作だけは慌てる様子もなく片手に持っていたアタッシュケースをそっと地面に置いた。男はさらに上着のポケットから何かを取り出すと、それを顔の前に掲げてみせる。小さな筒状のそれは先端にボタンのような突起が付いている。


「これを押せばこのアタッシュケースに仕掛けられた爆弾が爆発する。さすがにこの倉庫一つ吹き飛ばすだけの破壊力はないが、この距離ならば貴様たちを巻き添えにするくらいはできるだろう」


 謎の男は売人達に見えるようにさらにそれを前に突き出し、その場にいたクスリの買い手たちの間からざわめきが起こる。そこで男達の表情がいくばくか変わった。


 いくら小規模の売人グループとはいえ、男達はトウキョウ租界の闇社会の事情を知っている。遠隔起爆装置が付いた爆発物ともなればそれなりに値が張るものだ。個人で買うにしては荷が重い代物。売人達を挑発するような馬鹿げた格好をしており、一見するとただの愉快犯のようである。だが、果たしてそんなことのためにこんなことをしでかすだろうか。


 つまり、それが本物の爆発物であろうとなかろうと、ヘルメットをかぶった男が何を狙っているかということになる。無差別に人を殺す、あるいはスリルでも求めてつもりでここに来るような狂人ならば問答無用で行動を起こしていても不思議ではない。ともなれば、何かしらの要求が存在するのではなかろうか。何はともあれ相手の正体が分からない以上、慎重に出ざるを得ない。それに、時間を稼いでいれば外を見張っていた他の連中も駆けつけてくるだろう。そう思い同じような質問を繰り返す売人。


「何が目的かと訊いているんだが?」

「お前たちがこれ以上、レフレインを売りさばくことができないようにすることだよ」


 爆弾男がヘルメットの中からくぐもった声で答えを返す。


「んだと!てめぇ、どこの回しもんだ!」


 興奮した売人の一人が声を荒げて爆弾男に食ってかかるが、当の本人は意に介さないようで動揺は見せない。といっても表情はヘルメットに隠されていて窺うことはできないが。


「動かない方が賢明だと思うがな。それとも、これが本物だとは信じられないか?」


 沈黙を肯定の意で受け取った彼は、売人達が止める間もなく、まるで何でもないことのように手に持っていた物の突起部分をぐっと押しこんだ。


 その瞬間、男の持っていた何かが光ったかと思うと、倉庫の外からけたたましい爆音と、倉庫の壁を揺らすような衝撃が訪れた。その衝撃と、残響が引いていくと共に、一斉にクスリを買いに来ていた客達が悲鳴を上げその場にへたりと座り込んで耳をふさぎ、身をかがめている。と同時に売人達の眼の色が一気に変わる。


 それも当然だろう。これでアタッシュケースの中にあるという爆発物が本物であるという可能性が一気に高まったのだから。全員の目がアタッシュケースに釘付けとなり、銃を握る手にも力が入る。


「分かってもらえたならまずそいつらをここからどけろ。どっちに転んだとしても大事な客をいっぺんに失いたくはないだろう?」


 売人側は荒事になった場合、男が一人でなければ、ここに彼等がいれば戦いにくいと考え、悔しさを顔全体であらわしながらも素直にその言葉に従うと「行け!」と一括した。逃げ出す数十人の日本人たち。カレンはそれにまぎれて逃げるべきか、それともここにとどまってことの顛末を見届けるべきか迷って、我先にと全力で逃げ出す者達に目を走らせた。パニックに陥っているのだろう数人がこけてしまうが、他の人々はお構いなしにその上を走っていく。そしてこけてしまった人の中には彼女がよく見知った顔を含まれていた。


 カレンはのちに思い返しても不思議に思うほど、その光景を目にした時からためらいもなく自然と体が動いていた。










 悲鳴が遠ざかっていったのち、倉庫の奥で控えていたナイトメアポリスがようやく前に出てきた。大きさにして銃口十数mmはあるだろうナイトメア用アサルトライフルが爆弾を持った男へと向けられる。それは爆弾男からすれば賭け値なしの危機的状況である。しかし、男はヘルメットのなかで小さく自分だけが聞こえるほどの笑い声を洩らした。それは恐怖から来るものではなく、純粋にこんな状況を嬉しがっているような弾んだ笑い声だった。


「馬鹿野郎!下手に刺激するな!」


 そんな爆弾男の余裕など気付くはずもない売人たち。どうやらリーダーはアタッシュケースが本当に爆発すると結論付けたらしく、警戒の度合いを強めているようだ。下手に刺激して今あのアタッシュケースを爆破されてはたまらないと、独断で前に出てきたナイトメアポリスへ罵声を飛ばした。


「なあ、売れなくするのが目的といってもいろいろとあるだろ?この売り場と客をあんたに譲ればいいのか?だったら……」

「そう深く考えることはない、文字通りお前たちには売人をやめてもらう。ただ、手段が取引だとは一言も言っていないがな」


 言うが早いか、男はアタッシュケースを空中に放り投げる。その場にいた全員がぎょっとして見つめた先でケースは放物線の頂点に達した。それを見計らい男は手の中のスイッチを押す。自分も爆発にまきこまれてしまうかもしれないというのに、驚くほどあっけなくヘルメットの男はそれをやってのけてしまった。当然、売人達にそれを止める時間はなく、今や彼等らの視線すべてがケースへと注がれている。中には頭を抱えて蹲ろうとする者までいる。それほどまでに時と空間をそのアタッシュケースたった一つが支配していた。


「言っただろう?嘘は得意だって」


 そんな言葉を発しながらヘルメット姿の男、ルルーシュは口の端を上げ、唇が緩やかな弧を描いている。それが歓喜ゆえか、狂気ゆえか、本人にも判断はつきかねたが、ルルーシュを支配していたのはシンジュクゲットーの瓦礫の上で感じたような圧倒的な敵意と初めての勝利をほぼ手中にすることができた興奮、そしえ歪んだ愉悦とも言うべき悦びであった。


 嘘が意味した通りケースは爆発せず、かわりに目もくらむような閃光を幾筋も発しながら宙を舞い始める。ヘルメットで顔を覆っている男とは違い裸眼のままであった売人達はその光によって一気に視界を奪われた。そして、爆発したのはアタッシュケースではなく、先ほどまでナイトメアポリスが控えていた倉庫の奥の壁。その場にいた誰もがアタッシュケースに注目していたため、大きく反応が遅れてしまう。結論から言えばそれが売人達の決定的な命取りとなった。


 爆発したというより突き破られた壁の向こうから一機のKMFがランドスピナーをフル回転させ突っ込んできた。かと思えば、あっという間に後ろを振り向こうとして不安定な姿勢でいたナイトメアポリスへとぶつかる。完全にバランスを失ったナイトメアポリスは横向きに地面に叩きつけられ、反撃も出来ないうちに突如として現れたもう一機のKMFのアサルトライフルの攻撃によりバラバラに吹き飛んだ。


 あまりの急展開に何が起こっているのか理解しきれない売人達は、唖然としてその光景を回復しきっていない視力で眺めている。実質的に自分たちの切り札であったナイトメアポリスが破壊されてしまった、いや、そもそもなぜこんなところにKMFが突入してきたのか。処理しきれないそれらの情報が売人達から正常な思考を奪っていく。


「っん、んんんっーーーーーーーー……!!」


 そんな彼等を現実に引き戻したのは後ろから聞こえてきた一発の銃声とくぐもった絶叫であった。それは、仮面の男が倉庫の中に入る際に人質としていた売人に向けて銃弾を放った音。足を撃ち抜かれた人質は猿ぐつわのせいで満足な叫び声もあげられぬままその場に倒れた。


 売人達は慌てて振り向いたが、それはあまりに遅すぎた行動だった。仮面の男は自分の方に向き直った男の太ももにも二発銃弾を撃ち込む。驚きに目を見開いたまま体が崩れるように倒れる。それを見て混乱しながらも反撃しなければと感じ取った他の売人達が一斉に銃を構えなおそうとしたが、一瞬の内にほぼ全員がその無駄を悟った。男の背後から突如として現れた新手のもつ自動小銃が放った弾丸が彼等を襲ったのだ。


 そこにいたのは顔こそ強烈な光に耐えるために各々工夫を凝らして顔を隠しているが、南や杉山といったかつてのナオトの友人達である。彼等は皆油断なく銃を構え、敵をけん制している。背後にはナイトメアポリスを破壊してみせたグラスゴーが構えているため売人の一味は引きたくとも引けるはずがない。八方塞がり、打つ手の見つからない現状が彼等を追い詰める。


 対する売人達には切り札はすでになく、後はおとなしく目の前の襲撃者に降伏するほかない。すぐに殺されなかったのならばまだ命だけは助かる可能性はあるかもしれない。多くの者は本当にわずかな可能性にかけてどうやって助かろうかと必死に思考を巡らせていたが、経験の浅い者はすでに恐怖で正常な判断がつかずにいた。


「静かに武器を床に置き、両手を頭の後ろで組め」


 ヘルメットの男の声は威圧的なそれではなかったが、従わざる負えない力を帯びている。最初にリーダーがそれに従うと、ばらばらと他の者もそれに続こうと膝を折った時に、それは起こった。死の恐怖に駆られた一人の男が地面に置きかけたライフルを拾い上げ銃口を襲撃者へと向けたのだ。


「うっ、うわぁぁぁーーーーーーー!」


 耳を裂くような絶叫はあっという間にいくつかの銃声でかき消される。どうにかここから逃げたい一心で無謀にも相手に銃を向けようとした若い売人の一人は、頭と胸から血しぶきを上げながら後ろへ倒れた。どさっと鈍い音がそこにいるすべての人間の耳に届く。それが合図だった。恐怖におののいていた売人の多くは緊張が切れ、理性を失い、対する襲撃者たちは相手を制圧することから排除することへと目標を切り替える。両者の判断が行き着き先はただ一つ容赦などかけらも存在しない殺しいあいだ。


 だが実際にはそういくはずはなかった。すでに戦闘に移るための態勢などとることのできない売人と、状況的、精神的優位の揺るがない襲撃者の間で勝敗を語ろうとすることがどれほど意味のあることだろうか。わずかな銃撃戦の後、決着の時はすぐにおとずれた。


 もちろん勝利を得たのは襲撃者たちだ。それはすでに揺らぐことはない。その場にいた多くの人間と同じく、ルルーシュもそう信じ切っていた。だから、というように断言することは誰にもできない。だが、多くの者に油断があったことも事実だ。


 後方の警戒を怠ったが故、少女の悲鳴がとぎれとぎれになった銃声に割って入るまで、誰も彼女たちの存在に気付くことができなかったのだから。




















 突如として血の海と化した倉庫からわずかに離れたコンテナ置き場を、一人の男が息を切らしながら走っている。その男は、包囲されていたはずであったあの倉庫からただ一人逃げ出すことができたのだ。倉庫内にはおらず、周辺の警戒を任されていた彼はグラスゴーが巻き上げた粉塵が収まりきらないうちに、いち早く危険を察しどうにか抜け出すことができた。


 これまで感じたこともない圧倒的な死の恐怖からか、男はここまで逃げてくるまで両足をからませて何度も転び、その度に誰かにつけられていないかどうかビクビクとしながら後ろを振り返り、また走り出すということを繰り返している。まだ数百メートルほどしか走っていないというのにひどく息が切れている上に、足も重い。だが今踏み止まってしまえば、うまく隠れることが出来ない限り、間違いなく殺されてしまう。


 再び男が転び、大事そうに抱えていたアサルトライフルが音をたてて地面にぶつかる。慌てて体を起して後ろを見るが、誰も付いてきていないようだ。ほっとする間もなくすぐさま走り出そうと立ち上がると、先ほどまでは誰もいなかったはずの後ろから物音が聞こえた。男が恐怖によって過敏になった動きでライフルを構え振り向く。


 そこには、暗くてよくは見えないが確かに何者かが立っていた。いや、それを確認できたのはわずか一瞬のことで、次の瞬間にはその人影は男との距離を一気に詰め、驚いた男がトリガーを引こうとした時には、既に懐に潜り込まれた後であった。


 体が浮き上がるかと思うような衝撃とともに、鳩尾に痛みが走る。勢いよく叩きこまれた膝が男の鳩尾に深くめり込んだのだ。それでもライフルを放さなかったことは男の生への執念を感じさせたが、肩にストラップをかけていなかったことがあだとなり、次の攻撃で手首ごと蹴りあげられ痛みの余りについにライフルを落としてしまった。手から放す瞬間にトリガーがわずかにひかれ数発の弾が無造作にコンテナに穴をあけていく。


 男は痛みの余りにその場に蹲りかけるが、それでは本当に殺されてしまうと、力の抜けそうな足でなんとか踏ん張る。立ち上がりざまに腰から下げていたナイフを鞘から引き抜き、人影めがけて雄叫びを上げながら全体重を乗せて突っ込んだ。それは男の生死を分かつであろう、まさに決死の一撃。だがその男の渾身の攻撃もすんでのところでかわされてしまい、逆にその勢いを利用され投げ飛ばされてしまう。背中を打った衝撃によって最後の武器であったナイフも男の手から離れ、丸裸にされた男をさらなる恐怖が支配した。


 破裂しそうなほど脈打つ心臓に、何かの拍子に狂ってしまのではないかとも思える意識。人が死ぬところは目にしたことがあっても、自分が奪われる側に回ることは始めてだ。うつ伏せに転がっていた体を起こし改めて正体不明の人影を見直すと、手に月明かりを受けて鈍く光るナイフが握られていた。それはまぎれもなく先ほどまで男が所持していたもので間違いない。


 なす術を無くした男にはもはや諦めて死を受け入れるか、無駄とも思える逃走を再開するか、情に訴えかけ命乞いをするかという手段しか残されていない。男はなんとか助かりたい一心で、正体不明の人影の手元で止まっていた視線を上げ、どうにかならないかとその人物の顔を仰ぎ見る。そして男はみた。わずかに残っているかもしれない救済の道を。


 月光にわずかに映し出された襲撃者の表情は、自分とは異なる理由からまったく余裕のないものだった。手にしたナイフは小刻みに震え、これから自分が行おうとしていることを恐れているかのようにも見える。


 男はこれなら殺されずにすむかもしれない、と再び全力で走り出した。だがそれは決定的な判断ミス。なぜなら混乱から立ち直れていなかった男はあろうことか今まで必死に遠ざかろうとしていた倉庫の方へと走り出してしまったのだ。そして、コンテナの蔭から飛び出した瞬間に、男の命は終わりを迎える。数発銃弾が放たれる音が辺りに響き、それと同時に男の体から血飛沫があがった。痛みに呻くこともなく、一瞬の内にその命を散らし、自らの体から流れ出る血溜りの中へと崩れ落ちていく。


「銃声がするから来てみれば、こんなところまで逃げられてたのか」


 倉庫の外で逃げ出してくるであろう者を射撃する任を割り当てられていた、扇グループの一員である吉田が男の死を確認するために近寄っていった。男が本当に絶命していることを確認した吉田は、もしこのまま逃げられていたらと思うとぞっとするな、と思いながら安堵のため息を吐く。


 だが、どうしても腑に落ちないことが一つある。それは、どうしてこんな誰もいないところで銃を撃ち、なお且つ、慌てて敵である自分たちがいる方へと走ってきたのかということだ。辺りを見回してみても他に誰もいない。そのことが余計に吉田を困惑させたが、撤退を告げる声が聞こえてきたので、物音か何かに脅えた拍子に誤って発砲したのだろうという結論を出し、皆のいる場所へと帰って行った。


 吉田が消えた後、コンテナの蔭から先ほどまで男と交戦していた人物と同人物だと思われる人影が出てきて、仰向けに倒れていた男の死体をひっくり返した。人影は男の首筋に触れ、こと切れていることを確認すると吉田とは逆の方向へと去って行った。





[10962] Stage11.仮面舞踏会 (後編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/09/04 23:43

 頭の中はやけにはっきりとしている。自分が何をすべきか、何を言うべきか、何も考えずともできてしまう。今なら天と地が逆転したとしてもできないことなどない。そんな感じさえしてくる。


 だが所詮それはまやかし。体験したことのない緊張と興奮状態に置かれたルルーシュの脳内で分泌された脳内麻薬がそう感じさせているにすぎない。思考ははっきりするどころか本当は麻痺してきていると言った方がいいのかもしれない。頭では分かっていても意識して歯止めを利かせないと、今すぐにでもトリガーにかけられた人差し指を引いてしまいそうになる。立ちはだかる障害を手にした力で打ち壊したくなる。


 彼が生まれてからこれまで、ここまでの感情の高ぶりを覚えた瞬間はなかった。今日、この瞬間はまだ自らの復讐劇、あるいは仇討の序章でしかないと思えばさらにその興奮は度合いを増していく。徐々に走り出しそうになる感情をどうにか抑えてはいるが、何かきっかけがあれば理性という堤防はあっけなく崩れてしまうのではないか。ルルーシュは意識の端で、ひょっとしたらクスリを使いということはこういう気分と似ているのかもしれない、と感じていた。不謹慎なことは分かっているが、薬物使用の負の連鎖へと堕ちていくこと、そこから抜け出せないことがとても身近に思えた。確かにこの感覚は快楽にもよく似た高ぶりを覚える。


 力を、怒りを、そしてこの喜びを開放できる時を今か今かと全身が人差指に訴えかける。全神経どころか脳みそすらも指先に集まってしまったかのような感覚。もはや思考は意味を成さない。凶暴性を増していく自分自身をわかっていながらもそれを制止できない。扇はできるだけ殺しは避けたいと言っていたが、最低でも目の前で縛られている男の命は奪わなくてはならない。なにせすでに顔を見られてしまっているのだ。その結果は穏やかな終焉を迎えさせてはくれないだろうが。


 ルルーシュは今にも破裂してしまいそうな感情の奔流にどうにか抵抗し、作戦通りにことを進めていく。本当に爆弾を使うまでもないかとも考えたが、そこは万全を期すということで少々もったいないが本物を使用している。その分迫力は十分のようだ。彼の目の前の男達は一様に皆顔色が変わっていく。それがまたルルーシュの感情をくすぐる。意識の外で緊張が高まり、なにかきっかけがあれば糸が切れてしまいそうだ。


 いよいよ敵の切り札であるナイトメアが出てきた時も、アタッシュケースを空中に放り投げた時にも、そしていざ本当に銃を撃つとなった時にもどうにか自制が働いた。撃つ瞬間まで彼自身これまで知り得なかった自らの凶暴性と理性がせめぎ合う。だが、視界にとらえたグラスゴーがすんでのところで理性を後押ししてくれた。ここましてもらっておいて自分から裏切るようなまねは決してできない。


 売人の男達が各々の武器を床に置き始めた頃になると徐々に、そしてわずかにではあるがルルーシュの緊張も薄れつつあった。だからこそ、その後の出来事は余計に彼の神経を摩耗させていく。


「うっ、うわぁぁぁーーーーーーー!」


 死の恐怖にのまれた男が一人、再び銃を手に取り指を引き金にかける。標的は一番前に立っていたヘルメット姿の爆弾魔。ルルーシュはとっさに自分も撃たなければ殺されると引き金を引いた。手にした拳銃から解き放たれた銃弾は彼の感情の迸りを再現するかのような勢いで相手の胸に吸い込まれていく。そのスピードたるや目で追えるような速度ではなかったし、なにより標的との距離が近く着弾まであっという間であった。だが、不思議とルルーシュには銃弾が男の胸を貫く瞬間がコマ送りのように見えた気がした。


 ルルーシュの放った弾以外にも数発を頭と胸に受けた男はひざから崩れると、そのまま後ろに倒れて何度か痙攣を繰り返し、やがて全く動かなくなった。その光景は売人達の正気を奪うと同時にルルーシュの緊張と興奮の度合いも限界を迎える。


 銃撃戦のさなかだというのに足は思うように動かず、ただひたすらに敵に向かって、いや動くものに向かって引き金を引き続けた。その危うさをいち早く察し、彼を敵から遠ざけようと肩を引いた味方にまで危うく発砲しそうになる。それほどにルルーシュは他の面々に比べて精神的に未熟であった。


 人が死ぬ、それも銃殺される場面に出くわしたことは初めてではない。ほかならぬ自分の母の死因がそれなのだから。しかし、ルルーシュが見たのはすでに動かなくなったあとの姿。さらに言えば当然のことながら殺したのは彼ではない。これらのことを考慮すれば皇族として過ごした期間を含めても、これほど血生臭い現場に立ち会わせたことなどなかった。まして今回は自分が当事者、殺人者となったのだ。いくら彼がこれまで凄惨な人生を送ってきていたとしても、精神的に強かろうとも、覚悟を決めて臨んでいようとも、高等部になったばかりの少年が数分間の出来事として体験するには過激過ぎる。


 なぜか脳裏をかすめていく血まみれの母と妹の姿。血の色が、血の匂いがそれを思い起こさせるのか。ルルーシュは必死にその光景を頭から振り払おうと、もう一度敵がいる方向を見た。すると一人の男と目が合う。あわてて銃を撃てる体勢をとろうとしたが、その男はすでに物言わぬ躯と化していた。一気にこみあげてくる吐き気をあらん限りの気力で抑え込む。人の死を意識することでなおさら嗅ぎ慣れない血の匂いが鼻から入り、彼の脳を、胃袋を犯して行く。撃たれてもいない胸が焼けるように熱い。にじみ出た汗と涙が鼻をつたってヘルメットの内部へと落ちて行った。


 銃声に交じって聞こえてくる断末魔。母もあんな声を上げながら死んでいったのだろうか。今は考えなくてもいい、考えるべきでないことばかりが頭に浮かんでくる。ルルーシュはそれを断ち切る意味を込めて再び敵に向かって銃を構えた。せめて今できる最低限のことをしなければ。足手まといだけはごめんだ。


 逆流してきた胃液のせいで食道から口の中までがひりひりと刺激される。幻痛と相まってひどく不快な気分が続く。それでも止まることなどすでに不可能だ。過剰な興奮と緊張、不安と狂気が交差し続ける。疲労のせいで思考はすでに麻痺してしまっていたが、動くことだけはやめなかった。


 銃声がまばらになる頃になってようやく周りを見渡せるほどの余裕が生まれた。倒れた人間と地面に広がる地の池と染み。こうして見ると改めて自分は他人の命を奪ったのだと実感できた。きっとナイトメアに乗っていてはこの感覚は体験できない。ナイトメアに限らず、戦車や航空機などの近代兵器はこういった凄惨な光景をどこかで必ず覆い隠してしまう。特にナイトメア同士での戦闘となれば、なまじ脱出機能が機体設計の根幹にある分殺すという感覚を奪ってしまいかねない。ルルーシュはこの日戦争、抗争とは人間同士の壮絶な殺しあいなのだと身をもって実感していた。


 さらに誰か見方がやれてしまっていないかと確認をとれるほどに回復したルルーシュ。もう一度皆の姿を見るとやはり自分が一番未熟だったと思わざるをえなかった。たたずまいが彼と比べて落ち着いて見える。足手まといにはならないように気をつけてはいたが、今回は明らかに皆に助けられた。ふぅ、と息を整え戦況がどの程度沈静化してきたのかと倉庫内を見渡したその時、彼の耳に女性の悲鳴が聞こえてきた。




















 カレンは一瞬何が起こっているのか全く理解できなかった。倉庫から慌てて逃げる一団の中でこけて逃げ遅れてしまった自分の母を助け起こしに行ったはずだったのに。その母は今カレンの目の前で血を流して倒れている。


 駆け寄った時には目立った外傷は見てとれなかった。まだこの日はリフレインを使用していなかったからなのか、彼女の方もすぐにカレンの存在に気が付いた。しかし、なぜこんなところにカレンがいるのかという疑問、そして自分がリフレインを常用していることがばれてしまったのではという恐怖が体を硬直させる。カレンはカレンでどう話しかけたものかわからない。ただこのままでは自分達も巻き込まれかねない、と思い母の手を多少乱暴に引いてこの場を離れようとする。


 するとけたたましい音と、地震のような振動とともに倉庫内にもう一台鉄の巨人が突入してきた。さらに数秒の内に銃声というにはあまりに大きな音が響き渡り、ナイトメアポリスを粉々に破壊する。間髪開けず聞こえてきたのは小さな銃声と、くぐもった男の悲鳴。いよいよここにいては危険だとカレンはもう一度母の手を引いたが、彼女は動く気配がない。こんな時に何を考えているのかと、カレンは久しぶりに母の顔をしっかりと正面から見つめた。そこに見えたのは怯えた表情。もしかしたら一連の騒ぎで足がすくんでしまっているのかもしれない。


 そこでふとカレンは我にかえった。自分はこの女を心底憎んできたのではなかったか。ブリタニア人のいいなりと化し、そのくせ今の境遇に耐えきれずに麻薬に逃げてしまうような人間。本当に彼女を憎んできたならばここで見捨てられるのではないか。この手を放すことができるのではないか。そう思っても手に込めた力は少しも緩んでくれない。カレンは、こんな状況に置かれているというのに答えの出せない、いや出したくないジレンマに悩まされている自分に腹がたった。


 そうしているうちにも状況はどんどん悪化していく。男の咆哮が聞こえたかと思えばすぐに銃撃戦が始まってしまったのだ。二人ともあの戦火を逃げ延びたのだから、今更この程度のことで動けなくなってもらっては困る。結局カレンは手を放すことができず、このまま二人で逃げ出すことにした。


 一方、母の方はカレンと一緒に行くことにためらいを感じていた。もちろん、なれない荒事に体がすくんでしまったことには間違いない。しかし、カレンが考えたように彼女も戦争、ゲットー襲撃の中を生き抜いてきたのだから動けなくなるほどではない。ただ自分が麻薬を使っていることを知られてしまったことが怖かった。いよいよ自分は彼女のそばにいることすらできなくなってしまうのではないか。手を振り払って自ら身を引いた方がいいのでは。そう思っても本心は正直だった。久しぶりに、本当に久しぶりに触れた娘の手を払うことなどできるはずがない。彼女に出来たことはただされるがままに体を動かすことだけ。


 だが、そんな二人の逡巡の間がまずかった。ようやく逃げ出そうと動き出したところでルルーシュ達が混乱の中で見過ごしてしまった売人の内の一人がちょうど彼女たちの方へと走って逃げてきたのだ。さらに悪いことに売人は彼女たちも襲撃者の一味だと思い、怯えた目つきで手に持っていた拳銃を二人に向ける。


 それから起こったことはカレンにはまるでスライドを見るかのように一場面、一場面がはっきりと目に焼きついた。彼女の母は今まで動けずにいたことがウソののように、銃とカレンの間に体を投げ出し、少しでも娘を遠ざけようとその体を突き飛ばす。銃に背を向けるように立ちはだかっていたため、カレンは母の顔を見ることができた。そして銃声にかき消された言葉も口の動きを追うことで、たとえ聞こえずとも何が伝えたかったのか理解することができた。





“ごめんなさい 愛してる”





「……お、母さん」


 堤防の決壊した感情をとどめることなど不可能。拳銃の放った音が鳴りやむのとほぼ同時にどさりと倒れてしまった母。その姿を見た瞬間にカレンは本当の意味で“紅月”カレンに戻っていた。喉が破れんばかりの悲鳴を上げ母へと駆け寄る。もはや彼女の頭の中に売人の存在など入ってはいなかった。


 母を撃った男はこちらに向かって勢いよく近づいてくるカレンの姿が、こちらを攻撃するために突っこんできている姿に見えていた。男はひっ、と小さな悲鳴を洩らすと今度は銃をカレンへと向ける。そしてもう一度大きな音が響いた。


 だが撃たれたのはカレンではなく男の方。危ういところで近くにいた杉山が男に向かって引き金を引いたのだ。まだ民間人が残っていたのか、と自分達の詰めの甘さを痛感しながら撃たれた民間人へと視線を移す。


 そこにいたのは二人の女性。一人はやはり撃たれてしまったのだろう、血を流しながらぐったりとして動かない。もう一人はその傷ついた女性を抱え上げながらよく意味のわからない言葉を羅列している。どの程度の傷を負ったのか、場合によっては助かる可能性もあるため南が二人に近づいた。その時、杉山はふと無事でいた女性の顔にどこか懐かしいものを感じ取った。そして独特の髪の色に気がつくとすぐにそれがカレンだと気が付いた。


 異変を感じ取ったメンバーもぞくぞくと杉山のもとへと集結してくる。いつしか倉庫内の銃声はすべて止んでいた。争いはすでに去り、後には悲劇が残ろうとしている。すぐさま駆け寄った面々が、半狂乱状態のカレンを引き離し母の傷の具合を探り始めた。


 不幸中の幸いというべきか、撃たれた箇所は急所を外れていた。だがそれは素人目に見ればという話。医者が見れば見解は変わってくるかもしれない。そこで問題になってくるのは彼女をどこで治療すべきかということだ。銃痕のある女性、それも“イレブン”をすんなりと受け入れてくれる病院が租界にあるとは考えにくい。カレンの父の名前を出せばそれも可能かもしれないが、カレンの父が誰であるかということを彼等は知らない。となれば設備は十分とは言えないゲットーで治療を行うことになる。


 扇達もこれまでさんざん傷を作ってはゲットーの元医者である日本人たちの治療を受けてきた。シンジュクゲットー襲撃事件後、レジスタンス活動を始めてからは何度かこうして銃器で傷を負った者もいる。しかし、先ほどもいったようにゲットーの医療設備はお世辞にも十分だとは言えない。悲しいことに中にはその傷が原因で命を絶ってしまった仲間もいる。


 それならば今できることと言えば、一刻も早く彼女をゲットーの医者のもとへ運ぶことだけだ。現場に到着した南はすぐさま扇に連絡をいれ、撤退の合図を出す。ルルーシュが駆け付けたところでカレンを彼に押し付け、母親の方を簡単な止血処置を施し慎重に担ぎ上げた。その後の行動は迅速で、彼等の姿は煙のようにいつのまにか倉庫内から消えていた。




















 ゲットーへと通じる道を一台のトレーラーが走る。荷台の部分には数人が乗り込み、時折おとずれる横揺れに体を突っ張って耐えている。皆一様に表情はさえない。本来ならば被害もなく、何の懸念も抱かぬまま帰還できるはずだった。いや、そうでなくてはならなかった。だというのにこの事態を招いたのは自分達の失態だ。この行動を起こした理由を考えればあってはならない失態だった。


 戦闘を考えれば人数が不足していた。ほぼ初めてのメンバー全員で起こした作戦だった。他にも言い訳をいくらでも感がつくが誰一人としてそれを口にしようなどとは思わない。何せ目の前に一番苦しんでいる少女がいるのだから。


 カレンの母は今、助手席に寝かされている。多少は応急処置に心得のある女性メンバーが運転席と助手席の間に座り彼女を看ている。ストレッチャーもないのに横揺れの激しい荷台に乗せるわけにもいかず、外部からばれてしまう可能性はあったが苦肉の策をとるしかなかった。カレンは傍にいたかろうが今は少しでも不測の事態に対応できる人が付いていた方がよいとあえて離れ離れにされている。彼女はまだ撃たれた時のショックから目を覚ましておらず、静に横たわったままだ。皆は心の片隅でほっとしていた。もし彼女が痛みに呻く声が聞こえてこようものならば今以上に空気は沈み、ややもすれば責任のなすりつけ合いでも始まっていたかもしれない。


 カレンの方はひとしきり自分を責める言葉や、助けを懇願する言葉を口にした後、黙り込んで膝を抱えるようにして座っている。隣にはなだめ続けていたルルーシュが立っている。


 皆が皆カレンと彼女の母を心配し、自分たちもまた世話になっていたことから胸が痛んだ。その中でもおそらく一番カレンの心中を察していたのはルルーシュだろう。立場は逆だが仲の良かった兄妹の安否は知れず、唯一の“家族”と呼べる存在は生死の境をさまよいつつある。またルルーシュにとっても彼女の母は第二の家族とも呼べる人だ。


 だからといって今は何をカレンにしてやればいいのか彼にもわからない。励まそうと言葉を探してみても、慰めにもならないありふれた言葉を思いつくばかりだ。ただ何もしなければそれはそれで耐えきれそうもない自責の念にとらわれて、意味のないことを口走りそうになる。ルルーシュはぎゅっと拳を握ることで内にたまった感情を僅かながらに発散することぐらいしかできない。


 するとそれまでほとんど動こうとしなかったカレンの手が弱々しく彼の手をつかんだ。どうかしたのだろうかとカレンの様子を窺って見たが、ルルーシュの手をつかんだ以外は今までと変わらず、泣くわけでもなく、言葉も口にしなかった。ただ彼の手を握る力は徐々に強くなる。


 ルルーシュは何も言わずにカレンの横に腰を下ろす。ただそれだけ。それだけしか今の彼にはできない。しかし、欺瞞かもしれないが何もしないよりはその方がいいような気がした。痛みを覚えるほどに強さを増したカレンの手を受け入れ、ゲットーにつくまでその状態のままでいた。















「おい、あれって軍隊か?」

「声がでかい!聞こえたらどうするんだ。さっき階級章をチラッとだけみたが間違いなく佐官クラスの軍人さんだぞ」

「なっ…なんだってそんな人がこんな現場に?どうせこの事件も連中の縄張り争いだとか、どこぞのテロリストの仕業だろう?」

「それがさっきのタイヤ痕がナイトメアポリスのものとは一致しなかったらしい」

「それは他にもう一台ナイトメアがいたってことか?」

「ああ……とうとう租界周辺の小さいテログループもナイトメアを使い始めてしまったみたいだな。それでわざわざ軍のお偉方が直々に調査に首を突っ込んでるわけだ」


 事件の翌朝、何かが爆発するような音を聞いたという通報から警察が件の倉庫へと赴くとそこには無数の死体、そしてナイトメアポリスの残骸が散らばっていた。当初警察はナイトメアポリスの残骸が犯行現場に残っていたこともあり、内々にこの問題を処理した方がいいと極秘裏に調査を進めるはずだった。ところがどこから聞きつけたのか、明け方になる頃には十名程度の軍人をひきつれた大柄な大尉が一人来た。さらに一時間もしないうちにさらに数名の部下を引き連れた大佐までもが事件現場に足を運び、警察と合同で調査を行うこととなってしまった。


 軍は倉庫内に残ったタイヤ痕を熱心に調べた。そしてもう一台ナイトメアが倉庫内に存在していたことを、まるで始めから知っていたかのようにいとも簡単に見抜いて見せた。


「サハロフ君、どうだった?」

「思っていた通り、グラスゴーの標準仕様のホイールの跡と一致しました。推測するになれない者が操作していたのでしょう、同機でシーケンス通りの動きをした時と跡が酷似しています」


 現場に現れた軍人の中にはサハロフ、ベルトゥーチの姿もあった。政庁の役人が警察とつながっているように、軍もまた警察とつながりを持っている。目的は定かではないが、ベルトゥーチはナイトメア同士が争ったような痕跡がある場合は連絡を入れるように、予め警察に働きかけておいたのだ。


 本来であればこれはゆゆしき事態だ。租界内部でテロリストがナイトメアを使用し、大量殺人までもやってのけている。もしもこれが民間人に知れればさらなるテロリストへの恐怖をかきたてることとなるはずだ。しかし、この事態を受けてもベルトゥーチはいつものようにあまり見ていて心地よいとはいえない笑顔を浮かべているだけだ。


「こちらの方はようやく第一歩といったところか。まあ、この程度で終わってもらっても困るけどねぇ。もっと大きな騒ぎにしてもらわなくては」


 漏れ出そうになる笑い声をこらえるためか煙草を取りだすと一本口にくわえる。その表情はさも満足そうに見える。


「それと、もう一つ……」


 そんなベルトゥーチの姿などもはや見慣れたサハロフは気にする様子もなく報告を進める。


「枢木スザクを見つけました」


 何でもないことのようにもたらされたその情報に珍しくベルトゥーチの表情が変わった。まだ半分以上残っていた煙草を口から離し、携帯灰皿へ押し付けると、サハロフに先を促す。


「なにぶん早朝の、それも予期せぬ出撃だったものですからいつもとは違う部隊編成で出てきたわけですが、今回はそれが吉と出たようです」

「というと、彼はブリタニア軍に入隊していたというのかね?」


 頷くサハロフを見てベルトゥーチは再び表情を緩める。


「灯台もと暗し、か。確かにその通りだ。まさかこんなところで出会えるとはねぇ。皇女殿下もさぞお喜びになられることだろう」

「では……」

「ああ、後で私のオフィスに呼んでくれるかい?私が直接話してみよう」

「分かりました、しかし申し出に応じるでしょうか?」


 ベルトゥーチはもう一度、新しい煙草に火をつけ直すと口の両端を上げて答えた。


「軍人ならば上官の命は絶対だ。思っていたよりもうまく話は進むかもしれないよ。なぁに、いざとなればナナリー皇女殿下の名前を出せば間違いはないだろう。それに彼の存在は絶対必要という訳ではないしねぇ」


 彼にとってのわずかな喜びと、小さいながらも確信を得たベルトゥーチは煙草の煙を笑顔のまま見つめている。余人のあずかり知らぬところで彼等の計画もまた徐々に形を成そうとしていた。




















次回予告

 少年と少女が幼き日に交わした約束

 僅かな力を手にした二人はようやくその約束を果たす足掛かりを得た

 だがにぎやかながらも穏やかな学園生活とは逆に、狂気に蝕まれた少女の心はいびつに歪み彼女はそれを制御しきれずにいる

 そんな中、思いもよらぬところでブリタニア正規軍と対峙することとなった扇達

 その時少女は……

Next Stage.紅い 殺意



[10962] Stage12.紅い 殺意 (前編)
Name: I.L.M◆10f64695 ID:2e1a77c0
Date: 2009/09/15 00:13
「お話は分かりました。ですが、今は一介の兵卒にすぎません。このような大役には……」


 トウキョウ租界政庁内内部、上級士官専用の執務室の一つ。そこには二人の軍人の姿がある。一人は少年から成年への成長過程にある若い兵卒。もう一人は群青色の軍服に身を包んだ、先ほどの兵卒とは一回り半は年が違うだろうこの部屋の主の姿だ。


 若い兵卒は今しがた上官から持ちかけられた話に辞退を申し出ようとしていたが、上官はそれを遮り再び話し始めた。


「君だから私はこの話を話したのだよ。この意味は分かるね?」


 少年兵がぴくんと反応する。その表情はわずかに険しくなっている。


「それにこれはナナリー様直々の願いでもある。彼女はたいへん君のことを気にかけてらしてね、無事だと報告したところぜひこの計画に参加してほしいと」


 もう一度少年兵の反応があった。今度は表情からとげが少しとれ微妙な顔つきをしている。


「なにぶん急な話だ、君も考える時間が欲しいだろう。これが実行に移されるまでまだ時間がかかるから、ゆっくり考えてみてくれないかね」

「イエス・マイロード!」


 形式通りの敬礼を見せるときびきびとした動作で少年兵は部屋から出て行った。





 部屋を出たのち少年、枢木スザクは日勤担当だったためすぐに宿舎へと引き返した。だが、考えるべきことが先ほどの十分足らずのうちにいくつもできてしまいすぐには休むことはできない。下級兵用の雑居部屋には他にも三人の兵士がいるが、彼がいわゆる“名誉”であるためほとんど干渉しようとはしてこない。今となっては慣れたものだし、今日のような日はかえって都合が良い。


 スザクは自分の寝台の上に横になると頭の中で今日あったことを反すうし始める。まずは、復興作業という名の瓦礫除去作業に駆り出され、改めて戦争とその後の衝突の悲劇を色濃く物語る跡地を訪れた。今日遣わされた場所はこれまで見てきたどの場所よりも荒廃していて、初めはそこがかつてのシンジュクだとは考えられないほどだった。


 当然人がいる気配などなく、見渡す限り破壊の跡が残っているだけだ。これでも復興は進んだ方らしく、廃墟の逆側を見れば更地に骨組みの建てられた立体道路、さらにその向こうには真新しい建物が軒を連ねている。まだ治安が悪いため地価もそれほど高くないためあまり大きなビルなどはみられない。


 未だにこんなに荒れた土地に人が住み続けているとは、一目見ただけでは決して考えられないことだろう。スザク自身まだゲットーで暮らしている日本人を見たことはないが、その生活がひどく逼迫したものだということは容易に想像できた。


 そこで鬱積した不満が爆発した形が“レジスタンス”活動、または“テロリズム”だ。その気持ちは人であれば理解は難しくはないだろう。決して晴れない悲しみや、怒り、恨みが背中を押しているのだと。作業を終え帰途へ着く頃には日は暮れ始め、瓦礫の山は未だに燃え続けているかのように赤く染め上げられていた。本当に燃え続けているとすれば、それは戦火ゆえか、死者の無念や怨念、生き残った者の怒りゆえか。いずれにせよその炎は未だにゲットーに住む人間の身体を燃やし続けている。


 しかし、だからといってブリタニアへの無差別な攻撃を許していいと言えるはずもない。無関係な民間人を巻き込んで、それを大義の下に行われた正義だと考えることは、彼にはできなかった。こんなやり方では“テロリスト”だと呼ばれても仕方ないではないか。


 そう考えたからこそ彼はブリタニア側に身を置くことを決めた。現状を変えたいという願いはスザクの中にも存在しているが、彼の信念がテロを許さなかった。そこで出した答えはブリタニア内部から変革を目指すという方法。しかし、実際は名誉ブリタニア人が這い上がっていけるほど軍は甘いものではない。


 だからこそ今日のベルトゥーチの話に気持ちがぐらついた。ベルトゥーチがスザクにもちかけたのはナンバーズを使い、ナンバーズの地位向上を目指した部隊の編成。部隊と言っても武装化はやはり許されず、主に復興作業や災害救助を行う部隊だ。


 うまくやれれば彼のような上級士官に取り入ることや、本当にナンバーズの地位向上も可能になってくるかもしれない。何より人道的で平和なやり方でもある。だが武勲をたてることができなければ発言力などは全く得ることはできないはずだ。どこまでいってもベルトゥーチにおんぶに抱っこというかたちになってしまう。


 さらにスザクを悩ませているのはベルトゥーチが口にしたナナリーの名前だ。あの兄妹がブリタニア皇室に戻っているとは思っていなかった。なにせ兄はブリタニアをぶっ壊すとまで言っていただけに驚きはひとしおだ。無事でいてくれたことは純粋に嬉しいが、どこか違和感を禁じえない。


 嬉しいはずなのに素直にそれを感じられない自分に少しいらつきながら寝返りをうつ。ベルトゥーチはナナリーの名前しか出さなかったが、ルルーシュはどうしているのだろうか。彼のことだからナナリーを一人にしておくとは考えられない。だがもしもという可能性も捨てきれない。それだけあの戦争の後はごたごたとしていた。


「君も、生きているのか?だとしたら、今どこで何をしてるんだ?」















「どうしてこんなことに……」


 アッシュフォード学園内のレクリエーション用屋外広間。大きな行事では必ずと言っていいほど利用される非常に広い敷地を有している場所である。今そこには特設ステージが組まれ、ステージを取り囲むようにひな壇が観客用に用意されている。さらにその席の外側には立食用のスペースが設けられ、多くの学生が思いもいの場所で盛り上がっていた。


 ステージ上ではなぜかラテン系の陽気な音楽が流れ、十人ほどの男女がドレスアップした姿でペアを作り踊っているではないか。ルルーシュの目の前にはステージへ続く入場ゲートが置かれ、先ほどから何人もそこからステージへ入っていく姿が特設の巨大スクリーンに映し出されている。


 今ルルーシュは入場ゲートの裏側で女物のドレスを着せられたまま待機している。うす紫色のそのドレスに加え、頭には白いヘッドドレスにウィッグまで装備された格好で。とどめとばかりにメイクまで施されたその顔をどうにか隠しながら自分の出番を待っているのだ。


 先に入場していく面々が男女問わず一度は足を止めてしまうほど彼の女装は様になっていたが、本人からすればそれは屈辱あるいは羞恥でしかない。怒りと恥ずかしさに顔を赤くしながらも、退路はミレイから指令を授かっているだろう咲世子に断たれてしまっている。


「さあ、Shall We Rumbleも中盤に差し掛かってまいりました!」


 ゲートの向こうからリヴァルの弾んだ声が聞こえてくる。彼が司会を務める“Shall We Rumble”と銘打たれたこの新歓イベント。内容について詳しくはまた後述するが、おおざっぱに説明すれば勝ち抜け耐久ダンスバトルとでもいうべきか。ブリタニア本国に本拠をもつある有名なエンターテイメント団体のイベントを模して行われている。なので生徒もどう盛り上がればよいかを知っているのだろう、プラカードを掲げたり、即興のチャントを歌ったりと思い思いにイベントを楽しんでいる。


 当初はもっと規模の小さな立食パーティーの計画だったのに、ルルーシュが少し目を離したすきに、あのおてんば生徒会長は予算を莫大に上乗せしこんな大規模セットまで組んでしまった。


「次の挑戦者で16人目!登場まであと10、9…」


 会場から大きなカウントダウンコールが聞こえる。するとまた一人、入場ゲート前でスタンバイを始めた。どうやら次は女性のようだ。明るい色の長い髪の毛を頭の後ろで結び、白いドレスに身を包んでいる。ゲートから漏れる会場の明かりに照らされた彼女の髪がとてもきれいに見える。


 ふと、彼女がルルーシュの視線に気がつき振り返った。まずいと思いすぐに顔を隠したが、ルルーシュのささやかな抵抗も意味をなさない。彼女も例にもれずじろじろとルルーシュのことを物珍しそうに見つめ始めた。こうなってしまえば、後は彼にできることは一秒でも早く彼女の出番が来ることを願うことだけだ。


「3、2、1……」


 その思いが通じたわけではないが、“0!”というコールが聞こえると彼女は、はっとして慌ててゲートをくぐっていく。


「16番目の挑戦者はー、女子水泳部所属、Ms.シャーリー・フェネット!」


 会場が再びわっと湧き、“シャーリー!シャーリー!”とチャントがこだまする。ルルーシュの出番は大とりの30番目。倉庫街の事件からまだ一週間程度しかたっておらず、気分は全くのってこない。逃げられない以上やるしかないのだが、心も体も相変わらず重い。


 ルルーシュはため息をつくと、入場ゲートからちらりと会場の様子を窺う。少しでも気分転換にでもなればとカレンを誘ってみたが、ブリタニア嫌いな彼女のことだから、仮に来ていたとすれば逆効果だったかもしれない。彼女のことを思うとルルーシュの気分はまた一段と重くなる。


 何か起こったのか会場がまた一段と湧き始めた。その熱気から離れているルルーシュは一人取り残されたような感覚にさいなまれながら、ここ十数日で起こったことを頭の中で思い出していた。









CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-

Stage12.紅い 殺意









「結局この色に塗り替えたのか」


 ルルーシュの見上げた先には鮮やかな赤色に塗り替えられたグラスゴーの姿があった。前々から敵との識別をつけるためにいつか色を変えようと話していたので、このこと自体は別に驚くことでもない。だが赤色、というよりももう少し鮮やかな紅色では派手ではないだろうか。


「紅と白は日本の色だからな。白よりは目立たないだろう?」


 顔から服まで体中を塗料で汚した杉山がグラスゴーの肩の上からルルーシュにこたえる。


「ついでに白は瓦礫の中から手に入れたしな」


 ハンガー代りに使っている地下空洞に酒瓶を抱えた吉田と扇が入ってきて、その酒瓶を掲げてみせた。ルルーシュがそれは何かと問うと、どぶろくだという答えが返ってきた。近づいて見ると茶色の一升瓶の中で雪の粉のようなものが舞っている。どぶろくと言われてもルルーシュにはぴんとこなかったが、きっとこの大きめの粉みたいなものが白色をしているのだろう。


「そんなにじっと見て、もしかしてお前も飲みたいのか?」

「未成年に飲酒を勧めるなよ」


 元教師らしく扇が吉田をたしなめ、杉山に今日はもう上がるように伝えた。杉山は塗料まみれの上着を脱ぎ捨てて一目散に吉田に駆け寄り、ルルーシュ以上に酒瓶に熱い視線を注いでいる。戦争終結以来、ゲットーでは煙草や酒のような代物はめったにお目にかかれないのだから杉山の行為も不思議ではない。吉田も自慢げに見せびらかして大の大人が二人して盛り上がっている。


 あの事件の後、どうにかカレンの母を救うことができたが、麻酔から目を覚ました彼女は起きている間、そのほとんどの時間を幻覚や幻聴の世界の中で過ごしている。今は二十四時間体制で見舞いという名の監視が続けられ、とても無事とは言えない状態だ。


 そしてカレンは母の容体が安定すると、すぐに自分もレジスタンスグループに入りたいと申し出てきた。しぶっていた扇も押し切られてしまうほどの剣幕で、鬼気迫る迫力が全身からにじみ出ていた。以前の彼女からは考えにくいほどとげとげしい雰囲気が感じられたその姿。気が強いのは昔からだが、今はどこか無理をしているようで、昔から彼女を知っているものは胸が痛む思いだった。吉田や杉山の行動もひょっとしたらそうした不安ゆえの反動としての明るさかもしれない。


「ルルーシュ、ちょっといいか?」


 微笑ましいというにはいささかむさ苦しい二人のやり取りを見ていたルルーシュを、扇が手招きをして呼んだ。


「カレンのことなんだが、学校でちゃんとやっていけてるか?最近のあいつを見てると心配になってきてな。ほら、年頃ってこともあるし……」

「学校では……まあうまくやっているかな」


 本格的に教師としての血が騒ぎ始めた扇に返したのは可もなく不可もない答え。別人を演じているだとか、たまにしか顔を出さないと知れば余計に不安をあおってしまうだろうから。まあ、後者の憂いはすぐにばれてしまうだろうが。


「本当か?それならいいんだが……。お前もカレンもまだ若いんだから無理だけはしてくれるなよ」

「カレンは今日も?」


 グループ入りを認められて以来、カレンはすっかりここに入り浸っていた。母の容体のこともあるだろうし、武器の使い方などを身につけようと躍起になっている。卓越したナイトメアの操縦技術を披露して、あっという間に扇から騎手の座を譲り受けたことで一段とやる気になっているようだ。どこで操縦技術を身につけたのか訊いてみてもうやむやにはぐらかされるだけで、今の彼女を見ていると組織の一員としてではなく、自分の恨み辛みに従って動いているように感じられる。


「ああ、昼前にはもう来ていたな。見舞いが終わった途端に銃の撃ち方を教えてほしいだとか、次はいつどこを襲うのかとか……、お前の時も思ったが急ぎ過ぎている気がして、いろいろと速まってしまわないか心配なんだよ」


「今度、学園でパーティーがあるから誘っておこう。少しは息抜きなるかもしないしな」


 誘ってみても来ないだろうなと二人とも考えていたが、それは口にはしない。


「頼んだ」


 扇はそれだけ言うと視線を上げた。そこにあるのは奇しくもカレンの髪の色のように紅く彩られた巨人の姿。足元には紅い塗料が地面にこぼれて広がっている。それはまるでグラスゴーが血を流しているようでもあった。















「いやー、今日はひやひやさせられましたよ、ルルーシュ大先生」

「あのくらいの演出でもなければ面白くなりそうもなかったからな」

「へいへい、相変わらず大した自信で」


 ゲットーを訪ねてからさらに数日後、リヴァルのバイト先であるバーで斡旋されている賭けチェスから学校へと帰ってきた二人。夕暮れ時の陽気が心地よい風を運んできてくれるというのに二人の会話の内容はいささか不健全である。


 賭けチェスを始めてから時間も経つためもはや慣れたもので、リヴァルがプロモートしルルーシュが勝利をおさめるのがいつもの展開だ。ただ、今日の勝負では危うい場面が一度だけみられた。リヴァルから見れば巻き返しは不可能と思われるようなまずい一手をルルーシュが打ってしまったのだ。それでも勝利をおさめる実力があるのだからやはり大したものだなあ、などとリヴァルは感心しきりだった。


 しかし、ルルーシュからすればそれはただの失敗であった。今の彼には懸念せざるおえないことが多く、しかもその多くが精神的にかなりの疲弊を強いられるものだ。異変を悟られまいといつも通りに振る舞おうとしても、行動の端々にそれらが顔をちらつかせる。今日はそれがルルーシュの一手を狂わせたのだ。


 今後の活動指針、予断を許さない物資状況、深刻な薬物依存に見舞われている恩人、そしてその恩人の娘のこと…。どれもこれもすぐに片のつく話ではない。特にカレンと彼女の母の問題はどうしてもルルーシュの頭を悩ませている。


 ルルーシュもカレンの母が幻覚症状に襲われている姿を見ていただけに、どこまで回復できるのか不安になるし、カレンの最近の言動も扇が言うように不安を感じざるを得ない。まあ、年頃がどうだとかはあまり意識したことはなかったが。


「おっ、ちょうどいいところに帰ってきたわねご両人。今日のデートは楽しかった?」


 生徒会室に入るなり男二人を捕まえて“デート”とのたまうのが年頃の少女とは言わないが、少なくとも最近のカレンよりはミレイの方がはるかにそれらしいだろう。ミレイの隣でクスッと笑っているニーナもしかりだ。


「なにがちょうどよかったんですか、会長?」


 ルルーシュは頭を生徒会モードに切り替え、彼女のこうした遊び心に付き合っていては日が来るまで本題にはたどり着けそうもないと、デート発言はあえて聞き流し本題をせかした。


「今度の新歓パーティーの資料なんだけど、全部できたから副会長のサインも書いてちょうだい」

「ああ、そのことですか。いいですよ、それですか?」


 日暮れ時の光がミレイの背後の窓から注ぎ込む。それが逆光となり資料を受け取ろうと手を伸ばしたルルーシュからはミレイの顔はよく見えなかった。もしもこの時ルルーシュが彼女の実に楽しげな表情に、リヴァルとニーナへ送ったアイコンタクトに気が付いていれば彼の運命も変わっていたかもしない。


 直前まで彼も資料作成に関わっていたためろくに確認もせずに自分の名前を記入していくルルーシュ。彼は知らない。ミレイが和美に相談をもちかけた日から鬱積していた悩みを払うかのように独自の資料作りに精を出していたことを。そして、今日チェスへ駆り出されたことが実は他の生徒会メンバーによる策略であったことを。


「これでいいですか?」

「ばっちり!ああ、これでルルちゃんも本当の意味でルル“ちゃん”になれるのね!」

「……はい?」















「それではルールを説明いたしましょう」

 努力はした。無駄と知りながらできる限りの抵抗を試みた。だが、一度乗り気になった我らが生徒会長を誰が止めうるというのだろう。


「まずお集まりの皆様の中より抽選で30人、このメインイベントに参加していただく方を選ばせていただきます。そして、その30名の方々に挑戦していただくのは……勝ち抜け式のダンスバトルです」


 いや会長だけではない、飼い犬のごとく彼女に忠節を尽くす男も実に楽しげではないか。もし犬のようにしっぽがついていればちぎれんばかりに振りまわしているに違いない。


「まずは二名がステージに上がり踊っていただくことになります。そしてダンス開始から一定時間が経過したところで次の挑戦者が登場してくるのです。なお挑戦者の数が奇数となりペアが作れない場合はシングルで踊っていただくことになるますのでご注意を。衣装につきましては貸し出しを行っています。おどけるもよし、びしっときめるのもよし、お好きにコーディネートを楽しめます」

「ああ、ルルーシュ様、衣装にしわがついてしますから、じっとしていてください」


 さらに会長の被雇用者であるメイドは違う意味でお楽しみの様子。目つきがいつもの彼女とはかけ離れたものとなり、時折「これでまた妄想のネタが……」などと訳のわからない言葉を口にしている始末だ。


「膝をつく、こけるなど明らかに態勢を崩した場合は即失格、またステージからはみ出しても失格、さらに一曲ごとに審査員によるジャッジを行い最も評価の低かった選手も失格となります。当然わざと相手をこかせるなどの行為は反則となり失格です。ギブアップも認められるので決して無理をなさらないように」


 だが、どうしても自分だけはこの雰囲気についていけない。納得もいかないし、気分も乗らない。高まっていくのは後悔と羞恥心の方だ。


「そーして、そして、なんと最後に残った挑戦者には好きなことを一つだけ会長権限で叶えることができる権利が与えられます!常識の範疇をこえない願いであればなんでも、なんでもあり!」


 会場の観客の歓声も徐々に大きさを増してきている。


「ではここで一つ重要な、非常に重要な質問があります……Are you ready?」


 歓声が渦を巻いてリヴァルの問いに応え、その全てが“Yes”を告げた。


「No!Ashford!High School!Freshmen!He said“Are you reeeeeeeeady”!?」


 リヴァルからマイクを受け取ったミレイがさらに会場をあおる。答えはもちろん“Yes”。会場にいる誰もが楽しげに声を張り上げているようだ。新たに入学した生徒も多いが、中等部からミレイに影響されてきた生徒達に引っ張られるかたちでテンションだけはぐんぐんと上がっている。さしずめ会場の生徒達は“ミレイマニア”か“アッシュフォードホリック”だ。


「The thousands in Ashford, Wooooooo Let’s get ready to dancing!」


 メインイベントの開始を告げるセリフと大歓声。かくしてルルーシュの長い夜が幕を開けた。










 イベントが始まってからすでに26人がステージへと姿を消し終盤を迎えている。これまで常にゲート裏でスタンバイさせられていたルルーシュは、いやというほどこの学園の生徒の乗りの良さにあきれを通り越して感心させられていた。軍服姿にサングラスと鬼軍曹さながらな衣装で大きな国旗を翻しながら入場したり、中世の海賊風の衣装で入場したりと貸衣装を最大限に利用している。早めのハロウィンがおとずれたような様相を呈しているステージへ入っていくには、今のルルーシュのテンションでは気が引ける。


「どーしたの?元気がないぞ、お・ひ・め・さ・ま!もしかしてガッツの魔法が必要かな?」

「誰のせい、だ…と」


 背後からかけられた声に振り向くとそこにいたのはこの事態の元凶。嫌味か皮肉の一つでも言ってやろうか思っていたルルーシュだったが、思わずすべての動作が止まってしまった。そこにいたミレイの格好はこれまで見てきた参加者よりもある意味で一線を画していたのだ。


「どうどう、私もルルちゃんに負けてないでしょ?」

「そんな格好で、まさかとは思いますが会長も……?」


 にやり、と含みをもった笑みを浮かべるミレイと目があう。そういえばまだ次の挑戦者を見ていない。


「3,2,1…」


 会場のカウントダウンに応じてミレイが一歩、また一歩とゲートへ近づいていき、やがて“0!”のコールとともにまばゆい逆光の中へと消えていった。


「27番目に出てきたのは、われらが麗しの生徒会長、Ms.ミレイ・アッシュフォード!」


 リヴァルのやや興奮気味なコールが終わるや否や、会場からはそれまで以上の声援が渦を巻き始めた。それもそのはず、ミレイの衣装はそれまで登場した女生徒の重そうなドレスとは異なり、背中を大きく露出し、スリットも大胆にあしらわれたドレスだったのだから。その姿がスクリーンにズームで映し出されると男子生徒が一段と大きな声を上げる。


 いったいその中の何人が気付くことができたであろうか。一見すれば会長の少し度の過ぎたサービス精神あふれるその衣装、それが実は必勝の一手であることに。他の女生徒と比べて明らかに動きやすく、通気性もよさそうなその姿は体力消耗という点から見ればすこぶる優位に立てる。


 さらに裏方を担当しているものは彼女が、彼女以降の登場順をブックしていることを知っているので、今後さらに彼女が有利になるであろうことは予測できた。何せ彼女の後に控えているのは体力テストで彼女よりも大きく劣る成績を残した二人、そして最後に出場予定のルルーシュの体力は言わずもがなだ。さらに男性陣はこの時点ですでに出尽くしている。


 だがどうしても解せないのはなぜ彼女がそこまで勝利にこだわるのかということだ。彼女のことなのでまた何か突拍子のない願いを言い出すのではないかと、裏側を知っている人間は半分わくわくしながら、もう半分はびくびくしながら終わりの時を待っている。当のミレイはそんな杞憂などどこ吹く風と楽しそうにステージで踊っている。公然と自分の思いつきが認められるその瞬間を今か今かと待ちながら。


 ミレイが登場してから90秒後、28番の挑戦者が登場しこれで後はルルーシュともう一人を残すだけ。案の定ミレイの思惑通り28番目の挑戦者はあっという間に足をもたつかせ尻もちをついて失格になってしまった。ルルーシュはその光景を見ながらミレイの思惑と、自分がこれから置かれるおぞましい瞬間を想像してすでにぐったりとしている。


「だから、私は踊らないって何度も……」

「まあ、そうおっしゃらずにこれも皆様に少しでも早くアッシュフォード学園になじんでいただくためにですね……」

「ちょっとそんなに押さないでよ!だいたい、さっきからなんでそんな話し方なの?何か気持ち悪いってば!」

「なぜと申されましても、私はメイドですので……ああ、もしやどこか粗相がありましたか?すみません何分至らぬ見習いの身ですので、お叱りは後で存分にお受けいたします。ですから、今は……」


 と、そこにさらにルルーシュの頭を悩ませる事案が舞い込んできた。おそらく来てないだろうと思っていた女性の声と、毎日顔を合わせているメイドの声が後方から聞こえてきたのだ。まさかと思いつつ恐る恐る振り返るとやはりそこには旧知の仲である二人の姿があった。いつものメイド服を着た和美と、ボルドーカラーのドレスを身にまとったカレンである。


「和美さん、どうかしましたか?」

「いえ、ご心配なく。大事ありません」

「そうですか。ですが、くれぐれも粗相のないようにお願いしますね」


 “簡単に納得せずに、もっと突っ込んで訊いてくれ!”という言葉を生唾と共に飲み込む。咲世子に声をかけられた和美はにこやかにそう告げたが、先ほどの会話からすればいささか信じがたい言葉だったではないか。


 カレンは咲世子の存在に気付くと途端に態度を病弱娘にシフトし、おとなしく和美のエスコートに従っている。それがまたルルーシュを釈然としない気持ちにさせる。できれば彼女たちだけにはこの姿を見られまいとすぐさまそっぽを向いたルルーシュだったが、それも無駄な努力であった。


「ルルーシュ様、このお方の次が出番となっておりますが準備はよろしいですか?衣装に不具合などはございませんでしょうか?」


 不具合どころではないほど問題点は多い服装だし、なによりこの状況が一番不具合、もとい不都合だ。視線を背中越しに感じるのは決して思いすごしではないだろう。まるで服の下まで見透かされているような力強い視線がルルーシュの背中を焦がす。


「あのう……」

「えっと……」

「……なんだ」


 正体はばれても意地でも振り向くまい。それはルルーシュに残された男としての最後の意地。


「これは……その」

「何というか……ねえ」


 しかし、ルルーシュは回り込まれてしまった。目の前には今のルルーシュにとっては件の女生徒会長様よりもやっかいに思える少女が二人、彼の姿を上から下へ、下から上へと視線を這わせている。蛇がからみつくかのように全身を這っていた二人の視線は格好の獲物を見つけたようだ。ルルーシュの顔をじっと見つめている。


「どうですか、とてもお似合いでしょう?」


 彼女たちの視線が蛇ならば、大蛇とでもいうべき熱視線をルルーシュへ向けていた咲世子は二人の反応にご満悦の様子。男の女装姿、本来ならば笑うか気持ち悪いという反応を返すところだが本当に似合ってしまっているので反応も返しづらい。だからだろうか、カレンは少々当惑気味の、しかしどこか怒気を含んだ声で囁いた。


「あんた、扇さんに何か言ったでしょ?今日はどうしても学校に行けってうるさかったんだから!まさかこれもあんたの仕業じゃ……」


 カレンは“これ”と言いながら、汚いものを触るように自分が袖を通しているドレスをつまんだ。


「扇には今日イベントがあるとしか伝えていないし、俺もこんなことになるなんて知らなかった」

「どうだか……。それはそうと、扇さんから伝言。次の作戦を決めるから明後日の会議に参加してほしいってさ」


 話題を変えた途端にカレンの表情が緩む。楽しんでいるわけではなく、嬉しがっているといった方がこの場合は適切だろう。おそらくカレンは自分もようやく溢れんばかりの感情を形にできることを心待ちにしていたはずだ。ひょっとしたら自分もあの時にこんな顔をしていたのだろうか。ルルーシュはそう思うと扇の“はやまる”という言葉を再認識した。なるほど、確かにこの表情を見れば不安に駆られるのもわかる。


 逆に和美はころころと表情を変えて「……いい」だとか、首を横に振りながら「違う、違う、私はあの二人みたいにそこまで腐っては……」という謎の言葉を口にし始めた。彼女の視線がどことなく咲世子に似ていると感じるのは気のせいだろうか。だが、生き生きとした顔をしていることには変わりない。カレンの表情と比較するとその違いがよくわかる。カレンとは対照的に和美は最近どこか活発的だ。


「残る挑戦者もあと二人のみ!ステージ上にはすでに三人しか残っておらず、次の挑戦者次第で状況は大きく左右されるかもしれません!」


 ルルーシュにとっては何とも言えない雰囲気に割って入ってきたリヴァルの実況。どうやらそろそろ次の参戦者が入場する時間のようだ。再びカウントダウンが始まり、和美が慌ててカレンの背を押した。不意を突かれたカレンは先ほどのような抵抗を見せる間もなく、ややフライング気味にゲートをこえて行った。


 他の参加者と同じように大歓声が彼女を迎える。ルルーシュからはカレンの表情は見えないが、歩き方はいかにも覇気がなさげに見える。その姿を演じている以上、どんなに大きな歓声が迎えようと、そんなに多くの観衆が周りを囲もうとも、彼女は途方もない孤独感にさいなまれることだろう。彼女のことだから何でもないように悪態をついてお仕舞にしてしまいそうだが、十代半ばの少女が背負うにはあまりに重たいものを背負おうとしている。


 やはり誘うべきではなかったか。ステージに降り立って早々に棄権するカレンの後姿を見ながらルルーシュはその核心を深めていた。


 ルルーシュが感慨に浸っている間にもイベントは進み、やがてステージにはミレイを残すのみとなっていた。それはつまり彼の出番が巡ってきてしまったことを意味する。


 人の心とは正直なもので窮地に立たされると自分に主眼を置きがちだ。ルルーシュも例にもれず一気に羞恥心、悔しさ、怒りがこみ上げてくることを禁じえなかった。逃げてしまおうかと一歩後ずさると、案の定咲世子と和美に両腕をがっちりとホールドされてしまう。二人ともにこやかではあるけれど、助けてくれるわけではなさそうだ。


 ミレイとてすでに疲労の色は出ているはずだし、本気で勝ちにでもいってみようか。もはや詰んだも同然の戦場へと繰り出していく彼のささやかな反逆心がどうにか足を前へと進める。


「最後に入場してくるのは、アッシュフォード学園高等部生徒会所属、Ms.ルルーシュ・ランペルージ!」


 会場から歓声とどよめきがせめぎ合うように聞こえてくる。ルルーシュが男であることをすでに大半の生徒は知っているからだ。エレベーター組はもちろんのこと、新入生も入学式の“事件”を直にもしくは噂で知っているため、校内での彼の認知度は彼自身が思っている以上に高い。ではなぜ司会は“Ms.”とコールをしたのかと、自然にゲートへと会場中の視線が集まっていく。


 一瞬の静寂の後、おとずれたのはひょっとするとこの日一番の大歓声であった。男も女も選ばない容姿をもったその姿がスクリーンに映し出されると、また一段と会場が沸いていく。会場全体が“女性”として出てきたルルーシュを迎え入れ、口笛に拍手で喝采を送っているのだ。


 意味合いは多少異なるがルルーシュもカレン同様、大勢の観衆すべてが敵であるように感じてしまった。いっそのことブーイングでも起こってくれれば男としての最後の威厳は保てたものの、これだけの人数に認められたのではやるせなさしか残らない。自然と足取りも気の抜けたものへと変わっていく。


 やる気のないルルーシュと、100パーセント勝つつもりでいるミレイ。ミレイが体力をすでにいくらか消耗していることを考慮に入れても、慣れない服装で踊らなければならないルルーシュ。予想としては五分かやはり体力的、性別的に見てルルーシュ有利とする立場が大部分だ。しかし、どちらが勝つにしろこの二人が踊るのだからさぞ見栄えのする舞踏になることだろう。


 と誰もが胸を躍らせていた矢先に事件は起こった。会場にこだまする「あっ」という言葉。その時の会場の一体感はその日歌われたどのチャンとよりも上ではなかっただろうか。皆の視線は相変わらずルルーシュを捉えているが、もはや動きを追う必要はなくなった。


「ル、ルルーシュ選手は転倒により失格!優勝はMs.ミレイ・アッシュフォード!」


 リヴァルの困惑したアナウンスが入るも、やはり皆は優勝者であるミレイではなくルルーシュを見つめている。ステージ上がる際、段差をまたごうとしてスカートを踏みつけ頭からステージに倒れこんだルルーシュを。




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