「お話は分かりました。ですが、今は一介の兵卒にすぎません。このような大役には……」
トウキョウ租界政庁内内部、上級士官専用の執務室の一つ。そこには二人の軍人の姿がある。一人は少年から成年への成長過程にある若い兵卒。もう一人は群青色の軍服に身を包んだ、先ほどの兵卒とは一回り半は年が違うだろうこの部屋の主の姿だ。
若い兵卒は今しがた上官から持ちかけられた話に辞退を申し出ようとしていたが、上官はそれを遮り再び話し始めた。
「君だから私はこの話を話したのだよ。この意味は分かるね?」
少年兵がぴくんと反応する。その表情はわずかに険しくなっている。
「それにこれはナナリー様直々の願いでもある。彼女はたいへん君のことを気にかけてらしてね、無事だと報告したところぜひこの計画に参加してほしいと」
もう一度少年兵の反応があった。今度は表情からとげが少しとれ微妙な顔つきをしている。
「なにぶん急な話だ、君も考える時間が欲しいだろう。これが実行に移されるまでまだ時間がかかるから、ゆっくり考えてみてくれないかね」
「イエス・マイロード!」
形式通りの敬礼を見せるときびきびとした動作で少年兵は部屋から出て行った。
部屋を出たのち少年、枢木スザクは日勤担当だったためすぐに宿舎へと引き返した。だが、考えるべきことが先ほどの十分足らずのうちにいくつもできてしまいすぐには休むことはできない。下級兵用の雑居部屋には他にも三人の兵士がいるが、彼がいわゆる“名誉”であるためほとんど干渉しようとはしてこない。今となっては慣れたものだし、今日のような日はかえって都合が良い。
スザクは自分の寝台の上に横になると頭の中で今日あったことを反すうし始める。まずは、復興作業という名の瓦礫除去作業に駆り出され、改めて戦争とその後の衝突の悲劇を色濃く物語る跡地を訪れた。今日遣わされた場所はこれまで見てきたどの場所よりも荒廃していて、初めはそこがかつてのシンジュクだとは考えられないほどだった。
当然人がいる気配などなく、見渡す限り破壊の跡が残っているだけだ。これでも復興は進んだ方らしく、廃墟の逆側を見れば更地に骨組みの建てられた立体道路、さらにその向こうには真新しい建物が軒を連ねている。まだ治安が悪いため地価もそれほど高くないためあまり大きなビルなどはみられない。
未だにこんなに荒れた土地に人が住み続けているとは、一目見ただけでは決して考えられないことだろう。スザク自身まだゲットーで暮らしている日本人を見たことはないが、その生活がひどく逼迫したものだということは容易に想像できた。
そこで鬱積した不満が爆発した形が“レジスタンス”活動、または“テロリズム”だ。その気持ちは人であれば理解は難しくはないだろう。決して晴れない悲しみや、怒り、恨みが背中を押しているのだと。作業を終え帰途へ着く頃には日は暮れ始め、瓦礫の山は未だに燃え続けているかのように赤く染め上げられていた。本当に燃え続けているとすれば、それは戦火ゆえか、死者の無念や怨念、生き残った者の怒りゆえか。いずれにせよその炎は未だにゲットーに住む人間の身体を燃やし続けている。
しかし、だからといってブリタニアへの無差別な攻撃を許していいと言えるはずもない。無関係な民間人を巻き込んで、それを大義の下に行われた正義だと考えることは、彼にはできなかった。こんなやり方では“テロリスト”だと呼ばれても仕方ないではないか。
そう考えたからこそ彼はブリタニア側に身を置くことを決めた。現状を変えたいという願いはスザクの中にも存在しているが、彼の信念がテロを許さなかった。そこで出した答えはブリタニア内部から変革を目指すという方法。しかし、実際は名誉ブリタニア人が這い上がっていけるほど軍は甘いものではない。
だからこそ今日のベルトゥーチの話に気持ちがぐらついた。ベルトゥーチがスザクにもちかけたのはナンバーズを使い、ナンバーズの地位向上を目指した部隊の編成。部隊と言っても武装化はやはり許されず、主に復興作業や災害救助を行う部隊だ。
うまくやれれば彼のような上級士官に取り入ることや、本当にナンバーズの地位向上も可能になってくるかもしれない。何より人道的で平和なやり方でもある。だが武勲をたてることができなければ発言力などは全く得ることはできないはずだ。どこまでいってもベルトゥーチにおんぶに抱っこというかたちになってしまう。
さらにスザクを悩ませているのはベルトゥーチが口にしたナナリーの名前だ。あの兄妹がブリタニア皇室に戻っているとは思っていなかった。なにせ兄はブリタニアをぶっ壊すとまで言っていただけに驚きはひとしおだ。無事でいてくれたことは純粋に嬉しいが、どこか違和感を禁じえない。
嬉しいはずなのに素直にそれを感じられない自分に少しいらつきながら寝返りをうつ。ベルトゥーチはナナリーの名前しか出さなかったが、ルルーシュはどうしているのだろうか。彼のことだからナナリーを一人にしておくとは考えられない。だがもしもという可能性も捨てきれない。それだけあの戦争の後はごたごたとしていた。
「君も、生きているのか?だとしたら、今どこで何をしてるんだ?」
「どうしてこんなことに……」
アッシュフォード学園内のレクリエーション用屋外広間。大きな行事では必ずと言っていいほど利用される非常に広い敷地を有している場所である。今そこには特設ステージが組まれ、ステージを取り囲むようにひな壇が観客用に用意されている。さらにその席の外側には立食用のスペースが設けられ、多くの学生が思いもいの場所で盛り上がっていた。
ステージ上ではなぜかラテン系の陽気な音楽が流れ、十人ほどの男女がドレスアップした姿でペアを作り踊っているではないか。ルルーシュの目の前にはステージへ続く入場ゲートが置かれ、先ほどから何人もそこからステージへ入っていく姿が特設の巨大スクリーンに映し出されている。
今ルルーシュは入場ゲートの裏側で女物のドレスを着せられたまま待機している。うす紫色のそのドレスに加え、頭には白いヘッドドレスにウィッグまで装備された格好で。とどめとばかりにメイクまで施されたその顔をどうにか隠しながら自分の出番を待っているのだ。
先に入場していく面々が男女問わず一度は足を止めてしまうほど彼の女装は様になっていたが、本人からすればそれは屈辱あるいは羞恥でしかない。怒りと恥ずかしさに顔を赤くしながらも、退路はミレイから指令を授かっているだろう咲世子に断たれてしまっている。
「さあ、Shall We Rumbleも中盤に差し掛かってまいりました!」
ゲートの向こうからリヴァルの弾んだ声が聞こえてくる。彼が司会を務める“Shall We Rumble”と銘打たれたこの新歓イベント。内容について詳しくはまた後述するが、おおざっぱに説明すれば勝ち抜け耐久ダンスバトルとでもいうべきか。ブリタニア本国に本拠をもつある有名なエンターテイメント団体のイベントを模して行われている。なので生徒もどう盛り上がればよいかを知っているのだろう、プラカードを掲げたり、即興のチャントを歌ったりと思い思いにイベントを楽しんでいる。
当初はもっと規模の小さな立食パーティーの計画だったのに、ルルーシュが少し目を離したすきに、あのおてんば生徒会長は予算を莫大に上乗せしこんな大規模セットまで組んでしまった。
「次の挑戦者で16人目!登場まであと10、9…」
会場から大きなカウントダウンコールが聞こえる。するとまた一人、入場ゲート前でスタンバイを始めた。どうやら次は女性のようだ。明るい色の長い髪の毛を頭の後ろで結び、白いドレスに身を包んでいる。ゲートから漏れる会場の明かりに照らされた彼女の髪がとてもきれいに見える。
ふと、彼女がルルーシュの視線に気がつき振り返った。まずいと思いすぐに顔を隠したが、ルルーシュのささやかな抵抗も意味をなさない。彼女も例にもれずじろじろとルルーシュのことを物珍しそうに見つめ始めた。こうなってしまえば、後は彼にできることは一秒でも早く彼女の出番が来ることを願うことだけだ。
「3、2、1……」
その思いが通じたわけではないが、“0!”というコールが聞こえると彼女は、はっとして慌ててゲートをくぐっていく。
「16番目の挑戦者はー、女子水泳部所属、Ms.シャーリー・フェネット!」
会場が再びわっと湧き、“シャーリー!シャーリー!”とチャントがこだまする。ルルーシュの出番は大とりの30番目。倉庫街の事件からまだ一週間程度しかたっておらず、気分は全くのってこない。逃げられない以上やるしかないのだが、心も体も相変わらず重い。
ルルーシュはため息をつくと、入場ゲートからちらりと会場の様子を窺う。少しでも気分転換にでもなればとカレンを誘ってみたが、ブリタニア嫌いな彼女のことだから、仮に来ていたとすれば逆効果だったかもしれない。彼女のことを思うとルルーシュの気分はまた一段と重くなる。
何か起こったのか会場がまた一段と湧き始めた。その熱気から離れているルルーシュは一人取り残されたような感覚にさいなまれながら、ここ十数日で起こったことを頭の中で思い出していた。
CODE GEASS 反逆のルルーシュ -Beyond The Zero-
Stage12.紅い 殺意
「結局この色に塗り替えたのか」
ルルーシュの見上げた先には鮮やかな赤色に塗り替えられたグラスゴーの姿があった。前々から敵との識別をつけるためにいつか色を変えようと話していたので、このこと自体は別に驚くことでもない。だが赤色、というよりももう少し鮮やかな紅色では派手ではないだろうか。
「紅と白は日本の色だからな。白よりは目立たないだろう?」
顔から服まで体中を塗料で汚した杉山がグラスゴーの肩の上からルルーシュにこたえる。
「ついでに白は瓦礫の中から手に入れたしな」
ハンガー代りに使っている地下空洞に酒瓶を抱えた吉田と扇が入ってきて、その酒瓶を掲げてみせた。ルルーシュがそれは何かと問うと、どぶろくだという答えが返ってきた。近づいて見ると茶色の一升瓶の中で雪の粉のようなものが舞っている。どぶろくと言われてもルルーシュにはぴんとこなかったが、きっとこの大きめの粉みたいなものが白色をしているのだろう。
「そんなにじっと見て、もしかしてお前も飲みたいのか?」
「未成年に飲酒を勧めるなよ」
元教師らしく扇が吉田をたしなめ、杉山に今日はもう上がるように伝えた。杉山は塗料まみれの上着を脱ぎ捨てて一目散に吉田に駆け寄り、ルルーシュ以上に酒瓶に熱い視線を注いでいる。戦争終結以来、ゲットーでは煙草や酒のような代物はめったにお目にかかれないのだから杉山の行為も不思議ではない。吉田も自慢げに見せびらかして大の大人が二人して盛り上がっている。
あの事件の後、どうにかカレンの母を救うことができたが、麻酔から目を覚ました彼女は起きている間、そのほとんどの時間を幻覚や幻聴の世界の中で過ごしている。今は二十四時間体制で見舞いという名の監視が続けられ、とても無事とは言えない状態だ。
そしてカレンは母の容体が安定すると、すぐに自分もレジスタンスグループに入りたいと申し出てきた。しぶっていた扇も押し切られてしまうほどの剣幕で、鬼気迫る迫力が全身からにじみ出ていた。以前の彼女からは考えにくいほどとげとげしい雰囲気が感じられたその姿。気が強いのは昔からだが、今はどこか無理をしているようで、昔から彼女を知っているものは胸が痛む思いだった。吉田や杉山の行動もひょっとしたらそうした不安ゆえの反動としての明るさかもしれない。
「ルルーシュ、ちょっといいか?」
微笑ましいというにはいささかむさ苦しい二人のやり取りを見ていたルルーシュを、扇が手招きをして呼んだ。
「カレンのことなんだが、学校でちゃんとやっていけてるか?最近のあいつを見てると心配になってきてな。ほら、年頃ってこともあるし……」
「学校では……まあうまくやっているかな」
本格的に教師としての血が騒ぎ始めた扇に返したのは可もなく不可もない答え。別人を演じているだとか、たまにしか顔を出さないと知れば余計に不安をあおってしまうだろうから。まあ、後者の憂いはすぐにばれてしまうだろうが。
「本当か?それならいいんだが……。お前もカレンもまだ若いんだから無理だけはしてくれるなよ」
「カレンは今日も?」
グループ入りを認められて以来、カレンはすっかりここに入り浸っていた。母の容体のこともあるだろうし、武器の使い方などを身につけようと躍起になっている。卓越したナイトメアの操縦技術を披露して、あっという間に扇から騎手の座を譲り受けたことで一段とやる気になっているようだ。どこで操縦技術を身につけたのか訊いてみてもうやむやにはぐらかされるだけで、今の彼女を見ていると組織の一員としてではなく、自分の恨み辛みに従って動いているように感じられる。
「ああ、昼前にはもう来ていたな。見舞いが終わった途端に銃の撃ち方を教えてほしいだとか、次はいつどこを襲うのかとか……、お前の時も思ったが急ぎ過ぎている気がして、いろいろと速まってしまわないか心配なんだよ」
「今度、学園でパーティーがあるから誘っておこう。少しは息抜きなるかもしないしな」
誘ってみても来ないだろうなと二人とも考えていたが、それは口にはしない。
「頼んだ」
扇はそれだけ言うと視線を上げた。そこにあるのは奇しくもカレンの髪の色のように紅く彩られた巨人の姿。足元には紅い塗料が地面にこぼれて広がっている。それはまるでグラスゴーが血を流しているようでもあった。
「いやー、今日はひやひやさせられましたよ、ルルーシュ大先生」
「あのくらいの演出でもなければ面白くなりそうもなかったからな」
「へいへい、相変わらず大した自信で」
ゲットーを訪ねてからさらに数日後、リヴァルのバイト先であるバーで斡旋されている賭けチェスから学校へと帰ってきた二人。夕暮れ時の陽気が心地よい風を運んできてくれるというのに二人の会話の内容はいささか不健全である。
賭けチェスを始めてから時間も経つためもはや慣れたもので、リヴァルがプロモートしルルーシュが勝利をおさめるのがいつもの展開だ。ただ、今日の勝負では危うい場面が一度だけみられた。リヴァルから見れば巻き返しは不可能と思われるようなまずい一手をルルーシュが打ってしまったのだ。それでも勝利をおさめる実力があるのだからやはり大したものだなあ、などとリヴァルは感心しきりだった。
しかし、ルルーシュからすればそれはただの失敗であった。今の彼には懸念せざるおえないことが多く、しかもその多くが精神的にかなりの疲弊を強いられるものだ。異変を悟られまいといつも通りに振る舞おうとしても、行動の端々にそれらが顔をちらつかせる。今日はそれがルルーシュの一手を狂わせたのだ。
今後の活動指針、予断を許さない物資状況、深刻な薬物依存に見舞われている恩人、そしてその恩人の娘のこと…。どれもこれもすぐに片のつく話ではない。特にカレンと彼女の母の問題はどうしてもルルーシュの頭を悩ませている。
ルルーシュもカレンの母が幻覚症状に襲われている姿を見ていただけに、どこまで回復できるのか不安になるし、カレンの最近の言動も扇が言うように不安を感じざるを得ない。まあ、年頃がどうだとかはあまり意識したことはなかったが。
「おっ、ちょうどいいところに帰ってきたわねご両人。今日のデートは楽しかった?」
生徒会室に入るなり男二人を捕まえて“デート”とのたまうのが年頃の少女とは言わないが、少なくとも最近のカレンよりはミレイの方がはるかにそれらしいだろう。ミレイの隣でクスッと笑っているニーナもしかりだ。
「なにがちょうどよかったんですか、会長?」
ルルーシュは頭を生徒会モードに切り替え、彼女のこうした遊び心に付き合っていては日が来るまで本題にはたどり着けそうもないと、デート発言はあえて聞き流し本題をせかした。
「今度の新歓パーティーの資料なんだけど、全部できたから副会長のサインも書いてちょうだい」
「ああ、そのことですか。いいですよ、それですか?」
日暮れ時の光がミレイの背後の窓から注ぎ込む。それが逆光となり資料を受け取ろうと手を伸ばしたルルーシュからはミレイの顔はよく見えなかった。もしもこの時ルルーシュが彼女の実に楽しげな表情に、リヴァルとニーナへ送ったアイコンタクトに気が付いていれば彼の運命も変わっていたかもしない。
直前まで彼も資料作成に関わっていたためろくに確認もせずに自分の名前を記入していくルルーシュ。彼は知らない。ミレイが和美に相談をもちかけた日から鬱積していた悩みを払うかのように独自の資料作りに精を出していたことを。そして、今日チェスへ駆り出されたことが実は他の生徒会メンバーによる策略であったことを。
「これでいいですか?」
「ばっちり!ああ、これでルルちゃんも本当の意味でルル“ちゃん”になれるのね!」
「……はい?」
「それではルールを説明いたしましょう」
努力はした。無駄と知りながらできる限りの抵抗を試みた。だが、一度乗り気になった我らが生徒会長を誰が止めうるというのだろう。
「まずお集まりの皆様の中より抽選で30人、このメインイベントに参加していただく方を選ばせていただきます。そして、その30名の方々に挑戦していただくのは……勝ち抜け式のダンスバトルです」
いや会長だけではない、飼い犬のごとく彼女に忠節を尽くす男も実に楽しげではないか。もし犬のようにしっぽがついていればちぎれんばかりに振りまわしているに違いない。
「まずは二名がステージに上がり踊っていただくことになります。そしてダンス開始から一定時間が経過したところで次の挑戦者が登場してくるのです。なお挑戦者の数が奇数となりペアが作れない場合はシングルで踊っていただくことになるますのでご注意を。衣装につきましては貸し出しを行っています。おどけるもよし、びしっときめるのもよし、お好きにコーディネートを楽しめます」
「ああ、ルルーシュ様、衣装にしわがついてしますから、じっとしていてください」
さらに会長の被雇用者であるメイドは違う意味でお楽しみの様子。目つきがいつもの彼女とはかけ離れたものとなり、時折「これでまた妄想のネタが……」などと訳のわからない言葉を口にしている始末だ。
「膝をつく、こけるなど明らかに態勢を崩した場合は即失格、またステージからはみ出しても失格、さらに一曲ごとに審査員によるジャッジを行い最も評価の低かった選手も失格となります。当然わざと相手をこかせるなどの行為は反則となり失格です。ギブアップも認められるので決して無理をなさらないように」
だが、どうしても自分だけはこの雰囲気についていけない。納得もいかないし、気分も乗らない。高まっていくのは後悔と羞恥心の方だ。
「そーして、そして、なんと最後に残った挑戦者には好きなことを一つだけ会長権限で叶えることができる権利が与えられます!常識の範疇をこえない願いであればなんでも、なんでもあり!」
会場の観客の歓声も徐々に大きさを増してきている。
「ではここで一つ重要な、非常に重要な質問があります……Are you ready?」
歓声が渦を巻いてリヴァルの問いに応え、その全てが“Yes”を告げた。
「No!Ashford!High School!Freshmen!He said“Are you reeeeeeeeady”!?」
リヴァルからマイクを受け取ったミレイがさらに会場をあおる。答えはもちろん“Yes”。会場にいる誰もが楽しげに声を張り上げているようだ。新たに入学した生徒も多いが、中等部からミレイに影響されてきた生徒達に引っ張られるかたちでテンションだけはぐんぐんと上がっている。さしずめ会場の生徒達は“ミレイマニア”か“アッシュフォードホリック”だ。
「The thousands in Ashford, Wooooooo Let’s get ready to dancing!」
メインイベントの開始を告げるセリフと大歓声。かくしてルルーシュの長い夜が幕を開けた。
イベントが始まってからすでに26人がステージへと姿を消し終盤を迎えている。これまで常にゲート裏でスタンバイさせられていたルルーシュは、いやというほどこの学園の生徒の乗りの良さにあきれを通り越して感心させられていた。軍服姿にサングラスと鬼軍曹さながらな衣装で大きな国旗を翻しながら入場したり、中世の海賊風の衣装で入場したりと貸衣装を最大限に利用している。早めのハロウィンがおとずれたような様相を呈しているステージへ入っていくには、今のルルーシュのテンションでは気が引ける。
「どーしたの?元気がないぞ、お・ひ・め・さ・ま!もしかしてガッツの魔法が必要かな?」
「誰のせい、だ…と」
背後からかけられた声に振り向くとそこにいたのはこの事態の元凶。嫌味か皮肉の一つでも言ってやろうか思っていたルルーシュだったが、思わずすべての動作が止まってしまった。そこにいたミレイの格好はこれまで見てきた参加者よりもある意味で一線を画していたのだ。
「どうどう、私もルルちゃんに負けてないでしょ?」
「そんな格好で、まさかとは思いますが会長も……?」
にやり、と含みをもった笑みを浮かべるミレイと目があう。そういえばまだ次の挑戦者を見ていない。
「3,2,1…」
会場のカウントダウンに応じてミレイが一歩、また一歩とゲートへ近づいていき、やがて“0!”のコールとともにまばゆい逆光の中へと消えていった。
「27番目に出てきたのは、われらが麗しの生徒会長、Ms.ミレイ・アッシュフォード!」
リヴァルのやや興奮気味なコールが終わるや否や、会場からはそれまで以上の声援が渦を巻き始めた。それもそのはず、ミレイの衣装はそれまで登場した女生徒の重そうなドレスとは異なり、背中を大きく露出し、スリットも大胆にあしらわれたドレスだったのだから。その姿がスクリーンにズームで映し出されると男子生徒が一段と大きな声を上げる。
いったいその中の何人が気付くことができたであろうか。一見すれば会長の少し度の過ぎたサービス精神あふれるその衣装、それが実は必勝の一手であることに。他の女生徒と比べて明らかに動きやすく、通気性もよさそうなその姿は体力消耗という点から見ればすこぶる優位に立てる。
さらに裏方を担当しているものは彼女が、彼女以降の登場順をブックしていることを知っているので、今後さらに彼女が有利になるであろうことは予測できた。何せ彼女の後に控えているのは体力テストで彼女よりも大きく劣る成績を残した二人、そして最後に出場予定のルルーシュの体力は言わずもがなだ。さらに男性陣はこの時点ですでに出尽くしている。
だがどうしても解せないのはなぜ彼女がそこまで勝利にこだわるのかということだ。彼女のことなのでまた何か突拍子のない願いを言い出すのではないかと、裏側を知っている人間は半分わくわくしながら、もう半分はびくびくしながら終わりの時を待っている。当のミレイはそんな杞憂などどこ吹く風と楽しそうにステージで踊っている。公然と自分の思いつきが認められるその瞬間を今か今かと待ちながら。
ミレイが登場してから90秒後、28番の挑戦者が登場しこれで後はルルーシュともう一人を残すだけ。案の定ミレイの思惑通り28番目の挑戦者はあっという間に足をもたつかせ尻もちをついて失格になってしまった。ルルーシュはその光景を見ながらミレイの思惑と、自分がこれから置かれるおぞましい瞬間を想像してすでにぐったりとしている。
「だから、私は踊らないって何度も……」
「まあ、そうおっしゃらずにこれも皆様に少しでも早くアッシュフォード学園になじんでいただくためにですね……」
「ちょっとそんなに押さないでよ!だいたい、さっきからなんでそんな話し方なの?何か気持ち悪いってば!」
「なぜと申されましても、私はメイドですので……ああ、もしやどこか粗相がありましたか?すみません何分至らぬ見習いの身ですので、お叱りは後で存分にお受けいたします。ですから、今は……」
と、そこにさらにルルーシュの頭を悩ませる事案が舞い込んできた。おそらく来てないだろうと思っていた女性の声と、毎日顔を合わせているメイドの声が後方から聞こえてきたのだ。まさかと思いつつ恐る恐る振り返るとやはりそこには旧知の仲である二人の姿があった。いつものメイド服を着た和美と、ボルドーカラーのドレスを身にまとったカレンである。
「和美さん、どうかしましたか?」
「いえ、ご心配なく。大事ありません」
「そうですか。ですが、くれぐれも粗相のないようにお願いしますね」
“簡単に納得せずに、もっと突っ込んで訊いてくれ!”という言葉を生唾と共に飲み込む。咲世子に声をかけられた和美はにこやかにそう告げたが、先ほどの会話からすればいささか信じがたい言葉だったではないか。
カレンは咲世子の存在に気付くと途端に態度を病弱娘にシフトし、おとなしく和美のエスコートに従っている。それがまたルルーシュを釈然としない気持ちにさせる。できれば彼女たちだけにはこの姿を見られまいとすぐさまそっぽを向いたルルーシュだったが、それも無駄な努力であった。
「ルルーシュ様、このお方の次が出番となっておりますが準備はよろしいですか?衣装に不具合などはございませんでしょうか?」
不具合どころではないほど問題点は多い服装だし、なによりこの状況が一番不具合、もとい不都合だ。視線を背中越しに感じるのは決して思いすごしではないだろう。まるで服の下まで見透かされているような力強い視線がルルーシュの背中を焦がす。
「あのう……」
「えっと……」
「……なんだ」
正体はばれても意地でも振り向くまい。それはルルーシュに残された男としての最後の意地。
「これは……その」
「何というか……ねえ」
しかし、ルルーシュは回り込まれてしまった。目の前には今のルルーシュにとっては件の女生徒会長様よりもやっかいに思える少女が二人、彼の姿を上から下へ、下から上へと視線を這わせている。蛇がからみつくかのように全身を這っていた二人の視線は格好の獲物を見つけたようだ。ルルーシュの顔をじっと見つめている。
「どうですか、とてもお似合いでしょう?」
彼女たちの視線が蛇ならば、大蛇とでもいうべき熱視線をルルーシュへ向けていた咲世子は二人の反応にご満悦の様子。男の女装姿、本来ならば笑うか気持ち悪いという反応を返すところだが本当に似合ってしまっているので反応も返しづらい。だからだろうか、カレンは少々当惑気味の、しかしどこか怒気を含んだ声で囁いた。
「あんた、扇さんに何か言ったでしょ?今日はどうしても学校に行けってうるさかったんだから!まさかこれもあんたの仕業じゃ……」
カレンは“これ”と言いながら、汚いものを触るように自分が袖を通しているドレスをつまんだ。
「扇には今日イベントがあるとしか伝えていないし、俺もこんなことになるなんて知らなかった」
「どうだか……。それはそうと、扇さんから伝言。次の作戦を決めるから明後日の会議に参加してほしいってさ」
話題を変えた途端にカレンの表情が緩む。楽しんでいるわけではなく、嬉しがっているといった方がこの場合は適切だろう。おそらくカレンは自分もようやく溢れんばかりの感情を形にできることを心待ちにしていたはずだ。ひょっとしたら自分もあの時にこんな顔をしていたのだろうか。ルルーシュはそう思うと扇の“はやまる”という言葉を再認識した。なるほど、確かにこの表情を見れば不安に駆られるのもわかる。
逆に和美はころころと表情を変えて「……いい」だとか、首を横に振りながら「違う、違う、私はあの二人みたいにそこまで腐っては……」という謎の言葉を口にし始めた。彼女の視線がどことなく咲世子に似ていると感じるのは気のせいだろうか。だが、生き生きとした顔をしていることには変わりない。カレンの表情と比較するとその違いがよくわかる。カレンとは対照的に和美は最近どこか活発的だ。
「残る挑戦者もあと二人のみ!ステージ上にはすでに三人しか残っておらず、次の挑戦者次第で状況は大きく左右されるかもしれません!」
ルルーシュにとっては何とも言えない雰囲気に割って入ってきたリヴァルの実況。どうやらそろそろ次の参戦者が入場する時間のようだ。再びカウントダウンが始まり、和美が慌ててカレンの背を押した。不意を突かれたカレンは先ほどのような抵抗を見せる間もなく、ややフライング気味にゲートをこえて行った。
他の参加者と同じように大歓声が彼女を迎える。ルルーシュからはカレンの表情は見えないが、歩き方はいかにも覇気がなさげに見える。その姿を演じている以上、どんなに大きな歓声が迎えようと、そんなに多くの観衆が周りを囲もうとも、彼女は途方もない孤独感にさいなまれることだろう。彼女のことだから何でもないように悪態をついてお仕舞にしてしまいそうだが、十代半ばの少女が背負うにはあまりに重たいものを背負おうとしている。
やはり誘うべきではなかったか。ステージに降り立って早々に棄権するカレンの後姿を見ながらルルーシュはその核心を深めていた。
ルルーシュが感慨に浸っている間にもイベントは進み、やがてステージにはミレイを残すのみとなっていた。それはつまり彼の出番が巡ってきてしまったことを意味する。
人の心とは正直なもので窮地に立たされると自分に主眼を置きがちだ。ルルーシュも例にもれず一気に羞恥心、悔しさ、怒りがこみ上げてくることを禁じえなかった。逃げてしまおうかと一歩後ずさると、案の定咲世子と和美に両腕をがっちりとホールドされてしまう。二人ともにこやかではあるけれど、助けてくれるわけではなさそうだ。
ミレイとてすでに疲労の色は出ているはずだし、本気で勝ちにでもいってみようか。もはや詰んだも同然の戦場へと繰り出していく彼のささやかな反逆心がどうにか足を前へと進める。
「最後に入場してくるのは、アッシュフォード学園高等部生徒会所属、Ms.ルルーシュ・ランペルージ!」
会場から歓声とどよめきがせめぎ合うように聞こえてくる。ルルーシュが男であることをすでに大半の生徒は知っているからだ。エレベーター組はもちろんのこと、新入生も入学式の“事件”を直にもしくは噂で知っているため、校内での彼の認知度は彼自身が思っている以上に高い。ではなぜ司会は“Ms.”とコールをしたのかと、自然にゲートへと会場中の視線が集まっていく。
一瞬の静寂の後、おとずれたのはひょっとするとこの日一番の大歓声であった。男も女も選ばない容姿をもったその姿がスクリーンに映し出されると、また一段と会場が沸いていく。会場全体が“女性”として出てきたルルーシュを迎え入れ、口笛に拍手で喝采を送っているのだ。
意味合いは多少異なるがルルーシュもカレン同様、大勢の観衆すべてが敵であるように感じてしまった。いっそのことブーイングでも起こってくれれば男としての最後の威厳は保てたものの、これだけの人数に認められたのではやるせなさしか残らない。自然と足取りも気の抜けたものへと変わっていく。
やる気のないルルーシュと、100パーセント勝つつもりでいるミレイ。ミレイが体力をすでにいくらか消耗していることを考慮に入れても、慣れない服装で踊らなければならないルルーシュ。予想としては五分かやはり体力的、性別的に見てルルーシュ有利とする立場が大部分だ。しかし、どちらが勝つにしろこの二人が踊るのだからさぞ見栄えのする舞踏になることだろう。
と誰もが胸を躍らせていた矢先に事件は起こった。会場にこだまする「あっ」という言葉。その時の会場の一体感はその日歌われたどのチャンとよりも上ではなかっただろうか。皆の視線は相変わらずルルーシュを捉えているが、もはや動きを追う必要はなくなった。
「ル、ルルーシュ選手は転倒により失格!優勝はMs.ミレイ・アッシュフォード!」
リヴァルの困惑したアナウンスが入るも、やはり皆は優勝者であるミレイではなくルルーシュを見つめている。ステージ上がる際、段差をまたごうとしてスカートを踏みつけ頭からステージに倒れこんだルルーシュを。