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[11100] 海鳴市連続殺人事件
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/26 04:30
はじめまして、スパイシーチキンカレーといいます。

プロットは一応最後まで考えてあるんですが、
多分このままで行くと、なのはさんもフェイトさんもほとんど出てきません。

というより、彼女たちお伽の国の魔法使いさんたちに、少しリアルに社会と国家と対決してもらおうというのがコンセプトなので、必然的に魔法戦闘のシーンはラストまで、殆ど皆無となるのではないかと思っています。

ヒロインはシグナムさんですが、テーマとモチーフが前述の通りなので、恋愛要素とか、なのはさんお得意の「話を聞いて」何かが解決できる情況もまず出てきません。
なによりオリキャラばかりの警察サイドの描写にかなり筆を割かねばならないので、
リリカルキャラが完全に出てこないエピソードとかもあるかも知れません。


そういう話でかまわねえぜという御方ならば是非とも御拝読お願い致します。



[11100] その1
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/20 03:20
 時刻的に、ちょうど通勤ラッシュと重なったらしい。JR海鳴駅は人の群れと人いきれにごった返していた。
ちらりと上方に目をやると「AM7:35」と記された電光掲示板越しに、早朝独特の透明度の高い空が見える。

(今朝も世はこともなし、か……)

 安斎重吾は、ずらりと並ぶ自動販売機に目をやる。
 UCC、コカ・コーラ、ASAHI――ボタンはみな青一色だ。
 当たり前と言えば当たり前だろう。真冬や初春の頃ならともかく今はもう8月半ばだ。
(分かっちゃいたが……期待するだけ、無理か)
 溜め息をつきながらキヨスクでタバコの銘柄を言い、缶コーヒーやペットボトルが詰め込まれたガラス張りの冷蔵庫を見る。
「ホットはねえのかい?」
「あんた何言ってるんだい? もうお盆だよ?」
 売店の中年女に面倒くさそうにそう言われ、安斎は苦笑した。
「無きゃあいい。おれは、朝のコーヒーはホットって決めてるんだ」
 タバコ代の小銭をカウンターに置き、返すその手でパッケージのフィルムを破ると、タバコのフィルターをつまんで咥え、ライターで火をつける。

「ちょっとあんた! 駅の構内は禁煙だよ!!」

 売店の中年女が、息子が勉強をサボってエロ本を読んでいる現場を見た時のような、金切り声を出した。
 安斎は、またも苦笑すると、そのままタバコを吐き捨てた。
「吸殻拾いな! 駅はあんたの灰皿じゃないんだ!!」
 二度目の罵声に彼もさすがにイラッとするが、しかし、大人しく言われた通り吸殻を拾う。脳から延髄にかけて、かなり凶暴な気分が走り回っている。だが、それでも安斎は耐えた。いま、気分に任せて一般市民に何かするわけには行かない。あまりにも時期が悪い。
 不意に思った。
 昔の――手の付けられない不良だった当時の自分なら、どうしただろうかと。レジスターのコードを引き千切って、線路に放り投げるくらいはしたかも知れない。
(変われば変わるもんだな)
 そう思う。
 だが、今の自分は学生じゃない。
 チャカぶら下げてバッジ振りかざす地方公務員――刑事だ。
 売店のおばちゃん相手に職を棒に振るようなムチャは出来ない。
 そのままタバコをポケットに捻じ込むと、安斎は歩き出した。

 人の群れが「何だよ今の騒ぎは」とばかりに自分と中年女を注目しているのも感じたが、気にしなかった。中年女の勝ち誇ったような視線を背中で受け止め、うるせえと言わんばかりに歩きながら一発屁をこく。「やだっ!?」という若い女の声がしたが、やはり気にしない。
 もう三日寝ていないのだ。
 疲れきり、苛立っていた安斎の脳漿にとっては、周囲の咎めるような雰囲気さえ、妙に心地良いものに感じられていた。
(久し振りだな、こういう感覚は)
 ケンカに明け暮れた学生時代、こういう視線の中を颯爽と肩で風切って歩くことに、安斎は彼なりの美学を求めていたものだった。
(ガキだったんだよな)
 そう思う。
 だが、ガキという単語が安斎の脳裡に、とある映像を連想させた。

 二人目の犠牲者――彼はまだ警察学校を卒業したばかりの――少年と言い切ってもいいほどに初々しい、18歳の若者だった。

 安斎の奥歯がぎりっと音を立てる。
 犯人は、いまだこの街でのうのうとしているに違いない。
(必ず逮捕してやる)
 あらためて安斎はそう思った。


 エスカレーターを上り、安斎はそのまま、改札の脇にある駅事務所に入る。
 ちらりと事務所の奥に目をやると、両手を手錠で封じられ、腰に白いロープでつながれた男が、暗い目をして安斎を見ていた。
「何見てるんだよ須藤」
 そう言ってやると、男はフンと鼻から荒い息を吐き出し、のろのろと安斎からそっぽを向いた。
――須藤修司。
 いま日本中を騒がせている海鳴市連続殺人事件。
 彼はその重要容疑者と目されていた男だった。
 佐世保に潜伏していると情報のあった須藤を、所轄警察と協力して逮捕したのは、現地に出向していた安斎と桐生の手柄だ。彼ら二人はその足で鉄道を使い、いま海鳴の捜査本部まで須藤を護送してきたところなのだ。彼が三日寝ていないのは、おもにそのためだ。

「やっぱホットは売ってねえってよ」
 そう言いながら安斎がドアを閉め、事務所に入っていくと、そこにいた駅員や鉄道警察官たちも露骨にホッとした顔を見せる。
 たとえ手錠で拘束されているとはいえ、自分たちと同じ空間に存在する犯罪者。そして彼を逮捕した二人の現職刑事の片割れが、コーヒーを買いに行くといってふらりと事務所から姿を消した。――その事実に、彼らは怯えていたのだろう。
(だらしねえ)
 とは、安斎は思わない。
 鉄道警察と言えば聞こえはいいが、彼らが相手にするのは、しょせんは無賃乗車やヨッパライが関の山だ。西村京太郎ミステリーならともかく、殺人犯と対面する機会など絶無に等しいに違いない。鉄道警察でさえそのザマならば、駅の事務員たちなどにとっては、自分の手で直接人を殺す人種など、それこそ異次元の存在であろう。
 そういう剣呑な連中に慣れすぎている自分たちの方が、ここにいる一般人たちにとっては異常なのだ。

「あと15分で署の方から迎えが来るそうです」
 パイプ椅子に腰を降ろした同僚の桐生が、気だるそうに言う。
 180センチ100キロの巨漢である桐生は、疲労が溜まると露骨に体臭がきつくなるため、できればあまり近くに寄りたくない。車を運転する時も、徹夜が二日続けば、安斎は彼をバックシートに座らせるほどだ。それでも臭いことには間違いないが。
「そうか」
 そう答えると、安斎は壁に体重を預け、ポケットからさっき購入したタバコを取り出す。その様子を見て「――あ」と、傍らの女事務員が何かを言おうとするが、
「安斎さん、ここ禁煙ですよ」
 そう言って笑ったのは、その女ではなく桐生だった。
「まったく……いつになったら一服できるんだよ」
 ふたたびタバコをスーツのポケットに仕舞いながら、安斎は呟き、あくびを噛み殺した。


「海鳴までの護送は、君たちが一眠りしてからでいいだろう」
 佐世保でもそう言われたが、安斎たちは敢えて帰ると言った。
 二人は焦っていたのだ。
 この須藤という男が海鳴市で人を殺したのは事実だ。だが、少なくとも、コイツは事件の真犯人ではない。

「そうしたいのも山々なんですが……須藤は結局、連続殺人の本ボシでも何でもなかったんです。それが分かった以上、おれたちは一刻も早く捜査本部に帰らにゃいかんのです」

 そう。この男は模倣犯の便乗犯。
 真犯人の手口を真似て人を殺した、せこいイミテーションに過ぎない。
 だが、皮肉なことにその事実を証明したのは、警察ではなく犯人であった。
 つまり、安斎たちが須藤を佐世保で追い詰めていた、ちょうどその頃、新たな犠牲者が海鳴で発見されたのだ。
 須藤にとってはこれ以上ないアリバイ証明。
 安斎たちにとっては、悪霊のような殺人鬼が、いまだ世間をうろついているという照明に他ならない。

「過労死したって構いませんよ。あのクソ野郎をとっ捕まえて、みんなの無念を晴らせるならね。むしろ、そのチャンスに恵まれていることをラッキーだと思わないと……」

 染み入るように呟いた桐生の声が、佐世保署一同から声を奪った。





 心地良い汗をかいた――。
 毎朝のことではあるが、そう思う確かな感触がある。
 シグナムは、首に巻いていたタオルを抜き取り、額と顔の汗を拭き取った。
 だが、汗で熱く湿った長髪が、無防備になった彼女のうなじを這い回る。
「んっ!」
 反射的にぞくりと肩をすくませ、シグナムは慌ててうなじをタオルでごしごしとこすった。
(この髪は少々うっとうしいな)
 彼女自身、この髪に何の感情もこだわりもないのだが、それでも普段はシャマルやヴィータのような短髪にしようとまでは考えない。
 だが、この毎朝のジョギングのあとだけは、――シグナムは自分の長髪の邪魔さ加減に閉口する。
 
 ここは八神家から少し離れた児童公園。
 二面ある野球用のグラウンドと隣接しており、ぐるり外周をたどれば、だいたい2キロほどのランニングコースになる。
 シグナムはそこを軽く10周ほど走り、公園でストレッチをして関節を伸ばす。
(暑くなる前に帰るか)
 公園のゲート脇に駐車したライトバンが後部のドアを開け、「ホットドッグ一本200円」と書かれた看板を立てる。それと同時に、ソーセージの焼ける香ばしい匂いが彼女の空腹を刺激した。
「おっちゃん、一本ちょうだい!!」
 公園にいた中学生くらいの少年たちが、群がるようにライトバンに駈け寄って行った。
『公園内球技禁止』と大きくペンキで記された立て札を完璧にスルーして、毎朝リフティングの練習に興じている子供たちだ。
 シグナムにとっては、その少年たちもホットドック屋のライトバンも、毎朝見慣れた「平和な日常」という名の光景である。
(やはり、あれはおいしいのだろうか)
 そう思う。
 だが、彼女が結局そのジャンクフードに小銭を使うことは無い。
 その「ホットドッグ」という名の食べ物が例えどれほどの感動的な美食であったとしても、その味が、八神はやての用意する朝食より美味しいはずは、絶対にないからだ。
 
 シグナムは、そのまま呼吸を整え、ふたたび走り出した。
 八神家に帰ってシャワーを浴び、汗を流した後に食べるはやての朝食は絶品なのだ。
 単純に味の話だけではない。
 はやての自分たちに対する気遣いが、その料理の味をさらに向上させる。
 シグナムたちの胸の中に流れ込んでくる、はやての温かい心を感じ取れる限り、たとえ同じメニューを百年食べ続けたとしても、絶対にはやての料理の味が劣化することは無いだろう。
 シグナムは自信をもってそう言いきれる。


 自分は今、幸せだと思うかと問われたら、シグナムは躊躇無く言える自信がある。
――幸せだ、と。

 かつて彼女は、運動がこんなに気持ちのいいことだとも知らなかった。
 かつて彼女は、食事がこんなに美味しいものであることも知らなかった。
 かつて彼女は、ただ「生きる」という行為が、こんなにも喜びに満ちていることも知らなかった。
 なぜなら彼女は――いや、彼女たち守護騎士ヴォルケンリッターは「人間として生存する」ことを前提に生み出された存在ではなかったのだから。
守護騎士と言えば聞こえはいいが、早い話が“闇の書”とその所有者を守り、ページの修復のための魔力蒐集を――きわめて機械的に――こなすためだけのプログラム生命体。
 そんな彼女たちが、ここまで人間としての自我・意識・感情を持つに至ったのは、今回の“闇の書”の主たる八神はやてのおかげなのだ。自分たちを人間として扱い、家族として遇してくれたはやてがいなければ、シグナムたちは、またも永遠に繰り返されるルーチンワークを黙々とこなすだけの存在に過ぎなかっただろう。
 そう考えればシグナムは、はやてにはいくら感謝しても――『感謝』という概念すらも彼女はこの世界で初めて知ったのだが――感謝しきれない。

 だが、最近シグナムは考えることがある。
(主はやてに、いったい我々が何をしてやれるというのだろうか)
 わからない。
“闇の書”によって生み出された彼女たち守護騎士は、基本的にプログラムに記された以外の行為をするようには作られていない。魔力を蒐集し、主と“闇の書”を物理的に防衛すること以外の本能を、その魂に刻まれていない。そして何より、彼女たちはこの日本という――八神はやてを取り巻く社会環境に関する情報を、まだまだ完全に理解しきっていない。

 早い話が、八神はやてという一個人に最大幸福と最大利益をもたらすために、何をすればいいのか、それが現時点ではまるで分からないのだ。
(できることと言えば……主はやての身の回りの世話くらいか……)
 だが、いくらなんでもそれで終わりというのは恥かしい話だ。
 主を守るといっても、実際の話、彼女たちヴォルケンリッターの食費・生活費は、八神家の資産から出ている。このままではゴク潰しの居候だと言われても、何の反論もできないではないか。
(まあ……主はやてはそんなことは言わないだろうがな)
 だが、指摘されぬからこそ心苦しい、ということもある。
――この件は、一度シャマルたちときちんと話をせねばならないな。
 シグナムは、そう思った。


「――ここが事件のあった海鳴市です。普段は閑静な住宅街のようですが、しかしいまや、この街の名を知らない人は、もう日本にはいないのではないかとさえ言われています……」

 テレビのレポーター、というやつらしい。
 マイクを持った女性が、カメラを担いだ男性に向けて、延々と独り言を続けている。
 シグナムは走り去りながら、そんな彼らにちらりと目をやる。
 この帰り道だけで、すれ違ったレポーターたちは二組目だ。
 警官に至ってはもっと多い。曲がり角の辻々に一人ずつ待機しているような錯覚さえ覚えるくらいだ。
――この街も物騒になったものだ。
 とは思わない。
 むしろ、まだやっていたのかとばかりに呆れる思いがある。
 それは何もシグナムに限った話ではないだろう。
「おれたちには関係ない」
 というのが、この海鳴市民の正直な声のはずだ。
 実際、例の連続殺人が繰り返される中、一般人が夜間の外出を控えたとか、他所の安全な町に引っ越すなどといった話を、シグナムは聞いたことが無いからだ。



 海鳴市連続殺人事件。
 昨日発見された死体を入れて、確か七人の人間がこれまでに殺されている。
 しかも、ただの殺しではない。
 犯人が使用する凶器は毎回同じ、反りの入った全長1mほどの片刃の刃物――つまり、日本刀を使用されているのだ。だから連続殺人というよりもむしろ「辻斬り」と言った方がしっくり来るかも知れない。
(まあ、興味が無いといえば嘘になるかな)
 シグナムは走りながらそう思う。
 彼女が興味を覚えるのは、ただ一つ。
 犯人は凄まじいまでの剣技の体得者――そう目されているという点だ。

 最初の犠牲者は、頭頂部からヘソまでを一直線に断ち割られており、
 二人目の犠牲者は、ギロチンよろしく首を刎ねられていた。
 三人目の犠牲者は、袈裟斬りに一太刀。
 四人目の犠牲者は、肋骨の隙間を抜く見事な突きで心臓を貫かれ、
 五人目の犠牲者は、腰車を真一文字に輪切りにされていた。
 六人目は――ここで初めて犯人はヘマをする。
 いままでのように一太刀で即死させられず、被害者にその姿を目撃されてしまったからだ。結局、被害者もそのまま病院で死に至るのだが、警察は初めて実行犯に対する証言を獲得、容疑者と目された男が九州で逮捕された、と昨夜のニュースで言っていたのをシグナムは覚えている。
 だが、それから30分も経たぬうちに流れた臨時ニュースで、鮮やかな手並みで斬殺された七人目の犠牲者の死体が発見されたという事実を聞き、さすがに彼女も眉をひそめた。つまり六人目を殺して逃げた男は冤罪か、もしくはただの便乗犯であったという話ではないか。
「日本の警察って……存外、頼りにならへんなあ」
 そう呟いたはやての声が、八神家にいたすべての者の声を代弁していたことは間違いないだろう。

 最初の斬殺死体が発見されたのが六月だから、わずか二ヶ月の間に七人の人間が死んでいる計算になる。だが、それでも海鳴市の市民たちは他人事の顔を崩さない。
 なぜなら殺されたのは全て、警察関係者に限られているからだ。
 二人目の警官が殺された時点で、警視庁は海鳴署に開いた合同捜査本部に大規模な増援を送り込んだという。おかげでいま、この海鳴市では夥しい数の警官がつねにパトロールを繰り返している。それこそ文字通り、眼をつぶって石を投げれば警官に当たるというほどの物量作戦だ。
 警察が、この事件に対し意地になっているのは間違いない。もはや彼らの脳中に、市民を守る警官の義務など残っているかどうかはかなり怪しい。あるのは、ただひたすらに身内を殺された組織としての復讐の念だけのはずだ。
 殉職警官たちには申し訳ないが、八神家を含めた一般市民がこの事件の推移に冷ややかな視線を送るのは、正直な話やむを得ないであろう。

(まあ、その犯人とやらがどれほどの手練であるかは知らぬが、……叶うことなら、この私も一度手合わせ願いたいものだな)
 


 そう思った瞬間だった。
 シグナムは足を止めた。
 まるで冥界のような灰色の生気の無い世界が眼前に広がっていた。
 生きとし生ける者の気配をまったく感じない、廃墟のような眺め。
 だがそれは彼女にとって、とても馴染みの深い光景でもあった。
――古代ベルカ式結界魔法・封鎖領域。
(バカな! これは一体何が起こっているんだ!?)

 およそ物事に動じないはずの彼女が、それでも驚くのも無理はない。
 古代ベルカ式の魔法の使い手たちが世界から姿を消してもはや久しい。
 つまり、この結界魔法を使えるのは、もはやこの世で自分たちヴォルケンリッターだけのはずだ。
 なら、この結界を展開しているのは、いったい誰だ!?
 ヴィータ!? シャマル!? ザフィーラ!?
 だいたい、なぜ仲間たちが今このタイミングで結界を張る!?
 はやてとの約束により魔力の蒐集は中断している。ならば連中が結界を張る目的は無いはずだ。いや、そもそも、本当にこの結界を展開したのは仲間たちなのか!?
 分からん!! いったい何が、どうなっている!?

――瞬時に脳を満たす混乱。だがパニックにはならない。そんなブザマをさらすには、彼女はすでに戦士として完成されすぎている。
 現に、彼女の体は事態に対して自然に反応していた。
 数種類の思考の断片が意識を飛び交いながらも、――騎士甲冑を展開し、レヴァンティンを抜き放つと同時に物陰に身を隠し、相手の魔力の気配を探る――端から見れば、シグナムの動きには一部の無駄も迷いもなく、流れるようにスムーズなものであったはずだ。
 そして、次の瞬間には、彼女の意識からは一切の雑念は消え、ひたすら相手の敵意にのみ反応する刃の化身になりきっていた。
 不意に出現したこの事態に、ここまで見事なコンセントレーションを発揮できるのは、ヴォルケンリッターのメンバーの中でも、シグナム以外にはいないであろう。

 すでに彼女は、この結界を張ったのは誰であるかを追及することをやめている。自分の眼前に現れた者が仲間であるならよし。そうでないなら斬って捨てるだけである。
 もとより己と対峙する敵に対して、理由も無く容赦するような甘さを、彼女は持ち合わせてはいない――。



「ほう……これはとんだ偶然かな」



 じゃりっ……と、小石を踏む音を立て、シグナムの眼前に男が姿を現した。
 黒衣の鎧をまとい、腰には長剣をたばさんでいる。無雑作に伸ばした前髪に遮られて顔はよく分からないが、それでも髪を通して彼女に届くその粘液質な眼光は、まるで毒蛇のように禍々しい。
 そして何より、シグナムの動きを封じたのは、男から発散される魔力の気配ではない。敢えて言うなら、かつて感じたことも無いほどに圧倒的な、男の「剣気」であった。
(こいつ……強い)
 シグナムはこれでも自分の実力にかなりの自負を持っている。
 自分に『強い』と思わせた者など、ここ数回の“闇の書”の発動に際しての記憶を探っても、そうはいない。
 そして、何よりこの男……。


「まさかこんなところで、ベルカの同志に会えるとはな」


 男はそう言うと、きゅっといやらしく笑った。




[11100] その2
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/20 03:11

 取調室から罵声が聞こえる。
 佐世保から護送してきた須藤の本格的な事情聴取が始まったのだろう。
 もっとも取り調べの担当官たちはこぞって気が立っている。単に「事情を聴取する」だけで、ことが済むはずはないだろう。
 警官ばかり六人も殺した連続殺人の便乗犯ということから分かるように、当然この須藤が殺したのも警官である。――たしか、働きもせずにブラブラしている自分を、家から追い出そうとした現職警官の父に殺意が沸いた――というのが彼なりの犯行動機であったと聞くが、しかしそんなことはどうでもいい。
 須藤が、ただの模倣犯だという事実が明らかになった今、捜査本部はスカをつかまされたという苛立ちもある。また、そんな自分たち警察サイドに対する、一般市民の冷ややかな視線に対する反発もある。そして何より、警官殺しの容疑者を警官が取り調べるのだ。復讐心の介入せぬ余地など、そこにあるはずがない。

 しかし、彼を佐世保で逮捕した安斎と桐生は、その場にはいない。
 尋問に参加したくはあったが、もう三日寝ていない。正直な話、体力の限界だった。
 安斎は、ふらつく足取りで取調室の前を通過すると、そのまま廊下のベンチに腰を下ろした。
 本当なら、このまま仮眠室で一眠りしたかったのだが、先客としてベッドで大いびきをかいていた相棒――桐生の放つ強烈な体臭を前にして、安斎はそのままなすすべなく回れ右をして、出てきたところだった。

(帰りてえ……)
 さすがにそう思う。
 クーラーの程よく利いた自分の部屋で、スプリングの利いたベッドで、天日に干したふかふかの蒲団で、明日の朝まで熟睡したい。
 ベッドから出た後は、熱い風呂に入って寝汗を流し、家内の手料理を味わいながら冷えたビールで一杯やりたい。
 だが、安斎は理解している。
 今の捜査情況で、自分が帰宅して骨を休めるなど可能なことではない、と。

 無論、犯人に対する憤りはある。
 三人目に殺された被害者は、安斎の警察学校時代の同期生だ。
(それほど仲の良かったわけでもねえけど、よ)
 だが、そんな思いとは裏腹に「知人」を殺された暗い怒りは――同じく殺された顔も知らぬ同僚たちへの義憤とは違う意味で――じわじわと安斎の胸を疼くような熱で焦がしつつある。
 そして、この海鳴署に設置された合同捜査本部には、犯人に対してそういう怨念を抱く人間が、それこそ掃いて捨てるほどいる。みな、それぞれ同期の友人や先輩、あるいは後輩の同僚を殺された者たちだ。
 マスコミや一般市民が何を言おうが知ったことか。
 必ずや本ボシを逮捕して、死刑台に送ってやる。
 それが、この捜査本部に所属する者たちの統一見解である。それは、安斎とて決して例外ではない。

 だが、安斎の意識には一点、他の捜査員たちとはやや異なる犯人への視線がある。
 犯人の剣に対する関心、だ。
(おれでも、ああ鮮やかに行くかどうか……)
 被害者たちの遺体に残された、見事すぎる斬撃の痕跡が脳裡に浮かぶや、安斎の意識から、潮が引くように眠気が去っていく。
――あの犯人と同じことが出来るか?
――あの犯人と剣を以って対峙して、はたして勝てるか?
 分からない。
 答えなんか出やしない。
 なにしろ、あの犯人に斬られた警官たちはみな、いずれも警察界の剣壇では、それと知られた男たちばかりだからだ。

 これでも安斎は腕に自信はある。
 斬殺された警官たちに比較しても引けを取らない自負がある。
 剣道の大学選手権は二連覇したし、警察内での全国大会でも一度優勝している。さすがに全日本選手権での優勝経験はないが、それでも上位入賞の常連だ。
 だからこそ――安斎には分かるのだ。
(あの辻斬り野郎は、いずれおれのもとにもやってくる)
 それがいつになるかは分からない。だが、いずれにしろ犯人が自分の前に出現するであろう確実な予感が、安斎にはある。
(あの野郎に、おれは勝てるか……?)

 恐怖がない、と言えばさすがに嘘になる。
 だが、いま海鳴に安斎がいるのは、彼自身の意思だ。
 犯人が、海鳴の警官の中でも、腕自慢を選んで斬っている。――そう知って、特に志願してこの事件の捜査本部に入れてもらったのだ。
 そして自分と同じように全国各地から、私怨と義憤にかられた警察界の剣の猛者たちが我も我もと集結し、そしてその結果――彼らは斬殺され、息絶えた。
(…………くそっ!)
 いつしか安斎は眠ることを忘れていた。

 


「お前もベルカの騎士なのか」

 そう問うシグナムに、薄ら笑いを浮かべた男は答えない。
 まあ、訊くまでもない事かもしれない。
 剣のタイプのアームドデバイス。黒光りする騎士甲冑。そして何より、この古代ベルカ式結界魔法――。

 その瞬間、シグナムの眉間に縦皺が寄る。
 彼女は気付いたのだ。
 男が手にしているのは、ただの剣ではない。浅く反りの入った片刃の抜き身――それはまさに日本刀だった。

「おまえ、まさか連続殺人の――」

 そう呟くシグナムの言葉を遮るように、男は唐突に口を開く。
「そのアームドデバイス、お前も剣を使うのか?」
「……そうだ」
「なら、こういう趣向はどうだ」
 そう言いながら、男は刀の柄にあるボタンを親指で押した。
 にぶい機械音とともに、柄頭から黒く細長い直方体が飛び出してくる。彼はそれを空中でキャッチすると、そのまま甲冑の懐にねじこんだ。無論、そのアクションの間、男は一分の隙さえ窺わせない。

「!?」
 シグナムにもその物体が何であるかは一目瞭然だ。ベルカ式魔法特有のカートリッジシステムのマガジンボックス。

「どういうつもりだ!? 貴様いったい――」
「魔法は使わぬ」
「なっ!!?」
 男はいたずらっぽい目をすると、
「安心しろ、おまえに俺の流儀を強制する気はない。俺の剣を受け切れないと判断したら、いつでも魔法を使え」
 と揶揄するように言い、そして男は、その口元から笑いを消した。
「では、参る」

 一歩、
 二歩、
 三歩――、
 まるで散歩に出掛けるように無雑作に男は間合いを詰める。
(ナメられた)
 という思いを、瞬時にシグナムは胸のうちから消し去る。
 無意味な挑発だ。
 むしろ、――シグナムは笑った。
「いいだろう。それも面白そうだ」
 剣での勝負にこだわりたいというのなら受けて立つまでだ。
 その決意と同時に彼女は一切の迷いを捨てる。
 男が何者であるのか、こんなところで何をしているのか。――そんなことはどうでもいい。彼女にあったのはただ、久し振りに己の剣を思うが侭に振るえる悦びだけだった。

 ひゅっ!!!

 両者いずれかが吐いた呼気であったかは分からない。
 ただ男が間合いに入った瞬間、シグナムの肉体はバネ仕掛のように反応していた。
 彼女の放つ袈裟斬りの一剣――パワー・スピード・タイミングの三者すべてを兼ね備えた、まさに岩をも断つ斬撃に対し、躱すそぶりも恐れる気配もまったく見せず、男はさらに踏み込み、無雑作にレヴァンティンを弾き返す。
 重金属がぶつかり合う響きと同時に火花が散り、周囲に焦げ臭い匂いが撒き散らされる。
 だが、シグナムは止まらない。
 二撃、三撃、更なる加速を伴った攻撃を次々と繰り出すが、それでも男はそれらをことごとく防ぎ、弾き、あるいは受け流す。

――こいつ!
 そう思った瞬間、反撃は不意に来た。
 互いの肘をぶつけ合うような短い間合いから、さらにもぐりこんでシグナムの懐に入った男が放ったのは突き――それも突き上げるように彼女の眉間を狙った一撃だった。
「くっ!?」
 脳みそに直接太い針をネジ込まれるような殺気に導かれ、シグナムは首を捻ってその突きを躱すや、前方に踏み込み、すれちがいざまにうしろなぐりの一刀を男に浴びせかける。――が、一瞬前まで男がいた位置に、もはや彼はいない。
 男はすでに距離を取り、剣を八双に置いて身構える。
 シグナムも合わせ鏡のようにレヴァンティンを八双に構え、男を睨みつけた。

(強い。やはり強い)
 しかも、この太刀筋は純粋な古代ベルカのものだ。
 自分以外にこれほどまでの「剣の騎士」が実在していたなど、およそ信じられない。
 だが、重要なのはそこではない。
 シグナムは剣士だ。
 ヴィータもシャマルもザフィーラも、シグナムと同じベルカの騎士だ。だが、その三人とシグナムとは、明確にラインを引ける一線がある。
 シグナムは魔導師である以上に「剣士」であるということだ。
 もし、ここにいたのがシグナム以外の仲間たちであったなら、そして敵から「魔法抜きの近接格闘戦をしよう」などと言われたなら、彼らはそれこそ一笑に付したであろう。
 だが、シグナムは違う。
 剣での勝負を申し込まれて、背を向けるわけにはいかない。彼女は「剣士」である自分に強い誇りを持っているからだ。


「――さて、名残は惜しいが、今日はここまでだ」


――は?
 男が不意に吐いたその言葉に、シグナムは呆然となった。
 男はくるりと振り返り、さっきまでの緊張感が嘘のように、無雑作に隙だらけな背中をさらした。
「おっ、おい待てっ!! 決着もつけず勝手にどこに行くっ!?」
「安心しろ」
 そう言って振り返った男は、かすかに笑った。
「いずれ決着はつける」
「いっ、いずれだと!?」
「最後まで付き合ってやってもいいんだが、俺も今は何かと忙しい身の上でな。死ぬわけにはいかんのだ」
 
 その言葉が、今にもくってかからんばかりだったシグナムの足を止めた。
(忙しい――だと!? では、やはり……ッッ!?)
 信じたくはない。
 自分と同じくこの世に残った、古代ベルカの技を伝える数少ない同胞が――魔法さえ存在せぬ世界で――こんな凶行を繰り返しているなど、到底受け入れられる事実ではない。
 だからこそ、彼女は訊かずにはいられない。


「なぜ人を殺すッッ!?」


 足を止めたのは、今度は男の番だった。
 その背中に、シグナムは一転して冷静な声を重ねる。
「勘違いするな。私は『殺すな』と言っているわけじゃない。貴様ほどの使い手ならば、 理由もなく剣士でも魔導師でもない人間を殺すはずがない。それくらいは分かる。だが――」
「分かるのならば」
 男の視線に、ふたたび殺気が戻った。
 さっきまでの――いや、それをさらに上回る怒気と憎悪を乗せた視線をシグナムに向けると、

「理由なき殺戮ではないと理解しているのなら、貴様の出る幕はない――黙っていろッッッ!!」

――男はそう叫んだ。




「で、そのまま逃げられちゃったってわけね」
 シャマルが紅茶をすすりながら尋ねる。
 口調は軽いが、その表情には真摯なものがある。
「逃げられた、というのとは違うだろう。シグナムは剣を収めた者の背に襲い掛かるような真似はしない。ただそれだけの話だろう」
 ザフィーラがたしなめるようにシャマルに言うが、
「いや、シャマルの言う通りだ、ザフィーラ」
 シグナムは、沈鬱な表情のまま手に持った紅茶のカップに口もつけない。

「あの男を――あのまま見逃すのではなかった。今にしてそう思う」
 
 男は、その後シグナムの前から姿を消した。
 黙っていろと怒鳴られて、その勢いに子供のように怯んでしまったというわけではない。ただ、シグナムは男の叫びに、ただならぬものをかんじた。男の声に込められた物理的なまでに強い憤怒・憎悪・慟哭などの諸々の感情。それらを垣間見たような感覚が、男を追おうとするシグナムを一瞬、ためらわせたのだ。
 気がついたときには、そのまま男は曲がり角から姿を消し、次の瞬間、結界は開放され、街は日常の姿を取り戻していた――。

「しかし、その男は結界を開いて、いったい何をしていたのだ?」
――まさかシグナム、最初から戦うつもりでお前を追っていたわけではあるまいが。
 ザフィーラがそう言って首を捻る。
 さすがにそれは違う、とシグナムは思う。
 あの男の結界に自分が引っ掛ったのは、あくまで偶然であろう。最初からシグナムが狙いであったなら、彼女がベルカの騎士であった事実に驚くはずがないのだから。
 ならば、あの男は一体、あそこで何をしていたのだ!?

「そんなの簡単じゃねえか。多分、そいつは結界の中で人殺しをしてたんだよ」

 その場にいた全員がヴィータを見る。
 ヴィータはそんな視線に得意げに頷くと、
「おそらくそいつは、結界の限定条件に『腕の立つヤツ』とか設定してたんだろ。聞いた話によると、この事件の犯人は、警官の中でも特に強いやつを狙って殺してたそうじゃねえか。だったらシグナムが結界に引っ掛っても何の不思議もねえ。だろ?」
(確かにな……)
 ヴィータの意見も一理ある。
 それに犯行現場が結界の中だとするなら、この海鳴市に何百人警官がうろついていようが関係ない。この世界に魔法に干渉する技術は存在しないからだ。

「でもよ、そんな厄介なやつと係わり合いになるくらいなら、名前も聞かずに別れたのはむしろ正解だったかもしれねえな。そいつワケ有りっぽかったんだろ?」
 ヴィータがそう言いながらシグナムの目を覗き込む。が、シグナムも今度は頷かない。むしろヴィータをじろりと睨み返した。
「あの男は、我々と同じベルカの騎士であったと言っただろう。それを知ってもなお他人のフリをしろと言うのか」
 予想外の詰問口調にムッとしたのか、ヴィータも負けずに口を尖らせる。
「そういう事を言ってるんじゃねえよ。たとえそいつが何者だったとしても、例の連続殺人の犯人だって以上、そんなアブナイ野郎と知り合いになっても仕方ねえだろうが!」

「二人ともやめなさい。はやてちゃんが目を覚ますわよ」

 シャマルの一言に、二人はたちまち黙り込む。
 だが、互いに睨み合うシグナムとヴィータの視線は、依然として鋭いままだ。

 八神はやてはいま、お昼寝の真っ最中である。
 もっとも、そうでなければ、こんな――朝のジョギングの帰りにベルカの騎士に会ったと思ったら、そいつが街をにぎわす連続殺人犯でしたなどという――剣呑な話題を昼間から平然とリビングで話せるわけがない。
 ヴォルケンリッターたちにとって、あの優しく可憐な主に心配を掛けるということは、可能な限り避けねばならない禁忌なのだ。

「でもシグナム、私も基本的にヴィータちゃんに賛成よ」
 その声にシグナムはシャマルを振り返る。無論、おまえもかと言わんばかりの咎めるような視線を伴っている。だが、シャマルもひるまない。
「聞きなさいシグナム」
「聞くのはおまえだシャマル! 私は――」
「いま私たちが厄介に巻き込まれるということは、必然的にはやてちゃんを巻き込むということなのよ。ヴィータちゃんの言う通り、その人が連続殺人の犯人だとしたら、そんな人と関係を持つわけには行かないわ。それは分かるでしょう?」

 確かにそうだ。
“闇の書”の主・八神はやて。
 その名前を出されたら、もはやシグナムには返す言葉がない。
 ならば、あの男の件は忘れろと言うのか。
 あの男の叫びを聞かなかったことにしろと言うのか。
 自分たちと同じ古代ベルカの同胞かもしれないのに。
 自分と同じ「剣の騎士」だというのに――。

「そうよ、忘れなさい」
「シャマル……」
「シグナム、貴女は自分の立場を――守護騎士ヴォルケンリッターのリーダーたる事実を、もっとわきまえなさい。その人は必ずや、はやてちゃんに不幸をもたらすわ。間違いなくね」
「…………」
「はやてちゃんのために、もう二度とその人と関わりを持たないと、この場で私たちに誓いなさいシグナム」
 
 普段は笑顔を絶やさぬシャマルの剣幕に、ヴィータとザフィーラが顔を見合す。
 だが、たしかにシャマルの言うことは間違っていない。
 主はやてを守るのが自分たちの存在意義だ。
 ならば自ら面倒事に首を突っ込む行為が、彼女たちに許されるはずがない。
「……これでは、どっちがリーダーだか分からないな」
「シグナム」
「そう怖い顔をするなシャマル」
 シグナムはふっと笑うと、言った。

「分かった。その男と、もう二度と関わり合いにはならない。この言葉を、我が剣レヴァンティンにかけて誓おう。――これでいいか?」

「ええ、本当なら書面にまとめて欲しいところだけど、今日のところはこれで勘弁してあげる」
 シャマルも少し言い過ぎたと感じたのだろうか、リーダーの謙虚な一言に苦笑してみせる。
「じゃ、私もそろそろお買い物に行って来るわ。はやてちゃんが起きる前に帰って来たいし。――ヴィータちゃん、荷物持ち、お願いね?」
「ええっ、またあたしかよ!?」
「だってザフィーラに頼むわけにも行かないしょ?」
「ちっ、犬はいいよな!」
「犬ではない! 狼だと何度言えば――」


 さっきまでのディベートはどこへやら、たちまちのうちににぎやかな日常に帰っていく守護騎士たち。
 そんな仲間たちを見ながら、シグナムも微笑むしかない。
 だが、神ならぬ彼女たちは、まだ知らない。
 その男と関わり合いにならないという誓いは、彼女たちにとってどうしようもない成り行きによって、たったの三日もせぬうちに破られてしまうことを――。




[11100] その3
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/22 09:44
「知らねえな」
「山神さん、ちゃんとこっち見て話してくれませんかね」
「うるせえな、知らねえって言ってるんだ。とっとと失せな」
 ハエでも追い散らすように老人はしっしっと手を振ると、
「これ以上何か訊きたかったら、裁判所の令状持ってきな」
 そう言って取り付く島のない背中を見せ、
「おい、もうこんな連中いちいち取り次ぐんじゃねえぞ!!」
 と廊下に怒鳴り、そのまま出て行った。
 そして居間には、苦虫を噛み潰したような顔をした安斎と桐生が残された。

「あらあら、まあまあ、――あのひとは?」
 いかにも人のよさげな老女が、盆の上に冷えたグラスを乗せて現れたのは、たっぷりそれから一分近く経っていたので、おそらく山神氏の怒声も聞こえてなかったのだろう。
 もしくは、聞こえていても、その正確な意味を「認知」できない人なのかも知れない。
――と、失礼な疑惑を覚えてしまうほど、山神夫人の品のよい笑顔は無邪気なものだった。
 まあ、それはいい。
 山神氏から話を聞けなかった以上、捜査を全うするには、ここにいる彼の老妻に話を聞くしかないのだが、そういう意味では、彼女が自分たちに敵意の眼差しを向けていないのは助かる。
(しかし、このばあさんがマジで認知症だったら、どんな話を聞けたとしても令状は下りねえかも知れねえがな)
 と、またも失礼なことを考えながら安斎は、不機嫌そうな桐生の脇を突付いて、老婦人に愛想笑いを向ける。

「あらあら、まあまあ……あのひとったら、お客様をほったらかして、また奥に引っ込んじゃったんですか……もう、本当にごめんなさいねえ」
 そう言いながら頭を下げようとする山神夫人を慌てて押し留める。
 あなたが我々に頭を下げる筋合いはありませんよ――という意味もあったが、それ以上に、彼女が頭を下げようとした拍子に、お盆に載ったグラスが彼女の上体と一緒に傾きそうになったからだ。
「いいんですいいんです本当にもうお構いなく――あ、その麦茶一杯戴いても宜しいですか?」
 桐生が、普段の三倍ほどの敏捷性を発揮して、老女のお盆からグラスを全部回収する。
 まあ、真夏の昼間を歩き回った汗まみれのスーツに、冷えた麦茶をぶっ掛けられてはたまらない。今日一日は仕事にならなくなってしまう。桐生にしてはなかなかの好判断だと言えた。
 それでも放って置けば一日中でも謝罪を繰り返してそうな夫人を懸命に落ち着かせ、安斎は本題――彼女の夫たる山神仙蔵氏の最近の仕事――について根掘り葉掘り尋ねたが、やはりというか何というか、収穫と言えるような情報はついに得られなかった。


 うだるような日差しの中、覆面パトカーに戻ってきた安斎と桐生は、車を走らせるでもなく、しばし口を利かなかった。
 沈黙の理由は色々ある。
 たとえば、彼らを取り巻く、このサウナのような熱気だ。
 山神仙蔵の家を後にして、車のドアを開けた瞬間、車内の空気が外気を上回る暑さまで蒸し上げられている事実に二人は眉をしかめた。もし車内に赤ん坊を放置していたら確実に死んでいる気温である。しかしこのまま外に突っ立っているわけにもいかず、とりあえず車中に入ってエアコンをつける。
 しかし、車内が「涼しい」と言える気温に落ち着くまで、あと五分はかかるだろう。

 あと、全身を蝕む徒労感も、彼らを寡黙にさせる一要因となっているのは確かだ。
山神仙蔵の家を訪ねたのは、今日で五度目。
 ようやく夫人に家に上げてもらったはいいが、彼女が、
「ちょっとうちの人を呼んできます」と言って奥に引っ込んでから、
「いま忙しいんだよ」
「待たせて頂きます」
 という押し問答を経て、結局山神氏が二人の前に現れたのが三時間後。
その挙げ句、ほとんど情報らしい情報を得る事無く、すごすごと出直すしかないとなれば、愚痴さえ口に出なくなっても無理もないと言うべきだろう。

 そもそも、彼らが山神仙蔵のもとを訪ねたのは山神が斯界に知られた、非常に腕のいい研ぎ師だからだ。
 今回の連続殺人は、何度も既述した通り「辻斬り」ともいうべき連続斬殺事件である。
凶器の形状は日本刀――もしくはそれに類似する片刃で反りが入った刃渡り1mほどの刀剣類。さらに被害者の傷口から、犯人は非常なまでの剣技の体得者であると断定されている。
 しかし、奇妙な事実もある。
 被害者の遺体から、毀れた刃のかけらなどがまったく見つからない、ということだ。

「人を一太刀で斬り捨てて刃毀れ一つさせない。だからこその犯人達人説なんでしょう?」
 それの何が不思議なんだと言わんばかりの口調で、桐生は首を傾げたが、安斎はそんな相棒の後頭部を黙って張り飛ばしたものだ。

 ばったばったと何人も斬り殺して、血塗られた刀が刃毀れ一つせずに輝きを放つなど、それこそ時代劇の話だ。現実では――たとえよほどの名刀を達人が使用していたとしても――まず、ありえない。
 特にこの犯人は、必ず一太刀で被害者の息の根を止めている。
 それも失血死ではない。即死だ。それを可能にするためには、相手の人体をよほど深く鋭く切り裂かねばならない。
 しかし、日本刀のように斬撃に特化した鋭すぎる刃には、一般的に耐久性がない。
 剃刀のように研ぎ澄まされた刃であれば、刃毀れすることなく肉と骨を同時に断つことは可能であるかも知れない。だが、それを何度も繰り返すことは出来ない。剃刀の刃というものは、連続使用すればヒゲを剃っても刃毀れするものだし、対して皮膚・脂肪・内臓・骨格などから構成される人体という肉塊は非常に強固である。
 一般には、たとえ居合の名人でも、同じ刀を連続使用して人を斬るには三人が限界だと言われている。それ以上は刃毀れと血脂で使用に耐えなくなるという話なのだ。
 無論、この犯人は一度の犯行で複数の犠牲者を出したことはない。だが、二ヶ月間に六人という短いサイクルで犯行を重ねれば、刃の磨耗は免れ得ない。たとえ、犯行と犯行の空白期間にきっちり刀の手入れをしていたとしてもだ。だから、犯人が一本の刀で犯行を繰り返しているという見解は、当然無理があるという事になる。

 つまり、ここで必然的に考えられるのは一つ。
 犯人は複数の刀を所有し、それを研ぎに出しつつ交替で使用しているのではないか、ということだ。
 いずれにしろ、手掛かりがあるとすれば刀剣商、そして研ぎ師という事になる。だからその両方の業界に捜査員たちは派遣されていたが、そのどちらも、あまり開放的な業界ではない。どちらかと言えば、限られた一部の顧客・上得意相手の閉鎖的マーケットだ。情報を掴むのは容易ではないと見なされていた。
 そして、安斎たちは研ぎ師担当班に回され、関東一円に在住する非協力的な職人たちを相手に、日々、地道な捜査活動を展開している。

(しかし……)
 それでもやはり、安斎には自分たちの捜査に疑いを持つ余地がある。
 上の説が正しければ、犯人は一人斬るごとに刀を交換しているという話になる。しかし鑑識から上がってくる報告によると、須藤が殺した六人目の被害者以外の犠牲者に使用された刀のサイズは、長さといい反りの角度といい、みな同じものであるということなのだ。
(そんなバカな……)
 安斎はそう思う。
 然るべきルートにカネを出せば、刀だろうが脇差だろうが幾らでも買える。
 だが、その外見的サイズまで完全に同じモノを複数揃えようとすれば、その入手の手間や経費は――数十倍以上に跳ね上がるだろう。
 この犯人がそんな不可解な真似をするだろうか。
 安斎には分からない。
 だとしたらいっそのこと、犯人は六人斬っても刃毀れ一つしない一本の「剣」を、後生大事に犯行に使いまわしていると考える方が、まだ無理がないのではあるまいか。
 そう考えて、安斎は溜め息をついた。
(ばかばかしい……ジェダイの騎士じゃあるまいし、そんな刀がこの世にあるものかよ)


「……言ってもいいですか、安斎さん」
「よせ」
「やっぱ、おれたちも南雲の追跡班に合流させてもらえるようにお願いした方が……」
「やめろ」
「でも、おれから天野管理官にお願いすれば――」
「間違うな桐生」
 安斎は桐生の耳をぐいっと引っ張ると、
「おれたちが地取り捜査に回されたのは、須藤の件でヘマをしたからじゃねえ。こういう捜査は誰かがやらなきゃいけねえ事なんだ。デカの仕事っていうのは本来こういう、ひたすら地味で面白くもねえ『作業』を積み重ねなきゃ成立しねえんだよ」
「すみませんいたいですあんざいさんいたいですからみみはなしてくださいあんんざいいさああんん」

 日本語の態をなさない桐生の叫びに、――ふん、と鼻を鳴らすと、安斎は彼の耳をつまむ指を離し、そしてそのままリクライニングの隙間から、ごそごそとバックシートに移動する。
「お前、運転しろ」
 とだけ告げて、そのままシートに安斎は寝転がった。
「ちょっと、安斎さん」
「横になりてえだけだ」
 そうは言ったが、もちろん居眠りする気はない。ただ、いまは桐生の隣に座りたくなかった。水を被ったように汗びっしょりの桐生の体が、そろそろ異臭を放ちつつあったからだ。
 腕時計を見ると、もう午後三時に近い。そうと分かると途端に安斎の腹の虫が暴れだした。
「とりあえずはメシにしよう。もうランチって時間じゃねえけどよ」
「いいですねえ。どこに行きます?」
「任せる」
「いいんですか!? じゃあ、こないだいい店見つけたんですよ!!」
 黄色い声でそう言いながら桐生は車をスタートさせた。


(須藤の件でヘマをした――か)
 六人目の被害者――と当時目されていた瀕死の須藤公彦巡査長から証言を取り、その他の証拠と合わせて、容疑者は彼の息子である須藤修司だと、最初に捜査会議でぶち上げたのは、確かに安斎だ。
 形だけ見れば、息子をサツに売る父親という無情な構図だが、そうではない。須藤巡査は、自分を襲った黒い目出し帽の男が息子であった事実を最期の瞬間まで気付かなかった。
 だが、その後の調査で須藤修司に剣道の心得がないことや、日本刀の売買ルートなどにどうしても彼が繋がらない事実から、安斎はむしろ須藤修司が連続殺人の本ボシであるという見解に懐疑的になっていった。

 だが、それも須藤が姿をくらますことによって、安斎は自説を訴える機会を永久に失ってしまう。
 だから、捜査本部がその後、逃亡した須藤修司を「父殺しのカムフラージュとして連続殺人を実行した真犯人」として断定・公表するに当たって、最もジレンマを覚えたのは間違いなく安斎であったろう。
 そして、彼が佐世保に潜伏しているという情報を聞くや、怒りさえ覚えつつ桐生とともに現地に出向き、不眠不休の追跡のすえに須藤を逮捕したのだ。
 だが――やはりと言っては何だが――須藤は父殺しではあっても連続殺人犯ではなかった。

(おれらしくもねえ……何故もっとウラをとってから本部に報告しなかった……)
 須藤修司の逮捕によって、捜査本部は大恥をかいた。
 それはそうだろう。
 佐世保で須藤を逮捕した瞬間は、警察の勝利をうたう臨時ニュースの画面がドラマやナイターに差し変わったものだが、そのたった30分もせぬうちに、新たな犠牲者と真犯人の存在を――つまり、先程の勝利は間違いでしたと――報告するニュースが、まるで地方の大雨注意報のように小さな字幕で、同じ画面を横切ったのだ。
 日本全土にミスを喧伝したようなものだ。
 その責任を安斎が感じるのは確かに筋違いだ。捜査本部の方針を決定するポストに、彼はいない。
 だが、それでも須藤の名を捜査本部に最初に持って行ったのは安斎なのだ。まるっきり責任を感じずに済むはずがない。
 バックシートに寝転がりながら、安斎は暗い目つきで虚空を見つめた。


「桐生」
「なんです」
「お前もやっぱり、南雲が臭いと思うのか」
「どういう意味です? 安斎さんは違うと――」
「おれたちは一度でかいチョンボをやっちまってる」
「……でも」
「今度あんなブザマを晒したら、捜査本部はメンツの総入れ替えだ。いや、それで済まないかも知れねえ」
「でも、――だからって、本部の方針に逆らうわけには行かないでしょう?」
 心配そうな表情で、桐生はちらりとバックシートを覗き込む。
 あんたが暴走したら、おれでは手綱を握りきれない。ムチャに付き合わされて首になるのはイヤですよ。
――桐生は、そう言いたいのだろう。
「……分かってるよ」
 安斎は、ふっと寂しげな笑いを浮かべた。

 



「あらあら、はやてちゃん、おねむですか?」
 車椅子を押していたシャマルが、眠そうに舟をこぐはやての髪を優しく撫でる。
「うあっ、……ねっ、寝てへんよ。うんちょっと、うとうとしただけやし」
 はやてが口元のよだれを拭きつつ、顔を上げた。
 そんなはやての頬をヴィータがうりうりと突付く。
「うとうとしただけって、思いっきり寝てんじゃん、それ」
「寝てへんよぉ! 寝てへんって言うてんのにもう~~!」

 そんな三人を見ながら、シグナムは傍らを歩くザフィーラに念話を送った。
(主はやてが楽しそうで良かった)
(そうだな)
 ザフィーラも重々しく頷いたが、ちらりと空を見上げると、シグナムを振り返った。
(しかし、そろそろ屋内に入った方がいいのではないか。日差しが強くなってきた)

 確かにザフィーラの言う通りだ。
 そろそろ西陽が厳しくなってきた。
 お盆を過ぎたとはいえ、まだまだ涼しくなる気配はない。
 はやても疲れているようだ。
 それもそうだろう。なにしろ八神家一行は室内プールで運動してきたところだ。
下半身不随の彼女ではあるが、守護騎士三人がつきっきりでケアをすれば、プールで水遊びくらいはできる。

「主はやて、そろそろタクシーでも拾いますか?」
 と訊くシグナムに、はやては首を振った。
「せっかくみんなで外に遊びにきたんやもん、まだ帰んのは早過ぎるって」
「そうだよシグナム、まだ遊び足りねえよ」
 ヴィータがはやての尻馬に乗って口を尖らせる。
「しかし、主はやてもお疲れのようだし……」
「ならシグナム、取り合えずみんなでどこかのお店に入りましょうか。涼しくてゆっくりできて甘いものでも食べられるようなところに」
 と、シャマルが口を出し、眼前の「翠屋」と看板が下がった喫茶店に指を差した。
「ああ、それいい! ちょうど小腹が空いてたんだよ!」
 とヴィータが歓声を上げるが、しかしはやては少し表情を曇らせた。
「でも、ああいうお店ってザフィーラが入られへんやろ? せやったら……」
「あ」
 途端にヴィータがフリーズ状態になる。
 それはそうだろう。ペット同伴で入店可能な飲食店など、そう簡単に見つかるはずがない。

(優しいお方だ)
 シグナムはそう思う。
 守護騎士の同僚であるはずのヴィータでさえ念頭になかったザフィーラの存在を、きちんと思いやることを忘れない。このような主に仕えることが出来る自分たちは、つくづく幸運だと思わざるを得ない。
「それなら大丈夫ですよ、はやてちゃん」
 ニッコリ笑ったシャマルが、ザフィーラの頭をぽんとなでると、そのまま今来た道を振り返った。
「いまからザフィーラ用の服を買ってきます。人間形態に戻って、帽子か何かで犬耳を隠してしまえば、レストランだろうがカジノだろうがクレームはつけさせませんわ」
「ああ、なるほど、さすがシャマルやな!」
 はやても、そのシャマルの提案に膝を打って喜ぶ。
「さきにお店に入って待っていて下さい。私たちもすぐに行きますから!」

 店内は予想外に混んでいたが、それでも運が良かったのか、八神家一行と入れ替わりに五人ほどの集団客が会計を済ませたところであったらしく、ボックス席が一つ丸々空いている。
「いらっしゃいませ! どうぞ、こちらへ!!」
 カウンターの中にいた逞しい男が、わざわざ出てくると、車椅子を押すシグナムを先導するように店内を横切り、店内の客たちにさりげなく道を開けさせる。
(やることの行き届いた男だな)
 そういう気遣いを自然にやってのけるマスターに、シグナムはかなりの好印象を覚えた。
 だが、すぐに彼女はその印象を一変することになる。

(この男……?)
 
 はやて・ヴィータと三人でボックスを囲んでからも、しばしマスターを見ていたが、シグナムはすぐさま、このマスターが尋常ならざる男であることを見抜いた。
 目の配り、腰の据わり、無雑作に晒した背中に漂う隙のなさ――どう考えても、ただの喫茶店店長とは見えない。
(何者だ……!?)
 シグナムは、この男が小太刀二刀御神流という古流の剣客であり、ボディガードの世界では、かつて伝説と呼ばれた強者である事実を知らない。





「……ったく、お前いったい何考えてるんだよ」
 安斎はボヤキついでに隣を歩く桐生の頭をはたいたが、それでも桐生は表情を変えない。
「大丈夫ですって、安斎さんも一度ここのパフェ食えば、そんな顔できなくなりますから、絶対に」
「いつ誰がどこでパフェ食いてえなんて言ったんだよ。少なくともおれにその記憶はねえぞ」
「ごはん代わりにパフェを食う。それでいいじゃないですか。甘いものって結構ハラに溜まりますし、問題ないですよ」
 あくまで陽気な顔を崩さない桐生に舌打ちを堪えながら、安斎はその「翠屋」という名の喫茶店の扉をくぐった。甘ったるい匂いがプンと安斎の鼻を突く。

(おいおい……)
 案の定、と言うべきか――客は女性客ばかりだった。それもおばちゃん連中ではない。女子高生や女子大生、休憩中のOLや、近所の若奥様連中が思い思いにたむろしている。その客層を見た瞬間に安斎は回れ右をしたくなったが、
「いらっしゃいませ!!」
 という若い女の声に目をやった瞬間、
――ははあ……この野郎、この女シェフが目当てでおれをここまで引っ張ってきたのか。
 そう納得できる美女がカウンターの向こうから、こちらに営業スマイルを向けてくる。
 桐生の様子をちらりと窺ってみると、一応きりりと引き締めてはいるが、鼻の下が気の毒なほど伸び切っていた。ここまで考えが顔に出るようなヤツが、よく刑事になれたものだ。

(まあ、いいか)
 喫茶店なら、軽食くらいはあるだろう。さすがに昼飯代わりに胸焼けするようなスィーツを食べる気にはならないが。
 まあ自分の隣で、上機嫌なツラしてパフェを掻き込んでいる桐生の姿を想像すると、我ながらうんざりするほど羞恥心が沸いてくるが、――まあ、仕方ないだろう。桐生に店を任せると言ったのは安斎なのだから。
 だが、そんな溜め息が止まらない気分も、奥の厨房から出てきたマスターとおぼしき男を見た瞬間、見事に吹き飛んだ。

「いらっしゃいませ! 二名様ですね、こちらにどうぞ!」

(高町……士郎!?)
 一瞬、安斎の目尻が険しくなる。
「あ、はい。――安斎さん? こっちですよ」
 桐生が、フリーズしたままの安斎に訝しむような顔をするが、高町士郎はそんな安斎を視界の端に捉えても、何ら反応を見せることなく喫茶店のマスターとしての態度を崩さない。

「ご注文は?」
「ジャンボ・チョコレート・パフェを一つ」
「こちらのお客様は?」
 そう言って安斎の目を覗き込む高町士郎は――彼らが警察の人間か気付いているかどうか――まるで何を考えているか窺わせない。
「クラブサンドとジンジャーエールを」
「はい、かしこまりました!」
 まるで恵比寿のような笑顔を浮かべながら、彼はそのまま厨房の奥に姿を消した。

(このバカタレが……ッッ!!)
 安斎はそのままカウンターの下で桐生の足に蹴飛ばすと、小声で尋ねた。
「おい、こりゃあ何のサプライズだ」
「は?」
 やはりというか――予想通り桐生はさっぱり事情を飲み込んでいない顔をする。
 安斎は内ポケットからボールペンを取り出すと、カウンターセットからペーパーナプキンを一枚抜き出し、そこに書いた。

『ここのマスターの高町士郎という男は、一度捜査線上に浮かんだ男だ』

 桐生は何も言わなかった。
 ただ、猛烈な勢いで顔色が青くなってはいたが。

――高町士郎。
 彼がこの連続殺人の被疑者に上げられたのは、実はさしたる証拠あっての事ではない。
 ただ、この海鳴市において、被害者の傷痕から推測される剣技の手練という条件をクリアする者は決して多くはなかった。そして高町士郎は、その条件にピタリと当て嵌まった数少ない一人だったのだ。
 無論、そんな状況証拠だけで人を逮捕することは出来ない。
 だから、警察も彼の内偵を続けていたが、ある日突然、高町士郎の名は被疑者リストの中から姿を消した。
 
「なぜです?」
 桐生が小声で訊いてくる。
 安斎は、無言で紙ナプキンに質問の答えを書いた。

『圧力』と。

 のちに分かったことだが、この高町士郎は要人警護の業界で、知る人ぞ知るという有名人であった。つまりそれは言い方を変えれば、政府や警察の上層部にひどく顔が利くということである。
 この男の人脈を使えば、腕のいい弁護士を雇うことも可能だったろうが、高町はそんな面倒な真似をしなかった。一足飛びに“上”に掛け合うことによって、警察の小うるさい追及を断ち切ってしまったのだ。
「まあ、アリバイやらは一応確認されたらしいんだが、――そんな胡散臭い野郎のアリバイ証言なんざ当てになるかよ。どうせどっかの誰かが便宜を図ったに決まってる」
 そう言いながら安斎はそっぽをむいた。


 ドアが開いた。
 また新たな客がきたようだ。
 安斎は、見るともなくドアの方をちらりと見る。
「ごめんなさい、お待たせしましたはやてちゃん」
 と言いながら店に入ってきたブロンドの女と、夏にもかかわらず帽子をすっぽり被った浅黒い肌の銀髪の男。そして開放されたドアから二人と同時に店内に入ってきた、かすかな羽唸りを立てて飛び回る一匹のハエ――が見えた。

(…………)
 安斎の視線が、なぜそのハエに固定されたのか、それは彼自身にもよく分からなかったに違いない。ただ、そのハエはそのまま飛び続け、とあるボックスシートに座る、車椅子の少女を中心とした三人組のもとに飛んでいったようだ。

「あ、シャマルこっちこっち~~って……なんやザフィーラ、その格好もけっこう男前やないの」

 車椅子の少女が、楽しげに笑いながら流暢な大阪弁で彼ら二人を呼ぶ。
 彼女と同じボックスに座る二人も――特におさげの子供の方は爆笑しながら――浅黒い肌の男に声を送っている。
 しかし、こうやって見れば奇妙な取り合わせには違いない。
(車椅子のガキに外人が四人。しかもその全員が――どう聞いてもネイティブとしか聞こえない日本語を喋ってやがる……)
 しかし、それが何だと言うのだろう。奇妙だといっても所詮それ以上ではない。
 だから、この一瞬後に起こった「出来事」さえ目撃しなかったら、安斎はそのまま視線を逸らし、この車椅子の少女を中心とした五人組のことは忘れてしまったかも知れない。


「――主はやて、御無礼致します」


 腰まで伸びた赤毛をポニーテールに括った目付きの厳しい女が、車椅子の少女の眼前で、すっ、と素早く手を動かす。
と、何が起こったのかも分からずぽかんとする車椅子の少女に、フッと笑いかけ、そしてそのまま手に持っていた“それ”をペーパーナプキンに包み、ボックスシートの傍らのゴミ箱に捨てた。


(……………………………ッッ)


 安斎は絶句した。
 彼には見えたのだ。
 ポニーテールの女が、卓上のツマヨウジを一本引き抜き、無雑作――としか言いようのない――動きで、車椅子の少女の眼前を飛んでいたハエを、刺し貫いたのが。

 宮本武蔵は飛んでいるハエを箸で掴んだという。
 ならば、飛んでいるハエをツマヨウジで貫く、この女は一体?
 分からない。
 いや、分かる事がある。
 この女も遣い手だということだ。
 おそらくは、尋常ならざるレベルの手練であるということだ。

 そして、この瞬間、ポニーテールの女が不意に安斎を振り向いた。
(しまった)
 女の技があまりに凄まじかったので、安斎の視線に思わず殺気が載ってしまったのだろう。
 だが、安斎は女の視線に怯まなかった。
 なんとなれば、高町士郎を始めとして、今まで捜査本部が調べ上げた剣の達者たちにしても、それは残らず日本人であった。しかし、外人にしてこれほどの腕を持つ人間が海鳴にいる。しかも、こいつらはこれまで捜査線上にまったくノーマークな存在であった……。
(この女――くせえ……!!)
 そう思った瞬間、安斎は疲労も、空腹も、捜査に対するあらゆる疑問も、残らず忘れていた。


 警視庁の刑事・安斎重吾とヴォルケンリッターたちは、ここにこうして不幸な出会いを遂げた。
 彼らの運命がこの後いかなる具合に転がるかは、もう誰にも分からない……。




[11100] その4
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/26 04:15

「なんやシグナム怖い顔してからに。カキ氷が歯にしみたんか?」
「――あ、いいえ、その……」
 眼前のフラッペに手を付ける事無く、難しい顔でテーブルを見つめるシグナムは、悪戯っぽい目をしたはやてに不意に声をかけられ、少し慌てた。
 ヴィータも、ジャンボパフェを食べながらそんなシグナムを笑う。
「虫歯か? ちゃんと歯は磨かなきゃダメだぜ」
「バカ言え」
 苦笑しながら、シグナムはそれでも目線も表情もまったく変える事無く、さっき自分を見ていたスーツの男に意識を向ける。
(聞かれたか、私の名前を……?)


(シグナム……か)
――男みたいな名前だな。
 そう思いながらも安斎は、その名前と、凛とした女の横顔を心に刻み込んだ。
 そして眼前のクラブサンドを一口かじる。
(うまいな)
 今日一日ほとんど固形物を口にしていなかったためか、やたら美味に感じる。
 だが、その一瞬後には、安斎は脳裡からその味覚を消し去っていた。
 彼の神経は、ひたすら背中越しのボックス席の五人組に向けられる。
 あの車椅子の少女を中心とした外人たちは、一体何者なのか? 
――安斎の頭を占めていたのは、まさにその一事であった。

「あ、安斎さん」
 途方に暮れたような桐生の声が響く。
(うるせえな)
 安斎は顔を上げると、高町士郎が――例の、一切の感情を読ませない営業スマイルを浮かべながら――自分たちのすぐ傍に立っている。


「困りますな刑事さん。この店を勝手に張り込みに使われてもね」


 ざわ――という声が、翠屋の店内を埋める客たちの中から浮かび、そして一瞬の後、店内は、それこそ水を打ったように静寂になった。
「こっ、この――」
 桐生が何か言わんとしたが、それを遮るように安斎はすっと立ち上がる。
(やっぱり気づいてやがったか、この男)
 少なくとも安斎や桐生と、高町士郎に面識はないはずだった。安斎が高町を知っているのは、あくまで警察の内偵を「上からの圧力」で跳ね除けたという不遜で不審な男――という情報を、写真つきの書類で知っていたに過ぎない。
 もっとも、彼の相棒の桐生は、そんな情報すら知らなかったが。

「どっかで会ったかな、喫茶店の大将」
「さあ。――でも前の仕事柄、犬の臭いはすぐ分かるんですよ」
 そう言うと、高町は口元だけを亀裂のように歪ませて笑った。さっきまでの営業スマイルとはまったく違う、名うてのボディガードとして暗黒街まで知られた男の“怖い”笑みだ。
「警察に協力するのは市民の義務だろ?」
「今の警察は治安維持機関としての職務を放棄した復讐者の集団でしょう。そんな人たちに進んで協力する気にはならないんですよ。――どうしてもと仰るなら」
「令状を持って来い、か」
「ええ」

 安斎は、そのままじろりと高町を見る。
 高町もその眼光を真っ向から跳ね返す。

「ふん」
 内ポケットに手を突っ込むと、そのまま安斎はサイフから五千円札を出し、カウンターに置いた。
「釣りはいらねえ。桐生、いくぞ」
「え、でもまだパフェが――」
 何か言おうとする桐生の後頭部をゴチンと拳で殴りつけ、安斎はそのまま店の出口まで足を運び、そこで振り返った。
「安心しろ高町」
 ガチャリと音を立てながらドアを開け、
「もう二度とこねえ」
 そう言うと、その発言に「えっ!?」という顔をする桐生を外に蹴りだし、安斎はドアを閉めた。

 そして、二人が店外に出て数秒後、――誰が先導したかは分からないが――いけ好かない警官を追い返したダンディな喫茶店の店長に、店中の女性客がうっとりと酔ったような視線と共に、歓声と拍手を浴びせ、店内は大いに盛り上がった。


(刑事、だと――)
 シグナムは店内にこだまする嬌声とは対照的に、愕然となりそうな表情を懸命に引き締めた。
 なにしろ、あの男が自分に向けた視線は、殺気と猜疑に満ちていた。
 その殺気の質から――只者ではないと判断してはいたが、しかしあの男が官憲の手の者とするならば、その視線の意味は歴然だ。
(目をつけられた、ということか……!?)
 分からない。
 いや、――希望的観測は出来ない。
 いかにシグナムが守護騎士プログラムによって生み出された、現世の常識外の存在であるとしても、さすがに警察が自分たちに目をつけるということの意味は理解できる。

 いま、この海鳴市で起こっている連続警官殺人事件――その犯人は、日本刀を凶器に使用する、とんでもない剣の達人であるとテレビのニュースで言っていた。
 そして、シグナムがまったくの戯れに、ツマヨウジでハエを貫いた、その瞬間をあの二人に目撃された……ということは、少なくともシグナムが武術の玄人であるという事実を、あの刑事たちに知られたということだ。
 なら、彼らはその後どう動くだろうか?
(バカでも分かる)
 シグナムは、無雑作に腕を披露してしまった自分の迂闊さに、思わず奥歯を噛んだ。

 彼らは刑事だ。
 疑わしい者であれば親でも疑う。
 そして一度疑惑を抱いたが最後、それが晴れるまで、どこまでも自分たちを追ってくるだろう。かつて何度も自分たちを追いまわした、あの時空管理局の武装局員たちのように。
 しかし、かつてのシグナムならば、そんな連中など歯牙にもかけなかったはずだ。
所詮、魔法も使えぬ司法権力など、自分たちヴォルケンリッターの敵ではない。そんな連中など、その気になればいつでも皆殺しに出来るのだから。
――だが、いまは、まずい。
 もし今、この国の警察機関を敵に回すようなことがあれば、それはとりもなおさず、彼女たちの現主君である八神はやての居場所を奪うことに繋がりかねない。彼女はこの国の国籍を持つ一般市民であり、なおかつ、これまでの主のように、官憲に敵対してまで何かをしようなどとは考えたこともない、無垢なお方なのだ。
 魔力蒐集の邪魔になった管理局の武装局員たちを蹴散らすのとは、まったく話が違う。
 自分たちを追う――そこにいる敵を始末したところで何も解決は望めないのだ。

(最悪、我々は主はやての前から姿を消さねばならぬかも知れぬ)

 自分たちヴォルケンリッターは、厳密な意味で身分を証明できるものを何も持っていない。それどころか、調査されれば自分たちが人間でないことなど即座に露見するだろう。
 いや、それならばまだいい。
 もし自分たちが、この連続殺人に関与する者として嫌疑をかけられたら、もはや晴らしようがないではないか。 
 
 考えすぎかも知れない。
 考えすぎだと思いたい。
 だが――。
(……やはり、車の音は聞こえない)
 はやてと一緒に見た「警視庁24時」というドキュメントでは、私服警官というものはおよそ二人一組で行動すると言っていた。これが本当ならば、彼らに後詰はない。店内に彼らの仲間がまだ素知らぬフリして残っている可能性は少ない。
 しかしあの二人がそのまま立ち去ったならば、駐車場から自動車のエンジン音が聞こえてこねばならないはずだ。――と、いうことは。
(奴らは駐車場で我らを待っている。そして我らを尾行する気だろう)


「へ~、あれがホンマモンの刑事さんか。刑事ドラマに出てくるみたいな色男やないみたいやけど、何でこないなところにおったんやろ?」
「おおかた仕事サボってパフェでも食いたかったんじゃねえか」


 はやてが、のんびりとした声を上げ、ヴィータが調子を合わせる。
 だが、シグナムはそれどころではなかった。彼女はその瞬間、思わず立ち上がっていた。
「主はやて」
 予期しない、厳しい口調で話し掛けられ、はやてはさすがに目をぱちくりさせる。
「……なっ、なんや、どないしたんやシグナム……ッッ!?」
 はやてのその様子に逆に我に返ったシグナムは、とっさに周囲を見回し、他の客たちにまで注目されている自分を恥じるように頬を赤らめた。しかし、ここで発言を止めるわけには行かない。一刻も早く八神家に帰宅し、日本警察への対抗手段を考えねばならないからだ。

「あ、あの……私、そろそろ眠気がひどくなってきたので、もう家に帰りませんか?」

 はやては、シグナムの台詞と、口をつけられていないフラッペを交互に見比べていたが、やがて、
「うん、ほな帰ろうか。実はわたしもそろそろ眠たかったとこやねん」
 と、ニッコリ笑った。

(ちょっと、どうしたのよシグナム)
(先程から、いささか様子がおかしいぞ)
 シャマルとザフィーラが真剣な口調で念話を送ってくる。
 シグナムは答えない。
 だがヴィータの、
(ひょっとして、おまえマジで歯が痛かったのか?)
 という、茶化すような念話を聞いた瞬間、さすがにむっとしたが、しかしその怒りも、店を出た瞬間に吹き飛んでしまった。

 翠屋から道路を挟んで存在する専用駐車場。
 そこに停まっている車の一台から――さっきの男の視線をシグナムはふたたび感じたのだ。

――もはや是非もなし、か。

 シグナムは深く目をつぶった。
 考えすぎだと思いたかった。
 考えすぎであって欲しかった。
 だが、あの二人組が自分たちに目をつけているのは、もはや間違いない。
 シグナムは、守護騎士全員に聞こえるように、重い口調で念話を飛ばした。

 
(あの店にいた二人組の刑事たちの目的は――おそらく我々だ)


 その瞬間、ヴォルケンリッターたちの表情は凍りついた。
 




[11100] その5
Name: スパイシーチキンカレー◆8b14b352 ID:d2736d75
Date: 2009/08/30 05:56

(ねえシグナム、やっぱり考えすぎじゃないかしら……)
(そうだよ。お前がツマヨウジでハエを殺したからって、そんなことでわざわざ追っかけてくるほど警察は暇じゃないはずだろ?)
――と、シャマルとヴィータが楽観論の念話を送ってくるが、シグナムは答えない。彼女はただ、沈黙を守る盾の守護獣にちらと視線を送っただけだ。
 そしてザフィーラは、シグナムの意図を正確に読み取った言葉を念に乗せ、シャマルとヴィータに送った。
(いや、いる。……確かに、先程の二人組が我々を追ってきているぞ)
 その一言は、シャマルとヴィータから、ふたたび言葉を奪った。
 ザフィーラの狼としての嗅覚は、ヴォルケンリッターたちにとってはある意味――シグナムの卓抜した剣士としての勘――よりも確実な、信用に足るものであったからだ。

 すでにシグナムは先程抱いた危惧を、守護騎士の仲間たちに念話で伝えてある。
 喫茶店にいた刑事たちにとって、いま海鳴市に存在する武術の玄人は例外なく事件の容疑者であるはずだ。――何故なら、今この街で起こっている連続警官殺しの犯人は、間違いなく「剣の達人」と呼ばれるに足る技術の所有者だからだ。
 そしてシグナムは、そんな刑事二人に、迂闊にも自分の手並みを目撃されてしまった。
 これがどういう意味であるか、考えるまでもない。

 それでなくとも自分たち――“闇の書”の守護騎士たちは、後ろ暗いところが多すぎる。
 何者だと問われても、魔法技術の概念が存在しないこの世界では、まったく説明しきれない存在なのだ。
 それはいい。
 ここで問うべきはそこではない。身元不明の人間など、この世界にも、それこそ掃いて捨てるほど存在するのだから。
 だが、そんな自分たちが契機となって、主たる八神はやての日常生活が、この国の警察機関によって脅かされることになってはならない。そんな事態は断じて避けねばならない。

 曲がり角に電柱と共に立てられているミラーで、ヴィータは振り返らずに背後を確認する。
(いる……マジかよ……ッッ)
 確かに、さっき翠屋でマスターに追い出された二人組が、こっちのペースに合わせて歩いてくる。
 他の歩行者たちに器用に紛れてはいるが、言われてみれば、自分たちの背中に、なにか蛇に睨まれたような粘着質の視線を感じないでもない。それはベルカの騎士として無限の時間を歩み続けてきた彼女たちにとって、初めて経験する不気味な眼差しだった。

(どうする……殺すか? なんならあたしが始末してもいいけど……)

 物騒極まりない一言を平然と念話で語るヴィータだが、しかしシグナムは静かに首を振った。
(よせ)
(そうね……。あの二人は私たちが喫茶店を出てくるまで駐車場の車内で待機していた。もし、彼らが無線で仲間に私たちのことを報告していたら、いまさら殺しても遅すぎるわ)
 パトカーと呼ばれる彼らの専用車両には、すべからく無線が設置されている。――そんなことくらいはヴィータもドラマで知っていた。だが、冷静にそう語るシャマルに、ヴィータは少しむっとした念話を返す。
(だったら――どうしろって言うんだよ!?)
(とりあえず……彼らの尾行を撒きましょう)
 そう念話を飛ばすと、シャマルは、車椅子上でうとうとしている八神はやてに囁いた。

「はやてちゃん、少し近道をしますよ」

 寝惚け眼で「――へ?」という顔を向けるはやてをそのままに、シャマルは守護騎士たち全員に目配せすると、突然路地の角を曲がると、
(ヴィータちゃん結界を展開して。そのまま八神家まで飛ぶわよ)
 と念話を送り、そのままポカンとしているはやての頭を、そっとなでた。





「いねえ――逃げられた」

 しかし、そう呟く安斎は存外、口惜しそうな表情をしていない。むしろ我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。
 車椅子の少女を連れて、それでいて自分たち追跡の専門家を振り切る者たち。彼女たちが外人である以上は、二ヶ月以上もこの街で捜査を続けている自分たちより小道や裏道に精通しているとは思えないが、……しかしそれでも奴らは、ここにいない。
(少なくとも、只者じゃねえ。それが分かっただけでも充分だ)
「安斎さん?」
 しかし、その意図を問う桐生の呼びかけに安斎は答えない。
 安斎はスーツの内ポケットから財布を取り出し、五百円硬貨を桐生に渡すと、そばの自動販売機を顎で示し、
「コーヒー買って来い。お前の分も奢ってやる」
 と言い、いま来た道を戻り始めた。
 何か言おうとした桐生だが、そんな安斎が携帯でどこかに電話をかけ始めたのを見て、肩をすくめながら溜め息をつき、その足で自販機までとぼとぼ歩くと、投入口にコインを詰め込む。
「ブラックでいいですか!?」
 と聞いてみたが、やはり安斎は答えない。だが、それは桐生を無視してのことではない。
 耳をつんざくセミの声に遮られないように、安斎は携帯片手に声を張り上げていたからだ。


「――もしもし結城か? 
 ――おう、おれだ。実はな、調べて欲しい事があるんだ。
 ――分かってる。天野管理官には、まだ内緒で頼む。報告するにしても、キチンと裏を取ってからじゃなきゃ相手にしてくれねえからな。
 ――実は、この海鳴市の外国人登録を当たって欲しいんだ。名前は「シグナム」。ファーストネームかファミリーネームかは分からんが、20歳くらいの女だ。人種は白人。髪は赤毛。たぶんアメリカっていうよりヨーロッパ系だと思う。
 ――おう、そうだ。現住所と、出来れば過去の経歴なんかを知りたい。日本語が妙に達者だったから、来日してから結構日が経ってる女かも知れねえ。
 ――そうぼやくなよ。この借りはすぐ返す。次の非番にソープでも奢ってやっから、な?
 ――じゃ、頼んだぜ」


 そのままパタンと携帯を折り畳むと、安斎は桐生に向けてにっと笑った。
「桐生、おれの予想がもし当たってたら……面白いことになるぜ」





「とりあえず、日本警察に付け込まれる隙が無ければいい、というだけの話ではあるのよね」

 シャマルがそう言いながら軽やかな手付きでパソコンのキーボードを叩く。その流れるような手さばきは、まるでピアニストのようだ。
 しかし、彼女が何をしているのかは、端で見ているシグナムには分からない。
「ふふっ――あったあった、これね。……まったく……こんなザルみたいな防壁でよくもまあ人の戸籍を管理しようなんて……」
 シャマルはそう言うと、きゅっと口元を歪ませて笑った。

「はやてが寝付いたぜ」
 そう言いながらヴィータが居間に入ってくる。
 そして、ノートパソコンに向かって亀裂のような笑いを浮かべているシャマルを見ると、ドン引きしたように、一歩後ずさった。
「え、と、シャマル一体何やってんの……?」
 だが、彼女は答えない。
 代わりにヴィータの視線を向けられたシグナムも、黙って首を振って肩をすくめた。
 狼形態のザフィーラに至っては、ヴィータを見向きもせずに寝そべっている。

「よし!!」

 エンターキーを一際強い音を立てて押すと、シャマルは二人と一匹を振り返る。
「海鳴市役所のコンピューターに侵入して、外国人登録に私たちの名前をネジこんだわ。あとは何食わぬ顔をして、登録証とパスポートを再発行を申請しに行けば、――少なくとも入管法絡みで、私たちが国外退去をいきなり命じられたりすることは無いはずよ」
 誇らしげにそう言うシャマルに、守護騎士たちは気圧されたように賞賛の眼差しを向ける。

(そういえばシャマルは……)
 シグナムは、普段物静かでうっかり屋の彼女が、戦闘のバックアップサポートに異常な有能さを示す守護騎士の参謀格であった事実を思い出した。だが、シャマルがこれほどの高度なコンピューター技術を持っているとは、長年の付き合いの自分たちすら初めて知った話だった。
「すげえなシャマル……」
 そう言うヴィータに、
「時空管理局のメインコンピューターに比べれば楽なものよ。とにかく、IDさえキッチリさせておけば、あとはこの国の弁護士を雇うことも出来る。法に対抗するには、こっちも法の内側に入り込めばいい。敵に応じて戦い方を変えるのは戦の常道でしょう?」
 と、シャマルは笑った。
 だが――


「しかしなシャマル、お前には悪いが、それが抜本的な問題の解決に繋がるのか?」


 そう言ったザフィーラの声音は冷たかった。
 この場にいた全員は、反射的に狼を振り返る。
「我々には、警察がこっちに目を向ける案件そのものを解決することが出来るはずだ。そっちを先に何とかすべきではないのか。――なあシグナム?」
「…………確かに、な」
 その言葉にはシグナムも頷かざるを得ない。
「なによそれ……それじゃ私のやったハッキングは無意味な徒労だったと言いたいの?」
 にべもないザフィーラの言葉に、思わず拗ねたように口を尖らせるシャマルに、シグナムは「冷静になれ」と言わんばかりに言葉を続ける。
「そんな事はない。主はやてを守護し続ける限り、我々は遅かれ早かれ社会的身分証明を何とかせねばならなくなったはずだ。だからシャマル、お前の作業は手柄でこそあれ、断じて徒労などではない。しかしな――」
 シグナムはそこで口をつぐんだ。

 シグナムはすでに、連続警官殺しの真犯人と思われる男を知っている。
 自分と互角以上の剣を振るう、名すら名乗らなかった古代ベルカの「剣の騎士」。
 そして、黙したまま語らないシグナムの言葉を拾う形で、ザフィーラがふたたび口を開く。
「もし、その男が結界内で犯行を繰り返しているのなら、日本警察が彼を逮捕することは絶対に不可能だ。つまり、一連のこの事件を解決できるのは我々だけだという事になる。そして、事件が終結すれば、警察が我々に目を向ける理由は無くなる」

「じょっ、冗談じゃねえよ!!」
 ヴィータが叫んだ。
「なんであたしたちがそんな事してやらなきゃいけねえんだ!? この国の警官が何人殺されようが、それこそあたしたちには何の関係ない話じゃねえか!! 何を好き好んで、そんな物騒なヤツと関わり合いにならなきゃいけねえんだよ!!」
 
「…………」
 その声に対しても、シグナムは何も答えなかった。
 確かにヴィータの言い分にも一理あるからだ。
 彼女たち“闇の書”の守護騎士たちにとっては、たとえ日本が革命でひっくり返ろうが別に関心は無い。彼女たちがこの宇宙で気に掛けるのは“闇の書”の主である八神はやて只一人のはずだからだ。特に警察に目を付けられている今、八神家に面倒事を持ち込むことだけは絶対に避けねばならない。それは誰にでも分かる理屈である。

「しかしなヴィータ、シグナムの話では、その男も我らと同じベルカの騎士だそうではないか。ならば我らにとっても同胞として交渉する余地があるのではないか?」
「交渉? 交渉って何言ってるんだよザフィーラ!! そいつはそいつの理由で勝手に警官殺しを始めたんだろ!? 趣味でやってるってんならともかく、どこに交渉の余地があるって言うんだよ!!」
「よせ二人とも。――それ以上声を張り上げれば、主はやてが目を覚まされるぞ」
 そう言って、熱くなり始めたヴィータとザフィーラを制止するシグナムに、今度はシャマルが口を開く。
「――で、シグナム、あなたの意見は?」

 シャマルの瞳には、さきほどザフィーラの言葉尻に噛みついた時の怒りは無い。
 彼女を振り返ったシグナムは、そう判断したが、……しかし、下手なことを言えばシャマルも声を荒げるであろうことも予測できる。彼女は普段こそ上品で生真面目であるが、その実、かなり融通が利かない気性の荒さを内に秘めていることは、ヴォルケンリッターの全員が知っていた。
「シグナム、あなたは私たちのリーダーよ。“闇の書”の主であるはやてちゃんに指示を仰げない以上、私たちの行動の最終指揮権は、あくまでもあなたにある。――それをわきまえた上で答えて頂戴。あなたの意見を」

――シグナムは、ふっと溜め息をついた。

「……まだ結論は下せない。あの男とも、いずれは対峙せねばならない時が来るだろう。万が一、魔力蒐集を再開せねばならなくなった時、あの男の魔力は見過ごせないものとなるはずだしな」
 その発言に、ザフィーラがピクリと反応する。
 自分たちと同じ古代ベルカの騎士から、リンカーコアを蒐集するというのか?
――そう言いたいのであろう。
 だが、シグナムは、そんなザフィーラを敢えて無視し、シャマルを見た。
「だが、いま我々が為さねばならないのは、やはりシャマルが調えてくれたIDを早急に入手することだろう。あの刑事たちに目をつけられた以上は、今この瞬間にでも奴らが令状を持って現れるかも知れない。そうなった時に対抗できるのは、剣でも魔法でもなく、やはり、この国の法的手段しかないのだからな」





「ここか……」
 そう言いながら安斎は、車から降りた。
(まさかこんなにあっさり、外国人登録で現住所が見つかるとは思わなかったがな)
 八神――とその家の表札には掛かっている。
「本当に行くんですか安斎さん。こんなの……見込み捜査もいいとこじゃないですか」
 怯えた声で桐生が言うが、安斎は表情も変えない。
「何言ってやがる。見込み捜査で終わらせないための“家庭訪問”なんじゃねえか」
「天野管理官にどやされますよ」
「そんなオチにはならねえよ。――お前さえ黙ってりゃな」
 そう言って安斎は振り返り、ニヤリと笑う。
「いくぞ桐生」
 八神家のインターフォンが静かに電子音を鳴らした。



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