私が背中に負ったのは、左の肩甲骨(けんこうこつ)から斜め下に向けて、背骨直前までの刀傷。
砂地に身体を投げ出すようにして逃げたのが良かったのか、それとも標的としては小さすぎたせいか。
ありがたいことに刃先がかすめただけの傷口は、死にかけるほど深くはならなかった。
この時代にも、外科的な縫合技術はちゃんと存在する。
「金創治療」という名で、金属によるケガの治療法はまとめられている。
しかし、その「金創治療」がくせものなのだ。
戦の噂話で耳にした上級武将御用達の最高医術であっても、危険度は半端ではない。
包帯の巻き方などの初歩までなら現代の常識ともそう違わず、まだ大丈夫な範囲内に収まっている。
ところがそれが手術までいくと、「それ絶対死ぬんで勘弁して」と、泣いて止めなければならない水準に変わる。
消毒済みのガーゼを腹中に置き忘れるどころの話ではない。
「麦粥(むぎがゆ)」や「カニみそ」を薬代わりに傷口に詰め込まれ無事に回復するのは、私には無理。
……医者を呼べるような状況ではなかったことも、私が助かった理由かもしれない。
でも、ケガをしたことに合わせ前夜の疲労も重なって、私は数日、意識不明に陥っていた。
目が覚めれば、そこは知らない場所。
一座の仲間たちもすでにこの地を旅立った後で、私の傍(そば)には誰もいなかった。
――――― 戦国奇譚 塞翁が馬 ―――――
当たり前だけれど背中についた傷は、自分では見ることはできない。
初めの頃は浅く息を吐くだけで全身に痛みが響き、ケガの程度がわからない私の不安をいたずらに煽った。
傷のせいで出た熱で関節は軋み(きしみ)、意識はうつろにかすむ。思考も上手くまとまらない。
動けば痛むのにそれもわからずに、苦しさから逃れようと無駄にもがいてしまう。
しかしそれでは、治るものも治らない。
縫っていない傷は、小さな動きにすら再び開いて、かえって悪化させてしまう恐れもある。
だから私の看護にあたってくれた人達は、体を不用意に動かさぬよう固く布を巻く事で対処しようとしたらしい。
枕元には飲み水が置かれ、寒さをしのぐための布団代わりに綿入りの着物も与えられていた。
意識が戻ればすぐに口にできるようにと、温かい粥(かゆ)なども用意されていたそうだ。
私は今の身分には不相応なまでの品々に、囲まれていた。
けれど、そんな周囲の手厚い看護にまったく気付けないほど、私自身は恐慌の中にあった。
体は熱を持って重く、全身どこもかしこも痛くて、傷の場所さえわからない。
動きたくても、縛られているのかと思うほど息苦しく、自由になるのは手足の先のほんのわずか。
声を張り上げようにも、息を吸い込む力は頼りなく、渇いた喉から出る声はかすれ弱弱しい。
細い声でくぅちゃんや皆の名を呼んでみるが返事はなく、耳を澄ましても聞こえるのは自分の荒い息遣いだけ。
動けないうつ伏せの体勢で、それでも狭い視界をせいいっぱい探すけれど、見えるのは薄暗く冷たい板壁ばかり。
「皆はどこにいるの?」
「私の傷はどの程度のもの?」
「あれからどうなったの?」
「ここは誰の家?」
尋ねたいことがあるのに、呼ぶ声に応えてくれる相手は、いない。
何もわからず、体は自由にならず、不安ばかりが闇雲に育っていく。
体の不調は心までも弱くして、湧きあがる焦りや怯えにうまく対処できない。
乱れる心のまま、私はまるで本物の幼児にでもなったかのように泣きじゃくった。
寂しくて、寂しくて、怖くてしかたなかった。
独りでいることがどうしようもなく辛くて、不安に押し潰されそうだった。
眼がさめれば皆を探して泣き、泣き疲れて眠る。
時間の流れまでもあいまいな中、「もう、誰でもいいから」とさえ思ってしまう。
誰でもいい、人の声が聞きたい。嘘でもいいから、ホントは大丈夫じゃなくたって「大丈夫だ」と囁いてほしい。
「すぐに良くなる」「頑張れ」と、何でもいいから優しい励ましが聞きたい。
私を見て、私の名前を呼んで、私がちゃんと生きていると確かめさせて。
慰めと温もりをほんの少しでいいから、わけてほしい。
そして何よりも、「ここに皆がいない理由」を教えてほしかった。
たとえそれが、「動けないから置いて行かれた」のでも「捨てられた」のでも、かまわない。
あの夜、あの浜辺で、皆の命が失われてしまったのではないことがわかるなら、それ以外のどんな残酷な理由だっていい。
皆の消息が知りたい。「自分一人が生き残ってしまったんじゃない」と、誰でもいいから私に告げて……。
考えないようにしようとしても頭から離れない悪夢。
私をのみ込もうとする喪失の恐怖を、打ち消すための情報を、切実に望んでいた。
声が涸れるほど、欲していた。
けれど、私の望みは叶わない。
私を看てくれている看護人達は何人もいたけれど皆よそよそしく、無駄口を叩かず仕事をこなしていく。
手早く用事を済ませると、彼らはすぐに立ち去ってしまう。
呼び止めて話しかけてみても、私を少し見るだけで、誰も会話しようとはしてくれない。
起き上がって追いかけることはできないので、部屋を出て行かれると私にはなす術がなくなる。
欲しい情報は手に入らず、無視するかのような彼らの反応に、私は傷ついた。
私が何度も挑戦するので、会話に失敗するのは一度や二度ではすまなかった。
一度ずつの失敗の痛みは小さくても、何度も続けば心も挫けてしまう。
彼らが「話してくれない理由」について、悪い想像ばかりが浮かび、気持ちは塞いでいく。
「元気な時ならもっと頑張れた」と云えば、言い訳になってしまうかもしれない。
でも、体の不調に、気力もいつもより減っていたのだろう。
傷の痛みに加え、心の痛みまで跳ね返して頑張ること、不安を振り払い前を向き続けることは難しかった。
そして……。
危うい均衡でどうにか持っていた心のバランスは、積み重なる負の要因に限界を迎える。
傷つくことに臆病になった私は、誤った方向へと逃げ道を選ぶ。
最初は、「話がしたいのに、話しかけるのが怖い」だった。
それが、「独りは寂しいのに、他人が近くにいることも怖い」に、変わる。
絵に描いたような人間不信への悪循環を、堕ちていく。
老津の浜で見てしまった「人が人を裏切る瞬間」も、「実際に傷つけられた恐怖」も、心の奥で私を苛む。
居てくれるだけで支えになっただろう親しい人達は、今は傍にいない。
私は自分を傷つける周囲を先に自分から突き放すことで、身を守ろうとしてしまった。
それほどまでに、私の心は追い詰められていた。
だがしかし、これは、あくまでこの状況を『ちょっと病んでる私』の主観から見た場合の話。
少し冷静に、考えてみてほしい。
大ケガをして寝込んでいる幼子に、三国間にまたがる謀略の顛末を解説する人間がいるだろうか?
熱を出して、保護者を呼びながらシクシク泣いている小学校に上がったばかりの子供がいたとする。
その子に追い打ちをかけるように、子供をおいていくしかなかった「大人の事情」を説明するだろうか?
常識的な大人なら、少なくとも寝込んでいる間は何も話さないことを選ぶだろう。
話すにしても、「もう少し元気になってから」や「折を見て」と考えるのは、ごく普通の選択だと思う。
時をおいて冷静に考えれば、見えてくるものがある。
物事を別の視点からも見てみる余裕があれば、違う答えも出てくる。
突然やってきた余所者の子供に、彼らだって出来る範囲で手を抜かず看護してくれていた。
主家に関わる口外厳禁の事件で預けられた子に対し、迂闊に口を開かないのは当然のこと。
全ての事情が使用人に説明されたはずもなく、尋ねられても答えを知らないものも多かっただろう。
余所者に警戒心を持つのも、必要以上に親しくなろうとしないのも、批難されるようなことではない。
子供や病人などの弱者相手だろうと、無償の人権や博愛を主張できるのは、戦のない平和な時代だけなのだ。
余所者なら警戒されて当然。最初の態度が冷たいのは当たり前。
そこに飛び込んで行って、上手くコミュニケーションを取ろうと努力するのが、旅芸人。
私もその芸人のはしくれとして、一座に入っていろいろ学んでいたし、それなりに実践も積んでいた。
それなのに、自分のことで手いっぱいになってしまい、相手の事情をさっぱり考えられなかったというのは致命的だった。
普段ならば、もうちょっとどうにかなったと思う。
「ケガさえしなければ」と思うのは本末転倒ではあるけれど、「運が悪かった」としか言いようがない。
……とはいえ、思わず病んじゃうぐらい私が精神的に追い詰められていたのも事実。
この時、私は対人恐怖症から、鬱(うつ)に片足を突っ込みかけだった。
傷が治ってきてもリハビリをするのも億劫で、寝床から離れる気力がない。
布団生物になりかけの、まさしくニート予備軍。
そのまま何もなければ、私はその名も知らぬ屋敷の片隅で腐ってしまっていたかもしれない。
が、しかし、天は完全に私を見放す気はなかったらしい。
弱音も鬱も吹き飛ばせる存在が、すでに私の部屋の壁の向こうで、出番を待って待機していたのだ。
この時代、板間(いたま)と土間(どま)が一部屋を半々に分けていてもおかしなものではない。
大きな屋敷でも、玄関や台所は、基本地面を踏み固めた土間にするのが一般的な建築様式だった。
だから私のいる部屋が、寝ている部分を除けば残りは全部土間になっていても、特に違和感はなかった。
それがある日の朝早く。
「人の出入りが多いな」と思いながら布団をかぶって隠れていると、隣の土間に「何か」が置いていかれる。
自分以外の「何か」の気配を警戒し、私は体を縮め息を殺した。
出入りしていた人がいなくなってもその気配は動かず、さらに幾許かの時間が過ぎた。
動かない「何か」はずっと静かだった。
あまりの静かさに、私は布団の端をそっと持ち上げる。目にしたのは、蹄(ひずめ)。
蹄の上には、四本の足。足の持主は、薄墨色の「馬」。
横木一本の境界もない至近距離に、頼りない紐一本でつながれているだけの、馬。
私の寝ているところと馬のいる土間は、1メートルと離れてはいない。
布団から顔を出したら、目前に大きな生き物がいたのだ。
それで驚かないなんて、絶対無理。「鬱」だの「気力がない」だの言っている場合ではない。
体重にして私の10倍以上ありそうな生き物の足元に無防備に転がっているなんて、本能で怖い。
私は身も蓋もなく、痛む体も忘れて部屋の反対側に逃げだした。
悩む隙すら生まれない。ショック療法初撃としては完璧な、会心の一撃だった。
その後。
寒い室内の空気に白い鼻息を吐き出す馬と、壁に張り付いた私は、じりじりとにらみ合う。
馬が興味を失くしたように横を向いたのが先か、私が床にへたり込んだのが先か。
なんとなく譲ってもらった気がしないでもない初対面は、どうにか引き分けに終わった。
耳だけこちらに向けてそっぽを向く馬。私も意識を馬から外すことなく、引き寄せた布団に包まる。
やってきた同居人ならぬ同居馬との生活は、ここから始まった。
目が覚めて一番にすることは、自分自身のチェック。
それから次に、馬の顔色をうかがう。
馬は顔に毛が生えているからわかるはずがないなんて思うのは間違いだ。
ちょとした耳の動きや、首の動作、四肢の張りなどで馬の気分は伝わってくる。
もちろんそれがわかるようになる為には、たくさんの観察と地道な試行錯誤があってのもの。
でもそれだけのことをなそうと思うだけの下地が、私にはあった―――。
馬との同居が始まっての数日は、まだ馬は私にとって未知のものだった。
蜂須賀で小六や吉法師に乗せてもらったり、旅の街道で荷運びの馬に出会ったりはしたけれど、もともと関心は薄い。
その頃の私にとって何より興味を引いていたのは、「馬」ではなく「人間」だったから。
しかし「人間」が怖くなってしまった今、寂しくて仕方のない私のもとにやってきたあったかい生き物。
最初は多少恐れていたって、それが魅力的に見えてこないはずはないのだ。
あれは、馬が来て、2日目の晩だった。
初日は緊張で眠れなかったが、さすがに2日目ともなれば眠気に負ける。
しんしんと寒さが降るようなその夜、私は冷たい板壁に身を寄せて部屋の隅に丸まった。
こわい、ゆめをみた。
手を伸ばしても届かない。私には守れない。
足に絡む砂は重く、夜の海が皆をさらっていく。
白刃が閃き、血と潮の匂いが混ざり、名を呼ぶ声を波音がかき消す。
「くぅちゃん、くぅちゃん」と、悲鳴のように上げた自分の声で目を覚ました。
夢うつつのまま、皆を探し、名前を呼んだ。
周囲は暗く、誰もいない。くぅちゃんも、皆も、誰一人。
私は寝ぼけた頭で泣きながら、温もりを探す。
そして、ようやく見つけた温かさに、縋った。
……蹴られなかったのは、たぶん奇跡。
朝目が覚めたら、手足をたたんで胴を地につけ伏臥で見下ろす馬に、私はぴったり添っていた。
温かかったのは馬の腹。人より早い心音が、くっついたところから伝わってくる。
温もりを求めて、求めて、求めて。でも、手に入らなくて。
寂しさから少しおかしくなっていた私に与えられた温度は、まさに麻薬だった。
窮地から助けてくれた相手を一発で好きになるのは、物語の常道。
心辛い寒い夜、泣いている私に添い寝してくれたのだもの、ここで恋に落ちなくてどうする?
まして「馬」は、人間が怖くなっていた私にとって恐怖の対象外。
持て余していた感情を向けるには、これ以上ないほどの相手だった。
今まで外の世界全てに向けていた関心も興味も執着も、全部がこの「馬」に向かう。
身近な人達に向けていた愛情も全部、この一頭にそそがれる。
それは、相手をすり替えた「代償行為」だったのかもしれない。
私は人間が好きだ。寂しがりだし、甘えたがりだし、面倒みるのもみられるのも大好きだった。
なのに恐怖に心は抑え込まれ、情を注ぐ相手さえ奪われ、想いは行き場を失くしていた。
長く長く飢えていたから、与えられた温もりの甘さを見つけたら、もう堪えることなどできなかった。
もしもこの出来事の前に誰か「人」が優しくしてくれていたら、これほど「馬」という動物に心を向けることはなかったと思う。
全ては巡り合わせ、運命のいたずらなのだろう。
でも、あの寒い夜に、優しさに触れたその瞬間から、私は馬好きになった。
「my honey, my love」。
灰色の馬体の優しい彼女を、世界一の美人さんだと私は信じて疑わない。
―――という感じで、色々な過程と下地があって、私は同居馬と友好関係を築こうと、日々努力を重ねている。
好きな相手に私は手を抜かない。何事も誠心誠意、好意は全力投球だ。
馬についてはまだよく知らないから、出来ることを手探りで探しているのが現状。
でも、やることがあれば、もはや布団の中などでぐずっている暇などない。
愛情はいつだってエネルギーの源泉。「大好き」は形にしたい、相手に尽くせることは喜びだ。
観察から始めたコミュニケーションで、少しずつ私は馬を知り、彼女との距離を縮めている。
私の身長は、1メートル弱。彼女の馬高(ばこう 背中の高さ)はそれより15センチくらい高い。
彼女が首を降ろしてくれれば10センチ上になる、長い睫毛にふちどられた茶色の瞳を覗き込む。
触らせてくれるようになった額のあたりに手を伸ばして撫で、優しいまなざしに癒される。
スキンシップが許されている幸せ。努力は報われていると思う。
心の闇は完全に晴れたわけではないけれど、私は新しい目標を見つけられた。
解決していない問題は山積みでも、それにもう一度立ち向かうための勇気を、傍らの温もりがわけてくれる。
灰色の雌馬の隣で、私は、回復への道のりをゆっくりと歩みだした。