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2008年12月9……シナイ半島第1防衛基地
◇◇◇
アフマド司令の迅速な判断もあり、マレーシア連合軍第36戦術機甲大隊は、隔壁崩壊直前に迎撃体勢を取る事に間に合った。直後にゲートを破った敵を、全力射撃で打ち倒し続け、敵の侵入を暫くは防いでいたのだが――完全に溶解した隔壁を抉じ開けるよう、次々とBETAか流れ込んでくる様は、まるで決壊したダムの流水の如くであり、その勢いは止まることを知らない。彼らも懸命に応戦を続けていたのだが、じりじりと後退を余儀なくされ、やがては敵進入量が此方の対応許容量を超え始めてしまって来ていた。
その後、試作電磁加速砲を投入した事により一時的に敵を押し止める事が出来たのだが、それでもやがては敵の物量に押し切られ、もともと幾らかの被害があった第36大隊は更に数を減らしてしまう。今現在は、援軍に来た他の部隊と共に、メインシャフトに続く隔壁を防衛しつつ敵に対応していたが、一度流入し始めた敵は止まらず、既にBゲート付近の基地内部はBETAに侵食されつつあった。
「第14格納庫に敵侵入!」
「第15、16格納庫の退避を急がせろ、隔壁を閉鎖して時間を稼げ!」
Bゲートから基地内部へ侵入した敵軍は、放射状にその勢力を広めていた。此方の戦力も押さえに回っているが、数が足りない為に対応は後手に回り、各格納庫に残っている人員物資を後退させる時間を稼ぐのが手一杯の状況だった。隔壁での封鎖も、敵を押し止める役目を一応果たしていたが、それはある程度で破られてしまう為に対処療法でしかない。
「進入量に反して、敵の施設破壊率が極端に少ないな。もっとも、今更驚かんが……」
「目標は決まっていると言う事か」
「破壊は極力、進行上にあるものと脅威な物だけに限定し、一直線に凄乃皇を目指しているんだろう」
「それは有り難いのか、有り難くないのか……」
「物量の対比で考えれば、守る物が限定されているというのは守り易く有り難いがね」
無差別に攻撃の手を広げられるよりは、解っている所に戦力を集中される方が対処し易い。もっとも、それは常に防衛を突き崩される背水的な危険性を孕んではいるが。
「敵、地下第2層へ続くスロープに近付きつつあります」
「物資搬入路の隔壁に小型種が取り付きました!」
告げられた報告に、焔は首を振った。
「それも突き崩されたら一巻の終わり――どっちにしても厄介な事さ」
メインシャフト以外にも、下層に続く通路は少なからず存在する。BETAの動きは、本隊がメインシャフトを目指すと共に、広がった群れがその下層へ続く通路を探していた。其処は他よりは入念に防御を固めてあるが、探り当てられ隔壁を破られるのは時間の問題だろう。
「最早Bゲートからの敵流入は押し止められんか――ヴァルキリーズとフェンリル隊に通達、Bゲート付近での行動を切り上げ、基地内での防衛に移れと伝えろ。それと合わせ、他にも回せる部隊をピックアップし、基地内防衛に割り振れ」
「「「了解しました!」」」
オペレーター達が、早速命令の実行を開始した。
『――ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ……』
◇◇◇
北部Bゲート付近
Bゲートへ流入する敵を減らす為に、周囲で攻撃を続けていたヴァルキリーズとフェンリル隊であったが、敵の波は途切れる事を知らず、少なからない敵を屠り続けているにも拘らずに、最早敵は次々と基地内部に進入して行ってしまっていた。
「ちいぃ、倒しても倒しても切りが無い!」
「Bゲート崩壊と同時に、Aゲートを攻めていた敵の大半が此方に転進した。進入路を得た事で、戦力を此処に集中しだしたんだろう。囮の役目は終わったとばかりにな……」
Aゲートに猛攻を仕掛けていたBETAだったが、既にそれは過去の話となっていた。Bゲート崩壊と同時、自分達の役目が成功したとばかりにAゲート攻略を切り上げ、その大半がBゲートへ集中しだしたのだ。現在此方の方面に存在するBETA坑から出現してくるBETAの3分の2以上はBゲートへ殺到している。
「このままじゃ、基地内部へどんどん侵入されちゃうよ!」
「私達に攻撃を仕掛けて来る敵もそれなりに存在しますが、大半は此方を無視して基地内へ向かって行きますから――今までのBETAでしたら、真っ先に此方を狙っていた筈ですのに」
「戦略という概念を得たならば、目標優先順位の格付けも変化しているのだろう。進攻を邪魔する者達には幾らかの押さえを回し、後は数に任せて力押しで突き進み、優先目標を破壊する事を第1とする」
伊隅が推察した通り、BETAの行動理念は変化していた。元来のBETAの優先目標は、飛行物体と高性能な機械、そして有人機だった。現在もそれは変わってはいないのだろうが、それに勝る命令として『凄乃皇の破壊』が第1に上げられているのだろう。奴等は今、司令塔たる反応炉からの命令を最優先で実行する為に、ひたすらに地下を目指している意思無きマリオネットソルジャーなのだ。
ならば此処で敵を減らしても、結局は内部の敵が目標に辿り着いたらそれで此方の負けになる。
「伊隅隊長、既に此処に戦略的価値はありません、我々は基地内部で敵の進攻を押し止めましょう」
結局はそれが1番の対処法だった。千鶴の進言に、伊隅も同様に思っていたのだろう理解の色を示し頷き、それを後押しするかの如くに司令部から通信が入った。
『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ、フェンリルへ。基地へ侵入した敵軍は、下層への進行路を探索している模様。現在メインゲート含め、3箇所が攻撃に晒され突破されるのは時間の問題です。両隊は基地内部で、メインゲート以外の敵軍を押し止めて下さい』
『ヴァルキリー1了解した』
『フェンリル1了解。しかし見たところ、基地内部の防衛戦力が少なすぎる。これでは時間は稼げるだろうが、いずれ突破されてしまうと思うのだが?』
『現状、外部のゲート防衛も手一杯で、戦力を回す余裕がありません。また、敵の進撃は激しく、司令は基地内防衛の為に戦力を割いても結局は突破され、結果は中途半端に終わってしまうと考えました』
『なるほど、つまり突破される事を前提とした時間稼ぎか』
『はい。この基地は、地下第6層までは下層へ向かう通路が複数存在し、BETAの物量に対しては一箇所に割り当てられる此方の戦力が少数になってしまいます。なので第6層までは時間稼ぎに終始し、地下第7層で敵を迎え撃ちます』
地上部隊の戦力を割り振れば、ゲート防衛が困難になるし、基地内防衛に割り振った部隊も結局は敵の突破を許してしまうだろう。敵の数は圧倒的に此方より多く、此方の対応は分散されてしまうのだ。ならば、基地内防衛は現在の部隊と防衛施設だけで対応し、時間稼ぎに終始する。決戦は構造的に侵入路が限定される、地下第7層だ。
『了解した、両隊は補給後に直ちに基地内部へと向かい、迎撃を開始する』
『マッピングデータをリアルタイム更新に設定します。基地内部へはAゲートを一時開放するので、入る時は此方に合図して下さい。以上――通信終了します』
向こうも相当に慌ただしいのだろう、名残をその表情に見せながらも、涼宮遥少佐は直ぐに通信を切った。それを見届けた伊隅達は、迅速に行動を開始し始めた。
「全員聞いたな、これより我々は、基地内部へと向かい、敵の迎撃を開始する。補給を済ませたら直ぐに向かうぞ」
《《了解》》
本隊から分かれ襲い掛かってくる幾らかの敵をあしらいつつ後退し、追撃遮断を友軍に任せて少し後方の、補給コンテナがある場所で集結する。敵の死骸が山となり散乱する場所に複数置かれた補給コンテナは、共に戦っていたブルドガング大隊が戦闘の途中で運んできてくれた物だ。戦闘中も大いに活用した。
「迎撃装備か掃討装備が妥当ね」
「ですね、破壊許可が出ているといっても、流石にミサイルは使えないですし……」
「だったら榴弾が1番だよ。狭くて敵が密集している所では、威力が最大限発揮できるしね」
中々に過激な事を言う美琴。それはある意味、ミサイルをぶっ放すよりも物騒だ。
「そうね……。基地内で榴弾を撃つなんて何でだか凄く後ろめたいけど――」
「生真面目だねえ、委員長は」
「ヒュレイカ中佐、白銀の真似は止めて下さい」
途中、横から茶々を入れてくるヒュレイカに、半ば諦め顔で言う千鶴。しかしヒュレイカは、そんな彼女に対して何処吹く風だ。
「はいはい、でも委員長も似合ってると私は思うよ」
「またそんな……」
彼女はある意味、女性版白銀に近い。根本的な面白思考が同質なのだ。言っても不毛な者に言い聞かせる事程、心労が堪る事は無い。因みに千鶴の周囲で白銀武に近しい厄介者を述べろと言われたら、ヒュレイカ、スキルビッツァ、スターニアの順番となる。スターニアは外見や役職からは信じられないが、結構思考がオヤジ的だ、武曰く『セクハラ中年』らしい。
千鶴は意識を総動員して、落ち込んだ思考を浮上させた。この人種に付き合っていたら、自分みたいな性格の者は振り回され続けるのが大半だと解っていたから。
一体自分は何を思っていたのか。そう――榴弾の話だ。基地内部で榴弾を撃つのは確かに少し後ろめたいが、自分達が飛片に気を付ければ、狭い所に密集している敵に対しては効果的な武器なのだ。この状況で四の五の言っていられる訳も道理も無い。千鶴は、躊躇無く榴弾を手に取った。
装備の取り替えや準備は一時だ、訓練した衛士ならば殆ど時間は掛からない。この時の皆も、雑談しながらではあるが早々に補給を終了させようとしていた。
その間、勿論周囲は警戒してた。戦術機の各種レーダーは常に全種全開になっていて、あらゆる探知を行なっていたし、皆も注意深く周囲を見渡していた。しかしそれでも、其処には穴があった。
あらゆる面を考慮して、油断が全く無かったと聞けば、『在った』としか言いようが無い。しかし実際、彼女達が行なっていた警戒は水準以上だったのも事実だ。ならばそれは、一体何が原因だったのか?
最初にそれに気付いたのは壬姫だった。なぜ千姫が最初に気付いたかといえば、それはただの偶然だった。しかし後々に考えてみれば、その偶然は彼女が手繰り寄せた、最良の『幾つかの分岐する未来の1つ』だったのかもしれない。
「美琴さん!!」
突然に上がった壬姫の切羽詰った声に、声を掛けられた美琴本人含め、他全員の思考が一瞬凍りついた。しかし次の瞬間、突撃機関砲の銃撃音を聞くと共に、その氷結は薄氷が砕け散るが如く砕け散り、戦闘思考に切り替わる。しかし、事態はその時点で殆どが進んでしまっていたのだ。
美琴に声を掛けた時点で、壬姫は機体を全力で機動させていた。そのまま支援突撃機関砲を両手で保持し、射撃を開始する。
目に入ったのは触手だった、先端に付いているかぎ爪状の衝角から、間違い無く要塞級と同等のもの、直撃したら致命傷だ。秒以下の世界で考える事は致命的であり、壬姫は己が培ってきた経験全てを振り絞り総動員して、感覚に任せて撃った。躊躇など微塵も無い、己の腕を信じ頼みにした、生涯最高の集中射撃――このタイミングでは美琴の回避は望めない、失敗したら待っているのは仲間の死だ。
1、2、3と左右から襲い掛かってきた触手が弾け飛んだ。その時点で周囲の皆が事態に気付いたようだが、反応するまでに持っていくには余りにも時間が無さ過ぎる。4、5、6と、更に続けて触手が弾け飛んだが、しかしそれは既に、最初の触手が弾けた場所より、美琴機の至近距離であった。飛び散った血肉が、叢雲の装甲を濡らす位に。
あの時、背面弾薬コンテナに榴弾を補給した後、地面に置かれた補給コンテナに向かい戦術機を少し屈ませ手を伸ばし、05式支援突撃機関砲を手に取った壬姫は、そのまま機体を立ち上がらせた。
立ち上がる動作の時は上半身を持ち上げるので、必然的に顔も地面を向いており、視界を連結していた壬姫も同じ所を視界として収めていた。そして、『それ』を目にしたのだ。
美琴機の後方地面、積み重なる幾つかの蠢くBETAの死体、最初は目を疑ったが、次の瞬間、死体と死体の隙間や要塞級の死体内部より関節の隙間を掻き分け、かぎ爪状の物体が姿を現した。レーダーに反応は無かった、恐らくあの死体がカムフラージュの役目を果たしていたのだろう。一連の行程は一瞬で、だから千姫がその事実を受け入れ皆に警告する間も無かった。もし彼女が、瞬間に反応せずに皆に声を掛けて注意を促していたのならば、果たして本人も他の皆も、その攻撃に対応できていたのだろうか?
壬姫が確認した触手は全部で9本だった。7、8、9本目が襲い掛かってくる。美琴の叢雲は、搭乗者の危機に対する反射的思考を汲み取ったのだろうAIが緊急回避モードを選択していて、あのタイミングで回避は不可能だが、幾らか触手との距離が取れていた。正直最後の3本は際どいと感じていた壬姫は心底安堵して、その3本を撃墜したのだ。
しかし、その安堵がいけなかった。美琴のピンチで、思考が射撃に集中しすぎていたのも原因の1つかもしれない。もっとも、その集中力が無ければ、これ以前に終わっていた可能性もあるので、一概にはどうとも言えないが。
この時、良く考えればその事実に関連付け、もう少し注意を払えていたかもしれなかった。触手を持つのは要塞級だけではない、死骸の狭い隙間に隠れていたのならば尚更だ。焔は言った、千姫達も聞いていた。Bゲートを破った光線級は24体、それを運んで来た混合級は12体。そして誰もが、その『上半身』を確認していなかったのだ。
9本目の触手の後ろから、10、11、12本目が襲い掛かってきた。
驚愕に反応が一瞬遅れ、それは致命的な刹那の遅れを生み出した。タイミング的にはかなりのシビアさだ。これまで3秒経っていない時間の中で行なわれた寸劇の中で、クライマックスを飾るシーンが壬姫の目の前で悲劇へと移り行こうとしている。皆が介入したくても、その寸前で終わってしまう世界。今此処に居るのは、触手という親友の命を貰う敵と、壬姫という主役それだけだ。
「――――!!」
声無き叫び声が上がった。彼女は多分、一生の内で一番勇気を振り絞りつつ、思考を全開にする。頭の中がクリアになり、周りの全てが遅くなったように感じ始めた。
(1本目は迎撃できます。けど2本目は際どい。3本目は確実に間に合わない!)
出した結論は絶望的だった。しかし壬姫は諦めない、諦めるなんて出来る訳が無かった。大切な親友を、仲間を見殺しにするなんて。彼女を助けられるのは、今この自分だけなのだ。
「ああああぁぁあ!!」
今度は本当に声が上がった。緩慢だった世界が色を取り戻す。その落差を利用するように、機体を全力で機動させ続け、その間にも10本目の触手を迎撃した。
だが後2本は――
「うわあああああ!」
美琴の悲鳴が上がった。壬姫の業炎が、勢いそのままに美琴の搭乗する叢雲に激突したからだ。だがそんな美琴に構いも謝罪もする間もなく、美琴の場所と入れ替わった彼女は11本目の触手を、機体寸前で迎撃した。
そして――
「珠瀬!!」
やっとの事で、千鶴が事態を把握した時には、全てが終わっていた。吹き飛ばされた美琴機は地面に倒れ込み、寸前までその機体があった場所には、珠瀬壬姫の業炎が……
その姿を確認すると共に、千鶴は背面中央パイロンより、近接戦闘長刀を抜き放った。そのまま機体を珠瀬機の方に走らせ、上段に構えた長刀を勢い良く振り下ろす。
硬質な物質が硬質な物を切る時に起こる、甲高い音を立てて、珠瀬機の右腕は肩口から地面に落ちた。その肘から先は既に無く、肘関節の辺りが、まるで酸に漬けたかのようにぐじゅぐじゅに溶解している。間違い無く、BETAが持つ溶解液の効果だ。放って置くと、更なるガスと酸でやられてしまうので、千鶴は早々に酸に犯された腕を切り落としたのだ。またその間、皆は珠瀬機の右腕を直撃した触手を撃ち落としつつ、素早く全周警戒に移る。触手を撃ち落としはしたが、本体は今だ健在の為だ。
「珠瀬! 珠瀬!! 無事、大丈夫!!」
バイタルは身体的損傷は無しと表示しているが、それでも心配なものは心配だった。強酸の攻撃で命を落とした衛士の最後は千鶴も何回か目撃している、例えデータ上は無事であっても、その姿を確認するまでは心が納得いかなかった。
「壬姫さん!」
そして、それは美琴も同様だった。いきなり突き飛ばされたのは驚愕したが、それも自分の命を救う為だと解れば逆に嬉しかった。しかしその反面、損傷を受けた千姫に最大限の心配を傾けてしまう。
「こ、怖かったです――」
2人の心配する声を受け、通信を繋いだ壬姫の第一声がこれだった。やったことは神業的だったが、事が済んだ後に、刹那的な死と隣り合わせの状況だった事を改めて思い返し、今更ながらに恐怖がその身を蝕み始めたのだ。幾らか成長していると入っても、未だに気の弱い彼女――よくもまあ、自分があんな無茶をやったものだと思う。
「壬姫さん、大丈夫、怪我は無い!?」
「珠瀬、本当に大丈夫なの!?」
「え……あ……はい、壬姫は大丈夫です。でも、業炎の腕が――」
2人の剣幕に、若干引き気味になる千姫だったが、心配してくれる仲間が、それを守れた事に喜びを感じていた。しかしその反面、千鶴が切り飛ばした自機の腕に目を留め、その痛々しさを憂う。
あの瞬間、美琴機を弾き飛ばしてその場を入れ替わった千姫だったが、その時点で既に、触手を射撃で撃ち落す事はタイミング的に不可能だった。コクピットに直撃するコースは避けていたので、死ぬ事は無いと思ったが、食らえば戦線離脱になる事は確実。壬姫は諦める事はせずに、持っていた支援突撃機関砲を右腕で前方に薙ぎ払うように突き出し、迫ってくる衝角と激突させた。その結果、突撃機関砲との激突で勢いを殺された衝角に右主腕をぶつける事が出来、そのまま合気の要領で進行方向をずらす事も出来たのだ。結果として、衝角と接触した右腕は、酸でドロドロに溶解してしまったが。
「機体の腕1本ですんで、ある意味幸運よ。無事で良かったわ」
「ごめん千姫さん、ボクがもう少し注意していたら……」
「い、いいえ、あの場合はしょうがないですよ、壬姫も気付いたのは偶然に近かったですし……。美琴さんが無事だったなら、この子もきっと本望だと思います。大切な仲間を助けられて、私もこの子も嬉しいですよ」
半分以上溶解してしまった腕を見詰めていた壬姫の視線は寂しげで、それを見て本当に申し訳が立たないと思った美琴は、心底から謝罪した。でも壬姫は、憂いをその身に収め、それを振り払うように言ったのだ。
彼女は自分の機体が好きだった。AIが自分の意志に答えてくれる様は、まるで意志ある生物とコミュニケーションを交しているかのようで、まるで生きている風にも感じられてしまう程に。その機体が損傷したので、壬姫は憂い顔をしていたのだが、それ以上の喜びも存在したのだ。あれは自身の腕だけでは到底無理だった、所々に、この子が手を貸してくれているのが肌で感じられていた。勿論それは、AIが下したただのプログラムに沿った行動なのかもしれない。でも、この子が居たからこそ、大切な仲間を助ける事が出来、自身もが五体満足で無事だったのだ。
だから壬姫は、美琴を助けるのに協力してくれ、腕を犠牲にして自分を助けてくれた自らの愛機に向かい、心の中で最大限の謝辞を送った。
『たま! 大丈夫か!?』
……とその時、外部から突然に通信が入った。
『武さん!』
『武!』
『白銀!』
三者三様に、その武を見詰める。彼の表情は、珍しく焦りの色に彩られ切迫感を押し出していた。部隊情報はリンクさせているので、きっと珠瀬機の損傷を見て取って慌てて通信してきたのだろう。
『右主腕の欠損表示が出ていたから何事かと……大丈夫なのか?』
『体の方に怪我はありません、まだまだ戦えますよ』
「珠瀬、本当に大丈夫?」
「大丈夫です、片腕でも十分戦えます。それに、今は少しでも戦力が必要な筈です」
例え損傷した機体でも、弾が撃てるならばそれは戦力と成り得る。それに今は、例え無理やりに動かしてでも戦力が欲しい時、片腕が無くなった位で泣き言は上げられない。
そして本人が大丈夫と覚悟するならば、武達もそれを受け入れるだけだ。彼等とて、今の状況で十分に戦える戦力を後退させられる程、余裕は無いのだから。
『解った、じゃあ気をつけろよ』
『それは武さんもですよ』
『それもそうだな。こっちも忙しいから、合流は先になると思う――』
『私達は先に下層に向かいますけど、武さんも遅れないでちゃんと来て下さいよ』
『了解了解、通信終わる』
名残を惜しむ気質の武としては珍しく、早々に通信を切った。背後で色々聞こえていたが、どうやら向こうも相当に忙しいらしい。そんな中で、心配して声を掛けてきてくれるのだから――そう考えれば、壬姫は嬉しさに心が暖かくなってしまった。
「珠瀬、データは?」
「あ、はい。え……と、これを基準にします」
武と話している間にも、壬姫の指はコンソールを叩いていた。
戦術機は、全体が1つの機体として纏まっている為に、片腕が無くなっただけでもバランスが損なわれる。そのまま戦えば、致命的な問題を生み出す程に動きが損なわれるのは確実。だから、コンピューター内部にはこういう時の為の、欠損部分が出た時用の参照データが存在する。そのデータを基にしながら、現在の状態に対応するシステムを調整して行くのだ。こういう知識も、普段からみっちりと鍛え上げている為に、千鶴や美琴の後押しもあり、事はスムーズに進んで行く。周囲は一時的に、みんなが完璧に固めてくれている。失敗を教訓に出来る人達でもあるので、今度は完璧な防陣を敷いてくれているだろう。勿論の事、自らも周囲に意識の網を広げてはいるが……。
暫く後、そう時間も経たない内に、珠瀬機の調整は終わった。全員の補給も既に終わり、とうとう戦場は、基地内部へと移行する。
時間は刻々と過ぎて行き、そして敵の攻勢も、徐々に部隊全体を押さえつけようとしている。果ての無いかのような戦いの中、彼女達はそれでも懸命に戦いを続けるのだった。
少し補足します。感想の方だと流れてしまうので、此方への記載を御容赦下さい。
以前から、マブラヴ世界の技術水準には頭を悩ませていました。99年時にも関わらず、此方よりも軍事技術が抜きん出ているので、何処までやっていいか匙加減が難しいと常々悩んでいました
しかし今回、トータル・イクリプス発売に当たって、その謎が少し氷解しました。
試製99型電磁投射砲に使われている、赤外線エネルギー(科学レーザー)を転換する技術――実は、今まで明言しませんでしたが、オルタ+作中に出てくる循環再生エンジンも、これと似た技術を使っていると言う設定です。勿論そのままそっくりの技術ではないし、他にも色々混じっていますが、基本は似ています。
あくまでも、架空の技術、未来的技術ですが、下地的には転換炉やレーザー核融合科学、光科学、レーザ応用工学など色々考えていました。まあ、素人考えなので何処まで現実的かは果てし無く微妙ですが……それもあって、詳しい事は伏せていたのですけどね。
とにかくこれで、このエネルギー転換技術が、作中でも大手を振って使える様になりました。もっとも、レールガンの運用などには制限を設ける心算ですので、武達の使う主武装は、あくまでも突撃機関砲で行きますが。
とにかく、目処が立ってよかったです。これで基ネタがばれたかもしれませんが……。
まあ、技術よりもストーリーですよね(笑)
とうとう物語りも終盤――これから この世界の秘密が段々と解明されていきますので、予想が付いて いる方も、悩んでいる方も御期待してくれていると有り難いです 。
白銀響の存在、武の居ない平行世界、前世の記憶、新型BETA……これら以外にも、散りばめて来た伏線を回収しつつ、物語はひとつの方向へ――。
『在りえならざる世界』は、紡がれて来た物語によって形を成し、本物となります。生まれるはずが無かったマブラヴ世界を書き続け、それを読者様に読んでもらえる喜びを噛み締めつつ、どうか今後とも宜しくお願いします。