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[11343] 迷宮時代
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/04/14 02:33
 人類が繁栄を極め数百年が経ったころ、地殻変動が起こった。後の歴史書に「森羅破壊事件」と記されたそれは、人類の約三分の一を死滅させることなる。同時に今まで築きあげてきた文明は、ほぼ白紙の状態に戻った。


 しかし、異常はこれだけでは済まなかった。


 地殻変動により、地上には多くの洞窟が現れた。生き残った人類たちは慎重な会議を重ねた結果、探索隊を編成しこの突如できた洞窟を調査することになる。そして、理解した。それは『迷宮』と呼ばれるものだった


 数百人は余裕で入る大空洞。下手をしたら戻れなくなるぐらい入り組んだ道。何から何までもが“偶然”できたとは想像できない代物なのだ。しかも、中には初めて見る凶暴な生物が多数存在しており、調査隊は壊滅状態に追いやられた。


 しかし、人類は迷宮に潜ることを止めなかった。命からがら逃げてきた隊の一員がこう証言したのだ。「中は宝の山だった」。この時、世界全体で食糧が枯渇しており、生物が存在し食すことのできる植物があることは、宝ほどの価値があったのだ。


 こうして、日々死と隣り合わせになりながらも、人類の迷宮に潜り続ける生活が始まった。『迷宮時代』の幕開けである。






 ええと、とりあえず始まりましたチー太郎と言います。お初にお目にかかります。パソコンで小説を書くのは初めてでして、不慣れなところもありますがよろしくお願いします。なお、この作品はノープロットで作られており、突然止まったりすることもありますでのご了承ください。
 では、迷宮×学院という二番煎じなものになる予定ですが、どうか見捨てないで下さい。



[11343] 一話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/10/08 23:07
 クラリース学園。勇者アルフォリカが百二十年前に建てたとされる、迷宮学校の一つである。学園のレベルは平凡ながらも、歴史ある校舎は威厳を感じさせ、首都に数多くある迷宮学校でもそれなりに有名なほうである。


 その二階、第三準備室の椅子に、藤代幹也は腰かけていた。視線がキョロキョロと動く。幹也は第三準備室に入るのが初めてなのである。準備室と名がつくぐらいなので、そこには珍しいものや高価なものが溢れかえっている。


(あれは……ハルバロスの実。あっちは金色ウサギの心臓じゃないか)


 どれもこれも、市場で買えば数十万はくだらない。さすが準備室、と幹也が感心したとき、目の前にいる人物が顔を上げた。


「単位が足りません」


 数枚の資料を片手にそう告げた女教師――シルディア教授を前に、幹也無言で首を傾げた。言ってる意味が分からない。どうして自分の単位が足りないのか、その理由が皆目見当もつかない。そういうアピールである。全て理解しているが、できれば分からないふりで押し通すつもりなのである。幹也は数秒黙考したあと、口を開いた。


「いやいや、何言ってんすか教授?」


 エルフ特有である均整のとれたシルディアの顔が、ため息でくもる。


「だから、何度も言わせないで。単位が足りてないのよ、きみ」

「その理由が分からないんです。知ってます? 先日の『魔物概念』の成績。A+ですよ。おれ学園で一位だったんですよ」

「知ってるわよ、もちろん」


 それどころか、シルディアは幹也に関する成績を全て把握している、彼が人一倍真面目に授業へ取り組んでいることも、テストの点数もほとんどが学園トップクラスなことも。だが、それだけじゃここでは駄目なのである。


「でもね――」


 シルディアは持っていた資料を正面の机に叩きつけた。いきなりのことに、びくりと幹也は身体を震わす。


「迷宮学園で迷宮に潜らなかったら、意味ないのよ!」


 幹也の資料には、一つだけ空欄がある。すなわち“迷宮探索”。その部分だけは、一切手をつけてないのである。シルディアは苛々を露わにしながら、朗々と説明し始めた。


「いいかな、ここは迷宮学園なの。全ての授業が、迷宮に潜ることを職業とする『探索者』を目指すために行われてるの。戦闘訓練しかり、魔物概念しかり。だいたい今時、魔物概念なんて知識が必要なのは探索者以外じゃ軍ぐらいでしょ? それぐらい、分かってるよね?」

「あー……はい」

「そうだよね。きみがそれを理解してくれていて、わたし本当に嬉しいよ。涙が出そう。それで、話を戻すのだけど。ここに、その迷宮学園で迷宮に潜らない生徒がいます、いいと思うかな?」

「…………いいんじゃないでしょうか」

「なんでそうなるの!」


 控えめな幹也の発言に、再度机が揺れる。


「いいわけないでしょ! 迷宮学園の生徒が迷宮潜らなかったら何するってのよ! それなのに、きみときたら強制参加の合同探索はさぼる、ましてや自由参加の探索は一回もしない。わたしもここの教授になって数年たつけど、きみのような生徒は初めてだよ!」


 一通り言い終えると、シルディアは幹也を睨みつけた。呼吸は荒く、顔は真っ赤になっている。幹也は至って平然と視線を受け止め、ぽりぽりと首筋をかく。


「駄目ですかね? 迷宮に潜らないと」

「駄目に決まってるでしょ! ああもう、いいわ。とりあえずこれ、今度の合同探索のパーティー表。特別優秀な子をつけておいてあげたから、ちゃんと行くのよ。もしまたさぼったら、退学ですからそのつもりで」


 さよなら、と冷然に言われて、幹也は言葉を返すより素早く第三準備室から放り出された。廊下には自分一人しかおらず、幹也は渡されたパーティー表を茫然と眺める。中には、幹也を含め五人の名前が書き込まれていた。


「……やっぱりこうなるよな」


 半年前この学園に転入して来たとき、幹也はいつかこうなるだろうと思っていた。当り前である。首都の迷宮学園にいて、迷宮に潜らないなどと都合のいいことがあり得るはずがない。シルディアの言っていることは、もっともなのである。


 ――もっともなのだが、現実を無視して幹也はそれを望んでいた。だから普通の授業を人一倍真面目に受けることで、なんとかカバーしてきた。それに限界がきたのである。


「まあ、仕方ねーよな。退学だと、約束を破ることになるし。合同探索なら、そんな大した所は行かないだろう」


 幹也は大きく肩を落とすと、足を踏み出した。歩きながら、パーティー表の下に小さく書いてある文字を眺める。


 ――二日後の午後一時、ウエスト通りにある受付所の第九会議室にて。


 最初に集まる日付と時刻に場所が、そこに記してあった。










 迷宮時代が始まってから、五百年以上が経過した。人類は森羅破壊事件から立ち直り、新たな文明を築き上げている。しかし、迷宮に潜ることをいまだ止めようとはしない。


 それどころか、探索者という一つの職業として確立されており、その数はおよそ六百万人にまで上る。何故死ぬかも知れない探索者が、ここまで人気があるのだろうか。その理由は人それぞれだろうが、命をかけてもいいほどのメリットがあるのは確かである。


 ぶっちゃけ探索者で成功すれば、地位と名誉と金が手に入るのである。事実、クラリース学園を建てたアルフォリカが持っている“勇者”の称号も、魔物を倒して得たものである。彼は迷宮から街を襲いに来たドラゴンを倒したことで、莫大な富と地位を頂戴し、平民から貴族にまでなった。それを元に、探索者を育てるための学園を建てたのである。


 こんな話は、探索者ならどこにでも転がっている。一攫千金の職業、とまで呼ばれているのだから。ゆえに、それをサポートする施設や職業も、多く存在する。その一つが、”受付所”である。


 受付所とは、その名の通り迷宮に潜る手続きをする所である。勝手に行くというのもできなくはないのだが、それだといくつかの不都合が生まれてしまう。一つ目に、生死の有無が確認できず、行方知れずになる。迷宮で死ぬと死体は魔物に食べられてしまうので、その人物がどうなったかがわからないのである。


 潜る迷宮の場所と日付を届けておけば、時間の経過により受付所から探索者に救助願いが提出される。受付で非常時の保険をかけるのである。勿論、無料ではないが、それによって助かることは、日常茶飯事である。そういう場合は、潜ったはいいけど魔物が強すぎて安全地帯に避難していた、などということが多い。


 二つ目に、ランクの申請である。探索者はSSからEまでの八つのランクに別けられており、受付所に報告した今までの実績によって上下するのである。迷宮には、入り口から化け物の巣窟みたいな所があり、そんな所へ度胸試しという理由で探索者になったばかりの者が挑むことが過去にはよくあった。こういったことを防ぐため、国が考えだした苦肉の策がこのランク制度である。


 ~~の迷宮はAランク以上の者以外入ることを禁ずる。~~の迷宮に入る条件は、パーティーに一人はBランク以上がいること。条件付けをすることにより、死者の数を減らそうとしたのである。この企みは、成功に至った。なにせ破ってしまうと、無事に生還できたとしても発覚すれば国から多大な罰金が徴収されてしまうのである。その日暮らしの探索者には、成功するまではそんな大金はない。命をかけて罰金を取られるでは、割に合わなかったのだろう。


 他にも、受付所には様々な役割がある。しかしそのどれもが、探索者のために作られたものと言えよう。






 ――――二日後、幹也は学園から一番近いウエスト通りの受付所を訪れていた。やたら大げさな門を押し、中に入る。久しぶりのそこは、相変わらず混雑していた。受付所は探索者の休憩も兼ねており、酒場も付属されているのである。飲んで騒いで、二十四時間営業なので、静かなことはほとんどない。


 しかしこれは、と幹也は辺りを見渡す。


 騒がし過ぎる。怒声や悲鳴が聞こえてくる。すると、酒場の左端に人だかりができていた。なにかもめ事かと思い、幹也も歩き始めた。荒っぽい者が多い探索者である。そういった話題はこと欠かない。熟練の探索者が新人を虐めたり。酒の席で喧嘩になったり。


 今回もそんな所だろうと、幹也は思ったのである。ある程近づくと、声が聞こえてきた。


「悪かった!許してくれ」

「いいえ、許しません。あなたはもう少し痛めつける必要があります」


 ああ、やっぱり、と幹也は呟いた。大方、成り立ての少女が前衛職の戦士にでも絡まれたのだろうと。しかし、そこで思考が止まる。やっている方と、やられている方の声が逆なのである。幹也は自然と歩みを速めた。人を掻き分け、何が起こっているのかをこっそりと覗き込む。


 そこには、白いローブを羽織った小柄な少女が、百九十センチはあろうかと思われる巨漢の胸倉を掴み、ボコボコにしている光景があった。








まーとりあえず一話です。導入部分だし短いのはご愛敬。しかし、迷宮に潜るのはいつのことになるのだろうか…………



[11343] 二話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/04/27 21:37
 それは異様と言って差し支えない光景だった。


 無様に胸倉を掴まれ血を流している男は、二メートルはあろうかと思われる巨漢である。毛むくじゃらの身体には、鎧のような筋肉。背中にかけている剣は、幹也の胴と同じぐらい太い。探索者というよりは、山賊の親分と言ったほうが板につくだろう。闘うために生まれてきたような男である。その点少女は、あまりに小さかった。男との身長差は、どう見ても四十センチ以上はある。ローブから伸びる腕は、病的なまでに細い。フードで隠れた顔から時折覗かせる瞳は、蒼く透き通っている。修道女のような真っ白なローブといい、こんな所にいることは場違いのような気がした。


 対比すれば、小人と巨人のようなものである。しかし小人は、巨人をボコボコに。いや――半殺しにしていた。


 状況から判断すると、この惨劇を起こしたのは少女なのだろう。近くにある椅子や机は無残に壊れ、そこら中に血痕が飛び散っている。どこにそんな力があるのだろうか。今は自分の倍以上体重があるだろう男を、片手で持ちあげていた。周りを円で囲っている探索者に、止める様子はない。少女に圧倒されたのだろうか。被害を受けないよう、安全な距離を取っている。


 もちろん幹也にも、さらさら止める気などない。目立ちたくないし、どう考えてもあれは危険である。他人ために身体をはるほど、幹也は善人ではない。死人が出るというなら話はまた変わってくるが、やってる方もそれぐらいの分別はあるだろう。静かに合掌して、そこから立ち去ろうと踵を返し、


「聖女…………アシリアス・オルマニウス」


 ぴたりと、足が止まる。その言葉を吐いたのは、隣に立っていた男であった。幹也は嫌な予感がして、振り返る。顔を隠していた少女のフードが、取れていた。


 幹也と同じ、上質な炭を思わせるような長い黒髪をしている。この地方では、黒髪は珍しい。ほとんどの者が茶髪で、時折金髪がいるぐらいである。さらに、蒼い瞳なんてものは、もっと珍しい。ゆえに、その外見だけで、彼女は自分自身を証明できる。


 アシリアス・オルマニウス。四大貴族、オルマニウス家の直系であり、膨大な魔力と正確無比な治癒能力により史上最年少でSランクを頂戴した天才児。その美しい容貌と、治癒という極めてまれな能力により、今では『聖女』とまで呼ばれている。


 幹也は改めてアシリアスを見遣った。ローブに負けないぐらい色白の肌も、幼いが整った目鼻立ちも、何も知らない者が見れば聖女と言ってしまうかもしれない。知らない者がみれば。すなわち知っている者が見れば、その印象はまったく変わってくる。そして幹也は、不幸なことに知っている者だった。それもかなり。


(何やってんだあいつはぁぁぁぁ!)


 泣きたくなった。久しぶりに来た受付所で、これはあんまりである。幹也は頭を抱える。怪訝そうに視線が突き刺さるが、もはや気にさえならない。


 アシリアスは、加減を知らないのである。彼女は、人間というものはどれだけやっても死なない生き物だと思っているのだろう。確かに、ただの拳での殴り合いならそう簡単には死なない。そこまで脆くはできていない。しかし、致命傷を浴びても完全な状態まで治してしまうほどの魔力量を持つアシリアスが肉体強化を行えば、それはもう拳での殴り合いとは言わない。大男が重量三十キロはある鈍器で痛打するようなものである。本気で肉体強化をすれば、岩でも砕けるだろう。決して彼女は聖女などと可愛いものではない。


 大男はすでにぐったりと気を失っていた。このままほっておけば、死ぬ可能性も十分あり得そうである。そしてこれを止められるのは、おそらくこの中では幹也だけだった。Sランクの探索者に口を出す馬鹿など、そうそういないのである。それこそ、同じSかそれ以上、もしくはある程度見知った仲でなければ。


(でも、いいよな……無視しても)


 無視してもだれも文句は言わない。皆同罪なのだから。それに、やられてるのは他人である。おれには関係ない、そう幹也は自分に言い聞かせようとして――やっぱり止める。さすがに、知り合いを人殺しにするのは、気がひけた。


 いくら様々な権限が認められているSランクとはいえ、人を殺して無罪とまではいかないだろう。国家機関の守護者≪ガーディアン≫に捕まえられ、その後に何日か牢屋に入れられる。あーもうなんでおれが、と幹也はアシリアスに近寄った。


 突然円の中心に歩いていく少年は、非常に目立った。ざわざわと騒ぎ声がする。幹也は心を無にして、その声を全て聞き流す。だが、肝心のアシリアスは幹也の存在にまったく気付かない。


「あなたのせいで、わたしの友達は……」

「あーこほん」

「いいですか、世の中というものは……」


 わざとらしく咳払いをする幹也を、アシリアスは完全に無視する。


「いや、あのアシリアス?」

「ですからわたしは、あなたという人物を……」

「おいアリア? そろそろ反応してくれないと、泣きそうなんですが。ねえ、アシリアスさん?」

「ああもう! なんですかいったい。わたしは今取り込み中で――――」


 苛々と振り返ったアシリアスの声が止まった。大きく目が見開かれる。幹也はぎこちなく微笑みを浮かべた。


「よ、久しぶり。アリア」

「ミキヤさん!?」


 瞬間、アシリアスが掴んでいた男が投げ飛ばされた。空いていたテーブルへもろに叩きつけられ、力なく床に横たわる。


「おまっなにしてんだ!?」

「うそっ、こんな所で会うなんて、凄い偶然。ん? こんな所…………そういえばここ、受付所だよね。ということは、ミキヤさんが迷宮に潜る? あのミキヤさんが? 一年前から断固としてそれだけは拒否した、あのミキヤさんが? あれ、ホントにミキヤ……さん?」


 焦る幹也を尻目に、アシリアスは完全に自分の世界にトリップする。おかしい、いやでも、と自問自答を繰り返す。その間に幹也は投げられた男を抱き上げる。


「ああ、やばい。泡吹いている。意識もない。担架をここに。いやそれよりも――おいアリア、早く治せ!」

「でもあの声はミキヤさんに違いないし。ううん、もしかしたら全然会ってないからそう感じるだけかもしれない。ああでも……」

「ア・リ・アああぁぁ!」


 大声で幹也は肩を揺さぶる。アシリアスの目に、正気が戻った。


「あ、本物のミキヤさんだ」


「おれの偽物なんているか! いいから早く治せ」


「へ? 嫌ですよ。あんな人。ねえそれよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」

「即答かよ!? おれがどうしてここにいるかは後で教えてやるから、あの人を治癒しろ!」

「もう、ミキヤさんにそこまで頼まれたら、しょうがないですね。貸し一つですよ」


 何が貸し一つだ、やったの自分だろ。という言葉はぐっとこらえる。そうでもしないと、男は死にそうだった。アシリアスは軽やかに飛び跳ねると、男の前で膝をつく。一番酷い顔の傷に手を当てると、目を瞑った。


 一瞬だった。男の身体が光に包まれる。時間にしたら三秒もないだろう。光が消えさると、あれほどボロボロだった男の身体から一切傷は無くなっていた。すぅーすぅーと穏やかな寝息を立てている。


「はい、終わりましたよ」


 こともなげに言うアシリアスを、幹也は改めて見直した。ここまで素早く治癒を行う者が、世界に何人いるだろうか。おそらく、十人もいないだろう、というのが幹也の考えである。一般の治癒師があれだけのことをしようと思ったら、丸一日はかかるだろう。しかも、彼女はそれだけのことをして平気な顔をしている。普通なら疲労困憊で倒れてもおかしくないのだが。


(まったく、反則だよな……まあ、さすがSランクという所か)

「何難しい顔してるんですかミキヤさん。早く教えて下さいよ、どうして受付所にいるんですか?」

「あーそれは――」


 と口にしたところで、幹也は押し黙った。周りの視線が明らかに自分へ向いていた。聖女の知り合いに興味があるのだろう。色々と積もる話だってある。大勢に会話を聞かれるのは、あまりよろしくなかった。


 ひょい、と幹也はアシリアスの襟首を掴み持ちあげた。その体重は、先ほどまで大男をボコボコにしていたとは思えない程に軽い。幹也はそのまま歩きだす。


「はい? ミキヤさん?」

「黙ってろ」


 足早に酒場を離れ、幹也は一直線に受付へ向かう。途中でぶつかりそうになるが、魔法のように上手くかわしていく。


「あの、すいません」

「え、ああはい、何でしょうか?」


 声をかけると、受付の女性は虚を突かれたような顔になる。聖女を片手で持ちあげているのが、よっぽどシュールなのだろう。しかし、すぐに冷静さ取り戻し丁寧に対応する。


「個室を三十分ほど借りたいんですが。一番小さな奴でいいです。支払いはこいつがするんで」

「ええ!? ミキヤさん、わたし今手持ちはほとんど……いたっ!?」


 反論の声を上げようとするアシリアスの頭に、拳が降り落ちた。


「うっさい。Sランクがけちけちすんな。どうせ稼いでるんだろう」

「痛い……何も殴らなくてもいいのに」

「あの、よろしいでしょうか?」

「すいません。で、個室ありますかね?」

「第三会議室なら空いてます。しかしそこは五人様用で……」

「構いません。お願いします」

「だ、だからミキヤさん。わたし今手持ちが……分かりました! 分かったから痛いのは嫌です!」

「では、向かって左にある扉からお入りください。突き当りの部屋になります」


 幹也は小さく頭を下げ、扉を開けた。アシリアスは未だ抱えられたままだった。









「へぇーこんな風になってるのかー」


 初めて借りる個室に、幹也は思わずそう口にした。想像していたよりずっと広い。机と椅子が置いてあり、詰めれば十人近くは入りそうである。低金額でこれだけのスペースが確保できるならお得だな、と視線をきょろきょろと動かしながら呟く。


 受付所の会議室は、主にパーティーが迷宮に潜るための作戦を練る場所である。自分の情報伝えどういった闘い方をするか、またどのように弱点を補うか。そういう会話をするときは、人気がないところがいい。しかし、大人数が収容でき、なおかつ静かな場所というのは存外あまり多くない。そんな探索者のために、受付所が『会議室』という名前で個室を設けたのである。お手頃の値段で借りられる会議室は、多くの探索者に重宝されている。


「うぅ……酷い」


 感心する幹也の後ろで、アシリアスはわざとらしくすすり泣く。


「なんだよ、いいだろちょっとぐらい。Sランクにとって個室の値段なんて塵に等しいだろ」

「違います。いや、それもありますけど! なにも殴らなくてもいいじゃないですか。わたし乙女ですよ。そのやわ肌を、拳骨するなんて信じられません!」

「………………」

「な、なんですか。その冷たい目は? 『お前が乙女?』みたいな目は」

「その乙女もさっき人を殴ってたなーと思って」

「あれは別です。正義の鉄拳という、崇高な目的があるのです」

「正義の鉄拳はそんな簡単に人を殺しかけねーよ」

「え?」


 アシリアスが首を傾ける。そして、小さく笑った。


「嫌ですね、ミキヤさん。わたしだってそれぐらいの手加減はしていますよ」

「………………あーごめん、おれの勘違いだった」

「もう、幹也さんったら」

「悪い悪い」

「ほんとに、おっちょこちょいですね」

(こいつ殺してー。でも普通に向かって行ったらあの怪力だし。毒薬は……聖女というぐらいだし、効かなさそうだな。あーなんかいい方法ないかな?)


 内心でダークなことを考えつつも、幹也は完璧な笑みを浮かべて見せる。アシリアスもそれに合わせて、表情を緩めた。形だけなら、その対話はとても仲が良さそうに見える。実際は果てしなく微妙だったが。


「まあ、人間だれにでも間違いはありますよ。それよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」

「黙れくそ野郎。おれがどれだけ苦労したと…………ん? あーともかく座れよ。色々話すこともあるだろ」


 思考を打ち切り、幹也は椅子にかけるよう促す。前半部分は聞こえてなかったのか、アシリアスはニコニコしたままそれに従った。幹也も座り、一度呼吸を落ちつけてから口を開いた。


「まず久しぶりだな、アリア。Sランク昇格おめでとう」

「わあ、ミキヤさんがそんな嬉しいこと言ってくれるなんて。明日は世界が滅びます」

「殴るぞボケ。……まあ、いいや。お前、いくつになるっけ?」

「十六ですよ。それがどうかしました?」


 幹也は一応今年十九歳になる。三つも下の少女にここまで差をつけられているのは、やはり男として悲しいものがあった。


「なんかすげーなーと思って。お前いつの間にそんな凄くなったんだ?」

「やだなーミキヤさん。大したことないですよ。ちゃんと迷宮潜って受付所で手続きすれば…………ってそんなことよりミキヤさん、迷宮に潜るんですか?」


 思い出したようにアシリアスが身を乗り出す。その質問に、幹也は苦い顔をした。


 どう説明しようか。本当のことを言ったら、多分この少女は馬鹿にするだろう。それはもう、悪意とか自覚もなしズバズバと酷いことを言ってくるのが、目に見えているのである。しかし、と幹也はここで考え直す。アシリアスは悪い奴ではない。そこまで心配する必要もないのではないか。それにアシリアスも一応学校に――レベルは全然違うが――通っている。学生の苦労も、分かっているだろう。


 幹也は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。


「単位が…………足りないんだ」

「…………………………は?」

「だから、迷宮に潜らないと学校を卒業できないんだよ」

「え、それは、学校で貰えるあの単位ですか? そんなことが理由なんですか?」

「そんなこと、とはどういう意味だ。おれにとっては死活問題だ」

「だって、わたしのアプローチにも、報酬金百万ガルロンにも靡かなかったミキヤさんが、単位なんてくだらない理由で痛いっ!? ごめんなさい。単位は大切です。だから机の下から脛を蹴らないで下さい!」

「お前を信じたおれが馬鹿だった」


 うなだれる幹也。アシリアスは涙目になりながら、脛をさする。しかし片手間のように治癒してしまい、すぐに笑顔へと戻った。


「それで、本当の理由はなんですか?」

「あん? それ以外には――――」

「単位が必要というのも確かにあるかもしれません。でも、それだけじゃないはずです。それぐらいなら、ミキヤさんならどうにかするはずです。何かあるのですよね? あの事件があってからかたくなに避けていた、迷宮に潜らなければならない理由が」


 幹也は驚いて目を見開く。アシリアスは笑ったままその視線を受け止める。僅かな沈黙の後、幹也は諦めたようにため息をついた。


「…………お前って、ほんといい性格してるよ」

「あ、分かります? 友達にもよく『アリアって純粋に酷いよね』って言われるんです」

「褒めてねーよ、それ」


 そうなんですか、とアシリアスは不思議そうに小首を傾げる。そうだよ、と幹也は投げやりに答え、本題を口にした。


「お前、最近新聞は読んでいるか?」

「えと……一応一面は」

「もっと端っこにある小さい記事だ。最近各地で少しずつだが、異常現象が起きている。ほんのちょっとだけ、魔物が強くなったりな」

「…………それがミキヤさんと関係しているのですか?」

「まあな。じゃ、今日はこれくらいで。ホントはもっと喋る予定だったが、パーティーの顔合わせがあるのを忘れてた」


 幹也はそう言うと、席を立った。踵を返し、出口に向かって歩き出す。その背中をアリアは慌てて止める。


「え、ちょっと待って下さい。待って下さいってばミキヤさん。ミキヤさん! 待てって言っているのです、ミキヤ・フジシロ!」


 扉に手をかけた所で、幹也の動きが止まった。小さく笑い、視線をアシリアスにやった。


「懐かしいな、それ」

「ねえ、ミキヤさん。あの日迷宮で何があったんですか? 皆は、一体どうなったんですか?」

「死んだよ。言っただろ」

「あの人たちが、そう簡単に死ぬはずがないじゃないですか。わたしには分からないのです。何が起こって、ミキヤさんが何を考えているかが」

「……一つだけ、言えることがある」


 幹也は前を向き、扉を開けた。そして、最後に一言だけ呟いた。


「おれは――――最低だ」









 どうにか二話です。



[11343] 三話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/10/08 23:40
 突進してくるレッドグレムリンを避け、シオン・ミスタリアはその胴に剣での一撃を入れた。ギィッ!! と悲鳴を上げ、レッドグレムリンは倒れ込む。ぴくぴくと痙攣していたが、やがて動かなくなった。


 シオンはため息を吐きながら、剣を鞘に納める。あっさりと魔物を倒したというのに、その表情に喜びはない。ただただ、面倒そうだった。


 この迷宮はお遊びでしかないのである。いくら魔物を倒しても、何一つ感慨が湧かないのは当然だった。


 合同探索とは、学園側が用意した強制の探索である。パーティーに迷宮、さらには潜る階数までも学園が決め、こちらに選択権は一切ない。


 これは一重に、生徒全体のレベルを学園が見極めるためである。探索者はSSからEまでのランク付けがされているとはいえ、学生たちのほとんどはCかD。単純にランクだけの判断では能力に大きなばらつきがある。ゆえに、なるべく全体が均等になるようパーティーを組ませ、能力を測るのである。


 この制度は、低能力者に好評を得ている。普段は組めない上位のランカーと探索できることは、そうそうない。自分が強くなったように感じられるのである。


 しかし、上位に名を連ねる探索者にとっては、最悪だった。自分より断然格下と迷宮に潜ることなど面白くもなんでもない。しかもその迷宮でさえ、別段行きたくもない所なのである。


 シオンはもう一度、倒れた魔物を見据えてから、歩き出した。


 ホント嫌! 探索者って自由がモットーじゃないの? ……さっさと終わらせて帰ろう。十六階までで今は十一階だから、一日もあれば……いや、急げば半日で………。


「どうしたの? シオンちゃん」


 肩が叩かれる。俯いていたシオンの視界に、一人の少女が映った。


「ミリア…………ううん、早く帰りたいと思って」

「アハハ、まだ言っているの。もう、諦めなよ」


 ミリアス・アルステイは、長い金髪を弄りながら人懐こい笑みを浮かべた。


 彼女はこの探索において、唯一の当たりであった。学園では数少ないシオンと同じBクラスであり、炎と氷――さらには治癒魔術も使いこなす優秀な魔術師である。同じ地方出身ということで仲が良く、何度か一緒のパーティーを組んだこともある。その祭、シオンはいつの間にかちゃん付けで呼ばれるようになっていた。


 身長はシオンの肩より少し上ほどしかなく、小柄な体格をしている。長い金髪が特徴で、いつもゴムで括っている。邪魔ではないかとシオンは思うのだが、どうもミリアにとっては大切らしい。一度進言したら「髪は女の命なんだよ! シオンちゃんはもっと伸ばすべきだよ」と言われた。


 笑顔を絶やさずほのぼのとしたイメージを持たせるが意外にしっかりしており、未だどんな魔物に襲われてもミリアスが平静を欠いたところを見たことがない。いついかなる時でも冷静さが求められる後方支援において、その性格は一種の才能である。シオンは彼女のことを高く評価していた。


「無理よ。こんな所で時間を取られるのなんて、もう最低。やることだって沢山あるっていうのに」

「シオンちゃん今度Aクラスになるもんねー。更新手続きとか、大変らしいよ」

「知っているから焦ってるの! ああもう、誰よ。こんなこと考えだしたのは」

「まぁまぁ、休暇だと思えばいいんだよ」

「こんなの休暇って言わない。あんな奴らと一緒じゃあ全然心が休まらないし――――」

「ミスタリアさーん、アルステイさーん」


 噂をすれば、とシオンはこっそりと毒づいた。向こうから男が二人、息を切らしながら駆けてきた。


「ミスタリアさんの剣での一撃、凄かったです! まさに会心の一撃! ていう感じでした」

「そう、ありがとう……」


 シオンは素っ気なく返事を返しながら、内心であきれ返っていた。


 褒めればいいと思っているのだろうか。凄い凄いって馬鹿の一つ覚えみたいに。


 ディオスとケルムと言ったか。二人は受付所で集まってからずっとこの調子だった。何をしても手放しで褒め、ずっとペコペコ下手に出ている。そして機会あらば、自分を必死にアピールする。下心が丸見えだった。


 二人は、今回の探索でなんとしてでも顔を覚えて貰おうとしているのである。そしてあわよくば、またパーティーに呼んでもらうことを望んでいた。


 気持ちは分からなくもないけど…………。


 シオンは二人を見遣った。どう見ても冴えない顔。矜持も野望も、何一つなさそうだった。シオンとミリアスは、学園内において高ランクで女性である。さらに二人は、タイプは違うが美少女と分類していいだろう。


 シオンは女性にしては背が高い。ミリアスより頭一つ飛び出ている。それでもジャイアントオークなどと直に切りあう前衛の探索者としては、割と小柄な方だが。家紋の入った剣を腰に提げており、鍛え上げられた躍動的な体躯には、魅力と気品が同時に存在している。燃えるような紅い髪は適当に短く切り揃えられ、しかしそれが良く似合っていた。光沢を放つ鋭い瞳が、そうさせているのだろう。


 ミリアスはまるで逆、お姫様のようである。小さな体躯に、くっきりとした瞳。長い睫毛は上品に整えられ、頬はほんのりと桜色をしている。長い金髪はシャンプーの匂いを漂わせ、男共を魅了して止まない。


 男子の比率が圧倒的に多い探索者の中で、女性の存在は貴重である。むさ苦しい男だけで、何日も迷宮に潜りたくはない。誰だって潤いが欲しいのである。美少女で高ランクとなると、もはや喉から手がでる存在だろう。かの有名なアシリアス・オルマニウスが聖女などと崇められているのには、そういう理由がある。


「アルステイさん炎魔術、凄い威力だったですね!」

「そんなことないよー。わたし近戦闘は無理だから、これぐらいしか取り柄がないんだ」


 これぐらいしか取り柄がない……か。


 隣で明るく答える少女の言葉を、シオンは反芻した。ミリアスは決して近戦闘が無理なわけじゃない。体格や運動能力の問題から本職みたいにはできないが、それでもディオスとケルム程度ならそう変わらないはずである。


 どうして彼女は、こんな分かり切ったお世辞に笑顔を振りまけるのだろう。シオンには不思議でならなかった。


「ほら、シオンちゃんも笑顔」


 ディオスとケルムが離れると、ミリアスは小さな声で耳打ちした。


「笑っているじゃない、ほら」

「凄く堅いよ。もっと自然に」

「だいたいミリアが変なのよ。あれに、あんな笑顔を返せるなんて」

「安心して、いつもはこんなに笑わないから。わたしも疲れちゃうし。今回は特別だよー」

「特別? どうして?」

「えとね…………」


 ミリアスは用心深く周囲を見渡す。ディオスとケルム、それともう一人の男が声の聞こえない位置にいるのを確認すると、シオンの耳元で言った。


「ほら、今回はフジシロくんがいるからさ」

「…………はぁー?」


 シオンは自然と声が漏れていた。


「フジシロくんってあれ? あれのこと? 何、どういう意味?」

「シィー、声が大きいよ、シオンちゃん」

「だって……」


 ミキヤ・フジシロ。今回、最後のパーティーメンバーであり、今回一番の貧乏クジである。一度も迷宮に潜らない男、というのは生徒の間でも有名だった。


「あいつ、この時期にまだ一回も迷宮に潜ったことないのよ。装備からしてやる気ないし。学園の制服と最初に支給されるショートソードって、一体どういった了見よ」

「お、落ち着いて。シオンちゃん」

「わたしは落ち着いているよ。それよりミリア、あいつの何がいいの?」


 怒鳴るシオンを前に、ミリアスは僅かに頬を赤く染めた。


「まず……外見は悪くないでしょ」

「それは、まあそうかもしれないけど」


 シオンは話題の男に目を遣った。


 ウィズルム地方では珍しい黒髪に黒い双眸。きっと彼は、ここら辺の出身ではないのだろう。遥か東にあるジレーヌ地方の辺りかもしれない。


 特別秀でて容姿がいいわけではないが、雰囲気がディオスとケルムとは違う。どことなく落ち着いており、瞳にも意思が感じられる。姿勢もよく、ただ立っているだけなら様になるかもしれない。


「でも、それだけじゃない。ちょっと見た目いいぐらい、いくらでも転がっているでしょ。あいつ、迷宮に潜らないへたれなんだよ」


 迷宮学園には、大体、年に十人そういった者がいる。入ったはいいが、怖くなって潜ろうとしないである。大概にして、すぐに学校自体を辞めてしまうので、未だ留まり続けているミキヤ・フジシロは目立っているのだが。


「うーん、それなんだけどさ。フジシロくん、迷宮潜ったことがあるんじゃないかな……」

「は? どうしてそうなるわけ?」

「だってフジシロくん、落ち着いてない?」

「あーそれはわたしも思ったけど」


 初めて迷宮に潜る者は、大なり小なり緊張する。現にシオンがそうだった。実力の半分も出せないで、悔しい思いをした。しかし、彼にはまったくと言っていいほどそれがないのである。平常時と何も変わらない。


「Bランクが二人もついているから、安心しているんじゃない?」

「それでも不意打ちの可能性とかはいくらでもあるよ。あれはどう見ても『慣れてる』って感じがする。あと、それだけじゃないんだ」

「まだあるの?」

「うん、これも多分だけど……フジシロくん、結構強いと思うんだよ」

「いや、ミリア。それはないって」


 シオンはきっぱり断言した。反射的な即答である。


「あいつまったく闘ってないじゃない。それは無茶があるから」

「うー……これだって根拠があるんだよ! 話すと長くなるから、今度言うけど」

「でもねー」


 ここに降りてくるまで、戦闘は数十回と行われている。しかし、シオンは未だフジシロが闘っているところを見たことがなかった。シオンとミリアスがほとんど片づけてしまうというのもあるが、それでもディオスやケルムはわざとらしく闘うところ見せつけている。どうも、意欲そのものが無いらしい。


 そして、彼が身につけているのは、もはや防具とも言わない制服である。武器は入学当初に配られるショートソード。


 これで強者というのは、無理があった。


「いいよもう。シオンちゃんの馬鹿。わたしフジシロくんと少し喋ってくる」

「あっミリア!」


 ミリアスは頬を膨らましそっぽを向き、フジシロの方へ走っていく。シオンは慌てて追った。


 どうしよう、ミリアが悪い男に引っかかった。友達だし、なんか言ったほうがいいのかな……。


 内心で戸惑いながら、シオンは二人の後ろに何気なくつける。聞こえてくる会話に、聞き耳を立てた。


「フジシロくん、何しているの?」

「シシトガの実を拾ってさ。家に持って帰ろうかと思って」

「シシトガの実?」

「知らない? 回復薬とかに使われる材料だよ」

「へぇー、それ高くで売れるの?」

「いや、全然。家で回復薬を作ろうと思って」

「フジシロくん回復薬を作れるの!?」

「結構簡単だよ。だれにでもできる」

「凄いなー。今度わたしにも作り方教えてよ」

「人に教えるほどは知らないよ。学園の教授に聞いたらいいんじゃないかな」

「教授はなんかお堅いからさー。お願い、フジシロくん」

「うーん、あんまり期待はしないでくれよ」


 ……悪い奴ではないかもしれない。


 シオンはフジシロの肩を見据えながら呟いた。


 ミリアスと話す男は、たいてい嫌らしく鼻の下を伸ばしている。フジシロにはそれが感じられない。せっかくのミリアスのお誘いも、最初はやんわりと断っている。強者云々はどうか知らないが、女を嵌めるような奴には見えなかった。


 この探索が終わるまでは、とりあえず放置しとこう。


 シオンは色々迷って、そう決めた。悪い奴でないなら、今すぐどうこうする様な問題ではない。探索が終わってもまだ言うなら、改めてその時考えればいい。


 シオンはそんな風に、今回の探索を軽視していた。ここで命を落とすことは、絶対にないと。それは、探索者にあってはならない油断だった。しかし、そのことを誰が責めることができるだろう。



[11343] 四話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/09/21 22:01
 それが起きたのは地下十五階だった。課題で指定されたのは地下十六階。このハトレ迷宮はすでに攻略されているため、そこまで辿りつけば転移装置に乗って地上まで戻れる。誰もが気を抜いていた時だった。


 ぼんやりと談笑していたミキヤ・フジシロが、いきなり鋭い声で言った。


「なにか来る」

「えーなにもないよ。フジシロくん」


 フジシロの隣を歩いていたミリアスは、のんびりとした口調で返す。シオンも前を向いてみるが、特に変化は見当たらない。コモレビホタルが、ぼんやりと迷宮を照らしているだけである


「おいおい、迷宮が初めてだからって幻覚でも見てんのかよ?」

「たまにあるらしいね」


 ディオスとケルムがせせら笑う。初心者には、そういう話もないことはない。重度の緊張と命のやり取りで、幻覚症状を引き起こすのである。その場合、すぐに治癒魔術を施すか即効性の薬を飲む必要がある。


 大丈夫フジシロくん、シオンはそう声をかけようと肩に手をかけ、しかしその異変を察知した。


 大量の足音である。正体は分からないが、こっちに一直線で向かってきていた。


 十…………いや、二十以上。かなり速い!


「みんな構えて!」


 シオンは腰から剣を抜いて叫ぶ。ミリアスも気付いたようで、すぐに魔術詠唱を始めた。フジシロに至っては、もうとっくに構えている。ディオスとケルムだけが、呆気に取られていた。


「え? あの、ミスタリアさん一体どうした――――」

「いいから抜いて! すぐに数十体の魔物がやって来るわ!」


ああもう、肝心な時に役立たずなんだから!


 シオンは怒鳴り散らしたいのを我慢していた。今回はパーティーリーダーであるため、取り乱すわけにはいかない。なんとか心を押さえつける。事の重大さがやっと分かったのか、ディオスとケルムは大慌てでそれぞれの武器である斧とやや太い剣を構えた。


「わたしが一番前に出るわ。ディオスくんとケルムくんはツーマンセルでわたしが逃した奴に当たって。
 ミリアはやや後ろで魔術における援護。フジシロくんはその護衛」


 このフォーメーションは会議室で集まったときに決めていたものであり、それぞれに適切な役割を持たせている。近戦闘にもっとも強いシオンが個人で突っ込む。ディオスとケルムでは、一緒に闘うと逆に足手まといなのである。ゆえに、彼らには二人組で勝手にやってもらう。魔術師であるミリアスが一番後衛なのは基本。そして戦闘能力がほぼ皆無とされるフジシロには、護衛と題してミリアスの横にいて貰う。彼女なら一体ぐらい、持っている杖と簡易魔術でなんとかなるだろう。


 しかし不安も残る。このくらいの迷宮なら、フォーメーションを使う必要などないと思っていたのである。そこまで綿密に話し合ってはいない。


「……来る」


 シオンの瞳に小さな点が映った。それはすぐさま大きくなり、正体を現す。


「…………ブラッディウルフ?」


 それは非常に人間の血を好むことからそう名付けられた、迷宮を徘徊する狼の姿をした魔物である。


 シオンは頭の中にある知識を引っ張りだす。


 性格は非常に獰猛。生物なら関係なく襲いかかり、共食いの例も発見されている。鋭い牙に分厚い毛皮をしているが、単体ならそれほどの脅威とはされていない。Dランクでも対応できる。しかし複数――五体以上で遭遇したとき、その危険度はBランクでも厄介になる。確認されている場所は――――


 シオンはポツリと漏らした。


「やっぱり……ハトレ迷宮では確認されていない」


 ハトレ迷宮にて、ブラッディウルフの存在は報告されていない。この魔物は、もっと危険な場所にいるはずなのである。少なくとも学園指定にされるような迷宮では、絶対に出て来ない。


 どうして?


「最近の異常現象となにか関係が……いやでも、ここまでのことはまだ――」

「シオンちゃん! 広域に魔術を使うから少し下がって」

「つっ!? 今は考えている暇ないかっ!」


 シオンは舌打ちして、その場から後ろに飛び退く。その途端、ミリアスの杖についた宝珠が赤く輝いた。


「世界に炎の彩りを――――≪紅の絨毯≫」


 先ほどまでシオンが立っていた地面から、膝の高さぐらいの炎が湧きあがる。それは絨毯を引くかのように、ブラッディウルフの群れへと広がって行った。


 ブラッディウルフの群れが僅かに怯む。シオンの戦闘スタイルは、剣と強力な炎魔術を併用する魔法戦士である。自分を炎魔術でエンチャト――――肉体強化――――すれば、多少の熱は苦にならない。隙を逃さず、迷わず炎の中へ突入した。


「はぁぁぁぁ!」


 気合と共に、袈裟切りで剣を振り落とす。一体のブラッディウルフが、真っ二つになった。そして、空気が変わる。


 灰色だったブラッディウルフの瞳がみるみる真っ赤に染まっていき、一斉に吠え始めた。シオンは危険を感じ後ろに下がる。それが引き金となった。炎の中にも関わらず、ブラッディウルフは飛びかかってきた。


 シオンは身を捻らせて躱し、振り向きざまに胴へと剣を打ち込む。しかし、不十分な体勢で繰り出されたそれでは、ブラッディウルフの体毛を切り裂くことはできない。キャンッ! と悲鳴を上げながらも、噛みついてくる。


 キリがない!


 すでに何匹かは後ろに通してしまっている。それだけでも、ディオスとケルムには十分危険だった。シオンが大きく敵の数を減らさなければ、この闘いは自分たちの全滅という結果になってしまう。


「出し惜しみしている場合じゃない!」


 自分に言い聞かせるように言うと、シオンはブラッディウルフと一度大きく距離を取る。深呼吸をすると、剣が猛々しく燃え上がり始めた。


 肉体強化の応用技、武装強化。シオンがこれを実戦で使えるほどになったのは、つい最近だった。肉体強化とは違い、武装強化には高い魔力コントロールとイメージ力が必要になってくるのである。一朝一夕で可能な技ではない。


 こんな所で使うつもりはなかったのにっ!


 探索者は、自分の手の内を晒すことを嫌う。いつ誰が敵になるか分からないからである。Sランクのオリジナル技を知ろうと思えば、情報屋で百万ガルロンは下らない。シオンにとってこのどうでもいいパーティーで奥の手を出すのは、痛恨の極みだった。


 しかし、炎の武装強化の特徴は炎属性の付与に攻撃力の格段な強化である。これなら、どんな体勢からもブラッディウルフを焼き切ることができるはずである。


 シオンは再度ブラッディウルフに斬りかかった。足に襲いかかってくる奴を蹴飛ばし、首元へ噛みつこうとするのに剣を振るう。


 ズバッ! 確かな手ごたえがあった。さっきは斬れなかったブラッディウルフが、嘘のように一撃で地面に沈んでいく。


 これならいける!


 シオンは次々とブラッディウルフを屠っていく。剣を連続で振るい、危険なときは片手から簡易の炎魔術を放つ。完全に燃やすことはできないが、隙をつくることはできる。


 だが、ブラッディウルフの脅威は圧倒的な数にある。いくら倒しても、際限なく湧いてくる。武装強化を覚えたてのシオンでは魔力の調整が効かず、どんどん体力を消耗してしまう。長時間の闘いは不利だった。


 だがしかし。


「シオンちゃん、そこからどいて!」


 この時をシオンは待っていた。ここぞとばかりブラッディウルフを押し飛ばし、その場から飛びのいた。


「終わらない悲しみを――――ルシュアの涙」


 何が起こったのか、ぱっと見分からなかった。しかし、すぐにそれは訪れた。燃えていた炎が一瞬で消え――――すでにほとんど無くなっていたが――――周りの温度が極端に下がり、みるみるうちに地面が凍っていく。ブラッディウルフは再度姿勢を低く飛びかかろうとするが、氷に足を取られ動けない。元々、雪が積もっているような所にはいない種族である。慣れていないのだろう。見渡す限りに氷が張られたころ、パキッと何かが砕ける音がした。


 頭上を見上げたときには、もう遅い。一メートルはある巨大な氷柱が次々と落ちてくる。それは強烈な一撃となり、逃げまどうブラッディウルフに炸裂した。分厚い体毛をものとせず、突き刺さり貫通する。氷柱が全て落ち魔力によって生成された氷が消滅すると、シオンの眼前にいたブラッディウルフは一体残らず地面に転がっていた。


 シオンはそこで気を抜かず、すぐ後ろを振り返る。何体かは通してしまった。それを倒しに行こうとしたのである。しかし、振り返った先にはもう生きているブラッディウルフはいなかった。


 へぇー意外にやるじゃん。


 シオンは内心で考えを改めていた。僅か数体とはいえ、ディオスとケルムがこれほど早くブラッディウルフを倒すとは。ただの役立たずだと思っていたが、実はそうじゃないかもしれない。


 そう、安心しきっていたとき、シオンは背後で気配を感じた。


 振り向いたときには、手遅れだった。コンマ数秒、シオンは気付くのが遅かった。死んだとばかり思っていたブラッディウルフが、喉元めがけて飛びかかっていた。


 シオンは剣に手をかけて、その愚直をさとる。この距離では、抜くより先に相手の牙が届いてしまう。手を塞いでしまったせいで、防御も無理である。躱す余裕など、勿論あるはずがない。


撃退不可能。回避不可能。防御不可能。確実な致命傷。


 ああ…………死んだ。


 シオンは漠然とそう理解した。何もすることはできない。時間がゆっくり流れていく。これが走馬灯か。シオンは最後に自嘲の笑みを浮かべた。


 そしてブラッディウルフの牙が襲いかかろうとして――――その顔が舞った。


 シオンは唖然とした。自分の生命を脅かしていたはずのブラッディウルフが、鮮やかに斬られていた。あまりにあっさりと、死んでいた。あれほど苦労した体毛が、まるでないかのように。


「あ、ありがとうフジシロくん」


 そして、それをやってのけたミキヤ・フジシロは、悠然とそこに立っていた。


(もしかして……)


 逃したブラッディウルフを仕留めたのは、こいつじゃないだろうか。そうだ、そうに違いない。途中、これ見よがしに振っていたディオスとケルムの剣筋では、ブラッディウルフを倒すことは、簡単ではないはず。ミリアスは魔術で援護してくれていた。残っているのは――――


「ね、ねえフジシロくん――――」


 逃したブラッディウルフを仕留めたのはきみ? そう尋ねようとして、しかしシオンの言葉は続かなかった。


「逃げるぞ」

「は?」

「早くしろ! 死にたいのか!?」

「ちょ、ちょっと、あんた逃げるって何処に――――」


 直前までシオンにあった考えは吹き飛んでいた。


 何を言っているんだコイツは。逃げるって何処に行けばいいのよ。大体、逃げる必要もないじゃない。ブラッディウルフは全て掃討したし、地下十六階はもうすぐ。後は転移装置に乗って帰るだけで――――


「ミスタリアさーん!」


 ディオスとケルムが、いつものように駆けてくる。危険なんてどこにもない。もしかしたら、本当に幻覚症状にかかっているのではないだろうか。シオンはフジシロに心を落ち着かせて返事をしようとする。やっぱり、自分の勘違いだったのだと。こんな奴が、強いはずがないと。


 しかし、フジシロはすでにいなかった。ディオスとケルムに向かって、一目散に駆けだす。その速さに、シオンは目を見張った。


「伏せろおおぉぉぉぉぉ!!」


 ディオスとケルムを腕で抱えながら、フジシロは叫ぶ。一瞬、時が止まった。そして次の瞬間には鮮血が飛び散り、三人は壁へ叩きつけられていた。



[11343] 五話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/10/08 22:06
「世界に炎の彩りを――――≪紅の絨毯≫」


 杖の先についた宝珠が赤く光り、ブラッディウルフへと炎が襲いかかる。≪紅の絨毯≫。炎魔術のわりに威力はないが、広域に攻撃ができ、且つ魔力をあまり必要としない便利な魔術である。炎魔術を使うものなら、まず使えないといけない術の一つだろう。


 シオンが果敢に炎の中へ突っ込むのを見て、ミリアスは指示を出す。


「ディオスくんケルムくん、絶対に深追いしないで。確実に二人一組で行動して」


 シオンと二人では、あまりに能力に違いがあり過ぎる。彼らでは、数体のブラッディウルフと闘うのも、二人でなければ厳しい。一度ブラッディウルフと闘ったことのあるミリアスは、それを重々承知している。ゆえに彼女は、次の行動を決めかねていた。


 中級魔術を使っていいのだろうか。


 ミリアスは全てのブラッディウルフを一撃で仕留められるような魔術を、いくつか知っている。そしてそれを使うためには数分の時間が必要だった。Sランクなどの化け物なら二つの魔術を同時に使うこともできるが、Bランクのミリアスではそんなことは到底できない。当然その間、ディオスとケルムを援護することは無理である。


 いくらシオンでも、何体かは通してしまうだろう。それを相手にして、ディオスとケルムが生きていられるか、ミリアスには確信がなかった。そして、もう一つ。ミキヤ・フジシロのことが気にかかっていた。


 隣に立つ彼は、さきほどから前を向いたまま微動だにしていない。剣を下段で構え、動きやすい姿勢を保ったままである。何を考えているのか、まったく分からない。


 もしかしたら、恐怖で身体が動かないのかもしれない。現にディオスとケルムの動きは、緊張でガチガチである。予想外な状況で強者との遭遇。声が出ないぐらい恐怖するには、十分な理由になる。本当のことはどうか知らないが、彼は一度も迷宮に潜ったことがないのだから。


 ミリアスにとって、フジシロの存在はディオスやケルムと違う。どうでもいい人ではない。好き――というわけではないが、仲良くなりたいとは思っている。護りたい人なのである。そんな人をここで死なせてしまっては、一生後悔してしまうだろう。


 やっぱり、ここは簡易魔術での援護を優先しよう。シオンならなんとかなる。こっちの方が、全員の生存率は上がるだろう。ミリアスはそう決意して指示を出そうとしたとき、ぼそりとフジシロが声を発した。


「やはり、予想的中か。しかしだからってこの状況、おれって運悪いな」


「…………フジシロくん?」


「ん? ああ、ごめん独り言」


 ミリアスが戸惑うように言うと、談笑していたときとなんら変わらない口調でフジシロは振り返った。


「広域の中級魔術は使えるよね?」


「う、うん。それは使えるけど…………」


「じゃあお願い。”あれ”のお守はおれがするから」


「……………………お守?」


 クイッと親指でディオスとケルムを指すフジシロの言葉を、ミリアスは理解できなかった。ポカンと呆けた顔でたっぷり数秒使い、ミリアスはやっとのことで大声を上げた。


「な、なな何言っているのフジシロくん! そんな無茶なこと。フジシロくん、迷宮に潜るのは初めてなんでしょ。危険だよ」


「学園に来てからはね。その前は潜っていたから、大丈夫」


 やっぱりそうなんだ。ミリアスは心中で呟いた。しかし今はそんなことよりも、フジシロを止めることが先決だった。


「それでも! ミキヤくんはそんなあって無いような装備だし、絶対無理だよ!」


「それも、大丈夫」


 動揺したミリアスはうっかり名前で注意をしてしまうが、しかしそれでもミキヤは平然と答えた。


「――――強化系魔術は、割と得意だから」


 途端、ミキヤの身体がぼんやりと赤く包まれる。炎魔術の肉体強化である。しかし、それは普通の肉体強化と、少し違った。


 ぶれがなく、澱みも一切ない。肉体強化とは、身体の奥にある無属性の魔力を変化させ、体外へと放出し肌にとどめる術である。この術の難しいところは、体外に出た途端魔力の扱いが難しくなるところだろう。外に出たがる魔力を無理やり肌に抑えつけるのだから。ゆえに普通、放出のし過ぎで魔力がぶれたり、変化が行き渡らず澱んだりするはずなのである。


 しかし、これにはそれがない。完全に安定したまま、肌を包みこんでいる。ここまで完璧な肉体強化を、ミリアスは見たことがなかった。これなら、少ない魔力で大幅に能力を上げることができるだろう。


 そのままぼんやりと剣に視線を動かすと、ミリアスはまたもや変化に気付いた。


「……それは……………」


 ミキヤの剣が、炎を纏っていた。武装強化かと思い、ミリアスはすぐにかぶりを振った。


 ……これは、ただの武装強化じゃない。


 魔力の濃縮度がけた違いである。シオンのように猛々しく炎が燃え上がらず、剣の刀身が輝きを放っている。よく見ると、薄いガラスのようなものが張っていた。


…………ガラス?


 ミリアスは眉根を寄せた。一つだけ、心当たりがあったのである。


「…………もしかして、圧縮強化?」


「よく知っているね」


 強化系魔術の最終形、圧縮強化。


 物質に限界まで魔力を圧縮し、強化する魔術。成功すると、実体を持たない魔力が物質化され、格段に能力が跳ね上がる。基本的に、肉体強化や武装強化と原理は変わらない。それらを突き詰めれば、圧縮強化になるのである。だがこの魔術は、そんな単純なものではない。天才的な魔力コントロールに、並はずれた集中力、さらにもう一つ――度胸が必要とされる。この魔術は失敗すれば、魔力暴走が起き命にもかかわるのである。


「おれの魔力だと刀身のみが限界だけどさ、多分なんとかなると思う」

「………………」

「どうかした?」

「あ、ううん。そうなんだ。そ、それは残念だねー」


 ミリアスはどう反応していいか分からなかった。得意? 刀身が限界? これはそんな風に話せる魔術じゃないのである。そんな――――初級魔術について話すような感じでは、ないはずなのである。そこら辺の攻撃系の上級魔術よりは、よっぽど難易度が高い。武装強化と重ね合わせるとなると、究極魔術並である。


「じゃあ、いいかな?」

「え、何が?」

「いや、だからその……」

「……ああ! うん、任せて。広域に中級魔術だよね」


 ミリアスが慌てて返事をすると、ミキヤはほっとしたように微笑した。


「頼むよ。ミスタリアさん……だっけ? 向こうも大変みたいだから」


 それだけ言い残し、ミキヤは走り出した。ミリアスはその背中を、茫然と眺めていた。しかしすぐにやることを思い出し、魔術詠唱を始める。


 悩んでいる暇はない。話していたせいで、一分以上はロスしてしまった。ミキヤくんが何者かは、今関係ない。そう、今は。これが終わった後に、聞けばいいだけなのだから。





 地面を踏み締め、滑るようにミキヤは走る。三体のブラッディウルフが、ディオスとケルムを襲っていた。どうにか二人ともまだ立っているが、危ない状況である。ディオスは腕、ケルムは肩を負傷していた。


「うわわぁぁぁぁ!」


 閃くブラッディウルフの爪を、ディオスは悲鳴を上げながら無様に転んで躱す。土で汚れた顔には、恐怖が滲んでいる。ブラッディウルフはその表情を楽しむかのように舌舐めずりし、未だ尻持ちをついたままのディオスにじりじりと近づく。


「死ね、この犬野郎がぁ!」


 ケルムは無骨な大剣を振るい、その間に割って入る。重い斬撃は背中に叩きつけられるが、灰色の体毛で包まれた皮膚からは一滴の血さえ流れない。ケルムは躍起になって大剣を振り回す。


「なんで死なねーんだよ!」

「馬鹿! さっさと避けろ」


 駆け付けたミキヤは、ケルムを蹴飛ばした。ぐらりと重心が傾くと、その横をブラッディウルフが通過する。


「なっ!? フジシロ!?」

「胴体ばっかり狙いやがって。お前の腕じゃ、それだと無理なんだよ。もっと考えて闘え」

「お、お前…………」

「見せてやるから、少しそこで寝とけ」

 一方的に告げると、ミキヤは剣を構えた。突然の乱入者に、三体のブラッディウルフは唸りながら様子を窺っている。どうやら、彼らはミキヤを餌ではなく敵と認めたようである。


 さて、やるか。


 ブラッディウルフが三体。以前ならば、さして苦労する相手ではない。これくらいの闘いは、いくらでもこなしてきた。しかし、胸の鼓動が納まらない。これが一年のブランクか。ミキヤは心中で自嘲する。


「それでも、負ける気はさらさらしないけどな」


 ミキヤは地面を強く蹴った。姿勢を低くして、弾丸のように駆けだす。


「性格の荒いブラッディウルフが相手の場合、もっとも有効なことは機先を制すること」


 正面に立っていたブラッディウルフの額に、剣を突き刺す。ブシュッ! ブラッディウルフから血が噴き出し、音もなく倒れる。あれほど厚かったはずの体毛は、一切効力をなしていないようだった。


「攻撃をする場所は比較的体毛の薄い額か足。なお、最も体毛に有効な攻撃の仕方は、斬ることではなく突くことだ。そして一番の弱点は――――」


 虚をつかれて止まっていたブラッディウルフの視線が、倒れた仲間に止まる。その瞬間、瞳が激情の赤に染まった。二体は同時に駆けだし、ミキヤの首元に飛びかかった。


「――――仲間を殺されると、知能を失うことだ」


 首に喰らいつかれる寸前で、ミキヤは屈んだ。空中において身体は言うことを聞かない。二体のブラッディウルフが、ミキヤの頭上でぶつかり合う。


「まあ、けど――――」


 ブラッディウルフがゆっくりと落ちてくる。ミキヤは腰を低くし、右足に重心をかけた。そして、胸の位置でブラッディウルフが重なると、渾身の力で剣を振りぬいた。


「体毛が斬れれば、別にそんなかったるいことは考えなくていいんだがな」


 鮮血が宙に舞う。ミキヤはそれを見向きもせず、剣を鞘に納める。尻持ちをついたまま硬直したディオスとケルムに、手を差し伸べる。


「ほら、立てよ」

「あ、あ…………」

 二人の瞳は、畏怖と驚愕があった。まるで化け物のようにミキヤを見据え、差し出した手も掴まない。ミキヤは苦笑して、襟首を掴んでディオスとケルムを無理やり立たせた。


「何もお前らを殺したりしねーよ。それより、だいたい闘い方は分かっただろ。後はお前らがやれよ。どうしても危なくなったら、加勢してやるから」

「……………………」

「……なんか言ってくれよ」

「わ、分かった」

「よし」


 快活に笑い、ミキヤはシオンに振りかえった。援護に行こうと歩を滑らし、すぐに止まる。


 あの様子なら心配ないだろう。ミキヤは次々とブラッディウルフを屠っていくシオンの姿を見て、そう決めつける。それに、自分が闘えるところ見せつけたくないのである。今後の為にも。


 それにしても……無茶苦茶だ。


 シオンを見ていると、ミキヤは自然とため息がこぼれていた。


 あれは絶対おれには不可能闘い方だ。あんなに無駄な魔力の使い方をしているのに、まったく疲れる様子がない。おそらくシオンの魔力量は、おれ分の十倍近くあるだろう。必死に制限して強化魔術を使っていることが、馬鹿のようだ。


 剣にしてもそうだ。ともかくでたらめ。一応何処かで習ったことはあるのだろうが、まだまだ未熟だ。明らかな隙を、何度も晒している。しかし、もちまえの反射神経や運動能力でそれをカバーしている。まるで、本能のみで闘っているようだ。


「あーあ…………」


 憂鬱な気分になって、ミキヤは目を背けた。あれは、たまにいる天才という奴である。今は未熟だが、いつかは探索者の中でも名を知られるようになるだろう。そんな奴を見ていると、虚しくなってくる。


 ミキヤは索敵魔術を展開した。薄く魔力を張り巡らせ、周囲を窺う。地味な魔術であるが、探索者としては必須の魔術である。そして『地味』は、ミキヤの得意分野であった。


 十メートル。二十メートル。範囲をどんどん拡大していく。


 本来なら、この状況で索敵魔術を展開する理由は、皆無と言っていい。元々生息するはずのない凶暴なブラッディウルフが、ここまで大量に発生したのである。他の魔物は、喰われてしまっているだろう。残っていたとしても、危険はほとんどない。


 しかし、嫌な予感がした。これ以上の脅威があるような、そんな――――予感がした。杞憂だったらいい。だが的中だったら、冗談では済まされない。


「…………やっぱり、勘違いか」


 索敵が三百メートルを超え、ミキヤはほっと胸を撫で下ろす。目立った反応はない。危険な魔物がいたら、嫌でも気付く。一応、もう少しだけ。ミキヤはさらに索敵を拡げようと意識を遣り――――背筋に凶悪な悪寒が奔った。


 まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。


 強力な魔力を持った何かが、凄い速さで接近してきていた。このままだと、数十秒もすれば追いつかれる。


 呑気にしている暇はないっ!


 素早い動作でミキヤは駆けだす。シオンに声をかけようとするが、倒れていたブラッディウルフがよろよろと立ちあがった。ちょうど、シオンの背後である。


 あれを殺すのが先か!


 ミキヤはシオンに飛びかかったブラッディウルフを、一刀のもとに葬り去る。しかし、そんなことはどうでもいい。ミキヤはシオンの腕を掴んだ。


「逃げるぞ」

「は?」

「早くしろ! 死にたいのか!?」

「ちょ、ちょっと、あんた逃げるって何処に――――」

「ミスタリアさーん!」


 どいつもこいつも!


 一流の探索者なら、分かるはずなのである。この強烈な殺気を。もうそれが、索敵魔術を展開する必要もないぐらい近くに迫っていることが。


 間に合わない。ミキヤは瞬時に判断し、全速力で走る。ディオスとケルムを腕に抱えて、声を上げた。


「伏せろおおぉぉぉぉぉ!!」


 そして彼の意識は、暗転した。






主人公本領発揮。しかし、最強というわけではありません。つーか続きじゃなくてごめんなさい。ミリアス&ミキヤ視点です。



[11343] 六話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/10/19 04:14
 シオンは茫然と目の前に現れたそれを見つめていた。仲間が三人吹き飛ばされたことも、剣を構えなければならないことも、全て忘れてしまっていた。


 そいつは二足で立っており、非常に大きかった。それなりに高さのある迷宮内で、頭をぶつけそうである。少なくとも三メートルはあるだろう。体毛はブラッディウルフよりやや黒く分厚い。鋭く伸びた牙から、よだれが止めどなく流れている。噛まれれば強力な顎の筋肉により一瞬で肉を持って行かれるだろう。しかしシオンがそれより気になったのは、だらんと垂れさがった腕の先である。


 指の本数と同じだけかぎ爪のような刃物がついており、光沢を放っていた。それ自体はそこまで珍しくない。暗殺者などが好んで使うか武器である。多種多様な攻撃に富んだ武器であり、敵にまわすと厄介である、とシオンは授業で習ったことがあった。


 ただそれは、人間を相手にした場合の話である。かぎ爪を使う魔物など、聞いたこともない。


 魔物は複雑な武器を使わない。それは長年の研究で証明されている。だからあれは、魔物であって魔物じゃない。となると、つまり――


「ああ、人間の血はやっぱりいい……」

「っ!?」


 かぎ爪についた血を眺めながら、目の前の物体が言葉を発した。それは、シオンが導き出した最悪の回答が、正解だったことを意味する。


「魔族か…………」


 人語理解し、なお且つ話すことのできる魔物を、魔族総称する。特定の迷宮の奥深くに生息し、時折しか姿を現さない彼らの生態は、よく分かっていない。外見はばらばら。知能にもばらつきがある。しかし一つだけ、全ての魔族に共通することがある。


 彼らは圧倒的に強い。いや――その強さにもばらつきがあるのだが、少なくともSランク以上ではないと相手にならないことは、歴史が証明している。


 過去、魔族が討伐された報告例は十四回。迷宮時代が始まりすでに五百年が経つのに、たったの十四回である。その点、人間が魔族に殺されたというのは、もはや数え切れないほど多い。というのも、魔族の能力は魔物と比べてずば抜けているのである。人間に劣らない頭脳。鋼のような肉体。そしてもっとも厄介なのは、魔力である。


 魔族は例外なく膨大な魔力を保有し、魔術までも操ることができる。しかも人間が見たこともないような、強力なものを。一部の説によれば、元々魔術は魔族が作りだしたものではないか、とさえ言われている。もっともその可能性は、根源の分かってない魔術において十分あり得るのだが、人間の無様な意地がそれを“可能性”の域で留まらせていた。


 なんでこんなことに…………


 時間の経過と共に、シオンは次第に冷静な思考を取り戻していた。魔族。魔族である。魔物の頂点に立ち、何人もの優秀な探索者を屠ってきた迷宮の王。そんな奴が攻略の終わっている迷宮に、いるはずがないのである。いていいはずがないのである。


「ああん?」


 魔族の双眸が、こちらに振り返った。虚を突かれたシオンは、慌てて剣を構えた。しかしその剣の切っ先は、小刻みに震えている。


「女か…………おれの子分を殺っちゃってくれたのは、お前かな?」

「そ、そうよ!」

「そうか……そうかそうか。これはいい。くははははぁ!」


 シオンは呆気に取られた。てっきり問答無用で襲いかかってくると思っていたのに、目の前それは笑っていたのである。高々に、心底愉快そうに。その顔は、ブラッディウルフに酷似していた。


「なにが可笑しいの!?」

「ああ? 全てだよ。全て。こんなに楽しいことはない。おれはさ、強い奴が好きなんだよ。あと、人間の――特に女の肉が好物だ。魔力が多く籠っていたら、なおいいな。ほら、お前は全部揃っている。最高じゃないか」


 ニタリと唇を吊りあげる魔族に、シオンは背筋が寒くなった。悪寒が全身を貫ける。こんなことは今までなかった。始めて迷宮に潜ったときも、命を失いかけたときも、こんな状態にはならなかった。シオンは始めて、本当の恐怖というものを感じていた。


「その目……悪くない。逃げまどう獲物の目だ。それはそれで愉快だが……今に限っちゃあそれじゃ足りないな」


 魔族の赤い瞳が針のように細くなり、魔力が溢れ出た。それは明確な意思を持って、シオンを蹂躙しようとする。


「お前はおれの子分を全員殺した。大した愛着がある分けじゃねー、それは別に構わない。だがな、面白くないんだよ」

「なっ!?」

「そこまでやったんだ。おれを楽しませろ。そうじゃないと、労働力を減らしたのに割が合わないだろ」


 シオンはたじろいで一歩下がった。それが気に入らなかったのか、魔族は露骨に顔を歪めながら足を踏み出した。腕が振りあげられ、かぎ爪が鋭く光る。


 殺される。


 シオンの戦闘意欲はすでに無くなっていた。全身から血の気が失せている。魔族はふんっと鼻を鳴らし、シオン視界から消えた。否、消えるほどの速さで疾走した。そして――


「高き山は何よりも尊く――『氷輪の壁』」


 シオンと魔族の間に、巨大な氷が出現した。魔族の一撃は、その氷に突き刺さり動きを止めた。それだけではない。突き刺さったかぎ爪は抜けず、徐々にそこから凍り始めている。


 シオンは何が起こったのか分からなかった。その声が聞こえるまでは。


「ごめんシオンちゃん。遅くなっちゃった」

「ミリア!?」


 ライ麦のような金髪を靡かせて、ミリアス・アルステイはシオンの前に現れた。


「少し、呆気に取られちゃってた。でも、もう大丈夫だから」


 ミリアスの声に、澱みはない。瞳にも、力強い意思が宿っている。言葉通り、彼女は平常を取り戻しているようだった。


「シオンちゃん、さっきブラッディウルフと闘ったときに怪我してるでしょ。座って見せて」

「でも、ミリア……」

「安心して。あれはそう簡単に破られない。大分時間かけて詠唱したから」


 淡々と言い放つミリアに、シオンは一瞬に口を挟もうか逡巡した。しかしこちらを真っすぐ見つめるミリアの瞳がそれを許さず、シオンは黙って腰を落とした。


 それを見ると、ミリアはすぐさま詠唱を開始した。ぼんやりとした淡い光が、シオンの傷口を包み込む。


「わたしの未熟な治癒術だと大して効果は得られないけど、気休め程度にはなると思う。後は回復薬でカバーしてくれるかな」

「ううん、すっごい楽だよ、ミリア」


 治療した腕をぶんぶん振り回すシオンに、ミリアは苦笑しながら小さく「ありがとう」と言った。そしてすぐに表情を引き締めると、いつもとは違うきびきびとした声でミリアスは続けた。


「そのまま聞いてシオンちゃん。あの魔族、ワイルドルーディ―だ」

「ワイルドルーディーって、あのワイルドルーディー? でも、そんなの…………」

「うん、言いたいことは分かるよ。けれど、手配書で見たものと容姿もそっくりだし、それ以外は考えられないよ。元々、ハトレ迷宮に魔族はいないんだから」


「それはそうだけど…………」


 シオンはどうしても信じられなかった。ワイルドルーディーとは、AAランクの未攻略地帯、ブリザン迷宮にて出現を確認された魔族である。シオンでは、潜ることすらできない。そんな危険地帯にいるはずの魔族が、学園指定の迷宮にいる理由が分からなかった。


「事実は受け止めるしかないよ、シオンちゃん。それに、そっちの方がまだマシだよ。正体不明より、情報があるだけ対処のしようがあるから」

「対処のしようって…………ミリア、あなたまさか……」

「うん、闘うよ」

「何考えてるのよ!?」


 シオンは思わず怒鳴っていた。ここまで声を張り上げたのは、久しぶりである。そのくらい、ミリアスの言ったことは無茶苦茶だった。ワイルドルーディーには、今まで幾人ものAAランクやSランクの者たちが殺されてきたのである。そんな相手に、ミリアスは勝負を挑むと言った。シオンを入れても、闘える者はBランクがたったの二人しかいなのに。それは蟻が象に挑むような、無謀な宣言だった。


「無理に決まってるじゃない! 相手は魔族なのよ。闘うだけが探索者じゃないし、どうにかして逃げるしか――」

「無理だよ」


 狼狽したシオンの言葉を、ミリアスは冷徹に遮った。


「逃げれるはずがない。どんなに急いでも、ここから一番近い転移装置までは二時間かかる。あいつは絶対追ってくるよ」

「でも……」


 シオンは次に続く言葉が出てこず、黙りこんでしまった。ミリアスの言っていることは正論である。ワイルドルーディーは自分たちよりよっぽど足が速い。逃げられる可能性は、億分の一もないだろう。しかしだからと言って真っ向から対決できほど、簡単な問題ではないのである。


「それにもし逃げ切れたとしても、わたしにはディオスくんやケルムくん、それにミキヤくんを置いていくことなんてできないよ」


 シオンとミリアスは視線を横に遣った。ワイルドルーディーを挟んだ先に、三人は揃って倒れている。起き上がる気配はない。無防備な状態であれほど強く叩きつけられれば普通は生きていはいないだろう。さらに、ワイルドルーディーのかぎ爪にはべったりと血がついていた。少なくともあれは、軽傷では済まないだろう。


 もう死んでしまっているのだろうか。それを確認することはここからの距離だと無理である。だからシオンはミリアスの気持ちが痛いほど分かった。


 十中八九は死んでいても、必ずではない。しかしここに置いていけば、必ず彼らは死ぬのである。死体も残らない無残な姿で。彼らを置いていくこと、それはミリアスに取って裏切りになるのだろう。


 シオンは大きくため息をついた。


「あのさ、ミリア。学園に入学するとき最初に色々と心得を聞くよね。あれ、正直面倒だった」

「・・・・・・シオンちゃん?」

「だって、暗唱できるまで覚えないといけないんだよ。なんの意味があるのか全然理解できなかったし」

「うん、それはわたしもだけど…………」

「まさかこんな所で役に立つとはね」


 シオンは天井を仰ぎ、目を瞑った。


「パーティーは結成したその時から家族同然である。探索者たるもの、いついかなる時でも死を覚悟しろ。行こうか、ミリア」

「う、うん!」


 快活に頬笑みながら立ちあがるシオンに、さっきまでの恐怖はない。剣を抜く手も、震えは納まっている。


 これは試練なのだ。


 シオンは心中で呟いた。そうこれは、神が用意した試練なのである。ならば乗り越えられない道理はない。わたしには、まだやることがあるのだから。


「さて、そろそろいいかな?」


 剣を抜いたシオンの耳に、そんな言葉が響いた。驚き目を遣ると、ワイルドルーディーが牙をむき出しにして笑っていた。


「いい面になったじゃねーか。それを壊すのが楽しみだよ」

「いいの、そんなこと言って。あなた、今動けないのよ」

「ああん? これのことか。こんなもの――」


 突如ワイルドルーディーの身体が膨張すると、氷にひびが入った。それはすぐさま全体へと広がり、呆気なく轟音と共に砕け散る。


「…………嘘」


 ミリアスが幻を見ているかのように呟いた。あれは、中級魔術の中では最も拘束力を持つものである。彼女の中では“とっておき”の一つだったに違いない。それが事もなげに壊されたのである。驚くのも無理はないだろう。


 けれど――


「ミリア、落ち着いて。相手は魔族なんだから」

「……ごめん、そうだね」


 ワイルドルーディーに視線を向けたままシオンは言葉に、ミリアスは落ち着いて返事をした。シオンは表情に出さずそれを安堵する。相手は魔族。この程度のことで驚いては、先が持たない。


「わざわざ待ってやったんだ。ありがたく思えよ。だから――――早く味見させろ」


 言い残して、ワイルドルーディーは滑走する。たったそれだけのことで、迷宮の王はシオンの視界から姿を消した。


 速いっ!?


 さっきとは別だ。しっかり相手をみていたはずなのに、視界にさえ映らないなんて。右か、左か。


「シオンちゃん、後ろ!」


 振り返る暇はない。ミリアスの言葉にシオンは咄嗟に背中へ剣を回す。キンッと金属音が響くと、シオンは前のめりに吹き飛ばされた。


「くっ!? なんていう馬鹿力してんのよ!」


 悪態をつきながらもシオンは器用に受け身を取り、転倒を回避した。目に映らないほどの速さで動くワイルドルーディーを相手に、地面に腰を打ちつけることは死を意味する。絶対条件として、常に動いておかなければならないのである。シオンはそのことを直感で分かっていた。


 そしてそんなシオンをあざ笑うかのように、顔を上げた正面にワイルドルーディーは立っていた。


「――悪くない動きだ」


 ヒュンッと風を切る音。シオンは持ち前の反射神経でかろうじて右からの蹴りを読んでみせるが、身体がついていかない。今度こそ、彼女は派手に地面へと頭から落ちた。


「シオンちゃん!?」


 ミリアスの行動は早かった。彼女はシオンが蹴られるや否や、すぐに走り出していた。勿論、ワイルドルーディーはそんなこと許さなかったが。


「おい、魔術師。お前はじっとしとけ」

「っ!? 氷の壁よ!」


 魔術師が単体で戦闘を行うというのは、自殺行為に近い。よほどの格下以外でないと、詠唱をしている暇がないのである。ゆえにワイルドルーディーの一撃を簡易魔術で防いだことは、ミリアスが優秀な魔術師であることの証明である。そしてそれが泥土のように瞬きをする間もなく壊されたことも、“天才ではなく優秀止まり”ではまた当然のことだった。


 ミリアスは簡易魔術で威力を軽減させ、杖で受けてなおワイルドルーディーの一撃で意識を失った。そして重力落下に従い地面に打ち付けられ、人形のように転がった。


「おいおい、カッコだけか。脆すぎる――――あ?」


 トドメを刺そうと歩き出すワイルドルーディーの背中に、何かが当たる。コツンッと、小石が当たったような感触だった。煩わしく振り返ると、腕の体毛が僅かに焦げていた。


「待ちなさいよ、犬」


 それをやったであろうシオンは、剣を杖の代わりにして立ちあがっていた。


「人間様が脆いかどうか、教えあげるわ」

「ハーッ! お前はやっぱり楽しめるな」


 たった二合。それだけ打ち合っただけで、シオンの身体はボロボロだった。立っているのもやっとである。それでも、シオンは言わずにはいられなかった。自分自身を奮い立たせるために。


「わたしは、絶対にお前を倒す。何があっても死んでやらない」

「今からお前は死ぬんだよ」

「うるさい! あぁぁぁぁああ!」


 慈悲なく迫るかぎ爪に、シオンは身体を低くして踏み込んだ。彼女の瞳に、やはりワイルドルーディーは映らない。しかし、音と気配だけで大体の予測を立てることはできる。さらにシオンとワイルドルーディーにはかなりの身長差がある。こうして身を低くすれば、攻撃はしにくいはずであった。


 今だっ!


身体全体が危険を訴えたとき、シオンは加速する。はたして斬撃は――空を斬った。ワイルドルーディーの眉間に皺が寄る。


「もらった!」


 ここぞとばかりシオンは剣を振り――それも空を斬った。そしてワイルドルーディーの姿も、眼前から消えていた。後ろから声が響く。


「ゲームオーバー」


 振り下ろされるかぎ爪。恍惚の表情を浮かべるワイルドルーディー。シオンは力任せに身体を捻ろうとして、次の瞬間、ワイルドルーディーの顔面が爆発した。



[11343] 七話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2009/11/03 22:56
 爆発の直前、シオンが視界の端に捉えたのは、透明の液体が入ったフラスコ瓶だった。それは丁度、死角に当たる振りあげられたかぎ爪の下を絶妙に掻い潜り、ワイルドルーディーの顔面に当たって砕けた。そして理解する間もなく、爆発は起こった。




 爆発の余波は、暴風となってシオンにも被害を及ぼす。顔を腕で覆い小石が目に入らないようにするが、そのくらいでは防げない。足が地面から浮きあがる。それと同時に、シオンは腹部に衝撃を感じた。


 最初、シオンはそれをワイルドルーディーの追撃だと思った。しかし、どうも違う。追撃というよりは、強引に後ろへ引っ張られている感じなのだ。もっとも、分かったところでシオンにはどうしようもできない。そのまま身を委ねた。


 ほんの数瞬で、シオンは地面に足をつけた。無意識のうちに目を瞑っていたシオンは、そのことを不意に聞こえてきた声で自覚した。


「もういいぞ」

「…………ふ、フジシロくん!? どうして――」


 目と鼻の先にフジシロの顔があったことにシオンは取り乱して声を上げるが、唇に伸びてきた人差し指によってそれは遮られる。


「静かに」


 フジシロは冷静な声で言った。彼は視線をワイルドルーディーに向けた。


 ワイルドルーディーは顔面を両手で覆い、叫びながら地面をのたうち回っていた。あの程度の爆発なら、そこまでの被害はないはずだ。疑問に思うシオンの考えを察してか、フジシロは口を開いた。


「催涙爆弾だ。二分ぐらいなら、あいつの視力を奪えるはずだ。けど、あいつの聴覚だと、でかい声で喋ってると位置がばれる。まぐれでも一撃喰らったら死ぬからな。気をつけてくれ」


 淡々と喋るフジシロ。シオンは怪訝そうに眉をひそめた。


「催涙……爆弾? どうしてそんな高価なものを」


 爆弾というものは、相当高価な代物である。シオンもよくは知らないが、どうも調合が難しく材料も非常に珍しいとあって、あまり数が出回ってないそうだ。しかし、強力なものとなると上級魔術以上の威力があるので、探索者には重宝されており、学園支給の装備で身を固めるフジシロには過ぎた代物に見えた。


「さすがにこの装備だと心許なかったからな。いざという時のために持ってきたんだが、結局無駄にいつっ」

「っ!? そうだ、あなた大丈夫なの?」


 いきなり腹部を押さえ顔を歪めるフジシロに、シオンは先ほどの光景を思い出した。何事もなかったかのように振る舞っているから忘れていたが、彼はディオスとケルムをワイルドルーディーのかぎ爪から庇い、一番重症のはずなのだ。普通なら、死んでもおかしくない傷を負っているはずなのだ。


「ちょっと見せて」


 フジシロの手をどける。案の定、そこは制服越しでも分かるぐらい血で汚れていた。


「出血多量、あばら三本という所かな。まあ、問題ない」


「問題ないわけが――」


 シオンの言葉は、フジシロの手で防がれる。無機質な鉄の匂いがした。鋭い眼光がシオンを射抜く。


「いいか、今はそれどころじゃない。このままだと死ぬんだ。多少の怪我なら、何一つ問題はない。分かってるだろ?」


 静寂が場を支配する。シオンは目を背けることができなかった。その迫力に、圧倒されていた。それは、ワイルドルーディーに睨まれたときよりも、数段上だった。


 やがて手が離れる。フジシロは静かに口を開いた。


「もう時間がないから、手短に言う。魔術戦士だよな? 単体への上級魔術は使えるか?」

「……使えるけど、まだ実戦で使うにはほど遠いわ。相当時間がかかる」

「何分?」

「完全に動かないで、およそ五分かな」

「よし」


 フジシロは勢いよく立ちあがった。その動きは、重症者とは思えない機敏な動きである。


「なら、その時間はおれが稼ぐ。上級魔術をまともに受ければ、たとえ魔族とあっても無傷ではいかないだろ」

「なっ!?」


 シオンは絶句した。あまりの驚きに、声が出なかった。シオンが歯も立たなかったところを、フジシロも見ていたはずなのだ。それなのに、こうまではっきりと「時間を稼ぐ」と宣言したことが、信じられなかった。金魚のように口をぱくぱくと開閉するシオンに、フジシロは微笑した。それは、さっきとは別人のような、柔らかい笑みだった。


「大丈夫。おれは死なないようにできているんだ」

「……フジシロくん?」

「こういう場面は何回も直面してきた。信じられないことは分かっているけど、納得してくれ。きっちり五分、稼いでやるから」

「……本気で言ってるの?」

「冗談言う場面でもないだろ」

「……そう」


 戦闘での五分とは、気の遠くなるような長い時間である。それが証拠に、シオンがワイルドルーディーと打ち合ったのは、一方的な受け身にまわったにも関わらず三十秒にもみたない。しかも、この闘いにはさらに条件が追加される。五分間、何もできないシオンを守りきらないといけないのである。それは足手まとい以外の何者でもない。常識的に考えたら、フジシロの言ったことは到底不可能な話なのである。


 しかしだ。


 シオンはそれに賭けてもいいと思ってしまった。否、こちらを見据えるフジシロの瞳が、そう思わせてしまった。そこには、自身が宿っていた。一流の探索者とはこういうものなのだろうか、シオンはなんとなく想像してしまう。失敗したらパーティーは全滅だが、どうせいい案があるわけでもない。ならば最後くらい、冒険してみるのも悪くない。


「分かった。他に何かすることはある?」

「あー剣貸してくれるかな?」


 気恥ずかしげに言うフジシロに、シオンは一瞬首を傾げすぐに思い当たった。そういえば、彼の武器は学園支給のショートソードなのだ。それでは傷一つ、つけられない。


「いいわよ。どうせだったら防具も貸そうか? わたし、ただ詠唱するだけだし」

「いや、剣だけでいいよ。防具は着る時間ないし、サイズが合わないだろうから」


 フジシロは剣を慣れた手つきで鞘から引き抜き刀身を数秒眺めると、「いい剣だ」と呟いて、すぐに納めた。


「じゃあ、行ってくる」


 まるで散歩に行くような気軽な声で、フジシロは歩き出した。シオンはその背中を一瞥すると、すぐに詠唱を開始した。








「さて、困ったことになった」


 悠然と歩く幹也は、一人そう呟いた。大見えを切ってきたはいいが、五分も止める自信はさらさらなかった。よくて三分が限界だろう、というのが彼の本心である。しかしあの場では、そう言う他に方法がなかった。


 あのままだと、シオン・ミスタリアという少女は、さらに闘いを挑んだであろう。それは無茶を通り越して無謀である。才能があっても、彼女はまだ未熟。力の使い方も、魔力の操り方も、何も知らない。たとえ何度挑んだとしても、死ぬしか道はなかった。ならば、自分がやる以外に術はないのである。


 大丈夫。


 幹也は自分に言い聞かせる。シオンに言ったことは、全てが嘘ではない。今まで修羅場を潜ってきたのは事実である。その回数は、およそ同年代の者とは比べ物にならないだろう。だからこの場に至っても、幹也は対処法を心得ている。


 大きく深呼吸。身体に炎系統の肉体強化を施す。何万回と繰り返してきたそれをすることにより、徐々に落ち着きを取り戻す。鼓動を平常状態に持っていき、借りた剣を鞘から引き抜き一振りする。軽い。手に馴染む。別段何か特殊付与がされているわけではないが、それは名刀と言って差し支えないものだった。折らないように気をつけねば、と幹也は丁寧に圧縮強化をかけた。


 準備は終了。あとは――


「あああぁぁぁああ!」


 突如、ワイルドルーディーが迷宮内全体にとどろくような雄たけびを上げた。


「小僧ぉ! なんだか愉快なことをやってくれたじゃねーか。さっさと死んでおけばいいものを」

「さて、なんのことやら」


 いい具合だ。幹也は挑発しながら、冷静に考える。今回の目的は、倒すことではない。あくまで時間稼ぎだ。ならば怒らせてでも、こちらに注意を引きつかせなければならない。もうひと押しだ。


「はっ! 言うじゃねーか。…………まあいい。お前よりもあの女が先だ」


 しかしワイルドルーディーは冷静だった。よほどシオンの魔力が気にいったのだろう。それは仕方ないことである。幹也とシオンでは、魔力量が十倍違うのだから。


「おいおい、おれとは遊んでくれないのか」

「お前より断然あの女の方が断然美味そうなんだよ。安心しろ、お前はここであっさり殺してってやるから」


 ワイルドルーディーが前かがみになって突進してくる。速い。超近戦闘型と聞いていたが、まさかこれほどとは。予想を遥かに超える。しかし、ここを通すわけにもいかない。こいつには、自分一人を見といてもらわないと困るのである。


 ゆえに幹也は、その単語を口にした。


「扉だろ」


 ワイルドルーディーの動きが、嘘のようにぴたりと止まった。振りあげられたかぎ爪がゆっくりと降りていく。幹也は不敵に笑い、続きを言った。


「まったく、わざわざこんな僻地まで探しにくるとは、御苦労なことだ。いくら結界が弱まっているとはいえ、相当な力を必要とするだろうに。ルシフェルの命令か?」

「てめぇ……」

「何驚いてるんだよ。知ってる人間がいても、不思議じゃないだろ」


 もっとも、お前みたいな大物が動けるようになっていたとは思わなかったがな。幹也は心中で呟いた。長らく迷宮と離れていたため、ここまで本格的にやばくなっていたとは、思っていなかったのだ。


 沈黙が流れる。そしてワイルドルーディーは、口元を歪めた。


「なかなか面白いじゃねーか。いいだろう、お前と遊んでやる」

「そら、どうもっ!」


 油断しきったワイルドルーディーに、幹也は剣を振る。完全な不意打ち。この距離なら当たる。幹也はそう確信して、しかしその期待は見事に裏切られた。


 当たったと思った直後、地面が爆発した。否違う。驚異的な脚力でワイルドルーディーが地面を蹴ったのだ。結果、計ったかのように剣は空を斬り、幹也はたたらを踏んだ。


「礼儀がなってねーな小僧。誰もまだ合図は出してないぞ」

「今のが合図なんだよ。犬野郎」


 減らず口を叩きながらも、幹也は次の手を考えていた。あれを躱されたとなると、これは真剣にきつい。一体どうやったらあの一撃に反応できるのか、教えて欲しいぐらいである。自分だったら、あっさりと半分になっていただろう。敵の単純な戦闘能力は、幹也の遥か上をいく。


 しかし、勝負は別である。幹也は足の裏を地面につけたまま、這うように動く。ゆらゆらと、半ばそれは病人のように頼りない。ワイルドルーディーは構うことなく幹也の懐へ、力任せにかぎ爪を叩きつけた。


 ――はずだった。


「ぐっ!」


 悲痛の声を上げたのは、ワイルドルーディーだった。引き裂いたはずの幹也が、死角から足を斬りつけたのである。ワイルドルーディーはそこに向かって蹴りを放つが、その行動は予想していた。幹也は屈んでそれを避け、転んで間合いを取る。


 ワイルドルーディーはそれを追わず、かぎ爪と血が流れる足を交互に見比べる。隙なく構える幹也に向かって、やがてぽつりと呟いた。


「どういうことだ?」


 それは、思わず口にしたかのようだった。いくら考えても納得できなかったのだろう。


「おれの一撃は、確かにお前を裂いたはずなんだがな」

「手品は得意なんだ」


 凍てつくような視線に、幹也は素っ気なくそう答えた。ワイルドルーディーの瞳が見開かれる。とうとう激昂したのかと思い、幹也は腰を低くして次の動きに対応しようとする。しかし、そうではなかった。


「くくく……いいぞ小僧。ここまで面白いのは久しぶりだ!」


 戦闘快楽者。高笑いするワイルドルーディーを見ていると、頭の中でそんな単語が浮かんだ。こういう相手は厄介なのである。長引くほど強くなる。もし幹也一人だったら、すぐに撤退しただろう。


 ため息をつきたいのを我慢して、幹也は言った。


「来いよ、犬」



[11343] 八話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/03/30 05:22
 斬る。躱された。反撃がくる。受け止める。火花が散った。相手が視界から消える。

 それは彼にとって久しぶりの“闘い”であった。いつもの逃げ回るだけの雑魚を仕留める、狩りとは違う。同等の敵と刃の交え合い。これはいつもなら歓迎すべき状況だった。現に先ほどまで、彼は心中の昂ぶりを感じていた。

 しかし今、彼は明らかにイラついていた。

 彼は人間をただの脆弱な生き物とは思ってはいない。中には自分でも歯が立たない者がいることを、本能として理解している。それは生まれる前からの記憶であり、生きていく為の大切な教訓である。

 だが彼のそれを持ってしても、目の前の人間は計り知れなかった。

 纏う魔力はお世辞に言っても多くない。むしろ彼が今まで見てきた人間の中でも平均以下だ。動きもさして速くない。腕力がある訳でもない。能力としては、先ほど戯れた女より明らかに劣っていた。

 なのに、まだ生きている。

 無駄のない挙動で、ゆらりと剣が持ち上がる。視線が交差し、彼は歯噛みした。

 鋭く、刺すような無機質の瞳には、怯えや戸惑いは感じられない。それはいい。彼が望んでいるのは“闘い”だ。獲物ようにしてもらっては困る。しかしこの人間には、自分に対する意思そのものが感じられない。

 それが、彼は気に喰わない。

 彼が今まで相手にしてきた“敵”の瞳には、必ずそれがあった。あるときは仲間を殺された“怒り”であり、あるときは戦闘に対する“快楽”であり、それは相手によって様々だが、何かしら自分への意思があった。

 彼はその視線に晒されることに快楽を味わい、通常よりも能力を発揮した。気分が高揚していき、身体が動くのだ。

 だから彼は、いつも興味のある相手には、戯れを用意する。すぐに殺さず、じわじわと追い詰めていく。

 今回もそうした。最初はよかった。人間は予想の上をいった。楽しめると思った。しかしこいつは、こいの瞳はまるで――――

 人間が動いた。思考に気を取られていた彼は、反応が遅れる。回避行動を取る頃には、剣を振られていた。胸元の辺り。まるで動きを見越したかのような、性格の悪い攻撃だ。こちらにとって一番厄介な位置を、的確に狙ってきている。彼は重心をずらして避ける。否、避けようとした。

 剣が――ぶれた。

 錯覚ではない。迫っていた一つの剣筋が、いきなり多方向から伸びてくる。刃の閃きが、最初からそうであったかのように平然と増えた。

 またか、と舌打ちしつつ彼の身体は勝手に止まる。分かっていても、その対応に動きが裂かれる。そしてさっきまで届いてなかったはずの切っ先が、彼の領域に侵入していた。

 それでも彼の身体能力は人間の遥か上をいく。不意を取られても、いなすことは容易い。強引に身体を捻りかぎ爪で剣を弾く。金属音が響いた。追撃を与える間もなく剣の間合いから距離を取る。

 人間は追って来ない。わざと隙を見せながら下がったのに、最初からそれが無駄であることを悟っているかの如く、悠然とこちらを見据えている。


「ちっ、どうなってやがる」


 声に出す気はなかったのに、自然と口が動き呟いていた。それほどイラついていたのだろう。その事実に嫌気が差しながらも、彼は話し続けた。


「確かに俺は躱したはずなんだがなー。何度やっても、喰らいついてきやがる。おい、さっきから俺の目が狂ってるのか? それともお前が可笑しいのか?」


 人間はその無表情を崩さないまま、口を動かした。


「さあ、手品は得意だと言ったろ」

「はっ、余程死にたいらしい。…………もういい、興が削がれた」

「逃がしてくれでもするのか?」


 これだけ殺気を浴びせているのに、人間は別段変ったこともなく軽口を叩く。これではまるで、自分が格下のようだ。

 ――――ムカつく。何もかもが、癇に障る。特にその全てを見下したような瞳が。こちらを相手にもしない、その目が。

 訊かなければならないことも忘れて、彼は地を蹴った。

「もう、死ね」








 その速さは、今までとは一線を画していた。今までが遅いのではない。速すぎるのだ。

 遊ばれているとは分かっていた。元々そうしてくれるように仕向けたのだ。だからいつでも対応できるようにしていた。それでも反応するのがやっとだった。

 そして反応できるならば――――幹也にとっては十分だった。

 すっと半歩だけ、足をずらす。自然に、ゆったりとした動作で。幹也の身体がぶれる。

 暗殺歩行術『月歩(げっぽ)』。それが手品のタネ。独特の歩行と炎魔術を併用し陽炎を作り出し、ぶれたかのように見せているのだ。

 それでも反撃には移れない。速度を計算して、幹也はさらに後方へ跳ぶ。ワイルドルーディ―の疾風のような一撃は空振りに終わった。それなのに、頭の片隅で何かが囁いた。

 来るっ!

 刹那、斬撃が奔った。

 幹也は剣でそれを受け流す。身体全身を使い、襲いかかる力を分散させる。それでも、全ては抑えきれず、たたらを踏む。

 赤い目が光った。


「はぁー……そこに、いたか」

「…………怪力単純馬鹿め。場所が分からないからって、カマイタチで全体を斬るか、普通」


 側面の岩が、ガラリと崩れ落ちる。ワイルドルーディ―がしたことは、実に単純で簡単だ。どうしても避けられるから、避ける場所を無くしたのだ。

 頭を押さえたくなった。無茶苦茶だ。言葉にすれば簡単だが、それは幹也にとって異次元の世界である。なんの魔術も使わず剣速だけでカマイタチを起こすなど、彼はやってみようとも思わない。


「いいから死ね!」

「くっ!?」


 風の刃が幹也を蹂躙してくる。速く、そして鋭く。遊びを無くしたワイルドルーディ―には容赦がない。月歩を使っても攻撃範囲が広いために、躱しようがなかった。

 じりじりと追い詰められ、やがて岩に叩きつけられた。


「かはっ!?」


 幹也はよろよろと立ちあがる。

 圧倒的だ。どう足掻いても勝ちようがない。なんの冗談だ、と幹也は小さく呟いた。


「まだ生きてやがる。どうやって致命傷を防いでるんだ? お前の速さなら、避けれるはずがないんだがな」

「手品が……得意と言っただろ」

(くそ……傷が開いた)


 腹部が赤く滲みだす。思考が回らず、視界がぼんやりと薄れていく。このままでは、いくら致命傷を防いだとしてもじきに倒れてしまう。

 考えるんだ。

 自分に膨大な魔力はない。筋力もない。速さもない。総じて、自分は弱い。

 だから考えるんだ。今できる最善の一手を。何があればこいつと闘えるかを。

 幹也は両腕を下ろした。だらんと、身体から力を抜く。それはあまりに無防備な姿勢だ。だからワイルドルーディ―は斬りかかることをためらった。


「何を考えてやがる?」


 殺気の籠った視線。幹也はそれを黙殺する。


「てめぇ……」

「――――およそ四十六秒か」

「あん?」

「喜べ。次の手品だ」


 呟いて幹也は身体に魔力を纏い一直線に走り出す。そこに変わったところは何一つない。ただその速度が段違いだった。

 ワイルドルーディーと同じ、もしくはそれ以上。幹也は一挙動で間合いを詰める。


「はっ!」


 それでも反応したのは魔族の意地か。ワイルドルーディーは紙一重で幹也の剣を躱す。

 幹也も今度は動揺しなかった。どれだけ奇襲を仕掛けようとも届かない。それが二人の間にある力の差だ。ならば連続で仕掛けるまで。

 体勢を立て直す暇も与えない。全ての無駄を省き、幹也は剣を振るう。それは一撃で敵の命を狩るような、必殺の一撃ではない。緻密に相手の機動力を奪う、地味な攻撃の積み重ね。澱みなく、一切の逡巡も感じさせず同じところチクチクと狙う。

 そう、彼の得意分野だ。


「うぉぉぉぉ!」

「うぜぇぇんだよ!」


 一般人には目視できない速度で、剣とかぎ爪が重なり合う。鮮血が舞い、火花が散る。幹也は月歩を使い死角から攻撃を。ワイルドルーディーは常軌を逸した反射神経でそれを払い落す。

 その攻防はやや幹也が押し気味だった。ワイルドルーディーは全てを払い落せず、ときおり銀閃が足を捉えている。幹也は長身から振り下ろされるかぎ爪を何とか掻い潜っていた。

 しかしこれは見せかけだ。幹也は一撃当てられるとそれで終わりなのだ。

 そしてなにより――――


(もう時間がない…………)


 刻々と時は過ぎる。体内にある魔力が急激に失われていく。あと十秒…………五秒…………。

 幹也はかぎ爪を防ぐと、その勢いに乗って大きく跳躍した。地面に足をつけると、力が入らずそのまま膝から落ちる。

 魔力を使い過ぎたのだ。魔力とは生命エネルギーのようなもの。使い過ぎれば、死ぬこともある。幹也は今その一歩手前だった。

 幹也の様子を一瞥すると、ワイルドルーディーは力を抜き歩き出す。


「はっ、もう終わりか。魔力がない奴は苦労するな。しかし最後のあれは……二重……いや、三重肉体(エン)強化(チャント)か」

「…………さぁーな」


 正解だった。幹也は多種属性の強化を複数かけたのだ。一つは月歩を使うため炎。一つは反射神経を上げるため雷を。そして最後は、速度上げるため風を。つまりは三重肉体強化。

 これは理論上だけの技で、実際は不可能とされている。別種の魔術を肉体に三重も施すなど、相反して効果が高まりいつ爆発が起きても可笑しくない。しかし魔術制御を得意とする幹也は、血の滲むような努力によって難なくこれを可能としていた。

 だがそれでも、魔力の消費はどうしたって防げない。三つも魔術を並行して使えば、消費量は普通の肉体強化の五倍以上だ。幹也が口にした『四十六秒』とは、今強化を行使できる最大の時間だった。


「減らず愚痴を。まあいい。どうせこれで終わりだ」

「ああ、そうだな……」


 幹也は剣を杖にして立ちあがり、顔を上げる。そして――ニヤリと口元を緩めた。


「お前の、負けだ」


 ワイルドルーディーの足元が紅に輝く。上級魔術以上でしか発生しない魔術陣が、浮かび上がっていた。同時に空気が熱を持ち始める。

 ワイルドルーディーはすぐにそれを感知した。彼の勘が危険を告げていた。これは拙いと。全力で離脱を試みようとして、しかし足が動かなかった。


「無理だ。お前には躱せない。これは積み重ねた奇襲だ」

 幹也は朗々と語る。

「最初にシオンを殺しに行かなかったのは、何が来ても躱せると思ったからだろ。だからどうやって当てるか、それだけを考えていた。向こうの魔力の膨らみから、一番いいシチュエーションを作り上げていた」

「てめぇ……戦闘中にそんなことを……」

「当り前だ。俺は弱いんだ。そしてお前は強い。……だから最後のトドメを刺すときに慢心が生まれ歩き出す。走り続けておけば、大丈夫だったのにな。肉体というのは、一度止まれば疲労とダメージが一気に押し寄せるんだよ。足にチクチクやっていたのも、その時感じなくてもそれなりに効いてはいる」

「くそがぁ……」

「じゃあな、馬鹿犬」

「くそがぁぁぁぁぁぁ!!」

 ワイルドルーディーの怒声は、地面から突き上げられた紅蓮の火柱によってかき消された。



[11343] 九話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/04/14 02:32
(これは…………何?)


 詠唱はほとんど終わった。後は、魔力を練って最後の言葉を発するだけだ。集中するために閉じていた瞳を久しぶりに開けると、シオンはまず初めに我が目を疑った。

 信じられない光景だった。予想していたことと、まったく逆のことが起きていた。

 心の何処かで疑っていた。彼――フジシロ・ミキヤは、止めると言っていたが、心の何処かで無理だと思っていた。あの時は勢いで答えてしまったが、相手は魔族なのだ。普通に考えたら無理に決まっている。

 だからどんな光景でも動揺しないように、目を閉じていた。どうせ開いていても意味はない。自分にあの斬撃を避ける実力はなく、失敗したら死ぬしかないのだから。

 そして現実は、フジシロがワイルドルーディーを圧倒している姿だった。

 否、それは違うかもしれない。闘いは繊細なものだ。一部始終を見ただけでは、どちらかを優勢と判断するのは難しい。他人から見えても、互いの心情はまったく別だったりする。

 それでも、シオンはフジシロが優勢だと感じた。感じてしまった。

 銀閃が煌めく。獰猛で直情的なそれは、ワイルドルーディーのかぎ爪だ。愕然とする。自分とやったときよりも数段速い。あれは遊びだったのだ。遠目でもシオンの双眸ではほとんど捉えることができない。

 それを、フジシロはことごとく捌いていた。

 時に躱し、時に受け流し、隙があれば反撃までしている。

 明らかにフジシロは速度で劣っているのに、致命傷を貰わない。冗談のような本当の話。あらかじめ指示したところにワイルドルーディーがあえて攻撃をしているようなぐらい不自然に捌き切っている。

 これは、もう手助けなんていらないのではないか。むしろ、手を出したら邪魔なのではないか。

 シオンはそう思い始めていた。

 レベルが違い過ぎるのだ。こうまで離れていると、どんな行為も邪魔にしかならない。シオンがDランクの同学年を相手にするのと一緒だ。動かれると、そっちに意識に割かなければならない。それは億劫で、隙に繋がる。そしてなにより、シオンには超高速で移動するワイルドルーディーに魔術を当てられるとは思えなかった。

 上級魔術となれば、いくら単体専用でも相当広範囲に式を展開することができる。だがそんなことはなんの救いにもならない。相手は瞬きをしている間にシオンの首を狩ることができる。たとえ視界全て覆い尽くす魔術を展開しても、無駄な行為なのだ。ワイルドルーディーも、それを見越してこちらには何も仕掛けてこないのだろう。

 どうしようもできない。

 シオンは自分の無力さに唇を噛む。

 驕っていた。自分は強いと、有りもしないことを思っていた。他よりほんの少しだけ前に進んでいただけで、そんな幻想を抱いていた。上には上がいること知ろうともせず、怠惰に過ごしていた。

 だから、肝心なときに何もできないのだ。

 きつく結んだ唇から赤い血が流れる。それを一顧だにせず必死に前を見つめていると、初めて状況に変化があった。

 ワイルドルーディーがさらに速度を増した。それはもはや亜音速の領域だ。気付いたときにはフジシロの首に死の刃が迫っていた。

 その先のことは分からなかった。爆発的な暴風が吹き荒れ、ワイルドルーディーから漏れ出た魔力が辺りに振動を起こす。金属音が耳に届くころには、フジシロは大きく吹き飛ばされ側面の岩が切断されていた。

 状況は理解を許さない。ワイルドルーディーの姿は完全にシオンの視界から消えた。代わりに、銀の閃光が動く度にフジシロが後退する。固唾を持って見守ってもそれは変わらない。やがてフジシロは岩に身体を打ち付けた。

 よろよろと立ちあがる姿に余裕は見受けられない。一方、ワイルドルーディーは傲然とそれを見下ろしていた。誰がどう見ても、フジシロの命は風前の灯だった。

 このタイミングで使うしか…………

 シオンは逡巡する。魔術はまだ完成していない。必要な魔力が足りてないのだ。もう少し時間をかけなければいけない。しかし今発動したとしても、およそ八割の威力は望めるだろう。それでも相当なものだ。

 どうする?

 考えるまでもない。フジシロはもう限界なのだ。加えて、油断している今なら当たる可能性がある。チャンスは今しかないように思えた。

 シオンは集中し手を前にかざす。そして最後の一節を紡ごうとして――

 腕が弾き飛ばされた。

 シオンは目を見張った。痛みはなかったが、突然のことに気が動転したのだ。慌てて首を振って左右を見渡すが、人影はない。腕にも外傷はなかった。

 どうなっている。シオンは自問自答する。気のせいでは決してない。自分は確かに何かの妨害を受けた。そしてそれは、まさに今、術を発動しようとするときだった。タイミングが良すぎる。あれではまるで――まるで誰かが止めたような。

 突風が吹いた。シオンはいつの間にか俯いていた顔を上げる。

 ワイルドルーディーとフジシロが再び剣を交わしていた。シオンは驚きで集めた魔力を零しそうになる。疲労で満身創痍に見えたフジシロが、どういうことかワイルドルーディーと同じ速さで動いていたのだ。

 超高速の闘いは剣が交わり止まるごとに姿を目視できるぐらいで、シオンの瞳にはコマ送りでしか映らない。だがそれは洗練された一種の舞のようで、美しかった。剣が奏でる音も紙一重で躱して流れる鮮血も、全てがこの闘いを彩っているようだ。

 永久に続くかと思われたそれは、やがて終わりを告げた。フジシロ大きく距離を取り、片膝をつく。見入っていたシオンは、はっと正気に戻った。

 ワイルドルーディーはゆっくりと歩き出す。その足には、多くの傷がある。逆に、そこ以外に傷は一つもない。フジシロがわざとそこしか狙わなかったのが、シオンにはすぐ理解できた。

 今しかないっ!

 シオンは素早く手を前にかざした。


「魔人の憤怒を持って我が敵を裁く。――――イフリートの業炎」








 紅蓮の炎は凄まじい威力だった。地面から湧きあがるとワイルドルーディーを一瞬で包み込み、天にまで届くかと思われるほどの勢いで全てを焼き尽くす火柱となった。大分距離がある幹也でも、身が焦げるほどに熱い。

 しかし立ちあがって離れるのも、今は億劫だ。大の字で寝転がると、足音が聞こえてきた。幹也はそのままの姿勢で口を開いた。


「見事な一撃だった」


 シオン・ミスタリアは、上から幹也を見つめる。


「威力も、精度も確かなものだ。後は時間さえ短縮すれば、使い物になる」

「本気で言っているの?」


 淡々と口にされる言葉に、シオンは若干眉を顰めた。


「全部、きみがいたから出来たんじゃない。私は仕上がった土台に、最後を積んだだけ。きみは注意を割き、時間を稼ぎ、機動力まで奪った。それも、魔術を使うタイミングまでも考慮していた。どうやってか知らないけど、わたしの魔術を止めたのはきみでしょ」

「……ああ」


 幹也は小さく頷いた。シオンの魔力を感知した幹也は、ワイルドルーディーに気付かれないよう風の初級魔術でシオンの腕を叩いたのだ。


「あの激しい戦闘中に、わたしにまで注意しているなんて…………きみは、何者なの?」

「……さあ、とりあえず普通の学生だと思うよ」


 シオンの問いに軽く返し、幹也は持てる力を全て使って立ちあがった。


「無理しないで。まだ動ける状態じゃ――」

「ともかく、そう悲観する必要はない。最後の一撃は、本当に見事だった。あれでもし魔術が失敗に終わっていたら、おれにはどうすることもできなかったし。だから――」


 炎の中で、影が動いた。


「気にするな」

「――――え?」

「ああああああぁぁぁぁあああ!!」


 迷宮内を、殺意の籠った怒号が支配した。

 火柱から物体が出てくる。それは黒く焼き焦げ、もはや何か判別できない。しかしすぐに異変が現れた。

 燃えたはずの毛がどんどん入れ替わっていく。先ほどの、狼の怪物のように。焼け落ちた腕も、信じられないことに生えてきていた。


「…………うそ」

「……超回復再生か。まったく魔力を使わないから、変だとは思っていたんだが。これの為に温存していたのか」


 茫然と諦めたかのように、シオンはへなへなと地面に膝をつける。表情には生気が失われている。

 しかし、幹也は迷うことなく一直線に歩き出した


「どうしよっていうの?」


 ぴたりと足を止め、前を向いたまま口を開く。


「いくつか、頼みがある」

「……は?」

「この出来事は、恐らく上で話題になる。おれは事情があって、あまり目立つわけにはいかない。だから、こいつはきみが倒したことにしてくれ。かかっている賞金も、全部きみのものでいい。それから――」

「ちょ、ちょっと」

「おそらくおれは、この後、数日は目を覚まさない。上に担いで行ってくれ。最後に、これから起こることは全て忘れて――」

「ちょっと待ってよ!! 何を言っているの? その言い方じゃまるで――」


 あいつに勝てるみたいじゃない。

 シオンの言葉は、しかし続かなかった。


「そう言っているんだよ。これだけは使いたくなかったが、きみを上に返すことは約束しよう。そして、巻き込むことを謝る。ごめん」

「な、何を言っているの? だいたい、もう魔力も無いのに」

「無いなら――あるところから持ってくればいい」


 目を閉じる。イメージするのは一つの扉だ。大きくも小さくもない、普通の簡素な扉。鍵は自分が持っている。自分しか持っていない。それが役割だから。

 ポケットからそれを取り出し、鍵穴に入れる。そうして回す。ただそれだけの、簡単なことだ。


「契約を持って――我は終焉の塔、五階層にアクセスする」


 一気に膨大な量の情報が頭に流れ込む。雪崩のように一方的で、こちらの言うことは一切聞かない。頭が破裂しそうになる。身体に壊れてしまいそうな激痛が駆け巡る。人間には不相応な能力だからだ。

 だが同時に、溢れんばかりの魔力が湧き出てくる。

 時間は掛けられない。幹也は歩き出した。後ろで何か聞こえるが、無視する。

 ワイルドルーディーはほとんどその姿を元に戻していた。

「小僧……てめぇは絶対殺す。斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬り刻んでやる。そして生まれた……あ?」


 ワイルドルーディーの言葉が止まる。視線が彷徨い、顔にいく、正確には、赤色に変わった瞳に。


「お前、その目は…………く、くははははは! テメェ『鍵』か! どおりで色々知ってるわけだ。『扉』を探しにきて鍵に会うとは……くははははは! 殺すのはやめだ。連れて帰ろう。あの方もお喜びになる。ただし腕は――」

「黙れ」

「――あ?」

「死ぬのは、お前だよ」

「……上等だよ。テェメが――」


 幹也は音を遮断する。味覚を遮断する。聴覚を遮断する。嗅覚を遮断する。視覚を遮断する。いらないもの全てを遮断する。あいつを斬れればそれでいい。

 剣を鞘に納め、腰を低く構える。未だ身体は痛いが心は落ち着いている。

 垂れ流している魔力を身体に留めていく。それを使えるように変える。属性は雷。

 パチッパチッと電気を帯び始めると、それはすぐさま眩しいぐらい輝きを放ち始める。魔力の奔流が吹き荒れる。空気が音を消す。幹也は言葉を紡ぎだした。


「我が剣は疾風迅雷」


 これは魔術ではない。純粋なる剣技だ。ゆえに、この言葉に意味はない。それでも幹也は口にする。これは尊敬する人の技だから。


「触れし者を全て斬る」


 ワイルドルーディーが動いた。目を瞑っていても、気配でわかる。だがまだ遠い。まだだ。


「しかしてそれは悪にならず」


 止まった世界で、ワイルドルーディーはゆっくりと向かってくる。もう少しだ。


「何故ならそれは――」


 かぎ爪が振るわれた。そして、世界が動きだす。


「死ねゃぁぁあああああああ!!」

「――護りたい者を、護るためだから」



 居合・瞬雷。



 迷宮が眩い光に包まれる。遅れて、爆発音が地面を揺らす。

 宙に舞うワイルドルーディーの首を見届けると、幹也は意識を失った。



[11343] 十話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/04/27 22:42
 朽ちた廃墟と、人の焼ける臭い。静まり失われていく小さな世界の中で、彼にとって人は全て動く物に見えた。外見の区別もつかず、またそれが気にもならなかった。

 しかし、彼女だけは違った。

 絹糸のような銀色の髪に、下弦に照らされ輝く蒼穹の如く澄み切った瞳。凛々しく整った白皙の相貌をしており、崩れた瓦礫に腰かけ虚空を眺める姿は触れることも赦されない神聖な空気を漂わせていた。

 他とは絶対的に何かが違う存在だった。彼は一目でそれを感じた。

 だから彼は――――彼女を殺そうとした。

 絶対的に。ただ渇望の赴くままに。

 それが、彼と彼女出会いだった。








 目覚めると、一面の白だった。幹也は眉根を寄せて、身体を起こそうとした。しかし異常な激痛が全身を駆け巡り、それを中断する。

 そして気付く。こういうことは昔からよくあった。長期間における睡眠特有の倦怠感と、謎の激痛。それから白い天井。

 こういうときは大概――


「病院のベッドか……」


 風が頬を撫でる。どうやら窓が開いているようだ。心地よくて睡魔に引きずられそうになるが、幹也はもう一度身体を起こす。

 ゆっくりゆっくりと。それでも泣きそうになるぐらい痛いが、我慢する。痛覚を遮断することも可能なのだが、なんだか負けたような気がするので使わない。

 三分もの時間を用いて、幹也は何とか身体が持ちあげた。

 思ったとおり、病院の個室だった。必要最低限の味気ない調度品と、清潔な空気が幹也を迎える。相変わらず面白みのない、呟きそうになってその言葉を止めた。

 すぐ隣の花瓶に、真っ白な花が活けてあった。さほど多いわけではないが、それでもこの無味寒村の部屋を彩るには十分だ。一輪取って、幹也はその名前を口にする。


「サスキリナか……」


 鼻孔をくすぐる匂いに頬を緩ませる。この花は地味で値段もそれなりにするとあって、はっきり言って人気はない。しかしあまり知られてないがその匂いには疲労回復効果があるとされており、幹也からしてみれば見た目も趣があって悪くない。好きな花の一つだった。

 誰かは知らないが悪くない趣味だ、そう思いならがそっと花を元に戻す。と、丁度そのとき正面の扉が開いた。

 まず派手な紅い髪が視界に入った。すらっとした体型に、意思の強そうな吊り目がちの瞳。端正な顔立ちをしており、美少女と分類していいだろう。

 学校帰りなのか、幹也のよく知っている制服を着ていた。


「ああっと…………ミスタリアさん?」

「フジシロくん! きみ、目が覚めたの!?」


 頭が壊れるような声が脳に響く。こめかみを押さえながら、幹也は口を開いた。


「ああ、さっきなんとか。寝起きだから、できればもう少し声のトーンを落として欲しい」

「あ、そうよね。ごめん、ちょっと興奮しちゃって…………」

「もう、シオンちゃんはおっちょこちょいなんだから」


 呆れたように、シオンの後ろに隠れていた少女が言った。

 長い金髪に、小柄な体躯。人形のような印象を与える顔には、頬笑みが浮かんでいる。


「うっ……仕方ないじゃない。やっと目を覚ましたんだもの」

「まあ、そうかも知れないけど。淑女としては失格だよ」

「えーと、アルステイさんだっけ?」


 おずおずと尋ねる幹也に、ミリアスは破顔した。


「ちゃんと覚えてくれていたんだね。でも、出来れば愛称のミリアで呼んでくれると嬉しいな。親しい人は、皆そう呼ぶから」

「あーじゃあ、俺も幹也でいいよ、ミリア」

「うん。よろしく、ミキヤくん」

「わたしも、ミキヤって呼んでいいかな。もちろん、わたしもシオンでいいから。どうも“フジシロ”って発音しにくいのね」

「こっちの言葉じゃないからな。どうぞ、好きなように言ってくれ」

「ありがと、ミキヤ」


 二人は丸椅子を引き寄せて、ベッドの隣に腰掛ける。そして、じっと幹也の顔を見つめてくる。少し重苦しい空気が、場を支配した。最初に言葉を発したのは、シオンだった。


「えと、ミキヤが眠っていた間のこと、説明していい?」

「ああ、お願いする」

「分かった。じゃあまず、ミキヤは救援隊に救助され、およそ三日間眠っていたわ」

「三日? 本当に三日か?」

「そうよ。治癒師によれば、奇跡的命に別状はないらしく直に目を覚ますと言っていたけど、それが信じられないぐらいぐっすりだった」

「シオンちゃん、心配そうにしてたよねー」

「うるさい」

「……そうか。三日か」


 シオンは顎に手を当てた。おかしい。それでは――少なすぎる。普通なら一周間、早くても五日はかかると見込んでいたのだが。


「……まあいいか。それで、あの男二人組は? 生きてた?」

「えーっと、ディオスくんとケルムくんだっけ。身体は問題ないよ。ぴんぴんしてる。でも精神に異常をきたして、探索者は辞めるって聞いたかな」

 ミリアは事もなげに言った。無理もない。あれほど危険な目にあったのだ。シオンやミリアスのように平然としているのは例外であり、ただの学生では恐怖が焼きついただろう。

 幹也は黙って頷いた。


「ワイルドルーディーのことは、公にはわたしとミリアが倒したことになっている。もっとも、今回は特例で新聞各社には伏せられているけど」

「じゃあ、知っているのは受付所――探索者協会だけか。それが無難だろうな。無駄に混乱を招くわけにもいかないし」

「うん。まあでも、さすがにワイルドルーディーがハトレ迷宮に現れたことまでは隠せなくて、結構新聞では大騒ぎだったけど」

「そうか。でも、二人に被害はなかったんだろう?」

「うん。問題なし。それから賞金のことなんだけど――」

「それは全部そっちで使ってくれていい。おれは金に苦労していないから」


 若干きまずそうに切り出そうとするシオンを遮って、幹也は即答した。


「……本当にいいの? 相当の値段だよ。まだ正確には出てないけど、軽く豪邸が建つぐらいだと思う。わたしは全部、幹也が貰うべきだと思ってるけど」

「本当にいい。そんなもの貰っても、使い道がない。そんなことより、さっきからの様子だと、あの迷宮内で何が起きたかミリアは全部知っているみたいだな」


 見つめると、ミリアは乾いた笑みを浮かべた。


「あはは……というより、わたし動ける状態じゃないけど最後らへんは意識戻ってたんだよねー」

「それでもう隠しきれなくて、全部言うことになっちゃったのよ」

「……頼む。色々と事情があるんだ。黙っていてくれないか」


 頭を下げながらも、幹也は半ば諦めていた。

 二人に黙っている義務はない。そして巻き込まれたこの被害者に、暴力に訴えて黙らすことなどできやしない。それに、自分の存在を隠すことはそろそろ限界なのだ。彼女たちが黙っていたとしても、いつかは露見する。それは時間の問題だ。

 だから、これは“一応”のお願いだった。

 しかし二人は、予想に反してあっさりと答えた。


「いいよ。というか、そんなのは当り前でしょ」

「うん。ミキヤくん、わざわざ迷宮にもぐることまで止めて、隠していたことだもんね。何か人に言えない理由があるんでしょ?」

「まあそれはそうなんだが……本当にいいのか?」


 幹也はポカンと口を開けたまま、二人を見つめた。

 常に人を疑っている幹也にとって、その言葉はまったく信じられなかった。幹也と彼女たちは他人なのだ。当り前、なんてことはその間には生じない。どんなことがあってもおかしくないと、幹也は思っている。

 しかし。

 彼女たちの目は、嘘をついているように見えなかった。曇りが一切ない。人を観察することに慣れている幹也には、それがよく分かる。だから一層、彼女たちの考えていることが幹也には分からなかった。


「何回も言わせないで。当り前でしょ」

「……そうか。ありがとう、シオン」

「な、なにいきなり頭下げてんのよ。わたしは当然のことをしたまでで…………別に礼を言われるようなことは……」

「あー、シオンちゃんが照れてるー」

「ち、違うわよ。そんな訳ないでしょ。ともかく、ミキヤは早く怪我を治すことを考えとけばいいの」

「そういえば、入院大変だねー。治癒師が言うには、二か月ぐらいかかるらしいし……」

「そうね。二か月も入院してると、退院したあとも面倒だし……」

「いや、それはあまり気にしてないんだけどな」

「「へ?」」


 同時に素っ頓狂な声を上げて、今度は二人が驚く番だった。


「で、でも……二か月だよ? ミキヤくん何かすることあるの?」

「というか、多分二か月も入院しなくていいと思う」

「どういうこと? もしかしてこの酷い怪我を、早く治す当てがあるの? でもここ首都の中央病院だから、相当いい治癒師がいるよ。それより早くとなると――」


 その時だった。

 タッタッタッタッタと、軽快な駆け足が聞こえてきたのは。

 それはあまり大きな音ではない。しかし、他に病院内で走る者がいないからか不思議と耳に入ってきた。一定のリズムを保ち、次第に音は大きくなっていく。三人は根拠もなく、その足音の主がこちらに向かってきていることを確信した。

 幹也は嘆息して、口を開いた。


「運ばれても三日も経てば、そろそろあいつが嗅ぎつけると思うんだよ」

「あいつ?」


 ミリアスが首を傾げる。だが答えるよりも先に、その扉は開いた。


「ミキヤさん! 生きてますか死んでますか、死んでるなら返事してください!!」

「いや、逆だろ普通」

「うわぁああ。ミキヤさんが死んでるー」

「もう帰れ。お前疲れるから」


 上質の炭を思わせるような黒い長髪に白磁のような真っ白な肌。蒼い瞳がまだ幼さを残したその容貌を、完成された美に変えている。急いで来たのか、少し頬を赤くしていた。

 誰もが振り向くような、特別な存在。探索者なら一度は耳にしたことのある彼女――アシリアス・オルマニウスはいつもと同じ裾の長いローブに身を包み、当然の如くそこに立っていた。


「酷い! ミキヤさんが虐める」

「じゃあ普通に入ってこいよ」

「やだなー。わたしとミキヤさんの仲じゃないですか」

「意味が分からん」

「分かってるくせにー」


 突然の乱入者にポカンと口を開けている二人には気付かず、アシリアスは軽い足取りで幹也に近づく。


「大怪我したっていうから、わざわざ足を運んだんですよー。ミキヤさんも怪我するのが好きですねー」

「ああくそ、殴りてー」

「あーもしかして痛くて身体が動かないんですか? じゃあ言い放題ですね。ふふっなら――『この卑しい奴隷の怪我を治して下さい。アシリアス様』と言いなさい」

「…………いや、いいよ。二か月入院するのも悪くない」

「ええっ!? 何故ですか!」

「いや、まあ休暇も悪くないかなと」

「………………」

「………………」

「………………」

「……分かった。治してほしい。凄く治してほしい。だから泣くな」

「えへへ、仕方ないですね」


 涙をぬぐい、アシリアスは両手を前に出す。白い光が掌に集まりだした。治癒術特有の、魔術過程だ。いくら大病院と言えども、彼女以上の治癒師はいない。これで退院も格段に早くなる。

 しかし、アシリアスは視線を感じて、それを中断した。

 幹也の耳元で、ぼそっと呟く。


「どうしましょうミキヤさん。凄い美人さん二人が、こちらを凝視しています」

「いやお前、今頃気づいたのかよ」

「これは、あれですかね? 挨拶とかした方がいいんですかね?」

「そらそうだろうな」

「……ですよね。あーこほん」


 今までの光景はなかったかの如く、アシリアスは姿勢を正す。白いローブの裾を掴み、優雅に一礼した。


「初めまして。アシリアス・オルマニウスと申します。ミキヤさんとは、昔から懇意にさせていただいております。至らぬ者ですが、どうか以後お見知りおき下さい」

「…………」

「…………」

「……どうしましょうミキヤさん。反応が返って来ません。若干泣きそうです」

「頑張れ。負けるな」

「そ、そうですよね。わたしは、何があっても諦めない少女と呼ばれてますし。とりあえず、違う言語で挑戦してみます。チョチョランハン語なんてどうでしょう」

「それは駄目だろうな」

「打つ手なしです」

「諦めるのはやっ!」

「あーと……」


 ミキヤとアシリアスの会話に、口を挟んだのはシオンだった。気まずそうに、言葉を選びながら口を開く。


「アシリアス・オルマニウスってあの、聖女の?」

「身分不相応ですが、たまにそう呼ばれることもあります」

「この国を統治する、四大貴族の……」

「はい。一応オルマニウス家の長女です」

「そんな凄い人が、どうしてミキヤと……」

「えっ? わたしとミキヤさんの出会いを聞きたいんですか? それは涙なしでは語れないんですが、どうしてもと言うなら――」

「語るな」


 幹也のチョップが炸裂する。


「痛いですミキヤさん。って何うずくまっているんですか?」

「反射的に身体動かしたせいで、超痛い」

「馬鹿ですねーミキヤさんは」

「それはお前だ。あーシオン、ミリア。こいつは……まあ、気にしなくていい。正直、聖女とかそんな大げさな奴じゃないから。どっちかと言うと、ただの怪力馬鹿」

「乙女に向かって酷いです。ああでも、普通に仲良くしてください」


 アシリアスの言葉に、シオンとミリアスは顔を見合す。


「あーちょっと驚いただけだから大丈夫。わたしはシオン・ミスタリア。よろしく。こっちは――」

「ミリアス・アルステイだよ。よろしくね、アシリアスちゃん」

「はい。シオンさんに、ミリアスさんですね。どうぞよろしくお願いします。どうですかミキヤさん。友達になりましたよ」

「はいはい、よかったな。友達少ないもんな、お前」

「失礼な! ミキヤさんよりは多いですよ。この後だってよっちゃんと遊びに――あぁぁあ!!」


 アシリアスが病院内全てに響き渡るような声で絶叫した。それさえもが身体に響く幹也は、身体をくの字に折り曲げながら呻いた。


「今度は……どうした?」

「よっちゃんとの約束忘れてた! すいませんミキヤさん! わたし行きます!」

「いや、行くってお前…………」

「止めても無駄です! 乙女は恋多きときなのです!」

「だから意味分かん――」

「それじゃ!」


 しゅびっと手を上げて、アシリアスは走り出す。止める間もなかった。あっ……とミリアスが声を上げたときには、ドアが開きその姿は消えていた。

 取り残された三人を沈黙が包み、同じ言葉が頭を過ぎる。

 何をしに来たんだ?

 すぐにまたドアが開いた。


「ミキヤさん治すために日にちずらしたの忘れてました!!」

「お前ほんといい性格してるよ……」








「急ぎなら全快させるんですが、さすがにこれだけの怪我は細胞に負担がかかりますからね。大まかな所は治し、残りは自然治癒能力を高めておくということにします。大体、三日安静の一週間で完治ってところでしょうか。ああ、もう退院はしていいですよ」


 治癒はつつがなく終わった。かかった時間は三十秒にも満たない。もしここに病院の治癒師がいたならば、驚愕と共に卒倒しただろう。アシリアスは平然と説明するが、それは常人にとってでたらめな数字だ。現に、隣に立つシオンとミリアスは目を丸くしていた。


「じゃあわたし、本当にそろそろ戻ります」

「なんだ、ゆっくりしていかないのか?」

「ええ、こっちでも少し問題が持ち上がりまして。もちろん、ミキヤさんがどうしてもいて欲しいと――」

「帰れ」


 ミキヤが嘆息すると、アシリアスは頬笑みを浮かべた。

 ローブの端を掴み一礼すると、


「それでは、このアシリアス・オルマニウス、これにて失礼させていただきます。ご有事の際はまたお呼びください。大恩あるミキヤ・フジシロ様のためならば、いついかなるときでも馳せ参じますゆえに」

「あーはいはい」

「約束ですよ、ミキヤさん。ちゃんと呼んでくださいね」

「分かったよ。だから、その堅苦しいのをやめろ。苦手なんだよ」

「もう、ほんとに分かってるんだか。じゃあ、失礼しますシオンさん、アシリアスさん」

「あ、うん……」

「じゃあね、アシリアスちゃん」

「はい。それでは」


 最後だけ四大貴族らしく、アシリアスは悠然と出ていった。その背中を眺めながら、いつもそうしていれば聖女っぽく見えるのに、などと幹也は失礼なことを考える。そのとき、シオンが唐突に言った。


「ミキヤってさ、一体何者?」

「…………ただの学生と言ったはずだけど」

「ただの学生が、あの聖女の知り合いなわけないでしょ。しかも、怪我をしたことまで調べ上げて、わざわざ時間作って来るなんて。ねえ、ミリア」

「そうだね。あの様子からは、ただの知り合いとか友達とかじゃなくて、なんだかそれ以上の関係に感じたな。もしかして、ミキヤくんも四大貴族の隠し子とか?」

「そんなことがあるか。本当にただの学生だよ」


 そう。幹也にある肩書は学生だけだ。昔はともかく――今は、ただの学生でしかない。迷宮に潜らない、ただの学生でしかない。


「そう。まあ、いいけどね。きみが何者でも、わたしはもう決めたから」

「決めた?」

「うん」


 シオンはゆっくりとそばに寄る。そして視線が交差し、その言葉は口にされた。


「ミキヤに――わたしの作るギルドに入って欲しいの」



[11343] 十一話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/05/10 03:13
 最初のギルドが出来たのは四百四十年前。探索者協会ができる十年前の話であり、探索者という職業の社会的地位が確立され始めた頃だ。

 一口に探索者と言っても、その能力は様々だ。前衛で闘う剣士。後方で援護をする魔術師。回復を主とする治癒師。細かく分類すると、キリがない。もちろん、それら全てを可能とするものもいるにはいるが多くはそれほど器用ではない。そしてそんな自分たちに足りないところを補うために、探索者たちはパーティーを組む。

 しかし。

 必ずバランスのいいパーティーが組める道理はない。元々絶対数からして吊り合ってないのだ。たとえば、魔術師の数は前衛の三分の一しかいない。治癒師は至ってはさらにその半分。全てをこなす者など、ほぼ絶滅危惧種に等しい。

 さらに上げるならば、性格の問題だ。どうしてもそりが合わないということは当然ある。それは肝心なところで問題になる。なにしろ自分の背中を預ける者なのだ。信頼できないことにはやっていけない。

 ゆえに探索者たちは考えた。自分にとって最高の仲間を常に得る方法を。それが半永久的なパーティー――すなわちギルドになった。

 最初にやったことは単純だ。探索者たちは仲間を増やしホーム――活動拠点――を作った。それをギルドと呼び、常に人員を確保できるようにしたのだ。本当に、最初はそれだけだった。

 しかし、大きな組織にはそれなりの軋轢がある。後々多くの問題が浮上してきた。ゆえに探索者は仕方なしに代表――その後、団長と名前を変える――を決め、規律を作ることにした。

 ギルド外で無断にパーティーを組むことを禁止する。運営費のため探索によって得られた資金、約五パーセントをギルドに献上する。などなど。

 仕事の斡旋や政治的影響力などは、全て探索者協会が設立された後だ。

 と――ギルドには古い歴史がある。そのせいかは知らないが、学生は別として今では探索者の八割が何らかのギルドに所属しているぐらいだ。何処のギルドに所属しているかでその探索者の能力まで分かると言われており、一種のステータスと化している。

 もちろん、デメリットも存在する。ギルドに入るということは自分を“縛る”ということだ。常に誓約が付きまとうし、気ままな行動もできなくなる。辞めたいと言っても、自分の一存で勝手に辞めることもできない。万が一悪質なギルドに入ったら、収入のほとんどを持っていかれるということもあり得る。

 ギルドに入るということは、探索者として人生の分岐点と言っても過言じゃないだろう。

 つまり、入るにしろ入らないにしろ、簡単に決めることではないのだ。










 聞こえてないフリをするのは得意だ。幹也にとってそれは、何回も繰り返された機械的な行動に過ぎないからだ。聞きたくないことは、心を背けたくなる。けれど事実は変わらない。でも――それは絶対ではないから、一回だけ聞きなおすようにしているのだ。

 表情を変えず、平坦な声で聞き返す。


「ごめん、もう一回言ってくれ」


 シオン・ミスタリアは動揺しなかった。おそらくは、幹也の反応を予想していたのだろう。吊り目気味の紅い瞳には、一切揺らぎは浮かばない。

 だからもう一度、口を開き――


「非常識なのは分かっている。でもわたしには――」


 ごぉんっ、と鈍い音が鳴った。シオンが視界から消える。どんなことでも平静を保つようにしている幹也でも、さすがに動揺を禁じ得なかった。

 それを躊躇なく行った金髪の少女は、冷然とシオンを見下ろしている。握った拳からは、湯気が出ていた。即座に魔力強化をしたのだろう。一般人なら入院している。魔術師なのに体術もそれなりにできるのかな、などと幹也は今更ながらに冷え出した頭を働かした。

 微かにシオンの指先が動いた。


「何……するのよ、ミリア」

「何する? 今、何するのって言った? シオンちゃん」

「え、あ……うん」

「うふふ、うふふふふふ……」


 ミリアスの表情に、不気味な笑みが浮かぶ。どこから出ているのか分からないぐらい低い声だ。なんとか動けるまで回復したシオンは、全力で後ずさった。


「どうしよう。うっかりシオンちゃんに殺意が湧いちゃった」

「あの、ミリア?」

「何するはこっちの台詞だよ!」


 苦虫を殺すかの如くミリアスが勢いに任せて床を踏みつけると、コンクリートで舗装されたはずのそれは、クッキーのように脆くヒビが入った。幹也はやっぱり冷静に、どうしようこれって俺が修理費払うのかな、と他人事のようにその光景を眺める。

 ミリアスはさらに床を叩き続ける。


「なんでこのタイミングでその言葉が言えるのかな! まだ助けてもらったお礼も言ってないのに。大体そのギルドの設立資金自体、ミキヤくんがワイルドルーディーの賞金を譲ってくれたものでしょ! まだ作れるかも定かじゃないでしょ!」

「いやほら、賞金はなくてもいずれ作るわけだし。予約というかなんというか、それにお礼は……この溢れ出る雰囲気というか」

「そんな雰囲気ありません!」


 はぁはぁと息切れしながらも、ミリアスはトドメとばかりに床を踏みつけた。十センチほど陥没してしまっている。もう少しで貫通しそうだ。

 いかぶる獅子は自分を鎮めるかのように俯き黙っていたが、唐突に顔を上げた。


「帰るよ」

「か、帰るって……まだ話は」

「終わりました」

「ちょっと、ミリア! それは強引って分かった! 分かったから」


 シオンの首根っこを掴むと、ミリアスはずんずんと歩き出した。部屋を出る最後の一歩を踏み出す前に、幹也に振り向く。


「ごめんねミキヤくん。シオンちゃんも悪気があったわけじゃないの。全部忘れてくれていいから。でも一つだけ、これだけは忘れないで。わたしは、ミキヤくんに感謝している。今回、命を救ってくれたことも。それから、きっとミキヤくんは忘れていると思うけど、前回も。また学園で話せたら、嬉しいな」

「み、ミキヤ! バタバタごめんね。それとありがとう。ばいばい」

「ああうん。じゃあな」


 ミリアスは笑顔で頭を下げ、シオンは大きく手を振り、慌ただしくその場を後にした。幹也はいきなり静かになった病室で、一人ため息をついた。










 騒がしい音が鳴り響く。走る者の少ない病院という空間にとって、それは異質な音だ。多くの人が彼女に視線を向ける。しかしその当人たちに、気にした様子はない。昔から才能に溢れていた彼女たちにとって、注目されることはさして苦ではないのだ。いつも誰かの視線が、自分たちを見ている。彼女たちの置かれていた環境はそういうものだ。それが意味の違う視線であったとしても、変わりはない。


「ちょっとミリア! 痛いって。逃げたりしないから離して」

「…………」


「わたしが悪かったから」

「……本当に?」

「本当に。反省してます」

「…………はぁー」


 ミリアスは長い溜息をついた。それから少し表情を緩め、しかし呆れたように質問した。


「どうしてあんなこと言ったの?」

「…………ミリアなら、分かってるでしょ?」

「…………」


 もちろん、分かっている。彼女の気持ちは痛いくらいに分かる。シオン・ミスタリアは自分と似たもの同士なのだから。

 普段のシオンは決してあのように事を急いだりはしない。短絡的な言動で誤解されたりするが、彼女は冷静なほうだ。何が駄目なのかを、直感で分かっている。今まで迷宮に潜ろうともしなかった人物がギルドに入ってくれるなどと、ほんの少しでも思ったりしないだろう。

 けれど。

 それが狂ってしまうこともあるのだ。

 たとえば、求めていたものが偶然にも近くにあったとき。

 あるいは、自分より圧倒的に強大な存在を目にしたとき。

 逃せば、きっと二度と手に入れることはできない。そういうものを欲すると、人には焦りが生まれる。

 早くしないと、取られるのではないか。

 行動を起こさなければ、駄目なのではないか。

 焦りは知らぬうちに大きくなり、物事を客観的には見られなくなる。そのくらい、今回の出来事はシオンにとって衝撃的であり、チャンスだったのだ。


「わたしはあいつを倒すために、強くならなければならない。それこそ、誰にも負けないくらいには。そしてミキヤは、わたしの理想だった。はっきり言って脆弱な魔力量。運動能力もさして高くない。なのに、あのワイルドルーディーを圧倒していた。あの力の秘密が分かれば、わたしはもっと高みに近づける。ミリアなら、分からないはずがないでしょ」


「分かるよ。でも、今回は急ぎすぎだよ。あのままだったらミキヤくんは――」


 有無も言わずに断っていた。

 それは確実だ。聞きなおしたときの表情が語っていた。

 ――それ以上先は言うなと。

 彼もせっかくの関係を壊したくなかったのだろう。

 出会ってまだ間もないが、ミリアスには分かる。ミキヤは、人との間に壁を作っている。それも、相当に堅牢で高い壁を。

 言動の節々で感じるのだ。一線には踏み込ませないようにしていることや、自分からこちらに接しようとしてこないこと。それはどうしようもないことなのかもしれない。ミキヤは隠していることが多すぎる。一端を見たミリアスでも、その力は得体が知れない。ゆえに、人を近づけさせることができないのだろう。

 つかず離れず。ミキヤにとっては、それが一番いい位置なのだろう。


「うん。だから反省してる」


 でも、とシオンは前を向いて言った。


「わたしはミキヤを諦めない。絶対わたしの作るギルドに入ってもらって、わたしを鍛えてもらう。それがあいつ――金色の悪魔を殺す方法だから」










「なるほど、なるほど。そういうことか」


 閑静な病室で、幹也は呟いた。誰かが見たら、不思議に思ったかもしれない。あるいは、その意味を理解できるほどの者だったら、驚愕したかもしれない。

 幹也は百メートル以上離れた二人の会話を聞きとっていた。

 もちろんそれは魔術の力だ。人の溢れる病院内で、百メートルも離れた声を聞くなど不可能だ。だがその魔術の力を持ったとしても、幹也のそれは異常だった。

 遠隔聴取は一般的な魔術だ。魔術学園で最初に習うこともあるくらい、広く知られている。だが、普通の遠隔聴取はせいぜい三十メートル限界のはずだ。百メートルなど、それはすでに別の魔術と言っても過言じゃない。


「面倒なことになったな……」


 幹也は平然としている。魔術疲労や困難なことを成し得たような笑みはない。当り前だ。幹也にとってそんなことは病み上がりでも片手間でできてしまうようなことなのだ。


「かたき討ちとは、人は見かけによらない」


 親の、親友のかたきを討ちたい。そう口にするものを、幹也は何人も見てきた。いまさら驚いたりはしないが、それでもあれだけ若い者がその言葉を口にするのは珍しい。


「いつもなら放っておくんだが……しかし――」


 金色の悪魔。それは幹也にとっても意味のある名前だ。


(あいつは、おれが殺さなければならない)


 五年前、血の三日間と言われたあの惨事から、奴とは因縁がある。そう、因縁だ。宿敵とも言うかもしれない。もう会うこともないと思っていたのに、一年前にも再開したのだから。奴とは因縁という、殺し合う運命にあるのだ。

 幹也しばらくぼんやり空を眺めていたが、諦めるようにため息をついた。


「まあ、今は先にこっちの問題を片づけるか。おい、さっさと出てこいよ」


 部屋の隅を睨みつけて、話しかけるように言った。



[11343] 十二話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:13b80337
Date: 2010/06/22 00:55
 幹也が睨みつけるその場所には、当然だれもいない。話しかけても、変化が起こることはなかった。白い壁が立ちふさがるだけだ。

 もしここにシオン達がいれば、怪我で頭がおかしくなったと思っただろう。

 しかしそれでも、幹也は眉根を吊りあげながら言った。


「いい加減しろ。こっちは病み上がりでだるいんだ」

「…………」


 返事はない。幹也は大仰にため息を吐き――掌に魔力を集めた。


「出てこないなら――」

「もう、相変わらず辛抱というものが足りませんわ」


 甲高い声だった。空気が歪む。そして彼女は、そこにいた。

 異様な出で立ちだった。フリルふんだんにあしらった漆黒のドレス。力強く輝く金の双眸。細長く伸びる白皙の脚は、やけに妖艶だ。長い金糸の髪がそれをさらに際立たせる。シミ一つない顔は十代ように見えるのに、発せられた言葉はその歳とは思えない落ち着きを持っていた。

 浮世離れした格好なのに、この少女はそれに負けない雰囲気を放っている。何処か――そう、毒々しいと言えばいいだろう。迂闊には近づけない、悪魔のような美しさだ。

 しかし。

 そんな彼女には、非常識な美しさよりも注目すべき点が三つある。

 一つは、背中に羽があること。黒い、肩からはみ出るぐらいの小さな羽だ。複雑な紋様が刻まれており、ときおり点滅している。

 二つ目は、それを小刻みに動かし浮いていること。この場合は、飛んでいると言った方が正しいだろう。

 そして最後は、彼女があまりに小さいことだ。そのサイズは、幹也の手と同じくらい。明らかに人間とは言えない。


「せっかくの再会……そう、再会。それなのに、どうしてこうも幹也は無愛想なのでしょう。わたくし、涙で前が見えませんわ」

「うるさい。再会で姿消して、気配までも消す奴がいるか、ただのストーカーじゃねーか」

「それもですわ。どうしてそこまでしたのに、気づいてしまうの。あと三日は観察に興じるつもりだったのに」

「いや、ないから。相変わらず変態だな、レファルシー」

「あら、人間とは興味深い生き物ですわ。愚かで、怠惰で、卑屈で。それなのに時折、こちらの予想を遥かに上回る存在がいる。実に観察しがいのある愛すべき生き物ですわ。ゆえにわたしは、あなたのそばにいるのです、幹也」


 レファルシーと呼ばれた少女は――否、少女と呼んでいいかは定かではないが――口元に含んだ笑みを浮かべた。


「あなたは変わりませんわ。身体が弱体しようが年月を重ねようとも、気高く美しい。そのありようは人間と思えない。一度、解体して中身を調べてみたいぐらいですわ。ああ、そういえば幹也……あなた、いくつになったの?」

「…………十九歳だ」

「十九歳」


 レファルシーが繰り返す。


「あら、おかしいわね。わたくしの記憶が正しければ、五年前に別れたときあなたは二十一歳だったはずなのだけれど。年齢が下がっていくなんて、人間とは奇妙なものね」

「嫌味を言うな。いいんだよ。もともと、自分の歳なんて分からないし、前の方が詐称
気味だったし。もっと言ってしまえば、おれに歳なんて関係ないしな」


 物心ついたときに自分が何者なのか教えてくれるものは、幹也の周りにはいなかった。ゆえに、幹也は自分の歳を知らないし、誕生日も分からない。そして、それが気になったこともない。

 何故なら、幹也の容姿は数年前からずっと同じなのだ。身長も伸びないし、体重も増えない。髭も生えてこないし、皺もできない。正真正銘、ずっと同じままだ。

 確証はないが、幹也は死ぬまでずっとこのままだと思っている。だから、歳など関係ないのだ。


「ふふふ、冗談よ。冗談。それくらい知っていますわ。これでもわたくしは、あなたをずっと“視て”いたのだから」

「待て。“視て”いただと?」


 わずかに幹也の眉が動く。

 そうよ、とレファルシーは自らの紅い唇をなぞりながら言った。


「二十四時間、三百六十日。春霖の月、轟の月、紅の月、雪嶺の月。片時も離れず、あなたと精神を共有して、内側から視ていましたわ」

「それはつまり、そういうことか?」

「そういうことですわ。接続率が上がったの。もっとも、ほんの少しだけ――埃程度のものだけですが。だから出てきましたの。おそらくは、一年間接続しなかったことが原因でしょうね。うすうす感づいていたのでしょう?」

「ああ。自信はなかったがな」


 いつもより早く目覚めた理由。そこを突き詰めていくと、その考えしか浮かばなかったのだ。


「ということは、あの時、お前は爆発に巻き込まれたわけじゃないんだな」

「違う。それは違いますわ。幹也が無理をするから、外に出ることもできなくなっただけ」

「そら、悪かったな」


 ふてくしたように鼻を鳴らす幹也。レファルシーは小さく笑った。


「怒らないでよ。せっかくの再会なのですから。五年振り、嬉しくって涙が出そうでしょ」

「別の意味でな」

「あら、何が不満なのかしら。言ってごらんなさい」

「ふざけんなよ。お前が出てきたってことは――」

「ああ、そういうことね」


 レファルシーは軽やかに舞うと、幹也の肩に乗った。


「そうよ。始まるの。愉快で、残虐な、血に塗れた殺し合いが。わたくし、今から楽しみで仕方ありませんわ」

「それも、相変わらずだな」

「あら、幹也は楽しみじゃないの?」

「そんなわけないだろ」

「そうね。そうよね。幹也は優しくて甘いから。まあ、今、その話はいいですわ。どうせ全てが終わるには後十年以上はかかるでしょうし」


 十年後に全てが終わる。それはすなわち十年後に世界が滅ぶことであり、まったくもってどうでもよくないのだが、しかしそれをこの見た目可憐の中身腹黒女に言っても意味がない。幹也は口をつぐんだ。


「そんなことより、あの小娘たちはどうしますの?」

「小娘たちと言うと、シオンとミリアのことか?」

「それ以外、誰がいますの。あの、愚かな小娘たち。幹也は、どういたしますの?」


 信念を持って、道を突き進む二人。それは尊敬さえもする。できるなら、助けてやりたい。金色の悪魔が関係してくるのなら、自分も無関係とは言えないだろう。

 だが、しかし――


「放っておくよ。それが一番だ」

「そう。放っておくのね」


 幹也の返答に、レファルシーは喜色を浮かべた。


「わたくし、あなたのそういう残酷なところ好きよ、幹也。今、放っておくということは、見殺しにするのと同意だもの。なにせ、相手は金色の悪魔。このままいけば、そこに辿りつく前に死ぬでしょう」

「なら、どうする。あいつらとギルドを組めと言うのか。それこそ、巻き込むことになる。死んだも同然だ」


 幹也が最後まであれを使わなかったのは、巻き込みたくなかったからだ。自分に関わらせたくなかったからだ。それは、死を意味するから。

 それなのに、ギルドを組んでしまったりしたら、、ああまでした意味がない。


「あら、あの娘たち、才能はありそうでしたけど。まあ、そこら辺は、幹也の方が見極めるのは得意でしょうけど。どうですの?」

「才能は……あるよ」


 幹也は俯きながら言う。


「おそらく、鍛えれば三年もすればSランクの端っこには引っかかるだろう。その後は本人次第だな」

「凄いじゃない。そこまでとは、わたくしも予想してなかったわ」

「だが、三年はかかる。それまでに死ぬ可能性のほうが、ずっと高い。それともなんだ。俺があいつらを守って鍛えろというのか」

「ふふっ……そうね。なら――わたくし預かりというのはどうでしょう」

「……は?」


 幹也が呆けた声を上げる。


「レファルシー、何を考えているんだ?」

「いいじゃない。もう彼らには頼らないのでしょう。だったら、同じ目的を持った仲間が幹也には必要ですわ。それに、興味がありますの。特にあの紅い髪のほう」

「……シオンか」

「そう。確かシオン・ミスタリアと言っていましたわね。シオン・ミスタリア。あの傲慢さは、あの女に通じると思いませんこと。幹也が唯一負けた、あの女に」

「似てないさ。あの人はもっと強かったし、容姿も全然ちがう」

「容姿云々の話ではありません。強さで言えば、あの女より強い人間など、わたくしは知りませんし。ですが、よく似ていますわ。わたくしの言っている意味が、分かりますわよね?」

「…………」


 分かっている。シオンはあの人に似ている。

 あの人はもっと傲慢で、我が侭だった。容姿も全然違う。能力も、使う魔力だってかすりもしない。

 しかしそれでも似ていると断言できるほど、シオン・ミスタリアは似てしまっている。

 だがそれを、幹也は認めたくなかった。それを認めると,情が移ってしまう気がした。


「まあ、いいですわ。そんなことは、どうでもいいですわ。似ているだけなんて、所詮似ているだけですから。ともかく、わたくしはあの娘たちに興味があるのよ。実に知的好奇心を刺激してくれます」

「それで、どうしろと?」

「だから言っているでしょう。わたくし預かりだと。そうね、少し試してみたいのよ」

「試す、ね」

「試練みたいなものを、与えてみますわ。それに合格したら、幹也もあの娘たちに協力してあげなさい」

「いや、それ俺に得が何一つないんだが」

「あら、あの娘たちが戦力になるかもしれないじゃない。それに、わたくしが与える試練よ。合格する確率は、せいぜい一割……いえ、それ以下でしょうね」

「ああもう。はいはい、分かったよ。勝手にしろよ」

「いいのね? もしかしたら危険な目に……というか、失敗したら簡単に死ねるわよ」

「向こうも、それは覚悟しているだろう」

「ふふっ……じゃあ、お許しも出たし、さっそく行ってきますわ」


 レファルシーが肩から離れると、ドアが勝手に開いた。彼女は休めていた羽を優雅に広げ、そこから出ていこうとする。

 しかし、唐突に振り返った。


「忘れていましたわ」

「まだ、何か?」

「誓いの言葉を」


 レファルシーは頬笑みを浮かべ頭を下げる。


「我が身はあなた様の傍らに。我が魂はあなた様の内に。たとえ全てを敵に回そうとも、このレファルシー・クィンツェッタ、幹也様に忠誠を誓います。――終焉の鐘を、鳴らすまで」


 そして、レファルシーは消えた。存在そのものが部屋からなくなった。

 やっと一人になった幹也は、開いている窓から外を眺める。

 時刻はまだ昼を過ぎたぐらいだ。日差しがきついにもかかわらず、多くの人々が行きかっている。病室には冷却魔術がかけられているが、見ているとこっちまで暑くなってしまう。

 そのくらい、ルディエンス公国の首都、モールは人に溢れている。


「終焉の鐘か…………」


 はたして十年後も、この光景は続いているのだろうか。

 幹也は、小さく呟いた。








 シオン・ミスタリアの家は貴族だ。東部の片田舎だが、一応中流と言って過言じゃないだろう。屋敷もそれなりに大きい。

 しかし、彼女は田舎者ゆえに、いわゆる”貴族らしい態度”や”貴族らしい場所”というのが酷く苦手だった。

 大通りから少し外れた場所にひっそりとたたずむ喫茶店『クラウン』は、いかにもそういう”貴族らしい場所”だ。

 木を基調とした内装は、落ち着きがあって趣味のよさがうかがえる。出される食器も雰囲気を整える為か、全てアンティークものだ。

 シオンはそういうことに詳しくはないが、隣にいるミリアがいちいち「うわっ……」とうめき声を上げていた。どうやら相当高いものらしい。

 カウンターに並ぶコーヒー豆にも圧巻だ。ずらりと数十種類。注文されてから入れるため、全て豆のままで置かれている。しかもそこに立つ人も出来過ぎだ。齢六十に届きそうな老紳士。引きしまった肉体と鋭い瞳には老練さを漂わせているが、口元に生える豊かな白髭には愛嬌がある。

 質素にして豪奢な調度品の数々は、全て安心してお茶を楽しめるための雰囲気作りのためなのだろう。それは理解できる。この喫茶店は、素晴らしいところだ。

 だが、落ち着かない。

 食器を割ってしまったらどうしよう。

 何か作法を間違っていないだろうか。

 そんなことばかり考えてしまう。

 壊したり割ったりしても店主は弁償しろとは言わないだろうが、正義感の強いシオン自身がそれを許さない。たとえ借金をしてでも返すだろう。

 だから、出されたコーヒーにも手をつけれずにいた。

 隣の友人はなんとか対応できているようで上品にコーヒーを含んでいるが、つき合いの長いシオンには見た目ほど余裕がないことは明白だった。

 そもそも、このコーヒー自体が高い。

 千二百シクル。ガルロンならば十二ガルロン。いつも飲んでいるコーヒーが二百シクルのシオンにとって、それは価格破壊という値段だ。似ているだけの、別の世界に来てしまったのではないかと、本気で思ってしまう。

 もっとも、今回このコーヒーは奢りなのだが。


「シオンさん、お口に合いませんでしたか」


 そのコーヒーを奢ってくれた自分より年下の少女は、心配そうにこちらを見つめている。

 シオンは慌てて手を振った。


「う、ううん。ちょっと考え事してただけ。ほんと、それだけだから」

「そうですか。よかった、ここはコーヒーが自慢なんですよ」


 それは見れば分かる。なんて減らず口は、この場ではさすがのシオンも吐くことができない。

 コーヒーをすすりながら、シオンは眼前に座る少女をこっそりと見遣った。

 アシリアス・オルマニウス。

 聖女と称えられる少女は、この空気にも負けてない。むしろ、この上なく似合っている。

 夜を連想させる黒髪。雪のように儚いローブ。

 蒼い双眸は水晶のように透き通っており、見つめられるとどぎまぎしてしまう。容姿はまだ幼いが、それはすでに完成された美となっていた。

公国を統べる四貴族。その一系にあたるオルマニウス家の長女である彼女は、シオンとは住む世界が違う。

 権力、財力、地位、探索者としての力も、まったく吊り合ってない。普通なら話すこともままならない。

 そんな相手とどうして優雅にお茶をしているのか、シオンも分からなかった。


「突然すいません。待ち伏せなんてことは、オルマニウス家の家訓に反するんですが」


 コーヒーを半分ほど飲みほしたところで、アシリアスが話を切り出した。今かと待ち構えていたシオンは、ずっと聞きたかったことを口にした。


「それはいいんだけど……どうしてあんな所で、待ち伏せなんか」


 用事の終わったシオンとミリアスは、大通りをぶらつくことにした。今回の事件でそれなりに金も入るし、シオンはもうすぐAランクになるということで装備をそろそろ新調しようとしたのだ。

 そうして、とりあえず武器屋に向かおうとした矢先、先ほど別れたばかりのアシリアスに会った。何か用事があったんじゃないんだろうか、とシオンは疑問に思いながらも笑顔で挨拶したら、いつの間にかここに連れてこられていた。

 意味が分からないが、仕方ない。シオンにもさっぱりだ。有無も言わさない強制出頭だったのは確かだが。


「今回の事件のあらすじと、その他、色々を聞こうと思いまして」

「それなら、病院内で聞けばよかったのに。あんな所で待っとくの、疲れたでしょ?」

「いえ、病院内はミキヤさんの領域内なので」


 奇妙な物言いに、シオンは首を傾げた。

 曲がりなりにも、首都の大病院だ。そこら辺の屋敷とは比べ物にならないぐらい大きい。幹也の目が届かない場所など、いくらでもあると思うんだが。

 アシリアスは頬笑みを浮かべたまま答えない。まあいい、とシオンは思考を打ち切った。


「じゃ、まずどんなことが聞きたいの?」

「そうですね……一番聞きたいのは、シオンさんたちがミキヤさんの秘密をどうするかです」

「え?」


 二人の声が重なった。

 心臓がどくんと跳ねる。


「ちょっと。秘密って何よ」

「もろもろ、全てですよ。あの人の絶対的な強さや、理不尽な裏技。その、全てです」

「ま、待ってよ。今回ワイルドルーディーを倒したのは――」

「いいえ、シオンさん。申し訳ありませんが、それはあり得ないんですよ」


 冷や汗を背中にかきながらも言い訳を並べようとするシオンを、アシリアスは冷淡に遮った。


「フジシロ・ミキヤという名前は、ある一定の所では大きな意味を持ちます」


 アシリアスは淡々と続ける。


「知っているものが非常に少ないがゆえに、その価値は計り知れないほど重い。今回の事件の情報は、裏では高値で取引されています。」

「そう、なの?」


 シオンは黒髪の青年を思い浮かべる。

 適当に切り揃えられた短髪。何を考えているか分からない横顔。

 黒髪黒目という以外にさして特徴のない彼は、シオンにとってつい最近までどうでもよかった。自分に寄って来る、有象無象と同じだった。

 しかし、今は違う。彼はどうしても欲しい。

 だが今回、一緒に共闘したといっても、シオンはミキヤのことをほとんど知らない。同じ学園で、迷宮に潜ろうとしない変わり種というぐらいだ。

 何となく、それが悔しかった。


「そうです。おそらく、一万ガルロンは下らないんじゃないでしょうか」

「それは……」


 シオンは声を失った。

 情報は貴重だ。それは覆せない。だが、たかが情報というのもまた事実だ。

 一回話を聞くだけでそんな大金を払うことは、シオンには考えられない。それだけで、この情報を扱う者達の力が想像できる。


「ですから、無理なんです。わたしたちの間では、この事件の中心はミキヤさんだというのはすでに決定事項なんです」

「そっか」

 だからか、とシオンは心中で呟いた。

 アシリアスはお見舞いに来たとき、一度もミキヤに何をしたかは尋ねなかった。それをシオンは不思議に思っていた。普通なら真っ先に尋ねることだ。

 遠慮しているのかと思っていたが、それは間違いだった。言う必要がなかったのだ。

 言わなくても、伝わっている大まかな内容で、全て理解できたのだろう。


「そう。全てミキヤがやったことよ。残念だけど、わたしたちにワイルドルーディーを倒す力なんてない。ごめんね、嘘ついて」

「いえ、ミキヤさんが頼んだことでしょうし。むしろ、安心しました。その様子だと、お二人は秘密を守ってくれるようですね」

「うん。約束だしね」

「よかったです。これで、わたしもしかるべき処置をとらなくてすみました」

「――――もし、わたしたちが誰かれ構わず吹聴した場合、アシリアスちゃんはどうするつもりだったの?」


 今まで沈黙を守っていたミリアスが、初めて口を開いた。

 突然のことに、視線を遣る。ミリアスは珍しく笑みを浮かべてなかった。真剣な表情で、前を見つめている。どうしてそんな顔なのか、シオンには分からない。

 アシリアスはやはり冷静に、ただ淡々と、明日の天気を話すのと変わらない口調で。


「殺します」



[11343] 十三話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:7273148e
Date: 2012/01/08 00:28
 クラリース学園は平凡な学園である。

 平均的な生徒の能力は上でもなく下でもない、普通の領域をはみ出さない程度。

 教授も別段優れている訳でもないが、合格点は保有している。

 何かが凄いということもなく、何かが劣っているわけもない。

 だから、この場にいる二人は、学園内においては『特別目立つ』生徒と言って過言でないだろう。

 どちらもタイプは違うが、かなりレベルの高い美少女。

 学業――と、この場合、言っていいかは微妙だが――においても、相当に優秀。

 世間一般でも、探索者としてそこそこ名が知られている。

 これだけの条件がそろえば、クラリース学園では十年に一人の逸材と言ってもいい。

 だがしかし。


「はぁー…………」

「はあぁぁー……」


 肩を落とし、見る者を落胆させるような大きなため息を吐いていると、なんだか色々台無しだった。


「シオンちゃーん。ため息なんてついてると、幸せが逃げていくよー」

「ミリアこそ、人のこといえないじゃん」

「だってねー。」

「ねー」

「はぁぁぁぁ…………」

「はぁぁぁぁ…………」


 幸いながら、今現在、ここクラリース学園の修練場にシオンとミリアス以外の人はいない。

 普段なら決して大きくもないこの場所は、自主的に訓練に励む生徒でいっぱいになるのだが、どうしてか今日に限っては人が来る気配さえない。二人に遠慮しているかのようだ。

 ゆえにこれ幸いと、二人はため息をつきまくっているのだが、代わりにどんどん気持ちが落ち込んできていた。


「でも、このまま何にもしないわけにもいかないし。シオンちゃん、ミキヤくんに仲間になって欲しいんでしょー」

「それはもちろん。でも、だからってどうすることも出来ないし……」

「あんなこと言われちゃった後だしねー」


 二人が際限なく落ち込んでいる理由。

 それは、つい先日、聖女とよばれる可愛らしい少女から口にされた言葉が原因だった。










「殺します」


 聖女と呼ばれる少女は、顔色を一切変えることもなく、そんな物騒な言葉を言ってのけた。

 事務的とも言っていいほどあっさりと。


「なっ!?」


 シオンは絶句した。

 待ち伏せしてまで自分たちと話そうとしたのだ。何かしらの意味があるのだろうとは考えていたが、そこまでとは理解していなかった。

 しかし、隣のミリアスは違った。

 その言葉を予想していたのだろうか、息をのみ、顔を固くするぐらいだった。

 アシリアスは続ける。


「でも、よかったです。その心配もないようで……」


 とそこで、アシリアスは緊張している二人に気付き慌てて言葉を付け加える。


「あっ! 勘違いしないでください。別に、お二人が嫌いとか、恨みがあるとか、そういうことじゃないんですよ。ただ、その、なんと言うか……えっと、そう! 優先順位の問題です。ほら、あるじゃないですか。何事においても優先されるべきものって。それが、わたしにとってはミキヤさんなんですよ」

「そのためには、アシリアスちゃんにとって人殺しも構わないって言うの?」

「ええ、そうですね。そのくらいなら、いくらでも。親を殺せと言われても、おそらくなんの躊躇いもなく殺すでしょう。自分の命だって捨てられます」


 言いきって、アシリアスは静かにコーヒー飲みほした。


「えへへ、なんか変なこと言っちゃいましたね。大層なことを言いましたが、わたしもミキヤさんの秘密なんてほとんど知らないんです。ただ、それが世間に知られるということが、大変なことになるということぐらいで。……それじゃあ、呼び出しといて申し訳ないんですが、今日はこのくらいで失礼します。この後、少し時間が押していまして」


 これで用件は終わりとばかりに、アシリアスは席を立つ。

 優雅な足取りで、場を後にする。


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 その背中を、シオンは止めた。


「はい。なんでしょう?」

「わたし、ミキヤに自分の作るギルドに入って欲しいの。だから、今回のことを秘密にしても、どうせ近づくことになるんだけど」


 刹那、今までずっと張りついていたアシリアスの笑顔が、唐突に崩れた。

 緩んでいた空気が抜け落ち、目が細められる。

 それだけで、シオンの身体は硬直した。

 魔術のような何かが、アシリアスの視線にはあった。

 それは、ワイルドルーディーのような荒々しいものではない。

 静かな威圧だった。


「ミキヤさんがそれを望むなら――」


 アシリアスは言った。


「わたしは止めません。ですが、可能性が無いとは言いませんが、恐らく非常に難しいと思います。それは、ミキヤさんと肩を並べるということなんですから。お二人には、足りないものが多すぎます。実力然り、覚悟然り。あの人と肩を並べるということは、探索者として遥かな高みに行かなければなりません。そして、お二人だけでは、きっとその位置には到達できないでしょう。わたしでも、その位置に到達できるか、未だ見当もつかないのですから」


 それだけ言いきって、アシリアスはまた笑顔を浮かべた。


「それでは。失礼します」


 踵を返すアシリアスの背中を、シオンは見つめることしかできなかった。










「ホント、ミキヤって何者なんだろう」

「それが分かったら、わたしだってこんな所でのたのたしてないよー」

「だよねー」


 あの時、アシリアス・オルマニウスこう言ったのだ。

 あなた達では実力が足りないから、諦めなさいと。

 自分が何かをしなくても、フジシロ・ミキヤという存在に近づくことは無理だと。

 そう言い放ったのだ。


「でも、気になる。聖女にあんなこと言わせるのよ」

「確かに、それはそうだけど」


 アシリアスは世界でも、数十人しかいないSランクの探索者だ。

 しかも治癒師という極めて希有な人物である。

 こと、“癒す”といことに限っては、彼女に勝るものは片手で数える程度だろう。

 それゆえに聖女とさえ呼ばれているのだ。

 そして、フジシロ・ミキヤはただの学生である。

 いくらワイルド・ルーディを倒したからといって、それさえもアシリアスにとっては“その程度“と映ってしまうだろう。

 彼女はSランクの探索者なのだから。

 単体では無理かも知れないが、パーティーを組めば、倒すことは容易なはずだ。

 そこら辺を鑑みるに、シオンの見立てではアシリアスとミキヤの実力はそう変わらない。いや、どう贔屓目に見たってアシリアスの方が上のはずだ。

 しかし、アシリアス自身がそれを否定した。

 それが更にシオンの中で疑問を生んでいた。

 アシリアスがミキヤの為にそう言ったのか。

 いや、彼女の性格から、それは無いと言える。

 ならば、ミキヤが実力を隠しているのか。

 だが、この前ワイルド・ルーディ―と闘ったミキヤは、疲労で三日間寝込むこととなった。

 実力を隠すも何も、下手をしていたらあの場で死んでいた。

 なら、どうして――

 溜まっていくのは疑問ばかりだった。


「でも、それよりも。今大事なのはどうやってミキヤくんを引きこむかだよ」

「それが分からないからこうなってるんじゃない」

「手っ取り早いのは、わたしたちが強くなって、ミキヤくんに認めてもらうことだけど……無理、だよね」

「というか不可能ね」


 少しくらい強くなるのならばいつでも可能だ。

 しかし、それが聖女以上、となると、話は別だ。

 何十年かかるかわからない。

 もしかしたら、一生無理かもしれない。


「じゃあ、他になんか案ある?」

「うーん。ごめん、わたし馬鹿だから分からないや」

「そうね。あなたは本当に馬鹿だわ」

「そうそう、わたしは馬鹿って……ちょ、ちょっとミリア、いくらなんでも、そんなはっきり言わないでよ」

「え? ごめんシオンちゃん。考え事して、聞いてなかった」

「はっ? じゃあ、今のはいったい……」

「こんにちわ。馬鹿で愚かな、小娘たち」


 シオンが振り返った先――そこに、一人の美女が立っていた。

 フリルをふんだんあしらった漆黒のドレス。

 そこから時折覗かせる、妖艶なおみ足。

 どくどくしいぐらい真っ赤な唇。

 神話に出てきそうなぐらい、異質な美女だった。

 シオンは反射的に後ろに下がった。

 ミリアスも持っていた杖を上に掲げる。


「あらあら、そんな緊張しなくてもいいのよ。しても無駄ですし」


 シオンは構えながら、慎重に言葉を選ぶ。


「いつから、ここにいた?」

「最初からいたわよ」

「そう。最初から。あなた達が間抜け面を晒しながらここに入ってくるときから」

「嘘っ!?」


 ミリアスが叫ぶ。

 それはあり得ない。

 シオンも確認した。

 いくら修練場が普通の教室より広いからって、障害物ない部屋だ。

 少し見渡せば、誰もいないことははっきりと分かる。

 それに、今の今まで――およそ二時間はここにいた。

 その間、人のいる気配は感じなかった。


「わたくしが下等な人間に嘘をついてどうするの…………一度殺して……いえ、それは置いておきましょう。わたくしがわざわざ人間の姿をしてここに来たのは、そんなどうでもいいことじゃないの」

「…………何、よ?」

「そうね……ミキヤの使いと聞いたら分かるかしら?」

「ミキヤの……使い?」

「もっとも、使いというのは少し語弊があるのだけれど。これはただのわたくしの趣味ですし」


 シオンは眉根を寄せる。

 さっきまでどうやってもこちらを振り向かせることは出来ないと言っていたのだ。

 その人物の使いと言われたら、怪しまないほうがおかしいだろう。


「それで、そのミキヤの使いが、わたし達になんの用ですか?」

「いえねぇ、あなた方、オルマニウスの小娘にズタボロに言われていたでしょう。それからどう動くかと思ったのだけれど、何も進展が無いから、こちらから訪ねてみたの。言うようになったわね、あの小娘も」

「…………そうですか」


 何故そのことを知っているのか。

 なんの用なのか。

 本来ならば聞きたいことは山ほどあるのだが、シオンともかく早くこの会話を打ち切りたかった。

 むかつくのだ。

 節々の言動から、自分たちを見下していることが見て取れる。こんな性格の悪い奴、本当にミキヤの使いかも怪しい。

 少し考えれば、これだけ異質ならば当然そうだと理解できるが、頭に血が昇っている今のシオンにはそれが無理だった。


「それはお疲れ様でした。じゃあ、馬鹿にしに来ただけなら返ってください。わたし達、今忙しいんで」

「あらあら。嫌われてしまったかしら。でも……そうね。わたくしが返ってしまったら、ミキヤを手に入れることは不可能よ」

「そんなの、やってみないとわからないでしょ!」

「分かりますわ。そのくらい。完膚無きまでに。オルマニウスの小娘が言っていることは正しいわ。あなた方には不可能よ」

「どうしてそう言えるんですか?」


 今まで黙っていたミリアスが口を開いた。

 口調は穏やかだが、目が笑っていない。

 こういうときは真剣に怒っているのだと、つき合いの長いシオンには想像できた。


「そんなこと、見てたら分かる…………と言いたいところですが、それではあなた方が納得できないでしょう。なら、そうね――ゲームをしてみましょうか」

「ゲーム、ですって?」

「そう。ゲームよ。ゲーム。チェスとか、おやりにならないの」

「チェスぐらいなら…………」

「それと一緒よ。ルールは簡単。わたくしをここから一歩でも動かしたらあなた達の勝ち。動かせなければわたくしの勝ち。武器あり。魔術あり。時間無制限の何でもあり。ちなみに、わたくしから仕掛けることは絶対にありませんわ」


 ふざけるな! シオンは怒鳴りそうになった。

 しかし、いきなり口を塞がれ、声が出せなかった。


「分かりました。そのゲーム、受けます」

「ミリア!」

「チャンスだよ、シオンちゃん。これに勝てば、道が開けるかもしれない。……それに、あの余裕面を歪めさせれるし」


 黒い笑みを浮かべながら、ミリアスは小声でささやく。


「そちらの赤髪の小娘も、それでいいのかしら?」

「…………いいわ。上等じゃないの。その勝負、受けて立とうじゃないの」

「結構。では始めましょうか。いつでもいいですわよ」


 自称ミキヤの使いの美女は、宣言しただけで何もしなかった。

 ただ突っ立っているだけ。

 しかし、今度ばかりはシオンも腹が立っていきなり襲いかかることはしなかった。

 曲がりなりにも、ミキヤの使いを名乗るのだ。

 油断はできない。

 大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 剣を正眼に構え、すこしだけ傾かせ――――疾走する。

 得意の袈裟切り。速度も乗っている。武器も持っていない相手に、この剣戟は止められない。

 間合いを詰め、肩へと剣が吸い込まれる。

 殺った!

 そう確信したと同時に、シオンは地面に顔面から落ちていた。


「…………え?」


 間抜けな声を出したのは、何が起きたかまったく理解できていなかったからだ。

 どうして自分が地面に這いつくばっているのかも。

 どうして必殺の一撃が当たってないのかも。

 どうやって体を崩されたのかも。

 何一つ、シオンの理解の範疇にはなかった。

 遅れて顔を上げると、美女がこちらを見下していた。


「言い忘れていましたね。これはわたしにとってはゲームですけれど、あなた方にはそうではないのです。本気で、殺す気で、二人束になって、精々あがきなさい。そうでないと、死にますわよ、あなた方」



[11343] 十四話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:7273148e
Date: 2012/01/09 03:02
「はぁはぁ……」

「シオンちゃん、次、どうする?」

「ちょっと待って。今、考え中…………」


 相手が自分より強者の場合、戦い方は限られてくる。

 不意をつく。その一点以外にはない。

 ありえない方向からの攻撃。

 姿を隠しての奇襲。

 話術で動揺を誘う。

 ありとあらゆる方法を使って、相手を一瞬だけでも、こちらの場所まで引きずり下ろさなければならない。

 それでやっと同等。そこから先が本当の勝負になる。

 ならばこの相手にもそうするしかない。

 それがシオンの導きだした解だった。

 だがしかし。

 この相手には、まずそもそも不意というものが無いのではないか。ここにきて、シオンはそんなことを考え始めていた。

 考えうる全ての手段をためしたつもりだ。

 多方面からの二人同時の魔法攻撃。

 煙幕に乗じて、死角からの切り込み。

 時間をたっぷりかけて、自身最高の魔術を叩きこむ。

 しかし、何をしても、この相手には通用するどころか、効果さえないように見えた。


「ねえ、次はまだかしら。わたくし、退屈でそろそろ眠くなってきたのだけど」

「くっ!」


 眼前で欠伸する美女を睨みつけながら、シオンは歯噛みする。

 何もできない。これほど辛いことはない。

 シオンだって、今まで格上と闘ったことは何度もある。

 一番初めの相手は、死んだ彼女の父だった。

 いつも稽古をつけて貰っていた父は、強く憧れだった。

 立ち会うときは頭を使い、何としてでも父から一本取ってやろうと、躍起になっていた。

 それでも最後までシオンの剣は届かなかった。

 しかし。

 その父を相手でしたときですら、ここまでの圧倒的な無力感を覚えることがなかった。

 何故ならば、美女が何をしているかさえ、ほとんど分からないのだから。

 ただ気付いた時には、毎回地面を転がっている。

 その過程は、一切判明しない。

 隙が無いのではなく、隙が分からない。

 たちの悪い冗談に付き合わされているような気分だった。

 美女があそこから動けば――

 自分から攻撃を仕掛けようとすれば――

 シオンとミリアスはそれを認識する前に、胴体と首が別れているだろう。

 それ程までの実力差が、美女と二人の間にはあった。

 だがそれでも――


「ねえ、シオンちゃん……」

「ミリア! わたしの剣に合わせて氷系魔術。それから何でもいいから簡易魔術で援護をお願い」

「わ、分かった!」


 負けるわけにはいかない。

 復讐を決意した時から――

 金色の悪魔に挑むと決めた時から――

 シオン・ミスタリアの道はすでに“無謀”という二文字に絡め取られているのだから。










(はぁーよくやりますわね)


 レファルシー・クインツェッタは内心で感心していた。

 能力そのものではない。

 何度も立ち向かってくる根性にだ。

 ゲームを始めてから、二時間は経過した。

 その間――地面に転がされた回数はすでに数百に上る。

 肉体は痛めつけてないが、それ程までに叩きのめされたら、普通は心が折れる。

 しかし、この二人――確か、シオンとミリアスと言ったか――は、未だ向かって来ていた。

 その姿勢は称賛に値した。

 しかし、いくらやっても無駄には変わらない。

 シオンをもう一度地面に転がしながら、レファルシーはそう判断を下す。

 元々、最初から、これは彼女達に勝ち目のないゲームだったのだ。

 レファルシーにとってこれは完全なゲームだ。

 お遊びに過ぎない。

 出てきたばかりで万全には程遠いが、本来なら彼女はワイルドルーディー程度なら赤子の如く捻る力がある。

 いくら弱体化していようとも、シオンとミリアスが相手では、象と蟻ほどの戦力差があった。

 ゆえに、これは二人の能力と本気度合いを測ることが目的であり、その目的はすでに達成されたと言っていい。

 まあ、合格だ。

 未熟。戦力には程遠いが、才能はある。駒ぐらいにはなるだろうと言ったところか。

 ゆえにもういつ止めてもいいのだが――なんだか相手が必死過ぎて言い出せなかった。

 それに、もしかしたら、本当に頑張れば、一歩ぐらいは動かせられるかも知れない。

 という希望も少しあった。まず無理だろうが。

 ミリアスの魔術が飛んでくる。

 そこそこ威力のある、氷系の中級魔術。

 それをレファルシーは、手の平に魔力を少し込めて、相手に返す。


「跳ね返した!?」


 否。跳ね返したわけではない。

 ただ軌道を変えただけだ。

 跳ね返すというのは相手より強大な力を持って打ち返すことであり、レファルシーやったことは魔術構成の甘さに付け入り、軌道を修正して流したに過ぎない。

 一流魔術師相手にはそんなことは不可能だが、ミリアスのような三流にはこれで十分だった。

 まあ受ける本人にはそんな過程は関係ないだろう。

 爆発。

 ミリアスは必死に結界を構成して、なんとか凌ごうとする。

 それでも威力を殺せず、その場から吹き飛ばされた。ついでに近くにいたシオンまでもが巻き添えを喰らって派手に転がった。

 それを確認してから、レファルシーは時間切れを悟る。

 人除けの結界を張ってあるので、レファルシーとしてはいくらでもやっていていいのだが、そろそろシオンとミリアスが限界だった。

 肉体的にも、魔力的にも。

 これ以上やるならば、死んでも不思議じゃない。

 レファルシーとしてはいくらでも死んでもいいのだが、彼女の主人はそれを嫌がる。

 それは困る。

 ずっと口を聞いてくれないというのは寂しい。

 それに――まあ、一応、本当に一応だが、この二人は合格なのだ。

 殺してしまってはまずい。

 次に攻撃してきたら気絶させよう。

 そう決めて、二人を見遣る。

 ゆらゆらとした足取りは、非常に危うい。

 目の焦点もあっていない。

 すでに意識があるかどうかも定かじゃなかった。

 シオンは馬鹿正直と言ってもいいほど直線的にこちらへ走りだす。最早作戦会議という名の話し合いはない。

 ミリアスは両手をだらりと下げ、何かぶつぶつと口にしている。

 おそらく魔術詠唱。

 ここに来て最後の勝負に出たのだろう。

 しかし、彼女程度では――とレファルシーは一笑に付しかけて、目を見張った。

 こちらに襲いかかってきたのは氷と炎の魔術。

 どちらも規模は中級程度。

 しかし――多重詠唱だ。

 それについては、別段レファルシーにとって驚くことではない。

 彼女はその気になれば、上級魔術を三つでも四つでも多重詠唱できる。

 魔力コントロールという点に至ってはさらに上を行く自分の主人――フジシロ・ミキヤならば、おそらく五つでも六つでもなんなくこなすだろう。

 そう、彼女の中でそれは常識だった。

 しかし――普通の人間はそうでない。

 多重詠唱とはすなわち、一人の言葉を聞きながら、別の人にまったく違った返事をするようなものだ。

 かなりの難度が必要とされる。

 才能が無ければ、まず一生できない。

 今まで使ってなかったことを鑑みるに、ミリアスも使えなかったのだろう。

 しかしこの場面。この土壇場において、それを可能とした。

 ゆえにレファルシーの反応が遅れた。

 ミリアスが最初からそれを使ったのならば、問題なかっただろう。

 完全に頭から抜け落ちていたために、対応がほんの一瞬――時間にして一秒にも満たない間、いつもより遅れた。

 そしてシオンが眼前に迫っていた。

 しかしそれを持ってしても不十分。

 この距離ならレファルシーにとってシオンの剣戟をいなすことは、ワルツを踊るのと同じくらい容易。

 手加減で気絶をさせるくらいの余裕もある。

 そうして、彼女はシオンの剣の軌道を確認し、顔を見遣り、口が動いていることに気付いた。


 ――――ミキヤなら、きっとこうやる。


 剣が――ぶれる。

 確かにあったはずの軌道から、消失する。

 次の瞬間には、無防備な右足へと移っていた。

 手品のタネは分かっている。

 月歩。フジシロ・ミキヤが得意とする、暗殺歩行術。炎魔術により、一時的な陽炎を生み出す技。

 ミキヤに異様な執着を見せるシオンだ。前から練習していだのろう。

 ミキヤのそれと比べると、まだまだ遠く及ばない。

 洗練度合いは、比べようもない。

 しかし――あり得ない。

 シオンがこの技を見たのは、ワイルド・ルーディ―戦の一度きり。

 しかも遠目。

 それだけでこの技の本質を理解し、技と呼べるまでに昇華させたのだ。

 常識外。

 数多の時を生きてきたレファルシーを持ってしても、これはそう呼んでもいい代物だった。

 初めて、レファルシーの中で焦りが生まれる。

 無数の選択が渦巻く。

 そして――










「身体、痛い……」


 シオンが目覚めると、身体中から激痛が奔った。

 それでも我慢して何とか立ちあがる。

 隣でミリアスはまだ寝ていた。修練場は隕石が落ちた後のようだ。

 あちこちにクレーターがあり、壁もいくつか罅が入っている。際限なく暴れた結果だった。

 しかし、肝心の美女の姿は無かった。


「ああ、わたし負けたのか……」


 言葉に出して実感すると、悲しみが込み上げてきた。

 何も、何もできなかった。

 あれだけの条件で、あいつに触れることさえ敵わなかった。

 せっかくのチャンスを、ものにすることができなかった。

 自分は無力だと、思い知らされた。


「ごめんなさい、父様。シオンは何もできませんでした。あいつを倒すと墓前で誓ったのに、なに一つ――」

「泣きなさんな。気持ち悪い」

「なっ!?」


 振り向いた先に、美女がいた。

 漆黒のドレスに身を包み、相変わらず人を見下したような笑みを浮かべている。


「女はね、泣くと価値が下がりますのよ。いつでも優雅にいなさい」

「う、うるさい! いきなり現れないでよ!」

「あら、ずっとここにいましたのに。心外ですわ」

「くっ……まあ、いいや。それで、どうだったの?」

「どうだったの、とは?」

「ゲームよ! わたし達は勝ったの? それとも負けたの?」

「覚えてなさらないの?」

「だって途中から意識なかったし」


 クスリ、と美女がほほ笑む。

 性格の悪さを知っていても、シオンは一瞬その笑み見惚れそうになった。


「あなた方の負けですわよ。負け。最後までわたくしを動かすことは敵いませんでした」

「やっぱり……」

「でも、テストには合格ですわ」

「…………はっ?」


 あの時、レファルシーは確かに動くことはなかった。

 最後の最後で、魔力を纏った右手で剣を受け止めた。

 しかしそれは――初めて彼女が行った防御の動作だった。

 シオンとミリアスの執念が、それを行わせた。

 だが、レファルシーがそれを言うつもりはない。

 理由は色々あるが、根本的にはむかつくためとかなんだか腹が立つためなどという彼女の心情的な問題だ。


「じゃ、じゃあ!」

「ええ、認めてあげましょう。あなた方がミキヤを手に入れる可能性があることを。だから…………わたくしが遊んであげますわ」


 まだこれ以上遊びたいのかと、シオンは絶望した。



[11343] 十五話
Name: チー太郎◆ada7dfa9 ID:7273148e
Date: 2012/01/30 21:49
 藤代幹也はいくつの要因が重なってある意味有名人である。

 まず一つに、彼が一切迷宮に潜らない。

 これは割と普通のことだ。

 たとえば親に無理やり入れられたもの。

 探索者という職業は一攫千金職であり、成功すれば莫大な富を得る。それを狙って親が子を無理に学園へ入学させるというのは、それなりに聞く話だ。

 たとえば、怖くなったもの。

 最初はひと旗挙げようと学園に入ったが、授業で話を聞くうちに恐ろしくなり、逃げ出す。これは何も情けない話ではない。探索者が引退するまで生きられる確率は、半分を切る。まともな神経を持つ者ならば、さっさと逃げ出すべきなのだ。

 例に上げられたような人物は、ご都合漏れず、すぐに退学をする。

 意味が無いからだ。

 クラリース学園の授業は、探索者として生きていく為のものだ。

 一般教養もあるにはあるが、それは微々たるものでしかない。親に教えて貰ったほうがまだマシというレベルだ。

 だがしかし。

 新学期が始まって半年がたつのに、藤代幹也はまだ学園に在籍している。

 そこで初めて、“なんでここにいるのお前?”という奇異の視線が向けられた。

 しかし実を言うと、これはそこまで珍しい話ではない。

 数年に何人か、少なくではあるがそういった例はある。

 踏ん切りがつかないとか、親が許さないとか、個々の理由は様々だが、確かにある。

 ここまでならばよかった。

 問題はここからだ。

 ウィズルム地方では、滅多に見かけない黒髪。

 これだけで、かなり目立つ。黒髪は学園内において、一割にも満たない。そして残念なことに、彼の見た目は悪くなかった。

 年齢にしては落ち着いた端正な顔立ち。

 垂直に伸びた背筋。

 絶世とまではいかないが普通以上だった。

 そしてもっと残念なことに、彼の持つ雰囲気は落ちこぼれにはあまりに不釣り合いだった。

 大概において、学園をすぐに辞めていくいわゆる落ちこぼれは冴えない。

 おどおどしていたり、必要以上にネガティブだったりする。

 その点、藤代幹也は違った。

 鋭い双眸。洗練されたまでの立ち振る舞い。

 どこか人を寄せ付けない、一流が持つような空気があった。

 だからこそ注目された。

 迷宮に潜らないくせに、何故か堂々としているから。

 さらに彼は探索者という面を除いては優秀だった。

 出ている講義はほとんど一番。満点も苦もなく取得する。

 学内学力順位では、本人は知らないが毎回トップだったりした。

 迷宮に潜らないのに。

 以上の点が重なって――実は後一つあるが――学園変人ランキングに名を連ねることになってしまった。

 そしてその藤代幹也は、不名誉を挽回しよというわけではないが珍しく迷宮に潜っていた。

 しかし、一人で。

 迷宮に一人で行くことは自殺行為だ。

 という名言があるぐらい、探索者は一人で迷宮に潜ることを嫌う。

 死ぬからだ。

 探索者が死ぬ理由にもっとも多いのは、油断していたところを一撃で殺されることだ。

 英雄みたいに雄々しく闘って――なんてカッコいい死に方は、ほとんどない。

 大概は、寝ていたら殺された。後ろから斬られた。

 などという情けないものが多い。

 だからこそ、探索者はパーティーを組み、全方位に気を配れるようにする。

 それが正しい方法。それ以外にない方法。

 一人の人間が、四六時中気を張っているなんて無理なのだから。

 なら、何故幹也が一人で迷宮に潜っているかというと――それが出来るから。

 たとえ背後から近づかれようと、寝ているときに襲われようと、彼は気付く。そういう風に身体ができている。

 幹也が生きてきた環境がそうさせた。


(やっぱり、少し身体が軽い……)


 イエローラビットの突進を、幹也はぎりぎりで回避する。

 誰かが見ていたならば、それを危険な行動と判断するかもしれない。

 速さに身体がついていってないかと思うかもしれない。

 しかし、違う。

 これは紙一重でなければならない。

 幹也には才能がない。

 なくなった。

 昔はあったのだ。五年前までは。

 無茶をしたせいで、根こそぎ持って行かれた。

 現在幹也の身体は、本来ならばまともに魔物と闘うことすら叶わない。

 だがそんなことは関係なかった。

 金色の悪魔を倒すために、闘わなければならなかった。

 幹也は、闘うための術を模索した。

 鉛のように重い身体でもやり合えるように、紙一重で躱せるようにした。

 水たまりのように干からびてしまう魔力でも可能な必殺の技を研究した。

 それがまともに使用できるまでに、約三年かかった。

 そうして、今の藤代幹也は成り立っている。

 イエローラビットの魔物としての危険度は、Cランクだ。

 強いというには語弊があるが、低ランクの探索者にとっては十分脅威になりうる。

 ――つまり幹也にとっては実験に持ってこいだ。

 背後からの鋭利な角を、髪の毛一本だけ掠らせる。

 振り下ろされた爪を、制服に傷がつかないように当てる。

 どれもこれも数ミリずれたら致命傷になりかねない。

 そんなことを幹也は涼しい顔でやってのける。


「ギィ!」


 しびれを切らしたのか、イエローラビットはウサギっぽくない鳴き声で、角に魔力を集中させ始めた。

 魔物中では割と小柄なイエローラビットが何故Cランクに位置づけされているかというと、これがあるからだ。

 魔力を一点に集中させての、全力突撃。

 普通の人間は、これがかすっただけで即致命傷になる。

 多少丈夫な鎧ぐらいならば、防具として機能さえしない。

 それを確認して、幹也は構えていた剣を下ろす。


(今なら出来るか……)


 ゆらりと、地面すれすれで足を移動させる、

 全身の力を脱力させ、廃人のような頼りない姿勢。

 幹也の得意技、月歩。

 しかし、今日いつもと少し違う。

 幹也が消える。

 否、瞳に映らなくなった。

 ぶれたのではなく――完全に映らない。

 そして、すぐに現れた。

 ただし、二人になって。

 今まさに突撃しようとしていたイエローラビットが、たたらを踏む。

 左右を見比べるため首を振ろうとして――その首が宙に飛んだ。


「残念、実体は後ろだよ」


 イエローラビットが倒れるのを確認して、幹也は持ってきていた学園支給ショートソードを鞘にしまう。

 月歩とは、ただ剣をぶれさす技――ではない。

 そもそも剣をぶれさすだけならば幻惑系統の魔術を使えばいい。

 しかしそれだと、強者相手には通用しない。

 確実に見破られる。

 しかも、幻惑系統の魔術は見た目の地味さに反して魔力をかなり持っていかれる。

 割に合わないのだ。特に一般人よりはるかに魔力が少ない幹也にとって。

 その点、月歩は極めれば多様な応用性がきく。

 しかも原理が複雑ゆえ、見破られにくい。

 問題点を上げるならば、幻惑系統の魔術よりも、はるかに習得が難しいことだろうか。

 この技を極めるということは、奥義を得たようなものだ。

 その道は想像よりも遥かに過酷。

 幹也は月歩を極めている。

 極めているが――今は使えない。

 動きも、魔術の使い方も理解しているが――身体がついていかない。

 運動能力という観点からして、そこに行きつくことができないのだ、

 だが、それでも――

 幹也は掌を眺める。

 ――近づいている。

 さっきの月歩も、本来の姿には程遠い。

 今のままでは、金色の悪魔を倒すことは不可能だ。

 前に立つことさえ赦されない。

 しかし、近づいている。

 ほんの少しだけ。何千、何万と離れた距離の一歩だけだが、前進している。

 それが分かったことは、幹也にとって大きなことだった。


(俺は、まだ強くなれる……)


 永遠に失われたままだと思えた力が、僅かだが戻ってきた。

 まだまだ自分は強くなれる。

 幹也は足を踏み出す。

 この先に勝利があると信じて。


「うりゃー! 九千百二十四回切りぃぃ!!」


 シリアスな空気を台無しにする声が迷宮内に響き渡った。










 修練場にて、シオンとミリアスは何故か正座させられていた。

 レファルシー・クィンツェッタと名乗った幹也の使いがそうしろと言うからだ。

 というのも――


「それでは、わたくしがあなた方に素晴らしい話を聞かせて進ぜましょう。ん? どうしてそんな風に突っ立っているのです。わたくしが話すのです。当然、あなた方は正座でしょう」


 ということらしい。

 そう言われると、二人としては正座するに他ない。

 何しろあれだけ実力差を見せつけられたのだ。

 逆らう、という選択肢はなかった。

 幸いにして、荒地と化していた修練場も、今は元通りだ。木片が突き刺さったりする心配はない。

 これもまたレファルシーが指を鳴らすだけでみるみる直ったのだが、二人はもう驚いたりしなかった。

 驚いたら負けのような気がした。


「さて、それではまず先ほどのゲームの感想ですけれど、あなた方、びっくりするほど弱いですわね」

「ぐっ!」


 この言葉に分かりやすい反応を見せたのはシオンだった。

 俯いたままわなわなと拳振るわせる。

 弱いことは知っている。先ほど、嫌と言うほど思い知らされた。同年代の中では強者だと思っていた自尊心も、こなごなに砕け散った。

 しかし、この女に言われると腹が立つ。

 その顔面を一発殴りたい。

 だが、それはやろうとして無理だった。

 シオンは必至に自制心を働かせる。


「もう、本当に、ウジ虫のような弱さですわ。ああ、それだとウジ虫に失礼ですわね。まだあれらの方が、価値がありますわね。しかし、それだと何にたとえましょうかしら。ああ、底辺過ぎて、たとえるものがありませんわ」

「ぐぐっ!」

「シオンちゃん、落ち着いて。お願いだから。今キレたら、わたしたち死ぬから。一瞬で」

「…………と、まあこんなどうでもいい話は今は置いといて、本題に入りましょうか」

「さっさと入りなさいよ!」


 シオンの怒声に、レファルシーは口に手を当ててほほ笑む。


「いえ、あなた方がわたくしにとって、ウジ虫と大差ないのは本当のことよ。それは理解できて」

「あ、はい」


 何となく口調の変わったレファルシーに、二人は呆気に取られ素直に返事してしまう。


「結構。それで、ここからが本題なのだけれど、あなた方は幹也に何を求め、何をしたいのかしら」

「それは……その、強さの秘訣とか教えて貰って、色々と稽古つけて貰って、それで、一緒に迷宮に潜って…………」

「それならば、別に幹也でなくても構わないでしょう。あなた方ならば、自分より強い者に師を仰ぐことも、それほど苦ではないでしょう」

「それは……まあ、ちょっと有名所のギルドに入れば、わたしより強い人達はいるけど……幹也はなんか別格というか、ねえミリア」

「う、うん。なんか普通と違う気がするよね」

「つまり、本能で選んだと。なかなか人間の勘というのも侮れないものですわね」


 レファルシーは含み笑いを漏らした後、押し黙った。

 二人は沈黙に耐える。

 それから数十秒して、レファルシーはやっと口を開いた。


「シオン」

「は、はい!」


 シオンは思わず背筋を伸ばした。

 初めて名前を呼ばれたからでも、唐突のことに驚いたからでもない。

 レファルシーの目がいつになく真剣身を帯びていたからだ。


「あなた、金色の悪魔を倒したいのよね?」

「な、なんで――」

「なんでそれを? などというつまらない返事はなしでお願いしますわ。はいかいいえで答えなさい」

「そうだけど……」

「ミリアスも、それでよろしくて?」

「あ、はい。そうです」

「ふぅー……」


 レファルシーは大きくため息をつく。


「あなた方、それがどういうことか分かっていらして?」

「分かってるわよ! あいつが強大なことぐらい」

「わたしも、どれくらい無茶かは承知しているつもりです」


 金色の悪魔。

 それが確認されたのは、死の三日間と呼ばれる事件の一度きり。

 だがそれだけで、多くの人々の心の中に、恐怖の文字を刻みこんだ・

 奴が通ったあとは何も残らない。

 そんな風にさえ呼ばれている。

 シオンもミリアスもその力は十分理解している。

 理解しているつもりだった。


「いいえ。分かっていませんわ」


 レファルシーは断言する。


「あなた方は、何一つ理解していませんわ。あれがどういう存在で、どういった使命を持つのかも。何故ならあなた方は、この世界の真理をまったく知らないのだから」


 二人には、レファルシーの言いたいことが分からなかった。

 ただ、彼女のいっていることがただ脅すだけの嘘でないことは、感じとれていた。


「じゃあ、レファルシーさんは、分かっているというの?」


 おずおず、ミリアスが質問する。


「ええ。何せ、一度やり合っていますしね」

「…………は?」

「幹也にいたっては二度ね」

「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうことよ、それ」

「だから、そういうことですわ。わたくしと幹也は、あいつについてはおよそ誰よりも、知っていますの」


 シオンとミリアスは、何も言うことはできなかった。

 幹也が凄いことは知っていた。

 レファルシーがとんでもない奴だということも、分かっていた。

 だけど、それはあくまで自分たちから見ての主観に過ぎなかった。

 これより凄い人はまだ沢山いるんだと、勝手に思っていた。

 金色の悪魔を倒す、などと言っている自分たちの場違いさが恥ずかしかった。

 幹也とレファルシーは、金色の悪魔と向き合ってまだ生きている。

 僅か三日間で数万人を大量虐殺した悪魔から。

 つまり現実を持って金色の悪魔を倒す可能性のある人間なのだ。


「少しは現状を理解出来たかしら。幹也について行けば、金色の悪魔とめぐり合う可能性はぐっと高くなる。ですが、あなた方は未だスタートラインにすら立ててないのよ」

「……じゃあ、どうすればいいのよ。わたしは、あいつにお父様を殺された。ミリアだって、兄さんを殺された。絶対に敵を取りたいの。今更、何も知らないからって後には引けないのよ!」

「そう、ではゲームをしましょう」

「また、ゲーム、ですか」


 ミリアスが訝しげに眉をひそめる。


「ええ、ゲームですわ。この時代――迷宮時代の、真実を知りなさい。あなた方がそれを知っても、まだ先に進めるのか、その覚悟を見さしていただきますわ」


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