「……イシュラさ~ん?交代しますよ~?」
どこか間の抜けた声がした。
眠たげに目をこすりながらルドクが起きてくる。
「あれ?……なんでシェスさまが起きてるんですか?」
ルドクはそこにシェスティリエがいることに気づき、疑問を覚えた。少なくとも、彼が眠るまでは、馬車の奥のほうでイリとアルフィナに挟まれて眠っていたはずだった。
シェスティリエはそれには答えずに深々と溜息をつく。
「まのわるいにんげんというのはいるものだな」
「そうですねぇ」
気の合う主従は顔を見合わせ、シェスティリエは溜息をつき、イシュラは苦笑する。
「……えっと……」
ルドクは頬を引き攣らせる。どうやら、自分は何かやらかしてしまったらしい。
「いや、別に何もしてねーから。まあ、起きてきたことが間違いなんだけどな」
「イシュラさん?」
「……イシュラ、くるぞ」
バラバラと目の前に走り出たのは、黒装束の男たちだった。
「えっ、え?」
面布で顔を覆っている人間の集団が怪しくないわけがない。
そして、それが何者であるかは知らなかったが、手にある刃をみれば襲撃者であることは寝起きのルドクにとっても一目瞭然だった。
「ルドク、わたしのうしろにいるがよい」
私の後ろは安全圏だ、とシェスティリエは静かに言った。
「はい。シェスさま」
「ねていればよかったのに」
「……すいません」
ルドクは、言われるままにシェスティリエの後ろに隠れた。傍目から見れば、10歳にもならないだろう幼い女の子の背に隠れるという言語道断の弱虫だが、実際にはシェスティリエは圧倒的に強者に分類するのが正しい。
(なんで誰も起きてこないんだろう)
事ここにいたっても、イリとアルフィナは眠っている。
二人だけではない。この異様な状態を周囲は誰一人として騒ぎたてない。それどころか気づいてすらいないようだ。
「……ねむりぐさをつかったようだな」
まるで心の中を読んだかのようにシェスティリエがルドクの疑問に答えた。
「え、え……あの、僕、声に出してました?」
「おまえはわかりやすい。かおをみれば、だいたいわかる」
ルドクは溜息をつく。それなりに鍛えられたと思ってたのだが、内心が顔に出ているようではまだまだだ。自分が一人前になるには、更に多くのものが必要らしい。
「……ねむりぐさってなんですか?」
「ねむりをさそうせいぶんのあるくさだ。おおかた、どこかのたきびにでもつっこんだんだろう」
あれはその成分を嗅いだだけでも効き目があるからな、とシェスティリエは言う。
「じゃあ、僕はなぜ……」
「あまりそのせいぶんをすわなかったか、あるいは、わたしのようにききにくいか……」
「……効きにくい?」
「たいしつもあるし、まりょくのつよいにんげんは、そういうものにえいきょうされにくい」
「便利ですね」
「そうでもないぞ。……ちりょうのためのくすりもききにくいからな」
「え?」
口元にうっすら浮かんだ笑みにルドクはそれ以上の言葉を失った。それはとんでもないことのように思えたし、何と言っていいかわからなかった。
だが、シェスティリエはルドクの様子をそれほど気に留めることなく、口の中で幾つかの単語を唱える。
その白く小さな手の上に見慣れない光がともった。
(赤い光は何度も見たけれど……)
赤は風呂をつくるときによく使っていた火の玉を作り出す術だ。だとするならば、今その手に灯る青白い光は何を作り出そうとしているのだろう、と単純に疑問を覚える。
シェスティリエは、その光灯す手を空へと伸ばす。
すると、空を金色の光が走った。
「……光?」
「いかづちだ」
ぐうっとか、ぎゃっとかというくぐもった悲鳴がそこここであがる。
刃を手に距離を縮めてきていた襲撃者が、前触れもなく突然地面に崩れた。
シェスティリエは、それを何の感情も含まぬ眼差しで見下ろしている。
「……12,3にんというところか……イシュラ」
応えはない。
既にその姿は残る襲撃者たちの集団の中に在る。
イシュラさえ討てば、シェスティリエやルドクはどうとでもなると思ったのだろう。仲間が突然地に倒れ伏した動揺を押し殺し、襲撃者たちは唯一人剣を持つイシュラを押し包むように取り囲んでいる。
「シェスさま、イシュラさんが……」
「だいじょうぶだ。あんずるほどのてきではない」
「はい」
その確かな言葉に、ルドクはうなづく。
革鎧すらつけぬその身にまとうのは青白い光。
イシュラは周囲を見回し、そしてふっと笑った。
襲撃者たちが、息を呑む。
それは強者の余裕のようであり、彼らを嘲るもののように思えた。
「名乗れとまでは言わねえが、顔も晒せない臆病者どもが相手ってのもつまんねえな」
「なっ」
「その上、あの世間知らずのお嬢ちゃん一人にこの人数とは」
「貴様っ、われらを愚弄するか」
「愚弄も何も、事実だろ」
イシュラの表情が、冷ややかな色を帯びる。
それはほんのわずかな変貌のように見えた。
「たかが亭主の隠し子一人、無視してりゃあいいんだよ。なのに、余計な手を出すからこういうことになる」
その声が、いつもより低く響いたのを彼らは知らなかった。
一瞬の後、イシュラの姿は襲撃者達の間に在った。
囲まれていたはずのイシュラは、男達の間を縫うように走り、剣を抜き放つ。
それが目には見えぬ力を生んだ。
剣を抜く。ただそれだけの動作で、三人が吹き飛んでゆく。
「……出鱈目だろ、これ」
イシュラは思わずつぶやいた。
だが、それがシェスティリエの言っていた『絶対守護』とやらの影響によるものなのだと、イシュラは疑っていなかった。
彼に魔法や魔術を使う技術はまったくない。だとすれば、これは先ほどシェスティリエが彼に与えたものに他ならない。
(なあ姫さん、守護じゃなくて攻撃の間違いじゃねえの?)
まあ多少の違いあれど、主が彼の為にしてくれたことにケチをつける気はまったくない。
それでイシュラが困ることなど何一つないのだ。
ゆえに、イシュラの結論はあっさりとしていた。
「ま、こまけえことは、どうでもいいや」
抜き放った剣を右手で持ち直す。
「行くぜ」
死神と呼ばれた男が、不敵に嘲った。
視界の端を吹き飛ばされていく人間がいる。
「今のは?」
「……ぜったいしゅごのこうかだ」
シェスティリエは、内心の本音を押し殺して、たいして気にしていない風を装って答えた。
(……しかし、こういう作用があるとは知らなかったぞ)
『絶対守護』を他者にかけたことは何度もある。
だが、真の意味での『絶対守護』……『剣の誓約』を伴った相手にかけたのは、実のところ、彼女も初めてだった。
「守護、ですか?」
守護という言葉の意味を考えたルドクは首をひねる。
「……そうだ。しんたいのうりょくをあげ、まじゅつてきなけっかいをそのみにあたえる」
「それだけですか?」
「……ぶきに、まりょくをふよするようだな」
(『誓約』した相手に『絶対守護』を使うと、武器に魔力が付与される……これは、帝国における守護騎士契約に似ている。こんな場合じゃなければもっといろいろ確認したいのだが……)
「マリョクヲフヨ?」
「イシュラのもつのはただのつるぎだが、まりょくがふよされているから、ああいうことになる」
まるでバターを切るかのように、イシュラの剣が敵の胴をずぷりと薙いだ。
相手の男は何をされたかわからず、そしてその後、自身の腰のあたりから生える刃を見、そこから上半身と下半身がずれたことで絶叫した。
「イシュラさんの腕もありますよね?」
「もちろんだ。……イシュラは、けんぎにてんよのさいをもつようだ」
「テンヨノサイ?」
天が与えた才能ということだ、とシェスティリエはそのままの説明をした。
魔力付与の武具というのは強力な力を発揮する反面、扱いが難しい。ちょっと加減を間違えれば自分も巻き込まれる。
だが、イシュラはまったく危なげがなかった。
襲撃者たちがシェスティリエに近づこうとするのを牽制しながらも、おもしろそうにいろいろ試している節がある。
(あれは、戦場に在る為に生まれてきた男なのだな)
そういう人間をシェスティリエは他にも知っていた。戦場の狂気に晒され続け、どこか壊れているような人間が多かったように思う。
だが、イシュラはそういったところがあまり見られない。……己の騎士に対する贔屓目だからなのかもしれないが。
時折、風に乗って肉の焦げた臭いがしてくる。
そんなことが気になるのは、余裕があるせいだろう。気をひきしめなければと思いながらも、シェスティリエは軽く眉根をひそめる。
(雷撃は失敗だったな……)
シェスティリエは、この臭いが嫌いだった。
あの城砦の陥落を思い出すし、それ以前に、これまで見てきた戦場の……最も嫌な記憶を思い出すからだ。
だから焦がさないようにわざわざ火球ではなく雷撃にしたのに、威力が強すぎたせいで結果としてはあまり変わらなかった。
記憶にひきずられぬよう、目の前のイシュラの姿を凝視する。
「……いきいきとしているな」
「ほんと、そうですね」
「まあ、せんじょうにあってこそのしにがみだからな」
「死神、ですか?随分と物騒ですね」
「イシュラのあだなだ。『ひだりのしにがみ』。……『みぎのきじん』とならぶ、ていこくのそうへきだ」
かつてのイシュラは、『右の鬼人』と呼ばれるオズワルド=クレッティアと並ぶ帝国の西の守りだった。
帝国の双璧と呼ばれ、彼ら二人が揃っている限り、西から帝国を侵すのは不可能だろうとまで言われていた。
ラシュガークが陥落する一年以上前に、オズワルドはイシュラの代わりに王都に召喚されて近衛に属している。個人の勇に国境が左右されるとまでは思わないが、実際問題として、彼の不在があの戦の時に大きく戦況を左右するものであったことは確かだった。
「なぜ、ひだりなんです?」
「ききてが、ひだりだからだ」
「……右手で持ってますけど?」
「ききてのひだりでは、やりすぎになるからだろう」
剣が見えない刃を生み、剣の届かぬ場所の敵を切り刻む。
イシュラはあっという間にその武器での闘い方を覚えてしまったらしい。
相手は正規の軍人であるとイシュラは言っていたが、山賊を相手にしているのとたいして違うようには思えない。
「すごいんですね。シェスさまの魔法」
「……ちょっとこうかがありすぎたがな」
さりげない風に言ったが、実際のところ、シェスティリエは心底、その効果に驚いていたのだ。
魔力を貯めたとはいえ幼い子供の身体で行使する程度のもの。しかも、かつてのように世界はマナに満ちているわけではない。
で、あるからして、それほどの威力はなかろうと思っていたのに、これはどうも計算違いすぎた。
(そのうち、大きな術も少し確かめておかねばならないな……)
魔力板を使えば使える術もそうだし、神聖言語であった場合の効果の違いも実験しなければならないだろう。
シェスティリエがそんなことを考えていると、ちらりとルドクが馬車の方に視線をやる。
「どうした?」
イリとアルフィナが目覚めた気配はしなかった。
この一帯は、まだ薬草による眠りに支配されている。
「いえ……その……」
ルドクは首を横に振り、だが、思い直したように口を開いた。
「……あの、アルフィナさんは知るべきじゃないでしょうか?これが彼女ゆえにおきていることを」
今、この瞬間にも、彼らは危険に晒されている。
イシュラがいなければ、こんな風に見ていることなどできやしない。
「……おこすのがめんどうだ」
シェスティリエが口に出したのはそんな言葉だった。
けれど、そればかりではないのだとルドクは知っていた。
「シェスさまはお優しいのですね」
「べつにやさしいわけじゃない……ほんとうにめんどうなのだ。くすりをつかってわざわざおこしてもやくにはたたぬし、なにをしでかすかわからないからじゃまだし」
知るべきだとは思うが、目覚めさせておいて何か突拍子もないことをはじめられてもこまる、とシェスティリエはつぶやくように言う。
「突拍子もないこと?」
「ころさないでくださいとかいって、てきをかばおうとされたりしたらめもあてられない」
「……そんなこと……」
「ないとはいえない。……あいてはアルフィナではないが、けいけんしたことがある」
「……そうですか」
「アルフィナがあのものとおなじであるとはおもわない。だが、にたようなこうどうをとりそうでこわい」
「……まあ、確かに」
「イシュラによけいなてまをかけさせたくはないのだ」
二人の視線の先、イシュラと対峙する襲撃者の影は、もうたった一つしか残っていなかった。
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2010.11.15 初出
どこで切っていいかわからなくてこんな感じに。
皇子の数は間違いです。直します。教えてくださってありがとうございます。