prologue
BETA。正式名称を「Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race」即ち、「人類に敵対的な地球外起源種」。
一般に知られるだけで60メートルを超える大型種から2メートル程度の小型種までの8種類のまったく異なる異形生命体――実際には生命体ですらないのだが――の集団の総称である。
1958年 火星探査船「ヴァイキング一号」から送られてきた画像にてその存在が確認され、その9年後の1967年に月面基地にて駐留部隊が同種の生命体と接触・交戦した。
この時、月面基地には総勢約1万人の軍事関係者や研究者がいたのだが、BETAと接触した後、月面から地球に帰還したのはわずか20名にも満たなかった。
「月は地獄だ」
その中の1名、月面基地指令が残したその言葉は世界に衝撃を与え、この「サクロボスコ事件」にて、有史以来初めてとなる地球外生命体との戦争が始まったのである。
更に後の1973年にBETAはついに地球へ到達。中国ウイグル自治区カシュガルにユニットが落着し、そこから出現したBETAが欧州目指して西進を開始。
連中はまさに化物であり、未知の生命だった。
圧倒的な物量の前に地上部隊は瓦解。最初は効果を発揮していた航空機も、落着から2週間後に出現したBETAの2種「重光線級」「光線級」が放つ高出力レーザーの前に尽く爆砕した。
制空権はあまりにも無力だったのである。
レーザー属と総称されるその2種のBETAは火力もさることながら、あまりに精密過ぎる対空迎撃能力を持っていた。全高2メートルの光線級は、約380キロ離れた高度1万メートルで飛ぶ飛翔体を的確に捕捉し、30キロ圏内への侵入を許さない。
それ以上に人類を慄かせたのは全高20メートルの重光線級である。この重光線級は500メートルの超低空飛行を行う航空機ですら、約100キロ手前即ち地球の丸みから頭を覗かせた瞬間に撃ち落とす。
当然ながら、巡航ミサイルやロケットといった長距離飛行兵器もその迎撃対象に漏れない。
つまり、実質的に人類は“一切の飛行能力を持たない”BETAによって完全に制空権を掌握されてしまったのである。
この航空機の無力化によって開発されたのが、地表での立体戦術と即応性を追求された人型兵器…戦術歩行戦闘機だ。
1976年に米国が開発した世界初の戦術機F-4「ファントム」は一応、それ相応の成果をもたらした。
何故それ相応だったのかというと、それを投入しても尚、BETAの侵攻を抑えることが出来なかったためである。
しかし、それまで満足にBETAと戦うことすら叶わなかった人類において、戦場でBETAと対峙出来るようになったことは確かに飛躍的進歩だった。
そんな戦いが約30年。
戦線は押されに押され、1998年のBETA日本北九州上陸の時にはユーラシア大陸は完全にBETAによって制圧され、BETAにとって「基地」に当たるようなハイヴという構造物は20個にも増えていた。
当時、世界人口は約20億人であり、かつては100億を超えると危惧されていた人類は加速度的に滅亡への道を歩き始めていたのである。
その命運が変わったのは2002年1月1日の桜花作戦。
これは極東国連軍の機密部隊と、それを助力する帝国陸軍部隊及び斯衛軍部隊がカシュガルのオリジナルハイヴに突入し、最深部の「コア」を破壊することを目的とした大反攻作戦であった。
前線各国が陽動のため外円部のハイヴに総攻撃を仕掛け、国連軍及び米軍のほぼすべての軌道降下兵力が軌道上から一気にオリジナルハイヴ目掛けて軌道降下を仕掛けるというものであり、この作戦に参加しなかった主要勢力は存在しない。
その結果、突入部隊はオリジナルハイヴ最深部の「コア」の破壊に成功し、BETAの指揮系統を完全に破壊したのであった。
世界は今、新しい時代を迎えようとしている。
2005年2月1日 日本 富士山麓極東国連軍衛士教導訓練校。
帝国軍富士教導部隊を内包する帝国軍富士山麓基地に隣接するこの基地は桜花作戦以後に建設され、わずか3年間で優秀な衛士を1000人以上送り出した名門。多くの主要基地が訓練校を廃止した現状、この国連軍富士衛士訓練校はまさに国連軍衛士への登竜門なのだ。
その訓練校のグラウンド。ちょうど講堂から出てすぐのところに、ざっと30名近くの訓練兵制服に身を包んだ国連軍衛士が隊列を組んで並んでいた。皆一様に神妙な面持ちで前に立つ1人の青年を見つめている。
30名の衛士と向かい合うように直立する青年。長過ぎも短過ぎもしないその清潔感のある黒髪と、凛とした黒い瞳の青年。決してがっしりとしているわけではないその身体はその実、限界まで引き締められた屈強な肉体だ。
その表情は真剣そのもの。
青年の名は白銀武。最高階級が少尉でしかなく、“衛士としては抜きん出た戦果を持たない”若き訓練兵教官だ。
武は一度30名の教え子であった衛士を見回し、徐に敬礼をした。
「任官、おめでとうございます! 少尉の皆様の武運長久をお祈りしております!」
今まで鬼軍曹で通ってきた白銀武も、彼らが任官し、少尉となった今ではしがない下士官だ。それがたとえヒヨッコでも、年下でも上官には敬意を示さなければならない。それが軍というところなのである。
「軍曹の尽力に感謝する! 敬礼!」
30名の新任少尉の中から、部隊長を務めていた少年が代表して総意を述べる。中には涙を浮かべている者もいた。それを見ると、武も自分が任官した時のことを思い出して懐かしくなってしまう。
「少尉、私は一教官として責務をまっとうしただけであります。そのような御言葉を頂くのは身に過ぎる想いであります」
少年が敬礼を解いたのを確認してから武も姿勢を崩し、下士官として答えた。
「ですが…!」
何か言いたそうな少年の言葉はしっかりとした声にはならなかった。言いたいことが出ないのではない。言いたいことが溢れ過ぎて自分自身で整理がつけられないのだ。少年の瞳は潤み始め、やがてそこから雫が流れる。
「………ありがとうございます、少尉。もう結構です。私は言葉以上のものを頂きました。もしそれでも納得出来ないと仰るならば、どうか配属先で私の言葉を少しでも多く思い出して頂ければ幸いであります」
ふっと微笑み、武は“先任”としてそう告げる。頷くことしか出来ない少年は顔を上げ、涙を拭った。
「209衛士訓練部隊………解散っ!」
「うおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
少年のその言葉に、誰もが咆えるように歓喜の怒号を上げ、訓練兵支給の白帽を一斉に宙へ放った。
ただただ涙を流す者。
共に切磋琢磨した戦友と肩を組み合う者。
決意に満ちた表情でゆっくりとグラウンドをあとにする者。
何度送り出しても、新鮮な光景だと武は思う。衛士たちの歓喜の表現は人それぞれ。しかし、その喜びは皆が共有した苦節から来るものだ。
武が彼らにしてやれることは最早ここまで。あとは彼らがここまで学んだことを、そしてこれから配属先で学ぶことをどれだけ実戦で活かせるかに懸かっている。
1人、また1人と衛士たちは武の元を訪れ、感謝の言葉を述べてグラウンドから去っていった。武はそれを見送り、最後までまだ肌寒い富士山麓のこのグラウンドに残る。
武にとって教官とはかくも偉大な存在であり、自分が今その立場にあることは誉れ高いようでおこがましくもあった。
確かに、若くして前線から退かざるを得なかったことは慙愧の念に耐えない。だが、これもまた胸を張って誇れる仕事だ。
「………神宮司軍曹、伊隅大尉。今年も墓参りには行けないと思いますけど……もし白銀武という名の衛士のことを少しでも案じてくださるなら、どうか今日巣立ってゆく彼らの導となってやって下さい」
晴れ渡った空を見上げ、武はぽつりと独り言を呟く。
その時、わずかに砂利を踏み鳴らす音が聞こえて武は振り返った。そこにはこの訓練校の運営に携わる国連軍中尉の姿がある。
「流石であります、白銀軍曹。足音も気配も消していたつもりだったのですが」
「それは中尉殿よりも私の方が訓練に携わる任が多いからですよ。それに、今日は多少なり私も過敏になっていると思います」
武がここに配属されてから1年半以上付き合いのある士官だ。今更お互いの立場を妙に考えるような間柄ではない。それに、軍という組織に身を置いている時間だけで見れば、武の方が彼よりも長い。
「そうですか。では白銀軍曹、早速講堂に戻りましょう」
中尉のその言葉に武は思わず眉をひそめてしまった。軍人としての経歴が中尉より長いからこそ何とか罷り通る反応だが、これが正真正銘の先任上官相手だったら立場が危うい。尤も、本当に余裕のない時には確実に反射的な反応を示してしまうのであろうが。
「……あの…確か今日解隊式及び任官式を行う訓練兵部隊は1つだけだった筈ですけど…」
「ええ、訓練兵部隊は、です。これから行われるのは“白銀さん”のものですよ」
ますます意味が分からない。それに今の言い回しはどういうことだ。あえて白銀軍曹ではなく「白銀さん」と呼ぶ理由はいったい何だ?
「行きましょう。行けば分かります」
詳しい説明は何も無かった。
それはやんわりとした拒絶。武がいくら問い質そうとも、中尉はそれ以上の返答はしないだろう。だから武は頷き返し、足並みを揃えて講堂へと向かった。
ギギギギィと、講堂の扉は小さな軋みを上げながらゆっくりと開かれる。こんにちまでにいったいどれだけの衛士がこの扉を潜り、外へ巣立っていったか。そう思うと武は感慨深くなる。
講堂に入ると、思わず息を呑んだ。本来であれば有り得ないような光景がそこに広がっていたのである。
先刻の解隊式及び任官式の終わりに一度退室した訓練校長官と数名の運営責任者が戻ってきている上、この訓練校の業務に携わるほぼすべての人員、そして数えるほどしか顔を見たことがない極東国連軍の高官数名に、あまつさえ珠瀬国連事務次官の姿まである。
ここが極東最大の横浜基地や、帝都の内閣府あるいは国防省ならいざ知らず、この訓練校にこれだけの豪華メンバーが揃うとは余程のことだ。
「長官。白銀軍曹をお連れ致しました」
「うむ、御苦労。貴官も列に加わり給え」
「はっ!」
列の中心に立つラダビノット長官の言葉に中尉は敬礼を返し、そのまま列の末席に加わってゆく。残された武はどうすれば良いのか分からない。そもそも、何故この状況で自分が呼ばれたのかすら分かっていない。
「白銀軍曹」
「はっ!」
名を呼ばれ、反射的に敬礼を返した。
ラダビノット長官は武がかつて所属していた横浜基地の元司令官だ。武の新天地への異動に伴い、後見人として同様に異動してきた軍人で、武にとってはある意味親のような存在だった。
「本来であれば、貴官の教導した若き衛士たちの門出を祝い、貴官にはしばらくの休暇を与えるべき時なのだろう。だが、事情によりこのような形で驚かせることになって本当に申し訳ない」
「お言葉ですが長官。教官である自分にとって訓練兵の教導は成すべき責務であり、お褒めに預かれるようなことではありません。それに、少々の驚かされる事態は自分にはもう慣れっこですから」
敬礼したまま、武は少しだけ口元を緩めてそう答える。その返答に長官は「そうであったな」と小さく笑いながら返した。
「白銀軍曹。本日をもって貴官をこの国連富士衛士教導訓練校教官の任を解任する。そして同時に貴官には昇進と異動命令を言い渡す」
一度間を置き、長官は真っ直ぐに武の目を見てそう命じた。
「はっ!」
迷わず敬礼。これは予想の範囲内。どこへ転属するのか不明だが、これだけの豪華メンバーが集まっているのだから、さぞ良い任地へ赴くことになるのだろう。加えて昇進するということは、是まで通りの教官ではなく、1人の“衛士”として赴けということだ。
「これが貴官の本日からつける階級章だ。それに見合って余りあるほどの活躍を期待する。“白銀中佐”」
「はっ!………はぁっ!?」
一度は敬礼した武だが、そのあまりにも違和感のある言葉に思わず声を上げてしまった。武の表情はとても下士官とは思えないほど強張ったもので、怪訝そうな眼差しで長官を見つめ返す。
だが、長官はその目による問いかけを気にすることもなく武の軍服に中佐階級を示す階級章をつけていた。
「ちょっ…長官!? 中佐とは何かの間違いでは!? 自分は衛士任官後一度も昇進していない軍人であります! 中尉への特進ならまだ納得のしようがありますが…!」
武の言い分は尤も。武の今までについた最高階級は少尉。そのまま昇進することなく教官へと着任したために軍曹へと降格していたのだ。ならばそのまま少尉へと戻るか、あるいは本来の少尉階級から昇進して中尉となることが妥当な線であり、間違っても“7階級特進”など有り得ない。
「仕方ないでしょ~。佐官階級じゃないと大隊以上の部隊を率いられないんだから」
武の問いに答えたのは長官ではなく、背後から聞こえた女性の声だった。その、あまりにも聞き覚えのある、聞き覚えのあり過ぎる声に武はすぐさま振り返る。
「元気そうで何よりだわ、白銀」
「ゆっ…夕呼先生!?」
国連軍軍服の上に白衣を纏ったその女性 香月夕呼の登場に武は思わずうろたえた。この世界において白銀武の親のような人でもあり、最大の恩人でもある人物。同時にある意味最大の天敵。加えて、極東国連軍においてはその辺りの高官よりも余程権限の強い人物でもある。
「なっ…何で先生がここに!?」
「そりゃ、あんたの転属の手回しをしたのは半分以上があたしだもの。顔くらい見に来ないと申し訳ないでしょ」
嘘だ。話の前半部はまだ頷けるが、少なくとも申し訳ないと思って来る筈が無い。確実にこの人は自分の驚く顔が見たくてここまでやってきたのだ。
コンマ数秒の間に武はそう判断した。香月夕呼という人物はそういう人間だと、武はこの世界で誰よりもよく知っている。
不意に、かつて夕呼が「管制ユニット座席の保護シートを破りたいから」という理由で新規の戦術機を基地に運び込んできたことを思い出してしまう。あの人はそんな、理知的で誰よりも賢い筈なのに、同時にどこまでも子供っぽい人間なのだ。
「長官。あとの説明はあたしからさせて頂きますわ」
「御任せ致します、博士」
長官の許可を取り、夕呼は武に再度向き合う。その時にはもう真剣な表情に戻っていた。冗談と本気の境目が他人にはまったく分からないことも夕呼の強みである。だからこそ武は彼女の扱いに困ってしまうのだ。
「白銀。あんたには明日からイギリスに向かってもらうわ」
「英国って……欧州国連軍!?」
「そ。甲20号、甲19号を制圧した極東と違って、あっちはまだ海の向こうが完全にBETAの占領下だからね。派兵の要請が各方面の国連軍に来ているのよ。で、極東からはあんたに白羽の矢が立ったってわけ」
流石に夕呼の話は筋が立っていた。甲~号とは帝国におけるハイヴの呼称であり、甲20号は朝鮮半島の「平壌ハイヴ」、甲19号はそこから更に北の「大慶ハイヴ」のことを指す。その2つが近年、帝国軍を中心とした部隊で制圧され、大陸東端沿岸は何とかBETAから奪還したのだ。その結果、極東には少し前とは比較にならないほどの平穏が訪れ、兵力の分散という選択肢も可能な状態にある。
相対し、欧州の状況は未だ芳しくない。島国であるイギリスは海の向こう側に甲5号「ミンスクハイヴ」や甲11号「ベオグラードハイヴ」甲12号「トゥールーズハイヴ」に甲8号「オウルハイヴ」などが残っているため、未だにBETA侵攻の脅威に曝され続けている。大陸と海を挟んでいる最前線国家という意味では日本と英国は状況が類似しており、お互いに協力体制を取っているのも確かだ。
「あんたほどの衛士なら即戦力だし、加えて教官としての実績もある。国連上層部はあんたに大隊以上の部隊を任せ、戦力の向上を図ろうって考えているのよ。幸い、教官になる前に指揮官講習は受けているし、仮にも訓練兵とはいえ衛士を100人一手に引き受けていたこともあったでしょ? 国連としてはこれ以上ない人材なわけ」
「それで7階級特進の上に転属……無茶し過ぎですよ、夕呼先生」
2年振りに会っても香月夕呼は相変わらずだ。尤も、夕呼がする無茶なのだから必要不可欠な無茶なのだろう。
「言っておくけど、そんな無茶苦茶な要望を出したのはあたしじゃなくて向こうの軍人よ」
「はい?」
「欧州国連軍第2師団師団長レナ・ケース・ヴィンセント准将から、新たに部隊を設立するに当たり、その指揮官に白銀武を招きたいと強い要望があったのよ。大隊規模以上の機甲部隊を編成するつもりだからその旨はよろしくって。だから協議の末、あんたを7階級特進させることで落ち着いたわけ。分かる?」
何だか夕呼の言葉は文句や愚痴の類に近かった。今の話を総合すると、武に白羽の矢を立てたのは夕呼ではなく、欧州国連軍第2師団師団長のレナ・ケース・ヴィンセント准将ということになる。成程、世界には香月夕呼と同じくらい無理難題を言う人間がいたのか。
遠回しな愚痴を聞かされた武は小さく苦笑してしまう。
「ま、そのヴィンセント准将が向こうでのあんたの後見人になってくれる手筈だから、向こうで何かあればヴィンセント准将を頼りなさい」
「はい。部隊についての詳しい話は分からないんですか?」
「大隊規模以上であることと、機甲部隊であること以外は未決定。ま、あんたが向こうに行くまでには決まってるでしょ」
軍のくせにやけにアバウトな方針だ。むしろ、武が行くまでに決まっていなければ話にならない。目分量にも程があるだろうに。
「それ以外の詳しい内容についてはあとで文書で伝えるわ。向こうの公用語は英語よ。大丈夫?」
「日常会話程度なら充分。強化装備さえ着けていれば翻訳機を通してくれますし、問題ないんじゃないかと思います」
「そう。じゃ、せいぜい死なないよう頑張んなさい」
傍目には不吉とも取れる捨て台詞を残して、夕呼はくるりと踵を返す。相変わらずの性格に武は軽く肩をすくませながらも小さく笑った。