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[11997] Atlus-Endless Frontier-【VRMMORPG物】
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/18 00:00
2012/01/12 小説家になろうのほうにも掲載させて頂いております。

※01/17 二十三話までの微修正終了。話の大筋に変更はありません。

※01/12 記事番号を修正。
    
※10/11 ステータスにCHA:魅力を追加しました。


なんとか連載再開できそうです。



[11997] Prologue Atlus
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 00:24
 脳波を感知して仮想空間のアバターを操作する技術、バーチャルリアリティシステム、通称VRシステムが家庭用ゲーム機に初めて採用されたのが五年前。
 最初に発売されたVRシステム対応タイトルは、シンプルなルールの様々な競技を詰め込んだ体感型スポーツゲームで、VRシステムの目新しさと、室内にいながら実際に運動している感覚でスポーツを楽しめるとあって、幅広い年齢層に普及していった。
 それから間をおかず、RPGや格闘ゲーム、アクションやシューティングなど、ありとあらゆるジャンルのタイトルが畳み掛ける様に発表された。
 VRシステムの発売から一年足らずで、従来のゲームパッドやマウスとキーボードによる操作は過去の物となり、VR発表以前の人気タイトルをVR対応にしたリメイクも数多く発売された。

 しかし、VRシステムが発表されてから――一部では発表されるよりずっと前から――最も多くのプレイヤーが待ち望んでいたVR対応のMMORPGが発表されたのは、今から二年前。
 家庭用VRシステムの登場から三年、世界中のネットゲーマーを焦らしに焦らした上での登場だった。

 発表から半年後、約一ヶ月間のβテストを経て、満を持して正式サービスが開始されたVRMMORPGは、社会現象と言っても過言では無い程、世界中で流行した。
 実際に剣を振り魔法を操り、仲間と共にモンスターや、時には他のプレイヤーと戦いながら未知の世界を冒険する快感に、世界中のゲーマーが魅了された。

 そして、去年の夏に東京で開催されたゲームショウにて、新型VRシステムと、同時発売される新作VRMMORPG【Atlus-Endless Frontir-】が発表された。
 インフィニティ・ソフトウェア開発の【Atlus-Endless Frontir-】、通称アトラスは、地球に似た広大な面積を持つ架空の惑星を舞台とした、かつてない程に大規模な物だった。
 プレイヤーは、モンスターに奪われたかつての領地を剣と魔法によって切り開いてゆくという、設定としてはさして珍しくもない、よくある剣と魔法のファンタジーだ。
 アトラスが世界中のゲーマーを驚かせたのは、五年という短期間で驚異的なまでの進化を遂げた新型VRシステムにより実現した、現実と見紛う程の圧倒的とも言えるリアリティ。
 
 ゲームショウで公開されたプロモーションビデオを見た誰もが、最初はヨーロッパの古い町並みを撮影した実写PVだと思っていた。
 しかし、町並みから広大な草原へと画面が移ると、巨大なスクリーンに映るのは、見た事もない野生動物が草を食み、巨大な鳥が空を悠々と舞う映像。
 草原から鬱蒼と生い茂る森林へと場面は変わり、狼の群れと巨大な熊の臨場感溢れる戦闘シーンが映し出されると、周囲の観客からどよめきが沸き上がった。
 森の奥に口を開けた洞窟の中での、無骨な鎧を身に纏った男と緑の肌を持つ亜人との戦闘。
 洞窟の最奥で小鬼の大群を従えた、巨大な武器を持った凶悪な大鬼を映し、PVは終わった。
 合成か、はたまた特殊メイクかと思われたそのリアルな映像は、開発中のゲーム画面を撮った物だった。


【これは、もう一つの現実での物語】


 その短いキャッチコピーの通り、アトラスの持つリアリティは現実そのものだった。



[11997] 第一話 ログイン エントランスレイヤー
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 01:49
 時刻は午後五時五十分。
 あと十分でアトラスの正式サービスが開始される。
 昼食を食べた後、ありとあらゆるアトラス関連情報を纏めた情報サイト【Atlus wiki】に目を通していたが、特に目新しい情報は無かった。
 自慢ではないが、俺はアトラスの開発発表から今日まで、公式サイトに載っている情報からネット上の真偽不明の噂話まで、アトラス関連の情報を毎日のように漁ってきた。
 そうして収集した事前に知り得る情報は、全て頭に叩き込んである。
 今更新情報が出てくるとも思っていなかったが、念のための各サイトの更新確認と、単純に復習も兼ねて暇潰しに眺めていただけだ。
 午後六時まであと三分。
 ログインの準備をするためにブラウザを閉じて専用ソフトを起動し、VRシステム一体型ウォーターベッドの電源を入れて横になる。

 新型VRシステム【アルカディアゲート】、通称AG。
 AGは一番安価なモデルでも約三十万円と高額だが、アトラスの他に対応タイトルがなく、5年前に発売されたばかりの旧型VRシステム対応ソフトとの互換性もないため、現状アトラス専用機としてしか使い道はない。
 アトラスがいかに優れたタイトルであろうと、ネットゲームの単一タイトル専用機が三十万円という高額では売れ行きは伸び悩むのではと言われていた。
 しかし、初回出荷の二十万台は瞬く間に予約が締め切られ、現在四次出荷分まで予約が終了しており、総予約数は百万台を超えるという。
 アトラスの誇る圧倒的なまでのリアリティで構築された世界は、ゲーマーだけではなく、老若男女幅広い人間の心を掴んだのだ。
 MMORPGであるアトラスは、一般的なMMORPGと同じように、敵との戦闘を通じて自分の分身たるキャラクターを育成し、より高難易度のコンテンツに挑戦していくのが基本的な楽しみ方だ。
 しかし、そういったメインコンテンツを端から度外視したプレイヤーもいる。
 代表的なのは【旅行好き】と【釣り好き】だ。
 アトラスでは僅かな時間で日常とは掛け離れたリアルな風景を家にいながらにして楽しめるし、現実と同じ感覚で釣竿を使って釣りをする事が出来る。
 これらはそれぞれの専門雑誌などで特集が組まれた程で、これまではVRゲームなどに興味を示さなかった客層を多く取り込む事に成功している。
 とはいえ、初回二十万台という狭き門に殺到する希望者の数が増えた事で、倍率が跳ね上がり【AG難民】が続出する結果となった訳だが。
 ちなみに我が家は両親と俺、妹の四人全員がゲーマーで、家族四人でネトゲ中にパーティーを組んで狩りをしながら明日の晩御飯は何が食べたいかなどといった話をパーティーチャットでするような家庭だ。
 当然アトラスも家族全員がプレイする気満々である。
 四台ものAGが手に入るか不安ではあったが、親父が謎のコネを使って四台確保してきた。
 AGには三つのモデルがある。
 主要システムとヘッドセットのみのベーシックモデル、専用リクライニングシートにVRシステムを内蔵したVRチェアモデル、専用ウォーターベッドにVRシステムを内蔵したVRベッドモデル。
 馬鹿のくせに稼ぎは良く、趣味への投資には金に糸目を付けない親父が買ってきたのは四台のVRベッドモデルだった。
 

 先週とどいたばかりの寝なれないウォータベーッドに寝そべり、ヘッドボードのパネルを操作すると、ベッドの上半分を覆うカバーがゆっくりと降りてくる。
 完全に上半身を覆うカバーに微かな息苦しさを感じるが、それも数秒。
 新型VRシステムの睡眠誘導機能によって、瞬く間に眠りに落ちる。

 感覚では一瞬の暗転。
 生体認証と住基IDカード認証による自動ログイン設定を済ませておいたので、一昔前までは主流だったログイン時のIDやパスワードの入力は必要ない。
 周囲には何も無い。
 地面に立っている感覚はあるが、床も壁も天井もない。
 暗闇に浮かべたガラス板の上に立っている。そんな感覚。
 不自然極まりないこの空間は既にVRシステムによって作られた世界だ。
 ここはエントランスレイヤーと呼ばれている。
 意図的に現実とも仮想現実とも懸け離れたエリアをログイン、ログアウト時に挟む事で現実と仮想現実の違いを明確にし混同を防ぐだとかなんとか。
 まぁ難しい事はどうでもいい。

 十秒程経つと、目の前にはどこからともなく現れた一冊の本が浮いている。
 厚手の革張りの表紙を開くと、最初のページにはアトラスの規約が長々と書かれていた。
 五ページに渡って記載された規約を眺める程度に流し読みし、次のページを捲ろうと手をかけた所で目の前に電子的なウインドウが突然表示される。
【規約に同意しますか? No/Yes】
 迷わずYesを選択し、ページを捲る。
 次のページにはキャラクターステータスが記されていた。
 アトラスは専用ソフトで予め作成したキャラクターデータを読み込んで使用する。
 ここで出来るのは各項目の最終確認と一部のステータスの数値を変更する程度だ。
 見開きの左側には、要所を鉄板で補強した革防具に身を包み、片手剣と盾を持った男の姿が描かれている。
 髪は黒味の強い銀髪で肌は薄い褐色。
 顔は毎日のように鏡で見ている自分の顔。違うのは赤味がかった瞳くらいだろうか。
 そこに描かれているのはこの世界での俺のキャラクターの姿だ。
 顔立ちがリアルそのままなのは多少不本意だが仕方ない。
 基本的にアトラスのキャラクターの容姿は、提携病院の専用設備で測定し作成された3D体型モデルを使用しなければならない。
 キャラクター作成ソフトで多少のバランス調整や体型の伸縮、肌や髪、瞳の色の変更や刺青やピアスなどを設定する事は出来るが、別人の顔や体型データを使用する事は出来ない。
 タレントや政治家など、リアルそのままの顔ではプレイに支障がある場合は、審査の上インフィニティ・ソフトウェア本社で容姿の変更が出来るらしいが、あくまで例外。
 それ以外の方法での体型モデルの無断改竄や他人の体型データの使用は禁止されている。
 好むと好まざるとに関わらず、見慣れた自分の顔以外に選択肢はないのだ。
 髪や肌、瞳の色も、完全に自由に決められる訳ではない。
 設定した種族の特性に沿った色調から選ばなければならず、銀髪に褐色の肌、赤い瞳は選んだ種族のデフォルトほぼそのままだ。
 色に関しては結構な時間をかけて弄ってはみたものの、どうもデフォルト以外は不自然な色調になってしまい諦めて投げ出した結果だった。
 右側のページにはキャラクターの各種ステータスが書かれている。

ファーストネーム:ガイアス
種族:ノスフェラトゥ
信仰神:破壊神ミデラ
出身地:クランガルム
現在地:アーカス前哨基地
所属ギルド:傭兵ギルド
宿命値:-1000
能力値
STR:30
DEX:30
AGI:20
BAL:20
VIT:30
INT:20
MAG:20
MEN:20
CHA:20
ステータスポイント:0

 名前はファーストネームのみ設定可能で、予め決められた名前のリストから好きな物を選ぶ。
 ネトゲに付き物のNGワードスレスレの名前や、世界観を無視したアニメキャラの名前を付けるプレイヤー対策だろう。
 これに関してはネットでも批判的な意見が多かった。
 しかし現実でも自分の名前は自分では決められないのだから、山ほどある候補から選べるだけ選択の自由があるほうだろう。

 選べる種族は、光神の末裔四種族と闇神の末裔四種族の計八種族。
 俺が選んだのはその中でも一番基本性能の高い闇神の末裔ノスフェラトゥ。
 他種族と比べて初期ステータスが最も高く、戦闘スキルの上昇も早い、戦闘向きの種族だ。
 しかしノスフェラトゥには大きなデメリットもある。
 まず、ノスフェラトゥに限らず闇神の末裔四種族はソロプレイ向きの種族として設計されている。
 なので、他プレイヤーとの共闘時に能力値やスキル値にペナルティが課せられる。
 特にノスフェラトゥは課せられる共闘ペナルティが飛びぬけて高い。
 また、破壊を司る神の末裔であるが故に、生産系スキル全般に大きなペナルティが発生する。
 生産スキルは上がりにくく、生産品は品質の良い物は出来にくくなる。
 そして、初期宿命値の低さ。
 もう一つの現実を謳うアトラスは、そのリアリティの表現の一環としてかなりの自由度を誇る。
 与えられた自由の中で、そのプレイヤーが善い行いをしてきたのか、悪い行いをしてきたのかを表すのが宿命値だ。
 宿命値が高まる行動を取り続ければ、周囲からの信頼を得て、ひいては英雄と評される人物になる。
 逆に宿命値が減少する行動を続けると、一部の街以外は立ち入る事が出来なくなり、不用意に近づけばガードNPCから攻撃を受けたり、賞金首として他のプレイヤーから狙われる事もある。
 宿命値-1000は小悪党程度の評価だが、それでも立ち入れる場所は限られるし、宿命値が高い相手からの評価は得にくくなる。
 強い力を持っているが、生き難い種族、それがノスフェラトゥというわけだ。

 信仰神は選んだ神によってプレイスタイルが大きく変わってくる。
 信仰する神をプレイ中に変更できるかどうかの詳細は事前には発表されなかったので、本来であればキャラメイクでの一番の悩み所なのだが、ノスフェラトゥが選べるのは破壊神ミデラのみなので変更のしようが無い。

 出身地と現在地は個別に設定する事が出来る。
 しかしノスフェラトゥの首都であるクランガルムは設定では既に滅びているので、現在地としては選択不可能となっている。
 現在地の選択には初期宿命値が影響するので、ノスフェラトゥが選べるのはアーカス前哨基地を含めて二つのみ。選択の余地は無いと言っていい。

 所属ギルドは傭兵ギルド。
 ここでいうギルドというのは、プレイヤーの集団の事ではなく職業組合的な意味でのギルドだ。
 MMOでよくあるプレイヤーコミュニティとしてのギルドは、アトラスでは【クラン】と呼ばれている。
 最初に選べるギルドは傭兵ギルド、冒険者ギルド、生産者ギルドの三つ。
 傭兵ギルドでは戦闘関連のクエストが多いらしいので、傭兵ギルドを選んだ。

 アトラスにはレベルという概念は無く、ステータスとスキルによってキャラクターの性能を数値的に表現している。
 キャラクターの力の強さや体力、器用さなどを表すステータス値はMMORPGでは馴染み深いシステムだ。
 ノスフェラトゥの初期ステータス値は一律20。
 更に任意で合計30のステータスポイントを各能力に割り振る事が出来る。
 全種族中最も基本性能が低いヒューマンは初期ステータス一律10なので、ステータス的には優遇されている。
 ステータスポイントはSTR、DEX、VITの三つが30になるように割り振ってある。
 耐久力を上げて死ににくくし、力強い攻撃を確実に当てていく近接戦闘向きのステータス配分だ。
 これはキャラクタークリエイト関連の情報が公開されてから考え抜いて決めた配分なので、この後に及んで迷う事は無い。


 ページを捲ると、次のページはスキルリストになっており、多様なスキル名がリストアップされている。
 アトラスは自分が取った行動に関連したスキルが上昇していくスキル制のMMORPGなので、スキルの組み合わせは重要だ。
 初期スキルとして選んだ三つのスキルにそれぞれ30.0ポイントが割り振られる。
 俺が選んだのは過去の経験から上げるのに苦労しそうな魔術と神術、そして生存率を上げるために危機探知。
 ほとんどスキルの修行方法について情報の無い新作で、過去の経験がどれだけ役立つかはわからないが、仮に失敗してもスキル制なら後から変更も出来るので多少の出遅れに目を瞑れば問題無いだろう。

 次のページを捲る。
 白紙の見開きの上に再びウインドウが表示される。
【この本を閉じる事でキャラクター作成が完了し、規約に最終同意した事になります。問題が無ければ本を閉じてください】
 表紙にかけた手が微かに期待で震える。
 言われるがまま本を閉じると、ログインした瞬間と同じ、一瞬の意識の暗転。
『ようこそ、アトラスへ。神々に創られし終わり無き戦いの世界へ』
 どこからともなく聞こえる声と、地に足が着いた感覚。
 再び目を開けると、そこは無機質なエントランスレイヤーではなく、殺風景ではあるが生々しいリアリティを感じさせる荒野のど真ん中だった



[11997] 第二話 始まりの地 亡霊の荒野
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 01:50
 無機質なエントランスレイヤーとは比べ物にならない情報量に、暫し言葉を失う。
 周囲の景色のリアルさは、確かに前評判通り、いや、それを遥かに上回る。
 そしてそれ以上に、肌を叩く風と、乾いた空気の匂いに驚かされる。
 あまり良い気分はしないが、革製の小手を少し舐めてみる。
 革特有の苦味が舌を刺激する感覚。
 視覚だけでなく、聴覚嗅覚触覚味覚、五感全てを再現しているのだ。
 
 もう一つの現実。
 
 アトラスのキャッチコピーを思い出し苦笑する。
 確かに一人のゲーマーとして、これほどのリアリティを持つゲームはかねてより待ち望んでいた物だ。
 しかし、仮に自分がアトラスの開発に携わる立場にあったとしたら、果たしてどれだけの労力を費やせばこれ程の世界を創り出す事が出来るのだろう。
 ふと思い立ち頬を抓ってみた。
 思いっきり抓ってみるが、あまり痛みは感じない。
 頬に触れている感触と、抓っている箇所に多少圧迫感を感じるのみ。
 どうやら痛覚は無い、あってもかなり鈍く設定されているようだ。
 もし痛覚そのままに、剣と魔法の世界で戦闘をしなければならないとしたら引退者続出だろう。
 かくいう俺も痛いのは嫌いなので、この仕様は有難かった。
 求めているのはあくまでリアリティであり、完全な現実の再現ではない。
 理想郷への入り口。【アルカディアゲート】とは上手い名前をつけたものだ。

 暫しの間、周囲の景色を堪能したが、所詮見渡す限りの荒野である。
 いくらリアルとはいえ、いやむしろなまじリアルだからこそ、ずっと眺めているのは辛いものがある。
 そろそろ行動するべきだろう。
「ま、とりあえず……【システムブック】」
左手を胸の前に翳し、ボイスコマンドでシステムメニューを開く。
アトラスのシステムメニューは本型のインターフェイスで、システムブックと呼ばれている。
エントランスレイヤーに浮いていた本と同じ表紙だ。
様々な場所でプレイヤーが眺めていても不自然でない形態ということで、このような本型インターフェイスを採用したらしいが、荒野のど真ん中で本を読んでいるというのもどうなんだろう。
周囲を見回し、モンスターの類がいない事を確認してから手近な岩に腰を下ろしシステムブックを開く。
最初のページは目次になっていて、ステータスやインベントリ、スキル、クエストなどの項目が並んでいる。

ステータスページを開くと、ログイン時に確認した情報に加えてライフ、マナ、スタミナ、ディパインエナジーという項目がある。
ライフはそのまま生命力を表し、ライフが無くなればキャラクターは死亡する。
マナは魔力、いわゆるMPだ。魔法や呪術を使うと消費する。
スタミナは武器を使った攻撃や、盾で防御したり、走ったりと、身体を動かす行動全般で消費される。
ディバインエナジーは神から与えられた力で、神術を使うと消費する。自然回復はせず神に祈りを捧げる事で回復する事が出来る。
これらはそれぞれライフが赤、マナが青、スタミナが黄色、ディバインエナジーが緑色のゲージで表示されている。
そのゲージ枠をドラッグして、視界の左上にドロップ。
これで上下左右どこを向いてもステータスゲージが常に視界に入るようになる。

次にインベントリページを開き所持品を確認する。
入っていたのは銅製のダガー、干し肉と乾いたパン、飲み水の入った革袋、応急処置用の包帯と薬草を磨り潰しただけの軟膏、感覚を鋭敏にする効果のある丸薬、邪神の姿を象った小さな石像、魔術の触媒である最下級魔石。
ダガーと食料と飲み水、包帯と軟膏は全キャラクター共通の初期アイテム。丸薬は危機探知スキル、邪神像は神術スキル、魔石は魔術スキルを初期スキルとして選択した場合に配布される初期アイテムだ。
所持品はシステムブックで確認、取り出しも可能だが、実際に収められているのはベルトに通して固定されたミスティックキューブと呼ばれる小さなバッグだ。
ミスティックキューブに触れると、目の前にインベントリウインドウが表示される。
ウインドウに表示されたアイテムに触れれば取り出せる仕組みだ。
インベントリページの右のページには装備ウインドウが表示されている。
装備は一部を鉄板で補強しただけの粗末な革鎧と、質の悪そうな片手用長剣と持ち手を付けただけの鉄板のような盾。
一般的な装備の性能がわからないので比較出来ないが、贔屓目に見ても性能がいいとは思えない。

次はスキルページ。
このページは左のページにスキルリストがずらりと表示されており、各スキルの詳細やスキル値の確認、これ以上スキル値を上げたくないスキルをロックする事が出来る。
右ページの上半分にスキルリストから任意で選んだスキルだけを表示出来るウインドウがあり、山ほどあるスキルリストから、いちいち確認したいスキルを探す手間を省く事が出来る。
スキルリストの中から、あらかじめ考えていた育成方針に沿ったスキルを選んで右上のウインドウにドラッグ&ドロップしておく。
下半分はスキル値の増減などの情報が表示されるスキルログウインドウになっている。
ステータスゲージと同じ要領でスキルログウインドウをドラッグして右下にフロート表示させておく。
こちらはステータスゲージよりも重要度は低く、ウインドウが大きくて邪魔なので視点連動は切っておく。
右下に目を向ければすぐ確認出来る状態だ。
試しに剣を構えて振ってみる。
すると適当に一振りしただけなのに右下のスキルログウインドウにスキル上昇メッセージが表示された。
【片手剣術0.2上昇】
「よし、素振りでも上がるな」
恐らく素振りで上がるのはスキルが低い今だけだろう。
すぐに素振りだけでは上がらなくなるだろうが、ある程度まで簡単に上げる事が出来ればそれでいい。
これを見越して武器スキルを初期に取らなかったのだ。
しかし誤算もあった。
軽く一振りしただけなのに、左上のステータスバーのスタミナゲージが目に見えて減っている。
恐らく十回も素振りをすればスタミナは底をつくだろう。
スタミナは、ライフやマナよりは自然回復が早いらしいが、手っ取り早く回復する手段を探さないと武器スキルの修行は想像より梃子摺りそうだ。

次のページはスキルアーツページ。
 スキルアーツ、通称SAとは、特定のスキルが一定値に達した時に使用可能になる必殺技のようなものだ。
 武器による近接攻撃系や魔術などによる呪文攻撃系、生産技術や危機探知などの特殊技能系など、数も多く効果も多岐に渡る。
 SAにはスキル値0.0でも使用可能な物もあるので、既にいくつかのSAがリストに表示されている。
 それらの中から、魔術スキル0.0から使用可能な攻撃魔術【魔弾】の詳細を表示する。

【魔弾】
 詠唱時間:1sec
 再使用可能:1sec
 構成ルーン:礫のルーン
 効果:体内の魔力を直接対象に向けて放出しダメージを与える最下級魔術。

 魔術スキル0.0から使用可能なスキルなだけあって、ダメージにはあまり期待できないだろうが、詠唱も再使用も短いのが利点だ。
 とはいえ、【魔弾】のような無属性の魔術は、高消費低威力だが難易度が低く抵抗手段が少ないという特徴がある。
 キャストとクールタイムが短いからといって安易に連射出来るとは限らない。
 どれほどのものか試し撃ちをするために五メートルほど移動し、先ほどまで腰掛けていた岩を的にする。
 周囲には荒れ果てた大地が広がるのみで、的になりそうな物はこの岩くらいしかないのだ。
 呪文系SAの使用方法は二通りある。
 一つ目はSAリストから直接使用する方法。
 実際に【魔弾】のアイコンに触れてみると、身体の周囲に淡い光が渦巻く。
 この光の渦が発生している【詠唱状態】を、設定されている詠唱時間の間維持すれば【発動準備状態】となる。
 詠唱が完了すると、光の渦が眼前の虚空に収束して行き、青白い球体となって浮遊している。
 これが【魔弾】の【発動準備状態】だ。
 【発動準備状態】は詠唱者が他者からの妨害がなければ、SAの発動まで好きなだけ維持する事が出来る。
 ただし【発動準備状態】のまま一秒が経過すると、以降一秒毎に消費マナの一割が消費される。
 即発動させてマナを節約するか、あえて発動を遅らせて相手の読みを外すか、といった事を考えて使い分けていくべきだろう。
 岩に意識を向けて、引き絞られた矢を放つようにイメージし、眼前の球を撃ち出す。
 空気を切る音と共に放たれた青炎は、岩に触れると音も無く霧散した。
 轟音を上げて爆発でもするかと思ったが、考えて見れば最下級の魔術にそれほどの威力があるはずもない。
 【魔弾】が当たった岩の表面は良く見れば微かに窪んでいるが、見ようによっては自然に出来た窪みのようにも見える。
 モンスター相手であればまだしも、無機物相手ではいまいち効果がわかりにくい。
 視覚的な地味さ以外にも切実な問題があった。
 ステータスバーのマナゲージの減りが想像以上に厳しい。。
 たった一発の最下級魔法でゲージの十分の一近くも消費している。
 無属性魔術SAのメリットであるレジストのされにくさというのは、敵が弱い序盤ではあまり意味が無いので、今のところ弱いくせにコストが重く連射できない罠SAだ。
 魔術スキルや魔法系ステータスが上昇すれば多少は改善されるだろうが、これではとても実用的とは言えない。
 これを使うくらいならば他のSAのほうがマシだろうと、魔術スキル30.0で覚える初級魔術の詳細を表示する。

【炎槍】
 詠唱時間:3sec
 再使用可能:15sec
 構成ルーン:槍のルーン+火のルーン+破裂のルーン
 効果:魔力の炎槍を対象に向けて射出する下級魔術。
 対象に命中後爆発して周囲に副次的損害を与える。

 せっかくなので、次はもう一つのSAの使用方法を試してみよう。
 と言っても最初のステップが変わるだけで後は同じだ。
『【炎槍】』
 スキルリストのアイコンに触れる代わりに、思考操作で詠唱を開始する。
 ボイスコマンドでSAの名称を発声するほうが簡単だが、あまり戦闘中に使う技を宣言するのは得策ではない。
 今はそこまで気にする必要は無いだろうが、思考操作には早いうちに慣れておくべきだろう。
 【詠唱状態】に入ると、先ほどとは違い、周囲に赤い光が渦巻き、熱風が吹き荒れる。
 詠唱が進むにつれて、周囲を吹き荒れる熱風と赤い光は翳した右掌の先に収束して行く。
 しかし、二秒程詠唱が進むと突然渦巻く赤い光が揺らめき、消えてしまう。
「ん?……あー、失敗か」
 魔術に限らず、SAには成功率が設定されている。
 関連ステータス、魔術であればINTの値や装備などで補正がかかるが、習得可能スキル値ギリギリであれば、デフォルトでの成功率は50%だ。
 現在の魔術スキル値は30.0、炎槍の習得可能スキル値も30.0。
 INTの補正値は、今は雀の涙程度なので考慮しなくてもいいだろう。
 なので、現状二回に一回は失敗する計算なので、失敗するのは仕方ない。
 気を取り直して、再度思考操作で【炎槍】を使用する。
 再び赤い光が渦巻き、詠唱が進むにしたがって収束していく。
 やがて【発動準備状態】となると、穂先から石突までが燃え盛る炎で形作られた、二メートル近い巨大な炎槍が眼前に浮いていた。
 あまりの威圧感に思わず目標の岩との距離を開く。
 副次的損害ということは、対象に当たった後爆発でもするのだろう。
 自分の魔術に巻き込まれてはたまらない。
 念のため十五メートル程距離を取り、先ほどの岩に意識を向けて炎槍を放つ。
 凄まじいスピードで岩に突き立った炎槍は、轟音とともに爆炎を周囲に撒き散らす。
 黒煙が晴れると、そこには変わらぬ姿で岩が鎮座していた。
 やはり実際にモンスターにでも使って見ないと威力はわかりにくいが、それでも【魔弾】よりは威力は高いだろう。
 マナ消費は【魔弾】より少し多めか。
 しかし詠唱三秒、再使用十五秒なのでソロでは使いにくい気もする。
 【詠唱状態】でも移動や武器による攻撃などは可能だが、激しい動作は集中を乱すと判定されて【発動待機状態】になるまでに必要な詠唱時間が長くなってしまう。
 また【詠唱状態】、【発動待機状態】で攻撃を受けると、強制的に詠唱が解除される場合もあるため、SAを安定して使うにはそれなりの立ち回りが必要になる。
 その辺りは実践あるのみだろう。
 
再び岩に腰を下ろし、システムブックのページを捲る。
次はクエストページ。
クエストには規定条件に達するまで何度も受ける事が出来るギルドクエスト、達成すると二度と受ける事が出来ないユニーククエスト、各プレイヤーの運命を辿っていくディスティニークエストがある。
ギルドクエスト、ユニーククエストは空欄で、未だ一つもクエストを受けていない事を表しているが、ディスティニークエストのリストには、【災禍の森偵察任務】と表示されていた。
達成条件には【システムコマンド【メモリーリンク】を使用して偵察の結果を思い出せ】とある。
アトラスではキャラクター毎にバックストーリーが設定される。
つまり俺の分身であるこのキャラクター、ガイアスにも、この世界で生きてきた過去があり、システムコマンド【メモリーリンク】によってその過去を【思い出す】事が出来る。
「あんま嫌な過去を設定されてなきゃいいが……【メモリーリンク】」
思い出せそうで思い出せない事を思い出した時のような感覚とともに、ガイアスの【過去】を思い出す。
「災禍の森に棲む野生動物は凶暴化し、敵性亜人種【虚族】の痕跡も有り、か」
【思い出した】偵察の結果に思わず溜息が漏れる。
宿命値の低いノスフェラトゥを選んだ以上、【生き難い】のは覚悟の上だが、スタート地点周辺はなんとも物騒な環境のようだ。
たった今【メモリーリンク】で思い出した事で達成条件を満たした【災禍の森偵察任務】は連続クエストだったらしく、新しい達成条件が表示されている。
次の達成条件は【災禍の森を偵察して得た情報を、アーカス前哨基地の傭兵隊詰所にいるランクス傭兵隊長に報告する】となっている。
ディスティニークエストを進めるためにも、まずはアーカス前哨基地へ行かなければならないようだ。

クエストページの次はコミュニティページだった。
友人設定をした相手と連絡を取れるフレンドリスト、複数のプレイヤーで組織するクランのリストなどがあるが、どちらも現在は何も表示されていない。
一通り目を通し終えて表紙を閉じると、システムブックは音も無く消えた。
システムブックの確認とステータスや装備、スキルのチェックは終わった。
SAの使い方も大体は理解できた。
他にクエストは発生していないし、周囲には荒れ果てた平原が広がるばかり。
「そろそろ基地に向かったほうがいいな」
遠くには森が見える。あの森を抜けるのがアーカス前線基地への最短ルートだ。
しかし災禍の森ほどではないが、あの森林地帯にも獰猛な野生動物が多く生息している。
戦闘を避けるためには、多少時間はかかっても森を大きく迂回していくルートを取るべきだ。
「けど、そんな時間はない、か」
空を覆う厚い雲の向こうに微かに見える太陽は、既に傾いている。
危険を回避する事を考えるならば、完全に日が落ちる前にこの荒野から離れる必要がある。
メモリーリンクによって、この荒野についての知識を得た今、ここに長居する気にはとてもなれない。
今俺が立っているこの場所は亡霊の荒野と呼ばれ恐れられている場所だ。
日中は生物も植物も、ありとあらゆる生命が存在しない死の大地。
だが陽が沈むと、ここはアンデッドで溢れ返る亡霊の領域となる。
亡霊の荒野に現れるアンデッドの強さは森の野生動物の比ではない。
アンデッドには通常の武器は効かず、高い魔法防御で並の魔術など無効化してしまう。
今遭遇すれば、一矢報いる事すら出来ず殺されるのは間違い無い。
「覚悟を決めるか」
アンデッドと比べれば野生動物相手の方がまだ勝機はある。
俺は遠くに見える森に向けて走り出した。



[11997] 第三話 初戦 獣王の狩り
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 18:38
 自分を中心とした一定範囲内の気配を探知する、危機探知スキル0.0から使用可能なSA【テリトリーサーチ】を使用して周囲の安全を確認してから木陰に腰を下ろし息を整える。
 特殊技能系SA【テリトリーサーチ】は、一度発動すると解除するまで効果が持続するパッシブエフェクトと、任意のタイミングで使用して効果を得るアクティブエフェクト、二つの使い方がある。
 パッシブエフェクトは効果が持続している間、周囲の気配を常に探知する事が出来るが、効果範囲は狭く探知の精度も低い。スキル発動中はスタミナの回復速度が減少する。
 アクティブエフェクトでは使用すると自分の周囲広範囲の気配を高い精度で探知出来る。パッシブエフェクトとは違ってスタミナは使用する度に一定値減少する。
 移動中はパッシブエフェクトで周囲を探り、休憩前にアクティブエフェクトを使い安全を確認する事で、ここまでかなりの数の野生動物を回避する事が出来た。
 しかし、森に分け入ってからかなりの時間が経つが、慎重に進んでいるため森を抜けるにはまだ時間がかかりそうだ。
 遮蔽物が多い森林地帯では、潜んでいる敵を見つけるのは至難の技だ。
 闇雲に進むだけでは、奇襲を受ける可能性は高い。
 なので【テリトリーサーチ】は欠かす事が出来ないのだが、効果が持続している間はスタミナの消費が激しくなる。
 更にこの世界ではただ走るだけでもスキルの影響を受ける。
 身体操作スキルが未だ低いために、スタミナの燃費が悪く長時間走り続ける事は出来ないのだ。
 森などの足場の悪い場所の移動には地形ペナルティもかかるので、周囲を警戒しながらちょっと走って、安全な場所で休憩するの繰り返しだ。
 いざ戦闘となった場合のためにスタミナに余裕ももたせておかなければいけない。
「一昔前のネトゲなら、敵に見つかるの覚悟で走って抜けてるんだけどな」
 インベントリから革袋の水筒を取り出し一口含む。
 飲み水と食料にはスタミナ回復速度を高める効果がある。
 半分ほどに減ったスタミナゲージが、目に見えて回復してゆくのがわかる。
 この森は帯状に広がっているため全体の面積こそ広いが、亡霊の荒野から前線基地に向かって抜ける分には然程距離は無い。
 恐らくもう半分以上は踏破しているはずだ。
 危険な野生動物の生息範囲は森の奥深くのみなので、後少し移動すれば危険地帯は抜ける。
 スタミナバーが完全に回復したのを確認し、立ち上がる。

 不意に首筋に感じる悪寒。
 剣と盾を構え、一本の大木、その向こうに意識を向ける。
「勘弁してくれよ。まだNPCにすら会ってないってのに……」
 パッシブエフェクトの範囲内に感じる気配。
 大木の陰からのそりと姿を現したのは、ブラッディウルフ。
 血に染まったような赤い毛と、血に飢えたような獰猛さから付けられた名前だ。
 ブラッディウルフは、鋭く伸びた犬歯の隙間から低い唸り声を漏らしながら、こちらを威嚇する。
 逃げるか?
 いや、距離が近すぎる。
 この森に棲む野生動物の中で最も素早いブラッディウルフ相手ではこの状況から逃げ切るのは不可能だ。
 幸いな事にブラッディウルフは単独行動を好み、縄張り意識が強いためこの近辺に他のブラッディウルフがいる可能性は低い。
 今は目の前の一匹をなんとか凌ぐ事だけに全力を注げばいい。

 ブラッディウルフを相手にする際に注意すべきはそのスピードだ。
 下手な剣筋ではその素早い動きを捉える事が出来ず、嬲り殺しにされるケースが多い。
 力は然程強くは無いが、ナイフのように鋭い爪を急所に受ければ無事では済まないだろう。
 しかし幸いな事に耐久力は低い。
 一撃でも入れる事が出来れば倒すのは難しい相手ではない。
 そして、一撃を入れる手はある。
 何の考えも無しに無傷で森を抜けられるとは最初から考えていない。
 道中で敵と遭遇する事を前提に、様々な対処法を考えていた。
 未だ此方を伺っているブラッディウルフに気取られぬよう、思考操作でSAを発動させる。
【シャドウバインド】
 神術スキルの初級SAで、対象の影を相手に絡みつかせて動きを止める効果がある。
 無詠唱で使用可能だが、効果時間は短く再使用時間が長い。明るい場所では効果が薄いというデメリットもある。
 が、薄暗い森の中、一撃の時間を稼ぐだけならば十分だ。
 ブラッディウルフは突然足に絡み付いた自らの影に悲鳴を上げ、逃れようと激しくもがく。
【シャドウバインド】発動と同時に駆け出し一気に彼我の距離を詰める。
 盾を捨て両手持ちの構えに切り替え、上段に振り上げたショートソードをブラッディウルフの頭目掛けて振り下ろす。
 ドスッと鈍い音を立てて、ブラッディウルフの眉間にショートソードが突き立った。
 頭を割られたブラッディウルフは、一度大きく痙攣すると悲鳴を上げる事も無くぐたりと崩れ落ちた。

 初めての戦闘は、驚く暇も無いほど呆気なく決着がついた。
 相手のHPが無くなるまでひたすら叩き続けるこれまでのMMORPGの戦闘とは全く違う。
 武器スキル値がほぼ0でも、動きを止めて急所を狙えば一撃で倒す事が出来るようになっている。
「ていうか、精神的にきっつい……リアルすぎだろ」
 初めての戦闘を終えて気が抜けると、膝が笑っている事に気が付いた。
 戦闘は一瞬で終わったが、まるで全力疾走をした後のような倦怠感もある。
 ステータスバーを見ると、全快していたはずのスタミナゲージは半分以下になっている。
「渾身の一撃って奴か?」
 土壇場で普段以上の力を発揮するシステムでもあるのだろうか。
 事前に調べた限りではそれらしい情報は無かったが、これだけ緻密に作りこまれていれば、何があっても不思議ではない。
 たった一戦で半減してしまったスタミナの回復のために、水筒を取り出そうとインベントリを開くと、ブロンズダガーが目に入る。
 一応予備の武器としても使えるが、射程は短く攻撃力も低い。
 この短剣の本来の使い方は別にある。
「解体、か」
 未だ地面に横たわるブラッディウルフの亡骸。
 アトラスでは倒した敵から戦利品を獲るための解体スキルというものが存在する。
 その名の通り、敵の亡骸を解体し毛皮や牙、その他諸々を手に入れる為のスキルだ。
「どうか解体作業までリアルに再現されてませんように」
 水を一口含んでからブロンズダガーを取り出し、ブラッディウルフの亡骸に恐る恐る刃を近づける。
 すると刃先が亡骸に触れた瞬間、目の前に無機質なウインドウが表示された。
 ウインドウには二つのアイテム、【狼の牙】【血狼の毛皮】が表示されている。
 幸いな事に、戦利品の回収の度に、リアルな解体風景を見せ付けられる事は無いようだ。。
「ま、そうだよな。良く考えたら血だって出ないんだし、解体作業をリアルに再現するわけないよな」
 横たわるブラッディウルフの頭部や周囲の地面にも血は一滴も流れていない。
 血の代わりにダメージを受けると生命力を現す光が溢れだすという仕様なのだ。
 流石にこのリアリティで流血表現は問題があったのだろう。
 安心したような、肩透かしを食らったような複雑な心境で、表示されたウインドウの右下の「全て取得」という項目に触れて戦利品をインベントリに収める。
 ドロップアイテムを回収すると、ブラッディウルフの亡骸は光の粒と成って霧散した。

 今回はなんとか切り抜ける事が出来たが、やはり主力の武器スキルが未だ心許ない状態での戦闘は心臓に悪い。
 前線基地などのプレイヤーの拠点となるエリアには各種スキルの訓練施設もある。
 事前の計画では、それらを利用して戦闘に必要なスキルをある程度鍛えてから実戦に臨む予定だったのだが、予想外にもとんでもない僻地からスタートしてしまったために、近接型ステータスで武器スキル0.0という歪な状態で緒戦に望まなければならなかった。
【シャドウバインド】は神術スキル30.0で習得するSAなので、現在のスキル値では成功率は5割程度しかない。
 先程の初手に【シャドウバインド】を使用し、相手の動きを封じる戦法が次も成功する可能性は低い。
「もう一戦はなんとか避けたい所だな」
 一刻も早く森を抜ける為に、【テリトリーサーチ】を使用し周囲を確認し、足早に前線基地の方角へと駆け出す。



 ブラッディウルフとの戦闘の後、すぐに危険な野生動物の生息地帯から抜ける事が出来た。
 森を抜けると、そこには草原が広がっていた。
 ここからでは、丘に隠れてしまって見る事は出来ないが、もうアーカス前線基地までは丘を越えればすぐ着く距離だ。
 草原に生息している動物は、こちらから手を出さない限り攻撃はしてこない温厚な動物ばかりなので、戦闘になる事も無い。
 目の前をゆっくりと横切っていくのは、長い体毛に包まれた巨大な牛のような動物フリッグの群れ。
 大きい個体は三メートル近い巨体を誇るので、戦うとなれば並のモンスターなど足元にも及ばない強敵だ。
 フリッグもノンアクティブではあるが、神経質な性格なので迂闊に近づくと襲われる可能性もある。
 特に今は群れに小さな個体が混じっている。
 子供がいる群れは通常より神経質になっており、近づくのは危険なので、群れを迂回する。

 すると、突然フリッグの群れの中でも特に大きな一頭が動きを止め、彼方の空に視線を向けた。
「ブモオオオオオオォォォ!」
 大地を揺るがすようなフリッグの雄たけびに、それまで悠々と行進していた群れが弾かれたように走り出す。
「な、なんだ?」
 突然の雄たけびと、大地を揺るがす足音に呆気に取られていると、周囲に影が落ちる。
 つられて空を見上げ、声を失う。
「グルオオオオオオォォォ!!」
 耳をつんざく咆哮と共に空から表れたそれは、巨大なフリッグをまるで小動物の如く両足の爪で押さえ込むと、喉に鋭い牙を突きたてた。
 今、目の前で暴れるフリッグを押さえつけているのは、巨大な翼。鱗に覆われた巨躯。トカゲのような頭。
「ド、ドラゴン……?」
 ボキリ、と、嫌な音を立てて頚椎が噛み砕かれると、組み伏せられたフリッグは糸が切れたように動かなくなった。
 獲物を仕留めたドラゴンは、フリッグの身体に両足の爪を深く食い込ませると喉から牙を抜いた。
「グルルルル……」
 ――目が合った。
 最悪だ、こんなのに勝てる訳が無い。
 武器を構える事も出来ず、後退る。
 しかし、ドラゴンはこちらにはさして興味もないのか、大きく翼をはためかせると、獲物を掴んだまま彼方の山脈へと飛び去っていった。

 ドラゴンの姿が遥か彼方へと遠ざかり、やがて見えなくなっても、俺は呆然と立ち尽くし動けずにいた。
 事前に得ていた情報では、ドラゴンなどの龍族は強敵ではあるが、アトラスにおける最強のモンスターではない。
 これからプレイを進めていけば、彼らを相手にしなければいけない局面もあるだろう。
「あんなのを倒せってか……ステータス的には可能だとしても、精神的に勝てる気がしないな」
 目が合った瞬間、恐怖で全身が縛り付けられたようだった。
 あれはシステムとして用意されたバッドステータスなのか、はたまた彼我の力量差に対する生物的な怖れか。
 甘く見ていた。所詮はゲームだ、と。
 どうやら考えを改めなければならないようだ。
「いいね……遣り甲斐がある」
 俺はドラゴンが飛び去った彼方を見つめながら、気がつけば笑みを浮かべていた。



 アーカス前線基地の南門から入ってすぐ右手側に傭兵隊詰所はあった。
 ランクス傭兵隊長は微かに緑掛かった肌と額に二本の角を持つ、グリーンスキンと呼ばれる種族のNPCだった。
 グリーンスキンは大柄な種族だが、それにしたってこのランクスというNPCはとりわけ大きい。
 細身で長身というノスフェラトゥの設定により俺のキャラクターは身長百八十センチ半ば程だが、目の前のNPCは俺より頭一つ分以上は縦に長く、横幅に関しては俺の三倍はあろうかという巨体だ。
「おお、戻ったか新入り。ドラゴンに食われちまったんじゃねぇかと思ってたとこだったぜ。
「不幸なフリッグがいなければ食われてたかもしれないな」
「その様子じゃ随分肝冷やしたようだな。けどあいつらは俺らなんか眼中にねぇよ。あいつらの胃袋満たすには俺らは小さすぎるからな」
 ガハハと笑う姿は、彼がNPCである事を忘れるほど自然な動作だ。
 アトラスのNPCは独自開発された最新のAIによって、それぞれにユニークな個性を与えられている。
「ここはアーカス前線基地です」や「私が傭兵隊長です」などの、いかにもな台詞を繰り返すだけの、旧来のNPCとは一味違う。
 彼らは、このアトラスの世界で朝起き、仕事をし、食事をし、夜は寝るという生活サイクルを持って活動している。
 会話をしているだけでは、NPCとプレイヤーの区別などつかない程に洗練されたAIだ。
 中の人などいないNPCである事は間違い無いが、相対してみると、生身のプレイヤーを相手にするのとなんら変わり無い。
 このNPCを制御している高度なAIは開発側としてもアトラス一番の売りであるらしく、様々なゲームショウで「NPCと会話するだけ」のブースを設けていた。
 俺も何度かアトラスのブースに足を運んで、彼らの普通の人間と遜色の無い受け答えをサービス開始前に体験していたのでこうして自然と受け入れる事が出来るが、初めて彼らを目にしたプレイヤーは皆度肝を抜かれているだろう。

「で、偵察の結果はどうだったよ」
 ランクスに【メモリーリンク】で得た情報を伝える。
「やっぱり虚族が絡んでんのか……災禍の森が完全にあいつらの根城になる前に叩かねぇとな」
 ランクスは額の角を落ち着き無く触りながら顔を顰める。
「とはいえ、どう動くにせよもう少し探らねぇとな。ま、ご苦労さんだったな。ほれ、偵察の報酬だ」
 差し出されたのは粗末な小袋。
「今はまだ手が出せねぇが、いずれ災禍の森を叩く際にはお前にも出張ってもらうからな。全部飲み代に使っちまうのもお前の自由だが、きちんとその金で装備を整えておいたほうが身のためだぜ」
 小袋を受け取ると、クエスト報酬ウインドウが表示される。
 今回の報酬は銀貨一枚と銅貨二十枚。
 銅貨一枚が大体日本円で百円位の感覚だ。
 銅貨百枚で銀貨一枚になる。
 銀貨は一枚で1万円程度だ。
 そして銀貨百枚が金貨一枚分で、大体百万円程度の価値といったところだ。
 それぞれ銅貨はc、銀貨はs、金貨はgと略される。
 今回得た報酬、銀貨一枚銅貨二十枚を例にすれば、1s20cといった具合だ。
 詰所に入る前に、視界左下に表示しておいたクエストウインドウからアラームが鳴る。
 報酬を受け取った事で、クエスト【災禍の森偵察任務】が完了したようだ。

「で、まぁ今んとここれといって仕事は無い。暫くは酒でも飲んで疲れを癒してくれ、と言いたいとこだが」
 目の前に書類の束と何やら色々と詰め込まれた鞄が置かれる。
「完全に日が落ちるまではまだいくらか時間がある。もう一仕事してくれや」
 新しいクエストは【前線基地配達業務】。
 アーカス前線基地の主要NPCにアイテムを届けるという、所謂お使いクエストだ。
「俺は溜め込んだ書類を片付けにゃならんし、届け物のいくつかは今日中に持ってかにゃならんし、わざわざ誰かを呼び付けて持ってかせる程の仕事でもないしで、どうしたもんかと思ってたとこだ。まぁ小遣い稼ぎと思ってちゃちゃっと頼むぜ」
 ただ前線基地の中を回って荷物を届けるだけの、前線基地内の施設やNPCの配置を覚えるために用意されたチュートリアル的な内容のクエストだろう。
 報酬は50cと大した事はないが、お使いの報酬ならばこんなものか。
「これが誰に何を届けるか書いたメモだ。上から順に回ってけばいい。全部届けたら暫しの休暇だ。報告に戻ってくる必要はないからな。じゃあ頼んだぞ」
 差し出されたメモと鞄を受け取り、詰所を後にする。



[11997] 第四話 配達任務 騎士団 修練場 商業区
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 19:57
 アーカス前線基地は、かつて虚族の襲撃に遭い廃村となったアーカス村の周囲を防護柵で囲む事で、虚族との戦闘における前線基地としている。
 いくつも立ち並ぶ家屋の中には、何年も空き家のままで放置され、崩れかけた物もある。
「建物だけならゴーストタウンだな」
 だが、現在俺が歩いている場所、前線基地の中央部には基地の主要施設が集まっており、それなりに多くの人が道を歩いている。
 活気がある、とまでは言えないが、生活感のようなものは感じられる。
 もっとも、ここに来るまでに通ってきた場所は、建物は崩れかけ、通行人すら見かけないゴーストタウンと言って差し支えの無い風景だったが。

「クランガルム騎士団駐屯司令部……っと、ここか」
 騎士団駐屯司令部は、かつてのアーカス村の村長の屋敷を使用している。
 かつての土地の権力者の屋敷だけあって、古びてはいるがなかなか豪奢な造りだ。
 傭兵隊詰所は宿屋を利用しているだけあって建物こそ広かったが、住み心地という点においては遠く及ばないだろう。
 現在アーカス前線基地に滞在している者の多くは騎士団、傭兵、冒険者、そして戦地に商機を見出した商人達だ。
 個人で活動している冒険者は当然ながら、一応集団として活動している傭兵隊ですら、規模でも戦力でも騎士団には遠く及ばない。
 国に仕える立場でもあるため、最も発言力の高い騎士団がかつての権力者達の建物を利用し、金に物を言わせて商人達が中心部のそこそこ立派な建物を利用している。
 傭兵隊と冒険者が利用できるのは、郊外の建物だけ。
 なんとも世知辛い話だ。

「傭兵隊の者か。何用だ?」
 司令部の正門に近づくと、両脇に立っていた白金の鎧とハルバードで武装した騎士に声を掛けられた。
 どうやら勝手に入ってタンスを漁るお約束は不可能なようだ。
「隊長殿に書類を届けに。後、災禍の森の偵察結果の報告をしに来た」
 使いの者である事を証明する、傭兵隊長のサインの入った羊皮紙を確認すると、騎士は暫し待てと言い残して建物の中へと入って行った。
 その後、戻ってきた騎士に案内されて隊長室へと通される。

「わざわざご苦労様です。どうぞ掛けて下さい」
 執務机で書き物をしていた騎士団の紋章が入ったローブに身を包んだ男に促されるままソファーに座る。
 クランガルム騎士団七番隊隊長ゼリオス=クランツロウは、ペンを置き、俺の対面のソファーへと腰を下ろした。
 彼もランクスと同じくNPCだ。

「いや、こちらから依頼した偵察任務の報告にわざわざ出向かせてしまって申し訳ありませんね」
 俺が請け負った災禍の森偵察任務は、騎士団から傭兵隊に要請された物だ。
 何故騎士団自ら調査せずに、傭兵隊に依頼するなどといった回りくどい事をするのかと言うと、一言で言えば適材適所と言う奴だ。
 本来集団戦に不向きな闇の民でありながら、地力の高さと過酷な修練によって集団戦を可能とした集団が騎士団であり、彼らの本領が発揮されるのは大規模戦闘だ。
 対して傭兵隊は闇の種族本来の姿、個としての圧倒的な性能を以って脅威に対抗する集団だ。
 傭兵隊などと名乗ってはいるが、あくまで本質は個であり、個として戦果を出す。
 なので、偵察や斥候といった任務は少数戦に慣れた傭兵隊に回される事が多い。

 ゼリオスは偵察の報告を聞き終えると、背もたれに身体を預け深く息を吐いた。
「予想はしていましたが、やはり虚族が絡んでいますか。野生動物の凶暴化は、恐らく呪術による物でしょう。呪術師がいるとなると、厄介ですね」
 虚族とは、光神の末裔でもなく、闇神の末裔でもない、祖たる神を持たない種族だ。
 かつて世界を戦火で覆った、光の民と闇の民による大戦時に、どこからともなく現れ、破壊の限りを尽くした破滅を齎す種族。
 光の民、闇の民は共通の敵の出現により停戦。
 四大陸の内、虚族によって占領された三つの大陸を奪還すべく、ここ中央大陸アトラスにおいて体勢を立て直すべく雌伏の時を過ごしている。
「ここ数年は虚族の活動が活発になっています。災禍の森を侵略の橋頭堡とされる前に手を打つ必要がありますね……」
 ダークエルフ特有の透けるような白髪を梳きながら目を伏せ呟いていたゼリオスは、顔を上げると苦笑した。
「おっと、申し訳ない。どうも考え事をしていると周りに気が行かなくて。しかし、ちょっと困った事になりましたね」
「困った事?」
 あまり困ったようには見えないが、ゼリオスは大仰に腕を組んで由々しき事態ですなどと呟く。

「実は北の遺跡周辺で、最近大型モンスターによる被害が急増していまして。騎士団として討伐に向かうつもりだったのですが、虚族の動きが不穏な今、騎士団が基地を離れるのは得策ではないですからね」
 北の遺跡までは結構な距離がある。
 重装備の上に集団での進軍を強いられる騎士団では、移動だけでもかなりの時間がかかるだろう。
 虚族が活発化した今、前線基地を長期間手薄にする訳にはいかない
 しかし、遺跡の近くにはアーカス村から避難した村民が新たに作った集落クラクス村がある。
 被害が増えている以上、これ以上放置する訳にもいかず、何か手を打たなければいけない状況なのだろう。
「どうやら今回も傭兵隊と冒険者ギルドに依頼せざるを得ませんね。ここの所身軽なあなた方に頼ってばかりで、民の盾たる騎士団としては肩身の狭い思いですよ」
 個の集まりでしかない傭兵隊や冒険者は防衛戦には向かない。
 仮に騎士団不在の状況で虚族の襲撃があった場合、前線基地は一夜も持たず虚族の手に落ちるだろう。
 逆に傭兵隊と冒険者がいなくとも、守りに優れた騎士団が防衛に徹すればかなりの時間を稼ぐ事が出来る。
 これもまた適材適所だ。
「まぁ、この件はまた改めて、ランクス傭兵隊長と冒険者ギルトを交えて検討するとしましょう。偵察任務ご苦労様でした」
 一礼して席を立ち退室する。

 恐らく、近い内に先程のゼリオスとの話にあった大型モンスター討伐クエストが発生するかもしれない。
 騎士団が動くほどであれば、討伐対象はかなりの強敵と見て間違いないだろう。
 それまでにある程度戦えるよう装備を整えスキル構成を仕上げなければ。
 メモを取り出し、次の目的地を確認する。
「次は修練場の戦術教官か。丁度いい」
 司令部を出て、外壁沿いに裏手に回り修練場へと向かう。



 現在のアーカス前線基地の人口の殆どは、騎士団や傭兵隊、冒険者といった荒事専門の者達が占めている。
 そのため、かつて家畜の放牧地だった場所は、戦闘技術向上のための修練場となっている。
 騎士団の集団演習にも用いられるため、その規模は前線基地全体の半分近くを占める程の広さだ。
 演習場には騎士団と共に派遣された近接戦闘や魔術戦闘の戦術教官がいる。
 彼らはその名の通りスキルのトレーナーNPCで、一定の料金を支払う事で、特定のスキルをスキル値20.0まで短時間で鍛える事が出来る。
 所持金に然程余裕がある訳ではないが、料金次第では手っ取り早く20.0まで上げてしまうのも手だろう。

 修練場には、すでにスキル上げに励むプレイヤーの姿も何人か確認できる。
 ざっと見回してみると、やはりノスフェラトゥを選んだプレイヤーを多く見かける。
 ノスフェラトゥはアーカス前線基地と、北の遺跡の近くにあるクラクス村しかゲーム開始地点に選べないので、自然と集中するのだろう。
 しかし、多いと言っても、正式サービス開始初日にしてはその数は疎らだ。
 それもそのはず、ノスフェラトゥは事前のアンケートで最も不人気な種族だった。
 情報が公開された当初は、全種族で最も最終的な合計ステータス値が高くなる種族ということで、かなりの人気を誇っていた。
 しかし、その長所もパーティー時の共闘ペナルティがある以上ソロ限定のような物だし、ゲーム開始地点であるアーカス前線基地とクラクス村周辺に出現するモンスターは、初心者が相手にするには手に余る強敵ばかり。
 更に宿命値が低いせいで、他の種族と比べて行動に大きく制限がかかる。
 これだけでも一般プレイヤーであれば敬遠するに十分だ。

 だが、MMORPGプレイヤーにはソロプレイを好む者も多いし、ゲーマーの中には、わざわざいろいろな制限を設けて縛りプレイなどと称して異常なまでにやり込むプレイヤーも多い。
 そんなデメリットがあるほうが逆に燃えるといったプレイヤーも、キャラクター死亡時のデスペナルティが発表されると途端に勢いを失っていった。
 アトラスでは、キャラクターが死亡すると、そのキャラクターはロスト、つまり消滅し、二度と復活させる事は出来ない。
 再びプレイするためには、もう一度キャラクターを作り直さなければならないのだ。
 銀行に預けていたアイテムや貯金、死亡時の所持品の一部やスキル値の何割かを新しいキャラクターに引き継ぐ事は可能だが、宿命値が低い場合引き継げるアイテムの数やスキル値が減る。
 死亡率の高いソロプレイでしか本領を発揮出来ず、宿命値が低い故にキャラクターロスト後の救済もまともに受ける事が出来ないとあっては、この人気の無さも不思議ではない。
 こんなハイリスクローリターンな種族を選ぶのは余程の酔狂者くらいだろう。
 まぁ、俺もその一人なわけだが。

 目当ての人物はすぐ見つかった。
 頭の両脇、本来耳がある場所から生えたふさふさの毛に覆われた獣耳は、遠目にも良く目立つ。
 近接戦術教官のシャミル。
 ライカンスロープと呼ばれる種族である彼女に配達する物は……
「……酒?」
「おっ、ランクスのお使いかな?ということは……あはーっ!やっぱりそうだ、幻の名酒白麒麟!」
 鞄の中から出てきた、彼女への配達物。
 それは紛れも無くただの酒、しかも日本酒だった。
「えっと、それ、お酒ですよね」
 釈然としない物を感じて尋ねる俺とは対照的に、俺からひったくるように酒瓶を受け取った彼女は、目を潤ませて抱えた白麒麟とやらを見つめている。
「そうだよぉ。けどただのお酒じゃないんだな!聖獣が住まう神聖な土地と呼ばれる麒麟山脈、そこから何百年という年月を掛けて解け出した神力の溶け込んだ雪解け水を使って醸造された至高の名酒。その静謐な味わいは正に純白の麒麟の如く……」
 ぶつぶつと呟きながら酒瓶に頬擦りまでし始める始末。
「この前ランクスと模擬戦三番勝負をしてさー、お互いの一番大切な物を賭けたんだよ。で、死闘の末見事私が勝利し、晴れてこの子は私の下へ……ああ、この時をどれだけ待ち望んだ事か」

 それ完全にプライベートな話じゃねーか。
 任務とか言って何運ばせてんだあのオッサン。自分で持ってけよ。
 憮然として立ち尽くす俺などお構いなしに、シャミルは酒瓶にキスしはじめた。
 だめだこいつ、早くなんとかしないと……
「それじゃあ確かにお届けしました」
「あ、うん。ありがとね!ランクスによろしく言っといて。次は月光の雫を賭けて勝負だって」
 月光の雫とやらについての薀蓄を虚空に向けて呟きはじめたシャミルを置いてそそくさと修練場を後にする。
 配達のついでにスキル上げをするつもりだった事を思い出したのは、それから暫く経ってからの事だった。



 次の配達先は商業区の武器商人エドワード。
 前線基地の住人は非戦闘員を含めても生産が苦手な闇神の末裔が殆どなので、鍛冶屋などの生産者は全くと言って良い程見かける事はない。
 ここで手に入る物は、商人が買い付けて来た他所で作られた武器や防具ばかりだ。
 エドワードも例に漏れず他国の品を扱う商人の一人で、前線基地では珍しい光神の末裔であるヒューマンだ。
 かつて世界を二分し、対立していた光の民と闇の民だが、共通の敵である虚族の台頭以来、多少のわだかまりを残しつつも、共生の道を歩んでいる。
 特にエドワードは、大戦以降に建国された金が全ての新興商業国家の出身であるため、光の民だの闇の民だのといった事に興味が無い人種だ。
 彼らにとって大事なのは、そこに金があるか無いか。
 それだけが彼ら商人の判断基準なのだ。

「いらっしゃいませガイアス殿、今日は何をお探しで?」
 彼が俺の名前を呼んだのは、特に親しい間柄である事を示している訳ではない。
 彼らは商売のためならばなんでもする。
 きっとこの前線基地に出入りする者全ての名前を記憶している事だろう。
「隊長のお使いだよ」
 鞄の中から小包を取り出し渡す。
 エドワードは中身を取り出すと、一つ一つ手に取って確認し始めた。
 小包の中に入っていたのは、野生動物の角や牙、毛皮などの戦利品だった。
 これらの戦利品は武器や防具の素材として利用される。
 恐らく仕入れの際にこれらの素材を他所の街へ持って行き、生産者に売るのだろう。

「ええ、ええ、きちんと数もそろっていますし、質も問題ありませんね。はい、確かに受け取りましたよ」
 エドワードはそう言って、再びそれらを包みに戻すと、奥の棚に仕舞う。
「さて、他には何か御座いますか?先日仕入れから戻ったばかりですので、色々取り揃えておりますよ」
 その言葉に反応したのか、視界の左下に取引ウインドウが表示される。
 どうやらこの店で取り扱っている物のリストのようだ。
「そうだな……2s以内で揃えられる防具はあるか?」
 ログインした時点で持っていた1sと、先程受け取った報酬を合わせて現在の所持金は2s20c。
 2sは現在の全財産に近いが、配達任務を終えれば50cの報酬も手に入る。
 装備を整えれば狩りも楽になるし、ここは可能な限り性能の良い防具を手に入れるべきだろう。
 死ねばキャラクターロストである以上、装備品をケチる訳にはいかない。

「そうですな、その御予算ですとこちらの鋲革鎧一式がよろしいかと」
 ウインドウに表示されたのは、今の装備がボロ切れに見えるような、鋲を打ち込んで補強された頑丈そうな革鎧。
「予算の都合がつくならば、多少足が出てしまいますが、胴鎧をこちらのブレストプレートにしまして、他の箇所を鋲革鎧で揃える組み合わせがお勧めですが」
 表示される価格は、鋲革鎧一式が1s70c。
 胴鎧をブレストプレートにすると2s10c。
「金が余ったら予備の武器を買おうかと思ってたんだが。片手剣はあるか?頑丈でなるべく安いやつがいい」
「安くて頑丈な片手剣となりますと、このブロードソードが50cですな。幅広で厚みのある刃ですので頑丈ですよ」
「なるほど……ブレストプレートと合わせると2s60cか……2sにまけてくれ」
 駄目元で言ってみると、右下のスキルログウインドウが交渉術スキルの上昇を表示する。
「ははは、自分で言うのもおかしな話ですが、我ら商人にとって金は命であり身体を巡る血液ですからな。そう易々とは値切りには応じませんよ」
 なるほど、交渉術を上げれば値切る事も可能なのか。
 とは言え、この交渉術のスキル値で60cも値切るのは無理があるか。
「仕方ない、鋲革鎧一式とブロードソードで2s10c。どうだ?」
「10cとはいえ金は金……と言いたい所ですが、いいでしょう。その代わり、今後とも何かお探しの際は当店をご利用くださいますよう」
 にやりと笑うエドワードに金を払って品物を受け取る。
「今着てる鎧、買い取ってくれるか?」
「その鎧も随分と年季が入っておりますからね。古着としてもなかなか買い手がつかないでしょうし、10cという所でございますね」
 申し訳なさそうに答えるエドワード。
 初期装備であればその程度だろう。
「10cか。まぁ仕方ないな。それで頼むよ」
 装備変更コマンドで一瞬にして鋲革鎧に装備が変わった。
 今まで装備していた革鎧をエドワードに渡す。
 新しい鋲革鎧は量産品なので着心地はあまり良くはないが、動きにくい程ではない。
 隙間無く打ち込まれた鋲が重量感を感じさせるが、これまでの薄い鉄板と擦り切れた革で出来た防具とは安心感が違う。
「ではこちらが御代になります。ショートソードはよろしいので?」
「ああ、これは予備武器にするからな」
「なるほど、失念しておりました。では、ありがとうございました。武器防具の簡単な修繕もやっておりますので、またいつでもお立ち寄りください」
 深々と頭を下げるエドワードに見送られて、店を後にする。



「次は道具屋か」
 エドワードの店からそう遠くない、こじんまりとした建物へと入る。
「いらっしゃいませ、です」
 薬品独特の匂いが篭った狭い店内の奥、ガラス張りのカウンターから頭だけ覗かせているのはまだ幼い少女。
「お父さんは、仕入れに行ってます、です。マールはお手伝い、です」
 マールと名乗った、シャミルと同じライカンスロープの少女は、ふさふさの猫耳をぴこぴことせわしなく動かしながらお辞儀をする。
 俺は目の前の少女と向かい合い、どうしたものかと思案する。
 彼女は見たところまだ十歳かそこらだろう。
 NPCの年齢を気にするのもおかしな話だが、彼女に荷物を渡して大丈夫なのだろうか?
 メモには「商業区 道具屋主人マロウ」と書かれているのだし、彼女の父が戻るまで待つべきだろうか。
「マールはまだちいさいですけど、お店の事はなんでもできます、です」
 マールはそんな俺の動揺を察してか、少し頬を膨らませる。
「商品の説明もちゃんとできますですし、素材の鑑定もできるです。値切り交渉に毅然と対応だってできちゃいます、です」
 ぺたんこな胸を張ってさぁ用件を言うですとのたまう幼女。
 一抹の不安を感じながらも、鞄から包みを出して渡す。
 包みの中に入っていたのは、魔物の体内で生成される、ソウルジェムと呼ばれる赤い結晶と、前線基地周辺で採れる薬草、小瓶に入ったよくわからない液体。
 マールはそれらをせっせと仕分けしてゆく。
 たまに首を傾げて、棚を指差しながら「ど、こ、に、お、こ、う、か、な」と呟いているのは見なかった事にしておこう。

「完璧なのです。配達ご苦労様でした、です」
 仕分けを終えたマールは、小さな袋を差し出してきた。
「今回買い取った素材の御代になります、です。追加報酬として渡すようにっておじちゃんのメモが入ってた、です」
 おじちゃんとはランクスの事だろうか?
 なかなか粋な事をしてくれる。
 受け取った追加報酬は40c。
 おまけとしてはなかなかの額だ。
 臨時収入も入った事だし、いざという時のためにポーションを用意しておくのも悪くない。
「50cくらいでポーションとか買えるかな」
 手持ちの回復アイテムだけでは心許ないので、短時間で体力を回復できるポーションを何本か買っておきたい。
「それっぽっちじゃ無理無理、です」
 しかし、マールは両手の人差し指でバツを作って首を振る。
「ポーションは一番安いのでも一個50cから、です」
「そんなに高いのか?」
「高い上に効果は微妙、です。だから在庫もない、です。一個1sの下級ポーションくらいじゃないと、買う意味ない、です」
 表示されたウインドウに並ぶポーションは、確かにどれも高額が表示されている。
 どうやらこの世界のポーションは割と貴重品のようだ。
「じゃあポーション以外で何かないかな」
「50cなら、包帯と軟膏と治癒の丸薬の応急薬セットをお勧めする、です」
「けど、それは回復効果が出るまで時間がかかるだろ?いざって時のためにやっぱポーションは欲しいけどな」
「確かにどれも即効性には欠けるですし、いざという時のためにポーションを持っておくのは有効、です。けど、いざって時の回復手段が無いほうが、無茶しなくなるから逆に死ににくい、です」
 こんな幼い子供に教わるというのは釈然としない物があるが、なるほど、一理ある。
 つまり金が無いなら慎重になれと言う事か。
「なるほどね。じゃあその応急薬セットを貰おうか……30c」
「おとといきやがれ、です」
 彼女はエドワード以上の強敵だった。

 粘りに粘った値切り交渉の結果、応急薬セットを49cに値切る事に成功した。
 1cの値切りに執念を見せる俺に、マールは呆れ顔だったが、値切った金額は問題ではない。
 例え1cと言えども、値切り交渉を成功させたという事実が重要なのだ。
 おかげで交渉術スキルは2.4まで上昇した。
 名誉のために言っておくが、俺は決してロリコンではない。
 交渉の最中、幼女から投げかけられる辛辣な言葉にちょっと心が躍ったのは事実だが、決してロリコンではない。
 なんせ俺には妹がいるのだ。
 妹がいる男は年上に憧れる。姉がいる男は年下好きになる。
 両方いる奴は悟りを開き全てを受け入れる包容力を得る。
 それがこの世の真理なのだ。



[11997] 第五話 配達任務 神殿 外周区
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/19 23:25
「次は神殿か」
 神殿は、ここアーカス前線基地において、虚族の襲撃以前から現在まで変わらず機能し続けている数少ない施設の内の一つ。
 神殿が持つ役割は、神に祈りを捧げる場所であり、数あるスキルの中でも特殊な性質を持つ神術スキルを修練するための場所でもある。

 神術スキルと魔術スキルは、似て非なる物だ。
 どちらも炎や氷、風や雷といった攻撃呪文系SAや、傷を癒す治癒呪文SA、身体能力を強化する強化呪文SAを習得可能という点では変わらない。
 しかし各属性の攻撃呪文、治癒呪文、強化呪文を幅広く習得可能な魔術スキルと違って、神術スキルで習得するSAはそれぞれのキャラクターが信仰する神によって変化する。
 例えば、生命神ルースを信仰していれば治癒呪文SAを多く覚え、炎の神ガルクを信仰していれば炎系攻撃呪文SAを多く覚える。
 魔術スキルのような汎用性が無い代わりに、神の力を行使する神術スキルのSAは魔術スキルと比べて強力な物が多い。
 信仰神によって大きく使い勝手が変わるため、ネットではどの信仰神を選ぶのが最も効率がいいかという議論が熱く交わされていた。

 神殿はヨーロッパの宗教建築を思わせる、立派な石造りの建物だ。
 中に入ると、正面に闇の四神の石像があり、この神殿が闇の神を祀っている事が伺える。
 なので、ここで光の神を信仰している者が祈りを捧げても何の恩恵も得る事は出来ない。
 せっかくなので、祈りを捧げて行く事にする。
 祭壇の下、ステンドグラスを通して刺し込む光の中に立ち、膝を着き頭を垂れる。
 右手を額に、左手を胸に。
 これが破壊神ミデラに祈りを捧げる際の形式だ。

 祈る事で何が得られるかと言うと、ディバインエナジーゲージの回復と、神術スキル値の上昇だ。
 ブラッディウルフとの戦闘で、ディバインゲージは七割程に減っていた。
 祈りを捧げ始めると、緑色のゲージがじわじわと回復していく。
 また、一定の間隔を置いて、神術スキル値の上昇ログがスキルログウインドウに表示されていく。
 スキル値が高くなれば高くなる程、祈りを捧げる事でスキル値が上昇する間隔が長くなっていくのだ。
 ちなみに祈りを捧げるのは神殿以外の場所でも可能だ。。
 初期配布アイテムの邪心像を使えば、屋外でもディバインエナジーの回復は可能だし、スキルも上がる。
 ただし回復速度もスキル上昇率も神殿とは比べ物にならない程低い。

 30秒程祈りを捧げる事で、ディバインエナジーは完全に回復した。
 スキル値は0.5上昇している。
 祈りだけでスキル値を上げるのはあまり現実的ではないようだ。

 では、本来の目的を果たそう。
 メモには「神殿 司書ジーファ」とある。
 司書という事は、神殿が管理している図書室でもあるのだろうか。
 通りがかった修道士に図書室の場所を尋ねると、地下へと続く階段に案内された。
 階段を下りれば、地下一面が図書室になっているという。
 修道士に礼を述べて階段を下りる。

 地下図書室は、予想外の広さだった。
 一定の間隔で置かれた燭台の明かりだけでは、どれ程先まで書架が続いているのか把握できない。
「何かお探しですか?」
 背後から掛けられた声に振り向くと、青白い肌に透けるような白髪。ダークエルフだ。
 身を包むのは染み一つ無い純白の修道服。
 こちらを見つめる水色の瞳と薄い桜色の唇以外は、どこまでも白い。
 しかし、こちらに向けられた瞳に、違和感を感じる。
 目の焦点が合っていないのだ。
 盲目なのだろうか。
「ええと、司書のジーファさんはどちらでしょう?」
「ジーファは私ですわ」
 一瞬、彼女が何を言っているのか理解できず、ワタクシとは何処だろうなどと訳のわからない事を考える。
 そんな俺の戸惑いを察してか、彼女はくすくすと笑う。
「目が見えないのに司書だなんて、おかしいですよね」
「え、いや、おかしいなんて事は……すいません」
「ふふ、気になさらないで。自分でもたまに笑ってしまうんですもの」
 そう言うと、彼女は目が見えないとは思えない程しっかりとした足取りで書架に歩み寄る。
「けれど、目が見えなくても司書の仕事は出来ますのよ。この本は『旧約創世神話第二巻』。こちらは『闇神学概論Ⅲ』」
 そう言って彼女が抜き出した本の表紙には、確かにそれらのタイトルが書かれている。
 全ての本の配置を記憶しているのだろうか?
「全ての本には著者の想いが込められています。それは写本でも同じ。私はそれらを感じる事が出来る物ですから」
 ただの物に込められた想い……そんな物を読み取るスキルがあるのだろうか?
 基本的なスキルは、事前に情報が公開されているが、少なくとも、俺が知る限りではそれらしいスキルはない。
 あるとすれば、封印スキルだろうか。

 封印スキルとは、特定の条件を満たした場合にのみスキルリストに表示される特殊なスキルだ。
 特定のスキルを一定値まで上昇させる、特定クエストを達成する、特定アイテムを使用するなど、様々な条件によって『封印』されたスキル。
 それらは初めから全てのプレイヤーが習得している基本スキルと比べ、強力な効果を持っている物が多い。
 封印スキルに関しては殆ど情報が公開されなかったので、物に込められた想いを読み取るスキルなどという物があるかは不明だが、恐らく間違い無いだろう。
 この世界では何をするにもまず間違いなくスキルが関わってくる。
 それはNPCとて例外ではないはずだ。
「あの、本日は何をお探しで?」
 思考に耽る俺に、困ったような声がかけられる。
 彼女に聞けば答えを得られるかもしれない。
 上手く聞き出せれば、ほとんど情報の出回っていない封印スキルについて知るチャンスだ。
 しかしいかにNPC相手とはいえ、初対面の相手の身体的障害に関わる話を広げる気にはなれない。
 もう少し親密になってから、だな。

 思考を打ち切り、鞄から彼女への届け物を取り出す。
 それは、一冊の本と、手紙だった。
「それは『新約創世神話第八巻』……ランクスさんのお使いの方でしたか」
 俺が取り出した本のタイトルを、触れもせず言い当てる。
「珍しくランクスさんが返却を延滞なさるから、お仕事がお忙しいのかと思って、今日あたり取りに伺うつもりでしたので助かりました」
「あのオッサ……隊長が読書ってのは意外ですね」
 随分と分厚い本の八巻という事は、気紛れで手に取った訳ではないだろう。
 あの筋肉達磨がこの本を読んでいる姿を想像する。似合わない。
「私がここの司書を始めたばかりの頃に、ランクスさんが文字を習いたいと言って神殿を尋ねてまいりまして。騎士団の方との書類のやり取りの際に文字が読めないと困るとかで、熱心に学ばれていましたよ。それ以来、ここにも頻繁に足を運ばれるようになって、色々な本を借りて行かれます」

 なんとも殊勝な心掛けだが、本当にそんな真面目な理由だけなのか?
 騎士団から書類が来たら、文字は読めないから人を寄越せと怒鳴り込むタイプに思えるが。
 もっと他の理由があるとしか思えない。
 そう、例えばこの手紙……かわいらしいピンク色の封筒に、ハートマークで蝋の封印がされている、いかがわしいオーラを放つこの手紙。
 封筒にはミミズがのたくったような字で『親愛なるジーファへ』などと書かれている。
 隅のほうには、目を凝らしてようやく見える程小さい文字でランクスの署名がある。
 完全無欠にラブレターだ。

 目が見えない相手にラブレターって……!
 いや、相手は無機物に込められた想いを読み取る事が出来るのだから、そう悪い手ではないのか?
 事実、ジーファはこの手紙にちらちら目をやりながら顔を赤らめもじもじしている。
「ていうか自分で渡せよあの野郎……」
 俺の呟きは、広大な地下図書室を覆う闇へと吸い込まれていった。



 神殿を出る頃には、日は傾き夜の帳が下り始めていた。
「次で最後か」
 メモの最後には「外周区 娼館『飾り窓』 エリーシア」と書かれている。
 メモを閉じ、深呼吸する。
 目を揉み解し、もう一度メモを開く。
 そこに書かれているのは「外周区 娼館『飾り窓』 エリーシア」。
 クシャっと軽い音を立ててメモが手の中で潰れる。
「娼館って……傭兵隊長が娼館に何届けるんだよ」
 詰所で受け取った鞄の中に残るのはずしりと重く、じゃらじゃらと音を立てる小袋。
 中身なんざ見なくたってわかる。
 お金だ。
 念のためちらりと覗いてみると、案の定銀貨と銅貨が詰まっている。
 銀貨の一枚でも拝借してやろうかと思ったが、袋と貨幣がまとめてクエストアイテム属性になっているのでちょろまかす事は出来なかった。
 いや、別にクエストアイテムじゃ無くたって本気でパクる気は無いけども。
「もうこのまま詰所戻ってあの肉達磨を小一時間問い詰めたいけど、これもちゃんと届けないと配達任務終わらないしな……」
 スタミナゲージは歩いているだけならば消費量を自然回復量が上回るので、システム的には疲労など感じるはずもないのだが、外周区へと向かう足取りは重い。

 生体認証システムと住基IDカードを合わせた個人認証システム、通称住基生体認証システムの普及は、ネット上でのセキュリティやアカウント管理の在り方を大きく変えた。
 これまでは特定の文字列によるIDとパスワードによって管理されてきたアカウントは、住基生体認証システムの普及以降、個人情報の流出によるなりすまし被害の件数を大きく減らす事に成功する。
 また、住基生体認証システムは、個人が複数のアカウントを大量に作ったり、ずさんな年齢認証による未成年のアダルトサイトへのアクセスなど、様々な問題を解決した。
 一方で、アダルトコンテンツは、未成年によるアクセスをほぼ完璧に締め出す事に成功した事によって、より過激に発展して行った。
 そもそもアダルトコンテンツが秘めたパワーは凄まじい。かつてのビデオデッキの爆発的な普及や、インターネットの急成長などは、アダルトコンテンツがその一因を担っていたのは間違いない。
 新しい技術の発展、普及の影にはエロパワーが付き物である以上、VRシステムを利用したアダルトコンテンツが登場したのも、当然と言えるだろう。
 現在では、特定のコンテンツに『十八歳以上のみ対象』といった形だけの規制は存在しない。
 対象年齢未満であれば、住基生体認証システムによってそれらのコンテンツへのアクセスを完全に遮断する事が出来るからだ。
 そういった事情もあってか、最近のVRMMORPGの中には、一見全年齢対象でありながら、一部にアダルトコンテンツを含むタイトルが存在する。
 アトラスもその中の一つである。
 故に、この世界の娼館というのは、形ばかりのハリボテではない。
 バーチャルの世界で、そういうコトが出来る場所なのだ。

 外周区への入り口を眺めながら溜息を一つ。
 遠目に見た限りでは、寂れた酒場が立ち並ぶ一角といった雰囲気だが、先程から何人かのプレイヤーが足早に外周区へと吸い込まれてゆく。
 どいつもこいつも期待に目を輝かせた男性プレイヤーばかりだ。
「そりゃこんな場所なら娼館の一つもあるだろうけどさあ」
 血の気の多い傭兵や冒険者の野郎どもが多数を占める前線基地に、こういう店があるのは何ら不思議ではない。
 俺だって健康な男だ。
 可能ならば、彼らに混じって夜の街に繰り出したい。
 しかし俺は未だ未成年であり、そっちのコンテンツを楽しむ事はシステム的に出来ない。
 外周区に立ち入るだけならば、十五歳以上であれば許可されているようだが、中途半端に足を踏み入れても未知の世界に対する興味が増すだけではないか。
 俺だって「昨夜はお楽しみでしたね」したいのに!
 一人、また一人と外周区に吸い込まれていくプレイヤーを臍を噛みながら眺める。
「はぁ……こうしてたって仕方ないな……さっさと済ませよう」
 なるべく周囲を意識しないように努めながら、外周区の門を潜る。

 目的地である娼館『飾り窓』はすぐ見つかった。
 その光景は、なんとうか、十五禁じゃねぇだろこれ。という物だった。
 店名の由来でもあるのか、その娼館は装飾が施された出窓がいくつもあり、そこから露出過多な衣装に身を包んだ女の人が通りに身を乗り出して手など振っている。
 どういやら出窓から顔を覗かせているお姉さん方の中から気に入った相手を選び指名するシステムのようである。
 他所の娼館が、入り口にお姉さんが立っている以外は寂れた酒場という雰囲気なのに対して、ここだけ飛びぬけて派手だ。

「なんだい坊や。こんなとこ来るにはちょっと早いんじゃないかい」
 思わず言葉を失って見入っていると、一階のオープンテラスに腰掛けた女性に声を掛けられた。
「それにうちは外周区一の高級店さ。あんたみたいな若いのがハマると三日と待たず文無しだよ」
 紫煙をくゆらせながら、煙管で外周区の門の方角を指している。
 さっさと出てけと言う事だろう。
 しかしここまで来てタダで帰る訳にはいかない。
「ここには仕事で来た。エリーシアって人を探してる」
「ふぅん?仕事でエリーシアをねぇ……けど、生憎あの娘は今二階で仕事中さ。急ぎなら代わりに用件を聞くけどね」
 仕事中という言葉に妄想が駆け巡る。
 それはつまりあれか。そういうことか。どこかの部屋で今あれなのか。
 必死で平静を保ったつもりだが、相手はプロだ。
 男が今何を考えてるかくらい手に取るようにわかるのだろう。なんかニヤニヤしてるし。
「傭兵隊長から届け物を預かってる。貴重品だから他人には預けられない」
 取り込み中なら出なおすと言い残して立ち去ろうとすると、女性はいきなり笑い出した。
「あは、あははは!あの馬鹿、こんな子を使いによこすなんて、くく、何考えてんだかねぇホント」
 目じりに浮かんだ涙を拭いながら、手招きする。
「アタシがエリーシアだよ。まったく、こんなとこ来て仕事で人探しなんて遠まわしな言い方するから警戒しちまったじゃないか」

 濃い褐色の肌に燃えるような赤い瞳。
 腰まであるウェーブのかかった栗色がかった銀髪。
 エリーシアは俺と同じノスフェラトゥだった。
 なんでも彼女はこの娼館を取り仕切る女将で、今は客は取っていないのだとか。
 彼女への配達物は、案の定ランクスが溜め込んだツケだった。
「ほんとどうしょもない馬鹿だよ。贔屓にしてる娼婦に惚れた女の相談してた時も呆れたけど、ガキにこんな大金持たせて外周区に使いに寄越すなんて、頭の中どうなってんのかね」
 激しく同意せざるを得ない。
 今回の配達物も半分は傭兵隊の仕事とは関係無い物だったし、明らかに人に任せちゃいけない物も混じっていたし。
 何か考えがあってのことなのか、何も考えていないだけなのか。
 まぁ後者だろうな。

「まぁツケの代金は確り頂いたよ。これはお駄賃だ、取っときな」
 貨幣を数え終えたエリーシアは、その中から銀貨を一枚投げて寄越してきた。
「いや、いくらなんでも銀貨は貰いすぎだ」
 返そうとすると、煙管で頭を叩かれた。
「ガキのくせに生意気言うんじゃないよ。ならオトナになったら返しにおいで。アタシが相手してあげるよ」
 くく、と笑いながら煙管の紫煙を吹きかけてくる。
 やめてくれ、俺は年上に弱いんだ。
「ほら、そろそろ帰んな。最初のお客がそろそろ出てくる頃だ。娼婦なんて最初こそ着飾っちゃいるが、一度お客の相手したら服なんかいちいち着ないからね。ガキがいていい時間はもうお終いだよ」
 しっしと手を払う。
 ギギギ……くやしいのう!くやしいのう!
「ていうか、ガキガキって……もうすぐ十八だっつーの」
 エリーシアが身動ぎする度に視界に飛び込んでくる谷間や、ドレスのスリットから覗く生足から目を逸らしつつ呟く。
 そんなガキっぽい俺の反応を見て、エリーシアの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。
「あらそう。アタシほんとは若いコに目が無くてねぇ。さっさと歳食って抱いておくれよ」
 これまでのからかうような雰囲気は掻き消え、誘うような笑みを浮かべてしな垂れかかってくる。
 だめだ、敵わねぇ!
 その後エリーシアにさんざんいいようにからかわれた後、二階から本当に一糸纏わぬお姉さんが降りてきたので慌てて『飾り窓』から逃げ出す。
 もっとも、未成年に対する性的表現規制処理によって肝心な部分は全く記憶に残る事はなかったが。
「オトナになったらまたおいでよ」
 足早に外周区の門へと向かう俺の背後で、エリーシアはけらけらと笑っていた。



[11997] 第六話 配達任務完了 ログアウト
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 20:00
「おう、なんだおめぇもう帰ってきたのか?配達終わったら休暇だっつったろ。せっかく俺が気を利かせて最後に『飾り窓』紹介してやったんだから遊んでこいよ。それともすぐイっちまったか?」
 詰所に戻ると、うんうん唸りながら書類に向かっていたランクスが、こちらににやけた顔を向けてくる。
「鎧買ったからそんな金は無い。そもそも俺はまだ未成年だ。ていうかなんだよあの配達任務は。ほとんどあんたの個人的な用事ばっかじゃねーか」
「あーん?金なら、エリーシアに渡した袋に多目に入れといたはずだぞ。配達の報酬と遊ぶ金に使えってメモ入れて」
「は?そんな事あの人一言も……」
 一瞬の沈黙の後、盛大な溜息。
「やられたな。下手に気を利かせた俺が馬鹿だったか。あの強欲女に金を預けるような真似するんじゃなかった」
 つまり、エリーシアに渡した金には配達任務の報酬50cと、幾らかは知らないが外周区で遊べるだけの金が含まれていたというわけか。
 1sは貰いすぎどころか、エリーシアにかなり余計に持ってかれた事になる。
 俺としては50c多く貰えたのだから文句は無いが、ランクスは後悔からか、額に手をやり天井を仰いでいる。

「まぁ仕方ねぇ。随分長い事ツケっぱなしだったから、利子だと思って諦めるか。で、他んとこにはちゃんと届けてきたのか?」
「当たり前だろ。騎士団の隊長が災禍の森の虚族の件と、クラクス村周辺の大型モンスターについて近いうちに話し合いたいそうだ」
「マジかよ。あの隊長さんは堅っ苦しくて苦手なんだが……」
「後シャミルが今度は月光の雫を掛けて勝負とか言ってたな」
「なにぃ?あのアル中娘、次は月光の雫まで毟り取ろうってか?上等だ、次こそコテンパンにのしてやらぁ」
「で、ジーファさんは『新約創世神話第九巻』を取り置きしとくから近いうちに借りに来い、手紙の返事はその時に、だとさ」
 ふんふんと頷いていたランクスは、手紙の下りで椅子から盛大に転げ落ちた。
「てってて、てが、手紙!?ああっ!無い!手紙が無い!おいお前、まさかあの、あの手紙ジーファに、渡した、のか?」
 どたばたと騒々しく、書類に埋もれた机の上を引っ掻き回し、引き出しの中身をぶちまけながら、大いにうろたえるランクス。
「そりゃ渡すだろ、それが任務だったんだし……なんかイラっときたから破り捨ててやろうかと思ったけど、あの人一目で内容判ったみたいだったしな」
 ありえん……と呟いて床に突っ伏すランクス。項垂れる様orzの如し。
 人にラブレター届けさせといて随分余裕こいてやがると思ったら、あの手紙は手違いで鞄に入っていたのか。
 良い気味だ。
「まぁそう気を落とすなよ。女なんて他にもいるさ」
 精一杯相手を気遣うような微笑を浮かべて、そっと肩に手を置く。
 俺の芝居は効果覿面だったようで、ランクスは緑色の肌を青ざめさせて床に崩れ落ちた。
 まぁ実際の所ジーファさんも満更ではないようだったし、案外上手くいくんじゃないだろうか。
 しかし、こんな娼館にツケ溜めとくような馬鹿の何処がいいんだろうか。
 彼女の未来のためにも心ばかりの助言をするべきかもしれないな。
 この筋肉達磨が立ち直った頃を見計らって。

 俺は燃え尽きた馬鹿を放置して詰所の二階へと続く階段を昇る。
 二階は傭兵隊員の居住スペースになっており、かなりの部屋数がある。
 特に決められた部屋の割り振りはされておらず、空き部屋があれば適当に利用するシステムだ。
 空き部屋が無ければ相部屋か、詰所周辺にいくらでもある空き家を利用する。
 幸い今日は出払っている隊員が多いのか、空き部屋はすぐ見つかった。
 部屋に入って粗末なベッドに腰掛ける。

「『システムブック』」
 システムブック右上にはゲーム内時間と、現実時間が表示されている。
 ゲーム内時間は20:40、現実時間は20:10。
 ログインした時はゲーム内では正午頃だったはずなので、八時間程プレイしていたようだ。
 しかし現実時間では午後六時にログインして、現在午後八時なので、未だ二時間しか経過していない事になる。
 アトラスではVRシステムによって脳機能を機械的に補助する事により、通常の四倍という加速状態でのプレイを可能にしている。
 つまりゲーム内では四時間が経過していても、現実で経過する時間は一時間というわけだ。

 我が家では午後八時半が夕食の時間と決まっているので、そろそろログアウトをしなければならない。
「『ログアウト』」
 システムブックを開いた状態でログアウトを宣言すると、ログアウトの確認ウインドウが表示される。
『ログアウト処理を開始します No/Yes』
 Yesに触れると、三十秒のカウントダウンが始まる。
 カウントダウン中に一定範囲を越える移動をしたり、攻撃を受けるとログアウト処理は中断される。

『3...2...1...ログアウト処理完了。お疲れ様でした』
 一瞬の暗転。
 周囲には何も無い空間。
 エントランスレイヤーだ。
 目の前にはシステムブックが開かれた状態で浮いている。
『システムブックを閉じる事でゲーム終了処理が完了します。このままゲームを終了するのであればシステムブックを閉じてください』
 開かれたページの上に表示されるウインドウに従って本を閉じる。
 表紙が閉じられるのと同時に意識が暗転する。



 目を醒ますと、俺の身体はアトラスのキャラクター『ガイアス』から、現実の『藤代孝彦』に変わっていた。
 微かな駆動音と共にVRベッドのカバーが上がってゆく。
 覚醒誘導機能によって気持ち悪い程目覚めはいい。
 時刻は八時十三分。
 夕食には少し早いが、たまには配膳の手伝いくらいするのもいいだろう。
 僅かに凝り固まった身体を解しながらリビングへと向かう。

 夕食はカレーだった。
 なんせ我が家は家族全員がゲーマーなので、ネトゲのサービス開始から三日間は一日三食手のかからないカレーがお約束だ。
 巨大な寸胴鍋になみなみとカレーが作り置きされている。
「で、タカとヤッコはもうやったんだろ?どうだった?」
 飲酒状態ではVRシステムが起動出来ないので、晩酌はお預けとなった親父が待ち切れないといった具合に感想を聞いてくる。
 ちなみにタカとは俺の事で、ヤッコは妹の事だ。
 父泰彦、母孝子の名前を組み変えて、俺が孝彦、妹が泰子。
 もうちょっと捻った名前を付けて欲しかったものだが、俺の名前の第一候補は騎士と書いてナイト君だったそうなので贅沢は言えない。
 祖父母の猛反対が無ければ、俺はすごくかっこいい名前で一生を過ごさなければならなかったのかと思うと、祖父母には感謝しきりである。

「やっぱすごいよー。前評判以上って感じ。エルフの里とか景色が綺麗だったから、みんなとずーっと街の中ぐるぐる回ってたもん」
 身振り手ぶりで感動を現すヤッコ。
 ヤッコが選んだ種族は光神の末裔であるエルフ。
 事前のアンケートでは全種族の中で二番目に人気のある種族だった。
 やはりエルフといえば美男美女に、自然に囲まれた美しい町並みというイメージのせいか、女性プレイヤーが多いという。
 ちなみに女性人口に釣られた男性プレイヤーもかなりの数だそうな。

「こっちは風景は確かにリアルだったけど、景色が綺麗って感じではなかったな。初っ端から荒野に放り出されたし」
 あの景色を見て綺麗という感情が浮かぶ奴はそうはいまい。
「どうせおにいちゃんの事だから戦ってばっかだったんでしょ?」
 なんか引っかかる言い方だが、避けられない戦いだったにせよ事実なので言い返せない。
「人を戦闘狂みたいに言うな。まぁ一戦しかしてないけど、戦闘もかなりリアル志向だよ。やっこなんかビビって何も出来ないんじゃねーの」
「うちはおにいちゃんと違って仲間がいるから平気ですー」
 やっこは以前にやっていたネトゲの取り巻きを、アトラスでもそっくりそのまま引き連れてプレイしているようだ。
 親父に言わせればネトゲの女性プレイヤーは昔と比べてかなり増えたらしいが、それでも男女比は偏っている。
 おまけにやっこは他人から見るとそこそこ可愛い方らしく、リアルの体形データを利用する最近のネトゲでは、半ばネットアイドル状態なのだ。
 俺から見たらクソ生意気なガキでしかないのだが、まぁ身内と他人であれば感じる物も違うという事だろう。

 ちなみに俺の顔の造詣はごく普通と言った所だ。
 強いて言えばイケメン寄りだと自負してはいるのだが、以前友人とそういった話になった際に
「ああ……まぁそういう美的感覚の部族も世界のどこかにはいるかもね」
 と生ぬるい微笑みを向けられてしまった。
 そう悪い顔ではないと思うのだが……

「そういえば、たっくんのいる場所と私達が始める場所って遠いんでしょう?やこちゃんのいる所は近いみたいだけれど。手軽な移動手段とかあるの?」
「休憩時間にwiki見てたんだが、マップを見る限りでは確かに遠かったな。移動手段が徒歩しかないとしたら、全員が集まるのはなかなか大変そうだぞ」
 親父と母さんは種族にヒューマンを選んだので、ノスフェラトゥを選んだ俺とはゲーム開始地点が離れている。
 ヒューマンのスタート地点は大陸北西部、ノスフェラトゥは大陸南東部なので、大陸の両端に分かれている事になる。
「合流してまでパーティー組むメリットは俺にはないし、急いで合流する必要も無いだろ」
「うちも別ゲーの友達と組むから、たまには夫婦水入らずでやればいーじゃん。若い頃思い出しちゃうかもよー」
「そういう言い方やめてくれる?すげー萎えるんですけど」
「いやーまいったなー」
「頬染めてんじゃねーよ気持ち悪い」
「パパとじゃなくてたっくんと一緒にすればよかったな……」
 蔑ろにされたからってこっち睨んでんじゃねーよ負け犬親父。



 親父とメンチ切り合っている間に、やっこが先に風呂に入ってしまった。
 仕方ないので風呂の順番待ちついでに親父を格ゲーでこてんぱんにのした後、手早くシャワーを済ませ自室に戻って来た。
 再びログインする前に、PCを起動して情報を漁る事にする。
 殆どの廃プレイヤーは正式開始直後から繋ぎっぱなしだろうから、恐らく大した情報は未だ出回っていないだろうが、こういうのは確認しておかないと気が済まない性質なのだ。
 ブラウザを開き、巡回しているゲーム情報サイトとアトラス関連のページを片っ端から開いていく。
 ゲーム情報サイトの新着情報を流し読みしていると、メッセンジャーソフトがメッセージの受信を告げる。

『よっす』
 ビジュアルチャットの画面に映るのは昔馴染みのネトゲ仲間。
 ジャージ姿にノーメイク、適当に髪をポニーテイルに纏めただけの、油断しきった格好の三十路目前の女の名前は水瀬美奈子、ハンドルネーム『ミナミナ』。
「よっすじゃないっすよ。またそんな女っ気の無い格好で……」
『馬鹿言うな。女は本気出すのも一苦労なの』
「本気出した時と落差がやべーっすよ」
 以前一度だけ、完璧メイクでビシっと決まったスーツという出来る女の姿を見ているだけに、すごく残念な気持ちになる。まぁあれはコスプレだったらしいが……。
『まぁそんなんどーでもいいよ。それよかアトラスだよアトラス。もうやったんでしょ?』
「ええ、まぁ。晩飯だったんで一度ログアウトしたとこです。ミナさんはまだやってないんですか?」
 俺が繋いだタイミングでメッセを送ってきたということは、丁度彼女もPCに向かっていたのだろう。
『シゴトガオワンナーイのよ。早くやりたいのに。あーVRベットじゃん。ブルジョワ死ねよ』
 煙草の煙を盛大に吐きながら死ねとか言われた。
『あとちょっとで一段落着くから、そしたら廃プレイだねー。もうログアウトしないよ。あっちで生きる』
「さすが廃神。ダストのメンバーも殆どプレイ予定でしたっけか」
 彼女は所謂廃人、いや廃神プレイヤーで、ダストとは、彼女をマスターとしてネトゲを渡り歩く廃ギルド『エンジェルダスト』の通称だ。
 彼女を筆頭に、人生をネトゲに捧げているような廃神プレイヤーの集まりで、かなりぶっ飛んだ面々が揃っている。
 俺も一時期所属していたので知り合いは多い。
『まーね。他のゴミどもはもう全員プレイ中。マスターが出遅れるなんて情けない』
 わざとらしく目元を拭う。
 全然かわいくねぇ。
『ま、一応合流しやすいように光の種族で揃えてはいるけど、当分はそれぞれ勝手にプレイする方針だから、塵が積もるのは当分先だと思うけど』
 塵が積もるというのは、『Angel Dustを結成する』、つまり『Dust(塵)が積もる』と言う事だ。
 関係があるかは分からないが、彼女は自分のギルドメンバーを『ゴミども』と呼ぶ。
 それでいてメンバーからの人望が厚いのは、彼女のカリスマ故か、生粋の変人の集まりだからなのか。
『たっくんは種族ノスフェラトゥって言ってたっけ。相変わらずマイナー所が好きだねぇ』
 母さんに『たっくん』と呼ばれているのがバレて以来、彼女も面白がってその呼び方をするようになってしまった。
 嫌がっても喜ばすだけなので無視しているが、正直勘弁してほしい。
「人とは違う事をやるのが好きなんで」
『まぁらしいっちゃらしいけどね。またうちにおいでよ。常識人が少ないと苦労すんのよね』
 少ない……?いないの間違いじゃないのか……?
「あー、まぁソロに疲れたらお世話になりますよ。んじゃそろそろインするんで」
「えー私まだ原稿終わってないのに!ずるいずるい!」
 彼女に付き合っていたらいつまで経ってもログインできないので、適当にあしらってPCをシャットダウンする。

 ビジュアルチャットをしながらだったので細かい部分まで読み込んではいないが、主だったサイトには目を通し終えた。
 予想通りまだ大した情報は出回っていなかった。
 唯一目を引いたのは、闇の種族の宿命値の低さが予想以上に厄介であるという内容の書き込みのみ。
 大規模掲示板の本スレでは、闇の種族を選んだプレイヤーの悲鳴と共に、光の種族に作り直すという書き込みが目立った。
 どうやら宿命値を上げるためには宿命値の高いNPCからのクエストをこなす必要があるらしいのだが、宿命値が低いと宿命値が高いNPCからクエストを受ける事が出来ないというジレンマが発生するらしい。
「そりゃ高ステータスのデメリットとして宿命値が低く設定されてるんだから、簡単には上がらないとは思ってたけど、相当マゾそうだな」
 だがそれがいい。普通の人にはそれがわからんのです。
 トイレを済ませてからVRベッドに横たわり、再びアトラスへとログインする。
 眠りに落ちてゆく意識の中で、まだ見ぬ冒険の世界へと思いを馳せていた。



[11997] 第七話 スキルトレーナー 熱血指導
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 22:33
 夕食の後、なんだかんだと時間を食ったので、再びログインした頃には午後十時近くになっていた。
 ゲーム内時間では既に夜も更け、間もなく朝日が昇ろうという時刻である。
 前線基地内にはまばらに篝火が灯されているが、殆どの場所は暗闇に覆われている。
 本来であれば、こんな時間に出歩くならばランタンや松明などが欲しい所だが、もっと便利な物がある俺には必要ない。
「【ナイトサイト】」
 神術スキルSA【ナイトサイト】は、暗視の効果を得る事が出来る。
 治癒神系の神術スキルや魔術スキルには、光の精霊や魔力で出来た光源を呼び出すSAもあるが、【ナイトサイト】は光源無しで暗闇の中視界を得る事が出来るので、暗所での戦闘時には敵の不意を突く事も出来る優れ物である。
 だが、暗視効果を得られるのは使用者のみなので、パーティープレイには向かないSAだ。
 そもそも種族的にパーティープレイは不向きなので、あまり関係無いデメリットだが。
「しかし、この時間だと完全にゴーストタウンだな」
 闇に包まれ人気の無くなった前線基地は、幽霊の一つくらい出てきてもおかしくない雰囲気だ。
 背筋に寒い物を感じさせる雰囲気に包まれた前線基地を、無意識の内に小走りに駆け抜けて修練場へと向かう。

「やっぱ昼の内にスキルの修行しなかったのは失敗だったか」
 広い修練場には数名のプレイヤーがいるのみで、NPCは一人も見当たらない。
 それもそのはず、夜になれば殆どのNPCは自室へと戻り寝てしまうのだ。
 確かに普通に接する限り、普通のプレイヤーとなんら変わり無いあのNPC達が、二十四時間同じ場所に立っていたら不自然極まりない。
 しかし、その間商店や修練場などの機能が麻痺してしまうというのはいかがなものか。
「まぁ愚痴っても仕方ないし……修行が全く出来ない訳じゃないしな」
 他のプレイヤーに倣って、修練場の片隅、藁人形が並ぶ一角へと向かう。

 十字の杭に藁を巻きつけて人に見立てた粗末な藁人形に、ショートソードと盾を構え向き合う。
 しかし、いざ剣を振ろうという段になって、これまで剣をまともに振った経験が無い事に気付く。
 森でのあれはノーカンだ。
 あれは火事場の馬鹿力みたいな物なので、どう動いたかなんて覚えちゃいない。
「まぁいいか。人も少ないし、相手は動かない的なんだし、気楽にいこう」
 とりあえずこんな物は振って目標に当てればいいのだ。
 一歩踏み込み、横凪の一閃。
 ガスッと乾いた音を立ててショートソードの刃が藁に食い込む。
「おお、上がる上がる」
 上がったスキル値は0.5。
 修練場では、一定値まではスキル上昇率に補正がかかるので伸びがいい。
「これならトレーナーから習う必要は無いかな」

 その後数回藁人形を切りつけた所で、おかしな事に気付いた。
 この藁人形、全体的に痛んではいるので、既に何人ものプレイヤーがこの藁人形を使ってスキル上げをしたのは間違い無いが、自分が切りつけた場所以外に、藁に切られた箇所が無い。
 それにこのままショートソードで切りつけていたら、この藁人形はすぐに使い物にならなくなりそうだ。
 どうした物かと他のプレイヤーを観察すると、彼らは木刀や木の槍を使っている。
 周囲を見回すと、修練場の隅に粗末な小屋があった。
 中を覗いてみると、練習用と思しき木製の武器がいくつも置かれていた。
「なるほど、これを使えばいいのか」
 片手で扱える長さの木刀を一本手に取ると、眼前にウインドウが表示された。
『このアイテムはエリア限定アイテムであるため、特定エリア外への持ち出しは不可能です』
 修練場内でのスキル上げ専用アイテムという事か。
 尤も、こんな物を外に持ち出しても、意味はあまり無いが。

 再び盾と木刀を構えて、藁人形に木刀を打ち込む。
 がむしゃらに木刀を振り回し、スタミナが切れたらベンチで休み、回復したら再び藁人形を打つ。
 やがてスキル値が10.0を越える頃になると、微かな変化を感じ取れるようになってきた。
 ただ盾を前に突き出し、木刀を振り回すだけだった不恰好な動きが、いつの間にかそこそこ様になってきているのを実感する。
 鋭い踏み込みと共に繰り出される木刀が、藁人形を地面に固定する杭ごと揺さぶる。
 剣を振る。そう意識して身体を動かすと、何かに引っ張られるような感覚と共に身体が勝手に動く。
 これは行動系スキルによる補助機能、モーションアシストの効果だろう。
 そして、一回の攻撃毎に消費するスタミナもかなり低くなってきた。
 最初は十回も打ち込めばお座りだったが、今ではスタミナ満タンであれば二十回近くは連続で打ち込める。
 スキル値だけではなく、近接攻撃に必要なステータスも僅かだが上昇している。

「そうだ、SA使ってみるか」
 近接攻撃にも当然SAは存在する。
 SAリストの近接攻撃タブを開いてみると、いくつかのSAが載っている。
 しかしリストにあるのはどれもスキル値0.0から使える最下級SAばかりだ。
 スキル値の上昇により習得基準を満たした新しいスキルアーツは、スキルトレーナーか既に対象のSAを習得しているプレイヤーから習わなければ使う事は出来ない。
 仕方ないので、近接攻撃スキル共通SA【ファストスウィング】を使う事にする。
【ファストスウィング】はその名の通りただ武器を素早く振るうだけの技で、片手剣に限らず棍棒や槍などでも使用可能なSAだ。
 思考操作で【ファストスウィング】を実行すると、通常の攻撃とは比べ物にならない程の速度で木刀が空を切る。
「ああ、間合いとタイミングは自分で調節しないと駄目か。勝手に攻撃が当たる程甘くはないよな」
 藁人形との間合いを意識し、再び【ファストスウィング】を使用する。
 確かな手答えと共に、ドスッと藁を叩く重い音が響く。
「なかなか楽しいな。動き回りながら使ってみるか」
 軽いステップから、鋭く踏むと同時に【ファストスウィング】発動。
「おっ、我ながら良い感じ」
 その後も試行錯誤しながら藁人形を叩く事に没頭する。
 強くなっているという実感が、集中力を高める。
 やがて空が微かに白み始める頃には、片手剣術スキルは18.0を越えていた。

「流石に藁人形相手じゃこれ以上は辛いか」
 15.0を越える頃から上がりが悪くなり始め、17.0からスタミナが尽きるまで木刀を振り続けてようやく0.2上がるといったペースになっていた。
 効率を考えるなら、これ以上スキルを上げるには他の方法を考えなければならない。
 とは言え、これ以上となると実際に野生動物かモンスターを相手にするしかない。
 だが、この程度では前線基地の外に出て実戦を行うのには不安が残る。
 藁人形を叩く事で上昇したスキルは片手剣術と身体操作スキルのみ。
 武器スキルだけならば、相手を選べば十分戦えるだけのスキル値にはなったものの、物言わぬ藁人形を叩くだけでは上がらないスキルもある。
「片手剣術以外のスキルが0.0のままじゃ、ちょっと危なっかしいよな」
 戦闘技術は攻撃力の底上げと戦闘行動全般を底上げするスキルで、動き回る相手との近接戦闘には必須のスキルと言える。
 生物学は然程必須という訳ではないが、相手の行動パターンや急所の位置などを知る事は戦闘を有利に進める上での大きな要因だ。
 盾防御スキルは防御の要であり、一度の死亡でキャラクターがロストする以上、防御手段に不安を抱えるというのは論外である。
 最低でもこの三つを15.0程度まで上げなければ、実戦をするのは心許ない。

 スキルトレーナーが修練場に再び配置されれば、金で解決できるのだが、まだ夜が開けたばかりなのでもう少し時間がかかるだろう。
 日が昇るまでの間に、何か上げられるスキルは無いかとスキルリストを眺めると、両手剣術スキル値が0.5になっているのが目に留まる。
「両手剣術……ああ、ブラッディウルフとの戦闘の時か」
 思い返してみれば、盾を捨てて両手で武器を振ったような記憶がある。
「武器は片手剣でも両手で握れば両手剣術スキル扱いか……なら上げとくのも悪くないな」
 無意識のうちに一撃で相手を倒すべく両手持ちに切り替えたのだが、今後も盾は使わず両手持ちで戦う場面もあるかもしれない。
 盾を仕舞って木刀を両手で構える。
「剣道みたいな感じでいいのかな」
 剣道部の友人の竹刀を一度だけ握った時の事を思い出しながら正眼に構え、上段から藁人形に打ち込む。
 両手剣スキルが上昇しているのを確認し、再び藁人形相手の打ち込みに没頭する。

 一心不乱に木刀を振り回していると、いつの間にか日は完全に昇っていた。
 スキルトレーナーであるシャミル達NPCもご出勤している。
 両手剣スキルは14.0を越えた程度だが、メインは片手剣スキルなのでこれだけあれば十分だろう。
 両手剣のスキル上げを切り上げてシャミルの元に向かう。

「おっ、昨日の傭兵君じゃん。白麒麟ありがとーちょーおいしかったよー。今日はどしたの?」
 朝まで呑んでナチュラルハイですと言わんばかりのテンションと、風に乗って微かに漂う酒の香り。
 やはりどうもこの人は苦手だ。
「スキルを習いたいんですけど」
 突っ込めばまた無駄に時間を食いそうなので、早速本題に入る。
「おーいいねーやる気に満ち溢れてるねー」
 サムズアップしながら爽やかな笑みを向けてくる。
「で、何を習いたいのかな?」
「とりあえず片手剣はある程度まで上げたんで、戦闘技術と生物学、あと盾防御ですね」
「おっけーおっけー。ちなみにあたしが鍛えてあげられるのはそれぞれ20.0までで、スキル値1.0につき1cを頂くよ。三つとも20.0にしたいなら60cになりまーす」
 現在の所持金は1s11c。
 スキルの修行で半分持ってかれるのは辛いが、止むを得まい。

「あーいありがとー。んじゃ、指導を始めます。しっかり聞いててね!」
 おほん、とシャミルは咳払いをし、真剣な表情になる。
 つられて俺も姿勢を正す。
「えーっとねぇ。まず戦闘っていうのは、こう、ずがーんてカンジでしょ?」
「は?」
 突然両手を振り回し、知能指数の低そうな事を言い出す。
「でね、こう……来るわけじゃん。敵が。これをこう……どーん!ってね」
 シャミルがミスタージャイアンツばりの擬音を交えて手を振り足を振るたびに、凄まじい勢いでスキルログウインドウをスキル上昇ログが流れていく。
「で、こう、なんていうか、まぁ適当なんだけど。おりゃーって感じでビシィってね」
 おい今適当とか言ったぞ。
 それでもスキルは上がる上がる上がり続ける。
 俺の……俺の藁人形を相手にしていた時間と苦労は何だったんだ……。

「で、こうガーンッ!って弾いたら、うおーっつってブスーッ!って。ね、簡単でしょ?まぁこんなとこかな。わかった?」
「わかりました。わかりませんけどわかりました」
 ガーンとかドーンとかバーンとか、そんな擬音しか頭に残っていないのに、戦闘技術と生物学、盾防御のスキル値はしっかり20.0になっている。
 あんまりだ。ひどすぎる。
 人の努力を踏みにじるような現象に俺の心が泣いている。
「まぁそれくらいのスキル値があれば、とりあえずそう簡単には死なないはずだよ。防具も結構いいの揃えたみたいだし」
 準備万端じゃーんと言ってばんばん背中を叩いてくる。痛……くはないが凄まじい衝撃が背中を貫く。
「ええ、一発そのへんのモンスターにドーンってやってブスーッとキツイのを食らわせてやりますよ」
「良くぞ言った!それでこそあたしの弟子だね!」
 星でも飛ばしそうなキメ顔でサムズアップ。
 あ、だめだこいつ皮肉もつうじねぇ。泣きそう。
「じゃあ、ありがとうございました……」
 言い様の無い敗北感に打ちひしがれながら礼を述べる。
「なーにいいってことよー!あ、早速外に行くなら、最初は基地の北西にある沼地のマッドスライムを相手にするといいよ。毒も酸も持ってないし、動きも鈍くて沢山いるから修行には最適だからね」
 さっきまでの擬音指導が嘘のようなまともな情報に言葉を失う。
「注意しないといけないのは稀に遭遇するマッドスピリット。スライムとは比べ物にならない強敵だけど、冷静に対処すれば勝てない相手じゃないからね。あまり武器で叩いても効果が無いように見えるけど、ダメージは蓄積されてるから叩きまくれば倒せるよ。頑張ってね」
「あ、はい。頑張ります……」
 釈然としない物を感じながら修練場を後にする。
 やっぱりあの人は苦手だ……。



[11997] 第八話 穢れた沼地 マッドスライム
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/12 22:35
 北西に広がる枯れた林を抜けると、シャミルの言っていた沼地はすぐ見つかった。
「これは……すごいな」
 広大な沼地のあちこちを、群れをなした泥水の塊が蠢いている。
 何人かのプレイヤーがマッドスライムを狩っているが、スライムの数はそれを遥かに上回っている。
 これなら敵を探して歩き回る必要は無さそうだ。

 狩り始める前に、他のプレイヤーの動きを遠巻きから観察する。
 殆どのスライムは三匹程度で群れを成しているが、誰も気にする素振りも見せず無造作に近寄って攻撃を加えている。
 攻撃を受けたスライムの群れがプレイヤーに向かってずりずりと沼を這い回るが、そのスピードは極めて遅い。
 ようやくプレイヤーの元に辿り付いた一匹のスライムが、身体を縦に伸ばして倒れ込む。
 あれがスライムの攻撃なのだろう。
 衝撃に泥水が撥ねるが、既にプレイヤーは回避行動を取っている。受けた被害といえば、せいぜい泥水がかかった程度だ。
 いささか単調な狩りという印象はあるが、序盤の雑魚相手であればこの程度か。
 初心者にお勧めのモンスターと言われるだけの事はある。

 その後暫くの間、他プレイヤーのマッドスライム狩りを観察していたが、特に注意すべき点は見当たらない。
 後は実際に狩ってみてちゃんと動けるかどうかだ。
 早速沼地に足を踏み入れ、マッドスライムへ歩み寄る。
 恐る恐る側まで近寄ってみても、マッドスライムはこちらに何の反応も示さない。
「攻撃しない限りはノンアクか」
 盾は必要無さそうだが、伸ばしたいのは片手剣スキルなので、左手を遊ばせておくくらいならと盾も構えておく。
 足元のスライムにブロードソードを振り下ろす。
 ズブッと粘性のある泥水に刃が埋まる。
「おっ……と、結構刃を持ってかれるな」
 深く刺さった刃を苦心して引き抜き、足元に這い寄るスライムから距離を取る。
「足場も悪いし、見てるのとやるのとじゃ大違い、か」
 沼に足を取られて動き難く、スタミナの消耗が激しい。
 体当たり攻撃を避けるのは容易いが、回避行動を取る度にスタミナが目減りしていく。
 おまけにこのスライム、動きが遅い代わりに体力が高く設定されているらしく、何回切りつけても一向に倒れる気配が無い。
 既にこちらのスタミナゲージは四割を切っている。
「これじゃ倒しきれないな」
 ずるずると泥水を引きずって近寄るスライムから一度大きく距離を取る。
 やがて十メートルも離れると、スライム達は追跡を諦め再び沼の中へと戻って行った。
「参ったな。結構強敵じゃないか」
 木陰に座って水を飲み、スタミナの回復を待つ。
 かなりの回数を切り付けたものの、一匹も倒す事は出来なかった事に落胆する。
 しかし敵を倒さなくても成長できるのがスキル制の良い所だ。
 先程の情け無い戦闘でも、近接戦闘系スキルはかなり伸びていた。
 ステータスも、足場の悪い沼地での戦闘を経験したせいか、BALとVITが目覚しい伸びを見せている。
「当分は倒す事は考えずにスキルを上げる事に専念するか」
 今は倒すことは出来なくとも、この調子でスキルとステータスが伸びていけば戦闘も大分楽になるはずだ。

 その後、スタミナが切れるまで戦っては撤退を何度も繰り返す内に、効果的な対処法がわかってきた。
 こいつらを相手にする時は、切るのではなく、突き刺す。
 そうすれば多少ではあるが、刃を引き抜く際の抵抗が少ない。
 また、無闇に動き回らず、スライムが攻撃動作に入った時のみ回避行動を取る。
 これらに気を付けて行動すると、スタミナの消費をかなり抑える事が出来た。
「よし、一匹!」
 泥水で出来た身体に深々と刃が突き刺さると、スライムはぶるんと身体を微かに震わせてただの泥水に戻ってゆく。
 ようやく一匹倒す事が出来たが、スタミナはもう残り少ない。
 無理はせず、一度後退して残りのスライムを引き離してから、先程スライムを倒した場所に戻って周辺を見回す。
「泥水に混じって死体がわからないな。ドロップアイテムはないのか?」
 暫く足元を探りながら歩き回っていると、ゼリー状の物体に包まれた、くすんだ赤い結晶が見つかった。
 ブロンズダガーで触れると、ドロップアイテムウインドウが表示される。
 マールへの配達物にもあったソウルジェムだ。
 貨幣を落とさないということは、これらを売り払って金に換えるのだろう。
「ふう……ようやく一つか。SA習得にも金が掛かるし、このペースじゃ先が思いやられるな」
 それでも一匹も倒せなかった頃と比べれば大きな前進である。

 その後、武器スキル値が30.0を目前とする頃には、休憩無しで二体のマッドスライムを倒せるようになった。
 ふと気付けば、いつの間にか、周囲のスライムを狩るプレイヤーが増えている。
 奪い合いと言う程では無いが、狩場でプレイヤーが密集するのはトラブルの元になりがちだ。
 幸い沼地は広い。
 奥の方はまだ人が少ないので、休憩ついでに狩場を移動する。

 沼地の外周を歩きながら、他プレイヤーを観察する。
 最初は、全員が同じ動きをしているように見えたが、実際にスライムとの戦闘を経験した今ではそれぞれの差が良くわかる。
「鈍器持ちの人は戦い易そうだな。衝撃ダメージのほうがスライム狩りは効率良いのかな。と言っても、剣で突くのとそこまで大きくは変わらないか。衝撃ダメージと刺突ダメージの通りが良いのかもな」
 一口に武器で攻撃すると言っても、相手に与えるダメージの質は武器の種類はもちろん、その武器のどの部位で攻撃するかによっても異なる。
 特に剣などは、刃で切りつければ斬撃ダメージ、刃先で突けば刺突ダメージ、柄尻で叩けば衝撃ダメージを相手に与える。
 先端に棘の付いたモーニングスターで殴れば衝撃ダメージと刺突ダメージの複合など、ダメージの性質は様々だ。
 スライムに斬撃より刺突が効き易いように、他のモンスター相手でも攻撃の仕方を工夫すれば戦闘はかなり有利に進められるだろう。

「このへんかな」
 先程と比べて、周囲の人影は疎らだ。
 早速沼に入ってマッドスライム狩りを再開する。
 目標は休憩無しでスライム三匹。
 数時間前と比べれば、嘘のように軽く感じる身体を翻しスライムに突きを放つ。
 危なげなく狩りは進み、余裕を持ってマッドスライム二匹を倒す事が出来るようにはなったが、三匹を無休憩で倒すにはどうしてもスタミナ不足だった。
「死亡率低下のためにも、スキル上げの効率上昇のためにも、体力だけでも先に重点的に鍛えたい所だな。スキル制でステータス上げって言ったら採取系スキルが定番だけど、採取スキルはどこで習えばいいんだろう」
 生産スキルは苦手な闇の民でも、採取スキルに関してはペナルティは存在しない。
 しかし前線基地には採取スキルのトレーナーらしき人物は見当たらなかった。
 せめて採取道具だけでも手に入ればいいのだが。
 後で道具屋を覗いて相談してみるか。
 木陰でスタミナの回復を待ちながらそんな事を考えていると、一人のプレイヤーに目が行く。
「ライカンのプレイヤーか。珍しいな」
 マッドスライムに格闘戦を挑んでいるのは、ライカンスロープの女性プレイヤーだった。
 ノスフェラトゥ以外の三種族は、それぞれの種族の本拠地周辺の他にアーカス前線基地周辺をゲーム開始地点に選ぶ事が出来る。
 しかし他種族の本拠地と比べて前線基地は圧倒的に不便な場所なので、実際にノスフェラトゥ以外のプレイヤーが前線基地を選ぶのは珍しい。
 事実彼女以外にスライム狩りをしているプレイヤーはノスフェラトゥばかりだ。
 故に拳を振るう度に揺れる猫耳と尻尾が非常に目立つ。
「まぁきっとそれが目的なんだろうな」

 ああいう目立ちたがりなプレイヤーというのは存外多い物だ。
 ネトゲに莫大な時間を注ぎこんで、キャラを育て、レアアイテムを血眼で求めるのも、突き詰めれば自分のキャラを強くして他人が持っていない装備を手に入れて目立ちたい、その程度の理由しかない。
 そういうプレイヤーが多いからこそ、そうやって人より目立つのが楽しいからこそ、ここまでMMORPGが発展したのだ。
 俺がノスフェラトゥを選んだのだって元を辿れば目立ちたいからに過ぎない。
 他者と協力して強敵を倒すのではなく、己の力のみで強敵を倒し名を上げたい。
 そのために他の要素を捨て、個として最強の力を持つノスフェラトゥを選んだのだ。
 もっとも、上には上がいる事は、嫌というほど理解しているが。
 げに恐ろしきは人生を捨てた廃神である。

「ん?」
 なんとはなしに猫耳少女を眺めていると、スライムに相対している彼女の背後の水面がゆらりと揺れた。
 やがて水面から泥水が盛り上がり、二m程の高さまで膨れ上がる。
 別のスライムがリンクしたのかと思ったが、様子がおかしい。
 盛り上がった泥水の左右から腕のような物が突き出ている。
「……ッ!マッドスピリットか!」
 気がつけば俺は駆け出していた。
 ライカンスロープの少女はスライムを相手にする事に集中しすぎている。
 背後に現れたマッドスピリットに気付いていない。
 間に合わない!
「後ろだ!避けろっ!」

 彼女が俺の声に後ろを振り向いたのと、マッドスピリットの泥の腕が彼女を殴りつけたのは同時だった。
「くそっ!」
 足に絡み付く泥水と、湖面を這い回るスライムを避ける動作が走るスピードを殺す。
 殴り飛ばされた少女はふらつきながらも起き上がろうとしていた。
 死んではいない事に安堵するが、様子がおかしい。
 全身に絡み付いた粘性の泥水によって動きが鈍っている。
 戦闘中だったスライム達と、乱入したマッドスピリットが、身動きが取れないでいる少女に這い寄る。
「【カースミスト】!」
 走りながら神術SA【カースミスト】の詠唱を開始する。
 詠唱時間が伸びるのも構わず、盾と剣を構え走る。
 疾走したままの勢いを乗せて、彼女に群がるスライムの一匹を突き刺しこちらに注意を引き付ける。
「オラァ!」
 剣を引き抜いた勢いそのままに、マッドスピリットを斬り付ける。
 悲鳴も上げずたじろぎもしないが、マッドスピリットは一瞬動きを止め、少女ではなくこちらに這い寄って来る。
 だが、距離を取ろうとした時、微かに身体の動きが鈍るのを感じる。
「ッ!そうか、共闘ペナルティ……!」
 しかし、スライムを切りつけた時は感じなかったはず。
 いや、今はそんな事を気にしている暇はない。
 ずるずると這い回る動きからは想像もつかないスピードで繰り出される泥の腕を盾で受ける。
「くっ……盾でガードしてこれか!」
 重い衝撃に腰を落として耐える。
 ようやく、詠唱中の行動ペナルティによって通常より時間をかけて詠唱が完了した。
 スライムとマッドスピリットが黒い霧に包まれる。
【カースミスト】は、自分を中心とした一定範囲内の敵対対象のステータス値を減少させる呪いの霧だ。
 霧に包まれたマッドスピリット達は、ただでさえ遅い動作が一層遅くなる。
 絡みついた霧を振り払うように、左右の腕を振り回して暴れるマッドスピリットから距離を取り、少女の足元に這い寄るスライム達に突きを放ち、蹴りつけ、盾で殴り、こちらに注意を引く。

 暫くして、ようやく立ち上がった少女の身体には未だに泥が纏わり付いているが、なんとか動けるようだ。
「大丈夫か!?」
 マッドスピリットの攻撃をかわしながら尋ねると、少女は頷く。
「よし、なら走って林に逃げ込め」
「けど……」
 マッドスピリットの殴打を盾で防御しながら、躊躇するように立ちすくむ少女に檄を飛ばす。
「その状態でここにいたって意味がないだろ!あんたが逃げたら俺も逃げる!早く行け!」
 彼女は一瞬の沈黙の後、頷いて背を向け駆け出す。
 しかし、絡む泥とダメージの影響か遅々とした足取りだ。
「もうそろそろスタミナがやばいんだけど、な!もうちょっと時間稼がないと駄目か!」
 じわじわとマッドスピリット達から距離を取りながら、最低限の攻撃で注意を引き付ける。
 やがて少女が林に逃げ込むのを見届けると、残り少ないスタミナを振り絞ってマッドスピリットを振り切り林へと駆け込んだ。



[11997] 第九話 検証 共闘ペナルティ
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/13 17:52
 木陰で水を飲み、包帯と軟膏と治癒の丸薬を使用する。
 応急薬セットは単体では微々たる回復効果しかないが、併用する事で治癒効果は何倍にも跳ね上がる。
 即効性は無いし、元の回復量が低いので結局は大した事はないのだが、下級ポーションと比べればコストパフォーマンスは段違いだそうだ。
「しかし、考えてみればアトラスで受けた初めてのダメージか。そう考えると、感慨深い物があるな」
 盾でガードしたため、直撃こそ受けていないが、現在の盾スキル値ではダメージを完全に軽減する事は出来ない。
 痛みこそ無かったが、身体の芯を思い切り叩かれたような衝撃はかなりの物だった。
「しっかり盾でガードしてたってのに三割近く減ってるし、直撃食らってたあの子大丈夫かな」
 包帯と軟膏くらいは持っているだろうが、助けに入っておきながら安否を確認せずさようなら、というのはあまりいい気分ではない。
 未だライフとスタミナは完全に回復してはいないが、万が一あの少女が一刻を争う状況になっていたらと思うと落ち着いて座ってはいられなかった。
 受けたダメージのせいか、倦怠感に包まれた身体を引きずり林に分け入る。

「お、いた」
「あ、さっきの……」
 猫耳少女は茂みの陰で蹲っていた。
 改めて近くで見ると、幼い顔立ちの少女だ。うちの妹と同年代くらいだろうか。
 辛そうにしてはいるが、然程逼迫した雰囲気は感じられない。
「思いっきり食らってたけど大丈夫?」
「うん、一発でライフバーが三割以下になっちゃったけど、なんとか」
 どうやらあの絡み付いた泥水には動きを鈍らせる以上の効果は無かったようだ。
 もし毒でもあったら、あの状態ではわずかな継続ダメージでも脅威だっただろう。
「包帯とか使った?軟膏と治癒の丸薬もあるなら一緒に使うといいよ。知ってたら余計なお世話だけど」
 包帯や軟膏などという名前ではあるが、実際に包帯を巻いたり軟膏を塗ったりする必要はない。
 使用すれば一定時間後に効果が発動する消費アイテムだ。
 なので一見しただけでは包帯や軟膏を使っているのかわからない。
「包帯と軟膏は使ったけど、丸薬ってのは持って無いかな」
 ミスティックキューブに触れて丸薬を取り出し、少女に差し出す。
「包帯と軟膏だけじゃ気休め程度にしかならないよ。丸薬も飲めば大分違う」
「そんな、助けてもらっただけで十分だし、悪いよ」
 丸薬の一個くらい大した値段ではないので遠慮されても困るのだが。
 まぁまぁそう言わずにと無理矢理押し付ける。
「……頂きます」
 彼女が丸薬を使用すると、音も無く丸薬は光の粒となり消えていった。
「わ……ほんとだ全然違う」
 左上に視線をやりながら目を丸くする。
 やっぱステータスバーは左上だよな。

 少女はこちらをちらちら見ながらもじもじしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「助けてくれてありがとう……えっと、私メリルっていうの。あなたは?」
「ガイアスだ。困ったときはお互い様がネトゲだろ。特にここじゃ一度死んだらリスポンしてもう一度ってわけにはいかないんだし」
「ガイ、ね。本当にありがとう。……ごめんね、私のせいで危ない目に遭わせちゃって」
 どうやらあの場を俺に任せて逃げ出したのを気にしているらしい。
「助けられると思ったから助けに入ったんだ。乱入してきたのがドラゴンだったら逃げてたよ」
 突拍子も無い俺の例えにメリルは噴出す。
「ドラゴンて、飛躍しすぎでしょ」
「いや、あれは相当おっかないぞ。突然目の前に沸いた時は正直泣きそうだった」
「何それ、アトラスの話?ドラゴンに遭ったの?どこで?」
「基地の南の草原にフリッグっているだろ。あれを捕まえにたまに来るみたいだ。やけに食いつくな」
 突然目を輝かせて身を乗り出すメリルに思わず後退さる。
「だってドラゴンでしょ?そりゃ見たいよ。基地の南かあ。見張ってれば会えるかな?」
 メリルは先程の沈みようが嘘のように、勢い良くまくしたてる。
「……ちょっと心配したけど、大丈夫みたいだな」
 俺の言葉の意味を理解したのか、微かに俯くメリル。

 年々リアリティを増す昨今のVRゲームには、リアルすぎるが故の弊害がある。
 RPGでモンスターに敗れる、レースゲームで事故を起こす、アクションゲームで高い所から落下する。
 仮想空間の身体がどんな状況に陥ろうと、現実の身体には何の問題もない。
 しかしそれらを操るプレイヤーの精神は仮想の物ではない。
 犬型モンスターに殺されて以来犬が怖くて仕方ない、クラッシュして以来車の運転が出来ない、突然高所恐怖症になった。
 VRゲームの体験が原因で大小何らかの心的外傷を負うプレイヤーは少なからずいる。
 アトラス程のリアリティであれば、痛みは無くとも恐怖に縛られ再び戦う事が出来なくなった、などと言うケースがあってもおかしくはない。

 しかし、再び顔を上げた彼女の顔に恐怖はない。
「そりゃ、怖いよ。またあんなふうに不意打ち食らうかもって思うと嫌んなるけど、やられっぱなしは嫌じゃん」
 メリルは勢い良く立ち上がり、右拳を左掌に撃ち付ける。
「私、殴られたら殴り返さないと気が済まないタイプなんだよね」
 そう言って笑う彼女の笑顔にどこか凶暴な物を感じるのは、口から覗く鋭い犬歯のせいか。

 ただの目立ちたがりだと思ったが、なかなかどうして、どうしようもない戦闘狂ではないか。
 スライム相手の動きはなかなかの物だったし、不意打ちさえされなければマッドスピリットの相手も問題無くこなせていただろう。
 一期一会で終わらせるには惜しい逸材である。
 何より、こういうどうしようもない奴とは馬が合いそうだ。

「なぁメリル。それならマッドスピリットに一発かましに行かないか」
 実はスライム二匹を休憩無しで狩れるようになった頃から、スキル上げの効率は落ちていた。
 チャレンジ精神から、無休憩で三匹狩りを目標にしてはいたが、効率を考えるならば、そろそろスライムより格上の敵を相手にする必要があった。
 あの不意打ちさえ無ければ、マッドスピリットはスキル上げに丁度良い相手と言える。
「そりゃ目の前にいれば言われなくてもぶんなぐってるけど、あいつもうどこかいっちゃったよ」
 木立の隙間から見える沼地には、スライムが這い回るばかりで、あの泥人形は見当たらない。
「確証は無いが、心当たりがある。ただその前にちょっとした実験に付き合ってくれないか」
「実験?何の?」
「上手くいけばさっきみたいな事故で死ぬ可能性を大きく減らせる」
「……それは興味深い話ね」
「まぁやりながら説明するよ。着いて来てくれ」

 俺はメリルを連れて沼地の更に奥、完全に人気の無い場所まで移動する。
「ちょっと、こんな人気の無い場所で何やるっていうの?」
「勘違いすんな。俺にそんな度胸はない」
 年下には興味無いしな。
 ジト目で後退さるメリルを適当にあしらう。
「ただ、これからやる事を他人にはあまり見られたくはないだけだ。有利な情報は隠しておくに限る」
「私はいいんだ?」
「メリルがいなきゃ意味がないからな」
「……ふーん」
 ぱちゃぱちゃと爪先で水面をいじるメリル。
 俺は盾と剣を構えるて沼地の外周付近で群れていたスライムに歩み寄る。
「これから俺がこのスライムを攻撃する」
 目の前の一匹をブロードソードの刃先で指し示す。
「メリルは近くで……そうだな、出来れば一メートル以内がいいな。それを見ててくれ。手は出さなくていい」
「このへんでいいの?」
「ああ、十分だ。一応言っとくけど、攻撃が当たりそうになったら普通に避けてくれ。いくぞ」
 ブロードソードがスライムを刺し貫く。
 痛みから逃れようとするかのように、激しく蠢くスライムから距離を取る。
「ステータスが下がってるような感覚はあるか?」
「特に無いかな。【システムブック】……ステの数字も変わってない」
「そうか。こっちも特に変化無し。じゃあ次だ。今俺が攻撃した奴を殴ってみてくれ」
「ラジャ」
 ガボンと音を立てて鉄甲に包まれた拳が泥水に突き込まれる。
「おっ……と、きたな」
 身体を覆う倦怠感。共闘ペナルティだ。
「うわ、なにこれきもちわるっ」
 先程俺がメリルを助けた時に、彼女も共闘ペナルティを経験しているはずだが、あの時はそれ以上に大ダメージを受けた衝撃が強かったせいで気付かなかったのだろう。
 突然言うことを聞かなくなった身体に不快感を露にする。
「一回下がってタゲを切るぞ」

 スライム達が追跡を諦めるまで引き離し、木陰に腰を下ろす。
「ここまでは予想通り。次が本番だ」
「ねえ、ひょっとして共闘ペナルティ無しでペアする方法探してるわけ?」
 水を口に含む俺に向けられるのは呆れたような表情。
「まぁな。もし成功したらかなり有利になる。闇の民選ぶような奴らは端からソロしか考えてないだろうからな」
「そりゃそうだけど……無理でしょ。何のための共闘ペナルティよ」
「駄目なら諦めるさ。諦めるためにも実験はしておきたかった」
「ま、いいけどね。助けて貰ったんだからお付き合いしますよ」
 未だ呆れ顔のメリルを連れて、再び沼地へ。

 結果の公平性を期すため、先程とは違う群れを相手に選ぶ。
「次は俺がこいつを攻撃する。その後で、メリルはこっちの奴を攻撃してくれ」
 足元で蠢く三匹のスライムの内二匹をそれぞれ剣で指し示す。
「いいけど……ガイが攻撃した時点でこいつらもリンクするんじゃないの?」
「そうだな。そいつを叩いたらどうなるか、その結果が知りたいんだ」
「ペナルティ食らうに10c」
「賭けにならないじゃないか」
「あんたは食らわないほうに賭けなさいよ!」
「まぁやればわかる。いくぞ」
 ブロードソードがスライムを貫く。
 一拍置いてから、メリルが別のスライムに殴りかかる。
「って、あ、あれ?」
 しかし、身体に纏わり付く倦怠感は無い。
 バックステップでスライムから距離を取る。
「【システムブック】」
 ステータスページとスキルリストを確認しても数値的なペナルティは確認出来ない。
「なんで?どゆこと?」
 側に駆け寄ってきたメリルはしきりに首をかしげている。
「実験は終わりだ。引くぞ」
 納得行かないという表情のメリルを引きずって林に逃げ込む。

「俺は賭けてないから、賭けは無効でいいぞ」
 メリルの負けん気を煽ってやると、憮然とした表情で10cを俺の掌に叩きつけるように押し付けてきた。
「いいって言ってるのに」
 そう言いつつもミスティックキューブに10cを収める。
「で、どういう事?なんで共闘ペナルティが発生しなかったわけ?」
 メリルは腕を組んで早く説明しろオーラを放つ。
「恐らくプレイヤーとモンスター、双方に戦闘フラグが立った状態で他プレイヤーが手を出すと、共闘ペナルティが発生する。多分な。」
「……リンクしモンスターにプレイヤーが手を出してなければ、リンクしただけのモンスターとは戦闘フラグは立たないって事?」
「確証は無かったけどな。お前を助けに入った時、最初にスライムを攻撃した時は共闘ペナルティは無かったが、マッドスピリットを攻撃したら共闘ペナルティを食らった。この違いはなんだろうと思ってな」
「ガイが攻撃したスライムはただリンクしてただけで、私が攻撃してない奴だったとしても、私はマッドスピリットにも攻撃してないよ」
「攻撃は受けただろ?ダメージやbuff、debuffの遣り取りがあるか無いか、といったほうがわかりやすいか」

 共闘ペナルティの仕様に関しては、穴は無い物かと最初から考えていた事だった。
 パーティーを組まなければ発生しないとすれば、システムとしてのパーティーを組まずに複数でボスに挑めばペナルティ無しで戦えてしまう事になる。
 かといって一定範囲内にプレイヤーがいるだけで発生していてはゲームにならない。
 共闘ペナルティが発生する何らかの要因が設定されているはずだ。
 その要因次第ではペナルティを回避する方法もあるだろうと思ったが、予想通りだったわけだ。
「んー、けどさ、言うほど意味あるのかな、これ。ペナルティが発生しないって言っても、限定的すぎない?特にボスみたいな強力な個体相手だったら意味ないじゃん」
「ボスはソロで倒すもんだろ。ボスを集団で倒して満足できる奴なら、闇の種族なんて選ばないだろ。これの利点はリンクする敵を相手にする際のリスクが減る事だよ」
「それだけでしょ?」
「それがでかい。スライムならリンクしても簡単に対処できるが、もっと素早い相手だったらどうする?同じように相手できるか?」
「他の狩り易い敵を狩ればいいじゃない」
「そうだな。誰だってそう考える。その結果リンクしない敵にプレイヤーが群がる事になる」
「……この方法ならみんなが敬遠して手付かずのリンクモンスターを狩れるってわけね」
「実際リンクしない敵なんてそう多くはないはずだ。予想でしか無いが、闇の民に安全に狩れる場所なんて物があるのかも疑問だ」
 このあたりのまともな狩場は、アクティブやリンクモンスターばかりでもなんら不思議ではない。
 恐らく、運営は闇の民のプレイヤー人口が増える事を望んでいない。
 設定的にも『種として強力であるが故に個体数が少なく、過去の大戦で劣勢に追い込まれた』のが闇神の末裔なのだ。
 メリットとデメリットのバランスを考えても、意図的にプレイヤー人口は少数に、かつ、逆境上等なやり込むプレイヤーだけが残るようにデザインされているのだろう。
「まぁ、事故死の危険を減らすだけならただ側で狩るのを意識すればいいだけなんだけどな。共闘ペナルティ無しでリンクモンスターを手分けして相手できるなら、安定して狩れる敵も増える。意味が無いって事はないさ」
「ふうん……で、まだ肝心な言葉を聞いて無いんですけど?」
「肝心な言葉?」
 これ以上何かあっただろうか。
「だからー、ガイは私にどうしてほしいわけ?」
「どうって、だから……あー」
 そういう事か。
 彼女持ちの友人などは女は面倒な生き物だなどと愚痴っていたが、その一端を垣間見た気がするぞ。
 咳払いをし、メリルに向き会う。
「えー、メリル、さん……改まって言うのも恥ずかしいな」
「ぶふっ、馬鹿じゃないの、なんかプロポーズでもするみたいじゃん」
「おい変な事言うなよ余計恥ずかしいだろ……まぁもしよければ、これからペア組んでやらないか?さっきみたいな事故も側に相方がいれば防ぎやすい。どうだ?」
「相方って芸人かよ。まぁ確かに、また不意打ち食らうのは御免だしね。OKよ。あ、友録していい?」
 友録とは、友達登録の略で、フレンドリストに相手を登録する事を意味する。
「そうだな、連絡もつけやすいし、しておくか」
「なにその、しょうがないからしてやるかみたいな反応。してくださいお願いしますでしょ?」
「してくださいおねがいしますぅ」
「ウゼッ」
 ローキックを食らう。腿に重い衝撃が走る。
「まぁさっさとすますか。【システムブック】」
 コミュニティページのフレンドリストを開き、右下の新規登録アイコンに触れると、右掌が仄かに発光する。
 この状態でフレンドリストに追加したい相手と握手をすれば登録は完了だ。
「ん、よろしく」
「コンゴトモヨロシク……」
「なんか仲魔を得た気分だわ。種族は魔獣ね」
 こんな古いネタを拾ってくれるなんて、俺の目に狂いは無かったようだな……。
 この世界で得た初めての仲間に、顔が綻ぶのを抑える事が出来なかった。



[11997] 第十話 リベンジ マッドスピリット
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:34
 フレンドリストに新しくプレイヤーが登録された事で使用可能になったコマンドを確認していると、メリルがそわそわしながら腕を引いてくる。
「ちょっと。大切な事忘れてんじゃないの?マッドスピリットの心当たりって何なのよ。早くやり返したいんだけど」
「ん?ああ、このあたりは他にもいくつか沼地がある。この沼地はスライムしかいないが、マッドスピリットが多くいる沼も探せばあるはずだ。普通のネトゲならな」
「引っかかる言い方だけど、確かにありえない話じゃないわね。けどさっきのマッドスピリットはなんだったんだろ。」
「さてな。いくら現実と見紛う程のネトゲって言っても結局はゲームだからな。弱い敵の中に強い敵が混ざってるなんてお約束だろ」
「お約束で死に掛ける方の身にもなってほしいもんだわ」
 ぶつぶつと恨み節を呟くメリルを連れて、マッドスピリットを探すべく、林の奥へと分け入ってゆく。

 十分程林の中を歩き回って見つけた沼地には、予想通り何体ものマッドスピリットが蠢いていた。
「スライムと違って群れてないのね。やり易くていいけど」
 いきなり駆け出そうとするメリルの肩を掴んで制止する。
「まぁ待て。お前自分が不意打ち食らった時の事覚えてるか?」
「忘れるわけないでしょ。それが何?」
 メリルは、あの衝撃を思いだしたのか顔をしかめる。
「お前からは見えなかったと思うが、あのマッドスピリットは水面から突然現れたんだ。見た目で判断しないほうがいい」
「水中に潜ってる奴がいるかもって事?けど慎重って……どうすんの?」
「とりあえず俺も行く。もしリンクしたらそいつは俺が引き受ける。三匹以上現れたら撤退だ」
「リンクしなかったら?」
「リンクしなかったら交代で狩ろう。片方が戦っている間、片方はスタミナ回復と周囲の警戒。どうだ?」
「異論無し。ま、あいつを殴れるならなんでもいいけどね」
 メリルは腕をぐるんぐるん回しながら沼地に近づいていく。
 どうやらかなりの脳筋を拾ってしまったようだ。

「悔しいけど、一度手痛い一撃貰ってる相手だし、出し惜しみは無しね。【ウインドオース】。【エアシールド】。」
 ボイスコマンドで発動された二種類のSA。
「闘神系神術か」
 風と自然を司る闘神ブライアスを信仰神に選んだ場合の神術スキルは、豊富な身体強化SAと治癒技能SAを多く習得する。
 確か【ウインドオース】はAGIと身体操作スキルを強化する身体強化系SA。
【エアシールド】は身体の周囲に風を巻き起こし、相手の攻撃の威力を減衰させる特殊技能SAだ。物理攻撃に弱い風属性ダメージを追加する効果もある。
「格闘主体に身体強化と回復持ちとは。まるでモンクだな」
「そりゃそのまんまモンクをイメージしたキャラだからね。ソロを考えれば悪くないでしょ」
 更なるステータス強化手段と自己回復手段というのは、他者に頼れない状況では必須とも言える。
「ガイはどんなキャラにするの?」
「俺か?実際に始まるまでは魔法戦士系か聖騎士系で迷ってたんだが、破壊神系神術が結構使い勝手がいいから、聖騎士かな。いや、信仰神的には暗黒騎士か」
「へぇ。なんか、うちらスキル構成は似たカンジになりそうだけど、全然違うキャラになりそうだね」
 確かに俺もメリルも近接攻撃スキルと神術スキルがメインという点では同じだが、戦闘スタイルは似ても似つかないだろう。
「まぁだからこそ工夫のし甲斐があるってもんだろ。みんな似たようなキャラじゃつまらん」
「言えてる。けど強いスキル構成が出回ったら量産型なキャラは増えるよね」
「それは仕方ないだろ。ネトゲの宿命だ。俺だって理想的なスキル構成があるなら組み替えるさ」
 ネタキャラに対する愛も、強キャラに対する愛も違いは無い。

「よし、そろそろ始めるか」
「おっけ。私からやるけどいいよね」
「ああ、憂さを晴らして来い」
 メリルは拳を打ち鳴らし、マッドスピリットに向かう。
 メリルとマッドスピリットの距離が十メートル程まで近づくと、マッドスピリットは両腕らしきものを振り上げ這い寄ってきた。
「アクティブか。とはいえ反応範囲は狭いようだし、リンクはしないようだな。水中に潜んでる気配もない」
【テリトリーサーチ】で周囲の気配を探るが、姿を現しているマッドスピリット以外の気配は感じられない。
「じゃ、交代制ってことで。行ってきます!」
 マッドスピリットに向かって駆け出すメリル。
 俺は邪魔にならない位置まで下がり、周囲を警戒する。
【ウインドオース】で身体能力が強化されたメリルは、ここが足場の悪い沼地とは思えない速度で間合いを詰める。
 向かってくるメリルに向かってマッドスピリットが腕を振り上げるが、疾走するメリルはそのままマッドスピリットの正面へ滑り込む。
 相手の攻撃を一顧だにしないメリルの予想外の行動に、驚きのあまり一歩前に踏み出した瞬間、メリルの叫びが木霊する。
「女は度胸ォ!吹っ飛べ【マグナムフィスト】!」
 メリルの身体はトップスピードから更に加速し、速度と体重を乗せた拳が、振り下ろされたマッドスピリットの腕と激突する。
 瞬間、鈍い炸裂音と共に、マッドスピリットの泥水の腕が吹き飛んでいた。
「なんつー無茶な戦い方だ……」
 その後もメリルはスタミナを気にする素振りも見せずSAを連発する。
「出し惜しみ無しにも程があるだろ……」
 とても拳で殴っているとは思えない鈍い音を轟かせながら、マッドスピリットに拳を叩き込んでいく。
 疲労や動揺を伺う事が出来ないマッドスピリットだが、心なしか振るわれる両腕からかつての勢いは消えたように見える。
「最後は派手にいくよ!」
 メリルもそれを察したのか、バックステップで大きく距離を取ると、高く跳躍した。
「スーパー!【稲妻キック】!」
 雷撃を纏った飛び蹴りがマッドスピリットを貫く。

 確か、【スーパー稲妻キック】は格闘術スキル70.0で習得する上級SAだったはずだ。
 いくらなんでも昨日の今日で格闘術スキルがそんなに早く上がる訳がない。
 実際に彼女が使ったのは格闘術スキル30.0で習得する【稲妻キック】の方だろう。
 だが、威力の方は絶大だったようだ。
 胴体部分に大穴を開けたマッドスピリットの泥水の身体が沼地に倒れる。
 ドロドロと泥水に戻っていくマッドスピリットの向こうで、メリルは沼地に膝と手をつき荒く呼吸していた。
「おい、大丈夫か?」
 尋常ではない様子に慌てて駆け寄ると、メリルは疲労を露にしながら、それでも笑っていた。
「へ、へへ、スタミナ使いきっちゃった」
 どうやらSAの連発でスタミナバーが底を着き、まともに動くことも出来ないらしい。
 心配して損した。
 脱力感を感じながらも手を差し出す。
「出し惜しみしなさすぎなんだよ……ほら」
「めんぼくねぇ」
 なんかくらくらする、と呟く彼女に肩を貸して木陰に連れて行く。

「あー生き返るわー。ポカリとか欲しいね。無いのかな」
「回復効果の高い水なんかはありそうなもんだが、ポカリはどうだろ。俺はアクエリアスがいいな」
 木陰にぐったりと座り込んだメリルは、ぐびぐびと水筒の水を飲むとすぐに元の調子に戻っていた。
「それじゃ俺も行ってくるか。次はあんな無茶な戦い方するなよ」
「わかってまーす。あ、そういえばガイの戦闘まともに見るの初めてかも。がんばってねー」
 ひらひらと緊張感無く手を振るメリルに軽く手を上げて応え、沼地に足を踏み入れる。

 こちらに気付いたマッドスピリットが、腕を振り回しながら這い寄って来る。
 こうして冷静にマッドスピリットと相対すると、自分より頭一つ分程大きい巨体の放つ威圧感はかなりのものだ。
 俺は盾を左手で正面に構え、右手はいつでも突きを放てるよう引き絞る。
 じりじりとマッドスピリットとの間合いが詰まってゆく。
 マッドスピリットの腕の射程内に踏み込むと、泥の右腕が飛んでくる。
 腕を振るうスピードこそ驚異的な速さではあるが、振りかぶる動作が大きいので回避する事自体は難しくはない。
 だが、腰を落として、あえて打撃を盾で受ける。
 鈍い音とともに、盾を持つ左手から衝撃が身体を走る。
 衝撃に竦む身体を奮い立たせ、受けたと同時にSAを使用する。
 盾防御SA【シールドチャージ】。
 盾を構えたまま相手に突進し体当たりする単純な技だが、相手の攻撃を受けた直後に使用すると相手を短時間の硬直状態にする事が出来る。
 衝撃にたたらを踏むマッドスピリットに、突きを放ち、盾で殴りつけ、再び突きを放つ。
 硬直状態からマッドスピリットが開放される前に、再び盾を構え距離を詰める。
 マッドスピリットは、スライム以上に高い体力と、泥の腕による高威力の殴打こそ厄介ではあるが、それ以外はマッドスライムと大差無い相手だ。
 スライムと違って単体である事を考慮すれば、逆に相手にしやすい敵とも言える。
 確実に攻撃を盾で防ぎ、盾による殴打で衝撃ダメージを、ブロードソードの突きで刺突ダメージを与えていく。
 メリルのような派手さは無いが、確実にマッドスピリットの体力を削っていく。
 あえて攻撃を盾で防御しているせいか、スタミナを余計に消費している感はあるが、スタミナゲージを五割程消費する頃には、防御した際に受ける衝撃が確実に落ちているのを感じる。
 最後くらいは派手に決めるか。
 このままではメリルに「地味な戦い方」などと言われかねない。
 勝てばよかろうなのだが、ゲームなのだし、遊び心は大切だ。
【シールドチャージ】によって硬直するマッドスピリットからバックステップで大きく距離を取り、あえてボイスコマンドでSAを使用する。
「【炎槍】」
 マッドスピリットの硬直が解け、こちらに這い寄って来るが、もう遅い。
 マッドスピリットに向けて放たれた炎槍は、人で言えば胸の辺りに突き刺さり、黒煙を撒き散らして爆発した。
 黒煙が晴れた水面には、マッドスライムの物よりも大きく、微かな輝きを持つ赤い結晶が落ちているのみだった。


「おつー。最後の凄かったね。あれ魔法?」
「ああ、魔術スキルのSA【炎槍】だ。実戦で使ったのは初めてだったけど、まぁまぁだな」
 しかし、威力は申し分無いが、やはり詠唱三秒はソロで使うには長すぎる。
 スライムより動きが早い相手では、詠唱完了前に攻撃を受ける可能性が高いし、攻撃を受けた際に詠唱をキャンセルされる可能性は、詠唱が長いスキル程高い。
 基本的に、神の力を借りて発現する神術スキルSAは詠唱が必要無かったり、あっても短い物が多いが、自らの魔力を以って現象を捻じ曲げる魔術スキルは全てのSAに詠唱時間が存在し、効果の高い物ほど詠唱が長くなる。
 相手の攻撃をかわしながら近接戦闘を行うスタイルであれば魔術スキルとの相性も悪く無いのだが、盾で防御する俺の戦闘スタイルには神術スキルのほうが相性がいいだろう。
「いいなー。私も魔法使ってみたいけど、ライカンは魔法系ステータス低いのよね」
 全てのステータスが平均的に高いノスフェラトゥと違って、ライカンスロープのステータスは近接戦闘、特にAGI、DEX、BALに特化した物になっているので、魔術スキルとの相性は悪い。
「使うだけなら出来るだろ」
「出来るけど、意味無いじゃん。ただ使うんじゃなくて、有効活用したいの」
「けど、魔法系ステが低いって言ってもエルフあたりと大差無いんだし、取ってみるのも悪く無いと思うけどな。低ステで使っても便利なSAも色々あるんだし」
「あーそっかぁ。確かにエルフと初期値は同じだもんね……神術じゃどうしても効果が偏るし、補助系SA増やしたいし、マナゲージ遊ばせとくのも勿体無いから、後で覚えようかな」
「使ってみて、やっぱり使えないと思ったら後々下げればいいだろ。スキル制なんだし」
「それもそっか。まぁとりあえず今は格闘術スキルの修行が先だけど。スタミナ回復したから行って来るね」
「ああ。わかってると思うけど次は……」
「わかってますー。ガイみたいに地味に戦いますー」
 まるで子供のようにべーと舌を出してマッドスピリットへと駆けていく。
「ほんとに大丈夫か、あいつ」
 どこか不安に感じながらも、木陰に座って盾防御の上から削られたライフを回復するために応急薬セットを使用する。

 確かにメリルの戦闘は先程とは打って変わって地味な物だったが、相変わらず見ていて心臓に悪い闘い方だった。
 剛速で振り回されるマッドスピリットの腕を、相手に密着した状態のままぎりぎりで回避してゆく。
 恐らく俺があえて避けずに盾で防御していたのと同じように、あえて紙一重で回避する事で、回避行動に影響する見切りスキルを上げているのだろう。
 しかし、回避行動に限らずメリルの動きはかなり様になっている。
 相手の攻撃を回避する、攻撃するのはスキルによるモーションアシストの恩恵で説明がつくが、相手の攻撃圏内に身を置いて紙一重で回避しつつ攻撃を叩き込むのは相応の経験が必要だろう。
「ラストォ!【マグナムフィスト】ッ!」
「あんな性格だし、リアルで格闘技の経験でもあるのかもな」
【マグナムフィスト】で殴り飛ばされたマッドスピリットが泥水に戻っていく傍らで、右手を天に突き上げて「勝ったどー!」などと叫んでいる。

 ご機嫌で戻ってきたメリルは、俺の隣に腰を下ろして水筒を取り出す。
 やはり格闘戦は衝撃ダメージのせいか倒すのが早い。
 こちらのライフゲージが完全に回復するまでまだ時間がかかるので、先程の事について尋ねてみた。
「随分戦いなれてるみたいだけど、リアルで格闘技でもやってたのか?」
 俺の隣に座って水筒を取り出したメリルは、俺の問いに驚いたように目を丸くする。
「うん、まぁ一応ね。中学までだけど空手やってたから。やっぱそういうのわかるもん?」
「いや、なんとなくな。やたら好戦的だし、リアルじゃバーリトゥード嗜んでますとか言い出しても不思議じゃないと思って」
 肩パンされた。
「けど中学までなのか。わざわざアトラスでも格闘術選ぶ位だったら、別に嫌になってやめた訳でもないんだろ?」
「うーん……辞めた時は完全に嫌になってたかな。自慢だけど、全国大会で優勝した事もあるんだよ。中学までは敵無しって奴ね」
 それはかなり凄いのではないだろうか。
 しかし胸を張るメリルの表情には一抹の寂しさのようなものがある。
「けど、まぁぶっちゃけるとね、私背が低いのよ」
 そう言うメリルの身長は百七十センチに僅かに届かない程だろうか。
「女だったら結構高いほうなんじゃないか?」
「そりゃこのキャラはね。ライカンは多少身長が高めに設定されるし、キャラクリの時も限界まで伸ばしたもん。それでこれなんだよ」
 リアルじゃこれくらいかな、と、メリルは自分の首のあたりに手をやる。
「なるほど、それは……低いな」
「でしょ?けど小学校の時まではよかったのよ。女の子は成長が早いっていうけど、私は特に早くて。小五の始めくらいには今の身長くらいはあったかな」
 つまり、小五から身長が伸びていないのか。
 それは確かに、女性と言う点を差し引いても、競技者、特に格闘技の選手としては辛い物があるだろう。
「小六くらいから、試合で戦う相手が全員自分よりおっきいの。それでも必死で練習してたから、負ける事は殆ど無かったんだけど、中学に上がったらそうもいかなくってさ」
「それで辞めたのか?」
「家族とか道場の先生は、試合の勝ち負けは重要じゃないって言ってくれたけど、やっぱ中学生くらいじゃそんなのわかんないじゃん。これまで勝ててた相手に、身長追い抜かれただけで負けちゃった時に、気が抜けちゃったんだよね」
「確かに、それは中学生には辛いだろうな」
「けど、辞めたはいいけど空手程熱中出来る物は無くってさ。友達に誘われて始めたネトゲなんかはそれなりにハマったけど、やっぱなんか違うなって思ってて……そんな時期にVRシステムが発売されてね。これだー!って思ったのよ」
 VRシステムによる仮想空間であれば、実際に身体を動かす感覚で操作出来るし、体格に関してはある程度手を加える事が出来る。
 体格に恵まれず選手の道を諦めたメリルにとって、VRシステムはさぞ魅力的な物だっただろう。
「……ん?中学までで空手を辞めて……その後VRシステムが発売……」
 中学生で辞めた、という事は高校入学を期に辞めたという事だろうか。
 そしてVRシステムが発売されたのは五年前。
「メリル、こんな事聞くのは気が引けるんだが……お前歳いくつだ?」
「は?何よいきなり……十九よ。もうすぐハタチになるけど」
 十九?もうすぐ二十歳?
「まさか年上だったとは……」
「え、そうなの?てっきりあんたはタメか年上だと思ってたのに」
「てっきり中学生くらいだとばかり……先輩だったんですね。失礼な口聞いてすいませんでした」
「ちょ、何よいきなり」
「マジ勘弁してください。あ、俺パン買ってきます」
「パンてなんだよ、その舎弟言葉をやめろ!」
 ズドンと鈍い音を立てて俺の腿にローキックがめりこんだ。



[11997] 第十一話 ラウフニーの悲劇
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:35
 その後もマッドスピリット狩りは順調に進んだ。
 目だった被害と言えば俺の腿に本気で打ち込まれたメリルのローキックくらいだ。
 あまりの威力に無警告PvPフラグが立ってしまい、加害判定を受けたメリルはペナルティとして宿命値の減少を食らっていた。
 幸い、ライカンの彼女よりノスフェラトゥである俺の宿命値の方が圧倒的に低いので、メリルが受けたペナルティは些細な物だったが。

「上がりが悪くなってきてない?」
 すっかり手馴れた様子でマッドスピリットを倒したメリルが、効率の低下を口にする。
「そうか?今スキル値いくつだ?」
「一番高いのが格闘術の45.3、他の近接系が35.0から40.0付近かな。神術とかはお察し」
「俺は近接系スキルを最初に取らなかったから、一番高い片手剣術でも40.0をようやく越えた程度だな。45.0あたりから効率が落ちてるのか?」
 スキルログウインドウを確認していたメリルが頷く。
「うん。45.0超えると急に効率落ちるよ」
「そうか……格闘術以外が45.0位になるまでここで狩ってもいいけど、伸びのいい戦闘スキルに狩り場を合わせる方が効率としてはいいかな。場所変えるか?」
「どちらにせよ一度基地に戻りたいかな。ドロップ処分すれば装備も整えられるかもしれないしね」
「なるほど。俺もSA買わないとな。いつまでも通常攻撃だけじゃ効率悪くてたまらん。盾も随分ぼろぼろになったし」
「SAあんまり使わないなと思ったら、覚えてなかったの?」
「言ったろ。近接スキルは作成時に取らなかったんだよ。代わりに神術スキルと魔術スキルはそこそこ揃ってるけどな」
「なるほどね。私は最初に良い武器買ったら他に回すお金無くなっちゃったんだよね。防具欲しいなぁ」
 メリルの装備は、胴鎧とズボンが俺の初期装備で着ていたのと同じ粗末な革鎧だが、グローブとブーツは刺々しい装飾が施された鉄製の手甲と具足だった。
 恐らく防具兼格闘術用の武器なのだろう。
「よし、とりあえず基地に戻るか」
「あ、うん……一緒に行くの?」
 少し困ったような表情のメリル。
 何それ。
 お前と一緒になんか歩きたくないって事だろうか?
 ちょっとショックなんですけど。
 凹む俺に、メリルは慌てたように手を振り否定する。
「ちょ、そうじゃなくて……さっき言ってたじゃん。あまり一緒に狩ってる所人には見られたくないって」
「あー、その事か。ま、あえて余所余所しくする必要も無いだろ。隠したいのはリンクモンスターをペナルティ無しで分担する方法だけだからな」
「そっか。ならいいんだ。いこ」
「ああ……まぁ嫌なら別にいいんですけどね。ここから別行動でも」
「拗ねてんじゃないわよ鬱陶しい」
 ケツを蹴られた。
 先程のペナルティで懲りたのか盛大に手加減をしているようだが、あまり手癖足癖が悪いのは女性としてどうなのだろうか。

 前線基地の中央区に向かって歩きながら、メリルは大きく伸びをする。
「なんか久しぶりって感じ」
「かなりの時間スライムとスピリット狩りに没頭してたからな」
「ねぇ、最初NPC見た時どう思った?私めちゃびびったんだけど」
 道行くNPCの傭兵や冒険者をちらちら見ながらメリルが耳打ちしてくる。
 NPCに対して「お前NPCだろ」というような世界観にそぐわない発言は禁止行為とされているのだ。
 そういった単語はエラーワードとして登録されており、NPCに向けて発言しても、彼らはそれらの言葉に反応を返す事は無いのだが、NPCに向けてエラーワードを過剰に発言するとペナルティとして宿命値の減少を受ける。
 プレイヤー間であれば然程問題は無いのだが、自然と言葉は小さくなる。
「まぁ、最新鋭のAIを採用しているって情報は事前に公開されてたし、ゲームショウで体験もしてたから、ある程度はわかっちゃいたが、予想以上ではあったな」
「予想以上なんてもんじゃなかったよー。どう見たってプレイヤーなのに、なんかNPCだって事は理解できちゃうし、すごい混乱したもん」
 ちなみにNPCとプレイヤーキャラクターを視覚的に見分ける方法は無い。
 アトラスでは旧来のMMORPGとは違って、キャラクターの頭上に名前などを表示する手法は取られていないので、見た目では判断のしようが無いのだが、感覚的に相手がNPCであるか否かは理解できる。
 これはアダルトコンテンツに対する規制とシステム的には同じものだ。
 例を挙げると、女性の裸を未成年の俺が見てしまうと、規制処理によって、女性の裸を見てしまったという記憶は残るが、「見た映像」は記憶に残らない。
 これとは逆に、NPCフラグを持つキャラクターに接すると「相手はNPCだ」という意識を刷り込まれる。
 これは、言ってしまえば「記憶の改ざん」というなかなか恐ろしい現象だったりするのだが、悪用出来る程の大規模な改ざんは不可能だそうである。
「なんてったって『もう一つの現実』だからな。懲りすぎだとは思うが」
「まぁあの見た目で同じセリフを延々繰り返されるよりはいいけどね」

 道中すれ違うプレイヤーは皆一人身で、俺達のように連れ立って歩いている者は他にいない。
 おまけにメリルは前線基地では珍しいライカンのプレイヤーとあって、他のプレイヤーとすれ違うたびに物珍しげな視線を向けられていた。
 特に人目を憚る必要もないのだが、無駄に注目を集める意味も無いので、目立たない程度に抑えて会話をしながら歩く。
 やがて正面に、前線基地のシンボル、四神像の噴水が見えきた。
 アーカス前線基地の中心に位置する四神像の噴水から東に向かえば、武器屋や道具屋が並ぶ商業区だ。
「あれ?」
「ん?」
 後ろを振り向くと、東に足を向けた俺とは逆、西に行こうとしているメリルと目が合う。
「ソウルジェム換金しないの?」
「いや、換金するんだろ?」
「え、冒険者ギルドで換金するんじゃないの?」
「冒険者ギルド?俺は道具屋に行くつもりだったんだが」
「換金する前に?」
「いや換金しに……待て待て落ち着け。噛み合って無いぞ。一度整理しよう」
「あ、うん」
 なぜかお互い姿勢を正してしまう。
「えーと、俺は道具屋に売りに行こうと思ってたんだが、冒険者ギルドでも換金できるのか?」
「うん、買い取ってくれるよ。買取価格は品質によって上下するからわかんないけど。それに今は【ソウルジェム収集】ってギルドクエストがあるから、それもついでにこなせば報酬も出るし」
「報酬は幾らだ?」
「確か五十個で5s、百個で15s」
「……買取とは別でそれだけの報酬が出るとは、随分と破格だな」
「なんでも急ぎで大量に買い集めてる貴族の依頼だとかで、お金に物言わせてるんだって。規定数に達したら締め切りみたい。規定数は書いてなかったからわかんないけど」
「メリル、ソウルジェム何個ある?」
「五十七個。ガイは?」
「俺は五十一個だ。二人分合わせて百個の報酬貰った方が得だな」
「だね。道具屋は幾らで買い取ってくれるの?」
 確かマールに配達した時は、ソウルジェム数個と薬草、妙な小瓶合わせて40cだったはずだ。
「単価はわからないけど、百個の報酬を蹴る程ではないのは確実だな」
「じゃ、冒険者ギルドで纏め売りでOK?」
「そうだな。規定数があるなら急いだ方がいい。先に渡しておくから換金は任せた」
 ソウルジェムをトレードウインドウを使ってメリルに渡す。
 数が多いアイテムはミスティックキューブから取り出して手渡すより、こちらのほうが手っ取り早いのだ。
「いいけど……あんたちょっと私の事信用し過ぎなんじゃない?さっき会ったばっかなんだよ?」
「ネトゲで鍛えた俺の人を見る目をあまりなめないほうがいい。それともなんだ、持ち逃げでもする気なのか?」
「するわけないでしょ。安易にトレードするから何も考えてない馬鹿なのかと思っただけよ」
 ぷいとそっぽを向いて歩き出すメリル。
 言われてみれば確かに会ったばかりだというのに馴れ馴れしくし過ぎたかもしれない。
 しかし、メトゲをやっていると、稀に会ってすぐに軽口を叩ける程気の合うプレイヤーと出会う事がある。
 メリルのような気安い仲間というのはどんなレアアイテムよりも得難いものだ。
 それに、昨日まで固定パーティーを組んでいた仲間が突然ログインしなくなるのもネトゲでは良くある話だ。
 出会ってから数時間しか経っていないからと必要以上に他人行儀にしていては、仲間など出来ようはずも無い。
「ちょっと、何やってんの?置いてくよ?」
「ん、ああ、すいません先輩今行きます」
「また蹴られたいの?」
 メリルのローキックを警戒しながら、冒険者ギルドへと向かう。

 換金のために冒険者ギルドに入って行ったメリルは、数分で戻ってきた。
「報酬が15sで、ソウルジェムの買取額が8s45c。割り勘でいいよね」
「結構な額だな。……大した差じゃないが、こっちが12sでいいのか?ソウルジェムはメリルのほうが多かったのに」
「50cぽっちで揉めるのも馬鹿らしいでしょ。そもそもガイがいなかったら稼ぐどころかキャラロストだったし」
「ま、そういう事ならありがたく頂いとくか」
 一気に暖かくなった懐だが、装備を整え、ポーションを買い、SAを習得したら、これもすぐに底を着きそうだ。
「さてと、私防具買いに行くけど、ガイはどうする?」
「俺も盾を買わないとな。もっとダメージ減少率の高い奴が欲しい」
「じゃ、まず商業区ね」
 再び中央区を抜けて商業区へ。

 商業区の中でも立地に恵まれた店、エドワードの武具商店に入ると、主人のエドワードに営業スマイルで出迎えられた。
「これはガイアス殿にメリル殿。いらっしゃいませ、今日は何をお探しですかな」
「ダメージ減少率の高い盾はあるか?予算は2sだが、物によってはそれ以上でもいい」
「私は防具一式。ガイの着てる奴なんか頑丈そうだよね。同じのある?」
 俺とメリルの注文を聞いたエドワードは、考え込むように目を閉じて何度か頷く。
「そうですなぁ……減少率の高い盾は大型で分厚い鉄製の物ばかりですから、ガイアス殿にはまだ扱いにくいのでは無いでしょうか?こちらの取り回し易いカイトシールドなどいかがでしょう?」
 ショップウインドウに表示されたのは凧のような逆三角形の盾。
 今の鉄板に取っ手を付けただけの鍋蓋盾よりは立派な造りだが、ダメージ減少効果に関しては大差無いように思える。
「大型の盾だと何か問題があるのか?」
「申し上げにくいのですが、大型の盾を扱うにはいささか腕力と体力が不足しておられるかと。片手で正面に構えるだけでもかなりの力を要しますから」
「そうか。じゃあこの盾をもらおう。この盾は買い取れるか?値がつかないなら処分してくれ」
「これはまた……使い込みましたな。溶かしてインゴットにするしかありませんか。5cでよければ買い取らせて頂きますよ」
「それで頼む」
 ウインドウを操作してカイトシールドを購入し、早速装備する。
「なるほど、扱い易いな」
「気に入って頂けましたかな。さて、メリル殿は鎧一式でしたな。鋲革鎧は在庫がございますが、メリル殿には不向きかと」
「そうなの?頑丈そうだし、動き易そうだけど」
 俺の鋲皮鎧を突付きながら首を傾げるメリル。
「確かに頑丈でございますし、革鎧ですので動き易くもあるのですが、全体に鋲を打って補強しているので重量がかなりのものでして。回避と防御性の兼ね合いという面ではお勧めしかねます」
「重いのかあ。私ガイより体力無いし、回避が犠牲になるのは困るかな。他には何か無い?」
「申し訳ありませんが、当店は武器と金属鎧が専門な物で、扱っている最も軽い鎧が鋲革鎧なのです」
「じゃあ結局我慢して鋲革鎧着るしかないってこと?」
「商業区の外れに同郷の者がやっている裁縫店がございます。そちらでしたらご満足頂ける品物をご用意できるかと」
「他所の店を紹介するとは意外だな。適当な事言って鋲革鎧売りつければいいのに」
 からかうように言うと、エドワードは笑う。
「ははは、ここで2s稼ぐより心証を良くして今後より高い物を買って頂いたほうが儲かりますからな」
「ありがとうエドワードさん。で、そのお店ってどこ?」
「実は最近店を開いたばかりでしてな。入り組んだ場所にあって少々判り難いのですが……」
 エドワードの説明した道順を頭の中で思い描く。
 うん、普通にわかりにくい。
「ガイ、わかった?私無理……道覚えるとか苦手……」
 いかにも混乱していますといった表情で呟くメリル。
「まぁ、一応はな……マップ機能が無いのが辛いとこだな」
 アトラスにはシステム的なマップ機能が存在しない。
 代わりと言っていいのかわからないが、マップを作成するスキルがある。
 マップが欲しければ道具屋などで地図を買うか、自分でマッピングしなければならない。
「店名はブティック『ラウフニー』でございます……ちなみに店主は私の昔馴染みなのですが、気の弱い男でして……押しに弱いのです」
 エドワードは悪そうな笑みを浮かべる。
「なるほど……『押しに弱い』ね」
「腕は確かですし人は良いのですが、商売には向かない男ですな」
「何?どういう意味?」
 良く分かっていないメリルを連れてエドワードの店を後にする。

 何度か道を間違えた末に見つけたブティック『ラウフニー』は、裏通りの片隅のこじんまりとした店だった。
「なんか流行らなそーなお店だね。大丈夫かな」
「まぁとりあえず入ってみるか」
 店内に入ると、真新しい布特有のにおいが鼻を掠める。
 狭い店内を仄かに照らす光量を落とした照明が心地よい、雰囲気の良い店だった。
「おー、洋服がいっぱーい」
 メリルは狭い店内に所狭しと並べられた服に目を輝かせる。
「いかに凶暴とは言えメリルも女の子の端くれという事か」
「喧嘩売ってんのか」
 つい心の声が漏れてしまった。
 メリルの爪先が脹脛に突き刺さる。
「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか」
 ドアベルで来客を察したのか、作業場になっているらしい店の奥から店主が現れた。
 俺達の胸あたりまでしかない身長、ずんぐりむっくりとした体型、顔を覆う立派な髭。
 ドワーフだ。
 ラウフニーと名乗ったドワーフは、落ち着きなく三つ編みを施した髭に手を這わせている。
「えっと、エドワードさんにここを紹介されて。動きやすくて頑丈な防具が欲しいんですけど、ありますか?」
「おお、エドワードがここを?ありがたい事です。さて、防具ですか。うちに来たと言う事は動き易さ重視ですかな」
「ええ、そうですね。動きやすくて軽くて、それでいて防御もあって……あと出来れば可愛い見た目のがいいなーなんて」
「どんな神装備だよ」
 注文の多いメリルに呆れていると、ラウフニーはドワーフらしい豪快な笑い声を上げた。
「ガハハハ!女性は欲張りな方が可愛らしい物ですよ。ですがご満足頂ける防具があるかどうか……これなどはいかがですかな」
 ラウフニーは壁際のマネキンを指し示す。
「上はクロースアーマーと言いまして、厚手の布で仕立ててあります。中に革板で補強が入っておりますので防御にも優れておりますよ」
「へぇー、白地に青の刺繍が素敵ですね」
「そちらは魔術都市エルクリプスの上流階級に好まれている意匠でして、特に女性の方には好評頂いております」
「こっちのもかわいー」
「お目が高いですな、それはランドール地方の民族衣装を模した物で……」
 俺は店の隅に置かれた一人掛けのソファーに座って「母さんと妹と買い物に行くとこんな感じだなぁ」などと呟きながら、あれでもないこれでもないと店中の品物をとっかえひっかえ品定めする二人を眺めていた。

「ねえガイ、こんな感じでどうかな?」
 ひたすら試着を繰り返していたメリルは、最終的に白地に青い刺繍のクロースアーマーと、クロースアーマーと同じデザインのゆったりしたズボン、白地に金の装飾が施された薄手のコートというコーディネートで落ち着いたようだ。
 コートは裾が脹脛辺りまであり、ひらひらしたデザインで動きにくそうである。
 白地というのも無意味に目立つし、刺繍は一体防具として何の意味があるというのか。
「いいんじゃないか。似合ってると思うよ」
 口を突いて出そうなネガティブな意見を押し殺し、当たり障りの無い賛辞を述べておく。
「やっぱりぃー?はははまいったなー惚れんなよー!あ、これでお会計お願いしまーす」
 メリルは意味の判らない事をほざきながら俺の肩をばんばん叩くと、店主とカウンターに向かう。
 まぁ嬉しそうで何よりだ。束の間の幸福をとくと味わうがいい。
 俺は側に置かれた服から顔を覗かせている値札を眺めながらほくそえむ。
 カウンターからメリルの悲鳴が聞こえて来たのは、それから程なくしての事だった。

「うう……15sって……高すぎるでしょ……」
 提示された価格は、クロースメイルとズボンがそれぞれ4s、コートが7s、しめて15sだった。
 どうやらこの店はなかなかの高級店だったらしい。
 メリルの所持金は12sと少しなので、当然買える訳がない。
「はぁ、ですが生地も上等な物を使っておりますし、刺繍にも手間がかかっておりますからな。どの店でもこれ位の価格にはどうしてもなってしまうかと」
 カウンターで苦悶の表情を浮かべながらお気に入りの白装束を握り締めるメリルに、ラウフニーは困ったような表情でおろおろしている。
「諦める……?いや、今更他の装備なんて……でも、お金がっ……!」
 今にもざわ…ざわ…と聞こえてきそうな雰囲気で葛藤しているメリル。
 仕方ない、手伝ってやるか。
「15sですか。素人目にも上等な仕立てだとは思いましたが、流石にお高いですね」
「ガイ……あの、申し訳無いんだけど、お金を……」
 縋る様な視線を向けてくるメリルを手で制し、うなずく。
 まかせておけ、と。
「エドワード殿の言っていた通りですね。これなら商業都市一の裁縫職人というのも頷けます」
「なんと?エドワードめ、そのような事を……?」
「ええ、彼と同郷である事を誇りに思うと」
「エ、エドワード……」
 感動したように肩を震わせるラウフニー。
 何言ってんだコイツと言わんばかりの視線を向けてくるメリル。
「彼はこうも言っていましたね。金の事しか考えていない商都の商人達とは違って、ラウフニーは自らの商品、いや作品に誇りを持ち、真に自らの作品の価値を理解してくれる相手以外には、どれだけ金を詰まれようが断固として断る職人気質な男だと」
「そ、そんな、人違いでは?私はとてもそのような……お恥ずかしい……」
 しきりに髭をなでつけるラウフニー。
 後一押しか。
「貴方程の方がなぜこのような寂れた場所に店を構えているのか、ようやく理解できましたよ。ただ目に付いただけという理由で立ち入る客など端から相手にしていない。貴方こそ真の商人であり職人だ」
「そそそそんな大それた理由など……ただ商業区には既にここしか空きが無く……」
 ぶんぶんと手を振るラウフニー。
 そろそろいけるか。
 俺はおもむろに寂しげな表情を作り俯く。
「私のような者ですら貴方の作品の素晴らしさを感じる事が出来るのですから、あれほどまでに思い悩んだ末にこれらを選んだ彼女の心情たるや……」
 口をあんぐりと開けてこちらを見上げていたメリルにお前も演技しろとアイコンタクトを送る。
 メリルは察したのか、再びうつむいてうんうん唸り出した。
 芝居が下手な奴だ。
「む……そうですな。私としても心苦しく思います。ですが……」
 そんなメリルを見てラウフニーは思案するように腕を組み目を瞑る。
「彼女は既に貴方の作品に心奪われている……しかしお金が足りない……」
 心奪われている、を強調すると、ラウフニーの眉がぴくりと跳ねる。
 髭の上からでも満更でもない笑みを浮かべているのがわかる。
「どうでしょう……彼女は全財産を投げ打ってでもこの作品が、貴方の作った芸術品の如き作品が!欲しいと言っています。僅かでも折れて頂けませんか」
「む、むむ……そこまで言われては仕方ありませんな、では13s」
「10s」
「じゅ、10s!?それはいくらなんでも……」
「10s」
「な、な……」
「それが彼女の全財産なのです。無理は承知ではありますが、どうか一つ」
「じゅ、じゅうに」
「10s。貴方の男気に免じてどうか」
「ええい、11s!これ以上は無理です!」
「10s。我々を助けると思って!」
「う、ううう、うう……」
 青ざめた顔で震えるラウフニーは、観念したように肩を落とす。
「わかりました……」
 ふん、ちょろいな。
 ラウフニーの消え入るような呟きが、俺の勝利を告げる。



[11997] 第十二話 新クエスト
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:36
 ラウフニーの店を後にした俺達は、マールの道具屋に向かっていた。
 一番金のかかる装備類の買い物を済ませたので、何個かポーションを手に入れるためだ。
 歩きながら先程の値切りによって上がった交渉術スキルを確認する。
 交渉術スキルは6.8になっていた。
 なかなか良い伸びだ。
「良かったな、5sも安くして貰えて」
「良くないわよこの鬼畜!見てて申し訳なかったわ!」
 5sも値切って購入したお気に入りの白装束に身を包んでいるというのに、呆れ顔で怒鳴るメリル。
 しかし、やはり一度は諦めかけた装備を手に入れる事が出来たのが嬉しいのか、足取りは軽い。
「お前、俺がせっかく頑張って安くしてやったのに鬼畜呼ばわりって……感謝の言葉の一つも貰っても何らおかしくないと思うんだが」
「……まぁその点については感謝してるけど……あれは流石にやりすぎなんじゃないの?三分の一も値切るなんて……」
「エドワードも言ってたろ。気が弱くて押しに弱いって。値切りに毅然と対応できないんじゃ商人は辛いぜ。まだマールの方が……っと、ここだ」

 未だ納得いかないといった表情のメリルを連れて道具屋に入る。
「あ、ドケチのお兄さん」
 昨日と同じようにカウンターの奥には頭だけ覗かせたマールが立っている。
「ドケチ?まさかあんたここでもあんな事したの?こんな小さい子に?」
「昨日お兄さんは50cの応急薬セットを49cに値切った、です。かわいそうで見てらんなかった、です」
「1cを値切るとか馬鹿じゃないの?」
「……」
 あれはただ交渉術を上げようかなと思っただけなのに、何故こんな蔑んだ目を向けられなければならないのだろう。
「で、今日はどうしたですか?」
「ああ、少し金が出来たから、ポーションを何個か買っておこうかと思ってな」
「ポーションですか。品切れ、です」
「最下級のじゃないよ。1sの方だ」
「ですから、品切れなのです。今日は朝からお客さんが絶えなくて、在庫が無くなってしまいました、です」
「……マジで?」
 そうか、他のプレイヤーが買い占めていったのか。
 既にサービス開始からかなりの時間が経過しているし、他のプレイヤーも相応に金を稼いでいるはずだ。
 非常用のポーションは金に余裕があれば誰でも欲しがる所だろう。
 在庫という概念がある以上、売り切れも有り得るのは簡単に予想がつくというのに、失念していた。
「一個10sの中級ポーションならいくつかあるですが、買うですか?少しならまけますですよ」
「いや、10sは流石に無理だよ……そうだ、親父さんは仕入れからまだ戻らないのか?」
 仕入れから戻ればポーションの在庫も復活するはずだ。
「たぶんお父さんが戻るのは明日の夕方か、明後日の昼頃、です」
「そっか、じゃあ明日また来るよ」
 在庫が無いのであれば仕方ない。
 道具屋を後にしようとする俺を、メリルが手を上げ制止する。
「あ、ちょっと待って。治癒の丸薬ってあるかな」
「治癒の丸薬はまだあるですけど、丸薬だけだとちょっと損、です。応急薬セットがお勧め、です」
「んー。そうね、包帯と軟膏も残り少ないし。それ貰うわ。値切ったりしないから安心して」
「お姉さんなら45cでいいですよ」
「え、ほんとに?やーんありがとー」
 メリルはマールの頭を撫で繰り回す。
 マールは目を細めてくすぐったそうにしていた。
「そういえば俺も応急薬の残りがやばいな。補充しとくか」
「たった今売り切れました、です」
「な、なんだってー!」
「嘘ですよ。49cになります、です」
「あれ!?45cじゃないの!?」
「寝言は寝て言え、です」
 メリルは俺とマールの遣り取りを爆笑しながら眺めていた。

「ぶふっ、強面のドワーフからは5sも値切ったくせに、あんなちっちゃい子にお情けで5cまけてもらうとか、ぷぷ」
「いつまで笑ってんだよ……」
「だって、あは、おかしーじゃん。まぁマールちゃんがしっかりしてるんだろうけどさ」
「まぁラウフニーよりは確実に商人向きだよな」
 笑いながらちょっかい出してくるメリルを適当にあしらいながら、修練場へ向かう。



 修練場は昨日の盛況ぶりが嘘のように閑散としていた。
 既に殆どのプレイヤーは前線基地の外で狩りをしているのだろう。。
 何人かのNPCとプレイヤーが藁人形に打ち込む音に混じって、どーんとかばーんとかの擬音が聞こえてくるのみだ。

「でね、こうきたのをパシーン!ってやってね、おりゃー!ってやればいいわけ。わかった?」
 あんぐりと口を開けてカクカクと頷くプレイヤーの背中を「元気がないぞ我が弟子よ!」とばしばし叩いているのは、スキルトレーナーのシャミル。
 相変わらず絶好調なようだ。
 納得がいかないのか、しきりに首を傾げながら修練場を後にする男性プレイヤーとすれ違う。
 わかる、わかるぞその気持ち。
 憔悴した背中に無言のエールを送りながら、SA習得のためにシャミルの元へ向かう。
「シャーミールー!」
 すると、突然メリルが奇声を上げて駆け出す。
「あっ!メリルー!生きてたー?何その服ーかわいー!」
「あははは生きてた生きてたー!似合う?かわいい?」
 けらけら笑いながらはっしと抱き合うメリルとシャミル。
「え?何これ?」
 突然繰り広げられる想定外の展開に、俺は言葉を失って立ち尽くす事しか出来ない。
「なーんだ、傭兵君とメリルって友達だったんだ?ちょっと意外だな。けど言われてみればお似合いかもね!」
 お幸せに!と、>ヮ<みたいな顔で両手でサムズアップするシャミル。
「もーそんなんじゃないってー。ガイとはさっき会ったばっかだし、それに私には、シャミルという生涯の友が!」
「おお、心の友よ!」
 きゃっきゃとはしゃぐ二人のガールズトークに開いた口が塞がらない。
「えーっと、メリルさん?シャミルさん?お二人は一体どういう……」
 なんとかひねり出した俺の問いに、二人は目を見合わせると、同時に口を開く。
「「友情……いえ、むしろ二人の間にあるのは……愛?」」
 なんでそんなセリフがハモるの!?
 二人の世界を展開するメリルとシャミルから思わず距離を取ってしまう。

 まぁ、こいつらの仲が良い事自体は特に不思議ではない。
 メリルはどうせ「猫耳とかちょーかわいーし」みたいな理由でライカンを選んだのだろうから、同じライカンのシャミルにも同じ感情を抱いてるのだろう。
 シャミルの突きぬけたテンションとも波長が合いそうではある。
 にしたってここまでっていうのは、様々なジャンルに寛容な俺とて流石にドン引きせざるを得ない。
 猫耳少女二人がくんずほぐれつなんて、そんな……ふむ……悪くないな。
 目の前で繰り広げられる光景に自分の中で新たな何かが目覚めるのを感じる。

「で、今日はどしたの?私に会いに来てくれたの?」
「それもあるけどー、新しいSAを習いにね」
「へぇ、もう格闘術が40.0になったんだ。さっすがメリルだね!」
「へへー、もっと褒めて」
 ふぅむ……これは新しい……実にけしからん……。
「ちょっと、あんたもSA習うんでしょ。何ぼーっとしてんのよ」
「おふっ!あ、ああ、SAね。そうだな」
 腿に軽い衝撃を感じ我に帰る。
「二人とも頑張ったんだねー。んじゃはい、これが習得可能なSAのリストだよ」
 俺とメリルの眼前に、それぞれウインドウが表示される。
「傭兵君はSA覚えるのは初めてだよね?いちお説明しとくと、SAは基本的に10.0ごとに新しい物を習得可能になるよ。例外もあるけどね。スキル値10.0で覚えるSAは50c、20.0で覚えるのは1sと段々必要なお金が増えてくからね」
 なるほど、40.0のSAだと2sものお金が必要になるのか。
 という事は……。
「ねぇ、ガイ?」
「……ほれ。こんなもんでいいか?」
 無言でトレードウインドウを開き3s程渡す。
「ありがと、後で返すから!」
「それより値段を見ないで買い物をしないでもらえますか」
「善処しまーす」
 俺は片手剣術スキル10.0から40.0までのSAから有用そうな物だけを選び、メリルは40.0で習得可能な二つのSAを指定し、授業料をシャミルに支払う。
「おけー、それじゃ指導を始めるよ!」
 SAの習得ならばあるいは、と多少期待はしたのだが、始まったのは、やはり例の擬音指導だった。

 力の抜ける指導が終わると、きちんとスキルアーツリストには新しく習得したSAが増えていた。
「よくぞ私の厳しい指導に耐えたな……もう君達に教えられる事は無い……」
「教官……」
 腕を組んで大仰に頷くシャミルと、胸に手を当て熱い瞳でそれを見つめるメリル。
 いやいやおかしいよね。まだスキル値40.0だよ。もっと先があるよ。
「はぁ、まぁいいや。ところでシャミルさん」
「教官」
「……シャミル教官。スキル40.0と45.0が狩るのに丁度良い敵は何かな」
 現在のスキル値であれば、まだマッドスピリット狩りでも問題は無いのだが、恐らくあそこの狩り場ももう他のプレイヤーに見つけられているだろうし、単調な動きしかしないマッドスピリットには飽きてきた。
「そうだねぇ……40.0ならマッドスピリットかな。あ、そこ以外?」
 うーんと首を傾げながら思案するシャミル。
「ちょっと格上だけど、傭兵君とメリルならいけるかな?南の森の東側、山のふもとにある集落の跡地が大蜘蛛の巣になってるんだ。そこにいるラージスパイダーとドレインワームが50後半までのスキル修行に丁度いいよ」
「スパイダーにワーム……昆虫系か。メリル、大丈夫か?」
「え?何が?」
 あ、この反応は何の問題もないな。
「いや、女の子は蜘蛛なんて気持ち悪くてやだとか言いそうだなと」
「ああ、別に大丈夫だけど……ちょっと、なんで平気って言ってるのに浮かない表情なのよ」
「いや、なんかバランスわりぃ奴だなって思って……」
 買い物に熱中して、女友達と黄色い声上げてはしゃいでたくせに蜘蛛は余裕とか、これだから女は意味わからん。
「あとねぇ、南の森にいるブラッディウルフなんかも君達には丁度いいと思うよ」
 ブラッディウルフか。
 あいつと遭遇したのも昨日の事なのに、早くも懐かしく感じるな。
「けど、ブラッディウルフはスキルの修行には向かないんだよね。数が少ないから探し回らないといけないし、体力が極端に低いから、効率悪いし」
 確かに、運が良かったとはいえ武器スキル値0.0で一撃で倒せるというのはずばぬけた脆さと言える。
「ラージスパイダーは肉食性で大きいけど、毒は持って無いから解毒手段は無くても大丈夫。動きもスライムよりは素早いけど、落ち着いて対処すれば問題無い相手だからね。ドレインワームは地中に潜ってるから不意打ちに気を付けて。こっちも毒は持って無いけど吸血攻撃を受けると体力を回復されちゃうから、そこに注意ね」
 ほんと、この解説の真面目さの一%でもいいからスキルの指導に向けてくんないかな。
「ただ、大蜘蛛の巣に行くなら、これだけは絶対に守って欲しいんだけど」
 シャミルの大きな目がすっと細められる。
 ただならぬ雰囲気に、周囲の温度が下がったように感じる。
「マンイーターって呼ばれてる化物みたいな大蜘蛛がいるんだ。そいつ自身は何もしないで、巣の奥で手下が運んでくる餌を食べるだけだから、巣の奥に行かなければ遭う事はないけど……絶対に近づいちゃ駄目だよ。もし見かけたら仲間を見捨ててでも逃げて。君達じゃ絶対にあれには勝てない」
「……そんなに危険なのか?」
「未だに大蜘蛛の巣なんてのが討伐されずに残ってる理由がマンイーターだよ。あいつを倒そうと思えば多大な犠牲が出る。だからあえて放置されてるんだ。奴は巣から出てこないから、手下の大蜘蛛にさえ気を付ければいいんだからね」
 シャミルの静かな気迫に圧倒される。
 それ程までに強いのか。
 フィールドボス?いや、大規模パーティーを想定したレイドボスだろうか。
 だが初期村の近くに配置されているのだし、工夫次第では、あるいは……。
「自分なら勝てる。そんな風に考えちゃうんだよね、ここにいるような人達って」
 思考を見透かされたような言葉に硬直する。
 だがシャミルはこちらを見ていない。
 どこか寂しそうに目を伏せている。
「自分なら勝てる。そんな事を考え出すと、根拠の無い妙な自信を持っちゃうんだよ。そして勝った時の富と栄誉に目が眩み、判断力を失う。そもそも勝つ手段が無いのにね」
 シャミルの言葉は、誰に向けられた物なのだろうか。
「絶対に駄目だよ。巣の奥には絶対行っちゃ駄目だ。けど巣の入り口付近なら大丈夫。本当は巣に近づく事すらして欲しく無いんだけど、君達の強くなりたいって気持ちもわかるからね。そこまでは止めないよ。気を付けてがんばってね」
 懇願するようなシャミルの言葉の最後に、システムアラートが重なる。

【人喰い蜘蛛の巣窟】
【前線基地南東の大蜘蛛の巣付近のラージスパイダーとドレインワームを指定数討伐し、生還せよ。】

 クエストタブに、新しいクエストが追加されていた。



[11997] 第十三話 メリルのリアル話
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:37
 修練場を後にした俺達は、中央区の食堂兼酒場に来ていた。
 前線基地には東西南北と中央、五つの酒場がある。
 まず南門をくぐってすぐの場所、昼は傭兵隊詰所となっている建物の一階が、夜には酒場になる。
 場所が場所だけに客は傭兵が主、というより傭兵しかいない。
 次に西門の側、こちらは冒険者ギルド支部。
 こちらは一階が昼夜問わず完全に酒場となっている。
 むしろ酒場のマスターが副業で冒険者ギルドの業務を行っているといった雰囲気だ。
 当然客層は冒険者が多数を占める。
 北の酒場は南と西の酒場と比べればいくらか上品な雰囲気で、一階が酒場で二階が宿屋というこの世界における一般的な酒場だ。
 主な客層は下っ端の騎士団員や北の方からやってきた旅人である。
 東の酒場は商業区の商人達が主に利用しているが、商人の人口は少ないので他所と比べて寂れている。
 客層は商人達と、混雑を嫌った冒険者や傭兵、騎士団の者が半々と言った所だ。
 今俺達がいる中央区の酒場は、前線基地の中央にあるが故に、客層が偏る事は無く、冒険者と傭兵と騎士団員が相席している光景も珍しく無い。
 また、他所よりは料理のメニューが充実しているので、純粋に食事を楽しみたい場合はここを利用する者が多い。
 かく言う俺達も、目的は食事だったので中央区の酒場を選んだのだ。

「ねぇ、どうする?蜘蛛の巣行く?」
 運ばれてきた食事を半分程片付けた所で、メリルは先程シャミルが言っていた大蜘蛛の巣を話題に出した。
 メリルは見た事もない馬鹿でかい貝が入ったパスタをフォークでいじっている。
「なんかあそこまで言われて行ったら死亡フラグ立ちまくりだと思うんだけど」
「空手の全国チャンピオンともあろう人が弱気じゃないですか」
 肉汁の滴るフリッグのステーキを切り分けながら、おちょくってみる。
「茶化さないでよね。もし死んだらロストなんだよ?」
 テーブルの下で足を踏まれた。
「まぁ確かにマンイーターとやらに遭遇したら死ぬだろうな。けどクエストも発生したし、とりあえず入り口までは行ってみてもいいんじゃないか?」
「もし入り口にそれがいたらどうするの?」
「いくらなんでもそこまで理不尽な展開は無い……と思いたいけどな。そんなに行きたくないのか?」
「行きたくないっていうか、蜘蛛の巣に行くにしても、もう少しスキルを鍛えてからにしたいかな。武器スキル以外はまだ30.0台のもあるんだよ?」
「確かに格上の狩り場で不測の事態に対処できるかは不安ではあるな。けどいいのか?」
「何が?」
「俺は近接系スキルはほぼ横並びだけど、メリルは格闘術だけ飛びぬけてるだろ。またマッドスピリット狩りじゃ武器スキルの上昇機会を無駄にするんじゃないか」
 マッドスピリットより格上のモンスターを相手にすれば、格闘術スキルの上がりも良くなるし、それ以外のスキル値が低いスキルはより早く上昇するのだ。
 効率を考えれば現時点で大蜘蛛を相手にするのは悪い手ではない。
「そりゃ少しもったないとは思うけど、無理してロストしたら後悔しそうだもん」
「確かにそうだな。効率ばかり考えて死んだら世話無いし。そういう事ならもう暫くはマッドスピリット狩りだな」
「ガイこそいいの?マッドスピリット狩りは飽きてきたって言ってたし、蜘蛛の巣のがいいんじゃないの?」
「これまでのネトゲの修行僧のようなレベル上げと比べたらなんてこたないよ」
「頼もしいというか、馬鹿っぽいというか」
 呆れたように笑うメリルは、どこかスッキリした表情になっていた。
 修練場でのシャミルのただならぬ雰囲気に当てられたのか、修練場から酒場までの間もどこか元気が無かった。
 料理が運ばれてきても食欲が無いようだったが、胸のつかえが取れたのか、今では凄い勢いでパスタを食べている。

 ネトゲでは何が切欠で縁が切れるかわからない。
 リアルの事情などのどうしようもない理由や、ドロップアイテム分配時のいざこざ、交友関係などの些細な不注意。
 会ってすぐに親密になるのが珍しく無い一方で、一晩で連絡すら取れなくなるのも珍しくはない。
 避けられない事情が原因であれば諦めるしかないが、だからこそ回避できる些細な食い違いなどはなるべく避ける努力をせねばならない。
 特に、死ねばロストという重いペナルティが存在する以上、命の賭場である狩り場は両者納得行く場所を選ぶ必要がある。
 メリルは、敵と相対すれば暴走特急のような闘い方をするのに対し、狩り場の選択には慎重だ。
 一方で俺は、慎重な闘い方が身上ではあるものの、狩り場の選択には効率を重視し格上の狩り場に臨むのも厭わない。
 これまでの狩りや会話を通して、深刻な意見の食い違いによる関係の途絶を懸念していたが、見事なまでの真逆っぷりが結果としては両者の行き過ぎた部分にブレーキを掛け合っている。
 悪く無い関係と言えるだろう。
 メリルはどうかわからないが、俺にとって既に彼女の存在はアトラスというゲームを楽しむ上で無くてはならない物になっている。
 あまりゲームの楽しみを他者との関係の中に見出すのは、その関係の破綻がゲームの寿命となりかねないので、余り好ましくはないのだが、まぁ気づけばそうなってしまったのでは仕方ない。

「んー、これもいっとこっかなー。すいませーん!」
 メリルは店員を呼びつけデザートを注文する。
「パフェなんかあるのか。俺も食べるかな」
「パフェとかにあわねー。何、甘党なの?コーヒーに砂糖とか入れるタイプ?」
「ほっとけ。砂糖入れて何が悪い」
「悪いなんて言って無いじゃん。そうだよねーガイ君まだおこちゃまだからしかたないよねー」
「はあ?おこちゃまはどっちだよ中学生みたいなツラしやがって」
 テーブル下で熾烈な足の踏み合いを繰り広げながら馬鹿な話に興じる。
 先程の沈みようにはいささか気を揉んだが、デザートまで食べられるのであれば心配はいらないだろう。
 奇妙な形の木の実の乗ったケーキを食べ終えたメリルと、再びマッドスピリットの沼へと向かう。



 マッドスピリットの沼地は、何人かのプレイヤーの姿が見られる物の、予想していた程混雑してはいなかった。
「スライム沼もあんまり人いなかったけど、他にいい狩り場あるのかな?もしかしてみんな蜘蛛の巣にいってるとか?」
 前線基地からマッドスライムが群棲している沼を抜けてここまで来たが、見かけるプレイヤーの数は昨日と比べて明らかに少ない。
「と、言うよりキャラデリして光の民に作り直したプレイヤーが多いんじゃないか?昨日の早い段階でそういう書き込みがかなり目に付いたしな」
「マジ?って、まぁ私も人の事言えないか。スピリットの不意打ちでロストしてたら作り直してたかも」
「その割には私に対する感謝の念が感じられませんが」
「はいはいありがとうございます。さぁちゃっちゃと狩って陰気な沼地とオサラバよ!」
 全く感謝の念が感じられない言葉と共にマッドスピリットに殴りかかるメリル。
 まぁ次の狩り場も蜘蛛の巣に覆われた陰気な廃村だけどな。

 先程の狩りでは特に危険は感じられなかったので、交代制ではなくそれぞれのペースで狩りを進める。
 既に狩りなれた相手という事もあり、自然と倒すまでの所要時間を競うような狩りになってゆく。
「おつー」
 マッドスピリットを仕留めて沼から上がると、既に倒し終えて木陰に座っていたメリルに嫌味七割労い三割の言葉をかけられる。
 ニヤニヤしてるから嫌味成分が高いのは間違い無い。
 マッドスピリットが衝撃ダメージに弱いという点を差し引いてもメリルが倒すスピードは早い。
 こちらが躊躇するような場面であっても、メリルは果敢に踏み込み攻撃を繰り出すのだから、手数が違いすぎる。
 やはりモンスター相手と人間相手の違いはあれど、リアルでの格闘技経験は大きなアドバンテージだ。

 アトラスにおける強さのバロメーターであるステータスとスキルは、現実での身体能力のような物だ。
 身体能力が高ければ、当然強い。
 しかし身体能力がいかに優れていようと、それを操るプレイヤーの経験が未熟な物であれば本来の性能は発揮できない。
 ゲームには相応の自信があるが、運動はからっきしな俺にはメリルのような闘い方は不可能だ。
 過去のタイトルで、メリルのような蝶の様に舞い蜂のように刺す華麗な戦闘スタイルを目指した事はあるが、結果は散々な物だった。
 だからアトラスでは、回避を防御の主体とはせず、堅実な盾による防御と重装備というスタイルを選んだのである。
「ま、隣の芝生は青いってやつだな」
 メリルの攻撃速度と殲滅の早さを羨んでもスタイルが違うのだから仕方ない。
 俺はメリルに無い要素を伸ばせばいい。
「とは言え、こうも露骨に差が出ると流石に辛いな」
 こちらが休憩している間に、メリルはもう戦闘を始めている。
「せいぜい離されないように頑張りますか、と」
 スタミナとライフが九割程回復した所で立ち上がり、マッドスライムに向かう。
 派手に動き回るメリルと違って省エネ戦闘がこちらの持ち味だ。
 あと少しステとスキルが伸びれば、休憩なしで二匹相手に出来るようになる。
 そうすれば効率も違ってくるだろう。

 周囲が夜の闇に包まれても、俺とメリルのマッドスピリット狩りは続いた。
 俺は【ナイトサイト】を使用する事で、メリルは種族特性の【夜目】によって暗所の戦闘もこなす事が出来る。
 それでもメリルの【夜目】は然程性能が良くはないので、視界の狭窄は避けられない。
 俺のステとスキルもかなり上昇しため、俺とメリルの戦闘の効率は差が無くなってきていた。

 やがて夜が白み始める頃まで狩り続けた結果、俺とメリルの近接系スキルは殆どが45.0を越えた。
「思ったより時間かかっちゃったね」
「やっぱ夜間戦闘はしんどいな。特にこいつら身体が透けてる上に黒っぽいから見難いったら無い」
「それでいて向こうは目とか無いから夜でもお構いなしだもんね」
 メリルは日が落ちてからの戦闘中に、一度攻撃を受けてしまった事を思い出したのか、悔しそうにしている。
 いかに予備動作が大きいとはいえ、あれほどのスピードの攻撃をずっと避け続けていた事を思えば、一撃受けた程度気にする事は無いと思うのだが、
「私みたいな紙装甲は一撃が命取りなの」
 との事なので、回避型なりの矜持があるのだろう。

「んじゃ、早速いきますか。蜘蛛の巣とやらへ」
「ああ、悪いけど俺一度落ちるわ」
 勢い込んで歩き出したメリルは、大きく肩を落とす。
「ええー、何で?まだリアルじゃ朝の六時じゃん。こんな時間になんかあるわけ?」
「今日は俺が家事当番の日だからな」
 我が家では家事は当番制となっている。
 母さんが週四日、残りの三日を俺と妹と親父で分担しているのだ。
「え、何?複雑な家庭環境だったり?」
「そういう訳じゃない。うちは家族全員ネットゲーマーだからな。自然に出来た分担というか」
 俺の言葉に、メリルは驚いたように目を丸くする。
「へぇー、えらいじゃん。私も実家住みだけど家事なんてなーんにもやってないよ」
「しっかりしろよ二十歳のくせに……まぁそんな訳で、悪いけど俺は一度落ちるよ。そう時間はかからないと思うけど、向こうの一時間はこっちじゃ四時間だからな。先に蜘蛛狩ってるか?」
「まだ十九だっつの。んー……じゃあ私も一度落ちようかなぁ」
「別に気にしないでいいぞ。毎回プレイ時間合わせてられないだろ。近接スキルは上げなくても、神術スキル上げとか、いろいろすることはあるんだし」
「あたしだってずっとこっちにいられる訳じゃないもん。リアルでそれなりにしなきゃなんないことはあるし。それに一度落ちてwikiとか見たいなと思ってたから丁度いいよ」
「そうか?じゃあ一度基地に戻ってから落ちよう。蜘蛛に挑む前にドロップ処分して、新しい鎧が欲しい」
「そうね。あー3s後で返さないと」
「そういや冒険者ギルドのクエスト、まだいけそうか?」
 長時間の狩りに加え、マッドスピリット狩りの効率上昇により、先程よりかなり多くのソウルジェムが集まった。
「あー、どうだろ。もう結構時間経ってるし……一応落ちる前に見といたほうがいいかな」
「あの報酬美味いからな。悪いけど、まだクエ残ってたら清算頼む。冒険者ギルドまで付き合う時間はなさそうだ」
「あいよ」
 トレードウインドウを開きソウルジェムをメリルに渡しておく。
「合計百五十個いってるじゃん。百個の報酬と五十個の報酬貰えるね。クエ残ってますように!」
「報酬抜きでも結構いい額になりそうだな。5s値切ってサヨナラは流石に申し訳無いし、俺もラウフニーの所で何か買うかな」
「で、また値切るんですね。わかります」

 そんなふうに馬鹿話をしているうちに前線基地に到着した。
 ログアウトするために北門近くの宿屋へと向かう。
 基本的にどこでもログアウトは可能なのだが、宿屋などの特定の施設以外では一分程自キャラが棒立ちでその場に残ってしまうのだ。
 前線基地内であれば襲われる事は無いだろうが、あまり気持ちのいいものではない。
「あ、ちょっと待って。一応私のメッセアド教えとくね」
 宿の前に差し掛かった所で、メリルはシステムブックを開き、パーソナルデータを送信してきた。。
 こういったアドレス情報などは別途AG本体に保存されて、パソコンなどに送信可能になっている。
 表示されているのは明らかにメッセ用の捨てアドではあるが、正直メッセのアドレス交換までするつもりは無かったので少々面食らう。
「いいのか?捨てアドとは言えそう簡単にアド教えて」
「だって、家事終わったらすぐインするでしょ?連絡つかないと面倒じゃん。何?どこか変なとこにアドレス流しちゃう人?」
「まさか」
「じゃあいいじゃん。私の人を見る目をあまりなめないほうが良い」
「そっか。じゃあとりあえず落ちたらこっちからメッセ送っておくよ。また後でな」
 時間が押しているので、手早く別れを告げて宿の扉を開く。
「あいよ、また後で」
 メリルは手を振って冒険者ギルドへ歩いていった。



『3...2...1...ログアウト処理完了。お疲れ様でした』
 意識が暗転する。



「ん……」
 意識が覚醒し、目を開けると、視界一面を覆う液晶画面。
 頭部を覆うヘッドギアに内臓されているサブディスプレイだ。
 目元までの深さのあるヘルメットのようなそれを外し、ベッドに放り投げる。
 微かに凝り固まった身体は、伸びをするとボキボキと音を立てる。
 VRゲームのプレイ中は、身体は睡眠状態とはいえ、脳は覚醒状態のままだ。
 微かな寝不足による疲労を感じる。
 小学生の頃から愛用している学習机に置かれたパソコンの電源を入れる。
 一番上の兄が引っ越す際に貰ったお古のため、立ち上がるまでに少々時間がかかるが、まだ十分現役だ。
 時間がかかるので、放置して顔を洗うために洗面所に向かう。

「あら、こんな時間に起きてくるなんて珍しい。どこか出掛けるの?」
「そういうわけじゃないけど、たまにはねー」
 台所で朝食の用意をしていたお母さんに適当な返事を返して洗面所に入る。
 ふと、鏡に写っている見慣れた顔をまじまじと眺めてしまう。
 ふさふさした猫耳と鋭い犬歯の覗く『メリル』の物ではなく、『押切唯」の顔。
「うお、唯、何で起きてんの?てか使わないならどいてくんない?」
 洗面所の入り口から顔を覗かせた二つ上の兄を蹴り出し、手早く顔を洗う。

「まったくもう。早起きはいいけど、寝不足じゃ意味がないんだからね」
「わかってますー」
 私の眠そうな様子から寝不足である事を察した母の小言を聞き流しながら、急遽用意されたトーストとハムエッグを食べる。
 言われてみれば、こんなに早起きをしたのは中学生以来か。
 当時は毎朝見ていた朝のニュースが未だにやっているのにちょっと感動する。
 しかし、体感ではもう二日以上アトラスをプレイしていたのに、現実ではまだサービス開始から半日程度しか経過していないというのは不思議な感覚だ。
 朝食を食べ終えた後、小学生の頃の習慣であるコップ一杯の牛乳を飲んでから自室に戻る。

 パソコンは、二件のメッセージを受信していた。
 片方は知らないアドレスからだ。
 恐らくガイだろう。
 開いてみると簡潔な一文が表示される。
『ガイアスだ。とりあえずメッセが届くかテスト。ついでに俺が巡回してるサイトを貼っとく』
 なんとも素っ気無いテキストメッセージに苦笑し、ガイのメッセアドレスを登録する。
 もう片方のメッセージは小学生の頃からの親友である真紀からだ。
「マキ、おはよー」
『あ、おはよーユイー。ほら、みーもおはよーって』
『あう』
 ディスプレイの向こうのマキは、昨年生まれたばかりの長女美雪の手を持って軽く振っている。
「みーちゃんおはよー。もう起きてるんだ?」
『もうっていうか、この子朝の四時に起きちゃって。おかげで寝不足』
 マキは小学生の頃からのトレードマークである赤縁の眼鏡の上から涙を拭く真似をする。
『赤ちゃんいるとVRやれる時間もないしねー。可愛い我が子をほっとくわけにはいかないし』
 マキは私の一番上の兄と高校卒業と同時に結婚し、昨年美雪を生んだ。
 一番上の兄は私達と十歳離れているので、結構な年の差婚である。
 マキはゲーム好きで、空手を辞めてどう日々を過ごして良いかわからなくなっていた私に半ば無理矢理ネトゲをプレイさせたのもマキだ。
 マキと兄が付き合い始めたのもゲームが切欠である。
 兄は大昔のレトロゲームの収集家で、同じくレトロゲー好きのマキは昔から兄に懐いていた。
 そんな二人だし、いつか結婚するのだろうかと思ってはいたが、高校の卒業式の日に結婚の報告をされた時は開いた口が塞がらなかった。
「育児は大変だねー。VRやってると泣いてたりしても気付かないもんね」
『そうそう。だから昼にちょっと暇だなーって時でもインするわけにもいかないしね。けど、今日の夜は修一さん早く帰れるって言ってたから、少しはアトラス出来るかな』
「お、ほんと?けどやっぱ種族が違うと会うの大変みたいだよ。向こうで会えるのは相当先かも」
『まーじでー?種族変えようかなぁ。ダークエルフにすればすぐ会える?』
 面食いのマキは当たり前のようにエルフを選んでいた。
 種族を変えるといってもダークエルフしか選択肢がない辺り筋金入りと言える。
「ダークエルフなら会えない事もないけど、闇の種族はお勧めできないなぁ……ていうか、みーちゃん眠そうじゃない?」
『あら、ほんとだ。ごめん、ちょっと待ってね』
 マキは美雪ちゃんを大事そうに抱き上げると、画面外に消えた。
 寝かしつけに行ったのだろう。

 私はその間にブラウザを起動して、ガイのメッセージに貼り付けられていたリンクを開いていく。
 殆どはブックマーク済みの大手サイトだったが、いくつか未チェックのサイトが混じっていた。
 それらをメインに情報を漁っていると、マキが戻ってきた。
『寝たい時に寝て起きたい時に起きるんだから、ほんとかわいくてやんなっちゃう』
「いいじゃん、かわいいなら」
 同い年の幼馴染も、もう母親かと思うと感慨深い物がある。
『で、ダークエルフ、っていうか闇の種族はやばいの?掲示板とかでもそういう書き込みはあるけど』
「インできなくてもチェックはしてるんだ。あー出来ないから情報漁ってるのね」
『そゆこと。なんかソロだと随分マゾいって話だけど、ユイは大丈夫なの?』
「確かに私も危ない時あったけど、運良く助けてもらえたからね。今はそいつとペアでやってるから気にならなかったけど、確かにずっとソロだと辛いかもね」
 ペアという言葉にマキは目を丸くする。
『ペアって、闇の種族はパーティー無理なんでしょ?ていうかその相手は誰なのよ、男?』
「私の相方が限定的に回避する方法見つけて、それで一緒にやってんの。まぁ、男だけど、年下だよ。まだ高校生だって」
『へー、年下の高校生!あんたもなかなかやるもんだ』
 ニヤニヤしているマキに「ないない」と言って手を振る。
「そんなんじゃないし。あ、ペアの事、掲示板とかに書かないでよ。秘密にしておきたいみたいだから」
『二人だけの秘密ってやつ?甘酸っぱいですなぁ』
「だから違うってば」
 暫くマキにはこのネタでからかわれそうだ。
 新婚の頃に散々いじった事を未だに根に持っているのだろう。

 その後、情報サイトや攻略サイトを巡回しつつ、マキが育児の合間に収集した情報を教えてもらう。
『そういえば、早いとこだとそろそろクラン設立するみたいよ』
「なにそれ、ガセなんじゃない?いくらなんでも早すぎでしょ」
 クランとは、一言で言えばプレイヤーの集まりだ。
 ギルドやレギオンなど、ゲームによって呼び方は様々だが、システムとしてはどれも大差無い。
 クランを結成するにはクランマスターとして宿命値2000以上のプレイヤー一人と、宿命値1500以上の結成メンバー五人、そして結成費用として10gが必要だという。
「10gをこんなに早く用意するなんて無理でしょ。私達でもこれまで稼いだのはせいぜい20sってとこだよ」
『まぁそのへんは私はわかんないけど。でもお金はすぐ集まったって話だよ。そのクラン、正式開始前からメンバー募ってたらしいからね。公式見たらメンバーリスト五十人余裕で越えてたもん』
 テキストチャットで送られてきたリンクの先にはやたらと凝った造りのサイト。
 どうやらImperial Orderと言うクランのようだ。
 なるほど、確かにその五十人が20sづつ出し合えば10gにはなる。
「ヒューマンなら宿命値2000もすぐなのかなぁ。闇の種族だとマイナススタートだから宿命値全然稼げ無いんだよね」
『あとはレギマスの宿命2000待ちらしいよ。廃人は怖いねー』
「まったくだ」
 まぁ、結局徹夜してしまった私が言えた事ではないが。

 メッセのアラームが受信を告げる。
 ガイからだ。
 送られてきたのは、またも簡潔なテキストチャット。
『そろそろインできそう』
 時計を見ると、ログアウトしてからまだあまり時間は経っていないが、この程度で家事を済ませられるのだろうか?
『どったの?』
「うん、相方からメッセ。そろそろインできそうって」
 言ってから、しまった、と後悔する。
 画面の向こうのマキはにやにや笑っている。
 ようやくガイの話は鎮火したというのに、また火をつけてしまった。
『仲が大変よろしいようで。妹にようやく春が来たみたいで、お姉ちゃんは嬉しいよ』
「お姉ちゃん言うな」
 カメラに向かってデコピンをし、ガイのメッセージに返信する。
『OK。それじゃ中央区の噴水で待ち合わせで』
「じゃ、インするから閉じるよ。またね」
『はいはい、お幸せにー』
 ものすごく反論したかったが、言ってもマキを喜ばせるだけなので、手だけ振って別れの挨拶を済ませパソコンの電源を落とす。

 アトラス用に買った、そこそこ高級な座り心地の良いリクライニングチェアに座り、アルカディアゲートのヘッドギアをかぶる。
 出来ればVRチェアモデルが欲しかったが、親の援助無しで私に買えるのはベーシックモデルが精一杯だった。
 それでも、AG難民が未だに巷に溢れている以上、贅沢は言えない。
 正式サービス開始前に買えただけでも、私はかなり恵まれている方だ。
 ヘッドギアの側頭部にあるパネルを操作し、ログインを開始する。
 意識が遠のいていく。
 一瞬の暗転の後、私の身体は『押切唯』から、『メリル』へと変わっていた。
 ここ数年は感じていない高揚感を感じながら、エントランスレイヤーからアトラスの世界へと旅立つ。



[11997] 第十四話 大蜘蛛の巣窟
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/18 00:21
 俺がログアウトした後、メリルは冒険者ギルドでソウルジェムの換金を済ませてくれていた。
 まだ【ソウルジェム収集】クエストは残っていたらしく、クエスト報酬が20s、ソウルジェムの売却価格が11s30cとかなりの大金を得る事が出来た。
 おかげで、今の俺達の装備はかなり良い物になっている。
 メリルは武器兼防具として、甲殻類を思わせるデザインの、何枚もの板金を重ね合わせたごつい手甲と、蹴って攻撃する事を想定して作られたような全体的に刺々しい意匠が施されたブーツを6sで購入していた。
 俺は今回得た収入の殆どを使って、片手剣と盾と鎧を全て新しい物に買い換えた。

 大蜘蛛の巣に向かいながら新しく買った鎧の着心地を確認する。
 所謂プレートアーマーと呼ばれる、板金装甲で出来たパーツの間接部を鎖を編み込んだ鎖状装甲で繋いだ金属鎧である。
 基本的に全ての素材が金属であるため、重量は鋲革鎧の倍近い。
 重量を分散する工夫がされているので、見た目ほどの重量感は感じないものの、やはり多少の動きにくさは感じる。
 だが、それもSTRとVITがもっと伸びれば解消されるだろう。
 むしろ多少重いくらいの物を装備したほうがSTRとVITを伸ばすには丁度良い。
 この鎧は、素材自体はランクの低い鉄を使用しており、簡単な補修で様々な体型に対応出来るよう作られた量産品なので、価格はプレートアーマーとしては据え置きの10s。
 新しく買った片手剣は、バスタードソードと呼ばれる、片手持ちと両手持ちの両方を想定して作られた片手半剣だ。
 片手で扱うには重すぎる、両手で扱うには軽すぎるという中途半端な武器だが、これはヒューマンのステータスで考えた場合の話である。
 ヒューマンより遥かに腕力に優れたノスフェラトゥならば、この程度の重量であれば片手で楽々扱える。
 ブロードソードより大振りの剣であるため、価格も3sと少々お高くなっている。
 盾はカイトシールドを買ったばかりだったので、買い変えるか悩んだのだが、STRとVITが上昇して大型の盾を扱えるようになったので、思い切って買い換えた。
 選んだのはタワーシールドと呼ばれる大型の盾。
 大型とは言っても、全身が隠れる程の巨大な物ではなく、片手で扱えるように小型軽量化された物だ。
 分厚い木製の板を鉄板で補強したもので、これが4s。
 合計17sのお買い物で、ソウルジェム売却の俺の取り分と、メリルに貸していた3sが殆ど消えてしまった。
 所持金に余裕がなかったので、ラウフニーの店に顔を出すのはやめておいた。
 この装備であればマントの一つも欲しい所なのだが。

「やっぱ金属鎧だと戦士!って感じでかっこいいよね」
「鎖状装甲がちゃりちゃり煩いのが気になるが、やっぱ鋲革鎧とは比べ物にならない安心感だ。まぁ重量も比べ物にならないけどな」
「けど、所持金全部使っちゃうなんて、これでもう私の事は馬鹿にできませんな」
「メリルのは無計画な身の丈に合わない散財だろ。俺の計画的な買い物と一緒にしないでもらえますか」
「くっ……ああ言えばこう言う……」
「事実だろ」
 確かに所持金を使い果たしてしまうのは賢いとは言えないが、運動が苦手な俺にはステータスとスキル、そして何より良い装備が生命線だ。
 金で安全が買えるなら安い物である。
 それに、傭兵隊詰所にもギルドクエストは無いものかと確認した所、【大蜘蛛討伐依頼】と【大型ワーム駆除依頼】という渡りに船なクエストがあった。
 ラージスパイダーとドレインワームを倒した証拠を持ち帰ると、討伐数に応じて報酬を得る事が出来る。
【ソウルジェム収集】と比べれば報酬は見劣りするが、ドロップアイテムの売却分も考えれば手間に見合う報酬を得られるだろう。
 ちなみに【人喰い蜘蛛の巣窟】クエストの報酬は、金銭やアイテムなどでは無く、宿命値の50増加らしい。
 人喰い蜘蛛を倒して戻る事でシャミルからの評価が上がる、という事だろうか。
 金は貰えそうにないのは残念だが、宿命値が増加するのは、例え50とは言え有難い話だ。
 しかし、ライカンスロープであるメリルのほうは報酬が宿命値増加70であるあたり、ノスフェラトゥのこれから先の苦労が偲ばれる。

「そろそろかな?」
 周囲の景色の所々に、絡んだ蜘蛛の糸が目立つようになってきた。
「そんな感じだな。廃村になった集落が丸々蜘蛛の巣になってるって話だが……想像つかないな」
「まぁ行けば分かるでしょ」
「待った」
 横を歩くメリルを制止し、盾と剣を構える。
「いるぞ。この先正面に二匹」
「なんでわかるの?」
「危機探知スキルだよ。こちらには気付いていないようだ。奇襲を狙うぞ」
「了解。【ウインドオース】。【エアシールド】」
 メリルがボイスコマンドでSAを発動するのは、どうやら彼女なりの拘りであるらしい。
 曰く、
「必殺技は叫ぶもんでしょ」
 だそうだ。
 相手は初見の敵なので、俺も万全を期すために思考操作で身体強化SAを使用する。
『【シャドウオース】』
 足元の影から立ち昇る黒い霧が周囲を包んでゆく。
【シャドウオース】は上昇値こそ低い物の、全ステータスを向上させる優秀な身体強化SAだ。
 気配がより明確に感じられる距離まで近づくと、歩みを緩める。
「俺の装備は気配を殺すのに向かない。これ以上近づくと気付かれる。先に行ってくれ」
 小声で伝えると、メリルは黙って頷き音も無く駆け出した。
 俺はなるべく鎖状装甲が音を立て無いように気を払いながら距離を詰める。
 間もなく茂みの向こうから打撃音が聞こえてきた。
 メリルが交戦を始めたのだろう。
 既に気配を絶つ必要も無いと判断し、走ってメリルの元に駆け込む。

 茂みを突き抜けると、メリルは巨大な蜘蛛を殴りつけていた。
「ガイ!一匹しかいなかったよ!」
 確かに、メリルに襲い掛かっているのはラージスパイダー一匹のみだ。
 しかし気配は感じる。近い。
「!メリル離れろ、足元だ!」
 メリルが飛び退くと同時に、足元の地面から巨大なワームが姿を現した。
「うわぁー思ったよりでかい!きもい!」
「言ってる場合か!こいつは俺がやる!蜘蛛は任せた!」
「りょーかい!」
 メリルは二メートル近い巨大な蜘蛛が振り回す足を、紙一重で避けながら強烈な打撃を打ち込む。
 俺は完全に地面から這い出したワームと相対する。
 地面を蠢いている奇妙な姿をしたワーム。
 その見慣れない姿からは、どのような動きをするのか想像がつかない。
 だが、身体の構造的に素早い動きは出来ないだろう。
 盾を構えて鋭く踏み込み、バスタードソードを横凪に振るう。
 斬り付けた確かな手ごたえを感じる。
 続けざまに返す刀で斬りつけようとした所で、ワームの身体がぐっと縮む。
「うおっ!」
 咄嗟に正面に構えた盾を通して凄まじい衝撃が走る。
 縮めた身体を一気に伸ばす事で、ワームが体当たりをしてきたのだ。
「斬り付けたってのにお構いなしか!」
 だが、あの動きでは正面にしか跳べまい。
 ワームの横を取るように回りこみ、再び斬り付ける。
 ワームは横に回り込んだ俺に頭と思われる部分を向けようとモゾモゾ動いている。
「やっぱりか!」
 ワームは俺の動きを追うように地面を蠢くばかりで、一向に体当たりを仕掛けてくる気配がない。
 このままハメ殺しかとひたすら斬り付けていると、ワームは突然動きを止める。
 まさかもう終わりか、と気が緩んだ次の瞬間、ワームの身体から赤い霧が噴出し周囲を覆う。
「えっ?何これ!」
 撒き散らされた霧に巻き込まれたメリルも、身体に纏わり着く赤い霧に戸惑っている。
 不意に、霧が纏わり着いた身体が重く感じる。
 盾と剣もまるで鉛でも絡みついたかのように重い。
「この霧……ステータス低下効果か!」
 俺が以前に使った【カースミスト】と同じような効果なのだろう。
 おまけにメリルまで攻撃範囲に巻き込まれてしまった。
 つまり、メリルとワームの間に戦闘フラグが立ち、共闘ペナルティが発生する。
「ちょっと、これヤバいよ!」
「ステ低下に、共闘ペナまでか!ちょっとシャレにならないな!」
 こうなれば作戦変更だ。
「ペナ食らったんなら別々の敵を相手にするのは分が悪い!そっちの蜘蛛を一気に潰すぞ」
 ワームは無視してメリルが相対している蜘蛛に剣を突き立てる。
「こいつが背後を向いたら注意ね!糸出してくるから!」
「両サイドを取るように展開しよう。ワームの動きにも気を付けろ。正面に立たなければ大丈夫だ」
 ワームの動きに気を配りながら、蜘蛛を両側から刺し貫き、殴りつける。
 思うように動かない身体では、力の乗った攻撃は望むべくも無い。
 不快な倦怠感を振り払うように、一心不乱に攻撃を繰り返す。
 やがてメリルの打撃を受けた蜘蛛が、生命力を表す光の粒を振り撒きながら地面に崩れ落ちた。
 残るはワームのみだ。

「スタミナ平気?」
「きついな。霧の効果は消えてきたけど、共闘ペナが……割合減少なせいで減少値が馬鹿にならん」
「逃げる?あいつ動きは鈍いみたいだけど」
「いや、やってやれない事は無い、と思う。少なくとも逃げる程切羽詰ってはいないかな」
「んじゃ行くよ。やばくなったら撤退で」
「おう」
 同時に駆け出し、ワームに左右から攻撃を加える。
 ワームはただもぞもぞと蠢くばかりで、あの赤い霧を再び吐き出す事も無かった。
 体力も然程高くは無いのか、ワームも程なくして地面に横たわって動かなくなった。
 ワームが息絶えるのを確認すると、メリルは膝に手をついて荒く息を吐く。
「うあー、やっぱ初見の相手だときついね」
「だな。まさか範囲debuffがあるとは」
「ていうか、マッドスピリットでスキル上げしてなかったら死んでた勢いだよね」
「本当だな。メリルがいなかったら背伸び狩りして死んでたよ」
「私だけだったらワームに不意打ち食らってたし、お互い様でしょ」
「まぁ、たらればを言い出したらきりがないな。無事切り抜けられたんだし、よしとするか」

 ドロップアイテムは、【蜘蛛糸の塊】という毛玉のようなアイテムと、【血の結石】という赤黒い石だった。
 念のため来た道を戻り、周囲の安全を確認してから腰を下ろす。
「うーん、あの赤い霧は厄介だよね。範囲に巻き込まれると共闘ペナだし」
「確かにな。他のプレイヤーがいる時も範囲に気を付けないと」
「そこまで広くはなかったよね?半径五メートルってとこかな?」
「そんなもんだな。恐らく予備動作は一瞬の硬直だが、発動までが短いからな。回避は難しそうだ」
「けどそれ以外は危険は無いんじゃない?体当たりは正面だけなんでしょ?」
「まぁな。あえて霧を食らっても勝てない相手じゃない。地面に潜んでるってのも厄介と言えば厄介だが、俺が探知できるからな。蜘蛛はどうだった?」
「動きが早くて、腕が多いスピリットってとこかな。けど攻撃のスピードは劣るし、威力も弱いよ。ただお尻から出す糸はやばそう。運良く避けれたからいいけど、食らってたら身動き取れなくなる系じゃないかな」
「蜘蛛の糸か。定石通りなら、行動阻害系の状態異常だろうけど、どんな効果があるか分からない以上、試しに食らってみるってわけにもいかないからな」
 お互いに感じた事をまとめた結果、ワームの赤い霧と、蜘蛛の糸に注意すれば十分に狩れると判断した。
「それじゃ、ここが当面の狩り場って事でいいか?もちろん、もう少し進んで狩場全体の確認をしてから最終決定だけどな」
「敵の強さ的には問題無しだけど、やっぱキモいよね。勢いで殴りかかったけど、冷静に相対したらちょっと遠慮したいかも」
「虫は平気なんじゃないのか?」
「別に好きって訳じゃないもん。けどワームはもっとミミズみたいなのが出てくるのかと思ったけど、そこまでキモくはなかったね」
「いや、十分キモいだろ。エイリアンっぽくて」
「ああいう皮膚が硬そうな奴ならいいけど、イモ虫とかミミズとか、ぶよぶよしてる奴はやだなぁ」
「考えただけで鳥肌もんだな」

 先程の戦闘でスタミナをほぼ使いきっていたので、全快まで回復するのに時間がかかる。
 会話の内容は段々といつもの雑談へと変わっていった。
「そういやあんた、ちゃんと家事やったの?やたら早かったけど」
「ん?まぁ交代制で家事やるようになって大分経つからな。流石に慣れたよ。ネトゲのサービス開始して暫くは、最低限の事しかやらなくても誰も文句言わないしな」
「うーん、それでも私には無理だなぁ。家事とか超苦手。あ、家事で思い出した。友達に聞いたんだけど、そろそろクラン設立出来るとこもあるんだって。確か……」
 なぜ家事で思い出すのかと突っ込みたかったが、激しく脱線しそうなので堪える。
「Imperial Orderか?」
 心当たりのあるクランの名を告げると、メリルは目を丸くする。
「そうそれ。知ってたの?」
「アトラスで最初にクラン設立する!って意気込んでたのは知ってたけど、こんなに早く設立まで持ってくとは思わなかったな」
「結構有名なの?」
「別ゲーからの移籍組だよ。俺もやってたゲームだから、少しはわかる。かなり大規模なクランだし、同じ移籍組でAGの購入権手に入れた他クランのプレイヤーをかき集めてたから設立資金はすぐ集まるだろうとは思ってたけどな」
「もう参加予定メンバー五十人越えらしいし、あとはマスターの宿命2000待ちだって」
「て事は、結成メンバー六人は宿命1500は行ってるのか。こっちは未だに-1000のままだってのに」
「私なんて誰かさんのせいで初期値より減ってるんですけど」
「自業自得だろ」
 肩を小突こうとした拳を身を捩ってかわす。
「そろそろ行くか」
「おっけー。隙あり!」
 立ち上がりざまに、べしっとローキックを食らう。
「バーカ」
 と言って駆け出すメリル。
 小学生か。

 大蜘蛛の巣は、先程大蜘蛛と遭遇した場所から少し進むと、程なく見つかった。
 森を切り開いたスペースに、十五棟ほどの崩れかけた粗末な小屋が建っている。
 その廃村は、至る所に蜘蛛の糸が絡まり、一種異様な光景だった。
 完全に人が住む空間ではなくなった廃村の、そこかしこにラージスパイダーが徘徊している。
「うわぁ、いっぱいいるね」
「ワームも見えている奴だけじゃなく、何匹も地面に潜ってるな。リンクするならかなり厄介だぞ」
 しばらく廃村、いや、大蜘蛛の巣窟を観察していると、蜘蛛達にはある程度の行動パターンが存在するのがわかる。
 ラージスパイダーは、基本的に二匹、もしくは三匹一組で所定の箇所に固まっている。
 更に二匹一組のラージスパイダーが、何組も巡回するように巣の中を歩き回っている。
 ワームに関しては特定のパターンは見られず、一箇所にじっと固まっていたかと思えば、突然巣の中を這い回ったり、突然地中から這い出てきたり、逆に地中に潜り始めたりと、行動が読めない。
 群れを成しているワームもいれば、一匹で行動する者もいたりと、ワームは蜘蛛よりも組織化されていないイメージである。
「蜘蛛はリンクするだろうね。ワームと蜘蛛はリンクするのかな?」
「リンクか、アクティブか。まぁ両方と見て臨むべきか。その前に巣の全容を確認しよう。山際まで移動するぞ」
 巣窟から一定の距離を取り、山際まで移動すると、山へと続く山道が確認できた。
 山道には、廃村と比べて蜘蛛の糸がより濃密に張り巡らされている。
 何匹ものラージスパイダーが、せわしなく山道の入り口を出入りしている。
「あの先がマンイーターの棲家か?」
「いかにもって雰囲気だね」
「見える範囲では、廃村内にはラージスパイダーとドレインワーム以外はいないな。あの先へ行かなければ大丈夫だろう」
「てか、他のプレイヤー全然見かけないね」
 確かに、周囲に感じる気配は大蜘蛛とワームのみ。
「これはソロじゃきついだろ。手を出すのも躊躇うレベルだ」
「穴場ってやつだね」
 その後、周囲の捜索を続けた俺達は、巣窟から少し離れた森の中に、小さな小川を発見した。
 そこを拠点とし、大蜘蛛狩りを開始する。

「蜘蛛の群れと群れの間はそれなりに開いているから、巡回をひっかけなければリンクせず戦えるかもな」
「けど、かなり密集してるよね。戦ってる間に動き回ったら探知の範囲に引っかかりそう」
「試しに釣ってみるか。メリル、遠距離攻撃手段あるか?」
「一応あるけど……威力はお察しだよ?」
「遠距離から注意を引ければいい。じゃ、試しに俺が先に釣ろう。リンクしたら俺が攻撃を当てた奴以外の敵を頼む。他の群れまでリンクしたら逃げろよ」
「ラジャ」
 木陰に潜むメリルを置いて、息を殺し集落へと近づく。
 巡回のラージスパイダーが通り過ぎ、地中にワームがいない事を確認してから、神術スキルの呪文攻撃系SA【シャドウアロー】を発動する。
 最下級の攻撃神術だが、詠唱無しで使用可能で再使用までも短く、ディバインエナジーの消費も少ない。
 釣りには最適だ。
 周囲の影が収束して形作られた漆黒の矢を、二匹で固まっているラージスパイダーに放つ。
 ヒュンと風を切る音とともに放たれた【シャドウアロー】は、ラージスパイダーの無防備な腹に突き立った。
 痛みにもがくように節足を蠢かせたラージスパイダーは、こちらの姿を認めると這い寄って来た。
 リンクしたのは側にいた一匹のみ。
 上手い事釣る事が出来た。
「メリル、頼んだ!」
 森へと分け入りながら声をかけると、茂みから飛び出したメリルが、こちらに向かっていたラージスパイダーの一匹を殴りつける。
「ちょ」
「あれっ」
 途端身体に纏わり付く倦怠感。
 共闘ペナルティだ。
「おま、そっちじゃねぇ!」
「ごめ、ミスった」
 メリルは俺が攻撃を当てた方のラージスパイダーを殴っていた。
「どうする?」
「まぁイケるだろ。予定通り分担だ」
「おっけ……ごめんね?」
「ドンマイ」
 苦笑して片手を上げ答える。

 まぁこの程度のミスはネトゲを楽しむ上でのスパイスみたいな物だ。
 俺だって別ゲーではもっと酷いミスを数え切れないくらいしてきた。
 まぁこれが原因でキャラロストしたら悔やんでも悔やみ切れないのは確かだが。
「これは死ねないな。まぁこの程度じゃ死なないけど」
 これでロストしたらメリルは責任を感じるだろう。
 カサカサと這い寄る蜘蛛に相対し、盾を構えて腰を落とす。
 振り翳された大蜘蛛の節足の一撃を防御し、【シールドチャージ】で攻撃動作中の蜘蛛にスタンを入れる。
 間髪入れず【チャージストライク】を使用する。
 二秒間の溜め動作の後、強力な突きを放つ片手剣スキル30.0で習得する近接攻撃系SA。
 発動までに二秒という、近接攻撃としては長すぎる硬直のせいで使い所が難しいが、その威力は中級SAにも劣らない。
 大きく引き絞られた右腕が、SAの発動と共にエフェクトの軌跡を残して強烈な一突きを大蜘蛛に叩きこむ。
 共闘ペナルティを受けて威力が落ちているとはいえ、【チャージストライク】の威力は決まれば凄まじい。
 大ダメージを負ったラージスパイダーの動きは目に見えて鈍くなっている。
 畳みかけるように間断無く剣を振るう。
 相手が弱っているのは確実だが、こちらのステータスも落ちているせいか、決定的な一撃を入れる事が出来ない。
 やがて、力無く足を動かす事しか出来なくなったラージスパイダーを刺し貫くと、光の粒を撒き散らし息耐えた。
「ふう……梃子摺ったけど、ペナ有りでも一対一で問題無いか」
 見ればメリルの方も特に問題は無いようだ。
 既に動きが鈍ったラージスパイダーを蹴りつけている。

「はぁ……なんで間違えちゃったんだろ」
 ラージスパイダーからドロップアイテムを回収し、戦闘を負えたメリルに近づく。
「マジごめんね」
「そう気にするなよ。ネトゲじゃ良くある事だろ」
「けど、死ねばロストなのに……」
「死ねば、だろ。死んでないんだから問題無いさ。ほら、サクサク狩ろうぜ。日が暮れる前にクエストをこなして基地に戻りたいからな」
 早ければ夕方にはポーションの在庫が復活しているはずだ。
 俺達の他にも在庫切れでポーションを購入出来なかったプレイヤーが、在庫の復活を狙っているだろうし、今回を逃したら次はいつになるかわからない。
「……そうだね。よし!次は私が釣ってくるね!殴る相手間違えないでよ!」
「お前……どの口で……余計な物まで釣ってくるなよ」
「いってきまっす!」
 俺の非難含みの視線から逃れるように、メリルは大蜘蛛の巣へと駆けて行った。



[11997] 第十五話 マンイーター
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:38
 あれ以降は、メリルがターゲットを間違えるようなミスも無く、狩りは順調に進み、スキルの伸びもかなりの効率を見せていた。
 小川の水を水筒に汲んで豪快に呷る。
 岩の隙間から湧き出す水は冷たくて心地よい。
 革袋で出来たこの水筒は、見た目以上の容量があるが、無限に湧き出す訳ではない。
 普段はどうしてもちびちびと口に含む程度で我慢せざるを得ないので、こうして気が済むまで喉を潤す事が出来るのはなかなか爽快だ。
 小川の傍の木陰で休憩しながら、システムブックを眺めていたメリルが首を傾げる。
「もうちょっとワームメインで釣ったほうがいいかな?」
 既にラージスパイダーの討伐数は、クエストの指定数に達するのも目前だったが、ドレインワームの討伐数はあまり稼げていない。
「ワームは蜘蛛より数も少ないし、動きもランダムだからな。蜘蛛より討伐数が少なくなるのは仕方ないだろ」
「私こういうの駄目なのよね。なんていうか、均等にバランス良く狩りたいタイプ」
 討伐数の偏りが余程気になるのか、眉間に皺を寄せている。
「とは言え、狩れるワームを探してる間に蜘蛛を狩った方が効率はいいしな……諦めるしか無いんじゃないか?」
「そうだね。ああ、難儀な性格が恨めしい」
 大仰に首を振ってシステムブックを閉じるメリル。

「ん?」
 前線基地の方角から複数の気配が近づいてくるのを感じる。
「何?敵?」
「……いや、プレイヤーだ。数は六人」
「は?六人て……まるでパーティーじゃん」
「綺麗に並んで歩いてる。パーティーなのかもな」
 闇の民でもシステム的にパーティーを組む事は可能だ。
 しかし、パーティーを組むのであれば、圧倒的に光の民のほうが効率は良い。
 共闘ペナルティもその一因ではあるが、もう一つ、理由がある。
 闇の民では純粋なヒーラークラスを作る事が出来ないのだ。
 パーティーを組んでの複数戦闘は、特化したクラスによる役割分担によって初めて真価を発揮する。
 個々の性能が高い闇の民であれば、数を揃えるだけでも相応の戦力にはなる。
 しかし、やはり共闘ペナルティを受ける上に、数にまかせての力技では、巧みなソロプレイヤーには及ばないだろう。
 闇の民がパーティーに不向きであるという情報は、公式サイトなどでも詳細な情報が公開されているので、そもそもパーティープレイを求めるプレイヤーは闇の民を選ばない。
 なので、これまでパーティーはおろか、ペアを組んでプレイしているプレイヤーも俺達以外には見かける事は無かった。
「まぁキワモノプレイヤー揃いの闇の民だ。あえてパーティー組む奴がいてもおかしくはないが、問題はパーティーを組んで何をするかって事だ」
「何って……蜘蛛を狩るんじゃないの?」
「蜘蛛相手でわざわざ六人も揃える必要はないだろ。もしかしたら……マンイーターを狩る気かもな」
「……狩れるのかな?」
「さあな。実際の所どれだけ強いのかわからないからな」

 興味をそそられた俺達は、彼らの動向を観察するために巣窟へと向かう。
 どうやら向こうのパーティーに危機探知スキルが高いプレイヤーはいないようで、こちらの存在は気付かれていない。
「ねぇ、コソコソする意味はあるわけ?」
「仮に奴らがマンイーター狩りをするとして、手を貸せとか言われたらどうする?」
「いや……断るよ流石に」
「だよな。まぁ断っただけで妙な因縁付けられても敵わないからな。とりあえずどういうプレイヤーか、まず観察しようかと」
 実際過去に経験があるだけに、こういった状況には慎重にならざるを得ない。
 昔、VRシステムが普及するより前、別のネトゲのプレイ中に、狩り場でボスを狩るから手伝えと突然パーティー申請をされ、断ったら非協力的だなどと言って匿名掲示板に晒された。
 当然そんな理不尽で意味不明な晒し方をすれば、晒した方がボロクソに叩かれる物だが、相手は匿名でやっているのだから実害など無いに等しい。
 こちらも対抗して相手を晒す事も考えたが、そんな事をしていては相手と同じレベルになってしまう。
 結局そのプレイヤーには暫く粘着され、妙な名前の売れ方までしてしまったので、すぐにそのゲームは引退してしまった。
 今思えばそこまで面白いゲームでも無かったから良かったものの、アトラスで同じ轍を踏むわけにはいかない。
「あんたも苦労してんのね」
 メリルは俺の微妙な表情から過去の経験を察したのか、頷きながら肩を叩かれた。

 茂みの隙間から件のパーティーの戦闘を観察する。
「グリーンスキンの重戦士に、ノスフェラトゥの軽戦士、ライカンとダークエルフの神術師が二人、ノスフェラトゥとダークエルフの魔術師か。妙にバランスがいい。即席パーティーじゃないのか?」
「動きも手馴れてる感じだね」
「まさか本当にパーティープレイを前提として闇の民を選ぶプレイヤーがいるなんて、とんでもない変人だなあいつら」
「あれじゃないの、縛りプレイ」
「ソロならともかくパーティで縛りってどんだけだよ。しかし、流石に六人もいると共闘ペナあっても倒すのが早いな」
「やっぱり、巣の奥に行くみたいだね」
「ああ。まず間違いなくマンイーター狩りだろうな」
 彼らは、キャラの能力値的には俺達より格上のようだが、共闘ペナルティがある以上、実際の個々の戦力は俺達と同等か少し上といったところだろう。
 パーティープレイにはかなり慣れているようだが、果たしてそれだけで狩れるのだろうか?
「ちょっと探りを入れてくる。ここで待っててくれ」
「え?ちょっと!」
 メリルを残して森の中を大きく迂回し、前線基地から今大蜘蛛の巣に到着した風を装う。

「誰だ!?」
 背後から近付く気配を察したのか、グリーンスキンの重戦士がこちらにハルバードを向ける。
「うわぁ!あ、怪しい者じゃないです!プレイヤーですよ!」
 戦意が無い事を示すように両手を挙げる。
「やめろ、ラドル。驚かせてしまってすまないね、蜘蛛狩りかい?」
 リーダー格らしいダークエルフの魔術師が重戦士を嗜める。
「え、ええ。けど驚きましたよ。なんか沢山人がいるなぁと思ったら、まさか闇の民でパーティープレイをしてる人達がいるなんて」
「はは、俺達は別のゲーム時代からの友達でね。何か面白い事、他の人がやらない事をやりたいと思って、こういうプレイスタイルになったんだ」
「なるほど……けど、共闘ペナルティってあるんですよね?大丈夫なんですか?」
「ああ、確かにペナルティは辛いけど、パーティープレイには自信があるからね。なんとかなっているよ」
 ふむ、やはりペナルティは受けているのか。
 もしかしたら、ペナルティを回避してパーティーを組む方法でもあるかと思ったが、やはりそんな美味い話は無いか。
「いいなぁ。俺、友達は全員AGの購入権外れちゃったし、このへんのプレイヤーはソロ指向ばっかりで……まぁそれは俺もなんですけど。流石にソロしかできないのは辛いです」
「俺達はパーティー前提のキャラメイクをしているけれど、やはり闇の民で即席パーティーは難しいだろうね」
 さてどうやって目的を聞きだそうかと、会話をしながら思案していると、他のパーティーメンバーが落ち着き無く巣の奥へと続く山道に視線をやっているのに気付く。
 向こうから話を振ってもらうのが一番自然か。
 俺はリーダー格の男と、さも久しぶりの会話を楽しんでいるかのように装い、あえて他愛も無い雑談を続ける。
 やがて痺れを切らしたのか、周囲を警戒していたライカンの神術師が一歩前に出る。
「ゼル、そろそろ行かない?」
 ライカンの女性プレイヤーが、多少苛立ったようにゼルと呼ばれたダークエルフのリーダーの袖を引く。
「ああ、そうだな。すまない、これからこの奥にいるボスに挑むんでね。この辺で失礼するよ」
 やはりマンイーターに挑むのか。
 果たして勝算があっての事か、それともただの無謀か。
「えっ?ボスって、マンイーターですか?すごく強いって噂ですけど、大丈夫なんですか?」
「ああ。もう何人かのプレイヤーが挑んで返り討ちにあっているらしいね。だからこそ、挑戦のし甲斐があるというものさ」
 危険は承知の上か。
 ならばこれ以上言うことはない。
 例えこのパーティーが、シャミルが懸念していたような英雄願望じみた精神状態にあったとしてもだ。
「そうですか……あ、すみません。皆さんの実力を疑うような事言って」
「気にしないでくれ。俺達も絶対に勝てると思っている訳じゃないからね。敵わないと思ったら逃げるさ」
「皆さんならきっと勝てますよ。がんばってくださいね」
 心にも無い事を言って、パーティーの一団が奥の山道へと入っていくのを見送った。

「この服値切ってくれた時も思ったけど、あんたなんでそんな無駄に演技派なの?」
 メリルの潜む茂みに戻ると、呆れたような顔を向けられる。
「聞こえてたのか。実は俳優目指してるんだ。それより、やっぱり狙いはマンイーターだったな」
「冗談は顔だけにしてよね。けど、マンイーターって実際どれだけ強いんだろうね?案外それほどでもなくて、今の人達が倒しちゃったりして」
「顔だけとか言うな。まぁ何人も既にやられてるらしいが、序盤の狩り場のボスなんだから、可能性はある。つい忘れがちだけど、シャミルもNPCな訳だし、あの怯えようはそういう演出なのかもな」
「だといいけど……ま、私達より格上のプレイヤーが六人もいて無理なら、うちらにはどうしようもないか」
「そうだな。そろそろ狩りを再開しよう。早く残りを狩らないと日が暮れるしな」
 多少気掛かりではある物の、俺達に出来る事は何も無い。
 俺とメリルは先程のパーティーの姿が山道の奥へ消えるのを見届けてから、再び蜘蛛狩りを開始した。

 クエストの達成条件であるラージスパイダー二十匹とドレインワーム二十匹を狩り終えた俺達は、日暮れまでいくらか時間があったので、大蜘蛛をメインに狩ってスキル上げに勤しんでいた。
 俺より早くラージスパイダーを倒し終え、周囲の警戒に当たっていたメリルが、耳をひくつかせる。
「今、何か聞こえなかった?」
「状況を見て言え!戦闘中にそんな余裕あるか!」
 ラージスパイダーを盾で殴り、剣を突き刺す。
 光の粒を撒き散らして倒れたラージスパイダーから手早く戦利品を回収し、メリルの元に向かう。
「で、何が聞こえたって?」
「何がって訳じゃないんだけど、向こうから何か……」
 メリルが指し示す方角には、巣の奥へと続く山道。
「……まさかね。勘違いかな?」
「……いや、様子がおかしい。蜘蛛もワームも一匹もいなくなってるぞ」
 完全に蜘蛛の棲処となっていた廃村には、あれだけ沢山いた蜘蛛達の姿は一匹も見当たらない。
「え?なんで?さっき釣った時はいっぱいいたのに」

 不審に思い、【テリトリーサーチ】のアクティブエフェクトで広範囲を探知する。
 山道の方角、探知範囲ぎりぎりの所に、気配が一つ。
 これはプレイヤーの物だ。どうやら走っているらしい。
 そしてもう一つ、それを追うような気配が新たに範囲内に現れる。
 凄まじいスピードだ。
 これは……。
 瞬間、全身を悪寒が駆け抜ける。
「まずい、逃げるぞ!」
「え?あ、待って!さっきのパーティーの人が!」
 山道から、一人のプレイヤーが転がるように走り出てきた。
 先程のパーティーの軽戦士の男だ。
 スタミナを使い果たしたのだろう。
 尋常ではない様子で息急き切っている。
「た、助けてくれ!」
 こちらの姿に気付いた男は、恐怖に染まった瞳にかすかな安堵を浮かべると、こちらに縋るように手を伸ばす。
 だが、助ける訳にはいかない。
 駆け出そうとするメリルの腕を掴んで止める。
「ちょっと、何で止めるの?」
「もう、手遅れだ」
 次の瞬間、山道の奥、闇に包まれた暗がりから蜘蛛の糸のような物が放たれ、男を絡め取る。
「うわ、うわあああああ!」
 自由を奪われた男は、抵抗する事も出来ずに地面を引き摺られてゆく。
 そして、山道の入り口まで引き込まれると、暗闇から鈍い光を放つ大鎌が振り下ろされ、男の身体を貫いた。
「っ……!な、なに?何なの!?」
 男の身体から大鎌が引き抜かれると、男の身体は光の粒となって四散する。
 俺達より格上の軽戦士を一撃で屠った、刃渡り二メートルはあろうかという大鎌の持ち主が、その巨体を引きずるように山道から這い出してきた。
「あれが、マンイーター……?」
 かつて遭遇したドラゴンなど目ではない。
 それ以上に圧倒的な存在が放つ威圧感に、全身の自由が奪われる。

『巣の外に出るのはいつぶりだろうか。たまには外に出るのも悪くないね』
 それは、蜘蛛の下半身に女性の上半身、手首から先はカマキリのような巨大な大鎌という異様な存在だった。
『おや、まだ雑魚が残っておったか?けどおかしいな。広間に踏み込んだ奴は全員始末したはずですが』
 口調が一定しない、奇怪な喋り方をするその異形は、こちらを認めると困ったような顔をする。
『おいお前ら。喋れますか?言葉はわかる?』
 地を踏みしめるたびに地鳴りがする程の巨体を揺らし、異形はこちらに這い寄って来る。
『わからんのか?なら仕方ありませんね。おなかいっぱいだけど、死ね』
「ま、待った!喋れる!通じてるぞ!」
 咄嗟に手を上げ、制止の声を上げると、振り上げられた大鎌が空中で制止する。
『なんだ、わかるのでしたら早く言ってくれよ。貴方達は軽く撫でただけで死んでしまうほど弱いんですから、気を付けてよね』
 異形は満足げに頷くと、大鎌を下ろし、目線を合わせるように巨体を屈める。
『もう満腹ですので、食事はしたくないんだよね。お話をしましょう。会話は久しぶりである』
 異形は、にぃと口を醜悪に歪める。笑っているのだろうか。
「会話がしたい?何故だ、俺たちを殺さないのか?」
『愚問だな。今言ったでしょう?我はおなかがいっぱいなの。だから喋るのだ。もう随分長い事会話などしてないからね』
「なら、彼らは?お前が今殺した彼らとは話さなかったのか?」
『問いかけましたとも。けど、奴らは私の問いかけに答えず、いきなり斬りかかってきおった。弱いくせに。戦いたいみたいだったから殺したの。おかしい?』
 言葉を失う俺に、異形は首を傾げる。
『なぁに?貴様も死にたいの?なら殺そうか?』
「い、いや、お前と戦うつもりはない」
『それは重畳。満腹だというのに貴方達みたいなまずそうなのを食べるのは苦痛ですからね』
 そう言うと、異形はギャギャギャと耳障りな鳴き声を上げる。
 恐らく笑っているのだろう。
『さあ、ではお話を楽しもう。うーん、何か聞きたい事はある?』
「……お前が、マンイーターなのか?」
『マンイーター?それは貴様達が勝手に呼んでいる名ですね。だが真名はそう簡単には教えないよ。知りたければ力づくで聞きだすがよい』
「いや、それはまた今度にしておくよ」
『賢明ですこと。では私から問おうか。ここで何をしてたの?」
 言葉を失う。
 まさか敵の親玉を前にして、あなたの手下を狩ってましたなどと言える訳が無い。
『くはははは!そう怯えないでいいよ。私の子供達と殺し合っていたのだろう?気にする事はないよ。あの子達は君たちを殺し、貴方達に殺されるのが役目であるのでな』
「……自分の子供なのに随分な言い様だな」
『百万を越える子を持てばそなた達もそうなるよ。しかしお前は面白いのう。隣の獣まじりなど震えて声も出ないみたいだよ』
 マンイーターは大鎌の刃先でメリルを指し示す。
 恐怖に震えているメリルを落ち着かせるように、腕を掴み引き寄せる。
「自分でも驚きだよ。極限状態には思いがけない力が発揮される物だな」
『羨ましい事だ。私は生まれてこの方恐怖というものを感じた事がないんだよね。一度死んでみたいんだけど、僕を殺すには貴方達は弱すぎますから、叶わぬ望みなのかもしれんな』
「一度死んでみたいだって?一度死んだら終わりじゃないか」
『そうなのか?なんで?』
「なんで……いや、わからないが、命っていうのはそういう物だろう」
『そうであったか。知らなかったなぁ。礼を言うぞ弱き者』
 そう言うと、マンイーターは屈めていた身を起こし、背を向ける。
『面白い奴だ。お前を殺したくなってきた。また来いよ、次は殺し合おう。腹がいっぱいになったら眠くなってきました。我は巣に戻るね』
 一方的に言い放つと、マンイーターは巨体を揺らして山道の奥へと消えて行った。
「……助かった、か」
 奴の気配が巣の奥へと消えて、ようやく人心地がついた。
「こ、こ、怖かった……」
 メリルは地面にへたり込んでしまった。
「とりあえずここから離れよう。どこかに行った蜘蛛達が戻ってきたらやばい」
 メリルに肩を貸して、拠点としている小川の傍まで移動する。

 からからに乾いた喉を湧き水で潤す。
 ただ相対していただけだというのに、スタミナが減少している。
「あれはシャレにならないな。強いなんてもんじゃない。なんであんなのがこんな序盤の狩り場に配置されてるんだ」
 あのおぞましい姿を思い返すだけで震えが走る。
 メリルは未だに地面にへたりこんだまま動けない。
「おい、大丈夫か?」
 青ざめた顔で俯いているメリルの眼前で手を振る。
「あ、うん……ていうか、ガイはなんで平気なの?動けないどころか、なんかあいつと喋ってたし……」
「日頃の行いじゃないか?いや、冗談は置いておくとして、あえて理由を挙げるなら、MENの効果だろうな」
 精神力を表すMENの値が高いと、精神系の状態異常に耐性が付く。
 ライカンのMEN初期値はかなり低めに設定されているので、恐怖による精神系状態異常をモロに受けてしまったのだろう。
 対してノスフェラトゥのMENの初期値はかなり高い。
 逃げてきた軽戦士もノスフェラトゥだったし、恐らく間違い無いだろう。
「交渉術スキルも未だ低いとは言え、役に立ったようだしな」
 スキルログウインドウには交渉術スキル値上昇ログが連なっている。
 そろそろ10.0に届きそうだ。
 どうやら交渉術スキルは、値切るだけではなく、ああいった知性を持つモンスターとの交渉にも役に立つようだ。
 かの有名な悪魔を召喚して戦うゲームと同じように、彼らを使役できたりするのだろうか?
「うう……あんなのに勝てる気しないよ……」
「ステとスキルが上がれば、案外いけるんじゃないか?とりあえずMENはボス狩りするなら必須だっていうのが今回の収穫か」
「ポジティブな奴……」
「そうでも思わないとやってられねぇよ、あんなの……一度基地に戻るか?もうすぐ日も暮れるし、蜘蛛狩り再開って気分にはなれないだろ」
「そうね。ポーションも買わなきゃだしね」
 未だ恐怖による痺れの抜けないメリルに肩を貸し、大蜘蛛の巣を後にする。
 去り際に山道に一瞥を向けると、ただの暗がりが、大口を開けた異形の顎へと続いているかのような錯覚を覚えた。



[11997] 第十六話 マンイーターの事情
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/14 21:39
 前線基地の南門を潜り、ギルドクエストの報告と換金をするために傭兵隊詰所へとやってきた。
 冒険者ギルドと傭兵隊はあまり親密な関係とは言い難いので、冒険者ギルド所属であるメリルは外で待たせて、今回は俺が纏めて換金する事になった。
「おう、生きて戻ったか。ドラゴンの狩り見ただけでビビってた頼りねぇ新入りが、もう蜘蛛狩ってるだなんて感慨深い物があるねぇ」
「茶化すなよ。ジーファさんに娼館通いしてた事バラすぞ」
「バラすなよ!絶対バラさないでください!」
 うろたえるランクスに【大蜘蛛討伐依頼】と【大型ワーム駆除依頼】の指定収集品であるドロップアイテムを渡す。
「ほー、結構な数じゃねぇか……計算がめんどくせぇな」
 トレードウインドウを確認し、感嘆の声を上げるランクス。

 ランクスがアイテムを鑑定しながら、首を捻りつつ買い取り金額の計算をしている間に、掲示板に貼られたギルドクエストの依頼書を確認する。
 大蜘蛛狩りは、効率も報酬も申し分無いが、正直あまりマンイーターの側には近付きたくない。
 奴は手下を殺されてもなんとも思っていないようだが、そもそも腹がいっぱいだから殺さないなどと言い出す奴だ。
 かなり気紛れな性格をしていそうだし、そもそも相手はモンスターである。
 あの言葉を完全に信用する気にはなれない。
 大蜘蛛との戦闘で片手剣術スキルも55.0近くまで上昇しているので、少し格上を相手にしてもいいだろう。
 ざっと確認した所では、【コボルト討伐】あたりが妥当だろうか。
 ランクとしては大蜘蛛に劣る相手だが、人型モンスターなので相手にするには大蜘蛛を狩れるだけの力量が必要とされている。
 スキル値55.0付近であれば丁度良い相手と言えるだろう。
 ただ、コボルトは特定の場所に密集している訳ではなく、五匹程度のパーティーを組んで前線基地の周囲をうろついている。
 倒そうと思えば、それらを探し出さなければならず、狙って狩るのは難しい。
 虚族の棲み処まで行けばまとまった数がいるが、距離がある上にオークやオーガ、リザードマンなどの強敵と行動を共にしている。
 とてもではないが、まだ敵う相手ではない。
「結局大蜘蛛狩りしか無いか……そういえば、例のクラクス村の大型モンスター討伐はどうなったんだ?」
「話し掛けんな、計算が狂うだろ……大型モンスター?あれはまだ騎士団と冒険者ギルドと調整中だ。適当に腕に覚えのある奴を送って倒せば済む話だってのに、あちらさんには色々事情があるんだとよ」
 という事は、あのクエストが発生するのはもうしばらく後か。
 しかし、クラクス村もプレイヤーのスタート地点なので、もしかしたらもう誰かに倒されている可能性もある。
「ふう……計算だけは慣れねぇな。ほら、終わったぞ。これが今回の報酬だ」
 報酬は、【大蜘蛛討伐依頼】が7sと、【大型ワーム駆除依頼】が5s、ドロップアイテムの売却額が6s70。
 倒した数から言えば、悪くない成果だ。
 ランクスに礼を述べて詰所を後にする。


「待たせたな」
 廃屋の壁にもたれかかっていたメリルに報酬の半分を渡す。
「あんがと。ねぇ、今、さっきのパーティーの人が通ったよ」
「さっきのパーティーって、マンイーターのか?生き残りがいたとは思えないが」
「いや、やっぱロストしたんじゃないかな。初期装備だったし。同じキャラデータで新しくキャラ作ったんだと思うよ」
「なるほど。ロストしてもまた闇の民で始めるっていうのは、なかなか気合入ってるな」
「うーん……けど複雑そーな顔してたよ」
「……一応顔を合わせないように気を付けるか」
 こちらの安全を考えれば仕方ない事とは言え、彼らのメンバーを見殺し同然の事をした以上、合わせる顔がない。

 ポーションの在庫確認のためにマールの道具屋に向かう途中、四神像の噴水がある広場にさしかかると、男女が言い争いをする声が聞こえてきた。
 見ると、ダークエルフの男性プレイヤーに、ライカンの女性プレイヤーが詰め寄っている。
 側には腕を組んで押し黙っているグリーンスキンの男性と、うろたえた様子で女性プレイヤーを諌めるノスフェラトゥの女性プレイヤー。
 二人欠けてはいるが、先程大蜘蛛の巣で出会ったパーティーだ。
「ほら、ガイ、あれ」
「ああ……随分と険悪な雰囲気だな」
 数こそ少ない物の、普段の前線基地からは考えられない数のプレイヤーが遠巻きに彼らを眺めている。
 プレイヤー同士の交流が希薄な前線基地ではあまり見られない光景に、好奇心が刺激されたのだろう。
 だが、当の本人達はそれどころでは無い様子で口論を繰り広げている。

「だから、いつまで待ってたって意味ないっつってるでしょ!ここに来るつもりならもうとっくに着いてておかしくないじゃない!あいつらもあんたに愛想尽かしてどっかいったのよ!」
「そ、そうとは限らないだろう!宿命値が低い種族のスタート地点は、選択した開始地点を中心に広範囲の中からランダムで決まる!あの二人は、きっとすぐ合流できないような遠い場所に……」
「はっ!そんな能天気な考えだから、ノールの馬鹿に煽てられてあんな化物と戦おうだなんて言い出しちゃった訳ね。付き合わされるこっちの身になってもらいたいわ」
「な、の、能天気だと……!大体メイシャだってあいつに挑むのは納得していただろう!」
「それはっ……!私は最初は反対したじゃない!それなのにあんたが、俺達ならやれるとか言いだすからっ!」
「ふん、他人に意見を左右されているのはメイシャ、君のほうだろう!」
 ゼルと呼ばれていたリーダー格の男と、メイシャと呼ばれているライカンの女性プレイヤーの言い争いは熱を増すばかりだ。
 やがて、腕を組み押し黙っていたグリーンスキンの男が、溜息を吐いて踵を返す。
「おい、ラドル、どうした?どこへ行く!まだ全員集まっていないぞ!」
「付き合っていられん。俺はここで失礼する。ここに来たのもパーティーを抜ける事を伝えるためだしな。世話になった」
「ラドル?おい、待て!ラド……」
「ほら見なさいよ。私だけじゃなくてラドルも同じ考えだったって事よ!グリーヌ、あんたはどうなの?」
 突然話を振られたノスフェラトゥの女性プレイヤーは、身体を大きく振るわせ、視線を彷徨わせる。
「わ、わ、私は……みんな集まるならと思って……けど、やっぱり、もう……」
「ああもうっ!あんたのそのウザいキャラもイライラすんのよ!もういいわ、私も落ちる。落ちてキャラ作り直すわ。もう会う事はないわね。さよなら」
「な、待てメイシャ!くそっ!グリーヌ?君は違うよな?もう一度二人でパーティーを作ろう。あんな奴らは放っておいて……」
「チッ、あのヒス女、ブスのくせにふざけた口ききやがって……ああ?あんたになんかもう価値ないし。ここで私もさよならよ」
「え?おい、グリーヌ?待って、待ってくれ!」
 突然態度を豹変させたノスフェラトゥの女性が立ち去ると、四神像の噴水前には、力無く項垂れたダークエルフだけが残された。
 しばし呆然としていた彼も、やがてシステムブックを開くと、何も言わずにログアウトしたようだ。
 奇妙な静けさの中、魂が抜けたように立ち尽くすダークエルフの姿はなんとも言えない物悲しさを漂わせていた。

「うわぁ……ネトゲ怖っ!最後の女の人なんかキャラ完全に変わってたし……」
「ただ狩り場で会っただけの相手とは言え、ちょっとこれは心が痛いな……」
 彼らはパーティーとして、かなり長い間行動を共にしていたようだったが、やはり男女が六人も集まればお互い何らかの不満はあったのだろう。
 マンイーターと相対した恐怖と、キャラクターのロストは、それを爆発させるに足る起爆剤といった所か。
「やっぱ人が集まれば合わないとこってのはあるよねぇ。ガイもあるでしょ?私に対して思うところとか」
 メリルの悪戯っぽい問いに、暫し黙考する。
「突っ込みがきつい。女とは思えない。行動がガキっぽい。精神的にももうちょっと年相応の落ち着きが欲しい。今思いつくのはこんなところか」
「私はあんたのそういう所が嫌いだわ」
 ガツンガツンと二の腕を殴りつけられる。
 しかしこちらは既に金属鎧だ、軽く叩く程度では何のダメージも無い。
「おいよせ鎧がへこむだろ。そういう所が駄目だって言ってるのに」
「まったく……ほら、さっさとポーション買いにいくよ」
 メリルはそっぽを向いて商業区へと歩き出す。

 最後の罵り合いを見る限り、マンイーター戦での敗北は切っ掛けでしかなく、彼らのパーティーの崩壊は遠からず避けられない物だっただろう。
 言い合いの内容が、ロストした事についてはほとんど言及する事無く、仲間に対する不満に終始していた事からも、それは容易に想像出来る。
 冷たい言い方になるが、あの程度の喧嘩別れ、ネトゲではさして珍しい光景ではない。
 ……いや、あそこまでひどいのはなかなかお目にかかれないか……。
 何にせよ、上手く戦闘を指揮するだけでなく、メンバーを纏め上げるのも、またリーダーの努め。
 となれば、あの結末はリーダーたる彼の力不足と言えよう。
 ゼルと呼ばれた気の毒な男の再起を祈り、噴水前の広場を後にする。


「おや、いらっしゃいませ。何か入用ですか?」
 マールの道具屋のこじんまりとしたカウンターの奥には、若いライカンの男性が立っていた。
 彼がマールの父親なのだろう。
「いらっしゃいませ、です」
 棚の陳列の確認をしていたマールがぺこりと頭を下げる。
 カウンターにこそ立っていないが、日常的に手伝いをしているのだろう。
「ああ、あなたがマールの言っていたドケチのお兄さんですか。当店の店主で、マールの父のマロウと申します。今後ともご贔屓に」
 爽やかな笑顔で失礼な事を言うマロウさん。
「それで、本日は?先程仕入れから戻った所ですので、在庫はたっぷりございますよ」
 表示されたショップウインドウには、言葉通り下級ポーションの在庫が復活していた。
「それじゃあ……下級ポーションを三つと、応急薬セットを貰えますか」
「私も同じのを。あ、ポーションは五つで」
 たった三つではあるが、あるのと無いのとでは心持が大分違う。
 この世界のポーションは、治癒呪文を練り込んだ水薬なので、飲んだり浴びたりするだけで瞬時に体力が回復する。
 回復手段に乏しい闇の民には、無くてはならないアイテムだ。
「はいはい、それではこちらになりますね。3s50cと5s50cですが、贔屓にして頂いているようですので、このくらいでいかがでしょう」
 ウインドウに、いくらか値引いた金額が表示される。
 マールの父とあらば、さぞや強敵かと思ったのだが、まさかこちらが言う前にむこうから値引いてくれるとは。
「お父さん、またそうやって簡単に安くして……」
「いいじゃないか、昨日はこちらの手落ちでご希望に沿えなかったのだから、このくらい」
 憮然とした表情で呟くマールを、笑いながら宥めるマロウ。
「いやぁ、しかしこの調子では、またすぐにポーションが品切れになってしまいそうです。これほど需要が高まっているとわかっていれば、もう少し多目に仕入れてこれたのですが、これも商売の難しさですか」
 まるで気にした風もなく気楽に笑うマロウと、そんな父を見て諦めたような溜息をつくマールに礼を述べ、道具屋を後にする。


「しかし、ようやくポーション入手か。別ゲーじゃ腐るほど手に入る当たり前のアイテムなのに、やたら時間がかかったな」
「しかも高いしね。ほんと緊急用で、気楽には使えたもんじゃないわ」
「お前は自己回復SA持ってるからいいだろ」
「【ネイチャーリカバリー】の事?あんなのまともに使えないわよ。ディバインエナジーの消費は激しいし、瞬時回復じゃないし、回復速度も遅いし、回復量も少ないし、詠唱も長いし、再使用も長いし、周囲に植物が少ないと効果は減るし。完全に罠SAだわ」
「そりゃ最下級のだからだろ。もっとスキル値上がれば実用的なのも覚えるじゃないか」
「まぁ、確かにそうだけど。でも、ほとんどがリジェネ系だからね。やっぱ回復手段に関しては闇の民は不遇だわ」
「あるだけマシだろ。破壊神系なんて上級SAに【ライフドレイン】があるだけだぞ」
「けど、あれ説明見る限りじゃかなり使えそうじゃん。魔術は?一応治癒魔術あるでしょ」
「あれは魔術で肉体の治癒速度を強制的に速めるって設定だからな。スタミナまで消費するから戦闘中はちょっと使いにくい」
「あー、スタミナ減るのはねー。体力回復したって、スタミナ枯渇したら結局死ぬもんね」
「ま、回避するか上手く防御するかして、ダメージを抑えるしか無いって事だな。幸いステとスキルには恵まれてるんだし」
 道すがら愚痴り合っている内に、修練場が見えてきた。

「あっ!メリルと傭兵君!よかったぁ、ちゃんと帰ってきてくれたぁ」
 シャミルがこちらの姿を認めると、システムアラートがクエストの達成を知らせる。
 クエストを達成した報酬により、宿命値が50増加したが、正直感覚的には何も変わらない。
 最低でも宿命値マイナスから脱しなければ、光の民の領土に足を踏み入れる事すら出来ないので、いずれは上手く宿命値を稼ぐ方法を探さなくては。
「良かった良かった。ちゃんと言いつけ通り巣の奥には行かなかったんだね!」
「それがね、巣の奥には行かなかったけど、マンイーターってのには遭っちゃったんだよね」
 メリルの言葉にシャミルは目を見開いて驚く。
「何で!?あいつが巣の入り口まで出てきたの?……良く生きてたねぇ」
 シャミルは、メリルがマンイーターと例のパーティーについての顛末を語ると、納得したように頷く。
「シャミル……教官。マンイーターってのは一体何なんだ?何か知っているなら教えて欲しい」
 以前の口ぶりや、今の反応からして、彼女はあの化物について、何らかの情報を持っているようだ。
 もはや必要に迫られてもあいつと戦うのは拒否したいが、情報を仕入れておくにこしたことはないだろう。
 シャミルは、暫しの逡巡の後、前線基地の過去と、マンイーターについて説明してくれた。
「……この前線基地が、昔はアーカス村って呼ばれていたのは知ってるよね?」

 前線基地となる前の、かつてのアーカス村は、大陸南東部の僻地でこそあるものの、南西の鉱山資源と周囲を囲む森林資源に恵まれた豊かな村だった。
 しかしアーカス村は、かつての大戦の折に別の大陸を占領した虚族による、アトラス大陸への再侵攻の被害を真っ先に受ける事となる。
 虚族の襲撃にさらされたアーカス村は、一夜にして多くの村民が虚族の凶刃に倒れた。
 一晩の内に大陸南部を制圧されるという異常事態に、闇神の末裔四種族の酋長達は光の民に救援を要請し、光闇連合軍を投入しての大規模な大陸南部奪還作戦が決行された。
 結果、多数の犠牲を払いながらも、アーカス村の奪還に成功。
 周囲を防護柵で囲み前線基地とし、大陸南部から虚族を一掃する掃討戦が開始された。
 しかし、劣勢を悟った虚族は、異界の門を開きこの世ならざる者を呼び寄せる秘術を用いて形勢の逆転を図る。
 虚族が異界の門を開いた事により、かつての肥沃な森林地帯の一部は、未来永劫草木すら生える事無く、日が沈めばアンデッドが闊歩する亡霊の荒野となった。

「その異界の門から呼び出されたのが、あのマンイーターだよ」
「じゃあ、あいつは虚族の手下なのか?なら、いくら犠牲を嫌うといっても、あんな近くに放置しておくのは危険なんじゃないか?」
「確かにあいつを呼び出したのは虚族だけど、あいつは虚族の言うことなんて聞かないんだ。異世界の生物であるマンイーターにとって、生意気に命令する虚族も、周囲を鬱陶しく取り囲む連合軍も大差無かったんだろうね」
 敵味方の区別無く、手に掛けた者の生気を啜るその姿から、付いた呼び名がマンイーター。
「私もマンイーターとの戦いに参加したけど、形勢は圧倒的に不利だった。どれだけ捨て身で攻撃したって、相手は殺せば殺すほど回復しちゃうんだからね」
「そんなのを、どうやって追い払ったの?」
「追い払ってないよ。君達の時と同じ。連合軍の大半がやられて、私達が全滅を覚悟した時、あいつはもう食べれない、眠いって言い残して、突然森の奥に引き篭もったんだ」
 そして山奥に巣を構え、山の麓を子蜘蛛達のねぐらとし、巣の奥で子蜘蛛が運んでくる餌を食べるだけの生活を送るようになったのだという。
「その後、何度か討伐隊や腕自慢の傭兵や冒険者があいつに挑んだけど、結果は全滅。巣に引き篭もって出てこないから、下手に手出しせず静観せよっていう指令が出て、以来あいつはずっと巣の奥に引き篭もったまま」
「なるほどね。序盤のボスどころか、ラスボスより強い裏ボスって奴か」
 最も強いボスは、実は序盤のマップに封印されていました、なんてのは、そう珍しくも無い展開だが、あんな誰でも手を出せる状態で配置しておくのは卑怯だろう。
「基本的にぐーたらな性格なんだろうね。満腹だから帰れとか、お喋りしたら満足したから帰れとか言われて、君達みたいに生還したケースもあるけど、やっぱ殆どの場合は殺されて吸われちゃう。運が良かったね」
 確かに、期せずして奴と遭遇したのは不運ではあったが、今こうして生きている事を思えば不幸中の幸いか。

 しかし、話を聞く限り、マンイーターはボスの中でも特殊な存在なようだ。
 これから先、あんな化物を相手にしなければならないのかと思うと暗澹たる気分だった。
 しかし、どうやら全てのボスがあんな桁違いの存在である訳ではないようでほっとする。
「あいつの処遇にはお偉いさん方も頭を悩ませてるみたいね。今は引き篭もっているからいいけど、あいつが本気を出したら、倒せるのかわかんないよ」
 仮にも、現時点で一線級のプレイヤーを一撃で屠る相手だ。
 しかも奴の口ぶりから言って、ただ周囲に群がるうるさい虫を払った程度の感覚なのだろう。
 スキルが上昇し、ステータスが完成したとして、あんな化物を倒す事が出来るのか?
 むしろ交渉術スキルをマスターして、懐柔する方が現実的とすら思える。
「ともかく生きててよかったよ。一度遭ったのならあいつの恐ろしさは十分わかったよね?これからも巣の奥へは行っちゃ駄目だよ。約束だからね」
 再びあいつと相対する事を想像するだけで怖気が走る。
「頼まれても遠慮するよ」
「にゃははは、ですよねー。さて、蜘蛛狩ってまたスキルが伸びたみたいだね。SA覚えていく?」
 目の前に習得可能スキルアーツリストが表示される。
 今回も相変わらずの擬音指導だったが、どーん!とかグシャア!などといった擬音の飛び交う力の抜ける指導は、マンイーターの恐怖に蝕まれた心には、どこか心地よかった。


 既に日は完全に沈み、篝火が灯されている。
 俺達は夕食を取るために、再び中央区の酒場へとやってきた。
 この世界で食事を取っても現実では何の意味も無いが、味覚はあるので美味しい料理を楽しむ事は出来るし、何より空腹というパラメータが存在するので食事を取るのは欠かせない。
 空腹は明確に数値化されておらず、長時間食事を取らないと空腹状態という状態異常に陥り、ステータスの低下とスタミナの減少率増加というペナルティを負う。
 通常であれば、空腹感に耐えかねて何らかの食事を取る物だが、空腹状態を放置し続けると餓死する。
 現実と同じような空腹感を感じるので、気付いたら餓死していた、という失態はそうはないが、それでも定期的に食事を取り、携行食を常備しておくのはこの世界で生き抜くための基本である。
 今宵のメニューは、メリルは様々な野菜と、何の肉かよくわからない分厚いハムをパン挟んだミックスサンド、俺はフリッグのシチューと、昼にメリルが食べていたでかい貝入りのパスタ。
 値段の割に味は可も無く不可も無くといった程度だが、保存食と比べれば月とスッポンである。
 食事を楽しみながら、今後の狩り場について話し合う。

「やっぱ大蜘蛛狩りだろ。マンイーターと遭遇したのは不幸な事故だし、入り口で蜘蛛を狩るだけなら問題は無いはずだ」
「うーん、私はマンイーターの側は避けたいけど……他に良い狩り場が無いんだよねぇ」
「無い訳じゃないが、やっぱりスキルの問題とか、かなり遠い場所だったりで、一番安全で効率が良いのが大蜘蛛狩りなんだよな。マンイーターがいなければ、だが」
「ま、あのパーティーが連れてこなければ遭遇しなかっただろうしね。もし遭遇しても、話は通じる相手みたいだし」
「どうかな。空腹だったら問答無用で襲ってくるかもしれないぞ」
「人がなんとか折り合い付けようとしてるのになんで邪魔すんのよ」
 脛を蹴られた。
 食事中は鎧を着込んでいないので、強い衝撃を感じる。

 現在の俺の装備はプレートアーマーではなく黒地に赤糸で刺繍が施されたノスフェラトゥの民族衣装だ。
 重い鎧を常に着込んでいれば、普通に歩いているだけでもSTRやVITなどのステータス上昇が見込める。
 なのでなるべくなら鎧は常に着ていた方が良いのだが、流石に食事時くらいは楽な格好でいたいので、酒場に来る前にラウフニーの店に寄って安い私服を購入したのだ。
 前回の嫌がらせに近い5sの値切りの埋め合わせのためにも、今回は大人しく定価で買おうと思っていたのだが、ラウフニーは俺の姿を見た瞬間悲鳴を上げやがったので、お望み通りガッツリ値切ってやった。

「ともかく、マンイーターに関しては遭遇しないのを祈るとして、とりあえず大蜘蛛で50後半、出来れば60越えるくらいまでは狩りたいな。そうすれば鉱山周辺でゴブリンを狩れるはずだ」
「ゴブリンかぁ。そういえばまともな人型モンスターってまだ戦った事ないね。スピリットは、人型っていうか人形だったし」
 かつてアーカス村の主要産業を支えた鉱山地帯は、現在虚族の雑兵であるゴブリンに占領されている。
 ゴブリンは小型の人型モンスターで、ドワーフよりも低い身長とやせ細った身体を持つ小鬼だ。
 知能は低く、戦闘技術は然程高くはないものの、素早い動きが厄介で、見た目に反して力も強い。
 略奪した棍棒やナイフ、ショートソードなどで武装しており、粗末ながらも防具も着込んでいる序盤の強敵だ。
「それと、出来ればゴブリンに行く前に神術スキルの修行をしたいな。スピリットあたりを相手に」
「確かに、神術スキルって戦闘中にたまに使うくらいだからなかなか上がらないもんね。そろそろちゃんと修行しないとマズいか。私まだ30.0にもなってないよ」
「俺はキャラメイクの時に取ったからな。35.0は超えてるが、スピリットで45.0くらいまでは上げられるはずだ」
 スピリットを相手にするならば、報酬の美味い【ソウルジェム収集】が残っているうちにやるべきだったのだが、残念ながらもう締め切られている。
 蜘蛛狩りに行く前に、金策も兼ねてスピリットで神術上げをするのが最善の手だったが、あの時はあれ以上スピリット狩りを続ける気にはなれなかったので仕方ない。
「じゃ、近接スキル60.0程度まで大蜘蛛、その後神術スキルを修行して、その後ゴブリン。これでOK?」
「そうだな。それを当面の育成スケジュールにしよう」

 席を立つ前にシステムブックを開き、リアルの時刻を確認する。
「とりあえずリアルで昼の十一時半くらいまでは狩り続けたいが、そっちは平気か?」
「あー、家事当番なんだっけね。んじゃ私もそのへんで落ちるわ。どうも時間の感覚狂うなあ」
「こっちで一日経過しても、リアルじゃ六時間だからな。ま、いずれ慣れるだろ。それじゃ、早速行くか。昼飯前に60.0目前までは上げておきたい」
 席を立ち、再び大蜘蛛の巣へと向かう。

 大蜘蛛狩りは、問題無く進んだ。
 マンイーターに挑戦するパーティーも現れず、マンイーターが姿を現す事も無かった。
 時折ソロのプレイヤーの気配を感じるが、どうやら危機探知スキルを伸ばしているプレイヤーは少数派なようで、大抵ワームの奇襲を受けて逃げ帰るか、廃村の至る所を這い回る大量の蜘蛛とワームに手を出しあぐねて諦めて帰っていった。
 小川の冷たい水は、水筒に入れたぬるい水よりスタミナ回復効果が高い事も判明し、大蜘蛛狩りは当初の予定を大きく上回る効率を出している。
 メリルも最初こそ山道の方を気にして動きに精彩を欠いていたが、大蜘蛛と戦っている間にマンイーターに対する負けん気でも出てきたのか、目に見えて動きが良くなっていた。
 気がつけば予定時刻である十一時半よりも前に、片手剣術スキルは60.0目前、他の戦闘技術スキルや生物学スキルも57.0に届こうとしていた。
 初期に格闘術を取ったメリルとは、大分差が詰まったとはいえ、まだ彼女のほうがスキル値は高い。
 早ければ、今戦っている大蜘蛛を倒す頃には、メリルは格闘術が60.0を超えるだろう。

「へっ?」
 不意に、大蜘蛛を殴りつけたメリルが、呆気に取られたような声を上げて動きを止める。
「おい、何ぼけっとしてる。攻撃食らうぞ」
 大蜘蛛の節足を防御しながら檄を飛ばすと、メリルは慌てたように一度大きく下がって距離を取る。
 しかし、一度集中力を欠いたせいか、動きにいつものキレがない。
 様子がおかしいので、手っ取り早く戦闘を終わらせるため、【シールドチャージ】で大蜘蛛の動きを止め、【チャージストライク】に繋げる連携技で蜘蛛の息の根を止める。
 この連携技だけでもかなり有効だが、さすがに盾防御SAの手数不足を感じる。
 資金不足で盾防御SAの習得を後回しにしていたが、次に基地に戻ったら盾防御SAもいくつか習得しなければ、大蜘蛛より格上の相手は厳しいだろう。
 解体を済ませてドロップアイテムを回収すると、メリルもなんとか大蜘蛛を倒した所だった。
 しかし、ドロップアイテムの回収もせずに、システムブックを開いて首を傾げている。
「どうした?」
 メリルは、無言でシステムブックの一部を指差す。
 背後に回って覗きこむ。
 メリルが指差していたのはスキル情報ログ。

【格闘術スキル0.1上昇】
【格闘術スキル値が60.0に達しました】
【スキル60.0達成により、クラスシップシステムがアンロックされました】
【格闘術スキル60.0達成により、クラスシップ【格闘家】を獲得しました】

 そこには、これまでに見た事が無い情報が表示されていた。



[11997] 第十七話 クラスシップ
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/16 22:58
 アトラスは、正式サービス開始一ヶ月前から、段階的に様々な情報を公式サイトやニュースサイト、イベントなどを通じて公表していた。
 事前に公開された情報は、既存のMMORPGであれば考えられない程多岐に渡る。
 だが、当然全ての情報を事前に公開するような事はありえない。
 公開された大量の情報は、あくまでアトラスの一要素に過ぎず、未だ公表されていない仕様やシステムがあるのは当然だ。
 メリルが格闘術スキル60.0を達成した事でアンロックされたクラスシップシステムも、事前に公開された情報には無かったシステムだ。
「何なんだろ、これ。ガイ、知ってる?」
「……いや、聞いた事も無いな。事前の情報には無かった。ただクラスシップとか格闘家って言葉からして、称号か職業のような物だと思うが」
「称号って、名前の頭上表示とか無いから意味無くない?職業っていうのも、別のMMORPGならわからなくもないけど、そもそもスキル制なんだから職業とか無いんだし」
「俺に言われても。そうだ、アンロックされたって事は、システムブックに何か追加されてるんじゃないか?」
 メリルはシステムブックの最初のページを開く。
「あ、ある。クラスシップページ」
 ページを開くと、左のページ一面を使ったクラスシップリストに格闘家と表示されている。
 かなりの余白があるので、他のスキルにもクラスシップとやらは存在するようだ。
 メリルがリストの【格闘家】の項目に触れると、空白だった右のページに情報が表示される。

【クラスシップ【格闘家】】
【クラスシップボーナス】
【STR+10】
【AGI+10】
【格闘術スキルダメージ補正+5%】
【格闘術攻撃速度+5%】

【クラスシップ【格闘家】を有効化しますか? No/Yes】

「なるほど、能力値にボーナスが付くのか」
「有効化しちゃって大丈夫かな?」
「見た限りでは、問題があるとも思えないな」
「とりあえず、やってみるね」
 メリルがYesを押すと、メリルの周囲を淡い発光エフェクトが渦巻いてゆく。
 エフェクトが消えた後、シャドーボクシングのように虚空に向かって突きや蹴りを繰り出したメリルは、顔を綻ばせる。
「結構凄いよこれ。60で世界が変わる感じ」
「そういえば運営のスタッフが公式のチャットルームでスキル値60.0からが本番ですとか言ってたな。こういう事か」
「きっと片手剣術にもあるだろうから、ガイも早く上げちゃいなよ」
「そうだな。ちょっと時間はオーバーするが、キリがいいとこまで上げてから落ちるか」
「うんうん。とりあえず釣ってくるね。早く実戦で試したいし」
「浮かれてミスるなよ」
 待ち切れないのか、大蜘蛛を釣りに駆け出すメリルの後を苦笑しながら追う。



 昼食のためにログアウトした俺は、手早く昼飯の用意を済ませる。
 とは言え、する事はカレーを温め、適当にサラダを作り、食器を並べておくだけ。
 母さんもやっこも、まだアトラスのプレイ中なので、昼食は一人で済ませる。
 カレーをよそるくらいは自分でやって勝手に食べるだろう。
 後は全員が食べ終えたら食器を洗って昼の家事は終了。
 ネトゲの正式サービス開始直後の我が家はいつもこんな感じだ。

 流し込むようにカレーを食べ終えると、食器を水につけて自室に戻る。
 電源を入れて放置しておいたパソコンが、メッセージを受信していた。
 メリルからのビジュアルチャットの要請だった。
 ゲーム内では素顔に近いキャラクターで顔を合わせてはいるが、こうしてビジュアルチャットをするのは初めてだ。

『お、ガイだ』
 マイク付きのヘッドフォンを装着し、ビジュアルチャットの要請を受けると、見慣れたような初めて見るような、微妙な違和感を感じる顔がディスプレイに写る。
「……ああ、耳がないのか」
『はあ?何いってんのよ、耳が無いとか……ああ、猫耳ね』
 メリルは、画面の向こうで、自分の耳たぶをつまむ。
「そっちこそ、「ガイだ」って何だよ。誰にチャット申し込んだんだよ。間違いチャットなら閉じるぞ」
『なんであんたそう捻くれてんの?そんな事より、例のあれ。何件か情報出てたよ』
 例のあれとは、先程スキル60.0で開放されたクラスシップシステムの事だ。
 あの後、俺も片手剣術スキルが60.0に到達し、メリルと同じように片手剣術スキルのクラスシップ【ソードマン】を得る事が出来た。
「マジか。まぁ未発表のシステムとは言え、スキル上げれば誰でも見つける事だからな。隠しておく程の情報じゃないか」
『今の所、うちらみたいな片手剣とか格闘術とかの近接攻撃系スキルと、神術とかの呪文攻撃系スキルでクラスシップが見つかってるみたい。他のスキルにもあるんじゃないかって意見が多いけど、まだ特殊スキル系統を60.0にした人の報告は無いみたい』
「多分殆どのスキルに用意されてると思うけどな。片手剣と別のスキルの複合クラスシップとかあれば面白いんだが」
『けど、やっぱ闇の民は戦闘スキル上がるの早いんだね。クラスシップの情報書き込んでるの、全部闇の民っぽいよ』
「まあ、闇の民の数少ないアドバンテージだからな。他には何かあったか?」
『んー、他は特に無いかなぁ。あ、例の設立間近のクラン、遅くとも今日中にはクラン設立だって。それくらいかな』
「インペリアルか。まぁ最初に設立したクランってネームバリューがあればメンバーも集め易いから、奴らが必死になるのも分かるけど」

 Imperial Orderは、以前プレイしていた別のゲームでも、とにかくメンバー集めに注力していたクランだった。
 プレイヤー同士の大規模な戦闘が売りのタイトルだったが、Imperial Orderはその物量を以って並み居るクランを押し退け、サーバー最強とうたわれていた。
 しかし、シャウトやエリアチャットでの無節操な勧誘や、大規模戦闘の際のクランリーダーの素っ頓狂な指揮っぷりなど、一部のクランやプレイヤーからはあまり好ましく思われていなかった部分も多い。
 特に匿名掲示板の晒し板では、ほぼ一スレが彼らの横柄な態度に対する不平不満や、クランリーダーの勘違いっぷりに対する嘲笑で埋まる事もあった。
 それでいてImperial Orderのクランリーダーは特に気にする風もなく、妬まれるのは自分たちが最強である事の証明とのたまったり、ブログに自分の指揮に酔ったような日記をアップしたりと、大規模掲示板で弄られるために生まれてきたような人物だ。
 俺も一度パーティーを組んだ事があるが、あまり関わりたいとは思わない。

「良く考えたらリアルじゃ正式開始から二十四時間経ってないんだよな。トップの廃人連中なんかはぶっ続けでプレイしててもおかしくないし、目ぼしい情報がないのも当然か」
『あ、公式見て。更新されてる。クラスシップの詳細だって』
「やけにタイムリーだな」
 早速公式ページを開くと、トップの更新情報の欄に【クラスシップシステムの詳細について】と書かれていた。
 どうやらゲーム内で、ロックされたシステムをアンロックしたプレイヤーが一定数に達すると、公式でその情報が解禁されていくようだ。
 ざっと目を通してみるが、あまり大した情報は得られなかった。
「なんだ、ゲーム内で得られる情報と大差無いな。ある程度のクラスシップリストと開放条件でも載ってるかと思ったが」
『けど、『複数のスキルが開放の条件となる複合クラスシップも存在する』って書いてあるよ。スキル構成、クラスシップの事も含めて考えないとね』
「そうなると、かなりの種類がありそうだな。ま、今はまだあまり気にしない方がいいな。そのうちwikiに情報が充実していくだろうし、考えるのはそれからだ」
『【モンク】とかあるといいなぁ……ところで、さっきから気になってたんだけど』
「ん?」
『あんたの後ろにあるの、それVRベッド?』
 メリルは俺の後ろ、ベッドが置かれている位置を指差す。
「そうだけど」
『うわぁー、何あんた、いいとこのお坊ちゃん?私なんてあれよ、VRチェアも買えなくてベーシックモデルよ』
「別にいいとこって訳じゃないけど……AGの事は親父に任せてたんだよ、なんか「コネがあるから任せろ!」とか言うから。そしたらVRベッド四台買ってきて……」
『ぶっ、VRベッド四台?車買えるじゃない!かなり良い車!』
「ベーシックモデルは人気すぎて無理だったとかで、高すぎて人気の無かったベッドモデルしか四台確保できなかったらしい。まぁうちの親父馬鹿だから、趣味に金使う時は後先考えないんだよ」
『うわぁームッカつくわー。私なんてログアウトした後体ボキボキ言うのに、VRベッドだったらそんな苦労もないんでしょうね!』
「いや、そんな言う程凄いもんじゃないって……」
『贅沢な事言いやがって!ブルジョワは死ね!』
 ああ、こいつ誰かに似てると思ったら、ミナさんとテンションが同じなんだ……。
 画面の向こうでギャーギャー騒ぐメリルから逃げるように、洗い物を済ませるために階下へと向かう。



 家事を済ませた後、再びログインした俺達は、マッドスピリットを相手に神術スキル上げを開始する。
「【サンダーボルト】!」
 メリルが放った風属性攻撃神術SAが、マッドスピリットの胴に突き立つ。
 刺さった雷の矢は、電撃の継続ダメージを一定時間与え続ける。
【サンダーボルト】は下級SAな上に、使用者であるメリルが呪文系攻撃に向かないステータスである事も相まって、さほど威力はない。
 だが、水属性のマッドスピリットには属性の相性が良いのか、身体を蝕む電撃にマッドスピリットが苦悶するように蠢く。
 メリルは巧みに這い寄るマッドスピリットから距離を取り、神術SAの詠唱を開始する。
「【ウインドブレイド】……!また不発ー!?」
【ウインドブレイド】は闘神系神術スキル30.0のSAなので、スキル値ギリギリのメリルでは未だ失敗が目立つ。
 MENとINTが高ければ成功率にボーナスが加算されるのだが、ライカンであるメリルでは望むべくもない。
 二度の失敗の後、ようやく【ウインドブレイド】が発動。
 音も無く飛来する風の刃が、マッドスピリットを両断すると、マッドスピリットの身体は泥水へと戻っていった。

「ふう……ようやく倒せたぁー!やっぱ呪文攻撃は向かないなぁ」
 メリルは肩を落としてぼやくと、既に戦闘を終えていた俺の隣に腰を下ろす。
 メリルが梃子摺り、俺が早々に戦闘を終えるという、近接スキルを修行していた時とは逆の構図だ。
「これじゃーガイに離されるばっかだよー。次にガイがログアウトする時にでも、一人で修行しようかな」
「俺は魔術スキルも少し修行するつもりだからな。それを考えれば丁度良いペースだろ」
「近接スキルに神術スキルに魔術スキル?さすがにスキル枠足りないんじゃない?」
「魔術は40止めかな。【治癒の光】は一応使えるようにしておきたい」
 魔術スキルの回復呪文SAはスタミナを代償とする物が多いので、戦闘中の使用は難しい。
 しかし、ライフの回復よりはスタミナの回復速度のほうが早いので、上手く使えば休憩時間を短縮する事が出来る。
「魔術ねぇ……またマッドスピリット相手にマゾいスキル上げしなきゃならないと思うと取る気無くなるわ……っと、ディバインエナジー回復しないと」
 メリルはミスティックキューブから取り出した闘神の銅像を地面に置き、両膝を地につけ、胸の前で両掌を握り合わせ目を伏せる。
 闘神ブライアスに祈りを捧げる動作だ。
 祈りによるディバインエナジー回復速度はスキル値とMENに依存するので、メリルは回復速度も遅い。
「じゃ、お先に」
 祈りを捧げるメリルを尻目に、マッドスピリットに向かう。
「くううう、絶対に後で追いついてやる!」
「どんだけ負けず嫌いなんだよ」

 マッドスピリットに、SAの射程範囲ギリギリまで近付き、詠唱を開始する。
 ノンアクティブが相手なので、初手に使用するのは詠唱が長い高火力SA【ダークネスボルト】。
 周囲を渦巻く黒い燐光が収束し、五本の太矢を形作る。
 次々と放たれる矢が、マッドスピリットの身体を貫くと、マッドスピリットが怒ったように両腕を振り上げる。
 こちらに這い寄って来るマッドスピリットの動きを【シャドウバインド】で封じ、距離を取りながら【シャドウアロー】で削ってゆく。
【シャドウバインド】を使用しなくても攻撃を受けるような事は無いのだが、目的はスキル上げなので、なるべく多くSAを使用するためにあえて使っている。
 距離を取りつつ、六本ほど影の矢を打ち込むと、マッドスピリットは泥水へと還った。
 近接戦闘とは比べ物にならない楽な戦闘だが、これも相手が動きの鈍い遠距離攻撃手段を持たない敵だからこそである。
 もし大蜘蛛相手に神術スキルのみで挑むとなれば、かなりの苦戦を強いられるだろう。
「うえ、もう終わったの?」
 戦闘を終えて木陰に戻ると、未だに祈りを捧げてディバインエナジーの回復をしていたメリルに渋い顔で出迎えられた。

 結局、夕飯の時間まで神術スキル上げを続けたものの、メリルの神術スキルは41.0を僅かに越えた所までしか上がらなかった。
「もうやだー!」
 遅々としか回復しないディバインエナジーに痺れを切らしたのか、突然喚きだすメリル。
「じゃ、俺は一度落ちるぞ」
 夕飯の支度をするためにログアウトを開始する。
 メリルは夕飯ギリギリまで神術上げを続け、夕食を食べた後はすぐログインして再び神術上げに励むという。
「なぁ、45.0ってのはあくまで目安で、別にそんな根詰めてやる必要はないんだぞ?」
 性に合わない呪文戦闘を続けたせいで、メリルはかなりストレスがたまっているようだ。
「わかってるわよ。けど上げないと気がすまないの」
「……そうか。まぁ頑張れよ」
「あいよ、また後でね」
 ディバインエナジーの回復を終えたメリルが、マッドスピリットに向かうのを見送り、俺はログアウトした。


 本日の家事を全て終わらせて再びログインすると、メリルはきっちり神術スキルを45.0にしていた。
 一度基地に戻り、戦利品を処分する。
 既に装備やアイテムはそこそこ良い物を揃えてあるので、今回の売り上げは全てSAの習得に回す事にした。
「ようやくゴブリン狩りね……今の私ならマンイーターですら倒せる気がするわ」
 南西の鉱山地帯に向かう道中、メリルは神術上げで溜まったフラストレーションを抑えるように何度も拳を打ち鳴らしていた。
 鉱山地帯まではかなりの距離があるが、ゴブリンには道中の森の中でも遭遇する事がある。
 森の中にいるゴブリンは単独行動をしている場合が多い。
 なので、まずは単独行動をしているゴブリンと一戦して相手のパターンを探る事にする。
【テリトリーサーチ】をしながら鉱山地帯に向かって森の中を進んでいると、前方に二つの気配を感じる。
「二匹か。まぁ問題無いだろう。メリル、鬱憤を晴らせるぞ」
「待ってました!」
 我慢しきれないとばかりに身体強化SAを使用して駆け出すメリル。
 同じく走りながら【シャドウオース】を使用し、タワーシールドとバスタードソードを構える。
「メリル、どっちをやるかはお前に任せる。あの茂みの向こうだ、かましてこい」
「りょーかい!」
 メリルは更に加速すると茂みを飛び越え、その状態からSAを発動する。
「先手必勝【稲妻キック】!」
『ギィ!?』
 突然茂みから現れた影に仲間を蹴り飛ばされ、慌てながらも武器を構えようとしているゴブリンに走り込んだ勢いを乗せた片手剣SA【ステップインスパイク】を放つ。
 無防備なゴブリンの脇腹に強烈な突き技を叩きこむ。
『グギャァァ!』
『ギギギ!オノレ、敵襲カ!』
 メリルの【稲妻キック】を受けたゴブリンが苦しそうに吐き捨てる。
「おわっ喋った!」
「驚いたな、まさか言葉が通じるとは」
『ダカラドウシタ、愚カナ者メ。今更命乞イハ聞カンゾ』
 腰に佩いたショートソードを抜き放ち、バックラーを構えたゴブリンがメリルに斬りかかる。
「人型相手はやっぱ燃えるわ!」
 メリルはゴブリンが振り回すショートソードを巧みに避け、すれ違いざまに強烈な蹴りを放つ。
「そっちは任せた」
 俺は盾を正面に構え、先程突きを見舞ったゴブリンと相対する。

『ギギギ、クソッ、奇襲トハ卑怯ナ』
 どうやら先程の突き技が急所を突いたようで、ゴブリンは脇腹を押さえよろめいている。
「すまんな、すぐ楽にしてやる」
『ヌカセ!コノ程度デ勝ッタ気カ!』
 手負いとはいえ、流石序盤の強敵と言われるだけの事はある。
 素早く繰り出された剣撃を盾で受けると、大蜘蛛の比ではない衝撃が身体の芯を叩く。
 あの枯れ木のような腕のどこにこれだけの力があるのだろうか。
 次々と繰り出される攻撃を盾で防御しながらタイミングを伺う。
 怒涛のような攻撃は食らえば脅威だが、力任せにショートソードを振るうだけの動きは読み易い。
 相手が振りかぶった瞬間を狙って盾を振り上げる。
「ギィッ!?」
 攻撃を弾かれたゴブリンは、さながら万歳をするような無防備な体勢になる。
 盾防御SA【シールドパリィ】。
【シールドチャージ】よりもタイミングがシビアだが、攻撃を盾で弾く事で相手を無防備状態にする事が可能だ。
 無防備状態はスタンよりも持続時間が短いが、無防備状態の相手への攻撃はダメージが倍化する。
『【ファストスラッシュ】』
 一瞬の好機を逃さず、攻撃速度の速い【ファストスラッシュ】で、無防備なゴブリンの胴体を袈裟斬りにする。
『ギィィィ……オ、オノレェ』
 ショートソードを取り落とし、なおも縋るように手を伸ばしてくるゴブリンだが、その手が俺に届く事はなく、そのまま倒れこみ息絶える。

 メリルは少々梃子摺っているようだった。
 どうやらゴブリンには衝撃ダメージが効き難いようだ。
『オノレ、チョコマカトォ!』
 次々と繰り出されるゴブリンの剣撃。
 しかしメリルは、その悉くをかわしてゆく。
「【アームブレイク】」
「ギァッ!?」
 ゴブリンがショートソードを大振りに振りかぶった瞬間、メリルが突き出した拳がショートソードを握るゴブリンの腕を叩く。
 衝撃に耐えかね武器を取り落としたゴブリンの一瞬の隙を突いて、メリルのアッパーがゴブリンの顎を打ちぬいた。
『グギッ!』
「【バーストナックル】!」
 体勢を崩したゴブリンの粗末な革鎧に守られた胴体に強烈な拳が叩きこまれる。
 爆発音のような轟音とともに吹き飛ばされたゴブリンは、二度と立ち上がる事はなかった。

 地面に横たわるゴブリンの亡骸を前に、俺とメリルはブロンズダガーを手に持ち立ち尽くす。
「やっぱ、人型も解体できるのかな?」
「そりゃ……出来るだろ、多分」
「……ゴブリンのレバーとかドロップしたりして」
「生々しすぎるだろ……」
「早く解体しなさいよ」
「……このシステム変更されないかなぁ。印象が悪いんだよ、解体なんて」
「ほら、さっさとする」
 渋々ゴブリンの亡骸にブロンズダガーの刃先をあてる。
 表示されたウインドウには【虚族の魂魄石】と呼ばれる濁った白い石と【銅貨34枚】が表示されている。
「そうだよなぁ、内臓系な訳ないよなぁ」
「けど解体して銅貨を入手って変だよね」
「あんま深く考えるな」
 ドロップを回収すると、ゴブリンの亡骸は光の粒となって四散する。
 しかし、地面にはショートソードとバックラーが残ったままだ。
「おい、これ拾えるぞ」
「それも戦利品てこと?」
「そうみたいだな。しかし、ミスティックキューブに入れれば容量の心配は無いとは言え、重量がきついな」
「とりあえず持てるだけ持てばいいんじゃない?」
「刃は欠けてボロボロだし、質も悪そうだ。売っても二束三文だろうな」
「1cを値切るケチなお兄さんが何言ってんの」
「いや、だからそれは……」
 俺はこれから先ずっとそのレッテルを貼られて生きていかなければならないのだろうか。


「ふいー、かなりスタミナ使っちゃった」
 先程戦闘を終えた場所から少し移動し、周囲の気配を探り、安全を確認してから手近な木陰に腰を下ろす。
 然程苦戦した訳でもないのに、スタミナゲージは六割を切っていた。
「俺もかなりスタミナを削られた。攻撃が重くて盾で防ぐのも一苦労だ」
 盾防御は伸びが悪く、まだ56.0を超えたばかりなので、ゴブリン相手では少々厳しい。
「けど、やっぱ冒険してるーって気になるよね、ゴブリンとかを相手にすると」
「確かに。しかし言葉が通じるとは思わなかったな。知性が低いって割には口調もしっかりしてたし」
「けど攻撃は単調だったから、頭は悪そうだけどね」
 システムブックを開きスキル値の上昇を確認する。
「あまり伸びてないけど、まぁ60.0からはこんなものなのかもな」
「これから先は上げるの大変そうだね。当分ゴブリン狩りかな」
「だろうな。まだ鉱山に乗り込むのは早いから、森の中で少数で行動している奴を狙おう」
「おっけ。そういや、このへんにも湧き水無いかなぁ。冷たい水飲みたい」
「そうだな……あるかもしれないな。探してみるか」
 確かに冷たい水を好きなだけ飲めるというのはかなりの魅力だ。
 まず湧き水を探し、狩りの拠点を確保するために、俺とメリルは森の奥へと進んだ。



[11997] 第十八話 決闘
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/16 22:59
 ゴブリン狩りを始めてから、ゲーム内時間で一ヶ月程が経過した。
 近接系スキル値が80.0を超えた俺達は、ここ数日は鉱山地帯の最深部にあるダンジョンへと挑んでいる。
『アーカス廃鉱』と呼ばれているこのダンジョンは、かつてアーカス村の主要産業でもあった鉄鉱石の採掘場だ。
 しかし虚族の襲撃以降は廃鉱となり、以来ゴブリンの巣窟となっている。
 配置されているゴブリンは最低でも四匹程度で群れを成しており、二人で分担するとしてもかならず複数戦闘を強いられる。
 更に、特定の場所に屯する群れの他に、廃鉱内を巡回する群れもいるため、戦闘中に巡回がリンクするのを避けるためには、敵の行動パターンを把握しなければならない。
 薄暗い廃鉱内で周囲の敵の様子を探るには、危機探知スキルは必須と言える。
 おまけに廃鉱内のゴブリンは、外をうろついているゴブリンよりも強い個体ばかりなので、初めて挑戦するダンジョンとしては難易度はかなり高めだ。

『グギァァァァ!!』
 上段から振り下ろされたツルハシを【シールドバッシュ】で弾き、無防備な腹部に【ステップインスパイク】を叩きこむ。
『ギィィィ!!』
 無防備状態のゴブリンは急所を貫かれ、大ダメージを受け衝撃にたたらを踏む。
 こちらの攻撃動作後の隙を狙って、もう一匹のゴブリンがショートソードを突き出してきた。
 それを身を捩ってかわし、あらかじめ詠唱しておいた【シャドウアロー】を放つ。
『グガッァ、小癪ナ!』
 胸に突き立った漆黒の矢を忌まわしそうに睨み付けるゴブリンの頭を目掛け、上段から強力な斬撃を繰り出す片手剣術SA【パワースラッシュ】を見舞う。
 強烈な一撃は粗末な兜を強かに打ちつけ、ゴブリンは短時間の気絶状態に陥る。
 意識を失ったゴブリンの背後に回り、相手の背後からの攻撃時にダメージを倍化させるSA【バックスタブ】を使用する。
『ガッ……ア』
 背後からの一撃が致命傷となり、ゴブリンは絶命し崩れ落ちる。
『ギギィィ!!タダデハ死ナヌゥ!』
 先程急所を貫かれたゴブリンが、仲間の死に激昂し決死の突撃を仕掛けてきた。
『【シャドウバインド】』
 しかし、振り上げた棍棒が俺の元に届く前に、ゴブリンは自らの影に動きを封じられる。
『グォォッ!オノレェ!』
 動きを封じられたゴブリンに袈裟掛けの一太刀。
『ギギ……ギィィ……』
 膝から崩れ落ちたゴブリンが絶命するのを確認し、構えを解き、既に戦闘を終えて壁際で休んでいたメリルの隣に腰を下ろす。

「おつー」
 メリルは羽ペンを持ち、羊皮紙にこれまでのルートを書き込んでいる。
 ダンジョンに挑むに当たって、マップの作成はメリルに任せる事にした。
 俺は危機探知による周囲の警戒、メリルはマップ作成という分担だ。
 アトラスではスキルの合計値によるキャラクターの成長限界は無い。
 しかし、個別のスキル値が上昇すればする程、スキル合計値が増えれば増える程、スキルの上昇効率は悪くなっていく。
 闇の民はそのあたりの制限が緩くなっているのだが、無意味に伸ばすスキルを増やしていく程の余裕は無いので、危機探知やマッピングといったスキルは分担する事になった。
 メリルの作成したマップを覗き込む。
 アーカス廃鉱は、長く続く一本の坑道と、そこから分岐するいくつもの細い坑道で構成されている。
 細い坑道の先には、採掘現場となっている広い空間がある。
 迷うような構造ではないので、マッピングは必須という訳ではないのだが、分岐が何度も続けば次に来る時に奥へと続くルートがわからなくなる。
 それにこういった単純な構造のダンジョンでマッピングのスキル値を上げておかなければ、更に複雑なダンジョンに挑む際に苦労する事になる。

「かなり奥まで来たな」
 メリルの描いたマップを見る限り、現在地は最深部と言ってもいいだろう。
 もっとも、どれだけの深さがあるのかわからないので、実はまだ序盤だった、という事も有り得るのだが。
「そうだね。もうそろそろ一番奥に着くと思うけど」
「初めてのボス戦になるからな……楽しみではあるが」
「エリートは拍子抜けもいいとこだったもんね」
 このダンジョンには細い坑道の先の採掘現場毎に一体、エリートモンスターと呼ばれる通常のモンスターよりも強いモンスターが配置されている。
 そして、最深部にはこの廃鉱のゴブリン達を指揮するボスがいるそうだ。
 エリートモンスターは、通常のゴブリンより二回り程の巨体で、力も強く体力も高い。
 しかし、それだけだ。
 普通のゴブリンを相手にする感覚で戦っていれば、多少時間はかかるが苦も無く倒せる。
「エリートは美味しいけど、つまんないよね。強敵って感じじゃないし」
 エリートを倒すと、3s程度の銀貨とかなり品質の良い武器が手に入る。
 現在の俺の武器はゴブリンチーフソードと呼ばれる大振りの片手半剣。
 メリルの武器はゴブリンチーフフィストという巨大で無骨な手甲。
 どちらもここ数日、エリートを狩りまくって集めたエリートゴブリンのドロップアイテムだ。
「まぁエリート単体で言えば確かに拍子抜けだけど、もし取り巻きと同時に相手するとなったらかなり厄介だろ」
「そう考えると、ここにソロで挑むのは大変だよね。危機探知は欲しいしマッピングスキルも欲しいし、戦闘スキルもかなり高くないと辛いし」
「確かに俺達みたいにペアじゃないと、ここまで来るのはしんどいだろうな」
 先日、とうとう大規模掲示板に俺達がこれまでやっていた闇の民でペアをする方法が書き込まれた。
 しかし、闇の民のプレイヤーは基本的にソロプレイヤーばかりなせいか、未だペアを組んで行動するプレイヤーは多くない。
 なので鉱山周辺でゴブリンを狩るプレイヤーは見かける物の、こうしてダンジョンに挑んでいるプレイヤーは今の所俺達だけだ。
 ここのダンジョンより下位の狩り場にいるボスはマンイーターだけなので、闇の民でボスを倒したプレイヤーは未だいないと言う事になる。
「ここまできたら最初にボス倒したいよね」
「そうだな。けど最初にボスやるのは俺だぞ」
 道中の雑魚は分担出来るが、ボスにはソロで挑まなければ共闘ペナルティを受けてしまう。
 仮に共闘ペナルティは無くとも、俺もメリルも強敵をソロで狩る事に価値を見出すタイプなので、二人掛かりでボスに挑む選択肢は無い。
 なので、どちらが最初にボスに挑むかは既にじゃんけんで決めてある。
「わかってるわよ……けどボスがリポップ無しだったらどうしよ」
「ボスもちゃんとリポップするって話だから、大丈夫だろ、多分」
 マンイーターのような特殊な背景を持つボスであれば、一度倒せば二度と復活はしない可能性もあるが、ゴブリンの親玉程度ならば別の個体がボスになるという設定でリポップするだろう。
 これまでの狩りで、エリートゴブリンに関してはゲーム内時間で六時間経過すればリポップする事が判明している。
 それより時間はかかるだろうが、ボスゴブリンもちゃんと復活すると見て間違い無いだろう。

「……休憩は終わりだ。巡回が来るぞ」
【テリトリーサーチ】の範囲内に気配を感じ、盾と剣を構えて立ち上がる。
「数は?」
「四匹。いつも通り分担しよう。タゲは任せる」
「おっけ」
 身体強化SAをかけなおし、坑道を進む。
 やがて前方から耳障りな声が聞こえてくる。
『【ナイトミスト】』
 周囲一帯を暗闇で包む神術スキルの特殊技能SAを使用し、ゴブリンの群れの視界を奪う。
 しかし【ナイトサイト】と【夜目】のある俺達には影響は無い。
 メリルが漆黒の霧の中を疾走し、二匹のゴブリンを殴り飛ばす。
「そっちよろしく」
「了解」

 俺は残ったゴブリンとメリルの間を遮るように立ち、二匹のゴブリンを纏めて斬り付ける。
 前方百八十度範囲内の敵に攻撃を加える【ワイドスラッシュ】により、視界を奪われ満足に防御行動の取れないゴブリンは大きく体力を削られる。
 最早同時に複数の敵を相手にするのも慣れた物だ。
 最初はどうしても片方に意識が行き過ぎて、もう一方の敵から手痛い一撃を貰いがちだった。
 しかし、神術スキルを上手く併用する事で、今ではほとんどダメージを受ける事無く複数を同時に相手にする事が出来る。
 視界を奪われ、でたらめに剣を振るうゴブリン達は、お互いの攻撃でお互いに被害を斬り付けていた。
『【ダークネスボルト】』
 一度距離を取り、遠距離から高火力神術SAを放つ。
『ギィィッ!!』
 飛来する五本の矢を受け、ゴブリンの片割れは絶命した。
『オ、オノレ!』
【ナイトミスト】の効果が切れたのか、ゴブリンがこちらを濁った目で睨み付けてくる。
 盾を構え、相手より先に動き距離を詰める。
 慌てたゴブリンの不用意な一撃を【シールドバッシュ】で弾き、【ステップインスパイク】で止めを刺す。
 ゴブリン一体を倒すにしても、随分と手数が減った。
 これもスキルとステータスが上昇した恩恵か。
 メリルも既に一体を片付け、もう一体も虫の息だ。
 壁際に座って祈りを捧げ、体力とディバインエナジーを回復しながらメリルの戦闘が終わるのを待つ。

 回復を終えて再び坑道の奥を目指す。
 先程戦闘を終えた場所から少し進んだ所で、前方に複数の気配を感じる。
「……この先、採掘場みたいだぞ。気配が多い」
「え?ボスの部屋ってこと?」
「そういう雰囲気じゃないが……まぁ行くしかないか」
【テリトリーサーチ】で感じる気配は、途中の分岐の先にある採掘場の物に似ているが、今回は分岐が無い。
 慎重に歩を進めると、その先にあったのは、やはりこれまでの採掘場と同じ光景だった。
 壁際では多くのゴブリンの作業員がツルハシを振るい、中央には武装したゴブリンを両脇に侍らせたエリートゴブリンが佇んでいる。
「完全に採掘場じゃん。分岐見逃した?」
「いや、いくらなんでも見逃すはずはないだろ……見ろ、あれが奥に続く通路じゃないか?」
 今俺達が広間を覗き込んでいる場所から、エリートゴブリンを挟んだ反対側に通路がある。
「ここを抜ければボス部屋かな?」
「可能性は高い。とりあえずあのエリートは無視しよう。片側の壁際のゴブリンを倒して奥の通路までいくぞ」
 本当にリアリティを追求するなら、侵入者を発見したゴブリンが周囲の仲間を呼びそうな物だが、さすがにそんな事をされてはゲームにならない。
 基本的にモンスターに設定された探知範囲より外であれば、近くでどれだけ派手な戦闘をしようとリンクする事は無い。
 俺達は壁際で採掘しているゴブリンを釣りながら一匹づつ始末していく。
 ツルハシを持ったゴブリンの作業員は戦闘スキルが低いので、呆気なく倒す事が出来る。
 壁際に十体程いたゴブリン作業員を始末して、奥へと続く通路へと踏み込む。

「なんか雰囲気違うね」
「これは……とうとうボスかもしれないな」
 壁際に等間隔に設置された篝火に照らされた通路を進む。
 真っ直ぐな一本道の通路には、ゴブリンの気配は無い。
 感じるのは前方、一つの強い気配だけだ。
「いるぞ……かなり強そうな奴が」
「当たりだね」
 五十メートルほどの通路は、これまでにあった採掘場の半分程度の広さの空間に続いていた。
 その広間の奥、岩を掘り出して作ったような椅子に座るのは、エリートゴブリンを遥かに上回る巨躯。

『闇ノ民カ』
 こちらに気付いたボスゴブリンが立ち上がる。
 明らかに他のゴブリン達とは違う。
 細身の長剣を片手に持ち、巨大な盾を構えている。
 他のゴブリンの粗末な鎧とは違って、装飾が施された立派な鎧に身を包んでいる。
 周囲にはエリートゴブリンやゴブリンはいない。
 俺は身体強化SAを掛け直し、メリルを通路に残して、一人で広間へと踏み込む。
「護衛でもいるかと思ったが、一匹だけか。やり易くていい」
『フン、自分ヨリ弱イ護衛ナド何ノ意味モ無イダロウ。貴様コソ一人デ我ニ挑ム気カ?無謀デアルト言ワザルヲ得ンナ』
 俺は盾と剣を構え、神術SA【カースオーラ】を使用する。
 ゴブリンチーフソードの刀身に影が絡み付く。
 武器に闇神の加護を付与し攻撃力を上げる神術スキルだ。
『我ガ名ハ、ラガナム。名乗レ、闇ノ民ヨ』
「ガイアスだ」
『ガイアス。カ弱キ身デヨクゾ此処マデ辿リ着イタ。敬意ヲ持ッテオ相手シヨウ』

 ラガナムと名乗ったボスゴブリンと俺は、同時に地を蹴る。
 相手は重戦士らしく、見た目通りの鈍重な動きだ。
 しかし、
『ヌウウウゥゥアアァァァァッ!』
 こちらの動きなどお構いなしといった勢いで振るわれる長剣。
 凄まじい速度で繰り出されたそれを盾でガードする。
 しかし、盾を通して全身を叩く衝撃は凄まじく、数メートル吹き飛ばされた。
『アレヲ受ケテ堪エルカ。呆気ナイ幕切レノ心配ハ必要無サソウダナ。安心シタゾ』
「随分お喋りな奴だな」
 防御したにも関わらず目減りしているライフゲージに舌打ちし、再び盾を構える。
『クハハ、部隊ヲ束ネル身ダ、相応ノ知性モ無ケレバ務マラン』
「そうか、よ!」
 ラガナムがお喋りに興じている間に詠唱を終えた【ダークネスボルト】を放つ。
『ホオ、忌マワシイ神ノ力カ』
【ダークネスボルト】の五本の矢はラグナムの正面に翳された大盾に突き立つ。
 だがそれでいい。
【ダークネスアロー】は囮、本命はこちらだ。
『タダ闇雲ニ放ッタ所デ無駄打チダ、ゾッ!?』
 盾を下げたラグナムの顔面に、俺が投げた盾が直撃する。
【シールドスロー】。
 装備している盾をフリスビーのように投げて攻撃するSAだ。
 当然投げた盾は装備から外れるが、重い盾であればあるほど威力は増加する。
 軽量化されているとはいえ、タワーシールドの重量は相当な物なので、かなりのダメージを期待できる。
【シールドスロー】発動と同時にゴブリンチーフソードを両手持ちに構え疾走する。
『ヌ、ウゥ、小癪ナ手ヲッ!』
 体勢を立て直しきれていないラガナムは、疾走する俺を見据えると、盾を構え防御体勢を取る。
 それも予想通り。
 俺は両手剣SA【ガードブレイク】を使用する。
【ガードブレイク】は防御体勢の相手に使用した場合、相手の防御体勢を解除する。
『クオッ!?』
 防御体勢を解除され、無防備に身体を晒すラガナムに【ガードブレイク】からの連携技【エクスキューション】を叩きこむ。
 相手の脳天にジャンプ斬りを見舞う【エクスキューション】は、モーションが長く、モーション中に攻撃を受けると被ダメージが増加するというデメリットがある。
 しかし単純に攻撃力が高い上に、ガードブレイクが決まった後に使えば確実にクリティカルになる大技だ。
『ガァァッ!!』
 頭部への大ダメージにたたらを踏むラガナム。
 しかし、雑魚が相手であれば【シールドスロー】に【エクスキューション】の時点で絶命している筈だ。
 だが未だに立っているというのは、流石ボスクラスモンスターと言う事か。

 傍らに落ちているタワーシールドを拾って再び構える。
「あれを食らって立っているとは、呆気無い幕切れの心配はしなくていいようだな?」
 俺の皮肉に、ラガナムは凶暴な笑みを浮かべる。
『クハハッ、無論ダ!』
 再び繰り出されたラガナムの一太刀を、腰を落としてガードする。
 先程の一撃程の威力は無い。
 しかし、それでも防御の上から僅かにダメージを食らう。
 竦む身体を奮い立たせて【シールドチャージ】を発動。
 硬直するラガナムに【ファストスラッシュ】の上位SA【ソニックスラッシュ】を見舞う。
 ただ早く武器を振るうだけの【ファストスラッシュ】とは違い、攻撃速度は更に強化され、ダメージ倍率も高い。
『グウッ!グハハハ!ガイアストイッタカ?弱キ民ノクセニ、ヤルデハナイカ!』
 大振りに振るわれる長剣の射程内からバックステップで距離を取り、【シャドウアロー】を放つ。
 攻撃動作中のラガナムにこれを防ぐ手立ては無く、胸に漆黒の矢が突き立つ。
『ギィィッ!コレシキノ矢デ止メラレルト思ウナ!』
 しかし臆した様子は見られず、ラガナムは地を蹴り間合いを詰めてくる。
 迫り来るラガナムの前に盾を翳す。
 しかし予期していた衝撃は来ない。
「ッ!」
 バキン、と何かが砕けるような音と共に、翳した盾が跳ね上がる。
 これは、ガードブレイク……!
 弾かれた盾の向こうには、凶悪な笑みを浮かべるラガナムの濁った目。
 次の瞬間、脇腹に凄まじい衝撃が走る。
「ぐぅ……はっ……」
 ラガナムの一撃を無防備な脇腹に受け、ライフゲージは一気に六割以下に減少していた。
『コレデ五分カ?ダガマダ終ワランゾ!』
 大ダメージの衝撃に竦む身体で、ラガナムの猛攻を必死で捌く。
 盾で防ぎ、剣で受け、なんとか凌ぎ切り、体勢を建て直すためにバックステップで距離を取る。
『逃ガサンッ!』
 距離を取られるのを嫌ったラガナムが跳躍し距離を詰めてくる。
 ラガナムが武器を振り上げた瞬間、奴の全身に絡み付く影の鎖。
『ヌゥッ!コンナ脆弱ナ鎖デ我ヲ縛レルト思ウナッ!』
 しかし【シャドウバインド】は格上が相手では本来の効果時間が期待できない。
 ラガナムの動きも一瞬鈍った程度に過ぎない。
「充分だ!【ステップインスパイク】!」
 鈍った一瞬を逃さず、隙の出来た腹部への突き技。
 身体を貫かれ、苦痛に顔を歪めるラガナム。
『舐メルナッ!コノ程度デ竦ム我デハナイッ!』
 密着した状態から長剣が振るわれる。
 かわせる距離ではない。
 かわす必要もない。
「【オーラバースト】ッ!」
 刀身を包む漆黒のオーラを炸裂させる【オーラバースト】により、ラガナムの身体を貫く剣が傷を焼く。
『グウウゥゥゥオオオオォォォォッ!!』
 黒い炎に包まれたラガナムは、ブンブンと炎を払おうとするかのように両手を振り回し、やがて膝から崩れ落ちた。
『ググ……クク、ハハハ……悪ク無イ闘争デアッタ』
「そうだな」
 全身を焼かれてなお、よろめきながらも立ち上がったラガナムに歩み寄り、胸を剣で貫く。

『然ラバダ、闇ノ戦士ヨ』
 ラガナムの絶命に、システムアラートが重なる。

【封印スキル【一騎当千】の開放条件【ボスクラスモンスターの単独撃破】が達成されました】
【開放条件の達成により、封印スキル【一騎当千】が開放されました】
【封印スキル【一騎当千】の開放により、一騎当千スキルのスキルアーツ【決闘】を習得しました】



[11997] 第十九話 エンチャント
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/18 21:38
【封印スキル:一騎当千】
 開放条件:ボスクラスモンスターの単独撃破
 この封印スキルは、闇の民四種族のみ開放可能。
 修練方法:非パーティー時、非共闘時の単独戦闘を通じて上昇する。
 効果:非パーティー時であり、かつ非共闘時において、全ステータスの上昇効果を得る。
 スキル値の上昇により、ステータス上昇効果が増加する。
 パーティー時、又は共闘時にはステータス上昇効果は得られない。


【決闘】
 詠唱時間:0sec
 再使用時間:0sec
 効果:スキルアーツ使用後、非パーティー時、かつ非共闘時に追加のステータス上昇効果を得るパッシブエフェクトが発動する。
 効果中にパーティーに参加、又は共闘状態へと移行した場合、全ステータス減少の状態異常を受ける。
 この状態異常は【決闘】の効果を解除しても、戦闘状態が継続する限り解除されない。


「ボスソロ撃破おめー。解体しないの?」
 ラガナムを倒した後、システムブックを開いて新たに開放された封印スキルについて確認していると、メリルから声を掛けられた。
「見てみ」
 メリルにシステムブックの一部を指し示す。
「何?……封印スキルの開放、ってマジ?初封印スキルじゃん!」
「ああ。しかもこれやばいぞ。闇の民始まったな」
 遂に開放された初の封印スキル【一騎当千】は、闇の民専用のスキルで、ソロでの戦闘時に全ステータスが上昇する。
 一騎当千スキルSA【決闘】と併せればかなりの効果がありそうだ。
 未だ一騎当千スキルのスキル値が0.1なのでステータスがどれだけ上昇するのかはわからないが、これがあればかなりボス戦が楽になるだろう。
「スキルでステ上昇して、SAでもステ上昇って、ただでさえ闇の民のステータス最大値高いのに、いいのかな?」
「けど、高いって言っても素の状態じゃ光の民の倍程度しか無いんだから、これくらい無いと後半のボスソロとか無理だろ?メリットばかりって訳でもないしな」
 一騎当千スキルの効果も、【決闘】の効果もソロ限定、しかも【決闘】使用中に共闘ペナルティが発生したら追加で状態異常まで受けてしまう。
 ただでさえ辛い共闘ペナルティに、同じ効果の状態異常まで受けるとあっては、気楽に使用できるSAではない。
「【決闘】に関しては完全にボス用だな。それも絶対に邪魔が入らないと確信できる時以外は怖くて使えたもんじゃない」
「けど、ボス用でも有難いよね。やっぱ一番死ぬ可能性高いのボス戦だし」
「そうだな。ラガナムにガードブレイク食らった時はマジ死ぬかと思ったしな」
「私もあれは死んだんじゃないかと思った。ていうか最後なんてらしくなかったよね。SAとかボイスコマンドで発動してたし」
「そうだったか?覚えてないな」
 思い返せばかなり無茶な戦い方をしたものだ。
 ボス相手に盾を投げたり、大ダメージ食らった後回復もしないで戦い続けたり、最後なんてほとんど捨て身の特攻だった。
「ま、生きてるから問題無い」
「死んでたらこんな事言ってらんないっつの。それより解体しないの?折角倒したのに、死体消えちゃうよ?」
「おっと、そうだった」

 剣と盾を収め、ダガーを取り出しラガナムの亡骸に刃を当てる。
 戦利品は【ゴブリン部隊長の紋章】と、【輝く鉄鉱石】が五個。
 そしてラガナムの亡骸が光の粒として消えた後、床に残されたラガナムが使用していた大盾【ゴブリンリーダーシールド】。
「その盾結構いいんじゃない?」
「ああ。ステータスギリギリだけど何とか使えるな。悪くない……ん?」
 ゴブリンリーダーシールドの詳細を表示すると、防御率や要求ステータスの項目の下に【????】と表示されている。
「なんか特殊な効果でもあるのかも」
「鑑定が必要なアイテムって事か……鑑定スキルなんてあったか?」
「誰かNPCがやってくれるとかじゃない?」
「エドワードあたりがやってくれれば話は早いんだけどな。一応鑑定しなくても普通に使えるみたいだな」
 未鑑定状態でも装備する事は出来るようだ。
 しかし性能は申し分無いと言っても、ずっとこのままというのも気になって仕方ない。
 基地に戻ったら鑑定する手段を探さなくては。
「他のアイテムは……輝く鉄鉱石ってのはレア生産素材っぽいな。この紋章は売れるのか?」
 キューブから【ゴブリン部隊長の紋章】を取り出して眺めていると、システムアラートがクエストの発生を告げる。
「何?」
「クエが発生した。この紋章を持って騎士団長の所へ行けだとさ」
「報酬は?」
「10sと、宿命値100増加だ」
「わお、これ繰り返し出来たらお金と宿命値楽に稼げるじゃん」
「楽にってお前……これボスのドロップアイテムだぞ?」
「けど、現時点では一番まともな宿命値稼ぐ方法じゃない?」
「確かにそうだけどな……」
 しかし、ラガナムとの死闘の果てに得たアイテムを指して楽にと言われるのは複雑な心境だ。
 確かに他にまともな宿命値を稼ぐ方法が無い以上、これが一番効率的なのは間違い無いんだが……。
「そんな事言ってあっさりボスにやられたら笑えないぞ」
「うっ……変なプレッシャーかけないでよ」
「プレートアーマーの上から一気に三割近くライフもってかれたからなー。メリルさんの紙装甲じゃ一発で危ないんじゃないですかね……」
「あ、当たらなければどうということはない……はず」
 回避型は回避性能を高めるための軽装故に、一撃を食らった時のダメージが甚大だ。
 メリルならば全ての攻撃を避けてもおかしくはないが、ボスが相手となれば、万が一という事もあるだろう。
 神術スキルの自己強化SAがあれば一撃で死ぬという事は無いだろうが、相手を甘く見てキャラロストされても困る。

「まあ、暫くはこのボスの広間周辺でゴブリンでも狩って時間潰すか。ボスのリポップ時間も調べたいしな」
「そうね。私も早く一騎当千スキル欲しいな」
 腕を回しながら通路へと戻るメリル。
 俺はラガナムが座っていた椅子を一瞥し、呟く。

「然らば、ゴブリンの戦士」

 感傷的な己の呟きに苦笑し、メリルの後を追う。



 ボスゴブリンのリポップはゲーム内時間で十二時間だった。
 エリートゴブリンのリポップが六時間なので、その倍以上はかかるだろうと、予想はしていた。
 しかし、ラガナムがやけに個性的だった事もあって、十時間を経過した頃から、もしやリポップしないのではないかと不安を感じていたが、杞憂だったようだ。
 しかし、新たに沸いたゴブリンのボスはラガナムではなく、別の名前を名乗り、長剣と大盾というスタイルではなく、身の丈程もある大剣を持っていた。
 どうやら「ゴブリンの部隊長」にも色々なパターンがあるようだ。
 正直長剣と盾を使うラガナムは、俺とスタイルが被っていた事もあって少しやりにくかったのだが、新しくリポップしたボスはメリルと相性がいいようだ。
『ヌウウウウッ!チョコマカトッ!』
 まるで暴風のように振るわれる大剣だが、その悉くをメリルは密着状態でかわしながら拳を叩きこんでいく。
 攻撃速度の遅い大剣使いは、回避特化のメリルが最も得意とする相手だ。
『オノレェェェッ!』
 強烈な打撃を受けたたらを踏んだゴブリンが、身を沈め身体を捩る。
 両手剣術SA【ワールウインド】。
 その場で大きく大剣を振るい全方位を斬り伏せる大技だ。
 本来ならば多数の敵に囲まれた状態で使用する技だが、ちょこまかと動き回るメリルを捕らえようと放った苦肉の策だろう。
 メリルはボスゴブリンに追撃をかけようと走り込んでいた所だった。
 バックステップでかわすには勢いが付きすぎていたし、左右にかわしても大剣の範囲から逃れられるタイミングではなかった。
 メリルの身体を捉えたかと思われた一撃だが、ボスゴブリンの一撃は当たらない。
 高く跳躍したメリルの爪先を、【ワールウインド】が掠める。
「【スーパー稲妻キック】!」
 メリルの高らかな宣言と共に、激しい雷光を纏った蹴りがボスゴブリンの頭を捕らえる。
『ギィィィィッ!』
 蹴りの炸裂と共にボスゴブリンの身体を稲妻が焼く。
『ギ……オノ……レェッ……』
 二三歩後退さったボスゴブリンは、糸が切れたように地に倒れた。
「ふぅっ……一騎当千ゲット!」
 大きく息を吐き、高らかに拳を突き上げるメリル。
「お疲れ。余裕だったな」
 早速ダガーを取り出し戦利品を回収するメリルに歩み寄る。
「余裕じゃないっつの。一撃貰ったらやばいと思って必死だったんだから」
「それであんな危ない戦い方が出来るんだから呆れるよ」
「呆れるとか言うな」
 ガンと音を立ててメリルの拳が二の腕の装甲を叩く。
「で、何が出た?」
「紋章は出たよ。あと鉄鉱石も。けど装備は私が使える奴じゃないなぁ。ボスが持ってる装備をドロップするみたいだね」
 地面には先程ボスが振るっていた大剣が消えずに残っている。
「ガイ、これ使う?あんたたまに両手持ちにするし、持ってても悪くないんじゃないの?」
「いいのか?」
「私使えないもん。その代わり次格闘武器ドロップしたら頂戴」
「悪いな」
 メリルから手渡された巨大な大剣を軽く振って見る。
「これも未鑑定だけど、使えるな」
「次のリポップは十二時間後かぁ。補給もしたいし、一度基地に戻らない?」
「そうだな。ここ暫くは篭りっぱなしだったから、そろそろ戻らないとやばいな」
 俺とメリルは、廃坑の出口を目指す。
 ボスを撃破した今、ただの雑魚ゴブリンに遅れを取る理由は無い。
 かつてないペースで廃鉱を踏破し、前線基地へ向かう。



 前線基地へと戻る途中、森の中を歩く初期装備のプレイヤーの姿がちらほらと見受けられる。
「なんか初期装備プレイヤー多いね」
 システムブックを開きリアルの日時を確認する。
「二次出荷でAGを購入した新規プレイヤーだろうな」
「あー、そっか。今日から新規プレイヤー登録受付開始だっけ」
「あれだけ闇の民は不遇って情報が出回っても新規はいるもんだな」
「正式初日から続けてるうちらが言えた事じゃないけどね」
「確かに」
 何にせよ、プレイヤーが増えるのは良い事だ。
 狩り場が混雑するのは勘弁してほしいが、既に先行している俺達と彼らの狩り場が被るのはもっと先の話だろう。
 ここの所のプレイヤーの減少で、本当のゴーストタウンになりかけていた前線基地が活気付くのは喜ばしい事だ。
「果たして彼らの内何人が脱落するのでしょうか」
 不吉な事を呟くメリルに苦笑しながら、前線基地の門を潜る。


 俺達はまず最初に、部隊長の紋章を届けるために騎士団を訪れた。
 門番に誰何されたものの、隊長に用があると言ったらすんなりと通してくれた。
「門番の意味あんのかな、あれ」
「まぁ、そういう演出なんだろ。素通りってのも味気ないしな」
 どうやら先客がいるようで、隊長室の部屋の前でしばらく待たされる。
 数分して部屋から出てきたのは、初期装備に身を包むプレイヤー。
 俺達のそれなりにごつい装備を物珍しそうに眺めていたプレイヤーに手を振るメリルを引っ張って隊長室に入る。
「おや、傭兵隊の……それと冒険者ギルドの方ですね。今日はどういったご用件ですか?」
 ソファに腰を下ろし、【ゴブリン部隊長の紋章】を差し出す。
「これは……貴方達、これを何処で?」
「アーカス廃鉱の奥にいたゴブリンの隊長を倒した際に手に入れた物です」
「それは素晴らしい。部隊長を倒しても頭がすげかわるだけとは言え、彼らの戦力を大きく削ったのは間違いありません。良くやってくれましたね。貴方達の手柄に報いるには少々小額ですが、受け取って下さい」
 10sが入った小袋を受け取ると、クエストが完了し宿命値の増加ログが表示される。
「あの、もしまた紋章を持ってきたら?」
「頼もしい言葉ですね。もしまた部隊長を倒したらまたいらしてください。報酬をお渡ししますよ」
「ありがとうございます。がんばります」
 隊長に一礼して席を立つ。
「ああ、隊長さん。例の北の遺跡の巨大モンスター、どうなりました?」
 ここ暫くは廃鉱にかかりきりで新しいクエストを確認していなかった。
「ああ、あれは被害の規模から我々では手に余ると判断したもので、本国に騎士団の増援を頼みました。前線基地に詰める騎士団の増員も必要でしたので、それと併せて」
「なるほど。では傭兵隊の出番はありませんか」
「そうなりますね。ここの所傭兵隊と冒険者の皆さんに頼りきりでしたので、今回の件は多少無理をしてでも騎士団で処理したかったのです。気に病んでいらしたのであれば、申し訳ない事をしてしまいましたね」
「いえ、そういう事であれば仕方ありません。では失礼します」
 一礼して隊長室を後にする。
 外の通路には、何人かの初期装備のプレイヤーの姿。
「やっぱ皆最初におつかいクエやらされるのかな?」
 通路に並ぶビギナープレイヤーに視線を送りながら呟くメリル。
「多分な。同じ内容ではないとしても、似たようなクエが発生するんだろ」
「そういうとこはやっぱりネトゲだよねぇ。色々リアルだからたまに忘れちゃうけど」
「忘れて楽しめるなら良い事なんじゃないか」
「なるほどね。んじゃ、次は?」
「武器屋に行こう。エドワードに鑑定できるか聞かないと」
 騎士団を後にした俺達は、エドワードの店へと足を向ける。


「武器の鑑定で御座いますか。確かに商売柄、装備品の目利きには多少の自負がございますが……見せて頂けますかな」
 ボスゴブリンのドロップ品を渡すと、エドワードは細部を確認するように眺める。
「ほう……ゴブリンの部隊長が使っていた武器ですか。なるほど、なかなかの品ですな」
 やがてエドワードは小さく首を振る。
「武器そのものの目利きであればご期待に添えたでしょうが、これは私の手には余りますな。エンチャントがかかっておりますが、魔術の素養のない私には如何様な効果が付与されているのか判りかねます」
「エンチャント?」
「呪術師が武具に付与する力の事で御座います。そうですな、魔術具店を営んでいるメイサであれば、エンチャントの効果がわかるやもしれません」
「なるほど。行ってみるよ、ありがとう」
「お力になれず申し訳ありません。しかし、エンチャント付きの武具を用いられるようになりましたか。そうなると、当店の武具では既に力不足ですな。ですが、何かあればまたいつでもお越し下さいませ」
「ああ、また来るよ」
 エドワードに礼を述べ店を後にする。


 魔術具店を利用するのは初めてだ。
 メリルは魔術スキルを取っていないし、俺も魔術スキルは40.0まで上げただけで、新しいSAは習得する金もなかったので縁がなかったのだ。
 魔術具店は、大通りに面しており、周囲の店と比べると如何わしい雰囲気を放っている。
 店の中に入ると、薬品じみた鼻を突く香りが漂っている。
「いらっしゃいまし。何をお探しかしら?」
 メイサと名乗った店主は、透けるような白髪を床に着くほど長く伸ばした妙齢のダークエルフの女性だった。
「これに掛かっているエンチャントについて調べて欲しいんだが」
 軽く大盾を掲げると、メイサは目を細める。
「鑑定でございますか。一品につき50cを頂いております」
 1sを支払い、大剣と大盾をカウンターに置く。
「あら、これは珍しい。掛かっているのはオーク共の呪術ですわね」
「オーク?これはゴブリンが持っていた物なんだが」
「ゴブリン共にこのような物を作る技術は御座いませんわ。彼らの武器は須らくオークの手によって作られた物ですわね」
 メイサは大盾と大剣を受け取ると、軽く手を翳す。
「大剣に付与されているエンチャントは【重量軽減】。文字通り武具の重量を軽くさせる効果がありますわ。といっても、実際の重さが減る訳ではありませんから、性能には影響しませんわ」
 差し出された大剣を受け取ると、驚く程軽くなっている。
「エンチャントは使用者がその効果を正しく理解していなければ効果は発揮されませんの。正しくは、エンチャントの効果を引き出すパワーワードを理解しているかどうか、ですけど。その大剣の場合、【重量軽減】がそのパワーワードですわ」
「だから未鑑定だと効果が発揮されてなかったわけか」
「こちらの大盾に付与されたエンチャントは【衝撃軽減】。防御した際の衝撃が緩和される効果がありますわ。どちらも効果自体は軽微な物ですが、武具の長所を引き出す悪くない品ですわね」
「なるほど。助かったよ、ありがとう」
「この程度何の事はありませんわ。またいつでもいらして下さいましね」
 扇で口元を隠し笑うメイサに礼を述べ、魔術具店を後にする。



 ポーションや応急薬、飲み水と食料の補充を終えた俺達は、再び鉱山地帯周辺の森へと分け入っていた。
『グギャァァァァ!』
 渾身の力で振るった大剣が、ゴブリンを一刀の元に斬り捨てる。
「うわ、一撃とか……」
 ゴブリンを軽くあしらっていたメリルが呆れたように呟く。
 俺達の近接スキルは、一つの山場である80.0を越えた事で、これまでの装備でも森をうろつくゴブリン相手なら苦も無く倒せるようになっていたが、まさか一撃で倒せるとは思わなかった。
「さすがボスドロップ武器。これなら大剣も悪く無いな」
 大剣を使っていては盾防御スキルは伸びないが、盾防御スキルは、武器で相手の攻撃を受ける際にも影響する。
 武器を使っての防御は、主に対応する武器スキル値に依存するが、盾防御スキルが高ければ成功率とダメージ減少率にボーナスを得られるのだ。
 盾防御スキルをマスターしたら、雑魚戦では大剣をメインに使うのも悪くない。
「いいなぁ……格闘武器出すボスがいなかったらどうしよう」
「祈るしかないだろ。それより【重量軽減】のかかった鎧とかあればいいんじゃないか?軽ければ回避に影響しないで防御力を高められるだろ」
「んー、あんまり重装備は好きじゃないんだよねぇ。ほら、コンセプトがモンクだし」
「胴鎧だけでも金属鎧にしたほうが安定すると思うけどな。まぁ拘りじゃ仕方ない」
「ていうか、【重量軽減】てそんなに軽くなるもんなの?」
「そうだな。かなり軽く感じるぞ。下手したら……」
 ふと思い立ち、片手で振ってみる。
 ……多少扱いにくさを感じる。が、問題無く振れる。
「これ片手持ちできるぞ」
「マジで?」
 大盾と同時に装備して構え、何度か振ってみる。
「今はなんとか振れる程度だけどな。もうちょっとSTRが伸びれば普通に使えそうだ」
 確かに片手武器を両手で持てるのであれば、能力値さえ満たしていればその逆が出来てもおかしくはないが、こんな馬鹿でかい大剣を片手で持つという発想は無かった。
 片手で扱えば当然攻撃力は落ちるが、それでも通常の片手剣とは比べ物にならない。
 むしろ片手剣では軽すぎて攻撃力に不満を感じ始めていた所なので、この発見は僥倖だ。
「重量軽減の効果もあるんだろうけど……これは良い拾い物だったな」
「出したのは私だけどね」
「感謝してるよ」
 貰いっぱなしは性に合わない。
 ボスを狩ってメリルの格闘武器を出さなければ。
 紋章で宿命値も稼げるし、廃鉱に篭ればすぐに大剣を片手で自在に操れるようになるだろう。
「行くか。早くボス狩ってメリルの武器も出さないとな」
「うし、んじゃガンガン行こうぜ!」
「まだリポップしてないけどな」
「十二時間は長いわー」
 口を尖らせて不平を言うメリルと共に廃坑へ向かう。

 闇の民は不遇だ。
 それに閉塞感を感じていたのも確かだった。
 しかし、今は違う。

 ボスをソロで倒した事による自信。
 封印スキルの開放による能力値の上昇。
 優秀な武器と、新しい発見による攻撃力の増加。
「何ニヤケてんのキモい」
 そして、口は悪くて手癖足癖の悪い女らしさの欠片も無い相方がいる。
 闇の民を選んだのは間違いではなかった。



[11997] 第二十話 魔鉱石
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/16 23:01
 ボス狩りを始めて十日程。
 倒したゴブリン部隊長は二十体近い。

「なああああんで格闘武器が出ないのよおおおおおお!」
 鬼神の如き形相で道中の敵を片っ端からなぎ倒していくメリル。
 メリルの現在の装備は【重量軽減】のかかったボスドロップの金属胴鎧に、ラウフニーの店で新しく買った鎧の上から着れるローブ。
 しかしグローブとブーツはボスに挑戦する前から使い続けているゴブリンチーフグローブとゴブリンチーフブーツだ。
「落ち着けって。あれだけ狩って出ないって事は、そもそも格闘型の部隊長がいないんだよ」
「納得いかない!納得いかない!ガイはもう全身部隊長装備なのに!なんで!」
 周囲の景色が歪んで見えるような錯覚さえ覚える怒気を放ちながら、メリルがこちらを半眼で睨んで来る。
「仕方ないだろ、重戦士型ばっかり出てくるんだから」
 現在の俺の装備は、武器から防具までがボスゴブリンのドロップアイテムだ。
 出てくるボスの殆どが重戦士スタイルであり、倒せば何かしら装備をドロップするので、俺の装備はかなり早い段階で揃った。
 ゴブリン部隊長はリポップするたびに名前と戦闘スタイルが変わる。
 二十体程倒した限りでは、長剣と盾、大剣、槍、両手槌、弓と短剣という戦闘スタイルを確認しているが、格闘型のボスはこれまで一度も現れていない。
 基本的にボスが装備している武具をドロップするので、格闘型のボスが出てこないのでは格闘武器のドロップは望むべくもない。
「うう……武器欲しい……レア欲しい……」
「レアって言うほど強くないだろ……そもそも倒せば確実にドロップするんじゃとてもレアとは……」
「ふん、全身レアに包まれてりゃ有り難味も薄れるでしょうよ」
 メリルは口を尖らせてそっぽを向く。
 二十歳になろうかと言うのに、まるで子供を相手にしている気分だ。

 しかし、実際使って見てわかったのだが、部隊長装備は言うほど強くはないのだ。
 もちろんエリートゴブリン装備と比べれば性能は高いが、所謂レア装備などと言われるほどの物ではない。
 良く言えばプチレア、悪く言えばゴミレア。
 あれば良いかな程度の装備でしかない。
 戦闘の効率にしたって、今の俺とメリルに大差はない。
 もちろん、自分が持っていない装備を欲しいというネトゲプレイヤーの欲求は理解できるが、そもそも存在しないのではどうしようもない。
 とは言え、メリルが完全に臍を曲げる前になんとかしないと、そろそろ身の危険を感じる。
 ぶちぶち愚痴りながら肩を落として歩くメリルを一瞥し、ため息を吐く。


 既に宿命値は紋章の報酬で上げられる限界まで上げてしまったので、換金をメリルに任せて、廃屋の壁に寄りかかりインベントリページを開く。
 アトラスでは、所持品は全てミスティックキューブと呼ばれる魔法の小箱に収納される。
 これは所謂四次元ポケットのような物で、どんな大きさの物でも収める事が可能だ。
 しかし、自分のSTRとVITに基づいた重量制限を超えると移動時や戦闘時にペナルティがつき、所持重量制限を超えると、それ以上収納する事は出来なくなる。
 重量ペナルティを受けて歩き回るのはSTRとVITを鍛える良い修行方法なのだが、普段はなるべくミスティックキューブ内のアイテムは整理しておくに限る。
 そろそろキューブ内を空けないと、近いうちにドロップアイテムの回収も出来なくなってしまうのだが、現在所持重量の大半を占めているアイテムは、どう処分した物かと頭を悩ませる代物なのだ。
 それは、ボスゴブリンのドロップアイテムである【輝く鉄鉱石】。
 生産スキルにペナルティが発生する俺とメリルでは、鉄鉱石を利用できる鍛冶スキルを修行する意味がないので、雑魚ゴブリンからドロップした鉄鉱石は全てエドワードに買い取って貰っている。
 しかし、この【輝く鉄鉱石】は、明らかに通常の鉄鉱石より価値がありそうだと言うのに、NPCの買い取り価格が通常の鉄鉱石と殆ど変わらないのだ。
 wikiなどで検索してみたものの、輝く鉄鉱石に関する情報は殆ど出回っていなかった。
 唯一得られたのは、通常の鉄鉱石よりも品質が良い素材アイテムであるという事だけ。
 ボスドロップであるだけに、もしかしたら貴重なレア素材ではと思って取っておいてあるのだが、はっきり言って良い加減邪魔になってきた。
 いっそペナルティ覚悟で鍛冶スキルを上げる事も考えたが、すぐ諦めた。
 生産設備自体は、アーカス村時代の物が残っているので、前線基地でも生産スキルを使用する事は可能だ。
 しかし、現在の前線基地には生産スキルのトレーナーがいないので、0.0から地道に生産をして上げなければいけないのだが、生産ペナルティのスキル値-30.0のせいでそれもままならない。
 ボスドロップとは言え、部隊長を倒せば必ず五個から十個はドロップするアイテムなのだし、活用出来ないのであれば、もう捨て値で処分してしまうべきだろうか。
 インベントリページの【輝く鉄鉱石】のアイコンを眺めながら唸っていると、遠くから何か硬いものを叩く様な音が聞こえてきた。
「おまたせー。はい分け前。何?どしたの?」
「いや、この音……」
 虚空を指差し、注意を促す。
 メリルは首を傾げて耳をひくつかせる。
「何この音」
「……あっちからだ。行ってみよう」
 俺達は前線基地の北西エリア、今は廃屋が並ぶ、かつてのアーカス村の生産者街へと向かう。


 音の発生源は、一件の廃屋だった。
 崩れかけたその廃屋からは、煌々とした明かりが漏れている。
 入り口から中を覗いてみると、熱気が顔を叩く。
 そこには、赤く燃える炉の傍らで、金床にハンマーを振り下ろす人影があった。
 金床の上で赤熱を放っている鉄の塊が、ハンマーで叩かれるたびに見る見る形を変えてゆく。
 あっと言う間に一本のロングソードとなったそれを、満足そうに眺めているのはグリーンスキンの男性プレイヤー。
 破壊神を祖に持つ闇の民は、基本的に生産活動に不向きだ。
 しかし、鍛冶スキルは唯一、闇の民でグリーンスキンの種族だけが適正を持っている。
 彼らは生産ペナルティなしで鍛冶スキルを習得する事が出来るのだ。
「ん?」
 ショートソードを傍らに立て掛けた男が、廃屋の入り口で彼の業に見入っていた俺達の姿を見止める。
「こんにちは」
 破顔して立ち上がった男が、廃屋から出てくる。
「何か御用かね?ああ、もしかして鉄を叩く音がうるさかったかな?」
 見上げるような巨体に丸太のような腕。
 いかにグリーンスキンと言えど、これ程の巨体のキャラクターを作るには、リアルでも相応の鍛え上げた身体が必要だ。
 禿頭と顔に刻まれた皺は、彼がかなりの年配プレイヤーである事を物語っている。
「いえ、うるさいとかじゃなくて、ただ何の音なのかなーって気になって」
 メリルが慌てたように説明すると、男は苦笑する。
「やっぱり気になる物かね。バスタニアではそこら中で金槌の音が響いている物だから、感覚が麻痺してしまったよ」
 バスタニアはグリーンスキンとダークエルフが中心となって建国した軍事国家で、ここ前線基地の騎士団もバスタニアの所属だ。
 鍛冶の才に恵まれたグリーンスキンを数多く擁しているため、大陸最大規模の武具生産国でもある。
「あなたは鍛冶職人なんですか?」
「ダルヴァだ。好きに呼んでくれていい。出来れば敬語もやめてもらえれば有難いな。ゲームの中でくらい歳を忘れたいからね」
「何歳なの?」
 メリルの不躾な質問にぎょっとするが、ダルヴァは気にした風も無く笑う。
「去年に定年退職して、今は悠々自適の身だよ」
「て、定年!?全然そんな風には見えないよ。ねぇ?」
「ああ……えらく体格もいいし、四十代と言われても信じるよ」
「ありがとう。若い頃から健康だけが取り得でね。先程の質問だが、君の言う通り俺は鍛冶職人をやっている。戦闘スキルも一応上げてはいるがね」
 そういって廃屋の壁に立て掛けられた巨大なハンマーを指す。
「ゲームなんて若い頃にやったきりで、仕事を始めてからはからっきしだったんだが、昔から日本刀とか、西洋の剣とか、鎧兜なんかが好きでね。自分で武器を作れると聞いて老後の趣味に始めるのもいいかと思って始めたんだ」
「鍛冶職人がなんで前線基地に?」
 確かに前線基地にはプレイヤーの生産者がいないので、それなりに稼げるだろうが、わざわざこんな辺境の地に来る程ではないだろう。
「バスタニアからここに派遣された騎士団に着いて来たんだよ。期間限定だが、お抱え鍛冶屋のようなものだな」
 先日騎士団隊長から聞いた、北の遺跡周辺の巨大モンスター討伐のために、騎士団の増援を呼んだという話を思い出す。
 どうやらダルヴァはその騎士団と一緒に前線基地に移ってきたようだ。
「騎士団の専属鍛冶師って、宿命値かなり高くないと受けられないんじゃないの?」
 基本的に騎士団に関するクエストというのは宿命値が高くなければ受けられない。
 前線基地のちょっとした依頼程度であれば俺達でも受けられるが、騎士団専属の鍛冶師ともなれば相当宿命値が高くなければなれないはずだ。
「職人ギルドのクエストをこなしていると、騎士団や国から生産依頼を受けられるようになるんだが、それの宿命値報酬がかなり良くてね。今は宿命値1500を少し超えた所かな」
 初期宿命値が比較的高めのグリーンスキンとはいえ、闇の民で宿命値1500超えというのは驚異的だ。
 しかし、それだけあれば騎士団専属になれるのも頷ける。
「けど、騎士団の専属とか大変そうだなぁ」
「お抱えと言ってもそれほど行動が束縛される訳じゃないからね。かなり報酬のいい依頼が受けられるし、それに別件でも前線基地に来ようと思っていた所だったから丁度良かったんだ」
「別件?」
 首を傾げるメリルに、ダルヴァは周囲を見回し声を潜める。
「出来ればこれはあまり言い触らさないで欲しいんだが、ここの南西にある廃鉱で魔鉱石が取れるらしいんだ」

 ダルヴァが言うには、魔鉱石とは長い年月を掛けて地脈を流れる魔力が溶け込んだ特殊な鉱石らしい。
 アーカス廃鉱に、鉄鉱石の魔鉱石が埋まっているという情報を得たので、真偽を確かめるために前線基地に来たのだという。
「鉱石知識スキルの修行のためにバスタニアの図書館で調べ物をしている時に、偶然その記述を発見したんだ。未だ魔鉱石は市場には全く出回っていないから、それで一本武器を打ってみたいんだよ」
 どうやらダルヴァは純粋に珍しい素材で武器を作りたいだけらしい。
 レア素材を使った装備であれば、売ればかなりの金になりそうなものだが。
「けど、廃鉱はゴブリンの巣窟になってるから、一人で採掘しに行くのは大変かもよ」
「そうだな。レア素材求めてそこらじゅう掘り返すとなったら、片っ端から敵を倒さないとならないだろうし」
 採掘作業がどのようなものかわからないが、廃鉱内の敵を片っ端から倒すとなるとかなりの労力だ。
 それも生産スキル持ちの鍛冶戦士ではゴブリンエリートを相手にする事になれば、一対一でも危ういだろう。
「このあたりの敵は他所と比べて強いとは聞いているが、そんなに危険なのか?」
「いやぁ、私達は最初から前線基地スタートだから、他所との違いはわからないかな。それに、開始してすぐにペア組んでやってたし、そこまで苦労はしなかったけど……」
「開始してからこっち、大規模掲示板で「闇の民無理ゲーすぎ」って書き込みを見ない日は無いからな。初期からペアでやってる俺達も何度か危ない目にあってるし」
「なるほど……予想はしていたが、やはりそう簡単には手に入りそうにないな」
 思案するように腕を組んで唸るダルヴァ。
「あ、そうだ。最近廃鉱に行くプレイヤーも増えて来てるし、鉄鉱石買い取りますとかやってみたら?ゴブリンも鉄鉱石ドロップするし、もしかしたら魔鉱石ってのも混じってるかも」
 しかし、ダルヴァはメリルの提案に首を振る。
「いや、俺ももしかしたらと思って中央区で鉄鉱石の買い取りをやってみたんだが、プレイヤーが持ってくるのは全部普通の鉄鉱石だった」
「……ちなみに、その魔鉱石ってのはどんな物なんだ?普通の鉄鉱石とどう違う?」
「性質的には全く別物だな。魔力を含んでいるからエンチャントをしやすいし、武器としての性能も格段に良い物になる。後は……そうだな、魔鉱石は普通の鉱石よりも輝いて見えるそうだ。実物は見た事ないが、本の記述にはそうあった」
 ……輝いている、鉄鉱石?
「それは……もしかしてこれの事だったり?」
 俺の言わんとしている事を察したのか、メリルが【輝く鉄鉱石】をダルヴァに差し出す。
「……ちょっと失礼」
 暫し呆然と【輝く鉄鉱石】を見つめていたダルヴァは、割れ物を扱うようにそっと摘み上げる。
 たっぷり数十秒【輝く鉄鉱石】を見つめていたダルヴァは、信じられないと言った表情で顔を上げる。
「……魔鉱石だ。君達、これを一体どこで?」
「アーカス廃鉱の最深部にゴブリンのボスがいる。そいつがドロップするんだ」
「むぅ、ボスのドロップなのか……となると自力で集めるのは余計に絶望的だな……いや、もしかしたら廃鉱を掘れば手に入れる事も……」
 ダルヴァは目を輝かせていたが、ボスドロップと聞いて再び渋い顔になった。

「ねぇ、装備作るのって鉱石何個位必要なの?」
 メリルの問いに、ぶつぶつ呟きながら俯いていたダルヴァは顔を上げる。
「ん?ああ、そうだな……作る物によってかなり必要な素材の数は変わってくる。ダガーであればインゴット二本程度、鉱石だと四個だな。大剣であれば大型の物ならばインゴットで三十本近く使う物もある」
「じゃあ格闘武器は作れる?」
「格闘武器は、厳密には防具のカテゴリーだな。俺は刀剣と鈍器が専門だが、一通り熟練度は上げてある。依頼があれば作るが」
 生産スキルは、スキル値の上昇と共に製作出来るアイテムの種類が増えていく。
 そして、生産品は様々なカテゴリーに分かれており、それぞれに熟練度が設定されている。
 刀剣を作り続けても、必要な技術が違う鈍器や防具では品質の良い装備は作れないという訳だ。
「格闘武器はボスドロップで手に入らないんだよね。もし作ってくれるならお願いしたいんだけど」
「それは構わないが……魔鉱石でか?グローブとブーツで今作れる最高の物となると、かなりの数が必要だが」
「七十個で足りる?」
「結構な数だな。しかし、インゴットにすると半分になってしまうからな。少し足りない」
「こっちに八十個ある。それでいけるだろ?」
「ああ、それだけあれば十分だ。だが、確認したい事がある。ちょっと待ってくれ」
 ダルヴァは魔鉱石を受け取ると廃屋の中へと入って行った。
「ガイ、いいの?」
「ああ、俺はボスドロップ装備があるからな」

 暫くして、ダルヴァが戻ってきた。
「予想はしていたが、やはり魔鉱石を素材にすると製作難易度が跳ね上がるようだ。もう少し熟練度を上げれば高品質が出来る目もあるが、急ぐのか?」
「メリル、どうする?」
「んー、良い武器が手に入るならもうちょっと我慢する」
「良いのか?あれだけ新しい武器が欲しいって騒いでたのに」
「ふん、すぐにあんたの武器より良い奴が手に入るわよ」
 からかうように言うと、ローキックが飛んできた。
「では、依頼を受けた事だし、熟練度の修行のためにも鉱石を掘りに行きたいんだが。もしよければ、手伝ってくれないか?」
「手伝うって、私達採掘スキルなんて上げてないよ?」
「いや、掘るのは俺がやる。君達にはその間の護衛を頼みたい」
「俺達は構わないが、ダルヴァはいいのか?一応騎士団の専属なんだろ?」
「さっきも言ったが、お抱えと言ってもそこまで行動を制限はされないよ。ゲームだしな。気が向いた時に修理の依頼なり受ければ良いんだ」
「生産スキル便利そうだなぁ。裁縫とかやりたくなってきた」
「似合わねぇ」
「うるさい」
 俺の二の腕を殴るメリルを見て、ダルヴァは楽しそうに笑っていた。



 準備を済ませた俺達は、ダルヴァを連れて廃鉱を目指す。
 森の中を進んでいると、前方に二つの気配を感じる。
「メリル、正面に二匹だ」
「おっけー」
 剣と盾を構えると、背負っていた大槌を構えてダルヴァが前に出る。
「試しに戦ってみてもいいかな?」
「構わないが、ゴブリンは割と強敵だぞ」
「いいんじゃない?いざとなったら共闘ペナ覚悟で助けに入れば。今なら共闘ペナありでも勝てるっしょ」
「おい、一応強敵って言ってるのにそんな余裕かまされるとこっちの立場が……」
「気にしない気にしない!じゃ、私が先行して一発かますから、ダルヴァは私が殴った奴とは別のをお願いね」
「ああ、了解した」
 風のように木立の間を縫って疾駆するメリルと、それを追うダルヴァ。
「ったく、あのイノシシ娘め」
 苦笑して二人の後を追う。

「ぬうううううおおおおおおお!」
 ダルヴァが振るう巨大な両手槌がゴブリンの身体を捉えたかに見えた。
 しかし、ゴブリンは槌の直撃寸前に跳ぶ事で衝撃を殺していた。
 攻撃速度が速い片手剣や格闘術であれば、そうそうあのような避け方はされないが、攻撃速度の遅い両手武器でゴブリンを相手にする際は、あの素早い動きが厄介なのだ。
「がんばれー」
 早々にゴブリンを殴り倒したメリルが、巨大な槌を豪快に振り回すダルヴァに声援を送る。
 やはり、スキル構成のほとんどを生産スキルが占めているとあっては、ゴブリンは難敵だろう。
 だが、それでもダルヴァは致命的な一撃を巧みに防ぎ、じわじわとゴブリンを追い詰めている。
「結構やるもんだな」
「ほんとだねー。結構リアルでも鍛えてるみたいだしね」
「【クエイクスマッシュ!】」
 柄での打撃をゴブリンが回避した直後、地面に向かって振り下ろされた大槌が大地を揺らす。
『ギギィッ!?』
「ぬおりゃあああああああ!」
 突然の局地的な地震に足を縺れさせたゴブリンの身体を、今度こそ大槌が直撃する。
 吹っ飛ばされたゴブリンは木に叩き付けられ、地に崩れ落ちると二度と立ち上がる事はなかった。
「豪快だな」
 肩で息をするダルヴァの背中を叩くと、ダルヴァは苦笑する。
「こんな強い敵をあっさり倒すとは、やはり本職の戦士には敵わないな」
「そりゃ鍛冶師兼戦士には負ける訳にはいきませんなぁ」
「けど、ちゃんと勝てるじゃないか。廃鉱でもダルヴァに任せるか」
「勘弁してくれ、もう満足したよ。しかし驚いたな。あの闇ペア狩りの発案者が君達だったとは」
 俺達がペアを組んで以来やってきた戦法は、今は「闇ペア狩り」と呼ばれて広く知られている狩り方だ。
 当然これを広めたのは俺達ではない。
 どうやら鉱山周辺で俺達がゴブリンを狩っていたのを他のプレイヤーが目撃したらしく、そこから情報が漏れたらしい。
 別にペアに限らず、敵の数次第では三人四人でも可能なのだが、語呂が良かったのか、「闇ペア狩り」は共闘ペナルティを回避してリンクモンスターを分担する戦法の呼称となっていた。
「もうちょっとこの情報は隠しておきたかったんだけどな」
 最近はペアを組んで廃鉱に挑むプレイヤーが増えてきている。
 俺達が完全に廃鉱から卒業するまでは独占しておきたかったが、こればかりは仕方ない。


 廃鉱に入ってすぐの採掘場には数人が張り付いていたので、道中のゴブリンは俺とメリルで片付け、なるべく奥を目指す事にした。
 現在、廃鉱内で採掘するプレイヤーはいない。
 そんなプレイヤーを見かければ、何か珍しい物が出るのかと気になる物だ。
 もし魔鉱石が掘れるのであれば、その情報は勝手に広まるまでは秘匿しておくに限る。
「とりあえずボス部屋手前の分岐の先で掘ってみるか」
 ボスの部屋へと続く道には行かず、分岐した先の採掘場を目指す。
「随分と数が多いが、大丈夫なのか?」
 採掘場の様子を入り口から覗いたダルヴァが不安げに尋ねてくる。
「壁際の作業員は弱いから、少しくらいリンクしても大丈夫。中央にいるエリートと取り巻きは近づかなければ問題無いしね」
「とりあえず入り口付近の壁からやってみるか。釣るぞ」
【シャドウアロー】をゴブリン作業員に放ち、こちらに注意を引く。
 突然肩に突き立った矢に顔を歪ませ、ゴブリン作業員が奇声を上げてツルハシを振り上げる。
 それを大剣の腹で防ぎ、弾く。
 体勢を崩したゴブリンの胴を凪ぐ一閃。
 倒れたゴブリンは一撃で絶命していた。

「よし、それじゃ周囲を警戒するから掘ってくれ……どうした?」
「いや、まさか一撃で倒すとは思わなくてな……」
「作業員なら急所を狙えば難しくはない。両手持ちだったしな」
「近接スキルは捨てて鍛冶一本を目指すべきかな、自信がなくなってきた」
 そういって笑うと、ダルヴァはツルハシを取り出して壁に振り下ろす。
「……これだけ音を立てても反応無しってのもちょっと不自然だよね」
「採掘するたびに周囲の敵を全滅させなきゃならないんじゃ、生産きつすぎるだろ」
「妙に都合よく出来てるんだから」
「ゲームだぞ、これ」
 カツンカツンと採掘の音が響いても、周囲のゴブリン達は無反応だ。
 もっとも、ゴブリンの作業員達もツルハシを振っているので、採掘の音はそこら中に響いて区別などつかないだろう。
 しばし採掘を続けると、ダルヴァが歓声を上げる。
「出たぞ、魔鉱石だ!」
 差し出された鉄鉱石は、確かに微かに輝いている。
「鉄鉱石もかなりの数が掘れる。これならスキルもかなり上げられそうだぞ」
 魔鉱石を発見した事で、俄然張り切ってツルハシを振るうダルヴァ。
 その後もかなりの数の魔鉱石と鉄鉱石が採取出来た。
「魔鉱石も結構集まりそうだし、俺も大剣頼もうかな」
「ははは、それじゃあ相当掘り続けないとならないな」
「いいじゃん、全身魔鉱石装備にする勢いで掘って掘って掘りまくれー!」
 俺とメリルが殲滅、ダルヴァが採掘という作業は、三人の所持重量が重量制限ギリギリになるまで続けられた。



[11997] 第二十一話 お友達
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/16 23:01
 アトラスの生産作業は多少簡略化されてはいるものの、現実とほぼ同じ作業を行う。
 クリック一つで完成とは行かず、戦闘で格闘技経験者が多少有利であるように、生産の結果にはある程度プレイヤーの経験や知識が影響する。
 リアルで武器マニアであるダルヴァは、製法の知識にも通じているらしく、かなり優秀な職人と言える。
 ダルヴァは甲高い音を立てながら熱せられた鉄をハンマーで叩き、加工したパーツをくみ上げて行く。
「よし、出来たぞ」
 朽ち掛けた机の上に置かれた一組のグローブとブーツ。
 グローブは拳部分に三本の短い鉤爪が取り付けられているドラゴンクローグローブ。
 ブーツは爪先から脛、膝までが鋭角に研ぎ上げられており、蹴り技に斬撃ダメージを追加するエッジブーツ。
 その両方に、装備にエンチャントを付加する刻印スキルにより、【攻撃速度増加】と【衝撃増幅】の刻印が刻まれてゆく。
 ダルヴァが言うには、エンチャントを施すには二つの方法があるらしい。
 一つはゴブリン部隊長の装備に掛かっていたような呪術エンチャント。
 もう一つは武器に刻印を刻む事で特殊な効果を宿す刻印エンチャント。
 呪術エンチャントにはINTやMENなどの精神系ステータスが、刻印エンチャントにはDEXが影響するらしく、精神系ステータスの低いダルヴァは刻印エンチャントが得意なようだ。
 ダルヴァの刻印スキルは片手間で伸ばしているので、本職には及ばないそうだが、そもそも生産者が皆無の前線基地でこれ以上は望めない。
 通常の武具では、複数のエンチャントを掛けると武器が耐え切れず壊れてしまうそうだが、魔力を含んだ魔鉱石製の武具は複数の刻印を刻む事が可能だと言う。
 それらを受け取ったメリルは、早速装備を変更する。
「ふふふ、どうよ」
「凄く似合ってるよ。凶悪なフォルムがお前の性格をよく現してる」
「そう、ありがとう。けどこの武器の最初の犠牲者がガイだなんて、残念だわ」
 俺とメリルが互いにファイティングポーズを取り間合いを探り合っていると、ここ数日ですっかりこういった展開に慣れたダルヴァが、さして気にした風も無く尋ねてくる。
「まったく、仲が良い奴らだ……で、ガイは大剣と盾だったな?」
「ああ。ちなみにどんなのを作れるんだ?」
 こちらに向かってシャドーを繰り返すメリルから距離を取り、尋ねる。
「そうだな……素材は余裕があるから、グラム・フェイクなんかどうだ?」
 ダルヴァの生産ウインドウに表示されたのは、神代の時代の武器である魔剣グラムを模して作られた、全長二メートルはあろうかという長大な大剣。
「随分でかいな……これ片手で持てるのか?」
「ガイのSTRならいけるはずだ。【重量軽減】は掛けないとまだ辛いだろうがな」
「じゃあ、それで頼む」
「盾は、そうだな……武器がでかいんだし、思い切ってフォートレスあたりか?」
 要塞の名を持つその大盾は、ヒューマンの基準で言えば両手で扱う事を想定して作られており、その見た目は盾というより、最早壁だ。
「おい、いくらなんでも……」
 壁のような大盾を構え二メートル近い大剣を片手で振るうって、どんな化物だ。
「大丈夫だ、ステータスさえ満たせばちゃんと扱える」
「いや、確かにそうだが……」
「いいじゃん。大は小を兼ねるんだし」
「メリルの言うとおりだな。任せておけ、今の装備にかかっている【重量軽減】よりは効果が高い刻印を刻んでやる。狭い場所での取りまわしには苦労するだろうが……性能は申し分無いぞ」
 頭の悪い事を言うメリルに、頼みの綱のダルヴァまでもが同意する。
 ダルヴァの瞳は爛々と輝いていた。
「……おいダルヴァ、お前自分がこれ作りたいだけだろ?」
「当たり前だ。こんなでかい武器を作るチャンスなんてそうはないからな。やはり武器はでかくないといかん!」
 少年のように目を輝かせて訳の分からない事を言い出すダルヴァ。
「……わかった、それでいい」
「ぐふふ、腕が鳴るな」
 諦め半分で頷くと、ダルヴァは嬉々として炉に向かい作業を始める。

 完成した武器は、実際に目の前にすると予想以上にでかかった。
【重量軽減】の刻印を刻む前に試しに装備してみたのだが、なんとか持つ事は出来た物の、振り回すだけでスタミナが猛烈な勢いで減少していく。
 グラム・フェイクに【重量軽減】と【斬撃増幅】、フォートレスに【重量軽減】と【衝撃軽減】を刻んでもらい、ようやくまともに扱えるようになった。
「高品質が出来なかったのは残念だったな……まだ熟練度が低かったようだ」
「いや、これでも十分だよ」
 確かに、高品質ではないとは言え、現状では明らかにオーバースペックな装備だ。
 これ以上を望むのは贅沢が過ぎるだろう。
「そういえば、この部隊長装備も魔鉱石で出来てるのか?」
 装備していた部隊長の大剣を指してダルヴァに尋ねる。
「いいや、それは武器としての質は良いが、素材は普通の鉄だな」
「そうか。魔鉱石製なら、溶かして再利用するかと思ったんだが、ただの鉄なら溶かさないほうが良さそうだな」
「仮に魔鉱石製だったとしても、溶かして再利用とは行かないな。一度加工した魔鉱石の武具は、溶かしてしまうと普通の鉄に戻ってしまうからな」
 先程ダルヴァが鍛冶スキルの熟練度上げをする際に、一度作った武器を溶かして再利用していた。
 もし魔鉱石として再利用できるのであれば、死蔵している部隊長装備を全て溶かしてしまうのも悪くなかったが、そう上手くはいかないようだ。
「けど、ほんとにいいの?お金払わなくて」
「構わんさ。俺は良い武器が作れれば満足だからな。素材だって君達に手伝って貰わなかったら集まらなかったんだし、気にしないでくれ」
「そういう事なら有難く頂くよ。またダンジョンに掘りに行く事があったら呼んでくれ」
「ああ、魔鉱石とは言え所詮鉄鉱石だからな。まだ上位素材は山ほどある。いずれ手伝って貰う事になるだろうな」
「そしたらまた装備作ってね」
「ああ、任せておけ。ちなみにこれは仕事の話になるんだが」
 ダルヴァはにやりと笑うと、机の上に置かれた部隊長装備を指差した。
「その装備、必要無いのなら売ってくれないか?オークションに出せば良い値がつきそうだ」
 やれやれ、ただの生産馬鹿だと思ったら、なんだかんだでこの男も商人だったようだ。



 これから暫くは生産修行に専念するというダルヴァと別れ、俺達は新たな狩場に来ていた。
 ボス狩りや魔鉱石採掘のために篭っていたが、廃鉱では既にスキルが上がらなくなっていたのだ。
 雑魚ゴブリンでは82.0を超えたあたりで伸び悩み、エリートも85.0付近で殆ど上がらなくなった。
 ボスゴブリンを相手にすればまだ伸びそうだが、十二時間沸きではスキル修行には向かないし、ボスに挑むプレイヤーも増えてきた。
 奪い合いをする程ドロップに旨みもないので、心機一転新しい狩場を探す事にした。
「なんかずーっとゴブリン狩ってたから、新しい狩場って緊張するね」
「確かに60.0から85.0までゴブリンだったからな」
 新しい狩場は80.0以降の狩場とされている、古代樹の森。
 樹齢千年以上という巨木が生い茂り、遥か昔から周囲と隔絶されたこの森は、生態系も前線基地周辺の森とはかなり異なる。
 事前に得た情報では、ここには恐竜タイプのモンスターや、トレントと呼ばれる歩き回る樹の化物が出るらしい。
「けど、なんにもいないね」
 既に古代樹の森に分け入ってかなり経つが、未だモンスターとは遭遇していない。
【テリトリーサーチ】で周囲を警戒しつつ進むが、モンスターの気配はない。
 モンスターを探して歩き回っていると、妙な違和感を感じる。
 しかし、周囲の景色を注視しても、特におかしな点は見当たらない。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない」
 首を傾げるメリルに、首を振って答える。
「初めて来る狩場だからな。すぐ撤退できるよう、あまり奥には行きたくないんだが……敵がいないんじゃ仕方ないか」

 更に奥に分け入ろうとした瞬間、首筋に悪寒を感じる。
 咄嗟に横を歩いていたメリルを突き飛ばした瞬間、背後からの強烈な衝撃に吹き飛ばされる。
「えっ?ガイ!?……このっ!」
「ぐ……う、よせ、メリル!共闘ペナ食らうぞ!」
「ッ!」
 背後から襲い掛かってきた何者かに殴りかかろうとするメリルを静止し、ポーションを取り出し浴びる。
 背後からの一撃で一気に四割近く削られたライフが回復してゆく。
 グラム・フェイクとフォートレスを構え、奇襲を仕掛けてきた相手と向きあう。
「こいつが、トレントか……」
『urrrrrrrrr』
 上手く聞き取れない奇妙な唸り声を上げながら、太い一対の枝を腕のように振り回し、足のような根を蠢かせてこちらに這いよって来る樹の化物。
「メリル!こいつら危機探知で察知できない、周囲に気を付けろ!」
「気を付ける……って、どうすりゃいいのよ!」
「背が低い樹に近づくな!……なんでもっと早く気付かなかったんだ」
 古代樹の森の樹は、樹齢数千年という物ばかりだ。
 それほどの樹齢の樹ともなれば、高さも相当な物となる。
 しかし、トレントはせいぜい四メートル程度。
 見上げるような樹ばかりが並ぶ中、ぽつんと背の低い樹が生えている。
 それが違和感の正体だった。
「樹を隠すなら森ってか。ったく、そのまんまだな」
『urrrrrr』
 振り下ろされた枝の一撃を防ぐ。
 トレントの動きは単調で遅く、一撃は痛いがかわすのは容易い。
 マッドスピリットの強化版といった所か。
 振り回される枝を防ぎ、避け、グラム・フェイクで斬り付ける。
【斬撃増幅】の効果か、厚い樹皮が容易く切り裂かれる。
 血液のような樹液を振り乱しながらも、一向にそれを気にする様子もなくトレントは枝の腕を振り回す。
「体力が高いとこまでマッドスピリットじみてるな」
 何度斬り付けても狼狽える様子も、倒れる気配もない。
 だが、確実にダメージは与えているはずだ。
 このまま順調に行くかと思われた次の瞬間、
『urrurrrruuuu』
 トレントが呪文を紡ぐような奇声を上げた瞬間、地面から突きだした樹の根が足に絡み付いた。
「な、うおおっ!」
 身動きの取れない状態で振るわれた枝の一撃を、咄嗟に盾を構えて防ぎはしたものの、足を絡め取られた不安定な体勢では受けた衝撃を堪えきれず転倒してしまう。
『urrrrrr』
 次々と鞭のように振るわれる枝を転がりながらかわし、なんとか立ち上がる。
「ネイチャースペルか、厄介な……」
 ネイチャースペルとは、トレントや高位のスピリットなどが操る原始魔術で、水や炎、大気や樹木などを操る魔術だ。
『rruuurr……』
「させるか!」
 まるで何を言っているか理解できないが、呪文を唱えている気配を感じフォートレスで殴りつける。
 盾防御SA【キャストブレイク】。
 盾で殴り強い衝撃を与えて、相手の詠唱を妨害するSAだ。
 振り回される枝を防ぎながら斬り付け、詠唱を開始する気配を感じたら妨害をする。
 多少苦戦したものの、パターンがわかれば怖い相手ではない。
 やがて、トレントは奇怪なうめき声を上げて地に倒れた。

「ふう……かなり梃子摺ったな」
 トレントの亡骸にダガーの刃を当て、戦利品を回収する。
 ドロップアイテムは【トレントの葉】と【樹液の結晶】だった。
「お疲れ様。不意打ち食らってたけど、大丈夫?」
 心配そうに尋ねてくるメリルに手を振って応える。
「ああ、問題無い。けど今のでスタミナがやばいから、あいつは任せた」
 俺は【テリトリーサーチ】の範囲内に入ってきた気配を指差す。

「……恐竜?」
 現れたのは、二足歩行の体長二メートル程の恐竜。
 俊敏な動きと獰猛な性格のヴェロキ・ラプトルだ。
「幸い、あいつ一匹だけのようだな……トレントのように気配を消してる奴がいなければだが」
「うし、それじゃ新しい武器を試すとしますか」
 言い終わらない内に、メリルは駆け出していた。
 一瞬でラプトルに詰め寄り、拳を繰り出す。
 速い。
【攻撃速度増加】の恩恵か、これまでのメリルの攻撃と比べて格段に速くなっている。
 だが、高速で打ち込まれる拳を受けながらも、ラプトルは果敢に反撃している。
 こうして遠巻きに眺めていても、ラプトルの攻撃は読みにくい。
 素早い動きから繰り出される前腕の爪と、振り回される尻尾は避けにくそうだ。
 しかし、メリルは初見だというのに、それらを巧みにかわしていく。
 最初の内こそ回避に終始し、手数は少なかった物の、すぐに相手の動きに対応し、回避と同時に拳を叩きこんでゆく。
『グオオォッ!』
 鼻っ柱を殴りつけられたラプトルが怯んだ隙を逃さず、メリルは腰を落とし両拳を引く。
「【フィストラッシュ】」
 一瞬で五発もの連打を叩きこむ【フィストラッシュ】を受けると、ラプトルは耳障りな断末魔を上げ崩れ落ちる。

 解体を済ませたメリルとともに巨木の傍らに腰を下ろす。
 スタミナの回復を待つ間、先程のトレントとラプトルの行動パターンについて話し合う。
「トレントは厄介だね。動き封じられるのは回避型には致命的だし」
「そういえば、魔法使ってくる敵は初めてか。けど詠唱してるのはなんとなくわかるから、上手く妨害出来ればそう怖い相手じゃない。俺としては動きの速いラプトルのほうが厄介だな」
「あいつは動き速いし、恐竜の動きなんて見慣れてないから読みづらいね。尻尾とか視界の外から飛んで来るし」
「その割には普通に避けてたじゃないか」
「一応回避型ですから。初見だからって避けられないんじゃ、すぐ死んじゃうよ」
「確かにそうだけど、あれだけ避けられるのも凄いと思うけどな」
「最初は避けるのに専念してたしね。何してくるかわかんないって怖さはあるけど、攻撃方法自体は単調だし、そこまで厄介な相手じゃないよ」
「まあ、実際に戦ってみないとな。次は余裕があれば俺がラプトル、メリルがトレントをやろう。もちろん、また不意打ちを食らったら共闘ペナが発生しないように分担するけどな」
 言外に、先程トレントに殴りかかろうとしたメリルを嗜める。
「わかってるわよ、次は気を付けます。まったく、不意打ち食らっても冷静なんだから……」
 スタミナゲージが完全に回復したのを確認し、立ち上がる。
「ていうか、あんただって私がスピリットに不意打ち食らった時殴りかかったじゃないの!」
「……そうだったか?そんな昔の事は忘れたな。ほら、行くぞ」
「あ、この、待てこら!」
 キーキー騒ぐメリルを連れて、森の奥へと歩を進める。


 ラプトルとトレント狩りは、エリートゴブリン以上ボスゴブリン以下の効率だった。
 森の中を探し回る必要はあるが、エリートゴブリンよりは数が多いので、80後半のスキル上げには最適と言える。
 だが、ノーマルモンスターとはいえスキル値80.0以上推奨のモンスターなだけあって、容易く勝てる相手ではなく、回復アイテムの消耗が激しい。
 メリルも全ての攻撃を避けるのは辛くなってきたのか、何度か攻撃を受けてしまう場面が見られた。
 しかし、神術スキルが80.0を超え、新しい複合クラスシップを獲得した事で、戦闘を大分有利に進められるようになった。
 メリルが新しく獲得した複合クラスシップは【格闘僧兵】。
 格闘術スキル、戦術知識、神術、祈祷の四つのスキルが値80.0を超えた事で開放された【格闘僧兵】は、これまでの基本クラスシップ【格闘家】よりもSTRとAGIのボーナスが増加し、DEXへのボーナスも追加されている。
 更にMENとINTへのボーナスが追加された事で、ライカンにはステータス的に不向きだった神術スキルも強化された事になる。
 何より【格闘僧兵】というネーミングが気に入ったらしく、メリルは先程から終始ご機嫌だった。
 俺もメリルより一足先に複合クラスシップ【神官戦士】を獲得していた。
【神官戦士】はいずれかの武器スキルと、盾防御、神術、祈祷の四つのスキル値80.0到達が獲得条件だった。
 STR、DEX、VITの20増加に加え、MENとINTが15増加する。
 また、盾防御によるダメージ減少率と神術スキル使用時のディバインエナジー消費が減少するボーナスも追加された。
 複合クラスシップを獲得したおかげで、これまでの近接系クラスシップと比べて、かなり戦いやすくなった。
 日暮頃まで狩りを続けた結果、スキルの上昇と新しく獲得した複合クラスシップのおかげで消耗はほとんど無くなったが、序盤に回復アイテムを消費しすぎたため、日が落ちる前に前線基地に補給のために戻る事にする。

 夕日に染まる森の中を歩きながら、正式サービス開始初日にブラッディウルフと遭遇した時の事を思い出す。
 プレイヤーのゲームスタート地点は、初期宿命値が低い程、選択した拠点から遠く離れた場所に配置される事になる。
 つまりゲームに不慣れな状態で長距離の移動を強制されるのだ。
 俺は運良く前線基地に辿り付く事が出来たが、大規模掲示板を見ていると、道中で野生動物やモンスターに襲われて、早々にキャラロストしたプレイヤーの報告を頻繁に目にする。
 その結果、一時期はビギナープレイヤーの増加で相応の賑わいを見せた前線基地だが、日に日にかつての寂れた雰囲気を取り戻しつつある。

 そんな事を考えながら歩いていると、【テリトリーサーチ】の範囲内に感じる三つの気配。
 一つはプレイヤーの物、二つはモンスターの物だ。
 プレイヤーはモンスターから走って逃げているようだが、気配の移動速度から考えて、このモンスターはブラッディウルフだろう。
 基本的に単独行動のみのブラッディウルフが二匹という事は、逃げ回る内に別の固体の縄張りを通ったかしたのだろうか。
 何にせよ逃げているという事は、ビギナープレイヤーである可能性が高い。
 開始したばかりのステータスでブラッディウルフから逃げ切る事は不可能である。
 さすがに目の前でビギナーがロストするのを眺めているのは忍びない。
 俺は説明する間も惜しみ、気配のする方角に向かって走る。
 突然俺が走り出した事で異常事態を察したのか、メリルも一拍遅れて走り出す。
「どしたの?」
 足を止めずにメリルに説明する。
「プレイヤーが二匹のブラッディウルフに襲われている……まずいな、プレイヤーの気配が止まった。スタミナ切れかもしれん。メリル、先行してくれ。この先まっすぐだ。お前だけならまだ間に合う」
「ラジャー」
 メリルは一瞬身体を沈めると、矢のように駆け出す。
 俺とメリルの身体操作スキルに差は無いが、メリルの方がAGIが高いので走るのは速い。
 加えて俺は金属鎧と馬鹿みたいに重い大剣と大盾を背負っている。
【重量軽減】は武器そのものの重量を軽くする訳ではないので、この装備では走るのには不向きだ。
 凄まじい速度で駆けてゆくメリルの気配が、二つのブラッディウルフの気配と重なった瞬間、ブラッディウルフの気配が消える。
 ブラッディウルフはスキル値40.0程度の相手だ、今のメリルなら一撫でで倒しても不思議ではない。

 茂みを掻き分けると、メリルの側にいたダークエルフの少女が身を竦ませる。
「気を付けてね、あいつ目つき悪いでしょう?性格も悪いのよ」
「おい、何言ってんだコラ」
 少女は、小刻みに震えながらメリルの背中に隠れてしまう。
「安心して、お姉さんが守ってあげるからね」
 こちらに向かって構えを取るメリルにデコピンを食らわせて少女に尋ねる。
「いい加減にしろこの馬鹿。怪我は無いか?」
 少女はメリルの背中に隠れたまま、小さく頷く。
「そうか、なら良かった。このイノシシが勢いにまかせて君まで殴り倒してたらどうしようかと思ってたところだ」
「へぇー、あんたイノシシに知り合いいんの?」
「君、名前は?」
「何?ナンパ?あんたロリコンだったの?そういえば私の事も年下だと思ってたのよね……だめよ、こいつと目を合わせちゃ。何されるかわかったもんじゃないわ」
「もうお前黙れよ!話が進まないだろ!」
「場を和まそうとしてんのよ!」
「そんなんで和むか!」
 あ?お?とメンチの切り合いをしていると、少女が慌てたように声を上げる。
「あ、あの……!かよ、です。名前……」
「……かよ?」
「随分と……和風な名前ね?」
 アトラスではキャラクターネームを自由に決める事は出来ない。
 予め決められた名前の候補の中から好きな物を選ぶシステムなのだが、ダークエルフの女性用テンプレートにはそんな和風な名前があるのだろうか?
「え?……あ、ほ、本名言っちゃった!」
 すげえ、ドジっ娘だ!
「……落ち着いて、ね?」
 おろおろと慌てふためく少女の肩に手を置き宥めるメリル。
「私はメリル、本名は唯よ。かよちゃんのキャラはなんて名前なの?」
 メリルは腰を屈めて目線を合わせ、少女に名前を問う。
「あ、えっと……ジュディア、です」
「そう、じゃあジュディね。よろしく、ジュディ」
 目の前の少女は天然か養殖かについて思いを馳せていると、メリルに脛を蹴られた。
「え?あ、ああ、名前か。俺はガイアスだ」
「本名」
「……孝彦だ、よろしく、ジュディ」
「へぇー孝彦って言うんだ……たかくん?たっくん?」
「やめてくんない?マジで」
「あ、当たりだ!たっくんだって、にあわねー」
 こちらを指差してげらげら笑うメリルに釣られたようにジュディも微かにはにかむ。
「……まぁいい。それよりもう日が暮れる。速く基地に戻ろう。ジュディも一緒に来るといい」
「あ……その……はい、お願いします」
 一瞬の逡巡の後、ぺこりと頭を下げるジュディ。
「大丈夫よ、こいつが変な事しようとしたら私がぶっとばしたげるからね」
「しねーよ!いつまで引っ張るんだよ!」
「ムキになるところが怪しいわ。大体前からロリコンぽいと思ってたのよ」
「ロリコンじゃねーよ!いいか、俺は年上が……ん?」
 こちらに近づいてくる気配を感じる。
「何?敵?」
「違う……危険な気配じゃない。多分エルクだろう」

 この森にはノンアクティブなアーカスエルクと呼ばれる巨大な鹿が生息している。
 ノンアクティブだが、戦うとなればなかなかの強さの野生動物だ。
 木陰から現れたのは、やはりエルクだった。
「あ……あの子……よかった、無事だったんだ」
 現れたエルクにジュディが駆け寄る。
 エルクは臆病な性格で、プレイヤーが近づくと逃げるはずだが、このエルクは逃げるどころかジュディに駆け寄り顔を摺り寄せる。
 驚いた事に、現れたエルクは、通常のエルクとは違い、毛皮が煌いていた。
「ちょっと……あれスパークルじゃない!」
 スパークルエルクは、その名の通り煌く毛皮を持つレアモンスターで、その毛皮は1g以上の値段で取引される。
「信じられないな、向こうから近寄ってくるなんて……」
 恐る恐る近寄ると、エルクはこちらに僅かに警戒を見せるが、ジュディから離れようとはしない。
「なんか、ジュディに懐いてるみたいね……」
「ジュディ、もしかして動物調教スキルを取ったのか?」
 俺の問いに、ジュディは頷く。
「なら、こいつを連れて行けるかもしれないな」
「お友達になれるんですか?」
 随分かわいらしい表現だが、まぁ間違ってはいないな。
「ああ、調教スキルを取っていれば、動物を手懐けるSAがあるはずだ」
 システムブックを開き、SAを確認したジュディが、そっと呟く。
「【ネイチャーフェイタライズ】」
 渦巻く緑色の光が、ジュディとスパークルエルクを包んでいく。
【ネイチャーフェイタライズ】の詠唱時間は三十秒で、SAの中でも特に詠唱時間が長い。
 その三十秒の間に第三者から妨害を受けたり、調教対象に逃げられた場合調教は失敗する。
 しかし、スパークルエルクは微塵も逃げる様子は無く、ジュディに寄り添って離れない。

 やがて光の渦が消えると、スパークルエルクとジュディは『お友達』になっていた。



[11997] 第二十二話 お揃い
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/17 21:44
 スパークルエルクを手懐けたジュディは、煌く毛皮を優しく撫でている。
 エルクは気持ち良さそうに目を細めてされるがままだ。
「ほんと、凄い懐いてるね」
「そうだな。さっき無事で良かったみたいな事を言ってたけど、何か関係があるのか?」
「この子とは、さっき森の中で会ったんです。すぐに仲良くなれたんですけど、そこに狼が来て……」
 このスパークルエルクは、その時点では【ネイチャーフェイタライズ】を受けていなかったにも関わらず、ジュディを守るようにブラッディウルフに立ち向かって行ったそうだ。
 突然その立派な角を振るい襲い掛かったエルクとブラッディウルフの戦いを見て、怖くなったジュディはその場から逃げ出してしまったという。
 しかし、訳も分からず走り回っている内に、別のブラッディウルフの縄張りを通ってしまい、気付けば二匹のブラッディウルフに追われていた。
 スタミナが尽きて走れなくなり、万事休すとなった時、俺達が通りがかり、間一髪メリルが飛び込んできた。そして今に至るというわけだ。
「ごめんね、助けてくれたのに私だけ逃げちゃって」
 俯いて、申し訳無さそうに背中を撫でるジュディを慰めるように、エルクは小さく鳴いた。
「はー、こんなことってあるもんなのねぇ」
 俄かには信じがたい光景に、メリルが溜息を吐く。
「調教スキルに、動物に好かれる効果でもあるのかもな……それに戦闘や生産でリアルの経験や知識が反映されるんだし、動物に懐かれる要素なんかも反映されてたりするかもしれん」
「……変なゲーム」
 確かに変だが、悪くはない。
 ジュディとエルクを見ていると、戦闘に明け暮れている俺達には知り得なかった、アトラスの違う楽しみ方が垣間見えてくる。
「調教スキルっていちいち動物を手懐けて回らないと上がらないのかな?」
「いや、確か手懐けた動物に指示を出す事でも上がるはずだ」
「あんた何でも知ってるのね」
「サービス開始前に情報漁ってる時が一番楽しいからな。アトラスはプレイしてても楽しいが」
「ねえジュディ、何かやってみてよ」
 メリルの言葉に暫く首を傾げていたジュディだが、意を決したように毅然とした顔でエルクに指示を出す。
「待て!」
 犬かよ。
 そして、ジュディはエルクから距離を取る。
 しかし、
「あ、あれ?待て!待って!お願い、待ってってば!」
 エルクは言うことを全く聞かず、ジュディを追い掛け回し鼻を押し付けている。
「い、言うこと聞いてくれません……」
 諦めたように立ち止まり、困り顔でエルクの首を撫でるジュディ。
「なんか、手懐けたっていうより……ただ懐かれてるだけって感じね」
「まだスキルが低いからだろうな……よくそれで【ネイチャーフェイタライズ】が成功したもんだ」
 命令を無視するというのは頂けないが、暴れたり逃げ出す様子が無いだけマシか。
「ま、調教スキルを上げればちゃんと言うことも聞いてくれるだろ。とりあえず完全に日が落ちる前に基地に戻ろう」
 俺達と一匹は、木漏れ日に赤く染まる森の中を歩き前線基地へと向かう。



 アトラスに限らず最近のMMORPGのアカウントは、国民総ID制度と生態認証のチェックが必要なので、基本的に複数作る事が出来ない。
 悪質な嫌がらせや、PKの繰り返しでアカウントに傷がつけば、そのアカウントだけでなく、住基IDにも記録されて別のゲームをプレイする際に要注意プレイヤーとして扱われる事になる。
 ゲームだけでなく、様々な場所で住基IDは使用されるので、たかがゲームと迂闊な事をすると思いもよらない弊害が起きる事がある。
 総じてネットを介した詐欺やハラスメント行為などは減少傾向にあるそうだ。
 しかし、ゲームより遥かに罰則の厳しい現実で犯罪に走る者が絶えない以上、やはり万が一の事を考えて行動する必要がある。
 ましてやジュディのお友達はレアモンスターである。
 欲に目が眩んだプレイヤーの攻撃を受けないとも限らない。
 なので、ジュディのエルクには前線基地の南門の側にある厩舎で待っていて貰う事にした。
 厩舎はプレイヤーがログアウトしている間や、街の中へと入る際に預ける事で、システム的にペットを保護する施設だ。
 相応の費用はかかるが、ここに預けている限りペットの安否を気遣う必要は無い。

 俺とメリルは、ジュディを連れて食事を取るために中央区の酒場へとやってきた。
 会話は自然とジュディに関する物になる。
「へぇ、じゃあお姉さんと一緒に遊ぶためにアトラス始めたんだ。仲良いんだね」
「はい……けど、お姉ちゃんお仕事で海外に行かないといけなくなっちゃって……」
「ありゃ……お姉さんはどれくらい海外にいっちゃうの?」
「早くても半年、遅いと何年かかるかわかんないって……」
「……それは随分とタイミングの悪い話だな」
 アトラスは現在国内販売のみで、海外からのアクセスは禁止されている。
 将来的には世界規模で展開し、世界各国のプレイヤーが同じワールドでプレイする事も可能になるという話だが、それはまだ先の話のようだ。
「じゃあ、ダークエルフなのに前線基地を選んだのはお姉さんの影響?」
「はい、お姉ちゃんお仕事で忙しくて、パーティーで遊ぶ時間ないから、一人で遊べるノスフェラトゥにするって言ってたから……」
「一緒にノスフェラトゥにはしなかったんだ?」
「最初はそのつもりだったけど、髪の毛の色が綺麗だったから……」
 ジュディは恥ずかしそうに透ける様な白髪をつまむ。
「なるほど。なんでジュディみたいな子が一人でこんなとこにいるのかと思ったら、そういう事情か」
「けど、お姉さんとは一緒に遊べなくなっちゃったんなら、プレイするのをやめようとか、別の場所で始めようとは思わなかったの?」
「お姉ちゃん、楽しみにしてたから……私、小さい頃からお姉ちゃんに頼りきりだったし、もしお姉ちゃんが早く戻ってきたら、私がお姉ちゃんを守れたらいいなって思って……」
「健気ねぇ」
「誰かさんにも見習って欲しいもんだな」
「減らず口を……」
 睨み合う俺達の間で、おろおろとジュディが視線を彷徨わせる。
「……あの、お二人はゲームの外でもお友達なんですか?」
「は?」
「え?」
「えっ、あの……違うんですか?」
 突然の問いに俺とメリルは呆気に取られて顔を見合わせる。
「……いやぁ、ないない、こいつとともだ、いってぇ!」
 バチンと音を立てて鼻っ柱に平手を食らう。
「そうそう、お友達よ。もちろんジュディもお友達、ね」
 人の顔面に躊躇い無く平手を食らわせておいて、悪びれた様子も無く優しげに微笑むメリル。
「……お友達が三人もできちゃいました」
 メリルに非難の声を上げようとしたが、嬉しそうに呟くジュディに毒気を抜かれる。
 しかし、三人という事は、その中にはあのエルクも入っているのだろうか?
 ならば三人と言う数え方はどうなのだろう……。
 二人と一匹、いやむしろ一人と二匹だな、などと考えていると、脛を蹴られる。
「なんだよ、何も言ってないだろ!」
「口に出てたわよ」
「なんだと、そんな馬鹿な……」
 思わず口を押さえる俺を見つめる、冷ややかなメリルの目。
「やっぱくだらない事考えてたんじゃないの」
「な!?騙したな!」
「あんたのひんまがった根性が悪いのよ!」
 テーブルの上で罵り合い、テーブルの下で足を踏み合う。
 俺達の間で、ジュディは少し困ったように、それでいて楽しそうにくすくすと笑っていた。

 料理が運ばれてきた事で、ようやくメリルも大人しくなった。
「そういえば、ジュディ。あのエルクに名前はつけないのか?」
「名前、ですか?」
「お、あんたもたまには良い事言うじゃない。名前をつけてあげれば、あの子も早く言うこと聞いてくれるかもね」
 そう言うと、メリルはサラダをフォークで突付きながら思案しだした。
「スパークルエルクだから……スパ、クル、エル、ルク……」
「どんだけ単純なんだよ。ていうか何でお前が考えるんだよ」
「いいでしょ別に。ルク……ルーク!どう?」
「ルーク……いいと、思います」
「ほら、好感触じゃないの!」
「はい、あの子の名前は、ルークにします」
「そうか、良い名前だな」
「おい、考えたの私なんですけど」
 勝ち誇ったように胸を張るメリルを無視してジュディに頷くと、彼女も嬉しそうに笑う。


 食事を終えた俺達は、ジュディの調教スキル修行を手伝う事にした。
 手伝うと言っても、俺達に出来る事は見守る事と周囲の警戒くらいなのだが。
 前線基地の南門からほど近い草原で、ジュディがルークに手のひらを突きだし指示を出す。
「ルーク、待て!」
 数え切れない失敗の末に、ようやくルークは『待て』の意味を理解したようだ。
 ちゃんと指示を受けた場所で待機しているが、ジュディと離れるのが不安なのか、しきりに蹄を踏み鳴らしてそわそわしている。
「いいよ、ルーク、おいで」
 ジュディが十メートル程離れた場所で手を振ると、ルークは弾かれたように駆け出し、ジュディに寄り添う。
「癒されるわねぇ」
 前線基地の周囲に張り巡らされた防護柵に寄り掛かりながら、ジュディとルークを眺めていたメリルが顔を綻ばせる。

 俺の中で、ジュディをこのまま放ってはおけないという気持ちが強くなっていた。
 中学生になったばかりだという幼い少女が、他プレイヤーの欲を刺激するレアモンスターを連れて歩けば、碌な事にならないのは目に見えている。
 恐らく、メリルも同じ事を考えているだろう。
「暫くスキル上げは休憩するか」
「……そうね、ちょっと急ぎすぎた感じもするし」
「流石に今のジュディを連れて古代樹の森には行けないし、な」
「あの子とこのままはいサヨナラって気にもなれないしね」
 暫しの沈黙。
「別にいいんだぞ、お前だけで狩りに行っても」
「あんたこそ良いの?これまで頑張ってきたのに。多分うちら闇の民じゃトップだと思うよ」
「……『お友達』を置いてってまで拘る程のもんでもないだろ」
「あは、似合わない事言わないでよね」
「似合わない事も、それはそれで楽しそうだからな」
 月明かりに毛皮を煌かせて駆けるルークと、それに負けないくらいの笑顔を浮かべるジュディを、俺達は黙って見守っていた。

 夜が明ける頃には、ジュディの調教スキルもかなり成長し、ルークもちゃんとジュディの指示に従うようになっていた。
 そろそろ調教スキル以外のスキルを上げようという段になって、ジュディが初期スキルに何を取ったのかを聞いていない事に気付いた。
「そういえば、ジュディは調教以外は何のスキルを取ったんだ?」
「えっと……楽器演奏とお料理です」
「予想はしてたが、やっぱり戦闘系のスキルは取ってないのか」
「あ、はい。運動とか、苦手で……音楽とお料理は得意ですから……」
「……なんともジュディらしい選択だけど、ほんと闇の民が似合わない子ねぇ」
「ご、ごめんなさい」
「あ、別にダメって訳じゃないよ、良い意味で!良い意味で似合わないなーって」
 しょげるジュディを慌てて慰めるメリル。
「けど、悪くないんじゃないか?料理は闇の民でも出来る数少ない生産の一つだからな」
 グリーンスキンの鍛冶スキルと同じように、料理スキルは闇の民でもペナルティ無しで使用できる生産スキルだ。
 おまけに、料理スキルには種族の限定も無い。
 理由は、料理スキルで作れるアイテムに、普通の料理以上の価値が無いからだ。
 生産品の料理を食べても、スタミナ回復が出来る程度で、ステータス増加効果やbuff効果などは一切無く、料理スキルを取っても戦闘で有利になる事はない。
 それどころか、スキル合計値が増加する事で、スキル値の上昇率が低下してしまうデメリットを嫌って、ほとんどのプレイヤーからスルーされている。
 完全に趣味のスキルなのだ。
「ま、料理はともかく、調教と楽器演奏か。ならバードテイマーしかないな」
「バード、テイマーですか?」
 ジュディは何の事かわからないらしく首を傾げる。
「バードってのは吟遊詩人の事だ。曲を奏でて周囲に強化効果を与えたり、逆に周囲の敵に弱体化効果を与えたり、相手の行動を制限したりするSAを使える」
「曲で、ですか?」
「ああ。上手くやれば自分は戦わずに勝てるスキルだ。相手を沈静化する事で戦わずに逃げる事も出来るし、ジュディには合ってると思うぞ」
「だって。良かったねジュディ」
「はい。あんまり叩いたりとかは、したくないですから」
「確かに、ジュディが武器持って戦ってる所は想像出来ないしな。よし、じゃあ中央区に行くぞ。バード系のスキルトレーナーがいたはずだ」
 俺達は再びルークを厩舎に預け、中央区の四神像の噴水広場を目指す。

 四神像の噴水が見えてくると、風に乗ってリュートの音色が聞こえてくる。
 噴水の側のベンチに腰掛け、リュートを爪弾くダークエルフの老人が、こちらに気付き声を掛けてきた。
「これはこれは、屈強な戦士様に可憐なお嬢様方。一曲いかがですかな?御希望の曲があれば喜んで歌わせて頂きましょう」
「曲はまたの機会に聞かせてもらうよ。今日はこの子にスキルを教えてほしくてな」
「よ、よろしくおねがいします」
「ほう、歌を学びたいと?ははは、前線基地で歌の教えを請われるとは思いませんでしたな」
 吟遊詩人は、ポロンと軽く弦を弾き、愉快そうに笑う。
「よろしい、私に教えられる事であれば喜んでお教え致しますよ。ふむ……既に楽器演奏スキルは私に教えられる事はありませんな。それでは音楽知識と歌唱スキルをお教え致しましょうか」
 吟遊詩人は咳払いをすると、リュートを奏で、情熱的に歌い上げる。
 俺達は、その歌声に呆気に取られたまま動けずにいた。
 通りすがりのプレイヤー達も足を止めている。
 やがて曲の終わりを告げるように一際激しくリュートを掻き鳴らすと、吟遊詩人は深く一礼する。
「あー……どうだ、ジュディ、スキルは上がったか?」
「えっ?……はい、上がって、ます。ちゃんと」
「そ、そう……良かったね、ジュディ」
「ふう、久しぶりに良い詩を歌う事が出来ました。これも貴女方との出会いの賜物でしょう。また新しい歌を学ばれたくなったらいつでもお越し下さい」
「そう、か。それは良かった。じゃあ、俺達はこれで……」
 肩を振るわせるメリルを肘で突付き、踵を返す。
「あ、あの、私ジュディアって言います。お名前を教えてください」
 名前を尋ねられた吟遊詩人は、一瞬呆気に取られた表情をした後、困ったように笑う。
「私はしがない吟遊詩人です。名前などとうに捨てた身ですが……レディのお名前を聞いて何も名乗らないのは失礼ですな。かつては……ヴェルナールと呼ばれておりました」
「ヴェルナールさん、ありがとう御座いました」
 ジュディは深々と頭を下げると、こちらに駆け寄ってきた。
「ぷ、くく、ジュディってば、よくあの歌を聞いて平然としてられるわね」
「お前は笑いの沸点が低すぎるんだよ……」
「……びっくりしました」
 俺達は、吟遊詩人のくせに酷く音痴なヴェルナールに一礼し、中央区を後にする。


 俺達が次に向かったのは商業区。
 初期装備のジュディの装備を買いに、ラウフニーの店を訪れていた。
 当然始めたばかりのジュディにはまだ装備を整えるだけの所持金は無いのだが、メリルが買うと言って譲らなかったのだ。
 個人的にはあまり初心者を甘やかすべきではないと思っている。
 しかし、確かに粗末で野暮ったいローブ姿というのは、年頃の女の子には辛い物があるだろうと思い、店の隅に置かれたソファーに座って買い物が終わるのを待っている。
「んー、やっぱりこれかなー?」
「メリルさんとお揃いですね」
「そうして並んでおられると、姉妹のようでございますよ」
「えー、美人姉妹だなんてそんなー!」
「は?いやそんな事言ってな、痛い!背中を叩かないでください!」
 メリルがラウフニーに絡んでいる横で、メリルお気に入りの白地に青糸で刺繍を施したデザインのローブを着たジュディがこちらに視線を向けてくる。
「ほら、ガイも何かいったげなさいよ!」
「ああ、いいんじゃないか?」
「うわっ雑っ!モテない男はこれだから……」
「んだとコラ」
「あっ、あの、私これにします!」
 俺とメリルのいつものやり取りを察知したのか、間にジュディが割って入る。
「んふ、お揃いだね。じゃあお会計お願いしまーす。今日は値切らないから安心してね」
「はぁ、良かった。いえ、ははは……」
 先程から不安げにこちらをちらちら見ていたラウフニーが安堵したように笑う。
 お揃いのローブに身を包んだ二人が会計を終える。
「じゃ、行くか」
 店を出ようとソファから立ち上がるが、なぜか二人とも動かない。
「どうした?まだ何か買うのか?」
「あ、あの……」
 俯いて身を捩るジュディがメリルを見上げるが、メリルはわざとらしく口笛を吹いてそっぽ向いている。
 やがて、ジュディは意を決したように顔を上げる。
「ガイアスさん、も……その、お揃いの……」
 そう言って、ジュディは壁に掛けられた、二人が着ているローブと同じ、白地に青糸の刺繍が施されたマントを見上げる。
「あー……俺にもあれを着ろ、と?」
「その、良ければ!……だめ、ですか?」
 メリルとジュディはいいだろう。
 美女と野獣だが一応メスの野獣だ。お揃いの衣装で歩いている姿は微笑ましいだろう。
 だが俺もそこに混ざるというのは正直勘弁して欲しい。して欲しいのだが……。
 沈痛な面持ちで俯くジュディには敵わない。
「ラウフニー、あれを貰うよ。いくらだ?」
「は、はい、ありがとうございます。あちらのマントは7sでございます」
「そうか。5s」
 爽やかな笑みで値切り交渉を開始すると、ラウフニーは顔を青くして天を仰ぐ。
 嬉しそうに微笑むジュディとの対比は、天国と地獄を現しているかのようだった。


 お揃いの衣装に身を包んだ俺達は、一度南門へ向かいルークを厩舎から引き取り、前線基地の外周を歩いて北西のマッドスライムの沼を目指す。
 どんなスキルでも、最初のスキル修行の相手は動きの遅いマッドスライムが丁度良いのだ。
 このへんは親切に出来ている。
「そういえばさぁ、ジュディならルークに乗れそうじゃない?」
 沼地へと向かう途中、体力の初期値が低いダークエルフであるジュディが辛そうにしているのを見て、メリルが呟く。
「確かに乗れそうだな。鞍がないと長時間は辛いだろうが……ジュディ、試してみるか?」
「はい、やってみます」
 ジュディも興味津々といった面持ちでルークの背に登ろうとする。
 しかし、かなりの巨体を持つルークの背には、小さなジュディでは鐙も無しには登れない。
「た、高くて乗れませんっ」
「仕方ない、メリル、ジュディを持ち上げてやれ」
「はいはい、って、あら?」
 メリルがジュディを抱き上げようとすると、突然、ルークが足を折って地に伏せる。
「ルーク、ありがとう」
 ジュディはルークの喉を撫でて、背に跨る。
 ルークはゆっくり立ち上がると、跨ったジュディが歓声を上げる。
「羨ましいわね。私もルークみたいな子が欲しくなってきちゃった」
 ルークに乗ってはしゃぐジュディを、メリルは羨ましそうに見上げる。
「乗せてもらったらどうだ?俺は無理だろうけど、メリルなら乗れるんじゃないか。ギリギリで」
「一言多いっつの……ねぇジュディ、後で私も乗せてね」
「はい」

 俺達は、あえて遠回りをしながら沼を目指して歩く。
 たまにはこうしてゆっくり歩くのも、悪くはない。



[11997] 第二十三話 ずっと一緒
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:2aca42ed
Date: 2012/01/17 21:44
 アトラスではプレイヤーが取る行動のほぼ全てにスキルが設定されている。
 当然、動物に乗って移動する際にも、騎乗スキルが必要となる。
 スキル値0.0でも騎乗可能な動物に乗る事は可能だが、ただ歩かせるでも騎乗動物、プレイヤー共にスタミナが減少してゆく。
 走らせようものなら即振り落とされるだろう。
「楽しいけど、これはかなりキツいわ」
「おしりがヒリヒリします」
「まったく……ルークもへろへろじゃないか。これからスキル上げだっていうのに、あまり無茶させるなよ」
 最初こそルークの背に乗ってはしゃいでいたメリルとジュディ、そして彼女達が喜んでいるのを察してか、誇らしげな様子を見せていたルークだが、沼に辿り付くまでに三者ともスタミナが空になりかけていた。
「ほら、沼が見えてきたぞ。あと少しだから頑張れ」
「へーい」
「が、頑張ります」
 力無く答えるメリルとジュディの声に、搾り出すようなルークの鳴き声が重なる。
「こりゃ着いたらまずは休憩だな……」

 沼地には、かなりの数のプレイヤーの姿があった。
 殆どのプレイヤーが初期装備で、スライムを相手にスキル上げに勤しんでいる。
「ここも懐かしいわね」
「もっと人が少ない場所に行くか。こっちはただでさえ目立つから、なるべく人目は避けたいしな」
 馬鹿でかい武器を背負った男と、前線基地では珍しいライカンとダークエルフのプレイヤーが、レアモンスターを連れているとなれば目立たない訳がない。
 実際、既に木陰で休憩していた何人かのプレイヤーの注目を浴びている。
 なるべく人目につかないように林の中を歩き、沼の奥の空いている場所を目指す。

 木陰に腰を下ろし、ジュディとルークのスタミナの回復を待つ。
 VITが高くスタミナの自然回復量も高いメリルは、歩いている間に全快したようだが、ジュディとルークはまだ肩で息をしていた。
 厩舎で買った桶に入れた水を、舐めるように飲むルークと、それを撫でているジュディ。
 しかしその表情は、どこか冴えない。
 俺はスキル上げに取りかかる前に、気になっていた事を確認するため口を開く。
「さて、今日はジュディのバード系スキル上げと、ルークの育成をしに来た訳だが」
「よろしくお願いします教官!」
「あ、お、お願いします!」
 からかうように姿勢をただし敬礼して見せるメリルと、生真面目にそれを真似するジュディ。
 ルークまでお辞儀をするように頭を下げる。
 人が真面目な話をしようって時にこの馬鹿は……。
「なんなの?お前ジュディの倍近く生きてるのになんでそんなに馬鹿なの?」
「まだ十九だよ!十九!」
「ああいう奴が調子に乗って成人式で騒ぎを起こすんだ。ジュディはああなっちゃだめだぞ」
「え?えっと……」
 キーキー騒ぐメリルを無視して、ジュディに向き直り本題に入る。
「ジュディ、これからルークをスライムと戦わせる事になるが……大丈夫か?」
 ジュディは俺の問いに、微かに身体を震わせ、目を伏せる。
 メリルも俺の言わんとしている事を理解してか、口を噤む。
「ジュディは優しいからな。ルークを戦わせるのは、嫌なんじゃないかと思って、な」
 なんせジュディにとってルークは、自分の変わりに戦わせるための道具ではない。
 愛玩用のペットですらない。
 彼女にとってルークは『お友達』なのだ。
 草食動物のエルクは、総じて温厚な性格で戦いを好まない。
 それはスパークルエルクとて例外ではない。
 そんなルークに、戦いを強いる事に躊躇いを見せるのは、ジュディの優しく気弱な性格からすれば不思議な事ではない。

「俺はルークを、ただのペット、調教スキルによって手懐けられたモンスター、その程度にしか思っていなかった」
 何か言いたげに顔を上げるジュディを制するように頷く。
「今は違う。もちろん、ルークがこの世界のシステムに管理されているモンスターだという考えは変わらないが、ルークとジュディは友達だ。ほんと変なゲームだよ、システム管理されたモンスターと友達になれるなんてな」
 不思議そうにこちらを見上げるルークをそっと撫でる。
「ジュディ……ルークの、スパークルエルクの毛皮は高額で取引されている。そして、アトラスでは……他人のペットを殺して毛皮を剥ぐ事も不可能じゃない。欲に目が眩んだプレイヤーの攻撃を受ける事も考えられる」
「そんな……」
 俺の言葉に衝撃を受けたのか、ジュディはルークの首を抱いて俯く。
「もちろん他人のペットに攻撃を仕掛ければ、相手はペナルティを受ける。だから、滅多な事では攻撃を受ける事は無いだろうが……それでも軽率な行動に出るプレイヤーがいないとも限らない」
 微かに震えるジュディを勇気付けるように、メリルがジュディの肩に手を添える。
「ジュディは、ルークが襲われたら、どうする?」
「守ります。次は必ず、守ります」
 ジュディは、普段の彼女からは想像もつかない程の決意の篭った声で答える。
 森の中でブラッディウルフと遭遇した際に、一度逃げ出してしまった事を悔いているのだろう。
「ジュディがルークを……友達を守るために強くなりたいと思うように、ルークもジュディを守れるように強くなりたいと思ってるんじゃないか?ルークにとっても、ジュディは友達なんだしな」
 俺の言葉を肯定するかのように、ルークは立ち上がり蹄を踏み鳴らす。
「ルーク……」
「ルークだって男の子だもん、女の子を守るために強くなりたいと思うのは当然よね」
 メリルに答えるように、ルークは短く鳴いた。
「ルーク……そうだね、一緒に頑張ろう」
 ルークの首を抱いて優しく撫でるジュディの表情から、迷いは消えていた。

 スタミナの回復したジュディとルークを伴って、沼地に踏み込む。
 ジュディは不安げに沼地で蠢くマッドスライムを見つめている。
「大丈夫だ、危なくなったら俺達がサポートするから、気楽にな」
「は、はい」
 緊張したように頷くジュディと、彼女を励ますように顔を寄せるルーク。
「とりあえずジュディはバードスキルを使用しつつ、ルークがスライムと戦うんだが……まだルークのステータスは見れないんだよな?」
「はい。まだスキル値が足りないみたいです」
 前線基地にはテイマー系スキルのトレーナーがいないため、動物調教スキル以外の、動物学や獣医学スキルなどのテイマーに必要なスキルを教わる事は出来なかった。
 調教スキルの上昇と共に動物学スキルも上昇するし、戦闘後にルークを回復すれば獣医学スキルも上がるので問題は無いのだが、ルークのステータスが見えないのが辛い。
「まあ、ルークは一度ブラッディウルフと戦ってるんだし、スライム相手なら問題無いとは思うが……」
 まずはルークのお手並拝見と言うことで、手近なスライムと戦って貰う事にする。
「ルーク、頑張ってね……攻撃!」
 ジュディの指示を受けると、ルークは猛然と巨大な角を突き出しスライムに突進する。
 普段の大人しいルークからは想像出来ない光景に、俺達は言葉を失う。
 ルークは角を振り回し、逞しい脚で踏みつけ、スライムの体当たりを食らっても構わず暴れ回っている。
 その様は、まさに荒々しいの一言だ。
「なんか……野生!って感じね」
「まぁ、ペットにもステータスとスキルがあるからな。成長すれば戦い方も変わってくるだろ」
「ルーク、ちゃんと避けて!あ、危ない!」
 ジュディはおろおろしながらルークに声援を送っている。
「ルークの動きが鈍ってきたな……一度呼び戻そう」
「わかりました。ルーク、もういいよ、おいで」
 ジュディは安堵したような表情でルークに戻るよう指示を出す。
「あれ?ルーク!もういいんだよ!」
 しかし、ルークはジュディの言う事を聞かずスライムに向かって角を振り回し続ける。
「興奮して指示を聞く余裕が無くなっているな。仕方ない、メリル」
「はいはい」
 メリルはルークに駆け寄ると、振り回される角を掻い潜りスライム三匹をそれぞれ一撃で殴り倒す。
 スライムが泥水に戻り、メリルに角を掴んで押さえ込まれて、ルークはようやく大人しくなった。

 ルークのスタミナとライフの回復のため、木陰で休む。
 ジュディは地面に伏せて水を飲んでいるルークを優しく撫でている。
 これはただ撫でているだけではなく、【チェリッシング】という獣医学のSAで、愛情を込めて撫でる事でペットのライフとスタミナの回復を早める効果がある。
「興奮状態で命令を聞かせるには、もうちょっとスキルを上げないと駄目かもしれないな」
「ルーク、ちゃんと言うこと聞いてくれないと危ないでしょ」
 少し怒ったようなジュディの様子に、ルークはしょげるように頭を下げる。
「ま、こんな時こそバードスキルが役に立つんだけどな。ジュディ、どんな歌が使える?」
「えっと……今使えるのは【進軍の凱歌】と【沈静の譚歌】、あと【快気の賛美歌】です」
【進軍の凱歌】はAGIとDEXの上昇効果を齎す効果、【沈静の譚歌】は戦意を喪失させる効果、【快気の賛美歌】は聞く者の体力を回復する効果がある。
「そうか。じゃあ次は、ルークの戦闘中は【進軍の凱歌】を、ルークを呼び戻す前に【沈静の譚歌】を使ってみよう。【快気の賛美歌】は、獣医学を伸ばしたいし使う必要はないか。まだ成功率は低いだろうが、失敗したら俺達がフォローするから安心してくれ」
「わかりました」
 スタミナとライフを回復したルークを連れて、再び沼地へ向かう。

 スライム相手に角を振り回すルークから少し離れた場所で、ジュディが楽器演奏スキルの初期配布アイテムのハープを取り出す。
「あれ、ジュディはハープなのね」
「楽器は種類が多いからな。ランダムで初期配布アイテムが決まるんじゃないか」
「なんかかっこいいね」
 ジュディは恥ずかしそうにはにかみながら、ハープを奏で始めた。
「【進軍の凱歌】」
 周囲にリュートの音色とジュディの歌声が響き渡る。
「おおー、バードスキルって本当に歌うんだ」
「スキルの効果もあるのかもしれないけど、上手いもんだな」
 俺達もジュディの歌の効果範囲内に入っているので、AGIとDEXの増加を感じる。
 ルークとスライムの戦いを見守っていたメリルが、首を傾げる。
「ねえ、ルークの動きも早くなってるけど……スライムまで早くなってない?」
「バード系SAは基本的にフィールドエフェクト扱いだからな。範囲内の敵味方全てに効果がある」
「何それ。歌の範囲内なら敵も強くなったり回復したりするって事?」
「そうなるな。おまけに歌い続けている間しか効果がない。だからサービス開始前は罠スキルって言われてた」
「罠って……あんたそれ知っててジュディにバード勧めたの?」
「俺はバードスキルは普通に使えると思ってるんだがな……どんなスキルも使い方次第だ。それに、多分歌の強化効果を受けた状態で戦っても、共闘ペナルティ無いぞ」
「……マジで?」
「確証は無いけどな。丁度良い、ついでに実験してみるか」
 グラム・フェイクでは一撃で倒してしまうので、ブロンズダガーを取り出し手近なスライムに近づく。
「食らわないに10s」
「……賭けにならないじゃないか」
「あんたが食らう方に書ければ良いでしょ」
 メリルと初めて会った時の事を思い出す遣り取りに苦笑する。
 賭け金の単位が上がっているのは、俺達の成長の証か。
「よし、いくぞ」
 蠢くスライムにダガーを突き立てる。
「……どう?」
「ペナルティ無し。予想通りだ」
 メリルも別のスライムに近寄り、ダガーを振るう。
「うわ、マジだ。けど、なんで?buffとかdebuffとか受けると共闘ペナ食らうはずじゃない」
「バードスキルはフィールドエフェクト扱い。つまり毒の沼地に入ったら毒を食らうとか、溶岩地帯で熱ダメージを受けるとか、神聖な光が降り注ぐ場所で回復するとか、そういうのと同じ効果だからな」
「ふーん……じゃあ範囲魔法とかも共闘ペナは食らわないとか?」
「そういうのはエリアエフェクト。似ているようで少し違う。まあ、音楽を司る神が闇の四神にいるからな。バードスキルそのものが闇の民向きに設計されてる節もある」
「けど、共闘ペナ食らわないのはいいんだけどさ……結局敵味方問わず強化したり弱体化するんじゃ、使う意味無いんじゃない?」
「上昇効果が固定値ならそうだけどな。バードスキルの効果は割合上昇だ。仮に20%上昇なら、AGIが10なら12に、100なら120になる」
「ステータス値が低い奴は上昇効果の恩恵は少ないって訳ね……確かにそれは闇の民向きだわ」
「強化と弱体化以外にも便利なSAはあるしな。ジュディ、そろそろルークを呼び戻そう。【沈静の譚歌】だ」
「はい。【沈静の譚歌】」
 力強い曲調から一転、聞く者全ての心を穏やかにするような、落ち着いたハープの音色と歌声が周囲を包む。
【沈静の譚歌】によって、ルークとスライムの戦闘状態が解除される。
「ルーク、おいで」
 落ち着きを取り戻したルークが、ジュディに駆け寄る。
「ほら、なかなか便利だろ?」
【沈静の譚歌】を上手く使えば、もしモンスターやプレイヤーに襲われても戦わずに逃げる事も可能だ。
 バードスキルは、守るための強さを求めるジュディにはこれ以上無いスキルだろう。


 その後もジュディのスキル上げは順調に続いた。
 最初こそ攻撃を食らっていたルークも、今はしっかりと体当たりを回避出来るようになっている。
「ジュディ、そろそろルークのステータス見れないか?」
 もうスライムは卒業して、マッドスピリットを相手にしても問題はなさそうだが、やはりステータスとスキルを確認してからでなくては不安が残る。
 スライムの体当たりなら多少食らっても大事には至らないが、相手がマッドスピリットとなると並のVITでは避け損なえば致命傷になりかねない。
「……あ、見れるようになってます」
 システムブックを確認していたジュディが頷く。
「どれどれ……うわっ、結構ステータス高いじゃん」
 ジュディのシステムブックを覗きこんだメリルが、そこに表示されたルークのステータスに驚きの声を上げる。
「なるほど……特にVITとAGIが高いな。STRとBALも悪くない。DEXは低いけど、問題無いだろ。それより……MENとMAGがやけに高いな」
 ルークの近接系ステータスは軒並み高く、特にVITとAGIは俺とメリルよりも少し低い程度だ。
 野生動物の身体能力が高いのは不思議な事ではないし、ルークには装備なども無いのだから、ステータスが高めに設定されているのはわかる。
 しかし、MAGとMENが高いというのはどういうことだろう。
「スキルも見れるよ」
 メリルに促され、ジュディがページを捲る。
 近接戦闘系のスキルは35.0を超えていた。
 このステータスとスキルなら、マッドスピリットを相手に出来るだろう。
 その下に表示されたスキル名に、思わず唸る。
「……驚いたな、原始魔術と精霊信仰スキルを使えるのか」
 モンスターにも、プレイヤーと同じようにスキル値が設定されている。
 しかし、モンスターは予め設定されたスキルしか習得できないため、後から新しいスキルを習得させるのは不可能なのだ。
 ルーク以外の野生動物が、原始魔術や精霊信仰スキルを保持しているかは不明だが、少なくとも全ての野生動物が持っているようなスキルではないはずだ。
 おまけにルークの原始魔術と精霊信仰のスキル値は50.0を超えている。
 俺達の前でこれらのスキルを使っている所を見た事がないので、これがスパークルエルクの初期スキル値なのだろう。
「どうやらスパークルエルクは、ただ珍しいだけのモンスターじゃないみたいだな」
「ちょっとびっくりだね。SAも使えるのかな?」
「SA使ってくるモンスターは多いから、ルークも当然使えるだろ」
 ペットもスキルの上昇によってSAを習得するらしく、スキルアーツページにはいくつかのSAが並んでいる
「けど、まだ使えないみたいです。もう少しスキルを上げなきゃ……」
 どうやら、ペットにSAを使わせるには、調教スキルが50.0以上必要らしい。
「まだ使えないとは言え、性能の良いSAが多いな。使えるようになったら、かなり戦闘が楽になりそうだ」
 ルークは、回復系や攻撃呪文系などのSAをバランス良く習得している。
「まあ、これだけステータスとスキルが高ければ、もうスライムは卒業だな。スピリットに移動するか」
 ルークのAGIとVITなら、スピリットの攻撃はまず当たらないし、当たったとしても一撃で大事には至らないはずだ。
 俺達は林を分け入り、スピリットの沼地を目指す。



 あれからゲーム内時間で一ヶ月以上、俺とメリルはジュディのスキル上げを手伝った。
 狩り場に関しては俺達が事前に情報を得ていたし、バードスキルによって休憩時間は大幅に短縮出来るので、かなりの効率でスキル上げは進んだ。
 現在はジュディのバード系スキル、調教スキル共に80.0に届こうとしている。
 ルークも高いAGIとVITによる打たれ強さと、原始魔術と精霊信仰スキルによる高い攻撃力という反則じみた性能を発揮し、先日廃鉱のボスゴブリンを撃破する程に成長した。
 エリートゴブリンを素早い動きで翻弄し、立派な角による一撃と強烈な原始魔術を織り交ぜて放つルークと、的確に指示を出し、バードスキルで援護するジュディの二人に、出会った頃の頼りない面影は無い。

「んー、もう私達の役目も終わりかしらね」
「そうだな。並のプレイヤーなら、もうジュディとルークに下手に手出しは出来ないだろうな」
「スキル上げを続けるなら、次は古代樹の森だけど……どうすんの?」
 二人を壁際で見守っていると、メリルが今後について尋ねて来る。
 どこか沈んだ面持ちに見えるのは、気のせいではないだろう。
「ジュディは元々戦うのを望んで闇の民を選んだ訳じゃないんだし、そろそろ光の領地に行った方がいいんじゃないかと思う」
 ジュディは、望んで戦っている俺達とは違う。
 もう身を守るには十分過ぎる程強くなったのだ。
 これ以上は望まない戦いをする必要も無いだろう。
「……じゃあ、そろそろお別れかな」
「わかってた事だろ?ジュディみたいな子にいつまでも戦わせるのは気が引ける。身を守れるようになったんなら、いつまでもこんなとこにいるべきじゃない」
「けど、寂しいね。一ヶ月も一緒にいたのに」
「なら、俺達もジュディと一緒に行くか?光の領地でのんびり過ごすのも、まぁ悪くはないな」
「馬鹿言わないでよ。何のために闇の民選んだと思ってんの?」
「だよな」
 この一ヶ月、俺とメリルの戦闘系スキルはほとんど上がっていない。
 既に闇の民のトッププレイヤーとはかなりの差がついているだろう。
 しかし、俺達はあくまでジュディのスキル上げを手伝うために、少しの間休憩していただけ。
 その役目も終われば、またスキル上げに勤しむ日々が始まる。
「ジュディは俺の妹と歳も近い。あいつのネトゲ友達にはジュディみたいに大人しい子も多いから気は合うだろうし、俺達と離れても、寂しい思いはさせずに済むだろ」
「あの子にはルークもいるしね」
「光の領地まではダルヴァにでも面倒見て貰うか」
「そういや近いうちに商都に行くって言ってたから、丁度良いか」
「……けど気が重いな。お前言ってくれよ」
「嫌よそんなの」
「ですよね」
 危なげなくエリートゴブリンを倒し、寄り添うようにしてこちらに戻ってくるジュディとルーク。
 この一ヶ月行動を共にしてきた彼女達に別れを告げるというのは、流石に気が引ける。


「嫌です」
 俺の話を聞くや、頬を膨らませてそっぽを向くジュディ。
 あの素直なジュディの口から飛び出した、思いがけない拒絶の言葉に、思わず呆気に取られる。
「けどな、ジュディ。ジュディはもう十分強くなったし、ルークもジュディを守れるくらい強くなった。これ以上スキルを上げる必要は……」
「それは私が決めます!」
 廃鉱に響くジュディの声に、思わず仰け反る。
 あ、あの大人しいジュディが……!?
 反抗期の娘を持つ父親の心境はこのようなものなのだろうか……
 狼狽える俺を見かねて、メリルが説得にかかる。
「けど、これから先は私達も一回しか行った事無い危ない場所なんだよ。これまでみたいにジュディとルークを守ってあげられるかわからないし……」
「だったら尚更です!二人が危ない場所に行くのに私だけおいてけぼりなんて絶対に嫌です!」
 ジュディの怒ったような声に同調するように、ルークも鼻息荒く蹄を踏み鳴らす。
「私はお友達を守れるようなるために頑張ったんです!ルークのためだけじゃありません。メリルさんとガイアスさんを守れるようになるために頑張ったんです!」
「ジュディ……」
「なのになんでお別れなんていうんですかぁ……」
 とうとうジュディは泣き出してしまった。
 ルークは俺を責めるように角で小突いて来る。
「参ったな……ごめん、ジュディ。俺が悪かったから泣くな」
「そうよ、反省しなさいこの馬鹿。大丈夫よ、これからも一緒だから、ね?」
「お前……いや、そうだな。これからも一緒だ」
 なかなか泣きやまないジュディを慰めるように背中を撫でるメリル。
 つんつんと角で俺を小突くルークを宥める俺。
 まさか泣かれるとは思っていなかったので流石に弱った。
 しかし、ジュディがこれ程までに俺達と共にいる事を望んでくれるというのは有難い物だ。
「あんたジュディが泣いてんのに何にやけてんのよ」
 ルークに加えて、メリルにまで小突かれる。
「な、ちがっ……よせお前ら!」
 俺達の様子に、ジュディは涙交じりの笑顔を浮かべていた。



[11997] 第二十四話
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:c855e216
Date: 2012/01/20 09:28
「う……ん」
 身体がだるい。
 ログアウトした後はいつもこう。
 しばらく寝転がっていれば、霧が晴れるようにすっきりするけれど、いつまでたってもログアウトの後のこの感じには慣れない。
 けれど私はまだいいほうで、ひどい人になると何十分も身体の調子が悪いままな人もいるらしい。
 この不調――ガイアスさんはVR酔いって言っていた――が五分以上続く人は法律でVRシステムの使用が禁止されるって。
 もうログインしちゃダメなんて言われたらまた泣いちゃいそう。
 そんな事を考えていると、ようやく頭がすっきりしてきた。
 ふと違和感を感じて目元を擦る。
「あ……」
 手の甲に雫がついていた。
 鏡を見ると目元が赤くなっていて、涙の痕が残っていた。
 少し嬉しくなる。
 VRの世界なんて作り物だ、なんていう人がいるけど、私が……ううん、ジュディが泣けば、現実の私も涙を流すんだ。
 ルークやメリルさん、それに、ガイアスさんと一緒に過ごす時間は作り物なんかじゃない。

『これからも一緒だ』

 不意にさっき言ってくれた言葉を思い出して、また涙がこみあげてきた。
 私は慌てて部屋を飛び出すと、洗面所に駆け込んだ。
 冷たい水で何度も顔を洗う。
 目はまだ赤い。
 冷たいタオルで押さえておけば少しは赤みがひくかな?
 今日はお姉ちゃんと久しぶりのビジュアルチャットなのに、こんな真っ赤な目じゃまた心配させちゃう。

『久しぶり、佳代。元気にしてたか?」
「うん、お姉ちゃんこそ大丈夫?お仕事大変じゃない?」
『大変だよ。一日でも早く帰りたいから毎日必死さ』
 冗談めかしているけれど、久しぶりに見たお姉ちゃんは疲れた顔をしていた。
 私も早く帰ってきてもらいたいけど、お姉ちゃん無理してないかな?
『そういえばこの前かわいいぬいぐるみを見つけたんだ。日本には売ってないみたいだから、今度……ん?』
 突然お姉ちゃんがカメラに顔を近づけてきた。
「ど、どうしたの?」
『佳代。泣いていたのか?』
「えっ」
 嘘、目の赤みはもうひいたはずなのに。
『どうした、何があった?』
「えっ、その、別に、泣いてなんか……」
『……私にいえないような事なのか?』
 うう、嘘は下手ってよく言われるけど、完全にバレちゃってるよ。
『まさか、例のアトラスで出来た友達絡みか?もしかして何かひどい事でも――』
「違うよっ!」
 お姉ちゃんがびっくりしている。
 自分でも驚いた。気づいたら大きな声が出ていた。
「ガ、ガイアスさんもメリルさんもひどい事なんてしないよ!今日だって私を心配してくれて、けど私――」
 ああ、また涙が。
 ガイアスさんとメリルさんも困らせちゃったのに、今度はお姉ちゃんにまで。
 そう思うと余計に涙が出てくる。
「私、い、一緒にいたくて、我侭言っちゃって、ほ、ほんとは私なんて足手まとい、なのにっ、けどこれからも一緒って言ってくれて、嬉しくてっ」
 涙と一緒に言葉がこぼれる。
 さっきは涙だけで、言えなかった言葉が。
 お姉ちゃんの前だからだと思う。
 いつも甘えてばかりだったから、お姉ちゃんの顔を見ると我慢できなくなる。
 しっかりしないと。
 ガイアスさんもメリルさんも、それにルークもきっと私を守ってくれる。
 だからこそしっかりしないと。
 私もみんなを守れるように。
 だからちゃんと言わないと。
「ひ、ひどいこと、なんて、されてないよ。あの人達の事をそんなふうに言わないで」
 涙を拭って、カメラを見据えて、言った。
 あの人達の事を悪く言ったら、お姉ちゃんだって許さないんだから。

『すまなかった。佳代の友達を疑うなんて言い訳のしようもないな。ごめん』
 お姉ちゃんは微笑んでいた。
『あんなに小さかったのになぁ。いつのまにそんなに強くなったんだ?びっくりしたよ』
「お、おね」
『ああ、また泣くのか?どれだけ泣けば気がすむんだ。ふふふ、おしりの殻は取れてもまだヒヨコだな』
「おねえちゃん早く帰ってきて。会えばわかるよ。ガイアスさんもメリルさんもいい人なんだから」
『ああ、会わなくてもわかるよ。お前がこれだけ信頼している人だ、悪い人なわけないだろう』
「会わなきゃわかんないよ。すっごく優しいんだから。ルークもかわいいんだよ」
『おいおい、そんなに我侭言うなんて幼稚園の頃以来じゃないか。なんだか懐かしいな」
「ふぐ、うえええええええ」
『ちょっと、佳代?あー……どうしたらいいんだ?これ……』

「あ」
 目を覚ます。
 泣きつかれて寝ちゃってたみたい……。
 もう涙は出ないけど、代わりに顔が真っ赤になる。
 は、恥ずかしい!
 お姉ちゃんの前であんな……!
 私は頭を抱えて身悶える。

『風邪には気をつけて。素敵な友達によろしく』

 ディスプレイに表示されたお姉ちゃんからのテキストチャットに気付いたのは、三十分程経ってからの事だった。



 ジュディとルークを加えて、スキル上げを再開して一週間。
 最初の三日間で俺とメリルのリハビリと、ジュディとルークが古代樹の森での狩りが出来るかを確認した。
 結果は上々、というよりも、ジュディのバードスキル有りだとトレントやラプトルでは温過ぎる程だった。
『進軍の凱歌』で手数が増える事によりスキルの上がりが良くなり、戦闘の合間の休憩時間も『快気の賛美歌』で短縮できる。
 とりあえずの三日間の試し狩りが想像以上に順調だったために、俺達は現在古代樹の森の内周部を探索している。
 古代樹の森は、大きく分けて外周部、内周部、中心部の三つのエリアで構成されている。
 外周部のモンスターはトレントやラプトルが主で、俺達が一ヶ月前に狩りをしたのも外周部だ。
 古代樹の森で最も広いエリアであり、現在狩りをするプレイヤーが最も多いエリアでもある。
 内周部のモンスターは外周部と比べて固体性能が強化されており、数も多い。
 更に外周部のモンスターに加えて、身体のあちこちに外骨格のような装甲を持つ鎧熊と、トレントよりも樹齢を重ね強力なネイチャースペルを行使するエルダートレントが追加されている。
 俺達が現在メインで狩っているのはこの二種のモンスターだ。
 中心部に関しては未だにろくな情報が出回っていない。
 中心部は樹木で出来たダンジョンとなっているようで、踏破するのはカンストしない限り不可能とされている。
 この情報を大規模掲示板に書き込んだプレイヤーは中心部に挑んで最初に遭遇した敵に逃げる事すら許されず殺されてロストしたそうだ。
 森の中心には世界樹の苗木があると言われているが、もちろん真偽は不明。
 今日もスキルカンストと中心部の踏破を目指す闇の民のトッププレイヤー達が、こぞって古代樹の森に挑んでいる。


 古代樹の森に、肉を打つ鈍い音が木霊する。
『グアアアアアアッ』
 メリルに外骨格で覆われていない鼻面を強かに打ち据えられた鎧熊が、痛みから逃れようとするかのように凶器のような四肢を滅茶苦茶に振り回す。
 しかし既にメリルは余裕を持ってバックステップで距離を取り、往年のアクションスターの物まねを挟む余裕すら見せている。
 再び怒りの雄叫びを上げながら、その強靭な顎を目いっぱい開いて襲い掛かってくる鎧熊の攻撃は、やはり余裕を持って回避される。
 ただでさえすばしっこいメリルだが、今はジュディの『進軍の凱歌』のAGI上昇効果により、その動きは最早目で追うのも苦労する程だ。
 しかしバードスキルの特性故に、俊敏性が上昇しているのは鎧熊も同じである。
 すれ違いざまに放たれたメリルの回し蹴りは、鎧熊を捉える事が出来ずに空を切った。
「ありゃ」
 攻撃失敗後の硬直を逃さず、鎧熊がナイフのような爪を振るう。
『グオォッ!?』
 だが、次の瞬間、地面に叩きつけられていたのは鎧熊の方だった。
 メリルはニヤニヤしながら、突然の衝撃に混乱しながら地面をのたうつ鎧熊を見下ろしている。
 最近のメリルのお気に入り、格闘術SA『空気投げ』だ。
 相手の攻撃モーション中に発動すると、相手に触れる事無く投げ飛ばすカウンター技である。
 成功すれば転倒と混乱の状態異常を与える強力なSAだが、発動タイミングがシビアすぎて使いにくいというのが一般の意見だ。
 しかしメリルは、ジュディのスキル上げの間格下相手にひたすらこの技を練習し、今や完全に自分の物にしている。
 ちなみに普段SAを使う時は大声でSAの名前を叫ぶメリルだが、この『空気投げ』だけは技名を言わない。
 曰く
「無言で投げ飛ばすのが最高に渋いのよ」
 だそうである。
 本当に女かこいつは。
 なんとか混乱から立ち直った哀れな鎧熊だが、再び顔を上げた所に、『スーパー稲妻キック』を喰らって再び地面に沈み、二度と起き上がる事は無かった。


「そっちはどう?」
 空気投げが決まって余程嬉しいのか、解体を終えたメリルが鼻歌交じりの軽い足取りで戻って来た。
 俺の隣にはハープを奏でるジュディ。
 その視線の先にはエルダートレントと相対しているルークがいる。

『urrrrrrr』
 こちらも『進軍の凱歌』によって攻撃速度が上昇し、トレントの豪腕、いや豪枝が暴風のように振り回されている。
 しかしそれ以上に強化されたルークの強靭な足腰が生み出す不規則なステップを捉える事は出来ない。
『urrruruuu』
 物理攻撃では捉えられぬと悟ったか、エルダートレントがネイチャースペルの詠唱を始める。
「させません!」
 ジュディの指がハープの弦を弾くと、耳を覆いたくなるような不協和音が発生する。
 範囲内で行われている詠唱を全て強制的に中断させ、その後十秒間範囲内での詠唱を封じるSA、その名もズバリ『不協和音』。
 詠唱を封じられたエルダートレントに出来るのは枝を振り回す事のみ。
 しかし一際大きく振るわれた一撃が振り切られた時、既にルークはトレントの背後を取っていた。
 ルークの蹄が大地を蹴り、猛烈な突撃が無防備なトレントの背中に打ち込まれる。
 ネイチャースペルSA『サンダークローク』によって紫電を纏ったルークの逞しい角が、トレントの樹皮を引き裂き、内部組織を焼く。
 突進の衝撃で倒されたトレントに、止めのネイチャースペルSA『ウインドスパイク』が叩き込まれると、トレントは物言わぬ倒木と成り果てた。

「ルーク、ご苦労様」
 ジュディの労いの言葉に、ルークはトレントの亡骸には目もくれず、凄まじい加速で駆け寄ると撫でてくれといわんばかりにジュディの手元に擦り寄る。
「もう、いつまでもあまえんぼなんだから」
 ジュディに首を撫でられてかわいらしい鳴き声を上げる姿からは、先ほどのトレントと戦っていた時の雄姿の欠片も伺えない。
「よーしよしよし、よくやったぞールークぅ」
 どさくさに紛れて、ルークをわしゃわしゃと撫でまくるメリル。
 しかしルークはメリルから逃れるように身を捩る。
 そりゃあんなごつい手甲で撫で回されても嬉しくないだろうな。
「あっ、こら!逃げるな!」
 逃げ出すエルク、追う猪。
 しかしあれだけエルダートレントの攻撃を華麗に避けていたルークを、あっさりと捕まえて再びナデナデするメリル。
 ものすごく嫌そうなルークの表情には、諦めのようなものが浮かんでいた。
「そのへんにしとけ野生動物」
「誰が野生動物よ!あんたなんか鉄の塊のくせに!」
「鉄の塊でもなんでもいいよ。とにかく移動だ。遊んでてロストなんて笑えないぞ」

 内周部最大の脅威は、鎧熊でもエルダートレントでもない。
 高速で森の中を巡回するヴェロキラプトルの群れだ。
 そのスピードは凄まじく、知覚範囲も広いようでかなり遠くから戦闘の気配を嗅ぎつけすっ飛んでくる。
 その凶悪さは、古代樹の森内周部での死因の殆どがラプトルの群れの乱入によるものと言われている程だ。
 戦闘前はラプトルの群れが遠ざかるのを確認してから、戦闘後はラプトルの群れが現れる前に移動するのが内周部での鉄則である。
「ほら、ジュディも早く解体を……」
「て、鉄の塊……!プフッ」
 そこには、余程ツボに入ったのか俯いてプルプル震えている小動物がいた。
 ルークの腹に顔を押し付けて笑いをこらえるジュディの姿に、自分の中の新たな扉が開いてゆくのを感じる。
「……鉄の塊でーす」
「プッ、あははは!や、やめてくださいガイアスさん!」
「お前も鉄の塊にしてやろうか!」
「ずるいわー、それ鉄板ネタね。鉄だけに」
「お、おなかいたいです!」

 遠くにラプトルの巡回の気配を感じ、未だ笑いの収まらないジュディをルークの背中に放り投げて速やかにその場を後にした。
 まぁ最近の俺達の狩りは、概ねこんな感じである。



 狩りを終えて補給のために前線基地に戻る道中。
 メリルが薄緑色の宝石のようなアイテムを太陽に透かしながら首を傾げる。
「結局このアイテム何なんだろうね?」
 メリルが持っているのは『樹霊の魂核』と呼ばれるアイテムだ。
 トレントで一個、エルダートレントで三個しか拾えていないので、ドロップ率はかなり低い。
 倒したトレント族の数を考えれば、かなりのレアアイテムなのは間違い無いが、用途は不明である。

「多分生産素材だと思うけどな。そっち方面の情報収集はダルヴァに任せておくのが一番だろ」
 一番最初にドロップした樹霊の魂核はダルヴァに預けてある。
 生産者に顔が広いダルヴァなら、何らかの用途を見つけてきてくれるだろう。
 しかし用途以上に気になるのは、ドロップの条件だ。
 樹霊の魂核は、俺とメリルは一個も拾っておらず、四個すべてジュディがトレント族を解体した際にドロップしている。
「んー、ジュディしか拾ってないってのも気になるよね。うちらのリアルラックがヘボいってオチかもしんないけど」
「種族が関係してるのかもな。ダークエルフ限定のドロップとか。落ちたらダークエルフ板でも見てみるか」

 エルフとダークエルフは森に暮らす種族なので、木製のアイテムを装備するとボーナスが加算される種族特性を持っている。。
 おまけにジュディはSTRとVITが全然育っていないので、【重量軽減】が掛かっていても鉄製防具を着たらまともに動く事が出来なくなってしまう。
 なので現在はメリルとお揃いのローブの下に店売りの木製鎧を着ているが、ダークエルフの種族特性を加味してもその防御力は頼り無い。
 樹霊の魂核というアイテム名からして木製アイテムの生産素材っぽいので、もし予想が当たっていたらジュディの装備を作ってもらうとしよう。


 前線基地の南門で厩舎にルークを預けていると、もはや聞きなれた、しかしここ数日は聞こえてこなかった鉄を叩く音が聞こえてきた。
「あれ?ダルさんもう戻ってきたのかな?」
「まだ三日しか経ってないぞ?別の鍛冶師でも来たんじゃないか?」
 先日ダルヴァは商都へと帰っていった。
 これまでも何度か商都と前線基地を行ったり来たりしていたのだが、今後は当分前線基地には顔を出せないと言っていたのだ。
 なんでも商都で生産者を集めたクランを作るとかで、ダルヴァはそのクランマスターを要請されているらしい。
 生産者の少ない前線基地で、廃鉱産の鉄鉱石をほぼ独占していたダルヴァの鍛冶スキルは間違いなく全プレイヤー中トップクラスである。
 商都で魔鉱石製武器をオークションに出品した際に相当名前も売れたとかで、今じゃかなりの有名人である。
 本人は口では
「柄じゃないんだがなぁ」
 と言っていたが、満更でもなさそうに笑っていた。
 なんにせよ三日で戻って来るというのは考えにくいが、新しい鍛冶師が来ているのならそれはそれで顔見知りになっておくに越した事は無い。
 武器はどれだけ酷使しても壊れて使用できなくなる事は無いが、手入れを怠ると性能が落ちる。
 対応する武器スキルがあれば手入れをする事は可能だが、鍛冶スキル持ちに依頼して手入れをして貰う方が武器の性能は高くなるし劣化もしにくい。
 具体的には鍛冶スキルであればスキル値そのままで判定されるが、対応する武器スキルしか持っていない場合はスキル値÷2の値で判定される。
 ダルヴァが商都に帰ってから自分で手入れをしていたのだが、やはり本職に手入れを依頼した方が効率は格段に良い。
 俺達は鍛冶設備のある、基地の北西部に向かう事にした。

 金槌の音を辿って行くと、そこにはダルヴァと、見知らぬ顔が二人。
 見慣れない二人はダルヴァの連れのようだ。
 こんなに早く前線基地に戻ってきたのには、彼らが関係しているのだろうか。
「おう、久しぶりだな」
 どこか気まずそうに苦笑するダルヴァ。
「久しぶりー、じゃないよ。しばらく基地には来ないとか言ってたくせに、三日で戻ってきてんじゃん。ボケるのは早いんじゃないの?」
 ダルヴァが帰る前の晩はジュディの手料理でプチ送別会のようなものまで開いたのだ。
 メリルの言い分ももっともである。
「いや、あの時は本当に当分は来れないと思ってたんだが、クランマスターってのは案外暇なもんなんだな」
「まぁダルさんがいてくれれば色々気軽に頼めていいんだけどさ、ほんとにクランのほうは大丈夫なの?」
「大丈夫も何も、大概の事は全部サブマスターがやっちまうんだよなぁ。俺が何かしなくていいのかって聞いたらあいつなんて言ったと思う?『何もしなくて結構です。むしろいつまでここにいるつもりですか?』だとよ!だから戻ってきてやった!」
 どうやら随分やり手のサブマスターなようだ。
 もしやいざという時の責任を押し付けるためにダルヴァにクランマスターをやらせているのでは……。
「まぁ俺はハンマーを振ってる方が性に合ってるしな。商都は鍛冶師が溢れてて鉱石一つ買うにも一苦労だから、こっちのほうが居心地が良いってもんだ」
 グハハと笑いながら、ダルヴァは所在なさげに立っている後ろの二人に目を向ける。
「おっと、紹介がまだだったな。このごついのがガイアスで、猫耳がメリル。かわいらしいお嬢ちゃんがジュディアだ」
「ちょっとダルヴァったら。その説明じゃ私もジュディになっちゃじゃないの!」
 突然いつもの調子で馬鹿な事を言い出すメリルに、慣れていない二人は目を丸くして呆気に取られている。
「あ、どうも初めまして。ガイアスと申します。この猪の事は無視してくださって結構ですので」
「こらそこぉ!かわいそうな人を見る目を向けるなぁ!」
「メ、メリルさんはかわいらしいと思いますよ!」
「でしょ?さすがジュディ、見る目があるわね」
「えっ、あ、ありがとうございます?」
「ジュディ、馬鹿が移るから近づいちゃいけません」
「あんたこそ鉄が移るから近づかないでもらえますかー?」
「プッ、て、鉄が移る……!」
「なぁジュディ、笑いの沸点低すぎないか?ツボもおかしいぞ」
「鉄ネタがツボみたいね」
「……初対面の相手の前でくらいおとなしくできんのかお前らは……」
 ボケるメリル、突っ込む俺、笑うジュディ。
 額に手を当て空を仰ぐダルヴァと呆気に取られている二人。

 まぁ俺達は狩り以外でも、概ねこんな感じである。



[11997] 第二十五話
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:c855e216
Date: 2012/01/20 17:48
 ダルヴァが連れてきた二人組はダークエルフの男女で、男性プレイヤーはジェイス、女性プレイヤーはゼネドラというらしい。
 どちらも銀髪に透けるような白い肌という、一般的なダークエルフのキャラクターメイクである。
 ジェイスは黒檀製の軽装胴鎧の上からゆったりとした黒いコートを羽織っている。
 武器になりそうなものは身に着けていない。
 おそらく魔術スキルをメインに伸ばしている魔術師だろう。
 両手首で輝く、大きな宝石の嵌めこまれた腕輪が目を引く。
 ゼネドラの装備は、薄手のボディスーツの要所を黒檀の板で補強した物で、見方によってはうさんくさい忍装束のようである。
 背中に弓と矢筒、腰には二振りの短剣。
 ベルトには見るからにやばそうな緑色のポーションが何本か差し込まれている。
 ゼネドラを一言で現すなら、暗殺者。
 これ以外にはないだろう。

 立ち話もなんなので、晩飯でも食べながら親睦を深める事にした。
 鍛冶小屋の表に設置されている六人掛けのテーブルの向かいにダルヴァとジェイス、ゼネドラが座り、こちら側には現在俺だけだ。
 ジュディには晩飯の用意をして貰っている。
 料理スキルと食材を加工するための刃物、火とフライパンさえあれば大抵の料理が出来てしまうのはゲームならではといったところだ。
 火は鍛冶用の炉でも問題はない。
 炉の上でフライパンを振るう姿はちょっとシュールな調理風景だが、出来上がる料理は絶品だ。
 ジュディのおかげで俺達のゲーム内での食生活は劇的に改善されている。
 動物調教と音楽はともかく、料理はちょっと微妙かなと思っていた過去の自分を叱ってやりたいくらいである。
 メリルはジュディの手伝いだ。
 ゲーム内でもリアルでも料理スキルの無いあいつに手伝える事など何も無いのだが、こっちにいたって話の腰を折るくらいしか出来る事は無いのでジュディに面倒を見て貰っている。
 さすがジュディは高ランクの動物調教スキル持ちだけあって猛獣の扱いは手馴れたもで、周囲をうろちょろするメリルと談笑しつつも、手際よく料理を作ってくれている。

「じゃあうるさいのが戻って来る前に片付けよう。そっちのお二人さんの目当てはこいつか?」
 テーブルの上に樹霊の魂核を転がす。
 ダルヴァに預けた分も含めて四つ全てジュディの物なのだが、当の本人が「記念に一個づつ分けましょう」と言って俺とメリルに一個づつ譲ってくれたのだ。
 何の記念なのか良くわからないが、ジュディの笑顔の前には些細な事である。
「話が早くて助かるよ。そいつは高ランクの木工製品で必要になる生産素材だそうだ。ジョズの奴に見せたら目を剥いて驚いていた。あいつのあの顔を見れただけでもお前らには感謝しないとな」
 ジョズというのは例の、ダルヴァのクランのサブマスターの名だ。
 口ぶりからすると、どうやら普段から相当やり込められているらしい。
「で、何個か必要だっつーんだがジョズの奴は完全な生産特化だからな。代わりにうちの採集班のジェイスとゼネドラを連れてきたってわけだ」
 ダルヴァのクランは生産者が寄り集まった互助組合のようなクランで、クランメンバーの多くが生産スキルに特化しているため戦闘は不得手なプレイヤーが多い。
 しかし生産に必要な素材のいくつかはモンスターを倒さなければ手に入れる事が出来ないので、そのための戦闘要員を何人か勧誘したらしい。
 採集班というのはそんな戦闘専門のメンバーの事を指すのだろう。
「俺達もここ一月程ダークエルフの領地周辺を探し回っていたのですが、何の手掛かりも見つからず仕舞いだったんです。そろそろ他種族の領地に探しに向かおうと思っていた所でダルヴァさんが魂核を持ってきてくれたので、助かりました」
 律儀に頭を下げてくるジェイス。
 それに釣られてか、ゼネドラもかくんと頷くように頭を下げる。
 ジェイスはともかく、ゼネドラは会ってからここまで一言も喋っていない。
 無口なのだろうか。
 俺の視線に気付いたのか、ジェイスが更に深々と頭を下げる。
「す、すいません!こいつ人付き合いが苦手で、初対面の人の前だと何も喋らないんです。初対面じゃなくても殆ど喋りませんけど……とにかく悪気があるわけではないので勘弁してやってください!」
「いや、別にそんなに謝るような事じゃないよ。ゼネドラも無理にとは言わないが、まぁ適当にくつろいでくれ」
 俺が努めて爽やかな笑みをゼネドラに向けると、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
 さすがに傷付くわ。
「おいっ、失礼だろ!すいません!ほんとすいません!」
「いいから、気にすんなって。で、結局二人はわざわざ前線基地まで何しに来たんだ?」」
 謝り倒すジェイスを落ち着かせて、話を戻す。
「あ、はい。良ければ樹霊の魂核がドロップする場所を教えてほしいんです」
「教えるだけでいいのか?古代樹の森にいるトレントだよ」
「えっ」
「えっ、何?」
 ジェイスは話が違うとばかりにダルヴァに呆けた顔を向けている。
「むはは、まぁこんな感じでな、『俺が見つけたわけじゃない、拾ってきた本人に直接聞け。教えてくれるかどうかは知らんがな』って言ったもんだから、簡単には教えて貰えないとでも思ってたんだろうよ」
 しかめっ面を作りながら唸るように呟いた後、悪戯が成功して喜ぶ悪餓鬼のように笑うダルヴァに呆れた視線を向ける。
「そりゃ方々で言い触らされても困るが、情報を集めてきてくれって預けた時点である程度の情報の拡散は織り込み済みだよ。なんで身内にまで隠すかねこのオッサンは」
「まぁお前らは俺の身内のようなもんだろう、こいつらもそうだ。けどこいつらとお前らはまだ身内って程の仲じゃ無いだろう?それにそのアイテムが必要ならどっちみちここには来なきゃならないんだ。それならお前らに教えるかどうかを判断してもらったほうが間違いは無いだろう?」
「言っている事はわかるがお前の態度が気に入らない。ニヤニヤしやがって絶対ジェイスをおちょくって楽しんでるだけだろ。」
「まぁそうだな。からかうと面白いんだこいつ」
 くつくつと笑うダルヴァに、ジェイスは立ち上がって猛然と抗議する。
「また騙したんですか!?ひどいですよダルヴァさぁん!」
「な?」
「確かに面白いな」
「そんな、ガイアスさんまで!?」
 望みが絶たれたと言わんばかりにがくりと肩を落とすジェイス。
 動きに乏しいゼネドラとの対比で余計に感情の起伏が激しく見える。
 これまでも散々ダルヴァに弄られてきたのだろう。
 なんだか可哀想になってきた。
「まぁそうへこむなよ。お詫びと言っちゃなんだが、魂核集めするんだろ?手伝うからさ」
「いいんですか!?」
「まぁ俺達も古代樹の森が今のメインの狩場だから、ついでにな。そのかわりジュディの分の装備も作って貰えるように頼んでおいてくれよ」
「それはもちろん!よろしくお願いします!」
 満面の笑みで一際深々と頭を下げるジェイス。
 なんか犬みたいな奴だな。
 ゼネドラは……猫だな。
 種族がライカンじゃないのが残念だ。
 二人ともさぞ獣耳が似合う事だろう。


「お待たせしました」
 話が纏まった所で、ちょうど晩飯の支度も終わったようだ。
 テーブルの上に次々と料理が並べられていく。
「おお、相変わらず美味そうだな」
 ダルヴァに褒められて恥ずかしそうにはにかむジュディ。
 そしてなぜか自慢げな表情のメリル。
 お前が一体何をした。

 前線基地は僻地故に食料が豊富とは言えず、まともな料理が出てくるのは中央区の酒場くらいの物だ。
 マールの道具屋店などでも食材は手に入るが、そこで手に入る食材は最低限飢え死にしないようになんとか揃えましたといった残念な品揃えなので、決して豪勢なメニューとはいえない。
 だがジュディの料理スキルに掛かれば、どんな食材も食欲をそそる香りを放つご馳走に早変わり。
 前線基地の住人よりは普段の食生活が満たされているであろうジェイスとゼネドラも並べられた料理に目を輝かせている。
 特にゼネドラは先ほどまでのどこかぼんやりとした雰囲気が消えて、待ち遠しいのかそわそわしている。
「あー……まぁとりあえず、食べるか。冷める前にな」
「……ほんとなんかスイマセン……」
「いっぱい食べてくださいね」
 皆で手を合わせた後、料理に真っ先に手を伸ばしたのはゼネドラだった。
 こいつも案外面白いな。


「まぁそういう訳で、これから少しの間古代樹での狩りにこの二人が同行する事になった」
「そう、よろしくね二人とも」
「よろしくお願いします」
 食後のハーブティーを楽しみながら、メリルとジュディに先ほど纏まった事を説明する。
 特に揉める事もなく、あっさりとした物である。
「いえ、こちらこそ足手まといになるかもしれませんが、精一杯頑張りますので。いざとなったら俺もこいつも見捨てて頂いて結構ですから」
 かくかくと無言で二度頷くゼネドラ。
「なあ、俺も一緒に行っていいかな?」
 いかつい見た目からしてとても似合いそうにないのに、案外様になった仕草でハーブティーの香りを楽しんでいたダルヴァが、ふと思いついたように言う。
 突然の発言に、ダルヴァ以外の全員が呆気に取られる。
「正気か?一回でも敵に絡まれたらまず助からないぞ」
「ダルさんチャレンジャーだなー。まあ、来たいなら来たらいいんじゃない?襲われたら助けらんないと思うけど」
「ダルヴァさんは鍛冶師さんじゃないんですか?大丈夫なんですか?」
「いきなり何言ってるんですか!もしダルヴァさんがロストでもしたら俺がジョズ兄さんに怒られるんですかね!?」
 無言で首を振るゼネドラ。
 短い付き合いだがかつて無い程に真顔だ。
「おう……こんなに反対されるとは思わなかったな。仕方ない、別の護衛を探すか」
 これだけ言われても諦める気は無いようだ。
「……世界樹の森に何かあるのか?」
「そういう訳じゃないんだが、樹齢何千年という森なんだろう?せっかくだから拝んでみたいじゃないか。それに案外まだ見つかってない鉱石があったりするかもしれんし、とにかく一度行ってみたいんだよ」
 こいつ、さも今思いついたかのように言ってるが、これは最初から着いてくる気だったな。
 魂核のようなアイテムが他にもあるかもしれないと思っているのだろうか?
 何にせよ自分から行きたいと言い出て俺達は止めたんだから、後は自己責任だろう。
 ロストされても後味が悪いし、気軽に頼める鍛冶師がいなくなるのは困るのでなるべくフォローはするつもりだが。
「仕方ないな。ジェイス、諦めろ。これは連れてくしかなさそうだ」
「はっはっは、悪いなジェイス。ロストしたらジョズに謝っておいてくれ」
「あああああ胃が痛い……」
 胸を押さえて机に突っ伏したジェイスの頭にゼネドラの手が載せられる。
 慰めているのだろうか?

「じゃあ、悪いが俺達はさっき戻ってきたばかりだから、色々と補給を済ませないとならないんでな。一時間後にここに集合でいいか?」
 前線基地に帰ってきてから直接鍛冶小屋に来たので、まだポーションの補給や新しいSAの習得などを済ませていない。
 もう日は落ちているが、前線基地内の商店やスキルトレーナーが寝静まるまでは時間に余裕がある。
 一時間もあれば再び狩りに出発する準備は整うだろう。
「あ、ポーションでしたらゼネドラが毒薬学スキルを上げてますから、買う必要はありませんよ」
 ぷいっと顔をそむけながらも、ちいさく右手でピースしているゼネドラ。
 毒薬学というのは名前は物騒だが、ちゃんと回復ポーションも作成できるダークエルフ限定のスキルだ。
 他種族の薬学スキルとほとんど同じスキルだが、作成出来る通常の回復ポーションの効果が低く毒薬の効果が高くなるらしい。
 毒薬の知識に長けているダークエルフにとって薬と言えば毒薬のことを指すのだろう。
「そうなのか。そりゃ助かるな。装備の手入れはダルヴァに頼むとして、じゃあSAを習えばすぐにでも出発できるな」
「さっきの晩御飯で食料殆どつかっちゃったから、それも買わないとなんないわよ」
「そうか、じゃあまず道具屋だな。それじゃあ三人とも、また後でな」
 相変わらずそっぽ向きつつも、ひらひらと小さく手を振っているゼネドラ。
 少しは打ち解けてきた、と思っていいのか、あれ?



 最早常連となったマールの道具屋で食料を買い付ける。
 料理スキルを上げているプレイヤーは少ないので品切れの心配はあまりない。
 果物や野菜などは調理しなくてもそのまま齧れば空腹度は回復しそうなものだが、ちゃんと料理スキルで調理しないとただアイテムを消費するだけで何の効果も無いため、余計に購入者は少ない。
 他のプレイヤーの多く、耐え難い程まずい保存食で狩りの間の飢えを凌いでいるのだろう。
 ご苦労様と言いたい。
 いつもなら一緒にポーションも買うのだが、幸いゼネドラのおかげで今回は買う必要が無くなった。
 相も変わらずポーションは品薄続きなので、その点だけでもジェイス達の魂核集めを手伝うメリットはある。。
 しかしゼネドラを見ていると素で間違えて毒薬を渡されそうな気がするが、ジェイスがそのへんはしっかり管理してくれると信じたい。
 纏め買い割引と常連割引、さらに普段過剰な値引きに眼を光らせているマールが店の隅で既に寝ているという事で店主のマロウさんは更に割引してくれた。
 有難いのだが値下げ交渉の余地が無くて交渉スキルが上がらないというのが悔やまれる。
 経営は大丈夫なのかと不安になりつつ、食料の補給を終えた俺達はマールの道具屋を後にした。



 お次はSAの習得だ。
 俺とメリルは新しく習得できるSAは無いが、ジュディは動物調教と楽器演奏スキルが90.0に達したので新しいSAが習える。
 動物調教系スキルについては、お金を払って一定値までスキルを上げてくれるスキルトレーナーは前線基地にはいないが、SAを教えてくれるNPCはちゃんといる。
 封印スキルを除くスキルのSAは全ての拠点で習得出来るようになっているのだ。
 前線基地の動物調教系SAのトレーナーNPCは元狩人のノスフェラトゥで、現在は酒を飲むのがお仕事なギルゼンという老人だ。
 かつては凄腕の狩人だったそうだが、愛犬と右足をモンスターに食い千切られてからは昼夜を問わず飲んだくれている。
 人気の少ない東門側の酒場、その奥まった場所にある一番薄暗い席にギルゼンはいつもと同じように座って酒を呷っていた。

「チッ、また来たのか小娘」
「今晩は、ギルゼンさん。またシェニールのお話を聞きにきました」
 シェニールというのは今は亡きギルゼンの愛犬だ。
 シャミルなどもそうなのだが、どうもスキルトレーナーというのはまともな訓練をしてはいけないとでも設定されているようで、ギルゼンの場合はかつての愛犬との思い出話を聞く事でSAを習得する。
 ちゃんとSAが習えるならいいのだが、開発は何を考えているのだろう。
「……もうあいつの事で覚えてる事なんて少ししか残ってねぇよ。聞きたいなら今日の酒代を置いてきな」
「わかりました」
 テーブルの上に数枚の銀貨が置かれるのを確認すると、ギルゼンはぽつぽつと語りだす。
「……シェニールはいい猟犬だった。俺のような男には勿体無い程のな。あいつとの最後の狩りの時、あいつがあの化け物に食われちまった時の事さ」
 ギルゼンはグラスに残っていた酒を一気に飲み干すと、深く息を吐く。
「俺はあの化け物を一目見ただけで死を覚悟したよ。どんなぼんくらだって一発で理解できるくらい奴は別格だった。俺は片足を食われただけでブルっちまって何も出来なかった。しかしシェニールは凄い奴さ。あいつは俺なんかとは違った」
 だんだんと言葉が熱を帯びてゆく。
「所詮あいつはただの犬っころさ。犬の中じゃとびっきりの猟犬てだけの話だ。それなのにあいつは、あの化け物の喉笛に噛み付いたんだ。身体を半分に食い千切られてもなお、な」
 ギルゼンは酒を飲むのも忘れているようだった。
 いつもの胡乱に濁った瞳はギラついている。
「よく覚えておけよ小娘、俺達の相棒ってのはな、主人と認めた奴のためならそういう事が出来るのさ。どんな化け物相手だって怯むことなく臆することなく戦える。俺のようにはなるな、相棒を半分にちぎられて目の前で平らげられて初めて気付くような、愚かな男のようにはな……」
 もう帰れ、と呟いて、ギルゼンは再び酒を浴び始めた。

「勇敢なる猟犬シェニールに乾杯!」
「ひゃあ!ヴェ、ヴェルナールさん!?」
 シェニールの最期に絆されて半泣きになっていたジュディの背後には、いつのまにやら吟遊詩人のヴェルナールがグラスを片手に立っていた。
 ヴェルナールは日が落ちると前線基地内のどこかの酒場に出没する。
 今夜はこの東門側の酒場が彼の仕事場のようだ。
 ギルゼンとヴェルナールは顔を合わせれば喧嘩ばかりしているが、飲み仲間である。
「チッ、うるせえぞ音痴!お前なんざお呼びじゃねぇ!どっかいけ!」
「おお、相変わらず口が悪いなギルゼン。だが勇敢なシェニールに、まさに英雄と呼ぶに相応しい彼に、私は詩を贈りたい。お嬢さん、聞いていかれませんかな?」
「えっ、あ、はい、お願いします」
 差し出された帽子に数枚の銀貨を入れると、ヴェルナールはにこりと微笑んでリュートを奏で始める。
 相も変わらずの音痴だが、不思議と心を揺さぶられる詩が人気の少ない酒場に響く。
 普段はヴェルナールが歌いだすと大声で罵るギルゼンも、今回ばかりは黙ったまま顔をしかめて俯いている。
 歌い終えたヴェルナールが一礼すると、ちいさな酒場は喝采に包まれた。
「ありがとうございます、ヴェルナールさん。素敵な詩でした」
 まなじりの雫を拭いながら礼を述べるジュディに、ヴェルナールはやさしく微笑み返す。
「ありがとう、お嬢さん。しかしこの詩を歌う時は気をつけなさい。英雄と呼ばれる者は時として英雄であるが故にその身を滅ぼすのです」
 ヴェルナールの細められた瞳は、過ぎ去った何かを懐かしんでいるかのようだった。


【動物調教スキルのスキルアーツ【決死の覚悟】を習得しました】
【決死の覚悟】
 効果:ボスクラスモンスターとの戦闘時、ペットのライフが減少するほどペットの全ステータス値上昇。
 ボスクラスモンスターとの戦闘時、ペットの精神系状態異常の抵抗値上昇。


【楽器演奏スキルのスキルアーツ【英雄の賛歌】を習得しました】
【英雄の賛歌】
 効果:英雄の賛歌は指定した対象にのみ効果を及ぼす。
 指定された対象は、三十秒間状態変化【英雄の蛮勇】を得る。
【英雄の蛮勇】の影響下にある対象は攻撃力が二倍になる。
 状態変化【英雄の蛮勇】は三十秒経過後、【力尽きた英雄】に変化する。
【力尽きた英雄】の影響下にある対象は回避力、防御力が半減する。



[11997] 第二十六話
Name: 黄金の鉄の塊◆c9f17111 ID:c855e216
Date: 2012/01/30 20:36
 ゼネドラの視線の先には、樹に擬態したトレントがいる。
 トレントはまだこちらに気付いていない。
 限界まで引き絞られた弓から、矢が放たれる。
 文字通り動かぬ大樹を射るようなもので、ゼネドラの弓スキルであれば外すほうが難しい。
 狙い通りトレントに突き立った研ぎ澄まされた鏃は、硬い樹皮を食い破り深々と突き刺さる。
『urrrruurrrrr』
 トレントが激痛から逃れようとするかのように身を捩り枝の腕を振り回す。
 身体に突き立った矢を中心に、トレントの表皮に赤黒い紋様が広がってゆく。
 鏃に付与された毒が全身を蝕んでいるのだ。
 毒を受けた対象は継続ダメージに加えて様々な状態異常を受ける。
 先ほど放たれた矢には身を蝕む激痛によって対象の行動を阻害する効果がある。
 トレントは怒りに燃えて枝を振るいながら突進してくるが、その動きは鈍い。
 トレントが距離を詰める前に、更に弓の弦が空気を切る音が響く。
 一挙動の間に放たれた二本の矢も、狙い違わずトレントに突き立った。
 フレイムリザードというモンスターの鱗を加工して作られた鏃には火属性が付与されている。
 毒に加えて燃え盛る鏃による火属性の継続ダメージ。
 その総ダメージ量は相当な物だが、トレントのような大型モンスターは総じて体力が高く、それだけでは倒す事は出来ない。
 継続ダメージを受けながらも未だ勢いの衰えないトレント。
 弓は遠距離からの強烈な攻撃が利点だが、相手との距離が近すぎる場合本来の性能が発揮できない。
 相手との距離を保ちながら弓のみで攻撃し続ける引き撃ちというスタイルもあるが、ゼネドラはここからは接近戦に応じるようだ。
 弓を捨て短剣を両手に構えると、慎重にトレントの攻撃を見極め回避していく。
 短剣は数ある武器の中でも最も非力な武器である。
 馬鹿正直に正面から斬り合いをするのには向いていない。
 しかし条件さえ揃えば、一撃の攻撃力はトップクラスだ。
 回避に終始し、攻めあぐねているように見えるが、ゼネドラはその一撃を耽々と狙っている。
『urrruurru』
 トレントが詠唱を始める。
 ゼネドラは詠唱を妨害するために攻勢に転じる。
 しかし詠唱妨害は与ダメージの大きさで妨害成功率が変わるため、非力な短剣では確実性に欠ける。
 トレントの詠唱が完了し、地面から伸びた根がゼネドラの脚を絡め取る。
 回避行動の取れないゼネドラを、トレントの一撃が遂に捉える。
 しかし妨害が成功しない事を予想していたゼネドラは切り札を切っていた。
 魔術SA【魔力の盾】。
 対象の周囲をマナで覆う事で一定までのダメージを無効化する。
 魔術スキル60.0で使用可能になる中級SAであり、本来であれば魔術スキルを上げていないゼネドラには使えないSAだ。
 それを可能にしたのは呪符と呼ばれるアイテムである。
 一部のSAの効果を封じたこのアイテムを使用すれば、対応したスキルを上げていなくてもSAが使用可能になる。
 一回限りの使い捨てだが、文字通りの切り札だ。
【魔力の盾】によってダメージのほとんどが減殺されたとは言え、一撃を受けた衝撃までは殺しきれず、ゼネドラは大きく態勢を崩す。
 それを好機と捉えたか、トレントが両腕を振り上げ、叩きつける。
 喰らえば大ダメージ必至の一撃だが、大降りのこの一撃こそがゼネドラの好機。
 瞬く間に相手の背後を取る暗殺術SA【アサシンステップ】でトレントの背後を取る。
 背後から攻撃した際の与ダメージを倍化させる近接武器共通SA【バックスタブ】。
【バックスタブ】は使用武器が短剣の場合、ダメージが四倍になる。
 更に背後からの刺突ダメージを高確率でクリティカルにする暗殺術のパッシブSA【致死の一刺し】
【致死の一刺し】は相手が非戦闘状態か攻撃モーション中などの無防備状態であれば更にダメージを増加させる。
 まさに一撃必殺の攻撃を受けて、トレントは大量の光の粒を撒き散らしながら倒れた。


「うーん、まさに暗殺者。最期の一撃はロマンに溢れてるね」
 確かに四倍ダメージのダメージ増加クリティカルは短剣持ちの暗殺術以外ではまず不可能なダメージ倍率だ。
「あれを戦闘中に狙うよりは片手剣で普通に攻めたほうが早いし安定する気もするが、まぁロマンだからな」
「短剣のほうが暗殺者っぽいし、雰囲気は大事よね」
 解体を終えて戻って来たゼネドラの手には、薄緑色の宝石が転がっている。
「お、出たか。これでようやく三つ目か」
「おめー。けどやっぱ普通のトレントじゃドロップ率悪いね。そろそろエルダー行ってもいいんじゃないの?」
「スキル値的にはギリギリってとこか。まあゼネドラは大丈夫だろうが……」
「問題はあっちね」


「このっ、くそっ!うひゃあ!」
 両手から炎を吹き上がらせているジェイスが、トレントへ近づこうと試みているがなかなか上手くいっていない。
 ジェイスは大規模掲示板やwikiなどでタッチ型と呼ばれているタイプの魔術師だ。
 数ある魔術スキルのSAの内、【炎掌】【氷掌】【雷掌】というSAを主体にして戦うタイプである。
 これらのSAはタッチスペルと呼ばれており、射程が非常に短く、文字通り相手に触れる程近づかなければ効果が発揮されない。
 射程を犠牲にしている代わりに、消費マナが少なく与ダメージは高い。
 相手に両手を近づければ発動するため一般的な放射タイプのSAと比べてミスが少ないのも利点だ。
 しかしそれも相手の攻撃を掻い潜って近づければの話だ。
 攻撃手段が魔術スキルである以上STRとVITの伸びが悪く打たれ弱いのはわかるが、ジェイスは慎重になりすぎて攻撃の機会を逃す場面が多い。

「回避スキルや身体操作スキルはゼネドラとほとんど変わらないのになぁ」
「ジェイスーっ!もっと相手の動きを予想して最小限の動きで避けんのよ!懐に飛び込め!」
「無茶言わないでくださいいいいいいい!!」
「どこが無茶だ!散々お手本見せてやったでしょうが!」
「メリルさんのっ!動きはっ!参考にならないんですよ!」
 言いながらもしっかりと攻撃は回避しているジェイス。
 まあ射程が極端に短いと言っても実際に触る必要は無いわけで、すれ違いざまに【炎掌】が発動しトレントのライフを削っている。
 炎系のSAは当たれば継続ダメージも入るので、既にトレントは虫の息だ。
 実際なんだかんだ言いながらも、ジェイスは既に結構な数のトレントを倒している。
 ただジェイスの動きが少々、言い方は悪いが情けないので、どうしても「こいつ大丈夫か?」と思ってしまうのである。
「余裕はあるんだが動きに思い切りが足りないな。まぁヘタレっぽいし、仕方ないか」
「ほんとヘタレよねぇ」
 口元を押さえながら指をさして肩を揺らすゼネドラ。
 相変わらずの無表情だが、笑っているようだ。
「ヘタレでもなんでも、勝てばいいんですよっ!【爆炎弾】!」
 魔術系中級SA【爆炎弾】を受けて、遂にトレントは力尽きて崩れ落ちた。


 ジェイスがトレントを倒してから暫くして、古代樹の森に点在する岩場での採掘を終えたダルヴァとその護衛をしていたジュディが戻ってきた。
 二人と合流し、内周部と外周部の境目にある澄んだ水が湧き出る泉のほとりで休憩を取る。
 ジェイス達のスタミナが回復するまでの時間潰しに、ダルヴァが採ってきた鉱石を見せてもらう。
「へー、ここは宝石の原石が多いんだねー。お?これは……ミスリル!?」
「おう。まさかミスリルが出るとは思っていなかったから驚いたよ。ドロップ率は相当低いが、ここは他と違ってライバルなんて皆無だから入れ食いだな」
 山のように積まれた鉱石の多くは宝石の原石だった。
 これらも商都に持ち帰ればかなりの金にというし、ダルヴァのクランメンバーにはアクセサリーを作成する彫金スキル持ちも何人かいるそうなので、そちらにも需要があるだろう。
 そして原石に数個だけ混じっている煌く白銀の鉱石はミスリル鉱石。
 ファンタジーやRPGなどでおなじみのレア鉱石だ。
 ミスリル鉱石は既に何箇所か採取できる場所が発見されており、市場にもいくつかミスリル製の装備が出回っている。
 しかし広く知れ渡っているミスリルの採取場所では既に採掘師達によるミスリルの奪い合いが起きており、採取確率も低いせいでその市場価値は現在確認されているレア鉱石の中ではトップクラスだ。
 ミスリル製の装備は俺達が現在使っている魔鉱石製装備よりも性能が良いということなので、俺達としては宝石の原石よりも嬉しい発見だ。
「しかしこのドロップ率じゃ武器防具はちょっときついな。アクセの素材分でぎりぎりってとこか」
「内周部にも岩場あったよね?そっちだともっとドロップ率良かったりして」
「ほお。そうなのか。まだ内周部には行かないのか?」
 内周部にも岩場があると聞いて目を輝かせるダルヴァ。
 どうやら外周部で満足してはくれないようだ。
「まあミスリルが掘れるんなら、こっちとしても付いて来てくれるのはありがたいがな。けど内周部に行くかどうかはジェイス次第だ」
「あのう、その件なんですけれども。話を聞く限り、俺としては普通のトレントよりエルダーのほうがやりやすいと思うんですよね。トレント相手も結構慣れてきましたし、個人的には内周部に行くのもいいんじゃないかと」
 トレントの見た目は動く樹のモンスターだが、エルダートレントはより人型に近くなっている。
 大きさもエルダートレントのほうは二メートル程度と、サイズも小さい。
 サイズが小さいとはいえ、動きは格段に早くなっているのだから厄介さは増している。
 しかしダークエルフの領地には人型のモンスターが多いようで、ジェイスとしては、これまでの経験から言って人型に近いモンスターのほうがやりやすいらしい。
「慣れたって割にはちょっとアレだけど、まぁ確かに見てて危なっかしい所は減ってきたかもね」
「じゃあそろそろ内周部で一戦してみるか。無理そうなら正直に言えよ」
「ダルさんは流石に大人しくしててよね。採掘は私達の近くの岩場のみ、OK?」
「ああ、足手まといにはなりたくないからな」
「それじゃ、そろそろ行くか」
 泉での休憩を終えて、内周部へと向かう。



 内周部での狩りは想像以上に好調だった。
 何よりも、トレント相手では攻めあぐねていたジェイスが、より格上のエルダートレント相手では見違える動きをしているのが大きい。
 大型モンスターは苦手なんですと言って笑っていたが、それにしたって極端な奴だ。
 内周部では本当にミスリルのドロップ率が上がっているようで、ダルヴァもご機嫌だった。

 現在俺達は内周部の奥地を踏み込んでいる。
 ここは既に全員が未経験の場所だ。
 といっても鎧熊とエルダートレントと遭遇する頻度が増える程度で、出てくるモンスターの種類は変わらない。
 魂核集めのノルマは既に終わっているが、生産素材は使い道はいくらでもあるので合同での狩りはもう暫く続ける事になった。

 ジェイスとゼネドラが戦闘を始めてすぐ、危機探知の範囲内に、四つの気配を感じる。
 巡回のラプトルだ。
「巡回が来るな」
「んじゃ潰してきますか」
 三人で狩りをしていた時は厄介な事この上無かった巡回も、戦闘をこなせる人間が五人もいれば、わざわざ戦闘を避ける理由は無い。
「ジェイス、ゼネドラ!巡回を潰してくる!」
「わかりました、気をつけてくださいね」
 エルダートレントを相手に余所見とは、ジェイスのくせに生意気な。
 ゼネドラはエルダー相手に飽きがきたのか、魂核のノルマが終わってからは鎧熊も狩っている。
 こちらは余所見をする余裕は無いようだ。
「ジュディ、ダルヴァを頼むぞ。ふらふらしないようにしっかり見張っててくれよ」
「はい、頑張ります」
「俺ってそんなに信用無いのか?」
 落胆するダルヴァの肩を一つ叩いて、巡回狩りに向かう。



 動物調教SA【感覚共有】を使うと、ルークが持っている知覚系スキルを共有する事が出来る。
 ゼネドラさんは危機探知スキルを上げているそうだけど、戦闘中はそちらにばかり注意を向けていられないだろうから、私がしっかりと周囲の気配を探らないと。
 近くには未知の気配は感じられない。
 遠くの方で、ガイアスさん達の気配が巡回の恐竜さん達の方へと向かっていく。
 ガイアスさん達の気配と、恐竜さん達の気配が重なった。
「っ!」
 背後の、これまで何の反応も無かった場所に、突然大きな気配が現れる。
 その気配はまっすぐこちらへ向かってくる。
 この反応は、前にどこかで……。
 これは、そう、廃鉱の奥深くで感じた気配に似ている。
「ボスクラスモンスター……」
 どうしよう。どうすればいいの?
 ガイアスさん達は遠くで戦っている。間に合わない。
 ジェイスさん達はもうすぐ倒せそうだけど、回復もしないでボスを相手にするなんてできっこない。
 ダルヴァさんは鍛冶師さんだから、戦えない。
 なら私とルークが、頑張るしかない。
「ダルヴァさん、ジェイスさん達の側を離れないでくださいね。ルーク!」
「お、おい!ジュディ?」
 駆け寄ってきたルークの鞍に飛び乗る。
 私は跳び箱も上手くできないのに、ジュディでいる今ならこんなこともできちゃう。
 だから、私とルークならきっとできる。
「ボスを倒してきます!」
 相手がボスだからって逃げてちゃ、みんなと一緒になんていられない。


 幼稚園の頃、お姉ちゃんがくれた誕生日プレゼントを思い出す。
 恐竜図鑑。
 今思えば、お姉ちゃんらしいって笑っちゃうけど、あの頃はわくわくしながら包みを開けたら怖い恐竜さんが出てきて大泣きしちゃったな。
 怖かったけど、お姉ちゃんと一緒によく読んだっけ。
 目の前にいる恐竜さんも載っていたから、今でも覚えている。
 記憶の中の姿とはちょっと違うかな?腕はもっと小さかった気がする。
 でも鋭い歯も、大きな口も、ぎょろっとした目もそのままだ。
 名前は確か、ティラノサウルス。
『グオオオオォォォォォォォ!!』
 凄く強そう。
 叫び声を聞くだけで身体が震える。
 怖がってちゃ駄目と思っても、身体が言う事を聞かない。
 ルークが私を守るように前に出る。
 このままじゃ戦えない。
 滅多な事では使わないようにって言われてるけど……。
「ごめんなさい、使っちゃいます。【決闘】!」
 身体の芯から、強敵と戦うための力が沸いて来る感覚。
【決闘】でMENが上がったからかな?
 さっきまでの身体の震えはもう感じない。
「いくよルーク!【サンダークローク】!」
 既にティラノサウルスに向かって走り出していたルークの周囲を、バチバチと音を立てて光が包む。

――いい、ジュディ?初見の相手と戦う時は、回避重視で相手の動きを覚えるのよ。殴れる時はもちろん殴るけどね――

 正面から突進するルークに向かって、ティラノサウルスはその太い腕を振り下ろす。
 しかしそんな物はルークには当たらない。
 腕が振り上げられた時には、既にサイドステップで回避している。
 そのまま無防備な脇腹に電流に包まれた角を突き立てる。
『グアアアア!』
 次の瞬間、ルークは弾き飛ばされていた。
 尻尾で叩かれたのだ。
 でも大丈夫、ちゃんと攻撃が当たる直前に後ろに跳んでダメージを減らしていた。
 すぐに体勢を立て直したルークに、大きく口を開けて噛み付いてくる。
 ルークはそれをぎりぎりで避けると、ティラノサウルスの顔を後ろ足で蹴りとばす。
 大丈夫、ちゃんと戦えてる。
 でもやっぱりボスクラスだからか、ダメージがすごく大きい。
 さっきの尻尾の一撃でルークのライフは少し減っちゃったけど、【決死の覚悟】の効果でステータスが上がったおかげで凄くルークの動きが早くなった。
 ティラノサウルスの攻撃パターンもわかってきた。
 一見ルークが優勢に見える。
 けど、ティラノサウルスはどれだけ攻撃を受けても全然効いていないように見える。

――相手の長所と短所を上手く見極めるんだ。そうすれば、どの歌が一番相手にとって効果的かがわかる――

 体力が高い。力も強い。スピードはルークの方が上。攻撃も避けれている。
 こういう時は、相手の長所を活かせないようにするのが効果的、なはず。
「それなら!【破城の譚歌】!」
【破城の譚歌】の効果でVITが下がったティラノサウルスが、ダメージを受けて大きくよろめく。
 ルークのVITも下がっちゃうけど、攻撃はほとんど避ける事ができているから相手のほうが被害は大きい。
 それでも、ボスの攻撃を全て避けるのは難しい。
 何度かルークは相手の攻撃を受けてしまった。
 ライフが減る程【決死の覚悟】で強化されるとは言え、とても見ていられない。
 既にルークもティラノサウルスもぼろぼろだ。
 このままじゃ倒しきれない。
 相手を上回るには、あと一手足りない。
 その一手はあるけれど、危険すぎて躊躇してしまう。。
【決闘】も【破城の譚歌】も、普段は危なくて使わないスキル。
 その上さらに危険を犯すのは怖いけれど、戦うって決めた以上、負ける訳にはいかない。
「信じてるからね、ルーク……【英雄の賛歌!】」
 英雄を称える詩を聴いたルークの身体が、膨れ上がる。
 これを使ったからには、後三十秒で勝たなければならない。
 ルークは雄叫びを上げながら突進する。
 ライフはギリギリ、スタミナももう残り少ない。
 二十秒。
 ルークは果敢に攻め立てる。
 ティラノサウルスの攻撃は、もうルークには当たらない。
 あと十秒。
 振り回されるティラノサウルスの腕を掻い潜ったルークによる、真下から突き上げるような一撃。
 これを受けて、遂に、ティラノサウルスが崩れ落ちる。
「やったぁ!お疲れ様ルーク!」
【英雄の賛歌】の効果が終わり、【力尽きた英雄】の効果で足元が覚束ないのか、生まれたばかりの小鹿のようになっているルークに駆け寄る。
『グルルル』
 ルークの向こうから聞こえてくる、ぞっとするような唸り声。
「そんな……」
 もうルークは戦えないのに。
 今、あと一撃でも攻撃を受けたら、ルークは死んじゃうのに。
 それなのに、ティラノサウルスは立ち上がった。

『英雄と呼ばれる者は時として英雄であるが故にその身を滅ぼすのです』

 ヴェルナールさんの言葉が何度も頭の中を駆け巡る。
【力尽きた英雄】に、相手の攻撃を避ける力は残っていない。

 私は、気がつけばルークの前に立っていた。
 英雄が、ルークがもう戦えないなら、私がルークを守る!
 振り下ろされるティラノサウルスの腕。
「【魔力の盾】!」
 ジェイスさんに貰ったカードが砕け散り、私の周囲を魔力の盾が覆う。
 しかしティラノサウルスの攻撃はあっさりと魔力の盾を打ち砕いて、私は殴り飛ばされた。
【魔力の盾】ではダメージを殺しきれなくて、私のライフはもう少ししか残っていない。
 けれど、これで――私達の勝ち。
「ルーク!【エイムオーダー】!」
 狙うのは、腕を振りぬいた状態で、無防備に晒されたティラノサウルスの喉。
 回転する視界の先で、何かに噛み付かれたような傷のある場所を、ルークの角が貫いていた。


 地面に叩きつけられると思って、ぎゅっと目を瞑って衝撃に備えていたけれど、代わりに柔らかい何かにぶつかった。
「ほいキャッチ!」
「ふえ?」
 恐る恐る目を開けると、メリルさんがいた。
「あ、あれ?メリルさん、どうしてここに……」
 メリルさんだけじゃなくて、ガイアスさんもジェイスさんもゼネドラさんもダルヴァさんも、みんないた。
 ジェイスさんは半泣きで無事で良かったと言ってくれている。
 ゼネドラさんは無言でポーションをばしゃばしゃとかけてくれている。
 ダルヴァさんは満面の笑みで私の頭を撫でてくれている。
 メリルさんはこれ以上力を入れられたらダメージ受けちゃうんじゃないかってくらい強く抱きしめてくれている。
 ガイアスさんはそんなみんなを眺めながら、小さく笑って言ってくれた。
「良くやったな、ジュディ」
「はい。やってやりました」
 みんなの優しさを感じながら、改めて実感する。
 みんなを守れて、良かった。


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