世界の中央に位置する巨大な大陸、ギルドメイン大陸の東部に大陸の名を冠する山脈がある。
そこには巨大な鬼の姿を模した魔王軍の本拠地、鬼岩城が隠されていた。
「うううっ!!」
魔王軍の重鎮が会議に用いているレフトショルダーの間にて魔軍司令ハドラーが唸っていた。
「じゃ…邪悪の六芒星が三つに!?」
魔王軍を象徴する六芒星の星の内、三つが輝きを失っていた為だ。
「ヒュンケル、クロコダインが裏切り、フレイザードが死んだ!!
その為、邪悪の六芒星を形成する三角形が一つ消滅してしまったのだ!」
歯軋りするハドラーの耳に影のような姿をした男、魔影参謀ミストバーンの言葉が突き刺さる。
「こ、これは…まさか我が魔王軍の戦力が半減した事を意味するのでは!?」
「阿呆か! こりゃァ三人の軍団長を失ったって意味だろ?
地底魔城ごと溶岩に飲まれた不死騎団は別として、百獣魔団も氷炎魔団もまだまだ健在じゃねーかよ!」
「だ、誰だ?!」
嘲るような声にハドラーは怒り混じりの誰何の声を上げた。
「…これは…まさか、ついに貴女様が出陣されなければならない事態であるとの判断が下されましたか?」
「ああ、今朝方、とっつぁんに呼び出されたよ。ただでさえ色々と七面倒臭ェ仕事やらされてンのに良い迷惑だぜ!」
蝋燭の灯が届かぬ暗がりから規則正しい靴音が響き、ソレに向けてミストバーンが恭しく片膝を床に着けた。
「み、ミストバーンが膝を!? 何者なのだ?」
狼狽えるハドラーやザボエラを嘲笑うかのように靴音は大きくなり、ついに蝋燭の炎が足音の主を照らし出した。
ハドラーは一瞬、男か女かの判断がつかなかった。
まず背が高い。ヒュンケルと同等か、やや低いくらいか。体の線は細いが、華奢ではなく猫科の猛獣を思わせる力強さを感じた。
次に髪が長い。光の当たる角度によっては青みかがって見える銀色の髪を膝裏まで伸ばし、首の後ろと先端で無造作に縛っている。
顔立ちは眉目秀麗と云える。男性的な精悍さと女性的な妖艶さが同居した美貌が男女の判断を迷わせるのだ。
これでドレスでも身に纏っていれば、舞踏会で多くの紳士達から、是非パートナーにと引く手数多であっただろう。
しかし、目の前の人物は儀礼用と思しき白銀の甲冑を身につけ、深紅のマントを纏っていた。
それだけならば中性的な美貌を持つ騎士と紹介して終わりなのだが、持っていたのは美しさだけではなかった。
まずは目だ。覇気のない濁った目をしていた。どこを見ているのか判らない焦点の定まらない不気味な目だった。
次に顔の左半分を覆っている包帯も目を引いた。しかも所々に赤黒い染みが広がっている。
そして、先程の伝法な口調で言葉を紡いだ綺麗なソプラノもまたハドラーに男女の判断を迷わせた。
「…一同、控えよ。姫様の御前である!」
平素より凄味を利かせたミストバーンの声と姫様という単語にハドラー達は慌てて臣下の礼を取った。
「偉大なる大魔王バーン様のご息女にして、大魔宮バーンパレス近衛騎士団長であらせられるエターナル様だ」
「なっ!? ば、バーン様のむす…ご息女だとぉ!?」
愕然とするハドラーとザボエラに、エターナルと紹介された女騎士は苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめた。
「チッ…とっつぁんが手ェ貸せって云うから何事かと思えばよ。たかが軍団長を三人失っただけじゃねーか!
俺の出番は噂の勇者様がバーンパレスに攻め込んで来るか、その準備をしてる時でも十分だってのに!
ミストバーン! テメェがついていながら何てェザマだよ、オイ!」
『フッ、ミストバーンを責めてくれるな。こやつに非は無い。そなたの召喚はあくまで万全を期す為だ』
邪悪な六芒星の中央に飾られた魔王軍のシンボルの目が光彩を放ち、その口からエターナルを窘める声がかかった。
「ハハーッ!!」
主たるバーンの声にハドラー達は一斉に低頭した。
しかしエターナルだけは苛立ちを隠そうともせずに、腰に手を当ててバーンのシンボルを睨み付ける。
「万全だァ? 不死騎団と軍団長半分を失っただけで随分と弱気になってンじゃねーか?
あのな? 俺だって暇じゃねーンだぞ? 近衛騎士団、仕切るのがどんだけ忙しいか分かるか?」
ハドラーは内心、戦々恐々としていた。
恐怖の大魔王に真っ向から敬語も使わずに罵倒するエターナルがいつバーンの勘気にふれるか気が気でなかった。
『理解している上でそなたを呼んだのだ。デルムリン島で勇者ダイを討ちもらして以来、我が軍は敗北を重ねているのでな。
確かに軍団長を失った事は魔王軍全体から見れば大した痛手ではない。だが、それによってロモス、パプニカを奪還された事も事実なのだ。
ましてや先のバルジ島の戦いにおいては全軍で総攻撃を仕掛けたにも拘わらず返り討ちにあう始末でな、魔王軍の面目は丸潰れだ』
「おい、とっつぁん…まさか俺に魔軍司令をやれってンじゃあるめーな? ヤだぜ。面倒臭ェよ…」
ハドラーの全身がギクリと震え、背中から冷や汗が噴き出した。
このまま自分がお役御免になれば、未来に待つものは確実なる死以外の何物でもないだろう。
しかし、バーンの次の言葉で、ハドラーは自分の首がかろうじて繋がった事を悟った。
『案ずるな。余は寛大な男だ。そなたも知るように失敗も三回までなら許すつもりだ』
「まあ、ロモス、パプニカを奪い返されて二回、バルジ島の件で三回…後は無いけどまだ許されてるってことか」
エターナルにジロリと睨まれて、ハドラーは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
まだ人間で云えば十六、七歳ほどの娘に、齢三百五十七を数えるかつて魔王を名乗っていた男が気圧されていた。
「ンじゃあ、とっつぁんは俺に何をさせてェンだよ?」
『うむ、そなたには今日より魔軍顧問の任に就き、魔王軍の今後の為に尽力して欲しい』
「顧問だァ? 要は魔軍司令殿の補佐をしろってことかい?」
エターナルは露骨に厭そうな顔をしてバーンのシンボルを見て、すぐに呆れたように表情を弛緩させた。
『そうだ。知恵を貸すにしろ、共に出撃をするにしろ、そなたの自由で構わぬ。
思うに軍団長同士の足の引っ張り合いも我が魔王軍の大きな敗因であろう。
そなたの仕事は各々の軍団が勇者ダイ討伐に当たる際に最大限の力が発揮できるようにする事だ』
「なるほどな…立身出世や保身の為に抜け駆け、騙し合い、牽制とお互い色々やってるわけだ…馬鹿だな、アンタら」
、
どこから取り出したのか葉巻を咥えると、エターナルは不機嫌のまま紫煙をくゆらせた。
「ようがす。やってやるよ…で? まずは誰のサポートをすれば良いンだ?」
「も、勿論、大魔王様の信用を回復する為にも、この私自身がダイ抹殺に赴く所存!!」
「そうはいかぬ!!」
このままでは処刑は免れぬと必死に自分を売り込むハドラーであったが、鋭い一声が彼を押しのけた。
「次にダイと戦うのは…この竜騎将バランと決まっておる!!」
「ば、バラン! もうカールを滅ぼしたのか!?」
あからさまに顔を強張らせたハドラーには目もくれず、エターナルは胡乱げにバランを見つめた。
「あー…まだ超竜軍団が残ってたンだっけな…じゃあ、魔軍顧問としての初仕事は、かの英雄バランとご一緒ってか」
気乗りがしないと云わんばかりに欠伸を噛み殺しながら、小指で耳をほじる様は仮にも姫様と呼ばれるような人物がする事ではない。
「姫様! 今更お淑やかにとは云いませぬが、もう少し大魔王の姫という自覚をお持ち下さい」
「るせぇな! 固ェ事云うなよ、ミストバーン。騎士ってェ商売はな、体が資本だからお上品にやってらンねーンだよ!」
「騎士だからこそ品格を問われると思われますが…それよりも、今回は私の出番という事で宜しいですな? 魔軍顧問殿?」
「ほぅ、俺にツッコミ入れるたァ良い度胸だ! 気に入った。家でとっつぁんとファッ○して良い!」
「御免被りますな。では、私は出陣の用意を…失礼」
踵を返すバランを慌ててハドラーが引き止める。
「待て! この場は俺に任せて貰おう!」
だがバランは一顧だにしない。
「魔軍司令殿…貴方の口実は最早聞き飽きた! 私は既に貴方が私をダイに近づけたがらぬ理由が読めている!」
ハドラーの顔は凶相と呼んでも差し支えない程の形相へと変わっていた。
「あの少年…勇者ダイは…」
「竜(ドラゴン)の騎士…だろ?」
先程までの不機嫌さなどどこに行ってしまったのか、エターナルは愉快そうに口の端を吊り上げた。
「ど、竜の騎士とは…まさか、あの!?」
『知っていたのか、エターナルよ?』
驚愕するザボエラの声と重なってなおバーンの声はよく通る。
「俺が鍛えた近衛騎士団は裏に回れば諜報機関としての顔もあるンだぜ? 再三再四、勇者ご一行を救ってきた謎の紋章…すぐ調べるに決まってンだろ?」
さも当然だと云わんばかりのエターナルに対して、ハドラーは生きた心地がしなかった。
「人が悪いですな、魔軍顧問殿…では、任せていただけますな?」
「ああ、行ってこいや。お膳立ては俺がしといてやる…あとはお前さん次第だな」
何やら含みのある云い方をし、続いてウインクするエターナルに、常に険しい表情をしているはずのバランが頬を弛めた。
「ふっ、魔軍司令殿と違って話が解る。頼りにしていますぞ、魔軍顧問殿」
するとエターナルは顔を顰め、バランを睨み付けた。
「ンな堅っ苦しい呼び名はやめてくれ。気軽にターさんとでも呼んでくれや」
いきなりの要望にさしもの冷静なバランも軽く目を見開いた。
『流石の竜騎将バランも驚くか。何、エターナルは様付けや役職名で呼ばれる事を嫌う性格でな、気に入った相手にはそう呼ばせるのだ。
様付けは厭だ。エターナルさんでは長すぎる。エターさんでは語呂が悪い。そして出来上がったのがターさんという呼び名という訳だ』
威厳も何もあったものではないであろう、と締めたバーンの声は若干の笑いが含まれていた。
「さて、話が決まったところで、とっつぁんからもう一つ頼まれてた事を済ますとするか」
そう云ってエターナルはバーンのシンボルが刻まれた鍵を取り出すと、邪悪の六芒星へと近づいていく。
「裏切り者のワニちゃん達はこの鬼岩城の位置を知ってやがるからな。移動させにゃァ面倒な事になる」
「い、移動ですと?」
訝しむザボエラにエターナルは悪戯好きな子供のような笑みを向けると、鍵をバーンのシンボルの口へと挿入した。
途端に鬼岩城が震え出し、なんと地響きを立てながら城が持ち上がったのだ。
「きっ、鬼岩城が動く!?」
持ち上がった鬼岩城に周囲の岩が集まり、一体化していく。
やがてそれは腕や脚を形作り、さながら巨大な鬼神のような姿へとなっていく。
「さあ、楽しい楽しい世界旅行の始まりだ」
エターナルの声を合図に鬼神は一歩一歩前進を始める。
「鬼岩城にこのような秘密が…正に素晴らしきはバーン様の超魔力でございますな!」
一同はしばし呆気に取られていたが、いち早くザボエラが復帰してバーンへの賛辞を述べた。
「このジジイ、意外と胆力があるのな…年の功か、その辺は見習うべきか」
抜け目なく強者に取り入ろうとするザボエラにエターナルは苦笑を禁じ得なかった。
しかし、その苦笑はやがて酷薄な冷笑へと変わっていく。
「勇者ダイ…本来ならば魔王軍で執行するはずだったフレイザードの処刑を代わりにやってくれた餓鬼か…
バランとのお膳立ても大切だが、まずは手間を省いてくれた礼をしに行くのも悪くはないな」
巨大な鬼岩城を動かすバーンの魔力に畏怖を感じているのか、真剣な表情で窓の外をじっと睨むバランがいる。
そんなバランに聞こえないほどの小さな声でエターナルは、悪いなと呟いた。
「ま、凹ますほどボコボコにするつもりはないし、魔王軍の先輩からの手荒い歓迎と思ってもらうさ」
そこでエターナルは不敵な笑みを浮かべ、ダイとの初顔合わせに想いを馳せる。
「…まずは魔王軍の本当の怖さを体験させてやるか。その上でバランとのセッティングをすれば案外スムーズにいくかもな」
不意にエターナルの体が前傾する。
「…と、その前に差し当たって必要な物は…エチケットぶぐろわあっ!!」
「な、なんじゃっ!? え、エターナル様がっ!?」
「いきなり嘔吐されたぞっ!? え、エターナル様は体調が優れなかったのかっ!?」
「姫様! お気を確かにっ!」
『ふむ…エターナルは子供の頃より馬車などの乗り物に弱かったからな…歩く鬼岩城の振動でやられたのであろう』
ハドラー達はおろかミストバーンさえも焦りの言葉を発し、混沌の場と化したレフトショルダーの間でバランの溜息が騒音に掻き消された。
「魔軍顧問エターナル様…自らをターさんと呼ばせる御方か…魔王軍も色々なのだな…」
しかしバランの顔には失望の色は無く、呆れを含んだ苦笑である事に本人は気付いているのだろうか?
「まったく不思議な御方だ…初めてお会いしたというのに、これだけの醜態を晒しているというのに、私は既にこの方を信じ始めている」
エターナル達の騒動を尻目に、バランは窓から夜空を見上げる。
「もうすぐだ…もうすぐ会えるぞ。待っていろ、勇者ダイ…否、ディーノよ!」
バランの呟きは夜空に消えていった、と表現できれば綺麗に終わるのだが、やはりエターナル達の騒ぎに掻き消されたのだった。
「おらぁっ! 俺はまだピンピンしてるぞォ! どうした、来いや、振動! おらっ! かかって来いやァ!」
『いい加減にせぬか! 酔っ払っているのか、そなたは!?』
「酔ってねーぞォ! ターさんは絶対に鬼岩城酔いなんてしてないからなっ! うぼえぇっ!!」
「…本当に信じて良いのだろうか…」
バランの溜息はまたしても騒動に掻き消されたのであった。