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[12354] ゼンドリック漂流記【DDO(D&Dエベロン)二次小説、チートあり】
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2024/02/10 20:44
・この作品はサービスが終了したネットゲーム「Dungeons & Dragons Online: Stormreach」の二次創作小説です。

・ゲームキャラクターのデータを一部引き継いでストームリーチに主人公がトリップします。

・この作品には、ゲームのクエスト内容及び登場するD&Dの公式シナリオなどについてのネタバレが数多く含まれています。

・ゲームおよびTRPGのルールを大きく逸脱した運用や解釈などが行われることがあります。
 ルール的な解釈につきましてはこのSS内独自の設定と思って流してくださいますようお願いいたします。

・ゲームやTRPGでの設定に関する独自解釈が多く含まれます。特に後半に進むにつれてどんどんと恣意的な解釈・独自の設定が使用されます。大半については公式設定ではありませんのでご注意ください。

 Arcadia様メンテ時の対応として。ハーメルン様へも投稿を行っております。

[ゼンドリック漂流記] はファンコンテンツ・ポリシーに沿った非公式のファンコンテンツです。ウィザーズ社の認可/許諾は得ていません。題材の一部に、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の財産を含んでいます。©Wizards of the Coast LLC.



[12354] 1-1.コルソス村へようこそ!
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/01/31 15:29
「まったく、妙なことになっちまったもんだ・・・」


薄暗い部屋のベッドに寝転がりながら、癖になりつつある独り言を呟く。

寝台には薄い敷物とタオルケットが一組だけ。

元が熱帯に近い地域という設定だったためか、他に寝具は見当たらない。

普段ならこれで十分だったんだろうが、何分、今この村は異常気象で雪が降る有様。

夜を過ごすにはいかにも心細い相方である。

仕方がないので身に着けていたブレスレットを操作し、冷気抵抗の加護が付与されたローブを取り出して装備する。

便利なことに、ローブの装備を意識しただけで装着完了。感じていた寒気は加護の効果かまったく感じない。

元々着ていたジャージは、おそらく入れ替わりでブレスレットに収納されたんだろう。

ゲーム中でも鎧類と違って衣類やアクセサリーは一瞬で着脱可能だったが、体感してみるとまったくもって異常な現象である。

仰向けになって手を伸ばすと、自分の育てたキャラクター達が収まっているであろう、ブレスレットが視界に写る、


「こんなことなら、全部のキャラクターを人間で作っておけば良かったなぁ」


園城十里《えんじょう・とおり》。元35歳会社員独身で趣味はネットゲーム。

今日からエベロンワールド、ゼンドリック大陸の漂流者である。











ゼンドリック漂流記

1-1.コルソス村へようこそ!










気がついたら雪の降る浜辺で寝ていた十里。彼は近くにいた冒険者に難破船の生存者と勘違いされた。

(夢じゃねーかな?)

と寝起きの頭で考えているうちに周囲の冒険者たちはあれよあれよと話を進めていき、

邪教を崇拝する魚人の住む洞窟に十里を含めた、たったの4人で突撃することに。

その挙句に魚人を虐殺してお宝を回収し、洞窟を通り抜けたところでこの村に到着したとたん、十里を一人で放り出したのである。。

確かにゲーム開始直後のプレイヤーにはわかりやすい展開だったのかもしれないが、

もうちょっと話を聞いてくれてもいいんじゃないかと思うのだった。


「まあチュートリアルはあれくらい強引なほうがいいのかもしれないけどさ・・・」


かつてモニターの向こうから見ていた画面を思い返しながら苦笑。一体今の自分はどんな風に見えているのだろうか。

ほうほうのていでたどり着いた酒場で戦利品を換金し、キツい味付けの食事をとって個室に滑り込んだ。


「しかし、異世界トリップってやつか。しかもゲームで遊んでいた世界ときた」


食事をしたせいか、考え事をする余裕が出てきた。そのために(割合)高い金を払って個室にしたというのもある。


「普通ならゲームキャラのスペックを継承してるっていうのがセオリーなんだろうけど」


そう呟きながら自分の操っていたキャラを思い出す。


「サービス終了が決まってからは、さっぱりプレイしてなかったもんなぁ」


目を閉じると、OPムービーに続いてキャラクターセレクト画面。馴染み深い、少し懐かしい音楽が流れる。


「ん?」


上から順にキャラクターを思い出していくと、特定のキャラクターで違和感。


「なんだコレ。ログインできる?」


意識の中のキャラクターセレクト画面で、ログインボタンを押す。

その瞬間、足元から自分の体を包むように白い翼が生えてくるエフェクトが発生した!


「うおお、なんだこりゃ!レベルアップ時のエフェクトか!」


エフェクトが収まると同時に、体の中に何か満ち溢れるような感覚が。


「他のキャラもいけるのか?よし!」


頭の中で複数のウインドウを展開。違和感を感じるキャラクターを選択してログインを意識する。


「よっしゃ来た!これで勝つる!」


発生するエフェクト。その度に、最初に感じたものとは別種の力が溢れてくるのを感じる。自分の視野が広がり、感覚が鋭くなるのを正に肌で感じる。


「うっひょー、俺の天下来たなこれは・・・ってあれ?なんか抜けてく?」


エフェクト発生時に満ちていた気が体から抜けていくのを感じる。


「おや、まて。どうした、いくな俺の力!」


踏ん張ってみたり適当な構えを取ってみるも、その甲斐なく気は霧散していき、最大時に比べれば無いも同然の量で落ち着いた。


「おっやー、今のはレベルアップ時のステータス全快効果なのか。ってすると、今の俺のステータスは?」


《トーリ  ヒューマン  男性  Lv.1  Ftr/Rog/Wiz/Brd/Bbn/Sor/Mnk   Exp   850/5000》


「ってレベル1かよ! 俺の興奮を返せよっ・・・てなんだこのクラス。チートってもんじゃねーぞ」


普通はレベル毎にクラスを割り振る、そのマルチクラスも3種類までが上限である。1Lvで複数のクラス持ちはあり得ない。


「そういえば、オンライン版の元になったTRPG版にゲシュタルトとかいう変なルールがあるんだっけか?

 日本語版ならともかく、未訳サプリなんか手つけてねーぞ」


それにしたってせいぜいクラス2つが関の山である。それ以上のマルチクラスなんぞ聞いたことも無い。


「一応キャスター系クラスがあるってことは魔法が使えるのか。《ジャンプ》」


使いたい魔法を意識すると、必要な動作・詠唱・物質要素が脳裏に浮かぶ。

片手で簡単な手振りを行いながら、もう片方の手でブレスレットから必要な物質要素を取り出す・・・・


「ってなんだ?このブレスレットの中にアイテムが入ってるのか。っていつの間にこんなの身に着けてたんだ俺」


原材料不明の糸に結ばれて、10個の小さな宝石が結び付けられている。そのうち7個は青く輝いているが、残る3個はくすんだ灰色である。

意識してみると、それぞれの宝石の中にアイテムが収納されているのを感じる。


「この装備はFtrの・・・こっちはSorか。なるほど、ログインできたキャラに宝石が対応してるんだな」


調べてみると、7キャラすべてのアイテムを取り出すことが出来るようだ。収納も一瞬。装備している武器を入れ替えることも出来る。


「これは便利だなー。重い荷物を持つ必要もないし、置き引きの心配も無い。

 それにゲーム中であった、アイテムの装備レベル制限もないのか。

 お、それに現金も7キャラ分か。街が買えるレベルなんじゃないのコレ・・・」


カンスト寸前まで溜め込まれた金額は1キャラで420万PP。1PP(PlatinumPieces)=10GP(GoldPieces)=5万~20万円くらいか?

ちなみに1GP=10SP(Silver)=100CP(Copper)であり、1SPが職人一人の日当1日分である。

物価が違うから一概には言えないが、少なくとも現時点で一生遊んで暮らせる量であるのは間違いない。


「しかし、そのためにはまずこの村を出ないとな」


すでにこの村の連中には、俺が難破船の生き残りだということで話がされているはず。

見慣れない服装(ジャージ)で漂流していた人間が、突然どこからともなく大金を取り出してきたら怪しいことこの上ない。

それに今いる島唯一の村であるここコルソスは、魚人の神を崇める邪教カルトに包囲され、海路はホワイトドラゴンによって封鎖され、

近寄る全ての船はブレス攻撃で沈没させられるという完璧な孤島状態なのだ。

それにこんな辺鄙な村ではロクな暮らしはできそうにない。大都市にいかねば、金の使い道もないだろう。

それに大都市にいけば高レベルの呪文使いがいるはずである。

神格の介入などの手段を用いることが出来れば、現実に帰還することもできるかもしれない。


「自分で使えればいいんだろうけど・・・・なんで俺はClrを人間で作っておかなかったんだ」


そう、この世界には神がいるとされており、彼らの直接介入を求める呪文が最高レベルの信仰呪文に存在しているのだ。


「だがまぁ、秘術呪文でもゲーム内では実装されてなかったけれども《ゲート/次元門》のスペルがあるわけだし。

 ひょっとしたらそっちの方向でなんとかできるかもしれん」


滅多に用いる機会のない、TRPG版の高レベルに設定されている呪文を思い出しながら考える。


「ま、とにかく今日はアイテムの整理をして寝ることにしよう。

 明日はこの世界についての情報収集だな」


ここがゲームの世界なのか、ゲームの元となったTRPGの世界なのか。それとも、そのどちらでもないのか。

ベッドに横になりながら、ブレスレットを睨み付けた。




[12354] 1-2.森のエルフ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/11/22 08:34
「なんじゃこりゃあ!!」

朝、宿屋の外で井戸から水汲んで顔を洗おうとしたら。

そこに写っているのは仕事に疲れて加齢したおっさん顔ではなく、20歳くらいに若返った自分の顔だった。










ゼンドリック漂流記

1-2.森のエルフ









「そういえば、TRPG版のプレイヤーキャラの開始年齢は[15+2D6]才だったっけ?」


最初に選んだ職業によって違った気もするが、複数の職業を持っている自分の場合、最大値が適用されたんだろう。


「うーん、しかしこれでゲームの世界よりはTRPGの世界の割合が高くなったな」


ゲームのほうは、洋ゲーだけあってヒューマン・男の顔グラフィックは見事なおっさん顔のみだったのである。

このキャラデザインのせいで日本人受けしなく、サービス終了にも繋がったという噂もあるほど。


「イベントはゲーム準拠、基本ルールはTRPG準拠ってところか?

 確かにゲームよりはTRPGのほうが実装されているデータ量が桁違いだし、色々出来そうではあるな・・・」


このエベロンという世界は、D&DというゲームをMMOとして作り上げるためにデザイナーを公募した世界ではあるが、

同時にTRPG版としても数々のサプリが出版されている。


「しかしそうなると、エグいモンスターの類も実装されているだろうことに・・・うへぇ」


冷水で顔を洗ってサッパリしたつもりが、朝から嫌な気分になってしまった。


「とりあえず朝飯にしよう」


ちなみに昨夜宿泊したのはこの村唯一の酒場でもある。この世界では1F酒場、2F以降が宿屋というのが基本スタイルらしい。

"波頭亭《ウェーヴ・クレスト・タバーン》"の正面に回り、カウンターに向かう。


「おっちゃん、なんか食べやすいもの頂戴」


ここのオーナーはシグモンドさん、どうやら冒険者上がりらしい人間のおっさんである。

どうやらこのコルソス村にはガランダ氏族の宿はないらしい。まぁ田舎だし、こんなところまで進出してないんだろうね。


「よお、トーリだったか。今仕込みの最中だからもうちょっと待ちな。

 昨晩はよく眠れたかい?」


「雪の積もった砂浜に比べれば寝心地は極上だったさ。

 この村の中には、寒波があまり入り込んでこないようだからね」


そう、この村にも雪は降っているものの、気温はそんなに冷え込んでいないのである。

まあ極寒のシベリアだったとしても、《上級冷気抵抗》のローブを着ていれば問題ないのではあるけれど。


「ああ、元々この村には外敵からの備えとして結界が用意されているからな。

 そいつがあのくそったれの白竜の冷気からも村を守ってくれているのさ」


カウンターの奥でガサゴソと何やら作業をしているオーナー。そういやそんな設定もあったっけな・・・。


「ほい、とりあえずこれでも食いな。この朝食分までは昨日の宿代に入ってるぜ」


出てきたのはパンとサラダ、それにスクランブルエッグというスタンダードなメニューであった。うーむ、これは何の卵なんだろう・・・。

こわごわとスクランブルエッグをつついていると、階段のほうからガヤガヤと大勢が下りてくる音が聞こえてきた。

どうやら大部屋などに泊まっていた他の連中も動き始めたみたいだな。


「おーい、おやっさん!こっちにも飯を頼むぜ!」


ガタイのいい男の集団がテーブル席を占拠していく。こうして見ているとほとんどが人間だな。


「いま用意するから待ってろ!一斉に騒ぐんじゃねえ!!」


突然大勢が食事を要求するもんだから、シグモンドさんは大変そうだ。


「アイーダ! ちょっとこっちにきて皿ぁ運んでくれ」


「はーい」


オーナーが裏手に向かって声を掛けると、娘さんかな?10才くらいの少女がテケテケと店の裏手のほうからやってきた。


「このお皿もっていくよー」


そういって料理の盛られた大皿を危なげなく運んでいく。なるほど、大部屋だから料理もまとめて大皿で出てるのかな?

案の定、皿が置かれるや否や、テーブルの上は奪い合いの戦場と化している。

そんな騒がしい店内をスルスルっと通り抜けながら皿を置いて回る少女。見事なものである。


(そういえばパッチがあたってこの村が導入される前には、この女の子の無くしたネックレスを見つけてあげるってクエストオプションがあったな)


どうやら見たところ、彼女は今はネックレスをしているようだ。

手癖の悪いコボルドが村に侵入しているわけではないので、盗まれたりはしていないってことなんだろうな。


「お兄さん、食べ終わってるみたいだからお皿下げてもいい?」


カウンターの向こうから覗き込むように話しかけてくるアイーダちゃん。あーなんか癒されるなぁ。

チュートリアルで一緒だったセリマスっていうクレリックは美人だったけどツンだったしね。


「そういや、宿のほうはどうする?

 悪いがこっちも商売なんでね。村がこんな状態だってのはあっても、お代は頂戴するぜ」


皿を運んでいったアイーダちゃんと入れ替わるようにしてシグモンドさんが聞いてきた。


「そうだね。とりあえずもう何日かお世話になろうかな。慣れない土地で野宿するのもしんどそうだし」


実際には百年単位で宿泊できる財産があるのだが、ここでは昨日のチュートリアルの取り分しか手持ちがないように振舞わなければならない。

ガリファー金貨を3枚、ジャージのポケットから取り出した振りをしてカウンターの上に置く。


「何日かこのあたりを見回ってみて、過ごしやすそうな場所が見つかるまではお世話になるよ。

 もっとも、その間にこの状況が解決してくれればそれに越したことはないんだけど」


見たところ、自分以外にも何人かの冒険者がこの宿に滞在しているようだ。

ひょっとしたら彼らがこの村でのクエスト進行を担う主人公なのかもしれないし、

能力と装備のおかげで1Lvにしては破格の戦闘力をもっているとはいえ、出来るだけ危険なことには近づきたくない。

見所のある冒険者がいれば、それとなく誘導して事件解決の手助けをするくらいのポジションを狙いたい。

何せ、これからしばらくのクエストでは主な敵がカルトの狂信者とはいえ人間なのだ。

チュートリアルのときは突然の出来事に頭がついていかなかったことと、相手が見た目からして化け物な魚人だったことからそれほどの抵抗はなかった。

しかし、流石に同じ人間相手に殺し合いを行う、となるとなまじ考える時間があるだけに躊躇われる。


「そうか。だが言っておくが村の外には出せないぞ。

 ちょっと前に村の外を調べて戻ってきた連中が洗脳されていたらしく、結界の要石を破壊しようと暴れたことがあったからな。

 昨日一緒にいたシルヴァー・フレイムのクレリックやらは腕が立ちそうだったから大丈夫だとは思うが、アンタはまだ駆け出しみたいだからな」


(なるほど、セリマスさん達の姿が見えないと思ったら昨日の今日でもう調査に出かけているのかな?)


確か彼らは皆8Lvキャラクターだったと思う。数字自体はもの凄く小さく感じるかもしれないが、この世界のLv上限は20。

ネットゲーの中では次のモジュールでそこまでのLvキャップが解放される予定だったため16Lvでカンストだったのだが、

そんなレベルで既に世界で屈指の実力者であり、異次元から侵攻してくる悪魔の軍団と殴り合いをすることになるのだ。

というわけで8Lvというと小さな都市でも五本の指に入る程度の実力者。こんな寒村では望むべくもない高レベルな冒険者なのである。


閑話休題。



「とりあえず今日のところは村をぐるっと回ってみたいと思ってます。夜には戻ってきますんで、またあの部屋でお願いします」


行ってらっしゃーい、というアイーダちゃんの可愛い声に送られて宿屋を出た。


「うーん、やっぱりゲームのほうでは色々と省略されていたみたいだな。想像していたより広いな」


メインとなる建造物とかは大体ゲーム中の描写と同じなんだけど、建物間の距離とかが全然違う。

まあ包囲されている状態である程度自給自足できるだけの能力があるんだから、当然といえば当然なんだろうけど。


(とりあえず、今の能力を確認するために人気の無い場所を探さないと・・・)


昨日は結局《ジャンプ》の呪文も途中で破棄してしまったため、アイテム整理しかしていないのである。

特に呪文周りのシステムがどうなっているのかはゲームとTRPGで全然違っているので、最重要なポイントである。

確かゲームでは岬の辺りが人気が無かったはず、と思いながら村の外れに足を向けてみるとそこにはちょっとした森が広がっていた。

もう少し進めば崖になっていたはずで、魚人どもも空を飛んだり崖をよじ登ったりはできなかったはずだから野宿のポイントとしても使えるかもしれない。

いざとなったらロープか何かを使ってハンモックなんかを作ってもいいかもしれないな、と思いながら森に分け入ってみる。

しばらくすると、ローグ技能のおかげか侵入者感知の罠っぽいのが仕掛けられていることに気付く。

よくある鳴子タイプのものだと思われるのだが、森を進む際に進みやすい経路を選んでいくと何重にも仕掛けられている様子。


「流石ゼンドリック。こんな村でも備えは万全ってことだなぁ。恐るべしファンタジー世界」


日本ではまず考えられない状況である。まあ代わりにセコムとかないわけだし。あ、デニス氏族の警備サービスみたいなのはあるのかな?

カルチャーショックを受けつつ、罠に引っかからないように森を抜けていくと教室一個分くらいの開けている場所を発見した。

あの仕掛けから察するにここに人が来ることも無いだろうし、おあつらえ向きのシチュエーションである。


「んじゃまずは呪文からかな~。《ジャンプ》!」


呪文を使用すると、体、特に下半身に力が漲るのを感じた。そのまま思い切り跳躍すると、まるで格ゲーキャラのような高さまで飛び上がってしまった。

助走も何もしていないというのに、2メートルは飛んでいたように思う。今ならダンクシュートとか余裕で出来そうである。

その後は不可視の盾を張り巡らせる呪文などを使ってみたが、これについては攻撃してくる相手がいないので効果がわかりづらい。

どうやら念じたところに高さ2メートル、横幅1メートルくらいの障壁が発生しているようだ。

それがどうやら自分の意識に従って、自分の周囲だけだがあっちこっちと動かせる模様。

不可視なのに何故そんなことがわかるかだって? そこはまぁ、魔法だからとしか言いようが無い。

この世界には傘とかないだろうから、雨が降ったときには便利かもしれないなーなどと考えてみた。

残念なことに今の時点で試せる呪文はこの二つくらいで、あとは催眠術的なものとかで相手がいないと使えない呪文ばかり。

リアル魔法使いになった身としてはもっと色々と試してみたいのだが、それにはレベルを上げる必要がありそうだ。

とりあえず分かったこととしては、呪文のシステムはゲーム準拠だということ。

複数の秘術呪文使いのクラスを持っているが、呪文を使うためのSP(スペルポイント)は共通だということ。

片方のクラスでもっている呪文修正特技(持続時間延長などの効果がある技術で、その分SPを多く消費する)は共通で使用できる。

そしてSP最大値については高いほうが適用される、というところか。たぶんHPについても似たようなものなんだろうと推測できる。

今の時点では三つのクラスで選択している呪文が重複がかなりあって無駄なので、今後の成長の際の呪文選択は棲み分けをきっちりする必要があるな。

とりあえず呪文まわりについてはこんなところだろうか。



次は装備の確認である。

どんなものがあるかについては昨晩のうちに確認しておいたが、効果についてはこれからチェックすることになる。

とりあえずジャージの下に装備しておいても目立たなさそうな指輪、ネックレスで効果の高い組み合わせを考える。

あとは靴と手袋くらいは入手場所を誤魔化せれば、余程の目利きが居ない限りどんな効果を持っているかはバレないはず。

この高台に来る前に、船着場で出港できなくて足止めされている船があったので頼めば積荷を売ってもらえるのではないかと思う。

ベルトも嵩張る物でなければ装備できるだろう。

兜とクローク、ゴーグルなどの目立つ部位に装備する類は今は諦めよう。

手首の部位に装備する品物は、このブレスレットが邪魔になるのかどうかを確認だな。

鎧については入手経路が怪しいし、キャラスペック的に身軽さを活かしたほうがいいと思うので当面はジャージのままで良さそうだ。

しばらく悩みながらも、とりあえずは能力値とヒットポイントを補正するものを中心に装備を整えた。

本来であればもっと回避能力の高い組み合わせなども可能だが、見た目などの問題から今のところ難しい。

まあ、複数のキャラクターからいいとこ取りのステータスのおかげで能力値は全て初期最大値+アルファである。

序盤の敵の攻撃は、余程のラッキーヒットでないかぎり食らうことはないだろう。

念のため敵のクリティカルを阻害する装備もつけているため、包囲されてジリ貧、なんて状況にならないように立ち回りを考慮すれば大丈夫だろう。

本来であればカンスト後のレイドクエストを何度も繰り返して入手するアイテムを1Lvで装備しているのだから、まさにチートである。

あと、どうやらこのブレスレットは手首部分の装備と競合しないことが判明。

どうやら《その他の装備品》枠である模様。これは嬉しい誤算であった。

まあ今の時点では腕輪やら腕甲といった目立つ装備をするわけにもいかないので、あまり関係はないかもしれないが。



次に武器である。

チュートリアルで貰ったロングソードが2本あったが、片方の錆びた剣は昨日サッサと下取りに出して宿代にしてしまっている。

やはりこの状況、錆びていても手入れすれば使えるからか武器の下取りは喜んでもらえたようだ。

当面は残った1本で過ごすわけだが、補正された自分の能力での威力を確認しておく必要がある。

邪魔になりそうなのでそこらの木に立てかけておいた剣を取り、立ち木に向かって斬りつけてみる。

ちょうど大人の胴回りくらいある木に横から斬りつけてみたんだが、一撃で半ばまで切り裂いてしまった。

武器に付与されている魔法の効果で、切断面から木の焦げた匂いが漂ってくる。

刺さったままの剣を引き抜いて、今度は両手でエイヤと思いっきり斬りつけてみた。

スパン!といい音がして斜めに両断される木。そして当然物凄い音を立てて倒れてしまう。


「あちゃー、やっちまった・・・・。民家からは離れてるから今の音を聞きつけて誰か来たりはしないよな?」


どうやら強い力を得てしまったせいで調子に乗っていたようだ。明らかに短慮な行動である。自然破壊良くない。


「自重しろ俺。しかしこれだと人間なんか真っ二つだなぁ・・・」


比較的入手が容易な武器でこの有様である。やはり人間相手に斬った張ったは考えたくもない。

甘い考えだろうとは思うが、できるだけ殺人童貞を卒業するのは後回しにしたいものだ。

そんな風に自戒していると、こちらに近づいてくる気配を察知した。


(物音を聞きつけてきたのか?近くにいたのならそりゃあびっくりもするか・・・)


なんと弁明したものかと考えながら顔を向けると、気配のほうから突然矢が飛んで来た!


「うひゃぁ!」


情けない声を上げながらも先ほど行使した呪文であるところの《シールド》を正面に向けて矢を逸らす。

問答無用のヘッドショット。《シールド》無しでも身に着けている装備の効果で展開してる力場でダメージは無かったかもしれないが、

突然自分の顔に向かって鋭利な物体が高速で飛び込んでくるというのは心臓に悪い。

やはり、この世界に威嚇射撃などという生易しいテンプレはないらしい。初手からガチで殺しに来ている。


「いきなり何をするんだ! 殺す気か!!」


気配に向けて呼びかけてみるものの、返ってきたのは矢の返礼。しかも先ほどの一撃で仕留められなかったからか、今度は連射である。殺る気満々なようだ。

慌てて木の影に隠れて遮蔽を取るとトントン、っといい音がして盾にした木に矢の刺さる音が聞こえる。

どうやら木の幹を突き抜けてくるような恐ろしい弓の使い手ではないようだ。襲撃前にも気配が漏れていたし、レベルはそんなに高くはない模様。

さっきチラっと見たところだと、隠行のほうもどちらかというと隠れているというよりは遮蔽をとっているって感じだった。

これならなんとか傷つけずに無力化できるかもしれない。

このまま隠れていても仕方が無いし、相手が接近戦に持ち込んできたら手加減できる自信がまだ無い。なんといっても試し切りの最中だったのだ。

装備を入れ替えて用意を整えるのに一呼吸。もう一呼吸を気合を入れるために使って、男は度胸とばかりに遮蔽から飛び出した!

それを見越していたのか間髪いれずに矢が飛んでくるが、飛んでくる矢を確認して正面から受け止めず、

《シールド》と展開している反発の力場で斜めに逸らしてやれば受け流すことは容易!

それに対してこちらは相手を視認できていればいいのである。


「《ヒプノティズム》!」


視認している相手の精神に働きかけ、《恍惚状態》にする低レベルの呪文である。ちなみに、エロい意味ではない。

レベルの高いキャラクターには全くといっていいほど効果を発揮しないが、低レベルのうちは非常に重宝する呪文である。

しかも今はその呪文に抵抗されないよう、呪文の効果を増強する特殊な杖を装備している。

データ上は呪文成功率を10%上昇させるだけの効果しか持たないが、まあ念には念をというやつである。

どうやら呪文は効果を発揮したようで、相手は棒立ちで矢を射掛けてくる様子はない。

ゲームであれば状態異常を示すエフェクトが表示されるはずだが、やはりそのあたりは実際には見て取れない模様。その代わりに手応えのような感触はあったが。

この状態でいきなり近づくと敵対的行動と見做されてせっかくの《恍惚状態》が解除されかねないので、杖をしまって敵ではないとアピールを開始する。


「なんだか誤解があるようだが、俺は特に村に害を与えるつもりがあったわけじゃないんだ。

 ちょっと手に入れたばかりの武器を手に馴染ませようとしていただけで、その際に勢いあまって事故っちゃっただけなんだよ」


事故っただけで木が倒壊するのかという気はしないも無いが、嘘は言っていない。

説得力を増すために《交渉》判定に修正を得るアイテムを装備している甲斐もあってか、近づいても恍惚状態が解除されない。

さらに近づいて説得を試みる。この呪文はそう効果時間が長いわけではないので、今の間に友好的な存在だと意識に刷り込んでおく必要があるのだ。


「そういうわけで、こちらに敵対する意志はない。武器をしまって、まずは話し合いをしようじゃないか」


こうやってみると非常に悪役くさい台詞であるが、呪文とアイテムの相乗効果でどうやら効き目は抜群のようだ。

はっきりと相手が見える距離まで近づくと、そこにいたのはこれまたファンタジーな存在だった。


「おー、リアルエルフだ! 耳長いし線細いし、おまけに美人だな」


DDOらしからぬ美形なキャラ作りである。金髪で肌は白く、別のネットゲーの世界から来たんじゃないかと思うくらいだ。

しかし、この美人なお姉さんが殺る気で矢を射掛けてくるのである。リアルファンタジーって怖い。

それにどうやら弓以外にも、足元にゴツい刃物を用意してあるようだ。

柄の両側に大きな湾曲した刃物がとりつけられている。確かヴァラナー・ダブルシミターだっけな?

ゲームでは実装されていなかったんだが、見た目からして怖い武器である。

でもどうやら足を怪我している様で、包帯を巻いている。それでは白兵戦は無理だろうな。それで遠目から射掛けてきたってわけか。

相手の状態もある程度把握したところで呪文の効果を解除する。都合のいいことに、相手は呪文を掛けられたことを覚えていないが、説得の効果は残る。


「話を聞いてくれる気になったか?」


「・・・そうだな、私もどうやら警戒しすぎていたようだ。仕掛けていた警報に反応が無かったので、

 崖側からの侵入者と勘違いしてしまった。謝罪しよう」


そう言って弓を下ろしてくれた。とはいってもまだ警戒しているのか、こちらからは目を逸らさずに値踏みするような目でこちらを見ている。


「それで、貴方はどこからあの空き地に辿り着いたんだ?

 村からの主な経路には警報を仕掛けていたし、まさか崖を登ってきたわけではなかろう」


あー、あの鳴子はこのエルフさんが仕掛けたものだったのか。


「警報って途中にあった鳴子のことか?

 てっきり村の人が仕掛けたものだと思ってた」


張り巡らせたはずの警戒網の内側に、突然刃物もった男が入り込んで木を切り倒してたらそりゃ何事かと思うわな。


「驚かせちゃったみたいだな。すまない」


とりあえず頭を下げておく。面倒を避けたつもりが厄介ごとを呼び寄せていたとは、迂闊だったなぁ。


「ま、侘びの代わりといってはなんだが、良ければその足の怪我くらいなら診てあげられるよ。治癒術の心得もあるし」


なんといってもいまこの村は包囲されているんだし、戦える人ではいくらあってもいいはずだ。

それに治癒術はさっき試せなかったし、ちょうどいい機会でもある。

バードクラスのキャラクターを意識し、1Lvキャラでも使える初級の治癒魔法の使用を念じる。


「《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治癒》」


呪文を発動すると、手のひらがぼうっと燐光を放った。

ゲーム中と違って、治癒系の呪文は対象に接触しないと効果を発揮しないようだ。このあたりはTRPG版に準拠している模様。

そのまましゃがみこんで、そっとエルフさんの太ももの辺りに巻いてある包帯の上に手をかざす。

そうすると燐光はスーっと包帯の中に解けこんで消えた。


「どう?ちゃんと治ったかな?

 まだ足りないようならもう一回呪文使うけど」


ゲームと違って何点回復させたか不明なところが不便ではあるが、きっちり呪文が発動した手応えは感じた。

とはいえ最下級の治癒術だから、怪我の具合によっては治療しきれてないかもしれない。こればっかりは聞いてみないとわからないな。


「驚いた。治癒と称して不埒な真似をするようであればその首刎ねてやろうと思っていたが・・・

 私の仕掛けた罠を見破り、矢を受け流し、そして治癒術まで収めているとは。

 見かけによらず腕利きの冒険者であったのだな。大変失礼した」


なんかサラリと恐ろしいことを言ってますよこのエルフさん。 

ひょっとして命の危機だったのか今の。キュアが発動してなきゃ死んでたのか俺。


「私はヴァラナーの戦士、エレミア・アナスタキア。星の花の名において貴方に感謝を。

 無礼な振る舞いを許していただいただけではなく、傷の治療までしたいただいた。

 この恩は先祖の霊に誓って返させて頂く」



一転して丁重な態度で礼を言われたが、その前の発言が物騒すぎて顔の引き攣りが収まりません。


「いや、こちらの振る舞いも誤解されるようなものだった。

 俺はトーリ。駆け出しの冒険者なんでそんなたいした人物じゃないんだ。そんなに丁重にされても気が引けるよ」


治癒術のお試しが出来る上に美人と仲良くできるかも、という下心満載だった自分にはその純粋な気持ちがこそばゆい。

その後、お互いの身の上話などをして打ち解けることに成功した。

何やらエレミアさんもゼンドリックまでの航海中に、白竜の襲撃を受けてこの島に流れ着いたらしい。

その際に足に怪我をしてしまい、なんとか村まで辿り着いたものの持ち合わせも無く。

見ず知らずの人間ばかり、しかも村はこんな状態でいつ荒くれ者達が暴発してもおかしくない、ということで身の危険を感じて

怪我が治るまでの間はと、この人気の無い森で怪我が癒えるのを待っていたらしい。

足も治ったようだし、あんなゴツい獲物を持ち歩いている女性は、いくら美人でももう襲われることはないだろう。

その後彼女には「しばらく宿に泊まっているので、何かあったら連絡してね」と伝えて別れることにした。



[12354] 1-3.夜の訪問者
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/20 18:46
「毎度あり。また寄ってくれ」


港で足止めされている船の商人から色々と買い物を済ませた。

欲しかった魔法のアイテムの類はやはり入手できなかったものの、呪文の行使に必要な物質要素やカモフラージュ用の靴などを仕入れることは出来た。

村を一回りしてから買い物をしたが、村人は不自然なほどにこちらを避けているようだ。

雑貨屋ですら、余所者には物を売ってくれないというのには正直困り果てた。

どうやら、村での行動はカルティストのスパイに見張られているらしい。

隣人がいつの間にか洗脳されてスパイのような活動をしており、余所者と仲良くしているところを見つかるとカルティストに拉致されてしまうそうだ。

この辺りの話はシグモンドも言っていたが、船長であるリナール氏からも同じ話を聞いた。

ゲーム内では一応村人に話しかけることはできていたが、現実ではこちらが近づくのを見ると蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

それに、外出すること自体が恐ろしいのか、出歩いている村人自体をあまり見かけない。

水を汲んだり、食料を調達したりといった最低限の外出を除いて家に閉じこもっているんだろう。

リナールは積み込んでいた積荷の食料に手をつければ一ヶ月は大丈夫だ、と言っていた。

それを過ぎれば自給自足することになるわけだが・・・

いつもは熱帯に近かったこの島が、今は冷気に覆われてしまっているため周囲の植生は激変してしまっている。

海も浜から少し離れた辺りから凍り付いている有様で、漁師が船を出せない状態だ。

シグモンドの話ではまだまだ大丈夫かと思っていたけれど、食糧事情的にはあまりよろしくなさそうだ。

それに、正直言ってこの辺りの料理は味付けが大雑把で、和食に慣れきった日本人には厳しい。

さきほどは船の食堂で少し手の込んだ料理を頂戴してきたが、波頭亭だと基本的に大雑把な料理が多い。

そういえばこの世界に米ってあったのかな?と思いつつ、すっかり暗くなった桟橋から宿への道を歩き出すのだった。











ゼンドリック漂流記

1-3.夜の訪問者










誰もいない無人の野外を雪を踏みしめながら歩く。

日が落ちたこの村では外を出歩いている人などいるはずもなく、またそこらの家からも物音一つ聞こえてこない。

薄く降る雪が音を吸収しているのか、自分が歩く際に雪を踏みしめるキュッキュという音以外は無音。


(昔、田舎に遊びに行ったことを思い出すなぁ)


飼っていた犬と雪原を走ったり転げまわったりしていたことを思い出す。

少し郷愁を感じながら波頭亭に帰り着くと、カウンターで杯を傾けているエレミアさんがいた・・・一体何事か!?


「よおトーリ。アンタにお客さんなんだが。

 帰ってくるのが遅かったな」


少し呆れた顔でシグモンドさんが出迎えてくれる。

酒場を見回してみると、カウンターには大量の空き瓶が並び、周囲には酔い潰れて鼾をかいている男共の群れ。今日は宴会でもあったのか?

気を持ち直し返事をしようとしたところで、映像に続き嗅覚でも惨状を感じることになった。


「酒臭い・・・」


感覚が鋭敏になったせいか、それとも若返って酒に弱くなったのか。不調というほどではないものの、いい気分にはなれそうもない。


「この嬢ちゃんがお前さんを訪ねてきたんだが、留守だと伝えるとここで待つって事になってな。

 最初は大人しく飲んでたんだが、そこに転がってる若い連中が絡み始めていつの間にか飲み勝負を始めやがったせいでこの有様だ」


なんと解りやすい展開。まぁエレミアさんは見た感じレンジャーだ。

エルフとはいえ戦闘職であれば耐久の能力値はそれなりに高いだろうし、一般人に飲み負けることはないだろう。

そういや酒って毒と同じ扱いなのかな。一応毒耐性の装備をつけているが、これを装備していたら酒に酔えないのだろうか。

そんなどうでもいいことを考えて少しいたが、いつまでも現実逃避していても仕方ない。


「で、どうしたのエレミアさん。まだ足が痛むとか?」


「こんばんわ、トーリ殿。

 足はまったく問題ない。お蔭様で万全だ。

 何、昼間の礼に罠と弓で仕留めた獲物でもと思いここに来たのだが。

 ここの酒場は料理も酒もなかなかのものだな。シグモンド殿は見事な腕をお持ちのようだ」 


「ああ、結構いい兎を何羽か持ってきてくれたんでな。明日の食事は期待してくれていいぜ」


狩人などの戦闘力のありそうな連中は、既に結構な数がカルティストの犠牲になっているとのこと。

全員が死んだりしたわけではないが、村の警備などに忙しく本業にはあまり精が出せない状況。

そんな折に貴重な肉分を持ち込んできたエレミアさんは歓迎されたようだ。こちらとしても食事が豪勢になるのは大変ありがたい。


「わざわざありがとう。どうもその手の事は苦手でね。

 自分じゃ狩は満足に出来そうもないし、エレミアさんのおかげで美味い食事にありつけそうだ。嬉しいよ」


「そうか。それならばまたそのうち寄らせて貰おう。私の狩猟の腕で恩を返せるのであれば私も嬉しい」


「その時は店主としても歓迎させてもらうぜ。なんなら定期的に狩の成果を買い取らせてもらってもいい」


シグモンドさんが新しいエールを入れた杯を二つカウンターの内側からこちらに押し出してきた。


「そいつは俺からの奢りだ。また贔屓にしてくれよ」


せっかくの好意なんでありがたく頂戴することにする。

酒については俺が乗って来たことになっている船から流れ着いたコンテナに結構な数があり、

チュートリアルの際にそのコンテナのいくつかをこの村に運び込んだ経緯があるため、潤沢なんだろう。

村人やらがこうやって酔い潰れているのも、久々に酒が補充されて嬉しかったのかもしれない。

ゲームではコンテナを破壊すると小銭が落ちたりしていたが、実際はその中身を運んでこうやって売却することでようやく換金できる。

当たり前だが納得のいく話だな。

酒を飲みながら今日何をしていたかなどの話をエレミアさんとしていると、転がっていた若い連中を片付けたシグモンドさんが戻ってきた。

自然とエレミアとの初遭遇についても話すこととなった。


「そういえばトーリ殿は狩は苦手と言っていたが、あの木を切り倒したところから察するにかなり腕が立つのでは?」


キュピーンと目を輝かせてエレミアさんが尋ねてくる。

む、なんだか良くない話の流れだな。上手く誤魔化さないと。


「あー、使ってる武器に魔法がかかっているからな。そのおかげって言うところが大きいかな。

 剣術はいわゆる道場剣法ってやつで、軽く手習いした程度だ。武器の握り方と構えくらいは習ったけど、実際に使ったことはないな」


そういって腰から下げているロングソードを鞘の上からポン、と叩いてアピールする。

実際にはアイテムチートで筋力ブーストした力任せなんだけど。武器に魔法がかかっているのは確かだけど、切れ味は普通だしな。


「そうか、残念だな。その武器の手馴らしをしているということだから一手手合わせ願おうかと思っていたんだが・・・」


相変わらずナチュラルで物騒なことを言うねこのお嬢さんは。貧弱な片手剣でエレミアさんの凶悪な武器と打ち合うなんて考えたくもない。

実際には見切れるとは思うんだけど、怖いものは怖いのです。

そうやって酒をチビチビと飲みながらのらりくらりと質問をかわしていると、外から誰かが店に向かって駆けて来ている物音が耳に入ってきた。

店内は今はシグモンドさんを入れて三人しかいない。話し声以外は他に雑音もないし、雪が積もっているのでそれを踏みしめる音が夜の村では否応にも目立つ。


(うーん、一人かな?慌てた様子で走っているみたいだし、特に足音を消そうとか考えている様子はないな。

 ということは店にカルティストが襲ってきたというわけではないと思うけど)


こんなことがわかるのも《聞き耳》技能がブーストされているおかげなんだろう。

技能自体は駆け出し冒険者相応ではあるが、技能の元となる能力値がアイテム補正で人外の域に達しているからなぁ。

日本にいたころの自分ではとてもじゃないが足音から人数を察するなんて芸当は出来やしない。

足音の主を確認しようと入り口の扉のほうに顔を向けていると、少し遅れて気がついたのかエレミアさんが椅子から降りてシミターを抜き放てるよう準備を始めた。

酒場に入る際には基本的に武器は即座に使用できないように簡易的にとはいえ紐で封印するのが礼儀らしい、とは後で聞いて知った話。


「大変だシグモンド!! 連中大勢でバリケードに突っ込んできやがった!

 バルダールや息子さんが時間を稼いでくれているが、ヴォーゲルがやられちまった!」


まさに転がり込む、というのに相応しい勢いで村人が酒場に突っ込んできた。

ああ、そういえば村を守っているクリスタルをカルティストの襲撃から守るクエストがあったっけ。

でも導入部分が全然違うけど。 


「フン、何時までたっても俺たちが音を上げないもんだから実力行使に来やがったか」


報告を受けたシグモンドは忌々しそうな表情である。


(あー、これは十中八九巻き込まれる予感)


「そういうわけだ、悪いがウチの若い連中は酔い潰れていて使い物になりそうもねぇ。

 話は聞いていただろう、悪いがお前らにも協力してもらうぜ」


この村にいる時点で運命共同体だからな、とシグモンド。


「ふん、あの忌々しいトカゲもどきの手下か。運が悪かったな、私が連中の崇める地底の竜の元に送ってやろう」


エレミアさんはやる気満々である。そういやこの世界、エルフの不死宮廷は何千年もドラゴンとガチで戦争続けているんだっけ?ドラゴンとは元々仲が悪いのか。


(この流れで「んじゃ皆に任せて俺は引っ込んでます」とは言えないよなぁ)


Noと言えない日本人なのだ、俺は。


「さっきも言ったけど戦力的には期待してくれるなよ。バックアップはさせてもらうけど」


まぁ後ろから呪文で敵を撹乱していればエレミアさんがやってくれるだろう。




というわけで、先ほど宿屋に知らせに来てくれた村人Aに案内してもらって結界の基点となるクリスタルが安置されている洞窟に向かって雪道を走る。


(んー、最悪クリスタルを持って逃げてもいいってことだけど。記憶にあるクエストの建物とは随分違う位置だな)


ちなみにシグモンドは宿を離れるわけにはいかないということで、ここにはいない。

襲撃してきた敵の大部分はバリケードで村に入る前に押し留めたということだが、それでも何人かのカルティストが村の中に侵入したらしい。

何故それで連中の狙いがわかったかというと、攻め手を指揮しているお偉いさんっぽいのが「クリスタルを破壊しろ!」と叫んでいたらしい。


(なんてわかりやすい・・・まぁ陽動の可能性もあるからシグモンドさんは酒場に残ったんだろうけど)


実はこの村の防衛組織はシグモンドさんが組織しており、酒場がその司令部を兼ねているらしい。

今回はそちらへの襲撃も警戒し、このように戦力を分散せざるを得ないのであった。



やがて問題の洞窟が見えてきた。

海岸沿いの丘にある洞窟に扉をつけて倉庫のようにしているという話だ。

既に戦闘は始まっているようで、遠くからでも戦いの雄たけびと剣戟の音が聞こえてくる。

既に入り口の扉は破られているようだが、相手の数はそう多くない。


「先行して敵の動きを止める!」


本来なら遠距離からチクチクやっていたいのだが、何せまだ術者としては未熟。

例の呪文も射程は10mといったところか。

だが今視認出来ている3人は全て効果範囲に捕らえることが出来る。


「《ヒプノティズム/恍惚化》!」


力ある言葉を解き放つと、手応えとともに3人の意識が恍惚化したのを感じた。

幸運なことに全員の意識を奪うことに成功したようだ。まぁ抵抗するには物凄い意志力が必要なわけだが。

呪文を放ったところで足を止めた俺の横を、ヴァラナー・ダブルシミターを掲げたエレミアさんが突撃していく。

立ちすくんでいるカルティストの中央に駆け込んだかと思うと、体全体を使ってシミターを一閃した!

3人の男達は敵意を叩きつけられて《恍惚状態》からは抜け出したようだが、気がついたときにはもう遅い。

エレミアさんの正面の男は上段から振り下ろされたシミターの片刃で袈裟懸けに斬り倒され、

反対側のシミターがその勢いのまま跳ね上がり背後側の男の首を刎ねた。

最後に残っていた一人は突然の出来事に固まっていたが、我に返ったのかエレミアさんに向けて腰だめに刃物を構えて突貫したところを正面から斬り伏せられた。


「こりゃ援護は要らなかったかな」


まさに瞬殺である。実際にはまだ息があるかもしれないが、遠からず出血死することは間違いないだろう。

これで殺人の片棒を担いでしまったわけだが、暗さで死体の惨状があまり見えないこともあってあまり実感がない。直接手を下したわけでもないし。

エレミアさんは既に洞窟の中に突入している。中にまだ何人か残っているかもしれないが、おそらくすぐ片付くだろう。

俺は少し離れたところで様子を見ていた村人を手招きして呼び寄せ、彼を伴って洞窟の中に入った。

案の定そこには既に倒されたカルティストの骸とエレミアさんの姿が見えた。

この洞窟は重要物を保管することを考えているためか二重扉になっているらしく、

正面の扉を破られてもさらに奥に分厚い扉がどっしりと構えている。

どうやら連中はこの扉を破ろうとしているところ、後ろからエレミアさんに攻撃されたようだ。抵抗らしい抵抗をした跡も見受けられない。

カルティストの持っていた『陽光棒』が洞窟の床に転がっており、周囲を薄暗く照らしている。

死体に目を向けないようにしながら陽光棒を拾い上げる。これは簡便なマジックアイテムの一種で、使い捨ての懐中電灯のようなものである。

エルフは夜目が効くので薄明かりでも十分遠くが見えるということだが、こちらはそういうわけにはいかない。

能力値は人外でもあくまでベースは人間。そういった特殊な能力は今のところ無いのだ。

扉の中の護衛への説明は村人に任せて、エレミアさんと外で警戒することにする。

狭い洞窟の中では敵を待ち受けるには不便だと判断してのことである。

表に出たほうが、もっと広い範囲を警戒できるため対応に余裕が出来る。

もっともこれは夜目の効く上知覚能力の高いエルフがいるから出来る手段という気もする。

専門家からしてみれば愚策なのかもしれないが、正直死体の転がっている狭い洞窟にいるっていうのが耐えられない。

まぁスペックでごり押しできるのだから快適さを求めても構わないだろう。エレミアさんも反対しないし。




その後ははっきり言って消化試合だった。

何人か散発的に襲ってくる連中がいたが、かなり早い段階でエレミアさんか俺に捕捉されているために奇襲しているつもりがその裏を取られ。

エレミアさんの弓で射られたり、エレミアさんのシミターに斬られたりである。

俺? 俺だって活躍してましたよ。敵を捕捉したり敵を釣り出す囮になったりで。

どうやら連中は様式美なのかカルトの印章が彫りこまれた特徴的なローブを着ているため、村人と誤認することも無く発見次第矢で射れるのである。

そんなこんなで時間を過ごしていると、やがて夜明けが近いのか水平線が白んでくるのが見えた。


「ふう、ようやく長い夜も終わりか。指揮をしているエラ付どもは光に弱いと聞く。


 幸い今日は雲も薄い。朝になればもう攻めてくることもないだろう」


「へえ、そうだったのか。流石に徹夜は疲れたからな。

 朝で一区切りついてくれるなら助かるな」


ゲームでは昼夜関係なく活動していたような気がするが、そういえばTRPG版ではそんな設定があったような気がする。

よし、今日は寝て過ごそう。

シグモンドに飯を奮発してもらうのは起きてからだな、等と考えていたその時。

そんな気が緩む隙を狙っていたのか、突然海が盛り上がったと思うと、波打ち際から1体の魚人・・・サフアグンが唸り声を上げて飛び掛ってきた!


「く、まさか海を抜けてきたのか?」


現在村から離れた沖合いでは、白竜の寒波の影響か海は凍りついているのである。

その範囲は非常に広く、また氷は分厚い。このため、敵に魚人がいるとはいえ海の方向から襲撃があるとは考えていなかった。

おそらく一度村に侵入してから港へ出て、海に潜りこちらに近づいてきたのだろう。

海の中を進まれては《視認》も《聞き耳》も効果が無い。

だが、ヤツは大きなミスをしている。そのまま奇襲を仕掛ければいいものを、態々唸り声を上げて攻め寄せてきたのである。

獲物を前に舌なめずりとは、三流のすること・・・というのは何が元ネタだっただろうか?

そんな事を考えながらエレミアさんがシミターで斬りかかって行くのを見つめる。

相手はトライデントを両手で構え、突撃してくるエレミアさんに鋭い刺突を放つ!

だがエレミアさんはその軌道を読んでいたのだろう、地面を這うように低い体勢で突き込みを強行突破し、シミターの間合いに入り込んだ。

魚人は既に槍を放った体勢で引き戻すにも時間がかかる。鋭利な牙は恐ろしい武器になり得るが、この間合いであればシミターのほうが速い。






だが、その刹那の後に倒れていたのはエレミアさんだった。

この魚人はまさに「奥の手」を持っていたのだ。

勝利を確信してシミターを斬り上げたエレミアさんの攻撃は、魚人のその背に隠されていた"3本目の腕"が構えた盾によって逸らされた。

さらにその隙を逃さず、同様に隠れていた"4本目の腕"が、攻撃を受け流されて晒されているエレミアさんの脇腹に邪悪な色を帯びたショートソードを突き刺したのだ!

4本腕を掲げ、誇らしげに勝鬨を上げるサフアグンを見て脳裏に閃くものを感じた。

【サフアグン:中型サイズの人怪(水棲) ヒットダイス:2D8+2(11hp) イニシアチブ:+1 移動速度:30フィート、水泳60フィート】

TRPGの中で接していたデータとしてのサフアグンの情報が頭蓋を駆け巡る。

【・・・の種族ボーナスを有する。サフアグンの突然変異体 サフアグンは200体に1体は4本の腕を持っている。こうしたクリーチャーは・・・】

魚野郎は地に臥したエレミアさんに見て満足したのか、次はお前だとばかりにこちらに近寄ってくる。

【サフアグンのほとんどのリーダーはレンジャーである。サフアグンのレンジャーのほとんどは、得意な敵として"人型生物(エルフ)"を選ぶ・・・】

倒れている近づいてくるサフアグンの影に、エレミアさんの姿が見える。"得意な敵:エルフ"。なんてこった。

刺された位置からして即死はない、と思う。まだ意識があるのか、身動ぎしているように見える。

彼女を刺したショートソードは、どす黒いオーラを放っている。奴は海中から来た。毒の可能性は低い。

すると悪属性以外のキャラクターに追加ダメージを与える類の魔法効果か?

ゲーム中でならレンジャーは3Lvで瀕死状態でも失血死しない能力があったが、この世界でも同様の能力はあるのだろうか。

そもそも彼女が3Lvを超えているかどうかもはっきりしない。

昼間確認した通り、治癒呪文は対象に接触することが必要だ。

この敵の横を通り抜けてエレミアさんに接触、治癒呪文で回復させて彼女に任せる?

残念ながらそんな行動をコイツが見逃してくれるとは思えない。

少なくとも通り過ぎる際に1度、呪文の詠唱の隙に2度と攻撃を受けるだろう。

そういった攻撃を放たせる隙を見せずに移動や詠唱を行う技能はまだない。もっと高レベルにならなくては確実性に欠ける。

詠唱を攻撃で妨害されながら呪文を完成させる精神集中についても同様の事が言える。

結論として彼女の命を救うには、目の前のコイツを叩きのめす必要がある。しかも早急に、だ。

だがこちらはまだ白兵戦の技術は未熟。確実に仕留めるには小細工で相手に隙を作る必要がある。

相手との距離は10mほど。腰に下げたロングソードを抜き放ち、剣に付与された魔法の燐光が線を引くほどの勢いで敵に向けて走り出した。

サフアグンのレンジャーはもはや隠す必要もない異形の4本腕を見せ付けるように武具を構え、迎え撃つ姿勢を見せた。

相手の獲物はトライデントであり、リーチの違いで先を越される。

ゲーム中では槍系などの長柄武器は実装されなかったため、どうあっても相手の攻撃が先になるだろう。

だったら『ハッタリ』で相手の意表を衝き、一瞬でもいいから動きを止めれば良い。

相手のトライデントの間合いの外側からロングソードを投げつける!

高い敏捷に補正されたおかげか、本来であれば投擲に向かない両刃剣は見事な軌道で魚人の顔面を強襲する。

こちらを突くつもりでいた槍では防御することも出来ず、相手は多腕を活用して盾で剣を防ぐことになる。

その一瞬、相手の視界は自らが掲げた盾によって塞がれている。狙っていたのはこの一瞬だ。

ブレスレットの中に収められたアーティファクトの中から、一本の武器を指定する。

"ソード・オブ・シャドウ" 《夜天》で打ち鍛えられたグレートソード。影の精髄が込められたこの剣は特別なクリティカルヒット能力を有する。

初期に導入されたレイドのユニークでありながら、長く最強の地位を譲らなかったバランスブレイカーな武器。

この魚野郎には勿体無い一品だが、この剣が最も得意とする敵がこいつらのようなクリティカル耐性のない連中であるのは間違いない。

魚人が体勢を立て直して盾を定位置に戻したがもう遅い。

既にこちらは攻撃モーションに入っているっ・・・

両手で大きく上段に構え、力任せに振り抜いた。

技術も何もない、力任せの一撃。だがその一撃は再び掲げられた盾諸共、魚人の狩人を縦一線に両断した。



[12354] 1-4.戦いの後始末
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:ea1287ee
Date: 2009/10/20 19:00
魚人をレイドユニークで一刀両断した後の事。

とりあえずエレミアさんに《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治療》の呪文を使って血止めを行ったんだが医者でない身には毒や病気の可能性を捨てきれない。

今後のレベルアップではゲーム中ついぞ成長させることのなかった「治療」技能にポイントを割り振ることを決意しつつ、

末期に追加されたクエストのユニーク品の魔法効果《パナセア/万能薬》を使用して念には念をいれておいた。

この魔法にはある程度の回復効果がある上、毒や病気といったバッドステータスを打ち消す効果もある。

昼間試行錯誤したあと徹夜で戦闘になったため、自前のSPが心許なく敵襲に備えて温存しておきたいという考えもあったのだが。

幸いその後は敵が襲撃してくることもなく、夜明けを迎えることが出来たのであった。

ちなみにエレミアさんは夜明けまで目覚めることはなかった。エルフは睡眠しないって話だったが、昏倒はするようだ。

あと、一度瀕死状態までいくと弱い回復魔法をかけたからといって即動けるようにはならないのかな? ゲームとは違うところだが納得である。

目を覚ましたエレミアさんにはまたしてもお礼を言われることになった。

だがまぁ彼女に任せてサポートすらせずに高みの見物をしてしまっていたことも原因の一つではあった。なので


「自分が敵を倒せたのも君が奴の注意を引き付けてくれたおかげ。

 自分はその隙をついて相手の不意を撃っただけだし、むしろ囮のような真似をさせて危険に晒してしまって、謝るのはこちらのほうだ」


と言って貸し借り無し、というところで何か言いたそうではあったが話を打ち切った。

ちなみに一刀両断は流石にバレると不味いと思い、エレミアさんが寝ている間に遺体を冷気の魔法で凍らせた後で蹴り砕いておいた。

後処理をしながら思ったんだが、よく考えれば素手であれば急所を狙わない限り致命的なダメージを与えないはず。

今後人間を相手にすることが多いだろうし、まずは素手戦闘に慣れるべきかな。













ゼンドリック漂流記

1-4.戦いの後始末













夜明けに来た交代部隊の皆に洞窟と後始末を任せ、宿に戻って目が覚めたらまだ昼前だった。

目一杯寝たつもりだし、体からもすっかり疲れが抜けているんだがこれもチート効果なんだろうか?

姿が若返ったこともあって、将来元の世界に帰還できたとしてこのチートボディとの落差がどうなるのか心配だ。

この姿のまま戻るのか? それとも元の姿になるのか? こちらで経過した時間との時間差は?

あまり良い想像が出来なくてヘコむが、正直そんなことは今考えたってどうにもなりはしない、とネガティブ思考を振り払う。

何か腹にいれて気分転換しよう、と1Fの酒場に足を向けた。




階段を降りて1Fを覗き込むと、カウンター内側の定位置にシグモンドさんの姿がなかった。

かわりにカウンター席には奥さんのイングリッドさんが座って、なにやら繕い物をしていたようだ。


「おはようございます」


声を掛けると手を止めて会釈を返してくれた。30半ばくらいの落ち着いた感じのする女性だ。ちなみに3児の母である。

顔を洗って戻ってくるとその間に食事の用意をしてくれたらしく、ブランチを頂きながらこの村についての話を聞かせてもらった。

この村では大昔にサフアグンの大群との激しい争いがあったらしい。その際に村の英雄として活躍したのが『ビオルン・ヘイトン』という男であり、

今でもその男の墓は小さな村には相応しくない規模の立派な墓所に祀られているだとか。

この村を守っている結界を発生させているのは、そのヘイトンの仲間であるカニス氏族のアーティフィサーが島の工房で作成した宝具で、

「カニス・クリスタル」の名で大切にされているとか。

その作成法はヘイトン家に伝えられているらしく、現在は当主のラース・ヘイトンという人物がいるそうなのだが、

サフアグンがこの村を襲ったのと前後して失踪しているらしく、彼といい仲だった娘のカヤがそのせいで気落ちしているとか、

カヤのライバルであるパラディンのウルザを狙っている息子のアスケルがいい所を彼女に見せようと張り切りすぎていて心配だとか。

シグモンドも若いころにこの村を訪れた冒険者であったが、当時のサフアグンの長を討ち果たすも亡霊となって復讐に来たその長を撃退する際に、

生命力をかなり削られてしまい冒険者を引退することになったとかその時の彼は素敵だったわ今も格好いいんだけど!とか。

・・・なんだか途中からは物凄く局所的な話題になってしまっていたが、ゲーム中では語られなかった人間関係が判明して結構興味深かったため退屈はしなかった。

昨日エレミアさんが収穫してきた兎の肉を煮込んだシチューは存外美味しく、夫人に食事のお礼を言って酒場を出た。

とりあえずは昨日襲撃があったって話のバリケードの様子でも見てくるかな。



崖と谷に挟まれた細い道を塞ぐ様に建てられたバリケードは、所々が斧で破壊されたのか向こう側が一部見えるような有様であった。

現在は昨日酔い潰れていたせいで防衛線に参加しなかった村の若い連中や冒険者たちが修復を急いでいる。

このペースであれば今夜までには十分な補強が行われるだろう。

ここの指揮を執っているのは先ほど話題に出てきたバウアー夫妻の息子、アスケル君のようだ。その隣にいるのがウルザさんか?二人とも俺と同い年くらいかな。

張り切って働いている姿を見ると、先ほどの婦人の話からついに微笑ましさからにやけてしまいそうになる。

そんなところを見咎められると余計なフラグが立ちそうだったので、バリケードから離れて例の森の広場を目指すことにした。



とりあえず昨日1日、特に夜のクリスタル防衛の際にわかったことを確認する。

この状態になって初めて近接戦闘を行ったが、やはり経験が圧倒的に足りていない。

ゲーム内であれば筋力の補正で現時点でも非常に高い命中基本値があるはずだ。

だが、昨日の戦闘ではAC(アーマークラス)が大してなさそうな敵にも関わらず、不意を撃つという戦術を取らざるを得なかった。

最終的には筋力補正に任せた力押しだったが、そこに持ち込むまでを戦闘技術だけで構築できる自信がないのだ。

ある程度技量の高い相手には、どう打ち込んでもいなされて下手をすると体勢を崩されてしまいそうなイメージが浮かぶのだ。

それが後ろ向きな発想から来る妄想であればいいのだが、どうやらこれは戦闘技能としての『先読み』の一貫であるらしい。

どう打ち込んだらどう返されるか、というのが頭に浮かぶのだ。

おそらくモンククラスの特殊能力であるACボーナスに由来する能力だとは思うのだが。洞察ボーナスという回避修正があることだし。

防御面に関してはこの能力により戦闘の流れを把握できるため、余程の事がなければダメージは受けないだろう。

だが、相手の防御を崩すような攻撃の組み立てを学ばなければ今後強敵が出てきた際に手札が一つ切れなくなる。

レベルが上がって「基本攻撃ボーナス」というステータスが上がれば解決するのかもしれないが、油断は禁物だ。

昨日のような奇策が通じない場合や、魔法を無効化する手段なんてこの世界には山ほど存在する。

生き残るためには万全を尽くさなければならない。この世界の治安の悪さはヨハネスブルグどころではないのだ。

ゲームの世界と異なりTRPG準拠のエベロンワールドであるとすると、死者の蘇生は呪文としては存在しても、

その行為自体がソヴリン・ホストという一般的に信仰されている善の神々への挑戦行為と見なされるため、滅多に行われないはずである。

特に後ろ盾や信頼できる仲間がいない以上、死ねばそこで終了だろう。

ひょっとしたら死者の世界である『ドルラー』へ行くのかもしれないが、そんなところで意識が擦り切れるまで過ごすなんて真っ平ゴメンである。


「とはいっても今出来ることは素振りくらいか・・・」


村の外へ出ればカルティストやら魚人相手に実戦経験を積むために無双しまくる、というのも考えられるが。

昨日の戦闘では結局ほとんどの敵はエレミアさんが弓で倒している。

これではシグモンドも村の外を探索する許可を出してはくれないだろう。

あるいはエレミアさんとチームというのであれば可能性はあるが、それでは自分の性能を思う存分確かめることが出来ない。

どうしても単独での戦闘力を認められる必要がある。


「そういえば弓とか使うってのがいいかもしれないな」


素振りをしながら考える。

まだ苦手な白兵戦をする必要なく、高い《視認》と《聞き耳》で離れた敵を発見し、一方的に攻撃すればいい。

幸いブレスレットには威力凶悪極まりない何種類かの弓と、放った後もある程度の確率で自動的に矢筒に戻る「リターニング」アローも相当数ある。


「ダメか。強力すぎて出自を疑われる・・・」


おそらくは一撃でそこらの巨木を圧し折り、さらには生き延びたとしても意志の弱いものには「呪い」を付与するような見た目禍々しい弓や、

確率こそ低いものの、矢が刺さったところに派手な落雷で成竜すら一撃で屠るであろう可能性を秘めた弓。いずれも市場では値がつかないほどの品であろう。

そんな宝具を持っているのがバレたらそれを狙った連中に追い回される羽目に成りかねない、それほどの武具である。

逆にそういった特殊な弓以外では、まだそれ単体で勝負できるほどの技量がないのである。


「やっぱりこの村にいる間は地道にいくしかないか」


当初の目標どおり、有能そうな冒険者を見つけて彼らを支援する。

幸いエレミアさんという人材に縁を結ぶことが出来ている。

彼女とあと何人かの前衛がいれば、後方からの回復と敵の攪乱に徹するだけでこの村のクエストは最後までこなせるはずである。

何なら活躍したがっているアスケルあたりを焚きつけてもいいかもしれない。

そんな考え事をしていると、誰かがこの広場に近づいてくるのを感じた。

一応足音や気配を殺しているようだが・・・前回の反省を活かして索敵系スキルの強化アイテムを一時的に装備している俺に死角はないぜ!

昨日斬ってしまった倒木に腰掛けて、休憩を取ることにする。


「エレミアさんも飲む?昨日のお礼ってことで酒場からいい飲み物を貰ってきたんだけど」


そう、昨日に引き続き広場にやってきたのはエルフの娘さんでした。


「・・・やはり気付かれていたか」


振り返ると昨日とは違う装いの彼女が、少し離れたところに立っていた。

現実では見たことはないが、この世界では一般的な装備であるマントを羽織り青草色のブーツを履いている。


(・・・これは一応なにか褒めたほうが良いのだろうか?)


そんな考えが頭を過ぎったが、残念ながら上手い言葉が出てこない。交渉技能を上げれば何か気の効いた台詞が浮かぶようになるのか?

なんて事をノホホンと考えていたら、耳をつなぐ顔表面のラインにチリっと電気が走ったのを感じた。

何かを考える前に倒木から転がり落ちると、顔のあったところを鈍い輝きを煌かせてダブルシミターの片刃が通過していくのが見えた。

なんとか初撃は凌いだがこれでまだ終わりではない!ダブルシミターの攻撃は隙を残さぬ二段構え・・・!

転げ落ちた勢いそのままに立ち上がり、逆の軌道で跳ね上がってくる対の刃の軌道を予測しそこから体を捻って回避する。

連撃を凌いだ後には流石に隙が生じる。その間に地を蹴って一気に距離をとる。一足飛びに10m弱稼いだが、この程度はまだ彼女の攻撃範囲内であると肌が感じている・・・


「・・・やはり、これも凌ぐか」


ほんの10秒前まで感じていたホンワカ感はどこへやら。手放した際にシミターで両断された飲み物入りカップが、今頃草地に落下して割れたようだ。

せっかくの夫人の心遣いだったんだけど。

ようやく思考が肉体に追いついてきたのを感じる。あれ?何で俺攻撃されてるの?

無意識で視線をやっていたエレミアさんを、意識して観察する。まだ攻撃を体勢を解いてはいない。こちらに飛び掛る隙を伺っているようにも見える。


「昨日から貴方のことを観察していた・・・。

 巨木を両断するほどの力を持ち、治癒の術を使う。さらにはエルフの狩人である私よりはやく周囲の異変を感じ取ってみせる。

 今は種族に伝わる気配殺しに身を包んだ私の気配すら察知して見せた。そんな駆け出しの冒険者はいない」


む。どうやらさり気無い振る舞いとかも彼女に違和感を感じさせていたのか。指摘されてみれば確かに不自然ではある。


「そして、極めつけは昨晩の戦闘だ。

 私でさえ不意を撃たれ不覚を取った相手に対し、貴方は一撃で両断してのけた。

 あの時見た大剣の不気味な黒い輝きは今思い出しても空恐ろしい。失われた死のマークとはあのようなものかもしれないと思ったほどだ。

 その上敵の死因を偽装して自分の実力を秘匿する」


意識あったのかよ! 狸寝入りですか!!!

思わず声に出してツッコミそうになるがすんでのところで耐えた。彼女からの殺気が一段と高まるのを感じたからだ。


「それほどの実力と武具を隠し、一体何を企んでいる?」


(・・・どうやら、禄でもない種類のフラグを立てちまったみたいだな)


まったく、村の中は結界のおかげで寒波から守られているというのに俺の心の中はすっかり氷河期のようだぜ・・・

だが、彼女からの殺気は頭を冷やしてくれる。

どうやらマズいところを見られてしまったらしい。意識はないのかと思っていたが、まさかあの状況でこっちの様子を観察しているとは。

特に"ソード・オブ・シャドウ"を見られたのはマズイ。あれは本来ならクンダラク氏族の秘中の秘、《夜天》にあるはずの品物だ。

彼女がその存在を知っているとは思えないし、この世界でも《夜天》や"ソード・オブ・シャドウ"が存在するのかは不明だが、

この武器の放つ存在感はそれだけでただの魔法の品ではないと感じさせるに十分だ。

ひょっとしたら『影のドラゴンマーク』を発現する唯一の種族であるエルフである彼女だからこそ、あの剣のオーラを感じ取ったのかもしれないが・・・。

どうする?消すか?

たとえばこの場で彼女を殺害し、そこの崖から海に向かって死体を放り込んでしまえばあとは魚が処分してくれるだろう。

《レイズ・デッド/死者の復活》には完全な状態の遺体が必要だ。遺体がなければまず蘇る事はない。

その上級である《リザレクション/蘇生》であれば肉体の一部からでも蘇生が可能だが、そもそもそんな高位の術を使える術者はこの世界では一握りしかいない。

さらにここエベロンの世界で、死後先祖の霊と一体化することで種族に貢献するという思想で知られるエルフを復活させようとする奴なんていないだろう。

基本的に死者蘇生の試みには本人の魂の同意が必要なのである。

万全を期すのであれば手持ちのアーティファクトには《トラップ・ザ・ソウル/魂の牢獄》という最上級呪文の効果を持つ道具もある。

これを用いて肉体も魂も封じてしまえば、もはやいかなる手段を用いても彼女から情報を吸い出すことはできないだろう。




・・・馬鹿馬鹿しい。一体俺は何を考えているんだ。

確かに知られたくなかった情報ではある。

このブレスレットの効果は凄まじいし、中に秘められたゲームのアイテムには世界のバランスを崩壊させうるものもあるかもしれない。

それを知られることで狙われたり、陰謀に巻き込まれることだけは避けたい。

だが今彼女に見られたこと程度は、今後冒険者として依頼をこなしていればいずれ漏れる範囲の情報だ。早いか遅いか程度の問題でしかない。

その程度の違いで、わが身可愛さに彼女を殺す?

どうやら昨日の戦闘は思っていたよりもストレスになっていたみたいだな。でなければこんな殺伐とした考えが出てくるとは思いたくない。

とりあえず方向は定まった。その向きに進むためには、今も殺気を向けて彼女をなんとかしないとな。

ブレスレットから"ソード・オブ・シャドウ"を呼び出し、目の前の地面に突き刺す。

一瞬彼女が反応したが、その場から動かずにこちらの様子を伺うに留まったようだ。

敵意がないことをアピールするために突き立てた剣からも数歩さがり、両手を挙げて降参の意志を示す。


「確かに隠し事がないわけじゃない。でもそれはこの村やアンタに害を与える種類のものじゃあ、ない。

 もし俺がその気だったらわざわざ傷の治療をしたり、クリスタルを守ったりする必要はないと思わないか?

 殺すつもりなら昨日殺しているだろうし、村をどうにかするつもりならクリスタルを破壊していただろう。

 わざわざ昨日というチャンスを逃してまで一体俺にどんなメリットがあると?」


我ながら中々の説得力があると思う。だが彼女にはまだ足りないらしい。未だ殺気は収まらない。


「だが何故実力を隠す?

 それほどの実力であれば一人でここを抜けることも可能なのではないか?」


「簡単だ。目立ちたくないんだよ。事情があってね。

 それに、道場剣法ってのも嘘じゃない。昨日だってなんとか不意を撃って武器の力で押し切っただけだ。

 自分の実力じゃなくて道具の力なんだ。分不相応な道具だと思われると不心得な連中が寄ってくるかもしれないし、隠しておきたいんだよ。

 あと、知性のある生き物を手に掛けたのはこの話に巻き込まれた今回が初めてなんだ。

 魚人はまだいいが、出来れば同じ人間やアンタみたいなエルフを殺したくはない」


「・・・・・・・」


静寂があたりを支配した。積雪に耐え切れなくなった枝葉から雪が零れ落ちる音だけが微かに響く。

彼女はこちらの真意を問うように俺の目を見つめている。

言える事は全て言った。これで判ってもらえないのであればもう説得は無理だろう。

彼女との縁は諦めて、他の冒険者を探さないといけないだろうな・・・。


「確かに言い分は通っているが、信用ならないな。これ以上は語る必要もない!」


どうやら説得は失敗の模様。彼女が距離を詰めてくるが、突き立てた剣を支点に周回する事で間合いから逃れ続ける。

しかし、今回の彼女の行動には少し疑問が残る。

もしこちらを問いただしたいのであれば、夜明け前に周囲にほかの人間がいるところで行ったほうが安全だったはずだ。

自分より強いと思っている相手に、わざわざ単独で秘密を問いにいくなんて危険をわざわざ冒すのか?
 
まだ知り合って1日しか経っていないが、少なくとも彼女は悪性ではなく善性に偏っているように感じた。

その彼女が一緒に行動していた仲間(と俺は思っているんだが)を突然攻撃する?

朝方の彼女は何か言いたそうにしていながらも、こちらの言い分に納得してくれていたように思える。

その後、今までの時間に彼女の中で考えを変えるようなことがあったのか?

それよりは寧ろ、村の中にいるカルトのスパイが彼女の思考を誘導してしまったという線はないか?

《チャーム・パーソン/魅了》は初級の呪文だ。彼女がこの呪文によって操られている可能性もある。

『真意看破』技能が高ければ、彼女が呪文に影響を受けているか判断することができるんだがこの技能はゲームでは省略されている。

なので能力値補正だけで看破する必要があるんだが、今の俺では残念ながら判断がつかない。

《魅了》の効果はせいぜい数時間、長くて1日。

ここはなんとか彼女を撃退するしかないか。





やがて円運動に痺れを切らした彼女が、邪魔だとばかりに間に立つグレートソードを無視して円の中央に進んでくるのに合わせ、こちらも距離を詰めた。

残念ながら腰のロングソードを投げる策は使えない。すでに見られているし、万が一当たってしまったら大変なことになる。

ここはもう体を張って止めるしかない。

補正された能力のおかげか、先に中心点にたどり着いた俺は剣を引き抜こうとする。

が、無論彼女はそんな隙を見逃すような甘い戦士ではない。それはさせないとばかりにシミターを振るう。

彼女の狙いは剣を引き抜こうとしているこちらの右腕だ。

こちらはその腕を狙ってくるシミターを狙う!

予測された軌道を追いかけてくる鋼の閃光に狙いをあわせ、一歩さらに踏み込んで左拳をアッパーカット気味に振り上げた。

ガキン!と鋭い音が響いてシミターの軌道は大きく上方に逸らされた。


「何っ!」


両手で武器を振るっていたエレミアは、この姿からは想像もできない力で振るわれた拳に武器ごと両腕を跳ね上げられてバンザイしている状態。

おかげで上体がガラ空きである。


「ちょっと痛いだろうけど、御免ね」


そう言って皮鎧の上から急所じゃなさそうな所に振りかぶった拳を叩きつけた。さらに反対の拳でもう一撃。

その二発目の拳がトドメになったのか、彼女はうめき声を上げて倒れこんだ。


「・・・また狸寝入りだと困るからな」


ダブルシミターを取り上げて、倒木の向こう側へ放り投げた。

忘れないうちに"ソード・オブ・シャドウ"もブレスレットに格納する。

緊張が解けたせいか、シミターに叩き付けた左拳が痛み始めた。

普通あんなことをすれば拳のほうが駄目になりそうなところだが、そこは身に着けている装備の反発力場と強化されているHPのおかげである。

とはいえ一発分のダメージは受けてしまった形になる。一般人ならそれだけで戦闘不能になるダメージかもしれないが、ちょっとした打ち身程度の印象。

とりあえずは自前の《軽傷治癒》でダメージを回復しておいた。

あとは時間が経ってエレミアが目を覚ますのを待つだけだな。

その間に《魅了》の効果が消えていることを祈ろう。









さて、暫く時間が経過してダメージが抜けたのかエレミアが目を覚ました。

結論から言って、やはり《魅了》の影響を受けていたらしい。

目を覚ますや否や、もの凄い勢いで謝罪された。


「恩を返すと先祖の名に誓っていながら、逆に刃を向けるとは!

 どのようにお詫びすればいいのか、もはや言葉を持ちませぬ・・・」 


死後祖霊との一体化を目指すエルフでなければ自決しそうな勢いであった。

だがこのような状態で死んでしまってはご先祖様に顔向けできぬ、汚名を雪ぐ機会を与えて欲しい!と大騒ぎである。

一瞬エロい事を考えたりもしたが、そこは高い意思セーブにより自重。

ひとまずこちらの事情を黙っていてくれることと、近接戦の練習相手として組み手の相手になってくれるようお願いした。

さて、考えなければいけないのは今後の方針である。

今回、敵の目的はエレミアと俺を殺し合わせることで村の戦力を削ごうとしたんだろう。

直接こちらを狙うのではなく、自分の姿を見せずに絡め手で攻めてくる。

文明レベルが普通のファンタジーと比べて高いせいか、どうもこの世界はこういった陰謀が蔓延しているようだ。

普通ならやりにくくて仕方がないところだが、俺はこの村の状況をゲーム知識としてある程度知っている。

村の中にいるスパイのキーパーソンが誰か、判っているのだ。

このアドバンテージを活かして、うまく立ち回らないといけないな・・・。




[12354] 1-5.村の掃除
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/22 06:12
エレミアはどうやら心術をかけてきた相手の顔を見ていないらしい。

ここ数日の動きを見ていれば、森と波頭亭をつなぐ道を張っていればエレミアを見つけることは容易だろう。

おそらくどこかで身を隠した状態から《魅了》の呪文をエレミアに行使し、彼女の思考を誘導したんだろう。

《魅了》の呪文には強制力がなく、例えば自殺を命じることはできない。

だが今回のように疑惑の種を育て、猜疑心から争いを起こすことくらいは誘導次第でできるだろう。

呪文の影響下では、術者のことを親しい友人であるかのように錯覚してしまう。

おそらく、相談に乗るようなフリをして情報を聞き出し、都合のいいように話を持っていったのだろう。

上手くすれば同士討ち、殺し合いまでいかないかもしれないが仲を裂くことはできると踏んだのか。

回りくどい手段を使うだけあって、その辺りの手管はお手の物なのかもしれない。

だが、今のこの状況を逆手に取ることができるかもしれない。

エレミアには嫌な顔をされたが、当面仲違いしたフリをして相手の次の動きを見ることにした。

念のため、彼女には今回のような《魅了》効果を防ぐためのアイテムを貸しておく。

"フラグメント・オブ・シルヴァーフレイム"という名の美しい白い宝石であり、邪を打ち払う銀炎の力を秘めている。

悪に対する防御効果を付与し、悪からの精神操作や精神支配を遮断する《プロテクション・フロム・イビル/悪よりの保護》の永続効果を持つ。

宝石としての価値もあるため受け取るのを渋っていたエレミアだが、

「また呪文に惑わされて襲い掛かられたら困るよな~」と言うと拗ねた表情で引っ手繰っていった。

その後組み手に付き合って貰い、少しはこのスペックに慣れてきたように感じる。

これからは仲違いしたフリをする以上、次に組み手の相手をしてもらうのは当分先になる。

そんなわけで、エレミアには悪いが体力の限界まで相手をお願いした。










ゼンドリック漂流記

1-5.村の掃除









さて、次の日の朝である。昨日一日を組み手に費やしたため、今日から相手の出方を探ることになる。

数日もすれば仲たがいした噂は村に広がるだろう。その際の相手の動きを逆手に取り、スパイを炙り出すのだ。

放っておいても相手はこちらを狙ってくるだろうから、その前にある程度の手を打っておく必要がある。

まずは朝食がてらシグモンドのところに顔を出してくるか。




「そうだな、暇だってんなら娘のカヤがヘイトンの墓所から唸り声が聞こえてくると言っていた。

 墓所のあたりに居るはずだから、話を聞いてみたらどうだ?

 娘の悩みを解決してくれたら何泊分かはサービスするぜ」




ということで村の西にある墓場に来た。そういえばこの世界は土葬なんだろうか。ゾンビとか多いし、きっとそうなんだろうな。

陰鬱な墓所の入り口には、面影にイングリッド夫人を感じさせる娘さんがいた。

普通なら墓所に立っている人に声なんかかけたくはないのであるが、まあ仕方ない。


「貴方がカヤさん?シグモンドから話を聞いてきたんだけれど」


彼女の話を要約するとこうだ。

"共同墓所の奥にあるヘイトン家の墓所(英雄の家系だけあって、特別扱いらしい)から嘆き声が聞こえる。

不気味ではあるが、村人は怖がって誰も様子を見に行こうとはしない。

彼女の愛するラース・ヘイトンは行方不明になっているが、ひょっとしたらこの墓所の嘆き声と何か関係があるのかもしれない。

どうかヘイトン家の墓所に何が起こっているのか確認してきてくれないか"

実際には夫人同様余計なエピソードやらラースに対する惚気話などが存分に散りばめられていたのであるが、

余りにも長いため今回は割愛させていただく。イングリッドさんといい、どうも話が長いのはバウアー家の女性の特徴なのかもしれないな。

アイーダちゃんにはそうはなって欲しくないものである。

彼女の願いを聞き入れて共同墓地に踏み入れると、奥に立派な作りのエントランスがあるのが見えた。

おそらくあれがヘイトン家の墓所なんだろう。

丘の斜面に入り口があり、おそらく丘を掘って巨大な墓所にしていると思われる。

なにせ初代ヘイトンはもう何百年も前の人物と聞く。それ以降の家長を全員埋葬してあるのだ、相当な広さだろう。

少しこれからの作業を考えて憂鬱になったが、気を取り直してヘイトンの墓所へと進んだ。


中は薄暗く、僅かに発光する苔の明かりが足元を照らしているがいかにも心細い。

ゲームでは気にならなかったが、やはり照明は必要だな。

今回は先日船で日用品と一緒に陽光棒を買っておいたのでこれを使用する。片手が塞がってしまうが、今は他に上手い手段を考え付かない。

そのうち別の手段を考えておかないと戦闘に支障が出るな、といくつかの方法を頭にリストアップしておく。




墓所に入ると、カヤが話していた奇妙で不気味な嘆き声が聞こえる。風の通り道があるのであればこんな音がするのかも知れない。

とはいえここは丘をくり抜いて作られた密室である。十中八九、この声の主がいることになる。

少し進んだところで前方に明かりを持った男が立っていて、こちらを確認すると静止の声を上げた。


「見ない顔だが何者だ?

 我々の誇り高い先祖の墓所を汚そうというのであれば容赦はしないぞ!」


「俺はカヤの依頼でこの墓所を調べにきた冒険者だ。そういうアンタこそなんでこんな場所に?」


男はジャコビー・ドレクセルハンドと名乗った。どうやら長い間放置されている間に、この中は巨大蜘蛛の巣になっていたらしい。

ジャコビーは蜘蛛が外に出て人を襲わないようにゲートを閉じ、その見張り番をしているとのことだが・・・。


(ぶっちゃけコイツがスパイだって事を俺は知ってるんだよな。おそらくここの中を村人が調べないようにしているんだろうが)


そう、このジャコビーこそが村のスパイの中心的人物なのであり、おそらく先日エレミアに《魅了》をかけた人物であろう。

だが、ここで奴を糾弾しても何の意味もない。

コイツが村に匿っている魚人どもを、正当な理由で捜索した結果見つけて処分していけば、焦ったこいつが何らかの動きを見せるはずだ。

それまでは猿芝居を続ける必要がある。


「ふん、蜘蛛程度に恐れをなしているようじゃこの村の連中の程度が知れるな。この嘆き声はその先祖様が悲しんでいるんじゃないのかい?

 いいからアンタはそこをどいてお家に帰りな。後は俺がやっておいてやる」


「・・・いいだろう。だが蜘蛛の糞みたいになってから俺に助けを求めても遅いぞ。

 泣き付くなら命があるうちにするんだな」


ジャコビーはレバーを操作し、ゲートを開放した。

これだけ挑発しておけば、エレミアじゃなくてこっちを狙ってくるのではないかという期待あっての口撃である。





その後、墓所の奥にて怪しげな儀式を行っていたサフアグンのプリースト達を退治した。

連中は葬られたヘイトンの遺体をアンデッドとして復活させ、教団の尖兵にしようという企みだったらしい。

すでに何体かの遺体がゾンビやスケルトンへと変成されており、彼らにも再びドルラーへ旅立ってもらった。

アンデッドたちは動きが鈍く相手にならなかったが、プリーストたちは組み手の成果を練習する相手として十分役に立ってくれた。

チート武器を使わずにロングソードを用いて、時折魔法を取り入れた攻撃を行ってくる相手と何合か切り結んだことはいい経験になったと思う。

昨日まではどうも被弾を恐れてか防御に偏ってしまい、その結果腰の引けた攻撃しか出来ていなかった。

だが組み手の結果、攻撃と防御のバランスを適切に配分することがある程度出来るようになったようだ。

とはいえ相手はクレリック、本格的な戦闘職ではない。攻撃は種族由来の腕力と、トライデントという長射程を活かした力押しである。

昨日までの自分も、熟練の戦士から見ればこんな隙だらけな攻撃しかできなかったのかもしれないと思うと正直ゲンナリする。

そういえば結局、昨日の組み手の間はエレミアはシミターを使っても俺に掠らせる事も出来なくて最後のほうはちょっと涙目だったなぁ。

それでいて俺の素手攻撃で気を失っては回復魔法で治療されて組み手再開、というエンドレスループだったのである。

「自分の仕出かしたことに比べればこれしきの事!」と言っていたので、この機会を逃せば当分無理だと思って甘えさせてもらい、長時間つき合わせてしまった。

やはりこの件が片付いたら労わってあげないと駄目だな。




墓所の出口に近づくと、そこにはすでにジャコビーの姿はなかった。

そのままカヤの元にいき、ジャコビーの事は伏せつつ事の顛末を報告した。


「そうでしたか。ラースはここには居なかったのですね・・・」


心配事は片付いたとはいえ、少し期待していたラースの手がかりも無くカヤは少し落ち込んでいるようだ。


「ああ。だが少なくともここで死んでいたわけじゃなかったんだ。きっとどこかで生きているさ。

 彼は村を守った英雄の子孫なんだろう?

 今もどこかで反撃の準備をしているのかもしれない」


そう、ラースはこの島のクエストを完了させるために欠かせない人物の一人だ。

まかり間違ってもこんなところで死なれていては困る。


「ありがとう。そうね、私が彼を信じないと。

 私は彼を直接助けてあげることは出来ないけれど、きっと貴方にはそれが出来るはず。

 お願いします、彼を手伝ってこの村を救ってください」


「まぁ任せておいてくれ。まずはこの村に入り込んでいる魚連中を叩き出して、その次には島からも叩き出してやるさ」


随分と景気のいい事を言ってしまった気もするが、彼女を元気付けられただろうから良しとしよう。

とりあえず今日は宿に戻って、プリーストたちから戦利品として獲得したアイテムの整理でもしようかな。

そう考えながら波頭亭への道を歩いていると、脇道のほうから声をかけられた。


「おい、そこのアンタ。ちょっとこっちに来てくれ!」


視線を返すと、建物の影から手招きしている中太りした中年親父が一人。このご時勢に立派な体格だなぁ。

・・・念のため周囲の気配を探ってみるが、とりあえずこの近辺には他に人の気配はない。待ち伏せとかの危険はなさそうだな。


「そんな物陰でどうしたんだ?

 話くらいなら聞いてあげるけど」


「危険なことを言うなよ。どこからカルティストの連中が見張ってるかもわからないってのに!

 とりあえずこっちだ、こっちの物陰に来てくれ」


おっさんはいかにも挙動不審な目つきで周囲をキョロキョロと見回しながら小声で会話しつつ手招きしている。

まぁ特に害はなさそうだし、ついていくとするかな。


「よし、よく来てくれた。アンタは話が分かりそうだ。さっき声をかけた奴ときたら、まったく耳にもかけやしなかったぜ。あの長い耳は飾りかってんだ!

 だがアンタは違う。アンタのその思いやりの心をもう少しこの村の連中のために使ってやってくれないか?」


どうやらエレミアにも声を掛けたらしい。今この村に彼女以外のエルフはいなかったはずだし。

だがどうやら彼女には相手にされなかったみたいだな。まぁあの挙動不審っぷりでは仕方がないとも思える。


「場合によるけどね。どんな助けが必要なんだ?」


まぁ今はこのおっさんの話を聞くとしよう。



「良くぞ聞いてくれた!

 ここから見える村の北側・・・あそこに倉庫があるのがわかるか?

 あそこの倉庫から、ある巻物を持ってきて欲しいんだ」


お、どうやらまたクエストのフラグが立っていたみたいだな。


「あそこの倉庫には、ラース・ヘイトンが自分の巻物をしまっている部屋がある。

 その巻物を取ってきて貰いたいんだ」


実はこのあたりの初期クエスト群は、このコルソス村のシナリオが採用された際に元々別の場所にあったクエストを改変して組み入れられたものなんだよな。

なのでクエストの中身自体はだいたいわかっているんだけど、細かい話の流れとかは読み飛ばしていたせいもあってあまり覚えていない。

二つ返事で了解してもいいんだけど、ここではゲームと違った流れであることも考えられる。色々と話を聞いておこう。


「なるほど。その巻物があればエラ野郎どもに目に物見せてやることができるってことなのか?」


そう聞くとおっさんは力強く頷いた。


「ああ、昔聞いたところによると、その巻物には将来このコルソスに訪れるであろう災厄のことについて記載されているらしい。

 それはおそらくあのドラゴンのことに違いない!」


「なんでそんな巻物があるのにいままで放っておいたんだ?

 自分で取りに行けばいいだろうに」


「なんていうか、その・・・実は長い間放置していた間に、繁殖してやがったんだ、ネズミや蜘蛛どもが。

 一回取りに行こうとしたんだが、倉庫で一斉に連中に襲い掛かられちまってな。それでアンタに助けを求めたってわけだ」


この世界の蜘蛛やらネズミは洒落にならないからなぁ。TRPGでもスウォームといって群れを成して襲ってくることがあるし、

ゲームでも高レベルなクエストで出てくる蜘蛛モンスターは、道中の雑魚的な位置づけにも関わらず、ラスボスより強いなんてこともあるくらいだし。


「わかった。それじゃあ普通の人には厳しいだろうしね。他に何か気をつけておくことはあるかい?」


「実は前倉庫に入ったときに、無我夢中で逃げ回ったせいでヘイトンの巻物の部屋の鍵をどこかに落っことしちまったんだ。

 だからその鍵も探してもらうことになる。

 あと、巻物が魚連中に奪われないよう、ヘイトンは防御シールドを張り巡らせたんだ。だが、賢いアンタならそいつもなんとかできるだろう。やってくれるか?」


「ま、乗りかかった船だからな。なんとかしてみせよう」


聞いた感じ、特に覚えていた内容との際は無い。確かここにも潜んでいるサフアグンがいたはずだ。渡りに船というヤツだな。


「頼んだぞ。回収した巻物はシグモンドに渡してくれればいい」


指定された倉庫は波頭亭の隣だ。まぁ帰る前に一仕事していくとしますかね。





「うひぃ、気持ち悪い!」

倉庫に入った俺を待っていたのは、物凄い腐臭とホコリにカビ、そして蜘蛛に加えてなぜか動き回るネズミの死体だった。


「ここのネズミってアンデッドだっけ?ゲームじゃ適当に薙ぎ払っていたから細かい雑魚の名前なんて確認してなかったしなぁ」


倉庫に入って他人に見られる心配も無くなったところで、『視認』技能を強化するゴーグルを装備しておく。

他にも魔法の幻術効果を看破する効果とか色々な能力が付与されているんだが、とりあえず今のところは関係ないので説明は割愛。

強化された観察力で、この倉庫のどこかに転がっている「鍵」を見つけなきゃいけない。

ゲームだと奥の部屋のどこかに落ちているんだけど、二度手間をさけるためにも手前の部屋から捜索することにした。

時折足元を狙ってネズミが噛り付いてきたり、天井から蜘蛛がこちらを狙って落ちてきたりと邪魔が入るのを薙ぎ払いながら捜索することはや1時間。

ゲーム同様奥の部屋で、部屋の隅に転がっている金色の鍵を発見した。


(さて、ゲームではこの鍵を拾うと隠し扉の奥からサフアグンが攻撃して来るんだが)


おそらく、こういった人気の無い倉庫を中心にジャコビーは魚人たちを匿っているんだろう。

ひょっとしたらネズミがアンデッドになっていたのは、墓所と同じく自分たちの尖兵として利用するつもりだったのかもしれない。

《アニメイト・デッド/死体操り》の呪文は5Lvクレリックの使用できる呪文である。

先ほどの墓所では実際に5Lvクレリックが儀式を行っているのではなく、呪文の能力を記した『スクロール』を使用することで儀式を行っていた。

『スクロール』は基本的に使い捨てではあるが、より低レベルの術者でも呪文を発動できるようになるため広く活用されている。

この奥に隠れている術者もそういった類かもしれないが、万が一5Lvのクレリックが中にいるとするとエレミアでは分が悪い。

おそらく彼女はまだ3Lvだと思われるので、そのことを考えるとこのクエストは自分が受けていて良かったと思える。

相手が5Lvクレリックだと仮定すると、警戒すべきは《ビストウ・カース/呪詛》や《ブラインドネス/視覚剥奪》のようなバッドステータスを与える呪文だ。

どちらも効果を受けると援護の期待できない状態では致命的な呪文だ。

ゲーム中同様、そういった効果を解除する『ポーション』を持ってはいるが、それを取り出して飲むのは戦闘中では隙が大きすぎる。

《呪詛》については気合で呪文に抵抗するしかないが、《視覚剥奪》については耐性をつける装備がある。

念のため、その装備に付け替えて戦闘に望むとしよう。



隠し扉を操作してその奥に踏み込むと、狭い通路の向こう側でなにやら儀式を行っているサフアグンの姿があった。

隠し扉が開いたことでこちらに気づいたのか、儀式を中断された怒りで牙の並んだ口をこちらに開け威嚇してくる。

"ソード・オブ・シャドウ"で斬りかかればおそらく一撃で切り倒せるだろうが、残念ながら通路は狭くグレートソードを振り回せる広さが無い。

世界最高硬度を誇る『アダマンティン』製であり、おそらく世界最高の切れ味を誇るあの剣であれば通路ごと切り裂けるのかもしれないが・・・

それで通路が崩落してしまっては生き埋めにされてしまう。流石にそんなことになっては生き延びられない。

腰に刺しているロングソードも、突きに使用できなくはないが本来斬りつけるための武器であり、今の状況では使いにくい。

相手は相変わらずトライデントを構えており、今回もこのままでは相手に先手を譲ることになる。

そこでここはブレスレットに収まっている別のアイテムを試してみることにした。

意識下から呪文を充填された秘術の杖・・・『ワンド』を取り出し、離れた間合いから相手に向け振り下ろした!


「《スコーチング・レイ/灼熱の光線》!」


ワンドの先端が赤く輝き、そこから3本の火炎光線が相手に向かって突き進んだ!

一瞬前までトライデントを持つ魚人を有利にしていた細い通路が、今度はヤツの退路を塞ぐ枷となった。

この火炎光線は1本でも馬一頭を焼き殺すほどの殺傷能力を持つ。それを3本、しかも急所に打ち込まれた魚人は、悲鳴を上げるまもなく炭化して崩れ落ちた。

『ワンド』は『スクロール』同様呪文の効果を封じ込めたアイテムだが、巻物と異なり作成時に込められたチャージ回数が切れるまで繰り返し使用することが出来る。

その点は巻物と比較して便利ではあるのだが、反面低レベルの呪文しか『ワンド』には込めることができない。

だが、低レベルの呪文だとしても高位の術者が使用すれば十分な破壊力を持つ。「今のは余のメラだ」というヤツである。

今使用したワンドはそういった高位の術者が作成し、呪文を込めた『ワンド』なのである・・・ゲームでは店で普通に買っただけなので製作現場は知らないのだが。

ちなみに3本の光線を発射できる術者のレベルは11Lvであり、大都市でも一流クラスである。

未だにレベルが上がらず1Lvのままである身としては、自力でそこまでの呪文を使用できるようになるのは遥か先の事であろう。




魚を焼いた独特の匂いが立ち込める中、通路の奥を捜索すると一番奥に水溜りを発見した。

水底はかなり深そうであり、ひょっとしたら村の外に続いているのかもしれない。

聞いたところではこういった倉庫は遥か昔からサフアグンと戦っていたころからある建物を利用しているということだし、

村の外に抜ける非常通路がここにはあったのかもしれない。

それが時を経て浸水したことなどにより村からは失伝され、今回逆にサフアグンに利用されたというところか・・・。

幸いなことに、この通路を開くための隠し扉はこちら側からは操作できない。

どういう仕掛けか、かなり分厚い石造りの壁がスムーズに動いて倉庫とこの通路を遮断しているため、よほどの事がなければこちら側から攻め込まれることはないだろう。

だが、内通者がこの扉を開け放てば、一気にサフアグンたちがシグモンドたちのいる波頭亭に攻めかかることになる。

とりあえずはすぐには開閉できないような小細工をして、仕掛けについてはシグモンドに報告することにしよう。






巻物を囲んでいた防御シールドは簡単なパズル仕掛けで、すぐにシールドを解除することが出来た。

一応パズルのパネルを操作するのに、少し深めの穴に指を差し入れる必要があったのが一工夫されているところだろうか・・・。

指の間に水かきがある水棲生物には確かに骨の折れる作業なのかも知れない。






2クエスト分の戦利品と、巻物を持って波頭亭に戻る。

戦利品は連中が持っていた幾許かの宝石と、未使用で残されていた《死体操り》のスクロールである。

墓所の件と倉庫の件について報告し巻物を渡すが、それを開いたシグモンドは一見してこちらに突き出してきた。


「・・・共通語じゃない。読めん」


「いや、俺も共通語以外はサッパリなんだが・・・」


突き出されたスクロールを受け取りつつも、期待されても困るぜと返事をしておく。

日本語サーバの世界だからか?この世界は共通語が日本語なのである。

文字も日本語が使用されており、その点は非常に助かっているんだが・・・


「えーと、なんだこりゃ。アルファベットっぽいな。筆記体じゃ読みづらくて仕方がないが・・・英語か?」


ミミズののたくったような字ではあるが、昔中学時代に練習させられたアルファベットの筆記体に見れなくもない。


「大昔の英雄『ビオルン・ヘイトン』が書いたって言うのなら竜語かもしれんな。おまえさんは読めるのかい?」


確か昔竜が巨人に呪文を教えて、それがエルフから人間とかに広がったんだっけ?

さっき拾った『スクロール』も中身を調べてみれば英語なのかもしれないな。


「・・・字体が難解なんで時間はかかるだろうけど、読めなくはないと思う。これが竜語かどうかはわからないけどな」


「そうか。ラースのヤツがいない以上、それを読めるヤツは村にはいねぇ。

 他の冒険者連中をあたってみてもかまわんが、もし出来るのならそいつの解読をしてもらいたい」


確かに、他に何組かいる冒険者の中に竜語を習得しているヤツがいるかもしれないな。

でも、この手の巻物はゲーム中ではすぐに依頼主に引き渡すなどしてばかりで、実際に中に何が書かれているかは興味がある。


「了解。それじゃ引き受けよう」


最初しばらくは時間がかかるかもしれないが、慣れれば読み解くスピードは上がるはず。

英語自体は大学受験以来勉強していないので、分からない単語が出てきたらお手上げなんだが・・・まぁ前後の文脈で判断するしかないか。

しばらくは相手の出方を探るために待つ必要があったんだし、丁度良いのでしばらくは宿に引きこもってこのスクロールの解読作業を行うとしよう。



[12354] 1-6.ザ・ベトレイヤー(前編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/12/01 15:51
宿で戦利品として回収した《死体操り》のスクロールをブレスレットに収納すると、どうやら自分の呪文リストに追加できるらしいことに気づいた。

どうやらこの『スクロール』はクレリックの使用する『信仰呪文』系ではなく、ウィザードやソーサラーといった術者の使う『秘術呪文』によるものだったらしい。

これによって判明したことは二つ。

一、ゲームに登場していない呪文でも、自分の呪文リストに追加することが出来る。

術者としての熟練が足りていないのでまだ使用できないが、呪文リストに追加できるということはレベルアップすれば使用できると考えても良いだろう。

ゲームではアクションゲームとして特化されていたためか、TRPGにあった多くの呪文が採用されていない。

その中にはかなり役に立つ呪文が含まれていることから、そういった呪文を将来使用できる見通しが立ったのは喜ばしいことである。

大都市に出るなどして落ち着いたら、この世界に流通している呪文の数を見ながらどの程度のサプリまでの呪文が存在しているのか確認する必要があるな。

二、こちらは悪いニュースである。

《死体操り》の呪文は秘術呪文系列であると、信仰呪文系列よりも高いレベルの術者でなければ使用できない。

この戦利品として回収したスクロールの数を考えると、相手にはこの呪文を使用できる術者がいると考えるのが妥当である。

つまり、敵には7Lv以上のウィザードないしはソーサラーが控えていることになる。

正直言って、2,3Lv違うと戦闘能力は段違いである。

エレミアさんと同程度の冒険者を10人集めたとしても、7Lvの術者が敵では真正面から戦っても絶対に勝てない。

《ファイアーボール/火球》などの呪文の一撃で薙ぎ払われて終了である。上位のスペルキャスターとはそれだけ脅威の存在なのである。

また、ゲームではこの村に関連するクエストでそんな強力な敵と戦った覚えはない。

やはり、この村の異変を解決するのも一筋縄ではいかないようだ。











ゼンドリック漂流記

1-6.ザ・ベトレイヤー(前編)









倉庫から巻物を回収し、宿の個室に引きこもって筆記体と睨めっこする事二日。

ようやく読み解いた中身は、なんとドラゴンとは違う別件について記載されていた。

数百年前この島の周辺を統べるサフアグンの大軍と対峙した『ビオルン・ヘイトン』は長い戦いの末、

敵の信仰の対象でもあった身の丈百数十メートルにもわたる巨大なサフアグン・・・"シー・デヴィル"をこの島の地下深くに封印したらしい。

古代巨人族の装置を利用したその封印は、吹き付ける冷気で"シー・デヴィル"を冷凍状態で冬眠させつづけるというものだった。

代々のヘイトン家当主はサフアグンと戦うだけではなく、この装置のメンテナンスと封印の監視をその役割としていたとか。

そしてここに書かれている重大な出来事は以下のとおりである。



"封印の装置は常に強大な冷気を噴出しており、その勢いは何者にも止めることはできない。

常は"シー・デヴィル"がその身にこの冷気を受けているが、装置の働きが乱されると冷気は周囲の海域に変化をもたらすであろう。

この赤道直下の海に流氷が生まれることがあれば心せよ!それはかの悪魔を捕らえる楔が緩んできた証なのだ。

冷気が悪魔に降り注がずに、周辺に振りまかれることによって流氷が生まれる。

流氷が発生したのであれば、すぐに装置を修復しなければならない。

その手順は以下のとおりである・・・・"


・・・つまり、現在この周辺を襲っている寒波は、白竜の"天候制御"魔法の結果だけではない、ということか?

確か地下世界を扱った「アンダー・ダーク」というTRPG版のサプリメントに「ダゴン」みたいな魚人の親玉がモンスターとして載っていたが・・・CR25だったか?

ちなみにCRとは敵の強さの指標を示す数字で、その数値に等しい4人のパーティーが25%の損耗で勝てる目安とされている。

25レベルの4人組・・・以前も言ったと思うが、この世界は一般的にレベル上限は20。

そこから先はエピックレベルといい、まさに伝説の中の戦いに参加するレベルなのである。

いかに俺がチートスペックとはいえまだ1Lvに過ぎない。CR二桁を相手にするには荷が勝ちすぎている。

つまり、この"シー・デヴィル"とやらが復活したが最後、この辺り一体はサフアグンに飲み込まれてしまうことになるだろう。

まだこの"シー・デヴィル"がダゴンモドキと決まったわけではないが、楽観視していられる状態ではない。

今こうしている次の瞬間にも、こいつが蘇って村を蹂躙するかもしれないのだ!

似たような展開のクエストが確かにこの村のすぐ外に実装されてはいたが、緊迫度は段違いである。下手すれば世界の危機だ。

今の時間であればまだ1Fの酒場にはシグモンドと夜食を食べている冒険者がいるだろう。

急ぎ対策を練らなければならない。俺は巻物を片手に急ぎ酒場への階段を駆け下りた。







「おい、シグモンド!」


慌てながら酒場に駆け込んだ俺を訝しげに見るシグモンドに、事の次第を大まかに伝える。

特に小声というわけではないので、周囲にいる冒険者たちにも話は伝わっているはずだ。

当りを見回すと、ちょうどエレミアと数人の女性冒険者がテーブルを囲んでいるのが見えた。

確か別れて以降、別の冒険者とチームを組んでバリケードの夜番をこなしているんだっけか。なかなかの戦果をあげているとの評判を食事の際に耳にしている。

同卓の仲間と思わしき冒険者たちはこっちを見て何か噂話をしているみたいだが、彼女本人はこちらを視界に入れないように努めているようだ

が、こちらの会話内容には興味津々なのか長い耳がピクピクと動いているのが見て取れる。






「なるほど。ソイツは確かに一大事だ。

 至急対策を考える必要があるが、今は夜で主だったメンバーはバリケードの夜番をしている。

 そっちでもう一度説明してもらうことになるが、構わんよな?」


そういってシグモンドは宿にいた冒険者たちに他のメンバーに声をかけてバリケードに集まるように声を掛けるとカウンターから出て外に向かった。

行き成りな展開ではあるが仕方がない。目立ちたくなかったが、解読した人間が他にいないのであれば俺が説明せざるを得ない。

こうなったらこれをチャンスに勝負をかけるとしよう。本来はもっと仕込みに時間を掛けたかったんだが仕方あるまい。




「・・・というわけだ。この巻物にはそんな情報が書かれていた。俺たちは早急にここから打って出る必要がある」


天まで焦がせとばかりに篝火が焚かれているバリケード前で、集まっている大勢のメンバー相手に説明を行った。

が、案の定反応は芳しくない。

村の若い連中は昔話で聞いたことがあるのか思い当たるフシがあるようだが、冒険者連中は半信半疑のようである。


「その巻物とやらの信憑性はどの程度あるんだ?」


頭の悪い質問が来た。


「さてね。この村でヘイトン家に代々伝えられているという話だが、信憑性については俺にはサッパリだ。

 最初に言ったとおり、俺はシグモンドに依頼されてこの巻物を解読したに過ぎない」


「お前の翻訳が正しいって証拠はあるのか?」


さて、どうやら予想通りの展開になりそうだな。とりあえず肩をすくめて他の発言を待つ。


「そもそも、なんでそんな巻物が今まで放置されてたんだ?」

「敵が俺たちを分断しようとして仕掛けた罠である可能性は?」

「そもそもお前は何者なんだ。俺は何年もこの村に住んでいるが、お前みたいなヤツは見たことがないぞ!」


ザワザワと雑音を撒き散らし始める周囲の人の群れ。その中にはしっかりジャコビーの姿もある。


「アイツは俺たち村の連中を腰抜けと罵しり、先祖を侮辱した!そんなヤツの言うことが信用できるものか!」

「そもそもアイツこそが連中のスパイなんじゃないのか。俺たちを罠にはめようとしているんだ!」

「そういえば他の冒険者を襲ったという噂を聞いたことがあるぞ。俺たちを少しずつ排除しようとしているんじゃないのか?」


大きい声で色々な事を話していくジャコビー合唱団。どうやら他にも数人と連携をとっているようで、群集のあちこちから俺を怪しいという声が聞こえる。


「そういえば、アイツが持ち込んだって話の酒で皆が酔い潰れた日に大規模な襲撃があった!

 酒に何か混ぜモノでもしたものを持ち込んだんじゃないのか?」


うーむ、こうして聞いていると色々と話に尾鰭がついているものだな。なかなか群集の想像力っていうのは侮れない。

三日ばかりしか経過していないが、結構な勢いで妙な評判が広がっているみたいだな。それだけこの村が田舎で現在は娯楽が少ないってことかもしれない。

あまり放置しているとこのまま暴徒になって襲われるかもしれないし、連中の狙いはそれなんだろう。

全員ブチのめしてオハナシできないこともないが(魔王的意味で)、無関係な戦力まで減らしてしまっては意味がない。さあ、舞台を始めよう。


「疑問に答えようか。

 罠がある可能性は否定しない。だが、竜の魔法の力だけではこの天候の変化が説明できないのは事実だ。調査をする必要はあるんじゃないか?

 あと、俺は6日ほど前に難破した船からこの村にきたばかりでね。ここ数日はずっと酒場の部屋でこの巻物の解読をしていたんだ。

 知っている顔が少ないのはそのせいだろう」


 そこまで言っていったん皆を見回す。そして先ほど罵声を浴びせてきた男を見つめて質問を返す。


「で、そこのアンタ。俺が他の冒険者を襲ったっていう話なんだが・・・俺が何時誰を襲ったというんだ?」


 案の定、男は言葉に詰まってしまう。


「ああ、直接見たわけじゃないのかな? じゃあ伝聞なのかな。その話は誰から聞いたんだ?」


 問われた男はあたりを見回し、ジャコビーの顔を見つけるが逆に睨み返されてモゴモゴと口ごもっている。

 それを確認して、別の男に質問を返す。


「俺が持ち込んだ酒だけど、勝手にエレミアに飲み比べを挑んで飲みつぶれたって話を聞いたんだが・・・

 シグモンド、そうだったよな?」


 頷くシグモンド。


「で、先祖を侮辱っていうのは何の話だ?心当たりはないんだが・・・」


そう言ってジャコビーを横目で見ると、奴は怒り心頭といった体でこちらに歩み寄ってきた。


「忌々しい、言い逃れをする気か貴様!

 ヘイトンの墓所で俺に向かっていったあの言葉、忘れたとは言わさんぞ!」


群衆の前で対峙する形となった俺とジャコビー。篝火が風に煽られて姿を変え、それに照らされるジャコビーの顔も様々な感情が宿っているように見えた。

さて、それでは仕込みを片付けることとしましょうか。


「ああ、アンタは確か墓所の中で見張り番をしてたんだったな。

 ご苦労なことだが、なんでこんなご時勢に態々あんなところで番をしていたんだい?」


「貴様のような不埒者が先祖の墓を荒らすかもしれんからだと言ったろう!

 案の定、貴様は先祖の石棺をいくつか破壊し、中にいた遺体にも手を掛けた!

 そのような所業、もはやこの村の一員としてこれ以上見逃すことはできん!」


こちらに指を突きつけるノリノリのジャコビー。人を指差しちゃいけませんってのはこの世界ではないのだろうか?


「おいおい、都合の悪いことをバラされそうになったからといって実力行使か?

 正直に言いなよ、あんたはあの墓所にいる魚人どもを匿っていたんだろう?

 あの中で連中はヘイトンのファミリーの遺体をアンデッドの軍勢にしようとしていた。

 その作業が邪魔されないように、お前はあそこで余人が立ち入らないようにしていたんだ、違うか?」


「言いがかりを抜かすな!

 ならばお前が他の冒険者に凶刃を向けたことはどう説明する?

 明らかな利敵行為ではないか!」


「オイオイ、目撃者のいない噂話で人を勝手に貶めるなよ。

 ああ、アンタが噂の出所なのか?じゃあ俺は一体誰を襲っていたってんだ?」


そう言うとジャコビーはニヤリとほくそ笑んだ。


「フン、俺は知っているぞ。

 あのエルフとお前は数日前に森で争っていただろう!

 それまでつるんでいたお前たちが距離を置いたのがその証拠だ!

 後ろ暗いところを指摘され、激情して襲い掛かったが逃げられたのではないのか?

 可愛そうにあの娘、それ以降貴様を目に入れぬようにしているではないか」


よほど恐ろしい目にあったのだろう、とジャコビーは続ける。

うーん、こいつが現代日本にいたら政治家とかになっていたのかもしれないな。

ああ、今もカルト教団で他人を扇動しているわけだし、似たようなものではあるのか。

だが残念ながら今回は俺の手のひらの上なんだよ、ジャコビー。


「といっているがどうなんだエレミア?」


話を向けるとエレミアがジャコビーの後ろに現れた。

援軍を得てジャコビーは得意げだが、彼女の台詞を聞いてもそのポーカーフェイスを保てるかな?


「さて、何のことかわからないな。

 あの日私は村の外れでどうやらカルティストに心を操られたらしく、私からトーリ殿に襲い掛かったのを救っていただいたのだが。

 それがどうして逆になっているのか理解しかねる。

 それに森で争いのあったことは、我々二人しか知らぬこと。他に知っているとすればそう仕向けたスパイのものくらいではないかと思うのだが。

 さてジャコビー殿、貴方はどうしてこの一件をお知りになったので?」


ようやく自分こそが罠にかかったことを悟ったのか、ジャコビーの顔色が一瞬で変わる。

そして今の立ち位置が俺とエレミアに挟まれていることに気づき、さらに焦ったのか怪しい呂律で喋りだした。


「だ、だが!貴様の解読が正しいかどうかがまだ判明していない!

 私とて竜語くらい読むことはできる。今この場で貴様の偽りを証立ててくれるわ!」


正直竜語を読めるのが俺とジャコビーだけであるという時点で、巻物を渡しても解決にはならない。

だがこの状況にあと1押しするため、俺はジャコビーに向けて巻物を放り投げた。


「だったら読んでみなよ。そいつには巨人の装置の扱い方まで懇切丁寧に書いてあるぜ。

 まあアンタにそんな学があるとは思えないけどな」


巻物を受け取るとジャコビーは突然笑い声を上げた。


「クックック、途中までは賢しい小僧と思っていたが、所詮は小僧の浅知恵だな。

 これさえ手に入れればこの村に用はないわ!」


そういうと手元からポーションを取り出し、一息に飲み込んだ!

エレミアはその隙に巻物を取り返そうと距離をつめたが、あいにくまだシミターを抜いていなかったためリーチが足りない。

おそらく《インヴィジビリティ/透明化》の効果を持つポーションを使ったのだろう。ジャコビーの姿は空気に溶け込むように消え去った。


「愚かな村人と冒険者どもよ!もはや何者も"シー・デヴィル"の復活を止めることはできない!

 滅びの日まで嘆き悲しめ!貴様らの絶望がより美味なスパイスとなり我らの主を喜ばせるのだ!」


姿を消したジャコビーは、取り残された群集にそう告げるとどこかへ向けて駆け出したようだ。

その《透明化》を見破ることはできないだろうとタカをくくっているのだろうが・・・甘いぜ!


「そんな手段はお見通しなんだよ・・・っと!」


ブレスレットから倉庫でも使用していたゴーグルを装着。その《トゥルー・シーイング/真実の目》の効果は、あらゆる魔法の幻惑を看破する!

ゴーグルと同時に取り出したワンドを振るい、逃走するジャコビーを背後から打つ!


「《スコーチング・レイ/灼熱の光線》!」


先日倉庫に潜んでいた魚人を焼いた滅びの火線がジャコビーの背中を打たんと猛追するが、突如その斜線上に躍り出た人影がその火を浴びて身代わりとなった!

他にも数人の男たちが、逃げるジャコビーを追わせまいと射線上に立ち並んだ。

また、時を同じくしてバリケードのほうから雄たけびが聞こえ始める。

どうやら中の事情を察したのか、外からの攻撃が始まったようだ。


「シグモンド、ここは任せる。俺はエレミアとジャコビーを追う。エレミアもいいな?」


おそらく俺以外では姿を消しているジャコビーを追うことができるのは狩人のエレミアくらいだろう。

シグモンドには墓所に向かう前の朝の時点でジャコビーについては話してあり、彼の周囲を洗うように依頼しておいたのだが・・・

残念ながら時間が足りず、今日こんな形で彼の裏切りを暴くことになってしまったのは少々残念である。


「いいだろう。お前の書いた筋書きはなかなか面白かった。

 ここまでやったんだ、最後にツマラネェ落ちをつけるんじゃないぞ!

 おい何ボサっとしてやがる!とっとと表のエラ付き共を追い払うんだ!」


そういってシグモンドはアルサスを怒鳴りつけ、話の展開についていっていない群集にテキパキと指示を出していく。

まぁこの調子であればここを任せても大丈夫だろう。

先日まで組んでいたメンバーに「頑張ってね~」と微笑ましい励ましを貰っているエレミアを連れて、村へ逃げたジャコビーを追って駆け出した。



[12354] 1-7.ザ・ベトレイヤー(後編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/23 17:34
「しかし、何故奴は村の中に逃げたのだ?

 多少の危険はあるが、あのバリケードを超えればそこはすぐにやつの望む敵地だろうに」


駆け足で追跡しながらエレミアが尋ねてきたので、おそらく古くからある抜け道のどれかを使って村の外に出るつもりなんだろうと答えておいた。

あの場でたとえ《フライ/飛行》のポーションを飲んだとしても、バリケードを超えるまでに何度か弓で射られる危険性は高い。


「なるほどな。それなら合点がいく。

 先ほどヤツの盾になった者達も、そうやって村の中に潜入していた連中なのかもしれないな」


ちなみにそいつらは通り抜け様にヴァラナー・ダブルシミターで斬り倒されている・・・なんかいつの間にかレベル上がってるのではなかろうか、このお嬢さん。

少し攻撃のキレが増しているような気がする、と伝えると


「フフフ、分かってもらえたか。

 先日の組み手では醜態を晒したのでな。次こそはトーリ殿に一撃当てて見せると、ここ数日鍛錬していたのだ!」


笑顔で怖いことを仰る!

装備で補正されていてHPが大幅に増えているとはいえ、あんなゴツい獲物で貴方を斬りますよとかいわれると恐ろしいわ!

そんな遣り取りをしつつ、ジャコビーの痕跡を追って波頭亭に辿り着いた。











ゼンドリック漂流記

1-6.ザ・ベトレイヤー(後編)











「どうやらここに逃げ込んだようだが・・・ここにもその通路が?」


おそらくね、といいながらもゲームのシナリオを回想する。

本来は裏切り者であると露見したジャコビーがシグモンドを殺そうとこの酒場に来るのを待ち伏せる、そんな展開だったのだが。

俺が介入したからか、この世界の流れがそうなっているのか、既にかなり違う展開である。

だが、ジャコビーの死地が此処である事には変わりはない。

酒場に入り、足跡を追って地下の貯蔵室へと足を向ける。

そして忘れ去られた仕掛けを操作し、貯蔵庫から伸びる秘密の通路へと踏み込んだ!



果たして何年間使われずにいたのか、その通路は本来の用途から外れ、今はサフアグンら邪教の輩の利用する、村へと破滅を運ぶ洞窟と化していた。

とはいえここに配置されていたのは大した実力のない人間のカルティストらだけ。

結論から言うと一切援護の必要もなくエレミアが敵を薙ぎ払い、ジャコビーのいるであろう通路の最奥まで辿り着いたのである。



大掛かりな仕掛け扉がスライドし、通路から広がったホールのような部屋に出た。

部屋の向こう半分は水没しており、おそらくは村の外へ通じているのであろう水路があると思われる。

どこか血の色を思わせる赤い輝きを放つ水面の前に、姿を晒したジャコビーがこちらに向いて立っていた。


「フン、忌々しい冒険者どもめ。だが残念だったな、もはや巻物は俺の手を離れた。

 今頃はサフアグンの司祭が悪魔を解き放つべく儀式を始めているだろう」


余裕たっぷりといった表情でこちらを見るジャコビー。


「一応聞いておこうか。なんでお前はサフアグンに味方するんだ?」


そう聞くとジャコビーは呆れたように答えを返した。


「俺は馬鹿ではない。サフアグンは改宗しない連中を全員殺すだろう、間違いない。

 そしてあの白竜に勝てるヤツがいるとも思えない。つまりあの村はもう御終いなんだよ。俺は自分の身を守っているだけだ」


「誇りを捨てて仲間を裏切りるような卑劣な行いが報われるなど有り得ぬ!

 お前には嫌気がさす!

 恩人に刃を向けさせた貴様の所業、このシミターできっちり贖って貰うぞ!」


エルフという種族はやはり同胞思いなんだろうか。同じ種族間で争いまくっている人間とは違って。

あーでも氏族で分裂したりもしているし、彼女がいい人柄をしているっていうだけかもしれないが。


「それで巻物を獲得したお前は高い地位を持って迎えられる、という寸法か。

 でも残念だったな、その願いは適いそうもない」


今にも斬りかかりそうなエレミアを抑えて会話を続ける。


「ほほう、参考までにその理由を聞かせてもらおうか。

 まさかここで俺が敗れるとでも?

 この軍勢をみてもまだそう言えるのかな?」


ジャコビーが合図をすると、水面より4体の人影が現れた。

すべてサフアグンで、トライデントを装備している上に皮製と思わしき防具も身につけているようだ。

ただの雑魚ではなく、訓練を受けた精鋭ってところかな?中の一体は他の3体よりも頭一つ抜けて大型で、四本腕を晒している。


「まぁそれもあるが・・・・残念、お前が持っていった巻物は偽物さ、ジャコビー。

 中身を確認せずに得意になっていたお前の姿は滑稽だったぜ。

 あれは墓所の連中が使わずに残していた《死体操り》のスクロールだ、本物はシグモンドが持っている」


ニヤリ、と笑って仕掛けを教えてやる。

最後まで踊らされていたことに気づいたジャコビーは案の定、また怒り心頭といった顔でこちらを睨み付けてきた。



「ええい、馬鹿にしおって!

 ならばここでお前たちを倒して、上にいるシグモンド達を殺すまでよ!」


ジャコビーの指図を受け、サフアグン達がこちらに向けて進んでくる。

流石にここは多勢に無勢。エレミアにも複数体の敵を相手取ってもらう必要がある。

左手には陽光棒をもったままなため、右手にブレスレットから武器を取り出して装備。

その柄頭をエレミアに触れさせ武器に込められた魔法の効果を発動させると、彼女の戦士とは思えない色白で美しい肌を石膏のような薄い力場が覆い隠していく。


「連中の武器の勢いを削ぐ《ストーンスキン/石の皮膚》だ。すまないけどジャコビーとあと一匹を頼めるかな」


「心遣い痛み入る。それではあの大柄の魚人はトーリ殿にお任せする」


簡単な打ち合わせを済ませると、こちらに向かって突出してきたサフアグン達の両側に回るように散会した。

若干エレミアより間合いを詰める事で、中心にいる大柄なサフアグンの注意を引き付ける。

巨大な背丈に見合った長いリーチに加え、構えるトライデントも他の連中のものより遥かに大型。

5メートル以上離れている距離から、踏み込み一つで味方の頭上を通してこちらにトライデントを突き込んでくる。

間合いの内側に入り込んでも、残った手で構えている片手剣がこちらを狙ってくるであろう事は疑いない。

さらに連中は連携をとってこちらを攻め立てようとしてくる。

中型の敵2体のうち、1体は壁として立ちふさがり、もう1体は挟撃せんとこちらの背後を取ろうとする。

しかもその2体は手を出さずに援護に徹し、隊長格の攻撃のサポートに徹するのである。

並の戦士であればこの連携に成す術もなく敗れたのかもしれない。だがこちらは実力は凡庸でも、アイテムによるチート補正がある。


「ヘイ相棒!クセェ連中が回りこんできてるぞ、気をつけやがれ!」


武器を持った右手に嵌めた小さい指輪が、甲高い声で喋る。

この『チャッタリング・リング/お喋りな指輪』は、宝石のかわりに小さな機械仕掛けの口がついている奇妙な指輪である。

この口はどうやってか周囲の状況を判断しており、敵の攻撃への警告や実況をしてくれるという優れものなのだ。

かつて最高難易度と謳われたレイドのユニークであり、そのレイドを世界で始めてクリアしたのが本家米国のプレイヤーではなく日本サーバのプレイヤーだったことは過去のいい思い出の一つである。

とはいえ自分は早期に脱落してしまった組なので無論そんな栄光のプレイヤー達の一員ではないのだが。


「ハッハー、臭い上にトロクセェ連中だな!さっさと刺身にしちまいなよ!

 最も、こんな臭さじゃ豚のエサにもならねぇだろうけどな!」


しかしこの指輪、マナーはよろしくないようだ。あと、非常に煩く喋りまくるのでこれを使いながら隠密行動などは有り得ないと言っていい。

どうせならもっと無口でクール系な性格設定にしてくれればいいものを!

ともあれ、この効果のおかげで背後を取られたとしてもそれほど気を取られることはない。

相手が仕掛けるタイミングを報告してくれるため、正面の壁役とデカブツに集中することが出来る。

壁役の小兵はそれほど苦労なく切り倒せるだろうが、デカブツのほうはあのガタイに相応しい耐久力が備わってると思って良いだろう。

如何にこの剣がチート武器でも一撃では倒せそうもない。逃がさずに、何発か浴びせる機会が必要だ。

だが、万が一この大型の魚人に逃げられれば他の冒険者が遭遇したときに余計な被害を生むことになる。

それを防ぐためには、ここでこの魚人を確実に仕留めなければならない。

あの水場に逃げ込まれないように回り込む必要があるな。

しつこく背後を取ろうと回り込んでくる魚人から間合いをとるフリをしながら、デカブツを中心に円を描くようにしてホールの中央側に回りこむ。

エレミアのほうに視線をやると、ジャコビーの前衛を務めているサフアグンを始末しようとするが防御に徹している魚人を切り崩せずにいるようだ。

ジャコビーから時折援護のスリングショットや魔法が飛ぶのも、攻めあぐねる一因のようだ。

だがホール中央側に回り込んだこの位置からは、エレミアとジャコビーを挟撃できる位置でもある。


「背中ががら空きだぞ、ジャコビー!」


声を掛けながら距離を詰めるそぶりを見せると、慌ててデカブツの壁役をしていた小兵を自分の盾になるよう指示を出した。

だがその動きは無論フェイク。進路を変更して今度は全速で大型のサフアグンに肉薄する。


「おっと相棒、1フィート右に避けな!」


ジャコビーの壁にまわった小兵が横からちょっかいをかけてくるが、リングのアドバイスを信じて軽く右へ軌道を寄せるだけで後は一顧だにせず突き進む。

デカブツはトライデントとショートソードでこちらを迎撃しようと攻撃を加えるが、生憎攻撃のキレはエレミアに劣る。

その程度の2連撃であれば、彼女のシミターのほうが何倍も鋭かった。

ショートソードを突き出してきた右第二腕の外側に回りこみ、盾で防げない位置から満を持した一撃を繰り出す。

斬撃に特化された日本刀のような反りを持つ刃の先端部分を、遠心力を利用して切っ先から入り込むようにして相手の体に滑り込ませた。

相手の体を剣先が通り抜けた後、剣に付与された魔法効果が切断面で炸裂する。

悪を打ち払う善性のエネルギーが体内で荒れ狂い、それと同時に切断面から強酸の浸食が爆発的に広がり巨体の半身を焼き尽くした。

それでもなお巨体を揺らしながら倒れずにこちらに向かってくる根性はたいしたものだ。

しかし近距離の間合いを制していたショートソードは、その武器を構えていた腕の付け根から酸によって失われている。

トライデントを振るうには間合いは近すぎ、焼け付きそうな生存本能に従って噛み付きという攻撃手段を選択した魚人ではあったが、

それは死神に向かって頭を垂れるに等しい行為だった。

噛み付きに頭部が向かってきたことによって射程に収まった首に対し、再び斬撃を加える。

再び炸裂するエネルギーに晒され、跳ね飛ばされた首は落下することもなく空中に溶けて消えた。

あとは連携の基点となっていたデカブツを失った哀れな雑魚を処分するだけ。それには大した手間はかからなかった。





最後のサフアグンに止めを刺した直後、ホールにジャコビーの哀れな悲鳴が響いた。

目をやると、エレミアに袈裟懸けに斬られたジャコビーがホール向こうの水面に倒れていく姿が見えた。


「馬鹿な・・・俺が、こんな所で、終わる、わけが・・・・」


今自分の身に起こっていることが信じられない、というような表情のまま沈んでいくジャコビー。

だがあの傷は致命傷だろうし、この冷たい水の中ではサフアグンの助けが直に来たとしても助からないだろう。

エレミアも同意見なのか、残心を解いた。


「愚かな男だ。サフアグンにつけば命が助かると考えたのか」


確かに奴は自身の保身のために同胞たる村人の命を切り売りし、人身御供に差し出すことによって延命を図った。

その行為自体については明らかに悪であり、許されざるものだ。

だが、自分が奴の立場であったらどう行動しただろうか?

無力な状態で争いの只中に放り込まれ、生き延びるためには隣人を刺す事を余儀なくされる。そんな状況で善性を保てるか?

あるいはジャコビーはあの白竜を間近で見てしまったのかもしれない。

畏怖すべき存在であるドラゴンは、その存在だけで敵の心胆を寒からしめるという。

そこで心を折られ、抵抗する気力を失ってしまったのかもしれない。
 
そういった人間に甘い言葉をささやいて、あのカルトは村に魔の手を伸ばしたんじゃないだろうか。

本来であれば、村を率いて戦うべきラース・ヘイトンが行方不明というのも大きな陰を落とす一因だろう。

持久戦になればなるほど、こちらは磨耗して継戦能力を失っていく。

これ以上不幸な裏切り者を出さないためにも、早急に始末をつける必要があるな。




戻り道は例の隠し通路と同じく、村側からの操作でなければ開閉できない仕組みのゲートで通路を閉鎖しながら波頭亭に帰還した。

1Fの酒場には誰の姿もない。

まだ戦闘は続いているのかと思い、エレミアを伴ってバリケードに向かった。




バリケードに到着したが、最低限の見張りと射手しかいないようだ。

彼らに話を聞いたところ、攻め寄せてきた魚人を追い払った余勢をもって、例の"シー・デヴィル"が封印されている地下遺跡までを一挙に制圧すべく戦闘を続行しているらしい。

どうやらアスケルが張り切っているらしく、シグモンドもその勢いを止めずにアスケルに指揮を任せてフォローに回っているとの事。

確かにあの巻物の記述からして、一刻も早く封印装置をメンテナンスする必要があるだろう。

連戦ではあるが先ほどの戦闘ではチートアイテムの魔法効果を使用しただけでリソースはあまり消耗していない。

村の皆がやる気になっている今がいいチャンスでもあるし、便乗して地下遺跡に乗り込むこととしよう。




そう気合を入れて村の外に出たんだが、その結果はなんとも拍子抜けなものだった。

アスケル率いる突入部隊が地下遺跡に突入し、すでに最下層まで制圧してしまっていたのである。

俺とエレミアが遺跡に到着したときにはすでに通路の要所要所には歩哨が立ち並び、サフアグンの逆襲に備えて警戒をおこなっている状態であった。

そんな安全の確保された遺跡を通過して、奥地にて稼動を続ける古代巨人帝国の魔法装置を修復し、このクエストはあっけなく終わりを迎えたのである。

正直消化不良なところはある。だが、ここはゲームの中ではない。

自分で全てのクエストをこなす必要はないし、この村に生きている一人一人の住人が主役として活動している。

そんな事を感じさせられた長い夜が終わり、俺たちは遺跡の守護を一部の村人と冒険者達に任せて帰路についたのであった。



[12354] 1-8.村の外へ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/22 06:14
地下遺跡のメンテナンスを終えて宿に帰った後の事。

寝る前にいつも確認しているステータスウインドウを開くと、どうやらレベルアップ分の経験点が貯まっているようだ。

どうやら先送りにしていた問題をそろそろ片付けておかないといけないらしい。その問題とはとりあえず以下の二つである。

1.育成のやり直しは可能なのか?出来るとしたらどの程度まで可能なのか?

2.上級クラスへの成長は可能なのか?

まず1についてはサプリの中には『再訓練』というオプションルールがあるし、特技の取り直しについては『サイオニック』のパワーで行うことも出来るはず。

おそらくゲームで出てきた特技取り直しを行ってくれるNPCはサイオニックの使い手なんだろうと今なら推測できる。

そういった手段を使うことも出来るかもしれないが、この問題については案外あっさりと解決した。

レベルアップの際にキャラクターの技能と特技は取り直しができるようなのである。

ひょっとしたらこれが『再訓練』の代わりなのかもしれないが、ゲームではあれだけ要望がありながらも実装されなかったオプションがここで実現しているとは・・・

なんだか少し複雑な気分である。

運営も技能の数が増えたら実装するぜ、みたいなことは言っていたような気がする。本国のフォーラムにはあんまり目を通していなかったので伝聞だが。

その結果がこのキャラクターの再構築なのかもしれない。

そういう意味ではこの再構築は今この瞬間しか実行できないかもしれない可能性はある。

とはいえ今の段階では確認しようがないので、2Lvから3Lvに上がる際に再構築できないかもしれない場合を考慮してキャラを育成しなければならない。

そして、キャラ育成の方向を考える上で、必ず考えなければならないのが2で述べた上級クラスである。

D&Dはサプリメントが出るたびに、基本的に強力なクラスが掲載されていた。

(サプリを)買えば買うほど強くなる!というのはカードゲームでブレイクしたあの会社のお得意の手法なのだろう。

確かに買えば弱くなってしまうようなサプリは誰も買ってくれないだろうし、商売的には当然といえば当然なんだろうが・・・

そのためか、上級クラスはもの凄い種類があるのだ。

一部の自分がTRPGでプレイしたことのある上級クラスは記憶にあるが、それ以外の上級クラスについてはあまり細かい内容を覚えていない。

上級クラス独自の能力には相当無茶なものもあるため、強さを求めるのであれば押えておきたいところではあるのだが、

いかんせん2Lv目から成れるような上級クラスなんてものは存在していない。早くても6Lvあたりからになるだろうか?

レベルアップ時に上昇させるクラス選択にDDOに実装されていなかった基本クラス群が選択肢になかったことから、上級クラスについては望み薄かもしれない。

だが、選択可能な技能や特技にDDO非実装のものがあることは確かなので、なんらかの条件があるのかもしれない。

再訓練が可能であれば上級クラスの前提条件を取り直すことは簡単なので、とりあえずは現時点での最善を目指し成長を考えるとするかな・・・











ゼンドリック漂流記

1-8.村の外へ











育成の方向を悩んでいたら一睡もしないうちに朝になっていた。

結局今回の成長は今のクラスの特徴を活かしつつ、技能や特技の重複を避けるように再配分することを主体に行った。

最後まで悩んだのはマルチクラスにしてクレリックを入れるかどうかだったんだが、今回は結論として見送ることとなった。

はっきりいって信仰呪文は秘術呪文に対して強力で便利な力が多い。それでも今回そちら方面に成長させなかったのには訳がある。

まず第一に、俺はエベロンの神格などに対して信仰心をこれっぽっちも持っていない。

これで果たして信仰呪文を使用できるだろうか?

如何に信仰に対する束縛が緩いエベロン世界とはいえ、流石にそれで呪文が使用できるかが疑問だったのだ。

エベロンでは神格によらない、いわば野良のクレリックも存在することは事実である。

だが彼らにしても、神格ではない他の何かに対する信仰心からの発露として呪文を発動させているのである。

正直、日本人には馴染みの薄いこの信仰心というものが、強力な信仰系クラスを成長させなかった理由である。

付喪神とかであればわからなくもないが、思想的に理解できるということであって熱狂的情熱があるわけではないし。

後は、前に育てていたこのキャラクター達が皆ピュアクラスだったというのも大きな一因だ。

そのせいか、マルチクラスにしてしまうとそのキャラクターでは無くなってしまう気がしたのだ。

他のMMOから比べれば期間は短いのだろうが、俺としては愛着あるキャラクター達である。

再構築やクラス的に相応しい上級クラスについては構わないが、流石にまったく関係のないマルチクラスをさせるのは忍びない。

そんなわけで今回の成長方針となったのであった。


「よし、決定。技能の漏れもないし、主要な特技の取り直しも出来ているな・・・ではレベルアップだ!」


意識している7人のキャラクターのステータス画面で次々と『確定』ボタンを押していくと、一週間前と同じ白いレベルアップエフェクトが身を包む。


「あー、なんか眠気も吹っ飛んでいくなぁ・・・レベルアップに伴うステータス全快の副次効果かな?」


キャラメイクに集中していたためかあまり眠気は感じていなかったが、体の芯にあった疲労などが一斉に取り除かれたのを感じる。

元々がキャラメイクを楽しむゲームだったためか、ついつい時間を忘れて熱中してしまったがこれならこのまま今日の活動ができそうである。

キャラビルドと平行して考えていた装備の組み合わせを試したりしていると、昨晩と比べて変化している点に気づいた。


「・・・減ってるな」


そう、ブレスレットの中に入っている「シベイ・ドラゴンシャード」というアイテムがいくつか失われているようだ。その数はきっちり7つ。


「レベルアップの際に消費されるのか?だとすると不味いぞ・・・」


元々がNPCに特技の取り直しを依頼する際にコストとして支払うアイテムである。

新しいMOD導入に備えてある程度の数は確保してあったが、他の消耗品系アイテムのように何百個と持っているわけではない。

急ぎ全キャラクターのアイテムを確認し、残り総数をチェックしたところ残数は20個であった。


「毎回7つのシャードを消費するとして5Lvにギリギリ足りない数だな。5Lvに上がる前にシャードを集めないといけないか」


このドラゴンシャードというアイテムは強力な魔法のアイテムの作成の際に素材として活用されることが多く、一般の店には出回ることがない。

ゲーム中ではランダムドロップ品として獲得するか、プレイヤー間でのオークションでの入手が主な手段であったが・・・

この世界でもオークションで出品されているのだろうか?


「こりゃ早いことこの村を出て大都市にいかないとな」


冒険の舞台であるストームリーチからは世界でも有数の規模である大都市「シャーン」への直通テレポートサービスが存在する。

シベイ・ドラゴンシャードの多くは赤道付近・・・つまりゼンドリックに多く落下しているため、原産地であるストームリーチや大都市シャーンであれば入手の確率は他より高いはず。


「そのためにも今日も一日頑張るとしますか。まずは顔を洗って飯にしよう」


すっかりトレードマークになりつつあるジャージへと服を着替え、1Fの酒場へ向かうこととした。

そういえばこのブレスレットは便利なことに、対象となったアイテムだけを取り込む機能がある。

つまり、服についているヨゴレなどは収納の際にその場に落ちることとなり、再度呼び出せば新品同様の状態に戻っているのだ!

これは昨晩水場にいったことで服が濡れてしまった際に重宝した。体についた水分はどうにもならないが、服がサッパリ乾いているだけで快適度は段違いである。

将来食うのに困るようなことがあればコレを利用したクリーニングサービスでも開業できるな、などと考えたりもしつつ、食事を終えたらまずは雑貨屋でタオル代わりになるものを探すことにしようと決めた。



「おにーさん、今日のあさごはんはこれです」


今朝もカウンターにシグモンドの姿はなかった。何やら地下遺跡の防備のローテーションを決めるとかで打ち合わせをしているらしい。

代わりに奥方のイングリッド夫人とカヤが厨房で調理を行い、アイーダちゃんが配膳するという分担になっているようだ。

パンとサラダ、後は水代わりに出されるエールを飲んで腹に収めると早速買出しに出かけることにした。

村の雑貨屋はまだ気まずいだろうし、また船に寄って積荷から商品を売ってもらうとするかな。





「トーリ。昨晩はご活躍だったそうじゃないか。噂は聞いているよ」


船着場に到着すると、船長のリナールが出迎えてくれた。歓迎してくれているようではあるが、その表情はどこか暗いところがある。

この船からも物資が調達できなくなるとちょっと困ったことになるし、この村が解放された後にストームリーチまで快適な船旅を楽しむためには船長の機嫌を取っておかなければならない。

話を聞いてみよう。


「どうしたんだキャプテン。何か悩み事でも?」


「そうだな・・・今日君がここに来たこともコル・コランの導きかもしれない。船での用が終わったら戻ってきて話を聞いてくれないだろうか」


声を掛けると船長は首から提げた聖印・・・おそらく今出たコル・コランのものであろう、に触れながら力なく呟いた。

コル・コランとはエベロンで広く信仰されている善の神の一柱で、交易と富を司るとされている。

ちなみに魚人どもが崇拝しているディヴァウラーとは悪神の一柱で、深海の支配者、渦巻と暗礁の神であり自然の破壊的な力の象徴とされている。

この二柱の相性が悪いことは言うまでもないだろう。

そんな大した買い物をするわけでもないので、船で一番肌触りと吸水性のいい布を何枚か売ってくれと船員に話をしてすぐに船着場へ取って返す。

するとそこにはリナール以外にもう一人、見慣れないハーフリングの姿があった。


「早いな、もう戻ってきたのか。では早速ですまないが依頼を一つお願いしたい」


ついてきてくれ、というリナールの後を追って船員が借りている村の住居の中へと案内された。

案内された部屋に着くと、すぐに女性の船員がお茶を運んできてくれた。

前も思ったが、この船の乗員は皆質が高い。細かいところまで行き届いているというか、不自由や不便を感じさせない。

利用したことはないけれど、元の世界の一流ホテルとかはこんな感じなのだろうか・・・。

リナールはお茶を運んでくれた船員に、しばらく誰も近づけさせないようにと指示してから話を始めた。


「実は昨晩、バリケードの防備が薄くなった瞬間を狙ってか我らのスポンサーであるドールセン・ド・ジョラスコが誘拐されたのだ」


おそらく村に潜入していた工作員の残りが、村を脱出する際の駄賃として彼女を連れて行ったんだろうとはリナールの弁である。


「その際、異変に気づいたこちらのウィルム・・・我々の船員の一人が彼女の後を追った」


そういってリナールはついてきていたハーフリングを紹介し、話を続けた。


「連中は卑劣にも眠っているレディの寝室に忍び込み、その身柄を連れ去ろうとしたんだろう。

 おそらく狂ったカルティストどもの仕業に違いない。 

 彼女には確かに敵が多いが、この村まで彼女を追ってきている連中がいるとも思えない」


ふむ・・・今の状況であれば凶行をカルティストの仕業に見せかけられるとは言え、このドラゴンによって封鎖された島に第三戦力が介入してくるとは考え難い。


「まぁ敵が何であれ、やる事は一つだな。俺にあんた方の主を助けて来いって言うんだな?」


うん、わかりやすいクエストだ。今のところ展開にゲームとの差異も無い。


「ああ、その通りだ。事はレディの名誉にも関わっている。報酬については期待してもらって構わない」


重々しく首肯しながら報酬についてもリナールは言及してくれた。

でも正直このレベルで貰って嬉しいアイテムなんてもう無いんだよな・・・あ、いい事を思いついた。


「そうだな、報酬についてはこちらから提案がある。

 少し先の話になるかもしれないが、この船がストームリーチに向けて出向する際には俺を乗せて行って欲しい」


いま現在港に停泊しているまともな船はリナールのものだけだ。この機会を逃すと、次に船が来るまで待つことになってしまう。

ドラゴンシャードの件もあるし、出来るだけ早くゲーム本編の開始地点であるストームリーチには到着しておきたい。

幸いリナールの船、ソウジャーン号はエレメンタル・ガレオン船といって、水の精霊が捕縛されており海上を相当なスピードで航行する一級品だ。

報酬としてもまぁ妥当なところではないだろうか、と思ってリナールの顔を見たが、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしていた。


「・・・・ストームリーチに向かう、か。

 そういえばいつの間にかこの村での今後の事ばかり考えて、村を出るという考えを失ってしまっていたようだな。

 いいだろう。その際には最高の航海を約束しようじゃないか。五つ国に賭けて!」


ふむ、どうやら予想以上に好意的に受け取ってもらえたらしい。

しかしこの言い様だと、大口を叩きすぎたように取られかねないかな?まぁ今更ではあるが・・・吐いた唾は飲めないんだ、とりあえずこの依頼はキッチリこなさないとな。


「では、目的地まではこのウィルムが案内してくれる。よろしく頼んだぞ」


上機嫌のリナールは隣で暇を持て余していたハーフリングを改めて紹介し、自己紹介を命じた。


「ようやくオイラの出番だな。話が長くてくたびれちまったよ!

 はじめまして大きなお友達。ご紹介に預かったウィルムさ。それじゃとっとと目的地に向かうとしようか!

 うちの女主人は何よりも待たされるのが大嫌いでね。

 あんまり待たせすぎることになると、後が怖くて助けに行きたくなくなっちまうってもんだ!」


余程鬱憤がたまっていたのか、ウィルムは猛烈な勢いで話し始めた。

ハーフリングは陽気で人懐っこいというイメージがあったが、少なくとも彼については間違っていないようだ。


「そのあたりにしておけよ、ウィルム。我らの女主人の耳は長くはないが、不思議とよく聞こえるそうだからな。

 それでは私はこれで失礼する。何か必要なものがあれば誰でもいい、船員に申し付けてくれて構わない」


リナールが席を立ち、ウィルムと部屋に残されることになった。とりあえず、もう少し詳しい話を聞くとしよう。


「彼女が連れて行かれたというのはどのあたりなんだ?何か詳しいことはわかっているのか?」


話を振ると、ウィルムは何か恐ろしいものを思い出したかのように身震いした後でこちらの問いに答えた。


「ああ、思い出すのも忌々しい、アンデッドどもめ!

 オイラは誘拐犯の後を追って島のはずれにある老朽化した墓地まで追いかけたんだ。

 ところが、辿り着いたその墓地はカルティストの連中の手で冒涜されちまってたんだ!

 オイラは影に紛れて忍び入ってレディを連れ出そうとしたんだけど、中ではアンデッドを呼び出す怖ろしい儀式を行ってやがった。

 すまないがオイラはもうあの中に足を踏み入れてアンタの役に立つような働きは出来そうもない。

 入り口までは案内できるが、中のことはアンタに任せることになるよ」


ふむ、アンデッドの創造か・・・。

ヘイトンの墓所での企みが潰えたことで、別の墓所の遺体を利用しようという計画なのかもしれないな。


「そういう事なら急がないといけないな。すぐに出るとしよう」


そう大きな島ではない。今から行けば昼には戻ってこれるだろう。

建物を出て、ウィルムと話しながらバリケードに向かうとそこにはシグモンドらの姿があった。


「よお、トーリ。昨日はよくやってくれた。

 ・・・そっちのはソウジャーン号のセイラーか?珍しい組み合わせだな」


丁度良かった。バリケードの外へ出る許可を取っておかないといけないんだった。

簡単にシグモンドに話をし、バリケードの外に出る許可をお願いした。


「昨晩でトーリの実力が十分であることはわかったさ。外に出ることには問題ないし、アスケルにも伝えておこう。

 だが、ついでにもう一つ気に掛けておいてほしいことがある。

 昨晩から村長の娘のアリッサの姿が見当たらない。

 そちらの件と同じくカルティストに連れ去られた公算が高いんだ。

 ひょっとしたら同じところに囚われているかもしれない。そのときは彼女のことも頼む」


メイヤーさんって小太りのおっさんがくれるもう一方の救出クエストか。流石に今からその依頼も拾っていくのは無理があるな。

・・・ゲーム中でメイヤーってのが名前のことかと思ったけど、よく考えればMayor=村長か!

道理で他に比べても良質な報酬をくれるわけだ。

今まで勘違いしていた自分が恥ずかしい・・・でも和訳したチームにも問題があるよ、と言いたい!


「ああ、気をつけておくよ。それじゃあ俺は早速行くから!」


なんとなく気恥ずかしい気分になって、会話もそこそこに打ち切ってその場を足早に立ち去ってしまった。

そのままバリケードを越えて崖と谷に挟まれた細い道を進んでいくと、後ろからウィルムが小走りに追いかけてきた。


「おーい、アンタ待ってくれよ!案内役をおいていっちゃ道がわかんないだろ?」


あー、ゲーム中では何度も行ったことがあるものだからつい慣れた道を進むつもりで先行してしまったな。


「悪い悪い、ようやく村から外へ出られると思うと、外のことが気になってな。それじゃ先導任せるよ」


「任せておきなよ。勝手に進まれたらカルティストの連中に見つかっちゃうからね。

 安全なルートで墓地まで向かうよ」


村の外では所々に2,3人で隊を組んだカルティストが見張りを行ってはいたものの、ウィルムの指示に従って物陰を進むことでやり過ごすことは容易だった。

サフアグンと遭遇すれば連中の鋭敏な嗅覚を誤魔化せるか不安ではあったが、日中に行軍していることが幸いして魚人とは遭遇せず進むことが出来た。

まだ巨人族の魔法装置の影響が残っているのか、所々が氷結している水路を越えて進んだところにある墓所を目の前にして、ウィルムは足を止めた。


「すまないがオイラが案内できるのはここまでだ。ここでアンタがレディを連れてくるのを待っているよ」


余程中で見た光景がショックだったのか。まぁこちらとしては他に誰もいないほうがやりやすいので、正直この申し出は有難い。


「ああ、すぐ戻る。それまではこのあたりで身を隠しておいてくれ」


そういって俺はカルティストによって冒涜された古の墓所に足を踏み入れた。




[12354] 1-9.ネクロマンサー・ドゥーム
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/22 06:14
墓所へ足を踏み入れた瞬間、周囲に満たされている不浄のオーラを感じた。


「なるほど、冒涜されたっていうのは言葉通りの意味・・・《ディセクレイト/冒涜》の呪文がかかっているのか」


《冒涜》は不浄のオーラで周囲を満たし、範囲内にいるアンデッドクリーチャーを活性化させる効果を持つ信仰系呪文である。

確かにこの雰囲気は普通の一般人にとっては相当なプレッシャーかもしれない。

入り口からこちらの姿が視認出来なくなっていることを確認し、予めセレクトしていた装備に身を包むと蜘蛛の巣を払いのけながら地下への階段を下りだした。











ゼンドリック漂流記

1-9.ネクロマンサー・ドゥーム











村の倉庫のように蜘蛛に襲い掛かられるようなことはなかったものの、隙を見せると腹を空かせた蝙蝠たちが飛び掛かってくる。

右手には先日も使用した片手剣・・・天使と悪魔が永遠の戦いを続ける次元界『シャヴァラス』の特殊な金属で鍛えられた「コペシュ」を装備している。

元の世界でコペシュというと幅広の曲刀だったはずだがゲーム中で登場したこの武器は非常に日本刀に近いフォルムを持ち、殺傷能力もゲーム中最高峰である。

昨日まではその素材に由来する禍々しいオーラと同時に、武器に付与された聖なるオーラの双方を感じさせる強力な魔力を発していた。

だが今朝のレベルアップでそういった魔法のオーラを隠匿する呪文を習得しており、その効果により一見しても高品質な武器にしか見えない。

今朝のうちに使用しそうな装備品にはこの魔力隠匿の魔法を掛けておいた。

1Lvごとに習得できる呪文枠が限られている中で、この呪文は直接的な効果こそ持たないが装備を隠匿できるという点で非常に重要な意味を持つ。

これで日頃から強力なアイテムを着用して過ごすことができるようになったため、今からそれらの装備の試運転である。

防具やアクセサリーは効果の関係でそれほど選択肢はないが、武器は色々と自由度が高い。

ゲーム中では終盤は二刀流が最強だったが、今はまだ低レベルで二刀を使いこなすにはほど遠い。

両手で武器を持つのか、剣と盾なのか、色々なバリエーションを試しておきたい。

そんなことを考えながら蝙蝠を落とし、狭い通路を真っ直ぐ進んだところで広間に出た。

入り口から見て正面には魔法によって生み出された障壁があり、左右には通路が伸びている。

この障壁の向こうに囚われの女主人がいるんだろうが、まずは邪魔な障壁を解除しなければならない。


「でもその前に、試し斬りの時間だな」


広間の中央に進んだところで、周囲の地面が盛り上がり数体のゾンビ、スケルトンが立ち上がる。

確か左右の通路の奥には、それぞれ儀式を行っているカルティストのクレリックがいたはずだ。

おそらくは既に死後の世界『ドルラー』で意識が擦り切れているであろうアンデッドの魂に冥福を祈りつつ、まずは右手の通路へと駆け込んだ。

























「・・・ついにやっちまった」

目の前で、左手の通路奥で《死体操り》の儀式を行っていた人間のクレリックの死体が酸に溶けて消えていった。

いつかは越えなければならないと思ってはいた。そして実際に人殺しになったわけだが・・・


「なんだか実感がないな・・・」


それもそうかもしれない。ドアを開けるや否やこちらに呪文を放ってきた敵影に対して大斧を横一線に振るっただけなのだ。

たったそれだけで、なんら抵抗も感じさせずに彼は死んだ。腰から両断された上に武器の魔法効果による強酸に溶かされ、遺体すら残っていない。

もはや通常の手段で彼を生き返らせることは出来ないだろう。

遺体もなく、人を殺したという感触も薄い。

魚人を殺した際にはそれほどの忌避感は無かった。

でもそれは相手が人型ではなかったせいだと考えていた。

だが今人を殺しても吐き気も催さなければ気分が悪くなることも無い。

・・・敢えて言うのであればこんなネガティブな考え事をしているくらいか?

人を殺したことに悩むのではなく、人を殺しても何も感じない自分に悩んでいるって事か。


(あー、こんなときに変な宗教に引っかかったらコロっと転ばされちゃいそうだな)


なるほど、このやるせない気持ちを解消してくれるというのなら宗教への依存というのが理解できるのかもしれない。

だが今この場にセリマスや他のクレリックがいるわけではない。存在するのは邪教のクレリック、その残滓だけだ。

考え事はとりあえず後回しにして、まずは依頼をこなす事にしよう。ウィルムも外で待ち焦がれているはずだ。




中央の広間に戻る。クレリックらを排除したことで魔法の障壁は消え去ったが、まだ障害は残っている。

障壁によって隠されていたスペースから、一体の黒いスケルトンがこちらに向かって歩み寄って来る。

ブラックボーン・・・アンデッドの主な弱点である「火」に対する耐性を持つやっかいなアンデッドである。

色からして火葬された死体がこうなるのではないかと思うが、今それを確認する術は無い。

そこらの骨と違い剣と盾で武装しており、一度埋葬されたとは思えないほど硬質な骨は並の鎧を上回る高度だろう。

相当な技量が無ければ有効打を与えるのは難しいだろうが、何も態々斬りあう必要はない。魔法には「火」以外の攻撃手段もあるのだ。


「《マジック・ミサイル/魔法の矢》」


距離をとって必中の魔法攻撃を放ち続ける。放たれた「力場」による魔法の矢は狙った対象に必ず命中するという特別な効果を持つ。

今は未熟なため1回の詠唱で1矢しか放つことはできないが、それでも放ち続ければ骨だけで耐久力の無い敵を倒すのには十分な威力を持つ。

敵の突進をいなしては距離をとって《魔法の矢》を放つ、これを数度繰り返すとあっけなくスケルトンは崩れ去った。


「さて・・・これで後はお前だけだぜ、ジャコビー」


入り口のほうに向かって声を掛ける。すると、一段と強い不浄の気を撒き散らしながら死んだ筈の男、ジャコビー・ドレクセルハンドが現れた。


「・・・忌々しい男だ。人質の女を解き放ったところで不意をうってやる心算だったのだがな」


いや、実際には既に死んでいるのだろう。昨夜エレミアに斬られた傷跡が、裂かれたローブの切れ目から生々しく覗いている。

生前よりも歪んだ凶相に目は赤く暴力的な輝きを放っており、手足の爪は獲物を引き裂かんと鋭く研ぎ澄まされている。

そう、このクエストの最後の敵はアンデッドとして黄泉返ったジャコビーその人なのだ。


「貴様らのせいで俺はこのザマだ!

 失敗を咎められて仮初の命を与えられ、死んだ体の冷たさに凍えを感じさせられる!

 この飢えと渇き、お前の血肉を貪る事でしか収まりそうに無い・・・・!」


そう言いながら彼は異形と化した両腕を地につけ、四つん這いの状態から四肢全てのバネを利用してこちらに飛び掛ってきた。


「もはや俺はこの薄汚い墓所を這いずり回ることしか出来ぬ!

 せめてお前も道連れにしてやる!!」


予想も出来ない体勢からの攻撃に戸惑ったが、距離があったために回避することはできた。

だが飛び掛られた攻撃をかろうじて凌いだに過ぎず、距離は詰められている。

ジャコビーは突撃してきた勢いのままに爪で牙で、立て続けに攻撃を加えてきた。

だが最初の突進こそ意表を突かれたものの、その後の攻撃はその姿形から予想できる範囲内の攻撃に過ぎない。

アンデッド故に疲れ知らずの連撃が可能なのかもしれないが、一連の攻撃の間に十分な隙がある。

次に噛み付きを行ってきた後にその首を刎ねる・・・そう考えて攻撃に意識を移した瞬間にジャコビーと目が合い、全身にとてつもない悪寒が走ると同時に体が凍りついた!


(ぐっ・・・《ホールド・パーソン/対人金縛り》だと!)


呼吸はできるが言葉を発することも出来ない。

剣を振りぬこうとした姿勢のまま動きを止めた俺に、ジャコビーは邪悪な笑みを浮かべながら両腕を振りかぶって叩き付けを行った!

衝撃が体を突き抜けるが、魔法の力で静止を余儀なくされた状態では吹き飛ぶことすら許されない。


(ダメだ、はやくレジストしないと・・・)


ゲームではただのワイトだったが、死後その信仰呪文を発動する能力を失わずワイトプリーストになっているとは!

しかもこの呪文を行使するということは3Lv以上のクレリックだったということ。

後何回この呪文を用意しているかわからない以上、この呪文を打ち破ってスグに耐性のある装備を身につけなければ殺される可能性もある。


(落ち着け、それほど高位の呪文じゃないんだ! 焦らずに意思を込めれば打ち破れるはず・・・)


そう考え意識を集中しようとした際、自分が首から提げているネックレスが目に入った。

10個の銀色の輝きを放つ宝石があしらわれたネックレスだったはず。今そのネックレスの輝きが一つ減っていることに気づく。


(そうか、ワイトの叩きつけ攻撃には《生命力吸収》の効果が----)


そこまで考えたところで再度ジャコビーの叩きつけが炸裂し、思考が散らされる。

さらに輝きを失うネックレス。

この銀炎の加護が込められたネックレスは、敵の《生命力吸収》などの効果を一夜のうちに10回まで防いでくれる効果を持つ。

《生命力吸収》とは、つまりはレベルドレインだ。

そして俺のレベルは現在1上昇したとはいえ2に過ぎない。つまり、この装具の加護が失われた状態で2発殴られたら死ぬ!

再び体に伝わる衝撃。ネックレスからはさらに輝きが失われる。


(死ぬ? まさか、こんな所で!?)


その思考に行き当たった途端、自分の足元から突然冷気が立ち上ってきたように感じた。

身動きの取れない状況で口も開くことが出来ず、呪文の束縛から逃れることが出来なければ間違いなくこのまま死ぬ。

まるで自分の体を縛っているのが呪文ではなく死神の抱擁のように抗い難いものに感じられる。


(馬鹿な!そんなのは錯覚に過ぎない・・・)


意識を集中しようとするが、もはや笑い声を上げながら嬲る様に攻撃を加えてくるジャコビーとその衝撃、脳裏をちらつく死神のイメージが集中を掻き乱す。

そうしている間にもネックレスの輝きは次々と失われていく。


(死ぬのか。突然こんな世界に放り出され、元の世界に戻るどころか物語のスタートラインにすら立てていないうちに!)


思考がネガティブな螺旋を描いて沈み込んでいき、先ほどのジャコビーの台詞が思い出されて「その後」の映像が脳裏に映し出される。


(そしてワイトに殺されたものはワイトになる・・・この薄暗い墓地で、永遠の凍えと飢えと渇きに苛まされるのか!)


そこに思い至った時、自分の中から突如一つの思いが湧き上がって来るのを感じる。


(・・・っふざけるな。そんなことが認められるものか!!!!)


その感情は、怒り。死への恐怖を塗りつぶすほどの、自身の感じた理不尽に対する怒りが全身を伝わって爆発した!


「グオオオオオァァァァァ!」


感情の迸るままに上げられた叫び声は呪文による束縛を弾き飛ばし。

続けざまに振るわれた拳は叩き付けを行おうと振りかぶっていたジャコビーの体を吹き飛ばした。

怒りが全身に力を与えているのを感じる。全身に力が漲り、思考は攻撃的に。だが思考は冷たく、落ち着いているのを感じる。

片手剣をブレスレットに収納し、同じ素材で作られた大斧を召喚する。

その巨大な両刃からは、内側に秘められた莫大な電撃が漏れ出し柄を通じて腕に軽い痺れを感じさせるが今はそれも心地よい刺激に感じる。


「感謝するぜ、ジャコビー。お前のおかげで温い考えは吹っ飛んだよ。

 俺はお前をもう一度殺す。お前以外の敵も殺す。

 それはただ、俺が生きるためにだ!」


そうだ。こんな所で殺されてやるわけにはいかない。その為であれば、殺すことに最早躊躇いはない!


「往生際の悪い!死ねえェェェェェェ!!!!!!!」


先ほどの拳が命中した影響か。まだその身の内に残されていた、もはや黒ずんだ血を口から撒き散らしながら絶叫とともにジャコビーは突進してくる。

その体ごと、最大最強の《ライトニング・ストライク》で迎え撃つ・・・!

上段から弾丸のごとき速度で振り下ろされたグレートアックスがジャコビーの体に吸い込まれた瞬間、その刃に秘められた全ての力が外側へと放出され、辺り一面は白一色に塗りつぶされた!

その直後、光に遅れて発生した大音響が地下の墓所全体を震わせた。



閃光が収まった後、そこには直径5メートルほどのクレーターが残され、周囲の地面はピリピリと静電気を放っていた。

ジャコビー・ドレクセルハンドの姿は文字通り跡形も無く消滅していた。



敵の姿が消えたことで緊張が消え、先ほどまでの激情による身体強化の反動か一気に脱力感が襲ってきた。

地面に突き立てた斧を頼りに立とうとするが、たまらずその場にへたり込む。

目に映るネックレスの輝きは1つを残して曇っていた。どうやらそれなりにギリギリだったらしい。

《生命力吸収》自体の効果は防いだが、衝撃はダメージとなって体に残っている。この世界に来てはじめてのダメージである。


「あー・・・・・疲れた」


自前の呪文で治癒をすることもできたが、疲労状態ではさらに疲れるようなことはしたくない。

ブレスレットから治癒の効果を持つポーションを何本か飲み、HPを最大値まで回復させたところで物音が聞こえてきた。

耳を澄ますと、地上のほうから軽い足音がこちらに近づいてくるのが判る。

流石にさっきの大音響を聞いてウィルムが居ても立ってもいられずに駆けつけてきたんだろう。

斧を収納し、片手剣装備に戻す。後、チャージの減ったネックレスを交換して足には金縛り効果を無効化するブーツを履いた状態でウィルムを待った。


「おい、トーリ!生きてるのか?」


そういって広間を覗き込んだウィルムにしゃがんだまま手を振って手招きする。


「うへぇ、なんだいこの有様は!まさか《デイ・オブ・モーニング》の再来じゃないだろうな」


クレーターを見てしかめっ面をするウィルム。大げさなヤツだなぁ。

《デイ・オブ・モーニング(悲嘆の日)》とは、最終戦争の末期にサイアリ国を滅ぼした謎の現象である。

一国を滅ぼしたこの現象は、今なお国境沿いには霧が立ち込めておりその中では一切の治癒が行われないということで原因の調査も進んでいない。

まさに近代史最悪の災害の事である。現在サイアリ国のあった土地は『モーンランド』と呼ばれ、正に人外魔境と化しているらしい。


「まさか、噂に聞く《モーニング》なら今頃お互い生きちゃいないさ。

 執念深いヤツがいてね。ソイツの最後っ屁みたいなもんだ」


面倒ごとはジャコビーに押し付け、誤魔化しておく。

タイミングよく発動してくれたが《ライトニグ・ストライク》の発動確率は検証の結果2-3%と言われている。

ダメージは通常の追加エフェクトの100倍とD&Dの常識をも破壊せんばかりの威力だが、この発動確率では頼りにしていられない。


「それより、ここの敵は全部掃討したぜ。そこの正面の扉の向こうにレディがいるはずだ。

 俺はまださっきの戦闘の疲れが抜けてないから、彼女のエスコートを頼んでいいか?」


ジャコビーが死んだせいか、先ほどの一撃のせいかは判らないが既にこの墓所に不浄の気配は無い。

ウィルムもそれを感じ取っているのだろう、落ち着いた足取りで広間正面のドアを開けるとその先の部屋に進んでいった。




しばらくしてウィルムがレディを伴って出てくるころには疲労も抜けてきた。

立ち上がって今回の救出対象を確認する・・・


(おや?ジョラスコ氏族はハーフリングじゃなかったのか。彼女は人間に見えるが)


そんな疑問が脳裏に浮かんだが、サッと打ち消してレディに話しかける。


「ご無事で何よりです。リナール・ド・チュラーニからの依頼で貴方を救出に参りました」


軽く目礼をして要件を伝えた。


「ええ、ウィルムからも話は聞きました。私を堕落したアンデッドから救い出したことはハウス・ジョラスコからも感謝が伝えられるでしょう。

 聞けば貴方はストームリーチに向かわれるとか。

 その際には、ハウス・ジョラスコの居留地にお寄りなさい。きっと彼らは貴方の助けになってくれるはずです」


気丈な女主人はこんな状況でも堂々とした立ち居振る舞いで応対してきた。 

常日頃から人の上に立っている連中ってのはやはり強い精神力を持っているんだろう。
 

「では、はやくここから出て村に向かいましょう。リナールが心配している」


そういって二人を促し、地下墓所を後にする。


(さよならだ、ジャコビー。アンタのおかげで一つ覚悟が決まったよ)


せめてカイバーの腸ではなく、ドルラーに彼の魂が辿り着くことを静かに祈り、振り返ることなく立ち去った。




[12354] 1-10.サクリファイス
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:cfa2e0df
Date: 2009/10/12 10:13
墓所を出て氷結した水面を歩きながら村へ向かっていたところ、前方からこちらに近づいてくる一団の気配を感じた。


「ウィルム、何かがこっちに近づいてくる・・・2人、いや3人だな。

 念のため彼女を連れて下がっていてくれ」


カルティストの偵察隊あたりが墓地に向かっているのであれば衝突は避けられない。

なにせ、峡谷の中を流れる川の上である。逃げ場なんてものはない。

そこらの割れ目から水底に逃れることは出来るかもしれないが・・・

ゲームの中とは違う。そんなことをしたら俺はともかく後ろの二人は氷点下の水温にやられて数分しか持たないだろう。

後ろの二人が巻き込まれないように、遠距離で仕留めるのが上策か?

そう判断し、銀の長弓を取り出す。後ろの二人にはマントの影にでも隠していたと説明すればいいだろう。

さらに矢筒を取り出して背負い、一本の矢を番えた状態で崖の斜面に沿って立つことで出来るだけこちらの姿を隠す。

最初の一人を射たところで残りに逃げられては意味が無い。近くから増援が来ないとも限らない。

少なくとも3射することができる位置まで相手を引き付ける必要がある。

気配を殺し、相手の接近を待つ・・・














ゼンドリック漂流記

1-10.サクリファイス













結論から言うと、杞憂に終わった。こちらに近づいてきていたのはエレミアのパーティーだったのだ。

村長から娘の救出を依頼された彼女らは島の東側にあるカニスの古い水路を目指していたのだが、

その途中であの轟音を聞きつけてその調査をしようとこちらに向かっていたらしい。

その件については問題ないことを伝え、分かれてそれぞれの目的地に向かおうと思ったのだが・・・。


「トーリ。貴方は彼女らについて連れ去られた村人達の救助に向かってはいただけませんか」


突然護衛対象の婦人がそんなことを言い出したのである。


「あの墓所から連れ出していただけただけで十分です。ここからであれば私とウィルムだけで村まで辿り着けるでしょう。

 ですがこれから向かう先には救出対象以外にも囚われの者達がいるでしょうし、数が多ければ帰還の際に人手が必要なはずです。

 出来れば私と同じように心細い思いをしているであろう者達を助け出す手助けをしたいのですが、我らの氏族の誓約がそれを許しません。

 ですが、貴方ならば彼女らの助けになってくれるでしょう」


そういえばジョラスコ氏族は報酬無しにその力を決して振るってはならないという誓約があったんだっけ。

そのルールを破ったものは"皮剥れ"と言う処罰を受け、たとえどれだけ高位の者でも一族を追放されるとか。

一族を守るためとはいえ、やっぱり"ドラゴンマーク"の一族に連なるとなると自由な振る舞いは認められないって事なんだろうな。

以前作っていたキャラには"マーク持ち"のキャラはいなかったし、今後も取得する予定は無いがそれで正解なようだ。

権力は強いのかもしれないが、その代わりに背負わされる義務としがらみが大きすぎる。




一応救出の依頼を受けた以上は村まで無事送り届ける義務がある、などと言ってみたものの流石商船のスポンサーなんかやっているだけあって交渉は相手のほうが何枚も上手だった。

あれよあれよと丸め込まれ、気がつけば彼女はウィルムを連れて村へ向かって出発してしまっていたのである。


「・・・というわけで、申し訳ないが俺も君達に同行させて欲しい」


「トーリ殿が一緒に来ていただけるのであれば心強い。よろしくお願いする!」

「フン、まぁ盾くらいにはなるんだろうねぇ。邪魔だけはしないでおくれよ」

「噂はかねがねお伺いしてます~。よろしくお願いします~」


上からエレミア、ローグのラピス、ウィザードのメイである。ラピスは人間でメイはハーフエルフ・・・だと思う。

ラピスは赤に近い焦げ茶色の髪をショートボブにした女性で、山猫を思わせる敏捷性を活かすためか黒の皮鎧を着てショートソードを腰に差している。

メイは長い金髪を結い上げてローブに幅広帽、と由緒正しき魔法使いスタイルに見える。惜しむらくは箒と使い魔がいないことかな。

この構成であればヒーラー役で中衛として行動するのがいいだろう。

女性ばかりのパーティーに男一人というのは気疲れしそうな気もするが今日一日限りのスポット参戦だ。

上手く回っているパーティーに俺という異物が混入することでパーティーが崩壊してしまっては話にならない。

上手に立ち回って彼女らの連携の邪魔をしないようにするとしよう。





どうやらこのパーティー、特にエレミアとラピスの二人はいうなれば「タカ派」のようだ。

先ほどのウィルムと行動していた時とは異なり、彼女らはカルティストの偵察部隊などを捕捉すると積極的に狩っている。

攻撃パターンとしてはまずエレミアが敵の中央に突っ込み機先を制し、彼女に気を取られた連中の隙をついてラピスが敵の急所に攻撃を叩き込んでいく、というスタイルのようだ。

偵察部隊の人数は多くても5人程度の構成であるため、大抵はこの二人だけで片がつく。

メイは敵の数が多いときのクラウドコントロール役を担当しているのだと思われる。

この程度の雑魚の相手では出番が無くはっきりとしないが、少なくとも無駄に呪文を消費していないその点は評価できる。

今少し先では今日合流してから既に4組目である偵察部隊が血祭りに挙げられている。

俺? 俺は敵が万一こっちに突っ込んできたときにメイをガードする役目があるので待機ですよ。

さっきの遭遇で破れかぶれになったカルティストが瀕死の体でこちらに突撃してきたことがあり、ソイツに止めを刺しただけです。

自分が墓所で殺したときと違い、彼女らに殺された連中の死体はもうヒドイ有様である。

エレミアに首を刎ねられるか袈裟切りにされるもの、あるいはラピスに後ろから延髄を一突きされるもの。

2時間と経過していないというのに既に二十人近くを仕留めている。

この二人を村の外に放っておけばそれだけで島からカルティストが駆除されるんじゃないかと思える勢いだ。


「何間抜けな顔をしているのさ。失礼なことを考えているんじゃないだろうね」


バル○ンいやいやホウ酸ダ○ゴか、などとこの二人の殺虫(?)効果を考えていたら外に気配が漏れていたのか、獲物を仕留めて戻ってきたラピスに咎められた。

このお嬢さん、はっきりいって異常な鋭さだ。どっちかいうとシフターみたいな雰囲気を受けるが、その直感はカラシュターもかくやという程だ。


「お疲れさま。いやー、二人の手際が見事なもので出番が無いからね。何か収穫はあった?」


「相変わらずシケた連中だよ。せめて高品質の武器でも持っているなら少しは稼ぎになるだろうに。

 趣味の悪いローブに棒っきれとダガーじゃ運ぶのも面倒ってものさ。

 これで偵察してるってつもりなんだから笑わせるよ」


確かにある程度腕の立つ冒険者であれば、容易く切り抜けられるレベルだろう。


「敵の主力はサフアグンだろうからな。

 この辺りにはもう敵の斥候はいないようだ。そろそろ先を急ごう。

 でなければ多くの護衛対象をつれたまま、夜道にサフアグンの攻撃を受ける事に成りかねないぞ」


周囲の警戒を行っていたエレミアもこちらに戻ってきて、早く進むことを提案してきた。


「この先に安全そうなポイントがあったが、ゆっくりしている時間はなさそうだ。

 沿岸に邪教の祭壇と思わしきものもあったが、今は関わらずに先に進むべきだろうな」


この彼女の最もな言い分を受け、一旦東の沿岸部近くまで突き抜けてから回り込んで水路に向かうこととなった。

道中何やら怪しげな儀式を行っていたカルティストらをまたも殲滅しつつ、沿岸部まで到着するとそこから南には深い積雪に覆われた山がそびえていた。

 
「あれが『ミザリー・ピーク』か」


以前は住人に避暑目的などで親しまれていたそうだが、今は白竜の棲家であり畏怖の対象となっている。かつての名でその峰を呼ぶものは誰もいない。

拉致された村人はまず古い水路に隔離された後、一人ずつ山に連れて行かれて洗脳されると聞く。

そうやって山から出てきた人々はもはや昔の彼らではない。かつての隣人の血を欲するディヴァウラーの奴隷と化してしまっている。

最終的にはあそこに向かう必要があるんだが、今はまだその時ではない。

俺たちは雪山に背を向け、あの山に送られる前の村人達が捕らえられている古の水路に向かった。



島から海に突き出した岬の、中ほどにある丘の頂上からその高架式水路は伸びていた。いまはその途中で崩れ落ちており、本来の用途は失われている。

入り口周辺には見張りとして、何人かの射手が高台で警戒に当たっている。


「おそらく水路の中には交代要員もいるんだろうが、今外に出ているのは4人のようだな」


人数についてはエレミアもラピスも異論が無いようだ。


「中に逃げ込まれると面倒だね。

 僕とエレミアが何時も通りに突っ込むから、メイとオマケは連中が逃げ込まないように入り口を確保しておいてよ」


とはラピスの弁。僕っ娘なのはいいとして、オマケ扱いはちょっと・・・。確かにあまり仕事してませんけどね。


「数は多いしここに配置されているということは少しは腕が立つのかもしれないが、幸い廃水路に連中は固まっている。

 接近戦の距離まで近づけば弓は使えないだろうし、あの狭さでは大勢が同時に掛かってくることは出来ないだろう。

 ラピスの案で良いのではないだろうか」


「それなら私はトーリさんと水路の廃墟の入り口に向かってくる方達の無力化と、内部からの増援の警戒ですね~

 数が多ければ援護しますから、トーリさんお願いしますね」


最初はオマケ呼ばわりに難色を示してくれていたエレミアだが、ラピスの口の悪さは前かららしく矯正についてはもう諦めた模様。

メイは最初からその件についてはスルーである。天然なのか計算なのか・・・ウィザードである以上は相当知性が高いはずではあるのだが。


「じゃあ僕たち二人が気配を殺して先に行く。二人は斬りあいになった辺りで動いてくれればいい。

 最初二人だと思わせておけば逃げ込もうとは考えないかもしれないからね」


ラピスはコーヴェア大陸でも少し冒険者として活動していたようで、こういうときにはテキパキ指揮をしてくれる。

メイは驚くべきことに学生らしい。シャーンのモルグレイヴ大学の卒業論文としてゼンドリックでのフィールドワークを選択した彼女は、

物資補給のために寄港したこの村で足止めを食っているというわけだ。

エレミアについてはそういえば知らないが、世間知らずっぽいところが見受けられるので案外箱入りなのかもしれないな。


そんな考えをしていると上から剣戟の音が聞こえ始めた。

メイに目配せをし、自身は足音を殺しながらもスピードは殺さずに水路の入り口に向かって駆け寄る。

後ろでメイが少し遅れて進んでくるのを気配で感じながら、視線は戦闘を行っている二人の方向へ。


おそらくは奇襲で1人を倒したんだろう、今は残る3人のうち2人と正面から斬り合いを行っている。

相手の残された1人は弓から剣に持ち替えようとしていたようだが、こちらの姿を見ると矢を放ってきた。

下手に回避してメイに当たっては意味が無い。抜いていた片手剣で切り払う。

ちなみに今使用しているのは初日に広場で試し斬りで木を切り倒した、特にチートではない片手剣である。

そうこうしている内にラピスのフェイントに気を取られた敵の1人がエレミアに斬り飛ばされ、

武器の持ち替えが遅れた男の援護が間に合わなかったために、エレミアとラピスの双方から攻撃を受けたことで前にいたもう1人が倒れた。

後はお察しのとおりである。

一応切り倒される際に悲鳴をあげたり、剣の打ち合うそれなりに大きい音がしていたにも関わらず敵の増援が現れる気配は無い。

様子を見に来る気配もないことから、入り口近くには敵はいないのかもしれない。

ゲームでこのクエストをやった時は入り口近くの印象がさっぱり無い。途中の宝箱とかのことは覚えてるんだけれど。


「ま、矢が補給できたことはラッキーだったかな。村の連中も喜ぶんじゃない?」


しっかり敵の装備を剥いできたラピスは、ようやくマトモな戦利品にありつけたことで少しは機嫌が上向いているようだ。


「連中の補充用の矢が中にもあるだろう。ここ最近大規模な襲撃が続いて村では矢の備蓄が少なくなっているだろうから持って帰ったほうがいいだろうな」


うむ、D&Dのハック&スラッシュ精神だなぁ。昔は敵から奪った財宝がそのまま経験点になったんだっけか・・・。

冒険者なんてやってれば基本収入は依頼報酬とクエスト先での戦利品なんだし、当然の思考なのかもしれないけど。

エレミアも防衛戦に参加していたということでバリケードの状況には気を配っているみたいだ。


「それじゃあ中に入りましょう。まずは安全を確保して、それから囚われの方達の解放です~

 ラピスちゃん、先頭をお願いね」


今度はメイが主導権を取って話を進めていた。

水路跡地の廃墟は道幅は広いものの、大量の蜘蛛の巣に覆われていて視界はとてもじゃないが良好とはいえない状態だ。


「くそっ、鬱陶しいな!

 そうだトーリ、アンタのその剣は火属性の付与がついてるんだろ?

 ソイツでこの邪魔なのを切り払ってくれよ」


ようやく名前が呼ばれたと思ったら雑用フラグですね。


「そうですねー、帰り際に死角が多いと村の皆さんに危険が生じるかもしれませんし。

 お願いしますねトーリさん」


アイテムで使用できる《ディレイド・ブラスト・ファイアボール/遅発火球》や《メテオ・スウォーム/流星雨》で焼き払ったら気持ち良いだろうなー、と思いながら作業に従事する俺。

まぁ実際にそんなことしたらこの老朽化した建造物自体が崩れちゃうかもしれないんだけどな!

幸い火がつくと蜘蛛の糸は勢い良く燃え上がってくれるため、軽く切れ目を入れてやれば一定範囲内の巣が焼け落ちるためそれほど苦にならずに済んだ。

時折巣を燃やされて焼け出された蜘蛛がいたようだが、こちらに襲い掛かってこなかったため無害と判断して見逃している。


そうやって慎重に進んでいくと二度の曲がり角を経て、跳ね橋のかかった水路のある地点に到着した。今は跳ね橋は上げられているようだ。


「・・・臭いな」


水路から10mほど離れた所でラピスがそう言って立ち止まった。

確かに言われてみれば鼻につく匂いがする。水が澱んでいるのか?


「随分古い水路らしいからな。そういうこともあるんじゃないか?」


そう声を掛けたが、返ってきたのは何だか見下したような視線だった。


「そうじゃないよ、この間抜け・・・

 そうだな、あの跳ね橋を下ろすレバーがたぶんそこにあるレバーだろう。

 錆び付いていると厄介だから、ここは一つ男らしいところを見せてもらおうじゃないか」


そう言ってラピスは手にしたショートソードで前方にある巻き上げ機(?)のような装置を指し示す。


(わかっちゃいたけど扱い悪いなぁ)


ちょっとブルーになりながらも水路脇にあるその装置に近づいて、跳ね橋を下ろそうとしたところで水中に光る何かを見つけて視線を動かすと・・・

そこには大量のギラついた目がこちらを覗きこんでいた!


「ちょ、うわ!」


こちらが気づいたのとほぼ同時に、水面から小さな棘が編みこまれた凶悪な戦闘用ネットが飛び出してきた!

これで引っ掛けた相手を水中に引きずり込もうって考えか。慌てて転がるようにネットを回避するが、続けて水中から大勢の魚人が飛沫を上げながら飛び出してきた。

水中から地上へ上がってきたサフアグンたちは手にしたトライデントで此方を突いてくる!

だが、2Lvに上昇した際に獲得した『直感回避』が奇襲に対しても落ち着いて対処する能力を与えてくれる。

とりあえず3体のサフアグンからの攻撃を回避したが、まだ水中には大勢の敵が潜んでいる。

さきほど投擲されたネットは既に水中に戻っているが、水場の近くで戦っていればまたあれが飛んでくるだろう。

そう考えれば戦闘はあのネットの範囲外で行ったほうがいい。水中で魚人相手に格闘戦なんて死亡フラグ以外の何者でもない。

とりあえず視界に収まっているこの3体をやり過ごして後退しよう。


「《ヒプノティズム/恍惚化》!」


トライデントの突き刺しを回避しながら呪文を詠唱し、敵の意識を幻惑する。

呪文が効果を発揮したのを確認し、後ろに下がるとそこには武器を構えて戦闘状態のレミリアとラピスがいた。


「やれやれ、餌がこれだから大して期待はしていなかったんだけど・・・大量じゃないか」


そう言った視線の先では、次々とこちらを追って魚人が姿を現してきている。


「おいおい、分かってたのなら教えてくれても良かったんじゃないのか?

 危うくネットで水中に引きずり込まれるところだったぞ!」


臭いとか言っていたのはこの事だったらしい。流石に一応抗議しておかねば。


「何、エレミアが絶賛するアンタの戦いぶりを見てみようと思ったんだけどね。

 噂どおりの見事な逃げ足じゃないか。

 匂いが濃いから何匹かいるとは思ってたけど、まさかここまで大量だとは思ってなかったんでね。

 運が悪かったと思って諦めな」


「あんなに囲まれた状態で呪文を使えるなんて凄いです~

 私だったら傷を負わされて集中が解けちゃってますよ!」


「トーリ殿であればあの程度の連中に後れを取ることなど有り得ないでしょう。

 しかしすべてお任せしては我らの経験になりませんし、手出しをお許しいただきたい」


反応は三者三様です、ハイ。

こんな漫才をしている間にも敵はどんどんと姿を現している。

少なくとも10体以上が上陸しており、第二波の魚人が《恍惚化》していた連中を置き去りにしてこっちに向かってきている。


「連中、日中はどこに隠れているのかと思ったらこういう所で日光を避けてたんだな」


知りたくなかった情報である。まぁその分ここに到着するまでの戦闘が楽だったのでトレードオフは効いている、のか?


「それじゃ刺身の大量生産といこうか!連中のはらわたを引きずり出して臭みを抜いてやるのを忘れるなよ!!」


『チャッタリング・リング/お喋りな指輪』もビックリなラピスの口の悪さに辟易しながら前線に加わる。

この通路は結構な広さがあるため2人では前線を維持できずに横を抜かれる恐れがあるため、それならいっそ3人で壁を形成しようというわけだ。

とりあえず正面に迫っていた1体のトライデントを、体を捻ることでやり過ごすと間合いに踏み入ってロングソードで攻撃してきた魚人の首を落とす。

だがその直後、後ろに詰めていた魚人からの突きを避けるために後退させられる。

連中の後ろにはどんどんと水中から増援が現れている。

水路のこちらはすでにすし詰め状態で、溢れた連中が水路の反対側に姿を現し始めている。

その中の何体かがトライデントより小振りの槍を振りかぶっているのが目に映った。


「危ない!」


咄嗟に後ろに下がって、メイに向かって投擲されたジャベリンを叩き落した。

後ろに下がったせいで前線に穴が生じ、2対3になってしまうが仕方ない。

流石にここは敵の数が多い。呪文による援護をしてもらうべきだろう。

前線の二人にはしばらく防御的戦闘で耐えてもらわなければ。幸い二人とも高い敏捷を活かして敵を翻弄しており、目立った被弾はないようだ。


「お待たせしました・・・《ウェブ/クモの巣》!」


短い単音節の詠唱と身振り、そして1片のクモの巣を物質要素として強靭で粘着質な糸が召喚された。

敵の中央部から爆発的に広がり、その糸はエレミアらが切り結んでいる敵を包み込んだところで測ったかの様にその拡大を停止した。

絡めとられた敵は身動ぎをして抜け出そうとしているようだが、動けば動くほど周囲の糸を巻き込んでその束縛は強められていく。

この呪文の効果は半径20フィート、つまり半径6メートルほどである。

もう蜘蛛の糸に遮られて反対側を見通すことはできないが、少なくとも水路のこちら側にいた連中は全員巻き込んだだろう。

あとは絡みつかれた連中を処理しながら蜘蛛の巣を取り除いて進んでいけば良い。非常に効果的な呪文行使だったといえる。


「流石は専門家だね。こういう局面では本当に頼りになる」


そう褒めるとメイはエヘヘー、と照れた様子で顔を赤らめていた。


「私はこの系統に特化した召喚術士ですから。他の系統は苦手なのもあったりするんですが、召喚術には自信があるんですよ。

 それよりもさっきはどうもありがとうございました。

 あの投槍を受けていたら呪文を失敗しちゃってたかもしれません」


うーむ、褒めたつもりが逆にお礼を言われてしまったんだぜ。いい娘だなぁ。


「まぁ勝手に着いてきたんだ、それくらいの役には立ってもらわないと本当に餌にしかならないからね。

 使えなさそうならそこの水路に叩き込むつもりだったけど、もう満員だったみたいだし運が良かったね」


それに比べてこの凶暴娘は、目の前のサフアグンにトドメを差しながらもこちらに毒舌を向けることを忘れないとは。

そうやって殺されたサフアグンに絡み付いている蜘蛛の糸を剣で焼き払いながら奥へと進んでいく。

最終的には22体ものサフアグンが蜘蛛の巣に捕らえられていた。どれだけ密集していたのかが知れる数値である。

水路の反対側にいた連中は建物の奥へ逃げていったようで、水中には敵の気配はない。

跳ね橋を下ろして進むと、いくつか格子で塞がれた部屋に何人かの村人が閉じ込められているのを発見した。


「ソヴリン・ホストの神々よ、感謝します!
 
 助けに来てくださったんですか?」


まだ気力の残っていた村人が格子際まで寄ってきてこちらに声を掛けてくる。


「ああ、だがまだしばらくはそこで我慢していてくれ。

 この奥にいる連中を片付けないと安全に逃げることが出来ないことはわかるだろう?

 すぐに魚人達を倒して戻ってくるから」


そう言って村人1人1人を落ち着けながら先に進む。

さすがに何人もの村人を連れてこの先に進むことはできないから、仕方の無い措置である。

通路を進んだ先には10メートルくらいの梯子が掛けられた下りの壁面があり、その降りたところから先に通路が広がっていた。

梯子を使わなくても同じ高さに一定間隔で支柱が横方向に張り巡らされているため、その上を飛び渡っていけば進めるかもしれないが・・・

メイが顔を青くしながら首を横に振っている。

まぁこの先にはちょっとした宝箱と、それを守護する『アーケイン・ブラックボーン』という少々強めの敵がいたはずだ。

余計な厄介ごとは回避するに越したことは無いだろう・・・と思っている横をラピスが擦り抜けていった。


「フフン、あの先にあるのはどうやらお宝みたいじゃないか。

 メイはここで待ってなよ。心配しなくてもキッチリ戦利品は分けてあげるからさ!」


そう言うと彼女は支柱の上を華麗に跳躍しながら先に進んでいった。この距離で50メートル以上先にある宝箱を見逃さないとは、恐るべき視力と宝に対する執着心である。

残された3人はお互いに目を合わせると諦めたように役割分担を行った。


「これも罠の一種かもしれない。私がラピスについていく。トーリ殿はメイの事をお願いする」


そういってエレミアは先行したラピスを追っていったが・・・二人の武器は刺突と斬撃で殴打武器は持っていない模様。

敵の黒骨には殴打以外の武器は効果が薄いし、何より強力な呪文の使い手でもある。

これは追いかけないと不味いんじゃないか?

でもメイをここに残しておいて、後方から敵襲があったら彼女の身が危ない。


「仕方ない・・・ちょっとの間我慢しててね」


《ジャンプ/跳躍》の呪文を自分に掛けると、そう言ってメイを抱え上げた。


「え?ちょ、ちょっとトーリさん!恥ずかしいですよぉ」


そう言いながら足をジタバタとさせているメイ。


「エレミアにもメイさんの事を任されましたし。危ないですからしっかり捕まっていてくださいよ」


自分の都合の良いように解釈した理屈を通しつつ、強化された跳躍力で支柱の上を移動する。


「そういう意味じゃないと思いますけど!

 うわ、飛んでる!飛んでます!」


流石にこの状態で暴れるようなことはなく、かえってしがみ付いて目を閉じ、大人しくしてくれている。

彼女は呪文詠唱のため身動きを阻害する鎧の類を装備することは出来ず、ローブしか装備していないため布越しに柔らかい感触が伝わってくる。役得役得。

支柱伝いに奥に進んだところで、6メートル四方くらいの開けたスペースに到着した。

そのスペースの奥に、一つのチェスト・・・宝箱が設置されている。

まだ目を閉じてしがみついているメイに「もう大丈夫ですよ」と声を掛けておろすと、流石に騒ぎに気づいていたのか先行していた二人からジト目で見られていた。


「わざわざついてこなくても良かったのに。

 どうやらここで行き止まりみたいだからまた戻んなきゃいけないんだよ?」


「いや、エレミアも言っていたけど罠があると危険だしね。

 術者がいないと対応できないこともあるかもしれないし」


我ながら適当な理由ではあるが、ラピスはそれ以上追及することなく箱の方を向くと用心深く周囲を調べ始めた。


「・・・罠はなし、箱にも鍵はかかっていないようだね。

 開けるから、念のため離れておいてよ」


そう言って後ろに下がるようにジェスチャーしてきた。どうやらあの動作は万国共通らしい。


(あれ? 確かこのゾーンに踏み込んだ時点で敵が出たはずだけど・・・勘違いか?)


出現フラグを勘違いしてたかな、と思いながら距離を置くとそれを確認してラピスが箱を開いた。


「なんだこれ、骨か?」


そう、箱の中には黒い色に染まった骨がぎっしりと詰め込まれていたのだ。

ラピスがその骨に触れようとしたところで、突然箱の中から不浄なオーラが溢れたかと思うと骨が空中に浮き上がって人型を形成し始める・・・


「敵だ!

 下がれ!」


ラピスに声を掛けるが、突然の出来事に固まっているのか膝立ちの姿勢のまま固まっている。

そうしている間にも組みあがった人型の骨は、どこからか取り出した杖を振りかざし呪文を発動させはじめた。

杖の先端にスパークする雷光が集まっていくのがスローモーションで視界に写る。


(呪文の妨害は間に合わない・・・仕方が無い!)


前方に走りこむとようやく反応したのか立ち上がりつつあるラピスを横方向に蹴り飛ばす!

直後彼女の立っていた地点を《ライトニング・ボルト/電撃》の呪文が貫いていった。

一直線に伸びた雷光はそのまま進むと、進行方向にあった樽を爆砕・炎上させながら壁に衝突してその一部を突き崩した。

一般人なら即死、低レベルの冒険者でも直撃すれば命が危ないレベルの攻撃呪文だ。

直線上にエレミアやメイが居なかったのは不幸中の幸いといっていい。


「エレミア、メイを連れて支柱の影に隠れて!

 顔を出すと今の呪文で狙い打たれるぞ!

 ラピスは大丈夫か?」


敵が放ってくる《アシッド・オーブ/酸の弾丸》を回避しながら矢継ぎ早に指示を出す。

蹴り飛ばしたラピスの方を見やると、そこには怒りのオーラを撒き散らす鬼がいた。

瞳孔は縦に裂け、ショートソードを取り落とした手には鋭い爪が伸びている。


(やっぱりシフターか!)


エベロンに住んでいたライカンスロープ達は、200年ほど昔にシルヴァー・フレイム教会の大弾圧によって姿を消した。

シフターとは、そのライカンスロープと人間に生まれた子孫の末裔であり、先祖の持っていた獣性を解放する能力を有しているという。

ゲームでは実装されていなかったが、エベロン特有の種族として記憶に残っている。


(爪ということはワーベアか?いや、あの耳からするにワータイガーの末裔か)


リアル獣耳であるが、そんなことを考えている場合ではない。


「ふざけた真似をしてくれるじゃないか・・・

 オマケ、手を出すなよ。

 邪魔をしたらお前もブチ殺すぞ!」


そう言うとラピスは唸り声を上げ、黒い弾丸と化して敵に向かって突進した!


「おい、お前の武器じゃそいつには効きが」


「知ったことか!

 防御が硬かろうが、その上から叩き潰す!」


シフティング(シフターが獣性を解放している状態をこう呼ぶ)している間はさらに凶暴性が増すのか。

両手の爪で、固い相手の骨を力づくで切り裂いていく。


「久々のお宝だと思ったら、この骨野郎が!

 そのスカした面も、腐ったような匂いも気にいらないんだよ!」


時折反撃として放たれる呪文は先ほど同様の致死性の破壊力を秘めているが、研ぎ澄まされた直感とローグとして鍛えられた身のこなしでその全てを回避している。

まず杖を持つ右腕の骨を断ち、次に左腕、そして両の足と嬲る様に四肢を切り刻んでいった。

そうなると後はもはや発動に身振りが必要な呪文を行使することは出来ない。

頚椎を鋭利な爪で挟み込まれ、ギリギリと音を立てながら締め付けられた後に砕かれたことでそのしゃれこうべの暗い双眸に宿っていた緑色の光は消えた。


(よっぽど島に閉じ込められたことでストレスが溜まっていたんだろうか)


怖ろしい話である。もはや八つ当たりではなかろうか。

ともあれ敵は倒した。危機は去っただろう・・・と考えた俺が浅はかだったようだ。


「さて次は・・・おい、そこのオマケ。

 よくもさっきはこの僕を足蹴にしてくれたね」


どうやら先ほどの事が御気に召さなかったようだ。

あわや仲間割れかと思ったが、間にエレミアが入って仲裁してくれた。


「ラピス、そこまでにしておけ。今はそんなことをしている時ではないだろう」


この言葉で気を殺がれたのかあるいは持続時間が切れたのか、耳と爪が元に戻ったラピスは不機嫌ぶりを隠しもしないでこちらに背を向けて箱の中身を調べ始めた。


「フン、今のところは勘弁しておいてやるよ。

 お前はとっととメイを連れてさっきの場所に戻っておきな。

 トロトロしてたら今度こそ刺し込むぞ」


(刺し込むって何をだよ!)


色々と思うところがないわけではないが、この場は思考を放棄することにした。


「それじゃ戻ろうか。また少しの間我慢してね」


そういって再びメイを抱き上げると、来た道を戻り始めた。


(今はこの感触に埋没して全てを忘れていたい・・・)


「ごめんなさいね、ラピスちゃんはあの通りのちょっと気難しいコだから・・・気を悪くしないで欲しいの」


二回目ともなれば慣れたもので、メイも移動しながら会話する余裕が出来たようだ。

まぁラピスの反応については後で文句を言われることは予想した上での行動ではあったし、気を悪くはしていない。

予想以上の反応が返ってきたことにちょっと驚いただけだし。

それを伝えると彼女も安心したのか微笑みながらぎゅっと抱きついてきた。


「トーリさんは優しいね~」


いや、ヘタレなだけなんです・・・と思いながらも少々ささくれ立っていた気持ちが落ち着いていくのが判る。

そうこうしているうちに対岸へと到着し、名残惜しいがメイを降ろした。

暫くするとエレミアとラピスも戻ってくる。あちらのほうもエレミアが取り成してくれたのか、ギスギスした空気は消えている。


「骨はロクな物をもってないのが定番なんだけど、呪文使いだけあって宝石の類をいくらか貯めこんでやがった。

 村に戻ったら分配するからそれまでくたばるんじゃないよ」


ひょっとしたら予想外のお宝があったせいで気分が良くなっただけなのかも知れない。

そんな遣り取りの後、俺たちは梯子を使って下の階層へ降りた。

といっても梯子をマトモに使ったのはメイだけで、俺を含めた3人は所々で梯子を足場にしただけで殆ど飛び降りたようなものだけど。

レベルが上昇して『軽業技能』の判定値も上がっているためこんな芸当もできるのである。

元の体でも同じ高さから飛び降りることは出来るだろうけど、下手すると足首を痛めたりするだろうし。


降りた先はL字型の折れ曲がった通路であり、両側には円形の扉がいくつかある。

予めその中に敵が潜んでいるだろう事はラピスの鋭敏嗅覚で判明していたためある程度まで進んだところで両側から挟み撃ちにしようと突撃してきた敵たちを、逆に待ち伏せすることであっさりと処理して先に進んだ。

その後も地面から槍が突き上げてきたり、足首辺りを狙って巨大な刃物が斬りつけてくるトラップなどを無力化しつつ進んでいくとやがて目の前に大きな扉が現れた。


「フン、この奥にはまた大勢のエラ付どもがいるみたいだね。

 どうやら連中はここで僕達を待ち伏せするつもりらしいよ?」


扉を前にしてラピスがそう告げる。扉の向こうへ進んで行ったであろう、まだ渇いていない多くの魚人の足跡が残されている。

流石にこの状態であれば、相手の意図はカラシュターでなくとも感じ取れるだろう。

扉を開けた所で待ち構えられた場合、おおまかに言って1対3の戦力比で戦うことになる。

何よりも都合が悪いのは、そうやって出来た相手の壁越しに敵から呪文で攻撃されることである。


「この状況では突破するしかあるまい。

 誰かが扉を開いたところで前衛役が突撃。

 扉係はそのまま扉の位置で敵を通さぬように敵をブロック。

 メイには機会を見て相手の無力化をお願いする」


「それなら突っ込むのは僕とエレミアでいいんじゃない?

 まず敵の術士をツブしさえすればあとは殲滅戦だろう。

 オマケ、あんたは扉の位置で踏ん張るんだよ。

 後ろに魚どもを通したらタダじゃおかないよ!」


まぁこの状況では他に作戦らしいものも立てられない。もっとレベルが高ければ色々できるようになると思うんだが。

足音を消して扉に近づくが、相手もこちらを察しているのか扉の向こうからは一切音が聞こえない。

ハンドサインで3人に合図を送り、3,2,1とカウントダウンを行い、0で勢い良く扉を開け放った!


「・・・・・!」


おかしい、かなりの勢いで扉を開けたにも関わらず音がしない。

扉の向こうに広がっていたホールのような空間に突撃していった二人と入れ替わりで、複数のジャベリンが投げ込まれてくる。

メイを狙ったその投槍を切り払うも、剣と槍がぶつかった硬質な手応えは感じるものの一切音が発生しない。


(《サイレンス/静寂》の呪文か!)


呪文の対象となった物体から半径6メートルほどに無音の空間を作り出す呪文である。

おそらく第一陣として投擲された投槍のいずれかにこの呪文をあらかじめ掛けておいたんだろう。

大抵の呪文発動には音声要素として発声が必要とされている。

足元に転がっている投槍をすべて除去すればいいのだが、それはさせじと魚人たちが殺到してくる。

また、効果範囲外にまで下がるとメイからは扉の向こうにいる敵達を視認できず、エレミアらの援護が出来ない。


(中のエレミア達の状況は?)


おそらくサフアグンの司祭であろう敵を目掛けて突撃していった二人だが、どうやら護衛のサフアグン・レンジャーの足止めを喰らっているようだ。

間合いの長いトライデントが足をひっかけるように突き出されるのを上手くやり過ごしながら周囲の雑魚を斬りつけているものの、

本命となる術士を無力化するまでには相当な時間がかかりそうである。

そしてこちらにも雑魚とはいえ大勢のサフアグンが詰め掛けてきている。

扉の周囲を取り囲むようにして順繰りにトライデントで攻撃してくるため、今のところは後ろにいるメイにジャベリンを投擲する射線は塞がれている。

だがここから押し込まれてしまえば、扉のこちら側にサフアグンが大挙して押し寄せてくるだろう。

そうなっては呪文を行使できないメイの生存は絶望的だ。


(やはりこの《サイレンス/静寂》をどうにかするのが先決、か)


だが何本ものジャベリンを。いちいち拾い上げて投げ捨てている時間も余裕も無い。

下手をすれば手間を増やすことになるが、おそらく有効であろうと思われる手段を取る事にした。


(南無三!)


自分の推測が正しいことを祈りつつ、足元に転がっているジャベリンらを片手剣でなぎ払う。

先端にこそ金属の刃が取り付けられているものの、柄部分は木製である。いまのチートされた筋力であればまとめて両断することも不可能ではない。


カツン、と音がして両断された木片が一瞬浮き上がり、コロコロと音を立てて床面を転がっていった。

直後辺りに戦闘の音が溢れ始める。


「メイ、今だ!」


「はい!《ヒプノティズム/恍惚化》!」


『力ある言葉』と共に解き放たれた不可視の波動が護衛のサフアグン・レンジャーの意識を恍惚化させる。

その機を逃さず、そのレンジャーの横を通り抜けて二体の影がサフアグンの司祭に殺到した。

一際歳をとって見えたその老サフアグンを挟み込んだ影から、並のサフアグンであれば1撃で死に至る威力が込められた斬撃と刺突が同時に放たれた。

そのサフアグンは癒しの呪文を唱えようとしたのか、その口をパクパクと開閉させながら何か音を発していたようではあったが、

エレミアのダブルシミターによる返しの一撃にその首を刎ねられ、その口からはもはや神に祈る声が発せられることは無くなった。

その後は掃討戦であった。

司祭が倒された後すぐに二人からの波状攻撃を受けてレンジャーも倒れ、何体か逃げ出そうとホールの奥へ移動するサフアグンらもいたが、

メイの《ヒプノティズム/恍惚化》で足止めをされ、その間に回りこんだエレミアらによって一掃された。


「トーリさん、ありがとうございました~

 でも《サイレンス/静寂》の呪文はかけられている物体を破壊することでも解除できるってよくご存知でしたね~?

 大学の学院とかでもそのあたりの事って判っていない方が多いみたいなんですけど」


周囲の敵影の掃討が済んだあたりでメイが話しかけてきた。

あー、実は明確な根拠があって実行したわけじゃないんだけどね。


「えーと、あの呪文って対象は「物体一つ」でしょ?

 もしその物体を二つに分割しても効果が残っているなら、呪文の効果が二倍になったり効果範囲が変わったりしちゃうことになるよね?

 だから壊せば効果は消えるだろうと思ってやってみたんだけど、上手く行って良かったよ」


少しゲーム的な考えではあったが、今回はそれが功を奏したみたいだ。


「フン、その程度のことは実践で秘術を活用する者にとっちゃあ当たり前の事じゃないか。

 まぁ今回はキッチリ仕事をしたみたいだし、オマケ扱いは辞めておいてやるよ」


周囲の捜索を終えてラピスが戻ってきた。この口ぶりからすると、彼女も秘術呪文を学んでいるのか?

日ごろの凶戦士っぷりからすると想像もできないんだが・・・


「どうやらこの先の行き止まりで終了のようだな。

 牢には何人か村人がいて、そのうち1人がアリッサ殿であることは確認した。

 来る途中に見かけた方達を合わせると全部で11人だな。

 ドールセン殿が仰っていた様に、これだけの人数を村まで送り届けるのは一苦労だな」


中央に11人固まってもらい、その前後左右をカバーする隊列か?

いやでもそれだとそれぞれの決定力が低くなるし、やはり前衛2人に先行してもらいながら安全を確保してから誘導していく方がいいか。

牢から解放されて喜び合っている村人達を集め、帰還の際の注意事項について説明する。

1.こちらが指示するまで動かない

2.移動するときは縦列で2列

3.もし敵襲があって散り散りになった場合、かならず街道沿いに逃げること

特に3は重要である。好き勝手な方向に逃げられてしまうとその後のフォローが大変だ。

その他にも細々とした事をエレミアが伝えていたが、この場では割愛させていただく。

この間、ラピスは周囲の樽などから戦利品を回収し、余力のありそうな村人を捕まえては矢などを村まで運ぶようにと押し付けていた。


水路から脱出して外に出ると、幸いにもまだ日は沈んでいなかった。

まぁどちらにせよこの辺りを根城にしていたサフアグン達は一掃したと考えてよいだろう。

となると警戒するのはここから村までの間に日が暮れて、別のテリトリーにいる魚人の襲撃を受けることである。

カルティストの斥候部隊は、先行する二人だけでどうとでも処理できるだろう。




結論から言うと、そういった懸念事項もあったものの実際は拍子抜けするほどアッサリと村まで到着することが出来た。

往路であれだけ斥候部隊を叩き潰したおかげだろうか。

ともあれ任務完了ということで村長に報告に行くのをエレミアたちに任せ、俺は疲れたので寝る、と言い残して波頭亭に戻ったのであった。




[12354] 1-11.リデンプション
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/16 18:43
昨日村から拉致された村人達を解放して戻ってきてからの事。


「トーリ、良くやってくれた。お前の仕事ぶりには大満足だ。我々のスポンサーは無事ソウジャーン号の自室に戻った。

 報酬の件については彼女からも許可を得ている。リーチに行く際には最高級のもてなしを約束しよう」


波頭亭に戻ろうとしたところを以前依頼を受けに行った際にお茶を出してくれた女性セイラー(美人)に呼び止められ、

船着場に連れられていった所でリナールから冒頭の労いの言葉があった。

その後、村の状況を鑑みて華美にとはいかなかったが、ささやかながら祝宴の席が設けられご馳走していただくこととなった。

どうやら前回夕食をとった際にこちらの好みをある程度把握していたらしく、全体的に俺好みの味付けがされていた。

聞くとこれらの和風っぽい味付けはコーヴェア大陸ではなく隣のサーロナ大陸風の味付けらしい。

サーロナといえば異次元からの侵略により一大帝国が築かれている死亡フラグ満載の大陸である!

本場の味を堪能するのは無理か、と諦めたところで塔の町「シャーン」では本格的なサーロナ料理の店があるということを教えてもらった。

・・・どうやらまた1つ、シャーンに行かなければならない理由が増えたようだ。














ゼンドリック漂流記

1-11.リデンプション













翌日。自室にて昨晩消耗したアイテムのチャージが回復していることを確認した後、1Fで久々にシグモンドの朝食を食べていると彼から話し掛けてきた。


「最近の話だが、ウチの娘以外にもラースがまだ生きているって話を聞くようになった。

 バリケードにいるウルザがラースを見たって言う話だ。良かったら相談に乗ってやってくれ」


皿を下げにきたアイーダちゃんに昨晩船で調達した甘味(飴っぽいもの)をお駄賃としてプレゼントしつつ詳しい話を聞くことにした。


「ラース・ヘイトンか。ヘイトン家の当代なんだっけ?

 彼にはこの状況をひっくり返せるような何かがあるのか?」


「ヘイトンの一族は代々優秀なアーティフィサーだ。

 例の"シー・デヴィル"を封じている装置についても彼ならばより有効な使用法を知っているかもしれん。

 ・・・ここだけの話だが、やはり村だけでなくあの遺跡の防備も行うというのは少々負担が大きい。

 今は先日の大勝もあって皆の意気が高いおかげで問題にはなっていないが、このままでは遠からず破綻するだろう。

 そうなる前に何らかの手を打っておきたい」


後半についてはこちらにだけ聞こえるような小声で、シグモンドは伝えてきた。

確かに村から近いとはいえ、入り江の中にある遺跡の入り口はどちらかといえばサフアグンのテリトリーだ。

遺跡の中に突入されてしまえば日光も届かないため、遺跡入り口で敵を堰き止めるしかないが敵の増援は周り中の海から現れるだろう。

何度か大規模な攻勢を受ければ、村と遺跡の二正面作戦を強いられているこちらが不利になっていくだろう。

こちらは依然として補給の目処が立たない篭城状態なのだから。


「わかった。じゃあウルザから話を聞いてみよう」


ひょっとしたら他のパーティーがクエストを終了させているかも、と思ったがこのクエストのフラグは俺に立ってしまったらしい。

このクエストを終了すればあとは『ミザリー・ピーク』へ赴くことになる。

どうやら決戦フラグは避けられそうも無い。あとはメンバーをどうするか、だな・・・。



バリケードを守っている村人にウルザの所在を尋ねると、すぐに返答が返ってきた。

彼女は今村と遺跡を結ぶエリアに防衛線を押し上げるべく、村の外へ出るために何人か人を集めに行っているらしい。

そういうことであれば直にバリケードを通るだろう。

答えてくれた村人に礼を言い、バリケードの内側にある木陰で待たせてもらうことにした。


脳裏でキャラのステータス画面を見ながら時間を潰していると、やがて立派なフルプレートを着た女戦士が何人か軽装の男たちを連れて近づいてくるのが見えた。

以前遠めで見たことがあるが、おそらく彼女がウルザで間違いないだろう。

木陰から歩み出て、バリケードに向かう彼女に声を掛けた。


「失礼、ウルザさんでいらっしゃいますか?」


突然声を掛けられたからか、彼女は一瞬警戒するそぶりを見せたがこちらを確認するとにこやかに対応してくれた。


「ああ、トーリ殿だったか。貴方の活躍は聞き及んでいる。この村に対する貴方の働きには感謝してもしきれない位だ。

 私に何か用が?」


シグモンドから話を聞いた件を伝えると、彼女は連れていた男たちに先にバリケードを出ているよう伝え、場所を変えようといって先ほど休憩していた木陰へと移動した。


「この件は非常にデリケートな話題なんでね。念のため人払いをさせてもらった。

 ラースについての事なんだが、カヤの話を聞いているうちに私も彼が生きているんじゃないかと思うようになったんだ」


「ああ、彼女の依頼で彼の一族の墓所を調べたのは俺だ。だがそこには彼は居なかったぜ」


そういうとウルザはかぶりを振って答えた。


「墓所じゃない。私はラースを別の場所で見たんだ。

 以前は幽霊じゃないかと思っていたんだが、カヤの話を聞いているうちに彼が生きていてあれは本物だったんじゃないかと思うようになってきたんだ」


「なるほど。その場所は?」


「これから言う事は誰にも漏らすんじゃないよ・・・

 私が彼を見たのは古いカニスの工房さ。隠されたダクトから中に入ることが出来るんだ。

 そうやって入り込んだ工房の中で私は彼の姿を見たんだが、一瞬そこにいるかと思った次の瞬間には消えていた。

 そのせいで幽霊じゃないかと思っていたんだけれど、私は今まで他に幽霊なんてものを見たことが無い。

 おそらく彼はあの工房で反撃の機会を窺ってるんじゃないかと思う。

 貴方にはカニスの工房で彼を見つけてもらいたい。彼の協力が必要なんだよ」


どうやらウルザも現状については憂慮しているようだ。

ゲームと違い地下遺跡の防衛も行わなくてはいけなくなった以上、村にかかる負担は増えている。

村人の意気の高いうちに現状を打破したいと考えているんだろう。

ウルザに対して依頼を受ける旨の返事を返そうとしたところで、予想外の声が頭上から投げ掛けられた。


「面白そうな話じゃないか。

 そのラースって奴を連れてくればあのドラゴンにも一泡吹かせてやれるっていうのかい?

 勿論報酬は弾んでくれるんだろうね」


声の主はどうやら頭上の木の枝に臥せていたらしい。

ひょっとしてさっきからずっとそこに居たのか?

感知系装備を外していた事もあるが、接近してきたのではなく初めからそこに居たということであれば察知できなかったことも仕方ないといえる。


「お前ラピスといったか?いつから話を聞いていた!」


ウルザは人払いまでして打ち明けた会話が第三者に漏れていたことで焦っているようだ。対してラピスは涼しい顔である。


「何って、最初からさ。そこのボンクラがアンタをこの木陰で待っていたときから僕はここで昼寝してたんだ。

 勝手に近づいてきて人の昼寝を妨害した挙句、盗み聞きみたいに言われるのは勘弁してほしいね」


そういうとラピスは身軽にも体を預けていた木の枝から飛び降りた。着地の際にも殆ど音を立てていない。大した身のこなしである。


「安心しなよ、そのラースとかいう引きこもりはきっちり引きずり出してやるよ。

 勿論、アンタがきっちりと報酬を払ってくれたらだけどね」


そのままラピスはウルザと報酬についての条件闘争に突入した。

ううむ、流石は海千山千の冒険者である。

こちとらスペック上は『交渉技能』の判定値は高いものの、経験が伴っていないためどうにもその実力を活かしきれていない。

ここはひとつ彼女流の交渉術を学ばせてもらうことにしよう。



結果として、ウルザのジャンスヴァード家に伝わるマジックアイテムを成功報酬として譲り受けることで合意したようだ。


「それじゃ早速行ってくる。ボンクラはそこで私の代わりに昼寝でもしてなよ」


おや?驚きの展開であるが・・・


「まてまて、元はといえば俺が受けた依頼だろ。何横から掻っ攫ってんだよ」


コイツに任せていては文字通りラースをボロ雑巾にしてから工房から引き摺り出しかねない。それではとてもではないが良好な関係は築けないだろう。


「なんだ、横から口を挟まないもんだから放棄したんだと思ってたよ。

 まぁ私はもう報酬の契約を済ませたから、アンタもタダ働きが嫌ならそこの女に交渉するんだね」


しかも今の交渉の報酬を独り占めと申したか。


「おい。昨日の件については俺は何も要求する気は無いがな。

 この件は俺が正式に依頼を受けたものだ。むしろお前には何も主張する権利なんか無い。

 さっきの報酬を俺と折半するのが嫌っていうなら大人しくこの依頼から降りろ。

 あとラースとは俺が話す。アンタは敵やらがいたらそれを排除してくれればそれでいい。これが条件だ」


この辺りは最低限抑えておかなければ今後やっていけないだろう。別に報酬に興味は無いが、タダ働きするなんて噂が立つのはよろしくない。


「フン・・・仕方ないな。

 それじゃとっとと行くぞウスノロ。僕はお前のスピードになんか合わせるつもりは無いよ」


そう言い捨てるとラピスはバリケードを潜り村の外へと出て行った。


「それじゃそういうことで。

 アイツの手綱はしっかりしておきますから、安心して待っていてください」


依頼主のフォローもしておかなければならない。なんだかラピスと知り合ってから一気に心労が増えている気が。

エレミアもバトルマニア的なところがあるし、やはり残された最後のオアシスはメイだけか・・・。

とりあえずウルザがこちらに首肯するのを確認すると、『ストライディング/馳足』強化のアイテムを装備して先に進んだラピスを追いかけることにした。

如何に身体能力の高いシフターといえど、"シフティング"という半獣モードでなければ人間と大差ない範囲だ。

装備で移動距離2倍の状態であればすぐ追いつけるだろう。


「おい、他の二人には声を掛けなくていいのか?」


バリケードを越え、地下遺跡へ向かう道と分岐するあたりで追いついたので気になっていたことを尋ねてみた。

確か一緒にパーティーを組んでいたんじゃなかったのか?


「何言ってるのさ。ただでさえお前のせいで予定の半額しか報酬が手に入らないってのに、

 あの二人を呼んじゃったら報酬が四等分じゃないか!

 お前の取り分から支払うってならともかく、僕はこれ以上の安い仕事はしたくないよ」


うーむ、そんなものなのか。

マジックアイテムなら最低でも1,000GPくらいの価値はあるだろう。1GP=1万程度と思えば1,000万円だぞ?

日帰りの依頼でこれだけの報酬であれば物凄い高級取りだと思うんだが、冒険者の世界では違うということか。

だがその貨幣換算でいくと俺は3兆円弱くらい持っていることになるしな。

これは貨幣経済の崩壊したゲーム内の事だとはいえ、少なくとも冒険者が装備しているアイテム類を考えれば当然のことなのかもしれない。

一番低級の回復ポーションが50GPで、それを浴びるように飲むこともあるんだしそれを考えれば妥当なのか・・・?

この世界の経済感覚を養っておかないと、そのうち酷い失敗をすることになるかもしれないな。

派手な買い物をする前にもうちょっと世間について勉強しておかなければ。



そんなことを考えているうちに、目標としていた古いカニスの工房跡に到着した。

島の南西にある丘の斜面に沿うように立てられた、石造りの建物だ。建物の入り口は遥か昔に崩れ落ちたらしく、積み上げられた瓦礫は年月の経過を感じさせられる。

丘の斜面を登ってから建物の上層部に取り付き、ウルザから教わったダクトを利用して中に進入した。

進入したそこは実験室の一つだったんだろうか、周囲には様々な実験道具と思わしき物体が散乱していた。

ラピスは注意深く辺りを捜索しているようだが、俺としては特にその辺りに興味は無いので繋がっている大きな部屋の方へ足を踏み入れた。

進んだ先の部屋は天井が一段と高くなっており、その分広がったスペースには多くの配管が縦横無尽に張り巡らされている。

そのうちいくつかの配管はまだ生きているようで、時折中を何かが流れている音を立てたり蒸気を噴出したりしている。


「いくつか新しい足跡があるな・・・ウルザとかいう女が入り込んだときのものと思われるもの以外にも足の大きさの違うものがある。

 大きさと規則正しい間隔からしてウォーフォージドか?

 何にせよ、無人ってわけじゃなさそうなことはこれで明らかだね」


ラピスがこちらの部屋にやってきて捜索の結果を教えてくれた。

なるほど、やけに注意深く周囲を観察していると思ったらそういうことを調べていたのか。

ゲームの中で経験した展開的にここにラースがいるのは当たり前だったので、そんな疑いは持っていなかったなぁ。

確かに普通はそういったことを調べるべきなんだろうな。


「まあそうだとしてもこんな入り口近くにはいないだろうさ。

 とりあえずもっと奥の方にいってみよう」


「確かにこんなところに金目の物があるとは思えないしね。そうしようか」


こんなところに時間を浪費しても仕方ない。ラピスも同意してくれたので先を急ぐことに。

配管の下を通って先に進むと、先に向かう扉が板張りで封鎖されているのを発見した。


「ふん、この板張りの部分だけホコリが被っていない・・・

 どうやら最近張られたもののようだね」


嫁の掃除具合を確認する姑のように、板張りのホコリを指で掬い取っているラピス。

うん、自分の考えながらいい例えだ。


「? 何が可笑しいのさ。

 妙なことを考えてるくらいなら、とっととこの板張りをどうにかしなよ」


おっと、表情に出ていたか。


「オーケー。んじゃちょっとブチ抜くから下がっててくれよ」


ゲームだと適当な武器で殴って破壊してたしな。蹴りでいいだろう。

幸いなことに板張りはそれほどの強度はなかったようで、ヤクザキックを1発お見舞いしただけで何枚かの板が吹き飛んでいった。

残っている板も同様に吹き飛ばして、人が通れるサイズの隙間を確保するとその先の通路に入り込む。

遠くから何かが擦れている様な音が聞こえてくる。

規則正しく、何かの機械が動いているようだ。やはりこの建物はまだ生きているらしい。

後ろでラピスが隙間をくぐってこちら側に抜けてくるのを確認して、先に進むことにした。

曲がり角を二つほど曲がった先には、先ほどの音の原因であるらしい映画で見るような派手な仕掛けが動いていた。


「うわぁ・・・古典的だが迫力あるなぁ」


目の前で、通路を覆いつくす巨大なギロチンを思わせる刃物が上から下へと動き回っている。

丁寧なことに二枚刃であり、タイミングをずらして昇降を繰り返している。

最近手入れされたのかなんらかの魔法の効果によるものか、刃物の切れ味は新品同様に見える。

通路は二方向に伸びているのだが、ギロチンの無い通路の方は天井の配管から有毒そうなガスが噴出している。

幸いすぐに拡散して無害化しているのか、直撃を受けない限りは被害はないようだ。


「何を驚いてるのさ。大げさなだけの虚仮脅しじゃないか、こんなの。

 まぁウスノロにはちょっと厳しいのかもしれないけどね。

 それにしてもかなりのやっつけ仕事だね、それとも隠蔽する気が無いのか・・・」


そう言ってラピスはガスを噴出している配管から視線を天井沿いに動かし、ぐるっと回って側面にある壁に手をやった。


「ふん、この辺りかな・・・あった、隠し扉だ」


壁際で何やらラピスが手先を捻ると、今まで壁があった部分がスライドして隠し部屋が現れた。

覗き込むと、巨大なバルブがあるのが見える。


「これと同じのがそっちの壁にあるはずだ。

 ボサっとしてないでバルブを捻るんだよ!

 まぁアンタが刺身になりたいっていうんなら構わないけどね」


言われて指示された壁を注意深く見ると、一部に不自然な模様が見える。

その部分を指で押し込んでやると、先ほどと同じように壁がスライドして隠し部屋が現れた。バルブも同様にある。

キュルキュル音を立てながらバルブを回転させると、ブシュー、という音がして噴出しているガスが止まった。

作業を終えてから意識して周囲を見渡すと、確かにラピスの感じていたであろう違和感のようなものが俺にも感じられた。


(配管への供給をしているパイプがあの視線の先を通ってこのバルブに繋がっているのかな?

 罠発見と解除についてはデータ上の技能はあっても実経験がないから今の感覚を忘れないようにしないといけないな)


コルソス島が導入される以前は、「初心者島」という一通りの技能を使用させてくれるチュートリアルがあったのだが。

それをクエストの中で行うような形でコルソス島が誕生してしまったため、そういった基本中の基本についてはこうやって体で覚えるしかない。


ガスの噴出が止まり安全が確保できたので、そちら側の通路を進む。

少し進んだ先に曲がり角があるが、その先の通路から何か軽い金属質のものが床を擦る音がする。


「・・・何かいるみたいな。カニスの工房をガードしているゴーレムの類か?」


「そうだね。まぁ二匹いるみたいだけど音からして小物だろうし、任せるよ。

 僕はどうもああいう生きてない連中の相手は苦手でね」


立ち止まってラピスに伝えると、彼女も音を聞きつけていたようだ。流石に獣耳娘。

確かに人造の敵にはローグの急所攻撃は効果が無い。正確な打撃で急所を狙うことを信条にしているラピスでは時間がかかるかもしれないな。


「ま、それじゃひと働きしてくるかな。まぁゆっくりしていてくれ」


腰に佩いていた非チートロングソードを抜き放って曲がり角を曲がると、ゲーム通りそこには人造の犬・・・アイアンディフェンダーがいた。

ゲーム中では足元を滑らせるオイルを吐いてきたんだが、どうやらこいつらのデータはTRPG準拠らしく噛み付きを行ってくるだけだ。

作成者であろうラースには悪いが、襲い掛かられた以上そのままにもしておけない。破壊させてもらうことにしよう。

単調な噛み付きをおこなってくるその顎をやり過ごして上から頚椎部にむけて両手で剣を突きこむと、機械仕掛けの犬はあっさりとその動作を停止した。

もう一度同じ動作を繰り返し、残る1匹も処理をする。


「おーい、終わったぞ」


後ろで見ていたラピスに声を掛けると近寄ってきて犬の残骸を観察しだした。


「ふーん、アーティフィサーの作成したガーディアンってところかな?

 素材は特に特別なモノじゃないのか・・・まぁこんなところでミスラルやアダマンティンにお目にかかれるとは思ってないけどさ」


破片をショートソードで小突きながら素材の分析などをしているようだ。

秘術の心得もあるようだし、興味があるのかもしれないな。


「ミスラルならもっと動きが素早いだろうし、アダマンティンだとこのナマクラじゃ手間がかかっただろうけどな。

 あんまり年代物って感じもしないし、最近作られたものだとしたらますます怪しいな」


こんな島で他にゴーレムを作成できる術者がいるとも思えない。どうやらシナリオ通りに進みそうで何よりだ。

その後も時折襲い掛かってくるアイアンディフェンダーを処理しながら中の探索を進めていくと、魔法の障壁で遮られた側道を発見した。

障壁内部を満たしている圧縮されたエネルギーがブゥゥンと震えるような音を立てている。


「周囲には開閉に関する機械的な仕掛けはなさそうだ。

 どうやら魔法によってしか開閉しないみたいだね。

 でもお粗末なことに障壁への魔力供給路が剝き出しじゃないか。

 どうやら別方向からエネルギーが供給されているようだし、開閉条件を調べるよりはエネルギー供給をなんとかしたほうがよさそうだね」


テキパキと障壁を調査するラピス。

ラピスが側道とは別方向の奥へと進んでいくのを後ろから追いかけながら、彼女の先ほどの動作を自分のものにすべく反芻していると

目前に鉄製の柵に囲まれた3つのクリスタルが目に留まった。

村で最初に参加したクリスタル攻防戦、そこでの敵の狙いであったクリスタルにそっくりである。


「あー、あれが魔力の供給源ってことでいいのか?」


ゲームでも確かに同じ状況だったが、あまりにもあからさまではないだろうか。

ラピスも同感な様で、呆れたような表情にはなっているが周囲を警戒しているのか視線は色んな所を探っているようだ。


「・・・とりあえずそこの扉から中には入れるようだね。

 僕はしばらく解錠に専念するから周囲の警戒は任せたよ」


牢屋のように縦横に走る鉄柵で構成されている壁だが、その隅には奥の部屋側に出入りするための扉がついていた。

ラピスはその扉を開錠するということでその作業を見て参考にしようと思ったのだが、生憎物陰に潜む鉄犬の存在に気付いてしまった。

文字通りサクっと処理して戻ると、既にラピスは解錠を済ませて柵の内側に入り込んでいる。


(うーむ、『解錠技能』の勉強はまた後日だな)


少々残念ではあるが、並の扉などであれば武器や呪文で破壊することも出来る。

とりあえずこの村にいる間は解錠が必要な場面もなかっただろうし、次の機会を待つとしよう。


「このクリスタルをどうにかすればいいのか?」


確かゲームではこの三つのクリスタルを破壊することで先ほどの障壁が解除されたはずだ。

しかしラピスは何やら腕組みをしながらブツブツと考え事しているようだ。


「・・・周囲の冷気を取り込んで供給するエネルギーに変換しているのか?

 素材は何だ?見たところ既存の金属ではないようだが・・・何かのエレメンタルが捕縛されているのか?

 そうするとカイバー・ドラゴンシャード?

 この大きさであれば持ち帰れば一財産だけど・・・下手に動かせばエレメンタルが暴走する?」


どうやらラピスの守銭奴回路がフル回転しているようだ。

中空をゆっくりと回転しながら浮かんでいるクリスタルだが、大きさは高さ1メートル、太さは成人男性の胴回り程度はある。

現在は浮いているので重量は定かではないが、金属かそれに類する物質だとすると持ち運べるものではないように思える。

ラピスもしばらくは悩んでいたようだが、やがて諦めたのかクリスタルに吹き付けている冷気の元を断つべく周囲の機器を操作し始めた。


「僕がこの機器を操作して、クリスタルにパワーを与えている冷気を停止させる。

 トーリは吹き付けている冷気の供給が止まったクリスタルから順番に破壊していってくれ」


ゲームで見ていたより複雑な機構のようだが、ラピスは危なげなく操作して次々と冷気の供給を停止していた。


「了解。それじゃいっちょやりますか!」


胸辺りの高さに浮かんでいるクリスタルを正面に捉え、まずは横一線に片手剣を斬り付ける。

パキィィン、と澄んだ音を立てて崩れ去るクリスタル。切断面は横方向だけだったんだが、何故か切断面から亀裂が縦横に広がり落下するより早く空中に解けて消えていった。

やはりなんらかの魔術的な品物だったんだろう。

残る二つは気分を変えて袈裟切りと唐竹割りにしたものの、結果は同じ。

三つのクリスタルが全て破壊されると、遠くに聞こえていた障壁の音も静かになったのを強化された聴覚が捉えた。

何か破片が残れば持ち帰って研究材料にできたのかもしれないが、この結果では仕方ないな。

それを見ていたラピスの機嫌はどんどん悪化していっているようだ。

古いカニスの工房ということで発掘品に期待してた部分も強かったのかもしれないが、なにせ今のところ収穫ゼロである。

ようやく何か金になりそうなものを見つけたと思ったらそれは目の前で粉々になって消滅してしまっている。

このまま放置するとここの主であるラースに食って掛かりかねない雰囲気である。


(ラースとの交渉権を主張しておいて良かった・・・)


声を掛けづらい雰囲気であるが、このクエストも後は大詰めを残すのみである。さっさと先に進むように促さなくては。


「あー、これでさっきの障壁が消えたんだろう?

 さっさと片付けて戻ろうじゃないか。

 こんな辛気臭い建物の中で一晩過ごすなんて気が滅入るしな」


そう言ってクリスタルの部屋から出て障壁のあった側道に向けて歩き出すと、最後の一言には同意してもらえたようで彼女も部屋から移動してくれた。

側道に到着すると魔法の障壁が解除されて先に進めるようになっていた。

奥には何人かの気配を感じ取ることが出来る。どうやらラースはこの先にいるようだ。

念のため慎重に周囲を警戒しながら少しずつ足を進める。

そうやって古い実験室と思われる部屋に入ると、まず酷い汚臭に気付いた。


(そりゃずっとこんな風呂も無い所に引きこもってれば臭くもなるか・・・)


本棚の影には1人の男が腰掛けていた。彼がラース・ヘイトンで間違いないだろう。

ラースはこちらに気付くと椅子から立ち上がり、警戒しながらこちらに呼びかけてきた。

同時に本棚の影に隠れていた護衛のウォーフォージド・・・カニスの技術によって作り出された自我を持つ人工生命体が彼を庇う様に立ち塞がる。


「お前は一体誰だ?」


まぁ突然障壁が解除されて見慣れない人物が侵入してきたら警戒するだろう。いきなり攻撃されないだけマシだと思える。

ウォーフォージドは何時でもこちらに飛び掛ることが出来るように重量感たっぷりのヘビーメイスを構えて俺とラピスを注視している。


「コルソス村に足止めされてる冒険者さ。村の連中に依頼されてあんたを探しに来たんだ」


そう伝えるとラースは疲れた顔を怒りに歪めてこちらを睨み付けてきた。


「お前、障壁を破壊してきたのか?

 なんてことをしてくれたんだ!

 サフアグンに対する防御がなくなってしまったではないか!

 馬鹿な事をしてくれたな。お前は奴らに道を作ってやってしまったんだ!」


どうやら無理やり罠などを突破してきたことが御気に召さなかったらしい。


「すまないな。どうしてもあんたを見つける必要があったんだ。

 村の連中はあんたの助けを必要としている」


仕方がなかったんで勘弁してくれと言ったつもりだが、ヘイトンは一層怒りを露にして怒鳴り散らした。


「時間の無駄だったな!

 あの役立たず共が何もしないでいる間に、私の一族は何代にも渡り不遇の死を遂げてきた。

 連中はただサフアグンの相手を私に任せてしまいたいだけだ!」


ううむ、どうも代々犠牲となって村を助けてきたその役割に嫌気がさしてきたというところか。

まぁここは理と情の両面から説得するとするか。


「そうか、村を見捨てるのか。あんたがそれを選択するのは自由だが、カヤやウルザはどうするんだ?」


「く・・・・カヤのことは言うな!」


どうやら二人の間ではカヤがリードしているらしい。依頼人には申し訳ないが、ここは彼女らをダシに話を進めさせてもらおう。


「ここでお前が引きこもっている間に彼女も死なせるのか?

 もしくはサフアグンが彼女を生きたまま山に連れて行くかもしれないな・・・・。

 もしそうなったら、いずれ彼女はお前に対する刺客としてここにやってくるだろうさ。

 その時お前はどうするんだ?彼女を殺せるのか?」


これに対してラースは答えない。苦りきった表情で地面を見つめている。後一押しかな?


「第一、連中は"シー・デヴィル"を復活させるつもりだ。

 今はシグモンドらが防衛線を押し上げてくれているが、村が滅べば遠からずあの化け物が復活するぞ。

 そうしたらこの島は丸ごと海の底に沈むんじゃないか?

 そうなったらどこに引きこもっていても結果は同じだと思うがね」


「・・・・・・」


しばらく悩んでいたのだろうラースが、意を決したのかその顔を上げた瞬間。

顔の横を鋭利な物体が通り過ぎて行ったかと思うと「それ」はラースの胸に突き刺さった。


「うぐ・・・なんだ力が抜ける・・・毒、か・・・」


そう深く刺さったようには見えなかったが、ラースは力なく床に崩れ落ちた。

鋭利な物体・・・ダガーの出所を確認しようと振り返ると、そこには黒光りするダガーを再び投げ放たんとするラピスの姿があった。


「おい、何やってるんだ! ダガーを捨てろ!!」


だが静止の声をかけても彼女の動きは止まらない。仕方ない、取り押さえなければ。

鋭い爪と獣耳が見えており、どうやら「シフティング」しているようだが、組み付いてしまえばチートで筋力補正の高い俺の方が圧倒的な有利なはずだ。


「いい加減にしろよ・・・せっかく上手く話が進みそうだったのに、どういうつもりだ!」


投げ飛ばしてマウントポジションを取り、両腕を押さえながら下半身のバランスで体を起せないように抑え込む。

後ろでは護衛のウォーフォージドがラースを物陰に避難させているのを感じる。

そっちが片付いたら武装解除を手伝ってもらおう・・・と思っていると、押さえつけているラピスの体が突然縮みだした!

瞬きする間に彼女の体は一抱えもある猫・・・どちらかというと山猫、大型のネコ類に変身すると抑え込みから抜け出して俺から距離をとり、そこで半獣形態に戻った。


(完全な獣化・・・シフターではなく『ライカンスロープ』だったのか!)


より細かい情報を得ようと彼女を注視したところ、先ほど揉みあった際に乱れたのであろう彼女の前髪の隙間から、妙な4つのアザのようなものが見て取れた。

それを見た瞬間、また以前のようにTRPGで得たモンスターについての知識が脳裏に閃く。


「ヴォイドマインド・・・マインドフレイヤーの奴隷か!」


その言葉を聞いてもはや隠す必要なしと判断したのか、その額の穴からおぞましい一本のヌラリと輝く身の丈ほどもある触手が飛び出してくる。

触手からはポトリと粘液がこぼれ落ち、その液体は床に触れるとジュージューという音を立てて穴を空けた。強力な溶解液のようだ。


「ほう、我々の秘儀に通じるものがいたとはな・・・ラースだけではなく、貴様も我らが従僕にすべく連れ帰るとするか。

 その脳の中にはどのような知識が他に詰まっているのか、非常に興味深い。

 これは思わぬ拾い物をしたやもしれんな」



ラピスの口から、常の彼女の口から出たとは思えないしわがれた声が発せられた。

マインドフレイヤーはD&Dでも屈指の悪役として有名なモンスターだ。

人間の頭の変わりに蛸のような頭部を持つこのおぞましいクリーチャーは、その顔から生えた八本の触手で人型生物の脳を食い荒らすことを喜びとする悪の異形である。

エベロンでは『狂気の次元界:ゾリアット』から侵略してきた来訪者の王達が作り出した存在だと言われている。

そしてヴォイドマインドとは、3人のマインドフレイヤーにより脳を吸いだされた後、脳の変わりに呪術的な触媒を頭蓋内に封入されてしまった生物の総称である。

怖ろしいことに、彼らは普段は被害にあう前と何ら違わないように見える・・・その額に空いた4つの穴を除きさえすれば。

だがその精神の奥底は餌食とした3体のマインドフレイヤーと繋がっており、連中からの命令があればそれに忠実に従うマシーンと化す。

さらに連中はその奴隷と化したヴォイドマインドたちを自分の感覚器の延長として使用することが出来るという。

おそらくラピスはある時点で既にカルティストらの犠牲になっており、村の内情を探るスパイとして利用されていたのだろう。

そして今物語の鍵となるラースを前にしてついにその存在を明らかにしたのではないだろうか。


「外道が・・・」


思わず思考が沸騰しそうになるが、今目の前にしているのはラピスの体を端末にしているだけの存在に過ぎない。

ここでラピスの体を破壊したとしても、連中には痛くも痒くもないはずだ。

そう、いわばラピスはもう既に死んでしまっているのだ。


「さあ、偉大なるカイバーの元にひれ伏すがいい!」


高く掲げられた触手が振り下ろされると、その軌跡から歪な波動が円錐状に広がった。その波動に包まれると脳裏に名状しがたい狂気が押し寄せてくるのを感じる。


(マインドフレイヤー十八番のマインド・ブラストか!)


連中はこの狂気の波動に打ち負け、朦朧としている所で脳を啜りに来るのだ。

ここでこの狂気に負けてしまってはまず間違いなく命はない!

そしてこの攻撃はマインドフレイヤー・・・この場合はその端末となっているラピスが活動している限りずっと続くのである。

ラピスを止める必要がある。

だがその決断をあざ笑うかのように、ラピスの後方から大量のサフアグンが殺到して来た!

おそらく俺達の進んできた通路を利用して潜入してきたんだろう。

ラピスからは敵味方お構いなく狂気の波動が撒き散らされ、それによって大勢のサフアグンも動きを止めるものの肉の壁となって彼我の間に立ち塞がる。

このままではいずれ狂気に押しつぶされるのは時間の問題だ。

そう判断した俺は、ブレスレットから1本の杖を取り出しその力の一端を解放した。


「《グローブ・オブ・インヴァルナラビリティ/耐魔法球》!」


力ある言葉と共に解放された青い魔力が俺を中心に3メートルほどの球体となって周囲を覆う。

この球体の中では中位以下の魔法的効果は抑止される・・・自分の使える殆どの呪文は力を失うが、相手のマインド・ブラストを封じることも出来る。

抑止された効果により動きを止めていたサフアグン達が動き始めるが、そのまま杖を両手で振り回し薙ぎ払った。


「小癪な・・・抵抗するのであれば仕方あるまい。

 体に傷をつけるつもりはなかったが、貴様が苦痛に苦しむその感情を脳のスパイスにしてくれるわ!」



周囲のサフアグンの群れに身を隠すようにして、こちらの死角を突こうと動くラピス。

包囲してくるサフアグンを取り出したチートコペシュで一度に複数匹切り倒していくが、まだ技量が足りないのか一太刀では2体が限界である。

絶命したサフアグンは武器の付与効果による強酸で溶けて消えていくために足場の邪魔にこそならないものの、次々と現れて途切れる様子を見せない。

十重二十重に包囲しているサフアグンを手足のように使い、その援護を受けて奇襲を仕掛けてくるラピスの攻撃は尋常ではない鋭さである。

ライカンスロープにより飛躍的に高められた身体能力に加え、ヴォイドマインド化したことにより脳のリミッターが外れているのだ。

敏捷性については、チートボディである俺よりも更に上のようだ。

また現在常時展開していた《シールド/力場の盾》の呪文が抑止されていることもあり、時折ヒヤリとさせられる瞬間がある。

交差の瞬間に何度かラピスに斬りつけてはいるが、ヴォイドマインドは酸に完全耐性を持つようでこのチート武器の魔法効果も大部分は無効化されている。

そうこうしている内に張り巡らせていた《耐魔法球》が効果時間を終了し、その魔力が掻き消えていく。


(マズい!張りなおさないと)


あまりの敵の猛攻に、呪文の効果時間にまで意識が回っていなかった。

慌てて剣から杖に持ち替えようとブレスレットに意識を移すが、敵はその隙を見逃してはくれなかった。


「馬鹿め!」


俺が取り出した杖の影にその身を隠し、ラピスが死角からタックルを掛けてきた。その勢いを殺しきれずに打ち倒されてしまう。

するとマインド・ブラストの影響を受けていなかった数匹のサフアグンが群がり、杖を取り上げられ遠くに投げられてしまった。

馬乗りになったラピスの額から触手がこちらに鎌首をもたげ、滴り落ちる粘液が顔の横に落ち床を溶かす。

絶体絶命かと思われたその瞬間、部屋の奥でラースの身を守ることに専念していたウォーフォージドからの《スコーチング・レイ/灼熱の光線》がラピスの体を撃った!


「ラース様とコルソスの民に手を出すのであれば、まずこのアマルガムを倒してからにしてもらおうか!」


そう言った彼・・・アマルガムの手には閃光を放ったワンドが握られている。

如何にライカンスロープが銀の武器でしか傷付かないとはいえ、それは物理攻撃に限ったことであり魔法の炎は彼女に手痛い打撃を与えることに成功したようだ。

ラピスの注意が忠実なウォーフォージドに向いた瞬間、そのチャンスを逃さず再びコペシュを召喚すると額から生えるその触手を断つべく伏せた状態のまま剣を振るった。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」


付け根から触手を切り落とすと、傷口からは鮮血を、口からは名状しがたき悲鳴を上げてラピスは俺の上から転げ落ちた。

手で触手の生えていたところを押さえているが、まるで首を切ったかのように噴出する血流は止まりそうもない。

やがてビクビクと震えたと思うと、血の勢いが緩まると共に体は動きを止めた。

その結果を見て周囲のサフアグン達は動けるものから皆逃げ出そうと出口に向けて移動していくが、そこには主人に害を為す者を逃がしはしないとウォーフォージドが立ち塞がっていた。

サフアグンのことを彼に任せて、俺はラピスのほうへ近づいていく。

触手を斬られたことで支配が途切れたのか。

仰向けに伏せる彼女の瞳には、今朝まで見てたのと同じ皮肉げな光が宿っていた。


「・・・なんてこと。

 まさかトーリならともかく、この僕がこんな間抜けな役回りをさせられるなんて。

 格好付かないな」


相変わらずの憎まれ口ではあるが、口調には力がない。無理もない、あれだけの出血だ。

勢い良く噴出した鮮血は天井にまで届いていた。彼女の上体は自らの血で余すところなく濡れている。

おそらく彼女はもう長くないだろう。それにたとえ治癒したとしても、再びマインドフレイヤーの奴隷となって立ち上がることになるのだ。


「せっかくフレイムの糞坊主共も少ない新天地に向かったっていうのに・・・

 まさか新大陸にたどり着くことも出来ず、こんな所でお陀仏とはね」


彼女が元居たコーヴェア大陸は『浄化』の名の下にライカンスロープを狩り立てたシルバーフレイム教会が1国を支配し勢力を築いている状態である。

そんな住みにくいであろう生まれ故郷を捨て、彼女は新天地を求めてきたのだろう。

だが、あの竜とマインドフレイヤーの狂気が彼女の人生を狂わせた。



「・・・さん、  んよ・・・・」


最後に何かをつぶやいて、ラピスはもう動かなくなった。死亡したんだろう。


(・・・《レイズ・デッド/死者蘇生》や《リザレクション/蘇生》のスクロールはある。

 だが、このまま彼女を蘇らせてもヴォイドマインドとして蘇るんじゃないか?)


ブレスレットの中には、上で挙げた魔法効果の他に《トゥルー・リザレクション/完全蘇生》という究極の呪文すら存在している。

だが、いずれも彼女からマインドフレイヤーの影響を取り除くことはできない。

もはや肉体が変質してしまっているのだ。触手はその際たるものに過ぎず、細胞の一片にまでも狂気の侵食は進んでいるだろう。


(・・・まてよ。なら一旦肉体を完全に破壊すればどうなる?)


通常の蘇生であれば呪文の使用には対象の肉体の一部が必要である。

だが、最上級の《トゥルー・リザレクション/完全蘇生》なら肉体すら不要であり、術者が対象を指定するだけでいい。

ならば彼女の肉体を完全に消去した上で、「ヴォイドマインドではない彼女」をイメージして蘇生を行えば復活させられるのではないか?

彼女とはこの二日程度の付き合いだ。憎まれ口ばかりであったが、冒険を通じて彼女の人となりはある程度知っていると言える。

今であれば彼女のあの態度は、ライカンスロープであるために他人を近づけないようにする防衛線だったのではないだろうか。


(これでは彼女が余りに報われない。ならば試してみるか)


ブレスレットからアイテムを取り出し、上級呪文である《ディスインテグレイト/分解》を彼女の遺体に放つ。

緑の光線が彼女に触れた瞬間、彼女の体はその身に着けていた装備を残して塵に分解された。

続いて別のアイテムを取り出す。

必要なのはイメージだ。

つい先ほどまでの、狂気に支配された彼女ではない。

昨日と今日、一緒に冒険していたときの彼女を思い浮かべろ。

エレミアやメイと三人で笑っていた彼女。こちらに向かって嫌味を言う彼女。こちらを試すように厄介事を押し付ける彼女。

そして今日知った、ライカンスロープだった彼女。

幸い彼女はエベロンの一般的な神格の信者ではない。蘇生についても文句を言うことはないだろう。

そんな自分の知っている人物がこうして報われずに死んでしまうのは大変気分が悪い。

偽善や押し付けといわれても構うまい。さぁ、呪文を唱えよう。


「《トゥルー・リザレクション/完全蘇生》」


一瞬周囲の光が消えたかと思うと彼女の遺体があったところに光の粒が集まっていくのが見える。

そうやって集まった光の粒子はやがて人の形を取り、一際輝いたかと思うとそこにはラピスが横たわっていた。

《トゥルー・リザレクション/完全蘇生》で復活した対象は肉体的に完全な状態で蘇る。HPは満タン、状態異常も解除される。

他の蘇生方法のように能力値やレベルが減少することもない。

ヴォイドマインド化は状態異常ではなく「変質」なので通常は不可能なのだが・・・

復活の余韻か意識が朦朧としているらしい彼女の近づき、前髪をよけて額を確認する。


「良かった・・・成功したみたいだな」


そこにはヴォイドマインドの証である穿孔は見受けられなかった。

思い付きから実行した案ではあるが、どうやら理に適っていたようだ。

この《トゥルー・リザレクション/完全蘇生》はレイドクラフトの効果だが、強力すぎて次のモジュールで弱体化される予定だった能力である。

日本サーバはそのモジュールが来ることなく終了してしまったため、弱体化することなく俺の手に残ったということだ。


「ま、お互い運が良かったってことだな」


緊張が解けたことで、一気に疲れが襲ってきた。

一息ついて腰を下ろすと、意識を取り戻したのかラピスと目が合った。


「ようラピス、気分はどうだ?

 どこか調子の悪いところはないか?」


データ上は問題ないはずだが、TRPGでのエベロンの蘇生には不安定要素が多いとも言われていたはずだ。

実は肉体は元に戻ったが、中にある意識は別人のものでしたなどという笑えない展開もないとは言い切れない。


「・・・・・・、っ!」


しばらく呆けていたラピスだが、周囲を見回して状況を確認すると突然半獣形態になりその鋭い爪で目突きを放ってきた!


「うおお、危ない!」


額の状態を見て早合点してしまったが、まだマインドフレイヤーの洗脳は解除されていなかったのか?

あるいは別人格が彼女の肉体に憑依している状態か?

後者ならばまだ話し合いでなんとかなるかもしれないが・・・前者の場合、俺の手で彼女を再び殺さなければならない。

座った状態から上体だけを反らして目潰しを回避したあと、その勢いでバク転のような挙動で距離をとった。

とりあえず状況を見極めるために、彼女の観察をしなければ。

しかし彼女の反応はこちらの予想の斜め上を行くものだった。


「この馬鹿!こっちを見るんじゃない!」


顔を真っ赤にしてこちらに突っかかってくる。執拗に目を狙ってくるその性格の悪さからどうやらラピス本人なんじゃないかと予想。


「ってそっち見てないと俺の命が危ないだろうが!人に目潰し放っておいて無茶言ってるんじゃねぇよ!」


「ううううるさい!記憶を失えー!」


ううむ、蘇生の反動か精神が退行したのか? クールで性悪なイメージが台無しだぜ。


「あー、さっき見た秘密のことなら言いふらしたりしないから。

 とりあえず落ち着け~」


ヒラヒラと回避しながら説得を試みるが、聞く耳を持ってくれない。どうやらあの獣耳は飾りのようだ。


「こんな格好で落ち着いてられるか!

 いいからあっちを向いてろ!この変態が!」


ああ、そっちか。どうやらこのお嬢さんは裸を見られたことで興奮しているらしい。


「あー、言っておくが不可抗力だぞ。

 肉体をゼロの状態から再構成したんだ。そんな状態で服着たまま生まれてくるわけないじゃん」


まさに生まれたままの姿というやつである。

マントか何かを掛けようとは思ったが、それより先に覚醒して襲い掛かられたんだし。


「うう、そんな理屈なんて知るもんか!

 乙女の柔肌を汚した報いを受けさせてやる!」


そういって襲い来るラピスと繰り広げられた追いかけっこは、サフアグンを始末したアマルガムが戻ってくるまで続いたのであった。

・・・俺としてはまずそこに転がっている服を先に着るべきだと思うんだ。どうかな?





[12354] 1-12.決戦前
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/10/22 06:15
アマルガムに仲裁してもらった後、とりあえずラピスにはソウジャーン号で購入したタオルを渡しておいた。

バスタオルくらいのサイズで、その内いくつかは裁断しようと思ってたんだが丁度良かったのかもしれない。

露になった太腿が強調されるその姿は全裸よりある意味エロいと思うのは俺がオッサンだからだろうか。

肉体が若返ったことだし、そのうちその方面も発散しておかないと情けないことになりそうだなぁ・・・。

ちなみにラースは筋弛緩系の強力な毒物でダウンしていたようだ。ラピス曰く、「象サイズの蜘蛛の毒」だとの事。

流石はD&Dの世界である。そんなのの相手は地球防衛軍にお任せしたいところだ。

とりあえず解毒のポーションを飲ませた後、毒により低下した能力値を回復する効果のあるアイテムを使用した。

意識を取り戻した際は俺の後ろにタオルを巻いた姿で隠れているラピスを見て一悶着あったが、

既にマインドフレイヤーの洗脳からは脱していると話し、警戒を解いてもらった。

ただし、リソースの消費が激しいため滅多にできることではない、とも言っておいたが。

どうやら毒を受けた時点で失神しており、その後の戦闘の経緯は見ていなかったようだ。

蘇生の件はアマルガムにも見られていないはずだし、特に追求されなければ問題にはならなさそうである。


(実際はアイテムのチャージ回数の問題で1日3回できます、なんていったら大騒ぎになりそうだしな)


まぁそれに今回はラピスの人となりをある程度知っていたから出来たという点もある。滅多にできないという意味では嘘ではないだろう。

ちなみにラピスはまだ俺の後ろでタオル姿のままである。肩口から顔を覗かせている様だが、肩を甘噛みするのはやめてもらえないだろうか・・・。

今は耳が出ていないので半獣モードではないようだが、ちょっと心理的に怖いものがある。


「おい、半獣状態で牙を立てるんじゃないぞ。

 病気耐性の装備だから罹患の心配はないけど、服に傷が付くだろ!」


ライカンスロピーというのは、怖ろしいことに半獣形態や動物形態の牙で噛まれることで感染するのだ。

悪のライカンスロープ達が無差別に感染を広めたことも、200年前の大弾圧の大きな原因だろう。

ラースに聞こえないように小声で耳打ちしたんたが、ますます噛む力が増した気がする。


「フン、何言ってるのさ!

 さっきの件をこの程度で水に流してやろうってんだから感謝して欲しいくらいだね。

 ・・・しかしこのローブ何て素材で出来てるんだ?僕の牙も通りやしない」


牙は通らなくても皮膚には突き刺さる感じが伝わるんです。

まぁ鎧ボーナスが特殊加工込みで+7だし、重装金属鎧並みの硬さはあるだろう。

魔法で隠蔽しているとはいえ、竜のルーンが幾重にも刻まれた最高級のレイドクラフト品である。

って首はダメ!アイテムの反発力場と外皮修正しかないから薄いんだよ!


「随分と仲が良いことだな。毒ナイフを食らった身としては複雑なところだが・・・」


小声で遣り取りをしているのを見て、ラースが呆れたように声を掛けてきた。


「あー、その件は解決済みって言ったろ。洗脳が解けたんだし敵対する必要はないさ。

 で、協力してくれる気になったか?」


逆にラースに問いかけると、疲れたようにため息をついて答えた。


「ああ、わかったよ。

 こうなっては連中は私が死ぬまでここを攻撃し続けるだろうからな。

 もはや生き延びるにはサフアグン共をコルソスから追い出す以外には無さそうだ」


「アンタの決断に感謝する。村の連中も喜ぶだろう。

 で、この状態を打開する何かいい案はないのか?」


話題を変えると、ラースは先ほどまでとは打って変わった真剣な表情で語り始めた。


「ああ、一つ考えがある。

 実はドラゴンについて調べていたんだが、驚くべき結論に達したんだ。

 ドラゴンは自らの意思でここに来たわけじゃない。

 ドラゴンもマインドフレイヤーに惑わされているんだ!まぁそこの彼女の件があったことからもこの線は信憑性を増した。

 だからそこが鍵だ・・・私には状況をひっくり返せるかもしれない計画がある。

 準備ができたら波頭亭にアマルガムを使いに出す。それまではもう暫く時間をくれないか」


「了解だ。ではまた会う時まで、ラース・ヘイトン。いい知らせを待っている」


最終的に、ラースは説得に応じてくれた。どうやら最後の戦いへのフラグが立った様だ。

幸い少しは時間に猶予があるみたいだし、それまでは村で準備を整えるとしよう。














ゼンドリック漂流記

1-12.決戦前













村への帰り道に、ラピスから身の上話を聞いた。

ちなみに流石にもうタオル姿ではない。


「糞坊主どもから身を隠して田舎で暮らしていたんだけどね。

 ある時地下竜教団の連中が隠れ里にやってきたんだ。

 『虐げられた過去を拭い去るためにも、我々と協力して世界を変えようではないか』だとさ。

 遠まわしな言い方だけど、要はテロリストへの勧誘だよ。

 無論里の皆は断った。そしたら連中手のひらを返して攻め込んできたのさ!

 皆で抵抗したんだけど、多勢に無勢でね・・・僕以外の仲間はもういない」


・・・ヘビーな話である。

ちなみに地下竜教団とは、「下たるドラゴン:カイバー」を崇めるカルトの総称である。

世界創生に関わったという3体の神竜のうち、地下を司るこの竜の信徒は地底の奥底に封じられている邪悪な存在を解放しようとしている連中が多い。

テロリストという例えはまさにぴったりであると言えよう。


「で、冒険者として生計を立てていたんだけど流石にコーヴェア大陸じゃあフレイムの連中の勢力が強くて暮らし辛い。

 それでゼンドリックを目指してきたんだけど、このザマさ。

 難破船から漂着したところでマインドフレイヤーどもに捕らえられた。

 そこで脳を食われた後に毒の扱いとかを仕込まれたりして、村で泳がされていたってワケだ」


ふーむ、上級クラスである『アサシン』の訓練を受けたのか。

ヴォイドマインド化すれば属性が悪に傾いてしまうから、暗殺者として育てるにはいい素材だと思われたのかもしれない。


「まあ僕についてはこんなところだけど・・・・

 トーリ、アンタは何者なのさ。

 あんな高等な蘇生魔法なんて伝説でしか聞いたことがないよ。

 クソッタレなシルヴァー・フレイムの『炎の護り手』とやらは信仰呪文を極めているって噂だけど、

 とてもアンタがそんなに信心深いようには見えないね」


・・・どうしたものか。まぁある程度ぼかして事情を説明するくらいは良いだろう。


「あー、俺は元々コーヴェアやゼンドリック、ましてやアルゴネッセンやサーロナの出身じゃない。

 気がついたらこの島の浜辺に倒れていてね。元居た所に戻ろうにもその手段がない。

 とりあえず大都市に行って帰る手段を探すつもりなんだが、どうにも望み薄でね・・・。

 ちなみにあの呪文は故郷に伝わるアイテムを使用したんだ。

 呪文のことも、俺の今言ったことも他には口外しないでくれよ。

 ラピスの事については俺も秘密を護る。だからそれでお互い様ってことで頼む」


肝心なことは一切喋っていないが、嘘も言っていないし大丈夫だろう。

ラピスもこれで納得してくれたようで、それ以上の追及はない。


「フン・・・二人の秘密ってヤツだね。いいだろう。

 変に力があると狙われるってのは僕も散々嫌な思いをしたからね。

 で、トーリの元居た国ってどんなところだったんだい?」


「そうだなぁ・・・平和で豊かな国だったと思うぜ。

 あんまり個性が強すぎると集団から弾かれるってのはあるけどさ。

 普通に働いていれば食事に困ることはないし、治安も良かったしな」


こんな感じで後はラピスに質問攻めにされたが、当たり障りの無い範囲で質問に答えているうちにバリケードに到着した。

ウルザがどこにいるか聞いてみたところ、今日はもう家に帰ったとの事。

家の位置を聞いて礼を言い、ラピスを連れてジャンスヤード邸に向かった。


「なんだって、もう彼を見つけたのか。

 それに何か策があるって?

 ああ、ドル・ドーンの神よ、感謝します!」


家の応接間に通されて経緯を話すと、ウルザは感極まったのかその場で神に祈りを捧げ始めた。

『ドル・ドーン』とはソヴリン・ホストの一柱であり武器と力の神だ。

パラディンの多くはドル・ドーンの兄弟である『ドル・アラー』という名誉と犠牲の神を信仰していることが多いが、

この村の置かれた状況からか彼女は珍しいドル・ドーン信徒の聖騎士のようだ。神格の縛りの緩いエベロンならでは、である。


「・・・失礼した。

 では報酬を渡そう。

 この力でラースに協力してやって欲しい。

 村のことは我々が護ってみせる」


そう言うと彼女は一旦退室し、丁重に封された箱を持ってくると中から美しい刺繍のされた1枚のマントを取り出した。


「《軽傷治癒》の呪文が込められている。

 また効果を使用しても1夜経てば再度使用することもできる。

 "シー・デヴィル"と戦ったわが祖先、『セラ・ジャンスヤード』が使用していたという品だ」


これは結構な値打ち品である。

ゲーム上では序盤ちょっとお世話になる程度の品だが、この呪文をサービスとして受けようとすると1回につき8GPかかる。

同様のポーションについては50GPもする。

それが毎日1回とはいえ無料であり、また術者だけではなく誰にでも使用できるのだ。

治癒呪文を習得していない冒険者からすれば垂涎のアイテムではないだろうか。


(でもこの刺繍、女性向けだよなぁ・・・)


まぁこの品物はラピスに受け取ってもらい、適当な対価をラピスから金銭で貰うのがいいのではないだろうか。

俺は自分で治癒呪文を使用できるし、治癒関係のアイテムは相当数貯めこんでいる。

あと、HPが多すぎて回復したいときには《軽傷治癒》では追いつかないだろうし。

とりあえず分配は後回しにして丁重に報酬を受け取り、ラピスを連れてジャンスヤード邸を後にした。


「・・・まぁ今回僕はどっちかというと足を引っ張った。

 そのマントはトーリに譲るよ」


宿に向かう路上で、隣を歩くラピスから意外な申し出があった。


「うーん、気持ちは嬉しいけどこれ女物だしな。

 ラピスが使えばいいよ。俺は自分で怪我くらい治せる。

 代わりに昨日宝箱から回収した宝石をいくらか分けてくれれば良い」


正直受け取っても使いどころが無い。かといってこんな曰く付きの品を売り捌くのも気が引けるし。

使いでのある人に受け取ってもらった方がこの品も喜ぶだろう。

そう言ってマントの入った箱をラピスに渡す。


「・・・判った。借りとくよ」


ラピスは早速箱から取り出すとマントを羽織った。

うーん、自分も身に着けているとはいえやっぱりマント姿ってのは見慣れない。

痛いコスプレっぽい気分になる。でもこの世界じゃこれが普通なんだよなぁ。


「なんだい。似合わないからってそんな顔することないだろうさ!」


どうやら似合わない様を馬鹿にされたと思ったらしい。機嫌を損ねるとまた噛み付かれかねない。ここは機嫌を取っておかねば。


「いや、そういうのも似合ってるぜ。

 ただ、黒い鎧のほうと合ってないかなとは思っただけで。

 そういや半獣化した際にその鎧じゃ素早さを活かしきれてなかったみたいだし、機会があれば鎧を変えてみたらどうだ?」


「・・・これは獣化しても一体となって鎧の効果を残せる特殊な付与がされている特注品なんだよ。

 でも確かに最近色々とキツくなってきたから調整は必要だしね。その時でも考えてみるよ」


うむ、なんとか話題を反らせたようだ。

そのまま今度は鎧談義に移り、ダラダラと会話しながら波頭亭に到着するとそこには少し前に見たのと似た光景が広がっていた。


「・・・酒臭い」


ちなみにこれはラピスの台詞である。


「あ~~、トーリさんおかえりなしゃい~~~

 ラピスちゃんもいる~~~」


目の前には大量の空き瓶と酔い潰れた男達の群れ。ここの村人達は反省という言葉に縁がないようだな。

そして前回と違うことはカウンターにはメイが居て、彼女も相当に酔っているらしいことだ。


「あ~、ラピスちゃんそのマントどうしたの~?

 可愛いね~

 おめかししてデートしてたの?

 私を仲間外れにするなんてヒドイ~~~~」


うーむ、エレミアと違い純後衛であるメイは耐久力の値が低いんだろう。酒には弱いようだ。

カウンターの中のシグモンドも弱った顔だ。


「今度はこの姉ちゃんがお前に用があったみたいなんだが・・・

 周りの連中に勧められて早々にこんな状態になったんだが、ここからがザルみたいにいくら飲んでも変わりやしねぇ。

 丁度いい、そっちの娘さんと同じ部屋なんだしもう連れて行ってくれねぇか」


「ふふーん、ハーフエルフはお酒に強いんですよ~

 なんといっても共同体の中で"協餐"という習慣があって、みんなでお酒を分け合って飲む習慣があるんですから~」


・・・『ハーフエルフのワイン』か。確かにそんな話は聞いたことがある。

が、この様子を見るにたとえ技能判定値にボーナスが入るとしても彼女にはお酒を飲ませない方が良い様に思える。


「あー、用ならあとで聞きますから。

 部屋に行きましょう、メイさん。

 ラピス、案内してくれ」


そう声を掛けて立ち上がらせようとしたが、とても自力で立てる状態ではないようだ。

すぐに倒れそうになりこちらに寄りかかる形となる。

やむを得ず、昨日のクエスト中同様にお姫様だっこで運ぶことになった。


「・・・仕方ないね、僕じゃメイを運べそうにないし。

 トーリ、こっちに着いてきて」


ラピスは最初厳しい視線を浴びせてきていたが、納得したのか先にたって2Fへ向かい始めた。


「わーい、トーリさんだ~

 やっぱり力持ちですね~

 でも何時の間にラピスちゃんと仲良くなったんですか~?

 やっぱりデートだったんだ~」


昨日同様ぎゅっと抱きついてくるメイではあるが、やはりそこは酔っ払いである。

昨日はなんともいわれぬ良い香りがしていたのに、今日は酒臭さが勝っていて感触を楽しもうとは思えない。


「こんな状態でどこにデートするっていうのさ。

 依頼を一つこなしてきただけだよ。

 偶々居合わせたんで一緒に行っただけさ!」


前を行くラピスのイライラ具合がどんどん上昇しているようだ。こちらを振り返らずにいるので表情はわからないが、むしろ振り返って欲しくない。


「おや~?

 首筋に赤い痕が・・・

 キスマークですか、やりますねぇお二人さん~♪

 私もつけちゃおっかな~」


そんな可愛らしいものじゃないですから!前方からのプレッシャーが大変なことになっている。

オイ、耳出てるよ耳。誰かこのカオスな空間をなんとかしてくれ!


「・・・この部屋だよ。

 早くその酔っ払いをそこのベッドに放り込んでくれ」


シンプルな鍵で扉を開き、奥にあるベッドを指し示す。

ふむ、部屋の広さは俺の部屋と同じか。10畳くらいの部屋にベッドが二つあるせいで非常に狭い感じがする。


「・・・レディの部屋をジロジロ見るもんじゃないよ」


「おっと失礼」


さっさと自分の部屋に戻るとしよう。


「それじゃベッドに降ろしますよー」


うーむ、チートボディは優秀である。昔の自分の体でこんなことやったら腰が大変なことになったに違いない。

ベッドにメイを降ろして手を離そうとしたが、逆に抱きかかえられてつんのめってしまう。


「えへへ、ありがとうございます~」


ぐ、視界が胸で埋まってる、というか息が出来ない!

恐るべしハーフエルフ。見事なボリュームである。

それに首根っこを器用に押さえられているので頭を振っても抜けられそうに無い。


「あーん、動くとくすぐったいですよ~」


仕方ない、ちょっと強引だが力尽くで腕を外させて貰うとするか。

首の裏側でがっちりホールドされている指を解こうと頭の後ろに手をやった瞬間、『直感回避』能力が危険を感知した。

咄嗟に《フリーダム・オブ・ムーブメント/移動の自由》の付与された靴に装備を変更し、その効果でメイの組み付きから逃れて身を翻した。

胴体のあった空間をラピスの振りかざした黒光りするダガーが通り抜けていく。


「オイィ、それラースに投げたやつだろ!

 毒とかついてるんじゃないのかそれ!」


実際には毒にも耐性のある装備をしているんだが、あの黒光りする輝きには本能的に恐怖を感じる。


「チッ、相変わらず素早しっこい・・・

 何、ベッドに横になりたそうだったから手を貸してやろうと思ったのさ」


うおお、怖えぇよ!

ヴォイドマインドの時みたいに虚ろな目で黒い台詞を吐くのは止めて頂きたい!

チラ、と元凶であるメイのほうを見るとベッドに横になったためか既に眠ってしまっているようだ。

ムニャムニャと寝言らしいものが聞こえるが、何を言っているかまではわからない。

眼鏡をしたまま眠るのはどうなんだろう・・・まぁ酔っ払いにそんなことを言っても仕方ないんだが。

ふむ、ここが引き時だな。既に随分と逸しているような気もするが。


「んじゃ俺はこれで。あ、俺の部屋はここの二つ隣の個室な。彼女が起きたら伝えておいてくれ」


撤退は電光石火の勢いで行われた。

一瞬で部屋から出て後ろ手にドアを閉めると、微かにトン、というおそらくナイフが刺さった音が聞こえた。桑原桑原。

そういえば今日は昼食もまだ食べていない。半端な時間だがシグモンドに報告がてら何か軽いものでも作ってもらおう。








部屋に戻り、ステータスウインドウを開いたところレベルアップできるだけの経験点が貯まっていた。

1→2は5千点であるのに対し、3レベルは累計2万点と一気に3倍の経験点が必要となる。ちなみに4レベルには累計5万点必要である。

TRPGではもっと簡単にレベルアップするのだが、それはMMOとTRPGの違いというものだろう。

昨日と今日で一気に経験点が増えているのはおそらく大量のサフアグンと戦ったことに加えて、今日ラピスと戦った分が大きかったのだろう。

前回レベルアップの際の確認事項であった再訓練などがあるかどうかをチェックしながらレベルアップ作業を実行していく。

結論から言うと再訓練による特技や技能の割り振りなおしは可能であった。

これで今後何かの弾みで成長を失敗したとしても次のレベルアップ時に取り戻せるということがわかりほっとした。

ゲームと違ってキャラを消して作り直す、なんてことはおそらく不可能だろうし可能だったとしてもその際にはアイテムなどが失われるだろう。

そんなリスクを負う必要がないというのは大変ありがたい。

相変わらずクラス選択には上級クラスなどのほかの非実装クラスは出てきていない。

とりあえずは前回決めた方針に従って、成長を開始した。






夜になった辺りでレベルアップ作業が終わり、アクションポイントによる強化も完了したところで部屋に来客があった。


「こんばんわ~。

 メイですけど、トーリさんはいらっしゃいますか?」


コンコン、と控えめなノックの音と共にメイの声が聞こえてきた。


「開いてるよ。どうぞー」


そう返事を返すと錆付いた蝶番を軋ませる音を立てて扉が開き、メイが後ろにラピスを連れて部屋に入ってきた。


「あー、生憎椅子は一つしかなくてね。

 済まないが1人は適当に机にでも掛けてくれ」


二人部屋と違い、個室はベッドと机が一つずつ置かれている。

メイとラピスは一瞬視線を交わすとメイが椅子、ラピスがその後ろで机に腰掛けることで落ち着いたようだ。


「先ほどはどうもありがとうございました。

 子供のころからお酒を飲む習慣があったせいで、ついつい飲みすぎちゃうんですよね~」


椅子に腰掛けたままペコリとお辞儀をするメイ。子供のころから飲んでいてアレとは・・・


「・・・知り合いの居ないところでは飲まない方が良いんじゃないかな。

 この村はともかく、ストームリーチは治安が悪いらしいし」


ゲーム上では街中ではイベントでもない限り流石に戦闘は無かったが、それでも誘拐や窃盗といった犯罪がらみのイベントが盛り沢山だった。

ワールドデザイナーの書いた文庫小説ではさらに悪く、どこの世紀末だよ!といわんばかりの治安の悪さだったイメージがある。


「ええ、どうもトーリさんは初対面のときから始めて会ったような気がしなくて。

 ついつい甘えてしまっちゃうんですよね。

 年下の子に頼っちゃうなんてよくないな~とは思うんですけど」


うーん、初対面での相手の態度を決める【魅力チェック】が大成功だったのか?ってなんか今聞き捨てならないことを聞いたような。


「俺、22ですし年上なのでは?」


「へー、若く見えるんですね。でも私は25なので私のほうがお姉さんですよ?」


「・・・ちなみに僕は17だ」


えっへんと胸を張るメイ、どうでも良さそうに窓の外に視線をやりながらぶっきらぼうに答えるラピス。

ああ、ハーフエルフは成長が人間より少し遅いんだっけ?人間の成人15歳に対してハーフエルフは20歳だっけか。

んで、東洋人の顔はやはり若く見られちゃうってことかな。

ラピスはしっかりしているからもう少し年上かと思ったが、それは寧ろ色々と経験を積んできたせいなんだろうな。


「・・・まぁ年齢のことはさておいて。

 用があるというお話しでしたけど、どんなご用件で?」


とりあえず本題を済ませちゃおう。


「ええと、昨日《ジャンプ》の呪文を使ってたよね?

 私は今まであんまり必要に感じていなかったから習得してなかったの~

 それで、もし持っていたら《ジャンプ》のスクロールを売ってもらえないかと思って」


アクション要素の高いゲームでは鉄板呪文だったが、確かにTRPGではさっぱり使ったことが無い呪文である。

もう少しレベルが上がれば《フライ/飛行》を習得できるとはいえ、機動力の有無は実戦では非常に重要だってことは最近体感したことだ。

それに古いダンジョンだと崩落やらで跳躍力が必要な局面もあるだろうし、覚えておいて損はないだろう。だが。


「スクロールの持ち合わせは無いなぁ。

 この村でスクロール作成に必要な小道具が手に入ったら書くことは出来るんだけど」


もう少しレベルが高い、ゲーム中で効果のあったスクロールであればかなりの量を所持している。

だが、この場合は鉄板呪文すぎてスクロールでは持っていなかったのだ。


「ああ、作成に必要な道具でしたら私のほうで用意できますし。

 それなら、指導していただければ作成のほうも私がやりますよ~」


なるほど。アイテム作成には経験点を消費するルールだし、呪文の準備だけで作成を任せられるならこっちは楽で良いな。


「じゃあそれでいいですよ。

 その代わり、メイさんの習得している呪文で俺が覚えていないのがあればスクロールを1つ頂けませんか。交換って事で」


「はい。それじゃあ作成の準備しておきますね。

 明日でいいですか?

 できれば机があった方が有難いですし、この部屋をお借りしたいんですけど」


確かに、あの二人部屋ではベッドか床の上で作業することになる。それじゃ作業は捗らないだろうな。


「そうですね。その方が良さそうだ。

 それじゃ朝食を取ったらこっちに来て下さい。

 朝のうちに作業しちゃいましょう」


ちょうどこの世界での秘術呪文がどのサプリまで流通しているのか調べるのに良い機会だ。

メイには色々と話を聞くことにしよう。


「話は終わったかい?それじゃ今度は僕の用件だ。

 といってもこれを渡すだけだけどね」


そう言ってラピスはこちらに何かを投げてよこしてきた。

咄嗟にキャッチしたそれを見ると、透き通った藍緑色の宝石だった。


「さっきの報酬の取り分代わりだよ。

 僕の見立てならソイツにもそれくらいの価値があるはずだ。

 この村に居る間は使い道が無いだろうけど、そこはまぁ勘弁してよね」


なるほど。今日の帰り道に言っていた件で律儀に持ってきてくれたんだな。


「そうか。わざわざありがとうな」


一言礼を言ったあとでポケットにしまい込む振りをしてブレスレットに格納した。

高品質の宝石は貨幣換算した価値だけではなく、呪文の行使に必要な物資要素としての需要もある。

このアクアマリンであれば叩き売っても200GP、売り方次第ではその3倍くらいまでの値段がつくかもしれない。


「それじゃあこれで用件は終了ですね~

 せっかくですし1階で一緒に食事でも如何ですか?」


そのメイの提案に乗って3人で食事を取ることになったものの。

注意していたにも関わらず、いつの間にかまた酒を飲んで酔っ払ったメイを介抱する羽目になったのは余談である。








翌朝。

いつもの様に顔を洗った後に朝食を取って部屋に戻ると、既に扉の前にメイが待ち構えていた。


「おはようございます、トーリさん。

 今日はよろしくお願いしますね~」


朝には弱そうなイメージがあったが、別にそんなことはなかったようだ。昨晩の深酒の影響もなさそうに見える。

そういえば昨日の昼間も酔いつぶれた後の回復は早かったな。

そんなところはしっかり鍛えられているということなんだろうか。


「おはよう、メイさん。早いですね。

 もう朝は食べられたんですか?」


部屋に彼女を招きいれて、昨晩同様に椅子を彼女に勧める。スクロールを作成するのは彼女なので、当然ではあるのだが。

彼女は慣れた手つきで机の上に作成に必要な道具を広げていく。


「見ての通り私はハーフエルフですから、睡眠はあんまり取る必要はないんですよ。

 ラピスちゃんはまだ寝てると思いますけどね」


そういえばそうか。エルフは睡眠せずに瞑想するっていうことだし、ハーフエルフも《スリープ》の呪文に完全耐性だっけ。


「あー、ラピスは夜型のイメージがあるし、朝弱そうなのはわかるかも」


そういえば昨日は木の枝の上で昼寝してたって言ってたっけ。やはり猫だけあって普段は寝てばかりいるのだろうか。

椅子に座った彼女の後ろに立って机を覗き込むようにする。


「じゃあまずは《ジャンプ》からやっちゃいましょう。

 そこの巻物の上に呪文を投影すればいいんだよね?」


「はい。よろしくお願いします~」


彼女は両手をぐっと握り締めてやる気十分な様子だ。

ああ、そんな動きをするとその双丘が強調されて、机が隠れて見えないよ・・・


(ううむ、雑念は排除せねば。集中集中・・・)


彼女の後ろから横に回りこんで立ち位置を代え、机に広げられている巻物に集中する。

呪文を行使している際に組み上げている力の網目のような「回路」を構築し、普段ならそこに力を流し込んで発動させているその「回路」を起動せずに巻物の上に展開したまま維持する。

その展開された網目をなぞる様に巻物の上でメイの操るペンが踊る。

魔力を伝達する特殊なインクが「回路」の模様を巻物の上に焼き付けていく。


「凄いですね~

 回路の構築が早いし、凄く綺麗~」


戦闘中にも呪文使いたちはこのように回路を構築して呪文を発動させている。

この回路を分析することで、知っている呪文であれば今から相手がどのような効果を持つ呪文を発動しようとしているのかを知ることも出来る。

回路構築には個人の癖のようなものが反映されるため、同じ呪文であっても同じ模様になるわけではない。

このためある程度の呪文に対する知識が無ければ、知っている呪文であっても見抜けなかったりすることはある。

「スクロール」はこの回路を特殊な巻物とインクによって留めてあり、魔力を流してやるだけで発動できる状態にしてある簡易型の呪文発動体である。

昨日の報酬のマントと違い簡易型であるため、呪文の使い手でなければ発動させることは出来ないし発動にも呪文の使い手としてある程度の力量が必要となる。

普通の『ウィザード』というクラスは呪文書に回路を記録しておき、毎日呪文書から魔力を通して発動直前にまで準備した呪文を脳裏に焼き付けている。

このため呪文書に記録の無い呪文や、記録があっても脳内に準備していない呪文は使用することが出来ない。

対して『ソーサラー』クラスは「生得魔術師」などとも呼ばれており、初めからこの「回路」を脳に焼き付けている。

このため呪文を準備することは出来ないが、魔力の続く限り持っている回路の組み合わせは自由自在に呪文を行使できる。

状況に応じて様々な呪文を用意し、また呪文のバリエーション自体も呪文書により増やすことの出来る『ウィザード』と、

習得している呪文の数に限りはあるものの、状況に応じてその呪文を咄嗟の判断で準備の必要なく潤沢に行使できる『ソーサラー』という特徴の違いだ。

俺の中には双方のキャラクターがいるが、そのどちらもがこの世界の『ウィザード』『ソーサラー』とは異なった仕様である。

アクションゲーム化する際にSP制になったことが大きな原因だとは思うが、かなりこの世界では異質な存在であろう。

ちなみにこのあたりの話は巻物を作成しながらメイに聞いて確認したことだ。

巻物の作成には非常に長い時間を要するため、その間に色々な話を聞くことが出来た。

どうやらこの世界に一般的に流通している呪文は基本ルールブックである「プレイヤーズ・ハンドブック」に掲載されている範囲内に留まっているということだ。

その後に大量に発売されたサプリメントに掲載されている呪文について聞いてみたが、いずれもメイには心当たりが無いとの事。

ひょっとしたら世界のどこかには密かにそういった呪文を伝えている連中もいるかもしれないが、一般的なものではないとわかっただけで十分である。

俺がレベルアップする際には成長の選択で習得する呪文を選ぶことが出来るのだが、そこでは意識すればゲームに採用されていなかった、

またこの世界では一般的ではないらしいサプリの呪文も選択することが出来るのは確認済みだ。

そういった呪文を研究の成果として発表すればそこらの大学で学位を得ることもできるだろうが、とりあえずは自身のアドバンテージとして隠し通していくべきだろう。

この世界に根を下ろして暮らすことになった際の選択肢の一つ程度に考えておけばよい。

ちなみに《ジャンプ》のスクロールが作成し終わった後には、マインドフレイヤー対策として《プロテクション・フロム・イーヴル/悪よりの加護》のスクロールを頂戴した。

敵にそういった精神干渉系の攻撃を行ってくる連中がいるということを教えることが出来たので、彼女も明日以降は対策としてこの呪文を準備してくれるのではないだろうか。

ついでに呪文抵抗という魔法無効化能力を高いレベルで持っている敵についての話も振って、それに対する対策についても意見を交わしておいた。

そんなこんなで作業を終えると、すでに昼を回って夕方近い時間になっていた。


「んー、こんなところで終了かな。

 メイさん、お疲れ様」


疲労が無いのは流石のチートボディだが、ずっと立ちっぱなしだったので関節が固まっている気がする。


「ふう~~~

 久しぶりだったので疲れちゃいました~」


メイもデスクワークに慣れているとはいえ8時間も作業しっぱなしだったので体が固まっているのか、両腕を上にして伸びを行っている。


「お昼も抜いちゃいましたし、下でご飯でも頂きましょうか」


昨晩に引き続き、またもご飯のお誘いである。無論それを断るようなことはしない。

1Fに降りるとやはりこの半端な時間にはシグモンドはいないらしい。

カウンターではまたイングリッドさんが縫い物をしていた。


「あら、トーリさんったらまた違う女の子を連れてるのね」


いや、「また」ってなんですか「また」って。

軽く流して食事をお願いすると、「あらあらうふふ」と微笑みながら奥の厨房に消えていった。

暫くすると暖めたシチューとパンを運んできてくれた。む、肉入りか。エレミアの獲物かな?

固めのパンをシチューに浸けてモフモフと食べていると、入り口に誰かが近づいてくるのを感じた。

二人か。距離の割りにやたらと足音が小さい。

日常的に足音を殺す訓練をしているんだな、などと考えていると予想通りエレミアとラピスがやってきた。


「トーリ殿にメイか。食事ということはもう作業の方は終わったのかな?」


どうやらエレミアはラピスから今日の事を聞いていたようだ。

今日はあちらも二人で行動していたようだ・・・村の外に出ていたとすると、また大量のカルティストがカイバーに送られたに違いない。

エレミアが二人分のジョッキを持ってテーブルに近づき、うち一つを既に座って勝手にシチューをつついているラピスのほうへ置く。


「ああ、さっきようやく一区切りついてね。ようやく食事にありついたところ。

 二人は今日は外に?」


こちらのパンを狙ってくるラピスをブロックしつつ、エレミアに話を振る。


「ああ。先日の救出依頼の際に、沿岸部に邪教の祭壇があったのはトーリ殿も覚えているだろう。

 あれを破壊してきた」


「相変わらずシケた連中だったけどね。

 近くにお宝を隠し持ってたんで、没収しておいたよ」


あー、祭壇の近くにランダムPOPのネームドモンスターが出るんだっけか。お宝ってのはそいつのことだろうな。

しかしなんだろう。男1人に美人の女性3人で食事なんて美味いシチュエーションのはずなのに、この殺伐とした会話は・・・。

しかもそれに慣れてきているような気がする自分。ファンタジーはやはり怖ろしいぜ!


「トーリ殿、この後の予定は?」


なんとかラピスから死守しつつ食事を終え、エールを飲みながら一息ついたところでエレミアが尋ねてきた。


「今のところ特にないかな・・・作業で体が凝っているから、少し解そうとは思ってるけど」


そう返すと、エレミアの瞳がキュピーンというエフェクトを発して輝いたように見えた。む。地雷を踏んだか?


「そういうことであれば是非またご指導をお願いしたい!」


(そうだな、レベルが上がったことで獲得した特技の確認もしておきたいしちょうど良いか)


「いいよ。それじゃまたあの広場でいいか?」


今ならまだ外は明るい。元々が熱帯であるこの辺りは日が沈むのは非常に遅いのだ。


「私も行っても良いですか~?

 お二人の動きを見ているだけで勉強になりそうですし」


メイも食事を終えて、ついてくるみたいだ。後衛だからといって接近戦の修練を怠って良いというわけじゃないしな。この世界はシビアなのだ。


「ラピスも来るか?なんなら二人掛かりでも構わないんだぜ」


ニヤリと挑発気味に誘いを掛けると、ラピスも不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。


「フン、まだこんな時間だってのにベッドが恋しいみたいだね。

 早々に寝かしつけてやるよ」


昨日のように大量の敵に包囲されたときのことも考え、1対多の訓練もしておきたいしラピスが参加してくれるのは有難い。

そんなわけで4人で波頭亭を出て、森の広場に向かうことにした。

出掛けに婦人が「4人でだなんて・・・若いっていいわね」などと言っていたのは完全に無視する方向で。



相変わらず仕掛けられている鳴子にメイが引っ掛かったりしたのを除けば何事も無く到着した。

とりあえず俺は今回も武器無しで素手である。

エレミアは相変わらずのヴァラナー・ダブルシミター、ラピスは既に半獣モードでショートソードを抜いている。


「それじゃこの石が地面についたらそれを合図に開始ってことで」


武器を持っていないほうの手で拾った石を持ってラピスが宣言する。

特に異論は無いので首肯して返し、俺を挟むようにしている二人を左右にしながら視線を石のほうに向ける。

するとラピスは石を上に放り投げるかと思いきや、地面に向けて叩き付けた!


「GO!」


直後、ラピスはショートソードを突き込んで来る。そちらに身を向けると自然背後に回ったことになるエレミアからも攻撃の意志が感じられる。

連携を取って、ラピスの攻撃で体勢の崩れたところにエレミアが仕掛けるという作戦か?

ヴォイドマインド化が解けたとはいえ半獣モードのラピスの動きは素早い。強力な風の精霊にも匹敵するスピードだ。

それを活かしてショートソードという軽い武器で回避しづらい胴体の急所を狙ってくるのだから、普通の相手であれば必中なのではないだろうか。

だが、生憎こちらは回避に掛けては普通ではない。

10体以上のサフアグンの援護を受けた狂化ラピスの攻撃すら凌いだのである。

あの時に比べれば装備などはかなり緩い状態ではあるが、状況的には今回の方が余裕がある。

ショートソードを掌で払っていなし、続くエレミアのシミターに向かい合って軌道から逸れるように体をずらす。

反撃とばかりにラピスに対して足払いを仕掛けるが、これは軽くバックステップされたことで回避されてしまう。

昨日は武器の性能に助けられたり、動きが止まっていたからこそ有効打を加えることができていた。

だが今は素手でリーチも短く、あの身のこなしに当てるのは厳しそうだ。

対してエレミアはそこまで素早くはないが、一撃の威力が高い。力のエレミア、技のラピスといったところか。

挟撃を避けようと間合いを取ろうとするが、そうはさせじとどちらかが回り込んでくる。

広場を細かく動き回りながら攻撃を凌ぎ続けると、やがて先日切り倒されたままになっている倒木の位置まで来た。

それを跨ぐ様な位置に立つと、背後を狙ってラピスが回り込むのを気配で察した。

ここがチャンス!

振り返り、倒木を飛び越えるために不安定な姿勢になっているラピスに足払いを仕掛ける!

空中では回避することもできず、攻撃を受けたラピスはコマのように回転すると倒木の反対側に背中から着地した。

続いて切りかかってきたエレミアのシミターを、下方向に勢いをつけて撥ね下ろすとシミターの刃は倒木に切り込んで動きを止めた。

咄嗟に武器を捨てて下がろうとした判断は流石だが、そのときには既に俺は間合いの内側に潜り込んでいる。

鎧の上から掌打を叩き込んでエレミアを吹き飛ばす。


「うーん、まぁこんなところかな?」


実際には二人は戦闘不能になるようなダメージを負っているわけではないが、区切りとしては丁度いいのではないだろうか。


「わー、相変わらず凄いですねぇ・・・

 目で追うのがやっとですよぅ」


パチパチ、と拍手しながらメイが感想を述べる。


「くそ、性悪な攻撃してくれるじゃないか・・・」


倒れたときに打ち付けたのか、頭を押さえながらラピスも立ち上がってくる。


「いや、俺だとまだラピスには普通にやってもなかなか中りそうに無かったからな。

 ちょっとした小細工さ。挟撃に拘ってたみたいだから上手く嵌るんじゃないかと思ってね」


「確かに、攻撃については我々の方が一日の長があるようだが・・・

 二人掛かりでも一撃も当てることが出来ないとは。

 この村に来た当初よりは腕が上がっていると自負してはいるのだが、まだまだだという事だな」


少し距離が離れていたエレミアも近寄ってきたので休憩ということで先ほど活用した倒木を椅子代わりに座り込む。

前にここに座ったときは、直後に《魅了》されたエレミアに斬りかかられたんだっけな。

ついこの間の事のはずなんだが、随分と昔のことのように感じるのはここ最近の密度が高かったせいだろうな。


「じゃあ次は私もお手伝いしますよ~」


そう言うとメイは杖を構え、詠唱を開始した。うーん、召喚系か?

数秒の詠唱の後に呪文は完成し、煌きと共に3体の犬が召喚された。


「『紺碧の空・シラニア』から来たセレスチャル・ドッグちゃん達ですよ~

 さあ、みんなあの男の人を攻撃です!」


こうしてなし崩し的に第二ラウンドが開始されたのであった!







こんな感じで数日を午前中はメイとの呪文談義、午後はエレミア、ラピスとの模擬戦を行って過ごしていたある夜。

ついにラースからの使いとしてアマルガムが波頭亭に姿を現した。


「わが主、ヘイトンからの使いできた。

 明日の朝、ミザリー・ピークの頂上まで貴方を案内するようにとのことだ。

 準備は万全か?」



[12354] 1-13.ミザリー・ピーク
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2013/02/26 20:18
翌日の早朝。

アマルガムが待つバリケード外へ向かうと、そこには戦闘準備を整えた3人組の姿があった。


「トーリ殿、水臭いではないか。

 私は貴方に受けた恩を返すと先祖の霊に誓ったのだ。

 勝手にどこかにいかれては困るな」


「あのタコ共には少なくとも頭に四つ穴を開けてやらないと気が済まないからね。

 僕も一口乗らせてもらうよ」


「秘術呪文使いのサポートは大事ですよ~

 お姉さんの頼れるところを見せちゃいますから!」


うーむ。確かにゲームとは少し状況が異なっているし彼女らの助力は有難い。

おそらくマインドフレイヤーが2体増えており、それにより従えている敵の増加が考えられるのだ。

だがその分確実に危険性は増すのだ。だが、きっと彼女たちはそれも承知の上でここに集まってくれたんだろう。

ここは彼女達の好意に甘えるとしよう。


「よし。それじゃあ俺達の恐ろしさを連中に教育してやるとするか」














ゼンドリック漂流記

1-13.ミザリー・ピーク













アマルガムに先導され、雪の積もるミザリー・ピークの峰をかき分けるようにして進んだ。

日の出直後の時間帯ということもあり、サフアグンの姿もカルティストの姿も見えない。進軍するにはちょうど良い時間だったのだろう。

時折、昼夜厭わず活動している狩人・・・この環境に適応したアイス・スパイダーなどに襲われたが危なげなく切り抜け、ついに頂上付近にある小さな洞窟にたどり着いた。


「わが主はこの先であなた方をお待ちです。

 私はここで警戒しています。あなた方にソヴリン・ホストの加護があらんことを」


そう言って彼は立ち止まり、俺達に先に進むように促した。万が一に備えて退路を確保してくれるのだろう。

アマルガムと別れ、薄暗い洞窟を先に進む。

俺とラピスが先頭に立ち中央にメイ、殿にエレミアという隊列である。

しばらく進むと魔法の明かりに照らされたやや広い空間が広がっており、そこにはラースと彼に連れられた3人の冒険者の姿があった。


「ははっ、トーリか。そりゃもう難破船に乗るのはお互いコリゴリだもんな!」


こちらを見るや、その中の1人が声を掛けてきた。

ジーツというハーフリングのローグである。浜辺で倒れている俺を見つけて声を掛けてくれたのが彼だ。


「貴方がこの島で悪を相手に戦い続けてきた活躍には私も励まされましたよ、トーリ。

 ですが気をつけてください。今度の戦いでは私は貴方を守ってあげる事ができないわ」


シルヴァー・フレイムのクレリック、セリマス。不慣れな俺を連れてサフアグンの住む洞窟を突破するために数々の呪文で助けてくれた。

 
「作戦への協力、感謝する。

 我々は前回のミッションでもいいチームだった。今回もいいチームであれるよう、力を尽くそう」


ウォーフォージドのソーサラー、タルブロン。強力な呪文の使い手であり、あの時に最も多くのサフアグンを倒したのも彼だった。

彼ら三人は浜辺に打ち上げられていた俺を村まで連れてきてくれた、チュートリアルクエストで一緒だったパーティーである。


「良く来てくれた。

 トーリはこの私の仲間に見覚えがあるだろう?

 私達のチームが敵の注意を引き付け、おびき出す左手となり。

 お前達のチームがマインドフレイヤーの背中にダガーを突き立てる右手となる。

 勿論これはたとえ話だが、我々が実際の両手のように連携していなければ今回の作戦は成り立たない」


彼らを代表してラースが作戦を説明してくれるようだ。しかし、彼らは一体いつ知り合っていたんだろうな・・・。


「左手やら右手やらなんのことやら。

 判りやすく話してくれよ」


ラピスの態度は少々刺々しい。まぁ嫌悪するシルヴァー・フレイムのクレリックが居るのだ。仕方のないことかもしれないが。


「ではまず状況の説明をするので聞いてくれ。

 ドラゴンとカルトさえ無くなってしまえば、サフアグンの脅威など無いに等しい。

 そうすればそのうち奴等を海へと追い返せるだろう。

 だがあのドラゴンがいる限りはコルソスに未来は無い」


その通りだろう。サフアグン自体は村人よりも単体の戦闘力は高いが、それほどの脅威ではない。

ドラゴンによる島の封鎖、それを何とかすることが出来れば外部からの救援を得ることも出来る。


「そこでドラゴンのことを調査した結果、希望の光が射してきた。

 あのドラゴンも自らの意思でサフアグンに力を貸しているわけではない。

 マインドフレイヤーに思考を操作され、サフアグンたちを自らの仲間だと思わされて協力させられているのだ」


「確かにマインドフレイヤーの精神操作の力は怖ろしいといいますけど・・・

 そんなことが可能なんですか?あれほど歳経たドラゴンにはそういった呪文は効果がないと思ってました」


術者として気になったのだろう、ラースの説明に対してメイが質問をした。

対してラースは大仰に頷いてそれに答える。


「そこが鍵となるのだ。

 マインドフレイヤーは魔法のアーティファクト、『マインドサンダー』という物を使って力を増幅している。

 そのマインドサンダーを破壊することが出来れば、ドラゴンを操るものから解放させる事が出来るだろう。

 そうすれば我々にもチャンスがあるかもしれない」


確かに、理に適った作戦である。


「ということは、我々はその『マインドサンダー』とやらを破壊すればいいということか」


エレミアも真剣にラースの言葉に耳を傾けている。


「そうだ。我々のチームが出来るだけ騒ぎを起して大半の敵の注意を引く。

 ドラゴンも我々であれば時間を稼ぐことが出来るだろう。

 我々が彼女の注意を引き付けている間に、マインドサンダーを見つけ出して粉々に破壊してくれ」


展開はゲームのシナリオ通りのようだ。特にこちらとしては口を挟む必要もないように思える。


「なるほど。作戦は判った。

 俺たちの準備は出来ている。そっちの準備が出来ているなら直にでも始めよう」


今更足りない物資があるわけもなく、俺達のチームは術者としてそれほど実力が高くないことから呪文の持続時間は短い。

呪文による強化はダンジョン内でその場に応じて行うことになるだろう。


「では、私とトーリの間に《テレパシック・ボンド/精神接合》のリンクを繋げるぞ。

 大勢には使用できないので私とお前だけの間となる。何か緊急の事態が発生した場合はこのリンクを使用して呼びかけてくれ。

 だが、万が一相手に感付かれる恐れもある。使用は最低限に留めてくれ」


そういうとラースはワンドに似た呪文の発動体を行使した。アーティフィサーとしての能力で作り出した使い捨てのマジックアイテムだと思われる。

そのアイテムが発動すると、自分のすぐ近くにラースの存在を感じる。確かに目の前に彼はいるのだが、まるで背後にぴったりと背中合わせで存在するような感覚だ。

おそらくこれが《テレパシック・ボンド》の効果なのだろう。


「では私は皆さんに《レジスト・エナジー/元素抵抗》の呪文で冷気への抵抗を付与しましょう。

 こちらに集まってください」


セリマスは範囲型の防御術を使用し、8人全員に一度に冷気抵抗を付与してくれた。

この呪文、ゲームにも採用されていない、TRPGの基本ルールブックにも無い呪文である。

セリマスのような信仰呪文使いは神格より呪文を授かるという話だし、秘術呪文使いには流通していない呪文も扱えるのかもしれない。


「よし、では準備は完了か?

 では我々はマインドフレイヤーがお前達に気づかないように働くとしよう。

 我々はその左の通路から突入する。

 お前たちは右の通路から忍び込んでくれ」


「いくわよ!突撃!!」


「ヘマするんじゃないぞ!俺達がドラゴンの餌になっちまわないようにな!」


「これ以上多くの魂が失われぬために!」


ラースの指示に従い、セリマスらは雄叫びを上げて通路に突入していった。作戦通り派手に動いてくれるようだ。


「よし、俺達も行こう。

 万が一マインドフレイヤーと遭遇したら散開するんだ。

 連中のマインドブラストで一網打尽にされたら御終いだからな」


ラピスを先頭に、先ほどの隊列でしばらく進む。

幸いにも洞窟内は完全に密閉されているわけではなく、所々から日が差しており特に照明を必要としない。

足音を殺しながら進むと、前方に3人のカルティストを発見した。どうやら連中はまだこちらに気づいていないようだ。


「エレミアと俺の弓で仕留めよう。討ち漏らしはラピス、任せたぞ」


小声で指示するとラピスはそのまま気配を殺しながら連中に近づいていく。

ある程度の距離まで近づくのを見てから、タイミングを合わせ弓を射た。


「ぐ、一体誰・・・?!?」


ディヴァウラーの信徒たちはそれぞれが首から上に矢を生やして地に伏せる。

ラピスは念のため、と連中に止めを刺して回っている。

このくらいの人数であれば不意打ちに成功すればほぼ無抵抗のまま無力化できる。

その後も何度か同じような規模の遭遇を切り抜けたが、先に進むうちについに不意打ちだけではどうにもならなさそうな規模の敵集団に遭遇した。


「アーチャーが高台で警戒しているな。敵の数も多い」


天然洞窟の中に氷で出来たロフトのような構造体が出来上がっており、その上に弓を構えた射手が2人立っている。

しかも嫌らしい事にそこに上がるには一旦ロフトの下を抜けなければ上に繋がる段差がない状態である。

他にも司祭服に身を包んだクレリックと思われる姿があり、階下にも数人のカルティストがいるようだ。


「呪文で援護しますよ~

 エレミアちゃんには私が《ジャンプ》の呪文を掛けますので直接上に行って貰いましょう。

 トーリさんも上に行って、あの司祭服の方達をお願いします。

 ラピスちゃんはその他の人をお願いね」


いい作戦だ。特に司祭服の敵が呪文の使い手だとすると不意打ちで無力化しなければ、何らかの呪文でこちら側の襲撃を離れたところに伝えられかねない。

少し離れた物陰で《ジャンプ》の呪文を付与する・・・どうやら今のでは連中に気付かれなかった様子。

音声要素の必要な呪文は、ある程度の声量での発声が必須なため距離をとって仕切りなおしたのが功を奏したようだ。

幸いこちらの前衛3人は隠行に長けている。

万が一アーチャーに気付かれたときの事を考えてメイにはその離れた場所で待機してもらったまま、物陰に身を隠してギリギリの距離まで近づいた。


(GO!)


ハンドサインでタイミングを合わせ、俺とエレミアは呪文の援護を受けてロフトに飛び上がった。

5メートルほどの助走をつけてから飛び上がった二人は無事上のフロアに乗り込むことに成功。そのままそれぞれのターゲットに急襲を掛けた。

それぞれが1人を斬り伏せたが、そこで敵側に反応がある。どうやら物陰で見えなかった位置に別の司祭服がいたようだ。


「侵入者を殺せ!」


そう叫びながらこちらに向けて呪文を放とうとしている。あの回路には見覚えがある。先日メイが使用した《サモン・モンスター》だ。

味方の数を増やそうとしたのかもしれないが、その選択は悪手である。あの呪文は完成までに何秒もの時間を必要とする。

その間に距離を詰めると、余裕を持ってその首を刎ねる。すると力を注ぎ込まれきられずにいた回路はそのまま霧散していく。

後ろではエレミアが弓から持ち替えさせる暇も与えず、残るアーチャーを倒しているようだ。

既に下からも戦闘音は聞こえてこない。おそらくラピスが上手くやってくれているはずだ。

敵の気配が既に周囲に無いことを確認して、メイに合図を送り合流を促す。

小走りにメイがこちらに駆け寄ってくると、その反対側から前方を偵察に行っていたラピスが戻ってきた。


「この先に石造りの障壁があるね。開閉装置はこの辺りにあるんじゃないかと思うんだけど」


ラピスはそう言いながら高台の壁際付近でなにやらゴソゴソと作業を始め、暫くすると前方から何かが転がるような大きい音が聞こえてくる。


「ある程度の時間で自動で閉まる仕掛けもあるみたいだ。早く通り抜けるとしよう」


ラピスに促され4人一団となって石でできた大きなアーチを駆け抜けると、その直後巨大な石の円盤が回転してそのアーチを塞いだ。

大仰な仕掛けの扉である。開閉のたびに大きな音が立つことからも、近くの敵に感付かれたかもしれない。

アーチのこちら側はわかりやすい位置にレバーがついている。閉じ込められたというオチではないようだ。

アーチを抜けた先は、非常に広い空間が広がっていた。天井まで50メートルはあるのではないか?

今までは洞窟の通路といった感じだったが、ここに来てその横幅も高さも一気に広がった。

どこからか差し込んでいる日の光が雪や氷に反射して空間全体が柔らかな光に包まれている。

荘厳な景色に心奪われそうになるが、この光景に馴染まない不浄な存在が物陰からこちらに近寄ってきた。


「食料だ!」


「貴様らの骨髄をスープのように啜ってくれる!」



腐肉に飢えたグール(食屍鬼)達がこちらに四つん這いの姿勢でにじり寄って来る。


「グールです!

 噛み付きには『食屍鬼熱』という病気に感染する危険があります!

 それ以外にも爪や牙には麻痺毒があるはずです。注意してください~」


敵の正体を看破したメイから注意が飛ぶ。

防御の薄いメイを扉に押し付けるようにして、周囲を3人で取り囲むように方円陣を敷いて迎え撃つ。


「死に損ない共め・・・

 やりづらいなぁもう!」


主に生物の急所を狙うことでダメージを与えているラピスにとっては、既に死んでいるクリーチャーは急所が存在しないため相性が悪い。

虎や熊のライカンスロープであれば高い膂力で粉砕できるのだろうが、彼女はスピードで相手を翻弄するタイプである。

ここは彼女には足止めに徹してもらい、攻撃は俺とエレミアで行うべきだろう。

幸い、アンデッドたちはそれほどHPの高い存在ではない。

暗闇などで奇襲されればその恐るべき特殊能力で苦戦したかもしれないが、この状況であれば落ち着いて戦えば負けは無い。

1体をラピスが引き付けている間に、残った1体をエレミアと攻撃を集中して死体に戻す。後は取り囲んでしまえば楽勝だった。


「やっぱり生身じゃない連中は刺し甲斐がないね。手応えが悪いよ」


死体の放つ悪臭に顔を顰めながらラピスは呟く。一刻も早くこの場を離れたいのだろう、先へと1人で進んでいく。


「この先はこんな連中ばかりかもしれないな。不意打ちには注意しないと」


アンデッドは生物と違い、じっとしていれば臭い以外の手がかりを発さないため潜まれていると事前に聴覚等で感知するのは不可能に近い。

先ほどのように突っかかってきてくれれば良いのだが、中には知恵の回る連中がいないとも限らない。

先行しているラピスを追い、この広い空間に立つ氷の壁や氷柱を避けながら奥へ進むとそこには入り口にあったような大きな石造りのアーチがあった。

この重い扉の両側には2つのシグナル・クリスタルが今はその輝きを失った状態で嵌め込まれている。

広間のどこかにこれを操作する仕掛けがあるかもしれないが・・・。


「うーん、このシグナルにパワーを与えてやれば開く仕掛けだと思う。

 仕掛け自体はこの空間のどこかにあるとは思うんだけど」


扉を調べていたラピスも同じ考えのようだ。しかし、これだけの広い空間を探し回るのは効率が悪い。


「時間が惜しい。破壊して進もう」


先ほどと同じ構造だとすると石の分厚さは1メートル弱。ならば無理やり押し通る事も不可能ではない。

3人を後ろに下げると、"ソード・オブ・シャドウ"を取り出して両手で構える。

世界最高硬度を誇るアダマンティン製であり、切れ味についても最高峰であるこの剣にチート筋力が加われば切り裂けるはず。

振り下ろした黒い刃が石壁に吸い込まれると、キィンという澄んだ音がして斬撃が通り抜けた。

1撃での破壊は不可能でも、人が通り抜けるくらいの隙間を切り抜けば良い。そのまま3度グレートソードを振り2メートル四方ほどを刳り貫いた。


「・・・相変わらず怖ろしい切れ味だ。身震いがするな」


以前この大剣を見ているエレミアも少々驚いているようだ。


「その黒い刀身、ひょっとして刃全てがアダマンティン製なのか?」


「凄いですね~。ダガーくらいのサイズであれば見たこともありますけど、両手持ちの大剣でアダマンティン製だなんて。どうやって鍛えたのかしら」


魔法のオーラを隠蔽しているためか、この剣の持つ影のエッセンスの致死性には二人は気付かなかったようだ。


「さあ、先に進もう。早く『マインドサンダー』を破壊しないとラース達がドラゴンの餌に成りかねない」


確かゲームの記憶によればここで折り返し地点くらいのはずだ。

ラース達もその間ずっと戦い続けている訳ではないだろうが、負担は大きいはず。先を急ぐに越したことは無い。

再び細くなった曲がりくねる洞窟をカルティストやアンデッドを排除しながら進んでいくと、再びアーチが見えてきた。


「今度はこちら側にレバーがついているようだな。さっきみたいな無茶をしないで済むのは助かるな」


レバーをラピスに任せ、扉向こうからの奇襲にエレミアと二人で対応するつもりで正面に立つ。

この分厚さの石越しでは反対側の物音なども聞こえないため、待ち伏せされている危険性があるのだ。

だが、スライドしていく石造りの円盤が横に流れていった時、その影から姿を現したのは巨大なドラゴンの姿だった!

距離にして30メートルほど先に、広大な空間の床の上に伏せているその姿は全容を捉えるだけでも一苦労である。

通常のホワイトドラゴンの基準を遥かに超えるその巨体に、数多の白い鱗はその全てが鏡のように磨き上げられており周囲の雪を反射して美しく輝いている。

尻尾の先端まで含めれば全長は20メートルほどであろうか。重量は10トン近いと思わせる巨体である。

ゲームであればここで遠距離からタルブロンが攻撃呪文でドラゴンの気を引いてくれるのだが・・・


(さっきのショートカットで先行しすぎてしまったか?)


未だにラース達がこの広間に到着する気配は無い。

そして絶望的なことに石のアーチが立てるゴロゴロという音に興味を示したのか、白竜は目を開けてその鎌首をこちらに向けた。

巨体に似合わぬ俊敏な動作で立ち上がると、その顎から冷気の奔流を垂れ流しながらこちらに向かって飛翔してきた!


「ドラゴン・ブレスだ! 避けろ!!」


声を掛けるものの、他のメンバーに動く様子は見受けられない。


(く、『畏怖すべき存在』か!?)


歳経た竜が持つこの能力は、ただ竜が存在するだけで敵の心胆を寒からしめる効果を持つ。

おそらく皆あの竜の放つ存在感に打たれて立ち竦んでしまっているのだろう。


(白竜のブレスは円錐形の拡散型・・・扉で遮蔽のあるラピスはまだしも、このままじゃエレミアとメイは直撃だ!)


レバーを操作していたラピスは位置的にブレスの効果範囲外だが、隣に立つエレミアと後ろに居るメイの命はこのままでは無い。

咄嗟に判断し、非常用に準備していた呪文を『高速化』して起動する。


「《ディメンジョン・ホップ/次元跳躍》!」


この呪文は『接触したクリーチャー』を僅かな距離だが瞬間移動させることが出来る。

未熟な今の技術では3メートル程度が限界だが、今のこの状況はそれで十分である。

まずメイをラピスのいる扉の影に送り込み、次に『高速化』と並行して起動していたもう一つの同じ呪文でエレミアを反対側の影に飛ばす。

ここまで行動した時点でドラゴンは彼我の距離を半分にまで詰めていた。

その大きく開けられた口からは凝縮された冷気の奔流が今まさに吹き付けられようとしている!


(南無三!)


装備を変更している暇は無い。作戦前にセリマスの与えてくれた冷気抵抗を信じ、ドラゴン・ブレスをその身に受ける。

だが無防備に受け止めるわけではない。

モンクやローグといったクラスには「身かわし」という特殊な能力があり、こういった範囲攻撃に対してダメージを軽減することが出来る。

こういった爆発などによるエネルギーの奔流は、その威力故に乱流の性質を持つ。

その流れの中で最もエネルギーの影響の少ない地点を把握し、そこに身を踊らせる事によって本来回避不能な範囲攻撃から身を守るのである。

冷気の衝撃波が過ぎ去った後、体の状態を即座にチェックするが特に異常は無い。

呪文による抵抗を上回る冷気のため指先が少々強張っているが、戦闘に支障はないと判断できる。

だが安全地帯にいる三人は今だ身動きが取れそうな状態ではない。

このままここで戦闘を開始すればこの三人を巻き込むことになる。ここは俺1人でこのドラゴンを引き付けなければならない。


(ラース!作戦変更だ)


《テレパシック・ボンド》を通じてラースに呼び掛ける。


(トーリ、どうした。何があった!?)


即座にラースから反応が返ってくる。思考でラースに返事を返しながら、体はドラゴンの横を通り過ぎて反対側へと向かう。

隙ありとホワイトドラゴンは上から首をもたげ噛み付きを行ってくるが、背後から来るその攻撃を強行突破して通り抜けに成功する。


(ホワイトドラゴンに気付かれた!彼女は俺に御執心なようだ。

 俺がコイツを引き付けておくからそっちはこちらの他の3人と合流して『マインドサンダー』を破壊してくれ!)


通り抜け様にブレスレットから取り出したワンドを振りかざし、呪文をキャスト。


「《スコーチング・レイ》!」


灼熱の閃光が3本、一直線にドラゴンの巨体に命中する。この距離でこの巨体相手であれば外しようもない!

そのうちの1本は高い呪文抵抗に阻まれ効果を発生させる前に掻き消されてしまったが、2本は確かに命中して白竜の鱗を何枚か焼け落ちさせることに成功した。

弱点である[火]属性の攻撃呪文を受けて怒ったのか、もはやホワイトドラゴンの注意は完全にこちらに向いているようだ。


(おい、トーリ!く、我々も急ぐ。死ぬんじゃないぞ!)


ラースからはその焦ったような言葉の後はもう何も伝わってこなかった。こちらの邪魔にならぬ様、慮ってくれたのだろう。


「こっちだデカブツ!

 熱いのをまたお見舞いしてやるぜ!」


引き離すように距離をとりながら射程距離ギリギリで再びワンドから熱光線を放つが、その光線が着弾する直前にドラゴンの巨体全体を呪文の効果が覆うのを感じた。


(《レジスト・エナジー/元素抵抗》による火への抵抗か!)


なるほど、流石は最強の幻想種である。一度衝かれた弱点を放置しておくような甘さはないようだ。

着弾した熱線はその鱗に届く前に呪文による魔法のオーラに軽減され、焦げ跡一つすら鱗に残すことは出来なかった。

こうなっては一先ず距離を稼がなくてはならない。

3人の安全を確保するためにも、開けた空間の反対側へと疾走を続けた。

後ろからはドラゴンが大地を踏み荒らしながら追ってくるのを感じる。

圧倒的な速度を誇る翼による飛翔を行わないのはこちらを嬲るつもりで居るのか。

どんな理由であれ、こちらとしては好都合だ。

ドラゴンの地上移動速度はアイテムで強化したこちらと同程度である。

移動と回避に専念している限り、距離を詰められることはない。

そう考えていると突然足場に違和感を感じた。よく見れば周囲に靄のようなものがかかっており、その範囲内で徐々に地面が凍結していっている!


(拙い。足場が不安定になれば今まで通りのスピードが出せない!)


無論氷上で生活するホワイトドラゴンにはこのような条件は悪影響などない。

おそらくはこの靄すらも、ホワイトドラゴンの作り出した魔法効果に違いない。

足に装備していたブーツを『ストライディング/馳足』による移動距離増幅効果から、不安定な足場でも変わらず移動できる効果のある装備に変更する。

そしてその分の移動距離増幅効果を指輪として装備し、アイテムの組み換えを行ったところでホワイトドラゴンが追いすがってきた!


「GRRRRRR!!!」


噛み付きを横に転がって回避し、次に左右の前腕の爪による薙ぎ払いをバックステップしてやり過ごすと直上から翼の先端が押し潰さんと落下してくる!

巨大な柱が降り注ぐようなその攻撃はギリギリに体を反らしてやり過ごすと、さらにドラゴンは体を回転させ尾による横方向からの面攻撃を仕掛けて来た!

高台に飛び上がって以来維持していた《ジャンプ》呪文の助けを借りて後方の空中に身を躍らせ、ドラゴンからの距離を取るとようやく攻撃は一段落したようだ。

とはいえ彼我の距離は10メートルも離れていない。こちらの攻撃は届かないが、ドラゴンからすれば首を伸ばせば届く範囲であろう。

ドラゴンの攻撃によって舞い上がった雪埃越しに至近距離で彼女を観察する。どうやら頭部に穿孔は見られない。

流石にこの巨体のドラゴンの脳を啜ることは出来ていないようだ。これであればまだ希望はある。

『マインドサンダー』さえ破壊できればドラゴンの怒りは利用してきたマインドフレイヤーに向くはずだ。

そろそろ『畏怖すべき存在』から立ち直ったであろうエレミア達がラースと合流して、やり遂げるまでの間逃げ切ればいい・・・。

肝の冷える近接戦闘をずっと行うことは出来ないが、機会を見て距離を取れば良い。

そう思考を走らせていると雪埃の向こうから強力な魔法が発動されるのを感じた。

今まで見たことのないタイプの回路図である。


(力術系統・・・攻撃呪文か? そのわりにはフィールド系の構成式?)


その疑問は即座に解消された。

竜の雄叫びと同時に、俺を中心とした半径10メートルほどの範囲で凍りついた地面から大量の氷の槍がツララのように立ち上がってくる!


(《フィールド・オブ・アイシィ・レイザーズ/氷槍の平原》か!基本セットにない呪文攻撃、しかも上位呪文じゃないか!)


五感をフル稼働させ、立ち上がる槍の前兆を捕らえることで串刺しになるのを右へ左へと移動することで避けながらドラゴンとの距離を取り続ける。


(呪文を発動した今が好機。一気に距離を稼がせてもらう!)


呪文の発動には精神集中が必要であるため、行使と同時に多くの距離を移動することは出来ない。

槍衾となった地面から脱出すると、勢い良く地面を蹴って走り始める。

ある程度距離を稼いだところで振り返ると、ドラゴンは先ほどと同じ位置で立ち止まっていた。


(・・・何をするつもりだ?)


中距離から遠距離で効果を発揮する呪文は多々存在する。しかもどうやらあのドラゴンは通常のホワイトドラゴンを大幅に上回る秘術呪文使いのようだ。

果たしてどれだけの呪文を貯めこんでいるのか、想像すらできない。

しかし予想以上に距離が離れてしまったことで彼女の発動しようとしている回路模様を読み取ることが出来ない。

そのまま白竜は何らかの呪文を発動しながら、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきた。


(何の呪文を使っている・・・?)


距離を取るべきかどうか、悩んでいるところでついにその呪文の効果が周囲に影響を及ぼし始めた。

俺を取り囲むように氷の壁が生み出され、逃げ場を塞いでいく。このままでは閉じ込められてしまう!

咄嗟の反応で氷の棺が完成する前に範囲から転がり出たが、その移動した先でもどんどんと氷の壁が生み出され続けている。


(ダメだ、時間稼ぎなんて甘い考えの通じる相手じゃない!このままじゃ追い詰められてジリ貧だ!)


少なくともこの呪文の詠唱を止めなければ遠からず封殺されてしまう。

後の事を考えて余計なダメージを与えないようにしていたが、もう躊躇っている場合ではない。


「《メテオ・スウォーム/流星雨》!」


ブレスレットから強力な呪文がチャージされたアイテムを取り出し、周囲の氷壁を破壊すると同時に呪文の妨害を狙い複数の火球をばら撒く!

狙い通り辺り一面の氷壁は炸裂した火球に焼き払われ、その姿を崩していく。

そして2発の燃え盛る流星がホワイトドラゴンを狙って突き進んで行き・・・そしてその姿を貫通した!


(まさか・・・幻影?五感を全てを惑わすほどの幻術、《プログラムド・イメージ》か!

 だとすると本体はどこに・・・・!)


そこまで看破した瞬間、足元の地面が崩落したかと思うと白竜がその顎を広げて大地を割って出現した!

足場を失った状態では回避などできようはずもない。そのまま竜の牙による咀嚼を受け、全身を引き千切られるような痛みが襲う!

それだけに留まらず、顎に捕らえられた状態のまま竜の口内で冷気のブレスがゼロ距離で炸裂した!

その勢いで吹き飛ばされたことにより牙からは逃れられたものの、満足に着地することもできず無様に地面に転がることになる。


(ぐ、そうかホワイトドラゴンは地中を移動する能力があったんだっけ・・・)


セリマスの冷気の加護のおかげでブレスの威力は相当軽減できてはいたが、その前の噛み付きと合わせたダメージはかなりの量だ。

今生き残っているのは数々のHP補正のアイテムと特技、ブーストされた耐久力のおかげである。

そのうちどれ一つ欠けていても生き残ることは出来なかっただろう、それほどのダメージである。


「《テレポート/瞬間移動》」


とある豪族の屋敷から頂戴した設定のアイテムを使用し、一気に距離を取る。

広大なホールの壁面の高所に飛び出た、ギリギリ人一人が立てるスペースの足場に転移する。

このアイテムを使えば村に逃げ帰ることも出来る。だが、そうなっては他の皆の命はないだろう。

彼らの助力なくしてこのクエストを完遂することは出来ない。俺がここで踏ん張ることには意味がある。

まずはHPを回復しなければ。このままでは次どんな軽いダメージを受けても戦闘不能になってしまうだろう。

回復用のポーションをガブ飲みし、同時に回復のワンドを使用して最速でHPの回復を行う。

見れば遠方から今度はドラゴンが低空を飛行しながらこちらへ近づいてくるのが見える。

だが、転移後に装備したアイテムのおかげでまたもやそれが幻術であることが見て取れる。

おそらく本体は床と壁の間を移動し、こちらに奇襲を仕掛けてくるつもりなんだろう。


(だったらそれ相応の出迎えをしてやらなきゃな・・・)


もはや殺すか殺されるかである。回復が終わった後にドラゴンの襲撃に備えて大量のトラップを仕掛けていく。

幻術の竜はその劣悪な飛行性で上昇するため、広い半径で広間一杯をぐるぐると周回しながらじわじわと時間をかけて高度を上げてくる。

良く出来た幻影である。先ほど騙されていても、この挙動を見れば本物であると信じてしまいそうになる。

ともすれば竜が二体居たと錯覚したかもしれない。そこまで繊細に作りこまれたこの呪文はとても美しい。

竜そのものの美しさもあるのだろうが、もはや一種の芸術作品だと言えるだろう。

幻影の竜がある程度の高度に達したとき、壁向こうから押し殺された微かな振動を感じた。どうやらもうそこまでドラゴンは迫っているらしい。

タイミングを図って、20メートルはある高所から幻影の竜目掛けて飛び降りる。

同時に壁面から現れたドラゴンは俺の元居た地点にその牙を叩きつける・・・がそこに既に俺の姿はなく、そこには設置されていた罠、

《ディレイド・ブラスト・ファイアボール/遅発火球》がその牙に反応して盛大な爆発を起す!

維持限界ギリギリの5発の火球は竜の口の中で炸裂し、さしもの巨竜もその威力には耐えかねて突出した勢いのまま地面に向かって落下していく・・・かに見えた。

突然世界がモノクロに変化したかと思うと全てが停止し、その中で唯一ドラゴンの紡ぐ魔力回路だけが姿を次々と変えていく。


(まさか・・・《タイム・ストップ/時間停止》か?!)


存在する中でも最高位の呪文、限定的に時間を停止させ術者の呪文行使のみをその停止した時間の中で行う奇跡の技である。

空中で自由落下をしている状態で停止している俺の周囲に氷の壁を形成する魔力回路が展開されていき、やがてそれは完全に周囲を覆った。

その上から空間移動を抑止する《ディメンジョナル・ロック》の呪文が被せられる。

その状態でさらにフィールド系の力術が氷の壁面を覆っていく。


(全周を壁面で覆った上で、そこから《フィールド・オブ・アイシィ・レイザーズ/氷槍の平原》!

 しかも空中では身動きも取れない・・・テレポートによる脱出も不可能・・・耐えられるか?)


しかも1回だけではなく、停止している時間の許す限り何度も何度も氷壁に込められていく氷槍の呪文。

あと体感で数秒後、時間停止が解除された瞬間に氷壁で覆われるこの半径3メートルほどの球体の内部は何千本という氷の槍で満たされるだろう。


(時間が動き始めた瞬間、自爆覚悟で《流星雨》を即時起動・・・氷の壁を吹き飛ばすことが出来ればまだ生き残る目はあるか?)


だが、氷と異なり今俺には火に対する抵抗が付与されていない。上手く氷壁を吹き飛ばしたとしても《流星雨》のダメージだけでも死に至る可能性はある。

最悪の場合、氷壁の内部の密閉空間で発生した高温高圧に焼かれながら槍に貫かれて死ぬかもしれないが・・・


(しかし何もしなければ確実に死ぬ・・・であれば自分で何か出来ることをやってみるべきだ!)


覚悟を決めてその瞬間を待つ・・・だが時間停止が解除される瞬間、周囲を覆っていた呪文回路は掻き消え、ドラゴンもその姿を消した。

空中で身を翻し、落下直前に《フェザー・フォール/軟着陸》の効果をもったアイテムを装備して地面に降り立ったが周囲は静まり返ったままだ。

いつの間にかドラゴンの生み出した《プログラムド・イメージ》の幻影も消え去っている。


(まさかさっきのトラップで死んだってことはないだろうな・・・)


楽観的な考えであるが、それならば詰む直前までいった呪文の効果が霧散したのも説明できる。

だが警戒を解かずに装備の入れ替えを行う。あのドラゴンで真に恐るべきは最高位までの呪文を操る秘術呪文使いとしての実力だ。

であれば、物理攻撃の被弾率を上げることになっても呪文に対する抵抗力を上げるべきだとの判断である。

周囲に壁役の意味も持たせて『アース・エレメンタル』を召喚し、いざとなったらブレスなどに対する遮蔽として使えるように待ち構えた。

だが予想に反して、おそらくは『テレポート』による瞬間移動で姿を現したドラゴンは先ほどまでの闘志に満ちた瞳ではなく、理性的な瞳でこちらを見つめると害意がないことを示すように地に伏せた。


「小さきものよ。お前達はあの姑息なイリシッド達より私を解き放ってくれた。

 特にお前は私を前にして逃げず、その知恵と力を持って私に痛手を与えたのだ。

 800年ほどの時を過ごしたこの身であるが、これほどの力と勇気を示した者はお前が始めてである。

 我が身を救った褒美に、何か一つ願いを言うがいい。

 この身に叶えられる事であれば叶えて見せよう」



どうやらエレミア達がマインドサンダーを破壊してくれたようだ。

そのおかげで竜は正気を取り戻し、俺に対する攻撃を止めてくれたということだな。

・・・あと一瞬でも遅ければ俺はおそらく死んでいただろう。ギリギリのタイミングだったようだ。


「その前に一つ聞かせて欲しい。俺の他の仲間達は無事なのか?」


「イリシッドの首魁と対峙していた7人であれば命に別状はない。

 一時的に支配されていたことにより混乱はあるやもしれぬが、直に治まるであろう」



どうやら皆生き延びてくれたらしい。これにはホっとさせられた。

・・・しかし願いを一つ、か。

妥当に考えれば《ウィッシュ/望み》の呪文を使ってくれるということだろうか。

であれば、聞くべきことは一つである。


「俺はこの世界の住人じゃない。

 俺を元の世界の戻すことは出来るのか?」


その問いに対して竜は一瞬瞳を閉じると、再び瞳を見開いて答えた。


「稀人よ。そなたの世界が何処にあるかは我には掴めぬ。

 そなたが帰還するためにはこの世界の、次元界の枠を超えた理解が必要となるであろう。

 そしてそれはこの世界の理に縛られた我には出来ぬこと。

 そなた自身の手でそれは成されなければならぬ」



・・つまり他人の呪文の効果では帰還することは出来ない。

自分のレベルを上げていけば可能になるかもしれない、という事か。


「故に我はそなたの願いを叶えてやることは出来ぬようだ。だがそなたの恩には報いねばならぬ。

 故にそなたがそれを成すことについて、一度の助力をしよう」



そう言うと彼女はこちらに顔を寄せた。その揺らめく顎が大きく開いたかと思うと、金色のブレスが俺の体を覆いつくした。

不思議なことに暖かい熱を感じるが痛みはない。


「そなたに竜の祝福を与えた。わが名『オージルシークス』に連なる竜はそなたに敬意を示すであろう。

 また竜の祝福はそなたにさらなる活力を与えるであろう」



ゲーム中でドラゴンの陣営のクエストをこなしていると得られた『ドラコニック・ヴァイタリティー』か。

確かHPが若干増える効果があったはず。また口振りからすると竜がこちらを識別するなんらかの機能があるのかもしれない。


そう語る彼女・・・オージルシークスの背に遠方から矢が飛来して鱗に弾かれるのが見えた。

視線をやると、エレミア達が弓を引いている姿が見える。

・・・どうも今のシーンを見てブレスを浴びせられていると勘違いしたのかな?

幸いなことにオージルシークスは気にしていないようだ。


「ではさらばだ稀人よ。

 シベイの天輪が巡る時、また会うこともあろう!」



そう言うと彼女は翼を広げ、一際大きな雄叫びを挙げた。

その音と圧力に吹き飛ばされそうになりながら、踏ん張って別れを告げる。


「ああ、さらばだオージルシークス!

 あと、俺の名前はトーリだ!次に会う時まで忘れるんじゃないぞ!」


果たして俺の声は彼女に届いただろうか?

瞬間移動の際の光の煌きを残して消える際の彼女は僅かに口元を歪めていた様な気がする。

まぁ竜の表情なんか判らないので、あれが微笑んでいるのか馬鹿にしているのかなんて見分けはつかないんだけどな。


とりあえずマインドフレイヤー達(竜風にいえばイリシッド)は滅び、ドラゴンは去った。

こちらに駆け寄ってくる7人のほうを見て、俺は疲れを癒すべく雪の積もった地面に身を投げ出して大の字に倒れるのでった。


 



[12354] 1-14.コルソスの雪解け
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/11/22 08:35
「トーリ殿!」


竜の吐息に火照る体を雪で冷ましていると、エレミアを先頭に皆がこちらに駆け寄ってきた。

立ち上がる気力も無い。手だけをヒラヒラと動かして無事であることをアピールする。

それで安心したのかエレミアは速度を緩めたようだが、その横を猛烈な勢いで黒い弾丸が通り抜けてきた。


「この馬鹿!」


ラピスがその勢いのまま飛び蹴りを打ち込んで来るが、もはや回避するだけの元気も無い。

胸板に直撃した蹴り足に肺が圧迫され、潰れたカエルのような声を出す羽目になる。


「紛らわしいんだよ!生きてるなら《テレパシック・ボンド》で連絡しろよ!」


どうやらさっき倒れこんだ際にブレスで焼き殺されたと勘違いさせてしまったようだ。

しかし馬乗りになって襟で首を締めるのは聊か激しすぎるのではないだろうか。


「はいはい、心配だったからって無茶しちゃ駄目よラピスちゃん~」


いつの間にかこちらに辿り着いていたメイがラピスの両脇に手を差し込み、ポイっと脇に彼女をどける。

こないだ押さえつけられた時にも思ったけど、意外とメイって力あるんだよな・・・。


「はい。何時までもそんなところで寝てたら体を冷やしちゃいますよ?」


そう言って彼女は手を差し伸べてくる。

もう少しこの雪の冷たさを感じていたかった気もするが、あまり長くこの状態でも余計に心配させるかもしれないな。

メイの手を借りて身を起こす。

その頃ちょうどエレミアの後方からラース達がこちらに近づいてきた。


「トーリ、良くやってくれた。おかげでギリギリのところでマインドサンダーを破壊することが出来たよ。

 それも彼女のおかげだが」


そう言ってラースはエレミアに視線を向けた。


「いや、それもトーリ殿のおかげだ。

 敵の放つ狂気の波動に掻き乱され、意識を断たれそうになった時にトーリ殿から預かったこの宝石が敵の力に抗う気力を奮い立たせてくれたのだ」


彼女は胸元から鎖を通して下げていた白く輝く宝石を取り出した。

それは以前彼女に渡していた銀炎の欠片。魔を打ち払う加護を与える一粒のダイヤモンドだった。


「マインドサンダーを守護するガーディアンを倒し破壊のために駆け寄った私達に、姿を消して空中に潜んでいた敵のマインドフレイヤーが狂気の波動を浴びせてきたの。

 情けないことに私たちはその狂気に打たれて指一本動かせない状態だったわ・・・彼女を除いてね」


セリマスが悔しそうに状況を説明してくれる。一瞬とはいえ教敵であるマインドフレイヤーに打ちのめされた自分が許せないのかもしれない。


「だが、そこの姉ちゃんが狂気に耐え切ったその一瞬に放った矢がクリスタルを破壊したって訳だ!

 あれがなけりゃ俺たちは脳を啜られ、トーリはドラゴンの腹の中だったに違いないぜ!」


対してジーツはさっぱり堪えた様子が無い。同じパーティーだというのにこうも対称的なのは面白い。


「辺りに満ちる魔力の残滓からも、貴方が潜り抜けた戦いがどれだけ厳しいものだったかが窺える。

 今日この日の戦いはいずれシャーンのカヴァラッシュ・シアターで謳われる伝説となるかもしれません。

 貴方はそれほどの偉業をやり遂げたのです」


腕の立つソーサラーであるタルブロンにはこの場で繰り広げられた高位呪文の残滓が感じ取れるのだろう。

周囲の戦場跡を見渡す彼の表情には、読みにくいウォーフォージドでありながらも驚きの様子が見受けられる。


「ああ、どうやらこれでも随分手加減してもらっていたみたいだぜ。

 最初から彼女が本気だったらそれこそ瞬きする間にハリネズミになっていただろうさ」


あの魔鏡氷晶モドキはハメ技に近いだろう。同じく時間に干渉して相殺するか、そもそも《タイム・ストップ》の発動を阻止しなければ必殺じゃないだろうか。


「やっぱりあの攻撃はドラゴンのものだったんですね~。

 突然空中に居たタコさんが氷に閉じ込められたかと思ったら、穴だらけになって落ちてきたんです!

 どれだけ高度な魔法を使ったのか想像もつきません!」


秘術呪文使いとして興味があるのだろう、メイは少々興奮気味にマインドフレイヤーの最後を語ってくれた。

そうか、あの呪文は俺ではなくマインドフレイヤーに向けられたのか。


「フン、アレだけ穴だらけじゃ僕のショートソードを刺し込む隙間もありゃしない。

 連中の頭蓋に穴を開けてやる予定が台無しだよ」


意趣返しをしそこなったラピスは少々不機嫌そうだ。ショートソードを掌の上でクルクル回転させながら文句を言っている。


「ともあれ無事に片付いて何よりだ。

 正直言って私は栄誉の死を遂げる覚悟をしていたんだ。

 少々役回りが異なってしまったが、今はお互いの無事を喜ぼうじゃないか」


今更ながらラースは無責任な台詞を言ってのけた。


「・・・それじゃあ次があったらドラゴンはアンタに任せるよ。クリスタルは俺がやってやるからさ!」


笑いながら握りこぶしをラースの胸部に当てると、彼は肩をすくめて勘弁してくれとでも言いたげだ。

さあ、コルソスに戻ろう!












ゼンドリック漂流記

1-14.コルソスの雪解け













ラースの帰還と敵の撃破が告げられたことにより、村は一気にお祭り騒ぎとなった。


「「「我らの英雄に乾杯!」」」


そこらじゅうで祝いの声が木霊している。

村人もここに足止めされていた者達も、等しく喜びを分かち合っている。

オージルシークスの《コントロール・ウェザー/天候制御》の効果も途切れたのだろう。

島を長い間に渡って覆っていた雲は晴れ、久しぶりの日の恵みを浴びた木々からも活力が感じられる。

もはやコルソスが雪に覆われることはないだろう。

村の広場では大量の酒と食材が振舞われ、どんちゃん騒ぎである。

そんな中、俺はもはや定位置となっていた波頭亭のカウンターでシグモンドから秘蔵の酒を頂戴していた。


「この村独特の手法で熟成された逸品だ。まず他では味わえない代物だぜ」


そう言って封を切ったビンからは微かに磯の香りが漂ってくる。


「へえ。良かったらどんな手法なのか教えてくれないか?」


正直この世界の酒の作り方なんてさっぱり知らない。後学のために話を聞いておくのも良いだろう。

秘伝とかであれば無理かもしれないが、と思ったがシグモンドは気にせず答えてくれた。


「何、単純だ。海の中に放り込んで熟成させるのさ。

 ・・・昔この島の周りにはあんな悪辣な連中じゃないサフアグン達が居た。

 そういった連中から当時の村人が教わったらしい」


随分と昔にそいつらはこの島を離れ遠くの海へ行ったらしいが、とシグモンドは続ける。

おそらく魚人同士の縄張り争いがあったのだろう。

そして敗れた彼らは別の安住の地を求め旅立った。

サフアグンだって全部が全部悪に染まっているというわけではない。

ソヴリン・ホスト信者からは悪神とされているディヴァウラーだが、あの神にも様々な解釈があり海の恵みをもたらす豊穣神として崇めている魚人たちもいる。

少し離れた海域にいる人間に友好的な魚人たちは、厳しい航路の水先案内人を務めており特定の航路では欠かせない存在だとも言う。


「・・・儘ならないもんだね」


殆どの人達は広場で騒いでいるのだろう。普段は賑わっている酒場も今は俺とシグモンドだけである。

彼も地下に酒を取りに来たところでここで呆けている俺を見かけて酒を振舞ってくれたのである。カウンターにボトルを置くと、他の雑多な酒瓶を抱えて外へと出て行った。

グラスを傾けながらダラダラと時間を潰す。

この島に来てから色々と慌しかったし、こんな余裕のある時間を過ごすのは本当に久しぶりな気がする。

突然ゲームの中の世界に放り込まれたときはどうなることかと思ったが、チートのおかげでなんとか生き延びることが出来た。

オージルシークスの言ったことが正しいとすれば、帰還の目処もついたことになる。

まぁ少なくとも17レベルまで成長しなければいけないというハードルの高さには困りものだが・・・。


「トーリ殿、ここに居られたか」


そんな取り止めのない思考を走らせていたところ、エレミアが酒場に訪れ、俺の姿を見かけるとカウンターの隣の席に腰掛けた。

先ほどまで彼女らはラースらと村人の中心で揉みくちゃにされていたはずだ。

俺は騒ぎになるのを予想して、村に入ったところでこっそり別行動を取り隠れてここに戻ってきたので、被害にはあっていない。


「非道いではないか。我々をおいて姿をくらますとは・・・。

 おかげで散々な目にあった」


まぁ村を救った美人さんである。村の若い衆から熱烈なアプローチを受けたことは間違いないだろう。

聞けばラピスやメイはまだ連中から逃げ回っているとか。ご苦労様なことである。


「で、どうしたんだ?

 俺を探してたみたいだけど」


入ってきた際の口振りからして何か用がありそうだったけど。

そう尋ねると彼女は胸元から宝石を取り出して差し出してきた。


「預かっていたこれを返さなければと。

 ありがとう、トーリ殿。

 この宝石の加護がなければ、私は先祖の霊に会うこともできず永遠にカイバーの顎に囚われていたかも知れない」


そう言って彼女は宝石をこちらに渡してきた。

掌に乗せられた白い石には仄かに暖かさが感じられる。これはこのアイテムに秘められた銀炎の加護の熱だろうか。

しばらくその内側で揺れる炎の輝きを眺めた後、カウンターの上を滑らせるようにしてエレミアに宝石を返した。


「いや、エレミアがこれをもっていたおかげで俺の命も助かったんだ。

 だから、出来ればこれは君に持っていて欲しいな。俺が持っているよりも縁起が良さそうだ」


後一瞬でもエレミアの矢がマインドサンダーを貫くのが遅ければ、あのドラゴンの魔法が俺を串刺しにしていただろう。

ホワイトドラゴンが真竜種のなかで最弱だとかいう設定だったはずだが、アレはまったくの別格だと思いたい。


「だがこのような高価な品を頂くわけには・・・・」


むう、ゲームじゃオークションにも出さずに処分するレベルの品なんだが・・・やはりまだ金銭感覚が調整できてないみたいだなぁ。


「いや、他にもジャコビーの件や組み手の相手なんかでお世話になったからな。

 そのくらいはさせて貰わないとこっちの気が済まないというか・・・・

 そうだな、俺の気持ちだと思って受け取ってくれると嬉しい。

 あとついでにそのトーリ殿ってのも止めてくれ。トーリでいいよ」


最初の組み手の時は相当無理させたしね。

あの時の経験がなければカニスの工房でラピスに討たれていたかもしれないし、ドラゴンの乱舞の前に五体満足ではいられなかったかもしれない。


「トーリ殿、いやトーリ・・・・」


どうやらエレミアも納得してくれたようだ。カウンターから宝石を拾い上げ、両手で包むようにして受け取ってくれた。


「では確かに受け取った」


喜んでくれたようで何よりだ。


「ああ、大事にしてくれよ?」


グラスの酒をあおると、エレミアがボトルを持って酌をしてくれた。

しばらく二人で無言のまま時間を過ごす。結構な時間をそうして過ごした気がしたが、その沈黙はエレミアの問いかけによって破られた。


「トーリはこれからどうするのだ?」


これからか。ちょっと目標が遠すぎて実感が湧いていないが当面の行動は一つだろう。


「そうだな、ソウジャーン号に乗せてもらう約束がある。

 とりあえずはストームリーチに行って、冒険者として暮らすつもりだ」


相当な長丁場になりそうだし、生活の基盤を築かなきゃいけない。

いつまでも宿屋で生活するのも不便だし、毎日風呂に入る暮らしが恋しい。

風呂だけであればジョラスコ氏族の居留地に行けばサービスとして共同浴場があるのかもしれないが、気兼ねなく使うにはやはり自宅に風呂が欲しい。

家ってどれくらいするんだろうか。そもそも行きずりの冒険者に家を売ってくれるのだろうか?

こればっかりはゲームやTRPGでは縁がなかったところなので、実際に行って確かめてみるしかないだろう。


「そうか。私もストームリーチには訪れるつもりだが、次の船になるだろうな。

 聞いたところではこの島からある程度距離を取ったとこに何隻かの船が留まっていると聞く。

 上手く行けばそう遅れずに私も到着できるだろう」


確か初対面の時に、彼女がゼンドリックに向かう理由については聞いていた。

彼女の属するエルフという種族は、かつてゼンドリック大陸に巨人の帝国が栄えていた頃彼らに奴隷として仕えていた。

だが異世界からの侵略者との戦いで巨人文明は衰退し、エルフたちは主から自身の運命を取り戻した。

ある種族はゼンドリックに残り巨人達に対する戦いを続け、ある種族は新天地を求めて大陸を脱出した。

この地に残ったものがドラウ、俗に言うダークエルフであり大陸を離れたものがエルフである。

無論巨人達も奴隷がそのような行動を取るのを黙ってみていたわけではない。

当時巨人とエルフの間では数々の戦いが繰り広げられたという。

ゼンドリックを脱出するエルフたちの船団にメノールというエルフが送った詩は4万年近い時を経た現在も語り継がれており、

年に一度シャーンのカヴァラッシュ・シアターで行われる公演でその歌い手を務めることがエルフの芸術家にとって最も誉れあることだと言われている。

エレミアの祖先はその船団を送り出すために最後まで追いすがる巨人の軍勢に対して抗い、最後にはその将軍を討って追っ手を追い散らしたという。

彼自身はゼンドリックに留まり更なる戦いに身を投じたとされているが、その子孫らは今はコーヴェアにてヴァラナーの戦士を代々輩出しているらしい。

彼女はその祖先が大陸に残したレリックを求めてゼンドリックに向かうのだという。


「そうか。俺ってストームリーチに全くツテがなくてね。

 信頼できる友人が一緒にいてくれるのは嬉しいな」


このコルソスの村は田舎ということもあってか住民は皆穏やかで今となっては治安も良いだろう。

対してストームリーチはまったくの無法の地。後ろ盾のない俺を守ってくれるものは何も無いと思っていいだろう。


「ああ、トーリさえ良ければ是非また私をチームに加えて欲しい。

 私もそれほど縁故があるわけではないが、貴方の背中を守ることはできる」


それは心強い。


「それじゃあ、新たな土地でのお互いの幸運を祈るとするか」


乾杯をしようとカウンターの向こうに入り込み、エレミアの分のグラスを用意しようとしたところで騒がしい音と共に来客が現れた。


「ちょっと待ったぁ!」


酒場のウエスタンドアを勢い良く開き、ラピスが入ってきた。後ろにはメイの姿もある。どうやら若い連中を撒いて来たようだ。


「縁故がないのは僕も同じさ。是非お仲間に入れてもらいたいね!」


・・・ひょっとして外で会話を聞いていたのか? 相変わらず侮れない隠行である。


「私も~

 トーリさんには今日見せてもらった召喚術のことでお尋ねしたいこともありますし。

 この島であんまり良いところを見せられなかった分、ストームリーチでは期待してください!」


そういえば咄嗟の判断で使ってしまっていたが、《ディメンジョン・ホップ》の呪文も低位ではあるが追加サプリの呪文である。

専門の召喚術士であるメイにとしては気になるところなんだろう・・・ドラゴンのショックで忘れていてくれることを少し期待していたのだが。


「ま、二人なら歓迎だよ」


カウンターの下からグラスを三つ取り出し、ボトルから酒を注ぐ。


「それじゃあ、ストームリーチでのお互いの幸運を祈って」


4人それぞれがグラスを掲げ、軽く触れ合わせる。このあたりの流儀はこの世界でも共通のようだ。


「「「「乾杯!」」」」

 
そして一気に飲み干した・・・メイを含めた4人全員が。


「うひゅぅ~~~」


その直後、理解不能の声を上げてカウンターに突っ伏すメイ。

雰囲気に酔ってすっかりメイの酒の弱さを忘れていた・・・これなら彼女の分はジュースか何かにしておくべきだったか?


「えへへ~、これからもよろしくですよ~」


とりあえずまた彼女を部屋まで運ぶか・・・ラピスに視線を向けて対応を相談しようとしたところ、再びウエスタンドアが開き来客が現れた。


「よおトーリ!

 こんなところで綺麗どころを侍らせやがって。

 ラースといいお前といい上手くやりやがってこの・・・俺も混ぜろ!」


片手にリッターサイズのジョッキ、もう片手には大量の食材が乗せられた皿を何枚も器用に持ちながらジーツがやってきた。

後ろには申し訳なさそうな顔をしているセリマスと、相変わらず表情の読めないタルブロンもいる。


「お邪魔するわね。

 私からも貴方達の幸運を祈らせてもらうわ。

 ゼンドリックにはここで遭遇したものよりも、もっと強大で邪悪な存在がいるとも聞きます。

 貴方達の輝きがその暗闇に押し潰されぬよう、シルヴァー・フレイムの加護が共にありますように」


聖印に触れながらセリマスは祈りを捧げてくれた。

彼女らの分もグラスを出して酒を注ぐ。

おっとタルブロンは酒が飲めない、というか飲食不要なんだよな・・・栄養というか燃料はどうやって補充しているんだろう、ウォーフォージドって。


「我々はまだしばらくこの近隣で残党の敵勢力の掃討に当たります。

 作戦終了後、ストームリーチに向かう予定ではありますのでいずれまたお会いできるでしょう」


どうやらセリマスが《センディング/送信》の呪文で呼んだ救援が、さきほどエレミアが言っていた周辺の海域に留まっている船の中に乗っているらしい。

彼らと合流してこの周辺のカルティストの狩り出すんだろう。流石はシルヴァー・フレイム。教敵に対するその覚悟は怖ろしいほどだ。


「ああ、お互い無事でまた会おう」


改めて7人で乾杯を行った・・・念のためメイの分はジュースにして。まぁもう手遅れなんだけど。




そしてその二日後。

船着場で出港の準備を整えているソウジャーン号に向かっているとラースが見送りにきていた。


「トーリ。もうお別れとは寂しいばかりだな。

 コルソスはいつでも君を歓迎する用意がある。

 ストームリーチの喧騒に嫌気がさしたならいつでも休みに来るといい」


差し出された手を握り、硬く握手を交わす。


「ああ。次来るときは雪のないコルソスだな。

 楽しみにしてる」


おそらくあと数日もすれば、すっかり元の赤道直下の気候に戻るだろう。

聞けばカニスクリスタルの恩恵は寒波を防ぐのではなく、村の周囲の気温を一定範囲内に調節する効果があるのだという。

それであれば避暑には良いのかもしれない。


「ああ。私も今度は"シーデヴィル"を封印ではなく倒す方法について研究しようと思っている。

 何、いかに伝説の存在といえどあのドラゴンほどの相手ではないはずさ。

 そのときはまた是非力を貸してくれ」


確かにそうかもしれない・・・だがそれは死亡フラグだぜ、ラースよ。


「まぁほどほどにな。その研究が上手くいけば俺たちは次こそ引きこもっていられるって訳だ。

 アンタの研究が成果を結ぶことを期待してるぜ」


ニヤリと笑って手を離す。ラースは少々バツが悪そうな顔をしているが、このくらいは言わせてもらってもいいだろう。

彼に背を向けて海に向かうと、船に繋がるタラップでリナールが出迎えてくれた。


「別れは済んだかね?

 なに、我々の船であればストームリーチまでゆっくり進んだとしても三日といったところだ。

 その気になればすぐに戻ってくることが出来るさ。

 我々の準備は済んでいる。トーリの都合さえ良ければいつでも出航できるぞ」


それなら早くした方が良さそうだな。

ソウジャーン号は豪華客船だけあってこの村の港の大部分を占拠してしまっている。

このままでは他の船が船着場を利用できないなんて間抜けな自体が待っているかもしれない。


「ああ、大抵の挨拶は昨日のうちに済ませておいたしな。

 それじゃ暫くの間お世話になるよ、リナール」


準備といっても重要な装備は全てブレスレットの中だし、他の荷物といえばシグモンドが餞別にと持たせてくれた酒くらいのものだ。


「そうか。それでは出航だ!

 歓迎するよトーリ。

 実はこの船は正式に運行する前の試験航行中だったのでね、君が最初のお客様というわけだ!

 我々芸術を愛するチュラーニ家と、癒しの力を振るうジョラスコ家が最高の船旅を演出するために作り出したのがこの船だ。

 予定では三日間の航海だが、ストームリーチに到着した時にはこの船から降りたくないと思わせてみせようじゃないか!」


船に乗り込み、遠ざかるコルソスを眺めようと後部デッキに出るといま船は港から出て岬を回り込んでいるところだった。

海に突き出した岬は高い断崖になっており、その上部には森が繁っている。


(そういえば初めてエレミアにあったのもあの森の辺りだっけ)


視線を森に移すと、一瞬何かが反射する光が目を差した。

目を凝らしてみれば、岬の縁にはエレミアが立ちこちらを見ている。どうやらあそこから見送ってくれるらしい。

先ほど反射したのは彼女が胸元に下げている宝石だろうか?

もう米粒ほどにしか見えない彼女に向けて手を振ると、彼女も手を振り返してくれた。

・・・チート感覚の俺ならともかくエレミアもこの距離で見えているとは。やはりエルフの知覚能力は侮れない。

そうして俺はコルソスが見えなくなるまで、手を振り続けた。





[12354] 幕間1.ソウジャーン号
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/12/06 21:40
目を覚ますと、豪奢な天蓋が目に映る。

体を包むのは宿屋なんかでは考えられないほどフカフカのベッドだ。

そのベッドにしても昔俺が使っていたワンルームには放り込めないサイズだ。5,6人が寝れるほどの大きさである。

視線を転じるとこの寝室にはドアが2方向についており、それぞれがリビングとバスルームに繋がっている。

昨日簡単に受けた説明を思い出し、バスルームに備えられているシャンプードレッサーに向かう。

備え付けられている蛇口に手をかざし、合言葉を唱えるとそこから水が出てくる仕掛けなのである。


「『注げ』」


合言葉に反応して"デカンター・オブ・エンドレス・ウォーター"というマジックアイテムから水が溢れ出す。

さらにこのアイテムには火の精霊が呪縛されており、希望により水の温度も自由自在に変更できるときている。

推定だがこのアイテム一つで普通に家が建つんじゃないだろうか?

意識をはっきりする為に冷水で顔を洗うが、それだけではまだスッキリしなかったためシャワーを浴びることにする。

昨晩の寝巻き代わりにしていた"ヌルクローズ・ガウン"をブレスレットに収納して浴室に入った。

ゲーム中でも冒険には使わずに街での普段着に使用されていた悲しいレイドユニークであるが、こうして使ってみるとその有用性には驚かされる。

「冷気抵抗」と「火抵抗」を同時にそれなりのバランスで備えている装備はこれが唯一であり、どんな環境でも適温で過ごせる上に着心地は抜群だった。

寝ている間であればこの衣服の素材の影響による「秘術呪文失敗率」は気にしなくていいし、今後のメイン寝巻きに決定である。

ちなみにいつものジャージは冒険に使っていたため流石に綻びが生じており、それを見かねたここのアテンダントが手直ししてくれるとのことで預けてある。

流石に冷水ではなく適度に暖かい温水のシャワーを浴び、汗やらを落としてスッキリしたところで再びガウンを着て今度はバスルームからリビングに繋がるドアを開けた。

リビングの天井と壁面は外方向に向けて全面ガラス張りになっている。外の景色を見たくない場合は付与されている幻術呪文の効果を加減することで透過率を変更できるという便利設計。

今現在は外の景色が綺麗に映し出されている。雲ひとつ見えない青空が、水平線で少し異なる色の海原と接しているのを見ることが出来る。

こうして見ると水平線は微かに丸みを帯びている。どうやらこの世界も球体の惑星のようだ。

景色に目をやりながらリビングに入ると、そこでタイミングを測ったかのように廊下側のドアからノックの音がした。

どうぞ、と声を掛けると銀色のカートにトレイを乗せて1人のアテンダントが入室してきた。

小麦色の肌に銀髪の彼女は黒を基調とした品のよい制服に身を包み、元気良く挨拶をしてきた。


「おはようございますトーリ様。今日も快晴で良い航海日和ですよ」













ゼンドリック漂流記

幕間1.ソウジャーン号













食事を終えた後、カートにチップとして銀貨を数枚置いてから彼女に話しかける。

昨晩はこのチップについても加減を間違えたせいで大変な騒ぎになったのだ。


「食事美味しかったよ。ありがとう。

 ところで今日もこの船の案内をお願いしたいんだけど」


本当は昨日のうちにある程度案内してもらうはずだったのだが、最初に案内された遊技場で遊んだカードゲームにハマってしまい他のスペースを回る時間が無くなってしまったのだ。

『スリードラゴン・アンティ』というもので、D&Dの世界ではこんなゲームが遊ばれていますよという触れ込みで実際に販売されていたというゲーム。

名前は聞いていたんだけれど実プレイ経験がなかったため、シンプルながらも奥深い内容にすっかり時間が経つのを忘れてしまったのである。


「案内するのは私でよろしいでしょうか?

 それとも昨日見て回られた際に気に入った者がおりましたらその者にご案内させますが・・・」


彼女は片付けの手を止めてこちらに向きかえりながらそう問いかけてくる。

頭の中で何人か昨日1日のことを思い出すが、会ったのは主にカジノのディーラーやレストランのウェイトレス達である。

彼女らには別の仕事があるだろうし、最初に案内役を務めてくれた目の前の彼女のほうが適任だろうと思える。

それに目の前で瞳に不安そうな光を浮かべている彼女に対して「別の人がいいです」などと言い出せるはずもない。


「いや、君に頼みたいんだ。昨日途中で中断させちゃったからね。今日もよろしく頼むよ」


そう伝えると、彼女は微笑んで一礼してきた。


「では私レダが案内を務めさて頂きますね。

 こちらの片づけが終わるまでもう暫くお待ちになってください」


そう言って片づけを再開した彼女の後姿を見ていると、先ほどは萎れて元気のなかった長い耳が今は元気に満ち溢れているように見える。

この船はエルフのチュラーニ氏族とハーフリングのジョラスコ氏族が共同で作り上げたと聞いていたが、このため殆どのクルーはその2種族で構成されているようだ。

とはいえジョラスコ氏族のハーフリングたちは彼らの担当する温泉浴場やリラックスルームから出ることは少なく、他の施設はほぼエルフたちの手で運営されているとの事。

昨日はそのあたりには寄れなかったから、今日は顔を出すことにしよう。

そんなことを考えているうちにレダの作業は終了したようだ。

カートを押して外の廊下の壁際に移動させている。おそらく後で掃除に来るハウスキーパーが回収して行ってくれるんだろう。


「トーリ様、お待たせしました。準備がよろしければご案内を開始させていただきますよ」


まぁこちらには準備も何もない。身嗜みも普通に整えてあるし、このガウンは寝巻き代わりにしていたといっても普段着で通用するレベルだろう。

腰掛けていたテーブルの上に銀貨を二枚置いて掃除に来てくれる人たちへのチップとし、立ち上がって部屋の外へと歩き出した。

部屋の外の廊下にも高価な品に違いないオブジェが所々に飾られているが、それらはとても品が良く船内の雰囲気にマッチしている。

一応それらの品々についてもレダが説明をしてくれるのだが、正直なところ芸術には造詣がないのでなんとなく上品だなぁとか綺麗だなぁくらいしか感想が出ない。


「そう言って頂けるだけで十分ですよ。

 我々チュラーニ氏族はフィアラン氏族から分かれたばかりの年若い氏族ではありますが、特に造形美に関しては彼らを上回っていると自負しています。

 彼らは主に芸能の方に重きを置いている分、そちらではまだ我々のほうに至らぬところがあるのですが」


最も古いドラゴンマークの一つである『影のマーク』を持つフィアラン氏族だが、彼らは最終戦争の半ばで氏族間の抗争により二つに分かれている。

表向きフィアラン氏族は一流のエンターティナー集団として知られているが、実はその影のマークを芸術だけではなく諜報にも活用するエベロン最大の諜報機関でもある。

それもそのサービスの恩恵を受けられるのは王族などといったほんの一握りの人物だけという、CIAやMI5のような組織なのである。

そしてその分裂により生まれたチュラーニ氏族はフィアラン氏族よりもより暗く、苛烈な組織として設定されていた。

目の前の彼女も、チュラーニ氏族に属する以上は諜報などに関する訓練は一通り受けているということだ。

とはいえ彼らの芸術に対する能力も本物である。ただその一分野としての『闇の芸術』に対する献身もまた本物であるという訳だ。


「では今日の最初のご案内はまずこちらのコンサート・ホールです。

 とはいえ、今回の航海には楽団のメンバーを乗せていない為に演奏をお聞かせすることはできないのですが」


客室に最も近い遊技場の次にある施設はこのコンサート・ホールらしい。

船の中にこんなものを設えるとは、彼らの豪華客船というコンセプトにかけた情熱がどれほどのものか思い知らされる。

確かに複数の風の精霊が呪縛されているというこの船は、まるで陸の上にいるかのように揺れることがない。

よほどの嵐や大波がこない限りは船酔いどころか船が動いていることすら気付かないし、その呪縛されている精霊のために大型の危険なモンスターなども近寄ってこない。

一部海域に出現する狂ったエレメンタルなどはこういった精霊捕縛船を狙うということだが、既にその海域は通過してしまっている。

今回のように、ドラゴンに襲撃されたため港から出航できないなどというトラブルに見舞われなければ航海スケジュールが遅れることもなかったろう。

まさかここまでの船だとは思わなかった。

普通のエレメンタルガレオン船であれば1日チャーターしても750GP程度であり、三日で2,250GPであれば要人の救出という任務の報酬には適当なところだろうと思っていたのだが。

おそらく正規の料金を支払うとすればその2~3倍は最低でも必要だろう。

試験航海中ということ等を割り引いても過分な報酬を要求してしまった気もするが、受け入れてもらえたのだからよしとしよう。

その分はチップなどで接する機会のあるスタッフらに報いるということで。


「さて、次はジョラスコ氏族のリラックス・ルームです。

 ここでは氏族のヒーラー達の呪文を含めたサービスを提供させていただいております。

 マッサージやアロマテラピーなんかも行ってるんですよ」


美容に関する話題でもあるためか、レダの説明にも熱が入っている気がする。

せっかくなのでマッサージのサービスを受けることにした。


「ではまずこの室内着に着替えて、隣のサウナに入っていただきます」


あれ? マッサージだけじゃないの?


「体を暖めることで筋肉をほぐし、マッサージの効果を高めるんですよ。私もご一緒しますので入りましょう」


サウナなんて混浴とはいわないのだろうが、そうえいばフィンランドとかでは普通に男女の別なくサウナを楽しむんだっけ?

いかん突然の事態に混乱している。

そうこうしている間にも彼女はそこで制服を脱ぎ始めている!

俺は慌ててガウンを脱ぎ籠の中に放り込むと、渡された室内着を着こんでサウナに駆け込むのだった・・・ヘタレですいません。

だが、真に厳しいのはサウナに入ってからだった。

目の前に座るレダは薄い布一枚しか身につけておらず、それは当然サウナで汗をかくと薄っすらと透けてしまうのである。

座っているのが横であればよかったものを、彼女は正面に座ってニコニコしながらこっちを見ているのである。これでは視線を反らす事もできない。

これがチュラーニ氏族のハニートラップか! 心頭滅却するんだ俺! 手遅れかもしれんがこれ以上の深手は避けなければ。


「ふふふ、お客様をご案内する時には船員も一緒にここのサービスを受けることが出来るんです。

 それ以外だと規定の料金を払わないと船員では受けさせてもらえなくて。

 これもトーリさんが私を案内役に指名くださったおかげです♪

 あ、料金の方は気になさらないで結構ですよ。お客様の場合は基本料金に含まれていますし」


レダは非常に上機嫌な模様。

どこの世界でも女性の美に対する情熱は変わりないって事かな。

特に彼女は職工ではなく芸能を主にしているようだから、女優さんみたいなものだ。一層気を使うのだろう。

そんなことを考えて気を紛らわしていると、視界の隅で砂時計がその時の刻みを終えたのが目に留まった。


「時間になりましたね。

 それじゃ出ましょうか」


彼女に手を引かれ、サウナを後にすると次は仕切りのあるブースでシャワーを浴びて汗を流し、新しい室内着に着替えてマッサージルームへと移動。

そこにはハーフリングの施術士が4名既に待機しており、いつでも取り掛かれるように準備を整えていたようだ。


「いらっしゃい、そこにうつ伏せになってくださいな」


その後はまぁ普通のマッサージだったと思われる。ハーフリングが二人掛かりで全身をマッサージしてくれた。

なんか色んな物が塗りこまれていたりしたようだが、香油だったり肌にいい薬液だそうだ。

このあたりの品物についてはTRPGでも触れられていなかったと思うので相場はわからないが、隣で至福の表情をしているレダの様子を見ると相当な高級品なのだろう。

一通りのマッサージが終了すると、最後にテラスに通されて温かい飲み物を振舞われた。


「うーん、なんか思っていたよりずっと本格的で驚いた。

 この飲み物も何か曰くのあるものなのかな?」


ソファの隣に座っているレダに声を掛ける。


「ええ、そうですね。体の中の流れを良くしてくれる飲み物だそうです。

 このマッサージはジョラスコ氏族の本拠であるカルナスの『レストホールド』で受けられる以外は、一部の人たちが個人で長期契約で施術士を雇い入れる以外ないって話です。

 一流のアーティストは大舞台の前日には必ずこのサービスを受けるようにするんだとか。

 肌が綺麗になる以外にも、指先の動き一つのコントロールも表現しやすくなるとか。

 トーリさんも明日起きられたら体調の良さにまた吃驚しちゃうかもしれませんね」


ふーむ、飲み物の方は血行促進や悪玉コレステロールを除去する感じなのだろうか。

しかし聞けば聞くほど半端ないサービスのようだ。乗船前のリナールの自信の程が今なら理解できる。

暫くソファに体を預けてマッサージの余韻を感じながらレダと会話していると、このテラスに誰かがやってきたのを感じた。


「トーリ殿、我々の氏族のサービスは気に入っていただけたかしら?」


やってきたのはこの船の女主人、ドールセン・ド・ジョラスコその人であった。後ろに飲み物を持った侍従を連れている。


「ミ、ミストレス! 失礼しました!」


レダが慌てて立ち上がり、直立不動の体勢を取ろうとするが彼女は手でそれを嗜めると彼女に座るように促した。


「座ったままで構いませんよ、今貴方はトーリ殿の案内をしているのですから。

 貴方がそんな状態では彼もあまり寛げないのではなくて?」


ありがとうございます、と綺麗に一礼してレダは再びソファに腰掛けた。とはいえ流石に先ほどまでの体勢ではなく、きっちり背筋を伸ばして綺麗に座っている。


「飲み物のお代わりは如何かしら?

 少し癖のある味なので貴方の舌にあっていれば嬉しいのだけれど」


向かいのソファに優雅に座った女主人の前に、侍従がカップを用意し飲み物を注いでいく。せっかくなのでとそのテーブルにコップを置くと、こちらにもそのまま注いでくれた。


「いや、堪能させていただきましたよ。どこへ行っても驚きの連続です。

 まるで生きたまま『紺碧の空・シラニア』に迷い込んだかのようです」


ちなみに『シラニア』とはエベロンに隣接している次元界の一つで、住人すべてが天使で構成されているといういわば天上界のようなところである。

以前メイは召喚術でこの次元界から『セレスチャル・ドッグ』という善の来訪者を召喚していた。

術者の力量が高くなれば、この次元界からより強力な存在を一時的に召喚することができるだろう。


「それは良かったわ。

 私をあの暗い墓所から助け出してくれただけではなく、聞けばあのドラゴンを追い払うのにも見事な働きをされたとか。

 勇士の行いに報いるのも我々の役目。

 ここに滞在している間は何時でもいらっしゃいな。

 客室にも浴室の備えはあるのでしょうけれど、こちらの大浴場で星空を眺めながら暖を取るのもなかなか趣がありますわよ」


ふむ、こちらの大浴場は露天風呂になっているのか。それはこの機会に是非とも堪能しておかなければ。


「こちらであれば大勢で入ることも出来ますわ。

 貴方が誘えばご一緒したいという娘はたくさんいるでしょうし・・・是非楽しんでいらして」


突然の台詞に飲んでいたものを噴出しそうになったがなんとか堪える事に成功した。

目の前にいるミストレスにそんな事を仕出かしたら、今夜のうちにサンダー海に浮かぶことになりかねない。


「あら、何か変なことを言ったかしら。

 英雄色を好むというのだし、恥じるようなことではないと思うのだけれど」


どうやらこの人は昨晩の騒ぎの事を知っているようだ。まぁこの船のオーナーなんだし当然といっちゃ当然なんだろうけど。

だが、このままでは宜しくない。会話の流れを変えることにしよう。


「それはさておき・・・少しお伺いしたことがあるのですがよろしいでしょうか?」


真剣な表情を作ってミストレスを見つめる。これはこの世界について俺の知っている事前情報を覆すものであるし、確認する機会があれば逃すわけにはいかない。


「ええ。私でお答えできることでしたら」


女主人はそういって微笑み返してきた。願わくばこの質問の後も彼女がその表情を変えないでいてくれることを祈るぜ。


「不躾な質問であることは承知しております。お答えできないのであればそれでも結構なのですが・・・・

 確かジョラスコ氏族はハーフリングの血に拠ると聞いております。

 ところが貴方は見たところ私と同じ人間種族に見える・・・その事についてお尋ねしたかったのです」


やはり少々厳しい質問になってしまったか。隣に座るレダに緊張が走るのが感じられた。

正面の女主人は一瞬悲しげに顔を伏せたが、すぐに顔を上げると口を開いた。


「それについてお話することは我が氏族の恥を晒すことになります。

 しかし確かにこの身でジョラスコ氏族を名乗ることに疑問を感じられることは理解できます。

 私の身の証を立てる上でもお話しなければなりませんね」


彼女はそう前置きをしてから語り始めた。


「恥ずかしながら我々ジョラスコ氏族も一枚岩ではないのです。

 近年、癒しの対価を求めることに対して疑問を抱く若い氏族のメンバーが増えています。

 特に最終戦争で従軍したものの中にその動きは顕著であるといえます。

 確かに対価を払えるものにしか癒しの力を振るわないことは、多くの人々が我らの氏族に感じている不満でありましょう。

 ですが『コースの勅令』により土地の所有を禁じられた我らドラゴンマーク氏族が同胞を養うためには、この『癒しのマーク』の力に頼るしかないのです。

 無論、対価が大きなものにならないように調整は常に行っております。

 そんな状態で私がこのような特権階級向けになるであろうサービスを開始しようしたことで氏族の中での風当たりが強くなり、ついには身の危険を感じるようになったのです。

 そのため、旅の間の危険を避けるために高位の術者の力を借りて別の姿をとっているのです」


なるほど、氏族間のゴタゴタか。

ひょっとしたらジョラスコ氏族とチュラーニ氏族が結びつくことを懸念したフィアラン氏族の陰謀という路線も考えられるが・・・。

リナールが『彼女には敵が多い』といってたのがこの事なんだろう。

しかし、今彼女から聞いた話で一つ気になるところがあった。

ひょっとしたら将来のクエストの芽を摘む事になるかもしれないが、過分なもてなしの礼にもなるし人命を救うことになるかもしれない。

一つ彼女にこちらから話をしてみるとしよう。


「なるほど、同胞を疑わなければならない貴方の心中、お察しいたします。

 ですが、私は今回の事件で一つ見逃すことの出来ない怪異に遭遇しました。

 ひょっとしたらそれを知ることが貴方の助けになるかもしれません。私の話を聞いていただけますか?」


そう話を振ると、女主人だけではなく隣のレダも興味を示したようだ。

視界には映っていないが、耳がピクピクと上下しているのが感じられる。


「遥か昔、『狂気の次元界・ゾリアット』から異形たちが攻め込んできた『デルキール戦争』についてはご存知かと思いますが・・・。

 その戦争の際にこのエベロンに撒き散らされた災厄の中に『マインドフレイヤー』という恐るべき存在がいるのです」


そうして俺は今回のサフアグン達を指揮していたのが3体のマインドフレイヤーだったこと。ドラゴンもその精神支配を受けていたこと。

そしてマインドフレイヤーによって脳を啜られた『ヴォイドマインド』のことについて話をした・・・無論それがラピスのこととは判らないよう、そういった存在について言及しただけだが。


「つまり、貴方は我々のこの件について地下竜教団が関わっているかもしれないと考えられるのですか?」


流石に突拍子もない話に聞こえるのだろう。女主人の表情は半信半疑といったところだ。


「勿論そうであるとは申しません。あくまでも可能性の一つとしてそういった場合もある、ということです。

 この場合、おそらく扇動する立場のものがマインドフレイヤーの端末となっているのではないかと考えられます。

 そういった者達は頭部に脳を啜られた証である4つの穿孔が開いています。

 ヘッドバンドや髪型などで隠すことは簡単ですが、逆にそれさえなければ発見するのは容易です。

 ただ気をつけなければいけない事として、マインドフレイヤー達は端末を通して周囲の状況を把握することが出来るということ。

 そして端末を通してその恐るべき狂気の力を振るうことが出来る、という点です。

 確認するにしても、事は密かに行わなければいけないでしょう」


その他、ヴォイドマインドが有している様々な能力や特徴について説明を行った。

無論俺がこんな話をするのにはある程度根拠がある。

途中のアップデートで追加されたジョラスコ氏族に関わるクエストに『内部の敵』というものがある。

これはストームリーチにその勢力を置く4つの氏族にマインドフレイヤーがその触手を伸ばし、密かに氏族の分裂と弱体化を測るという陰謀を打ち砕くストーリーなのである。

今の時点で既にその陰謀が進行しているのかどうかは定かではないが、ジョラスコ氏族の中でも高位に位置するであろう彼女にこの情報を伝えておくことは有意に働くはずである。


「・・・なるほど。大変ためになるお話でしたわ。

 申し訳ありませんが、ここでお聞きになった事やお話された事は他言無用にお願いしたいのですが」


話を聞いてしばらくは彼女は俯いて何か考え事をしていたようだが、暫くするとこの件をオフレコにするようにお願いしてきた。


「無論、貴方の不興を買うような真似はいたしません。

 私はあくまでもコルソスで遭遇した古い異形についての話をさせて頂いただけですし」


美味しい飲み物のお礼代わりのちょっとした小話です、と言ってそれに答えた。


「トーリ殿、感謝いたしますわ。

 ストームリーチでは是非ジョラスコ氏族の居留地にいらしてください。

 この船にも劣らぬサービスでおもてなしいたしますわ」


女主人はそういうと来た時と同じく優雅に立ち上がると侍従を連れて立ち去った。


「・・・ひょっとして私、今物凄い話を聞いちゃいました?」


レダは女主人が立ち去って緊張が抜けたのかソファにもたれ掛かっていたが、迂闊に耳にしてしまった話の重大性に今更ながら気がついたようだ。


「うーん、別に聞いたとおりだろ。

 氏族云々の話はレダが横にいることを判ってて話したんだし、問題ないと思うよ。

 俺がしたマインドフレイヤーの秘儀については、一緒に冒険した他の仲間も知っている事ではあるからそのうち広まるだろう。

 言い触らしたりしなけりゃいいんじゃない?

 この船のクルーである以上はレダにとっても自分の主人の問題なんだし」


情報を取り扱うチュラーニのメンバーとしては良い情報だったのではないだろうか。


「まぁ聞いてしまったものは仕方がないさ。

 それよりそろそろ昼にしたいな。マッサージでお腹がすいちゃったよ」


そう伝えるとレダは一瞬で持ち直し、立ち上がって動き出した。


「そうですね、私としたことが先にご案内すべきところを申し訳ありません。

 ではレストランに参りましょう。今日もシェフがトーリ様にご満足いただけるように腕を奮っておりますし」


脱衣場で元着ていたガウンに着替えると、来た道を戻りレストランに向かう。

レストランは客室を挟んで反対側に位置しているのである。

一応先ほどのリラックス・ルームでも食事を提供してくれるサービスもあるのだが、どちらかというと健康食の類になるため今日も昼食はレストランで取ることにしたのだ。

とはいえ昼からあまり重いものを食べるわけでもないので、展望の良い席で外の景色を眺めてゆっくりするのが主目的となる。

ここから見える船体後部では、捕縛された強力なエア・エレメンタルがリング状になって力を放出しているのが見える。

時速30キロほどのスピードで、海上を滑るように航行しているこの船には殆どの海中のモンスターは追いつけないようだ。

時折遠めに巨大生物の影らしきものが目に映るが、それらは見る間に遠ざかっていく。

聞いた話ではファイア・エレメンタルが捕縛された飛空挺も存在するが、空路は海路に比べても遥かに危険らしく、よっぽどの緊急性がなければこの海を飛んで越えようとする船長はいないんだとか。

そういうわけで、今体験しているこの航海は『瞬間移動』によるものを除けば最も安全で快適な旅というわけだ。

食後のジュースを飲みながら流れていく海原を見ていると、今度は船長のリナールが現れた。


「やあトーリ。いま少し時間を貰ってもいいかな?」


先程の件がレダから報告がいったのかな? 

どうぞ、と促すと彼はテーブルの向いの椅子に腰を下ろした。


「昨晩の活躍は聞かせてもらったよ。成る程やはり英雄というのは夜の方も凄いようだな!」


今度こそ堪え切れずにジュースを噴き出した。テーブルを少々汚す程度で済んだのは不幸中の幸いというところだろうか?

真剣な話が始まると思っていたところに腰を折るような話を振るのは、ひょっとしたらその後の会話の主導権を握るための彼ら一流の会話術なのかもしれないな。


「・・失礼。急にそんな話をされるものだからジュースが気管に入ってしまった。

 船長といえば忙しいだろうに、態々そんな世間話をしに来たのか?」


ちょっと不機嫌ですよ、というニュアンスを含めてリナールを見やったのだが彼はさっぱり気にしていないようだ。


「何、いざ船が出航してしまえば船長の仕事なんてたいした事はないさ。

 余程の緊急事態が発生すれば話は別だが、次の寄港地に向けた少々の書類仕事以外は定期的な確認事項の繰り返しだからね。

 たまにはこうやって乗客とのコミュニケーションを取って常連客を確保するのも立派な私の仕事というわけだよ。気分転換を兼ねているのは否定しないがね」


そこまで言うと彼はウエイトレスを呼び、飲み物を持ってくるように伝えると再びこちらを向いて会話を続けた。


「トーリのことは船員の中でも噂になっているよ。

 特に女性船員からはいい話しか聞かないね。出来れば女性の心を掴むコツを私にも伝授していただきたいのだが」


「そう言われてもな・・・。昨日は昔住んでいたところのルールでチップを出しちゃったのでそのせいじゃないのか?

 例えば食事の場合はその料金の10~20%をチップにするって言うのが一般的だったんでね。

 大体そのくらいかと思って置いたんだが、どうやら勘違いさせちゃったみたいだな」


まぁこれも海外に昔一回だけ行った際に適当に詰め込んだ知識によるものだから、実際には違うのかもしれないが。


「それは我々のサービスを高く評価してくれたということで有難くはあるのだが。

 流石にこの船のサービスでいちいちそんなことをしていては金貨が何枚あっても足りないさ。

 気持ち程度に銀貨でも置いてくれれば十分だ。

 君が金貨なんか寄越すもんだから、彼女らが自分が『指名』されたものだと考えても仕方あるまい。

 まぁ早速我々のサービスの一端を堪能していただけたようで何よりだがね。

 我々の造形美に対する情熱はご存知の通りだが、私は女性の持つ造形美についても並々ならぬ情熱を注いでいてね。

 良ければストームリーチで我々の氏族が経営している紳士の社交場についても紹介させてもらうよ」


なんというか、エルフというのはもっと淡白というか潔癖症なイメージがあったんだが・・・

これがエベロンのエルフなのかリナールの個性なのか。できれば後者であって欲しいものである。


「ひょっとして女性船員しか見かけないのはリナールの趣味なのか?」


彼の話を聞いて、ふと気になったことを尋ねてみる。


「いや、これは君という乗客に対するサービスのようなものだよ。

 島で君を案内したウィルムのことは覚えているだろう? 女性のそういった『ご希望』に対応するためにも男性のクルーも職務を行っている。

 ただ、今は乗客が君しかいないから、見える範囲には女性クルーしか配置していないというわけだ。

 もしそういう希望があるのなら男性クルーの配置についても考慮させてもらうが?」


まさか、そんな趣味であるとなんて思われたくもない。

そういやゲーム中ウィルムの名前は『ハンサム・ウィルム』とかなっていた気がする。これはきっとつまり、そういうことなんだろう。


「それについてはお断りさせてもらうよ。現状で十分に満足させてもらってる」


これが彼らの交渉術というのであれば、その効果は抜群と言っていいだろう。昼食後だというのに、なんだか一気に気力が削られた気がする。

精神的に優位に立たれているのは間違いないだろう。


「まぁそれならば彼らにはこの航海の間は裏方に徹してもらうことにしよう。

 ああ、あとそれから昨日君からうちのクルーが預かった服のことなんだが。

 どうも我々には取り扱ったことのない繊維で出来ているようでね。申し訳ないが大した補修はできないようなんだ。

 良ければ入手先なんかを教えてもらえれば生地を取り寄せたりすることはできると思うんだが」


ジャージのことか。確かにポリエステル繊維なんてこの世界にはないだろうしな。

ひょっとしたら物凄い希少価値があるのだろうか。

確かに魔法で強化したわけでもないのに軽くで丈夫で水を弾く。風通しも良いとなると上質の素材扱いされるのも頷けるか。


「すまないが、あれは以前冒険の際に入手したものなんでどこの工房で作られたものなのかはさっぱりわからないんだ。

 使い勝手がいいのでそのまま普段着代わりにしていたんだが、まぁそんな品だから完璧な補修は望んじゃいないさ。

 珍しい品ではあるだろうし、暫く預かってくれて構わないよ。

 ストームリーチに降りた際に返してくれればいい」


あんな細い繊維をより合せた生地なんて再現できないだろうけど。ああ、ファスナーはひょっとしたら衣類の技術革新になったりするのか?

機械による安定した量産ができないと高品質での実用化は無理だろうけど、この世界は文明レベルが高いのでひょっとしたら腕利きのアーティフィサーがなんとかしてしまうのかもしれない。

まぁいずれにしても俺が持っていても役に立たない技術ではあるし、リナールに恩を売っておいて損はないだろう。


「ふむ。それではお言葉に甘えて寄港までお預かりさせてもらおうか。

 ウチの服飾部門の担当者に見せればいい刺激になるだろう。

 よければこれからそちらへ顔を出してみてはどうかね?

 お礼といってはなんだが一着仕立てさせてもらうよ」


・・・自然な流れで一見何の裏もないような提案に聞こえるが、この申し出にはいくつかの裏の目的が隠されているだろう。

少し考え物ではあるが、断るのも不自然だろう。ここは受け入れておいて、後で対処すればいいだろう。


「それじゃご好意に甘えさせてもらおうかな。

 船が沈んだ際にほとんどの荷物は海の底に沈んじゃったんでね。礼服の一つは仕立てないといけないと思っていたところなのさ」


チュラーニ氏族やフィアラン氏族のダークサイドについては、一般には知られていないはずである。

冒険者という職業がどれだけ「一般」の範疇に入るのかは皆目見当もつかないが、知らないフリをしておいたほうが無用な警戒をさせないはずだ。

念のため乗船以来、"はったり"技能を補正する指輪を装備しているし余程の事がない限り看破されることはないはず。


「では午後はまずそちらを案内させるとしよう。

 この船ではパーティーを行うこともあるのでね、様々な衣装を用意している。

 何分今日明日という制限があるので既存の品のサイズあわせという形になってしまうが、それでも満足してもらえると自負しているよ」


そう言ってテーブルの上のベルをリナールが3回鳴らすと、レストランの入り口からレダがやってきた。


「レダ君。午後はまずトーリ殿をドレッサー・ルームに案内してくれ給え。

 『担当のメティス君にはよろしく言っておいてくれよ』」


リナールの何気ない台詞に違和感を感じる。再訓練で割り当てた"真意看破"技能のおかげか、この手の符丁もある程度読み取ることが出来る。

おそらくは仕立てる礼服に『シャドウ・アイ』を仕込むなどといった細工の事を言っているのではないかと思うが・・・。

エルフのドラゴンマーク氏族が持つ『影のマーク』には《スクライング/念視》という呪文効果を発揮するものがある。

彼らはこの能力を活用することでスパイとして暗躍してきたのであり、『シャドウ・アイ』はその《スクライング》のターゲットして活用することで身に着けている人物の周囲の情報を収集する目的で使われる。

本人を目標にした場合抵抗されたり無効化されることがあるが、こういったアイテムを身の回りに忍ばせる事で呪文の成功を容易にするのである。

『シャドウ・アイ』自体はマジックアイテムでもなんでもないため、魔法探知などで発見することが出来ないというのも重要なポイントだろう。

まぁ予め判っていれば対策はいくらでも取り様がある。ここは礼服を有難く頂戴することにしよう。


「畏まりました。トーリ様、ご案内を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」


外の景色を眺めたりリナールと会話していたので、結構な時間が経過している。

食後の休憩にしては少々長すぎるくらいだ。目の前のジュースのグラスを一気に飲み干し、チップを置いて立ち上がる。


「それじゃ午後もお願いするよ、レダ。

 お先に失礼するよ、リナール」


リナールはまだしばらくここで時間を潰すようで、葉巻を取り出すと火をつけはじめた。


「午後も我々のサービスを堪能してくれたまえ。何せ君は我々にとって記念すべき最初のお客様なんだからね」


リナールに別れを告げて廊下を歩く。

そうしてやってきたのは彼の言うドレッサー・ルーム。

とはいえ壁一面に服が吊るされているというわけではなく(そういうスペースもあるのかもしれないが)、試着室とサイズあわせをするのだろう作業机が置かれているワンルーム程度の部屋だった。

おそらくこの部屋の唯一の住人であろう団子頭の女性は、ジャージのファスナーを上げたり下げたりしながら不気味な笑い声を発している。

・・・どうやら夢中になっておりこちらには気付いていないようだ。

レダが痺れを切らしたのか、彼女に歩み寄ると肩を軽く揺すって意識を取り戻させた。


「もう、メティスったらお客様よ! いい加減戻ってきなさい!」


どうやら彼女がメティスらしい。現世に戻ってきた彼女はジャージを机の上に置くと、恥ずかしげに咳払いをしてから自己紹介を開始した。


「・・・コホン、失礼しました。

 当船の服飾部門でチーフを勤めさせていただいておりますメティスと申します。

 コルソスの勇士様に服を仕立てる機会をいただけるとは恐悦至極。

 本来であれば我らの本拠である『トゥルー・シェイパーズ』で生地を選ぶ時点から御作りしたいのですが」


『トゥルー・シェイパーズ』とはカルナス国の都市アターにあるチュラーニ氏族の拠点のひとつであり、フィアラン氏族の『造形のディメイン』と対を成す施設である。

コーヴェア大陸中の名匠と呼ばれる芸術家や匠のもと、あらゆる種族の学生がそこでは技術を磨いているとか。

影のネットワークの本拠はラザー公国連合のどこかにあるといわれているがはっきりとしないし、そういう意味では『トゥルー・シェイパーズ』はチュラーニ氏族の表の本拠といったところだろうか。


「まぁそこまで気を入れてもらわなくてもいいさ。

 ただ流石にきちんとした場に出る際にはそれなりの服装も必要だろうからね。

 俺はそのあたりのことには詳しくないんで、君に任せるよ」


元の世界では一応仕事でスーツを着たりもしたが、オーダーメイドなんてものは作ったことがない。

それにこの世界の衣服のスタイルについては無知もいいところだ。専門家に任せてしまったほうが良いだろう。


「それでは早速採寸させていただきますね。

 ・・・ふむ、今お召しになられているこのローブも独特の素材のようですね。興味深い」


今着ている服を脱ぐ手伝いをしてくれるメティスだが、"ヌルクローズ・ガウン"に触れた途端に興味を示したのかそこで手を止めてしまう。


「こらメティス、トーリ様が困ってらっしゃるでしょ!」


後ろに下がって待機していたレダが注意してくれたことでメティスも再起動したようだ。


「ああ、確か魔法効果を吸収する『ヌル衣料』とかいう素材で出来ているらしいね。詳しいことは知らないんだけど」


採寸されながら、先程彼女が興味を示していた事に対して開示できる範囲内で情報を伝えてみる。

とはいえこれも一般的な素材ではないはずだ。ゲーム中でしか聞いた事のない素材だし、どんな由来の品なのかもはっきりしない。


「ほほう。あの『ジャージ』とかいう衣服も見たことのない生地でしたし、トーリ様のお持ちの品物には珍しいものが多いですね。

 一デザイナーとしてとても興味があります。

 そちらのローブのほうは似合いの装身具さえ揃えられれば、そのまま礼服としても使用いただけるデザインになっておりますし。

 今回仕立てるのは趣の異なる方向の物のほうがよろしいでしょうね」


メジャーのような物(一定間隔で別の色に染められている糸)を使用して各部の採寸を行った後は、腕を回したりして関節の動き具合を見たりもしているようだ。

10分ほどでそれらの作業が終わり、ガウンを装備しなおした。


「それでは今の採寸に基づいて何着かご用意させていただきますね。

 後ほどお部屋の方に届けさせていただきます。その際にまた微調整させていただきますので、よろしくお願いいたします」


これでこの部屋の用事は終わったんだが、せっかくなので少し話を聞いていこう。


「そういえばさっきジャージのファスナーを弄ってたみたいけど。

 どう? 再現できそう?」


話題を振るとメティスは目をキラキラとさせながら話に乗ってきた。うーむ、召喚術の話をしている時のメイもこんな感じだったなぁ・・・。


「ええ、原理については見た目どおりの単純なものですし理解することはできたのですが。

 やはり問題となるのはこの両側で牙のように組み合わさっていく部品の量産になるでしょうか。

 耐久性を考えれば金属などがいいのでしょうけれど、それだと重くなりますし削り出しも大変になりそうです。

 繊維もそうですがこの噛み合わせ部分の部品も不思議ですね。軽くて丈夫に見えますし、こういった部品に使うには理想的なんじゃないでしょうか」


そういえばファスナー部分はプラスチックか。どれも石油製品だろうし、この世界には無さそうだな。


「あー、そういえばジャージのズボンのポケットにボタンの替えとはぎれが入ってたはずだ。

 俺が持っていても仕方ないし、それについてはプレゼントするよ。

 この衣類の秘密が解明されて量産されたら俺もその恩恵に預かれるだろうしね」


買った時に大抵ビニールに詰められて後ろのポケットに入ってるんだけど使ったためしが無いんだよね、アレって。

高位呪文の《トゥルー・クリエイション/完全な創造術》であれば量産もできるんだろうけど、確か高位呪文だし相当なレア呪文だから使い手がいないだろう。

ここはチュラーニ氏族の技術力に期待するとしよう。


「本当ですか! ありがとうございます!」


メティスの喜び様は大変なもので、今にも踊りだしそうな様子である。


「まぁその前に今回の仕立てのほうをよろしく頼むよ。それじゃ、期待してるから」


この辺りの情報や技術はきっとリナールが上手く活用してくれるだろう。

自分では活用しようもないので、せっかく恩が売れるチャンスなのだから最大限に活用させてもらおう。

あまり深入りするつもりはないが、この世界におけるドラゴンマーク氏族の権力は強大である。一昔前の財閥みたいなものだろうか?

リナールに接近しすぎるとフィアラン氏族からもマークされるかもしれないが、表面のみの付き合いに留めることができれば問題ない・・・と思いたい。

上機嫌のメティスに見送られてドレッサー・ルームを後にした。


「さて、あとまだご案内していないのはプールとラウンジ、それに書庫になりますが・・・どうなさいますか?」


そういえば、この体になってから泳いだ覚えがない。

"水泳"技能に割り振りはしたのだが、この機会に試すことにしよう。

ストームリーチでは下水道など市街の地下部分が活動の中心になると思われる。時によっては不本意ながら水中を進まなければいけない場面もあったはずである。


「それじゃあプールで軽く運動してからラウンジに案内してもらおうかな。よろしく頼むよ」


案内されたプールでは更衣室で準備されていた水着に着替えることになった。

D&D世界にはビキニアーマー大全なる本もあるんだぜ! なので水着という文化もしっかりあるのです・・・あれって同人なんだっけか?

二度目となれば横でレダが着替えていてもうろたえる事はなく、サっと着替えてプールに移動した。

念のため準備運動を行ってからプールに入ってみる・・・どうやら屋内プールの上に温水プールでもあるらしい。

検証の結果、"水泳"技能判定の場合は地上移動速度の四分の一の速度で移動可能のようだ。

プールのような穏やかな水面であれば失敗することはほぼ無いようだが、荒れた水面などでは要求される判定値が上昇するだろうと思われる。

とはいえ、《フリーダム・オブ・ムーブメント》の呪文効果のある靴を装備していれば地上同様に移動できるので泳ぐ機会はなさそうではあるが。

この装備も水中での呼吸を可能にしてくれるわけではない。だがゲーム内では水中呼吸が可能になるアイテムは高頻度で入手できるアイテムだったし各キャラ1個は持っている。

水中に体を沈めて拳を振ったり蹴りを放ったりしてみたが、これも上記の靴を装備していれば地上と同じ動きが可能であることを確認した。

ゲーム中で最も情熱を掛けて入手したアイテムだけに、これだけ大活躍してくれると嬉しさもひとしおである。

レダの泳ぎも見せてもらったがなかなか堂に入った泳ぎっぷりだった。客船のクルーだけあって水泳の訓練も受けているのだろう。

ある程度水周りでの自身のスペックを把握した後は、レダに加えてここのプールのスタッフを交えてゲームをして遊んで時間を潰した。

水球をもうちょっとソフトにしたような遊びで、水泳の訓練の一環として取り入れられているらしい。

空気を入れて膨らませた皮製のボールをパスで繋いでゴールにシュートする、という流れ。

ボールをもっている人は動くことが出来いないが、ボールを持っている相手にタックルすることは可能ということで、真面目にやるとかなり消耗するスポーツだった。

参加人数によってボールの数を増やしたりするらしいが、今回はボール1個で行っていた。

そんなこんなで美人集団と水場で戯れた後、ラウンジで休憩となった。

せっかくなので先程ご一緒したプールのスタッフの女性陣も誘ってのブレイクタイムである。

色々と話を聞いたところ、彼女らは所属している流派とでもいうべき筋が25年程前の"影の大分裂"でチュラーニ氏族側についたことでそのままこちら側に所属しているのだとか。

彼女らは若いように見えても皆エルフであり、成人しているということは皆100歳は超えている。

それだけの長い時間を技術の研磨に向けることの出来るエルフ族が芸術の領域で力を発揮するのは、ドラゴンマークの力抜きにしても当然であるように感じられた。

ちなみにプールのスタッフはウェイトレスなどと同じくローテーション制とのこと。

どうやらプールなどに関係する芸術分野は無いようだ。この世界にはシンクロという競技はない模様である。

しばらくラウンジで疲れを癒した後は、プール組と別れて書庫に案内してもらうことにした。

大まかにジャンル分けされている書架から「歴史」や「社会」などのジャンルを選択し、可能な限り《スカラーズ・タッチ》の呪文で読破していく。

この呪文は6秒で1冊の本を熟読したかのように扱える便利な呪文である。

傍目からは本のタイトル部分に触れて悩んだ後に、別のタイトルを手に取っているようにしか見えないはずだがこれでそれぞれの本を理解できているのである。

流石に理解できない言語で書かれている本には使用できないが、そのあたりはタイトルを見れば判断可能なため特に困らない。

流石に動作や音声などの要素を隠蔽しながらでは長時間使用できない呪文ではあるが、60冊程度を処理することは出来た。

あとは適当に1冊を選んで普通に読むことにしよう。

やはり本は持ち出しが許可されないということで、書庫内に設けられているブースで読むことになる。

こうやって大量の本を読んだことで、おぼろげながらこの世界について自分の持っている情報との刷り合わせを行うことが出来た。

概ね出版されていたエベロン関係のサプリメントと違いはないようだ。

これから向うストームリーチについても何冊かの本に記載があったが、TRPG寄りのセッティングだと思われる。

とはいえこれらの書籍は最終戦争終結前に書かれたそれなりに古いものである。現在の状況については自分の眼で確かめるしかない。

2時間ほどそうやって書庫で過ごした後は、食事の時間までカジノで時間を潰すことにした。勿論プレイするのは昨晩同様『スリードラゴン・アンティ』である。


「いらっしゃいませ、トーリ様。

 もっと早くおいでいただけると思っておりましたのに、寂しかったですわ」


そういって妖艶な微笑を浮かべているのはこのカジノのディーラーであるキュレーネさんである。

白い肌に銀髪の姿なため、照明が暗めのこの部屋の中で彼女の姿だけが浮かび上がって見えるがそれが一層神秘的な雰囲気を醸し出している。

2人でも遊べなくはないシステムではあるが、大勢のほうが楽しいためレダに加えてもう1人スタッフを加えた4人でプレイすることとなった。

チート知力によるカウンティングを駆使するも、流石に本職の二人の表情は読めず比較的接戦となった。

基本的にレダが沈み、その間に誰がトップを取るかというレース展開である。

最終的にはカードの引きで勝った俺が競り勝つことが出来たが、僅差の勝利である。

新しいデッキの封を開けてカットされた物を使用したんだが、どうも勝たせてもらった感が拭えない。

開封直後のデッキは並びが一定だから、ひょっとしたらカットの具合で試合のコントロールをしてるのかもしれないな・・・。

相手の戦術を見る限り手加減されている様には見えないが、あの出来のいい生徒を見るような目線がそんな想像を掻き立ててしまう。

その後はレダにシャッフルさせたりして何戦かし、トータルちょい浮きで終了となった。


「トーリ様は本当に物覚えが良いですわね。昨日初めてお遊びになられたとは思えない上達ぶりですわ」


キュレーネはそういって褒めてくれるが、どうも掌で遊ばれた感じが拭えない。

やはりこういったところのディーラーは一筋縄でどうにか出来るものではなさそうだ。

そういう意味ではいい経験になったと思う。ここでこういう怖ろしさを知ることが出来たので、将来ギャンブルで身を崩すことは無くなったと思う。

授業料代わりに、勝ち分はチップとしてそのまま残していくことにしよう。


「いや、とてもいい経験をさせてもらったよ。

 どうも自分はギャンブルには向いていないみたいだ」


「左様でございますか・・・確かにトーリ様ほどの方であればもっと別のところで御自身を御賭けになる場面がおありでしょう。

 その際に貴方様にオラドラの加護があることをお祈りしておりますわ」


彼女らにお礼をいって別れ、夕食を取りにレストランへ向った。

今日のメニューはカルナス国の郷土料理らしい。シチューやソーセージ、後ビールについてはカルナスが最も盛んらしく特にソーセージ造りは一種の芸術とされているらしい。

ビールやエールも国民的娯楽であるらしいし、イメージ的にはドイツがモチーフなんだろうか。

コーヴェアで最も有名な騎士団などもあり、武勇についても日々ヴァラナーのエルフの騎馬部隊と戦闘を繰り広げるなど高い実力で知られている。

最終戦争中はアンデッド部隊を運用したりなどといった過去もあり、アンデッドを崇める《ヴォルの血》の勢力の強い国柄でもあるようだが。

そこの国王からしてトンデモ設定な人物なのだが、ここでは説明は割愛させてもらおう。

ともあれ冬の厳しい土地柄であるカルナスでは体の温まる料理が主体のようだ。蒸し焼き鍋料理なんかは素朴ながらも様々な味わいが楽しめる素敵な品だった。

他にも皮の厚いパンに香りの強いチーズを混ぜ込んで焼いたヴェッドブレッドというものは、ビールにとても合う。

オニオンバターをつけても良し、そのまま食べても良しで、とても満足な時間を過ごすことができた。

見送りに来てくれたシェフにお礼をいい、出口でレダと合流すると自室に向う。

レダが伝えてくれたところによると、礼服のサイズ合わせが済んだとメティスから連絡があったらしい。

どうやらここに服を持ってきてくれるとのことで、レダが彼女を呼びに行ってくれている間はリビングのソファに腰を落ち着けて待つことに。

暫くすると、レダがメティスを伴って入室してきた。後ろには何人かのアテンダントが服を持っている。


「トーリ様、お時間を割いていただきありがとうございます。

 早速ですが今回は3着ほどお似合いになるものを用意させていただきましたので、実際に着て頂いた上でその中からお選び頂きたいと思います」


というわけで暫し着せ替え人形と化すことに。


「こういうものってもっと着にくいものだと思っていたんだけど、そういうわけでもないんだな」


格式ばった服というと、自分で着ずにお手伝いさんが何人掛かりかで着付けしているようなイメージがあったんだが、今回用意されたものは1人でも容易に着れるものばかりだった。


「今も廷臣の服などになるとそういったものも御座いますよ。

 ただトーリ様の場合は普段は冒険者でいらっしゃいますし、手間が掛かる物は望まれないと思いまして」


服を着た後はそれに合った装身具の類を取り付けていく。これも衣服に合わせて別に用意してくれているようだ。


「はい、これで完成です。よくお似合いですよ~」


この部屋に備えられていた姿見の鏡を礼服を運んできたアテンダント達が正面まで移動させてくれたため、それを覗き込むことになる。

とりあえず今回用意された3着は大雑把に言うと白、緑、茶の3色である。他にも細かいディティールなどは違うのだが割愛。

結論として茶色のものを選ぶことにした。白や緑は特定の勢力のイメージカラーに近いため、身につけるのが躊躇われるというのが最大の理由なのだが。

双方ともに敵の多い宗教がらみの組織のため、無いとは思うが勘違いされるようなリスクは冒したくない。

一つを選んだ後はそれを着たままサイズの確認を再度行い、持ち帰って微調整してもらうことになった。


「では、こちらの品を仕立てさせていただきます。

 船をお降りになる際にお持ちいただけるように致しますので」


そう言ってメティスらは退室して行った。レダも近くの部屋で待機しているということで、用が出来たらベルを鳴らして呼んで下さいと言って一緒に出て行ったため久しぶりに1人である。

外の景色を見るために照明を落とし、天井と壁の幻術を調節するとそこには満天の星空が広がっていた。

そして多くの月が空を飾り立てているのが見える。このエベロンには13個の月があるという。

実際には12個しか目に映る月はないのだが、実は次元界ないしはドラゴンマークに対応した13番目の月があると信じられている。

高レベルクエストの中にはその『13番目の月蝕』を題材にしたレイドクエストもあったし、おそらくはそれは存在するのだろうが・・・。


「まぁとりあえず露天風呂にでも入ってみるか」


この船で過ごす最後の夜である。おそらくもうこの船を利用することはないだろうだろうし、せっかくだから存分に堪能させてもらおう。

ベルを鳴らしてやってきたレダにそのことを伝えて、露天風呂に案内してもらう。

案外客室に近かった入り口からまずは脱衣場で湯浴み着に着替えて、露天スペースに入ると想像以上の光景が広がっていた。


「・・・綺麗なもんだな」


先程客室のリビングから見たのと同じ夜空ではあるが、風呂というシチュエーションから見るだけで別物に感じてしまう。

露天といいつつ実際は透過率の高い壁面で覆われているようだが、これはモンスターの攻撃を警戒する上で当然の処置だと思われる。

まぁ本来の目的である外の景色を楽しみながら入浴できるという点は果たせているので問題ない。

その後は何人かの不意の来客の訪問を受けながらも、心地よい疲労を感じながら客室のベットで眠りについたのだった。





「さあトーリ、見えてきたぞ。あれがストームリーチだ」


翌日は午前中を書庫とリラックス・ルームで過ごし、昼食を取ったところで昨日に引き続きリナールが現れた。

彼に連れられて展望室へと移動したところで、丁度目的とするストームリーチの町並みが見えてきた。

石柱や巨大な岩が海面から突き出し、海岸は切り立つ崖のようだがその崖の切れ目にこの大陸の数少ない玄関口があるのだ。

崩壊した古代遺跡の上に建築された町並みは遠目から見る限り廃墟にしか見えないが、確かにそこからは人々が生活している力強さが感じられた。

古の巨人が作り上げたであろうモニュメントが、空高くまで登る光の柱をその掌から伸ばしている。

港には大小さまざまな船が溢れかえっているが、その多くは小さな漁船のようだ。

近づくにつれて遺跡の隙間に建築された今現在使われている住居が目に入るが、それぞれの建物はコーヴェア中からかき集めたような多様性を持っており一つとして同じ様式の建築物はないように見える。

中には沈没したであろう漁船をそのまま利用しているようなものや、石や流木を適当に組み合わせたようなものも存在した。


「なんというか、独特の雰囲気のある町並みだな」


あまりのカオスっぷりに他に言葉が出ない。


「今見える部分はストームリーチでも最も騒がしい港湾部分だ。

 そこを治めるハーバー・マスターにはジンという男が昨年就任したと聞くが、彼はなかなか上手くやっているらしい。

 彼の手腕でストームリーチ自体の治安も相当良くなったという評判だよ。

 とはいえ正義が執行されるのは月の欠けた夜よりもさらに少ないということだが」


エベロンはその月の多さから、一ヶ月の28日中満月に近い日が平均して19日もあるという。

それから逆算したものよりさらに少ないということだから、法による問題解決には頼れそうもないな。


「自分の身は自分で守るしかない、というわけだな。

 まぁある程度は覚悟してる。上手くやって見せるさ」


「ジン以外にもここには4人の領主・・・コイン・ロードがいる。

 彼らは皆この大陸の開拓者の子孫であり、その5人があの街の実質上の支配者達だ。

 我々ドラゴンマーク氏族も彼らから土地を借り受けて居留地を維持しているに過ぎない。

 あの街では五つ国の法は通用しないし、街の暗がりには常に哀れな犠牲者を求める暗闇の存在が蠢いている。

 確かに危険は多いが、それだけ成功の可能性に満ち溢れた土地であることも確かだ。

 あの土地での君の成功を祈っているよ、トーリ」


やがてソウジャーン号は港に入り、埠頭の船乗りの誘導に従って船架へと誘導された。

周囲にも数多くの大型船が停泊しているが、この船はその中でも一際豪奢で人目を引いているようだ。

さて、俺も船を降りる準備をしないといけないな。



[12354] 2-1.ストームリーチ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2015/02/04 22:19
自室に戻り、荷物を纏めているザックを拾い上げるとそれで出立の準備は整った。

服装は島での冒険時に着用していた『ドラゴンタッチド・アーマー』のローブに着替え、腰にロングソードを差している。

何せ今から行く街では何が起こるかわからない。ある程度の備えはしておく必要があるだろう。

部屋を出るために扉を開けると、そこにはレダが待機していた。


「お荷物をお持ちしますよ、トーリ様。港までご案内させてください」


彼女の好意に甘えさせて貰い、荷物を預けると彼女の先導に従ってタラップへと向った。

埠頭に向けて渡されているタラップの前には、見送りに来てくれたリナールとメティスが待っていた。


「どうだったかな、トーリ。

 乗船前に言った私の言葉の結果について君の感想を聞かせて欲しいんだが」


ダンディな顔にも不思議と似合うニヤニヤした笑いを浮かべながらリナールが話しかけてきた。


「まったく、このソウジャーン号はとんでもない船だったよリナール。

 五つ国のどこを探してもこれほどのサービスが受けられる船どころかホテルすらないだろう。

 チュラーニ氏族の造形美に対する情熱とジョラスコ氏族の癒しに対する献身が、高いレベルで調和している完璧な旅を体験させてもらったよ。

 もうこれからどの船に乗ってもこの航海の事を思い出すに違いない」


手を差し出し、固い握手を交わす。


「何、君ならいつでも大歓迎さ。

 実はうちの船員達から、君から聞いたコルソスでの冒険譚をこの船の公演にしようという話が出ていてね。

 是非その際には監修をお願いしたんだがどうかな」


またこの船長は唐突な提案をしてくれるな。


「ああ、そのくらいなら構わないさ。だがまぁ、俺の名前は伏せておいてくれよ」


寝物語に聞かせた話では重要な部分は語っていないし、ラース達の役回りを強調して話していたので俺の役回りは脇役ポジションである。

ドラゴンとの戦闘もほぼ省略して、クライマックスは彼らが『マインドサンダー』を目の前にした戦闘の部分だ。

あんな規格外のドラゴン相手に生き残ったなどという妙な噂が流れては困る。


「相変わらず君は奥ゆかしい男だな!

 我々は儀装や物資の都合で暫くはこの港に停泊する予定になっている。

 うちの船員達も喜ぶだろうし、是非また顔を出してくれ給え」


どうやら船の舳先にホワイトドラゴンをあしらった像を取り付けるらしい。

白竜の試練を乗り越えた船、ということで未来に起こるあらゆる困難にも打ち勝てるよう祈願を込めるとの事。


「トーリ様。昨夜調整させていただいた礼服で御座います。

 お預かりしていた『ジャージ』につきましてもこちらに包ませていただきました。

 何かご不満が御座いましたらこの街にある我々の居留地にお立ち寄りください。

 すぐに対応させていただきます」


メティスがそういって高級そうな布で包まれた品を渡してくれた。


「頂いた生地や『プラスチック』という素材もきっと謎を解いて見せますから!」


彼女は両手を握り締めてその決意の程を伝えてくれている。どうやら彼女の職人魂に火がついているようだ。


「まぁ仕事に差し支えない程度にね。完成品が出来たらそのときは是非見せて欲しいな」


服飾のレベルが向上してくれると俺としても嬉しいし、彼女には是非頑張ってもらいたい。


「トーリ様・・・・」


最後はこの船旅中最もお世話になったレダである。


「色々とお世話になったね、レダ。

 君ならきっといいアクターになれる。いつか大舞台に君が立つその日を楽しみにしているよ」


「はい、必ず!」


彼女とも挨拶を交わし、もう一度ソウジャーン号を見やる。

いくつかの窓や展望室などからは、この航海の間に知り合ったクルー達がそこからこちらを見送ってくれている。

彼女らにも手を振りつつ、別れを告げると俺はタラップを降りてついにストームリーチに立ったのである。














ゼンドリック漂流記

2-1.ストームリーチ













埠頭は他にも多くの船が乗り入れており、そこかしこで積荷の積み下ろしや検分が行われている。

中には魔法装置と思われる巨大な重機により積荷を運んでいるものまである。

巨大なコンテナが魔法仕掛けのアームによって運ばれるその様は現代の港を髣髴とさせる風景である。

行きかう人混みを避けながら、出来るだけ表通りを歩くように街中を進む。

やはりコルソス村同様、要所の記述はゲーム通りではあるがゲーム中描写されていなかった細い路地や建築物、下水への入り口が相当数見受けられる。

この街は発達していたであろう巨人文明の遺跡を利用して建設されたためか下水道が発達しており、こうして歩いている目抜き通りなどは綺麗なものだ。

船着場から離れ、切り立った崖に取り付けられた階段を上って街中に入ると雑然とした建築物にも調和が見受けられるようになり、区画ごとにある程度の統一性が見て取れるようになった。

そんな風に周りを見渡しながら歩いているとどうやらおのぼりさんと判断されたようだ。

路地から飛び出てきた少年がこちらにぶつかると、悪態をついて走り去って行こうとする。典型的なスリのパターンである。

逃げ出そうとした少年の襟首をひっ捕まえ、話しかけた。


「ちょ、オイ、何するんだ話せよ!

 オイラは何もしちゃいねーだろ!」


生憎貴重品は全てブレスレットの中である。ポケットの中には何も入っていないし、抱えているザック等を狙うにはこの少年では力が足りないであろう。


「ああ、ちょうどいい。この街のガイドを探していたところでね。

 良かったら今夜の宿の紹介と、このあたりの案内をお願いできるかな?」


そういって銅貨を3枚指先で弾いて渡してやると、弾かれたように少年はコインに飛びついた。

微妙に軌道の異なるそれらを見事に回収するその器用さは中々のものだ。


「・・・なんだ兄ちゃんこの街は初めてなのかい?

 そのナリからすると冒険者なのか?」


どうやら今の銅貨で初期態度を中立にすることはできたようだ。

ソウジャーン号で読んだ本でこの街の昔のことは把握したが、リナールが言うには新しいハーバー・マスターの就任で色々と事情が変わっていそうではある。

宿などについても現地の人間に話を聞いてから決めたいところだ。

こんな街でたくましく生きている子供達であればある程度事情に通じていそうでもあるし、妙な案内人を雇うよりは危険が少ない気もする。


「ああ、船の都合で仲間とは別々に到着しちまったんだ。

 連れが来るまでの間に過ごせる宿を探しているのと、それまでの間に街に慣れておこうと思ってね。

 俺を満足させてくれたら銀貨2枚を追加してやるよ。

 この条件で案内をしちゃくれないか?」


とりあえず便利な雑貨系アイテムを購入したい。

後はソウジャーン号ほどとはいわないがちゃんとしたベッドのある宿で個室が取れれば文句はないのだが。


「判った。その条件で引き受けてやるよ。

 でも兄ちゃん来たばっかりってことはジンの許可がないだろうから、中央市場方面には行けないぜ」


む。ゲームでは確かに特定のクエストを完了しないと埠頭区画から他へ移動できなかったが、実際にそういう制限が掛けられているのか。


「なんでまたそんなことに?

 マーケットで買い物をさせて金を落とさせる方が良さそうなもんだが」


素朴な疑問をぶつけてみると、少年は懇切丁寧に説明してくれた。


「何言ってんだ兄ちゃん。ハーバー・マスターは港を通じての関税が収入源でマーケットでいくら金が落とされようが関係ないさ。

 他のコインロード連中からしてみれば噴飯物かもしれないけど、確かにジンのやり方のおかげでここらの治安は良くなってるからね。

 そのおかげで逆に市場も落ち着いて潤ってるみたいだし、強く文句が言えないみたいだぜ」


確かに、どこの馬の骨とも知れない冒険者が大挙して押しかければ治安は悪化するだろうし、それに紛れて犯罪者も流入するだろう。

この埠頭に足止めされた冒険者は飢えない為に埠頭区画の依頼をこなすしかないし、それによって治安を回復させることも出来るだろう。

真っ当じゃない連中は荒れるかも知れないが、ゼンドリックを探索するのなら別に市場方面からでなくとも外へ出て行けば済むことだ。

戦利品を買い取る程度は余程の品でなければ埠頭区画の店でも可能だろうし、何なら停泊している商船に話を持ちかけても良い。

最低限の装備を整えることくらいは埠頭区画でも可能だろうし、街の外にもテント村があり友好的な現地のジャイアントと交易することもできる。

普通の冒険者にとっては問題ないのかもしれない・・・俺としては問題が大有りなんだが。


(これだとシャーンまでの《テレポート》サービスは受けられないだろうし、大きな買い物ができるのは当分先になりそうだな・・・)


オライエン氏族の『移動のマーク』によるサービスで一気にシャーンまで移動して、拠点の構築と物資の購入を行おうと思っていたのだが彼らの居留地は埠頭区画には無い。

レベルが上がれば自分の力でこの2都市を往復できるようになるため、双方の都市で家を買うか借りるかしようと思ったんだが当分はお預けらしい。

ストームリーチで購入できる品物の上限金額は2万GP、対してシャーンは10万GPと差が大きい。

無論TRPG版の設定であるため実際には違うかもしれないが、街の規模の違いからしてあちらの方が買い物には適している。

しかもそのストームリーチの2万GPは発達している中央市場方面での話で、この辺りはもっと低いだろう。

ジョラスコ氏族やチュラーニ氏族の居留地も市場方面にあるはずで、当分訪問できそうに無い。

あるいはリナールらに働きかければ許可はすぐ得られるかもしれないが、あまり借りを作りたくない。

氏族に関わりある冒険者だと思われると取れる動きに制限がでるだろうし、今の時点で変な色をつけるのは好ましくない。

とりあえずは無難にクエストをこなして埠頭区画から脱出するのが主目的になるだろうな。


「それじゃ仕方ないな。

 まずは冒険者向けの雑貨を扱っている店と、できれば宝石を扱っている店を紹介してくれ。

 宿はその後で頼むよ」


まずはこの埠頭区画での足場を固めるとしよう。


「任せな。

 ボサっとしてはぐれるんじゃないよ!」


そういうと少年は道を先導して進み始めた。埠頭区画では北側に位置するこのエリアは町並みも綺麗で治安も良さそうだ。

10分も歩いたところで広場のようなところに出た。中央には噴水があり、植えられた草花が咲き誇っている落ち着くスペースだ。

だがその公園の周囲には、いかにもな風体の冒険者達が立っている。似つかわしくない連中のせいで雰囲気が台無しである。


「ここが『志願者の広場』さ。

 周りのおっさんったちは冒険者に対して技術のトレーニングを行っている教官たちさ。

 兄ちゃんも少しは連中から物を教わったほうがいいかもね。

 あとは金貨次第で傭兵としても雇えるって話だよ」


ゲーム中では経験点を貯めたらトレーナーと会話してレベルアップさせるクラスを選択していたが、流石にそんなシステムでは無いようだ。

いま自分が習得していない技能についてアドバイスを受けたい時に利用するんだろう。


「で、ここが『ハンマー&チェイン』

 この区画じゃ唯一のマトモな武具屋だね」


案内されて店内に入ると、ヒゲの濃いドワーフがカウンターの内側からこちらを値踏みするように睨み付けている。


「なんだ、アンちゃん術者か?

 ここはひ弱な連中が扱えるような品はねぇぞ。

 秘薬を探してるんなら隣広場に行きな」


ローブ姿だし術者と思われているようだな。まぁ別に構わないのだが。

腰に下げているロングソードを外して店主に見せる。


「こいつの手入れをお願いしたい。ついでにその間に替わりになる獲物を貸してくれると嬉しいんだが」


ドワーフの男はカウンターに置かれた剣を鞘から抜き放って検分を始めた。


「・・・こいつは結構痛んでやがるな。

 ロクに手入れもせずにここまで使い込むとは何考えてやがるんだ。おまけに魚臭え。

 コイツの泣き声が聞こえてくるぜ」


コルソスで多くの魚人を相手にした武器である。チート武器の類は常識外れの強度なため傷一つ無いが、この初期武装はかなり痛んでいたので修理に持ち込んだのだ。


「長い間手入れできないような環境で闘うことになってね。

 どうだろう、引き受けてもらえるだろうか?」


適度に魔法で強化されている武器なのでカモフラージュ用の武器としては重宝している。

これ以上の品を探すとなるとこの街のマーケットでなければ無理だろうし、出来れば手入れして使っていきたいのだが・・・。


「フン、幸いにも芯まで痛んじゃいないようだ。

 カニスの職人がいい仕事をしてやがったおかげだな。

 金貨100枚で二日後には仕上げておいてやる、それまではそこに置いてあるのを好きに持って行きな」


手付けとしてテーブルの上に半分の金貨を置くと指し示された店内の角に向う。そこには無造作に放り出された武器が置かれていた。


(せめて高品質の武器が欲しいところだが・・・まぁここは我慢するか)


何本か握ってみて感触がいつもの剣に近い獲物を選び、腰に据える。特に違和感もないし、これを借りていくことにしよう。


「それじゃ明後日の朝引き取りに来よう。

 俺はトーリ・・・あんたの名前は?」


一応、応対した店員の名前くらい聞いておくべきだろう。そう思い尋ねるとドワーフはぶっきらぼうに返事を返してきた。


「フン、ファーガスだ。

 アンタが次に同じ月が満ちるまでに受け取りに来なかったら野垂れ死んだと思ってこいつは質に流すことになる。

 精々くたばらずにいるんだな」


悪態にも取れる言葉を受けつつ店を後にした。


「まったく、ドワーフってのはどこの連中もあんな感じだなぁ。

 あんな愛想で客商売ってんだから信じられないね!」


案内してくれている少年がファーガスの物言いに憤慨してくれている。

どうやらドワーフが人当たりが悪いのは設定通りみたいだな。【魅力】にマイナス補正のある種族だし、そういう個性なんだろうと思うが。


「まぁ職人気質な連中ってのはえてしてそんなものかもしれないよ。

 さあ、次はさっきのドワーフも言っていた秘薬を扱っている店を案内してくれないか」


こちらとしては仕事をキッチリしてくれれば文句は無い。

結構使い込んでいたのでゲームでなら最大耐久値が減るかもしれないが、逆にTRPGではそういった設定はなかったはず。

そういう意味でも明後日に帰ってくるあの武器がどうなっているのか楽しみである。

将来はチート武器類も手入れをしなければいけなくなるかもしれないので、結果次第では自分で手入れの技能を伸ばす必要があるかもしれないのだ。

案内役の少年は街路を南に向けて歩き出しているが、少々気になったことがあったので呼び止める。


「なあ、あの北側のところにある大層な門はなんだ?

 何人か衛兵が立ってるし、街中にしちゃ物々しい雰囲気だが」


昔コルソス村が実装されるまでに初期クエストがあった辺りの街区へ通じる道が封鎖されている。

日本語版サービスの最新モジュールでも確かに閉鎖されていたが、理由は再開発だかなんだかだったはずだ。

それにしては少々雰囲気が物々しい。衛兵が歩哨をしているだけでなく、近くには詰め所らしき建物もある。


「ああ、あそこはちょっとワケありなんだ。

 表向きは再開発ってことになってるんだけどね」


表向き、ね。この口振りだと何か知っていそうだな。

少年の口を滑らかにするためにも銀貨を一枚そっと握らせてやる。

案の定、南へ向う街路を歩きながら少年はあの封鎖された区画にまつわる物語を聞かせてくれた。


「毎度。

 半年くらい前の話かな。元々あの辺りにはこの街でも有名だけど、口にするのも憚られるソーサラーの住処への入り口があったのさ。

 元々あんまり街区の連中には不干渉な御方だったから何の問題もなかったんだけどね・・・

 とある夜に、どこかの命知らずがそのソーサラーの宝物庫に侵入したのさ!

 どんな手段を使ったのかは知らないけど、それを知ったそのソーサラーはその下手人達に向けて怖ろしい呪文を使用したんだ。

 あの辺りの区画はその際に下手人と宝物庫の番人が争った跡と呪文の影響で薄気味悪い廃墟になっちまったのさ。

 一晩経った後、もうそのソーサラーの屋敷への入り口は綺麗さっぱり消えうせたんだが呪文の効果は残った。

 真昼だってのに薄暗く、物陰には馬鹿でかいネズミや蜘蛛どもが潜んでるって話だよ。

 なんでジンはこれ以上の面倒ごとを避けるためにあそこを封鎖したんだって専らの噂さ」


思い当たる話がある。エベロンを舞台にした小説「ドリーミング・ダーク」シリーズの二章、「砕かれた大地」はゼンドリックを舞台にしている。

この小説は日本語に翻訳もされたので読む機会があったんだが、その中で今の話と思われる部分があるのだ。

主人公達はソーサラーの宝物庫で同じく侵入していたリードラ国のエージェントと一戦やらかすのだが、その後船に乗って街から逃げ出してしまう。

その後の描写は無かったので気にしていなかったのだが、まさかこんな事態になっているとは。


「聞いたことがあるな。ストームリーチにはドラゴンの血を引くという強力なコボルドのソーサラーがいるとか」


その名はハザラック・シャール。TRPGの設定本にも登場する、最低でも12Lvのソーサラーで"竜の公子"という二つ名があったはずだ。

ハーフドラゴンなのかそれともドラゴンがコボルドに化けているのか定かではないが、この街でも1、2を争う実力者であるのは間違いない。


「・・・その名前を口にしちゃ駄目だよ。どこで聞かれてるかわかったもんじゃないからね」


この反応からするに件のソーサラーは相当恐れられているようだ。入り口は消えているという話だが、例の区画には近づかない方が良さそうだな。

そんな話をしているうちに街路の分かれ道を西に抜け、少し進んだところで目的の店らしき建物に到着した。

先程の広場のような開けたスペースではないが、石造りの建物はいずれもひさしを設けてありその下にはいくつかの椅子が置かれている。


「ここは『哲学者の曲がり角』。

 それであそこの店が『ダゴワード薬店』さ。

 ちょいとボロい店だけどカニス印の『ポーション』なんかも売ってる。

 専門じゃないけど宝石の買取なんかもしてくれるはずだよ。

 秘術のアイテムの一種として宝石を扱っているみたいだしね」


ドアを開けて店内に入ると、秘術で使用する様々な秘薬やポーションの匂いが鼻についた。照明は薄暗く、匂いとあいまって神秘的な雰囲気を醸し出している。


「いらっしゃい、お客さん。

 見たこと無い顔だがストームリーチは始めてかい?

 私は店主のナリア・ダゴワードだ。何か必要なものがあったら言っておくれ」


先程の武具屋とは異なった普通の対応である。

客層の違いでもあるのだろうが、この店主からは人を落ち着かせる雰囲気が感じられる。


「こちらでは買取もやっているかな?

 実はポーションとスクロール、あと宝石の買取をお願いしたいんだが」


コルソスで入手した《死体操り》のスクロールの余りやラピスから受け取った宝石、あとは地味な戦利品としていくらかのポーションがある。

数がそれなりにあるので処分できればまとまった金額になると思うのだが・・・。


「ふむ、買取も勿論行っておりますよ。

 それではこちらで物を見せていただいてもよろしいでしょうか?」


カウンターから少し離れたテーブルの上に品物を置く。

背負い袋から取り出すフリをしつつ、ブレスレットからアイテムを取り出し陳列していく。


「スクロールは・・・《死体操り》ですか。記述は確りしているようですが、なかなか買い手の難しい品です。

 ポーションのほうも効果は確かなようですが、マークがついていない所を見るとカニスの工房製ではないのでしょう。

 宝石については・・・ラピスラズリですか。秘術の触媒として使えるタイプのものではないようですね。

 ウチが買い取るとなるとあまり良い値ではお引取り出来ませんが」


そうして彼女の示した価格は、いずれも市価の3割程度の金額であった。

ふむ、これは相当買い叩かれているようだな。ゲームでは売価は1割が基本であったが、TRPGでは半値が基本である。

彼女の言い分にも理はあるが、それだけではこんな価格にはならない。ここは一つ"交渉"するとしよう。


「確かにそちらのスクロールは使い手を選びはするがそれは逆に貴重だということになりましょう。

 それに使い手がいなかったとしてもその巻物に込められたパワーは本物だ。

 少し腕の立つアーティフィサーであればその力を上手く利用して別の魔法の道具に利用できるだろうし、

 こういったお店であれば何人かそういったアーティフィサーの伝手をお持ちでは?

 ポーションについては確かにカニスの工房で作られたものではないですが効果はあるとお認めになられましたよね。

 それであればこの店に並んでいる他の商品同様、この店の看板があれば普通に買い手はつくでしょう」


相手の言い分を認めた上で、こちらの言い分を通す。

ラピスから学んだ手法だが、彼女はあんな性格だが交渉術はきっちりしている。

しばらくすったもんだを繰り返した後、宝石については専門の店で別途買い取ってもらうことにして他の品については5割の価格で売却することに成功した。

まぁ現金ではなくこの店で売っている商品の購入に使用するという条件が効いたんだろう。

ゲーム中では実装されなかった便利系アイテムのうち、値がかさまないものをいくつか購入する。

代表的な品としては追跡を撒くために使用する魔法の粉(足跡を覆い隠してくれる)、1時間休むだけで呪文使用能力が回復する携帯用寝具などだ。

思ったよりも収穫があったため、買い取ってもらった金額から足が出てしまったが必要な投資である。


「久しぶりに良い商いをさせていただきましたよ、トーリ様。

 今度とも当店を御贔屓にお願いいたします」


満足顔の店主に見送られて店を後にした。

俺もひとまずTRPGで慣れ親しんだ便利系アイテムを揃えることができて満足である。

もっと大都会であれば、あるいはこの街の中央市場にでも行くことができればもう少し値の張るアイテムを入手することもできるんだろうが、生憎その場合は金の入手元の問題がある。

流石に1万GP単位の買い物になればクンダラク氏族の銀行サービスを通した小切手などを使用しなければならないだろうが、突然大金を持ち込むと犯罪結社のマネーロンダリングと疑われかねない。

最初のうちは探索の拾得物という扱いにして手持ちのアイテムを売り捌きつつ、徐々に回転させる金額を増やしていくなどといった遠まわしな手段を取る必要があるかもしれない。


「なあ、買い物はもう済んだのかい?

 後は宿を紹介すればいいってのならこの区画にある二軒に案内するけど」


店を出たところで少年に聞かれた。

確かに買い物はだいたい終了したし、後はいい宿を取れれば初日としてはまずまずの結果じゃないだろうか。


「そうだな。じゃあ案内の前にそれぞれどんな店か教えてくれよ」


TRPGではこの辺りに宿の設定はなかった。ゲームのほうで設定されていた2軒と同じか確認しておいた方がいいだろう。


「ああ、まず1件は『水漏れ小船亭』って波止場にある宿さ。だいたいは寄港した水夫の連中が使ってる宿だね。

 店の周りに集まってる船を部屋代わりにしてるんで、舟に慣れてないと大変かも。

 この街の連中は結構船の上で生活してる連中も多いし普通のことだけど。

 こっちから見えるはずだしちょっと歩こうか」


会話しながら街を東に抜け、高台から港を見下ろすと件の宿が視界に写った。

ゲームと同じ場所に位置しているその建物は海上にいくつかの支柱を付き立て、その上に戸板を重ねて作られた酒場と思われる建築物と、これまた戸板を足場にして繋がれた何艘もの船を部屋代わりにしているようだ。

入江であり波があまりないためそれほど揺れは激しくないだろうが、確かに一般人があそこでぐっすり休めるようになるには慣れが必要そうに思える。

小船にはそれぞれ屋根がついており雨風は防げるようだが・・・見知らぬ街で野宿するよりはマシ、程度のものだろう。出来れば他を当たりたい。


「あれでマトモな部類なのか・・・。後一軒のほうはどうなんだ?」


想像以上に劣悪な環境に挫け、いっそソウジャーン号を宿代わりにしたい気持ちに駆られるが、そんな贅沢なことをしていてはこれからとても冒険者としてはやっていけない。

レベルが上がれば快適な居住空間を発生させる呪文もあるのだ。成長するまではクエストで野営や過酷な環境におかれることもあるだろうし、今のうちに慣れておかなければ。


「うーん、兄ちゃんにはあの宿の方が良さそうだと思ったんだけどね。

 もう一軒の方はちゃんと陸にある宿さ。『きまぐれ海老亭』ってんだけど」


ふむ、こちらもゲームに登場した酒場だな。しかしわざわざ後回しにされたということは何か曰くがあるのだろうか?


「陸にあるだけ随分マシに思えるんだが・・・何か問題があるのか?」


「もう一軒のほうは冒険者が使ってるんだけど、この区画はいまハーバー・マスターの規制でこんな状態だろ?

 だから特に荒くれ者が集まってるんだよ。だから兄ちゃんにはちょっと厳しいんじゃないかと思って。

 見た目貧弱そうだし、下手したら毟られそうだぜ。

 冒険者同士の喧嘩も多いらしいし。

 あの宿に行くくらいなら、そこらで夜鷹を買ってそいつのねぐらに潜り込んだ方がいいんじゃないか?

 さっきの店での様子を見るに金は持ってるんだろうし」


まぁその程度ならなんとでもなるだろう。

夜鷹云々は美人局が怖い。見ず知らずの他人の前で眠れるような治安の良い街ではないだろう。

それに何よりもこんな下層エリアでは衛生的に俺には無理だろう。病気や毒が無効でも、匂いとかはどうにもならないし。

公衆浴場みたいなのはあるが、ゆるめの貫頭衣を着たままか下着姿で頭から水浴びをする程度である。

風呂についてはジョラスコ氏族の居留地で公衆浴場が提供されているはずだが無料ではないだろうし、この辺りの住人が愛用しているとはとても思えない。


「なんだ、心配してくれたのか。ありがとな。だがまぁそのくらいならどうにでもなるさ。

 その『きまぐれ海老亭』とやらに案内してくれ」


高台を離れ、街路沿いに南へ進んでいく。


「そこにあるのがジンの屋敷さ。代々のハーバー・マスターが使ってる」


街路から少し離れた辺りに、周囲より少し高くなっている地形がありその上に堅牢な建築物が建てられていた。

港湾部を見下ろすように建築されたその建物は窓には格子が嵌め込まれており、屋根に見える煙突はそこから侵入されないよう細い構造になっている。

基部は驚いたことに1枚の岩のようだ。どこからどうやって運んだのか想像もできないが、ひょっとしたら古代遺跡の構造体なのかもしれない。

そして極めつけに、その周囲にはウォーフォージドの兵士達が目を光らせている。

彼らの体は例外なくアダマンティンの黒い輝きに覆われており、通常の刃物では傷つけるのは困難そうだ。

熱帯地方であるこの街ではフルプレートなんかの重装鎧なんか着ていてはすぐに熱中症で倒れてしまうだろう。

彼ら機械の兵士はフルプレート並の装甲を有し、そして疲れを知らない。

最終戦争という過酷な戦場の、おそらく最前線にいたであろう彼らは経験も豊富で非常に優秀な門番であろう。


「連中は『アイアン・ウォッチ』っていうストーム・ロード直属の精鋭さ。

 五つ国中から集まったウォーフォージドだけの守護隊で、他の連中みたいに袖の下を要求したりしない気の良い奴らだよ」


どうやら住人からの人気も高いらしい。動きを見ると動作も洗練されており、それぞれの錬度も高そうだ。

建物の入り口を固めている二人組みは体全体が隠れるほどの大きな盾を脇に置いている。この屋敷は文字通り難攻不落のようだ。


「見事なもんだな。

 ジンってのは余程な人物なのか?」


あまりジロジロと眺めていては不審人物だと思われかねない。屋敷を避けて折れ曲がっている街路を進みながら当代のハーバー・マスターの評判を聞いてみる。


「そうだねぇ。ジンに変わってから確かに治安は格段に良くなったよ。

 去年まではそこらじゅうで喧嘩どころか殺し合いがしょっちゅうで、一つ通りの筋を違えただけで二度と表通りに戻って来れないなんてことが当たり前だった。

 今はすぐに警邏の連中がやってくるし、随分と暮らしやすくなったね。

 でも最近はそこら中の下水道にコボルドの連中が住み着いて悪さを働くようになった。

 ジンはそれに頭を悩ませてるみたいだよ。

 わざわざ冒険者をここで足止めしてるのは連中にコボルドの相手をさせたいんじゃないかな」


ハーバー・マスターの屋敷を過ぎると暫くは建築物の無い空間が広がっていた。街路の両側には芝生が植えられており、所々に花が咲いている。

おそらく建物の影に隠れて近寄られないための措置なんだろう。

そのまま暫く進むと、港湾地区と中央市場地区の間を遮る巨大な壁が迫ってきた。

この部分は遺跡の構造をそのまま利用しているんだろう、周囲の建築物とか明らかに年季も異なって見える。

古代のジャイアント達の遺跡だけあって、壁もまた巨人の歩みを遮るのに相応しい高さを誇っている。

これを越えるのは難儀そうだ。所々に物見台もあるし、呪文による監視装置がついていても不思議ではない。

まぁ大人しく正攻法で通り抜けるとしよう。

壁際に建設された建物沿いに街路は南に向って続き、やがて海へと流れ込む河を渡る橋へと繋がっている。

河といっても水面は遥か下方、20メートルほど下にある。

その上に掛けられているのはゲームでは吊橋であったが、目の前には石造りの頑丈そうな橋が渡されていて一安心である。

その橋を越えるとやがて中央市場方面へ抜ける大門が見えてきた。

時折港からの大規模な荷が運び込まれる以外はそれほど人通りは多くない。数人の冒険者が行き来するのを見たが皆首から印章を下げている。

おそらくあれがハーバー・マスターの認証なんだろう。


「あそこの門さ、ザルに見えるけど下手な考えはしない方がいいぜ。

 印章にはシリアルナンバーがあるらしいし、誤魔化そうとした連中は探索の戦利品を丸ごと没収されたって話だ。

 滅多にバレないのかもしれないけど、リスクが高いってことで皆大人しくしてるよ」


まぁそんなもんだろうな。横目で門を見ながら通り過ぎると再び住宅が密集している区画になった。街の外に近い埠頭区画の南エリアである。

徐々に海に向っていく斜面には住宅に混じって倉庫と思わしき建物も並んでおり、その割合は海に近づくにつれて高くなっていく。

このあたりはクエストの密度の高い・・・いうなればそれだけ治安の悪いエリアである。

案内役の少年にもやや緊張が見受けられる。橋のこちらと向こうでは随分と街の印象が違う。

そこらの暗がりには確かに何かが潜んでいるようで、時折固いものを引っ掻くような音が聞こえてくる。

ストームリーチの外縁部でもあり、この壁の反対側はもう街の外だ。おそらく大勢のならず者が潜り込んでいるだろう。

使われていない倉庫がそういった連中のねぐらになっていることもあるだろう。

何しろここは五つ国の法が及ばない街。コーヴェア大陸で罪を犯したものが身を隠すにはうってつけなのだ。

そういった雰囲気の区画の比較的入り口に近いところに目的の宿はあった。


「ほら、そこに水色の海老の看板があるだろ。

 あれが『きまぐれ海老亭』さ」


両開きのウエスタンドアと、そのドアの上に掲げられている海老の描かれた看板が目に入る。

描かれた海老はその鋏脚にそれぞれコップとパンを挟み込んでいる。

補正された聴力が昼過ぎだというのに店内で飲んだくれて大騒ぎしている喧騒を伝えてくるが、このイラストの微笑ましさに似合わない荒んだ雰囲気である。


「案内ありがとな。色々と面白い話を聞かせてくれた礼だ」


そういって少年に多めに銀貨を渡すと、両手でドアを押し開いた。

想像していたよりも遥かに広い。広がる空間は体育館一つ分くらいにもなるだろうか。

大小様々なテーブルが無造作に並べられており、そのいくつかには客がついている。

酒を飲むもの、カードで遊ぶもの、腕相撲に興じるものなど様々な連中だが、扉が開いた瞬間は皆一様にこちらに視線を寄せてきた。

大抵の連中は興味がなさそうにすぐに視線を戻すが、何人かは値踏みをするような視線をまだ寄越している。

視線の元を辿るべく気配を探ると、案内役の少年が酒場の入り口でオロオロしているのを感じた。案外気の良いヤツなのかもしれない。

一際大きな喧騒は、左手奥の扉の向こうから聞こえてくる。

ゲームではあそこはPvPエリアになっていたのだが・・・この様子ではレッド・リング、いわゆる闘技場紛いのイベントが行われているのかもしれない。

そんな風に周囲の様子を軽く探りながら歩みを進めても肝心の視線の主は特に動く様子も感じられないし、気にせずそのまま真っ直ぐ進みカウンターに近づいた。

カウンターの内側にいるのは小柄な・・・まぁ種族的に見れば標準なのだろうが、ハーフリングの女性だ。

無言で差し出されたエールの対価として銅貨を何枚か置いてから話しかけた。


「部屋を探してる。一週間ほど個室でお願いしたいんだが空きはあるか?

 なるべく柔らかいベッドに寝具があれば嬉しいね」


金貨を10枚ほどカウンターに置くと、ようやく彼女は口を開いた。


「あいにくウチにはそれほど上等な代物はないけどね。

 それで一週間ならアンタの食事にはいいワインとチーズをつけてやれるよ」


どうやら部屋に空きはあるようだ。一先ず安心して彼女がカウンターに置いた鍵を拾い上げると、誰かがカウンターに近づいてくるのを感じた。


「よお兄ちゃん景気が良さそうじゃねーか!

 良かったら俺にアンタのツキを分けちゃくれねぇか?」


どうやらこの昼間から酔っ払っている性質の悪いのに絡まれたようだ。

赤ら顔のハーフリングが体を寄せてくるが、酒の匂いがキツい。


「悪いがその臭い顔を近づけないでくれ。

 あと美人ならともかくアンタみたいなむさいオッサンに分けてやるもんはねーよ」


片手でシッシと追い払う仕草を見せる・・・このジェスチャー、通じるよな?

こんなのに構っていてはそれだけで運が逃げそうである。

だがどうやら酔っ払いには通じなかったようだ。


「ああ!?

 新顔と思って優しくしてやってりゃ調子に乗りやがって!」


そう言いながら掴みかかってくる酔っ払い。

ヒョイと避けて周りの様子を伺うと客連中は面白い見世物が始まったとでも思っているのか、ニヤニヤしながらこちらを見物している。

まぁ舐められないためにも下手には出ない方がいいだろうな。


「随分と酒が回っているようだな。とっとと家に帰ってママにでも慰めてもらいな」


こちらの挑発を聞いたことで相手の雰囲気が変わる。


「ハ、上等だ。テメェこそ明日朝鏡で顔を見ても誰だか判らないような色男に整形してやんよ!」


そう言うとハーフリングの男は拳を構えると殴りかかってきた。

低い姿勢から宣言どおり顔を狙って左右からアッパーを繰り出してくる。

どうやら素手での攻撃には慣れているようだ。だがあの物言いからして秩序を重んじるモンクとは思えないし、素手打撃に習熟したレンジャーかファイターか?

ヒラヒラと攻撃を回避しながら思考を走らせる。ソウジャーン号でのマッサージが効いているのか、何時もにも増して体のキレが良い。

冒険者相手とはいえ酒場の喧嘩に武器を抜くのは不味いだろうな。呪文を使用するのも手の内を晒すようなものだし、こちらも素手で対応すべきか。

幸いなことに相手は小柄なハーフリングだ。組み伏せてしまえば流石に負けを認めるだろう。

隙を見て足払いを打ち込み転倒させると、その背に乗って腕を捻り上げる。


「うお、何しやがる、離せ!」


下でなにやらジタバタしているが、体格の違いに加えてこちらはチートによるブーストでオーガやミノタウロスも真っ青な筋力だ。

とてもではないが振り解けないだろう。


「そう言われて離す奴がいるもんかね。

 さて、少し頭を冷やしてもらおうか・・・」


そういって少しずつ捻り上げた腕に力を込めていく。

どうやら力を入れてもピクリとも腕を動かせない自分の状況に気付いたようだ。

彼は慌てて謝罪を申し入れてきた。


「お、俺が悪かった。勘弁してくれ!」


少々痛い目にあってもらった方がいいだろう。言い分には取り合わず少しずつ力を込めていく。


「おいおい、アンタの謝罪は言葉だけか?

 いきなり殴りかかってきてそんなんで許されると思ってるのか?」


わざとらしい要求をしてみると、即座に食いついてきた。


「わかった、迷惑掛けた詫びに一杯奢る!

 だからその手を離してくれ!」


まぁ金額の多寡ではないのだが、その程度で済ませるのも甘い気がするな・・・。

そうだ、せっかく他の客が注目してくれていることだしそれを利用させてもらうとしよう。


「おい、聞いたか?

 この太っ腹な奴が迷惑料代わりに皆に一杯奢ってくれるんだとよ!」


周囲の連中に大声で呼びかけると、周囲は途端に歓声で満たされた。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ、俺はアンタだけに・・・・痛たた、わかった、わかったから!

 だからもう解放してくれ!」


言質をとったところで解放してやる。


「イテテテ、全く酷い目に合ったぜ・・・」


腕をさすっているハーフリングを横目にカウンターに戻ると一部始終を何も言わずに見守っていた店主に酒を要求する。


「聞いての通りだ。ここで一番高いやつを持ってきてくれ。

 支払いはそこの奴がしてくれるってよ」


目の前にグラスが置かれ、ガランダ氏族の刻印がされたラベルの貼られたボトルからワインが注がれる。

ついでにチーズを注文し、しばらくカウンターで勝利の美酒を味わうことにした。

ハーフリングが去っていったテーブルでは新顔に凹まされた彼を揶揄する声や、いつの間にか行われていた賭けの結果について話す声が聞こえてくる。

賭けまで成立していたところを見ると、今のはここでの日常風景なのかもしれないな。少年が心配していたのも判る気がする。

それにしてもこのワインは中々の上物のようだ。コルソスで最後に飲んだあのワインのように熟成されてはいないが、固くて清冽な味わいが舌の上で弾けるかのようだ。

意外と日本の酒の肴にも合う様な気がする。刺身とか牡蠣とか。

あっという間にグラス一杯分を飲み干してしまい、再度注文しようとしたところでまた1人こちらに近づいてきた。


「よければ次の一杯は私にご馳走させてもらえないだろうか。

 先程の手並みは見事だったよ。

 主人、彼にもう一杯と私にも同じものを貰えるかな」


金貨をカウンターに1枚置き、隣の席に男が腰掛けた。

この酒場に入って以降こちらをずっと値踏みしていた視線の主のご登場のようだ。


「楽しんでもらえたようで何よりだ。

 で、アンタはどちらさんで?」


一見して上等と見て取れる衣服に、指先一つの動きから感じ取れる仰々しい身振り。腰に佩いている剣も柄や鞘に立派な装飾がされている。

こんな場末の酒場で見かけるような人種ではないような気がするが。


「失礼、紹介が遅れたな。

 私はロード・ジェラルド・グッドブレード。

 著名な探検家、さっそうたる冒険家、そしてコイン・ロードの顧問相談役だ!」


『ロード』と来たか。ここは五つ国ではないし、貴族なんかがいるはずはないんだが・・・。

だがこの名前はゲームをやっていた俺には馴染み深い。コルソス導入前には初期のクエスト群を斡旋してくれていたキャラクターだ。


「へぇ、そのロード様がどうしてまたこんなところに。

 領地をほったらかしにしておいて良いのかい?」


ゲーム中で彼とマトモに会話したのはもう何年も前のことだ。細かい内容は覚えていないし、例によって会話して聞きだすことにしよう。


「実のところ、私には先祖伝来の領地などはない。私の母親はストームリーチで魚屋をやっていてね。

 地元では人気者で漁業関係の取引の熟練者だが、生涯貧乏人だ。

 この母が私が産まれた時に『ロード・ジェラルド』と名づけてくれたんだ。この楽天主義が私を立派に育てるだろうと期待してね。

 そしてそのとおりになったというわけだよ!

 まぁ私についてはこんなところだ。次は君の事について聞かせてくれないか?」


・・・魚屋の息子だったのか。てっきり没落貴族だと思っていたが。


「トーリだ。残念ながらこの街には今日1人で到着したところでね、アンタを楽しませてやれそうな話題はないな」


そう言って彼の奢りであるワインに口をつける。


「それは残念だ。現在ここで知り合いがいないというのは危険なことだからな。

 もし何か困ったことがあったら是非とも私に相談してくれ。

 私にはこの街に頼りになる友人が大勢いる。

 先程のような事態にも武器を抜かず冷静に対応が出来る冒険者であれば、彼らもきっと君を歓迎してくれるだろう」


・・・ひょっとしたら先程の騒ぎはこいつの仕込かもしれないな。

酔っ払いの振りをして喧嘩を吹っ掛ける事でその対応を見ようとしたのかもしれない。

ゲームでは新人冒険者を上手く使って小遣いを稼いでいる詐欺師紛いの男だったが、実はあれも擬態だったのかもしれない。

ともあれ、面識ができたことは損にはなるまい。

ジェラルドにワインの礼を言って、宛がわれた部屋へと移動することにした。




「ふ-ん、思っていたより綺麗だな」


酒場の雰囲気からしてあまり期待はしていなかったのだが、予想に反して部屋の状態は良好だった。

清潔なシーツをセットされたシングルベッドが一つ。その反対側に置かれた机も綺麗に手入れされており、椅子にも最低限のクッションが効いている。

これなら長期滞在にも耐えられそうである。

一先ずベッドの上にザックと服の包まれた袋を置くと、ザックの中からダゴワード薬店で購入したアイテム類を取り出して整理を開始する。

『便利な背負い袋』という、容量一杯まで荷物を放り込んでも重さが変わらない上に取り出す際には自由自在に物を選択できるという魔法の道具にザックの中身を詰め替える。

まぁイメージとしては四次元ポケットのようなものだと思ってくれればいい。

あれとは違って容量限界はあるのだが、これほどの便利な品がたったの2,000GPなのである。

TRPGでもマストアイテムとしてお世話になっていたことを思い出す。

まぁ実際には同じかそれ以上の効果がブレスレットにあるのだが、その効果をカモフラージュ出来ればいいな、という思いもある。

あと、メティスの仕立ててくれた礼服もこの中に入れておく。

この背負い袋の中は一種の別次元になっており、この中に入れておけば礼服に仕掛けられた媒介越しに念視されることもなくなるはずだ。

明日あたり装備品に掛けている魔法のオーラを隠匿する呪文を掛けなおしておこうと思うのだが、その場面を念視されるわけにはいかないからだ。

シンプルな防御策ではあるが自然な流れでもあるし、特に違和感を感じられることもないと思いたい。

念視の危険性を排除した後は、購入したスクロールの処理である。

呪文書に書き込みを行うことでウィザードは呪文を習得するのだが、本来であればこの作業に普通は数日の期間を要するところをゲームキャラ達の処理では一瞬である。

レベルアップ時に選択できる呪文は、この世界に一般的に流通していない特殊で便利な呪文を選んでいるため、王道的な呪文がまだ足りていないのだ。

実際に使用する機会の多い呪文はソーサラーが習得しているが、ピンポイントで効果を発揮する呪文や便利系呪文などはその日に使用できる呪文を毎朝組みかえられるウィザードに覚えさせておくべきである。

その作業が終わったところで、今の時点で習得している呪文と、今後習得すべき呪文について考えを整理した。

あまり高価な買い物はしなかった事と、ダゴワードの店で売っている品物の制限もありまだまだ呪文のバリエーションは足りていない。

スクロールではなくレベルアップで入手できる呪文の選択は、この世界に流通していない呪文を確保する最有力な機会であるため最も慎重になる必要がある。

勿論全ての呪文を把握しているわけではないが、それでも千を遥かに越える呪文が存在しているのだ。

その中から最適な解を見つけようとするのは非常に難解である。どれだけ考えても考えすぎたということはないだろう。



呪文についての考え事は暫く考えた後に打ち切って、今後の方針について纏める事とした。

とりあえずの目標は中央市場区画への通行権を得ることだ。

ゲーム通りハーバー・マスター関連のクエストをこなしてもいく必要がある。

大詰めとなるクエストは1人では厳しいかもしれないし、エレミア達が来るであろう1週間後までにゆっくりと進めていけばいいだろう。

あとは、ある程度コイン・ロードの信頼を得る必要がある。

このストームリーチの街は実際彼らの所有物であり、家を確保するのであれば彼らから借り受ける形になるだろう。

彼らにも秘密に出来る隠れ家を確保するのも必要だが、生活の場としても拠点はそれとは別に必要だ。

快適な住環境を得るためには結構な手を入れる必要があるだろうが、それ相応の下地となる建築物は必要だろう。

とりあえずは今いる4人のロードについて情報を集める必要がある。

先程のジェラルドから話しが聞けるかもしれないし、酒場に戻ってみるか。



[12354] 2-2.ボードリー・カータモン
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2012/10/15 19:45
ドアにしっかり鍵をかけ、施錠を確認してから酒場へと向う。

正直な気持ち的には《アーケイン・ロック》という呪文で施錠してしまいたいのだが、残念なことにこの呪文の効果は永続的に続いてしまう。

一時過ごすだけの宿屋の部屋にこんな呪文を掛けるわけにはいかない。

荷物などは全てブレスレットに収納するので泥棒が侵入しても痛くはないが、部屋に妙な仕掛けをされると困る。

なので《アラーム》という侵入者がいれば精神的に警報を感じることが出来る呪文を部屋の中に掛けただけで酒場への階段を降りることにした。

夕暮れ時が近いせいか、酒場の客は先刻よりも増えており酒の匂いと喧騒は一層強まっている。

冒険者風の客以外にも、そういった連中を客とする夜鷹や儲け話を探しているゴロツキ達が酒場には溢れていた。

店内を見回すと、カウンターに程近いテーブルでジェラルドが恰幅の良い1人の男と話をしているのを見かけた。

同時にジェラルドもこちらに気がついたのか、俺に向けて手招きをしてきた。

俺がテーブルに近づくと、彼は立ち上がってこちらを大袈裟に歓迎するともう一方の男に対して紹介した。


「ああ、カータモン。彼が先程話していた有望な冒険者だ。

 私としては今日この場で君達二人が出会ったことが運命のように感じられるよ!

 トーリ、こちらはボードリー・カータモンだ。

 彼はこの埠頭でコイン・ロードから倉庫の管理を任されている」














ゼンドリック漂流記

2-2.ボードリー・カータモン













お互いに軽く自己紹介を済ませた後で、カータモンは暇を告げて席を外した。

入れ替わりになってしまった形だが、ジェラルドが席を勧めて来たので椅子に腰掛け、彼の用件を聞くことにした。

ジェラルドはウェイターを呼び俺の分の酒と食事を注文すると、先程のカータモンについての話を始めた。


「私達二人はこの埠頭区画での昔馴染みでね。

 今日カータモンの相談にのっている時に、ちょうど優秀な冒険者の力を借りたいという話が出たんだ。

 だが間が悪いことに私の仲間はちょうど別の仕事についていて、こちらに手を回すことができそうにない。

 そこで他に適役な冒険者はいないだろうかという話になったんだよ。

 トーリ、良ければ彼の助けになってやってくれないかね」


どうやらクエストの依頼のようだ。


「まぁ当たり前だが内容次第だな。少し彼と彼の仕事についての話をしてくれないか」


あのカータモン氏絡みのイベントは低レベル向けのものと中レベル向けの二種類が存在した。

前者ならともかく後者だった場合には死亡フラグもいいところだ。しっかり見極める必要がある。


「先程紹介の際にも言ったが、彼はこの埠頭を統括しているベリガンというコイン・ロードから倉庫の管理を任されている。

 幸運にも信頼できる優秀な仕事仲間に恵まれた彼は、最近まで順調に仕事をこなしていたんだが、一つ問題が起こった」


そこまで話すとジェラルドは一息つき、エールを呷った。


「すまないね、先程まで彼と長い間打ち合わせを行ったせいでどうにも喉が渇いてね・・・。

 で、彼の問題の話だったな。カータモンには商売敵がいる。

 無論この場合それは同業者のことではない。悪辣なバグベアの密輸商人、ハザディルという男の事だ。

 シャーンの後ろ暗い連中とも関わりがあるというこのバグベアは、長い間カータモンやコイン・ロード達の目の上のタンコブだった。

 どうやらそいつが活発に動き始めたようでね。

 この倉庫街に大勢のコボルドを送り込んでは悪事を行わせているようなんだ。

 万が一倉庫に侵入されて荷物を奪われたり破壊されたりしたらカータモンは明日にでも路頭に迷うことになるだろう。

 既に連中はカータモンの倉庫に目星をつけており、急ぎ対策を練る必要があるんだ」


バグベア。ゴブリン類の中でも最も大きく力が強い種族だ。

ゴブリン達は人間の子供くらいの大きさで数に物を言わせることが多い連中だが、バグベアは違う。

人間より肉体的に優れており、生来の戦士でもある彼らは熟練の兵士に匹敵する戦闘力を有する。

それでいてゴブリン同様徒党を組むことを忘れていない、厄介な敵である。


「そのバグベアやコボルドから倉庫を守れって言うのか?

 流石に1人じゃ厳しいと思うんだがね」


倉庫に張り付く必要があるだろうし、交代要員は必須だろう。

だがジェラルドは俺の言葉にかぶりを振って答えた。


「このストームリーチは危険な街だ。相手の動きを待つような消極的な動きでは敵に飲み込まれてしまうだろう。

 幸い、今回はカータモンの右腕であるタンバー・スマイズという男がコボルドを阻止する計画を立てている・・・だが成功させるには助けが必要というわけだ」


なるほど。確かに戦闘に限っても準備の量がそのまま勝率に繋がるバランスで、奇襲側が圧倒的な有利なゲームだ。

その点だけ考えてもイニチアチブを取らなければ余程の自力の差がない限り勝ち目がないことは理解できる。


「急な話ではあるが事態は一刻を争う。

 君の都合さえ良ければ今からでもタンバーに面会しては貰えないだろうか。

 私の友人の危機はこの晩にでも訪れるかもしれないんだ」


手持ちの武器は鍛冶屋から借りている代替のロングソード1本。まぁいざとなれば魔法のオーラを隠匿したチート武器を使用しても構わないし武器は問題ないな。

ストーリーラインから判断するにこれは低レベル向けのクエストのほうだ。精々出てきてもゴブリンの低レベル術者程度だろうし、俺1人でこなせるだろう。

ここで断るとクエストが他の冒険者に流れ、カータモンという重要人物との縁が切れてしまうだろう。

彼を経由してコイン・ロードを紹介してもらえそうなこの機会を逃す手はないだろう。


「わかった。そのタンバーって男にはどこに行けば会えるんだ?」


おそらく今夜は長丁場になりそうだ。目の前の食事を手早く片付けると立ち上がり、目的地を聞く。


「引き受けてくれるか、ありがとう!

 彼はここから港に向ったところにあるカータモンの倉庫の付近にいる。

 一番海側にある大きい倉庫だ、行けば判るだろう。

 身の証にこの短剣を持っていくといい。タンバーにこれを見せれば理解してくれるはずだ。

 私はカータモンに君が依頼を引き受けてくれたことを伝えて安心させてやることにしよう。

 無事を祈っているよ、トーリ」


ジェラルドに送られて騒がしい酒場を後にする。

ウェスタンドアを押して通りに出ると、流石にもう案内役の少年の姿は見当たらない。

夕暮れ時の町並みは昼間に比べて深い影を周囲に落としている。コボルドたちは強い光が苦手という、コルソスで戦った魚人と同じ特徴を持っている。

おそらく仕事の時間は日が完全に沈んでからになるだろう。それまでにタンバーに会わなければならない。

一応周囲の異変にすぐ対応できるように知覚系をブーストするアイテムを装備し、道を港に向け進む。

海へと向う下り坂を歩くこと10分ほどか。

もはや住宅は一切見当たらず、完全に人気のない倉庫街へと周囲の様子は様変わりしている。

時折倉庫の中からこちらを伺う気配を感じるが、通り過ぎてしまえば視線が追ってくることもない。

猫くらいのサイズのネズミが物陰を駆け回っているのを横目に歩き続け、ようやく波止場に到着した。

ソウジャーン号が碇を下ろしたエリアとはかなり空気が違う。

あちらは客船を主としていたがこちらは完全に貨物船オンリーだ。

現在積荷を運んでいる船もなく、周囲の人気はない・・・唯1人、波止場に最も近く、この界隈で最も大きな倉庫の脇に佇んでいる男を除いて。


「アンタがタンバーかい?」


ジェラルドから預かった短剣の柄頭にある印章を見えるように持ちながら近づいていくと、男はまだ警戒しながらも話しかけてきてくれた。


「その短剣はジェラルドのものだな。つまりお前がカータモンが雇った冒険者というわけか」


物陰から姿を現したタンバーは、革のコートの上から魚の鱗のような具合に金属の小札を重ねたスケイルメイルを着込んでいるようだ。

腰にはショートソード、背には単弓と矢筒を背負っている。スカウトかレンジャーか?


「ああ。詳しい計画はアンタに聞くように言われてね。早速話を聞かせてもらえるか?」


タンバーに招かれて物陰に入り、そこに積まれている建材に背中を預け話を聞く。


「突然の依頼を受けてもらえて助かったよ。

 今回の計画に合わせて依頼していたチームと連絡が取れなくなってしまっていてね。

 おそらくはハザディルに先手を取られたんだろう。

 今日この日に合わせて、俺とカータモンは大きい商いをしてその荷物がそこの倉庫に運び込まれるように装ってきた。

 おそらくハザディルはその荷物を狙って今日か明日にでもコボルドどもを動かすはずだ。

 本来であれば連中が入り込めないようにすべきなんだろうが、既に相当数のコボルドがこの地区に侵入している。

 お前の仕事は、その囮の荷物に張り付いてコボルドどもの注意を引き付けることだ。

 お前が連中の相手をしている間に、俺は奴らの侵入経路を探して罠を仕掛ける。

 その間、お前は囮の荷物を守り通してくれればいい。

 既に荷物は運び込まれている。そこの倉庫の中央にある大きい木箱がそれだ。

 準備が良いのなら倉庫に入って待機していてくれ。

 もうじき日没だ、そろそろコボルドどもが動き出す時間だろう」


わざわざカータモンの息の掛かった冒険者を予め排除してくるくらいだ、おそらく仕掛けてくるとしたら今夜だろう。


「ああ、大丈夫だ。

 そっちの仕事が終わったかどうかはどうやって判断すればいいんだ?」


朝まで防衛、とかいわれると流石に守りきれない可能性が高い。合図を決めておいて欲しい。


「こちらの仕掛けが終わったら俺もコボルドの掃討に参加する。

 それまでくたばるんじゃないぞ」


その他、倉庫内の照明の操作方法などを聞いてから今夜の仕事場に入った。

先程聞いた操作を行うと、天井から吊り下げられている『エヴァーブライト・ランタン』の覆いが外れ倉庫は明かりに包まれた。

照明に照らされたことで倉庫全体を見渡すことが出来るようになった。倉庫の中は非常に広く、雑多な荷物が積み上げられている。

50メートル四方はあるだろうか。それだけの広さの空間に所狭しと数々のコンテナがひしめいている。

いくつかのそうやって積まれた障害物を避けながら中央に進むと、タンバーが言ったとおり大きな木箱が中央に鎮座していた。

1メートル立方位の大きさで、枠組みの部分は金属で補強されており頑丈そうである。

さて、これを守るのが仕事なんだが・・・

はっきり言って楽勝である。幸い障害物に事欠かないので、この木箱の周囲に《ウェブ》の呪文で召喚した粘着性の糸を張り巡らせておく。

『呪文持続時間延長』の特技により、俺の低い術者としてのレベルでもこの糸は1時間存在し続ける。

それなりの密度もあり、3メートルも離れればその先を見通すことはできない。

糸に触れればそこで動きを制限されるし、そうやって網に掛かった敵を処理していけばいいだろう。

その状態で自分は近くの積み上げられたコンテナの上に登って弓を構える。

あの糸は可燃性のため、火攻めされるとある程度の範囲はすぐに焼け落ちてしまう。

そういう手段に訴えかけてきた奴がいれば最優先でこの高い位置から狙撃するのだ。

さて、後はコボルドたちが攻めてくるのを待つとしよう。



コンテナの上で過ごすこと2時間ほどか。持続時間が切れるたびに《ウェブ》を張りなおしながら待っていると、ようやく敵に動きがあった。

倉庫の隅からゴソゴソという物音がしたかと思うと、物影からコボルドがその顔を現した。

そうやって一匹が姿を現したかと思うと、次々と姿を現してくる。

二足歩行をしているが、その姿は爬虫類でありながらも毛の生えていない犬に近いだろうか。

その口は確かに爬虫類らしく長く突き出しているが、子供くらいの大きさで鼻をスンスンと鳴らしながら周囲を警戒しつつこちらに向ってくる様子は微笑ましいくらいだ。

連中は皆片手に短めの槍を持ち、目当ての箱を求めて中央に近づいてくる。

さて、連中がこの《ウェブ》で諦めてくれれば無用に殺す必要もないのだが・・・。

案の定、先行する何匹かが蜘蛛の糸に引っかかって身動きが取れなくなったところで、火口箱を取り出して糸を燃やそうとし始めた奴がいた。

こうなっては仕方ない。弱いもの苛めのようで気は進まないのだが、この世界で冒険者として生きていくと決めた以上、覚悟はできている。

矢筒から《リターニング》の魔法効果の掛かった矢を取り出して番えると、火口箱を取り出していたコボルドを射た。

シルバーフレイムの戦士のために作られた銀の長弓から放たれた矢は、その弦から注ぎ込まれた聖なる力を宿したまま狙ったコボルドに吸い込まれていった。

自分の体に突き立つ矢を見たコボルドは自分に何が起こったのかを理解する前に、矢から炸裂した聖なる力に焼き尽くされて消し飛んだ。

そしてその矢は《リターニング》の効果により俺の矢筒の中に戻ってきている。75%の確率だったと思うが、今回はちゃんと戻ってきてくれたようだ。

コボルド達からしてみれば突然目の前にいた仲間が白い光に焼かれて消えたように見えただろう。

悪性の生物のみを焼く聖なる炎だ。これが効果を発揮するということは連中は『悪』属性だということ。少し胸のつかえが取れた気がする。

矢筒からまた矢を取り出すと次々とコボルドを射る。魔法の矢筒の効果により、射撃の動作がスムーズに最適化され連射と言っていい速度で矢が放たれ続ける。

何匹か射たところで連中のうち誰かが落とした火口箱が床に落ちた衝撃で火花を散らし、それが蜘蛛の糸に飛んで燃え上がった。

直径1メートル強の範囲の糸が焼け落ちたが、同時にそこに囚われていたコボルドもその火に焼かれて倒れている。

倉庫には肉の焼けた匂いが広がり始め、恐慌に陥ったコボルド達の叫び声が辺りを満たし始めた。

その混乱を煽る様に視界に写っているコボルドに矢を放ち続けると、やがて連中の第一陣は全て消えてなくなり同時に倉庫の隅から第二陣がその姿を見せ始めた。

先程の連中は斥候役だったのだろうか、第二陣のコボルド達は遠巻きに蜘蛛の糸を見つめると一斉に何かを投げつけてきた。

チートで強化された視力がその物体を捉える・・・ビンか。何かの液体が詰められたそれは、糸付近の地面に落下した衝撃で割れたかと思うと突然燃え上がった!

火炎瓶、この世界風に言うのであれば『錬金術師の火』か! 

いくつかは目測を誤ったのか蜘蛛の糸に絡め取られたり、手前過ぎるところに落下して守るべき木箱には影響していないようだがこのままでは不味い。

迂闊に燃え広がると木箱自体に延焼する恐れもある。

位置を悟られないように『呪文音声省略』した《ウェブ》呪文を使用して焼き払われた蜘蛛の糸を補強した後、矢を射続ける。

さすがに何本かの矢は『リターニング』の効果を発揮せずにその場に落ちる。それを発見した生き残りが目敏くこちらの姿を確認するまでそう時間は掛からなかった。


「There is an enemy there!」


彼らの使用する言語である竜語で指示を飛ばすコボルドに矢を放つが、その周囲にいた敵達がこちらに視線を飛ばしてきた。そいつらはそのままこちらのコンテナに向ってくる。

そいつらに対処することは簡単だが、別方向の倉庫の影から第三陣と思われるコボルド達が姿を現し始めている。


「Destroy a large box!」


雄叫びをあげながら駆け寄ってくる小さな影達。中には術者なのか槍ではなく杖を持っている連中も含まれている。

とりあえずこの調子でこちらと木箱に殺到されると対処しきれなくなって危ないかもしれない。

再び《ウェブ》の呪文を、今度は『呪文音声省略』ではなく『呪文高速化』による並行処理により二箇所に放つ。

第三陣がこの倉庫の中央部に進もうとする通路を封鎖する形だ。

その後にこちらを狙ってコンテナの上まで登ってきたコボルドたちを、キックで薙ぎ払って下へ落とす。

致命傷を狙ったわけではないので落下した際の打ち所が悪くなければ死にはしないと思うが、気絶なり戦意喪失して戦線から離れてくれるとありがたいんだが・・・

次に処理するのは第二陣の蜘蛛の糸を焼き払おうとしている連中だ。

弓をブレスレットに収納するとコンテナから飛び降り、蜘蛛の糸に包まれて移動しながら腰の代用ロングソードを抜き放つ。

本来であれば当然自分も蜘蛛の糸に絡まれるのだが、靴に掛けられた魔法が移動を阻害する効果を全てキャンセルしてくれる。

連中からしてみれば蜘蛛の巣から突然俺が現れたように見えただろう。

慌てて武器を構えようとするコボルド達だがそんな余裕を与えることもなく、横薙ぎに剣を振り一度に複数のコボルドを切り倒す。

幸い弓で数を減らしていたことでここにいた連中の数は少なく、何回か剣を振るだけで第二陣は壊滅できたようだ。

次に蜘蛛の糸で封鎖されたエリアにいる第三陣を処理するため、射界を確保できるコンテナに目星をつけた時、連中のいるエリアから炎が発する赤い光が瞬いた。

術者が火系の呪文を使用して一気に焼き払ったのか?

爆発音がなかったことから《ファイアー・ボール》などではないと思うが・・・《バーニング・ハンズ/火炎双手》か?

一瞬敵の行動を分析するために足を止めてしまったが、その間にも再び赤い光が倉庫の一角を染め上げる。

《バーニング・ハンズ》だとすると今の二発で片方の《ウェブ》は突破されたと思っていいだろう。

やはり術者は厄介である。杖を持っている連中を見た時点で最優先で処理すべきだった。

今後の反省点として心に刻みながら、焼かれた《ウェブ》を突破してくるコボルド達を迎え撃つべく移動する。

障害物を避けて曲がり角を曲がった瞬間、敵の先頭を走るコボルドと目が合った。彼我の距離は5メートルほどか。

だが優先すべきは敵の術者だ。先頭の敵は槍を構えた前衛である。視線をその後ろにやると、もう何匹かのコボルドを越えたところで目的である術者の姿があった。

敵もこちらを視認してなんらかの呪文を唱えようとしているようだが、それを完成させてやるつもりはない。

ブレスレットからドワーフが主に用いる投げ斧『ドワーヴン・スロウアー』を剣を持っていない左手に呼び出すと、術者に向けて投擲した。

投げ斧独特の回転と軌道を描きながらそれは敵術者に吸い込まれると、一撃で対象を打ち倒した。

投げ斧自体は付与されている『リターニング』の効果で既に手元に戻ってきている。矢のものとは異なり、100%発揮されるため無限に投げ続けることも出来る。

他にも術者がいればそちらにお見舞いしてやろうと思ったが、今のところ他にそれらしき影は見当たらない。

念のため投げ斧を左手に保持したまま、敵が突き出してきた槍を体捌きで回避したり右手の剣で切り払ったりしながらコボルドを殲滅していく。

途中術者らしい影に何度か投げ斧を投擲した以外は特に困難もなく第三陣も殲滅が終了した。

やはり、コボルドくらいが相手であれば余程のことが無い限り不覚を取ることはなさそうだ。

中にはコボルドとはいえハザラックのような高レベルキャラクターがいるので、油断は禁物ではあるのだが。

周囲の物音が途絶えたようなので木箱の状態をチェックし、異常がないことを確認して最初のコンテナの上に戻った。

なんだかんだで結構呪文を使用してSPが減っているため、SP回復効果を持つアイテムを使用しておく。

この手のSPに関連するアイテムをこの世界の術者が使えばどうなるのか確認してみたいところではある。


(メイと合流したら確認させてもらおうかなー)


おそらく今頃船上の人であろう彼女のことを考えながらSPを回復し、コンテナの上で過ごすこと数分。

倉庫の正面入り口が開く音にそちらを見やると、タンバーが入ってきた。どうやら罠の設置は終了したみたいだな。

呪文によって召喚されていた糸たちを解除して消し去って彼のほうに近づく。

いくつか引っかかっていた『錬金術師の火』が落下して一瞬燃え上がった事にヒヤリとしたが、木箱に影響は無いようだ。


「どうやら木箱は無事なようだな。

 中にコボルドたちは残っていないか?」


周囲を警戒しながらタンバーが話しかけてくる。


「ああ、とりあえず目に付いた連中は始末したぜ。ひょっとしたら何匹か逃げたのがいるかもしれないが・・・」


辺りにはまだ肉の焼けた匂いが立ち込めているし、死体も残さず死んだコボルドが多いが連中が落とした槍や荷物などは辺りに散乱している。

大勢のコボルドを倒した証拠としては十分だろう。


「そうか、1人では困難ではないかと思っていたんだが良くやってくれた。

 私のほうも罠を仕掛け終わった。これでもうコボルドも倉庫へ入ることはできなくなるはずだ。

 後の処理はこちらで人夫を雇ってやらせておく。もう帰ってくれて構わないぞ。

 報酬についてはジェラルドが預かっているはずだ」


ならお言葉に甘えて帰らせてもらおう。幸いまだ真夜中に差し掛かった辺りの時間帯だ。

すぐに帰って寝れば明日も朝から行動できるはずだ。


「お互いいい仕事が出来たようで何よりだ。また何かあれば連絡してくれ。

 暫くは『気まぐれ海老亭』に滞在している予定だ」


軽く握手をしてタンバーと別れ、倉庫を出ると暗い夜道を酒場に向けて歩き出した。

所々に倉庫の天井に設置されていたのと同様の『エヴァーブライト・ランタン』が灯されていて光源となっているため真っ暗というわけではないが、

逆にその明かりの揺らめきが時折物陰に蠢く影を照らし出すことで不気味さを増しているように感じられる。

そんな影に追い立てられるようにして早足で上り坂を進み、『気まぐれ海老亭』に辿りついた。

真夜中だというのに、この酒場の喧しさは全く出かけたときと変わっていないどころか一層悪化しているようにも感じられる。

こちらに秋波を送ってくる商売女らをやり過ごしながらカウンターの席につくと、また無言でエールが出された。

それを傾けながら店内にジェラルドの姿を探すが、今は不在のようだ。

エールを飲み干した頃に今度は料理が運ばれてきた。そういえば宿泊代に朝晩の食事代にちょっとした酒代を含んでいるんだっけな。

目の前に置かれたのは肉を串に通して炙ったものに、香辛料をふんだんにかけられたものだ。

無論肉だけではなく所々に野菜も挟まれている。バーベキューのようなものだろうか?

湯気を上げているそれに齧り付くと、舌の上で香辛料の風味が漬け込まれたソースと肉汁と共にじわっと広がっていく。

ゼンドリックで多く採れるらしい黒胡椒に塩、あとはガーリックなどがソースに使われているのだろう。

一口肉を齧ると咽喉を潤したくなりエールを口にする。どうやら酒の肴にもいい品のようだ。

コーヴェア大陸ではシャドウ・マーチという地域でこういった野趣溢れる料理が盛んらしい。

オークやコボルドの部族が集まっていて人間からすれば未開の地に思える地域だが、人間よりも遥か昔にあの大陸を支配していたのは高度に文明化されたオークの帝国である。

彼らもまたゼンドリックの巨人同様に異次元からの侵略により衰退したが、今もなおカイバーに放逐されたその狂気の王達を『門を護る者』として監視しているとか。

その指導者は魔法によって自我を与えられた樹齢五千年の大樫であるというから驚きである。

そういった『門を護る者』のドルイド達が広めてくれた香辛料のおかげでこんな美味しい料理が味わえるのだから、ありがたい話だ。

何本かの串を片付けて食事を終え、店主の出してくれたワインとチーズを持って部屋へと戻った。

階段を上がって4階にある宛がわれた部屋の前に到着。

呪文による警報はまだ働いているようだが、作動した形跡はない。そのことを確認してドアを開け、街の外方向に向いている部屋の窓を開けて夜空を眺めながらワインとチーズを堪能することにした。

流石にここまで上がってくれば1階の喧騒も殆ど聞こえてこない。

生憎窓の外の景色は半分ほどが街を取り囲む城壁によって遮られているが、それでも綺麗な夜空が広がっている。

月の数が多く、またその輝きも強い事から星はそれほど多くは見えないのだが・・・。

そういえばエベロンでは星は始原の龍であるシベイが空に撒いたものだったんだっけか。

シベイが星を置き、カイバーがその星を食らう。一方エベロンは我関せずと歌を歌っていたがやがてシベイとカイバーが争い始める。

その戦いでシベイは何百万もの肉片に引き裂かれ、今だ血の渇きがおさまらないカイバーはエベロンに襲い掛かった。

長い戦いの結果、連戦で疲労したカイバーをエベロンが押さえ込み、身動きが取れないようにした。

こうしてカイバーは地下となりエベロンが地上に、シベイの破片は天にてエベロンの周囲を取り巻くようになった。これがこの世界の一般的な創世神話だとされている。

その天に舞うシベイの欠片が地上に落ちたのがシベイ・ドラゴン・シャード・・・俺のレベルアップに必要なアイテムである。

他の2龍のドラゴン・シャードも同様に存在し、このエベロンの魔法文明を支える重要なアイテムとして知られているが、取り合えずそれらは俺には使い道がない。

ゼンドリックで冒険者家業を営むのはゲーム知識の利用も大きな理由だが、このシベイシャードの殆どが赤道上にあるこの大陸に落下するというのも重要だ。

次の4Lvに成長する分は確保できているが、5Lvに成長させるには数が足りない。

早く中央市場へのアクセスを確保して、シャードを手に入れないといけないな・・・。



翌朝。

熱帯でも楽に過ごせる"ヌルクローズ・ガウン"とワインのおかげで快適な睡眠を取れた俺は、部屋に用意しておいた水桶で顔を洗うと警報の呪文を再度設置して階下へと降りて行った。

カウンターで水代わりのエールを飲み、パンとサラダという簡素な朝食を食べているとジェラルドがウエスタンドアを開き入ってきたのが目の端に映った。

彼もこちらに気づいたようでカウンターに歩み寄ってくる。


「やあ、トーリ。

 昨晩は見事に役目を果たしてくれたようだな。カータモンも荷物の無事と君の活躍を聞いて喜んでいたよ。

 これは彼から預かっている報酬だ。確認して受け取ってくれ給え」


そう言ってジェラルドはカウンターの上に袋を置いた。ジャリ、という金属が擦れる音がしてその中身が貨幣であろう事が判る。

袋の中身をチラリと見ると中身は全て金貨のようだ。重さはペットボトル3、4本といったところか。

1枚が10グラム程度のはずだから全てがちゃんとした金貨だとすると700GP前後だろうか。正確には後で数えてみないと判らないが。


「まぁ一晩の仕事としては十分そうな報酬だな。数だけは多いコボルド共の相手をしたことが報われてありがたいよ」


軽口を叩いて横においていた背負い袋に金貨の詰まった袋を放り込み、預かっていた短剣を返そうとするとジェラルドはその短剣の柄頭を掌で抑えるようにしてこちらの動きを遮った。


「その短剣を返す前に依頼の続きの話をさせてもらえないか?

 実は昨晩のうちに別の動きがあってね。どうやらカータモンはまだ君の助けを必要としているそうなんだ」


短剣を引っ込めて、話の続きを促す。


「これはカータモンが予め声を掛けていた冒険者達から聞いた話なんだが。

 彼らは朝方までストームリーチの郊外で足止めされていたようだが、重要な情報を持ち帰ってくれた。

 最近ハザディルは密林にある、今まで未発見だった集落をいくつか見つけ出して襲ったらしい。

 そしてその略奪品の大部分をストームリーチから持ち出す計画を立てているらしいんだ。

 我々はアーティファクトや交易品がハザディルの影の支配者の手に入るくらいなら壊してしまったほうがいいと考えている。

 カータモンの仲間のハーモン・タフトがその船荷を破壊する作戦を立てている」


なるほど、チェイン・クエストがしっかり発動しているようだ。


「わかったよ、ジェラルド。

 今度はそのハーモン・タフトってヤツに話を聞けばいいんだな。

 彼にはどこに行けば会えるんだ?」


こうなったからには最後まできっちり付き合うことにしよう。幸い次の依頼は最も楽な部類のクエストだ。

ジェラルドからハーモンのいる場所を聞き、背負い袋を担ぐと『気まぐれ海老亭』から外に出た。

まだ太陽も頂点には達していない時間帯だ。マッサージの効果は抜けたのかすこぶる快調とはいかないが、8時間の睡眠で体調は万全である。

幸い天気も良く、今日も暑くなりそうだ。

そういえばこの世界には天気予報はあるんだろうが、現代見たく新聞やテレビ、ラジオなんかでいつでも入手できる情報ではないんだよな。

"生存"や"知識:自然"の技能である程度天気が読めるので個人的には苦労しないんだが。

昨夜と違って陽光に照らされた明るい街路を歩く。

この時間はそれなりに人通りがあるようで、時折荷物を運んでいる水夫や波止場から街へ向かう人達が通り過ぎていく。

太陽の恵みに感謝しながら昨晩と同じ道を下っていくと、やがてジェラルドが指示した路地に行きあたった。

密輸業者の倉庫は表通りには無いようで、この路地を進んだ先にあるということだが・・・。

流石に見張りを配しているのだろう。昨晩通った時に感じた視線がまた向けられている。

いまそちらに進んでも余計な警戒を招くだけだろうし、この付近にいるであろうハーモンを探すことにした。

周囲を見回すと、港に近い別の倉庫の前にタンバーと同じ装いの男が1人立っている。おそらく彼がハーモンだろう。

昨晩同様ジェラルドの短剣を見せて話しかけるとお互いに軽い自己紹介を行った後で彼が立っていた倉庫の中に招かれた。


「昨晩の活躍は聞いている。今日も単身で活動してもらうことになるが、危険性は格段に低いはずだ。

 危ないところは我々が引き受ける。安心してストレス解消してくれればいい・・・時間だけは厳守してもらうけどな」


そう最初に伝えると、彼は作戦の説明をしてくれた。

彼と昨晩参加予定だった冒険者のチームで、ハザディルの倉庫にいる衛兵を襲って注意を引き付けている間に俺は倉庫に侵入して出庫のために梱包されているコンテナを破壊して回ればいいらしい。

普段は倉庫の中にも多くのコボルドがいるらしいが、昨晩の戦闘でその数を減らしたこと等で今日は倉庫の中に誰もいないことを占術呪文で確認できているとの事。


「集落が襲撃されたとき、多くの住人が殺された。

 あの物品は死んだ奴らのものだ。そんな物で、ハザディルに儲けさせてたまるか」


ハーモンもハザディルの所業には腹を立てているようだ。冒険者の探索とはつまるところ現地からの略奪である。

だが既に生者のいない遺跡を荒らすのと、生きている現地人を虐殺して略奪を働くのは俺の倫理観では全くの別物だ。彼の意見には賛成である。


「お前が倉庫を襲撃している間、私達はハザディルの衛兵を相手にしている。

 20分は約束できるが、それ以上は無理だ。少なくとも50箱はコンテナを破壊して欲しい。

 それでハザディルの一日を台無しにできるし、その貴重な一日の間にコイン・ロードかハーバー・マスターに証拠を突きつけることが出来れば密輸品を取り上げることが出来るだろう」


なるほど、目的は時間稼ぎか。

20分で50個だと24秒で1個のペースか。コンテナの密集具合ににもよるが楽なペースに感じられる。

ゲームと異なり破壊した後の撤収時間も考えて倍の時間になっているということかな。

突入時と撤収時用に《インヴィジビリティ》のポーションを2個支給してくれる、との事。

冒険者チームの面々の準備が整い次第の作戦開始になるそうだが、彼らは明け方まで働いていたということで作戦開始は夕方頃になるらしい。

それまではまた街をぶらついて過ごすことにしよう。

ハーモンに夕方合流することを伝えると、倉庫を出て街を回ってみることにした。

倉庫を出るとまずは海の方向へ向い、波止場に出ると今度は海沿いに進む。

流石に昼間だけあって港では活発に荷物の遣り取りが行われており、大勢の水夫が辺りを走り回り、積荷を確認する役人もそこかしこにいる。

大きいコンテナは商船からおろされた後、今度は街を流れる運河を走る船に乗せかえられて中央市場に向うようだ。

荷物以外にも人を運ぶ川船もあるようで、幾人かを乗せて川を遡って行く様子を見ることが出来る。

街の方向から海に向って流れ込んでいるコロヌー川の岸辺に到着すると、そこでは渡し舟が営業していた。

銅貨を1枚渡し、対岸まで運んでもらう。


「お客さん、その格好は冒険者かい?」


渡し舟の船頭が声を掛けてきた。この街で随分と暮らしてきたのだろう、浅黒い肌がこの熱帯地方で長く暮らした彼の人生を表しているようだ。


「ああ、昨日ここに着いたばかりだがね。

 話には聞いていたけどこの暑さは相当なもんだな。

 カルナスの連中が来たらあっという間に蒸発しちまうんじゃないか?」


軽口を叩いて返事を返す。

実際には《熱抵抗》の装備をしているので暑さは感じていないのだが。

そういえばこれって紫外線は防がない、よな? 暑くはないが日焼けだけはしてしまうのか?


「コーヴェア暮らしが長い方達は大変でしょうや。

 でもまぁ街から出ればトラベラーの気分次第で川が氷結したり草原が煮えたぎる溶岩に変わっちまうこともあるって話です。

 お客さんも外に出るときはゼンドリック生まれの案内人を連れて行ったほうが良いですぜ」


悪名高きゼンドリックの『変幻地帯』か。

かつてジャイアントが別次元界からの侵略に対抗するために使用した魔法の影響でゼンドリックの大地では自然の摂理は歪められており、熱波に覆われた砂漠の隣に極寒のツンドラが広がっていたりもする。

酷い場合では船頭のおっちゃんが言ったとおり、自然環境そのものが一瞬で激変することがある。それもその場にいる動物を巻き込んで、だ。

旅人が巻き込まれたという話は聞かないが、目の前で虎がサーベルタイガーに変化するくらいのことは変幻地帯では良くあるらしい。

ちなみに『トラベラー』とは暗黒六帝と呼ばれる悪神らの一柱で、千の姿を持ち狡猾と欺瞞の主であるとされている。

この大陸では時間と距離が歪まされることが多々あり、同じ速度で同じルートを辿っても片方は1週間、もう片方は3週間かかる等という出来事が起こる。

これを『トラベラーの呪い』と呼んでいるのだが、これと『変幻地帯』がこのゼンドリックを未だに未開の大陸にしている要因なのだろう。

そんな遣り取りをしている間に渡し舟は対岸に到着し、貨物船が停泊している区画から商船が停泊している区画へと移動した。

見れば一番目立つところにソウジャーン号が停泊しているのが見える。

他にもエアレナル諸島のエルフが使う黒いダークウッド製の船や、青色に銀の刺繍で飾られた見事な帆を靡かせているリードラのガレオン船も見える。

国籍船種なんでもござれである。

やがて港の端までたどり着くと、昨日も利用した階段を使用して断崖を登る。

ゲームではよくここでチャットしながら移動していたために足を滑らせて滑落死したものである。
 
最初期のプレイヤーは誰しも経験しているのではないだろうか、ここでの落下死と『水漏れ小船亭』周辺での溺死は。

階段を登りきってから港を見下ろすと、海から塩っ気たっぷりの浜風が吹き付けてくる。

なんか海をこうして見ているとテンションが上がってしまうのは内陸育ちの人間の性なんだろうか?

こうしていても相当な時間を潰せそうではあるが、それはまた今度の機会にして街の散策を続けることにしよう。

昨日歩いた道を確認しながら新しい発見はないものかとキョロキョロしていると昨日の案内役の少年が視界に入った。

彼もこちらに気がついたようで、素早い動きで走ってこちらに近寄ってくる。


「よ、昨日はいい宿を紹介してくれてありがとよ。

 おかげで仕事にもありつけたし、暫くの生活の目処が立ったよ」


昨日の様子からしてひょっとしたら心配させていたかもしれないので、問題なかったことを伝えると少年も安心したのか笑顔になると軽口を叩いてきた。


「あの酒場で食材にされちまったんじゃないかと思ったよ。

 噂に聞くほど酷い店じゃなかったみたいで何よりだね」


・・・一体どんな噂が。

だがまぁ闘技場紛いのイベントをやっているのであれば、死んでしまう連中がいてもおかしくはない。

今後もあのエリアには近づかないようにしよう。


「そういえば小腹が減ってきたな。

 どっか飯食うところ紹介してくれないか?」


朝食が簡素だった上に観光気分で歩き回っていたためにもう腹が減ってきた。

どうせなので昨日同様この少年に案内してもらうことにしよう。


「別に構わないけど。代金はちゃんとくれよな」


そう言う彼に昨日の礼もかねて銀貨を1枚放り、案内を任せる。

ひょっとしたら払いすぎなのかもしれないが、お互い満足しているので気にしないでおこう。


少年に案内された区画では道に屋台が並んでおり、様々な地方の料理が手軽に味わえそうであった。

屋台に取り囲まれた広場の中央には椅子が並べられており、昼間だというのに既に出来上がった海の男達がエールを酌み交わしている。

とりあえず目に付いた焼き鳥屋っぽいところに近づき、銀貨を1枚出すと串が4本ほど束にして渡された。

植物の大きな葉を細工して皿代わりにしており、工夫を感じさせる。


「まぁここに出してる屋台であればそう酷い外れはないはずだよ。

 変なものを出してるとすぐに淘汰されちゃうしね」


そう説明しながらも彼の視線は皿に釘付けである。ストリートチルドレンだとすると肉なんて余り食べれていないのかもしれないな。


「食うか?」


そう言って皿を差し出すと、彼はこちらの目を見てキョトンとしたようだが、すぐに立ち直ると一瞬で皿に残っていた串を両手で掴んで口に入れ始めた。


「ひまはらはえへってひっへほふりはへ」


「言いたいことはなんとなくわかるが、落ち着いて食え。

 取り上げたりしないから」


ううむ、家で飼ってた犬に餌をやっていた頃を思い出すなぁ。

晩年はモソモソとしか食べなかったが、飼いはじめた頃はこんな勢いでむしゃぶりついてたっけ。

和んだところでもうちょいとサービスしてやるとするか。

銀貨を何枚か握らせて、買出しをさせることにした。


「それでこの辺りの屋台から美味そうなのを見繕ってきてくれ。

 買ってきた食べ物の半分はお前が食べていいからさ」


色々食べてみたくはあるが、何分目利きができそうにない。

ギブアンドテイクということで彼に活躍してもらうことにしよう。

好みの料理を探すにも、少しずつつまんだ方が良さそうだしな。

こちらの意図を汲んだのか、少年は銀貨を握り締めると屋台の方に素っ飛んで行った。

空いている長椅子に腰掛けて少年を待つ間、周囲の喧騒に耳を傾けてみると時折コルソスの話題が出ていることに気付く。

ゼンドリックとコーヴェア大陸を繋ぐ補給地点として重要なポイントだったようで、コルソスに寄港できずにストームリーチまで直通で旅を強いられた水夫達の苦労話が聞き取れる。

空を飛ぶドラゴンの姿を見かけて引き返した船の目の前で、諦めずに近寄ろうとした別の船がドラゴンに沈められたなんて話まである。

どうやらまだコルソスが解放されたという話は広まっていないようだ。

昨日ソウジャーン号が到着したばかりだし、村の様子を見に行った船にエレミア達が乗ってこの街に到着するまで早く見ても一週間。

その間はまだ知る人ぞ知る、という程度の情報になるんだろう。

そんな噂話や広場の片隅で客のリクエストに答えて演奏しているバードの奏でる音楽を聴きながらボーっとしていると、やがて少年が帰ってきた。

何段もの皿を重ねて器用に人混みを避けながらこちらに向ってくる。

到着した少年は長椅子の空きスペースに皿を並べながら色々と料理の解説をしてくれた。

残念ながらそれぞれが五つ国のどの国由来のものかは知らないようだったが、複数の皿に載せられた多種多様な料理はソウジャーン号の豪勢な料理とは違った意味で俺を楽しませてくれた。

どうやら屋台の魔力はこの世界にもあるらしい。

しばらく料理話をしながら食べていると、少年があまり食べ進めていない事に気づいた。


「どうした?

 腹が痛くなったとかいうのは止してくれよ」


毒無効の付与効果は果たして悪くなった食べ物にも効果があるのか?

酒ではほろ酔い以上に悪化しないであろう事は昨晩確認できているのだが、料理での腹下しは未経験である。


「いや、そういうわけじゃないんだけど。

 なぁ、おいらの取り分は持って帰ってもいいか?」


どうやら少し事情が違ったようだ。

話を聞いたところ、この少年は所謂ストリートチルドレンらしい。

普段は観光客の道案内や、無警戒なおのぼりさんから授業料を回収して生計を立てているらしいが、昨日今日と自分ひとりだけが俺という金づるを獲得して美味い目に合っているのが気が引けるとの事。

収入が不定期なことからも腹をすかせている仲間がアジトにはおり、その連中にも持って帰ってやりたいとの事だ。

少年の目を見るに同情を引くための嘘話というわけではなさそうで、本当に仲間に対して若干の後ろめたさを感じているようだ。


(いい話だなぁ・・・)


こういった環境の子供達を全員救って回るわけではないが、少なくとも関わりを持った範囲であれば少々のお節介をしても構わないのではないだろうか。

まだ自分の分を食べきっていなかったが、皿を少年のほうに押し出した。


「何、取り分なんだから捨てようが何しようが構わないさ。

 それにもう腹一杯になっちまったんでね、残りも一緒に処理してくれるとありがたい」


既に一口ずつは食べてどんな味かは判った気がするし、懐が痛むわけでもない。


「それよりも持って帰るときに注意しなよ。

 腹を空かせた野良犬に襲われない様にな」


折角なら温かいうちに持って行ってやりなよ、と声を掛けて立ち上がる。

後の時間は宿に戻って過ごすことにするかな。

そう思い立ち去ろうとすると、椅子に座ったままの少年に袖を引っ張られて立ち止まることになった。


「俺はカルノっていうんだ。兄ちゃんの名前は?」


そういえば少年少年と言っていて名前を聞いていなかったな。まぁ教えて困るものでもないし構わないだろう。


「俺はトーリだ。何分この街じゃ新参なんでね、また今度案内を頼むよ」


そう言って身を翻した背中に、ボソっと聞こえたカルノのお礼の言葉に手を振って答え、いい気分で宿屋への道を歩くのだった。



宿屋の客室でジェラルドが寄越した報酬の金貨を確認したりしているうちに時間は過ぎ、夕暮れ時に今晩の作戦を行うメンバーが倉庫に揃った。

作戦開始前に面通しが行われた。ドワーフの戦士エベルク、ハーフリングの斥候ギャレット、ノームの魔法使いグリム、そしてハーフエルフの癒し手ミランダだ。

ストームリーチでは人間が多いとはいえ、その割合は半分にも満たない。だからこういった人間がいないパーティーも珍しくないそうだ。

ハーモンが地図を広げ、周囲の地形と取るべき戦術について確認を行っていく。

基本的には敵の衛兵を釣りだして、倉庫の路地を利用し包囲されないように逃げ回りながら連中にちょっかいを掛け続けるという作戦のようだ。

この辺りのことは土地勘の無い俺には出る幕はない。精々が地図を睨み付けて行動のルートを間違えないように覚えておく程度だ。

どうやらハザディルの倉庫は、いくつもの廃棄された倉庫を繋ぎ合わせたりして組み上げられた複雑な構造をしているらしい。

確かにゲーム中でも複数の大きさの部屋が混在し、やたらと高低差のある廊下を走りまわる羽目になった覚えがある。

一通りの打ち合わせが終了し、作戦開始となった。先程監視の目があった路地に差し掛かる前にポーションを飲んで姿を消し、5人組の後ろをついていく。

彼らが派手に陽動を開始したのを横目に、入り口から飛び出てきたコボルド達をすり抜けて倉庫の内部に突入した。


倉庫の中に入り込むと、幸いな事に廃棄された古い倉庫なおかげか所々裂けている天井などから夕方特有の赤い光が差し込んでおり、視界には苦労しない。

入り込んだ倉庫の中は壁に沿って木箱が並べられている他、三つのドアが取り付けられている。



とりあえず目に付いた木箱をロングソードで両断しながら適当に一つのドアを選び、それを蹴破って先に進んだ。

『疾走増幅』の指輪の効果で移動のペースは通常の倍速である。

占術での事前調査どおり倉庫内に敵はいないし、邪魔になるのは時折立ちふさがる扉や鉄柵程度である。

全く敵がいないというのは楽でいい。コンテナを破壊しながら奥へ奥へと進み続けると、最奥の行き止まりと思われるスペースにて予想していなかった事態に遭遇した。


「エルフ・・・いや、ドラウの子供か?」


そこには鉄の檻があり、その中には小型車サイズのサソリを模した鉄製の像と、それに寄りかかっている二人の肌の黒い少女の姿が見えた。

確かハザディルは現地の集落を襲撃したと言っていたな。だとすると彼女らはその生き残りか?

流石に周囲で木箱が破壊されたことで目が覚めたのか二人は薄らと目を開く・・・が周囲の状況が掴めていないのか、お互いの体を手探りで確認すると脅えた様に抱き合っている。

とりあえず安心させるためにも声を掛けることにした。


「おい、大丈夫か?

 今そこから出してやる。ちょっと大きい音がするけど我慢してくれよ」


流石に鉄をこのロングソードで斬ることはできない。"ソード・オブ・シャドウ"を取り出すと端のほうにある何本かの格子を切り飛ばし、外に出れるようにした。

が、どうもこの二人は反応しない。格子を切るときの振動にはビクっとしていたようだが・・・まさか視覚と聴覚を奪われているのか?

確かに人身売買を連中が考えているのであれば逃がさないために体を傷つけるよりもそういった手段が効果的なのかもしれないが・・・正直反吐が出るやり方である。

一見したところ外傷はないようだが、こればっかりはこの状態では判断できない。

ブレスレットからアイテムを取り出し、込められた《パナセア/万能薬》を発動させて掌から癒しの効果を彼女らに送り込む。

薄く緑がかった淡い光が彼女らを包み、治療は完了したはずだ。

だがどうも反応がない。

エルフ同様ドラウも睡眠しないはずなので寝ているという訳ではないはずだが、原因がわからない。


「仕方がない、ちょっと揺れるけど勘弁してくれよ」


念のため声を掛けてから二人を抱き上げる。

少女達がお互いを抱きしめあっているので、両手で彼女らを一抱えにして持ち上げるとアイテムの《テレポート》の効果で宿の部屋に転移した。

流石に彼女達を抱えた状態で敵の防衛ラインを突破するとかは考えたくない。

とりあえずベッドに二人を並べ、まだ意識が戻っていないのを確認すると再度《テレポート》を使用し、先程の倉庫に戻る。

帰り道は少々不安だったが運よく元の位置に戻ることが出来た。

何か彼女らの手がかりになるものがないかと辺りを見回した際に、同じ檻に押し込められていた蠍の像に違和感を感じた。


(こいつ、『ウォーフォージド・スコーピオン』か?)


ゼンドリックのドラウがクォーリの創造炉から『蠍神ヴァルクーア』を讃えるために作り出した鋼の蠍達。

おそらくは村の守護を担っていたのだろうが、ハザディルの襲撃の際にこうして捕えられてしまったのだろう。

良く見るとその体は所々が傷ついており、足も何本か欠けているのが見て取れる。

まだ完全に破壊されたわけではないようだが損傷が酷いのか機能停止しているようだ。

もしこいつが『ウォーフォージド・スコーピオン』であれば共通語が通じるはず。

きちんと話を通せば、攻撃されずに彼女達の力になってくれるだろう。

流石にこのサイズと重量ではテレポートで運べないが、修理してやればコボルドくらい薙ぎ払えるはずだ。

ブレスレットからこういった人造のクリーチャーを治癒する特別な呪文が込められたワンドを取り出し、その効果により機械仕掛けの構造を修理していく。

正直どんな仕掛けになっているのかわからないが、それでも発動さえすれば修復が行われる辺り魔法とはつくづく便利なものだと思う。

何度かワンドに込められた《リペア・クリティカル・ダメージ/大損害修理》を発動してやるとどうやら完全に修理が完了したようだ。

鉄蠍の目らしき部分に緑色の光が宿り、再起動したのが見て取れる。

さて、あとは説得だな。


「言葉はわかるか?

 お前を修理したんだが、一緒にいた少女達のことでお前の力が借りたい。話を聞いてくれ」


一瞬目の前にいる俺を見て攻撃態勢を取ろうと尾をピクリと動かした気がするが、言葉を掛けると話を聞いてくれる気になったようで襲い掛かってくることはなかった。


「大丈夫みたいだな。

 ここはハザディルっていう密輸商人・・・たぶんアンタの集落を襲った連中の隠し倉庫だ。

 一緒に閉じ込められていた少女二人は先にテレポートで宿に送ったんだがアンタのその体は無理だ。

 これから敵の包囲を抜けて脱出する、ついてくるなら尾を縦に振ってくれ」


しばらく沈黙が続くが、やがて蠍は尾を縦に一度振って同意を示してくれた。

この鉄の蠍は知性を与えられており、こちらの言葉を理解することはできるが当然会話することはできない。

なので相手の身振り手振りでコミュニケーションを取る必要があるのだ。


「よし、ならついてきてくれ。出口まで案内する。

 ここの衛兵達は俺の仲間が引き付けてくれているから危険は少ないと思うけど、注意しろよ」


来た道を戻りながら事情を蠍に聞かせていく。

幸いあの檻に到着するまでにノルマの50個は破壊できている。後は脱出するだけだ。

移動に専念したおかげで、来たときの半分程度の時間で倉庫の入り口に辿り着いた。どうやらまだハーモンたちが上手くやってくれているようで、周囲に敵の気配はない。

既に薄暗くなっている周囲の影に隠れるようにしながら、予め打ち合わせていた路地を進むとやがてハーモンと落ち合った。

彼は最初後ろに従うサソリの姿を見て驚いていたようだが、倉庫の奥に囚われていたところを連れてきたと話すと途端に上機嫌になった。


「では俺はあの4人に合図を送ろう。

 おそらくハザディルはそのサソリをシャーンのアーティフィサーに売ろうとしていたんだろうし、

 ヤツの悔しがる顔が目に浮かぶようだ!」


ハーモンはそう言ってから1本の矢を取り出し、上空に向けて放った。

鏑矢のようなものだろうか、独特の鏃をしたその矢は響き渡る音を発しながらどこかに飛び去っていった。


「さて、今の合図で皆撤収を開始するだろう。

 報酬はジェラルドから受け取ってくれ」


そう告げて立ち去ろうとするハーモンに声を掛ける。


「すまないが打ち合わせに使った倉庫を少し借りていいか?

 こいつを宿に連れて行くわけにも行かないし、ちょっと困ってるんだ」


指でサソリを示しながらお願いする。


「なるほど。

 ならその件は私からカータモンに伝えておこう。

 偽装用の倉庫だからしばらくは使う予定は無いが、あまり長い期間は無理だぞ」

 
ハーモンの了解も得たところで、サソリを連れて倉庫に向う。

中に入るとスイッチで照明を操作し、明かりを灯すと中の様子が見えてくる。

先程打ち合わせに使用した地図などはもう取り除かれており、まったく普通の倉庫にしか見えない。

表通りからも少し離れており、ここなら目立たずに出入りできるだろう。


「それじゃ今から二人を連れてくる。ちょっとだけ待っててくれよ」


そう告げると再び《テレポート》の効果で宿に戻り、二人がまだベッドの上で寝ているのを確認するとまた抱え込んで倉庫に転移した。

これで今日一日だけで4回使用したことになる。アイテム自体を5個しか持っていないため、1日に5回が限度だから後一回は有事の際に備えて残しておかなければいけないな。


倉庫ではサソリが行儀良く待っていた。彼の前に二人の少女を降ろし、反応を見る。


「毒や状態異常の類なら取り除いたはずなんだが、目を覚まさない。

 原因はわかるか?」


こうして見るとこの二人は中学生くらいだろうか? いずれにしても成人前ではあるのだろうが、まったくの瓜二つで双子のように見える。

ドラウもエルフと同じ以上成人年齢が100歳だろうから、こう見えても二人とも俺より遥か年上のはずだが、どうも慣れない。

灰色の肌に流れるような銀髪。

夜空を切り取って人型に流し込んだような、神秘的な雰囲気を感じさせる造形である。

座り込んで様子を見ていると、突如サソリがその鋭い鋏で彼女らにつけられていた腕輪を破壊した。

それと同時に二人の意識が戻ったのか、体を起し始めた。

あの腕輪がなんらかの状態異常を引き起こしていたのか?

そういえば《ディテクト・マジック/魔法の感知》によるサーチを行っていなかった。間抜けな話である。


「大丈夫か?

 どこか異常があったら言ってくれ」


身を起した二人に声を掛けると、1人は驚いたのか飛び跳ねて距離を取った。もう1人はぼうっと立ち尽くしていたが、すぐに片割れに手を引かれてサソリの影に引っ張られていった。


「ここはどこ?

 お前は何者だ!

 連中の一味だっていうなら、このヴァルクーアの使いがお前に死をもたらすぞ!」


威勢のいいほうがサソリの尾に隠れながら啖呵を切ってくるが、微笑ましいだけでさっぱり怖ろしくない。

とりあえず落ち着かせるために状況を聞かせることにした。


「それだけ元気なら心配はいらないみたいだな。

 俺はトーリ、冒険者だ。

 ここはストームリーチに数ある倉庫の中の一つ。

 ハザディルって密輸商人が集落を襲って得た品を運び出そうしていていると聞いて妨害に出かけた俺が、連中の倉庫から君達を保護した。

 ついでにそのヴァルクーアの使いとやらの修復をしたのも俺だ。

 他に何か聞きたい事はあるか?」


非常に簡単だが、俺に説明できることはこれくらいだ。

出来れば元いた集落に送ってやるべきなのかもしれないが、ドラウは余所者を嫌うことで知られていたと思う。

彼らからすれば冒険者なんて父祖の墓を荒らしに来た略奪者以外の何者でもないだろうし、歓迎されるとは思えない。

とりあえず言うべき事を言った後に先方の反応を待っていると、後ろに庇われている方の少女がこちらに歩み寄ってきた。


「とても・・・、つよい、ちから。

 そらの、ほしとおなじ」


共通語に不慣れなのか、たどたどしい口調で大人しめの少女が言葉を発した。

話しながらローブの裾に触れてきた彼女の目に、蒼い光が灯っているのに気づく。


(《アーケイン・サイト/秘術知覚》か? でもいま魔法のオーラは隠匿しているはず・・・

 《トゥルー・シーイング/真実の目》の効果もあるのか?)


驚愕に固まってしまう。彼女は呪文を行使した様子がなかったということは生来の能力ということだ。

《アーケイン・サイト》だけなら呪文で永続付与できなくもないが、《トゥルー・シーイング》は蘇生と同レベルの信仰呪文である。

生来の能力としては破格であり、そんな能力のあるクリーチャーは高位の来訪者くらいしか覚えがない。

もしこの能力をハザディルが狙っていたのなら大事だ。


「えーと、その目の力は生まれつきなのか?

 そのせいで連中に狙われたのか?」


少女に尋ねてみるが、彼女は首を傾げるだけで反応を返してくれない。

むう、共通語に不慣れなのか?


「離れろ!

 この者に手を出すことは許さないぞ!」


もう片方の少女が間にはいって、一方を引き離そうとする。こちらの少女は赤眼であり、特に違和感を感じることはない。

どうしたものかと頭を悩ませていると、倉庫の外に人の気配を感じた。

咄嗟に騒いでいる少女の口を塞ぎ、小声で来客を告げてどこか物陰に隠れるように指示する。

彼女は突然の出来事に一瞬暴れたものの、エルフ族特有の鋭い知覚能力で気配を察したのか大人しく言うことを聞いて、相方の手を引いて奥に下がっていった。

サソリの守護者も彼女らを庇うように、倉庫の入り口と彼女らの間を塞ぐように位置取りを変えている。

であれば、俺の役割は入り口で相手を警戒することだな。

即席のチームワークを発揮するべく扉の横に張り付き、腰の剣を抜いて備えていると気配の主は律儀にも扉にノックをしてきた。


「トーリ、ジェラルドだ。

 ハーモンからここに君がいると聞いて訪ねてきたんだ。

 すまないが緊急事態なんだ。開けてくれないか」


声からして確かにジェラルドのようだ。他に気配もないし、会っても問題ないだろう。

だが倉庫の中に入れるのは問題があるかもしれない。ここは俺が外に出て話をするべきだな。


「わかった、今行く」


通じるか判らないが奥の連中に「ここで待て」とジェスチャーしてから扉を開けて外に出た。

そこには確かにロード・ジェラルド・グッドブレード本人がいた。


「どうしたんだジェラルド。

 報酬を持ってきてくれたというなら歓迎するが」


後ろ手に扉を閉めつつ話しかけると、ジェラルドはエライ剣幕で捲くし立ててきた。


「それどころじゃないんだ!

 お前の働きには私もカータモンも感謝しているが、大変なことになった!

 お前達がハザディルの倉庫を襲撃している間に、連中はカータモンの倉庫を急襲してきたんだ。

 連中は昨日タンバーが仕掛けた罠にも怯まず踏み越え、大切な容器を奪っていった!

 その容器にはとても強力な物体がはいっていたんだ。

 ワームの財宝にふさわしい欠片・・・私の言っている意味がわかるな?」


ドラゴン・シャードか!


「ああ、十分に理解したさ。で、俺にどうして欲しいんだ?」


倉庫が手薄だったのは、カータモンの倉庫を襲撃するためだったということだな。

流石の占術呪文も然るべき問いかけをしなければ有用な返答を得ることはできない。そこまでの動きはお互い予想していなかったということなんだろう。


「ハザディルのコボルドがまた自分の倉庫を見回っているんだ。

 だが、かなりの人数がタンバーの罠にやられ、ほとんどの者が戦える状態ではない。

 中に入り、盗まれた容器を見つけ、酒場にいるボードリーに直接届けるんだ。

 コイン・ロードのベリガン・エンジはカータモンを信頼して、シヴィス氏族の友達の所にそれを届ける役目を与えたんだ。

 もし奴の信頼を裏切ったら、カータモンは破滅だろう。無論、近しい位置にいる私たちにも良くない事が起こりかねない。

 今頼れるのはお前だけなんだ、トーリ。

 昨晩大勢のコボルド達を翻弄したお前の力を貸して欲しい」


カータモンが失脚したら昨日からの努力が水の泡だし、今日の分の報酬もお流れだろう。

怒涛の展開ではあるが知識にあるクエスト通りでもある。ここは一つ恩を売っておいたほうがいいだろう。


「判った。それじゃあ用意をして直にさっきの倉庫に向おう。

 何か気をつけておくことはあるか?」


引き受けるとジェラルドは随分と安心したようで、ようやく落ち着いたようだ。


「残念ながら先程衛兵の気を引いた作戦はもう使えないだろう。

 あちらの4人も傷を負っていてこれからの仕事に助力は期待できない。

 私たちの運命はトーリ1人に任せることになる。

 頼んだぞ。私はこの報告をカータモンに伝えることにしよう」


そう言って宿に戻るジェラルドを見送って倉庫に入ると、聞き耳を立てていたのかすぐ近くまで皆が寄ってきていた。


「聞いていたなら事情は判ってるな?

 俺はまたこれから出かけなきゃならん。

 この倉庫は暫く借りれることになっているからその間は使ってくれて構わない。

 仕事が終わったら一応食事くらいは差し入れしてやるから、それまでは大人しく今後どうするかを考えていてくれ」


理想的な展開としては、サソリの守護者を連れて集落に帰ってくれるのが有難いんだが。

この世界の密輸商人なんて連中が禍根を残すような甘い仕事をするとは思えない。おそらく集落は全滅だろう。

過酷なゼンドリックの自然の中で、まだ成人前の少女二人で生きていけるとも思えない。

これは悩みどころだな・・・昼間少年に飯を奢ってサービスしてあげたのとはスケールが違う問題である。

そんなことを考えながらハザディルの倉庫が見える位置に到着した。


「……なんでついてきてるんだ」


だが、後ろにはサソリの上に腰掛けている少女が二人。


「連中は私たちの村を襲い、奪った!

 ならそれを取り返すのは当然の事だ」


赤眼の威勢のいいほうの少女が声高に宣言する。確かに言い分はもっともなんだが。

術者の呪文で狙われたら一瞬で蒸発しかねない。ここは保険を掛けておく必要があるな。


「ついて来るなら構わない。が、邪魔にならないようにいくらか呪文を掛けさせてもらうぞ」


ウィザード枠から《レジスト・エナジー/元素抵抗》の呪文を発動させ、火、電気、酸といった主要なエネルギーに対する防御効果を付与していく。

ドラウは高い呪文抵抗能力を持っているが、幸い彼女らはまだその能力を発現していないようで呪文の付与はすんなり行えた。

これなら高レベル術者の攻撃を受けても即死ではなく瀕死で留まる、と思いたい。

一応前回レベルアップした際に《接触呪文光線化》の特技を習得しており、10メートルほどの距離であれば治癒呪文を飛ばすことも出来る。

敵の術者や遠隔攻撃を行ってくる連中を早めに無力化していけば危険も少ないだろう。

そう考え倉庫に突入したが、俺はこのサソリの守護者の実力を見誤っていたことを思い知らされた。

コボルドに倍する速度で動き、長い射程の尾は敵を寄せ付けない。

また尾の針には毒の代わりに強力な酸が仕込まれており、その強力な突き刺しに加えて酸を打ち込まれたコボルドは例外なく一撃で倒されている。

上に乗っている少女達を守ることを考えてか、常にこちらの位置を考え敵の攻撃を受けづらい地点に回りこむ知恵もある。

正直このサソリを単体でこの倉庫に放り込めば、コボルドを駆逐してしまえるほどの性能だ。

おそらく黒光りするあの装甲はアダマンティン製であり、たとえコボルドに切りつけられても傷一つ付かないだろう。

だが、実際にはこのサソリをあそこまで破壊して集落を滅ぼした連中がハザディルの手下にいるのだ。

時折サソリの背から降りて、奪われた集落の遺物を回収している少女の姿を見ながら、今回はそんな連中に遭遇せずに済む様に信じてもいない神に祈るのだった。


前回扉や柵を破壊して通っていたため、今回はコボルドという障害がいるもののスムーズに最奥まで到着することが出来た。

梯子を上った先にある高台で警戒しているシャーマンが1人厄介だが、後は皆普通のコボルドに見える。

この少し前にいたコボルドの集団からは距離が離れていたこともあり、敵はまだこちらに気付いていない。

ブレスレットから弓を取り出し、矢ではなくその弓に込められた魔法の効果を弦に番えてシャーマンを撃つ!

16Lvの術者が発動したのと同じ効果の《チェイン・ライトニング/連鎖電撃》が炸裂し、その中心にいたシャーマンから10メートル以内にいた不幸なコボルド達も纏めて薙ぎ払われた。

突然の轟音に幸運にも巻き込まれなかった他のコボルド達が飛び上がるが、そちらにも残った1チャージ分で同じものをお見舞いしてやるともうそこに動くものは残らなかった。

それを感知してか、奥に進んでいくサソリたちを横目に俺はカータモンの荷物を回収すべく、梯子に手を掛けた。

梯子を上った先には、占術による探知を避けるためか鉛で覆われた容器が目に映る。これが例の品物で間違いないはずだ。

すぐにでも回収したいところだが、生憎容器に近づくと矢が打ち込まれる罠が仕掛けられている。

回避するのは容易いが、そのまま直進した矢が容器に当たるように配置されているため、この罠は解除しなければならない。

幸い解除するための機構はすぐに発見することが出来た。スイッチ式で重量を掛けておけば起動しないようになっているようだ。

倉庫の一角に手間の掛かる罠を仕掛けるようなことは無いらしく、一安心である。

先程電撃に撃たれて死んだシャーマンが持っていた杖を足元から拾い上げ、スイッチを押した状態で固定する。

暫く待ってみて変化が無いことを確認してから、素早く容器に近づいて回収する。

容器には特に開封されたような形跡は無く、コイン・ロードの印章が押された紙で封印されている。

中身が気になるが、ここは好奇心をぐっとこらえて我慢しなければ。

こちらの用事が片付いたところで下を見やると、サソリにのった少女達が破壊されたコンテナから荷物を回収している様子が見える。

渡しておいたザックは既に膨れ上がっており、後ろの大人しい方が頑張って抱えているようだが見るからに危なっかしい。

あまり長居をして敵の増援が来てしまっては元も子もない。そろそろ引き上げなければ。


「おい、そろそろ撤収するぞ」


容器を背負い袋に放り込んで、高台から飛び降りて声を掛けた。

どうやら赤眼はまだ消化不良のようで不満顔だが、無駄に危険を犯す必要が無いことは理解してくれているんだろう。

渋々ながらも首を縦に振り、同意してくれたようなので来た道を戻り始める。

時折別の分岐から様子を見に来たコボルドの斥候がいたが、それ以外は特に障害も無く倉庫を脱出することに成功した。


「俺は依頼人のところに届け物をしなきゃならん。

 ついでに食い物を見繕ってきてやるから、さっきの倉庫で待っててくれ」


カータモンが酒場で待ちくたびれているだろう。一刻も早く安心させてやらなければ。

いつの間にか振り出した雨を、《シールド》の呪文で避けながら夜道を走り、『気まぐれ海老亭』に駆け込んだ。

夜の帳が降りて結構な時間が経過しているにも関わらず、ここは相変わらずの騒がしさだ。

ローブに纏わりついている水滴を払いながら店内を見回すと、昨晩と同じテーブルにジェラルドとカータモンの姿があった。

なにやら暗い表情で話し合っているようで、こちらには気付いていない様子。

急いであの不景気な表情を吹き飛ばしてやらないといけないな。


「おいお二人さん。ご依頼の品をお持ちしたぜ」


背負い袋から厳重に封がされた容器を取り出し、テーブルの上に置いてやるとようやくこちらに気付いたのか、カータモンが顔を上げた。


「おお、おお!

 確かにこの品だ!

 コル・コランよ、感謝します!」


カータモンを容器を持ち上げると、涙を流しながら頬ずりを始めた。

よほど嬉しかったのだろう。だがそこまで失敗を怖れるとは、やはりこの街でのコイン・ロードの権勢は相当なものなんだろう。

ジェラルドも先程までの深刻な顔はどこに行ったのか、満面の笑みを浮かべながら握手を求めてきた。


「取り戻してくれたか。よかった!

 もしこの宝物をなくしていたら、コイン・ロードは二度と私達を信用してくれないだろう。

 大損失をもたらした者には、奴らは情け容赦ないからな。

 お前の尽力は忘れないよ、トーリ」


握手に答えながら、一応念を押しておく。


「まぁそのコイン・ロードには宜しく言っておいてくれよ。

 貴方の友人のために二晩で三度も働いた冒険者がいるってことをね」


上手く行けばこの件だけで中央市場に進む許可が下りるかもしれない。

少々違う展開ではあるが、楽が出来るならそれに越したことはないだろう。


「ああ、私からもロード・エンジに伝えておこう!

 他に何か望みはないかね?

 私に出来ることがあれば何でも言ってくれ」


ジェラルドに引き続き、至福状態から復帰したカータモンからも握手を求められた。

そういえば今日の二件については報酬の事を打ち合わせていない。

通行許可の件とあわせて住居の件もお願いしてみよう。


「ああ、それならまずは通行許可の件以外にも頼みたいことがあってね。

 カータモン、貴方は倉庫以外の物件についてもコイン・ロードから任されていたりしないか?

 ストームリーチで当分暮らすつもりなんだが、酒場暮らしじゃ何かと不便でね。

 出来れば自由に出来る家を探したいと思っているんだが」


俺の要望を伝えたところ、カータモンは暫し思案してから返事を返した。


「ふむ・・・。生憎私の管轄はこの埠頭区画の一部の倉庫でしかない。

 だが、何人かそういった商売をしている友人がいる。

 勿論信頼できる連中だ。近いうちに彼らにいくつかの物件を紹介させよう」


そう言ってカータモンは物件の紹介を約束してくれた。

どうやらここに来てからの懸念事項の二つが早速解決しそうである。

さて、それじゃあ今度は新しく増えた懸念事項に対処しなきゃなぁ……

とりあえず、酒場の主人にお願いしてサンドイッチでも作ってもらうことにするかな。



[12354] 2-3.コボルド・アソールト
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2011/03/13 19:41
色々なことがあった夜が明けて次の日。

改めてジェラルドに報告を行い、報酬として金の延べ棒を1本受け取った。

これで金貨1,000枚の価値があるらしい。ゲームで得られた報酬よりも随分多いように思える。

ひょっとしたら仲介者として相当報酬を掠め取られるかと思っていたが、様子を見る限りそんな感情は見て取れない。

ゲーム中では新米冒険者をカモにしている詐欺師のような男だっただけに、報酬を敢えて事前交渉しないことで様子を見ていたんだがどうやらジェラルドはそれなりに信頼の出来る人物のようだ。

ストームリーチに到着して間もない俺に仕事を振ってくれた事といい、今後も付き合いを続けても良さそうな相手である。

これであれば家探しの件も期待できそうだ。


で、今俺が何をしているかというと。

鍛冶屋で武器を受け取った後、屋台で買った食べ物を倉庫に運んでいる最中である。

保護した二人のドラウの少女達は、流石に街中を無防備に歩き回らせるわけには行かない。

かといってサソリの守護者と一緒に散歩させるというのも少し考え物だ。

ウィザードの使役するゴーレムなどと同じ扱いでいいのだろうか? それにしても街中で見かけたことはない。

倉庫は一ヶ月ほど好きに使っていいと許可を得ている。

エレミア達が到着したら彼女らに協力してもらって、集落跡まで送り届けるかするのがよいだろうか。

まぁドラウは日光があまり得意ではないだろうし、日中に外出したがることも少ないだろうから彼女らが見の振り方を決めるまでは倉庫で大人しくして貰いたいところだな。


「おい、そこのお前!

 食い物を持って間抜け面を晒しているそこのお前だ!」


街区を倉庫街に向おうと歩いているところで、突然声を掛けられた。

まぁ確かに両手に皿を持ちつつ串を食いながら歩いている姿は間抜けといわれても仕方ないだろうが、あんまりな呼び止め方ではないだろうか。

一言文句でも言ってやろうかと視線を向けると、そこには立派なヒゲを蓄えた壮年の将校が立っていた。


「そう、お前だ。

 見たところ冒険者のようだが、今ならデニス氏族のために働く一生に一度の機会を与えてやるぞ!

 仕事を探していないか?」


見たところ良く手入れされたハーフ・プレートを着こなす熟練の戦士といったところか。

だが装備ほどの実力は整っていないように見える。エレミアやラピスに感じるような迫力がこの男には欠けている。

だが氏族の関係者というのは確かなんだろう。鎧にはキマイラをあしらったデニス士族の印章が燦然と輝いている。


「まぁ今請けている仕事はないけどね。

 どんな話なんだい?」


銜えていた串を吐き出して皿の上に飛ばし、とりあえず話を聞いてみることにした。

エレミア達が到着するまでの間、出来るだけ経験を積んでおく必要がある。

まだ確認したわけではないが、この世界の俺以外のキャラクターはTRPGのルールに従って成長しているようだ。

対して俺の成長はMMOに準じている。このため、はっきりいって俺の成長は非常に遅い。

レベルアップに必要な経験点が10倍必要といえば、その効率の悪さは判って頂けるのではないだろうか。

無論低レベルのほうが同じ敵を倒しても入る経験点は多いのだが、それにしたってこの差は絶望的である。

いまは初期ステータスとアイテム能力で優位に見えるが、あっという間に追い越されてしまうだろう。

幸い、経験点の入手については俺もTRPG版準拠で敵を倒すことで獲得できている。

そういうわけで、実戦の経験はできるだけ積んでおきたいというわけだ。


「何、私たちにかかれば簡単な仕事だ。

 ここストームリーチからゼンドリックの奥地に向けて、我々デニス氏族は多くの前線拠点を維持している。

 そういった拠点に対する兵站基地の一つに定期的に群がるコボルド達を追い散らせばいい!

 各拠点に向けて発送される物資が貯まった時期を狙ってやってくる連中の、定期的な間引きの一環だ。

 そのような任務にわが氏族の精鋭をぶつける訳にも行かないからな。

 指揮者として名のある私が傭兵を指揮して当たることになったというわけだ!」


ああ、「コボルド・アソールト」のクエストか。

確かコボルド200匹にオマケのボスを倒せば終了の、手間だけかかるクエストだった覚えがある。

ゲームでは大した経験点にはならなかったが、こちらでコボルド200体も倒せばいい経験点になる。これは美味しそうな話だ。


「確かに楽な仕事に聞こえるな。で、報酬はいくらになるんだ?」


見たところ氏族でもそれなりの地位を持っているようだし、金払いが渋いということはないだろうが事前に確認しておく必要はあるだろう。


「フン、デニス氏族のために働く栄誉が与えられる・・・と言いたいとこだが、お前のような俗物のために金貨を1人につき500枚用意してある。

 無論これは卑しいコボルドどもを打ちのめした後に支払う。死んだ者や逃げ出した者には当然支払いは無い。

 ローガン・ド・デニスの名の下に戦い、栄誉を勝ち取るのだ!

 さあ、お前には栄光のために戦う覚悟があるか?」


別に金額の多寡は問題ではないが、高くも無く低くも無い妥当な量に思える。

とりあえず参加する意志を伝えて枠を確保しておこう。


「それじゃあ栄光とやらのために戦う機会を頂戴するとしよう。

 準備に少し時間を貰いたいんだが、構わないかね?」


流石に日帰りってわけにもいかないだろう。糧食の買出しやら、お嬢様たちのことを片付けておかなければ。


「ふむ、いい表情も出来るようだな。私の見る目に適っただけのことはある!

 出発は昼過ぎで、補給物資と共に基地に向うことになる。

 行きの糧食は心配する必要はないが、帰りの分はお前の働き次第だ。

 その腰にある獲物をきっちり手入れしておけよ!」


後ほど合流することを約束し、一先ず倉庫街に食べ物を運ぶことにする。

昨晩のサンドイッチは気に入ってくれたようだが、とりあえず当分は屋台の食事で我慢してもらう事になりそうだ。


「と、いうわけで数日留守にする。

 身の振り方でも考えながら過ごしておいてくれ。

 その間にも食料は毎日届けさせるんでその点は安心してくれていい。

 まぁ別にこの街を出て行くなら止めないが、その場合は何か書置きでもしてくれると助かるな。

 もし留まるなら食事を届けに来るやつに1日1枚ずつこれを渡してやれ。

 直接渡さなくても、入り口に置いておけば食料と交換するように言っておく」


倉庫に戻って出かける事について二人+一体に説明する。

足元に金貨を余裕を持って5枚ほど置き、代金として使用するように伝えた。

一生懸命肉に齧りついている少女が聞いているかどうか不安だが、もし今後保護を継続するにしても依頼で数日不在にすることは普通にある。

少々冷たいかもしれないが、この間を無事に過ごせないようであれば今後も一緒にいることは出来ないだろうし、ちょうどいいお試し期間かもしれない。

少なくとも身の危険については守護者がいるので余程のことがなければ大丈夫だろう。

むしろ夜道にこのサソリを見かけた人間から新たな都市伝説が生まれてしまうことの方が心配である。

知覚能力は高いようだし、そんなヘマはしないと信じたいところであるが。

そんな心配事をしながら肉食少女をぼーっと見つけていると、横から裾を引かれる感触に気がついた。

そちらに視線をやると、小さい口で上品に食事をしている少女が片手でローブの袖を引いていた。

あまりに対照的な二人である。やはりこの二人が双子というセンはないだろう。俺にドラウの見分けがついていないだけだろう、きっと。


「どうした?」


こちらの少女は口数が少ない。共通語に慣れていないだけかもしれないが、俺がいるときに相方と会話しているところも見ない。

どうもこの蒼く光る目で見つめられるとドキっとする。見通されているような感覚がするのだ。そのうち慣れるとは思うのだが。


「あなたに、かげがさす。

 おおきなひづめが、あなたをおしつぶそうとする。

 きを、つけて」


ふむ。一種の《ディヴィネーション/神託》か?

蹄というと馬かと思うがゼンドリックに馬はいなさそうだし、なんらかの野生動物のことだろうか。

ひょっとしたら移動中に何かあるという啓示かもしれないな。注意しておくとしよう。


「ありがとな。暫く不在にするけど、アイツの手綱を握っておいてくれよ」


ローブの裾をつまんでいる指をそっと外して、掌で軽く包むと握手のつもりで上下に軽く振る。

戻ってきた頃にはハーバー・マスターの許可も下りているだろうし、家もいくつか紹介してもらえるだろうしやることは山積みである。

サっとレベルアップして帰ってくることにしよう。














ゼンドリック漂流記

2-3.コボルド・アソールト













街をぶらついてカルノ少年を見つけ、今から数日倉庫に食事を運んでもらうよう依頼しておく。

初日分の代金だけ渡し、あとの分は倉庫で支払いがあることと、倉庫の中に不要に立ち入らないように伝えておいた。

残念ながら面通しをしておくほどの時間的余裕はお互い無かったのだが、あのサソリは知恵も回るようだし問題ないだろう。

カルノと別れるとダゴワード薬店に顔を出し、保存食をいくつか購入する。

ゼンドリックの歪められた自然が生む植生から、この土地では『永久糧食』なる保存食が存在する。

超自然の働きによってか腐敗しない食材を使用したものであり、これを五日分と後は大量のポーションの空き瓶を購入した。

ポーションには後で井戸の水を汲んでブレスレットに格納するつもりである。ポーション瓶はスタックするので同じ中身の100本まではアイテム1つ分の枠に収まるのだ。

所持しているユニークアイテムの中には栄養豊富な食事を産み出すものもあるのだが、それは味が最悪ときている。

説明文にも『濡れた生暖かいボール紙のような風味』などと書かれており、とてもではないが使う気分にはなれそうもない。

ある程度レベルの高いクレリックであれば信仰呪文で食事を出すことも出来るのだが、流石にワンドやスクロールでそんなものを準備しようとまでは思わない。

ブレスレットの中は時間の影響を受けないようなので、パンやチーズ、後は屋台の食べ物などを幾つか放り込んではあるんだがそんなものを取り出すのを余人に見られるのは不味い。

『気まぐれ海老亭』の主人には数日食事がいらないということで前払い分のワインとチーズを貰ってきたのだが、これらは時間があれば1人でこっそり楽しむとしよう。

そんなこんなで旅支度を整えていると丁度いい時間になった。

ローガンと約束した待ち合わせ場所に到着すると、そこには既に何人かの冒険者風の連中がたむろしていた。

先日面通ししたパーティーとは異なり、人間が多い。

何人かドワーフの戦士らしき姿が混じっているが、基本的に前衛向けの冒険者ばかりを集めたようだ。

珍しい種族としては背の高い人怪、ゴライアスの戦士がいる。準備している「スパイクド・チェイン」はその巨体でも扱いに困りそうな大業物である。

体格とあいまって相当な射程距離がありそうだ。彼がいるだけで前線の安定度は相当なのではないだろうか。

おそらくローブ姿の俺は術者として期待されているんだと思うが・・・。

辺りを見回すと、もう1人軽装の男がいた。青と金の十字に近い模様、ソヴリン・ホストを示す聖印を提げているところからしてクレリックだろうか。

癒し手と仲良くしておくに越したことはない。見たところ一人でいるようだし、声を掛けるにはいい機会だろう。


「やあ。あんたもコボルド退治に参加するクチかい?」


できるだけ友好的な表情を浮かべながら近づいた・・・つもりである。

"交渉"技能のおかげか、サラリーマン時代には苦手だった作り笑いも口元を引き攣らせずに出来るようになったのは成長といっていいのだろうか。


「初めまして、私はソヴリン・ホストに使えるアコライトのロンバート。

 そういう貴方はローガン卿の呼びかけに応えられたのですね」


『アコライト/侍僧』か。昔のD&D系列のシステムではレベルが上がるとそういった称号が与えられたはずである。

その中でも最も最初の称号であり、見習いクレリックといったところか?


「丁寧にどうも。俺はトーリ、何でも屋の冒険者さ。

 定期的な狩りだとは聞くが初めての参加なもんでね、もし経験者がいれば話を聞いておきたいと思ったんだが」


そういうとロンバートは申し訳なさそうに目を伏せると首を横に振って応えた。


「残念ながら私も今回が初めてでして。

 この街の寺院では定期的に行われる街の守りに対して、癒し手を派遣しているのです。

 前回参加した同輩から聞いた話であればお伝えすることも出来ますが」


まぁそれでも十分だろう。何分拠点防衛なんて任務は初めてだし。

ゲームでは拠点の外で迫り来るコボルド相手に無双するだけだったが現実はそうもいかないだろう。

ここに集まっているメンバーの数からしてローテーションや役割分担があるだろうし、大まかな流れがあるなら予め聞いておきたい。


「ああ、是非お願いしたいね。

 先達の話は聞いておくに越したことはない」


立ち話もなんだろう、ということで付近の縁石に腰を下ろしてロンバートの話に耳を傾けた。

どうやら前回は一ヶ月前に行われ、敵の規模は100匹ほどで統率もされていないバラバラな群れを城壁の上から矢を射掛けて、勢いを削いだ後に城門から打って出て掃討したらしい。


「前回はほとんど怪我人も出なかったそうですよ。最後の掃討戦で少々傷を負われた方を治療してそれで終わりだったとか」


話だけ聞いていると楽勝ムードであるが、お嬢様の《神託》のこともある。

ひょっとしたら戦場ではなく往復の道行きにひどいエンカウントがある可能性も考慮しておくべきだろう。

ロンバートの話を聞いているうちにさらに数人の冒険者が集まり、暫くするとローガンが現れた。傍らには如何にも愛人風の女性と、二人の従者を連れている。

いや、正確には従者ではないのかもしれない。それぞれの男が異なる氏族の印章を身につけているところを見ると、仕事を請けて氏族から派遣されてきたエージェントだろう。


「ふむ、全員揃っているようだな」


広場を睥睨しながらローガンは呟いた。連れの女性を除くと卿を含めて14人。

コボルド100匹相手に城壁に拠って戦うのであれば十分な人数であろうと思われる。

どちらかといえば道中の警戒という目的のほうが大きいのかもしれない。

女連れであることに突っ込むものは誰もいない。この男からしてみれば今回の遠征も旅行の一種なのかもしれない。


「よし、では出発だ!

 こちらに着いてこい」


カータモンの倉庫の前を抜け、ストームリーチの城壁の外に出るとそこにはキャラバン一式が準備されていた。

ほとんどが補給物資を積んだ馬車だが、その中の一台は明らかに他のものと区別された装飾がなされている。

車を引くための馬も連れておらず、サスペンションの効いた天蓋つきの客車である。


「お前達は適当に馬に乗って来い。

 言うまでもないがキャラバンの周囲を囲むように隊伍を組むのを忘れるなよ!

 
そういうと、ローガンは女性を連れて客車に乗り込んでいく。

付き従っていた人間の男がその前に取り付けられている御者席に座り、その中央に取り付けられている水晶に掌を乗せると客車の中央を囲むようにリング状の青い光が現れた。

あれはソウジャーン号で見たものと似ている・・・規模こそ違うものの、エレメンタルを捕縛しているようだ。

いわばエベロン版自動車というところだろうか。するとあの男は『オリエン氏族』・・・『移動のマーク』を持ち、コーヴェアの物流を支配している運送ギルドのメンバーというところか。

おそらくあの水晶はシベイ・ドラゴンシャードで彼のドラゴンマークに感応して特定の効果を発揮しているのだろう。

そしておそらくその効果は、カイバー・ドラゴンシャードにより客車に捕縛されているエレメンタルの制御に関わるものだろう。

そうなると残りのハーフリングはおそらく『歓待のマーク』を持つ『ガランダ氏族』だろう。彼らのマークは荒野でも安全なシェルターを生み出す効果を持っている。

どうやらこのローガンという男は相当な資産家のようだ。

大した実力もなさそうな男がこれだけの贅沢が出来るとは、どうやらゼンドリックにおけるデニス氏族の権勢ぶりはかなりのもののようだ。

ライバルであるタラシュク氏族を差し置いて、ストームリーチにおける軍事産業を独占しているだけある。

半ば呆れながらも宛がわれた馬に乗り、キャラバンの先頭グループにつく。

乗馬なんてさっぱり経験はないが、"騎乗"技能と能力値の補正だけで十分なんとかなりそうだ。

流石に裸馬ではダメだったろうが、しっかり鞍と鐙がついているので乗ることさえ出来ればあとはバランス感覚の問題である。

ストームリーチの街を離れ、隣接する『セルリアン・ヒル』の農耕地帯や寂れた葡萄園などを横目にしながら街道を西に進む。

時折この周囲で不法を働くオークの斥候が視界に入るが、襲い掛かってくる気配はない。

よほど大きな戦隊であれば人数で負けるかもしれないが、10人いれば一般的なオークの徒党より多い人数である。

おそらくこういった主要な街道は定期的にデニスの警備兵が巡回と治安維持を行っているだろうし、オーク達も客車に輝くデニスの紋章を見て手出しを控えているのかもしれない。

あるいは何らかの協定が結ばれているのかもしれないが。


6時間も経過した頃にはゲームで見慣れた風景からは遥か遠ざかり、街道沿いは岩がちで殺風景な荒野になっていた。

《神託》の事から何かあるかもしれない、と先頭グループで周囲を警戒していた俺のセンサーに何かがひっかかったのは、まさに沈む夕日の光が地平線に微かに残されているそんな時間のことだった。


「おい、停止だ!」


客車を駆るオリエン氏族の男に声を掛け、周囲にいた他の先頭グループにも停止するよう呼びかける。


「いま10時の方向に妙なデカブツがいたぞ!

 誰か他に気付いた奴はいないか?」


念のため他の連中に呼びかけてみるが、肯定を返すものは誰もいない。


「100メートルほど向こうの岩陰だが・・・他に見える奴はいないか?」


そうこうしているうちに不審に思ったのか、客車からローガンが口を挟んできた。


「ふん、どうせ下種なオークどもか鈍間なジャイアントだろう。

 これだけ固まっていれば連中に襲ってくる度胸などありはしない!

 構わないから先に進んでしまえ。今日の内にもう少し距離を稼いでおきたいんだ」


スポンサーはこう言っているが・・・先程"視認"技能をブーストするゴーグルの視界を掠めたのはそのどちらでもない、黒みがかった金属のようなきらめきである。

それも単体ではなく複数だ。相手が何者かわからない以上、このまま進んで戦列の側面を晒すのは自殺行為だ。


「待ってくれよサー・ローガン。

 この辺りには奇天烈なモンスターどもがいるのはご存知だろう。

 お連れの婦人をみだりに危険に晒すのも考え物じゃないか?

 何人かで偵察に行って様子を伺うだけならそう時間もかかりゃしないさ。

 念のため、先頭のメンバーで相手を確認させちゃ貰えないかね」


臆病者と蔑まれるかもしれないが、何より必要なのは安全である。

ここは不興を買ってでも進言しておくべき場面だろう。


「・・・いいだろう。そこまで言うなら2人程連れて行け。

 だが勘違いでしたなんて結果だった場合、お前の査定は覚悟しておいた方がいいだろうな」


「ご許可に感謝します、サー。

 時には慎重な決断も必要だ。きっとご満足いただけると思いますよ」


許可さえ取ってしまえばこちらのものだ。

巻き添えになった連中には申し訳ないが、そのおかげで無駄な危険を冒す必要がなくなるのだし観念してもらおう。


「そういうわけだ。すまないが馬を降りて付いてきてくれ。

 この中で目に自身のあるヤツはいるか?」


先頭集団は俺以外にロンバートとドワーフの戦士、他に人間の戦士とゴライアスの戦士だ。

ロンバートには期待できないとして、他のメンツがどれだけ頼りになるかだが・・・。

残念ながら手を挙げたのは人間の男が1人だった。

仕方が無いので残りの1人は野外生活の長そうなゴライアスの戦士に付いて来て貰うことにして、ロンバートとドワーフの戦士にここを任せることにする。

ゲームと違ってドワーフは移動速度が人間より1段階遅いし、足並みが揃わないんだよな。その分転倒しづらいとか、バランス感覚に秀でている面はあるんだが・・・。


「俺も目には自信があったんだが、アンタのいう影とやらは暗くなってきたせいもあってかまだ確認できそうに無いな。

 よろしく頼むぜ。俺はケイジ、アンデール生まれのハンターだ」


皮鎧に身を包んだ背の高い男で、長弓を背負っている。彼は典型的なレンジャーかな?


「・・・ゲドラだ」


ゴライアスの戦士が呟くように返事を返した。彼は体格に見合った馬が無いため徒歩での行軍だったが疲れた様子はまったく感じさせない。

よく鍛えられた戦士のようだ。


「俺はトーリだ、よろしく頼む。

 今から岩場を回りこんで敵影の確認を行うんで、付いてきてくれ」

 
風下を選びながら岩場を回りこみ、先程見た影の主を求めて移動する。

最悪の場合ブラックドラゴンなんて可能性も無いわけではないが、このエベロンではドラゴンは基本的にアルゴネッセン大陸に引きこもっている。

野良のドラゴンもいないわけではないが、ブラックドラゴンは湿地帯を好んで巣を作る。

こんな岩場で遭遇するようなことはないだろう。

慎重に物陰に隠れながらケイジにも視認できるほどの距離に近づいた。

ここからであれば相手の全身を視界に収める事が出来る。その外観はバッファローに黒い金属の鱗をつけたような姿である。

如何なる効力を秘めているのか、鼻息は緑色のガスとなって周囲に拡散している。


「見るからに面倒そうな連中だな。トーリ、あいつらの正体がわかるか?」


同じく敵を視界におさめたケイジが声を掛けてくる。彼の知識にはあの連中の知識はないらしい。

残念ながら悲しいお知らせをする必要があるようだ。


「・・・ゴルゴンだな。

 見ての通り金属質のやたらと固い外皮と、石化のブレスを吐く魔獣だ。

 獰猛な連中だし、生憎街道沿いが風上だ。

 下手に通り抜けようとすると横合いか後ろから蹂躙されていたかもな」


番だろうか、2体のゴルゴンが岩場をウロウロしているのが見える。

一般的な固体だとして遭遇脅威度は10といったところか。この戦隊のメンバーの実力は不明だが、十分に全滅の危険性がある相手だ。

石化のブレスを食らうと一瞬で壊滅も有り得る。なんといっても一度石化したらそこで終了である。

普通の馬であれば逃げ切れるだろうが、馬車を引いている状態では追いつかれるのは間違いないだろう。


「とりあえず報告に戻るぞ。

 スポンサーに判断を仰ごう」


連中がどこか別の場所へ行ってくれるのを待つような選択をしてくれればいいんだが、まず無理だろうなぁ。


「ほほう、ゴルゴンか!

 連中確か銀の角を生やしているというではないか。

 なんとか仕留めて我が家に飾りたいところだな!」


予想通りの答えである。


「連中がただの猪ならやりようもあるんでしょうけどね。

 射程20メートル程度の石化のブレスを警戒しながらじゃ弓も通らないでしょうし、接近戦は自殺行為でしょう。

 積荷の中に十分な『ストーン・サーヴ/石肌軟膏』は積んでらっしゃいますか?」


あの外皮を貫くには精密射撃が必要だろうが、一般に正確に射撃できる距離は10メートルほどだ。

名手であればもっと距離は伸びるんだろうが、あまりそこには期待していない。

ちなみに『ストーン・サーヴ/石肌軟膏』は石化を治療できるアイテムで、1人の治療に必要な分量で4,000GPもする高級品である。

半分の5人石化したらそれだけで2万GPだ。流石に割に合わないと判断できるだろう。


「むむむ・・・お前の秘術でなんとかならんのか?」


「ご期待に添えなくて申し訳ないですがね。

 1体ならどうにかできるとは思いますが、2体じゃあ片方を押さえている間に残りが暴れちまう。

 お薦めはできませんね」


デバフ系の呪文で弱体化を重ねまくれば無力化できるとは思うが、同時に二体に対して行うのはリスクが高すぎる。


「流石にこれから拠点に向う際に犠牲を出すわけにもいかんか・・・」


どうやら本来の目的を忘れてはいないようだ。旅行気分で忘れていたらどうしようかと思ったが、そこまで馬鹿ではないらしい。


「幸いケイジの見立てでは直に風向きが変わるとか。

 それを待って通り抜ければ察知されずに済むでしょう。

 それまでは連れのご婦人を安心させてあげてください」


どうやら無事死亡フラグは回避できそうである。

ここら一帯が連中の縄張りであれば帰り道にもまた遭遇する危険はあるが、そのときはまた考えるとしよう。

暫く待つとケイジの読み通り風向きが変わり、ゴルゴンたちが街道とは逆の方向に少し移動したこともあって街道の安全が確保できた。

念のため荷馬車と客車に《サイレンス》の呪文を掛けて音による探知を防ぎ、急いで突破する。

万が一気付かれた際には《ウェブ》での足止めを、と考えていたが杞憂に終わった。

最後尾まで見守っていたが、どうやら全隊が無事通過したようである。

殿の位置から他のメンバーと挨拶を交わしながら先頭に戻り、その後は特に問題もなく今日の野営地に到着した。

早速ガランダ氏族のハーフリングがそのドラゴンマークを使用して《セキュアー・シェルター/安全な宿》を作り出す。

掌から肘の付け根まである刺青のような紋章が光を放ったかと思うと、何も無かった平地に立派な石造りのコテージが出来上がっていた。

あの中には8人分のベッドと雑用を行ってくれる魔法で編まれた従者が存在しているはずだが、当然利用するのはローガンとその愛人だけだ。

俺達傭兵は3交代で火の番と見張りをすることになる。

野営の際に火をつけるかどうかはTRPGでも悩むところではあるが、今回の編成は人間が多く夜目が効くものが少ないことから、早期の警戒には必要ということで火をつけることにしたようだ。

この辺りはまだ大きな岩が所々に転がっている荒地で、ジャングルに住むドラウたちの縄張りではないと思う。

毎月補給の部隊がここで野営していることからも、ある程度の安全性は確保されていると考えていいだろう。

とはいえここはD&Dの世界。気がつけば吸血動物に集られて死んでいたなんて笑えないシチュエーションは良くある事だ。

見張りのローテーションでは術者であることから早番か遅番を割り当ててくれるとのことだったが、出来るだけ自分で警戒していたいということもあり最初の1時間を魔法の携帯寝具を使って休憩した後は、自主的に見張りに立つことにした。

火の番をしながら当番の連中と他愛も無い話をしながら過ごしているうちに、やがて夜明けとなった。

途中で何度か獣の気配を感じたが、一定距離から近づいてくることが無かったため放置していたため戦闘はなし。平穏な夜だったといえる。

何人かが火を利用して朝飯を調理している。渇いた糧食を湯でもどしてスープにしているようだ。インスタント食品のようなものだろうか。

保存食でも腹は確かに膨れるが、やはり温かい食べ物を食べないとパワーが出ない。

気分的な問題かもしれないが、他の連中も同じような考えのようだ。続々と火の回りに人が集まっていく。

俺は明け方ごろに隙を見て焼き鳥モドキを食べておいたので、そんな仲間が準備している様々なメニューを見て腹ではなく好奇心を満たして過ごした。

全員が食事を負え食休みも終えた頃、ようやくローガンがコテージから姿を現した。

愛人と一晩過ごして気分が良いのか、昨日ゴルゴンをやり過ごしたときとは大違いな上機嫌ぶりである。


「よし、皆準備は良い様だな!

 ではこれから基地へ向う。

 夕刻には到着するだろう、昨日と同じチームで隊伍を組め!」


号令を受けて、繋いでいた馬に各自が散らばっていく。

そういえば昨日から今日にかけて馬の世話をゲドラに任せっきりである。

あのゴライアスはまさに「気は優しくて力持ち」を地で行っているようだ。

戦場で激怒すればまさに鬼のような戦闘力を発揮するのだろうが、それ以外の場所では寡黙だが気のいいやつである。


「さて、今日もよろしく頼むぜ」


ゲドラから手綱を受け取ると昨日のグループに挨拶して合流し、先頭を進む。

今日は昨日のような遭遇がないことを祈ろう。


そして昼を挟んで8時間ほどの行軍の後、夕方頃になってようやく何事も無く目的地である拠点に到着した。

移動した距離は50キロくらいだろうと思われる。やはり、馬車での移動は時間が掛かる。車なら1時間の距離だろう。

コーヴェア大陸には『ライトニング・レイル』なるオリエン氏族の誇る電車っぽい乗り物があるらしいが、それも時速40キロ程度らしい。

ソウジャーン号のようなエレメンタル・ガレオン船は時速30ちょい。この世界ではここ10年くらいで実用化されてきた飛空挺も同じくらいだ。

やはりこういった物流のスピードは、高度に文明化されない限り変わらなさそうだ。

そうやって昨日からの行軍に思いを馳せていると、客車から出たローガンが開門を呼びかけた。

峡谷に沿った街道を塞ぐようにして建築されたこの拠点も、ストームリーチ同様巨人文明の遺跡を利用しているのか、高い壁と巨大な門を構えている。

横幅は100メートルはあるだろうか。それだけの幅に、10メートルを越える石造りの壁がピラミッドを思わせる規則正しい石の配列で組み上げられている。

門も黒光りする木材、鉄と同じ高度を持つダークウッド製、しかも巨木から削りだされたと思われる重厚なつくりをしている。

この門構えを見ただけで、コボルドがいくら押し寄せても問題にならないのではないかと思えてしまうほどだ。


「よし、各自中に入って兵舎で休んで良し!

 日が沈めば飢えたコボルドどもが大挙してくるぞ!

 それまでに万全の準備を整えておくように!」


拠点に到着したことでローガンのテンションはいまや最高潮である。

招き入れられた城壁の内側は、城壁同様石で敷き詰められた地面といくつかの構造物が佇んでいる。

一際目を引くのは中央に聳え立つ紺碧の塔だ。昔エッフェル塔を見たことがあるが高さは同じくらいだろうか。

城壁の外からも見えたが、近づくとまさに圧巻である。

所々に嵌めこまれた不透明な青い水晶の窓が日差しを浴びて鏡のように照り輝いている。明らかに高度な文明による建築物である。

馬をここに駐屯している兵士(おそらくはデニス氏族のグレイ・ブレード)に預け、兵舎に案内してもらうことになった。

ローガンと愛人、ドラゴンマーク氏族の4人は塔へ入っていったようだ。

そんな連中を横目に、俺たちは塔を取り囲むように立てられている平屋の建築物へと案内された。ここが宛がわれた兵舎ということだろう。

巨人サイズのドアを一部くりぬいて人間用の通用口が作られているのには感心させられた。

中には一応人数分の寝台が用意されている。

残念ながら全て人間サイズのベッドだから、ゲドラは膝から下ははみ出ることになるんだろうが。


「しかし、こんな立派な砦に攻め込んでくるとはこのへんのコボルドは何考えてやがるんだ?」


背負い袋をベッドの上に置き、長い騎乗で強張った体を解しながらケイジに話を聞いてみる。


「ああ、トーリは初めなんだっけか。

 この砦はストームリーチ側は立派な見掛けだけど、向こう側の城壁は結構ボロいんだぜ。ストームリーチが出来てからずっとコボルドとやり合ってるらしいからな。

 いくつか崩れている地点に柵や落し格子を設置してるんで、俺達が防衛するのはそのあたりさ。

 時々破城槌を持ち込んでくる連中がいるんで、そいつらを狙うって訳だ。

 他の連中は城壁の上からここの兵隊さんらが弓で相手してくれるしな」


もはや連中からしてみれば因縁の戦いというわけか。

しかし、当時コーヴェアを統べていたガリファー王国とドラゴンマーク氏族が資金を供出しあってストームリーチが建設されてから確か200年くらいだ。

その頃からずっと続いているとは気が遠くなりそうな話である。

他にも、あの塔の中には周囲を偵察できる観測所なるものがありそこから敵襲で敵襲を察知してくれるだとか、日中に塔が浴びていた光を発して周囲を照らしてくれることなどを聞いた。

なんか話を聞けば聞くほどチート技術満載である。さすが最終兵器で隣接次元界の軌道を吹き飛ばす巨人族の文明だ、なんでもありである。

1時間ほど経過した頃、砦中にローガンの声が響き渡った。


「誉れ高きデニス氏族の精鋭諸君、そして今日この戦いに馳せ参じたストームリーチの勇士達よ!

 観測所から見える範囲に、愚かにもまたコボルドの軍勢が集まり始めている。

 今こそ戦いのときである!

 この地の守護を任せられた我々の双肩にはストームリーチに暮らす1万の住人と、

 ここよりさらに奥地にて我々からの補給を待っている同士1千名の運命が掛かっている!

 前線へ出ろ!

 敵の侵入を一匹でも許せば我々の不名誉な噂が広がり、敵が調子付くだろう。

 なんとしてでも食い止めろ!

 剣を抜き、秘密の力でも神の力でも呼び出せ! そして暗がりに潜んでやってくる敵を突き殺すのだ!

 ドル・ドーンがお前を名誉の戦死に導き、お前の死が私達に勝利を与えてくれますように。

 ドル・アラーがお前をソヴリン・ホストと同じ場所に連れて行ってくれますように。

 総員、出撃せよ!」


おそらくは拡声器に似た効果なんだろう、塔のどこかのフロアからローガンが演説を飛ばしている。

背負い袋を掴んで兵舎から外へ出、そこにいる衛兵の指示に従って2チームに分かれて城壁の左右へと進んだ。

組み合わせは行軍時に前にいたグループと、後ろにいたグループである。

術者の比率がおかしいのではと思ったが、もう一方のグループにもダスクブレードとドワーフの神官戦士がいるらしい。一安心である。

城壁に近づくと、石畳はやがて土の地面に変わった。薄暗がりに浮かび上がる城壁は一部崩れているものの、それでも7,8メートルの高さはある。

逆に基部が崩れているところもあり、そこには侵入を防ぐための柵が取り付けられている。

現在はゲートとしても活用されているようで、脇にはレバーがあるのが見て取れる。


「まもなく敵の先鋒が弓の射程に入る。

 だが焦る必要はない!

 訓練の通り、引き付けてから斉射せよ!

 城壁の内側で出番を待ち構えている冒険者達に、デニスの技が剣のみではないことを教えてやれ!」


おそらくローガンは観測所で指揮を取っているのだろう。城壁の上の射台に控える氏族の兵士に向って指示を飛ばしている。

敵の様子が気になった俺は、周囲の仲間に断ってから城壁の上へとよじ登った。ある程度の凹凸があるため登攀には困らない。

高いところから見渡す景色はゲームでの戦場に近い風景だった。

城壁からはしばらく少々傾斜のある下り坂が続いており、街道沿いには潅木が点在している。

少し街道から離れたところには背の高い下生えが茂っており、小柄なコボルドであれば姿を隠して近づくことも可能だろう。

思った以上に開けたフィールドである。障害物はあまりなく、《ウェブ》呪文の支点になりそうな支えが見つからない。

この戦場ではせっかく準備していた呪文だが使う機会はなさそうである。

そんな風に城壁近くの観察をしていたところ城壁の櫓から眩い光が放たれ、直径20メートルほどの円状の範囲を照らし出した。

そこには敵先鋒と思わしきコボルドの姿が一瞬映し出される。

明るくなった範囲を次々と通り抜けていく敵集団の中には、彼らの体には不似合いなほど大きい破城槌を何匹かで運搬しているグループもある。


「敵の破城槌が近寄ってきているぞ。

 チーム・ゴートはこれを撃破せよ!

 ドラゴンは弓にてゴートを援護だ。

 竜の吐息にも負けぬ弓の攻撃をお見舞いしてやれ!」


ちなみに三箇所に別れて配置されている我々には、デニス氏族のトレードマークであるキマイラにならってゴート、ドラゴン、ライオンのチーム名がつけられている。

俺のいる左翼がゴート、右翼がライオン、中央と城壁上に位置するデニス氏族の兵士たちがドラゴンである。
 
塔の水晶窓が光を放ち、周囲は不可思議な青い光に包まれる。見渡す限りが青い世界になっており、相当な距離までこの光が照らしているようだ。

ローガンの指示により、俺達左翼と敵破城槌の間の敵に対して弓の援護射撃が行われ、ゲートからゴート達が飛び出していく。

俺も城壁から外側へと飛び降り、皆の後を追って坂道を駆け下りる。ローブの軽装状態で発揮されるモンククラスの移動増幅効果でジワジワと皆を追い抜いていく。

坂を下りたところで一通り追い抜き、先頭のゲドラと肩を並べる。


「俺が突っ込む。ゲドラはその長物で俺に近寄ろうとする連中を迎え撃ってくれ。

 他の皆は包囲されないように退路の確保だ。頼んだぞ!」


大体の場合、戦場をコントロールするのは術者の役割である。皆それを知ってか俺の指示に従ってくれた。まぁ今回は呪文は使用しないんだが。

いま弓の射撃はすでに破城槌の後方方面への制圧射撃に移行している。俺達を巻き添えにしないよう、破城槌周辺に敵の増援がいかないようにしてくれているのだろう。

俺は腰のロングソードを抜き放つと、先程の矢の雨に生き残ったコボルドを斬り倒しながら破城槌に向って一直線に突き進んだ。

すぐ後ろにはスパイクドチェインを構えたゲドラが追従し、横合いから俺に向ってくるコボルドに鎖で繋がれた鋭い鉄の鏃を打ち込んでいる。

彼に任せていれば側面に注意を払う必要はない。

正面の視界に映る敵に意識を集中させ、目標までの最短距離を駆け抜けた。

そして破城槌にたどり着く。

車輪を取り付けられた木製の槌の上に、矢を防ぐための覆いが取り付けられている一般的な攻城兵器だ。

覆いの内側では10匹以上のコボルドが必死になって槌を移動させていたが、近づいてきた俺の姿を見ると連中は一目散に荷物を置いて逃げ出していった。

狭い覆いの中で運搬役を担っていた連中は武器を持っていないし、接近されたらお終いだということがわかっているのだろう。

俺もそんな連中を追うことはしない。素早く取り付けられている車輪の軸を何本か破壊し、動かせないようにすると素早く撤収を開始した。

時間を掛ければ援護している矢の消費量も馬鹿にならないし、街道の真ん中にこれを放置しておけば後続の攻城兵器の進行の妨げになるだろうからこれで十分なのだ。

置き土産とばかりにいくつかの『錬金術師の火』をばら撒き、火をつけて除去作業の妨害を行っておいた。

火矢対策で水を浸み込ませているだろうが、木製であるからにはもし火がつけば除去作業の妨害になるだろうと思っての事である。


その後も押し寄せるコボルド達の破城槌以外にも投石用のカタパルトや、バリスタといった攻城兵器を破壊していくとやがて街道周辺は破棄されたそれらの残骸で埋め尽くされた。

広く迂回するには潅木が邪魔をして通り抜けは困難だろう。

こちらのチームで処理したコボルドも三桁には届かないがかなりの数に上っている。

全体ではそろそろ200体くらい終了したのではないだろうか。

そう考えていたところにタイミング良くローガンの声が響き渡った。


「よし、敵は散り散りになって逃げ始めたぞ!

 ゴートとライオンは追撃を加え、草原を連中の血で染め上げろ!

 最も多くのコボルドを殺したものには二倍の報酬をくれてやる。

 私も出撃するぞ!

 デニスの不破の伝説に輝かしい1ページを付け加えるのだ!」


どうやら掃討戦に移行するようだ。二箇所のゲートが解放され、金に飢えた冒険者達が逃げ出したコボルド達に追撃を加え始めた。

俺もほどほどに経験点を稼ぐことにしよう。

街道沿いの敵は他の連中に任せ、その脇の下生えの草原を走りながら近くで隠れていたコボルドを処理していると城門の中央ゲートが開くのが見えた。

銀に輝くフルプレートにランスで武装したローガンと思わしき戦士が、一際大きい馬に乗って駆け出している。

通常のウォー・ホースを上回る機動力に優れた体躯。あれは『メイジブレッド・アニマル』かもしれない。

調教のマークを持つ『ヴァダリス氏族』が作り出した、魔法によって強化された動物である。


「デニスの『歩哨のマーク』、しかとその目に焼き付けるがいい!」


ローガンの鬨の声と同時に、白く輝く力場の輝きが彼を覆った。おそらくはドラゴンマークによる《シールド・オヴ・フェイス/信仰の盾》の魔法だろう。

ランスを構え、潅木や攻城兵器の残骸を巧みな騎乗で飛び越えながらローガンは逃げるコボルドを蹂躙していく。

思ったよりも実力のある騎士だったようだ。これはどうやら人物像を修正する必要がありそうだ。

青い光に照らされた草原で馬上の人となっているその姿は一種の芸術作品のようである。

だが、やはり自信過剰な面はあるようだ。その機動力で彼は仲間からも突出した状態でランスを振るっている。

流石にあれでは不意を撃たれかねない。少し勢いを落とすように進言した方がいいだろうな。


「サー・ローガン!

 いくらなんでも突出しすぎてる。

 もう少し他の連中を待った方がいい!」


彼に追いついて言葉を掛けれたのは、砦から500メートルほど離れた街道上だった。

周囲はまだ青い光で満たされており、あの塔の効果範囲の広さには驚かされている。この調子では1キロ先くらいまでは届いていそうだ。

観測範囲がどの程度の広さはわからないが、この青い光が関係しているとすると相当な範囲だな。


「フン、追撃は勢いこそが肝心だというのに鈍間な連中どもめ。

 戦場での馬の扱いを知らん奴ばかりか」


確かに速度を重視するのであれば、出遅れるが馬に乗ってきたほうが良かったのかもしれないな。

特に重装の者やドワーフは足が遅い。足並みをそろえるのは大変だろう。


「まぁ今日はこの辺りで勘弁しておいてやろう。

 あまり遠くへ行っては観測所の範囲外に出てしまうからな。

 見えぬところで戦ってもレディには喜ばれまい」


そう言ってローガンは轡を返し、草原のコボルドを潰しながら拠点への帰路を取るかに見えた。

だが、ローガンがいくら足で馬の腹を打っても馬が草原に足を踏み入れることはない。

まるで見えない壁に遮られているかのように、そこで足踏みを繰り返すのみである。

そのことを不思議に思った瞬間、今まで気にしていなかった周囲の状況が突如として脳裏に流れ始める。

不自然に押さえつけられた下生え、一切聞こえてこない虫の囀り。そして周囲を満たす何者かの気配……!

一瞬で脊髄に冷水を流し込まれたかのような感覚が走り、勘に任せてその場を飛び去る!

その直後、俺とローガンを結ぶ直線に赤い閃光が走り彼は胴体を、愛馬はその首をその閃光によって断ち切られた。

その断面からは強力な炎が溢れ出し、二つに分かれたそれぞれのパーツは血を流すことも無く大地に転がった。

陽炎のように周囲に敵の姿が現れる。半径20メートルほどの空間を埋め尽くす武装したコボルド達……

そして俺の目の前にいるのは、燃え盛るグレート・アックスを構えた毛むくじゃらで牛頭の怪人、ミノタウロスだ!

しかも相当な巨漢である。身の丈は4メートルを越えているのではないだろうか。その構える大斧もその身の丈に相応しく、凶悪なフォルムを誇っている。


「いかんな・・・しつこく突っかかってこられるものだから手が出てしまったわ。

 高い金を払った隠れ身の術が切れてしまったではないか」



《マス・インヴィジビリティ/集団不可視化》か!? 高等呪文だぞ!


ミノタウロスの言葉に驚愕するが、身動きすることは出来ない。今だ俺は奴の間合いの内側にいる。隙を見せればあの大斧がすぐにでも飛んでくるだろう。


「計画とは異なるがもはや構うまい。

 敵の指揮官は倒れた!

 あとは力押しに押し潰せ!

 半数は砦を攻めよ。残りは砦から出てきている連中を仕留めよ!」



ミノタウロスが出した指示を受け、戦士コボルド達が規律正しく動き出した。

明らかに軍事的に行動する訓練を受けた動きだ。さきほどまでかかってきていた連中とは根本から異なっている。


「さて、我が斧を潜り抜けた戦士よ、お主の相手は我が引き受けよう。

 久々に骨のありそうな相手、楽しませてもらうとしよう」



どうやら厄介な相手にマークされてしまったらしい。


「ハ、悪いが相手は他を当たってくれ。

 牛の相手をする趣味はないんでな……!?」


そういって"軽業"で距離を取るつもりだったが、今更ながら退路が誰かに塞がれている事に気付く。

コボルドに紛れて他にも伏せている連中がいたのか?


「のた打ち回るのはやめろ、お前の肉が硬くなってまずくなる」


いつの間にかそこにはトロルの大男が退路を塞いでいた。目の前のミノタウロスほどではないが、大型生物だけあってなかなかの迫力だ。

成人男性ほどの大きさのあるグレートクラブを片手で持ち、こちらの隙を窺っている。


「ピカピカの武器は売って金稼ぎだ。この仕事は最高だぜ!」


そしてもう1体、今度はホブゴブリンが現れた。ハーフ・プレートに身を包み、盾とヘヴィ・メイスで武装している。

都合3体に囲まれている。どいつもこいつも凶悪な面構えをしている、一筋縄では行きそうも無い連中だ。

しかしその中でも、正面のミノタウロスが最も危険な相手だと直観が訴えている。油断したら即首を刎ねられる、そんな相手だと主張している。


「お前も戦士であるなら覚悟を決めるのだ。

 久々にいい死合いができそうで我は昂ぶっておる。

 生き延びたければ我が屍を越えていくがいい!

 他の連中に手出しはさせぬ。この『猛き蹄』ゼアドの名と、偉大なるソラ・ケールより賜った『オース・オヴ・ドロアーム』に誓おうではないか!」



ゼアド・マイティホーフ!

MMOの中位クエスト中で恐らく最も多くのプレイヤーを屠ったであろうクリーチャーの名前である。

余りに理不尽な突撃に、途中でミノタウロスの攻撃が弱体化されるほどの強さだった。

しかも持っている武器も曰くつきの品だ。コーヴェアにあるドロアームというモンスターの王国、そこで最強の戦士に与えられるというアーティファクト級の武装だ。

俺の手持ちのチート武器にも劣らない、まさに伝説の武器である。

黒光りする重厚なアダマンティンの刃とミノタウロスの筋力が相手では、このロングソードは一合たりとも持たないだろう。

どちらもこんな序盤で遭遇する相手じゃない。

注意深く敵の動きを見ながら装備の入れ替えを行っていく。攻防一体の構えで戦えば余程のことが無ければ被弾は無いだろうが、問題はあの斧だ。

燃え盛る火炎はともかくとして、『ヴォーパル』の効果が付与されたあの斧のクリティカルヒットは即こちらの首が飛ぶことを意味する。

ゲームと違いサイコロを振って5%で絶対成功なんてことはないだろうが、こちらが気を一瞬でも弛めればその瞬間斧が死神の鎌に変わるのだ。

やる気になっているこいつには悪いが、わざわざ危険な橋を渡る必要はない。

『テレポート』の呪文で逃げさせてもらおう……そう考えてアイテムに意識を集中させようとした瞬間、ゼアドの持つ斧が動き俺を襲う!

慌てて意識を切り替え、斧の一撃を回避して再度意識を集中しようとした瞬間、またゼアドの斧が閃く。

先程からこちらが呪文に意識を集中する瞬間を見事に捉えてくる。これでは呪文を行使することが出来ない!

このミノタウロス、術者との戦いに慣れている。怖ろしいことに魔道師退治に長けている様だ。


「悪いが術は封じさせてもらうぞ。

 我は血沸き肉踊るような戦いを望んでいるのだ!

 呪いなど不要ぞ! さあ切りかかってくるがいい!」



周囲を見渡すと、いつの間にか先程俺を囲んでいたトロルとホブゴブリン以外にも大勢の敵に囲まれているのに気付いた。

全員手を出すつもりは無いという意思表示か、武器には手を触れず地に落としている。

だが逃がすつもりは無いのだろう、俺とゼアドを中心とした半径20メートルほどの円状の空間を取り囲んでいる。


「さぁ、今宵これから行われるは決して語り継がれぬ戦士達の戦い。

 我が歌に残すことは適わぬとしても我等が魂にその息吹を刻み込もう!

 1人は我らがチャンピオン、数多の戦いを潜り抜け祖国の国境線を賭けてブレランドのボラネル王と打ち合った『猛き蹄』。

 もう1人はわざわざストームリーチから飛び入りでやってきたヒューマンだ!」


取り囲んでいる連中の中にいたエルフのバードがリュートをかき鳴らしながら囃し立てる。

どうやら逃げ場は無いようだ。

この包囲網を突破するくらいなら目の前のゼアド1人を相手にしたほうがまだ勝算がある。

覚悟を決め、近接戦闘向けの装備に入れ替える。呪文は毎日朝に《呪文24時間持続》しているものだけで対処するしかない。

それぞれの手にグリーンスチール製の武器を呼び出し、二刀を構える。

それぞれが防御に秀でながらも、十分な火力も誇るバランスの取れた武装である。体捌きに特化したモンクの戦闘法には、盾や鎧はむしろ体の動きを制限するため邪魔になるのだ。


「ヘイ、お見限りだったじゃねーか相棒!

 久々の出番だと思ったらこりゃまた偉くクールなシチュエーションだなオイ!

 シャヴァラスに迷い込んだのかと思ったぜ!」


久々に聞く『チャッタリング・リング/お喋りな指輪』の軽口を聞くと少し勇気付けられた。


「悪いがこれからこいつらに行って貰うのはドルラーだ。

 連中が死後セレスチャルに生まれ変わるようには見えないんでね」


軽口を返し、前傾姿勢をとってゼアドに向き直る。


「待たせたな。それじゃあ始めようか」


彼我の距離は5メートルほどしかない。俺が攻撃するには一歩踏み込む必要があるがゼアドにとっては既に射程距離内だろう。


「呪いに因らず獲物を口寄せするとは、我の知らぬ技法を修めていると見える。

 だがそれだけが能ではあるまい。楽しませて欲しいものだ。

 一撃で終わってくれるなよ!」



口上に続いてゼアドの上げた雄叫びに呼応し、『オース・オヴ・ドロアーム』の斧刃が発する炎も一際激しく燃え盛る。

紺碧の塔から照らされる青い光に満たされた中で、この空間だけが切り取られたかのように炎の色に染められている。

そのままローガンとその愛馬を斬ったときと同じ、横殴りの軌道で飛んでくる斧の致死線を地面に伏せるような前傾姿勢で掻い潜り間合いを詰める。

だが俺の予想よりも斧の戻りが早い!


「相棒、来るぜ!」


慣性を無視したかのような動きで逆方向から地表スレスレに薙ぎ払われたソレを最低限の跳躍で回避し、ようやくたどり着いたコペシュの間合いでまずはその斧を振り切った腕目掛けて横薙ぎに斬りつける!

だがその攻撃は手首の動きだけで変化させられた斧の石突の部分で受け止められてしまう。

そして今度はそのままの勢いで逆手に押し出された石突を左手のククリで受け流し反撃を狙うが、獲物の中心部分を支点に回転させられたことでこちらに向けられた斧刃の攻撃が飛んでくる。

それを避けるために折角詰めた距離を離されてしまう。

これは相当に厄介な敵だ。力だけではなく技巧も持ち合わせている。並のミノタウロス相手であれば力勝負でも引けを取るつもりは無いが、このゼアドはまさに規格外だ。

天性の力強さに加えて修練によって鍛え上げられたその筋力は、俺のチートでブーストされたそれを容易に上回っている。

そしてあの斧もやはり厄介だ。このグリーンスチール製のコペシュも特殊な錬成によりアダマンティン同様の硬度を持つが、刃だけでなく全体がアダマンティンから鋳造されているあの武器を破壊するには元から武器を狙った攻撃をする必要があるだろう。

体を狙った攻撃に対して打点を反らして受けられた場合、常ならばその防御ごと切り裂くこの刃もアダマンティン相手ではそうもいかない。


「見事な身のこなし!

 我が一連の斧さばき、盾や鎧で受け止めたものはいてもその身にすら触れさせぬものは初めてよ!

 心身を鍛えし僧坊らはそのような動きをすると聞くが、鍛えればそこまでの境地に至るものとはな」



感嘆しながらもゼアドはその攻撃の手を止めることを辞めない。最初は様子見のつもりか威力を重視した強打を放っていたが、徐々に正確さに重点を置いた攻撃に変わってきている。

その攻撃を防御に専念しながら捌き続け、相手の実力を見極めようとする。

おそらく攻撃の技巧については世界でも最高峰だろう。俺が1回攻撃する隙を見出している間にゼアドは4回の攻撃を繰り出してくる。

だがその連撃の中で最も鋭い攻撃であっても、どうやら直撃を受けることはなさそうだ。

何発かは呪文による《シールド》と展開されている反発の力場を抜けてくるが、このローブを貫くほどの打撃は無く、たとえそこを越えてもまだアイテムによって強化された外皮がある。

どうやら攻勢に出ても問題なさそうである。


「ヒャッハー!

 振り回すだけで当たりゃしねえぜこの木偶の坊が!

 こいつぁとんでもなくデカい扇風機だなオイ!」


指輪のテンションも最高潮である。


「ハハハ、見事な舞よ!

 だが美しく舞っているだけでは我は倒せぬぞ。

 お主は踊るだけの蝶か、それとも一刺しを秘めた蜂か?

 さあ、もっと我を楽しませよ!」



どうやら相手もそれをご所望のようだ。であれば攻撃に移らせて貰おう。


「ならばその蜂の針を受けてみよ……

 だがこの蜂の針は一刺しでは終わらんぞ!」


緩急をつけてゼアドの周囲を旋回していた防御行動から一転、その懐へと潜り込む!

先程コペシュの一撃を見舞った距離よりもさらに一歩踏み込み、上から斬り下ろしの二刀同時斬撃を腹部に浴びせ、その勢いのまま全店すると相手の巨体の股下を潜り抜ける。

そして即座に振り向き様に立ち上がり、敵の背にまた斬撃を浴びせ振り返ろうとする相手の動きに合わせて背面へ背面へと移動し続ける。

いかにミノタウロスが生来の狡知に長けていてあらゆる奇襲に対応できるとは言え、死角にいる敵に攻撃を加えることは出来ない。

こちらも体重をフルに乗せた威力の高い攻撃を打ち込むことはできないが、この二刀はいずれもかすり傷であってもその切り口から凶悪な魔法効果を発現させる。

先程までに時間を掛けて観察していた動きから、ゼアドの攻撃範囲は概ね把握している。

あとは『疾走増幅』による移動力増強と、左手のショートソードの効果で増幅されている相手の行動を洞察する能力で先読みをし続けるだけだ!

時折無理な体勢から攻撃が放たれるが、剥きだしの筋肉から読み取れる攻撃の前兆が次のとるべき回避行動を教えてくれる。

斬りつける度に両の双刃からは酸が流し込まれ、ゼアドの体を内部から破壊していく。

もはやゼアドの体には血の変わりに酸が流れているのではないか。そう思えるほどの攻撃の後、ついに巨体は崩れその膝を大地に落とした。


「見事だ、人間の剣士よ。

 よもや祖国で不敗無敵を誇ったこの俺がここまで一方的に打ちのめされようとは。

 まさにゼンドリックは魔境よな。

 お主ほどの者が知られずに今まで埋もれていたとは」



片膝を大地につけ、上体を大斧で支えながらもゼアドの瞳はいまだ闘志に満ちている。

だがもはや勝負は見えたと言っていいだろう。


「……何か言い残すことはあるか」


本来であればもっと先のクエストで出会うはずの敵である。

ひょっとしたら違う出会いもあったかも知れないが、詮無き事である。


「名を聞こう。

 これほどの好敵手に見合えた事は我が武勇にとっても誉れ。

 その名を知らずでは報われまい」



名前を教えるくらいは構わないだろうか。小声でゼアドにのみ届くように名を告げる。


「トーリだ。家名は無い」


ふと視界の端に城壁の様子が映る。どうやら内部から火の手が上がっているようだ。おそらく別働隊に落とされたんだろう。

他の連中は逃げ延びただろうか。


「珍しい響きの名だ。覚えておこう。

 お主の名は我が武勇と共に永劫に語り継ぐとしよう!」



今だ闘志を失わず、ゼアドは斧を支えに立ち上がると胸に彫られているタトゥーをドンと叩いた。

その瞬間、ただの刺青に見えていたその紋様は光り輝くとその込められていた魔法の効果を発揮する。


(ドラゴンマーク、いや『サイオニック・タトゥー』か!)


その行動の隙をついて斬りつけるが、やはり踏み込みが甘くかすり傷を付けたのみに留まる。武器の魔法効果も効いてはいるが、トドメには至っていない。

秘められた異能の力はゼアドの肉体を巨大化させ、その身の丈はいまや10メートルに届かんとばかり。

如何なる原理によるものか、手に持つ持つ大斧も同時に持ち主に相応しい大きさへと変じている。


(『エクスパンション』の効果か! だが今更体が大きくなった程度で状況は覆りはしない……!)


却って的が大きくなっただけである。確かに巨大化により筋力は増し攻撃の鋭さは増すが、その程度では俺を捕らえる事は出来ない。

そう考え距離を詰めた俺に、今までとは比べ物にならない速度で放たれた斧の攻撃が飛んできた!

どこから放たれたのかすら知覚できなかったその攻撃を辛うじて武器で受け、運よく首こそ刎ねられなかったものの余りの勢いに吹き飛ばされてたたらを踏む。


(グ、なんだ今の攻撃は……速くて見えなかった、いやそれよりも『魔術的防御貫通』か? 《シールド》が解呪された!)


まさかこの期に及んでこんな特技を隠し持っていたとは。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!」


響き渡る咆哮はゼアドから放たれたもの。

良く見るとその瞳は先程までの闘志の中にも理性を感じさせたものではなく、激怒と狂気に満たされている。


「狂戦士……『フレンジド・バーサーカー』か!」


バーバリアンの上級職であるこのクラスは、その前提能力である「激怒」能力に加えて「狂乱」により爆発的にその戦闘能力を増幅する。

激しく荒れ狂う雷雨のような狂気により闘争に駆り立てられたこのクラスは、敵を滅ぼした後も周囲の動くものを全て殺しつくすまでその狂乱がおさまることはない。

意志が弱ければ街中であろうと傷を負うたびに狂気に駆り立てられ、周囲に破壊と殺戮をばら撒くという恐るべき狂戦士なのである。


(まずい、さっきまでの状況に加えてゼアドは激怒と狂乱、対して俺は《シールド》を失っている……防御に徹しても捌き切れない!)


先程までのゼアドの攻撃を旋風と呼ぶのであれば、今の彼の攻撃はまさにハリケーンである。

今の俺の倍以上あるであろう筋力から繰り出される攻撃は、たとえ来る前兆が判っていてもこちらが回避動作に入る前に既に斧がこちらに迫っているというレベルだ。

攻撃の前兆の予兆を見取る、そんなもはや直観に任せたといっていいような回避行動を取るしかない。

その上、攻撃の回転自体は先程よりも上がっている。

象すら一瞬で細切れにしてしまうであろう斬撃は俺を通り過ぎた後、周囲の観客をも切り刻んでいくが狂乱しているゼアドはそんなことで止まったりはしない。

今は運よく回避し続けられているが、先程受けた一撃でアイテムの補正によって得ていたHPは大半が失われている。

運が悪ければ2発、良くても3発食らえば戦闘不能に陥るであろう破壊力だ。

その巨体とあいまって、今のゼアドであればあの城壁も用意に破壊してのけるだろう。


(こうなっては勝ち目は無い。幸いゼアドの攻撃の巻き添えで包囲が崩れている。被弾覚悟で逃げるしかない!)


『フレンジド・バーサーカー』はその破壊力も怖れられているが、さらに厄介なのはその耐久力である。

ある一定の位階に達した狂戦士はもはや激情が肉体を超越しており、その狂乱が治まるまではどれだけのダメージを与えても倒れないのだ。

ゼアドがそこまで到達しているかは不明だが、賭けられるのが自分の命では確認してみる気にはならない。

『ヴォーパル』などの効果で即死させれば止まるのだが、その前にこちらが擂り潰されるのは目に見えている。

何度目かのゼアドの乱舞を包囲網の近くでやり過ごし、その攻撃で包囲網が崩れた隙を突いて、一気に駆け出した!

無論その隙を見逃すはずも無く、ゼアドの一撃が背中に加えられるがそれは想定の範囲内だ。

予想される攻撃の軌道からダメージを緩和し、逆にその攻撃の勢いで加速するように身を躍らせると全力でゼアドから距離を取った。

今の一撃で、HPを補強してくれていた装備の効果は完全に打ち消され、ついに痛みが襲ってきた。だがここに留まれば待っているのは確実な死だ。

一呼吸の間に40メートル近い距離を駆け抜けた。間に包囲を行っていた連中の生き残りや潅木を挟むことでゼアドの突撃を防ぐことも忘れない。

隠れた物陰で巻物を取り出し、そこに込められた《ディメンジョン・ドア/次元扉》の効果を発動させる。

巻物に描かれた魔術回路が光を放ち、完成した呪文が空間を捻じ曲げ俺の体を別の場所へと送り込む。

転移の瞬間、霞む視界に映ったのは潅木を突き抜けて突進してくるゼアドの鋭く尖った角だった。




[12354] 2-4.キャプティヴ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2011/01/08 00:30
転移が終わった直後、先程まで俺が隠れていた潅木がゼアドの突進を受けて吹き飛ばされているのが見えた。

それを横目に《インヴィジビリティ》の呪文で姿を消す。

いま俺は、先程まで隠れていたのとは別の潅木の影に隠れている。移動した距離は200メートルほどだろうか。

俺を見失ったゼアドは周囲の動くもの、コボルド達を手当たり次第に薙ぎ払いはじめている。

あれが狂戦士が味方にいる場合に最も怖ろしいことだ。

他にも同意する味方に対して狂乱を感染させる効果などもあるが、やはり敵がいなくなったら味方でも殴り始めるというのが手に負えない。

残念ながら今の俺の実力では狂乱しているゼアドを止める手段はない。こと近接戦闘に限れば最も恐ろしい相手かもしれない。

ドロアーム最強の戦士の称号は伊達ではないようだ。

俺には物理攻撃では倒しきれるほどの火力がなく、運が悪ければ10秒程度で切り刻まれるだろう。

距離を取っても先制の呪文で倒しきれなければあっという間に間合いに捕えられて接近戦に持ち込まれる。

戦士系の弱点である精神力を狙った呪文は、もう少しレベルが上がらなければ効果的な呪文を使用できないのだ。

狂乱状態に突入する前に相当削ったであろう今なら遠距離からの多重撃発《ディレイド・ファイアー・ボール》で倒せるかも知れないが、狂乱が切れる前に俺も無事ではいられないだろう。

ここは逃げの一手で間違いないだろう。

念のためSPを温存し、物陰に隠れながらポーションを飲み、HPの回復に努める。

観測所にいたであろうデニスの衛兵達がゼアドとコボルドの群れに気付かなかったように、姿を消して潜んでいれば塔から発見されることは避けられるはずだ。

このまま《テレポート》でストームリーチに戻ることは出来るが、掃討に出ていた他のメンバーが気になる。

上手く逃げ落ちてくれていれば、合流して一緒に転移で帰ることも可能だ。

コボルド達が砦を攻め落とした以上、生きていれば城壁のこちら側にいるはず。

トロルやホブゴブリンの戦闘団に遭遇していれば殺されてしまっているかもしれないが、コボルド相手に捕虜にされたのであれば助け出すチャンスもあるかも知れない。

《インヴィジビリティ》の効果時間のうちに塔の観測圏内から脱出すべくそっと足音を殺しながら戦場を離れた。














ゼンドリック漂流記

2-4.キャプティヴ













長い夜が明けた。大分前に塔は発光するのを止めており、戦闘音は聞こえなくなっていた。

とはいえ青い光の範囲外へ脱出するために2キロ近い距離を移動している。そのためあの後の状況は全くわかっていない。

懸念していた追跡は行われなかったようだ。

ウルフなどの匂いで追跡をしてくる連中が駆り出されて来るかもと考えていたが杞憂だったようだ。

《ディメンジョン・ドア》を使用したところを見ていたのはおそらくゼアドだけだったろうし、どのような効果を持つ呪文かは狂乱状態にある彼には判断できなかったのだろう。

同じ戦場に留まっているとは考えなかったのか、それとも俺を殺すのを諦めてくれたのか。後者なら有難いんだが。

街道から少し離れた下生えに身を隠し、風下から砦に近づいていく。

終始姿を呪文で消したままではいられないので、今は"隠れ身"と"忍び足"の技能に修正を与えてくれる装備で隠行を補正している。

今だ街道沿いには昨晩の戦闘で破壊された攻城兵器の残骸が残されており、コボルドの死体も多く放置されたままだ。

おそらくもう暫くすればこの血臭を嗅ぎ付けて近くの森から掃除屋がやってきて片付けていくのだろう。

念のため周囲を探索するが、仲間達の遺体は見当たらない。

ローガンと愛馬の死体についても発見することは出来なかった。それなりの高級な装備をしていたこともあり、おそらく回収されたのだろう。

昨日遭遇したトロルだけでなく、コボルドも知性のある存在を食料にすることがある。

その点からするとローガンについては絶望的だが、他の連中についてはまだ希望がある。

昨晩落とされた砦には大量の物資が運び込まれた直後であり、コボルド達は食料を大量に手に入れたはずだ。

それなら捕虜をわざわざ殺さずにいる可能性も高いはずだ。

城壁中央の扉は昨晩ローガンが出陣した時のまま、開け放たれた状態で放置されている。

少し離れた脇にある、冒険者の2チームが守備についていた箇所も同様である。

念のため呪文による警報なども警戒しながら砦の中へ侵入した。

城壁の内側では、所々にデニスのグレイ・ブレードが倒れている。

遠目からだが、激しい欠損は見当たらないし、トロルなどではなく大勢のコボルドに蹂躙されたように見える。

ゼアドたちはここには来なかったのだろうか?

時折周囲を小走りで駆け抜けていくコボルドをやり過ごしながら砦内を移動する。

殆どのコボルドは塔に集まっているようだ。他の建物からは連中の気配を殆ど感じない。

同じく捕虜を捕えているとしても塔だと思われる。昨晩見たところ兵舎には監禁するのに相応しい部屋はないし、他の建物も同じようなつくりに見える。

そもそもが巨人用の建物だからして、中型生物である人間などを監禁するには向いていないのだ。

奴隷として使役していたエルフ用の部屋などがあればそこが怪しいのかもしれないが、どうやらそれらしき建物は見当たらない。

念のため人気のない建物の様子を窺って推測が正しいことを確認した後、中央の塔へ向った。

塔内部への扉は開け放たれているが、中ではコボルド達が宴会でもやっているのか大騒ぎしている。

流石にこの中へ侵入するには呪文の力に頼った方がいいだろう。透明化した上、出入りするコボルドの背後を取って中に潜り込んだ。

エントランスフロアは空調でも効いているのか、外部とは明らかに空気の清浄さと温度が違っていた。

横幅50メートル、奥行き40メートルほどで高さも20メートル以上はあるように見える。まさに巨人のための建造物だ。

入って右手には四基の昇降機、エレベーターらしきものが並んでいる。左手奥には階段もある。いずれも当然ながら巨人用サイズである。

小型のコボルドが巨人用の階段を使用することはないだろうから、俺は階段を使用した方がいいだろう。

だが、闇雲に探し回っても効率が悪い。何せこの構造から考えるに少なくとも地上部分だけで50階はあるのだ。

何かヒントを見つけてから動き出すべきだと考え、物陰に隠れて宴会をしているコボルド達の会話に耳を傾けた。

彼らの会話は竜語、俺からしてみれば英語で行われている上、独特の甲高い声をしており聞き取るのは非常に困難だ。

なんとか「プリズナー」や「キャプティヴ」という単語だけを聞き取ってその周辺の単語を洗い出すことで情報を得ることに成功した。

どうやら地下部分に閉じ込められているらしい。あまり長い時間留まることもできないし、すぐに移動することにした。

1段辺りの段差が身長ほどもある階段を、物音を立てないように飛び降りながら進む。

長い螺旋階段を降りると、降りた距離を感じさせる高い天井から無骨な機械が吊り下げられたフロアに出た。

エントランスのさらに倍はある天井の高さで、そこから球状の金属らしきものがパイプで壁や天井に繋がっている。

どうやらあれがこの建物の空調設備のようだ。エア・エレメンタルが捕縛されており、この塔内部に清浄な空気を供給しているのだろう。

窓があるが嵌め殺しで密閉されているこの建築物内ではこういった仕掛けがなければ巨人といえども快適には暮らせなかったようだ。

4万年以上の時が流れても今だ稼動しているその技術力には感嘆させられる。

この空調設備の部屋は同時に物資の貯蔵庫としても利用されていたらしい。そこかしこにデニス氏族のマークが刻まれたコンテナが積まれている。

下りの階段はここで終了だったことを考えれば、このフロアのどこかに捕虜となった連中がいるはずだ。

幸いこのフロアは空調設備の立てる震えるような音のおかげで足音を隠すのは容易い。


時折昇降機を使用して食料を取りに来るコボルドに見つからないように注意しながら捜索を続けること10分ほど。

フロアの片隅で手足を縛られた状態で放置されているケイジとゲドラの姿を発見した。

二人とも瀕死の重傷を負っているように見える。既に出血は止まっているようだが、このまま放置されればやがて死に至るだろう。

周囲にコボルドの影が見えないことや罠などがないことを確認し、二人に《キュア・ライト・ウーンズ》を使用して最低限の回復を行った。

同時に《サイレンス》の呪文を使用しておき、音が漏れないようにした上で手枷、足枷を破壊した。その後、用済みになった呪文は解呪する。


「……う、トーリか。アンタは無事だったんだな、おかげで助かったぜ」


「……感謝する」


最低限の回復だけではやはり力が出ないのだろう、ケイジは言葉少なに礼を返してきた。

ゲドラはいつもどおりの口数の少なさだが、感謝の気持ちはそれでも十分に伝わってくる。

二人に回復用のポーションを渡して飲ませた後、他のメンバーについての情報を知っていないか聞いてみた。


「意識を失う直前まではロンバートも一緒にいた。

 アンタ同様突出したローガンを追いかけようとしたんだが、途中でコボルドの大群に飲み込まれてこのザマだ。

 ドワーフのおっさんは置いていっちまったから判らねぇ」


どうやらロンバートを含む三人で行動していたところで戦士コボルドの群れに蹂躙されたらしい。

ゲドラのスパイクト・チェインがどれだけ広い間合いをカバーできるといっても、許容量を越える敵が押し寄せてしまえば迎え撃ちきれない。

ケイジも二刀で応戦したようだが、多勢に無勢だったんだろう。


「……ロンバートもここに連れて来られたのは一緒だ。彼は我々の傷の治療を優先し、逃げずに降伏した。

 だが、コボルドが夜のうちに別チームの連中で傷の浅かった連中と一緒にどこかへ連れて行った。

 恐らく我々は放置すれば死ぬと考え食料としてここに置き去りにされたのだろう」


ゲドラのポツポツと呟くような発言から、新しい情報を得ることが出来た。

どうやら彼はこの倉庫に放り込まれて暫くしてから意識を取り戻していたそうだ。

だが傷のために身動きできず、周囲の状況を観察しながら体が動かせるようになるのを待っていたらしい。

残念ながらゲドラは竜語が話せないため、連中の会話内容は理解できなかったそうだが。


「わざわざ連れ出したということは何か目的があると思える。

 とりあえず何匹かに話を聞いてみるとするか」


幸い、ここに食料を取りにくるのは数匹ずつだ。こっそり話を聞くにはいい環境である。

二人の使用していた武器も魔法が掛けられていない品だったからか、重要視されずに近くに放置されていた。

いずれにせよコボルドには大きすぎて使用出来ないサイズの武器だし、運ぶのも面倒で捨て置かれていたようだ。

鎧も脱がされておらず、傷も直ったことで二人ともすでに戦える状態である。

とはいえ今から行うのは情報収集だ。二人には俺の呪文が抵抗された時に備えて準備をしてもらう程度である。

昇降機付近のコンテナの陰に隠れ、コボルドが来るのを待つ。

どうやら宴会はいい調子で続いているようだ。5分から10分おきに昇降機が上下しており、こちらにとって非常に都合がいいシチュエーションである。

暫く待つと昇降機のドアが開き、中から3匹のコボルドが台車を引いてやってきた。

その中の一匹を選び、慎重を期して背後に回りこみ、他のコボルド達と別れて視界からも映らなくなったところで《チャーム・パーソン》を発動させた。

ジャコビーがエレミア相手に情報を聞き出した際に使ったであろう呪文だ。こう見えてもコボルドは"人型生物"という分類なのでこの呪文が効果を発揮するのだ。


「My Friend. Where did the captives go?」


大学受験以来使った覚えがない英語を思い出し、平易な単語の組み合わせで捕虜の行方を尋ねる。

ああ、英語がもっと話せたら楽なのに。そもそも英語が出来れば、日本語版のサービスが終了しても英語版で遊んでいただろうに!


「Hum? The auxiliary troops took it.

 Soft Meat was taken!」


やはり、殺されたのではなく連れ出されたようだ。どこに連れて行ったのかまで判ると有難いんだが……。


「Where did they take captives to?」


「They took the party to the Stormreach」


どうやら大陸内部ではなくストームリーチ方面へ連れ出されたとの事。

ついでにとミノタウロスやトロルについて聞いてみるがそんな連中は知らないとの事。

あまり長い時間を掛けて他の連中に気取られては本末転倒である。

とりあえず今の情報で満足し、このコボルドには上にたくさんの食料を持っていくように指示してこっそりと距離を取る。

離れたところに待機していた二人と合流して今得た情報について相談する。


「他の連中がいないんじゃ、ここにいる意味はないな。出来るだけ早々に退散したいところだが」


ケイジの意見も最もだ。ゲドラは同じ意見なのか、先程喋りすぎた反動なのか沈黙している。


「それじゃここからずらかるとするか」


巻物からスクロールを取り出す。ゲドラは大柄ではあるが分類はあくまで中型サイズだ。問題なく一緒に転移できるだろう。

だがいざ呪文を発動しようとした際に、ゲドラがその口を開いた。


「待て。転移するならこの城門の外まででいい。

 俺は他の連れ去られた仲間を追いかける」


部族の戦士として受けた恩は返さねばならぬ、戦場で果てるはずだったこの身を、自身を省みず癒して捕虜となったロンバートを救い出さねばならない。

言葉少なにも力強く言い切る男の姿から高貴なオーラが発しているかのように感じた。

やはりこのゲドラは見込んだとおりのいい男のようだ。

思わずニヤリと笑って二人に告げる。


「安心しなよ、この『ディメンジョン・ドア』のスクロールじゃ街までは飛べないさ。

 精々が城門から少し離れた辺りが限界ってわけさ。

 ケイジもそれでいいか?」


長距離用のテレポートと違い、この巻物に込められた呪文は精々300メートル程度の転移だ。

ケイジがストームリーチへの帰還を望むなら、城門から離れた場所で位置の特定をしっかりしてからであれば安全に送り届けることはできるんだが。


「なんだよ、二人して格好つけやがって。

 二人とも追跡なんて出来るのか?

 ハンターのケイジ様がきっちり導いてやるから安心しなって」


グっと親指を突き立ててケイジも乗り気なようだ。

その腕に被せるように巻物を持っていないほうの手を寄せて、ゲドラにも同じように手を触れさせる。

一緒に転移を行うには接触している必要があるのだ。


「さぁ、それじゃ準備はいいな。飛ぶぞ!

 呪文を受け入れてくれよ」


昨晩と同じ捻じ曲げられた空間を跳躍する感覚。

一瞬の後に俺たちは空調設備の音が煩い地下施設から、城壁の外にある岩に隠れた物陰へと移動していた。

こういった転移系の呪文をよく使用するためだろうか、この世界に来てから非常に距離感覚は鍛えられている気がする。

チート能力の効果かもしれないが、いまの呪文も座標指定を誤ると「石の中にいる!」等の事故が起こりうる呪文なのに危なげなく使用できている。

まぁ、この世界では石の中に飛んでも若干のダメージを受けながら弾き出されるシステムのため即死するわけではないのだが。

転移を終えた後で、少し離れたところにある城壁を見やるが見張りなどは立っていないように見える。

だが早急に離れたほうが良いだろう。観測所からはこちら方面も見えているかもしれないのだ。

昨晩の青い光に包まれていた範囲を思い出し、塔から2キロ近く距離を取ってからようやく落ち着いて話をすることになった。


「地面がやや固めだが、雨も降ってないし連中が通ってからそう時間も経過してない。

 アンデール仕込みのハンターの技を見せてやるから待っていな」


塔から離れた街道でケイジが真剣に地面を調べている。


「……コボルド共は結構な群れでこの街道を進んで行った様だな。10や20って数じゃねぇぞ。

 後、連中荷馬車を使ってやがるようだな。

 俺達がここまで運んだヤツを流用したのかはわからねぇけど、俺達の移動してきた跡の上から新しい轍が被されてやがる。

 だとすると半日先行されているとしても、そう離れちゃいないはずだ。

 連中が日光を嫌って昼間動いていないのなら、日が沈む前に追いつけるかもしれないな」

 
残念ながら《マウント/乗馬》のような、魔法で乗騎を用意する呪文を習得していない。

少し上のレベルの呪文に上位互換のスペルが存在し、そちらを習得するつもりでいたためだ。

ペースは遅くなるが、徒歩で追いかけるしかないだろう。

幸い連中は大勢で移動していることもあり、痕跡を追うことは容易い。

通常の行軍速度を維持しつつ、ストームリーチに向って伸びる街道を歩き始めた。


「そういや、ケイジ。

 今追っている足跡は馬車とコボルドのものだけか?」


ミノタウロスやトロルといった連中が昨晩の戦いでは多く観客に回っていた。

狂乱したゼアドの攻撃である程度数を減らしたとは思うが、本来単体でも強力なモンスターである。連中との戦闘は避けたいところであるが……。


「ん? そうだな、馬以外にはコボルド連中の小さい足跡しか見ないな。

 特にウルフなんかもいないみたいだ」


ゼアドたちはもうコボルドと一緒に行動していないってことか?

俺達が運んできた客車1台と馬車5台にあの大型連中が全員乗せ切れるとは思えない。


「……昨日コボルド以外の敵はいなかったか?」


そういえば、皆はあの戦闘団を見たのだろうか。

かなり突出した位置ではあったが、狂乱したゼアドは城壁に匹敵する身の丈で相当目立ったはずだ。

今思い出しても身震いがする。


「いや?

 鎧に身を固めた敵の戦闘部隊しか見てないな。

 ゲドラはどうだ?」


「……」


ゲドラは無言で首を横に振った。やはり連中を目撃した生存者は俺だけということか。

本来であればこんなところにいない筈の、『タラシュク氏族』の精鋭たち。どうやら禄でもないイベントに巻き込まれてしまったようだな。

思い返してみれば、そもそも「コボルド・アソールト」のクエストはローガンから受けるものではなかった。

その時点で俺の知っているクエストではないことに気付くべきだったのだ。

だが、どうやら連中はこのコボルドとは一緒に行動していないようだ。

先頭を歩くケイジを追い越さないようにゆっくり歩きながら今回のクエストの背景について思考を巡らせる。

ドラゴンマーク氏族の利権争いなんて面倒なイベントへのフラグは立てたくないのだが……。


延々とコボルド達の痕跡を追い続ける道中、他の二人のゼンドリックに来た経緯などを聞いてみた。

ケイジは確かアンデール出身と言っていた。


「あー、ちょっと故郷でやらかしちまってな。

 逃げ出してきたのさ」


どうしてストームリーチに来たのかを聞くと、ケイジは罰が悪そうに鼻頭を掻きながら答えてくれた。


「最終戦争が終わってすぐ、我らがアーララ女王陛下がアンデール全土に布告を出されたんだ。

 『アンデールの剣によってアンデール人の血が流されるのは、わらわの見るに耐えないところなり』……所謂、決闘禁止令だな。

 だが、俺は田舎者でね。"先に血を流した方が負け"、そんな決闘でしか名誉を守れなかったのさ。

 その結果、相手がお陀仏しちまってね。檻に放り込まれる前に逃げ出してきたって訳だ」


ケイジって名前はそれで付けたのさ、と軽く笑いながら過去を語ってのけた。

アンデールは大地と大空の国である。農業が盛んで、一つの田畑やぶどう園を一族で代々受け継ぎ世話をしている。

そのために知性と機知が尊ばれる気風がありながらも一般の民衆は大地に根付いた暮らしをしている。

強い意志と高い誇りを持つが故に、ケイジが行ったような決闘が良く行われることがあったんだろう。

何が理由かはわからないが、この気のいい男であれば後ろ暗い事ではないだろう。そう思わせる人柄をしている。


「それで半年くらい前からゼンドリックで冒険者暮らしさ。

 まったく、この大陸の動物共は常識外れで困ったもんだぜ」


確かに、昨日のゴルゴンを筆頭に奇怪な生物には事欠かないだろう。

そういった専門のコレクターやハンターがいるくらいである。好事家には高く売れるのだろうが、まだあんな脅威度のモンスターの相手は御免こうむりたい。


「トーリはコルソスから来たんだっけ。

 ゲドラはゼンドリック出身なのか?」


最初に「コルソスから来た」と言ったおかげで勘違いしてくれているようだ。まぁ面倒だし都合もいいのでこのまま通すことにしよう。

そのうち出身地を聞かれた際は『サイアリ王国』とでも答えようかな。

《悲嘆の日/デイ・オヴ・モーニング》という災害で国土全てが魔境と化したあの国であれば出自に関して問われることもないだろう。


「……部族の男は成人に達したときに、1年間山を降りて自らの運命を探すのだ。

 そして最も偉大な狩りを行ったものが次の族長候補となる」


ポツポツとゲドラが出自を語ってくれた。ストームリーチから北西にある山岳地帯の出身との事。

ゴライアスは大柄で逞しい狩猟採集民で、常人を寄せつけない山岳地帯を部族単位で放浪している。

時折山を降りてはストームリーチで毛皮や肉、細工物の交易を行っているらしい。

そんな身の上話をしたりしながらひたすらに街道を進み、日が中天に差しかかろうとしたところでケイジが「止まれ」と身振りをした。

敵襲の警戒は俺とゲドラが行っており、ケイジには追跡に専念してもらっている。コボルドの動きに変化があったということだろうか。


「連中ここから街道を離れたな。

 痕跡はあっちのほうに向ってるが……」


ケイジが指し示す方向にはまばらに木々が広がっている。辛うじて踏み固められた道らしきものもがあるものの、視界は格段に悪くなるだろう。

コボルド達は大勢だっただろうが、俺たちは3人である。狩りを行う獣であれば組し易いと見て襲ってくる可能性は高いだろう。


「まぁ先行している連中が掃除してくれていることを祈ろうじゃないか。

 ゲドラ、いざというときには頼むぜ」


襲撃された際には間合いの広さが物を言う。ゲドラの持つ「スパイクト・チェイン」の長射程は心強い。


「山での狩りは慣れている。獲物の出す音を聞き逃しはしない」


チャリ、と鎖部分を揺らしながらゲドラが答えた。バーバリアンは"聞き耳"がクラス技能である。

俺の場合は技能判定値は高いものの経験が少ないため、入ってくる情報量の取捨選択が甘いため不必要なまでに警戒してしまう。

ここは経験を積ませてもらうことにし、警戒はゲドラにお願いすることにしよう。

いつ襲われても対応できるように腰の獲物を抜き、手に提げたまま街道から踏み出した。

いまは踝を覆う程度の下生えだが、この先進めば邪魔になって草を切り払う必要もあるだろう。

横を見ればケイジも右手にククリを持ち、左手用の獲物もすぐに抜き放てるように鞘の位置を微調整していた。


「さて、鬼がでるが蛇がでるか。気をつけていこうじゃないか」





時折、木の上からこちらを窺っている猿の斥候にドワーヴン・スロウアーを投擲して追い散らしながら先へ進む。

このあたりは往路にゴルゴンをやり過ごした荒野から少し砦側に寄った地域である。

悪路である事から馬車の速度は落ちるであろう事が予想されるため、そろそろ追いついてもいいと思うんだが……。


「来るぞ。左右から挟み撃ちするつもりのようだな」


少し前にゲドラが敵襲を告げていた。今度はどうやらライオンのようだ。

ゲドラにカバーされているケイジが右からくるライオンに矢を射掛け、俺は左手でもう一方の敵に投げ斧を見舞う。

それほど強く飢えているというわけではなく、少し手傷を負わせるか手ごわいと思わせれば退散してくれるのは有難い限りなんだが……


「いくらなんでも多すぎる。連中余計な置き土産を残していきやがったな」


ケイジが毒づいたとおり、この2時間で都合5回は襲撃を受けている。本格的な戦闘までは至っていないとはいえ、非常に高い遭遇率である。

原因は簡単だ。コボルドどもは運んでいる物資を食い散らかしながら進んでいるらしい。

そこかしこに食べ残しが投げ捨てられており、それに集る連中やさらにその連中を狙う肉食動物の類がこの獣道に集まっているのだ。

掃除どころか散らかしまくりである。意図して行ったわけではないだろうが、そうやって集まった動物の足跡などで追跡する速度もやや鈍っている。

普通はテリトリーがあって棲み分けがされているためこんなに頻繁に襲われることはないはずなんだが、迷惑な話である。

そんな襲撃を何度もやり過ごし、やがて木々の密集具合も高くなってきたところでついに連中の痕跡が消えていく洞窟へとたどり着いた。

小高い山の麓にぽっかりと口をあけたそれは、地底の深遠に俺達を誘っているかのようである。

ここで乗り捨てたのか、馬車の荷台が放置されている。

馬の姿はない。おそらくここで処理されたのだろう、盛大な血痕が残されている。


「この血の渇き具合からして、まだそんなに時間は経っていないと思うぜ」


周囲を調べていたケイジが報告してくれる。


「でも、ここが連中の巣ってわけじゃなさそうだな。もしそうなら見張りぐらい立ってるはずだ」


巣穴ではなく、巣に通じる通路というところだろうか。何にせよ一層警戒する必要があるだろう。

背負い袋から「消えずの松明」を一本取り出し、ケイジに渡す。松明といっても実際には魔法で明かりを灯された棒なのだが。

俺自身は投光式のランタンを取り出し、油を差して火をつける。消えずの松明の効果範囲は半径6メートルほどで、それほど広くない。

対してこのランタンは1方向限定ではあるがその3倍の距離を明るく照らしてくれる。

薄明かりであればそれぞれがその2倍の距離を照らしてくれるため、この二つを組み合わせれば洞窟の中でも視界を十分に確保することが出来るだろう。

迎撃の要であるゲドラは両手武器のため、光源を持つことが出来ないしこのランタンは俺が左手で持つことになる。

念のため予備の消えずの松明をゲドラの背負い袋に突き立てることで全員に光源を行き届かせた。


「さて、それじゃあ俺が先頭に立とう。

 中の幅は……結構広いな。ゲドラ、横についてくれ。ケイジは殿を頼むぜ」


ランタンで暗がりを照らして入り口の様子を確認し、隊列を組んで緩やかな下り坂になっている洞窟内部に足を踏み入れた。

幅10メートルほどで、高さは3メートルほどと扁平な通路は少々凹凸があるものの基本的には平坦だ。

地すべりや地殻変動によって出来た断層洞かとも思ったが、ランタンで照らされた周囲の壁面は岩ではなく土である。

何かによって掘られた洞窟なんだろう。

5分も歩けばもう地上の光は豆粒のように小さくなっている。このあたりから通路は緩やかなカーブを描きながら曲がり始めている。もうすぐあの日の光も届かなくなるだろう。

そうして俺たちは《アンダー・ダーク》と呼ばれる領域に足を踏み入れたのだった。


「深いな。まさかこのまま《カイバー》まで続いてるんじゃないだろうな」


ケイジの軽口も、流石に1時間を越えて下り坂を進み続ければ鈍ってくるようだ。

ゼンドリックの地下には10万年以上前のドラゴン・フィーンド戦争によって地下深くに封じ込められたロード・オヴ・ダスト、ラクシャーサやフィーンド達が封じられているという。

まさかコボルドが使っている通路にそんな連中の封印があるとは思えないが油断できないことは昨晩自身の身で味わっている。

ランタンの照らす先のどんな異変も見逃すまいと、気合を入れなおして足を踏み出したその時。

装備している靴の足裏を通じて微妙な違和感を感じた。

咄嗟にゲドラを軽く横に突き飛ばしながら自身は前へ跳ぶ。


「敵襲! 足元だ!」


そういって振り返った先、石や土を跳ね飛ばしながら地中から体節のある大きな虫が飛び出てきた。

細い足の先端には鋭い爪がついている。頑丈そうなキチン質の茶色い殻が体を覆い、濡れたような光沢のある黒い両目が、力強い両顎の上から俺を見下ろしている。

奇襲を回避されたことでご機嫌斜めらしい。蟻とクワガタを足して2で割ったような魔獣、アンケグはその顎をカチカチ鳴らしながら自身の掘った穴から這い出してきた。

全身を現したその体長は3メートルほどか。六本足を器用に動かしながらこちらに突進してくる。


「そいつは酸を吐くぞ、気をつけろ!

 後、他にも潜んでいるかもしれない。足元に注意を払え!」


ケイジが敵の正体を看破したのか、敵について教えてくれた。幸い相手はサイズこそ大きいものの、這っている為リーチは長くない。

鋭い爪も気になるがその体の構造から前方の敵を攻撃できるようには見えない。あの顎による噛み付きを警戒だな。


「こっちは大丈夫だ。

 二人は追加の奇襲に備えておいてくれ!」


言うや否や、ケイジの足元の地面が割れてその足をもう一匹のアンケグが銜え込み、そのまま地中に引きずり込もうとしている。


「うおお、やべぇ! この野郎!」


ケイジも抵抗しようとしているが何分体勢が悪い。奇襲の際に転ばされてしまった状態からでは有効な打撃を加えられるかは疑問だ。

だが、そのアンケグの顔面にゲドラの放ったスパイクト・チェインの先端が鋭くめり込んだ。たまらず虫は顎を離し、ケイジは解放される。

どうやらあちらは任せておけそうだ。万一の追加に備えて、俺は目の前のこいつを早急に処理しなければ。

ロングソードから武器をチェンジし、シミターを取り出す。

酸を吐くという事は酸による攻撃に対して耐性がある可能性が高い。いつものコペシュによる酸の攻撃より、別の属性効果による追加ダメージを狙うべきだろう。

ランタンを持った左手を庇うように後ろへ回し半身になってシミターを構えると、こちらに突き出された顎をサイドステップで回避しつつ刀身を斬り下ろした。

カツッという音と共に殻を斬り破って頭の付け根を半分ほど切り裂くことに成功し、切り口は刀身に込められた魔法の効果で燃え上がる。

それなりに固い外皮のようだが、俺の筋力と魔法によって極限まで切れ味を強化された武器であれば容易に切り裂けるようだ。

だが、相手は虫だ。生命力に定評があり、この程度では死なないだろう。

案の定、相手は千切れかけた顔をこちらに向けると口を大きく開けて酸混じりの霧を吐き出してきた。

再びサイドステップで迫り来る酸の奔流をやり過ごし、今度は反対側から再び首を狙い今度こそその頭を切り落とすことに成功した。

胴体と足はそれでもピクピクと動いているが、もう脅威にはならないだろう。

残り一体のほうに目を向けると、丁度ケイジのククリがアンケグの首筋に突き立てられたところだった。

即座にケイジは武器から手を離して後ろへ下がり、左手でもう一本のククリを抜き放つ。

だが、体幹に刃物を突き立てられた魔獣は微かな身動ぎをした後、崩れるように地に伏せた。その際の衝撃でさらにククリが深く刺さるが、もはや関係ないだろう。

見たところケイジは最初に噛まれた足首に怪我をしているようだ。

ゲドラも一度噛み付かれたのか、傷口を爛れさせている。吐き出す以外にも、噛み付いた箇所に酸を送り込むことができたようだ。

素早く二人の傷を《キュア・ライト・ウーンズ》をかける事で癒す。が、一度では癒えきらずに二度、三度と使用することになった。

どうやらあの顎による噛み付きは相当な威力があったようだ。並の人間なら一撃でかみ殺されているだろう。


「ふう、もう大丈夫だ。ありがとよ、トーリ。

 地元じゃ土地を肥やすからって放置しているところもあるくらいだが、たまに農夫がこいつらに食い殺されることがあるんだよな。

 こいつらのトンネル網を通じて空気や水が土壌に浸透するし、こいつらの排泄物も畑には良いらしいんだが。

 俺の家じゃ、急に作物の育ちがよくなったらコイツらに注意しろっていうくらいだぜ」


治癒が終わったケイジが、確認のためか足首をぐるぐると回しながらアンケグに纏わる話を紹介してくれる。

こんな危険なモンスターを作物の育ちが良くなるからって放置するとかアリなのか?

俺の想像よりも、この世界の人たちはずっと逞しいみたいだな……


「俺ももう大丈夫だ。先を急ごう」


ゲドラの傷の方がケイジよりも深かったが、ゴライアスの頑健さもあってか耐えることが出来たようだ。

だが、あそこでもう一匹追加が来たら危なかったかもしれない。とりあえずここは早く離れた方がいいだろうな。

早足で通路を進むこと10分ほど。ついに通路からホールのような空間に出た。

カンテラで照らすが、動くものの姿は見えない。

半径15メートルほどの円形の広間で、天井もここの部分は高くなっている。

俺達が歩いてきた通路からみて正面に奥への通路が伸びている。中央には焚き火の跡。

コボルド達はここで休憩を取ったのだろうか?

痕跡を調べようと広間に足を踏み入れると、今までの通路に比べて足場の感触が柔らかい。

フワフワとした感じがして落ち着かない。

先程のように足元から奇襲するのであればこの地面の柔らかさは相手に有利に働くだろう。

だが予想に反して俺が感じたのは耳に響く羽虫のような音だった。

カンテラで周囲を照らすが、周囲にそんな虫の姿は見えない。

後ろに続く二人も訝しげに周囲を見渡している。だが音の発生源らしきものは見当たらない……。

このままこのホールは通り過ぎるべきか、そう考えて中央部まで踏み込んだ際にカンテラの明かりが部屋の外壁と床が接するあたりにある小さい穴を照らした。

周囲を見やると部屋中の床と壁の隙間に同じような穴が開いている。

このシチュエーションには覚えがある。同じような地下通路をモチーフにしたシナリオ集の遭遇にこんな情景があった。


「二人とも、走って向こうの通路に飛び込め!

 俺が殿を務める!」


二人は機敏に反応して、焚き火跡を踏み越えると一気に俺を抜き去って前方の通路に飛び込んでいく。

その背を追って通路に駆け込もうとする俺の視界に、部屋の隅から湧き出した大量の黒い羽虫……コックローチのスウォームが津波のように押し寄せてきた!

嫌な直観は当たったらしい。

剣の代わりに準備していたスクロールを広げ、足りない術者としての技量をアイテムでブーストされた"魔法装置使用"技能で無理やりに補って発動させる。


「《ウォール・オブ・ファイアー/火の壁》!」


スクロールに刻まれた呪文回路が注ぎ込まれた魔力で燃え上がり、効果を現すと広間の出口周辺は立ち上った炎の壁に埋め尽くされた。

躊躇せずにそこに飛び込み、体に纏わりついていた数匹の虫を焼き払いつつ二人に合流する。

俺自身は強力な《上級火抵抗》の加護が付与された装備を予め身につけていたため無傷だ。

後ろでは溢れ出したままの勢いで炎の壁にぶつかって虫たちが焼けていく音が響いている。


「おい、トーリ大丈夫か?」


ゲームと違い、この呪文で熱が出るのは炎の片面だけだ。

その面は部屋の内側に向けてあるため、二人の逃げ込んだ通路側には熱は漏れてこない。


「ああ。間一髪間に合った。

 あの手の群体には切ったり叩いたりは通用しないからな。

 今のうちにここから離れよう」


アメリカ人はゴキブリに思い入れでもあるのか、様々なバリエーションのモンスターとして登場している。

エベロン関係のとあるサプリメントでもトラウマになりそうなモンスターとして登場していたのは記憶に新しい……

日本人としては一匹でもあの黒いのが飛んでいるのが耐えられないというのに、あんな何千匹の単位で襲い掛かられたら人によっては失神物だろう。

炎の壁が連中を押さえている間に先に進まなければ。

早足で通路を抜けると、やがて足場が土から岩へと変わった。

後ろから虫たちが追ってくる気配もない。周囲の見通しも悪くないし、小休止するには良いポイントのようだ。


「あー、悪いがここでちょっと休憩させてくれ。昨日から動きっぱなしってのは流石に堪える」


昨晩のゼアドとの戦闘からぶっ通しなのだ。林の中で身を伏せていたとはいえ、寝ていたわけではないので休憩できていないのだ。

疲労は呪文で誤魔化していたが、そろそろSPも残り少ない。


「見張りは任せろ。俺たちが警戒しておこう」


ゲドラにカンテラを渡し、前方の通路からの警戒をお願いする。

背負い袋から魔法の携帯寝具を取り出し、比較的突起の少ない床面を選んで広げる。

念のため、通路の前後に《アラーム》の呪文も掛けて、横になる。


「1時間したら起きる。二人も体を休めておいてくれよ」


休憩時間はあっという間に過ぎ、特に侵入者もなく十分に回復することが出来た。

寝具を片付け、今日準備する呪文を調整すると準備は完了だ。

本来であればブレスレットに仕舞ってある串焼きなどを食べたいところではあるが、あれは肉とタレの匂いがきつい。

仕方なく味気ない携帯保存食を齧りながら出発することにした。

ケイジとゲドラはあんな状態とはいえ一晩寝ているため、まだ余裕があるようだ。

先刻同様の隊列で進んでいくと、湿気た空気が風に乗って流れてくるようになり、やがて広大な空間に出た。

薄暗がりには水場が広がっており、カンテラの光が届く範囲には対岸は映っていない。

地底湖というよりはむしろ地底沼と言うべきか、雑多な植物が水面からその顔を覗かせている。

草木に覆われた小山が点在しているが、それらは蛇をはじめとするクリーチャーたちの棲家になっているのは間違いないだろう。


「こいつはマズいな。これじゃ足跡を追えないぜ」


どうやら連中はこの沼に踏み入っているらしい。

だが土地勘の無い暗がりの沼地に俺たち三人で突入するのも危険だ。

何か手段は無いものかとカンテラの光で周囲を探るが、この地下空洞は相当な広さのようで、横の壁面すら見えない。


「とりあえず、一旦迂回できるか確認してみよう。

 沼地に突っ込むのは最後の手段にしたい」


水場から距離を取りつつ、壁沿いに迂回する案を提案する。

沼地での遭遇は、平原のものより過酷なことが多い。

足場も不安定で、戦闘のために動き回っていると急に深くなっている場所に沈んでしまう危険もある。

俺はともかく他の二人は水中戦になったらまず生きていられないだろう。

20メートルほどの幅がある陸地を、水場からの距離を最大限に取るため壁に沿って進む。

広くなった空間に聞こえるのは俺達が歩く音だけである。

30分ほどでついに側壁に到着した。残念ながらこの沼地はこの地下空洞全体を覆っているようで迂回路は見当たらない。

だがこの側壁沿いに少し高台になっている断層があり、その上を進むことができそうだ。

コボルド達はこれに気付いていないのか、背丈の都合で利用できていないのかはわからないが今の俺たちには有難いスペースである。

まず俺がカンテラを置いて登攀で登った後、ロープを用いてケイジの登攀をサポート。

カンテラをさらに回収した後、二人掛かりでゲドラを引き上げた。

この4メートルほどの高さにある突き出した棚は幅も同じくらいで、壁面に沿って捻じ曲がりながらもずっと奥まで続いているように見える。

カンテラで進行方向と沼地方向を交互に照らしながら進む。

隊列は俺、ゲドラ、ケイジの順である。流石に横並びにはなれなかった為ゲドラには中央に位置してもらった。

時折沼地では大型犬サイズのネズミが何匹か群れているのを目にする。ダイア・ラットのようだ。

流石にこれだけの段差があると連中も襲い掛かってくることは無い。

地底暮らしで光に対する慣れが無いのか、カンテラの光に照らされるとそれだけで逃げるように姿を消していった。

やはりこれだけの高度差があれば余程の大物でもない限り安全なようだ。

だが、長年ここを利用していたであろうコボルド達がこの足場に気付いていないということがあるだろうか?

連中が気付いていても使用しない、なんらかの原因があると考えた方がいいだろう。

そして1時間後、俺たちはその理由を知ることになった。


「ウーズか」


「だな。ウーズだ」


「……」


突き出た棚台が急に広さを増したところで、停止を余儀なくされた。

ランタンの光の届くギリギリの距離、そこは少し窪地になっており、そこは黒い粘体で埋め尽くされていた。

まだ相手はこちらに気付いていないようだ。嗅覚と振動感知の範囲は20メートルほどだったろうか。

歳経たブラック・プティングの擬似肢は5メートルを越える射程距離がある。

回避して先に進むことはできそうにない。

カンテラで照らされた沼地も、ここの周囲は深くなっているのか付近には小山も見当たらない。

周囲に生物の気配が全く感じられないのはあのウーズが全て平らげてしまったからなのだろうか。

とはいえ、深さも判らない沼に向ってダイヴするのは危険だろう。

ひょっとしたら沼地には別の粘体が潜んでいるかもしれないんだし。


「ここから魔法で焼きながら後退して、倒せるかどうか試してみる。

 二人は撤退の準備をしておいてくれ。あの巨体なら足は遅いと思うんだが」


カンテラをゲドラに渡し、正面を照らしてもらう。

俺が準備するのは、ハザディルの倉庫でも使用した《チェイン・ライトニング》の効果が付与された弓である。

火球系の呪文では、下手すればこの足場を破壊してしまいかねない。

安定した広範囲への火力が見込める呪文だが、こういった洞窟で使用するには難しい呪文なのだ。

弓に番えられた一条の雷撃は、轟音を発して洞窟内を青白い閃光で照らしながら一直線に進むと黒い粘体に吸い込まれた。

黒い粘体の内部で紫電が弾ける様が透けて見える。立て続けにもう一射するが、動きが鈍っているものの健在のようだ。

並のブラック・プティングであれば今の2発で十分だったはずだが、流石にあの巨体ともなると耐久力も半端ない。

知覚範囲外からの攻撃に悶えている様だが、所詮は知性を持たないアメーバのような存在である。

多数の擬似肢で周囲を滅多矢鱈に叩いているがこちらには気付いていないようだ。

残念ながら弓に付与されたこの呪文は2発であり、チャージが回復する夜明けまではもう同じ効果は使えない。

仕方が無いので距離を詰めて、《スコーチング・レイ》のワンドで止めを刺そうかと考えていたところで相手に動きがあった。

おさまりの良さそうな窪地から這い出た粘体は、そのまま棚台から転がり落ちるようにして沼地へ落ちていった。

ちょっとしたプールなら埋めてしまいそうなその体積が飛び込んだために、沼地にはちょっとした津波が巻き起こっている。


「……逃げたか」


知性がないとはいえ、その程度の行動はとれるようだ。

まぁ二発の雷撃で相当なダメージを与えたはずだ。内部の組織はズタズタで、そのうちもっと小さなサイズに生まれ変わるだろう。


「派手な呪文だったな!

 アルカニックスの秘術評議会の連中にも見せてやりたいくらいだぜ!」


ケイジは《チェイン・ライトニング》の効果に少し興奮しているようだ。

ちなみにアルカニックスとはアンデールにある魔術師達の学院であり、コーヴェア大陸最高の秘術使いの組織であると言われている。

上空数百メートルに浮かぶ四つの城や塔からなるこの研究施設は、そもそも秘術使いでなければたどり着くことすら困難である。


「あー、魔法具の補助がなけりゃあんな大技使えないよ。ちなみに今日はもう打ち止めだからな、同じのを期待しないでくれよ」


弓を背負い袋に放り込むフリをしてからゲドラからカンテラを受け取り、先を照らす。


「それより早くあそこを抜けるとしようぜ。

 あの黒いのの気が変わってここに戻ってこられちゃ困るからな」


粘体であるからには、この崖も容易に登ってくるだろう。

念のため奇襲を警戒しつつも、足早にウーズの占めていた窪地を駆け抜ける。

木も金属も溶かしてしまうウーズの棲家には案の定何も残されていない。

下手に武器で攻撃すると即座にこちらの武器を溶かしてしまうところといい、冒険者に嫌われるモンスターである。

ストームリーチにはこいつの特性を利用して作られた廃棄炉があったはずである。

……少し記憶違いかもしれないが、なんでも溶かすという特性は便利である。

こいつら粘体を何日間という単位で使役する呪文も存在することだし、将来家を買ったら俺も利用を考えてみよう。

そして再び歩くこと1時間。どうやらこの通路はあのブラック・プティング以外は安全なルートだったようだ。

目の前には沼の終端が見えている。

湿地ということでヒュドラやリザードフォーク、果てはブラックドラゴンとの遭遇まで考えていたんだが懸念に終わってくれたようだ。

時折、沼側でウィル・オ・ウィスプと思われるぼんやりとした光源が舞っているのを見かけたが放置しておけば問題はなかった。

とりあえずはこちら側にコボルド達が抜けてきた痕跡をケイジに捜索してもらわなければならない。

それが発見できなかった場合は、反対側の壁際を探るか不本意ながら沼地に踏み入ることになるだろう。

だがこれまたラッキーなことに、すぐに痕跡を見つけることが出来た。

大勢が徒歩で沼地を抜けたため、石の床には沢山の足跡が残されている。

こちらからその通過してきた沼地の方を照らすと、何ヶ所かに戸板が置かれているのが発見できた。

あれを使って沼地の深くなっている部分を安全に抜けてきているのだろう。

今となってはあのブラック・プティングの起した津波のせいで流されているかも知れないし、利用することは無いだろうが。

沼地に背を向け、足跡を追っている二人に合流する。


「どうやらかなり近いみたいだな。

 まだ足跡が乾いていない。あと一息って所だな」


ケイジが地面についた泥の痕跡を指でなぞりながら状況を報告してくれた。

ひょっとしたらこの沼地を越える際に俺たちはショートカットできていたのかもしれない。

コボルドにとって、足場の不安定な湿地帯は移動の障害に成ったであろうことは疑いない。

カンテラを仕舞う事も考えたが、俺たちはコボルドと違って暗視能力を持っていない。

接近を相手に教えることになるが、無視界で戦闘することのほうが危険と判断し光源は維持することになった。

沼地の反対側とは対照的な曲がりくねった通路を進むと、やがて人工物と思わしき構造へと周囲は変わっていった。

急勾配な上り坂の上には鉄柵が下ろされている。見張りはいないようだが、明らかにここから先はコボルドの領域のようだ。

巨人時代の遺物にしてはサイズが小さい。彼らの奴隷だったエルフたちが使用していた設備なのか?

鍵の掛けられた鉄柵を、盗賊道具で解錠して音を立てないように慎重に開ける。

全員が柵を越えたところでカンテラを向け、正面を照らすとかなり離れたところでT字路になっており左側への分岐が見て取れる。

同時にそこの交差点にいた3体のコボルドと1対のウルフがこちらに気付く!


「Here is our territory!」

「Kill the intruders!」


1匹が備え付けられた銅鑼のようなものを叩こうとするが、その首筋にケイジの放った矢が突き刺さりそのコボルドは崩れ落ちる。

残りの2体はウルフを先頭にこっちに突っ込んできている。訓練されたウルフはこちらの足を狙って噛み付いてくるが、無論そんな攻撃を食らったりはしない。

逆に顔を蹴りつけ、怯んだところをシミターで切り捨てる。

ギャイン! と悲鳴を上げて飛び下がるウルフだが、そこにゲドラのスパイクト・チェインが追撃として襲い掛かった。

ゴライアスの膂力で振りまわされた鋭い鏃は、ウルフの頭蓋に命中しその意識を刈り取るとそのままの勢いで後続のコボルド達を薙ぎ払った。

この連中は昨晩戦場で見た連中と違い、たいした武装をしていない。ただの衛兵だったのだろう。

高さ3メートルほどの通路は真っ直ぐ伸び、100メートルほど先には扉が見える。

とりあえず左右の小部屋を確認しながら最初の分岐まで進む。柵が下ろされた小部屋の中には樽や木箱がしまわれており、倉庫のように使用されているようだ。

分岐の先をランタンの光で照らすと通路の先はまた分岐になっており、そこにもコボルドの衛兵が屯している。

コボルド達は侵入者を排除しようとこちらに近づいてくるが、ケイジの弓から立て続けに放たれた矢に射抜かれて道半ばに骸を晒す事になった。

これで両方の通路がクリアーになったわけだが、まだ調査が終わったわけではない。

この交差点に二人を残し、一先ず扉の方向を調べておくことにした。

カンテラを二人に預け、消えずの松明を片手に通路を進むと、扉の手前にある横部屋から人の声が聞こえてきた。


「やめろ、こっちに来るな!

 忌まわしいコボルドよ、私を連れて行くんじゃない!」


共通語……それに声の質からして同胞のようだ。ここに捕えられている囚人だろうか。


「コボルドじゃなくて悪いな。あんたはそんなところで何をしているんだい?」


一緒に押し込められている樽に必死に身を隠している男が1人、柵で仕切られた小部屋の中にいた。


「人間! 冒険者か?

 ここに来て20日経ったときから・・・もう望みも持たなくなっていたのに。

 私を救助しに来てくれたんだろ? そうだと言ってくれ!」


やはり囚われの囚人だったようだ。


「俺たちは捕虜になった仲間の痕跡を追ってここまできたのさ。

 半日以内にここに連れてこられた連中がいるはずだ。そいつらの行方を知らないか?」


先程の沼地を抜けてこの地下牢に運び込まれたのなら、この男が何か聞いているかもしれない。


「ああ、ちょっと前に大勢のコボルドどもがアンタ方と同じ方向からやってきたような物音を聞いたよ!

 生憎この前の通路は通らなかったので仲間とやらは一緒かどうか私にはわからないが。

 それよりもはやくここから出してくれ!

 そこのバルブを回してくれればこの柵が開くはずだ!」


こっちの通路は通っていない、ということは先程の分岐の通路を通ったということか。


「出すのは構わないが。俺たちはあんたを守ってやる余裕は無いぞ。

 ついてきても構わないが、邪魔はしないでくれ」


一応念を押してからバルブを回す。少々さび付いているがコボルドでも操作できる程度の重さだ。

片手で操作し、半周ほど時計回りに回転させると部屋を仕切っていた柵が勢い良く天井側へと収納されていった。


「おお、ソヴリン・ホスト!

 ここで絶対コボルドに拷問されて殺されると思っていた。

 貴方の助けに最大の感謝を。

 あなたとあなたの一族に祝福がありますように!」


部屋から飛び出した男はまさに踊り出さんばかりの勢いで感謝の言葉を述べた。

背負い袋から使い捨ての陽光棒を取り出し、1本渡してやる。


「はぐれた際はそれを使ってくれ。まだ俺たちもここに来たばかりで勝手がわかっていない。

 連中の数によっては押し込まれるかもしれないからな」


とりあえずは後ろをついてきてもらう事になるだろう。ゲームであればこの手の捕虜はどうやってか自力で脱出していくのだが、ここではそんな都合のいい事はない。

囚人の男を連れて分岐に戻ると大体の事情は聞こえていたのだろう、ケイジが声を掛けてきた。


「運が良かったな。だがこれからもラッキーでいたいなら俺たちの邪魔をしないことだ。

 特に戦闘の際に近くをうろちょろされると流れ矢が当たっちまうかもしれないぜ」


流れ矢云々は冗談だろうが、笑いながら話しかけたケイジの言葉は薄暗がりではそれなりの迫力があったようだ。

男はカクカクと頷くと慌てて後ずさり、薄暗がりの中で所在なさげに直立不動の姿勢をとった。


「あんまり脅かすなよ、ケイジ。

 まぁそのくらい離れていれば大丈夫だろうさ。

 さぁ、先に進もう」


その後も交差点ごとに点在しているコボルドの衛兵達を処理し、3人ほどの捕虜を解放しながらロンバートの痕跡を追った。

そしてたどり着いたのは拷問部屋だ。多くの捕虜が一度はここに放り込まれ、残忍なコボルドに弄ばれるらしい。

今も部屋の中からは悲鳴が聞こえている。聞きなれない声で、砦の仲間ではないだろうが助けてやる必要があるだろう。


「……俺が先に行こう。お前達は中の連中が扉を抜けないようにしてくれればいい」


ゲドラがそういってスパイクト・チェインを強く握り締めた。この牢獄エリアに入ってからのゲドラの戦いぶりは凄まじい。

彼であれば先陣を任せても大丈夫だろう。

部屋の扉の横にあるバルブを回すと、他の柵と同様に扉が天井に吸い込まれるように消えていった。そしてゲドラは雄叫びを上げて部屋に突進していく。


「貴様らの為した事、全てが今仇となって返るのだ!

 さあ、ドルラーに行くがいい!」


果たしてその共通語の叫びを何体のコボルドが理解できただろうか。

だが言葉は判らなくとも通じるものはある。

部屋の中にいた何体ものコボルドが、ベッドに縛り付けられていた男に向けていた血塗られた刃物を手に、怒りの雄叫びを上げたゴライアスに殺到する。

だが、激怒によりその身体能力を増したゲドラは逆にコボルドの群れへと一歩踏み出し、手にした武器を薙ぎ払った。

怒りのオーラによるものか、ゴライアスの戦士の姿は先程よりも一回り大きくなったように見える。

その体格から横一線に振るわれたスパイクト・チェインはその鏃が後列のコボルドの頭を砕き、鎖の部分はその途中にいたコボルド達の胴や首を叩いて吹き飛ばした。

たった一振りで10匹以上のコボルドが文字通り薙ぎ払われたのである。

奥に留まっていたコボルドのシャーマンが《ライトニング》の呪文を放つが、その雷に胴を撃たれても巨漢の戦士は身動ぎもせず、返礼とばかりに放ったチェインの一撃でコボルドのシャーマンを壁のシミへと変化させた。


「……凄いな。真似できそうにないな、これは」


優れた体格と長射程の武器を存分に活かした蹂躙だった。この大して広くも無い拷問部屋はどこにいてもゲドラの射程内だっただろう。

俺の体格と武器ではいつまで経ってもこんな攻撃は出来ないだろう。

改めて部屋を見回すと、残酷な拷問器具がこの部屋の至るところに置いてある。

その中の一つの寝台に、男が縛り付けられている。酷く痛めつけられたようで、今にも息絶えそうな有様だ。

咄嗟に近寄って《キュア・ライト・ウーンズ》で傷を塞ぐ。

腹を割かれていたが、臓器に欠損はないようだ。この手の回復呪文は失った器官を再生させることは出来ない。どうやら間に合ったようだ。

だが消耗が激しいのか、傷を癒しても意識が戻る様子は無い。とりあえず寝台を利用して即席の担架を作り、捕虜のメンバーに運ばせることにする。

そっちを連中に任せ、次にゲドラの傷を癒す。《ライトニング》の直撃を受けたのだ、平気そうにしていても相当効いている筈だ。


「あんまり無理するなよ、一瞬ヒヤっとしたぜ」


地底で遭遇したアンケグの噛み付きよりも傷は深いようだ。

ゲドラを貫通した電撃が壁に当たって止まったから良かったものの、俺を狙って部屋の外に打ち込まれていたら運の悪い捕虜のメンバーは間違いなく死んでいただろう。

まぁそれが可能な立ち位置へ移動する隙を与えなかったゲドラの間合いの広さが彼らを救ったというところか。


「だが、ここにもロンバートはいない。彼を探さねば」


そうだ。ここにも捕虜のメンバーは不在だった。他の通路を虱潰しに探すしかあるまい。


「内側からも扉を操作できるようだし、彼らはここで待っていてもらおうか」


流石に意識不明の怪我人まで増えてしまっては連れ回すのは困難だろう。

扉に《アーケイン・ロック》をかけておけば彼らも安心だろう。

そうと決まれば即行動だ。彼らも独力でここから脱出できるとは考えていないのだろう。

この拷問部屋で待つのは気分が悪いかもしれないが、こちらの言い分を聞いてくれた。

待っている間の暇潰しにと、携帯食料を多めに渡しておく。


「そこの彼が目を覚ましたら食べさせてやってくれ。心配しなくてもここにいる人数分くらいなら用意してやれる。

 ケチな真似はするなよ」


食い意地の張ったやつがいるかもしれないので、釘を刺してから拷問部屋を後にした。

閉じたドアに呪文を掛け、未踏破区画に向けて踏み出す。

先程掃除したはずの交差点に再び現れているコボルドを蹴散らして進む。


「流石にそろそろ気付かれてるだろうな。戦闘部隊が突入してくる前に合流したいんだが」


そして未踏破エリアの捜索で、また1人の捕虜を見つけた。


「おお、あなた方はローガン卿に雇われていた冒険者様ですね!

 私を助けに来てくださったのですか?」


そう、見つけたのはローガンの愛人と思われる女性だ。

なぜ、「思われる」なんて表現なのかには訳がある。


(この女性、チェンジリングか!)


チェンジリングとは、ドッペルゲンガーと人間の混血を通じて進化した変身能力を持つ人型生物である。

シフター同様、エベロン設定で追加された新種族だ。その性質上、ローグとしての適性を持ち有能なスパイとなる。

何故そんなことが判ったかというと、今の俺は《トゥルー・シーイング》の効果を持つゴーグルを装備しているのだ。

この効果により魔法的効果による幻術の一切を見破ることが出来る。チェンジリングの変身についても同様に、だ。


「……残念ながらローガン卿は戦いの中で果てられた。

 我々は連れ去られた仲間を追ってここまで来たのです」


女性と会話をしながらも思考をフル回転させる。

この女性は元からチェンジリングだったろうか? たぶんおそらくそれはYesだろう。

わざわざコボルド達がこんな罠を仕掛ける意味がわからない。

彼女はどこかの組織がローガンにつけていたスパイだと考える方が妥当だろう。

普通の愛人だったという考えも出来るが、その場合は特に害があるわけではないので今は除外しておく。

彼女が俺たちにとって害となる場合はなんだ?

ローガンの口振りからして彼女は観測所にいたはずだ。

ということはあのゼアドらの姿を見ていると考えていいだろう。

あの『タラシュク氏族』の一団が、目撃者を生かしておくだろうか。

連中の目的は「デニス氏族はコボルド相手にも拠点を守りきれなかった」という事実を捏造することでストームリーチでの権益確保を狙っていたのだと考えられる。

コーヴェア大陸ではモンスターを傭兵として活用することで、デニス氏族と傭兵斡旋業の双璧をなしている氏族だ。

歴史の浅い氏族だけにストームリーチでの影響力は弱く、鉱山開発をゼンドリックでの主たる作業にしていたはずだが本来の家業に本腰を入れ始めたというところか。

元々がハーフオークからなるタラシュク氏族は、現地のトロルの部族等と契約して人材を現地調達することが出来る。これはデニス氏族にはない大きなアドバンテージだ。

おそらく今頃は意図的に逃されたデニスのグレイ・ブレードの生き残りが馬を飛ばして砦の陥落をストームリーチに届けているだろう。

そうなれば後は情報戦、イメージ戦略だ。タラシュク氏族は同じく歴史が浅いチュラーニ氏族と懇意にしている。

今頃街中は今回の件を巡って、フィアラン氏族とチュラーニ氏族の影がお互い鎬を削っていることだろう。

ゲーム中でもタラシュク氏族とチュラーニ氏族は度々手を結んでいたことだし、昨日見たエルフのバードはチュラーニ氏族のエージェントだったかもしれない。


(そうなると、この女性の役回りはローガンを焚きつける事と、観測所の連中の口封じか)


今回の襲撃にタラシュク氏族が手を貸していた事が露見しては一大事だろう。

普通に考えればあのゼアドやコボルドの軍勢を見た時点で城壁を閉じ、防衛に徹したはずだ。

だが実際には扉は傷一つ無く、開け放たれた状態で落城していた。これは本格的な抵抗が行われなかったことを示している。

おそらく何者かが指揮系統を乱したのではないだろうか。そしてその位置に最も近いのがこの目の前にいる女性だ。


「そうですか。私と一緒に連れられてきた方達はそこの扉の向こうへと連れて行かれました。

 何時間か前のことですわ」


そう言って彼女は一枚の扉を指で示す。

どうやらこの言葉自体に嘘は無い。だが、全てを語っているわけではない。


「ではもうしばらくここでお待ちいただけますか。

 仲間を連れ帰ってきた後、地上までエスコートさせていただきます」


ひょっとしたら罠かも知れないが、今の時点で彼女が俺たち、というかゼアドを見た俺に害意があるかを判断できない。

後顧の憂いを断つ為に彼女を処断するのはゲドラやケイジが反対するだろう。

この二人に事情を話しても余計な情報を抱えさせるだけだ。わざわざ火種を抱えさせる必要はない。


「ご安心ください。昨晩は不覚を取りましたが、二度とコボルド相手に後れを取るようなことはありませんよ」


言外にこちらの意志を伝えたつもりだったが、彼女は俺の言いたい事を理解してくれただろうか?

可能性としては協力者であるコボルド達へも口封じを行うために彼女はここについてきていると考えることも出来る。

あるいは俺たちのような冒険者が救出に来る際にコボルド達を倒してしまうことも計算のうちなのかもしれないが……

ひとまずこの件は後回しにすることにして、まずはロンバートとの合流を優先しよう。

扉を開けると、近くで怒ったウルフのくぐもったうなり声が聞こえてきた。

直後、物陰から複数の影がこちらに飛び掛ってきた!

首筋を狙ってきたウルフはこちらの肩越しに打ち込まれたゲドラのスパイクト・チェインに貫かれたが、残り2匹が俺の足を狙ってきている。

咄嗟に前方に跳躍して位置を入れ替える。扉の位置にいるゲドラと部屋の中央に近い位置へ移動した俺でウルフらを挟み込むような形だ。

だが、その絶好の位置からは一瞬で移動することになる。部屋の中央を貫くように立っていた太い柱の半ばから、幅広の刃が飛び出し俺の首を狙ってきたのだ。

咄嗟に部屋の奥に向って転がり、間一髪で回避する。距離が離れすぎており、ゲドラ1人にウルフを任せる形になってしまった。

あの罠があっては武器の間合いで援護することは出来ないだろう。

取り出した《スコーチング・レイ》のワンドを起動し、こちらに近い側のウルフに2発、もう片方に1発の熱線をお見舞いしてやるとその攻撃を受けて負傷し、怯んだ隙にゲドラのチェインが唸りを上げた。

キャン、と甲高い悲鳴を上げてすべてのウルフは動かなくなった。

ひょっとしたら援護も要らなかったのではないかと思ってしまう戦闘力だ。


「そこ、罠に注意してくれ。

 伏せて進めば大丈夫だと思う」


コボルドであれば頭上を通り過ぎるであろう位置に仕掛けられた罠だ。良く考えられている。動作は床の感圧式だろうか?

解除するための機構も見当たらないし、とりあえずは放置することにしよう。

ケイジは中腰だが、ゲドラは四つん這いのような格好で潜り抜ける必要があった。

体格がいいのは戦闘では概ね有利だが、ダンジョン探索ではデメリットもありそうだ。

まぁゼンドリックの古代遺跡は大抵巨人サイズだから問題ないのかもしれないが。

派手なアクションを行ったために消えてしまったランタンの明かりを点け直し、前方を照らすと一直線に伸びる通路の向こう側に檻が見えた。

その奥、薄暗がりの中に何人かの人影が見える。


「ロンバート?」


駆け出そうとする二人を抑え、念のため罠を警戒しながら近寄る。

案の定、途中に足元から巨大な刃物が飛び出す陰湿なトラップが仕掛けられていた。

迂闊に飛び出していれば両断されていたかもしれない。

幸い仕掛けを解除する仕組みは罠の手前にあったため、動作しないように解除してから乗り越えていった。

柵の向こうには、丁寧に手かせ足かせに目隠し、猿轡とフルコースで接待されているロンバートともうひとりドワーフの男の姿があった。

装備は剥れ、簡素な布一枚の格好である。まだ拷問には曝されていないのか、特に目立った外傷は見当たらない。

檻の鍵を解錠し、ゲドラとケイジに介抱を任せて俺は来た道へと注意を向ける。

何か仕掛けてくるのであればこのタイミングか、と思っていたのだが特に何も起こらない。


「救出に来てくださったのですね。

 皆さん、ありがとうございます。ソヴリン・ホストもあなた方の行いを祝福してくださるでしょう!」


「命を救われた借りを、等しい価値のあるもので返しに来ただけだ。

 気にすることは無い」


「そーそー、まだここから脱出しなきゃいけないんだからさ。

 祝杯をストームリーチで挙げるまでは湿っぽいのはなしで頼むぜ!」


後ろでは感動の救出劇が演出されているようだ。

その中に入り込むのは気が引けたのか、解放されたドワーフの戦士が檻から出て俺のほうに来た。


「礼を言うぞ、勇敢な人間の戦士よ。

 暗闇に放り込まれてドゥエルガルになっちまうかと思ったんだが、こうして救いの手が差し伸べられた!」


どうやら別チームにいた神官戦士のようだ。ドワーフの見た目を判別できる自信が無いが、この特徴的なヒゲは同じチームにいたドワーフのものとは異なっているのが見て取れる。

ちなみにドゥエルガルとは地下に住まうドワーフの亜種で、エルフにとってのダークエルフのような存在とでも言えばいいのだろうか。

無論、地下に暮らしているだけで変性したりはしない。彼なりのジョークなんだろう。


「ああ、礼なら街に帰ってからでいいぜ。

 後ろでも言っている通り、これからまた一戦交えなきゃいけないだろうし、他にも囚われていた連中がいるんだがそいつらの面倒も見てやる必要がある。

 ここで寝転がってたほうがマシって目に合うかもしれないぞ?」


「ここより悪い場所があってたまるものかよ!

 あんたの腰にある我らが氏族に伝わる伝統武器を貸してくれれば、ワシも脱出の手助けが出来ると思うんじゃが」


目敏く腰に据えてある「ドワーヴン・スロウアー」を見て彼は言ってきた。

確かに、無手でいるよりは何かの獲物を持たせておいた方がいいだろう。

防具なしでは前線に出てもらうことは出来ないが、後方で捕虜達の面倒を見てもらうには丁度いいかもしれない。


「そうだな、それじゃ暫く貸しておこう。

 アンタの装備を回収するまでの間だが、丁寧に扱ってくれよ」


ローブの腰につけていた留め具から外し、投げ斧を渡す。


「おお、感謝するぞ!

 ワシの名はウルーラク、ムロールホールドからの出稼ぎ冒険者じゃ。

 コボルドどもめ、鼻水たらして泣きながら、命乞いをさせてやるぞ!」


獲物を手に入れてハイになったのか、投げ斧を掲げて威勢よく声を上げるウルーラク。

やる気満々のようである。


「俺はトーリだ。後ろのデカイのがゲドラ、もう1人はケイジ。

 その格好じゃ前に出てもらうことは少ないだろうし、とりあえずは後ろについていてくれよ」


自己紹介をしつつ釘を刺しておいたんだが、聞いているかは謎である。

そんな遣り取りをしているうちに、檻から拘束されていた腕をさすりながらロンバート達も姿を現した。


「トーリ殿、貴方にも感謝を。

 私も微力ながら道中の手助けをさせていただきます」


いいってことよ、と返しながら今後の事を考える。


「とりあえず一旦合流しよう。怪我人のことも気になるしな」


彼もそろそろ意識を取り戻しているかもしれないし、チェンジリングの女性も連れて行かなければならないだろう。

流石にこの大勢を一度に連れて転移は出来ないし、沼を抜けても虫たちに襲われたら助け切れない。集合して相談する必要があるだろう。


「まぁ、ご無事で。

 皆さん合流されたのですね。良かったですわ」


罠を再び潜り抜け、見た目人間女性の姿をとっているチェンジリングを檻から解放する。


「とりあえずこちらへ。別に捕えられていた者たちも解放しておりますし、何か話が聞けるかもしれません」


どうも言葉遣いが変になってしまうのは初対面時に貴人として接してしまったせいか。

念のためウルーラクとゲドラに後方の警戒を任せ、前衛は俺とケイジが務める隊列で通路を進む。

今度はコボルド達の衛兵にも出くわさず、無事に拷問部屋へ辿り付く事が出来た。

部屋の中に入ると、思い思いの場所に捕虜達が座り込んでいる。怪我人の男はまだ意識を取り戻していないようだ。


「おお、あんたらか。

 ついに脱出の時が来たのか!?

 ストームリーチの喧騒が懐かしくて仕方ないよ!」


一番近くに座っていた男が立ち上がって話しかけてくる。他の連中も同じ気持ちなのか、期待に満ちた目でこちらを見ているようだ。


「残念ながらまだだな。

 ようやくこの階層を調べ終わっただけで、コボルドの掃除は終わってない。

 あんたらが連中の事で何か知っている事があったら教えてもらおうと思って来たのさ」


そう告げると皆は一気に落胆したようだが、男達はポツポツと自身の連れてこられた経緯などを話してくれた。

皆、ストームリーチで夜道を歩いているところを浚われて来たのだと言う。

その中の1人の話の中に、聞き捨てならない単語が混じっていた。


「トンネルワーム?

 今あんた、連中の事をトンネルワームって言ったのかい?」


つい、その男に詰め寄ってしまう。


「あ、ああ。仕事柄少しくらいなら連中の言葉も判るんだ。街には役に立つコボルドの連中も多いしね。

 で、ここに連れてこられた際に連中が自分達の事を『トンネルワーム族』って言ってるのを聞いたんだが」


聞きなれた単語である。『トンネルワーム族』はゲームのクエスト初期に遭遇するコボルドの一族で、ストームリーチの給水設備の地下に根城を有していたはずだ。

ひょっとしてここはすでにストームリーチに近い地下空間なのかもしれない。

地下空間を一直線に進んだために、街道を馬車で進むよりも効率よく移動したということだろうか。


「どうしたんだトーリ。何か思い当たることでもあったのか?」


突然考え込んだ俺に、ケイジが声を掛けてきた。


「ああ。俺の記憶違いでなければ、もうここはストームリーチの地下かもしれない。

 トンネルワームってのは、埠頭地区の給水設備を根城にしているコボルドの悪辣な連中の名前だったはずだ。

 皆を連れて沼地を抜けるよりは、連中の相手をしながら上層を抜けた方がいいかもしれないな」


全員を生還させるならそのほうが確度が高そうだ。

コボルドの戦士団が問題だが、屋外と異なり狭い部屋や通路内では一度に攻撃できる手数も限られるだろう。

チラリと女性の方を見やるが、この状況でニコニコしているその表情からは何を考えているのか読み取れない。


「こいつらが皆ストームリーチから連れて来られてるっていうんだし、その話も信用できそうだな。

 あのコボルド連中にはお礼参りしてやりたいところだったし、俺は構わないぜ」


ケイジは俺の案に賛同してくれるようだ。ゲドラも頷いている。

この人数をテレポートで運ぶことはピストン輸送にしても無理だし、万が一転移先の指定に失敗した場合にゲーム同様の効果が発生した場合、街の遥か上空に出現して墜落死してしまうだろう。

沼を抜ける際にもコボルド達が追撃してくる可能性は高い。で、あればここで連中を倒しておくのが確実だろう。


「直接の戦闘には参加できませんが、私たちも癒しの力でお助けできると思います」


「突破してきた連中はワシが血祭りに上げてやる!

 少しぐらいは仕事を回してくれても構わんのだぞ?」


二人のクレリックもやる気十分なようだ。それでは覚悟も決まったところで出発することにしよう。


「頼んだぞ。

 あのクソッタレのコボルドどもを全部殺して、ねずみや虫けらの餌にしてやってくれ!」


見送ってくれる捕虜達の声援? を受けながら拷問部屋を後にした。

ゲドラとケイジが前衛、俺が中衛、ロンバートとウルーラクが後衛だ。

今まで放置していた上層へ通じる階段の前にある柵で一旦止まり、魔法による強化を順次行っていく。

敵の呪文を警戒して電撃と火に対する《エネルギー抵抗》の呪文を全員にかけ、前衛2人にはアイテムによる《ストーン・スキン》と《グレーター・ヒロイズム》を付与した。


「おお、これはスゲェな!

 やる気と力がいくらでも湧いてくるみたいだ!」


《グレーター・ヒロイズム/上級勇壮》の呪文は戦場での偉大な勇気と高い士気を与え、[恐怖]に対する完全耐性を短時間付与する効果を持つ。

ゲーム後半ではずっと掛けっぱなしにしておくほどの便利呪文だ。無論、アイテムからの発動なため今はこの場限りのスポット使用ではあるが。


「それの効果は10分程度だ。《ストーン・スキン》も効果は無限に続くわけじゃない。

 調子に乗り過ぎないようにしてくれよ」


二刀を構えてクルクル回りだしたケイジに注意しておく。大丈夫だとは思うが、見ているとどうも不安になってしまうのだ。

目の前の柵に鍵は掛かっていない。音を立てないように油を差してから慎重に開け、階段を登っていった。


階段を上った先は、繁殖している苔が光を発しているのか薄明かりに照らされた通路だった。

横幅は3メートルほどで、なんとか二人が横になって戦えるスペースがある。天井は少し高めで5メートルほどか。

所々には光を発する水晶のような鉱物が点々と配置されており、視界には苦労しない。

万が一撤退するときのことを考え、階段のすぐ傍にランタンを置いて通路の先を照らし、左手には《スコーチング・レイ》のワンドを持つ。

薄暗がりの中を進むと、やがて広間に出た。

ピラミッドを模したような台座があり、そこには一体のコボルドが玉座と思わしき椅子の前に立っている。


「まさかあの沼地を生きて抜けてくるものがいるとは思わなかったぞ!

 だが、お前達はこのジィティックを怒らせた!

 自分達に力があると思っているようだが、死んでもらうぞ! TunnelWyrms, Kill Them All!」


見ただけで高級と判る鎧兜に身を包んだコボルドが、共通語でこちらを威嚇した。

そして彼の号令によって、台座の後ろに隠れていた大勢のコボルドがこちらに押し寄せてきた。

だが連中は決してこちらには突っ込まず、少しの距離を取ってスリングを取り出すと石を投擲してきた。


「うお、連中、考えてやがる!」


こちらの考えでは、少し下がって大勢に包囲されないようにしながら各個撃破するつもりだったんだが敵も甘くは無いようだ。

仕方ない。呪文を使用して前に出れるようにしなければいけないだろう。


「《ウェブ》!」


指差した空間の一点から爆発的な勢いで粘着性の糸が広がって、天井や壁に張り付くと敵の前衛を巻き込んでこちらに遮蔽を提供した。


「トーリ、ナイスアシストだ!

 突っ込むぜ!」


蜘蛛の糸を迂回して回り込もうとする敵集団を迎撃すべく、ケイジとゲドラが前進した。

元の目論見とは異なるが、「蜘蛛の糸」という障害物のおかげで前に出ても包囲される恐れはない。

連中が投げつけてきた中には「錬金術師の火」も含まれていたため、そのうち突破されるかもしれないが敵の一部を行動不能にしているうちに数を減らせればそれでいい。


「生意気な!

 リッザール、クランク! 出番だぞ!

 小うるさいヒューマンどもを黙らせろ!」


《ウェブ》の向こう側から大きな足音が聞こえてくる。

クランクはオーガの戦士で、リッザールはトログロダイトのウィザードだったか?

この二匹を自由にさせるのはマズい。牽制する必要があるだろう。


視界を埋め尽くす《ウェブ》の中を突っ切り、もがいているコボルドを飛び越えて反対側に突き抜けると視界には呪文を詠唱しているトログロダイトの姿が見えた。

なんであれ、完成させるのは不味い。左手のワンドから《スコーチング・レイ》を即座に発動させ、ジィティックとリッザール、クランクに各1本の熱線を打ち込む。


「ぐぐっ・・・ジィティックは怒ったぞ!」


突然攻撃を受けてコボルドの大将は激怒したのか、酸の滴った魔法剣を抜くとこちらにつっかかってきた。


「この、や、やりやがったな!」


乱暴者のクランクも、攻撃を受けたことで目標を変更しこちらに向ってくる。

リッザールは術者だけに突っ込んでくることはないものの、呪文の詠唱を妨害されて腹が立ったのだろう。

杖を振りかざして口から怪音を発すると再びなんらかの呪文を唱え始めた。


(まずは定石どおり、敵の術者からだ!)


お返しとばかりにリッザールから打ち込まれた2本の熱線を突っ込んできた二人を上手く利用することで回避し、近づいてきたその二人の間を突っ切ってリッザールを急襲する。

目の前に迫ったトログロダイト、おぞましい人型のトカゲの怪物はその体から油状の麝香のような化学物質を分泌させてこちらを牽制する。

ひどい悪臭であるが、一種の毒に分類されるためにその効果は装備の能力により無効化され、嫌な匂い程度にしか感じられない。

逆にこちらを追おうとしていたジィティック達が悪臭のあまり近づくのを躊躇してしまっているようだ。


「残念だったな!」


ロングソードのかわりに装備しているシミターが、付与されている魔法の効果により炎の煌きを軌道に残しながらリッザールの首筋に吸い込まれていった。

だが敵もさるもので、切断されぬように体を捩って被害を最小限に留める。

術者とはいえ鍛えられた能力が、生来のトログロダイトの戦闘力と合わさって後衛でありながらも咄嗟の回避運動を可能にしている。

だが即死は避けたとはいえ深手となった傷口から閃光が迸り、トログロダイトの目を焼いた。

どうやらシミターに付与されている特殊効果が発動したようだ。

《Radiance/光輝》というこの効果は、光属性のダメージを追加で与えると共に一瞬だが相手を盲目にする効果がある。

痛みと盲目で無防備となったリッザールの首を再びシミターで切り裂き、首を落として振り返るとそこには巨大な棍棒を振りかぶって跳躍しているオーガの姿が目に入った。


「があぁっ!!」


雄叫びと共に振り下ろされる棍棒だが、ゼアドに比べれば蝿が止まっているかのようなスピードだ。

軌道も単調だし、リーチも短い。

棍棒を振り切った腕をシミターで切りつけ、立て続けに足や胴といった隙だらけの部位を攻撃していく。

どうやら激怒しているのか、防御に頭が回っていないようだ。それでいて攻撃の精度がこの程度では、木偶もいいところである。


「運が悪かったな。今度生まれてくるときは組む相手をもっと考えた方がいいぜ」


間もなく、オーガの用心棒クランクも倒れた。


「ううう、よくもやってくれたな!

 かくなる上は、沼地の主より頂いたこの剣にて成敗してくれる!」


そういってボス・ジィティックは剣を振りかざし突進してくる。

黒い非金属の刀身に滴る酸。沼地で酸ということはやはりブラックドラゴンか?

今はいなくなっているようだが、昔あそこに住んでいた黒竜にこのコボルド達が仕えていたということだろうか。

トンネルワーム、という名前にも納得がいく。

そんなことを考えながら突き込まれる刃を回避し、足元のジィティックを断ち割るべくシミターを振り下ろしたが、ジィティックは巧みに盾を使うことでこちらの斬撃をいなして再び突きを繰り出してきた。


「キキッ、偉大なるジィティックの護りを貫けると思うなよ!

 じわじわとなぶり殺しにしてやる!」


どうやらそれなりに高価な魔法の品のようだ。材質自体もかなりの硬度のようで、このシミターでは時間が掛かるかもしれない。

チラリと向こうの様子を見てみると、ゲドラとケイジが敵の軍勢を良く押し留めてくれているようだ。

だが、《ストーン・スキン》の効果も薄まっているように見える。はやくこちらを片付けなければ万が一ということもあるだろう。


「悪いが時間も無いんでな。

 卑怯な手を使わせてもらうぜ」


左手のワンドをブレスレットに収納し、指先から徹底的に強化した《レイ・オヴ・エンフィーブルメント/衰弱光線》を放つ。

盾や鎧で防ぐことは出来ない、遠隔接触攻撃だ。

光線を受けたジィティックの体が紫色の淡い光に包まれたかと思うと、彼は武器と盾を落としてその場に倒れこんだ。


「ガッ、鎧が重く?

 力が、入らなイ……」


この呪文は相手の筋力にペナルティを与える効果を持つ。今ジィティックは自分の鎧の重さすら支えきれないほどに弱体化しているのだ。

相当な強度で放ったにも関わらず、意識を保っている辺りはさすがは一族を束ねる戦士だけはあるというところだろうか。


「チェック・メイトだ。お別れだよ、ジィティック」


足で兜の位置をずらし、剥き出しになった首筋にシミターを走らせて止めを刺した。

一方的に無力化した状態とはいえ、街の住人を拉致して拷問した上で殺しているような連中を改心させられる自信は無い。

今後の被害を出さないようにするためにも、ここで殺しておかなければならないだろう。

何体か遠巻きにこちらの様子を見ていたコボルド達が、ボスが討ち取られたことによって散り散りに逃げ出していく。

ゲドラたちが相手をしている戦士団は流石にそんな醜態を晒しはしなかったが、士気の低下は見るも明らかだった。

それに対してこちらは呪文の効果もあって意気軒昂。後ろから《ヒプノティズム》などで戦列を乱してやれば、後は崩れる一方だった。

戦闘が終わってみれば、二人にも目立った傷は無い。

何発か《ストーン・スキン》を越えてダメージが入ったようだが、後ろに控えていたロンバートとウルーラクが回復呪文で癒してくれたおかげだろう。


「敵の頭領も討ち取ったし、これであとは大した抵抗もないだろうな。

 こいつの武器と防具はそれなりの値打ち物みたいだし、拾っていくか」


コボルドにとってはロングソードかもしれないが、体のサイズが違うため俺たちにとってはショートソード相当である。

鎧と盾については人間ではサイズが合わないが、ハーフリングであれば買い手も見つかるかもしれない。

ローガンからの報酬が見込めない以上、使ったスクロールなどの代金は持ち出しになるため戦利品はしっかり回収しておいた方がいいだろう。

すっかり敵影も無くなったところでこの階層の探索を行う。

ボス・ジィティックの部屋の近くに隠し扉があり、そこには連中の溜め込んだお宝やロンバート達から奪った装備品などが仕舞い込まれていた。

ウルーラクは自分の手に戻ってきたドワーフ族のウォーアックスを手に感無量といった表情である。


「お主の斧も中々の業物だったが、やはり武器は自分の手に馴染んだものが一番だな。

 もうコボルドの連中を追い散らした後というのが残念で仕方ないわ!」


結局出番の無かった投げ斧を返してもらい、腰の留め具に付け直す。

ケイジは手持ちのザックに金貨銀貨を詰め込んでいるようだ。あれだけあれば、ローガンの約束していた報酬分にはなるだろう。

ゲドラとロンバートには捕虜達を連れ出しに行って貰っている。彼らの手荷物もあるかもしれないし、いつまでも拷問部屋では気が滅入るだろうし。

俺は装備を整えたウルーラクを伴って、脱出口を探しに出た。

記憶に寄ればこの近くに上のフロアから下りてくる吹き抜けがあったはずだ。


「……どうやって登ればいいんだ?」


この階層の構造は、ゲーム通りだった。

隠し部屋の正面の通路を進んだ先には広い水場があり、その天井の中央には上へと続く縦穴が開いている。


(ゲームじゃ飛び降りるだけで戻ったりしないから気にならなかったが、ここの連中はどうやって行き来しているんだ?)


素朴な疑問である。

ひょっとしてどこかにコボルドのような小型生物でなければ通り抜けられない通路があったり、この上には縄梯子があったりするのかもしれないがそのどちらも俺たちには利用できそうも無い。

縦穴の下まで突き出している足場でそんなことを考えていると、突然縦穴の上から何かが落下してきたことに気付く。


「うお、なんだ?!」


咄嗟に手で払いのけようとするが、その黒い物体は空中で軌道を変化させるとこちらにぶつかって来た!


「あ」


一歩下がって回避しようとしたが、今の足場は水場の上に突き出している狭い板の上。

踏み出した足元には支えは無く、間抜けな声を出して俺は4メートルほど下の水面に落下していった。


「なんじゃトーリ!

 懲りずにコボルド共がやってきおったのか!?」


普段は大きなウルーラクの声も水中にいては上手く聞こえない。

幸い、装備している靴の効果で水中の行動にも支障が無いのはソウジャーン号で確認したとおりだ。

バタ足で水面目掛けて上昇し、顔を出すと先程俺が立っていたところには久しく見ていなかった黒い鎧姿の少女が立っていた。


「相変わらずのノロマだね、トーリ。

 あそこは格好良く抱きとめてくれるシーンじゃないのかい?」


「ラピス?」


そこに立っていたのは、コルソスで分かれたライカンスロープの少女ラピスだった。

皮肉げに口元を歪めているが、最初出会った頃の敵対心全開の表情とは異なりどこか柔らかい雰囲気を感じさせる。

到着するのが早すぎる気がするが、今の状態では話をする気にもなれない。

とりあえず近場にある足場へと続く梯子まで泳ぎ、水中からの脱出を果たして濡れたローブを一旦ブレスレットに仕舞って脱水すると装備しなおした。

下着の類も同様に着脱し、髪の毛が濡れているのはタオルで拭き取る。

そうこうしている内に、ラピスが上のフロアに呼びかけると長い縄梯子が下ろされ、メイが姿を現した。


「お久しぶりですねトーリさん~。

 お仕事先で行方不明になったって聞いて心配してたんですよ~」


相も変らぬマイペースな口調だ。


「なんじゃ知り合いか。

 コボルド共が来たのかと思ったのに、つまらんのぅ。

 だがこれで帰りの道の都合もついたようだし、ワシは他の連中を呼んでくるぞ」


ウルーラクはつまらなさそうに呟くと、水場から立ち去っていった。

確かにこれで問題だったこの階層からの脱出路は確保できた。


「二人とも、どうしてここへ?

 ストームリーチに到着するのはまだ数日先だと思ってたんだが」


目先の問題が解決したことで、早速疑問を聞いてみた。


「何を言っているのか判らないけど、トーリが行方不明になってからもう5日は経過しているよ。

 僕達は昨日ストームリーチに到着したところさ。

 別にスケジュールどおりだと思うけど?」


行方不明になってから5日?

デニスの拠点が落城したのが昨日のはずだ。それどころか俺がストームリーチに到着してからまだ5日か6日のはず。

……まさか「トラベラーの呪い」か?

砦を脱出してからここに到着するまでにストームリーチでは5日も経過していたということだろうか。


「で、トーリが囲ってるドラウの嬢ちゃんに聞いたら埠頭地区の給水施設にいるっていうじゃないか。

 街の外に行ったはずなのに、どうしてこんなところにいるんだい?」


むう、あの双子とは既に接触済みなのか。

そういえば、外でそれだけ時間が経過しているということはそろそろ渡しておいた食費が切れる頃だ。

これは早く戻らないとマズいかもしれない。


「……その件については話すと長くなるんでね。

 落ち着いた場所に移動してから説明するよ。

 今はとりあえずここから脱出するのが優先ってことで頼む」


そこまで話した辺りで、水場の入り口からガヤガヤと他の連中が入ってきたようだ。

上の階層の敵はラピスたちが倒してくれているだろうし、あとは彼らを連れて街まで戻るだけだ。

先に上へ行こうと縄梯子に手をかけると、頭上の縦穴を抜けたところでエレミアがこちらに手を振っているのが見えた。

どうやら3人揃っているらしい。

彼女に手を振り返しつつ、さてどう説明したものかと頭を悩ませるのだった。



[12354] 2-5.インターミッション1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/12/27 21:52
縄梯子の上の階層の敵は、全てエレミア達が排除してくれていたため大勢の捕虜を連れたままでも無事に地上へと脱出することができた。

給水施設の入り口を警護している傭兵たちに事情を説明し、地下から脱出するとそこは埠頭区画にある渡し舟のあった河口付近だった。

夕暮れのストームリーチに生還者の歓声が響き渡る。


「ありがとう、勇敢な冒険者達!

 また太陽が見れるだなんて思ってもいなかった」


「もうストームリーチはこりごりだ。

 金貨を貰ったらすぐにでもコーヴェアに帰る事にするよ」


反応は人によって様々だったが、皆一様に喜んでいたのは間違いない。

口々に礼を言うと、彼らは街並みへと姿を消していった。


「本当に助かりましたわ。

 皆さんにホストの加護がありますように」


チェンジリングの女性も優雅なお辞儀と共に礼を言うと、中央市場へと向う道に続く階段を登って行った。

その後しばらく待っていると、地下から1人の衛兵をつれてエレミア達が戻ってきた。

革の上から体の要所を金属片で覆っているが、その隙間から抉られたのか片腹を庇うような歩き方をしている。


「お前達が私の従兄弟を助け出してくれた冒険者か。

 私はテンバー、ハーバー・マスターに仕えるシティ・ガードだ。

 密林からの探索の帰還中にあのコボルド共に襲撃されたと聞いたときにはもう駄目かと思ったんだが、おかげで生きている従兄弟達にまた会うことが出来た。

 あの兄弟に代わって礼を言わせて貰おう。

 特にお前達が相手をしてくれたトンネルワーム族はタチが悪いことで知られていた。

 連中に仕置きをしてくれたお前達の働きは私からジンに伝えよう。

 きっと信頼できる冒険者としてお前達の事を覚えてくれるだろう」


テンバーはそう言うと、怪我人の男の載った担架を他の衛兵に運ぶよう指示をし、その後を追って立ち去っていた。

言われてみればどこか怪我人と面影が似ているような気がする。従兄弟だといってたから当然なのかもしれないが。

エレミア達は探索のついでにと、この給水施設に囚われている人質の救出を行う依頼を受けていたらしい。

トンネルワーム族と共にこの給水設備を根城にしていた『ナッシュトゥース族』にも多くの捕虜が囚われていたらしく、今日一日で多くの人質が解放されたとのことだ。


「あー、しかし密度の濃い三日間だったな!

 ヌルい依頼だと思ってたが、とんだ大冒険になっちまったもんだぜ。

 ま、なんとか最後で帳尻も合ったことだし良しとするかな」


ケイジが貨幣やらを詰め込んだザックを叩きながら皆を見渡した。

貨幣以外にも宝石や美術品などがあの中には詰まっている。正確な価値は鑑定しなければわからないが、十分に元はとったと考えていいだろう。


「ま、そいつの処理もしなきゃならんがまずは乾杯といこう。

 そろそろ味気ない携帯食に我慢ならなくなってきてたんだ」


その提案については皆が賛成してくれた。

ロンバートとゲドラ以外の皆は同じく『気まぐれ海老亭』に宿を取っているらしい。

聖堂に戻ると言って別れたロンバートを見送った残りのメンバーは、そのまま宿に戻ると1階の酒場でお互いの無事の帰還を祝って祝杯を挙げたのだった。













ゼンドリック漂流記

2-5.インターミッション1













酒場でエールを浴びるように飲み、出来立ての温かい料理を散々堪能した後で明日の昼にまた落ち合う約束をして解散となった。

ゲドラは街の郊外にある、主に友好的なジャイアントが交易のために利用しているテント村に戻るとの事。

そこでは骨董品などの買取をしてくれる骨董商の店もあるとの事で、芸術品の類は今日そこに持ち込んでもらうことにして彼に預けた。

俺もカウンターでいくつかテイクアウトの食事を注文すると、宿を後にした。

ラピスが言っていた日付から考えると、倉庫においておいた食事代は既に無くなっているだろう。

そのため差し入れを持って行こうと思ったのだ。

後ろにはエレミア達もついてきている。事の経緯をあとで話すことになっていたので、倉庫で話すのがちょうどいいだろうな。

俺の居場所はドラウの少女から聞き出したらしい。おそらくは《神託》か何かの能力なんだろう。

中位程度の信仰呪文が使用できるのであれば食料を神に祈ることも出来るため飢えていることはないと思うが、気持ちの問題である。


「おーい、帰ったぞ~……ってなんじゃこりゃあ!」


そうやって手土産片手に倉庫に入った俺を出迎えたのは、想像もしていなかった光景であった。


「お、おかえり。

 って危ないな。気をつけなよ」


倉庫の入り口近くにいたカルノが、俺が手を離してしまった差し入れの食料を危ないところでキャッチしてくれた。


「お、これ食い物じゃん。差し入れ?

 皆ー、今日の食べ物が来たぞ~」


こちらが固まっている間にカルノは差し入れ片手に倉庫の奥へと歩いていく。

そこには蠍の守護者の上に乗ったり、尻尾を掴んで振り回されている何人もの子供の姿があった。


「どうしたんだよトーリ。

 そんなところに立ってちゃ後ろがつかえるだろ」


後ろからグイグイとラピスに押されて進まされると、三人娘も俺の後ろについて倉庫に入ってきた。


「昨日よりも随分と増えているな。

 トーリ殿は孤児の支援施設でも立ち上げられるのか?」


無論そんなつもりはない。

ドラウの少女がウーズのごとく分裂したわけでもないだろうし、見たところカルノの仲間達なんだろう。

奥のほうからその双子達が近寄ってきたのを横目に、椅子にするのにちょうどいい高さの木箱に腰掛けた。

エレミアも同じように近くの木箱に腰を下ろし、メイは背負い袋から取り出したロール状の携帯用寝具を床においてその上に座っている。

ラピスはというと少し背の高いコンテナに座ることにしたようだ。頭くらいの高さにあるところに苦も無く飛び上がって見せる辺り、猫っぽいところを感じる。


「無事に帰ってきたようだな。

 試練は無事に乗り越えたようだな」


赤眼の少女がそういいながら俺の右横の木箱の空きスペースに座り、反対の左側に蒼眼の少女が座った。


「……おかえりなさい」


相変わらずの蒼い眼だが、今は先日のように光を放っていない。

こちらの話をする前に、まずこの二人にこの状況の説明をしてもらうとするか。


「なあ、あの連中はどこから来たんだ?」


視線の先では子供が蠍と戯れたり、差し入れのサンドイッチや焼き串を食べたりしている。

しかし、あの蠍の守護者は見かけによらず面倒見がいいようだ。

あの大きさと外見に気圧されずに近寄る子供達も大概だが、怪我しないように遊んでやっている姿は微笑ましい。


「ああ、あの者達か。

 なにやら住んでいるところを追い出されたとかで路頭に迷っていたようだからな。

 ここ何日かの食料と引き換えに軒先を貸してやったのだ」


使われていない倉庫だけあって、スペースだけは確かに十分ある。まぁ後でカルノには釘を刺しておこう。


「まぁいいや。んじゃ俺の事情を説明するか。

 最初は……」


俺がストームリーチに来てからの話を3人に聞かせた。とはいってもかなり大雑把にはしょっているが。

ジェラルドを通じてカータモンの依頼を受け、その最中にこの双子を保護したこと。

その後ローガンの募集でコボルド退治に行ったことを話した。

タラシュク氏族関連の情報は伏せたままだ。余計な事情に巻き込むことになりかねないし、俺の想像の部分が大きすぎる。


「ジェラルド卿には我々も会った。この倉庫を我々に教えてくれたのが彼だ」


なるほど。どうして彼女達がここにたどり着いたのかと考えていたがジェラルドからの情報か。

どういう意図で教えたのかは判らないが、ここはジェラルドに人を見る目があったと考えておこう。


「で、お優しいトーリ様はそいつらをどうするんだい。

 囚われのお姫様たちを助け出してめでたしめでたしってわけじゃないだろ?」


ラピスは興味無さそうに、足をフラフラと揺らしながら尋ねてきた。確かにそれは確認しておくべきところだ。


「そういえば身の振り方については決まったのか?

 もし住んでいたところに帰るってのなら送っていくが」


俺がいない間に考えておいてくれ、と言っておいたんだがそれはどうなっただろうか。


「もう、むらはない。

 みなだいちにかえった」


やはり、他の連中は皆殺されてしまったということか。


「私達以外の家族は皆死んだ。

 だが、受け継がれてきた役目はすでに果たしていた。

 その役目を終えた以上、滅ぶもまた自然の導きだ。

 奪われた品はいずれ故郷に帰すが、入り口は閉ざされている。

 当分は無理だろう」


赤眼の少女が説明してくれた。

最近まで発見されなかったという以上、なんらかの仕掛けがあるのだろう。


「で、いつになったらその場所へは行けるようになるんだ?」


暫くの間であれば預かれないことも無い。


「そうだな……正確なところは星を詠む必要がある。

 だが、おそらく次に『黄昏の森』がやってくるのに1年はかかるだろう」


『黄昏の森』とは『ラマニア』という名で知られる別次元界だ。

文明によって束縛されていない、未開で手付かずの自然に溢れた次元界であり、森と呼ばれているが山や草原、砂漠やツンドラといったありとあらゆる自然環境で構成されている。

すべての動物、植物、魔獣、そして獣性を持つ来訪者や各種のエレメンタル、そして迫害によりコーヴェアを追われたあらゆる種類のライカンスロープ達が住んでいるという。

ちらりとラピスを見るが、知らないのか興味ないのか相変わらず足をフラフラさせている。


「貴方達の住んでいたところは『ラマニア』にあるんですね。

 それじゃあ確かになかなかお伺いできませんね~」


召喚術士であるメイにはその距離がよくわかるのだろう。

別次元界から協力者を一時的に呼び出すことは簡単だが、こちらから乗り込むのは高度な術と媒介が必要になる。

次元界同士が近づいているときにはお互いの緩衝地帯である『顕現地帯』が発生し、そこを通じて行き来ができるという。

おそらくその周期が1年程度だと赤眼の少女は言っているのだろう。


「しかしそうなると困ったことになるな。

 ここは一ヶ月しか借りれないし」


ストームリーチの暗がりには時折この街の住人を快く思っていないドラウの殺し屋が現れるという噂がある。

無論開明的なドラウもいて、友好的な関係を築いている部族もいるだろうが後ろ盾のない少女二人を放り出せばどうなるかは明らかだ。


「わたしは、ほしのさだめについていく」


そういって蒼眼の少女は俺の袖を掴みながらこちらを見上げてくる。


「お前は星の運命に見定められたのだ。

 誇りにして良いぞ、『星詠み』の加護を受けたものは我らの過去にもそうはいない」


よくは判らんが、とにかく俺についてくるってことか?

この世界で星といえばシベイの欠片だ。そしてドラゴンはシベイの子と呼ばれていたはず。

このドラゴンの力の込められたローブやオージルシークスが与えてくれた『ドラコニック・ヴァイタリティー』の効果が、彼女に俺を星のように感じさせているのだろうか。

なんだか双子は盛り上がっているようだが俺は一体どうするべきか。


「それじゃあ私達はお仲間ですね~

 私はメイです。貴方達のお名前はなんと呼べばいいんですか?」


メイが蒼眼の少女に話しかけている。そういえばまだ名前を聞いていなかったな。


「ルー。ルーアイサス・ラトリア」


「私はフィアリィル・タールアだ」


「それじゃルーちゃんとフィアちゃんですね。

 よろしくね~」


特に家名のようなものは無いようだ。ひょっとしたら彼女らが姉妹でないという可能性もあるのだが。

いきなりメイが名前を愛称にしているのには驚かされたが、エルフ語で意味のある区切りだったのか二人も気にした様子はない。


「私はエレミア・アナスタキアだ。

 星と夜の姉妹よ、よければ私に貴方達の一族の話を聞かせて欲しい」


ドラウの多くは巨人の手を逃れてゼンドリックを脱出したエルフを良く思っていないと聞いていたが、この双子はその特異な住環境からして一般的なドラウとは異なるようだ。

特にエレミアやメイへの態度に変化は見られない。後でエレミアに二人の名前の意味について聞いてみよう。


「ラピスだ。まぁよろしく頼むよ」


つい先程は足を止めてこちらを睨んでいたラピスだが、今はもうさっきまでの状態に戻って足をフラつかせている。


「なー、話は終わった?

 トーリの兄ちゃん、俺にも紹介してくれよ」


区切りのついたいいタイミングでカルノがやってきた。

しっかりとこの二人の分の差し入れを確保していたらしい。葉っぱの皿の上にいくらかの食事を載せて運んできた。


「なあカルノ、追い出されたってのはどういう事だ。

 食事を運んでくれとは頼んでおいたが、住み込みでやれとは言ってないぞ」


ここは一時的に借りているだけの倉庫だ。今までどこに住んでいたのかは知らないが、ここもそのうち追い出されるのは間違いない。


「ああ、それなんだけどね。

 昨日から俺らが使ってた埠頭の北側の区画に再開発が入るって話で追い出されたのさ。

 この間からサーロナの船が来ては何か運んでるなと思ってたんだけど、どうも本格的にあの区画を整理するみたいだね」


あの閉鎖された区画か。確かに子供であれば警備の目を潜って潜り込むことは出来るだろうし、下水は繋がっているから行き来はできたんだろうけど。


「危ないって言っても、本当に危険な『見ただけで死んだり発狂したりする紋章』とかが刻まれている区画に近づかないようにはしてたんだけどね。

 どうやら建物ごと取り潰したり、結構な数の術者が集まってなにやら作業していたし撤去の目処がついたってことじゃないかな」


おそらく言っているのは《シンボル》の呪文だろう。半年前からまだ効果を残しているということは、《永久化》されていると思っていい。

そんな術をつかえる以上、ハザラックの術者としての実力は最高峰だ。想定していたより高めに見積もりなおす必要が出た。


「この倉庫は借り物だぞ。早い事次の住処を見つけるんだな」


後、あんまり騒がしくするのも止めておいた方がいいだろうな。

つい先日は陰謀を巡らせるに相応しい廃倉庫だったというのに、今はその真逆の光景である。


「ここに長居出来ないことはわかってるよ。

 それにこの区画はコボルドの連中とかも多いしね。

 この辺りももうちょっと治安が良くなってくれればいいんだけど」


確かにハザディルの密輸倉庫を初めとしてコボルドの窃盗団やカルトの隠れ家、闇賭博場といろんなクエストが並んでいたはずだ。

機会があれば依頼を受けてもいいかもしれない。


「今なら給水施設が空いてるんじゃないか?

 『ナッシュトゥース』は狩り残しもいるけど、『トンネルワーム』は相当痛めつけたし」


ラピスがぶっきら棒に提案する。

確かにトンネルワームの戦闘部隊は壊滅状態だろう。とはいえ姿を見せなかった非戦闘員も相当数いるだろうし、暗がりでコボルドと事を構えるのはオススメできないな。

それに、あそこは将来とんでもない侵入者がやってくるクエストがある。あの施設に住居を構えるのは俺に言わせれば死亡フラグそのものだ。


「おお、さすが師匠。

 俺達のためにあのコッパーどもを掃除してくれたんですね!」


カルノはそう言いながらコンテナの上にいるラピスの足元に寄っていった。


「誰が師匠か!

 僕はお前みたいな弟子を取った覚えは無いよ」


対するラピスの対応はツレないものだ。足でぞんざいにあしらっている。


「じゃあ姉御~

 俺にあんたの技術を教えてくれよ! 減るもんじゃないんだしさー」


なにやらカルノはラピスにご執心のようだ。一体俺のいない間に何があったのだろうか。


「なぁ、あの二人はなんであんなに仲がいいんだ?」


メイが何やらルーと話し込んでいたのでエレミアに聞いてみた。


「ああ、先日この倉庫を訪れた際に、あの少年がメイにちょっかいを掛けようとしたのをラピスがあしらったらしい。

 そのせいで懐かれてしまったのではないかな」


また俺にしたようにスリでもしようとしたのだろうか。冒険者相手にそんなことをしてバレたら殺されてもおかしくない。


「お前みたいなのに教えてもロクなことにならないよ。

 金が欲しいのなら剣でも振ってな。筋が良けりゃ命を賭け金にそれなりの収入は得られるだろうさ」


そう考えればラピスの対応も理に適っている。ローグの技術も冒険者パーティーには必要だが、街中で行為に及ぶのはご法度だ。


「さて、それじゃ今日はそろそろ宿に帰るよ。

 久しぶりに屋根の下でゆっくり眠りたいんだよね」


事情の説明も終わったし、とりあえず今日のところはこんなもんだろう。

帰りがけには双子以外にもカルノの連れてきた子供達が集まって見送りに来た。

こうして改めて見てみると本当に小学生くらいの年齢が中心のようだ。13,4くらいのカルノが最年長だと思われる。


「カルノ、数日なら構わないけどあまり騒がしくするなよ。

 後、給水施設は止めとけ。それと、明日また来るからな」


軽く注意をしてから3人を連れて外へ出る。

倉庫を出ると予想外の展開だったせいか、一気に疲れが襲ってきた気がする。

宿へと向うやや傾斜のある道を4人で歩く。

やはり1人で歩いているときと比べると、風景から受ける印象も相当変わってくる。

先日は不気味に見えていた廃倉庫の並びからも、閉じられている扉の最近利用されている痕跡等を見て取ることが出来る。

何度か通ったことと1人ではないことで精神的に余裕が出てきたんだろう。

3人は俺がコルソスを発った後すぐ入港してきた船に乗ってきたらしい。

とはいえすぐに出港したわけではなく、物資のやりとりやらで数日遅れての出発になったこととエレメンタル・ガレオン船でなかったことでこれだけの時間がかかったとの事。

そんな話をしている間に『きまぐれ海老亭』に到着した。

全員が個室を取っているようで、それぞれ別れて部屋へと入っていった。

まずはタオルをポーションに入れておいた水で濡らし、体を拭く。

はやくハーバー・マスターの許可を貰って中央市場方面へ行きたいものだ。

探せば風呂付の宿もあるかもしれないし、ジョラスコ氏族の居留地にはソウジャーン号にあったような浴場があるはずだ。

スッキリしたところで部屋に《アラーム》の呪文をかけた後、ローブを着替えてベッドに横になる。

特にスプリングが効いているわけでもない固いベッドだが、野宿に比べれば何倍もマシである。

タオルを丸めて作った枕に頭を沈めて眼を閉じるとあっという間に睡魔が襲ってきた。

明日は戦利品の換金に分配、可能であれば家探しとやる事は盛り沢山だ。

きっちり眠って鋭気を養うとしよう。






侵入者を告げる《アラーム》の警報が意識を覚醒させる。

物理的な音ではなく、術者の精神にのみ伝わる警報だ。

目を開くと、月が隠れているのか真っ暗闇の中、黒い影がこちらに乗りかかってくるところだった。

こちらに馬乗りになろうとするその動きを巧みに足で制限し、全身を使って素早く体勢を入れ替える。

"モンク"クラスによる修正なのか、寝技の経験なんてないはずなのに体は何度も訓練を繰り返したかのようにスムーズに動いてくれる。

逆にマウントポジションをとり、相手の両腕を頭上で交差させて左腕で押さえ込むと同時に右手にククリを召喚し相手の首元に添える。

組み付き状態では軽い武器のほうが有利であることを考えた選択だ。

とりあえずどうしようかと思ったそのとき、雲から抜け出した月の光が部屋に差し込んできた。


「……ラピス?」


月明かりに照らされたのは今日再会したライカンスロープの少女だった。

《トゥルー・シーイング》で確認するが間違いなく本人だ。チェンジリングやドッペルゲンガーが変身しているわけでもない。

夜着なのか、薄手の黒いベビードール姿だ。


「重いよ、トーリ。

 僕の上に乗っかるならもっとムードを大事にして欲しいね」


慌てて手を離し、ククリを消して退こうとすると先ほどの俺の動きをそのまま真似するような体捌きであっさりと体勢を入れ替えられた。

今の一瞬でこちらの動きを模倣したんだろうか。大したセンスである。


「トーリ、ちょっと気を抜くのが早すぎるんじゃないか?

 僕が君を狙った刺客だったらどうするのさ」


上になったラピスが呆れたように見下ろしてくる。

そういえば、チュラーニ氏族の暗殺者が俺を狙うとしたら今夜が一番危険性が高かったのではないだろうか。

すっかり失念していた。


「……まぁラピスに命を狙われる覚えはないし。

 何かが化けてるって事もなさそうだしね」


それにこの状態でも、状況をひっくり返す手段を幾つか用意している。

よほど大規模かつ用意周到に襲撃されない限り切り抜けられる、と思う。ゼアドみたいな化け物が襲ってきたら駄目かもしれんがあれは規格外だろう。


「まるで僕じゃなかったら襲われる心当たりがあるって言ってるように聞こえるね。

 さっきの話も相当誤魔化してただろう。

 コボルドなんか千匹相手にしても傷一つ負いそうに無い癖に、行方不明とか僕を馬鹿にしてるのか?」


むう、バレてたか。心配させてしまったみたいだな。


「ちょっと訳ありで。面倒ごとだし長くなりそうだったので省いたんだよ」


このまま何事もないかもしれないし、出来れば俺の胸の内だけに秘めておきたかったんだが。


「他の連中に聞かれないようにこうして僕が1人で来たって辺りに誠意を感じて欲しいね。

 あのドラウの双子が試練がどうとか言ってたけど、何があったんだ?

 さぁ、さっさと白状しなよ」


ぐぐっとラピスが顔を下ろして眼を覗き込んでくる。

そんな単語まで覚えているとは。興味無さそうにしていた割にはしっかり話は聞いていたみたいだな。

"はったり"技能のブースト装備も付けてないし、ラピスを誤魔化すのは無理そうだ。

仕方ない、話すとしよう。この時間になっても他に来客がいないということは襲われる危険も少ないんじゃないかと思えるし。


「他言はしないでくれよ。

 実はだな……」


タラシュク氏族の戦闘団に遭遇したことと、そこから考えられる氏族間の陰謀について俺の想像であることを踏まえつつ説明した。


「……僕も不幸自慢には自信があるけど、トーリのトラブル体質もなかなかのもんだね」


まったく俺自身も驚きである。

大人しめのクエストを選んだはずがこの有様だ。


「納得したならそろそろどいてくれないか。ずっとこの体勢ってのはつらいんだ」


この説明の間、ラピスにずっと馬乗りにされたままである。

月光が薄手の生地を透かしてボディラインを露にしており、精神衛生上もあまりよろしくない。


「レディに対して失礼なことを言うやつだね!」


ピシっと飛ばされたデコピンを甘んじて受け、ベッドから降りたラピスが窓際に向うのを見送る。

先程はどうやったのか、4階の窓から侵入してきたらしい。

そのまま出て行くのかと思えば、しばらく外を観察した後に窓とカーテンを閉めた。

まだ月が出ているようで、カーテンを閉めても入り込む光で部屋の中は薄暗がりで満たされている。


「さっきの話を聞くに、危ないとしたら今夜だね。

 僕が見ていてやるからトーリは寝てなよ。ここ数日マトモに休んでないんだろ?」


まぁそれはそうなんだが。


「あのなラピス。そんな格好で来て『護衛します』なんて無理があるだろ。

 武器とか持ってないじゃないか」


寧ろ自分の身の心配をして欲しい。色々な意味で。


「そこは信用してもらおうか。

 それにトーリにも襲われない様に考えてるよ、ホラ」


そういうや否やラピスの姿が掻き消え、着ていたベビードールが床に落ちたかと思うとその下から大きめの黒猫が現れた。

そいつはベッドの上まで跳躍すると、前肢で起き上がっていた俺の鼻先を突く。

プニ、と当たる肉球の柔らかさに癒される。寝ろってことなんだろうな。

こうなってはラピスに従ったほうがいいだろう。万が一の場合には《アラーム》もある。

頭を枕に乗せると、顔の横のスペースに猫がやってきた。

近くに来ると動物特有の匂いがする。昔飼っていた犬を風呂に入れた後もこんな匂いがしていた気がする。

眼を閉じるとそういった昔の思い出が脳裏に浮かんできた。

懐かしい記憶に意識を委ねると、俺は再び睡魔に包まれていった。






起き抜けに一悶着あったものの、顔を洗って朝食を取りに酒場へと下りたところでジェラルドと出くわした。


「やあトーリ。何やら大変そうだったが無事なようで良かった!

 君のような冒険者が倒れる事はストームリーチ全体の損失に繋がるからな。

 くれぐれも体は大事にしてくれたまえ」


相変わらず大仰な言い回しだ。カウンターでサンドイッチと冷えた水を受け取り、ジェラルドの座っているテーブルに相席させてもらう。


「大袈裟だな、ジェラルド。俺も自分を大事にしてるつもりなんだが、この稼業をしているとどうも想定外の出来事ってヤツが多すぎて困るね」


水で口を潤してからサンドイッチに齧り付く。

新鮮なレタスっぽい野菜がシャキっした歯応えを返してくれる。所々にマスタードっぽい辛味が混ぜられているところもなかなかいい仕事をしている。


「何、そこを柔軟に対処してこそ一流の冒険者というやつだ。

 君には十分その素質があると私は確信しているがね!」


既に食事が終わっているらしいジェラルドは、そう言うと腰に下げていたポーチから印章入りの指輪を一つ取り出して机の上に置いた。


「『港湾管理者の許可証』だ。シティ・ガードに何か言われればこれを見せるといい。

 これがあればストームリーチにおける中央市場への通行と、ゼンドリック大陸から得てきた品のこの街における売り買いが許可される。

 指に嵌めるなり首から下げるなり、扱い方は任されているが紛失には気をつけてくれたまえ」


拾い上げて観察してみると、街の名物(?)である掌で天からの光を受け止めている巨人像らしき肖像とシリアルナンバーが細かく刻まれている。

魔法は何も付与されていない。

『シャドウ・アイ』のようなアイテムもあるので油断は出来ないが、これ自体はどこにでも見られる銅素材の指輪のようだ。

念のため、あとでブレスレットに放り込んでおくことにしよう。


「後は家の手配ということだったが、これはそれなりに纏まった時間が必要だからな。

 トーリ、君の都合のいい時間帯に合わせることになるがどうするね?」


どうやら俺が留守にしている間に段取りは完了しているようだ。

今日はまだ昨日までの仕事の片付けもあるし、明日の方がいいだろうな。


「それじゃ明日でいいか?

 今日はまだ色々とゴタゴタしてるだろうし、せっかくだからマーケットにも顔を出しておきたい」


サンドイッチの最後の一欠けらを口に押し込んでから、希望する日時を知らせるとジェラルドは了解したとばかりに首肯した。


「ではここに案内人をやろう。明日の昼頃に来てくれ」


丁度いいタイミングで食事も終了した。俺はジェラルドに別れを告げると、背負い袋を片手に『きまぐれ海老亭』を後にした。

まずは戦利品の装備の鑑定を依頼すべく、『ハンマー&チェイン』に向う。

途中、早朝のパトロールを行っているウォーフォージドの衛兵達と擦れ違った。

一糸乱さず隊伍を組むその姿は確かにマシーンを思わせるが、彼らの目には確かに自我を感じさせる輝きが宿っている。

そんな連中を横目で見ながら目指す店内へと足を進めた。

店内には先日同様、接客の意志が見られないドワーフの姿があった。


「なんだ、またアンタか。まだ獲物を使い潰すには早過ぎるんじゃないか?」


こちらを一瞥すると再び手元で何やら行っている作業に視線を戻した。相変わらず歓迎されていないようだ。


「今日は買取を依頼に来たのさ。

 まぁ見てくれ」


カウンターにジィティックから奪った剣と盾、スケイルメイルを乗せる。


「暫く見ない間にいい拾い物をしたみたいじゃねぇか。

 鎧と盾は、まさかとは思うが竜の鱗が素材か?

 そうなると剣のほうは竜の牙か……悪ぃが兄ちゃん、こいつはウチの店では値がつけられそうにない。

 トゥエルヴの砦にでも持ち込めばあそこの秘術使いが言い値で買ってくれるだろうよ」


ひょっとしたらそういうこともあるかと思ったが、どうもこの店の買い取り上限金額を越える逸品だったようだ。

いずれか単品であれば可能かもしれないが、これは一揃いの品物だしバラ売りは避けたほうがいいだろう。

仕方が無い、ここでの換金は諦めるとするか。そう考えた俺に背後から声を掛けてくる存在がいた。


「その品、我が主が引き取ると仰られている。

 運び手よ、主の住まいまでご足労いただけませんか?」



店内の隅、先日借りた代替の武器が置かれている暗がりにいつの間にか1体の影が実体化していた。

フードとマントで顔や体を隠しており、その正体を探ることは出来ない。声の低さから男ではないかと推測する程度だ。

僅かに覗く足元は茶色い皮のブーツを履いているが、所々が焼けたのか黒くくすんでいる。

いつの間にか気圧されたのか、一歩後ずさっているのに気付く。

いつからそこにいたのか判らないが、たった今まで気配を感じさせなかった技術は本物だ。

店内で揉め事を起こすことも無いだろう。ファーガスに視線をやると彼は好きにしろ、といわんばかりに手元の作業に戻っていた。


「いいだろう。ここでの買取が出来ないって話だったし渡りに船だ。

 アンタの主とやらはキッチリ支払いをしてくれるんだろうね?」


カウンターの上のショートソードを左手で握りながら注意深く相手を見やる。


「判ってもらえて嬉しいよ。では付いて来て貰おうか」


フードの男はそういうと身を翻し、店の外へと出て行った。

俺もカウンターの上の品を回収してから追いかけることにする。


「騒がせたな。また来るよ」


結局商売にならなかったファーガスに一礼して立ち去る。


「フン。臭い連中についてくのはオススメはしねぇがな。

 くたばらない様に精々気を張っておくことだ」


背にドワーフの警告を受けながら『ハンマー&チェイン』を後にした。

先程のローブの男は既に先に移動している。どうやら港方面に向うようで、断崖に連なった階段を降りていこうとしているようだ。

早足でそれを追う。階段を降りて埠頭に出てからも、男は海沿いの道を街の外れへと向っていく。

さて、この先は行き止まりだったはずだが……。


「乗りなよ」


彼が示したのは一艘の小さな船だった。ソウジャーン号がテーブルだとしたら爪楊枝ほどのサイズにしか見えない、貧相な小船である。

どうやらここからはこの小船で進むようだ。

安全を考えるならここに品を置いて帰ってもいいのだが、この先に考えられる展開を逃す手はないと考える自分もいる。

直観に従い小船に乗り込むと、ローブの男はオールを取り、漕ぎ進め始めた。

木同士が擦れあう音が入江の穏やかの波の音と合わさって不思議な静けさを演出している。


「なあ、アンタの主ってのはなんて名前なんだ?

 失礼が無いように予め聞いておきたいんだが」


駄目元で声を掛けてみた。


「主の名はハザラック・シャール様さ。

 この街に誰よりも昔からお住まいになっている竜の公子でいらっしゃる」



なんとなく予想はついていたが、やはり噂の人物だったらしい。

ドラゴンに関するアイテムを収集していると小説では書かれていた。このアイテムもおそらく彼の目に適ったんだろう。

やがて周囲はいつの間にか霧に包まれ、視界が閉ざされていく。そのまま10分も経過した頃には、小船はどこかの波止場に到着していた。


「こっちだ。ついて来てくれ」


柔らかな草地に覆われた陸地を進む。沿岸部から離れると霧も薄まり、視界も開けてきた。

所々隆起はあるが、山のような起伏は見当たらない。どうやらちょっとした小島のようだ。

男の後を追いながら、この先に起こるだろう出来事に備え装備を入れ替えていく。

やがて視界に妙なオブジェが映った。黒い大理石の円柱の間に、さらに黒いデンスウッド製の壁がはまり込んでいる。

建物の壁の一部だといわれれば納得するが、その周囲には他にそれらしき痕跡はない。

近づくとその柱には黄金で形作られたドラゴンが巻き付いているのに気付く。その瞳は巨大なルビーで飾られているようだ。

さらに壁には銀でドラゴンが刻まれている。その頭部はこちら側に突き出しており、近づくものを食い千切ろうとしている様にも見える。

ローブの男がその銀のドラゴンの口に銜えられているノッカーのようなもので壁を何回か叩くと、こちらを振り返って言った。


「ここから先に進んで生きて帰りたいんなら、決して主に失礼を働かないことだね。

 ハザラック様は無礼者や敵を決して許されない。

 例え相手が死んでいても、この大陸から逃れていてもその激情を収めることは無い。

 こんな姿になりたくなければ、重々注意をすることだ」



そう言って僅かに上げられたフードからは、半ば白骨化した浅黒い肌がのぞいている。

アンデッド、それも生前の意識を有したまま服従させているのか?

このドラウが何をやったのかはわからないが、この先にいるハザラックは噂どおりの強力な術者ということだろう。

そこまで会話した時、壁が音も無く消えたかと思うとそのかわりに黒い靄のようなものが現れていた。

《テレポーテーション・サークル/瞬間移動陣》の呪文だろう。《タイム・ストップ》に匹敵する最高位呪文だ。

この先にハザラックの住居があるのだろう。俺は一度深呼吸した後、その靄に向って足を踏み出した。

空間を跳躍する感覚は一瞬で消え去り、目の前には黒い石壁の通路が広がっていた。

所々に灯されている松明の明かりが、踏みしめられた通路と目の前の巨大な人型の爬虫類、リザードフォークを照らしている。

分厚く黒い鱗に覆われ、鋭く生え揃った牙は人間の体など一裂きにしてしまいそうな迫力だ。

さらに腕には巨大なハルバードを構えている。

ハザラックの番兵はその斧槍で通路の奥を指し示す。進め、ということだろう。

通路は真っ直ぐではなく、曲がりくねっていた。

幅も一定ではなく、時折道の一部を妙にすべすべとした岩が塞いでいたり、道の一部が不自然に広がっていたりした。

松明は石壁に直接開けられた穴に差し込まれており、どうやら呪文による消えずの松明ではなく実体の炎のようで熱を感じることが出来た。

暗闇の中で時間感覚が歪められたのか、どれだけ歩いたのかも判らなくなった頃ついに終点に辿りついた。

通路から広間へとその姿を変じた洞窟は、偉大な秘術使いの住居に相応しい豪奢な光景が広がっていた。

ソウジャーン号で見たものよりもさらに上質と思われる絨毯が床を埋め尽くし、色取り取りの模様が舞っている様に見える。

左にある銀で作られた階段細工の上からはワインが止め処なく流れており、右にはオージルシークスほどの大きさの純金製のドラゴン像が佇んでいる。

部屋の隅には大量の金貨や銀貨、そして一部には白金貨もがいくつもの小山を形成している。

この部屋を守護しているリザードフォークらがそれらの山の手前で整列しており、こちらの一挙手一投足を見逃すまいと注意を払っている。

部屋の中央には、今の自分と同じくらいの歳であろう人間の男が立っていた。

赤褐色の絹製の上下に身を包み、手袋とブーツは上質の皮製だ。カフス、ネックレス、そしてベルトには少なくとも10を越える宝石が松明の光を浴びて輝いている。


「ようこそいらっしゃいました、お客様。

 私はケスと申します。光栄にも、ハザラック様の家政を取り仕切らせていただいております」


ケスはそういって歯を見せて微笑んだ。


「この度は、ハザラック様に縁のある品をお持ちいただいたと聞いております。

 品の方を改めさせていただいて宜しいでしょうか?」


洞窟を照らす微かな松明の明かりに照らされた完璧な笑みは、まったく意図を読み取らせない。

だが、ここにきてこの男の機嫌を損ねる必要もない。

背負い袋を下ろし、中からジィティックの武装一式を取り出すと足元の床に並べた。

壁際から1人のリザードフォークがこちらに近づくと、それらの品を拾い上げてケスの元へと運ぶ。

いつの間にか彼の手元には細工も見事な木製の机が置かれており、装備類はその上に置かれた。

ケスはそうやって置かれた品の上に手をかざして何やら確かめているように見える。


「……確かにこの品で間違いないようです。

 ハザラック様はかつてこの品々を部下にお預けになられたのです。

 その者達とは既に縁も御座いませんが、召し上げずにそのままお預けになられていました。

 ですが彼の一族の手を離れたのであれば、これは正当な持ち主であるハザラック様の下へと戻されるべきでしょう。

 無論、この品をお持ちいただいたお礼はさせていただきますよ」


ケスがどこからか拳大の膨らみを持った袋を取り出し、リザードフォークを通じてこちらに寄越した。

受け取って中を確認すると、10数個の宝石が入っているのが見える。

価値のほどはこの場では鑑定できないが、ケチな真似をするような誇りのない人物ではないだろうと考えそのまま懐に仕舞った。

さて、向こうの用件はこれで終わりなのかもしれないが俺の本題はここからである。

わざわざ高位の秘術使いに接するチャンスが向こうから来てくれたのだ。これを逃す手はない。


「よろしければハザラック様への謁見をお取次ぎいただきたいのですが」


俺を送り出すようリザードフォークに指示しようとしていたケスに、こちらの要求を伝える。

彼はその端正な顔を一瞬固めた後、元の笑みを浮かべると忠告をしてきた。


「ハザラック様は大変気難しい方でいらっしゃいます。

 直接面談される際に気分を害されたことで、ここからドルラーへと向われた方も大勢いらっしゃいます。

 それでも主との謁見を求めるのですか?」


コーヴェアにどれだけ高位の術者がいるかは不明だが、このハザラックはここに居る事が判っている最高位の術者だ。

入り口にあった《転移陣》は最高レベルの呪文だ。あれを見た時点で、ここで引き下がるという選択肢は消えた。


「承知の上です」


帰還の為の手がかりを逃すつもりはない。手土産もあるし、いきなり怒らせるようなことはないはずだ。

こちらの決意が固いことを確認した後、ケスが謁見に際しての注意事項を述べた。


「我が主が話しているときに邪魔をしてはなりません。

 玉座の近くには近寄らないこと。御前では、魔法やそれに類する能力を使おうとしないこと。

 それから、武器を抜かないこと。もとより、武器はここに置いていっていただきますが」


当然の注意事項だろう。


「いいですか、こうした注意はあなたのためなのです。生きて帰る為には今言ったことを必ず守ってください。

 我が主人の力は強大で、一言発するだけで貴方を殺すこともどこかに閉じ込めることもできるでしょう。

 また、周囲には主の安全を守るための仕掛けが施されています。

 くれぐれもそれらを試そうとしないようにしていただきたい」


ケスがいくつもの注意事項を伝えてくる。まぁ格上の存在と接するときには当たり前のように行うことだ。


「弁えております。それではお取次ぎをお願いいたします」


腰に下げているロングソードを横にいた衛兵に渡す。

ケスはそれを見て頷くと、こちらに背を向け奥へと振り向いた。

彼の足元のグラマーウィーヴ織りの絨毯が突如燃え上がり、部屋の中央に溶岩の川が現れた。

部屋の手前側と奥とを分断するように、灼熱の熱塊が視界の左から右へと流れている。

突如その川面が盛り上がったかと思うと、熱された岩が飛び出し空中にアーチを描いた。

そしてそのアーチをなぞる様に、白い石造りの橋が架けられた。

ケスはその橋を渡って奥へと進んでいく。溶岩に照らされた白い大理石の橋は、洞窟の中でも妖しい輝きを放っている。

俺は覚悟を決めるとケスの後を追い、その橋を渡って洞窟の奥へと向った。

途中には、さらに奇妙な調度品の数々が置かれていた。

今にも動き出そうに見える多くの石像の中には、《フレッシュ・トゥ・ストーン/肉を石に》の呪文で石化されたものがどれだけ混じっているのだろうか。

見たこともない動物などの中に混じって、荒野で見たゴルゴンの姿も見えた。暗がりの中で石化を免れた銀の角が火明かりに映えている。

だがそれらの石像の中で最も異彩を放つのは、不気味なうめき声を上げる人間の石像だった。

容姿端麗な男女4名ずつの石像だが、所々が動いているように見える。ある像は口が、ある像は眼が、といった具合に。

このうめき声は、あの口だけが肉で出来ている像から発されているのだろう。


「あれらは愚かにもハザラック様の財産に手をつけようとした愚か者どもの成れの果てで御座います」


先を歩くケスが振り返りもせずに答えた。

小説でこのハザラックの宝物庫に侵入し、衛兵を殺傷した者たちだと思われる。


「彼らはああやってハザラック様の怒りが冷めるまで、あの姿をここで晒すのです。

 無論、それはその内に宿っている存在とて例外ではありません」


彼らが安置されているスペースには、取り囲むように魔法陣が刻まれている。

おそらく連中に憑依しているクォーリを逃がさぬよう、ハザラックが仕掛けた《マジック・サークル》なのだろう。

リードラのエリートと呼べる『インスパイアド』は別次元からの侵略者をその身に憑依させているが、通常その器である人間を破壊したところでクォーリは元の次元界に逃げ帰るだけだ。

それを逃さぬようにあのような仕掛けを組んでいるのだろう。


「同時に、あの者達はハザラック様に歯向かう事の愚かさを知らしめる役目を負っています。

 貴方が彼らからそれを学んでいただければ良いのですが」


その狙いは十分に効果を発揮していると言っていいだろう。

竜の公子の恐ろしさを否応無しに理解させられた後、ついに目的地に到着した。

高さ5メートルほどの赤く輝く大理石の円柱があり、その柱面には円盤に乗ってとぐろを巻いたドラゴンと太陽の絵が刻まれている。

ケスは柱の前で片膝をつき、主に呼びかけた。


「ハザラック様。面会を求める客人を1人お連れしました」


ケスの声に応じて、石柱の反対側から骨に響くような大きく低音の声が返ってきた。


「ハザラックに会いたいというのは、どこのどいつだ」


まるで柱そのものが震えて声を発しているようだ。


「私は人間のトーリと申します。

 貴方の使いに導かれ、ここへ至る幸運に与らせていただきました。

 これも何かの縁と思いまして、貴方様の手元にあるのが相応しいと思われる品を持参いたしました。

 お時間を割いていただいたお礼に、また私めを御心にお留めいただくことを願っております」


彼の声の後では擦れて聞き取れないのではないかと思ってしまうほど、自分の口から出た言葉は頼りなかった。


「持参した品を見せよ」


だが幸いなことに、俺の声は届いていたようだ。

着替えていたローブの懐から、拳大の巨大なピジョンブラッド・ルビーを取り出す。

真っ赤に輝くその宝石の中心には不思議な屈折が生じているのか、光の加減により時々ウインクしている瞳のように見えることがある。

この宝石が『ドラゴン・アイ』と呼ばれる由縁だ。

無論この宝石は美しいだけではない。

『マギ』と呼ばれる呪文のエネルギーを蓄えることが出来る効果を持つと共に、中位以下の呪文の威力を1日3回ではあるが大幅に増幅する効果を持つ。

後者の効果はゲーム内固有の効果だったが、こちらの世界でもその恩恵が得られることはちゃんと確認している。

この宝石の発する力を感じ取ったのか、ハザラックから声がかかった。


「近こう寄れ」


円柱を中心に炎の壁が巻き上がり、やがて治まるとそこには半円状にカーブを描いて円柱の反対側へと続く道が描かれていた。

道の両側はいまだ柔らかな火に縁取られている。

その火を踏み越えないように慎重に歩みを進め、円柱を回りこんでついにハザラック・シャールと対面した。

円柱の玉座に腰掛けていたのは、1体のコボルドだった。

肌は錆色の鱗に覆われ、頭には黒い短い角が生えている。

身の丈は70cm程度しかないだろう。だが、この見た目に騙されてはいけない。彼はこのストームリーチで最も強力なソーサラーなのだ。

それに、あの鱗と角はブラックドラゴンを連想させる。

あるいはあの姿は黒竜の仮の姿なのか、それとも黒竜の血を引くハーフ・ドラゴンなのかもしれない。

今思えば衛兵のリザードフォークも皆常ならぬ黒い鱗に覆われ、力強さに溢れていた。

エベロンでは珍しいハーフ・ドラゴン達なのかもしれない。

コボルド・アイランドに座すブラックドラゴン……日本語版のサービス終了間際に行われたあるイベントが脳裏を掠める。


「その品を見せるが良い」


彼は口では喋っていないようだ。声はしてもその口は動いていない。

ベルベットの真紅のローブを着、首からは金で編みこまれた環を下げており、その首輪には薔薇色のドラゴン・シャードがいくつも埋め込まれている。

ハザラックの声に合わせてそのシャードがほのかな光を明滅させ、その光の波が声となって伝わってくる。

どうやらこの声はあのドラゴン・シャードから発されているようだ。

たとえ《サイレンス》の呪文で音を封じられたとしてもあの宝石の輝きを遮る事は出来ない。

その声に従って宝石を掌の上に乗せると、おそらくはハザラックの呪文による念動力によってルビーは空中を漂い、ハザラックの手元へと収まった。


「我がコレクションのいずれにも劣らぬ見事な品だ」


ややボリュームが落とされたハザラックの声が届いた。どうやら気に入っていただけたようだ。


「人間よ。望みは何だ」


さて、ここからが本番だ。


「貴方様の御力は遠くコーヴェアや他の大陸にまで知れ渡っております。

 また、その宝物のコレクションは伝説となるほどです」


「前口上は要らぬ。要点を述べよ」


どうやら余計なおべんちゃらはお気に召さないらしい。


「知識を。

 私はこのエベロンを取り巻く13の次元界、そのいずれでもない場所へと至ることを目的としております。

 知己を得た白竜より、それを望むのであれば私自身で為すしかないと言われております。

 ですが偉大なるハザラック様であれば、そのための導を頂けるのではないかと考えました」


「Aussircaex!!

 あの生意気な雌蜥蜴めが、一端の口を利くようになったものだ!」



なんと、予想外なことにハザラックはオージルシークスを知っているようだ。

あの竜の名を忌々しげに叫んだかと思うと、その手に持った杖を振り上げた。

その杖の動きに呼応するようにして、周囲の松明や溶岩などの洞窟内に存在するありとあらゆる炎が猛りを上げた。

この様子からすると良好な関係ではないようだが。


「本来であればこのハザラックから知識を掠めようなどと考えたものを生かして還すことはない。

 知識とは、何物にも勝る最高の宝であるからだ!

 だが温血のクリーチャーよ、汝が望む知識は確かにこのハザラックも有しておらぬ。

 故に、持参した贈り物に免じて機会を与えてやろう。

 このハザラックがあの白蛇よりも優れたる事を知るがいい」



そう言うとハザラックはその念動力により一つの指輪をこちらに寄越してきた。


「嵌めよ。その指輪に秘めたる呪文が汝に遥か彼方の知識を与えるであろう。

 だが心せよ。

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」



指輪を嵌め、その中に秘められた秘術の力を感じようと意識を集中させると、突如自分の足元が抜けたような感覚に襲われた。

周囲が暗黒に閉ざされ、どこまでも落下しているような感覚。その感覚以外には何も感じられない。眼も見えず、音も聞こえず、肌にも何も感じない。

やがて俺はこれが落下しているのではなく、無重力状態なのではないかと考えた。

そう意識した瞬間、今まで何も捉えていなかった視界の片隅に何かが映った。

そちらに注意を向けると、"それ"はどんどんとこちらに近づいてきた。


(地球? いや、違う。エベロンだ)


目に映ったのは巨大な青を基調とした惑星だった。だが、そこにある大陸図は慣れ親しんだ地球儀のものではない。

凸のような形のエベロンが赤道を掠めるように存在し、その北にはカニの胴体のようなコーヴェア大陸がある。

その二つと三角形をなすような位置にはドラゴンの住むアルゴネッセン大陸があり、三つの大陸に囲まれたサンダー海にはエルフの住むエアレナル諸島が見える。

そしてゼンドリックの裏側、惑星の反対側にはインスパイアドに支配されたサーロナ大陸が見える。

極点付近にはそれぞれフロストフェルと永久氷洋という氷の大陸が広がっている。

そういった大陸たちを眺めるために距離を意識したところ、この惑星に近い位置にある別の星々が見えてきた。

どうやら俺は今、アストラル界で「存在の諸次元界」を見ているようだ。

『物質界エベロン』から離れていく『炎の次元界フェルニア』や『黄昏の森ラマニア』が見え、逆に『死の領域ドルラー』や『戦いの場シャヴァラス』は近づいて来ている。

遥か遠方には長い軌道を持つ『妖精の宮廷セラニス』や『完全なる秩序ダーンヴィ』らしきものも見えた。

だが、俺が求める世界はそのいずれでもない。

意識を広げ、どこかにあるであろう地球へと至る道筋を求める。

俺という存在がエベロンにやってきてから一月も経っていない。どこかに痕跡が残っているのではないか。

自分の意識を薄く広げ、この「存在の諸次元界」を探っていく。

まるでこの世界は摩擦抵抗のない椀の中を転がる複数の珠のようだ。

椀の底にある『物質界エベロン』に引き寄せられ特定の軌道を描く次元界たちが、時に隣接し時に離れながらも一定の動きを繰り返している。

やがて俺の意識に何かが引っかかるのを感じた。

エベロンを囲む輪となっているシベイの欠片が時折物質界に降り注いでいるが、最近そこに大規模な動きがあったようなのだ。

今現在の次元界の位置と軌道から、その出来事があった際の次元界の配置を逆算しようとしたところで、背筋に氷柱を差し込まれたような感覚が走る。

広げた意識の遥か遠方から、何かが浸食してくるのを感じたのだ。それも二箇所から。

一方は意識を溶かすように取り込みながら、もう一方は触れた意識を別の何かへと変容させながら、双方は怖ろしい勢いで意識の中心である俺へと近づいてきている。

慌てて意識を切り離し侵食を抑えようとするが、まるで燎原の火の如くその勢いは止まるところを知らない。

先程まで全く肉体の感覚は感じなかったというのに、今は四肢の先端からだんだん痺れが広がってくるような怖ろしいものを味わっている。

しかもその部分は徐々に自分の意思とは無関係に動き出そうとしているようだ。俺が俺で無くなっていこうとしている!


「だが心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」


脳裏にハザラックの言葉が蘇る。

そうだ、意識を強く持て。落ち着いて気持ちを整えろ。恐怖や余計な願望は奴らの餌となる。

心に波風を立てず、それでいて外因に乱されぬよう強く意識する。

そうやって精神を集中させると侵食はいつの間にか跡形も無くなり、他の存在は全く感じられなくなった。

だがそれと同時に意識が落下していくのを感じる。

今度こそ無重力ではない、重さに引きずられた感覚だ。


(待ってくれ! もうすぐ手がかりが掴めそうだってのに!)


思わず離れていくエベロンに左手を伸ばすが、無論届くはずも無い。そのまま再び視界が黒一色に染め上げられるまで、大した時間は掛からなかった。


「待て!」


今度は右手を伸ばしたところで、暑い日差しが照り付けていることに気付く。

どうやら地上のようだ。既に太陽はいい高さまで登っており、昼近い時間だと教えてくれている。

いつの間にか洞窟から放り出されていたようだ。

現在地は小船で運ばれた小島のようだ。

自分が寝そべっていた場所にはハザラックへの洞窟へと続く石柱があった筈だが、今は影も形も見当たらない。

借りた指輪も消え去り、預けていたロングソードが腰に収まっていた。

しかし狐狸に化かされたのではない証に、懐にはケスから受け取った宝石の詰められた袋の感触がある。

袋を取り出そうとしたところで、左手が何かを握りこんでいることに気付いた。

手を広げると、そこには薔薇色に輝く星の欠片が握られていた。シベイ・ドラゴンシャードだ。

先程の交感の終わり際、遠ざかっていくエベロンに向って伸ばした手が星を囲むシベイの環に触れたのだろうか。

あるいは、ハザラックが土産に持たせてくれたのかもしれない。

ブレスレットにシャードを格納し立ち上がって土ぼこりを払い、周囲を見渡す。

太陽の位置が変わったことと、門が無くなった事以外に差異は見当たらない。


「そろそろ時間か。『気まぐれ海老亭』に行かなきゃな」


ケイジやゲドラとの待ち合わせ時間が近づいてきている。

これから小船を漕いでいかなければならないことを考えると、ギリギリの時間だろう。

元々の用事であったジィティックの武装の換金も終わったし、それ以外の収穫もあった。

これ以上の事を望むのは高望みだろう。ここから先はもっと自身の力を磨かなければいけない。

先程の件で力不足を痛感した俺は、この島から離れるべく小船の係留された浜辺に向って歩き出した。




「すげぇな。この宝石、一個で金貨4,000枚の価値ってのは本当か?」


机の上に置かれたケスから受け取った宝石を、ケイジが恐る恐る指先でつつきながら呟いた。

ここは『気まぐれ海老亭』でケイジとゲドラが借りている部屋の中だ。

先程この宝石を"鑑定"したところ、どれもが価値の高い宝石であることがわかった。

それが12個。金貨にして4万8千枚という大金である。

俺達のほかの収入としては、ゲドラが換金してきた美術品が金貨3,000枚ほど。

ケイジがザックに詰めていた金貨と銀貨が合わせて金貨2,000枚相当だ。

無論宝石は然るべき好事家などに売った場合であり、商人に足元を見られれば値切られることもあるが捨て値で売ってもその半分にはなる。


「今回は運が良かった。噂の竜の公子の機嫌が悪ければ召し上げられてそれでお終いだったかもな」


ちなみにこの戦利品の分配にエレミア達は絡まない。

彼女らはジィティックとの戦闘に関わっていないことと、上層階やナッシュトゥース族から得た戦利品や依頼人からの報酬があるということで辞退してきたのだ。

ロンバートとウルーラクも辞退していたが、少なくともローガンが提示していた報酬分に上乗せして、1,000GPを渡すことで俺達3人は合意している。

ロンバートの場合は所属している寺院への喜捨という形式になるんだろうけれど。

経費として《ディメンジョン・ドア》の巻物二枚分と二人に飲ませたポーションで3,000GP程度と考えると、残りは丁度宝石分ということになる。

1人頭4つを分けて分配は終了となった。

このレベルの冒険の報酬としてはまさに破格である。


「そろそろ武器を新調しようかと思ってたんで助かるぜ。これなら鎧にも回せそうだな」


ケイジは眼を閉じて何やら考えているようだ。新しい武装について思いを馳せているんだろう。


「……苦難を乗り越えた先に恵みは存在するが、それは常ではない。

 今回はトーリの言ったように運が良かったのだろう」


激戦を潜り抜けたゲドラのスパイクト・チェインもメンテナンスが必要ではないだろうか。

広範囲の敵を一気に薙ぎ払うだけあって、武器の損耗も激しそうだ。


「んじゃ俺は『黒鉄亭』に顔出してくるわ。

 二人はどうする?」


ケイジは早速武器を見に行くようだ。

『黒鉄亭』は中央市場区画にある骨董品や武器を揃えている店で、巨人用も含めたありとあらゆるサイズの武器と防具が揃っているらしい。

他の有名な武器屋としては『ストームリーチ・フォージ』という衛兵隊に武器を卸している鍛冶屋があるが、そちらはコネがなければオーダーメイドを受けてくれず、量産品のみの販売になっているらしい。

ゲドラもやはり武器の手入れに向うらしく、ケイジに同行するようだ。

ゲドラの場合は武器が特殊すぎて『ストームリーチ・フォージ』では取り扱いが無いため、選択の余地が無いのだろう。

俺は武器には不自由していないし、まずは倉庫に顔を出してその後ストームリーチを見て回りたい。

二人にロンバートらへの分配も任せると、酒場のマスターにサンドイッチをいくつか包んで貰って酒場を出たところでエレミアとメイに遭遇した。


「お、二人とも出かけてたのか。

 その荷物は、ひょっとして倉庫への差し入れ?」


エレミアは小振りな樽を、メイは果物の入った網袋を持っている。


「ああ。市場への通行許可が出たので少し見物に行ってきたのだ。

 噂どおりの騒がしさには少々辟易したが」


ゲームでは冒険に関するものしか売っていなかったが、実際にはこういった食料品なども色々扱っているのだろう。

俺も後で見物に行くとしよう。


「ラピスちゃんも誘ったんですけどね~

『眠いからまた今度』って断られちゃいました」


ラピスちゃんは寝てばっかりです、とはメイの言。そういえばコルソスでも木の上で寝てたりしたんだっけか。

とはいえ今日は昨晩寝てないせいもあるんだろうけど。



「む。昼間に来るとは珍しいな」


倉庫に行くと入り口近くで蠍に乗っていたフィアが話し掛けてきた。

そのフィアの手のひらにはさらに小さい蠍が乗っている。なんともいえぬ不思議な光景だ。

子供たちの最年少組…小学校低学年くらいと思われる3人の少年少女は、倉庫の隅で何やら遊んでいる。

おはじきだろうか? 何やら細かい石を弾いているようだ。

ルーはそんな三人に囲まれながら彼らを見ている。

他のメンバーは不在のようだ。住む場所を探したり、今日の食い扶持を稼ぎに出掛けているんだろう。


「ああ、まだ今日は何も食べてないんじゃないかと思って差し入れを持ってきたんだ」


サンドイッチの入った葉細工のバケットをフィアに渡す。


「ふむ。ありがたく頂戴するぞ。

 エレミアにメイだったか。二人にも感謝だ」


手のひらの蠍を肩の上へと乗せ、荷物を受け取ったフィアは子供たちのほうへと向かっていった。

どうやら仲良くしているようで何よりである。見た目的にはこの双子はカルノと同年代だが、実際には100歳近いので面倒見がいいのも当然ではあるのかもしれない。


「トーリ殿、いやトーリ。今日はこれから何か予定はあるのか?」


同じようにフィアに荷物を渡したエレミアが尋ねてきた。


「そうだな……とりあえず風呂が恋しいからジョラスコ氏族の居留地にでも行こうかと思ってる。

 後は街の見物かな」


ゲーム中の街の構図との差異を早いこと埋めておかないと後々困ったことになるだろう。

それに明日の家購入に備えて下見をしておくのも悪くは無い。


「ジョラスコ氏族の温泉浴場ですか。トーリさんの故郷では入浴が一般的だったんですか?」


メイが興味深そうに聞いてくる。そういえばこちらでは湯治なんかを除いてはそれほど入浴する習慣がないようだしな。

公衆シャワー的なものを薄着で浴びるのが標準なんだっけ。


「どこの家にも大抵風呂がついていたよ。火山が多いから温泉が豊富だっていうのもあったんだと思うけど」


当たり障りのないように答えておく。こっちで毎日風呂に入るなんて、よっぽどの変わり者か特殊な職業の人たちだけなのかもしれないし。

ううむ、なんか話題に出たせいか無性に風呂に入りたくなってきた。


「それじゃ私たちもご一緒しますね~

 エレミアも来るよね?」


「ふむ、あまり経験が無いのだが試してみるか。

 長い船旅で昨日も思うように体が動かなかった事もあるし、体には良いと聞いている」


俺の記憶が確かならば、昨日のクエストで100匹くらいはコボルドの相手をしたはずだと思うんだが。

相変わらずの無双っぷりである。


「フィアちゃんとルーちゃんはどうします?」


話し込んでいる間に二人も近くに来ていたようだ。

メイがついて来るかどうか聞いたが、二人は首を横に振った。


「……おるすばん」


「あの子供達だけを置いていくわけにもいかないし、我々は遠慮しておこう。

 ゆっくりと疲れを癒してくるといい」


うーむ、気の利く二人だな。

ならいっそ皆連れて行ってしまえという気もするが、自分も初めて行く場所だけに不安が残る。

今度機会があれば衛生面からも全員風呂に入れてやったほうがいいかもしれないな。


「それじゃ、ここは二人に任せようか。お土産楽しみにしていてくれ」


次回の埋め合わせを心に誓いつつ、倉庫を後にした。

守衛の守る門を越えて中央市場へと向う。

ゲームでは埠頭区画の門を越えるとすぐに市場区画だったが、実際にはその間に1区画挟んでいるようだ。

記憶を探ってみたところ、ゲーム上の詳細マップにも一応は記載されていた気がする。

その空白地帯を流れるコロヌー川に架かる橋を渡った先には、『発見のマーク』を司る『タラシュク氏族』の居留地が構えられていた。

巨人時代の遺物と思われる砕けたオベリスクを背にしたその建物には、彼らのトレードマークである黄金のドラゴンヌをあしらった旗が立てられている。

建物の手前には現代の駅前のようなロータリーがあり、そこにはエレメンタルが捕縛された車両が幾つか停車していた。『オリエン氏族』の輸送サービスだろう。

最終戦争により、流通の要所である大橋の幾つかやライトニング・レイルの線路が破壊されたオリエン氏族であるが、急使や輸送のサービスでその損失を補っているらしい。

その役割はこのゼンドリックでも変わりないようだ。この都市内の急使や配達以外にも、時間を惜しむ富裕層向けにコーヴェア大陸の大都市への《瞬間移動》を提供する彼らは俺にとってありがたい存在だ。

近いうちに大都市『シャーン』へのテレポートサービスを受けることもあるだろう。


「そういえばメイはモルグレイブ大学の学生なんだよな。

 出身はシャーンなのか?」


コーヴェア大陸の南側に位置するシャーンは、「ゼンドリックの玄関口」とも呼ばれている。

都市内にいくつかの冒険者のギルドやゼンドリックの案内人を斡旋する窓口があり、またストームリーチとの間に定期船を設けていることからの呼び名だ。


「ええ。両親も大学で職についていたんです。生まれも育ちもシャーンですよ」


シャーンでゼンドリックの戦利品を売りさばくには、国家の許可証を得ていなければならないという法があったはず。

そのうちシャーンで大掛かりな買い物をする際にはメイに同行してもらったほうが良さそうだな。


「そっか。近いうちにシャーンで買い物しようと思ってるんで、その時は力を貸して欲しいな。

 オリエン氏族の『グレーター・テレポート』を使うから、そう時間は取らせないし」


家の防備のためのアイテムなどは、ここストームリーチで購入するのは困難だろう。

後、入手できるならドラゴンシャードや能力値に永続的な修正を加えるレアアイテムなんかも買ってしまいたい。


「そうですね。今書いている論文もトーリさんにご協力いただいたおかげで目処が立ちそうですし。

 大学に顔を出す時間を頂けるのでしたら、私はぜんぜん構いませんよ」


協力というと、コルソスで見せた《ディメンジョン・ホップ》の呪文に関するやつか。

まぁ知られても特に問題の無い呪文だし、構わないんだが。

心の中でこの街の地図に書き込みを行いながらさらに街路を進んでいくと、やがて大きな門を越えてこの街の中心である「中央市場」へと到着した。

中央には巨大な赤いテントが設営されており、あの内側では多くの商いが行われているんだろう。

テントの向こうには飛空挺が停泊するのであろう背の高い塔が見える。確か『鷹匠の尖塔』という名称だったはずだ。

ストームリーチ近辺は「スカイフォール半島」と呼ばれており、その名の通りこの一帯では嵐が活発に活動し、コーヴェアへの飛空挺による旅は危険なものになっているため滅多に使用されることはないと聞いている。

視線を戻して、目の前の噴水が設けられている憩いの場から市場のテントまでは石造りの橋がアーチ状に伸びており、その橋の上には夜に照明代わりとなると思われる赤い球体が宙に浮いていた。

テントから左方向に伸びる橋の向こうには『クンダラク氏族』が経営しているローズマーチ銀行の建物が見える。

この氏族のドワーフ達はコーヴェア中の銀行システムの中枢を担っており、金融業を制していると言ってもいいだろう。

異次元を利用して繋がれた銀行の支店間を通して、どこの窓口でも自分が預けた金や道具を取り出すことができるサービスはまさにファンタジーの産物である。

ブレスレットのアイテムスロットには余裕が余り無い。ゲーム中と同様、そのうち口座を作成してお世話になることもあるだろう。


「先ほどよりは少しマシになっているようだな」


「そうですね。今も活気がありますけど、朝はこれ以上でしたね~」


先ほどここに来たらしい二人の感想を聞くに、相当賑わっているように見える今よりも朝のほうが混雑しているらしい。朝市効果だろうか。

市場の品揃えにも興味はあるが、今の目的は別である。

テントの右手側にあるシルバーフレイムの砦を横目に、ジョラスコ氏族の居留地へと続く門をくぐるとまたゲームでは描写されていなかった区画を一つ抜けてから目的のエリアに到着した。

石畳の通路の脇には芝生が植えられており、所々に咲く花には色鮮やかな蝶が舞っている。

正面には小さな池があり、石造りの橋が見事なアーチを描いていて、目を楽しませてくれる。

ストームリーチの他の区画に比べても格段に落ち着いた雰囲気が流れているのを感じる。


「へー、結構いい雰囲気の街並みだな。ストームリーチにもこんなところがあったんだ」


埠頭や市場の様子からは想像もつかない、平穏な街並みだ。

建物も埠頭のように雑多な様式ではなく、統一された建築様式で建てられている。

各所に生えている見たことも無い草木を見やりながら石畳の上を進んでいくと、やがて坂道の上にある巨大な建造物が目に入った。

掲げられている旗にはグリフィンが描かれている。目的であるジョラスコ氏族の居留地だ。


「ようこそいらっしゃいました、トーリ殿。

 私はリナール・『ブロッサム』・ド・ジョラスコ。当居留地をドールセンから任されております。

 コルソスの英雄にお会いできて光栄ですわ」


建物に入り、受付のハーフリングに名を告げると奥から責任者らしき女性が現れた。

暖色系を基本としながらも、アクセントとして緑の若草模様をあしらわれたローブはこの居留地の雰囲気に良くマッチしている。

なんとこの居留地、通路のコーナーに木が植えられているだけでなく、エントランスホールの中央には天井を貫く巨木が生えているのだ。

木の幹は天井と一体化しており、どうやらこの建物はこの巨木を中心に建設されたのだろうと思われる。

またこのローブがここでの制服らしく、他にも何名かのハーフリングたちが同じ服装を身に纏っているのを見ることが出来た。


「我らの同胞を救っていただいた御活躍は耳にしておりますわ。

 当居留地にはあの船に乗り合わせていたスタッフの者も何名かおります。

 彼らを代表してお礼を申し上げます。

 お連れの方もどうぞこちらへ。当居留地での癒しをご堪能くださいませ」


彼女に案内されて、まずは風呂に入ることとなった。

VIP待遇なのか、一般の客が来る温泉浴場とは異なるようで他の客の姿は見受けられない。

ソウジャーン号同様混浴のようで、勝手のわからない二人は俺の後についてきている。


「えーと、ここで服を脱いで、そこに置いてある薄手の服に着替えるんだ。

 俺は先に行ってるから!」


ブレスレットの力を使用して一瞬で着替えを済ませると、俺は脱衣場を後にした。

流石に一緒に着替えるのは難易度が高すぎる。

脱衣場を出るとそこにはハーフリングの従業員がおり、タオルを手渡してくれた。

そこはどうやら洗い場のようになっており、シャワーというか打たせ湯というか、天井からお湯が流れている場所だった。

渡されたタオルには何やら石鹸的なものが含まれていたようで、ここでそれを使って体を洗うようだ。

着替えた浴衣は所々に切れ目が入っており、着たまま体を洗うことが出来るような工夫がされている。


「きゃっ!」


後ろから遅れてやってきたメイが、突然黄色い声を上げた。それと同時に軽い衝撃音。どうやら入り口で転んだようだ。


「大丈夫か?」


慌てて振り返って確認したところ、少し腰を打ったようだが大事は無さそうだ。

どうやら眼鏡を掛けたまま入ってきたせいで、湯気で曇った眼鏡に視界を遮られて足元の段差に引っかかったらしい。

だが体に怪我は無くとも、肌蹴た浴衣は大変な状態になっている。

ううむ、服の上からかなりのボリュームだと判っていたがさらに着痩せしているとは。ハーフエルフって恐ろしい!

慌てて助け起こし、浴衣をサッと整えてやった。

今のショックで落としてしまった眼鏡をハーフリングの従業員が拾ってくれたため、それを受け取ってメイに渡す。


「ありがとうございます、トーリさん。

 急に見えなくなるので吃驚しちゃいましたよ~」


すでに眼鏡はお湯に打たれて曇りは取れたようだ。

レンズ越しにメイの瞳が綺麗に見えている。


「ま、もう大丈夫だと思うけど。足元には気をつけてね」


浴衣を直したとはいえ、所々にスリットが入っているだけにむしろ裸よりも攻撃力が高い気がする。

チラチラと覗く肌色が視界に残像を残す。


「タオルを使ってここで体を拭いてから先に進むみたいだよ。

 はい、これ」


ついでにタオルも従業員から受け取ってメイの手に持たせると目の前でこんな感じ、と実演してみせる。


「へー、面白いですね。

 そのために横に穴が空いてるんですね」


メイが体の横側にある穴からタオルごと手を突っ込むと、その手に押されて二つの果実がブルンと揺れた。大迫力である。

あれ、絶対に自分では臍とか見えないんだろうな。人体の神秘だぜ。

流石にこれ以上見るのもマズい気がしてメイに背を向け、俺も自分の体を拭く作業に戻る。

一通り済んだところで、今度はエレミアが入ってきた。どうやらレザー・アーマーを脱ぐのに時間がかかったようだ。

振り向いて確認すると、天井から降り注ぐお湯に一瞬戸惑ったようで入るのを躊躇っていた。

だが既に中に俺達が入っているのを見て、そのまま足を踏み入れてくる。

お湯を浴びたことで浴衣が体に纏わりつき、エレミアの美しいプロポーションを露にした。

メイほどではないがボリュームのある胸に、引き締まった腰のライン。

DDOは顔については洋ゲーだったがボディラインはなかなか良いよ! と言っていたギルドメンバーの言葉が一瞬思い出された。

エレミアの場合はそこにさらに別ゲームの住人じゃないかと思えるような顔である。一瞬あまりの光景に見惚れてしまったほどだ。


「その、トーリ。

 さすがにそんなに見詰められると恥ずかしい……」


エレミアは照れた顔をしてそう言ってス、とメイの背に隠れてしまった。

やばい。このままここに居ては萌え死んでしまう!


「ゴ、ゴメン。

 んじゃ俺は先に行ってるから、エレミアはメイに説明を聞いてくれ。んじゃ!」


慌てて逃げ出す俺を見詰めるハーフリングの従業員の生暖かい目線は当分忘れられないだろう。





やはり、風呂はいい。

しかもそれが足を十分に伸ばして寛げるものであれば尚更だ。

それでもなお浴槽には余裕が十分にある。広さは5メートル四方くらいか?

獅子の口から注がれる乳白色の液体が体を芯から解してくれる。

ストームリーチのどこから湧き出しているかはこの際気にしない。

対面で入浴している二人の姿にも、このお湯のおかげで問題なく接することが出来る。

最初戸惑っていたエレミアも、今はすっかり湯船を堪能しているようだ。

この居留地内は空調が効いており、風呂場周りはやや涼しいくらいの気温だったことも効いているのだろう。


「入浴って子供の頃以来なんですけど、いい気分ですね~。

 体も綺麗になりますし、これは癖になりそうです~」


「川で水浴びをしたりするのとはまったく違うのだな。

 傷病者が利用するものだと思っていたが、嗜好品でもあるわけか」


この癒しの次元界への来訪者二人に、記憶の隅から掘り出した薀蓄を語って聞かせる。

曰く、適度な入浴は皮膚の清潔を保ち、心身のストレスを取り除く効果がある、ということである。

とはいえ温度が高すぎたり、長く入りすぎても良くない事も教えておく。

そんな雑談をしていたところで丁度体も程よく温まったため、風呂を出て着替えるとマッサージを受けることになった。

ソウジャーン号でもやってもらったものだが、どうやらこれは彼らハーフリングの出身地であるタレンタ平原発祥の文化らしい。

使われている香油も、彼らハーフリングが伝統的に使用しているものだという。

たっぷり2時間近くをかけて全身を入念にマッサージして貰った。

その後は心地よい疲労を感じながらテラスで例の癖のある飲み物を飲みながら外の景色を眺める。

この居留地の建物の道路を挟んだ反対側には花壇がいくつも設けられた憩いの場があり、そこではご近所の方々が井戸端会議などをしている様子も見受けられる。

ゲーム中にも感じていたことだが、やはりこの周辺は落ち着いていていい。

少しはなれたところには『憩いの広場』という広大な公園もあるし、家を探すならこの辺りではないだろうか。

すぐ近くに墓所があったり、この区画のクエストがアンデッド塗れだったりするのは見なかったことにする方向で……。


「体を動かした後とは違った心地良さだな。

 彼ら氏族の自慢のサービスというだけはある」


「この飲み物はちょっと癖がありますけど、飲んでると心地良い暖かさが沁みてきますね。

 お酒とは違うポカポカした感じです」


二人とも大満足のようで何よりだ。


「あのマッサージを受けると、翌日体が軽くてコントロールが利きやすくなるんだ。

 ソウジャーン号でやってもらったんだけど、確かに効果はあったよ」


普通に考えれば、命を掛ける戦闘を生業とし巨額の報酬を得る冒険者達に引く手数多だと思うんだが、このサービスは一般には知られていないらしい。

施術を受けるにはジョラスコ氏族とのコネが必要との事で、それを知って俺はコルソスでの数奇な縁に感謝するばかりである。


「それは明日が楽しみだな。

 トーリ、ぜひ一手お願いしたい」


いつものエレミアの組み手のお願いも、今は柔らかな表情で告げられておりまるでデートのお誘いのようだ。

世界の治癒ビジネスで圧倒的シェアを誇るジョラスコ氏族、恐るべし。


「明日は家探しをするんだけど、マッサージは無理にしても風呂は絶対に欲しいんだよね。

 このあたりは街並みも落ち着いてるし、空きがあれば嬉しいんだけど」


なので組み手はその後でね、とエレミアには告げておく。

風呂が無い場合はリフォームすればいいとは思うんだが排水の問題がある。

そこらじゅうに下水道があるとはいえ、適当な作りにするとウーズが浴槽に這い上がってくるとかが有り得ないとは言い切れないわけで。

物件選びは慎重に行わなければならないだろう。


「やはり家は必要だろうな。

 あの双子もいつまでも倉庫暮らしというわけにもいくまいし、拠点となる建物はあるに越したことは無い。

 宿屋よりは自分の拠点があった方が何かと便利だろう」


「そういうことなら一口乗りますよ~。

 皆で融通すれば結構いい物件でも買えると思いますし。

 ラピスちゃんも故郷を出てきたって言ってましたから、家を買うのは賛成してくれますよ」

 
むむ。別に金には問題は無いんだが、なんだか二人は乗り気である。

このまま行くと6人で暮らす物件が必要になる。それぞれに個室を宛がうとすると結構な大邸宅になりそうだ。

そのあたりについては実際明日物件を見て回らないことには決められないし、二人には保留ということで納得してもらった。



ジョラスコ氏族の居留地には提携している同じハーフリングの『ガランダ氏族』による宿屋が併設されていたため、今夜の宿をそこに決めた俺はさっそく上質な個室を取ることにした。

とはいえ部屋に風呂がついているようなことは無く、広めの部屋に丁寧な掃除が行き届いており、ベッドや机が質の良いものになっている程度だ。

風呂に入りたければ氏族の居留地のものを使ってよいとブロッサムは言っていたので、その言葉に甘えることにしよう。

習慣となっている《アラーム》をセットした後、マーケットに顔を出してから倉庫に向うことにした。

エレミアとメイは一足先に『気まぐれ海老亭』に行き、ラピスを拾ってから倉庫に向かうとの事。

彼女らはもう数日あの宿で過ごす予定らしい。

ジョラスコ氏族の居留地で長い時間を過ごしたためか、既に日は随分と傾いている。

だがストームリーチで最も騒がしい中央市場はそんなことにはお構い無しの賑やかさであった。

テントの周りには多くの屋台が立っており、様々な焼き物やスープなどが売られている。

また近くの酒造所から運ばれた樽からカーイェヴァという強いジンを周囲の客が酌み交わしあっており、酒の放つ甘ったるい匂いが離れた位置まで漂ってきている。

そういった屋台から果物や初見の料理などを買いながら先へ進み、テントの中へ進む。

天幕の中は想像以上に快適な空気に満ちていた。おそらくデニスの砦やジョラスコ氏族の居留地と同じく空調が働いているんだろう。

この熱帯地方に巨大なテント、さらにその中に大勢の人間が押しかけているとあれば大変なことになっていると思ったんだがそのあたりは考えられているようだ。

巨人時代の巨大なオブジェなのか、それ自体が一つの建物に相当する大きさを持つ石の台座の上に多くの商品を並べた商人達が道行く通行人らに売り込みを行っている。

段差のある台座の間は吊橋で結ばれており、一番高いところは20メートル以上の高さがありそうだ。

そんなところで秘術の巻物や秘薬、また低級ながらも魔法で強化された武器などが所狭しと陳列されている。

そういった商人の中から宝石商を見つけた俺は、早速商談へと入った。

今日分配した宝石以外にも、ブレスレットの中には宝石のみを収集する魔法のバッグ一杯に数々の宝石がつまっている。

昔ゲームで生産が導入されるという噂が流れた際に、その材料になるんじゃないかと思って集めた際の産物である。

結果生産の材料は別のものを使用したため無駄に終わったのだが、今となっては現金を得るのに手っ取り早い手段である。

無論現金は溢れるほどあるわけだが、いきなり銀行に大金を持ち込むのも面倒を招くかもしれないと思って間に1クッション噛ますことにしたのである。

いくつか手持ちの宝石を鑑定させたところで、商人は困ったように答えた。


「流石にこれだけの品となると、ここで現金ではお支払いできません。

 ローズマーチ銀行にご同行いただいても構いませんかな?」


宝石1個あたり数千枚の金貨が必要なのだ。普通に考えればそうなるだろう。


「ああ、無論現金では無理だというのは承知の上だよ。

 そんなに受け取ったら重さで潰れてしまうしね」


上手いことサディアスという宝石商人を誘導することに成功した俺は、クンダラク氏族の運営する銀行にて口座を開設することに成功したのだった。

サディアスに売った宝石の代金に加えて、金貨を5万枚ほど放り込んでおいた。

冒険者の求める高額な買い物だと武器1本で10万GPを越える事もある以上、これでもまだ足りないのだがそこは自重することにした。

まだこの程度の規模であれば怪しまれることは無い、と思いたい。

身につけている武器が1個10万GPを越えている身としては一般の通貨感覚がまださっぱりわからないのだ。

シンジケートのマネーロンダリングと思われなければいいのだが。

銀行のカードに相当する印章指輪と、1万GPまでの上限金額の設定されているクンダラク氏族の信用状…いわゆる小切手的なものを何枚か受け取ってローズマーチ銀行を後にした。

帰り道でも屋台を物色していくつか食料を買い込み、倉庫へと向う。

流石に色々な種類の品を買ったため、そろそろブレスレットの許容量が一杯になっている。

同じ種類の食料であればスタックするため1枠で済むのだが、つい種類を増やしてしまったのである。

倉庫で双子とカルノ率いる子供達、そして三人娘と一緒にそれらを平らげた頃には既に結構な時間になっていた。

ちなみに果物類はデザートではなく明日の昼間に食べる分として残してある。

朝の差し入れはするつもりだが、家の決定にどれだけ時間がかかるかわからないので多めに買ってきておいたのだ。


「と、いうことで明日は家探しです~」


パチパチー、と手を鳴らしながらメイがラピスに話し掛けている。


「ふぅん。まぁ僕はそれでいいけどね。

 二人は構わないの?」


コンテナの上に寝そべってるラピスは相変わらず気だるげに返事を返している。

今日はカルノは大人しくしている……というわけではなく、何やら別の場所でラピスから渡された棒切れを使って素振りをしている。

盗賊見習いから戦士見習いにジョブチェンジしたというところだろうか。

今はエレミアがそんな少年達を指導している。

とはいえ、木剣は子供が持つには結構な重さだ。正しい動作でゆっくり振り下ろすことを何回か繰り返すとすぐにへばってしまうようだ。


「エレミアちゃんも賛成してくれましたし。

 いい物件があればいいんですけど」


まあ宝石を換金したので手持ちには余裕がある。大邸宅でも2,3万GPあたりが相場のはずだし、なんとかなるはずだ。


「普通の家を探すつもりなら止めて置いたほうがいいよ。

 あの蠍の重さを考えると、並のつくりじゃ床が抜けちゃうだろうしね」


そのラピスの指摘を受けて、横に居た蠍を見やる。

鉄とアダマンティンで出来た立派な体躯。中型トラックくらいの重さはありそうだ。

確かに通常の人間などの中型生物を前提とした家では、床が耐えられまい。

木製は論外で、石造りの立派な建築物を探す必要があるだろう。


「ヴァルクーアの使いであれば、気にすることは無い。

 彼らは空を飛べない代わりに土の中を進む。岩の中でも大丈夫だぞ」


フィアがそんな蠍についての説明をしてくれた。おそらく穴掘り移動ができるんだろう。

とはいえ家の地下を穴掘り移動されては大変だ。

アースエレメンタルであればそれこそ地面に穴を残さず移動するんだが、まさかそんな真似はできないだろうし。

庭のようなスペースで暮らしてもらってもいいんだが、出入りのたびに大型生物が通り抜ける穴を掘られるのも困る。


「まあなんとか探してみよう。一軒くらいは希望に沿った物件が見つかるかもしれないし」


突然難易度が急上昇した家探しに、ちょっと挫けそうになる俺だった。



[12354] 2-6.インターミッション2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2009/12/16 18:53
「ありませんか」


「やはり、そういった条件となると難しいですね……。

 曰く付きの物件でしたら先程ご案内させていただいた通りなんですが」


翌日、ジェラルドの紹介してくれた案内人に条件を話したところやはり難しいようだ。

ちなみに曰く付きとは「有名な死霊術士が生前使用していた物件。現在アンデッドの群れが占拠中」とかいう癖のある物件である。

その弟子が相続しているのだが、建物のどこかにある書物3冊を持って来れば建物含めた他の権利については譲渡してくれるとか。

無論このクエストには覚えがあるが、ちょっとレベルの高いものだけに今の俺では手を出す気になれない。

1人で突撃しても敵の数が多すぎて大変だし、他のメンバーを連れて行くのは危険すぎる。

敵が使ってくる《クラウドキル》の呪文は毒に対する耐性装備が何かの拍子で外れたら俺は一瞬で即死、エレミア達も抵抗に失敗すれば即死だろう。

他にも「夜に異音が聞こえてきて今の住人が眠れないと売りに出した塔」等、突っ込みどころ満載な物件目白押しである。

話を聞いたところ魔法使いの操るゴーレムなどを街中に連れ歩くのは構わないらしいので、街中で鉄蠍を連れ歩くのは問題なさそうである。

ゴーレムの起こした問題には持ち主が全ての責を負う、とあるがそんな心配はしなくてもいいだろう。

しかしやはりあの大型蠍が出入りできる頑丈な物件、となると難しいようだ。

少なくとも、近代に入ってからここの住人向けに作成された建物では条件にそぐわない。

仕方ないのでここは発想を転換することにする。


「空いている土地に家を建てる場合、どういう手続きになるんです?」


家が無ければ自分で建てればいいじゃない、ということだ。

幸い昨日市場で建築に都合のいいマジックアイテムが陳列されているのを確認している。

あれが流れていなければ、手早く家を建てることができるはずだ。


「現在管理されている街区、となると無理でしょうね。

 外れであればテント村などもありますし、届けさえしていただければ構わないはずですが」


外壁の外などには結構畑などが作られており、そこで生活している人たちも居る。

とはいえこの間通ったセルリアン・ヒルあたりではオークが襲ってくることもあって既に放棄されてしまっているようだが。

その問題についてはいくつか考えがあるし、とりあえず「自分で建築」のセンで進めよう。

案内人と建築する土地について相談し、手続きを依頼した後に俺は市場で例のマジックアイテムを購入することにした。


「と、いうわけで家を建てることにした」


その日の夜。いつものように倉庫に集まっている面々に対して俺はそう宣言した。

エレミアとは組み手を行った後であり、それを見ていた少年少女は興奮覚めやらぬのか、倉庫の別の場所で先ほどの組み手を再現しようと木剣を振り回している。


「また唐突だね。

 条件にあった物件は無かったの?」


流石にラピスも自分が住む家の話題であれば興味があるようだ。


「条件が厳しかった。

 いくつか曰く付きの物件があったけど、皆もアンデッドの先住者を倒す必要があるような家は嫌じゃないかと思って。

 それに自分で建てるのであれば好きなように設計できるからな。

 何か希望があったら言ってくれ」


自分で建てるということは好きに作れるということだ。


「そうですね。部屋にはあまりこだわりはないですけど、書庫があると嬉しいです。

 自分の部屋以外に、スクロールを書いたりする作業にも使える部屋があると助かりますね」


まず意見が出たのはメイだ。

確かに、スクロールを書く以外にもマジックアイテムの作成などに使える部屋は必要だろう。


「私も部屋には特に言うべきことはないな。安全に起居できる空間であればそれでいい。

 鍛錬できる場が近くにあれば、家自体には特に求めるところは無い」


エレミアも部屋には意見が無いようだ。この世界だとあまり個室で自分の空間を持つという意識がないのかもしれない。

冒険者なんて全財産は装備類にして持ち歩いているようなものだしなぁ。


「僕も同じかな。そう荷物があるわけでもないし。むしろ建てる場所の方が気になるよ」


ラピスも同じか。んじゃ三人の部屋はビジネスホテルのシングルをイメージに作るとしよう。


「建てるのは街の壁のすぐ傍だ。

 街の北部、ジョラスコ氏族の居留地の近くに『憩いの庭園』という場所があるんだけど、そこから街を出てすぐのところになる」


ゲームでは最初期のレイドである「テンペスト・スパイン」のクエストへの出発点として利用されていた場所だ。

街壁の外といっても門で遮られているわけでもなく、市街に対するアクセスも良好だ。

一応下見は済ませておいたが、時折交易商人のキャラバンが通過する以外は静かで落ち着いたエリアである。


「ま、明日下見に行ってみようかな。

 いつから建築は始めるの?」


そう問いかけるラピスに対し、ニヤリと笑って答えてやる。


「明日着工して、すぐに終わらせるさ。

 皆も昼間のうちに家具を選んでおいたほうがいいぜ」


今日市場で購入した秘密道具があれば、一日で建てる事も不可能ではないはずだ。


「二人には悪いけどちょっと手伝って貰いたいんだ。

 明日はちょっと頼まれてくれないか」


ルーとフィアにはちょっとした手伝いを頼むことになる。

元気よく頷く二人を見て、俺は明日の大仕事に向けて英気を補充するのだった。













ゼンドリック漂流記

2-6.インターミッション2














翌日の朝。

俺たちは建築予定地に到着した。

周囲には巨人時代の彫刻や、折れたオベリスクなどが転がっている状態だ。


「ここかい?

 確かに位置は良さそうだけど、とてもこれから家を建てようって状態じゃないね」


ラピスが胡散臭げに言うのも判らなくはない。

俺も市場でたまたまこのアイテムを見つけなければ、そんなことをしようとは考えなかっただろう。

エレミアとメイは市場に寄ってから来るらしく、今はこの場に居ない。


「んじゃ早速始めるか。

 ルーは俺が疲れてきたらこのワンドを振ってくれ。

 使い方は判るよな?」


そういってルーに《レッサー・レストレーション/初級回復術》の込められたワンドを渡した。


「フィアは俺の手元の飲み物がなくなったら注いでくれ。

 食事は取らないけど、咽喉が渇くとつらいからな」


フィアの目の前には水の入ったポーション瓶をいくつか並べておく。


「任せておけ!

 他にも何か困ったことがあれば遠慮なく言うのだぞ」


「しっかりサポートする。

 がんばってね」


二人ともやる気満々なようだ。ルーもここ数日、カルノの一団と一緒に過ごしたせいか共通語が上手になってきている。

元々口数が多いほうではないが、時折交わす言葉に柔らかさが出てきた気がする。

そんな二人の応援を受けて、俺はそのあたりにあったすわりのいい石の上に腰掛け、ブレスレットから例のアイテムを取り出した。

『ライア・オヴ・ビルディング/建造物の竪琴』。

1時間奏でるだけで、100人の大工が1週間働いたのと同じ効果の建築が為されるという魔法の竪琴だ。

本来であれば演奏にはそれなりの技術が必要であり、そう長時間続けられるものではないがそこはチートでカバーできる。

『バード・クローク』というレイドユニークは、そういった演奏を行う"芸能"技能に対して非常に高い技量補正を加えてくれるアイテムだ。

技能を割り振っているとはいえ素人に毛が生えた程度の技術しかない俺も、この装備のおかげで超一流と言っていい技術を一時的に発揮できる。

技能に補正を行うタイプでは、ゲーム中でも最高の値を誇るユニークアイテムである。

これを装備している限り、俺は気力体力が続く限りこの竪琴での演奏を続けることが出来るのだ。

さっそくその外套を身に纏い、竪琴に触れるとどの弦にどのように触れればどのような音が出るかが勝手に伝わってきた。

頭の中でメロディーを流せば、動かすべき指の動きが頭に浮かぶ。

まるで一時期流行した音ゲーをやるような感覚で、触ったことも無い楽器を演奏することが出来るのだ。

未知の体験に、昔聴いていた様々なフレーズが脳裏をよぎって行く。

さあ、それではその音楽を思う存分再現しようじゃないか!

まずは土地を均すところからだ。頭の中にある設計図を目の前の地形に投影し、少しの余裕を見た空間を対象に意識して弦に指を伸ばす。

1本を揺らして発せられた音がその空間を撫でると、ほんの僅かだが地表で風に靡いている草花に変化があったように感じられる。

そのまま立て続けに弦を弾いて音を鳴らすと、目に見えて土地が整地されていった。

まるで何倍速ものスピードで再生される動画を見ているような気分だ。

演奏に加えてこの現象になんだか気分が楽しくなってきた。

この辺りの地盤は巨人の遺跡の上に堆積した地層からなっている。まずは杭打ちを行う必要があるだろう。

周囲に転がっていた巨大な石柱を敷地の四方に埋め、固い地盤まで届いたことを確認して細い鉄芯を捻り込むように何十本と打ち込む。

こういった建材なども自在に作り出すことが出来るとは、まさにファンタジー万歳だ。

杭打ちが終わったスペースには周囲の岩を砕いた砕石を敷き詰め、鉄筋を組んだベタ基礎の上からコンクリートを流し込む。

建物の重量が相当な物になるであろう事を考え、基礎工事はこれでもかというほど徹底的に行った。

この世界にあるかどうかは謎なSRC構造を採用することにし、ひたすら鉄とコンクリートを使って建築を進めていく。

鉄ではなくてアダマンティンを使用すれば物凄い強度になるのかもしれないが、流石に建材扱いにはならず生成できない様子。

また、演奏の出来次第で建築のペースも変わってくるようだ。

お気に入りの曲を会心の出来で演奏できたときなどは目に見えて作業の進捗が違う。

演奏の合間に片手が空く瞬間を利用して咽喉を潤しつつ、作業用BGMの演奏からお気に入りのメドレーへと曲をシフトさせることにした。

既に太陽は中天を過ぎている。朝から既に6時間ほどはぶっ通しで作業している計算になるが、まだ疲れる気配は無い。


「ルー、フィア。

 まだ俺は大丈夫だから休憩してていいぞ。

 メイたちが来たら替わってもらえばいいから」


演奏を続けながら二人に休憩を勧める。よく考えればドラウの二人にはこの炎天下での作業は辛いものがあるだろう。

ゼンドリックのドラウにも眩しい光が苦手という特徴はあるはず。

このペースだと夜までかかりそうだし、二人には今のうちに休んでおいて貰った方が良さそうだ。


「ん。ちゃんと交代でお世話する。大丈夫」


「我らのことは気にしないでいいぞ。今は休憩するよりもトーリの演奏を聴いていたいのだ」


なるほど。そんなことを言われては気合も入ろうというものだ。

流石は世界に名だたる神曲だ。世界と種族を超えても聴衆の心を掴んでいるらしい。

建築はついに骨格となる柱・梁などの骨組が鉄骨で組み上がったところだ。ここから鉄筋コンクリートを被せていくことになる。

ちなみに工法などについては"知識:建築術および工学"技能によるサポートで、強度計算も直観的に把握できている。チート万歳だ。

なにせ家の中を中型トラックが動き回るようなものなのだ。どれだけ慎重になっても構わないだろう。

次に床部分を組み上げる。大浴場だけじゃなく各部屋に洗面台とシャワーを取り付けるための水道の配管も設置していく。

温水以外の水は、最上階に設置予定の貯水槽から供給する予定だ。

圧力ポンプとかは流石に作れないだろうし、蛇口を捻れば水が出るようにするには重力の力を借りることになる。

水源はソウジャーン号でも使用していた"デカンター・オブ・エンドレス・ウォーター"からの常時放出でまかなう。

貯水槽から溢れた分は、邸内を通過して中庭にある池を通り、コロヌー川へと排水される予定である。

浴場に設置する温水供給用に特殊加工された"デカンター"からの水は、トイレなどと一緒に下水に排水する予定だ。

目一杯に空き地を使用したため、敷地は横50メートル、奥行き40メートルと馬鹿みたいな広さである。

半分程度は庭だが、その周囲を3メートル程度の高さの柱を一定間隔で立てることで取り囲んでいる。

日本人感覚からすれば広すぎる気もするが、大型サイズの客が来ることも想定しての間取りなのでこんなものではないだろうか。

ちなみに浪漫であるところの地下室も設置済みである。

こっそり掘り進めて非常時の脱出路にするつもりではあるが、今のところはそこまで完成させる余裕は無い。

この竪琴の建築の能力は一旦奏でるのを止めると一週間使用できないというペナルティがある。脱出路の作成はまた次回でいいだろう。

空腹を堪えつつ、今は建物の建築に集中する。

そのうち日が沈んで月の光が増し、日付も変わろうかという時刻になってようやく家は完成した。所要時間は15時間くらいだろうか。

さすがに8時間を越えた辺りで疲労を感じ始め、毎時間ルーにワンドを使ってもらっての強行作業となった。

適当な家であれば昼過ぎには完成させられただろうが、凝りに凝った結果がこの長時間演奏である。

ちょっとした砦くらいのコストが掛かったのではないだろうか。我ながら会心の出来栄えだ。


「トーリ様! 凄かったです!」


演奏を終えて立ち上がった俺目掛け、誰かが飛び込んできた。

咄嗟に身を翻して迎撃しそうになるが、その姿を目にして慌てて手を止める。そのせいで彼女の突進を回避できず受け止めることになってしまった。


「私、感動しました!

 以前カヴァラッシュで聴いたどんな演奏よりも素晴らしかったです!」


飛びついてきたのはソウジャーン号を降りて以来、久しぶりの再会となるレダだ。

ふと彼女のやってきた方向を見ると、市街の『憩いの広場』は夜だというのに大勢の群集で埋め尽くされていた。

そして近くに寄ろうとしている群集をラピスやエレミアが牽制している。

どうやらレダはあの二人の防衛ラインを鍛えた"軽業"技能で突破してきたようだ。


「レダ! 久しぶりだね。

 どうしてこんなところに?」


抱きついてきたレダをあやしながら疑問を尋ねてみる。

確かにソウジャーン号はまだ埠頭に停泊していたが、こんな時間に出歩くようなことはないと思ったのだ。


「昼ごろから、『憩いの広場』で聴いたこともない旋律の演奏が聴けるって噂が聞こえてきまして。

 それで船のクルーの何人かが代表で偵察に来たんですよ。

 そしたらトーリ様が噂の演奏者だなんて!」


よく見ると、人ごみの最前列にはリナールを初めとしたソウジャーン号のクルー達がいた。

準備がいい事に折りたたみチェアに腰掛けて俺の演奏を聴いていたようだ。

こちらが気付いたのを察してか、リナールはチェアから立ち上がるとこちらに近づいてきた。

エレミア達も顔見知りのリナールを止める様な事はしない。

レダも流石に上司が来たとあって抱きつくのを止めたが、今度は俺の横で腕を組むようにしている。


「やあトーリ。

 とても素晴らしい演奏だったよ!

 商売柄、最高峰の演奏にも触れているつもりだったが今夜は芸術のさらなる可能性を思い知ったよ。

 圧倒的な技量に、時に繊細で時には大胆な表現。

 1人の演奏者から発されたとは思えない多様なメッセージ性に、私の今までもっていた常識は粉々にされた。

 今夜の出来事は、例えドルラーに行ったとしても忘れることは無いだろう!」


しまった。どうやら演奏が失敗しないように万全を期したつもりが過剰だったようだ。

難易度20で名人芸、25で名演、30で歴史的名演といわれる世界観でサイコロを振る前から30越えている演奏を延々とブチかましてしまったのだ。

建築のためにずっと演奏していたんだから、街外れとはいえ聴きとめる人がいて当たり前だ。

そのうちに噂話が人を呼び、この有様というわけだな。

幾人かは演奏が終了したことで去っていくようだが、多くの群集はまだ余韻に浸っているのかその場を動こうとしない。


「君が例のドラゴンをどうやって抑えていたのかを私はずっと悩んでいたんだが、どうやらこれが答えというわけかな?

 いかに長い年月を経た竜といえども、これほどの演奏を前にしては心を奪われたに違いない。

 おかげで私も、コルソス村の脚本にさらなるインスピレーションが得られたよ」


誤解しているのか?

ゼアドとの一件はまだリナールの耳にはいっていないのか、それともその上でこう言っているのか判断できない。


「命がけの商売なんでね。引き出しは色々と用意しているつもりだよ」


とりあえず差し当たりの無い返事でお茶を濁すことにする。

まだまだこの辺りの駆け引きは未熟で、その筋の一流相手に勝負しようという気にはなれない。

今は演奏重視の装備でその手のブーストが効いていないというのもあるのだが。


「それよりリナール、ちょうどお願いしたいことがあったんだ。

 演奏へのチップ代わりに頼まれちゃくれないか」


過ぎたことは仕方ない。せっかくここにリナールが居るのだから、彼を有効に利用させてもらうことにしよう。


「私に出来ることであれば何でも言ってくれ給え。

 素晴らしい時間を与えてくれたお礼だ」


神妙な顔で頷くリナール。だがそんな大それた事をお願いするつもりではない。


「ああ、ちょっと腕のいい職人を紹介してもらおうと思ってね。

 見ての通り箱は出来たんだが、中身がさっぱりでね。

 家具やら何やら、色々と揃えたいのさ」


できればソウジャーン号に備えられていた、水温調節の出来る"デカンター"がいくつか欲しい。

他にも普通の家具やら何やら、そろえなきゃいけないものは沢山ある。


「お安い御用だ!

 チュラーニ氏族の名誉に賭けて、一流の職人を紹介させてもらうよ。

 君の演奏の腕前には及ばないかもしれないが、我らは造形においてはエベロン一を自負している。

 きっと君の期待にも応えられるだろう」


彼としては願ったり叶ったりであろう。一も二もなく承諾してくれた。


「後、あそこのお客さんたちに今日はもうお開きだって伝えてくれ。

 出来れば役人連中にも誤解が無いように説明しておいてくれると助かるな。

 まさかこんな大事になるとは思っても無かったんでね」


このくらい要求してもバチは当たらないだろう。

案の定リナールは上機嫌のまま頷くと、『憩いの広場』に向けて歩いていった。

船長の前は演劇団の座長なども務めていたというし、普段から人の上に立っている彼のことだ。きっと上手に纏めてくれるだろう。

去り際に奏者として勧誘されたが、それについては軽く断らせていただいた。

確かにこの世界で生きていくならそれも選択肢の一つかも知れないが、今の俺に必要なのは命を削ったやり取りの先にある冒険者としての経験なのだ。


「トーリ様……」


さて、リナールは立ち去ってレダが残された。彼女は何やら潤んだ目でこちらを見つめている。


「さ、レダも今日はもうお帰り。

 随分と遅い時間になってしまったからね」


「久しぶりにトーリ様にお会いできましたのに。

 長時間の演奏でお疲れでしょうし、今晩はソウジャーン号へいらっしゃっては如何ですか?

 ジョラスコ氏族のスタッフもまだ残っておりますし、皆トーリ様に会いたがっていますよ」


そういってレダは腕を引いてきた。

確かにその提案は魅力的だが、この状態でソウジャーン号に行っては前回以上の大騒ぎになりかねない。


「すまないね。まだ色々と家の準備でしなきゃいけないことも多いんだ。

 非番のときにでも顔を出してくれれば歓迎するよ。何せ訪ねてくる知り合いも殆どいないからね」


どの程度の割合で冒険に出るか判らないので、運が悪いと入れ違いなんてこともあるだろうけど。

そんな遣り取りをしていると向こうの方からソウジャーン号の他のクルー達がやってくるのが視界に入った。

リナールがうまくやってくれたようで、集まっていた群衆も徐々に解散し始めているようだ。


「約束ですよ。

 それじゃあ名残惜しいですけど、トーリ様……」


そういってレダはサッと顔を寄せると、軽く啄ばむ様なキスをしてから距離を取った。

そしてこちらに近寄って来ていた他のクルーたちを捕まえるとそのまま離れていく。


「ちょっとー、チーフだけずるいんじゃない?

 私もトーリ様とお話しーたーいー」


「「そーだそーだ、横暴だぞチーフ!」」


まるで三つ子のように見える彼女らはプールを担当していたエルフのスタッフ達だ。

確かレア、ディオネ、ティティスだったと思う。三人とも淡いブロンドをセミロングにしており、健康的な印象を受ける容姿をしている。

彼女達も不平を言ったりこちらに手を振ったりしていたが、そのままレダに連れられて『憩いの広場』を抜け市街へと立ち去っていった。

おそらくチュラーニ氏族の居留地か、ソウジャーン号へと帰るのだろう。


「いまのエルフ、トーリには及ばぬものの中々の身のこなしだな。

 あれもお主の群れの一員か?」


一部始終を横で見ていたフィアがそんなことを言ってくる。

"群れ"という言葉にどんな意味があるのか不明だが、とりあえず首を横に振っておく。


「この街に来たときに乗ってた船のクルーさ。

 仲良くしてもらってるけど、仲間ってわけじゃないな。友達ってところか」


言葉にするには微妙な距離感である。


「強い輝きの星の元には、他の輝きも惹かれて集まるもの。

 自信を持っていい」


ルーの発言もどう捉えていいものか。この双子、微妙に常識からずれている所があるんだよな。

まぁ俺もこのエベロン的常識からは遠いんだろうけど。

そんなやり取りをしている間に、少し離れたところに居たエレミア達がこちらにやってきた。


「見事な演奏だったな、トーリ。

 我らエルフの芸術に掛ける情熱はエベロンでも高いものだと思っているが、今ほどの演奏がこなせる奏者はいないだろう」


エレミアの言葉にやはりか、と落ち込んでしまう俺。

また無駄に目立ってしまったようだ。余計なトラブルが起こらなきゃいいんだが……。


「トーリさん、お疲れ様です~

 演奏しっぱなしでお腹すいてませんか?

 聴いたことがない曲ばっかりでしたけど、トーリさんのオリジナルなんですか?」


どうやら広場には屋台も出ていたらしい。メイが焼きたての串を何本か載せた皿を持ってきてくれた。

朝から何も食べていなかっただけに有難い。演奏しながらでは水分補給が精々で、食べるなんて事は流石に出来なかったのだ。


「昔聴いたことがある曲を適当に並べただけなんだけどね。

 子供の頃なんで実際に聴いたのとは違ってるかもしれないけど、オリジナルってわけじゃない」


そういえば寝ながら聴いていたはずのミュージックプレイヤーはこの世界には来てないな。

あれらの音楽を聴きたければ、こうやって自分で演奏するしかないというのはちょっと残念なところだ。

自分ひとりじゃメロディーラインしか奏でられないし、女性ボーカルの歌とかは再現しようが無い。

暇があったら楽譜を書き写してリナールあたりに渡せばそのうち再現してくれそうではあるが。


「さっきの連中はソウジャーン号の船長だっけ?

 どうやら上手いこと観客を散らしてくれたみたいだよ」


メイから受け取った串をパクついていると、リナールの後を追っていったラピスが戻ってきた。


「でも良かったのかい?

 あいつチュラーニだろ。氏族所属のアーティストって勘違いされちゃうんじゃないか?」

 
ラピスの懸念も尤もだ。確かに少しは関わりがあると思われるのは仕方ない。

でもそれはソウジャーン号でストームリーチに乗りつけた時点で疑われる部分であるし、逆にこちらを調べるような組織であればチュラーニ氏族からの仕事を受けている訳でもない事はわかるだろう。

フィアラン氏族からの何らかの接触が今後あるかもしれないが、それはその時に考えることにしよう。


「まだ駆け出しだしな。

 冒険者としての名前はこれから売っていけばいいさ」


奏者として呼ばれるようなことがあるかもしれないが、魔法のアイテムのパワーなので頻繁には行えないとか言って断ればいい。

『バード・クローク』は3キャラが持っていたので、予備もあるのでいざとなったら売却してもいいわけだし。

考え事をしながら、ブレスレットに仕舞っていたいくつかの食べ物を追加で食べてようやく一心地ついた。


「とりあえずややこしい話は後にして、家に入ろう。

 中の造りを紹介するよ」


中央からやや左側に寄ったところに設けた門をくぐって敷地内に入る。

こうしてみると、今の時点では飾り付けが一切されていない無骨な建物に見える。

エレミアは建材を叩いたりして固さなどを測っているようだ。ラピスは庭が気になるようで、建物の外周を回って移動していった。

とりあえずあの二人は放っておいて中に入ることにする。

メイと鉄蠍に乗った二人を連れて進む。玄関も廊下も、大型クリーチャーが無理なく移動できる幅を持たせてある。

とりあえず今晩のうちに、各人の部屋を決めてもらうのが良さそうだ。


「1Fには応接間と食堂、大浴場と個室が4つ。

 そこに見える階段を登った2Fには俺の部屋と個室を6つ、あとは作業やら倉庫に使えるスペースを用意したから。

 好きな個室を自分の部屋にしてくれ」


俺の部屋だけ個室の倍のスペースがあるが、それは俺専用の風呂場やトイレを設置したりしたせいである。

すべての個室にはシャワーと洗面所を設置したが、昨日の様子からいくとエレミアやメイは入浴のために大浴場を使用することが多くなりそうである。

そこでの鉢合わせを避けるため、俺の部屋にはマイ風呂を設置したのだ!

……半分くらいは建前で、残りの本音はソウジャーン号での贅沢な暮らしを思い出してあの船室を再現しようと間取りを考えたせいなのだが。
 
余った個室は客室なりにするつもりだ。侵入してきた盗人を懲らしめる罠部屋なんかもいいかもしれないが。


「家の中にお風呂を作ったんですか?

 それは楽しみですね~」


やはりメイが食いついてきた。


「今日はまだお湯が用意できないから、水風呂になっちゃうけどな。

 シャワーでよければ各部屋で浴びれるようにしてあるから。あとトイレは各階に3つずつだ」


水を供給するための"デカンター"は市場で購入したのを建築の際にセット済みだ。

熱帯地方だけあって、とりあえずは水のシャワーでも十分だろう。

その気になれば呪文なりでお湯を沸かすことも出来るかもしれないが。そのうちこのあたりは実験していくことにしよう。

頑張ればそのうち野宿の際にも風呂が楽しめるかもしれない。

間取りの説明をしながら階段を登っていく。

踊り場で足を止めて後ろを見たが、双子達も問題なく追いかけてきている。どうやらあの蠍が中を歩き回っても問題ないようで一安心だ。


「正面のこの扉の向こうが雑部屋だ。書庫にするなり、作業場にするなり好きに使ってくれ。

 ここから右手に俺の部屋と個室2つ。左手に個室4つだ。部屋によってはバルコニーで繋がってるぞ」


部屋の間取りを説明するために、俺の部屋の向かいにある個室に入る。

ドアを開けて右手にはシャワールーム。その奥にはクローゼットになる収納スペースがあり、奥行きは6メートルほどか。

横幅はもう少し広く、7メートル半といったところだ。

左手奥にはバルコニーに続く窓が見える。


「石の中で暮らすというのは少々慣れないが、ここからであれば星の輝きも見えるのだな」


確かに倉庫では碌な窓が無かったから外の景色は見えなかっただろうな。

この部屋はバルコニーに通じるもの以外にも窓がいくつか設けられている。

野外暮らしの長い二人には、2Fの部屋の方が良さそうだな。

1Fの部屋からは壁やらが邪魔で星空を見るのは難しかったり、そもそも窓が無い部屋とかもあるくらいだ。


「それじゃここの部屋にするか?」


聞いてみたところ、フィアだけでなくルーも首を縦に振った。蠍も尻尾を縦に揺らして賛成してくれているように見える。


「じゃ、私はこの隣の部屋にしようかな。

 作業場に近いのは便利ですもんね」


そういってメイはこの部屋を出て行く。隣の部屋は2Fで唯一バルコニーに接していない部屋だ。

天窓が取り付けられているが、建物の中央にあるため側壁には窓が無い。

誰も選ばないのであれば罠部屋なり倉庫代わりにしようと思っていたが、メイが使うのであればそれでもいいだろう。

二人と一匹を連れてバルコニーへ出ると、庭を歩いているラピスの姿が見えた。

こちらを確認した彼女は、勢いをつけて助走するとそのままの勢いで壁を蹴りながらこちらまで駆け上がってきた!

バルコニーの手すりに手を引っ掛けると、トン、という音と共に着地した。


「このバルコニー、いくつかの部屋に繋がってるのか。

 賊が侵入してくるかもしれないし、何かの備えはしといたほうがいいんじゃない?」


一応、6メートルほどの高さはあるのだが確かに彼女の言うことも最もではある。

敷地に侵入してきた時点で《アラーム》が教えてくれるが、侵入を察知するだけで撃退できるわけではない。

扉などは《アーケイン・ロック》で施錠するにしても、他の対策も考えておいた方がいいな。

そんなことを考えているうちに、廊下側の扉からエレミアも入ってきた。


「立派な造りの建物だな。壁の硬度も中々のものだ。

 我々だけで使うには広すぎるぐらいだ」


確かに少々調子に乗って大きくし過ぎたかもしれない。まぁそのうち有効利用については考えるとしよう。


「二人とも、好きな個室を選んでくれればいいから。

 そこのバルコニーから先は俺の部屋で、こっちがルーとフィア。階段の隣の部屋はメイが使うみたいだよ」


二人は少し逡巡した後で、このバルコニーから繋がっている別の二部屋を選んで入っていった。

とりあえずこれで全員の部屋が決まったようだし、今日はシャワーを浴びて寝るとしよう。

今晩はいつもの寝袋だが、そのうち良くスプリングの効いたベッドなんかも買いたい。

リナールの紹介してくれる職人に注文してみることにしよう。

風呂も檜風呂みたいに、ソアウッドなんかの木で造れないか試してみたい。今から色々と楽しみである。

寝室(予定)の部屋に寝袋を広げ、ようやく手にした自宅の飾り付けに思いを馳せながら眠りについた。



次の日。

起き出して来たメンバーを集めて1Fの食堂で食事を済ませた後、各部屋に散らばっていく皆を見送って俺は家の外に出た。

目的地は『憩いの広場』、その地下にある『デッド・ホール』と呼ばれる墓所である。

この打ち捨てられた墓所では怖ろしいことに定期的に死体がアンデッドとなって蘇り、獲物を求めて街を徘徊しているのである。

運の悪い被害者がそういったアンデッドによってこの墓所に引きずり込まれ、さらなるアンデッドへと姿を変えるという負のスパイラル。

先日ジョラスコ氏族の居留地に宿泊した際に、同じ宿に泊まっていたヘスタールという女性から話を聞いていたのだ。

彼女はこのジョラスコ氏族の居留地に来たが経済的な理由から治療を受けられなかった弱者に癒しの手を差し伸べていたソヴリン・ホストのクレリックだ。

そんな彼女の患者達のうち何人かが姿を消し、原因を探っていたところこの墓所に行き当たったのだ。

家から歩いて3分の距離に、そんなアンデッドの湧くスポットがあるなんて事態は見過ごしておけない。

綺麗な草花が並んでいる庭園部分を通り抜け、その地下部分である空間に潜り込む。

名前のわからない背の高い草が生い茂るその影に、打ち捨てられた墓所への入り口が隠されている。

入り口は封鎖しようとしたのか鉄製の柵で塞がれているが、その支柱は折れ曲がっており、まるで内部からの力で押し破られたかのようである。

周囲は微かに太陽の光で照らされているものの、その明かりさえ封じられた墓所の暗闇を演出するための材料にしか見えない。

既に役目を果たしていない柵を通り抜け、地下に向けて緩やかにカーブを描きながら下っていく通路を進む。

通路は徐々に広がっていき、やがて幅10メートルほどまで広がった。

その通路の両側には石棺が立ち並んでおり、忘れ去られた墓所に葬られた遺体を閉じ込めている。

30メートルほど奥には行き止まりがあり、石棺と石棺の間には個人の記録を収めたと思われる書架が置かれている。

だがどれだけの年をこの湿っぽい地下で過ごしたのか、それらの本は既に取り出しただけで崩れ去ってしまいそうな腐敗具合だ。

通路の奥まで足を進めると、コルソス島の地下墓所で感じたのと同じ不浄のオーラが、どこからか漏れ出しているのを感じる。

耐性のない人間であれば、すぐにこの場から逃げ出してしまいそうな絶望感。

どこからか吹きぬけていく風が壁の石を擦る音が、何故か自分の名前を呼んでいるように聞こえる。

行き止まりの壁には、長年手入れされていないために殆どその用を為さなくなった鏡が飾られていた。

汚れのせいかこの場に満ちる不浄のオーラの成せる技か、その鏡に映った自分の顔の、頬の肉が腐り落ちたかのように見えた。

ギョっとして立ち止まった瞬間、冷たい石を擦るような音と共に壁の一部がスライドし、隠された空間からワイトが飛び出してきた!


「命あるものよ! 息をすることも無く、音を聞くこともなく、物を見ることも無いようにしてくれるわ!」


ただの死体ではなく、鎧を着込んだ死者の兵士だ。

両腕をも足のように使い、四つん這いの姿勢からは考えられない異様なスピードでこちらに近づいてくる。

初見であればその動きに惑わされたかもしれない。だが、俺は生憎コルソスでワイト・プリーストとなったジャコビーと戦った経験がある。

低い体勢から伸び上がるように放たれた爪の一撃を回避し、上段から勢い良くシミターを斬り下ろす。

微かな燐光の残像を残してワイトに吸い込まれた刃から、その死者の体を焼き滅ぼす強力な光と炎の爆発が生み出される。

体を左右に両断した切断痕から発した炎は、その死者の体を一片残さず焼き尽くすと消え去った。

だがそのワイトの発した言葉にならない断末魔の叫びに応えてか、通路の左右に並んでいた石棺の蓋が重い音と共に砕け散り、それぞれの棺から生者を憎むアンデッドたちが姿を現した。

ある遺体は弓を、ある遺体は剣を、またある遺体は杖を持っている。

ここに埋葬された海賊の先祖達だろうか。10体を越えるスケルトンは、その手に構えた獲物をこちらに向けて攻撃の意志を示している。

また彼らの犠牲となった街の住人だろうか。棺にも入れられず、地中に埋められて未だ肉のついたままの遺体が地面を掘り起こして立ち上がってきた。


「お前も俺を殺した連中の一味か!」


腐った咽喉を震わせて、ゾンビたちもこちらにゆっくりと近づいてくる。

背後に壁を背負っているとはいえ、通路の幅が広いこともあってこのまま押し包まれてはジリ貧だ。

ここは出し惜しみせずに、シミターに込められた呪文の効果を使用することにする。

グリーンスティールの刀身に秘められた力を意識し、敵の軍勢の中心目掛けてシミターを振り下ろす。

狙った地点から、音も無く炸裂した焼け付くような熱と輝きを持った光球が敵軍を飲み干した。

範囲内のクリーチャー、特にアンデッドに効果的なダメージを与える《サンバースト/陽光爆発》の呪文だ。

強力な紫外線を発してスライム系のクリーチャーにも効果的な呪文だが、幸い建造物に与えるダメージは大して無いという呪文であり、今日のようなシチュエーションでは便利に使うことが出来る。

頑丈さがウリの連中も、天敵たる太陽光に焼かれては一たまりも無かったのか既に跡形も無い。

このあたりの敵は無事一掃出来たようだ。先ほどワイトが飛び出してきた隠し部屋を探り、そこにあったレバーを操作すると突き当たりの壁がスライドしてさらなる奥へと続く空間が現れた。

部屋の中央には水で満たされた池のようなスペースがあり、その真ん中には人骨、特に頭蓋骨が積み上げられた不気味なオブジェが立っている。

頭蓋骨に触れるか触れないかといったあたりには天井から巨大なランタンが吊られており、部屋全体を不気味な灯りで照らしている。

この部屋にも4つの石棺があり、俺がその広間に足を踏み入れるや否や、蓋を破壊して亡者達が襲い掛かってきた。

幸い連携を一切考慮しない単なる突進だけを繰り返す連中だったおかげで、こちらから距離を詰めて接敵までの時間差を作り出すことで容易に各個撃破できた。

シミターの切れ味もさることながら、付与されている魔法の効果がアンデッド達には効果覿面なのだ。

敵襲を撃退したことで再び奥への通路が開かれ、そこにいたスケルトンたちも走りよって滅却した。

通路の先にあった階段を上がった所には石棺で埋められた通路があり、その奥には何やら妖しい雰囲気の祭壇と、壁には見覚えの無い聖印が描かれている。

この場にはおそらくこの惨状を作り出したのであろうスペクターが存在したが、陽光を弱点とするアンデッドだけに《サンバースト》の呪文で一瞬で破壊された。

相性の問題もあるだろうが、やはり余程の物量で押されない限り余裕を持って切り抜けられそうである。

祭壇を破壊して禍根は断ったし、この墓所に居たアンデッドも全て葬った。クエストは無事完遂したと見ていいだろう。

オージルシークスやゼアドのような規格外と事あるごとに対峙する羽目になっていたため自信を失いかけていたのだが、このクエストで少し自信を取り戻せた。

後は宿でここのアンデッドについて悩んでいたクレリックに報告しておくとしよう。

クレリックとして高いレベルを得ていれば遺体がアンデッドにならぬよう《ハロウ/清浄の地》の呪文を使用することが出来るのだが、生憎信仰呪文には縁が無い身だ。

それについてはこの街の寺院に任せることにしよう。





探索した墓所が狭かったこともあり、報告を終えて家に戻ってきたのは昼前だった。

何やら騒がしいと思って庭を見ると、溢れた水を一時的に貯めて置くために作った池でフィアが泳いでいるのが見えた。

ルーは足だけを池に入れて涼んでいる様子。もうすっかりこの家に馴染んでしまっているようだ。

その後は家で過ごしていたところ、リナールが早速職人を連れて来たのに対応したりしているうちに夕方になった。

厨房もまだ水が流れるだけで、調理に必要な小道具類が揃っていないためこの家ではまだ料理が出来ない。

また屋台にでも買出しにいくかと腰を上げたところ、再び玄関の釣鐘が鳴らされた。


「またトーリの客かい?

 初日から忙しいことだね」


リナールのつれてきた職人と相性が悪かったのか、ラピスはご機嫌斜めである。

ソウジャーン号の建設にも関わったというエルフの師弟が来たんだが、それからどうにもピリピリしっぱなしなのだ。

後で何かフォローしておいたほうがいいかもしれない。


「とりあえず誰だか見てくるよ。

 日も落ちそうな時間だし、外で待たせておくわけにも行かないしね」


リビング代わりになっている食堂から玄関に向った。

外に出ると、庭の辺りで来客を警戒している鉄蠍の姿が見える。

どうやら彼はここを自分の縄張りとして認めたようで、警戒役を買って出てくれたのだ。

知性もあるし、無闇矢鱈に襲い掛かったりしない分別もあるので頼りになるガードである。

薄暗がりに溶け込むアダマンティンの黒い肌は、夜中の警戒にも打ってつけである。

入り口の前には、微かに見覚えのあるシティ・ガードがいた。

給水施設から出た際に、エレミア達と一緒にいた衛兵だ。

今日はオフなのか、以前会ったときのようにガードの装備はしていない。

彼は俺を確認すると、少し慌てたような口振りで話し出した。


「トーリ、といったか。

 先日会ったシティ・ガードのテンバーだ。

 お前が助けてくれた私の従兄弟達が、勇敢な冒険者達に頼みごとがあるといっている。

 話を聞いてもらえないだろうか」



[12354] 2-7.イントロダクション
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/01/31 22:05
ガード・テンバーを応接間へと招きいれ、話を聞くことにした。

部屋には注文した家具が届くまでの間に合わせで購入した、不揃いなテーブルと椅子が並んでいる。

先日彼から直接依頼を受けていたエレミアも、俺の横で椅子に座りテンバーの話を聞く姿勢だ。

どうやらこの間コボルドの拷問室から助け出した彼の従兄弟、ヴェン・アル・ケランが先日ついに意識を取り戻したらしい。

衰弱の激しい彼は、ジョラスコ氏族の居留地で療養していたとの事。

確かに傷こそ塞いで置いたものの、残虐なトンネルワームに散々痛めつけられたのだ。

無事意識を取り戻したと聞いて安心した。ゲームのクエスト中では、彼は遺体として発見される役割だったのである。

つまり、これはゲーム中で犠牲となっていたNPC達も展開次第では救うことが出来るということだ。

自分の知識が使えないシーンがあったとしても、そのおかげで助かる人がいるのであればそれは喜ばしいことだろう。


「ヴェンとアーロスの2人はこの街の地下だけでなく、ゼンドリックの密林にも冒険に出かけていた。

 彼らは小さい頃から冒険者に憧れていてね。危険を顧みずに様々な場所へ出かけていく二人にはいつも冷や冷やさせられたものさ。

 だが2人のパーティーは、何か大きな獲物、真のパワーを持ったアーティファクトの手がかりをつかんだんだ。

 彼らはゼンドリックの未開地に足を進め、そのアーティファクトを持ち帰った。

 そしてその帰りに、あの忌々しいコボルド共の襲撃を受けたのだ」


テンバーは無骨なテーブルに視線を落としながら、無念そうに話を続けた。


「最初に、馬車に乗せたアーティファクトを守ろうとしたヴェンがトンネルワームに囚われた。

 そこから逃げ出したアーロスも、この街の近くでナッシュトゥースの手に落ちた。

 2人についていた傭兵どもは逃げ帰るばかりで、全くなんの役にも立たなかった!

 従兄弟達がコッパー共に囚われたことを私に伝えただけだ。

 だがそのおかげで、君達に2人を助け出すよう依頼できたことは幸運だったと言えるのかも知れない」


よほど腹立たしかったのだろう、テンバーの声は彼らが助かった今もまだ怒りに震えていた。


「私達もあそこにいたコボルドには用があった。

 互いの都合が重なった運の良いタイミングだったのだろう。

 従兄弟殿たちがソヴリンの神々に見捨てられていなかったということだ」

 
エレミアがチラリとこちらに視線をやってからテンバーに話しかけた。

そのうち受けるつもりだったクエストではあったが、予期せぬ展開で関わることになったことは確かだ。

確かにヴェンの命運がまだ尽きていなかったということなんだろう。


「まぁ、これに懲りて2人が大人しくなることを期待しているよ。

 アーロスはまだ衛兵隊に入れる年齢にも達していない。

 コボルドのシチューにされかかったことで、自分達の実力を知っただろう」


一旦怒りを吐き出して落ち着いたのか、テンバーは椅子の背もたれに体を預け呟いた。

確かに俺があんな拷問されるようなことがあったら、二度と冒険に出ようとは思わないだろう。


「そのヴェン氏からの依頼ということだが、どういった内容なんです?」


テンバーの話は、ゲームとは異なっている部分などを知る上では興味深いところではあったが流石に脱線が過ぎる。

ここらで本題に入ってもらうことにしよう。


「ああ。ヴェンの依頼は彼らがゼンドリックの密林から持ち出したアーティファクトの捜索だ。

 『シャン・ト・コーの印璽』という太古の遺物だと聞いている」


テンバーは重々しくそのアーティファクトの名を挙げ、話を続けた。


「トンネルワーム達は、ヴェンからそれを奪った後にどこかに売り飛ばしたらしい。

 だが、ヴェンは密林のドラウたちからそのアーティファクトを破壊するという約束の下に譲り受けたのだ。

 以降、通関を強化しているが未だそのアーティファクトが持ち出された形跡は無い。

 そのアーティファクトがゼンドリックにあるうちに取り返して欲しいのだ」


これも、ゲームとは少々異なる導入になっているようだ。

ヴェンが生存していることから当然といえば当然なんだが、つまりこのクエストはゲームでの知識が当てにならないものだと今までの経験から判断できる。


「なかなか難しい話だ。

 無論、引き受けることに吝かではないが……報酬について伺っても宜しいか?」


またゼアドみたいな連中とやりあうことになるかもしれない。一応報酬についての話を詰めておくべきだろう。

俺の質問に対して、テンバーは懐から袋を取り出してテーブルの上に置いた。


「これは従兄弟達が密林での今までの探索で得てきたものだ。

 成功の暁にはこの倍の数を君達に報酬として渡すとヴェンは言っている。

 確認してくれたまえ」


袋の紐を緩め、中身をテーブルに出した。転がり出てきたのはルビーと見紛う紅の宝石"シベイ・ドラゴンシャード"だ。

その大部分はフラグメント…砕かれた細かい破片だが、俺のレベルアップに必要なサイズのシャードもぱっと見て3つほど含まれている。

確かにゼンドリックの奥地から帰還した探検隊は時に両手に抱えるほどのドラゴンシャードを持ち帰ることもあると聞く。

であれば、何度か密林に踏み込んでいるという彼らがこういった収穫を手にしていても不思議ではない。


「なるほど。これであれば十分な報酬に値する。

 ヴェン氏にもよろしくお伝えください」


ピンポイントでこちらの欲しいものを出してきている。

俺がドラゴンシャードを求めている事を知っているとは考えづらいが、なんらかの作為的なものを感じざるを得ない。

神の見えざる手、とでもいうヤツだろうか。


「ああ、良かった!

 ヴェンはこの件を痛く気にしていてね。

 これでヤツも落ち着いて療養に専念するだろう。

 君に断られたら、あの体を引きずって自分で探しに行こうとしかねない有様だったのでね」


テーブルを挟んでテンバーと握手を交わす。

幸い、アーティファクトの在り処に見当はついている。

さて、協力してくれる皆にどのくらいの報酬を渡すのが適正なんだろうか?













ゼンドリック漂流記

2-7.イントロダクション














テンバーを見送った後食堂で皆に説明をしたところ、驚愕の新事実が明らかとなった。


「ああ、ヴェンという男の事か。

 覚えているぞ、我らのアーティファクトを託した人間の男だ。

 ……そうか、あの男は役目を果たせなかったのか」


どうやら、ヴェンがアーティファクトを受け取った村というのがこの双子の集落だったらしい。

巨人族の秘宝を奪った先祖が、いつかそのアーティファクトを破壊する役目を負ったものが現れるまでと村に封じていたらしい。


「一度手を離れた定めがまた私達の元を訪れた。

 運命は流れ星のように儚く捕え難い。

 私達もついていく」


流石にそういう事情であれば、この2人がそういう気持ちも判る。

だが、さすがに大規模な戦闘になった場合になった時に守りきれるか自信が無い。


「ここで俺達の帰りを待つことは出来ないか?

 事によっては激しい戦闘になるかもしれない」


俺1人ならともかく、乱戦になったら他のメンバーを庇ったりは出来ないし広範囲の呪文攻撃に曝されることも十分考えられる。

だが2人の意志は強いようだ。


「あのヴェンという男は、トーリに役目を譲ったのだ。

 ならば我らはそれを見届ける。これも星の導きだろう。

 それに、我らを侮ってもらっては困るな。

 この砕かれた大地で研ぎ澄まされた我が部族の技術、そこらの冒険者達に劣るものではないぞ」


2人はその赤と蒼の眼に強い意志を乗せて俺に意志を伝えてきた。どうやら気持ちを曲げることはなさそうだ。


「そこまで言うなら連れて行ってやればいいんじゃない?

 どうせそのアーティファクトの位置を探るのはそっちのルーに頼らなきゃ駄目なんだろう。

 フィアも動きを見るに素人じゃないみたいだし、自分の身を守るくらいは出来るだろうさ」


ラピスから想定外の擁護が飛んできた。確かに、普通に考えて俺がそのアーティファクトの位置を知っているわけが無い。

他所から見れば、先日俺の居場所を言い当てたルーの力を頼るのが普通の考えだな。

フィアの実力とやらは俺には見て取れないのだが……ここはまぁ俺とラピスの経験の差というところか。


「仕方が無いな。他の皆はそれでいいか?」


エレミアとメイのほうを見るが、2人とも反対意見はなさそうだ。


「わが祖霊の導きでもあるだろう。

 巨人族のアーティファクトと聞いては是非もない」


「興味深いテーマですし。私も一緒に行きますよ~」


というわけで、全員参加である。

留守番がいないのは心配だが、それについてはデニスのセキュリティサービスでも雇っておこう。

まだ何も取られて困るものは無いが、万が一妙な仕掛けをされると困る。


「それじゃ、ルーには『シャン・ト・コーの印璽』の在り処を探ってもらおう。

 他のメンバーは探索の準備をしておいてくれ。

 ひょっとしたら長丁場になるかもしれない」


ゲームでは走り抜ければ30分と掛からないクエストだったが、ゲームと実際のこのエベロンでは距離の縮尺が大きく異なるのは街を見るに明らかだ。

明日一日で準備を整えて、明後日出発出来れば良しってところか。食料は一週間分で足りるだろうか?

そんな風にスケジュールを考えていると、横からローブの袖を引っ張られるのに気付いた。

そちらに視線をやると、ルーがいつの間にか横に来ていた。


「……手伝って」


頭一つ分下の位置からこちらを覗き込むように話しかけてきた。

はて。何か俺に手伝えるようなことがあっただろうか?

まぁ俺は準備と言っても大してすることはない。ルーの手伝いが出来るというのであれば手を貸すべきだろう。


「いいよ。俺に出来ることがあるならなんでも言ってくれ」


そのまま袖を引かれたまま食堂を後にした。後ろからはフィアもついてきている。

階段を上がり、昨日割り当てた2人の部屋へと入る。

一日が経過したが、この部屋にはほとんど何も置かれていない。僅かに天窓の直下の床に、麻布が敷かれている程度だ。

部屋の隅には、ハザディルの倉庫から回収した品で膨らんだザックが置かれているが、インテリアではないし。

昨日日中外に出ていた反動か、今日昼間にメイに市場への買い物に誘われても断ってこの家に残っていたようだし何も買い物をしていないのだろう。

いくらか金貨を渡していたものの、この2人の今までの生活様式も不明なので勝手に物を買ってきてもかえって邪魔になりかねない。

今度エレミアに相談するか、チュラーニの職人にでも聞くことにしよう。


「……ここに座って」


部屋を見渡しながらそんなことを考えている間に、部屋の中央の麻布の上へと誘導されてそこに座るように指示された。

胡坐をかいて座り、ルーの方向を向く。


「よし。俺は何をすればいいんだ?」


未だに何をするのかさっぱり見当がつかない。

バードの呪文の中には信仰呪文の使い手の術者としての技量を一時的に増幅する呪文があるが、生憎俺はまだそれを習得していない。

だがまあ俺が役に立つというのであれば存分にこき使ってもらったほうが良い。

それで少しでも皆の生存率が上がるかもしれないのであれば尚更だ。


「この街は人の灯りが強くて、星が遠い。

 だから貴方の内にある星を読む」


成程。確か彼女は部族の『星詠み』だとフィアが言っていた。

その名の通り、星の動きから何かを読み取るということなんだろう。

この世界の月はそれぞれの次元界を表し、星々はシベイの欠片である。そこには何らかの魔術的な意味があるのだろう。

しかし、それらの天体ではなく俺を見るとはどういうことか。

俺の未来を読む事で、いずれ接するであろうアーティファクトについて知ろうという事なんだろうか。

またまた思考を巡らせている間に、ルーは真正面で膝立ちになって俺と瞳を合わせた。


「トーリ、余計なことを考えずに星詠みを受け入れるんだ。

 心の水面を落ち着かせないと、その深淵にある自身の星を読み取れない」


すぐ後ろからはフィアの声が聞こえてきた。どうやら雑念を抱えていたことはお見通しらしい。

一度深呼吸をし、心を落ち着けてから正面のルーの顔を見つめる。


「……そう。そのまま、私の瞳を見ていて」


ルーの瞳に、例の蒼い光が瞬くのが見えた。

微かな月明かりが差し込むだけだったこの部屋の中がやけに明るく感じる。

まるで空じゅうの星の輝きが、この部屋の天窓からここに降り注いでいる様だ。

ルーの瞳の中には、彼女を見つめている俺の顔が映っている。

蒼い光の中揺らめいているその顔は、彼女の顔が近づいてくるにつれ揺らめきながら大きくなってくる。

彼女の瞳に中に映る、その俺自身の顔の瞳の中に一瞬光が瞬いたかと思うと次の瞬間には俺は白い光に飲み込まれていた。

その光の中には、まだ見慣れたとはいえないストームリーチの情景が浮かんでいる。

街の上空から俯瞰しているその視点は、やがて中央市場の片隅にある封鎖された区画へと吸い込まれていく。

何らかの機械装置によるものか、パイプから噴き出す白い蒸気に満たされたトンネルにはコボルドの封鎖線が張られている。

樽や木箱などを積んで作られたバリケードを越え、視界はトンネルの奥へと進んでいく。

地下遺跡を越え、巨大な蜘蛛の巣を抜けた先には、地の底に流れる深い渓谷に架かる重厚な橋とその先を守護するホブゴブリンの戦士の姿が見えた。

突如視点はそこで急降下し、やがて地面を抜けてさらに地下に広がる空間に辿り着いた。

広大な空間を支える支柱という支柱からは炎が噴き出す火炎地獄と、その先、壁の両側から吹き付ける冷気が通路中を満たす氷結回廊を抜けたところに、

古めかしい印章が埋め込まれた天井の高いホールが存在していた。そのホールの中央には、1体のファイアージャイアントが佇んでいる。

その巨体は、まるでこちらの視線に気付いたかのように雄叫びを上げるとその手に構えた炎に包まれた大剣を振り下ろしてきた!


「うわっ……、って。ここは俺の家か」


咄嗟に身をよじろうとした瞬間に視界は転じ、もと居た双子の部屋へと戻ってきていた。

視界が移る前に正面にあったルーの顔は、今は俺の胸元に置かれている。

胡坐をかいた俺の足の上に、横向きに腰掛けるような感じだ。その瞳は閉じられ、時折浅く呼吸しているのが感じられる。


「意識が戻ったか。ルーアイサスは暫くそのままにしておいてやってくれ。

 我らは人間のように睡眠をすることは無いが、瞑想による休息は必要なのだ」


俺の様子を察したのか、窓際で鉄蠍に腰掛けたフィアが話しかけてきた。

エルフ達は眠りはしないが、毎日一定時間の瞑想を行うと聞く。俗に『トランス』と呼ばれている彼らの精神的修行を兼ねた休息だ。


「我らの森を離れて以降、『星詠み』としての力を振るうことはあってもその力を満たす機会は得られなかった。

 『星詠み』の力は我らの祖霊が天に編まれた星々と一体化して1人の巫女の中に宿ったものなのだ。

 今、ルーアイサスはトーリを通じて星との繋がりを持っているのだろう」


たしか信仰呪文を準備するのは1日の特定の時間に祈りを捧げる、という手順が必要だったはずだ。

ルーの場合はその祈りを行うために条件が必要で、そのため使用した呪文能力を回復できないということだろうか。

それともセレスチャル種による『伝道』のような状態なのだろうか。

エルフは『エラドリン』という来訪者の末裔であるという設定が新しい版のD&Dにはあったことだし、祖霊が憑依に近い形でルーに宿って力を貸すという状況も有り得なくない。


「それじゃあ早く森に戻らないといけないんじゃないのか?」


放っておいても衰弱するなんていうことはないようだが、呪文使いがその力を回復できないというのは物凄いストレスなのではないだろうか。

少々ハードルは高いが、常時ラマニアが顕現している地帯に心当たりはある。そこを経由すれば彼女達の故郷にも今の時点で戻れるかもしれない。


「焦る必要はない。

 幸い我らはトーリという導きの星に巡り合ったのだ。

 故郷の祭壇には及ばずとも、少しずつでも零れ落ちた水盤に満ちるように力を満たすことは出来るだろう」


ふむ。一度の祈りで全回復とはいかないまでも、一定の呪文リソースの回復は見込めるということか。


「戦いが待ち受けているとしても、『星詠み』に害が及ばぬようにするのが『刃』たる私の役目だ。

 それに、トーリや他の群れの仲間もいるのだ。不安になる事はない」


フィアはそういうと蠍から降りて、部屋の隅にあるザックを探りはじめた。暫くすると彼女は両端に刀剣のついた鎖のようなものを取り出した。

ゲドラが持っていたスパイクト・チェインに似た武器のようだ。サイズ比からすると少々長めで、両端のダガーが特徴的である。

太古より巨人族と戦っていた彼女達が、そのリーチの不利を補うために使用していた武器なのだろう。

とはいえドラウでも成人した戦士が使う武器だからか、今のフィアには少々獲物として大きすぎる気はする。

数日時間があれば鎖の部分を調節して彼女に見合ったサイズに調整することも出来るかもしれないが、あまり準備に時間を掛けるわけにもいかない。

鎖とそれについた短剣を振り回している彼女を見るに、一般的な武器には通じているようだ。

それであれば俺の手持ちの武装でいくつか彼女でも使えるものがあるはずだ。


「フィア、これを使ってみてくれないか?」


左手にルーを抱えているため、右手に一本のショートソードを呼び出した。『トリーズン/反逆』の銘を持つ小剣だ。

かつてエルフの戦士が巨人族との戦いで使っていたというこの武器は彼女に相応しいだろうと思ったのだ。


「良いのか? この剣、相当な業物であろう」


確かに、魔法により極限まで強化されている武器ではあるが俺にとってはそれほど価値のあるものではない。

ゲーム中でもこれが出ると残念がられる部類に入る、所謂"外れ"なレイドユニークなのだ。

本来であればこういったレイドユニークはキャラクターにバインドされ、拾得者以外に譲渡できないのだがその制限はこの世界では失われているのは確認済みだ。

ハザラックに渡した『ドラゴン・アイ』もそういったレイドユニークの一種である。


「俺が持っていても使わないしね。

 その剣も、自分を振るってくれる主の下にあったほうが喜ぶだろう」


剣を受け取ったフィアは、片手でトリーズンを構えると何度か振り回して握りなどを確かめているようだ。

どうやら無事に使えているようで何よりだ。どうせだから、ついでに防具の類も渡しておいたほうがいいだろう。

エレミアやラピスもそうだが、フィアも敏捷性を活かした戦い方をするようだ。

軽くて体の動きを阻害しない、となるとやはりミスラル製になるだろう。


「フィア、これも試してみてくれ。サイズが合えばいいんだが」


ゲームでは拾ったアイテムはキャラクターが誰であれ、身につけることは出来ていた(ウォーフォージドという例外は除いて)。

昔の設定では魔法の防具は持ち主の身体に対応した形に変化するという能力を持っていたのだが、この世界ではどうだろうか?

俺の手にはミスラルの鎖帷子が取り出されていた。まるで布に思えるほどの細かさで編みこまれており、一見ローブのように見えるほどだ。

フィアは振るっていた剣を壁に立てかけると、こちらに近づいてきて装具を検め始めた。


「ふむ。これは良く見ればミスラルの鎖帷子か?

 それにしてもとても軽いな。それでいて強度もかなりのものだ。

 このような品を作り出す職人がいるとは驚きだ」


彼女はしばらくすると羽織っていたローブを脱ぎ始めた。一応その下に下着らしい何かを身につけているようだが、一瞬ドキっとしてしまったのは秘密だ。

フィアはそんな俺にお構い無しに鎖帷子を持ち上げると、シャツを着るように頭と両腕を潜り込ませて鎖帷子を装着した。

続いてズボン状になっている鎧の下半身部分を身につけていく。

手足の長さはフィアに丁度いいようだ。こうして見ると、あつらえたかのようにぴったりに見える。

これは鎧の持つ効果なのか、それともこのブレスレットの特殊能力なのか謎である。が、今はフィアの身を護る装備が整ったことを喜ぶとしよう。

ついでに敏捷性と"軽業"技能に補正の入る指輪を身につけてもらった。

これで鎧の限界まで敏捷性を発揮できるだろうし、余程鋭い攻撃でなければ傷つけられることは無いだろう。

だがフィアは部屋の中で一通り体を動かし終えると、指輪を外し鎖帷子を脱ぎ始めた。

モゾモゾと頑張っている姿は手伝ってやりたいのだが、何分今ルーを抱えているため身動きできない。

そのまま着た時と同じ1分ほどの後、ようやく鎖帷子を脱ぎ終わったフィアはこちらに向き直って口を開いた。


「この防具はルーアイサスに渡して欲しい。私はあの小剣だけでいい」


む。遠慮しているのだろうか。


「いや、ルーには別のものを渡そうと思ってるから、これはフィアに使って欲しいな」


ルーは見たところドラウとはいえ、フィアほどの機敏さは無いようだ。

とはいえ重装鎧をこの熱帯地方で装備するのは自殺行為だし、鎧自体の重さも彼女の負担になるだろう。

そうなるとやはりローブ系で鎧としての硬度も有しているのが好ましい、ということになる。

俺と同じドラゴンタッチドのローブが良さそうだろうか。

そう考えて右手の上に1枚のローブを取り出す。今俺が装備しているものと同じ効果のローブだ。

大体欲しい効果は皆似たようなものなので、キャスター枠の装備はどうしても偏ってしまう。

これ以外にも、判断力を向上させ呪文の力を蓄えることの出来るネックレスを出しておく。

ローブをフィアに試着してもらうが、やはりサイズはぴったりのようだ。

あのローブはコルソスに居た際に予備として試着済みで、その際は俺の体にぴったりだったことを考えるとやはり何らかの魔法的効果なのだろう。

せっかくなので他にも2人の装備として使えそうなアイテムをいくつか取り出し、フィアに試してもらった上で強力すぎる魔法のオーラを呪文で隠蔽していく。

最初は渋っていたフィアだが、ルーにも装備を別に用意しているということでちゃんと受け取ってくれた。

この2人が俺と同じくらいのレベルだとしても、これだけ豪華な装備に身を包まれていれば相当な生存能力が期待できるだろう。

フィアに色々な装備を見てもらった後、鉄蠍がどんな装身具を装備できるのかを試していたところでルーが瞑想から眼を覚ました。


「……………」


なにやら聞き取れない言葉をボソっと呟きながら、額を擦り付けるように胸元に押し付けてきた。

今のはエルフ語だろうか? 瞑想しながらエルフは夢を見るのに近い体験をするという。まだ寝ぼけているのかもしれない。

いつの間にか結構な時間が経過していたようだ。天窓から覗く星空の風景は、すっかり違ったものになってしまっている。


「それじゃあ俺もそろそろ自分の部屋に戻るよ。

 フィアはルーに渡した装備品の説明をしてやってくれ。

 何か足りないものがあったら明日買い物に行こう。

 ……ルーももう大丈夫か?」


未だに俺の胡坐をかいた足の上に腰掛けているルーの、両脇の下に手を差し入れて立たせたところ彼女は何度か目を瞬かせた後に頷いた。


「もしなんだったら顔を洗ってくるといい。シャワーの使い方はメイに聞いたんだっけ?

 タオルもシャワールームにいくつか備えておいたはずだから、好きに使ってくれ」


先日池でフィアが泳いでいたところからして、水浴びという概念は彼女らにもあるはずだ。

とはいえ、倉庫であったときから彼女らは不思議と清潔感に溢れていた。

何らかの呪文の効果によるものか、それともエルフ族は人間と代謝が異なるということなのか判らないが、眼を覚ますのには顔を洗うのが有効であることには違いはあるまい。

立ち上がったことで暫くぶりに足を伸ばし、特に違和感も何も無いことに少々驚きながらルーから手を離す。


「じゃ、また明日な」


軽く手を振って、双子と蠍に見送られながら扉を潜って部屋を出た。

俺の部屋はこの双子の部屋の向いにある。既に皆寝てしまっているのか、廊下には物音一つ響いていない。

自室への扉を入ったところには、やたらと広いリビングスペースが広がっている。

ちょっとした教室よりもやや広いくらいのスペースだが、今は何もインテリアが置かれていないため殺風景なことこの上ない。

今度のクエストから帰ったら、しばらくはこの家の内装を整える作業に専念する必要があるだろうな。

あまりに生活感の無い、コンクリート打ちっぱなしの部屋を見て俺は住環境の向上を再度決心するのだった。




翌朝。食堂で朝食をとっている時に蠍に乗って現れた双子を見てメイが騒ぎ始めた。


「可愛い! 2人とも今日は余所行きの格好ですね~

 ルーちゃんのはトーリさんと御揃いですか?」


そう、2人は昨晩渡した装備を身につけて食堂にやってきたのだ。

魔法のオーラは隠匿しているが、素材そのものを隠すことは出来ない。

フィアは鎖帷子の上に『防護の力場』を発生させ、相手の攻撃への反応を強化して被弾を減らす衣服を着用している。

ゲーム中とは異なり、鎧やローブ以外にベストやシャツといった衣服系の装備を同時に着用することができるのが大きなポイントだろうか。

俺は身のこなしを重視する"モンク"の特性を活かすために鎧を着る事はできないんだが、ローブと重ね着することの出来る衣服系装備を内側に装備することでさらに回避力を向上させることが出来た。

ゲームのキャラクターには存在しない装備スロットのため、ブレスレットからのダイレクトな着脱は不可能だが一旦外に出してから着るという手順を踏めば装備は可能で魔法のアイテムとしても問題なく効果を発揮している。

今までローブ以外には下着しか身につけていなかったのが良く考えれば異常事態だったのだが、利便性にかまけてその点をすっかり失念していた。

ゼンドリックで重ね着をするとその暑さで倒れそうになるかもしれないが、その点は同時に《火抵抗》の装備をすることで対処してできる。

それは同時に最も多いであろう魔法による[火]属性攻撃への防御も兼ねることになり、特に低レベル時に多い攻撃呪文に対して有利になるだろう。


「皆にも一着ずつ用意しておいたので、後で試着してもらえるかな。

 今回の依頼を手伝ってくれる報酬代わりってことで。気に入ってもらえると嬉しいんだけど」


丁度いいタイミングだったので、片付けられたテーブルの上に白、黒、青の色鮮やかな防具達を並べる。

青だけがローブで、白と黒はハイドアーマーという主に皮で作られている軽装鎧だ。


「白がエレミア、黒がラピス、青がメイ。

 一週間に一度、メンテナンスのためにちょっとだけ預かるけど性能は保証するよ。

 他にも何か依頼に必要そうなものがあったら言ってくれ。今日市場で用意できそうなら買いに出かけるから」


昨日ルーの魔法によって得た《ヴィジョン/幻視》については朝食がてら話してある。

とりあえず食料を一週間分、水は"デカンター"で大部分を用意するということで後で買出しに行くことになっている。


「とりあえず、その封鎖された地区についての情報が必要ですね。

 近くに『チャプターハウス』という情報を集めやすい場所がありますし、トーリさん一緒に行きませんか?」


メイの意見も尤もだ。大体の傾向は把握できているとはいえ、情報を得る努力を疎かにしないほうがいいだろう。


「では私とラピスで携行品の買出しを行っておこう。

 食料品以外にも、自然洞窟を抜けるのであれば色々と用意しておかなければならないものもあるだろう」


確かに荷物にはなるが、3メートル程度の棒や梯子などといった探索には不可欠な小道具類はまださっぱり用意していない。

傾斜を登攀するためのブーツに装着する金具や、ハーネスといったアイテムは僅かながらでも行軍を助けてくれる。

呪文の力は、ここぞというときのために取っておくというのが冒険者の基本スタイルなのだ。


「そういうことなら仕方ないか。メイ、トーリがフラフラとどこかに行かないように手綱を握っておいておくれよ」


"情報収集"や"交渉"はハーフエルフが種族的に得意としている技能である。

異なる二種の血が混ざった彼女らの種族は、自然と種族間の仲立ちをすることが多く様々な種族と友好的に付き合ってきたという歴史がある。

あまり大勢で押しかけても逆に情報を曝け出すことに繋がりかねないし、2人程度でいくのが丁度いいというラピスの判断なのだろう。


「では我らはこの家の留守を護ることにしよう。

 我らは戦いに必要なものは昨夜トーリに貰ったからな。

 そなた等もその品が体に合うか否か確認してきた方がいいのではないか?」


フィアの言葉を受けて、それもそうかと三人娘達は装備を手に自室へと一旦引き上げていった。

まあこの三人の場合はフィアやルーと違って小柄ということもないし、大丈夫だと思う。

鎧を渡したエレミアとラピスにはひょっとしたら細かい調整が必要かもしれないが、メイについてはローブだから大丈夫だろう。

買い置きのジュースを2人と飲みながら待っていたところ、暫くたってから三人揃って戻ってきた。

着替えに要した時間の差か、早足で向ってきた三人だが僅かに先頭を歩いていたメイがまず話しかけてきた。


「トーリさん。このローブはどこで手に入れられたんですか?

 魔法の気配はしないのに、聞いたことも無いような効果があるんですけど~」


椅子に腰掛けた俺に覆いかぶさるような勢いでメイが迫ってきた。

興奮しているのか、頬には赤みが差している。魔法のオーラは消しているとはいえ効果は残ったままだ。

本来この世界に無い効果を持つチートアイテムだけにメイの学者としての好奇心をいたく刺激したのだろう。

対してエレミアとラピスはメイがこれだけ興奮しているのに気が殺がれたのか、こちらに詰め寄る雰囲気こそ無いものの、その視線が説明を要求しているように感じられる。


「まあまあ、落ち着いてくれよメイ」


どうどう、とメイを引き剥がしてから3人に向き直る。


「うん。ちゃんと体に合っている様で良かったよ。三人とも似合ってるよ」


こうして見ると三色揃った色合いがゲームで一時期見ていた光景を思い出させて懐かしい気持ちになる。

これらのアイテムは某所でドラゴンの鱗を集めて作ってもらうクラフトイベントの報酬だったのだ。

それぞれの色のドラゴンのブレスの種類に対応したエネルギー抵抗を持つ以外にも、様々な効果が付与されている。


「それは全部、ドラゴンの鱗から作られた防具だ。

 魔法のオーラは呪文で隠蔽している。強力なパワーがあると一目でわかると厄介事を招くからね」


3人に、それぞれに渡したアイテムの効果を説明していく。


「これだけの品を我らに渡したということは、これから向う先にそれだけの困難が待ち受けているとトーリは考えているのか?」


一通り説明が済んだところでエレミアが質問してきた。

鋭い指摘である。


「勿論、杞憂かもしれないけどね。

 そうじゃないにしたって、どんな敵にでも不意を突かれれば不覚を取ることはある。

 俺は一緒にパーティーを組む君達に出来る限り安全を確保したいと思っている」


ここで一旦言葉を切り、皆を見回す。全員、静かにこちらの言葉に聞き入ってくれているようだ。


「だが、今の内に言っておく。

 俺と同じパーティーを組む以上、絶対に死ぬことは許さない。

 たとえドルラーに連れ去られることがあっても、必ず引き戻す。

 戦いの場で果てることなど認めない。死で足を止めることは無い。

 肉体が塵も残さず分解されようが、不死の化け物に変成されようが例外は無い。

 それが嫌なら、一緒に組むことは出来ない。これは俺のパーティーに加わる以上必ず覚悟してもらう」


この点は予め了解を取っておく必要がある。

初見殺しのような理不尽な罠やクリーチャーがこの街に潜んでいたとしても何ら不思議は無い。

ゲームと違い、バランスが取られている保証はないのだ。

そんなことで仲間を失うことを、俺は受け入れられそうに無い。


「まあ僕にとっては今更な話だね。

 トーリこそ、死んで楽になれるなんて思わないほうがいいよ」


確かに、ラピスは一度殺した上で蘇生させたという前科がある。

蘇生を受け入れない信念の持ち主であればあの時点で魂が戻ってくることは無かったはずだ。


「まだ死ぬつもりはありませんし。蘇生については問題ありませんよ」


メイはいつもの微笑を浮かべたまま、問題ないと言ってきた。

ソヴリン・ホストの敬虔な信者は蘇生を拒否することもあると聞いていたが、どうやらメイはその範疇には当てはまらないらしい。

さて、残りはエレミアだけになったわけだが……。


「我らヴァラナーの戦士、ヴァレス・ターンの望みは"過去の護り手"に示された守護祖霊の導きを受け、その祖霊と一体となることにある」


やはり、この世界のエルフには受け入れがたい条件だっただろうか。

瞳を閉じたまま語るエレミアの言葉は、声量こそ小さいものの静まり返った食堂に不思議と響き渡った。

部屋に居る皆が注視する中、エレミアは閉じていた瞳を開いて俺を見つめるとさらに言葉を続けた。


「だが、今の私は"ティアー・ヴァレスタス"で語られた祖先の影を踏むことすら適わぬ未熟な身だ。

 その上、受けた恩を返す前に倒れたとあっては誓いを立てた祖霊の前に立つ事すら許されまい。

 非才の我が身なれど、この剣はひとたび折れようとも必ずや打ち直され貴方の敵を討つ事を誓おう」


背中に背負っていたダブルシミターを眼前に構え、彼女はそう誓った。


「なにさ、格好いい事言うじゃないか。

 でもまあその祖霊とやらがゼンドリック一の戦士だというなら、追いつくにはまずこのトーリに勝てなきゃ駄目なんじゃない?」


そういいながらラピスは腰の剣を抜き、エレミアが掲げているシミターにそっと剣先を合わせた。


「まるでプロポーズみたいでしたね~

 トーリさん、エレミアちゃんに負けられませんね」


メイも持っていた杖を掲げ、2人の剣先に杖を合わせた。


「私も誓おう。星の導きに従い、夜の狩人と魔を断つ刃の名の下に、立ち塞がる敵を打ち払うだろう!」


俺の右側で静かにしていたフィアも、昨日譲ったショートソードを高く掲げて剣先を合わせた。

ルーは俺の左側で佇んでいるが、俺の手をそっと握ってその意志を伝えてきてくれている。

俺も愛用のコペシュを右手で抜き放ち、剣を高く掲げる。


「期待を裏切らないように、俺も頑張るよ。

 だから皆、俺についてきてくれ!」


5本の武器が掲げられた中空で交わると、それぞれの武器に込められた魔法のオーラが干渉し部屋を暖かく眩い光で満たした。

こうして改めて、俺たちはパーティーとなったのだ。





思い出すと少々恥ずかしい気持ちになる食堂での出来事を終え、俺はメイと一緒に情報収集に出かけることとなった。

中央市場にある『チャプターハウス』はフィアラン氏族とガランダ氏族が共同経営している施設である。

そこは居酒屋と宿屋を兼ね、さらには演芸の舞台を提供することで知られており、廉価な宿泊設備と街でも指折りの演しものが売りである。

また情報の売り買いも積極的に行われており、少し探せば様々な情報を提供してくれる人物を見つけることが出来るという。

だが、その成り立ちからしてそこで行ったやり取りは全て他者にも知られると考えるべきだろう。

ジョラスコ氏族の居留地から中央市場へと移動し、そこで買出しに向ったエレミア、ラピスと分かれて区画を時計回りに歩くとやがて目的となる建物が見えてきた。

ゲーム中では『ラスティ・ネイル』という名称の酒場があった区画には、ガランダ氏族が経営しているマークであるブリンク・ドッグの紋章が掲げられている。

昼前だというのに、中からは騒がしい喧騒に紛れてバードの奏でる演奏の音が漏れ聞こえてくる。

入り口にあるウエスタンドアを押して中に入ると、想像していたよりも落ち着いた内装の店内が視界に写った。

中央ではハーフリングの店長がエールを差し出し、カウンターの客に振舞っている。

奥の角には一段高くなった舞台が設けられており、そこでは三名のエルフの芸人達が演奏を披露していた。

時折幻術呪文によるものか、舞台演出に使われている魔法のエフェクトが店内を彩っている。

騒がしさの原因は入り口近くのテーブルに陣取っているドワーフの一団の様だ。

こんな時間なのに既に出来上がっているのか、顎鬚から覗く頬が皆真っ赤になっているのが見受けられる。

そのテーブルから眼を離して店内を見回すと、店内には人間とエルフの姿が多く見えることに気付く。

中には一般の客も相当数入っているように見える。演しものや料理目当ての客なんだろう。

ハーフリングは従業員以外見当たらない。勿論、飲食の不要なウォーフォージドの姿は見つけられない。

幾人かの注意すべき人物を脳内でマーキングしてから、空いているテーブルに腰掛ける。

少し大きめの四人掛けのテーブルで、メイは俺の隣の椅子に腰掛けた。

間も無くハーフリングの従業員が、両手にエールの満たされたジョッキを持って駆けつけてきた。


「いらっしゃい、初めてのお客さんだね。

 ガランダ氏族自慢の良く冷えたエールは如何かな?」


代金の銀貨1枚をテーブルの上を滑らせるようにして渡し、1リットル弱ほどの容量があるジョッキを2人分受け取ってから気付く。

しまった、メイに酒の組み合わせは鬼門だったはずだ!

だが時既に遅く、彼女は良く冷えたエールにその小さい口を寄せながら幸せそうな表情を浮かべている。


「確かに、良く冷えていて美味しいですね~

 色も黄金色で綺麗!」


どうやら、度数の少ない酒であればすぐに酔うこともなさそうだ。俺もさっそくそのエールを飲むことにした。


「なるほど、これはいいな。

 外が暑い分、エールが腹から冷やしてくれるみたいだ」


先日までそこらで飲んでいた温くて色の濃いものと違い、現代のビールに似た爽やかな風味の味わいだ。

キンキンに冷えたとまではいかないが、程よく冷やされた液体の咽喉越しはなかなかのものである。


「ご満足いただけたようで何よりです。

 お2人は、こちらに何をお求めで?

 いまなら上質なシルクのベッドが備え付けられた2人部屋も空きが御座いますよ」


チップとして銅貨を1枚渡したところで、ハーフリングの従業員が用向きを尋ねてきた。

ここで真っ正直に調査したい項目を告げるのも躊躇われる。


「ああ、まだこの街には来たばかりなんだ。

 ここに来れば街に詳しい事情通もいるんじゃないかと思ってね。

 良かったらいい人物を紹介してくれないかい?」


追加で銀貨を1枚渡しながら相談すると、彼は小さな顔に満面の笑みを浮かべながら返事をしてくれた。


「それでしたら、今そこの舞台で演奏を披露している楽師のジューイが宜しいでしょう。

 私のほうから話を通しておきますので、演目が終わるまでしばらくここでお待ちください。

 それまでは当店自慢のエールと料理をご堪能ください」


そういって彼は奥へと下がっていった。舞台に視線をやると、3人の演奏はまだ始まったばかりのような印象を受ける。

まだまだ話を聞けるようになるまでは時間がありそうだ。


「今演奏されているのは、先日シャーンで公開された劇作のアレンジですね~

 ここ2年で人気が急上昇している『ルカ・シアラ』の作品ですよ」


隣で少しずつエールを飲んでいるメイが説明してくれた。

『ルカ・シアラ』は大都市シャーンの中でも歓楽街として知られるエリア、そこにあるダイアモンド・シアターという劇場の専属劇作家である。

彼女の作品は最終戦争によって生じた問題と真剣に格闘するものが多く、国粋主義、挫折した理想主義、阻害と悲嘆、戦争に蹂躙された世界に何がしかの意味を見出すための探索といったテーマを掘り下げているらしい。

そうした深刻なテーマは嘲笑されることが多いのだがそれでも彼女の作品は話題となり、居酒屋などではよく議論の対象となっていると聞く。

ここゼンドリックでも、最終戦争で受けた様々な爪痕を抱えて新たな人生を始めようとしている人たちは多い。そういった人々には特に人気があるのではないだろうか。

本来は演劇であるそのシナリオを、3人の弾き語りで再現しているらしい。元の作品を知らないが、なかなか完成度の高い演しものに思える。


「当店自慢のアンデール風ケーキは如何ですか?

 昼食前に、とろけるような甘味を召し上がれ!」


演奏を聴きながらエールを傾けていると、トレーに切り分けられたケーキを乗せた店員が所狭しとテーブルの隙間を歩き回っているのに気付いた。

近くに来たところを呼び止め、そのケーキを二つ貰う。

旅の途中で、ケイジが故郷のケーキ類を自慢していたのを思い出したのだ。

アンデールの菓子類は料理としてだけではなく、芸術品としても洗練されているらしい。

確かに今テーブルにおかれたショートケーキはそれ単体だけでも美しいが、さらには皿や一緒に置かれたコップまでもが調和の取れた美しさを演出している。

どうも一口食べてこのバランスを崩してしまうことが躊躇われてしまう、そんな本末転倒な思いが湧いてきてしまう。

だが、それはどうも杞憂だったようだ。

隣でフォークを差し込まれたメイのケーキを見れば、その断面にもスポンジと果物のコントラストが効いていて新たな美を演出している。


「本格的ですね~

 私だけ美味しいものを食べちゃって、他の皆には申し訳ないですね~」


俺もメイに続いてフォークを差し込んだ。一口食べると舌の上で融けて行く様なケーキは、続けて何度か口に運んでいると一瞬で皿の上から姿を消してしまった。

一緒につけられたケーキに使われていたのとは別の果物のジュースが、甘さに融けていた舌先を引き締めてくれる。

確かにこれは絶品だった。可能であれば他の皆にもテイクアウトしてやりたいところだ。

だが、生憎店内限定の商品らしい。呼び止めた従業員は申し訳無さそうに詫びつつも、定期的にケーキが出回る時間について教えてくれた。

どうやらこういった甘味類を定期的に店内のみに販売することでご婦人方にも人気があるらしい。なかなかの商売上手である。

自分の家が完成したといっても、料理については専門家が居ないためどうしてもプロの仕事を味わうことは出来ない。

そのうちこの問題についても解決する必要があるだろう。だが、今はそれとは別にやらなければならない仕事がある。


「メイ、あまり飲みすぎないでくれよ。

 俺達の仕事はまだ何にも進んじゃいないんだからさ」


ケーキを食べ終えた辺りで追加の飲み物を注文した際に、一応メイに釘を刺しておく。

どうやらエール程度であればすぐに酔いつぶれるようなことは無いようだが、何杯も飲んでいるとコルソス村でのように正体を無くしかねない。


「ええ。もうすぐ演奏の方も終わるでしょうし、そろそろこちらにいらっしゃると思いますよ」


そんな会話をして少し経ったころ、どうやら演しものも終わったようだ。舞台のほうから拍手が聞こえてきて、3人の芸人が退場していくのが見える。

彼らが演奏していたのは1時間くらいだろうか。話はまだ途中で、何部かに分かれて上演を行うものと思われる。

そろそろ昼食の時間帯だ。本来は休憩時間であろうその時間を縫って、楽屋で着替えてきたらしいジューイ氏は俺達の座っているテーブルにやってきてくれた。

先ほどまでの客の目を引く派手な衣装ではなく、控えめな装飾が施された普段着姿である。


「ストームリーチへようこそ、冒険者のお二方。

 もう聞いているかも知れないが、私の名前はジューイ。

 古くからこの街に住む語り部として、この店で少々舞台を任されている」


化粧を落としたのか、先ほど遠目から見ていた姿よりも壮年に見えるエルフの男性だ。


「トーリだ」


「私はメイと申します。この街は長いということですけど、先ほどの演奏は『ルカ・シアラ』のアレンジですよね。

 この街でも彼女の作品は人気が高いんですか?」


この場はメイに任せることにしていたため、俺は軽く自己紹介をするに留めて2人の会話を見守ることにした。


「ああ。私がこの街に根を下ろしてから半世紀近くになるが、ここ数年は特に戦争が終わったからか入植者が増えている。

 元からここに住んでいた者たちには評判はいま一つのようだが、大陸から海を渡ってきた人々には何か感じ入るところがあるのだろう。

 彼女の作品には、戦争で傷を負った人々にその傷を忘れるのではなく、向き合った上で乗り越えていこうと思わせる何かがあるようだな」


そのまま2人は演劇のストーリーについて意見を戦わせ始めた。

戦争自体を経験していない俺にとっては、どうにもピンと来ない部分もあり会話に口を挟む要素も無い。

その代わり、というわけではないが周囲の客の様子などを探っていた。

入店時に掛けていたゴーグルの効果で、何人かのチェンジリングが人間やエルフの姿で客として過ごしているのを確認している。

中には、一旦店外に出た後別の姿をとって入店しなおし、こちらを窺えるテーブルに座りなおすような連中もいる状況だ。

目の前のジューイがフィアラン氏族に関わっているであろうことは想像に容易いが、あのチェンジリング達はどの組織のものだろうか?

ちなみにこの警戒は視線ではなく気配察知的なもので行えている辺り、最近の自分の五感がおそろしい。

これが不意打ちや挟撃に対処する《直観回避》の能力なのだろう。


「最近のシャーンではそういった論説も有力なのか。

 良い話を聞かせてくれたことに感謝する」


「いえいえ。シャーンの居酒屋ではよく繰り広げられている討論をお話させていただいただけです。

 私が街を離れてから4週間ほど経ちますし、最近の論調はまた違ったものになっているかもしれません」


「成程。私もこの街に根を下ろしたとはいえ、枝葉は広く多くの街に伸ばしていているつもりだったが最近は情報の流れが滞っていてね。

 一時的に大陸との船便が減少していたせいでもあるのだがね」


そうこうしている間に2人の話も一段落したようだ。ジューイにとっても実りある内容だったらしく、彼の態度も随分友好的になっている。


「さて、随分と回り道をしてしまったが貴方達は私に尋ねたいことがあったのだろう?

 私に答えられることであれば、今の話のお礼にちょうど良いのではないかと思うのだが」


幸いなことに、彼から話を切り出してくれた。メイがチラリと横目にこちらを見やったが、ここはこのまま彼女に任せるとしよう。


「貴方がこの街に下ろした根はこの酒場の近くにある「スチームトンネル」の先にも伸びていらっしゃるのでしょうか。

 私たちはかの地に住まう脅威についての知識を求めてきたのです」


彼の言葉を受けて、メイは単刀直入に用件を切り出した。今の彼の態度からして、素直に聞いたほうが良いと判断したのだろう。


「ふむ……なるほど、あの地底に住む者たちについてか。

 元々、あの機械仕掛けの施設はこの街に清冽な空気をもたらす空調設備として、巨人達の遺跡を流用したものというのはご存知か?

 今こうして我々を楽しませてくれている冷えたエールも、かの設備の恩恵に預かっている部分が大きい」


そういって彼はエールの杯を傾けた。

なるほど、なんらかの魔法による冷蔵庫的なアイテムがあるのかと思っていたが違ったらしい。

俺達がそろって首を横に振ると、彼はそのまま言葉を続けた。


「連中は『クローグン・ジョー族』と呼ばれている、古くからゼンドリックに住んでいるホブゴブリンの一族だ。

 彼らは君達が知っているダカーン帝国の末裔達とは異なる歴史をこの大陸で紡いできた」


この世界のホブゴブリンは、非常に高度に文明化された戦闘集団だ。

コーヴェア大陸を最初に制覇したのは人間ではなく、ホブゴブリン。1万年もの長きにわたって大陸を統治していた種族が彼らである。

『狂気の次元界ゾリアット』の侵略による衰退が無ければ、今も人間が移住する余地はあの大陸には無かったかもしれない。

ダカーンとはその偉大なゴブリン類の帝国の名前である。


「我々がここに街を築くより昔から、彼らは地底に住んでいたらしい。

 おそらくはこの街の地盤となっている遺跡を築いた巨人文明と何らかの関わりがあったのだろうと言われている。

 彼らと最初に接点を持ったのは、20年ほど前にスチームトンネルの先にある地下空洞を調査していた冒険者のグループだった。

 自身のテリトリーを犯されたと考えたホブゴブリン達はその冒険者達に苛烈な攻撃を仕掛け、彼らを追い払うだけでは飽き足らずに一時はこの市街地にまで手を伸ばして来たのだ。

 幸い当時のコイン・ロード達が団結して事態の収拾に努めた結果、地上部分への影響を防ぐことは出来た。

 だが彼らはコボルドを奴隷とし、スチームトンネルに封鎖線を構築して街の住人とは一線を引いている。

 昔は街の様々な酒場で冷えたエールが飲めたのだがね、おかげで今はこの店以外には清涼な飲み物を提供してくれる店は少ない」


彼らが施設を占拠してしまっているということだろうか。


「この街のロード達は何か手を打たなかったんですか?」


メイの疑問も尤もだ。今は領主に納まっているとはいえ元々はこの街を根城にしていた海賊の首領の末裔達だ。大人しくしていたとは思えない。


「無論、何度か討伐の部隊は編成された。

 だがコボルドの封鎖を抜けることは出来てもホブゴブリン達の要塞に踏み込んで彼らを打ち破ることはついに叶わなかった。

 やがて戦争が終わって入植者が増えたことで街の地上部分の面倒を見ることでコイン・ロード達は手一杯になった。

 ホブゴブリンたちは地下に引きこもったままこちらから手を出さなければ干渉してくることも無くなった事もあり、彼らは放置されることとなったのだ」


確かにこの街に長く住んでいるというだけあって、彼は中々に事情通のようだ。


「彼らは自らのテリトリーによそ者が侵入することを良しとしない。

 多くの冒険者達が彼らのその態度から隠された宝物があるのではと考えて地下に潜っていったが、成果を挙げた者は居ない」


ジューイはそう言いながらも、過去にそのホブゴブリン達と戦った生き残り達から聞いたクローヴン・ジョー族特有の戦闘法などについて語ってくれた。

コーヴェアのホブゴブリン達とは違い、多くのクレリックやウィザードを擁しておりその呪文による支援と火力は恐るべきものらしい。

対して白兵戦についてはダカーン帝国以来の精兵であるコーヴェアのホブゴブリン達に劣り、連携などもお粗末な有様だったそうだ。


「彼らの族長は代々『シャーグ』と呼ばれ、クレリック達に祝福されたヘルムを被り戦士たちを指揮しているとか。

 その兜にはホブゴブリンを威伏する効果があると聞く」


昼食を取りながらも1時間ほど続いた対話の中で、彼は自ら収集した様々な説話について語ってくれた。

バードのこういった伝承や知識に関する造詣の深さには驚かされるばかりだ。

俺の場合はゲーム知識という形で発揮されているのか、ゲーム内でのことについては非常に鮮明に思い出すことが出来るがそれだけでは対応できない知識を彼との対話から得ることが出来た。


「では、そろそろ私は別の用があるので失礼させてもらう。

 君達の旅に幸運があることを祈っているよ」


ジューイはそう言って席から立ち上がると『チャプターハウス』から出て行った。

随分と実りのある1時間だったことは間違いない。


「ふう、すんなり話を聞けて良かった。

 最初に彼の気持ちを引き付けてくれたメイの話のおかげだね」


一息ついて、少し温くなった何杯目かのエールに手を伸ばしたところでフっと肩に重さが加わった。

そちらに視線をやると、メイの頭がよっかかってきているのが見える。


「えへへ~

 トーリさんのお役に立てたようで何よりですよぅ。

 でも、もっと褒めてくれると嬉しいな~」


ぬう、どうやら随分と酔いが回っているようだ。

そういえば食事をしながら俺と同じくらいのペースでジョッキを空けていた気がする。

ジューイと会話している際にはまったくの素面に見えていたんだが、緊張が解けたせいで一気に酒が回ったのか?
 
いつの間にかジョッキを持っていない左腕が彼女に絡め取られている。先日同様の絡み酒のようだ。

情報収集の後は市場でスクロールなどの呪文系アイテムを買いに行こうかと思っていたんだが、この状態の彼女を連れて回るわけにも行かない。

かといって彼女1人をこの酒場に置いていくなんて事も考えられない。

見たところ『気まぐれ海老亭』とは客層が相当異なっているようだがここはファンタジーの世界、それもストームリーチなのだ。油断は出来ない。


「すまない、彼女が随分と酔ってしまったみたいなんだ。

 部屋を一つ頼めるかな」


近くを通りがかったハーフリングの従業員を呼びとめ、金貨を2枚渡して休憩のための部屋をお願いする。

彼はこちらの言葉を聞いて奥に引っ込むと、すぐに鍵を持って再び現れた。


「ほら、メイ立てるか?」


鍵を受け取ってからメイに話しかけるが、どうも要領を得ない。

仕方なく腕を解くと、彼女の右腕を俺の首の後ろに回して体を支え起こす。

前も思ったんだが、メイの体は物凄く軽い。エルフの血を引いているからだろうか? これは世の女性陣が彼女達の種族を羨む訳だ。

以前ほど酒を飲んでいないということもあり、アルコールではなくメイがいつも使っているのであろう香水の匂いが感じられる。


「~~~♪」


彼女は上機嫌に鼻歌を歌っている。それも先日俺が竪琴で奏でていた曲の内の一つだ。どうやら気に入ってもらえたらしい。

2階の宿へ階段に向って従業員に先導されながら歩いていくと、階段の両側には2人の武装したハーフリングが立っているのに気付いた。

それぞれ、頬と首筋に『歓待のマーク』が浮かんでいるのが見て取れる。おそらくこの宿を護るガランダ氏族のエージェントなのだろう。

身の丈からは大きく見えるロングソードを背負い、ブリンク・ドッグが描かれたヘヴィ・シールドを足元に立てかけている。


「我ら『サンクチュアリ・ガーディアン』が護る『黄金竜の宿り』での滞在は、この街で最も安全な時間の一つです。

 どうぞごゆるりとお過ごしください」


そのうちの1人がこちらに微笑みかけながら挨拶をすると、2人の守護者は階段への道を開ける様に左右に移動した。

どうやらそれなりに鍛えられているらしい、隙のない動きが見て取れる。これだけ質の高い番人がいるのであれば確かに安心だろう。

ちなみに『黄金竜の宿り』とはガランダ氏族の経営する宿の通称だ。チェーン店としての名称だと思ってよいだろう。

彼らはこの名の下に、コーヴェア全域からこのゼンドリックに至る様々な場所で質の高い一定のサービスを提供しているのである。

案内された部屋は、丁寧に掃除が行き届いた綺麗な部屋だった。

絨毯やベッド、机といった家具の類も上質だ。このまま今の自分の殺風景な部屋に持ち帰りたいくらいである。


「ほら、ベッドだぞ。少し横になっておいたほうがいい」


先日のように、横になればすぐ寝てくれるだろう。そう考えてメイをベッドに誘導したところで、前回同様俺まで引きずり込まれてしまう。


「トーリさーん……」


こちらの名前を呼びながら、彼女はぎゅっと抱きついてくる。

時折お姉さんぶろうとすることがあるが、基本的にはまだメイは子供っぽい。

ひょっとしたら純粋なハーフエルフではなく、エルフと人間から生まれてきてエルフの中で育てられたんだろうか。

親とはいえ異種族の中で育つことになったハーフエルフは、その成長速度の差のせいで歳の近い仲間とも長い間一緒にいることは難しい。

特にエルフの中で育ったハーフエルフは、彼らが成人までの間に学ぶエルフの文化や芸術、時にはエルフ語の文法すら学びきれぬうちに成人してしまうことになると聞く。

エベロンではハーフエルフの社会が確立されており、殆どのハーフエルフはハーフエルフ同士の婚姻によって生まれてきていると思っていたが彼女は違うのかもしれない。

メイは25歳と言っていたが、エルフの成人は100~110歳だ。この世界の人間の成人が15歳であることを考えると、エルフの25歳は人間の4,5歳に相当することになる。

立派な体をしていても、エルフからしてみればまだまだ精神的に未熟な状態ということも有り得るのだろう。


「……お酒が抜けるまで、このまま横になっておいたほうがいい。

 時間が経ったら起こすから、少しの間眠っておいで」


俺の声を聞いて安心したのか、彼女は目を閉じるとすぐに安らかな寝息を立て始めた。



[12354] 2-8.スチームトンネル
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2011/02/13 14:00
酒場でメイと休憩した後、『チャプターハウス』を後にして2人で予定していた他の用事を済ませることになった。

トゥエルヴの砦で定価よりやや高めに設定されているスクロールや魔法の品物を購入したり、デニス氏族の居留地でセキュリティ・サービスの契約をしたり。

それぞれに結構な時間がかかり、用が済んだ頃にはすっかり日も沈んでいた。


「すっかり遅くなっちゃいましたね~」


横を歩くメイは、そんなことを言いながらも口調は上機嫌そのものだ。

こちらの肘の内側辺りにそっと手を添えた、軽く腕を組んでいるような状態で夜の道を歩いている。

とはいえ、夜のストームリーチを気が緩んだ状態で歩けるわけも無く意識は警戒モードだ。

腕を組んでいるのも咄嗟の転移呪文の際に術者と接している必要があるからだ。

埠頭区画の倉庫街ではないとはいえ、暗がりにはどんな脅威が潜んでいるか分からない。

いざというときに即座に反応できるように、周囲の気配に気を配りながら家路を進む。

近所のアンデッドが徘徊する墓所は掃除したものの、街全体の地下を繋いでいる下水道部分や遺跡部分から新たな脅威が侵入してきてもおかしくないのだ。

先日は真夜中まで賑わっていた『憩いの広場』も、今日は無人で俺達以外には人っ子一人見当たらない。

それだけあの騒ぎは異常だったという事なんだろう。官憲に目をつけられていなければ良いのだが……。

静まり返った庭園を通り過ぎ、街を取り囲む分厚く高い壁を横切ると我が家がようやく視界に入った。

何箇所かに灯した《コンテニュアル・フレイム》の呪文による照明が周囲を暖かく照らしている。

門の脇に控えていた鉄蠍に手を振って挨拶をし、集会所のようになっている食堂へと向う。


「ただいま戻りましたよ~♪」


俺が扉を開けたところで、メイが部屋の中にいる皆に呼びかけた。

どうやらテーブルでカードを使って遊んでいたらしい。ソウジャーン号で遊んだ『スリードラゴン・アンティ』のようだ。

おそらくは初見であろうフィアやルーもそれぞれカードを持って興じていたようだ。彼女達はカードゲーム自体が初体験かもしれない。


「おかえり。随分とゆっくりだったんだね」


こちらを振り返ったラピスの目の前にはそれなりの高さのコインが積まれている。

だが、そんなラピスに並んでコインが多いのがルーだった。エレミアは3位、フィアが4位といった辺りは妥当といえるかもしれない。


「遅くなってすまなかったな。それじゃ得てきた情報について話すから聞いてくれ」


土産に買ってきた食べ物類をテーブルに並べながら、明日の出発に向けての情報交換などを行うことにした。













ゼンドリック漂流記

2-8.スチームトンネル














翌日の朝、俺たちは『チャプターハウス』の入り口に近い入り組んだ街路の行き止まりに来ていた。

街の区画を分ける巨大な壁に沿って背の低い建物が軒を連ねており、それらを巨大なパイプが接続している。

緑青に覆われた金属製の扉の両脇には衛兵が立っており、中に進もうとする俺達を見かけると声を掛けてきた。


「コボルド狩りか? 収拾がつかなくなっても、衛兵がこの中に入ってお前達を助けには行くようなことはないからな。

 それだけは覚えておけよ」


「我々の仕事は、悪党共が地上に出て来た際に備えてここで警戒することだ。

 これより先のことは、シティ・ガードの管轄外だ。引き際を誤るなよ」


2人の衛兵がそれぞれ俺達に話しかけてくるのに手を振って応えながら、立て付けの悪い扉を潜って建物内に足を踏み入れた。

俺とラピスが前衛、メイとルー、そしてルーを乗せた鉄蠍が中央、エレミアとフィアが殿という隊列だ。

薄暗い内部は、すぐに地下へと降りる階段になっていた。

機械類が出す絶え間の無い蒸気音と騒音に紛れ、トンネルの奥からコボルド達の騒ぐキャンキャンと甲高い声が聞こえてきている。

入り口部分は各所に照明となる”消えずの松明”が取り付けられており、視界に悩まされることは無さそうだ。

何万年もの年月を経てなお、鉄蠍の重さにも十分に耐えることの出来る階段を下っていく。

随分と昔に人の手が入ったのか、階段の段差自体は人間が使いやすいものになっていたり加工が難しいところには梯子が取り付けられたりしているようだ。

やがて下り階段は終わり、下水とは異なる目的の水路が設けられた設備内に到着した。

現在立っているところは中空を走る回廊で、少し下の水面近くにある通路から見れば二階に相当する位置にある。

所々には水面から壁や天井に向かって伸びているパイプがあり、どうやら水を汲み上げているようだ。

他にも壁から生えて天井を走っている配管があり、そこからは時折蒸気が噴き出しており、それによりこの空間は常に薄い靄に覆われている。

全員が《火抵抗》の装備をしているので熱にやられることは無いが、あまり長居したくないことには違いない。

熱による消耗は防げるといっても、不快な環境はできるだけ早く通り過ぎるに限る。

ゲーム中では特に影響は無かったが、手入れされていない水場の蒸気になんらかの有害物質が含まれていないとも限らない。


「さっそく分岐だけど、どっちに進む?

 占術では道案内まではしてくれなかったんだっけ」


横を歩くラピスが通路の分岐で立ち止まって聞いてきた。水路の上に設けられた中空の回廊はここで左右に分岐している。

右手の分岐はそのまま真っ直ぐこの水場から離れるように伸びており、壁に行き当たったところで蜘蛛の巣に覆われてその先を見ることは出来なくなっている。

左手の分岐は下りのループを描いた後、水面近くの通路へと接続し別方向でこの空間から抜けていくようになっている。


「とりあえず左から行こうか。右は長い間使われていないように見えるし、コボルドの声は左側の通路の先から聞こえてきているみたいだ」


幸いゲーム知識から来る分岐の選択をもっともらしく理由付ける要素があった。無駄な手間を省かせてくれたコボルド達には感謝したいところだ。

とはいえゲームのように最短距離目指して飛び降りるなんて真似が出来るわけも無く、ぐるっと通路を回ってから目的の区画に向うことになる。

途中壁に備えられた梯子を使う場面があったが、なんと蠍は器用に壁面にその爪を立てるとルーを乗せたまま壁を移動していった。

上に乗っているルーを見ると蠍から滑り落ちないように器用に体を支えている辺り、随分と手馴れているようだ。

蠍の方も尻尾の部分でルーを支えており、中々のコンビネーションである。


「器用ですね~

 場所によっては一緒にはいけないかと思いましたけど、あの様子なら大丈夫そうですね」


梯子を下りてきたメイがそんな様子を見ながら呟いていた。

確かに、立体構造のダンジョンは梯子などを利用することが多いためどうなることかと思っていたがこの様子であれば心配はいらなさそうだ。
 
歩く音もその図体からは考えられないほど静かで、隠密行動にも優れている。

このパーティーには重装鎧を着ているメンバーはいないし、メイすら少しばかり"忍び足"の心得があるようだ。

注意して進めば、待ち構える敵に対して先手を取ることが出来るだろう。

そんなことを考えながらも水面に近い通路を歩く。

水はどんよりと濁っており透明度は無いに等しい。もし何者かが潜んでいて水中に引きずり込まれてしまっては厳しい戦いを強いられることになるだろう。

だが幸いそのような遭遇は起こらず、通路はやがて水路を離れて上り坂になり、その先には斥候と思わしきコボルドの姿が見えるようになった。

だが、相手はまだこちらに気付いていないようだ。この辺りは既に照明が設置されておらず、俺達の姿は薄暗がりに隠されている。

コボルドも暗視能力があるとはいえ、その距離はさして長くない。不意打ちを警戒するために篝火を焚いているのが却って彼らにとって仇となったようだ。


(先行する。エレミアはついてきて)


ハンドサインでラピスが皆に合図を送り、気配を殺して2人で先に進んでいった。

配管などの構造物が作り出す暗闇に身を潜ませながら、スルスルと斥候に近づいていく。

2人の斥候は暇を持て余しているのか2人で何やら掛け合いを行っており、その近づく影には気付いていないようだ。

甲高い声がここまで響いているが、残念ながら内容までは聞き取れない。

分岐の先を確認したラピスから、さらにサインが送られてきた。どうやらあの先にもコボルドはいるようだが、術士らしき姿は見えないらしい。

数も脅威となるほどではなく、2人でも片付けられるようだが一応こちらに指示を求めている。

フィアとルーのほうを見、両者が頷きを返すのを見て方針を決定した。


(こちらから仕掛ける。2人はフォローよろしく)


そうラピスにサインを送り、了解の合図が返ってきたのを見てフィアとルーを乗せた蠍が先に進んでいく。

20メートルほどの距離を一気に詰め、斥候のコボルドが気付いたときには既にその剣と爪が彼らの体を引き裂いていた。

斥候の断末魔の悲鳴を聞きつけて、奥から6体のコボルドが迫ってくる。

手にしているのはダガーだが、そんな小さい刃物では蠍のアダマンティンの装甲を傷つけることは不可能だ。蠍はその巨体を敵の中心に向けて走らせた。

迫る蠍に威圧されたコボルドらが足を止めたところで、気配を消して暗闇に溶け込んだフィアが彼らの背後に回りこむと無慈悲な一撃を見舞った。

数の上ではコボルドが勝っているとはいえ、突然挟撃された彼らは恐慌に陥ったようでそのまま成す術もなく全滅することとなった。


「歯応えのない連中だ。戦い慣れしていないのだろうな」


小剣についたコボルドの血を払いながらフィアがそう評していた。先ほどの動きを見るに、確かに彼女は相当な実戦経験があるようだ。

蠍とのコンビネーションもなかなかのものだし、敵の背後を取った隙の無い動きも見事だった。ひょっとしたら俺よりもレベルが高いかもしれない。

蠍の上のルーもまったく動じていない。時折何かを伝えるように指先で蠍の装甲を叩いていたようだが、あれで何かの指示を送っていたのだろう。

とりあえずこの様子であれば彼女達も十分に戦力として数えることが出来そうだ。

フィアはあの隠行と暗視の能力を考えると、ラピスと組んでもらって斥候役を務めて貰うのがいいのかもしれない。


「トーリさん、安心しましたか~?」


横からメイが声を掛けてきた。


「ああ、あの様子なら十分やっていけそうだな。俺が置いていかれるんじゃないかと心配だよ」


あの2人もドラウなので多少はゆっくりとはいえ俺よりは格段に早いレベルアップを行うだろう。まったく、将来が楽しみなことだ。


「こいつらは単なる斥候だろうね。装備も貧弱だし連携も取れてない」


フォローで使うつもりだったのか、投擲用のダガーを指先で器用に回転させながらラピスが寄ってきた。

おそらく封鎖線が張られているとしたらこの奥なんだろう。

視線を向けると、少し構造の異なる人工の通路が先に伸びているのが見える。


「その通りだろうな。こんなところに時間を掛けていても仕方が無い。先に進むとしようか」


前方の警戒に当たっているエレミアの横を通り、先ほどと同じ隊列を組んで地下の通路を先に進む。

おそらくこの遺跡は巨人の奴隷だった中型のクリーチャー、おそらくエルフが使用していたものだと思われた。

入り口はともかくこの辺りの通路などの構造が、巨人が使うにはやや小さくて不便なサイズに思われたのだ。

所々、配管から漏れた水が貯まっている通路を進んでいるとやがて扉に行き当たった。横にあるバルブを回転させることで開くタイプのもののようだ。

特に罠があるような違和感もないし、横のラピスも同意見のようだ。

分厚い金属で出来ているためか、扉の向こうからは特に何も聞こえてこない。

念のため扉の正面には立たないように他のメンバーを移動させ、機構部分に油を差して音がなるべく漏れないようにしてからレバーを回転させ扉を開けた。

どうやら杞憂だったらしく、扉の先には何もいない。壁で囲まれた四角い部屋の右手側の壁には別の扉が備えられている。単なる通路のようだ。

少々拍子抜けしながらも同じ工程を繰り返す。TRPGではユニバーサルチェック等と呼んでいたが、"視認""聞き耳"等を常に行いながら先に進むのは中々に大変な作業だ。

それだけで徐々に神経を磨り減らすし、やがて集中力が途切れた頃に罠を感知しそこなうとパーティー全員を危機に陥らせることになりかねない。

ローグ役というのは本当に大変な仕事だなぁと実感する次第だ。

そうやって同じ手順を経て開かれた扉の先には、今度こそコボルド達の集団が集っていた。


「intruders!」


流石に10メートルほどの距離であれば誤魔化すことは出来ない。侵入者を知らせる銅鑼の音が響くのを聞きながら俺とラピスは前に突進して行った。

俺が前面に出ているコボルド達を切り伏せている間に、ラピスはその敏捷性を活かした高い跳躍力で一息に彼らを飛び越えると後衛の連中に肉薄した。

こちらの後列に向けてクロスボウを放とうとしていたコボルドが慌てて武器を持ち替えている間に、彼女は杖を持っている術者と思われるコボルドに向ってそのショートソードを突き込んでいる。

やや遅れて到着した蠍がその尾で前衛の戦列の一角を突き崩すと、それによって出来た隙間に向ってエレミアとフィアが滑り込むように進み、術者に向っていたラピスの背を狙っていたコボルド達に痛撃を加えている。

俺も遅れまいと前に出ると10秒もしないうちに最初にこの辺りにいたコボルド達は殲滅された。だが銅鑼の音を聞きつけて奥から敵の増援が迫ってきている。

スリングを構えた投擲兵から投げつけられる"錬金術師の火"の下を潜るようにして、武装を整えたコボルドのウォリアー達が迫ってくる。

さらに後列の術者達は呪文を唱える準備をしているようだ。何人かが杖を振りかざしながら大仰に腕を振っている仕草が見て取れた。

どうやら《マジック・ミサイル》の呪文のようだ。

力場で編まれた紫の光弾が空中に軌跡を描きながら通路の中央にいた俺に殺到するが、《呪文24時間持続》により一日中展開されている《シールド》呪文に遮られてその全ては俺に届くことは無かった。

"錬金術師の火"の投擲は《火抵抗》のおかげで気にする必要はない。やはりまずは相手の呪文使いを排除すべきだろう。

今打たれたマジック・ミサイルの弾数から敵の術者としての実力を推定する。2体の術者は2本、1人が3本の魔法の矢を放ってきていた。

最初の2体はそれほど脅威ではないが、3本の矢を放ってきていた最後の術者に再び詠唱させるのは危険だ。

そう考えたところで横を《スコーチング・レイ》と思われる熱線が通り抜けていった。メイが予め渡しておいたワンドを使用したようだ。

より強力な呪文、おそらく《ライトニング》を放とうと木箱の上に移動して射線を取っていたそのコボルドは3本の熱線を受けて一瞬で炭化した。

解放直前で放棄された回路から微弱な電気が漏れて周囲の金属のパイプに火花を散らしながら吸い込まれていくのを見届けながら、迫ってきた前衛たちの相手をすることになった。

スリング兵達も手持ちの”錬金術師の火”が効果がないと見て取ったのか、武器を持ち替えてこちらに向っている。

俺とエレミアの2人で戦列を支え、ラピスとフィアは通路の壁を走るようにして敵の術者目掛けて進んでいった。

コボルド達も俺達と同様、術者であるメイを狙おうとしているようだが幸い通路の広さが幸いして後方に敵をもらすことは無い。

幸い連中にはラピス達のように"軽業"を駆使して突破を図ってくる者が居なかったのだ。

敵のウォリアーは個体差はあるものの多少の鎧兜を身についていたが、俺の使うチート武器の前には何ら役に立たず紙のように切り裂かれていった。

エレミアもその双頭武器の両端を使用して一振りで複数のコボルドに傷を与えている。

俺達2人で敵の前衛を受け止めている間に、術者へと向った二人がそれぞれの目標を倒したことで戦いの趨勢は決まった。

俺達の後ろには蠍がその出番を待って控えていたが、今回はその爪と尾が活躍する機会は無く戦闘は終了した。

術士3体を含めて、20体ほどの部隊だったようだ。

使おうとしていた呪文を考えても、練度の高い部隊であったことは間違いない。

駆け出しの冒険者であれば開幕の《マジック・ミサイル》の集中砲火の時点で戦闘不能になっている。

物陰には骨や古びた背負い袋がいくつも積み重ねられており、その大きさからここで連中に倒された冒険者達の遺品であろう事が窺える。

ラピスが手早く中身を改め、コボルドに無価値であると判断されたのであろうハーバー・マスターの印章指輪を回収しているのが見えた。


「ハーバー・マスターに届ければ、身元の照会くらいはしてくれるだろうさ。

 遺族に送るような遺品は見当たらないけどね」


なるほど、ドッグタグと似たような働きがあるということか。

他の探索者協会などに登録しているのでなければ、身元を知るには確かにあの指輪を使うのが簡単だろう。

俺のように名前しか登録していない場合も多いのだろうが、それでもひょっとしたら故人を探している人たちがいるのであれば役に立つこともあるだろう。

ラピスを手伝ってその辺りを捜索してみるが、残念ながら印章指輪以外には役に立ちそうなものを含めて何も発見することは出来なかった。


「ま、こんなとこだろうさ。

 そろそろ先に進もう」


ラピスの切り上げの言葉を合図に、再び隊列を組みなおすと通路の奥へと歩き始めた。

少し進んだ先には左右に分岐した緩い下り坂があり、左の分岐の先には再び水場が広がっているのが見える。

右側の分岐はその水場を見下ろすような通路になっており、行き止まりになっている。

ゲームでは右手の分岐の先にあるバルブを捻り、水中のゲートを開くことで泳いで進むのだが実際に行うとなると水中に身を投じるのは躊躇われる。

それに付近に壁も無い状態では水場の奥にある梯子を使う際に蠍がついてくることができないだろう。別のルートを考える必要がある。

幸いなことに水場周辺の通路は壁に遮られず吹き抜けになっている。

巻物で購入しておいた《フライ》の呪文を使用すれば容易にショートカットすることは可能だが呪文のリソースは出来るだけ残しておきたい。


「左手の分岐の先にある壁面を登った先に通路が続いていそうだ。

 壁を登攀するから、何人かは通路の上側を警戒しておいてくれ」


背負い袋から購入しておいた登攀道具を取り出しながら皆に呼びかける。

アイテムと呪文で強化した場合、6メートル程度の壁であれば"跳躍"で飛び乗ることは出来るのだがこの壁はそれよりもう少し高いため別の手段を取る必要があるのだ。

水場が近いためか壁の表面は少し滑りやすくなっているが、元々ある程度の手がかり足がかりとなる凹凸があるためよじ登ることが可能だ。

靴に滑り止めの金具をつけ、分岐を戻って水場上の通路へと移動したエレミアとメイの姿を確認してから壁に向う。

横ではルーと交代したフィアが蠍の上でこちらのサポートをするために待ってくれている。

通路の上の安全が確認できていれば彼女達だけを先に送り込めばいいのだが、先ほどのような術者の一斉攻撃があった場合にそれは危険すぎる。

ドラウエルフは呪文に対する抵抗を強く持ち合わせているとはいえ、完全なものではない。小柄で耐久力も低いだろうことから、余計なリスクを侵す必要はないだろう。


「俺より先に頭を出さないようにな。コボルドが潜んでいるかもしれない」


フィアと蠍に釘を刺し、頭の中で壁を登るためのルートを絞り込むと最初の手がかりとなる凹凸に手を伸ばした。

強化された筋力は、腕一本で自重を支えることも難しくない域に達している。おかげで落ち着いて登攀する分には余裕を持って行動することが出来た。

スルスルと壁を登る自分はまるで虫か何かになったような気分である。

順調に上へと進み、手すりを掴んでこっそりと頭を出す。対岸のエレミア達が動いていないことから今のところ脅威はないと思うのだが、念のためである。

どうやらこの水路沿いの通路部分には敵はいないようだ。

体全体を持ち上げ、念のため音を立てないように通路側に着地する。俺の後を追ってフィアも通路へと乗り込んできた。蠍はルーを運ぶために一度下へと降りていっている。

他のメンバーの登攀をサポートするため、購入していた縄梯子を付近の柱に結び付けて壁面へと垂らす。

分岐を戻って合流してきた二人がそれを使用して壁を登り、最後に後方からの敵襲を警戒していたラピスがその身軽さで縄梯子を足場にして、何度か跳躍するようにして登ってきた。

彼女が着地したのを確認してから、手早く縄梯子を巻き上げて片付ける。おそらくこの先も何度か使うことになるだろうし、回収は必須だ。

この先で何か危険に遭遇して逃げ出す必要があったとしても、メイが出身地のシャーンで購入してきたという《フェザー・フォール・タリスマン/軟着陸の護符》が全員に配られており高所からの落下による危険も回避されている。

一回使いきりのアイテムではあるが、安価でありかつ装備スロットを圧迫しない便利なアイテムである。

俺が縄梯子を片付けている間に、フィアが前方の偵察を済ませて戻ってきていた。


「この先に連中がバリケードを構築しているぞ。

 バリケードの手前に4匹、奥にも同じくらいの数がいるようだ」


高い暗視能力を持つドラウであり、その能力を活かす訓練を受けているフィアはやはり斥候としての適性がありそうだ。

敵の視認範囲外から確認したところ、木箱や樽を積み上げられた粗末なバリケードの周辺に報告どおり4匹のコボルドが群れている。

バリケードは所々銃眼として使われるのだろう隙間が開いており、その隙間からも何体かのコボルドが動き回っているのが見て取れる。


「とりあえず、出来る限り距離を詰めてから一気に仕掛けよう。

 エレミアはバリケードの前にいる連中の相手を頼む。

 俺があのバリケードを破壊するから、ラピスとフィアは向こうの連中の相手を頼む。

 一当てして手強いと感じたらすぐに退いてくれて構わない。

 メイは敵の術者に備えて《ディスペル・マジック》でカウンターする準備をしておいてくれ。

 ルーはメイに敵が近づかないようにサポートを」


一つ一つ説明してはいるが基本的には先ほどまでと同じ流れであり、昨晩打ち合わせた通りの作戦である。

俺とエレミアで戦線を維持、敵前衛の掃討。ラピスとフィアは身軽さを活かして敵の術者や後衛への強襲。メイは対術者のカウンタースペル、ルーはそのガード。

ルーのクレリックとしての能力を使うのであれば俺と配置を替えるべきなんだろうが、力の回復に時間がかかる現状彼女のリソースを使用することは極力避ける方針である。

皆の頷きを確認して、武器を"ソード・オブ・シャドウ"へと持ち替える。今度の通路は横幅も広く、両手持ちのグレートソードを振り回すのに十分なスペースがある。

この剣であれば障害物を破壊しながらの勢いでも十分コボルドを戦闘不能にすることが可能だろう。

皆の用意が整ったのを確認して、照明を消して足音を殺しながらバリケードへ接近を図った。

コボルドのいる位置には篝火が焚かれているが、その周囲をうろつくコボルドのせいで不規則に生まれる暗闇が連中の視界を妨げている。

連中の暗視能力は20メートル弱だ。そこまで近づけば一息で駆けて斬る事ができる。

靴底で床を擦るように、それでいて音を立てないようにじりじりと距離を詰めた。

時折歩き回っているコボルドの視線がこちらを向くが、今いる位置はまだ連中の視認距離外なためそのまま視線は横へと流れていく。

俺のゴーグルやルーの瞳による《トゥルー・シーイング》の呪文は、魔法による幻術を暴くだけではなく、コボルドの倍の距離の暗闇を見通す力を与えてくれる。

この効果と、皆の"忍び歩き"技能のおかげで有利な条件で戦闘を開始できるのだ。

そろそろ20メートルというところで一旦物陰に隠れて停止し、他の皆の様子を振り返って確認する。

皆ついてきていることを確認したため、俺は速度を減じない程度に足音を殺したまま一気に距離を詰めた。

最後までこちらに気付かなかった右手側に立つコボルドをすくい上げる様に、地面ギリギリからの一閃をお見舞いしてそのままの勢いでバリケードの上部を横殴りに斬りつける。

篝火の灯りを照り返して黒く輝くアダマンティンの刃は一匹目のコボルドの腰から肩を抜けるような軌跡を描き、バリケード上部に積まれていた木箱を破壊した。

そのまま勢いを殺さずに左側のコボルドに打ち下ろしたが、こちらは少々無理があったのか浅く斬りつけただけに終わった。

だが俺の後ろについていたエレミアが、斬られて後ろに下がったそのコボルドの頭蓋にシミターの無慈悲な一撃を見舞う。

頭の後ろ半分を斬り飛ばされたコボルドは、そのまま今しがた俺が砕いたバリケードの残骸へと倒れこむ。

俺達2人がそうやって開けた隙間に向ってラピスとフィアが駆け込んでいく。

フィアの報告どおり、バリケードの向こうにも4体のコボルドがいたようだ。

先ほどの一撃で砕けたバリケードの隙間から、丁度コボルド達の頭だけがこちらからも視認できる。

突然の襲撃にも慌てず対応しようと動いている様子が見て取れる辺り、入り口辺りにいた斥候よりは数段上の戦闘力を持っていると思われる。

とはいえ、元々がコボルドは戦闘に向いた種族ではない。小柄な体は接近戦でのリーチやパワーに欠けるし、術者としての素養も高くは無い。

数で圧倒することが信条の彼らに対して、奇襲で同数まで持ち込んだ上に連携を断ってしまえばこちらの優位は揺るがない。

懸念だった術者だが、バリケードのこちら側に1体がいただけだった。

立ち塞がろうとした壁役の前衛をその構えた小剣ごとグレートソードで兜割りにして両断し、障害がなくなったところをエレミアが接近したことで勝負はついた。

術を使おうとしたところを斬りつければ、余程の凄腕の術者でもない限り痛みなどにより精神集中を乱されて呪文の発動には失敗してしまうのだ。

あいにくこのコボルドの術者はエレミアの斬撃から身を護れるほどの技量は無かったようである。

おそらくは俺を巻き込む形で《ライトニング》の呪文を発動させようとしたのだろうが、エレミアに斬りつけられて呪文の発動は失敗。

その後は形勢不利と見て逃げ出そうとしたが、その隙だらけの背中をエレミアのシミターが逃すわけも無く斬りつけられこの地下道に骸を晒す事となった。

こちらが片付いたところでバリケードの向こう側を見ると、最後に残ったコボルドが2人に挟撃されて倒されたところだった。


「トーリから貰ったこの鎧は素晴らしいな。

 板金鎧並みの硬度がありながらまるで布のように体の動きを阻害しない上に、気配と足音を消すまじないまでかけられているとは」


先ほどから敵陣の中央へ切り込んでいるフィアが"デルヴィング・スーツ"を気に入ったようで使用感を報告してくれた。

あの鎧は俺のキャラクターも長い間装備していたお気に入りの品だけにそう言って貰えると嬉しさもひとしおである。


「フィアちゃんたちはいいですね~

 このローブの効果も試してみたいんですけど、私はなかなか出番がないです。

 もう少し距離を詰めていれば魔力を温存しながら攻撃する手段もあるんですけど」


後ろからメイが残念そうに反応しているのが聞こえてきた。

とはいえメイのいう《炎の爆発》という攻撃手段は射程距離が短いし、敵の術者へのカウンターを考えるとやはり《ディスペル・マジック》を用意しているメイには待機をしておいてほしいところだ。

現在、コボルド相手で火力が十分に足りているということも大きいのだが。


「コボルド相手に呪文に頼るのも勿体無いし、メイには後で沢山活躍してもらうよ。

 俺達が安心して攻撃に専念していられるのはいざというときにメイが控えてくれてるからなんだし、感謝してる」


装備でHPを補強しているとはいえ、《ライトニング》クラスの呪文は熟練の冒険者でも一撃で戦闘不能にしうる強力な呪文だ。

術者を野放しにしておくと一瞬で戦局をひっくり返されかねない。

コボルドの集団にこの呪文を使えるレベルの術者が混ざっているということがこの先の戦闘の厳しさを予感させる。

ルーの指示でバリケードを破壊している蠍の横を通り過ぎ、奥に進むと通路はすぐに行き止まりになっており、下のフロアへと続く大きなパイプが床の中央にあった。

パイプは床の部分を貫通したところで途切れており、その所々には足場となる支柱が点在している。

下のフロアは人工的な灯りに満たされており、なんらかの仕掛けがあるようだ。

サイズ的になんとか蠍でも通過できる大きさだが、上に戻る際には呪文を使用しなければならないだろう。

さてどうしたものか、と考えていると破壊を粗方終えたルーがやってきた。


「大丈夫。

 地下空洞に抜ければこの子は自力で帰ってこれる」


ふむ。確かにホブゴブリンの居住区はこのスチームトンネルの構造を抜けた自然の地下空洞にある。

あのあたりからであれば、壁なりを掘り進んで地上に抜けることができるということか。疲労を知らないウォーフォージドだからこその帰還方法だな。

瞬間移動のアイテムや巻物もそれなりの個数の準備があるし、連れて行っても問題なさそうだ。

護符を装備できない蠍には《フェザー・フォール/軟着陸》の付与されたクロークを背中に装備させている。それを利用して、蠍はパイプの中をゆっくりと降下していった。

俺もそれを追って空中に身を躍らせる。一つ下のフロアは広いホールになっており、床のタイルは複雑な魔法陣が書き込まれているのが判る。

ホールの中央には先ほどのパイプの続きと思われる下への通路が見受けられるが、その上には蓋がされており現在は通行不能だ。

パイプ途中の支柱に上から覗き込んでも見えないようにロープを結び、帰りのルートを確保して降りて来た他のメンバーの意見を聞いてみる。


「ゼンドリックの遺跡によく見られるパズルですね。

 これらの魔法陣の刻まれたパネルを回転させることで一つの回路を構築すれば解けるタイプのものだと思います」


メイが大学でゼンドリック探索の経験を持つ教授から聞いていた情報から、このフロアについての説明をしてくれた。

床のタイルはゲームでは見たまま回路図になっていたが、実際に眼にしたのは呪文に対する知識が無ければ理解できない図面だった。

余所者を立ち入らせないための仕掛けなんだから、確かにこのくらい手が込んでなければ無意味だとつい納得してしまう。


「間違った経路で回路を組むとトラップが発動するっていうのがよくあるパターンだね。

 四隅にある支柱にエネルギーが供給されると別の仕掛けが起動するみたいだし、それには注意した方がいい」


ラピスも秘術の心得があるため、またローグとして罠の事を念頭に置いて注意してくれた。

散々繰り返したクエストだけに、大体のパズルの解き方は頭に入っているがここはメイの働きを見守ることにしよう。

俺の目に映っている回路図が実際のところどういう働きをするものなのかは不明確だし、メイの作業を見ながら学んでおくのが良いという判断だ。

そんなメイは暫くの間周囲のパネルを見回しながら思考をめぐらせていたようだが、1分ほどするとテキパキと床のタイル模様を回転させはじめた。

俺たちは邪魔にならないよう少し離れたところでその様子を見学だ。

どうやらゲーム知識を基にした俺の見立てとメイの判断は一致しているようだ。ゲーム同様、床のパネルを使用した水道管ゲームのようなものだ。

水漏れの替わりに、トラップのキーとなる部分へエネルギーを供給しないように目的の位置までパイプをつなげればクリアとなる。

それほど難易度の高くない仕掛けだったこともあり、その後間も無くしてホール中央のパイプを塞いでいた蓋は開かれた。


「メイ、お疲れ様。おかげで勉強になったよ」


労いの言葉をかけつつ、メイに歩み寄る。


「大したことじゃありませんよ~

 呪文の心得がある人であれば、慣れたらすぐに解ける様になると思います。

 秘術を学び始めた子供が遊びで使うパズルキューブにも似たようなものはありますし」


メイがいうには何やらルービックキューブ的な玩具があるとの事。

機会があれば触らせてくれるようにお願いし、開いた階下へのパイプを覗き込んだ。

階下のフロアには死体が転がっている。ゲーム通りならばあれはネクロマンサーに操られたゾンビで、下のフロアに誰かが侵入するなり襲い掛かってきたはずだ。

俺が最初に降りようかと思ったが、ルーが蠍と共に降下するということで一緒に飛び降りることにする。

ゲーム通り、辺りの死体たちは俺たちが着地するや否や起き上がりゾンビとして活動を開始しようとした。

だが、あまり機敏とはいえない動作で起き上がること自体が隙だらけな行動である。

蠍の尾が一閃すると、間近にいた3体ほどのゾンビは上半身を抉られて再び崩れ落ちる。

少し離れたところに転がっていたゾンビたちは立ち上がることは出来たものの、その緩慢な動作ではとてもこちらに近づくことなど出来ずに他の死体同様の運命を辿った。

尾の先端から毒液の替わりに注入された強酸はゾンビの体を分解し、数秒後にはその臭気すら酸に分解されたのか辺りからはゾンビが存在した痕跡は一切残らなかった。


「《アニメイト・デッド/死体操り》か。

 どうしてこういう穴倉には趣味の悪い連中が決まって住み着いてるんだろうね」


「街中では不浄の術を行使できないからな。

 おそらくはここまで来た冒険者以外にも街の住人も犠牲になっているのだろう。

 見過ごすわけにはいかんな」


梯子の途中から様子を見ていたラピスとエレミアが、片付いたと見て下まで降りてきた。

俺にはもう感じられないがラピスは違うのか鼻を顰めている。暗視の無い二人はこの先視界が利かないようで陽光棒を取り出している。

メイとフィアも降りてきたのを確認してからこのフロアの探索を開始した。

上の階へと繋がるこの部屋からは一本の通路だけが伸びており、少し進んだところで十字路になっているのが見える。

正面の道はすぐに行き止まりになっており、壁には大きな扉が設置されている。

足音を殺して進み、壁際から左右の通路を確認する。本来であれば鏡などを使ってこっそり行うべきなのかもしれないが、照明を持って歩いている以上視線の通るところに敵がいれば既に発見されているだろう。

不意を撃たれても対応できるように武器を構えていた方が身のためだという判断で、小道具を使用せず直視による確認を選択したのだ。

幸い左右の通路共に見える範囲には敵はいない。記憶ではこの区画は上層へと繋がる部屋を中心とした四角の回廊で、4方向に扉があったはずだ。

目の前にある扉もその一つ。そしてこの外縁の曲がり角を越えた辺りで敵が出たように覚えている。

皆に合図して、通路の反対側へと移動する。通路側の壁役を蠍とエレミアに任せ、俺はラピスと扉の調査を行う。


「……特に罠の仕掛けはないし、呪文の痕跡もない。埃の感じからすると長い間出入りされてないみたいだね」


ラピスのお墨付きを貰ってから扉を開くと、中は10畳程度の小さな部屋だった。長い間使用されていたわりには不思議と小奇麗な印象を受ける。

部屋の隅にはどこからか流れてきている水が排水溝へと流れており、天井近くには空気の流れるダクトのようなものが複数開いている。

ゲーム中では回復ポイントだったこの部屋だが、確かに扉を閉じれば休憩には良い空間に思える。

とはいえ、まだ探索を始めて1時間程度。今のところ皆疲労もないようだし、とりあえずこの部屋は覚えておいて先に進むべきだろう。

そこまで思い至ったところで、廊下から何かが近づいてくる気配を察知した。

まだ俺とラピス、そして室内を調べていたメイは部屋の中におり通路側には3人しかいない。

慌てて警告を発しようとしたが、時遅く既に戦闘は開始されてしまった。


「生きてる奴らを殺せ! 今夜は奴らの肉で宴会だ!」


浮き出た骨格に死斑の浮いた肉が申し訳程度に貼りついている。窪んだ眼窩には灼熱した石炭のような赤い光が宿っており、鋭い牙が生えた口からは呪いの言葉を吐き出している。

コルソス島でも戦った『グール/食屍鬼』だ。


「包囲しろ! 誰も逃がすなよ!」


扉の開く音を聞きつけてやってきたのか、左右の通路からそれぞれ2体のアンデッドたちが押し寄せてきている。

だが連中の武器である病気や麻痺は、アダマンティンの蠍にはなんら効果を発揮することは無かった。

僅かに身動ぎしたかと思うと蠍は音も無く前進し、直後その両の鋏はそれぞれ1体のグールの胴体を両断していた。

まさに一瞬の出来事だった。十分に見切れる範囲ではあるが、今のパーティーでは最も鋭い攻撃を行うのは紛れも無くこの蠍だろう。

別の通路から向ってきた2匹にはエレミアが対しており、ダブルシミターの両端を使ってうまく牽制しつつダメージを与えているようだ。

後ろへ通さないことを考えて足止めに徹したために今の一交合では倒すには至らなかったようだが、元々がそう強い敵でもない。あと一当てもすれば滅ぼせるだろう。

そう考えていると、エレミアの後ろに位置していたフィアが背中に巻いていたスコーピオン・チェインをサイドステップから繰り出した。

彼女の背中越しに振られた鎖の、先端に繋がれたショートソードがその名の由来どおり蠍の尾のような軌道を描いて1体のグールを貫いた。

こうして後ろから見ていたから理解できたが、正面から対峙していたら見事な奇襲に対応できなかったかもしれない。

体に比してやや大きな武器のため手元に引き戻した小剣を扱うところにやや隙が伺えたものの、リーチの長い攻撃と今のような奇襲は十分な威力がある。

瞬く間に残り1体となったグールは間も無く殲滅されたが、引き続き左手の回廊から複数体の敵が迫ってくるのを感じる。


「まだ何か来るぞ!」


警告を発しながら前列に出てエレミアと肩を並べたその直後、曲がり角から顔を出したのは3体のスケルトンだった。

そのうち1体は手に背骨よりも長くて太い杖を持ち、こちらに《スコーチング・レイ》を放ってくる。


「きゃっ!」


俺とエレミアは左右に飛んで回避したものの、直進した2本の熱線は廊下に出ようとしていたメイの移動を妨げたようだ。

今のは失策だ。おそらく俺の装備している《火抵抗》の装備であれば被弾してもダメージは無かっただろうから、受け止めるべきだった。

無傷とはいえメイが頭を抑えられた状態のため、今敵のボーンメイジはフリーハンドだ。

2本の熱線を放つ技量から見て、上層で遭遇したコボルドの術者よりも高レベルのキャスターだと判断できる。

次に大規模魔法を放たれたら耐久力の低いメンバーは即死もありうる!

焦る俺の目の先で、不浄のオーラを纏った骸骨は新たな呪文回路を構築し始める。

広範囲に冷気を撒き散らす……オージルシークスの使用した《フィールド・オブ・アイシィ・レイザーズ/氷槍の平原》かと一瞬思ったが、それより低位の《アイス・ストーム/氷嵐》の呪文だ。

威力的には白竜の呪文に相当見劣りするものの、この呪文が完成すると荒れ狂う雹と風のせいで移動が阻害される。

おそらくそれによって生じる時間は、もう一手を敵の術者に撃たせる事になるだろう。

先ほどの《スコーチング・レイ》を回避したこちらの動きを見て足を止めに来たと見える。この敵は相当戦闘に長けているようだ。


「《ファイアー・ボール》!」


敵の呪文が完成しそうになったその瞬間、突如俺の横へと現れたメイが敵の術者に火球による攻撃を加えた。

召喚術士に特化した彼女の持つ空間歪曲能力で短距離のテレポートを行い、足止めされた分の距離を稼ぎなおしたのだろう。

彼女の纏ったブルー・ドラゴンの鱗で編まれたローブが、発動する秘術の効果を増幅して本来は小爆発程度の火力である《ファイアー・ボール》の呪文威力を何倍にも押し上げた。

爆発の中央にいたボーンメイジは直撃を受け、全身の骨を燃え上がらせながらバラバラに砕け散った。

前衛を務めていた2体のボーンナイトもその半身を焼かれ、爆風に煽られて壁面に叩きつけられると動かなくなった。

高位術者の誇る圧倒的火力が発揮された結果だ。一歩間違えば俺達が敵に似たような目に合わされていただろうことを考えると素直には喜べない。

が、今のはメイの機転のお蔭で助かった。


「助かったよ、メイ。今のは危なかった」


声を掛けながら横の彼女を見ると、自分でも吃驚しているというような表情でメイが固まっていた。


「呪文を妨害するつもりで放ったんですけど……

 なんかいつもの倍くらいの威力になっちゃいました」


きっと呪文がクリティカルヒットしたのだろう。本来範囲型呪文にはそういったことは起こらないのだが、彼女のローブはゲーム通りの能力であらゆる魔法に一定のクリティカル率と倍率を発生させる。

基本的には威力が高まるのはいいことだが、時に予想しない火力は悪手になることもある。

そのあたりを上手に制御できないと、特にこういった地下遺跡などの構造物内では使いづらいかもしれないな。


「メイ、この指輪を渡しておくよ。

 これを使えば今使った呪文の力を取り戻せると思うよ」


ブレスレットから指輪を一つ取り出し、メイに渡す。カータモンの依頼を受けていた際に使っていたSP回復の効果がチャージされているアイテムだ。

もう1種類、もっと高い効果を持つ手袋もあるのだが素材や見た目がエグいためとてもじゃないが世間に出せる代物ではないため、こちらのアイテムを渡すことにした。


「……確かに、流れ出した力がまた満たされていくのを感じます。

 『パール・オヴ・パワー/力の真珠』に似た効果でしょうか?

 でもまだ指輪に力が残されているみたい」


掌で握り締めてその効果を発動させたメイは、瞳を閉じながら力の流れを感じ取っているようだ。


「1日3回使えるはずだ。

 余らせていても仕方ないし、機会があったらどんどん使ってね」


彼女に準備してもらっている呪文は先ほどのようにあるかないかで戦局を一変させる効果を持つものだ。

高レベル術者の存在はお互いにとってそれだけ重要なのである。

長期戦も予想されるし、呪文が尽きたせいで敗北するなんて事態は招きたくない。


「ありがとうございます。暫くの間お借りしますね」


メイの消費したリソースはこれで回復できた。

今のところ誰も怪我をしていないので俺も呪文は毎朝準備しているもの以外は使っていないし、危険な遭遇が続いた割には順調な滑り出しだ。

幸いこのあたりに他のアンデッドはもういないのか、先ほどの轟音を聞いても近寄ってくる気配は無い。


「もしさっきのグール達が自然発生したものじゃなくて呪文によって創造されたものだとしたらやっかいだね。

 《クリエイト・アンデッド》は蘇生を上回る階梯の呪文だし」


出遅れていたラピスが前に出て周囲を警戒しながら話しかけてきた。

ここでラピスの言う蘇生は《レイズ・デッド》という死者蘇生の中では一番低い階梯の呪文だ。

0~9まである呪文階梯の中で《レイズ・デッド》は第五、《クリエイト・アンデッド》は第六階梯だ。

《ライトニング》《ファイアー・ボール》は第三でメイがここまでの呪文を使用できる。先ほどの敵が詠唱していた《アイス・ストーム》が第四。

ちなみにオージルシークスの使用した《フィールド・オブ・アイシィ・レイザーズ》が第八、《タイムストップ》は第九階梯といえばあの白竜の理不尽さがわかってもらえるのではないかと思う。

ともあれ、ひょっとしたら俺達よりも大分レベルの高い敵がここに潜んでいるかもしれないということだ。

基本的にそういう連中は徒党を組まずにいるだろうことと、術者であれば打たれ弱いだろうことがこちらのつけいるポイントになるだろう。


「よし、それじゃ他の区画の探索を続けよう。

 エレミアとフィアは後方への警戒を頼む」


前列に立った俺は罠の警戒をラピスに任せ、敵襲に備えた。

極端な場合だと実体を持たないレイスなどの場合、床下から突然襲い掛かってくることもあるのだ。

だが先ほどの増援でやはりこのあたりの敵は打ち止めだったらしい。ぐるっと1周回るように回廊を進み、残ったのは休憩可能な部屋の反対側に位置する1枚の扉のみとなった。


「この奥から不浄な気配が漂ってきているようだな」


エレミアの言葉に皆が頷いた。おそらく呪的にも冒涜されているのだろう、明らかに感じられる異様な雰囲気が肌にも伝わってくるようだ。

扉には罠はなく、かけられていた鍵はラピスによって既に解錠されている。

《アラーム》などの呪文が掛けられている痕跡も感じられない。

どちらにせよ先に進むにはこの扉を越えなければならないのは確かなのだ。俺は覚悟を決めて扉に手をかけた。

扉の先は円形のパイプが横向きに壁の中を走る通路になっており、少し進んだ先は狭い部屋になっているようだった。

見える範囲には脅威らしきものは見当たらない。

念のためハンドサインで合図をかわし、俺が最初に踏み込むことになった。

歩きづらいパイプの中を進み、奥の部屋に足を踏み入れたところで気配を殺していたコボルド達の奇襲が俺を待ち受けていた!

元々小柄なコボルド達が伏せるように低い体勢から、部屋に踏み入れた俺の足首を狙って斬りつけてくる。

慌てて部屋の中へと1歩ステップしながら回避したが、そこで足場に違和感を感じた。どうやら粘着剤を予めこの部屋中央にばら撒いていたようだ。

ブーツが樹脂により床に貼り付けられ、身動きの取れなくなったところにコボルド・シャーマンの詠唱する《ライトニング》が俺に向って放たれる。

原始的な罠ではあるが確かに効果的だ。俺のブーツには《フリーダム・オヴ・ムーヴメント》という呪文が付与されているがこの効果は水中や組み付き、あるいは呪文による移動阻害効果には完全耐性を与えてくれるがこのような罠は効果範囲外だ。

両足が固定されている状態では流石に迫る雷光の直撃を避けることは出来ず、俺の体の中心を稲光が貫通した。

装備しているアイテムで増幅されていたヒットポイントが一気に半分ほど削られたのを感じる。

おそらく《即時呪文威力最大化》により強化された呪文だったのだろう、通常では考えられない威力の攻撃だった。

だがそれを受けても俺が倒れなかったことを見た連中はさらなる追加攻撃を加えるつもりのようだ。

封じられている下半身を狙って5体ものコボルドがこちらに殺到してきた。

とりあえず呪文による短距離転移を試みようとした時、俺の口から声が出ないことに気付く!

コボルド達が普通に音を立てているところからして、特定の侵入者のみに作用する《サイレンス》の呪文がこのあたりには定着しているのだろう。

これでは後続のラピスやエレミアにコボルド達の仕掛けを警告することも出来ない。

無駄になった呪文の詠唱を放棄、力尽くで床からブーツを引き剥がして迫るコボルド達を迎撃する。

体の自由さえ戻っていればコボルドなど敵ではない。

やや防御への意識を割り引くことになるが、迫ってくるコボルド達の攻撃の隙を突く事で5体全てに反撃を加えて地面に伏せさせた。

瀕死で横たわっているコボルド達を足場にして、こちらに追加の呪文攻撃を行おうとしているコボルド・シャーマンに飛び掛った。

暗闇に緑に光る酸の残滓を振りまきながら打ち下ろされたコペシュがコボルドの頭蓋に滑り込む。

《サイレンス》の効果のため斬撃の音はしないが、コボルドの体が倒れ酸に溶ける音が狭い室内に響く。

左右に細長い構造をしていたこの部屋は、その両端に扉を備えていたようだ。最後のシャーマンが倒れた瞬間にその両方の扉が開放された。

俺の目の前の扉の先からは大勢のコボルドが向ってくる様子が眼に入る。もう一方、背中側の扉の先には確かゲームではネクロマンサーがいたはずだ。

いずれにせよ発声を封じられている状況ではこちらのみが呪文を封じられた不利を負い、その上この部屋の中では挟撃される状態にある。

一旦後ろに下がって態勢を立て直すべきかと考えたその時、部屋を満たしていた《サイレンス》の呪文効果が消失した。

効果範囲外だったパイプの通路からメイが《ディスペル・マジック》を使用したんだろう。

メイのその行動を待って、ラピスとエレミアが部屋の中に突入してくる。

どうやら先ほどの俺の動きを見て、床に仕掛けがあることは察しているようだ。


「2人とも、こっちを頼む!」


咄嗟に判断し、二人とスイッチして俺はネクロマンサーが潜んでいるだろう反対側の扉へと向う。

だが既にタイミングは遅く、通路の向こうの薄暗がりの中1人の人間が呪文の詠唱を終えていた。

天井から轟音が響いたかと思うと、突然信仰の力を帯びた業火の柱が部屋に落下してきた。《フレイム・ストライク》の呪文だ!

炎の影響は《火抵抗》の装備で軽減できたが、付加されている信仰エネルギーが部屋中を吹き荒れる。

純粋な打撃力に変換されたパワーに翻弄され、床に伏せていたコボルド達が絶命する。

幸い、今の呪文は部屋の中にしか効果を現さなかったようだ。通路にいる残りの三人+1に被害は無い。

後ろでラピスが《ホールド・ポータル》の呪文で反対側の扉を封鎖したのを感じる。これで一先ず挟撃の危険は薄れた。

攻撃呪文の影響を完全に防ぐことは出来なかったエレミアに《高速化》と《光線化》により起動した回復呪文を飛ばしつつ、死霊術士のいる部屋に向ってパイプの中を突進した。

だが部屋を繋ぐパイプに足を踏み入れた際に薄い膜を潜り抜けたような感触と、それに遅れて全身を衝撃が貫いた。

《フォービダンス/立入禁止》、術者と異なる属性を持つ侵入者に害を与える結界系の呪文の効果だ。再びアイテムにより補強されたヒットポイントが削られる。

さらにパイプの周囲に刻まれていた禍々しいルーンが視界に入ると、その文字は突如赤く光ってその内に込められた呪文エネルギーを解放した。

《グリフ・オヴ・ウォーディング/守りの秘文》、その上級だと思われる呪文の効果だ。

咄嗟に勢いを加速して先へと踏み込んだ俺の背中で、解き放たれた呪文エネルギーが吹き荒れているのを感じる。

10メートルほどのパイプを走り抜ける間、都合6回もの爆発を背後に置き去りにすることになった。

これがゲームだったらあまりに入念な防備の固さに設定した人間をクソDM、と罵るところだが残念ながらここにその言葉を向ける対象はいない。

この通路に最初に踏み込んだのが俺でなければ、間違いなく死んでいる。

そしてようやく目的の部屋へと踏み入ると、かろうじて聞き取れるほど微かな命なき者の呻き声が耳に入り全身に寒気が走った。

目の前にはこの階層の全てのアンデッドの源であろうネクロマンサーが1人。だがその周囲には多くの命亡き者が佇んでいた。


「機敏な動きはまるで蝿のようだな。貴様を素材とすればさぞ素晴らしい死者が生まれるに違いない。

 さあ、ひれ伏すが良い!


死と腐敗を司る暗黒六帝が一柱、キーパーのシンボルが刻まれたローブを身に纏ったクレリックが周囲の死者に号令を下すと腐肉と骨の軍勢がこちらに押し寄せてきた。

そしてその言葉には対象を屈服させる《コマンド/命令》の呪言が乗せられていた様だが、生憎チートされた俺の抵抗力を貫くには至らなかったようだ。

だが放たれた軍勢は明らかに俺1人に差し向けるには多い物量だ。おそらく後ろに居るエレミア達にも向わせるつもりなんだろう。

流石に出し惜しみしている状況ではない。幸い爆発に背中を押された俺と《フォービタンス》の呪文の影響でパイプの手前で立ち止まってくれている皆の間には距離が開いている。

今であれば皆を巻き込まずに範囲呪文で攻撃することが可能だ。

俺は掌を敵の首魁に向けると、アイテムにチャージされた呪文の効果を発動させた。

この部屋にはメイのディスペルが届いていないために《サイレンス》の効果が残っているが、アイテムの起動には声を出す必要はないのだ。

直径50センチを越える火球が4つ、差し伸べた手の示す方向へと直進すると悪のクレリックへと殺到して爆発した。

単発では先ほどのメイのファイアー・ボールにやや劣るとはいえ、それが4つ同時に炸裂したのだ。

術者である俺のところまで爆風と熱波が押し寄せてきたが、ローグの身かわし能力と装備による《火抵抗》のおかげでダメージは無い。

少々乱暴ではあるが、今のタイミングを逃すとアンデッドたちが散開して面倒になっていたと思えば悪くないやり方だったと思う。

案の定、爆発の中心となったネクロマンサーは跡形も無く消滅していた。彼の率いていた軍勢もその全てが広範囲に渡った爆発によって原形を留めていない。

高レベルの敵だけにひょっとしたら良い装備をしていたかもしれないが、《メテオ・スウォーム》でそれらの品も全て焼却されてしまったようだ。その点は残念かもしれない。

部屋を見回して既に脅威が残っていないことを確認して意識を切り替える。ラピスの《ホールド・ポータル》は数分で効果が途切れるはずだ。

そうするとコボルドの群れがあの部屋に突入してくることになる。とりあえず急いでそれに対応しなければならないだろう。

踵を返し、パイプの通路を通って皆のいる部屋へと戻った。


「呪文が解けるまであと1分ってところだよ。どうする?」


通路を抜けたところでラピスから声を掛けられた。

皆の視線はコボルド達が反対側から叩いている扉へと向けられている。このままこの部屋で迎え撃つか、あるいは一度退くかということだろう。

部屋の中央に仕掛けられていた粘着床は先ほどの《フレイム・ストライク》で焼き払われており、戦闘に支障は無さそうだ。

後ろに下がるといってもこちらに有利な地形があるわけではないし、ここで迎撃しても大差は無いだろう。

そう判断した俺はブレスレットから1本のワンドを取り出すと、チャージされている《レジスト・エナジー》の呪文を使用して皆に敵の《ライトニング》への抵抗力を付与した。


「ここで迎え撃つ。俺とエレミアで敵前衛を止める。範囲呪文が来るだろうけど、エレミアには今付与した抵抗でなんとか凌いで貰う。

 ラピスとフィアは敵の数が減ったらまた敵の術者を狙ってくれ。

 メイは敵の中心に攻撃呪文を叩き込んで、敵の数を減らした後でこの巻物を使って蠍を敵の後衛まで運んでくれ」


指示を出してメイに《ディメンジョン・ドア》のスクロールを渡したところで呪文の効果時間が切れたようで封じられていた扉が開け放たれた。

敵前衛の頭の上を火球が飛び越えてきてこちらの部屋の中央で炸裂した。敵の術者による《ファイアー・ボール》だ。

身かわし能力を持たないメンバーも予想していた攻撃であることからダメージを受け流すことに成功したようだ。

直撃でなければ装備の《火抵抗》の効果によりダメージを受けることはない。

両腕でショートスピアを構えたコボルドのウォリアーたちが爆発の収まった部屋の中に突撃してくるが、彼らの鼻先でメイの《炎の爆発》が炸裂した。

4体ほどのゴブリンが炎にまかれるが、流石に呪文のリソースを使用しない攻撃では倒れるほどのダメージは与えられなかったようで勢いを殺さずにこちらに向ってくる。

だが、程よく手傷を負った彼らの攻撃はもはや隙を曝け出す行為でしかない。

体ごと突っ込んできた第一波の攻撃をサイドステップして回避し、無防備な背中から首筋へと武器を振り下ろす。

続いて向ってきた第二波には体を捩るだけで槍の穂先を反らすと、敵の股間から頭部を振り上げた剣で両断した。

横ではエレミアが敵の攻撃を受け止めて返す刀でコボルドを倒しているのが見えるが、相手の勢いを利用して倒した俺は既に次のアクションへと移っていた。

敵のほうへと一歩踏み出し、今ほど二匹のコボルドを仕留めた武器を振って通路にいるコボルド達を"威圧"した。

俺の気迫に気圧されたのか、敵の動きが鈍った隙を突いてラピスとフィアが連中の頭上を巧みな"軽業"で擦り抜けて行き、先ほど《ファイアー・ボール》を放った術者へと攻撃を仕掛けていく。

死地に置かれたと判断したその術者は《ホールド・パーソン》と思われる呪文を紡いで彼女達の動きを止めようとしたが、戦士2人に挟撃された状態で呪文を発動できるほどの集中力は無かったようですぐに打ち倒されていた。

そのさらに後ろに別の術者が控えていたが、そこには既にメイが蠍を連れて《ディメンジョン・ドア》の呪文による転移からの急襲を仕掛けている。

あの蠍の鋏に捕えられたが最後、もはや哀れなコボルドの命は潰えたと言っていいだろう。

苦し紛れに《ライトニング》を放ったようだが、先ほど付与した呪文のおかげで効いている様には見えない。逆に鉄装甲を伝わってきた電流で自分にダメージがいっている有様だ。

後は僅かに残ったコボルド・ウォリアー達の掃討を残すのみである。


「チェック・メイトだな」


視界の隅で上下に分割されたコボルド・シャーマンの肉体が蠍の高く掲げた鋏から零れ落ちるのを確認しながら、通路に閉じこめられた哀れなコボルド達に向って俺は足を踏み出した。



掃討の終わった三つの部屋を探索したところ、最後のコボルド達が押し寄せてきた部屋に階下へと繋がるパイプを発見した。

埃の積もった蓋を開けてみると梯子が備え付けられており、往来に支障は無さそうだ。

先ほどの戦闘で削られたヒットポイントをポーションで回復しながら休憩していると、他の部屋などを探索していた皆が作業を終えたようでこちらに集まってきた。


「あっちの部屋は魔法の炎で焼かれたせいか、めぼしい物は見当たらなかったよ。

 この部屋に居たコボルドの術者がいくつか魔法の指輪を装備していたのでそれが収穫かな」


ラピスが指輪を二つほど掌で転がしていたのを受け取り、軽く握ってブレスレットに転送してみたところその効果が判別された。

反発の力場を装備した本人に与える防護の指輪のようだ。既に皆にはこれより強力な防護効果のある品を渡しているし、換金対象だろうな。

元の掌の上に指輪を排出し、効果を伝えつつラピスに返す。


「死霊術士さんの居た部屋は高度な呪文で護られていますし、探索するのなら解呪が必要ですけどちょっと分が悪いですね。

 今のところは入り口の扉を《アーケイン・ロック》で封鎖して、帰り道に余裕があれば確認すればいいんじゃないでしょうか」


奥の部屋にかけられている呪文を調べていたメイがその結果を伝えてくれる。とりあえずその判断で良さそうだ。

先ほどの《サイレンス》を部分的に解呪できたことがそもそも運が良かった出来事なのだ。

残念ながらあのネクロマンサーの術者としての技量は俺達のパーティーの誰よりも高いため、解呪はじっくりと腰を据えて行う必要があるだろう。

今の俺達には他に優先すべき目標がある以上、後回しでいいだろう。部屋中を高威力の呪文で焼き払ったため実入りが期待できないということもあるが。

リソース節約のために購入しておいた《アーケイン・ロック》のスクロールをメイに渡し、処置をお願いしてもう少し休憩を続けさせてもらうことにする。

先ほど回復のために飲んだポーションが腹にたまって少々気持ち悪いのだ。

傷を直す分にはすぐに取り込まれて吸収されるのだが、オーバードーズしてしまうと胃にもたれるのである。

飲み込んだその瞬間に効果を失ってしまうため、いま胃に残っているのは何の役にも立たない液体でしかない。

とはいえ俺以外の皆も負傷こそ無いものの、度重なる戦闘の連続で目に見えない疲労が溜まっていることが考えられる。

なので全員集まったところで10分ほどの小休憩を取り、それから階下へと進むことになった。



降り立った階下のフロアにはこれまでと似たような構造の地下通路が伸びていた。

先ほどの死霊術士またはコボルドが使用していたのか、正面の通路を進んだ突き当りには錬金術に使用する作業台が置かれている。

だがこのフロアにはコボルドの気配は無い。既に彼らの防衛線は突破してしまったものと思われる。

先ほどの行き止まりを除けば一本道の通路を進む。

何度かの曲がり角を越えたところで、前方のホールらしき空間に動く影を発見した。

標準的な人間よりはやや低い身長に長い尾がついており、筋肉質の体はまだら模様の鱗に覆われている。

トログロダイトだ。数本のジャベリンをそれぞれ背負った二足歩行する爬虫類といった姿の彼らは、こちらが使っている陽光棒の灯りを発見したのか威嚇の構えを取っている。

4匹ほどが視界に入り、戦闘態勢に入っている。あの種族は非常に好戦的で、人型生物を食らうのを特に好んでいる。戦闘は避けられないだろう。

こちらで彼らを視認出来ているのは俺とルーだけだ。

流石にこの距離であればジャベリンによる攻撃も当たらないとは思うが、一方的に攻撃される状況はよろしくない。


「前方にトログロダイトが4匹。こっちを狙っている!」


簡単に事情を説明した後で前方へ向けて駆け出した。

そんな俺目掛けて狙い通りジャベリンの集中砲火が行われるが、まだ距離が遠いためか警戒には値しない。

どうやらまだ若い連中のようで、錬度は高くないようだ。見当違いの方向に飛んで行ったジャベリンも一本見受けられた。

俺の後ろにはルーを乗せた蠍が寄り添うように追従してきている。

他の四人は敵を視認出来ていなかったためか初動が遅れているが、この程度の連中であれば特に問題は無いだろう。


「Hssssssssss.... Go back to the surface, scum!」


おそらくは竜語だろうと思われる言語で何かの脅しを言っているのだろうが、爬虫類独特の発声器官から発される声にはシューッという音が多く混じっていて聞き取れない。

固い外皮の上に薄手の皮鎧で所々を覆っているようだが、動きが止まっているように見えるのであればそんな装甲は無いも同然だ。

強酸を振りまくコペシュでその首を横薙ぎに切り落とす。爬虫類らしい強靭な生命力か、頭部を切り離されても胴体は直立を暫く保ったままでいたがやがて尻尾が痙攣するとその動きに吊られる様にして残った胴体も倒れこんだ。

無論その間にも俺は他のトログロダイトを仕留めている。悪臭にさえ気をつければ大した敵ではないし、戦闘能力でいえば先ほど大量に戦ったコボルドのウォリアーと大差ない。

結局、後続の皆が到着する頃にはすべてのトログロダイトは始末されていた。


「うーん、近くに巣があるなら最初に増援を呼びにいったと思いますし。

 トーリさんが仰るように練度が低いということでしたら、この辺りを縄張りにしようと移動してきた一孵りの兄弟かもしれませんね」


メイが状況を分析して意見を述べてくれた。

確かに巣があるなら普通20体からの群れがいるはずで、この4体だけというのは少なすぎる。

ホールの中央は掘り下げられており、その底は水で満たされていることを考えるとこの水路を伝ってどこからか移動してきた連中と考えることが出来る。

付近には二箇所の扉が見えたが、それ以外にはこのホールの中には特筆すべきところは無い。

あのトログロダイトたちが生活していた痕跡も僅かしか見当たらないのだ。

無論この水路の先に進めば何かあるのかもしれないが、水中で戦闘するかもしれないリスクを考えればわざわざ探索しようとは思わない。


「ならここの脅威は排除できたと考えていいか。

 扉の先に進もう」


既に扉自体は開けてあり、片方が行き止まりになっていることも確認済みだ。

一方の扉が開閉のギミックが水路の先にあるようでやむ無く"ソード・オブ・シャドウ”で切り抜くことになったのは余談だ。

扉を抜けた先に続く通路を進んでいると、やがて周囲は鉄と大理石からなる人工物の通路から土と植物が露出した自然洞窟へと変化していた。

目の前に広がる深い縦穴は巨大な胞子類が足場として利用できる自然の階段になっているようだ。


「確かこの先は蜘蛛の巣、だったか。蟲の類は天然の狩人だ。

 不意打ちに注意しなければならないな」


エレミアの声にも少し緊張が混じっているように感じる。ゲームでも難易度が上がるにつれて蜘蛛や蠍は強敵として立ち塞がってきた。

クエストのラスボスよりダンジョン入り口にいる1匹の蜘蛛の方が強いなんてことがあるくらいだ。

この『シャン・ト・コーの印璽』に関わるクエストではそこまでの危険な敵はいなかったはずだが、油断は出来ない。

蜘蛛の特徴として暗視以外に振動感知といって、同じ地面に接している対象の動きを察知するというものがある。

種類によっては遠距離から糸を吐きつけてくる連中もいる。

この洞窟に住んでいるのはそういった種類の蜘蛛のようで、所々に吐き出された蜘蛛の糸が固まっているのが見える。

中には人間どころか巨人すら飲み込んでしまいそうな大きな糸の塊も存在している。

元居た世界では考えられなかった、車サイズの蜘蛛がこの先には潜んでいるという証左だろう。

取り出した投光式のランタンを使用し、慎重に進行方向とその周囲を索敵しながら進む。

ちなみに蠍は流石に天然の植物の足場を利用することは出来ず、ルーを降ろして壁際の斜面を降りたり穴を掘って壁面を移動したりしている。

開けた空間で全周方向を警戒しながら進むというのは思っていたより疲れる作業だ。

何しろこの足場にしている茸の傘部分、その裏側に連中が張り付いているかもしれないのである。

あまり頓着せずに先へと進んでいくラピスの姿を見ていると、俺が現代人的に蟲に過敏になっているだけかもしれないと思ってしまうのだがこればっかりは性分だ。

不意打ちされたとしても余程の事がない限り凌げるはずだが、今はとてもそんな気持ちにはなれない。

巨大な蟲というのは、もう存在しているだけで俺の心にプレッシャーを与えてくるのである。別にトラウマとかを持っているわけではないのだが。

そうやってビクつきながら進んでいると、やがて縦穴の途中に壁面から突き出したそれなりの広さがある土のでっぱりに1匹の蜘蛛が陣取っているのが見えた。

馬ほどの胴体に、8本の足が生えておりそのいずれもが凶悪な爪を生やしている。頭部の巨大な顎は人間の上半身くらい容易に飲み込んでしまいそうなほどだ。

こうして見るとやはり生理的嫌悪感が強く湧いてくる。

そのうち接近戦を行わなければいけないのだが、今は遠距離から始末することにする。

問題の先送りという無かれ。徐々に慣れていけばいいのだ。

《スコーチング・レイ》の呪文は連中の知覚範囲に踏み込まなければ届かないので、エレミアと横に並んで弓を構える。

2人とも使っているのは使い勝手の良い"シルバー・ロングボウ"である。

蟲には付与されている『ホーリー』の効果は発動しないが、それを抜きにしても高い殺傷力を有しているのだ。

タイミングを合わせ、一呼吸の内に複数の矢を射掛けた。

狙い違わずその巨大な頭部に全ての矢が吸い込まれるように命中し、巨大な蜘蛛はやがて微かに痙攣したかと思うとひっくり返って動かなくなった。

一瞬擬態である可能性も脳裏を過ぎったが、今の十分な手応えからしてその可能性は無いだろう。

その屍骸に近寄ってみたが、八本の足それぞれが俺の胴体くらいの太さがあった。体を覆っている体毛自体が鉄のように固い。ファンタジーの大自然の恐ろしさを感じさせてくれる。

その後縦穴では特に遭遇も無く底までたどり着き、10メートルほどの高さの自然洞窟を進むことになった。

どうやらこちらが蜘蛛の本営に近いようだ。そこら中に蜘蛛の糸が張り巡らされており、哀れな犠牲者が白い繭に包まれるようにして天井から吊るされている。

火属性が付与されたシミターで糸を切り裂きながら進み、時折現れる巨大蜘蛛をメイの呪文の援護射撃を受けながら倒していくと滴る水音が岩に響く反響音が聞こえてきた。


「前方に水場があるみたいだな」


何体かの蜘蛛と切り結んでいる間になんとか迫り来る巨大蟲にも慣れる事が出来たようだ。周囲の状況にも冷静に対応できるようになってきた。

最初頭上から突然降ってきた蜘蛛に押しつぶされそうになった時には悲鳴を上げそうになってしまったが、逆に言えばあの経験がショック療法になったのかもしれない。

とはいえ長い間視界に映っていると気分が悪くなるのは確かで、今は間合いに収まるや否やシミターで斬りつけて焼き殺している次第だ。

強力な火属性が付与されたこの剣で切りつけられた敵は死体すら残さず焼き尽くされる。全く以って有難いことだ。


「フフッ、しかしトーリにも意外な弱点があったもんだね。

 子供じゃあるまいし、蜘蛛が怖いなんてさ」


横を歩いているラピスが楽しそうに笑いながら話しかけてくる。


「……俺の住んでたところじゃ、蜘蛛なんてのはいいとこ掌サイズまでだったんだ。

 どうもあの種の足が多くてデカイ蟲は苦手なんだよ」


蟲類の口ってのはどうしてああも凶悪に見えるのか。


「その気持ちは解かりますよ~

 私も蟲や、海の生物とかはちょっと苦手ですし」


メイがそんな発言をした辺りで、視界に水場が映った。

浅いが澄んだ水に覆われた水辺には3体の大型蜘蛛が身を伏せていたが、メイの《炎の爆発》を受けて追い立てられるようにこちらに向ってきたところをエレミアと並んで斬り伏せた。


「だが、もう随分慣れた様だな。

 我らもあの巨体に押さえつけられてしまっては厳しいところだが、今のトーリであればそうなる前に今のように斬り伏せられよう」


巨大クリーチャーの怖ろしいところは、その体格を活かした組み付き攻撃だ。やはり接近戦でものをいうのはウェイトなのである。

動物や蟲の類は、生来の狩りの手段としてその手法に長けているのがまた厄介なのだ。とはいえ、俺の場合はブーツの効果で押さえ込まれないというチート状態なのでその点は問題ないわけだが。


「ま、このあたりのサイズならまだ可愛らしいもんだよ。

 世の中には足の太さだけで巨人の胴体くらいある蜘蛛だっているんだ」


「そうだな。我々の村の近くにも家のように巨大な蜘蛛が縄張りを持っていた。

 その毒は象すら瞬く間に昏倒させるという話だ」


ラピスとフィアの遣り取りを聞いて、また少しゲンナリしてしまう。

確かにデータブロックには身の丈20メートルを越える蜘蛛も掲載されていたが、そんな怪獣相手に刃物片手に肉弾戦とか例えレベルがカンストしていても遠慮したい。

とはいえ、確かにエレミアの言うとおりこんな無駄話をしながらでも対処できる程度には慣れてきたのは良いことだ。

所詮蟲ということもあって行動パターンは呆れるほど単調。不意打ちさえされなければ蹴散らすことは容易だ。

相手の大きさも、発見しやすいという点では有利に働いているといえる。視認範囲外の頭上から突然降ってくるなんてハプニングさえ無ければだが。

水場を越えて少し歩いたところで、今度は前方から派手な水音が聞こえてきた。どうやらこんな地下に滝でもあるようだ。

さらに深い地下へと誘う穴を降りたところ、前方に広がる空間には深い峡谷に架かる橋とその両側で天井から地底へと流れていく滝が見えた。

二日前の夜にルーの星詠みで見た光景だ。

ついに俺たちはスチームトンネルを抜け、地下に住まう『クローグン・ジョー族』の城塞に辿り着いたのだ。



[12354] 2-9.シール・オヴ・シャン・ト・コー
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2012/01/05 23:14
ホブゴブリンの城塞へと続く地底橋を発見した俺たちは、一旦水場付近まで後退した。

遠目に確認したところでは、橋の中ほどに数名の衛兵、そして士官と思われる大柄な兵士が駐屯していた。

対岸は巨大な門で地下空洞自体を覆うように閉ざされており、迂回するルートは見当たらない。

あの門を突破しなければ彼らの領域、その深きにある『シャン・ト・コーの間』へは辿り着けない様だ。

無論範囲型の心術などで一時的に制圧し、無血で潜入することは不可能ではない。

だが、以前のエピソードからして俺達が目的を果たせば彼らは執拗に追ってくるだろう。それこそ、ストームリーチの地上にまで。

例えスチームトンネルを封鎖しても、この広大な地下空間のどこかから地上へ抜ける道はいくつも用意されているはずだ。

故に俺たちは、『シャン・ト・コーの印璽』を回収するだけではなく彼らの戦力にも十分な打撃を与える必要がある。

そういう意味では戦力を各個撃破できる機会として、あの橋を守る部隊はここで殲滅しておくべきだろう。

基本方針を決定した後、消耗したリソースを回復するためにメイに《呪文持続時間延長》のロッドを使った《ロープ・トリック》の呪文を唱えてもらい、休憩を取ることにした。

この呪文は安全な異次元空間へと接続し、そこでの休息を可能とする。TRPGでも冒険中によくお世話になった呪文である。

異空間へと繋がるロープを格納すると、大きさに関わらず7体までのクリーチャーが休息可能ということで俺達にも丁度いい。

呪文の媒介となった時点でロープも強度が固定され、巨大な鉄の塊である蠍すら支えることが可能になる。

だが、何やら蠍は遠慮しているようで先ほどから俺の視界から逃れるように動き回っている。


「トーリがさっき蟲が苦手って言ったから」


横に立つルーが通訳してくれた。そういえば蠍は甲殻類じゃなくて蜘蛛の仲間なんだっけ?

うーむ、それで気にしてるのか。なんというか、人間味溢れる蠍だな。

少し離れた岩陰に身を隠している蠍に近寄って誤解を解くことにした。

なんと俺が近づくと地面に潜って逃げようとしたので、咄嗟に尻尾を掴んで逃がさないようにすることに。

とはいえ、重さと勢いからして俺が蠍の動きを制止できるわけがない。蠍が地中に引きずり込みかけた俺を慮って動きを止めてくれたといった方が正しい。


「まあ待てって、確かに蟲は苦手って言ったけどさ。

 お前のことは頼りにしてるし、心強い仲間だと思ってるんだぜ。

 気を悪くしたみたいで悪かった。謝るよ」


それに蟲といっても、昆虫っぽいのは比較的マシなのだ。

人間サイズのクワガタとかが出てきたら話は違うかもしれないが、少なくともこの鉄蠍についてはもはやルーを乗せている姿からしてマスコット感覚。

嫌悪感など沸くはずも無い。

大丈夫ということをアピールするために、クロークに覆われた背中部分に腰掛けてみた。

アダマンティンの装甲が固くてゴテゴテしているのかと思っていたが、確かに表面は固いものの装甲の下のボディ部分にクッションがあるのかサスペンションが効いていて中々の座り心地である。

四対の歩脚を器用に動かし、揺れを感じさせない動きで皆の下まで移動していく。


「仲直り。良かったね」


ルーが戻ってきた蠍の頭を撫でている。蠍も上機嫌なのか、その尾をゆらゆらと揺らしながら撫でられている。


「そういや、こいつに名前ってないのか?」


初対面のときにフィアが『ヴァルクーアの使い』と言っていたが、それは種族名のようなもので固体名ではないだろう。

TRPGでデータ化されていたウォーフォージド・スコーピオンは、ドラウがゼンドリック大陸にある過去の遺跡を利用して彼らの崇める蠍神を讃えるために創り出したといわれている。

俺の目の前にいる個体は通常の人造とは異なる性質を持つようであるが、おそらくその出自自体は同じだろう。


「私達の里には他にヴァルクーアの使いはいなかった。

 名前が必要ならトーリがつけてあげて」


ちょっとした好奇心で聞いたつもりが、とんでもない返球が帰ってきた。

MMOでは何時間も考えた挙句、「その名前は既に使用されています」と言われ続けた俺に名前を考えろと来たか。

蠍の背中から降りながら、ルーに一応確認してみる。


「いいのか?

 俺は君等の言葉がわからないし、変な名前になっちゃうかもしれないぞ?」


一番の問題はこれだ。俺の知識でどんな名前を考え付いたとしても、エルフの言葉でよくない意味になってしまってはいけない。


「大丈夫。それに、私の役目は名前を祝福することであって名を授けることではないの。

 トーリが名前を与えた方が、この子もきっと喜ぶ」


そこまで言われては仕方が無い。俺の知識の中で蠍に関する情報を検索すること暫し。


「……シャウラ。

 俺の知っている物語の中で、巨人の勇者を打ち倒して天に昇った蠍、その鋭い毒針を司る名前だ」


蠍座の中で、アンタレスの次に明るく輝く星の名前だ。

敢えて一番有名な星を選ばなかったのは、あの星の赤い色合いがイメージとして合わなかったことと、名前にしては少し呼びづらいかなと考えてのことだ。


「……そう。では貴方の名はこの時よりシャウラとなる」


ルーはそういうとしゃがみこんで掌を蠍の頭に当て、エルフ語と思われる言葉で何事かを呟いた。

おそらく、先ほど言っていた『祝福』だろう。

特に魔法的な効果は無いようで、彼女たちの間に伝わる儀式のようなものだと思われる。『洗礼』のようなものだろうか?

僅かな時間でそれは終了したようで、儀式を終えたルーはシャウラの背に乗るとロープを伝って異空間へと姿を消した。

どうやら俺が最後のようで、既に周囲に皆の姿はない。

念のため足跡を覆い隠す魔法のアイテムを周囲に散布することで皆の痕跡を消去した後、俺もロープを掴んで宙へと身を翻した。













ゼンドリック漂流記

2-9.シール・オヴ・シャン・ト・コー














休憩や準備などで9時間ほどの時間が経過した後、外界に異常がないことを確認して俺たちは再び洞窟内へと帰還した。

短い休憩で事足りるフィアたちが橋の門番達の行動を調べ、間も無く交替の時間であることを掴んでいる。

出来るだけこちらの被害を減らすために、ギリギリまで俺達の襲撃を知られないようにしたい。

そのため、門の外の連中を倒すだけでなくその内側にいる敵兵も倒す必要があるのだ。

交替のために門が開いた瞬間に襲撃し、他へ連絡されないうちに全員を打ち倒す。難易度は高いが、優先順位を間違えなければ不可能ではないはずだ。

敵の士官が敵襲を知らせるために『サークル・オヴ・サウンド』という魔法の指輪をしていることが判明しており、彼らを初撃で無力化するのだ。

この魔法の指輪は最大6組のトランシーバーのようなもので、限られた範囲ではあるが同じ指輪の装着者に思念でメッセージを送ることを可能にしている。

周囲の衛兵は後回しでいい。どうやら周囲には敵襲を知らせる銅鑼のようなものはなく、その指輪による通信に頼っているであろう事が俺達に有利に働く。

士官の装備は高品質なブレストプレートに大きなファルシオン。

一般的には重装甲かもしれないが、一流の冒険者であるエレミアやラピスからしてみれば特に問題のない獲物でしかないだろう。

不可視状態からの攻撃で不意を突くことを考えれば尚更だ。

唯一の懸念は交替の時期を狙うことで敵の物量が実質二倍になるということだが、その程度のリスクであれば許容範囲だと判断しての作戦だ。

交替の部隊が門の向こう側に来たタイミングでメイを中心に陣を組み、彼女の使用する《インヴィジビリティ・スフィアー/不可視球》の巻物により全員の姿を消して移動を開始した。

引継ぎの連絡なのか開かれた門の箇所で二つの部隊が何やら遣り取りをしているのを確認しながら、石造りの堅牢な橋を足音を消しながら進む。

予め決めていた通り、俺とフィアが交代部隊の士官を、ラピスとエレミアが元居た部隊の士官を狙ってメイの作り出した不可視球から飛び出した。

彼らからしてみれば突然瞬間移動でそこに現れたかのように見えただろう。

周囲の衛兵は突然の出来事にこちらに対応できておらず、俺たちは迎え撃ちを受けることなく目標の士官へと辿りついた。

鋭い呼気と共に振りぬかれた刃は、纏っていた金属鎧を紙の様に切り裂きながら士官の指輪をしている方の腕を落とすことに成功した。

続くフィアの攻撃は背後から行われ、鎧と兜の隙間から延髄に差し込まれたショートソードの一撃に哀れな士官は武器を構える間も無く絶命した。

不意打ちの一瞬で、予定通り敵の士官を討つ事が出来た。どうやら、それほどの精兵ではないようだ。

大雑把に敵の戦力に見当をつけた俺は未だ反応できていない衛兵達の真っ只中に飛び込むと、竜巻のように回転しながら横薙ぎの斬撃を放った。

俺の見立てどおり、その一撃で腹部を切られた衛兵達は皆倒れ臥して動かなくなった。死んでこそいないものの、今の一撃で瀕死になったんだろう。

今の攻撃範囲に収まっていなかった他の衛兵たちは他のメンバーによって皆倒されている。どうやら理想的な勝利を得れたようだ。


「どうやら片付いたようだな。思ったよりも手応えのない連中だ」


エレミアの感想も尤もだが、実際のホブゴブリンは普通の人間からすれば相当な強敵である。

彼女のレベルがそれだけ高くなっているということなんだろう。最初に出会ったときの彼女であれば、あの重装甲の士官を2人掛かりとはいえ一瞬で倒すことはできなかったはずだ。


「不意を突いたんだしこんなものだろうさ。

 それより後始末をしておかなきゃね」


ラピスの言に従って士官から魔法の指輪を剥ぎ取り、まだ瀕死の衛兵達も纏めて橋の下の地底湖に叩き落す。

重い鎧を着ている彼らは、大きな水飛沫をあげて湖底へと沈んでいった。

派手な血痕こそ残っているものの、彼らのテリトリーからすると辺境に位置するここまでやってくる連中がいるとも思えない。

幸いなことに一瞬で片付いたため、戦闘音は極僅かで増援が来る気配もない。

これで次の衛兵に交替するまでの時間が稼げるだろう。

開かれた門を進むと、等間隔に松明が灯された5メートルほどの幅の通路が続いていた。

足元に転がっていた石を一つ拾い、それに《サイレンス》をかけることで皆の足音を消しながら進む。

突き当りまで進むと衛兵が補給するためのものと思われる装備品が置かれた部屋と、さらに奥に向う通路が分かれている。

《ディテクト・マジック》の呪文を使用して装備品に魔法の効果を持ったものが含まれていないことを確認し、使い物にならないようにメイの《炎の爆発》で粉砕する。

勿論この爆発音も《サイレンス》に阻まれて外へと伝わることはない。

そんな作業を終えてから本命である通路へと足を向ける。

周囲の通路は自然的なものから人工物へと変化しており、そこから感じられる年代から相当古い時代にこの通路が建造されたものだと判る。

やがて通路は曲がり角を迎えた。その角に身を潜ませながら先を伺ったところ、一見何事も無さそうな通路の凹凸に身を潜ませている2体の歩哨を発見した。


「(敵2体を確認)」


ハンドサインで他のメンバーに伝える。

歩哨の立つさらに奥はホールのようなひらけた空間になっており、何人かの衛兵が歩いているのが見える。

確かホールは二つの高台で構成されており、橋で行き来が出来るが対岸側には衛兵が居た筈だ。

無音で目の前の歩哨を倒すことが出来れば、警戒されずに衛兵へも攻撃できるかもしれない。

タイミングを合わせ、出来るだけ通路の壁に身を寄せるようにして敵の歩哨へと突撃した。

まだ続いている《サイレンス》の効果が俺達の足音を掻き消し、それにより目の前の歩哨の反応は遅れることとなる。

こちらを視認した歩哨たちは警戒の叫びを上げようとしたが、もう遅い。

既に彼らも《サイレンス》の効果範囲内であり、その口からは音が漏れることはなかった。

その咽喉に突き立てた刃で絶命した歩哨の体を支えながら、その影に隠れるようにして奥のホールの様子を確認する。

ゲームでの描写どおりホールはこちら側と奥側で二つに分かれており、対岸には士官1名と衛兵2名がいる。

横の衛兵もラピスの奇襲により絶命しているようだが、奥の連中はまだこちらに気付いた様子はない。

おそらく指輪の効果範囲からして、あの士官が門で異常が発生した際の連絡を受け持っているのだろう。

であれば、ここで仕留めさえすれば敵の連携を断つ事が出来るはず。

一瞬でここまでの思考を済ませた俺は、歩哨の死体を振り払いながら姿勢を低くして駆け出した。

十分に助走をつけた勢いで跳躍して断崖を飛び越えると、そのままの勢いでまだこちらに気付いていなかった敵士官に体当たりするようにコペシュを突き刺した。

突撃の勢いも相まって、胴体に柄付近まで突き刺さったコペシュを士官の体を蹴り飛ばして引き抜く頃にようやく俺に気付いた衛兵達が手にした大斧を振りかぶっていた。

彼らは何かこちらに向けて罵りの言葉を口にしているようだが、無論その声も呪文により抑止されている。

自身の声が出ないことに戸惑いながらも斧でこちらの足元を掬う様に攻撃してきたが、狙いが甘く勢いも強くないその攻撃は俺が日常的に纏っている反発の力場と呪文による《シールド》に弾かれて床を削るに留まった。

再度斧による攻撃を行おうとした衛兵達だったが、その時には背後にエレミアとフィアがその武器を振りかぶっていた。

それぞれの攻撃が彼らの急所へと吸い込まれ、2人の衛兵は崩れ落ちる。

俺の耳に衛兵の胴体が地面に当たる音が聞こえてきた。どうやら《サイレンス》の効果時間が終了したようだ。

残りのメンバーはこのホールから伸びている通路のほうを警戒している。背後から襲われる危険を潰しておくためにも、虱潰しに敵を排除しておく必要があるだろう。

通路の中央に立っていた衛兵を遠距離からの矢で仕留めた後、慎重に先を進んでいるとラピスが俺を押し留め、皆へも止まるようにハンドサインを出した。

改めて周囲を観察してみると、衛兵が倒れている床の少し先に違和感を感じる。おそらくなんらかの罠が仕掛けられているのだろう。

ゲームでは無視して進んでいた通路のため、もうどんな罠が仕掛けられていたかは覚えていない。

記憶に残っていないということは大した罠ではないということだと思うが……。

俺が逡巡している間にもラピスは奥へと進んでいき、床の一角を調べるとそこにマーキングとして蛍光の粉によるマーキングを行った。

どうやら床のその部分を踏むと発動するタイプのようだ。

どんなトラップなのか興味が無い訳ではないが、わざと発動させるような危険を冒すまでもない。

ラピスの示した床を慎重に回避しながら、突き当りの壁までたどり着く。

この辺りから通路の横には浅く水が張られた水場が併走しており、正面の壁を迂回するためには一旦水場に入り込んで迂回して回らなければならないという構造になっている。

ゼンドリックのダンジョンでは良く見られる構造だが、その意味は不明である。

壁の部分に何らかの罠が仕掛けられていることが多いことから侵入者対策だろうとは思うのだが。

案の定この壁面にもなんらかの仕掛けがあるようで、ラピスが皆に足を止めるように指示を出してきた。

だが彼女が周囲を調べようとしているところで俺の視界に敵影が映る。先ほどの衛兵が倒れた音を聞きつけたのか、通路の奥から1体のホブゴブリンがこちらに向って歩いてきたのだ。

杖を持ったその術者と俺の視線がぶつかり、お互いが一瞬静止した。

だが、意識を取り戻したのは俺のほうが僅かに早かった。

どの程度の術者かは判断できないが、襲撃を他へと知らされるわけにはいかない。

罠があったとしても反応できると自分のスペックを信じて、一息に敵との距離を詰めた。


「賊か! 焼け死ぬがいい!」


ホブゴブリンの秘術使いが接近した俺に向けて振りかざした杖の先端が赤く輝く。だがその呪文が完成する直前に俺の振るった刃が彼の顔面を襲った。

速度を重視したために浅い一撃に留まり、骨を断つには至らなかったがその傷口には刀身に込められた魔法効果により強酸が湧き出してくる。

炸裂したアシッド・バーストの効果は顔の表面を伝わって術者の目を焼き始めた。

突然の痛みに精神集中を失ったため、発動直前だった呪文は破棄されて空中へと霧散していく。

杖を手放して顔を抑える術者に止めの一撃を放とうとするが、脳裏に走った警報に体を委ねて通路の奥側へと飛んだ。

その直後、通路を遮っていた壁面に飾られていた髑髏の一つがその口から強力な火炎を撒き散らした!

その火勢は凄まじく、炎は5メートルほど水平に伸びて燃焼を続けている。先ほどラピスの警告してくれた仕掛けがおそらくこれだったのだろう。

幸い髑髏は壁面に固定されているようで、火炎の奔流は同じ空間を焼き続けている。一度回避してしまえばもう食らう事はないだろう。

未だにのた打ち回っていた術者をそこへ蹴り込むと、一瞬で焼け焦げて絶命した。

どうやら只の火炎噴射ではなく、粘度のある物質に火をつけながら噴き出しているようだ。

水路側に落ちた術者の死体は、水場にも関わらず未だに燃え続けている。

時間にして30秒ほどの間、髑髏は火炎を吐き出し続けた後に静かになった。


「あんまり無茶するもんじゃないよ。

 相当悪質な罠みたいだし、この後も似たようなのがあるかもしれない」


火が消えるや否や、こちらにやってきたラピスから有難い説教を頂いた。確かに先ほどの突入は短慮だったかもしれない。

突っ込んだ自分が罠の対象となるものばかりではないのだ。


「突入しなくても、呪文で対処する手段がありましたからね。

 抵抗される可能性があるので確実性は下がっちゃいますけど」


確かに、今のはメイに任せるか自分で精神作用系の呪文などを使って無力化しても良かった。

最近武器を使用しての攻撃ばかりのため、自分も術者であるということをつい失念していた。

アイテムのチャージ品を除けば《シールド》などの白兵戦に活用する呪文しか使用していない。

リソースの節約はいいことだが、少しスタンスを考え直さないとせっかくの能力を活かせなくなるかもしれない。


「だが、今はトーリの判断のお蔭で敵の術者が他へと連絡を行う隙を与えなかったのだ。

 連携についてはまだ我々は未熟な点も多い。今後の課題だな」


エレミアの言うとおり、俺たちはチームワークの訓練を全く行っていない。

打ち合わせで各人の役割を大雑把に決定した後はもう実戦の繰り返しだ。そのうちトレーニングの機会を設けるべきかもしれないな。

そんなことを話しながら罠のある通路の先へ進むと、少し歩いた先で行き止まりになっていた。特に隠し扉なども見当たらない。


「ここはさっきの術者の待機場所かな?

 有事の際に門へと向うためのものとか……それにしちゃ罠の意図がわからないけど」


確かに良くわからない構造だ。


「まあ行き止まりで敵もいないのであれば用はないだろう。

 時間を掛けるわけにもいかないし、次の場所へ向わなければ」


そういって踵を返したエレミアを追ってホールへと戻る。ルーとフィア達は物陰からホール側を警戒していたが特に変化はなかったらしい事を伝えてくれた。

ホールの反対側には格子が下ろされた通路があり、それを開くためのレバーは、ホールに架かっている橋の横に設けられている梯子で下へと降りた先にあるようだ。

その下へ降りた先も通路になっており、別の空間へと繋がっているのであろう自然洞窟へと続いている。

おそらくはそちらが本命だが、ひとまずは格子の先を調査することにした俺たちはそこで3体の術士と遭遇した。

大型のその体に見合わぬ小回りの効いた動きで敵の懐に潜り込んだシャウラが、その鋭い鋏と尾で中央に居た秘術使いを始末する。

突然の奇襲に意識を蠍へと向けた残りの2体の背後を取るのは容易いことだった。

それなりの術者、おそらくその鎧からクレリックと思われるホブゴブリン達だったが囲まれてしまってはその信仰呪文を発動させることも出来ない。

若干の抵抗は受けたものの、結論から言うとこちらは無傷での勝利となった。


「ここも待機部屋か。

 行き止まりだし、あの梯子を降りた先が正解のルートみたいだね」


ざっと周囲の様子を確認したラピスの言うとおり、こちらの通路も行き止まりだ。

経路的には手間だったが、敵のクレリックの錬度を測ることができた為無駄ではなかった。

敵襲に際して使おうとした呪文は味方にそれを知らせる通信呪文ではなく、撃退のための攻撃呪文だった辺りが統率の無さを示している。

大陸の鍛えられたホブゴブリンの集団が相手であれば、自身の身の安全は二の次でまずは敵襲を知らせようとしたかもしれない。

そういう点でジューイが言ったようにつけいる隙はあるだろう。

待機部屋ということもあるのだろうが、術者だけで配置されている点も敵襲を意識していないように思える。

このクレリックらは魔法の鎧を装備していたが、流石に鎧を剥いでいく時間は無い。

通路を出ると格子を降ろし、念のため《アーケイン・ロック》で封をした後に残された最後の通路へと進んだ。

どうやら、このホブゴブリンの集落は自然の空洞とそれを繋ぐ洞窟の通路から成り立っているようだ。

空洞部分は生活のためかいろいろと手を入れてあるようだが、お互いを繋ぐ洞窟部分は自然のまま放置されている。

松明が灯されただけのそういった洞窟を進んでいくと、やがて次の空洞が見えてきた。

壁からドクロやスパイクが突き出している点を除けば、このエリアは人間の村と同じような集落に見える。

ぎこちなく縫い合わされた戦の旗印が全ての建物に掲げられている。おそらく『クローヴン・ジョー族』のトレードマークなのだろう。

血の様に赤い布に、鏃を思わせる鋭角的な菱形の印章が描かれている。

ひょっとしたらここは居住区ではなく兵士達の駐屯地なのかもしれない。

壁面を刳り貫いて建てられた建築物に沿って階段が設けられており、それはやがて壁面にそった梯子へとつながり上方へと伸びていっている。

上を覗くと、左右に伸びる壁面を繋ぐように橋が架かっておりその先からは明かりが漏れている。次のルートはあの先になるのだろう。

だが、そちらへ進むためには目の前にいる敵集団を倒さねばならない。

階段の上にクレリックが1体。その下には士官1体と衛兵が3体、そして身を隠しているようだが幅広の片手剣を二刀流に構えた初見の兵種が1体いた。

金属製の肩当と腕甲をしている以外は薄い皮鎧を纏っているだけであり、レンジャーではないかと思われる。

彼らは小型生物、おそらくは奴隷であるコボルドを取り囲んで何やら揉めている様だ。

階段の上に陣取っているクレリックはメイに任せて、俺たちは下にいる前衛たちを担当することにした。

再び《サイレンス》の呪文を展開した後でタイミングを合わせて敵の中心に移動する。

そしてクレリックを含めた全ての敵を《サイレンス》の範囲内に収めた位置で立ち止まると、付近に居た衛兵に斬りつけた。

奇襲に立ちすくんでいたその兵士は急所を切り裂かれて倒れる。その下敷きとなったコボルドが窮屈そうにジタバタしているが、邪魔にならなくて丁度いいだろう。

視界の隅にメイがワンドから放った《スコーチング・レイ》がクレリックに命中しているのが映る。

だが、俺の周囲にいる連中は《サイレンス》の効果か、その事には気付かず目の前にいる俺に対してその手に持つ武器を振り上げた。

しかし、そのうちこちらに武器を向けることができたのは二刀流のホブゴブリンのみだった。

ファルシオンを構えた士官はシャウラに、大斧を振り上げた衛兵はエレミアとラピスによってそれぞれ打ち倒されている。

右手で構えられた巨大な鉈の先端に三つの突起が生えた凶悪なフォルムの剣が、こちらの首筋に向けて伸びてくる。

最低限の見切りで回避したとしても、その後に横へ振ることで突起部分でこちらの頚動脈を狙っているのだろう。

今までに幾人もの犠牲者の血を吸ったのか、その突起の為す凹凸部分には赤い血糊がこびり付いていた。

無論相手の思い通りに回避するようなことはしない。

一歩踏み込むと石を握ったままの左手の甲を使って、ホブゴブリンの体を外へ流すようにその右手を払いのける。

半身となった俺の体の正面側へ、ホブゴブリンが背中を向けるように移動していく。この位置であれば敵の左手の武器が俺を狙うことは無い。

とはいえ追加の攻撃を許すようなことはしない。

ダラリと下げていた右手のコペシュを切り上げ、無防備な脇下から上半身を半ばまで切断した。

刃が通り抜けた切断面からは強酸が迸り、傷口は血を流すことなく焼け爛れる。心臓まで届いていないとはいえ、片肺を切断された兵士はその一撃で命を失い地面へと倒れ臥した。

遠距離からの熱線でクレリックを倒していたメイがこちらへと近づいてくるよりも早く、他の敵兵も倒しきったようだ。

《サイレンス》の基点となっている石をブレスレットに格納すると周囲に音が戻ってくる。

すると、ホブゴブリンの死体に押し潰されていたコボルドがそこから這い出してきた。


「うう、グリーズィクスの命を助けてくれてありがとう。

 怪我してないようだな。グリーズィクスはただの召使で、大きな連中のために松明を燈し続けているだけなんだ。お前達の邪魔はしないよ」


小柄なコボルドは訛りのある共通語で話しかけてきた。


「わかった、お前に危害は与えない……もしお前が俺達の役に立ってくれるならね」


少し脅しをかけるように話すと、彼はその小さい体を精一杯使ってこちらに害意がないことをアピールしてきた。


「グリーズィクスは助けるよ。大ボス目的で来たんだろ?

 シャーグは本当に悩みの種なんだ……松明の火が消えたら、グリーズィクスを寝させてくれないんだ。

 それにグリーズィクスを殴ったりする。奴を殺してくれるんだろ?」


やはり彼はここで使われている奴隷コボルドのようだ。そしてその扱いは決して良いとはいえないことが判る。


「最初にボスのヘルメットを奪うんだ。

 大昔のクレリックが祝福を与えたんだ。シャーグの大のお気に入りの品物だ。

 いいヘルメットだぞ。ちゃんと脳みそを守ってくれる。

 玉座部屋にいるシャーグを探し出し、ヘルメットを奪って奴に剣を突き刺せ。そうすればうまくいくよ」


グリーズィクスは両手でその頭を覆いながら、シャーグの身につけているヘルメットが如何に優れた品であるかを力説している。

ジューイもその兜には言及していた。ゲームで登場した際には低レベル帯のクエストのアイテムにしても使えない微妙な品だった記憶しかないが、少し事情が異なるのかもしれない。


「なるほど。それじゃそのシャーグってのはどこにいるんだ?」


とりあえず色々とゲームと異なっていることを確認できただけでも有用だ。

元は別の場所に安置されているその兜を奪取するクエストをこのグリーズィクスから受けるのだが、どうやらシャーグは既にその兜を身につけているようだ。


「奴は住処の一番上にある玉座部屋にいる。そこの梯子を上って水門を越えていけばすぐだ。

 お前たちは運がいい。グリーズィクスが作ったこの合鍵をやる。これで水門も通れる」


そういうと彼は腰に下げていたポーチから、束ねた針金を折り曲げて作ったような歪な鍵を渡してきた。


「あの図体のでかい連中はグリーズィクスの才能に嫉妬して苛めるんだ。

 毎回鍵を受け取りに行く手間を省くために合鍵を作ってやったのに感謝するどころかグリーズィクスを殺そうとした!」


どうやら先ほど彼が囲まれていたのはそれが原因だったようだ。そりゃ、防衛の要地の合鍵なんて作られたら怒りもするだろう。

このコボルドは手先が器用だが、どうも抜けている処があるようだ。


「それじゃグリーズィクスはもう行くぞ。お前達には感謝してる」


そう言うと小柄なコボルドは俺達が来た外へと通じる通路の方へと向っていった。この隙をついて脱走するつもりなのかもしれない。


「いいのかい?

 あの手合いは放っておいても碌な事にならないと思うんだけど」


投げナイフを掌で玩びながらラピスが聞いてきた。俺の返事次第ではすぐにでもその手首から銀光が哀れなコボルドの背中に吸い込まれるのだろう。


「まあ構わないさ。十分な話を聞かせてもらったし、今は先に進む方が優先だ。

 お礼を言ってもいいくらいだよ」


そんな遣り取りをしている間に既にコボルドの背中は見えなくなっている。彼が無事に地上に辿り着ければいいのだが。

最後に通路の方を一瞥したあと、俺を先頭に階段と梯子を登り始めた。

頂上まで登ったところでこちらに背を向けているクレリックを発見したため、《サイレンス》の小石を取り出して駆け寄りバックスタブで始末する。

どうもここの連中は敵襲に備えているというよりは、奴隷としてこき使っているコボルドの監視が主な任務のようだ。

ここ以外にも橋の対岸には2体のクレリックが居るが、両名ともこちらには背を向けている。

せっかくの信仰呪文の使い手を、このように分散して無防備に配置しているのは非常に勿体無く感じる。

こちらとしてはありがたい限りなのだが。

皆が梯子から上がってきたのを確認し、橋の中央を進む。無音で背後から忍び寄る影にクレリック達は気付く様子も見せない。

《サイレンス》の範囲内に囚われて初めて反応を見せるが、そのときにはもう遅い。

主要な信仰呪文は音声要素を必要とするものが多く、回復呪文を使用できなくなったクレリックは貧弱な戦士に過ぎない。

しかも3倍の物量で攻撃されては反撃の暇すら無い。瞬く間に彼らは自身の血の池に沈むことになった。

橋を渡った先の通路はまた天然の洞窟になっていた。途中巡回している斥候に遭遇するが、単体だったためこれも声を出す間も与えず切り伏せる。

怖いくらい順調に進んでいるが、やがて楽には通してもらえそうに無い地点へと差し掛かった。

正面にはT字路となった交差点が見えており、左右の道はコボルドの奴隷や警邏のホブゴブリンも多く巡回している。


「……また《インヴィジビリティ・スフィアー》の巻物を使いましょうか?」


物陰に隠れながら様子を窺っているところでメイが呪文の使用を提案してきた。


「いや、あの往来の激しさでは姿を消すために固まっていては通行人と激突することは避けられまい。

 距離を詰めるには良いかもしれないが、そのまま通過するわけには行かないだろうな」


答えたエレミアの見立ては俺と同じだ。残念ながら眼前の通路の道幅は3メートル程度。

シャウラに地中を進んでもらったとしても、ホブゴブリンが来たらギリギリすれ違えるかどうかだ。

連中が道の真ん中を歩いてれば、避ける際に球内から出ることになりかねない。


「シャウラに先行してもらって退路を断とう。

 ゴブリンの動きを見るに左の通路が水門に繋がっているみたいだし、あっちに敵が逃げないように道を塞いでもらう。

 俺たちはその閉じ込められた連中の相手だ。

 シャウラ、済まないが頼めるか?」


俺に応える様にシャウラがその尾を縦に振った。

先ほどまでの敵の実力からすれば、このアダマンティンの装甲を抜けることはないだろうし単独でも任せられると判断した。


「待ってよ。どうせなら通路の先を偵察してもらった方がいいんじゃないか?

 あの左側の通路が水門に通じてる確証は無い。塞ぐべきは右側の通路かもしれないだろう。

 何なら僕1人で《インヴィジビリティ》の呪文を使って偵察してきても構わないんだよ」


ここでラピスが異を唱えてきた。

確かに敵の往来を少し眺めただけで通路の行く先を推定するのはリスクが高いと考えたんだろう。

それは当然の考えなんだが、何分これは俺の持つゲーム知識というチート能力を如何にもな理由でこじつけただけの物だ。

他者に説明するのは難しいし、今のラピスの提案を覆すほどの理屈は俺には思いつかない。

そう考えてラピスの偵察にゴーサインを出そうとしたところで、意外なところから援護射撃が飛んできた。


「いや、あの左の通路が水門に続いているのは間違いないだろう。

 右の通路は……確か行き止まりになってたはずだ。トーリの提案で問題ないだろう」


エレミアが瞳を閉じ、何かを思い出すようにこの先の構造を言ってのけた。

確かレンジャー呪文には《レイ・オヴ・ザ・ランド》という周囲の地形を把握することが出来る便利な呪文があった。

今呪文を使用した気配は無かったし、昨晩のうちに使用していたのだろう。

確か基本ルールブックには掲載されていない呪文だったが、ヴァラナーのエルフには伝承されているのだろう。

まさかエレミアにゲーム知識があるわけでもあるまい。


「エレミアまでそう言うなら構わないけど……

 まぁどうせ皆殺しにするんだし、順番が入れ替わるくらいの違いかな」


「すまないな。巧く説明することが出来ないのだが信じて欲しい」


どうやら2人の間で話し合いは済んだようだ。ラピスが納得したことで先ほどの俺の作戦を実行することに決まった。

ギリギリまで《インヴィジビリティ・スフィアー》で接近して交差点の見張りを排除後、左右に別れて敵を掃討する。

既にシャウラは地面に穴を掘って地下を進んでいる。通常の陸上移動速度の半分、つまり重装の戦士の戦闘速度と大差ない勢いで地中を進んでいるはずだ。

見張りや巡回に見咎められることなくメイの使用した巻物で姿を消した俺たちは、道行く奴隷のコボルド達に悪態をついているホブゴブリンの見張りを不意打ちで仕留めると左右に別れた。

俺はルーとフィアを連れて左へ進み、シャウラとの合流を目指す。

突然現れた侵入者に警邏のホブゴブリンは唸り声を上げ、コボルドは荷物を捨てて逃げようとする。


「逆らわなければ殺しはしない!」


襲い掛かってくるホブゴブリンの斧兵達を始末しながらコボルドに呼びかける。

おそらくホブゴブリンの指示は共通語で伝えられているだろうから、彼らの大部分はこちらの言葉を理解できるはずだ。

コボルド達は戸惑いながらも、ホブゴブリンたちしか傷つけない俺達の行動を見て恐慌に陥ることも無く大人しく道の端に寄ってこちらを窺っている。

3体の衛兵を討ち、30メートルほど進んだところで通路は緩やかなカーブを描いておりそこでシャウラが道を塞いでいた。

周囲に戦闘の痕跡は見当たらず、水門へ逃れた敵はいないように見える。

どうやら敵の遮断に成功したと判断した俺は、蠍を怖れて立ち止まっていたコボルドらを率いて道を引き返した。

交差点まで戻ったところで、同じようにコボルドを集めて何やら話をしているエレミア達に合流した。


「ヤーッ! シャーグは私が箱みんなこわした思うだろ!

 お前なおしに行け、じゃなきゃかみつくぞ!」


「ヤーッ、ヤーッ!何?お前はドラゴン語が話せないのか?」


「お前食べ物くれるか?

 ワシ、ホブゴブリンに言わない。ワシ約束する!」



コボルドらは口々に何事かを喋っており、情報収集は上手く言っているとは言い難いようだ。

このままでは埒が明かないと判断した俺は、武器をコペシュからグレートアックスへと持ち替えて注目を集めるように眼前の足元へと叩き付けた!


「俺達の聞いたことにだけ答えろ!

 それが終わったらどこへなりと去るがいい。既に外へと通じる通路に連中の姿はない。

 だが、あまりに手間を掛けるようであればこの場でドルラーへと旅立ってもらうことになるぞ!」


脅しの文句を述べた後に、連中に向けてギロリと"威圧"を行う。

気圧されたのか、コボルド達はその騒がしかった口を閉じて俺のほうへ向き直った。

それを見た俺は頷くと、続けて口を開けた。


「よろしい。

 ではお前達がここのホブゴブリン共について知っていることを教えろ。

 あるいはここ最近で起こった変わった事でもいい」


『シャン・ト・コーの印璽』を手にしたことで何か動きに変化が訪れたのであれば事前に確認しておきたいと思ったのだ。


「シャーグはコボルド食べるって前に聞いた、私は食べないでほしい!」


「私、昔はコボルドの老酋長が好きだった、でもあの男は私をホブゴブリンに売った!」


「俺、ドラゴン友達。あいつきっと助けに来る、たぶん……」



彼らは口々にそんな無関係な愚痴も吐き出しつつ、この先にある水門の防衛状況について話してくれた。

常時10人以上の士官率いる衛兵達が詰めており、そこから奴隷に荷運びの指示を出しているらしい。

何やら地下水路を使って他のホブゴブリンの集落と交易を行っているとか。


「そんなところか。よし、それじゃあ行っていいぞ。

 運が悪くなければストームリーチまで辿り着ける筈だ」


コボルド達に俺達が街から障害を排除しながらここまで来たことを伝えた。暗視能力を持つコボルド達であればあの道行を越えて街まで辿り着く事も出来るだろう。

もっと時間を掛けて丁寧に話を聞けば有用な情報も手に入ったかもしれないが、ここで時間を掛けていては偵察隊に発見される恐れがある。

それよりは早期に水門を突破し、玉座に奇襲を掛けるべきだろう。立ち去っていくコボルド達を見送って意識を切り替える。


「よし、それじゃ先に進もう。

 水門では俺とエレミアで離れた場所にいる敵を処理しよう。

 他の皆は今までどおり士官と司祭を優先して倒してくれ」


本来であればメイの《ファイアー・ボール》の呪文が遠距離攻撃には適しているのだが、洞窟内で使うとおそらくその爆発音が伝わってしまうだろう。

そこで俺とエレミアによる弓攻撃を用いるというわけだ。

念のため、俺は他の皆の《不可視球》とは別に透明化の呪文を使用して先行偵察を行った。

呪文による不可視は俺とルーの《トゥルー・シーイング》には通用しないため、この2人がバラけていれば姿が消えていても連携は可能なのだ。

水門周辺はゲームでの縮尺を10倍くらいにしたサイズであり、小さな港といった風情だ。

ゲーム中では描写されていなかった地底を流れる川が洞窟の中央を流れており、その流れを遮るように水門が設けられている。

現在船は停泊していないが、コボルドが持ち運べるように考えられているのか小さめの木箱が至る所に積み上げられている。

足音を殺しながら積み上げられた木箱の上を移動し、敵の配置を確認。

情報どおり、10を超える衛兵とそれを指揮する士官、そして奴隷に指示を出すクレリックがこの港には詰めている。

広い空間に散らばっていることもあり、奇襲で一掃することはできないそうもない。

作戦を練り直すことも考えたが、不可視化の呪文の効果時間はそう長くない。

それに、そのうち新たな奴隷が俺達が通ってきた通路などに移動すれば襲撃のことが知れ渡ってしまうだろう。

作戦通りに行動することを決意してルーにハンドサインで合図を送り、タイミングを合わせて攻撃を開始した。

ラピスとフィアが手近な位置に居たクレリックに忍び寄り、左右から挟みこむようにその胴体にショートソードを捻じ込んだ。

その攻撃により、彼女達の姿を覆っていた不可視の球体が溶け崩れる。ホブゴブリン達から見れば、彼女達が突然空間から滲み出てきたように見えただろう。

俺も用意していた弓に矢を番え、皆からは射線の通っていない位置に居た敵の士官に射掛けている。

立て続けに放たれた二矢はホブゴブリンの左目と喉を射抜き、弓により込められた聖なる光が鏃を通して炸裂しホブゴブリンの頭部を焼却する。


「敵襲!

 地上のモヤシどもが久しぶりにやってきたぞ!」



俺が射殺したのとは別の士官が声を張り上げて衛兵達を纏め上げようとしている。

少し離れたところでは、クレリックが奴隷達を通路へと蹴り飛ばしている。敵襲を知らせに行かせたのだろう。

残念ながら背丈の小さなコボルドたちはすぐに洞窟の岩に隠れて見えなくなってしまい、その足を止めることは出来なかった。

だがそのクレリックも数瞬後にはエレミアの放った矢を受け、額を壁に縫いとめられて物言わぬオブジェと化した。

シャウラがルーを乗せたまま敵の衛兵の集まろうとしているところへと突っ込んでいき、その長い尾と巨大な鋏で敵の隊列を乱したところでラピスとフィアが一体ずつ始末していく。

俺はそんな彼女らの戦闘を横目で追いながらも、水門に近い高台でこちらに向けてジャベリンを投擲してくる衛兵を弓で始末していた。

水門の向こうへと伝令を行かせる事は防いだが、おそらく先ほど別の通路へ散らされたコボルドたちが俺達の敵襲を伝えているだろう。

そちらにもクレリックはいるだろうし、魔法的な手段で水門の奥へと襲撃のことが伝わるのは避けられないだろう。


「ここから先は時間との勝負だな。

 皆、水門を超えるぞ!」


衛兵達を一掃したラピスたちに声を掛け、グリーズィクスから受け取った鍵を使って水門に設けられたドアを開いた。

水門と呼ばれているが、実際には地底に流れる川沿いに設けられた関所のようなもので水の流れをコントロールしているわけではない。

皆が水門を通った後に《アーケイン・ロック》で扉に魔法的な鍵を掛ける。これで増援部隊からの追撃を遅らせることが出来るはずだ。


「もう俺達の襲撃のことは知られただろう。

 後は防衛体制を整えられる前に玉座まで突っ走るぞ!」


川沿いの通路を走っていると、やがて前方に広い洞窟が広がっているのが見えた。

やはり俺達のことは伝わっているようで、ジャベリンを構えた衛兵達がこちらを指差しながら何かを喚いているのが見える。


「突っ込むぞ!

 本格的に迎撃される態勢を整えられる前に突破するんだ!」


横を駆けるエレミアとラピスに《ジャンプ》の呪文をかけた。

洞窟は手前部分が水の流れ込む浅い池になっており、奥にある水場を見下ろす高台には次々とホブゴブリンが襲撃に対応すべく集まってきている。

梯子が壁面に取り付けられてはいるが、そんなものを使う隙を見逃してくれるほど敵は甘くは無いだろう。


「トーリ、先行するよ。

 エレミアは一拍遅らせてついてきな!」


ラピスがそういってギアを上げ、先頭に立って洞窟へと突っ込んでいく。

その彼女に照準を合わせるようにして、敵のクレリックが《フレイム・ストライク》の呪文を打ち込んできた!

上層で死霊術士が唱えた同じ呪文と比べれば構成の練り込みが荒いのか威力も低いようだが、今回は待ち構えていた2体のクレリックによる同時攻撃だ。

頭上から轟音とともに2つの炎の塊が落下してくる。外から見れば天井から火の柱が落ちてきたように見えるのではないだろうか。

叩きつけられた熱により足元の水が蒸発して霧を生むが、同時に信仰エネルギーが転化された打撃力が吹き荒れ、すぐに吹き散らされていく。

今踏みしめている水溜りはこうした迎撃によって掘られたものなのか、呪文の打撃によって洞窟の床面も大きく揺れる。

先制の攻撃呪文としては十分に上等な部類に入るが、俺とラピスはこういった範囲魔法から身を守る術を心得ている。

炎による熱エネルギーだけではなく信仰心による打撃力も備えた呪文ではあるが、卓越した身のこなしで呪文のエネルギーをいなしていく。

ラピスの狙い通り俺達が先行することで後続の皆は呪文の範囲に含まれずに済んだ。あとは乱戦に持ち込めば今のような範囲攻撃を防ぐことが出来る。

洞窟入り口にたどり着いたメイが、敵の密集地帯に向けて《ファイアー・ボール》を放つ。

クレリック1体と数体の衛兵を巻き込んで火球は爆発し、吹き飛ばされたホブゴブリンが焼け焦げながら空中へと投げ出される。

その爆発に敵の意識が一瞬引き付けられた瞬間に、俺は《ジャンプ》呪文により強化された跳躍力で一気に高台へと飛び込んでいった。

衛兵にコペシュを振り下ろして受け止めようとした大斧ごと両断し、《シアリング・ライト/焼け付く光》による光線を回避しながらその呪文を放ったクレリックへと肉薄する。


(使った呪文の威力から見て9Lv程度のクレリック……やや頑強なホブゴブリンだとしてHPは80点程度か?)


要所に詰めているだけあって、この場に居るクレリックはかなりの実力者だ。脳裏に浮かぶTRPGでのデータを反芻しながら戦術を模索する。

正攻法ではすぐには倒せないと判断し、隣接したクレリックの頭部めがけて左手で掌打を放った。敵の意識を刈り取ることを狙った《朦朧化打撃》だ。

脳を揺らすように放たれた打撃を受けて、一瞬とはいえ意識を飛ばしたクレリックは手に持っていたヘヴィメイスと聖印を落とす。

さらに隙を突いて急所である頚部を狙ってコペシュで斬りつける。並みの戦士よりも遥かに鍛えられたその体は流石に一撃で首を刈る事は出来ず、深手を与えたに留まる。

今の一撃は確かに大きな負傷を与えたが、クレリック相手では喉を確実に潰すなどして呪文の発動を防がなければ回復魔法により一瞬で癒してしまうだろう。

その隙を与えぬよう、首筋から血を溢れさせている敵に対して追撃を加えた。

コペシュで切りつけると同時に足払いを加えて転倒させ、転んだところでさらに追撃の蹴りを見舞う。

チートされた筋力により吹き飛ばされたクレリックの向かう先には、ダブルシミターを振り上げたエレミアの姿がある。

今度こそその首を胴体から切り離されながら、敵の死体は水場へと転落していき濁った水面を赤に染めた。

俺が高台に飛び上がってからここまでで20秒ほど。

同じくここまで飛び込んできたラピスは、メイの火球に焼かれたクレリックを早々に始末して既に衛兵の掃討に掛かっている。

最初にここに陣取っていた敵はその後到着した後続の皆の援護もあり、まもなく殲滅が完了した。

僅かに離れた崖上の通路からは、既に衛兵の補充が止まっている。敵はこの位置での迎撃を諦めてさらに奥で陣を布いているのだろう。

あまり時間をかけていると、後ろからやってくる敵の増援に挟撃されることになるため小休止を取る余裕も無い。

衛兵程度であればどれだけ来ても脅威にはならないが、先ほどのクレリック並みの実力者が混じっていると厳しいことになる。

前後から範囲攻撃呪文を打ち込まれると流石に磨り潰される恐れもあるからだ。

そうならないよう、この先で待ち構えている敵の戦力を圧倒的な火力で打ち砕く。その後に後ろからくる連中を相手にすればいい。

通路の影に身を潜めていた敵の斥候を斬りながら洞窟の奥へと坂道を登っていくと、やがて広い空洞へと出た。

深い峡谷に橋が架かっており、大勢のホブゴブリンの集団がその前に陣取っている。

視界に写った敵の集団、その中心に向けてアイテムにチャージされていた《ディレイド・ブラスト・ファイアーボール》を解き放つ。

オージルシークスの口腔を焼いたこの呪文に対し敵からの《ディスペル・マジック》が飛ぶが、チートアイテムに蓄えられている呪文の効果は生半可な解呪など受け付けない。

煌く黄金色の火球はこちらの思い描いたとおりに直進すると、目標の地点で低い轟音と共に大爆発を起こした。

直径にして10メートルを超える範囲を凶悪な熱波と爆風が蹂躙する。

巻き込まれた衛兵は一瞬で絶命し、生き残ったクレリックたちも深手を負っている。そしてそこに間髪入れずメイの放った《ファイアー・ボール》が着弾する。

移動しながらもリングの効果で先ほど使用した呪文リソースを回復させていた彼女のファインプレーだ。

俺の放った初撃の火球に解呪を試みた敵の術者たちは、立て続けに飛んでくる攻撃呪文に反応することが出来ていない。

人間の文化圏では大都市でも数人を数える程度であろう実力を有したホブゴブリンのクレリック達も、この連続攻撃には耐えられず崩れ落ちる。

だが待ち構えていた敵の防衛線はそれで終わるほど薄いものではなかった。


「クローヴン・ジョーの勇士よ。

 地上に巣食う住人どもを殺せ!

 この地底に踏み込んだ愚か者に、ここで手に入るものが死だけだということを教えてやれ!」


奥に陣取る、立派なフルプレートに身を包んだクレリックが周囲の兵達に檄を飛ばしながら呪文を発動させる。

10名を越える兵士達に炎に対する抵抗力が付与されるのが見て取れる。コルソスでセリマスが使った《マス・レジストエナジー》だ。

さらにその隣に控える術者が何事かを唱えると彼を中心に白い光が爆発的に広がり、その範囲内にいた彼らの信仰する神格の加護が宿る。《リサイテイション/朗唱》の呪文だ。

古代から巨人帝国に仕えていた彼らの間には、このエベロンでは一般的に知られていないマイナーな呪文も多く伝わっているようだ。

最後方に控えていた敵の秘術使いが、先ほど同様突出していた俺とラピスを後続から分断するために《ウォール・オヴ・フォース》を張り巡らせる。

不可視の力場によって構成された、ほぼ全ての干渉を防ぐ壁は敵の狙い通り俺達を分断する。

そして敵の秘術使いはそこにさらに呪文を重ねてきた。

展開された壁面のあちら側の地面が黒い靄に覆われたかと思うと、長さ3メートルはあろうかという烏賊の足に似た大量の黒い触手沸きあがってきた。

《ブラック・テンタクルズ/黒い触手》という名称そのままの、効果範囲に大量の触手を召喚して敵を束縛する呪文である。

触手の組み付きに抵抗できそうな前衛は引き離して物量で押し潰し、後衛は触手で絞め殺すという戦術なのだろう。

確かに並の冒険者であればこのコンボを食らえば分断・殲滅されたかもしれない。だが、俺たちは控えめに言っても並という範疇に収まるチームではない!

力場の壁付近まで到達していたメイの姿が掻き消えたかと思うと、一瞬の後にその姿は壁のこちら側へと現れる。

召喚術に特化した彼女の有する《にわかの移動》という短距離瞬間移動能力だ。

続いて彼女は予め準備していた呪文を解き放つ。


「《リグループ》!」


その力ある言葉と共に発動された呪文は、今まさに触手に囚われようとしていた他のメンバーを"力場の障壁のこちら側"へと空間を越えて呼び寄せた。

これは近距離にいる仲間を自分の周囲へと召喚する効果を持つ呪文である。

彼女達を狙っていた黒い触手は、直前まで確かに狙った獲物がいた空中を虚しく掴んでいる。

そして今や遮る壁を失った敵に対して、旋風となった狩人たちが襲い掛かった。

ラピスとフィアはその身軽さを活かして敵中へと踊りこみ、その連携を断つ。

そしてエレミアとシャウラはその圧倒的な攻撃力で敵を薙ぎ払っていく。

俺は前へと出てきた敵の前列を彼女達に任せて突破し、橋を越えた先にいる秘術使いへと迫った。

メイが念のために呪文相殺を行うべく待機しているとはいえ、先ほどのような広範囲制圧型の呪文がまだ準備されていては厄介である。

橋の欄干を"軽業"により飛ぶように進み接近すると《朦朧化打撃》を加えようとしたところでその術者の体が左右に分かれたかと思うと次々と幻が生まれ、眼前の術士は5体に分裂していた。

《グレーター・ミラー・イメージ/上級鏡像》、言ってしまえば分身の術だ。

ほんの一歩を後退されただけで、既に実像と虚像が入り乱れてどれが本体だったか把握できなくなる……普通であれば。


「残念、それは悪手だ」


分身体の中から1体を選び、呪文を詠唱しようとしていたその口中にコペシュを突き立てた。

俺の装備しているゴーグルには《トゥルー・シーイング》の呪文が付与されており、あらゆる呪文による幻を看破することができるのだ。

コペシュを引き抜き、トドメの一撃を見舞おうとした瞬間に俺の背筋に悪寒が走った。咄嗟の判断で剣を止め、蹴りで術者を蹴り飛ばす。

抵抗する力も無く峡谷を墜落していくと思われたその敵は、俺の足先から僅かに離れた場所で突然爆発した!

彼は自身の死をトリガーとした《デス・スロース/断末魔の爆発》の呪文を発動させて自爆攻撃を行ったのだ。

断末魔の絶叫が洞窟中に響き渡り、物理的な重圧となって俺の体を打ち据える。

通常の範囲攻撃と違い、抵抗することの出来ない攻撃に打ち据えられて俺のHPが大幅に削られる。

怖ろしいことに、この術者は自分達の命をも罠として利用していたようだ。

他の集団と離れて、最後方で術者を狙ってくる遊撃部隊を自分諸共抹殺するつもりだったのだろう。

何らかのアイテムか特技の力により《呪文威力最大化》されていたその自爆攻撃を受けて、俺のHPは一気に半分まで落ち込んだ。

命を引き換えにしただけあって単発の威力だけ見ればあのゼアドの豪腕をも超える破壊力。俺以外の人間であれば間違いなく死んでいる。

だが、ここで足を止めるわけにはいかない。

橋の手前ではクレリック2体に率いられたホブゴブリンの軍勢が蛇のごとき迅速な動きでもってエレミア達に反撃を加えている。

先ほど檄を飛ばしたクレリックが指揮を取り、組織的な戦闘を行っているようだ。

今はその防具の表面を削るに止まっているその攻撃も、持久戦に持ち込まれれば十分に呪文を蓄えたクレリックを擁し数でも勝る敵のほうが有利になるだろう。

苦戦している彼女らを救うべく、橋を取って返す。

見たところ、敵は2体のクレリックを中心としてその周囲を囲む戦士達が少しずつ隊列を入れ替わりながらエレミア達を攻撃しているようだ。車懸りの陣のような、といえば判って貰えるだろうか?

傷を負った戦士が後ろへ下がってポーションやクレリックの呪文で回復し、入れ替わりで常に万全の状態で前線に立つ。

そしてクレリックは隙あらば《ホールド・パーソン》を唱え、《マス・スネークス・スウィフトネス》のワンドで前衛に攻撃を指示するなど効果的な支援を行っている。

流石のエレミア達も、次々に入れ替わる敵をその僅かな時間で倒しきることは出来ない。

戦いが長引いて疲労が積もれば、呪文に抗する意志力も削られる。そこで呪文による麻痺を受ければ待っているのは確実な死だ。

だが、その回転を止めるのは簡単なこと。遊軍となった俺が、その歯車を止める楔となればいい。

俺の生存に気付いてクレリックの片割れが足止めの呪文を放ってくるが、ブーツの加護以前に呪文の構成が甘く、さして意識を向けずとも束縛を打ち破ることが出来た。

そのまま突進し、ホブゴブリンの前衛たちの隊列に割り込みをかけた。

正面にクレリック、左右にファルシオンを構えた兵士が2体と3面を囲まれた状態ではあるが実質の脅威は正面のみである。

左右のホブゴブリンもエレミアと同程度の技量は有しているようだが、その程度では俺のローブに攻撃を掠らせることも出来ない。

逆にこちらへ向けてきた攻撃を回避することで生まれた攻撃後の隙を突いて足払いを打ち込み転倒させるだけの余裕がある。

一方で左右に構えた武器を使い、それぞれのクレリックへ傷を与え俺へと意識を向けさせる。

俺が流れを堰き止めたため敵前衛は交替の機会を失い、足を止めての斬り合いを余儀なくされた。

傷を癒す暇を与えなければ、同等の技量でも装備に優れたこちらが圧倒的に有利。

ホブゴブリンが体格で勝るとはいえ、エレミアはその細身の体に信じられないほどの力を秘めている。

単純な筋力ではなく、体の動かし方が洗練されていると言えば良いのか。

自身の持つ力を最も効率的に作用させることが出来る体の動かし方を熟知しているのだ。

宿敵である巨人を打ち倒すために磨き上げられた戦闘技術が、その双刃に乗りホブゴブリンへと打ち込まれた。

敵のファルシオンが胴体を狙ったその横薙ぎを受け止めるが、エレミアはさらに一歩踏み込むとダブルシミターをそのファルシオンと交差した箇所を支点として逆回転させた。

武器の内側へ潜り込むように振るわれた逆刃が敵の咽喉元を掠めたその直後、敵はその頚部から大量の血を噴き出した。

脱力したその敵の頭部を武器から離した手で掴むと、引っこ抜くようにその体を自分の立ち位置と入れ替える。

たとえ致命傷を与えたとしても、敵のクレリックの触れうる位置に置いておけば治癒される怖れがある。

それを嫌って、自身が敵中に飛び込むリスクを負ってでも敵兵を集団から引き離したのだろう。

エレミアの抜けた穴はフィアがすぐに埋め、敵前衛がルーやメイへ接近するのを防いでいる。

そしてエレミアの両側を占めることとなった敵にはシャウラとラピスがそれぞれ牽制を放ち、挟まれる形になったエレミアへの攻撃を行わせない。

敵のクレリックを挟んで向かい合った俺とエレミアは、視線を交わすとタイミングを合わせて片方のクレリックへと攻撃を集中させた。

挟撃され、立ちすくんでいるクレリックはあっという間に体中に切り傷を負う。

治癒を行おうとするその隣のクレリックへはフィアからのスコーピオン・チェインが飛び、詠唱中に傷を負わせることで呪文の構築を失敗させている。

支援を受けることが出来なくなった後衛など脆いものだ。秘術使いに比べれば接近戦に長けているとはいえ、専門家とは比べるべくも無い。

前後からの4枚の刃に切り刻まれ、クレリックが1体倒れた後は簡単だ。

手を出してくる戦士達をカウンターで転がしながら残ったクレリックを始末し、連携を失った前衛を片付けるのにそう時間はかからなかった。


「少し危ない場面もあったけど、なんとか切り抜けたな」


敵の分断策とまさかの自爆、思わぬ前衛の連携戦術と流石に玉座の直前だけあって敵の防備も固い。


「まさか自爆するなんて思いませんでした。あんな怖ろしい呪文もあるんですね」


メイの驚きも尤もだ。『呪文大辞典』という呪文だけを扱ったサプリメントに収録されている秘術呪文で、俺も使われたのはこれが初めてだ。

この先に遭遇する秘術使いが皆自爆呪文を使っているとすれば、迂闊に手が出せない。

だが秘術使いを放置すれば戦場をひっくり返されてしまう。今後のホブゴブリン達との戦闘でこれは非常に重い枷になるだろう。

幸い爆発半径は10メートルほどであるから、その範囲外から遠距離攻撃で始末するしかない。


「あれだけの呪文の使い手を使い捨てにするなんてね。

 連中、後先ってのを考えてないんじゃないか?」


「そのような指示を実行させるという点を見ても、この一族が強力に統率されているというのが見て取れる。

 シャーグとやらの力か、ヘルメットの力かは判らないがいずれにしても一筋縄ではいかないようだな」


ポーションを飲んで傷を癒しながらラピスとエレミアがそんな会話をかわしていた。

確かに、《デス・スロース》で死んだクリーチャーは尋常な手段では蘇生できない。それだけの犠牲を強いることが出来るシャーグの統率力は恐るべきものだ。

そのシャーグの玉座もあと僅かの距離まで迫っている。

メイの呪文リソースを今の戦闘でかなり消耗してしまったが、指輪の効果であと1戦闘はフルに戦えるはずだ。

とはいえ、城塞の入り口からずっと戦いながら進んできたのだ。ポーションで疲労を誤魔化す事は出来ても限界はある。

次の戦いでシャーグを討つことができれば敵の統率も乱れ、休憩する余裕が出来ると思いたいが……。

幸い、後方から敵が迫ってくる気配はまだない。解呪の呪文を準備していなければ魔法により強度が上がった水門を破壊して進む必要があるために手間取っているのだろう。


「さあ、玉座までもう少しだ。

 さっさと用を済ませてこの陰気な地下からおさらばしよう」


皆にそう声を掛けて橋を渡る。ゲームではもう少し先があるのだが、実際にここでも同じ展開になるかは判らない。

やや駆け足気味に先へ進む。どうやらこの辺りの敵は先ほどの橋の防衛に集中していたようで、玉座へと通じる重厚な扉の前にも敵の姿が見当たらない。

怪訝に思いながらも先へ進むが、行き着いた玉座の間にも敵の姿はまったく見当たらなかった。


「ここが玉座の間で間違いなさそうだが……既に敵はここを放棄したようだな」


注意深く周囲を見渡しながらエレミアが呟く。今までのホールと比べれば天井の低い部屋の中央に小高い玉座が鎮座している。

部族の戦旗を背後に、両側から松明で照らされたその玉座はその頂くべき王を持たず沈黙を保っている。


「……たぶん、敵は『シャン・ト・コーの印璽』を起動しようとしている」


唐突にルーがそう呟いた。


「『シャン・ト・コーの印璽』は、ジャイアントたちがゼンドリックを支配していた頃からの、伝説的な権力の印。

 その魔力はとても難解なものだけれど、かつて巨人に仕えていた一族であればその使い方が伝わっていてもおかしくない」


それを巨人から奪い、破壊の時を待っていた彼女の部族にはなんらかの伝承が伝わっていたのだろう。

だが、ルーもあのアーティファクトを使用することで何が起こるのかは知らないらしい。その口伝を継承する前に里は滅んでしまったのだ。


「何にせよ急いだ方が良さそうだね。

 どうせ僕らにとって都合のいい事が起こるってわけじゃないんだろうし」


そのラピスの言を容れて玉座の間を出た俺たちは、休憩する暇も無く洞窟のさらなる奥へと足を踏み入れた。

周囲の様子は再び天然の洞窟から人工の遺跡へと移り変わっている。

地下へと降りる螺旋状の回廊を進んでいるとメイが何かを感じたようだ。


「強い大地の力が集まっているのがこの先から伝わってきます。

 なんだか少しずつ強くなっているみたい」


彼女に言われたことで俺も意識を研ぎ澄ましてみる。

言われてみれば、足元や壁面の奥に何らかの力の流れを感じる。それはこの遺跡の奥へと集まり、束ねられているようだ。

地のノード……大地を流れる天然の力が集中する、いわば地脈とでもいうべきパワースポットがこの先にあるのだろう。

それが活性化するということは、例のアーティファクトが何か関わっているのだろう。

先導するエレミアを追い、地下遺跡を走りぬける。

途中で何体かのホブゴブリンの衛兵が矢を射るなど足止めを行ってくるが、呪文の使い手は見当たらない。

ゲームでは多くのクレリックが配置されていた要衝すら放棄されていた。

ただ時間を稼ぐだけならば、罠と地形を利用したほうが遥かに効果的な筈だ。

アーティファクトの起動に多くのクレリックを必要としているという事だろうか?

最も激しい抵抗を予想していた、炎を吹き出す柱で埋め尽くされたホールでも妨害らしき妨害は無い。

《ディメンジョン・ドア》の巻物を使用することで何の問題もなく切り抜けることに成功する。

怪訝に思いはするが、足元から感じられる地脈の活動は徐々に強くなってきている。

メイの言うとおり、距離が近づいただけではなくその力強さそのものが増してきているようだ。

先ほどとはうってかわって冷気が吹き付ける回廊を進む。もうすぐ『シャン・ト・コーの印璽』が安置されていた広間だ。

通路の突き当りには3方の壁に巨人の顔が刻まれており、その大きく広げた口は今にも俺達を飲み込まんとしているかのようだ。

その床には階下へと通じるパイプが伸びている。ここを飛び降りればそこがクライマックスの会場だ。

足元から感じられる強い地脈のオーラは、既に熱を持っているかのように体に浸透してきている。

だが、さらに強い力をこの階下からは感じる。もはや一刻の猶予もないだろう。

皆と視線を交わし、覚悟を決めるとパイプへと身を躍らせる。

降りた先のフロアは少し先から開けた空間になっている。大き目の体育館ほどの広さのホール、そこを埋める30を越えるホブゴブリンの軍勢!

中央にはシャーグと思わしき立派なヘルムを身につけた大柄なホブゴブリン。

一回り大きなその体は熊と思われる動物の毛皮をマントとして纏い、この地底に住むなんらかの生物から剥いだのだろう蟲の甲羅によって作られた鎧が暗い輝きを放っている。

その周囲を囲んでいる8体のクレリックは一心になんらかの儀式を行っているようだ。彼らは俺達侵入者に対してなんの反応も見せない。

だが、俺達とシャーグの間に立ち塞がる大勢のホブゴブリン達は勿論違った反応を見せた。


「さあ、4万年越しの復讐の時が来た!

 我らから『印璽』を奪ったエルフの末裔達が再びこのシャン・ト・コーの間に現れたのだ。

 今度こそその体に我らの武器を突き立て、哀れな悲鳴を上げさせろ!」



そう言って叫んだシャーグの雄叫びと共に、ホブゴブリンの剣が、槍が、矢がこちらへと殺到してくる。

他に何も考えない戦力の一点集中がシャーグの狙いか?

咄嗟に持ち替えた"ソード・オブ・シャドウ"を振るい、こちらの防御を貫く鋭さを持った攻撃に狙いを絞って薙ぎ払う。

俺の隣ではシャウラがその鋼の体を利用し、盾となって皆への攻撃を受け止めているのが見える。

だが、この広間に集められた連中は流石に精鋭のようだ。そのシャウラの硬い装甲をアダマンティン製の武器でもないのに傷つける連中も居る。

ホールの片隅に追い込まれそうになっている俺達のほうへと、天井付近を進む小さな影に気づいたのはルーだった。


「使い魔、上から来てる!」


見れば蝙蝠が2体、その小さな体を隠すようにこちらに進んできている。

特に障害にはならなさそうだと一瞬思ったが、わざわざルーが警告を放ったということから考えられる危険なパターンが一瞬で脳内で連鎖した。


「(秘術使いの使い魔、呪文共有……)

 まずいメイ、転移だ!」


細かい事情を説明する余裕は無かった。既に控えている秘術使いが《ファイアー・ボール》の詠唱を終えようとしているのが視界に映ったのだ。

取り出した《ディメンジョン・ドア》の巻物を使用し、近くに居たシャウラとルーを連れてホールの別の端へと転移した。

メイが残りの皆を連れて転移する。その直後、俺達のいた空間を使い魔ごと薙ぎ払うように火球の呪文が炸裂した。

その火球で巻き込まれた使い魔が、《デス・スロース》の呪文による断末魔の爆発を起こす。

本来ならば術者にしか有効ではない呪文を、使い魔とのみ共有できる『呪文共有』の能力を活かした恐るべき戦術だ。

使い魔を失うことは術者にとっても生命力を削られる結果を生む。

無論術者本人が死ぬほどではないとはいえ、一心同体といってもいい使い魔を爆弾に仕立て上げるとは。

しかも、こちらに迫っていた味方数体を巻き込んでである。

その狂気の攻撃を凌ぎはしたが、状況は芳しくない。咄嗟の転移だったためにメイと俺の場所が離れてしまったのだ。

既に自爆に巻き込まれなかったホブゴブリン達は二手に分かれて俺達を分断しようと動いている。

本来であればその固まって突っ込んでくる連中に範囲攻撃魔法を撃ち込むのだが、今はシャーグの儀式を妨害するのが先だ。

転移したことによって敵の遮蔽がなくなった機会を逃さぬ、と俺は手持ちで最強の呪文である《メテオ・スウォーム》による攻撃をシャーグへと放った。

だがしかし、スチームトンネルに潜んでいた悪の死霊術士を一瞬で屠ったその火球はシャーグに到達する前に不可視の壁に激突してそこで大爆発を起こすに留まった。


「《ウォール・オヴ・フォース》か!」


流星雨が直撃しても微動だにしない不可視の力場。先ほど俺達を分断した呪文があらかじめシャーグたちを取り囲むように展開されていたようだ。

貴重な一手をその護りによって失った俺達へホブゴブリンが追いすがってくる。

そしてそのホブゴブリンの頭上に飛び交う数多の蝙蝠たち。

見ればこのホールの天井にはかなりの数の蝙蝠たちがぶら下がっている。無論この全てが使い魔というわけではない。

術者1人につき使い魔は1体しか持てないからだ。だが、そのうちどれが使い魔であるかを見極めるのは困難な事。

先手を打って使い魔を倒しておくのも難しい。

だが、シャウラの背に乗ったルーが《シアリング・ライト》のワンドから放った光線が一体の蝙蝠を貫くとそれは断末魔の爆発を起こし砕け散った。

シャウラに移動を指示し、射程内に入った使い魔を次々と呪文による閃光で葬っていくルー。

どうやらその《アーケイン・サイト》の蒼い輝きを宿した目には《デス・スロース》の呪文が付与されている蝙蝠を見極めることが出来るようだ。

そうと判れば話は簡単だ。俺はシャウラを追おうとするホブゴブリンの集団の前に立ち塞がり、敵を次々と転ばせていく。

普通であれば敵の数が多すぎて迎撃しきれないかもしれないが、チートによって強化された俺の能力値が与える反応速度が敵の軍勢を圧倒する。

次々とこちらに向かってくる連中の足を切り、蹴飛ばし、俺を迂回しようとした連中は《ウェブ》呪文により束縛する。

そうしている間にも断末魔の爆発は続き、蝙蝠の使い魔を一掃したルーは続いて秘術使い本体への攻撃を開始した。

接近してシャウラの鋏と尾で致命傷を与えた後、距離をとって呪文で止めを刺す。

俺は彼女を援護すべくさらに何箇所かに《ウェブ》を放ってホブゴブリンの行動を制限すると、シャーグのほうへと駆け寄った。

戦っている間も地のノードの力は徐々に強まりつつある。いつ臨界を迎えてもおかしくない状態なのだ。

前方を塞ぐ《ウォール・オヴ・フォース》に《ディスインテグレイト》の呪文を撃ち込んで破壊する。これはこの力場の壁を無効化する数少ない手段の一つだ。


「先ほどから鬱陶しい奴め。

 間もなく伝説が復活するのだ、貴様も偉大なる巨人の威光にひれ伏せ!


シャーグがこちらを一睨みすると、そのヘルムからシャーグの瞳を通じて強力な魔法のオーラが叩きつけられた。

俺の意思を屈服させ、シャーグの支配を受け入れさせようと精神を締め上げてくる強力な力を感じる。《ドミネイト・パーソン》の呪文だ。

これが古の巨人が彼に与えた支配の力か。エルフを奴隷として使っていた巨人が得意としていたその呪文が俺に纏わりつくが、前に進む足へと力を込めてその呪文を振り払う。

俺が振るった大剣の刃を、シャーグは周囲を囲むクレリックの体を掴んで盾にすることで避けて見せた。

クレリックは儀式に没入してトランス状態に入っているのか、斬りつけられたのに一切の反応を見せない。


「抗うか。ならば直々に手を下してやろう!」


シャーグはそういうと首に飾っていた人型生物の骨で出来たと思われるネックレスに手を伸ばし、そこにぶら下がった骨を一つ引きちぎると掌で握りつぶした。

その直後シャーグの手のひらからは黒い炎が溢れ出し、それはやがてショート・スピアの形を取った。


「癒えぬ傷を抱いてドルラーへと旅立て!」


攻撃自体は単調な突きだった。だが、その突きを払おうとした剣はシャーグの信じられない膂力によって弾き飛ばされる。

逸らし切れなかった槍の穂先が左肩を浅く抉り、そこから伝わる力が俺の体を錐揉みさせながら後方へ数メートル吹き飛ばした。

その衝撃を受けて転倒しそうになる体のバランスを必死で取りながら武器を構えなおすが、頭では今起こったことを未だ理解できずにいる。


(馬鹿な……あの体格で狂化したゼアド以上のパワーだと!?)


クレリックはその信仰により、神の持つ権能を借り受けて一瞬だけ信じられない破壊力を生む攻撃を放つことが出来ることがある。

だが、今の一撃はそんな範囲に収まるものではなかった。


「ほう、今のでも死なぬのか」


黒い槍を携えてシャーグがこちらへと向かってくる。

傷を治療して向かい合おうとするが、確かに発動された《キュア》の呪文が肩の傷に作用しないことに気づいて愕然とする。


(あの槍、《ヴァイル・ランス》か!)


善人の骨を触媒とし、不浄の力で編まれた黒炎の槍。その槍でつけられた傷は、聖別された領域でのクレリックの呪文でなければ癒えないという。

『不浄なる行いの書』に記載された、悪を超えた『猛悪』呪文の一つだ。


「さぁ、逃げ惑え!」


近寄ってきたシャーグが再びその槍を振るう。今度は手加減なしの一撃のようだ。

攻撃の兆候を掴んでいても、常識はずれの筋力から生み出される槍の速度は視認することすら出来ない。

武器で受けようとしても、それは蟻の力で象の行進を止めるようなもので全く歯が立たない。

回避に専念することでなんとか凌げているのはゼアドとの一戦があったおかげだろう。

だが、シャーグの膂力は時が経つにつれどんどんと増していく。

明らかに人型生物のキャパシティを越えた力だ。何らかの呪文のカラクリがあるはずだが……

攻撃を凌ぎながらもその謎を解き明かすべく注視していると、離れたところでエレミアに切り倒されたホブゴブリンから青白いオーラのようなものがシャーグに吸い込まれていくのに気付く。

そのオーラはシャーグの身の回りを包んでいる魔法のオーラに吸収される。

一段と強さを増したそのオーラに比して、シャーグのパワーはどんどんと強まっていく。


(《コンサンプティヴ・フィールド/消尽の場》か!)


瀕死のクリーチャーの精気を吸い上げ自身の力にする呪文だ。

倒した敵に対して使うものだと思っていたが、まさか自分の仲間を犠牲にしているとは!


「ほう、気付いたのか?

 我が槍をここまで凌いだ上に古の禁呪にも通じているようだな」


感心した様子で喋りながらも次々と槍を繰り出してくるシャーグ。

初撃に肩に一発貰ったこともあって段々捌くのが辛くなってきた。

致命傷こそ避けているものの、かすり傷程度からでも体を苛む負のエネルギーを送り込まれているかのように体が重くなる。

それにこの調子で受けに回っていてはジリ貧だ。シャーグの力は増す一方で、呪文の効果時間切れを待つ前に俺がやられてしまうだろう。

援護を頼もうにも、俺以外の皆はシャーグの突きを捌けない。射程距離内に入ったら即死だと考えていい。


「貴様のお仲間が頑張っているおかげで窮地に追いやられる気分はどうだ?

 助けを呼んでみるか? それともそれ以上敵を倒すなと叫んでみるか?」


幸い、シャーグは《トゥルー・シーイング》の呪文を使っていないようで呪文による幻術は効果がある。

致命傷を受けていないのも咄嗟に掛けた《ブラー/かすみ》呪文で俺の位置をぼやけさせているからだ。そこにつけいる隙がある。


「馬鹿いうなよ。

 こんな穴倉でお山の大将気取ってる程度の雑魚相手に助けなんか呼べるかよ!」


《呪文高速化》により一瞬で《ミラー・イメージ/鏡像》の呪文を発動する。

今の奴には俺が分身しているように見えているはずだ。3体の分身が現れたことにより本体の俺が被弾する確率は25%。

さらに《ブラー》による視認困難も合わさり、敵の槍が俺を捕らえる可能性は激減する。

反転し、攻勢に出た俺の刃がシャーグの体に命中するが、奴の体を包んでいる魔法の力場は筋力だけではなく一時的なHPも与えている。

その全てを削らなければ本体に傷をつけることは出来ない。

シャーグが俺に対して槍を振るい、被弾した分身が消滅する。だが俺は即座に《ミラー・イメージ》を再び唱えて分身を補充し続ける。

俺のHPとSPが切れるのが先か、シャーグの命運が尽きるのが先か。


「猪口才な!

 悪あがきをしても無駄だ!」


確かにどんな術士であっても高速化した呪文はすぐに枯渇するだろうし、強靭な戦士であってもこの槍が2発も当たれば倒れ伏すだろう。

だがチートスペックとチートアイテムにより強化された俺のステータスは尋常の数値ではない。

"ソード・オヴ・シャドウ"から無銘の二刀流へと持ち替えを行い、防御を幻術に委ねて最高速度での攻撃を放ち続ける。

間断なく発動させる《ミラー・イメージ》による負荷で脳は沸騰しそうに熱くなり、視界がホワイトアウトしそうになるのを堪えながら二刀を振るう。

シャーグの振るう《ヴァイル・ランス》が俺の体を時折捉えるが、体の痛みは却って意識を保つのに役立ってくれている程だ。

実際には短い時間だったのだろうが、体感的には永遠に思える剣舞もやがて終局を迎えた。

俺の振るった『ヴォーパル』の魔力を秘めた刀身がシャーグの頚部へと吸い込まれ、その首を刎ねたのだ。

この今となっては製法の失われた強力な呪文効果は、対象の首を胴体から切り離すという恐ろしい魔力を秘めている。

発動率はそう高くは無いが、発動したが最後首を切り離されて生きていられる種族でもなければ絶命は必死である。

首を落とされたことでシャーグの手にしていた槍は消え、胴体もやがて力を失って崩れ落ちた。

20体以上もの同胞とその使い魔の命を啜ったシャーグは、HPで削り殺すことは難しいだろうと思った判断は間違っていなかったようだ。

俺も3発ほど被弾したが、なんとか生き残ることには成功した。問題はこの治療不能な猛悪ダメージだ。俺の考えている手段で回復可能ならばいいんだが……。

だがまずはこの儀式を止めるのが先だ。

痛む体を引きずってホール中央の祭壇へと向かう。ホールの反対側からは、残りのホブゴブリン達を倒したエレミアらが同じように祭壇に向かっているのが見える。


「どうだ?

 儀式は中断できたはずだが、止められそうか?」


祭壇の周囲のクレリックを全て屠った後、中央にはめ込まれた『シャン・ト・コーの印璽』を調べているメイに声を掛ける。

だが、彼女の表情を見るに状況は芳しくないようだ。


「駄目です~。

 周囲から力が集まってくるのは止まりましたが、内部に蓄えられたエネルギーは暴発寸前です!

 完全な形での起動は避けられましたけど、何らかの形で動作するのは止められそうもありません」


確かに『印璽』の内部を巡っている力の奔流は恐ろしい勢いで、よほど呪文学に精通したものでなければ今から動作を停止させることは出来ないだろう。


「そもそも、こいつはどんな働きをするものなんだい?

 回路が古式な上に複雑すぎて、僕にはさっぱり判らないんだけど」


ラピスがそういうが、俺にもさっぱりだ。ゲームではここに安置されている『印璽』を回収して帰るだけだったし、そもそもどんな力を秘めているのか不明なままだ。

だが、答えは意外なところからもたらされた。


「おそらく、これはゼンドリックに散らばるジャイアント達を結集させるためのものだ。

 古い言葉で『巨人を団結させる』というが、実際はこの地脈の流れを通じてこの大陸の別の場所にある地脈から巨人達を呼び寄せるのだろう」


口を開いたのはエレミアだった。


「確かに、この回路は上級の召喚術に近いものがあるかもしれません……。

 でもエレミアちゃん、どうしてそのことを?」


エレミアの言葉を受けてメイが『印璽』を覗き込み、彼女の言葉が合っていることを確かめる。

だが、何故そんなことをエレミアが知っているのか?

確かに彼女はこのホブゴブリンの城砦に突入してからは、まるで内部の様子を見知っているかのように行動していた。

内部構造などであれば呪文で知ることも出来るが、今回のこの知識は明らかにその範疇を超えるものだ。


「……私の祖先がこのゼンドリックで上げた武勲、そのもっとも大きなものが大陸を脱出する同胞の船団を追った巨人の軍勢を追い払ったことだ。

 今ストームリーチのある浜辺から出発しようとした船団は、地下から無限に湧き出す巨人の軍勢に飲み込まれる寸前だった。

 だが少数の精鋭を率いて突入した我が祖先が、地下深くにおいて敵の将を討ち増援を食い止めたことで同胞はエアレナルへ逃れることが出来たのだ。

 この場はかつて我が祖先が敵将を討ち、巨人の増援を呼ぶアーティファクトを奪った場所。

 私は"過去の守り手"により祖霊と一体化し、その経験をこの身に宿している故に先達の知識がイメージとなり私にも伝わるのだ」


コルソスの酒場でかつてエレミアから聞いた話だ。それであれば彼女が『シャン・ト・コーの印璽』に詳しいことも納得できる。


「これから起こる戦いは私の定めが引き起こしたものだ。

 皆は巻き込まれただけに過ぎない。巨人を招くゲートが開く前に、ここを去ったほうがいい」


エレミアはそういって締めくくると、瞳と口を閉じた。話すことは全て話したといわんばかりの態度だ。

神妙な顔をしている彼女のその額に、ありったけの力を込めたデコピンを放つ。

きゃっ、と突然のことに可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をついた彼女に向けて文句を述べる。


「おいおい、これは俺の受けた依頼だぜ。

 そこの古臭い『印璽』を持ち帰らないことには報酬が入らないんだ。勝手なことを言われちゃ困るな」


俺に続き、皆も次々にエレミアに対して口を開いた。


「エレミアの先祖も一人じゃなかったんだろ。

 だったら僕達が手伝ってもご先祖様とやらに文句を言われる筋合いは無いんじゃない?」


「そうですよね~

 それにそのアーティファクトがルーちゃんたちの里に伝わっていたって事は、ひょっとして三人は遠い姉妹ってことになるんでしょうか?」


「そうなるのだろうな。

 我が里を起こした先祖は剣と踊りの妙手で、舞いながら瞬く間に10を超える巨人を切り捨てたというぞ。

 エレミアに実力があることは認めるが、まだその域には達していまい。

 ならばその足りぬ分は姉妹たる我らが力を貸そう」


ラピスがエレミアを諭し、メイの推論にフィアが答えた。

そしてルーは高まっている地のノードの流れに手を触れ、そこから一本の見事な装飾が成されたダブルシミターを取り出した。

緑に輝く優美な曲線を描く二枚の刃には、波を思わせる模様が黄金で象嵌されている。握りの部分に巻かれた柔らかそうな革は染み一つ無い純白の白さに輝いている。


「汝が祖霊、アルクィス・テローラの名を冠する、彼が使った武器。

 里の地脈に封じられていたものを取り出した。

 貴方がかの英霊の末裔であるならば、この刃に秘められた彼の魂を感じられるはず」


地のノードにアイテムを封じる"隠し場"を利用したようだ。

地脈の力を利用してその中にアイテムを封じ、地脈の流れる場所であればどこからでもそのアイテムを取り出すことが出来る技術である。

エレミアはルーの差し出した双刃におずおずと手を伸ばして受け取ると、まるで旧友に再びめぐり合ったかのようにその武器を抱きしめた。


「おお……何度も夢に現れた輝きそのものだ!

 遠き我が姉妹よ、貴方方の思いがこの刃を通じて流れ込んでくるかのようだ。この感謝は私の拙い言葉では伝えきれない……!」


エレミアの目尻に輝くものが浮かんだ。

彼女らレヴナント・ブレードはその守護祖霊の軌跡を踏襲し、ゼンドリックに埋もれた祖霊の振るった武器を捜し求めるという。彼女は今その双方を満たす機会を得たのだ。


「礼ならばその刃に乗せて答えるがよかろう。

 さぁ、愚かな獲物たちがやってくるぞ!」


フィアが告げるや否や、周りの空気がパチパチと音を立て始めた。そしてホールの三方、ちょうどここに至るパイプの上に描かれていた巨人の顔のレリーフのあった方向に巨大なポータルが発生する。

直径10メートルを超えるその揺らめく転移ゲートからは、その通じた先特有の匂いが漂ってくる。

熱帯雨林のジメジメとした空気、冷たい冷気、鼻を刺す硫黄の匂い……

これらのポータルは今やゼンドリックに散らばる巨人達の集落に繋がっているのだ。

そしてそのポータルを通じて、『印璽』の呼びかけに応えた巨人族の戦士達がこのホールへと殺到してくる!


「古き盟約が我らを呼んだ。小さき者共よ、それは貴様達が触れてよいものではない!」


「集え、わが同胞達よ!

 勝利をストームリーヴァーに捧げるのだ!」



だが、真正直にそこから出てくる連中を迎え撃つようなことはしない。


「《ブレード・バリア/刃の障壁》!」


巻物から発動された呪文回路が完成し、開いたポータルの前に多数の旋回する刃で構成されたカーテンが発生する。

ポータルから進入してきた巨人たちは、まずこの刃の洗礼を受けてその身を裂かれることとなる!

連続して巻物を発動させ、全てのポータルの前に刃のカーテンを発生させるが強靭なジャイアントたちはその程度では倒れるようなことは無かった。

右のポータルからは丘に住まうヒル・ジャイアントが、左のポータルからは雪原に住むフロスト・ジャイアントが、そして中央のポータルからは火山に住むファイアー・ジャイアントが突入してくる!

熱を弱点とするフロスト・ジャイアントを《スコーチング・レイ》のワンドをもったメイとラピスに任せ、最も打たれ弱いヒル・ジャイアントにはフィアとルー、シャウラを向かわせる。

そして最も危険なファイアー・ジャイアントには俺とエレミアで向かった。


「リーヴァーに栄光あれ!」


ポータルから出るや否や、設置されている刃の壁に切り裂かれた巨人は雄たけびをあげながら突進してくる。

だが《ブレード・バリア》を越えた先にある、エレミアと俺という実体を持った刃の壁。

この二層の壁によりポータルから出現した巨人は次々と切り倒され、ホールをその骸で埋めていく。


「倒しても倒してもキリがないね!

 一体いつまでこのデカブツの相手を続けなきゃいけないんだい?」


「不完全な起動でしたから、このポータルは永続的なものではなく不安定です。

 『印璽』に蓄えられたパワーが枯渇すれば、全てのポータルは閉じるはずです!」


青白い肌をした巨人、フロスト・ジャイアントに《スコーチング・レイ》のワンドを振り回しながらラピスがメイに愚痴をこぼしている。

雪原に住まう彼らはポータルを潜るや否や《ブレード・バリア》で切り裂かれ、さらに2人から6本の熱閃を浴びせられてホールを数歩たりとも歩むことなく葬られている。 


「貴様らはもはや"力を持ちし者"ではない!

 お前達の時代は夢が暗黒に襲われたときに終わったのだ。

 サソリの毒針と夜の冷気がお前達を在るべき所へ誘うだろう!」


迫りくる巨人の集団の足元をフィアが駆け抜ける。通り抜け様にアキレス腱を切断され、うずくまった巨人達の集団に対してシャウラがその尾から酸を噴射した。

円錐形に広がったその酸霧の中で、巨人たちは苦悶の叫び声を上げながら融けていく。

微かに息のあった巨人には、ルーが《シアリング・ライト》のワンドから光線を放ちその命脈を断った。


「どうやら他の皆は上手くやってるみたいだな。

 俺達も負けてられないな、エレミア」


二体同時に飛び出てきた巨人を相手取るために背中合わせになっていたエレミアに声を掛ける。

俺達を囲んでいた炎の巨人は既に致命傷を受けて崩れ落ちている。


「先祖よ! あなたの息子を受け入れてくれ……」


無念の言の葉を呟きながら絶命するジャイアント。

気配から判断するに、エレミアも危なげなく敵を倒しきっているようだ。


「私が求めるのは遥か古代の伝説。4万年の昔にこの地に立った我が祖は瞬く間に10の巨人を切り伏せたという。

 だが、この者たちは古に詠われた巨人のつわものではない。たとえ同数の首級をあげたとしても、誉となることはない」


確かに今相手にしているのはその種としての能力に胡坐をかいて個としての強さを鍛えていない、いわば素のジャイアントに過ぎない。

遥か古代にこのゼンドリックを支配していた巨人の実力はこんなものではなかっただろう。


「奴隷を殺しても勝利とはいわぬ。

 だが貴様らの亡骸に火を灯し、我らが再びこの大陸を取り戻す狼煙とせん!」


再びポータルを潜り、炎の気配を纏った巨人が現れた。彼らの部族の長なのか、今まで見たどのジャイアントよりも大柄で左右に2人の巨人を従えている。

だが、その姿を見てもエレミアの気配は一切の動揺を見せない。寧ろこの逆境にあってますます闘志を燃やしているように感じられる。


「だが、20の首級であれば良かろう」


緑と金に染め上げられた鋼の残光を残して、エレミアが突撃する。

巨人の周囲を踊る様に舞い、移動しながら斬りつけている様はまさに剣舞と言える。

エレミアの守護祖霊の武器には、"巨人殺し"の能力が宿っているようだ。

それに加えて対巨人に鍛えられた彼女の剣旋は、重量差にして何十倍もある巨人を容赦なく切り裂き屠っていく。

通常二刀で攻撃する際になる弱点となる、力を十分に乗せることが出来ないという点を彼女のダブルシミターは見事に克服している。

俺も彼女の援護をすべく、半周遅れて巨人の周囲を回り始めた。

中央の巨人をエレミアに任せ、俺はその脇に控える従兵達がエレミアに手出しできないように注意を引き付けていく。

だがその心配は杞憂だったようだ。10秒もしないうちに敵の巨人はその全身を切り裂かれて崩れ落ちた。

その後も《ブレード・バリアー》とエレミアの剣舞という二枚の剣の壁を越える巨人はついに現れず、大勢の巨人を屠った後についに『印璽』に蓄えられた地脈のエネルギーが尽きたのかポータルが閉じた。

あれだけ広かったホールはもはや巨人の死骸で埋め尽くされ、戦いの激しさを物語っている。


「ようやく終わったか……」


最後の巨人をその剣舞で葬ったエレミアに話しかける。


「どうやらそのようだな。

 この刃に宿る祖霊の声も収まったようだ」


戦闘態勢を解き、周囲を見渡す。他の皆も怪我はあるようだがどうやら無事なようだ。

メイがこちらに手を振っているのに返しながら、ホールの中央にある『印璽』の元へと足を向ける。

先ほどまでは周囲の空気を振るわせるほどの力を宿していたこのアーティファクトも、今は既に力を失ったのか大人しくしている。

床に嵌め込まれたその『印璽』を取り出そうとしたその瞬間、直観が危険を告げると同時、臓腑を抉る衝撃が体を貫いた。

体勢を保てず、崩れる下肢に力を込めることも出来ずに倒れる俺の視界に映ったのは頚部を切断されたクレリックの体に乗ったシャーグの首の姿。


「最初にボスのヘルメットを奪うんだ。

 大昔のクレリックが祝福を与えたんだ。シャーグの大のお気に入りの品物だ。

 いいヘルメットだぞ。ちゃんと脳みそを守ってくれる。

 玉座部屋にいるシャーグを探し出し、ヘルメットを奪って奴に剣を突き刺せ。そうすればうまくいくよ」



グリーズィクスの声が今更頭に木霊した。あれはヘルムを奪わない限りシャーグが死なないということを言っていたのか?

だが、既にその機会は失われている。

シャーグの腕に握られた黒炎の槍は、幾重にも展開されている護りを貫いて俺の横腹に突き刺さり反対側へと抜けている。

脳裏に浮かぶキャラクター・シートは俺のHPがマイナスに突入していることを示している。


「残念だったなヒーロー。

 お前も、お前の女どもも皆ここで死ぬのだ。

 偉大なるシャーグの道を阻むことは誰にも許されぬ!」


薄れゆく意識に、シャーグの声が高笑いと共に聞こえてくる。

その発言を聞いて少し力が戻る。ここで俺が倒れては、まず間違いなく全滅だ。

メイが呪文で皆を連れて脱出してくれれば良いが、おそらく彼女はその手段を取らないだろう。

だからここで倒れるわけには行かない。

奴の高笑いを聞き、俺が倒れたのを見て皆が駆け寄ってくる気配を感じる。

このままでは数秒後には、俺の大事な女性達がドルラーへと送られることになるのは間違いない。

さあ、立て。

この体にはまだやるべきことが残っているはずだ。

薄れ行く意識の中で、キャラクター・シートのボタンを一つ押し込む。

さあ、立ち上がれ。


俺の足元からレベルアップ時の白い翼のようなエフェクトが立ち上がってくる。

その白い光に包まれた俺は、あらゆるステータスがクリーンアップされていくのを感じた。

猛悪ダメージに侵されていたHPも全快、SPと気ゲージも勿論最大値だ。

そう、俺は蓄えていた経験点を使用してレベルアップを行ったのだ。

ゲームではレベルアップすることであらゆるステータスが回復する。

クエスト中にレベルアップをする仕様では無かったからどうなることかと思ったが、どうやら無事成功したようだ。

仕留めた筈の獲物が再び立ち上がったことでシャーグはその顔を一瞬驚きに歪ませたが、即座に意識を切り替えるとその槍を振りかぶった。

周囲に倒れ伏す50を超える巨人の死体。その大半から力を奪ったとするとシャーグの筋力は100を超え、HPも200程度増加しているだろう。

だが、その程度だ。

僅かな残滓として残る地のノード、その力を発動する呪文に上乗せして回路を構築する。

《呪文威力最大化》《呪文威力強化》《呪文エネルギー上乗せ》《呪文二重化》《呪文高速化》……

TRPGで実装されていた呪文を強化する様々な特技が、MMOのシステムによって組み上げられこの世界には有り得ざる破壊力を持った呪文を生み出す!

常識外れな、もはやレイ/閃光ではなく一抱えもある柱ほどの太さに膨れ上がった《スコーチング・レイ》が8本、シャーグの体へと襲い掛かった。

身に着けた装備の効果も含めそれぞれが従来の熱閃の10倍の威力を有する白色の破壊光線は、呪文で強化されたシャーグの体を飲み込んでなお直進し、巨人の死体を焼き払い壁に巨大な穴を空けてようやくその勢いを失った。

床に転がるヘルムも、もはや原型を留めていない。許容量を遥かに超える熱量を浴びせられたそれは、蒸発こそしてないものの完全に融解しもはや床にこびりついたシミになっている。

もはや、かつて感じた魔力はそこからは一切感じられない。クローヴン・ジョー族のシャーグはここで長い歴史から退場したのだ。


「トーリ、無事なのか?」


シャーグに斬りかかる直前だったエレミアが声を掛けてくる。彼女の位置からなら、先ほどの一撃が致命傷だったことが見えただろう。

そんな俺が突然起き上がってシャーグを消し炭にしたのだ。驚くのも無理は無い。


「ああ、お蔭様でね。

 なんとかドルラーには行かずに済んだよ」


先ほどのことが上手く行ったのは運に頼ったところが大きい。

何分、事前に瀕死からの回復など試すことが出来ない以上ぶっつけ本番なのだ。

3Lvから4Lvへの上昇で得るものが少なく、逆に取得する経験点が減少するためにゲーム中同様カンストギリギリまでレベルアップを行わなかったことがよい方向に転がってくれた。


「あまり心配させないでくれ。

 先ほどのは、本当に死んでしまったと思ったぞ……」


そういうとエレミアはこちらに近寄るとぎゅっと俺に抱きついてきた。

周囲を満たす血臭が薄れ、エレミアの髪から落ち着く匂いが俺の鼻腔を満たす。

薄手の鎧越しに感じられる彼女の柔らかい感触に、戦闘でハイになっていた感情が少しずつ落ち着いていくのが判った。


「心配かけたね。次からはもっと上手くやるよ」


そういってエレミアを抱き返そうと腕を回したところで、後ろからやってきた衝撃に俺はエレミアとくっついたまま地面を転がることになった。

衝撃を感じた腰辺りに視線をやると、左右から双子がくっついているのが見える。


「……一瞬、心臓が止まっていた」


「私も、ルーアイサスからそのことを感じたときは自分の心臓も止まったかと思ったぞ!」


む、さっきのはやはり一瞬とはいえ死んでいたのだろうか?

意識があったとはいえショックで心臓は止まっていたかもしれない。血が巡らなくなっても脳がすぐに死ぬわけではないというし。

しかしルーは《ステイタス》などで俺の状態を確認していたのかな。

ひょっとしたら行方不明になった俺を探し当てたときも、この呪文の効果だったのかもしれない。


「みんな楽しそうですね~

 私も参加します!」


遅れてやってきたメイがそんなことをいって俺に向かって飛び込んできた。

残ったラピスはシャウラに腰掛けながら視線だけこちらへ向けている。


「お前は混ざるんじゃないよ。流石のトーリも潰れて死んじゃうだろうしね。

 ひょっとしたら潰れても生き返ってくるかもしれないけど」


ラピス、最後の一言は余計だぜ。流石にさっきのような真似はもう出来ないし。


暫く無事戦いを終えたことを喜んだ俺たちは、本来の目的である『シャン・ト・コーの印璽』を回収した。

何本かの光る矢を握っている拳が刻み込まれ、ルーン文字が掘り込まれた大きな石だ。

おそらくこれは巨人族の太古の英雄である「ストームリーヴァー」を表しているのだろうが、D&D標準世界観を知る俺からしてみれば意味深な印章だ。

この光る矢を稲妻と捉えれば"秩序にして善"である武勇の神ハイローニアスを示すし、そのまま矢と捉えれば"秩序にして悪"にして専制の神ヘクストアを示すシンボルとなる。

いずれもエベロンには存在しない神格だが、全ての世界は繋がりを持っているという設定もある。であるならば、これには何か意味があると考えたほうが良いだろう。

その後、周囲に散らばる巨人族が装備していた魔法のアイテムを奪い、文字通り山のような荷物を抱えた俺たちは《テレポート》の呪文を使用してこの洞窟から我が家へと帰還したのだった。



[12354] 2-10.マイ・ホーム
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:5a399a21
Date: 2010/02/22 18:46
帰宅後シャワーを浴びてすぐに泥のように眠り、目を覚ましたのは夜半頃だった。

洞窟に長く篭っていたせいか昼夜の感覚が薄れていたが、家に戻ってきたのが昼過ぎだったのだ。

家の中はひっそりと静まり返っており、他の皆はまだ休んでいるようだ。

若干の空腹感を感じた俺は、皆の安眠を妨害しないように足音を殺しながら廊下に出ると階下へと向った。

莫大な量の戦利品を回収するために、ブレスレットに収めていた食料品は全てあの地底のホールにおいてきてしまったのだ。

100体近い巨人とホブゴブリンの装備していた魔法の品、主に武器と鎧、魔法の指輪などを回収するのは、下手をすれば戦いそのものよりも面倒な仕事だった。

そのせいで、普段であればそこらの屋台で買った出来立ての食品などが収まっているブレスレットも今だけは俺の空腹を満たしてくれない。

現代の便利生活に慣れきった身としてこの世界の厨房で食事を作ることは当分無理だが、魔法によって低温に保たれた冷蔵庫は備えられている。

果実がいくつか残っていたはずだし、無くなっていてもジュースか何かがあれば買い置きのパンでも齧れればそれでいい。

食堂を通り過ぎて厨房へと入り、ふと窓から外を見ると庭に立つ人影が目に映った。

普段は金色の輝きを纏っている髪が、今は月の銀光を受けて白く輝いている。

いつもは戦いの邪魔にならないようにポニーにしている髪を下ろした姿は新鮮だ。

俺は保冷庫に伸ばしていた手を引っ込めると、庭に出て彼女に話しかけることにした。

外に出るとすぐに彼女はこちらに気付いて鍛錬の手を止めた。そして俺が近づくのを待って話しかけてきた。


「トーリか。良い夜だな」


「こんばんわ、エレミア。ああ、良い夜だ」


赤道近くに位置するストームリーチだけあって、夜といっても日本の熱帯夜程度の気温はある。

とはいえこの家は庭に池を設けていたり、近くの憩いの広場付近には噴水があったりと環境的に恵まれていることもあり吹く風は心地よい。


「一時的にとはいえ生死の境を彷徨ったのだ。

 もう少し休んでいた方がいいのではないか?」


「いや、あの傷はもう完全に治ったよ。

 むしろ怪我する前より調子がいいくらいさ。今も小腹が空いたので何か食べるものを探して下りて来たんだ」


レベルアップに伴う全快作用で、それまでに負っていたあらゆるバッドステータスは消し飛んでいる。

その後シャーグに打ち込んだ呪文のSPくらいが消耗らしい消耗だが、それも一眠りしたことで完全に回復している。

レベルアップで能力値が上昇したことも考えれば、調子が良くなったというのもあながち間違いではない。


「それよりエレミアはこんな時間にも鍛錬か。

 激しい戦いだったんだし、少し体を休めた方がいいんじゃないか?」


いくらエルフの休息が人間の半分の時間で済むとはいえ、あれだけの敵相手に全力を絞って戦い続けたのだ。

体に負ったダメージも、呪文で回復したからそれでいいというものでもないだろう。

傷を癒すのは呪文の助けを借りるとはいえ本人の体の作用なのだ。データには現れない疲労があるかもしれない。

だがエレミアは俺の心配が杞憂だというようにダブルシミターを掴むと、それを振り回して見せた。


「いや、それよりも私は少し思うところがあってな。

 少しでも戦いの中で得たものを形にしたくて体を動かしていたのだ。」


確かにあの激闘の最中、エレミアは彼女の祖先がそうであったように踊るように剣を振るい、巨人を打ち倒していた。

それが祖霊の導きによるものか、彼女の内にある素質が芽生えたものかは判らない。

だがその手応えは確かに内に宿り、彼女はその残滓を集めて形にしようとしたのだろう。


「ああ、悪い。邪魔しちゃったか?」


俺が厨房から庭を覗き込んだときにはまだ彼女はそのシミターを振るっていた。

気を散らせてしまったのなら、申し訳ないことをした。

そう思い踵を返したところ、エレミアから待ったがかかった。


「いや、丁度区切りをつけようと思っていたのだ。

 これも良い機会であろう。

 トーリ、私と立ち会って欲しい」


振り返って見ると、エレミアの瞳が俺を見つめていた。

何やら、思いつめたような表情にも見える。


「それは構わないが……。今、ここでか?」


俺の返答を了承と取ったのか、彼女はダブルシミターの柄を両手で握り、刃を水平に構えた。


「ああ、そうだ。

 それもいつもの様な訓練ではなく、本気で私と立ち会ってもらいたいのだ」


そういってこちらを見る彼女の瞳は真剣そのものだ。

祖霊の道筋を辿ったことで何か心境に変化が訪れたのだろうか。

なんにしろ、茶化して済ませられる場面ではないらしい。


「わかった。相手になろう」


そう応えると俺は庭の中央へと移動した。両手にゼアドと相対したときに使用した武器を構え、エレミアを見据える。


「ヴァラナーの戦士、エレミア・アナスタキア。

 我が守護祖霊、アルクィス・テローラの名の下に汝に戦いを申し込む!」


彼女の名乗りに応じるように、シミターに象嵌された金の波打つ文様が光を放つ。刃に宿った祖霊の魂が、エレミアを鼓舞しているようだ。

対する俺は無言で二本の刃を構えた。

グリーンスチールの刃の煌きが、付与された凶悪な酸の魔法効果により一層強く緑の燐光を月夜の元で溢れさせている。

向かい合った姿勢で静止していた俺達だが、風の気まぐれが2人の間にストームリーチ・クロニクルを運んだ瞬間にお互いが動いた。

俺が放った4本の《スコーチング・レイ》はタブロイド誌を貫き、その直線状に存在する全てを焼き払ったが既にエレミアはその場からは動いていた。

彼女はその鎧に付与された《シールド》の呪文を発動させると、一足飛びに俺との距離を詰めてきた。

かつてコルソスで相対したときよりも、格段に鋭さの増した踏み込みだ。まるで瞬間移動したかのような素早さで眼前に迫ってきた。

こちらの首筋を狙って左方より斬りつけられた刃を最小の見切りでバックステップして回避する。

だが、ダブルシミターの攻撃は隙を残さぬ二段構えだ。

眼下を通り過ぎた刃とは柄を挟んで反対側に備えられたもう一方の刃が、逃しはしないとこちらの急所へ向ってくる。

これ以上の後退は勢いからして体勢を崩すことになると判断し、右手に構えたコペシュを眼前で時計回りに回転させることで迫る刃を切り払う。

俺の頭上を通過していくその斬撃を掻い潜り、左のククリを突きこんだがその刃は空しく宙を薙いだ。

エレミアは舞うようにステップを踏むと左腕を突き出した形になっている俺の側面へと回り込み、頭上に掲げたシミターを背後から振り下ろしてくる。

俺は体の回転に勢いをつけると時計回りに体を捻り、右手のコペシュを頭上に掲げて落下してくるシミターの刃を逸らす。

だが俺のコペシュと噛み合いながら落下していくその刃の対刃が、コペシュの内側を潜るようにして斬り込んでくる。

この攻めは橋の手前の攻防でホブゴブリンの剣士を屠った際に使ったものだろう。

受け止めたはずの武器の、その内側に潜り込んで急所を切り裂く。双頭武器の特徴を活かした恐るべき攻撃である。

だが、伊達に長い間彼女と肩を並べて戦っていたわけではない。この攻防は既に織り込み済みである。

左のこめかみから右の顎を通過する線を描くシミターの刃を左に一歩動くことで避け、左方向へ流れていくエレミアを追うようにククリを切り上げる。

だが回転を逆方向に切り替えた俺よりも、同じ方向へと動き続けるエレミアの移動の方が早い。

彼女の首筋に向けられたシミターは、しかしその身を包む《シールド》にすら触れることはかなわなかった。

滑るようにして俺の背後へと回り込んでいくエレミア。俺がゼアドに対して行ったのと同じような戦術のようだ。

中心で独楽のように回転しながら斬撃を繰り出す俺よりも、さらに早いスピードで俺の周りを駆けながらダブルシミターによる攻撃を繰り出すエレミア。

通常そんな移動を行えば隙が生まれる上に効果的な攻撃は行えないはずだが、彼女は独特のステップを踏むことで移動の隙を無くしつつ俺に攻撃を加えてくる。

これが噂に聞く"デルヴィーシュの剣舞"か!

あの地底での戦いの際にはファイアー・ジャイアントの群の長達に対してほんの僅かな時間使ったのみであったが、今の彼女は既にあの舞を完全に習得しているように見える。

少なくとも今の俺は毎秒繰り出されるエレミアの攻撃を捌くのに必死で、彼女の手数の半分程度しか打ち返せていない。

それでいてお互い被弾は一切無いのだ。ただお互いの武器が宙を裂き、時折噛み合って散らすその緑の燐光だけが月光の射すこの庭を彩っている。

鎧や盾で相手の攻撃を受けることが一般的なこの世界の常識で考えれば異様な光景に見えるだろう。

高速で振るわれるシミターが風を切り、刀身に施された文様がその風を受けて音を鳴らしている。

その音はやがて調和の元に旋律となり、その曲に乗るようにますますエレミアの斬撃は鋭く激しくなっていく。

主導権を握られた状況を打開すべく、俺は《呪文高速化》を使用することで複数の呪文回路を展開するとそのうちの一つを使用して空間を飛ぶ。

《ディメンジョン・リープ》によりエレミアの背後へと移動した俺は、さらに準備していた《ミラー・イメージ》を発動させ鏡像を纏いながら彼女へと斬りかかった。

だが俺の姿が消えた時点でこの転移を読んでいたのか、エレミアは即座に反転してコペシュを切り払うと今度は俺の右手側へと回り込んでいく。

そのまま目に映る鏡像全てを斬りつける勢いで俺へと攻撃を加えてくる。

シャーグのような力任せだけではない、技量の伴った攻撃は一撃で俺の鏡像を全て薙ぎ払う。

先ほどとは回転方向を逆にして、俺とエレミアの舞踏は続く。

千日手のようにお互いの攻撃が空を斬る状況が続く。一見拮抗しているように見えるが、状況は俺に不利だ。

やはり手数の多さは脅威だ。いくらかは鏡像をダミーにすることで散らせているとはいえ、先ほどから何度かエレミアの太刀をローブの表面で受け流している。

対して俺の攻撃は彼女の《シールド》を掠めるのがいいところで鎧には届いていない。

白竜の鎧に備えられた防御は生半可な攻撃では貫けない。

このまま二刀を振り回しても有効打は期待できないし、それよりはエレミアの攻撃が俺を捕らえるほうが早いだろう。

俺は一計を案じると、もはや常時使用している《呪文高速化》を用いながら幻術呪文を使用した。

呪文の完成と同時に溢れ出す鏡像。だがしかし、それらは現れた途端にエレミアによって切り裂かれていく。


「私に分身は通用しないぞ!」


3体の鏡像がシミターの一振りに薙ぎ払われ、なおも勢いを弛めずに刃は最後の1体へと迫る。

ついに俺の咽喉を捕らえたその斬撃は、しかしその標的すらも幻だったかのようにすり抜けていった。

眼前の鏡像すべてが幻であるとエレミアが気付いたときには既に遅く。


「そんなことは百も承知さ」


《ミラー・イメージ》ではなく《サイレント・イメージ》による幻を発生させると同時に《ディメンジョン・ホップ》により背後に回った俺が攻撃態勢に入っていた。

ミザリー・ピークでオージルシークスが使った作戦を、簡易版ではあるが真似したのである。

それでも咄嗟に反転して攻撃に反応しようとしたエレミアの反射神経は流石と言える。

だが振り向いた彼女の瞳に視線を合わせ、俺はさらに呪文を解き放つ。

《ディストラクト・アセイラント/心乱す襲撃者》が予期せぬこちらの挙動に動揺したエレミアの心理防壁をすり抜けて、一瞬ではあるがその足を封じ彼女を立ちすくませた。

足を止めた状態であれば今の俺にも届く攻撃がある。

左手のククリの峰部分で、彼女の耳の付近を打ち据える。

その一撃を受けてバランスを失い、倒れ行くエレミアの急所に向けて俺はこの戦いを終わらせる一撃を見舞った。




「……未だ届かぬか」


暫くの後、庭に仰向けに倒れていたエレミアが意識を取り戻して呟いた。


「まだ暫く横になっていたほうがいい。

 いいのが入ったからな。暫くはマトモに起き上がれないだろ」


先ほど俺が放ったのはTRPG版ではなく、MMO版の《足払い》と《朦朧化攻撃術》だ。

TRPG版との違いは、前者は単に相手を転倒させるのではなく三半規管を揺らして平衡感覚を失わせる。

後者は素手だけではなく武器による打撃でも適用される上、一定時間意識を奪って無防備状態にするという特技だ。

特に前者は一度食らったが最後、平衡感覚を取り戻す前に嬲り殺されることも多いという怖ろしい技術だ。

南国にバカンスに出かけたはずなのに、気がつけば狼に転がされて噛み殺されていたなんて経験はきっと誰にでもあるはずだ。


「私はどれくらい意識を失っていた?」


倒れたまま声を掛けてくるエレミアの隣に腰を下ろし、横になった。

空には大きな月が三つ、輝いている。


「そうだな……6秒ってところかな。

 大して時間は経ってないよ」


とはいえ、戦闘中の6秒は十分な時間だ。エレミアもそれは判っているのか、続きをしようという気にはならないようだ。


「私の技量も、あの島に居た頃よりは随分は上がった。

 そして先日の戦いで、今まで辿りつけなかった頂に手を掛けることが出来たと思った。

 だが、それでもトーリには及ばないか」


片手を星空へと伸ばしながら、エレミアは呟く。

おそらく大幅にレベルアップを重ねたことで手応えを感じていたのだろう。


「ま、相性ってのがあるからな。

 俺だって、ついこの間切り殺されそうになって命からがら逃げ出したんだ」


「……ほう。トーリをそこまで追いつめる程の者がいるのか」


そういえばこの話はラピスにしかしていなかったな。


「ああ。シャーグみたいな邪法に頼らず、生来の力に奢ることなく力と技量を磨き上げたとんでもない化け物さ。

 もう二度とあんなのとは戦いたくないね」


ゼアドとの戦いはいまだ記憶に新しい。

オージルシークスに続き、俺の慢心を打ち砕いてくれた。

シャーグとの戦いを生き残れたのも、彼らとの戦いがあったからだと言える。


「まだエレミアの剣技には伸び代があるし、呪文抜きではもう勝てないだろうな。

 エレミアに呪文の知識があったら最後のトリックには引っかからなかっただろうし、同じ手が通用するとは思えない。

 俺も今の立会いで自分の弱点を痛感したよ」


いままで力任せに敵を叩き切ってきたが、自分同様の回避型の敵に相対したとき俺は非常に相性が悪い。

そういった敵は大抵範囲攻撃呪文に対する回避能力も持ち合わせているから現在の俺の持ち呪文ではダメージを期待できない。

とはいえ、これは初歩的な秘術呪文一つで解決できる問題でもある。早いうちに市場でスクロールを入手するべきだろう。


「そう言ってくれるのは嬉しいが……

 私は他の皆と違って剣を振ることしか出来ない。

 だがあのシャーグとの戦いでは、おそらく私は何の役にも立たなかっただろう。

 トーリの敵を討つ刃たることを誓った身でありながら、情けないことだ」


何やら弱気になっているエレミア。

あれだけジャイアントを倒しておきながら自信がないということだろうか。


「そんなことは無いよ。

 エレミアが俺の隣に居てくれていなければ、あの巨人の群に飲み込まれて終わっていたかもしれない」


シャーグとの緒戦で疲労した俺ではあの量の巨人を捌く事は出来なかっただろうし、他のポータルの戦力をこちらに割くわけにもいかなかった。


「無事に切り抜けたとしても、傷を負ってシャーグの一撃で倒れていたさ。

 エレミアが戦ってくれたことが俺の命をギリギリのところで踏みとどまらせてくれたんだ」

 
掠り傷一つでも負っていれば、あのシャーグの一突きで即死していただろう。

本当にあれは死の直前まで進んでいたのだ。


「それに倒れて意識を失いそうになった時に踏みとどまれたのは、傍で戦う君が居てくれたからだ。

 諦めそうになった俺の心を支えてくれたんだ。俺が死なずにすんだのはそのおかげだよ」


1人で戦っていたら、HPがマイナスになった時点で心が折れていただろう。

皆を守ろうと思った意識が、レベルアップのトリガーを引かせてくれたのだ。


「トーリが倒れたのが見えたときは、一瞬私は自分の目に映っているものが理解できなかった。

 刎ねられた首が死者の体を奪って槍を向けてきたこともそうだが、貴方が倒れたことが信じられなかったのだ」


あのときの事を思い出したのだろう。不安そうに体を震わせた彼女の手を握る。

シャーグは倒れているクレリックの、頭部を失った体に自身の頭を接いで襲い掛かってきたのだ。

おそらくはあのヘルムに関連する能力だったのだろう。いくつか想像することは出来るが、今となっては確認する術も無い。


「目に付いた敵を倒したことで油断しちゃってたんだろうな。

 周囲に注意を払っていれば、敵が呪文を発動させるのに気づけたはずなんだ」


《消尽の場》は周囲の瀕死に陥った生物を殺害することで己が活力とする[悪]の属性を持った呪文だ。

当然俺もその効果範囲には含まれていたはずで、そんな大規模な呪文の発動を見逃したのではある意味あの危険も当然だといえる。


「俺はさ、まだまだ冒険者としては未熟者もいいところなんだ。

 だから俺に不足しているところを埋めてくれる皆には凄く感謝してる。

 エレミアには、そんな俺をこれからも守ってほしい」


ゲームでは罠や敵といった脅威には自動的にキャラクターが反応してくれていた。

極端な話、操作せずに棒立ちの状態で放置していてもそのスペックをキャラクターは発揮し続けていたのだ。

だが、現実には勿論そんなことはない。

気を張っていなければ罠を見逃すし、不意を突かれれば無防備のまま攻撃されうる。

チートによる規格外な能力を有していても、それを俺が操りきれなくては意味が無い。

正面切っての戦闘であればようやく力を発揮できるようになってきてはいるが、変にこの世界に慣れてしまっているせいで緊張感を維持できていないのだ。

コルソスに居たころは周囲にスパイが潜んでる可能性もあって常にある程度の警戒をしていたが、ストームリーチで暮らし始めてからは気が緩んでいた。

高いスペックで大抵の障害を突破できるだけに、周囲に対する注意が疎かになっていたのだろう。


「俺もエレミアを守るし、一緒に支えあっていけば良いさ。

 それがパートナーってものだろう?」


1人では出来ることに限界がある。7人分の性能を詰め込んだ体でも、動かすのは俺1人の意思なのだ。


「・・・・・・ありがとう」


肩口からエレミアの呟いた声が聞こえたかと思うと、そのまま彼女はこちらへと体を寄せてきた。

月光が庭に映す影は、その後暫くの間一つになったままだった。













ゼンドリック漂流記

2-10.マイ・ホーム














生活のリズムを元に戻すために仮眠を取った明くる朝。

顔を洗ってエレミアと一緒に食堂に行くと、そこではメイとラピスが並んでお茶していた。

とはいえ飲んでいるのはお茶ではなくワインのようだ。

ルーたちの姿は見えない。気配からして庭にいるようだ。


「おはようございます、トーリさん、エレミアちゃん」


「・・・・・・おはよう」


何時もにも増してニコニコとしているメイに対して、ラピスは不機嫌そうだ。

結局昨晩食べ損ねたパンをいくつか見繕い、二人の正面の椅子に腰掛けるとメイが飲み物を勧めてきた。


「トーリさんも如何ですか?

 私達ハーフエルフは、一杯のワインを一緒に飲みながら一日の成功を互いに祝福するんです。

 今日一日が充実したものになりますように、って」


ハーフエルフの"協餐"か。

コルソスでも話は聞いていたが、実際に参加するのは初めてだな。


「市場の近くで毎朝ボルドレイ様の祝福をワインに与えている方がいらっしゃると聞いて、ラピスちゃんと一緒に行ってきたんです。

 本当は料理も色々と出して皆と話しながらワインと食事を頂くものなんですけど、今日はお試しってことでワインだけです」


ボルドレイは共同体を司る神格で村や家庭の守り手として、また結婚を祝福するものとして崇められている。

秩序にして善の神格として一般に広く信仰されており、ワインに祝福を与える《ユニティー・ワイン/協和のワイン》の呪文は彼女に仕えるハーフエルフのクレリックが20年ほど前に編み出したと言われている。


「そういえばコルソス村でそんな話をしていたな。

 ヴァラナーでも噂は聞いていたが、ご相伴に預かるのは初めてだ」


エレミアがワインの注がれたグラスを持ち上げ、窓から差し込む光を透かしている。

俺は酒の種類なんてあんまり気にしなかったタイプなので、ワインの良し悪しなんてさっぱりである。

とはいえゲームの設定としての知識で、ワインやチーズの産地としてはアンデールが有名なことは知っている。

……我ながら偏った知識だ。


「ワイン自体は特別なものではなくて、市場で目に付いた品です。

 有名なワイナリーの品ではないですけれど、試飲させてもらったので味も悪くないと思いますよ」


俺のグラスに注ぎ終えたところで、ちょうどボトルは空になった。

口に含むと、舌の上に爽やかな酸味と上品な甘みが広がった。果実のフルーティーな香りが立っており、食中酒として良さそうな味わいを感じる。甘いデザートとも合いそうだ。

体の中に入ったワインが熱を出しているかのように、活力が染み渡っていくのを感じる。


「なんか体の芯に火が灯ったような感覚だな」


アルコールのせいだけではなく、信仰呪文によって与えられた熱が心を奮い立たせている。

呪文の効果自体はおそらく保って数時間といったところだろうが、1日の始まりにこのワインを飲めばその日のテンションは高いまま過ごせそうだ。


「ふむ、確かにこれは良い習慣だな」


隣でグラスを傾けているエレミアも満足げだ。

とはいえ、ワインに祝福を受けるサービスは1回で金貨10枚程度になるだろう。

成功を収めた冒険者からしてみればともかく、一般からしてみれば相当な贅沢だと言える。


「お2人にも気に入っていただけたようで何よりです。

 きっとボルドレイ様の加護がありますよ~」


何やら終始ご機嫌なメイに勧められてワインを頂きながら食事を済ませた後、皆で手分けして戦利品を『黒鉄亭』へ持ち込むことになった。

中央市場の一角に位置する"黒鉄亭"は巨人サイズの武具の取り扱いも行っている。ゲドラが手持ちのスパイクト・チェインを持ち込んでいたのが記憶に新しい。

何本かの武器を持ち込んだ上でまだ家に残りの品があることを伝えると、気さくなハーフジャイアントの店主は末娘に荷馬車を用意させると荷運びを手伝ってくれた。

巨人とホブゴブリン、最後のホールにいた敵の分だけとはいえ奪った戦利品は莫大な数だった。

俺がざっと調べたところ、売値で15万GPを越える計算だ。

ブレスレットに放り込んでキャラクター・データの中でアイテムを確認すれば、簡単に鑑定できるというのもチートの産物である。

武器についていた汚れなどもその際に落ちるし、戦いで損耗していたものは呪文で修復した。

実はアイテムの修理を呪文で行ったのはこれが初めてだったのだが、どうやら完全に破壊するところまで酷使しなければ呪文で修復できるようだ。

レベルアップの際に修理のために技能の割り振りを行っていたのだが、これは無駄になったようだ。この技能ポイントは次回レベルアップの際に他の技能へと割り振ることになる。

以前"ハンマー&チェイン"で修理してもらったときも耐久値は最大値まで回復していたが、自前で出来るならそれに越したことは無い。


「こりゃ凄いな。あんたら巨人の武器庫の遺跡でも見つけなさったのかね?」


次々と運び込まれる品々に、店主のヒューラーは驚きっぱなしである。

冒険者でもある娘のソラーカは巨人の武器を興味深そうに眺めている。優れた体格のハーフジャイアントであれば、巨人用の武器でも難なく扱うことが出来るだろう。

特に赤毛の彼女はファイアー・ジャイアントの長が使っていた『フレイミング・バースト/火炎爆砕』の効果を持った大剣に御執心のようだ。

"黒鉄亭"は今日は一家総出で鑑定作業を行うらしい。

数点の鑑定を行ってもらいその鑑定眼に誤りの無いことを確認した俺は、明日また来ることを伝えて店を後にした。

それなりの時間が経過し、昼前になっていたためマーケットを横切って『チャプターハウス』へと移動。昼食を取ることにした。


「ふむ、この『ケーキ』とやらは面白いな」


フィアとルーが、メイにフォークの使い方を教えてもらいながら食後のケーキを堪能している。

ジャングル暮らしだった2人には新鮮な食感なのだろう。

暫くぶりの上質な食事に舌鼓を打ちつつ店内の様子を見渡すが、ジューイの姿は見当たらない。

ステージでは彼とは違うエルフの芸人達が音楽を奏でている。常に一定の客が見込めるこの酒場は、若手の芸人にとっては自身の実力を試す格好のチャンスなのだろう。

技術的にまだ荒削りなところがあるものの、情熱的にリュートを奏でる姿には惹かれるものを感じる。

食事だけでなく芸術も堪能した穏やかなランチタイムを過ごした後は、二手に分かれることとなった。

ラピスとメイにはこの街にある『トゥエルヴ/十二会』の砦に行って、武具以外の戦利品の売却を行ってもらう。

それ以外の皆は依頼人であるテンバーとヴェンに依頼完了の報告を行うことになった。

『チャプターハウス』の店先で2人と別れ、俺たちは港湾地区の衛兵詰め所へと向った。

入り口を警備していた衛兵に声を掛け、テンバーから依頼を受けている冒険者である旨を伝えると暫くの後にテンバーが姿を現した。


「やあ、ご一行。

 ヴェンの探し物を見つけ出す目処が立ったのか?

 何か私に手伝えることがあるなら言ってくれよ」


途中経過を報告しに来たと勘違いしているようだ。


「いや、ご依頼の品はもう手に入れたんだ。今日はその報告に来た。

 品物は貴方に渡せば良いのか?」


この台詞にテンバーは驚いたようだが、こちらの様子からして冗談ではないと判断したのか暫く待つように伝えると詰め所の中へと入っていった。

数分後、テンバーは鎧を脱いだ私服姿で現れた。


「例の品は直接ヴェンに渡してもらうことになる。何分私はその実物を見たことがないからな。

 幸い外出の許可は得られたから、いまから従兄弟のところへ向うとしよう」


どうやら今の僅かな時間の間に諸々の手続きを済ませてきたようだ。先導するテンバーについてジョラスコ氏族の居留地へと向う。


「しかしまだ依頼してからほんの数日だというのにもう解決してくれるとは。

 一体どんな魔法を使ったのか良ければ教えてくれないか?」


道すがら、テンバーが当然の疑問を口にしてきた。

それほど広いというわけでもないが一応は都市に分類されるストームリーチから、この短期間で目的の品を探し出したんだ。何かのトリックはあると考えるのが普通だ。


「それほど大したことじゃないさ。

 ヴェン氏が品物を受け取ったドラウの集落の2人に協力してもらったんだ」


シャウラが留守番のため俺の後ろを歩いている2人は、今は太陽光を避けるために深めにフードを被っている。

注意してみなければドラウだとは気付かれないだろう。とはいえ不審者っぽく見えるので、周囲の注意は引き付けるのだが。


「最終的にはスチーム・トンネルのホブゴブリンの手にあったのを回収してきたのさ。

 期間こそそう長くはないけれど、予想していた以上にハードな仕事だったよ」


「クローヴン・ジョー族か!

 連中が余所者の話を聞くとはとても思えないんだが。お前たちは相当上手くやったんだな」


普通は6人のパーティーで、それもたった数日でホブゴブリンの一族を蹂躙するなんて想像もつかないのだろう。

特に誤解を解く必要も感じなかったので、曖昧に笑みを浮かべることで誤魔化しておく。

そんな他愛も無い話をしている間にジョラスコ氏族の居留地へと到着した。

受付に訪問の用件を告げたテンバーの後ろを歩いて階段を登る。

前回来た際に利用したリラクゼーションの施設とは別の棟に療養所はあるようだ。建物の中は香が焚かれているのか独特の匂いが漂っている。

無論、不快なものではなく気持ちを落ち着ける類のものだ。

建物のどこに視線をやっても植物が目に入る。鉢植えや花瓶、その全てが丁寧に手を入れられており、ジョラスコ氏族の癒しに掛ける情熱が伝わってくるようだ。

建物の半ばまで階段を上ったところ、そこは全体が入院のためのフロアとなっていた。

学校の保健室で見られるようなパーテーションで仕切られた空間には様々な大きさのベッドがあり、中でも最も多い中型種族用のベッドが集まる一角にテンバーは足を運んだ。

そこには清潔感を感じさせる白い肌着に身を包んだ患者達が横になっている。

テンバーは慣れた様子でその中の一つのベッドに近づくと、ベッドの上で上体を起こして何やら読み物をしている男に声を掛けた。


「ヴェン、朗報だぞ。

 お前を救い出してくれた冒険者達が早速依頼を果たしてくれたそうだ」


テンバーが声を掛けると、男は読んでいた手紙らしきものから目を離してこちらを見た。

拷問部屋で見たときに比べれば随分と清潔になったことで雰囲気が変わったが、どうやら彼がヴェン・アル・ケラン氏で間違いないようだ。

20才には僅かに足りないくらいの年齢に見える、やや痩せぎすの青年だ。


「初めまして。私を地下のコボルド達から助け出してくれた皆さん。

 命を救っていただいたばかりではなく託された品まで取り返していただけるなんて、どれだけ礼をいっても足りないでしょう」


ベッドから降りようとするヴェンを身振りで止め、そのままの姿勢でいいと伝える。

まだこの施設に居るところからして本調子ではないのだろう。怪我人に無理をさせることもない。


「何、最初のは行きがかりで、二度目のはちゃんとした依頼だ。

 それに俺達にとって全く関係の無い話というわけでもなかったんだ。これも巡り合わせってやつだろう」


ブレスレットから『シャン・ト・コーの印璽』を取り出す。30センチ四方ほどの石板に力強い文様が刻まれている。

蓄えられた力は先日の起動で放出されたのか、今はこの品から感じられる魔法的なオーラは弱まっているようだ。


「間違いないはずだが、念のため確認してくれ」


テンバーを通してヴェンに渡す。手紙をサイドテーブルに避け、ベッドのシーツの上に置かれた石板を見てヴェンは喜びの声をあげた。


「ああ、確かに!

 ソヴリン・ホストよ、感謝します!」


恐る恐る表面の文様に触れながら、ヴェンは確かにそこに『シャン・ト・コーの印璽』があることを確かめているようだ。

これで依頼は完了だ。後は報酬を受け取るだけではあるのだが、後ろにいる双子のことも考えてこの後の事を聞いておくべきだろう。


「それを破壊するって話だが、何か伝手はあるのかい?

 伝説になるほどの力を持った品だ、尋常な手段じゃ傷一つ付けられないと思うんだが」


通常のマジックアイテムと異なり、アーティファクトと呼ばれる品は破壊する手段が限られている。

物理的な力をいくら加えたとしても効果は無い。その品に込められた伝説に比肩し得るほどの幻想の力を借りる必要があるのだ。


「はい。それについては考えてあります。

 このアーティファクトの件は『到達者財団』に伝えてあります。

 シャーンまで運ぶことが出来れば、そこにはこの品を永遠に破壊するための道具があるそうです。

 そうすればこの太古の支配者の印璽がゼンドリックのジャイアント達に遥か昔に有していた権利を取り戻すようにそそのかすことは無くなるでしょう」


そういってヴェンが示した手紙を見ると、シヴィス氏族のストーンスピーカーによって記された文章には確かにそのようなことが書かれていた。

差出人は『ウェイファインダー/到達者』デイル。ゲームでヴェンにかわってこの『シャン・ト・コーの印璽』に関わるクエストを依頼してきたキャラクターだ。

TRPGでは、最高位の呪文を除いてアーティファクトを破壊する例は5つしか挙げられていない。

その中でシャーンにありそうなものといえば『オナターの金床』だろうか?


「そうか。算段がついているなら特に言うことはないな。

 シャーンまでの運送は必要か?」


念のため確認したが、どうやら先ほどの手紙の主がストーム・リーチに向かってきているとの事。

今から手紙を飛ばしても行き違いになる可能性がある以上、こちらで移送を引き受ける必要は無いだろう。

後ろに控えている二人も、フードを目深に被ったまま特に反応を示さない。


「報酬の品は私が預かっている。ローズマーチ銀行のセキュアボックスに準備してある」


話に区切りがついたと見たのか、テンバーが報酬の受け渡しを申し出てきた。

『印璽』も受け取り手が来るまでは銀行に預けておくらしい。

てっきり支店間でのアイテム転送サービスもあるものだと思っていたが、どうやらそれはあまり一般的ではないようだ。

サービスとしては存在しているが、誰でも利用できるというというものではないらしい。

価格の面だけではなく、クンダラク氏族のメンバーからの紹介があってはじめて利用できるものだとか。

その場合も貸金庫の大きさや重量などに制約があり、ゲームのように簡便なサービスではないようだ。

ヴェンに別れを告げ、部屋を後にする。


「これでよかったのか?」


先を歩くテンバーから少し距離を取りつつ、ルーに声を掛ける。

シャーンまでの運搬などに関しても手を貸すべきか、と一瞬考えはしたんだが。


「……構わない。定めは再び我らの元から離れた。

 必要あらばいずれまた引き合う」


俺達の手はとりあえず必要ないってことか。


「あの男が自らの役割を果たそうとしているのであれば問題あるまい」


2人とも、もう『印璽』のことを気にはしていないようだ。

この双子がこうであるならば俺が気にすることもないだろう。意識を切り替えて先を歩くテンバーの後を追った。  
 



ローズマーチ銀行で報酬のシベイ・ドラゴンシャードを受け取った後、市場で買い物をしているところでメイ、ラピスと合流した。

既に随分と買い付けたのか、メイが《フローティング・ディスク/浮遊盤》の呪文を唱えテーブルなどのインテリアを運搬している。

直径1メートルほどの円盤の上に芸術的に積み上げられたそれらの重量は、数百キロにもなると思われた。

見るものが見れば、これだけの強度を持つ呪文を行使するメイの技量に驚きを禁じえないだろう。


「あ、皆さんお帰りですか?

 何か買われるのでしたら一緒に運んで行きますよ~」


大雑把な注文をして職人に後は丸投げした俺とは違い、メイは市場で自分の好みにあった品を探すと言っていた。今日は幸いその好みの品に巡りあえたんだろう。


「皆さんお知り合いですか?

 このお嬢さんは実にお目が高い。

 こちらにあるのは、いずれも厳しい冬を越えて育ったカルナス松をエルフの一流の職人が加工した逸品ですよ。

 無論エアレナルの珍しい木材を利用した品も取り揃えてございます」

 
メイの相手をしていた商人が、合流した俺達に気付くと早速売り込みを開始してきた。

カルナス松とはその名の通りカルナス国の北部を覆う森林で産出される良質の木材で、コーヴェア中で取引されるかの国の主要な輸出品である。

他にもコーヴェア一の製紙技術を有し、牧畜も盛んで牛や豚はこちらでいうブランド品のような扱いを受けているものもあるくらいだ。

だが、そういった産業的なことよりもこの国を際立たせているのはその軍事的伝統と彼らの死に対する概念だ。

ゲームでも敵方として登場したアンデッド崇拝の『ヴォルの血』を一時期国教としていた他、その走狗である『翡翠爪騎士団』は一時期カルナスの最精鋭部隊として知られていた。

今でこそ『翡翠爪騎士団』はテロ組織と認定されているが、国民の多くは彼らを少し愛国心の強すぎる集団程度にしか認識していない。

何よりもカルナスにはアンデッドを兵士とした部隊が存在し、最終戦争中だけでなく今もなお王室所属の死体回収人がアンデッド部隊を構築し続けていると言われている。


「ささ、若旦那も。

 そのキングサイズのベッドも中々に良い品でしょう!」


物思いにふけっていたところを商品に釘付けになっているのと勘違いしたのか、店主は俺の視線の先にあった品を勧めてきた。

とはいえ、大物については既に注文済みだ。店主のセールストークをかわしつつ店内を眺めていたところ一つの椅子が目に入った。

特徴のある形をした、人間工学に基づいた椅子とかいう品である。


「店主、あの椅子に座らせてもらっても構わないかな?」


勿論店主は快く了解してくれた。見た目は変な形状をしたその椅子だが、座ってみると普通の椅子との違いが如実に感じられた。

腰に対する負担が軽く、楽な姿勢を取る事ができる。自然と上体が垂直になるため、首や肩などにも負担が少なそうである。

椅子のサイズも俺にあつらえたかのようにピッタリだ。


「気に入った。これを貰おう」


毎回レベルアップごとにキャラクターを再構築できる俺は、ウィザードの選択する呪文を入れ替えてスクロールへと移すことで呪文のバリエーションを通常の何倍にも増やすことができる。

今までは最低限の呪文を揃えるため選択の幅は少なかったが、今後『巻物』を作成するなど机に向って長時間作業をすることが多く予想される。

いくらチートボディといっても長時間同じ姿勢でいるのは苦痛だし、この椅子であれば色々と姿勢を変えながら作業をすることも出来るだろう。

椅子から立ち上がって店主に値段を聞き、代金に少し色を付けて白金貨を数枚渡す。

元の世界でも似たようなものは数十万は当たり前のようにしていた。それを考えると悪い買い物でもないだろう。


「ありがとうございます!

 それは確かにいい品ではあるのですが、なかなかご理解いただける方がおりませんで……

 腕を振るった職人も喜ぶことでしょう」


ウィザードのキャラクター・シートを操作し、準備されている呪文を入れ替えるとメイにならって《フローティング・ディスク》の呪文を唱える。

ゲームでは酒場などでしか入れ替えることは出来ないが、俺の場合落ち着いていればいつでも操作することは可能だ。戦闘中などでなければ特に問題なく作業することが出来る。

一度に用意できる呪文の数は普通のウィザードよりも少ないが、比較的入れ替え自由な点もチートたる由縁である。

椅子の重さ自体はまったく負担にはならない程度だが、嵩張るだけに普通に持ち運ぶのが不便なのだ。


「椅子に随分と張り込むんだね。

 ちょっと気前が良すぎるんじゃない?」


ラピスが暗に価格交渉しなかったことについて指摘してきた。

だが冒険者の使う高品質の道具類は普通に50GP程度の値段がするものだ。デスクワークを快適に行えると考えれば適価ではないだろうか。


「ま、共用の作業部屋に置いておくから騙されたと思って一度使ってみなよ。

 見た目不安定そうに見えるけど、座ってみると楽なんだよ」


どうやら店主とラピスの反応を見るに、まだこの手の椅子は認知度が低いようだ。

特に根無し草のような冒険者の場合は家具にこだわりなんて持つことは無さそうだし、仕方ないのかもしれないが。


「もしお気に入りいただけましたら是非私どもまでご用命ください。

 お客様方の体にフィットする寸法で作らせていただきますよ」


店主もやんわりと営業するに留めたようだ。

その際にはまた利用することを伝え、既にここでの買い物を終えたメイもつれて皆で移動した。

治安の悪いストームリーチではあるが、流石にメイの荷物に手をだすような連中はいないようだ。

エアレナル産の比重の重い木材で作られた家具が塔のように積み上げられており、下手に手を出そうものなら品の崩落に巻き込まれて命を落とすことにもなりかねない。

それに普通に手が届く範囲の品は重すぎて、抱えて逃げることは不可能だろう。

そんなわけで俺たち一行は非常に目立ちながらも、厄介ごとに遭遇することなく家に辿り着くことができたのだった。


「ただいま。特に異常は無かった?」


門の内側で待機していたシャウラに声を掛け、なんとなくジェスチャーで異変が無かったことを把握した俺は二階に上がるとベランダへ出た。

天井を越える高さまで積まれているメイの品を搬入するため、彼女は庭へと移動しており品物を上部から少しづつベランダから彼女の部屋へ搬入するのである。

普通であれば一人で持ち上げるのが困難な、100キロを超えていそうな重厚な机などもチートボディにかかれば楽々だ。

今の俺は180Kgまでの荷物であれば軽荷重として特に支障なく動き回れるし、行動に支障は出るがその3倍の重量までを持ち運ぶことができる。

机、椅子、ベッド、化粧台、衣装棚……大量の家具を運び込んだあとはメイの指示に従って部屋の中へと配置していった。

元は打ちっぱなしではないものの無骨な印象だった室内が、インテリアや絨毯、壁紙などで装飾されたことで上品な部屋へと変貌した。


「トーリさん、ありがとうございました~

 自分の《テレキネシス/念動力》の呪文で動かすのはまだ細かいコントロールに自信が無くて……

 おかげで助かっちゃいました」


少々ぶつけた程度であれば呪文で修復できるとはいえ、気分のよいものではないだろう。

しかしメイのいう《テレキネシス》は第五階梯の呪文である。そんな呪文が使えるようになっているということは、また彼女との差が広がってしまったようだ。

とはいえ、実は俺もこの間の戦闘で経験点をカンストさせていたので経験点としては6レベル直前まで貯まっている。

俺の場合経験点が入るのはどうやら戦闘に区切りがついた時点であることが功を奏し、戦闘中にレベルアップした事で溜め込める経験点の上限が増えたことで巨人達の経験点を無駄にせずに済んだのだ。


「まったく、その体のどこからあんな力が出て来るんだか。

 相変わらず滅茶苦茶だね」


主に細かい作業を担当していたラピスから突っ込みを入れられつつ、階段を下りて食堂へと向かう。

部屋の模様替えに結構な時間がかかっており、既に夕食の時間なのだ。


「む、皆下りてきたか。

 料理も出来たところだ。座って待っていてくれ」


厨房ではエレミアがルーとフィアを手伝いとして料理を作っていた。

流石に模様替えを全員で行うのもかえって効率が悪くなるということで、この三人には夕食の準備をお願いしておいたのだ。

外になにやら買い物に行っていたようだが、出来合いのものを買ってきたのではなく材料を買ってきてここで調理したようだ。

そうして三人が運んできたのは野菜のシチューとパン、そして何羽かの焼かれた雉だ。


「へー、結構美味しそうじゃないか。

 全部エレミアが作ったのかい?」


取り分けられたシチューの皿をフィアから受け取りながら、ラピスがエレミアに尋ねている。


「いや、正直なところそれほど料理に造詣が深いわけではない。

 シチューはルーとフィアに任せて、私はこの雉を焼いただけだ」


エレミアが答えながら雉の腹を割くと、その中にはマッシュルームが詰め込まれていた。

一旦焼いたものを冷まして肉と香草の香りと味を調和させてある辺り、それなりに手の込んだ料理に見える。

ナイフで切り込みを入れられた部分から漂ってくる香りは、いかにも食欲を刺激してくれる。


「いやいや、十分に美味しそうだよ。早速頂こうか」


皆に料理が行き渡ったところで早速雉を口に運ぶ。

パリっと焼かれた皮に、ジューシーな肉。肉汁がまぶされたマッシュルームもなかなかの味わいだ。

続いて野菜のシチューに手を伸ばす。芋っぽい根菜を中心に色んな野菜が混ざっているのが判る。

熱帯地方特有のピリっと辛い香辛料で味付けされており、こちらも十分に美味しい。ついつい冷蔵庫で冷やしていたエールが進んでしまう。


「この味付け、懐かしいですね。

 南ブレランドでもこういう香辛料を効かせた料理が多いんですよ~」


メイもその顔に満足の笑みを浮かべながら食を進めている。

ヴァラナーもブレランドもコーヴェア大陸の南方に属している。今は"モーンランド"に隔てられているが、緯度的には近いほうだ。

このため、植生も近く地方の料理にも似たところがあるのかもしれない。

賑やかに談笑しながらの食事もひと段落したところで、自然と今後についての話になった。


「ま、とりあえずは収入で身の回りを整えるのが最優先かな。

 この街では手に入らないものなんかもあるから、シャーンに出掛けるつもりだよ」


ストームリーチもそれなりに大きな都市ではあるが、品揃えには不足しているものが多い。

オリエン氏族の提供する《グレーター・テレポート》サービスを利用すれば遠く離れた大都市シャーンまでも一瞬だ。

あそこであればドラゴンシャードやより高位の呪文の記された巻物など、この街では入手に苦労する品々でも比較的容易に入手できるはずだ。

将来的には自前の呪文で転移するための拠点の確保も行っておきたい。


「そういえば前にシャーンで買い物されるって仰られてましたね。

 この大陸で得た品をシャーンで売却するには、ブレランド王国発行の許可状が必要ですよ。

 以前の約束もありますし、私もご一緒させてくださいな~」


そういえばメイとは以前そんな話をしていた。


「メイはモルグレイブ大学に顔を出したいんだっけ。

 論文のほうは目処がついたのか?」


彼女はゼンドリックでのフィールドワークを大学の卒業論文にしていると聞いている。

まだストームリーチに来て日は浅いが、ある程度形にはなったのだろうか?


「召喚術に関する研究はトーリさんのおかげで随分と捗ってます。

 今回のところは教授への経過報告ってところですね」


メイはコルソスで俺が見せた《ディメンジョン・ホップ》を基点に同系列のアレンジ呪文の研究を成功させている。

先日敵の秘術呪文使いが仕掛けてきた《ウォール・オヴ・フォース》による分断策を打ち破った《リグループ》の呪文もその成果の一つだ。

俺からある程度アドバイスを行ったりはしたが、それをしっかり結実させたメイの才能は確かなものだと言えよう。


「シャーンか。僕はちょっとあそこにはいい思い出がないんだよね。

 ここで留守番でもしてるよ」


ラピスは乗り気ではないようだ。

コーヴェア大陸から安住の地を求めてやってきた彼女にとって、一時的にとはいえあちらの大陸へ戻るということは抵抗があるのかもしれない。


「私も一度ティアー・ヴァレスタスに戻らねばなるまい。

 祖霊の歩みを辿ったことを過去の守り手に伝えなければな」


ちらりと双子のほうに視線をやりながらエレミアが口を開いた。

『ティアー・ヴァレスタス』は コーヴェアにあるエルフの王国、ヴァラナーの首都だ。

"過去の守り手"とはゼンドリックで巨人に反抗して戦った過去のエルフの英雄の記憶を保存する役割を負ったクレリックやバードからなる、エルフの戦士達の精神的指導者である。


「我らの里に行けばアルクィスに関する碑文などもあるだろう。

 里を襲った無法者達の手が及んでいなければいいのだが」


「祖霊の墳墓は強い守りがある。だから、大丈夫」


フィアとルーによると、三人の祖先であるところのアルクィス・テローラは巨人の軍勢と戦い敵の将軍を倒して『シャン・ト・コーの印璽』を奪った。

その後エルフとしては珍しくドラウと共に巨人達との戦いを続け、やがてラマニアの顕現地帯を越えた先に集落を作ったという。


「それじゃあ僕ら三人が留守番か。

 エレミアも国に戻るんならシャーンから飛空挺を使ったほうがいいんじゃない?」


飛空挺を操る"リランダー氏族"はエルフの国ヴァラナーに正式な拠点を持つ唯一のドラゴンマーク氏族である。

ハーフエルフである彼らの持つ『嵐のマーク』は天候制御を可能とするため、雨乞い等農業に関する補助的なサービスをかの国で行っている。


「そうだな、シャーンまではオリエン氏族のサービスで瞬間移動するつもりなんだ。

 この街で船を探すよりも、シャーンで飛空挺を探したほうが早いだろう。

 それにひょっとしたらヴァラナーまでも《テレポート》で運んでくれるかもしれない」


この世界の瞬間移動は、自分の行った事の無い場所でも特徴的な地形の伝聞や地図を見ながらの呪文使用で目的地へと送り届けてくれる。

オリエン氏族のドラゴンマーク、その最高位である『エア』の称号を持つ人物の使う《グレーター・テレポート》であれば距離の制限も転移先のエラーも存在しない。

しかし、その分代金も一回当たり5,000GPと相当なお値段である。

俺も地図を見ることが出来れば自前の巻物を使うことでその呪文を行使可能だが、行った事のない街に瞬間移動するのは流石に躊躇われる。


「では、ありがたく便乗させてもらうとしよう。

 船はどうしても長期間乗っていると体が鈍ってしまうからな」




そんな話をした晩から暫くの時間が経過した。

流石に氏族の提供する最高位のサービスだけあり、引手数多な『エア』はこの街に常駐しているわけではない。

翌日から毎日オリエン氏族の居留地を訪れ、三日目にしてようやく『エア』との面会が叶ったのだ。

コーヴェア大陸の都市からここへと旅客を連れてきたらしく、彼のドラゴンマークの能力が回復する明日に予約を入れることが出来た。




「さて、それじゃ暫くお別れだね。お土産を期待してるよ、トーリ」


別れの朝が来た。

この数日は"黒鉄亭"から得た相場通りの売却益を分配したり、巻物を書いたりして過ごしていた。

昨夜ちょっと豪勢な食事をしたのもお約束というやつだ。


「それは十分に期待してくれて良いぜ。

 シャーンの高級魔法道具の倉庫を空にするつもりで買い物をしてくるさ」


大都市でのアイテム購入がどれだけゲームシステムに忠実かわからないが、俺の欲しい品が最も入手しやすい都市であることに間違いはないだろう。


「留守は任された。この家はしっかりと守る」


「そうだな。我らのことは心配要らぬ。お主らのなすべき役割を果たしてくるがいい」


この三日間つきっきりでいたことでルーの術力は相当回復したらしい。

その能力はスチーム・トンネルに巣食っていた死霊術士を遥かに上回る。

とはいえ良くない事態を想定して脱出用のアイテムをラピスに持たせてあるし、家を守ることに固執しなければそうそう最悪の事態に陥ることはないはずだ。


「別に家はまた建てればいいんだし、そんなに気負わなくて良いぞ。

 皆が無事で居てくれることが一番大切だからな」


俺が不在の間にハザディルの手が再び伸びる可能性も考慮して一時はコルソス村のラースのもとにでも預けようかと思ったが、彼女らの意思が強かったこともあり断念した。


「エレミア、故郷に戻ったら英雄扱いなんだ。

 そのまま帰ってこないなんてことはないだろうね」


ラピスがエレミアに軽口を投げている……とはいえ、強ち有り得ない話ではない。

多くのレヴナント・ブレードがこのゼンドリックで祖霊の足跡を辿っているが、未だかつてエレミアほどの功績を成した者は居ないはずだ。

その実力も最高峰に近い。

元々がヴァダリア大王に忠誠を誓った精鋭の戦士であるのだから、これ以上の探索は不要でありその力を国のために発揮するべきだと判断された場合にエレミアはどうするのか?

だが、その心配は間をおかずに返されたエレミアの言葉によって杞憂となった。


「ふふ、心配することはない。

 いまやこの場所こそが我が帰る家。お前達こそが私の仲間だ。

 私は我が花を照らす星を見つけたのだ」


そう言って微笑む彼女の横顔は、その名に相応しい輝きを放っていた。



[12354] 3-1.塔の街:シャーン1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/06/06 14:16
ストームリーチ・クロニクル

王国暦998年 セレンドールの月 第一週号

トーリという名のストームリーチの新参者が名を上げはじめている。

噂はよく聞くが、誰もその余所者のことを知らない。

断言できるのは、彼は人間の男性で様々な職業の訓練を受けたことがあるということだ。

だが、他はまったくのミステリーだ。その英雄とやらに注目しておこう。

そして、もっと詳しいことがわかったら、ストームリーチの人々に教えよう。

著:キャプショー・ザ・クライアー













ゼンドリック漂流記

3-1.塔の街:シャーン1














「これで審査は終了です。シャーンでの滞在をお楽しみください。

 ソヴリン・ホストの導きがあらんことを」


オリエン氏族の《グレーター・テレポート》のサービスによってストームリーチから転移した俺たちは、塔の街:シャーンの玄関口である『ターミナス』と呼ばれる街区へと移動していた。

大陸を結ぶ鉄道網"ライトニング・レイル"の終着駅でもあるそこは、この街へとやってきた外国からの旅行者が集う騒がしい区画だった。

俺達が到着したフロアは鉄道を見下ろすような位置に設けられている。

下に見える列車の発着場からは、今まさに到着した"ライトニング・レイル"の車両から大量の乗客が吐き出されている。

ホームには混乱を防ぐために都市警護団や門衛隊がそこかしこに姿を示しているが、そんな連中のことなどおかまいなしにスリやその他のこそ泥達が仕事に精を出しているのが見て取れる。

氏族による最上級サービスを使用したことによるものか、待たされることなく門衛隊からの審査を受けることが出来たのは幸いだったと言えよう。

今もなお人を吐き出している"ライトニング・レイル"の乗客や、街道を通ってこの街へ入ってきた人の群れに並んでいたら日が沈んでいたかもしれない。


「あ、トーリさん長かったですね。

 私たちはすぐに終わったんですけど」


検査を行った個室を通りぬけ、通路へ出るとそこにはエレミアとメイが椅子に並んで腰掛けていた。

エレミアは周囲を通る人たちにある程度注意を払っているようだが、メイはすっかり寛いでいるようだ。


「俺はここに来るのは初めてだからね。

 色々と確認したいことが多かったのさ」


重要な荷物の殆どはブレスレットに収納してあり、当たり障りのない品を放り込んだ背負い袋の審査自体には対して時間はかからなかった。

傍目には一切魔力を感じない上に装飾品としても大した価値が認められないブレスレットが全くのスルーだったのは当然ではあるがありがたい話だ。

ただ五つ国の国籍を何れも持たない俺には、他の皆よりも問答や必要事項の通知が細かく行われたのだろう。

ソウジャーン号の図書室でガリファー法典を読んでいなかったら余計な面倒を抱えることになったかもしれない。


「そうか、トーリはコーヴェアの出身ではないのだったな。

 では、その旅券を無くさぬよう注意する必要があるな。

 この街の警護団は熱心な部類に入るようだが、厄介ごとに巻き込まれた際に身元を証立てるものがなければ一方的な不利を背負うこともある」


エレミアが俺の手にした旅券──先ほどの門衛隊の審査で支給された、外国人用の身分証明を指差しながら助言をくれた。


「まぁ今から向かう上層ではそんな心配はあんまりいらないと思いますけどね。

 それじゃ、皆揃ったことですし移動しましょう!」


立ち上がって先導を始めたメイの後ろにつき、オリエン氏族の巨大居留地を外に向かって進む。

やがて建物の外へと出ると、ストームリーチでの居留地同様にロータリーが広がっていた。だが、あちらの街とは決定的に異なっているところがある。


「飛空挺に飛行ゴンドラ……あっちにあるのはフライング・カーペットか。

 話には聞いていたけれど、こうして実際に見ると驚かされるな」


そう、ここでこうやって客を待っているのは魔法によって飛行能力を付与された客車なのだ。

ロータリーとは中空に突き出た桟橋であり、それに横付けするように数々のゴンドラが並んでいる。

階下を覗き込むとそこには一般の馬車が並んでいる通常の馬車駅があるが、高度は10メートルほどだろうか。

塔の街、というだけあってここは高所恐怖症には厳しい所のようだ。


「せっかくですし、ちょっと贅沢しちゃいましょう。

 そこの飛行ゴンドラを使いましょうか。

 まずは食事にしましょう」


俺の反応に気を良くしたのか、メイはロータリーに留っている一艘のゴンドラに向かって歩いていく。

人間サイズの客なら5,6人くらいは乗せられるであろう、周囲を見たところ最も一般的に見えるサイズのゴンドラだ。

外見は普通の小型船だが要所に翼を模した飾り付けが備えられており、オールの代わりに布を張った水掻きのようなものが取り付けられている。

何より目を引くのは、それが水の上ではなく空中に浮いていることである。


「ガルディンズ・ガーデンまでお願いできますか?」


メイが声を掛けると、灰色の髪をした年配の男性船頭が柔らかに微笑んで応えた。


「丁度いい時間ですよ、お嬢さん。

 今の時分でしたら、ちょうど昼の混雑した時間が過ぎた辺りでしょう。

 幸い今日は天気もいい。屋外のテーブルからの絶景にも期待できると思いますよ」


船頭に言われて天を仰いで見たが、周囲を塔の基部に囲まれたこのあたりからは空の様子は殆ど見えない。


「後ろのお二人もご一緒ですかな?

 メンシス高台の上層までですと銀貨5枚になりますが」


飛行ゴンドラの価格は距離による従量制である。いずれにせよ、成功を収めた冒険者からしてみれば大した金額ではない。


「後ろの友人はシャーンが初めてなんです。

 少し回り道をお願いできますか?」


メイがそう言いながら船頭に金貨を3枚渡した。その意図するところを察したのだろう、船頭の男は軽く頷くと乗船を促した。


「では、ゆっくりと進みましょう。不慣れな人が落ちないように運転します。

 シャーンをご案内させていただきますよ」


乗り込んだ俺達が前甲板の手すりにつかまったのを確認すると、船頭は舵を操作して飛行ゴンドラを動かし始めた。

空中を滑るように動くこのゴンドラは、波の影響を受けない分通常の船よりもよっぽど揺れは少ないようだ。


「上空に進むにつれて風が強くなりますから、気をつけてくださいね」


隣で髪を押さえながら微笑むメイに注意され、緩めていた掌にかけていた力を少し増やす。

周囲に林立する塔の基部はあきれるほど巨大だ。大雑把に見立てても、小さいもので直径300メートル。大きなものはその倍以上のサイズである。

みっしりと詰め込むように建設されたその巨大建造物の合間を縫って、ゴンドラは空を駆け上がっていく。

基部では壁同士が融合して迷路のようになっているが、上へと向かうにつれて塔は細くなりそれぞれを橋で接続するようになっていく。

狭いところでは3メートル、広いところでは10メートル程度の高さで1階層を成している様だ。とはいえこれは居住空間の広さであり、床の分厚さは相当なものだ。

多くの壁面にはバルコニーが設けられており、また塔を垂直方向へ移動するための"昇降機"も取り付けられている。


「今居る辺りは《タヴィックス・ランディング下層》と呼ばれております。

 一番大きな塔は、今皆さんが出ていらっしゃったオリエン氏族のエンクレーヴ・タワーですな」


船頭は説明しながらも舵を操り、その塔の周囲を旋回するようにしながら高度を取っていく。

塔の基部、"ライトニング・レイル"が吸い込まれていく大きな口の上にはオリエン氏族のシンボルであるユニコーンの意匠が刻まれている。


「基本的に、下層に向かうほど治安は悪くなります。

 玄関口である先ほどの『ターミナス』は例外的にしっかりしてますが、それ以外の下層街区には近寄らないほうが無難でしょう」


確かに、見下ろす街並みはどこも薄暗く混沌としている。塔に遮られて日照が少ないというだけではなく、どこか陰鬱な空気を漂わせているのだ。

倉庫街や難民キャンプのスラム、そしていかがわしげな歓楽街の先には巨大な黒い門を構えた都市警護団の駐屯地がその存在を誇示していた。

都市外縁部からの道は全て一度ここを通る必要があるようで、主要な通路には各所に落し格子が設けられるなどまるで要塞のようだ。


「『ブラック・アーチ』はお客様方のように空路を使わない限り、都市上層に向かうには必ず通過しなきゃいけないようになってます。

 あそこの警護団は非常に仕事熱心で、倫理観も高いと評判ですよ」


戦争当時はあそこが外敵を迎え撃つ最初の防衛ラインだったのだろう。

下層の塔は基部ということもあり皆肉厚の壁で構成されているが、あの『ブラック・アーチ』はその中でも特別な堅牢さを誇っているようだ。


「そろそろ街を抜けますよ~」


メイの言葉が耳に届いて間もなく、ゴンドラは塔の森を抜けて中空へと躍り出た。

遮るものがなくなった陽光が目に眩しい。確かに船頭が言ったとおり、今日はいい天気のようだ。

目を瞬かせながら周囲を観察するが、塔の空白地帯に出たというだけで高度的にはまだまだ半ばにも到達していない。

後背にも前方にも壁のように塔が林立している。既に500メートル近い高度になっているはずだが、塔の先端まではまだ倍以上の距離が残っているように見える。

概算で1500メートル級の建築物が寄り集まって都市を形成しているのだ。摩天楼とはまさにこの事だろう。

どうやら今いる地域は、地表の傾斜が急で塔の建築に向かないということで空白地帯になっているようだ。

直下の地表には切り立った崖がジグザグを描きながら噛み合っている様子を見ることが出来る。

おそらくは火山活動によって出来たのであろうこの深い地溝が、シャーンを五つの街域に分けているのだ。


「左手の街域は《ドゥラ》です。

 まだ見えませんが、街の南と西はダガー河の本流と支流に接していましてね。

 その川沿いには《クリフサイド》という街域がございます」


先ほどの《タヴィックス・ランディング》から繋がるように《ドゥラ》が川沿いに広がっている。

街の入り口が北東、そこから凹の字のように塔が並んでいるがその東側が《タヴィックス・ランディング》、西側が《ドゥラ》なのであろう。

そしてその街域に囲まれるように、中央に三つの街域が並んでいた。


「北から《ノースエッジ》、《セントラル》、《メンシス》と呼ばれております。

 《ノースエッジ》は主に住宅街、《メンシス》は娯楽の中心である他にモルグレイヴ大学が有名ですな。

 《セントラル》は行政やビジネスが集中しています。シャーンの中心になります」


船頭の説明を聞きながらそれぞれの街域に視線をやるが、そのいずれもがまだ中層にようやく達した程度の高度だ。

この辺りの高度から塔がやや細くなり、それに伴って街の雰囲気が変わっているようだ。

塔の周囲にはバルコニーが多く取り付けられるようになり、まだ幾分立て込んでいるものの随分と住環境は向上しているようだ。

窓すら滅多に見受けられなかった下層エリアとは随分な違いだ。

中空に突き出たプラットフォームには客を待っている飛行ゴンドラが停泊している。

塔の間から時折見える輝きは、『ソアスレッド/飛行橇』と呼ばれる空飛ぶ円盤だろう。

個人用の空を飛ぶアイテムで、1~2メートルの直径をした水晶の円盤がエネルギーの火花を散らしながら飛び回っている。

思考操作型の乗り物だが、そんな小さい円盤の上で直立を保つにはそれなりの"平衡感覚"が要求される。

だが、その小回りの効く機動性は重宝されているのだろう。視界の色々なところで独特の魔力光が輝いている。

飛行ゴンドラや塔の素材同様、『紺碧の空シラニア』の顕現地帯であるシャーンの特性を取り込んだ魔法のアイテムだ。

俺達を乗せたゴンドラはシャーン中央の街域を周回する様に一周しながらさらに高度を増し、やがて市街の上層エリアへと到達した。

当然ながら日当たりは良く空気は清浄だ。群塔の連絡橋、プラットフォーム、バルコニーなどに見える人たちも一目見て身なりが整っているのが判る。

文字通りの空中庭園がそこかしこに設けられ、街の雰囲気も非常によさそうだ。


「あの《メンシス》の中央にある、五つの塔を備えた巨大なドームがモルグレイヴ大学です。

 目的地の「ガルディンズ・ガーデン」は大学の隣の街区、『セヴンス・タワー』に御座います。

 間もなくの到着になりますよ」


やがてゴンドラは1時間弱の遊覧飛行を終え、メイの指定した店に到着した。

セヴンス・タワーの屋上という、レストランには絶好の立地に建てられた優雅な雰囲気の店だ。


「飛び入りで申し訳ないのですが、3名分の席をお願いできませんか?」


ゴンドラ発着のプラットフォームには、よく訓練されたレストランのスタッフが待ち受けていた。

誘導に従って横付けしたゴンドラから注意深く降りると、既にメイは慣れたもので店員に話し掛けている。


「勿論、歓迎させていただきますよお嬢様。

 本日は庭園のテーブルから南の大洋をご覧いただける絶好の日和で御座います。

 お席までご案内させていただきます。

 お連れの皆様も、手荷物を運ばせていただきます。どうぞこちらへ」


制服を見事に着こなした執事風の店員が合図すると、横に控えていたポーターがやってきた。

彼らの制服は、いずれもブレランドの象徴である青をあしらった上質なものだ。

その挙動の全てが訓練されており、教育が末端まで行き届いていることが知れる。シャーンのレストランの中でも最高の名店の一つに数えられるだけある。

武装をしていない俺達の服装は、どうやらこの店のドレス・コードにも抵触しなかったようだ。

案内された庭園には薔薇や蘭をはじめとする珍しくも香り高い花々が咲き誇っていた。

スタッフの言ったとおり、南の彼方にはサンダー海が見渡せる。あの海の先、2500Kmの彼方がストームリーチだ。

ポーターにチップを渡し、席に着くとメニューが手渡された。

とはいえ、俺には馴染みのない料理名ばかりで大雑把なイメージしか掴むことが出来ない。


「注文はメイに任せるよ」


ここはシャーン出身の彼女に任せるのが良いだろう。そう伝えると彼女もそのつもりだったのだろう、手際よく注文を済ませた。


「このお店はブレランド料理の名店で、香辛料の効いた品が多いですね。

 先日ルーちゃんとフィアちゃんが作ってくれたシチューみたいな感じです。

 ここシャーンではコーヴェア中の料理を味わうことが出来ますけど、まずはブレランド料理から味わってもらおうと思いまして」


メイが言うには、ここ《メンシス》はシャーンの中でも特に人種の坩堝として知られているらしい。

様々な種族の集うモルグレイヴ大学を擁するだけではなく、ノームやハーフリングが住民の大半を占める街区があり、またシャーン中から人を引き付ける多くの劇場とその周囲の繁華街を持つ。

フィアラン氏族の誇る世界最高峰の大音楽堂『カヴァラッシュ・コンサート・ホール』も大学の近郊にあり、シャーン最高の音楽を楽しむべく各街域上層の住人が飛空ゴンドラに乗ってやってくるとか。


「大学構内のコモンズ広場には毎朝、各地の本場の味を忠実に再現した屋台がずらりと並ぶんです。

 学生は皆自分のお気に入りの屋台を見つけて、そこで朝食を済ませるのが殆どですね~」


会話をしている間にも、テーブルには食前酒が運ばれてきている。口当たりの良い風味が胃の空き具合を意識させて食欲を刺激する。


「なかなかに良いキールだな。これは食事のほうも期待できそうだ」


どうやらエレミアの舌も満足しているようだ。舐めるように少しずつ味わっているメイとは対照的に、彼女はあっという間にグラスを空にしてしまった。

何時もの鎧装束ではなく、ヴァラナーの伝統的衣装であるゆったりとした絹のローブを身に纏った彼女の姿はこういった高級レストランにも馴染んでいる。

変わらず胸元で輝くプラチナと貴石からなるアミュレットは、彼女の祖霊と霊的な繋がりを得る"ゼールシン・トゥ"と呼ばれる魔法のアイテムだ。


「このお店はブレランド料理についてはシャーンでも一、二を争うお店ですから。

 雲の上にある《スカイウェイ》のセレスチャル・ヴィスタに知名度こそ譲りますけど」


メイの言葉を受けて天を仰ぐと、直上には雲の塊が浮かんでいる。いくつかの飛行橇の輝きが出入りし、飛行ゴンドラが周囲を飛び交っているのも見える。


「《スカイウェイ》って、あの雲の上にあるんだっけ?」


《セントラル》と《メンシス》、二つの高台の群塔のさらに上。天の高みに、シャーンでも限られた大富豪達が喧騒から逃れるように住む天上街があるという。


「そうですね。スカイウェイは固定化された雲の上に築かれた塔です。

 シラニアと繋がっているシャーンでこそ成し得る奇跡の技ですね~

 雲海公園は一見の価値がありますよ」


そんな話をしているうちに、テーブルの上には料理が並べられていった。

香辛料を効かせた生姜スープ、新鮮な素材の味を活かした色鮮やかなサラダ、魚の包み焼き、ピリ辛豚肉のオレンジペッパー風味……

どうやらそれぞれがブレランドの代表的な料理らしい。

昼ということでそれぞれのボリュームは少なめに、色んな料理を味わえるようにという配慮のようだ。

元の俺であれば淡白な味付けばかりに慣れていたため、この南ブレランド料理は辛すぎて受け付けなかったかもしれない。

だが1ヶ月のエベロン生活でとりあえず香辛料をぶっ掛けて焼けばOK、というゼンドリック屋台で鍛えられた俺の味覚にもはや死角は無かった。


「色々な種類の辛さだな。やっぱり香辛料の豊富な土地柄だけに、こういう味付けが発達するんだな」


庭園とバルコニーから見える眺望を楽しみながら舌鼓を打つ。

食事をしながら、先ほど案内されたシャーンの街並みについての説明をメイから受けた。


街域:崖により分けられた五つの群塔。《セントラル》《メンシス》《ノースエッジ》《タヴィックス・ランディング》《ドゥラ》。

街層:街域を高度によって『上層』『中層』『下層』と分けたもの。例えば《メンシス上層》や《ドゥラ下層》等。

   なお《スカイウェイ》と《クリフサイド》はその性質上高度による区分けがなく、街層一つで街域として扱われる。

   また、下層の更に下、地下には地底の溶岩流を利用した大規模な鋳造所と溶鉱炉が建設されており《コグ》と呼ばれる街層を成している。

街区:街層をさらに特徴によって分類したもの。

   例えばここ《メンシス上層》は『大学地区』『セヴンス・タワー/名店街』『プラチネイト/高級住宅街』『アイヴィ・タワーズ/中流住宅街』『デニヤス/ノーム居住区』の五つの街区から成る。

この街の行政を担う市議会のメンバーは原則として各街層から1人選出され、彼らの指名により市長が任じられるとの事。


「……想像以上の広さだな。噂には聞いていたけれど、実際にこの塔の群れを見ると圧倒されるよ」


何せ、生前見た最も高い建築物は東京タワーだ。その5倍もの高さの塔が林立しているのだ。

空中を飛び交う飛行橇やゴンドラも相まって、まるでここがファンタジーではなく未来都市であるかのように感じてしまう。


「シャーンは20万以上の人口を誇るコーヴェア最大の都市ですからね。

 きっとトーリさんがお探しの品も見つかりますよ」


メイの言うとおり、この街であれば金で買えるアイテムであれば殆どの物が購入できる。

他のD&D世界観に比べればこのエベロンは人間社会に高レベルキャラクターが乏しいため、高位呪文の巻物などを入手することは困難ではあるだろう。

だが少なくとも俺が必要とするシベイ・シャードは十分に入手できるはずだ。


「この後にでも早速、店を探してみるよ。

 メイは大学に顔を出すんだっけ。エレミアはどうするんだ?」


モルグレイヴ大学には少々興味がある。特にその大図書館はズィラーゴのコランベルグ大図書館には敵わないものの、このブレランドでは最大の規模だ。

そのうち案内をお願いしたいが、今日は研究室に顔を出すのだろうから日を改めたほうがいいだろう。


「そうだな、私はこの街に駐在している祖国の代表のところに顔を出してこようと思う。

 先程オリエン氏族に確認したところ、数日後であればヴァラナーまでの転送は行ってくれるようだからな。

 その間この街に滞在することになるのだから、一度話をしておく必要があるだろう」


成程。たしか《ドゥラ中層》にはヴァラナーの外交官とつなぎを取れるバザールがあったはずだ。

この国の国籍を持たない俺たちはいざ揉め事に関わる羽目に陥った際には後ろ盾が必要だ。社会的影響力を持つ人物に接触を持っておくことは確かに大事だろう。

俺の場合は……ロクな心当たりがないし、二人の何れかに便乗することになるのだろう。


「それじゃあ一旦別行動ですね。

 このレストランの隣の塔がホテルになっていますし、そこに部屋を取っておきましょうか。

 集合は七点鐘の頃で構いませんか?

 それまでに、知り合いがやっているお店で夕食が取れるように手配しておきますから」


どうやら夕食もメイのコーディネイトのようだ。この店のブレランド料理は確かに見事なものだったし、この分であれば夜の方も期待が出来そうだ。





デザートに出てきたアイスクリーム──この庭園に咲き誇っている花を象った芸術品のような品を食べた後、隣のホテルにチェックインしてから俺は皆と別れて昇降機で《メンシス中層》へと向かった。

目的地は『エヴァーブライト』という魔法街だ。シャーンの中でも最も多くの呪文使いが住んでいる街区であり、俺が求める高価なマジックアイテムの品揃えが一番良さそうなエリアである。

『セヴンス・タワー』の商店街は昇降機がその高度を下げるに従ってその高級な雰囲気を失っていき、やがて『カッサン・ブリッジ』という普通の商店街へとその姿を変えていく。

とはいえそれは俺の常識から考えての"普通"であり、ストームリーチの街中とは比べ物にならないほど整った街並みだ。

両腕いっぱいに荷物を抱えた買い物客がせわしなく道を往来しており、行き交う人々は言うに及ばず建物や売られている商品からも舶来の匂いがしている。

どうやらこの街区はオークと人間が多く住む大陸西部、シャドウ・マーチの文化が多く取り入れられているようだ。

塔の中にも関わらず、建物に下駄を履かせた建築物が多いのは湖沼地帯で占められたかの地の建築様式を忠実に再現した結果なのだろう。

異国情緒漂う建物を眺め、露天に売られている果物を買いながら最も塔が密集しているこの階層の中央へと足を進める。

10分も歩いた頃には再び街はその様相を変えていた。建ち並ぶ塔は魔法によって灯された照明で照らされ、頭上には飛行橇が飛び交っている。

行き交う人達にも魔術師を思わせるローブ姿や、明らかに生物ではない人造を荷物持ちとして連れ歩いている人達が見受けられる。どうやら目的地に到着したようだ。

高速化により音声要素と動作要素を省略し、念じるだけで呪文を発動させる。

5レベルに上昇したことで使えるようになった《アーケイン・サイト/秘術視覚》の呪文は、視界に魔法のオーラを映し出す。

一瞥しただけでアイテムに付加されている魔法の大雑把な強度を知ることができる便利な呪文だ。

双眸がかすかに蒼い光を放つという特徴こそあるものの、ゴーグル越しであれば気取られることもない。まぁ知られたとしても違法性のある呪文ではないので大した問題はないのだが。

流石に魔法街と呼ばれるだけあり、視界は大量の魔法のオーラに満たされている。その大部分を占める、微弱なオーラを意識から除外して大通りを歩く。

魔法によって編まれた不可視の力場の壁──永続化された《ウォール・オヴ・フォース》越しに陳列された魔法の品々を眺めているだけで、色々な想像をすることができて非常に楽しい。

ゲームでお世話になったものやルールブックで見たことしかないアイテムなどを見つけると心が踊るし、知識にないアイテムも付与されている呪文系統とその形状から効果を推測するのは楽しい作業だ。

やはり土地柄か、飛行に関する品を扱っている店が多い。飛行橇や空飛ぶ絨毯を始めとして、《フライ》の呪文を付与されたブーツや外套が様々な模様を与えられて陳列されている。

その中でも最も多いのは青を基調にペガサスやグリフィンといった空を飛ぶ生物をあしらった品々だ。ブレランドの国旗にも描かれている金色のワイバーンが一番人気のようで、どこの店も一種類は独特の意匠を施した品を飾っている。

中には専門店として、飛行に関する品だけを置いた店などもあるようだ。《ドゥラ》では「八風レース」を代表に、様々な空中競技が行われていると聞く。

「風追レース」や「空中騎馬戦」といったスポーツに参加する生来の飛行能力を持たない選手が、命を預ける品を求めて来る店なのかもしれない。

特にこのシャーンではシラニアの顕現地帯であることを利用した独特の魔法具が販売されている。

《飛行アイテム改良》の技術により制作された飛行を可能とするアイテムは、このシャーン市内において非常に高い移動速度を発揮することができる。

制作した術者の技術が確かであれば、その品による移動速度は通常の品の1.5倍にもなるというのだから、競技者達に取っては垂涎の的である。

効果時間についても大幅な増幅が期待でき、24時間その恩恵を受けることも出来る品もあるという。

街の外では普通の品と変わらないとはいえ、この広大なシャーンの街の大半においてそれだけのアドバンテージを得られるのであれば十分だろう。


「お買い上げありがとうございました~」


上機嫌な店主に見送られ、大通りに面した店舗を後にした。

俺の足回りには、タフな使用にも耐えうるしっかりとした造りのブーツが真新しい光沢を放っていた。紅い革に銀色で跳ね馬の姿が刺繍されているのが特徴だ。

無論これはただのブーツではなく、『ウイングド・ブーツ』という着用者に飛行能力を付与する魔法のアイテムだ。

合言葉を唱えると踵部分から羽飾りが浮かび上がって空を飛ぶことが可能になるという効果を持つ。

当然シャーンの顕現地帯のエネルギーを取り込んだ特別製であり、ハイ・エレメンタル・バインダーとして名高い"ダレス・ファスコ"の品だとか。

このハーフリングはノームの国ズィラーゴに変装して潜入し、彼らの精霊捕縛の技術を盗んで逃亡したと言われている伝説の人物だ。今でもズィラーゴのエージェント達はコーヴェア中で彼の行方を探しているとか。

まぁブーツの由来については眉唾ものではあるが、製作者の技量が一流であることは確かだ。既に自前で《フライ》の呪文を詠唱可能とはいえ、リソースを節約するに越したことはない。

それにシャーンの街中であれば、自身で詠唱した呪文よりもこのアイテムによる強化された飛行能力のほうが速度・機動性のいずれをとっても優秀だ。

背中の背負い袋に放り込まれた飛行橇も同じ理由によって購入したものだ。決して物珍しさによる衝動買いではない。

店舗から少し離れたところにあった空き地に到着すると背負い袋から購入したばかりの"ソリ"を取り出す。外観は巨大なベーゴマとでもいえばいいのだろうか?

なだらかな円錐状に加工された1メートル少々の水晶を地面に転がし、込められた魔法の力を起動するように念じる。

すると円盤の下部、下に突き出した円錐の頂点を起点にバチバチと輝くエネルギーの火花が散り始めて水晶が浮かび上がった。

恐る恐るその上に乗ってみるが、完全に体を乗せても僅かに沈んだだけで円盤は浮遊状態を保っている。

そのまま上昇するイメージを浮かべると、体にGがかかり視界が徐々に持ち上がっていく。

続いて円盤を傾けながら横方向への移動を念じる。どうやら円錐の頂点を起点に、足場の傾きはある程度自由に操作出来るようだ。これならばある程度の高速移動も問題なく行えるだろう。

目前に迫っていた塔の壁を舐めるように咄嗟に移動方向を垂直方向に切り替えて上昇、ある程度の高度を稼いだ後で水平移動と降下、上昇の機動性を検証した。

その結果、移動に専念すれば毎秒10メートルほどの横移動が可能ということがわかった。上昇の効率はその半分。降下時は逆にその2倍。

移動方向の切り替えは自由自在で、停止はほぼ一瞬、反転についても1メートルほどのロスで行えることがわかった。かなりのアクロバティックな機動が可能なようだ。

勿論空気抵抗を軽減する仕組みもなければ自分を支えるのは小さな円盤のみという厳しい条件はあるが、慣れてくれば問題ではなくなるだろう。

強風に煽られれば真っ逆さまという危険こそあるものの、この街の住人であれば皆"墜落"への対策は怠っていないだろう。

シャーン市は《フェザー・フォール》の呪文で高所から落下した人を助けた呪文使いには報奨金を支払ったり、上層と中層の主要な橋には永続的に《フェザー・フォール》を定着させるなどの対策を講じている。

そういった点から安全面では折り合いがついてはいるが、一般に普及しづらいのはやはりこの手の飛行アイテムが非常に高価なせいだろう。

この飛行橇は金貨38,000枚、ブーツはその製作者の技量の高さから通常の3倍の値段で金貨36,000枚だ。

金貨4万枚近くを趣味に費やせるのは余程の趣味人か成功を収めた人物だけだろう。

あまり普及しすぎれば空の事故が増えるだろうことから、特にその手のトラブルが問題視されていない現状のバランスがいいのかもしれない。

そんな事を考えながらも空飛ぶソリに乗って『エヴァーブライト』の街を進む。

先程の店で買物をする際に、俺の求める品を揃えている店の位置について聞いておいたのだ。

店の看板商品をキャッシュで買った俺に対して、その店の店長はホクホク顔で色々な店を教えてくれた。

飛行具専門店だから俺の聞いた店が競合足り得ないことも関係していたことは間違いないだろうが、いずれにしてもなんとか今日中に第一目標を達成出来そうである。

わずか数分の飛行で目的地へと到着。やはり空の道は混雑とは無縁だし、何より風を切る感覚と足元から加わる加速度感が素晴らしい。

標準よりは実力のある製作者の手によるものとはいえ、シャーンを離れれば1日30分ほどしか使用できないがお土産としては十分な品だろう。

着地と同時にリフティングの要領でソリを蹴り上げ、頭上を経由して背中の背負い袋へと放り込む。

20キロを超える重量があるはずだが、この程度の操作であれば足から離れた後も思考操作の範囲で行える。

そうやって降り立ったのは大通りから僅かに離れた場所にある塔の外壁部分だ。

塔の重厚な外壁にはくり抜かれたと思われる暗い穴が穿たれており、その穴の脇には斧槍を携えた二体のウォーフォージドが立っている。

一切の身じろぎをしない彼(彼女?)達は、こうしてみるとまるで彫像か鎧の置物のように見えなくもない。

周囲を注意深く観察しながら歩み寄っていくと、そのうち一体のウォーフォージドがこちらを向いて話しかけてきた。


「いらっしゃいませ、お客様。

 こちらで武器をお預かりさせていただきます」


ウォーフォージド特有の硬質な声が左手側から発せられた。俺はその声に従って腰に帯びていた長剣をこのバウンサーに預ける。


「確かにお預かりいたしました。

 では、私の後に付いてお進みください」


斧槍を相方に渡し、俺の武器を受け取った用心棒は両手で剣を持つとそのまま薄暗い通路へと進んでいった。

もう一体のウォーフォージドは一切身動きもせず、言葉も発さない。俺はそちらを一瞥すると、先行く用心棒の背を追って暗がりへと足を踏み入れた。


「足元が暗くなっております。階段の段差にはお気をつけください」


入り口からすぐ進んだところで通路は左右へと別れており、俺は先導に従って左へと進んだ。

その先は階段になっており、所々に埋め込まれたクリスタルから発する光のみを道標に通路を進む。

1メートルほどの狭い通路に、急勾配の階段。段差も所々妙に高かったり低かったりと均一ではない。

俺のように暗闇でも支障がないように対策をとっているのでもなければ、進むのも億劫になるのではないかと思えるほどに不親切な道だ。

螺旋階段のようにグルグルと上昇していく階段を登った先には僅かに開けた空間が部屋として使用されていた。

中央にはカウンターが仕切りのように置かれており、部屋の反対側にはこちら側と同じような通路の入り口がある。

階段よりはマシではあるが、この部屋の照明も心細い。赤いクリスタルを通してエヴァーブライト・ランタンの光が頼りなく部屋を照らしている。

床に敷き詰められた絨毯は、照明の輝きのせいか正確な色を測ることも難しい。赤と紫が混じり合ったような色彩が光の具合によって蠢いているようにも見える。

バウンサーは部屋の反対側まで進むと、そちら側にもある通路への入口で振り返りそこで立ち止まった。自然俺はカウンターの辺りで足を止めることになる。


「いらっしゃいませ。初めてのお客様かな」


カウンターの影にでも潜んでいたのか、いつの間にかそこにはエルフの男性がいた。

だが、俺の瞳には彼の真の姿がそのエルフの姿に被さるように写っている。

灰色の肌にのっぺりとした顔面。眼球は乳白色で塗りつぶされ、鼻に相当する突起はあるものの鼻孔はない。チェンジリングだ。


「私はここ『トワイライト商会』の店主をしているサイラスと申します。

 お客様、よろしければお名前を教えていただけませんか?」


大仰な身振りで一礼しながら自己紹介をすると、彼はこちらの名を尋ねてきた。


「トーリだ。ここはシャーンでも指折りの品揃えを誇る店だと聞いている」


この手の連中に会話の主導権を握らせるのはよろしくない。そう判断した俺は単刀直入に要件を伝えるべく、カウンターの上に背負い袋から取り出した品物を置いた。

ゴトン、という重量感のある音と共に置かれたのは握り拳程の大きさの薔薇色に輝く結晶。シベイ・ドラゴンシャードだ。


「これと同じような大きさの品物を探している。

 この店ではどれくらいの数が用意出来る?」


「これはこれは……滅多に御目に掛かれないサイズのシベイの結晶ですな!

 戦争が終わったとはいえ、いやだからこそ各ドラゴンマーク氏族の皆様がこの品を求めていらっしゃるようですし、相当なお値段になりますが?」


鋭い視線がシャードを貫く。口を動かしながらも彼は結晶の観察を続け、その価値を推し量ろうとしているようだ。


「俺はいくつ用意出来るか、と聞いているんだ。

 金額の多寡は数を聞いてから判断する。それともこの店では取り扱いが無いのか?」


結晶を持ち上げて背負い袋に放り込む。サイラスの視線は一瞬結晶を追うように動いたが、すぐにこちらへと注意を戻した。

今から俺はこのエルフの皮を被ったチェンジリングから望む結果を引き出さなければならない。

シャーンでも屈指の魔法の品を扱う店の店主である以上ある程度の実力者ではあるだろうし、この部屋にいたるまでの通路には魔法の罠も仕掛けられているのが判っている。

あの通りにくい狭い階段も襲撃の事を考えた構造だろうし、目の前の人物を甘く見ることはできない。

そんな事を考えている俺の思考を読み取ったのか、サイラスは佇まいを正すとこちらに向きあって口を開いた。


「結晶一つにつき金貨1万枚いただきます。

 今すぐということであれば5つしか用意出来ませんが、時間をいただければ100でも200でもご希望の数を揃えてみせましょう」


ゲームでは非売品ということもあり、プレイヤー同士のオークションでしか売買がされなかったためこの結晶の適正な価格を俺は知らない。

その二枚の皮を被った表情からは真意を読み取ることが出来ない。適正かもしれないしふっかけられているのかもしれない。

だが、条件が金だというのであれば何ら問題はない。


「それは心強いな。

 とりあえず150ほど頼もうか」


おそらくは常識外であろう数量を提示する。

言葉通りの意味であれば入手できないわけもなさそうだ。"はったり"の可能性もあるが、商売人として発した言葉の責任くらいは取れるだろう。

1万x150で150万GPといえば相当な金額だが、俺の所持金からすれば1パーセントにも満たない僅かな額だ。

ふっかけられたとしてもこの程度の出費で将来的なレベルキャップのリスクを回避出来るなら安い出費だ。


「……150個、で御座いますか?」


まさか本当にそれだけの数を希望するとは思っていなかったのだろう。表情や顔には現れていないが、気配に動揺が一瞬現れたのを俺は見逃さなかった。


「そうだ。とりあえず今ある5つを見せてもらおうか。

 その分とは別に、1週間で手に入るだけの量を掻き集めてくれ」


シャーンがいくら巨大都市とはいえ、このサイズの結晶ともなれば流通している全てを掻き集めても100個にも届かないのではないだろうか?

俺が買い占めのような真似をしてしまっては市場の動きに変調が起こるだろうし、そうなるとさらに入手が困難になることも予想される。

TRPGルールではGP制限以下の品については青天井同然の流通個数だったが、はたしてこの街ではどうなっているのだろうか。


「では、商品の方をお持ちいたします。

 ですが、当店ではクンダラク銀行の信用状は取り扱っておりません。

 現金かそれに類する品でのお支払いになりますが」


信用状とて偽造は可能である。そういう意味ではこの対応も当然と言えるだろう。

特にいくつもの犯罪結社を抱えるこのシャーンでは偽造の類は比較的容易に利用できるサービスだ。

サイアスのセリフを受けて俺はポケットから1枚の布を取り出した。

フェイズ・スパイダーの糸とエーテルの繊維を星の光で織ったこの布には、一方に異空間へと通じる穴が開いている。

ポータブル・ホールと呼ばれるこの異空間の中には、重量を無視して色々なアイテムを仕舞うことが出来るのだ。

俺が布を広げたままその穴を傾けると、そこからは大量の白く輝く貨幣が零れ落ちた。


「シルヴァー……いや、ドラゴン白金貨ですか!」


ガリファー王国時代に鋳造された最も高価な貨幣である白金貨は1枚で金貨10枚の価値を持つ。

すべてのキャラでカンストするまで貯め込まれた俺の全財産は、ポータブル・ホール一つをこの白金貨で埋めたとしても大して目減りしないほどだ。


「大変だとは思うがここから必要な分だけ数えて持っていってくれ。

 現金での支払い限定なんだ、そのくらいはしてくれるよな?」


腰まで届くほどの貨幣の山を一つ作った後サイアスを見ると、彼はその小さな口を目一杯開いて固まっていた。

だがこちらの視線に気づくと一瞬で自分を取り戻し、カウンターの上に置かれていた木製のベルを持ち上げた。


「失礼。確かにこれは大変な作業になりそうですし、従者を呼ばせていただきます」


彼がベルを振りながら《従者よ来れ》と竜語で小さく呟くと、ベルの中にあった白い紐を中心に構成された魔力回路が呪文を発動させた。

それぞれの紐の先から不可視の力場が広がり、やがて人形を取るとこちらへと向かってくる。

《サーヴァント・ホード/従者の群れ》、あるいは《マス・アンシーン・サーヴァント》と呼ばれる秘術呪文だ。

単純作業を行う透明な従者を一定時間創造する呪文であり、従者は術者から一定の距離内で清掃などを行うことが出来る。今回は貨幣を数える仕事を行わせるのだろう。

ゴーグルを通して目に映る人形が白金貨を数えながらカウンターの下をくぐって別の場所へと運んでいくのが見える。傍目に見れば貨幣が宙を舞っているように見えるのだろう。

単体ではなく複数の従者を一度に創造するこれは追加サプリメントの呪文であり、一般的には知られていないと思われる。やはりこの店主はある程度、秘術に通じていると見て間違いないだろう。


「しばらく時間を頂くことになります。

 お待ち頂く間、お茶を振舞わせていただきましょう。こちらへお越しください」


彼がそういうとカウンターの一部が音もなく崩れ去り、部屋の反対側へと進む通路が出来た。

幻術には見えなかったし、何らかの技術的な仕掛けがあるのだろう。


「こちらへどうぞ。御掛け下さい」


カウンターの反対側は、客側から見えないところにテーブルが1台設えられていた。

おそらくは、客が居ないあいだはここで何らかの作業をしているのだろう。テーブルの上には何冊かの書物が置かれている。


「どうぞ。粗茶ですが」


差し出されたお茶は、渋みのきつい烏龍茶のような味だった。最初口に含んだときは少々驚いたが、それほど突拍子な味ではない。


「珍しい味の茶葉だな。どこの産なんだい?」


「気に入っていただけましたか?

 癖のある味で、眠気を吹き飛ばしてくれるところが私はお気に入りでして。

 シャドウ・マーチの産らしく、『カッサン・ブリッジ』でよく並んでいるのを見かけますよ」


サイラスも正面の椅子に腰掛け、烏龍茶モドキを口に運んだ。喉が乾いていたのか、小さめのコップに注いだ分を一気に飲み干した。


「トーリさんと仰いましたか。

 シベイ・シャードは実際どれくらい必要なんです?

 シャーンは巨大な街です。確かにマーク氏族が大部分のシャードを持っていますが、その輝きに魅せられた上流階級の方々がお持ちの物も多い。

 その気になれば1週間でも相当数を揃えることができますが」


やはり気になるのか、サイラスはシャードの事を訊ねてきた。確かにまずそこは確認しておくべき所だろう。


「そうだな、1週間後には2,30もあれば十分だ。

 さっきは掻き集めろと言ったが、全部が直ぐに必要ってわけじゃない。

 定期的にこの街には来るつもりだし、市場に支障がでない程度に集めてくれればそれでいい」


レベルアップの勢いがこの先どの程度維持出来るか不明なため、シャードを必要とするペースもまた不透明だ。

とりあえず2,3レベル分のストックは常にしておきたいし、今回のシャーン訪問ではそれに少し余裕を持たせた程度の数を得られれば十分だろう。

こういった店にコネを作り、安定供給出来るようになれば今回の訪問は大成功と言っていい。


「ご要望の150個を一週間で全て集めるのは不可能ではありませんが、余計な勘ぐりを招くのは間違いないでしょう。

 私の方で定期的に仕入れを行っておきますし、ある程度纏まった数が手に入ればご連絡するように致しましょう」


おそらく用途やそれだけの数を購入する資本についても気になっているのだろう。彼の表情からもこちらに対する並々ならぬ興味を読み取ることが出来る。


「ああ、それならついでに集めておいて欲しい品がまだあるんだ。

 『願いを叶えてくれる指輪』なんだが」


『スリー・ウィッシズ』。その名の通り、三つの願いを叶えてくれる魔法の指輪だ。この街の流通上限ギリギリの高価な魔法のアイテムである。

最高位の秘術呪文である《ウィッシュ》の呪文が3つチャージされている。


「これはまた高価な品ですね。

 いくつか心当たりはありますし、お取引は可能です。

 過分な願いを叶えようとした場合には災いを招くということで『愚者の指輪』とも呼ばれています。

 強大な魔力を秘める故に取り扱いには注意を要しますが……貴方は自信がおありのようだ」


どうやらこちらの品も扱いがあるようだ。だが、聞けばどうやら指輪の力で破滅した人物が何人もおり死蔵されているケースが多いのだとか。

確かに高レベルな秘術呪文使いがいないエベロンでは、《ウィッシュ》の制限について詳しく知っている人物などいないのだろう。

『願いを叶える』といっても、それは《ウィッシュ》の呪文で可能な範囲に留まる。

例えば世界で唯一無二のアイテムが欲しいと願った場合そのアイテムの現在の持ち主のところへ連れていかれて戦いで奪い取ることを求められたり、不老不死を望んだら異空間に閉じ込められたり、といったように。

強力な願いには反作用がつきものであり、その見極めを誤ると身を滅ぼす事になるのだ。

その点俺は呪文の詳細なデータを知っているため、失敗する可能性は万に一つもない。チート知識に感謝する点だ。


「使用を敬遠される風潮があるとはいえ、秘められた強力な魔力は誰もが知っています。

 1つあたり金貨10万枚といったところですが、先程の様子であれば支払いに問題はなさそうですね」


最高位の呪文だけあって所持しておけばいざという時の切り札足り得る能力がある。ある程度纏まった個数を揃える事が出来れば自力の底上げも可能だ。

どうやらこちらの正体を訝しみながらも、上客として認めてくれたようだ。この指輪の値段はTRPGの設定より割高ではあるものの、ほぼ適正の範囲だ。

白金貨の鑑定にはそれなりの時間がかかるらしく、その間サイアスと話をして時間を潰すことになった。


「シャーンに不慣れなようでしたら、《セントラル中層》の『アンバサダー・タワーズ』に行かれてはいかがでしょう?

 この街の事情に精通したガイドを派遣するエスコート・サービスが充実しています。

 基本的にはあの街区に多い外交官をはじめとする富裕層向けのサービスですが、成功を収めた冒険者の方々も利用なさっているようですし」


大きな都市だけあって観光客向けのガイドは色々なところで見かけることが出来る。最も多いのはライトニング・レイルや飛空艇の発着場だが、『アンバサバー・タワーズ』はそういった通常のガイドとは一味異なる。

この街区で提供されるガイドは街の事情や魅力に通じているだけではなく、公式な行事や私的な会合に同伴しても恥ずかしくない知性と教養を持ち、さらには別種の"もてなし"もできるコンパニオンを揃えているのだ。


「そうだな、考えておくよ。どこかお薦めを教えてくれないか?」


「有名なところでは『アサーニアズ・コンパニオン』ですね。

 その名の通りアサーニアという女性が経営していて、上質な付添い人が揃っているとの評判ですよ」


彼が薦めてきたのは俺でも知っている業者の名だった。だがその知名度はどちらかというと裏側に属するものだ。

ここが他の業者と違うのは、アサーニアズ・コンパニオンがスパイ組織だということだ。

従業員の大多数は知らないことではあるがアサーニアはフィアラン氏族のドラゴンマーク継承者であり、従業員から提出される報告書から情報を選別し、関心のありそうな買い手へと売りつけているのだ。

話術・誘惑・欺瞞の訓練を受けた従業員たちが枕元で顧客から情報を収集する、古典的な手法である。

数ある業者の中からわざわざこの組織を選んだということは、何か含むところがあると思って間違いないだろう。

わざわざ腹を探られるつもりもないし、軽く流しておこう。


「そうか。覚えていたらそこを利用させてもらうことにするよ」


暗に薦めを拒絶しつつ、既に何杯目かとなる茶を口に運んだ。そうして世間話をしていると物陰から不可視の従者が荷物を携えて現れた。

サイラスは中空からつまみ上げるようにその従者の抱えていた小袋を受け取ると、机の上にその中身を並べた。


「お待たせいたしました。鑑定が終わりましたのでご注文の品をご確認お願いいたします」


机の上には不揃いながらも大振りな薄紅色の結晶が並んでいる。俺の目的のドラゴンシャードだ。

手の平に乗せ、意識を集中するとブレスレットに格納しなくてもアイテムの鑑定をすることが出来る。


「確かに、依頼通りの品だな」


5つともが『シベイ・ドラゴンシャード』として認識されている。背負い袋に放り込むフリをしながらブレスレットに格納すると、その中で同じアイテム同士スタックすることも確認出来た。

俺が満足したのを確認してか、サイラスは続けてテーブルの上に二つの指輪を並べた。三つのルビーが嵌め込まれ、強力な魔法のオーラを放つそれは俺の探していた『三つの願いの指輪』だ。


「現在当店に用意出来るのはこの2点のみです。

 いずれも保存状態は完全だと自負しております」


彼の許可を得て指輪に触れると、俺の脳裏に先ほど同様アイテムのデータが流れ込んできた。

確かにいずれも《ウィッシュ》の呪文が3回ずつチャージされている。損傷も見当たらないし、文句のつけようもない状態だ。


「一つにつき金貨10万枚だったか。

 この二つとも頂こう。支払いはシャード同様さっきの白金貨の山から持って行ってもらっていいか?」


山の感じからして、あと2万枚くらいであれば追加せずとも大丈夫なはずだ。


「はい。そういっていただけると思い、既に2万枚分を数えてあります」


席を立ったサイラスについてカウンターへ向かうと、先ほど俺が積み上げた山が目減りした上で二つに分かれていた。

分割されたその山から指輪の代金のほうを残し、余りのほうをポータブル・ホールに仕舞う。

キャラデータで確認すると、きっちり代金分が減少しているのがわかる。全く、便利な機能である。


「それじゃ、今日のところはこれでお暇させてもらうよ。

 纏まった数の仕入れが出来たら連絡をくれ。暫くはここの上層のホテルに宿を取っているから」


ホテルの名前を告げ、案内のウォーフォージドの後について店を辞した。

入ってきたのとは反対側の通路には、同じように狭く暗い階段が続いている。おそらくは先ほどの部屋を中心に対称な構造になっているのだろう。

高級店だけあって、店内で客同士が鉢合わせたりしないように配慮した構造にしているのかもしれない。

そんな思考を巡らせながら歩いているうちに長い螺旋階段も終りを迎え、ようやく出口へとたどり着いた。

外壁から出ると、薄暗く感じていたはずのエヴァーブライト・ランタンの明かりさえもが目に染みるように感じられる。それだけ店内が暗かったということなんだろう。


「お客様。武装をお返しいたします」


道案内をしてくれたウォーフォージドから剣を受け取り、ベルトを用いて腰に鞘を固定する。

その間に用心棒は相方からハルバードを受け取り、再び定位置へと戻っていた。種族の気質もあるのかもしれないが、仕事熱心な事だ。


「結構な長居になってしまったな。良かったら今の時間を教えてくれないか?」


広さ高さからは勘違いしてしまいそうになるが、ここは塔の中であるためにバルコニー等まで移動しなければ外の様子を窺えず、太陽の位置から時間を察することができない。


「三点鐘が鳴ったのは随分前のことです。間もなく四点鐘だと思われます」


俺が店内にいる間、外にいた方のウォーフォージドが顔だけを僅かにこちらに向けて答えてくれた。

この世界の一般的な街では、時刻を鐘を鳴らすことで知らせている。朝の9時から夜の9時まで、時間と同じ数だけ鐘が打ち鳴らされるのだ。

無論個人で利用できる時計もカニス氏族のアーティフィサーを中心に製造・販売されている。水晶の代わりにドラゴンシャードを使用したクォーツ式なんてのもあると聞く。


「ありがとう。またよろしく頼むよ」


彼らにそれぞれ銀貨を渡し、『トワイライト』を後にした。約束の時間まで3時間強。

せっかくなので、シャーンの街を堪能することにしよう。そう考えた俺は、起動させた飛行橇を最寄りの下層へと向かう昇降機へと向けた。





「見えてきました。あれが私の知り合いが経営しているお店です~」


飛行ゴンドラの窓越しに、メイが下方に見える『ノウェン・タワー』の一角を指さした。

塔のバルコニーにあたる部分には、内部から巨大な樹がせり出しているのが見える。

その巨大樹木を中心にまるでバルコニー全体が森になっているかのようだ。常緑の葉に覆われているが、その隙間から垣間見える灯りからしてあそこに店があるらしい。

バルコニーの一角には飛行ゴンドラが発着するための庭園が設けられていた。

気のいい船頭に礼を言って料金を支払い庭園へと降り立つと店の方から一人、エルフの女性が歩み寄ってくるのが見えた。

一般的なエルフの女性の平均からしても頭ひとつ分ほど低い身長は、少女といった形容がよく似合う。

だがそのルーやフィアよりも小さな体からは、信じられないほどの強力な存在感が感じられた。

しかしそれはこちらを圧倒しプレッシャーを与えるようなものではなく、暖かく包み込み安心感を与えてくれるようなオーラだ。

身にまとった衣服は一目で上質と見て取れ、エルフらしく体をゆったりと覆う着心地の良さそうなデザインのローブ。

サークレットやイヤリングなどの装身具は衣服に調和した落ち着いたデザインで、その流線型のラインはそれぞれが自然の事物を象っているのだろうと思われた。

いくつもの宝飾品はすべてそれを身に纏うこの少女のためにデザインされた特注品なのだろう、こちらへと歩み寄る彼女はそれ自体が一個の芸術品のようであった。

そんな彼女は、先立って降りていたメイに駆け寄ると熱烈な抱擁を行った。とはいえ背丈が足りないせいか、彼女の頭部はメイの豊かな双丘に埋もれるような体勢になってしまっているのはご愛嬌といったところか。


「オラドラの御手よ。メイと再びこうして会えることを感謝いたします!

 よく無事に帰ってきてくれたわ」


メイの乗った船は、オージルシークスのブレスを受けて真っ二つになり海中に没したと聞く。

周囲の海域が氷結していたことで船長から船に乗っていた冒険者達にコルソス島の調査を行って欲しいとの依頼があり、それを受け小舟で接岸を試みていたために難を逃れたのだ。

封鎖されたコルソスは中位の呪文を使用しなければ外部との連絡はとれない状態だったから、その報を聞いた人達はさぞ心配したことだろう。


「もう、おば様。ストームリーチにあるシヴィス氏族の伝達所からメッセージを送ったでしょう?

 大げさですわ」


シヴィス氏族は『刻印のマーク』を有するノームのドラゴンマーク氏族だ。

生来魔術に秀でた彼らは、マークの能力が発現した2,800年前からその能力を発展させてきた。

いまでは彼らはその能力を活かして弁士や公証人のギルドを運営しているほか、大陸間をもつなぐ長距離通信ネットワークを構築している。

即時通信というわけではないが、専用の暗号化された言語によりシヴィス氏族の伝達所経由でメッセージストーンを経由して行われる情報の伝達はあらゆるところで重宝されている。

とはいえ、商売であるため需要の点からコルソスには伝達所が設置されていなかった。

いまのメイであれば占術系統の呪文を組み合わせることで連絡をとることが出来るだろうが、当時の彼女ではストームリーチに到着するまでは伝言を伝える術は無かっただろう。


「貴方の乗った船がサンダー海で消息を絶った時、私がどれだけ心配したことか……。

 巨大なドラゴンがあの海域の船を沈めて回っているという噂が流れたのに、あんな短い伝言だけで安心出来るわけないでしょう!」


かつてゼンドリック大陸の巨人文明から逃れたエルフ達はエアレナル諸島で独自の文化を育んでいたが、数百年おきにアルゴネッセン大陸のドラゴンと激しい戦争を繰り返していると聞く。

ドラゴンを敵に回してなお滅びていない、稀有な文明を有するエルフだからこそ年経た真竜の恐ろしさを良く理解しているのかもしれない。


「大丈夫ですわ、おば様。今となっては良い経験になりましたし、お陰でかけがえの無い仲間にも巡り会えたんですもの。

 そろそろ私のお友達を紹介させていただけませんか?」


抱擁を解きながらメイがそう伝えると、少女も居住まいを正してこちらへと向き直った。


「こちらはマーザおば様。お母様の遠縁で、小さい頃から良くしてもらっている方。この樫の木亭のオーナーをしていらっしゃるの。

 おば様、こちらはトーリさんとエレミアちゃん。二人ともコルソスで知り合った冒険者で、ストームリーチでも助けてもらっているのよ」


紹介を受け、エレミアが胸元のゼールシンに片方の手のひらを当て一礼した。


「偉大なる先達に巡り合う機会を与えてくれた祖霊の導きに感謝を。

 我が名はエレミア・アナスタキア。ヴァレス・ターンの末席に名を連ねる身として、砕かれた大地にて英霊の足跡を辿っております」


エレミアに引き続き、俺も挨拶を行う。


「トーリと申します。メイの機転には何度も助けられています。

 高名な樫の木亭のオーナーにお会いできて光栄です」


メイが紹介してくれたこの女性は、このシャーンでも有名な人物だ。マーザ・イル=サディアン。ノースエッジ高層の市会議員を務める人物だ。


「初めまして、メイのお友達。マーザと呼んで頂戴。

 樫の木亭は皆さんを歓迎いたしますわ。今宵は当店の料理を心ゆくまでお楽しみくださいまし」


マーザがそう告げると奥から一対のエルフの男女が姿を見せた。この樫の木亭の従業員なのだろう。彼らに先導され、座席へと案内された。

店内へと続く通路には両脇にほのかな光を放つ水晶球が埋め込まれていて、中へと進む客達にその魔法の恩恵を浴びせている。

《プレスティディジテイション/奇術》と呼ばれる初級呪文の一種で、ここでは体や衣服についている汚れを落とし清潔にしてくれる効果をもたせているようだ。

ゴンドラの発着場から森へと足を踏み入れると、先程上空から想像したままの光景がそこには広がっていた。

中央の巨大な樹木を取り囲むように多くの樫の木が立ち並び、客席はすべてその木々の枝の上にあるようだ。

それぞれの客席は木々の間に渡された橋で繋がれており、それら客席の床や橋はほぼ全てが木々の枝によって設えられていた。

自然環境に違和感なく溶け込ませることを理想とする、エルフの建築技術がふんだんに発揮されている。

案内された客室では木の実に付与された照明の呪文が天井から降り注ぎ、木漏れ日のようにテーブルを照らしている。

風が吹き込むとそれによって光が踊り、周囲は木の葉のすれあう音で満たされる。森に包まれたようなこの感触、まるで店内は一種のパビリオンのようだ。


「さぞや名のある名工の手による物なのだろうな。

 これほど見事なエアレナル風の建築物が見られるとは」


この建築様式のせいか、エレミアは普段よりも幾分リラックスしているように見える。

彼女の祖国ヴァラナーはブレード砂漠と平原に多くの大地を覆われており、王都ティアー・ヴァレスタスは石とデンスウッドで築かれた城塞だ。

それでも彼女が落ち着いているのは、この建築手法がエルフの本質に働きかけているのかもしれない。


「このお店自体も素敵ですけど、マーザおば様の料理はもっと素敵ですよ~

 このシャーンで最も経験豊かな料理人でいらっしゃいますし。

 議員に選出されてからは息子さん二人にお任せされているそうですけど、今日はきっとその腕を揮ってくださるわ」


あの見た目からは想像もできないが、彼女は300年以上も厨房に立ち続けその叡智と良識で街区全体の尊敬を集めているこのシャーンで最も高齢なエルフだという。

料理人として17レベルというのはこのエベロンでは間違いなく屈指の実力者だ。伝説に残る料理人といっても良いだろう。


「エアレナル料理っていうのは初めてだな。

 お昼のお店も美味しかったし、メイのお陰でシャーンを目一杯楽しめそうだよ」


俺がそう言うとメイは少し照れながらもこちらに微笑を返してきた。

普段はアップにしている髪をおろしているために、胸元あたりまで伸びている毛を指先でクルクルとしている仕草は見ていて微笑ましい。

そんなメイを眺めている間に、料理が到着し始めた。見目麗しいエルフの従業員達が、キビキビした動きでテーブルに皿を運んでくる。

新鮮なサラダに冷製のスープ。シャキっとした鮮度の高いサラダはドレッシングなどがなくても次々に口に運んでいきたくなる味わいと歯応えだ。

淡い色のスープは塩コショウとコンソメで僅かに味付けされているものの、これも素材の味を前面に出した品だ。色は異なるがカボチャとタマネギのような食材だろうか?

なんてことはないシンプルな料理に思えるが、スープの絶妙な味わいといい、サラダのカットが客個人ごとに食べやすい大きさに切り分けられていることといい、そこには料理人の隔絶した技量と料理に対する思い入れが感じられた。

一見同じメニューに見えても、その実、客個人個人に対するオーダーメイドのような調理が施されているのがわかる。

漫画の世界では凄腕の料理人は一目見ただけでその客に合った料理を見極めることができるという展開があったが、もはや伝説の領域に達したマーザには同じことが出来るのかもしれない。

テーブルの二人となんてことはない会話をしながら、運ばれてくる食事に舌包みを打つ。

新たな皿がテーブルに運ばれてくるタイミングも申し分ない。ふとした会話の切れ目、舌先に残る味わいが次のメニューに想いを馳せさせる瞬間に新しい料理がテーブルに運ばれてくる。

まるで料理を通じてこのテーブルで起こる全ての出来事をコントロールされているような、それでいて決して不快ではない感覚。

気がつけばコースの料理は全て終了し、最後に運ばれてきた不思議な色合いの飲み物を口に運んでいた。

黄昏を過ぎた薄闇の中に星が光るかのように、暗い色合いでありながらも透明度のある液体の中に反射によって時折光を放つ不思議な木の実が浮かんでいる。

今思い返せば最初に出てきたスープは朝の明け方を思い起こさせる色合いだった。どうやら今日のこのコースは一日の時間の流れをテーマにしていたのではないだろうか。

随分な種類の料理を堪能したにも関わらず、一品一品の量が控えめであったこともありちょうど加減の良い満腹感。

心を穏やかに落ち着けてくれる飲み物の味わいも重なり、このまま部屋に帰ればさぞかし素敵な夢を見れるであろう心地だ。


「その様子だと、料理の方は気に入っていただけたようね」


余韻に浸っていた間に、この時間を演出した偉大なる芸術家がテーブルの脇に現れていた。

一度コック着に袖を通した後着替えたのだろう、先程の出迎えの時とは異なった装いだ。無論、その身から発される魅力にはいささかの陰りもない。

あれだけの料理を生み出すには相当の体力・精神力を必要とするだろうに、その姿からは微塵も疲れている様子は見受けられない。

立ち上がって礼を述べようとする俺たちを軽くジェスチャーで抑え、彼女はメイの隣の椅子へと腰をおろした。


「さて、それじゃあ私に貴方達の冒険を聞かせて頂戴。

 コルソスに冬をもたらした白竜の異変の話は、このシャーンでも噂になっていたのよ」


こちらに視線を向けるマーザの表情は好奇心で満ち溢れている。

経験豊かとはいえ、彼女のそれは街での暮らしによるものだ。やはり冒険譚には憧れがあるのかもしれない。

冒険者のような非日常の生活を送る者の話を聞く機会は仕事上多かったのだろうが、身近な存在からともなれば話は別なのだろう。

マーザに従ってついてきていた店員が、テーブルの上に様々な種類の酒のボトルとつまみと思わしき小皿を並べていく。

いつのまに薄暗くなった部屋の中で、時折外部から差し込む光を受けたボトルの輝きがまるで夜空に浮かぶ星のようだ。

どうやらマーザの用意したコースはまだ終わってはいなかったようだ。今夜は長い夜になりそうである。



[12354] 3-2.塔の街:シャーン2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/06/06 14:16
目を開くと天井の一部、ガラス張りになった部分から曇天が見えた。深く重い雲からは今にも雨粒が降りだしてきそうである。

シャーンの気候は一年を通して高温多湿または高温多雨であり、温暖で乾燥した時期はごく短い期間しかない。

絶えず雨が降っているわけではないが昨日のような晴天は珍しく、雨粒一つ落ちてこない日は三日と続かないと言われている。

雲の上に座す『スカイウェイ』であれば年中晴れ渡っているのだろうが、基本的にこの塔の街は雨の多い街なのだ。

今日の天気は残念ながら雨になるのだろう。そう考えている間にもやがて天窓は降り出した雨により水に覆われていった。

流れる薄い水の膜に覆われた雲空は不気味に脈動しているようにも見え、起き抜けの気分を滅入らせる。


「雨が降ってきたようだな」


ベッドサイドから声がした。

キングサイズのベッドの脇、備え付けられたテーブルセットの椅子にエレミアが腰掛けていた。

湯上りなのか、湿り気を含んだ髪を梳いているところらしい。

昨晩の樫の木亭の設備からもわかるように、エルフは身だしなみに気を使う種族としても有名である。

何百年も使用する自分の肉体を健康に保とうという本能的欲求による部分もあるのだろう。

植物から様々な石鹸を作ったり、他の種族に類例がないほど歯の手入れに注意を払ったりするのはエルフの特徴とも言える。

エレミアが行っている髪を梳くという作業も、彼らにしてみれば日常の儀式といってよいものだ。

大抵のエルフは長い髪のため、その全てに入念な手入れを行うには相当な時間を要するのだが彼らがそれを苦にすることはない。

髪を梳かすブラシの動きは心を落ち着け、静謐の極みへと彼らの精神を導く。

睡眠のかわりに行われる瞑想に並び、これらはエルフにとっては自らの精神的コンディションを整えるために必要な儀式なのだ。

エレミアの姿も、このまま切り取って一枚の絵画にできるようなそんな雰囲気を纏っている。

彼女に挨拶をする為に身を起こそうとして、左半身が押さえつけられていることに気づく。

ようやく気づいた違和感にそちらへと向き直ると、薄いネグリジェのみを羽織ったメイによって俺の左半身はガッチリとホールドされていた。

俺の動きに反応してか、逃がさぬとばかりにメイはその締め付けを強めてくる。

秘術使いにしては力強いとはいえ寝ぼけながらの動作のため、きついというよりは彼女の体の柔らかさが押し付けられるだけなのだが精神衛生上非常によろしくない。

俺はどうやってこの状況から抜け出すかを考えつつも、一方でこんな状況になってしまった昨夜の出来事に想いを馳せるのであった。











ゼンドリック漂流記

3-2.塔の街:シャーン2














そんな朝から三日が経過した。メイに大学を案内してもらい大図書館で調べ物をしたり、エレミアに同行してヴァラナーの外交官に面会したりと充実した時間を過ごしていたと思う。

シャーンに滞在してから四日目の今日は、ヴァラナーへと出発するエレミアを見送ることから始まった。

やってきた時と同じ、ライトニング・レイルの駅を擁するオリエン氏族の巨大な居留地から彼女は《グレーター・テレポート》によって故国へと帰っていった。

向こうで2,3日を過ごした後、またこのシャーンへと戻ってくる予定だ。それまでにこの街での予定を片付けておく必要がある。

その後、同じ街域に設けられた『タヴィックス・マーケット』の野外マーケットを見物した。

ライトニング・レイルでコーヴェア全土から運ばれてきた物産がそのまま陳列されており、また周辺の農家たちも農作物を売りに出している。

五つ国や新興諸王国の衣類や工芸品、その他の産物が所狭しと並べられている状況はその混沌っぷりも相まってストームリーチの中央市場より何倍も盛況に見える。


「ここは相変わらずの活気ですね~」


ぴったりと俺の隣に張り付いているメイはあまり驚いていないようだ。確かストームリーチの市場の様子にも動じていなかったようだし、彼女にしてみればそれほど珍しい光景ではないのかもしれない。

人混みは多いものの、シャーン都市警護団がしっかりと治安を維持しており秩序と規律は保たれているようだ。

それでもスリはうろちょろとしており、時折メイに近づいてくる不審な連中には軽く"威圧"をして追い払ったりすることになった。

そんな市場で気に入った工芸品を買いながら見物をして午前中を過ごし、ランチを終えた後に俺たちはホテルへと戻ってきた。


「トーリ様。メッセージをお預かりしております」


フロントでキーを受け取る際、一通の封筒が差し出された。シヴィス氏族によるメッセージではなく、オリエン氏族の宅配サービスによって送られたもののようで封筒にはオリエン氏族の印章が用いられている。

差出人の名前は『トワイライト商会』。ホテルマンにチップを渡し、部屋に戻ると俺は早速封筒を確認した。

オリエン氏族の印章が秘術印で刻まれている以外にも防御術が付与されているが、おそらくは中身を保護するものだろう。害はなさそうだ。

テーブルに備えられていたペーパーナイフで封を切ると中には短文の書かれた質素な便箋が1枚入っていた。


『注文の品が入荷いたしました。ご来店をお待ちしております /サイラス』


俺が店を訪れてからまだ四日目だというのに、もうある程度の数が揃ったようだ。


「どんなお手紙だったんです?」


キッチンでお茶を入れていたメイがソファーの隣に腰を下ろしながら尋ねてきた。

マーザに教えてもらったというだけあって、彼女の入れるお茶はなかなかのものだ。


「魔法の品を探してくれるようにお願いしていたんだけど、その品物が入荷したってお知らせだね」


特に時間の指定はされていないので、すぐにでも向かうことにしよう。


「連絡も受けたことだし、午後はまずはその店に引き取りに行ってくるよ。

 用が済んだらまた大学の図書館で調べ物かな」


部外者であっても、1日につき金貨1枚を支払えば大学図書館を利用した調べ物が可能だ。

魔法の指輪に込められた《ウィッシュ》の呪文による帰還が難しいことは、同じ《ウィッシュ》呪文から発動した占術呪文にて調査済みだ。

贅沢な使い方ではあるが、おそらく利用できるサービスの中では最も精度の高い占術であろうから金で解決できるのであれば投資は惜しむべきではない。

明確な否定ではなかったものの、似た世界ということでD20モダンやD20クトゥルフの世界なんかに飛ばされてしまっては却って危険性が増してしまう。

自分でこの世界の次元界に関する知識を集めて研究し、確りとした手順で呪文を発動する必要があるのだ。

どうやらD&Dの標準世界観と異なり、このエベロンでは主物質界が外部からの次元間移動に対して閉鎖されているようなのだ。

召喚呪文などによるものを除き、別の次元界へ移動するのであれば原則として顕現地帯を経由するしかない。

神格の存在しないエベロンで、デーモンやデヴィルといった別次元界の諸勢力に主物質界が蹂躙されていないのはこういった原因によるようだ。

とはいえ、デーモンとデヴィルの主たる王達はドラゴンとの戦争でカイバーの奥底へと封じられているし、過去にはダル・クォールの侵略で巨人文明が、ゾリアットの侵略でホブゴブリン文明が衰退している。

特にコーヴェア大陸ではホブゴブリンを中心としたドルイドの集団『門を護る者』が、かつての侵略で繋がってしまった別次元界とのゲートの封印を監視している。

いずれ次元界に関する深い知識を得るためには、彼らの拠点であるシャドウ・マーチに行く必要があるかもしれない。

だが今はまずモルグレイヴ大学の大図書館だ。ズィラーゴのコランベルグ図書館には及ばないし、蔵書もゼンドリック関連にやや偏っているものの自分の知識のみで研究するよりは確実に効率が良い。

とりあえず今はじっくりと研究する時間を確保するために、懸念事項であるシャードの収集を済ませておくべきだろう。


「それじゃあ、また七点鐘の頃に待ち合わせしましょうか。

 リランダー氏族の予報士によれば夜は晴れるそうですし、コモンズ広場の噴水前で待ち合わせしましょう~」


"嵐のマーク"を有するリランダー氏族はハーフエルフのドラゴンマーク氏族であり、そのマークの力を活用した雨乞いギルドと風工ギルドを運営している。

前者は天候を操作することで農業などに強い影響を与え、またメイが先程言ったように気象予報士のような仕事を受け持っている。

後者は船を用いた運輸業が中心だったが近年飛空艇の開発により、従来高かった影響力をさらに高めているコーヴェア大陸でも屈指の勢力である。

とはいえ、既にオリエン氏族の《瞬間移動》による移動サービスを利用できるだけの経済状況にある俺たちには、あまり縁のない氏族とも言える。


「ああ、それじゃまた後で。メイも研究頑張ってな」


軽い抱擁を交わした後にメイはこの《メンシス高台上層》の中央にあるモルグレイヴ大学へと向かっていった。

俺の目的地である『トワイライト商会』は同じ街域の中層だ。購入した飛行橇で飛んでいくこともできるが、まだ慣れない街の雰囲気を肌で味わいたくて俺は徒歩と昇降機を用いてサイラスが待つ店へと向かった。





昼間とはいえ、塔の内部で外の光の差し込まない区域は常に薄暗がりに包まれている。トワイライト商会の位置する区画もその一つだ。

大通りからは離れた区画にあるこの店の入り口は、一見壁に開いた穴にしか見えない。

先日来た際には門衛をしていた二体のウォーフォージドの姿は今は無い。

一瞬店が休みなのかと考えたが、メッセージをわざわざ送ってきたところからしてそれはないだろうと判断して暗がりへと足を進めた。

薄暗い階段は先日訪れた際と同じで、曲りくねりながら上へと続いている。以前一度訪れていなければ、これが店へと続く通路だとはとても思えないだろう。

相変わらず狭くてデコボコした足場に苦慮しながら、数分かけて階段を踏破して店内へと到着した。

敷き詰められた絨毯は相変わらず趣味の悪い色をしていたが、そこに足を踏み入れた際に俺は違和感を感じた。


「(絨毯が水気を含んでいる……前回来た時と異なる斑模様、それにこの臭いは血臭……!)」


靴底を通じた触覚が脳に届くと同時に、視覚と嗅覚がそれぞれに別の情報を運んできた。

それらの情報の意味を噛み砕くまでもなく、第六感が告げる危機感が俺の体を翻らせた!

カウンターの影に潜んでいた存在がこちらに向かって腕を突き出してくるのを、体を入れ替えるようにして回避する。

すれ違いざまに視界に映ったその男の手の甲には、禍々しい赤黒い輝きが不吉な模様を描いていた。

鉄の棒を押し付けて落書きをしたようなその輝きは、肘を超えて肩の近くまでも伸びているのが薄手の黒装束越しに見える。

その不気味な輝きを纏った男の手のひらは、捉えるべき俺の姿を見失い店の壁を叩く。

だが恐るべき事に、ただ触れただけに見えたその手のひらから緑色の光が微かに瞬いたかと思うとその直後には壁が刳り貫かれたかのように消滅していた!


「《ディスインテグレイト/分解》だと!?」


2メートルを超える分厚さの外壁が恐るべき呪文により分解され、街を照らす魔法の光が部屋に差し込んでくる。

俺の視界の片隅に、サイラスと思われる骸がカウンターの向こう側に転がっているのが映った。

命を失ったことによりチェンジリングとしての姿を晒したその肉体は、首から上が失われていた。足元を濡らす血はその断面から流れ出たものなのだろう。

そちらに気を取られた一瞬を見逃さず、男はたった今刳り貫いた壁の穴へと足を踏み出して行く。

やや小柄な成人男性に見えるが、先程不可思議な攻撃を放った左腕だけがシオマネキのように肥大化している異様なシルエットだ。

右手には白いザックを持っており、その膨らみ加減からしてこの店を狙った物盗りなのではないかと考える。

追うべきか、留まるべきか?

刳り貫かれた外壁部分に俺も踏み入ると、物盗りの男がソアスレッドを起動して宙高く舞い上がっていくのが見える。

僅かな思考の後、俺はこの物盗りを追うために同じように宙へと身を踊らせた。

壁面が消失したのは表通りからでも見えたのか、足元には騒がしい気配があるが構っている暇はない。

ブレスレットに収納していたソアスレッドを足元に召喚し、壁面に設けられたバルコニーから塔の外へと飛び出した男を追って水晶の円盤を翔けさせる。

天気は生憎の雨だが、物盗りの男の乗るソアスレッドの燐光はまだ十分に視界に捉えることが出来ている。

黒い装束に身を包んだその男は、無造作に伸びた髪を宙に翻しながら塔林の合間を飛んでいく。

俺が追っていることは察しているようで時折こちらを撒こうというのか狭い空隙に潜り込んだり塔の密集地帯へ飛び込んだりしているが、そのアンバランスな体格が影響しているのかコーナリングが甘い。

対してこちらは無手で荷物は全てブレスレットの中、"平衡感覚"もチートによりオリンピック級だ。

連絡橋をくぐり、密集している飛行ゴンドラの隙間に飛び込み、塔のバルコニーからバルコニーへと貫通するように進みながらも物盗りを追う。

時には塔の間に吊るされた洗濯物の壁を突っ切りながら、徐々にその距離を詰めていく。

道具の性能は同じでも乗り手の技量の差を活かすことでコーナリングを経る度に距離は縮まり、やがて近距離用の呪文の射程範囲内へと近づくことに成功した。


「(攻撃呪文は非致傷設定にする特技を習得していないからマズイか……。『精神作用』系の心術で味方と誤認させるか?)」


シャーンの街中で攻撃魔法を使用することは勿論禁じられている。それどころか、攻撃魔法を発動することの出来るワンド等を許可無く携帯することすら違法行為だ。

正当防衛であれば傷害事件に対する量刑も認められるが、俺はシャーン市民ではないただの旅行客に過ぎない。

強盗殺人の容疑者相手といえど、街中で危険な呪文を行使することには慎重になった方がいいだろう。

随分と激しく上下移動もしたが、まだここはメンシス高台の中層区なのだ。派手なドンパチは避けるべきだろう。

幸い心術系統は場合によっては詐欺罪には該当するものの、その立証責任は訴えた側にある上にこの状況であれば罪に問われるとも思えない。

ひとまず《チャーム・パーソン/人物魅惑》の呪文を使用してこの追いかけっこを終了させ、その後に無力化して警護団に引き渡せばよいだろう。

だが、この判断に費やした時間が仇となった。

選択した呪文を行使すべく集中に入ったその瞬間、俺目掛けて多数の矢が打ち込まれてきたのだ。

上方から飛んできたその矢の総数は12。回避すべくトリッキーな軌道で螺旋を描く。

矢の飛んできた方角を見やると、同じくソアスレッドを足場に弓を構えたノール──ハイエナの頭部を備えた二足歩行の獣人の姿が見えた。

アーケードゲームのD&Dにおいても頻繁に登場した典型的な悪役種族のひとつである。

6体のノールのうち半数は、上方を占めたまま《連射》によりこちらの進路を阻害するように弓を放ってくる。

残る半数はどうやら接近戦を行うつもりのようだ。彼らは弓からグレートアクスに持ち替え、こちらへと急降下してくる。


「活きのいい獲物だ、殺すなよ!

 生きたままカブリついて悲鳴を楽しもうじゃないか!」


「一番最初に傷を負わせたやつが最初の一口だ!」



連中は口々に叫び声をあげながら突っ込んでくる。

まさかまだ昼間といっていい時間、街中でこんな物騒な連中に出くわすとは思わなかった。

全員がソアスレッドに乗っており、余裕のあるその軌道を見るに連中は手馴れた空賊なのだろう。

前方を離れていく物盗りと無関係とは思えないが、こんなあからさまに足止め目的の連中の相手をするつもりは俺にはない。

足場が不安定な条件はどちらも同じ。数の利は相手側にあるようだが、大した訓練も積んでいないこの程度の相手であれば、俺の相手をするにはもう二桁は多く数を揃えるべきだろう。

とはいえ派手な呪文は使えない。ここは早々に連中の数を減らし、あの物盗りを追うことが最優先事項だ。


「一番乗りはこの俺だ!」


勢い良く突っ込んできたノールの振り下ろす斧を僅かにソリの軌道を逸らすことで回避し、交差するその瞬間に《足払い》を掛ける。

無論、ここは大地の上ではなく空中だ。姿勢を崩したノールは、哀れソアスレッドから転がり落下していく。運が悪ければそのまま地表に熱烈な抱擁を受けることになるだろう。

ほぼ体当たりの勢いで襲いかかってくる後続の二体にも、同様に《足払い》の洗礼を浴びせる。

一瞬の間に主人を失った3機のソアスレッドは愚直に直進を続け、やがて進路上の塔の壁面に激突して緑色の火花を散らした。

あっという間の出来事に、上空に留まるノール達も戸惑っているようだ。距離が離れていても動揺している気配が伝わってくる。

ソアスレッドは高価な品だし、落下していった仲間のこともある。この乱入者達は無力化したと思っていいだろう。

そう判断した俺は、今の交戦で生じた遅れを取り戻すべく物盗りの後を追った。

ノールの妨害で失った時間は数秒に過ぎないため、まだあの男の姿は視界に入っている。どうやら下層へと向かっているようだ。

先行するソアスレッドは中層に比べて明らかに太くなった塔を旋回するように下降すると、やがて連絡橋の入り口から塔の内部へと進入していった。

その後を追って突入した俺の目に映るのは、昼間から騒がしい歓楽街『ファイアーライト』の街並みだった。

昼間だというのに通りには肌を大きく露出させた街娼が立ち並び、空気はまるでアルコールに浸したかのようだ。

そこら中に見える居酒屋やカジノからは下卑た笑い声が響いている。

通りを歩く酔っぱらいたちは、頭上を飛び越えていく俺たちの姿を指さして話の種にしているようだ。傍から見ていれば野良レースにでも見えるのかもしれない。

先程の待ち伏せにより稼がれた距離はなんとか詰めた俺だったが、ここに来て状況は悪化した。

下層へ向かえば向かうほど建物の密度は増し、入り組んだ構造となる。そうなれば土地勘のないこちらが圧倒的に不利だ。

次々に現れる障害物を紙一重でやり過ごしながら追跡を続けるものの、一向に距離を詰めることが出来ない。


「(マズイな、このままだと振り切られるか……? だが相手も厳しいはず)」


おそらくは先程のノール達が追撃を防ぐための防波堤の役を担っていたのだろう。

だが実際には連中は薄紙1枚程度の働きしかすることが出来なかった。相手にとっては予想外の展開だと思いたい。

とはいえ、このままでは埒があかないのも事実だ。そろそろこの追いかけっこにも幕を下ろすべきだろう。

街区の中央にあるこの塔の中で一番派手な建築物、カジノ『ラッキー・ナインズ』の屋根に投影された呪文による幻像を突き破り、物盗りの後ろ姿を視界の正面に捉えた。

奴は前方にある建物の影に入り込もうとしているようで、やや勢いを落としながら姿勢制御に意識を傾けているようだ。その距離30メートルほどか。

狙っていたその状況を逃すまいと、俺は《高速化》した呪文を解き放った!


「追いかけっこはもう終わりだ!」


呪文により俺の肉体は一瞬この主物質界に隣接するアストラル界へと溶け込み、その直後に物盗りの正面に滲み出るように出現した。

《ディメンジョン・ステップ/次元跳躍》、術者を短距離限定ではあるが瞬間移動させる秘術呪文である。

コーナリングのためにソアスレッドの操作に集中していた男に、突如進路上に出現した俺を回避する術はない。

体格や身のこなしからして男の技量は一般的には優れているものの、エレミアにやや劣るといったところか。俺の敵ではない。

体当たりの勢いで接近した俺は、《突き飛ばし攻撃》により男を弾き飛ばそうと蹴り足に力を込めた。

狙い過たず、俺の足は男の体幹に吸い込まれるように進んでいく。男はザックを抱えた右腕で蹴りを防ごうとしたが、俺の見た目から威力を侮ったのだろう。

チートにより巨人族や恐竜並の筋力を誇る俺の攻撃を、腕一本で防ぐことなど出来はしない。

靴底から伝わる骨を砕く感触、そして庇った腕ごと胴体に足首まで捻じ込む勢いで蹴りが炸裂した。

無論そんな衝撃を受けて体勢を維持出来るわけがない。男はザックを手放し、折れた腕を抱えながら地面へと落下していく。

身につけた装具の『フェザー・フォール』の効果により緩やかに下降する俺の足元に、予め進路を操作しておいたソアスレッドが飛んでくる。

現在の高さは7メートルほどか。一般人であれば即死しかねない高さだし、あの男にとっても痛手だろう。

着地に失敗して足を痛めれば逃げることも出来なくなるはずだ。

そう考え飛行橇の上から落下する男を見ていた俺だが、男の行動は俺の予想を超えていた。

地面に激突すると思われたその瞬間、黒装束を翻すと地面へとその歪な左腕を叩きつけたのだ。

受身のつもりか、と思ったその直後。再び男の左腕を赤黒い燐光が伝うと、男の体を受け止めるはずだった床は跡形もなく消滅した!

落下の勢いそのままに、男は階下へと姿を消した。如何に機動性が優れたソアスレッドであろうとも、自由落下の速度には敵わない。


「逃がしたか!」


ソアスレッドを操作し、床の穴の縁へと近づく。階下はこのフロアと違って、天井の高さは大したことがないようだ。

狭苦しい空間では大勢の人間が歩いているのが見える。幾人かは突然天井の一部が消滅したことに驚いているようだが、そこに黒装束の姿は見えない。

透明化の呪文で姿を消したのならともかく、人混みを盾に逃げられたのであれば不慣れな土地での追跡は不可能だ。

あの異形は特徴的だろうが、聞込みをする対象が酔っ払いばかりでは効果も薄いだろう。

俺は一息ついて男の追跡を諦めると、蹴りの衝撃で彼が取り落としたザックへと近づく。

犯人の確保こそは失敗したが、ザックを確保できたのであれば最低限の目的は達成したと言っていい。

念のため、トラップの類が仕掛けられていないことを調査してからザックの中身を確認する。

だが追跡の結果手にしたこのザックの中には、大して価値もない工芸品の類が少々詰め込まれているだけだった。

相手の狙いにようやく気づいた俺は、《テレポート》の呪文により店の前へと舞い戻る。

その俺の視界には、開いた壁の穴から勢い良く炎を吹き出している外壁が映っていた。

多くの見物人が壁を取り巻く中、警護団が必死の消火活動をしているようだが効果は乏しいようだ。


「・・・・・・やられたな」


おそらくあの黒装束の目的は俺を引き付けておくことだったのだろう。

店内の俺の視線の届かないところにまだ仲間がおり、そいつらが仕事を終えるまでの間の時間稼ぎのためにあの逃走劇を演じたに違いない。

俺はその陽動にまんまと引っかかり、連中の思惑に乗せられてしまったということだ。

その稼いだ時間で連中は仕事を終え、価値ある品を回収した後に店に火を放って逃走したというところだろうか。

倉庫に貯蔵されている秘薬に火がついたのか、時折爆発音を響かせながらも炎はどんどんと勢いを増している。

万が一大爆発でも起これば塔の外壁部分が吹き飛び、大規模な倒壊を招くかもしれない。

外壁を刳り貫いたような店だっただけに、この部分の構造は弱くなっているはずだ。このままでは最悪の事態になりかねない。野次馬をしている連中にも徐々に動揺が広がっていく。

だが、その心配は杞憂に終わった。ウォーフォージドの警護団員が、《レジスト・エナジー》の呪文により火に対する抵抗力を付与されて炎の猛る屋内へと突進して行ったのだ。

警護団の一部門であるブラックンド・ブック──秘術犯罪に対する"対抗魔道師"で構成された部隊が駆けつけたことによる呪文支援だ。

いかなる魔法のアイテムを使用したのか、彼らが突入して数分の後には荒れ狂う炎はすっかりと姿を消した。

煤で汚れたウォーフォージドたちが外壁の穴に姿を現し、消火が完了した旨を伝えると見物客達は拍手と歓声を持って彼らを迎えた。

戦争のために造られた彼らウォーフォージドは、呼吸や睡眠といった生理的な活動を必要としない。その特徴と呪文による防護が、彼らに火中での消火活動を可能にしたのだろう。

ウォーフォージドは戦争が終結した後に人権を与えられ兵役から解放されたのだが、目の前に居る彼らは都市警護団の中に自らの生きる道を見出したのだろう。


「市民の皆さん、ご協力ありがとうございます。

 消火は無事終了しましたが、壁が一部脆くなっている恐れがあります。

 危険ですので外壁周辺には近づかないようにしてください」


警護団の分隊長と思わしき人物が、集まった野次馬達に呼びかけている。

どうやら騒ぎも一段落したようだし、俺もここを離れたほうが良いだろう。ザックの中身については後日届ければいいか。

そう考えて身を翻そうとしたところで、先ほどウォーフォージド達に呪文の援護を行っていたノームの男性が近づいてきた。

確かブラックンド・ブックの構成員の大半は4レベルの呪文使いだったと記憶しているが、目の前の人物はそれにしては隙のない様子だ。

動きやすそうなローブの上に、肩から腰に掛けてポーションやワンドが収められたベルトを装備している。


「失礼、私めはブラックンド・ブックに所属するハザル・ダリアンと申します。

 実は先ほどの火事について市民の方から目撃証言を頂いておりましてね。よろしければ捜査にご協力いただけませんでしょうか?」


言葉自体は柔らかいものの、このノームの瞳には強い警戒感が感じられる。 

俺があの黒装束を追って飛び出したことは目撃されていただろうし、重要参考人扱いというところだろうか。

下手をすれば犯人扱いということも考えられる。

視線をやらずとも、周囲の見物客に紛れてこちらを包囲するように展開している連中の気配を感じることが出来る。

どうやら何から何まで、選んだ選択肢が悪い方向へ結び付けられてしまっているようだ。

この場を離脱することは簡単だが、それでは自分に疚しい所があると宣言しているようなものだ。


「勿論、そういうことであれば協力させてもらいますよ。

 こちらからもお話に伺おうと思っていたところですし」


できるだけ相手の態度を友好的に保つべく、言葉を選んで対応する。ここから先は一挙手一投足が監視されていると判断したほうがいい。


「ありがとうございます。立ち話もなんですし、少し場所を移しましょうか」


そういってノームは一台の飛行ゴンドラを手配すると、俺に乗り込むように手で指し示した。

ゴンドラが向かうは『ウォーデン・タワーズ』。メンシス高台における都市警護団の本拠であり、彼らブラックンド・ブックの駐屯地でもある。



[12354] 3-3.塔の街:シャーン3
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2012/09/16 22:15
格子のはめられた窓からは、行進を号令する勢いのある声と行進曲が聞こえてくる。

この『ウォーデン・タワーズ』には、メンシス高台の治安維持を預かる450名の都市警護団員が所属している。

彼らの働きにより、この街域の治安は他に比べても幾分か良好だ。

下層の『ファイアーライト』でこそ違法な薬物の販売や「燃えるリング」と呼ばれるストリートファイトの賭け試合が行われているが、自分から危険に踏み込むようなことをしなければ安全に楽しむことが出来ると評判だ。

今も聞こえてくる戦闘訓練の掛け声は、当直の時間以外も彼らが自身を磨こうと努力している証だ。

実直で勤勉な若い衛視達は、自らの流した汗がシャーンの平和を維持する礎になると信じて今日も訓練に励んでいるのだ。


「なるほど。これがその男の腕にあったという紋様ですか」


俺が今いるのはその警護団が詰める砦の一角、取調室であろうと思われる一室だ。

机を挟んだ反対側にはハザルと名乗ったノームが腰掛けており、俺達の後ろにはそれぞれ2人の衛視が立っている。

求められたとおり武装解除したものの、警戒されているということだろう。

ハザルは俺が紋様をスケッチした紙をしばらく睨みつけたあとで一人の衛視に渡し、何らかの指示と共にその衛視を部屋の外へと送り出した。


「で、貴方はあの紋様を腕に持った男と追跡劇を繰り広げた結果、『ファイアーライト』で相手を見失った……そういうことでよろしいですな?」


目の前のノームは呪文により蒼い光を宿した目で俺を観察しながら質問を続ける。俺も使用していた《アーケイン・サイト》の呪文だろう。

これとは別に、壁に掛けられた鏡の向こう側から気配が感じられる。おそらくはマジック・ミラーの向こうから《ディサーン・ライズ/嘘発見》などの呪文が使用されているのだろう。

俺が呪文を使用すること以外にも、俺が心術などで操られているのではないかと言う点も警戒しているものと思われる。


「確かに、火事の現場に残されていたオーラは強力な火の呪文によるもの以外に壁の破壊に使われたと思われるものがありました。

 それが呪文ではなく、この……いわゆる『特異型ドラゴンマーク』によって引き起こされたのだとすると、これは恐ろしい話ですな」


『特異型ドラゴンマーク』、それは現存する12のドラゴンマーク氏族のいずれにも該当しない変種のドラゴンマークだと言われている。

かつてこの『特異型』によりシャーンは崩壊したことがある。マーク戦争、そう呼ばれる純血12氏族と特異型マークとの戦争が1500年前にあったのだ。

マーク氏族間の結婚により生じた混血マークや突如現れた特異型マークの存在を疎んだ純血マークの氏族達が、彼らとの間に戦争を起こしたのだ。

戦いは一方的で、それらの亜種マークの持ち主は一人また一人と燻り出されては狩られていった。

『ドラゴンマークは血筋によって発現する』というよく知られた話に則り、本人だけではなくその一族全てが殺された。

だが、その虐げられた特異型マークの人々を糾合した人物がいた。彼の名は"大地を揺るがす者"ハラス・タルカナン。

天才的な戦術家であったその男は、その妻と力を合わせて劣勢な戦況を覆し純血マーク氏族らを押し返すと、シャーンを掌握しこの街を特異型の牙城へと変えたのだ。

コーヴェア中の特異型マークの持ち主は、救いを求めてこのシャーンへと集結した。

とはいえ絶対数で劣る特異型達は、戦術レベルの勝利を収めることは出来ても最終的には追い詰められる事になった。

当時のシャーンを舞台とした最後の戦いの夜、タルカナンとその妻である"災いの貴婦人"はその身に秘めた特異型マークの力を一切の手加減無しに解放した。

その結果は恐ろしいもので激しい地震により都市は崩壊し、地の底にある炎の湖から溶岩流が沸きあがって包囲していたカニス氏族、デニス氏族、そして当時のブレランド軍を飲み込んだのだ。

溶岩流を逃れた者もどこからか現れた蟲の大群に貪り食われるか、あるいは恐ろしい疫病にとりつかれて無残な最期を遂げたという。

これによってマーク戦争は終結したが、未曾有の災厄に見舞われたシャーンにはそれから500年以上もの間、誰もが近寄ることは無かった。

コーヴェアを制したガリファー一世により瓦礫の上に都市が再建されてなお、地下の暗闇には"災いの貴婦人"の呪いが残っていると信じられていた。

こうした特異型マークの支配者達による伝説は多くの迷信とともに語り継がれていたが、いま現在となっては『特異型マーク』に対する偏見は薄れている。

殆どの特異型マークの発現者たちは、ちょっとした手品程度の力しか持ち合わせていないためだ。

だが、純血マークの上級マークに相当する特異型マークの持ち主が居たとしてもおかしくはない。

俺の知る情報では《分解》を再現する特異型マークは無かったはずだが、純血型の"シベイ"と呼ばれる強力なマークに相当するものが特異型にあることも当然考えられる。

とはいえ、断定することも出来ない。言葉を慎重に選ぶ必要があるだろう。


「実際には高位の秘術呪文使いだったかもしれないが、どちらにせよ壁を触れるだけで破壊したパワーは本物だ。あの手に掴まれたらと思うとぞっとするね。

 何にせよ、俺がその男を追ったときには壁の穴を除けば店の様子に異常はなかったから、俺の視線の届かないところにまだ仲間が潜んでいたんじゃないかと思う。

 そっちも特異型マークなのかはわからないがね」


無実を簡単に証明する手段はある。俺であれば遺体が残っていないサイラスであっても蘇生することが可能だ(本人が同意すれば、だが)。

とはいえ、そんなことが出来ると目の前の男に知られることは万が一にもあってはならないことだ。

ラピスに使用した《トゥルー・リザレクション》は最高位の蘇生呪文。このコーヴェアで使用可能な人間はシルヴァー・フレイム教会の長である"炎の護り手"以外にはいないだろう。

目の前のノームはともかく、この部隊の隊長はドリーミング・ダークの超能力者によって洗脳されたエージェントなのだ。将来敵対する可能性が高い連中に手の内が知られることは避けたい。

街中でのチェイス程度であれば問題ないが、チートについては知られないように立ち回る必要がある。


「先ほどの二つ以外に召喚術の残留オーラも確認されています。

 おそらくこれは下手人たちが《テレポート》の呪文で脱出した際のものでしょう。

 高位の呪文使いの関与する犯罪であれば、まさに我々の管轄です。

 構造物に対する攻撃は、このシャーンでは重大な犯罪行為。加えて殺人ともなれば、間違いなく極刑でしょうね」


このハザルはブラックンド・ブックの中でも捜査主任の役職についていたはずだ。

その科学捜査(?)は呪文の残留オーラなどを細かく分析し、使用された呪文などから犯人を追うというものだ。

確かこの組織はシャーンに存在する高位術者の動静を監視しているとかいう話がある。

それが真実であるならば、既に彼らにはある程度犯人の目星がついているのかもしれない。


「失礼します。ハザル主任、先ほどの件ですが……」


ノックと共に、先程外へ出て行った衛視が取調室へと戻ってきた。彼がハザルに何やら耳打ちして去ると、このノームの男は改めてこちらに向き直って口を開いた。


「今しがた、貴方の仰っていた事の裏が粗方取れました。

 確かにホテルには商会からの書状がありますし、ノールの空賊らにちょっかいを掛けられたという痕跡も発見しました。

 目撃者もいて、トーリ殿がハイエナ連中を衝突の際に下層へ落下させてしまったことは正当防衛だと認められるでしょう。

 貴方のような正義感の強い方が現場に居合わせてくれたことは、我々にとっては幸運でした。

 シャーン市民を代表して礼を言わせていただきますよ」


どうやら疑いは晴れたようだ。下手をすれば強引に濡れ衣を被せられる事も想定していたが、そこまでの仕込みは無かったようだ。

取調べ自体も公正なもので、ハザルの態度は常に紳士的だった。これから考えるに、今回の事件に俺が関わったことは相手にとっても想定外だったのかもしれない。

少しでも政治力のある連中が相手だとしたら、他人に罪を被せる絶好の機会を逃すような事はしないだろう。

ハザルの差し出してきた手を握り返し、俺は椅子から立ち上がった。


「それじゃあそろそろお暇しても構わないかな?

 今晩はディナーの後にカヴァラッシュでコンサートを楽しむことになっていてね。

 連れとの待ち合わせ時間が迫ってるんだ」


もうじき時刻は六点鐘が鳴る頃だろう。一度ホテルに戻って汗を流したいし、あまり余裕のある時間ではない。


「それは一大事ですな。では、出口まで送らせましょう。

 カーヴ、お客様がお帰りだ。所持品が返却されるのを確認し、出口まで送って差し上げろ」


ハザルが俺の後ろに立っていた衛視に声を掛けると、そのカーヴという男が俺を先導して歩き始めた。

切れ長の瞳がどこかエルフを思わせる容貌だ。ハーフとはいわずとも、先祖に血が混ざっているのだろう。

その優男の後ろを歩き、やがて門を出て中庭へと到着した。頭上に射した影に空を見上げると、二体のヒポグリフが空を舞っているのが見える。

そのいずれもが兵士を乗せている。シャーン警護団のエリート部隊、『金翼隊』だ。

馬と鷲の合成獣とでも形容すべきこの魔獣を駆る彼らは、偵察任務や空中犯罪に対処することを任務にしている。

その機動力はシャーンでも有数で、特に直線での加速力は都市を包む顕現地帯の魔力を取り込んだ飛行呪文すら上回る。

そんな彼らの勇姿を見上げていると、やがて建物から女召使が先だって預けた荷物を運んできた。

貴重な品は全てゴンドラに揺られている間にブレスレットの中に収納しているため、受け取る品はハッタリ用の長剣と背負い袋だけだ。

だが、腰のベルトに鞘を固定し背負い袋を背負ったところで女召使は白い皮袋を差し出してきた。

言わずとも知れた、物取りから回収したザックだ。


「それは俺のじゃないな。押収品として預けたつもりだったんだが」


「ハザル主任からの申し付けでございます。お持ちください」


一旦受け取りを拒否するもあっさりと否定され、差し出される皮袋。

中身が商会のものであれば返却すべきだし、そうでないなら物盗りを追う手がかりになるかもしれない品だ。

俺に渡すということは何らかの意図があるものだと思われるが……。


「解った。それじゃ持って帰るよ」


受け取りながらもこの品の処理に思考を巡らせる。

俺にこれを渡すことで何を狙っているのか?

駐屯地を出たところで捕まえた飛行ゴンドラに揺られながら、俺は今後の行動に頭を悩ませるのだった。










ゼンドリック漂流記

3-3.塔の街:シャーン3














約束の時間にはなんとか間に合い、噴水前でメイと落ち合った俺は再び飛行ゴンドラに乗ると《スカイウェイ》へと向かった。

今度の船頭はまだ年若い女性で、身に纏った簡素な白い胴衣が似合う美人だった。左胸に刺繍されている白鳥の紋章は組合のマークだろうか?

炎松とダークウッドというこの世界独特の素材で作られた船体の舳先には白鳥型の船首像が取り付けられており、広げた翼が艫に到るまでの舷側一杯に書き込まれている。

彼女の案内で天上街へと踏み入れた俺たちは『セレスチャル・ヴィスタ』で景色と食事を楽しみ、その後はメンシスへと降りてコーヴェア最高峰と呼ばれるオペラを楽しんだ。

大陸中から客が集まるという値千金のまさにプラチナ・チケットはメイがマーザの伝手で手に入れたと言う品物だ。

女優歴500年を超えるというエルフの歌姫はガリファー王国最後の王、ジャロットの愛人だったという噂もある伝説の域の人物。

一度見れば忘れられない美貌に、豊かに流れる髪は室内に差し込んだ月光のよう。エメラルドの双眸は例え客席と舞台が離れていてもこちらを惹きつける不思議な魅力を放っている。

纏った薄手のガウンは、彼女の完璧な造形に釣り合う衣服などこの世界に存在しないと言わんばかりに光の具合によって色調や姿を変える。

彼女の名はティアーシャ・ド・フィアラン。演劇界の生ける伝説。

ティアーシャにまつわる逸話には氏族が育んだ虚構もあるのだろう。だが、彼女の実力は紛れもなく本物だ。

ひとたび口を開けばその声は歌のように響き、聞くものを妙なる調べで夢見心地にさせずにはおかない。

今宵カヴァラッシュ・コンサートホールに集った聴衆は皆彼女の虜となったのだ。

幕が降りても観客は皆その余韻に身を浸し、ホールは完璧な静寂に包まれていた。

だが、その中の一人が金縛りから解けたかのように立ち上がって拍手を始めるとその動きはあっという間に観客中に伝染した。

まさに万雷とでもいうような拍手がホールを満たす。


「……本当に凄かったですね~」


メイもご満悦のようだ。

かつてとあるエルフの踊り手がその舞踏でフィーンドと契約した強大な巨人の王を盲にした、と伝えられているが今回の舞台はそれに優るとも劣らないだろう。

チートに身を固めた俺にも真似出来ない、専門家の真髄を見せてもらった。

エルフが一つの職能にその身を捧げれば人間とは比較にならないほどの研鑽を積むことが出来る。その集大成がマーザやティアーシャなのだろう。

メイの手を引いて立ち上がらせると、まだ体の芯に残っている感動に体を温められながらコンサートホールを後にした。

このホールは大学地区にあり、目の前にはモルグレイヴ大学の特徴的なドームとそれを取り囲む五つの塔が目に映っている。

数多くの飛行ゴンドラが客を乗せて飛び去っていく。魔法の松明の冷たい灯りに照らされたそれらの小舟が宙に舞うこの光景もシャーン特有のものだろう。

俺たちもゴンドラを使っても良かったが、今しばらく余韻に浸っていたかったためホテルまで徒歩で移動することにした。

隣の街区までであればそれほどの時間も掛からない。夜の大学構内をメイと腕を組んで歩く。高層地区を吹き抜ける風が肌に心地よい。

それぞれが五つ国の名を冠した塔のうち、ブレランドの名を冠した塔の屋上にあるコモンズ広場に辿り着いたが騒がしい昼間と比べてさっぱり人気がない。

遠目に見えるウレオン大聖堂からは灯りが漏れているが、それ以外は月明かりが周囲を照らすだけだ。

週末の夜ともなれば学生たちは下の階層に出かけるなりしているのだろう。公園には噴水の立てる水音だけが響いている。

だが俺の鋭敏な感覚は、公園に立ち並ぶ木立の中に何者かが潜んでいるのを感知した。

左右の木立に一人ずつ、気配を殺しているのがわかる。メイはまだ気づいていないようだ。


「(無関係な連中なら放っておくんだが……)」


昼間の出来事に関係した連中だろうか。いっそ敵だとわかっていれば今の時点で先手をとってしまうのが楽なんだが、街中で派手な呪文は使いたくない。

対応に悩みながらも歩みを進め、キャンパスの中心であるラレス記念堂へと続く橋を渡り始めたところで後方の連中に動きがあった。

足音を消しながら背後へと回り込む二人組。退路を断つようなその動きを気にしながら前方へ視線を向けると、そちらにはひとつの影が立ち塞がっていた。

目深に被ったフードからは顔を見ることは出来ないが、その体格から相当鍛えられた男性だと思われる。

袖から覗く手の甲は醜く爛れており、風が運んでくる彼の周りの空気は甘く腐食している。

明らかに不穏な気配を発しているその男を見て、メイも警戒感を露にして足を止めた。背後の連中は距離を詰めてくる様子はない。


「こんなに良い夜だってのに……気分を害するような無粋はやめて欲しいんだが」


コンサートホールを出た頃の高揚感はこの男の登場で一気に萎えてしまった。

だが相手はそんなことにはお構いなしとばかりに口を開く。


「何、ちょっとした野暮用さ。この街の新参者に、観光案内でもしてやろうかと思ってな。

 大人しくついてくるのであれば、痛い目に合わなくて済むようにしてやるぞ?」


音を発するために男のひび割れた唇が開き、その間からは半ば腐ったような歯が覗いた。

不気味な雰囲気を纏ったその男は、話し終えるとこちらに向かって歩み寄ってきた。

咄嗟にメイを庇うように前に出て、男の前に立つ。


「フン、あんたのそのナリじゃとてもガイドが務まるとは思えないな。

 後ろのお仲間を連れてとっとと穴ぐらに帰りな!」


口に出すことでメイに後方の警戒を促し、俺は目前の男に集中する。見たところ、刃物などの危険物を身につけているようには見えない。

秘術呪文に使用する物質要素が仕舞われたポーチなどを身につけている様子もない。だが、それでもなお男の放つ威圧感は俺に警戒させるに十分だった。

俺が柄に手を掛けた剣の射程距離に入る直前、それまでのゆっくりとした歩みから突然加速した動きで男が急接近してきた。

どうやらこの男は俺と同じモンクとしての訓練を積んでいるようだ。一気に剣の間合いのさらに内側まで踏み込んできた。

素手での格闘に特化したモンクという職業は一回の攻撃の鋭さこそ武器を用いた戦士に劣るものの、その四肢だけではなく体全体を武器として用いることで連続攻撃を行うことを可能にしている。

拳による打突を避ければその腕は軌道を変えて肘が迫ってくる。一歩後退してそれを避けると相手は更に踏み込んで肩から体当たりを行い、横に回って背後を取れば回転肘が迫ってくる。

途切れなく襲ってくる攻撃は、例えば術者であるメイでは接近されれば手も足も出ないだろう。

だが俺からしてみれば、出来の悪い扇風機に過ぎない。相手の気配から、次に放たれる攻撃は全て予測できた。

自分が体をどのように動かせばいいのか、またそれによって相手が次にどのように動くのかが手に取るように判る。

相手の攻撃は俺の纏うローブにすら触れることは出来ず、虚しく空を切るのみだ。


「(さて、どう対応したものか……)」


この連中の狙いは俺と思うが目的がわからない。昼間の事情は粗方ハザルに話してあるし、いまさら口封じでもないだろう。

ともあれ、相手は平和裏に交渉しようという態度ではない。ならば適度に無力化して話を聞く必要があるだろう。

だが俺が攻勢に出ようとした瞬間、次の攻撃の準備に引かれた男の拳の中に突如金属質の輝きが現れたのが見えた。

おそらく外套のポケットにでも潜ませていた投擲用のダガーを"早抜き"により取り出したのだろう。

あまりにスムーズに攻撃の一連の流れに溶け込むようにして行われたその動きは、俺ですら一瞬自分の目を疑うほどだった。だが驚いている場合ではない。

俺は終始メイを背に庇う様な位置で男と対峙している。俺が回避できないように、直線状に並んだ二人を狙うつもりだろう。

この至近距離での戦闘中では、放たれてから打ち落とすよりは腕そのものを払い、射線をずらした方がいい。

そう判断すると相手の手首に手刀を放ち、腕を払いのけた。弾かれたダガーは橋の欄干を飛び越え、虚空へと消えていく。

続いて反対の手で拳を作り、がら空きになった胴体に攻撃を叩き込もうとしている時に俺の視界に赤い輝きが飛び込んできた。

男の腹部を中心に、奇怪な模様が首筋まで這い上がっていくのがローブ越しにも確認できる。

同時に触れている男の手から、腐食のオーラが俺の体内へと流し込まれる。咄嗟に腕を放し後ろへ下がるが、どうやら遅かったようだ。

触れた対象の生命力を削る《ポイズン/毒》の呪文が、男の特異型ドラゴンマークのパワーにより発動し俺へと牙をむいた。


「少しは腕に覚えがあるようだが、いささか経験が足りないようだな。下たる竜からの賜り物を得た我が手に触れるとは愚かな男よ。

 体内に流し込まれた毒に苦しみながら、我らに歯向かった愚行を悔いるがいい!

 何、運が良ければ死にはしないだろう」


勝負あったと思ったのか、僅かに後退し勝ち誇るように男は口上を述べた。

今のダガーはこちらに腕を払わせるためのフェイクだったようだ。本命はその腕の接点から呪文による毒を流し込むことだったのだろう。

繰り広げた派手な動きに男が被っていたフードがめくれ、顔が月下に晒されている。顔の肌も手の甲同様爛れており、その凶相は異形と見紛う程だ。

おそらくは体内に宿した特異型ドラゴンマークの副作用だ。火や恐怖、そしてこの毒といった負の魔力源を身に宿すことの危険性がこの男の姿から見て取れる。


「トーリさん!」


メイの声に背を押されるように前方に倒れこむ……フリをして男との距離を詰めると、その油断した顔に握りしめた拳で一撃をお見舞いした。

予期せぬ反撃だったのだろう、鼻頭に攻撃を受けた男は後ろへ吹き飛んだ。

男を殴りつけた手には、月光を照り返して輝く魔法の指輪がはめられている。《プルーフ・アゲインスト・ポイズン》と《グレーター・フォルス・ライフ》の効果を兼ね備えた逸品だ。

毒を無効化し、仮初の生命力を付与するゲーム中のランダム生成品の中では相当に便利な品物だ。それぞれの効果はそれほどの価値がなくとも、装備スロット一つで複数の効果を得られると言う点が素晴らしい。

そしてゲーム中ではありふれたその効果だが、この世界ではそのいずれもが存在しないか希少な能力だ。俺が常に装備を心がけているアイテムの一つである。

まぁ実際にはこの装備がなくとも生来の抵抗力(セービング・スロー)で無効化できたのではないかと思うが。


「随分と自信がある能力だったようだが、俺をどうこうしようってのは思い上がりだったようだな。

 毒が通用すると思っているなんて、随分と生温い連中の相手しかしてないんじゃないか?」


"威圧"するようにわざとゆっくり歩みを進める。男は出血している鼻を抑えながら今ようやく立ち上がったところだ。

今の俺の素手打撃の威力は一般的な長剣並である。全力で強打したため普通の人間であれば瀕死になる威力ではあるが、目の前の男は鍛えているだけあってインパクトの瞬間に衝撃を逃がしていた。

見た目の出血こそ派手ではあるが、戦闘に支障はないはずだ。

先ほどの能力からこの男の所属についてはもう見当はついているが、念のために確認を取りたい。

距離を詰める俺に対して、こちらの実力を見誤っていたことに気付いたのか目の前の毒使いは慌ててバックステップを行った。


「成程、思っていた以上に腕は立つようだな。だが、貴様は我々を敵に回すと言うことがどういうことか全く理解していない……」


そう言うと男は歯を食いしばり、再び体に宿したドラゴンマークに力を込めた。先程よりもさらに凶々しく、男の胴体を赤い輝線が走っているのが見える。

再びその身に宿した特異型マークの効果を解き放とうというのだろう。赤黒い輝きが男の体を舐めるように明滅しながらその存在感を増していく。

だが男が力を解き放とうとした瞬間、空から差し込んでいた月明かりが消えた。頭上を見やると、巨大な生物が翼を広げて上空を滑空している。

黒い翼を広げたその生物はラレス記念堂から舞い降りると、俺と男の間に立ち塞がった。

胴体は巨大な黒猫、首から上は美しいエルフの乙女。だが、その顔の大きさをエルフの肉体に合わせればその身長は3メートルを超えるだろう。

闇を彩った長い髪は後ろへと垂れ、背中に広げられたカラスのような漆黒の翼に混ざり合っている。体に僅かに走るオレンジ色の縞模様は彼女が体を揺らす度に波打ち、まるでゆらめく炎のようだ。


「わが寝所の近くにて無作法な振る舞いは許さぬぞ」


女性のスフィンクス──ギュノスフィンクスと呼ばれる、高い知性を持った大型の魔獣だ。生来争いを好まない種ではあるが、いざ戦いとなれば鋭い両前脚の爪と呪文の力で敵を打ち倒す強力なクリーチャーでもある。

黄金の瞳がこちらを探るように覗き込んでいる。その存在感は並のクリーチャーなど比較にならない。


「チ、邪魔が入ったか……。

 運が良かったな、新参者よ。だがその幸運がいつまでも続くとは思わぬことだ!」


捨て台詞を放つと、男は橋から身を翻して暗闇の中へと落下していった。逃げ出したのであれば追うのも一つの手ではあるが、眼前のクリーチャーは無視できる存在ではない。

前回の不手際もあるし、深追いはせずに目の前の状況を片付けるべきだと判断し、ひとまず会話を試みる。


「騒がせて済まなかったな。妙な連中にちょっかいをかけられて困ってたんだ。助かったよ」


メイが牽制していた連中の姿は既にない。彼らも先ほどの男同様、姿を眩ましたようだ。


「フレイムウィンド!」


俺の背中越しにメイがスフィンクスに呼びかけた。どうやら知己であるらしい。

サプリメントや小説に登場するこのスフィンクスは確かモルグレイヴ大学に住んでいるらしいし、そこの学生であるメイと親交があってもおかしくはない。


「久しいな、秘術の深奥を学ぶ娘よ。そなたが我が故郷である砕かれた大地へと向かって以来か」


メイの姿を見たスフィンクスは僅かにその喉を鳴らすと橋の上へと身を伏せさせた。とはいえ、その巨体からして視線を合わせるには見上げなければならない。


「二ヶ月ぶりですね、お久しぶりです~

 そういえばまだ無事に戻った挨拶に伺ってませんでしたね。元気にしてましたか?」


メイの口ぶりはまるで友達に対するそれである。このスフィンクスは大学でゼンドリックの歴史についての講義をしている他、本を出版したりなどもしていると聞く。

彼女の性格であればこの距離感も有り得なくはないか?


「メイ、知り合いか?」


一応確認しておく。サプリメントと小説で登場しているのである程度把握しているとはいえ、紹介してもらった方が自然だろう。


「はい。そこのラレス記念堂に住んでらっしゃるフレイムウィンドさん。

 見ての通りのスフィンクスで、ゼンドリックから大学の調査隊に同行してこちらにいらっしゃったんです。

 私が旅に出る際にも助言を頂いたんですよ~」


このスフィンクスは非ドラゴンでありながらも"ドラゴンの予言書"を研究する数少ない存在である。

また彼女自身にも制御出来ない予言的知覚を備えており、どんな事を知っていてもおかしくないと登場した書籍には解説されている。

余計なトラブルを抱え込まないために接触は避けていたのだが、こうなってしまっては仕方ないだろう。


「はじめまして、トーリだ」


とりあえず当たり障りのない挨拶を行っておく。


「礼は不要ぞ、上たる竜の申し子よ。

 ここは今は我の領域であり、その乱れを正すは我が役目でもある」


彼女が上体を揺らすと、首から下げている3本の鎖が月明かりを反射して輝いた。金、銀、そして黒く輝くアダマンティン。

その首飾りがもたらす光の明滅は、この神秘的なクリーチャーの存在感を高める役割を果たしているようだ。


「メイよ、そなたは南方で良き出会いに恵まれたようだ。

 汝の運命の火は混じり合って炎となり、より一層輝きを増すだろう。

 だが注意せよ、南方の大地の下にも悪鬼共は眠っている。

 再び大地が砕かれることがあれば、彼の者たちは地上へと溢れ出すだろう。

 13番目の月が欠ける時、黄昏の門から訪れる者たちに注意せよ」


まるで詠うようにスフィンクスは言葉を紡いだ。語られた言葉のいくつかのフレーズには、ゲームの知識からして思い当たる点がいくつかある。これが彼女の"予言"なのか?

その意図を察しようと彼女の言葉を反芻していると、次にスフィンクスは俺の顔を覗き込みながら言った。


「そしてトーリよ、汝の強き輝きが遙か海の彼方で燃え上がったのは見ていた。

 その光によって眼を焼かれた者たちも多いことだろう」


俺のことが知られている!?

憂慮していた事態が現実になっていたことで、背筋を氷柱で貫かれたように感じた。

このスフィンクスの超知覚の裏側には妖精界を統べる女王をはじめ、多くの"力あるもの"の影が見え隠れしている。そんな連中の興味を引いているなど、考えたくなかった状況だ。


「……光栄だ、なんてとても言える状態じゃないな。

 ストーカーの心配をしなくちゃいけないなんてね」


まったく、うんざりする話だ。だが、続くスフィンクスの言葉は俺の懸念を幾分か和らげてくれた。


「安心するがいい。"白剣"の鞘が汝を包んでおり、今となっては直に眼に捉えねばその炎を見ることは適わぬ。

 だがそれ以前に放たれた汝の光はこの"中たる竜"を照らし、いままで影に隠れていたものを僅かな間とはいえ浮かび上がらせた。

 そのことは努々忘れるでないぞ。

 そして汝の刀身は鋭く、やがて鞘はその役目を終えるだろう。それまでに汝は新たなる鞘を見出さねばならぬ。

 強すぎる光は暗がりにいる者たちを招き寄せる。抜き身の刃は汝自身とその周囲を等しく傷つけるだろう」


彼女はそう言うとその四肢で立ち上がり、翼を広げた。


「既に"下たる竜"の顎が汝の踝を包んでいる。

 汝がこの地で望みのものを得るためには一度深淵に潜らねばならぬ。その顎に飲み込まれるか、打ち勝つかは汝次第だ。

 だが、それを成さぬのもまた汝の選択次第である。

 運命とは炎のごときもの、風を受け揺らぐ。強き炎ほど刻々とその姿を変え同じ様相を持つことはない。

 汝自身でその炎を御し、自らの成すべきを選ぶがいい」


差し渡し10メートルを超える漆黒の翼がその四肢による跳躍と共に羽ばたくと、彼女の姿は一瞬で視界から消えた。

頭上からは彼女の翼から抜け落ちた何枚かの羽が舞い降りてくる。一方的に喋るだけ喋って、おそらくは寝所であるラレス記念堂の天蓋に戻ったのだろう。


「あらら、久しぶりにもっとお話がしたかったのですけれど。

 行ってしまわれましたね~」


少し寂しげなメイの言葉が後ろから聞こえてくる。彼女は"予言"を軽いアドバイス程度に考えているのだろう。

俺もそう出来ればいいのだが、今の彼女の"予言"についてはいくつかの解釈が考えられる。余計に気を回してしまう自分の性分がこんな時は少し恨めしい。

だが、いまここで考え悩む必要はない。先程の連中は去ったとはいえ、夜の街では厄介ごとに遭遇する可能性も高い。寄り道はせずにホテルへ帰るべきだろう。


「……とりあえず、帰ろう。

 今日は一日で色んなことがあったし、ホテルの部屋でゆっくりしたいよ」


本来であれば《テレポート》でも使いたいところだが、慣れ親しんだ部屋への転移にも失敗率は存在する。

普段ならあまり気にしない程度だが、このツイてない時にはそんな些細な可能性も考慮した方がいい。

失敗率のない《グレーター・テレポート》のスクロールも用意はあるが、流石に補充の厳しそうな有限のリソースを費やすのは勿体無い。


「そうですね。もう大した距離ではないですけど、またさっきの人達みたいな事があると厄介ですしね~。

 でもお馬さんを出すのに10分は掛かりますし、そうなると飛んで帰った方が良さそうですね」


メイが言うお馬さんは《ファントム・スティード/幻の乗馬》あるいは《イセリアル・マウント/エーテルの乗馬》のことだろう。

どちらも彼女の得意とする"召喚術"に属する呪文で、普通の馬の何倍ものスピードで移動可能な半実在の乗騎を召喚する効果を持つ。

その移動速度は非常に魅力的だが、召喚に要する10分という時間がこの場合は問題だ。


「じゃ、そうしようか。メイ、こっちへ」


仕方なく乗騎の召喚を諦めて、飛んで帰ることにする。普通であれば《フライ》の呪文を使うのだが、ここはシャーン。紺碧の空に包まれた街だ。

自前で飛行呪文を使用するより、シャーンの特性を活かしたマジックアイテムによる飛行の方が移動は早い。

俺は初めて出会ったクエストの時のように彼女の体を抱き上げると、ここ数日で随分と乗り慣れたソアスレッドを起動しホテルへと向かったのであった。



[12354] 3-4.塔の街:シャーン4
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/06/07 19:29
窓を打つ雨粒の音で目が覚めた。今日もシャーンは雨模様のようだ。初日と昨日は青空が広がっていたが、それ以外はずっと雨が降り続いている。

ベッドの隣で、メイはまた俺の腕を抱き抱えるようにして眠っている。昨晩は遅くまで起きていたため、疲れているのだろう。

雲に隠れていて見えないが、まだ日は昇ってそう経っていないはず。もうしばらく寝かせておいてあげたほうがいいだろう。

俺も目を閉じ、昨日起こった出来事について思考を巡らせる。とりあえず、必要なのは情報だ。

土地勘がない事もあるし、メイの占術のみを頼りにするわけにもいかない。

敵方に高位の信仰呪文使いがいた場合は相手が神託を受け取っていることも考えなければならない。秘術呪文と信仰呪文では、情報収集の能力に大きな差があるのだ。

一旦ゼンドリックに戻ってルー達の助力を受けることも考えたが、祖霊との繋がりで力を行使する彼女の力がこのシャーンでどれだけ発揮出来るか分からない上、ドラウの姿はこの街では目立ちすぎる。

この件は、いまシャーンにいる俺とメイだけで片付ける必要があるということだ。

俺は隣で寝ている彼女の温もりを感じながら、今日行うべき行動について一つずつ確認していくのだった。










ゼンドリック漂流記

3-4.塔の街:シャーン4














朝食をとった後にホテルを出て、まず向かったのは昨日炎上した商会跡地だった。

リフトを用いて《メンシス中層》へ下り、街区を抜けて『エヴァーブライト』へと移動する。

この街区はいつ来てもその様相に変わりが見えない。エヴァーブライト・ランタンの冷たい灯りが街中を照らしている。

街区の隅で起こった火事や強盗のことなど気にも掛けていないようで、通りを歩く人々などの様子は先日と変わっていないように見える。

警護団から渡された白いザックを片手にしばらく街中を進んだ後、大通りを離れ商会のあった塔の外壁へと到着した。

壁面の穴はまだ修復されていないようで無残な傷跡を晒しており、崩落の危険性を考慮してか現場周辺は立ち入りを禁じる黄色いロープで隔離されている。

秘術的視覚を通じてうっすらと見える防御術の輝きは《アラーム》の呪文によるものだろう。視界に映る範囲に見張りは居ないようだが、侵入者がいればすぐさま都市警護団が駆けつけてくるのだろう。

ひょっとしたら移転の案内なんてものがあるんじゃないかと思って立ち寄ってみたのだが……やはり楽はさせてもらえないらしい。

落胆とともに踵を返し、俺は再び移動を開始した。





再びリフトに乗り、下層に降りてきた俺は《ファイアーライト》の大通りを歩いていた。まだ朝に近い時間帯だというのに、この街区の空気は相変わらずだ。

太陽の光の差し込まない塔の下層部、きらびやかな居酒屋や娼館、カジノの照明だけが周囲を照らしている。


「あら。浮かない顔ね、お兄さん」


そんな俺に声をかけてきたのは、肩から背中にかけて派手に露出したドレスを着た若い女性だ。四肢を覆うべき部分には所々カットが入っており、瑞々しい肌が目に眩しい。

ブレランドは温暖な気候であることから肩を出す程度の露出の服装は当たり前にその辺りで見られるが、この女性の服装はそれらとは一線を画している。

特定の職業についていることを明示しているのだろう。それでいて切りそろえられた黒い長髪は腰元まで伸び、少し大人びた少女の容貌がアンバランスな魅力を放っている。


「おっと、顔に出てたかな?

 最近トラブルに見舞われてね、スムーズに事が進まない事ばかりで困ってるんだよ」


昨晩メイにザックの中身を触媒に《スクライング/念視》の呪文を使ってもらったが、焦点具として用いた大きな銀の鏡には何も映らなかった。

この品の持ち主が念視に抵抗したのか、それとも既に死亡しているために失敗したのかはわからない。何にせよ、楽な手段での追跡は出来ないということだ。

ザックの中身が手掛かりになるのではないかと期待していたのだが、それ自体は魔法の掛かっていない普通の工芸品で細工も見当たらない。

念視の触媒として使用出来なかった以上、情報の入手には他の手段を取る必要がある。俺はそのためにここ《ファイアーライト》に足を運んできたのだ。


「それじゃ少し休憩していっては如何?

 心の洗濯をしたらいい考えが浮かぶかもしれませんわ」


そういって女性は俺の腕を取り、体に押し付けるように抱え込むと近くの大きくはあるが質素な外見の建物へと連れていった。

入り口を潜った所、建物の最初の部屋は大広間になっており散らばるように配置されたソファには何人かの麗しい女性が腰掛けて思い思いに時間を過ごしている。

まだ昼前ということもあり、椅子の数の割に女性の姿はあまり多くない。外装とは異なった雰囲気の落ち着いた広間を、中央に吊り下げられたシャンデリアからの暖かい光が照らしている。

中央の見通しのいいテーブルに案内された俺はそこで飲み物を振舞われた。個室に案内されるまでの間はここで寛いで、誰か好みの女性がいれば指名しろということらしい。

リクエスト通りの口当たりの軽いアルコールを飲みながら広間を見渡して俺の目的に適いそうな女性を検分して一人を指名し、豪奢なカーペットに覆われた階段を腕を引かれながら登っていった。





「ねぇ、トーリ様は冒険者でいらっしゃるのよね。

 冒険の話を聞かせてくださらない?」


シャワーで汗を流しているところに、ネレイドと名乗った女性が話しかけてきた。

結局俺が指名したのは、俺をこの娼館"ネプトゥナリア"に招き入れた女性だった。

素肌の上に薄手のシーツを胸元まで持ち上げただけの状態で、先ほどまでの名残かやや上気した顔で半身を起こしているその姿はとても扇情的だ。

案内された部屋は高級ホテルと大差ない、スイートルームだった。唯一の違いは、部屋を仕切る壁の類が一切取り払われているところか。これでもスイートというのかは難しいところではあるが。

寝室に隣り合った浴場にある獅子の口からは温かい水が広い浴槽に注がれ、嫌味にならない程度に観葉植物が飾られている。

部屋の外枠をなす壁の一面は曇りガラスのようになっており、灯りはその向こうから差し込んできている。この部屋にいると外の陰鬱な天気のことなど忘れてしまいそうになる。


「そうだな……大して面白い話じゃあないんだが」


すっきりしたところで寝室の方へ戻ろうとすると、ネレイドは立ち上がって甲斐甲斐しく俺の体の水滴を拭き取ってくれる。

体に触れるタオルの感触が柔らかく心地よい。こうしているとこの世界がファンタジー世界であることを忘れてしまいそうだ。

お金さえあれば現代同様の空調完備、衣食住の整った暮らしを送ることが出来る。

グレイホークやフォーゴトゥンレルム等、他の有名なD&D世界ではこうはいかなかったのではないだろうか。それだけでもまだ俺は幸運だと思える。

枕元にはいつの間にか程よく冷えたキールが用意されていた。舌先でカシスの甘い味わいを楽しみながら、言葉を選んで口を開く。


「今関わっているのは冒険というよりはちょっとした面倒事ってところかもしれないな。

 "ここ"に来たのも、ちょっとした手がかりを探そうと思ってなのさ」


うつ伏せで上体を起こした姿勢でワイングラスを傾けていると、ネレイドは俺の肩に顎を寄せ、耳元に息を吹きかけるように顔を近づけてきた。


「あら、ひょっとしてお誘いしたのはお邪魔でしたか?」


鈴を転がしたような声が耳元から発せられる。耳たぶに触れるか触れないかの位置で彼女の小さな唇が動いているのを感じる。


「いや、君と出会えたのは幸運だったな。おかげで探し物も見つかりそうだよ」


僅かに液体を残したグラスを枕元のテーブルに置くと、ネレイドは俺をそっと押して仰向けに転がし胸元にその顔を寄せてきた。


「トーリ様、お上手ですわね」


胸元に顔を埋めた彼女の表情はこの体勢では窺うことが出来ない。視界に映る豊かな黒髪には、照明の光が反射して綺麗な天使の輪が描かれている。

彼女が洗髪に使っている石鹸か香料の匂いだろうか。心を落ち着ける香りが漂ってくる。


「いや、今の言葉はお世辞でも何でもないよ。俺が君を選んだ理由もそこにあってね」


よく手入れのされた黒髪に指を通しながら、言葉を続ける。


「君みたいな人と、その友達を探してたのさ」


俺の言葉を受けて顔を上げたネレイドの瞳には特にこちらの言葉に対して反応は見られない。だが、俺の感覚は確かに彼女の気配が一瞬揺らぐのを感じ取った。


「あら、どのコの事かしら。

 他にもお目当ての者がいたのでしたら、最初から二人でおもてなしいたしましたのに。

 トーリ様を独占できなくて、少し残念ですけれど」


少し拗ねたような表情を作りながらネレイドはこちらに顔を近づけてくる。胸元で柔らかな感触が押しつぶされ、形を変えていく。


「そうだな、とりあえず後でもいいから紹介して欲しい人が居るんだ。

 俺は"タイランツ"に用があってね」


俺がその名前を出した途端、ネレイドの顔が近づいてくるのが止まった。

そして一呼吸の後に動き出した彼女は俺の頭の両サイドに手をつき、覆いかぶさるような姿勢になって俺の目を覗き込んできた。

重力に従って垂れ下がった髪が肩口から零れ落ち、まるで二人の顔以外を周囲から切り離すカーテンのようだ。


「……どうしてトーリ様は、私がその方に縁があると思われましたの?」


小さく整った顔に対して、大きく見開かれた瞳が俺を映している今の彼女からは先程までの甘えた気配は一切感じられない。


「そう複雑な事じゃないさ。この手の店は何らかの形で彼らとの関わりがあるだろうしね。

 向こうもこちらに興味があるだろうことは判っていたし、声を掛けてきた君の事を考えればその確率は高いだろうと思ったのさ」


《ファイアーライト》に入る以前から、既にこちらを観察している視線は捉えていた。種族を偽装したチェンジリング達が俺を観察していたのだ。

これ見よがしに戦利品を抱えて街を練り歩いた甲斐があったと言うものだ。

今もまだ彼女たちが俺の敵である可能性は低いわけではない。だがそうだったとしても別に大した問題ではない。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。例えそれで親虎が出てきたとしても倒してしまえば良い。その程度のリスクは十分に許容範囲だ。


「それじゃあ、私はまんまと貴方と言う餌に食いついてしまった間抜けな獲物ということかしら。

 その獲物に逆に喰い殺される、とは考えませんでしたの?」 


彼女の細い指が俺の耳元から頬を撫でるように動きながら下げられていき、ネックレスで飾られた首元で静止した。


「……試してみるかい?」


口元に僅かに笑みを浮かべながら問いかける。お互い衣服を纏わぬ姿。僅かな装身具のみを身につけ、指先から肘までにも足りないほどの短い距離で触れ合っている。

お互いの事を探るように見つめ合う。彼女の瞳に映る俺の姿は自信あり気に笑みを浮かべている。ひょっとしたら瞬きの後には殺しあっているかもしれないというのに、余裕の表情だ。


「───止めておきますわ。どうも、分が悪そうですものね」


見つめ合っていたのはどれほどの時間だっただろうか。やがてネレイドは瞳を閉じ、腕から力を抜くとこちらへと倒れかかってきた。

彼女は耳が擦れ合いそうなほどの間隔で顔を枕に沈めた。先程までの緊迫した気配は霧散している。


「(ふう。とりあえず第一関門はクリアー、ってとこか)」


内心どう転ぶかと思っていたが、なんとか平和裏に接触を取ることが出来たようだ。

一方の手に"はったり"技能に修正を得る指輪、残る指輪とネックレスに各種耐性装備などで身を固めていたため身の安全には自信があったが、交渉を上手く進めることが出来るかが判らなかったのだ。

出たとこ勝負になってしまっているが切れる手札の数は限られている。出来ればエースやジョーカーは最後まで温存しておきたい。

"タイランツ"とは、ドッペルゲンガーやチェンジリングといった変身能力を持つ種族のみをメンバーとして受け入れる謎に満ちた組織だ。

目の前の彼女もチェンジリングであることは、《トゥルー・シーイング》の付与されたゴーグルを装着していたことで確認出来ている。

下の広間にいた女性たちも皆同じだ。その中からネレイドを選んだのは、彼女がその身に纏っている術者としてのオーラが一際目立っていたからだ。

《アーケイン・サイト》の呪文は精神を集中しながら観察を行うことで対象の大凡の術者としての技量を知ることが出来る。

このエベロンで本物の呪文使いは希少だ。メイほどではないといえ、この館で働いており希少な呪文使いであるということはそれなりの地位にあるのではないかと言う読みだ。


「さて、それでトーリ様は私達に何を求めていらっしゃるのかしら。

 夢百合でも竜血でも、お望みのままにご用意いたしますわよ。それとも、今必要なのは新しい顔と身分証明書かしら?」


頭半分を枕に沈めたまま、ネレイドはこちらを向いて口を開いた。

今彼女が口にした『夢百合/ドリームリリィ』、『竜血/ドラゴンブラッド』はいずれもシャーンでは禁止されている違法ドラッグである。

特に後者はあの"オース・オヴ・ドロアーム"を鍛えたドロアームのハグ達が作り出したと言う強烈な品だ。

また彼らは様々な品の"偽造"の達人であり、身分から信用状、それに整形術にまで通じている。

逃亡者の過去を抹消して新しい素性を用意し、整形に加えて周辺人物までエキストラを用意して演じることでその身分に説得力を持たせるなど、芸が細かい。

一方で哀れな犠牲者から本物の身分証明書を盗み出し、偽物をこっそりポケットに入れておく……こんなことを当たり前のようにやってのける有能で危険な組織だ。

だが俺に必要なのはそんなものではない。俺の探しものは彼女たちの取り扱う中でも最も価値が高いもの、『情報』なのだ。

"タイランツ"がシャーンで活動を開始して300年間、売春宿のほとんどを傘下におき、都市中にスパイ網を張り巡らせ、種族特性である精神感応能力を駆使して彼女たちは様々な秘密を手にいれているという。


「俺は"トワイライト商会"で起こった厄介ごとに巻き込まれているんだ。

 もしサイラスに友人がいて、落とし前をつけようと考えているなら協力できるんじゃないかと思ってね。

 俺としても注文の品物が届かないのは困る。取引を邪魔した連中には、それなりの対応をしておかないとな」


俺はサイラスもこの"タイランツ"の構成員ではないかと考えている。

あの店は非合法な品も取り扱っていたが、その手の店を経営するのに裏の組織の影響を受けていないとは考えにくい。であらば、彼の氏素性からしてこの組織が最も近いだろう。

今から改めて別の店を探し、その店が仕入れを行うまでに掛かる時間はどれだけだろうか? 要求する質と量のことを考えると非常に難しいだろう。

そして、あのフレイムウィンドの予言。安全を重視するのであれば尻尾を巻いてストームリーチへ逃げ帰り、コイン・ロードに名を売るのがいいのだろう。

あるいはいずれかのドラゴンマーク氏族に取り入る、という手段もある。だが、俺はそのいずれも選択しなかった。

予言では俺が望みのものを手に入れる可能性が語られていた。ならば、それを実現させてやればいいのだ。


「……そうですわね。確かにそんな人達に心当たりはありますわ」


こちらにしなだれかかるようにしながらネレイドが呟く。

再び両手が俺の首へと回され、口づけするような距離まで顔を近づけながら彼女は続けて口を開いた。


「でもその前に時間も十分に残っていることですし、当店でのサービスを満喫いただかなくては。

 ベッドの上での"交渉"で遅れをとったとあっては、仲間たちに顔向けできませんもの」


先程とは違った悪戯気な表情で彼女は微笑む。


「……お手柔らかに願います」


俺に出来ることは苦笑を浮かべることだけだった。





何度かの鐘が時刻を知らせるために鳴り響いた後、俺は《タヴィックス・ランディング下層》にある『ドラゴンアイズ』という歓楽街に来ていた。

『ファイアーライト』同様に多くの売春宿や賭博場で賑わう街区であるが、こちらのほうがより退廃的な雰囲気を漂わせている。

貧民層向けの娯楽を提供する店で占められた通りを超えたすぐ先には、他の街区などからきた裕福な客向けの洗練されたサービスを売りにする店舗が並んでいる。

この街区は通りや角を一つ違えるだけで、その印象を様々に変容させる混沌とした街だ。ある意味"タイランツ"が本拠を構えるに相応しい街区だと言える。

彼らは裏に属する組織として不動産を各地に分散させて所有しているが、ここ『ドラゴンアイズ』には"シフティング・ホール"という建物を一つ構えている。


「トーリ様、こちらですわ」


手を引くネレイドに案内され、俺は街並みに溶けこむようにひっそりと佇んでいる建物へと足を踏み入れた。

一切の目印も特徴もないこの建物は、予めそうと知らされていなければ辿り着くことは困難を極めるだろう。相当の土地勘が必要だ。

建物の中はビルのように多数の部屋で構成されていた。その全ては建物の外観同様なんら目印がない。

階段をいくつか上り、クローンのように同じ表情を纏った部屋のドアを通り過ぎる。

通路も真っ直ぐではなく微妙に上下左右と歪められており、果たしてこのまま反対側の階段に突き当たったところでそこが同じ階になっているかも怪しい。

一度この建物を出てから別の入口に案内され、もう一度同じ部屋に入れといわれても難しいだろう。それほどこの建物は厄介な構造で内装には個性という概念が欠落していた。

真っ直ぐ歩いているはずなのに足の裏には傾きを感じる。これもセラニスの顕現地帯を利用したなんらかの特殊な工法なのだろうか?

平衡感覚に優れていなければ、ただ歩いているだけで酔いそうになるに違いない。

夢で見たらホラーであること間違い無しのそんな建物の中を歩くこと10分ほど、ようやく目的地に到着したようだ。

そろそろ見飽きた同じ見た目のドアの一つをネレイドがノックし、返事を待たずにノブを回すと中へと入っていった。俺もその後に続く。

部屋の中央には粗末なテーブルとソファが一揃い。奥の壁の上方にはガラスが嵌め込まれた窓があり、微かな魔法光がそこから室内を照らしている。


「お客様をお連れしましたわ、お父様」


ネレイドの言葉を受け、ソファに身を沈めていた男がその顔を上げる。エルフの特徴的な尖った耳に鋭い目。

彼はテーブルに置かれた二つのコップにお茶を注ぎ終わるとこちらに声をかけてきた。


「お久し振りですねトーリさん。再会を祝してまずはこのお茶でも如何ですか?」


目の前に立っているのは死んだはずの店主、サイラスの姿をした男だ。香ってくる匂いはあの時店内で飲んだ烏龍茶と同じ。

だが、ゴーグルを通した俺の目には真実が映っている。目の前の男は明らかにあの時のサイラスと別人だ。

何故なら目の前の男の正体は"チェンジリング"ではなく、"ドッペルゲンガー"なのだから。

エルフの姿に重なって映るその輪郭はかろうじて人型生物の範疇だが、その姿はチェンジリングよりもさらに人間離れしている。

青白い肌で手足はやけに長い。顔は無表情というよりも、鼻は作りかけといった様相で骸骨に皮をかぶせたように見える。

だが目だけは大きく丸く膨れ上がり、不気味な黄色の光を放ってその存在を主張しているかのようだ。


「俺の自己紹介はいらないようだな。お茶だけは有り難く頂戴しよう。

 で、俺はアンタのことをなんて名前で呼べばいいのか教えてくれるかい?」


ズカズカと部屋の中央まで歩き、ソファに腰掛けながらコップを口に近づける。どうやらこのお茶だけはこの部屋の中で本物のようだ。

抱えていた白いザックを投げつけるように男の横へと放り出すと、革製の袋は軽い音を立ててソファに沈み込んだ。


「ふむ、趣向を凝らしたつもりだったが不興を買ってしまったようだな」


サイラスの姿を纏った男は俺の様子にも動じた様子は見せず、コップを手にとると口へと運んだ。ネレイドは部屋のドアの前から動く気配を見せない。


「彼はこのお茶を何故か好んでいてね。我々の中でもそういった意味では変わり者だったと言える。

 久々に来た上客がこの味を理解してくれたと、上機嫌にしていたよ」


やはりサイラスはこの組織の一員だったようだ。

その男は茶を一口飲むとコップをテーブルへと戻した。その直後、一瞬姿がブレたかと思うとそこには別の顔の男が腰掛けていた。


「どうやら君には我々の見分けがつくようだね。その秘密を聞きたいところだが、その件は後回しにしよう。

 私のことは……そうだな、カロンとでも呼んでくれ」


わざわざ別の姿を取ってから自己紹介を行ったのは彼なりに気を使ってなのか、それとも彼らの流儀なのか。

今度は人間の男性の姿をとったその男は俺が投げつけたザックから中身を取り出すとテーブルの上に並べ始めた。

ともあれ、ここまできたら後はこちらの要求をぶつけていくだけだ。


「それじゃあカロン、早速聞きたいことがあるんだが。

 "トワイライト商会"は俺との取引を継続する気はあるのかい?」


質問を投げ掛けつつ、カロンの姿を眺める。ネレイドはこの男のことを父と呼んでいたが、種族も異なるし実際に血が繋がっているわけではないだろう。

ドッペルゲンガーがチェンジリングの祖だという説はあるが、それは遙か伝説の彼方の話だ。おそらくそれはこの男が身に纏う、信仰呪文の使い手としてのオーラが関係あるに違いない。

こうして測っている彼らの力が俺の想像以上であり、品物を再び揃えてくれるのであればそれはそれで問題ない。

だが、やはりそこは都合よくは行かないようだ。カロンの表情は看破するまでもなく苦々しげで、先日の一件が彼らにとっても痛手であったことは間違いないようだ。


「残念ながら、すぐに注文の品を揃えるというわけにはいかないな。

 ゼンドリックとの航路が復旧しつつあるとはいえ、完全に元通りと言うわけには行かない。

 特に、君の求める品を満載した船がいくつもドラゴンの犠牲になって海中に没したとも聞く。

 シベイの結晶についてはしばらく需要に供給が追いつかないと見ていい。

 各氏族間での奪い合いも既に発生しているし、特に君の要求するレベルの品は当面品薄が続くだろう。

 ひょっとしたら海の底を浚った方が早いかもしれないな」


なんと、コルソスの事件はまだ尾を引いているようだ。

確かに、航路が復旧したとはいえ沈められた船が浮かんでくるわけではない。大洋を越える船ともなれば、建造にも時間がかかるだろう。

下手をすれば年単位での影響がありそうだ。今頃、ズィラーゴなどの船大工は大忙しだろう。


「それに我々の被害も相当なものだ。君の知る彼で殺された"サイラス"は二人目だ。

 あのような店を切り盛りするには、秘術の才能が物を言う。

 "トワイライト商会"はしばらくの間休業せざるを得まいよ」


衣服を変えるかのように姿を変え、メンバーの間で大量のプロフィールを共有している彼ら"タイランツ"と言えど、習得している技術までもが共有出来るわけではない。

あの時俺が出会ったサイラスは使用した呪文から考えても最低で5レベルのウィザードだ。そのレベルの人材が複数失われたとなれば相当な痛手だろう。


「なるほどね。それで、犯人の目星はついているのか?」


まだ湯気を立てているお茶を口にしつつ、本題に入る。

彼らの手腕をもってしても品を揃えられないと言うのであれば、奪われた品を取り返すしかない。

しかしカロンの口から返ってきたのは煮え切らない答えだった。


「さて、どうだろうか。

 君が『ウォーデン・タワーズ』で行った証言が正しいとすれば、怪しいのは"タルカナン氏族"だろう。

 だが全てのチェンジリングが我々のメンバーではないように、特異型マークの全員がかの氏族に属しているわけではないだろう。

 近頃暴れまわっている"ダースク"かもしれないし、"ダースク"に押されている"ボロマール・クラン"が隠していた切り札の暗殺者かもしれない。

 あるいはデニヤスに住むノームの女魔術師の陰謀という可能性もある」


"タルカナン氏族"は特異型マークの持ち主たちが集まった組織だ。小さいながらもコーヴェアの至る所に存在し、凄腕の暗殺者と盗賊を抱えていることで知られている。

その名前は、過去の偉大な特異型ドラゴンマークの英雄にあやかっている事は説明するまでもないだろう。

6年前にシャーンに現れた際には"ボロマール・クラン"と衝突したが、クランの攻撃を凌いでこの地に根をおろすことに成功している。元々クランが暗殺を生業にしていないために彼らの間には共存の余地があったのだ。

対して"ダースク"はドロアームから移住してきたモンスターたちが率いる攻撃的な犯罪組織だ。地底に広がる《コグ》という地域と《ドゥラ下層》などの街域で足場を築いた彼らはここ数年でより広範囲に進出を試みている。

物理的暴力を重視する彼らは主に"ボロマール・クラン"の活動現場を急襲しては引き揚げるという戦術をとっており、一見"タイランツ"とは敵対関係には無いように見える。

だが彼らの後ろで糸を引いているのはドロアームを支配する3姉妹のうちの一人だ。彼女たちの思惑は謎めいていて捉え難く、可能性を切って捨てることはできない。

そして"ボロマール・クラン"はシャーンで最も強大な犯罪組織である。シャーン市議会にメンバーの一人を議員として送り込み、何世代にもわたって警護団の隊長を買収してきた歴史を持つ。

だがかつては"全能"の評価をほしいままにした威光も急速に翳りつつある。"ダースク"との争いは、確実に彼らに出血を強いているのだ。彼らがかつて支配していた水商売の利権を奪い返そうと活動を開始した可能性もある。

大規模な犯罪組織は、ざっと挙げただけでもこれだけ存在している。これにドラゴンマーク氏族やブレランド貴族、他国の間諜やカルト組織などもあるのだから容疑者は枚挙に暇がない。


「それに、我々であればドラゴンマークを偽装することが出来る。

 パワーは秘術の力で代用することになるが、有り得ない話ではない。相手が特異型マークの使い手であるという前提も確実なものではない」


そういうカロンの腕に、俺が先日見たあの異形の巨漢の腕にあったマークが赤い光を放っていた。ドッペルゲンガーの持つ変身能力でドラゴンマークの紋様をコピーしているのだ。

何故この男がこの紋様を知っているのか?

そう疑問を感じた俺の心情が読めたのだろう、カロンは次々とその姿を変貌させて見せた。

若い人間の青年に、同じく人間の女性。いずれも『ウォーデン・タワー』で見た顔だ。あの時はゴーグルを装備していなかったため気づかなかったが、彼らもチェンジリングだったのかもしれない。

成程、確かに"タイランツ"の諜報能力は相当なもののようだ。警護団にもそれなりの数を潜り込ませているのだろう。だが、俺には彼らにない能力がチートにより備わっている。


「いや、それは違うな。もしもあの男があんたらと同じ種族だったのであれば俺にはそれが判る」


そう、相手が変身や幻術で偽装しているなら俺はそれをチート装備の恩恵により看破できるのだ。

高位の信仰呪文を24時間、アイテム一つで再現してしまうこのゴーグルはやはりこの世界では有り得ない性能だ。


「それに、昨日別の特異型マークの持ち主にちょっかいを掛けられていてね。

 流石にタルカナン氏族以外に強力な特異型マークの持ち主が複数いるとは考えにくい」


昨晩俺を襲った毒使い。あの男も特異型の使い手だった。

俺からすれば瞬殺できる程度に過ぎないが、一般的に見れば相当な実力者のはずだ。

俺があの毒使いの特徴を述べると、カロンは重々しく頷きながら応えた。


「おそらくその男は"腐れの"バル。狂信的なタルカナン氏族の暗殺者にして戦闘員であり、その致命的な能力ゆえにシャーンで最も危険な一人と言われる人物だ。

 あの男まで出張ってきたということは、確かにタルカナン氏族はこの件に関わっている可能性が高いな」

 
昨晩の男はどうやら結構な有名人であるらしかった。そういえば小説版やウェブエンハンスメントで名前を見たことがある気もする。

モンクベースで、特異型ドラゴンマークに関連する上級クラスを持っていたはずだ。掲載されていたレベルは10だったが、昨晩の動きから見て若干の上方修正を加えておいた方がいいだろう。


「そこまで判っているなら話は早い。連中が戦利品を貯めこんでいそうな場所に心当たりはないのか?」


タルカナン氏族が絡んでいるだろうという単純な推測は俺にでも可能だ。だが、そこから先が俺には難しいのだ。

土地勘のない街で不慣れな調査をして、地の利を有する組織相手に先回りできるかと言われればかなりの望み薄だろう。

聞込みをしている事が相手に漏れればブツを早々に移動させられるかもしれないし、イタチゴッコになりかねない。

若干残っている"三つの願い"の指輪の効果を使えば有利に運ぶことが出来るかもしれないが、貴重なリソースを消耗したくはない。

そこで俺は"タイランツ"に助力を求めようとしているのだ。


「確かに、そういったいくつかの場所については情報を得てはいる。

 だが、今は少し時期が悪いのではないかな。

 腕に少しでも覚えのある連中はちょっとした事情で今シャーンから離れている。

 "クリフトップ"や"デスゲート"で仲間を探すのは無駄だろう」


カロンが挙げた二つはこのシャーンにある冒険者ギルドだ。いずれもそれぞれの名を冠した街区に本部を構えている。確かに普通に考えればそういった連中に声をかけるのだろう。

だが、それらのギルドの構成員のレベルは2~5といったところだ。そんな低レベルの連中をいくら連れていったところで役に立つとは思えない。

しかし大半の冒険者たちが街から離れているという情報は気になる。話は聞いておくべきだろう。


「元から他人の戦力に期待はしてないさ。しかし、なんでまた人手が居ないんだ?

 この近くに未発掘の遺跡でも発見されたのか?」


この街で戦争をおこすつもりだったタルカナン氏族の連中が予め囲い込んでいるなんて事態だと流石に厄介かもしれない。

だがそれに対するカロンの返答は、俺の想像を遥かに超えた内容だった。


「ふむ、君はゼンドリックから来たばかりだったか。ではこの情報はサービスしておこう。

 最近シーウォール山脈から『赤き手』と名乗るホブゴブリンの軍勢が現れ、ニューサイアリに向けて進軍を開始したのだ。

 あの街の人口は四千人ほど、対してホブゴブリンの軍勢は五千を超えるとか。

 絶望的な戦力差にオルゲヴ王子はコーヴェア中に散らばった祖国の同胞と、成功を求める冒険者に助けを求めたのだ」


その言葉が耳に入った時、俺は自分の耳が信じられずに聞き間違いかと一瞬考えてしまった。

だが、"聞き耳"が技能により強化されている俺に空耳は有り得ない。それどころか、今聞いたその台詞を口調や声色まで再現出来る技術まで得ているくらいだ。

聞こえた単語は間違いない。竜魔王アザール・クル率いる『赤き手』

TRPG版で出版されているクエストとしては屈指の完成度を誇る名作であり、俺自身も思い入れのある『赤い手は滅びのしるし』というシナリオに登場する敵役だ。

確かにあのシナリオの舞台をエベロンに持ち込む場合、ニューサイアリが相応しいだろう。

オルゲヴ王子は"悲嘆の日"によって滅亡したサイアリ王家の血を引く唯一の人物だ。亡国に続きこのような災難に襲われるとは、運が無いとかいうレベルを通り越している。

良く訓練された『赤き手』の軍勢の戦力は一国の軍隊に匹敵しうる。370万というコーヴェアでも最大の人口を有するブレランドを滅ぼすことはないだろうが、一地方を脅かすには十分すぎる。


「……物騒な話だな。その連中がニューサイアリに殺到したのはいつの話なんだ?」


平静を装いつつも、カロンから情報を吸い上げようと試みる。

あのシナリオは日数管理も重要な要素の一つだ。プレイヤー達の立ち回りにもよるが、ホブゴブリンの軍勢の動きを掴めればシナリオの進行具合は判断できる。

シナリオ上では"ブリンドル"と呼ばれていた重要な拠点が"ニューサイアリ"に置き換えられていると考えればよいのだろう。


「今なおニューサイアリ陥落の報が聞こえてこない以上、進軍を遅らせることに成功したか攻囲を打ち破ったかのいずれかだろう。

 しばらく前にノーウェアからスタリラスクールに向かうライトニング・レイルの架線が何者かに破壊されたようで、人の行き来がパッタリと止まっている。

 周辺を飛ぶ飛空艇もドラゴンに襲われると聞いているし、架線の復旧は開始されたと聞くが当分の間は情報を得るのに時間を要することになるだろう」


カロンはこのように述べたが、実際にはもう少し情報を掴んでいるのだろう。両陣営に間諜を紛れ込ませる程度の真似はやっていておかしくない。だが俺には今の情報でも十分だ。

ライトニング・レイルの運行停止はアザール・クルに仕えるいずれかの竜魔将の仕業だろう。復旧を開始したと言うことは、その竜魔将は排除されたと見ていい。どうやら中盤の山場は超えているようだ。

侵攻を遅らせているだろうことから、あのキャンペーンのPCに相当する役回りのキャラクター達がいるのだろう。


「なるほど、随分手の込んだ連中なんだな。

 まあそんな話があるなら、どっち側につくのかはともかく冒険者達が出払ってるっていうのも納得だ。

 だが元々連中を頼るつもりは無かったし、俺のやることに変わりはない」


実際には『赤い手』の話も非常に気になるところではある。だが、どうやらあちらにはあちらで物語の鍵となる主人公たちがいるようだ。

ならば俺はこの街で、自分のビジネスに専念すべきだろう。流石にそちらにまで介入している余裕はない。

 
「さて、そういうわけで商売の話をしようじゃないかカロン。

 そんな状況じゃあんたらも手駒に困ってるんじゃないか?

 お互いの利害は一致してるんじゃないかと思うんだがな」


営業用の笑みを浮かべながら男の顔を見つめる。エルフの瞳は一瞬開かれた後に瞼に隠れたが、真実の姿はまばたきを行わないのかその大きな目玉はこちらを注意深く観察し続けている。


「ふむ、正直君の申し出はありがたい。

 ご存知かもしれないが我々はとても非力でね、打ち込まれた鋼に刃で応えようにも腕っ節が足りていないのだよ」


やれやれといった風情で両手を広げながらカロンは韜晦してみせる。

こんなことを言っているが、そんな組織が何百年もこのシャーンで裏世界の一角を取り仕切れるほど甘い世界ではない。

弱者は強者に蹂躙され、搾取される世界で生き延びてきた彼らには十分な牙が備わっているはずなのだ。

だが、今は彼の話に乗ったほうが都合がいい。


「俺としても邪魔をされたまま引き下がるわけにはいかないんでね。障害を片付けて、とっとと取引を済ませたいのさ。

 アンタらは俺に情報を寄越してくれればいい。後は俺がやるさ」


姿勢を後ろへ倒し、背中をソファに預けながら余裕たっぷりに言い放つ。


「連中がアンタらから奪った品はきっちり渡す。勿論約束していた品はその後で売ってもらうし、他の戦利品については俺の好きにさせてもらうがね。

 いい条件だろう?」


言うまでもないだろうが、彼らに取って非常に有利な条件だ。

注文の品が全て揃っていたとして少なく見積もって金貨20万枚、指輪も含めれば50万枚に相当してもおかしくない奪還品をあっさりと譲渡するというのだから。


「こちらとしては願ったり叶ったりだが……。

 余りに条件が良すぎて戸惑ってしまうな」


案の定、カロンも対応に困っているようだ。


「無論、これは今回の出入りの取り分に限った話さ。報酬がわりにお願いしたいことは他にある。

 一つは、俺の注文の品を継続して供給すること。シャードや指輪以外にも、いくつか探して欲しい品がある。

 シャードは海の底を浚う方が目立たずに掻き集められるっていうのなら、沈没船引き上げのスポンサーに立候補してもいい」


人差し指を立てながら一つ目の要求を伝える。

このあたりは特に問題ないだろう。店を構えることは当分無理かもしれないが、品物を集めることぐらいは彼らの組織力をもってすれば容易なはずだ。

果たしてこの世界に存在するかも怪しい、一般に禁書指定されるようなサプリメントのアイテムなんかについては怪しいが是非とも見つけ出して欲しいところだ。

何よりドラゴンシャードの安定供給を維持することが必要だ。沈没船の引き上げとなれば一介の冒険者の身の上ではやり辛いが、代理を立てて金だけ出せばいい立場になれば楽になる。


「二つ目だが、この奪還の主導はそちら側ということでお願いしたい。

 来てすぐに派手な立ち回りをしたなんてことになると厄介なファンがつきそうなんでね」


二本目の指を立てながら要求を続けた。無論、真に厳しい連中の目を誤魔化せるとは思わない。

だが、少しでも俺への注目を減らせるならば手を打っておくべきだろうし、その仕事には"タイランツ"が最も適しているはずだ。


「それと、もう一つお願いしたいのは情報だ。

 今回の件の報酬がわりに、さっきの『赤い手』に絡んだ情報をお願いしようか」


三本目の指を立てる。

今後の俺の活動のことを考えれば、この手の情報収集に長けた組織とのパイプは有るに越したことはない。

『赤い手』に関してであれば、俺はかなりの情報を有している。それと比較することで彼らの情報の精度や質についても把握することが出来る。

彼らの能力が有用であるなら、この一件を通じて友好的な関係を結んでいけばいい。そのための先行投資も兼ねているのだ。


「ふむ……。

 ではその条件でお願いしましょう。我々にとっても損の無い話です」


カロンも俺の口ぶりなどからその辺りのことを察したのだろう。しばらく瞑目した後にこちらの条件を受け入れてくれた。

さて、これでようやく事態解決への一歩を踏み出したといったところか。そして次の一歩は荒々しいものになるだろう。

だが勝算は十分にある。俺はメイに伝える情報を頭の中で整理しつつ、長くなりそうな今日の夜へと思いを馳せるのだった。



[12354] 3-5.塔の街:シャーン5
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/07/24 10:57
『ドラゴンアイズ』における"タイランツ"との情報交換を終えた後、俺はメイと合流して《タヴィックス・ランディング》を下層へと降りるリフトに乗っていた。

昨夜メイに占術を使ってもらったのだが結果が芳しくなかったため、今回は直接的な偵察を行ってもらおうと思ったのだ。

既に粗方の事情は説明しており、快く同意してくれた彼女は必要な呪文を準備してくれている。

目指すは《コグ》と呼ばれる、シャーンの塔の基部よりもさらに深い位置にあるエリアだ。

カロン達は「一人目のサイラス」が殺された際に、頭部を失った被害者の蘇生が行えなかった事から既にタルカナン氏族を怪しんでいた。

それというのもタルカナン氏族は"魂の暗殺"を稼業として行っているのだ。

『キーパーズ・ファング』という恐るべき能力を秘めた武器を彼らは所蔵しており、この武器で殺された者は霊魂が邪神キーパーの領域に囚われるため蘇生することが出来ないと言われている。

この情報が確かであれば、俺の有する《トゥルー・リザレクション》でも蘇生することは出来ないだろう。蘇生で身の潔白を証明すると言う手段を選択しなかったのは正解だったようだ。

唯一の手段はデーモン荒野と呼ばれる荒れ果てた土地の地下に存在するというキーパーの神域を訪れ、囚われた魂を開放することだと言われている。まさに伝説級の冒険と言えるだろう。

とてもではないが、今の俺に可能なクエストだとは思えない。

リフトがようやく停止し、《コグ》へと繋がるドアが開くと熱気と煙の匂いが流れ込んできた。薄暗い照明に照らされた長い街路は、煤に覆われて黒ずんでいる。

タルカナン卿がシャーンを壊滅させたとき、地底深くに存在する"炎の地底湖"に通じる水路がいくつも開かれた。そこを通じてここ《コグ》には自然の摂理を超えた温度で煮えたぎる溶岩が沸き上がっているのだ。

その熱を利用してこの地下空間ではアダマンティンを初めとする金属加工が行われているのだ。おびただしい数の溶鉱炉と鋳造所が魔法の力と自然の力を融合し、巨大な工業地帯を作り上げている。

この街区の住人の多くはウォーフォージドであり、彼らは食事も睡眠も必要としないその頑強な肉体をもって昼夜の区別なく働き続けている。

観光客の目には決して触れることの無いこの地下空間が、物理的にも経済的にもシャーンを支えているのだ。

捕縛されたファイアー・エレメンタルが勢い良く炎を吹き上げている溶鉱炉を後目に、俺とメイは上層よりも遥かに細く整備の行き届いていない街路を進む。

俺たちの目的地はここから30分ほど歩いた先、《カイバーズ・ゲート》と呼ばれる街区だ。

直接リフトでは向かえないその街区にある建物の一角に、昨夜遭遇した"腐れの"バルがいるという情報を得たからである。

工業地帯を抜け、地盤を刳り貫かれた道を歩むと目的地と思わしき街区へと到着した。

目に見える住宅も商店も全てが壁のなかに掘り込まれている。天井は思ったよりも高く、5メートルほどか。街路もそれなりの広さを有しているようだ。

街路の暗がりからはゴブリン達がこちらの様子を窺っており、道の先に目をやれば2体のオーガが千鳥足で酒場から出てくるのが見える。

ドロアームからやってきたモンスター系移民がこの街区の主な住人であり、ここにいる誰もが脛に傷を持つ身だ。

ここにいる間は一瞬たりとも警戒を怠ることは出来ない。物陰に潜んでいるのはゴブリンだけではない。

ヴァンパイアやワーラットやラークシャサ、あるいはもっと危険なフィーンドかもしれないのだから……。










ゼンドリック漂流記

3-5.塔の街:シャーン5














地下の空洞はやがて大きく広がった。元は巨大な建築物の広間に相当する部分だったのだろう、苔に覆われた壁面には所々人工的な意匠の痕跡が見受けられる。

こうしたシャーンの基礎部分にある滅んだ文明の遺跡部分は、今では立派なダンジョンを形成している。

人間がここに街を築く前、ここはジャシャーラットと呼ばれるホブゴブリンの都市があった。彼らは塔を建てるのではなく、岩盤を掘り進んで街を建造した。

地下へと掘り進んだ彼らはやがて"炎の地底湖"へと到達し、ダカーン帝国が誇る偉大な戦士たちの武器はその溶岩の熱を利用して作られることとなった。

5,000年を超える繁栄の後、デルキールと彼らが率いる恐怖の軍勢が次元界の壁を抜けてこのエベロンを襲うと、帝国は異形の者たちの前に膝を屈しジャシャーラットは蹂躙され瓦礫の山と化した。

そしてホブゴブリン達はこの地を"嘆きの白刃"──ドゥールシャーラットと呼び、隣の大陸から人間が移住してくるまでの長い間、廃墟として放置されたのである。

今いる地下部分はそういった過去の遺跡の上層部だ。カイバーへと続くと言われる地下空間はダカーン帝国の遺産を求める数多くの冒険者を吸い込み、そして疫病と蟲の大群を吐き出している。

俺が目的とするタルカナン氏族の拠点の一つは、こうした地下遺跡上層部の一角にあった。


「……見張り番をしてる方がいますね~」


メイが作り出した秘術の眼──《アーケイン・アイ》がその拠点内を探っている。秘術エネルギーで編まれたこの不可視の感知器官は術者の意思を受けて小さな隙間から様々なところへ潜り込み、視界を提供する。

このような歴史の重みに耐えかねて崩れつつある建造物であれば、それこそ何箇所にも潜り込む穴があるものだ。

彼女が使用しているこの呪文は、こういった偵察に非常に有用なのだ。俺にはまだ使用できない中位の術であり、彼女の助力は非常にありがたい。

巻物が入手できれば俺にも同じことが出来るのだが、このあたりのレベルの呪文の巻物は既に入手が難しくなってきているのだ。このため入手した巻物を使ってメイに呪文を習得してもらい、彼女に呪文を発動してもらっているというわけである。


「入り口から少し進んだところに左右にドア、武装した方達が待機してらっしゃいます。長剣が3名に弓が1人。

 トーリさんなら問題ないと思いますけど、全員の腕や肩から特異型マークが見えています。どんな能力かまではわかりませんし、注意してくださいね」


念のため距離をおいた状態でこうしてメイに内部の偵察をお願いしている。武闘派組織の拠点ということで、それなりの備えがあるだろうと判断してのことだ。

それに入り口以外の脱出路があるのであればそれを把握しておく必要がある。


「居ました! 昨晩私達を襲ったローブの男性です。

 奥にある部屋の一室で座ったまま目を閉じているみたい」


どうやら目的であるところのバルの所在は確認出来たようだ。瞑想でもしているのだろうか?

モンクの修行は肉体だけではなく、精神の鍛錬も含まれる。磨きあげられた心身は病気や老化を防ぎ、打撃の鋭さはやがて鉄すら貫くようになる。まさに超人といっていい。

目的の人物は発見したが、情報収集はそれで終りではない。呪文の制限時間一杯まで偵察を続け、拠点の大まかな構造や人員の配置を掴む。突入のリスクを最低限にするための労力を惜しむようなことはしない。


「倉庫らしき部屋を調べるよりも先に、戦力を無力化したほうがいいだろうな。

 俺がこの正面から敵を誘い出して撃破しながら進むから、メイは念のため裏口側で待機しておいてくれ。

 増援を呼ばれると厄介だし、しばらくの間無力化してくれればそれでいいから」


とりあえず今回の目的はバルを捕獲し、情報を吸い出すことだ。暗殺者とはいえあれだけの実力者であれば色々と情報を握っているだろうし、何より俺を狙った件からも事情には通じているはずだ。

偵察の結果、中にいるのは10人ほどで非戦闘員の姿はないということが判明した。それであれば半数が裏口に回ったとしてもメイなら一網打尽に出来るはずだ。

ここに盗品を保管していればいいのだが、そうでない場合はすぐに別の場所へ向かうことになる。襲撃の情報が伝達されるような事になれば厄介だろうし、連携は絶っておくべきだ。


「わかりました。それじゃトーリさん、気をつけてくださいね」


お互いの安全を祈った後、メイは《インヴィジビリティ/不可視化》の呪文を詠唱して姿を消すと裏口に通じる通路へと向かっていった。

ゆっくり100ほどを数え、彼女が配置につくまでの時間を待った後に俺は壁際の暗がりに隠れるようにして目指すタルカナン氏族の拠点へと進んでいった。

メイが言った通り、崩れ落ちているかのように見える入り口では確りと手入れされた革鎧に身を包んだ男が周囲を警戒している。

滅多に来客もないであろうこんな場所の見張りにしては彼は熱心に仕事をしているようだ。タルカナン氏族の結束力の強さのあらわれだろうか。

だが、その努力も虚しい結果となる。装備によってブーストされた"隠れ身"の技能により気配を殺した俺の姿は、例え視界に入ったとしてもそれと気付けない程存在が薄れている。

壁沿いに移動した俺は容易に見張りの背後を取ると、手刀の一撃でその意識を刈り取った。崩れ落ちる男の体を支え、通路へと踏み込む。

無駄な音を立てなかったために他の連中が気づいた気配はない。覗き込んだ先は一直線の通路になっており、左右のドアをいくつか超えてしばらく進んだ先に下り階段が続いている。

壁面はところどころに穴が開いており、そこからは部屋にいる連中がカードに興じている声が漏れ聞こえてくる。

足音を殺したまま通路を進み、ドアを開けて即座に部屋の中心部目掛けて《ショックウェーヴ/衝撃波》の呪文を開放した。

左手に握りこんだ小さな水晶玉が砕けると同時に、部屋は浸透性を持つ力場の爆発で埋め尽くされた。

シャーンの街を紹介するサプリメントで追加されたこの呪文は、永続的なダメージを一切与えることなく範囲内の生物の意識のみを奪う。

均一に広がる力場の波動は、ローグのような"身かわし"能力も無効化し頭蓋に浸透すると脳を揺らす。複数の特技により威力を増幅された波動は部屋にいた3人に十分な非致傷ダメージを与えて気絶させる。

この呪文のさらに有用なところは生物以外の物体には働きかけないため、爆発音が出ないことだ。おかげで反対側の部屋の連中は俺の襲撃にまだ気付いていない。

足元まで引っ張ってきていた見張りの男を今しがた掃討の完了した部屋に放り込むと、俺はもう一方の部屋でも同じ作業を行うべく通路を挟んだ位置にあるドアを開いた。



同じような事を3度ほど繰り返した後、俺は階段を降りた下のフロアにある最奥の部屋へとやってきていた。

ドアを押し開けると、その音に反応してか坐禅を組んでいたバルがその瞼を持ち上げるのが見えた。薄暗く今にも崩れそうな部屋の中で、バルの瞳が爛々と輝いているように見える。

袖なしの薄手の服の下で、彼の体を這うように覆っている特異型マークの紋様が赤い輝きを放った。


「よお、昨晩ぶりだな。お邪魔してるぜ」


声をかけながら一気に間合いを詰める。立ち上がる隙を与えずに間合いに捉えたことで、苦々しげな表情でバルはこちらを睨みつけてきた。


「昨晩の男か。招待状を出したつもりは無かったのだがな……。

 ここまで入ってきたということは、昨日のはマグレでは無かったようだな」


立ち上がろうとすればその隙をついて俺の攻撃を受けることが解っているのだろう。バルはこちらの挙動を見逃すまいとしながらも俺に対して口を開いてきた。

ここでバルを打ち倒すことは容易いが、今回の目的は情報収集でもある。俺はまずバルの誤解を解いてやることにした。


「時間を稼いでも無駄だぜ。上にいる連中は今頃いい夢を見ている頃だ。

 運が悪ければ丸一日は眠ったままだろうな」


完璧に不意を突けたことで、この拠点にいたタルカナン氏族の連中はバル以外の全員を既に無力化済みだ。

いくつか凶悪な罠も仕掛けられていたが、発動させなければ張子の虎にも劣る。

裏口で待機してくれているメイには悪いが、今回は出番無しだ。

自然に抜けていく非致傷ダメージとはいえ、適切な治療を受けなければ回復量は微々たるものだ。運悪くクリティカルした衝撃波を喰らった連中は、下手をすれば二日くらい寝込むかもしれない。


「わざわざこんな所まで来たのは、アンタに教えて欲しいことがあったからさ。

 無論、嫌とは言うまいね?」


目的を告げながらもさり気ない動作で腕を一振りし、力ある言葉を解き放った。高速化された《チャーム・パースン/人物魅惑》の呪文が完成し、呪文の発動に気づいたバルが体を起こすよりも先にその心へと侵食していく。

だがさすがはシャーンでも有数の戦闘者。厳しい修練によって鍛えられた鋼の精神が呪文に抗い、人間の限界を超えて強化された知力によって精緻に組み上げられた呪文構成を食い破る。


「マヤカシなど効かんぞ!」


バルは自らを奮い立たせるように大音声でそう叫ぶと、座り込んだその姿勢から突如独楽のように回転し足払いを繰り出してきた。俺がその声と攻撃に押されるように後方に軽く跳躍して足払いを回避すると、それを好機とばかりに立ち上がったバルが追撃を加えてくる。

こちらの呪文を構築する動作を妨害するように、至近距離での攻防が繰り広げられる。モンクとして積んだ修練により指先ひとつの挙動を見落とすことが敗北に繋がる、それだけの破壊力をお互いが有している。

激しい拳打が応酬され、部屋の中にはお互いの攻撃が空を切る音だけが響き渡る。数秒の間に10を超える攻防が行われるがその全てがお互いの体に届いていない。

お互いの攻撃について相手よりも一手先を読むことで打倒しようとする、卓上遊戯のような読み合いが大人の体ですらも容易に屠ることのできる打撃を媒介にして行われる。

技量と手数はバルが圧倒的に上回る。だが俺にはチートによってブーストされた能力値とアイテムが有り、それによる回避能力はそれこそバルの攻撃精度の遙か上を行く。

読み合いが続きお互いが格闘戦において決定打を放てないのであれば、手札にバリエーションの多いこちらに軍配が上がる。バルの妨害を掻い潜って発動された何度目かの魅惑の呪文が鉄壁を誇ったバルの精神防壁に穴を穿ち、一瞬で彼の精神を染め上げた。

呪文の影響により攻撃の手を止めたバルから距離を取り、言葉を投げかける。


「なあバル、組み手はこんなものでいいだろう?

 そろそろ俺がここにやってきた用件に答えてもらいたいんだが」


《チャーム・パースン》の呪文の影響下にあるバルの思考を誘導するように話を組み立てる。今の今まで自分にとってもっとも親しい人物に対して攻撃を行っていた事実がこの言葉によって都合の良いように改変され、バルの口から了承の言葉を引っ張り出す。


「……すまない、少し気合が入りすぎたようだな。

 聞きたいことがあると言ったな? 用件を言ってみろ」


先程までバルの体を満たしていた緊張感はどこかへいってしまったようだ。少し体を動かして再び坐禅を組み、リラックスした姿でバルはこちらへと話しかけてきた。

口調がそれでもぶっきらぼうなのはこの男の個性なのだろう。椅子をすすめられたがそれは断り、ドア近くの壁に背を預けた状態で話を続けた。


「何、昨日の件でね。ひょっとしたら俺の捜し物の在処を知ってるんじゃないかと思ったんだが、知っていたら教えてくれないか?」


俺がそういうと、バルはそのボロボロな唇を強く噛みしめて顔を伏せた。今、彼の心は何故自分は昨夜あのような凶行に及んでしまったのかという悔恨に満ちているはずだ。


「済まない、昨晩の俺はどうかしていた。

 あんな手荒な真似をするつもりは無かった。ただ少し話を聞こうと思っただけなんだ」


こちらから視線を逸らしたままバルは呟く。呪文の抵抗に一度失敗しただけで、高名な暗殺者もこの有様。借りてきた猫のようなおとなしさだ。

即死呪文であればチートアイテムで防げるが、精神を支配する類の呪文を完全に防ぐことは今の俺には出来ない。目の前のバルを眺めながら俺は改めてこの世界の魔法の恐ろしさを感じていた。


「氏族の同胞に関する情報をお前が知っているのではないか、という話があったんだ。

 あるいは我らに対する工作を行っているエージェントではないか、と。それで話を聞きに行ったんだが」


俺がそんなことを考えているうちにもバルの独白は続いていた。そしてその内容は俺の予想と異なった方向へと進んでいる。


「ちょっと待ってくれ、バル。

 昨晩俺にタルカナン氏族がちょっかいを掛けてきたのは、"トワイライト商会"の押し込み強盗の件が関係しているんじゃなかったのか?」


バルの語り口に違和感を感じた俺は、単刀直入に用件を訊ねることにした。ひょっとしたら俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。


「そうだ。お前が『ウォーデン・タワー』で証言したマークの紋様は、我らの同胞ベリンダが持っていたものに酷似していた。

 我らの紋様は純血などと浮かれている連中のものと違い、同じものなど無い。賜り物は各個人の資質に応じて異なるのだ。

 カニスの連中が作る大量生産品のようなマークを有難がっている連中の低俗さが知れるというものだ!」


マークについて語るバルの口調は荒く、敵意に満ちている。今も純血マークの氏族たちは特異型マークを忌むべき存在として扱っている。

ましてやその特異型マークの結社、タルカナン氏族が相手であれば水面下で激しい闘争が行われていることに疑いはない。


「……話は逸れたが、証言では小柄とはいえ犯人は男だという。それに彼女のマークには塔の壁面を破壊するほどのパワーは無かった。

 であればベリンダとは別人ということになるが、マークの正確な紋様を知るものは同胞の中でも限られている。彼女は滅多にその力を行使しなかったこともあるが……

 いずれにせよ、彼女の行方が知れなくなってから一月近くが経過している。失踪した他の同胞達も含め、初めての手掛かりということもあって、俺が出向くことになったのだ」


バルが呟くように紡ぐその言葉の一つ一つを吟味しながら咀嚼し、自分の脳内で組み上げる。


「つまり、お前たちタルカナン氏族は"トワイライト商会"への襲撃を行っていない。

 何者かが襲撃の罪を氏族に被せようとしていると判断し、俺に接触してきた……そういうことなんだな?」


考えたくない展開だったが、どうやら彼らは"シロ"ということらしい。確かに安直な推測に過ぎなかったが、期待していただけに落胆が激しい。

これで捜査は振出しに戻ったことになる。手掛かりなどもはや皆無と言っていい。こうなっては仕方ないかと指に輝く指輪に意識をやろうとしたが、それは扉の外から伝わってきた音に妨げられた。

厚底の靴が石造りの床を擦る音。一応足音を殺す努力はしているようだがそれよりも速度を重視しているのだろう、複数の足音は真っ直ぐにこの部屋に向かってきているようだ。


「(タルカナン氏族の増援か? 襲撃のことが漏れているとは考えにくいし、定期的な連絡員がいたか単に立ち寄っただけか……いずれにせよ、戦闘は避けられそうにないな)」


まだ気がついていない様子のバルを横目に、さり気なく扉から見えにくい位置へと移動しながら思考を整理する。

タルカナン氏族が商会の襲撃犯でないのなら、これ以上ここにいても得るものはないだろう。速やかに撤収してメイと合流し、次の手を打つ必要がある。

複数相手となると少々面倒ではあるが、ここは衝撃波で気絶させるよりはバル同様に心術で無力化するべきか。今更手遅れな感は否めないが、無闇に敵愾心を煽るようなことは避けておきたい。

幸い、他の連中も気絶しているだけで命を奪ったり体に障害が残るようなことはない。プライドは激しく傷ついただろうが、昨晩の件と合わせればお互い様ということでまだ和解できなくはない範囲だろう。

だが再び《チャーム》呪文の準備を開始した俺の思惑は、強烈なノックによって中断される。石造りの建物に間に合わせで取り付けられた不揃いな木製のドアが、鈍く響く音を発して撓んだ。

扉からは音の原因と思われる、鋭利な金属が顔を出している。それが大型の武器──グレートアックスのものだと気付いた次の瞬間、毛むくじゃらの足が扉を蹴飛ばして伸びてきた。

先程の一撃でガタがきていたのだろう、散り散りに吹き飛んで行く木片の影からは狼面獣身の姿が現れた。先日も出会ったノールという種族だ。

そのノールは鋭い牙を生やした口から涎を滴らせ、血走った目で室内を見回すとバルに向けて両手で構えた斧を叩きつけるように振り下ろした。

だがバルはそんな単調な攻撃を喰らうような男ではない。ドアが破られる時には既に立ち上がっていた彼はその斧の攻撃を紙一重でかわすと、強力な掌打を見舞った。

顎をかち上げるような攻撃を受けたノールは、足の甲を踏み抜かれているために吹き飛ぶことも叶わず首を支点に頭部を後方へと縦回転させる羽目になった。間違いなく頚椎が破壊されている。あれは即死だろう。

だが瞬く間に一体が屠られたにも関わらず、後続のノール達はその勢いを落とさずに部屋へと雪崩込んできた。その数は3体。気配からするに廊下にはもういないようだが、上の階からは乱暴に歩き回る連中の足音が伝わってくる。


「紋様の男だ! 連れ帰れば教祖様は褒めてくださるぞ!」


「腕と足は食っちまって構わないんだろう? 早い者勝ちだ!」


「用済みになったら頭蓋を削って祝杯にするぞ!」



口から欲望をまき散らしながら、バルを囲んだノール達は彼に向かって踊りかかった。


「犬っころ風情が! 貴様等程度がこの俺を囲んだ程度でどうにかしようとは片腹痛いわ!」


バルの周囲をぐるぐると回りながら、3体のノールが波状攻撃を仕掛け始めた。バルは危なげなくそれらの攻撃を回避すると、懐から取り出したポーションを飲み干した。

直後、展開された魔力の力場がバルの体を覆う。《メイジ・アーマー/魔道士の鎧》だ。魔力で編まれた鎧は中装鎧程度の装甲を有しながらも、体の動きを一切妨げることがなくモンク独特の体捌きを可能にする。

立ち回りを開始した連中は放置し、俺は廊下へと抜け出た。おそらくはバルが連中を圧倒するのにそう時間は掛からないだろう。

途切れたと思った手掛かりがこうして向こうから訪ねてきてくれたのだ。この襲撃の指揮官なりを締め上げれば情報を得れるだろう。

気配と足音を殺しながら廊下を進む。どうも連中の狙いはここの氏族のメンバーの身柄のようだ。俺の呪文によって気絶した連中を縛り、運びだそうとしている。

ノールはその外見にそぐわない事に《鋭敏嗅覚》を有していない。装備による補正を得た隠密行動を行っていれば容易に連中に気取られずに進むことが出来た。

だが上のフロアと続く階段へ差し掛かったところで俺は歩みを止めることになった。


「……隠れて逃げ出そうとしている者がいるぞ!」


階段の踊り場に立っていた黒いローブを目深に被った男がしわがれた声で叫ぶと、突然足元に冷たい感触が伝わった。肌を刺すような冷気により、体から力がじわじわと抜けて行くのを感じる。

足元に目をやると、廊下の床から突き出た影が手の形をとって俺の足首を掴んでいるのが見えた。生ける闇のクリーチャー、『シャドウ』だ!

触れた生物から筋力を奪い、殺した対象を同族にしてしまう恐るべき非実体のアンデッドである。

慌てて影の手を振り払い、その場を離脱しようとするが相手は非実体の特性を活かしある時は壁から、ある時は床からその手だけを伸ばしてこちらへの接触攻撃を試みてくる。

何せ、連中は触れるだけでこちらの能力値に直接ダメージを与えてくるのだ。筋力の能力値がゼロになった時に待っているのは死であり、そうやって殺された者はその後シャドウとして蘇るという。そんな未来は御免被る。

狭い廊下では回避するにも限界がある。俺は覚悟を決めると一気に階段を駆け上がった。おそらくこの男が指揮官だろうし、速攻で無力化してここを脱出したほうがいいとの判断だ。

俺にちょっかいを掛けていたシャドウは突如駆け出した俺の速度に追いつけず、後方に置き去りだ。攻撃を受けることを恐れて姿を表さない彼らの移動は壁か床の中を通り抜けるというルートを取る必要があり、制限が多い。

本来は俺と同速な上に完璧な飛行機動性を誇る連中であっても、今はその制限が枷となって俺に追いつくことが出来ない。

《ショックウェーヴ》の射程距離に男をおさめ、力ある言葉を解き放った。階段の踊り場を中心に力場の爆発が巻き起こり、その場にいる生物の脳をシェイクする。

だがローブの男の姿はそこにはなかった。呪文が炸裂するその瞬間、足元の影に溶けるように沈み込むと姿を消したのだ。

影渡り──上級クラス"シャドウダンサー"の持つ特殊能力だ。影を媒介に短距離ではあるが《ディメンジョン・ドア》と同じ瞬間移動を可能にする能力である。

脳裏にその上級クラスのデータが走り、その中の項目の一つを理解した俺は咄嗟に自身にブーツに込められた《フライ》の呪文を使用した。

刺繍された跳ね馬に羽が生えて天馬となると、俺の体は重力から開放されて飛び上がった。

その直後、複数の影が床から盛り上がると俺が直前まで占めていた空間を通り過ぎて天井へと抜けていく。"シャドウダンサー"クラスによって使役されるシャドウの数は最大で3体に至るのだ!


「ほう、我が影の攻撃を凌ぐか。活きがいい素体を処分するのは気が引けるが、今宵は多くの特異型に加えて久々の真正マークも刈り入れることが出来た。

 教祖様も十分にお喜びであろうし、貴様はここで朽ちるがいい!」



声の方向に咄嗟に呪文を放つが、再び影渡りの能力で回避される。次に男が現れたのは俺の背後だ。配下のシャドウ達のように、俺の影を媒介として転移してきたその男は苛烈な連撃を放ってきた。

どうやらこのシャドウダンサーはモンクあがりのようだ。纏わり付くように肉薄することでこちらの選択肢を奪いつつ、折を見て配下のシャドウ達に攻撃させる。

呪文の出掛かりを感じると攻撃を放つことで集中を乱しそれが適わない時には影渡りで逃げる。ゼアド同様、《魔道師退治》の訓練を積んでいるうえに自分は呪文を妨害することに徹底している。


「(自爆覚悟で自分を巻き込んで《ショックウェーヴ》を打つか? 駄目だ、この男との体力の削り合いで勝ったとしてもシャドウが残る。

 先にシャドウを潰さないことにはどうにもならないが、こちらが狙ったシャドウは床に隠れてしまう!)」


相当に連携の訓練を積んでいるのだろう。一糸乱れぬ統率で役割を分担した4体を相手取るこちらは押し込まれる一方だ。

影が床から出た瞬間を叩こうにも、それを察してか影たちは陽動を繰り返してこちらの注意を散らしてくる。

通路よりは広い踊り場だから少しはマシとはいえ、3メートル立方の空間を縦横に動き回りながら慣れない三次元戦闘を行うのは非常に精神をすり減らす行為だ。

ゲームでの戦闘とは違い、シャドウはその体のどの部分でもいいから俺に接触させれば影響を及ぼすことができるようだ。

だが体全体で飛びかかってきてくれれば一刀両断してやるものの、連中は皮一枚掠める程度の攻撃でこちらの移動を阻害・制限しながら連携のとれた攻撃を繰り出してくる。

ブーツの効果で宙を舞い、床や壁から距離をとっているから回避し続けられているものの、この魔法効果による飛行機動性は完璧ではないため回避の動きを優先するとどうしても攻撃を繰り出す余裕が無い。

しかし決定打が無いのは相手も同様だ。このまま耐えていればおそらく下のフロアのノールを片付けたバルがやってくるだろう。

まだ《チャーム・パーソン》の効果が残っている彼が駆けつけてくれれば、連中に隙が生まれるはずだ。そこを突いてアイテムから《デス・ウォード/死からの守り》呪文を発動させることが出来ればシャドウの攻撃は無力化できる。

そうなればローブの男に集中出来るし、1対1であれば十分に捕獲することが可能のはずだ。

だが再び俺の思考は裏切られる。上の階層から新たに現れた気配を察知したと同時に、頭上にある踊り場の天井が崩壊し建物の残骸が降り注いできたのだ。

視界を埋め尽くすかつて天井だったものの破片越しに上のフロアを見ると、そこには赤く輝く特異型マークを腕に宿した男が立っていた。"トワイライト商会"を襲った黒装束の男だ!

そのマークを宿した腕からは強力なエネルギーが吹き荒れており、それが建物の構造を破壊しているのだ。今やこの建物は階段の踊り場だけではなく、全体が崩壊しかかっているようだ。

咄嗟に転移系の呪文で脱出しようにも体に当たる瓦礫が集中を乱し、纏わり付くシャドウ達が落下物を物ともせずにこちらを攻撃してくる。

彼らの主も瓦礫の影からいつでも転移が可能なためか、こちらの妨害を続けている。いつの間にかローブの肩口が裂け、そこからはうごめく繊毛に覆われた長い鞭のような触手が生え、俺を捕らえようとその手を伸ばしてくる。どうやら人間では無かったようだ。

このままだと生き埋めになってしまう。そうなればシャドウ達の攻撃から逃れる術はない。追いつめられて意識が集中しているせいか、コマ送りになった視界には瓦礫に身を隠しながらこちらに手を伸ばしてくる影や触手の姿が映る。

攻撃を受けることは最早避けられない。だがその代償に呪文を行使することはできる。であれば、逃げるべきか敵を撃つべきか。その判断を下そうとしている俺の視界に、再び黒装束の男の姿が映る。

左腕から《ディスインテグレイト》呪文を放出することで建物の崩壊を行った男は、右腕で何か荷物を抱えている。先日の白いザックではない、視界に僅かに映るそれは青い布のようだがその表面はまるで鱗のような独特の刺繍が編み込まれている。


「メイ!」


その姿を認めた瞬間、思考が沸騰した。微かな転移光に包まれながらも消えていく黒装束が右手に抱えているのは仲間のハーフエルフの少女に他ならない。

シャドウ達からの攻撃を受けながら、無駄と判っていながらも短い距離を《ディメンジョン・ホップ》により空間を跳躍し、黒装束の男へと肉薄する。ブレスレットから取り出された片手剣が付与された火炎を撒き散らしながら黒装束の首を刈る。

だが首の皮一枚を斬りつけた時点で男の姿は抱えられたメイと一緒に掻き消えていた。燃え盛るシミターはその勢いのまま宙を薙ぎ、俺を追撃してきていた1体のシャドウを炎上させた。

中空で炎に染め上げられる影というその奇怪なオブジェも、やがて崩れ落ちた瓦礫に覆い隠された。貴重な機会を感情に流されて浪費した代償として、俺の視界が降り注ぐ瓦礫に埋め尽くされるのはその一瞬後の事だった。



[12354] 3-6.塔の街:シャーン6
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2010/07/24 10:58
全身が押し潰されそうになる圧迫感。布製とは思えない強度を誇る竜紋の刻まれたローブと装備が形成する反発の力場がある程度を緩和してくれているものの、指一本動かす隙間すらない。

敵の狙い通り生き埋めにされてしまった俺は大型の瓦礫の落下によるダメージこそ受けなかったものの、崩落した建造物に巻き込まれて身動きが取れない状態に陥っている。

瓦礫の隙間を縫って押し寄せた土砂により呼吸することも出来ず、口を開けば空気ではなく砂を噛むことになるだけだ。このままだと圧死なり窒息死なりは免れないだろう。

ブレスレットから転移の巻物を取り出そうにも、アイテムを出現させるスペースが無ければ無理のようだ。例え巻物を取り出せたとしても読むために広げる隙間もないのでは意味が無いだろうが。

不幸中の幸いか、シャドウによる追撃は行われていない。あの触手を生やした異形の主共々、撤退してくれたようだ。

今の自分が埋れている位置は上側のフロア、正面の入口から真っ直ぐ進んだ突き当たりに近い位置だ。出口までの距離は50メートルといったところか。

俺は意を決すると音声と動作を省略した《ディメンジョン・ステップ》の呪文を行使した。今の俺の実力ではこの呪文で跳躍可能な距離は10メートルほど。

無論出口まで辿り着くことは出来ず、かつて廊下があった部分を占めている瓦礫に重なるように転移することになる。

自分が別の物体と重なることで全身に違和感、続いて体がバラバラになるような痛みが俺を襲う。

アストラル界から無理矢理に顕現しようとした肉体が押し戻され、物質界に回帰出来なかった俺の体は呪文の限界を超えて転送される。

全身の細胞一つ一つがヤスリにかけられているかのような感覚の後、俺の体は開けた空間へと放り出された。予め覚悟していたことでそれらの感覚に耐えることが出来た俺は意識を失わずに済み、体勢を整えて着地すると周囲を見回す。

放り出されたのは突入を行った玄関口の付近だ。建造物一つが崩壊したにも関わらず、野次馬の類は見当たらない。ここを襲撃した連中も裏口方向へ脱出していたのか、この辺りには居ないようだ。

それを把握した俺は僅かに口内に入り込んでいた砂利を吐き出すと、受けていたダメージを回復すべくブレスレットからポーションを取り出して飲み干した。

このゲームの世界の転移魔法では別の物体が占めている箇所へ飛び込んだとしても、"石の中"で即死亡とはならない。僅かなダメージを受けて最寄りの開けた空間へ放り出される仕組みだ。

今回の脱出はそのことを利用した荒業だ。だが正直こんな事は二度と御免被りたい。ダメージ自体は大した事はないとはいえ、体に感じる違和感は相当なものだ。

ポーションを数本飲み干して空き瓶を回収した後、巻物による《ディメンジョン・ドア》で裏口側へ飛んだ俺は《アーケイン・サイト》で周囲の観察を開始した。

細い隧道のような路地には召喚術のオーラが強く残っている。先程建物を破壊した男の横にはもう一人、小柄な黒装束姿が控えていた。状況から判断するに、あの人物が《テレポート》の使い手だと思われる。

体格からしておそらくはハーフリングの秘術使い、技量はメイと同等かやや劣る程度か。それとは別に襲撃に参加していたノールが、気配と足音などから察するに20匹前後。

その全てを《テレポート》で運ぶことは流石にしなかったようで、タルカナン氏族のメンバーを運んだノール達はどうやらこの裏口から撤収していったらしい。

俺の目の前には大勢の集団が重い荷物を運んでいった足跡がクッキリと映っている。これを追っていけば襲撃犯達の本拠に辿り着くことが出来るだろう。だが、メイが攫われた今となってはそんな悠長な事をしている余裕はない。

俺は指に嵌めた"三つの願い"の指輪に意識を向けると、彼女を取り戻すために必要な呪文の再現を願った。










ゼンドリック漂流記

3-6.塔の街:シャーン6














今、俺の目には巨大な空洞の中央に立てられた砦が映っている。逆さピラミッドのような形で建造された要塞が溶岩の湖の上に浮かんでいる。

高さ200メートルはある広大な空間に浮かぶこの要塞は、一辺が100メートルほどの逆三角錐であり非常に緩やかな速度で自転している。外壁には大量のガーゴイルが蝙蝠のようにぶら下がっており、要塞を黒く染め上げている。

これはかつて『クローズド・サークル』と呼ばれたこの土地の秘術結社が建造したものだ。シャーンの黎明期に存在した3つの結社の内、この『クローズド・サークル』だけは現存していない。

彼らはデルキールの伝承に関心を抱き、地下竜教団と強い結び付きを形成するだけに及ばず、デルキールの肉細工師の技法をも模倣し始めたのだ。

おぞましい人体実験を繰り返しまさに狂気に身を委ねた彼らは、最終的に残る二つの結社『ウレオン密教団』と『星明りと影のギルド』を敵に回した全面戦争に敗北し、滅ぼされた。

それから既に数世紀が経過し、滅んだはずの組織の砦には今は地下竜教団が舞い戻ってきていた。

《ウィッシュ》から発動した《ディサーン・ロケーション/位置同定》によりメイの連れ去られた位置をこの要塞に特定した俺は、さらに《グレーター・テレポート》による転移と《ファインド・ザ・パス/経路発見》によりこの炎の地底湖へと到達していた。

"三つの願い"全てを叶えた指輪からは魔力を秘めていたルビーが全て失われ、今は魔法の力を持たないリングに成り果てた。

力を失ったそれをブレスレットに収納し、能力値上昇効果を持つ指輪と交換する。《ディサーン・ロケーション》の呪文の発動には10分が必要だったこともあり、メイが運び込まれてから同じだけの時間が既に経過していることになる。

この地底の煉獄にどこからか吹き込む風が、砦の中を通過する度に中の住人の悲鳴を含んでこの地下空洞を満たしている。この要塞の内側で行われている狂気の実験はいかほどのものなのだろうか。

もはや猶予は無い。俺はブーツの飛行能力を再び起動すると、炎の地底湖の沿岸部から飛び立った。

地下深くへと踏み込んでいるこの階層は、シャーンを覆っているシラニアの顕現地帯からも外れた魔窟のようだ。ブーツから付与される飛行能力は自前で呪文を詠唱した際と同程度だ。

壁面に埋め込まれたカイバー・ドラゴンシャードが有する『束縛』の効果によるものか、要塞内部への直接転移は行えない。それ故の正面突破だ。

空を駆け近づく俺を発見したのか、外壁部分にコウモリのようにぶら下がっていたガーゴイルがその翼を広げ、キイキイという鳴き声を発しながらこちらへと殺到してくる。

ガーゴイルが飛び立ったことでピラミッドの壁面に埋められた大量のカイバー・ドラゴンシャードの破片がマグマの放つ光を照り返して不気味に輝いた。

残虐な精神構造を有する魔物は久々の獲物で興奮しているのか、数えるのも億劫になる物量でこちらに迫ってくる。

あれだけの数に押し寄せられたらその質量だけで巨獣すら押しつぶされるだろう。しかも彼らは鋭い爪と牙で武装しているのだ。多少の数が減らされたところで、その過剰な数の暴力はあっという間に侵入者を肉片まで解体するだろう。

その全てが地上に解き放たれれば、シャーン自体が一夜にして灰燼に帰すかもしれない大軍団だ。

だが俺にしてみれば有象無象の群れに過ぎない。むしろ固まって飛び込んでくるだけいい的である。俺が呪文を発動させると、指先から輝く豆粒ほどの大きさの球体が飛び出す。

その球体は黒い雲と化したガーゴイルの群れの中へと一直線に飛んでいき、俺の指定していた目標地点に到達するや低音の響きと共に高熱の炎を撒き散らして炸裂した。

ある意味最も有名な呪文であろう《ファイアーボール/火球》の呪文だ。この呪文によって生み出された火炎は全くと言っていいほど圧力を生じさせずに拡散し、だがその範囲内の存在を完膚なきまでに焼き尽くした。

こんな土地に巣食う連中だから火に対する抵抗を持っているかもしれないと考えてはいたが、どうやら効果は十分なようだ。

5メートルを超える爆発半径にいたガーゴイル達は、僅かに焼け残った肉片をまき散らして溶岩の湖へと落下して行く。D&Dにおけるガーゴイルは人造のモンスターではなく石のように見える生物であり、血と肉で出来ているのだ。

無論敵の集団は今の一撃で壊滅するような数ではない。次々と魔力を秘めた球体が俺の指先から射出され、炎を撒き散らしては黒い雲のような敵集団を削ぎ落として行く。

連続爆破により開いた敵軍の間隙を突き破り、一気に上昇して敵の要塞へと肉薄する。無論敵も追いかけてくるが、反転、上昇したことにより密集度合いを増したガーゴイル達はいい的に過ぎない。

俺のそれぞれの指から次々と零れ落ちるように落下していく球体が敵集団の中央で爆発し、追手達はその火炎に巻かれてあっという間にその数を減らしていく。

俺が目的地である要塞の外縁部に取り付いた時には、もはや俺を追ってこようとするガーゴイルの姿はなかった。大火力の呪文を盛大に使用したために枯渇寸前まで消耗した精神力を、取り出したエリクサーを飲むことで奮い立たせる。

逆さピラミッドの上層部、最も広い三角形で構成された屋上部分へと降り立つと爆発音を聞きつけて迎撃に出てきた異形の姿が見えた。

猫背姿だが頭部はなく、胴体に位置する部分が肥大化して醜い歪んだ顔はその胸部に表情を現している。上下に並んだ二つの口からはこちらを罵る声が別々に紡がれている様だ。

彼らはドルグリム。デルキールがコーヴェアを侵略していた際に戯れで生み出された下級の戦士で、二体のゴブリンを上下に並べ、一体に押しつぶすようにして作られている。

足こそ二本だが腕は四本生えており、左右それぞれに凶悪な刃を備えたグレートアックスを構えている。二つの脳を有するが故に精神作用系の呪文にも抵抗力を有しており、厳しい軍隊のような環境で育てられた彼らは優秀なウォリアーとなる。

デルキール達はこのように侵略したコーヴェアの生物の肉体をキャンバスとして様々なモンスターを作り出した。俗に『異形』と呼ばれるクリーチャー種別は、このゾリアットの支配者達が作り出した芸術作品なのだ。

こちらに気付いたドルグリムがその両手の斧を振り上げて突進してくるが、雑魚に構っている暇などありはしない。威力強化・高速化された《スコーチング・レイ》が俺の眼前から伸び、哀れな門番達を焼き尽くす。

無論敵は1体だけではなく、次々とドルグリムが武器を構えて現れる。だがその全ては俺の視界に入るやいなや蒸発していく。彼らが存在した証は、今となっては遺品としてその場に落ちる斧しかない。

墓碑替わりに屋上に突き立てられ、あるいは階段に刺さった斧を踏み越えて俺は進む。逆さピラミッドの中央部は直径25メートルほどの円形の穴が深く穿たれていて、その壁面には螺旋階段が設けられている。

暗闇の中、至る所に埋め込まれたカイバー・ドラゴンシャードが妖しく輝いており、まるで闇夜に数多の瞳で見つめられているような気分にさせてくれる。

俺は《フェザー・フォーリング》が付与されたアイテムの効果を受け、階段を利用せずにその中央にある空洞部分を真っ直ぐに落下して行く。

周囲を覆う螺旋階段は一定の高さごとに階層を構成するフロアへの出入口を有している。時折そこから異形が飛び出してくるが、そういった連中は全て他の連中同様、炎に焼かれて塵になる運命を辿った。

《ファインド・ザ・パス》は言ってみれば車のナビのような働きをする呪文だ。指定した目的地に対しての最短ルートを適宜指示し、仕掛けられている罠を突破する方法すらも伝えてくれる。

落とし穴があれば警告し、合言葉が必要な罠やドアはそのコマンド・ワードを教えてくれる。地形や罠によらない障害物──門番などのクリーチャーについての情報は教えてくれないが、今の俺にはそれで十分だ。

本来であれば侵入者の精神を侵し、狂気を掻き立て、死に至らしめる数々の《シンボル》の罠は脳裏に浮かぶコマンド・ワードを唱えることで無力化される。それらは全て『狂気の御子らの御代は来れり』。全く、嫌になる合言葉だ。

響く悲鳴と助けを求める声を無視して落下を続け、螺旋階段の終着駅へと辿り着いた。外から見た感じだと今いる場所は丁度ピラミッドの中枢部分のはずだ。どうやらこの真下が目的の場所のようだが、ナビは横方向の移動でこの階層を突破していくことを求めている。

だがここまで来ればもはや誘導の必要はない。建造物の破壊は連中の専売特許ではない。俺はブレスレットから一対のメイスを取り出した。

『アンホーリィ』の力が付与されたことで悪のオーラを放つこの武器には、その邪悪をさらに上回る凶悪なパワーが込められている。両手に構えたそのメイス達を、俺は振りかぶって床に叩きつけると同時にその込められた力を解放した。


《《《《ディスインテグレイト》》》》


武器に込められた物質を分解する凶悪な呪文の重奏が左右それぞれの戦槌から床へと注ぎ込まれた。岩盤は塵に、塵はさらに細かな分子へと分解され、かつて床があった部分にはぽっかりと虚無の空洞が広がった。

足元を支える物質がなくなったことで再び俺の体は重力に引かれて落下を始める。

床を抜けた先は、中央シャフトよりもさらに広い空間だった。なんらかの儀式を行うためなのか中央に向けて徐々に高くなるような傾斜がつけられており、その中央部には台座が設けられている。おそらくは祭壇のようなものだろう。

そしてそこにはローブの上半身部分をはだけられ、仰向けに横たえられているメイの姿があった。普段はその豊かな双丘によって隠されている、胸の中央部のドラゴンマークが青い光を放っているのが俺の視界に飛び込んできた。

彼女の周囲には3体のドルガント──ホブゴブリンを素体として作られた、肩から触手を生やした異形が台座を囲むように立っている。彼らはその擬似視覚の能力で俺の出現に気付いたのか、触手をこちらに向かって伸ばすと威嚇するように叫び声をあげた。

その声に応じて彼らの足元の影が立ち上がったかと思うと、その影はそのままの勢いでこちらへ飛び上がってきた。先程手こずらせてくれたシャドウだ。襲撃時の指揮官よりは格が落ちるのか、その総数は6体。

だが先程奇襲を受けた際とは準備も覚悟も違う。役目を終えたメイスから持ち替えたシミターを彩る炎の煌きが一際激しく輝き、俺はその刀身に秘められた秘術のエネルギーを解放した。

刃から螺旋を描きながら立ち上った炎は俺の頭上で球状となり、あっという間に凝縮すると音もなく炸裂した。焼け付くような熱と輝きを有した光球はさながらこの空間に太陽が現出したかのようだ。

《サンバースト/陽光爆発》と呼ばれる高位呪文の爆発は俺をも巻き込みながら台座の上に寝かされていたメイの直上まで広がった。

こちらに近づいていたシャドウ達はその対極の存在である陽光に包まれて一瞬で蒸発し、その主達も逃げこむべき影を打ち消されてその上半身を焦がされた。

だが流石に鍛えられた精鋭たちだ。並のモンスターなら今の一撃だけで死亡、あるいは生き延びたとしても視界を焼かれて立ちすくむことしか出来ないはずだが連中は違った。

生来目を持たないゆえにその体に生えた繊毛で周囲の状況を知覚するドルガント達は、台座の上に降り立った俺に対してその触手と鍛え上げた四肢で即座に反撃を加えてくる。

だが、遅い。鞭のように勢いをつけて打ち出されようとしていた触手がこちらに向けて加速を始めた瞬間には、既に俺が両手に構えたシミターが3体のドルガントの首を刎ねていた。

切断面では光輝エネルギーが爆発し、さらに刀身から巻き上がった炎が彼らの体を焼き尽くす。魔法の炎は彼らの血肉を糧として燃え続け、細胞の一片すら残さずにこの世から消し去った。

周囲の脅威を焼却した俺は、台座の上から周囲を見回した。この部屋は地下竜教団にとって礼拝堂のような役割を果たしているのだろう、今の場所からは部屋中を見渡すことが出来、その様子を知ることが出来る。

不規則に屹立した柱の表面は様々な表情を浮かべた人型生物の顔で埋められており、ところどころに突き出された腕が"消えずの松明"を保持して周囲を照らしている。

これがはたして彫刻によるものなのか、それとも実際の生物を用いたものなのかは判断出来ない。『狂気の次元界』を統べる王達はいずれも生物の肉体をその芸術表現の発露の場として選ぶ。

信奉者達もそれに傚っているのだろう、理解し難い芸術で覆われたこの場はまさに邪教の神殿と呼ぶに相応しい光景だ。こんな場所に長居は無用、当然の判断を下し横たえられたメイを抱き上げる。


───おや、もう帰るのかね?


突如心中に喜悦が湧き上がると同時に、脳裏に声が響いた。自分の五感を通じて入ってくる感覚が、そして感情が直接脳髄に叩き込まれた情報によって上書きされていく。


───ようやく主賓をお迎えできたのだ。今宵の宴はまだ始まったばかりだ。楽しんでくれたまえよ


足の裏から感じていた感覚が薄れていくことで平衡感覚を失い、一瞬バランスを崩しそうになる。この感覚は、感情は俺のものじゃない! 自分を強く意識し、体の芯から指先に到るまでの感覚を丁寧に、だが僅かな間で捉え直す。

抱き抱えたメイの僅かな重みが腕からは感じられ、それが俺に自分の存在を感じさせてくれる。圧倒的な思考の奔流を遮断することに成功した俺は、この思考の主の姿を求めて礼拝堂のテラスを睨みつけた。


「悪いがアンタらとは趣味が合いそうになくてね。パーティーは気の合う連中同士でやっておいてくれ」


俺の視線の先には人間と同じほどの背丈の生物が立っていた。だが似ているのはその背丈以外は腕や足の数くらいのものだ。緑がかった藤色の肌は粘液でてらついており、四本足の蛸のような頭部からは長い触手が垂らされている。

彼の口を覆い隠すその触手は感情の動きに同調してゆらゆらと動いており、閉じられた左眼とは対照的に見開かれている右眼は黒く染まっていながらもその瞳孔が金色に輝いている。

イリシッド、あるいはマインドフレイヤー/精神を砕くもの、だ。ゾリアットの軍勢の司令官を務めることもある悪名の高さでは1,2を争う異形のクリーチャー。


───怯える必要はない。お前は我が手によって新たな存在へと生まれ変わるのだ


服従せよ、
と強烈な思念が叩きつけられる。桁違いに勢いを増した思考波が俺の意識を屈服させようとする。どうやら先程までのは奴にしてみれば漫然と思考を垂れ流していただけに過ぎないようだ。

勢いを増して浴びせられた精神衝撃波を受け、物理的に押し込まれたかのように膝をつきそうになる。イリシッドの意識が俺の意識と混濁し、視界すらもが俺のものから奴のものへと切り替わりそうになる。

千切れ飛びそうな思考を掻き集めて再構築し、最低限の要素で呪文を編み上げて《フライ》を自分に付与し飛び去ろうとする。《マインド・ブラスト》の射程距離は20メートルほど。テラスからであれば部屋中に届く射程距離ではあるが、頭上の穴から抜けてしまえばその範囲外に逃れることが出来る。転移の封じられた空間から逃げ出しさえすれば後はどうにでもなる。


───ふむ、それは少々面倒だな


イリシッドのその思考が俺の脳裏に届くや否や、俺の胸元で光が炸裂した。あまりの光量に目が眩み、発動しようとしていた《フライ》の呪文が霧散していく。呪文発動の途中で攻撃を受けたことでバランスを崩し、視界を奪われたこともあり斜面を無様に転がり落ちることになったがなんとか体勢を立て直す。

《ルーセント・ランス/輝く槍》、微かに耳元に届いたのは確かにこの呪文を発動させる"力ある言葉"だった。弾けた光はむしろ俺の体に当たって跳ね返った余録に過ぎず、その呪文の核であるエネルギー構成物は俺の体に浸透しダメージを与えている。

突然俺を襲った痛みと視界の断絶から立ち直るのに要した呪文は数秒。だがその僅かな時間のうちに俺を取り巻く状況は一変していた。

どこに潜んでいたのか、祭壇の周囲に佇む黒装束の集団。だが何よりも問題なのは、その祭壇の上に立つメイの姿だ。

俺に向かって呪文を放ち、盲目となった隙をついて懐から逃れた彼女は今は黒装束達に守られるように佇んでいる。その瞳には生気がなく、彼女がなんらかの心術の影響下にあることを教えている。

《ドミネイト/支配》、対象の精神を操り思うがままに動かす呪文だ。だが彼女からは該当する秘術のオーラは感じられなかった。そこからこれがイリシッドによる《サイオニック・ドミネイト》であろうと推測する。

《サイオニクス》はその名の通り秘術呪文や信仰呪文とは異なる、いわば超能力と呼ばれる系統のパワーだ。"サイオニクス・ハンドブック"で導入された強力な能力である。その代表的な使い手が目の前にいるイリシッドであることは言うまでもないだろう。


「蛸野郎、小細工かましてくれるじゃねぇか……」


サイオニクスに属する能力はその能力にパワーを多量に注ぎこむことで効果を飛躍的に高めることが出来る、俺の扱う呪文系統に近いといえる法則を持っている。周囲の状況から判断するにメイに掛けられた心術の効果は短くて1時間、長ければ1週間以上に達するだろう。

このイリシッドは彼女にこの術をかけた後に祭壇に配置し、俺の隙を突く機会を窺わせていたのだろう。最初メイを取り囲んでいたドルガント達は捨石だったということだ。全く、手の込んだ真似をしてくれる。初めからこの状況に持ち込む予定だったに違いない。


───彼らは私の研究の成果だ。お前たち地上の肉虫達の体に現れる"竜のマーク"、私はそれを増幅する術を編み出したのだ


メイを取り囲む黒装束の数は3人。いずれも体の一部が肥大化しており、そこを中心に全身を覆わんばかりの巨大なドラゴンマークが輝いている。ある者は真正の青、あるものは特異型の赤とその色や形には全く統一性が見当たらない。

だが彼らの体を覆っているオーラはいずれも非常に高位の呪文エネルギーであり、そのマークが見た目だけではなく強力なパワーを有していることを示している。


「ドラゴンマークを剥ぎとるだけじゃなく、成長させて植え付けることができるって訳か。

 マーク氏族が知ったら卒倒ものだな」


エベロン小説である『シャーンの群塔』に登場したこの異形、チラスクは特異なカイバー・ドラゴンシャードを使用してドラゴンマークを剥ぎ取る技術を有していた。あの話から2年が経過している。その間に行われれた狂気の実験が奴の技術を向上させたのだろう。

他にもバジリスクの瞳やハーピーの声帯を人間に移植し戦闘に活用させるという悪夢のような事を現実に行っていたはずだ。おそらくは選りすぐりの精鋭であろう目の前の黒装束達も、見た目以上の脅威を秘めていると考えるべきだ。


強靭な素体であればあるほど、強大な竜の力を身に宿すことが出来る。お前という器であれば、今回用意した特別なマークも肉の身に宿せるやも知れぬ


好奇心と喜悦、相混じった感情が流れ込んでくる。どうやらこいつにはマッドサイエンティストの気もあるようだ。ゾリアットとイリシッド、正に最悪の組み合わせだ。まったくこのエベロンのデザイナーはいい趣味をしている。


「悪いがそんな実験に趣味はないな。彼女を連れて帰らせてもらうぞ!」


即座に呪文を編み上げ、メイを中心に《ショックウェーヴ》を開放する。相殺呪文を用意していたらしいメイの《ディスペル・マジック》により術式は解体され、呪文は不発に終わったがその初撃は囮に過ぎない。

《呪文高速化》によりその直後に叩き込まれた二の矢がメイと黒装束をノックダウンする……そのはずであったのだが、メイの傍らに控えていた小柄な黒装束が放った相殺呪文によりそちらの呪文もが解体された。

術者タイプのドラゴンマーク能力者。紋様のパターンから推察するに、嵐のシベイ・マークのようだ。だが彼は見たところハーフリングであり、本来嵐のマークを有するハーフエルフには見えない。

幻術の類でもないようだし、どうやらドラゴンマークの移植はどのような種族に対しても可能のようだ。ますますこの要塞で研究されている技術の危険性が高くなった。

種族の制限にすら因われずドラゴンマークを得ることが出来るとなれば、この技術がコーヴェアに齎す影響はとんでもなく大きな事になるだろう。そして既得権を脅かされるマーク氏族たちがこの技術を放っておくとも思えない。

なにしろ、元となるマークは誰かから剥ぎ取る必要があるのだ。そして剥ぎ取られた対象は小説によれば死亡してしまい、蘇生すら叶わない。自身に競争相手が出来るだけではなく、能力自体が奪われるのだ。おそらく第二のマーク戦争が勃発することになるのではないか。

一瞬の交錯からそんな事にまで俺の思考が飛躍している一方で、他の黒装束達も行動を開始していた。それぞれのドラゴンマークが活性化し、エベロンでは滅多にお目にかかれない高位呪文の効果が発現する。

部屋の中に突如黒雲が出現し、稲光が走り雷鳴が轟いた。その轟音が俺の鼓膜を強烈に振動させ、一時的に聴覚を麻痺させる。同時にテラスへと向かう方向には虹色の壁が出現し、きらびやかな七色の光が俺の網膜を焼いた。


「(《ストーム・オヴ・ヴェンジャンス/天罰の嵐》に《プリズマティック・ウォール/虹色の壁》! どちらも最高位に近い呪文じゃないか!)」


聴覚と視覚を奪われたことで俺の戦闘能力は一気に削られた。感覚を取り戻すため思念でブレスレットを操作して魔法のアイテムを使用しようとするが、勿論敵はこちらのそんな隙を見逃すような甘い連中ではない。

俺の研ぎ澄まされた触覚には空気の動く感触が感じられ、2人の黒装束と思われる連中がこちらへと殺到してくるのが判る。だが把握できるのはその程度であり、肝心の攻撃のタイミングについては皆目見当もつかない。

感覚を奪われる直前に得ていた情報に、今握っているシミターが付与してくれる洞察力により色付された触覚の情報を重ね合わせて後は直観に身を委ねる。いずれにせよ今の位置からは動かなければならない。虹の壁から6メートル以上の距離を取らなければ、永遠に視覚を取り戻すことは出来ないのだから。

低くなっている床の部分に並べられた椅子の間に、地面を転がるようなかたちで身を躍らせその場を離れた。

左手にはシルヴァーフレイムの聖印が刻まれたラージ・シールドが握られている。"ロリク・チャンピオン"の銘を持つこの盾はその軽さからは信じられないような強度を誇り、盾で受けたダメージを大幅に吸収する効果を持つ。

気配の先にこの盾を叩きつけることでなんとか敵の攻撃をやり過ごそうとした俺だが、その試みは失敗した。確かに物理的な衝撃は盾がほとんどを吸収してくれたが、特異型ドラゴンマークの放つ強力なパワーはシルヴァーフレイムのレリックを超えてなお俺の身へと影響を与えてくる。

憎しみを核とした強力な呪いが、銀炎の浄化の輝きを乗り越えて俺を蝕もうとする。だが俺は意志の力を振り絞ることでその呪いを弾く。《グレーター・ビストウ・カース/上級呪詛》という呪文と同じ効果だ。呪われたが最後、満足に身動きすることもできずに一方的に蹂躙されてしまうだろう。

身を投げ出した位置が良かったのか、それ以上の攻撃が俺を襲うことはなかった。そしてその稼いだ時間が"ロリク・チャンピオン"に込められた癒しの呪文を発動させる機会を与え、俺の閉ざされていた感覚が開放される。

数瞬が経過しただけだというのに、目に映る光景は大幅に変じていた。黒雲からは酸の雨が降り注ぎ、柱に刻まれていた顔達は肌を焼かれたことで苦痛の雄叫びを挙げている。既に掲げられていた松明は投げ捨てられて消えており、せっかく視界を取り戻したというのに室内は暗闇に覆われている。

唯一黒雲が発する稲光のみが一瞬室内を照らし、その惨状を露にしている。歪められた大自然のエネルギーは荒れ狂い、幾条かの雷がこちらに飛んでくるのを慌ててバックステップしてかわす。

こちらを取り囲もうとする黒装束たちには全く被害がなく、俺にのみ向かって飛来する雷はやはりこの黒雲を召喚したドラゴンマーク能力者の制御下にあるのだろう。いよいよ激しくなる雨足により視界がどんどんと制限されていく。

拳大のひょうが降り注ぎ体を激しく打ち据える中、俺は接近してくる黒装束たちを無視して一気にメイを含めた後衛陣の方へと駆け抜けた。

立て続けに《ショックウェーヴ》の呪文を放つことでメイの行動をその相殺へと専念させ、その傍らに立つハーフリングの術者の精神集中を失わせる狙いで短刀を投げつけながら突進する。牽制のその攻撃は小剣を抜いたハーフリングに容易にたたき落とされるが、それは十分に想定の範囲内だ。

左右を挟み込んで襲いかかってきた黒装束の、ドラゴンマークのパワーが乗せられた拳を回避しながらハーフリングを斬りつける。攻撃の直前に多数の幻を展開して俺を惑わせるつもりだったようだが、生憎と幻術のたぐいは俺には通用しない。

雨の中なお激しい炎を吹き上げるシミターが小男の体を深く抉り、弾けた光がお返しとばかりに眼を焼く。視界を奪われ接近された術者が俺に抵抗できるわけもない。其の次の瞬間には俺が再び両手にそれぞれ構えたシミターにより首と胴を薙がれ、ハーフリングの黒装束は雨で濡れた床へと崩れ落ちた。

術者が倒れたことにより、先程までは1メートルほど先を見通すことも困難だった雨はあっという間にあがり、黒雲は跡形もなく消滅した。

術者の頭数を減らすことが出来れば、あとは力押しである。呪文システムのチートにより通常を遥かに上回るスピードで連打される《ショックウェーヴ》がメイと黒装束を打ちのめし、確実に体力を削っていく。

タルカナン氏族の拠点にいた連中に比べれば遥かに鍛えられた精鋭たちとはいえ、体力は無限ではない。

数多の呪文修正特技により増幅された振動波は頑強な肉体に抵抗されてなお、範囲内にいたメイと黒装束の意識を数発で刈り取るのに十分な威力を有していた。

俺がハーフリングを倒してから僅か20秒ほどの間で、既にこの祭壇の周囲に立っているのは俺だけとなった。

意識を失っているメイを抱き上げつつテラスに視線をやるも、七色に発光する壁は今もなお健在だ。壁は天井まで伸びており、俺が開けた穴をも塞いでいる。どうやらこのまま逃がしてくれるつもりはなさそうだ。

《プリズマティック・ウォール/虹色の壁》というこの呪文には通常の解呪は効かず、七つの色に対応した呪文をぶつけて一つずつ色を解呪する必要がある。無論俺にはその呪文バリエーションがないし、おそらくはメイの手にも余るだろう。

壁の向こう側には既にマインドフレイヤーの気配はない。先程の黒装束達同様、この要塞の中でも瞬間移動が可能ななんらかの手段を有しているのだろう。別の場所で歓迎の準備を整えていると考えていいようだ。

《プリズマティック・ウォール》を展開した術者の姿が見えないが、おそらくそいつは異形の傍にいたのだろう。今俺から見える範囲内にはその姿を確認できないため、とりあえず今のところは思考の片隅へとその存在を追いやっておく。

メイに仕掛けられていた《サイオニック・ドミネイト》を自前の《ディスペル・マジック》で解呪し、念のため《マジックサークル・アゲインスト・イーヴル/対悪防護円》を付与してから治癒呪文で彼女に与えた非致傷ダメージを取り除く。

スクロールから発動した《ヒール/大治癒》による白い輝きが彼女の体を覆い、体を満たした正のエネルギーが状態異常を取り除いていく。


「う……トーリさん、すみません。私のせいで余計な手間をおかけしちゃったみたいで」


術者といえども高レベルの冒険者だけあって、メイは意識を取り戻すと即座に周囲の状況を把握したようだ。はだけたローブをしっかりと着直して立ち上がった。


「いや、連中の目的はどうやら俺だったみたいだし、巻き込んじゃったのはこっちのほうさ。

 それにどっちにしろ目的の品を奪ったのはここの連中だったみたいだし、遅かれ早かれ事を構えることにはなっただろうさ」


秘術の行使で消耗した精神力を回復させるエリクサーを渡し、支配されていた間の事を訊ねる。


「最下層にある巨大なカイバー・シャードの結晶と同調させられたのを覚えています。おそらくあれがこの要塞内での転移系呪文の制限を制御しているんだと思います。

 後はこの祭壇に連れてこられたことくらいですね」


連中がこの要塞内で突然出たり消えたりするカラクリがそれだということだろう。《ハロウ/清浄の地》のような結界呪文によるものではなく、ドラゴンシャードを媒介にそのような仕組みを作り上げているところが特殊ではあるが効果は似たようなものだろう。

いずれにせよ、こちらだけが瞬間移動を禁じられている状況は不利以外の何物でも無い。出来れば決戦前に処分して条件を五分にしておきたいところだが……。


「たぶんですけど、この要塞を浮かべている術式の制御もその結晶が兼ねていると思います。

 ここの最重要区画でしょうし、そこにさっきの蛸さんもいらっしゃるんじゃないでしょうか」


まあ当然の予測だろう。どっちにしろシベイ・ドラゴンシャードを回収するまでは要塞に落下してもらっては困る。メイの転移が封じられていないだけマシだと考え、現状の戦力で手を打つしか無いだろう。


「ここまで目を付けられた以上、後腐れが無いように殲滅するしかないだろうな。メイ、力を貸してくれるか?」


地下竜教団はその全てがほぼ独立した組織であり、横のつながりはないといっていい。そもそもその括りからしてカイバーそのものを信奉するものやそのカイバーに囚われている上古のモンスター達を信奉しているものが一緒にされているせいもあるのだが。

そうだとしても、俺に関する情報が拡散するのは避けたい。あのイリシッド──チラスクはここで倒す必要がある。俺だけではなく、メイのようなドラゴンマークを持つものにとっても奴の存在は脅威となる。

その上ドラゴンマークを付与、成長させるような技術が公になったとすればこのコーヴェアに強い影響力を有するマーク氏族達を中心に大きな乱れが生まれる事になるだろう。そんな災いの芽は摘んでしまうべきだ。

その為にもメイの力は必要だ。


「はい、勿論です。嫌だって言ってもついていきますからね。どこまでもご一緒しますよ、トーリさん」


俺の差し出した手をそっと握り、メイは微笑を浮かべながら答えた。



[12354] 3-7.塔の街:シャーン7
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2011/02/13 14:01
設置された罠を解除し、閉じられた扉を打ち壊し、配置されていた大量の異形の軍勢を蹴散らして俺とメイは最下層に到達していた。

チラスクは自らの存在を誇示するかのように要塞内を自分の思考波で満たしており、自身が最下層にいることを伝えてきている。俺たちは誘いと知りつつも彼の異形を討つべく下へ下へと降りていった。

触角で触れた金属を一瞬で腐食させるラスト・モンスター、蜘蛛と人を掛け合せたようなエター・キャップ、麻痺させた生物を捕食する巨大蟲キャリオン・クローラー、アメーバーに多数の眼球を埋め込んだようなジバリング・マウザー。

ゾリアットの秘術によって生み出された異形の種族達が、扉を潜る度に俺たちへと襲いかかってきた。

押し寄せるラスト・モンスターの大群などは普通の冒険者であれば涙目かもしれない。だが術者である俺たちにとって金属を腐食させる攻撃は戦士達ほど恐れるものではない。

大量のエリクサーによりリソースの消耗を度外視することができる術者の火力は圧倒的である。メイと俺が紡いだ呪文により生み出された火球が、雷撃が、氷嵐が、密閉された空間を蹂躙してそれらの異形に死を振り撒いた。

数多の屍を築き上げついに到達した両開きの重厚な扉を、待ち伏せを警戒して《アンシーン・サーヴァント》に開けさせるするとその先には不気味な緑色の光に満たされた空間が広がっていた。

時折不気味な影を映し出す培養槽と思わしき液槽が立ち並び、その液体を透過する照明の光がこの部屋の中を染め上げているようだ。

直径3メートルほどの液槽が立ち並ぶ部屋の上方にはキャットウォークのように中空に足場が張り巡らされており、その中央にはこの要塞の空間転移を制御する巨大なカイバー・ドラゴンシャードが浮かんでいる。

そしてその脇に立つ、異形の影が一つ。その異形の足元には部屋の向こう半分を埋めるほどの巨大な培養槽が配置されている。あの中に、おそらくは奴の言う"特別製の"ドラゴンマークがあるのだろう。


───大願成就の時は来た。蒐集せしめたか弱き地下竜の力は、シベイの結晶を喰らってその力を増した。

汝の器をカイバーで満たし、その力を以て我らが王が封じられている暗黒への道を開くのだ



腕を広げ、触手を蠢かせながらマインドフレイヤーの司祭は高らかにそう宣言した。










ゼンドリック漂流記

3-7.塔の街:シャーン7














戦闘の口火を切ったのはメイの《スコーチング・レイ》だ。高い術者としての技量に裏付けされた三本の閃光が空中を走り、異形の怪物に殺到した。

だがその火閃はチラスクに触れる瞬間、水面に触れたかのような波紋を空中に残して消失する。高次生物の有する呪文に対する抵抗力───呪文抵抗が、その肉体に達する前に術式を掻き消したのだ。


───地上の生物の紡ぐか弱い呪文など、我が身には通じぬ


強力な精神力を有する彼らはその肉体の外側まで意思の力で覆っている。そうやって形成された一種の力場が、他者の具現化した魔法という現象を拒絶するのだ。

返礼とばかりにチラスクの触手が蠢き、その延長線上にイリシッドの意志力によって不可視の鞭が編み上げられる。《エゴ・ウィップ》、打ち据えることで自我を喪失させ魅力に直接ダメージを与えるサイオニックのパワーだ。

だがその不可視の攻撃をメイは召喚術士特有の"にわかの移動"によって液槽の影に隠れることで回避した。3メートルほどではあるが自身を任意の位置に転移させる技術で、術者の生存性を高めるという点においては非常に有用な能力だ。

目標を見失った不可視の鞭は空しく床を打ち据え、精神力を無駄に消耗させられたチラスクの苛々した感情がこちらに伝わってくる。通常必中である攻撃を回避されたのが気に喰わないのだろう。

一方その攻防の最中を縫って、《フライ》の効果を得た俺は中空のキャットウォークへと飛び上がる。不安定な足場を蹴り、彼我の距離を一気に詰めて剣を振るう。

彼らゾリアットの係累は見た目に反して強靭な皮膚と構造を有しており、バイシュク山脈で発掘される特殊な金属、"バイシュク鉱"以外による攻撃で傷つけるのは難しいとされている。

俺が今振るっているコペシュには、そういったあらゆる素材の特性を模倣することで敵の持つダメージ減少効果を貫通する魔法効果が付与されている。見た目からはバイシュク製には見えない金属武器による攻撃であれば、チラスクの隙を突けるかもしれない。

二本のコペシュを構えた俺は転がるような低姿勢で前進すると、間合いに捕えたチラスクへその緑鋼製の刀身を掬い上げるようにして見舞った。

だが、俺の考えは想像だにしていなかった手段により無効化される。今まで閉じていたチラスクの左の眼が開かれ、その不釣合に大きな瞳に映し出された空間に存在するあらゆる魔術的効果が抑止されていく。

魔法により極限まで鋭さを高められた俺の武器はただの高品質の刃物に成り下がり、それはチラスクの肌に触れるも硬質な音を発して弾き返された。《アンティマジック・フィールド》だ!


───かつて傷を負い敗北した我が身に、"千眼の王"は力を与えてくださったのだ。

さあ、絶望を受け入れよ。我が内側にて久遠を感じるがいい



"千眼の王"ベラシャイラ! 1万年前にコーヴェアを蹂躙したゾリアットの指導者たち、今もカイバーの地下深くに封じられている6体のデルキールのうちの1体の名であり、ビホルダーを代表とする凶悪なクリーチャーの生みの親だ。

どうやら別種の生物の特徴を移植することを得意とするこの司祭の技術の対象には、自身の身すらも含まれていたようだ。小説で登場した際に弓で射られ失った左の眼窩に、魔法抑止空間を生み出すビホルダーの瞳を植え込んでいるとは!

だがそれらの情報に驚いている暇は与えられなかった。間合い深く踏み込んでいた俺を狙い、チラスクの触手が伸びる。四本の触手の根元、その中心にはヤツメウナギのようなグロテスクな口が覗いている。

触手で絡めとった対象の脳を一瞬で摘出し、喰らう。これがマインドフレイヤーが忌み嫌われる最大の特徴だ。

その上、かつてのラピスのように脳の代替物質を秘術的に封入する儀式を行うことで"ヴォイド・マインド"と呼ばれる自我を持った人形を産み出すことも出来るのだ。この秘儀には三体のイリシッドが必要と言われているが、目の前の規格外の存在に対しては何の慰めにもならない。

脳を有する全ての生物にとって必殺とも言えるその触手から逃れるべく、全神経を集中して回避に専念する。普段であれば掠めることすら許さない体捌きを可能にしている数々のマジックアイテムがその効果を抑止されており、体の動きが非常に鈍く感じられる。アイテムでドーピングすることに慣れきっていることの弊害だ。

まるで粘度の高い液体の中を進んでいるかのような感覚の中、間一髪で触手の間合いから逃れることに成功する。

普段であれば無条件で組み付きから逃れる効果を与えてくれるブーツもその力を失っている今、一度囚われればそれは即、死を意味することになる。これでは迂闊に斬り込むことも出来ない。

幸いブレスレットの効果は抑止されておらず装備の入れ替えはできるようだが、敵の外皮を抜く効果を今手にしている武装に頼り切っていた俺はバイシュク製の武器を持っていない。

敵の防護を貫通する術を失った以上、取り得る手段は"ソード・オヴ・シャドウ"のような大火力で防護ごと叩き斬る事だ。

だが組み付きに対する保険を失った今、接近戦は二の足を踏んでしまう。だが呪文は《アンティマジック・フィールド》によって無効化され、例え視界外に逃れて発動させたとしても呪文抵抗を貫くことは出来ないだろう。

俺が接近してチラスクの注意を引いている今この瞬間にも、メイは立て続けに呪文を放っているがそれらは全てチラスクの防御フィールドの前に掻き消されている。彼女に大きく劣る俺の技量では、奴の呪文抵抗を貫くことは出来そうも無い。

後方へ下がって距離を取りながら次の手を模索する俺に対し、チラスクは余裕の現れかその左眼を閉じると思念波を送ってきた。どうやらメイについては後回しのようだ。


───抵抗は終わったか? ならば儀式を始めるとしよう


その言葉が合図だったのか、階下にある培養槽の一つから羽の生えた人影が飛び上がってきた。ハーピーと思わしき翼を背中に移植され、目と鼻を縫い合わされた人体実験の犠牲者が空中を舞いながらその口を開く。

だがその口によって紡がれたのは人の心を惑わす歌などでは無かった。喉を中心に移植された特異型ドラゴンマークが輝き、伝わってきたのは冒涜の歌──《ブラスフェミイ》だ。

強力な悪の呪力が歌声に乗せて叩きつけられ、格下の生物の生命力そのものを揺るがす。即死と麻痺は免れたものの体に浸透する波動が全身の神経を遮断し、平衡感覚と筋力を奪った。翼持つ者の歌は1コーラスでは終わらず、初撃の影響で朦朧としている俺へ追唱がさらに叩きつけられた。

取り落としそうになったコペシュを握り締め千切れ飛びそうになる意識を繋ぎとめようとするが、再び開かれたチラスクの瞳が俺を捉え魔法効果が抑止されてしまう。

辛うじて意識を失うことは避けたものの、今の俺は自分の体を支えるだけで精一杯な有様だ。もはや握りしめたコペシュは武器の役目を果たさず、ただ俺の崩れそうな体を支える杖にしかならない。

そんな俺の体に異形の者が空中から乗り掛かり、組み伏せる。既にチラスクの瞳は閉じられているが、《ブラスフェミイ》で弱体化されたためにこの程度の非力な連中を振り解くことも出来ない状況だ。

レベルで劣る対象を一方的に蹂躙する《ブラスフェミイ》のパワーに、チート装備の数々を全て無効化する《アンティマジック・フィールド》。俺がこの世界で特に注意すべき呪文、その筆頭を争う二つが的確に浴びせられたことで一気に劣勢に立たされた。


───もはや満足に動くことも叶うまい。さあ、心を静めよ。

儀式を行うには感情が波立っていてはならぬ。お前の魂に狂気を受け入れさせてやろう



もはや自分の勝利を疑っていないのだろう。懐から奇怪な形状のカイバー・シャードが嵌め込まれた短杖を取り出し、チラスクは歓喜に満ちた思考波を周囲に撒き散らす。

だが、その宣言に異を唱える者がいた。


「それが我が同胞の魂を喰らいし凶ツ石か。二度とこのような真似が出来ないよう、ここで砕かせてもらうぞ」


その声は、突如暗闇から響いてきた。凶悪な魔力が吹き荒れたかと思うとその力は生命を喰らう顎の力を具象化して男の左腕に宿った。

いつの間にこの場に現れたのか。その姿を隠す漆黒のローブを纏った男が俺を組み伏せていた異形に左手をかざし指先で触れると、その恐るべき異能が発動し触れたハーピーもどきを絶命させた。

《スレイ・リヴィング/生者抹殺》、その名の通りクリーチャーの生命を奪う凶悪な呪文だ。


「道に迷いカイバーより這い出てきたか。ここは貴様等の存在すべき場所ではないぞ。

 どうやらその目が自慢のようだが我が賜り物と比べてみるか? なぁ、ゾリアットの申し子よ」


突然現れた人影は、《カイバーズ・ゲート》で見失った"腐れの"バルだった。彼は物言わぬ亡骸となった有翼の異形を階下に蹴り飛ばして俺とチラスクの間に立ち塞がった。

常人では正しく効果を発揮させることも難しい特異型ドラゴンマーク、その上級マークの力を揮って微塵も乱れを感じさせない。

先程俺がかけた《チャーム・パースン》の効果は既に抜けているようだ。その強い意志の力を感じさせる瞳がマインドフレイヤーを睨みつけている。


───これはこれは。我らの刈り入れを免れた獲物が自ら籠の中に入ってきてくれるとは。

歓迎するぞ、地下竜に触れられしものよ。その聖痕を捧げ、我が作品はさらに高みに登るだろう



その視線を向けられたチラスクはむしろ喜悦に表情を緩めながらその思考を迸らせる。そして閉じられた左の瞼が持ち上げられ、再びその視界にとらえられた魔術回路が抑止されていく。

だが、バルはそんなことなど気にならないとばかりに軽やかなステップでチラスクとの距離を詰めた。あまりに気配のないその動きで、彼はチラスクの背後へと回っていく。

鍛え上げられた"軽業"技能によるフットワークは狭いキャットウォーク上でもいささかも陰りを見せず、傍からはバルがチラスクの体を通り抜けたかのように見えたかもしれない。

いつか戦った時と同じように、その手にはいつの間にか小振りな金属片が握りこまれている。背後から延髄に向かってその紫色の輝きが突き出され、ぬめりとした皮膚へと吸い込まれる。

異形の声によらない絶叫が広間を埋め尽くす。痛みを伝播させる思念が爆発し、まるで自分の首に金属片が差し込まれたかのように感じる。

色からしておそらくはバイシュク製の暗器だったのだろう、ゾリアットに仇なすこの金属はその硬質の外皮を容易に貫通し、急所を穿った。

だが、その一撃で倒れるほど甘い敵ではない。この異形の凶司祭は双方の眼から血涙を流しながらもその生まれ持った強靭な精神力で空間をねじ曲げ、部屋の天井近く、5メートルほどの高さへと自身を転移させた。

自らの身体を一時的にアストラル界へと移し、その後物質界の僅かに離れた場所へと顕現させたのだ。《ディメンジョン・ドア》の呪文、そのサイオニック版といったところか。

自らはその能力によって空中に留まり、魔法によって飛翔する存在は眼によって呪文を解呪され墜落させる。翼を持たない俺たちを相手にするには有効な位置取りだと言えよう。


虫けら風情が、よくもやってくれたな───気が変わったぞ、貴様は生きながらにその聖痕を剥ぎ、決して狂えぬようにしながら生き地獄を味あわせてやろう


ビリビリと空気を震わせてチラスクの怒りが伝わってくる。どうやら奴の注意は完全にバルへと移ったようだ。無論その隙を逃す俺たちではない。

メイが準備していた呪文を解き放つ。繰り返した呪文攻撃と《アセイ・スペル・レジスタンス/呪文抵抗分析》によってチラスクの纏うフィールドの弱点を看破した彼女から《ディメンジョナル・アンカー/次元移動拘束》による緑色の光線が飛び、チラスクを撃つ。

狙い違えずチラスクの呪文抵抗を貫通したその光は、チラスクの体を覆うと彼の体をこの物質界へと固定した。これで最早、先程のように瞬間移動で逃れることは出来はしない。


「トーリさん、今です!」


メイがその呪文を成功させたことを伝える掛け声を挙げ、それに応じて俺はチラスクの左眼の範囲外へ転がり出ると未だ力の十分に入らない左手でブレスレットから取り出したダーツを握りしめて呪文を構成した。

右手に握りこんだ物質要素が俺の呪文を受けて変化を起こす───ダイオウの葉がクサリヘビの胃袋を活性化し、自らを溶かす程の酸の塊となる。そしてその酸は一直線にチラスクへ向かって飛んでいく。

チートにより最大限まで威力を強化された《アシッド・アロー》はチラスクの胴体に命中するとあっという間にその表皮を溶かし、内臓まで侵食した。再びマインドフレイヤーの声によらない絶叫が室内を満たす。

この《アシッド・アロー》は酸の創造と矢弾として打ち出されるところまでが魔法としての効果であり、一度そうやって射出された後は単なる物理現象にしか過ぎない。故に異形の持つ呪文抵抗を無視してダメージを与えることが出来るのだ。

そしてこの呪文が飛び交う最中にも、タルカナン氏族の誇る暗殺者は動きを止めていなかった。蜘蛛の巣のような刺繍を施された外套が翻り、着用者に超常の歩行を可能とさせた。


「無様だな。貴様が同胞に齎した災いの万分の一にも満たぬところではあるが……

 これで幕引きとしてやろう。再びカイバーのはらわたへと還るがいい」


蜘蛛のように壁伝いに天井へと歩を進めたバルは、そう呟くとその足を天井から離した。重力に引きずられて落下するその先には侵食を続ける酸によって苦しむチラスクがいる。

両者が空中で交錯する一瞬、再び紫の光が走った。その閃光は既に巨大な空洞を抱えていたチラスクの腹部を横一線に薙ぐ。キャットウォークに音もなく着地したバルが立ち上がったのを合図に、チラスクは上下に分割された。

その一撃が止めになったのか、イリシッドの体は浮力を失うと落下していく。自らの研究成果を閉じ込めた培養槽へ派手な水柱を立てて沈んだために姿はすぐに見えなくなったが、緑色の溶液の中にたなびく様に赤い血の色が広がっている。

明らかに致命傷だ。即死ではないだろうが、もはや指一本動かすことも出来ないだろう。その上、転移を封じられたとあっては最早助かる術はない。

それを見届けながらも《レストレーション/回復術》のスクロールを使用し、《ブラスフェミイ/冒涜の声》で与えられたダメージを取り除く。全身に癒しの光が染み渡り、ダメージ以外の疲労などを消し去っていく。


「トーリさん、大丈夫でしたか?

 結果的には作戦通りでしたけど、私はドキドキしっぱなしでしたよ~」


決着の切掛となった呪文を放ったメイが、キャットウォークにふわりと舞い降りてきた。彼女の《ディメンジョナル・アンカー》の呪文がチラスクを縛り付けなければ、どれだけ致命傷を与えてもあの異形を逃がしてしまう恐れがあった。

超常の力を操る連中は逃げ足がとても早く、ともすれば別の次元界にまで逃げていってしまう。チラスクを確実に仕留めるために、まずはその逃げ足を封じてから攻撃に移る必要があったのだ。

まずその逃げ足を封じ、そして可能であれば一気に仕留める。それがこの世界での戦闘の鉄則だ。準備に時間をかけることで戦闘能力が飛躍的に向上するこの世界では奇襲は圧倒的有利を生む。厄介な敵を逃げ落ちさせることで後の憂いとなることを避けるのはとても大事な事なのだ。

予めそのことが判っていた俺たちは、まずチラスクの注意をメイから引き剥がすことに注力することにしたのだ。チラスクの左眼や《ブラスフェミイ》という想定外の要素によってプロセスに変化は生じたが、結果的には予定通りだと言える。

コルソスの頃から彼女に指導していた敵の呪文抵抗を突破する方法についてもきっちりと運用出来ており、文句の付け所がない。


「メイの仕事は完璧だったよ。俺のヘマで心配かけたみたいだね」


メイに労いの言葉をかけつつも、視線は反対の方向へと向けられている。そちらには想定外の要素の一つ──"腐れの"バルの姿があった。メイを背後にしたこの立ち位置は、奇しくも初対面の場面を思い起こさせる。


「そのように怯える必要はないぞ、冒険者よ。確かに俺の心に詐術をかけた返礼はいずれさせてもらうが、今はその時ではない。

 『顔無し』どもからの依頼は果たした。後は囚われの同胞を連れて帰るだけだ」


バルはこちらを向きながらそう言った。『顔無し』とは、おそらくチェンジリングの事だろう。俺たちの動向は把握していたはずだから、建物が崩れた時点でフォローに動いたということだろうか。

あの崩れた建物の中からバルがどうやって脱出したかはこの際どうでもいいだろう。抜け道や脱出手段くらいはいくらでも用意が効く。

こちらを見据える彼の表情は上半分がフードに覆われ、口元も腐食によって爛れており真意を読み取ることは難しい。


「……いいだろう。確かにここでアンタと争うことに利は無いしな」


バルが俺と"タイランツ"の関係を知っていたとは考えづらい。そういう意味でも彼の言葉には一定の信用がおけるだろう。

警戒を解く証として武器を納める。バルを送り込んできたということは、"タイランツ"側が現状に対応した行動を取っているということだ。この要塞は『クローズド・サークル』の秘宝が収められた宝の山だ。

俺は無視してきたが上層フロアにも色々なアイテムは眠っているだろうし、この下層フロアも多くの隠し扉が存在した。ここを根城にしていた連中の規模から考えると、相当な財産が貯め込まれていると見ていいだろう。

それは"タイランツ"が欲している情報についても言えることだ。彼らがこのことを見逃すとは考えられない。既に何人かのエージェントが送り込まれていても不思議ではないだろう。

とはいえ俺はそのどちらにも大して興味がない。ゾリアット由来のユニークアイテムに心当たりはいくつかあるが、ゲーム上ならともかくこの世界でそんな曰く付きの装備を使う気にはなれない。

さっさとシャードと同調を行い、テレポートで脱出しよう。そう考えた俺は何の気なしに部屋を見回し、そのおかげで視界の片隅に映った異物に気がついた。階下の巨大な培養槽、その中に満たされた溶液が不自然に波打つと中から何かが物凄い勢いで飛び出してきたのだ!

咄嗟にメイを《ディメンジョン・ホップ》で突き飛ばし、自身もキャットウォークの上を転がって飛来したその"異物"を避ける。

俺の射程内にいなかったバルはどうしようもなかった。例え手の届く範囲内にいたとしても、シャードとの同調を行っていない彼は次元間移動を妨げられて転移することは出来なかっただろう。

俺の視界には今、その胸部を尖った柱の先端のようなものに貫かれた男の姿が映っていた。赤黒く複雑な紋様をそのまま実体化したような不自然な物体が階下から伸びている。

バルを貫いたその物体は、俺とメイを狙ったものと一緒に培養槽へと引っ込んでいく。同時に階下では培養槽を囲っていたクリスタルの壁面が砕かれる音が連鎖する。おそらくはあの大きな培養槽の中から伸びたものが、他の培養槽を貫いているのだ。

無論その行為によって、巨大培養槽を覆っていたクリスタルも砕け散る。内部を満たしていた溶液が溢れ出し、階下には一瞬で緑色の海が現出した。急激な撹拌により霧が生まれ、その直後に強風が吹き荒れると"それ"が姿を現した。

鋭いひっかき傷を幾重にも重ねたかのような赤く輝く紋様は曲線を主体として空色に輝く真正ドラゴンマークのものとは明らかに異なっており、それが特異型ドラゴンマークであるということを示している。

だが、そのサイズが尋常では無かった。オージルシークスを上回る全長は20メートルほどだろうか。本来ならば皮膚の上に浮き出る二次元上の存在であるはずのその紋様が、実体を持ち俺の眼下で蠢いている。

周囲に翼のように広げたその紋様の先には、他の培養槽に沈められていた実験体達が貫かれていた。そしてこの巨大なマークが脈動したその瞬間、哀れな実験体達の姿は消滅する。取り込まれたのだ。バルの姿も既に見えない。

だが、そんな中でも吸収されずに残っている異物の姿が一つ。マークの中央上面に、上半身だけとなったチラスクが埋まっている。見ようによってはチラスクの腰から下にドラゴンマークが生えているように見えなくも無い。

その体表は特異型ドラゴンマークに覆われ、まるで全身が瘡蓋か刺青で覆われたかのようだ。もはや残された面影はその触手を含めた輪郭だけではあるが、あの特徴的なシルエットは間違ようもない。

そこまで観察したところで動きがあった。周囲の存在を取り込んだことでさらに力を増したのか、震えるようにその体積を増しながらこの巨大な特異型マークはその力を解き放った。


────────────────────────ガァァッ!!


チラスクの思念波による雄叫びとともにその核となった中枢、数多のシベイの結晶を取り込んだドラゴンマークが強く激しく輝き、放出された力が要塞を強く揺らした。局地的な地震が壁や床を引き裂き、要塞全体が軋んで構造物が擦れる音が叫び声のように木霊する。

俺はキャットウォークから投げ出され、落下してくる瓦礫を《フライ》の呪文による空中機動で回避しながらこの謎の物体から距離を取った。

今発動したのは《アースクウェイク/地震》の呪文だ。他にも宙に浮かんで広がる紋様の先端では、様々な呪文が発動されている。

ある紋様は周囲の水分を蒸発させ、ある紋様からは際限なく蟲の大群が産み出されている。他の紋様の先端は緑色の光を放っており、触れている壁面を分解している。

《ホリッド・ウェルティング》に《インセクト・プレイグ》に《ディスインテグレイト》。いずれも強力無比な呪文のパワーだ。他にも炎や氷、電撃と言った様々なエネルギーが紋様の先端から放出されている。

《デイ・オブ・モーニング(悲嘆の日)》などの呪的災害に見舞われた土地には、呪文のエネルギーが実体化した『リヴィング・スペル/生きている呪文』というモンスターが生まれることがあるという。

さながらこいつは『リヴィング・ドラゴンマーク』と言ったところか。複数の異なる紋様が繋ぎ合わされて形成されたツギハギの紋様竜。その節目にもシベイの結晶が輝いている。


「トーリさん!」


そしてそのリヴィング・ドラゴンマークはまだ食い足りないのか、こちらへとその紋様の先端を向けてきた。竜の翼指骨のように幾重にも分かれたそれぞれの紋様から、その先端が伸びてこちらを貫こうとしてくる。

メイが《フォッグ・クラウド/濃霧》の呪文によって霧を発生させ敵の視界を遮ったが、どうも視覚とは異なる超感覚でこちらの位置を把握しているようで霧を貫いて幾条もの紋様が中空を疾る。


───渇く。足りぬ、満たされぬ。この飢えを満たす水を、肉を、いや、血を、脳を、狂気を!


もはや正常な思考も残っていないのか、千々に乱れた思考波を撒き散らしながらチラスクを起点に紋様が乱舞する。大人の胴体ほどもある紋様の先端が針千本のように伸ばされていく。

俺とメイはそれらの合間を掻い潜るようにして飛び回る。紋様の伸縮は単調なためそれ自体を回避することは容易だが、問題はその紋様に秘められた特異型ドラゴンマークの能力だ。

紙一重で回避しようものなら、触手が展開しているそれらの呪文効果に巻き込まれてしまう。そのため、紋様がそれらのエネルギーを解き放つ瞬間には大きく余裕を開けて回避する必要があるのだ。これが非常に厄介だ。

無論その合間にも立て続けに本体のドラゴンマークの力は発揮され続けている。度重なる《アースクウェイク》によって既に要塞の外壁は大きく欠けており、その隙間からは赤熱した溶岩の海が垣間見える。

今ならカイバー・ドラゴンシャードとの同調を行わずともあの裂け目から要塞の外に脱出し、その後に《テレポート》で脱出することは容易だろう。

しかしその先にまであの化物が追ってこないという保証はない。あんな高度の呪文を乱発しているのだ、放っておけば遠からず自壊すると思いたい。だがもし俺がシャーンへ転移したところにこの化物が追ってきた場合。塔の街は1,500年前と同様の大崩壊を起こすことになるだろう。

そしてこの地下にこの化物を放置出来たとしても、やはりこの化物が地上に現れる可能性は否定できない。同じようなこともメイは考えているだろう。そして彼女がその危険に目を瞑ってこいつを放置して逃げ出すとは考えられない。


「仕方がない、こいつはここで倒すぞ。 メイ、力を貸してくれ!」


俺のその声を契機に再び要塞内に攻撃呪文が咲き乱れた。俺が接近することで紋様竜の注意を引きつけた隙に、遠目に陣取ったメイが砲台となって攻撃魔術を展開する。

先程チラスクの防御を突き破った鋭い構成の呪文が火線を描いて降り注ぎ、体幹の当たる紋様の中枢部に向かう。だがその放たれた《スコーチング・レイ》は赤黒く輝く紋様に触れることなく掻き消された。

続いて円錐状に広がった冷気の放射が紋様竜を包みこむが、撒き散らされた冷気も紋様竜の表面に届くことなく霧散していく。床に微かに残っていた培養液が氷結した直後に踏み砕かれ、氷の擦れる音が響く。


「ダメです、さっきのとは段違いの呪文抵抗です!

 私の構成力じゃ抜けそうもありません!」


メイの呪文が不発に終わったのを見て俺も呪文を投射する。先程チラスクの胴を焼いた《アシッド・アロー》に火のエネルギーを追加し、万物を融解させる熱と酸が混合された滅びの矢を形成して紋様竜へと放った。

だが巨人すら瞬時に絶命させるであろうその魔弾を持ってすら、このモンスターにダメージを与えることは出来なかった。粘度をもった酸がナパームのように燃え上がりながら持続的に巨体を灼いているものの、全く動きが鈍らない。

規格外のエネルギーに対する抵抗力──おそらくは完全耐性に近いものを有しているのだろう。どうも呪文による攻撃は効果を期待できそうも無い。

そうなると残った手段は物理攻撃。俺は左右の手に構えたコペシュをブレスレットに格納し、替わって"ソード・オヴ・シャドウ"を呼び出してその黒く輝く柄を握り締めた。

──狙うは、ただ一箇所。紋様の中心、数多のシベイの結晶が作り出す円環の中央部に座すチラスクの本体だ。末端の紋様部分をいくら攻撃しても効果があるとは考えづらい。長期戦では擂り潰される恐れがあるし、頭を潰しての短期決戦を狙うべきだろう。

幸い敵はその巨体も相まって動きは非常に鈍い。単調な紋様先端部の攻撃を掻い潜って接近することは可能だ。最も危険な《ブラスフェミィ》の効果を、武器に《サイレンス》を付与することで無効化した後に俺は紋様竜の中枢目掛けて飛び込んでいった。

横を通りすぎていく主要な紋様が一部枝分かれし、ランクの低い特異型ドラゴンマークの能力で俺を迎撃してくるがそんなものは全く脅威にならない。俺は《フライ》の呪文が与えてくれる飛行機動性の限界に近い速度をもってチラスクに肉迫した。


「(間合いに捉えたっ! 《トゥルー・ストライク/百発百中》!)」


エレミアとの模擬戦闘で浮き彫りになった俺の近接打撃能力の不足を補うために習得した呪文が、《サイレンス》による静寂の中で音声要素を省略して発動される。

効果を発揮した占術が、俺に一種の未来予知に近い洞察力を与える。肥大した空間認識力は周囲の空間の様子をコマ送りにし、その停滞した時間の中で自分の思考だけが加速する。

自身の意志によって起こされる体の動作が引き起こす結果を完璧に把握し、現在発揮できる最大の殺傷力を一本の武器へと注ぎこむ。呪文によって与えられた速度と加速を、全身から"ソード・オヴ・シャドウ”へと伝達させる。

筋繊維の一本一本をコントロールしたかのような最適な動作で運動エネルギーが黒の大剣へと収束され、空気どころか空間そのものを切断するかのような勢いで致死の魔力で打ち鍛えられた黒いアダマンティンの刃が疾った。

胸元に輝く血色の宝石──ブラッド・ストーンと呼ばれる特殊な魔力を帯びたエベロン・ドラゴンシャードの結晶が付与するエネルギーがさらにその勢いを加速させる。

チラスクの首に黒刃が吸い込まれ、奴の体表を覆う特異型マークの歪な紋様に"ソード・オヴ・シャドウ"が衝突し───そしてそこで静止した。

《サイレンス》の呪文が無ければ、部屋中に硬質の物同士が衝突した大音響が響いていたに違いない。かろうじて剣を取り落とすことは免れたものの、俺の腕には最大威力の斬撃を放った反作用が返ってきており肘から先の感覚が麻痺している。

おそらくはあのオージルシークスの鱗をも両断したであろう斬撃を受け止めた紋様は、膜のようにチラスクを覆っておりまさに鉄壁の防御を形成しているようだ。

俺が《トゥルー・ストライク》で得た洞察以上の堅牢な防御。最も年経た真竜の鱗に匹敵するほどの硬さを有している。呪文とエネルギー攻撃に対する高い抵抗力に加え、接近戦においても鉄壁の防御!

だが、その難攻不落ぶりに驚いている暇はやはり与えられなかった。俺の意識が紋様へと引きつけられている間に、チラスクの触手がこちらの腕を伝うようにして頭部へと向かってきたのだ。

一本一本がのたうつ蛇のような動きをしたその触手の根元には、鋭い歯が並んだ真円の口が広がっている。脳を喰らうその必殺の顎から逃れるべく、剣を支えに自身の体を後方へと勢い良く後退させた。

中枢部分から離れたことで、こちらに狙いをつけた翼指骨の紋様たちが俺へと殺到する。迸る秘術エネルギーの奔流に押し流されながらも、その勢いを利用するように宙を飛び安全圏まで離脱する。

"ソード・オヴ・シャドウ"を消したことで周囲の空間が音を取り戻し、それと同時に俺の腕にも感覚が戻ってきた。


「痛っ!」


感覚の戻ってきた腕に、引き攣れたような痛みが走る。視線をやると、先程チラスクの触手が這いずった痕に紋様が残されている。タトゥーシールのようにローブの上から張り付いたそれは、痛みと熱を俺に与えながら腕へと侵食してきた。


「トーリさん!」


俺の異変に気付いたメイが、《ウォール・オヴ・フォース》の障壁で紋様竜とこちらを遮断して飛び寄ってきた。不可視の障壁は伸びてくる紋様とその呪文エネルギーを遮り、一時的に安全地帯を部屋の一角に創り出した。


「大丈夫ですか、トーリさん。腕が……!」


既に熱と痛みは収まったが、薄手のローブを透かすように特異型ドラゴンマークの赤く輝く光が漏れている。あの僅かな接触の間に、俺の腕は二の腕付近まで刺青を入れたような姿になってしまった。

意識をステータス画面に移すと、各キャラクターが習得していた特技枠が特異型ドラゴンマークに塗り替えられているのが解る。今は最下級のマークを上書きされただけに留まっているが、接触が長引けばより高位のマークへと上書きされていくのだろう。

ゲームではシベイ・ドラゴンシャードを使用することで特技の取替が行えた。それを考えればシベイの結晶を媒介にドラゴンマークを付与・強化するというのは筋が通っているように思える。

なるほど、確かにそう考えれば俺の器は通常の冒険者の七倍は大きいと考えられる。試してはいなかったが、複数のキャラクターに別々のドラゴンマークを習得させることで俺ひとりに複数の真正ドラゴンマークを発現させるという通常ありえないことも出来るかもしれない。


「……大丈夫だ。このくらいならまだ戦闘に支障はない。メイはまだ大丈夫か?」


メイにエリクサーを渡しながら、自分のステータスを確認する。1Lv時に選択していた特技が食われてしまった影響でそれらを前提とするいくつかの別の特技も効果を失っているため、能力を著しく制限されているとはいえそれは決定的なダメージではない。


「はい、どちらかというと敵の注意がトーリさんに向いているようですから私はまだ平気です。

 けど、あれだけ強固な呪文やエネルギーへの抵抗があるとなると私の用意している呪文じゃ効果的なダメージは与えられそうもないです」


メイの術者としての練度は相当なものだ。シャーンに戻っても、彼女以上の術者は五人といないだろう。その彼女で有効打が与えられないとなれば、やはり物理攻撃でダメージを与えるしか無い。

問題はあの紋様の尋常ではない防御なのだが……。


「メイ、すまないが奴の注意を引きつけてくれ。30秒で構わないから」


そう言ってもう一本のエリクサーを彼女に渡したところで、彼女の展開した《ウォール・オヴ・フォース》による壁が突き破られた。《ディスインテグレイト》のパワーを持つ紋様がついにその力場を文字通り『分解』したのだ。


「わかりました! トーリさんには指一本触れさせませんから!」


俺にそう答え、メイは再び俺を中心に《ウォール・オヴ・フォース》による障壁を張り巡らせた。そして彼女はこの力場を砕き得る唯一の紋様の動きを制限すべく、召喚術を展開し始めた。

彼女の手元から小さな銀製の輪が消え去ったかと思うと、よく似てはいるがもっと大きな輪が彼女の手から放たれ、紋様へ向かっていきそれを締め付けた。《バンズ・オヴ・スチール/鋼の帯》と呼ばれる拘束呪文だ。

紋様の先端に近い部分は即座に《ディスインテグレイト》の効果により分解されていくが、そのパワーの影響が及ぶ範囲は限られている。紋様の中央から根元にかけての部分は押さえつけられており、可動部の根っこを押さえつけられたことで分解の紋様は事実上動きを封じられている。

無論そうやっている間にも他の紋様は蠢いている。だが俺に向かった紋様は《ウォール・オヴ・フォース》により遮られ、メイは《レッサー・セレリティ》による高速機動により敵の攻撃範囲内から逃れている。

メイはその後も次々と紋様の動きを制限していく。判断力を失っているように見えたチラスクも流石に彼女のことを煩わしいと感じたのだろう。今や紋様竜の意識は彼女に集中している。

数本の紋様の動きを封じたとはいえ、十を超える別の紋様が次々にメイへと殺到する。だがメイはその攻勢を呪文による神経加速により全て凌いでいた。

通常であればありえない反応速度と移動速度を発揮したことによる"加速酔い"は、彼女の胸に輝くドラゴンマークによって抑えられている。メイは普通の術士であれば意識を朦朧とさせてしまうような連続呪文行使にも耐え、戦闘を続行している。《豪胆のマーク》という、真正ドラゴンマークの発現者に時折現れる稀有な才能の一つだ。

だが、いくら術の反動に耐性があるといっても高度な呪文を連発することは出来ない。エリクサーと指輪による補助があるとはいえ、先程の30秒という条件がギリギリだろう。俺は彼女が稼いでくれたその貴重な時間の間に"仕込み"を終えなければならないのだ。

脳裏に展開した複数のキャラクターデータを操作し、次々とレベルアップのプロセスを進めていく。特異型ドラゴンマークによる侵食とチラスクの防御力が、予定していなかった成長を俺に強いることになったのだ。

7キャラクターの成長を確定させ、俺の体をレベルアップの白いエフェクト光が覆った。それを受けて俺の腕の紋様も剥がれ落ち光の粉になって消える。特技の取り直しで特異型ドラゴンマークを排除しようとしたのだが、上手くいったようだ。直後ジャスト30秒が経過し、メイの展開した力場の壁が消滅する。

今や部屋の反対側に移動しているメイを追い、紋様竜は完全に俺に背後を見せている。その隙を突いてチラスクへと直進する俺に気づいて何本かの翼指骨がこちらに向き直ろうとするが、メイが唱えた《エヴァード・ブラック・テンタクル》によって産み出された黒い触手に縛られてそれらの動きは封じられた。

俺の手に握られたのはツルハシのような獲物だ。強力なシャーマンが自らの肉体に生やした凶悪な刃、その頭部を加工して作られた"デスニップ"という武器だ。頭蓋骨の口腔から生えた鋭い刃はその見た目に違わぬ殺傷力を有しており、ヘビーピックという特化した火力を持つ武装をさらに研ぎ澄ませた殺傷力を誇っている。

俺の付加した呪文により一層その殺傷性能を高められた狂気の一刺しが、こちらに向き直ったチラスクの頭部を襲う。

《トゥルー・ストライク》によってお互いの動きを洞察することで攻撃の軌道を最適化し、『魔術的防護貫通』の効果がチラスクを覆っていた魔力による反発の力場を外皮へと減退させ、《レイスストライク/幽鬼の打撃》の呪文によりその体表をすり抜けた必殺の刺突がチラスクの額を穿った。
 

────────────────────────!!


直前に使用したバーバリアンの"激怒"能力により増幅された筋力は、本来はバイシュク鉱以外からの攻撃を許さない強靭な異形の骨を易々と穿った。武器に飾られた頭蓋骨がチラスクのそれと衝突するほど深く刃が突き刺さり、異形の声ならぬ叫びが空間を満たす。

まるで"デスニップ"に飾られた頭蓋骨がチラスクの頭部に噛み付き、その脳を喰らっているかのようにも見える。『魔術的防護貫通』の一撃を受けたことによりこの異形を覆っていた紋様は粉々に砕け散って剥がれ落ち、粘液に光る肌が露出した。

だが明らかに致命傷であるその攻撃を受けてなお、チラスクは反撃を繰り出してきた。消え行く命の灯火の最後の輝きか、その細腕からは考えられないような膂力を持って"デスニップ"を握っている俺の腕を掴むとその触手を寄せてくる。

紋様が剥がれ落ちたことで開かれた左眼から発される《アンティマジック・フィールド》が俺の体から機敏な動作を奪い取り、組み付きから逃れる呪文効果を抑止する。その上浮力を失った足元、紋様竜に触れている面からは俺を覆い尽くそうとしているのか、紋様がせりあがって来る。

だが、そのペースは遅い。敢えてその触手の射程に留まった俺は"激怒"により強化された筋力でそれらを振り払い、もう一方の手に構えた鈍器を振りかぶるとチラスクの頭部に埋まった"デスニップ"の頭蓋骨へと叩きつけた。

オーガメイジの脚の骨を加工して作られた棍棒が"デスニップ"の先端をさらにチラスクの頭蓋へとめり込ませ、さらにその特殊な能力を発動させる。

強く叩きつけられたその棍棒に刻まれたルーンが妖しい輝きを放って明滅し、その光でチラスクを包み込んだ。"アンチ・マジック・ルーン"と呼ばれるこのルーンは、打撃された対象の呪文行使能力を抑制する効果があるのだ。

続けざまに攻撃を浴びせられ、弱ったチラスクにもはやその体を包む薄い光の膜を振り払うことは出来なかったようだ。

後はトドメを刺すだけだ、と棍棒を両手で握りしめた俺だったがその役目は別の者に譲ることになった。チラスクから剥がれ落ちた紋様が奴の背後で形を成したかと思うと、人型を取ったそれは強烈な勢いでマインドフレイヤーに攻撃を放ったのだ。


「この力は我が同胞たちの魂の力。貴様が奪ったもの、全て返してもらうぞ!」


先程までのチラスクのように全身を刺青で覆われたその姿は、紋様竜に取り込まれたバルのものだった。全身に特異型ドラゴンマークの輝きを宿した彼は、その鍛え上げられた鋭い手刀で背後からチラスクを袈裟懸けに切り裂く。

如何なる呪文の効果によるものか赤い光を纏った手刀は豆腐を切り裂くようにこの異形を再び切断し、紋様から切り離した。さらに周囲の紋様の翼の先端が次々とチラスクに殺到して貫いていく。

その攻撃を受け、足元の紋様竜本体が硬直したかのように動きを止める。直後、それぞれの紋様に込められたパワーを撒き散らして崩壊が始まった。

断末魔のように最後の《アースクウェイク》が放たれ、それに耐えかねたのか中央に浮かんでいたカイバー・ドラゴンシャードが砕け散り要塞そのものが崩落を始めた。構造物の底が抜け落ち、巨大な石のブロックが下に広がる溶岩湖へ次々と落下していく。

足場となっていた紋様竜が崩壊したことで、俺やバルの体も投げ出される。無論俺には《フライ》の呪文が掛かっており、"激怒"状態とはいえ既に付与されている呪文効果を使用するのは何ら問題はないはずだ。だが現実には俺の体は重力に引かれて自然落下を行っている。

その原因はすぐに判明した。首から上だけの存在となったチラスクが、その左眼を見開いて俺の直上を落下しているのだ。その周囲には紋様竜に取り込まれていた数多のシベイ・ドラゴンシャードが星のように輝いている。

あのような状況でも左眼から放たれる《アンティマジック・フィールド》は健在のようだ。"デスニップ"の一撃を頭蓋ではなくあの左眼窩に叩き込まなかったことが悔やまれる。

魔法抑止空間にいるため、もはや奴がどのような思考をしているのかは伝わってこない。だがその顔を見れば俺を道連れにしようとしているのは一目瞭然だ。流石の俺も、魔法が抑止された状態で溶岩の海に放り出されては長くは保たない。

落下までは5秒ほど。魔法の効果が抑止される以上、上空にいるメイの呪文による助けは期待できない。数メートルとはいえ頭上に浮かぶチラスクを今すぐ排除しなければ地獄の釜で茹でられる羽目になる。

無理を承知でブレスレットから弓を取り出して、ふと気づく。今まで鈍い灰色に染まっていたブレスレット八番目の宝石───"レンジャー"のデータを収めたそれが、青い輝きを放っている!

俺がそちらへ意識を移すと周囲のシベイ・ドラゴンシャードが光を放ち、俺の体へと吸い込まれていく。同時に体の芯から溢れてくる活力。どういう理由かブロックされていたレンジャーのデータへのアクセスが解除され、その装備や能力が俺の身に宿る。

即座に実体化させた矢筒には様々な種類の素材の矢が納められている。無論、その中にはバイシュク鉱の鏃を持つものも存在した。

半ば反射的にその矢を二本番え、立て続けに放つ。"レンジャー"の有する特技、《速射》により時間差をおいて放たれたそれらの矢は狙いを過たずチラスクを貫いた。

1本目の矢はチラスクの左眼を穿ち、《アンティマジック・フィールド》を消し去る。そしてその直後に放たれた二の矢はチラスクの触手を掻い潜ってその口腔に突き刺さり、魔法抑止空間が消えたことで弓によって付与されたパワーを解き放つ。

突如地底の空間に閃光が走り、どこかから放たれた雷光が彼の異形を打ち据えた。《ライトニング・ストライク》。ゲーム中でも最大の破壊力を誇ったその付与効果は地底空間にすら雷を呼び寄せ、過剰なまでの火力でチラスクを焼き払った。

炭化した異形は落下の勢いでその原型を留めずにボロボロに崩れていく。その燃えかすは浮力を取り戻した俺の横を通りすぎて、眼下の溶岩へと降り注いだ。

赤熱した溶岩へと吸い込まれた灰は一瞬でその姿を消す。今度こそ、間違いなくチラスクの最後だ。彼の遺骸を追うように、大量の瓦礫が降り注ぐ。俺の頭上にも巨大なトラックほどのサイズの岩塊が迫ってきている。

だが間一髪、絶好のタイミングで駆けつけたメイに抱かれ、俺は彼女の唱えた《テレポート》の呪文でこの地下空間から離脱したのだった。










「……なるほど」


ベッドに横になったまま、束ねられた紙に目を通す。今読んでいるのは、タイランツが纏めた『赤き手』に関する報告書だ。《イリューソリィ・スクリプト/幻の文》で記述されたこの文章を読めるのは、文の書き手が指定した人物に限定される。

現在も彼の軍勢はニューサイアリに向けて進軍中。そのうえ何やらモーンランド───謎の魔法災害で崩壊した、かつてのサイアリ国───に展開しているウォーフォージドの軍勢、"ロード・オヴ・ブレード"が白炉廠で何やら怪しい動きをしているとか。

公式シナリオの死霊王が"剣の王"に置き換わっているということだろうか。他人事だからこそこうして平気な顔で読んでいられるものの、実際に自分が巻き込まれていたらこのシナリオを演出した脚本家に呪いの言葉を吐いているに違いない状況である。

街の全人口を超えるホブゴブリンの強兵達に、巨人やドラゴンをも擁したティアマトの尖兵達とロード・オヴ・ブレード。いかに故国サイアリを愛する勇士が今も集まりつつあるとはいえ、「それなんて無理ゲー」と言わざるを得ない。


「僕がこうして横にいるっていうのに、随分とその紙束に御執心みたいだね。そんなに気になることが書いてあるのかい?」


そう言って俺の耳をそのたおやかな指でひっぱる女性は、シーツの隙間からそのスレンダーな体を覗かせている。先程まではノックダウンしていたことにより閉じられていた翠色の瞳がこちらを覗き込んでいる。

肩よりわずか上で切りそろえられた赤茶色の髪、その合間からは猫のような可愛らしい耳が姿を見せている。シーツに隠れていて見えないが、きっと腰には綺麗な毛並みの尻尾も生えているのだろう。

そう、彼女の姿は今このシャーンには居ないはずの女性、ラピスの姿そのものである。


「……いい加減その姿は勘弁してくれないか。なんというか、心臓に悪い」


無論、実際にラピスが今俺の横にいるわけではない。昨晩の一件が片付いた後に"タイランツ"に赴いた俺はネレイドに誘われるがままに客室へと案内され、そこで彼女の歓待を受けたのだ。

今の姿は劣勢になった彼女が、とっておきと称して見せたものだ。確かにその効果は抜群で、俺は一瞬自分の心臓が止まったかと思った。実際にこの状況を知られれば、別の意味で俺の心臓は動きを止められてしまうに違いない。

そう思うと病気に完全耐性があるはずの俺の胃がシクシクと痛むように感じてしまう。モンクの"無病身"は変則的能力なので例え《アンティマジック・フィールド》の中でさえも効果を失わないはずなのだが、一体どうしたことだろうか……。


「フフ、どうやら一矢報いることができたようですし、このあたりにしておいてさしあげますわ。

 それにしても本当にラピスとは仲がよろしいようで、驚きましたわ。あの針鼠みたいな子をこんな短期間で懐柔するなんて、一体どんな手を使われましたの?

 よろしければ後学のために教えていただけませんか?」


俺の様子に満足したようで、ネレイドはあっという間に見慣れた姿へと変貌した。チェンジリングの持つ変身能力だ。身長であれば30センチほどの範囲で、体格などはほぼ任意と言っていい範囲で自身の肉体を変化させる能力である。

しかもこの能力は幻術ではなく、実際に彼女の肉体自体を変貌させているのだ。本人の口調や癖といったものは自身で真似る必要があるため完全な成りすましとはいかないが、体格すら変化させられるというのはとんでもない能力であることに違いない。

彼女たちの商売のことを考えれば、まさにその能力を最大限に活かす事ができる天職だといえる。


「何度もお互いの命を任せるような危険な山場を超えてきたからね、信頼も生まれるってもんだろう。

 それより俺は君たちが知り合いだったってことのほうに驚いたよ」


本当のことを言えるはずもないので、当たり障りの無いことを口にして誤魔化す。彼女たちはその情報網を活用して、このブレランド国の王室直属エージェントであるキングス・シタデルとも友好的な関係を築いている。

俺がお得意様になったとしても彼らが情報屋であることには変わりないし、チートについての情報は決して漏らせない。


「あの子は昔、南行きの船に乗る前にはこの街で暮らしていたのはご存知かしら。その頃縁があって彼女も私と一緒に働いていたの。

 といっても彼女はお客を取っていたわけじゃなく、用心棒としてだけれど」


確か"タイランツ"は『変身生物』に類するものしかメンバーに受け入れないというルールがあったはずだ。そういう意味ではラピスはライカンスロープであるためにその制限をクリアしている。

とはいえ普通はチェンジリングとドッペルゲンガーくらいしかメンバーとは考えないだろうし、想定の範囲外だ。そういう意味では秘匿戦力として都合が良かったのかもしれない。


「ダースク達が活発に動き始めた頃に、私達の領分にちょっかいをかけてきたことがあるの。その際にはボロマール・クランの連中も裏で手を回してきたりで厄介な事になってきて、未熟だった私は何度か彼女にフォローしてもらって助けられたことが何度がありますの。

 でもラピスはその時、派手に立ち回り過ぎてしまって。幹部連中が大勢死んだことで体制の立てなおしが必要になって抗争どころじゃなくなったんだけど、流石にシャーンに留まるのはリスクが高いと考えて新天地に向かったの。

 妙なところで縁って繋がっているのね」


そうラピスの事を話す彼女の顔はどこか物憂げである。かつての友人との別れを思い出しているのだろうか。

ダースクはドロアームの支援を受けている犯罪組織だし、ボロマール・クランはアーラムとの深い繋がりもあるシャーン最大の犯罪結社だ。その両方を敵に回したのであれば、確かにこの街で暮らしていくことは難しいだろう。


「なるほどね……しかし俺が君たちのところ訪ねて大して日数も経っていないのに、よくそんな事まで調べ上げたな。全く、恐れいるよ」


『赤い手』に関する情報も、秘術呪文によって永続的な精神的リンクを構築している現地のスタッフからリアルタイムで情報を吸い上げているらしい。彼らのネットワークはシャーンだけではなく、コーヴェア中に広がっている。

そしてそれはストームリーチも例外ではないということなのだろう。だが俺のそんな考えはネレイドの次の言葉で若干覆されることとなった。


「フフフ、ちょっとこれについては別の事情がありますの。

 実は貴方が私達のところへ来る前に、ラピスからシヴィス氏族の伝達所経由でメッセージが届いていたんですわ。『トーリという男がそっちで厄介ごとに巻き込まれるだろうから、程々に面倒をみてやってくれ』と。

 そっけない文章でしたけれど、あの子にこんなメッセージを送らせるなんてどんな人なのでしょう? って当時のラピスを知っている友人たちと話していたところだったんですのよ」


……これもまた予想外の展開である。俺が抱える厄介ごとを予知したルーあたりの言葉を受けてラピスが動いてくれたのか?


「なるほど。カロンや君の俺に対する態度が最初から友好的だったのはそういう訳だったのか。

 容疑者扱いもあり得ると思ってたんだが、話がすんなり通ったのはラピスが根回ししてくれてたんだな」


これはストームリーチに戻ったらお礼をせねばなるまい。冤罪からの監獄コースなんてパターンも有り得ただけに、有力なコネに繋いでくれた彼女には頭があがらない。

メイを経由したマーザという有力者もいるのだが、シャーンでも有数の富豪である彼女に借りを作るというのも少々厄介だ。その点、"タイランツ"とビジネスで友好的な関係を築けたのは僥倖だと言えるだろう。


「ま、それはいいとして。あのデカイ要塞はあの後どうなったんだ?

 少しでもシベイ・ドラゴンシャードが回収できてるなら嬉しいんだが」


案の定、"タイランツ"は数名のエージェントを俺の後を追わせる形であの要塞に潜り込ませていた。設置されていた《シンボル》などの罠の解除には難渋したようだが、敵のほとんどは俺とメイが掃除していたし楽な仕事だったのではないだろうか。


「そうですわね……結局あの構造物の下半分は貴方との戦闘で崩壊、修復の目処は立っておりませんわ。

 どうも構造体の四隅それぞれに要となるカイバー・ドラゴンシャードが設置されているみたいで上半分は無事、やや高度を下げたものの今は安定してまだあの溶岩湖の上を飛んでおります。

 シベイの結晶は溶岩湖に落ちる前に拾い上げた僅かな数しか取り戻せておりません。タルカナン氏族と共同で周辺にあったノールの集落を制圧したのですけれど、そちらにも奴隷として攫われた人達がいただけでしたわ」


なるほど。俺は《テレポート》で道中の障害をスルーしたので気づいていなかったが、あの溶岩湖の周辺にはノールの集落があったのか。おそらくは地下竜を信奉するノールの部族達なのだろう。

あの空賊やタルカナン氏族の拠点で出会ったノール達はそこの連中だったということだろう。


「随分と大掛かりな仕事だったんだな……。まぁバルをこっちに回してくれたおかげで助かった事もあるから俺としては問題ないんだが、よくそんな作戦にタルカナン氏族の連中が乗ったな?」


事前に入念な打ち合わせをしていたわけではなく、ドルガントの僧兵たちがタルカナン氏族の拠点を崩壊させてからの交渉だったはずだ。組織としての戦闘能力が高いわけでもない"タイランツ"との共同戦線をよく受け入れたものだと思う。


「まぁ、そのあたりをどうにかするのが私達の得意とするところですし。

 彼らも身内の多くが連れ去られていたことで利害も一致していましたし、そう難しいことではありませんでしたわ。

 そういえばトーリ様が気絶させた氏族の方々は、ちゃんとノールの集落に到着する前に保護しておきました。彼らも作戦には快く協力してくれましたし、その点はご安心くださって結構ですわ。ただ……」


そこまで話してからネレイドは言いづらそうに口をつぐんだ。俺は読み終えた紙束を丸めて彼女に渡し、その先の言葉を待った。


「ただ、あのバルだけは今も意識の戻らぬ重体だそうですわ。溶岩湖に落ちる前に拾い上げることは出来たのですが、全身を覆う特異型ドラゴンマークのために治癒の呪文すら通じず、タルカナン氏族の癒し手達では手に負えないとか」


おそらくバルの体は紋様竜に取り込まれていたことで、あの巨大なドラゴンマークを体に宿してしまっているのだろう。肉体があのマークを受け入れることが出来れば意識も戻るだろうが、それが出来なければ待っているのはおそらく死だ。

あの強大なマークの持つ呪文抵抗では並大抵の術者の呪文ではその効果を届けることは出来ないだろうし、要塞が崩壊した今となっては人工的に安定化を行うための技術は失われたと思っていい。バルの運命は、自身の生命力だけにかかっているのだ。


「そうだな……ま、お守りがわりにはなるだろうし彼にコレでも届けておいてくれないか」


そう言って俺が取り出したのは瑪瑙に似た輝きを放つ"ストーン・オヴ・グッド・ラック"。その名の通り、所持者に幸運を与える石だ。

仕事とはいえ2度助けられたわけだし、そのまま放置しておくのも後味が悪い。ゲームで入手したアイテムとはいえ俺はこの上位互換のアイテムをいくつも持っているし、この宝石自体がこちらの世界にも存在する品だからそれほど問題にはならないはずだ。

呪文が通じない以上、このアイテムの与える幸運くらいしか役立ちそうなものがない。バルの生命力が高ければ、この石による一押しで生き延びる可能性も高まるだろう。


「分かりましたわ。このお預かりしたものはすぐにでも届くように手配しておきますわね」


ネレイドがサッと手を振ると空中から1体の透明な従者が出現し、石と書類を受け取ると部屋の外へと出て行った。その淀みのない呪文行使はやはり彼女が有能な術者であることを示している。

そんな彼女を横目に、俺は後頭部を柔らかな枕に埋めるようにしてベッドに横たわった。あの"トワイライト商会"を発端とする一連の事件はこれで終息したと考えていいだろう。

シベイ・ドラゴンシャードを大量に入手するという目的を果たすことはできなかったが、カロンの主導でコルソス周辺にてオージルシークスが沈めた船をサルベージが計画されており、近いうちに不足分の供給を受けることが出来るはずだ。

もう一方の目的であった"三つの願い"の指輪は十分な数を手に入れることが出来た。本当にどうにもならなくなったのであれば、この指輪を使ってシベイ・ドラゴンシャードを創りだすことも出来るわけだし今回のシャーン訪問は成功だと言えるだろう。


「ま、なにはともあれこれで一段落だな。これからもよろしくな、ネレイド」


俺に不足しているコーヴェアに関する情報もネレイド達に依頼することで集めやすくなるだろう。リナールを初めとするチュラーニ氏族のコネと使い分けることで、この世界の現実と俺の知識の差分を埋めることができる。

強力なマジックアイテムを大量に卸してくれるということは、ある程度の信頼関係が築けたということでもある。下手な情報を流すことは出来ないが、お互いにプラスになる関係を築けるはずだ。


「こちらこそ、トーリ様。ラピスにもよろしくお伝え下さいな」


そう言って笑う彼女の顔は本当に楽しそうだ。対して俺は帰ってからの事を考えてまるで今日のシャーンの空模様のように憂鬱な気分になるのだった。










そして三日間が経過した。カロンやネレイドにはあの後何度か会ったが、どうも事後処理で色々と忙しいようだ。アンダーシャーンで確固たる勢力を築いていた勢力の一つが消滅したのだ。その影響は色々と大きいのだろう。

対して俺はサプリメントで紹介されていたいろんな店で美食を堪能したり、便利なマジックアイテムを探し求めて魔法街を散策したり、モルグレイヴ大学の大図書館で調べ物を行ったりと気楽な日々を過ごしていた。

危惧していたブラックンド・ブックからの呼出なども無く、平和そのものの日常だ。今後シャーンに訪れる際の拠点として治安の良い区画の不動産をマーザの紹介で確保したりもしている。

将来メイが《グレーター・テレポート》の呪文を使用できるようになれば、高価なオリエン氏族のサービスに頼らずともシャーンとストームリーチの往復が可能になる。

今の時点でも巻物を使用すればその必要はないのだが、このエベロンでは高位呪文の巻物には稀少価値があることを考えれば実際には巻物のほうが高くつくのだ。残り300枚強とはいえ、限られたリソースである巻物を節約するに越したことはない。


「さて、皆忘れ物はないか?」


俺達は10日間ほど過ごしたホテルの部屋を引き払い、《タヴィックス・ランディング》へと向かう飛行ゴンドラへと乗り込んだ。


「また暫くはこの街並みともお別れですね~」


メイがゴンドラの窓から見えるシャーンの塔林を眺めながら呟いた。初めてこの街に訪れた時と同じように今日は晴れ渡ったいい天気であり、高度を高くとったゴンドラの窓からは塔を超えて遥か南方に広がるサンダー海が見える。


「私の都合で帰還が少し遅れてしまったからな。ラピス達も寂しがっているだろう。彼女たちにも済まないことをしたな」


そう口にしたのはエレミアだ。故郷から戻った彼女とも昨日合流している。

隣の椅子に腰掛けた彼女が抱える魔法のカバンには、彼女がヴァラナーやシャーンで買った土産物がたくさん詰まっているようだ。

彼女と合流したことでシャーンでの用を終えた俺達は、これからストームリーチへ戻ろうとしているのだ。


「そうだな。シヴィス氏族に頼んで『メッセージ』を送ってもらったけど、余計な心配を掛けているかもしれないな」


そう言いながらも、むしろ俺としては居残り組のことがかえって心配になってきた。ラピスがついているとはいえ、ルーとフィアはまだ文明社会に馴染みが薄い。

ドラウという種族柄、昼間出歩くようなことは少ないだろうが厄介な出来事に巻き込まれていないだろうか。狭い街中に山ほどのイベントが詰め込まれたストームリーチだけに、今更ながら不安になってきた。

三者三様の物思いに耽りながらもゴンドラは空を駆ける。やがて来た時とは逆のコースを辿り、ゴンドラは『ターミナス』で最も大きなタワー、ユニコーンの意匠が施されたオリエン氏族のエンクレーヴ・タワーへと降り立った。


「トーリ様とそのお連れ様方でいらっしゃいますね。どうぞこちらへ」


飛行ゴンドラの扉を開けたのはブレランド・ブルーを基調とした一目で上質と判る布地に、一角獣の刺繍をあしらった制服を着たオリエン氏族のポーターだ。

ゴンドラの御者にチップであるソヴリン銀貨を渡し、快適な飛行に礼を言ってゴンドラを降りるとポーターに荷物を預けて待合室へと案内されていった。入国の時同様、出国手続きがあるのだ。

とはいえこれから俺達が向かうのはコーヴェアの法の及ばぬ南方の大陸、ゼンドリックだ。この街で取得した報復許可証──ブレランドの王が、冒険者にゼンドリックの探索を許可した証──を提示すると手続きはあっという間に終了した。

元々は最終戦争時に他国への攻撃を冒険者に許可することを国が示した許可証だったものだが、今は未開の大陸から戦利品を持ち帰る許可証へとその姿を変えているのだ。今も残る「報復」の文字はその名残である。

普通は出国時にこのような検査が行われることはない。だが、万が一サービスの利用者が犯罪に関わっていた場合《テレポート》で国外への逃亡を図っていれば後々の面倒事となる。

そのためオリエン氏族は独自にこのような手続きを設けているのだ。


「お連れの方の審査が終わるまで、もう暫くこちらでお待ちください」


審査室を通り抜けた先、広い廊下の壁際に備えられた椅子に腰掛けた俺に、オリエン氏族のアテンダントが飲み物を渡してくれた。

通路の先に見える扉の奥には、《テレポート》系の呪文を使用する際に《移動のマーク》のパワーを誘導する"アストラル・ビーコン"が埋め込まれた儀式場があるはずだ。

これから俺達が利用する《グレーター・テレポート》にはその手の補助は不要のはずだが、それでもこういった場を使用するのは格式のためだろうか。

意匠を凝らされたコップに満たされているのは、心を落ち着ける効果を持つハーブを煎じたらしいお茶だ。いろんな店で同じ香りのお茶に触れた経験からして、かなり有名なブランドなのかもしれない。

俺に比べればエレミアとメイは身元もしっかりしているし、それほど待たされることもないだろう。椅子の柔らかいクッションを感じながら二人を待とうとした俺の視界に、突然一人の影が現れた。


「……随分と腑抜けた顔をしているな、冒険者。

 四日振り、といったところか」


調度の行き届いた通路に似つかわしくないボロのローブを目深にかぶったその男……"腐れの"バルは音も気配もなく現われると距離を詰めてきた。先日とは対照的にこちらが腰を下ろした状況での再会だ。

いつの間にか廊下からは氏族の職員らの姿が消えており、音すらも遮断されたかのように失われている。その無音の空間に唯一、バルの呟きと俺がお茶を啜る音だけが響いた。


「随分と男振りを上げたようじゃないか。あのままドルラーに向かうものだとばかり思っていたんだがね、流石に頑丈だな」


コップを傾けながら正面に立った男の様子を観察する。紋様竜に侵食されていたチラスクのように目に見える肌すべてが不気味なドラゴンマークで覆われている。


「ドルラーではない、カイバーだ。いつか我が身が滅ぶ時が来れば、その力はすべて地下竜へと還り我が同胞を導く光となるだろう」


バルが口を開くたびにそれらの紋様が僅かに光を発して赤い光を放っている。

その紋様のパターンは一定ではなく万華鏡のように移ろっており、しかしそのすべてが強力なパワーを秘めていることを俺に感じさせた。


「そりゃ悪かったな……。で、わざわざ見送りに来てくれたってわけでもあるまい。用件を聞こうか」


先日まで昏睡状態で、生死の境目をさまよっていたような男がどうやってかわざわざこんな所までやってきたのだ。敵対的な様子には見えないとはいえ、紋様に覆われたその表情を読み取るのは至難の業だ。

仮にあのマークの力を十全に振るえるとすれば、この男は"アースシェイカー"タルカナンのようにシャーンの塔林を薙ぎ倒すことも可能な力を持っていることになる。

さらにあの時のチラスクのような高い呪文抵抗や防御力場を有しているとすれば、今この男はシャーンで最も危険な存在といっても間違いないだろう。


「なに、貴様がシャーンを離れると聞いてな。余計な事をしてくれた返礼がまだだったと思い出しただけだ」


《カイバーズ・ゲート》にある拠点の連中を叩きのめして、魅了の呪文でこの男を支配したことだろうか。その辺りの話はタイランツが調整を行ってくれたという話だったが、バル個人としてはやはり思うところがあるということだろう。

バルのその話を聞いた俺はコップを椅子の前に配置されているテーブルの上へと置き、姿勢はそのままで、だがいつでも対応できるように意識をある程度アイテムへと向ける。

この廊下はそれほどのスペースはない。大規模な攻撃呪文を放てば建物自体が崩壊する可能性があるし、あの紋様に覆われたこの男に尋常な呪文は通用しないだろう。

チラスクに通じた『魔術的防護貫通』が、この紋様と一体化したバルに通じるのか? それが最初に確認すべき事項だろう。だがそんな俺の心情を見通すように、バルは言葉を続けた。


「そう身構える必要はない。俺もまだ本調子ではないし、お前もここで事を荒立てるのは本意ではないだろう。今日はほんの挨拶だけだ」


そう言い放つとバルはテーブルの上に懐から取り出したものを置いた。白地に薄い黒の模様が渦を巻くように螺旋を描いている石、俺がネレイドを通じてバルに届けさせた”ストーン・オヴ・グッドラック"だ。

だが俺の手を離れた時と異なり、その石は中心から真っ二つに割れていた。かつてその石に宿っていた幸運を招く力は霧散しており、今はすでになんら効果のないただの石へと成り果てている。

割れてしまったことで宝石としての価値も著しく減じたことだろう。強大な特異型ドラゴンマークのパワーに耐えられなかったのだろうか。

わざわざ価値を減じた品を持ってきて何のつもりかとバルの思惑を測りかねていた間に、さらにこの男は新たな動きを行っていた。

バルがその宝石の破片に手をかざすと、如何なる早業によるものか、それぞれの破片は全く別の輝きを放つ宝石へと入れ替わっていた。特徴的な輝きと魔力の波長を放つそれは、シベイ・ドラゴンシャードだ。


「これは返すぞ。我らタルカナン氏族は施しなど受けぬ。自身の牙の対価としてのみ、我らは糧を得るのだ」


テーブルを挟んで立ったバルの体から、赤い輝きが放たれた。何らかの瞬間移動に関するパワーか、それともこの場に投射されていたのは幻影だったのか。

目に焼き付いたその光の残照を残して、彼の姿は掻き消える。そしてその姿が消えて暫くの後、廊下に彼の声だけが響いた。


「今回の事は水に流してやろう。だが、次我らに牙を向くようなことがあればカイバーの御名に掛けて貴様を滅ぼす」


その声が消えるやいなや、廊下が音を取り戻した。吹きこむ風に揺られて植えられている観葉植物の葉がこすれる音と、離れた廊下で氏族の職員が歩く際にブーツが床を叩く音が耳に届く。

まるでこの空間だけが周りから切り離されていたかのようだ。今となってはあの男がここにいた証は机の上に残された宝石だけだ。

その宝石をブレスレットへと仕舞い込んだところで審査室へ通じる扉が開き、メイが顔を出す。


「トーリさん、お待たせです~」


そういって彼女はこちらに寄ってくると、俺の隣に腰を下ろした。彼女の手入れの整った髪から漂う香りが俺の鼻腔をくすぐり、それにより先程まで俺の心に残っていたあの男の残滓は溶けて消える。


「どうかしましたか?」


そんな俺の様子がおかしく感じたのか、首を傾げるようにメイがこちらを覗き込んでくる。


「いや、なんでもないよ」


最後に少し想定外の出来事があったが、どうやらこれで本当にシャーンとも一旦のお別れのようだ。

先程メイが現れた扉からはエレミアが姿を見せ、彼女を案内してきた氏族の職員が俺達を別室へと導く。

開かれた扉の向こうには、円形の魔法陣を刻まれた部屋の中央に前回も世話になったオリエン氏族のシベイ・マークの継承者が立っていた。


「我々オリエン氏族のサービスのご利用、誠にありがとうございます。

 シャーンでの滞在が、貴方達のこれからのゼンドリックでの活躍に寄与できることをお祈りしておりますわ。

 ソヴリン・ホストの導きが貴方達の上にあらんことを」


微笑みと共に伝えられたその言葉に応じて、彼女の体を伝う蒼の紋様が光を放つ。オリエン氏族の《移動のマーク》、その最大級のマークから放たれる《グレーター・テレポート》のパワーだ。

その光に触れた肉体が物質界から遊離し、アストラル界へと遷移していく。

こうして、俺の短くも激しいシャーンでの最初の滞在は終りを告げたのだった。



[12354] 幕間2.ウェアハウス・ディストリクト
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2012/11/27 17:20
ストームリーチ・クロニクル

王国暦998年 セレンドールの月 第ニ週号

ゼンドリックのドラウといえば冒険者の誰もが震え上がり、闇に紛れてドラウが来るぞ! というのはここストームリーチでは泣いている子供に対してよく使われる言葉の一つであると言う事は皆さんも御存知のとおりだろう。

だが、この大陸に住む全てのドラウ達が我々の体に毒のナイフを突き立てることを生業にしているわけではない。

デニス氏族がこの大陸に打ち込んだ頑丈な楔、ストームクリーヴ前哨砦付近の森林を統べるヴェノムブレード氏族の名誉族長であるニックス・デュランディミオン卿が、先日ハーバーマスター・ジンと会談を行ったという情報を我々は入手した。

彼は通常の(といっても我々が知る限りにおいて、ではあるが)ドラウ同様に暗闇を纏い、不思議な火花を操る能力を持ちながらも同時に我々と交渉を行う素晴らしい理性をもった紳士であった。

彼らは我々同様近年高まっている野蛮な巨人族からの圧力を憂慮しており、ゼンドリックの深くへ赴こうとする探索者たちに対して一族の案内人を提供する用意があると語った。

無論ゼンドリック全てのドラウ部族が彼の影響下にあるわけではないが、この提案は最終戦争の終結を受けて高まりつつあるこの砕かれた大地の探索熱を盛り上げる大きな一歩であるといえるだろう。

卿は部族の利益代表として当面マスター・ジンの屋敷に客人として留まるとの事。今回の滞在で優秀な探索者と交流を持ちたいとの考えのようだ。

この隣人との新たな関係が、私達にさらなる繁栄を運ぶことを祈って。

著:キャプショー・ザ・クライアー











ゼンドリック漂流記

幕間2.ウェアハウス・ディストリクト














大地を照らす太陽がその姿を地平線の向こうに隠した頃、ラピスは日課である散策の途中で憩いの庭園の中を通り抜けていた。

過ごしやすい時間になったためか、この広場には一日の仕事を終えた後の時間を過ごそうという人が集まり始めている。庭園の周囲にはエールや食べ物を売る屋台が並び始めている。

クローヴン・ジョー族が倒されたことによってスチームトンネルにカニス氏族の秘術技師達が入れるようになり、巨人時代の遺跡装置の修繕を行ったことで最近はこの付近の区画でも冷えたエールが取り扱われだしている。

とはいえこのあたりは落ち着いた雰囲気の区画であり、酒が入ったとしても五月蝿く騒ぐような住人は居ない。殆どの者達は庭園を彩る花々や最近増えてきた若手の演奏家の曲を楽しみながらゆったりと上品に時間を過ごしている。

ラピスにとってこの庭園付近を散歩することがお気に入りの時間になりつつあった。コーヴェア大陸の住人からは無法の街だと思われているここストームリーチにおいて、この区画周辺の落ち着いた雰囲気は非常に貴重なものだ。

これが荒くれ者の多い港湾地区や騒がしい中央市場あたりであれば、度数の高いアルコールで我を失った連中が騒ぎ立てているに違いない。

付近に療養所を兼ねた巨大な居留地を構えるジョラスコ氏族の影響も大きいのだろう。住人の目を楽しませている庭園の植物にはハーブのように薬草としても使われるようなものが多かったりと、周囲の街の雰囲気を決定する影響力を彼らドラゴンマーク氏族は有している。

無骨で堅牢な建物の上にバリスタが並べられたデニス氏族のエンクレーヴ・タワー付近やどこか退廃的な空気を漂わせたフィアラン氏族の居留地付近と比較すれば、どの区画で暮らしたいかなどという事は論ずるまでも無いだろう。

駆け出しの演奏家たちの奏でる楽曲に背を押されるようにしてラピスは庭園を北へと歩いた。彼女の仲間が一晩で創り出した今の寝床は、この庭園から僅かに離れた街外れにあるのだ。

あの時の光景は未だに印象深く、鮮明に思い出すことが出来る。男の指が優しく弦を撫でるたびに聞いたこともないような旋律が産み出され、その音が空気を震わせるに従って目の前の空間でどんどんと建物が組み上がっていくのだ。

演奏によって建物に影響を及ぼす魔法具の存在はラピスも知ってはいたが、それはせいぜい一定の時間建物の強度を増すとか、数時間であばら屋を作り出す程度のものだ。作業の時間が長かったとはいえ一日で砦のような重厚な建物を創り上げるなど、彼女は御伽話の中でしか聞いたことがなかった。

それにその旋律にしても、シャーンで過ごしている間に五つ国中の音楽に触れたであろうラピスですら聞いたことがないものであった。故郷の曲だと言っていたが聴衆全てにとって耳慣れない音楽だったはずだ。

それにも関わらず、大勢の群集を長時間聞き惚れさせた技量は大したものだ。今やあの時奏でていた旋律の数々はこのストームリーチで流行の兆しを見せており、今も庭園から聞こえる音楽の多くからはあの時耳にした曲をなんとか模倣しようという試みが伝わってくる。

あの演奏からもう十日ほどが経過しているため、それぞれの曲は奏者達のアレンジを加えることで様々な旋律となってこの時間帯の庭園を満たしていた。それらの音楽を背に受けながら、ラピスは庭園を抜け出した。

空からの光よりも灯された街灯の魔法の照明の方が明るくなり始めた頃、街を外界から遮断する外壁の近くまでやってきたラピスの視界に彼女の屋敷から出てくる人影が映った。彼女の瞳は月明かりの下でも昼間と変わりない視覚を与えており、この常人よりも遥かに優れた五感を上手く活用することが何度も彼女の命を救っていた。

咄嗟に木陰に身を隠し気配を殺したラピスだったが、すぐにそれが杞憂であったことに気付いた。建物から出てきたのは、ここ暫くですっかりと見慣れた彼女の同居人──ドラウの双子の少女だったのだ。留守番を任せたのか、鉄蠍の姿は見えない。彼女たち二人だけで外出のようだ。

二人は手を繋いだまま今ラピスが通ってきた道を進んでいく。どうやら身を潜めている彼女の事には気付いていないようだ。

太陽光を苦手とする彼女たちにとっては今からが本格的な活動時間なのだろう。そういえばいつも自分と入れ替わるようにして彼女たちが外に出かけていたことを思い出し、ラピスは持ち前の気まぐれと好奇心を発揮して少しの距離を開けて二人の後を追いかけることにした。

自分と同じくこのストームリーチに縁を持たない二人、それも街での暮らしに慣れていないであろうドラウの少女たちが普段どのように暮らしているのかが気になったのだ。




フィアはルーの手を引きながら、通い慣れた地下の通路を通って地上にある巨大な壁によって区切られた区画を通り抜けていた。一切光のない暗闇の中であっても、それが彼女らの道行を遮ることはない。その身に夜の精髄を染み込ませたドラウという種族は、光以外のものを瞳で知覚することで暗闇を見通すのだ。

時折現れる鼠や粘体の相手をする必要はあるのだが、地上を進むと港湾地区に差し掛かったところで憲兵に止められる事になる。かつて巨人が作り出し今は放棄されたこの遺跡に住み着いた人間たちは、それらの区切りで縄張りを主張しているようで彼女たちが通り抜けることを良しとしないのだ。

無論彼女の手に掛かれば瞬く間に彼らを地に這わせることは容易ではあるし、闇に身を溶けこませればその横を何食わぬ顔で通り過ぎることも出来るだろう。だが万が一という事はあるし、わざわざ揉め事を起こすこともない。

幸いこの街は彼女たちが慣れ親しんだ過去の"力ある者"達の遺跡であり、地下深くへとその構造を伸ばしている。ほんの少し潜っただけで地上とは切り離されるこの街であれば、彼女たちは自由自在に街の中を移動することが出来るのだ。

そうやって彼女たちは初めてこの街で目を覚ました倉庫へとやってきた。正面の閉鎖された入り口からではなく倉庫の脇に積まれたコンテナを登って窓を開き、カーテン替わりの分厚い布を押しのけて入り込むと中は人工の灯りによって薄明るく照らされていた。

魔法の灯りではない証拠に、倉庫の中は微かな油が燃える匂いに満たされている。


「あ、ふたりとも今日も来てくれたんだな」


二人が灯りの中心に近づくと、そこには人間が10人ほど集まっていた。皆が15を上回ることはないであろう、未成熟な子供だ。いずれも何らかの理由で親や保護者を失い、この街の路上で生きていくことを余儀なくされた者達だ。

そういった子供たちが中でも利発な一人──カルノという少年を中心に纏まっており、この無法の街で肩を寄せ合って生きている。フィアとルーは彼らと少しばかりの縁があり、ここ数日彼らと晩餐を共にしていた。その度に若干顔ぶれが変化しているが、総数で20には満たない小さな集団だとフィアは察している。

食事と引換に金貨を1枚。二人にとっては大した価値を持たない柔らかい金属にしか過ぎないものだが、子供達がこの街で生きていくにはこの金属は助けになるらしいということを彼女達は学んでいた。そのためか二人が訪れた際には振る舞われる料理は少しばかり豪華なものになっているし、その回数を重ねるたびに子供たちは元気を増して行った。

初めて出会ったときは彼女たちの闇色の肌とは対照的な青白い顔色をしていた数人の子供たちも、今では元気に仲間たちとじゃれ合っている。フィアは彼らが活力を増していく様子を見るのが好きだった。

かつて故郷の里で暮らしていたときには新たに生まれてくる子供のドラウは居なかったし、使命に目覚める前の自分は教え導かれる立場であったためこうして自分たちより弱いものを保護するのは珍しい体験だったからだ。

唯一、里で一緒に暮らしていた蠍の幼生が孵ったときには親蠍の背の上で暮らすそれらの事を見守っていたことはあるが、あくまでその子供たちを育てるのは親蠍の仕事であり彼女は日々彼らが育つのを見ているだけだった。

人間の子供は蠍たちほどではないが、彼女たちドラウに比べれば非常に成長が早い。彼女たちは最初の20年ほどで体の成長はある程度止まり、それ以降は緩やかな変化に留まるが人間の子供はこの出会ってからの一ヶ月に満たない期間で指一本分ほどの成長を見せたものもいる。

それらは彼女たちにはない要素であり、それが興味を引くのだ。


「トーリの兄ちゃんはそろそろ帰ってくるのか?」


炙ったトーストに同じく火を通した肉や茹でた野菜を挟みながらカルノが声を出した。彼はそうやって出来上がったものを年下の子供たちへ次々と渡している。今でこそきちんとした食料を食べているが、少し前まで彼らが口にしていた肉といえば、時折仕留めることが出来る鼠の肉程度であった。

それも滅多に手に入るものではなかったし、全員に行き渡るほどの獲物となれば子犬ほどの鼠になるがそのくらいの大きさになれば逆に襲われてしまうこともあるほどだ。しかも連中の牙は病気を伝染させることが多く、狩りにはかなりのリスクがあった。それを考えれば現在の食生活は彼らにとって天国同然のようだ。

だがそれもこの倉庫という安定した住居があってのことだ。収入があったときに購入した食料を安全に保管しておける場所があるということは、雨露を凌ぐということ以上の意味を彼らに与えていた。


「そうだな……予定では一週間ほどという話だったが、ルーが言うにはそれよりは遅くなるらしい」


木箱の一つに腰を下ろしていたフィアがそれに答えた。彼女たちの暦は独特であり、コーヴェアのそれとは異なるがそれでも基本となる七日を単位として一月を数えている。

ガリファー王国の文化を継承するコーヴェアの国々では4週間を一月として12ヶ月で1年間、つまり1年を336日としているが双子の暦では一年は13ヶ月、364日から成る。かつてエベロンを巡っていた月は13個あったと言われており、彼女たちの暦にはその影響が残っているのかもしれない。あるいは異なる次元界に里を築いた彼ら独自の文化か。


「空に輝く星に地の底から伸びた根が絡みつこうとして、その巡りを遅らせている。でも、それも僅かな間の事」


どこか中空を眺めるようにしながらルーが呟いた。その言葉は、彼らの言う星がこのストームリーチを離れた夜にこの少女が感じ取った"預言"だ。僅かに細部が異なるのは既にその言葉に対する働きかけがなされた為か。

倉庫の床で足を組んで座る少女のその言葉を耳にして、カルノは口にパンを運びながら思考を巡らせ始めた。

この倉庫を仮の宿としてから結構な日数が経過している。かつてトーリがこの倉庫の持ち主から一ヶ月ほど借り受ける約束をしたという話は聞いているが、その当人は既に別の場所に家を構えている。まだ月が変わるには余裕があるとはいえ、いい加減新たな住居に移らなければならない。

一時期その数を減らしていた給水施設のコボルド達は新たな部族が入り込んだことで再びその数を増やし、今となっては新参の入り込む余地はない。それにああいった暗所に拠点を構えても夜目の効くコボルド達の良い餌にしかならないだろう。

この辺りの廃倉庫たちはコボルドかそれよりももっと恐ろしい連中の住処だし、少し離れた海や川べりは"船底ネズミ"というギャング達の縄張りだ。船荷や倉庫を荒らして懐を肥やしている彼らはシャーンの犯罪組織とも繋がりがあるという噂だし、密輸した麻薬を扱うなど関わりたくない類の手合いだ。

こうして考えるとこの港湾エリアは八方塞がりだ。明日からは市場方面などへも住居探索の足を伸ばして行くべきだろう。

サンドイッチもどきを食べながらそんなことを考えていたカルノの正面で、突然フィアが立ち上がった。エルフ族特有の鋭くとがった耳をピクリと動かし、視線を出入口となっている窓の方へと向ける。やや遅れて犬の鳴き声のような甲高い叫びがカルノの耳にも聞こえてきた。

仲間内では鋭い五感を持っている方だと自認しているカルノであるが、冒険者に比肩できるほどではない。一方でルーはといえば、何も気にしていないような風に小さな口でマイペースに夜食を頬張っている。

そんな少女の様子に気を抜かれているうちに、窓から身知った顔が入り込んできた。だがその姿を見てカルノは余計に心乱されることになった。闇に溶け込むような黒い皮鎧に身を包んだ女──ラピスが肩に抱えている人影を包む布地の模様に見覚えがあったからである。

手に入れた雑多な端切れの布地で繕われたその服は、今晩は帰ってくる予定のなかった少年のものである。


「ケレス!」


カルノのその声に応じて、足音をさせずに入ってきたラピスに気付いていなかった子供たちも一斉にそちらへ視線を集中させた。

滑るようにコンテナを伝い、床に降りたラピスは抱えていた少年を横たえた。見たところ五体満足に揃っているようだが、左腕の袖が破れ血で滲んでいる。切れ味の悪い刃物で切りつけられたようで、今もその傷口からは出血が続いているようだ。じわじわと血痕がその大きさを拡大させている。

傷口自体はそれほどの大きさではないようだが、10歳程度の子供の体にしてみれば二の腕全体に渡るほどのものになっている。


「手前の通りでコボルドに追われていたところを見かけてね。連中は少し脅してやったら逃げていったんだけど」


倒れた服の袖を破きながらラピスがそう語った。傷口を懐から取り出した水筒から注いだ液体で洗浄し、状態を確認している。匂ってくる空気から判断するにアルコール濃度の高い酒だったようだ。消毒も兼ねているのだろう。


「……毒は使われてないみたいだね。呼吸もしっかりしているし、斬りつけられたショックで意識を失っているだけだ」


テキパキと診断を済まし、さらに包帯を取り出そうとしたラピスにフィアが待ったをかけた。


「その程度の傷であれば私が癒そう」


そう言ったフィアがケレスの傷ついた腕に掌を当て、傷口に沿ってその手を滑らせた。松明の灯りとは別種の微かな柔らかい光がその掌から発し、その掌が通り過ぎると傷口は跡形もなく消え去っていた。

血の気を失っていた顔にも活力が宿っている。それを見ていた子供たちから歓声が上がる。


「すげー、ジョラスコ氏族でもないのに傷を治した!」

「私魔法って初めて見た……凄いなぁ」

「フィアねーちゃん、俺も俺も!」「わたしにも教えて~」


恐る恐る様子を見守っていた年少組の子供たちが一撫でで傷を癒したフィアを取り囲んで騒ぎ始めた。超常の力への憧れというものはやはり大きいのだろう。

怪我をした少年が運び込まれた際には静まり返っていた倉庫の中は一気に騒がしくなっていた。


「……《レイ・オン・ハンズ/癒しの掌》か。まさかアンタが"パラディン"だったとはね、驚いたよ」


一方でラピスはその様子をつぶさに観察していた。今まで肩を並べて戦った時には彼女がその信仰心を力として示したことはなかった。むしろ剣術と軽い身のこなしを武器に巨人たちと立ち回っていたはずだ。

フィアの掌から発した輝きはジョラスコ氏族の青い光でもなく教会の騎士たちの放つ白く眩い光とも異なっていたが、それはこのドラウの少女の力の源がドラゴンマークや『清浄なる銀の炎』ではないためだろう。


「私は元々は里に伝わる剣技を学んでいたのだが、ルーが『星詠み』として選ばれた際にその守護役として導きを受けたのだ。

 故に私も僅かではあるが祖霊と星々から力を借り受けることができる」


子供たちに揉まれながらもフィアがラピスの疑念に答えた。その言葉を受けてラピスは胸の内でフィアに対する評価を書き換える。

信仰心や信念によって恩寵を得ている騎士は呪文や外部からの干渉に強い抵抗力を持つ。今までに見ていたフィアの戦闘技能に信仰の加護が加わるとなると彼女は見かけによらず非常にタフな戦士としての能力を有しているのだろう。

コーヴェア大陸にいた頃は単独での戦闘ばかりだったラピスにとって誰かと肩を並べて戦うのは不慣れな事であり、このため最近の彼女は戦場での判断を誤らないためにも仲間の能力を把握しておくことに重きを置いている。

冒険者であるため、また自身の出自からもお互いに全ての情報を露にしているわけではないが、彼女たち程の実力者ともなればその身のこなしや纏っている雰囲気からある程度の技量を推し量ることは容易なことだ。特に塔の街で多くの人物を観察する機会のあったラピスにとって人物鑑定は得意とするところでもある。

とはいえ彼女のその鑑定眼も異なる大陸であるゼンドリックの住人であるフィアやルー、そして得体のしれない異邦人であるトーリ相手には通じないこともあり、それが彼女にとって最近の悩みの種でもあった。

彼女たちがそんな遣り取りをしている間も騒ぎ立てている子供たちの声のためか、フィアの癒しを受けた少年が身じろぎと共に上体を起こした。


「ケレス、目が覚めたのか? 無理はするなよ、横になっていたほうがいいんじゃないか」


カルノがケレスと呼ばれたその少年の横で膝を突き、話しかけた。体を起こすのに怪我をしていた腕を使っていたが痛がる様子は見られない。どうやら傷自体は完全に治っているようだ。


「あれ? 確かコボルドに斬られたはずなのに」


本人もその腕を見て不思議がっている。傷口の消毒に使用したアルコールか、怪我のショックのいずれの影響か解らないが記憶が混濁しているようだ。


「怪我はフィア姐が治してくれたんだ。ちゃんとお礼を言っておけよ。

 それよりも、今日はこっちに来る日じゃなかったよな?

 夜の倉庫街は危ないから出歩くのは不味いって話をしていただろ」


カルノのグループの中でも手先が器用で忍耐力の強いこのケレスという少年は、その特徴を活かして住み込みでの働き先を確保している数少ない一人だ。

もう一人、同じく手先の器用さを買われた少し年上のリシテアという少女と二人で埠頭区画の『哲学者の曲がり角』にあるパン屋で働いており、店の休みの日に古くなった売り物のパンを仲間のところに運ぶ以外は仕事を覚えるのに忙しいはずだ。


「やっぱり、襲われたのは夢じゃなかったんだな……そうだ、リシテアが!」


カルノの言葉で我を取り戻したようで、ケレスは立て板に水を流すような勢いで何が起こったのかを話し始めた。

最近になってようやく厨房での仕事を教わり始めた二人は、店が休みの今日一日かけてパンづくりを教わっていた。失敗作もそれなりの数になりはしたが、気のいい店主の許しもあり出来上がった品を持ち帰る許可を得た二人はこの倉庫に向かっている途中で数体のコボルドに囲まれた。

リシテアが咄嗟の機転でケレスの持っていたパンを取って注意を自分に引きつけさせ、包囲から脱出する隙を作ってくれたのだが逃げている途中で背後から腕を切りつけられ、その後の事は憶えていないという。

その後に駆けつけたラピスの話によると、そのコボルド達は奇襲で1匹を倒された後にそれぞれ僅かな手傷を負わされると即座に逃げ出したらしい。


「なるほど、コボルドってのはトカゲの仲間を自称している割には犬っぽい連中だからね。大方食べ物の匂いに釣られて出てきたんだろう」


ケレスの話から大方の事情を察したらしく、ラピスがそう補足した。ジンがハーバーを管理するようになってから表通りは整備され随分と治安は向上した。

だが残念ながらストームリーチの巣食う影は根深く、追い払われた者達は地下や廃倉庫などに潜み時折その手を日の当たる場所まで伸ばしてくる。今回はその指先がこの子供たちに触れたということなのだろう。


「わかった、それじゃケレスはもう休め。他の皆は念のため戸締りを厳重にしておくんだ。

 ひょっとしたらケレスを追ってきたコボルド達がこの倉庫を嗅ぎつけたかもしれないしな。入り口の扉には出来るだけ木箱を被せて塞ぐんだ。横の窓の方は俺がやってくる」


カルノはざわつく子供たちに指示を出し、体を動かす作業に従事させると自身は壁際に積み上げられたコンテナを駆け上がった。窓を潜って外へ出ると、出入のために積み上げられていた空の木箱の山を大人が飛び上がっても窓枠に手が届かないように崩す。

窓を見ても分厚い布が内部の光を遮断しており、使われていない廃倉庫にしか見えないだろう。中でよほど騒ぎ立てない限り、一つだけ施錠されていない開いている窓と中の住人の存在に気づくことは難しいはずだ。

自分の仕事に満足したカルノはそのまま建物から離れ、一番近い通りへと向かった。先程僅かに聞こえたコボルドの悲鳴が聞こえた方向を脳内の地図に重ね合わせ、あたりをつけた道へと進むとそこには真新しい血溜まりが存在していた。

それは血痕を引きながら細い路地の先へと消えている。恐らくはラピスが仕留めたというコボルドの死体の残した痕跡なのだろう。野犬か何かが既に獲物として運んでいったようだ。

その血溜まりから視線をずらし、カルノはさらに路面を注視した。すると間もなく既に乾きつつある小さな血痕が道路の端に続いているのを発見した。仄かな魔法の照明と夜空が照らす中、その血痕は通りの先へと続いている。

もう一度その周囲をよく見れば、ある程度の幅に渡って細かい血の跡が続いているのが判る。こちらがラピスが手傷を追わせて追い払ったコボルド達のものだろう。

よし、と気合を入れてその血痕を追おうとした少年に後ろから声がかけられた。


「おいおい、まさかこの錆び付いた獲物だけで追いかけるつもりなのかい?

 こんなのじゃ威嚇も出来やしないし、持っているだけ余計に危険だと思うんだけどね」


フッと影が射したと思い身を翻したときには、既に自分の腰に差していた小剣はラピスの指により鞘から抜き取られていた。手入れが十分にされていなかったそれは今までに仕留めた鼠の血のせいか所々錆びついており、刃が欠けている部分もある。

その刀身から匂う血臭が鼻についたのか、ラピスは少し表情を顰めながらクルリと小剣を回転させ柄をカルノに向けた。


「一匹二匹相手ならともかく、連中の住処に向かうんだから最初から真正面から遣り合おうとは思ってないさ!

 こっそり侵入して、リシテアを連れて帰ってくるだけのつもりなんだし。コッパーどもなんかをいちいち相手にはしないよ」


カルノはひったくるように剣を取り返すと腰に佩いた鞘の中へと戻す。直前まで気配を察することが出来なかった上に、易々と武器を奪われてしまったことを恥じているのか口調が荒い。

しかもそれで十分に手加減されていることも同時に解っている。これから危地に踏み込もうと気合を入れた瞬間に自身の未熟さを思い知らされたことで気分を害するのは至極当然のことだろう。


「それよりもなんでついてきてるのさ。悪いけど俺達は冒険者に払う報酬なんて持ち合わせてないぜ」


カルノ達はストリートチルドレンの集まりだ。外に働き口を持っているケレスやリシテアのような者も何人かいるが、あくまで見習いであり支給されるのは食事のみがほとんどで、給金などは無いに等しい。

何人かが懐に銀貨や銅貨を潜ませてはいるが、そのすべてを掻き集めても金貨10枚に届きはしないだろう。

数名の傭兵であれば雇えるかもしれないが、彼らは夜に何匹いるかも判らないようなコボルドの住む倉庫に侵入するような仕事にはいい顔はしないだろう。それに事態は一刻を争うのだ。悠長に求人を行っている余裕はない。


「報酬とはお前たちが有難がっているあの柔らかい金属のことか? それなら気にすることはないぞ。
 
 一度与えたものを取り上げるほど狭量ではないし、私は刃を振るうことに対価を求めたりはしない」


そう答えたのはフィアだ。彼女は街灯と星明りに照らされているにも関わらず、その姿は夜に溶けこんで認識しづらいものとなっていた。ただその声のためにカルノにも彼女のいる場所を大まかに特定することは出来た。

ラピスの傍らに控えた彼女は、路面に残された血痕を覗き込むようにしていた。彼女が屈んだ際に銀髪が額から零れ落ちその一筋一筋が空に舞う流れ星のように光を放っているように見え、思わずカルノは目を瞬かせた。


「ふむ、分かりやすい目印を残してくれているようだな。これならば迷うこともあるまい」


そう呟くとフィアは身を翻し倉庫街を港とは反対側、西へ向かって進んでいく。


「あ、ちょっと待てよ! 話聞けよ!」


フィアの歩みは早く、カルノは走って追いかけなければならなかった。背丈は大して変わらないというのに、目の前を行く少女は安定した足取りで進んでいく。その身軽さは金属で編まれた帷子を着ているとは思えないほど軽やかだ。

それにその鎧は金属が擦れる音がするどころか、彼女の発する音を逆に吸収してしまっているように静かだ。足音どころか砂埃すら一切立てず、薄暗い路地を滑るようにドラウの少女は進んでいく。


「僕の方は出世払いってことにしておいてやるよ。

 ちょっと剣の振り方をかじったくらいでいい気になって死なれたんじゃあ、夢見が悪いしね」


フィアの背を追って走るカルノの横を、ラピスが追い越していった。こちらも早足ではあるものの、その歩調には乱れがなく例え今物陰から何かが飛び出してきたとしても平時のごとくあしらえるであろう余裕が感じられた。

走ることに精一杯なカルノは返事を返すことすら出来ない有様だ。だが多くの旅人を見たカルノの目からしても明らかに腕利きとわかる二人が手を貸してくれる事が彼の胸を温め、彼はより一層足に力を込めて先に行く二人の背を追いかけた。





「ふぅん、結構広い倉庫だな……。この大きめの足跡からしてコボルドだけじゃなくてそれなりの大きさの連中も何匹かいるみたいだな。バグベアか?」


三人が追ってきた血痕はかつてラピス達が宿泊していた『気まぐれ海老亭』近くの入り組んだ路地を抜けた先に続いていた。そしてそれは傾斜のある丘に張り付くように立ち並んだ廃倉庫の中の一つへと消えていた。

街の再開発により港の中心部が移動したことにより不便になったために既に廃棄された区画で、かつてはコーヴェアから運び込まれた穀物が積み上げられていたであろうその倉庫は今は小麦にかわってコボルド達がその中を占めているようだ。

カルノの耳にも小走りで走るコボルド達の足音が聞こえてきている。中に侵入すればそこで何匹かのコボルドに遭遇することは間違いないだろう。

入り口には一匹だけ見張り役のコボルドが立っていたが、そのやる気のない歩哨はラピスの放った魅了の呪文に支配され今や無二の友人であると感じているラピスへと情報を吐き出している。


「捕まえた獲物は倉庫の奥に連れていったのか。それは面倒だな」


「美味いものは全部新しいボスが先に食べてしまう!

 俺たち『ボーンバイト族』だけど、骨にしかありつけないんじゃ飢えて死んでしまう。

 新しいボスは気に入らないことがあると俺達をいじめるし、食べられちゃう奴もいるんで皆困ってる。でもボスは本当に強いから誰も逆らえない……」


呪文の効果だけではなく本当に困っていたのか、コボルドはラピスに不満と共にいろいろな情報を語っていた。最近になってどこからか流れてきた新参に元の首領が殺され、部族を乗っ取られてしまったらしい。

そんなコボルドからラピスは言葉巧みに情報を引き出していく。倉庫の大まかな構造やコボルド以外の敵の数、新しいボスになったオーガの事。


「いろいろ教えてくれて助かったよ。お礼にこれをあげる。新しいボスに見つからないように食べるといい」


ラピスがコボルドにポケットから取り出した飴玉をいくつか放り投げると、コボルドは大喜びでそれを受け取った。


「ありがとう、親友! また何か困ったことがあったら何でも聞くといい」


何度も頭をペコペコと下げてからそのコボルドは倉庫周辺の暗がりへと消えていった。きっとどこか人目のつかないところで飴玉を食べ始めるのだろう。カルノはその様子を脇からずっと見ているだけだった。


「あれが手品じゃなくて本当の秘術ってやつなのか。凄い効き目なんだな……俺も使えるようになる?」


ラピスの後ろで見ていたカルノには俄には信じがたい光景だった。臆病で警戒心の強いコボルドが、初見のラピスにあれだけ心を開いていたのだ。

直前に彼女の発した声と身振りになんらかの仕掛けがあるのだろうとは思い当たるが、それがどういった意味を持つのかまでは未熟な少年には理解することが出来ていない。

ただ、あんな呪文が使えれば間違いなく彼とその仲間たちの暮らしは楽になるだろう。いけ好かない役人やこちらの縄張りを狙うライバル達が一瞬にしてその態度を変えるのだ。それは彼にとってとても魅力的なことのように思える。


「言っておくけど、呪文の効果はあくまで一時的なものだよ。

 それに効果が続いている間の記憶を失うわけでもない。低位の呪文じゃ一時的な誤魔化しが効くだけさ。

 その呪文にしたって人によっては何年も訓練してやっと使い物になるって代物だよ。そんなことに時間を使うぐらいなら手っ取り早く手に職をつけることを優先したほうがいいと思うけどね」


そんなカルノの考えを読み取ったのか、ラピスが釘をさすように口を開いた。


「やっぱりそう簡単にはいかないか。でもトーリの兄ちゃんもあの胸のでっかい姉ちゃんも使えるんだろ?

 俺は無理でも誰かが使えるようになるかもしれないし……。

 そういやあのコボルドを逃がして良かったのか? 呪文が解けたら俺達のことがバレちゃうんだろ。

 ひょっとして、飴には毒が入ってるとか?」


ふとそんな疑問が口をついてでたが、コボルドに軽く手を振っていた少女からは呆れたような声が返ってきた。


「まさか。毒なんて高価な代物をコボルドなんかを始末するのに使うわけがないじゃないか。

 あんまり哀れな連中だったもんで情報料代わりにくれてやっただけさ。それに呪文の効果が切れる頃にはもう僕たちはこの倉庫からオサラバしてるしね。

 コボルドの話を聞くにはコボルドに聞くのが一番だし、もしあいつが生き残るようなことがあれば次は呪文なんか使わなくても話が聞けるかもしれない。安い投資みたいなもんさ」


目線を合わせるために下ろしていた腰を上げ、立ち上がりながらラピスはそんな事情を話して聞かせた。そして続いて口を開くとこれからのことについて話し始めた。


「それじゃ役割分担と行こうか。僕はこの正面入口から入って派手に暴れて中の連中の注意を引きつける。

 フィアはさっきのコボルドの言っていた裏口に回って、攫われたお姫様を連れ出してくれ。わざわざ雁首並べて倉庫を行進するのも馬鹿らしいからね」


ラピスはそう告げると腰のポシェットからいくつかの指輪を取り出した。全く同じ造りをしたその一組の指輪は"サークル・オヴ・サウンド"という魔法の道具だ。クローヴン・ジョー族の砦を守っていた戦士たちが身につけていたものである。


「一応これを渡しておくよ。この指輪に念じれば同じ組の指輪の持ち主にその言葉が伝わる仕組みさ。

 あんまり離れすぎると効果が届かないみたいだけど、無いよりはマシだろうしね」


目敏い彼女はいつの間にか連中から値打ち物の装備を剥ぎとっていたようだ。一般人からしてみれば法外なほどの値打ちのするその品物を、カルノは両の掌でおっかなびっくり受け取った。

少年の指には随分と大きめなそのリングを指に通すと、魔法の力が働いたのかその金属の輪は見る間にその大きさを変じてぴったりの大きさに自らを変化させた。なぜかひやりとするその金属の感触がこの指輪の存在を少年の意識に訴えかけているようだ。


──ふむ、これで良いのか?


突如脳裏に響いたその声はフィアのものだ。カルノもそれに返事を返し、お互いにメッセージが届いていることを確認する。どうやらこの思念を通じる呪文の効果は、ドラウの少女が持つ呪文抵抗に関わりなく効果を発揮するようだ。

その後さらにラピスからは魔法の力を蓄えたワンドやポーションなどといった魔法の品によりいくらかの呪文の恩恵がカルノに与えられ、フィアの持っていた鎖で繋がれた一対の小剣のうちの一本を貸し与えられた。


「ま、とりあえずこれで十分だろう。じゃあ私は行くよ。

 私が中の連中を全部平らげちまう前にはそっちの仕事を終わらせておいておくれよ」


ラピスはそう言って倉庫の扉に手をかけ、押し開いた。立て付けの悪い扉が擦れるような音を出して開き、その開かれた隙間から夜の闇が倉庫の内側へと入り込んだ。

倉庫の中は完全な暗闇を見通すことは出来ないコボルド達がどこからか盗んできたのであろう魔法の照明を取り付けているせいで思っていたよりも明るい。


「Intruder!」


「Wake Up! Attacked by the Enemy!」 


自らの存在を隠さずに乗り込んだ少女の姿を見て、斥候のコボルドが近くに設置されている銅鑼の元へと駆け寄る。まるで散歩するような軽い足取りでありながらも魔法で増幅された俊敏さをもってその哀れなコボルドの後ろへ迫ったラピスはその後頭部を掴むと銅鑼へと叩きつけた。

敵襲を知らせる銅鑼の音が鳴り響くと同時に最初の犠牲者が倒れ伏し、倉庫の中が戦いの気配で満たされていく。続いてラピスは槍を構えて向かってきたコボルドへ向かって踏み込むとその手にした刃を突き出した。

鍛え上げられた少女の、力よりも速さに重点をおいた妙技による攻撃にそのコボルドは反応することすら出来ず首筋に深い傷を穿たれる。壊れた蛇口のようにその傷口から血液を噴出させ、崩れ落ちるそのコボルドにさらにラピスは蹴りを放った。

吹き飛んだコボルドのその体に柱に仕掛けられた罠から強烈な魔法の冷気が吹きつけ、あっという間に氷結したそれは床に触れるや大きな音を立てて砕け散った。


「今晩は、糞っ垂れのコボルドたちよ。

 この時間じゃ夕食はまだだろうが、もう最後の晩餐の時間は無いよ。

 餌の代わりにお前たちの耳にとびっきりの悲鳴を御馳走してやろう、同胞の断末魔を葬送曲にドルラーへと旅立ちな!」


討ち入りの宣言と共にラピスの掌から火球が飛び出し、それは彼女の正面に集まっていたコボルドの一団の中央で炸裂した。《ファイアーボール》の呪文が先程の銅鑼の立てたものより遥かに大きな爆音を発し犠牲者を焼き払う。

辛うじて直撃を免れた者達も全身を焼け爛れさせ、苦しみの声をあげながら崩れ落ちていく。自分の呪文が狙い通りの効果を発していることに満足したラピスは今しがたの炸裂で燃え始めた樽や木箱を一瞥するとさらに奥へと足を踏み出した。




「さて、彼女は十分に役目を果たしてくれているようだ。我々も自らに課された仕事をしなければならない」


そう言ってフィアは倉庫の間に設けられた細い路地へと向かう。先程のコボルドから聞いた抜け道を使うのだろう。カルノは取り残されないように預かった小剣の鞘を握りしめるとその背中を追って走りだした。

倉庫の間をつなぐように頭上を覆っている薄い天板が星明りを遮り、路地は全くの暗闇に包まれていた。だが今のカルノはそんな暗闇をも見通す《ダークヴィジョン/暗視》の呪文により、曲がりくねった道を壁や障害物にぶつからずに進むことができている。

白黒で構成された色のない視界に最初は戸惑ったものの、数分もすれば慣れてしまうことができた。自分ひとりで同じ道を進んでいれば、割れた陶器の破片を踏んだりギリギリのバランスで崩壊を免れている木箱にぶつかったりして大変な目に遭っていただろう。

あるいは倉庫に忍び込もうとして叩きのめされていたかもしれない。壁一枚を通じて倉庫の中からは銅鑼の音が鳴り響いているのが時折聞こえてくる。宣言通り、ラピスが派手に暴れてくれているようだ。聞こえてくるコボルドの甲高い声からして、何十匹ものコボルドがこの倉庫の中には潜んでいたようだ。

呪文の恩恵もそうだが、今はこの二人の冒険者を遣わしてくれた星の巡り合わせとやらに感謝しなければ。

カルノがそんな考えを巡らせていると少し前を進んでいたフィアが立ち止まった。先程のコボルドの話していた抜け道なのだろう、倉庫の壁に小さな穴が開いている。コボルドが通り抜けに使う程度のサイズではあるが、小柄であることが幸いしてか彼らでもなんとか通り抜けられそうではある。

内部に積み上げられたコンテナの影になっているのか、灯りは漏れていない。あのコボルドの情報と暗闇を見通す秘術の助けがなければ気付くのは困難に違いなかった。

身を屈めて先に進むフィアの後ろ姿を追い、カルノも壁の裂け目に体を滑り込ませた。だが、その際に少年は足元に転がっていた陶器の破片を踏み割ってしまった。暗闇を見通せることで逆に前方に意識が集中してしまい、足元の注意が疎かになっていたのだ。

パキンという甲高い音が倉庫に響き、部屋の内側で短槍を振り回していたコボルドが音に釣られて視線を寄せた。人間の視力であれば見通せない影を挟んでカルノとそのコボルドの視線が交わる。

暗がり程度であれば見通すその瞳がいやらしく歪み、残虐な喜悦を顔に浮かべたコボルドが槍を握り直しながらカルノに向かって歩み寄ってくる。この部屋には他にも大勢のコボルドがいたようだ。倉庫の反対側にあたるこの部屋にまで響いてきているラピスの戦闘音で興奮しているのか、血走った目をした他のコボルド達もそれぞれの手に獲物を持ってにじり寄ってきた。

震えそうになる膝で必死に体を支えながらもカルノは瞳に映る部屋の様子を把握していた。5体のコボルド、手にしているのは短い槍か刃こぼれした小剣。今半身を出している木箱は頑丈そうに見え、これを盾にすれば多数に囲まれる事はなさそうだ。

対して自分が手にしているのはフィアから渡された鋭利な小剣だ。鏡のように磨きあげられた刀身には自分の顔が映りそうなほどで、一目で業物と認められるこの武器であればコボルドの体のどこに当てても切り裂くことが可能だろう。先手を取ることが出来さえすれば連中の貧相な武器ごと両断することだって不可能ではないだろう。幸いすばしっこさには自信がある。

そのようにして戦うことを決意したカルノが剣を握る手に力を込めた時、向かうコボルド達も同時にその衝動を溢れさせ一斉に駆け出そうとしていた。両者の緊張がまさに最高点に達し爆発しそうになったその瞬間、だが彼らは突然発生した靄に包まれた。暗闇のようなそれはだがしかし夜目や暗視では見通すことの出来ない物理的な障害となって中に取り込んだ生物の視界を遮った。

突然の出来事の中でその靄に包まれたものは皆足を止めたが、その中に唯一例外が存在した。この霧──《ダークネス》の呪文を発動したフィアは一人悠然とその靄の中を進むと逆手に構えた小剣を振るった。靄の中自分の横を通り過ぎる異物の存在を感じたコボルドが違和感を追おうと首を回そうとし、その動きでバランスを崩して頭部を床へと落下させる。

あまりの攻撃の鋭さに首を切断されたことに気づかぬまま、命を失ったコボルドはまだ幸運だったのか。視界を奪われたところに血臭が蒸せかえったことで恐慌を起こしたコボルド達は先程までの興奮を忘れて我先にと靄の中から逃げ出そうと悲鳴をあげながら踵を返す。だがその判断は彼らの寿命をむしろ縮める結果となった。

今や《ダークネス》の効果範囲から出たところに待ち構えていたフィアが無防備に飛び出してきたコボルドを次々と迎え撃ち、残る4体のコボルドは彼女の背後で折り重なるように倒れる。その全てが急所への一撃であり、遺体の損壊の少なさが彼女の技量の高さを示していた。


「勇気と蛮勇は似て非なるものだ、少年。

 その剣を渡したのは失敗だったかもしれぬな、まさかあの場面で向かっていこうとするとは思わなかったぞ」


《ダークネス》を解除したフィアは剣を払いながらも諭すように語りかけた。先程のカルノの動きを咎めているのだろう。カルノの視界には先程まで生きてこちらに向かって来ていたコボルド達の無残な骸が映っている。

確かに一歩間違えば今倒れているのはカルノのほうだっただろう。とはいえ彼にはそれなりに巧くやる自信もあった。その思いが少年特有の反骨心に火をつける。


「ちょっと数が多いくらいのコッパーどもなんかにやられたりするもんか!」 


カルノはそう言って木箱の影から飛び出すと、フィアの静止を振りきって彼女の横を通り抜けると正面にある扉へと手をかけた。入り口のコボルドの情報が正しければ囚われたリシテアはこの奥にいるはずなのだ。彼女を連れ出せば今夜の冒険は完了だ。だが少年がその扉を開くことは出来なかった。

分厚い木材で組み上げられたその扉が突如内側から膨張したかと思うと、細切れの破片となって砕け散ったのだ。飛び散る破片のみならず、扉を打ち砕いた元凶である巨大な鉄塊──少年自身と同じ程の大きさを有する巨大なモールと呼ばれる鈍器──の巻き起こした旋風を受け、カルノは吹き飛ばされた。

直撃したわけでもないというのに全身がバラバラに砕かれたような衝撃を受け、三半規管が混乱しているのか立ち上がることも出来ない。カルノの生涯において怪我をしたことは数えきれないほどあるが、そのほとんどは切り傷や刺し傷といったものであり今回のように全身に叩きつけるようなダメージを負ったことは初めてだった。

高所から海面に飛び込んだ時のショックを何倍にもしたような感覚が全身を満たしており、視覚以外の情報が感じられず思考も纏まらない。魔法の品によって付与されていた《フォールス・ライフ/偽りの生命力》の効果が無ければ今の攻撃の余波だけで死んでいただろう。

一方でか弱い少年を吹き飛ばした奥の部屋の住人は、カルノの事など歯牙にもかけずに機嫌の悪さをその口から大声を吐き出しながら通路へとその姿を現した。


「五月蝿いぞちびども! スープの出汁にされたいのか!」


カルノの意識はその大声によって辛うじて繋ぎ止められた。霞んだ視界には破壊した扉の残骸を押し開くようにして現れた巨漢の姿が映っている。少なくとも少年の2倍以上の身の丈であるが、不自然なまでに上半身特に頭部の大きさが突出している。

中でも大きく裂けた口は子供の体を頭から腰まで丸齧りできそうなうえ、下顎からは凶悪な牙が多数突き出している。巨体は分厚い筋肉の鎧の上にさらに強靭な外皮に覆われており、黒いイボ状の突起が至る所にある。

数メートル吹き飛ばされたカルノの鼻にまでこの巨人が身に纏った生皮のひどい匂いが漂ってきた。首飾りのように下げられた革紐には複数の頭蓋骨が数珠繋ぎに並べられている。人喰い鬼──オーガと呼ばれる乱暴な巨人族の戦士だ。

そのオーガは折り重なるように倒れているコボルドの死体を見るとさらに機嫌を悪くしたようで手に握った戦槌を振りあげて叫んだ。


「私のコボルドを殺していいのは私だけだぞ!

 小癪な侵入者め、こっちへ来い! へし折ってやる!」



口の大きさに相応しい大声がオーガから発された。フィアはその声を受けても特に動じた様子は見せずに、手にした小剣を前方に突き出すとオーガを手招くように剣先を揺らした。その際僅かな時間、彼女の視線がカルノのそれを交差した。


「どんな奴が大将かと思えばお前のような体だけが立派な脳無しだとはな。

 その手の武器もどうせ満足には扱えまい。今すぐ腹を見せて降伏するならその醜い顔に鼻の穴を一つ増やすだけで勘弁してやるぞ」


対称的に細く、だがよく響き渡る声でもってフィアが応えた。短気なオーガはその侮辱に体を震わせると一気に距離を詰めてハンマーのように戦槌を振り下ろした。バックステップで回避したフィアにかわって、コボルドの遺骸がまとめて叩き潰されて床に染みとなって広がった。

床が叩かれた衝撃が地震のような揺れをカルノの体にもたらし、少年はその揺れに負けぬよう全身に力を込めて立ち上がった。フィアは明らかに敵を挑発してその意識を引きつけるように振舞っている。

彼女はオーガに言葉を投げかけながらもカルノに対して思念を飛ばしていた。その期待に応えるべく少年はオーガに気取られぬように気配を殺しながら破壊された扉の奥へと体を動かした。


先程の発言の通り食事の準備の最中だったのか、半ば土砂に潰された部屋の中央には焚き木と大きな黒い鉄製の鍋が置かれていた。オーガが長い間居室にしていたためかひどい獣臭のために具材は推し量ることも出来ないが、まだ火にかけられて間もないのかスープは僅かに湯気を立て始めたばかりのように見えた。

その焚き火から少し離れたところには椅子がわりにされていたのか若干潰れた木製の箱があり、その陰にカルノは目的のものを発見した。リシテアだ。

どうやら少女は運良くまだオーガの首飾りの仲間入りをしていなかったようだ。あるいはスープが煮立ち始めたら食材として放り込まれるところだったのかもしれない。

コボルドに襲われた際についたものか服が何箇所も破れ痛々しい傷口が見えているが五体満足のようで体に欠損は見られない。ただ意識を失っており、打撲によるものか体が熱っぽく汗を掻いているようだ。ひょっとしたらどこか骨が折れているのかもしれない。

カルノは静かに彼女に近づくと、思い出したようにトーリから貰っていた飴をリシテアの小さな口へと押し込んだ。"トラベラーの気まぐれ"という触れ込みのその飴が少女の口内で溶けると、見る間に容態が落ち着いていった。

『怪我人が出たら食べさせてみろ』と言っていた杖状のキャンディを砕いて仲間で分け合っていたのだが、どうやら治癒の効果をもった魔法の品だったようだ。ポーションのような霊薬ではなく飴などという菓子にそのような効果を持たせたとは、作成者はよほどの変わり者なのだろう。

この調子では他において行ったクッキーやケーキにも妙な効果があるのかもしれない。カルノ自身はソヴリン・ホストにも暗黒六帝と呼ばれる悪神のパンテオンにも信心をもっていなかったが、とりあえず今はトリックスターとしても崇められるトラベラーに少女の苦しみを取り払ってくれたことへの感謝を胸のうちで捧げた。

僅かな瞑目の後、未だ意識の戻らぬリシテアを肩を貸すような形で担ぎ上げて砕かれた扉へと戻ったカルノの目には嵐のような勢いで武器を振り回すオーガとこちらに背を向けながらも木の葉のように舞い攻撃を回避するドラウの少女の姿が映った。


「ハハハ、やはり図体の大きさだけが自慢なのか?

 自分と同じウスノロの木偶の坊でなければその獲物も当たらないようだな!」


フィアはオーガの射程ギリギリの範囲を移動しながら時折鋭い踏み込みからの突きを繰り出し、オーガの顔に幾筋かの裂傷を刻んでいた。


「ブラッドナックルを傷つけたな!

 来い、ボーンバイト! ちっぽけな侵入者を殺すのだ! 」



一時的な激情が冷めたのか、動きを止めたオーガ──ブラッドナックルはコボルドの部下たちに召集をかけた。チョロチョロと周囲を飛びまわるフィアを物量で押し潰そうとしたのだろう。だが、その声に応えて集まるコボルドは現れることはなかった。


「フン、助けを呼ぶのがちょっと遅かったみたいだね。

 もうこの倉庫の中にはお前の仲間は残っちゃいないよ」


その代わりに返事をしたのは積み上げられた木箱の上に腰掛けていたラピスだった。いつの間にかそこにいた彼女は投擲用の小振りのダガーをいくつも手の上でジャグリングしながら退屈そうにフィアとオーガの戦いを見物していた。

その姿は倉庫の正面から突入したというのにケレスを連れてカルノ達の前に現れた時から何一つ変わっていない様に見えた。大勢のコボルドを蹴散らしてきただろうに汗の一つも流していなければ返り血も無い。まるで普通の散歩帰りのような様子だ。


「GRRRRrr……役に立たん連中だ。

 これではまた屑共の群れを束ねるところからやり直さねばならんではないか」



数の上で明確に不利になったというのにオーガは面倒そうな唸り声を上げただけで、その戦意は些かも衰えていないようだ。彼の巨体から繰り出される一撃が当たれば目の前の細い連中など薙ぎ払えると信じているのだろう。

その自信を裏付けるこのオーガの動きは確かに訓練を受けた戦士のものだ。フィアは揶揄していたが戦うための訓練を受けたこのブラッドナックルの動きは並のオーガに比べれば格段に洗練されている。


「さて、それじゃ僕たちの用も済んだことだしそろそろ帰ろうじゃないか。

 後始末の手伝いはいるのかい?」


だが余裕のある態度ということであればラピスも負けてはいなかった。まるでオーガのことが視界に入っていない様にフィアに話しかけている。そしてそれは話しかけられたフィアも同じだった。


「ふむ、それであればそろそろ片付けるとするか。あまり長居をしていると他のものに心配を掛けるかもしれぬしな」


フィアがそうラピスに言葉を返し、ショートソードを逆手に持ち替えて前傾気味の姿勢を取った。まるで腕と一体化したかのように構えられた小剣はオーガの目からすれば腕に隠れているように見えるだろう。

明らかに今までの腰の引けた構えから様子を変えたフィアの姿を、だがオーガはその大きな口を歪めて笑みを浮かべて迎え撃つ姿勢を見せた。小兵の攻撃など知れているとばかりに大上段に戦槌を両手で掲げる。

その体と獲物の違いからくるリーチは明らかにブラッドナックルにとって有利を生んでいた。フィアが一太刀浴びせるためにはこのオーガの旋風のような攻撃を掻い潜らなければならず、また例え無事に踏み込むことが出来たとしても分厚い筋肉に覆われた体の急所に攻撃を届かせなければならない。

またその死の間合いに留まり続けなければ刃を届けることが出来ない。カルノは一瞬浮かんだ不吉な想像──オーガの戦槌を避けきれずに叩き潰されるドラウの少女の姿──を脳裏から追いだすと、眼前で睨み合う二人の戦士の姿へと意識を集中させた。

少年のその視線を受けた直後、ブラッドナックルは雄叫びと共に再び全身に怒気を巡らせて激情で身体能力を活発化させた。視線に乗せた殺気がお互いの中間でぶつかり合い、示し合わせたかのように両者の時間が動き始める。

お互いの闘気が迸って弾けたその瞬間、数歩でトップスピードに到達したフィアの体は残像を引くようにしてオーガに肉薄した。彼女が置き去りにしようとした自身の影がその体に纏わりつき、十分な灯りに照らされているはずの倉庫内にも関わらずその姿は隠されているように見える。

迎え撃つオーガの上腕の筋肉が爆発したように膨れ上がり、雄叫びと共に鉄塊が振り下ろされたがその一撃はフィアの体をローブのように覆っていた影の一部を彼女から引き剥がす事しか出来なかった。

致死の一撃を低い姿勢で掻い潜ったフィアは、だらりと下げていたその右手を掬い上げるように振り上げた。同時に足裏が強く大地を踏みしめ、膝、腰、背中と全身を使って加速された運動エネルギーが腕よりもさらに先、手の延長線上にある剣先へと集中した。

カルノの目にはオーガの正中線を銀閃が走ったように見えただけであったが、何が起こったのかを知るにはそれで十分であった。

ぐらり、と巨体を震わせてオーガの巨体が左右に分かたれて倒れた。なんらかの魔法の防護を与えていたのであろう腰巻も微かな光の瞬きを残して両断され、やがてその力を失ったかのように沈黙した。

その直後、綺麗に切断された断面からは大量の血液と臓物が溢れ出し床に広がった。倉庫の隙間から吹き込む風が生ぬるい血臭を運んでくる。


「私が先祖より受け継いだ"影刃"に絶てぬ物無し。

 その身に刻まれた傷跡をドルラーにて『力ある者』どもに誇るがいい。貴様を屠ったのは"闇狩人の鋭き刃"であると」


そう呟いたフィアが持ち直した小剣の刀身はケレスに用いた癒しと同じうっすらとした輝きと共に、黒い闇の帳を纏っていた。信仰にその身を捧げた聖戦士の祈念の力が部族に受け継がれた影を操る剣技と融合しその鋭さを何倍にも高めたのだ。

星の輝きと影、夜空を思わせるエッセンスにより強化されたその刀身が、力だけではなく瞬発力とさらには磨かれた洞察の鋭さによって巨人をまさに一刀両断したのだ。

嘗てこの大地を支配していた巨人族の帝国が落日を迎えた際、船出する同胞に背を向けて戦い続けた彼女たちの部族に伝わる剣技がまさにその本来の用途に用いられたということだろう。

目の前で起こった信じられない光景を見て、カルノはしばらくの間呆けていることしか出来なかった。






「ふむ、早速一つ仕事を片付けてくれるとは嬉しい限りだよ。

 取り掛かるのは明日からだと思っていたが、早く済ませてくれる分にはこちらとしては寧ろありがたい話だからね」


倉庫のコボルド達を一掃した後、ラピスは少女を連れて倉庫へ戻るフィアたちと別れて単身『気まぐれ海老亭』へと向かっていた。

夜も更けてきたところで酒の入った冒険者達の荒っぽい声が響き渡る中、彼女が腰掛けたテーブルの向かい側には仕立ての良い服を着た壮年の男性が座っていた。


「ほんの気紛れさ。ついでに拾い物をしたんで渡しておくよ。アンタになら持ち主を割り出すことぐらい訳ないだろうしね」


ぶっきらぼうにそう告げたラピスはテーブルの上に一枚の刻印されたバッジを滑らせた。太陽を象ったそれはハーバー・マスターに仕える衛兵団の隊章である。

それを見た男──ロード・ジェラルドは口元に笑みを浮かべると傾けていたエールを一口に煽って近くにいる店員にジョッキを押し付けてお代わりを要求するとその空いた手でバッジを拾い上げた。


「これはこれは。バッジを失ったものは1週間の営巣入りという話だからな。

 きっとその衛兵も君には感謝することだろう。とりあえずは私から彼に代わって、報酬に上乗せするということで報いさせてもらうとしよう」


ジェラルドは裏面に刻印された持ち主を示すマークをチラリと確認するとそのバッジを懐に仕舞った。確かにこのバッジは持ち主のところに戻ることは間違いないだろう──持ち主が感謝するかどうかは別にして。


「それで、ボーンバイト族の新しい指導者を見つけたんだろう? 詳しい話を聞かせてくれないか」


ラピスとこの男との付き合いは、彼女がこのストームリーチにやってきたその日から始まっていた。トーリにも幾つかの仕事を斡旋したというこの詐欺師のような男は、この地域では確かにそれなりの人脈を有しているようなのだ。

今日久々に『気まぐれ海老亭』に立ち寄ったラピスは、ジェラルドからこの倉庫区域に潜むコボルド達の調査をして欲しいと依頼されていた。

現状特にお金に困っているわけではないラピスではあったが、腕を錆びつかせないためにも軽い仕事を受けようと思っていたところで都合が良かったというのもある。その連中の巣にその日のうちに突入することになるとまでは考えていなかったのだが。


「そう。オーガで、名前はブラッドナックル。だが厄介ごとを起こすことはもうないよ」


そのラピスの言葉の含んだところに気付いたのだろう、ジェラルドは満足気に頷いてみせた。


「オーガだって? なるほど力ずくでボーンバイト一族の頂点に上り詰めたというところか。前のチーフを殺したとしてもおかしくないな。

 ひょっとしたらハザディルの奴がコボルド連中をまとめ上げるためにエージェントを送り込んだんじゃないかと疑っていたんだが、その心配はもう必要ないようだな。

 いずれにせよ、奴がいなくなればコボルドどもは問題ではなくなるだろう。

 指導者が居なくなったのであれば連中は元のこそこそとした生活に戻るだろうし、もう倉庫や船を脅かすことはなくなるはずだ。

 本当によくやってくれたよ。さすがはシャーンの『一夜一殺』──」


感謝の気持ちを表すためか、次々と言葉を吐き出していたジェラルドの口だったが突如頬を撫でた感覚がその動きを止めさせた。

その頬に伸ばした掌に僅かな違和感を感じ、視線を落とすとテーブルに自慢の頬髭が僅かに散らばっている事に気付く。今しがた頬を撫でた涼風はその実、鋭利な鎌鼬を潜ませていたのだ。むき出しの首筋に感じる空気が突如冷たいものに感じられる。


「──どこで聞いたか知らないが、その言葉を口にしない方がいい。口は災いの元、と言うだろう?

 それは不吉の象徴だ。わざわざ不幸を招き入れたいっていうんなら無理に止めはしないけどね」


少々演説に力が入っていたとはいえ、一体どの瞬間に目の前の少女が動いたのか彼には気付くことが出来なかった。薄暗いはずの店内で、ラピスの瞳だけが強い光を放ってはっきりとこちらを捕えていることを意識させられる。

警告で留めたのは酒場で揉め事を起こすことを嫌ったのか、それとも──? 噂話で聞いていた様々な暗殺の逸話を脳裏に浮かべ、ジェラルドは自身が虎の尾を踏みそうになっていたことに気付いた。


「──これは失礼、レディの前でする話題ではなかったようだね。

 少々エールが過ぎてしまったようだ、酔っぱらいの戯言だと聞き流してもらえればありがたい」


先程までとは打って変わって言葉少なに非礼を詫びたジェラルドが腕を上げ合図を送ると、ハーフリングの店員がトレイに料理ではなく布袋を乗せて現れた。それはラピスの前に置かれる際にゴトリ、と重量感のある音を立てて内容物の存在を主張した。


「どうやら随分と私の手間を省いてくれたようだからね。先程の隊章の件もあるし、少々色をつけさせてもらったよ。

 よければ今後もその力をストームリーチのために揮って欲しい。実力に見合った報酬はしっかりと用意させてもらうよ」


貨幣ではなくインゴットの形をした金塊が、どうやら2本ほど入っているらしいその袋をラピスは一瞥すると手元に引き寄せた。そのまま中身を確認することもせずに横の椅子においてあった魔法の背負い袋の中へと放り込む。

そして話は終わりだとばかりに立ち上がった。

 
「気が向いたら考えておくよ。暫くは体が鈍らない程度にゆっくり過ごすつもりなんでね」


素っ気ない返事と共に、ラピスはテーブルを離れた。ウエスタンドアを押し開いて店から出ていこうとするその背中にジェラルドは声をかける。


「トーリ君が帰ったら宜しく伝えておいてくれたまえ。いずれまた挨拶に伺うよ」


その言葉に返事を返すこと無く、小柄な背中は夜の闇へとその姿を溶けこませていった。取り残されたジェラルドは暫くそのドアを眺めていたが、やがて思考を切り替えると彼もまた席を立ち別の冒険者が食事をしているテーブルの方へと足を進めた。

ストームリーチの夜はまだ始まったばかりだ。そして夜こそがこの街が最も活発になる時間帯なのである。彼の盤面に乗っている敵方の駒はコボルドだけではない。姿の見えぬ対面の指し手の次の一手を想像しつつ、ジェラルドもまた自らの駒を動かすべく行動を続けるのだった。



[12354] 4-1.セルリアン・ヒル(前編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2010/12/26 01:09
ストームリーチの波止場から海に向かって突き出した『水漏れ小船亭』、その付近に停泊する大型船達の中でも一際豪奢な船体を誇るソウジャーン号が長い停泊を終え、出航の時を迎えていた。

昨日は航海の無事を祈って船上でパーティーが行われ、多忙な毎日を過ごしているらしいオーナーのドールセン女卿も顔を見せていた。ハーフリングの姿を取り戻した彼女は上機嫌で周囲の客と歓談しており、幾人かのVIPを紹介してもらうことが出来た。

パーティー終了後にはコルソスの事件を題材にした舞台の脚本について打ち合わせを行ったのだが、少々熱が入ってしまい随分と時間が掛かったために久しぶりにソウジャーン号に宿泊することになった。

そのためこうしてギリギリの時間に船のタラップを降りて出航を見送る羽目になってしまった。随分と高く登ってしまった太陽の光が穏やかな海面をキラキラと照らしている。

埠頭ではリナールが俺を待つように立っていた。なにやら船長は最後に乗船・下船するものだというポリシーがあるらしい。また、俺の後ろには手荷物を運んでくれたレダの姿があった。


「さて、それではまた暫くのお別れだなトーリ。君のような人物の時を刻む時計の砂は金よりも遥かに価値があるのは承知しているが、シャーンに行く時にはこの船のことも思い出してくれ。

 どんな鳥、それにドラゴン達だって永遠に空を飛び続けることは出来ない。我々はそんな君が翼を休めることができる止まり木のような存在でありたいと思っているのだよ」


お気に入りのパイプを口から離すと、リナールは空いた方の手で俺が差し出した手を強く握った。書類仕事が多いらしいこの船長だが、長い間を海上で過ごした彼の氏族にしては風変わりな経歴を持つためかその掌は皮が厚く力強さを感じさせる。


「ああ、次の機会には是非利用させてもらうよ。舞台の方も期待してる。コルソスの皆にもよろしく伝えておいて欲しい」


リナールと握手を交わして俺は彼の提案を快く受け入れた。ソウジャーン号の快適さは自分の家とはまた違ったものだし、気分転換に豪華客船で船旅を楽しむというのはなかなかに乙なものだ。

元々俺がインドア派だったのはネットなどの環境が充実していたせいであって、家具が揃ったとはいえこの世界で自分の部屋に篭って時間を潰すのはなかなかに退屈な事であり、娯楽の少ないこの世界では彼の提案はありがたいものだ。

巻物を作成したりする作業に没頭できれば少しは違うのかもしれないが、今の俺の術者としての技量は大きく制限されているためにそれも難しい。自作したいマジックアイテムはたくさんあるのだが、技術が全然足りないのだ。


「ああ、ラースやシグモンド達も新天地での君の活躍を楽しみにしているだろう。これからも君たち一行にソヴリン・ホストの加護があることを祈っているよ」


そう言って再びパイプを咥えたリナールに替わって、俺の前に立ったのはレダだ。褐色の肌に映える銀髪が今は太陽の光を照り返し、彼女の健康的な魅力を一層引き立てている。


「トーリ様、昨夜は久しぶりにお会いできて嬉しかったです。お忙しいのに私たちの我侭に付き合っていただいて、そのうえ貴重なお話も聞かせていただいて……」


時折吹く強い浜風に乱されぬよう耳元に手を回した彼女はスーツのような黒い制服に身を包んでいる。昨晩のパーティーでのドレス姿も綺麗なものだったが、初対面の印象もあってか凛々しさを感じさせる今の姿に彼女らしさを感じてしまう。


「いや、あんな立派なパーティーに呼んでもらえて嬉しかったのはこちらのほうさ。何分田舎者なんで他の出席者の皆さんに失礼がなかったかが心配だけれどね」


知識としてはこの世界の礼儀作法などを知ってはいるが、実際にそれを使う場面に遭遇したのは昨夜が初めてである。あまりそういったところに五月蝿くないこの街の流儀が反映されてか、堅苦しくはないパーティーだったとはいえ未だに振る舞いには自信が持てない。

そういう意味ではデビュー戦にはちょうどいい機会だったのかもしれないが。


「私、コーヴェアに戻ったらシベイの試練を受けようと思うんです。

 トーリ様が手がけてくださった舞台に役者として立ちたいって気持ちがずっと収まらないんです」


レダの言う『シベイの試練』とは、ドラゴンマーク氏族の子弟がその身に秘めたマークの力を覚醒させるために受けるものだ。試練の内容は氏族によって異なるが、それは参加者を極限状態に追い込むことで潜在能力の発現を促すものだという。

氏族に対して貢献することはマークの有無に関わらず可能だが、試練を克服した者が氏族の有力者として扱われることは間違いのない事実だ。それに影のマークが与えてくれる能力は彼女の芸能の技量を補助するのに役立つことだろう。

シャーンで見たティアーシャの舞台にも各所で幻術魔法が用いられていた。魔法が身近な技術であるこのエベロンでは重要な技術の一つとしてそういった魔法が使われているのだ。


「そうだな。俺としてもレダがこの話を切掛に活躍してくれれば嬉しい。端役と言わず、いっそ主演女優を目指して欲しいな」


このソウジャーン号の乗務員は豪華客船ということで優秀なスタッフばかりだが、その中でもレダは人を惹きつける高い魅力を持っているし、素質は申し分ない。彼女ならきっと優秀な役者になれるだろう。


「はい、いつかきっと。その時は特等席を用意しておきますから、是非見に来てくださいね」


二人が船へと乗り込むと、タラップが魔法動力により船へと収納されていく。船体の前後に呪縛された風の精霊が顕現し、青いリングとなって船を浮き上がらせる。吹き上げられた水滴が船首に飾られた白竜像に近づくと即座に凍りつき氷片となり、直後に船体に触れて砕け散った。

嘘か誠か解らないが、ミザリーピークから回収されたオージルシークスの牙が埋め込まれたというその船首像からは船全体を覆う防護魔術が展開されている。一ヶ月ほどを掛けて生まれ変わったソウジャーン号はその優美な姿を見せつけるように港湾を一回りした後、ストームリーチから旅立っていった。













ゼンドリック漂流記

4-1.セルリアン・ヒル(前編)













焚き火を囲むように床には敷物が並べられ、車座になって人影たちが座り込んでいる。原始的な照明に照らされた彼らは灰色の皮膚にまばらな黒髪、そして狼のような耳をしていた。瞳が赤く輝いているのは決して照明のせいではない。

オークと呼ばれる人型生物である彼らは辛子色をした鮮やかな下地に黄緑や深紫といった独特な色による紋様が描かれた布を身に纏っている。中でも最も複雑で大きな紋様をした布を革鎧の上から羽織り、角の生えた頭蓋骨を被った呪術師──おそらくはこの集団の中心的人物が口を開いた。


「使者殿は我らに服従せよ、と申されるのか?」


下顎から犬歯が突き出した、迫力のある口から訛りのある巨人語が紡がれる。ゼンドリックに住む多くの現住種族はかつてこの大陸を支配していた古の文明の影響を強く受けているために、共通語として巨人語を使用しているのだ。

その言葉がこの空間に響き渡ると同時に、場の空気は張り詰めたものとなった。人間よりも一回り大きい体格をした彼らは優秀な戦士としての素養を持って生まれる。この決して広いとは言えぬ洞窟の一角で乱戦になった場合、体格や人数で劣る側の不利は言うまでもないだろう。

だが、その言葉を向けられた男はその緊張をさらりと受け流した。


「いや、違う。我々は貴方がたと対等な関係でありたいと思っているのだ。

 貴方が我々の商隊の護衛を襲っても、それはお互いをすり減らす行為に他ならない。それよりも貴方がたが我々の商隊を護衛し、その積荷の全てではないが一部の品を継続的に得ることの方がお互いにとって良いことではないか?」


車座の一角を占めることを許されたその使者は雄弁に語った。この男もまた、純粋な人間ではなかった。肌の色や身に纏う衣服こそ人間のものであるが、その耳と突き出した牙が彼にオークの血が混ざっていることを示している。

そして男の額からは鋭角の楔形から成る紋様が広がっていた。それは『発見のマーク』──男は、タラシュク氏族の交渉人なのだ。彼の任務は、このオークの呪術師を説き伏せて周辺一帯のオークを彼の氏族で雇い入れる事だ。


「我らの氏族が冠する『タラシュク』とは"団結"の意味を持つ。異なる血筋の者だからといって争わねばならぬ道理はない。

 むしろ手を結ぶことで、より大きな力に対する事ができるようになる。

 無論指揮系統は存在するが、それは純粋に個人の能力によって与えられるものだ。貴方がたの精鋭が闘技場で勝ち上がってチャンピオンとなれば英雄として讃えられることは間違いない。

 そしてその栄誉は大陸を超えて響き渡るだろう」


交渉人の言葉を受けて、再び洞窟内は静まり返った。焚き火の立てる音だけがパチリ、パチリと壁に反射して響いている。

お互いの心情を探り合い、思考を巡らせるための暫くの時間が経過した後に再び呪術師が口を開いた。


「なるほど、お前の言うことには確かに理があるようだ。だが我らにその言の葉を巡らせるには理のみでは足りぬ……」


呪術師の言葉は決して大きな声ではなかったが不思議と洞窟に響き、またその言葉以上の重さを有していたのか口調に合わせて焚き火を揺らした。

風に煽られたかのように姿を変える炎に照らされ、歪な洞窟の壁面に映る影が不気味な踊りを見せる。


「我らと対等であろうと欲するのであれば、力をも示してもらおう。試練を乗り越え、汝らに我らを動かすに足る理と力が備わっていることを示すがいい」


呪術師がそう言葉を発すると車座の中央の焚き火が突如その光を失い、その代わりとばかりに入口の方へと向かう通路の壁に掛けられている松明に火が灯った。どうやら話し合いはこれでお開きのようだ。

足が悪いのか、腰を曲げたままヒョコヒョコと右足を引きずって歩く年嵩のオークが俺たちを先導するように洞窟の出口に向かって歩き出す。彼に従って外へ出ると既に空には無数の星が散らばっていた。どうやら思ったよりも時間が経過しているようだ。


「お、ようやく終わったのか。話し合いの首尾はどうだったんだ?」


洞窟から少し離れた場所に移動すると、野営のために起こした火を囲んでいるケイジから声を掛けられた。他にもゴライアスのゲドラとドワーフのウルーラクが近くにある石に腰を下ろしている。

「コボルト・アソールト」から続いたストームリーチ地下下水道に巣食うコボルトとの戦いで一緒に肩を並べた彼らが今回の旅の仲間だ。何やら信仰呪文の使い手であるウルーラクの占いに俺を誘うのが吉と出たんだとかで声を掛けてもらったのだ。

洞窟の中に立ち入りを許されたのは交渉人以外に一人のみであったため、残りのメンバーである彼らは宛てがわれた一角で時間を潰していたのだ。

周囲には外界から洞窟の入口を遮断するかのように岩の壁が立ち上がっている。ゲームで見たものとは縮尺の違うそれらは、空を飛びでもしない限り乗り越えることは困難だろう。

こうして見ると内側からは壁面を登るための梯子が取り付けられており、その上では弓を装備したオークの弓兵が見張りを行っている。かろうじて客人として扱われているものの、岩壁の内部に居座っている俺達のことが気になるのだろう。見張りたちの視線はどちらかというと外側よりも俺達に向けられているようだ。

そんな周囲の状況を知ってか知らずか、周囲へは視線もやらずに焚き火へと向かったハーフオークのエンダック──今回の俺達の雇い主──は口を開いた。


「そうだな、一歩前進といったところか。彼らの協力を取り付けるにあたっての条件をいくつか取り決めることができた。

 あとはそれを一つずつこなしていけばいい。お前たちに協力してもらえばそれほどの時間がかかることもないだろう。引き続き宜しく頼むぞ」


そう言うと彼は腰のポーチに止めていた水筒を取り外すとその中身を呷った。話し合いを続けていたことで喉が乾いていたのだろう、なかなかの飲みっぷりだ。

大量の液体を嚥下する音がこちらまで聞こえてくる。微かに香るアルコールの香りからその中身を察するが、街の外に出るときに持ち運ぶ水分にアルコールが混ざっているのはよくあることだ。

彼自身も腕のたつ冒険者であるからして、酒量を過ごすこともないだろうし特に口を挟むような事はしない。


「その口ぶりだと街に帰るのはまだ先になりそうじゃな。明日の朝天上の神々に捧げる祈りにも関わるじゃろうし、良ければ今のうちにその条件とやらについて話しておいてくれんかの」


石片を手に何らかの細工物をこしらえていたウルーラクも、アルコールの匂いに釣られたわけではなかろうがその手を休めて話に混ざってきた。彼ら信仰呪文の使い手は毎日決められた時間に神に祈ることで呪文の力を得ている。

その際の祈りの内容により授かる呪文の内容が変わるため、必要な呪文が分かっていればそれに応じた祈りを捧げることで望む呪文を準備しておくことが出来るのだ。

だがそのウルーラクの言葉に対するエンダックの反応は予想外のものだった。


「そうだな、その辺りのことはトーリに説明してもらえ。巨人語を理解できるって触れ込みで中に連れていったんだしな、俺が採点してやろう」


彼は水筒から口を離した次は腰のポーチから取り出した燻製の肉をその鋭い歯で齧りながらそんな事を言ったのだ。

並のハーフオークの凶相でそんな事をしていれば恐ろしげに映るものだが、不思議なことにこの男がやるとむしろ愛嬌のようなものを感じさせてくれる。突き出した牙もまるで八重歯のようだ。

交渉人としての役割にふさわしく、他人に警戒心を抱かせない性質なのだろう。だがそれは甘いということではない。必要に応じて厳しい判断を下し、冷徹に鋼を振るう。タラシュク氏族の交渉人とは、優秀な狩人でもあるのだ。


「ご指名とあっちゃ仕方がないな。それじゃ連中の話に俺の知っている話を合わせて情報を整理しておこうか」


ドラウの双子の少女たちから太鼓判を押されているが、技能ポイントを振ったことでなぜか理解できてしまっている巨人語にはあまり自信がない。鈴がなるような声で紡がれる彼女たちのそれと、訛りのきついここのオーク達の言葉遣いは同じ言葉として一括りにしていいものか悩ましいという事もある。

とはいえ雇い主の前で無様を晒すわけにもいかない。この稼業を続けていく上で信頼を失ってしまえばまともな仕事にはありつけなくなるだろう。

彼女たちがシャーンのお土産を読み解くのに忙しいために暇を持て余していた俺に声をかけてくれた他のメンバーのためにも、役に立っておかなくては。


「明日の予定は狩りだ。ここの連中に俺達の能力を証立てて、話を聞く価値があると思ってもらう必要がある。

 幸いここから南に少し行ったところにある神殿跡地に彼らの縄張りを脅かしている大物がいるんで、それを始末して来いってことだな」


勿論これは単なる力試しというわけではない。タラシュク氏族としては戦士を提供してもらう以上、その分手薄になる彼らの縄張りについて気を配る必要がある。

実際のところ、エンダックとあの呪術師──ガルントは今日が初対面というわけではない。おそらく既にある程度の話が事前に纏まっており、今回の会合は他の部族の有力者に対する形式的なものだったはずだ。

恐らくはその大物についての調査も既にエンダックは行っているはずだ。明日の戦闘は実際にはオーク部族へのデモンストレーションを兼ねた、俺たちパーティーの実力を測る試験なのではないだろうか。

無論これらのことは彼らの様子から俺が導き出した唯の推論に過ぎないし、他のメンバーに告げるつもりもない。ただ俺の"真意看破"が察したその違和感だけは常に意識しておくように、という訓練のようなものだ。


「で、その大物なんだが普通の動物じゃないらしい。ライオンの群れらしいんだが、"カイバーの影響を強く受けた"って話だから普通の武器は通用しないかもしれない。

 呪文やエネルギーに対する抵抗も持っているだろうから厄介な相手かもしれないぜ」


普通のライオンですら熟練の戦士に並ぶ戦闘能力を持っている。さらにカイバーに汚染されている──フィーンディッシュ種であればその危険性は跳ね上がる。複数の大型魔獣を相手にするようなケースであれば、犠牲者が出ることも十分に考えられる。


「ふむ、ならば明日は特にドル・アラーとドル・ドーンの二柱の神々に多くの祈りを捧げるとしよう。

 "戦"を司るこの神々であれば、我らの向かう戦場での手助けとなる呪文を授けて下さるじゃろうて」


俺の説明を受けてウルーラクはそう呟いた。名誉と犠牲の神ドル・アラー、武器の力の神ドル・ドーン。いずれもソヴリン・ホストに名を連ねる善性の神であり、戦の領域を司る。

前者が秩序、後者が混沌に属する神ではあるが二柱ともに"ソヴリン・ホスト/至上の主人"と呼ばれるパンテオンに属しているために相反する属性の神でありながらも同時に信仰されている。神格の束縛が緩いエベロンならではの特徴だろう。

フィーンドと呼ばれる魔物、奈落や地獄を由来とする悪の来訪者達は魔法による強化を付与された特定素材の武器でしか傷つけられないというのはそれなりに知られていることだ。

今回の敵はそこまで強力な能力を持ってはいないだろうが、少なくとも普通の武器では通用しないだろう。ウルーラクは戦の領域を司る二柱に祈りを捧げることで《マジック・ウェポン/魔法の武器》の呪文を準備しようとしているのだろう。


「おっと、俺の分は必要ないぜ。この間の報酬で揃えた新しい相棒がいるからな!」


話を聞いていたケイジが左右の腰に吊るした一対の剣の鞘を叩きながら話に混ざってきた。ハザラックから得た宝石とトンネルワーム族から奪った財宝は相当な金額になっていた。

二刀それぞれを魔法の武器で揃えるのはそれでも相当の出費だったはずだが、随分と張り込んだようだ。柄にはカニス氏族のマークが物理的・秘術的に刻まれておりその品が"創造のドラゴンマーク"の手によって作成されたことを示している。

彼らの作成する武器は一定の規格に基づいており、工業製品のように定められた品質で市場に送り出される。そのため、例えば古いロングソードから新しいロングソードに切り替えたとしてもそれらはほぼ同じ長さや重心の位置を保っているのだ。


「トーリの武器も魔法で強化されておるだろうし、そうなるとワシとゲドラの二人分が必要かのぅ。

 祝福を授ける回数にも限りがあるし、何度も戦う必要があるようならワシらは支援に徹したほうが良さそうじゃな」


上位呪文である《グレーター・マジック・ウェポン》ならともかく、1レベル呪文である《マジック・ウェポン》は数分しか効果時間がない。この手の持続時間の短い支援呪文はかけっぱなしにするわけにもいかないため、使いどころが難しいのが実情だ。


「まあ普通の武器でつけた傷が再生するっていっても限度があるだろうしな。ゲドラのぶん回すあの鋭い鎖の渦みたいなのに巻き込まれたらどんな化物でも無事じゃいられないだろうさ」


ケイジはそう口にして、先程から会話に口を挟まずに黙々と武器の手入れを行っているゲドラのほうを見やった。鋭い切っ先が先端に幾重にも取り付けられた巨大な鎖……スパイクト・チェインだが、特筆すべきはその大きさだ。

元来体格の良いゴライアスは巨人らが使うような大型の武器を使いこなすのだが、ゲドラが持つそれはその中でもさらに大業物とでもいうべき特注サイズの品だ。一対の鎖の長さは、引き伸ばせば5メートル近いだろう。

それだけの重量を苦も無く振り回し、射程内の敵の隙を見逃さない巧みな戦闘術はまさに圧巻だ。射程と破壊力を兼ね備えた恐ろしい武器である。欠点といえば代替の武器がまず見つからないということだろうか?

ゲドラもケイジ同様に報酬を武器に費やしたそうだが、流石にこのサイズの特殊武器が取り揃えられているということはなくオーダーメイドとなったのだ。今回の依頼を終えた頃には出来上がっているらしいが、それまでは従来の武器で対応するしか無い。

それに先程ケイジが言ったように、敵の再生能力にも限りがある。普通の武器であっても首を落としたり胴体を真っ二つにされては再生できないだろう。そこまではいかなくとも、ゲドラの剛力であれば再生不能な傷を負わせることが出来るはずだ。


「確かにそうかもしれないけど、何しろ"群れ"って話だからな。一頭ずつ各個撃破させてくれればありがたいんだが、一度に複数を相手にすることになった場合はゲドラには射程を活かした牽制に専念してもらう必要がある。

 その場合敵を削るのは俺達の役目ってことになる。お互い気を張っていこうぜ」


俺の呪文発動能力が落ちている今、秘術呪文使いがいないこのパーティーは戦場で敵の行動を妨害・制御する能力に欠けているといえる。そういった点はチームワークと戦術で補うしか無い。


「では二人が前衛、その後ろにゲドラ、エンダック殿と続いてワシが最後尾じゃな。回りこんできた連中の抑えくらいは任せてもらって構わんぞい」


自信あり気にそういったウルーラクは確かにそう言うだけあってこの中で一番の重装備をしていた。油で煮ることで硬化された革製の鎧の上に、急所を覆うように金属製の帯が走っていた。

熱帯地方であるゼンドリック大陸では金属製の全身鎧を野外活動で着用することはかなりのリスクを負う。魔法の付与などによって熱気を防ぐことは出来るのだが、ウルーラクはそうではなく革鎧を一部補強することを選んだようだ。

まあ全身を覆う板金鎧は、非魔法の普通の品であっても魔法の武器に匹敵する高価な買い物である。彼だけではなく、ストームリーチに住む多くの冒険者は同じような工夫をそれぞれが行っている。

それらに合わせて今は足元に置かれている盾を使えばかなり強固な守りが期待できるだろう。実は彼はこのメンバーの中で唯一の盾持ちなのだ。ゲドラは両手武器、ケイジは二刀流。エンダックも盾を持ち運んでいるようには見えないし、俺は言うまでもない。

一見前衛過多でバランスの悪い構成に見えるが、実際のところはよく見る冒険者のパーティーはこんなものである。信仰呪文の使い手であるウルーラクがいる分まだ恵まれている方だろう。

術者という職業はそもそも天分だけで覚えることの出来る技術ではなく、相応の教育を受ける必要がある。そしてそういった機関の多くは国営かあるいはなんらかの組織の強い影響を受けていることが殆どだ。

そんな教育を受けておきながらフリーの冒険者になるなんて者は非常に少ないし、もしいれば様々なパーティーから引っ張りだこでさらに腕が立つようならドラゴンマーク氏族などの目に留まり囲い込まれるだろう。

ゲームではソロ性能の高さからむしろ余り気味だった術者はこのストームリーチでは稀少価値を持つ。そういう意味でもコルソスでメイと知り合っておけたのは幸運だと言える。


「さて、そんな感じでいいかい? 良かったら採点結果を教えて欲しいんだが」


一通り話が終わったところで依頼人のほうを見ると、彼はこちらに頷いて見せた。


「十分合格点だな。隊列についてもそれで問題ないだろう。ここから目的の場所までは森もないし見通しのいい地形が続いている。

 朝にここを出れば連中のねぐらでもある神殿跡に到着するのは昼前になるだろう。話しておくべきことはこれくらいだろう。

 後はゆっくり休んでくれ、と言いたいところだが見張りを立てないわけにもいかないだろうな。

 夜目の利く者とそうでない者で別れて夜警を頼むぞ。夜明けの後、ウルーラクの祈りが済み次第出発だ」





何事も起こらずに迎えた翌朝、オークの集落を出発した俺達は狙う獲物がいるであろう打ち捨てられたアラワイの神殿へと向かっていた。

アラワイとはソヴリン・ホストにその名を連ねる女神であり、生産、植物、そして豊穣の神として知られている。かつてこの一帯がストームリーチの食を賄う広大な農地だった際に彼女を祀っていた神殿だが、いまは無残にも崩れてしまっているという。

最終戦争の後半、コーヴェア大陸で五つ国がその死力を振り絞って戦っていた影響はこの大陸にも及んでいた。ドラゴンマーク氏族や傭兵の多くがその戦争へと参加し、結果として手薄となったストームリーチにある巨人の一部族が攻め寄せたのだ。

幸いにも当時のストーム・ロード率いる軍隊の奮戦によって街が失われることは無かったとはいえ、その戦いによって多くはなかった戦力を削がれた領主達にはこの地域を維持し続ける能力はもはや無かったのだ。

かつては農地やワイン畑が広がる土地を見下ろすように建設されていた豊穣神を祀った神殿は破壊され、土地にはいずこからか流れてきたオークたちが住むようになった。これが今から50年ほど前の出来事である。

農地の所有者は個人で傭兵を雇うなどして土地を守ろうとしたようだが、残念なことに逆にオークに囚われたことで身代金を払う羽目になり、ついに諦め土地の権利を手放したと言われている。

戦争が終り、熱気を取り戻しつつあるストームリーチの治安も向上してきたところでロード達は再びこのセルリアン・ヒルを取り戻そうとし始めたのだ。

そしてその仕事はデニス氏族ではなくタラシュク氏族が請け負うことになった。これには先日のコボルド・アサールトのクエストの結果が無関係ではない。

一時的にとはいえ重要な拠点の一つを失ったデニス氏族の失策につけこんで、タラシュク氏族のロビー活動が実を結んだということだろう。

元より彼の氏族はゼンドリック大陸に眠るドラゴン・シャード鉱脈の発掘を一手に担っており、ストームリーチでは大きな勢力を誇っている。さらにそれが傭兵ビジネスでも拡大を始めたということだ。

今頃ストームリーチのデニス・タワーでは氏族のエージェント達が頭を悩ませているに違いない。


「拍子抜けするくらい何も無いな。これだけ見通しが良いと不意を突かれることはないんだろうが、後の事を考えると少し気が重いな」


先頭を歩いているケイジが視線は前方に向けたままそう声をかけてきた。彼の言うとおり、神殿へと向かうこの道はひたすら丘を登っていくルートであるがその傾斜以外の遮蔽物が殆ど無い。

踏み固められた道の左右は丈の短い下生えに覆われているが、それらも時折風に揺れる以外は動きを見せない。

まあ鼠サイズの生き物であったとしても脅威になるクリーチャーはいるし、そもそも植物にすら油断できない世界ではあるが幸いこのあたりにはその両方共がいないようだ。


「そうじゃな、野犬の一匹も見かけないし既にここは連中の縄張りじゃろう。それなのにさっぱりと姿を見かけないのは狩りにでも出ているのか、ねぐらに篭っているのか。

 ワシとしては前者であってほしいんじゃが。大型の動物を一度に複数相手にせにゃならんとなると大変じゃしな」


ウルーラクが左手側に装備している盾の握りを確かめるように動かしながらケイジに応えた。彼が今身につけているのはヘヴィ・シールドに分類される大型のものだ。

バックラーと呼ばれる小型の盾と違い前腕をストラップに通した上で持ち手をしっかりと握る必要があり、その手は盾を操るのに専念する必要がある。

ウルーラクのそれはさらに盾の表面に鋭利な棘が取り付けられている。シールド・スパイクと呼ばれるそれらは、盾に攻撃能力を持たせるための装備だ。

これは動物のように武器を用いず、肉体そのものを武器として戦うクリーチャー相手には特に有効だ。敵の攻撃を巧く捌くことが出来れば、防御が攻撃を兼ねることになる。下手な体当たりなど仕掛けようものなら相手はむしろ自分の勢いによって傷つくことになる。

こうして見回してみると、皆の鎧は概ね"スタデッド・レザー(鋲打ち革鎧)"相当といったところか。ケイジは身のこなしと腕に装備している金属製の腕甲で軽装を補っているようだが、ゲドラは動きも鈍くはないものの機敏とは言えない。

その戦い方から考えても最も傷を受けやすいのが彼だろう。彼の鉄鎖を潜り抜けることは容易ではないが、接近されれば一気に削られることは十分に考えられる。戦闘中は十分に気を払っておく必要があるだろう。

依頼人であるエンダックが身に纏っている鎧からは魔法のオーラが感じられるし、それ以外にも防御術の気配を複数感じる。動きもケイジほどではないし鎧の限界までとは言えないが、氏族のエージェントとして受けた訓練が十分な体捌きを可能にしているようだ。

身につけている魔法の装備の強度次第ではあるが、全身板金鎧を着た戦士にも引けを取らない程度の防御力は期待できると見た。


「"独り樹"が見えてきたな。神殿は近いぞ」


俺が同行者たちの装備から各種ステータスを脳内でシミュレートしている間に、右手前方の丘の頂上にぽつりと1本の樹が生えているのが見えてきた。巨大な樹は周囲の養分を吸い上げてしまっているのか、たった一本で寂しげに佇んでいる。

剣ではなく弓と矢を手にしたエンダックが言うには、昔からあの樹は神殿に近くなってきた目印として使われていたらしい。俺にもこの樹は神殿にほど近い探索点の一つとして記憶されている。野外エリアの地図は街の中とは比べものにならないほど縮尺が違うが、大まかな地理関係だけはそのままだ。

伝説によればかつて神殿が略奪された際にアラワイが一滴の涙を流し、それが落ちた地面からこの樹が育ったのだとか。そんな内容のナレーションが流れたことをふと思い出す。繰り返し聴いていると癖になるあの声は非常に印象深い。

ゲームの中ではオークの住処からここまで30秒くらいだったが、現実では3時間近くが経過している。《ヘイスト/加速》の呪文を使用して疾走しているわけではないにしろ、360倍も違えば地形の細かい記憶などはあまり役に立たないと考えておいたほうがいいだろう。


「結局ここに向かうところまで遭遇は無し、か。

 普通のライオンなら余程大きい群れでも10を超えることはないんだろうが、"カイバー産"のライオンだとその辺りも違ったりするのかね?

 地下暮らしが長いから昼間は日光を避けて寝ているとか」


再び会話の口火を切ったのはケイジだ。見通しのいい野外のためか、彼も今は弓と矢を手にしている。その鋭い観察力で視界に入った獲物にまず一射し、向かってくるのに合わせて武器を持ち替える腹積もりなのだろう。

二刀流の訓練を積んでいるのだろう、左右の腰に吊るした魔法で強化された山刀をケイジは一呼吸で抜き放って攻撃が出来るはずだ。


「……姿形が似ている以外は別物と考えたほうがいい。俺の村でも時折山の裂け目から現れるカイバーの魔物に襲われるものが出るが、普通の動物よりもずっと知恵が回るし残忍だ。

 我々のトーテムを穢す存在である悪魔の獅子達は、その中でも最も恐るべきものだと聞いている」


ケイジに返事をしたのは意外にもゲドラだった。ストームリーチから程近い山脈を故郷とする彼はフィーンディッシュ種クリーチャーについてある程度の知識があるようだ。


「じゃが頭が二つあったり翼が生えているわけでもなかろう? それなら仕掛けてくる攻撃の手段も限られるじゃろう。

 猛獣の噛み付きは厄介じゃが、ライオンのそれはその中でも飛びっきりじゃ。そのまま抑えこまれて四肢の爪で切り裂かれんように注意するんじゃぞ」


このパーティーの中で最も年上のウルーラクがその経験を活かして想定される敵の攻撃手段について話している間も俺達は目印となる樹を横目に進み、やがて目的である崩れ落ちた神殿跡を見上げる位置まで辿り着いた。

白い大理石から組み上げられたそれは大きな神殿だったのだろう。だが今はかろうじて内陣までの階段がその姿を留めているのみで、その先は天井を支えていた石柱が僅かに立つばかりだ。

ゲームでは省略されていたのか、建物が崩れた残骸が辺りに散らばっており足場も見通しも良くない。そうした瓦礫の影に、大型の獣が身を伏せているのをケイジが目敏く発見したようだ。

さっと手を振りあげ合図し、弓に矢を番える彼の行動を受けて他のメンバーも緊張状態に入る。同じく弓を準備したエンダックがケイジの横に並び、その二人の両側でゲドラとウルーラクがそれぞれ武器を構えた。

そんな彼らの後列中央に位置した俺も勿論敵には気づいている。彼我の距離は50メートルほどか。やや遠いとはいえ十分ロングボウの射程範囲ではあるが、敵の獣はその身を大きな瓦礫に隠すようにしているため遮蔽がある。

このまま射るべきか、あるいは距離を詰めるか? 射手たちが迷いを見せたその一瞬の迷いを嗅ぎとったのか、四足の獣は一瞬で物陰から飛び出ると丘の斜面を駆け下りだした! だがその進路は俺達には向かっておらず、見当違いの方向に向かっているように見える。

慌ててケイジらは矢を放つが、単純にこちらに向かってきたわけではない獅子に命中させるのは難しかったようだ。対象が斜面を降りることで徐々に速度を変化させながら動いていることもあり、矢は獅子の影を捉えることすら出来なかった。

そして射手の注意がその敵に引き寄せられているうちに、さらなる脅威が現れていた。神殿の中から階段を何段も飛ばしながらこちらに迫る影が二つ。いずれも大型の四足獣だ。この二体は先程の一体とは違い、真っ直ぐにこちらに向かってきた。


「惑わされるな! 別の連中が正面から来ているぞ!」


鬣のない頭部は迫ってくる獣が雌のライオンであるということを教えていたが、それはむしろ事前知識に拠るところが大きかった。赤黒い毛に覆われ5メートル近い体長を持つその魔獣は眼窩と肩部から骨質の突出部を持っており、その背筋に沿って棘が並んでいる。

無明の暗闇をも見通す赤い瞳が爛々と、昼間の太陽の下でもその輝きを衰えさせずにこちらを睨みつけている。獲物を見つけた歓喜からかその口の牙の合間から唾液を撒き散らしながらこちらに向かうその姿はまさに白昼の悪夢だ。

ゲドラとウルーラクが射手二人を庇うために一歩前へと進み、獅子の突撃を迎え討とうと武器を構え前方に意識を集中させていたが俺の警戒網は別の脅威を捉えていた。

先程斜め前方の斜面を駆け下りていった最初の一頭が《小回り》を利かせてこちらへと向かっていたのだ。疾走する勢いはそのままに進行方向を直角に曲げたその曲芸のような突撃軌道は俺達の陣形の側面に襲いかかろうとしている。


「皆は正面に集中しろ!」


俺は言葉と共に、手にした楽器の弦を掻き鳴らした。バンジョー、この世界ではバンドールと呼ばれる楽器に備えられた六弦が魔法の旋律を奏で、皆の勇気を鼓舞する呪歌となって響き渡った。

《インスピレイショナル・ブースト/奮起させる励まし》の呪文と《心に響く歌》特技、そしてMMOのクラス・エンハンスによって増幅されたそれは即座に劇的な効果をもたらす。

意識が冴え渡り、周囲の動きがまるでスローモーションのように映った。フィーンディッシュ・ダイア・ライオンの表皮を覆う剛毛の一本一本がはっきりと認識でき、その下にある彼らの筋肉の動きを見とることで敵の動きを先読みしその動線の先に攻撃を"置く"ように体が動く。

側面から突っ込んできた獅子に向かい俺も駆け寄った。覆いかぶさるように上から繰り出された牙による噛み付きと左右の爪の引っ掻きを潜るように側面に抜けて回避するとその攻撃により不安定となった体勢を崩すべく後脚に向かって蹴りを放つ。

チートだけではなくレベルアップによってもさらに磨きあげられた筋力は既に成年の竜をも上回るほどであり、そこに実戦で培った技術と呪歌による戦闘能力の向上が合わさったことでその一撃は直撃した獅子の後脚を跳ね上げ、残った1本の脚を支点に1トンを遥かに超えるその巨体をぐるりと半回転させた。

いまや悪魔の獅子はその無防備な腹を俺の目の前に曝け出している。俺は右手でバンドールのネックを握ると、フリーになった左手でシミターを抜き放って剥き出しの柔らかい腹部を一薙ぎに切り捨てた。

片手とはいえ十分な力によって振られたその斬撃は刀身のほぼ全てがその体に吸い込まれたにも拘わらず、全くその勢いを減じずに反対側へと通り抜ける。

通常の武器による傷であればたちどころに癒してしまうその呪いのような再生力も、それを上回る呪力によって鍛えられた鋼の斬撃には効果がない。さらに刀身に込められた《レイディアンス/光輝》のエネルギーがその傷の深い所で爆発する。

体幹まで切断された上に体内でそんなエネルギーの炸裂を受けて無事でいられる筈もない。シミターが放つもう一種の力、火によるエネルギーは"フィーンディッシュ種"特有の高い元素抵抗力により無効化したようだが結果としては同じことだったようだ。

切断面から徐々に白い光の爆発が体の末端まで広がっていき、その後には何も残らない。地面に刻まれた大型獣の足跡だけが痕跡だ。そうやって敵を処理して振り返った俺の視界に、正面側の二匹と激戦を繰り広げる仲間の姿が映った。

予めの作戦通りの戦術を取ったのだろう、獅子の一匹は皆にその牙を届かせる前にゲドラの放った棘鎖に脚を止められたところに集中砲火を受けたようだった。

コボルドの巣窟で戦った際にも感じたことではあるが、優れた体格を誇るゴライアスが射程の長いスパイクト・チェインを振るえばその範囲内は一種の結界に包まれるようなものだ。

特に激怒により瞬間的に筋力を増幅された場合、まるで《ファイアー・ボール》の呪文が炸裂したかのように周囲に破壊を振りまくこととなる。通常の武器に耐性を持つといえども、脚の一本をその付け根から吹き飛ばされては再生もままならなかっただろう。

そしてそこに待ち構えていたケイジから矢が撃ち込まれたのだ。呪歌の効果は彼らにも当然及んでいる。矢は狙いを違えずに獅子の目や鼻といった護りの薄い部分に突き立っていた。

この時点でほぼ無力化に成功はしていたが、さらに機敏な動きで側面へと回りこんだエンダックが打ち込んだ矢によりこの一匹は完全に沈黙した。ケイジは既に弓を手放して両腰のククリを抜き放ちながら残り一頭に向かっている。

残る一匹を足止めしているのはウルーラクだが、かなり分が悪い。防御に専念し噛み付きこそはスパイク付きの盾をその口内に捻り込むようにして防いでいるものの、両の爪によってかなり傷つけられている。

とはいえ良く耐えている方だ。頑健なドワーフであり冒険者として鍛えられた彼でなければ既に獅子の胃袋に収まっていただろう。


「スイッチだ、下がって傷治してろ。後は任せな!」


紫電に覆われた二刀を引っさげてケイジがそこに吶喊した。ウルーラクに向けて振り下ろされたその爪を横合いからククリを叩きつけるようにして逸らし、その勢いで二者の間に割り込んだ。

この乱入者に対して反射的に振るわれたもう一方の爪を、一方の手に身につけたダスタナと呼ばれる腕甲を盾のように使って受け流し、一方の手の刃で斬りつける。敵の攻撃が雑なものであったとはいえ見事な身のこなしだ。

腕を断ち切るとまではいかなかったものの、半ば近くまで通った刃の傷は決して浅くない。そして刃に纏われていた電撃が傷口から体内へと拡散し、その衝撃にたまらず獅子は唸り声を上げた。

手傷を負わされた魔獣の意識は完全にケイジへと引きつけられた。だがその腕に構えた武器防具ごと噛み砕かんと口を開いたところに、後退したウルーラクを庇うように半歩進んだゲドラの放った鉄鎖の楔が突き刺さった。

僅か数秒のメロディーであっても、呪歌として奏でられたそれらは僅かな間残響としてその効果を残している。数十秒の間ではあるが、それは残り一匹の敵を打ち倒すには十分すぎる時間だった。


「ふう、酷い目にあったわい。盾ごと食われちまうかと思ったわ。

 やはりもっと分厚い鎧でないと大型の獣の相手は厳しいのぅ」


《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治癒》のワンドを使用して傷を癒したウルーラクが愚痴っぽく口を開いた。時間にすれば十秒ほどとはいえ、自分の十倍以上も重量のある相手との白兵戦を行ったのだ。相当な負担だったろう。

今のところ俺の使える呪歌は攻撃能力についてはかなりの向上が望めるが、防御能力は全くといっていいほど伸びない。それが出来るようになるのは遥か先、日本語サーバ上でのキャップ直前までレベルを上げなければならないのだ。

このメンバーは打撃力は飛び抜けているが、敵を引き受ける防衛役と戦場を支配する制御役に欠けている。今のところ打たれ強いウルーラクが敵を引き受け、長射程の武器を持つゲドラが戦場のコントロールを担当しているがそれが通用するのは格下相手の時だけだ。

何らかの手段で火力を凌がれるようなことがあれば一方的に蹂躙されることもあり得る。ウルーラクだけでは味方を支援しながら敵の動きを妨害することはまだ難しいだろう。単純に手数が足りないのだ。


「確かにゲドラとウルーラクはもうちょっと装甲の厚い鎧を身につけてみてもいいかもしれないな。

 どうやらボーナスを弾んで貰えそうな連中のようだし、この仕事が終わったら新しい鎧を探してみちゃどうだ?」


確か未訳ではあるが追加サプリメントに、熱帯などの高温下でも環境ダメージを受けなくする装備があったはずだ。もしその手のアイテムが流通していなくても、同じ効果を丸一日与えてくれる呪文が様々な系統の初級呪文として扱える。

癒しの呪文の不足はワンドなどで補うこともできるし、防御力が上がればその分回復魔法が必要な回数も減らすことが出来る。重装によってドワーフであるウルーラクの機動力はかなり悪化することになるが、そこもその気になれば呪文や魔法のアイテムで補うことが可能だ。


「そうだな。ただのライオンとは比較にならないほど危険な連中のようだ。ボーナスは期待してくれていいぞ。

 尤も、本番はこれからだが」


会話に混じらず注意深く周囲を警戒していたエンダックが弓に矢を番えながらそう口にした。

弦が引き絞られ複合材の弓が撓む音が鳴る。その矢は先程ライオン達がやってきたアラワイの神殿跡へと向けられている。釣られるようにそちらを見やるとひとつ、またひとつと倒れた支柱の影に獣の姿が見え始めた。

どうやら群れをなす性質は通常のライオンと大差ないようだ。そういえば先程こちらに向かってきたものは全て雌ばかり。まだ群れの中核をなす雄とその取り巻きたちがいるだろうことは明らかだ。

俺のその考えを肯定するかのように、神殿の奥から獅子の咆哮が聞こえてきた。奈落そのものから轟くかのように重くかさなって聞こえるそれは、このセルリアン・ヒル全体を包むように響き渡った。
 



[12354] 4-2.セルリアン・ヒル(後編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2011/02/13 14:08
「よお、トーリじゃないか! 久しぶりだな」


俺がケイジ達に再会したのはシャーンから戻って間もない頃、『チャプター・ハウス』で特製のケーキに舌包みを打っている時だった。

シャーンで美食三昧を繰り広げていた俺は娯楽の少ないこの世界での楽しみを食事に求めることにし、結構な頻度でこの酒場の店内限定ケーキを食べに来ていた。

夜は冒険者が大勢屯しているこの店も昼過ぎのこの時間はスイーツ目当てのご婦人たちが中心であり、演奏されている楽曲も落ち着いた雰囲気のものになっている。

丁度目当てのものを食い終えた俺は機嫌も上々にケイジに向き直った。


「そうだな、二十日ぶりってところか? お互い元気そうで何よりだ。

 まあまずは再会を祝して一杯やろうか」


テーブル正面の椅子を彼に勧め、近くにいた可愛らしい感じのハーフリングのウェイトレスを呼んで飲み物をオーダーする。軽くグラスを合わせてソヴリン・ホストへの感謝の言葉を唱え、グラスを傾けた。

ケイジの服装は単胴衣に丈夫そうなズボンと革のブーツといったラフな格好だ。宿を拠点にする冒険者は、大抵その財産価値の大半を占める装備品を肌身離さず持っているものだが今日の彼は違うようだ。


「随分と身軽な格好だけど、いつの間にか一山当てて足を洗ったのか?

 この間の儲けは装備に回すっていってたが、あれを元手に商売でも始めたとか」


人当たりの良いこの男であれば、常に命の危険と隣合わせの冒険者などよりも客商売でも始めたほうがいいのではないかと思う。だが残念ながらケイジの答えは違っていた。


「トラベラーの気まぐれ屋め! 聞いてくれよトーリ。この前の稼ぎで注文した装備の納品までの間に黒鉄亭の向かいにある『フェニックス・タバーン』に宿を取ってたんだよ。

 暇だったもんで酒場で話の合ったオッサンの仲介で仕事を一つ引き受けたんだが、そこで酷い目にあっちまったんだ!」


彼は暗黒六帝の一柱、混沌と欺きを司る無貌の神に悪態をついてから何があったかを話し始めた。

失せ物を探しに下水に潜り込んだらそこはクイックフット盗賊団の隠れ家で物陰に姿を隠したローグ達にしこたま矢を撃ち込まれたらしい。

今の格好も武器と鎧を再起不能にされてしまったためのようだ。


「なんとか目当てのボロい指輪は回収したけど、鎧はハリネズミみたいになった上に連中の飼ってた犬どもに噛みちぎられてボロボロさ。

 割りに合わないことこの上ない仕事だったぜ……」


その話に俺は思い当たるところがあった。「スワイプド・シグネット」というそのクエストはジョラスコ氏族の印章指輪を取り戻すクエストだが、難易度が高いことで有名だった。

表示されている適正レベルで挑もうものなら、待ち構えている盗賊たちに簡単に全滅させられてしまうこともある罠クエストの一つ。それでいて報酬だけは表示レベルの安さとあって、名声稼ぎくらいにしか行かなかった覚えがある。

指輪自体もジョラスコ氏族の印章が刻まれているということで、ひょっとしたら元は価値があったのかもしれないが宝石は失われ台座はひび割れて、とひどい状態のシロモノ。依頼人の態度が悪いこともあって疲労感ばかりが溜まるクエストだ。


「ま、五体満足にもどってこれただけまだ運があったんじゃないか?

 "クイックフット"といえばそれなりに名の売れた連中だし、そんな奴らのアジトを一つ叩いたってんなら名前も売れただろうさ」


思い出すだけで疲れたのか、テーブルに突っ伏すケイジを慰めながら彼に追加の飲み物をオーダーしてやる。

あそこで遭遇する敵の数はやたら多かったはずだ。どの程度がゲームと同じかは解らないが、そこを生き延びたケイジは大きくその実力を伸ばしたはず。今回損をした分はその実力で十分に取り返せるだろう。


「ありがとよ。でも当分下水はコリゴリだぜ。コボルドに盗賊団、臭くてジメジメしたところでの殺し合いなんて気が滅入って仕方がない。

 次はお天道様の下で気分よく仕事をしたいもんだ」













ゼンドリック漂流記

4-2.セルリアン・ヒル(後編)



















「クソッタレのカイバーめ! あんなゴツいのがあと何頭いやがるんだ?」


獅子の咆哮の尾を踏むようにケイジが悪態をついた。神殿の廃墟に見える敵の数は今のところ先ほどと同じ数の3頭。だがこの咆哮の主2頭と先程倒した3頭を合わせても8頭。

TRPG版の基本ルールブック、モンスターマニュアルの記載では一般的なライオンの群れは6~10頭からなるとされていたはずだ。それは例え"フィーンディッシュ種"テンプレートを付加されていても変わらないはずだし、ゲームでの遭遇も同じようにデザインされていたはずだ。

そう考えると最大で残り2頭の行方が知れない。神殿の中に伏せているのか、あるいは……。


「やむを得ん、突っ込むぞ。ここで連中の姿を眺めていたところで状況は良くはならん」


エンダックが俺と同じ考えのようで全員に呼びかけた。皆も同意し、素早く行動に移り出す。そう、あの咆哮は狩りに出かけている連中の仲間に呼びかけたものである可能性がある。もしそうであった場合、ここで待っていたら遮蔽物のない丘で挟撃されることになるだろう。

先程の敵は瞬殺だったとはいえウルーラクの負傷を考えればギリギリの戦闘だったのだ。あと一頭増えていれば彼が倒され、回復の手が足りずにジリ貧になっていただろう。


「ウルーラク、ゲドラの武器にソヴリン・ホストの祝福を願ってくれ。その後は回復と支援に専念して欲しい。

 瓦礫を遮蔽に使えば多数に囲まれることを避けられるはずだ、ウルーラクを囲むようにして戦うぞ」


手早く指示を飛ばすエンダック。皆もそれに問い返すようなことはせずに、テキパキと準備を整えていく。ケイジは落としていた弓を拾い、背中に固定して手には二刀を構えた。


「俺が先頭で斬り込むぜ。エンダックの旦那は連中の頭を抑えてくれ。トーリ、援護を頼む」


準備に時間を掛けることが出来れば様々な支援呪文を使うことができるが、今はその余裕はない。頭の中で優先順位を瞬時に組み上げると無言で巻物を取り出し、《ヘイスト/加速》の呪文で皆の機動力を向上させる。

一瞬だが全身に痺れるような感覚が走るが、それは神経が呪文により加速されたことによるものだ。まずは皆で神殿跡地に辿りつくことが第一だ。最も足の遅いウルーラクは移動に専念し、エンダックは威嚇射撃を行ないながら全員一塊となって丘を駆け上がる。

このパーティーの中でも最も足の早い俺は、移動しながらもアイテムから別の呪文をケイジに発動させた。《ヘイスト》のおかげか、あっという間に崩れた神殿が目の前に迫ってくる。次の呪文の準備をする間もなく獅子の一頭が身を潜めている支柱へと接近した。


「来いよ獅子モドキ!」


ケイジが臆すること無く獅子の潜む物陰へと飛び込んでいくが、無論その隙だらけの動きを見逃す敵ではない。

無防備に飛び込んだケイジに対して、姿を見せた獅子は大きく顎を開くと彼の胴体を横向けに咥えるように噛み付いた。巨体から繰り出される膂力は圧倒的で、獅子が首を捻っただけでケイジはまるで風船のように振り回されると地面へと叩きつけられた。

噛み付かれたまま横向きに倒されたケイジの体を、抑えこむように鋭利な爪が襲った。だがその爪はまるで岩に叩きつけたかのような音を出して弾かれる。直前の噛み付きも含め、獅子の攻撃がケイジに触れる直前に展開される障壁が彼を覆い肉体に届くことを許さない。

俺が付与した呪文がケイジに対する物理的な干渉を防いでいるのだ。まるで一瞬肌が白く染まるような外見と効果から《ストーンスキン/石の皮膚》と呼ばれるそれはゲーム中でも被ダメージの軽減に随分とお世話になった秘術呪文である。

流石にあれだけの大きな猛獣の攻撃を全て無効化することは出来ていないようだが、その大部分は仮初の石の皮膚に吸収されている。体勢こそ崩されたものの、ケイジは戦闘に支障のあるような傷を負うことはなかった。そして彼の両手にはしっかりと武器が握られている。

抑えこまれていても振るうことに支障のない軽い武器であることが幸いし、自らの体を囮にして肉薄したケイジの二刀が翻り獅子の両目を紫電を纏った刃が抉った。

悲鳴のような咆哮を上げて堪らずケイジから離れる獅子だが、その叫びは直後に断末魔となる。床に伏せているケイジの上を、遅れて突撃したゲドラの振るうスパイクト・チェインが通過していったのだ。ケイジによって釣り出された獅子に向かって蛇が這うような軌道を描いてそれは宙を進む。

彼の信仰するトーテムの加護を受け、棘鎖は瞬く間に三度繰り出された。それは本来槍と同じように刺突する攻撃であるはずが、彼の膂力によってもはや爆発とでも言えるほどの破壊をその着弾点を中心に撒き散らした。

頭部を狙ったその初撃は獣の本能かそれとも両目を失った痛みによるものか、首を振ることで初撃の直撃こそ避けたもののそれは肩に命中し腕を付け根から吹き飛ばし直後に下顎、上顎へと炸裂した連撃によって巨獣は瞬く間にその頭部を失い絶命した。

その体格からも大型の武器を振り回すことが可能なゴライアスという種族の特性と、さらに攻撃力に特化した"バーバリアン"というクラスの特徴が相乗効果を発揮している。


「随分と派手な斬り込みだったな。カイバーまで真っ逆さまに突進して行ったのかと思ったぞ」


最後尾から後方を警戒していたエンダックがウルーラクを伴って追いついてきた。彼が近寄ってきたのを確認し、入口付近の瓦礫を繋ぐように《ウェブ》の呪文を発動させる。ゲームと違い、支えるものがない空間にこの蜘蛛の糸を発生することは出来ない。

もう少し高位の呪文を使用すれば容易に敵を封殺することもできるのだが、現時点では術力を上昇させる指輪の力を借りてもこの程度の呪文の発動で精一杯。チラスクを葬る際に行った偏った成長の代償だ。

《魔法的防護貫通》を取得するために術者としてのLvが8も減少しており、他の特技や装備で補ったもののそれでも術者としては3Lv低い状態だ。6Lv-3lv=3Lvということで術者としての能力はコルソスに居た頃と大差ない。

自前で用意できる呪文はあまり効果が期待できないため、そのほとんどを巻物やチャージ品に頼ることになる。

勿論次のレベルアップを行うことが出来れば修正できるのだが、残念なことにドラゴン・シャードの手持ちが足りない。新たなクラスが追加されたこともあってレベルアップごとに必要なシャードの数が増えているのだ。

ドラゴン・シャードに不自由しなくなるにはカロン達が行う沈没船のサルベージを待つ必要がある。


「ふむ、大した怪我はしとらんようじゃの。強力な防御術のおかげじゃな。トーリ、この秘術はまだ使えるのかの?」


ケイジに駆け寄ったウルーラクが彼の具合を簡単に確かめた後そう尋ねてきた。この呪文自体は地下での戦いの際に既に使用しているため、ここで秘密にするようなことではない。可能であれば全員に配っておくべきだろう。

だが付与を行う時間は与えられなかった。瓦礫を踏みしめる大きな音を立てながら、獅子が一頭回りこんできていたのだ。ウルーラクは激怒の反動で疲労が蓄積しているゲドラからその負荷を取り除いており、その二人を守るように俺とケイジは前に出た。


「来やがった! トーリ、いっちょ景気のいい奴を頼むぜ!」


既に先程の呪歌の効果は消えている。再びバンドールに手を伸ばし、気分を高揚させるメロディーに魔法の力を乗せて周囲の空気を震わせた。正面から突っ込んでくる獅子の咆哮にも掻き消されずに皆に届いた旋律は、再び戦士の体を活力で溢れさせた。

ケイジとの距離を僅かに開けて迎え撃つと軽装な俺のほうが与し易いと判断したのか、異形のライオンはこちらに向かって飛び掛ってくる──こちらの狙い通りに。

速くはあるが鋭くはない、そんな見え見えの挙動から繰り出された攻撃を紙一重の見切りで回避した俺は反撃とばかりに距離を詰めた。確かにこの連中はライオンとしては規格外の大きさではあり、重さも相応だ。

だが規格外の筋力ということであれば俺はその遥か上を行く。2トン程度までであれば持ち上げることができる非常識な筋力、その力を戦闘経験とシステムの補助により研ぎ澄まされた技術に乗せて解き放つ。

攻撃を回避されたことで不安定な体勢となっていた敵は、自らの体重を支えていた後脚を蹴り飛ばされて地に伏せた。腹這いになったことで射程距離にやってきた頭部目掛け、反対側に立つケイジと示し合わせて挟撃を加えるために武器を抜く。

再び炎を纏ったシミターを鞘走らせようとしたが、その直前に感じた違和感に応じるように俺の右手は腰に吊り下げていた『ドワーヴン・スロウアー』を抜き放ち別の目標へと投げつけていた。

後方のゲドラ達の頭上を超えて飛んでいく投げ斧は、5メートルほどの瓦礫の山を超えて飛びその先に顔を出していたもう一頭のライオンの頭部に吸い込まれていく。奇襲するつもりが逆にカウンターを食らったことで憎しみに猛る獅子が自分の存在を誇示するように唸り声を上げた。


「上から来るぞ、気をつけろ!」


投擲の隙を狙って振り上げられた爪を身を捻って回避しながら注意を呼びかける。通常のライオンならともかく、ダイア種(巨大生物)であるこいつらには瓦礫の山は大した遮蔽にはならないようだ。


「まとめて抑え込まれたら不味いぞ、散れ!」


頭上からの攻撃に対して三人は散開してそれぞれ武器を構えようとしたが、足の遅いウルーラクが僅かに逃げ遅れた。そんな彼に向かって跳躍して飛びかかろうとする獅子の足にゲドラの放った鎖が絡みつく。

再び激怒により身体能力を強化したゲドラの筋力は俺ほどではないものの、獲物の有利さも相まって敵を引きずり下ろすことに成功したようだ。ここぞとばかりに矢を射掛けるエンダックに続いて、俺も《リターニング》の魔法付与により手元に戻ってきていた手斧を再び投擲した。

目の前の獅子が先程から起き上がっては攻撃をしてくるがその隙をついて再び転倒させ、伏せた状態から繰り出される単調な攻撃は全てローブに触れされることもなく封殺している。

そうやってこちらに注意を引きつけていた間に、懐に潜り込んだケイジが無防備な喉に二刀からの斬撃を見舞った。強靭な生命力故かその程度で即座に死ぬことはないが、魔法の武器で刻まれたその傷は再生することはない。

出血こそ周囲の筋肉が膨張することで止まったようだが、大した抵抗が出来るわけでもない。ようやく身の危険を感じたのか逃げ出そうとしたようだが、その判断は遅すぎた。


「おっとカイバーへの帰り道はそっちじゃねえぜ!」
 

跳躍のために力を込めた足を俺が叩き折り、崩れた体に再びケイジの二刀が閃くとその獣は二度と起き上がることは無かった。

ケイジが武器への付与として選択した「電撃」という相性は異次元の魔物など相手には無効なこともあるが、こういった魔獣や動物相手には有効だ。

俺の持つ武器に多い酸や炎の付与は強力すぎることもあってか死亡して抵抗力を失った遺体を消失させてしまうことも多いが、やはりこれは一般的な事象ではないようだ。

ケイジに止めとなる攻撃を受けたこの獅子は電撃か肉体を貫いたことによる影響か、一際大きな痙攣を発した後も変わらずそこに存在し続けている。

これが付与された術の強度によるものなのか、それともゲーム武器独特の効果なのか今のところ不明ではある。今までは精神衛生上むしろ有効に働いてはいたが、ひょっとしたらこれも自重すべき点だったかもしれない。

そんな思考に意識を一瞬向けている間に後方でも決着がついていた。エンダックが機敏な動きで射線を確保しつつ次々と矢を撃ちこみ、ゲドラが棘鎖が縦横に振るい頑丈な外皮を持つはずの獅子の肉体を削り落としたのだ。

瓦礫が多く決して広くはないこの戦場でも長射程の武器の効果を最大限に発揮するとは、流石にその武装に熟練したスペシャリスト達だ。最初の遭遇ではぎこちなかった動きも既に消えている。

一度実戦を行ったことでお互いの役割をはっきりと認識したのだろう、もはや打ち合わせの必要もなくその場その場で最善の行動をお互いが取れるようになっている。


「まだ群れの主達が残っているはずだ。気を抜くなよ」


矢筒から二本の矢を取り出しながらエンダックが警戒を呼びかけた。ウルーラクを中心に陣を組み、周囲への警戒を行いながらジリジリと慎重に歩みを進める。

あまり時間に余裕が無いことは解っているが、奇襲を受ければ容易に分断されてしまう。逆に先手を取ることが出来ればほぼ封殺することが可能なはずだ。そうやって移動しながらも皆に支援の呪文を次々に付与していく。

全員に配った《ストーンスキン》は優秀な防御呪文だ。クリティカル・ヒットを貰わない限りは相当な回数の攻撃を吸収してくれるだろうし、これで誰かが瞬殺されるという事態は回避できるはずだ。

緊張感を維持したまま俺達は神殿跡地の奥へと進んでいった。かつては大勢の信者を集めていたであろう集会所の奥、そこには未だに原型を留めている神々の像が残されていた。ゲームでは回復と復活を司るオブジェクトだったそれは、女神アラワイとその兄弟神であるバリノールを表しているようだ。

そしてその二柱の間からは、赤く輝く四つの眼球が招かれざる客として侵入した俺たちへと殺意を送り込んできていた。外にいた獅子達よりも倍近く大きく、立派な鬣を備えたカイバー産の雄ライオン。

その最大の特徴は、一体の体から生えた二つの頭部。ゲームでは"ツイン・ファング"という名前を冠していたネームド・クリーチャーはこの世界では"マルチヘッデッド・クリーチャー"として存在していたのだ。


「呆けている場合じゃないっ! 来るぞ!!」


皆がその異形を目にしたことで一瞬動きを止めていたが、その僅かな立ちすくみの隙に獅子は突撃してきていた。《ナーヴスキッター/神経加速》の呪文により反応速度を上げた俺の警告は皆に届いただろうが、獣の俊敏性はさらにその上を行っていた。

集団の先頭へと飛び出した俺の目の前に、巨獣の顎が大きく開いて視界を覆い尽くす。疾すぎる!

巨体からすれば僅かな首の振りになるのかもしれないが、全長10メートルもの巨体がそれを行った場合その動作はとんでもないスピードを伴ったものとなる。

俺の立っていた空間全てを攫う勢いで行われた"口撃"を俺は横っ飛びに回避する。だが俺の斜め後ろに立っていたケイジは反応しきれず、もう一方の頭部による噛み付きにより咥えあげられた。そして獅子王は喉を鳴らすとそのままケイジを飲み込んだ。


「……ケイジっ!」


巨大生物が時折持つ「飲み込み」という攻撃方法だ。体内に放りこまれたクリーチャーは咀嚼胃による叩きつけと分泌される酸によって継続的にダメージを受ける。自力で食道を這い上がるか、胃壁と腹を切り開いて脱出しない限りそのまま消化されてしまうことになる。

無論そうなってしまえば死体など残らない。そうなればこのエベロンで通常行いうる手段での蘇生は不可能となる。勿論ケイジも脱出を試みるだろうが、その行為が実を結ぶ確率は残念ながら低いだろう。


「うおおおぉぉっっ!」


裂帛の気合を乗せてゲドラが放ったスパイクト・チェインの先端が一方の頭の眉間へと向かって突き進むが、ツイン・ファングが僅かに首を動かすとその切っ先は立派な鬣に弾かれて力なく落下する。

どうやらあの鬣は盾のような効果を持つらしい。分厚い外皮と巨大な図体に見合わぬ俊敏な動きに加え、そんな能力まで持っているとは非常に厄介な敵だ。


(最大限まで強化されたダイア・ライオンにフィーンディッシュ種とマルチヘッデッド種の二つのテンプレートを付与……特殊能力の追加も考えれば脅威度は15~16ってところか?)


紙一重の攻防を繰り返しながら相手の能力を観察する。幸い敵は目の前をちょろちょろと動く俺に注意を引かれており、有効打を与えていない他の皆のことは無視している状態だ。

回避ざまに振り抜かれた前肢を引っ掻くように傷をつけ、獅子王の意識を俺に集中させながら情報を集める。


(その場合HPは300~400くらいか。動物系クリーチャーの弱点である意志力は呪文抵抗の高さで補っているし、エネルギー抵抗も高いだろうから呪文で攻撃しても効果は低いな)


敵の攻撃の鋭さは狂乱前のゼアドを上回る程だ。そこから想定される敵の能力は同種のクリーチャーの中でも最高峰だと思っていいだろう。HPの見積りも素の状態であり、《追加HP》などの特技を取得していればさらに増えることになる。


(すぐに倒すことは無理だ。かと言ってケイジを見捨てることもしたくない……)


向かってくる敵を斬ることに躊躇いはもはや無いが、仲間を見捨てることは出来ない。文字通り虎口に飛び込む決意をした俺は皆にそのことを伝える。


「ケイジを救出する! なんとか10秒持ちこたえてくれ!!」


そう叫んだ直後に獅子王の顎が開かれ、俺は眼前に迫るその暗闇へと自ら身を躍らせた。天地がひっくり返り、巨大な牙による刺突と舌による圧迫が体全体を襲う。

だがこの口腔の主はケイジの時同様咀嚼に時間を掛けるつもりはないのか、僅かな蹂躙の時間の後に俺はさらなる喉奥へと運び込まれた。残虐なその性質からして、踊り食いの犠牲者となった者たちが胃の中で暴れる感触を好んでいるのかもしれない。

そんな事を考えている俺の周囲から、酸と周囲からの圧迫が襲いかかってきた。それ以外にも強烈な刺激臭が嗅覚を破壊しようとしてくる。どうやら咀嚼胃に辿り着いたようだ。

まるで渦潮に放りこまれたように攪拌される中、先客だったケイジを発見する。《トゥルー・シーイング》の効果を持つゴーグルにより、全くの暗闇でも見通す事ができるのだ。彼は傷を負いながらも胃を切り開こうと山刀を胃壁に突き立てている。

最初に受けた噛み付きこそダメージを受けたものの、その後の咀嚼は《ストーンスキン》によりある程度防げているおかげだろう。まだまだ戦意を失ってはいないようだ。

俺とは違って光のないところでは目が見えないだろうに、胃壁を切り刻んで脱出しようとしている彼の行動は非常に的確なものだ。ひょっとしたら以前にも似たような経験をしたことがあるのかもしれない。

とはいえケイジの装備では胃酸による攻撃を防ぐことは出来ないし、《ストーンスキン》の防護も長くは持たない。一刻も早く脱出する必要があるだろう。


「転移するぞ、呪文を受け入れてくれ!」


ケイジに一声かけた後、取り出した巻物を使用して《ディメンジョン・ドア》により体外へと瞬間移動する。ブレスレットの能力により直接俺の掌中にアイテムを取り出せるからこそ可能な芸当である。

獅子の背後側に胃酸塗れになって出現した俺達の視界に入ったのは非常に厳しい戦況だった。

今まで遭遇したこの群れの獣達を肉片に変えてきたゴライアスの勇士の攻撃が、傷一つつけること出来ずに撃ち落される。返礼とばかりに放たれた爪の一振りは未だ宙にあった彼の得物を捉えるとズタズタに寸断してしまう。

鉄の鎖をまるで紙細工のように引き裂いたその爪はさらに薙ぎ払うようにゲドラへと襲いかかった。硬質の物同士がぶつかる音が鳴り響いたが、ツイン・ファングの爪は展開された石の防御を打ち破り胴を襲った。

一瞬勢い良く血が吹き出るが、事前に付与していた《エイド/助力》の呪文がその効果を発揮し傷口を覆う。だがそれでも無傷というわけにはいかなかったようで、彼の胸板には大きな傷が刻まれている。

エンダックは後列で弓を構えてはいるものの、規格外の大きさを誇る敵に対して既にその立ち位置は爪と牙の射程距離内。矢を放とうとした瞬間におそらく爪か牙による洗礼を受けるだろうし、本人にもそのことが解っているので攻撃に移ることが出来ない。

隙を窺いながらジリジリと移動し、敵の攻撃範囲から逃れるように動くのが精一杯のようだ。ウルーラクもジリジリと移動している。だがその掲げられた盾もあの巨体を前にしては非常に頼りなく感じられてしまう。

まるで猫がお気に入りの玩具にするように、その鋭利な爪の先で引っ掻くように攻撃を続けるその姿は遊んでいるようにしか見えない。だが実際に獲物の側になってみればこれほど恐ろしい物はないだろう。


「俺が注意を引きつけている間に立て直せ! 近づいたら喰われてお終いだぞ!」


このままにしておけば、あっという間に全滅しかねない。そう判断した俺はいつものように《高速化》などにより短縮発動された攻撃呪文を放ちながら獅子の背後へと距離を詰めた。

チラスクに放ったときは一瞬で腹部を溶かしつくすほどの破壊力だった酸と火が混合された矢も、術者としての力を大きく減じた今は奴の体表の一部を焦がすだけに留まった。何十発と撃ちこめば倒せるだろうが、今は皆を逃すために注意を引ければそれでいい。

狙い通りこの戦闘で初めて傷らしい傷を受けたツイン・ファングは怒りの咆哮を上げながらこちらへと向き直る。横合いから大理石の床面を削りながら迫る爪を《シールド》呪文による障壁を利用して上手に逸らし、体捌きやローブの発する反発の力場など持てる全ての防御能力を活用して回避する。

敵の注意がこちらに集中したことを確認したのか、ケイジと合流した他の皆は来た道へと姿を消した。視界には入っていなくても動物特有の鋭敏な嗅覚でこいつもそれには気づいているだろう、だがそれよりも痛みを与えた俺のことが気に入らないようでそれぞれの顔が憎々しげに俺を睨みつけている。

先程まではおそらくこいつにとっては遊びの範疇だったのだろう。だが傷を受けたことで本気になったようだ。四つの瞳に込められた殺意が俺を射竦める。


(防御重視で戦っていればまず被弾することはないし、《フリーダム・オヴ・ムーヴメント》を帯びた靴に履き替えたおかげで飲み込まれることもない。時間を稼ぐことは十分に可能だ)


脳内で弾きだされた分析結果に愚痴りながらも体は動きを止めない。一瞬でも動きを止めれば飲み込みこそ避けられるとはいえ噛み付きを受けるし、鋭い爪を受ければ相当な痛手を被るだろう。

実際には《ストーンスキン》のおかげで1割も削られないだろうが、迂闊にバランスを崩されようものならその後に連撃を叩き込まれることにもなりかねない。嗅覚が鋭いために視覚を誤魔化す幻術の類も効果がないので地道に回避を続けるしか無い。


(体格差がありすぎて急所には手が届かないし足払いは無理だし、朦朧化打撃も通りそうにない。地道に削るしか無いか)


1分ほどそうやって攻撃を回避しながら何通りかの攻略手段を考え、そのうちどれを実行するか悩んでいたところで変化が訪れた。


「よしトーリまだ生きてるな! 時間稼ぎはもう十分だ、こっちに来い!」


瓦礫の隙間から顔を出したエンダックが大声を張り上げて指示を出してきたのだ。チラリ、とそちらに視線を飛ばして確認するが彼の表情はこれから逃げようという者が浮かべるものではなかった。どうやら場所を変えての戦闘を行うようだ。

先を行くエンダックは取り出したポーションを飲み干すと、ものすごい勢いで駈け出した。おそらくは《ヘイスト》の効果を持つ品だったのだろう、

俺も遅れを取らぬよう、ツイン・ファングの攻撃範囲を軽業を駆使して突破すると一気に走り始めた。どうやらエンダックは神殿正面へと通じる中央回廊のほうへ向かったようで俺も彼を追って足を動かす。

すぐ後ろにツイン・ファングが迫っているのを感じる。どうやらこの程度の瓦礫はあの巨体には障害にはならないようだ。基本的な移動力では優っているが、不利な足場のせいで実質の移動能力は五分五分といったところか?

瓦礫の合間を縫うように移動しながら目的地へと向かうと、他の区画とは異なって崩れておらず当時の面影を残している長い廊下が広がっていた。

どういった意味があったのか、50メートルほど続くその一直線の道の先には瓦礫で作られたバリケードに身を隠したケイジ、そしてその前に立つゲドラとウルーラクの姿が見える。

俺の先を行くエンダックはそのバリケードに駆け込み、ケイジが大声で俺を呼びながら手招きを行っている。


(まさか、あんなチンケな障害物に拠って戦うつもりなのか?)


頭に浮かんだあんまりな想像を打ち払いながら全力で疾走する。真後ろに迫ったツイン・ファングも獲物が集まっているのを見てその残虐性に火が付いたようだ。最後の直線を舞台に追いかけっこが始まった。

終点に待つゲドラは破損した鎖の代わりなのか、巨大な石柱を両腕に抱えている。1トン近い電柱のようなそれはこうして見るととんでもない迫力だが、武器としての実用性があるとはとても思えない。

時間があったのだからウルーラクの信仰呪文で武器を修理していると思っていたのだが、どうやら俺の予想とは全く異なる時間の使い方をしていたようだ。


「トーリ、そこで立ち止まるなよ!

 ゲドラ達に任せてバリケードのこっち側まで来るんだ!」


追いかけっこを続ける俺を助けるためか、ケイジとエンダックはバリケードの向こうから援護射撃を行ってくれている。

いくら強固な外皮と鬣を持っていようとも鼻頭や眼球といった矢の刺さる箇所はあるがために、そこへの直撃コースを取る矢を防ごうとしてツイン・ファングは勢いを殺されがちだ。

実際にはほんの数秒である追いかけっこは終わり、バリケードまで辿り着いた俺の後を追って巨獣がこちらへと殺到する。頭部を狙った二人の射撃を掻い潜るような低い姿勢で迫った巨獣の爪が振るわれる直前、ゲドラが動いた。

"山の激怒"と呼ばれる特殊な能力により大幅な筋力強化を果たした彼が大上段から振るったそれは、破壊的な音響を伴ってツイン・ファングの鼻先へと叩きつけられた。

見切られたというよりは奴の動きを押しとどめるために放たれたように感じるそれは、だがもう一つ別の効果を表した。その一撃は大廊下の床を破砕し、ツイン・ファングに反応する暇を与えずに階下へと叩き落としたのだ。


「ふむ、次はワシの出番じゃな」


ウルーラクがそういって足元の床と瓦礫に手を触れバリノール神への祝福の言葉を唱えると、溶け崩れるように形を変えたバリケードがあっという間に廊下に生まれた穴を塞いでしまった。《ストーン・シェイプ/石材加工》の呪文だ。

穴自体は完全に塞がれたわけではなく、1.5メートル四方程度の穴が残されたままになっている。そこから下を覗き込むと思ったより深い穴の底にツイン・ファングが閉じ込められているのが見える。

深さは15メートルほどか? うち5メートルほどは石壁であり、廊下の床部分となっているがそこから下は神殿の地下部分にあった部屋のようだ。巨体を収めるにはやや狭い部屋のようだが、拘束には丁度いい。

赤い四つの瞳がこちらを見上げているが、オーバーハング気味になったこの壁面を登れたとしてもこの覗き穴はあの巨体が通り抜けることが出来る大きさではない。


「……どんな作戦かと思ったら落とし穴か。よくもまあこんな時間で用意できたもんだ」


今考えればケイジやエンダックの射撃はあの獣に跳躍させないようにと考えてのものでもあったのだろう。奴の運動能力であればバリケードごと俺たちを飛び越していくこともあり得たはずだ。

ゲドラのあの不恰好な武器は床を破壊するというよりも、跳躍の邪魔として印象づけるための効果を狙っていたのかもしれない。あの瓦礫は事前にウルーラクが《ストーン・シェイプ》で床から抜き取った残骸だったのだろう。

おそらくは奴の自重だけで床が抜けるようにはしていたはずだ。かなり行き当たりばったりではあったが、即席にしては有効な罠だ。


「ま、あんなの相手にわざわざ真正面から殺り合っても仕方ないだろ。連中がパワーに優れている分、俺達はアタマを使って戦わなきゃな」


穴から下にいる獅子に向けて矢を射込みながらケイジがそう話してきた。彼としては時間があれば倉庫の床に槍衾を仕掛けたりしたかったらしいのだが、まさかそんなものを用意できるはずもないので若干の不満があるらしい。


「しかし、こんな短時間でよく地下にある部屋のことに気づいたな。誰の手柄なんだ?」


どうやら罠自体は元腕利き猟師であるところのケイジの発案だったらしいのだが、こんな床が厚い建築物の地下の構造を察知できるなんて人間業とは思えない。であれば、何らかの仕込みがあったと考えるべきだろう。

そう聞くとケイジからはエンダックの旦那だよ、という言葉が返ってきた。


「元々、ここの神殿跡地の調査に寄ることは考えていたことだからな。予め過去の資料から建築当時の図面に目を通しておいたのが役に立ったということだ。

 とはいえこんな派手な落とし穴に使うことになるとは想像もしていなかったが。あの部屋からの出口はあのデカブツが通れるほどのものはないし、壁も登りづらいようにウルーラクに加工してもらった。

 奴があの地下室に大穴を開けるよりは、俺達の矢で射殺すほうが早いだろう」


エンダックもケイジに並んで一方的な射撃を開始した。例えば同じ脅威度のドラゴンであればブレスや呪文といったこの状況でも厄介な能力を持っているが、ツイン・ファングは所詮獣に過ぎない。

その分近接戦闘では破格の戦闘力を有していたが、その一点を発揮できない状況に追い込んでしまえば状況を覆しようがない。もはや完璧に詰んでいると言っていいだろう。


「まあここの構造が全部石造りだったのが幸いじゃったな。そうでなくてはバリノール神の祝福があったとしてもこのような策は行えなかったじゃろうし。

 おそらくは天の主上らもあのような忌まわしい獣がこの地を穢していることを憂いておられたのじゃろう」


床を薄くすることや壁を登りづらく加工した前準備に加え、罠の発動後に穴を塞いだことで彼は複数回の《ストーン・シェイプ》の呪文を使ったと思われる。

普通に考えて、《ストーン・シェイプ》のような呪文を複数個準備しておいたとは考えにくい。おそらくは《領域呪文任意発動》によって"地の領域"から発動させたのだろうが……。

このエベロンではこの領域を司っているのはバリノールだったか? そうであれば確かにウルーラクの話にも合点が行く。

ゲームのほうでは実装されていない"領域"という特性、その中でも特典が微妙なためにTRPGでも自分では実際に使ったことのなかった"地の領域"であるが、彼がその使い手だったことは幸運だ。

ご都合が過ぎる気もするが、天の配剤ということにしておくべきだろう。


「先手を取られなければ真正面からでもなんとかなったかもしれんが、ちょっとした偏りで犠牲がでたかもしれん。

 無事に済んでなによりじゃよ」


ウルーラクはそう話しながらも、今度は先程の戦闘で破壊されたゲドラのスパイクト・チェインを《メイク・ホウル/完全修復》の呪文で修復していた。

ツイン・ファングの爪によって切断された破片が微かな光を放ちながら浮き上がり、自ら繋がり合って元の形状を取り戻していく。こびりついていた獅子の体毛や血といったものも取り除かれ、ゲドラの武器はほんの数秒で新品同様となって復元された。

普通の人間では持ち上げることも出来そうにないその武器を受け取ったゲドラは少し離れた場所へ移動すると何回か振り回して異常がないことを確認していたが、やがて問題ないと判断したようでこちらへと戻ってきた。


「……状態は万全だ、感謝する」


こうして見ているとやはり信仰呪文が使えるのは羨ましい。秘術呪文にも《メンディング/修理》という初級呪文があるが、同じことをしようとすれば千切れた鎖の輪一つずつに呪文を使っていかなければならないだろう。

《リペア・ダメージ》という人工物を修復する呪文を使えば代用できるが、相応の"製作"技能を持っていなければきちんとした修理を行うことが出来ないのだ。そのあたりを不可思議なパワーで補っている信仰呪文には秘術呪文にはないアドバンテージがあると言える。

今は《メイク・ホウル》の呪文が封じられたワンドを買ってチートアイテムの修理を行っているが、そのうち残りのキャラクタースロットを解放することを考えなければならないだろう。

そんな事を考えながら周囲の警戒に当たっていると、長く聞こえていた唸り声が断末魔の声に変わった。一時はどうなるかと思われた危地をどうやら乗り越えることに成功したらしい。

安心したことで大きめの息を吐き出した俺は、念のため双頭の獅子王の死亡を確認するためにケイジとエンダックの元へと歩み寄った。


「ふう、随分とタフな奴だったな。矢筒の中身が空になるんじゃないかって心配しちまったよ」


ケイジが弓を背中に固定し、矢を放ち続けて硬直した肩をほぐすように腕をグルグルと回していた。ろくに身動きの取れない落とし穴に放りこまれたとはいえ、頑強な外皮と厄介な鬣は健在だったのだ。

照明替わりに放りこまれた陽光棒の灯りだけを頼りに延々と射撃を繰り返すのはよっぽど神経を使ったのだろう。随分とお疲れのようだ。


「しかしこの連中は一体どこからやってきたんだろうな?

 この辺りにカイバーへの穴が開いたって言うなら大事だぜ。街の外壁から歩いて1日ってところだろうしな」


とはいえ彼の口は相変わらず滑らかに動くようで、話をこちらに振ってきた。

……少しの間考えてみるが、特にゲーム中にそのことに関する設定はなかったように思う。本国のフォーラムなどに目を通していれば違うのかもしれないが、日本語化されたリソースしか見ていなかったのでその点はどうしようもない。


「どこかから迷いこんできたんだろうが……

 そういえば少し西に行ったところに廃坑があったはずだから、気になるならその辺りを調べてみればいいんじゃないか。

 カイバー・ドラゴンシャードの鉱床だったんならタラシュク氏族の管轄だろう、エンダックは何か知らないのか?」


落とし穴をのぞき込みながらも記憶を探ってみるが、直接的な情報は思い当たらない。

ただこの神殿跡地以外にもこれら異形のライオンが出没する場所があるということは確かだ。鉱山自体は随分昔に閉鎖されたような描写がされていたが、思いつくことはそれくらいしかない。


「そうだな、トーリが言ったことに思い当たるところがある。我らの氏族が手をつけた鉱山があったとは思うが、廃棄にともなって厳重に封じられたはずだ。

 とはいえこんな連中が出てきているようだし、念のため見回ったほうがいいだろうな」


エンダックはそう返事をすると移動の準備をするように促した。とりあえずオークの集落へ報告を行わなければならない。

神殿をこのままの状態にしていくのも気が引けるが、人の手が入るようになれば復旧も行われるだろう。ひと通り敷地内を探索し、討ち漏らしがないことを確認してから俺たちは移動を開始した。

その後は地味な作業だった。オークの部族に報告を行った後、目的の廃坑へと移動。途中に現れる賊を薙ぎ倒しながら進むと、やはり廃坑の入り口には残党と思われる2頭の雌ライオンが彷徨っていた。

あのツイン・ファングを見た後ではもはやこの程度の相手で手間取ることもなく、ゲドラのスパイクト・チェインが唸りを上げてあっという間に連中を葬った。先手をとって数秒、まさに瞬く間の出来事だ。

その後廃坑の入り口を調べてみたところ、どうやら最近人の手が入ったような痕跡を発見する。どうやら何者かが封を破ったようだ。


「大方この辺りに隠れ家を構えている盗賊団の連中が、新しいねぐらにしようと藪をつついて蛇を出したってところだろうな」


入口付近を調査していたエンダックはそう語った。採掘用の搬入口も兼ねているため、あのような大型の獣でも出入りできる広い通路が伸びているようだ。

とはいえ今の俺達は地下空間を探索する準備が出来ていない。とにかくこれ以上厄介な連中が出てこないように、ウルーラクの《ストーン・シェイプ》呪文で入り口を塞ぐ。何メートルにも及ぶ石壁だ、しばらくの間は時間を稼げるだろう。

やむを得ず調査はそこまでで打ち切り帰路についたのだが、その途中で発見したクイックフット盗賊団のセーフハウスを叩き潰した所、手に入った内部文書からエンダックの推論を裏付ける記載が発見された。

ハーバーの治安向上に伴いジンの許可を得て中央市場に流入する冒険者の数も増え、彼らがコインロードから受けた仕事をこなしていったことで盗賊団は随分と窮屈な思いをしているらしい。

そんな彼らが一体廃坑に何を求めたのかは不明だが、結局のところその思惑に反して地底から出てきたのは彼ら自身をも引き裂く牙の主達だったというわけだ。彼らも随分と被害を受けたらしいことがその文書には書かれていた。


「自業自得もいいところだな。清々するぜ!」


鎧を穴だらけにされた件を余程根に持っているのだろう、連中の失策を知ったケイジは非常に上機嫌である。

追加の危険手当について大幅なボーナスをエンダックが約束してくれたこともあってか、舞い上がらんばかりの軽い足取りで先頭を歩いている。勿論それでも警戒を怠っていないのは流石一人前の冒険者というところか。

何はともあれ出発してから5日目の夕方頃。俺達は巨壁のアーチを潜りぬけ、無事ストームリーチへの帰還を果たしたのだった。



[12354] 4-3.アーバン・ライフ1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2011/01/04 16:43
ゼンドリック漂流記

4-3.アーバン・ライフ1












「乾杯!」


依頼を無事終え、俺達は『チャプター・ハウス』で祝杯を挙げていた。乱暴にグラスを打ち合わせる音が周囲に響き渡るが、既に時刻が遅くなったことで周囲も騒がしくなっており悪目立ちすることもない。

グラスに注がれたエールを一息に飲み干すと冷たい液体を嚥下する感触が喉から腹へと伝わっていくのを感じる。店員におかわりを注文しながらテーブルに並んだ香辛料の効いた肉や、色あざやかな野菜を口に運ぶ。

すぐに人数分のグラスを運んできたハーフリングのウェイトレスに銅貨のチップを渡した後、ツマミを食べて付いた口内の油を押し流すようにまたグラスを傾けた。

正面に座っているゲドラは1リットルは入るだろう大きめのジョッキを使っているのだが、それでもこの2メートルを超える巨漢には小さいようで見る見るうちにその中身は消えていった。


「いやー、最初にあの地底ライオン共を見たときはどうなることかと思ったけど。

 全員無事だしボーナスも期待できるときた! 幸運の女神アラワイと狩猟の神バリノールの兄妹神の祝福に感謝だ!」


酒が入る前から上機嫌だったケイジの調子はもはや留まるところを知らないようだ。正面に座ったウルーラクに向けてグラスをかざすと、今しがた運ばれてきたばかりのニ杯目のグラスを持ち上げて打ち鳴らした。


「ホッホッホ、まあエンダック殿の仕事が上手に運べばあの地への入植も進んで神殿も再建されるじゃろうて。

 その先触れ、露払いが出来たのであればワシにとっても喜ばしいことじゃ」


ウルーラクはその獲得している"領域"の恩恵からしても特にバリノールに強い信仰を捧げているようで、非常に上機嫌だ。多くのドワーフが交易の神コル・コランを信仰していることを考えれば彼もまた変わり種だ。

やはりここストームリーチに流れ着いた冒険者というのは、皆一筋縄ではいかないような連中が多いように見える。


「…………」


常に無口なゲドラは、今日もその事自体は変り無いが威勢よく杯を空けている。岩の種族と呼ばれる彼のその表情は読み取りづらいが、それでも機嫌は上々のようだ。

確か彼の里ではライオンをトーテムとして祀っていたと聞いている。であれば"フィーンディッシュ種"などというカイバーに汚染されたライオンなど、彼からすれば憎むべき敵なのだろう。

特に通常のライオンよりも巨大種である"ダイア・ライオン"のそれを倒したということは彼にとって非常に意義のあることなのかもしれない。

俺達が景気の良さそうな顔をしていることを見取った顔見知りの冒険者たちがテーブルの周りに集まり、彼らを巻き込んで宴の輪は大きくなっていく。


「家みたいにデカいライオンどもは俺達のことを餌か何かと思って突っ込んできやがった。だけどバカの一つ覚えみたいな突撃にやられる俺達じゃねぇ。

 突っ込んでくるそのマヌケ面にしこたま矢をお見舞いしたやった後、横に回りこんで無防備な腹に俺様の獲物をこう……!」


興が乗ったケイジが大袈裟に冒険譚を語り始めたので、リズムの早い曲を軽く演奏して雰囲気を盛り上げてやる。周りの観客たちはニヤニヤと話半分くらいに聞いているが、それで丁度いいくらいだろう。

若干の誇張が加えられた戦いの記録は口から火を吹く双頭の獅子王がウルーラクの祈りに応じたバリノール神の御手により神殿の地下へと飲み込まれ、カイバーへと送り返されたところで終わりを迎えた。

締めとばかりに全員でエールが満杯になったグラスをかち合わせ、大勢を巻き込んだ宴は解散となった。


「やれやれ、お主にかかれば古井戸の大トカゲも古城を護るドラゴンになってしまいそうじゃな。

 ほどほどにしておかんと、身の丈に合わぬ仕事を持ちかけられて後悔も出来んようになってしまうかもしれんぞ?」


ケイジが熱弁を振るっていた酒場の小舞台から降りると、入れ替わりで3人から成る楽団が先程までの空気を引っ張ってか陽気な音楽を奏で始めており、客がばらけた事で店内は混沌としてきている。

テーブルに戻ってきた彼にはウルーラクから苦言が呈されていた。


「まあ皆楽しんでいたんだし良しとしてくれよ。チョイと大袈裟に話をしたけどもそれほど嘘を付いてるってわけでもなし。

 トーリも演奏ありがとな。おかげで盛り上がったぜ」


話し続けで喉が乾いたのか、手持ちのエールを一気に飲み干したケイジは大声で追加のグラスをオーダーするとまだ熱が収まらないのか再び捲し立て始めた。


「しっかし今回はホントに大物相手だったよな。故郷の狩りでも大型の獣を相手取ったことはあったけど、今回のはそいつらが赤ん坊に見える大きさだったぜ。

 あんなに育つなんて案外カイバーってのは食い物が余ってるのか? 不作の年には畑の地下を掘り返してみたほうがいいんじゃないかと思っちまうぜ」


塩の効いたポテトフライを口に運び、肉汁たっぷりで香辛料がこれでもかと振りかけられた焼肉串を片手で二本持って酒と交互に口に運びながらもそのトークは止まりはしない。


「そういや今回ゲドラは仕留めた連中の証を持って帰ってないよな。あの双頭ライオンの頭は無理にしても、牙でも持っていけば勝負は貰ったも同然じゃないのか?」


そういえば彼は出身の村の成人の儀式で、族長候補として狩りの獲物を探しているんだっけか。トンネルワーム族を追跡していたときにそんな話をしていたことを思い出した。

ケイジの話しぶりを聞くに倒した獲物の証明として体の部位を持ち帰っているということか。おそらくは彼らのトーテムに捧げられたそれら供物から次代の族長を判断する習わしなのだろう。


「……まだ半年以上の時間が残っている。祖霊が私を導いてくれる限り、より相応しい獲物と巡り会うこともあるだろう」


おそらくはこの依頼で皆もレベルを一つ上げたはずだ。俺の見立てでは皆7Lvから8Lvになったはずだ。そろそろこのゼンドリックでも腕利きと呼ばれていい実力を備え始めていると思われる。

毎回がこんな命懸けの冒険ではないにしろ、後半年もあればさらに一回り成長できることは間違いない。あとは獲物との巡り合わせだが、そこは彼の祖霊の導き次第だろう。

その後暫くの時間が経過した後、テーブルの上に並べられた料理がひと通り片付いた辺りでゲドラが腰を上げた。彼は街を訪れる友好的な巨人族が逗留するテント村──ルシェームに滞在している。

それなりに遅い時間になっているしテント村はストームリーチの郊外にあるためこの店からそれなりに距離がある。今ぐらいが帰宅にちょうどいい時間なのだろう。

ゲドラが席を立ったことで解散という流れになり、最後に頼んだワインのボトルから残りを自分のグラスに注いでいたところでまだ話し足りないのかケイジが椅子を寄せてきた。


「トーリ、時間があるようだったらもう1軒行かないか?

 この間ロックスミス・スクエアの辺りで美人が酌してくれるいい店を見つけたんだがよ……」


どうやら随分と酔いが回っているように見えるがまだ飲み足りないらしい。おそらく彼が言っているのはチュラーニ氏族が経営している『影の館』ではないだろうか。

フィアラン氏族の経営する『桃巻貝』に比べれば割高だが、ストームリーチで最高峰の質を誇るという噂の紳士の社交場である。それなりの事情通でなければ存在すら知らない上、毎日変わる合言葉を街中にいるエージェントから得ていなければ入場できないという代物だ。

その上チュラーニ氏族が経営している以上、普通の店であるはずがない。一晩の逢瀬を求めようものなら趣味や性癖、さらにはうっかり枕の上で語ってしまった話の一字一句までもが影の氏族のデータベースに記録されてしまうだろう。

シャーンにも同じようなエスコート・サービスを提供している店はあったが、あちらが外交官などの富裕層を主な顧客にしていたのに対し、こちらは主に成功を収めた冒険者向けだ。

未開のゼンドリック大陸から生還した冒険者の話は寝物語としても未発掘の遺跡を発見する糸口になることはあるし、"トラベラーの呪い"によって地図を作成できないこの土地の環境からして足で稼いだ情報というのは結構な価値があるものなのだ。


「んー、まあ構わないけど……」


店に入って暫くしたらケイジを女の子に任せて一人で帰ってもいい。そう判断してケイジに返事をしようとしたところ、こちらのテーブルに近づいてくる人影が視界に入った。

騒がしい店内でも特に俺達のテーブルに注目し、座ったきり微動だにしない相方とでこちらを観察していた人物だ。害意が無さそうだったので放置していたんだが、どうやらあちらから動きを見せてくれたようだ。

フード付きの外套の下には華やかな色に染められたぴったりとした燦絹の衣装が覗いており、この人物がそれなりに裕福な女性であることを教えてくれる。

だが微かに聞こえる金属の擦れる音から、その服の下に何か着込んでいることが判る。おそらくは鎖帷子──それもミスラル製と思われる高級品、手には白い優美な手袋。

防具を纏っても乱れない身のこなしからは、戦闘訓練を受けていることが見て取れる。さらに腰元の目立ちにくいが手の届きやすい位置には秘薬入れと思わしきポーチが収まっている。

軽鎧を身につけた秘術呪文使いとなればビガイラーかウォーメイジ、はたまたダスクブレードあたりが主流か。いずれにしてもスペルキャスターは油断ならない存在であることに変わりはない。

いつでも動けるように僅かに腰を上げ、様子を伺っていると彼女はケイジに話しかけた。元より彼の方に注目していたようでもあるし、どうやらあちらの客のようである。


「そこな勇敢な剣士様、先程の冒険譚には感銘いたしましたの。よろしければ私に酌をさせていただけませんか?」


突然の女性の申し出にケイジは一瞬戸惑ったようだが、すぐに照れ笑いを浮かべると彼女に向けてグラスを差し出した。


「いやあ、それほどの事でも。貴方のような方にそういっていただけると……」


いつもの調子でこのまま口説きに掛かるのかと思いきや、女性の顔をフード越しに覗き込んだケイジの体が硬直した。

まさか石化か麻痺に類する魔眼か、と思ったのも一瞬のこと。再起動を果たしたケイジは身を翻そうとした。おそらくは俺の後ろへと回りこもうとしたのだろう。

だがその行動は読まれていたようで、いつの間にか足の甲を踏み抜かれていた彼はバランスを崩し、逆に椅子の上に深く腰掛けることになる。


「あら、どうされましたの? こちらのワインはアンデールでも有名なシャトーの物ですのよ。きっとお気に召すと思いますわ」


迫る女性が体の向きを変えたことで俺の視界にも彼女の顔が映る。整った目鼻に、気の強そうな瞳。鮮烈な赤毛はこの人間の女性の気性をそのまま現しているに違いない。

一目見ただけで怒りを内側に秘めて表情を取り繕っているように見える、そんな様子から俺は現状を正しく理解した。


(なんだ、痴話喧嘩か……)


臨戦態勢までもってきていた緊張感が霧散し、腰を落ち着けると懐に入れていた手をテーブルの上に出し、先ほどワインを注いでいたグラスを傾ける。舌先にピリリとした刺激が生まれ、鼻から芳醇な香りが突き抜けていった。

俺が僅かにテーブルの上に残された料理をつまみながらもそうやってワインを楽しんでいる間にも、ケイジとその客人は盛り上がり続けていた。


「ちょ、アンじゃねえか! どうしてこんなところに?」


「あら、私たち初対面じゃありませんこと? ケイジだなんてお名前の方、初めてお会いしましたもの」


「いや人違いとか有り得ないから! まだスターピークス・アカデミーの卒業まで1年はあるんじゃ無かったのか。まさか退学に?」


「あのねえ、誰かさんと一緒にしないで頂戴。ちゃんと卒業証書は頂いたし、一人前の太鼓判を貰ったわ」


「そ、そうか。素行の悪さで退学になった挙句お尋ね者になってこの街まで流れ着いたのかと……って痛えよ、ワインの瓶で殴るな! 977Yってビンテージモノじゃねえか馬鹿!」


「アンタにだけは言われたくないわね、人がせっかく飛び級して卒業して帰ってみたら行方をくらましてるとか何考えてるのよ!

 屋敷は無人で書置きも無し、足取りを追ってみたら選りにも選って"砕かれた大地"に居るわ渡航しようとしたら船はドラゴンのせいで止まってるわでこっちは散々だったんだからね!」


時折鈍い殴打音を交えつつ、二人の会話は立て板に水を流すような勢いで続いている。次々に交わされる言葉のキャッチボールは聞いていて面白くはあるのだが、流石にそろそろ目立ち始めている。介入したほうがいいだろう。

とはいっても普通に話しかけても今の二人に他人の言葉を耳に入れる余裕があるかは疑わしい。そこでケイジが座っている椅子の足を軽く蹴って、ぐるりと椅子ごと一回転させることで二人の気を削ぐことにする。《足払い》の応用だ。

押され気味だったケイジが椅子を後ろに傾けていたおかげで作戦は簡単に済み、突然の事に気を取られた二人の間に割って入った。


「あー、お二人さん。仲がいいのは結構だが、良ければその続きは部屋でやったらどうかな。

 俺の勘違いで見世物の練習をしてるっていうなら話は別だが、その時はそこの舞台の上でやった方がいいと思うぜ」


どうやら長い別れからの再会のようだが、その熱で浮かれている頭を落ち着かせるためにわざと持って回った言い方を使った。

そしていつの間にか歩み寄っていたウォーフォージド──今まで無言を保っていた女性の連れ合いも俺の意見に同調した。


「私もこちらの男性の意見に同意いたします、お嬢様。

 幸いこちらの宿には個室の空きがあるそうです。ひとまずそちらに場所を移されたほうが良いのではないでしょうか」


俺達の言葉に二人とも冷静さを取り戻したようだ。周りを見渡して酒場の客たちの注目が集まっていたことに気づくと、気まずそうに咳払いをして佇まいを正した。


「そうね、確かにこんな場所でする話じゃなかったわ。えーと失礼、貴方は……」


「トーリだ。そこの誰かさんとは何回か一緒に冒険をさせてもらってるよ」


簡単に自己紹介をしたところで事情を察して近づいてきた店員に白金貨とチップ替わりの銀貨を1枚ずつ握り込むように渡し、三人に部屋を用意するように伝えるとお邪魔虫は早々に退散することにした。


「二人の再会を祝してここの払いは俺が持っておくよ。ゆっくりと旧交を温めるといい」


そう言って椅子から立ち上がるとケイジは何か言いたそうな目でこちらを見てきたが、それには気付いていない振りをして流しておく。


「そう、トーリさん。私のことはアンとお呼び下さい。ご好意はありがたく受け取らせていただきますわ。

 よろしければ後日冒険のお話などをお聞かせください。何分この街にまだ不慣れなもので、右も左も解りませんの」


丁寧に礼を述べる彼女だが、その言葉とは裏腹にこちらを警戒している様子が窺える。まあコーヴェア大陸で語られているこの街の噂を聞いていればこの対応も仕方が無いところだろう。

治安が随分良くなったとはいえ、不用意に暗がりに入り込んでしまえば容易に命以上のものも失いかねない危険が潜んでいるのは確かだ。明るいうちに表通りを歩く分には問題ないが、影には未だ知られざる恐怖が残されているのだ。


「この街でも『黄金竜の宿り』の看板を掲げているこの宿はお勧めさ。それじゃお二人さん、よい夜を」


そう言って彼らに背を向けた俺と入れ替わりに、部屋の鍵を携えた店員が近づいてくる。近くまた会うことになるだろうが、その時にはケイジから話を聞いて態度が軟化していることを祈るばかりだ。

そんな事を考えながら酒場の扉を押し開いて外の通りへと歩み出た。さて、久しぶりの帰宅だ。皆は元気にしているだろうか?




† † † † † † † † † † † † † † 




明けて翌日。俺はグレイストーンと呼ばれるタラシュク氏族の居留地を訪れていた。港湾地区から中央市場へと繋がる要路でもあるこの土地はさらにコロヌー河が流れていることもあり、ストームリーチの大動脈とでも言うべき場所だ。

ゼンドリックの奥地から発掘されたドラゴンシャードが船に積まれてこの地へと運ばれ、コインロードの手を経由してコーヴェア大陸へと出荷されるのだ。勿論、他にも鉄などの物資もここへと運び込まれ、精錬所で加工されている。

この大陸での採掘は多くの危険を伴うが、それに見合った成果を彼らは得ている。"発見"のマークは他にも探偵や狩りなどにも用いられているが、比較的若い氏族である彼らをここまで発展させたのはやはり"鉱脈"を発見する能力であることに間違いはない。

他の地区ではあまり見かけないオークやハーフ・オークがここでは数多く働いている。この大陸の住人だけでなくコーヴェア大陸からの移住者もが混じり合って共同作業を行っている様は彼ら氏族の有り様を示していると言えるだろう。

喧騒を抜けて受付へたどり着き、エンダックの名前を出すとハーフ・オークの受付嬢がにこやかに応対してくれた。床に描かれた色鮮やかなガイドに従って廊下を進むと、指定されたナンバリングがされた部屋へと辿り着く。ノックをすると中からエンダックの入室を促す声が返ってきた。


「ふむ、約束の時間よりはまだ少し早いが全員揃ったようだな」


壁際でパイプを燻らせているエンダックに対し、皆は椅子に座っていた。ゲドラでも十分に余裕をもって座れる椅子が常備されているというのはこの氏族ならではだろうか。表にはオークに混ざってヒル・ジャイアントの労働者がその巨体を活かして大量の積荷を運んでいたのが思い出される。

そんな中でケイジはだらしなくテーブルに突っ伏している。どうやら昨晩は随分と大変だったようだ。彼は顔だけこちらに向けると幽鬼のごとく呪いの言葉を吐いた。


「トーリィ~。酷いじゃねーか見捨てるなんて……戦士を孤立無援の状況に放り出すなんて、鬼だぜお前は」


他の皆は既に状況を把握しているらしい。物騒な物言いにも動じた様子はない。エンダックが僅かなりとも距離をとっているのは、彼の撒き散らすオーラを嫌ってなのかと思い至った。


「旧交を温めるのに部外者がいても邪魔になるだけだろう。何か行き違いがあったのだとしたらむしろ早いうちに解決しておいたほうがお互いのためだし、昨日はいい機会だっただろう?

 見たところこの街には来たばっかりって感じだったし、先輩としてしっかり面倒を見てやらないとな?」


彼自身にも思うところはあったのだろう。軽く諭してやると気持ちの整理をつけることが出来たようだ。落ち着いたケイジの様子を見て、エンダックが口を開く。


「何はともあれご苦労だった。想像以上の難敵と戦うことになったが、君たちはそれ以上に見事な働きで戦果を挙げてくれた。

 特にあの双頭の獅子については剥製にして氏族の居留地に飾ろうという話も出ている。既に神殿跡地の調査を兼ねた回収部隊が向かっているが、もしその話が進めば君たちの名前もレリーフに刻まれることになるだろう」


昨晩は彼も報告やら手続きやらで忙しかったのだろう、彫りの深い顔は目元にわずかに疲れが滲んでいるようだ。咥えているパイプは眠気覚ましの意味もあるのかもしれない。


「無論、今回の報酬もその働きに見合った大きなものになる……金貨や信用状で用立ててもいいが、望みの品があるならこちらで用意しよう。

 武装を望むならストームリーチ・フォージに言って用意させることも出来るだろう」


彼が言ったフォージとはこのストームリーチの警備隊やデニス氏族の武装の大半を生産している施設のことだ。大規模な鋳造所を兼ね備えたそれは、この街の北端で常時黒煙を吐き出しながら生産を続けている。

特注品の生産を依頼するには然るべきコネクションと交渉が必要とされているが、それをタラシュク氏族が行ってくれるならありがたい話だろう。


「そうじゃな、ワシは防具をお願いしようかのう。先日の件でいい加減今の鎧の限界を感じておったしの。

 少々暑苦しくても構わんから、頑強な奴を頼むとするか」


「……俺もそうしよう」


ウルーラクとゲドラは早々に決めたようだ。確かゲドラについてはそろそろ黒鉄亭に頼んだ品が仕上がっているはずだから新しい武器は必要ないということもあるのだろう。


「あー俺はどうしようかな。武器も鎧も新調したばっかりだし」


ほぼ全財産を投げ打って装備を新調したばかりのケイジは悩ましげだ。武器はこれ以上を求めればコストパフォーマンスが悪すぎるし、下手に重い鎧を着ても彼の長所である機敏さを失いかねない。

かといってミスラル製の魔法防具なんてのは目が飛び出るほどの金額だ。おそらく今回の報酬でもそこまでの品を求めるのは難しいだろう。


「すぐに決めなくても構わないさ。暫く悩んでくれても構わないから、決まったらフォージまで行くといい。俺から話をしておこう。

 で、トーリはどうするんだ?」


「そうだな、俺も現物支給をお願いしようかな」


俺の要求は勿論決まっている。ドラゴンシャードだ。現金にもアイテムにも困っていない俺にとって、シベイ・ドラゴンシャードを入手できる機会を逃すことはありえない。

"タイランツ"からの購入もそのうち可能になるとしても、それらは結局彼らタラシュク氏族がこのゼンドリックで発掘したものが流通した結果なのだ。その根元で品物を押さえておくに越したことはない。

出来れば報酬による受領だけではなく直接買い付けを行いたいところではあるが、現在コーヴェアでは在庫不足が続いている状況でもあるし無理は言えない。


「いいだろう。俺の裁量で許されている範囲になるが、そちらの求めるサイズのものを後日届けさせよう」


こちらの希望を伝えたところ、エンダックは特に問題ないとばかりに頷いてみせた。その後軽い雑談などを行った後、俺達は揃って居留地を出た。とはいえエンダックは見送りだけだ。彼はこの後も書類仕事があるらしい。

その中には俺達への報酬に関するものも含まれているのだろう。働き者の雇い主に感謝しつつ市場へと続く道を歩くと、俺達の進む道の中央に昨晩も見た人影が立ち塞がっていた。


「遅い! 報酬を受け取ってくるだけなのにどれだけ時間を掛けてるのよ。待ちくたびれちゃったわ!」


確かアンと名乗った女性はお供のウォーフォージドを脇に控えさせ、腕を組んで仁王立ちしていた。その威圧感はなかなかのもので、周囲の労働者達も遠巻きに避けている様子だ。

やや釣り上がった眼は彼女の機嫌が余りよろしくないのを教えてくれている。気圧されて立ち止まったケイジから思わず一歩離れてしまった俺達の隙を突くように伸びた彼女の腕は、正確無比にケイジの襟首を掴み上げるとそのまま市場に向かう道へと引っ張り始めた。


「さあ、今日中に依頼を3件片付けて家を買うわよ!

 宿の周りをちょっと歩いただけで仕事が溢れてるじゃない。根無し草なんて続けてたら癖になっちゃうんだから、思い立ったが吉日よ。

 もう狙い目の物件も押さえてあるんだから、キリキリ働くのよ!」


恐ろしい行動力だ。まるで《タイム・ストップ》の呪文を使われたかのように一方的な展開にケイジは一言も発する暇なく連行されていく。巨大な盾を運んでいるウォーフォージドがこちらに一礼してその後を追った。

残された俺達はどうしたものかと思わず目を合わせた。追いかけるべきか、それとも邪魔をすべきではないのか?


「……まあ若いうちに苦労をしておくのもいい教訓になるじゃろう。無茶にならんようにワシが見張っておいてやるとしよう。

 おぬしらは黒鉄亭に寄った後テント村に行くんじゃろう? 後のことは任せておくがええ。」


年を重ねているがゆえの振る舞いか、ウルーラクはそういうと二人の後を追って駈け出した。雑談の際に俺達がこの後の予定のことを話していたせいか、気を回してくれたようだ。無論彼自身が世話焼きなところもあるのだろうが。

ゲドラと視線を合わせて肩をすくめる。どうやら今回は俺達の出る幕はなさそうだ。俺達は突如引っ張りまわされることになったケイジの幸運を祈りつつ、ゆっくりと中央市場への道を進んだ。



[12354] 4-4.アーバン・ライフ2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:5a399a21
Date: 2012/11/27 17:30
ゼンドリック漂流記

4-4.アーバン・ライフ2












朝と言うにはやや遅い時間、きっちり8時間の睡眠をとった後俺は目覚めた。無意識のうちに周囲の気配を探り、特に問題が無いことを感じてからゆっくりと身を起こす。

眠っている間も身につけていた装身具が秘術エネルギーを十分に蓄えていることを確認すると、そこに込められたパワーを使って毎朝の日課である装備品への魔法付与を行っていく。

使用する頻度の高い装備から順に幻術呪文を付与することで強力すぎる魔法のオーラを隠蔽しているのだ。とはいえ明らかに魔法の効果を発している装備が《ディテクト・マジック》の呪文に引っかからないのも変な話なので、程々の魔法の品に見せかけている。

手にとったそれぞれの品の状態が脳裏で確認できるため、耐久度が減少している品があれば付与を行う際に《メイク・ホウル/完全修理》の呪文が込められたワンドを使用して万全の状態にしておくことも忘れない。

ゲーム中で獲得した装備たちは、一部を除けばこの世界で得ることが非常に難しい物がほとんどだ。不注意で破損させてしまっては悔やむに悔やみきれないだろう。

とはいえゲーム由来のアイテムは一部の例外を除いて非常に頑丈だ。こうして確認してみても傷ついている品は一つもない。ツイン・ファングに飲み込まれた際の胃酸などもローブの表面で弾かれており、装備自体はノーダメージだ。

嫌な匂いが付着していたがその手の不純物はブレスレットに収納する際に取り除かれるため、汚れの心配もない。よほど酷使することがなければ大丈夫だろう。

呪文の準備というプロセスをキャラクターデータの操作という形式で行える俺は呪文書と長時間睨み合うことは必要ない点もこうした作業を楽に行えるポイントだ。普通のウィザードではこうは行かないだろう。

一通りの作業が終わった後、自室に備えたシャワーを浴びてから一階に降りる。食事を摂ろうと食堂に入るとテーブルの上には食事が用意されていた。

サランラップなんてものはないので、食器の上に蓋を被せることで乾燥や虫害を避けている。白いクロスで覆われた広いテーブルの上に銀色の半球型の物体が一つ鎮座している姿は何だか寂しげな感じである。

指先で摘むようにしてその覆いを持ち上げると、中にはサンドッチが綺麗に並んでいた。少し表面を焼いたパンに挟まれていることで、瑞々しい野菜を包んでいても水分を吸って崩れてしまうことがない。

鼻孔をくすぐる香りに思ったよりも自分の腹が減っていたことに気づいた俺は、椅子を引いて座るとさっそくそれに齧り付いた。新鮮な野菜を噛みちぎる食感と、時折ピリっとくるマスタードの味がついつい次のサンドイッチへと手を進ませてしまう。

立て続けに三つを食べ終えた俺は、同じくテーブルの上に用意された魔法瓶──魔法によって保冷効果を付与されたもの──から水をグラスに注ぎ、よく冷えたそれを一気に飲み干した。

冷気が喉、腹そして指先まで広がっていくような感覚と共に意識が完全に覚醒するのを感じる。身体的には起き抜けから万全の体調だとしても、精神のコンディションはそういうわけにはいかない。

昔何かで朝食に野菜を取ると良い、なんて情報を読んだ気がする。具体的に何がどうなって、という部分は覚えていないが確かにこれから一日を始めようという時に体に活力が行き渡るこの感触は良いものだ。

完全にリフレッシュした状態となった俺は食堂から厨房へと移動すると、裏口から庭へと出た。


「トーリの兄ちゃん、ようやく起きたのかよ。もう昼近いぜ?」


庭では4人の少年少女が武器を握って素振りや打ち込みの練習を行っていた。その中の一人、カルノが目敏くこちらに気付くと声を掛けてきた。離れた所にはラピスの姿がある。

俺がシャーンにいっている間にどうやらこの少年たちは俺の同居人たちにいたく気に入られたらしい。今彼らは俺の家に関する雑用──料理や掃除、買出しなどといった家事全般──を引き受ける代わりに一室を与えられ、暇を見つけてはラピスに戦闘の手解きを受けている。

最初は家賃がわりにといって魔法で強化されたモールを渡されたのだが、あいにく大型生物用のそんな巨大鈍器を振り回すのはこの家の住人には不可能であった。

やたらと獣臭のするその品を『黒鉄亭』に持ち込んだところ金貨千枚ほどになったため、それでどこかに家を買うなり借りるなりしたらどうかと勧めてみたのだがそれはあっさりと断られた。

どうやら彼らのような社会的にも物理的にも力のない子供が不動産なんかを手に入れても、翌日にはどこからか現れたマフィア達に占拠されてしまうとのこと。

港湾地区に持っていた縄張りを再開発で奪われ、仮の宿であったカータモンの倉庫の使用期限が迫っている彼らとしてはこのままだと危険性の高い下水や廃屋に移り住まざるをえないとの事で、俺は幾つかの条件を課して彼らの居住を許したのだ。


「今日もやってるみたいだな。ま、怪我をしない程度に頑張れよ」


そう言ってカルノに指輪を渡す。俺がシャーンで購入したこの品には"スペル・ストアリング"の能力があり、術者が込めておいた呪文をその指輪を身につけている者が使用できるという効果がある。

早速カルノがその指輪にチャージされた呪文を使用し、別の子供に渡してから武器を振り始めるとその効果は非常に分かりやすく出た。先程までは不恰好だった素振りが様になって見える。他の皆も同じように次々と指輪を回しては素振りを再開していく。

《マスターズ・タッチ》と呼ばれるその呪文は手にした武器への習熟を与える効果がある。今の俺では10分に満たない時間のみの効果だが僅かな間とはいえその武器への習熟を得た状態を覚えさせ、効果時間が終了してからはその時の動きを再現するように訓練させることで効率的なトレーニングが行えるのでは? と考えたのだ。

全員に効果が行き渡ったのを確認した俺は指輪を受け取ると、再び指輪へとチャージを行いながらラピスのほうへと近づいていった。彼女は木陰になる位置にハンモックを吊るし、そこで横になって本を読みながら子守をしているようだ。


「調子はどうだい。モノになりそうかな?」


俺がそう声を掛けると、彼女は気怠げに顔を本から顔を上げた。


「トーリのやらせているあのまじないのおかげか、飲み込みは早いみたいだね。

 とはいってもお行儀よく剣を振ることぐらいなら時間を掛けて仕込めば誰にだって出来るようになるさ。連中が生き残れるかどうかは、実際に死線を潜ってみないことには解らないね」


ラピスが体の向きを変えると、ハンモックを構成しているロープの擦れる音が聞こえた。いつの間に拵えたのか、この場所は彼女が過ごすための専用スペースとなっていた。

家の敷地全体を覆う秘術の結界が内部の気温を21度に固定しているとはいえ、照り付ける日差しはなかなかの厳しさだ。彼女は木陰に吊るしたハンモックに揺られることで、子供たちの指導を行なっている間も快適な環境を維持しているというわけだ。

彼女が読んでいるのは俺が贈った魔法の本のようだ。シャーンで購入したその本には文字に強力な魔法の効果が込められており、記載された内容を読むことで身体にその効果が働きかけ基礎能力を上げることが出来るという特別な品だ。

ゲーム中ではついに登場しなかった最高級のその品を俺はシャーンで手に入るだけ購入してきた。通常であればシャーンほどの都市であっても手に入らないアイテムではあるが、《優秀なバイヤー》という特技と"タイランツ"という組織のコネクションがそれを可能とした。

あの街で権勢を誇る"六十家"等、富豪や有力者の倉庫にコレクションとして死蔵されていた巨人文明あるいはダカーン帝国全盛期の強力なマジックアイテム等を言葉巧みな交渉で、あるいは硬軟織りまぜた手腕で獲得してきた彼らはやはり敏腕なエージェントだった。

そこから彼女たちには特に重要だろうと思われるところから優先して三~四冊ずつを渡してある。1日あたり8時間を読書時間に拘束される上、1冊を読み終えるには6日間を必要とするため長期間冒険からは離れることになるのが欠点ではあるがその対価を払う価値は十分にある品である。

そうやって訪れた充電期間、その合間の時間にラピスは子供たちの面倒を見ているということだ。どうやら彼女は第一印象とは裏腹に面倒見のいい性質だったらしい。


「……何か変なことを考えているんじゃないだろうね」


そう言って投げつけられた物体を手のひらで受け止めた。胡桃に似た木の実で、固い外殻をしたそれを中身ごと砕かないように注意して素手で割る。そうして中から出てきた実の部分を半分ラピスに投げ返し、残りの半分を自分の口に投げ込んだ。

少し渋味はあるが歯応えがあって、独特の風味を持つこの木の実は間食にはちょうど良さそうな品だ。保存も効きそうだし、ひょっとしたら有名な植物かもしれない。


「いや、とりあえず楽そうな相手を見繕って実戦を経験させてもたほうがいいのかな、と。

 見たところそれなりに武器の扱いには慣れてきてるみたいだし」


暫く見ている間に呪文の効果が切れてきたのか、彼らの動きは少しぎこちなくなってきている。とはいえ自分の体を傷つけてしまうような危なっかしげな所はなく、小型の野犬などを相手にする分には問題なさそうに見える。


「止めといた方がいいんじゃない?

 基礎の整ってないうちに変に経験を積ませると、悪い癖を持ったままになっちゃう事が多いしね。

 下手に才能がある奴はそういった疵が元で命を落とす。そんなやり方で成功するのは本当に一握りの連中だけさ」


ラピスの言葉にそういうものか、と頷く。ゲームでは経験点を稼ぐことでしか成長できないが、あのキャラクター達はキャラメイクの時点でそういった訓練を十分に積んでいるのだろう。

言い方を変えれば、実戦経験を受け入れて適正な成長を行う器の大きさが有るということだ。目の前の子供たちはまずその器を作る段階であるということだろう。

戦闘経験を積むことだけでレベルアップ出来るなら、俺がフォローしながらパワーレベリングすればいいと思っていたがやはりそんなに甘いものではないということか。


「まぁそんなに心配しなくてもまだまだ時間はあるんだ、その間の連中の伸び代を見ながら判断すればいいことさ。

 向き不向きってのはあるもんだし、同じ時期に始めた仲間と比べれば嫌でもその辺りは理解できるだろうさ。その時は別の役割を振ってやればいいのさ」


どうやら考えが顔に出ていたらしい、ラピスからフォローされてしまった。実際に目の前で頑張っている彼らは既にラピスによる篩い分けを受けた者たちではあるので、ある程度は見込みがあると彼女は判断しているのだろう。

16名の子供のうち、既に見習いなどで職を得ている4人を除いた12人がこうやって何らかの訓練を受けている。少なくとも1日8時間を誰かしらから指導を受け、残りの時間で家事などを行っている。

魔法の本を読む時間をローテーションで決めているようで、今頃はフィアとルーが読書に勤しんでいるはずだ。ラピスは今も本を手にしてはいるものの、本当の意味でその呪力と同調して読書を始めるのは夕方頃から。メイとエレミアを含め、三交代のようなローテーションが組まれている。

彼女たちも読書・睡眠・指導という忙しいサイクルを過ごしているのだ。一週間に一度は休みの日を設けているそうだが、週休二日に慣れきった身としてはなかなか勤勉なスケジュールだと思ってしまう。

ラピスやエレミアに前衛としての指導を受けている子供たちは家事の際も慣れるためという名目で軽装鎧を着たままの作業を行っていたりするので、体には結構な負担が掛かっているはずだ。

俺が不在の間に家の各所に設えられた魔法の仕掛けの中には"踏むと《レッサー・レストレーション/初級回復術》の効果が与えられることで疲労を除去出来る床"なんてものがあったりするのだが、肉体のストレスはそれで誤魔化せても精神のほうはそうはいかない。

そう思っていたが、子供たちは毎日元気に訓練に精を出している。それだけ今の生活が充実しているということなんだろう。


「ま、その辺は任せるよ。どうも俺は他人に教えるってことが出来そうにないからな。

 練習相手や適当な呪文でのサポートならしてやれるんだけどな」


何しろ自分ではその"基礎訓練"なんてものをやった事が無いのだ。他人に指導なんか出来るはずもない。

大樹の影で暫くそうやって他愛もない話をしながらカルノ達の様子を見ていたが、太陽が中天に登ってきたことで足元を日差しが炙り始めたのを機に外へ出かけることにした。


「言うまでもないと思うけど、変なのに引っかかるんじゃないよ。あ、あとストームリーチ・クロニクルの今週号が出てたら買ってきておくれよ」


絶妙な立地で日差しの当たらない位置で寝ているラピスに見送られて外へと向かう。出掛け際に再チャージした魔法の指輪をカルノに放り投げ、玄関付近で静かに番をしているシャウラを一撫でしてから敷地の外へと踏み出した。




† † † † † † † † † † † † † † 




熱帯特有の長い昼間が終わり太陽がスカイフォール半島中央の山岳へとその姿を隠す頃、街の散策を終えた俺は半日ぶりに自宅の玄関を跨いでいた。

入り口に仕掛けられた《プレスティディジテイション/奇術》の呪文が衣服や肌についた汚れを落としてくれる。シャーンの『樫の木亭』にあったサービスを参考にしたのだが、なかなか便利だ。

特に日中庭で汗や泥まみれになりながら鍛錬しているカルノ達の事を考えると非常に重宝していると言えるだろう。どうやら俺が最後の帰宅らしく、後ろを追いかけてくるシャウラを従えて家へと入った。


「おかえり!」「おかえりなさい~」「……おかえりなさい」


ちょうど食事時だったのだろう、食堂には住み込みで仕事をしている子供たちを除いた全員が集まっていた。彼らは俺の方を見ると口々に挨拶をしてきた。

シャウラはルーの座った椅子の方へ移動すると、そのテーブルの下で体を丸めて動きを止めた。人造であるために食事を取ることはないが、全員が一同に会する夕食時にはこうして彼女も食堂に姿を見せる。

大きな鍋で作られた具沢山なシチューを朝厨房で見かけたのを思い出した。あの時から用意していたようで、寸胴の鍋は芳醇な香りを醸している。オーブンからは焼き上がったばかりのパンが運びだされており、テーブルの上に並べられたソーセージが今夜の食事がカルナス風であることを教えてくれる。

熱帯地方で北国の料理はどうか、と普通なら考えるのだろうがそこは発達した魔法技術で解決されている。空調と冷房の効いた室内で味わう熱い料理というのはなかなか贅沢な気分にさせてくれる。


「丁度いいタイミングで帰っていらっしゃいましたね~。今から夕食ですから空いてる席に座っちゃってください。

 ローズちゃん、トーリさんの席にもお皿を持って行ってくださいな」


「は~い」


どうやら今日はメイの総指揮による夕食だったようだ。子供の頃からマーザに手解きを受けたというだけあって、彼女の料理のセンスは頭一つ抜きん出ている。ウィザードに必要とされる知力を磨いた結果、多芸になったことも彼女の料理の腕を上げる一因になっているのだろう。

彼女の指示を受けてスープの入った皿を運んできてくれたのは。ローゼリットというこの集団の中でも歳若い少女だ。メイによってその学習能力と論理的思考能力の高さを見出されて秘術の指導を受けている。

実はカルノも秘術に興味があるらしく時折戦闘訓練以外にもメイやラピスに秘術の手解きを受けているらしいが、二足のわらじということや素質の点で彼女のほうが学習度合いは進んでいるという。


「天に座します至上の主人よ、日毎の糧を今日も与えてくださったことに感謝いたします……」


ソヴリン・ホストのパンテオンに捧げる感謝の祈りが唱和される中、異なる信仰を持つ双子の少女やエレミアは黙祷を捧げている。ラピスは俺と同じく特に信仰を捧げている対象はいないようで、皆の祈りが終わるのを静かに待っているようだ。

手持ち無沙汰になった俺は眼を閉じて両手を合わせると、口の中で「いただきます」と小さく呟いた。

食事が始まると周囲は一気に騒がしくなる。子供たちが今日あった出来事を報告し合い、手の届かない位置にある器に盛られた料理を催促する声がテーブルの上を行き交っている。

今は長テーブルを使っているが、そのうち中華料理屋でよく見かける回転テーブルを使ってもいいかもしれない。大皿の料理を取り分ける形式の食事であればあれは非常に便利なのだ。


「なあ、今日は外で何してきたんだ?」


食事も粗方終わり、お茶を楽しんでいた時に隣に座っていた少年から質問を受けた。彼は朝方カルノと一緒に剣を振っていたフィルと呼ばれている少年だ。

幾度か冒険の話などを聞かせているうちにどうやらそれが随分な楽しみになったようで暇な時間などには俺に話を聞きに来たりしているし、聞いた話では書庫にある本を読むために文字の勉強をしているとか。

そして周囲を見渡すと彼だけではなく、皆がこちらの方に注目していた。特に子供たちは目をキラキラとさせて俺が口を開くのを待っているようだ。


(今日は特に冒険をしてきたってわけじゃないんだが……)


今日は昼間はルシェームでゲドラに仲介してもらい、友好的なヒル・ジャイアントの部族の古老に伝承の類を聞かせてもらっていたのだ。

自分が知っているゼンドリックの歴史に関する情報との齟齬があれば確認したいし、現地の巨人族が伝えている神話や物語といったものにも興味が有るためだ。


「そうだな、それじゃ今日は昔話をしようか」


巨人たちのテント村での出来事よりは、そこで聞いた話と俺の知識を組み合わせた物語のほうが喜ばれるだろう。

椅子を動かし、テーブルとの隙間を広げるとバンドールを取り出して状態を確認するようにその弦にそっと触れる。ピックが通過するたびに響く音に不調は見られない。

俺がそうやって楽器の状態を確認しているうちに皆も話を聞く状態に移ったようだ。テーブルの上はすっかり片付けられ、今は飲み物だけが置かれている。

皆が準備を整えた事を確認した俺は早速は物語を語り始めた。


「今日この夜、語られるは古代の帝国の物語……」


今から4万年ほど過去の話。『夢の領域ダル・クォール』がその位相を移すために生じた大戦争。不定期にその相を変化させる彼の次元界の住人が、悪夢に囚われまいとエベロンにその居を求めたことでゼンドリックに帝国を築いていた巨人族との間で戦争が勃発した。

現代とは比べものにならない高度な魔法文明を有していた巨人達だが、その魔法の力を十全に振るうには睡眠と瞑想が必要だ。しかし彼らはその眠りの間にこそ巨人族を浸蝕していくのだ。

やがて自らがこの世界に存在する媒介として、ウォーフォージドの原型となった機械人形をゼンドリックで生産することに成功したダル・クォールの軍勢と夢の支配から免れた巨人族が大陸の各地で激突する。

空からはシベイの欠片が隕石として落とされ、地底からはカイバーのフィーンド達が呼び出されて使役される伝説よりも神話に近い時代の闘争はやがてクォーリ達にその天秤を傾けつつあった。

機械の体を破壊されてもその魂を破壊されずに元の次元界へ帰還するだけの彼らと違い、巨人たちはその肉体が滅べばドルラーへ囚われてしまう。個々の戦闘力では優っていた巨人族だったが、徐々にその数を減らしさらには巨大な人造兵器が投入されたことで一気に劣勢に追い込まれる。

最後の戦いでクォーリ達はさらに思い切った作戦を取った。彼らは『夢の領域』そのものをこの物質界に衝突させることで移住をより完全なものとし、さらに夢に実体を与えることで位相の変化を止めようとしたのだ。

巨人族の城塞に残された戦士の多くは倒され、一部の精鋭が残るのみとなった"ストームリーヴァー"族の王はついには降伏を決意する。だがその白旗が掲げられるよりも速く、彼のもとに純白の鱗持つ翼有る巨大な蛇──ドラゴンが現れた。

ドラゴンは語った、この戦争に勝利する方策を。接近しつつ有る『夢の領域』そのものを物質界を周回する軌道から吹き飛ばし、彼らが二度とエベロンに現れぬようにするのだと。

無論そのような大魔法には大きな犠牲が必要だ。その代償とはすなわち、巨人族の王である貴様と我が生命である!

巨人族最後の砦に残された王は迷うことなくその決断を行った。彼は大陸を超えてその名を知られた偉大な英雄であり、自らが為すべき運命を受け入れたのだ。

"リーヴァーズ・ベイン"と呼ばれたその魔法は確かに間近に迫っていた『夢の領域』を彼方へと吹き飛ばし戦争を終結させた。だがその反作用として巨人族の根拠地であったゼンドリックはその半ばを失い海中に没した。

この大陸が『砕かれた大地』と呼ばれる由縁である……



「預言では謳われている──今一度エベロンに危機が訪れた時には偉大なる王は蘇る、と。その時まで彼は砕かれた大地と共に、海の底にてその体を休めているのだ……」




† † † † † † † † † † † † † † 




1時間ほど続いた昔話は大好評に終わった。続きをねだる子供に続きは色々な本に書かれているから自分で読むといい、と言って向学心を煽った俺は自室へと戻っていた。

子供たちで溢れている大浴場を避けて自室の部屋風呂で入浴を済ませた俺はベッドで仰向けに寝転がっていた。一通り揃った家具が空の星の光を室内に取り込んで淡くその姿を晒している。

壁面には見慣れないルーンが所々刻まれている。これらは俺が不在の間にルーが刻んだものらしく、強力な防御術のオーラを発している。

心術や占術を遮断するこの魔法はどうやら相当な力を宿しているようで、メイにすらその護りを抜くことは出来なかったとか。であればそこらの術者には手も足も出ないだろう。

天井近くにその印を刻むためにシャウラが足場になってルーを乗せた状態で壁を登っていたその映像を幻視してふと笑みを浮かべてしまう。

今頃彼女は自室で癒しの呪文に興味を示した子供達に、空の星とドラゴンシャードから力を引き出す術を教えていることだろう。一般的な信仰呪文とは異なったあり方だが、この街で癒しの呪文の需要が途切れることはない。

直観の優れた者でなければそこから何も学び取ることは出来ないだろうが、"クレリック"とまではいわずとも"アデプト"として呪文の使い手になれば少なくとも食いっぱぐれることはない。冒険者になるよりは真っ当な暮らしが出来るはずだ。

果たして彼らのうち何人が望んだ道を歩く力を身につけることが出来るのだろうか。

魔法加工された天井から透けて見える夜空に瞬く星に彼らの幸運を祈り、俺は今日というなんでもない一日に別れを告げるのだった。



[12354] 4-5.アーバン・ライフ3
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2011/02/22 20:45
ゼンドリック漂流記

4-5.アーバン・ライフ3












「遠巻きに囲むんだ! 真正面に立つなよ、常に動きつづけて狙いを付けさせないようにするんだ!」


庭に立つ俺の周囲には思い思いの武器を構えた少年少女達。彼らはカルノの指示に従って、俺を中心に数メートルの距離を保ちながらぐるぐると円運動を続けている。

余程警戒しているのか、俺の手の届く範囲には近づいてくるつもりはないらしい。このまま彼らがバターになるまで待っていてもいいのだが、それでは芸がない。あえて誘いに乗り、丁度正面を通過しようとしていた子供に向けて一歩脚を踏み出した。

その刹那、背後に位置する少年がこちらの膝の裏を薙ぐように剣を振るった。こちらの足止めを狙ったのだろう、その策の成就を信じてか正面の囮役を除いた全員が己の得意な型での攻撃を一気に振るってくる。

斬り下ろされるロングソード、突き込まれるレイピア、死角から差し込まれるショートソード。上体を地面と平行になるくらいに傾け、全ての攻撃を丁寧に掌で勢いを逸らす。無論逸らした先で彼らがお互いを傷つけないように配慮しつつ、さらには崩した姿勢に少し勢いをつけてやることで子供たちの動きを支配する。

頭頂部から首、背骨を通って足の爪先に到るまでの力の掛かりと反射を想定し、体の支点となる位置を"押す"。時には肘や肩先を使って体全体の向きと勢いを操作するように体を動かすと、周囲から飛び込んでいた子供たちは皆僅かな空中浮遊の後に一つ所に折り重なって倒れた。

一番底に放りこまれたカルノが重さに耐えかねて肺から空気を吐き出す情けない声を上げた。一瞬で仲間を全員失った囮役の少年は目の前で起こったことが一瞬信じられなかったようだが、気を取り直すと可愛らしい雄叫びを上げてこちらに向かってきた。

なかなか見事な闘志で肩からタックルのように飛び込んで来た彼は、至近距離から下段に構えたそのシミターを巻き上げるように斬り上げようとしてた。少年自身の体に隠れた角度から迫るその刃は、一見攻撃の出掛かりを判断しづらく回避は困難に見える。

だがそれは一般的な連中相手の話である。体が先に突っ込んでいるのもいい的だし、武器自体が見えなくても肩に掛けられた力と重心の動きで攻撃のタイミングを測ることは容易。

突撃というのはその攻撃で相手を倒してしまえるような状況か、あるいは周囲の味方からのフォローが期待できる時に行うものだ。破れかぶれになって行うのは単なる自爆である。

そんな事を考えながらも彼の背中側に回りこんだ俺は切り上げようとする両腕をさらに押すように勢いをつけ、腕と足を引っ掛けるように絡めると上方目がけて振り抜いた。


「うわあ!?」


素っ頓狂な声を上げて上空へと錐揉みながら吹き飛んだ少年は、僅かな滞空時間の後に先程の人の山へと落下した。無論安全を考慮して、放り投げる際に武器は回収しておいてある。素手で《武器落とし》を行った場合はそのまま相手の武器を奪うことに繋がるのだ。

這い出ようとしていたカルノが再びうめき声を上げてその動きを止めた。どうやら今のでノックダウンしたらしい。


「ゲームオーバーだな」


後に残るようなダメージは与えていないのでそのうち立ち上がってくるだろうが、その間放りっぱなしというわけにもいかない。仕方なく積み重なった子供たちに治癒を施すべく俺は足を進めるのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「絶対おかしいって! 背中に目がついてるわけでもないのになんであんなに簡単に躱せるのさ?

 凄いとか通り越してもう変態なんじゃねーの……ってガッ!」


失礼な発言をしたカルノに威力を調整したデコピンで制裁を行う。衝撃に朦朧としている彼の口の中に"キャンディ・ケイン"の欠片を放り込んで静かにさせた後、どうして突然勝負を望んだのかを確認することにした。


「いきなり試したいことがあるっていうから付き合ってやったのに失礼な事を言うなよ。

 それにやったことも囲んで一斉に攻撃してくるだけだなんて芸がない。せめてお互いを援護するとかすればまだ一太刀は浴びせられる可能性も上がったかもしれないぞ?」


実際にはまだまだ未熟で十重に囲まれても彼らの攻撃を受ける可能性はないのだが、そこはそれ。

治癒呪文のおかげですっかり元気になった子供達に今度は車座になって囲まれながら先程の模擬戦について話そうとしていると、珍しくラピスがハンモックから降りて歩み寄ってきた。

普段は照り付ける太陽を嫌って日陰でゴロゴロとしているのだが、今日は空が雲に覆われているせいか活動的なようだ。


「いい経験になっただろう? 鎧以外の手段で身を守ることを選択した戦士は、何らかの手段で死角を補う技術を持っているものさ。

 トーリのは極端すぎるにしても、野生の動物にも挟み込んだくらいじゃ戦術的な優位を得られない連中はいるんだ。よく覚えておくんだね」


大体予想はついていたが、先程のはラピスの差し金だったようだ。術者混じりであり"ローグ"としての経験を半ばまでしか積んでいない彼女は、不意打ち等による立ち竦みは受けないものの挟み撃ちによる不利を無視できるほどの鍛錬は積んでいない。

それで俺を相手にその辺りの技術を理解させようとしたのだろう。ふつうの"モンク"であれば囲まれた際に聴勁による洞察力を失って立ち竦んだかもしれないが、"バーバリアン"でもある俺は《直感回避強化》の能力によりどれだけの数に囲まれても回避の能力が下がることはない。


「まあわかったとは思うけど、囲んだくらいでどうにか出来るのは実力の近い連中だけだ。本当に強い奴っていうのは数の利なんて物ともしないもんさ。

 お前達も連携とかチームワークを考える前に、まずは個人としての実力をつけるんだね。

 冒険者なんてやってると一瞬の先には見たこともないクリーチャーと戦いになることだってあるんだ、まずはどんな状況でも切り抜けられるように自力を磨くのが最初。

 連携なんてものは実力者同士が組めば自然と取れるようになるものさ」


ラピスの言葉は尤もである。一般的に言って10Lvのキャラ一人と1Lvのキャラ10人であれば前者が圧倒的に有利だ。多少の相性こそあれ、基本的には個の性能が群を圧倒するのがD&Dの世界なのだ。

短い間とはいえ、それなりに密度のある付き合いをしたこの子供たちには無駄に屍を晒してほしくない。模擬戦に付きやってやること程度しか出来ないが、少しでも生存率が上がるように色々なことを教えておいてやりたいと思う。


「ま、前衛になることを決めた時点でお前たちは一番死にやすい役回りを選んだんだ。一通りの事は教えてやるけれど、そこから何を学んでどう活かすかで戦い方が決まる。

 せいぜい自分の身の丈に合ったスタイルを選ぶんだね」


そう言うと彼女は踵を返して縁側から家の中へと入っていった。どうやらラピス先生の本日の授業はこれで終了らしい。

昼食にするにはまだ微妙に早い時間帯、残った時間は折角だったので模擬戦をして過ごすことにした。とはいっても丁度いい加減など出来るはずもなく、俺は打ちかかってくる子供の武器を奪いながら姿勢を崩し、取り上げた武器を離れたところに放り投げることをひたすら繰り返すだけである。

彼らは攻撃のやり方は習っているが攻撃を受けることには慣れていない。そこで受身の訓練と合わせて、攻撃されることを大いに経験してもらおうという趣旨である。

転倒させる際に傷を負わないようにしているため、負傷もないし疲労は少し離れた場所にある《レッサー・レストレーション》のパネルを踏むことで取り除ける。つまり必要なのはやる気だけだ。

攻撃を掠らせることも出来ない以上すぐに飽きるか気力が尽きると思っていたが、彼らはまったくそんな様子も見せずにひたすら挑みかかってくる。それもただ武器を振るだけではなく、色々と考えながら試行錯誤しているようだ。この集中力と向上心がラピスの指導の賜物なのか。

仲間たちと競いながら自らを練磨するということが楽しいのか、何度転がされても子供たちはこちらへ向かってくる。皆のそんな根性に驚かされながらも延々と迎え打ち続けたその模擬戦時間も太陽が随分と上ってきた辺りで終わりとなった。

汗やらで汚れた子供たちに玄関で《プレスティディジテイション/奇術》の床パネルを踏ませて身奇麗にさせたあとで大浴場に放りこんでリフレッシュさせる。そうして食堂に到着した頃には昼食の用意が整っていた。

夜はほぼ全員が一堂に会するこの食堂だが、朝と昼は各人の生活サイクルとの兼ね合いがあるため結構バラバラだ。テーブルの中央に盛られた料理を皿に取り、食べ終わったら使った食器を水の張られた流し台に沈めておく。

どうやら俺達が最後だったらしく、今日掃除当番の子供たちが俺達が食事を終えたのを確認すると連れ立って厨房へと入っていった。大人用に設計したため、そのままでは背が届かない彼らはそれぞれ踏み台を用意すると洗い物を開始した。

暫くは食後のお茶を飲みながらその様子を見て和んでいた俺だが、時間が経過し腹心地が落ち着いたところで腰を上げた。午後は再び巨人族のテント村に行く予定になっているのだ。

家からルシェームまでは市街を横断する必要があり、1時間ほどを要する。街中での《テレポート》が禁じられているわけではないが、それでも俺は徒歩で向かうことにした。

すれ違うご近所さんとの挨拶や聞こえてくる噂話などを耳に入れることは時間を掛けるに値する重要な事だし、中央市場で巨人族の古老への手土産を見繕っていく必要がある。

先日面会したときその古老が巨大なキセルをふかしていたことを思い出し、嗜好品を扱っている店を巡って一抱えもある大きな袋を手に街の郊外へと足を向けると横合いから声を掛けられた。


「何だトーリ兄ちゃん、買出しか?」


近づいてきたのはカルノを含めた"ラピス組"だ。何人かがパンの入った紙袋を手にして家に向かって歩いている所を見ると、知り合いの子供が住み込みで働いているパン屋に顔を出してきたのだろう。

食事前までは一緒に行動していたというのに彼らは既に帰り道だ。食後にまったりしていた事に加え、買い物に立ち寄った所で店主の蘊蓄話に聞き入っていた時間が結構長かったようだ。


「ああ、またちょっとテント村まで行ってくるからその手土産でな。

 そうだ、帰るんだったらまた今日はちょっと遅くなるって伝えておいてくれ。夕食までには戻るようにするつもりだけどな」


飴を放り投げつつ伝言をお願いしたところ、彼らは目を見合わせた後一緒に連れていってほしいと訴えてきた。どうやら先日語った伝承が気に入ったらしい。さらに驚くべきことにカルノを含めた数人は巨人語の会話が出来るとのこと。


「フィアは最初から結構堪能だったけど、ルーの共通語を上達させたのは俺達なんだぜ。

 この街の住人なら5人に1人くらいは喋れるんじゃないかな。読み書きまでとなると流石にもっと少ないだろうけどね」


確かに二つ目の言語で何を選ぶかと問われれば巨人語を選ぶのがこの街の住人として当然ではあるが、かつて母国語以外はさっぱりだった身としてはなんとなく彼らに尊敬の念を抱いてしまう。

街の郊外ではあるが、明るいうちは人の往来もそれなりにあり活気づいているため治安もそれほど悪くない。特に問題ないだろうと判断した俺は午後からも彼らと行動を共にすることにした。

クンダラク氏族が経営するローズマーチ銀行の威容を右手に眺めながら市街を区切る巨大な壁を潜ってルシェームへと向かう。

コロヌー川の支流を渡るともうそこはテント村の敷地内であり、ヒル・ジャイアントやゴライアスといったお馴染みの種族に加え羽を生やした"ラプトラン"という種族や街中では白い目で見られることも多いコボルド達がそこかしこに見られる。

中央付近にはここに定住している人達が昔から暮らしている古いテントがあり、外のほうには行商に一時期滞在しているだけの者たちが立てた新しめのテントが立ち並んでいる。踏み固められた通りは大型の住人が多いこともあってかなりの道幅だ。

雑多ではあるがある程度の秩序は保たれており、フリーマーケットのような雰囲気だと思うのが一番近いだろうか。独自の文化を築いている種族が彼らの民芸品を並べたりしており、なかなか興味深い。

目的地へと向かいながらも子供たちと露天に並べられたそんな品々を物色していた俺の耳に、突然言い争う声が入ってきた。そちらを見ると、道の中央でエルフとヒル・ジャイアントの子供(といっても2メートルを超える立派な体格だ)が揉めている。

というよりはエルフが一方的に言い掛かりをつけているようだ。相手の巨人は共通語の会話にまだ慣れていないようで、エルフの言い分をなんとか理解は出来ているようだが言い返すことが出来ないようだ。

ついには背負った武器に手をやったエルフの行動を見かねた俺は、背後からそっと近づくと両膝の裏を押しこむように蹴りつけてエルフを転倒させた。

突然の乱入者に驚いている巨人の子供に手を振って今のうちに立ち去るように示すと、何か荷運びの途中だったらしい彼はペコリと一礼して早足で立ち去っていく。後に残されたのは往来の真ん中で転倒したエルフと俺だけである。


「貴様、いきなり背後から襲いかかってくるとはどういう了見だ。事と次第によっては唯ではおかんぞ!」


立ち上がったエルフはこちらに向き直ると今度は俺に向かって文句をつけてきた。顔の下半分を覆う"ゼールタ"と呼ばれるヴェイルに、白地に赤の文様が刻まれた戦装束は彼がヴァラナーの戦士であることを示している。


「往来の真ん中で立ち止まってたもんで体が当たっちまったのさ。通行の邪魔をしないように今度からはもうちょっと場所を選んだほうがいいぜ、戦士さんよ」


俺がそう言うとエルフは痛いところを突かれたとばかりに口篭った。この男は先ほど巨人族の少年と路上でかち合った際に「道を譲れ、木偶の坊は邪魔にならないようにもっと端っこを歩いていろ」等と言い放ったのだ。

二車線はありそうな太い道で、まばらな人通りしか無い状況でその台詞である。おそらく言いがかりをつけていたのだろう。その言葉をそっくりそのまま返されることとなったのだ。

だが転がされた上に言い負かされたとあってはそのまま引き下がるわけにはいかなかったのだろう。しつこく食い下がってきた。


「ふむ、どうやら誤解があるようだな。私が行っていたのは挨拶のようなものだ。

 我々と巨人どもとの間の確執については知っているのではないかね? その間に割って入ろうというのは、我らの誇りを汚すも同然の行為だ。

 せめてその非礼は詫びて欲しいものだね」


随分と勝手な挨拶もあったものである。冒険に出てどことも知れぬ所で野垂れ死ぬのは勝手であるが、良好な関係を築いているストームリーチと近隣のヒル・ジャイアント族との間に軋轢を生むような行為は認められるものではない。


「なるほど、そんな挨拶があったとは知らなかったよ。だがあんたらも知らなかったようだが、俺の行為も挨拶みたいなものでね。お互い水に流すとしようぜ」


若干頭に来た俺はそう言い捨てた。だが冷静さを欠いたその言葉は上手に切り返される。


「そうか、であればその事についてはもはや問うまい。ここでは我らは余所者であるしな、そちらの流儀に合わせよう。

 では私から君にそちらに合わせた"挨拶"をさせてもらうことにしようか!」


そう言うやいなや彼の放った下段蹴りが俺の足元を狙って襲いかかってきた。なるほど、意趣返しというわけだ。だが無論そんな見え透いた攻撃をくらうわけもなく、軽く後ろにステップして回避する。


「ほう、その身のこなしといい先ほど私に膝をつかせたことといいやはり只者ではないな。何処の手の者だ?」


エルフの男はこちらのその動きを見て感心したように言った。ヴェイルに隠れて見えないが、きっとその口元は笑みを浮かべているに違いない。

何か勘違いをしている上に、どうやら彼の闘争本能に火が付いたようだ。コーヴェアのエルフは他のゲームのような温和な存在ではなく、騎馬隊の圧倒的な戦闘力を恐れられている武勇の国だ。

エレミアと最初に会った時もそうだが、細かいことはとりあえず叩きのめしてから判断するというのが彼らの思考なのだろうか。正直勘弁してもらいたい。


「おい、トーリの兄ちゃん! 何揉めてるんだよ、やばいんじゃないのか?」


口論をしているうちに騒動に気付き、俺の後ろまでやってきていたカルノがローブの裾を引っ張りながら話しかけてきた。他の子供達は遠巻きにこちらを眺めているが代表として彼が近くまで来たようだ。

どうやら俺は随分と心配されているらしい。とはいえ大抵のことは"交渉"でやり過ごす自信がある。たとえこちらを殺しにかかってきている敵対的な相手であっても、会話のテーブルにつけることさえ出来れば言い包めることが可能だ。

様子を見るに目の前のエルフは少々気が立っているが"非友好的"といったところだろう。それであれば1分後には別れ際にこちらの幸運を祈ってもらえる程度までには相手の態度を軟化させられるだろう。


「あー、気にするなよ。大したトラブルじゃないし、ちょっとした誤解があっただけさ。すぐに分かり合えるよ」


何でもない事のように言うが、どうやらカルノは納得しなかったようでさらに強く裾を引っ張って俺の顔を下ろすと耳打ちするように話を続けた。


「あれって"炎嵐の刃"のジュマル・スレネル戦隊長じゃねーか。荒野を探索していくつも未発見だった遺跡を踏破してる英雄って噂だぜ!

 兄ちゃんがこないだ留守にしてる時にエレ姉を訪ねてきたときに見たことがあるんだ。悪いこと言わないから謝るなりして許してもらったほうが良いって」


長い間子供たちだけで生活してきていただけあって、カルノはこの街の噂話に随分と通じている。わざわざこんな事を言うくらいだから、彼の中でも相当に確度の高い話なのだろう。

その名前には俺も覚えがある。エレミアの選択しているクラスでもある"レヴナント・ブレード"、その紹介記事の中に記載されていたNPCのうちの一人がそんな名前だったはずだ。

確か記事では11レベルだったはずだが、俺の見立てではもう少し実力を付けているように感じられる。確かに人類の文明圏でそこまでのレベルの存在は非常に稀少だ。カルノが心配するのも仕方ない。

しかしエレミアを訪ねてきたというのは同じヴァラナー出身者として縁をつないでおこうということだろうか。


「む、そこの少年は確か先日の茶坊主であったか。そしてトーリと言ったな? なるほど、お前が彼女の心を煩わせている人間か。

 なるほどこれも祖霊のお導きか。ここでお前のメッキを剥いでしまえば彼女の眼を覆う靄を払うことになるというわけか」


カルノは内緒話のつもりだったのかもしれないが、目の前のエルフには筒抜けだったようだ。種族的に音には鋭敏な上、高レベル冒険者なのだからその知覚能力は相当なものなのだろう。

そしてジュマルはカルノと俺を交互に眺めた後、何やら得心したように一人頷いている。何やらあの男の中では勝手な話が進んでいるらしい。


「なあカルノ。俺が虎退治に行っている間って話だが、あいつはどんな要件で訪ねてきたんだ?」


大体のところは想像がつくが、念のため確認のためにカルノに問う。後から間違いだったというのは申し訳ないからな。


「あー、なんかエレ姉に自分の戦隊に入らないかって勧誘に来てたみたいだぜ。すっぱりと断られてたけど、また来るとか言ってたから諦めちゃいないんだろうね」


カルノの返事は大体予想の範囲内だった。それを聞いたからには仕方がない。わざわざ"交渉"で穏便に返すわけにも行かないだろう。


「巫山戯た事を。まあすぐに済むから下がってろ」


ちょん、と額を指で押してカルノを遠ざけるとジュマル達のほうへ振り返った。そんな俺に対してジュマルが口を開く。


「ふむ、見たところよく鍛えているようだな。だがそこらの腕利き程度の実力では彼女の隣で剣を振るうには相応しくないことを自分自身でも解っているのではないか?

 悪いことは言わぬ、自ら潔く身を引くことだ。身の丈に釣り合わない冒険に背伸びして付き合っていては、自分の命どころか仲間すら危険に晒す事になる。

 それは貴様とて本意ではあるまい?」


随分と大口を叩くが、そのビッグマウスに相応しいだけの修羅場をくぐってきたという自負があるのだろう。だがそれは過信というものだ。

確かに俺の実力を外見から測ることは出来ないだろうが、それでも俺が虚勢を張っているわけではないことぐらいは察するべきだ。それが出来ないようでは遠からずこの男は死ぬ事になるだろう。


「何を自己完結しているのかは知らないが、少なくとも俺よりも弱いヤツに彼女を任せる気にはならないな。

 ちょっとばかり運が良かっただけでそれを自分の実力だと勘違いしてるんなら、今のうちに考えを改めることをお勧めするぜ」


高レベルの冒険者はそれだけで貴重な存在だ。その生命が無為に奪われることがないように、俺がここで一つ教育してやるとしよう。決してこれは私的な制裁などではないのだ。


「ふむ、実力行使を希望とあれば仕方あるまい。丁度いい、そこの少年が証人になってくれるだろう。どちらが彼女に相応しいか思い知らせてやろう!

 安心したまえ、我が戦隊には腕のいい治療士もいる。腕の一本飛んでもすぐに繋げてくれるだろう。手切れ金がわりに治療費はサービスしておくよ」


案の定こちらの挑発に上手く乗ってきた。背負ったヴァラナー・ダブルシミターはエレミアの持つそれのように祖霊の加護を受けた唯一無二の武装というわけではないようだが、十分に強力な魔法の力を帯びた品だ。

対してこちらは一見無手に見える。といっても実際にはグラヴの下には素手打撃に魔法の強化を付与する"ハンドラップ"という装備をしている。これもMMO独自のアイテムであり、この世界の素手格闘家が見れば垂涎の的だろう。


「そいつは頼もしい。今から折られる鼻っ柱もすぐに治療してもらうといい」


丁度試したいことがあったのだ。先手を譲ってやるとばかりに顎をしゃくって掛かって来いとアピールすると、勢い良くジュマルはこちらへと踏み込んできた。


「その言葉、すぐに後悔することになるぞ。ベッドの上でな!」


前言通りこちらの四肢を傷つけるつもりだったのだろう、無造作にぶらつかせている腕を狙って横薙ぎに刃が振るわれた。とはいえ直撃すれば一般人は胴体まで持って行かれるであろう鋭く力の乗った一閃だ。

最大の速度をもって迫るその切っ先が産毛を震わせるようなぎりぎりの距離で見切り、最低限の後退でその攻撃を回避する。こちらが下がったことに勢いづいたのか、ジュマルは両手で構えた双刃を縦横無尽に振り回し始めた。

ヴェイルのせいで表情が読み取りづらいが、その視線と重心の取り方から十分に攻撃軌道は予想できる。どうやら基本的な攻撃能力はエレミアに近いようだが、武器の扱いでは彼女に一日の長があるようだ。

ダブルシミターの双刃を見事に活用して絶え間ない攻撃を仕掛けてくるエレミアに比べ、ジュマルのそれは一方の刃に偏っており武器の特性を十分活かしているとは言えない。

10秒ほどの攻防でそう判断した俺は守勢から攻勢に転じると、攻撃に突き出されたシミターの峰から腕を絡めるように伸ばすとジュマルの掌から武器を弾き飛ばした。

両手持ちであることからか若干の抵抗を感じたが、力比べでチート筋力持ちの俺が負けることはない。宙に浮いたその武器は引く手で拾い上げる。


「なっ! 武器を──」


まさか武器を奪われるとは思っていなかったのだろう、一瞬呆然としたジュマルの隙をついて後ろに下がって距離を取る。そして彼の足元へダブルシミターを放り投げた。


「どういうつもりだ?」


訝しげにこちらを睨みつけながら慎重に武器を拾いあげるジュマル。隙だらけのその姿に攻撃を加えるようなこともせず、再びシミターを構えた彼に俺は口を開いた。


「そろそろ準備運動は終わっただろう。勿体つけずに本気を見せたらどうだ?」


そう、ジュマルの本領はその武器による攻撃ではない。腰元の呪文構成要素ポーチが、目の前の男が秘術呪文使いでもあることを示している。秘術と剣を融合させた姿こそこの男の本来のスタイルのはずだ。

登場していたサプリメントでもウィザードのクラスを兼ねた魔法戦士だったし、実際の動きを見ればそれだけではない洗練された動きが見て取れた。おそらくは上級クラスをいくつか得ているのだろう。

武器に触れたことでその一端を知ることが出来たが、どちらにせよこの男を諦めさせるには本気で掛かってきたところを叩き潰すほかはないのだ。精々賭け金を釣り上げさせてもらうことにしよう。

先程の攻防でこちらの能力が尋常でないことには気付いているだろうが、回避に専念して攻撃を一切行っていない状況だ。むしろ軽装の相手であれば自分にとって相性が良く、本気を出せば十分に勝てる勝負だと思っているはずだ。


「ほう……そこまで解っていて私に武器を返したというのか。だがそれは慢心というものだ、私が本気の一太刀を繰り出して生きているものはこの大陸にはいなかった。

 人の身で我が奥義を受ければ通常の手段では蘇生すら叶わぬぞ?」


水平に双刃を構えながらジュマルはこちらに最終通告を行う。だがその言葉の内容にはこちらの予測を上回るものは何一つ無い。


「なるほど、それじゃ俺がその最初の一人ってわけだ。その必殺技とやらを完膚なきまでに破ってやるから掛かって来いよ。

 お前が勝ったら後は好きにするがいいさ。だが、負けたら二度と俺の仲間やこの辺りの連中に余計な手出しをかけないと誓うんだな」


懐から取り出した《ヘイスト》のポーションを飲み干し、瓶を放り投げながらジュマルにこちらの要求を告げた。このアイテムの効果時間は30秒。つまりこれはその間に決着を付けるという俺の意思表示でもある。

サプリメントの紹介では、この男はテント村のジャイアントに難癖をつける困りものだと語られていた。どうせだからそのような迷惑行為は謹んでもらうことにしよう。

この村の住人に用がある俺としては、折角築かれているヒル・ジャイアントとストームリーチの友好的な関係に皹を入れるような奴を放置しておくわけにも行かない。

左半身を前に、半身になるように体を構えるとジュマルも僅かに首肯し同意の意を示す。


「──よかろう。ならばドルラーへの土産にその目に焼き付けるがいい。我が刃は必中にして必殺。光輝なる炎により、跡形もなく消え失せよ!」


ダブルシミターから離された片手に腰元から引きぬかれた短杖が握られ、そのロッドが魔力を放ったかと思うと周囲を燦々と照らしていた太陽の光が消失する。突如発生した薄闇の世界で、周囲すべての光を吸収したジュマルの刃だけが鈍い光を放っている。

その波動が波打ったかと思うと世界は光を取り戻し、同時に飛び込んできたジュマルが眼前にまで迫っている。《呪文高速化》により一瞬で発動された《トゥルー・ストライク/百発百中》からの突撃。唐竹割りに振り下ろされる刃は光だけでなく込められた魔力により周囲の空気を焼き焦がしながら迫ってくる。

"ダスクブレード"による秘術呪文注入の能力と武器の"スペル・ストアリング"により二重に込められた《コンバスト/引火》の呪力が開放を願って暴れまわっているのだ。

光を放っているのは恐らく先程の"スペルソード"の能力により込められた《ルーセント・ランス/輝く槍》の効果。周囲の光が強ければ強いほど威力を発揮するこの呪文は、熱帯で正午近い今まさに最大のパフォーマンスを発揮しているだろう。そしてその全ての呪文が先ほど握られていたロッドにより《威力最大化》されている。

この斬撃が命中すれば、武器によるダメージだけでなく付与された三つの呪文による攻撃も同時に受けることになる。そしてその攻撃自体も《トゥルー・ストライク》という命中には最高の補助となる呪文によってブーストされているのだ。確かに精度と威力のどちらをも兼ね備えた恐るべき攻撃だ。

直撃すれば流石の俺でもただでは済まない。確かに必殺と言うだけのことはあり、エネルギー耐性や呪文抵抗のないクリーチャーでこの一撃に耐えられる存在はそういないだろう。


「──だが、当たらなければどうということはない!」


しかしそれはあくまで"命中すれば"の話だ。例え必殺を約する呪文が込められているとしても、触れさせなければその効果が発揮されることはない。つまりはジュマルの《トゥルー・ストライク》の呪文と俺の回避能力の勝負である。

常時展開されている《シールド》呪文が僅かに攻撃の軌道を逸らし、そうやって発生した空隙のことが予め解っていたかのような動きで体をそこへとねじ込んで行く。だが未来予知と言っていいほどの洞察と風の精霊をも超える敏捷性をもってしても、死を招く斬撃が描くラインから体を逃しきることは出来ない。

最高級の魔法の防護が生み出す反発の力場が迫る刃を受け止めたが、《百発百中》の呪文の名に負けぬ鋭さを与えられた刃はその抵抗を突破する。もはや俺と刃の間を阻むのは薄手のローブとシャツのみである。

だがそれこそが俺の用意した最後の障壁。強力な竜のルーンにより竜鱗の如き強度を付与された神秘の布は断ち割られることなく殺意の刃を受け止める。布一枚、それが稼いだ時間を最大限に活かすため俺の体は動き続ける。斬撃の勢いを逃がすように体をしならせると、振り下ろされた刃はローブの表面を滑るように流れていった。無論俺の体には傷一つ付いていない。


「馬鹿な──」


自らの必殺の一撃が空を切ったことに対してのジュマルの呟きは、最後まで紡がれることはなかった。反撃として胸部へと叩き込まれた俺の拳がその肺に収められていた空気を吐き出させ、体を空中へと持ち上げたのである。

TRPGの攻撃チェインの一段目として放たれた"足払い"とそこに組み込まれたMMOの攻撃オプションである《朦朧化打撃》を同時に受けたことで姿勢を崩したジュマルはその意識を混濁させた。このままであれば地面に投げ出されるように伏せた状態で彼はその意識を取り戻すだろう。だが、俺の攻撃はまだ終っていない。

未だ空中にあるジュマルの体に向けて、次々に俺の双手が閃いた。高速の"払い"を受ける度に宙に浮いたその体が糸の絡まった操り人形のように出鱈目な軌道で回転する。

"ファイター"の攻撃速度で、"モンク"の連打が、"レンジャー"の二刀流で、"ローグ"の鋭さとともに、"バーバリアン"の剛力によって叩き込まれる。一瞬の間に繰り出された初撃の"浮かし"を入れれば7発。倍近いレベルであるエレミアと同等の攻撃回転速度だ。

その全てを朦朧状態故に直撃で受けたジュマルは、鈍い音と共に地面へと落下するがもはや微動だにしない。当然といえば当然だ、威力的にはゼアドやツイン・ファングすら地に伏すほどのダメージだっただろう。人間サイズの生き物でこれを受けて立ってくるような奴がいるとは考えたくもない。


「……おい、ピクリともしないぞ。まさかトーリ兄、殺しちゃったんじゃ」


カルノを含め、いつの間にか集まっていた野次馬も全員が静まり返っている。無理もない。目の前で吹き飛ばされた人間が派手に空中でシェイクされたのだ。元の世界の格闘ゲームでもここまで酷い吹き飛び方をするものは無かっただろう。そんなモノを見せられては固まってしまうのも仕方ない。


「安心しろよ、派手に吹き飛んだように見えるけど殺しちゃいないさ。鍛えているみたいだから1日2日寝こむ程度で済むだろう。

 優秀な治療術士がいるって話だし、今日の夜にはピンピンしてるかもしれんよ」


街の郊外とはいえここはストームリーチの領主たちの権力が及ぶ範囲である。そんなところで衆人環視のもとで殺人を行うほど俺は非常識ではないし、そもそも殺すことが目的ではない。

それに先ほど俺が叩き込んだのは非致傷ダメージといって、どれだけ与えても気絶する程度にしかならない攻撃である。高速で振り回されたため鞭打ちのような症状に暫く悩まされるかもしれないが、命に別状はないしその症状すら魔法で容易に消去することが出来るはずだ。

シェイクするのを"払い"ではなく"打撃"で行なっていれば今頃ジュマルは全身の骨を複雑骨折で砕かれ、穴という穴から血液を噴出して絶命していただろう。耐性がついてきたとはいえそんなスプラッタを演出するのは御免こうむる。


「流石に目が覚めるまでこのまま放っておくわけにも行かないだろうけどな。

 そこのアンタ、仲間なんだったら診てやったらどうだ?」


別行動をしていたのだろう、喧騒に気づいたのか途中から群衆に紛れていたエルフに俺は声を掛けるとジュマルの処置を任せる。目の前で隊長が負けたことが信じられなかったのだろう、他の野次馬同様固まっていたようだがそのエルフは俺の声で我を取り戻すと慌てた様子でジュマルの元へと駆け寄った。

おそらくは傘下の戦隊に所属する若手なのだろう、ジュマル程の実力はないようだがカルノ達のように見習いといったレベルではない。彼は倒れているジュマルに脈があることを確認するとほっとしたように息をついた。

野次馬達もそれでジュマルが無事だということを納得したようだ。いい見世物をみたといった様子で周囲からは拍手と歓声、そしてそれらに紛れて何枚かの銅貨がちゃっかりとカルノが広げている袋へと投げ入れられてきた。


「それじゃ後の始末は任せたぜ。隊長さんが目覚めたら約束を忘れてないことを確認しておいてくれよな」


小銭を稼いでいるカルノの襟を掴むと、俺はそのエルフに声を掛けて足早に立ち去る。万が一この男がさらに難癖をつけてきたら面倒だからだ。その俺の後を追って残りの子供たちが群衆をかき分けるようにして続いた。


「ああ、まだ稼げそうだったのに!」


未練たらしくカルノは先程までの手合わせの現場を見つめている。自分の芸で得たわけでもないのにごうつくな奴である。まあこのくらいでなければ子供だけでこの街を生き抜くことは出来ないのかもしれないが。


「自分の腕を磨けば銅貨ぐらい持ち運べないくらい稼ぐことだって出来るさ。目先の欲に釣られて危地に取り残されたんじゃ割りに合わないぜ。命に釣り合う通貨なんてのは無いんだ」


カルノに言い聞かせているとはいえ、半ばは自戒だ。目立たないことを最善とするならあそこは"交渉"で済ませておくべきだったのだ。いくら頭に来ていたとはいえ、軽率な行動だった。

フレイムウィンドに告げられた"予言"からこっち、少々行動が雑になっていたかもしれない。確かに既に危険に捕われているとは言われたが、今の時点では捕捉されていないことも確かなのだ。

強力な力を得たり肉体が若返ったことで精神が引きずられているのかもしれない。そんな事を考えている間に喧騒から離れている。ラピス組が全員揃っていることを確認すると目的である中央テントに向けて再び歩き出すのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 



「それはあの男も災難だったな。しかしトーリのその技は興味深い。"払い"から高速の連撃か……初撃で浮かされてしまっては途中での脱出は困難であろう。

 相手の姿勢を崩す技はトーリの得意技なのだろうが、そこから続く攻撃はお目にかかったことがない。空中で人を高速のお手玉のようにシェイクするとは、さぞかし見ものだっただろうな」


その日の夜、一同が会した食事の場でカルノが今日のトピックスとばかりに語った『決闘』の話題はやはり皆の関心を集めた。語り口は未熟で少年に"バード"の才能がないことは明らかだったが、要点を得たその話はカルノの潜在能力の高さを感じさせた。

エレミアは特に戦闘の流れについて根掘り葉掘り聞いてきている。彼女は最近は魔法の書との同調のため体に負担を掛けられないので、鈍らせない程度のトレーニングしか行っていない。そのため全力で体を動かす機会を得られず、ストレスが溜まっているのかもしれない。


「しかしあのジュマル・スレネルに勝つなんて、実はトーリの兄ちゃんも強かったんだな。

 てっきり逃げ足が早いだけの誑しだと思ってたのに」


余計な一言を付け加えたカルノに例の胡桃モドキの固い外殻を指弾で飛ばして制裁を加え、話を継いで締めくくる。ちょっとやり過ぎた気もしているので、あんまりこの話を長引かせたくはなかったのだ。


「ま、試運転を兼ねた"遊び"みたいなもんだしね。あいつもこれで懲りたら慢心を捨てて真面目に修練を積むだろうさ」


日頃の行いには少し疑問を感じるところはあるが、ジュマルは一般的なエルフに多い『混沌にして善』であると紹介されていた。つまり個人主義者なのだが、根が善であるなら約束の件も含めて今後は行動を改めてくれることだろう。


「それはそうと何か目的があってしばらくあそこに通ってたんだろう? 道草の話はそれでいいとして、そっちはちゃんと上手くいったのかい?」


一人カルノの話にも興味がなさそうだったラピスが隣の席から声を掛けてきた。デザートのフルーツをナイフで見事に切り分け、フォークを突き刺しながら横目にこちらを窺っている。

この辺りではよく見られる、パイナップル的なものだ。小奇麗に切り分けられたそれに暫く視線を留めていると催促していると思われたようで、フォークごと差し出されたそれをありがたく頂戴する。

酸味が効いていてパイナップルそのものの味はどこか懐かしい。異世界であり魔法なんてものもあるとはいえ、植生については大分似通っている。時折外見にそぐわぬエキセントリックな味がするものもあるが、一通りの洗礼を受けたため今ではそれらに引っかかることも少ない。


「……っと、そっちも順調だよ。その道草の件もあって随分と良くしてくれてね。色々と面白い話を聞かせてもらってる」


巨人族視点の話を聞く以外にも、彼らが持っている古い遺物などを幾つか譲り受けたりしている。MMOではとある巨人族が集めていた三種のレリックがゲームの駒だったなどの話は聞いていてニヤリとさせられる。

説明を受けた遊戯で使われるそれは確かに1枚1枚のデザインが異なっており、今でいうカードゲーム的なものだったようだ。巨人族のプレイヤーがエルフの奴隷、ジャイアントの同胞、ドラゴンの盟友を操って対戦するという形式は興味深い。

60枚で1デッキになるというそのシステムは、ゲームの版権を持っている会社が扱っている別ゲームを思わせる。自分も学生時代は結構な投資をして買い漁ったものだ。そう考えればコレクターがいたとしても不思議ではない。


「あの方達はこの辺りの歴史の生き字引的存在ですからね~。

 どうも私たち秘術学者や秘術工匠は敬遠されているみたいなので、お話を聞く機会に恵まれないんですよね。トーリさんが羨ましいです」


一度フィールドワークのために彼らに接触しようとして成果を得られなかったメイが残念そうな表情で呟いた。

俺も"ウィザード"ではあるものの、同時に"レンジャー"や"バード"というクラスも有しているためか彼らと縁を結ぶことができた。ゲドラが仲介してくれたということも効いているだろう。

この地の海賊たちがガリファー王国に服してストームリーチという街が誕生したのは200年前だが、はるか古代のデーモンの時代からこの都市は存在している。巨人の後にはサフアグンや蟷螂戦士と呼ばれるスリクリーンなどがこの都市を訪れ、そして何らかの理由で消えて行った。

ルシェームの古老たちは巨人帝国の崩壊後もこの都市の近くでその栄枯盛衰を見続けてきたのだ。コーヴェア中の図書館を調べたって得ることは出来ない知識を彼らは蓄えている。


「面白い話を聞いたらまた教えるよ。別に他言無用って訳じゃないし、その辺りは了解を得ているからね」


彼らは交流を持つ相手を選んでいるようだが、そこから知識が拡散することは気にしていないようだ。むしろ彼らの話は自然との調和や互いに争うことの無益さを語るものが多く、そういった思想を広めたいという思いはあるのだろう。

無論、彼らは平和を説くが無防備なわけではない。50年前に巨人族の集団がこのストームリーチに攻め込んだ時、彼らルシェームのジャイアント達は街の住人と肩を並べて戦ったし守護者と呼ばれる存在が代々知識と秘伝を受け継いでいるのだ。


「そうだ、今日はまた新しい話を聞いたんだぜ。昔この街に住んでいたドラゴンの話なんだけどさ──」


同席していたカルノやフィルといった子供たちが巨人語で聞いた話を他の皆に聞かせ始めた。どうやら今日は語り部の仕事は彼らが替わってくれるようだ。

テーブルの上を片付けつつ、今日も食堂に響く子供たちの声に俺は意識を傾けるのだった。



[12354] 4-6.アーバン・ライフ4
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2011/02/01 21:15
ゼンドリック漂流記

4-6.アーバン・ライフ4












「それじゃ、お邪魔します……」


遠慮がちな声で挨拶をしつつ、赤毛の女性が入口の門を潜った。門の脇にそっと待機しているシャウラを一目見てぎょっとした顔をしていたが、微動だにしない事が解ると安心したのか気を取り直して玄関へと進む。だがそこでも一瞬怪訝な表情で立ち止まった。


「どうした、足でも挫いたか?」


なかなかやってこないアンのことが気になったのか、既に玄関の先まで進んできていたケイジが振り返る。だが彼女は内心を悟られたくないのか、慌てて口を開いて言葉を返した。


「な、なんでもないわ、大丈夫よ! 随分立派なお宅なんでちょっと吃驚しただけよ」


おそらくは入り口に設置されている魔法式のトラップを察知したのだろう。現在は停止させているとはいえ、込められた魔力を周囲に振りまいているため秘術的視覚を有していたり探知魔法を使用していれば玄関を満たすただならぬオーラを感じるはずだ。

通常であればそういった気配は隠蔽しておくのだが、この罠には警告の意味も持たせているためあからさまにしてある。それに驚いたのだろう。

とはいえケイジが無視して進んでいるこの状況で立ち往生しているわけにもいかない。そのまま彼女は足早にケイジの元までやって来た。その後ろにはきっちりと3歩の距離を置いて従者のごとく一体のウォーフォージドが付き従っている。


「……お前の実家の屋敷のほうが何倍もデカいと思うけどなぁ。まあいいや、お邪魔するぜー」


ケイジは訝しみながらもそう呟くだけで済ませて開かれたドアから応接室へと入ってくる。残る二人も彼を追いかけて部屋へと進んできた。7メートル四方程度の室内には中央にテーブルが置かれ、それを挟むようにソファが並べられている。

テンバーと話をした時とは異なり、立派に調度品が揃えられたこの部屋は壁から天井、床に到るまでしっかりとチュラーニ氏族の表面に属する一流の職人による仕事が行き届いており十分にその役目に相応しい状態を保っている。


「ようこそ我が家へ。歓迎するよ皆さん」


三人に座ってくれるように示した後俺も程よい反発を返してくれるソファに腰を下ろす。ケイジは既に慣れたもので深く腰をおろし背中を背もたれに預けて寛いでいるが、連れの二人はまだそこまで思い切れないようだ。

アンと呼ばれた女性は浅くソファに腰を預けているだけだし、ウォーフォージドに至ってはそもそも座りもせずにソファの後ろに立ったままだ。その表情は読み取りづらいが、全身を包む緊張感から周囲を警戒していることが読み取れる。

部屋が微妙な沈黙に覆われたそのタイミングで、三人が入ってきた側とは反対にある扉が開き、少女が飲み物を運んできてくれた。銀のキャリーカートに載せられたのは搾りたての果汁を冷やしたもので、グラスに氷を入れた後にボトルから注がれたそれは室内に爽やかな香りを齎してくれた。

それとは別に、暗い色をした粘度の高い液体が入ったカップがテーブルの中央に置かれた。錬金術によって配合された特別な液体がオイルと混ざったそれは、"ウォーフォージド向け"の特別な飲料だ。


「是非そちらの方もどうぞ。

 『ラスティ・ネイル』で出されている評判の"マイルド・エナジー・トニック"さ。この街じゃ結構有名な品らしいよ」


ゲームでは中央市場にあった宿屋の一つ、『ラスティ・ネイル』はこちらの世界ではガランダ氏族経営の『チャプター・ハウス』に置き換わっている。かわりに街の北側、デニス氏族の居留地近くでウォーフォージド向けの飲食物も提供する宿として異彩を放っていた。

俺が手に入れたこの特別な飲料はそこで提供されているものの一つで、味覚の鈍いウォーフォージドにも刺激を与えることが出来るという触れ込みの品だ。シャウラに振舞ったところ嬉しそうに少しずつ楽しむように摂取していたことから我が家では常に一定量をキープしておくことになっている。

俺が今アクセスしているアカウントにはウォーフォージドのキャラがいないため、彼ら専用の飲食物を用意できないのが残念なところだ。ゲームでは一杯で金貨500枚の最高級オイルというのが酒場で売られていたのだが、一体どんな味だったのか興味が尽きない。

まさかそんなものが出てくるとは思っていなかったのだろう、主従は一瞬目を合わせた。アンはその後ケイジへと視線をやるが、彼は何も気にしていない風にすぐに自分のグラスに手を伸ばした。その様子を受けて主従もそれぞれの飲み物を手にとった。


「……不思議な感覚です。主様方が食事で感じておられるものと同一かは不明ですが、確かにこの飲料からは自分を刺激する何らかの感覚を受け取ることが出来ます」

 
僅かにオイルを口に含んだウォーフォージドがそのように感想を述べた。給仕をしてくれた少女がソファの後ろに立つ彼がグラスを置くことが出来るように部屋の隅に仕舞われていたサイドテーブルを移動させ、退出して行く。なかなかに気のつく娘である。


「ご丁寧な歓迎痛み入りますわ、先日のお礼もまださせていただいておりませんのに。

 改めて、私のことはアンとお呼びくださいませ。後ろの従者はアロイ。私たちはケイジの同郷ですの」


口を潤したところで、先日の仕切り直しとばかりにお互いに自己紹介を交わした。こうして見ると仕立ての良い服といい行き届いた作法といい、いいところのお嬢さんにしか見えない。

既に随分とこの街に染まってしまっているケイジと異なり、彼女は生粋のアンデール人らしさを滲ませている。特に印象深いのはその両手に嵌められた白手袋だろう。たおやかな指を包む絹が放つ光はその清冽さを強く印象づける。

元はパーティー用の装いの一部だったものがいつしか一般的な習慣に変わり、アンデール風の服装にはどうもこの手袋がないとしっくりこないと思わせるまでに浸透したのだという。どこか彼らの国民性を思わせる逸話だ。

とはいえ初対面の印象が強すぎて今更外向きのペルソナを見せられてもなんだかな、という気になってしまう。お互い微妙に距離感を置いているその状況を嫌ったのか、俺達の挨拶を見守っていたケイジが口を挟んできた。


「アン、今更取り繕っても意味ないぜ。お前の凶暴なところは初対面の時にバレてるんだからさぁ。

 あとトーリもこいつに付き合って丁寧に喋らなくても構わないんだぜ。お互い楽にしようじゃねーか」


そう好き勝手言ったケイジはそのままテーブルに置かれたボトルからジュースのお代わりを自分のグラスに注いで飲みだした。彼自身は既に何度か訪れていることもあってか落ち着いたものである。

良くも悪くも自由に振舞う彼の様子を見てアンの緊張も解けたようだ。彼女は一つため息をついた後、グラスの中身を一気に飲み干すと顔に浮かべていた作り笑いを苦笑いに変えた。


「そう言ってくれると助かるな。堅苦しいのは苦手なんだ」


「……まあそれもそうね。それじゃ楽にさせて貰うわね。

 まったく、この馬鹿が迷惑をかけてるみたいで申し訳ないわ。コボルドにシチューの具材になりそうなところを助けてもらったり危なそうな依頼でヘルプに頼ったり。

 分不相応な仕事に首突っ込むなんて無鉄砲なところは全然治ってないんだから」


呆れたような口調ではあるが、その中にはケイジに対する信頼が感じられた。なにより長年の付き合いによるものか呼吸が非常に合っている。彼らならいいチームになりそうだ。


「その点については気にしなくていいよ。結果的に俺も随分と稼がせてもらったしね」


社交辞令ではなくこれは本心からの言葉である。

確かに危険は大きかったが、それぞれ本来の依頼で得るよりも遥かに大きい報酬などを得ているのだ。ハザラックやタラシュク氏族との接点を得れたのは悪いことではないし、俺としても助かっている。

先日のエンダックからの報酬で無事レベルを上げることも出来、術者としての能力も取り戻せたため次の予定に取り掛かることが出来るのは非常にありがたいことだ。


「そういや先日受けてた仕事はどうなったんだ? 家を買うとか言ってたけど」


家を買うとなると普通の物件で金貨2,3千枚くらいが相場だが、冒険者が拠点とする質のものを求めればもう1ランク高いものが欲しいところだ。

幸い巨人族の遺跡部分に立派な石材が使われているため建材には問題ないが、それ以外にも立地や構造で堅牢さを求めなければ折角貯めこんだ財産を泥棒に入られて涙目になりかねない。

冒険者というのはその稼ぎが一般人とはかけ離れているため、狙われやすいのだ。俺の家はその点を魔法によるセキュリティなどで固めているが無論それらは絶対ではない。

住み込んでいるカルノ達にもその危険性を説明し、侵入者が来た場合は早急に避難するように言い含めてある……とはいっても門番をしてくれているシャウラの知覚能力を誤魔化して侵入する、あるいは彼女に勝てるほどの戦闘能力の持ち主が相手となると気休めにしかならないだろうが。


「ああ、仕事自体はそうたいしたものじゃなかった。地下の暗がりで思い上がってたトログロダイトを懲らしめるだけの話だったしな──最初の二つまでは」


どうやら彼らは俺の思ったとおりのクエストに臨んでいたようだ。「サンクン・ソウアー」「ミッシング・イン・アクション」いずれも駆け出しの冒険者向けの依頼だ。今の彼らなら容易にこなすことが出来ただろう。問題は残りの一件だ。


「何よ、引っ張るわねぇ……ちゃんと依頼は完遂したし報酬も貰えたんだから良かったじゃない」


「そりゃ後ろを歩いてるお前は良かったかもしれないけどさ、先頭で警戒してる俺の身にもなってくれよ……

 魔術士の実験場だか知らねぇが、家の地下で毒や火炎を撒き散らすなんてあのハーフリングは何考えてやがるんだ!

 おまけに忌々しい"錆食い"まで飼ってやがった。アロイがアイツの注意を引いてくれなきゃ俺の得物が鉄屑になってたかと思うとぞっとしねぇぜ」


「あら、依頼人の話を聞いてなかったのね。あの実験場の地下室は持ち主も知らなかった遺跡に繋がっていたらしいわよ。助手の死体が天井からぶら下がっていた辺りから先はこの都市の先住文明の名残だったんでしょう。

 たぶんあのラストモンスターやガーゴイル、トロルの司祭はその遺跡に元々住んでいたんだと思うわ。

 まああんな危険な蜘蛛や蠍が繁殖しきる前に掃除できたんだし良かったじゃない。ご近所というには少し離れているけれど同じ区画なんだし、家の地下からあんなのが溢れてきたら困るでしょう?」


どうやら彼らは「レッドファング・ジ・アンルールド」のクエストを最後に選んでいたようだ。魔術士の実験体だった蜘蛛が地下に逃げたのでそれを退治する、という話なのだが結構罠や敵のバリエーションが豊かなクエストだった。

トラップを警戒ながら進むのは精神力を削られるし、奇襲の警戒も同時に行わなければならないというのは相当な負担だろう。ダンジョンハックとしては当然ではあるが、それを当たり前のようにこなせる冒険者は一流と言われる一握りの存在だけだ。


「そうか、良かったぜ。あんなのが一般的な魔術士の家だっていうのなら同居を考えなおそうと思ってたんだ……。

 でもこの街なら足元を掘り返したら大抵あんな地下迷宮にぶち当たるんじゃないのか? やっぱ宿暮らしが気楽で一番だと思うんだが」


ケイジの言うことは大袈裟ではあるが、決して間違いではない。この街自体は遺跡の上に乗っかっているのだから、足元には必ず地下構造物が眠っているのだ。その全てが危険なものだとは限らないが、何かを掘り当てた場合は普通の人間の手に負えないものであることが多いのだ。

このためこの街では冒険者の需要が常に絶えない。大陸のジャングルを冒険するのではなく、ストームリーチの地下を専門とする探索者も多いのだ。大量の冒険者がコーヴェア大陸から訪れるのに街自体の人口は一定を保っている。

それはこの街が抱える暗闇に足を踏み入れてもどってこれない者が非常に多いからだ。むしろ命を奪われずにコーヴェアへ逃げ帰ることが出来れば運がいいほうだろう。


「ま、そう言うなよ。身一つで生計立てれる前衛と違って術者は色々と持ち運びの利かない物を必要とすることもあるし、巻物なんかを作成するのも宿屋じゃ気を使うしな。

 自分用の工房があれば魔法のアイテムの作成や秘術の研究も捗るだろうし、自分たちの家だったら内装とかも好きに拘れるだろう。高くはあるけど価値のある買い物だと思うぜ」


インクとペン、後は若干の秘術構成要素だけで作成できる巻物ならともかく、ワンドやポーションを作成するのは流石に宿屋では不可能だ。さらに魔法の武器防具を作成・強化しようとすれば鍛冶屋と同等の設備が必要になる。

なんらかの組織に所属していればそういった設備を貸してもらうことも出来るが、ドラゴンマーク氏族でもない一般の冒険者は自前でそういったものを用意するしか無い。その手の技術を修めたものであれば、市販品の半分程度のコストでアイテムを入手できるのだ。

勿論作成の手間と時間こそかかるものの、ランクによって加速度的に上昇していく魔法の品の価値を考えれば損な投資ではないはずだ。

俺のこの家は二階部分の一部にそういった製作や実験を行うための工房を設けてある。俺も時折使用しているが、専らメイが利用することになっているのは術者の技術力という点から見て仕方のないところである。


「確かに、この家は色々と手がかかってそうだもんなあ。俺としてはとりあえずこの気温と清潔な空気を維持してくれる仕掛けは是非とも欲しいところだな。最近はここの気候にも慣れてきたけど、それでも昼間は暑くて仕方がない」


部屋の中を見回しながらケイジは羨ましそうに呟いた。敷地全体を覆っているのは"チャンバー・オヴ・コンフォート"と呼ばれる魔法の道具の効果だ。気温を快適に保つ以外にも新鮮な空気を循環させる働きを持ち、扉や窓を占めていても柔らかな風が流れているような感覚を与えてくれる。

その上煙などは天井に届く直前にどこかへと排出されるという、超高性能な空気清浄機としての機能を持つ品だ。


「あのね、言っておきますけどそれ物凄く高いわよ。どうしてもっていうのなら貴方の得物を一本質に入れることになるけれど──」


「うわ、マジか? 家より高いんじゃねーのかそれは。流石に今それだけの額は出せねーな……」


アンの冷徹な視線がケイジを射ると彼は慌てて発言を取消した。ケイジの武器がそれぞれ金貨8千枚ほど、この"チャンバー・オヴ・コンフォート"も大体そのくらいの値段だ。

彼はハザラックから得た宝石による収入で通常の冒険者を遥かに上回る財産を築いているが、その大半は武器につぎ込まれている。主武器を二つ必要とする二刀流戦士の辛いところではあるが、その中でも彼は些か武器に過剰に投資する傾向にあるようだ。


「ま、私たちがそんな贅沢できるようになるのは当分先ね。今そんなのを作ったらそれだけで素寒貧になっちゃうし。せいぜい身奇麗に保つための《プレスティディジテイション/奇術》くらいかしらね、今出来るのは。

 でもそのうちこの家に負けないくらいの立派な屋敷にしてみせるわ。そのためにもガンガン働くのよ!」


アンデール人特有の競争心に火が付いたのか、最初は萎縮していたことが信じられないような勢いで彼女はそう宣言した。そして再び口を開くと怒涛の勢いで捲し立ててきた。

どうやら玄関を潜った時から気になっていたらしく内装や家具を手がけた職人について、さらにはどうやってそんな大金を用意したのか等矢継ぎ早に質問をしてきたのだ。

支障のない範囲で返答するものの流石に疲れた俺は、アンはケイジから聞いたのか風呂に興味が有るようだったので案内の少女をつけて大浴場へと送り出した。アロイも彼女に従って退出している。
 
 
「……なんというか、勢いのある女性だねぇ」


「ハハ、付きあわせちまって悪いな。昔っからあんな感じなんだ、あの性格の上に要領もいいもんだから民兵隊でも負け知らずで天狗になっちまってな。

 アカデミーに通ってマシになるかと思ったんだが、どうも全然変わってないみたいだなぁ……」


応接間に残された俺はケイジと二人で向い合って苦笑を交わした。テーブルの上に置かれたハンドベルを鳴らすと、給仕を勤めてくれている少女が入ってきて飲み物の入ったボトルを新しいものへと交換してくれる。


「ま、それでもケイジを心配してこんなところまで追いかけてきてくれるなんて愛されてるじゃないか。色男だねぇ」


グラスにお代わりを注ぎ、一緒に運ばれてきた焼き菓子を摘みながら雑談に興じる。先日の胡桃を砕いたものと卵黄を混ぜて焼いたクッキーらしく、程々に加えられた砂糖がサクサク感と相まって中々良い出来上がりのようだ。


「バカ言え、トーリにゃ負けるよ。いろんなタイプの綺麗どころを集めた上に皆が信じられないほど腕も立つときたもんだ。

 どんな魔法を使ったのか教えて欲しいもんだよ、そんな呪文があると知ってれば俺ももうちょいと真面目に机に向かって勉強してただろうに」


軽口を叩きながらケイジもクッキーを口に放り込んでいる。彼の出身地であるアンデールは秘術の研究が盛んな国で、アルカニックスと呼ばれる浮遊塔には秘術評議会という組織があり大陸でも最先端の技術を有しているとの評判だ。

最終戦争では呪文発動能力と白兵能力を組み合わせた軽騎兵隊を組織して活躍させており、彼らはアンデールの最精鋭部隊として各国に恐れられていたという。彼はどうやら結構良い家柄の出身のようだし、秘術の基礎を学んだ機会があったのだろう。


「何、今から学び始めても遅いってことはないだろう。そんな呪文は知らないが秘術が使えるといろいろと便利ではあるし、心得があるならそれに越したことはない。

 とはいえケイジのスタイルだと武器を持ったまま動作要素を満たす必要があるから特殊な訓練が必要になるだろうし、一朝一夕にはいかないだろうな。

 その辺については彼女が専門家だろうし、今後の戦い方を考えるためにも相談してみたほうがいい」


現状ケイジは二刀流の使い手として完成を迎えつつあるので、確かにここからの成長は悩ましいところだろう。さらなる剣技を追い求めるのか、魔法を学んで戦術の幅を広めるのか、あるいは頑強さを求めて身体を鍛えるのか。

いずれにも長所短所はあるが、今の彼には今後長い間チームを組むだろう仲間がいるのだ。お互いの役割を考えながらじっくりと答えを出せば良い。そんな事を思いながら俺はケイジと暫く雑談に興じた。


「やっぱ電撃には浪漫があるじゃねーか。それをあいつは『火か酸じゃなきゃトロル相手に困るじゃない。馬鹿なの?』とか言いやがるんだ!

 あんな連中寸刻みにしてから松明で炙るなりそこらの川に流して窒息させりゃいいんだよ。

 火は銀炎の連中をイメージしちまうし、酸は地味だろ? 冷気は渋いけどどっちかというと脇役だ。やっぱヒーローは電撃だろ!」


どうもケイジは武器に付与する魔法の効果の中では電撃に強い思い入れがあるらしい。確かに火や冷気ほど抵抗を持たれていることは多く無い気がするし、汎用性は高い。その分相手の弱点であることも少ないが、その辺りは好みの問題だろう。

自分の場合は特にこれといってこだわりがある訳ではないが他の能力との兼ね合わせで火や酸になることが多く、氷はファイアーエレメンタル等を相手にする時くらいしか用いない。

電撃といえば最強の打撃力を誇る"ライトニング・ストライク"があるが発動率が2~3%しか無いため、頼みにするよりは他の武器で斬り倒したほうが早いという実情だ。


「いやーあの地下空洞でトーリの放った魔法には痺れたね。俺もいつかはあんな武器を手にしてみたいもんだ!」


コボルドに連れ去られたウルーラク達を追った地下の探索で、ブラック・プティングを焼き払った《チェイン・ライトニング》の呪文はケイジに強烈な印象を与えているようだ。そういえばあの時ケイジはやけに興奮していたような気がする。

"ライトニング・ストライク"が付与されている武器に付属効果としてこの魔法を一日に何度か放つパワーが備わっているのだが、この能力のほうが現状使い勝手が良いのは確かである。

流石にゲーム内でもクエストレベルの高いレイドを何十回と繰り返して作成したアイテムをプレゼントすることは出来ないが、手ぶらで帰すのも悪いと思いクッキーの詰め合わせをプレゼントすることにした。

そんな感じで他愛のない話を30分ほどもしていただろうか。ようやくアン達がこの部屋へと戻ってきた。


「お待たせ! 堪能させてもらったわ。熱いお湯に肩まで浸かるっていうのは初めての体験だったけれど、面白いわね。

 それにあのお湯の温度が調節できる魔法具も興味深いわ。低位とはいえ火の精霊を呪縛してる所からしてズィラーゴの技術なのかしら?」


まさに湯上りといった風情で現れた彼女は随分と上機嫌のようだ。やはり風呂は珍しいようだが、家の各所に用いられている秘術技師の作品にも気が向いているようだ。

彼女が口にしたズィラーゴとは、ノームという小型の人型生物が住む国の名前だ。彼らは生来秘術に長けており、昔ゼンドリックに来た先祖がこの土地に住むドラウの一族から精霊呪縛の技術を盗んで我がものとしたという。

"エレメンタル・バインダー"と呼ばれるその専門技術は彼らの秘伝であり門外不出とされている。ソウジャーン号や飛空艇などに用いられているのがそれであり、高速艇の作成には彼らの協力が欠かせない。


「詳しい由来は聞いてないけど多分そうだろうね。あの大浴場は結構頑張ってデザインしたからな、堪能してくれたようで何よりだ。

 気に入ったのならまた使いに来てくれても構わないよ」


実際、冒険者にとって入浴というのは大きな問題なのだ。冒険者の戦闘力は自身の実力もさることながら一般人からしてみれば非常識なほどまでに高価な装備の数々によって支えられている。

剣や鎧は言うまでもなく指輪やネックレス、ベルトといった装身具までもが魔法の込められた品であることは珍しくない。入浴中はそういった装備を外しているため、睡眠中に並んで大幅に戦闘力が落ちている危険な時間になるのだ。

そういうわけで公衆浴場を利用するのは難しいし、自宅にそういった設備を備えるのは手間も金も掛かる。結果シャワーを浴びるだけで済ませることになり、生来の風呂好きサウナ好きには耐えられない事かもしれない。

シャーンで利用した高級ホテルにはそういった設備があったが一泊で金貨を10枚単位で消費するというのは普通の経済感覚ではあり得ない上、このストームリーチにはそんな宿泊施設は存在しない。


「俺も何回か使わせてもらったけど、サウナや風呂はやっぱ週に一度は入らないと駄目だな。シャワー浴びるだけじゃ体の芯から疲れが抜けてくれねーわ」


ケイジは今言ったとおり大体週に一度のペースで我が家を訪れている。無論タダ風呂を楽しんでいるだけではなく、市場でちょっとした手土産を買ってきた上で前衛志望の子供たちに戦闘のコツを教えたりしている。

双頭武器と二刀流という違いはありこそすれエレミアに近い戦闘スタイルのケイジだが、彼が今までハンターとして相対してきた魔獣などの豊富なクリーチャーとの戦闘経験は他のメンバーにはない要素だ。

大抵は昼頃から子供の相手をし、夕方風呂に入って食事をして帰る、というパターンだ。色々なところに顔を出しているらしいケイジはそれなりに事情通であり、冒険に関する情報を交換する機会にもなっていた。

そしてこの日を境にアンとアロイがそこに加わることになる。主にストームリーチの街中を舞台にした彼らの冒険譚は身近に感じられるのか、子供たちに大人気となるのだった。



[12354] 4-7.アーバン・ライフ5
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/03/13 19:43
ゼンドリック漂流記

4-7.アーバン・ライフ5












部屋の中で車座になった俺達は目を閉じながら手を繋ぎ、瞑想を行っていた。五感からもたらされる情報を遮断し、自分の内面へと意識を集中させる。

そうやって精神を『夢の領域ダル・クォール』へと投射することなく休息を取ることが可能になる。慣れない間は実際に眠ってしまうことも多かったが、この瞑想を行い始めて二週間近くともなるとようやくコツらしきものが掴めてきた。

両隣にいるフィアとルーが俺と手を繋いでおり、彼女たちから俺へと瞑想の波長とでもいうべきものが伝わってくるのを感じる。意識のさざ波をそれに合わせることで深い瞑想を行うことが可能になるのだ。

今おこなっているこれはエルフ族が睡眠の代わりに行っている"トランス"と呼ばれるものだ。かの種族は眠らない代わりにこの瞑想を行うことによって休息を取る。本来であればエルフの血を引いていなければ不可能なその瞑想だが、訓練によって人間などの他種族でも可能になるのだ。

この瞑想の優れた点はまず休息の時間が睡眠の半分で済むことが挙げられる。チームの大部分がこのトランスを行えるのであれば、野営などの際に何回かの短い交代勤務ではなく二交代で十分な見張りを立てながら休息を取れる。

そしてもう一つの利点は"夢を見ないこと"だ。実際には瞑想の中で幻覚を見ているのだが、これは精神的修行の一種であり自身の内面と向きあってのものだ。このエベロンでは睡眠すると精神は遥か彼方の別次元界『ダル・クォール』へと投射され、そこでの体験が夢となって認識される。

その次元界の住人や秘術の一種には"夢"を利用した攻撃を行ってくるものがあるが、このトランスを行なっていればそういった攻撃を受けずに済む。どんなに強力な力を持っていても休息なしでは戦い抜けないし、睡眠時は無防備だ。

ゲーム中では出番がなかったものの小説では語られていたように今このエベロンにとって『夢の領域』からの侵略は実際に行われていることであり、その長い手はこの大陸にも伸ばされている。

むしろストームリーチが出来る一世紀以上も昔から、リードラというサーロナ大陸の国家はこのゼンドリックに都市を建設しているのだ。

"インスパイアド"と呼ばれる、夢の領域の住人に寄生された存在が支配するこの国家は紛れもなくこの世界にとっての侵略者である。

いずれ敵対するかもしれない彼らに対する備えとしても、このトランス法を学ぶことは重要だろう。野営の問題は高位の秘術呪文でカバー出来るかもしれないが、夢の中には俺が頼りとする強力な魔法のアイテム達は持ち込めないのだから……




4時間が経過し、意識が浮上してくると俺はトランスが終了したことを悟った。長時間坐禅を組んでいたために少々体が強張っている感じがするが、疲労はないしすっきりとした目覚めである。8時間の睡眠に相当するというのは確かなようだ。

瞑想と言ってもエルフ達も普段はベッドで横になってこの行為を行っているのだが、俺という初心者が横になっているとつい眠ってしまうためこのような姿勢での訓練となっていたのだ。だが今回でコツを掴めた。次からは横になった状態でも問題なくトランス状態に入れるはずだ。

とはいえ自力ではなくエルフ族の誰かに触れてトランス波とでもいうものを受け取らなければ無理なのだが、こればっかりは種族の特性とでも言うべきものなので仕方がない。幸いエレミアにフィア、ルーは純粋なエルフあるいはドラウ族だし、メイもハーフエルフだ。

今は皆が休息を取る時間をずらして活動しているため、どの時間帯であっても誰かはこの方法で休んでいる事になる。そこに混ざれば短時間での休息を取れるだろう。

立ち上がって体をほぐすように伸びをしていると、他の皆も動き始めた。俺の正面に座って訓練に参加していたラピスも上体を伏せさせると猫のような姿で背筋を伸ばしていた。その姿に思わず尻尾を幻視してしまうのはまだ完全に意識が覚醒していないためか。

俺が首を振って意識をはっきりさせている間にラピスは体の各部を動かして自分の状態を確認し始めた。


「ふう、ようやくモノに出来たね。結構な時間が掛かったけど確かにそれだけの価値はあったみたい。

体の方は万全だね。いつもの半分の時間しか休んでいないってのが信じられないくらいだよ」


腕を伸ばしたりするだけでなく、体操選手かと思えるような柔軟運動を終えて満足そうにしているラピスだがそんな彼女に向けてルーがその口を開いた。


「確かに体は十分に休められるけれども、秘術使いが呪文を準備するには精神を休める必要がある。そのためにはやはり後4時間の休息が必要」


神あるいは何らかの大きな力から授かるとされる信仰呪文と異なり、秘術呪文は自分の精神に回路図を焼き付けてそこに魔力を通すことで効果を発する能力である。その回路は使いきりである上、一度使われた分の容量は十分な休息を取らないと再使用できない。それに必要な時間が8時間なのだ。

エルフの瞑想を用いてもその時間を縮めることは出来ないとはいえ、睡眠という無防備状態である時間を半分にできるというのは十分なメリットだろう。

俺がちょっと前に使用した魔法の毛布のように1時間で肉体を休息させる魔法のアイテムはそういった意味で強力ではあるが、その恩恵に与れるのは二日に一度だけという欠点もある。採れる手段を増やしておくという意味でもこのトレーニングは重要だろう。

そのまま自室に戻って休息の続きをすると言ってラピスは立ち去り、部屋には俺とドラウの少女たちが残された。夕食後から瞑想を行っていたため既に夜と言っていい時間になっており、空には大きな月と星々が煌めいていた。

空の星はかつて引き裂かれたシベイの鱗だと言われており、イオ、クロネプシス、そしてバハムートやティアマト。他にも別のD&D世界では実体を持つ竜の神々がこのエベロンでは星座として夜の空を彩っている。


「南天の五星から放たれた青き流れ星が北の大陸へと墜ちた。地上に墜ちた星は大きな穴を開けたが間もなく鋼によって打ち砕かれ、また穴も塞がれた。

 北天に座す白金の光は翳らず、万色の竜は未だ五悲の縛を破れず地底で鎌首をもたげるのみ」



星座を眺めながら思いを馳せていた俺の思考が伝わったのか、ルーが詠うように言霊を放った。どうやら今のはシャーンで聞いた『赤い手は滅びのしるし』に関する預言のようだ。南の空を仰ぐと、極からは少し離れた場所に目的の星座を見つけることが出来た。

それらは赤、青、白、緑の光を放っている。視認することは出来ないが黒色の光を放つ星が中央にあるとされており、その五星を持ってティアマト──カイバーの愛娘の名を持って呼ばれる星座だ。南十字星に近いといえば解るだろうか。

対して今は見えないが北斗七星の位置にはプラチナムドラゴンであるバハムートの名を持つ星座がある。デーモンの時代にコアトルの犠牲によりアルゴネッセン大陸の地下深くへと押し込められたティアマトだが、ひょっとしたらそこには肉体が縛られているだけで神力は剥ぎ取られ天へと封じられたのかもしれない。

俺が知るシナリオの結末と今のルーの言葉からはそんな推測が成される。太古にドラゴンと戦った悪の上帝達は不死不滅であったと言われており、神に近い能力を有していたとしてもおかしくない。その中でも最強の一角たるティアマトであれば多少の"神格レベル"を持っていても不思議な話ではないだろう。

そんな悪竜の神であるティアマトの神性を、善竜の神であるバハムートが天球でも正対する位置にあって封じているというのは中々に浪漫のある考えではないだろうか。


「件の流れ星が空を駆けたのはトーリが双頭の獅子と戦っていた時であろう。二週間ほど前、ルーが啓示を受けて先程の言葉を授かったのだ」


ニューサイアリの街を襲ったホブゴブリンの軍勢は二日間の激戦の後に退けられたと聞いている。一時はサイアリ王朝最後の生き残りであるオルゲヴ王子が敵の暗殺者に狙撃され昏睡状態に陥るなど市街の過半を制圧される状況までいったらしいのだが、市街中央部の戦闘で『赤い手』の指揮官が冒険者によって討たれたことで形勢が逆転したらしい。

この辺りの情報はストームリーチでも活動している"タイランツ"のメンバーから得たものだ。速報的なものではあるが、大まかな状況についてはそれにより把握できている。数日もすれば情報を整理した資料が届けられるとのことで、今はそれを待っている状況だ。

他にも沈没船をサルベージするための船は出航準備を整えてコルソスに向かうまであと僅かである等といった近況報告も受け取っている。

俺も近いうちにその手助けをすべくコルソスに行くことになるだろう。


「ありがとうな。またそのうち数日留守にすることがあるだろうから、その間に何かあったら教えてくれ」


コーヴェア大陸ではなくコルソス村までであれば通常の《テレポート》でも転移は可能だが、転移事故の可能性が3%程度は残ることを考えると日帰り旅行を繰り返すというのは現実的ではない。目的の船を引き当てるまでは暫くシグモンドの宿にお世話になるつもりだ。


「貴方の宿星は周りを優しい光を放つ星々に包まれていて、中天に浮かぶ"創造の月"は暗い影を追い払っている」


再びルーがその青く輝く眼を半ばまで伏せたまま言の葉を詠い上げた。それが俺に与える印象は暖かなもので、不吉な影は見当たらない。少なくとも4月──”創造のドラゴン・マーク”を司る月が最もこのエベロンに近付いている間は穏やかに過ごせそうだ。


「なるほど、幸先よさそうだな。もし良かったら二人も一緒に行くか?」


コーヴェアの大都市と違ってコルソスなら村人は大抵顔見知りになっているし、気のいい連中だからドラウだからといって妙な印象を持たれることはないだろう。シャーンに逗留していた間は留守番を任せていたし、今度はこの二人を連れていってもいいかもしれない。

だがそんな俺の提案にルーは首をふるふると横に振って応えた。


「まだやることがあるのでここを離れるわけには行かない」


そういえばルーはまだこの屋敷の各所にルーンを書き込む作業を続けている。その規模からすると相当強力な防御術の陣だと思われ、その儀式がまだ終わらないということなのだろう。


「それに星の詠み方を習い始めたばかりの子供たちを途中で放り出すわけにもいかないからな。

 また土産話を聞かせてくれれば十分だ。楽しみにしているぞ!」


フィアのその言葉に被せるように部屋の扉がノックされ、数人の子供たちが部屋へと入ってきた。どうやら今夜の授業が始まるようだ。

授業内容に興味があった俺は部屋の隅の方へと移動し、彼らの学んでいる姿を眺めながら暫くの時間を過ごすのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




数日後。俺はロックスミス・スクエアの一角にある薄暗い酒場の個室で"タイランツ"の連絡員と向かい合っていた。闇に溶け込むような長い黒髪に美しく整った容貌。髪と同じ色の瞳が好奇心をあらわにこちらを覗き込んでいる。


「私たちの見分けがつくのって本当なのね。報告では知っていたけれど、実際にこうして会ってみるまでは信じられなかったわ」


目の前の彼女が纏っているのはネレイドの姿だ。彼女たちは固有の姿というものを持たず、仲間内でパーソナリティを共有してそれを衣服のように着替えている。おそらくは俺への窓口として選ばれたのがこのペルソナなのだろう。

秘術によって精神的にリンクしているメンバーの間で知識や仕草、癖といったものが共有され、むしろ彼らの纏うペルソナこそがチェンジリングという種族を媒体に世界中を移ろっているように思えるが実際はそうではない。

見た目だけを変化させても、その個人個人が持っている"クラスレベル"──固有能力は変わらない。秘術呪文使いはその脳に焼き付けられた呪文回路の発する魔法のオーラを、信仰呪文使いは信仰する神の属性に応じた気配を纏っているのだ。

それすら模倣する高位の使い手もいるのだろうが、目の前の彼女はそうではないようだ。それに人外の域まで磨き上げられた感覚が目の前にいる人物がかつて肌を合わせた相手とは異なると訴えている。ルール的には彼女の〈変装〉技能を俺の〈視認〉が上回った、ということになるのだろう。


「ま、この街なら他にも目端の効く奴がいるだろうね。俺だけってわけじゃないだろうさ」


送られてくる秋波を受け流しながら報告書を受け取る。羊皮紙に《イリューソリティ・スクリプト/幻の文》で刻まれた文章は相変わらず要領よく纏められており、こちらの知りたい情報を十分に伝えてくれる。

そこには『赤い手』を名乗ったホブゴブリンの武装集団がどのような経緯で集結し、辺境の一都市を襲撃するに至ったのか等について非常に細かに記述されていた。大まかな部分では俺の想定の範囲内に収まっており、特に問題はない。

だがその中でも特に俺が確認しておきたかった情報がある。それはこの世界でも『アスペクト』と呼ばれる化身体、分霊とでもいうべき存在が発生しうる──つまり神でなくともそれに匹敵するクリーチャーは存在するということと、それを打倒した者たちについてだ。

前者は言うまでもなくルーの言葉にあった蒼き流れ星──シベイの欠片と呼ばれる天の星々から墜ちたそれが実体となったティアマトの化身だ。報告書によると五つ首を持った超大型の竜が現れたが、冒険者によって倒されたとのこと。

儀式が半ばで止められたためか、不完全な力しか持たない化身体であればそんなものだろう。シナリオ通りのデータであれば先日戦った"ツイン・ファング"の方が脅威度は高かったはずだ。

もし万全の状態で神格が降臨していれば今頃コーヴェア大陸自体が焼け野原になっていただろうと思えば、この冒険者たちは見事な働きをしたことになる。

そしてその5人の冒険者についても詳細な記述がある。ひょっとしたら彼らが俺と同じ境遇の存在なのではないかと思っていたのだが、この報告を見る限りではその可能性は低そうだ。彼らにはしっかりと過去の経歴があり、俺のように突然世界に放り出されたわけではないようだ。

"モーンランド"に踏み入った際には白炉廠と呼ばれる建築内での戦いで仲間の一人を敵クリーチャーに飲み込まれて失うなど、厳しい戦闘では犠牲を出しておりチートしているようにも見えない。

『サイアリの騎士』の称号を得た彼らの新たな目標が故国の復興であり、コーヴェア人の特徴であるナショナリズムがその行動の節々に見える点からしても彼らが俺の同郷者でないことが窺える。まだはっきりしたわけではないが予想通りの情報に安心が半分、そして寂しさが残り半分といったところだろうか。

そんな曖昧な気分のままぺらり、と報告書をめくり最後の一枚を見るとそこにはサルベージ計画の進捗状況が記されていた。既に人員を乗せた船がシャーンを出航しており、数日でコルソスに到着して作業を開始できるとのことだ。

事前に打ち合わせていた内容の他、こちらに協力を要望する件がいくつか記載されている。同じくサルベージを目的とするトレジャーハンター達も随分といるようだが、そこは心配無用とのこと。政治的な根回しなどで先手をとっており一週間程度は独占的に作業ができるらしい。

その間に目的の船のサルベージを完了する必要があるということだが、事前に十分な情報収集をしてくれているようなので余裕だろう。

その後連絡員の女性にいくつかの伝言を頼んで俺は一足先に店を出た。数日後にはコルソスに向かわなければならないとなればいくつかの準備が必要だ。俺は目的の品を求めて中央市場へと足を向けるのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「なんだ、それじゃトーリは暫く留守にするのか」


週に一度のケイジ達を招いての食事の席で予定を話すと、ケイジが残念そうに口を開いた。


「ちょっと仕事が入っててね。一週間位は留守にすることになるだろう」


食堂にはやや似つかわしくない竪琴の弦を弾きながら答える。俺が抱えているのはこの建物を創造したときに使用した『ライア・オヴ・ビルディング/建造物の竪琴』だ。食後に1,2時間、この竪琴を奏でながら過ごすのが最近の習慣になってきている。

本来であればこの竪琴の《建築》の力は一度使うと一週間かけて力を蓄えさせないと再使用できないのだが、そこは財力にモノを言わせて7つ揃えればいいだけの話だ。この魔法のアイテムの力で創りだされた地下の倉庫には、予備も含めて大量の竪琴が鎮座している。

ブレスレットのアイテムスロットにはこの手の消耗品ではない道具はスタックしないようで、1個で1スロットを占有するために流石に持ちきれなくなったのだ。他にも比較的ではあるが失っても影響の少ないアイテム類、特に嵩張る鎧や盾の類は地下の出入口すら無い密閉空間に念入りに占術対策を行った上で保管している。

特定の区画以外は瞬間移動や次元界移動すら拒絶する結界で覆われており、俺以外はこの建物を物理的に排除して掘り返さない限り到達不能……だといいなぁ、と思っている。今の俺の実力で出来るだけのことをしたつもりだが、どれだけ用心しても絶対という事は有り得ないというのがこの世界の恐ろしいところだ。

まあ本当にレアなアイテムについてはブレスレットに入れっぱなしなので万が一ということがあっても許容できる範囲内ではあるはずだが。


「まあそれなら仕方ねーな。今度また例のオークのところに行くことになってよ、良かったら一緒にと思ったんだけどな」


あの依頼以降、ケイジは時折エンダックと会っているらしい。報酬を工房から受け取った礼に行ったり一緒に酒を飲んだりしているとのことだが、その時に再びセルリアン・ヒルでの仕事を受けないかと持ちかけられたようだ。


「この間の討伐で大筋は纏まったみたいなんだが、近くの部族の中にはやっぱり街と手を結ぶ事が気に入らないって連中がいるらしくてな。

 丘を抜けて前線へ向かう補給部隊や行商人、あとは探索者とかを派手に襲ってるって話だ。オークだけじゃなくてバグベアなんかも混じってるって噂だぜ」


ケイジの言葉を受けて脳内のクエスト知識を探ってみるが、これといって目ぼしい情報はヒットしない。そもそも野外エリアにはマップの特定箇所を踏破するエクスプローラー、ランダムでPOPするネームド敵を倒すレア・エンカウンター、そして敵の殺害数で達成するスレイヤーという三種類のイベントしか無いのだ。

先日の討伐はこのうち幾つかのエクスプローラーとレア・エンカウンターを組み合わせた展開になっていたのだが、今回のケイジの話はそのパターンには該当しなさそうである。まあゲーム内のクエスト以外の仕事があって当然ではあるので、気にするほどのことはないだろう。


「悪いね、今回はパスだな。まあウルーラクとゲドラ、それにエンダックがいるならもう6人だ。流石にそれ以上の人数がいても大所帯に過ぎるだろう。

 あまり人数が増えすぎても連携が難しくなるだけだしな、今回は俺抜きで頑張ってくれ」


平均的な人間とは隔絶した能力を持つ高レベル冒険者はそれぞれが個性的な能力を持っている。ある程度の少人数であれば先日ラピスが言っていたようにお互いの呼吸を読んで合わせることが出来るが、人数が増えすぎるとそうはいかないのだ。

6人というのはその限界ギリギリの人数だろう。これ以上増えるようであればチームワークの訓練をある程度行うか、優秀な指揮官が統率しなければ却って個々の能力を損ないかねない。

ゲームでは12人までのレイド・パーティーでクエストを行ったことが何度もあるが、各自が好き勝手に行動してもクリアできるのはクエスト内容をそれぞれが知り尽くしていた上にお互いのメンバーのことを理解していたおかげである。

仮に見ず知らずの冒険者12人を集めて適正レベルのクエストへ放り込んだとしたら、よほどリーダーが上手にやらない限りそのクエストは苦戦間違いないだろうし、下手をすれば失敗に終わるだろう。通称"野良パーティー"が高難度のクエストで忌避される理由だ。

特にパーティーの中で集団制圧能力を有する秘術使いの役割は重要だ。今回はアンとアロイが他の皆に馴染むことに専念すべきだろう。


「確かに数が多すぎてもエンダックの旦那を困らせることになるだけだな。他の皆には俺から言っとくわ」


「オークやバグベアなんて私の《火球/ファイアー・ボール》で吹き飛ばしてやるわ。

 討伐数に応じたボーナスも出るって話だし、やっぱり氏族の依頼は金払いが良くって素敵ね!」


落ち着いたケイジの様子と打って変わってアンはやる気十分のようだ。何やら街の地下での戦闘では崩落の危険があるため大規模な呪文の使用が出来なかったのでストレスが溜まっているらしい。

呪文の行使は脳を酷使するので疲労を伴うのだが、貯めこんだエネルギーを解放するという点もあるので時折その感覚にハマる術者もいるのだ。自分の実力以上の呪文行使を可能とする薬物がシャーンでは出まわっており、竜血と呼ばれるその品は高い中毒性もあることから禁制品に指定されている。

ドロアームの支配者であるハグたちのみがその製法を知るというこの危険な薬物を求め、ソーサラーやドラゴン・マーク氏族のメンバーがシャーンの下層エリアへと訪れているのは裏社会では有名な事だ。

俺はせめてアンがそのような"トリガー・ハッピー"な術者にならないことを天の星々に祈るのだった。



[12354] 4-8.アーバン・ライフ6
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/03/29 22:22
ゼンドリック漂流記

4-8.アーバン・ライフ6












淡い魔法光が視界を覆い、浮遊感が体を包む。滲む視界の風景は瞬く間に入れ替わり、見慣れた自宅の庭から林の中へと俺の体は移動していた。

《テレポート》の呪文による瞬間移動だ。転移先は懐かしいコルソス島、エレミアと初めて出会った林の中の広場。どうやら転移事故も起こらず無事に到着したようだ。

最初訪れた際は薄く雪化粧していた景色も今はすっかり元の熱気を取り戻しており、俺が試し斬りした樹の切り株には若い芽が顔を出している。村を覆う古い結界のためか、赤道付近だというのに感じる気温はやや蒸し暑さを感じる程度だ。まったく、ファンタジー万歳である。


「何ボサッとしてるのさ。こんなところで時間を潰してないで早く村へ向かうよ」


俺が久しぶりに見た島の風景に想いをはせていると今回の同行者、ラピスが急かしてきた。先に歩き出した彼女の後を慌てて追いかけようと身を翻した俺の視界に、島の反対側にそびえ立つ山が映る。雪冠を失った山肌は緑に覆われており、かつて"悲嘆の峰"と呼ばれたその面影を見て取ることは出来ない。

以前はあの降雪は封印に使用された古代装置が原因かと思っていたが、良く考えてみればそれは間違いだったことが解る。冷気が漏出して水温が下がったとしても、それで赤道直下に雪を降らせるような気候変動に繋がるわけがない。おそらくはオージルシークスが発動した《アイス・エイジ》というエピック呪文が原因だろう。

定命の存在では到底辿りつけない高度な呪文であるが他に原因も考えつかない。正気を失っていたとはいえ、よくそんな存在と戦って生き延びたものだと今更ながらに自分の幸運に感謝する。出来ればあんな危険なヤマには二度と遭遇しないでおきたいものだ。

ラピスの横に並んで歩きながらそんな事を考えているとやがて林を抜けて村の中へと辿り着いた。昼前ということで食事の準備でもしているのだろう、それぞれの家の煙突からは炊事の煙があがっている。

懐かしい道のりを一歩一歩確認するように踏みしめながら進み、目的地に着いた俺は二ヶ月ぶりに波頭亭のドアを開いた。


「ん、まだ昼飯には早いぞ──と、これまた珍しい奴が顔を出したな。久しぶりだなトーリ、それと嬢ちゃん。歓迎するぜ」


薄暗い店内のカウンター、その内側には変わらぬシグモンドの姿があった。奥に気配がするのはきっと料理をしている奥方と娘さんだろう。客の姿は見当たらない。

かつては島に閉じ込められた多くの人々で賑わっていただけにこうしてみると随分と寂れた感じを受けてしまう。


「ああ、久しぶりだなシグモンド。食事を頼んでも大丈夫かい?

 あと暫く滞在することになると思うから部屋を貸して欲しいんだが」


カウンターに近いテーブルを見繕って腰を下ろすと、暫くしてアイーダちゃんがちょっとしたツマミの入った小皿を運んできてくれた。


「いらっしゃいませ。ご飯はもうちょっとしたらできるからすこしだけまっててくださいね」


久しぶりに見た少女は成長期なのか、身長が何センチか伸びたように見える。なんだか微笑ましいものを見たような気がして、つい笑顔を浮かべて話しかけてしまう。


「久しぶり。元気にしてたかな?」


カルノ達も近い年頃ということもあり同じように成長しているのかもしれないが、毎日顔を合わせているとなかなか変化に気づけない。鉄骨と石壁の住宅なので背丈を測って柱に傷を入れたりすることは出来ないが、そのうち身体計測のようなものを定期的に行なってみても良いかもしれない。


「このあいだまではお客さんが沢山で忙しかったけど、みんな昨日には出て行っちゃったから今日からはちょっと寂しいかも。でも時間が出来たから久しぶりにお母さんにお仕事を教えてもらうんだよ」


彼女はそう言って嬉しそうに厨房へと向かっていった。おそらくは今も料理の練習中だったのかもしれない。彼女が運んできてくれた皿の乾き物を口に入れると濃厚な塩味が口中に広がった。どうやら魚の干物かそれに類する品のようだ。アルコールのお供には良さそうである。

前回滞在していたときには見なかったものだ。長期保存の効きそうなものだけに、消費を後回しにされていたのかもしれない。


「そういえばお前らはどうやって来たんだ? 定期便がくる日じゃないし船が到着したって知らせも無い。まさかまた難破してきたんじゃないだろうな?」


縁起でもない事を言ってきたシグモンドにとんでもないと言葉を返す。


「《テレポート》さ。オリエン氏族じゃなくても秘術で長距離を移動することができる便利な呪文だよ。いきなり現れたら騒ぎになるかもしれないと思って村はずれに転移してそこから歩いてきたんだ。

 さっきも言ったけどちょっとした用があってね。たぶん何日か泊めてもらうことになると思うんで、その間よろしく頼むよ」


この村に居たときは俺は秘術呪文をほとんどワンドに頼っていたし、ラピスも術者としての実力を見せていなかったため俺たち二人が呪文で瞬間移動してきたとは思わなかったのだろう。シグモンドは少し驚いたような顔で俺たちを見比べた。


「ほう、あの金髪の嬢ちゃんなら分かるがお前たちが《テレポート》とはな。実力か魔法の道具の効果かは知らねえが、どっちにしろストームリーチじゃ上手くやってるみたいだな。

 なんにせよ厄介ごとでないなら歓迎するぜ。勿論金を払ってくれる客なら尚更だ」


両手で合計3つのジョッキを彼は運んでくると俺とラピスに押し付け、残る一つを自分の手で掲げた。


「オラドラよ、再会の幸運を授けてくださった事に感謝!」


饗宴と幸運を司る女神への感謝の言葉に続いて鈍い音を立ててジョッキが打ち合わされ、口内にまだ残っていた塩味が流されていくと共に喉から爽快感が抜けていく。俺がこの世界に来て最初に飲んだ酒の味だ。生温いそれはけっして最高の味ではないが、同時に感じる懐かしさが胸を満たしてくれる。

実際には二ヶ月ちょっとしか経過していないはずだが、この島での戦いがもう随分昔のことのように感じられる。それだけストームリーチで過ごした日々が濃かったということなのだろう。


「しかしちょっとばかりタイミングが悪かったかもな。昨日までなら残党狩りをやってたセリマス達が残ってたんだが」


ジョッキの中身を一気に飲み干したシグモンドはそう言いながらカウンターの内側へと戻っていった。さすがに仕事中なので今の1杯だけで済ませるつもりのようで自分のジョッキにお替りを注ぐ様子は見られない。

しかしシグモンドには悪いがそういうことであれば逆に都合が良かったかもしれない。ソウジャーン号と入れ違いにやってきた船の中にはシルヴァーフレイム教会の応援部隊も含まれていたはずで、おそらく彼らはセリマスの指揮下に入っていたと思われる。

教会の戦士は熱狂的な信者であることが多く、融通が効かなかったり権威を笠に着て居丈高な連中もいると聞く。教会嫌いのラピスが彼らと仲良くやっていけるとは思えない。


「しかし随分と長い間残ってたんだな、もうとっくに片がついたんだと思ってたよ。ドラゴンも居なくなったしカルトの親玉も叩いたから後は烏合の衆だと思ってたんだが」


「お前さん方がドラゴンを追い払ってくれたおかげで村への圧力はすぐに消えたんだが、カルティストの連中は島の反対側の地下の結構深いところまで根を張ってたみたいでな。

 あとはサフアグンどもの祀る穢れの祭壇が海中にいくつもあるとかで苦労していたみたいだぜ。手強い奴はもういなかったらしいが海底の地下空洞を探索するのは崩落が怖くて仕方がないってジーツがボヤいてたな。

 タルブロンも錆つくのを嫌がってか難色を示していたな。連中に喝を入れて出掛けていくセリマスはいつも余計な苦労を掛けさせられるって顔だったぜ」


本当かどうかは解らないがジーツは恐水症だと言っていたし、ウォーフォージドであるタルブロンはその体の構成材に含まれる鉄が海水と相性が良くないのだろう。チュートリアルのクエストで海中に扉を開く鍵が落ちていて、拾いあげるために俺が泳いで取りに行く羽目になったのは懐かしい思い出だ。

あの時の俺はさっぱり戦闘の役には立たなかった以上、そのくらいしか手伝うことが出来なかったのでまあ仕方のない役回りではあったのだが。


「暫く滞在するってんならラースの所にも顔を出してやってくれ。どうも工房に篭もりっきりみたいでな、たまには村に戻ってくるように言っておいてくれ」


「カヤがたまに差し入れとかに行ってはいるのだけれど、根をつめすぎていないか心配なの。良ければ様子を見てきてくれないかしら」


食事を運んできてくれたイングリッド夫人も交えて談笑していると自然と話題はミザリー・ピークで一緒に戦ったメンバーの話となった。どうやらラースを巡っての女の戦いはこの夫妻の娘であるカヤが一歩リードしているようである。

とはいえウルザが出遅れているのは残党との戦いに出向いていたせいでもあるだろうし、これから彼女の巻き返しが始まるのではないだろうか。


「そうだな、ちょっと頼みたいこともあるし後で会いに行ってみますよ」


いくらか彼の秘術技師としての腕前を見込んで頼みたいことがあった俺は夫妻の申し出を二つ返事で引き受け、昼食を終えた。

客が誰もいないということで二階の好きな部屋を使っていいと言われたが特に荷物があるわけでもないので、まずはこの島にやってきた目的を果たすべく食事の支払いを済ませて"波頭亭"を出る。

その俺の横にはラピスがぴったりと付いてきている。先程の酒場でも相槌を打つ程度であまり会話に参加していなかったのだが、特に機嫌が悪いというわけでもないようだ。時折懐かしそうに周囲に視線をやっている。


「あー、ちょっと調べ物にいくだけだから宿で待っててくれても構わないぜ? 横で見てても退屈なだけだろうしな」


ヘイトン家の墓所を横目に歩きながら緩やかに傾斜した道を歩く。今はもう使われていない村の離れは手入れされていない家屋が立ち並んでおり人気が感じられない。多くの村人が先の事件で失われたことで、この辺りの区画は放棄されたのだろう。

だがリランダー氏族がこのコルソス島を航路の中継地として利用すべく力を注いでいるため、すぐにでも新たな入居者が訪れるだろう。航海のルートを定めることで安全性の確保以外にも密輸商人の摘発を行おうという目論見があるらしい。

ゲームではこのコルソス島が導入されるまでチュートリアルの舞台となっていたスマグラー・レストという島があるのだが、そちらはこの村とはうって変わって寂れてしまっているらしい。だが逆にその周囲を根城として海賊たちが集まっているらしく、リランダー氏族は彼らの相手をするのに忙しいようだ。

今回のサルベージは彼の氏族のそんな事情もあって成立した、いわば幸運の賜物である。この機会を逃す手はない。


「宿にいたってすることがある訳でもないしついていくよ。それとも、邪魔かい?」


下から覗き込むようにしながらこちらに問いかけてくる彼女に対し、無下な返事が出来るわけもない。本来であれば既に"タイランツ"の船が到着しているはずであり、ラピスはネレイドと積もる話もあるだろうと思っていたのだがアテが外れたようだ。

とはいえ特に彼女に秘密にするようなことをするわけではない。俺はラピスを連れたままとある廃屋に辿り着き、そこに嵌めこまれている木戸を取り外す。するとその先には光の届かぬ空洞が広がっていた。


「……洞穴? 風の響き方からして結構深いみたいだけど、こんなのがあったんだね。調べ物っていうのはこの先でするのかい?」


取り出した陽光棒の先端を岩の壁面に軽く叩きつけると芯材が明るい光を放った。20メートルほどまで先が薄い光で照らされるが、まだまだ奥へと続いているのが見えるだけだ。それもそのはず、これは浜辺で倒れていた俺がこの村へ辿り着くために通り抜けた洞穴なのだ。

ここを抜けることで断崖に遮られて地上からは辿りつけない隔離された浜辺へと行くことが出来る。かつてサフアグンの司祭によって邪な祭壇が設けられていたが、その気配はセリマスの浄化により完全に払われている。


「ああ、湿っぽいし面倒ではあるけれどね。危険は残ってないとは思うけど、足元が滑るだろうから気をつけてな」


彼女ほどの実力の持ち主に言うのは少々間抜けな気がする台詞ではあるが、念のため声をかけつつ薄く水の張った洞穴の中を進む。時折壁面に群生する苔が陽光棒の光を吸収して俺達が通り過ぎた後もほの暗い灯りとなって周囲を照らしているその光景はなかなかに幻想的だ。

靴が水を撥ねさせる音だけが響き渡る中、ゆらゆらと揺れる陽光棒の照明だけを頼りに先へと進む。不安定な光源と水面から反射される光と歪な壁面が様々な影模様を浮き上がらせており、見通しも決して良いとは言えない状況が続く。

セリマスとジーツ、そしてタルブロンと駆け抜けた時の出来事を逆回しに思い出しながら30分ほども歩いただろうか。洞穴を出るとそこはむせ返るような自然の臭いと熱気で満たされていた。村を保護する結界の外であるこの辺りは熱帯直下そのものの環境だ。

斜面の中腹、やや小高いところに出た俺達は浜辺へと歩いて行く。かつては寒さを凌ぐために焚き火をしていた場所にはその痕跡は既に無く、まったく別の景色のように見える。だが浜辺から見える座礁した船の姿や、流れ着いた木箱のコンテナが破片となって周囲に散乱している様子は俺がここに流れ着いた時から大して変わっていない。

いくつか木箱が減っているのは酒や生活物資などが満たされていたそれを村の若い衆が回収していったためだ。その酒で宴会をしていた連中がエレミアに酒の飲み比べを挑んで酔いつぶれたのが俺の初仕事の切掛だったのは懐かしい話だ。


「ここが目的地、それともあの辺で沈んでる船に用があるのかい?」


熱気を嫌ったのか《エンデュア・エレメンツ/寒暑に耐える》という第一階位の初級呪文で身を包みながらラピスは周囲を見渡している。俺はそれに答えず波打ち際ギリギリまで歩みを進めると座り込んだ。記憶の中の景色と周囲を照らし合わせ、自分の認識が間違っていないか確認していく。


「ここは俺がこの島に流れ着いた場所なんだ。この場所で倒れていた俺はジーツに発見されて保護してもらい、さっきの洞穴を抜けて村に辿り着いた……

 でも俺にはここで目を覚ますなんて状況に心当たりがなかった。船に乗っていたわけじゃなく、自室のベッドで横になっていたと思ったら次の瞬間には漂流者になってたって訳さ。

 それで何かその事についての手掛かりを見つけられないかと思って此処に来たんだ」


胡座をかいて水平線を眺めながら言葉を返す。あの時、この浜辺からは空から降る雪に紛れて遠くを飛ぶ白竜の姿を見ることも出来た。当時の情景を幻視するように今の視界に重ね、舞う雪の一欠片に至るまで当時の状況を記憶の中で再現させていく。


「でもそれって二ヶ月は前のことじゃないか。手掛かりとやらはとっくに波に攫われて海の底なんじゃない?」


俺の背中に柔らかな重みが乗せられた。ラピスが背中合わせに座り込んだようだ。彼女の言うことは尤もだ。今俺が座っている場所は潮の満ち引きによっては容易に海中に没するところだし、何らかの手掛かりがあったとしても既にそれは短くない期間の間に失われているだろう。

だが、それは俺も承知している。わざわざ今になって此処に来たのはあの時の自分では持ち得なかった手段を獲得したからであり、《フライ/飛翔》などの呪文に頼らず洞穴を抜けてきたのは当時の記憶を出来るだけ掘り起こそうとしたためだ。


「無論普通の手掛かりを探しに来たわけじゃない。秘術の力で過去を探りに来たのさ」


様々なバリエーションの探知呪文を展開した後、ブレスレットから"三つの願い"の指輪を取り出した俺は意識をその飾り台に嵌めこまれたルビーへと集中するとその秘められた力をコントロールして"ある呪文"の再現を願う。

《ハインドサイト/過去視》と呼ばれるそれは"呪文大辞典"と呼ばれるサプリメントによって追加された、占術領域の最高位階に属する呪文である。通常であれば《ウィッシュ》による力の再現はウィザードやソーサラーの使う呪文だとしても一つ低い位階の呪文までに限られ、故に最高位階の呪文の効果を模倣することは出来ない。

だがこの制限には抜け穴が存在する。この《ハインドサイト》はバードの呪文としても存在し、それは最高位階ではあるものの位階の数自体は六に留まっている。これはバードに呪文の位階が第六までしかないためなのだが、これによって《ウィッシュ》による呪文の再現が可能となるのだ。

願いを叶える指輪は俺の希望通りの結果を出し、嵌めこまれたルビーの一つが強烈な光を発すると同時に強力な占術のオーラが周囲に広がった。砕けた宝石の欠片はその色を失うと白い光の粒となって周囲を漂う。

俺は呪文への集中と並行し、自分の意識を望む時系列へとピントを合わせるために当時の状況を再び強く思う。周囲を満たす魔力は俺の意思に従って動きを変え、その流れに乗ってルビーの残滓が周囲を舞う。光の粒子はまるで雪のように地面に吸い寄せられては波と共にやってきた風に乗せられて舞い上がる。
 
それが俺の記憶の中の雪と完全に一致したとき、ついに俺の目の前には望む光景が浮かんでいた。幽霊じみた映像の数々が逆回しで現れては消える。体が冷えていた俺のために火を起こしてくれるタルブロン、木箱から適当な武器と酒を見繕ってくれるジーツといった当時の出来事が俺の記憶どおりに再現される。

そしてついに波打ち際で一人倒れている俺の姿が映る。その背には雪が積もっており、ここに現れてから暫く時間が経っていることが窺える。だが時が巻き戻るにつれてそれは徐々に薄くなっていき、やがて最後の雪の欠片が俺の背中から剥がれて天へと登っていく──ついに待ち望んだ瞬間だ。


「──────、────────────」


誰か、いや何かの声が聞こえたかと思うと視界が白く染め上げられる。ジーツやタルブロン、セリマスの声ではなくそれどころか今まで聞いたことのないような声だ。一体何が起こっているのか探るべく、さらに目に映る光景に集中し意識を没入させていく。

平衡感覚を失いそうなほど鮮烈に周囲を満たす光は魔法によるものだ。信仰か秘術か定かではないが、最も強く感じるのは召喚術の気配。やはり俺は誰かによって召喚──実体を持つことから正確には召請──されていたということか。

だが俺は集中を維持できずに乱してしまう。白色の輝きが視界だけではなく意識をも漂白していく──意識の所々に穴があき、自我を保てなくなり意識を失いそうになる感覚。背中側にいるラピスが何やら話しかけてきているようだが、その言葉の意味を理解することは出来ない──




† † † † † † † † † † † † † † 




目を開くと漆喰で固められた天井が見えた。背中には柔らかいシーツの感触。どうやら俺はベッドで横になっているようだ。俺の顔の真横には椅子に座って上体をベッドに預けているラピスの姿があった。窓から見えるのはコルソス村の風景だ。

彼女がなんらかの手段で意識を失った俺をここまで運んでくれたのだろう。窓の外の景色が以前とやや異なることから、俺が昔使っていたのとは別の部屋であることが解る。ひょっとしたら前回ラピスが使っていた部屋なのかもしれない。その彼女の瞼は閉じられていたが、俺が意識を取り戻したことに気づいたのか瞳が至近距離からこちらを覗き込んできた。


「目が覚めたみたいだね──いきなり意識を失うんだから驚いたよ。随分と無茶をしたみたいに見えるけど、大丈夫かい? 体には異常はなさそうだったけれど」


彼女の問いを受けて自分の状態を確認する。頭の天辺から指先まで、意識すれば自在に動かせそうな感覚。呪文も問題なく発動できそうであり、特に異常は見当たらない。

窓の外の景色は夕焼けに照らされており、俺は結構な時間意識を失っていたらしいことが解る。自分一人で行っていればそのまま満潮に巻き込まれて溺死、なんて間抜けな死に様を晒したかもしれないと考えるとラピスに一緒にいてもらったことで助かったというわけだ。


「ああ、特に問題ないみたいだ。ここまで運んでくれたのはラピスだよな? ありがとう」


とりあえず上体を起こして彼女に返事をするが、ラピスは相変わらずそのままの姿勢で彼女の視線だけがこちらを追いかけてきた。


「で、何か収穫はあったのかい? 横から見てるだけだと何か強力な占術を使ったことは解ったけど、何をやっているのかはわからなかったからね。

 危ないことをするなら事前に教えてほしいよ」


ラピスの言葉を受けて意識を失う直前のことを思い出す。俺の姿が浜辺に現れる瞬間、広がった閃光──あれは実際にあの場で起こったことではないはずだ。もしあんな事があれば近くに居たジーツ達が気づかないはずはないし、あれほどの光であれば村からも観測できただろうにそんな話は聞いたこともない。

あれは強力な呪文のオーラを事前に発動させた探知呪文で知覚した反動だったのだろう。意識を奪うほどの圧倒的オーラ──オージルシークスの《アイス・エイジ》などと同様の第十階位を超えるエピック呪文が放つエネルギーに俺が耐え切れなかったのだ。

自分の存在は神格に近い力を持った何者かの介入か、それとも惑星直列ならぬ次元界直列のような特異的な自然現象の結果かと悩んでいたがどうやら前者の可能性が高そうだ。

もし何者かの召喚術により今の俺があるのだとすれば、その目的は何か? 現時点でそういった存在からの接触がないように思われるのはどういう訳か? そういった事柄が気にかかるが、勿論それについての答えが得られるわけもない。


「──残念だけど、『解らないってことが判った』って程度だな。故郷への手掛かりを辿ろうとしたんだけど、この有様だ。何か"とんでもなく強力な力"が作用した結果だとは思うんだけどそれ以外のことはさっぱり。

 とりあえず当面の所、この件について出来ることは無くなったかな」


自分で口に出してみたことでより深く自分の置かれた状況を自覚することになって力が抜ける。再び上体をベッドに預け、思索を巡らせる。俺を召喚することだけが目的ならいいんだが、楽観的な考えで生き延びれるような甘い世界ではないだろう。

そして何者かの意図があってのことだとするとその存在は少なく見積もってもエピック級のパワーを有していることは間違いない。だがこちらからそれに対して能動的に出来ることは何も無い。

まだ目的なりなんなりが見えてくれば黒幕を探ったり帰還方法の入手について交渉できる材料を探すといったことも考えられるのかもしれないが、それは無理となればとりあえず自分の力を伸ばすことくらいしか出来ることはない。

確かにこのエベロンでエピック級の能力を備えた存在といえば相当限られてはいる。だがそんな連中にこちらから絡んでいくのは非常に危険極まりない行為であり、そんな思い切った手段を取ろうとは思わない。

フレイムウィンドの言葉を信じるのであれば俺には行動を選択する余地が残されているのだ。それについて暫くは考えることにしよう。


「……随分とお悩みのようだね」


どうやら顔に出ていたようだ、眉間に皺でも寄っていたのかもしれない。ラピスが声を掛けてきた。


「まあね。俺を拉致った相手の事がさっぱり解らない。知らない間に掌の上で踊らされているようで気に食わない──とまでは言わないにしても、気がかりでね」


異邦人である俺はこの世界に確りとした足がかりを持っているわけではない。家を構えているといってもそんなものは権力者の一存で吹き飛ぶ儚いものであり、人権なんてものが保証されているわけではない。

今の生活は俺にとってはある程度快適ではあるが、その実は目隠しをしたまま歩いているような不安を常に抱えている。いつ足を踏み外して転がり落ちるか解らない、そんな考えが常に思考の何処かを占めている。


「例えばトーリを元いたところから排除するのが目的だったとか、そういうことは考えられないのかい? 僕にはトーリが考えすぎているように思えるけどね」


ラピスのその言葉は確かに俺が今まで考えていなかったことではあるが、それはないだろう。掃いて捨てるほどいる一般人の一人を排除することで得られることがあるとは思えない。

元いた世界のことに想いを馳せる。このゲームだってやり込んではいたけれどプレイヤースキルは俺より優れていた仲間が大勢いたし、トップ廃という程ではなかった。そういう連中はきっと米国版に移住したに違いない。

言語の壁にやる気を削がれて移住までしなかったということは、俺のゲームに対する熱意もその程度だったということだ。特にこれといって特別なところがあるとは思えない。


「──まだ元いた場所に帰りたいのかい?

 冒険者として十分に成功して、氏族の有力者にコネがあり、一生を贅沢に暮らしていけるだけの財産も充分にある。

 元々普通に暮らしていたっていうのなら、今の暮らしのほうが恵まれてるんじゃないのかい?」


普通に考えればラピスの言う通りだろう。インターネットやゲームに代表されるかつての自分が没頭していた娯楽こそないものの、それを懐かしむ程度で済むくらいにはこちらの暮らしは充実している。では何故帰還を求めるのか? 答えは単純だ。


「──俺は怖いんだ」


その最大の理由はこの世界に対する恐怖感だ。文明は他のD&D世界観に比べれば進んでおり非常に恵まれているとはいえ、このエベロンは日本のように平和な場所ではない。モンスターが跋扈し、人間より知恵があり強力なクリーチャーが多数存在するファンタジーの世界。現実に死後の世界が存在し、邪悪で巨大な存在が地底で蠢く異世界なのだ。

何よりも恐ろしいのは今の俺の環境を支えているのが、俺自身の実力ではなくこの"ブレスレット"に見える強力なアーティファクトによるものだということである。無尽蔵に近い財貨、強力無比な装備、訓練を必要とせず経験のみで戦闘力が上昇する若くて健康な体、そして多彩な能力。

その全てがこの俺以外には見えていない腕輪から与えられたものだ。《アンティマジック・フィールド》の効果範囲内においてすらその効果を完全には失わなかったこの宝具は、この宿の一室でその存在に気付いて以降俺には欠かせないものとなった。

この力を失うことが恐ろしくて、腕から一瞬たりとも外すことが出来ない。そしてこの恩恵を得た原因が解らない以上、いつ失われてもおかしくないのだろうという事。その時俺が消えるのであればまだいい。だが元の俺の状態でこの世界に留まったとしたらどうだ?

そんな悪夢を見たのは一度や二度ではない。そして今回の占術で何か強大な存在の意思が介在しているのではないかという疑念は深まった。その存在がこの力を与えたのであり、いずれ俺からこの腕輪を奪っていくのではないか?

強力な力に触れてしまったことでそれがもはや手放せなくなる。まるで同じ会社が運営していたもうひとつのMMOに出てくる伝説の指輪のようだ。


「今の俺が得たものは自分の実力で勝ち取ったものじゃない。今の俺を支えているこの不可思議な力は気がついたら得ていたもので、何の努力もせずに手に入れたものだ。

 だからある日突然それを失うかもしれないことを恐れてる。こんな力がなくても平穏無事に暮らせていた元居た場所に逃げ帰ろうとしているんだ」


地球のどこかではきっと似たような、あるいはもっと環境の悪いところはあるだろう。だが俺は平和な日本に生まれ育った一般人だ。喧嘩や本気の争いなんか子供の頃以降したこともなく、趣味に没頭して生きていた。月並みではあるが、失って初めてその生活がどれほど貴重なものであるか気づいたのだ。

カルノ達に援助しているのも、せめて自分の周りだけでも昔居た場所のような穏やかさがあってほしいという思いがあってのことだ。


「……事情はわからないけれど、言いたいことは少しはわかるよ。自分の居場所から無理やり放り出された経験は僕にもあるからね」


ラピスは起き上がるとベッドに腰掛け、いまだ横になっている俺のほうへと体を傾けた。彼女の両手が俺の頭の左右を挟みこむように置かれ、真上から二つの瞳が俺へと向けられ、お互いの中間点で視線がぶつかる。


「そして流れ着いた辺鄙な島で蛸の傀儡に成り果てた。盲目の"至上の主人(ソヴリン・ホスト)"にろくでなしの"ダーク・シックス(暗黒六帝)"、役立たずの"シルヴァー・フレイム(銀炎)"にクソッタレの"カイバー(地下竜)"、全部を呪って死んでいくしか無いと思ってた。

 でも魂がドルラーに吸い込まれる前に、暖かい光に包まれて僕はやり直しの機会を得られたんだ。今こうして僕が生きていられるのはトーリ、君のおかげだ」


そう言葉を発する彼女の表情にあらわれる意思の強さは俺の意識を縛り付け、視線を外すことを許さない。


「例え借り物の力だとしても、それを使ったのはトーリの意思だろう。酷い事ばかりしていた僕をそれでも助けようとしてくれた、その気持ちが僕を救ってくれたんだ。それで充分さ。

 もしその力とやらを失うことがあったとしても構わない。そうなったら今度は僕が君を助けてやるよ」


こちらを見つめる瞳は真摯そのもので、彼女が心からそう考えているのだということを強く伝えてきた。その思いの乗った手が体に触れると、彼女の体温だけではない暖かなものが確かに感じられる。それはまるで恐怖に固まった俺の心を溶かしていくかのようだった。



[12354] 4-9.アーバン・ライフ7
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2015/02/04 22:18
ゼンドリック漂流記

4-9.アーバン・ライフ7












俺とラピスがストームリーチを離れた翌日の昼過ぎ、コルソスの港には一隻の大型船舶が入港していた。埠頭に近い木陰でその様子を見ていた俺とラピスのところへ、日傘をさして歩み寄ってくる女性が一人。


「聞いてた予定より1日遅かったじゃないか。"シャーゴンズ・ティース"でディヴァウラーに飲み込まれたんじゃないかと思ってたよ」


ラピスがその女性、ネレイドに声を掛ける。シャーンで会った時とは違い、日差しから肌を守るためか露出が低めで落ち着いた装いをした彼女はまるで深窓の令嬢といった雰囲気だ。確かにあの様子であれば海神に捧げられるヒロインの役回りとしても充分だろう。

"シャーゴンズ・ティース"はサンダー海をゼンドリックに向けて航海する際の最大の難所であり、最も多くの船を飲み込んでいる海域のことだ。

かつてはゼンドリック大陸の一部であった大地が砕かれて海中に没したその残滓が渦巻いており、取引しているサフアグンの案内人無しではまず無事には抜けることの出来ない複雑な暗礁と海流で満たされている。

その奥底では太古からサフアグンが戦い続けてきたロード・オヴ・ダストやアボレスの奴隷使いといった邪悪な存在が息づいているという噂だ。水面下の世界にも地上同様の時間の流れがあり、そこでは多くの王朝が興亡を繰り返しているという。


「ごきげんようラピス、そしてトーリ様。元気そうなお二人にまたお会いできて嬉しいですわ」


俺達の立っている木陰まで来ると彼女は日傘を地面の上に放り出し、その両手でラピスの差し出した手を包んだ。この二人としては久しぶりの再会になるのだろう、心温まる様子に一歩引いたところから二人を眺めていたのだが、残念なことにその時間が長く続かなかった。


「それに到着はスケジュール通りですわよ。お二人にバカンスを楽しんでいただこうと態と一日開けさせていただいたのですけれど、昨夜は楽しんでいただけたかしら?

 ストームリーチでは他のお仲間の皆様もいらっしゃるようですし、なかなか二人きりにはなれないだろうと思って少し演出をさせていただいたのですわ」


その端正な顔にネレイドは悪戯が上手くいったとでも言いたげな笑みを浮かべ、ラピスの手を離すとくるりと大袈裟にターンして今度は俺の方へと向き直ってきた。


「トーリ様にはこちらを。今朝鉢植えから摘んだばかりの小枝をすり潰したお薬ですわ。一週間くらいしか保存が効きませんから、足りなくなったら私どもに申し付けていただければいつでも融通いたしますわよ」


薬包に包まれたその中身からは熟したフルーツのような香りがする。そして手のひらに乗せられたその品物の情報が解析されて俺の脳裏に映し出される──"ベラドンナ"、美しい女性の意味だがこの世界では"狼退治の毒"として知られている──その効能は"ライカンスロピーの治療"だ。

ライカンスロープに接触したことでその唾液などの体液から感染する病、ライカンスロピーに罹患したものが1時間以内にこのベラドンナの小枝を食べることで治療を行うことが出来るというのがこの品の特徴だ。とはいえ本来毒であるがゆえに、暫くは筋力の低下といった副作用をもたらすこともある取り扱いの難しい品物だ。

ネレイドが言ったとおり採取して一週間程度でその効能が失われてしまうこと、そして現在のエベロンではライカンスロープは絶滅していると一部では考えられているほど数が少ないため、入手が難しいことからなかなかに稀少な品である。


「僕をそこらの半端な連中と一緒にするなよな。自分の能力くらいきちんと制御してるし、他人に感染させるようなヘマはしないさ」


馬鹿にされたと思ったのか、不機嫌そうにラピスがネレイドを睨みつける。ライカンスロピーの感染が発生するのは中間形態と呼ばれる半人半獣の姿か、完全な動物の姿となっているときに限られる。後天的に罹患した者と異なり先天的なライカンスロープ達は完全に自らの変身能力を制御しており、満月の影響で望まぬ変身を行うことはない。

そんな事情を知っているはずのネレイドはころころと笑いながら俺の後ろへと回りこんで背中からしなだれかかってきた。俺を盾にしながら肩の上から顔を出し、ラピスの方へ向かって挑発を続ける。


「あら勿論そんな心配はしてないわ、貴方の事は良くわかってるもの。

 私のこれは恋人たちへのプレゼントよ。殿方を虜にするには努力を怠らぬことが必須ですし、せっかくの特徴なのだからそれを活かさない手はないわ。

 今のうちから色んなことを試しておかないとそのうち愛想を尽かされてしまいますわ──良ければ私が手管を教えて差し上げますわよ」


真横にあったネレイドの表情が一瞬揺らいだかと思うとその直後にはラピスと瓜二つの顔が現れていた。ご丁寧に中間形態であり、猫耳も生えているようだ。スカートをまくり上げてこちらの太腿に絡めるように動く尻尾も艶めかしい。

その唇の隙間からザラついた舌先を覗かせながら彼女の顔がこちらに近づいてくるが──突如その顔は俺の視界から消え失せた。横合いから伸ばされたラピスの指がネレイドの生やした猫耳を引っ張るようにして彼女を俺から引き剥がしたのだ。


「痛い、痛いですわ! ちょっとは加減してくださいませ!」


「自業自得って奴だよ。折角の提案だけれど遠慮させてもらうよ、生憎と間に合ってるんでね」


手を振りほどこうとするネレイドと、器用に立ちまわって絶妙な力加減を加え続けるラピスはくるくるとその場で位置を入れ替わりながら取っ組み合いを続けている。服装まで変化させなかったことで見分けが付いているが、それがなければどちらが本物のラピスか見失ってしまいそうな状況だ。


「再会の挨拶はその辺にして、そろそろ仕事の話をさせてもらってもいいか? 頼んでおいたものは用意出来てるんだろうし、船に案内してもらいたいんだが」


見ていて飽きのこない光景ではあるが、そろそろネレイドに助け舟を出してやるべきだろう。俺の言を受け入れてかラピスはようやく手を話し、ネレイドは元の姿へとその肉体を変化させた。


「そうですわね。それじゃ我々の船に参りましょう。申し付けいただいた用件も済んでおりますし、きっと結果にはご満足いただけると思いますわ!」


先程の妖艶な雰囲気はどこへいったのか、再び子供のような笑顔を浮かべてネレイドは日傘を拾うとラピスの腕に組み付いて引っ張るように桟橋の方へと歩き出した。ころころと変化するその表情は彼女の性向なのかそれともネレイドというペルソナ特有のものなのか。

そんな彼女に慣れているのか、ラピスも先刻の剣呑な気配を消し仕方がないといった様子で付き合っている。ひょっとしたら二人のシャーン時代はいつもこんな感じだったのかもしれない。なんというか、周囲の連中は随分と大変な目にあっていたに違いない。

そのような事を考えながら俺は二人の後を追って歩き出したのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「──この直下で間違いなさそうだ。船を少し離れさせて待機しててくれ」


ネレイドと合流した翌日から俺達はサルベージ作業を開始した。俺が事前に依頼しておいたこの島周辺の海図と沈没した船の情報の精度は非常に優れたもので、指定された位置に船を進ませるとすぐに《ロケート・オブジェクト/物体定位》の呪文に反応があった。

通常であればここから潜水夫達を組織して海中の船へとアプローチを行うのであろうが、勿論そんな普通通りの作業なんて行うつもりは俺にはない。"タイランツ"の用意した猶予期間は1週間で、それを過ぎると出航を足止めしていた同業者たちの船がこの辺りに到着するだろう。

いくら船主から債権として沈没船の権利を購入しているとはいえ、それが機能するのは船を引き上げてからの話だ。沈んでいる間に宝物を攫われてしまっては権利書なんてただの紙切れに過ぎない。彼らが到着してこの海域を荒らし始めるより先に、出来るだけ戦果を挙げる必要があるのだ。そしてその為の用意が俺にはある。


「《レイズ・フロム・ザ・ディープ/深海よりの浮上》!」


《フライ/飛翔》の呪文によって空中に浮いたままの俺が1分の詠唱の後に開放したこの呪文はまさにこんな時にうってつけのものだ。編み上げられた魔法の力場が海面下200メートルに沈んでいた船に絡みつくと、その破損した船体を海上へと引き上げる。

船体中央を竜の吐息によって両断された沈没船が海面から姿を現すと、"タイランツ"の船から歓声が上がった。やはり"呪文大辞典"で収録された呪文は一般的ではないようだ。特にこのような用途の限られるものについては尚更だろう。

舷側に搭載されていた小型船に揺られラピスとラース、アマルガムが沈没船へと取り付いたのを見て俺もそちらへと合流する。


「まったく便利な呪文だなトーリ! 確かにこの効果が何時間も続くのであれば浮上させたまま修理することも出来るな。

 飛び散った船の破片も一緒に浮かんでくるところがありがたい。これであれば呪文ですぐに修理してしまえそうだよ」


昨日の午後、工房を訪れた俺がラースに計画を話すと彼はすぐに協力を申し出てくれた。充分な実力を持った"アーティフィサー/秘術技師"であるラースの協力は俺にとって非常にありがたいし、彼も俺の話した新呪文に興味があったようだ。気分転換も兼ねて久しぶりに外へと出たラースは外の太陽を見て随分と眩しそうにしていた。


「警戒を怠るんじゃないよ。沈没船には"アンデッド"が付きものなんだし、船の中に入り込んでた海の生き物がトーリの呪文で一緒に運ばれてきてるかもしれないんだからね。

 修理は他の連中に任せて、僕たちはお宝の捜索と安全の確保だけ考えてればいいんだよ」


ラースの浮かれた様子を見てラピスが釘を差した。俺もトレジャーハント気分であったが、彼女の言葉で気を引き締め直す。彼女の言うとおり、沈没船などこの世界ではアンデッドの発生する絶好のシチュエーションと言えるだろう。


「このアマルガムがいる限り、ラース様やご友人方に危害は加えさせません。まずは私が先行いたしましょう」


以前と変わらぬ忠誠心を発揮したウォーフォージドがそういって船体の破損部分から体を滑り込ませた。それに続いてラピス、ラースと続き最後に俺が進む。すっかり水が抜けたとはいえ、長い間海中にあった船体には藻が大量に入り込んでおりまた時折海老っぽい小さな生物が俺達の足音から離れるように飛び跳ねているのがわかる。

サメやウツボのような水中でしか呼吸の出来ない生物であれば脅威にはならないが、サフアグンのように一時的な陸上活動が可能なものが一緒に引き上げられていると厄介だ。それにラピスが言ったように溺死者がアンデッドとなった場合非常に凶悪な存在となることがある。

《ディテクト・アンデッド/アンデッドの感知》の呪文により大部分に危険がないことは判明しているが、この呪文は金属の壁などによって遮られてしまうため探査は完璧ではない。ジリジリと警戒しつつ、俺達は予め入手していた船体の図面に従って部屋を一つずつ探索していく。

沈んでいく船からの脱出に失敗した乗客の死体もその多くは体を海に住むものの養分とされたのか、骨だけの姿となって様々な場所に横たわっている。彼らについては後ほど船の修理を行う作業員たちが身元のわかるものを回収し、目的地だった港に届けることになる。

そんな気の滅入る探索を暫く続けた後でついに最後の部屋、占術対策か壁を薄い鉛で被膜された貨物庫へと辿り着いた。後部区画の下層をまるまる宛てがわれたこのエリアはこの船の中で最も広いが、幸いなことにドラゴンのブレスの射線上から外れていたために派手な損傷はない。

ラピスがあっという間に扉に掛けられていた鍵を無力化すると、彼女と立ち位置を入れ替えて前へと進んだアマルガムが扉を開いた。木箱の並べられた船室の中央、そこには何体かの死体が転がっていた。他の部屋とは違い魚などが入り込まなかったせいか、骨以外も残っているがそれがかえって猛烈な悪臭を放っており鼻孔を強く刺激してくる。

僅かな隙間から水だけが入り込んだのだろう、排水も済んでおらず足場は僅かな厚みのある水で覆われている。果たしてこの船室に閉じこもった犠牲者達は何を思ったのだろうか?

そんな思考も悪臭に混ざって感じられる不死者の気配を受けて緊張状態へと切り替えられた。だが他の皆への警告の声をあげようとしたその瞬間、突如俺の口内は水で満たされた──"溺死者のオーラ"、ドラウンドと呼ばれる恐るべきアンデッドクリーチャーの持つ特殊能力の効果範囲に既に俺達は収まっていたのだ。

自らの死に様を伝染させるべく放たれているそのオーラの範囲内では陸上の生物は皆等しく呼吸器を水で満たされ、間もなく窒息することになる。口内が水で満たされては呪文の詠唱も出来ないし、この水は僅かな動きとはいえ肺へ入り込もうと蠢いてくるのだ。ただ息を止めるだけはこの溺死から逃げることは出来ない。

一刻も早くこのオーラの発生源を排除する必要がある、そう判断した俺の前でいつもと変わらぬ動きを見せたものがあった。アマルガムだ。

ウォーフォージドである彼は呼吸の必要がなく、この状況でも変わらぬ動作で一気に敵との距離を詰めると猛烈な勢いで起き上がりつつあったアンデッドに体当たりを行った。鉄と木から構成された彼の質量は同じ大きさの人間の比ではなく、標的となった溺死体はその勢いをまともに喰らい、水飛沫を上げて船室の奥へと押し込められる。


「よくやったぞアマルガム、そいつから離れろ!」


そのウォーフォージドの稼いだ距離は千金に値するものだった。最後列に居たラースが"溺死者のオーラ"の範囲外となり、自由に行動できるようになったのだ。ラースは手にしたお手製のロッドを振り上げ一言詠唱すると秘術のエネルギーを解放する。

その一動作でロッドに取り付けられた3本のワンドが同時に起動し、それぞれが放つ3本の火線が部屋の対角へと降り注いだ。秘術技師の"鼓吹"と呼ばれる技術により改造を施されたロッドはラースが一振りする間に二度瞬き、都合18本の《スコーチング・レイ》が溺死者の体へと殺到する。

1本あたりの火力は俺の同じ呪文ほどではないといえ、この物量は圧倒的である。小さな村一つなら単体で壊滅させるほどの脅威を持つアンデッドといえどこれには抗しきれず、黒煙を上げながら崩れ落ちた。


「どうやらアイツ1匹だけだったみたいだな。もうこの部屋の中にはアンデッドのオーラを感じない」


俺のその声を聞いてラースが再び振り上げていたロッドを下ろし、アマルガムはなおも室内を警戒しつつ部屋の奥からこちらへと戻ってきた。


「……ケホッ、沈没船を引き上げに来て溺死させられそうになるとはね、連中の仲間入りは勘弁だよ。二人は随分と的確に動いてたみたいだけど、この辺りじゃ珍しくないアンデッドなのかい?」


口の中の水分を吐き出しながらラピスが声を出す。例のオーラの効果範囲は半径6メートルほど。この手の能力は壁等によって遮られるから扉を開くまでは気付かなかったという訳だ。もう少し近くにあのクリーチャーがいたらアマルガムの突き飛ばしでもラースを効果範囲外に逃がすことは出来ず少し面倒なことになっていただろう。

《呪文音声省略》という特技を持つ俺であるが、水を口内に溢れさせながら平静に呪文を行使できたかと言われると若干の不安がある。スペック的には問題ないはずではあるが、一抹の不安は残るものだ。そういった状況での訓練も積んでおくべきかもしれない、と教訓を胸の内に刻む。


「アレは水の深みで命を落としたものが転じる"ドラウンド"と呼ばれるアンデッドだ。土地がら島の浜辺に現れることもあるので、我々が連中を見たのはこれが初めてというわけではない。

 村の結界の中に入り込むことはないのだが、漁に出たものが船上で溺死させられる事件が発生することはある。友好的なサフアグン達がこの周辺に住んでいた頃は彼らが対処してくれていたのだがな」


ラースが先程のアンデッドについて解説してくれた。ゾンビのような外見だが動きも普通の人間程度の機敏さであり、疲れ知らずでもあるからまず逃げることは出来ない上に非常に打たれ強い。

先程の《スコーチング・レイ》乱舞も決してオーバーキルではないというのだからとんでもない話である。


「そういえば随分と派手な攻撃だったな。それが研究の成果ってやつか?」


俺の視線は彼の持つロッドへと向けられた。鋼鉄製のそれは革が巻かれた持ち手側と先端側ではっきりと二つの部分に分かれている。持ち手側は丁度握りやすいほどの太さであるが先端側の直径はその2倍ほどはあるだろうか。

その太い棒状の側面には3本の溝が掘られており、そこにワンドが収められているのだ。


「ああ。"ロッド・オヴ・メニィ・ワンズ/ワンド多連装ロッド"といって、最終戦争の際に研究されていたものの一つだ。費用がかかりすぎる上に過剰な火力が不要とされて採用はされなかったのだが、強敵を相手取る際には心強い品だ。

 あの白竜のような強力な呪文抵抗を持つ相手には通用しないだろうが、まずは威力を追求しようと思ってな。先程の連射も私の秘術技師としての技術によるものだ。効果は見ていただいた通りだよ」


普通は一度に1本しか起動できないワンドを3本同時に起動させるというこのロッドの威力は確かに絶大だが、その分ワンドに込められた秘術のエネルギーを消費する。今のロッド一振りで金貨1,500枚相当と考えればそのコストパフォーマンスの悪さが解っていただけるだろうか。

確か"魔道師大全"という後期のサプリメントで紹介されたアイテムで、日本語で展開された公式リプレイではさらに極まった使い方が紹介されていたが、その部分は彼の秘術技師としての能力でカバーしたのだろう。

火力という意味では俺が自分で発動させる呪文のほうが遥かに高くはあるが、常識の範囲内で望める高火力としては非常に有効な手段だろう。手札の一つとして持っておくのは悪いことではないと判断し、他にも何か作っているのかと俺は暫くラースと話を続けた。


「まあ世間話はそのくらいにしておきなよ。この船の安全の確保は終わったんだし外で待ってる連中に連絡して次に行くとしよう。今日中にあと2隻は片付けておきたいんだからさ」


会話している間に部屋の中の調査を一通り終えたようで、ラピスが俺たちをせっついてきた。確かにその通り、俺達は次の沈没船へ向かうべきだろう。通路を戻り、甲鈑に出て合図を送ると作業員たちが乗った小型船がこちらへと近づいてきた。

俺の使用した秘術の効果で細かい破片となって飛散した船の部品すら海の上に漂っている。彼らはそれを回収し元の位置に嵌めこむと秘術を使用して修復を開始した。《リペア・ライト・ダメージ/ひび割れ修理》という低位の呪文ではあるが、船体の耐久を投錨して浮かんでいられる程度まで回復させるのが目的なので充分である。

その様子に満足した俺は一度母船へ戻り、ネレイドの海図に記された次の目標地点へと向かうとそこでも同じ作業を繰り返すのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




予定していた一週間は瞬く間に過ぎていった。俺達が引き上げた船は20隻を越え、その中には勿論俺が求めていたシベイ・ドラゴンシャードを満載した船も含まれている。レベルアップに使用できる大型のものだけを選んだにもかかわらず、充分な量を得ることが出来た。今後はドラゴンシャードの入手に頭を悩ませる必要はないだろう。

その他の多くの積荷も回収されたが、その大部分はタイランツへと渡った。いくつか興味深い魔法のアイテムなどは俺に優先的に回してもらったが、芸術品や宝石などの財産価値しかない物は特に必要としていないからだ。

現在コルソスの村では住民達が急ピッチで船の修理を行なっている。大型船舶を収容できる乾ドックはないが、元々寄港地としてある程度の修理が行える施設は持っていたのでそこをフル回転させているのだ。全てではないが、質の良い何隻かの船は修理して販売することで利益が出ると判断されたのだ。

周囲の海域に新たなサフアグンの部族がやってくるまでこのサルベージは続けられるだろう。サフアグンから見れば沈没船は海の神ディヴァウラーに捧げられた供物であり、それを奪っていく行為は許されないからだ。だが幸いこの周辺のサフアグンはセリマスらによって一掃されているため、まだ暫くこの好景気は続くだろう。

サルベージのための呪文はラースが秘術技師の"鼓吹"で再現していたし、この島での作業中に『クウィル・オヴ・スクライビング』と呼ばれる魔法のアイテムで巻物を何枚か準備しておいた。これは魔法の羽ペンで、アイテムの起動と同時に呪文を用意しておけば後は自動でスクロールを作成してくれるという便利な代物だ。

勿論巻物の作成に必要な物質要素やエネルギー──俺にとってみれば経験点──を必要とする点は変わらないが、巻物作成の作業時間中に別の作業が出来るのがありがたい。それこそ寝る前や酒を飲みに行く前にこのアイテムを起動しておけば、あとは羽ペンが勝手に作業をしてくれるのである。

今俺はそうやって準備した巻物のうちの幾つかを鞄に入れてネレイドの元を訪れていた。彼女が連れてきた作業員──大勢のメイジライトと呼ばれる秘術の基礎を修めた秘術職人の大半は食事こそ酒場でとっているものの夜は船の自室に帰っているが、ネレイドをはじめとする数人は"波頭亭"に部屋をとっている。

俺が彼女の部屋の扉をノックするとすぐに内側から扉が開かれた。


「いらっしゃいませ、トーリ様。ちょうどお茶も入れたところですの、どうぞお入りになって」


顔だけを扉の影から出しながら綺麗な笑みを浮かべ、こちらを見上げる彼女はそういって入室を促した。彼女の言ったとおり、部屋のテーブルの上には彼女が船から持ち込んだのであろうガラス製の丸いポットの中で茶葉が舞っているのが見えた。

そのポットを囲むように置かれた2つのコースターの上では、程良く温められたカップが中身が注がれるのを待っている。初めて会ったときの服装のように大きく開けた背中を魅せつけて、優雅にターンした彼女は俺の手を引いて椅子まで案内すると紅茶を注ぎ始めた。

コースターに込められた秘術の力か、適温に温められたカップが黄金色の液体で満たされていく。最後の一滴が波紋を広げるとそこから甘みのある香りが広がってきたように感じられる。勧めに応じて口を付けるとその芳香を裏切らない味が口内に広がった。

《コンティニュアル・フレイム/尽きせぬ炎》を放つ器具に覆いを掛けたことで薄暗く照らされた室内とテーブルの上の紅茶にお菓子。宿屋の一室だというのに非常に落ち着く環境が整えられていることに驚きだ。


「お口にあったようで良かったですわ。シャーンにいらっしゃった際は渋めのものを好まれていたので少し不安だったのですけれど、こういうのも悪くはないでしょう?

 ミルクを入れてもとても美味しいんですわよ。あの子は煮出しの時点でミルクをいれたものが好みでしたわね」


子供と女性は甘いものが好き、というのはきっとどの世界でも通用することなのだろう。そしてそれはどうやらラピスにも当てはまるようだ。ネレイドと会話していると必然的にラピスの話題になることが多いのだが、そこでは随分と俺の知らなかった彼女の姿を教えられている。今日のこの件もその一つになるだろう。


「これはシャーンに居た頃私が良くあの子と飲んでいたお茶ですの。いくらか余分に持ってきておりますので良かったらお持ち帰りくださいな」


俺自身は紅茶の入れ方なんて詳しくはないのだが、その辺りはメイに任せれば上手にやってくれるだろう。紅茶の味わいをしばし楽しんだ後、コースターにカップをおくと陶器が触れ合う硬質の音が響いた。ネレイドはそんな俺の様子をニコニコとしながら見ている。テーブルに両肘をついて、頬の両側に掌を添えた姿勢だ。


「随分とご機嫌だね」


「それはトーリ様を部屋にお迎えできたからですわ。こちらに部屋をお借りしてから毎晩お待ちしていたのですけれど、最後の夜まで焦らされてしまいましたわね。

 でも今となってはそうやって待っていた時間もスパイスの一つとして感じられますわ」


彼女がそう言って片手で片側の髪を後ろへ撫で付けると、今まで目立たなかった胸元に深く切りこまれたスリットから肌色が広がって見えた。変身能力によるものではなく、その仕草一つで身に纏う雰囲気を変えるその技術は彼女が一流であることの証か。

紅茶よりもさらに甘い香りが彼女から薫ってくるようだ。男の脳を痺れさせるような魅力に飲み込まれそうになるが、ここで主導権を奪われるわけにはいかない。頭の芯に氷のような冷静さを保ちながら会話を続けることを選ぶ。


「それは申し訳ないことをしたな、皆のまとめ役をしていたようだったからきっと忙しいものだと思ってたよ。

 せめて気が休まるようにと思って用意したんだけど、せっかくだから受け取ってくれないかな」


そういってテーブルの上に手を伸ばし、掌を返すとその上には手のひらサイズに纏められた可愛らしい花束が現れた。シャーンで会っていた部屋には様々な花が飾られていたが、その様子から彼女の好みそうなものを予めストームリーチで購入しておきブレスレットに格納していたのだ。

たった今手折られたばかりのような瑞々しさと香りを振り撒いているのは収納されている間は時間が止まっているように扱われるアーティファクトの効果のためだろう。コルソスでは栽培していない品種でもあり、《手先の早業》で取り出したようにも見える突然の行動が彼女の思考に一時の空白を作る。


「まあ、ありがとうございます。いつの間に私の好みをお知りになられたのかしら? 素敵なプレゼント、感謝いたします」


紅茶セットが置かれた小さなテーブルの上で俺が伸ばしたその手を彼女の両手が包むように覆った。テーブルが小さいためこのままお互いが身を乗り出せば顔がくっつきそうなそんな距離感ではあるが、俺は指先で浮かせた花束を彼女の両手のひらの上へと運ぶとそのまま背もたれに体重を預けるように身を引いた。


「それ以外にも渡すものがあってね。サルベージに使った呪文の巻物が随分と余ってしまったんだ。今後の作業に良かったら使ってほしい」


そう言って鞄から巻物を出す。今回コルソスに来たメンバーの中には第四階位の秘術を行使可能なスタッフはいない。それは目の前のネレイドも含めてであり彼女たちでは自力で《レイズ・フロム・ザ・ディープ/深海よりの浮上》の呪文を使うことは出来ないが、巻物から発動させるのはある程度の技量があれば可能で、彼女たちなら不都合はないはずだ。

1枚は残しておく必要があるだろうが、他は使い切ってしまってもシャーンに戻れば残した巻物の内容を呪文書に書き写すことの出来る術者に委ねることで巻物自体の生産が可能になるはずだ。少なくともサイラスと同程度の術者を何人か擁しているはずではあるし、その辺りは心配要らないだろう。


「あら、珍しい呪文ですのに。よろしいのですか?」


「別に門外不出の呪文って訳でもないし、既にラースが"鼓吹"で模倣できるようになっているからね。沈没船を引き上げる以外にも航海中に船が破損したときに使えば沈没までの時間を稼げるし、その間に応急修理することだって出来るだろう。

 俺としてはこれからも君たちとは仲良くしたから、シャーンとストームリーチを安全に行き来できるようになってくれればそれで嬉しいのさ」


「ありがとうございます、きっと皆も喜びますわ──でも意地悪ですわね、そこは『これからも私と仲良くしたい』と言って欲しかったですわ」


寂しそうに、驚いたように、そして少し拗ねたようにと表情をうつろわせながらもネレイドは俺との会話を続ける


「気が利かなくて済まないね。まあ巻物については実際に余り物だから構わないよ。本当はこいつらを使ってもっと短期間で済ませようかと思っていたんだよ」


ラピスであれば第四階位の呪文を完全に使いこなすことが出来るし、作業員の人数にも余裕があったので実際には俺とラース、ラピスの三人が別行動してそれぞれで引き上げ作業を行えば当初の目標だったサルベージ作業を数日前倒しで終了させることが出来ただろう。

だがその提案は目の前のネレイドによりやんわりと否定された。それどころか彼女は次々と追加のサルベージ計画を提案し、結局予定通りの一週間をこのコルソスで宝探しをして過ごすことになったのだ。確かにドラウンドのような脅威が存在する以上チームを分けることは危険を大きくすることになるが、それ以外にも何か目的があるように感じられた。

俺達に危害を加える事が目的ではないことは彼女の様子から判断できたが、念のため細かい事情を把握しておきたい。今回の俺の訪問はそういった目的があってのことだ。


「……そうですわね、トーリ様にはお伝えしておいたほうがよろしいでしょう。せっかく来ていただいたのですし、無粋な駆け引きで時間を浪費するのは勿体無いですわね」


そんな俺の心情を察したのだろう、ネレイドは僅かな沈黙の後にそう言った。どうやって彼女から情報を引き出したものか悩んでいた俺からすればありがたい事であるが、これも日頃から彼女らと培った友好関係のおかげだろう──俺の態度があまりに露骨だったせいかもしれないが。


「トーリ様はラピスがシャーンに居た頃の話をどの程度ご存知?」


立ち上がった彼女は部屋の隅に置かれた棚へと近づくとその上に置かれていた薄手のヴェールを持ち上げ、そばにある照明の上へと被せた。光が一段と遮られたことで室内はさらに暗くなり、再び正面の椅子に腰掛けたネレイドの顔が滲んで見える。

トーダウンした彼女の声と相まって部屋の雰囲気は一気に様変わりした。やはり場を状況に相応しく整える能力について彼女たちは非常に高いレベルにあるようだ。視覚から与えられる情報が減った分のリソースを思考に回し、彼女の言葉に応える。


「そうだな、以前シャーンに滞在した際に君に聞いたよりは少し詳しい程度には知っていると思う。派手に暴れすぎたせいであの街にいられなくなったって話だけど」


この滞在の間ラピスとは長い時間を過ごした分、いろんな事を話したりはしているがそれはラピス視点のものであるし別方向からの情報を得ておいたほうが良いだろう。ネレイドがこう話を振ってくるということはおそらくこれからの話はラピスの過去に関わるものなのだろうし、彼女の口からも改めて事情を聞いておきたい。


「そうでしたか。では私からも少し詳しくお話いたしましょう……彼女が追われたのはシャーンだけではありません。おそらくコーヴェアの都市であればどこへ行っても彼女は狙われる怖れがあります。

 もちろん僻地の町や村であればその限りではないでしょうけれど」


そして放たれた彼女の言葉は非常に重いものだった。ガリファー王国が一つであった時代ならともかく、最終戦争を経て五つ国へと分断された今は国境を超えてまで追ってくる捜査官は非常に数が限られており、その分彼らが追う対象は絞られている。

賞金稼ぎであれば金額次第でどこまででも追っては来るだろうが、それであればゼンドリックだとて同じことだ。彼女がコーヴェア大陸に範囲を限定したのは何か理由があるのだろう。俺は話の続きを聞くべく、ネレイドを促した。


「ラピスがシャーンで私たちのところで用心棒として働いていたとき、ある事件が起きましたの。あの街の下層なら珍しくもない組織同士の小競り合い、そのひとつに帰宅途中の女が一人巻き込まれただけの話。

 問題はその女性がラピスと親しくしていた我々の従業員だったことでした──そしてその騒ぎの次の夜からですわ、ラピスが"タイランツ"の職場から姿を消しシャーンの街に一つのニュースが流れるようになったのは。

 毎夜街の何処かで鈴の音と共に火柱が上がる。それはある時は大通りの中央、あるいは閑静な住宅地の寝室、そしてある時は上演中のコンサートホールの観客席で。直前まで普通に暮らしていた者たちが当然発火し跡形もなく消え去る。

 雲の上から地の底まで街中を震え上がらせたその人体発火現象は二週間ほどで収まりましたが、暫くはシャーン・インクィジティブの紙面はこの話題で持ちきりでしたわ」


なるほど、確かにライカンスロープである彼女の身のこなしは常人の知覚能力を遥かに上回る。証拠の隠滅手段が気にはなるところだが、暗殺を実行すること自体は彼女であれば可能だろう。だからそれ自体はそれほど問題ではない。


「それが彼女の仕業ってことか。だが今の話だとシャーンを含めたブレランド王国で手配されるのは当然だろうが、コーヴェア中で狙われるってことが判らないな」


二週間ということは少なくとも14人を殺害したということだ。だがその程度の殺人犯は命の価値が低いこの世界では珍しいことでもない。まだこの話は続くのだろう、俺はとりあえずの疑問点を口に出してネレイドにさらに続きを話させた。


「勿論その通りですわ、トーリ様。最初はハーフリングばかりが狙われていたこの事件ですが、途中からそのターゲットはドワーフや人間、ハーフエルフなどの多くの種族を含めることになりました。

 一見無関係に見えるそれら被害者達にシャーンの当局も動機を測りかねていたのですが、そのまま犯人を見つけることは出来ず事件はお蔵入りすることになりましたの──ですのでラピスを狙っているのは法の番人ではありませんわ」


ここまで話したネレイドは喉を潤すためにか紅茶の入ったカップを持ち上げて傾けた。付与された魔法の効果により未だ適温を保たれたその中身は良い香りを放っているが、俺は彼女の言葉に集中すべくじっとネレイドが話を再開するのを待った。


「ラピスが最初に狙ったのは抗争を起こした犯罪組織──"ボロマール・クラン"という古い歴史を持ち、ガランダ氏族の旗に隠れてシャーンを中心に勢力を広げているハーフリング達です。

 ですが彼らを処分していくうちに彼女は間接的にその抗争を引き起こしていたもう一つの組織を突き止めたのです。それは種族や国を問わず、コーヴェアの富裕層の一部で密かに結成されている秘密結社"アーラム"」


"ボロマール・クラン"に"アーラム"。いずれもルールブックやサプリメントで紹介されるほどの巨大な組織だ。特に後者の"アーラム"はゲームの中でも非常に高レベルのクエストにメンバーを送り込み陰謀を企んでいたことが印象的だ。

そして"ボロマール・クラン"とて侮れる存在では決して無い。ガランダ氏族という世界の宿場の大半を牛耳っているドラゴンマーク氏族と深い結び付きを持つこの犯罪組織を敵にまわすということは、宿屋の大半が利用できないのと同義だ。

例えガランダ氏族のトレードマークである『黄金竜の宿り』を掲げない宿であったとしても影響を受けていないとは言い切れない。業界におけるドラゴンマーク氏族の影響力というのはそれだけ圧倒的なものなのだ。

実際には氏族のほとんどのメンバーはそんな犯罪行為には加担していないはずだが、働いている従業員がクランのメンバーかどうかを見分けることは出来ない以上宿を利用するのは無謀だろう。毒や暗殺に怯えるぐらいなら野宿のほうが遥かにマシなはずだ。


「ラピスは"ボロマール・クラン"で事件に関わった幹部をある程度処理した後、シャーンに住んでいたアーラムのメンバーをも狙い始めたのです。

 そして最後の夜、アーラムの最高位である"プラチナ・コンコード"に叙されたばかりのボロマール・クランの頭首を殺害しその指輪を奪って彼女はシャーンを離れました。

 その失態を問われて後継のボロマール・クランの頭首は降格を受け、"ゴールド・コンコード"に収まっています。組織への発言力を削られ、ライバルである"ダースク"に付け入る隙を与えた彼女のことをハーフリング達は忘れないでしょう。

 アーラムについては一枚岩とはとても言えない組織です。でも先代の"プラチナ・コンコード"を殺害した彼女は、他のメンバー達に自分をアピールする良い標的だと考えるコンコーディアンはいるでしょうね」


"アーラム"は金と人脈の力でコーヴェア大陸における影響力を向上させようしている組織であり、一般的には富裕層の情報交換の場を提供したりその豊富な資金で様々な活動を援助したりしているのだがその裏の目的は"秩序にして悪"の組織に相応しいものである。

最上位のメンバーである"プラチナ・コンコード"、彼らによって構成される"影の内閣"がこの組織の活動を統括しており、その目的は裏から五つ国を支配することである。彼らは王族などは体の良い看板に過ぎず、効率的に社会を統治していくのに必要な機知を備えているは自分たちであると考えているのだ。

冒険者にとっては後援者や導き手になるかもしれないが、味方だと思って安心していたら翌日には不倶戴天の敵に変わっていたということも充分にありうる。彼らを支配する金と権力のロジックはとても冷徹なものであり、他者は利用できるだけ利用し、用済みになればお払い箱にするものでしかない。

結束の弱い組織とはいえ、"白金""金""銀""銅"の位階に分かれた彼らの最上位のメンバーを暗殺したとあってはラピスの注目度は相当に高いのではないだろうか。


「なるほど、確かにややこしい話みたいだな。でもそれが俺たちをこの島に足止めした件とどう繋がるんだ?

 あとそういう理由なら、例えストームリーチに居たとしても刺客が送られてきそうなものだけどな」


今までの話は前振りで、これからが本題だろう。俺の言葉に頷くとネレイドは再び口を開いた。


「ラピスは彼女の家系に代々伝わる貴重な魔法の品を身につけています。それは多くの占術から彼女の身を隠す効果を持ったもので、派手に動いて人の口に上ることがなければシャーンの"一夜一殺"がどこにいるのか知ることが出来る者はいないでしょう。

 それにストームリーチのガランダ氏族は"健全"で、クランの影響を受けておりません。当然ですわね、現在コインロードと呼ばれている5人の領主は皆が元はこの海域を支配していた海賊の首領達なのですもの。

 彼らの縄張りに踏み込もうとする愚かな連中は皆あのハーバーの海底に沈んできたのです──先日までは」


"クイック・フット"や"ビルジ・ラッツ"などのストームリーチで活動している犯罪組織は多かれ少なかれ、特定のコインロードとの結びつきを有しており組織によっては実質コインロードの私兵集団でもあるのだと彼女は言う。

コインロードの間でも前述のアーラムのように領主間での勢力争いは行われており、水面下で行われているのがそういった犯罪組織の活動なのだとか。


「ですが港湾地区を支配するロードであるジョナス・ウィルクスが自身の名代として任命した"ハーバー・マスター"ジンは、冒険者を上手く利用することで港湾地区の治安を回復させると同時にそういった犯罪組織に大きな打撃を与えました。

 それが中立を標榜するジョナスの指示によるところかは不明ですが、一時的にストームリーチのならず者たちはその大半が下水の暗い水中に沈んで浮かび上がることは出来なくなったのです。

 この状況を好機と捉え、先代を暗殺されて以降落ち目が続いた"ボロマール・クラン"は手勢をストームリーチに送り込んできたのですわ」


ジンが冒険者の行動を制限し、港湾地区の治安回復に従事させていたのは確かに有効な手段だったのだろう。そして通行許可を受けて中央市場へと移動した冒険者はそこでも市民生活を圧迫している連中を相手にしていた。その結果が外来の組織を呼び込むことになるとは皮肉なものである。いや──


「"ボロマール・クラン"はハーフリングを中心にした組織だと言ったよな。ひょっとしてハーバー・マスターは彼らと何かの繋がりがあるのか?」


ハーバー・ロードに代わって港湾地区を支配しているあの男は、その威風に反して小柄な体格をしたハーフリングである。彼が"クラン"に所属しており今の状況を狙っていたというのであれば、それは他のコインロードを出し抜いた大した策士ということになる。


「その可能性は否定できません──が、とても低いものだと我々は考えています。確かに冒険者としてジョナスに見出される前の彼の出自は知られていませんが、彼がクランの構成員とここ数年内に接触した形跡はありません。

 それに彼がハーバー・マスターに就任してからの行動は一貫して治安回復とそれによる流通の活発化でしたが、彼は主に密輸商人を標的にしていましたし今回のことは彼とその補佐役達にとっても想定してなかった事態ではないかと」


俺の質問に対してネレイドはすらすらと応えた。あらかじめこういった質問が出ることは予想していたのか、それとも敵対組織のこととあって十分な研究を行っているのか。いずれであったとしても彼女たちはストームリーチについても随分と詳しいようだ。


「続けますわね。ストームリーチへ送られたメンバーを統括しているのはタロン・ダルシンという男とその手下です。彼自身もアーラムのシルバー・コンコードであり大きな野心を持っていますわ。

 また彼は先代のクランの頭首と近い関係にありラピスの復讐のターゲットの一人でもありましたが、当時シャーンを離れていたため難を逃れておりますの」


なるほど、お互いにとって因縁のある間柄ということか。


「その二人の衝突を避けるために彼女をこの島に呼んだわけか。だが明日には俺たちは街に戻る予定だ……大丈夫なのか?」


懸念を示した俺の問いに対して、しかしネレイドは僅かに口元に笑みを浮かべて返した。


「心配要りませんわ、トーリ様。コインロードの力は充分なものです──特にストームリーチが開かれて以来、代替わりしていく他のロードたちと異なり一人でその地位を保ち続けているヨーリック・アマナトゥの支配力は恐ろしいものですわ。

 彼はマスター・ジン以上に冒険者の使い方を心得ていますし、ドワーフの長い寿命で得た200年の治世の間に築かれた人脈や情報網は比類のないものです。

 今夜タロンは手勢を失い、自らが糾合しようとしたストームリーチ・ギャングの代表者たちの前で処刑されるでしょう──見せしめも兼ねて。

 ですので明日戻られる頃には何も問題はなくなっておりますわ」


そう言って再び紅茶のカップに手を伸ばしたネレイドは自信あり気に笑みを浮かべている。相当確度の高い情報なのだろう。

そういえば"タイランツ"がストームリーチで使用している拠点はロックスミス・スクウェアの一角にあった。あの近辺から奥のシルバーウォールにかけてはクンダラク氏族が強い影響力を持つ区画であり、その地盤はアマナトゥが彼の氏族と提携して作り上げたものだ。

シャーンで落ち目だったボロマール・クランがストームリーチで成功を収め、再び勢いづくようなことがあっては塔の街の勢力バランスに変化が訪れることになる。ひょっとしたら彼女たちはあのコインロードと協力体制にあるか、何らかの形で今回の彼女の語った事件に関わっているのかもしれない。


「なるほどね、そういう理由があったわけか。それならそうと予め言ってくれても構わなかったんじゃないのか?」


聞いた限りでは俺達に特に不利益はない。むしろ聞いていればなんらかの備えを取ることが出来たかもしれない。


「お二人にはせっかくの旅行を楽しんでいただきたかったからですわ。事前に余計なことを話してしまっては気が散ってしまわれるでしょう?

 それにラピスに言うと私が怒られてしまうそうなんですもの。あの子は鋭いですからある程度は察しているかもしれませんけれど、私から無理に聞き出そうとはしませんわ。

 でもトーリ様にお伝えしてしまえば、例えお話になられなくてもきっと彼女は悟ってしまうでしょう」


確かに知ってしまっていれば言わずとも態度には出てしまい、そこからラピスが何か感づく可能性は高いだろう。そうなるとせっかくのトレジャーハントの気分が台無しになってしまっただろうし、ひょっとしたらラピスはストームリーチに舞い戻っていたかもしれない。


「しかし聞いてしまってから言うのもなんだが、今の時点で俺に教えてしまってよかったのか? 

 今からでもストームリーチに《テレポート》すればその捕物に横槍を入れられるかもしれないぜ」


今はまだ宵の口といっていい時間帯だ。瞬間移動の呪文をもってすれば、コルソスとストームリーチであれば距離は問題にならない。中位の術者であればその手の巻物は常備しているものだし、ラピスも例外ではないだろう。

だがその俺の指摘に対して、ネレイドは艶然と笑みを返した。


「そうですわね、知られてしまったからには仕方有りませんわ。今晩の内はトーリ様にお帰りいただくわけには参りませんわね」


そういって彼女がパチリ、と指を鳴らすと部屋の隅に控えていた《アンシーン・サーヴァント》がするりと動き出し、扉に取り付くとなめらかな動きで内鍵を下ろした。


「勿論、その間しっかりとおもてなしをさせていただきますわ。先程のお話だけでは頂いた巻物の対価には全く足りておりませんでしょうし」


なんということだ、どうやら俺はこの部屋に閉じこめられてしまったようだ。まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされたネレイドの罠に絡め取られ、身動きを封じられた俺は近づいてくる彼女をただ見つめるのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




翌日の朝方、俺とラピスは"波頭亭"で朝食をご馳走になった後でシグモンドに別れを告げ森の広場へとやってきた。昨夜の夕食の際にほとんどの知り合いとは挨拶を済ませているため、見送りに来ているのはラースとネレイドだけだ。


「それではまた暫くのお別れだな、二人とも。研究がある程度の成果を挙げたら今度は私がストームリーチに伺うことにするよ、無論君たちがこの村にやってくるのはいつだって大歓迎だがね。

 少し行き詰りを感じていたんだが、久しぶりの冒険とトーリから貰ったアイデアの数々は非常に良い刺激になった。良い知らせを期待していてくれ」


滞在の間、俺はラースに俺が知るいくつかのマジックアイテムの知識を語って聞かせたのだ。俺が知っているのは作成の前提条件として必要になる呪文や術者としての技量、そのアイテムの効果くらいのものだが未訳サプリなどを含む一般的でない組み合わせの数々に彼は非常に熱心に聞き入っていた。

おそらくこの後すぐにでもラボに駆けこんで暫くは篭もりきりの生活を送るのではないだろうか。また不健康な暮らしをさせてしまうことになるかもしれないが、その辺りはカヤとウルザが世話を焼いてくれると信じよう。


「昔使っていた道具を揃えておきましたわ。今回の宝探しでの貴方の報酬の分も上乗せしてありますし、後で確認しておいてくださいな」


ネレイドはそう言いながら抱えてきたアタッシュケース風の大きな鞄をラピスへと渡した。二人の様子からするとそれなりに重さがあるようだが、どうやら重要な品のようで秘術的にシールドされているように見える。造り自体も随分と頑丈そうで、そのまま殴打武器に転用できそうな代物だ。

まあ冒険者の身につける装備は装身具ひとつからしても金貨何千枚という価値がするものが多いため全てが貴重品と言えるのかもしれないし、そういった品であれば厳重な取り扱いをするのも当然といえる。


「本当は私もご一緒したいのですけれど、流石にそういうわけにはいきませんものね。

 またすぐにお会い出来るとは思いますけれど、一先ずのお別れですわ。お二人と仲間の方々のご活躍をお祈りしております」


"タイランツ"はまだこの海域での作業を行うとのことで、ネレイドはしばらくの間コルソスに滞在するらしい。その中には修理の完了した船舶をリランダー氏族に引き渡すなどの今回の作業の事後処理的なものも含まれており、彼女には世話になりっぱなしである。

冒険者は敵を見つけて退治しお宝を持ち帰ればそれで終わりだが、そのスポンサー達はその冒険に関わる事前の根回しから後処理まで色々な交渉を行っているものなのだ。大規模あるいは高名な冒険者グループであればその辺りの作業も行っているのかもしれないが、俺達は戦闘能力はともかくとしてそういった面では駆け出しに過ぎない。

名前を売るつもりもないので暫くは依頼主から請け負った仕事をこなしていくことになるだろうから、彼女たちとの縁は当分切れそうもない。良好な関係を続けたいものだ。

最後に二人へと大きく手を振って、俺とラピスはこの始まりの島から住み慣れた我が家へと向かう転移の光に包まれた。

“砕かれた大地”に築かれた人類の橋頭堡、ストームリーチ。そこでの冒険の日々が再び始まるのだ。



[12354] 幕間3.バウンティ・ハンター
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2013/08/05 20:24
ゼンドリック漂流記

幕間.バウンティ・ハンター











ストームリーチを流れるコロヌー河を上流へと遡ると、まもなく両岸は切り立つ崖へと変わり急峻な谷が姿を現した。時折川幅が極端に狭くなっている箇所では水流が荒れ狂い、所々でその激流に未だ耐えている強靭な石柱にぶつかって大きな渦を作っている。

そういった辺りでは水の流れは縦方向にも激しく、一度足を掴まれてしまえばそのまま深い水底へと連れ去られてしまうような面も持ち合わせている。これは何もこの河に限ったものではなく、大陸に流れる全ての河川に言えることでもある。強力な魔法の加護を付与された氏族の船で無ければ、この大陸で水運を活用することはできないのだ。

だが何事にも例外というものは存在する──そして腕のたつ冒険者はその最たるものだ。そのコロヌー河の支流の一つ、その水面の上をまるで整備された街道を行くように進む3頭の馬とその背に乗った冒険者の姿があった。

近くで見ればその乗騎が自然のものではないことに気付くだろう。体の毛並みは染めぬいたような黒色だがたてがみと尻尾は灰色であり、なによりその蹄は煙で彩られたかのように霞んで見える。その蹄は水面に波紋一つ広げず、数センチの高さを持って浮遊しているのだ。

これは《ファントム・スティード/幻の乗馬》と呼ばれる秘術呪文によって生み出された擬似生命体だ。呼び出された状態で既に鞍や手綱といった装具を纏っているこの幻の乗騎は術者の技量次第では空すら駆けるという。

疲労を知らぬその乗騎を駆る一行は、競技用の馬が出す最高速度に近いスピードを維持しながらも軽々と河を遡っていく。谷を超え、両岸が植物に覆われ始めると岸辺からの襲撃を警戒してか河の中央部を一列になって進んでいく。

人の手の入っていない自然からはその生命力が匂うように漂っており、全ての枝葉がその姿を誇示するかのようにピンと張っているように見える。この光景だけを見ればコーヴェア大陸でも秘境に赴けばお目にかかれるものだっただろう。だが、さらに進んだところでゼンドリックの洗礼が彼らに襲いかかる。

冷たい風が吹き抜けたかと思うと、上流から霧が流れてきた。その霧を追いかけるように水面が凍りつき、木々の表面に霜が降りたかと思うとやがて周囲は一面の雪景色に覆われてしまった。立ち込める霧と降りしきる雪で視界は悪く、真っ白な影に包み込まれてしまったかのようだ。

白の世界に閉じ込められた一行──ケイジ達はお互いの存在を確かめるべく小さく隊列を纏めるようにお互いの馬を寄せ合った。


「いきなり雪だって!? さっきまで真夏の天気だったっていうのに、どうなってやがるんだここの気候は」


馬上で手綱をとったまま、周りの雪を吹き飛ばすような勢いで先頭のケイジががなり立てた。雪と風に遮られているため、大声を出さずにはいられないのだろう。


「河が溶岩に変わらなかっただけマシでしょ。流石のこの子達も浮かんでいられるといっても高熱に晒されたら無事じゃいられないでしょうし、そうなったら別のルートを探さないといけなくなるでしょうね」


次の馬に乗るアンが肩から広がる外套を胸元で閉じるようにしながら男の言葉に応じた。《エンデュア・エレメンツ/寒暑に耐える》と同様の効果を持つ装身具のおかげで寒暖差による影響は受けないものの、雪が入り込むことを嫌ったのだろう。


「それよりこうも視界が遮られていては危険です。先頭を交代いたしましょう」


最後尾で盾と手綱をそれぞれの手で握っていたアロイが進み出た。その鋼の装甲は所々銀の煌きが覆っており、馬上にいることもあってまるで全身鎧を身に纏った騎士のようだ。だが実際にはその外装こそ彼の肌であり、銀は魔法の護りと破邪を与える錬金術の産物である。

彼らは一刻も早くこの雪嵐地帯を抜けることを選んだようだ。隊列を組み替えると一団となって今や氷河となった支流を再び遡上していく。時折視界を割って現れる障害物を巧みな手綱捌きで回避し、1時間ほどの間雪が入り込むことを嫌ってか無言の行軍が続いた後、突如雪のカーテンが左右に別れたかと思うと再び周囲は熱帯雨林のジャングルと化していた。


「ようやく抜けたか。しかし街の道具屋で防寒具が大量に飾られてるのを最初に見たときは驚いたもんだが、こうして体感してみると確かに必需品だな。

 しかもこんな気候だってのに辺りにゃしっかりと植物が茂ってるときてる。何度か街の外に出たことはあったんだが、街道沿いじゃないとここまで環境の変化が激しいなんてな。巷の伝聞は誇張されてるわけじゃなかったみたいだな」


最初に口を開いたのは再びケイジだった。あっという間に溶けていった雪の雫を払うようにマントをばたつかせ、通り過ぎた後方の雪嵐を振り返っている。


「街や街道はおそらく安定している土地を選んで広がっているのでしょう。そうでなくてはとても生身の体で生存できる環境ではありません」


やや馬の歩調を緩めて再び最後尾へと移りながらアロイが応えた。先程のケイジと比べると対象的に、機械仕掛けの瞳を前方に向けて警戒を行っている。腰元にはボルトが装填されたままのハンドクロスボウが吊るされており、危険な獣などを発見すればまずそれを一射してから距離を詰めようというのだろう。


「昔この大陸を支配していた古の巨人族達は夢と現実の境界を歪めるほどの力を使って戦争を行っていたらしいわ。おそらくこれはその戦争に因る呪文荒廃の影響なんでしょうね。

 さっきの雪原も昨日までは草地だったのかもしれないし、明日には砂漠になっているかもしれない。残滓ですらこれだけの影響を持っているなんて、"ストーム・リーヴァー"っていうのは物凄く強力な術者だったんでしょうね」


アンがそういって首もとを緩めると、乗騎が進むことによる風を受けて外套がはためいた。そこから覗く腰元には秘術構成要素を収めたポーチと、立派なロングソードを納めた鞘が見える。

多くの術者にとっては呪文こそが武器であり、扱いに修練を必要とする近接武器の訓練を行うくらいであればその分の時間を研究に費やそうとするものだが彼女はどうやら例外のようだ。柄に巻かれた革製のグリップには随分と使い込まれたように見える跡が見て取れる。


「おいおい、そんな環境の変化に巻き込まれたらどうなっちまうんだ。そんなんじゃろくに植物だって育ちそうにないもんだが、その辺の木とかは随分と年季を重ねて見えるぜ」


対してケイジは両腰に大振りの山刀を吊るし、背には矢筒と長弓を背負っていた。筒に納められた矢は末端の筈と呼ばれる部分に凝らされている象嵌によりいくつかの種類に分けられているようだ。秘術的知覚を有している者はそのうち何本かが魔法のオーラを帯びていることに気付くだろう。


「そうね、聞いたところでは旅人がその影響を受けることは普通は無いらしいけれど……虎が次の瞬間にはサーベル・タイガーに変わっていたなんてことがあるらしいわよ。

 せいぜいそんな間の悪いタイミングにかち合わないことを祈ることしかできないわね」


ケイジの疑問にアンが答える。ゼンドリックの悪名高い"変幻地帯"の噂はコーヴェア大陸にも伝わっている。そこでは"現実"そのものが安定しておらず、環境と共にその場の動物相や植物相を変化させてしまうのだ。

秘術を教える大学で幅広い知識を習得してきた彼女にとっては、今言ったことは教科書の内容を諳んじるようなものだ。だが知識として知っていても実際に体験したことが衝撃だったのだろう、彼女の声音には隠しきれない動揺が現れていた。

だがそれを吹き飛ばすようにケイジは声を上げる。


「でも流石だな、この馬のおかげで川の上だろうが雪の中だろうがお構いなしだ!

 我等がアンデールの誇る幻影騎士団の十八番なだけはあるぜ、どんな難所もスイスイ~ってなもんだ!」


そういって手綱を操ると眼前に迫っていた大岩へと乗騎を差し向けた。ほぼ垂直に近いその壁面にぶつかる直前、手綱が引かれたことにより前駆を大きく持ち上げたその幻馬は蹄を打ち付けるとその壁面を駆け上がっていった!


「ヒャッハー! ヴァダリス氏族の競走馬でもこんな芸当は出来ないだろ!」


景気良く叫んだその台詞を発するに十分な時間を滞空した後、重力に引かれて落下した馬体はしかし落水の直前に自らの重さのことを忘れたかのように勢いを失うと、ふわりと水面に僅かばかりの隙間を残して停止した。


「ちょっと、その《ファントム・スティード》はともかくアンタは水に浮かばないんだし、落馬したらこの急流に飲み込まれてあっという間に溺れ死ぬわよ!

 馬鹿やってないで大人しくしてなさい!!」


突然の奇行にアンが慌てて静止の声を掛けた。相方のそんな剣幕にもケイジは悪びれずに笑みを浮かべるが、手綱を緩めて歩速を合わせる。


「いやー、どうもワクワクが止まらなくってな! 南の大陸で宝の地図を頼りに冒険だなんてガキの頃思い描いてた夢物語そのまんまじゃねーか。

 酒場の賭け事の代金替わりってあたりが胡散臭いけどよ、地図自体が古いものだってことは確かなんだ。その道中で興奮するなって言われても無理ってもんだぜ!」


抑えきれない気持ちを言葉に乗せて解き放つようにケイジは声を上げて笑う。


「地図は確かに古いものだっていうのは間違いないようだけれど、その中身までは解らないのよ?

 碌でも無い生き物が住み着いてないことを祈るわ」


相方に比してアンは落ち着いたものだ。冷めた声でケイジに呼びかけ、上がりすぎているテンションを下げようとしているようだ。だがその成果が上がるより先に、後ろからアロイの声がかかった。


「どうやらその答えも間もなく明らかになるようです。地図に記されていた湖が近づいてきました。

 水の流れが穏やかになってきましたし、ここからは水中からの奇襲も警戒する必要があるでしょう。幸いこのあたりは立木も少なく視界が通っていますし、そちらから迂回するように移動するのが良いと思われます」


彼の言うとおり、目前には川の流れを生み出している広大な水場が広がっていた。視界一杯に広がるその大きさはかなりのものだ。スカイフォール半島の北端から連なる山脈から流れだした渓流のいくつかがこの湖へと流れこんでおり、それが一つの流れとなってコロヌー河へと流れ込んでいるのである。

アロイの提案の通り、三人の操る幻の馬は湖岸沿いに進むとしばらくして現れた開けた空き地で歩みを止めた。ケイジが周囲の警戒を行っている傍らでアンは馬から降りて背嚢から古い羊皮紙を取り出し、地面の上に置く。そこにはこの周囲の地勢が描かれ、湖の上に大きく×印が刻まれている。

屈んだアロイがその地図の上に黒い石を置き、さらにその周囲に特殊な素材で構成された棒を配置していく。ウォーフォージドがその手を止めた次の瞬間、最初に置かれた石から緑色の光が放たれ周囲へと広がっていった。そしてその光は現れたとき同様、唐突に収束するとアロイの二つの眼へと吸い込まれていく。

いまや彼の瞳にはその古い地図に重なるように周囲の地勢が詳細に浮かび上がっていた。湖の深さや付近の動物がねぐらにしている穴ぐら、丘の向こうにかつて開拓者が開いた廃村、そして彼らの目的地である地下へと向かう坑道。

《レイ・オヴ・ザ・ランド/地勢》と呼ばれる周囲の地形を把握する呪文を秘術技師としての能力で再現したのだ。今は"カニス西家"と呼ばれるドラゴンマーク氏族は最終戦争時代に様々な能力を持った特殊なウォーフォージドを産み出そうとしていた。彼はその最中に生み出された特異な試作型であったのだ。

自身をメンテナンス可能な秘術技師と、前線で戦う戦士としての二つの側面を持つ知識をインストールされた数多くの同型機は自らの中でその二面性を解消されずに自壊するか、一切の行動を起こさない物言わぬ置物と化した。

唯一自我を維持していたアロイであったがその技術は未熟であり、研究自体が廃棄されたところで戦争で活躍した将軍の一人に引き渡されたのである。今は彼を引き取った軍人の最後の命により、その孫の護衛として仕えている。

かつては形を得ていなかった技術がその子供が進んだ秘術学校で過ごした時間により磨き上げられ、今では独自の道を歩み始めていることが彼にとっては感慨深いものであった。


「どうやら目的の場所は近いようです。妨害がなければ小一時間ほどで到着できるでしょう。幸い崩落や地形の変化による水没などは免れているようです。

 この辺りの気候は安定を保っているようで、大規模な"変幻地帯"に見られる痕跡は確認できません」


秘術を行使するたびに脳裏に浮かぶ思考を別の窓に追いやりながら、アロイは淡々と状況を説明した。


「そう。じゃあ案内をお願いするわね、アロイ。湖の底に入り口があるとか、洞窟を出ようとしたら溶岩流に埋め立てられたなんてことがないようで少し安心だわ」


地図を拾い上げたアンはそのまま折りたたむと背嚢へと放り込んだ。呪文の効果時間が終了しても、得た知識は残る。いまやアロイの脳内には周囲80Km圏内の詳細な地図が出来上がっているのだ。その先導に従えば目的地を誤ることは有り得ない。


「水場周りの様子からすると、結構大型の動物がこのあたりを縄張りにしてるみたいだな。そいつらと鉢合わせしないようにさっさと目的地に向かうとしようぜ」


ケイジの指し示した先には水場の泥濘にはっきりと刻まれた複数の足跡があった。その大きさは人間のものとは比べものにならないほどのものだ。この大陸の魔法的性質と地形及び気候の多様さはそこに住む動物たちにも強く影響を与えている。

コーヴェアでも見られる種が環境に適応したものから他の大陸では絶滅してしまった大型恐竜など、希少動物を狙ってこの大陸に足を踏み入れる研究家は後を絶たない。だがそのうち目的を達成できる者はほんの一握りに過ぎない。

ストームリーチの街には希少動物専門のハンターなどもいるが、専門家を装った追い剥ぎなども多く紛れているのだ。信頼できない案内人を選んだ探索者の末路は言うまでもない。そういった先人が遺した研究誌なども好事家の収集の対象品であり、冒険者にとっての臨時収入となっている。

馬から降り、地下へと向かう坑道を進み始めた一行の前に姿を現したのはそういった先人の亡骸だった。完全に白骨化した上に黴に覆われてはいるが、湖から放たれる不思議な冷気のためか原型を未だ留めている。慎重に罠を確認しつつ亡骸に歩み寄ったアロイが検分を行う一方、ケイジとアンはこの遺体を生んだ原因の襲撃に備えて周囲を警戒した。


「……特に仕掛けはないようです。人間の男性、背丈は平均よりもやや下といったところでしょうか。遺体の状態は少なくとも数年は経過しているようですが、詳しい期間を知るには持ち帰って検査を行う必要があるでしょう。

 死因は背後から鋭利な刃物で肩口から斬りつけられた傷だと思われます。他にもいくつか傷はあるようですが、最後の一撃を受けてそのまま絶命しここで倒れたのでしょう」


彼に与えられた知識の中には〈治療〉に関するものも含まれていたのだろう。その言葉は淀みなく流れていく。一部遺骨に貼りついている衣服の残骸などにも注意を払いながら、アロイは解説を続ける。


「目ぼしい持ち物が見当たらないことから殺された後に荷物を奪われたのでしょう。既に足跡を追うことは出来ませんのでどこからどこへ向かっていたのかは不明です。

 少々お時間を頂ければ死者との会話を試みることも可能ですが」


《スピーク・ウィズ・デッド/死者との会話》は第三階梯に属する信仰呪文である。その効果は死体に一時的な知性と生命力を与え術者の実力にもよるが若干数の質問を行うことを可能とするものであり、いくつかの条件はあるが情報収集の手段としては有用なものだ。

だがこのアロイの申し出はアンによって却下された。


「やめておきましょう。この死体が私たちの向かう先について役に立つ情報を持っているか解らないし、貴重な呪文のリソースを割り当てる判断をするにはまだ早いわ。

 この先にも似たような死体は一杯転がっているかもしれないんだし、それに話を聞くのは行き詰ってからでもいいでしょう。とりあえず今は先に進むことにしましょう」


ひらひらと不規則に手を振りながらアンは靴の先で死体の近くに落ちている小さなベルトポーチを転がした。時間の経過ですっかり緩んでいたようで、その拍子に中身が零れ落ちて慌ててアンは足先を引っ込めた。


「う、確かにこうなってから随分経過してるみたいね。それじゃアロイの盾に《ライト/光》の呪文をかけるから先導をお願い。

 私は中央でランタンを持つわ。ケイジは側面と後方の警戒をお願いね」


アンはバツが悪そうにつぶやいた後に探索の方針を指示していった。彼女が一摘みの物質要素を指先に、力ある言葉を唱えると触れていたアロイの盾が松明のように輝き始めた。目を凝らせば10メートルほど前方までは見通せるだろう。

アロイが愛用しているのは、大柄な彼本人と同じ程の高さがあるタワー・シールドと呼ばれる品だ。あまりに大きすぎるため冒険者の中でも特に専門の訓練を受けた者でなければ扱うことは出来ないし、また自身の攻撃手段も限られるためどちらかといえば避けられる類の装備だ。だが彼は自らの役割に相応しいこの大型の盾を好んで使用していた。

続いてアンは片手で投光式のランタンを背嚢から取り出し片手で持ち上げた。肘から先ほどの高さを持つその金属製の筒は前方にシャッターがついており、その内側は鏡のように磨かれている。筒の中央で油が燃える光を一方向に投射することで松明よりも遠くへ光を伸ばすことが出来る。

彼女は容量一杯まで油を注ぐと、シャッターを開いて火口箱で火をつけた。すると先程の《ライト》の呪文の何倍も強烈な光が前方を照らし出す。坑道はゆるやかなカーブを描きながら地下へと向かっており、30メートルほど進んだところでランタンの光が壁面にぶつかっている。

一定の区域ごとに木製のアーチが支保として用いられており、またそこにある程度の装飾が成されていることで明らかに人の手が入っていることが解る。奥からはひんやりとした冷気以外に泥と黴の土っぽい匂いが漂ってきており、僅かに風が流れているようだ。


「ま、この様子なら妙なガスの心配はしなくてよさそうだな。それじゃ宝探しと行こうか!」


アン達が準備をしている間にケイジも光源を用意していたようで、彼の背中では陽光棒が2本その灯りを放っていた。二刀流の使い手であるケイジにとっては両手を確保するために必要な措置なのだろう、背負い袋の側面にはしっかりと陽光棒を挿し込むためのポケットが設けられている。

既に抜き放たれている二本の山刀は使い手の心情を汲み取ったのか、時折火花と共に用意された照明の数々とは異なる種類の光を放ち今か今かと出番を待っているかのようだ。このままでは隊列を無視して先行しそうなケイジの様子に呆れたようにアンは出発の号令を下す。


「さ、それじゃ胡散臭い宝の地図の冒険の始まりね。ストームリーチ成立以前にこの海域を荒らしていた海賊王の隠れ家って奴を拝見するとしましょう」


アンの掲げたランタンの光が揺らめき坑道を覗き込むように照らし、その光の道を盾を構えたアロイが歩む。はるか昔に何者かによってくり抜かれた坑道は地面だけではなく壁面や天井に到るまでかなりの強度に固まっているようだが、だからといって警戒を解くことは出来ない。

この世界には土の中をまるで水中を行くが如く泳ぎ渡るクリーチャーが珍しくないし、そういった連中の奇襲以外にも穴掘りによって移動するクリーチャーがすぐ真下を通り抜けていたりなどすればそれは天然の落とし穴となる得る。

上下左右、全周囲を警戒しつつも決して鈍重ではないペースでウォーフォージドは進んでいく。その機械の体に宿る心の特性故にかあるいは蓄積された経験の恩恵か、適度な警戒心と着実な移動速度が調和し彼は一行を先導する。

そうして地上の光の届かぬ距離まで坑道を進んだ一行の前にはやがて巨大な漆黒のうろが広がっていた。前方を照らすアンのランタンの光もその奥に届くことはなく、アロイはその広大な暗闇に踏み込む直前で歩みを止めた。


「お待ちください。罠です」


そう言って彼が目前の地面へ周囲に転がる瓦礫の欠片を蹴りこんだ。2つ3つと、転がされた石の重量が重なると目前の地面が僅かに沈み込んだ。その直後、前方2メートル四方ほどの床面から天井に向けて幾条もの鋼の煌きが走った。金属が擦れる音が空気を揺らし、坑道内をこだまする。

それぞれが大人の四肢ほどの太さもある鉄杭が10本、偽装されていた射出口を貫いてその姿を現したのだ。犠牲者の血を何度も吸ったことによるものか、赤茶けた鋭い切っ先は2メートルを超える高さまで勢い良く突き上げられた。

現れた時よりも僅かに鈍い速度で床面の下へと沈んでいったそれは、さらに続けて2回鋭い動きで天を衝いた。計3回の挙動の後、カチリという歯車の噛みあう音と共に数センチ沈み込んでいた床面が元の高さに戻る。

罠の発動の切掛となった石は粉砕され吹き飛ばされており、坑道内は元の静寂を取り戻したかのようだ。だがよく目を凝らせばその床には磔の鉄柱が吐き出される窓が見て取れ、侵入者に対する殺意がそこから零れ出しているように感じられる。


「典型的な感圧式のトラップです。先程の範囲に足を踏み入れなければ発動することはないでしょうが、念のため解除しておきましょう。しばしお待ちください」


アロイは盾を置くと先ほど歯車の音がした方向を見やり、巧妙に偽装された操作装置を発見すると専用の道具を取り出し、歯車の一つを手早く取り外す。床面に掛かった重量が一定になると足元から杭が打ち出される仕掛けのようだが、その重量を射出装置に伝える仕掛けを無力化したのだ。

彼に与えられたアーティフィサーとしての知識にはこういった罠への対処も含まれている。こういった機械式の罠だけでなく、魔法の罠の仕組みにも習熟しているのだ。技術と秘術を組み合わせた"秘術技師"の職名に相応しい技能である。


「ま、これで単なる古い坑道って線は無くなったな。罠が生きてるってことは、ここから先のお宝が手付かずで残ってる可能性があるってことだ。そうだよな?」


「残されているのが罠だけなんてことが無ければ良いのだけれど。こんな大仰な仕掛けを残すぐらいなんだもの、この先もきっとトラップだらけに違いないわ。

 時間は掛かっても構わないから慎重に行きましょう。アロイ、頼りにしてるわよ」


アンの言葉を受けてアロイは半歩足を進めた。彼が盾を上方に掲げると、アンはその影に隠れるようにして身を乗り出してランタンの光を上方に向けた。この広間の入口付近は縦方向への広がりはそれほどでもなかったようで、アロイの盾が発する松明程度の灯りでも充分に天井に届いている。

湿気を含んでぬめる苔に覆われた土肌が見え、光に照らされることを嫌った小型の蝙蝠が小さな鳴き声を上げて飛び去る。すぐ頭上にはこの地下空間に住人が居た頃にランタンを吊るしていたのであろう金属製のフックが天井からぶら下がっている。

不安定なランタンの光に照らされるたび、壁の凹凸が蠢いているように見える。小型の生物が踊っているようであり、腕を振り回しているようでもあり、またそれらは実際に物陰に隠れた存在を照らしているのかもしれない。

だがその不気味な光景にも心揺さぶられることはなく、アンはランタンの光で舐めるように周囲の様子を探り地形の把握に努めた。秘術と共に暗闇に潜む恐るべき生物たちについても学んだ彼女は、こういった場所での身の処し方も心得ている。

天井沿いにランタンの光を動かしていくと、20メートルほど先で天井が消えている。そこから一気に天井が高くなっているのだろう、灯りに映るのは巨大な石筍が上から下へと伸びている様子だけだ。

その辺りは地面も抉れているようで、この広間の中央部は左半分が崩れ落ちているようだ。右手側にも充分な広さがあるため行き来には支障がなく、そちらから奥へと進むことができそうである。

石筍を伝って落ちる水滴が水面を揺らす音が静かに響いている。おそらく床が崩れ落ちた先は水場になっているのだろうが、ここからでは視線が通っていない。


「……天井が高いのは厄介ね。いきなりウーズやスライムが落ちて来るってことはなかったけれど今後もその幸運が続くとは限らないし。

 奥行きもかなりありそうだけれど、ひとまずは壁際を移動して全体を把握することにしたほうが良さそうね」


アンが慎重な方針を提案し、アロイを先頭に立てるべく後ろへと下がる。だがそれに対応したのは彼女の予想を外し、ケイジだった。


「こうまで広くて照明もないんじゃ警戒も容易じゃないだろ。ランタンの光が向いてない方向から何かが近寄ってきたのに気づいた頃には手遅れだ。

 俺にちょっと考えがあるから見てなよ」


ケイジは自信あり気にそう言うと、両手の武器を鞘に収めバックパックを下ろした。彼がそこから取り出したのは、紐で束ねられた陽光棒の束である。

10本が纏まったそれを両手で持ったケイジが束の先端部分を壁面に擦りつけると、衝撃を加えられたことで鉄芯を覆っている被覆物が光を放ち始める。全ての陽光棒に一度で光を灯したその手際は中々見事なものだ。


「ちょっと、何勿体無いことしてるのよ! 大量に使ったからって光の届く距離が増えるわけじゃないのよ!?」


ケイジの意図を測りかねたアンが批難の声を上げたがもう遅い。消耗品とはいえ1本あたり金貨2枚という、一般的には高級な消耗品は纏めて発光を開始している。その特性上、一度開始した発光を止めることはできず使い切りとなっているためやり直しも効かない。

だがケイジはそんな相方の言うことなど気にした風もなく、マイペースに行動を続けた。


「そんなにカリカリすんなよ、ここ暫くの賊退治と依頼で十分稼いでるし大した出費でもねえだろ? それに無駄遣いってわけじゃねーさ」


そう言ってケイジは陽光棒を束ねていた紐を解くと、脇に束を抱えながらそのうちの1本を抜き出しおもむろに正面の暗闇の中へ放り投げた。


「そーれ、っと。もういっちょ!」


掛け声を出しながら次々と投擲されていく陽光棒。放物線を描きながら飛来していくそれは硬質な音を立てながら地面に落ちてもその役割を放棄せず、周囲に明るい光を放ち続けている。ケイジがその全てを投げ終える頃には、広大な空洞の大部分が光に覆われていた。

1本の陽光棒は半径10メートル近い空間を明るい光で照らす。大量に放りこまれた光源により、先程までは無明の暗闇だった広間は一気のその有り様を変えていた。恐怖を煽った壁の凹凸も、こうなってはただのオブジェに過ぎない。

視角の関係で奥の天井などは依然として確認できないとはいえ、探索や警戒が段違いにやりやすくなったことは間違いない。


「へへっ、どーよ? 一気に見通しが良くなったろ。随分と楽になったんじゃねーの」


得意げに二人の連れを見るケイジ。


「確かに松明じゃこんな扱いした時には長持ちしないだろうけれど……あんまりだわ。私が呪文書の記述に必要な構成要素とインクを買い揃えるのに苦労しているっていうのに!

 それにここで陽光棒使い切っちゃってどうするのよ!」


冒険中でなければ倒れ伏しそうな表情を浮かべてその成果を見やるアン。秘術の探求には莫大な研究費が必要とされ、高位の呪文ともなれば前衛が用いる魔法で強化された武器の価格と比べても遜色の無いことがほとんどである。

その上アンの場合は自身も前衛に立って武器を振るうこともあるため、慢性的な金欠状態なのだ。研究の合間を縫って作成したスクロールを、学生時代の恩師の伝手で得たルートで秘術商店に卸しているものの原価率からしてみれば良い稼ぎとまではいかない。

眉唾物であった宝探しに彼女が頷いたのは色々と理由があるが、そのなかの一つには勿論地図が本物であった場合に得られるメリットのこともあったからだ。


「ああ、まだ小分けになってるのがいくらか残ってるし十分持つだろ。それに下手に怪我して治癒のポーションとか飲むのに比べたら安いもんだ」


そんな彼女に付き合って決して経済状況が良いとは言えないケイジではあるが、彼は気楽そうに笑みを浮かべながら再び二刀を抜き放った。そして残るアロイもケイジと同意見のようだ。


「命を金貨で買えるならそうすべきですお嬢様。それにおかげで頭上の心配もどうやらそれほど気にせずともよさそうです。

 もし天井にウーズらがいたのであれば今の動きに反応して飛び落ちて来たでしょうし、そもそもこの辺りにはその手の生物が存在しない可能性が高くなりました。

 先ほどの遺体もそうですが、この広間にもいくつかの遺体が転がっているのが見えるようになりました。スライム達がこういった餌を放置しているとは考えられません」


そう言ってアロイが指し示す先には、ケイジの放った陽光棒に照らされてその姿を表した先人達の亡骸があった。

入り口にあったものと違い骨が散らばっていて元の形を留めているものは少ないが、それでも頭蓋骨から見て中型の人型生物のもので間違いないと見て取れる白骨がいくつも転がっている。

その眼窩の奥深くは陽光棒の光も届かぬ暗闇をたたえており、既にドルラーへと送られたその魂と同じくどこか虚空を見つめているようだ。


「あーもう、わかったわよ! これで実入りが無かったら承知しないんだからね!」


やり場のない感情を込めて力強くランタンの持ち手を握りしめたアンの勢いに、先に行かれては不味いとアロイは再び盾を前方に向けて広間へと入り込んだ。

右手の壁沿いに広間を進み、地面の崩れた部分に差し掛かるとアンがランタンで前方を走査する。崩落部分は10メートルほどの深さがあり、底は予想通り水場に変わっていた。沈んだ陽光棒が水面越しに柔らかな光を発しているところを見ると水の深さは腰までも届かない程度だろう。

だがその水たまりは広間の左手側の足場を抉るようにして先へと続いている。少なくともランタンの光が届かない程度の奥行きはあるようで、これ以上の探索には下に降りる必要があるようだ。幸い瓦礫の一部が均されており、スロープのように使われていたようで昇り降りには苦労せずに済みそうである。

崩落部分を迂回するように移動すると、入り口から見て正面と左奥にも坑道が伸びている。それらの奥へとランタンを向けているアンの後ろで、ケイジは無言で周囲の様子を伺っていた。

二本の坑道の中間点を正面に捉えた彼の視界には、5メートルほどの高さまで積み上げられた土塊が映っていた。この広間の壁面にはまるで螺旋を描くようなかたちで地層が描かれているのだが、その一部は壁面より突出しておりうまく足を運べば天井まで登っていけそうに見える。


「そちらの斜面にはあまり近づかれぬよう。不要に近づくと刃が飛び出す罠になっております」


ケイジの視線を確認したのか、アロイが注意を促す。彼の無骨な瞳には自然の堆積物に見せかけた土砂の中、罠の起動と停止を司る機械仕掛けのトラップを映し出していた。

おそらく地面を突き破って飛び出た複数の刃が回転する種類のもので、ゼンドリックの遺跡で良く見られるタイプだ。かつてこの大陸を支配していた巨人であれば足を切られるだけで済むかもしれないが、人間であれば腰までミキサーにかけられてしまう凶悪なものだ。


「……なるほど、言われてみれば俺にも違和感って奴がなんとなく理解できるな。このくらいの罠だったら俺も注意していれば見つけられそうだ。

 仕掛けをどうすればいいかはさっぱり解らねえけど、引っ掛かるのは避けられそうだな」


高度な罠の発見には専門の訓練を積む必要があり、ケイジはそれを行っていない。とはいえレンジャーとして鍛えられた彼の知覚能力は鋭く、この洞窟のような悪環境下に置いても隠蔽程度の低い罠であれば察知することが出来る。

とはいえ罠の無力化についても訓練が必要であり、彼に出来るのは大まかに把握できる罠の影響範囲を避けることくらいだ。


「勉強熱心なのは結構だけど、今は周囲の警戒に集中してよね。それに今更その手の訓練を始めるっていうのは良くないんじゃないかしら?

 無理に色んな技術に手を出しても、今まで蓄積してきたものを台無しにしちゃうだけになるかもしれないわ」


わかってはいるでしょうけれど、と続けつつもアンはケイジに釘を差した。軽装を旨とし、2本の軽刀剣を使用する彼の剣技は確かにローグの技術との相性は悪くない。

だが、生物の急所に攻撃を加えることに重きをおいたその術理はいま真っ直ぐに延びている彼の剣筋に軌道修正を強いるだろう。そして不死者や人造、一部の魔法の加護を受けた存在には実質急所というものが存在せず、その技は効果を発揮し得ないのだ。


「いやー、俺もそろそろ色んなことを模索したほうがいいかなと思ってさ。二刀の扱いは自分でも中々のもんだと思ってるんだが、そこにさらに何かを加えたいんだよ」


彼らが最近通うようになった冒険者仲間の屋敷では、前衛同士で手合わせを行うことがあるのだがそこでの彼の成績は芳しくない。相手によってはカスリ傷一つ与えることが出来ず封殺されてしまうことも多い。

アンも秘術の研究者としての情報交換を主としながらも時折手合わせに混ざることはあるのだが、白星を収めた試しがない。


「《トゥルー・ストライク/百発百中》の洞察の上を行く先読みやら身のこなしやらは天与のもので、私たちが今からどう頑張っても得られるものじゃないわ。あの人達を基準に考えるのは止めておいたほうがいいわよ」


うんざりしたような表情でアンが言葉を返す。故郷では同年代の間で負け知らずであり大学でも優秀な成績を修めていた彼女にしてみれば、この街に来てからの出来事はその慢心を捨てるに充分だった。

そしてそれは確かな糧となり、彼女を成長させている。特にそれぞれ専門を異とする二人の秘術使いとの会話は彼女の技術の伸長に大きく寄与していた。


「──さて、どうやらこの辺りには他にトラップなどの仕掛けはないようです。先に進むのであればいくつかの通路がありますが、どちらから参りましょうか?」


二人がそんな会話をしているうちにもアロイは周囲の探索を終えていた。この広い空洞には来た道を除いて3つの行き先が見えている。


「そうね。とりあえず水場のルートは後回しにするとして、入り口に近い方からでいいんじゃないかしら。順番に片付けていきましょ」


アンがそういってカンテラを坑道の一つへ向ける。投光式ランタンの灯りをもってしても行き止まりを照らすことは出来ない。少なくとも40メートル先まではこの通路は続いているようだ。天井の高さは10メートル以上あり、この坑道の規模を暗示しているようだ。

ランタンを下げていない方の手には針金が握られており、それが腰のポーチに吊るされた鈴を擦った。中空には音を鳴らすための玉が入れられていないのか、揺れたそれから音が漏れることはなかった。


「まあ異論はないぜ。一応一本投げ込んでおくか」


アンがなにやら行っているその横で、ケイジは足元に転がっている陽光棒を一本拾い上げておもむろに前方へ放り投げた。放物線を描いたそれは見事に天井ギリギリを掠めるように飛ぶと、ランタンの照らす距離の倍ほど進んで硬質の音と共に動きを止めた。

遠目に照らし出されたそれは、ゼンドリックの遺跡によく見られる形式の扉である。おそらくは巨人族が一定の規格として採用していたのであろう、分厚い金属製の円盤で通路を遮断している様子が見て取れる。同じ形式の扉は巨人族の文明が影響を与えた様々な土地で見ることが出来、カニス氏族らも同じものを採用している。

一説ではこの扉を創造する専用の呪文がこの大陸の探索の際に見出されているとかで、創造のマーク氏族はその秘密を独占しているのだという。突拍子も無い話ではあるが、自然の坑道に突如こういった扉が現れることは珍しくないことからそれなりに知られている噂話の一つだ。


「おっ、奥に扉があるみたいだな。とりあえずあそこまで進むとしようや」


そのケイジの声を切掛に、一行は再び隊列を組んで進み始めた。それなりに踏み固められたのかしっかりとした足場は重装備のウォーフォージドが歩いても僅かに沈み込む程度だ。周囲の暗さも相まって、その痕跡を発見することは相当に難しいだろう。

とはいえ警戒を怠るわけには行かない。罠などの危険がないことを確認しつつ、100メートル先の扉まで進むには5分の経過を必要とした。


「特に鍵や罠といった仕掛けはありません」


手早く調査をしたアロイの声を聞いて、アンとケイジがその立ち位置を入れ替えた。


「それじゃ開けるぜ……せーのっ!」


手前の地面に据え付けられた巨大なレバーを操作すると、歯車の噛みあう音と共に円盤が横へと転がり出す。その隙間に盾を押しこむようにしてアロイが前進し、アンは奇襲に備えて後方で精神を集中させながらもランタンを掲げた。

だが、どうやら彼らの警戒は空振りに終わったようだ。轟音と共に円盤が動きを止め、向こう側への視線が通るとそこには無人の空間が広がっていた。鉄柵によって仕切られた3つの部屋から成り立つその区画はどうやら居住空間として使用されていたようだ。

動物を閉じ込める檻のように隙間のある鉄柵だが、正面の部屋を仕切る柵には切れ目が設けられており出入りに支障はない。一方、左の部屋とを区切る柵には戸口が設けられており、簡易な鍵で閉鎖されているようだ。大型の木箱が天井付近まで積み上げられていることから、物置部屋だったのかもしれない。

空洞自体に手を入れているようで、周囲を取り囲む壁面はその凹凸を削られ部屋を綺麗な正方形に形作っている。正面奥の部屋には巨大な二柱の像が立っており、その一つにはどうやらこの部屋の空気を清浄に保つ魔法が仕掛けられているようだ。扉を開けたことにより、広間側からの湿気た空気が流れ込んだはずだがそれらは一呼吸もしないうちに浄化されている。

残る一方の像は部屋中に灯りを発しているようだ。この空間は魔法による熱を持たない光で満たされており、先程までの暗所に慣れていた一行にはやや眩しく感じられるほどだ。


「あら、仕掛けも待ち伏せも無しね。魔法の効果はまだ生きてるみたいだけど、ずっと無人なのかしら?

 まあ一時的なセーフハウスってことならこんなモノなのかもしれないけれど……」


床の一部には焚き火台があるなど過去にこの空間で誰かが生活していたのであろう痕跡を見ることができる。だが、無論それが熱を発していることなどはなく最近使われた様子はどこにもない。


「なあ、このデカイ像の必要な部分だけでも切り取って持って帰れないのか? 空気を綺麗にする奴って結構な値段がするって言ってたよな」


正面奥の部屋へと入ったケイジが彫像を調べながらアンに尋ねた。ケイジは人間の中でもやや背が高い方だというのに、二柱の像の大きさはその倍を優に超えていた。石造りということもあって、とても持ち運びのできる重量ではない。


「駄目ね。大抵の場合、呪文っていうのはその起点となった物体が破損した時点で効果を失うものよ。その像の事は忘れるしかないわね、どうやってここまで運び込んだのかって事は気になるけど。

 唯一収穫になりそうなのはそこの物置らしきスペースかしら。アロイ、そちらの様子はどう?」


鉄柵の前で解錠を行っていたアロイにアンが声をかけると、やや間を置いてウォーフォージドが振り返った。その手には鍵として取り付けられていたU字型の金属が握られている。


「鍵は問題なく取り外せました、お嬢様。捜索にはもう暫くの時間を頂戴いたします」


そう言って畏まるアロイに向かってアンは歩み寄る。


「そうね、それじゃちゃっちゃと取り掛かって片付けちゃいましょ。ケイジ、一応そっちの入口側の警戒をお願い。

 分岐部に《アラーム/警報》を仕掛けておいたから何かあったら解るはずだけど、念のためね」


「あいよ、任された。収穫を祈ってるぜ!」


受け渡されたランタンを地面に置き、角度を調節した後ケイジは弓を手に持って弦の調子を確認し始めた。指で何度か弾いて異常が無いことを確認すると、矢筒から矢を取り出して番える。

ここから広間までは彼の構えたコンポジット・ロングボウの標準射程を上回っており、命中精度は若干落ちるものと考えられる。もし侵入者が現れたとしたらある程度引きつけたほうが命中率は上がるだろう。

だが相手の移動速度が早かった場合に抜刀が間に合わなければ無防備な姿を晒すことになる。状況次第では発見したら即座に矢を射掛けて双刀を抜くべきだろう。そういった状況判断をとっさに正しく行うことが生き延びるために必要なのだ。

ケイジはランタンに照らされた坑道を睨みつけながら、仮想敵の動きをシミュレーションする。今まで戦った敵や、肩を並べた戦友たちならどう動く? 自分はその動きに対応できるか?


「終わったわよー、そっちの扉閉めてこっちに来て!」


後方遠くから投げかけられた声を受けて、ケイジは弓を背負い直すと部屋の内側にも備え付けられているレバーを操作した。扉が閉まったことを確認後、レバーの噛み合わせ部分に楔を挿し込み開閉出来ないように細工する。有り触れた扉だけに、先人によって様々な工夫が行われておりこの楔もその一例である。

扉を挟んで両側に存在するレバーは互いに連動しており、片側の動きを止めればもう一方も操作不能になるのだ。そういった細工を可能にする小道具が色んな店で販売されている。準備を入念に行う冒険者であれば当然持っている品であろう。


「どうよ、なんか目ぼしいものはあったのか?」


そんなルーチンワークをこなした後、ケイジは物置部屋へと足を踏みれた。積み上げられていた木箱はいくつかは地面へと下ろされており、釘で打ち付けられた木板は手斧で破壊され中身を物色されていた。


「ある程度価値がありそうなのは小剣が一本といくつかの宝石、あとは金貨が少々ってところかしらね。ほとんどの木箱は石が詰められてるだけで碌なもんじゃなかったわ。

 武器はカニスの刻印がされてるし、魔法が掛けられてるみたいね──"ixen"」


アンがその刀身に刻まれたコマンド・ワードを唱えると柄から炎が吹き出した。不思議と握り手には熱を伝えないその魔法は"フレイミング"と呼ばれる武器に付与される魔法効果だ。斬りつけた相手に火による傷を付加するその能力は一般によく知られたものだ。


「へえ、魔法剣か! 強化以外の付与付きでカニスの印もあるなら結構な価値がありそうだな。半値で金貨四千とは言わねぇが、三千は固いだろ」


ケイジは口笛を吹きながら手渡された小剣を手にとって振ってみる。彼の普段の愛刀は斬撃を主とするククリであり、刺突用の小剣は扱いが異なる。

だが互い違いの武器を双手に構えた彼はなんら違和感なくそれぞれの武器を操ってみせた。剣閃が幾度か空を切った後、左手のククリを納めたところでアンから小剣の鞘が放り投げられた。柄で上に弾くように受け止めた後、空中で水平に浮かんだ鞘に向けて右手の小剣の刀身が吸い込まれるように消えていく。

金属と革がぶつかった軽快な音の後、場にはアンの拍手が響き渡った。


「相変わらず器用なものねぇ。ソードベルトが一個余ってたでしょ? とりあえず腰裏にでも差しておきなさいな」


「そうだな、とりあえずは預かっておくか」


ケイジは背負い袋から剣帯を取り出すと腰上に巻きつけた。腹の上で鞘の留め金を帯に固定すると、ぐるりと反対側に回して背中側へ移動させる。何度か鞘からの抜き心地を確かめた後、帯を締めて固定した。


「お二人とも、こちらに隠れていた扉の調査が終了いたしました。罠はありませんが鍵が掛かっていましたが、どういたしましょう?」


装備が整うのを見計らっていたかのように木箱の向こうからアロイの声が聞こえてきた。二人がそちらへ移動すると、先ほど潜ったものと似た形式の円盤扉が木箱の山に隠れるように存在していた。

扉の形自体は似ているが、円盤の中央部の仕掛けを操作することで開閉する仕組みだ。多くの場合操作できるのは一方からのみで、この場合反対側からは操作を受け付けない仕掛けとなっている。

誰かが大変な手間をかけて鍵のかかったこの扉を隠そうとしていたのだろう。この中のものを守るためか、それとも外のものを守るためか?

 
「まあ少なくともさっきの品だけじゃ海賊王の隠し財産っていうにはお粗末すぎるでしょ。勿論開けるわよ」


アンのその声に一行はそれぞれの武器を構え、隊列を整えた。先ほど同様ケイジが扉を開き、アロイが先陣を切った。ドアの向こうをアンのランタンが照らすと、10メートルほど先に壁があり通路が右手へ伸びているようだった。

壁には様々な軍旗が飾られているがそれは彼女たちの知る五つ国のいずれのものにも合致しない。そして何よりもそんな映像よりも彼らを刺激したのは、圧倒的な悪臭だった。

その正体は直ぐに明らかとなった。通路の奥の闇から彼らを見る一対の赤い瞳。人間より遥かに高く、3メートル近い位置にあるその目は暗がりに潜む緑の巨人のものだったのだ。


「来るぞ、トロルだ!」


即座に反応したケイジがその言葉を言い終えるよりも早く、奥から巨体が駆けこんでくる。そしてその勢いで上段から振り下ろされた巨大な棍棒は、5メートル近い高所から一瞬で獲物へと叩きつけられた。

その人間の大人ほどの大きさのある木材をアロイは盾で受け止める。先程まで静寂に包まれていた坑道に打撃音が響き渡る。付与された光に照らされ、巨体の姿が露となった。体躯に比して四肢は長く、手のひらと足はさらに不恰好に大きい。

足の指は三本で地面を踏みしめており、棍棒を握る指先には凶悪な爪が生えており武器を用いずとも充分な殺傷能力を有していることが窺える。底なしの食欲が久々の獲物を見つけたことで刺激されたのか、広げられた巨大な口からは大量の涎が撒き散らされていた。


「こいつらは火か酸じゃないと倒せないわ! さっきの武器を使いなさい!」


アロイの横をすり抜けるように移動するケイジはアンの声を聞いて腰と背中から武器を引きぬく。それぞれの刀身を覆う紫電と炎が洞窟の暗闇を照らす新たな灯りとなった。彼はトロルの横をもすり抜け、背後へと回ることで挟撃を狙う。

戦士として高い素養を持つ巨人は無論そんなことを許すことはないが、ケイジを狙おうとしたその意識は正面に立つアロイによって引きつけられた。盾を開いてその姿を曝したウォーフォージドもその手に彼らに弱点である炎を纏った剣を持っている。

軽装の戦士であれば自らの一撃で叩きのめせると信じた巨人はひとまずは先ほど自分の攻撃を生意気にも受け止めた存在を放置できぬと考え、今度は息もつかせぬ連撃で仕留めようと棍棒を振りかざした。

無論それはケイジに無防備な背後を晒すことになる。彼の構えた両手の武器が襲いかかり、付与された炎がトロルの体に引火する。刃を通して送り込まれた電撃も僅かに動きを鈍らせる役には立っているようだが、切り傷は見る間に再生によって塞がれていく。

失った四肢すら数分で取り戻す恐るべき再生能力を停止させられるのは火か酸によるものだけだ。それ以外のあらゆる効果はトロルに致命的な負傷を与えるには至らない。

とはいえ与えられた痛みは感じるようだ。その激情を雄叫びに乗せ、トロルは棍棒を振り下ろした。流石にアロイも真正面から受け止めるような事はせず、盾に傾斜をつけて受け流す。だが強かに地面を打った棍棒は今度は跳ね上がるようにして襲いかかってきた。

膂力の違いに吹き飛ばされそうになるも、戦士としての経験を付与されたウォーフォージドは巧みな体重移動と盾捌きで攻撃をやり過ごす。彼の役割は敵の攻撃を引きつけ、時間を稼ぐことなのだ。無論、相手の注意を引きつけるべく攻撃を行うことはするがそれは決定打ではない。


「《スコーチング・レイ/灼熱の光線》!」


アンの指先から放たれた二条の熱閃が接近戦を繰り広げる両者の隙間を縫ってトロルの体幹に突き刺さった。だが人間なら即座に炭化するその熱量を受けても巨人はまだ止まらない。秘術使いを最大の脅威を認識し、残された力を振り絞るように棍棒を握る手に力を込める。

だがそれが振り下ろされることはなかった。背後から延髄に差し込まれた小剣が脳を焼き、眼と鼻からも炎を吹き出しながらトロルは崩れ落ちた。だがケイジはまだ気を抜かない。彼の鋭敏な感覚は通路の奥からやってくる巨人たちの足音を察知していたのだ。

通路の奥、彼の視覚では赤く輝く目しか見えないが少なくとも3体。いずれも先程のトロルよりも大柄と思われる連中が駆け寄ってきている。


「アン、まとめて焼いちまえ!」


奥へと向き直りながらも声を掛けたケイジの横へとアロイが並ぶ。そして巨人の群れが目前まで迫る直前、一粒の光弾が二人の間を通り抜けたかと思うと火球へと転じ灼熱の火炎となって荒れ狂った。

アンの片手に握られたロッドによって、呪文の持つポテンシャルを最大に発揮した《ファイアーボール/火球》の呪文が巨人の群れの中央で炸裂したのだ。まるで火にくべられた枯れ木のように、その五体を炎上させながら崩れていくトロル達。ゴムを焼いたような異臭が炎に炙られて流れてくる。

だが、最も奥にいた緑肌の巨人は崩れ行く仲間の炭化した体を踏み越えながらも一行へと肉薄してきた。その肌の表面では火が弾かれるように飛び散っている。《プロテクション・フロム・エナジー/エネルギーよりの保護》を予め自らに付与していたのだろう。

暗黒六帝の聖印を首から下げたトロルの司祭は距離を縮めつつその口を開く。その瞬間、三人の周囲で強烈かつ不快な音が炸裂した。鼓膜から脳を揺さぶる音響の波が三半規管を殴打し、その意識を刈り取る。《サウンド・バースト/音響炸裂》の呪文だ。

アンとケイジの手から握っていた武器が落ち、眼の焦点がずれる。ほんの数秒であるが集団の意識を奪うこの呪文はこの残虐な種族の司祭が好むものである。彼らは危険を感じて反応しようとするが、ショック状態で上手く体が動かせず逃げることが出来ない。間近に迫った惨劇に心を踊らせ、トロルの司祭は舌なめずりをしながら棍棒を振り上げた。この巨体と長い四肢から繰り出される一撃は容易に二人を薙ぎ払うだろう。

だが、その間に巨大な盾を構えてアロイが立ちふさがる。彼自身も音波の衝撃の範囲に含まれてはいたが、生まれ持っての強靭な体が呪文効果への抵抗を可能としたのだ。盾を叩きつけんばかりの勢いで前進した彼はその影から剣を突き出した。不意を付いたその剣先は確かにトロルの腹を切り裂いたが、依然として司祭の体を包む魔法の防護が弱点である炎を散らしてしまう。

焼かれなかった傷口は瞬く間に塞がり、怒りを募らせたトロルは再び呪文を行使した。隙なく唱えられた呪文により、握っている巨大な棍棒から凶悪な棘が生える。盾の上から叩きつけられたにも関わらず、それはアロイの全身には突き刺さるような衝撃を伝えてきた。明らかに殺傷力を増したその棍棒の猛攻にアロイはただ耐え忍んだ。


「助かったぜアロイ。今から加勢するからな!」


朦朧状態から回復したケイジが足元の武器を拾い上げると敵の背後へと回りこんだ。立て続けに振るわれる双剣の連斬は巨人の背中に深い傷を残す。通常の攻撃からは再生するといっても限度はある。それ以上の速度で細切れにしてしまえば活動を停止させることはできるのだ。

さらにアンがトロルを指さしながら呪文を唱えると紫色の光線が放たれた。それが命中したトロルは先ほどまで余力を持って振るっていた棍棒が突然重さを増したように感じた。弱体化の魔術がその巨体から力を奪ったのだ。

目に見えて鋭さを失ったその棍棒を二人は余裕を持って回避する。まともに直撃すれば一撃で戦闘不能に陥らされる凶悪な武器とはいえ、当たらなければどうということはないのだ。


一方小さい者たちの予想以上の反抗にトロルの司祭は焦りを感じていた。一対一であれば余裕を持って相手にできる者たちとはいえ、流石に今の状況は多勢に無勢だった。特に攻撃の届かない後方から呪文を放ってくる秘術呪文使いが気に障る。3体の同胞を瞬時に焼いた炎の呪文は厄介だ。

あれほど強力な呪文をそう何度も放てるとは思えないが、万が一ということもある。乱戦状態であるうちは安心だが、味方が劣勢となれば自らの身を守るために危険な手段に出る可能性もある。

そう考え最大の脅威を秘術使いと判断した巨人は前後を挟む五月蝿い者たちを無視して一気に駈け出した。隙だらけのその動きに反応して武器が体に突き込まれるが、火は魔法の守りによって散らされ刃の与える傷は再生する。

自らの射程に獲物を捉えた司祭は自らの神に祈りを捧げ、棍棒を振り上げた。すると先ほど弱められた力を補って余りある暴虐なエネルギーが武器へと集中する。《破壊》の領域を司る神の司祭が得る凶悪無比な攻撃だ。

これを受ければ人間などひとたまりもない。目の前の華奢な雌などぺちゃんこになるだろう!

振り下ろされた棍棒は頭部に炸裂し、そのまま勢いを緩めず大地を穿つ。大音響が坑道を揺らし、その衝撃に地面に置かれていたカンテラが跳ね上がった。だが危うく倒れそうになるその品を横合いから伸びた手が拾い上げる。


「あら、危ないわねぇ。これ以上無駄な出費はしたくないのよ、あなたはそこで這いずり続けなさい」


確かに叩き潰したはずの雌が今もなお言葉を放っている。そして秘術使いがランタンで塞がっていないもう一方の掌で司祭の足元に何かをばらまいたかと思うと、突如地面は脂で覆われた。突如不安定になった足場に姿勢を維持しようとするが、後ろから向かってきた小物たちが加える執拗な攻撃を受けついには転倒してしまう。

刃の傷自体は大したことがないとはいえ、幾度も斬りつけられバランスを維持することは出来なかったのだ。転倒の衝撃を堪え開き続けた眼には、幾重にも重なって見える術者の姿が映る。《ミラー・イメージ/鏡像》、あるいはその上位呪文だ。先程の棍棒の一撃で消し飛んだのはこの呪文により生み出された虚像の一体に過ぎなかったのだろう。


「突っ込んできてくれて助かったわ。奥に逃げられたら厄介だったものね──」


先ほど呪文を行使した腕が今度は腰の剣を抜いた。その刀身は見るも鮮やかな紅蓮の炎に彩られている。本能的な恐怖が巨人の心に巻き起こり、体を起こそうとするが周囲から間断なく降り注ぐ攻撃がそれを妨害する。

我武者羅に棍棒を振り回しても、その凶悪な棘は空しく虚像を貫くのみで術者自身には届かない。やがて再生を上回る深い傷が彼の体を蝕み始め、呪文の護りが限界を迎えたことで魔剣の炎が肉を焼き始める。

窮地を脱するために呪文を行使すべく精神を集中させようとするが、目の前の術者はその度に炎の剣で斬りつけてくる。明らかに呪文の詠唱を狙っての行動だ。司祭はようやく自分が誘い込まれたことを理解した。そして動きを止められ呪文を封じられた今、彼に出来るのは無念の雄叫びを上げることのみ。

やはり彼の読み通り、最も警戒すべきはこの魔女だったのだ。だが何もかも手遅れである。トロルの司祭はそのまま先程の彼女の宣告通り、二度と立ち上がることなく焼き尽くされたのだった。





「あら、また魔法の武器ね! ドワーヴン・ウォーアックスってところが減点だけれど、付与されている魔法の効果は意匠からして"人造破壊"かしら?

 ウルーラクに譲ってもいいのだけれど、使いどころが無さそうだし売ったほうがいいかもしれないわね。金貨も500枚近くあるし、さっきのと合わせればそれなりの収入になりそう。切り札をきった甲斐はあったみたいね」


戦闘終了後、一行はトロルの悪臭のこもった奥のエリアを探索し隠されていた宝物を発見していた。住人の体には不釣合なその品々はおそらく元々この周辺に置かれていたのをトロルたちが奪っていたのだろう。


「いやー、さっきのもそうだが本当に実入りがあるなんて驚きだぜ。どうやらあの地図は本物だったってことか。こいつらがなんでこんな狭い穴蔵に住んでいたのかは知らないけど、ラッキーだったな」


道は簡単な分岐の後にいずれも行き止まりになっており、トロルたちがこの空間に閉じこめられたことを示していた。おそらくは信仰呪文によって生み出される食料や虫などで食いつないでいたのだろう、行き止まりの一つには暗黒六帝の祭壇が作られていた。


「この手前にあった魔法剣はおそらくトロル達への備えだったのでしょう。あの扉と木箱のバリケードで閉じ込めたはいいものの、それだけでは安心できなかったというところではないでしょうか。

 しかし現時点では無人になっているということは結局ここは放棄されてしまったようです。それがどういった理由かは解りませんが……」


周囲を確認していたアロイが自分の考えを述べた。


「そういやアロイ、腕は大丈夫なのか? 盾の上からとはいえかなりキツいのを貰ってたろ」


ケイジが彼を心配して声を掛けた。先程の戦いでは攻撃を直撃されることはなかったとはいえ、巨人の破壊力は圧倒的である。1トンを超える体重とその自重を支える筋力、そこから繰り出される攻撃は掠めるだけでも骨を砕き、盾の上からでも充分に人を圧殺せしめる。


「若干の不具合は発生しましたが、既に自己管理により修復されております。戦闘に支障はありません」


アロイは丁重に返すと自分の右腕を見た。ウォーフォージドである彼の前腕には秘術の力を封じ込めたワンドを埋め込むことが出来、そこに《リペア・シリアス・ダメージ/中損害修理》という、最近自らの手で創り上げたワンドを装備していた。

それにより両手に武装を保持したままワンドを使用することが出来る。"ワンド・シース"と呼ばれる追加パーツを取り付けたウォーフォージドだけに可能な術であり、それにより自らの負傷を癒したのだろう。


「さて、それじゃさっきの部屋で小休憩したら他の通路も探索してみましょう。

 どうやらこの拠点はお宝の回収をしないまま放棄されたみたいだし、他のところにも価値のあるものが眠っている可能性は高いわ。

 魔法の武器がもう何本か見つかったら家の設備も随分と整えられるでしょうし、研究の予定も随分と前倒しに出来ちゃいそう!」


アンの表情は川面を幻馬で駆けていた時と異なり喜色満面だ。現時点で上手く売りさばけば金貨1万枚を超える実入りがあるのだ。半日の稼ぎとしては破格以外の何物でもない。

上機嫌の彼女に率いられ、一行は来た道を引き返していくのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




清浄な空気に包まれたエリアで小休憩をとった後、彼らは再び吹き抜けのある空洞へと戻ってきた。周囲に散らばった陽光棒は未だ充分な光を放っており足元を照らしている。先ほどと変わった様子のない広間の中央を通りぬけ、そこから伸びる通路の先をアンが掲げたランタンで照らす。

やはりそちらも奥行きが窺えないほど長く続いているようだ。しかしそれは水場の奥に続いている道も同じことである。彼らは予定通り、次の進路を隣の通路へと定めると移動を開始する。

最後尾を行くケイジは何気なく周囲を見渡していたが、一瞬感じた違和感を何か理解するよりも早くその体を動かしていた。

抜身で握られていたククリが彼の後ろ上方の空気を薙ぐと、正にその後頭部を射ぬくべく放たれていた矢が軽い音と共に両断される。そしてケイジの動きはそこで止まりはしなかった。

アンの背中を蹴りつけて彼女をアロイの構えた盾の影に放り込みながらも自身は次の矢を迎撃すべく両手の武器を振り回した。先程の矢に続けとばかりに殺到したその数は20を優に越えている。

天井近く照明の届かぬ高所から包囲していることを誇示するように、360度全周から矢が打ち込まれた。その射出点を見極められない上に視界が悪く、目視したときにはもう手遅れというそんな状況。

ケイジは守りが薄く急所となる頭部への直撃を避けることだけに専念し、僅かに聞こえる弦を引く音だけを頼りに我武者羅に剣を振った。一太刀で3の矢を落とし、二の太刀がそれに続く。そして半数の矢が目立つ光を放つ盾を構えたアロイへと向かっているといってもまだ4本の矢がケイジへと向かっていた。

1本はつま先を掠めるように地面に刺さり、1本は肩当てに弾かれた。迫る次の矢は頭蓋に吸い込まれるように落ちてきたところを上体を反らし胸当てで受けた。だが思いの外強弓であったらしく、貫通こそしなかったものの衝撃により肺が圧迫されたことで生まれた一瞬の反射の空白に差し込まれた一矢が太腿を抉った。


「っっっ!!!………」


漏れそうになる声を噛み潰し崩れる姿勢を自ら加速させてクルリと前転し、立ち上がる勢いで附近に転がっている陽光棒を蹴り飛ばす。一方的に射られる原因は自分たちだけが光源に照らされているせいだと判断してのことだ。

先程の矢傷が熱を帯び、もっと自分を労れと抗議の痛みを発するが幸い骨に達するようなものではなく、動きに大きな支障が出ないことから黙殺。

しかし1本程度を動かした程度では周囲に転ばる多数の光源が薄明かりを届け、彼ら一行の姿を浮かび上がらせるのを止めることは出来ない。探索のために設置したそれらは、今となってはそれは彼らを降り注ぐ矢の的として目立たせるものでしか無い。

だがケイジが切り伏せ、アロイが盾で護った時間は確かな結果となって彼らの前に現出した。彼らを中心に円筒状の不可視のカーテンが現れたのだ。その厚さ50センチを超える空間は強力な風で満たされており、通過しようとした矢弾を絡めとるとその尽くを見当違いの方向へ吹き飛ばした。


「逃げるわよ!」


アロイの盾の影から現れたアンの手から、込められた秘術回路を起動させたことで燃え落ちる巻物が零れ落ちた。発動した呪文は《ウィンド・ウォール/風の壁》、第三階梯に属するこの呪文によって生み出された不可視の壁は矢弾やブレスといった攻撃への良好な防壁となる。

持続時間は30秒程度の限られた時間とはいえ、それはこの状況において万金の価値を持つ。だが急ぎ入り口に駆け戻ろうとした一行の視界には、無効化させたはずの鉄杭の罠がその全貌を露にして停止している姿が写った。通路を塞ぐように立ち並んだ鉄柱はとても通り抜けられそうに見えない。


「塞がれたか……転移するわよ、掴まって!」


アンはそう言って背負い袋のサイドポケットに手を突っ込んだ。収納物の中から所持者の望む品をその手に運ぶ効果を有した"便利な背負い袋"が彼女の求める巻物を差し出し、無造作に紐解かれた紙面に踊る秘術回路がアンの魔力を浴びて活性化を始める。

発動された《テレポート》の呪文は一行の肉体を物質界からアストラル界へと運び──そして即座に吐き出した。不自然な現界によりアストラル体が重複する状態で物質化された3人は全身を苛む衝撃を受ける。


「そんな、呪文の発動は完璧だったはずなのに!」


転移事故の衝撃で姿勢を崩したアンは膝立ちの状態で、信じられないといった様子で手元で崩れ落ちる巻物を見ている。ケイジはその手を引っ張ると彼女を起こし、移動を開始した。

彼の鋭い視覚には、微かに照らされた上方の薄暗がりから何物かが近づいてくるのが映っていた。壁面をぐるりと伝う出っ張りを下りてくる姿は四足の獣のようだ。その足は早く、どうやら先ほど確保した通路に戻っている余裕はありそうにない。


「とにかく移動だ。ここにこのまま居たんじゃ蜂の巣にされちまうぞ!」


なんとか彼らが降り注ぐ矢の殺し間から逃れた直後、未だ持続している風の壁を食い破って追っ手が地面を駆けてきた。光源を塗りつぶすような黒い毛並みに獰猛な牙。人間ほどの体長を有したブラック・ウルフだ。訓練された捕食者である彼らは2匹の組となってそれぞれが一行に襲いかかるとしてくる。

平時であれば容易に処せる相手ではあるが、広間から離れたことでかろうじて薄明かりが射すに過ぎない視界に加え暗闇に溶け込む敵の姿は捕え難く、対して敵はその鋭敏な嗅覚で確実にこちらを捕捉しているという不利な状況。

執拗にこちらの足の腱を狙ってきたかと思えば、突然首元に跳びかかるように飛びついてくる。相手のほうが重量があるため、乗りかかられただけで組み伏されかねない以上敵の体全体を回避するしかない。炎の魔剣を恐れず、死ぬまで襲いかかってくることを止めない厄介な敵だ。

機先を制して1体を瞬殺したケイジは残る1体も労せず仕留めたが、他の二人は狼の連携に苦戦させられ敵を倒すにはケイジの助力を待つ必要があった。そして狼を排除するのに僅かな時間とはいえ足止めを受けた一行に、再び矢嵐が襲いかかろうとしている。

ブラック・ウルフの後を追って降りてきた弓手らが彼らを射界に捕らえたのだ。ランタンを携えたアンの姿は暗がりの中でも目立つが、灯りを手放して先に進めるはずもない。弓を構えた10人程度の人影は一行からも見ることが出来たが、散らばった連中を呪文で一網打尽には出来そうもない。

その状況を見取ったアンは一瞬で判断を下すと、ポーチから一つまみの石英を取り出し放り投げた。その欠片が地面に触れると同時に彼女は"力ある言葉"を発し、その指の指示した範囲が氷の壁で埋め尽くされた。《ウォール・オヴ・アイス/氷の壁》の呪文である。


「さっきの風の壁よりは持続時間も長いし、破壊されても冷気は残って通過した相手を傷つけるから十分足止め出来るはずよ。

 今のうちに先に進んで、少しでも迎え撃ちやすい場所を探しましょう。こんな一直線の通路上で多勢相手に撃ちあいなんて私の趣味じゃないわ」


彼女の声を合図に一行は通路の先へと進む。咄嗟の反応に優れたケイジを先頭に、アンが中央から前方を照らしアロイが殿を務めた。

だがその時間も長くは続かなかった。ほんの20メートルほど進んだ先で、通路の床が崩落していたのだ。所々足場となるところは残っているものの、点々とした足場への跳躍を続けなければ対岸へと進むことは出来ない。ケイジが足元の小石を放りこんでみたところ、暫くして水面に落下する音が聞こえてきた。

床の崩落は随分と長く続いているようだが、その先には仄かな灯りを放つ苔が群生している通路が見えている。緑色の光がまるで彼らを拒絶しているように感じられた。


「結構高さがある上に底は水たまりになってるみたいだな。水の深さは分からないけど何か危険なのが棲んでるかもしれねぇ。

 まあこれくらいの幅ならジャンプして渡っていけそうだとは思うが、皆はどうだ?」


足元の暗闇を覗き込みながらのケイジが皆に問いかける。


「まあこれくらいなら私も大丈夫よ。でも重装備のアロイにはきついんじゃないかしら?」


「十分な助走の距離を取れるのであれば問題ありません。ですが、不要に飛び込むのは危険です。どうやらこの足場ごとに罠が仕掛けられているようです」


そう言ってアロイが石を放ると通路の壁面に隠れていた仕掛けが発動した。髑髏の口から強烈な冷気が吹き出したのだ。何も考えず足場へと飛び降りていれば、今の冷気の直撃を受けていただろう。


「チ、追い込まれたってことか。流石に背水で戦うわけにもいかねーしな。これなら引き返して正面から撃ち合ったほうがマシじゃねぇか?」


状況を分析してケイジはぼやいた。一方的に撃ち込まれるのではなく、同じ地面に足をつけてのぶつかり合いであれば勝ち目がないわけではないのだ。

無論それは先手を取れれば、という条件はつく。一番効果的な位置に攻撃呪文を打ち込み、その後にケイジが突っ込むのだ。乱戦に持ち込んでしまえば一方的に攻撃されることはない。

無論無傷だなんてことは考えられないが、このままこの場所に留まっては無為に死ぬだけだと解っている。だがアンはその意見には反対した。


「いえ、ここを渡るわよ。先の通路は曲がり角になっているみたいだし、この足場であれば連中も一気に大勢で押し寄せることは出来ないでしょう。

 なにより身を隠しながら渡ってくるところを一方的に攻撃できる機会だってあるはず。幸い時間にはまだ余裕があるわ」


アンの提案は簡単なものだった。飛行能力を付与する呪文により、向こう岸まで一気に飛んでいくというものだ。だが無論高度な呪文を全員にかけることは出来ない。

最も力に優れたアロイに呪文を付与し、彼にアンとケイジを一人ずつ運んでもらおうというものだ。不慣れな空中機動にややもたつきつつも、ほんの数分で彼らは罠で満たされた崩落地帯を渡りきった。


「さてと、連中ここまで追ってくるかね? 来てくれればいい的になるんだが」


壁を遮蔽にしながら弓を構え、ケイジは通路を睨みつけていた。未だに氷の壁の効果時間は残されており、手を出しあぐねているのか壁が破壊された音も聞こえてこない。


「こちら側に伏兵がいなかったことからも、あそこの罠で仕留めるつもりだったのかもしれないわね。随分甘く見られたもんだわ。

 どうやら人間中心の集団だったみたいだから追いかけてくるのには灯りが必須でしょうし、さっき撃たれた分はしっかりお返ししてやりなさいよ」


その後ろでアンも様子を窺っている。既にカンテラは仕舞い込まれ、彼女の手には呪文の威力を強化する効果を持った短めのロッドと剣がそれぞれ握られている。専門の訓練を積んだ彼女は剣により呪文の動作要素を満たすことができるため、片手を開けておく必要がないのだ。


「しかし、このまま追撃が来ない可能性もあります。その場合ここでずっと待っているわけにもいきませんし、脱出の手段を探す必要があるでしょう。

 この先の通路が外に続いている可能性は低いでしょう。お嬢様、やはりこの坑道から秘術で脱出することは不可能なのでしょうか?」


アロイは念のため奥側の通路を警戒しているが、今後のことを考えたのかそう質問してきた。それに対しアンは渋い表情で応えた。


「噂で聞いたことがあるだけで実際に体験したのは初めてだけれど、おそらくここは"フェアズレス"と呼ばれる特徴を持った地下空間なんだと思うわ。

 その範囲を起点もしくは終点とする瞬間移動の呪文は余程の高い制御力がない限り大失敗に終わるんだとか。歴史に名を刻むような大魔術師ならともかく、今の私じゃまず無理ね。賭けの要素が大きすぎるわ。

 たぶん入り口に転がっていた死体もここで襲われた秘術使いだったんでしょう、秘術構成要素のポーチを持っていたもの。

 なんとか呪文に頼らず逃げ出したんだけれどあそこで力尽きたんでしょうね……」


この坑道に足を踏み入れた際に見た遺体のことを思い出したのだろう。苔の放つ光のせいだけではなく、彼女の顔色は悪く見える。


「術者殺しの空間ってことか。吹雪を抜けてまともな土地になったと思ったがとんだ勘違いだったみたいだな。本当ゼンドリックは魔境だぜ」


呪文による脱出が封じられたのであれば、歩いて脱出するしか無い。往路で使用した幻馬は戦闘には不向きであり矢が数発当たれば消えてしまうため、速度を活かして逃げきることも出来ない。


「おそらく、土地自体が特徴を有しているがために"変幻地帯"の災いを受けずに済んでいるのだと思われます。

 また、瞬間移動が出来ないということは術者による不意の侵入を防げるということでもあります。おそらくそのことを考えてここに拠点を築いたのでしょう」


アロイが自分なりの推論を述べた。確かに今はケイジ達にとって苦境を生んでいる環境ではあるが、利用価値が無いわけではない。実際に大富豪などの邸宅には大金を払って瞬間移動を封じる呪文の効果が付与されていることもあるくらいだ。

賊のような後ろ暗い者たちにとって、この天然の坑道はまさにうってつけの隠れ家だったのだろう。


「なるほどな……不便な土地なりに使い道はあるってことか。しかしそうなるとやっぱりあの広間を抜けなきゃ脱出出来ないってことになるな。

 連中が追いかけてきてくれれば楽なんだが」


ケイジもうんざりとしたような顔をしているが、その眼は未だ強い意志の光を宿しており彼がまだ諦めていないことを示している。今か今かと敵の追撃を待ち受けている今の状況はむしろ彼らこそ優位に立っていると考えているのだろう。

瞬間移動が出来ないのはお互い様である以上、周囲に気を配っていれば奇襲は防げる。ケイジは先ほど射られた矢の返礼をするつもりでその心を猛らせていた。


「そもそも連中は何者なのかしら。待ち伏せしようとしていたのなら、最初に私たちが広間に出た時点で仕掛けても良かったはず。

 トロルにぶつけて消耗させるのが狙いにしても、もっと上手いやり方はあったはずよ」


状況に整理がついたところで、今度はアンが疑問を呈した。相手の正体や狙いがわかれば選択する手段を絞り込むことが出来る。特に知性ある生物が相手であればそれは非常に重要な要素だ。


「放たれた矢にはいずれもストームリーチで流通しているカニス氏族の刻印が刻まれた品でした。狼を飼い慣らしていることなどからして、ここをねぐらにしている賊の一派ではないかと思われます」


アロイの冷静な瞳は、あの奇襲の際にも降り注いだ矢の特徴をしっかりと捉えていた。


「上の方の様子は分からないけど、そっち側に住んでる連中が俺達の侵入に気づいて仕掛けてきたってことか?

 それにしちゃ対応が半端な気がするな。俺ならこの辺りに伏兵を置いておくし、そもそも逃げ場を全部潰しておくけどな」


「今となってはあの地図が怪しいわね。過去の話は本当だったとしても、今は目障りな連中をおびき寄せて仕留めるためにここは使われているんじゃないかしら。

 私たちであの街の盗賊団を相当叩きのめしたし、恨みに思っている連中の数は両手両足の指の数じゃ足りないでしょう。

 ボスを倒した私たちの首をとった奴が組織を纏めるとか、そんな馬鹿な事を考える連中がいたって可笑しくないわ。私たちを普段は使われていない洞窟で不意打ちする。三下の考えそうなことよ」


アンのその推測にケイジは頷く。ストームリーチに来てからというもの、彼が戦った敵はあの街に巣食う悪漢が多かった。そしてその傾向はアンが加入したことで一気に加速している。


「あー、そういやそうかも。"早足団"に"船底鼠"、それにこないだはシャーンから来たなんとかクランだっけか。

 他にも名前もわからねぇような集団も一杯潰したもんなぁ……。だいぶ稼がせてもらったけど、その揺り返しが来たってことかね」


ケイジの脳裏を、今まで戦った多くの犯罪組織の構成員達がよぎっていった。一張羅の防具を台無しにされたり彼ら一行の隣人の住居を地上げしようとしたり、ここ数カ月の彼らと犯罪結社たちの過ごした密度は非常に高いものだ。


「なるほど、そうであれば相手の対応に隙があるのも理解できます。おそらく、彼ら自身もこの土地について詳しいわけではないのでしょう」


アロイも得心がいったように頷いた。最初の奇襲こそ驚かされたものの、その後の敵の対応はお粗末に過ぎる。連携が取れていないといっていいだろう。お互いが足の引っ張り合いをしているのかもしれない、と彼は判断する。


「フン、何回来てもその度返り討ちにするだけよ。さーて、そろそろ呪文の効果が切れる頃よ。誰に喧嘩を売ったのかしっかりと教育してやんなきゃね」


アンのその言葉を合図に小声での会話を打ち切って一行は前方へと集中した。氷の壁が消滅したことで広間の陽光棒の灯りが見えるようになった。

敵襲に備えて緊張を高め、微かな兆候も逃すまいと睨みつけるケイジ。アロイは矢に、アンは投射されるかも知れない呪文に対して精神を研ぎ澄ませている。今まで戦っていた賊の中には、油断できない呪文の使い手も存在していたのだ。

暫くすると人だかりが近寄ってくるのが見えた。複数人が崖の手前で立ち止まり、なにやら作業をしたかと思うと隠されていた縄梯子を取り出して一人が下へと降りていく。

そして下側から出された何らかの合図を受けて、残りの連中は次々と足場へと飛び込み始めた。罠の発動がないことを見るに、おそらく解除のための仕掛けが下の方にあったのだろう。

隙だらけな状況であるが、ケイジらは敢えて仕掛けずに敵を十分に引きつけた。取り逃して広場に逃げこまれると厄介なことになる。数多くの修羅場を潜ったケイジは自らの気配を操る術を十分に心得ている。優れた狩人にとって自らの存在を感じさせないことは当然の技術だからだ。

目の前の通路の奥に弓を構えた男がいるというのに、賊達は気づかずに近寄って来る。敵の先頭が崩落した通路を半ばまで渡ったその時、ついにケイジは弓の弦から指を離した。空気を切り裂く音と共に飛来した矢は狙い通り命中し、哀れな盗賊は姿勢を崩して水場へと落下していく。

速射された矢は次々と賊へと襲いかかり、不安定な足場で身を翻すことも出来ない人影を射ぬくとその衝撃で一人また一人と突き落としていく。重い物体が水面に衝突する派手な音が立て続けに響いた。

何人かが破れかぶれになったのか、手にしたダガーを投げてきたが無論そんなものに被弾するケイジではない。1分にも満たぬ間に彼の視界からは賊の姿が消え失せていた。

上で起こった異常に気がついて縄梯子を登ってきた賊は、持続時間の残っている飛翔の呪文により対岸へとたどり着いていたアロイによって腕ごと梯子を切り落とされて落下した。水気によるものかこの辺りの壁面は苔に覆われており、とても道具なしで登ることは出来ないだろう。

前方の安全か確保されたことで、ケイジとアンは悠々と足場を渡って向こう岸へと辿り着いた。足元からは即死を免れた賊たちが痛みに呻く声が聞こえてくるが、一顧だにしない。


「さっきの広間で奇襲してきた連中はこれで片付いたかしら。まだ残ってるとするとさっきの広場でまた待ち伏せされてるかもしれないわね。

 アロイ、出口を塞いでいる杭は何とかできそうかしら?」


アンが前方の広間を睨みつけながら問いかけた。陽光棒で照らされた空間には人の姿は無い。骸となったブラック・ウルフが転がる以外、彼らが先ほど通ったときと変わっていないように見える。


「おそらく、部屋のこちら側にも罠を操作する仕組みがあるはずです。それがなくとも、時間を掛ければ杭を一本ずつ破壊して通ることは可能です。

 ですが、いずれにせよ戦闘中にそのような事を行っている余裕はないでしょう。まずは周辺の脅威を取り除いてからにすべきです」


アロイの見立てではあの杭はそれなりの純度の鉄だ。彼が予備武器として持ち歩いている隕鉄製のメイスであれば容易に破壊できるし、同じくケイジが持つ隕鉄製ナイフであれば豆腐のように切り裂けるだろう。

隕鉄──アダマンティンとも呼ばれる不思議な金属は鍛造に高度な技術を要するため非常に高額だが、自らより硬度の低い物質を容易に切り裂くという恐ろしい特性を有しているのだ。このため比較的少量の素材で作れる小型武器を非常用のツールとして携帯している冒険者は多い。

とはいえ排除すべき鉄杭の数は多く、敵に背後を向けてそんな作業をしている余裕はないだろう。アロイの提案は理に適ったものだ。


「そうね……少しでも不意打ちを避けるのに、姿を隠していきましょう。それで戦闘を避けて脱出できれば余計な出費も嵩まないし。自作とはいえ巻物代だって馬鹿にできないんだから!

 二人とも、あまり私から離れないようにね」


アンがそう言って呪文を行使しようとした瞬間だった。広場のほうから一人の男が現れ、一行の方へ向かって近寄ってきた。鎧も纏わず手ぶらで無造作に歩いて来るその姿を警戒し、アンが呪文の詠唱を中断して半歩後ろに下がると替わってアロイが踏み出した。巨大な盾を構え、壁のように立ちふさがる。


「そこで止まりなさい! それ以上近づくと敵対の意思ありと見なして攻撃するわよ!」


相手が敵かどうか判断しかねたのだろう、アンが警告を発すると男は不敵な笑みを浮かべて立ち止まった。お互いの距離は15メートルほど。薄明かりではっきりとは見えないが、男は無精髭を生やした顎を擦りながら三人のほうを観察しているようだ。値踏みするようなその視線は一般人のものではありえない。

少なくともここを根城にする賊に攫われた被害者ではありえないだろう。そう判断したアンは続けて口を開いた。


「アンタもさっきの連中の一味かしら? 降伏するって言うなら命までは取らないわ。そこで膝をついて両腕を頭の後ろに回しなさい」


彼女がそう呼びかけると男は心外だとでも言うように肩を竦めてみせた。


「おいおい、馬鹿な連中と一緒にしてもらっちゃ困るな。どっちかというと俺は連中の商売敵ってところだぜ。俺は賞金稼ぎだ」


予想外の返答を受けてアンは考えを巡らせる。先ほど彼女たちに襲いかかった有象無象達が賊の残党だというのであれば賞金がかかっていてもおかしくはない。


「そう、残念だったわね。さっき私達が相手した連中の中にお目当ての人物がいたんだとしたら、今頃そいつは水の中でドルラーへと渡っている最中でしょうよ。

 水泳が得意なら飛び込んでみたら捜し物が見つかるかもしれないわよ?」


軽口を叩きながらもアンは警戒を怠らない。相手からは術者特有のオーラを感じないとはいえ、ワンドやスタッフなどの手段を隠し持っていないとも限らない。

物理的な攻撃であれば立ちふさがるアロイが対処してくれるだろうと信じて、いつでも呪文を解呪相殺出来る脳裏に秘術回路を描く。


「いや、それには及ばねぇよ。俺の目当てはお前らだからな」


男は不敵な笑みを浮かべたまま挑発的にそう言ってのけた。明らかな敵対宣言だ。その言葉を受けて即座にアンは後ろ手に隠し持っていたワンドを振り抜くと込められた呪文を解き放つ。

飛び出した豆粒ほどの光弾が互いの中間点を通過すると急激に膨れ上がり、男の直前で炸裂した。《ファイアーボール/火球》の呪文だ。ワンドに予め準備されていたそれは先ほどトロルの群れを薙ぎ払ったものよりは殺傷力は劣るものの、並の相手を戦闘不能にするには十分な威力で炸裂した。

一切反応する素振りを見せなかった男は直撃を受けたはずだ。だが、爆風によって巻き上げられた土埃が収まった後に見えたのは先程まで同様の姿で立っている賞金稼ぎの男の姿だ。一歩たりとも動いた様子は見えないが、なんと無傷のようだ。


「おいおい、随分なご挨拶だな。小娘のほうは生け捕りって話だがあんまりおイタが過ぎると手足の半分位を切り落としちまうかもしれないぜ?

 達磨にされたくなきゃ大人しくしてろよ」


いつの間にか男の両手には刃物が握られている。レイピアとダガー、不揃いの武器を握った両腕をだらりと下げたまま男は物騒に呟く。


「それじゃ望みどおり俺が相手してやるぜ!」


無論ケイジとアロイは黙って見ていたわけではない。叫びながら飛び出して男を挟撃すると、烈風の如く斬撃を叩き込んだ。ケイジの両手のククリが水平に並んだ軌道で閃き、タイミングを合わせて反対側からアロイがロングソードで掬い上げるように斬り上げた。位置関係を活かし逃げ場を奪う連携攻撃だ。

だがその全てはまるで男の体を摺り抜けたかのように宙を薙いで終わった。まるで空気を相手にしているかのような感覚。冒険者仲間との模擬戦の時に感じたような異様な相手の身のこなしにケイジの直感が最大限の警鐘を鳴らす。

しかしその直観すらも既に遅かった。男のダガーが閃き、それを防ごうと剣を振り上げたときには既に相手のレイピアの切っ先がケイジの左腕に突き刺さっていた。ねじり込まれるように動かされたことで傷口が広がり、引き抜かれる際に外側の肉が切り裂かれる。


「………っっっっっぁぁぁああああああ!」


脳髄をかき回すような激痛にケイジが叫び声を上げる。


「おっと、思ったよりは鍛えているようだな。今ので腕一本貰うつもりだったが」


男が何かを言っているが確かに耳に入っているはずなのにその意味が理解出来ない。最初熱さを感じたかと思うと直後そこから体温が逃げ出していくような悪寒。切断までは至らなかったようだが動脈を傷つけられたことで勢い良く血が吹き出す。

幸い神経は無事なようで、辛うじて武器を取り落とさずに済んだケイジだが指先に入る力は頼りなく、思い通りに動かすことが出来ない状態だ。よろめくように半歩後退するが即座に賞金稼ぎが距離を詰めてくる。

牽制にアンが放った《スコーチング・レイ/灼熱の光線》は男の直前でまるで不可視の壁に遮られたかのように消えた。アロイの振るう剣もまるで後ろに目がついているかのように振り返ることすらせず回避してみせた。

間近に迫った死を避けるべく思い切り地を蹴ってケイジは大きく移動した。背中を斬りつけられたが幸い致命傷には至らない。何故かそれ以上追撃を加えてこなかった男を睨みつけながらも武器を捨て、背嚢から高級なポーションを取り出すと一息に飲み込んだ。

喉を過ぎた治癒の秘薬はたちまちその効果を発揮し、傷を塞いで失われた血液を補充した。彼の視界に映るのは追いすがるアロイをまるで雑草を刈るように無造作な動きで切り刻んでいる男の姿だ。

体全体の動きはさほど早くはない。ただ、その腕の動きだけがまるで切り離したかのような速度で閃くのだ。辛うじて視線で追うことの出来るダガーが絶妙なフェイントとなって意識を引きつけ、対となるレイピアが正確無比に急所を抉るのだ。

黒手袋に刺繍された黄金の豹が宙を駆けるたびアロイの装甲板を突き破り、血の代わりにオイルが噴き出る。一廉の勇士といって差し支えないウォーフォージドの戦士が、僅か十数秒で解体寸前まで追いやられていた。完全に破壊こそされていないものの、身動きできるような状態ではない。


「変幻自在の二刀流と金豹の黒手袋──アンタまさかドロッグ・クルデイカーか!」


距離を置いてその戦いぶりを見たことで、ケイジの脳裏にかつてアンデールの王都で見た光景が思い出された。王家主催の剣技大会、そこで無傷で優勝を果たしたアンデールのチャンピオン。その栄誉により女王から授けられた魔法具に因んで"ブラック・ハンド"と恐れられ、最終戦争でもその名を轟かせた英雄だ。

その声を聞いて賞金稼ぎが振り返る。その顔は凶相に歪んでいるものの、確かに当時の──10年ほど前に見た剣技大会の優勝者の面影が残っている。


「おお、流石はオストレン家の跡取り息子は博識だな。それが今や賞金首になって名を捨て追われる立場とは、落ちぶれたもんだ。ご先祖さまもドルラーで嘆いてるんじゃねぇのか」


両腕を大きく横に広げて"ブラック・ハンド"はケイジに向き直った。そのトレードマークである黒手袋はまるで周囲の光を吸い込むように暗闇に溶けこんでおり、まるで宙に武器が浮かんでいるようだ。


「決闘で相手を殺して逃亡だなんてバカな真似をしたもんだ。頑固で融通の効かない性格はあの父親譲りか?

 どうせ逃げ出すのならおとなしく継承権を売るなりしていりゃ今頃不便なく暮らせただろうに、名誉だかなんだかに拘ってその日暮らしとは馬鹿丸出しだな。

 とはいってもそのおかげで俺が小遣い稼ぎが出来るんだからな、ありがたい話だぜ」


よほど余裕があるのだろう、賞金稼ぎはケイジが剣を拾って向き直る間も立ち止まったまま話し続けた。


「あんたこそこんなところで何をやってるんだ。戦争中だってその活躍は聞いていたぜ。国に戻っていれば将軍だって夢じゃなかったろうに、賞金稼ぎだって?!

 俺はあんたの名前を国の合同慰霊碑で見たんだ、死んだものだとばっかり思っていたのにこんなところで出会うだなんてショックだね。それに親父を知っているのか?」


ドロッグは戦中その実力を買われて最前線──サイアリへと派遣されていたはずだ。同じく部隊を率いていた彼の父親が戦争終結から1年経過しても帰らず、MIAと認定され墓石に名が刻まれたときケイジは同じ石碑の中にドロッグの名を見つけたのだ。


「民兵団のガキには解らねぇだろうがな、あのクソッタレな戦争を味合わされてもまだ国のために働こうなんて考える連中は脳までイカれた夢想家だ。

 あの"悲嘆の日"をサイアリで迎えた人間は一握りも生き残っちゃいないんだぜ。その上あの女王はまだコーヴェアの覇権を諦めちゃいねぇんだ、またあんな悪夢の只中に放り込まれるなんてゴメンだね」

 
最終戦争集結の引き金となった"悲嘆の日"──突如五つ国の一つ、かつて"麗しのサイアリ"、"ガリファーの王冠に輝く紫の宝石"と謳われた国を襲った魔法災害は一夜にしてその国を地図上から消し去った。

地面はひび割れ、炎に包まれ、そして抉り取られた。あらゆる生物の死体が転がっており、腐敗せずに永遠にその姿を晒している巨大な野外墓地と化したのだ。そしてその多くは150万のサイアリ国民だ。

各国はその原因を探るために調査員を旧サイアリ──"モーンランド"へと送り込んでいると言われているが、アンデールは特に積極的であることで知られている。


「メトロールを囲んでいたお前の親父さんは何をトチ狂ったか、爆発の後で生き残りの救助とかいって1部隊を率いて街の中に突入して行って帰って来なかったよ。

 傷も癒えず、何もかもが死に絶えた環境で残された連中はお互いの食料を奪い合うしかなかった。なにせ死人の肉を食った奴は皆即座に発狂して死体の仲間入りだったからな。

 "死灰の霧"を抜けた頃には400人いた部隊の生き残りは俺一人だ。他は皆死んだ。そんな状況でまだお国のために働こうだなんて考えられるわけ無ぇだろう?」


情感たっぷりにそう語りながらも徐々に間合いを詰めてくる男に対しケイジは待ち受けつつ話に聞き入っていたが、一方でアンはその間にも呪文を幾度も放っていた。だがその全てが男に効果を及ぼさずに霧散しているのを受けて不機嫌そうに舌打ちし、剣を構えてケイジの隣に並んだ。


「見事なまでに負け犬の台詞ね。同情でもして欲しいのかしら? こんな大陸まで追いかけてきた犬らしさくらいは褒めてあげても構わないけれど」


相手に呪文をかけることを諦めたアンは用意している補助魔法で自身とケイジを強化した。隙があれば離れたところで倒れているアロイの破損を修復してやりたいが、その為には目の前の男をやり過ごす必要がある。アンはせめて挑発的な台詞を吐くことで少しでも相手を揺さぶろうとする。


「そいつは違うぜ、俺は小遣い稼ぎに依頼を受けただけだからな。犬はフェアヘイヴンのバウンティハンターさ。

 酒場でそいつらと意気投合してな、故国を同じくする者として手を貸してやろうと思ったのさ。

 熱心なその猟犬も流石に一時は坊ちゃんを見失ったそうだが、アンタを追うことでこの街まで辿り着いたって話だ。

 皮肉なこったな、国を捨ててまでして守ろうとした女はこんな僻地まで追いかけてきた上にそいつは追っ手まで連れてきたんだからな」


だが舌戦すらも相手が上を行くようだ。返された言葉にアンは一瞬言葉を失った。ケイジが撒いた賞金稼ぎを自分が連れて来てしまった!


「継承権の証であるその指輪を持ち帰れば賞金がたんまり、全く楽な仕事だ。おまけに小娘まで連れ帰ればボーナスまで出るんだとよ。

 ついでにお前らの装備も結構な値打ちがありそうだ。ガキどもにゃ過ぎた品だろ」


ドロッグはそういってケイジの左手に目をやった。先ほど切断しそこねたその腕の先には飾り気のないリングが見える。プラチナの蔦が絡み合ったような家紋が刻印されたそれは彼の実家に伝わる品だ。

薄明かりを照り返すその指輪を視認できる距離まで既に近づいてきている。お互いがあと一歩の間合いに相手を収めており、洞窟の空気が緊張で張り詰める。


「さて、最後通牒だ。指輪と女を置いて回れ右するなら命だけは助けてやるぜ?」


「ぬかせ、直ぐにそのよく回る舌を引っこ抜いて首から上を奇怪なオブジェにしてやるよ」


その交わした言葉を皮切りに再び互いの武器が閃いた。だが互いの結果の齎した結果は大きく異なる。ケイジとアンの攻撃は空を切る一方で、対してドロッグのレイピアは振るわれるたび肉を切り裂き血を流した。

左右を挟まれた状態にも関わらずその動きには些かの乱れもない。幻惑するように動くダガーの輝き以外は視界に映ることすら無く、体に伝わる痛みだけが相手の攻撃を伝えてくる。

辛うじて倒れずに済んでいるのは、目の前の男の剣技を良く知っていたためだ。アンデール人はその華麗な剣技で知られており、鈍重そうな市民ですら"ドラゴンホークの突き返し"などの剣術の試技をゆっくりであるが真似ることが出来る。

いわんや目の前にいるのは一世を風靡した剣技の使い手、ケイジやアンも子供心に憧れてその剣を模倣しようとしていたその人そのものなのだ。判断が追いつかなくとも体に染み付いた模倣剣技の修練による反射が致命傷を避けている。

だが傷は確実に増え出血は徐々に体力を奪っていき、空振りを繰り返すたびにじわじわと集中力が削られていく。アンがアロイを修復すべく一旦戦列を離れた際には1対1になったことで受ける圧力が倍加し、もはやケイジの体で傷のない部位を探すことが困難なほどだ。

流石に二本目のポーションを飲む隙は与えられず、ついに失血でふらついたケイジはベルトポーチを切り裂かれた衝撃で転倒してしまう。ポーチの中身がこぼれ落ち、保存食替わりに詰められていたクッキーが周囲に散らばった。


「さあて、そろそろ神に祈りを捧げたほうがいいんじゃねえか? ガキにしちゃ十分な腕前だったが相手が悪かったな、潜った修羅場の数が違うってこったな」


相変わらず無造作に歩み寄るその姿に迫る死を感じたのか、ケイジは体を支えるために地面に付けていた手に触れていたものを咄嗟に投げつけた。目潰し狙いで投げられた土混じりのクッキーは振るわれたダガーにより真っ二つに切り裂かれ──直後、雷球となって弾けた!


「うおっ!?」


予想もしない事態に驚いたのか、突如眼前で炸裂した秘術のエネルギーに体を焼かれた賞金稼ぎは咄嗟に反応し後ろに下がろうとするが、生まれた雷球は何故か男から一定の距離を保ち追走し続けた。


「チッ、鬱陶しい呪文だ!」


グロッグは胸元から紐につながれた小さな立方体を取り出すとその一面を押し込む。すると雷球は動きを止め、もう一度グロッグが違う一面を押しこむと今度は男の動きに押しのけられるように遠回りに動くのみとなった。


「あれは《ボール・ライトニング/球電》の呪文? どこからそんな高等魔法の発動体を……いやそれよりも今は相手のことが優先か。魔法が通じない絡繰が理解できたわ。"キューブ・オヴ・フォース"か」


アロイを助け起こし、自分のポーションを飲ませていたアンがその様子を見て呟いた。"キューブ・オヴ・フォース"とは押した面により特定の作用を遮断する不可視の壁を発生させる高等な魔法具だ。

おそらく魔法のみを遮断する力場の壁を発生させることで呪文から身を守っていたのだろう。


「突破口が見つかったわ。まだ戦えるわよね?」


「勿論です、お嬢様。ご指示を」


機械仕掛けの眼に光を取り戻し、鋼鉄の戦士が立ち上がった。アンは彼にワンドを渡し作戦を伝えると姿を消す。《インヴィジビリティ/不可視化》の呪文を唱えたのだろう。そしてアロイは自身の任務を果たすべく、主の敵へと突進した。


「なんだ、さっきのポンコツか。まだ動けたとはしぶとい奴だな。だがお前なんざ邪魔にすらならねえよ」


ドロッグがアロイを無視してケイジへと向かおうとするが、アロイは無言で駆け寄ると盾の替わりに構えたワンドを起動させた。アロイとドロッグの至近距離で発動した《火球》の呪文が炸裂し、二人を焼く。

"キューブ・オヴ・フォース"は一定距離に遮断防壁を発生させる魔法具であり、その内側で発動させた呪文の効果を阻害したりはしない。その点を突いたアロイの自爆攻撃だ。

しかし先ほどまで瀕死であったアロイと雷球で僅かに削られたドロッグでは体力が違いすぎる。相手の攻撃を避けきれないところから考えても間もなくアロイは再び倒れるものと思われた。

だがそんなドロッグの予想を打ち破り、二度三度と火球が炸裂する! よく相手を観察すれば、不可思議なことに火球で焼かれたそばからその損傷が修復していくのが見える。

アロイが生まれた際に二つの知識を結合させるために付加された太古の叡智──"竜の預言"の一節とも呼ばれる知識が生み出すトランス状態が、彼の右腕に込められた修復のワンドの効果を励起し続けているのだ。

それにより実質2本のワンドを同時に使用し、自爆攻撃を行いながらも傷を癒してるのだ。さらに力場の立方体に囲まれているために熱と炎が拡散できず、通常の爆発半径の半分に圧縮される火球が容赦なく二人を傷つける。


「チ、こんな馬鹿げた真似に付き合ってられるか!」


冒険者の心得として低位の火抵抗を衣服に付与しているドロッグではあるが、流石にそれは《火球》呪文のダメージを受け流しきれるものではない。

先程の雷球と合わせ、この火球の連打により随分と体力を消耗させられている。一旦の仕切り直しを行おうとアロイから距離を取り障壁の種類を変更しようと胸元からキューブを取り出し──そこで立方体を結びつけている紐が切り裂かれ、アイテムは転がり落ちた。

退路を予想し待ち受けていたアンが、《不可視化》から《百発百中》の呪文により"武器落とし"の要領で彼の手からアイテムを取り落とさせたのだ。


「あら、やっぱりその出鱈目な回避力は随分と視覚に頼ってるのね。それなら、その目を塞いじゃえばどうなるのかしら?」


続けてアンが呪文を発動させると、ドロッグの視界は眩しい光の爆発に包まれた。《グリッター・ダスト/煌く微塵》、魔法によって生み出された金粉が周囲に撒き散らされ彼の目に飛び込んでくるためとてもではないが目を開けていられない。

そして視覚を奪われたせいか鋭敏になった聴覚が、先ほど瀕死にまで追い込んだ獲物が立ち上がり近寄ってきた事を伝える。


「アンタの技術と速度は大したもんだよ、俺の知り合いにも突出した連中がいるがそいつらに見劣りもしねぇ。

 でも手数を重視しすぎたせいか攻撃が軽すぎる。もう少しでも深く傷つけられていたら今頃俺もアロイも死んでただろうさ。

 そして何よりもアンタが間違ったのは、仲間が作ろうとしなかったことだ──一人で生きていくにはこの大陸は厳しすぎるぜ」




† † † † † † † † † † † † † † 




「──つーわけで暫く家を留守にするわ。金目のものは残ってないから物取りの心配はないんだが、妙な連中に居座られても困るんで出来れば定期的に様子を見ておいて欲しいんだ。

 一応デニス氏族のブレードマーク・ギルドに警備の依頼はしてるんだけどな」


俺がコルソスから戻ってきて久しぶりに会ったケイジは、日課を終えた後の夕食の場で冒険譚を語り終えたかと思うと突然そんなことを言い出した。


「ええと、行方不明になった父親を探しにメトロールまで行かれるんですか。シャーンまでリランダー氏族の帆船で11日、そこからライトニング・レイルで国境沿いのヴァシロンドまで3日ですね。

 国境まで向かうにはそれが最短経路なんでしょうけど、そこからメトロールまでは500マイルもありますしその距離を移動するのは現実的じゃありませんし……

 船でヴァラナーに向かってからブレード砂漠とタレンタ平原を超えて、国境の東側から探索したほうが時間はかかりますが堅実だと思います」


メイが目的地までの経路を分析しているが、概ね俺も同意見だ。旧サイアリの首都メトロールは縦長の領土を持っていたサイアリにおいて、東端に位置していた。

"悲嘆の日"の災厄によりかつての地図がまったく信用ならない魔境に成り果てたとはいえ、大都市の位置が極端に変わっているということもないだろう。


「そうね、私も同じ考えよ。一旦ギャザーホールドで準備を整えてから現地入りって形になるでしょうね。

 それでエレミアさんにヴァラナー国内のことを教えてもらいたくて。交通網とかどうなっているのかしら?」


「そうだな……ここからピラス・マラダルまでは定期船も出ているし問題ないだろう。その先は街道も整備されているが、それもブレード砂漠に差し掛かるまでだ。

 時間を急ぐのであればティアー・ヴァレスタスから飛空艇に乗ってギャザーホールドを目指すのがいいだろう。

 私が懇意にしている友人もいるし、紹介状を書いておこう。きっと良くしてくれるはずだ」


アンはエレミアにアドバイスを求め、ヴァラナー国内の情報を聞き出していた。コーヴェア大陸中央部が"モーンランド"と化したことで東西の物流は大幅に制限されており、情報も中々流れてこない。

特にヴァラナーやタレンタ平原は戦後に独立した国家であるため国内の事情についてはそれほど知られていない。特に大陸の反対側であるアンデール出身の三人にとってみれば尚更だろう。


「"悲嘆の日"から四年も経っているし、それだけの間無事で居られるような状況だとはとても思えない噂しか聞こえてこないけど……まあ自分の命なんだ、好きなように賭けりゃいいさ」


ラピスはいつも通りの興味なさそうな表情でデザートの果物をつついている。だが最近その表情の中にある程度の感情を見つけることが出来るようになってきたと考えるのは思い上がりだろうか?


「悪鬼の大陸にかかる雲は厚く、ここからでは貴方達の星の輝きを見通す事はできない──特に貴方達が"悲嘆の地"と呼んでいる土地は深い悪夢に覆われてしまっていて、常世の理は通用しない。気をつけて」


「お前たちは私が知る中でも中々に腕の立つほうだ、油断をしなければ早々不覚を取ることはないだろう。とはいえ慣れぬ土地では何が障害になるか解らない、準備は十分にしていくことだ」


双子はそれぞれ独特の言い回しで激励を送っている。


「ま、俺たち三人だけだとちょっと不安だったんだがゲドラとウルーラクも助けてくれるって話だし、なんとかなるだろ。

 向こうの状況次第だが1~2ヶ月の探索を予定してるから往復合わせて4ヶ月ってところか。その間土産でも期待しておいてくれ」


そう言って数日後、彼らは船に乗りストームリーチから旅立っていった。精霊捕縛船の輝くエレメンタル・リングを見送りながら、俺は彼らの幸運を祈るのだった。




[12354] 5-1.ジョラスコ・レストホールド
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/09/04 19:33
ストームリーチ・クロニクル

王国暦998年 ドラヴァゴの月 第一週号

・コインロード、貿易の税率を緩和
窃盗、海賊行為、密輸などの犯罪の減少を受け、ストームリーチのコインロードは島および大陸の砂漠地帯からの製品も含め、輸入製品にかかる関税率を緩和している。
新しい商品の流入はこの街、特に酒場を活気付ける結果となっており、今まで関税のために高価で手が出なかった料理や酒を求めて連日多くの客が各地のタバーンを賑わせている。
ある店のオーナーは、
「うちの店は昔からうまい料理と酒が自慢だったが、輸入税のために質の良い食料品を手に入れることは難しかった。
 こうして満足いく食材を手に入れた今となっては、以前提供していたメニューの事を忘れてしまいたいくらいさ」
と語り、このニュースに好意的であった。ただ最近の悩みは忙しくてなかなか休憩の時間が取れないことだという。

・シルヴァーフレイム教会、ソウルゲートの塔を修復しさらなる規模拡大を目指す
シルヴァーフレイム教会は中央市場近くにありながらも、大昔に大量のアンデッドが湧き出したことで放棄されていたソウルゲート地区の塔の"浄化"が完了したと報告した。
コルソス航路の開放に続く快挙に市民は歓迎の声を上げており、教会は多くの新しい信徒(それと勿論寄付金も!)を手に入れたと見られている。
多忙の中本誌のインタビューに応じてくれた大司教ドライデン卿曰く、
「我々は常に人々の闇を払う光であろうと心がけており、あらゆる悪との聖戦を誓っている。
 真なる闇が迫っており、人は光ある道を見つけなければ生きてはいけないだろう。だが、その道を照らすために我々がここにいる。
 私は人の心に希望を与えるさらにいくつかのニュースを用意している。そのうち一つは間もなく明らかになるだろう」
と上機嫌で語った。最近躍進著しいこの教会の最新情報については続報を待って欲しい。

・トラブルの匂い
フォージライト区画に設けられたゴミ処理施設が今日誤動作を起こし、大量の汚水を流すという事故が起こった。
作業員が現場で清掃作業にあたっているが、現時点で施設はその機能を回復していない。
周辺区域の住民は感染症の危険がなくなるまで、水は沸騰させるか魔法で浄化してから使用するよう勧告されている。

・ドラゴンの目撃情報10倍に!
ストームリーチ上空を旋回するレッド・ドラゴンの目撃情報が先月、殺到した。本紙の取材に対しコインロードの補佐官デレク・グロスピックはこう語っている。
「はっきり申し上げて、大騒ぎする理由など何もない! 我々コイン・ロードはまだドラゴンと話しをしていないし、アルゴネッセンの海の向こうまで使者を6人派遣しているが、まだ誰一人答えを持って帰ってきていない。でもそれだって大したことではない。
ドラゴンは尊大で、力もあるが、我々を怖がらせるほど暇ではないからだ。なのにシティ・ガードの数はすでに2倍に増員され、魔法の武器で武装するなど厳戒態勢だ。ストームリーチの善良な皆さんご安心ください。荷造りして丘に避難する必要などありません!」
なんて心強いコイン・ロードからの言葉だろう。ストームリーチの皆さん、来るべき時へ心の準備を忘れずに!


著:キャプショー・ザ・クライアー










ゼンドリック漂流記

5-1.ジョラスコ・レストホールド












「トーリの兄ちゃん、またキャプショーのビラ読んでるのか。それ、そんなに面白いか?」


庭で訓練を行なっているカルノ達を横目に、縁側でストームリーチ・クロニクルを呼んでいると組み手の合間の休憩時間らしいカルノが横にやってきた。彼はこちらに言葉を投げかけた後は蛇口をひねって水を流すとその水流に向かって頭を突っ込んだ。

空調の魔法具が聞いているとはいえ、日差しの下で体を動かし続ければ暑くもなるだろうからその気持ちもわかる。


「あー、冷たくて気持ちいいなー」


だがそのまま頭をブルブルと振るのやめてほしいところだ。こちらに水が飛んでくることになる。俺は常時展開されている《シールド》呪文を遮蔽に使いつつ、タオルをカルノの頭に投げつけた。


「犬じゃないんだからちゃんとタオル使えよ、こっちに水が飛ぶだろ」


太陽の光をたっぷりと吸い込んだフカフカのタオルを受け取って、カルノはゴシゴシと頭を擦った。


「あー、ごめんな。ビラ濡れちゃったか? 読めなくなったんだったら新しいヤツ貰ってくるけど」


カルノがタオル越しに心配そうな声を出したが、勿論咄嗟の対応でビラが濡れることは避けられた。ドラゴンのブレスや《ファイアボール》の呪文に曝されることに比べれば、少しの水滴くらいは物の数ではない。

ゲームの中では市井の人々の代弁者として幾つかのイベントがあったキャプショーというハーフリングは、この街ではストームリーチ・クロニクルという週に一度の刊行物を発行している。主にコインロードやドラゴンマーク氏族といった有力者のゴシップ記事が主であることから、世間的には低俗週刊誌の記者として見られているのだろう。

内容的にはゲームのアップデートの際に発信されていた情報のようなものから、その時々の話題の人物などへのインタビューなども含まれており中々に興味深い。俺がゲームで得た知識とこの世界の状況を摺り合わせる手段の一つとして活用しているのだ。


「まあ大丈夫だ、それには及ばないよ。しかしカルノ、この記者のこと知ってるのか?」


カルノの口調は有名人ではなく身近な人物のことを話しているような印象を受けた。その事を尋ねてみると、彼は意外な繋がりを教えてくれた。


「ちょっと前まではご近所さんだったしね。初めて会った日に『水漏れ小船亭』に案内したろ? あそこの近くにキャプショーが住んでる掘っ立て小屋があるのさ。

 何回かビラ配りの仕事をもらったこともあるし、ちょっとした顔見知りってところかな」


聞くところによるとキャプショーは時折有力者の危険な情報すら記事にしてしまうため疎まれているのだが、大衆への受けは良いため排除されずにこの稼業を続けているのだとか。時折チンピラに絡まれても口先か機敏な逃げ足でなんとかしてしまうのだという。


「カルノー、お前の番だぞー」


「わかった、今行く!」


暫くそんな世間話をしていると組み手の番が回ってきたのか、カルノは庭へと駈け出して行った。既に子供たちは皆《マスターズ・タッチ》の恩恵がなくともそれなりに武器を振るえるようになっている。

今は致傷を与えない魔法的な効果が付与された武器で斬り合いをしている。先に有効打を与えたほうが勝ちという1本勝負である。負傷を衝撃に変えて与える武器のため死ぬことはないが、痛みはあるしクリーンヒットすると気絶させられてしまうこともある。

事前に活力を付与する《エイド》の呪文を受けているとはいえ、まだ体が出来ていないため打たれ弱いのだ。意識を失った子供はシャウラが縁側に置かれた水晶球の近くへと運んでいく。すると仕掛けられた《キュア・ライト・ウーンズ》の呪文が発動し、子供は目を覚ますという仕組みだ。

これらの呪文は罠と同じ仕組みで、近くに寄っただけで自動的に恩恵を受けれるようになっている。しかも効果は自動で再準備され、無限に使い続けることができる。

そろそろ本格的な戦闘訓練を始めると聞いたのでここ最近で準備したのだ。ちょうどレベルアップする予定だったのでその際に〈制作:罠作り〉と《その他の魔法のアイテム作成》を取得したのだ。つい興が乗って家のいろんな場所に仕掛けを作ってしまったのは勢いというものだろう。


「あ、ここにいたんですかトーリさん。お待たせしました、準備が終わりましたよ」


少々やりすぎたかな、と思いながら子供たちの訓練を眺めているとリビングのほうからメイがやってきた。今日はこれから彼女と外出である。メイはその術者としての技量により普通の市場には流通していない高性能な巻物を作成しているのだが、これからそれを納品に行くのだ。

無論扱いようによっては他人に害を及ぼしうる魔法の品だけに、流通先は信頼のできる相手限定であり数も限られている。今回の相手はドールセン=ド・ジョラスコ。コルソス島から付き合いのある女卿である。

彼女はソウジャーン号に乗ってこの街に来てからというもの、前任者から氏族の統括役を引き継いで精力的に活動している。主な活動方針は氏族の経営するレスト・ホールド──通称、憩いの砦──を人々にとって必要不可欠なものにすることで、ストームリーチにおける氏族の地位を高めようとしているようだ。

そのために手がけているのは病人や怪我人以外の健常者にも利用出来る各種サービスの充実である。大浴場やマッサージ以外にも美容やリラクゼーションといった内容が、様々なグレードで用意されている。

最終戦争が終結してからというもの、フロンティアを求める探検家や冒険者などで賑わいを見せるこの街は未曽有の好景気にある。コインロードだけではなく市民達も裕福になっており、そういったサービスの受け皿は充分に出来ているのだ。


「よし、それじゃ行こうか──おーい、出かけるけど何か買ってくるものとかある?」


庭で頑張ってる連中に声を掛けたが、日陰のハンモックで横になっているラピスはヒラヒラを手を振って返してきた。特に無しということだろう。一方で子供たちは色々と要望があるようだ。


「こないだ食べたすげー柔らかい肉がまた食べたい!」


「俺も俺も! あれ一体なんの肉だったんだろ。俺らが買い物にいく市場じゃまず見かけないよなー」


育ち盛りだけ合って食い気が何よりも優先するのか、彼らは先日振舞った肉料理が非常にお気に入りのようだ。

彼らが言っているのは実はゴルゴンの肉である。ケイジ達と初めて一緒に組んだ冒険の際、デニス氏族の砦に向かう最中に出会したクリーチャーだといえば解るだろうか。

モノづくりに精を出しすぎた影響で思ったよりも経験点を消費してしまった俺はちょっと稼いでこようと街の外に出てみたのだが、そこで件の石化のブレスを吐く黒い鱗の魔獣に出くわしたのだ。

意外かもしれないがこの生物の鱗に覆われた肉はちゃんとした処理をしてやればとても柔らかく、風味豊かな食材になる。突撃してきた連中の首を切り落としながらそんな知識を思い出した俺はその巨体を担いで《テレポート》の呪文で持ち帰ったのである。

幸いメイはこの貴重な食材の処理方法にもしっかりと通じていたようで、その日の夜は降って湧いた幸運により庭で焼肉パーティーとあいなったのだ。

流石に1トンほどもの肉を消費しきれるわけもなく《ジェントル・リポウズ/安らかな眠り》で保存したのだが、その呪文の効果日数にも限りがある。知り合いの酒場に卸したりして処理したのだが、どうやら彼らはその味が忘れられないようだ。


「あー、あれは普通の市場には出回ってないと思うから多分無理かな。お前らが実力をつければそのうち自分たちでも取ってこれるようになるし、頑張れ」


とはいっても脅威度8からのクリーチャーとなれば一筋縄では行かない。兵士の1部隊でも突撃とブレスで蹂躙される危険な敵であり、腕利きの冒険者チームでも奇襲を成功させなければ犠牲が出るだろう。

まだ駆け出しどころかヒヨッ子の彼らが自分であれを倒せるようになるのはいつ頃になるだろうか?


「それじゃ、いってきます!」


メイを伴って縁側から食堂、玄関へと移動して外套架けからクロークを取り、羽織って外へと出た。幸い天気は快晴で雲ひとつ見当たらない。絶好の外出日和だと言えよう。

熱帯地方の外出に外套とは何だと思うかもしれないが、この手触りの良い白地の"クローク・オヴ・コンフォート"こそが快適な外出の要なのである。着用者と近くの仲間を《エンデュア・エレメンツ》の効果で守ってくれるこの外套は周囲の熱波を爽やかな涼風へと変えてくれるのだ。

家に設置されている空調装置の携帯版といったところか。"変幻地帯"と呼ばれる気象異常を抱えるゼンドリックでの冒険にも有用である上、さらに着用者に対しては呪文などに対する抵抗力を向上させてくれる効果までが付いている。


「えいっ!」


歩き始めたところで横から柔らかい衝撃。隣を歩いていたメイが密着して腕を絡めてきたようだ。


「一緒にお出かけするのも一週間ぶりですね~。せっかくですし、ちょっと寄り道していきましょう!」


ふわりと風に乗ってメイが髪の手入れに使っている香料の香りが俺の鼻をくすぐる。上機嫌なメイに半ば引っ張られるように俺達は外壁を潜って市街へと向かい、『憩いの広場』に足を踏み入れた。

地上、地下、そして空中と3層からなる庭園は昼前ということもあり人通りは少ない。植物の手入れを行なっているジョラスコ氏族の職員たちと挨拶を交わしながら歩みを進める。

この庭園の植物は観賞用だけではなく、傷の治療やリラックス効果を持つハーブなども栽培されているのだ。いくつかの草花は根周辺の土から丸く取り出したような状況で宙に浮かべられており、職員らは脚立を用いて水をやったり虫を駆除したりしているようだ。

中央市場からジョラスコ氏族の居留地周辺、そしてその奥に広がる広大な墓地──デレーラ記念墓所までを含めてを《レスパイト》と呼び、大まかにストームリーチを9に区分する街区の一つとして数えている。

隣接するクンダラク氏族の居留地を中心とした《シルバーウォール》と同じく、この地区で権勢を振るっているのはストームリーチ開闢からその位を保ち続けている老齢のドワーフ、ヨーリック・アマナトゥだ。

実はこれには一騒動有り、以前この辺りは別のコインロード──オマーレン家が支配していたのだが、そのデレーラ・オマーレン3世は他のロードたちを滅ぼしてストームリーチの権力を一手に握ろうとしアマナトゥに敗れたのだ。

確かに初代オマーレン家は最大の勢力を誇っていたが、人間であるがゆえに代替わりの際に必ず綻びが生じていた。老練なアマナトゥはその隙を逃さず水面下で勢力を伸ばし、オマーレン家の乱により一気にコイン・ロードの筆頭に上り詰めたのだ。

現在もその治世は安定しており、ジョラスコ氏族と共同でこの地区の治安の向上に余念が無い。クンダラク氏族の豊富な資金力も活用して冒険者を雇い、危険を排除させているのだ。俺も最近ジョラスコ氏族のエージェントに依頼されてアンデッドの巣窟を一つ掃除し、ハーフリングの死霊術師を倒している。

そのおかげもあってかこの街の常識では信じられないことに、この辺りでは夜に出歩いても危険な目にあうことも少ないのだ。他の地区では空が夕焼けに染まり始めてから2,3時間も歩いていれば強盗や辻斬り、誘拐犯に襲われることなどザラだが、この区画であればその時間には憩いの広場では涼をとっている人達を見ることが出来る。

広場だけではなく主な道路沿いには一定間隔で浮遊する街路樹が配置されており、夜になればそれが幻想的な光を放って周囲を照らすのだ。深夜に空から帰宅したことがあったのだが、まるでイルミネーションのように輝いたそれらは見事な眺めだった。防犯だけではなく景観にも気を配ったそれらは近年になって設置が開始されたもので、まだ他の区画には広まっていない。

そしてこの区域に浮かんでいるのは街路樹だけではない。庭園を抜けた俺の視界には立ち並ぶ商店街が映った。そのいずれの店舗も軒先にトレードマークを浮かべている。エールのジョッキや造花などが揺れ動き目を楽しませてくれる。

その中でも特に俺が利用する機会が多いのは巨大なポーション瓶を浮かべた『フェザーズフォール薬剤局』だ。この店は様々な種類のポーションや巻物呪文を豊富に取り揃えている他、珍しい呪文構成要素を取り扱っているのだ。

例えば正のエネルギーに満ちた次元界『"永遠の昼日"イリアン』の名を冠した白い結晶、イリアン・クリスタルは治癒呪文の詠唱時に触媒とすることで一定確率ではあるが回復量を最大化する働きを持つ。

確実に効果が現れるわけでもない消耗品に金貨100枚を超える出費というのはコストパフォーマンスが悪いかもしれない。だが自身の切り札たる呪文の効果を強化する手段であるならば準備しておいても損ではないというのが俺の考えだ。


「いらっしゃい、お二人さん。今日も仲が良さそうで何よりだねえ」


店の中に入った俺達を迎え入れたのはこの店でポーションの販売を行っているクォリシュだ。この店は立地的な事もあってジョラスコ氏族の治癒術者が作成したポーションを主に扱っている。氏族の有力者やその紹介を得た相手には割引を行ってくれることもあり、商売は繁盛しているようだ。

俺の場合はゲーム内で流通していなかったポーション類を入手するのに良く利用させてもらっている。例えば外皮を強化して防御力を向上させる《バークスキン/樹皮の肌》の効果を秘めたポーションはゲーム中では+3までの品しか販売されていなかった。だがこの店であれば最上級の+5までのポーションを入手することが出来る。

この外皮というボーナスを得るのはゲームでは中々に難しく、高レベルのレンジャー呪文に頼るしかなかったのだがこの店であれば使いきりとはいえポーションを購入することで賄える。問題はそこまでの効果のポーションになると作成できる術者自体がかなり限られることから流通量が非常に少ないということか。


「こんにちわ。何かいいものは入ってるかい?」


そういった掘り出し物を探してよく顔を出しているのだが、いつもは申し訳なさそうにしているハーフリングの男が今日は自信あり気にしている。


「運がいいね旦那。今日はちょうどこの店の代名詞とも言える品が入ってるぜ。その名も『天使の羽』だ! 防御術の持続時間を延長する優れものだぜ」


そう言ってカウンターの上に繊細な細工を施された小箱が出され、その蓋が開かれた。その中の折りたたまれた絹布の上に輝きを放つ金色の羽らしき品が収まっている。室内を照らす秘術の照明を照り返して輝くそれは確かにその名に相応しい外見を有していた。


「うわー、綺麗ですね~。所々光を反射してまるで輝いているように見えますよ。召喚された来訪者は実体を持ちませんから羽を残すことは無いはずなんですけど、どういった由来の品なんでしょう?」


メイは初めて見る品なのだろう、興味津々といった様子で羽を観察している。彼女が腕を組んだまま身を乗り出したので俺もそれに引かれるようにしてカウンターへと近づいてしまう。


「まあ実際にはセレスチャルの羽ではなくて上方次元界に咲く花の花粉を集めた物なんだけどね。珍しいことには違いない」


ルールブックの日本語版展開の後半に出版された、『魔道師大全』というサプリメントに掲載されている特殊な触媒だ。効能は先ほどクォリシュが言ったとおり。先程のイリアン・クリスタルとは違い、確実に効果を発揮するというのが特徴だろうか。


「なんだ、ご存知だったんですか旦那。相変わらず博識でいらっしゃいますな」


俺がその商品の正体を語ると、彼は参ったなといいたそうな仕草で箱の蓋を閉じた。ひょっとしたら初見の品ということで高く売りつけようと考えていたのかもしれない。


「まあな、とはいえ知っているのは由来と効能だけさ。確かに珍しい品には違いないし、一つ貰っていこう」


カウンターに白金貨10枚を置いて返す手で箱を懐に入れる。店員の反応を見るに商品の対価としては妥当なところだったのだろう、特に文句も言われないし払い過ぎたような反応もない。


「毎度あり。追加で必要になったらまた月初に来て下さい、お一人様お一つまでにさせていただいてますんで。物が物だけに入荷する量が限られてるんです」


次元界移動が強く制限されているエベロンでこういった品を定期的に入手するというのは難しいはずだが、どうやらこの店は何らかの伝手を有しているようだ。何らかの手段で手に入れた別次元界の種子を栽培しているのかもしれない。

そんな新しく得た情報を脳内のメモ帳に書きこみつつ、クォリシュの挨拶を背中に受けて店を後にした。この区画は高級住宅街を多く抱えるため街の富裕層向けの店も多く並んでいる。そういった店をメイと二人で時間を掛けて回っているとそろそろ昼かという時間にようやく目的地に到着した。

ジョラスコ氏族の居留地、その中心に座すレスト・ホールドだ。入り口で用件を告げると間もなくドールセンの補佐を務めるハーフリングの女性が姿を現した。彼女の名前はアナベルといい、主に秘術使いとしてドールセンをサポートしている女性だ。メイの受注した巻物の大部分は彼女は使うものである。


「ようこそいらっしゃいました。本来であればこちらから受け取りに行くべきところを態々ご足労いただいて恐縮ですわ」


彼女はメイの差し出したスクロールケースを恭しく両手を差し出して受け取ると、俺たちを別室へと案内した。エレベーター替わりのフローティング・テーブルに乗り、一般客の立ち入りが制限されている区画へと登っていく。

専用の浮遊昇降機には武装した腕利きの衛視が立っているが既に彼らとも顔馴染みだ。その彼の手にはハーフリングの故郷であるタレンタ平原独特の武器──タレンタ・シャラーシュが握られている。ゲームでは実装されていなかった種類の武装だが、鎌に似た特殊な武器だ。

槍のように長い柄を持っており、懐に入られると弱いという欠点を持つがリーチを活かした足払いに有利だったりと玄人好みの武器だ。エラッタだかアップデートが当たる前はバランスブレイカーな性能を持っていたはずだが、果たして彼の持つシャラーシュはどういった性能なのだろうか。

そんなことを考えながらアナベルと当たり障りの無い会話を一言二言交わしている間に、居留地上層区の応接間の一つへと通された。ここは隣がアナベルの私室であることも相まって半ば彼女専用の部屋のような扱いをされており、目を引かない程度に秘術的な品などが配置されている。

調度品のように配置されている瓶などは錬金術師としての作業にも使用できる物品だし、飾られている花も秘術の構成要素として扱えるものだ。それらの物品は訪れるたびに配置や中身が変わっており、部屋自体は落ち着いた雰囲気に統一されているにも関わらず充分に目を楽しませてくれる。


「それでは中身を改めさせていただきますわね」


席についた俺とメイにアナベルの侍従が茶を出した後、彼女はケースから幾つかの巻物を取り出してその出来具合を確かめ始めた。とはいってもそれは大して時間がかかるものでもない。カップに注がれたお茶がまだ湯気を発している間に、彼女は満足の笑みを浮かべて巻物をしまい込んだ。


「相変わらず見事な出来栄えですわ、メイ様。緻密で力強い術式の構成、私などではとても真似できそうにありません。

 シャーンの大導師、イサーナ・モール老の記した巻物に触れる機会が以前あったのですが、それ以上の品のように思えます。これを超える品を探そうとしたらゼンドリック中の遺跡を調べまわるしかないでしょう!」


興奮しているアナベルの言うことは一部誇張が混じってはいるが、メイの実力は確かに凄いものだ。おそらく現在では文明圏でも屈指の術者ではないだろうか? その閃きや知性の冴えはここ暫くでさらに成長しているようだ。

シャーンで購入した最高級の『明晰なる思考の書』と装身具により磨き上げられたその知力はおそらく俺と同等。こちらがエンハンスというMMO独自のシステムのブーストを得ているのにも関わらず、である。その頭脳から編み上げられる高位呪文は圧倒的の一言に尽きる。


「ありがとうございます~。それも貴重な古代巨人族文明の文献などを見せていただいているおかげでもありますし。研究材料に事欠かないのは助かります」


大抵の巻物はその呪文を記すのに最低限の構成で組まれていることが多く、メイが作ったような高精度の品は市場に出回ることが少ない。それが彼女のような高位術者の品ともなれば尚更だ。

そしてその対価として、普通ではお目にかかることが出来ない貴重な文献をジョラスコ氏族のコネクションを利用することで借り受けているのだ。

あまり知られてはいないが、ジョラスコ氏族はゼンドリックの探索行に対するスポンサーとしても幅広く活動しており多くの成果をその宝物庫に蓄えている。そしてその中には今は失われた秘術に関して記されているものも含まれている、ということだ。


「謝礼についてはいつもの通りにクンダラク氏族の信用状で用意させていただきました。こちらをお納めください」


無論金銭という形式でも報酬は支払われる。盆の上に乗せられて運ばれてきた紙の上には立派な家が買えるほどの額が記載されていた。シヴィス氏族のノームによって認証されたこの紙は炎に対する耐性を有し、滅多なことでは燃えることもない。

偽造対策が紙自体にも盛り込まれているが、何よりの抑止力となるのはクンダラク氏族とシヴィス氏族という強大なドラゴンマーク氏族の力だろう。数多存在する偽造師達も身分証明や公的許可証の偽造は請け負っても、クンダラク氏族の信用状の許可証に手を出すことはない。

何しろ偽造品そのものを手がかりに、氏族のエージェントが地の果てまでも追ってくるのだ。世界最高峰のセキュリティを誇るクンダラク氏族の銀行だが、それは同時に金庫破りの技術に長けているということでもある。例えどこに閉じこもっていようとも必ず彼らはやってくる。

"シルヴァー・キー"と呼ばれるそのスペシャリスト達の仕事は一般的には警備システムの設計や保安システムのテストを行うことだと言われているが、裏ではその技術を活かして氏族の敵を追い詰める猟犬としても活躍しているのだ。

そのおかげで氏族の信用状は信頼性が厚く、こういった大口の取引では間違いなく使用されている。そしてその信用状発行の手数料などで氏族はその懐を潤している。『世を巡る金貨の川は一度クンダラクの懐に流れ込み、やがて一回り細くなって流れだす』とはよく言ったものだ。

資本力という意味では間違いなく世界最高峰であり、経済活動は彼らを抜きにしては成り立たない。それがクンダラクというドラゴンマーク氏族だ。そして俺の目の前にいる女性が所属するジョラスコ氏族も、同様に世間に対して強い影響力を持っている。

言ってみれば彼女たちは医者の総元締めなのだ。自分が怪我や病気になった時のことを考えれば、彼らにケンカを売る相手などごく一部に限られるだろう。逆にそういった事態に備えて常日頃から御機嫌伺いをするものだ。金や権力の持ち主であるほど自らの健康には気を使う。

俺は彼女達に恩を売ることでそういった有力者達の紹介をお願いできることになる。今の時点では彼女たちに頼る予定はないが、種をばらまいておくことは必要だからだ。


「せっかくこちらまで足を運んでいただいたのですし、よろしければ我が氏族の新しいサービスを堪能していってくださいな。きっと満足いただけると思いますわ」


そんなわけでお茶を飲みながらいくらかの雑談をした後、そろそろお暇しようかと思った頃に行われたアナベルからの誘いを断る理由は無かった。




† † † † † † † † † † † † † † 




二時間ほどが経過した後、ジョラスコ氏族のサービスを堪能した俺はテラスにいた。火照った体に吹きつける風がとても涼しく感じられる。居留地を包む結界が清涼な空気を維持し、観葉植物の間を吹き抜けてくる風は体を程良く冷やしてくれる。

居留地の周辺には柳に似た樹木が多く育てられている。聞いたところによると、この植物の葉は煎じて薬にするのだとか。柳の葉にはアスピリンが含まれているので解熱鎮痛剤になるというのは昔聞いた話だが、どうやらその知識はこちらの世界でも通じるようだ。

異世界だというのにそういったところで共通点があるのはとても興味深い。まあ人間やそれに近い亜人などもいるのであるから、植生に似た点があるというのも今更な話かもしれないが……。


「トーリさん、飲み物を貰ってきましたよ。お一つどうぞ」


木陰のベンチに腰を下ろして時間を潰しているとメイが近づいてきた。その表情は明るく、暫く部屋に篭りがちだった彼女にとっては今日のことは十分な気分転換になったようだ。


「ありがとう。いただくよ」


コップを受け取ると彼女は俺の隣に腰掛けた。いつもは纏めている髪がふわりと動く。この居留地では治療などの一般的サービスに加え、今俺が受けてきたマッサージや主に女性向けの美容コースなどといったものも行われている。どうやらそれが今日の彼女の魅力を一段と引き出しているようだ。

居留地の中央でそれなりの高さを誇る建造物の上層だけあって、このテラスは随分と見晴らしがいい。ストームリーチ市街を囲う巨人族時代の巨大な外壁を越え、北にジャングルが広がっている。その先には見えないが"スリー・バレル島"とコルソスを含む"シャーゴンズ・ティース"と呼ばれる諸島群、そしてはるか先にはコーヴェア大陸が続いているはずだ。

ここからシャーンまでの距離は2500kmといったところか。あちら側から同じ海を眺めていたのはもう2ヶ月ほども前のことだ。北海道の先端から沖縄までほどの距離を一瞬で縮める魔法というのはやはりとんでもない、と思わされる。


「今月の26日はシャーンでは"ウレオンの王冠"と呼ばれる聖日なんです。長老と若者が晩餐のテーブルを囲んで、年長者の叡智を皆で共有するんです。

 大学のウレオン大聖堂でも卒業式と進級式、それに大勢の信徒が集まって一日中説教と講話が行われます。歴史や哲学の話が多いんですけど、中には神々の本性なんていう過激な話題の討論もあるんですよ」

 
隣りに座るメイも同じ街のことを考えていたらしい。ドラヴァゴの月というと季節の上では晩春に当たる。赤道直下の街にいるとあまり季節感を感じられないが、コーヴェアでは春が終わろうとしているのだ。


「卒業式か。メイはその日はやっぱりシャーンに戻るのか?」


類まれな技術と才能を持つメイだが、彼女はまだモルグレイヴ大学の学生なのだ。


「論文自体は前回帰ったときに提出済みですから、卒業資格自体は問題ないはずです。卒業式の後に大学構内に研究室を一つ貰えるのと、探索計画を事前に提出した場合は予算がつくことがあるくらいですけど……そのどちらも当分のところ使わなそうですね。

 学生には閲覧許可の下りない禁書の類が納められた書庫への立ち入りが許可されるようになりますから、何か調べ物をするには都合が良くなるかもしれませんね。とはいっても禄に整理もされずに危険そうなものが次々放りこまれているって噂ですからどこまでアテに出来るかはわかりませんけど」


どうやら話を聞くに、モルグレイヴ大学を卒業するというのは大学に研究者として籍を置くことを意味するらしい。おそらくコーヴェアで最も古代ゼンドリック文明について研究が行われているのはこの大学であることは間違いないだろうから、その蓄積された知識を利用させてもらえるのであればありがたいことだ。

諸次元界に関する研究が最も進んでいたのは、ドラゴン達を除けばゼンドリックの古代巨人文明だったであろうことに疑いはない。俺が帰還するために必要な手段そのものは無理だとしても、手がかりくらいはそこから得られるんじゃないかと思う。


「それは確かに興味があるな。そのうち是非一度見せてもらいたいね」


「そうですね。何人か助手を任命できるはずですし、そうしたら一緒に書庫に入らせてもらえるはずですよ。任せてください」


えへへ、と少し誇らしげにその豊かな胸を張ってメイが微笑む。モルグレイヴ大学以外にもコランベルグの大図書館、十二会などといった組織もあるがそれらは一介の冒険者にとっては利用しづらいものだ。冒険者としての名声を得て行けばそのうち友好的に接触する機会もあるかもしれないが、どちらにせよ今の時点で望めるものではない。

前回シャーンに訪れた際には学生向けの一般書架しか閲覧できなかったが、メイの助力で閲覧制限が解除されるなら随分と研究が捗るかもしれない。


「きっとマーザおば様も新しい冒険の話を楽しみにして待っていらっしゃるでしょうし、顔を出せばきっと喜んで貰えますよ。

 今度行くときはこの間連れていけなかった皆も一緒に行けるといいんですけど」


マーザの名前を聞いて彼女と初めて会った時のことを思い出す。あの外見に似つかわしくない強烈な存在感と、とんでもない爆弾を投下されたあの夜のことは忘れたくともそういうわけにもいかず、つい苦手意識を持ってしまう。

これが彼女流の交渉術なのだとしたら見事なものだ。シャーンという人種の坩堝、巨大都市で長い間市会議員として強い影響力を保っているのは伊達ではないということだろう。


「──そうだな、向こうの家もたまには手入れしてやらないといけないだろうし。向こうの都合の良い日を確認しておいてくれよ」


ネレイドに聞いたところ、タルカナン氏族はチラスクが居城にしていたあの地下空間に浮かぶ逆ピラミッドを修復し拠点として使用しているそうだ。俺を脅かしうる脅威としてバルの存在は非常に気になるところだが、別れ際の様子からして即座に敵対することはないだろう。

今後もシャーンには調べ物や買い物で訪れる必要がある以上、何時までも避けているわけにも行かない。メイの卒業式を機会にシャーンを訪れ、関係改善とまではいかないかもしれないがあの街で俺が問題なく過ごせるかを確認するのもいいだろう。


「わかりました! それじゃあとで《センディング/送信》で聞いておきますね~」


そんな俺の内心の決意を他所に、メイは満面の笑みを浮かべている。まあ先程のちょっとした決断程度で喜んでもらえるのであれば安いものだろう。だがそんな和やかな時間も長くは続かなかった。俺の鋭い知覚が、こちらに向かって近寄ってくる気配を一つ察知したのだ。

その気配はテラスのフロアに出ると、見晴らしの良い中央付近で周囲を確認した後こちらへ向かってきた。草木を踏む独特の軽い音はここのハーフリングの職員が履く独特のサンダルのものだ。そちらを振り向くと、足音の主が何度か見かけた顔であることに気付く。この居留地の主人であるドールセン女卿の補佐官の一人だ。


「ご無沙汰しておりますトーリ殿、お寛ぎのところ申し訳ありません」


氏族の中でも有数の地位を持つ女卿の補佐を勤めるだけあって彼女自身も強力なドラゴンマークの使い手であるだけではなく、その上で優秀な能力を持ち合わせている。

だが今の彼女は随分と憔悴しているようだ。化粧で誤魔化しているが目の下には隈があり、疲労のためか肌のハリも良くないようだ。癒しを司るジョラスコ氏族の高位メンバーには珍しいことだ。


「ええ、お久しぶりです。人をお探しのようでしたが、何か私に御用が?」


一見したところ呪いなどの呪術的な影響は見受けられず、おそらくは何らかの厄介ごとを抱えているのだろう。相手の態度が友好的であると判断した俺は手っ取り早く話を進めることにした。

得体のしれない相手であれば少しでも情報を拾い上げるべく会話を続けるのが常套手段だが、ある程度知り合った間柄であれば相手の希望を汲み取るべきだろうと判断してのことだ。


「はい。私は今腕利きの冒険者の助けを必要としております。受付に聞いたところトーリ殿が本日ご来館されていることを知りましたので、是非我が氏族のためにお力を貸していただけないかと思い参上いたしました。

 可能であればお連れ様にも話を聞いていただきたいのです。突然の申し出で恐縮ではございますが、我々のためにお時間を割いてはいただけませんでしょうか?」


こちらに用向きを伝える彼女の丁寧な声色の裏には、切実な願いが感じられた。このジョラスコ氏族の居留地には一般的に腕利きと言って良い人材が豊富に揃えられている。並大抵のトラブルであればそういった人材を大量に投入することで解決できるはずだが、俺に声がかかるということは厄介な事態になっているのだろう。

彼女には日頃この施設の利用でお世話になっているし、有力なドラゴンマーク氏族の一員に恩を売れるというのであればそれはまたとない機会だ。


「わかりました、一先ず話をお伺いしましょう。ですが流石にこの格好のままというわけにも参りませんし、着替えの時間を頂けますか?」


そう返事を返しながらも俺の頭の中にいくつかのクエストの内容が浮かび上がっていく。さて、今の俺の手に負えるものであればいいのだが……。



[12354] 5-2.ジャングル
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/09/11 21:18
空に浮かぶ月とシベイの円環が眼下のジャングルを照らしている。薄暗い夜の中で密林を覗き込むと、まるで深海に引きずり込まれるような不思議な引力を感じてしまう。

地平線の彼方まで広がる樹海の所々には巨大なジッグラトや打ち棄てられた都市などが緑に飲み込まれている姿を見つけることが出来るが、その全てを無視して目的地へと急ぐ。

今俺が乗っているのは《イセリアル・マウント/エーテルの乗馬》の呪文で構築された虹色の馬だ。メイによって召喚されたこの乗騎は深エーテル界を介し空を駆け、常識外れの速度で俺たちを運んでくれる。

この半島を冠する"スカイフォール"の名に相応しい突風が吹きつけるがその風を切り裂き、荒れ狂うエレメンタルが現れたとしてもその速度であっという間に引き離し視界から消し去ってしまう。地上を普通に行軍したのであれば二ヶ月はかかるであろう距離を、幻馬はほんの数時間で文字通り駆け抜ける。

トラベラーの呪いを避けるべく先導するフィアとルーが二人乗りした馬が宙で立ち止まり、目的地に到着したことを知らせてくれる。


「地図の遺跡はおそらくこの辺りだろう。さて、これからどうする?」


フィアが手綱を引きながら今後の方針を尋ねてきた。今回の仕事はジョラスコ氏族の後援を受けてこの付近で遺跡発掘に従事していたハーフリング達を保護、あるいは彼らの成果を回収することだ。

周辺部族に補足され、虐殺された彼らの生き残りは僅か5人。逃避行でやつれたハーフリングがこの茂った密林のどこかにいるはずで、俺達は彼らを見つけ出さなくてはならない。


「メイ、この近くに反応はあるか?」


頼みの綱はやはり占術呪文だ。発掘部隊を率いている男に与えられたジョラスコ氏族の印章指輪を目標に《ロケート・オブジェクト/物体定位》の呪文を発動させたメイの様子を伺う。彼女の技術であれば半径3kmにも渡る範囲を探ることが可能だ。

もし今の時点で反応が得られなかったとしても、呪文を維持したままこの辺りを跳び回っていればそのうち見つかるはずだ。だが今回は幸運なことに彼女は即座に反応を得ていた。


「──西側に反応があります。でも何か激しく動いているみたいで……」


その彼女の言葉を受けて密林へと視線を向けると、突如その一角が炸裂する炎で焼き払われた。間違いなく《ファイアーボール/火球》の呪文によるものだ。


「既に交戦中のようだな。急ぐぞ!」


エレミアが見事な手綱捌きで先頭を駆け始め、ラピスがそれに続いていく。

どうやら事態は急を要するようだ。舌打ちを一つして、俺も彼女たちに続いて幻馬を走らせるのだった。










ゼンドリック漂流記

5-2.ジャングル












「騎兵隊の到着だ。道を開けろ!!」


密林を切り裂いて銀光が闇を照らす。武装したホブゴブリンとバグベアの軍勢の頭上にラピスの投げ下ろしたスローイングナイフが降り注ぎ、哀れな犠牲者の頭蓋に突き刺さったかと思うと突如炸裂し、力場の矢を撒き散らした。

《スペルストアリング》の効果により予めに武器に封じられていた呪文が対象の殺傷をトリガーに起動したのだ。《チェイン・ミサイル/連鎖する魔法の矢》の名の示すとおり、それぞれのナイフから飛び出した大量のマジック・ミサイルが次の目標を狙う。

紫色に輝く力場の矢がその残光で暗闇を染め上げた。骸から伸び上がり次の獲物を狙うその様は蛇を思わせる。生い茂った樹木を避けて踏み固められた獣道に密集していた集団は突然降り注いだ災厄に巨人語で呪いの言葉を吐いては倒れていく。

その声を聞いて先頭でハーフリングを追い詰めていた兵士たちが何事かと振り返ったが、それは彼らの寿命を伸ばすことには繋がらなかった。彼らの頭上からはエレミアが空中から、戦に向かない幻馬を乗り捨てその勢いのまま飛び込んでいたのだ。水平に構えたダブル・シミターはまるで彼女の体に生えた翼のようだ。

その刃の輝きを捉え頭上を振り仰いだホブゴブリンの顔面を足場に着地した彼女は、まず最初にその首を切り落とし肩を蹴ると次の獲物へと飛びかかった。エルフの剣技の達人を"ジェルダイラ/刃の踊り手"と呼ぶが、その異名に違わぬ舞を彼女は見せつけた。

剣刃を閃かせながら敵中を進む姿はまさに死の踊りと言えよう。その武器を一振りすれば両端の曲刃が敵の首へと吸い込まれ、多いときは武器の一振りで4つの首が落ちた。彼女が通り過ぎた後には頭部を失った骸が立ち並ぶのみだ。武器に刻まれた意匠が空を切っては音を鳴らし、まるで剣そのものが歌っているかのよう。

だがその歌自体も長くは続かなかった。ほんの一呼吸ほどの間に、殺気と鉄の擦れる音で五月蝿かった密林は死の静寂で満たされていたのだ。その沈黙を破ったのは骸に突き刺さった投げナイフに結えられた鈴が風に揺らされて鳴らす音だった。だがその風が吹き抜けた後には、残響だけを残してナイフは消え去っている。

《リターニング》の魔法効果を付与された投擲武器が、役目を果たして持ち主のもとへ戻ったのだ。シャーンでラピスの狙った獲物を狩り続けた魔性のナイフは、今やゼンドリックでも彼女の爪牙として数多の敵を屠っていた。


「ちょいと大盤振る舞いが過ぎたかな。どうやら見掛け倒しだったみたいだね。とはいえ狸寝入りしている奴がいるかも知れないし、きっちりドルラーに送っておいてやらないとね」


まるで散歩に出かけるような気軽さでラピスはそう言い放つと、先ほど彼女の放った攻撃で地に伏せている五体満足な犠牲者たちの方へと向かっていった。その手には先ほど死を振りまいたダガーが数本ジャグリングするように弄ばれている。


「出遅れたか。どうやら我らの出番は無かったようだな」


手綱を緩めながら地上付近まで降下しつつ、フィアは退屈そうに呟く。そんな彼女を横目に俺は馬から降りると、突然の出来事に呆然としているハーフリングへと話しかけた。


「ファルコー・レッドウィロー氏とその御一行でよろしかったかな? もし人違いであの連中と友好を深められていたというのなら大変申し訳ない。

 とはいえこんなところに私たちが探している以外のハーフリングがいるとも思えないのですがね」


俺がそう言うと特に立派な──こんな僻地にしては、という注釈は付くが──身なりと体格をした男のハーフリングが我を取り戻したようで元気よく立ち上がるとこちらに話しかけてきた。


「見つけてくれてありがとう、ソヴェリン・ホストの神々に感謝を! 私は何てヘマをやらかしたんだと後悔していたところだよ。誰かに尻拭いを手伝ってもらうような事になってしまうとはね」


そう言って彼は弱々しく微笑んだ。


「君たちはジョラスコ氏族が寄越してくれた救援ってわけだ、そうだろう?」


おそらくは先ほど炸裂した《ファイアーボール》の媒介であろうワンドを腰のポケットに突っ込みながら、なんとか陽気さを取り戻したハーフリングはこちらにウインクして見せた。


「そういう事です。俺達は貴方のスポンサーであるジャンダル=ド・ジョラスコの依頼で手伝いに来た冒険者です」


数時間前、ジョラスコ氏族の居留地で俺に声を掛けた氏族の高官の依頼は密林で現地部族の襲撃を受け悲劇的な結末を迎えた遠征部隊の回収だったのだ。その中の最優先項目が目の前のハーフリング、考古学者ファルコー・レッドウィロー氏の救出である。

俺がそのことを伝えると生き残りの他のメンバー達の顔にも生気が戻ってきたようだ。その様子を満足に眺めながらも博士は俺に向かって続けて話しだした。


「ジャンダルは有能な女だ。少し私に惚れているみたいで、それが少しばかり彼女の目を眩ませているようだがね。正直にいうと、私は彼女のその感情を自分の利益のために利用したんだ。だが私は必ず成果を挙げてきた!

 自分のためにでもあるが、ジョラスコ氏族のためにもなっただろう。もしお前さん方が協力してくれるなら今回の探索行だって失敗には終わらないだろうさ」


どうやらこのハーフリングは未だに遺跡の探索を諦めていないようだ。そして俺達の協力を取り付けようとしている。どうやら窮地を逃れたおかげか随分と口が滑らかになっているようで余計なことも口走っているようだが。あるいは自分の影響力を示す彼なりの話術かもしれない。

待ち伏せを受けて彼の探索チームはほぼ壊滅し、せっかく見付け出したお宝も敵に奪われてしまっていると報告を受けている。彼自身もそれなりに腕に覚えがあるようだが多勢に無勢という判断だろう。

だがどうやら長話を続けていられる状況ではないようだ。密林の影から姿を現したラピスが敵の増援が近付いていることを知らせてきた。


「それなりに装備の整ったトロルの兵隊が近づいてきてる。さっきの使い捨ての斥候よりかは歯ごたえがありそうだよ。

 このまま放っておくともうしばらくで遭遇することになると思うけれど、どうする?」


どちらでも構わない、といった様子でラピスが告げたその言葉にもファルコーは顔色を変えた。窮地を脱したと思ったらさらなる敵が迫っていると聞かされたのだ、その気持ちは解らないでもない。


「どうやらここでは落ち着いて話も出来ないようだ。済まないがもう少し離れた安全な場所まで我々を連れていってもらえないだろうか。君たちの乗ってきた馬に便乗させてもらえないか?」


だが流石に経験を積んだ山師だ。混乱して取り乱すようなことはなく、手短にこちらに必要な要求を伝えてきた。


「いいだろう。俺とラピス、エレミアで近づいてくる連中を掃討する。メイはその分の《イセリアル・マウント》を彼らに回して、安全圏まで離れてくれ。彼らは小柄だから二人乗りでも問題ないはずだ。

 フィアとルーも念のため同行を頼む。落ち着ける場所を確保できたら念話で連絡を入れてくれれば合流する。頼んだぞ」


地の利が相手にある状態で追いかけっこを続けるのは得策ではない。空を飛ぶ馬に乗っていけば足跡を追跡される恐れはないし、占術による探知を妨害すれば充分に時間は稼げるだろう。

相手に航空部隊が居た場合は厄介だが、メイの秘術の火力と幻馬の機動力に抗しうるクリーチャーはそう存在しない。例えそんな敵が現れたとしても時間を稼ぐことは十分に出来るはずだ。

あとは念のため後続の部隊を叩き潰して目撃情報を消してしまえばいい。見たところ先程の敵には呪文使いは居なかったようだし、秘術などで連絡を取られている危険性は少ないはずだ。

ラピスの先導に従って夜のジャングルを駆け抜ける。13の月を持つこのエベロンでは雲のない夜はかなりの明るさとはいえ、鬱蒼と茂る樹木が頭上を覆い始めると周囲は暗闇に包まれる。

俺達は全員が予め付与された秘術などにより暗闇をものともしないが、ゼンドリックの密林で生き残ってきた者は多くは同じ能力を有している。その中でもトロルは体格こそ巨人族の中では劣るものの、特に暗視能力に優れた種族だ。

だが秘術で強化された冒険者はその生来の知覚能力を優に凌駕する。敵を先に視界に捉えたのは俺達だった。トロルの成体の平均的な身長は2.7mといったところだがこの集団は全員が3メートルを超える巨体、さらにその体の要所を分厚い革製の防具で覆っている。そんな連中が9体ほど、隊列を組んで密林を進んでいる。

巨大な棍棒以外に背中には弓を背負っており、明らかに戦士としての訓練を積んだ動き。盾を持っていないのは生来の強力な武器である鋭い爪を活かすためだろう。そして鍛えあげられた耐久力は相当なものだろうと容易に想像はつく。

だが、それも所詮常識の範囲内のことだ。戦闘バランスの全く異なるMMO側の攻撃呪文であれば一掃することは容易い。だが強力な呪文は周辺の敵の目を引くし、占術という情報収集手段のあるこの世界では例え目撃者を残さないにしても、頻繁に特異な能力を出すのは上手いやり方ではない。

シャーンの地下のように占術的に遮蔽された地下空間などであれば構わないだろうが、こんな場所で全力で呪文を放っては誰に見られるか解ったものではない。特にオージルシークスの加護とやらで強力な存在の目を逸らせているらしい現在、無駄に危険を引き込む真似をする必要はないだろう。

ここは敵の土俵であっても白兵戦で片をつけるべきであり、またそのための人選である。俺がそのように思考を巡らせている間にも仲間たちは同じ考えで動いていた。白竜の鱗に秘められた護りの呪文を発動させ、エレミアが樹木の影を渡って移動を開始している。

樹木の陰を伝い、側面から足音を殺して忍び寄る。ヴァラナーのエルフは戦士としてその能力を高く評価されているが、その本質は狩人である。商人との契約、古代の宝物の探索、哲学的な議論、いかなる時でもヴァラナーのエルフは「狩人と獲物」という視点で状況を見ているのだ。

足音を殺しながらも魔法の具足の働きによりその移動速度は並の戦士よりもさらに素早い。鋭敏な嗅覚を誇るトロルの索敵を逃れるため、風下から距離を詰めていくその姿はまさに獲物を狙う狩人そのものだ。

だが隊の中央に位置する一際巨大なトロルが突如大声で号令を発した。


「新鮮な肉、エルフの匂いが近付いているぞ! このギーブルブロックス様の鼻を騙すことは出来ん!!」


巨人語でそう言い放ちながらも背負った弓を取り出し、言葉が消えるよりも早く矢を放った。どうやら並のトロルよりも遥かに鼻の効く奴がいたようだ。その巨体に合わせ、むしろ槍と言い換えたほうが良さそうな太い矢弾がエレミアの潜む密林に打ち込まれ、迎え撃った刃と激突して暗闇を一瞬火花で照らす。そして閃光を切り裂いて白鱗鎧に身を包んだエレミアが進み出た。

多くのトロルが奇襲に対応できず未だ立ちすくんでいる中、その隊列を切り裂くように白い戦装束が駆け抜ける。巨人族相手に研鑽された剣技は先ほどホブゴブリン達を相手にした時よりもさらに迅く鋭く、深く敵の体を切り裂いた。トロルが身構えたときには既にエレミアはその敵を切り裂いて次の獲物へと向かった後だ。唯一反応したギーブルブロックスとやらは弓を捨て、その長い腕のリーチを活かして爪で切り裂こうとしたが、エレミアはその直前でさらに加速し強行突破を図った。

包丁よりも大きく鋭い爪が五指すべてに連なり、腕の長さを含めて5メートルを超える高さから振り下ろされた凶悪な迎え撃ちはしかし彼女が後ろに結わえた髪の尾にすら触れることは出来ず地面を抉った。その返礼に振るわれた彼女の刃は対象的に敵の革鎧を貫くと腰を半ばまで切り裂きながら背中へと抜けていく。そしてそのまま勢いを止めずに残る敵にも斬撃を見舞ってエレミアは敵の反対側へと突き抜けた。一拍おいてからようやく傷を負ったトロルの怒りの咆哮が彼女を追うように放たれる。

四肢が切断されたとしても拾いあげて継ぎさえすれば即座に繋げてしまうほどの再生能力を有したトロルにとって、火と酸以外による傷などは死には至らないが不快な物という認識でしか無い。自分たちよりも遥かに小柄な存在にいいようにやられたことで怒りを爆発させ、武器を振り上げた巨人達がエレミアへと殺到した。

彼女自身よりも巨大な棍棒が唸りを上げ暴風のように振るわれたが、エレミアは右へ左へと舞うように動きまわりその全てを回避してみせる。ホワイトドラゴンの鱗から作られた鎧はエルフの中でも特に機敏な彼女の動きを全く妨げることなく鉄よりも固い防御を提供しており、その上に薄く展開された力場は反発力を備え迫る攻撃を寄せ付けない。さらに展開された秘術の盾は彼女の両腕が武器を握っていても自在に空中を浮遊し攻撃を受け流しているのだ。

挟撃どころか周囲を包囲され、そのリーチを活かして反撃を受けぬ間合いから一方的に攻撃されているにも関わらずエレミアはその顔に浮かべた笑みを消さない。死の舞踏を続ける彼女にとって、相手が開けた距離はむしろその旋舞を行うために用意されたステージとして機能するのだ。

エレミアは包囲網を築いた大勢のトロル、そのうち彼女の先程の攻撃で特に深く斬りつけられていた一体の攻撃を掻い潜り、滑るように接近すると再び双刃を煌めかせた。目の前の巨人にすら劣らない膂力で振るわれたその刃は先ほど彼女が与えた傷跡をなぞるように腰部へと吸い込まれ、その半ばまで切り裂いた。そして直後、さらに踏み込みながら対の刃がさらに同じ直線をさらに深く切り裂く。

いかに脅威として知られるトロルの再生力といえども、完全なものではない。深い傷を刻まれれば、表面上はすぐに元通りに見えても内面の傷が癒えるまでには時間を要する。エレミアの斬撃はその傷跡にさらに攻撃を重ねることで巨体の体を両断したのだ。そしてその勢いのまま刃の先端は薙ぎ払われるように隣に立つトロルへと振るわれる。

宿敵の肉を切り裂くことで祖霊の魂を宿したシミターが益々強い魔力を放ち、その切れ味の限界を試すかのごとく致命的な斬撃が次々と振るわれ瞬く間にトロルが斬り伏せられていく。

仲間が倒れていくその様に包囲に参加していた残るトロル達は体格と数で敵を押し潰す策を取った。組み付いてその動きを封じ、鋭い爪で切り裂こうというのだ。ダブル・シミターのような体格に比して大きい武器は全身の力を乗せて振るわなければその真価を発揮しない。筋力が互角だとしてもウェイトの差は圧倒的だ。一度抑えこまれてしまえば確かにエレミアに勝ち目はないだろう。

だがそう考え、掴みかかろうとしたトロルの背後へと忍び寄る影があった。エレミアにのみ注意を払っていたその巨体の背中から、首筋へと短剣が突き刺さる。深く頚骨まで傷つけたその一撃も神経を引き裂きトロルの行動を阻害したが、さらにその刃から染み出すように出現した強酸がトロルの首から上を焼いた。ラピスの仕業だ。

酸は短剣に込められた《アシッド・アロー》の呪文だ。それは神経網を伝うように広がり、脳に達してさらに顔中の穴から溢れ出した。再生不能な酸による攻撃で中枢を破壊されたトロルはぐらりとその巨体を揺るがせて地に伏せる。もはや半数を割った生き残りは新たな敵の姿を探そうとするがその視界には何も映らず、鋭敏な嗅覚は不快な酸の匂いを伝えるばかりだ。

此処に至って彼らは自分たちが誘い出されたことを理解する。剣の踊り手を包囲したつもりが、その実は双刃と不可視の敵に挟み込まれていたのだ。正面には死の舞踏を踊る刃が煌き、死角からは弱点である酸を生む短剣が投擲される。巨兵達が全て倒れ伏すまでにはそれから数十秒も必要としなかったのは当然の事であろう。

無論その間も俺は遊んでいたわけではない。一際目立つ巨体のトロルの目の前に立ちふさがり、その相手をしていたのだ。


「このちびどもめ! バラバラに引きちぎってから食ってやるぞ!」


ギーブルブロックスはそう言って彼らの神の名を叫び、武器を振り上げ襲いかかってきた。奴の棍棒は所々に鉄杭が突き刺さっており凶悪な様相だ。巨大な棍棒のサイズからしてみれば無視してしまいそうなものではあるが実際には大人の指ほどの長さが突出しており、見切りを誤って鉄杭に引っかかれでもしたら骨まで引き裂かれてしまうだろう。

また大質量の物体が高速で振り回されるため、攻撃を回避するたびにまるで大型トラックが真横を通りすぎて行ったような風が巻き起こり体が吸い込まれそうになる。だが、それだけだ。確かに剛力に裏打ちされた攻撃は力強いが単調で、丸一日振り回されたとしても当たる気はしない。膂力と技巧を重ねるように鍛え上げていたゼアドに比べれば児戯に等しい。

ちらりと横目でみてエレミア達の戦闘が片付きそうなのを確認し、俺も早々に終わらせることにする。相手が振り下ろした棍棒の叩きつけを鋭く踏み込むことで回避し、相手の腕と武器の影に潜んだまま"ソード・オヴ・シャドウ"を取り出す。相手が一瞬俺の姿を見失ったその隙に横殴りにグレートソードを振るった。

古木のような分厚い外皮がアダマンティンの黒い刃によってまるで手応えもなく切り裂かれ、人間の大人の胴体よりも分厚い太腿部が両方共切断されてトロルの大将は崩れ落ちた。斬撃の勢いをさらに加速させ全身で駒のように回転した俺が再び正面を向いたときには、先程までは身長差で遥か上方に位置していたトロルの首が真正面に現れている。


「残念、バラバラになるのはお前の方だったようだな」


俺が巨人語で紡いだその言葉を追うように続く攻撃を放つ。2回転目の刃は勿論手頃な位置に降りてきたトロルの首の付け根へと吸い込まれ、先程よりもさらに容易く切断。巨大な頭部がゴロリと地面に転がる。だが緑の巨兵はそれでも死んでいない。首だけになったトロルは地面をその頬と口の動きだけで這いまわると胴体目がけて近寄ろうとしている。

俺はバランスボール大のその頭部を蹴り転がし、胴体から隔離すると武器を持ち変えた。抜き放った曲刀の先端からは緑色の酸が滴り、地面に落下すると嫌な音を立てる。それを見たトロルの顔が恐怖に歪むがこいつらにかけてやる慈悲など持ち合わせてはいない。


「口はまだ利けるだろう? せいぜいお前の神に祈るんだな」


死の宣告の後、額を断つように振るわれた斬撃はその断面に沿って爆発するような勢いで酸を発生させ、あっという間に頭部全体を覆うとその全てを溶かし尽くした。

残された胴体や両足はしばらくピクピクと反射的な動きを見せていたが、断面から欠損部位を生やしてくるようなことはなくやがてその動きを止めた。ドラウの二刀レンジャーが主役の小説では肉片からでもプラナリアのように再生する描写があったような気がするが、この世界のトロルはそこまでの再生能力持ちではないようで少し安心する。

胴体などの遺骸も同様に酸で処理を行うが、その際に腰に結えられていた袋を取り外し中に納められていた宝飾品の類を回収する。悪臭で有名なトロルに持ち運ばれていたせいか匂いが移っていたが、《プレスティディジテイション/奇術》で清潔にしてやると随分とマシになったため他のものとは別の袋に放りこんで隔離しておく。


「トーリ、楽してたんだからこっちの連中の後始末もやっておいてよ。これ以上蓄えた呪文を使うのも勿体無いしね」


悪臭に耐えかねたのか、ラピスはハンカチで鼻を押さえながら転がった巨体の残骸から距離を置きながらそう声を掛けてきた。確かに彼女とエレミアが8匹を相手にしている間、俺は隊長級一匹を倒しただけだ。遭遇脅威度としては似たようなものかもしれないが、楽であったことは確かであるし彼女の言うとおり後始末をして回る。

胴体から横一文字に切り裂かれたトロルの肉片を緑鉄製の武器で切り裂きながら、その断面を観察する。巨人族を宿敵としたエレミアの剣技が、巨人殺しの武器と相まってとんでもない威力を出しているのがそこから判る。対巨人の物理攻撃力に限ればその攻撃力は俺を容易に上回るだろう。


「どうやらこいつらも単なる脳筋で他の連中と連絡を取れそうな道具も持ってないね。逃げた先で敵に出くわしてなけりゃこれでしばらくは時間が稼げそうだ」


遺骸が酸で溶けた後に残る所持品をざっと一瞥してラピスが呟く。普段は裸眼のその顔に眼鏡を装着したその様は中々に新鮮だ。おそらくはレンズを通して《ディテクト・マジック/魔法の感知》の効果が発現しているのだろう。だがその視界に反応する魔力光が映っていないだろうことは予想できる。

大抵の戦士が一番優先するであろう武器がただの棍棒だったのだ。確かゲームではあのボスが魔法のクロークか何かをドロップするはずだが今は見当たらない。財産があるにしてもおそらく巣穴に置いてあるのだろう。そして護衛という仕事の都合上この連中の巣穴を探して回る事もできないし、態々こんな山奥にあるかもわからないお宝を探しに戻ってくることもない。つまりこの戦闘では稼げたのはラピスの言ったとおり時間だけというわけだ。


「どうやら収穫はトーリがさっき剥いでた宝石だけみたいだね。これだから蛮族共の相手は嫌なんだよ、術者が混じってれば少しは稼ぎになるだろうに」


つまらなさそうに吐き捨ててラピスは眼鏡を外すとベストのポケットへと仕舞い込んだ。


「目敏いなあ、でも多分こいつは稼ぎにはならないぜ。見たところ略奪品だろうしおそらくはあの教授御一行の誰かの荷物だろうさ」


腰のベルトにひっかけていた袋を彼女に放るとラピスは中の装飾品を睨みつけた。宝石がはめ込まれた銀の台座を裏返すと、そこには巨人語ではなくコーヴェア大陸の共通語──日本語で人名が刻まれている。流石にそれを見なかったことには出来ないだろう。


「ふむ、大した装備をしていないということはこの連中も敵の本体ではないということか。位置取りの都合上私が有象無象を引きつけることになったが、役回りを変えてもらうべきだったな。

 トーリの相手をしていた大柄なトロル一匹のほうがまだ歯応えがあったかもしれん」


傷一つなく8体のトロルを切り伏せたエレミアが不満を口にしているが、正直なところ彼女の連撃に耐えられるような巨人族は殆どいないのではないだろうか。毎秒以上の速度で繰り出される斬撃を三太刀も浴びれば先程のトロルのように切り刻まれて死ぬはずだ。

この熱帯地域で暮らす巨人族は基本的に金属製の鎧を身につけていないことが多いのも原因の一つだろう。鈍重な巨人は分厚い外皮で身を守っているが、エレミアほどの実力があればそんな連中は巻藁に等しい。そのため威力重視の連撃を容赦なく浴びせることができるのだ。


「ま、次があったら大物は譲るよ。とりあえずは合流だな」


ちょうどいいタイミングでメイからの念話が届く。先ほど別れた位置からの座標を確認した俺は、《ディメンジョン・ドア/次元扉》の呪文で跳躍すべくエレミアとラピスの二人をそっと抱き寄せた。

ふわりとした柔らかさが伝わると同時に呪文が発動し体がアストラル界へと溶け込む。そして瞬きにも満たぬ間の後に再び物質界へと帰還すると目の前の景色はすっかり変化している。呪文による瞬間移動だ。とはいってもすぐには合流地点まで届かない。

この呪文は《テレポート》と異なり、転移先に対する見識がなくとも安全な瞬間移動が可能だがその分転移距離が短い。今の俺であれば一回の呪文行使につき200メートルといったところか。

転移先に樹木などがあっては目も当てられないので障害物に重なる恐れのない空中を座標として指定しながら念話のナビゲーションに従って転移を重ねること十数回、ようやく俺達はメイの姿を木立の中に見つけた。


「みんなおかえりなさい。こっちですよ~」


《テレパシック・ボンド/テレパシー結合》の呪文で俺をナビしていたメイが手を降っているところへ、緩やかな速度で降下していく。《フェザー・フォール/軟着陸》の呪文と同じ効果を持つ装備のおかげで落下速度は毎秒3メートルほどの緩やかなものになっており、足を痛めるどころか音さえ立てずに着地することが可能だ。

メイの背後、5メートルほど離れたところ、密林の樹木の密度が下がった区画に景色に溶け込むようにしてコテージが存在していた。勿論これはメイが《ヒドゥン・ロッジ/隠し小屋》の呪文で創造した仮初めのものである。その名前に相応しくこの小屋は周囲の風景に溶け込むように偽装しており、さらには内部の音や灯りが外に漏れないようになっている。

しかもこの小屋の頑丈さは折り紙付きな上、隠密性もあって今の俺達が一時を過ごすには最適な選択だろう。そのうえ小屋の周囲の区画は占術による探知を防ぐ《プライヴェイト・サンクタム/秘密の部屋》の呪文により護られている。どうやらメイは充分な仕事をしてくれたようだ。


「それじゃ中に入りましょうか、皆待っていますよ」


メイの呟いた秘術の合言葉により入り口に仕掛けられていた《アーケイン・ロック》が解除され、主の帰還を察した《アンシーン・サーヴァント》が扉を開いて出迎える。

扉を開いた先は壁際に寝台が立ち並び、中央に架台式テーブルが配置された簡素な部屋になっている。その中の椅子の一つにはハーフリングが腰掛けておりこちらのほうを見ている。先ほどのファルコー博士に間違いない。他のメンバーは疲労困憊だったようで、既にベッドで休息をとっているようだ。


「無事に戻ってくれたようで何よりだ、親愛なる冒険者諸君。おかげさまで久しぶりに屋根の下で快適な夢を見られそうだが、その前に話しあっておくことがあるんだ。

 すまないが暫くこのハーフリングに付き合って欲しい」


そう言って彼は腰のスキットルを抜いて口をつける。だがすぐに残念そうな顔でそれをしまい込んだ。おそらくはもう中身が無かったのだろう。俺が自分の腰に下げていた水筒を放ると表情を一変させて受け取り、蓋を外して一気に飲み始めた。


「ああ、懐かしい街の味と香りだ。もはや戻らぬ私の助手達がドルラーに向かう前に、オラドラの慈悲が彼らを包んでくださいますように!」


死んでしまった仲間へ捧げたのだろう。彼は神へ祈りを呟くと一息で酒を飲み干して深く息を吐いた。まるでその吐息に乗って死者の魂まで街の香りを届けようとしているかのようだ。

そうして俯いた顔をあげたハーフリングの表情には強い意思の力が感じられた。


「それではビジネスの話をしよう。君たちがジャンダルからどの程度の話を聞いているのかは知らないが、おそらくは私を連れ戻すように言われているのだろう。であるならばストームリーチに向かう前にやってもらうことがある」


そう前置きをして彼は話しだした。さあ、これがクエスト"レッドウィロー・ルーイン"の始まりだ。俺はファルコーの要望を耳にし、知識と現実のすり合わせを始めるのだった。



[12354] 5-3.レッドウィロー・ルーイン1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/09/25 19:26
ゼンドリック漂流記

5-3.レッドウィロー・ルーイン1











ジャングル内部を走る通路の曲がり角の先に、飢えたホブゴブリンとバグベアの暗殺者達が屯しているのが見えた。この通路はもはや摩耗しきっているとはいえ規則正しく石畳が嵌めこまれていた痕跡を見て取ることが出来、この一帯が巨人文明の遺跡であることを教えてくれる。

直径が5メートルはありそうな柱が所々に取り残され、また折れて横たわっている。床や柱のことを考えると、ひょっとしたらこの辺りは元々巨大な建築物があったのかもしれない。今はその大半を自然に覆われているが、この大陸で巨人族の文明が栄えていた時代から4万年が経過していることを考えればありえない話ではない。

それだけの年月を経てなお痕跡を残している古代巨人族の文明も、またそれだけの間に他の文明が栄えることを許さなかったこのゼンドリックという大陸のいずれもが元の世界の常識に当てはめることが出来ない不思議なものだ。

文明を破壊され、衰退した巨人たちは結局その長い時間のあいだにもかつての繁栄を取り戻すことはなかった。それどころか今やコーヴェアの蛮地にも劣るような原始的な暮らしを送っている。これはゼンドリックの歴史を探求するコーヴェアの研究者たちのあいだでも様々な議論が交わされている謎の一つだ。

そんな未開の地ではあるが今、俺の目の前にある通路の要所にはこうして敵の部隊が駐屯している。特にホブゴブリンは斥候に兵士、秘術使いとその装備から窺える役割も分担されており統率のとれた部隊だ。組織だった動きをしているのは明らかであり、蛮族の群れと呼ぶには相応しくない規律というものを身につけている。

それぞれ単体の戦闘力では先程のトロルに劣るだろうが、彼らはそれぞれが与えられた役割を果たすことで隊としての戦闘力を何倍にも向上させるだろう。そしてさらに注意すべきが2体のバグベアだ。

このゼンドリックに住むバグベア達は、どういった訳か"ニンジャ"としての訓練を積んでいる。気配を操って姿を消し、不意に急襲してくるのだ。ホブゴブリンの連携に気を取られている間に死角に回りこんだ暗殺者に襲い掛かられるというのは最悪の展開だ。基本クラスとはいえサプリメントで追加されたに過ぎないマイナーな技術がなぜ彼らのお家芸になっているかは全くの謎であり興味深い。そのうちバグベアと知り合う機会があれば話を聞いてみるべきだろう。

だが今眼前にいる連中にそういった友好的な接触は期待できない。彼らは通路を閉鎖している番人であり、俺はそこを食い破る襲撃者なのだから。


「姿を消されて奇襲されたり応援を呼びに行かれると困るな。俺がバグベアの相手をするからフィアは敵の術者を仕留めてくれ。ルーは連中の足止めを頼む」


今俺とチームを組んでいるのはドラウの双子達だ。彼女たちには小屋の護りを頼もうと思っていたのだが、こういった巨人族の遺跡であれば彼女たちの知識が役に立つということで志願してきたのだ。代わりに小屋にはラピスが詰めている。俺たちが遺跡中央へ向い、エレミアとメイが外周部の敵を排除するという役割分担である。

ルーとフィアの戦闘能力については把握できてはいないのだが、ラピスがフィアの実力に太鼓判を押したことと、そのフィアがルーはさらに強いと語ったことで問題ないだろうと判断した。いい機会でもあることだし、このクエストの間にこの双子の能力を把握することにしようと考えたのだ。


「了解だ。確かに連中が"幽遁の術"で身を隠すと私では手間取るかもしれないしな」


フィアがそう言って同意を示し、ルーも頷きを返した。"幽遁の術"というのは先程の"ニンジャ"が使用する隠身の技術だ。閉鎖的な彼女たちの集落にも伝わっているということは古来よりバグベアが使用していたということなのだろう。ゲームでは姿を消している間は完全に攻撃を受け付けなかったが、この世界であれば《トゥルー・シーイング》の効果でその隠密を見破り攻撃をすることができるはずだ。ルーの役割が支援係であることを考えれば当然の配置だと言えるだろう。

大まかな役割分担が確認できたことで作戦を開始した。通路の脇に生える樹木に隠れ、小枝や落ち葉に注意して足音を消しながら気配を殺して移動する。バグベアはトロル達同様に鋭敏な嗅覚を有していることから、風下へと回りこみ奇襲に適した位置へと辿り着く。理想の位置を確保した後、指先を使用したドラウ流のハンドサインを駆使して呼吸を合わせて俺とフィアは暗がりから飛び出した。独特の歩法で足音を殺しながらも普段と変わらぬ速度で一気に目標へと肉薄する。

やはりバグベア達が最も練度が高いようで、咄嗟に反応して武器を構えようとした。ホブゴブリンの斥候もこちらに気づいたようだが反応しきれておらず、立ち竦んだままだ。そして俺たちが目標に武器を振り下ろすその直前、さらにダメ押しの呪文が敵を襲った。

周囲の木や蔦、下生えの雑多な草などが突然命を与えられたように動き出し、連中を縛り上げはじめたのだ。《エンタングル/絡みつき》と呼ばれる植物の領域に属する信仰呪文だ。ルーのサポートだろう、予め呪文や魔法の装備で《フリーダム・オヴ・ムーヴメント/移動の自由》の効果を受けている俺とフィアは範囲内に入っても影響はなく、敵だけが体の自由を奪われている。

突然の出来事に"気"を使って対応することすら出来なかった暗殺者に向けて、大剣を袈裟懸けに振り下ろす。鍛えあげられた漆黒のアダマンティンの刃がまるで抵抗なく振り抜かれ、縛り上げられたバグベアを左右に分割する。更に俺はその攻撃の勢いを緩めず、大剣の切っ先が地面にたどり着く直前にベクトルを横方向へと転換させる。

急な制動に地面を踏みしめる足に強い反発が返ってくるがその感覚すらも心地よい刺激だ。光を吸い込む黒い颶風と化した"ソード・オヴ・シャドウ"が俺の腕の動きをその先端へ何倍にも増幅して伝え、さらにつま先から腰、肩へと伝わるエネルギーを食って一閃される。再びまるで空を切ったかのような無抵抗さで今度はバグベアの腰を切り裂き、瞬く間に二名の暗殺者はその命を絶たれた。

高位のニンジャであれば例えこんな状況であろうとその体をエーテル界に溶けこませることで逃げ出すことが出来るため、相手に一切の行動を許さずに抹殺する必要があったのだがどうやら上手くいったようだ。

斬撃の勢いでクルリと回転した俺が正面を向いた頃には、クォータースタッフを構えたまま蔦に絡め取られたホブゴブリンの術者の急所にフィアがショートソードを突き刺しているところだった。独特の構えから繰り出される攻撃は、その見た目からは想像もつかない殺傷能力を発揮している。

かつて巨人族に対して反旗を翻したエルフが使っていた刃"トリーズン"がホブゴブリンの顎下から突き上げるようにして脳髄を抉っている。捻り込むように差し込まれた刃によって脳が破壊され、植物に対して抵抗していた四肢は一瞬のこわばりの後に力を失って投げ出された。

この一方的な奇襲で大勢は決した。残るはホブゴブリンの斥候が2体と戦士が1体と数の上では同等だがいずれの敵もルーの呪文に束縛されて禄に動けていない。この呪文による束縛は例え一旦抜けだしたとしても効果範囲に留まる限り何度でも絡みついてくるうえ、植物が妨害することで周辺の地形自体が移動困難になっているという凶悪なものだ。

初級呪文でありながら、ルーの卓越した制御能力により機敏な反応を見せる斥候役すら束縛されてしまっている。どうやら信じられないことに彼女の呪文を行使する能力──判断力は俺を上回っているようだ。呪文による一時的な増幅があるにしても、レベル自体もかなり高いようだ。どうやらルーの戦闘能力を心配する必要はないらしい。

バグベアと異なり鎧に身を包んでいたホブゴブリン達だが、鋼すら豆腐のように断ち割るアダマンティンの刃の前にはその装甲は何の役にも立たなかった。戦士は近づいてきた俺に対して苦し紛れに武器を向けてきたが、拘束された状態で無理やりに振るった武器が命中するはずもない。終わってみれば十秒ほどの間で敵は全滅していた。


「どうやら先程の斥候同様練度の低い兵のようだな。敵の主力はやはりトロル達ということか?」


武器を鞘に納めながらフィアが歩み寄ってきた。最高級の軽装鎧が彼女が発する僅かな足音すらも吸い込んでしまっているようで、草地を歩いているにも関わらずその移動は全くの無音だ。灰色の肌が夜の密林に溶け込んでおり、その輝く銀髪がなければ視認は相当に困難であろう。生まれ持った素質を磨き上げたことでその能力は全般的に常人の域を超えており、エレミアとは違った方向ではあるが戦士として一端の完成系であるといえるのではないだろうか。


「さて、どうだろうな。ホブゴブリンの中に秘術呪文の使い手がいた。まさかあの一体だけではないだろうし、各集団にある程度分散して配置されていると考えたほうがいいだろう。

 そうするとそれなりの数がいるだろうから、中には優れた術者が混ざっているかもしれない。遭遇戦になったらフィアは敵の術者を狙うようにしてくれ。油断はするなよ」


集団戦の際に恐れるべきは敵の秘術呪文使いだ。他の集団へ念話などで伝達されることが厄介なのは当然だが、戦場をコントロールする術において彼らの右にでるものはいない。戦力の分断を基本として、優れた使い手であれば一撃で対象を即死させる呪文なんてものを使ってくることも考えられる。そういった致命的な呪文に対してはある程度の備えをしているつもりだが、勿論完璧とは言いがたい。


「我らの血には夜と暗闇が結び付けられている。その影の力に及ばぬ呪文は我が身に届くことなくかき消されるだろう。敵の術者は蠍神の祝福を持つ我らに任せておくがいい」


胸を張って応えるフィアの様子が頼もしい。彼女たちドラウはオージルシークスやチラスクのように"呪文抵抗"を有しており、さらにその能力は成長に応じて強化されていく。俺の見立てではレベルが二桁に達しているフィアのそれは相当な強度があるはずだ。

さらに彼女はパラディンのクラス能力で呪文などに対する抵抗力が俺以上にある上、通常であれば抵抗に成功しても一部影響を受ける呪文の効果すら完全に打ち消す能力まで持っているのだ。彼女の持つ攻撃力の高さと相まって、術者にとって見れば天敵に近い相手だろう。


「ルーも十分に足止めの役割を果たしてくれたし、おかげで楽をさせてもらったよ。さっきの呪文は多分またお願いすることになると思うからこれを使って回復しておいてくれ」


俺はそう言うと真珠が連なったネックレスを取り出して彼女に渡した。無論これはただのアクセサリーではない。ひと粒ひと粒が"パール・オヴ・パワー"という使用した呪文のパワーを回復させる効果を持つ魔法の品だ。

その中でも最も低い階梯の呪文を対象にしたものでも金貨1,000枚するのだが、俺が渡したネックレスには30近い真珠が連なっている。金の力にモノを言わせたパワープレイというやつだ。生憎この世界のこういった呪文能力を回復させるアイテムの類は俺には効果がないのだが、メイやラピスといった秘術呪文の使い手がパーティーにいることもあって準備しておいたのだ。

どうやらルーはドルイド呪文を使用するようだが、この系統の呪文は密林で覆われた地域であれば先ほどのように低位の呪文ですら非常に強力な制御力を発揮する。かなり心強い助けになるはずだ。


「──うん。祖霊ではなく自然の助けを借りる分には私も力になれる。それに自分の身を守るには十分すぎる備えを預っている。トーリは私たちのことは気にしなくていい」


ルーはそういってローブの裾を軽く摘んだ。それは俺が着用しているものと同じ、竜紋が刻まれた品だ。未知の技術で編まれた布地は攻撃に対しては板金鎧の如く強固でありながらも軽く、数々の魔力による護りを提供する。その下に着用しているアウトフィットや装飾品を含めればその金銭的価値はとんでもないことになっている。他の皆にも言えることだが、冒険者という存在が歩く宝物庫と呼ばれるのも仕方のないことだろう。


「そっか。それじゃ頼んだぞ二人とも。これからが本番だからな」


二人にそう声をかけ、俺は再び密林の先へと視線を巡らせ歩き始めた。この先、遺跡付近に駐屯する全ての敵を排除するためには後何度かの戦闘を繰り返す必要がある。まだまだ今回の仕事は始まったばかりなのだ。




† † † † † † † † † † † † † † 




だがそれからの戦いはあまりに一方的なものだった。なんといってもルーの《エンタングル》が強烈すぎる。一回の呪文で影響が及ぶのは半径10メートル程度の範囲に過ぎないが、それに囚われれば力づくの脱出はほぼ不可能だ。

この密林の中という環境下で、周り中の樹木を含めた全ての植物が押し寄せてくるのだ。一旦絡みつかれたが最後、振り払っても次から次へとこの上なく精緻な制御力でコントロールされた植物がやってくる。秘術などによる瞬間移動や、俺達が使用しているような束縛を無効化する魔法具や呪文の効果を受けるしか逃げ出す手段は無いに等しい。

だがそれを可能とする術者はそもそも数が少ないし、真っ先にフィアによって排除される。残された前衛は止めを刺されるまでの間無駄な足掻きを続けるだけだ。次々と上がる巨人語の悲鳴がジャングルに木霊しそれを聞きつけて現れた増援を次々と処理していたのだが、今となってはもはやこれ以上援軍が現れる気配もない。

俺の仕事はルーに敵を寄せ付けないようにしつつ弓などを使ってフィアをフォローしていたのだが、大量の"パール・オヴ・パワー"によって無尽蔵に打ち込まれる《エンタングル》は押し寄せてきた敵全てを飲み込み、決して誰一人として逃がすことはなかった。

ホブゴブリンにバグベア、そしてミノタウロスといった三十名を超える敵兵が俺たちに襲いかかってきた。だがその全ては樹木の枝葉に首を釣り上げられ、潅木に下半身を縛り付けられ、足を取られて転倒したところを全身を雑草に抑えつけられるなどして身動きできなくなったところを次々と殺害されていったのだ。自然環境における高位ドルイドの恐ろしさを思い知らされたと言えよう。

あらかた始末をつけたと判断した俺は念話で通信を行ったが、エレミアとメイのチームも順調に周辺のキャンプ地制圧を終了させたらしい。あちらでもメイの呪文が敵を一時的に制圧、分断したところをエレミアが蹂躙したとのこと。どうやら前衛と後衛のコンビネーションがしっかりと機能したようで、こちら同様傷ひとつ負わずに戦闘を終了させたとのことだ。

十分以上に成果をあげたと判断した俺達は、依頼された品を回収して《ヒドゥン・ロッジ》に戻った。ドアを開けて戻ってきた俺達を見てファルコーは大いに喜んだ。どうやら休息も取らずに何やら作業をしていたらしい。

小屋の中央のテーブルには何やら乱雑に書きこまれた紙が散乱している。今回の出来事で受けたインスピレーションを書き留めていたのだろうか、一目見ただけでは解読できない内容が書き散らされている。数時間の間になかなかの荒れっぷりで、どこぞの大学博士だというこのハーフリングの研究室の散らかり具合が眼に浮かぶようだった。

ラピスはどうやらこの男の相手をする気はないらしく、小屋の角に椅子をおいて腕を組み帽子を目深に被って顔を伏せていた。チラリとこちらに視線を一度飛ばしてきたが、その表情はなにか言いたげだ。おそらくファルコーは俺たちが外に出て行ってからもずっとこの調子だったに違いない。留守番を引き受けたラピスはとんだハズレくじを引かされた気分なのだろう。

彼女は人当たりが良いとはお世辞にも言えない性分であるし、この依頼人との間に良好な関係を築く事は出来なかったようだ。初対面の印象などを良好にする魔法のアイテムなどといった品も存在するが、彼女は戦闘力を向上させることに重きをおいており、そういった方面には無頓着だし仕方が無いことだろう。だがその無愛想だったであろうラピスの様子にも関わらず、ハーフリングはマイペースを貫き通していた。


「よく無事に戻ってきてくれた! それに怪我も負っていないようで何よりだ。さあ首尾を聞かせてくれ!」


疲労でテンションが上がりきっているのか、ファルコーはその小さな体を大げさに動かして感情を露にしている。


「すまないがミスタ、テーブルの上を開けてもらっても構わないかな? 持ち帰った品の整理と検分を済ませるにも場所が必要だろうからね」


彼のテンションに押されるようにして俺がそう言うと、ファルコーは鷹揚に頷くと無造作に腕で紙を押し払ってテーブルの端から落とした。確かにテーブルの上は片付いたのだが、単に床の上にブチまけただけである。

ややゲンナリしながらメイに視線を送ると、彼女は苦笑を浮かべながらも部屋に待機していた《アンシーン・サーヴァント》に指示を出し、紙を拾わせ始めた。それを横目で見ながら俺たちは次々にテーブルの上へと戦利品を並べ始めた。


「素晴らしい! 私達が再び探索を再開するために必要なものを、君たちは全て回収してくれたようだな」


殺害された助手の遺体と遺品、発掘中の研究内容を記したノート、密閉封印のされた鉛製の頑丈な容器、逃げ出す途中で奪われてしまったスタッフの個人的な荷物。一通りを確認した後で再びファルコーは大きな声を挙げた。だが彼の顔には満足とは程遠い感情が浮かんでいる。


「だが、この冒険が本当に成功だと言う前に一つ欠けていることがある」


低く搾り出すような声が小屋に響いた。そしてファルコーは椅子に腰掛けた俺達一人ひとりの目を覗き込むように視線を動かすと言葉を続けた。


「復讐だ!!」


彼は声高に叫んだ。同時に小さい掌がテーブルを叩き、重い音が小屋に響き渡る。休憩しているアシスタントたちのことが脳裏をよぎったが、どうやら余程疲れていたようでこの騒ぎにも起きだしてくる様子はない。そしてファルコーはお構いなしに話を続けた。


「馬鹿なゴブリン共に私の計画を妨害させた、邪悪なクリーチャーに復讐するんだ。近くの洞窟に身を隠しているずる賢いジャイアントがいる。

 普段は対立している蛮族どもを結集させて駆り立て、私達の邪魔をしてくれた。私の助手を虐殺したのもそいつだ。奴があそこに居座っている限り、遺跡の調査を再開することはできない。

 排除は絶対に必要だ。だが私では奴の体から心臓を抉り取ることはできない。それは君たちの仕事だ」


ファルコー自身もそれなりに腕のいい術者のようだが、一人で巨人の住処に乗り込むのは流石に無理だということだろう。一般的な巨人族の中で最も与し易いであろうヒル・ジャイアントですらその脅威度は7だ。3メートルを超える上背に500kgの重量。先ほど戦ったトロルよりもいくらかランクの高い敵である。


「その大層な封のされた容器だけじゃ足りないのか? あんまり欲を掻いてるとそのうち身を滅ぼすよ」


この上さらに仕事を振ってきたファルコーに対し、ラピスがうんざりといった様子で口を挟んできた。皆の視線がテーブルの上に置かれた容器へと向けられる。占術対策に厚い鉛で覆われた筒。無断で開けたものに害を及ぼす防御術が施されているのだろう、秘術のオーラを漂わせたそれは明らかに曰く有りげな品だ。

ファルコーも俺達と同じくその容器を眺めていたが、しばしの黙考の後に再び口を開いた。


「ふむ……確かにその容器は重要なものだ。これだけでもスポンサーに3倍報いるに十分な資産になるだろうことは間違いない。だが、問題はそんなことではない!」


ハーフリングはギロリと鋭い視線をラピスに浴びせてそう叫んだが、そんなことくらいで無論ラピスが怯むことはない。ただ、頑ななファルコーを翻意させることは難しいと判断したようで肩をすくめると雇い主に先を促した。


「先程はああ言ったが、これがただ単に個人的な復讐心からだとは思ってほしくない。巨人達が何か邪悪なことを計画しているのは、お前にも分かっているだろう。

 殺人行為を行うごとに、奴らはストームリーチに一歩ずつ近づく。我々はあの街を守らなければならない、そうだろう?

 私は誓って言う、私の助手を殺した奴らに、生きて再び悪巧みを成功させやしない!」


ファルコーのその言葉にも納得できる点はある。原始人同然の暮らしを送っているはずのジャイアント達が、普段は奪い殺し合っているホブゴブリンやトロル達を統率し発掘者を襲わせる。それは明らかに常識を逸脱した行動だ。

その遺跡が非常に大きな価値のあるものだというのであれば納得も行く。だが実際にはファルコーらから奪い返した容器を蛮族たちに預けたまま、半日以上も放置している。ジョラスコ氏族がSOSを受け取ってから俺たちがファルコーをピックアップするまでに経過した時間からもそれは明らかだ。

彼らがすでに大したものを持ち運んでいなかったのは俺が見たところ間違いないし、襲われたキャンプ地の様子からも略奪はあっても荷探しをしたような形跡はなかった。そして追手をさらに差し向けていたことから、最優先は容器の回収ではなくファルコーらの抹殺だったと思われる。

ファルコーらが遺跡の発掘の際になんらかの秘密を探り当てており、その漏洩を避けるために殺害を目論んでいるということであればまだ判る。だがどうやらファルコーにその自覚はなさそうだ。果たして巨人の目的は何なのか?


「そういうことであれば構わないが……だが、その洞窟とやらはどこにあるんだ?

 周囲の地勢については一通り把握しているつもりだが、少なくとも80km以内にはそれらしきものは無いはずだぞ」


この小屋から出て周囲の掃討に出かける前に、事前に《レイ・オヴ・ザ・ランド/地勢》などの呪文により付近一帯の地図は頭に入っている。それによると、この辺りに巨人族の居住に適したような洞窟は見当たらない。

俺の知るシナリオでは、ファルコーが巻物を使って目的地までのゲートを開き巨人族の住処へと転移させてくれたのだが、それに類する効果は秘術の最高位呪文になる。この世界でそんなものが使えるのはごく一握りに限られるはずで、勿論このファルコーにそこまでの能力はないはずだ。


「それには秘密がある。それは長らくこの辺りの遺跡が発見されていなかったことにも繋がるのだが……君たちは当然"トラベラーの呪い"については知っているな?」


ハーフリングの問うその『呪い』は、変幻地帯と並んでゼンドリックの地図作成を困難にしている現象の一つだ。それは同じ経路を通って移動を行っても目的地に到着するために必要な期間が一定にならないというもので、その感覚と現実の双方を歪める神秘さから"謎と変化を司る悪神"トラベラーの呪いであると呼ばれている。

どうやらこの現象はゼンドリックの生まれでないものに強い影響を与えることが近年の探索から明らかになっており、このため友好的なドラウやジャイアントといった大陸出身のガイドを雇うことが最近の流行だ。


「その『呪い』の効果で既存の集落のごく近くや以前探索したエリアの中に突然遺跡が発見されることがある。隠されていた土地が突然姿を表すんだ。

 私たちはそれを"トラベラーの恩寵"と呼んでいるのだがね、それと同じようなことがその洞窟周辺に起こっている──違うのは、それがまるで月が満ち欠けするかのように出現と消失を定期的に繰り返すということだ。

 おそらくこの辺りを泡のように覆っていた『恩寵』が弾けたその残滓によるものではないかと私は考えているのだがね」


問いに頷いた俺達にファルコーが説明を続けた。『恩寵』というのはそれによって手付かずの遺跡を発見できるからなのだろう。初めて聞いた言葉であることからすると恐らくは彼ら考古学者や発掘家特有の言い回しなのだろうが、なかなか上手い事を言ったものだ。


「つまりこちらから好きな時間に仕掛けることは出来ないということだな。次にその洞窟の巨人族連中の顔を拝めるのはいつになるんだ?」


放っておくと自説を延々と語り始めそうだったハーフリングの言葉を遮って肝心の内容を問いかける。その辺りの話題に興味が無いわけではないが、身近にそのような脅威が潜んでいる今は優先すべきことが他にある。


「そうだな……この一週間遺跡を発掘している間に見張りを立てて観察していたんだが、その際の周期からするに次の夕方頃になるだろう。キャンプ地の近くに高台に入り口がある遺跡があったろう? あそこから見張っていたんだ」


今の時刻はもうじき夜が明ける頃だ。そうすると半日ほど時間に余裕があることになる。交代で休息を取り、戦いの準備をするには十分な時間だ。休息を取る前に準備していた瞬間移動の呪文で、彼らをストームリーチに送り届けることも出来るだろう。

だがその事を伝えるとファルコーは首を横に振った。


「君たちが回収した容器に収められているものは大変貴重で環境に敏感なもので、瞬間移動などをしてアストラル界へ送り込むと変質する恐れがあるんだ。助手達は送ってやって欲しいのだが、私は全てが片付いてから君たちが乗ってきた幻馬に同行させて欲しい。

 発掘団の本体を護衛したジョラスコ氏族の部隊も途中まで来ているだろうから、彼らと合流するところまでで構わない」


どうやら随分と慎重な取り扱いが必要な品らしい。そんなマジックアイテムのことは聞いたことがなかったが、もし本当だとしても今更瞬間移動を含めたアストラル界を利用する呪文の恩恵を放棄することが出来ない俺には縁のない物には違いない。


「相手の種族や数は判ってるのかい? 一口にジャイアントっていっても馬鹿みたいに種類がいるんだ。後、数によっちゃ何回に分けて突入したほうがいいかもしれないしね」


ようやく興味のある話になったからか、ラピスが顔を上げて質問を投げかけた。以前俺たちが"シャン・ト・コーの印璽"の儀式によってゼンドリックの大陸中から転移してきた巨人族の集団と戦ったことがあったが、その際に見た巨人族の種類は3種類だ。

だがこの大陸にはそれ以外にも多くの巨人族が住んでいる。風の巨人"クラウド・ジャイアント"、嵐の巨人"ストーム・ジャイアント"、石の巨人"ストーン・ジャイアント"……全てを列挙すれば10を優に超えるはずだ。

しかし幸いなことにファルコーが語った敵はその中で最も与し易いと思われる、ヒル・ジャイアントだった。


「連中は遺跡から逃げ出す私たちの仲間に向けて高台から大きな石を投げつけ、ゲームを楽しむように殺しを楽しんでいやがったんだ!

 遺跡まで来た数は3,4体だったとは思うが、見張りの報告ではその倍はいるはずだ。洞窟まで偵察を出したこともあるが、誰一人として帰ってこなかった。もし彼らの遺品らしきものを見つけることができたら、それも持ち帰ってきて欲しい」、


ヒル・ジャイアントの特筆すべき能力は今ファルコーの言った投石能力だ。目の前のハーフリングよりも遥かに重いであろう巨石を、軍用の強長弓並の射程で投げつけてくるのだ。そしてその威力は弓を遥かに上回る。集団で攻め寄せて城塞の防壁を破壊することもあるのだから、状況によっては非常に厄介な敵に成り得る。

"シャン・ト・コーの間"で戦った時には周囲に投げつけられる石がなく、その膂力で振り回される武器にさえ気をつけていれば良かったが今度は相手のホームでの戦いになる。距離が離れているうちに発見されると一方的に攻撃されることにもなりかねないし、十分に警戒しながら進む必要があるだろう。


「巨人を狩るのは我が務めだ。貴殿の同胞の失われた命は、誓って我らが連中に贖わせるだろう」


いままで壁を背に腕を組んで黙って話を聞いていたエレミアがそう言うと、ファルコーは満足したように笑顔を浮かべた。


「その言葉を聞かせてくれて安心したよ。せめて私の助手達がドルラーで安らかに過ごせるように、憂いを取り払ってやってくれ。

 ストームリーチの酒場では、君たちは英雄として称えられるだろう!」


そう言ってさらにしばらく情報交換を行った後、力尽きるように倒れて眠りについたファルコーをベッドに運んだ。聞いたところでは朝方に巨人の襲撃を受けてから不眠不休で今まで気を張っていたというのだから、仕方のないことだろう。

ゲームではとんでもない山師のようなキャラクターだったのだが、こうして実際に接してみるとその癖の強い部分が愛嬌と責任感で相殺されている。部下にも慕われているようで、チームのリーダーとしては十分な素養を持っているようだ。

朝方になって起きだしてきた彼の助手たちは帰還せずファルコーと共に残ることを希望したのだが、遺族への連絡などは一刻も早く行うべきだというファルコーの説得により渋々ストームリーチへと転移していったのだ。おそらく彼らは第二次の発掘隊として再びこの地を踏むのだろう。

その時はこのような悲劇が起こらないよう、現地の脅威を取り除いておくのが俺たちの仕事というわけだ。そんな事を考えながら、俺は《集団トランス》による瞑想に意識を沈めていくのだった。



[12354] 5-4.レッドウィロー・ルーイン2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/10/01 23:07
太陽がその身を地平線に横たえ、空の色が徐々に黄昏に滲み始めた時にその現象は起こった。視界に広がる森の一帯が蜃気楼のように揺らぎ、波紋が広がる水面のようにその姿を震わせ始めたのだ。それはまるでシャボン玉越しに風景を眺めているかのようだ。

だがその現象は長くは続かなかった。突如揺れの中央部からその揺らぎが吹き飛んだかと思うと、そこには丘が姿を現している。巨石がそこかしこに転がり、背の低い潅木に覆われたその姿は確かに先程までには見当たらなかったものだ。あれが目的の洞窟のある丘なのだろう。


「実際にこうして目にしてみても不思議なもんだね。とんでもない気候の変化ってやつは有名だし知ってたけれど、地形まで変わっちゃうなんてのは随分とデタラメだ」


メイに留守番役を交代してもらったラピスが俺の隣で今の光景の感想を呟いた。確かに、まるで出来のいい幻術を見せられたような気持ちだ。確かに中位の秘術には地形を別のものに見せかける幻術があるが、それにしたって丘一つを覆うことは不可能だ。

それに現実に地形を作り替えたり、差し替えたりするような呪文はさすがに存在しない。神格であればその影響下にある次元界を変動させることで地勢を操作できると聞くが、今俺たちが目にしたのは正にそれに近い現象だったのかもしれない。

広がった森の様子から判断すると、地形は上書きされたのではなく割りこむような形で出現している。はたしてあの瞬間に歪みの中心にいたらどうなってしまうのか等、興味は尽きない。ファルコーはこの"トラベラーの悪戯"とでも言うべき事象を『泡が弾けるよう』と言っていたが、確かに的を射た表現だと思う。ただしその弾けた泡の中から現れたものが問題だ。この高台からヒル・ジャイアントの洞窟までの距離は3kmほど。巨人が速歩で移動すれば10分強でたどり着く距離だ。

いくら何でもそんな距離に敵対的な存在を放置したまま遺跡の発掘を続けられるものではない。ファルコーがいうにはこの現象自体はやがて収まって、あの丘は出現しっぱなしになるらしい。そうなれば余計に圧力は増すだろうし、俺たちに対応を依頼するのも当然のことだろう。


「中腹辺りに見えるのが件の洞窟か。たしかにここから望遠鏡を使えば出入りの状況は確認できる。連中がこちらに気づかないうちに仕掛けるとするか」


そう言って予めメイに召喚してもらっていた幻馬に乗り手綱を引くと馬はその蹄で宙を蹴り、先ほどまで立っていた高台よりもさらに高く舞い上がった。そんな俺に続いてエレミア、ラピス、フィア、ルーの駆る幻馬も駆け上がってくる。夕日の光射す空に舞い上がる5頭の幻馬。これも十分に幻想的な風景ではある。

だが俺の視界にはそう見えているだけで、実際には皆はすでに秘術で姿を消しており敵からは視認できないはずだ。姿を消し中空から一気に攻め寄せてまずは洞窟周辺を制圧する。その後は手早く洞窟内を探索すれば今回の依頼は終了だ。


「さて、それじゃ観光の時間はお終いだ。残った仕事を片付けて、とっとと我が家に帰ろうじゃないか」


目的地付近の空中で短時間の付与呪文を各自に施した後、タイミングを合わせて俺たちは丘の中腹めがけ急降下を開始した。










ゼンドリック漂流記

5-4.レッドウィロー・ルーイン2












上空100メートルに迫った時にそれは起こった。突然降下先に黒点が生じ、大きさを増していく。直観が脳の判断を待たずに体を動かし、手綱から手を切って空中で幻馬から飛び降りる。その判断はどうやら正しかったようで、翻した体を掠めるようにして巨大な物体が通り過ぎていった。

勿論その通過線上に居たはずの幻馬の姿はもはやない。許容量を遥かに超えるダメージを受け、秘術の結合が溶けてしまったのだろう。そこまで理解が及んだ時には既に次の一撃が俺へと襲いかかってきていた。

ブーツに付与された飛行能力で体を制御し、今度は余裕を持って回避することに成功する。さらに通過していくその物体を観測したことでこの襲撃の正体を把握する。これはヒル・ジャイアントの投石攻撃だ。先ほどの黒点は投げつけられた岩塊というわけだ。それを不可視状態の巨人が投げたため、突然岩だけが出現したように見えたのだろう。

しかもそれはただの石ではない。恐ろしいことに彼らはアダマンティンの巨大な鉱石をこちらに投じてきているのだ。投げつけられたそれは一辺が50センチを超えるほどの大きさであり、直撃していれば象すら屠りそうな威力だ。

周囲を見渡してみれば他の皆も既に馬を撃ち落され、事前に付与されていた飛行呪文や魔法具により滑空している。しかし体を覆っている不可視の呪文の効果はまだ残っている。どうやら彼ら巨人達は予め不可視を見通す《シー・インヴィジビリティ/不可視視認》の呪文を準備していたようだ。

一方でこちらは同じく《インヴィジビリティ》により姿を消した巨人の姿を捕らえられておらず、一方的に狙い撃ちされている状況だ。そして幻馬を屠ったことに気を良くしたのかさらに複数の、砲弾と呼んでも構わなさそうな投石攻撃がこちらを襲ってきた。

おそらくは彼らは攻撃後に移動することで位置を隠そうとしているのだろう、今度の攻撃は先ほどの投石とは異なる位置から行われた。俺は飛翔のベクトルを下へ向けることで一気に降下して砲弾の軌道から離れ、丘に着陸して辺りに散らばっている巨石の影に身を隠した。

着地したのが麓側だったため目的の洞窟を見上げるような形になるが、この際贅沢は言っていられない。他の皆も慣れない空中機動を行いながら無事着陸したようだが、敵の砲撃で全員が纏まった位置には落下できなかったようだ。


「どうやら我らの奇襲は露見していたようだな。相手にも腕のいい占術師か司祭がいるのだろう」


すぐに俺の横へエレミアがやってきた。隊列的に先頭を走っていた俺達二人は比較的近い位置に落ちたようだ。他の3人の位置は今の場所からでは見えないが、上空から見ていた地形と直前の状況から大体の状況を察することはできる。同じような遮蔽のある位置に向かったはずだし、その数は多くない。

そして敵のこの迎撃具合を見るに、おそらくエレミアの言ったことは正しい。今も姿を消した巨人たちから俺たちのいる場所へと漆黒の砲弾が間断なく叩きこまれている。その着弾点には岩が砕けた跡だけが残り砲弾は見つからない事から、おそらくはあのアダマンティンの砲弾には"リターニング"の魔法効果が付与されているのだろう。さすがに連中も貴重な鉱石を使い捨てにするつもりはないようだ。

この一連の迎撃の動きは事前準備無しとは思えない。《シー・インヴィジビリティ》の呪文の効果時間は術者の技量にもよるが1時間弱から2時間程度。大勢に予め付与しておくにはピンポイントすぎる。《ディヴィネーション/神託》などの呪文はまさに神の視点から有用な助言を受けることが出来るし、おそらくはそういった占術を使用したのだろう。

今回の場合であれば『黄昏時に空より来る侵入者に注意せよ。不可視への備えが必要になるであろう』くらいの情報が出ていても不思議ではない。ヒル・ジャイアントくらいは余裕だと思っていたが相手は想像以上に入念な準備を整えていたようだ。

しかも今の俺達にはあまり相談に時間を掛けている余裕はなかった。背にしている巨石は今も削岩機で削られているかのように徐々にその身を小さくしていっている。避難場所としては長くはもたないだろうし、早急に打って出る必要がある。

こちらも《シー・インヴィジビリティ》の呪文を用意していなかったことが悔やまれる。《トゥルー・シーイング》を付与するゴーグルがあれば十分だと思っていたが、この効果は36メートルしか及ばない。これほどの長距離で不可視の敵と相対することを想定していなかった俺のミスである。だが、まだ十分に挽回できる範囲だ。


「連中の不可視をどうにかするにはもうちょっと近づく必要がある。俺が突っ込むからエレミアは姿を表した連中を相手してくれ。他の3人も俺が動き出せば合わせてくれるはずだ」


周囲の木や岩を砲弾が砕く轟音響く中、手短に方針を伝えた俺は遮蔽から乗り出し丘を駆け登り始めた。巨人たちまでの距離はおそらく100メートルほどだろう。それだけの距離を詰め、さらに巨人たちの姿を炙り出してやらなければならない。

姿を表した俺目掛け、漆黒の弾幕が殺到した。何もない中空から突如アダマンティンの黒光りする鉱石が射出され、とんでもない勢いでこちらへと向かってくる。その全てが直撃コースということはなく、いくつかはこちらの進路を制限するように火線を集中させている。

静止した砲台であればその場所に火球でも放りこめば済むが、相手もそれをさせまいと頻繁に動き回っている。距離を詰めるために瞬間移動の呪文に頼ればいいと思うかもしれないが、これだけ防備が整えられている拠点であれば何らかの対策がされていると考えたほうがいい。つまり結局の所、俺はこの丘を弾幕を避けつつ駆け上るしか無いというわけだ。

砕けた石で足元は不安定、しかも登りの傾斜もそれなりにあり移動困難な丘での100メートルは普通に考えると非常に遠い距離だ。平地の直線であれば疾走で6秒弱といったところだが、この足場ではその3倍近くの時間がかかる。吹き下ろす風の強さを考えるとさらにその時間は増えるだろう。だがそれだけの時間を与えればその分相手に対応の手段を取らせることになる。それは避けねばならない。

そこで俺は一つ手札を切ることにした。ブレスレットから外套を一つ選択し、今装備しているものと置き換える。それにより"クローク・オヴ・コンフォート"に妨げられていた熱帯特有の熱さが体を包むが、今はそれを気にしている余裕はない。言葉通り心頭滅却して熱気を無視し、そして替わって現れた外套に付与された魔法の効果を起動させる。すると外套は黄昏時の光を反射して煌びやかに輝いた。

微細な金糸で編み上げられた羽が幾重にも重なり、その表面には細かいルビーが散りばめられている。それでいて重量はまるでシルクのように軽い。風を受けてその外套がはためくと俺の体もまるで羽毛になったかのように宙に浮かび上がった。そして俺が地上を走るのと同じ速度で丘の斜面すれすれを飛翔していく!

これは"フェニックス・クローク"という非常に強力なマジックアイテムだ。通常の《フライ》の呪文であればある程度慣性に縛られた機動を余儀なくされるが、このアイテムは違う。望みうる完璧な空中での機動制御を行うことが出来、巨人たちの目を惑わすようなトリッキーな機動であっという間に洞窟の入口近くまで俺を運んでしまう。

そこまで近づいたことで《トゥルー・シーイング》の効果が透明化していた巨人たちの姿を暴きだした。その数6体、俺から見て左右に別れて3体ずつだ。その全員が棍棒を片手に、もう一方の手にアダマンティンの砲弾を構えている。彼らは突出してきた俺へその弾幕を打ち出してきたが、姿さえ見えていれば単なる投石に過ぎない。十分余裕を持って回避できる。そしてさらに俺は状況を一変させるべく呪文を発動させた。


「《グリッターダスト/きらめく微塵》!」


俺が両手に握りこんでいた雲母の飛沫をそれぞれの巨人のグループへと投げつけ、力ある言葉を放つとその粉末は金色の雲となって彼らを包み込んだ。透明化したその表皮が金粉で覆われ、巨人の輪郭が露になる。さらに粉末は巨人たちの目にも飛び込んでおり、彼らは突然視界が金色に覆われたことで盲目状態となったはずだ。先ほどまでとは丁度逆の立場に巨人達は立つことになったのだ。

視界を失った巨人たちに、遅れてやってきたエレミアの刃が襲いかかりその命脈を断つ──そう思われたのだが、なんと巨人は振り下ろされたエレミアの攻撃を持っていた巨大な武器で受け止めた。目が見えていないにも関わらず、彼はしっかりとした動きでエレミアの攻撃に対応したのだ。鋭いダブルシミターの刃がその棍棒の深くまで切り裂くが、無骨な木塊であるそれを両断するには至らず、武器としての機能にさしたる影響を与えたようには見えなかった。


「非視覚的感知か? エレミア、こいつらの目は潰れちゃいない、油断するなよ!」


《グリッター・ダスト》の呪文は手応えからしてもしっかりと効果を発揮していた。おそらくは《ブラインドサイト/擬似視覚》などの別の呪文が付与されているのだろう。これも不可視対策の一環だろうか? 数分しか持続しない呪文までが事前に準備されていることでますますこの戦いが面倒になりそうなことが予想される。しかも今眼前に立つ巨人たちは恐らくは前衛。これらの呪文を付与したであろう術者の姿がまだ見えないのだ。

この状況ではラピスたちと合流すると危険かもしれない。二手に別れることで各個撃破の可能性は増すが、一方が罠に嵌められた時にフォローしてくれる側が必要になる。そう考えた俺はこちらへ向かって別方向から丘を登ってきていた彼女達に簡単な合図でメッセージを伝え、巨人たちへと向かい合った。

少なくともこの6体の巨人は装備からしても使い捨ての兵隊ではなく、相手にとって重要な戦力のはずだ。それをすり潰せば相手に動きが出るはず。俺はエレミアが相手取ったのとは異なるグループの集団へ駆け寄ると手近な一体へと斬りつけた。

振り抜いた"ソード・オヴ・シャドウ"は相変わらずさしたる抵抗もなく相手を切り裂くが流石に巨人の体は大きく、一撃ではクリティカルしたとしても相手を絶命させるには至らない。そして3体から反撃として棍棒の乱舞が相手から繰り出される。二次元の動きでは対応出来ないと判断した俺は空中に飛び上がって回避する。空を飛べるということは単に地形による移動困難を無視するだけではなく、立体的な移動による複雑な戦闘行動を可能にするのだ。

だが俺のその行動すらもひょっとすると敵に予知されていたのかもしれない。身を翻して再び斬りつけようとした時に俺の体は突然吹きつけた暴風によって吹き飛ばされた。先程から吹きつける風が突然その強さを増したのだ。

俺は数メートル空中を押しやられ、そこで地面に叩きつけられた。衝撃自体は大したダメージではないが、口に入った砂利が苦味を伝えてくる。痛みよりもピンポイントすぎる突風の発生に俺の思考は乱された。


(巨人の魔法攻撃──じゃない!? 一体この風の正体は何だ?)


突然の出来事に混乱しつつもすぐに立ち上がって体勢を立て直し、巨人との戦闘を再開しようとするが暴風は一瞬ではなく持続的にこの周囲に吹き荒れているようだ。空中にいた俺と異なり、地に足をつけていたエレミアは吹き飛ばされこそしなかったものの強みである機動力を封じられ、風に耐えるためその場に釘付けにされてしまっている。

そこに叩きつけられる巨人たちの棍棒。巨人たちは多少動きづらそうにしているものの、淀みなく冷静に攻撃を加えているように見える。エレミアは既に1体を倒し、次の敵にも手傷を負わせていたようだがこの暴風によって形勢は逆転している。身動きできない状況で、相手はリーチの差を活かして彼女の武器が届かないところから攻撃してくるのだ。

今はまだダブルシミターで攻撃を逸らして凌いでいるが、じきに腕がもたなくなるだろう。この原因となる風は洞窟の入り口を中心に渦巻いている。この洞窟の中に風を生み出すなんらかの仕掛けがあるのだろう。

おそらくその正体は"住居の守り"と呼ばれるマジックアイテムだ。住居の周囲に風を巻き起こし、敵の侵入を防ぐ効果を持つものだ。その防衛力は特に空を飛ぶクリーチャーに対して有効だが、街中で使える類の品ではないことから自分の家には設置を見送った品でもある。

体格差と暴風を呼ぶ"住居の守り"を活かした戦術。どうやらこれが相手の防衛手段のようだ。吹き飛ばされた俺とは異なり、巨人たちはしっかりと地に足をつけて動き回っている。風を受ける面積は巨人たちのほうが大きいはずだが、それ以上に彼らは重い。その重量が彼らを風で吹き飛ばぬ程度に安定させ、この暴風の中での活動を可能にしているのだ。

緊急事態だと判断しエレミアのところまで転移しようとするが、編み上げた術式は発動するも俺の体はアストラル界に溶けこまず物質界の地面に横たわったままだ。呪文の不発ではなく、転移の制限。おそらくは《アンハロウ》のような結界に次元間移動を制限する呪文が定着されているのだろう。やはりこの一帯には瞬間移動に対する制限がされている!


「愚かな小さき者よ。我らは再び一つとなり、その力をもってお前たちをこの大陸から消し去る。死ね、強奪者め!」


おそらくはこの風を起こしている元凶であろう声が洞窟から響く。その宣告の後にさらに風の勢いが増した。先ほどまでは風速40メートルほどだったものがその倍を超える勢いとなり、周囲に生えていた木がへし折れ吹き飛ばされていく。もはや耳には風の怒号しか聞こえず、巨人たちはいつの間にか姿を消している。


(まだ風が強くなるのか? これ以上はマズい──吹き飛ばされる!!) 


風速は既に100メートルに達し、周囲の全てを巻き上げ薙ぎ払う竜巻が発生していた。俺たちの体も当然それに巻き込まれ、地面ごと吸い上げられると岩石と木のミキサーでかき混ぜられた。激しい殴打に見まわれ、事前に付与していた《ストーンスキン》の保護が貫かれ全身に痛みが広がる。

激しいシェイクに平衡感覚が失われ上下左右も判断出来ず、振り回される。俺は痛みに耐えながら呪文を発動させ自分の傷を癒すが、同じく巻き込まれたはずのエレミアはそうもいかないはずだ。俺の手の届く範囲かせめて視界に映ってくれればまだ対応のしようもあるのだが、この竜巻の中で目が見えるわけもない。彼女にも呪文の護りが幾重にもかけてあるが、そう長くは持たないだろう。

まさかここまで風が強くなるとは。確かこのクエストのボスはクレリック技能持ちのヒル・ジャイアントだったはずだが、そんな程度では済まない資産がこの洞窟の守護には投入されている。コボルド・アソールトでゼアドと遭遇したようなイレギュラーが起こっているようだ。このままだとこの竜巻の中ですり潰されてしまうだろう。最早形振り構っている場合ではない──。

だが俺が全力で抗うことを決意するその直前、突如竜巻が消滅した。唐突な出来事に姿勢を制御することも出来ず、あわや地表に叩きつけられるところだったが俺の体はその直前で柔らかく受け止められていた。


「……出遅れた、ごめんなさい。傷は大丈夫?」


俺を受け止めたのはルーだった。すぐ近くにはエレミアを受け止めたフィアの姿もある。どうやらルーが《コントロール・ウィンズ/風の制御》の呪文で周囲の暴風を抑えつけているようだ。彼女の周囲10メートルほどは完全な無風の領域で包まれている。

その外には未だに竜巻が荒れ狂っておりそれらは俺たち目掛けて突き進んでくるのだが、一定の距離まで近づいた瞬間その風の束は解きほぐされ、そよ風すらも残さない。最高位の風速カテゴリーに属する竜巻を完璧に制御するとは、ルーのドルイドとしての術者の技量は最高峰に達しているということを意味する。つまり彼女のレベルは俺達の中の誰よりも高い、ということだ。


「ああ、助かったよ。これはルーが?」


身長差の都合で横抱きに抱えられていた状態から身を起こし、彼女に尋ねるとルーは小さく頷きを返した。


「私が風を抑えて道を作る。貴方は中の者達の相手を」


そう言ってルーが前方へ腕を差し伸ばすと、俺たちを包んでいた竜巻の壁が割れていき洞窟の入り口への道が作られた。局所嵐のような天候の中、さらにその中心に作られた無風地帯。先ほどまでは到達不可能だと思われていた洞窟の姿が露になり、さらにその内部の風も抑えられているようだ。

そこには先程相対していた巨人たちの姿が見える。どうやら風の護りが失われたことに驚きを隠せないようだ。次々に武器を構えていくが、その動作はどこかぎこちない。こんな事態は想定していなかったのだろう、打って出るか迎え撃つか、それぞれが悩んでいるようだ。そしてその逡巡が彼らの命を縮めることになる。


「先ほどは随分と手厚い歓迎をしてくれたからな。その返礼はせねばなるまい」


風に翻弄されながらも武器を手放さなかったエレミアが立ち上がった。《ストーン・スキン》の保護は既に消えているようだが、そのおかげで深い傷を負わずに済んだようだ。フィアの"レイ・オン・ハンズ"で既に完全に調子を取り戻しているように見える。木々を根こそぎ吹き飛ばす竜巻の猛威も彼女の心までは折れなかったらしい。

エレミアが再び双刃の舞を再開すると巨人は1体また1体と倒れていき、その速度を俺とフィアが加速させる。多少訓練を積んだ程度のヒル・ジャイアントは十全に能力を発揮した俺達の敵ではない。通路を塞ぐように立っていた5人の巨人は俺たちに手傷を負わせることもなく、30秒ほどで壊滅することになった。そして俺たちは息をつく暇もなく奥へと進んでいく。おそらくはこの先にいるだろう敵に対処する時間を与えないためだ。

最低限の注意を仕掛けられているかもしれない罠に払いながら先に進むと、下りの通路を通り抜けた先は鍾乳洞が広がっていた。小さめの野球場程度の広さがある空間で、俺たちはちょうど観客席へと続く通路から現れたような位置にいた。奥への通路もいくつか散見されるが、今注目すべきはすり鉢状に窪んだ広間の中央に立つ巨人たちの姿だ。その数は4体。いずれもが見覚えのない聖印を身につけており、クレリックなのだろうと思われる。


「侵入者め、ここまで入り込んできたか。その魂をカラックに捧げん!」


こちらが視界に入った瞬間、巨人達は投石を放ってきた。今度はアダマンティンではなく普通の岩のようだ──だが、その岩には小細工が仕掛けられていた。その内のいくつかが壁に当たって俺たちの足元へと転がり、表面に刻まれたルーンが俺の視界に映る。


(この文字は……"シンボル"の罠か!)


敵の意図を察したときには既に遅く、意味を読み取られたことで発動した《シンボル・オヴ・ペイン/苦痛のシンボル》が周囲に呪力を撒き散らした。体に纏わり付くそれは触れたところから痛みを与え、判断力や行動を鈍らせようとしてくる。体全体に力を込め、その入り込んでくる異物感に抵抗するとやがて呪力は体の表面で弾かれその影響力を失った。

だがさらに残りの巨人は呪文が発動させて追撃を加えてくる。突如周囲の温度が下がったかと思うと雹が荒れ狂い体へと叩きつけられた。《アイス・ストーム/氷の嵐》の呪文だ。さらに冷気は地表を凍らせ、足取りを重くさせる。あまりの密度に"みかわし"で避けることも適わず、ジリジリとこちらの体力を削ってくる。

敵ながら中々堅実な呪文選択だ。確実にこちらにダメージを蓄積させることを狙い、更に足止めも兼ねている。しかしそんな敵の狙いを一切無視して先へ進む者達が居た。ルーとフィアだ。彼女達の強力な呪文抵抗を破ることは巨人たちにも出来なかったようで、二人が歩みを進めると氷嵐は割れ地表の凍結は溶けていく。特にフィアは段差を物ともせず、苛烈な跳躍で敵集団の中央へと突撃していた。


「倒れるのはお前たちだ。我が一撃を受け汝が神のもとへ赴くがいい!」


精神集中の結果として得られる極度の見切りにより、彼女の繰り出したショートソードはその武器の持つ限界を超えた殺傷力を発揮した。強さと速さと判断力、そして知性もが加わった破壊力が信仰心によって増幅され、打ち込まれた刀身が巨人の肉体を刺し貫いた。武器の軌跡が白と紅の残光として残る。

『ルビー・ナイトメア・ブレード』、彼女特有の武技による瞬間火力を重視した攻撃──言ってしまえば必殺技のようなものだ。その苛烈な攻撃は、巨人の強靭な耐久力に加えさらに付与されていた呪文による防護を消し飛ばし、一撃で相手を絶命させていた。

ただの一撃で同胞を失った巨人たちはその意識を一気にフィアへと引きつけられることとなった。その機動力のため突出することになった彼女に向けて隣接している巨人は棍棒を振り回し、距離が離れている者達は次々と呪文を放つ。

動きを縛る《ホールド・パースン/対人金縛り》や呪いをかける《ビストウ・カース/呪詛》、病魔を呼び起こす《コンテイジョン/伝染病》といった厄介な呪文をフィアは全て持ち前の抵抗力で無力化し、交差するように左右から襲いかかってきた棍棒を完全に回避できないと見るや一方の巨人の手元へと飛び込み、出来るだけダメージを軽減すべく握り手に近い部分で打撃を受けた。

小さな体に体重を遥かに超える武器が叩きつけられたわけだが彼女はその一撃をうけても膝をつくことはなく、戦闘態勢を維持している。そしてフィアの目的はその時点で達せられていた。彼女が稼いだその時間の間で、ルーが巨人たちを射程に捉えていたのだ。この洞窟の中には苔以外の植物は見当たらず、《エンタングル》は使えない。だがそれでも彼女にはまだ敵を制する呪文があるのだ。


「──星の光を束ねし縛鎖よ」


ルーがその腕を広げると、煌く光の帯が巨人たちへと伸びていく。それは彼らに巻き付くとあっという間に四肢を絡めとり、組み伏せてしまったのだ。《ケルプストランド/海藻の縄》の亜種だろうその呪文は巨人たちの抵抗する力にもビクともせず、完璧に捕えてしまっていた。だが巨人たちもそのまま無為に倒れはしない。動きが封じられただけで呪文の詠唱は可能なのだ。


「最後の守護者カラックよ、我らに加護を与え給え!」


巨人は彼らの崇拝する神──コーヴェアのソヴリンホスト信仰では暗黒六帝の一柱であり死と腐敗を司る"キーパー"と同一視される──に祈りを捧げた。《フリーダム・オヴ・ムーブメント》が彼らを束縛から解き放ち、自由になった術者は次々と《ライチャス・マイト/正義の力》や《ディヴァイン・パワー/信仰の力》といった信仰心を戦闘力に変えて自らに付与する呪文を使用した。

前者の呪文は巨人の体格を倍加し、質量は8倍まで膨れ上がらせる。後者の呪文は類稀な筋力強化に加え、戦士の卓越した技術を彼らの身に宿す。ドラウの双子の呪文抵抗を破るのは困難と判断し方針を近接攻撃に切り替えたのだろう。その中でも特に巨体となった一体の巨人が朗々と聖句を歌い上げ祝福を願うと、その巨人の身につけていた聖印が力を放ち彼らに力を与えたのが判った。《リサイテイション/朗唱》の呪文だ。

そしてその支援を受けて残る巨人が棍棒を振るう。もはや壁のような圧力を持って襲いかかる敵の武器は受け流しが通用する規模ではなくなっている。だが双子が稼いだ時間は《アイス・ストーム》に足止めされていた俺達を戦場に運ぶには十分な時間だった。


「スイッチだ!」


声を聞いてフィアとルーが後退し、代わって敵の中央に躍り出た俺に向かって棍棒が叩きつけられる。迫る攻撃は最早壁のようだ。隙間なく視界を埋め尽くしたそれをクロークの力を使い、空を駆け上がることによって回避する。だがそれすら一時凌ぎにすぎない。両側面の巨人から一呼吸の間にそれぞれ四撃が振るわれ、大質量の物体が高速で動き回ることで洞窟の中央部は"住居の守り"をルーが相殺しているにもかかわらずミキサーでかき混ぜたような状態となっていた。

攻撃を続ける巨人たちの戦闘力は狂乱したゼアドに匹敵する。常軌を逸した打撃力だ。巨人が生来持つその戦闘力を信仰呪文により最大限引き出しており、その圧力を身に受けて五体満足でいられる生物など滅多に存在しないはずだ。俺ですら時折竜紋の刻まれたローブの硬度を活かして攻撃を受け流さねばならないほど、この巨人たちの攻撃は鋭く重かった。だが今回はその打撃力が裏目に出ることになる。

3体の巨人は正三角形を描くように位置しお互いを治癒できる間合いを保っている。高位の司祭としての能力も有する巨人たちのその陣形は確かに盤石なもので、力押しで崩すのは厳しいだろう。だが俺はその中の二体にわざと挟み込まれるような位置まで進んだ。さらに"威圧"を行うことでこの巨人たちの注意を俺に引きつける。


「まるで火に飛び込む虫のようだな。死ぬがいい! すぐに仲間も送ってやる、寂しくはないぞ!!」


地の利を得た巨人たちは呼吸を合わせ、俺を挟み撃ちにしてきた。だがそれは俺の狙い通りだ。俺はしばらくその攻撃をやり過ごしてリズムを掴むと、二体の間をフラフラを漂うように動いた。無論それはただの移動などではない。《捕らえがたき標的》と呼ばれる技法により相手の距離感を狂わせる幻惑の歩法だ。

それにより間合いを計りそこねた敵は俺を狙ったはずの攻撃を仲間へと直撃させてしまう。予期せぬ深手を突然負わされた巨人の絶叫が洞窟に響き渡り、絶叫と共にその巨人が俺に向けて繰り出した攻撃もが俺をすり抜けると正しくお返しとばかりに向かい合った巨人へと炸裂した。それらの負傷は残る一体の巨人が行使した治癒呪文により間もなく癒されたが、繰り出す攻撃は次々と仲間を傷つけていく。そのショックたるや生半可なものではないだろう。

俺を殺すつもりで放った攻撃が自らの仲間の肉を抉り、同時にその仲間の攻撃が自分を傷つけているのだ。一度であれば不運な偶然で片付けられたかもしれない。だが武器を振るう度にそれは目の前の人間ではなく向かい合う仲間へと向かう。人間など一撃当たれば殺せるはずだというのにその攻撃はいつまでたっても当たらず、獲物である人間は武器すら抜いていないにも関わらず自分たちはどんどんと負傷していく──。

本来であればエレミアやフィアといった他の仲間を狙うといった発想が出たのだろうが、今この巨人たちは俺の"威圧"を受けたことで俺へと意識を集中させられており他のことが目に入っていないのだ。しかも"威圧"されたことで俺を倒さねば逆に殺されるという意識を植え付けられており、それを避けるには攻撃を続けるしかないというのにその攻撃自体は味方を傷つけるという悪循環。

彼らの心が呪文などによって呼び起こされたのではない、純粋な恐怖によって折れるまでにかかった時間は大したものではなかった。一方の巨人が大きく後退り、包囲を崩した。それにより陣形が崩れ、突出することになったその巨人に向かってエレミアとフィアが襲いかかった。それを横目で確認しながら俺はもう一方の巨人へと攻勢に転じた。今まで棍棒の先端が触れる程度に保っていた距離を縮め、空を駆けて巨人の顔の前へと躍り出る。


「化け物め!」


そう力なく呟いたのを最後に、巨人の頭部は胴体から切り離された。生命力を失った肉体は付与呪文の力を失って元の大きさへと戻りながら地面に崩れ落ちる。流石に一撃では切り落とせなかったが、《ヘイスト/加速》とルーの呪文による支援も加えた四連斬は瞬く間に巨人の生命力を削りとったのだ。もう一方の巨人もエレミアとフィアの集中攻撃を受けて地に伏している。

支援に回っていた最後の一体が範囲回復を行おうにも陣形を崩したことで二体の巨人を効果範囲に含めることが出来ず、躊躇しているうちに仲間たちは治癒の届かぬ骸となってしまっていたのだ。どちらか一方を諦めて残りを生かそうとすれば助けることは出来たかもしれない。だが今となっては既に手遅れだ。


「馬鹿な、こんなことが! ホブゴブリンどもは何をしているのだ、主の危機だぞ!」


一気に劣勢を自覚させられたことでヒル・ジャイアントの司祭はその巨体を震わせながら大音声で叫びを挙げたが彼の望む返事はどこからも返って来ない。その代わりにいつの間に忍び込んでいたのか、奥の通路からラピスが姿を現した。


「偉そうな口上を垂れておいていざとなったらゴブリン達に頼るのかい? 生憎だがそいつらは先にドルラーに逝っちまってるよ。大事なお宝を護らせるならもう少しくらい強い連中を使うことだね」


そう言ったラピスの手には強い魔力を宿したオーブが握られていた。光を脈動させているその宝珠の周囲が歪んで見えるほどの力を放っているのが解る。それを見た巨人はその分厚い外皮に覆われた顔色を変える程に激昂し、怒りの声を挙げる。


「偉大なるストームリーヴァーからの授かりものを、コソ泥風情が手にするなど身の程を知れ。呪いに打たれて死ぬがよい!」


だがその声をラピスはどこ吹く風とばかりに聞き流した。代わりとばかりに掌の上の宝玉をコロコロと動かしたかと思うと一転して握りこみ、その腕を巨人に向かって指し伸ばした。


「じゃあお前はその授かりものとやらで死ぬといい。本望だろう?」


ラピスがそう言葉を発した瞬間、宝玉が光を放ち巨人が膝をついて倒れこんだ。突如洞窟内に発生したダウンバーストが巨人を地面に叩きつけたのだ。


「馬鹿な……我ら選ばれし巨人のみが扱うことを許されし宝具を、奴隷種族などが!」


しかしその声が最後まで俺たちに届くことはなかった。突如発生した竜巻が巨人を飲み込んだのだ。驚くべきことに洞窟という閉鎖空間の中に発生しているにも関わらず、その風は巨人のみを包み込み此方側にはそよ風一つ流れてこない。轟音と目に映る光景だけがその竜巻の存在を伝えてくるその様はまるで映像を鑑賞しているかのように現実感がない。

だがその威力はこの身を持って体験済みだ。様子から察するにあの宝珠がこの住居に風の護りを与えていたマジックアイテムだったのだろう。正面突破以外の手段で洞窟へと侵入したラピスは、住居の護りを無効化し自らの制御下に置いたのだ。巨人はしばらくは竜巻から逃れようともがいてたようだが、やがてその動きは止まった。残ったのは血を吸い込んで赤く染まった竜巻だけだ。


「ふん、外で見たときにも思ったけどゴミ掃除には丁度良さそうだね」


ラピスがそう吐き捨て、伸ばしていた腕を自然体に戻すと竜巻は瞬時に消え去った。含まれていた血が雨のように降り注ぎ、洞窟の一角を赤く染め上げる。それは巨体だけあって人間とは比較にならないほどの量で、窪地に貯まって不気味な水たまりを形成している。

このようにしておそらくトールガンという名前だった巨人族のクレリック、"最後の守護者"カラックの信奉者は哀れな最後を迎えた。彼らが一体どんな企みを隠していたのか、それはこれから残された死体に聞くことになるだろう。

周囲の危険が去り、戦闘が一段落したことを確認した俺はその情報を集めるため、自分が切り落とした巨人の首に向けて歩みを進めるのだった。



[12354] 5-5.レッドウィロー・ルーイン3
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/10/07 21:42
《スピーク・ウィズ・デッド》はその名の通り、死者との対話を可能とする信仰呪文だ。正確には死体に仮初の知性と生命を与え、残された記憶との対話を行うのである。ある程度五体が無事に残っている必要があるが、古い遺体からでもそれなりに情報を得ることができる有用な呪文だ。

術者と死体の属性が異なる場合、術が阻害される場合があるのだが今回の場合は2体のうち1体に対して無事に発動してくれた。クレリック呪文であることから巻物による発動となり、失敗する可能性も高いと思っていたのだが運が良かったようだ。

巨人は俺の質問に対し、短い単語を途切れ途切れに返す。洞窟の内の空気と相まって、死者が言葉を放つその様子はまさに陰鬱そのものだ。自分で殺害した相手の死体からさらに呪文で情報を吸い出すというのは冒涜的な行動に思えるかも知れないが、この呪文自体は[悪]の呪文というわけではない。既に彼らの魂は遺体を離れ、ドルラーへと旅立っている。残った体は現時点ではただの物に過ぎないのだ。


「……厄介な話だな」


引き出した情報は彼ら巨人族の企みの一部でしかないと思われたが、それでも重要なものだった。現在一部の巨人族が勢力を結集しており、彼らは古代巨人族がこの大陸に張り巡らせていた転移装置を使用して各地で戦争の準備を始めているのだという。この洞窟はその転移装置の中でもハブ的な役割を果たしており、周辺の小規模な転移門を繋いでいたのだとか。

何故、今なのか。これまで文明を捨てて生活していた巨人族がどうして団結し、立ち上がったのか。それに対してヒル・ジャイアントの死体はこう応えた。


「偉大なるストームリーヴァーの声が大地に響き渡ったのだ。『我らは再び力を取り戻し、この大陸から敵を一掃する』と。」


最後の問いに応えた死体からは既に仮初の生命力が抜け落ちており、こちらからの問いかけに答えることはない。再びこの術の対象にするには1週間ほど時間を置く必要があるだろう。だがそれまでの間遺体を保管しておくことは難しい。《ジェントル・リポウズ》の呪文で腐敗を防ぐことは出来るが、その間この洞窟やジャングルに住む死体漁り達から遺体を保護し続ける時間を割く必要があるのだ。安全な場所まで持ち帰るには巨人の死体は大きすぎる。これ以上の情報を吸い出すことは考えないほうが良さそうだ。

そしていま得た情報に思いを馳せる。"ストームリーヴァー"とは、かつての古代巨人族文明が栄えていた頃の王である。悪夢の領域との戦いにおいて自らの命を代償に、異次元世界そのものを押し返した大魔術"リーヴァーズ・ベイン"を行使した彼は深い海の底で眠りについていると言われている。ゲーム中では彼の名を騙った巨人族が率いる城塞を攻め落とすクエストもあったが、実際に復活した王自身と戦うクエストもあったのだ。果たしてこれはどちらの流れだ?

だが思索に耽る時間は俺には与えられなかった。《ヒドゥン・ロッジ》で留守番を務めているメイから、小屋に近づく不審な影についての報告が入ったのだ。その特徴的な敵の姿を聞いた俺はこの洞窟の探索をラピスとエレミアに任せ、ルーとフィアを連れて小屋へと急ぎ向かったのだった。










ゼンドリック漂流記

5-5.レッドウィロー・ルーイン3












(しばらくはその石畳に沿って進んでください。今のペースなら近いうちに追いつけますし、焦らずに移動してくださいね)


脳裏にメイのナビゲーションが響く。彼女は小屋の周囲に怪しい人影を見つけた後、《アーケイン・アイ》の呪文でその連中を追跡したのだ。発動に10分が必要となるこの呪文だが、幸い彼らは斥候だったらしく周囲の探索を行った後に撤収していったので呪文の完成が間に合ったのだ。今俺達はその斥候に張り付いているメイの秘術的視覚端末に追いつくべく、ジャングルの中を移動中である。劣化したとはいえ、石畳だけあって足跡の痕跡を発見するのには難儀する。楽に追跡が行えているのはひとえにメイのおかげだと言えるだろう。


「トーリ、そこから先は迂回したほうがいい。遺跡の守り手である"夜蠍"のテリトリーだ」


丘巨人との戦いを開始した黄昏時からは既に十分に時間が経過しており、周囲は夜の闇に覆われている。遺跡の痕跡が色濃く残る石畳を外れ、密林の中を突っ切ろうとしたところで俺はフィアのその声に足を止めた。彼女が手で指し示した辺りは石畳ではなく土が露出した地面になっており、よくよく注意してみれば所々不自然な隆起が見て取れる。おそらくは地表面の下に幾条かのトンネルが走っているのだろう。スコーピオンの巣だ。


「我らがこの大地での戦いを終えた後、力ある者達の遺跡が二度と使われぬように神から特別な力を授かった守護者を放ったのだ。

 テリトリーに侵入しなければ干渉を受けることはないが、迂闊に踏みいれば地中に引きずり込まれるぞ」


目を凝らせば周囲には犠牲者のものと思われる血痕や、荷物が転がっているのが見える。散り散りに逃げていた発掘人夫のものだけではなく、ホブゴブリンの兵士のものと思わしき武器が落ちている所を見ると確かに見境なしなのだろう。

戦闘になっても負けることはないだろうが余計な時間と消耗をするのは本意ではないし、地中に引きずり込まれた遺体の回収は至難だろう。ファルコーには後で報告だけを行うことを決めて俺たちは蠍のテリトリーを迂回すると追跡を再開した。

俺たちが追っている斥候は追跡を警戒しているのか、痕跡を消すことに注意しつつ、さらには蛇行しながら進んでいるようだ。一方こちらには彼らを直視で確認しているメイのナビゲーションがあり、最短ルートを使って距離を詰めることが出来ている。先ほどのように若干の迂回をすることがあるとはいえ、その速度の差は密林の中では圧倒的だ。

追跡を開始してから10分ほどが経過した頃、俺たちはついにターゲットを目指するところまで距離を詰めることに成功した。暗闇に紛れる黒い肌。それは染料などでカモフラージュしたものではない、地の色だ。何かの意匠なのか、頬から首筋にかけて銀色の紋様が踊っている。


「確かにメイの言ったとおりドラウだな」


靭やかで丈夫そうなレザーアーマーを身に纏った彼らはクロスボウと剣で武装している。その装備品は全てが魔法による強化を受けているようだ。一目見て手練と判断できる技量。巨人たちのように生来の能力に頼ったのではない、研磨された技術による戦闘力の高さが予感された。

事前にファルコーが伝えてきた話によると、遺跡の発掘を開始した頃に彼にコンタクトを取ってきたドラウの部族が居たという。十中八九はその連中で間違い無いだろう。

彼らは遺跡に興味があり、代価は払うので発掘物を引き渡すように言ってきたらしい。勿論ファルコーの後援者はジョラスコ氏族であり、ジャンダルがそのような行為を許可することはないだろう。だが少人数で発掘に当たっていたため拒否すればどのような妨害を受けるかも解らなかったため、その場では検討する旨を伝えてお引き取り願ったらしい。

だがファルコーはそのドラウの一団についてはそれ以上詳しいことは知らないようだ。俺に先方の申し出を拒否する旨を記した書簡を託し、可能であればそれを渡すように言っただけだ。ゲームでは選択の余地なく戦闘に突入したが、同じドラウであるルーとフィアがいれば交渉の余地があるかもしれない。


(そろそろ《アーケイン・アイ》の効果が切れちゃいます。そちらの様子が確認できなくなりますから、状況に変化があったら念話で伝えてください。

 今の小屋を棄てて新しい場所に移動することもできますから、無理に対処しようとはしないでくださいね。時間を置けばエレミアちゃん達も合流できますし)


(了解。それじゃ二人が帰ってきたら連絡してくれ。俺たちは引き続きこの連中を追跡する)

 
メイに返答を返し、彼女の提案を頭の隅に留め置きつつ前方を進むドラウたちを視界に置きながら俺は小声でルー達に話しかけた。


「あの肌の色、幻術で誤魔化しているわけでもなかったようだしドラウで間違い無いだろう。二人はこの辺りのドラウ部族についてなにか知っているか?」


そう思って問いかけたが、返ってきた二人の返答は芳しくないものだった。


「私たちの部族は自分のテリトリーから滅多なことでは出なかったのでな。他の氏族との交流はほとんどが失われてしまっているのだ。役に立てなくてすまない」


「──最も新しく外界と接触したのは三千周期も前のこと。黄昏の境界は一周期ごとに物質界と交わるけれども、我らの里にたどり着くことができるのは運命に選ばれし者のみ」


なんともスケールの大きな話だ。ここでいう一周期とは彼女たちの暦でいう1年──俺たちで言う13ヶ月に相当する。前に聞いた話から相当に外界と隔絶した部族なんだろうとは思っていたが、その度合いは俺の予想の遥か上をいっていたようだ。この様子では交渉の余地が生まれるとは考えないほうが良さそうだ。


「そうなると情報がない代わりに特に利害関係もないってことでいいのかな。相手の出方次第にもよるけれど、戦闘になる可能性は十分ある。

 自分と同じ種族と戦うことになっても大丈夫か?」


俺は随分と克服しているとはいえ、未だに人間やエルフといった自分や仲間と同じ種族の敵を倒す際には一瞬殺さずに無力化して済ませるかどうかの判断に悩むことがある。大抵の場合は性根が悪に染まった連中が相手であり、悩む必要はないのだが。

相手が悪であっても改心させる"高貴なる行い"をするほど俺は出来た人間でもないし、そこまで相手の生命を重んじてやれないのが現状だ。だが彼女たちの場合はどうだろうか。明らかに善に属している彼女たちは同族が敵になった場合どう対応するのだろうか。特に強い信仰を持っている二人だけにそのあたりのスタンスについては確認しておくべきだろう。


「案ずる必要はない、我ら刃の振るいどころを誤るようなことはせぬ。むしろトーリこそ我が同族と思って油断せぬほうが良いぞ。

 我らが仇敵である"蜘蛛の女王"は隙あらば同胞の魂を堕落させんと企てている。この周辺のドラウらがその蜘蛛の糸に絡み取られておらぬとも限らんぞ」


フィアのいう"蜘蛛の女王"はおそらく有名なドラウの悪神のことだろう。おそらくこのエベロンでは"上帝"として存在しているデーモンの一柱だ。エベロンという世界に括られている以上、神としての権能こそ有していないはずだがそれでも事を構えたい相手ではない。

本体はカイバーの奥底に封じられているとは思うのだが、その腹心──エグザルフは今もどこかで暗躍しているのだろう。どちらかと言えば他のD&D世界観に属するその存在が何故エベロンにいるのか、その点は非常に気になる点ではある。この仕事が落ち着いたらその辺りの事情というか伝承をこの双子から詳しく聞いてみるのもいいだろう。


「それは怖い話だな、蜘蛛には精々注意しておくよ──さて、そろそろ連中の目的地に到着かな?」


小声で会話を行いながら追跡を続けていると、ターゲットである2つの人影が石造りの高台へ駆けていくのが見えた。そこには複数のテントらしき構造物が見て取れる。おそらくはドラウ達が拠点としているキャンプ地なのだろう。一つのテントの大きさは2,3人用のものと思われる。個数からすると多くて10人が彼らの総数だろうか?

ゲームではドラウのキャンプ地にも焚き火が炊かれていたのだが、今頼りになるのは密林の隙間から零れ落ちる夜空の微かな月明かりのみだ。斥候からの報告を受け取っているのであろう人影が3名。ひょっとしたらテントや物陰にあと数人が潜んでいるかもしれないが、流石にこの距離からではそこまで判断できない。


「さて、どうやら連中の所在は突き止められたようだな。しかしどうやってアプローチしたものか……敵と判断されていきなり攻撃を仕掛けられると面倒だしな」


アプローチの手段をいくつか脳裏に浮かべるが、どれも行き当たりばったりで相手の反応が読めない。


「我らだけで行けばいきなり攻撃されることはないとは思うが──」


茂みで隣に潜むフィアがそう提案するが、俺は首を振ってその意見を否定した。


「いや、ひょっとしたら俺たちがホブゴブリン達と戦闘していたところを見られていたかもしれないし、占術で情報を得ている可能性もある。

 そうだな、変に気を回しても相手に余計な勘ぐりをされるだけだろうし真正面から堂々と行くとしよう」


下手な誤魔化しは止め正面から当たることにして、念話をメイに繋ぎ状況を簡単に説明する。倍以上の人数との戦闘になる危険性があるためか、しばらく考えた後にメイから了承の声が届いた。エレミアとラピスの状況を確認していたのだろう、彼女たちは洞窟の探索を終え間もなく小屋に到着するらしい。

追跡の間にメイは新たな《アーケイン・アイ》を用意してこちらへと飛ばしてきていることも考えると緊急の事態になれば皆を連れて瞬間移動で駆けつけるつもりなのだろう。そういったバックアップの状態も確認できたところで、いくつか装備を入れ替えて準備を整えると俺は左右に双子を従えて茂みから立ち上がった。

石畳の上を相手に警戒心を抱かせぬようにゆっくりと歩く。ドラウの暗視能力の有効距離は《トゥルー・シーイング》の呪文と同じく36メートルほど。研ぎすまされた知覚力があれば零れ落ちる星明りでそれよりも長距離を見通すことができるが、どうやら相手にはそこまでの観測手がいないようだ。

目測で相手との距離が40メートルを切ろうとしたところで、フィアの口から鳥が囀るような音が発せられた。チチチ、というその高音は風に乗ってキャンプ地へと届く。密集していた人影がさっと散り、物陰からはクロスボウの弦を引き絞りボルトを装填する音が響いた。

そんな連中に向かってさらに歩みを進めていくと、一人中央に佇んでいる深緑の上衣の男が音の出所を察して注意深くこちらに視線を向けてくる。両手にスタッフとシミターをそれぞれ握ったその姿は、エルフ特有の細い体からも相応の威厳を感じさせている。


「招かれざる客、余所者を連れた黒き肌の同胞よ。何処より参られたか? ここが"古き樹の守り人"の領域であると知っているのか」


滑らかで軽やかな声が男から発せられた。耳慣れないアクセントと早いリズムをもったそれはまるで歌のように聞こえたが、紛れもなく異邦の言語である。幸い俺はその言葉の意味するところを知ることが出来た。エルフ語だ。


「我らは"黄昏の谷"より渡り来た星の歌い手と闇の狩人である。星の導きに従い旅を続け、縁あってこの地に立ち寄った」


対してフィアが足を止め、流暢なエルフ語で返す。言葉遣いが仰々しいのは儀礼的な意味もある遣り取りだからなのだろう。だがその言葉を持ってしても相手の警戒を解くには至らなかったようだ。テントや崩れた柱の影からは殺気を伴った影が見え隠れしている。


「──古い伝承で聞いたことがあるぞ。我らの先祖が"力を持ちし者"の呪縛に囚われし時、大いなる自然の導きによって縛めから逃れた者たちがいると。

 既に古き主達との戦いも終わり、我らがこの大陸の主となった今頃になって彷徨い出てきたか。疾く去るが良い、この地は戦いで血を流し我らが先祖が贖ったものだ」


高所から見下すようして投げ返されたのは侮蔑の言葉だった。闇夜に映える紅い瞳が冷徹な光を帯びて輝いている。その強烈な敵意の篭った言葉の投擲は、だが双子の心の水面には小さな波紋すらも浮かべることはなかったようだ。ルーの透き通った声が周囲の木々に染み渡るように広がった。


「汝らが歩いた道があるように、我らもまた違う道を歩んできた。その何れもが父と子らの血を流すに値する誇るべきものであろう。されど今はその道行きを語る時には非ず──」


そこまで語ったところでルーはその瞳を閉じ、口を噤んだ。どうやらこちらの用件を優先してくれたのであろう、相手が余計な口を開く間にこちらから切り出すべく、半歩前に出つつ代わりに口を開いた。


「ファルコー・レッドウィローから手紙を預っている。俺たちはこいつを届けに来たんだ」


そう共通語で言いながら預かった書簡を指で挟んで相手に見せつけるようにヒラヒラと振ってみせる。近づいたおかげで薄明かりの中でも十分視認できたのであろう、刻まれた印章に見覚えがあるようでドラウの男はその細い目を見開いて俺を注視してきた。


「よそ者か。お前はハーフリングではなく、その上あの男の一行の中では見なかった顔だな。だがその手の中にある手紙はどうやら本物のようだ。見せてもらおうか」


どうやら共通語はしっかりと通じたらしい。男が舌を鳴らすと最寄りの物陰から影が一人立ち上がり、こちらへと近づいてきた。先ほどの斥候の一人だ。そのドラウは俺が持つ書簡をひったくるようにして奪い取ると偉そうな男の元まで運んでいった。まったく、歓迎の意思が全く見られない対応である。おそらくは自分がつけられたことを理解しているのだろう。

そして手紙を受け取った男は封筒を念入りに調べ、開封してからも注意深く読み進めているようだった。暫くして手紙を読み終えたドラウは表情に苛立ちを浮かばせてこちらに向き直った。


「あのハーフリングとは幾度が言葉を交わしたが、どうやら我らの慈悲までは理解できなかったようだな。

 何人かの増援を得て命が救われたことで思い上がったのか、我等と対等な立場に立ったと考えているようだ。少々この密林での作法を教えてやらねばならないらしい。

 お仲間の首でも送りつけてやれば少しは物分りも良くなるだろう」


ドラウの赤い眼に邪悪な光が宿り、手紙が宙へと放り上げられた。そして抜き放たれたシミターが閃くとあっという間に2つ4つと分割され、風に乗って散っていった。支えのない空中で紙のようなものをここまで容易く切り裂くとは、腕前も武器もなかなかに業物のようだ。


「ファルコーはあの遺跡を調査するに当たってスポンサーから莫大な支援を受けている、それを反故にすることは道義にもとる行為だ。

 彼の持つ罠や仕掛けを解除する技術が必要なら、その不利益を補うだけの対価を示す必要あるだろう」


俺としてはあくまでジョラスコ氏族に雇われた立場であるのでファルコーが裏切るようならそれを止める必要がある。だがジョラスコ氏族とファルコーが許容できる範囲での交渉が可能なのであれば平和的な解決を模索するのも一つの手段だと考えている。ドラウは密林のプロフェッショナルであり、友好的な交流が得られるのであれば今後の発掘に対して十分な利益が見込まれるからだ。だがそんな俺の思いは歯牙にもかけられなかったようだ。


「たかがメッセンジャー相手に交渉する舌は持たぬ! とにかくレッドウィローの奴は我々の提案を蹴った、貴様にはその死を持ってあの男へ我らが意思を伝える役目をくれてやろう」


シミターが横に振るわれ、月明かりを反射して銀閃を描いた。そのドラウの動きに呼応するように、周囲に潜んでいる連中からも殺気がさらにこぼれ始める。俺を殺してファルコーを追い詰めようという考えのようだ。

とはいえ負ける気は全くしない。呪文攻撃を行えば瞬く間に殲滅することすら可能だろう。いかに鍛えたドラウが高度な呪文抵抗を持つと言っても、それを無効化する呪文というものも多く存在するのだから。

空気が緊張で徐々に張り詰めていき、どうしたものかと双子に視線をやると俺のその心情を察したのか二人は俺の前に立つように前に出て口を開いた。


「お前たちには我らがあるべき定めについて語り継ぐ導き手はいないのか。それとも永きにわたり大地に囚われたことで星々の合間を駆け巡りし時の記憶が失われたのか?

 始祖より受け継いだ刃を向けるべき敵を誤つことは不義であり、道を踏み外し悪に堕ちた魂は死後に蜘蛛の女王に絡め取られることになるぞ!」


フィアがエルフ語にしては強い言葉で語りかけるが、相手のドラウ達は嘲りを返すばかりだ。


「我らは4万年の永きに渡って古き主亡き後のこの大陸を守ってきた。汝らの言う蜘蛛の女王だとて蠍神の眷属、一側面でありカイバーより我等を見守ってくださる存在であり、死後もその側に侍り戦うは優れた狩人と認められた証である! 

 "守り手"カーザンの名により汝らの魂を狩り取らん。女王の慈悲がその身の上にもあることを祈るがいい」

 
そう言葉を返すや否や、ドラウの男──カーザン・トルコチャがスタッフを振り下ろした。その先端から放たれた小さな指先ほどの光球がみるみるうちに膨れ上がり、ルーとフィアの正面で爆音と共に炸裂する! 威力が最大化された《ファイアーボール/火球》の呪文だ。

だがジャングルの暗闇を切り裂いたその閃光が収まった後、二人のドラウの少女の姿は先刻までと全く変わらない姿でそこにあった。フィアはおそらくその持ち前の機敏さで、ルーは強力な呪文抵抗で火球の威力を無効化したのだろう。

さすがに無傷であるとは思わなかったのか、カーザンの顔に一瞬動揺が走る。その心の隙を突いたかのようにルーが進みでた。


「堕した同胞の魂が蜘蛛の女王に手繰られぬよう、刈り取り浄めるも我が役目。されど汝らには今はまだ正しき道を選ぶ選択が残されている。

 自らの心の裡、始祖より受け継ぎし魂へと問いかけよ。蠍神がその鋏と尾を振るうべき相手は誰であったか、神代より伝えられた戦語りはその身に残ってはおらぬのか?

 巡る月と降る星の輝きの問いかけに思考を巡らせよ。その血に宿った祖霊の魂は何を求めているか、自らの在るべき姿を思い描くのだ──」


おそらくは説得を行おうとしたのだろうルーの言葉は果たしてドラウの輩にどのように届いたのか、それは人であるこの身には判らないことだった。だがその後の反応は容易に見て取れた。


「古き習わしに縛られる時代は既に終焉を迎え、我等は新たな時代へと踏み出している。

 汝らの問い掛けは時代に取り残された世迷言に過ぎぬ! 我等は古き主の束縛を打ち破り、やがて大陸を超え星へと至るだろう。その時をドルラーより見ているがいい!」


カーザンが激を飛ばし、暗闇に紛れた暗殺者たちがそれに呼応した。空気を切り裂く音が立て続けに鳴り響き、黒塗りの太矢が闇夜に溶けこむように翔けるとルーへと突き立った。


「カイバーに棲む大蜘蛛から抽出した毒矢だ! 大獅子をも昏倒させる我が部族伝来の秘術、その身でとくと味わえ──!?」


自信ありげに呟いた射手はだがその言葉を途中で途切れさせた。ルーが軽くその身を振ったかと思うと、全ての太矢が音を立てて石畳に落下したのだ。

衣服の上は勿論、確かに直撃したはずの首筋にすら傷ひとつ見て取ることはできない。おそらくは反発の力場と強力な外皮により、放たれた矢は一本たりともルーを傷つけることが出来なかったのだろう。


「月の乙女が母である蜘蛛の女王との戦いを決意し、その薄絹を脱ぎ捨て戦装束を身に纏ったことが蠍神の伝説の始まり。その加護を受けし我が身に傷をつけることは能わず──」


ルーはそう詠うように言葉を紡ぎながら歩みを進めた。段差を乗り越え、高台へと上がりカーザンの横を通りぬけキャンプ地への中央へと立つその姿に周囲の全員が視線を向けている。雲の切れ間から差し込む月明かりが彼女を照らし、まるでここが彼女のために誂えられた舞台のようだ。

彼女はその場で足を止め、星の光を受け止めるように双手を頭上へと伸ばした。


「思いだせ、かつての祖霊が過ごせし楽園の王土とそこで起こりし戦の顛末を──その地の名は──」


ルーがその聖句を紡いだ瞬間、彼女へと降り注ぐ星光がその強さを増し爆発したかのように視界中を覆い尽くした。眼球から伝わる映像が消去され、その代わりに脳裏に浮かぶのは今まで見たこともない光景だ。


──塔のようにそびえ立つ楓や樺や樫の木の生い茂る森があり、これら巨大な落葉樹が空いっぱいに枝を伸ばしていた。その枝葉の天蓋の下には起伏に富んだ大地があり、ビロードのような苔やシダに覆われている。

森の中には所々に野草の咲き誇る開けた土地や小麦や大麦が風にそよぐ原野、世話をするものがいなくとも実をつける小奇麗な果樹の並木が広がっており、そこでは花の盛りと果樹の実りが同時に訪れている。

水晶のように澄み切った青い空の下では高山の峰や高地を覆っている雪すらもが光り輝き、圧倒されそうな美に満ちているが大地は荒々しさと共に心地良さをも兼ね備えている。


そは情熱と平和の次元界。

そは溢れんばかりの豊かな自然が、重ね合わされた美の中に栄えるところ。

そはエルフの神々のしろしめすところ。

その地の名は気高き緑の大地、アルボレア──



それはエベロンでは有り得ない、異なる世界に連なる次元界の一つ。神話に名高きセルダライン、エルフ神王室のしろしめすところ。太陽神に認められた高貴なるエルフの魂が選ばれし民として死後を暮らす、約束の地だ。

アルヴァンドールと呼ばれるその第一層ではこのゼンドリックの密林とは別種の生命力に満ち溢れた緑が広がっている。日が沈んだ後も星と月の光が大地を照らし、人と獣の中間のような不思議な姿の連中が宴会を続けている。

時折流星のように星空に尾を引いて見えるのは、この次元界へとやってきたエルフの魂だ。ある者はこの次元界そのものへと溶け込み、またある者はセレスチャル種などのクリーチャーへと生まれ変わる。

空を駆けるエラドリン──"ガエル"の集団が迷い込んだ悪のクリーチャーを狩りだしている。そうした諸行を見守る月、それに最も高い山の頂に人影が一つ。薄衣のみを身に纏った長身のドラウの女性が、長剣を用いて剣の舞を踊っている。

月の輝きを写し込んだかのようなその刀身は振るわれるたびに月光を反射し、その光が俺の瞳に飛び込んできたかと思うと視界が埋め尽くされていく──。



視界が戻った時に見えた風景は光が爆発した直前と変わり無い風景だった。石畳に散らばった書簡の切れ端が風に乗せられて飛んでいく様子からして、幻視はまさに一瞬の出来事だったようだ。だがその影響を受けたドラウ達にとっては永遠にも等しい時間だったようだ。

テントの影に隠れてルーを狙い射っていた狙撃手たちが皆倒れ伏し、その命脈を失っていた。唯一息があるカーザンも視覚と聴覚を失っているようで、呆然と立ち竦んでいる。

おそらく先ほどルーが行使したのは《ホーリィ・ワード/聖なる言葉》の呪文なのだろう。かつて俺がシャーンで受けた《ブラスフェミィ/冒涜の歌》の対極に位置する魔法であり、善なる言葉で悪を打ちのめすまさに"聖句"である。

この呪文により悪影響を受けたということは、このドラウ達が悪属性に偏っていたという証左でもある。また悪属性の来訪者を本来の住処へと退去されるという効果を持つこの呪文と直前のルーの台詞からすると、ひょっとしたら星空に見えた流星は彼らの魂が在るべき処へ送られたということなのかもしれない。そして命こそ失わなかったものの、その清冽な幻想に耐え切れなかったカーザンの視覚聴覚は擦り切れてしまったのだ。


「汝の魂には既に強く蜘蛛の女王の糸が絡みついており、我が身に宿りし聖句を持ってしても既に在るべき処に還すこと能わじ。我が手によりせめてその呪縛を断ち切らん」


カーザンに向けてそう言ったルーの手には、いつの間にか1本の長剣が握られていた。但し、それは普通の武器ではない。それは刃も柄も、全てが光で出来ていた。まるで星の光を凝縮したかのように輝くそれは、カーザンの緑衣に吸い込まれるように消えたかと思うと一切の抵抗を感じさせずに貫通し、体の反対側からその先端を現した。

衣服には一切の傷は認められなかったが、その一撃を受けてカーザンの命は失われたようだ。彼の体は武器に宿っていた聖なる力により分解され、燐光となって消えていく。後には彼の着ていた緑衣とシミター、火球を生み出していたスタッフだけが残されている。

ルーがその剣を握っていた手のひらを開くと、光の剣は地面に落ちることなく宙に溶けて消えた。まるで最初からそんな剣は存在しなかったといわんばかりに痕跡を残さない。カーザンの遺体が消えたこともあり、まるで先ほどまでの光景が全て幻だったのではないかと思える。

だが石畳の上に転がる多数のドラウの遺体が現実を教えてくれる。先ほどの光景は幻覚などではない。実際にルーの《ホーリィ・ワード》によって引き起こされた現象なのだ。だがその辺りの事は一切に気にならないほど、今の俺の意識は一つのことに向けられていた。


「今の光景──二人はこのエベロンの出身じゃないのか?」


そう、彼女たちドラウが俺同様、他の世界から訪れた存在かもしれないということだ。"気高き緑の大地"アルボレアはD&D標準宇宙観である"大いなる転輪"に含まれる外方次元界──神々や来訪者の故郷の一つだ。物質界にはこのエベロン以外にも多くの世界がある。

最古の世界"惑星オアース"や小説ドラゴンランスの舞台になった"惑星クリン"、アーケードゲームの舞台になった"ミスタラ"やフォーゴトゥン・レルムを含む"惑星トリル"などが有名所で、他にも様々なものを含めると十を優に超える。その中には作中にて"現実世界"との繋がりを仄めかされている世界もあるのだ。

もしそれらの世界への移動が可能であれば、そこを経由することで帰還が叶うかもしれない!


「我らの主"月の乙女"はかつて夜の女神が蜘蛛の女王に堕した際に、我ら夜の子らにも光の当たる道を歩むことが出来ることを示さんと悪との戦いを決意した。

 そして我らは乙女と共に星々の合間を駆け、永劫の時を悪鬼・悪魔と闘いながら過ごしていた──」


ルーがこちらを振り返り、滔々と歴史を語った。それは"九層地獄"バートルに"無限の階層なす奈落界"アビス、"永遠に荒涼たる苦界"ゲヘナなどといった悪神の座す外方次元界との戦いの歴史だ。


「だが、その日々に大きな転機が訪れた。助けを呼ぶ"神蛇"の呼び声が聞こえたのだ。我らはその声に応え、始祖竜が天に穿った裂け目からこの地に降り立つと神蛇と肩を並べて戦い、悪を倒して地の底に大陸を蓋として封じた──」


「それが10万周期ほど前のこと。以来我らは"黄昏の谷"を故郷とし、封印の綻びを修復し、悪を封じてきた。そのかつての記憶を紡ぎ、進むべき道を指し示すが"星詠"の役割──」


ルーとフィアが交互に詠うように語る。


「戦いが終わって元の場所へ戻ったものはいないのか? 天の裂け目っていうのは?」


「始祖竜"シベイ"が世界に刻んだ裂け目は異なる世界とを繋ぐ門となり、頭上に輝く星々の光はその異界の門より投げ放たれている。かつて我らが月と崇めていた輝きもすでに遠く、いまは数多散らばる星の一つに過ぎない」


「そしてその門を通じてやってきたのは我らだけではない。大いなる悪は我らよりも早くその裂け目を通じてこの世界を知り、支配や破壊を望んで戦っていた。我らはその全てを打ち倒す永劫の戦いに身を置いているのだ。

 "シベイの天輪"を通りぬけ星へと至る船は定命の存在の手には届かぬ。そして神は強い力を持つが故にその裂け目を通れず、この地には化身が映し出されるのみで全き力を振るえぬ。そしてそれらの化身すら、一度この大地を包むカイバーの呪縛に囚われたが最後、その軛から逃れることは出来ぬ。

 星詠に宿る化身の力は一時的に"星の宮廷"への門を開くが、そこを通ることができるのはアルヴァンドールで生まれしエルフの魂のみ。生あるものが現身を保ったままこの世を離れた例は我らは知らぬ」


どうやらルーの力を借りてこの世界を脱出することは出来ないようだ。しかし彼女たちの話を信じるのであれば、空に満ちる星の全てが異世界への門であるということになる。その中にはおそらく俺の居た世界へ通じるものもあるのだろう。

だが、今俺の視界に映る夜空には密林の奥地にいるためか地球の空よりも遥かに多い星が散らばって見える。その数、ざっと万に届くだろう。この中から目的の門を探し当て、さらにそこに至るための手段を模索せねばならない。それにはどれだけの時間を必要とするのか?

"モンク"を極めれば代謝をコントロールするなどして加齢による肉体への影響を抑えることができるとはいえ、それは筋力等の衰えがないというだけで寿命そのものを伸ばすことが出来るわけではない。死からの蘇生を可能とする呪文も老衰による死亡は対象外だ。この世界では時間こそが最も貴重な財産なのだ。

予期せぬところからこのエベロンの世界に関する重要な情報を得たことで、俺の脳内は様々な可能性に対する思索で埋め尽くされる。そしてそれは応答がないことを訝しんだメイがエレミアたちを連れて転移してくるまで続いたのだった。



[12354] 5-6.ストームクリーヴ・アウトポスト1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2011/12/24 23:16
スカイフォール半島の空には珍しく、雲ひとつ見当たらない夜空。俺たちは行きと同じように幻馬に跨り、帰還のために移動していた。空の中央には天の川のかわりに黄金の道──"シベイの天輪"が走っている。今は薄ぼんやりとした金の光の集合に見えるが、冬至に近づくにつれてその光は細さと鋭さを増していくのだという。

その向こう側には12個の月が浮かんでいる。今見えているのは4つほどだが、あるものは満月であり、あるものは三日月、またあるものは遠すぎて星のようにしか見えない。今最も大きく見えているのは"ドラヴァゴの月"だ。晩春を司るこの暦の名ともなっている月は"調教のマーク"と縁深いと考えられており、この一ヶ月は家畜の多産を祈って各地でヴァダリス氏族の催しが開かれているらしい。

そんな月達の、さらに遥か向こうに星々が見える。天輪や月の隙間を埋めるように様々な色彩の光が放たれ、この大地を照らしている。そのうちいくつかは伝説のドラゴンの名を冠した星座を構成しており、その11の星座はアルゴネッセンのドラゴン達に神として崇められているそうだ。

こうして見えるそれらの星々は、ルーが言うには始原の竜シベイがこの世界に開けた"穴"らしい。その穴はこことは異なる世界へとつながっており、彼女たちもかつてその穴を通ってこの大地に降り立ったのだと。

そして同じようにこのエベロンに降り立った存在の中には、邪悪なモノも当然含まれていた。異世界で権勢を振るう悪の神々の化身"アヴァター"は自らの部下を率い、その本能に従って血みどろの争いを繰り広げた。これが黎明の世界、"フィーンドの時代"──今から1千万年も昔のことだ。既に人間やエルフといった人型生物もその当時存在してはいたが、彼らはまるで神のような者達が戦う中で巻き込まれぬように逃れ、生き延びるための道を見つけることに精一杯だったという。

だが上帝達の戦いは終わらない。写し身に過ぎない彼らはたとえ一時滅ぼされたとしても何度でも実体を取り戻し、蘇るからだ。コーヴェア大陸だけではなくゼンドリックまでもがラークシャサやナイト・ハグが闊歩する暗黒の世界となり、無限の悪の円環はやがて世界を覆い尽くすかのように思われた。

その闘争の時代に変化が訪れたのは今より150万年ほど前のことだ。フィーンド達の支配から逃れてアルゴネッセン大陸に引き篭っていたドラゴン達の元へ、光り輝く蛇──"コアトル"が現れた。シベイとエベロンの子である彼らは手を取り合ってフィーンドと戦い、やがてコアトルがその身を白銀の炎に転じ、星の光届かぬカイバーの奥深くへ上帝達を封じたことで"フィーンドの時代"は終わりを告げた。

悪神だけではなく、彼らと敵対する善や中立の神もまたこの世界には注意を払っていたのだ。シベイの欠片から生まれたコアトルはその身に始祖竜と同質の力を宿していた。それによりコアトルはその身を媒介にそれら異界の神の化身を降ろし、デーモンロード達と戦い、最終的には彼らを封じたのだ。ルー達はその暁の戦争のおりにコアトルの要請に応じて異世界より渡ってきた善の神の化身を奉ずる一族なのだという。

つまり彼女たちはこの物質界"エベロン"の存在ではない。だが俺とは異なり彼女たちはこの世界に留まることを選択している。帰還の手段が手の届かないものであるということとは別に、この地にこそ彼女たちの使命があるのだから。

翻って俺はどうか。この数多輝く星の中から目的となる"穴"を特定し、そこにたどり着くための手段を創りだすことが出来るだろうか。巨人文明の残した天文台には心当たりがある。だがあれは主にこの物質界に近い位置にある外方次元界──月──に焦点を当てたものではなかったか。竜の大陸アルゴネッセンには星の研究を行う施設はあるのか? コーヴェアにあるスターピークス・アカデミーはどの程度の研究を行っているのか?

ひょっとしたらまずはルー達の部族に伝わる伝承を求めて、彼女たちの故郷に向かうべきかもしれない。"黄昏の森"ラマニアがエベロンに接近するまでにはまだ1年近い時間があるが、世界には一部の次元界と接触を続けている特異点──顕現地帯が存在する。例えばシャーンは"紺碧の空"シラニアの顕現地帯であり、その次元界の特異な性質が物質界に影響をあたえることで塔を空に浮かべるような技術が可能になっているのだ。

そういった顕現地帯を利用することで、この物質世界"エベロン"から離れ隣接する次元界へと訪れることが出来る。異界の旅路は勿論、かなりのリスクを伴う。それはこのゼンドリックを旅すること以上に危険だろう。だが、それだけにこの物質界に留まっていては得られる成果を期待できることも確かだ。危険と期待、その双方が乗せられた天秤を揺らしながら俺は思索を続ける──。

終わりの見えないその思考は、突然の外部からの干渉で中断させられることとなった。肩を捕まれ揺さぶられる感覚。思わず姿勢を崩して手綱を手放しそうになるが、鍛えられた平衡感覚は反射的に体のバランスを取り戻す。


「トーリ、大丈夫か? ずいぶんと考え事に集中していたようだが、もうじき目的の砦に到着だぞ」


俺を揺さぶったのはエレミアだった。高空を高速で駆けている幻馬でこんな間近まで並走させるとは見事な手綱さばきだ。そしてそんな彼女の接近に気付かなかったとはどうやら俺は随分考え事に没頭していたようだ。だがその事に対する反省はどうやら後回しだ。目的地が迫っている。

彼女の指差す方向を見やると、漆黒の闇の絨毯にように見える密林の中に仄かに薄明かりを放っている場所がある。秘術技師達が創りだした人工の"熱なき光"が闇を切り取っているのだ。ストームリーチとレッドウィローの遺跡の丁度中間点に位置するストームクリーヴ・アウトポスト。ゼンドリック大陸における人類文明圏の最前線だ。

コーヴェア大陸から見て、ゼンドリック大陸から突き出した小さな半島のおよそ四分の一を進んだところに築かれたこの砦だが、今まで幾度も巨人族に奪われ奪い返しという激しい闘争の歴史を繰り返している。大陸全体の面積で言えば5%にも満たない北の僻地が、人類がこの200年で確保したこの大陸での勢力圏なのだ。

勿論ファルコーのように氏族の後援を受けた命知らずたちはその先の未開地域へと積極的に探索を行なっているし、この防衛線の先にも"ラスト・チャンス"と呼ばれる人口50名にも満たない共同体などが存在している。だがこの境界線の前後では、付きまとう危険性は大きく跳ね上がる。それは砦に詰めているデニス氏族の守り手たちが敵対的な巨人などが警戒網をすり抜けるのを監視してくれているからだ。

俺たちはこれからその砦に立ち寄ることになっている。ファルコーがストームリーチに置き去りにしていた遺跡発掘の本隊が、そろそろこの辺りに到着しているのではないかという話があったためだ。


「そうだな、それじゃそろそろ地上に降りるか。空からいきなり飛び込んだら敵襲だと勘違いされるかもしれないしな」


そう言って皆を振り返り、腕から先を使って降下のサインを送る。その合図を受けて皆の幻馬も徐々に高度を下げ、地表近くまで降り立った。ファルコーも危なげなく手綱を捌いて追従してきている。彼は自分の体ほどに大きな容器を背中に括りつけ器用に空飛ぶ幻馬に跨っているのだが、そんな状態にも関わらず全くの平静だ。やはり日頃から危険地帯での探索を繰り返しているだけあって様々な経験を積んでいるのだろう。そんな彼は砦近くの見張り櫓が見える距離まで来た所で俺の方へと馬を寄せてきた。


「トーリ、いきなり近づくよりも合図を送ってからのほうがいいだろう。私が利用している時に使っている符丁のようなものがあるから投光式のランタンを一つ貸してくれないか?

 うまく事が運べば私達が本営に到着する頃には温かい食事と上等なベッドが準備されているかもしれないぞ。何しろここの司令官には日頃からたっぷりと鼻薬を効かせているし、私の発掘隊がここで下ろしていく酒や嗜好品の類は末端の衛士たちにも人気が高いからな」


どうやら彼は探索の際に部隊を率いてこの砦を通過するたびに司令官への付け届けを行なっていたらしく、知己というに十分な関係を築けているらしい。またその際に細かな嗜好品などを衛士たちにも配っていて、末端まで彼のことは知れ渡っているんだとか。確かにこのような最前線まで物資を運ぶのはそれなりのコストがかかるため、武装物資や生活必需品以外の供給は不足しがちなのだろう。彼はそこをうまく利用して上手に立ち回っているようだ。

ファルコーは馬から降りてランタンに火をつけると、見張り櫓に向けて何度か光を明滅させた。おそらくはモールス信号のようになんらかの意味を持たせた記号なのだろう。だが、いつまで経ってもそれに対する反応が返ってくることはなかった。


「……おかしいな。夜更けとはいえ交代の見張りはいるはずだが、まったく反応がないというのは考えにくい。あそこの砦に限って見張り番が眠りこけているなんてことはないはずだが──」


ファルコーは首を傾げながら不審げにそう呟いた。どうやらきな臭い展開になってきたようだ。再び彼が騎乗するのを待って、警戒態勢を取りながら全員で櫓へと向かう。密林を切り開いて走る踏み固められた道の向こうに"コンテニュアル・ライト"で照らされた建築物が浮かび上がっている。道を塞ぐように大きな門を構えた壁が立っており、その上には見張り櫓が設けられているのだが……こうして近づいてみても、櫓に人影は見つけられない。

幻馬の手綱をとって櫓の方へと空から接近するが、この櫓が無人なのは間違いないようだった。だが室内の様子などから判断するに、ここが放棄されてから長い時間は経過していないことが見て取れる。階下の待機室などを調べてきたラピスが言うには、少なくとも一日以内には人が居たようだが争った痕跡はなく、おそらく何らかの事情があってこの拠点から全員が移動したのだろうということだ。

その報告を裏付けるように、視界の隅に赤い炎が踊った。櫓が塞いでいた道の先、砦が構えられている山の稜線が燃え上がっている。そして変化はそれだけでは終わらなかった。先ほどまでは満天の星空だった頭上が分厚い雲に覆われ始めたのだ。どこか緑がかった不気味な色合いをしたその雲はこの砦近辺を含む山岳地帯を覆うようにあっという間に広がった。そして山肌を覆っていたゼンドリック特有の肥沃な緑が瞬く間にその色合いを失っていく。

自然の力に溢れていた山々は灰色の汚泥に覆われ、枯死した木が立ち並ぶ死の領域へと変貌した。足元を覆っていた草木はまるで灰のように生気を失い、谷底に走っていた川の流れは蒸発し変わって地の底から溶岩が溢れ出した。風は清涼さを失い硫黄の匂いを含み始め、突如の環境の変化に驚きを隠せない。交易路や砦などは環境の変化に影響されぬよう、"変幻地帯"からは離れているものだが……。


「強力な死霊術が自然の諸力をねじ曲げている──」


ルーが遥か彼方を見つめて呟いた。その視線の先には時折赤い光が炸裂するように輝いている。おそらくは強力な魔術を用いた戦闘が行われているのだ。この砦に駐屯していたデニス氏族の衛士達が侵略者の軍勢と戦っているのだろう。この環境の変化も敵の軍勢と何か関わりがあるのかもしれない。


「巨人どもだ! あのウスノロ達の軍勢が攻めてきたに違いない!」


ファルコーはそう言うと幻馬を飛び立たせようとしたが、俺は咄嗟に反応すると彼の襟首を掴んでハーフリングが飛び出すのを防いだ。幸い俺が彼の近くに居たから反応が間に合ったものの、危ないところだった。護衛対象が戦争の真っ只中に突っ込んでいくなんて考えたくもない事態だ、このハーフリングには自分の立場というものを自覚して貰う必要がある。


「待つんだファルコー、どこに行くつもりだ? 貴方の護衛を任されている立場としては、勝手な行動をさせる訳にはいかない」


だが平静を保って話しかけた俺に対し、ファルコーはがなりたてるように叫んだ。


「あの赤い炎には見覚えがある、かつて巨人共がストームリーチに攻め寄せたときに街を焼いた"メイジファイアー・キャノン"だ!

 あの邪悪な赤い光が煌くたびにこの砦を守ろうと戦っている衛士の命が散らされているんだ、それを黙って見ている訳にはいかない!」


この小さな体のどこにそれだけの闘争心を秘めていたのか、手を離せば今にもあの戦場に突っ込んでいきそうな勢いだ。だがせっかく達成間近だった依頼をこんなところでこの男に暴走されてフイにするわけにはいかない。不意に得た帰還手段に関する情報に集中していたが今の俺たちはこの男の護衛中なのだ。だが何故か巨人たちに異常な敵愾心を見せるこのハーフリングに大人しく街に帰れといっても聞き届けてくれそうにない。


「ちょっと前に言ったことを忘れたのか、ファルコー。それは貴方の仕事じゃないだろう?

 巨人族の相手は俺たちがする。だが、面識もない俺達がいきなり突っ込んでも却って邪魔することになりかねない。貴方には俺たちとデニス氏族の橋渡しをお願いしたい」


手を離しつつ語った俺の言葉にファルコーはその小さな瞳を目一杯広げると、我が意を得たりとばかりに頷きを返した。


「任せておけ! ここに詰めている衛士であればほとんどの連中とは一緒に酒を酌み交わしたことがあるし、私のことを知らない奴はいないはずだ。

 だから頼む、一人でも多く彼らを助けてやってくれ!」


ファルコーは心の底からそう願っているようだった。搾り出された声には力が籠っていたが、それよりもさらに重い心が乗せられていた。俺たちは勿論その気持ちに応えるべく、再び幻馬を天へと駆け上がらせるのだった。










ゼンドリック漂流記

5-6.ストームクリーヴ・アウトポスト1












駆けつけた戦場では、眼下に悪夢のような光景が広がっていた。人間であれば力持ちの前衛が両手を使ってようやく振り回せるであろうサイズの斧を、まるで細剣を振るが如く両手にそれぞれ構えたミノタウロスの狂戦士がデニス氏族の衛士を蹂躙している。

隊列を整えて後退していた衛士の集団に向かって地響きと共に突進してきた巨体の戦士はその角を犠牲者へと突き立てる。薄布のごとく鎧を突き破ったそれは背中から腹へと突き抜けた。その感触に満足いったのか、哀れな犠牲者を突き立てたまま牛頭のモンスターは頭を振り上げて雄叫びを挙げた。

頭上に持ち上げられた死体は胴体に開いた穴から盛大に血を振りまき、それをシャワーのように頭から浴びるミノタウロスはその凶相を歪め口の周りの返り血を大きな舌で舐めとった。血と臓物が振りまく匂いが狂戦士をさらに興奮へと誘う。

彼らが斧を振るうとまるで枯れ草のように衛士の肉体が切り裂かれた。バケツからぶちまけたような勢いで血が飛び散り、こぼれ落ちた臓物と肉片は踏み躙られて地面の染みと化す。味方を逃すために殿を買って出た衛士が決死の覚悟で立ち塞がるも、吹き荒れる暴力という強風の中では綿毛ほどの重さもない。鎧や盾の有無など関係なく、立ち塞がる全てを狂戦士は破砕していく。

ミノタウロスの数は2体。だがそれは人間からなる中隊を粉砕するのに十分な戦力だった。口から涎を溢れさせながら暴れ狂うその姿は狂犬病に罹患した獣のようだ。彼らは中装で身を包んだ衛士達よりも遥かに早く動きまわる。分厚い金属製の鎧を身に着けているにも関わらず、その重さを毛程も感じさせないのはその巨体を支えて余りある鍛えられた筋肉の為せる業か。そしてその怪力から生み出される破壊力は人間を木の葉のように吹き散らすのだ。


「持ちこたえろ! もうすぐセントラルブリッジが見えるはずだ、あそこを渡れば本隊と合流できる!」


最後列で衛士たちを励まそうと声を上げる壮年の男性が迫るミノタウロスに向けて腰に下げていた革袋を投げつけた。半牛半人のモンスターの外皮に命中したそれは、衝撃で結わえられていた口を緩め内容物を吐き出す。白い液体は大気に接触するや否や膨張すると同時に粘度を増し、対象の肉体に絡みついて動きを束縛する。錬金術師が創り上げた粘着弾──通称"足止め袋"だ。


「今だ、全員振り返らずに進め! コマンダー・アグリマーに作戦の失敗を伝えるんだ!」


そう言ってその男は一人振り返り、片手に剣を構えた。粘着弾に足止めされたミノタウロスの後ろから、同じように斧を構えたもう一頭の牛頭の怪物が姿を表す。その身の丈は3メートルを越え、だらし無く開かれた顎は人間の頭を丸囓りするのにちょうどよさそうな大きさだ。男が大げさにレイピアを振り回すと、狂乱状態にあるミノタウロスは簡単に意識を誘導され目の前に獲物に釘付けになった。

掠めただけで死を呼び込む大斧の斬撃を男は紙一重で回避すると、身の軽さを活かして周囲に転がっている石壁に見を隠した。古代巨人族文明の時代から残り続ける巨大な黒曜石はさぞ頼り甲斐がある防壁に見えたことだろう。だが、直後にその考えが甘いことを知ることになる。ミノタウロスがもう一方の手に持った大斧を力任せに振り回し、硬質の物同士が激突する甲高い音を発したかと思うとその分厚い壁をも一撃で両断せしめたのだ。そして男の不幸はそれで終わりではなかった。先ほど粘着弾を打ち込んだミノタウロスがまとわりついていた接着剤を振りほどき、自由の身になったのだ。


「糞が、俺の給料二ヶ月分だぞ! インチキ錬金術師め、粗悪品を掴ませやがったな。ドルラーから祟ってやる!」


石壁が切り裂かれたことで最早彼の身を守る物は無い。先ほどの力任せの攻撃を回避されたことで評価を改めたのか、ミノタウロス達は持ち手を確かめるように斧を構えなおして男を両側から挟みこむように間合いを詰めた。狂乱状態にあるといっても戦闘の巧緻を失っているわけではない。呪文を使用するなどの繊細な精神集中が行えないだけで、敵を打ち倒すためにむしろ意識は研ぎ澄まされているのだ。そして振りをコンパクトに抑えた斧による斬撃が繰り出される。抑えたといってもそれは人間の五体を切り裂くには余りある威力だ。刃先が大動脈を掠めれば伝わる衝撃だけで心臓に破滅的なショックを与えるだろう──だがそんな未来が訪れることはなかった。



「──吹き飛べ」


天高く幻馬の上から状況を視認した俺が咄嗟に発動した《ディメンジョン・ドア》は200メートル以上の距離を一瞬でゼロにする。今まさに男に対して襲いかからんとしていたミノタウロス達の隣に移動すると連中の姿勢を足払いで崩し、さらに相手の体の支点を中心に払いをかけることで彼らが攻撃に費やそうとしていた運動エネルギーを転化させる。それにより二体のミノタウロスは自分が振るった斧の勢いをその身に返されて縦方向にぐるりと回転した。彼らからしてみれば突然天地が逆さまになったように見えるだろう。同時に叩きこんだ”朦朧化打撃”により、さらに大きく口を開けた間抜けな表情が俺の視界にも逆向きに映っている。そして勿論俺の攻撃はこれで終わりではない。かつてエルフの魔剣士に打ち込んだ連撃が、今度は手加減抜きで炸裂する。

打ち込まれた拳はミノタウロスの体を覆っていた板金を撃ちぬいて外皮を貫き、骨を砕き、内臓を破裂させる。さらに拳に巻きつけた魔法布からは彼らの種族である"人怪"に対して破壊的な効果を発揮するエネルギーが送り込まれた。左右の敵それぞれに三発ずつ、しっかりと全てが急所へと叩きこまれたことで彼らの体の回転速度はさらに加速され、再び地面へと落下した時には彼らは体中の穴という穴から大量の血を吹き出して絶命していた。気配から察してはいたがやはり同じ種族とはいえゼアドほどの戦士ではなかったようだ。彼であれば例え死ぬほどの攻撃を受けたとしても、その激情が尽きるまでは戦いを止めるような事はなかっただろう。


「間一髪だったな。時間を稼いでくれた錬金術師の作品には感謝したほうがいい。あれは人間相手ならともかく、大型の連中相手に使うものじゃない」


背中越しに生き残りの男に声をかける。彼は突然現れた俺の事に戸惑っているのか、一呼吸ほどの間は片手に握った剣の矛先に悩んでいるようだった。だが周囲に転がることになったミノタウロスの骸を見て判断を決めたのか、その剣先を下げて言葉を返してきた。


「助けてくれたのか? ありがとう、助けを寄越してくれたソヴリン・ホストの神々に感謝だ! 勿論あんたにもだぜ、ヒーロー。ストームリーチの酒場で会うことがあったらとっておきの一杯を奢らせてくれ」


ふう、と男は息を吐いた。そちらを見ていなくとも彼の体に張り詰めていた緊張感が抜けていくのが判る。だが俺はそんな様子の男を嗜める。


「礼を言うのはまだちょっと早い。連中の増援がすぐそこまで来ている、走れるか? だったらセントラルブリッジとやらに直ぐに向かうんだ」


強化された俺の視覚には、雲越しの微かな月明かりにうっすらと輪郭を浮かばせた敵増援の姿が見えている。ここでこのまま待っていれば間もなく接敵するだろう。今はまだ相手にも気付かれていないようだが、時間の問題だ。


「あ、ああ。あんたのお陰で傷一つ無いさ。それじゃ俺は行くが、あんたはどうするんだ?」


男の問いかけに俺は背中越しに手を振って応える。


「俺はもう少しここで足の早い連中を削っておく──そういえばあんたの部隊が最後尾なのか? まだこの先に逃げ遅れている部隊は残ってるのか?」


肝心のことを確認するのを忘れていた。もし生き残りがいれば救えるかもしれない。


「──ああ、俺が最後だ。ここから先には誰一人として生き残っちゃいない。皆あの巨人共に食われちまったよ」


しかし男からの返答は非情なものだった。比喩的な表現なのかもしれないが、それにしても先ほどまでは己の生存を喜んでいた表情を一気に曇らせてしまったことで、どれだけ凄惨な出来事があったのかは想像に難くない。


「そうか……判った。それじゃ、また後でな」


そうやって最低限の確認事項を交わした後、走り去った男と入れ替わるように敵の増援が現れた。闇夜の大地に溶けこむような黒い毛皮に身を包んだ獣が、四足特有のスピードでこちらの方向へと向かってくる。その後ろには先程のミノタウロスに並ぶほどの巨体のトロルの姿も見える。どうやら嗅覚に優れた連中を追跡部隊として編成しているようだ。

そうなると先ほどのミノタウロスは遊軍だったのだろう。それに補足されたあの部隊は運が悪かったのか、それともそれだけ多くの数が遊軍として散会しているのか。そんなことを考えながら今度は武器を取り出す。2本のシミターが虚空から出現し、俺の掌に収まる。その刀身は強力な魔法の炎に覆われており、闇夜を赤い光で照らし出した。この夜の帳の中では随分と目立っていることだろう。それを視界に収めてか、獣達が一直線にこちらへと向かってきた。

四本足とはいえ500キロを超える自重を支える足はいずれも太く、彼らが地面を踏みしめるたびに鈍い音が周囲に響いている。狼の巨大種が邪悪な性向に転じたこの"ウォーグ"という魔獣は個体によっては共通語を話すほどの知性を有し、時折他の悪性の種族に乗騎などとして仕えることもあるという。おそらく今は巨人たちの走狗として働いているのだろう。その赤い瞳がお互いの距離が縮まるにつれ、どんどんと大きくなっていく。勿論彼らは炎を恐れるようなことはなく、猛然とこちらへ襲いかかってきた。

先頭を駆ける一体はこちらの間合いに入る直前で急に飛び跳ねるようにして進路を変更し、ぐるりと迂回して俺の後ろへと回り込んだ。そしてその影に隠れていた二体目が距離を詰め、俺の喉笛へと食らいついてくる。当然後ろに回った一体も俺の足首を狙っており、前後だけではなく上下にも攻撃を散らした挟撃の形をとっている。だがこの攻撃はその全てが陽動だ。彼らの本命は2体目の影にさらに隠れている3体目だ。おそらくはこの2体の攻撃に俺が対処した後の隙を狙おうというのだろう。

陽動の二体の攻撃についても注意深く観察すればその四肢にはまだ余力が蓄えられており、俺がいざ反撃に転じたときには素早く身を翻して離脱しようとしていることが見て取れるはずだ。だが俺はあえてその誘いに乗ることにした──ただし、相手の予想を遥かに上回る速度で。

時計回りに体を捻る。右手のシミターが切り落としの軌道を描いて下方へと振り下ろされ、対して左手のシミターは外から内へと横一線に薙ぐように振るわれた。体重の乗らない、肩から先だけで振ったような攻撃であるがそれだけにその初動は不可知で速度は速かった。そして魔法により切れ味を増したシミターにはそれで十分だったのだ。回避する暇を与えずに刃は獣の外皮を断ち割って切り進み、体幹半ばまで埋まった切っ先はそこで込められた魔法のエネルギーを炸裂させる。純粋な善性のエネルギーが炎と同時に暴れまわり、悪に堕ちた生物の肉体を焼き焦がす。

黒の獣はまるで特大の松明のように燃え上がると周囲を照らした。勿論その範囲中には3体目のウォーグが含まれている。俺は左腕の振りに合わせるように体を半回転させると、その獣に対して後ろ回し蹴りを放つ。目論見が外れたことで反応が鈍っていたためか、狙い通りに決まった蹴りは獣の顎を砕いた。そして攻撃を受けたことで横たわり、無防備に晒された腹部目掛けてシミターの追撃を見舞う。瞬く間に燃え尽きた先ほどの松明と入れ替わるように新たな光源が生まれ、遅れてこちらに近づいてきたトロル達に俺の存在を知らせる。


「お前の骨髄でシチューに美味い出汁が出るぞ!」

「脳みそは冷やしてシャーベットだ! 耳や指は生きたまま千切って踊り食いだ!」



夜の闇から現れたトロルの狩人は、いかにもな台詞を巨人語で言い合いながら近寄ってきた。ウォーグたちが瞬く間に屠られたにも関わらず、自分たちの優位をまるで疑っていないようだ。実は知力と呼ばれる学習力、論理的思考力においてトロルはウォーグと同程度でしかない。おそらく今まではその生来の能力に任せた蹂躙戦ばかりで、死線を潜ったことがないのだろう。その脳天気な様子は今の俺にとっては格好の獲物にすぎない。


「──運が悪かったな。せめて苦しまないように逝かせてやるから、俺の糧になってくれ」


そう、この戦場は今や俺の狩場だ。俺が帰還の手段を探るにはもっと力が必要だ。人間社会の間であれば金銭だけで事足りるかもしれないが、この大陸の失われた文明の遺産を探索し、異なる次元へと渡り歩くにはまだまだ実力不足と言える。未開の地や異界には常識の範疇に収まらない化物が住んでいるものだ。そういった連中と渡り合い、目的を達成するにはもっと経験を積む必要がある。

今の俺にとってこの敵の軍勢は丁度よい経験点稼ぎの対象となってくれるだろう。二刀を握る掌に力を込め、俺は近づいてきた巨人たちへとその足を踏み出すのだった。



[12354] 5-7.ストームクリーヴ・アウトポスト2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2012/01/16 22:12
感知範囲内にいる追跡部隊や遊軍をあらかた片付けた後、俺は単身"セントラル・ブリッジ"へと向かっていた。この嵐薙砦は敷地の中央を渓谷が走っており、それを繋いでいるのが古い石造りの橋なのだ。

この大陸にある他の人族の居留地と同じように、この砦も古代巨人族文明の遺跡を利用して建造されている。地下部分は手付かずのようだが、地上部分は残されていた構造物を活用して強固な防壁を張り巡らせている。地の利を活かせば個体の戦闘力が大きくかけ離れた巨人たち相手とはいえ、そうそう容易に侵略を許すことはないはずなのだが……おそらくは何らかのイレギュラーが発生しているのだろう。

この砦を舞台にしたクエストの内容を思い返しながら歩みを進めること暫し。俺の視界に件の橋が入った。ざっと差し渡し100メートルほどだろうか、断崖といって良い谷を繋ぐ、無骨な石造りの建築物だ。かつては渓流からの爽やかな風を受けていたであろう石橋は、水に変わって流れ始めた溶岩が発する鈍い赤光に照らされてまるで地獄の風景の一角のように見える。その光景に拍車をかけるのが橋の半ばに累々と横たわるトロルやミノタウロスの死体だ。遺体だけではなく彼らの武器も多くが橋の構造物に突き立つように並んでおり、正に死屍累々といった有様だ。

おそらくはその情景を作り出した張本人であるエレミアは、巨人達に合わせた仕様なのか太く作られた高欄の上に立って周囲を見下ろしていた。敵の数はざっと7体といったところだろうか、これらの敵たちは俺の索敵範囲外を回りこんでこの"セントラル・ブリッジ"へとたどり着いていたのだろう。こんなこともあろうかと彼女にはバックアップをお願いしていたのだが、どうやらその読みは当たっていたようだ。


「トーリ、戻ったか。随分と暴れてきたようだな」


俺を確認したエレミアは高欄から飛び降りた。軽やかなその動きからは彼女がここでどのように戦ったのかを想起させられる。今の彼女であれば例えここに転がっている連中が全て同時に襲いかかってきたとしても容易に斬り捨てるだろう。それだけの力量をその立ち居振る舞いから感じさせる。


「こちらに押し寄せた敵の数は聞いていたものの1割にも満たなかったぞ。よもや一人で敵軍を全滅させてしまったのではないだろうな?」


彼女のその問いは半ば冗談なのだろうが、残りの半分は本気を含んでいるようだった。確かの今の俺であれば、戦いようによっては単騎で敵軍一つを潰走させることは不可能ではない。そしてそれは俺の仲間たちにも言えることだ。レベルが10を大きく超え四捨五入で20に届こうかという域に到達すればこのエベロンでは正に一騎当千の猛者であり、行いによっては歴史に名を刻むことが充分十分可能になる。個体でそれだけの影響力を持つことができる、まさに英雄というに相応しい存在なのだ。


「いや、生憎敵の本隊には遭遇しなかったよ。斥候を兼ねた追跡部隊と遊軍をある程度片付けたらそれっきりだ。片付けた敵の数から言えばあまり変わらないだろうさ」


どうやら敵軍は一旦部隊を集結させているようで、次の本格的な戦闘に向けて準備を整えているのだろう。大まかな戦況については推測しているものの、今後の方針を決めるにはより詳しい情報を入手する必要がある。先に本隊に向かったメイ達とは急ぎ合流し、状況を分析すべきだろう。

そういうわけでそろそろこの橋を離れようかとエレミアに提案しようとしたのだが、彼女は橋の遥か向こう、おそらくは巨人族の軍勢の本隊がある方向に視線を向けていた。


「……どうした、何か見えるのか?」


俺もそちらに視線を向けるが、火災が原因と思われる煙や秘術の刻印が刻まれた何本かの柱が見えるだけで敵軍の姿を見ることは出来ない。


「何、思えばまだ私が故国を旅立ってから半年も経過していないのだと思ってな。その頃の私といえばまだ国軍の従卒程度の実力しか持ち合わせていなかった。

 こと戦闘に限って言うならば、先程トーリが助けてこの橋を逃げ渡っていたあのデニス氏族の将校のほうが優れていただろう」


どうやら先ほどの男は無事ここまでたどり着いていたようだ。エレミアはそう呟くとダブルシミターを握っていた片方の手を離し、胸の前でその掌に篭る力を確認するかのように拳を握りしめた。


「それが今や、その将兵たちが隊伍を組んでも苦戦するであろう敵兵を苦もなく薙ぎ払っている。この大陸を訪れて以降、戦えば戦うほど心技が研ぎ澄まされていくのがわかるのだ。

 剣を振るうたびにより鋭く、より靭やかな剣舞が脳裏に浮かび、次の機会にはその一挙一動が我が物となっていく。昼と夜を越えるたびに技量は練磨され、最早故郷にも私に並ぶものは数少ない」


確かに彼女のいうことももっともだ。エルフである彼女はおそらく今まで100年以上、地道な修練を続けていたはずだ。だがこの数カ月の出来事はその修練の期間に比べものにならないほどの短期間で、大いなる飛躍を彼女に与えた。その成長に戸惑うのも当然かも知れない。


「そうだな……"レヴナンド・ブレード"である君はこの大陸に来て守護祖霊の歩んだ道に自分の運命を重ねたんだ。その祖霊の導きなんじゃないのか?」


エレミアの上級クラス、"レヴナント・ブレード"はエルフの過去の英雄──伝説の巨人殺し達の技能を借りて戦う戦士だ。祖霊との霊的な絆を有し、その英霊の知識や才能を現代に再現する失われた技術の担い手。その中でも彼女はその中でも最も祖霊に近い位置まで歩み寄っている一人だろう。ひょっとしたら彼女は剣技を"習得"するのではなく、"思い出している"のかもしれない。

 
「──そうかもしれない。だが、私にはその行き着く果てが見えないのだ。かつて理想としていた姿は今や私の過去の中に過ぎ去り、まるで頂きの視えぬ峰に登り続けているかのようだ。

 どこまで登ることになるのか、そしてそれほどの剣閃が必要とされる戦いとはどれほどのものなのか。祖霊は私をどこへ導こうとしているのか……」


彼女の苦悩はある意味納得のいくものだった。ルールとしてシステムを把握し、そのレールに乗って成長している俺と異なり、彼女は地道な鍛錬と実戦を通じてその技量を磨いてきたのだ。かつては腕を競う同輩達がいたが、今や双刃剣の使い手としてエレミアに並ぶものはなく、彼女は現在の文明社会においては最高峰の戦闘巧者となった。

その上、その技量は今もまだ高まりつつある。それが祖霊の導きだというなら、やがて訪れる宿命の戦いとは一体どれほどの敵と戦うことになるのか。戦闘力の向上が彼女の知識や想像力を上回ってしまっているのだろう。


「さてね……古代の巨人族は月を吹き飛ばすほどの戦いをしたと言うし、さらに上古の時代、デーモンのオーバーロード達は神に並ぶ力を振るったとも聞くけれど……。

 まあどんな連中を相手にすることになったとしても、エレミアは独りじゃない。俺や他の仲間達も一緒にいるし、今まで通りなんとかなるだろうさ。

 少なくとも俺は、その果てのない山を星に届くまでは登り続けると決めたんだ。だからエレミアの事は心強く思ってるよ」


そう、彼女の今持つ不安は俺の将来の不安でもある。果て無き道の先に終わりはあるのか、その道に同行者は存在しうるのか。どれだけ戦闘力が向上しても精神面は人間であることを脱却できない。であるならば一緒に歩む仲間は心強い助けとなってくれるはずだ。


「そう言われては是非もない。他の皆とは違って私は剣を振るしか能がないからな、せめてトーリに一太刀浴びせる程度には腕を磨かねばならんか。

 まだまだ修練が足りないということだな──」


そう言ってエレミアは仄かな笑みを浮かべた。彼女の剣技は対巨人に特化されていることもあり、俺のような戦い方をする奴とは相性が悪い。だが今のまま成長に差がついていけばいずれ俺も彼女の剣閃に捕われることになるだろう。意外とその日は近いのかも知れない。


「そうだな、街に戻ったら久しぶりに組手でもするか。最近はカルノ達に構ってばかりで模擬戦もしてなかったからな……

 だが、今はまずあの巨人たちをなんとかしなきゃな。でなきゃ、帰る家自体が無くなってしまう」


そう言って視線をやった先からは、先程よりも増えている煙が見え、風に吹かれて濃い硫黄の匂いが漂ってきていた。戦争の準備が進んでいるのだ。俺たちはラピスに頼んでこの橋を嵐で封鎖してもらうと、彼女にこの場を任せてデニス氏族の集結している駐屯地へと足を向けるのだった。










ゼンドリック漂流記

5-7.ストームクリーヴ・アウトポスト2












移動した先に待っていたのはまさに野戦病院のような有様だった。露天の至る所に臨時の天幕が張られ、その中には負傷した将兵が収容されている。包帯や水といった物資を抱えて従兵が走りまわり、傷が浅い衛士が自分で行った応急手当そのままに歩哨を行なっている。真夜中に差し掛かろうという時刻であるにも関わらず昼間のような熱気を感じるのは、決して至る所に灯された篝火によるものだけではあるまい。

予めメイ達が話をしておいたのだろう、到着するなり俺達を案内する年若い衛士が現れた。彼の顔にも緊張が見て取れる。これからより激しい戦いが待ち受けていることを判っているのだろう。だが、周囲の誰もがその瞳に強い意思を宿しているのが判る。彼らは自分たちこそがストームリーチの、ひいてはこの大陸に入植している全ての人類の守り手であると自認しており、その任務に誇りを持っているのだ。"歩哨のマーク"を持つデニス氏族、その中でも最前線に立つ剣兵達の士気の高さが今は頼もしかった。


「おお、トーリ! 無事に戻ってきたようで何よりだ。預かった治癒のワンドのおかげで大勢の兵士を危機から救うことが出来たよ、アグリマーのやつも君に感謝しているだろう!」


天幕の一つから出てきてそんな明るい声を掛けてきたのはファルコー・レッドウィローだ。自分もこの砦のために何かしたいと言った彼に、俺は持っていた《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治癒》のワンドを何本か渡し、この本営に送り込んでいたのだ。ファルコーは遺跡発掘を生業にしているだけあってか魔法装置の使用には熟練しており、他にもワンドを使用できる何人かの衛生兵達と手分けして負傷者を癒していたようだ。随分と上機嫌なところからして、どうやらご満足いただけたようだ。

少なからず死者も出ている現状からすれば彼の様子を不謹慎と思うかもしれないが、殊勝な顔をしていても却って空気を陰らせてしまうだけで、それならばいっそ脳天気な姿を見せておいたほうがいい。なにせ戦いの本番はこれからなのだから。


「それは何よりだ。非常用の備えを放出した甲斐があったみたいだな」


そう返した俺の前、先導する案内役の兵士の横へとファルコーは並ぶとそのまま歩き出した。どうやら一緒に司令部に向かおうということなのだろう。そうやって歩き続けることしばらくの後に、靴の裏に伝わる感触が土のものから大理石へと変わった。古代巨人族の遺跡の一部を流用した建築物へと到着したのだ。ここは当時巨人の奴隷種族であったエルフ達に宛てがわれていた区画だったのか、階段などの様々なものが人間でも使いやすいサイズになっている。


「以前この辺りを調べた結果、ここにはかつて壮麗な神殿が建っていたという結論に達したんだ。その名残は遺跡や地下に埋もれている洞窟に見ることが出来る。

 特に地下には広い空間に墓地が広がっていて、そこには歴史的な新発見が眠っているに違いないと私は踏んでいるんだ。だが見ての通りここは激戦区でね、万が一にもこの砦の防衛に穴を開ける訳にはいかないということで本格的な調査の許可が下りないんだ」


ファルコーがそう薀蓄を語ってくれた。おそらく彼がこの砦のことを気にかけているのはその遺跡の件もあってのことだろう。司令官や衛士たちへのご機嫌取りも発掘許可を求めてのことであるとすれば必要経費として計上される。強力な後援者を得ているとはいえ彼らの財は無尽蔵というわけではない。そういった理由でもなければ不要な出費を認めることはないはずだ。

そんなことを考えながらファルコーの言葉に相槌を打って歩いているとどうやら目的の部屋に到着したようだ。歩哨が両脇を固める重厚な両開きの黒檀の扉はこの砦が改装されたときに入れ替えられたものだろう、デニス氏族のトレードマークであるキマイラをあしらった紋章が刻まれている。


「ファルコー氏と民間協力者の方々をお連れ致しました」

「伝令から連絡は受けている。入室を許可する」


少年兵が敬礼しつつ用件を告げると、歩哨の二人は素早く返事を返してきた。一人がノックし、室内からの応答を確認してから扉を開く。そこは飾り気の少ない広めの室内で、中央には大きなテーブルが置かれていた。その上にはこの砦周辺の詳細な地形が描かれた地図が置かれ、その上には多数の駒が配置されている。窓のない壁面には一般的にゼンドリックの形として知られている絵が地図として飾られており、部屋の四隅にはデニス氏族とガリファー王国、そしてシルヴァーフレイムの旗がそれぞれ立てられていた。どうやらここは作戦会議室らしい。

室内には扉の脇に別の歩哨がやはり二人、さらにテーブルの周りを3人が囲んでいて、そのうちの1人はメイだった。他の2人はいずれも人間で、見たことのない顔ぶれである。おそらく正面の壮年の男性が件の司令官だろう。短く刈りこまれた金髪に彫りの深い顔、手入れをする暇がないのか口元には無精髭が少し目立つ。腰を乗り出して両腕をテーブルに突き、地図を睨みつけている。その表情は固く、この砦が置かれている現状を示しているようだ。俺たちが入室すると彼は顔を上げ、背筋を伸ばしてこちらに向き直った。


「案内ご苦労。君は任務に戻りたまえ」

「ハッ、承知いたしました!」


短いやり取りの後で俺たちを案内してくれた少年は踵を打ち鳴らしながら敬礼すると退室していった。再び扉が閉じられるとその音を最後に室内は沈黙で満たされた。外界の音の一切が遮断されているのは秘術などによるものではなく、純粋に壁の材質と分厚さによるものだろう。そして外部から切り離されたその部屋で、静寂を打ち破ったのはファルコーの声だった。


「やあアグリマー! 君の部下たちで天幕に担ぎ込まれた者達は皆無事に回復したぞ。彼らは皆戦意に溢れて反撃の時を今か今かと待ち受けている!

 良ければ私達にもこの砦を、ひいてはストームリーチを守るその末席に加わる栄誉を与えてはくれないか?」


そう言って彼は部屋の調度品からハーフリング用の脚立を取り出すとそれをテーブルに寄せてその上に乗った。そうでもしなければハーフリングである彼は人間用に設えられたテーブルの上を覗き込むことが出来ないのだ。そんな彼の相変わらずの様子に皆の表情が和らいだ。


「勿論、今はそれこそ猫の手でも借りたいほどだ。君の申し出には感謝するよ、ファルコー・レッドウィロー。

 だがその前に私の部下の傷を癒すに充分な量のワンドを供出してくれた冒険者達にお礼を言わせて欲しい」


ファルコーにアグリマーと呼ばれたその男性は、ハーフリングに挨拶を返すと今度はこちらに視線を向けて丁寧に口を開いた。


「初めまして、私がこの"嵐薙砦"を任されているアグリマー・ファイアーブランドだ。治癒のワンドといえば少人数でゼンドリックを切り進む冒険者の君たちにとっては命綱とでも言うべき品だろう。それを提供してくれた君たちの申し出には大変助けられたよ。将兵を代表してお礼申し上げる。

 その補償は勿論させてもらう。後でこちらのデルヴァスコンから代価を受け取ってくれ。その上でまだ我らと共に戦ってくれるというのなら、さらに報酬を支払おう。我らはストームリーチ1万の市民の命を背負ってここに立っている。その働きには充分に報えるはずだ」


アグリマーのその声を受けて、彼の右手側に立っていた男が頷きを返した。こちらは黒い髪のやはり男性だが、アグリマーよりもさらに年齢を重ねているように見える。思慮深く知性を瞳に宿しているが、最前線に配置される者の常として十分な実力を有しているようだ。厚手の鋲付き革鎧を着ているが、その下には鍛えられた筋肉が隠されている。


「戦時故にこの場ですぐにお渡し出来る物品には制限が多い。差し支えなければクンダラク氏族の信用状か、デニス氏族の署名入りの書面を用意しよう。ストームリーチの我ら氏族の居留地か、"十二会"へ持っていけば代換の物品を引き出せるように手配しておく。

 勿論ワンドの代価とは別に君たちが行った小隊の撤退支援についての礼も含ませていただこう」


どうやら彼らはこちらに対して友好的なようだ。善意の寄付として扱われても構わないつもりで放出したのだが、十分以上の効果があったようだ。そもそも《軽傷治癒》のワンドは俺が持っている回復用ワンドの中で最も安価な品だ。カモフラージュ用に何本か用意していただけで、実際にはもっと効果が高いものを持っている。

だがそれは金貨2万を超える一般的には希少な価値のものであり、そんなものを放出すれば逆に警戒されるかもしれないし、何よりも回復力が大きすぎて過剰だろうと考えたために提供しなかったのだ。《軽傷治癒》といっても一回あたりの回復量が劣るだけで、むしろコストパフォーマンスとしては優れているため、この場においては最も適切な対応だったと考えている。


「心遣いに感謝します。勿論我々もこの危機に背を向けて立ち去るつもりはありません。現在ファルコーの護衛が任務ではありますが、出来る範囲で協力させていただきたい」


そう言って俺達もテーブルを囲む一団に加わった。1辺を占めていたメイの隣へと移動し、地図を見る。ざっと見るに現在デニス氏族が抑えているのは橋から此方側、地図でいう南東方面で面積にして四分の一に過ぎない。渓谷に区切られた残りの部分は既に巨人たちに制圧されていると判断できるだろう。


「状況を説明しよう。今からすればもう昨日の昼になるのか──砦の防壁の内側、この丘の頂上に突然秘術によるものと思わしき転移門が開かれたのだ」


アグリマーはそういって地図の南西のあたりを指さした。そこには赤いビショップの駒が置かれている。


「そこから飛び出してきたファイアー・ジャイアントの一団に周辺の守備兵達は蹴散らされた。そしてその門は次々と敵の増援を吐き出し続けたのだ。事態を深刻なものと捉えた我々は部隊を編成し、その転移門を破壊すべく攻撃を開始した」


おそらく我々がヒル・ジャイアントの洞窟に攻め込むその直前に、巨人たちはこの砦へと転移してきていたのだろう。あのトラベラーの泡が弾けるのがもう少々早ければ、ひょっとしたら俺たちがあの洞窟で敵の軍勢と対面していたのかもしれない。

またそういった戦略的な要地であるからこそ、あそこまで厳重な警備体制が取られていたのだろう。とはいえ既にあの洞窟の転移装置は、探索を行なっていたラピスの手によって無力化されている。再び転移の中継地として活用するには数週間単位での修復期間が必要となるだろう。


「だが二度繰り返されたその作戦はいずれも失敗に終わった。一回目は敵の将軍と思われる強力なジャイアントの手によって。そして二回目は死霊術を操るファイアー・ジャイアントと"メイジファイアー・キャノン"によってだ。

 君が出会った小隊はその二度目の作戦に参加した生き残りだ。その報告によると彼らはキャノンを一つは破壊したが、敵軍はさらに複数のキャノンを用意しているらしい。巨大なコンテナが確認されている。おそらくは橋や城壁を越えて我々を直接砲撃するつもりなのだろう、二十年前に連中がストームリーチの街を焼いた時のように」


次にアグリマーが示したのは北東の区域だった。そこにはルークの駒が置かれている。それが予想される"メイジファイアー・キャノン"の配置位置なのだろう。この本営にほど近く、盛り上がった高台になっているその場所は砲撃には都合の良い場所だ。


「早急にこれを破壊あるいは奪取せねばならん。このまま放置しておいては一方的に叩かれるだけで戦いにもならないからな。それにこれを破壊しなければ制空権を得ることが適わない。

 キャノンの砲弾は単なる火ではなく、触れたものに纏わりついて持続的に燃え続ける粘度の高い油でかなりの重さがある。魔法で空を飛んでいてもこの砲弾を受ければ死なずとも地上に落とされることになる」


アグリマーは"メイジファイアー・キャノン"についてそのように語った。ドラゴンの中にはそういった粘着性のブレスを吐くものもいると聞くが、巨人族の用意したそれは純粋に錬金術の産物なのだろう。ナパームのようなものだろうか? いずれにしろそんなものを一方的に撃ちこまれては敵わない。

 
「それに援軍として私の知合いが飛空艇で精鋭の一個小隊を乗せてストームリーチを発ったと連絡を受けている。彼らを受け入れるためにもこれらの排除は絶対だ。

 少し離れたところにも発着場はあるが、既にその辺りにも敵の遊軍が入り込んでいると聞いている。直接この砦の中に飛空艇を受け入れることが出来るようになれば補給も捗るだろう」


「先ほどアルシアーナさんという士官の方をお一人、《テレポート》でストームリーチまでお送りしてきたんです。事情を説明して補給の品を受け取るまでの短い滞在でしたが、ドールセン女史にも連絡がつきました。

 ファルコーさんはその飛空艇に乗って帰還するように、とのことで復路の経費はジョラスコ氏族が負担するそうです。私たちの任務はファルコー氏をこの砦に連れてきた時点で完遂したものとする、とのことで書状を預っています。

 こちらの砦に向かって移動していた発掘団の本隊には一つ手前の補給地点まで引き返すように伝令が飛んでいます。発掘の人夫たちを送り届けた後に護衛部隊がこちらに合流するには3日ほどは必要と聞いています」


アグリマーに続いてメイが説明を加えた。どうやら彼女は一旦街に戻っていたようだ。アルシアーナといえば本来このクエストをストームリーチでプレイヤーに与えるNPCの役割を担っていた女性だ。彼女によって本来の主役がこの戦場に送り込まれるのか、それとも俺達が解決することになるのか。

既に俺の知識は表面的な部分でしか通用しないことが証明されており、事態は面倒な方向に展開するものだと考えておくべきだ。他人任せにせず、自分たちでこの戦場を乗り切るようにすべきだろう。そしてそれが俺の望むことでもある。


「このスカイフォール半島で飛空艇に乗れだって? 冗談じゃない、私はゴメンだぞ!」


そんなことを考えている一方で、ファルコーはメイの伝言に猛反発していた。このあたりは嵐が突発的に起こるなど天候が安定せずまさに"空が落ちてくる"半島だと言われるほどの厳しい航路なのだが、そこで飛空艇を運用するのは相当の実力者か命知らずのどちらかだ。


「安心したまえファルコー、その飛空艇は既に何度かこの航路を往復している実績もある信頼のおけるものだ。船の名前と見てくれは少々不恰好だが、キャプテンの腕前は確かだよ。

 高所恐怖症の君には厳しいかもしれないが、ワインでも飲んで半日寝ていればすぐに到着するさ。諦めるんだな」


アグリマーがそう言って笑う。スポンサーの意向を伝えたメイも困ったような表情をしているが、彼女に当たっても仕方ないことはファルコーも理解しているのだろう。彼は不承不承といった様子で脚立に座り込んだ。さて、これでどうやら護衛の仕事については片が付きそうである。


「そういうわけで君たちには"メイジファイアー・キャノン"の破壊をお願いしたい。無論陽動の兵を出して敵の注意を引きつけるつもりだ。具体的には……」


地図を指し示しながらアグリマーは作戦を説明した。簡単にいえば、先ほどの橋からデニス氏族の陽動部隊が出撃して敵に圧力を加える。一方で俺たちは溶岩が湧き上がる渓谷を少数で突破し、キャノンの配置されている高台を背後から強襲するということだ。

空中を高速移動しての襲撃は相手のキャノンに補足されると危険だということと、敵の何らかの儀式魔術によりこの周辺の次元界の境界が不安定になっていることで瞬間移動による移動が危険性を有しているということがメイより報告されており、今回はこのような作戦となったわけだ。溶岩に飲み込まれないギリギリの低空を《フライ》の呪文で突き抜ける。無論敵も無警戒ではないだろうが、そこは臨機応変に対応することになる。


「君たちは既に連戦を続けてきたと聞いているが、あのキャノンさえ破壊すれば当分状況を拮抗させることができるはずだ。そして君たちがファルコーの発掘した遺跡で転移門の中継地を破壊してくれたお陰で、時間は我々にとって優位に働くだろう。

 すまないが後僅か、我々が迎える夜明けのためにその力を振るってはくれないだろうか」


アグリマーのその言葉に俺はチラリとメイに視線をやる。すると彼女は唇に人差し指を当てながら僅かに黙考した後、その小さな口を開いた。


「主な敵はミノタウロスにトロル、そしてヒル・ジャイアントにファイアー・ジャイアントですよね。まだ随分と精神力に余裕はありますから、移動と敵の術者の対策をするために呪文の用意をする時間を30分ほどいただければ準備は整いますよ」


誤解されがちではあるが、ウィザードの呪文準備は何も全てのスロットを朝の時点で決定しておく必要はない。その時必要なだけの呪文を用意しておき、精神力に余裕を持たせておくことで変化していく状況に対応した呪文を必要に応じて準備することが出来るのだ。

今朝の場合、予め巨人の洞窟攻略において留守番をすることがわかっていたメイは、支援のために必要なものと緊急対応のために常備している呪文以外は無理に準備せずにおいたのだ。それにより、今のような事態に別途対応することが出来ている。とはいえ、呪文の準備には落ち着いた環境とそれなりの時間が必要になる。彼女のように極めて高い知力と術者としての技量により多くの呪文スロットを有していなければ、滅多に取られることはない方法ではあるだろう。

例えばラピスの場合は日頃から使う呪文がほぼ決まっているためにわざわざそんな風に精神力を余らせておくことはない。準備している呪文の数はそのまま戦闘力に直結するからでもあるし、どんな敵にでもある程度対応できる呪文の構成を整えているのだ。汎用性を重視しているとも言えるだろう。


「それは心強い。我々の方としても部隊の編成にある程度の時間は必要になる。術者殿が落ち着いて集中していただける部屋を用意させて頂くので、そちらで準備に専念していただきたい。早速案内させよう」


その言葉を締めくくりとして、俺たちは司令部を後にした。部屋の外で待機していた歩哨の一人が俺達を先導している。ファルコーはまだ飛空艇に乗せられるのが不満なのか、横でぶつくさと愚痴を呟いているようだ。そんな彼を無視して俺はメイへと話しかけた。


「そういえばルーとフィアの二人はどこにいるんだ? てっきり一緒にいるものだと思っていたんだが」


「あの二人なら幻馬に乗ったまま周辺の警戒に当たってくれています。敵は転移門から現れた以外にも、以前から戦い続けている周辺の巨人部族なんかがいますから。

 私達が立ち寄った見張り櫓は戦線を維持できなくなったために放棄したそうなんですが、既にあそこを超えて侵入してきている者達がいるということで目のいい二人が対処してくれているんです。

 ──今これからの事を伝えたので、すぐに戻ってくると思いますよ。二人も働き詰めでしたし、少し休憩を取ったほうがいいでしょう。橋を封鎖してくれているラピスちゃんには伝令をお願いしておきましょう」


すらすらとメイが状況を説明してくれた。僅かな沈黙はフィアに念話を飛ばして会話していたのだろう。そしてその出自からか占術などへの対抗術を日常的に纏っているラピスにはその念話が届かない。圧縮言語を飛ばす《センディング》などの呪文は力術にカテゴリされるために彼女に伝言を飛ばすことは出来るのだが、それなりに高度な呪文であるからしてこれから戦闘だという時に貴重なリソースを使うわけにもいかず、伝令で済ませるというわけだ。


「巨人たちの動きは今までにはない本格的なもののようだ。我らも全力を持って当たらねばなるまい」


廊下の窓から覗く空を見ながらエレミアはそう呟いた。そこにはこの遺跡の敷地を覆うように広がる不気味な色の雲。突如この辺りの地形を変幻地帯のように変化させた死霊術の強烈なオーラを帯びたその雲は、周囲の生命力を吸収するように植物を枯らし、うっすらと緑に染まっているように見える。あんな効果を持つ呪文は俺の記憶にもない。敵の大規模な儀式魔術によるものか、あるいはこの遺跡に隠された古代巨人族の遺産か。

今回のクエストへの介入は、むしろ遅れてではなく本来よりも早いタイミングで行うことになっている。それが吉と出るか凶と出るか。星に占おうにも空は不吉な雲に覆われていて見えない。だが俺にはその雲を全て吹き飛ばすほどの実力が必要なのだ。そしてそれを手に入れるためには、大量の経験点──他者の命を啜る必要がある。

他者の命を奪うことに抵抗が無くなったわけではない。だがせめて悪意をもちこちらに害をなす存在を討つのであれば、気持ちに整理をつけられる。そんな自分の意志を確認するように、俺は腰にさした剣の柄に強く力を込めるのだった。



[12354] 5-8.ストームクリーヴ・アウトポスト3
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2012/03/06 19:52
宛てがわれた部屋で戦いの準備をする間、俺はルーとフィアから彼女たち部族の伝承を聞いていた。文字を使わず口伝のみで伝えられるその神話はエルフ語で詠うように語られる。古い言葉をそのまま使っているためか訛りがきつく、意味なども一部不明瞭なところもある。だがその大部分は理解することができた。

その詩歌は4万周期──4万年以上前を最後に新たな節が追加されていない。その頃に起きた激しい戦いの中で彼女たちの神は力を使い果たし、今に至るまで眠っているのだという。やがて再び、神代の戦が始まるその時まで目覚めることはない──そして彼女たちはその神の眠る土地、"黄昏の谷"を護ってきたのだと。

俺の推測ではあるがルーの扱うクレリック系の信仰呪文を始めとした能力の回復が遅いのは、その神の化身が休眠状態にあることが原因なのではないだろうか。一般的なエベロンのクレリックは自らが発する信仰心を糧に呪文を発動する。そこに神の恩恵は、極端な言い方をすれば神の実在すら必要ない。存在を信じる個人の祈念、意志の力が奇跡を呼び起こすのだ。それが神の存在が薄い世界、エベロンの信仰呪文使いの特徴である。

だがルーは違う。彼女はグレイホークやフォーゴトンレルムといった異なる物質世界の信仰者なのだ。彼女の使うクレリック系呪文は正しく神からの授かりものであり、祈りによって彼女が代行する神の奇跡の片鱗なのである。その化身が休眠状態にあり、そして本来存在する世界から離れていることが彼女に悪影響を与えているのではないか。そしてルーがその状況を打開すべく習得した技術がドルイドとしてこのエベロンに干渉する能力なのだろう。

そしてそのドルイドとしての能力も既に解っている範囲においてすら強力無比だ。コーヴェア大陸にあるエルデン・リーチという土地にはオアリアンという最高レベルのドルイド──なんとその正体は樹齢数万年にも及ぶ"覚醒"した松の木である──が存在しているが、それに比肩するのではないかと俺は考えている。そしてその推測が正しかった場合に問題となるのが、彼女たちの住む故郷を襲った連中の事だ。

これほどに高い実力を備えた彼女たちを擁する集落を破壊し、蹂躙する──そんなことが一介の密輸商人に可能だとは到底思えない。おそらく何か強大で、深い陰謀が蠢いているのではないか。ひょっとすればそれには彼女たちの神がかつて戦っていたデーモンの上帝達が絡んでいるのかもしれない。やはり俺の帰還の手がかりを探すということにも繋がることであるし、まずは彼女たちの故郷を訪れることが必要なのではないだろうか。カイバーに囚われている上帝のうち、たった一人でも解放されればこの物質界はあっという間に地獄と化す。そうなっては帰還方法を探すどころの騒ぎではない。

そんな考え事をしている間にメイの準備が終わったようだ。


「──お待たせしました、準備完了です。持続時間の長い呪文は今の時点で付与してしまいましょう。防御と知覚強化に関しては連戦になることも考えて"メタマジック・ロッド:エクステンド"を使います。

 みんな飛行可能になるアイテムは持っていると思いますが、万が一解呪されることを考えて敵陣への浸透は私の《マス・フライ/集団飛行》で行きましょう。一塊になって移動することになりますから不可視化も付与します。

 後の呪文は相手に高位の術者が居た時の対策用として障壁系と解呪を優先しました。敵の殲滅は前衛のみんなに任せますね」


そういってメイは次々と準備したばかりの秘術を行使していく。その呪文のいずれもが、術者としての技量がそのまま効果に反映される心強い呪文だ。呪文は発動さえすれば一定の効果を出すものと、術者の技量に応じてその効果が強化されていくものの二通りある。前者であれば呪文行使容量に余裕のある俺が使えばいいが、後者の系列は俺とメイを比較すると2倍近い差が生まれる。その差を妥協することは出来ない。

また呪文が強力な効果を発揮するこの世界においては、当然ながらその呪文を解除する能力も強力なものとなる。高位の術者同士の戦いではいかに相手の術を封じつつ自分の呪文の効果を通すかが勝敗を決する。今回の俺達のような任務においては、一点突破の決戦能力が必要とされている。そうである以上、メイの支援は欠かせない。

解呪能力は先程の区分で行くと後者に属するからだ。例えば俺ではメイの行使した呪文の解除率は5%あればいいほうだが、逆にメイは俺の呪文を100%解呪するだろう。敵の高位術者から致命的な呪文が放たれた時、彼女がいれば安心して任せることが出来る。高レベルの戦闘では術者の存在は戦闘の勝率を直接的に左右するのだ。

そうなると俺の役割は誰が発動しても効果に大差のない呪文の使用と、戦場で壁になることだ。対単体の戦闘であれば俺の独壇場であるが、大勢の敵を相手取るのであればエレミアが火力の中心となる。彼女が実力を最大限に発揮できるように環境を整えることが仕事になるだろう。


「後は出発前に《ストーン・スキン/石の皮膚》を俺が皆に付与しよう。上陸直前になったら巻物から短期の付与呪文を手分けして使えばいいだろう。

 目的は"メイジファイアー・キャノン"の破壊だけれど、可能であれば囮部隊に誘引された敵部隊の後背を衝いて撤退を支援したい。いくらか被害を与えて混乱させたら空から離脱して城壁越しに帰還だ。よろしく頼む」


皆を見渡しながら作戦内容を確認する。俺たちが作戦を達成した後は補給を頼みながらの長期戦に持ち込むことが予定されている。個体能力で敵わない以上基本的な戦術は防御的なものにならざるを得ないからだ。今回は俺たちとファルコーによって敵の補給線が破壊されていることを利用するのだろう。


「以前ストームリーチの地下で戦ったファイアー・ジャイアント達は武器を振り回すだけの未熟者ばかりだったが、今度の相手は軍隊の中核を為す戦士たちだ。敵はあの時よりも強いだろうが、我らの実力も上がっている。

 連中を再び密林の影へと叩き返し、我らの帰るべき家を守ろう。鋼の調べを打ち鳴らし、彼らの記憶に刻みつけよう。二度と我らに刃を向けぬように」


エレミアのその言葉が俺たちの出立の檄となった。そう、行き掛かり上巻き込まれた戦場ではあるが、ここが陥落すればストームリーチが戦火に巻き込まれることは避けられない。それだけでも俺が此処で戦う理由としては十分なはずだ──。










ゼンドリック漂流記

5-8.ストームクリーヴ・アウトポスト3












橋を封鎖する巨人族の宝具をファルコーに預け、俺たちは夜の渓谷を飛行していた。本来であれば魔法装置に熟練した砦の術者に頼みたかったのだが、残念なことに生き残った者の中にはファルコーよりも技能に長けた者がいなかったのだ。

数人の技術者たちは先の攻防で敵の"メイジファイアー・キャノン"を文字通り命がけで暴発させており、巨人族以外に作用する呪いを避けながら嵐を呼び起こすことが出来る人材が残っていなかった。ラピスを残すことも考えたが危険な敵中への浸透であることと、可能であれば"メイジファイアー・キャノン"を奪取して敵に向け使用するという作戦目標には彼女の技能が欠かせないということで苦渋の決断だったのだ。

物陰に身を潜めつつ宝具を操作するだけの仕事とはいえ、前線に近づけば危険は増す。だがファルコーはむしろ自らも防衛に対して役割を果たすことに強いこだわりを見せ、こちらの説得に頷くことはなかった。彼の巨人族に対する敵意は並々ならぬものがある。

護衛の任務は終了している以上、彼の行動を制限する建前はもうない。こうなった以上、作戦を完璧に成功させることが彼の身柄の安全を図る現状最良の手段だろう。


「さっきのことをまだ気にしてるのかい? あのハーフリングは自分で志願したんだ。それで流れ弾に当たるようなことがあっても自業自得ってやつだし、どうしようもないさ。

 もしそれで死んだとしても最後に巨人族の遺物を使う機会を得られたんだし、あの発掘中毒にとっては本望なのかもしれないぜ」


メイを中心に彼女をぐるりと取り巻くようにして宙を飛ぶ中、隣に浮かぶラピスが話しかけてきた。普段は夜の闇の溶けるような色合いの彼女の外見も今は眼下に沸き出している溶岩の発する赤い光に染め上げられている。それは光の色合いだけではなく、皆に付与している《カモフラージュ/迷彩色》の呪文の効果のためだ。

前回透明化しての接敵を看破されたことを教訓とし、今俺達は周囲の風景に溶け込むように〈隠れ身〉を行いながらの行軍を行なっている。大まかな地形はゲームで知っていたものと同じであり、このまま妨害がされなければ無事目的地に到着できるはずだ。そして現在既に囮部隊は竜巻の障壁を解除し、橋から出撃して戦闘を開始している。ファルコーはその近くにいる筈だ。


「まあな。昨日まで護衛対象だった相手が、契約が終了したとはいえ危険な場所に突っ込んで行こうとしてるんだからな。正直複雑な気分だ。

 とはいえ他に適切な技能者がいるわけでもないし、飛空艇が到着するまで殴りつけて気絶させるってわけにもいかない。まだ武器やワンドを持って前線に立つってわけじゃない分マシなんだろうけどな」


ファルコーの役割は囮部隊が撤収する際に風と竜巻を操って敵を橋から此方側に通さないようにすることだ。直接戦闘に参加するわけではないが、殿の部隊を保護するという役割だけにここぞというときには危険度が高まる。幸いあの宝珠の射程距離は橋の長さの二倍以上あることが確認できている。普通に考えれば十分な安全マージンだろう。


「私達が早々に仕事を終えて、前線に集まった巨人達の部隊の後背をつけば挟み撃ちだ。敵を全滅させてから悠々と帰還すればあの男の出番もなく、危険に晒されることもないだろう」


俺を挟んでラピスの反対側にいるエレミアの意見はもっともなものだ。既に始まってしまったことである以上、考えるべきことは今からどうやって最善の結果を出すのかということだ。過ぎたことではなく、これからのことに思考を費やすのが建設的というものだろう。

そんな雑談をしながらも俺たちは飛行を続けている。視線を前に向けると、そろそろ進路は渓谷を抜けて高度を上げる頃合いだ。先日までは渓流として自然の豊かさを示していたであろうに、今や濃密な死霊術の気配に当てられたのか草木は枯れ、湧きでた溶岩に焼き尽くされたのか生命の気配は全く感じられない。それは敵の軍勢についても同様だ。

油断か増長か、それとも単に手が足りていないのか。ここまで敵の監視の目は一切関知出来なかった。使い魔や秘術的感覚器官の類も発見できず、移動は順調そのものだ。だが高度を上げ、地上を移動開始するとなるとこれまでのようにはいかないだろう。

谷の急勾配な斜面に沿って徐々に高度を上げ、地上の構造物まで残り6メートルとなったところで俺は片手で皆に停止の合図を送った。そしてもう一方の手を壁面に添える。足元の溶岩から吹きつける熱気によって土の表面からは湿気が奪われており、触れた掌の表面からはパラパラと砂が零れ落ちる。そしてそういった肌触り以外に、呪文によって拡張された知覚が俺に周囲の情景を伝えてきた。

《トレマーセンス/振動感知》の呪文により、俺には一部の地中を住処とするクリーチャーらが備える特殊な感知能力が付与されているのだ。付近で歩いている生物の動きが、水面に波紋が広がるように感じられる。地面に触れている掌から伝わる情報を分析することで足の大きさやおおよその体重、歩き方の癖から推察される能力などが知覚できる。


(トロル1,ウォーグ2の斥候部隊。今頭上を通り過ぎているところだ。やり過ごすぞ)


空いている方の手でハンドシグナルを飛ばし、意向を伝える。このまま上昇していれば連中の嗅覚に捕らわれるところだったが、用心していた甲斐があったというものだ。敵の戦力自体は俺達であれば数秒で一方的に蹂躙できる範囲だろうが、不要に飛び出せば戦闘を周囲の敵に察知される可能性がある。派手に暴れるのは仕事を終えた後でいい。

感知範囲から敵が立ち去ったことを確認してからさらに時間を空ける。判明している敵の移動速度からして地上に出ても十分に敵の鋭敏嗅覚の範囲外になるまで待った後、〈隠れ身〉と〈視認〉に長けたラピスを頂点に隊列を組み直し上昇を再開する。彼女は旧時代の城壁が崩れている隙間から姿を隠しつつ、周囲の様子を観察し始めた。秘術により竜種並に視力を増幅された彼女の眼から逃れ得るとすれば、隣接する内方次元界に逃げ移るしかないだろう。


(左手方向にさっきの斥候、距離は30。離れて行っているし、こちらに気づく様子はない。右手には……距離100くらい先に呪文の刻まれた柱と、その周辺にトロルの護衛だ。呪文の意味まではわからないね)


ラピスの偵察の結果を受けて、今度はメイが立ち位置を入れ替わり謎の柱を観察する。だが、彼女の知識と閃きをもってしても正確なところは把握出来なかったようだ。


「秘術の刻印で、召喚、呪縛を意味する魔方陣が積層型で刻まれているみたいです。他にも効果はあると思いますがこの距離からパっと見で判読できるのはそれくらいですね。

 刻印を操作する回路図もあるようですし、ちゃんとしたことを調べるには時間が必要です。気にはなりますけど、今は後回しですね」


しばらく観察した後に降下してきたメイの提案を採用することにし、地上に突入する準備を開始する。効果時間が数分の付与魔法を行使し、《カモフラージュ/迷彩色》の呪文の上からさらに《グレーター・インヴィジビリティ/上級不可視化》の呪文を行使し全員の姿を消した上で《サイレンス/静寂》の呪文を使用した。

不可視、無音の上に飛行しているから振動も発さない。何らかの手段で不可視の存在が見えたとしても、《カモフラージュ》により風景に溶け込んでおり発見は困難だ。お互いの姿は付与されている《ドラゴンサイト/竜の視覚》により視認可能であり、連携に不安はない。強襲の準備は充分に整ったといえるだろう。


(3、2、1、GO!)


ハンドシグナルでタイミングを合わせて飛行を再開する。先ほど覗き窓に使っていた壁面の割れ目から突入する。右手には確かに薄ぼんやりと輝きを放つ秘術刻印を宿した円柱。高さは10メートルほどか? 明らかに特別な意味を持っていそうなその構造物の周囲だけは床面も黒曜石で敷き詰められており、周囲からは一段高い構造になっている。とはいえその段差は1メートルほどあり、巨人達が使用していた遺跡の一部なのだと想像できる。

その段差の影に見えるのは歩哨のトロルの大きな顔と、縁に伏せているウォーグのシルエットだ。幸いこちらに気づいた様子はない。そこまでの情報を一瞥して読み取った俺は予定通りその柱とは反対方向へ向けて移動を開始する。高度は低く、それでいて地面に触れぬギリギリの位置を滑るように。視線の先には先程立ち去っていった巡回部隊の背中が見えており、徐々にその姿は大きくなってきている。間もなく接敵するだろう。

トロルを先頭に、少し遅れてウォーグが左右に並んでいる。こうして見るとペットを散歩させている風景に見えなくもない。だが距離が近づくにつれてそのサイズがおかしいことに気づくだろう。トロルの身長は3メートル、ウォーグも全長は同じくらいあり体高は1メートルを超えるのだ。


(当初の予定通り、排除する!)


だが俺たちにとってはもはやありふれた敵の一団にすぎない。全員が一丸となって敵軍に接触すると同時に、敵の周囲に薄靄の球体が覆いかぶさった。周囲を照らす薄明かりを遮るそれは《ダークネス/暗闇》によって産み出されたものだ。ドラウは生来この呪文に似た効果──擬似呪文能力と呼ぶ──を行使する能力を持っている。今回はルーの仕事だ。


──1秒。


攻撃のために皆が武器を抜く。鞘走りの音は《サイレンス》に遮られ、刃を覆う魔力の輝きは周囲の薄靄に遮られ外部に漏れることはない。急襲によりその嗅覚を発揮する間もなかった敵へとそれぞれの刃が向けられる。敵は《ダークネス》に包まれた状況を把握できていないのか、反応も出来ずに立ち竦んだままだ。


──2秒。


敵の中央に飛び込んだエレミアがトロルの胴体に双刃を食い込ませた。背後から斬り下ろしたそれは右肩から左腰へ突き抜ける。同時に四足歩行している2頭のウォーグ、その体の下を潜りこむような低軌道を描いたラピスとフィアがその喉笛を切り裂いた。


──3秒。


エレミアの返しの刃がトロルの首を切断した。軌道を交差させたラピスとフィアはお互いの獲物を入れ替えると、細剣をその脳天に突き立てた。攻撃を終えたエレミアは飛行の勢いを緩めずに上空へと離脱する。


──4秒。


エレミアの離脱によって空いたスペースに俺が飛び込む。両手には炎を宿らせたシミター。3体の敵を捉えた俺は飛びかかるような勢いで二刀を振り回した。トロルの首、切り落とされた上体の半ば、そして残された半身。さらには崩れ落ちようとしているウォーグにもそれぞれ斬撃を見舞う。既に抵抗する力を失っている肉体は切断面から送り込まれた高エネルギーに蹂躙され燃え上がる。


──5秒。


《ダークネス》の中で炎上する3体の亡骸を捨ておいて、飛行を制御するメイが俺たちを掬い上げるように最後尾から合流し一気にその場から離脱する。


──6秒。


10メートル近い距離を離れた所でルーが《ダークネス》の呪文を解除する。既に死体は燃え滓すら残さず消滅しており、斥候の部隊が居たことを示す痕跡は何かが焼け焦げた匂いだけだ。それすら周囲の溶岩から立ち上る硫黄の匂いにすぐに溶けて消えることだろう。周囲から見れば突然消失したように見えるのではないだろうか。6秒ほどの間一定範囲を覆っていた薄靄さえ、この闇夜の中では一時的な目の錯覚ではないかと思えてしまう。

だがそれすらも見咎めた敵はいないようだ。デニス氏族の誘引が順調に進んでいる証か、周囲に他の敵の気配はない。前方には目的となる高台が見えている。張り出した崖部分には巨大な木製のコンテナが置かれている。一辺3メートルほどの立方体が6つ。単に破壊するだけであればここから攻撃呪文を撃ちこめばいいだろう。見たところ随分とサイズも大きく、重たそうだ。あれを味方の陣地まで持って帰るのは不可能だろう。

あの木箱一つをアイテム一つと認識できればブレスレットに収納できるかもしれないが、何故そんなことが出来るのかと聞かれたときに説明できない。余計な行為は行うべきではないだろう。


(予定通り接近して周囲の敵を排除する。突撃するぞ)


高台に伸びる坂道沿いに飛翔し、その途中で歩哨を行なっていたヒル・ジャイアントを先ほどの要領で瞬殺して目標へと突き進む。そうやって接近した俺の視界に映るのは4体のファイアー・ジャイアントの姿だ。それぞれが4メートルを越える身長、体重も4トンほどはあるだろう。ドワーフを途方もなく大きくしたような外見、肌は石炭のように黒く、そして髪は炎のように赤い。ヒル・ジャイアントが普通車だとすればこの連中は大型トラックだ。ゲームでは1体を除きヒル・ジャイアントであったことを考えると敵の脅威は明らかに増している。流石に要地に配されているだけあって精鋭なのだろう。だが暗闇の中周囲の景色に溶け込んで無音で空中を飛んでくる存在を感知するような規格外の存在では無かったようだ。

後衛のメイとルー、その護衛としてフィアを残して俺とエレミア、ラピスの三人が敵中へと斬り込んでいく。まず数を減らすことを優先した俺たちは奇襲で得られた一瞬を一体の敵に集中攻撃することに費やした。ファイアー・ジャイアントに火による攻撃は通用しないことは予め解っているため、俺が構えているのは酸を滴らせるコペシュだ。刃の先端が肉厚で膨らんでおり、歪な重心を持つ武器ではあるが効果的に使用した際の殺傷力はシミターを大きく上回る。

暑さをものともしない巨人たちはその巨大な肉体を金属鎧で覆っている。だが動きにくさを嫌ってかその装甲は心臓や首筋などの重要部には分厚く重ねられていても、関節部などには隙間が見える。各部に見えるそういった空隙から、深く体を抉り重要な血管を切り裂けば急所攻撃としては十分だ。武装の差を信じて鎧の上から一撃必殺、兜割りを狙うのも一つの方法だが奇襲となるこの瞬間は確実に敵を削りたい。大味な攻撃はエレミアに任せ、俺とラピスは敵の死角から急所を狙う──。


「──────ッッッ!!」


巨人が突然の痛みに挙げる絶叫も《サイレンス》に掻き消される。だがその一方で俺は今の攻撃に違和感を感じていた。深く切り裂くその直前で刃が押し返されるような不思議な感触。通常の肉体構造では有り得ない、超常の防護の気配を感じたのだ。


(傷が浅い……出血も少ないし、重要器官を狙ったはずなのに手応えがない。"フォーティフィケーション/急所防御"か?)


それは主に防具に付与される特殊能力の一つだ。魔法によって一時的に得ることも出来るが、効果は同じ。"クリティカル・ヒット"や"急所攻撃"に対して一定の耐性を与えるというものだ。ランクによってその確率には差があり、低くても25%、高ければ100%の確率でそれらの効果を無効化するという非常に重要な効果である。勿論俺も常時身に着けているが、敵がその効果の恩恵を受けているのは初めてのことだ。

ラピスも同様の判断をしたのか一旦距離をとって細剣を収め、呪文の封入されたスローイングナイフを取り出している。彼女の近接攻撃の殺傷力はその多くを急所攻撃に依存しているため、それが無効化されるのであれば敵に接近する必要がないからだ。俺とエレミアは引き続きターゲットへと攻撃を行うが、その体格に見合った膨大なタフネスを誇る巨人を倒しきるより先に、他の敵が動き始めた。

奥に居た一体の巨人を中心に信仰呪文のエネルギーが放出され、俺達を不可視にしていた秘術のヴェールが剥ぎ取られる。《インヴィジビリティ・パージ/不可視破り》だ。その効果範囲は想像よりも広く、巨人から距離を取ったラピスだけではなく後方に離れていたメイ達をも暴いている。20メートルを超える有効範囲からして秘術呪文使いとしてのメイに匹敵するほどの手練だと判断できる。先日のヒル・ジャイアントの司祭たちよりも格上だ。


「将軍の仰ったとおり、羽虫がわれら炎に引き寄せられてきたぞ!

チビどもが、その数で勝てると思っているのか? 立て、こいつらを徹底的に叩きのめせ!」



ファイアー・ジャイアントの一体がなにやら叫んでいるようだが《サイレンス》に阻まれてその内容は伝わらない。だが口の動きと雰囲気で意味は概ね把握できる。その巨人はこちらに駆け寄ると俺達が斬りかかっていた巨人の一体へと手を伸ばし、触れるやいなや負っていた傷を消し去った。《ヒール/大治癒》、おそらく一般的には最大の回復効果を持つ高位の信仰呪文だ。死の淵にあった巨人は全快とはいかないまでもその傷の殆どを癒され、身の丈に相応しい巨大なファルシオンを振り上げて立ち上がった。

彼は位置の明らかになった俺とエレミアから一歩離れるように距離を取ると俺に向かって《ディスペル・マジック/魔法解呪》を発動させた。本来であれば言霊を放たなければ発動しないはずの呪文だが、その音声要素を省いて呪文を発動させる訓練を積んでいるのだろう。幸いこの巨人の術士としての能力は先程不可視を暴いた巨人ほどではなかったのか、メイの付与した呪文は解呪されなかったものの俺が行使した呪文についてはその殆どがその効果を強制終了させられた。《サイレンス/静寂》の効果が失われ、周囲が音を取り戻す。


「我らが神の威光にひれ伏せ!」


さらに別の巨人がわざわざ共通語で叫ぶが、それには勿論意味がある。その言葉には呪力が込められていたのだ。《グレーター・コマンド/上級命令》という精神に作用する強制効果、神の威光を借りて対象を服従させる呪文だ。言語依存で行われたその命令は耳から入り込むとこちらの意思を無視して体をその命令通りに動かそうとしてくる。

全身が鉛になったかのように重く感じられ、体を投げ出して倒れてしまいたいと感じさせるその言霊を意思の力でねじ伏せて膝に力を入れる。この程度の言霊では俺を屈させることは出来ない。足裏に感じる地面の感触を蹴り飛ばすようにして前へ。狙いは最も手練と思わしき巨人の司祭だ。側面を抜けようとする俺に、傷が癒えたことで活力を取り戻した巨人が武器を振るってくるが今の俺は全く敵の武器攻撃に傷つけられる気がしない。拡張された知覚は自らの肉体の隅々までを把握した上で自在に操作し、その上でさらに周囲の状況までも完璧に伝えてくる。振り下ろされるファルシオンの刀身に刻まれている刻印を読む程度は勿論のこと、刃筋に見える波線の数までも数えられるだろう。その担い手である巨人の微細な体重移動、力を込められている筋肉の動きから心臓の鼓動までもが手に取るようだ。

もはや未来予知に近しい洞察に従って体を動かせば、寸前までの頭部の位置へと巨大な刃が振り下ろされている。傍から見ていれば間一髪と感じるかもしれない。だがそれは無駄な動作を省いた結果に過ぎない。俺は自身の身に害が及ばぬことを確信している。そうして敵の迎撃をくぐり抜けた今、俺の目前には最も手練と見える巨人の司祭の姿が見えている。前衛を務めていた敵をすり抜けることで射線が通ったのだ。俺はその瞬間を狙いすまし、用意していた呪文を解き放った。掌に拳大の氷の宝玉が生まれ、冷気をまき散らしながら巨人に向けて飛んでいく。《オーブ・オヴ・コールド/冷気のオーブ》、極低温の塊を召喚し、敵にぶつける攻撃呪文だ。解き放たれた時点で物理現象に置き換えられた攻撃であるため呪文抵抗により防ぐことも出来ない。

様々な呪文修正特技により絶対零度に近い領域まで研ぎ澄まされた宝玉は冷気を弱点とする火巨人であれば2回は殺してもお釣りが来るほどの殺傷力を有している。敵に触れるやいなや、その接点から熱量を奪い尽くし絶命に至らせる。巨体であり重装鎧を着込んでいる、今回のような相手には非常に効果的なまさに"火巨人殺し"の呪文だ。だが必殺のオーブが命中する直前、巨人の体から吹き出した紫の炎がその冷気を逆に喰らい尽くし消し去った。


「《ファイアー・シールド/火の盾》!? でも普通は冷気を軽減するだけで無効化は出来無いはずなのに……

 トーリさん気をつけて、古代巨人族の"遺失呪文"かもしれません!」


後方から今の現象を視認していたメイから警戒の声が飛ぶ。彼女が言うとおり、今の出来事は既存の魔法学では説明がつかない。俺の知識にも含まれていないのだ。既存のルールブックに存在しない、イレギュラーな呪文。だがその正体を推測する時間は与えられない。


「わざわざ殺されに来たのか。どんな攻撃も、このオルターダー様には通用せん! 惨めにその亡骸を晒せ、劣等種め!


先ほどの巨人の《グレーター・コマンド》より更に重い言霊が目の前の巨人──オルターダーから発された。《ブラスフェミィ/冒涜の歌》だ。《サイレンス》が解除された今、その言霊を遮るものはなく俺を押し潰そうと迫ってくる。塔の街シャーンの地下で浴びせられたものとは重圧が桁違いだ。おそらくその言霊に触れれば俺の命は消し飛んでしまうだろう。だが後方に控えるメイがその敵の呪文に対して杖を向けて《ディスペル・マジック》を放った。高位の術者同士の魔術が衝突し、一瞬の拮抗が生まれる。その後、言霊に乗った呪力は分解され、ただの音となって俺を通り過ぎた。メイの呪文が相手の呪文を打ち破ったのだ。


「小癪な連中め、奴隷時代に我等から掠めとった技術で我等に仇をなすか!」


おそらく決め手の呪文のつもりだったのだろう。解呪されたことでオルターダーは罵声を吐いた。メイはゼンドリックに来てから古代巨人族の、そして彼らから秘術を学んだ古代エルフ族の秘術を研究している。特にエルフの秘術伝承は巨人族に対抗するために解呪が研鑽されており、彼女自身の技量とあいまってその解呪能力は相当なものだ。この場で最も脅威と思われるオルターダーに対しても優位に立っている。そして彼女はさらに《セレリティ/素早さ》の呪文を組み合わせることで短時間であれば二人分の働きをすることが可能なのだ。


「敵の呪文は私達とラピスちゃんで抑えます、皆さんはその間に頭数を削ってください!」


メイの判断に従い、ラピスが後方に下がる。ラピスは"アブジュラント・チャンピオン"──防御術の専門家であり、《解呪》の呪文を並行展開する技術を持つ。つまり敵の術者4人に対し、メイとラピスの二人で拮抗状態を作り出すことが出来るのだ。そこにさらにルーが加われば術者としての質も量もこちらが上回る。あとは前衛として俺とエレミア、フィアが彼らを上回ればいい。オルターダーの護りについては不明だが、まずはその周囲の敵を削るのだ。

巨人は4体だが、剣での攻撃を行いながら高位の呪文を唱えることは出来ない。呪文の行使に集中すれば解呪合戦では拮抗できるかもしれないが、こちらの前衛が詠唱を妨害する。かといって前衛への対処に集中すれば一方的に付与している呪文を剥がされていき、どんどんと不利になっていくだろう。巨人の数があと少し多ければ双方に対して拮抗させることが出来たかもしれないが、増援が現れる気配は今のところない。実力が近いのであれば手数の差が圧倒的な戦力差を生む。メイとラピスという卓越した術者のおかげだ。

相手もその状況が理解出来ないほど愚かではない。彼らは劣勢を覆さんと一斉に動き出した。詠唱を妨害するために《サイレンス》が、視界を奪うために《スリート・ストーム/みぞれ混じりの嵐》が、手数を補うために《サモン・モンスター》が。様々な呪文が放たれるが、それらは実を結ぶ事無く解呪されていく。たった一つの呪文すら発動させず、彼女らは完封してみせた。技量に依存するとはいえ不安定なところもある解呪を立て続けに成功させるその姿は、まさに《円熟の術者》と呼ぶに相応しい。

勿論その間、俺たちも手を休めていたわけではない。現状で最大の火力を有するエレミアがその戦闘力を発揮できるよう、また彼女に対して邪魔が入らぬよう敵の足止めをしつつ剣を交えていたのだ。敵陣の中央に入り込んでいる俺は周囲の敵を牽制し、フィアは敵が呪文へと精神集中を始めたところを妨害するように傷を与えていく。そしてエレミアのダブルシミターは目にも留まらぬ速度で次々と巨人へと振るわれた。プレートメイルを着込んだファイアー・ジャイアントはエレミアが今まで対してきた巨人の中でも最も守りの堅い敵だろう。だがその護りは彼女の研ぎすまされた剣技の前には意味をなさなかった。

"フォーティフィケーション"により一撃で致命傷を負うことはないとはいえ、手数の多いエレミアの攻撃に晒されたことで間もなく巨人は全身から血を吹き出し始めた。傷を負った巨人本人の治癒呪文はフィアに集中を乱され不発となり、他の味方の呪文は解呪されるか俺によって妨害されている。彼らが振るう巨大なファルシオンはその大きさといい重量といい、まさに断頭の一撃とでもいうべき破壊力を秘めているが、それも全ては命中すればのことだ。エレミアもその脅威は感じており、四肢を集中して攻撃したことで今や巨人の武器さばきに当初の鋭さは見られない。失血の影響でその巨人が倒れるのは時間の問題だった。蘇生を避けるために遺体の首を刎ね、肉体を酸で焼き尽くす。

相手の技量からしてそれぞれが《レイズ・デッド/死者の復活》あるいは《リザレクション蘇生》などの呪文を用意していてもおかしくないが、遺体を損壊させておけば即座の復活を防ぐことが出来る。このレベルの戦いになれば負傷による死とは状態異常の一種にしか過ぎない。取り返しが付かないものではないのだ。


「おのれ、忌々しい盗人どもめ。だがこの俺の前に立ったことが間違いだと思い知らせてやる!」


オルターダーは仲間が倒されたことに怒りの気炎を上げた。手勢が減ったことでさらに劣勢に立たされたはずであるにも関わらず、彼の威勢は揺るがない。それはこの場にいる誰よりも優れているという自負から来るものだろう。《ブラスフェミィ》を使用するほど高い術者としての修練を積んだ火巨人は脅威度にして16といったところか。エレミア達のレベルでもそこまでには届かない。メイやラピスの用意している解呪の呪文数も無限ではなく、致命的な呪文以外は通さざるをえないだろう。それを悟ってか巨人たちは攻勢に出るのではなく守勢に回った。前衛に出た二人が道を塞ぐように立ちふさがり、そこで防御姿勢を取ったのだ。

半歩下がって間合いを取ったオルターダーは《リサイテイション/朗唱》、《シールド・オヴ・フェイス/信仰の盾》といった信仰呪文を立て続けに唱え、さらに戦神に祈りを捧げ《ディファイン・パワー/信仰の力》により神の権能の一部をその身に宿した。信仰心により戦神の技術を模倣した剣技はその巨体でありながらもエレミアを遥かに超える機敏さで武器を振り回すことを可能とする。さらに背中に背負っていた巨大な盾が宙に浮かび上がり彼の周囲を旋回し始めた。"アニメイト・シールド"、自立する盾だ。敵中に取り残された俺は無論彼の呪文発動を妨害すべく武器による攻撃を続けたのだがオルターダーの体を覆うプレートメイルは魔法により最上級の防護が付与されているようで深手を与えるには至らず、呪文の発動を許してしまった。

逆に攻撃を与えたこちらの手に例の紫色をした炎が絡みつき、火傷を負う始末だ。やはりこの呪文は《ファイアー・シールド》の上位互換のようだ。冷気のダメージを完全に防ぎ、触れた相手に熱によって大きなダメージを与える。火に対する防護があったから火傷程度で済んでいるが、普通の人間どころか馬程度までなら跡形もなく焼き尽くすほどの熱量だった。メイの付与した《レジスト・エナジー》を抜けてくるとは呪文の副次効果としては規格外だ。


(最高級のフルプレートに強靭な外皮、信仰心による反発の力場、そして巨大な盾。首から下げている聖印を象った装飾品からも強力な防御術のオーラが放たれている……そのうえ命中したとしても身に纏った炎でこちらが手傷を負わされる、か)


攻撃を加えつつ敵の装備と付与されている呪文を分析する。そこから推定される敵のACは俺ほどではないものの、充分に常識外れな数字だ。そして呪文で強化されたファルシオンの攻撃はおそらく俺でも回避に専念しなければ被弾しうる。おそらくこのまま真正面から激突すれば俺以外の何人かの命が失われる。そう確信させる戦闘力だ。巨人の自信の程が理解できる。

幸い斬撃による攻撃は通じているし、武器に付与された酸によっても傷を与えられるようだから無敵というわけではないらしい。


(トーリさん。私かルーちゃんならその巨人の強化を解呪できると思いますが、援護は必要ですか?)


分断されたことでパーティーの制御役を担当するメイから念話が飛んできた。おそらく今彼女たちからは立ち並ぶ巨人たちが邪魔になって俺の姿は見えづらいのだろう。だが一旦後ろに下がって皆と合流すればこのオルターダーも前に出ることになる。そうすれば犠牲は必至だ。エレミアは不満に思うかもしれないが、この巨人はここで俺が倒してくべきだろう。


(いや、解呪の残り回数も厳しいだろうしその必要はないよ。二人は敵の強力な呪文に備えておいてくれ。そっちの二体も《ブラスフェミィ》みたいな切り札を隠し持っているかもしれない)


メイにそう返事をして、俺は両手に構えていたコペシュをブレスレットに収納すると漆黒の大剣"ソード・オヴ・シャドウ"を取り出しその柄を握りしめた。夜の闇をも吸い込んでなお底の見えない黒さが刀身を象っている。手に伝わる重さが心強さとなって伝わってくる。ゲームの中でも愛用していたが、やはりここでも俺にとって愛用の武器はこいつだということなんだろう。そんな俺の様子を伺っていたオルターダーも同時にそのファルシオンを構え直した。


「貴様らのちっぽけな神への祈りは済んだのか? だがお前はもうじきその祈りが無意味だったことを知るだろう。

 貴様らの魂はカイバーにて永劫の責め苦を味わうのだ。我らが大地をその足で汚した報いと知れ!」



その言葉と共にファルシオンが唐竹割りに振り下ろされた! 直前に展開していた《シールド》呪文による力場の盾を置き去りにその場から飛びのくと、切り下ろされたはずの刃は《シールド》を両断した後に方向を変え横に飛んだ俺に追いすがるように地を這って迫ってくる。巨人からすれば地表すれすれに思えるかも知れないが、こちらの視点で見れば腰程度の高さに肉厚の刃が高速で飛んでくるのだ。俺は体全体を沈み込ませその刃の下を潜る。重力に身をまかせるだけでは間に合わないため、纏った外套の飛行能力で地面に向けて体全体を加速させての回避だ。そしてそのまま刃の下に張り付くようにして前へと進む。

そうやって刃の下から腕の下へと迫ることで宙を浮く盾の内側に回りこみ、死角からグレートソードを突き込んだ。狙いは板金鎧に覆われた膝部分、可動部であるがために構造的に脆いと思われる箇所だ。だが漆黒の刃は鎧に届く直前にまるで粘土の高い液体に差し込んだかのような抵抗感を受ける。《シールド・オヴ・フェイス》による反発の力場が急接近する物体の運動エネルギーを奪っているのだ。だが最高峰の術者による呪文だとしてもその抵抗は鋼板一枚分程度にしか過ぎない。俺は力任せにその反発力場を打ち抜いた。

だが戦神の加護を得ているオルターダーにはその刹那が十分な猶予となった。足の向きを変えることで側面の金属の分厚い面でアダマンティンの刃が受け止められ、込められた魔法の力同士が激突して激しい火花を散らす。だがそれも長くは続かない。攻撃が対応されたことで一転受け手に回ることとなった俺が即座にその場を離れたのだ。するとまるでその動きによって空いた隙間に空気が流れこむように、ファルシオンが滑りこんできた。その切っ先の速度は人間が振るう武器とは比較にならない。武器自体とそれを振るう巨人のリーチが合わさることで、運動角が同等であったとしても先端速度は段違いなのだ。

無論その先端をわざわざ視認する必要はない。その運動の起点となる巨人の手、腕、そしてそれらを動かす筋肉の動きを読むのは当然として、さらにこちらの動きによって相手の行動を誘導することで選択肢を絞るのだ。数手先、数十手先を読み合うチェスや将棋のような思考が駆け巡る。膨大な密度で入力される知覚情報が予測・分析され脳が沸騰したかのような感覚。だがそれでいて思考は冷静さを保っている。瞬きや呼吸の間隔は言うに及ばず、足の指先に込められた僅かな力加減の変化や心臓の鼓動するリズムまでもが判断材料なのだ。

お互いの攻撃の中で有効打は生まれず、攻防は一進一退を繰り返した。呪文詠唱のため半歩下がったオルターダーに対して追いすがったため、期せずして一騎打ちの状況だ。巨人のファルシオンが空気を引き裂き、俺のグレートソードが鎧に弾かれる音が響いたのは10秒ほどの間だっただろうか。思考の中で百にも及ぶ応酬を繰り広げていたために時間感覚が引き伸ばされているが、正確な時間管理は呪文の効果時間を把握しておくために必須だ。そしてその時間を無駄に費やしたわけではない。実際に剣を交えたことで得られた情報から相手の能力について修正を加えていく。


(盾が厄介だな。こちらの動線が制限されて対応を容易にされている。しかしそれよりも鎧と外皮の硬度が同程度……最高級の板金鎧を二重に着込んでいるようなものか)


首から下がっている聖印は巨人の肌に鋼の硬さを与えていた。"アミュレット・オヴ・ナチュラルアーマー"、効果自体は珍しくもないがその性能は最高峰の逸品だろう。前衛に立つ者であれば垂涎の品だ。武装から装飾品に至るまで全てが一級品。まさに歩く宝の山だ。

だがそれら防御面よりも真に恐るべきは攻撃面だ。巨人の膂力に戦神の加護が加わり、打ち合うごとにこちらに合わせて最適化されていくその技巧は眼を見張るものがある。定命の存在では辿り着けない研鑽の果てだ。だが、俺の回避はさらにその上を行く。


「何故だ、何故当たらぬ!」


オルターダーの焦りが感じられる声を聞き流しながら、振るわれたファルシオンを今度は飛び越すように回避しそのまま宙を蹴って高さ三メートルほどの位置にある頭部へと迫る。唐竹割りに振り下ろした大剣は鈍い音を立てて兜に阻まれるが、気にも止めずにその位置から離れる。今の俺の命脈を支えているのはこの〈軽業〉じみた独特の歩法だ。《強行突破》と呼ばれる技法にMMO特有の強化が加わり、回避を大幅に向上させている。ゲーム中ではこの効果を発している間は攻撃することが出来なかったため地雷スキルだったのだが、今こうして使っている分にはそれほどの制限はない。せいぜい移動を常にし続ける必要があるため、足を止めて攻撃に集中することが出来ないという程度だ。

減った手数を"ソード・オヴ・シャドウ"による一撃の威力で補おうと思ったのだが、相手の護りが固く有効打を与えられていない。とはいえ現時点では足を止めて攻撃に集中したとしても結果は同じだろう。相手の能力もほぼアタリをつけた。そろそろいいだろう。

空中を蹴って突然の方向転換。今までこちらの進路を制限する遮蔽として邪魔になっていた盾へと向き直り、剣を振り下ろす。耳に響く甲高い音が響き、盾はほぼ中央部から分割された。付与されていた魔法が霧散し、ただの金属塊となって地面に落ちる。《武器破壊》の応用で盾を破壊したのだ。ただの物体としてみればアダマンティンの刃は自身以下の硬度の物体を豆腐のように切り刻む。破壊は容易だった。そしてその盾の残骸を踏みつけて前進。突然の出来事に対応しきれていない巨人の懐へと潜り込む。盾という邪魔物が消えたことで先ほどまでよりも力の乗った刃は鎧を割り外皮を割いて深く食い込んだ。抉るように刃先を回転させながら引き抜いて傷を広げながら後退、巨人の怒りの反撃を避ける。


「どうした、痛みを感じるのは久しぶりか? 攻撃が雑になっているぞ」


俺が先ほどの攻撃で斬りつけたのは肩口だ。流石に頭部への一撃は許してもらえず体を捻ることで逸らされ、また分厚い筋肉に遮られ骨を絶つまでは至らなかったが初めての有効打である。とはいえ相手の耐久力は相当なもので、同じような攻撃をあと何回も叩きこまなければならないだろう。"フォーティフィケーション"持ちの敵はこれだから面倒なのだ。


「貴様ァ! 小人風情が図に乗るな!!」


威勢よく叫ぶオルターダーだが、それで攻撃が今以上に鋭くなるようなことはない。《ディスペル・マジック》で俺の強化呪文を剥ぎとって優位を得ようとするが今俺が使用しているのは《シールド》に《ヘイスト》くらいのもので即座にかけ直せば済む。貴重な高位術者としてのリソースを消耗させるのであれば良い取引だ。

虚実を織りまぜながら相手の周囲を絶え間なく移動し、攻撃を避けたところに反撃を打ち込む。その度紫炎が"ソード・オヴ・シャドウ"を伝い、肘あたりまでを包んで焼くが《軽傷治癒》で即座に癒していく。あるいは俺に回復呪文が無ければオルターダーを倒すよりも先にこの紫炎で戦闘不能に追い込まれていたかも知れない。前衛にとってはそれだけ厄介な能力だ。だがそれはあくまで"もしも"の話だ。

度重なる攻撃はオルターダーの生命力を確実に削っていた。最初こそ《ヒール/大治癒》などで時折回復していたオルターダーだが、呪文のリソースが徐々に乏しくなってきたのだろう。傷を癒す間隔は徐々に長くなり、癒しきれぬ傷が各所に目立ち始めた。


「まさか、この私が人間に劣るというのか!」


巨人の悲痛な叫びが高台に響く。何度も振るった攻撃の全てが触れることもなく回避され、偶然では片付けられない手傷を身に受けることで認めがたい現実に打たれたのだろう。だがオルターダーの瞳から戦意が消えることはない。


「だがこのままでは終わらんぞ! 灼熱の業火に焼かれて死ね!」


オルターダーのその言葉に呼応して、彼が構えたファルシオンから猛烈な勢いで炎が立ち上がる。そしてその炎で尾を引きながら強烈な一撃が横薙ぎに一閃された。だが、それは今まで繰り返された攻防の中でも特に威力に重きを置いたためか鋭さに欠ける攻撃だった。自棄になってのまぐれ当たりを狙った攻撃か。こちらの首の高さを横切るその攻撃を、体勢を低くして潜り抜ける。同時に左足を前に出し、大きく足を開いた。後ろに残された右足が地面を踏みしめ、足首、膝、腰へと力が伝わっていく。その伝達が肩まで届いた時、地面に沿うように後方に低く構えていたアダマンティンの刀身が、弓弦から解き放たれたかのように動き出した。

行く手にある大気を食らいながら弧を描いて飛翔した剣の先端は狙い過たずオルターダーの武器を握った腕へと切り込んだ。反発の力場を物ともせず篭手に食い込んだ刃は鋼を断ち割り、外皮を食い破って尺骨と橈骨を割る。そして反対側から飛び出し、完全に腕を切断した。支えの一方を失ったことで、ファルシオンは勢いを殺されずそのまま巨人を中心に円運動を続ける──はずだった。その時、俺の視界に写ったのは、苦痛ではなく暗い喜びに口元を歪めたオルターダーの表情。篭手が断ち割られた音がようやく俺の耳に届くその直前、聴覚を破壊するような爆音が後方から響き渡った。遅れて体を吹き飛ばす衝撃。

オルターダーのファルシオンは俺ではなく、断崖に設置されていたコンテナの一つを狙っていたのだ。"メイジファイアー・キャノン"のために用意されていた秘薬がファルシオンの発する炎により引火し、大爆発を引き起こした。コンテナの炸裂は隣のコンテナへと連鎖し、それぞれから赤熱した高温の触媒が溢れ出し膨れ上がって周囲を埋め尽くす。急速に熱された大気がさらに行き場を求めて暴れ狂い、俺の体は激流に放り込まれた木の葉のように弄ばれた。咄嗟にクロークの飛翔能力により高度を取り、粘ついた触媒の濁流に飲み込まれることは避けたものの、爆風と高熱に晒された体はこれまでになく傷めつけられている。今もなお吸い込む大気は肺を焼いており聴覚は機能していない。おそらくは鼓膜は破れ、内耳からは出血しているのだろう。即座に蒸発するため出血を感じることはないが、眩暈が激しい。

霞む視界に意識を集中する。地面は抉れ高台は崩壊し、足元は溶岩と見紛う赤熱した触媒に覆われている。先刻見た"足止め袋"の中身と似た性質を持った素材だったのか、ドロドロと不定形を保ちながらも高熱を発し続けている。空中で体勢を整え周囲を見渡すと、文字通り灼熱地獄と化した高台には炎に対する完全耐性を有する巨人たちが立ち並ぶ中で、不可視の壁が触媒の流れを遮っているのが見えた。メイかラピスの《ウォール・オヴ・フォース》だろう。咄嗟に壁を構築して被害を免れたのだ。どうやら他の皆は無事なようだ。


「───、───────、───」


腕を前腕半ばから失ったオルターダーが何かを喋っているようだが、視界も定まらず耳が使い物にならない状況ではその意を掴むことも出来ない。だがその表情はしてやったりと言わんばかりに喜悦に歪んでいた。ひょっとしたらコンテナの中身は砲などではなく、全て秘薬の類で満載されていたのかもしれない。周囲に砲の残骸が見当たらないこともあるが、何よりもこの高熱と破壊力。一辺が3メートルの立方体が6つ、それが中身が爆薬であったというのであればこの破滅的な威力の程も納得出来るというものだ。

片腕を"ソード・オヴ・シャドウ"から離し空いた手にブレスレットから《ヒール/大治癒》のスクロールを取り出す。うっかり取り落とせばそのまま燃え尽きそうな紙に描きこまれた魔術回路を励起して自らの治癒を施すと視界が鮮明になると同時に聴覚も蘇り、指先に至るまで全身を覆っていたささくれた感覚が消えていった。どうやら思ったより手痛いダメージを受けていたようだ。全身火傷といったところか。今もなお身を包む熱気に呼吸することすら儘ならない。『炎の海・フェルニア』が現界したかのようなこの環境では長くは持たない。もう一枚のスクロールを取り出すと《ファイアー・シールド》の呪文を展開した。オルターダーのものと異なり緑の温かい色を発するそれは炎によるダメージを半減する冷気の盾だ。

俺が戦いの準備を整えた頃にはオルターダーも切り落とされた腕を繋ぎ直し、ファルシオンを構えなおしていた。俺が真っ二つにしたシールドはもはや高熱に溶かされ原型を留めていないものの、それ以外の傷は全て癒えているようだ。どうやらまだ高位の治癒呪文を使う余力を残していたらしい。だがリソースを消耗していることには違いない。一気に畳み掛けるべく、俺は空を駆けた。


「この環境下でまだ抗うか! だが長くは保つまい」


盾を失ったオルターダーはその代わりにファルシオンを広く構えた。だがこちらが足を止めれば即座に反撃に転じてくるだろう、鋭い視線がこちらを注視している。その狙いは明らかだ。今でこそ呪文の保護により呼吸も可能となり支障なく活動できているが、巻物から発動させた《ファイアー・シールド》の効果時間は40秒ほどだ。まだストックに余裕はあるとはいえ、解呪されればその度にかけ直さざるをえず、こちらの手を止める必要がある。それにこれほど派手な狼煙が上がったのだ、敵の増援についても考慮すべきだろう。目的の"メイジファイアー・キャノン"の破壊は期せずして完了したが、この危険なジャイアントをそのままにしていては守備隊に勝ち目はない。

だが守勢に回った巨人は手強かった。特に信仰呪文の使い手なのであるから尚更だ。一太刀浴びせるたびに治癒呪文が行使され、刻んだ傷の半ばまでは塞がれる。そして攻撃の全てが命中するわけでもない。おそらくは残っていた呪文のリソースを全て治癒呪文に変換しているのだろう、オルターダーはひたすらに時間稼ぎに徹しているようだ。このままでは倒しきるまでに相当な時間がかかることになる。この事態はゼアドとの再戦に備えて近い戦闘力を持つこの巨人との戦いを引き伸ばしたことが原因でもある。誰に見られているかもわからないこんな戦場では使いたくはなかったが、手札を一つ切らざるをえないだろう。

そう決心した俺はオルターダーの懐にまで潜り込む。迎撃のファルシオンを回避し、剣の間合いに入って一太刀を浴びせる。常であれば即座に離脱するところだが、俺はその場に留まった。


「馬鹿め、堪え切れなんだか! 自らの愚かさを悔いるがいい!」


俺の行動の変化に即座に対応し、オルターダーがファルシオンを叩きつけてきた。《シールド》が断ち割られる寸前、受け止める盾に傾斜をつけたことで軌道の変わった空隙へと滑りこもうとするが巨人の膂力と戦神の加護は俺を逃すまいと追いすがり、肩口に痛烈な一撃が炸裂した。刃が力場を貫き、ローブを食い破って肌を切り裂いた。だが骨に達する前に身を捻ってさらに巨人との距離を詰める。密着するほどの距離まで詰めたために、追撃の刃は届かない。攻撃を受けた左肩から先は動かそうとすると激痛が走るが、切断されていないことは指先の感覚が教えてくれる。動くのであれば問題ない。この程度のダメージは織り込み済みだ。俺は"ソード・オヴ・シャドウ"を消して治癒呪文ではなく、用意していた2つの呪文を解き放った。

突如俺を中心に嵐が起こった。秘術で産み出された霙が即座に熱気で蒸発し、周囲を靄で包む。《スリート・ストーム》の呪文だ。視界を塞ぐその効果はこの高熱下でも有効だ。そしてそれにより秘匿を確保した俺はもう一つの呪文を発動させる。先ほどまで剣を握っていた俺の掌に閃光が発生した。


「雷よ!」


単音の詠唱と共に現れたそれはまさに凝縮された雷光そのものだ。その掌中の稲妻を俺はオルターダーへと叩き込んだ! プレートメイルの表面に吸い込まれたそれは内部へと浸透するとその圧縮されたエネルギーを解き放つ。荒れ狂う電撃が体内を灼く。だが生命力に富んだ巨人がこの一撃で倒れるはずはない。だがさらに振りかぶった俺の掌にはまた先ほどと同等の稲光が宿っている──!


「焦げ尽きろ──!」


掌打の嵐が巨人を襲った。その全てには雷が宿っており、その破壊力は通常の拳による打撃の比ではない。そしてこの攻撃は鎧を抜く必要はない、ただ触れさえすれば徹るのだ。どれだけ頑丈な鎧や盾があろうと関係がない。図体だけが大きく鈍重な巨人などただの的にしか過ぎない!

生来の炎に対する耐性にも、呪文による冷気に対する耐性にも関係ない電撃による攻撃。体内で一撃が爆ぜるたびに複数の臓器が焼灼されていく。最も活力に溢れた心臓すら例外ではない。最後に打ち込まれた拳から放たれた雷撃は既に炭化していた肺を貫通し、最後に残された臓器の脈動を停止させた。



[12354] 5-9.ストームクリーヴ・アウトポスト4
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2012/01/30 23:40
胴体の大部分を炭化させたオルターダーは比較的損傷の少ない首から上を動かすことで声を発していた。彼の肉体はどんどんと崩壊し始めており、既に四肢は半ばまで崩れ落ちている。


「我らは大地を取り戻し、お前たちは帰る場所を失うだろう。その前触れとして、見るがいい、守るべきものが失われる姿を。お前たちは闇夜、火に吸い寄せられて果てる虫に過ぎなかったのだ」


巨人のその言葉に応じるようにして、周囲を舞っていた粉塵が収まった。今だ周囲は高熱で包まれているため視界は滲んでいるが、それでも先ほどまでと比べれば正に雲泥の差だ。そしてその視界には、煙がたなびき火が躍っている。デニス氏族の陣から火の手が上がっているのだ。

それも一箇所だけではない。物資を保存している倉庫や負傷兵を収容していた天幕、そして司令部が置かれていた堅牢な建物──その全てから戦いの喧騒が溢れ出している。敵が侵入し、手薄となった本陣に襲いかかっているのだ。

一方でセントラル・ブリッジは封鎖されていない。橋よりこちら側では時折秘術や錬金術の炎が炸裂しており、敵を誘引した部隊は今だ戦いを続けている事がわかる。ならば一体、敵はどこからやってきたというのか?


「このオルターダーを倒したことは誇って良いぞ、人間の戦士よ。だが、全ては我らが将軍の掌の上だ。貴様が悲嘆にくれる姿を楽しませてもらうぞ──」


その言葉を最後にオルターダーの体は完全に崩壊した。最後に残された頭部も喉、顎、鼻が順番に灰とかして崩れ落ちる。そして最後の一欠片が重力に引かれて地面へと吸い込まれていく瞬間、まばゆい閃光が迸った。巨人の肉体をすっぽりと覆うほどの光の円柱。1秒にも見たぬその光の爆発が収まった後には巨人の遺灰はどこかへと消え失せていた。

ただ、彼が最後に立っていた場所には薄紫色の奇妙な石が転がっていた。"ジャーモタ・シャード"、そう呼ばれる秘石の一種だ。高熱を発する触媒の上へと落ちていたそれを《メイジ・ハンド》と呼ばれる弱い念動力を発生させる呪文で拾い上げ、回収する。ちょうどその頃、もう一方の戦いも決着したようだ。

空高く舞い上がったメイが放った《コーン・オヴ・コールド/冷気の放射》が巨人を氷柱へと変えて打ち砕き、その余波は地面を覆う触媒へと広がった。急速に冷却されたことで密度が変化し、波打つ地表は奇怪なオブジェを多数形成しては砕けていく。熱と冷気の激突によって攪拌された大気が落ち着きを取り戻した後には高台の風景は随分と様変わりしていた。高位の秘術によるエネルギーの激突、その恐ろしさを感じさせるには十分な光景だ。


「トーリ、無事か!」


エレミアが宙を蹴って駆け寄ってきた。彼女たちは爆発の衝撃を《ウォール・オヴ・フォース》で遮蔽した後、その壁を飛び越えて巨人たちに斬りかかっていたためか一番近いところにいたのだ。彼女に次いでルー、ラピス、メイ、フィアと次々とこちらへと移動してきた。地形を変えるほどの爆発に巻き込まれた直後に念話で生存を報告はしていたものの、どうやら随分と心配をかけたようだ。

確かにオルターダーは相当な強敵だった。信仰呪文で大幅に戦闘力が強化されていたとはいえ、今の俺に攻撃を命中させるだなんて普通に考えれば有り得ない話だ。これで将軍ではなくその配下の一人、元のゲームでは"メイジファイアー・キャノン"を守備する隊長に過ぎないというのだから尚更だ。


「ああ、傷の方は問題ない。大方癒したし、まだ十分に戦えるが──どうやらアグリマーよりも敵の指揮官のほうが上手だったみたいだな。どうやら俺たちは誘い出されてしまっていたらしい」


先ほどのオルターダーの発言からして、どうやらこれは罠だったようだ。"メイジファイアー・キャノン"という餌をチラつかせて敵の主力部隊を引っ張り出し、精鋭部隊と罠で殲滅する。そしてその間に本営へ部隊を浸透させて叩き潰す──複雑な仕掛けではないが、非常に有効な作戦だ。

文明を失って退化したといえど人間に知性で劣る巨人族はヒル・ジャイアントくらいのもので、ファイアー・ジャイアントともなれば人間並みの知性に優れた判断力を有している。単純に力で勝る相手が、さらに知恵でもこちらを上回っているというのは厄介な事この上ない。だが全てが連中の計画通りというわけではない。こうして俺たちは生き残っているのだから──。


「この調子だと囮役を買って出てくれた部隊の方にも何か仕込みがありそうだ。予定通り彼らの撤退支援をしてやりたい。

 巨人の軍勢相手に持ちこたえられる戦力はこの砦にそう残されていないだろうし、見捨てる訳にはいかないだろう」


本来であれば全員で応援に向かうはずだったが、本営の救援に一刻も早く向かわなければならない以上二手に別れるのは仕方がない。相談する時間も本来は惜しいが、手が抜ける相手ではない以上編成はしっかりと考える必要がある。


「撤退の支援は私が。"メイジファイアー・キャノン"が無ければ高空から安全に《ファイアー・ボール》なんかで攻撃できます。残り少ないですが解呪の呪文もありますし、敵の接近を防ぐことは出来ます。

 まだウォール系の呪文の残りもありますから、殿の部隊と敵の間に少しでも隙間が出来れば十分な時間稼ぎは出来ると思います」


最初に名乗りを挙げたのはメイだ。確かに術者が死んだことで再び俺達を覆い始めた《不可視化》の呪文の効果があり、さらに距離を取れば例え超視覚の持ち主だとしても上空遥か高くに身を隠し《カモフラージュ》した彼女を発見するのは至難の業だろう。


「そういうことであれば私も弓でそれを支援しよう。《火球》の呪文では衛士を巻き込む状況もあるだろう。

 生来の能力として空を飛ぶ敵が隠れていないとは言い切れないし、万が一に備えてメイの身を護るものが必要になるだろうからな」


さらにエレミアがメイの言葉に続けてきた。確かに高空とはいえ術士であるメイを単独で活動させるのは好ましくない。余程のことがない限り空中戦に縺れ込むことはないだろうが、万が一に備えてサポートはつけるべきだ。そしてその長距離での攻撃手段に優れているのは俺かエレミアの弓くらいになる。

エレミアの接近戦における"旋舞"と呼ばれる技法は圧倒的な機動力と手数を彼女に与えるが、その分肉体にかかる負担が大きくそう多用できるものではない。今日既にヒル・ジャイアントとの戦い、そしてこの砦での戦いと彼女には負担を駆けている。そういう意味でも彼女たちには撤退戦の支援に向かってもらったほうが良さそうだ。


「……判った、そっちのほうは任せる。敵の殲滅が目標じゃないんだから無理はしないでくれよ。俺たちは本営の方へ向かう。何かあったら念話で連絡してくれ」


「トーリさんこそ気をつけてください。おそらく巨人族の秘術の影響かと思いますけれど、次元界の境界が不安定になっています。次元界を移動する瞬間移動系の呪文は制御を離れて暴発するかも知れません。

 私はまず間違いなく制御仕切る自信がありますが、トーリさんの制御力だと万が一ということもあります。私が全員を"セントラル・ブリッジ"の直上まで転移させますから、そこから別れて行動しましょう」


やはりこういった局面で頼りになるのは高位の秘術呪文の術者だ。俺たちは輪になるように手を繋ぐと、メイの制御に身を委ねて次の戦場へと《転移》するのだった。









ゼンドリック漂流記

5-9.ストームクリーヴ・アウトポスト4












地下墳墓へ通じる通路は広く傾斜のある坂道になっていた。その直上に建築物が乗っている点もあってか地下駐車場への入り口に見えなくもない。その暗がりから角を生やした牛頭の人怪が姿を現すと、バリケード越しにそれを視認したデニス氏族の衛士が野太い声で敵襲を告げた。


「敵ミノタウロスを視認! チャージ来るぞ、踏ん張れ!」


その声が響き渡るそれよりも早く。巨大な蹄で石造りの床を蹴りつけてミノタウロスは加速を開始した。急峻な勾配を物ともせず、あっという間に最高速へと上り詰めた巨体が木箱を押し並べて構築されたバリケードへと迫っていく。木箱の後ろでは突破を許すまじと、何人かの人間が木箱に腕を突っ張って構えているがおそらくは何の慰めにもならないであろう。

ミノタウロスの体重は軽いもので300kg、優れた戦士としての訓練を受けた優秀な個体については500kgを超えることも普通だ。たった数人の人間が力比べを挑んで敵う相手ではない。それも突っ込んでくる相手を障害物越しとはいえ押し止めようというのだからむしろ正気の沙汰ではない。それは暴走する軽自動車に体当たりをするようなものだ。

そもそも彼らが壁にしている障害物自体も頼りない代物だ。物資の運搬に使用される木製の箱は内容物の重さを支えるために必要な頑丈さを備えてはいるものの、それはあくまで日常の生活の範囲内で必要な範囲内のものだ。戦争──それも人間より遥かに大きく強力な巨人族たちとの戦いの中で壁の役目など果たせるものではないのだ。

だが力で及ばないのであれば工夫を凝らすのが人間というものだ。今回はそれが功を奏した。彼らが予め撒いておいた粘度の高い油がミノタウロスの足を掬った。突撃の勢いはバリケードではなく地面へと向けられることとなり、激しい衝突音と共に牛人は転倒した。即座にその機会を待っていた衛士達が、バリケードの隙間から長手の槍を力の限りとばかりに突き込んでいく。

突き刺さった槍を引き抜きながら立ち上がったミノタウロスへ向かって今度は矢が降り注いだ。坂をほぼ登りきり、立ち上がったその巨体は上半身が丁度よい的になっていたのだ。多くは角や硬い外皮で弾かれたが、数本の内1本は確実にその肉体深くへと突き刺さっていく。そしてその中のうちの一矢が眼窩を射ぬいたことで、血塗れとなっていたミノタウロスは崩れ落ちた。だが、それは戦いの終わりを示すわけではない。

その崩れ落ちたミノタウロスを巻き込んで、バリケードが突如火の爆発に飲み込まれた。生死を確認し、必要であれば止めを刺そうと近寄っていた衛士が全身を火で炙られバリケードの隙間から押し出されるようにして飛び出てくる。周囲の何人かが身につけていた外套を取り外してそれで火を払おうとするが、体表の大半を焼かれたその兵士は既にショックで意識を失っている。だがそんな負傷兵に構っている時間は彼らに与えられなかった。


「カイバーの糞ったれめ、敵の術士に油を焼き払われたぞ! 弓隊はとにかく奥へと矢を射掛けろ、これ以上《火球》を撃たせるな!」


姿を現していたのは斧ではなく杖を持ったミノタウロスだった。トーテミックなシンボルとして人型生物の頭蓋骨と思わしきものを首から下げ、枯れ草を編んだ腰蓑に覆われていない肌には刺青が踊っているのが見える。その呼気すら炎を帯びているように見えるのは、単に先ほど火球を使用したからではない何か異常な理由があるに違いない。

そして敵の増援はそれだけに留まらなかった。術士の後ろからはさらに別のミノタウロスが現れ、邪魔な油が焼き払われた坂道を駆け上がっていく。頭部から生える巨大な角が木箱に突き刺さり、粉砕していく。その牛人が頭を上げると角に突き刺さったままの木箱が持ち上げられた。それらを支えていた衛士たちは衝撃で吹き飛ばされ、あるいはミノタウロスの足元で蹲っている。


「ドル・アラーに誉れあれ! 我らが"ソヴリンホスト/至上の主人"と"歩哨のマーク"の名の元に、例え屍の山を築いたとしてもこれ以上一歩も通すな!」


この地点の指揮をとる女性士官が"名誉ある戦いと犠牲の神"の加護を祈り、激を飛ばすと自らの剣を構えミノタウロスへと向かっていく。先ほどまで倒れていた兵士たちも、起き上がって剣を抜く力はなくともせめて仲間の助けにならんと牛人の足元へと組み付き、あるいは伏せたまま剣を振るった。鬱陶しそうにそれを手に持つ斧で薙ぎ払うミノタウロスだが、その間にも自らの命を顧みない突撃兵達の凶刃が襲いかかり、次々とその体に突き立てられていく。

全体重を乗せた一撃が突き刺さるや、その刃を抉りながら引き抜き即座にもう一度突き立てる。彼らは盾も持たず、ミノタウロスの膂力の前では紙に等しい薄い装甲だけを守りに離脱など考えることもなくひたすら敵を攻撃し続ける。生命力までもが強靭なミノタウロスは即死はせず、反撃によって何人かが胴を切断され、首をもがれて命を失うがそうやって出来た包囲の空隙には即座に新たな兵が現れる。さしもの狂戦士も無限の命を持つわけではなく、最後の一振りでさらに数名の命を刈り取ってから崩れ落ちた。その頃にはミノタウロスのシャーマンも数多の矢を受けハリネズミのようになって果てている。


「バリケードの穴を修復して、また油を撒いておけ! 弓兵隊への矢の補給はどうなっている!?」


指揮官の声を受けて複数人の衛士が近くに積み上げられていたコンテナを力をあわせて押し込んでいく。破壊された木箱の残骸を押しのけて再び坂道の頂上を塞ぐようにバリケードが構築される。周囲に倒れていた衛士達のうちまだ息のあるものが優先され、その場で《軽傷治癒》のワンドを使い応急処置を行われた後に衛生班に運ばれていく。傷の浅い者は包帯などを宛てがっただけでそのまま防衛に当っている。断続的に湧き出す敵の襲撃に耐え初めてから5分。防衛部隊はその摩耗の度合いを強めつつあった。

敵を待ち受ける形になっているうえに、上り坂にバリケードを構築して戦えるなど立地的には恵まれている。だがこの入り口を今の形で封鎖するまでに浸透した敵に後方を掻き回され、倉庫と天幕に火を放たれたため負傷兵の介護や物資の補給が儘ならない。現時点では戦闘力を維持できているが、このまま戦い続ければ遠からず均衡を破られるだろう。入り込んだ敵を排除し、支援体制を整えるのが先かそれとも敵に押し込まれて戦列が崩壊するのが先か。俺達が到着したのはまさにその分水嶺に差し掛かったタイミングだった。


「手助けは必要か? 良ければ状況を説明してくれ」


声を掛けて俺は指揮官の元へと舞い降りた。空から見下ろした時にここから最も激しい戦闘の気配を感じたのだが、どうやらその判断は正しかったようだ。予期せぬ援軍を迎えることとなった指揮官は獰猛な笑みを口元に浮かべてこちらを歓迎してくれた。


「火砲を破壊に向かった冒険者か? こちらからでもあの派手な爆発は確認できたぞ、良く無事に帰ってきてくれた!

 私はここの士気を任されているカタニ・ド=デニス。今はそれこそ猫の手どころかネズミの一匹でも貴重な手数として借りたいくらいだ、歓迎するぞ」


俺達を歓迎して迎え入れたカタニという女性士官は羽織のような特徴的な鎖帷子を着ていた。体の正面で鎖帷子が二重に重ねられ、留め具の役割を果たしている拳大の円盤は心臓を護るように胸元を覆っている。板金鎧にも劣らぬ防御性能と機動性を両立させたそれはデニス氏族のエリートのみに着用が許される品だ。鞘から抜き放たれ、無造作にぶらつかされているバスタードソードも柄に氏族のシンボルであるキメラが象嵌されている。まるでそれぞれの獣の口から吐き出されたように見える刀身も一目で業物と知れる品だ。そういった装備をしっかりと使いこなす覇気もしっかりと備えているようであり、どうやら目の前の女性は相当の実力者であることが窺える。

目元までを覆う兜により顔の半分は見えないが鼻から口にかけて整った容貌をさらけ出しており、この赤道近くの密林で戦いを続けているというのにシミ一つ見当たらない白い肌は今や煤で幾分か汚れている。兜から溢れる金糸のような髪も《火球》が間近で炸裂したためか所々縮れているが兜から覗く瞳に宿る強烈な意思の力が野生の動物のような美しさを彼女に感じさせる。氏族名を冠している名を名乗ったからにはそれなりの地位にある人物なのだろう。その身に宿したカリスマは彼女が優秀な戦士だけではなく"指揮官"であることを示している。ひょっとすれば"ドラゴンマーク・エア/継承者"なのかもしれない。


「治癒のワンドはまだいくらか融通できる。そちらで心得のある者がいたら手分けして治療にあたってくれ」


見れば応急処置だけ施して離れたところに転がされている者達も多くいる。普通であれば敵の攻撃が当たれば即死か瀕死だというのに、五体満足な者が多い。この部隊の衛士たちは相当に鍛えられているのだろう。俺の考えを汲み取ったのかフィアとルーはそれぞれたすき掛けにしていたワンドホルダーから必要なものを引き抜くと負傷兵の方へと向かっていく。カタニはそれを見て何人かの従兵に声をかけた。


「感謝する。おい、彼女たちと手分けして負傷兵の治療に回れ! 傷が軽い者を中心に部隊を再編して潜り込んだ連中を燻り出すぞ。脚がなくなった連中はここで弓兵隊で砲台を担当させる、ドル・アラーの身許に行く前に巨人共に文字通り一矢報いる機会を与えてやるぞ!

 矢の補充はどうなっている? デルヴァスコンに連絡はまだ取れないのか!」


彼女の声が周囲に響くと、周囲の部下たちがそれを受けて一斉に動き出す。その様子はまるで大海に泳ぐ魚の群れのようだ。だが彼らは群れをなしてその規模で他者を圧するだけの小魚ではない。一人一人が鋭い牙を持った捕食者でもあるのだ。


「さて、状況の説明だったか。では敵の増援が出てくるまでの間になるだろうから手短に説明しよう」


周囲を見渡し、統率する群れが正常に機能しているのを確認した彼女はこちらに向き直った。片手半剣を鞘に収めると体の正面でそれを床に突き、柄頭に両手を重ねるようにしている。


「現状については上空から見てることだし概ね察しているだろう。そこに至った経緯は簡単だ。

 そこの地下への入り口を塞いでいた扉を吹き飛ばし、ミノタウロスどもが現れたのだ。今はこのように我々が塞いでいる状態だが、このバリケードを構築するまでに少なくはない数の敵の浸透を許している。

 アグリマー司令が手勢を率いて掃討に当たっているが、苦戦しているようだな。ここの防衛に諸君らの力添えを得られた分、分隊を派遣して事態の沈静化を図るつもりだ。

 対巨人戦では弓兵に頼らざるをえんが、補給も満足に行えない状況では長い間ここを維持することは被害が大きすぎるからな。早急に混乱を収め、デルヴァスコンに物資を掻き集めてもらう必要がある」

 
体格で優る相手に接近戦で勝利を収めるには相応の代償が必要だ。それを考えれば彼女の判断は妥当なものだろう。


「奇襲を受けたって口ぶりだけど、足元に巨人族の遺跡があるってんならもうちょっと警戒していても良さそうなものだけどね。

 しかし崖の向こうまで繋がってるってことなら深さも相当なものだろうね。山2つをまるごとくり抜いて地下墳墓にするなんて、この大陸でも有数の規模なんじゃないの?」


俺の影に溶けこむようにして背中に張り付いていたラピスが口を挟んできた。彼女の物言いに対してカタニは苦笑しつつ口を開く。


「手厳しいな。この遺跡については前任の基地司令が周囲の巨人族を圧迫する傍らで調査を進めていたんだがね、入ってすぐの墳墓部分はともかくその奥にある迷宮に踏み込んだものが誰も戻って来なかったことから探索を打ち切ったのだ。

 よもや対岸の遺跡にまで繋がっているとは誰も考えてはいなかった。周囲の蛮族たちもこの遺跡の詳細については失伝していたようでね、それを敵が利用するとは考えていなかったのだ」


ラピスの言葉にも彼女は気を悪くしたような様子は見せない。粗野な冒険者の扱いには慣れているといった風だ。彼女のいう前任者とは現在シャーンでデニス氏族の責任者を務めている男のことだろう。周辺の部族をその武力で制圧し、この砦を建設したことでストームリーチの繁栄にも寄与した有名な人物だ。

この砦の兵士たちは好んでそのキアムというデニス氏族の将校が着用していたものと同じデザインの鎧を着る。それはこの周辺の者達がその鎧を見ると怯えて逃げ出すほど、彼がこのあたりで猛威を振るったからである。


「だがどうやら連中も正確な知識を持ちあわせては居ないようだ。おそらくはミノタウロスに先導させて無理矢理に突破してきているようだ。

 連中の嗅覚は道を嗅ぎ分けることはできても罠の有無までは解らない。敵の中にはあの坂道に現れた頃には体の半分をドルラーに突っ込んだような連中も多かった。そのおかげでどうにか守りきれているようなものだ。

 だがそろそろ連中も安全なルートを確保しつつあるようだ。先ほど現れた連中は大した手傷を負ってなかったようだしな」


D&Dに登場するミノタウロスは、そのモチーフとなった神話の伝承に沿った能力を有している。それは"いかなる迷宮であっても決して道に迷うことがない"というものだ。敵はその特性を利用し、此方側に兵を進めてきたのだろう。種族の特性を利用した厄介な用兵だ。


「いっそ上にある建物ごと、そこの入り口を潰してしまえば後腐れなくなるんじゃないのか? 下り坂はしばらく続いているようだし、いくら連中が馬鹿力でも完全に塞がった通路を上に向かって掘り進めるような真似は出来ないだろう」


「いつかジャイアントを完全に追い出して、遺跡の発掘を行えればその広さに応じたお宝が手に入る──そう考える連中が多いということだ。

 それにこの辺りの建築物は全て磨き上げられた高品質の黒曜石だ。潰すには砦中の連中にアダマンティン製のツルハシを渡して取り掛からなければ。とてもではないが今の我々にそんな余裕はないな──待てよ、聞こえたか?」


気が合ったかのか響きあうように話し合っていた二人だが、突然会話を止めた。カタニは僅かな間瞳を閉じ、開いた次の瞬間には鞘を払って剣を抜きバリケードの方へと駆け寄った。


「非常事態! 敵の部隊が突入してくるぞ!」


おそらくは敵襲を感じていたのだろう。巨人族が地下から歩み寄ってくる足音が微かに空気を揺らしている。しかしラピスならともかく、カタニまでがこの微細な音を察知しているとは驚きだ。〈聞き耳〉という技能は専業の戦士の訓練課程には含まれていない。どちらかといえば"レンジャー/野伏"や"ローグ/盗賊"の得意分野だ。あるいは敵襲を察知するなんらかの仕掛けがあるのかもしれない。


「さて、どうする? 高みの見物ってわけにもいかないだろうけど」


そんなカタニを見送りつつ、ラピスが俺に声を掛けてきた。先ほどの襲撃からそう間も開いておらず、怪我人の治療はまだ半ばだ。


「そうだな、それじゃ俺が前に出よう」


ラピスは肩からナイフホルダーを襷掛けにしており、そこには投擲用のナイフが収められている。秘術を装填されたその武器は確かに強力な殺傷能力を有しているが、その篭められた秘術の効果は使い捨てだ。ファルコーの救出から始まった戦闘が続き、その補充はとてもではないが消費に追いついていないはずだ。ここは俺が主となって戦うべきだろう。

そう言ってバリケードに向かった俺はデニス氏族の衛士達が槍を手に戦いの準備をしているその上を、木箱ごと飛び越えると坂道の上へと降り立った。今や《ジャンプ》の呪文に頼らずとも、4メートル程度の高さであればちょっとした助走さえすれば飛び越すことが出来る。まるで懐かしの格闘ゲームのキャラクター達のようだ。後ろから驚きの声が聞こえてくるが、これくらいは秘術の助けを借りた大道芸人などでもこなすことであり大したものではない。

それよりも今大事なのは目の前から伸びる、地下へと続く下り坂だ。巨人文明の遺跡だけあってその大きさはかなりのものだ。縦横それぞれの幅は10メートルほどもある。そしてそれは奥行きにも言える。投光式のランタンによって、40メートルほどの距離までは明るく照らされているが強化された俺の視覚はその4倍ほどの距離を見通す。だがそれでも底が見えない辺り、随分と長い通路のようだ。

そしてランタンの照らす光の先、微かに蠢く影が見える。ミノタウロスが坂道を登ってきているのだ。先ほど俺達が感知したのはこいつの足音ということだ。足音を殺していないため、音が黒曜石の通路を反響して伝わってきたのだ。そんなミノタウロスの暗視能力は精々20メートル。相手はこちらを知覚出来ず、こちらは相手を射界に収めている。理想的な殺し間だ。

装備品としてブレスレットから弓を取り出し、矢筒から引きぬいた矢を番える。コルソスでも使用した銀の長弓はシルヴァーフレイム教会によって鍛えられた逸品だ。聖なる炎が引き絞った弦から送り込まれ、放たれた矢は悪の敵を焼き尽くす。ひゅ、と空気を切り裂く音を果たしてミノタウロスは聞くことが出来ただろうか? 俺が放った矢は狙い過たず牛頭の眉間へと突き刺さった。

だがミノタウロスは倒れない。人怪の頑強な頭蓋骨が鏃の侵入を防いだのだ。しかし頭部に与えられた衝撃までは無視できず、体をふらつかせる。そしてそこに続く一矢が襲いかかった。寸分過たず同じ箇所を抉ったそれは額の骨を破砕すると脳内へと潜り込み、そこで聖なる炎を顕現させる。さすがに耐え切れず、ミノタウロスはそこで崩れ落ちる。


「流石だね。手先が器用だから上手いだろうとは思ってたけど、弓まで専門家が逃げ出しそうな凄腕っぷりじゃないか。これなら僕の出番は無さそうだね」


俺と同じく強化された超視覚で暗闇の先を見据えていたラピスが感嘆の声を挙げた。そういえば彼女の前で弓の腕前を披露したのは初めてだっただろうか。普通は瞬間的な火力は接近しての斬り合いのほうが高い上、エレミアやフィアは弓を使えないわけではないがどちらかといえば近接特化だ。そんなメンバーで戦っていれば自然と弓を使う機会は減っていく。元のゲームにおいても弓職は不遇とされていた時代があったことを思い出し、その符号に懐かしさを感じてつい口元が緩む。


「これだけ条件が揃っていればここは俺ひとりでも十分だろう。とはいえ念のためラピスには残ってもらうとして、ルーとフィアには入り込んだ敵の排除に行ってもらおう」


ミノタウロスの足の速さを考えれば、この坂道を駆け上がるのに必要な時間は移動に専念しても40秒以上かかるだろう。それだけあれば俺は矢を20以上射ることが出来る。先ほどのようなクリティカル・ヒットに恵まれなかったとしても、それで5匹のミノタウロスを倒すことが出来るだろう。

ラピスもそのあたりを感じているのだろう、俺の言葉に頷きを返すと通路の壁際へと離れていった。壁にもたれかかったその姿は一見無造作に見えるが実際には気配が殺されていて余程注意していなければ視界に入っていても彼女の存在に気付けそうにない。おそらくは俺が撃ち漏らした敵へと奇襲を加えようというのだろう。

そうこうしている間に次の獲物が視界に入ってくる。先行していた味方の骸が転がっていることで警戒しているようだが、知覚範囲外からの攻撃にはいくら身構えても効果が無い。こちらからは相手の呼吸までもが手に取るように判るのだ。立て続けに速射した3本の矢が暗闇へと吸い込まれていき、最後の1本が喉を貫いて頚椎を破壊した。先ほどの骸の横に新たな死体が積み上げられる。


「……俄には信じがたいが、この暗闇の先を見通して敵を射殺しているのか。視力のこともだが、ミノタウロスを数射で倒すとはその弓は巨人用並の強弩ということになる──射ている姿からは想像も出来んな」


バリケード越しにこちらを見ていたカタニの驚きの声が耳に届く。確かに普通の常識から考えればこの弓の威力については驚くだろう。その辺りは筋力によるダメージ修整を無尽蔵に追加できるMMO独自のレンジャークラス特徴に拠る所が多いのだが、この世界でも弓自体を特注すれば不可能ではない。

常人にはとても引けない強度で弦を張れば弓の威力を上げることは出来る。だが今俺が使っているものは見た目からはそんな加工がされているようには見えないため、彼女は驚いているのだろう。とはいえ魔法の品が溢れているこの世界であればその程度のことは有り得ないことではないし、貴重なマジックアイテムだと判断してくれることだろう。


「その気になればこの倍の距離でも当ててみせるんだが、流石にそこまでは見通せないな。だがここを守り通すには十分だろう。

 俺がここにいる間は他の場所に戦力を向けてもらって構わない。掃除が済むまでの間くらいは支えてみせるさ」


背中越しにそう声を掛けた俺に対し、暫くの沈黙の後にカタニは返答してきた。


「……確かに一人で二十人分以上の働きはしてくれるようだ、その分の人員をここから割かせてもらおう。

 弓兵は残していくが、お前が背にしているバリケードが破られることになればその時はお前ごと敵を矢の雨に沈める羽目になる。私の部下に人間を射るような真似をさせるなよ」


おそらくは沈黙の間に俺の戦力評価をしていたのだろう。この世界のレベル格差というものは人数差で埋めきれるものではないのだが、純粋な火力という意味では計算は容易だ。この場合ミノタウロス1体を仕留めるのに20人からの攻撃が必要ということなのだろう。確かに命中率も考えればそんなものかもしれない。


「それは怖い、精々励むとするさ──その間、今治療に回っている二人にも入り込んだ敵の排除に当たらせて貰おう。

 ここは一歩たりとも通すつもりはないが、既に通り抜けた敵の中に曲者が混じっていたら大変だからな」


視界の先に3体目の死体を生みながら独自行動の許可を取り、フィアとルーに念話で連絡を取ると即座に了承の返答が返ってきた。二人の知覚能力は一般衛士とは比較にならない。隠れ潜む敵がいたとしてもあの二人から逃れることは出来ないだろう。

そういった遣り取りを交わした後、再び俺の知覚範囲内に敵の侵入が感知された。今までと違うところは同時に複数の敵が現れたというところだろうか。敢えて一呼吸分ほど敵を引きこんでから射殺していたため、敵の死体が積み上がっている事をミノタウロスが暗視で発見したときには既にその連中は俺に補足されている。彼らは慎重に敵の気配を探りながら歩みを進めている。見たところ術者と狂戦士の混成部隊のようだ。統率のとれた部隊が現れたということは、そろそろ敵の本格的な侵攻が始まるということだろう。

その俺の予想は的中した。警戒している敵集団の後方にどんどんと新たなミノタウロスが現れてくる。この通路は武器を構えたミノタウロスが3体余裕を持って並べるほどの幅があるが、整列した彼らは少なくとも3列は並んでいるようだ。彼らは呼吸を整え、一斉に突撃するタイミングを図っているようだ──ならば俺はその機先を制すとしよう。

矢筒から一度に2本の矢を引きぬく。人差し指から薬指にかけて1本ずつの矢を保持したまま、それぞれを同時に弦に番えた。腕に力を込めるにつれて精神が研ぎ澄まされ、周囲の時間の流れがゆっくりと鈍化するように感じられる。その中で俺の体は正確に、そして淀みなく動いていく。弓を持った左腕を前方に持ち上げながら、矢尻と弦を保持した右腕を後ろに引いていく。相反する方向に向けられた力のベクトルが矢のシャフトと重なった軸上で釣り合った瞬間、時が静止し視線の先の的と繋がったような不思議な感覚。無意識のうちに右手の指は開かれ、矢達は定められた軌跡を描いて目標へと飛翔していく。

それらが目標を貫くその瞬間には既に俺の手には新たな二矢があり、次の的に向けての動きに入っている。一呼吸の間に繰り返されたのは三射。だが放たれたのは六矢であり、それらはそれぞれ最前列に並んでいた牛頭の狂戦士の眼を抉ってから脳を破砕していた。敵襲を察知した術者が不可知の敵を焼き払おうと《火球》の呪文を放ってきた。効果範囲をずらすように調整されたそれらの呪文により、通路を爆炎が駆け上がってくる。熱された大気は膨張し、逃げ場を求めて出口に立つ俺へと吹きつけてくる。地上と地の底を繋ぐ長い通路で火球と矢が交差する。

魔法によって強化された矢は爆風を受けてもその軌道を歪めず、後方に並んでいた術者達の一列を屍へと変える。ここまででおよそ10秒。二列目に並んでいた戦士の一隊はその間に猛牛の勢いで坂道を駆け上がっている。"激怒"と術者による《ヘイスト/加速》の付与を受けた彼らは通常の10倍近い速度で迫る。だがそれでも彼らがこの間に詰めたのは出口までの距離の半分に過ぎない。さらに残りの半分を詰めている間に矢弾が彼らを刺し貫いていく。お互いの距離が詰まれば詰まるほど矢の精度は向上し、ミノタウロスが視界に俺を収めた頃には駆け上がる蹄の音は一対に減っていた。


「ザンチラー閣下に栄光あれ!」


雄叫びを上げながら振り上げられた斧は、だが振り下ろされること無くミノタウロスの掌から抜け落ちる。死角から歩み寄ったラピスが強烈な一撃を急所に見舞ったのだ。矢を受け傷つき、魔法の防護で急所を覆っていなかった狂戦士にそれを耐え切る体力は残されていなかった。真正面に立ち塞がっていたその体が崩れ落ち、通路の先が再び視界に入ったその瞬間。眼前には炸裂する直前の火球がいくつも現れていた。

狂戦士の叫びが俺の立ち位置を敵に知らせたのだろう。その味方の遺体をも巻き込んで行われた飽和攻撃。前後左右、固定砲台と化し捨て身で呪文を投射することに命を捧げた敵の攻撃が周囲を埋め尽くす。だが俺はそんな状況でも弓を構えたその姿勢を崩さなかった。押し寄せる熱波がミノタウロスの死体を炭化させ、四方八方から伸びた炎蛇の舌が俺に触れる寸前。見えざる障壁がそれを遮った。メイが付与していた《レジスト・エナジー》の呪文だ。

最高位に近い術者であるメイの防護呪文は、《ファイアー・ボール》の呪文効果を完全にシャットアウトした。俺に与えた影響は精々五月蝿い炸裂音くらいのものだ。その爆音が反響を繰り返して術者の下へと帰るより早く、俺の放った矢が彼らをドルラーへと連れて行く。呪文の放つことに注力し、身を守らなかった彼らはその代償を払ったのだ。爆発の残響音が消えた後、蹄持つ者達が全滅したことにより通路は完全な静寂に包まれた。


「……やれやれ、いまのでお終いかい? さすがに一度に1ダースも突っ込んできたら中には根性のある奴もいたみたいだね」


"みかわし"で《ファイアー・ボール》の影響を無効化したラピスが何事もなかったかのように姿を現した。彼女にも俺と同じ呪文が付与されているはずだが、ひょっとしたら衣服に煤が付くことを嫌ったのかもしれない。


「さっきは助かったよ。さすがにあれだけ多いとここまで接近されちゃうな」


そんな彼女に先ほどのフォローの礼を言う。さすがにこのレベルの敵が相手となると一撃必殺というわけにもいかず、数が多いと処理しきれない。範囲呪文を盛大に使えば一掃できるのだが、流石にコストパフォーマンスに欠ける。これからも戦いが続くことを考え、継戦能力を損なわないやり方を選んだ結果だ。


「あんな曲芸みたいな射ち方で全弾命中させているだけでも驚きだよ。《束ね撃ち》の技術自体は知っているけど、それをあの勢いで速射するなんて聞いたこともないね」


なるほど、ラピスの驚きも尤もだ。先ほど俺が行った《束ね撃ち》はMMO独自の仕様であり、攻撃速度は通常の射撃と変わらないというのに発射する矢弾の数だけが増加するというとんでもないものだ。その代わりにその能力を発揮できるのは30秒が限界で、その後はクールダウンが必要となる。今俺の右手の指に走っている痺れのような感覚がそれを示しているのだろう、今の俺は1本であればともかく、複数の矢を同時に番えようとするとすっぽ抜けてしまいそうである。


「まあそのへんは慣れだろ、きっと。俺のやり方にもメリットとデメリットがあるからな──あとどうやらさっきまでの連中は前座だったみたいだな。敵の本命がおいでなすったぞ」


雑談をしている間に通路の奥、視線の届くギリギリの距離に再び敵が集結を始めていた。先ほどのミノタウロスが子供に見えるような巨躯──ファイアー・ジャイアントだ。地下遺跡のトラップを斥候のミノタウロスで擦り潰し、突破してきた彼らの体は万全で傷跡はどこにも見えない。どうやらここからが敵の攻勢の本番ということだろう。


「なるほど、さっきと違って一筋縄にはいかなそうな連中だね。火砲に張り付いてた連中ほどの実力じゃあなさそうだけれど、数が多い。

 さっきと同じやり方じゃあすぐにここまで突破されちゃいそうだけれど……どうする?」


俺たちの視線の先では、集合して付与魔法を行使している巨人たちの姿が見える。対して俺の指先の痺れはまだ取れない。そこに頑強さで言えば先ほどのミノタウロスの3倍は矢を射ねば倒れないであろう巨人が、隊伍を組んで進んでくる。だが俺の心に焦りはない。左腕に装備した弓を別のものへと持ち替える。そして右腕を背中へと伸ばし、魔法の矢筒から矢を引き出すと弦に番える──。


「なに、俺にとっては大差ない連中だ。まあ見ていてくれ──」


俺がそう言って矢を放つのと、巨人たちが疾走を開始するのは奇しくも同時だった。鎧を着こみ、盾を前面に構えた巨人たちが地響きを立てながらこちらへと迫ってくる。俺が速射した3本の矢は最前列を走る巨人達の鎧と盾を掻い潜り、強靭な外皮を貫く。俺の筋力がいかに並外れているとはいえ、矢の一刺しでは例え急所に直撃させたとしても彼らを倒すことは出来ないだろう。

だが、現実はその常識を覆す。矢を受けた巨人は3体ともが即座に崩れ落ちたのだ。生命力を感知することが出来るのであれば、既に彼らが死んでいることが判ったであろう。その非常識な光景に次列を走る巨人達は顔に驚愕の表情を浮かべるも、足を止めずに動き続ける。特段致命傷ではない一刺しで何故巨人が死んだのか? その仕掛けは俺が放った矢にあった。

"スレイング・アロー"。特定の種族を殺害するためだけに創り上げられた呪いの矢。この鏃によって傷つけられた対象の種族は、どれだけ浅い傷であろうと即座に死へと誘われる。その死の呪いは抵抗することも出来、頑強なファイアー・ジャイアントを3体とも一射で倒せたことは幸運だといえるだろう。実際に次に放った三射は命中すれども1体しか倒すことは出来なかった。

頑強な巨人族であれば、十中七八は抵抗しうるかもしれない。だがそれでも、三射もすれば半分は生き延びられない。そして、持ち替えた弓がさらにその勢いを加速させる──"アンヴェイヴァリング・アーデンシー"──揺るがぬ熱情と銘打たれたこの禍々しいアッシュウッドの弓は、その名に反した恐るべき効果が付与されている。ナイトメアの鬣を編みこまれた弦は矢へ恐るべき呪いを吹き込み、この弓から放たれた矢を受けたものは足を萎えさせ、抵抗力を奪われるのだ。

例え死の呪いを打ち破ったとしても弱体化の呪詛が彼らを襲う。そしてその状態で受ける次の矢にも即死の呪いは付与されているのだ。巨人たちはそうやって倒された同胞の亡骸を踏み越えてこちらへと迫り来る。その士気の高さは見事なものだ。あるいはこのような呪いの矢が数多くは準備できないという事を理解した上での特攻なのかもしれない。だが、俺の矢筒には三桁を遥かに越える数の矢弾が用意されているのだ。巨人の軍勢といえども、その数は二桁から溢れることはあるまい。ならば1体に10矢放ってもなお余りある──!

面覆いから覗く眼窩へ、踏み出した足の膝頭へ、盾を突き破ってその握り手へ。矢が突き刺さるごとに生命力を根こそぎ収奪されて巨人達が朽ちていく。生き延びたとしてもその歩みは足を束縛されたかのように遅く、後ろを無傷で駆ける同胞らの歩調を鈍らせる。むしろ生き延びたことで仲間の妨げになるという矛盾。それを狙っているかのように降り注ぐ矢雨は"足萎え"の呪いを受けたものを避け、後方の巨人たちへと突き刺さる。巨人たちは怨嗟の声を上げながらも突進を続ける。だが、彼らが地上へと届けることが出来るのはその雄叫びのみ。体は通路にて滅び、魂は遥か遠くドルラーへと連れ去られるのだ。

彼らが機動性を重視して重い鎧を着ていなければ。あるいは範囲型の攻撃魔法に襲われることを恐れて広範囲に散らばらずに一度に襲いかかってきていれば、また別の結果となっていたかもしれない。だが俺の指先から痺れが抜け、再び《束ね撃ち》が使用できるようになった頃には再び通路は静寂に満たされていた。大した外傷も受けていないにもかかわらず、多数の巨人の骸が積み上がるその様はここが地下墳墓へと続く道ということもあってかどこか薄気味の悪さを感じさせる。だがどうやらそれは俺に限ってのもののようだ。背中を預けていた壁から身を離し、骸の合間を歩きまわりながらラピスはこちらへと声を掛けてきた。


「また随分と大盤振る舞いしたもんだね。まるで金貨をぶちまけてそれで窒息させるみたいなもんじゃないか。

 でもまあ赤字にはならずにすみそうかな。こいつらはみんな魔法で鍛えられた装備をあれこれと持ってるみたいだし、黒鉄亭ならデカブツ向けでも買い取ってくれるだろうさ。剥ぎとって掻き集めるのは一苦労だろうけどね」


ラピスにそう言われて俺ははっと気付く。今使用した矢はゲームの中では20本一束で8千枚弱という値段ではあるものの、弓キャラ自体が一般的に不遇であったこともあってオークションなどでは投げ売りされていたアイテムなのだが、この世界では1矢で金貨4千枚を超える高級品なのだ。消費を気にせず撃ちまくっていたが、彼女からしてみればとんでもない散財に見えたのだろう。目立たないように穏便に事に当たったつもりだったが、逆に悪目立ちしてしまったかもしれない。


「まあ矢筒の中で腐らせるよりは、丁度良い使いどころがあって良かったってことにしておこう。

 それじゃ一応値打ち目の品だけでも回収するとしようか。どっちにしろこう大きな遺体が転がったままじゃあ後続を迎え撃つときにも邪魔になるだろうし、片付けておく必要はあるだろうからな」


戦利品を得る権利は、その対象を倒した冒険者に与えられる。装備や支援を得ている場合は例外となることもあるが、これはこの世界で一般的な依頼形態の一つである。何しろ高級なマジックアイテムを持っている敵であればそれだけ打倒には危険性を伴うのが必然であり、その危険手当が敵の装備品という形で充当されるのである。

俺は自分の傍らに《アンシーン・サーヴァント/不可視の従者》を呼び出すと、ランタンを持たせて通路の前方を照らさせつつ坂道を下りていった。疎らに伏せる巨人達の遺体から魔法の反応がある品を取り上げ、遺体は魔法効果の付与された剣で斬りつけることで消し去っていく。ファイアー・ジャイアントは全員がフル・プレートと呼ばれる重装鎧を着用しており、さらに炎を帯びた剣と魔法で強化された盾で武装していた。これだけでも矢の代金には十分だろうが、他にも雑多な消耗品や護符などを含めれば黒字は間違いないだろう。

ラピスと手分けしてそういったアイテムの回収を行う。細かい品は"ポータブル・ホール"と呼ばれる異空間を折りたたんだ魔法のアイテムの中へと放り込んでいき、鎧などの嵩張るものはブレスレットへと収納していく。"ポータブル・ホール"に備えられた空間は秘術によって拡張されているとはいえ、その広さには制限があるたり大きな荷物を運ぶには不向きなのだ。対して俺のブレスレットは大きさは関係なく単純に個数のみが制限であり、それぞれの特徴を活かすことで非常に大規模な物資の運搬が可能になるのだ。

従者に持たせたランタンに前方を照らさせ、警戒をしながらの剥ぎ取り作業は続いた。敵と戦っていた時間はミノタウロスと巨人を合わせても数分といったところだろうが、戦利品の回収にはその10倍の時間が必要だ。ゲームではそもそも剥ぎ取りなどなく、落された宝箱を開けるだけの作業だったが現実にそんな楽ができるはずもない。単調な作業が終わりを迎えたのは、最初にランタンに照らされていた通路の底──入り口から150メートルほどの地点に辿り着いた時だった。

下り坂はここで終わり、通路はその幅を広げながら水平方向へと伸びているようだ。カタニが言うには巨大な棺が立ち並んだ地下墳墓へと繋がっているとのこと。だがそこへの通路は下り坂から転げ落ちてきたミノタウロスや巨人たちの死体で埋められていた。駆け上がろうとしていた運動エネルギーは死と共に失われ、崩れ落ちる体がバランスを失って転がり落ちたためだ。数はそう多くないとはいえ巨人たちは一人ひとりのサイズが大きいため、数人が積み重なっただけで十分な質量の障害物となっている。

通路の中央付近に固まっているため、壁沿いであれば迂回して反対側へと出ることも可能だろう。ラピスに目配せし、手分けして処理に当たろうとしたその瞬間──床から巨大な腕が現れたかと思うと、俺に掴みかかってきたのだ。不意打ちに立ちすくんでいた俺はそれでも直観に従って身を捻り、謎の腕から逃れようとする。だが相手はその俺の動きすら読んでいたようだ。体を翻したその先には、謎の化物のもう一方の手が待ち構えていたのだ──!


《トゥルー・ストライク/百発百中》と呼ばれる呪文を使用していたのだろう。未来予知のような反応で俺の足を掴んだその化物は、あろうことかそのまま俺を黒曜石の石床へと引きずり込んでいく。固形のはずの床面が揺らめき、その波紋が小波のように広がると俺の体は床の下へと沈められた。


("穴掘り"ではなく地中を透過する"地渡り"による移動──この腕の持ち主はアース・エレメンタルの眷属か?)


ひょっとしたら地中に引きずり込んで窒息死させるつもりだろうか。黒曜石の床面は相当な分厚さがあるようで、引きずり込まれて数秒が経過しても未だに途切れる様子はない。ようやく精神集中を取り戻した俺はこのまま生き埋めにされては堪らないと装備品を入れ替えた。新たなブーツが俺の足を包むと同時に《フリーダム・オヴ・ムーヴメント》の呪力が俺を保護し、足に加えられていた相手の力が緩む。俺が自由な方の足でその掴みかかっている腕を蹴り、その束縛から解き放たれたのは体が空中に投げ出されたのと奇しくも同時だった。

空中で姿勢を制御し、無音で地面へと着地する。一切の光がない暗黒の空間だが、秘術により増幅させた知覚は床も壁も先ほどまでと同じ黒曜石であることを伝えてくれる。外の景色が灼熱地獄に変わっているにもかかわらず、この地下の空気はひんやりとしており、同じように冷えている床面からは冷気が伝わってくるかのようだ。構造からして先ほどの地下と同じ遺跡の一部、だが通路の高さや幅が5メートルほどと巨人族には小さめの縮尺であり主要な構造区画ではないものと判断できる。10メートルほどの長さの通路、両端はT字路になっており、その先はまたすぐに曲がり角と分岐となっている──迷宮だ。

だが周囲を探索する間など与えられるはずもなかった。突如天井から腕が飛び出し、こちらへと向かってくる。先ほどまでと違うことはそこには大きな斧が握られているという点だ。腕といっても露出しているのは僅かに手首程度のみで、残りの部分は壁に隠れている。傍からは突如壁から大斧が生えて斬りつけてきたように見えていることだろう。

知覚範囲外からの攻撃、しかも先ほどと同様に《トゥルー・ストライク》を併用した苛烈な一撃。かろうじて防ぐことができたのは、掴み掛かりと異なって盾と力場の障壁が刃を逸らす役割を果たしてくれたおかげである。龍紋が刻まれたローブの上を無骨な斧の刃が滑るように通り過ぎていく。鋼よりも硬いその表面には傷一つつかず、接触の衝撃も受け流したことで影響ない範囲に留まっている。奇襲への反応としてはまずまずの結果だ。

だが、敵の攻撃を回避しただけでは状況は変化しない。周囲を囲む壁全てがいつ牙を向くかわからない状況。転移呪文が制限されているこの現状で手っ取り早く脱出するには天井の壁を破壊して、先ほどの通路に戻ることだろう。敵に掴まれていた間はそれほど長くはない。通路の傾斜を考慮しても、真上に向かって20メートルもブチ抜けば戻れるはずだ。そう考え頭上を振り仰いだ瞬間、うなじに走った直観を信じて体を宙に踊らせると、先ほどまで俺の膝があったあたりまでを斧の刃が通過していった。

体の一部すら露出させずに武器だけが現れ、俺を襲っていく。先ほどのように手首などが壁からつき出していればそこを攻撃することも可能なのだが、これでは反撃すら適わない。


「陰湿なのか臆病なのか……どちらにせよ、面倒な相手みたいだな」


自らが置かれた状況に思わず愚痴が漏れてしまう。ひとまず全方位どこから攻撃が行われても良いように通路の中央へと体を浮かべた。もし相手が振動感知で俺の居場所を察知しているならばこれで俺を見失うはずだ。壁を通り抜けて襲いかかってくる敵といえばシャーンで戦ったシャドウダンサーとその下僕が思い起こされるが、あの時は敵側もこちらを攻撃するときにはその姿を現す必要があったのに対し、今回の敵は体を壁面に沈ませたまま武器だけを突出させて攻撃してきている。どちらが厄介かは言うまでもない。


(トーリ、無事か? 現在地と状況を分かる範囲で教えてくれ。こちらは特に敵襲もなく落ち着いている。通路の維持はデニスの連中に任せられそうだよ)


敵への対応に苦慮していると、ラピスの《センディング/送信》呪文による連絡が届いた。75文字までの短文を相互にやり取りする特殊な秘術呪文だ。


(引きこまれた地下空間で襲撃を受けている。壁を透過する厄介な相手だ。位置は先程の場所から床を20メートルほど潜った辺りで、迷宮になっている)


限られた文字数の範囲内で必要な情報を伝える。その間にもなんらかの手段で俺の位置を特定しているのか、壁から斧が生え俺へと向かってくる。その攻撃の鋭さは先程戦ったオルターダーにも匹敵する程だ。それほどの攻撃が不可知の領域から襲いかかってくるのだ。不意打ちに対する訓練を積んでいない他の誰かが引き摺りこまれていれば、あっという間になます切りにされていたことだろう。本来であれば防戦であるこちらに地の利があるはずだった。だが今となっては俺が相手の俎上に乗せられている。

防戦に徹していれば決して被弾することはないだろう。だが、こちらから仕掛けなければ活路は見いだせない。武器破壊を試みても構わないが、敵が使用しているものは特に魔法で強化されているわけでもない、大きさだけが特別なグレート・アックスに過ぎない。時間稼ぎにしかならないだろうし、相手が斧でこうして攻撃してくれている間に対策を考えることが出来る。

相手が飛行能力を持っていないのであれば、頭上から襲いかかった所でその天井部分を《ディスインテグレイト/分解》の呪文で破壊すれば落下させることはできないか? あるいは想定されている進路を予め抉っておけば、その部分を通る瞬間に姿が現れるはず。そういった一瞬の隙を作り、攻撃を叩きこめばいい。残る敵軍の戦力やこの地下構造物の概要についても気になるため、出来れば情報を吸い出してしまいたい。俺に掴みかかってきた腕や、武器を握っていた手からして大型サイズの生物であることは判っている。心術に対する備えを剥ぎ取れば、《チャーム・モンスター》などの呪文で情報源にすることが可能のはずだ。

死角から襲いかかる攻撃を回避しながらタイミングを図る。幸いにも、その機会はすぐに訪れた。直上から振り下ろされる刃。寸毫の見切りで回避を行い、用意していたメイスに篭められた《ディスインテグレイト/分解》の呪文を解き放つ。緑色の光線が斧の軌跡を遡るようにして天井へと命中し、3メートル立方の黒曜石を塵と化し抉り取る。その残された中空に浮かぶのは、斧を握った大柄なミノタウロスの姿。泳ぐように天井を透過していたその肉体は支えとなる壁面を失い、重力に引かれてこちらへと落下してくる。"生来の巧緻"に長けたという種族特性はそのような状況に対しても即座に自身を対応させ、空中で姿勢を制御して俺に向き直っている点は見事だといえる。だがその肉体は既に俺の射程距離に収まっているのだ。まずは頭蓋を揺らして朦朧化状態に陥らせ、無力化する。

空中をジグザグに、不可視の壁に跳弾する弾丸のように不規則に跳ねまわりながらも稲妻の如き速度で接近する。迎え撃つ斧の薙ぎ払いの間合いの内側へと入り込み、握り締めたメイスの先端を最大限の遠心力で加速させてその牛頭の側頭部へと激突させた。分厚い金属の兜と強靭な外皮を撃ちぬいた感触が手に伝わる。徹った──そう思った次の瞬間、続いて手へと伝わった感覚に全身に怖気が走った。戦鎚が敵の頭部にめり込み、通過していく──目を押しつぶし、脳を蹂躙して反対側の耳を吹き飛ばして突き抜ける一方で、頭部自体は逆周りにフィルムを再生された映像のように復元されていく。

非実体? いや、俺の手を包むグローブは所持する武器に幽霊などの実体ない存在に干渉する"ゴーストタッチ"の効果を付与する能力を持っている。明らかな異常事態だ。そしてフォロースルーの勢いで体を泳がせた俺目掛けて、予想だにせぬ方角から斧が襲いかかった。刃は目の間のミノタウロスの首を切り裂いて俺の胴体を薙いだのだ。先ほどの迎撃のために振るわれた一撃はフェイク。回転する斧の先端は手首の返しによりミノタウロスの背後へと切り返され、そのままの勢いを持って所持者の首を切断しながら俺へと向かってきたのだ。

神秘の硬度を誇る龍紋のローブによって保護された俺の体は、"フォーティフィケーション"の護りもあって切断を免れた。しかし腹部を圧迫する衝撃により肋骨の数本が砕かれ、その破片が臓器や大動脈を傷つけ体内で大出血が発生する。その大部分は《フォールス・ライフ/偽りの生命力》と呼ばれる事前に付与してあった回復力により癒されていくものの、久々に感じた痛みと衝撃、切断を避けたが故に吹き飛ばされた浮遊感が俺を混乱させる。ゼアド同様に《魔導師退治》に連なる武技の一撃だったのだろう、俺の身を包んでいた強化呪文も解呪されている。そしてさらに目前のミノタウロスはこちらへ向けて加速を始めている。

蹄が中空を蹴って火花が幻視される。飛び出したその巨体はまさに砲弾だ。だが愚直なまでの一直線の軌道。俺は合気によりその進路を逸らし体勢を整えるべく迫るその角へと手を伸ばした。だが再びその伸ばした手は敵の体をすり抜ける。指先に伝わる感覚は生暖かい泥に指を差し込んだかのよう。そしてミノタウロスの体が俺の全身に重なるように迫ってくる。体を包む熱と肌を擦る独特の摩擦。そしてそれはある瞬間に衝撃へと転換される。全身がバラバラになったかのようなショックが俺を襲い、頭頂部から四肢の指先までが感電したかのように震える。突如実体を取り戻したミノタウロスの全質量が十分な加速と共に俺の全身へ隈なく叩きつけられたのだ。

またしてもあらぬ方向へと吹き飛ばされた俺は黒曜石の壁へと激突し、そこでようやく平衡感覚を取り戻す。ミノタウロスは再び別の壁へと溶け込んだようで既にその姿は見えない。俺は壁を蹴って再び通路の中央へと移動すると、最大限の治癒呪文で負傷を癒した。指先の痺れが収まり、メイスを取り落としていた事に気づくと《メイジ・ハンド》で取り上げた後にブレスレットへと収納した。先ほどの攻防で敵の絡繰は判明した。本来この敵部隊の司令官である将軍ザンチラー、その特殊能力の一つである"一部攻撃への完全耐性"をこのミノタウロスは有しているのだ。地中を泳ぎ回るその能力はその副産物だろう。思えばオルターダーが持っていた冷気の障壁も同じようにザンチラーの能力だ。なんらかの手段により彼らは分割されたそれらの能力を与えられているのだろう。そうなるとこのミノタウロスの正体も自ずと明らかになる。


「ミノタウロスの司令官、ヘロスか。こんな地下で会うことになるとは思ってなかったよ」


「我が名を知るとは奇妙な人間よ。だが我が役割までは知らぬか」


思わず口をついてでた呟きに、意外なことに反応が返された。構造物自体が震えるようにして音を伝えてくる。


「我は代々この地の守護を偉大なるものに命じられ、来るべき後継者へと受け渡すことを役割とせし墓守。

 いまや秘儀は伝承され、契約により我が身にもその一部は宿された。先ほどの傷を受けてなお立つは驚きなれど、我が身には汝の刃は届かぬ。

 深い絶望のうちにその魂を捧げよ。汝の救済は既にこの世にはあらず」



残念ながら声の出所からヘロスの位置を探ることは出来ないようだ。流石にそんなうっかりをするほど甘い相手ではない。この会話もおそらくは俺を斧の間合いに収めながら行なっているのだろう。呪文の行使に反応して斧が振るわれる気配を察して、産毛が逆立つような感覚が続いている。


「それはどうかな。こっちの攻撃手段をひとつ封じたくらいで勝ち誇るなよ」


メイスにかわって取り出したロッドを手に、俺はそう宣言し呪文の構築を開始する。即座に足元から突き上げられる斧。防御呪文を解呪された今の俺には回避は難しい、鋭さを十分にもった一撃だ。足首に刃が突き刺さり、激痛が呪文の構成を霧散させる。精神集中が乱されては呪文は成立しない。突如発生する神経パルスがデリケートな呪文構築に干渉するのだ。

霧散した呪文を破棄して次の呪文へ。再び魔術回路が描き出され、今度は右方から攻撃が差し込まれる。身を翻すが避けきれず、腕を斬りつけられる。再び霧散する呪文の構成。


「愚かな──無駄な抵抗だとなぜ理解せん」


呪文の構成と霧散が繰り返され、俺の体に傷が増えていく。致命的な攻撃を受けることは避けているものの、四肢を中心に叩きこまれた斬撃と衝撃は徐々に俺の体力を奪っていく。だがそれでも指先までしっかりと力は通っている。呪文を発動するのに必要な身振りに支障はない。そんな俺に対してヘロスは執拗に呪文妨害を繰り返す。

おそらくは《トゥルー・ストライク》の呪文を使用した後、いずこかの壁面へと移動し隠れながらこちらの呪文詠唱に合わせて攻撃することを繰り返しているのだろう。彼の攻撃は毎回異なる方向から打ち込まれており、そこに規則性を見出すことは出来ない。


「呆れた頑強さよ。だが我は汝が同胞を数多く屠った事を知っている。最後まで気を抜くつもりはないぞ。こちらを誘っているのであれば無駄というものだ」


相変わらず壁面自体を震わせてヘロスの言葉が届く。そして攻撃もだ。それは俺の左後方から振り下ろされ、肩口から心臓を狙う一撃。《シールド》の呪文が失われ、斧自体もミノタウロスの体と同様俺が触れることは出来無い以上身を捩って回避するしか無い。案の定回避しきれず、二の腕に傷が刻まれ魔術回路は霧散する。だがその攻撃を受けた俺の顔に浮かんでいるのは苦痛だけではなく、ようやくその位置から攻撃を仕掛けてくれたという笑みでもあった。

ミノタウロスの攻撃を受けて俺は今までのような"見せ餌"ではなく、本気で呪文を構築し始める。予め負っている傷の分であればそれを織り込んだ上で呪文を構築させることが出来る。極度の集中により再びコマ送りのようになった俺の視界に俺の体を抉り抜けていく斧と霧散していく魔術回路、そして急速に組み上げられていく本命の魔術回路が写っていた。


「万物尽く爆砕せよ──」


そうして二重に展開されたのは効果範囲を拡大された《グレーター・ファイアーバースト/上級火炎爆砕》の呪文だ。術者を中心に敵味方生物無生物の隔たりなく破壊する炎を生み出す、俺の手持ちの中では有数の威力を誇る攻撃呪文。その呪文が持つ本来の炎の上に雷のエネルギーが上乗せされ、火山の噴火口のような勢いで広がるエネルギーの爆発は周囲に広がる黒曜石の壁を食い破り、融解させながら拡散していく。敵が壁の中に潜み、物理攻撃を受け付けないのであればその壁ごと呪文で吹き飛ばしてしまえばいい──!

数々の呪文修正特技と俺が手にしたワンド、エネルギータイプ毎に専門化された研究により破滅的な威力を有した死の放射は小型の太陽が現出したに等しく、効果を受ければどんな存在でも絶命は免れない。だが迷宮の主たるミノタウロスロード、ヘロスは俺の呪文投射に優るとも劣らぬ素早さで反応を返した。武器を捨て、俺の反対方向へと全力で移動したのだ。手放した斧が一瞬で溶け崩れ、彼の身を包む黒曜石が熱波を浴びた氷のように消えて行く中で彼は壁から反対方向の通路へ脱出し、さらにその先の壁の奥へと逃げこもうとしたのだ。だが、彼のその計画は予想していなかった障害に遮られる。


「ガッ、壁が──」


壁から離脱しようとした彼は勢い良く体を不可視の障壁に打ち付け、立ち止まることを余儀なくされた。自分の歩みを妨げることのないはずの迷宮の壁、それに沿うように《ウォール・オヴ・フォース/力場の壁》が展開されている!


「ここは通行止めだよ、他をあたりな」


その向こう側にいる術者たるラピスの声は彼に届いただろうか。直後、《ファイアーバースト》に巻き込まれ肉片一つ残さず消滅した今となってはそれは定かではない。敵がいなくなったことを確認した俺は放置していた傷を癒していく。そんな俺へラピスが声を掛けてきた。


「また随分と派手にやったもんだね。下手したらこの辺り一帯が崩れちゃってたんじゃないのかい?」


彼女の言うとおり、周囲の様相は俺の呪文によって一変していた。俺を中心に呪文が放射された半径10メートルほどの空間は、球状に綺麗に抉れてしまっている。呪文によって放射された熱量はすでに消滅しているが、その余波を受けた迷宮の断面は破壊の惨状を示していた。


「注文通りに手伝ってくれたお陰で逃さずに仕留められたよ、ありがとう」


俺と同じようにアイテムにより飛行能力を付与されているラピスは、軽いステップで宙を踏むと俺の隣までやってくる。そして俺の腕を取ってじろじろと睨みつけている。


「しかし、もうちょっと上手な遣り方があったんじゃないか? 時間稼ぎが必要だからといって、無駄に傷を受ける必要はなかったと思うけどね」


すでに全ての負傷を癒した俺の体には傷口は残っていない。だが何度かの攻撃を受けてローブは摩耗してしまっている。この仕事が終わったら呪文による修理を行う必要があるだろう。


「あんまり上手に対応しちゃうと余計な疑念を持たれるかも知れないと思ってね。ある程度は戦果を感じさせたほうが引きつけられると思ったのさ。

 相手がどういう仕組みで俺を知覚しているか判らなかった以上、注意だけは俺に向けさせておきたかったんだ」


先ほどの絡繰は至極単純だ。この迷宮で壁を無視して縦横無尽に移動出来る以上、強力な呪文で焼き払おうにも迷宮の奥へ奥へと逃げこまれてしまうかも知れない。そこで予め都合の良い壁際にラピスに隠れていてもらい、俺と彼女の中間点にターゲットが来た時点で呪文を行使すればいい。

ラピスに気づいていない敵は、一直線に俺から離れようとするだろう。そこでその前方に奴が無視できない障壁を置くことで退路を断ち、焼き払ったのだ。この作戦の要はラピスが相手に発見されないことと、相手の移動を予想した上で封じられるルートに彼女を配置することだがその両方を彼女はこなしてくれた。

俺が言葉や呪文の遣り取りをしている間にラピスは密かにこの迷宮の構造を調べ、最適な位置に移動してくれていたのだ。《センディング》の呪文で密かに遣り取りを行なっていたのだが、それに気付く手段はない以上最後の瞬間までヘロスは彼女のことに気付いていなかっただろう。


「この迷宮のことも気になるけど、クライアントを放っておくわけにもいかないからね。僕は先に戻ってるよ」


一頻り俺の状態を確認して満足したのか、ラピスはそのまま上昇すると天井へと突き進み、そして天井に溶けるように消えていった。そう、ラピスはなんらかの能力でヘロスのように障害物を透過して移動することは出来るのだ。おそらく先日のヒル・ジャイアントの洞窟で先回りしていたのもこの能力によるものなのだろう。正直に入り口から侵入する必要など無く、そのあたりの地面や壁から潜り込めばいい。

天井を破壊して来たのであれば流石にヘロスも彼女を見逃すことはなかっただろうし、壁に移動を制限されてはここまで迅速に迷宮の構造を調べることは出来なかっただろう。非常に有効で、恐ろしい能力だ。

同じ能力を持たない俺は壁を破壊して戻るしか無い。幸い、先ほどの呪文で天井が薄くなっている部分がある。俺は武器を構え、帰り道を作り出すべく振り下ろすのだった。



[12354] 5-10.ストームクリーヴ・アウトポスト5
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e809a8c1
Date: 2012/02/19 19:08
地上へと戻り、潜り込んだ敵を掃討して戻ってきたカタニへと通路の守備を引き継いだ俺たちは宛てがわれた部屋へと戻ってきていた。そこには既にエレミアとメイが戻ってきており、椅子に腰掛けた俺達に対してメイが紅茶を振舞ってくれた。

彼女は中に入れた品の重量が無視出来る魔道具"便利な背負い袋"の中に常にお気に入りの茶葉をいくつかとティーセットを入れているのだ。ティーカップへと液体が流れこむと、部屋の中がふんわりと柔らかな香りに包まれたようだ。窓の外は熱気に包まれた空気で満たされた中、空調の効いた部屋の中で温かい紅茶を口に含むとそれだけで全身の凝りが解れていくような感覚に囚われてしまう。

ステータスには反映されていないとはいえ、やはり相当疲れていたようだ。十分な休息を取らずに小競り合いを含めて6回も戦闘を行ったのだ。肉体的な疲労は呪文で、磨耗した精神力はエリクサーでそれぞれ回復できるとはいえそれはあくまで一時的な誤魔化しに過ぎない。例えるなら眠気を薬で飛ばしながら働き続けるようなものだ。何かの拍子にその反動を受けるようなことがないうちにしっかりと心身を休めておく必要がある。だがその前に情報交換だ。俺たちはテーブルを囲んでお互いの状況を報告していた。


「この辺りに侵入していたのは斥候のミノタウロス達だけだった。それも遺跡の中で罠にかかり手負いとなったものばかりだったし、手間取ることもなく掃討は完了した。

 いくつか天幕が崩されてりして被害が出ていたようだが、幸い負傷兵は皆ワンドで癒されて快癒してたため被害は少なかったようだな。

 だが秘術使いが倉庫に火を放ったのが効いているようだ。あのデルヴァスコンという男がその場を取りまとめていたが、特に矢が不足しているようだ。

 この砦の戦士たちの狩りは矢で敵を弱らせて接近戦を避けるようだし、このまま補給が届かなければ明晩までは持たないように見受けられる」


「それは困りましたね。私が《テレポート》で運んできた物資は治癒の秘薬やワンドが主で、矢弾の類いは少なそうでした。

 飛空艇がこちらに向かっている件ですけれど、双発の"精霊捕縛輪"付きだとしても到着には半日かかります。

 先ほどの陽動でも相当量の矢を使用していたようですし、物資集積地の大部分を敵に抑えられているのは厳しいですね」


フィアの報告に続いてメイが分析を加えた。想定外の奇襲からの焼き討ちで今頃デルヴァスコンの頭髪は真っ白になっているかもしれない。この砦にもカタニの率いる部隊を代表にいくつか巨人達と拮抗できる戦力も存在はしている。とはいえそれは潤沢な物資と後方支援に支えられてのことだ。体格が違うのだ、正面からの削り合いになれば勝負にならない。


「殿に食いついていた敵集団は半壊させたので、先程トーリの言っていた地下から現れた敵を含めれば敵の戦力は相当削ったはずだ。

 だがこちらにも正体不明の敵指揮官が一体いた。メイの呪文攻撃と私の弓をいくら浴びせても即座に傷が癒えていた、不気味なヒル・ジャイアントだ。

 撤退の支援が目的だったため深追いせず力場の障壁で行動を制限して事無きを得たが、トロルなど比べ物にならない復元力だった。

 いずれまた相対する時が来るだろうが、注意が必要だろう」


エレミアの報告には心当たりがあった。ファイアー・ジャイアントの将軍ザンチラーには四人の副官が存在している。オルターダー、ヘロス、そしてインスガドリーアとパイアス・グルールだ。どうやら彼らはザンチラーが持つ特殊能力を分け与えられているようだ。

火砲を餌に俺達を釣りだし、撃破することを狙っていたオルターダーは風の秘石"ジャーモタ・シャード"により冷気への耐性を与え触れるものを焼き尽くす炎の盾を。

地下墳墓の守護をその任としていたミノタウロス、ヘロスは土の秘石"エルスプタ・シャード"から物理効果への完全耐性を。

そしてエレミアの話に出たヒル・ジャイアントはインスガドリーア、彼は火の秘石"ウルタ・シャード"から高速治癒を。

おそらく転移門の丘を守護している死霊術師パイアス・グルールは水の秘石"ヴィルブータ・シャード"から対呪文防御を得ているはずだ。

この砦を防衛するクエストよりも遥かに高次の冒険で、同じく巨人族に由来するレイドボスがザンチラーに似た特殊な秘儀の恩恵を受けていたことを思い出す。おそらくあれは古代巨人族に伝わる儀式の一つなのだろう。知らずに激突すれば万が一にも勝ちが拾えない、そんな初見殺しの能力達。俺が初めて挑んだ時も為すすべなく敗退したことを今でも覚えている。

だが幸い、俺はその攻略法を知識として知っているのだ。ゲームの知識がそのまま通用するわけではないことは承知している。だがそれは十分な手がかりとして活用することが出来るのだ。

意識を瞑想の海へと浸しながら俺は自分の知識と得られた情報の整理を行い、これから取るべき方策について思考を巡らせるのだった。









ゼンドリック漂流記

5-10.ストームクリーヴ・アウトポスト5












"魔法の毛布"に包まれ、二交替で休息を取り、宛てがわれた部屋から外に出た俺たちが目にしたのは雲で覆われた空から振る雨だった。それは普通の雨ではない。上空に吹き上げられたまった灰の雨だ。それはいかなる神秘の為せる業か、焼けつく雫とともに高温を維持したまま降り注いだ。

布張りの天幕はその雨が触れた途端に炎上し、太陽の光が遮られた暗い世界を照らす松明となる。中で休息をとっていた衛士たちは慌てて外に転がり出るが、そんな彼らの上にも容赦なく灰の雨が降り注ぐ。運が悪い者は目に雫が飛び込み地面を転がりまわり、呼吸器から吸い込んだ者は激痛で蹲ることしか出来ない。咄嗟に盾を傘がわりに雨を凌いだ者達がそういった者達を担ぎ上げ、次々と堅牢な建物の中へと避難していく。黒曜石造りの建物は微動だにせず持ちこたえているが、その屋根に飾られていた正義を示す旗印は無残に崩れ落ちている。


"灰の雨"……」


窓越しにその光景を見ていたルーが、そう呟いた。その視線の先では建築物の軒先に避難した衛士たちに向かってワンドを握りしめた衛生兵が駆け寄っていく姿が見えた。その様子から見れば俺たちが出張らずとも対応できそうだ。


「"炎の海"フェルニアで起こるとされている自然災害の一種ですね。ひょっとしたら上空に巻いている雲は"蒸気雲"かもしれません。

 高温のガスと蒸気からなる危険な雲です。もしそうだとしたら、飛空艇であの中に侵入すれば乗組員どころか船体自体がもちません!」


ルーの言葉を聞いてメイが目を見開いて驚いている。ウィザードとして研鑽を積んだ彼女は当然様々な知識に通じている。そういった次元界から召喚により来訪者を呼ぶことも彼女の専門である術の一つなのだから当然とも言える。


「船乗りが秘術屋で次元界への造詣が深い事を祈ろうじゃないか──望み薄だろうけどね。

 しかしフェルニアが最接近する『炎の季節』は去年過ぎたばかりだろう? 5年周期のはずなのに、どうして今頃こんな事が起こってるのさ。

 この辺りが顕現地帯だっていうなら随分と前に噂になっていてもおかしくないだろうに」


そしてラピスが醒めた目で外を見ながらそう返した。確かに精霊捕縛船の建造には高位の術者の関与が必須である。だがその船の運用までもが術者が必須というわけではない。捕縛された精霊に命じるだけであれば特に必須な技能はないのだ。

"嵐のマーク"を有するリランダー氏族は捕縛された精霊に忠実に命令を実行させる魔法具の実用化に成功していると言われているが、一般人であってもある程度の割合で簡単な指示を行うことは出来る。

だが複雑なものや急を要する司令を理解させるには相応の技術が必要であり、秘術に長けていれば呪文でその指示を行うことが出来るという優位点がある。有能な船長ということであれば自身が使えないまでも部下に秘術使いくらいは抱えているとは思うが、果たしてメイほど深い知識を有しているかと言われると疑わしい。


「……ひょっとしたら、巨人族の失われた秘術でフェルニアへの門を開いているのかも知れません。次元界の境界が揺らいで瞬間移動系統の呪文が阻害されていることからも確度は高いはずです。

 悪夢の軍勢との戦いの後、巨人族を率いたのは"炎の王"と呼ばれる巨人だったと言い伝えられています。その頃の資料はエルフの独立戦争やその後大陸の半分を砕いた"大破壊"の影響でほとんど残されていません。

 ですが我々が今戦っている巨人族の党派は炎の王の後継を自認していると聞きますし、かの王の遺した秘術を受け継いでいても不思議ではありません」


現在この大陸に残っている巨人族は、大きく3つの派閥に分かれている。

"ドミニオン・オヴ・ピュアリティ"──かつての栄光を取り戻さんとする巨人達の同盟。大部分の巨人族から支持されており、もっとも活発に活動している連中だ。現在は主に逃げ出した奴隷であるドラウ達を再び支配すべく各地で抗争を繰り返しつつ、賛同者を募りながら勢力を拡大している。

"スクリヴナーズ・オヴ・ザ・スカイ"──クラウド・ジャイアントとストーム・ジャイアントの同盟からなる組織。巨人帝国の失われた伝承知識を収集しているが、前者とは異なり彼らは知識の保存を使命としている。比較的友好的に接することも出来るが、遺跡で遭遇した盗掘家などに容赦することはない。

"バタリオン・オヴ・ザ・バソールト・タワーズ"──ファイアー・ジャイアントを中心に構成された過激な集団。王国歴946年、今からおよそ50年ほど前にストームリーチに攻め寄せた組織だ。市街は隕石を降り注がせる"メイジファイアー・キャノン"の原型となったアーティファクトによって焼かれ、大勢の犠牲者を出したという。"炎の嵐"と呼ばれるその戦役はストーム・ロード達とドラゴンマーク諸氏族が力を合わせて巨人達を押し戻し、集結させた。今俺たちの前に立ちふさがっているのはその際の生き残りというわけだ。


「"炎の王"──アダクサスは我が祖が打ち破った、最後の巨人族の王だと伝えられている。

 その時代の巨人の王族たちは今の巨人族が子供に思えるほど深い知恵と強靭な肉体を持ち、まさに神の如き力を振るったという。

 ならばこの現象も不思議ではない、か」


エレミアの口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。宿命を感じ、高揚を隠し切れない様子だ。やはり彼女の赴くところ、祖霊の歩んだ道が拓けていくのかもしれない。

伝説の時代、崩れ行くこの大陸から脱出するエルフを巨人族の軍勢が追い、それを率いていたのが"炎の王"。今のストームリーチの近くから船に乗って出航する同胞を見送り、彼女の先祖は少数の同胞と無限に湧き出す敵軍へと向かって切り込み、"シャン・ト・コー"の広間でアダクサスと切り結んだのだ。

言い伝えではその剣舞は"炎の王"の眼より光を奪い、それにより彼が退いたことで巨人の軍勢は統率を失いエルフ達は無事落ち延びたという。その後そのエルフの英雄は現地で巨人の残党と戦うドラウの一団──フィアとルーの故郷──へと身を寄せ、そこに骨を埋めた。それが双子の部族に伝わる伝承だ。

エレミアが振るう"アルクィス・テローラ"とはその英雄の名を冠した武器であり、彼女にとっての運命の刃だ。黄金で優美な曲線を象嵌された緑色の不思議な金属からなるダブル・シミターは、英霊の魂を宿し持ち手に強力無比な力を与える。今も来るべき戦いを迎え、その刃は持ち手に何かを語りかけているのかも知れない。


「それで結局、その王様の後を継ごうとしている穀潰しは一体何が狙いなんだろうね。門を開けて観光に出かけようってわけじゃないんだろう?」


休息の時間の終わりを察してか、ラピスは腰元に吊るした細剣の柄の位置を調整しながら呟いた。俺たちの中で鎧を身につけているのはエレミアとフィアの二人だけだが、いずれも軽装に分類される鎧であり体の動きを妨げないように考慮された品であることから着用したまま横になっても充分に体を休めることが出来るため、俺たちの戦闘準備自体は外套を羽織って武器を握ればそれで済む。

秘術の準備に時間が必要なラピスとメイは先に休息を取り、交代で俺たちが休んでいる間に呪文の選択を済ませているため後衛組についても問題はない。呪文を使用した場合その秘術回路に割り当てていた精神力を回復するには8時間以上の経過が必要とされているため、先ほど大規模に呪文を行使していたメイについてはその制限を無視出来る"パール・オヴ・パワー"などのアイテムを使用している。

これは使用した呪文を再び再使用可能な状態に精神力を回復させるもので、事前に呪文を準備しておく"ウィザード"にとっては呪文を選びなおすことが出来ないという欠点はあるものの、先ほどの戦闘に使用したものは汎用性の高いものばかりであることを考えれば特に問題はないだろう。


「……かつて"炎の王"は契約した"デーモン/悪鬼"を自身の身に宿して力を得たという伝説が残っています。

 今エベロンでは力ある悪鬼達はカイバーに封じられています。ですが"炎の海"には神話の時代の争いによる封印を免れた多くのデーモン達が今も覇を競い合っていると聞きますし、そういった超越者との接触を求めているのかも知れません」


そう言って眼鏡を押し上げるメイの指には秘術の行使を補助する魔法の指輪が光っていた。他にも護身用に所持している小剣の柄元にも橙色の三角柱の形状をした魔法石が嵌めこまれており、衣服に隠れて見えないがその肌には魔術回路の構築を補助する紋様が"ドラゴンマーク"とは別に描かれているはずだ。それぞれが彼女の術者としての力量を押し上げている。今の彼女であれば、デーモンの将軍である"バロール"相手でさえも一時的にであれば互角に呪文を撃ちあうことが出来るだろう。


「おそらくは各地にある秘術の刻印を刻まれた柱が儀式の要になっているんだと思います。正確なところは調査してみないとわからないですが、わざわざ警備に部隊を割いているようですし調べる価値はあるでしょう。

 もしこの地にフェルニアが顕現してしまえば、次元界に満ちる高熱に晒されて私たち以外は助かりません。急ぎ調査に向かいましょう!」




† † † † † † † † † † † † † † 




メイが提案した強行調査はアグリマーによって即座に承認され、俺たちは嵐で封鎖された"セントラル・ブリッジ"を超えようとしていた。


「ドル・ドーンがお前たちを行き先へとお導きくださいますように!」


俺達を見送るファルコーが戦の神への祈りを捧げた。名誉と犠牲の神である"ドル・アラー"の姉弟神であるこの神は武器の力を司る。戦闘訓練と強靭な体による肉体的能力の象徴であり、姉神がパラディンや外交官といった職種に信奉されているのに対して兵士やモンクといった人々に崇められている。ロングソードを構えた筋骨隆々の人間の姿で描かれることが多い混沌にして善の神。これから戦いに赴くにあたって祈りを捧げるには最適な選択といえるだろう。

嵐が抑止され、視線を遮っていた空気の壁が溶けて消える。その強風の余韻に淀んだ空気を鼻先に感じながら俺たちは駆け出していた。橋の向こうにはミノタウロスの生き残り、地下からの攻撃に参加していなかった遊撃部隊が屯していた。彼らも嵐が消失したことに気付き、その鼻息を荒くして俺達を迎え撃とうとしている。両手に斧を構えたバーサーカーが1体に、術士が1体。そして武器も鎧も身につけていない素の獣が1体だ。

先頭のバーサーカーが迎撃の斧を振り上げるが、しかし俺はその敵を無視して強行突破すべくさらに足を加速させた。駿馬にも優るスピードで走る俺の勢いに対応できず、斧は俺の遥か後方へ振り下ろされる。その時既に俺の目の前には《火球》の呪文を唱えようと杖を振り上げているミノタウロスのシャーマンの姿。

突撃した体の勢いを殺さず、掌を術士の体の中枢に突き立てる。トラックの分厚いタイヤを叩いたような抵抗があるもそれを一瞬で突き破り、内臓へと打撃の衝撃が伝わっていく。続いて掌の位置はそのまま手首を返しながら膝を落とすと、自然と肘が前へと突出される。深く前へ出した右足は相手の左足に並べるように踏み込まれ、地面を踏みぬく瞬間に親指の付け根を支点に足首を前へ。ミノタウロスの蹄が俺の足刀によって払われ、不安定になった上体に肘が突き刺さる。下方から上方へ、抉り込むように放たれた一撃は肋骨の隙間から肺を潰した。

半ば浮き上がったその体目掛けて止めとばかりに最後に繰り出されたのは体当たりだ。肩口から背中にかけた部分が激突すると牛頭の術士はあっけなく吹き飛んでいく。黒曜石の壁に激突したその体は力なく崩れ落ち、見開かれた瞳は既に彼が絶命していることを示している。後ろを振り返れば、既に他の敵たちは後続の皆の手によって打ち倒されていた。


「先を急ごう。すぐ近くに一つ柱があったはずだ」


天井を失い崩れた壁のみが立ち並んでいるため視線は通らず、迷路のような様相を呈しているが予め地図を確認したため道に迷う心配はない。どうやら要と目される刻印柱は元々そこにあったものではなく、転移門から巨人が攻め寄せてきた後に地中から現れたらしい。地下に残された遺跡が関わっていると推測は出来るが、まずは現物の調査が先だ。

幸い柱の位置はゲームと変わっていないことがデニス氏族が行った偵察の結果として判明している。右へ左へと進路を切り返しながら躊躇いなく歩みを進めていく。先刻のように空を飛んで行かないのは、呪文による遠隔攻撃を恐れてのことだ。

ファルコーの依頼でヒル・ジャイアントの丘に攻めた時のように、知覚範囲外から一方的に攻撃されるリスクを避けたのだ。巨人文明の遺跡だけあって壁の高さは相当なもので、これを飛び越える高さを維持することはそれだけ敵に発見されやすくなる。"火砲"を奇襲した際と異なり今回の目的地は飛行することで敵の目を欺けるような順路もないこともあり、逆に壁に隠れるように進んでいるのだ。


(敵4体、速攻で片付けるぞ!)


ブロック組の崩れた壁を横切った先に、トロルの姿を発見する。その奥に目的の柱も見えた。ハンドサインを出した後、その手に炎を帯びたシミターを召喚し一気に敵との距離を詰める。夜明けを今だ迎えぬ闇の中、赤い炎は敵の目を引きつける。だがその目立つ姿も誘導に過ぎない。俺を追い越すようにエレミア達三人が駆け抜けていき、炎に気を取られていたトロルを切り刻む。

切断された首からは血飛沫が一瞬飛び散るが、驚異的な再生力はあっという間に傷を塞ぎ失われた頭部を求めて細胞が沸き立つように蠢く。だがそれも俺が落とされた頭部を焼くまでの間のことだ。超常的な働きによるものかトロル達の体は例え切断したとしてもなんらかの繋がりを維持しており、傷口を火か酸で焼くまでお互いを求め再生を続ける。だがその再生も頭部を無力化すれば停止するのだ。

頭部の無力化には火か酸、あるいは窒息させることで脳を破壊するしかない。だがその工程はここ数日で多くのトロルを始末してきた俺たちにとって最早手馴れたものにすぎない。一呼吸の間に柱を守備していたトロル達は灰と化し、その残骸すらも硫黄混じりの風に吹き散らされていった。


「へえ、こいつ生意気にもアダマンティンのレイピアを持ってる。体格に見合わない獲物ってことはどこかで手に入れた戦利品なんだろうね」


ラピスが目ざとく収穫を拾い上げている。闇夜の中でなお黒い輝きを見せるアダマンティン特有の外見は見間違えようがない。どうやら今の連中の中にランダムPOPのネームドが混ざっていたようだ。だがそれすら俺たちの足止めには成り得ない。周囲の敵を排除し終えた事を確認してメイが問題の柱へと近づいていく。刻印された2つのルーンが青白い光と共に秘術のエネルギーを周囲に放っている。それは渦巻きながら上方へと登り、空で他の柱が発したエネルギーと交わって蒸気雲を形成しているように見える。


「やはりこの柱は古代巨人文明期の遺産ですね、構文が特徴的です。機能を停止させることは出来ますが、その場合余剰エネルギーが隣のルーンへと流入して起動させる仕組みのようです。

 おそらくは中に呪縛されている存在を解き放つことで番兵の役割を果たさせるつもりなんでしょうね。その番兵を倒してしまえば再起動することもないでしょう」


あっという間にメイが柱の仕掛けを看破した。こちらを見る彼女に頷きを返すと、メイは刻まれているルーンが織り成す秘術回路に手を加えた。数分掛けて光が明滅し色合いが青から白へと変わっていき、それと同時に空中に黒い煙が沸き起こる。その煙は広がると羽の生えた赤い肌の子鬼のような姿を取った。身の丈を遥かに超える両翼を羽ばたかせているが、中空に留まっているのはその動きによるのではなく超常の力によるものだ。"ファイアー・メフィット"と呼ばれる火の次元界からの来訪者である。


「この俺を呪縛から解き放ったのか? よくもやってくれたな、酷い汚辱だ! 我が同胞がお前たちを許しておかないぞ!」


火がパチパチと爆ぜるような音と共に、異形のクリーチャーの口から共通語が飛び出してきた。火界語と呼ばれる火の精霊の使用する言葉と同時に発している。その翼や手の一部に纏っている炎が喉の代わりに音を出しているのだ。敵対的なその態度には交渉の余地は見受けられない。元より柱の機能を停止させるためにはこの来訪者を倒す必要があるのだ。自らの同胞を招来しようとする空中のメフィットに対し、俺たちは無言で武器を構えた。

この世のものならぬ存在である来訪者は通常の武器に対する抵抗を持っており、特定の素材などを鍛えた武器によるものでなければ即座に受けた傷を癒してしまう。身近な例でいえば、ライカンスロープに対する銀の武器のようなものだ。そしてこのメフィットの場合、武器に求められる条件は"魔法によって強化されていること"だ。


「私の死が封印を解き放ち、ザンチラーの居場所への道を照らすだろう──」


俺たちの武器は全てが最高品質の品であり、限界まで魔法で強化されている。標準よりもやや大柄なメフィットだったようだが、それでも巨人達に比べれば貧弱な体力でしかない。剣閃が瞬くや否や、両断された哀れな来訪者は最後に言葉を遺して消えていった。彼らの本体は異なる次元界にあり、ここ物質界には仮初の体を投影しているに過ぎない。今頃破壊された肉体から抜けだして元の居場所へと戻っているだろう。


「なんだ、一体どんな化物が出てくるかと思えば期待はずれだな。これであれば先ほどのトロル達のほうが余程歯ごたえがあったぞ」


くるり、と双刃を翻しエレミアが呟く。これほど大掛かりな儀式の要となる箇所に配置された敵、それが標準よりも強力であったとはいえメフィットだったのだ。ひょっとしたら強力なデーモンでも出てくるのではないかとの想像は良い方向に外れてくれた。


「ひょっとしたら束縛するのはフェルニアからの来訪者からであればなんでも良いのかも知れません。そうであれば束縛が容易な下位の来訪者を使うでしょうから。

 ですが他のピラーも同じとは限りません。気を抜かずに次へ向かいましょう」


中に封じられていた来訪者を失った柱は表面のルーン文字から光を消し、震えながら地中へと沈んでいった。これで1本。まだ5本が残っており、今から俺たちは敵地を進んでその全てを無力化しなければならない。こちらが儀式の妨害を開始したことはすぐに敵にも知られるはずだ。

今回は巨人達の勢力圏の端に近いところだったため敵の増援が現れることはなかったが、この先も同じように行くとは限らない。メイの言うとおり、俺たちは注意深く次の一歩を踏み出した。




† † † † † † † † † † † † † † 




だが、敵の抵抗は呆気ないものだった。それぞれのルーンピラーにはトロルとウォーグが数体ずつ、時折ミノタウロスやオーガが混ざっているくらいで今の俺達の敵としては鎧袖一触といえる程度でしか無かったのだ。それはピラーのことだけではなく、敵の勢力範囲を移動している間にも言えることだった。

時折少数の遊軍に遭遇する以外は、殆どといっていいほど敵の姿を見かけない。デニス氏族が砦内に保管していた兵站物資の集積地にも、群れからはぐれたらしい数匹のウルフがいただけで敵兵の姿が見えなかったのだ。

デルヴァスコンに予め聞いておいた識別コードで中身を確認し、秘術で拡張された内部空間を持つ輸送コンテナの中から特に今必要とされているであろうものだけを拾い上げて進み、最後のピラーの周囲に残っていた敵を倒してしまうまでそんな張り合いのなさは変わらなかった。


「しかし敵の連中はどこにいったんだろうね。地下から来た連中はトーリが射殺したとしても、デニスの囮部隊とやりあっていた連中は結構な数がいたんだろ?」


ルーンを無効化する作業を行なっているメイを守るよう周囲を警戒しているさなか、ラピスが疑問を口にした。


「そうだな……上空から見たところでは少なくともヒル・ジャイアントが10と、大勢のミノタウロスが残っていた。構成からしてピラーの守りについていた者たちとは別だ。

 ここまでその姿を見ないということは、地下に隠れたか我らが避けた転移門周辺に集結しているかのいずれかだろうな。後者であれば、今の彼らにとってはこのピラーよりも転移門のほうが重要度が高いということになる。

 おそらくはまだ何か策を用意しているのだろうな」


休息前にメイと二人で撤退支援を行なっていたエレミアによれば、まだ相当数の敵が残っているようだ。そもそも彼女の報告にあったインスガドリーアに、転移門を守るパイアス・グルールといった副官級の存在がある。手品の種は割れているとはいえ、他の副官二人はそれらの能力を無視したとしても相当な脅威だ。

その生き残りと遭遇した時の対処については既に相談済みだが、未だに能力が読み切れない部分は多く残されており万全ではない。遭遇状況によっては色々と戦い方を考慮する必要があるだろう。


「ここに来るまでの間に地下へ向かうトンネルがいくつかあったし、案外そこに逃げ込んでるのかも知れないよ。

 どうやら残ってるファイアー・ジャイアントの数はそう多くないみたいだし、それ以外の連中にとって見ればさっきの"雨"は痛手だろうしね」


ラピスの言うとおり、ここまで倒したファイアー・ジャイアントの数はオルターダーとその部下の4体だ。将軍ザンチラーと死霊術師パイアス・グルールもファイアー・ジャイアントであることは初期に戦闘を行ったデニス氏族の生き残りから報告されているが、彼らの戦力の大部分はミノタウロスやトロルによって構成されておりその連中は種族的に火に対する耐性を有しているわけではない。

"炎の海"フェルニアが顕現すればそういった種族は数分で全身やけどにより死亡するはずだ。全員に《レジスト・エナジー》を提供し続けるほどの術者を擁しているとも考えられず、まだ相手の意図を測りきれていないことは明らかだ。

ゲームの中では順番に敵を倒しピラーを処理していけば最後にザンチラーの居場所への転移門が現れ、その中で敵を倒せば終了だった。だがピラーの果たす役割自体が異なっており、また敵の配置なども大きく異なっているためその知識に頼ることは出来そうもない。


「──敵が転移してきます! 15秒後に6体、左右の崖上方です!」


そんな俺たちの雑談を断ち切ったのは、警告を発するメイの叫びだった。瞬間移動からの奇襲だ。だが彼女が展開している《グレーター・アンティシペイト・テレポーテーション/上級瞬間移動出し抜き》の効果範囲では瞬間移動からの実体化が遅延される。その時間差を利用して迎撃の準備か撤退を選ぶことができるのだ。

メイのほうを見ると作業の手を止めて立ち上がり、呪文修正効果を持つロッドを抜き放って戦闘態勢を取っている。どうやらルーンを無効化する作業は途中のようだ。つまり俺たちが目的を達成するには現れる敵を排除して、彼女に作業の続きを行なって貰う必要がある。

判断は一瞬。それは他の皆についても同じで、同様の結論に至っているようだ。上空で警戒に当たっていた双子たちも高度を落とし、崖の上に現れるであろう敵への攻撃準備を整えているようだ。

転移してくる以上、敵は高位の術者を含んだ構成。移動を担当した術者以外は出現に対応して即座にこちらに呪文を放ってくることが予想される。俺たちが取るべき行動は「設置型呪文で出現位置に罠を仕掛ける」「カウンタースペルを用意して敵の呪文を妨害する」「壁系呪文で呪文の効果線を阻害する」「支援系呪文を使用しておく」などだろうか。

幸い敵の呪文に対する対応能力はラピスとメイに任せておける。であれば俺はそれ以外の手段を取るべきだろう。奇襲してくるつもりの連中の足元に盛大な歓迎の用意を整えておいてやる──そう判断した俺が切り立った崖を睨みつけるのと、視界が閉ざされたのは同時だった。突然足元から湧き上がった白い霧。隣に立つエレミアとラピスの姿すら霞んで見え、2メートルほどしか離れていないはずのメイの姿は完全に見えない。上空の双子たちについては言うまでもない。


「"防御術"のオーラを伴った濃霧──《ガーズ・アンド・ワーズ/守りと見張り》の呪文です!」


再びメイから警告の声。高位に属する秘術呪文、拠点防衛に使用される儀式呪文だ。霧で満たし、階段は蜘蛛の巣で覆われ、扉は隠蔽され施錠される。その効果範囲は術者の技量に応じるとはいえ広大だ。砦のどこか、あるいは地下からこの位置に効果を及ぼすことも不可能ではない。呪文の発動に30分必要なこともあり、術者は遠く離れた安全な位置にいると考えたほうがいいだろう。今はそれよりも現れる敵への対処が優先だ。

崖の上、敵の出現するであろう位置に特別製の《ウォール・オヴ・ファイアー》を設置する。視線が通っていなくとも、目標をとらない設置系の呪文であれば行使することは可能だ。これで敵は出現と同時に炎と酸で焼かれることになる。生き残ったとしてもそんな環境で呪文の発動に必要な精神集中を維持できるはずもない。ひとまずこれで術者への対処は完了したと見ていいだろう。


(見える範囲の砦、その全体が霧に覆われているぞ。高さは崖上までは届いていない)


念話でフィアからも状況が報告される。おそらくはこの霧の出現と同時に転移で出現し、攻撃を加える計画だったのだろう。だがメイに予め教えておいた呪文がその前提条件を覆してくれた。この世界では一般的ではない呪文ではあるが、瞬間移動からの奇襲攻撃という最も警戒すべき攻撃手段に対してこの呪文があるのとないのとでは生存率が大きく変わる。こういった身を守るために必須な呪文については出し惜しみする必要はない。そうやって得られた猶予を使い、崖の上への対処を終えた俺は敵の思考を読み解こうと考える。


(霧でこちらの視界を閉ざして高所からの一方的な呪文攻撃。果たしてそれで俺達を倒しきれると考えるだろうか?)

 
オルターダーが誘発したあの大爆発は、最高位呪文である《メテオ・スウォーム》を遥かに上回る破壊力を有していた。それを生き残った俺達に対する奇襲作戦としては随分と手ぬるい。あと1つ2つ、手が打たれていると考えたほうがいいだろう。


(近距離への転移は封じ、上空はフィアとルーが警戒してくれている。そうなると残るは地上か地中からの打撃部隊か──?)


視界を巡らせ、この広間への入口の方向を睨みつけた俺の視界には一面を覆う白い霧。《オブスキュアリング・ミスト》などによるものと異なり、呪文で焼き払ったり風で吹き飛ばすこともできない厄介な障害。それが不自然な動きを見せたことに感づいたのは増幅された知覚の為せる業か。

突如、霧を引き裂いて現れたのは黒い毛皮に覆われた一本の足。鋭い爪を備えたそれが地面のスレスレを滑るように飛翔しながら現れる。接地していないことから振動感知にも引っかからない。それが四肢持つ獣のものだとは見れば判る。だがその大きさは異常だ。頭部は霧に包まれて見れないほど高くにあり、その全体像を想像することが難しい。

無造作に駆け抜けようとするその足へと斬りかかるが、毛の一本一本が硬度と柔軟性を有しており刃が通らない。エレミアが繰り出したシミターによる一閃も俺と同じように弾かれている。そしてその巨体故俺達を苦もなく乗り越えて獣が狙ったのは──メイだった。鉄柱のようなサイズの爪が閃き、彼女の居る場所を薙ぐ。この獣はその鋭敏な嗅覚により、視界によらずに獲物の位置を把握しているのだろう。

無論メイも立ち竦んでいたわけではない。眼前まで迫った敵の巨躯を見て短距離の転移では逃れられないと判断し、《ウォール・オヴ・フォース》を展開する。力場で構成されたその壁は物理的な干渉をシャットしたが、その一撃では獣の攻撃は終わらなかった。対の爪がラピスへと振るわれ、俺には降りてきた顔からの噛み付きが襲いかかってきた。間近に迫ったその顔は虎と熊を掛けあわせたかのようだ。

咄嗟に後方に飛び回避しようとするが、一旦霧に隠れて消えたその牙はあっという間に視界を埋め尽くすほどの距離まで迫ってくる。そこで俺は自らの悪手を悟った。敵の胴体から距離をおいてしまったことで得られる情報が減り、敵の挙動が読めなくなったのだ。一か八か、ギリギリまで敵を引きつけてから急制動、足の動きをフェイントとし、実際はその反対側へ飛行能力によって移動する。相手の胴体後方に回りこむことで首の可動範囲から逃れることに成功するが、再び視界に入ってきた獣の胴体に違和感。

鋲打ちの革が胴体に巻きつけられ、鎧のようにその身を包んでいる。動物だというのに重装鎧を装備しているのだ。そして違和感の正体は背中から胴体にかけて、その黒い体毛と同じ毛皮を纏った長いものがぶら下がっている──これは足だ。騎乗兵がいる!

そう知覚したのと、俺目掛けて巨大な槍が突き込まれたのはどちらが先立っただろうか。咄嗟に腕を交差させ受け止めることで頭部を直撃されることは避けたものの、高所から巨人の膂力で繰り出された刺突は俺の両腕を軋ませるだけでは済まなかった。切っ先の軌道を変えた代償として鋼より硬いはずのローブは切り裂かれ、肉が割れ血が吹き出す。さらに空気ではなく体を通じて骨が砕ける音が耳に届く。

衝撃で後ろへ飛ばされそうになる勢いを下半身で吸収し、槍を潜るように体を前へ。ここで突き放された場合に待っているのは一方的な展開だ。何としてでも間合いの内側へ踏み込まなければ、数瞬後にはあの穂先の先端を彩る模様を増やすだけになってしまう。幸いその試みは成功したのか、追撃が行われる様子はなかった。

今の一瞬の攻防でこの主従の能力が非常に高いことは理解した。次に同じような攻撃を叩きこまれれば、それが誰であっても瀕死に追い込まれる恐れがある。ならばその前に倒すまでだ。その異相から判断が難しいが、敵は巨人。ならば少なくとも弱点の可能性である冷気が最適か。

痺れる掌の先に《コールド・オーブ》を構成。オルターダーにはその特殊性から通じなかったが、あの秘石を用いた防護は他の将官には付与されていないはず。そんな俺の計算の元、送り込まれた殺意の氷球は騎兵の首元へと着弾した。その衝撃で表面を覆っていた外殻が砕け、内部の極低温が付近の熱量を喰らい尽くす。胸元から頭頂までが一瞬で氷塊へと置換され、直後それは周囲との気温差に当てられて砕け散った。闇夜の中微かな光を反射して輝くその破片達は、足元の霧に吸い込まれる前に溶けて消え行く。頭部を失った死体はぐらりと揺らめき、力なく乗騎の上に倒れ伏した。


(流石に過剰火力だったか? だが次はこの虎熊モドキだ──)


首尾よく敵を撃破した俺は思考を切り替え、傷の治療を後回しに再び呪文を編み上げる。あの"ツイン・ファング"が仔猫に見えるほどの体躯。おそらく体重は50トンに近いであろう、今まで俺が見た中でも最大に近い生物。その体躯は脅威だが、指示を出す主を失えば所詮獣の知性、戦い方はいくらでもある──だが俺のその考えは瞬く間に粉砕された。

倒れ伏す騎兵の胸元から流れ出る血が、何もない空中に走る。それは血管を形取り、さらに周囲に失われた肉体組織を再構成した。瞬く間に頭部までが再生され、槍を握り続けていた腕は明確な意志のもとに力を取り戻し雷光の鋭さで振るわれる。


「撤退だ! 上空の霧のない区画へ!」


繰り出された槍の鋭さは他の副官達に劣らぬ鋭さだった。直撃こそ避けたものの、攻撃を逸らすために触れた四肢をこそぎ落とすような苛烈な刺突。想像を超えていた敵の再生能力を目の当たりにしたことで、俺は腕に治癒を施しながら他の皆へと声を飛ばし、敵に攻撃する隙を与えぬよう回避運動を取りながら空へ。ラピスとエレミアも最後の槍による攻撃を受けたのか、無傷とはいかないが無事に逃れてこれたようだ。全員に回復呪文を使用し、万全の状態を取り戻してから下方を睨みつける。


「高速再生どころか、明らかに即死の状態からも復活してきた。あれはなんだ?」


データ的にいうのであれば、HPがマイナス10になった時点でそのキャラクターは死亡する。そして死亡した時点で高速再生は停止するはずだ。先ほどの俺の攻撃は命中した時点で敵を絶命させていたはずだ。

だがその疑問に対して悩んでいる時間はなかった。揺蕩う霧をかき分けて、巨体が宙を駆け迫ってきたのだ。体長20メートルほどはあるだろうか。体は虎を5倍ほどに拡大したようだが、全身は黒い体毛に覆われ顔は熊の凶相を宿している。そしてそれはその上に跨る巨人とも共通していた。その巨人が大気を震わせる咆哮を放つと崖の上に展開していた炎の壁が消失していく。《ディスペル・マジック》だ。


「──敵は自然の諸力を破壊に用いている」


ルーの言葉が敵の正体を指し示した。悪のドルイドとその動物の相棒ということだ。そしてその再生能力からして騎乗しているのはヒル・ジャイアントであるインスガドリーア、彼が使用する《バイオ・オヴ・ワーベア/人熊の一噛み》の呪文により熊相を得ているのだろう。その効果が相棒のタイガーにも及んでいるのだ。

多くのドルイドが連れ歩く動物は、その主との間に特別な絆が結ばれている。本来であれば術者自身のみを強化する呪文の効果が相棒にも及ぶのだ。そして主人と共に成長するその動物たちは種族の中でも滅多に居ない巨躯となり、更にその肉体を呪文により巨大化させているのだ。

インスガドリーアの咆哮に続けて、その従者たる虎も雄叫びを上げこちらへと突進してくる。四肢が空中を蹴り、不可視の階段を駆け上がるようにしてこちらへと向かってくるその姿はもはや生物を相手にしているという実感が湧かない規模だ。だがその巨躯と鎧を纏っていることが影響しているのか上昇速度は早くない。振り切ることも充分可能な範囲だ。

そう判断し皆を上空へ移動させ、俺が足止めしつつ敵の能力の内容を暴きだそうと考えた頃。虎に跨り鎧を着込んだ巨人が下品な身振りでこちらを招き、首を掻き切る仕草を見せると同時、俺たちの直上から打ち下ろしの突風が吹き付けた。《ダウンドラフト/吹き下ろす風》、飛行するクリーチャーを地上に叩き落す呪文だ。フィアとルーは持ち前の呪文抵抗により風の干渉を受け付けなかったが、俺たちはそういうわけにもいかない。

円柱状の大気がまるで固形物のようになり俺達を地表に縫いとめようと落下してくる。その圧力に抗うものの、完璧には自分の位置を保持しきれない。霧に飲み込まれるのを辛うじて避けたもののいつしか彼我の高度関係は逆転していた。眼前にはインスガドリーアの振るう槍が迫っている。その軌道上にまんまと誘き寄せられたのだ。


「逃げられると思ったのか、馬鹿共め。大地も風も、遍く全てが我らが将軍に捧げられた供物にすぎんわ!」


切り倒されてなお生命を保ち続ける堅木──ライヴウッドを柄とし、アダマンティンを取り付けられた鋭利な穂先が強かに俺を打ち付け、降下気流に巻き込まれた他の皆をも打ち据えていく。吹き飛ばされる俺の視界に映ったのは、崖上に出現したミノタウロスの術者の集団。《ダウンドラフト》は彼らの仕業だったのだろう。先ほどのディスペル・マジックにより俺が設置していた呪文が解呪されたため、彼らにフリー・ハンドを与えてしまっていたのだ。

打ち消された炎の壁を再び展開しようとするも、呪文は敵が放つ解呪呪文により打ち消され霧散していく。やはりこのレベルの戦いにおいては俺の術者としての技量がネックになり、敵のカウンタースペルの良い的だ。感触からすると彼らの呪文強度は俺より上、ラピス、メイよりは下といったところか。だがその数が多い。6体というその数は技量差をひっくり返すに充分な脅威だ。この調子で援護を続けられればインスガドリーアとまともに戦うことなど出来はしない。


(皆であの術者集団の相手を頼む。俺があの巨人を足止めしている間に排除してくれ、あの数の術者を自由にしておくのはまずい)


念話で皆に方針を説明し、俺はインスガドリーアに向き直る。


「どういう絡繰かは知らんが、死んでも蘇るなら何度でも殺すまでだ!」


少なくとも再生を行なっている間は動きが止まるはず。術者が介入している間は呪文が干渉されるため、火力が足りず追い込めないかも知れないが削ることはできる。どの程度の再生能力か、敵の能力を測る必要がある。


「二将を退けた人間か。先ほどの秘術は確かに恐るべき威力だ。だが、私はあの傲慢なオルターダーや力押ししか知らぬヘロスとはひと味違うぞ!」


俺の挑発にそう声を返したヒル・ジャイアントのドルイドは、その両足で相棒に背負わせた鞍を挟み込んで指示を出し、それに応じて相棒の巨虎が動き始めた。高所より超重量の物体が迫り来る。その体当たりだけでも充分に脅威ではあるが、さらに恐るべきはその爪による攻撃だ。

この世界の虎は突撃後に両の前肢で切り裂いた後で捕えた獲物を引き裂く恐ろしい攻撃を特徴としており、今回の場合はさらに騎乗しているインスガドリーアも移動を相棒に任せることで攻撃に全力を注いでくるだろう。数々の秘術の防護により一瞬で削りきられることはないだろうが、相当な負傷は覚悟しなければならない。

だがそれでも俺が相手しなければ他の誰かが犠牲になる。最も回避能力に優れ、打たれ強い俺が壁となって時間を稼ぐしか無いのだ。意識を集中して身構える。幸い先ほどの霧の中と異なり、視界は明瞭で敵の動きを把握するのに支障はない。30メートルほどあった彼我の距離はあっという間に縮められ、その長さに反比例するように意識が研ぎ澄まされ時間が引き伸ばされていく。

6メートル。敵の攻撃の間合いだ。だが今だ敵に攻撃の始動は見られない。メイがもつ"にわかの移動"のような短距離転移による緊急回避を念頭に、さらに間合いを詰めるつもりか。だが距離を詰めれば詰めるほど、インスガドリーアの槍の間合いの内側へと俺が滑りこむ可能性が高まる。踏み込みを含めない俺の間合いは長剣を振るったとしても1メートル程度であり、その射程の差は圧倒的だ。

4メートル。もはや視界には虎の巨大な肉体しか映らない。通過する特急車両の眼前に身を晒したような感覚。速度こそそれほどでもないものの、重量の差がそれを埋めている。何より初速からほぼトップスピードという恐るべき加速性能。ただ走りまわるだけで一軍を崩壊させるであろう暴虐性。まだ敵の攻撃は来ない。

3メートル。最早インスガドリーアの槍が最大の殺傷力を発揮するギリギリの距離まで来ている。此処から先は間合いの内側と言ってもいい。だがそれでもヒル・ジャイアントは動きを見せない。眼前には猛然と大気を蹴って荒れ狂う虎の四肢。ここに至ってようやく俺は敵の狙いに気づいた。

お互いの距離がゼロとなり、虎は隙だらけの腹を晒しながら俺を無視して駆け抜けようとする。敵を食い止めるべく足止めの一撃を放つが、抜き放ったコペシュの刃が毛皮を断ち肉を切り裂くも巨獣の歩みを止めるには至らない。そしてその向かう先にいるのは──メイだ。


「メイ!」


咄嗟に放った《コールド・オーブ》は背後を見せたインスガドリーアの後頭部に直撃し、再びその頭蓋を砕け散らせる。だが、それでも騎兵の動きは止まらない。デュラハンのように首を失ったまま、槍を握りしめた騎兵が獣に跨って空中を疾駆する。

無論メイも無警戒ではない。俺の叫びよりも早く構成された呪文が展開され迫る巨体の直前に再び力場の壁が立ち塞がるが、それはミノタウロスの術者が放った《ディスインテグレイト》の呪文により瞬時に解体された。術者としての技量の差から呪文の発動自体を阻害することはできなくとも、完成されたその呪文効果自体を無効化する術を使用することで目的を果たす。そうやって頼るべき障壁を失った彼女の元へ獣の双爪と牙が迫る。

他の皆にはミノタウロスの術者が霧を生み、視界を遮ることで援護を不可能にしている。俺も先ほどの《コールド・オーブ》を撃ったことで呪文の再構築には時間を要する。次の呪文は間に合わない。

獣は彼女を包む複数の力場をたやすく貫き、ドラゴンの鱗をその硬度を維持したまま重ねあわせて作られたローブをも容易く切り裂いて彼女の肌に爪を立てた。長剣並の大きさの爪は、だがその殺傷力は剣の比ではない。咄嗟に身を捩ることで体幹への直撃は避けたものの、脇腹が抉り取られ風圧に煽られて大量の血が舞う。

彼女を覆っていた障壁が破られたことで指向性の衝撃波が発生し虎を襲う。《ソニック・シールド》と呼ばれる防御呪文だが、今回は相手が悪かった。1,2メートル吹き飛ばされた所でこの獣の射程距離からは逃れたことにはならない。立て続けに爪が振るわれ、今度は彼女の左肩にその爪が突き刺さった。握力を失い、握りしめていたロッドが落下し結わえられていた紐を支えに腰元にぶら下がる。虎の爪は残酷にもその傷跡を引き裂くように捻りを加えながら抜き取られ、引き際に彼女の体を袈裟懸けに引き裂いていく。

そして敵の攻撃はこれで終わりではない。騎獣を従えたインスガドリーア、その槍の射程はまさに今彼女がいる距離を最適の間合いとして収めていたのだ。今だ再構成が鼻先までしか終わらぬまま、巨人は口から雄叫びをあげて槍を突き出す。


「まずは一人、厄介な術士からだ!」


頭部と心臓。絶対的急所であるその二箇所目掛け、雷光の如き速度で槍が疾る。武人ではないメイにはその攻撃を捌くことは到底不可能だ。辛うじて首を捻ることで頭部への直撃こそ避けるが、首筋を抉れ今までの出血が虚仮威しに見えるほどの勢いで血が吹き出した。明らかに重症、続く攻撃を受ければ即死もあり得る状況。

だがメイはまだその怜悧な頭脳の働きを止めていなかった。深手を負ったことで彼女が自らに付与していた呪文の一つが発動する。彼女が懐に忍ばせていた自らを模した小像が砕け散り、《コンテンジェンシィ/もしもの備え》が起動。その呪文は予め封じられていた《セレリティ/素早さ》という秘術呪文の効果をメイへと与え、それにより彼女は通常有り得ざる速度で呪文を編み上げた。

《リミテッド・ウィッシュ/限られた望み》。膨大な魔力が現実を歪め、術者の望んだ虚構を真実へと昇華させる。あれほど負っていた彼女の負傷は初めから無かったかのように消えさり、破損した衣服すらも元通りの姿を取り戻した。その予想だにしなかった光景に動揺したのか、インスガドリーアの振るった槍はメイの展開する障壁を貫いたものの蘇った竜鱗の表面を滑り彼女の体を殴打するに留まる。再び衝撃波が炸裂し、彼と騎獣はさらに後方へと押しやられた。もはや獣の牙も巨人の槍も届かぬ間合いだ。


「なるほど、想定以上に優れた術士であったようだな。だが、そのような大魔術は数撃てるものではあるまい!」


攻撃の反作用で受けた衝撃波によるダメージを再生しながらインスガドリーアはそう呟き、再び乗騎を駆る。確かに先ほど彼女の命を繋いだ《コンテンジェンシィ》は準備のための詠唱に30分必要な儀式呪文であるし、《リミテッド・ウィッシュ》に至っては使用に際して生命力──経験点を消耗する高位の呪文だ。いずれも多用できるものではない。

だがそれらの呪文で彼女が稼いだ時間は値千金と言って良いものだ。眼下のミノタウロスの術者達は霧から離脱したラピスが放った《ブラック・テンタクルズ》によって拘束され、その黒い触手の森の中を悠然と歩くフィアが《サイレンス》の付与された魔法剣で敵の呪文発動を妨害しながら確実に止めを刺している。時折締め付けに耐えながら音声を省略して放たれる呪文はルーの呪文抵抗と解呪によって散らされていく。もはや敵の術者群は無力化したといっていいだろう。そして肝心のインスガドリーアへは俺が迫っていた。


「もう彼女には指一本触れさせない!」


再び掌に《コールド・オーブ》を構成、対象目掛けて解き放つ。ただし、今度の狙いはインスガドリーアではない。彼の動物の相棒、巨大な虎だ。先ほどのメイを攻撃した際の衝撃波はあの虎にも勿論ダメージを与えていた。だが騎兵たるヒル・ジャイアントの傷は癒えていても、虎の前肢に刻まれた負傷は癒えていなかった。つまり、あの獣には常識外の回復力は備わっていないのだ。正面まで回りこんで放たれた氷球は狙い過たず巨虎へと到達し、その顔面へと突き立った。

直撃した氷球は今までにない規模で対象から熱量を奪い去る。尻尾の先に至るまで、全身を凍らせた巨獣は飛翔する力を失って落下していく。インスガドリーアは咄嗟に騎獣から飛び降りることで巻き添えは免れたものの、その隙を突いて接近するエレミアには気付くことは出来なかった。


「肉体はいくらでも再生する──ならば徐々に戦闘力を削がせてもらおうか!」


閃いたエレミアのダブル・シミターはヒル・ジャイアントの構えた槍をその中央で断ち切り、さらに持ち主の肉体までも切り開いた。ドルイドであるインスガドリーアは金属の鎧を身につけることは出来ない。だが《アイアンウッド》という呪文はその名の通り木製の装備を鋼鉄製と同等の性能に押し上げる。しかしエレミアの刃はお構いなしにその鎧の上から敵を切り刻んだ。四肢の腱を切断し、眼球を斬り喉を貫く。武器と視界を奪い、さらに喉を潰すことで呪文の詠唱も封じる狙いだ。

だがそれでも巨人は抗うことは止めない。《バイト・オヴ・ワーベア》の呪文により鋭利な爪と牙を宿した彼は、喉元と口から血をまき散らしながらもその鋭敏な嗅覚で俺達を補足、攻撃を加えた後に地上へと一気に降下していった。移動の隙に攻撃を加えるが、肉体的欠損が再生する以上効果は薄い。だが、ここで逃す訳にはいかない。

一度失われたドルイドの相棒は、24時間の儀式を行うことで再び得ることができるとされている。つまりここで逃せば一日後には再び強襲を受けることになるのだ。ミノタウロスの術者達がまだどれだけ残っているかは不明だが、インスガドリーアだけでも十分な脅威である。


「ここで仕留める、追うぞ!」


ヒル・ジャイアントを追って霧の海に飛び込む。視界は確かに効かないが、巨人の移動能力を考慮すれば居場所の予測はつく。飛翔に使用していた呪文は通常の《フライ》、重い鎧を纏っていることで落ちているその移動力と霧に没入する直前までの経路からすればその範囲を絞り込むことは容易だ。

何よりもその巨体、戦いには向いていても隠れるには不利極まりない。高速詠唱した《火球》を2つ、候補となる位置にそれぞれ叩き込み手応えを確認しながら残った位置へと突き進んでいく。今の呪文に反応がないということは、残された範囲は限られている。それは俺の両腕で十分にカバーできる広さに過ぎない。

間もなく眼前の霧の中に浮かび上がる黒い影。既に先ほどエレミアから受けた負傷も癒えきった、インスガドリーアの姿だ。即座に斬りつけた傷は瞬時に回復する。攻撃を受けたことでようやく俺の接近に気づいた巨人は、半歩下がることで霧に身を隠すとその距離から猛然と俺に爪による攻撃を繰り出してきた。


「いくら攻撃しても無駄だとまだわからんのか? 霧の中では我が動きは捉えきれまい。

 我が身と異なり、貴様らの癒しには限りがあろう。有限がいくら積み重なろうとも、無限には届かぬ!」


どうやらインスガドリーアは逃げたのではなく、戦いの場を霧の中に移したつもりだったようだ。確かに実質不可視の敵を相手にするに等しい状況では、全ての攻撃を回避することは不可能。そして敵の無限再生──こちらが不利であることは否めない。だが、それは勝ち目がないということには繋がらない。


「減らず口はそこまでだ!」


踏み込んで距離を詰め、巨人の膝に一撃。もはや防御に気を払っていなかった巨体はその攻撃でぐらりと姿勢を揺らし、バランスを崩す。そのまま駆け上がるように自分の体を空中に持ち上げると、ヒル・ジャイアントの側頭部に強烈な殴打を見舞った。《足払い》に加えて《朦朧化打撃》。先ほどからダメージ自体は再生しているものの、攻撃自体が通用しないわけではない。つまり傷が回復しようとも乱された平衡感覚が回復するわけではないし、朦朧とした意識が元に戻るわけではない──!

さらに挟みこむように降り立ったエレミアの剣閃が翻り、体中を切り裂いていく。再生は続く。だが意識は茫洋とし、起き上がることも出来ぬ状態で切り刻まれ続ける。生と死の天秤が激しく動きまわる中、最後の一押しをすべくメイが舞い降りた。カツンと硬質の音を立てて、彼女の履く硬質のブーツが床の黒曜石を叩く。一見無防備に見えるその姿から、彼女は一つの呪文を解き放った。


「《アンティマジック・フィールド》」


彼女を中心に不可視の障壁が広がっていく。それは呪文や魔法の道具の機能を停止する破魔の空間。インスガドリーアに付与された呪文はその機能を停止し、熊相は失われ、ヒル・ジャイアントの姿が現れた。周囲の霧も彼女を中心に溶けるように消えていき、半径3メートルほどの空間が周囲から切り取られたように浮かび上がった。

この呪文も絶対というわけではない。彼女がよく使用する《ウォール・オヴ・フォース》のように解呪作用を受け付けない呪文は例外的に存在するし、神格など定命の範囲を超えた存在の能力は無効化できない。それはこの巨人が与えられている再生能力にも当てはまる。だが、それはこちらの想定の範囲だ。


「確かに、その秘石の加護は私達定命の存在の魔法を超えています──しかし明らかに即死となったり、死亡した状態でもなお戦い続けることができる呪文はそうではないでしょう?」


最初に目撃したときに驚いたように、いくら再生が強力でも死亡状態に至ればその機能は停止する。いかな強靭な巨人といえど、頭部を吹き飛ばされて生きているはずがない。なら、それは一体どういう絡繰か?

俺たちが導きだした答えは一つ。それは呪文により、「瀕死状態になっても支障なく活動を続ける」ことと、「いくら傷を負っても死亡することがない」状況を重ねあわせるというものだ。それらの呪文は確かに信仰系呪文に存在する。それらと強力な再生が合わさることで、不死身の戦士を演出していたのだ。

無論他のパターンも想定してはいたが、幾度も刃をふるってその再生や不死性を目のあたりにすることで働いている魔法の作用を見極めた結果、最も確率の高い手段を取ることにしたのだ。その結果がいま俺たちの前に示されている。


「《ビーストランド・フェロシティ》に《ディレイ・デス》──後者はお前では使用できないクレリックの呪文。霧の中に逃げ込んだのは、戦闘を優位にするためではなくこの呪文の効果時間が切れることを恐れてのことか?

 俺達に攻撃を仕掛ける前に仲間に呪文を使用してもらっていたんだろうし、霧に紛れて再度かけ直しを図ったんだろうが──残念だったな。お前はここでお終いだ」


俺の言葉を聞き、呪文による強化と不死性を失い今まさに切り殺されようとしているインスガドリーアは、信じられないといったような表情を浮かべる。


「終わりだと? まさか、私の誓いと約束が破られ、石が失われるとは!」

 
必至で術者たるメイへ向けて手を伸ばそうとするもその指先にもはや鋭利な爪はなく、平衡感覚を失ってよろける体に勢いはない。その腕すら切り払い、再び脳髄を揺らす打撃を見舞うと意識を混濁させた巨人の体は地面に大の字を描くように崩れ落ちた。

エレミアの刃がその体を薙ぎ、首と胴が切断される。不死の呪文の効果を失った巨人はそれにより死を確定され、オルターダーと同様にその体を光に包まれたかと思うと跡形もなく消え去った。そうして、将軍の副官の一人、インスガドリーアは死んだ。後には火の秘石"ウルタ・シャード"が残されている。

残る副官は後一人。そして、"炎の王"の後継を自認するファイアー・ジャイアントの将軍ザンチラーその人だ。ストームクリーヴ・アウトポストの夜はようやく明けようとし、分厚い雲を貫いて山の稜線が太陽の光でその輪郭を明らかにし始めている。それは長い戦いがようやくその折り返し地点を超えたことを俺達に教えてくれているかのようだった。



[12354] 5-11.ストームクリーヴ・アウトポスト6
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2012/04/09 19:50
補給物資を受け取ったデルヴァスコンの動きは素早かった。内部容量を拡張する秘術容器の梱包を解くと現れた矢弾などの武装を始め、回復用のポーションや消えずの松明、錬金術師の炎といった雑多な品が流れるように再編を済ませた部隊へと配備されていく。

驚くべきことにその荷の中にはウォーフォージドの戦士までもが含まれていた。荷が奪われ、略奪者が開封した際に痛撃を与えるために彼らは重要な荷と共に封印されていたのだ。ウォーフォージドは鉄と石、そして木から構成されており呼吸や飲食を必要としない。さらに単独での任務に耐えるべく施された訓練により強靭な精神を宿しており、そのような環境下に置かれていたにも関わらず精神にはいささかの揺らぎも感じさせない。

それどころか胸を張って歩くその重厚な姿はついに訪れた戦いを前に気力が充実しきっているように見える。最終戦争がスローンホールド条約により終結した後、人権を与えられたとはいえ戦争を生業として産み出されたウォーフォージド達の多くはそのまま戦いの中に身をおくことを望んだ。与えられた任務を遂行することこそが彼らにとっては生きがいであり、自分たちにしか成し得ないことであればそれこそが自らの存在価値であると考えているのだ。

セントラル・ブリッジを前に組まれた戦列の最前列の多くはそういったウォーフォージドが占めていた。薄い太陽の明かりを照り返し彼らの装甲が眩く輝いている。無論その後ろに並ぶデニス氏族の剣兵たちも士気では劣っていない。まるで火にかけられたポップコーンのように今にも破裂しそうな熱量を彼らから感じる。だがその時が訪れたとしても彼らは無軌道に飛び跳ねるような真似は決してしないだろう。

苛烈ではあるが整然と。隊を伍し隣に立つ戦友と呼吸を合わせて一個の巨大な生物のように動くことが、この大地での戦いで生き延びるために必要だということを彼らはよく知っているからだ。そして彼らの前には立派な体格の軍馬に跨ったアグリマーの姿があった。作戦を開始する、その号令がこれから発されるのだ。


「同志諸君!」


初めて会ったときとは異なり、重厚な鎧を纏ったアグリマーが乗騎の足を止めるとその口を開いた。


「長い夜が明け、我らが望んでいた朝がようやく訪れた!」


深く響き渡るバリトン・ボイスが周囲を満たす。それを聞く一同は身動ぎ一つせずに、その声が身に染み渡るのを待っているかのようだ。ただ1つ、彼らが兜に刺している羽を模した意匠──デニス氏族のトレードマークであるキメラを示して薄く三色に染められている──それだけが風に揺らいでおり、草原に揺れる草のように見えた。


「丸一日、短くも激しい戦いの中で多くの同胞の命がドル・アラーの元に召された。その中にはこの砦に配属されたばかりの新兵も、最終戦争を私の隣で生き抜いた古参の兵もいた。死は平等に我らの元を訪れたのだ。

 だがそれは敵にとっても同様だ。ソヴリン・ホストの思し召しか、我々は心強い仲間を得ることが出来、連中の四肢の内その過半を失わせ、今や敵はそのやせ細った体以外には腕の一本と頭を残すのみとなった!」


精兵達を見回すように視線を巡らしながら馬上のアグリマーは続けた。


「既に敵の企みの大部分は潰え、生き残った軍勢の多くは穴蔵に逃げこみ、残った諦めの悪い連中が戦いの始まったあの丘に集結している。

 いずれ訪れる増援を待てば我々は苦もなく、再びこの地を取り戻すことができるだろう──」


そこでそう言葉を切ると、司令官は背後、北東の空に視線を飛ばす。それはストームリーチの街がある方向だ。僅かにそちらを眺めた後、再び振り返ったアグリマーは強い口調で演説を再開した。


「だが、その判断は我々にとって誤りである!

 敵は太古の秘術に通じた巨人族だ。彼らが我らの及ばぬ秘知を所有していることは認めねばならん。

 であるならば、未だこの地に残り抵抗を続ける敵軍には何らかの謀があると考えるべきだ!」


それは再び時間を設け、俺たちと会談した際に出した結論だ。秘術刻印が刻まれたピラーは全て無力化した。だが空に渦巻く雲はいまだその規模を縮小する気配を見せず、敵は戦力を転移門付近に集結させている。

単に撤退するのであれば転移門の復旧をまたずとも、砦の敷地を離れ南のジャングルへと逃げ込めばいいのだ。巨人達は夜目もきくし、夜陰に乗じて脱出すれば追撃は困難だったろう。その手を取らなかった以上、敵はあの場所で何かを企んでいると考えて良いはずだ。


「我らが訓練を受けているのは何のためだ? 血と汗を啜り、泥に塗れこの砦に残る意味はなんだ?

 我々は常に最悪の事態を想定しこれを防がねばならない! 危険の芽があるのであれば、それを見過ごしてはならないのだ!

 "炎の海"への門が開かずとも、我が同胞らの死体を弄ぶあの忌むべき死霊術師を取り除くまでは我々の戦いは終わらない!」


優れた死霊術師は死体を用い、アンデッドを作成する。秘術というリソースを消耗する以上無尽蔵にとはいかないが、時間を置けば置くほど敵の戦力が充実することは確かだ。

さらに彼らが何かを企んでいるというのであれば、大規模な増援が即座には得られない以上こちらから早急に打って出る必要がある。巧遅よりも拙速を。そして災いの芽は決して残さない。アグリマーはその強い意志を込めた瞳で戦列を見渡していた。


「我らに必要なのは"決断"ではなく、行うべき"当然"に過ぎない! この地より連中を叩き出し、人々が枕を高くして眠れる夜を取り戻さなければならない!

 我ら"歩哨"の一族の誇りはこのような戦いの中でこそ得られるのだ! 最後の剣の一振りとなるまで戦うことをドル・アラーに誓おう。

 そして銀炎の導きの元、奴らをドルラーへと送り込むのだ! 我が"ファイアーブランド"の名にかけて!」


馬上で抜かれた剣が朝日を受けて輝く。立ち並んだ剣士達も皆が同時に抜剣し、獲物を空に掲げた。燦然と光を反射する光景はまるで光を放つ木で出来た森のように見える。


「それでは出撃だ諸君! この大地の光当たるところには、既に彼らの住むべき場所など無いと教えてやれ!」


最後にそう告げるとアグリマーは馬首を巡らせ、セントラル・ブリッジへと進路を定めた。こうして三度目にして最後となる、デニス氏族の反撃の狼煙があげられたのだ。









ゼンドリック漂流記

5-11.ストームクリーヴ・アウトポスト6












陽の光の差し込まぬ暗い洞窟の中、音もなく動く影があった。その身をミスラルに包んだウォーフォージドの兵士だ。鉄を魔法金属に置き換えて創り上げられたその体には、戦闘ではなく斥候の訓練が施されている。呼吸をせず、血の代わりにオイルを静かに流すその体は隠密に向いているのだ。

微かな下り坂を気配を殺しながら進むと、やがて前方に明るく開けた空間が広がっていた。鈍い光彩はその光源がいずこからか吹き出した溶岩であることを示している。天井の高さは変わらぬものの、かつては舗装されていたのか下り階段のような急勾配の段差が先に広がっており、それによって突如下方向に開けた形になっている広間には静かに佇むヒル・ジャイアントと喚き合いながら宙を飛んでいる数匹のメフィットの姿があった。

十分な距離がお互いの間にあることを確認し、斥候のウォーフォージドは片手を挙げる。その掌に塗られた塗料は、対応する特殊な加工を施されたレンズを透過することで暗闇でも緑の光を放って見える。彼が小さく円を描くように手を回し、暫くの時間が経過するとその隣には軽装を身に纏った複数の人間たちが並んでいた。

足音を殺すため体の動きを阻害しない程度の薄手の革鎧を身に纏い、さらにその上から体の出す音を吸収する役目を持った外套を羽織っている。矢筒を背負い、手には弓を持っている以外は小剣すら帯びていない。そうやって武装を犠牲にしてまで得た隠密性によって、彼らは戦術的優位を手に入れていた。

幸い洞窟の通路は巨人が容易にすれ違うことが可能なほど広く、人間であれば10人近くが並ぶことが可能だ。その道の幅をいっぱいに活用し一列に並ぶと、彼らは弓を構え音が出ぬように最新の注意を払いながら、蝸牛の歩みほどのゆっくりとした速度で弦を引き絞った。

複合弓のなす二重湾曲に張り詰めたその緊張は、ウォーフォージドの兵がその腕を振り下ろしたことを合図として解き放たれた。弦が震える音が重なり、闇夜に溶け込む黒塗りのアローは宙を舞っていたメフィットたちへと殺到した。硬い果実を踏みつぶしたような音が続き、その仮初の肉体を矢が貫くと火の次元界からの来訪者達は体を崩壊させていく。奇襲から放たれた矢は無警戒に浮遊していた敵に余すところ無く命中し、彼らを撃滅したのだ。

哀れな来訪者たちが最後に発した悲鳴により、ヒル・ジャイアント達はようやく侵入者達に気がついた。だが彼らが丸太の如き棍棒を振り回しながら駆け寄るより速く、その体へも矢が放たれる。しかし彼等のその身の頑健ぶりは、か弱い来訪者のそれとは比較にならない。確かにその大きな体は的としては目立つ。だが分厚い外皮はそれ以上に矢が突き立つことを妨げ、獣の皮をなめした粗末だが厚手の衣服も鎧としての役割を十分に果たしていた。無論全ての矢を防げるわけではない。だが彼等はその矢傷をものともせず、現れた侵入者達へと突進を開始する。

だがその行動は想定通りだ。弓手達は射撃を続けながらも、隣に立つ者どうしが互い違いに前後に並ぶように隊列を組み替えた。そうやって開いた戦列の隙間から、大盾を手にしたウォーフォージドの重戦士たちが飛び出したのだ。配置されている中でも特別に選抜された彼らは、鉄ではなくアダマンティンを素材としており、その装甲の硬さに並ぶものはいない。その体の重さ故に隠密行動に向かず、距離を開けた後方に待機していた彼等は戦闘の開始を合図に、メフィットの悲鳴に紛れて一斉に動き始めていたのだ。

弓兵達を抜き去った彼らは階段の半ばまでたどり着き、そこで盾を構えると巨人の棍棒と激突した。轟音に大気が震え、それ以上に受け止めた盾が震える。階段の段差があるとはいえ、その身長差を覆すほどではない。大地ごと叩き潰さんと振り下ろされたその大質量を、熟練した戦列兵である戦士はその体に盾を固定して踏ん張った。左右に並ぶ盾の友らも叩きつけられた衝撃をいくらかでも引き受けるべく、狙われたウォーフォージドの構える盾に自らの盾を重ねあわせている。一個体の能力では敵わなくとも、制御された一隊としての能力であれば拮抗しうるのだ。

さらに彼らは最終戦争時に自らより大型として建造されていた巨大兵器との戦闘経験を、この大地での対巨人族戦術へと転化させ活かしていた。打撃力で押しきれなかったデカブツたちが取る戦法は概ね同じものだ。それは体格差による蹂躙。ヒル・ジャイアントがその棍棒から一方の手を離し、厄介な戦列兵を取り除くべく腕を伸ばしてくる。その膂力で中核を為す戦士を掴み、放り出そうというのだろう。

だがそれはウォーフォージド達の狙い通りの行動だ。盾を回りこむようして槍が突き出される。それは伸ばされた腕の下を潜ると、外皮の薄い脇の下へと突き立てられた。"創造"のマークを持つカニス氏族が鍛えた槍はその傷口を焼き焦がすように熱を発する。それは火に対する耐性を持たないヒル・ジャイアントに絶叫をあげさせるに十分な痛みだ。戦機を悟り次々と巨人へと武器が叩きつけられ、後方からもここぞとばかりに矢が降り注ぐ。巨人の叫びが途絶え洞窟が戦士たちの勝鬨を上げる声で満たされるまで、長い時間はかからなかった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「洞窟の制圧と封鎖はいずれも完了したようだ。これも君たちが今まで前線で戦ってくれたおかげだ。我々だけでは反撃の余力を残すこともなく疲弊しきっていたかもしれないからな」


大きく部隊を展開させた先、巨人達の物資集積点を制圧し設けられた仮設司令部で、秘術兵の念話による状況報告を受け取ったアグリマーがそう語りかけてきた。テーブルの上に広げられた地図の大部分は、既にデニス氏族を示すナイトの駒で占められている。残る例外はひとつ。南西部分に置かれた、赤いビショップの駒だけだ。

他の敵兵達は意気軒昂な戦隊により次々と捕捉、排除されていった。そもそも体格に優れた巨人やトロル、ミノタウロスといった連中が身を隠しておけるところなどそう多くはないのだ。分散の愚を犯したそういった敵兵達は次々と暗闇の中で奇襲を受け、打ち倒されていった。


「今度は我々が君たちを万全な状態で目的地まで送り届けよう。敵副官までの障害は我々が取り除く。

 地上敵戦力の掃討が終わり地下との連絡路を封鎖してしまえば、上空が封鎖されていたとしても安定した補給が受けられるようになるだろう。

 敵の将軍が引き篭っている地下遺跡の探索には冒険者の協力が必要だ。ストームリーチとの連携を行う上で、地上の安全は確保しておきたい」


アグリマーの言葉を聞いて俺は頷きを返した。どうやら作戦は順調に進んでいるようだ。今この"嵐薙砦"の各地では、温存されていたデニス氏族の部隊が戦闘活動を行なっているのだ。次々とあがってくる報告はいずれもがこちらの勝利を伝えるものだ。

単純な火力でこのデニス氏族の駐留軍と俺達を比較した場合、その軍配は俺たちの方へと上がるだろう。だがそれは単に破壊力の比較に過ぎない。殺し合いではなく、陣地の取り合いや補給路の確保を含めた戦線を構築する能力で言えば圧倒的に優れているのは彼らの方だ。

少人数の俺達には占領という作戦行動を行うには不向きだ。またこのレベルの冒険者に依頼するに必要な莫大なコストのことを考えればその使い道は自然と限られる。それは今までやってきたとおり、その少数での類まれなる戦闘火力を活かした破壊工作──暗殺である。


「予定通りというところだな。集結している敵軍に動きは?」


気になる敵の動きについての質問に対して、アグリマーの反応は残念なものだった。首を横に振りつつ息を吐き出し、肩を竦めてみせる。


「こちらの偵察の範囲では特にこれといった動きは見られていない。無論秘術で幻術を看破できるほどの距離まで近づいているわけではないが、それでもある程度規模のある敵兵の集団には変化が見られない。

 丘の三方は背の高い石壁に囲まれていて、移動できる先は北方向に限定されている。そちらには洞窟がひとつ、そして今我々がいる地点へと繋がる通路があるわけだが……不気味なまでに動きがない。

 丘の麓と洞窟の入口に配置している斥候は心術に対する備えをしているし、呪文による支配などを受けて虚偽の報告を上げているとも考え難い。

 おそらく敵には何かの考えがあるのだろうが、それが何かは判断がつかないのだ。無責任な言葉ですまないが、気をつけてくれ」


テーブル越しに差し出された手を握り、がっちりと力を込める。ドラゴンマークを発現させていないにも関わらず最前線の司令官を任されるだけのことはあり、アグリマーの体はよく鍛えられている。だがその本分は戦士ではなく指揮官としてのものだ。最終戦争の終結後も、この大陸に渡って戦い続けたその経験は氏族の中でも有数のものだろう。

そういった優秀な将校をデニス氏族は抱えており、ゼンドリック大陸で諸部族からの侵攻を各地で防衛する任に当たらせている。巨人族以外にも敵対的なドラウや蛇人間ユアンティといった様々な脅威から人類の生活圏を護っているのだ。ここで俺たちが敗北すれば、このアグリマーと彼率いる部隊の多くは失われてしまうだろう。そうならないためにも、ここで俺たちが踏ん張らねばならない。


「そちらこそ。どんな仕掛けが地下に用意されているのかわからない以上、ここだって安全とは限らない。油断しないでくれよ」


言葉と共に笑みを返し、身を翻して天幕を離れる。数歩も歩くうちにそれぞれ時間を潰していた仲間たちが隣や後ろに並ぶ。そんな俺達を待つのは軍馬とそれに跨る重装の戦士たち。カタニ率いるデニス氏族の精鋭部隊の一つだ。


「待ちくたびれたぞ、準備は出来ているな?

 これより我らがお前たちを目的地まで送り届けよう。生憎片道切符だ! 帰り道の迎えは期待してくれるなよ」


彼女の指揮に従う戦士の数は10。従兵は存在せず、その全員が騎兵だ。俺たちがメイの呼び出した《ファントム・スティード》に乗り終えたのを合図に、彼らは整然と陣形を組んで駆け出す。鎧が微かな日光を反射して光る輝きが線を描き、鏃となって敵陣へと進んでいく。俺たちはそんな彼らの中央部で護られるようにして幻馬を駆っている。

崩れ落ちアーチ状の残骸を残すのみとなった壁面跡を乗り越え、整地された開けた空間に出るとそこは巨人達の支配領域だった。トロルの戦士やミノタウロスの術士などが自分たちの勢力圏を誇示するかのようにそこらじゅうを歩きまわっている。だが弾丸のように放たれた騎兵達は一切の躊躇いを持たず愚直に進んでいく。


「突撃!」


カタニの声が高く響き渡った直後、ランスを構えた彼らは散会しそれぞれ敵兵へと向かっていく。軍馬の質量と勢いが十分に乗せられたその鉄の穂先は人間単独で発揮しうる殺傷力を遥かに凌駕した攻撃を敵へと見舞う。車同士が正面衝突したような音が幾重にも鳴り響き、その蹄にかけられた敵兵達は皆物言わぬ骸と成り果てる。まさに文字通りの一撃必殺。再生能力を持つトロルたちも肉片を盛大にまき散らしており、暫くは立ち上がれまい。

勿論その攻撃力を代償に騎馬の移動経路は限りなく直線的となる上に、突撃を行う助走距離が必要なため本来であれば連続で行うものではない。だが今回の場合、敵は範囲魔法による攻撃呪文を警戒してか散会していた。カタニ達騎兵はその空隙を衝いて次々と敵へと突撃を敢行していく。

どこかで敵を撃ち漏らし、反撃されることになればその時点で自分の命が失われるハイリスク・ハイリターンな一撃必殺の戦術とそれに特化した命知らずの突撃兵達。平地での会戦において巨人族を打ち破るためにデニス氏族が鍛え上げた薄く鋭い刃物のような武器──それが彼女たち、デニス氏族の鉄騎兵なのだ。


「突撃による一瞬の破壊力と高速機動による一撃離脱を兼ね備えた攻撃か……確かに非力な人間が巨兵を打ち倒すには理に適った戦法だ。

 その分危険性が高いにも関わらず、乗騎を駆る様子に一切の躊躇が見られない。我が故国も騎兵の練度では名が知られているが、それにも劣らぬ見事な統率ぶりだな」


騎兵達の動きを見ながらエレミアが呟いた声が俺の耳に届いた。彼女の育った"ヴァラナー"は最終戦争で最も恐れられた騎兵隊で知られる国だ。寿命の長いエルフが武芸の研鑽を積んだ時、その技量は人間とは比較にならないものとなる。またヴァラナーは特殊な名馬の産地として知られており、その軍馬は他に倍する速度で戦場を駆けたという。かのヴァダリス氏族が手塩にかけて育てたメイジブレッド・アニマルといえどもそこまでの能力を有することはない。ヴァラナーの騎兵隊、それこそがコーヴェア最強の騎兵集団なのだ。

その国でも今や有数の使い手であるエレミアの目から見ても、このデニス鉄騎兵は相当な練度のようだ。人間相手と巨人相手では戦い方に違いがあるとはいえ、人騎一体となって戦場を駆けるその姿には合い通じるものを感じるのだろう。

しかし敵もやられっぱなしではない。一体のヒル・ジャイアントの指揮により彼らはその密度を増すように密集陣形を取った。前列の兵が突撃で討ち取られたとしても、騎兵が切り返している間に周囲から押し包んでしまおうという作戦なのだろう。倒れた巨大な柱などの構造物を巧みに利用したその陣は迂回することも出来ず、先に進むには突破するしか無い。

本来であればそのような陣形を組めば攻撃呪文のいい的だ。だが全員が重い鎧を着こみ、ランスを構えて暴れまわっている様子から秘術呪文の使い手はいないと考えたのだろう。そしてそうやって整えられた方陣に、楔形の騎兵達が突き刺さった。デニス氏族の鍛えられた槍は真正面から敵に向かって叩きつけられたのだ。

人馬の重量と勢いが乗せられた穂先は、盾や武器といった障害物の一切を無視して自らの慣性に従って押し進んだ。体の中央に炸裂したその一撃は肉体をバラバラに吹き飛ばし、飛び散った四肢が遥か宙を飛んでいく。そして突撃を終えた騎兵に群がろうとした敵兵目掛け、さらに次の騎兵が襲いかかる。激突音が響く度に血と肉片が撒き散らされ、石畳に濃い染みが形作られていく。

しかしその光景も長くは続かない。多勢に無勢、3倍強の敵集団に飛び込んだ騎兵達は敵陣半ばまでその鏃を食い込ませるものの、ついにそこで動きを停止する。巨人達の肉壁がデニス氏族の鍛えた刃を受けきったのだ。振り上げられる無骨な棍棒。だがそれらを振り下ろすより早く、騎兵達の槍から突如秘術の力が溢れ出す。


「ファイア!」


カタニの号令に合わせ、3本の槍の先端から扇状に火が広がった。今まさに嬲ろうとしていた相手から反撃を受けた兵たちは、鼻っ柱を焼かれ攻撃の呼吸を遅らせた。さらに突如発生した霧が騎兵達を包む。濃い霧は騎兵達の姿を覆い隠し、間合いを不確かなものに変える。

《バーニング・ハンズ/火炎双手》に《オブスキュアリング・ミスト/覆い隠す霧》。いずれも低位だが使い勝手の良い秘術呪文だ。どうやらこの騎兵達の半数は"ダスクブレード"──剣技と秘術の境界を黄昏のごとく曖昧にすることでその双方の理を学ぶもの──だったようだ。

視界を塞がれ騎兵に肉薄することを余儀なくされた敵たちは武器を振るうが、それは呼吸を外されたことで全力攻撃からは程遠いものとなる。その攻撃をある者は鎧で受け流し、またある者は手綱を駆って華麗に攻撃を回避する。運悪く攻撃を受けた者もその一撃で倒れるようなことはない。衝撃を自分の体の中で受け流し、致命的な負傷を防ぐ技術を長い経験の中で培っているのだ。そしてそうやって敵の攻撃を凌いだ騎兵達に反撃の時が訪れる。

ランスを捨て流れるような動作で背負い袋から秘術呪文の込められた巻物を取り出したダスクブレード達が、その篭められた力を解放する。巻物を使用する際の精神集中の隙をついて接近したミノタウロスが斧を振るうが、一方の手で握った手綱と馬の胴体を挟み込んだ両足で巧みに乗騎を操って体に刃を触れさせないその姿は見事の一言に尽きる。そしてその直後、完成した呪文は巨大な閃光となって放たれた。


「連なる雷よ、薙ぎ払え!」


霧を断ち割って雷光が疾る。楔形の頂点と中間部、5箇所から前方に向けて放たれたその稲妻は敵の群れに突き立つと炸裂し、その余波が周囲を焼き払う。《チェイン・ライトニング》の呪文だ。そうやって敵集団を薙ぎ払ったその先にいるのは敵の分隊指揮官、ひときわ突き抜けた巨体のヒル・ジャイアントだ。陣の最後方に立つその巨人には荒れ狂う雷撃の余波も届いていない。だがそこに至るまでの道筋は既に切り開かれている。焼け焦げた巨人達の屍を乗り越え、二騎の騎兵が突進する。その構えるランスが直前に疾った雷光を想起させるほどの迷いない一直線の疾走。

"キャヴァリアー"の称号を得たものだけが可能とする必殺の突撃。中でも気高い威風を纏った白い軍馬が接敵の直前で大きく跳躍すると、先ほどの雷光よりも太く、力強い鋼鉄が敵指揮官の頭蓋を抉った。さらに対となるもう一方の騎兵が地を駆け交差する刹那に二撃を繰り出している。頭部と両肺を貫いたそれらの攻撃は周囲の体組織も巻き込んで破壊する。特別な秘法や術に護られていないものが胸部を根こそぎ破壊されて命があるはずもなく、断末魔の叫びを上げることもなくヒル・ジャイアントの指揮官は打ち倒された。


「突破!」


カタニの号令が響く。指揮官が倒されたことで広がる動揺の隙、そこを突いて騎兵達は一気に敵陣を抜けた。残る敵には目もくれず方陣の中央を貫き、一気に駆け抜けた先には不気味な丘が広がっている。


「見送りはここまでだ! 我らは追ってくる連中の足止めを請け負おう。後ろは気にせず、お前たちはあの死霊術師を討て!」


くるりと反転し丘に背を向けたカタニはそう言ってランスを捨て、長剣へと持ち替えた。先ほど武器を捨てたダスクブレード達も乗騎に運搬させていた予備のランスを取り出し、《マジック・ウェポン/魔法の武器》や《キーン・エッジ/鋭き刃》といった呪文で思い思いに武器への付与を行なっている。キャヴァリアー達は指揮官を失いながらも追ってくる敵の方向を睨みつけ、突撃を開始する機会を測っている。

だが敵はそれだけではない。丘の麓には地下へと続く大空洞が大きな口を開けている。その前で炊事当番を行なっていたコボルド達が慌てて暗闇の中へと姿を消したのはつい先ほどのことだ。おそらく連中は増援を連れてくるのだろう。だが騎兵たちに気負いは見られない。やるべき事をただ実行する、その強い意志だけを瞳から放ち口からは何も発しない。


「──ああ、任せたぞ!」


そんな彼らの姿を背に、俺たちは幻馬を丘へと向けた。繰り返された激しい戦いで焼け抉れたその斜面は激しい凹凸と打ち捨てられた死体の山で、普通の馬では騎乗したまま進むことなど出来そうもない。それが強力な破壊力を有するカタニ達鉄騎兵があの場に残った理由の一つだ。空をも駆ける《エーテル・マウント》はそんな足場にも左右されず、道無き道を往く。その先には地獄に見えるこの光景を作り出した丘の主、ファイアー・ジャイアントのパイアス・グルールがおり、彼が頂上からこちらを見下ろしているのが判る。

神殿のような建築物を背に奴は邪悪な笑みを浮かべながら手招きをしている。こちらを視認し、その上でなお余裕を見せつけているのだ。既に他の3人の副官達が討ち取られていることを知っているだろうに変わらぬその態度は巨人族特有の驕りによるものか、それとも何かしらの策があってのものなのか。いずれにせよ、俺たちのやることは決まっている。見上げるその距離は300メートルほどか。相手の能力を測るには都合のいい間合いだ。


「いけ!」


俺が手を振ると魔法具が起動し、眼前に4つの火球が現れた。通常の《ファイアー・ボール》よりも大きなそれは、俺の手振りに応じるように丘の斜面を駆け上がる。今が夜であればまるで地上から飛び立つ流星のように見えたであろうそれは、《メテオ・スウォーム/流星雨》の呪文によるものだ。狙い過たず四つの火球はファイアー・ジャイアントに直撃する。爆音と閃光。離れているこの位置まで空気がビリビリと震えているのが伝わってくる。最高位の呪文だけにその破壊力は相当なものだ。

だがその爆発による砂塵が収まった時、そこに見えるのは直前と変わらぬ姿のファイアー・ジャイアントの姿だ。呪文発動後、駆け寄りながらもその様子を眺めていた俺たちはその状況を見て敵の能力の分析を続ける。先ほどの《メテオ・スォーム》は敵の殺傷を狙ったものではない。呪文によって呼び出された隕石の衝突による衝撃──殴打ダメージが敵に通用するかを確かめたのだ。

(敵の能力は"呪文に対する耐性"のはず──最高位の呪文にも影響を受けないということは一定以下の呪文を抑制する類ではないと考えていい。強力な呪文抵抗を付与されているのか? まだ何手か探りを入れる必要があるな)


念話でメイと情報交換を行いながらも騎馬を操り、敵との距離を詰めるべく動き続けている。さらに俺は《アシッド・アロー》を発動、緑色の球体を先ほどと同じように投げつけた。グリーン・スライムのようにまとわりつき生体を焼き溶かす強酸は確かに巨人へと向かうが、それは命中する直前に掻き消されるように消失した。まるで最初から存在しなかったかのように、痕跡も残らない。


(やはり本来呪文抵抗が不可能な呪文についても解呪されますか……では予定通り、私はフォローに回りますね)


状況を確認したメイはそう言うと用意していたロッドを持ち替えた。敵に直接作用する呪文については効果が望めそうもないことから、戦術を変更するのだ。そんな俺達の様子を見て死霊術師は笑みを浮かべてこちらを挑発する。


「こっちへ来い、小さな友よ。今まで来た奴らと同じようにこの山で朽ち果てるのだ! さあ、来るのだ


二度目の呼びかけは俺達に向けられたものではなかった。巨人の声に応じて、周囲で放置されていた死体が立ち上がり始める。そのほとんどは激しい炎に焼かれたのか肉はなく、残された骨が黒く煤けて見えるスケルトンだ。剣士、弓兵、秘術使い──かつてはこの丘を守り、奪還すべく戦ったデニス氏族の戦士たちの遺体が、敵となって俺達へと牙を向いたのだ。

丘の斜面は見る間に死者の軍勢に埋め尽くされた。メイの呼び出した《エーテル・マウント》達で空を行くことも出来るが、高所を飛べばそれだけ多くの敵から一度に狙われることになる。特に敵に多くの術者や弓兵が混じっているような状況であればそれは自殺行為だ。幻を編んで創られた虚構の幻馬は攻撃に脆い。高速移動中に乗騎が破壊され、投げ出されては一大事だ。幸い地表は瓦礫や地面の陥没などで遮蔽に富んでおり、一度に全ての敵を相手にする必要はない。本音を言えばもう少し距離を詰めておきたかったが、諦めて俺たちは全員が下馬した。

そんな俺達に対して、大量のスケルトンが殺到する。無論彼等の魂は既に死によってドルラーへと向かい、肉体には記憶の残滓が留まっているに過ぎない。だがその蓄積された戦いの経験はアンデッドとして使役される遺体に並外れた戦闘能力を与えている。おそらくはこれも古代巨人族の秘術なのだろう、本来であれば鈍重な動きしか成し得ないはずのスケルトンが生前同様の鋭い剣捌きを見せ、矢を射掛け、秘術のエネルギーを解き放つ。


「こいつらに炎は効かない! 群れている連中は俺の電撃魔法で、単独の奴は各自で対応してくれ。急いで頂上まで駆け上がるぞ!」


掛け声を挙げて外套の飛翔能力で先行しつつ、包囲を開始した敵集団の一角を突き崩さんと秘術使いと思しきスケルトンへ接敵。両手で構えたモールを振り下ろした。死者と対極の存在である生のエネルギーを極限まで凝縮して込められたその緑鉄の大槌はアンデッドモンスターに特に効果的だった。黒く染まった頭蓋に命中するとまるで飴細工のように頭部を粉砕。そのままの勢いで背骨を蒸発させながら股下まで抜け、一撃で敵を文字通り葬った。撒き散らされた肋骨や四肢の骨も武器が放つ"グレーター・ディスラプション"のオーラを受けて光の粒となり消えていく。

そんな俺に続いてエレミアとフィアが周囲に集ってくる骸骨の剣士達へと向かっていき、剣を振るう。瞬く間に数度翻る剣閃は見事にその全てが敵の頚部や脊椎といった箇所を切断し、敵を解体していく。あっというまに周囲の骸骨たちは物言わぬ亡骸へと還り、与えられていた仮初の生命力を散らしていった。そうやって生まれた包囲網の欠損を、メイやルーといった後衛陣を守りながら突破していく。だが敵を数体打ち払った程度ではまったく影響がなさそうだ。丘の斜面の起伏、立ち枯れた木の影、崩壊した遺跡の構造物の隙間──ありとあらゆる死角からスケルトン達が沸き出してくるのだ。


「哀れな生き物だ。自分の立場を守るためにそこまで必死になるとは。それだけの力があれば自らに依って立つことも出来ように。

 その苦行から解き放ってやろう。死による解放がどのようなものであるか、我が手にかかって知るがいい!」


死を告げる声と共に再びスケルトンの群れが大挙して押し寄せる。その中には人間の骨だけではなく、あきらかに大型生物のスケルトンも混ざっている。仲間の死体であれ、関係なく使い潰すつもりのようだ。生きている間は殺し合っていた巨人と人間達が死体になってからは歩調を合わせて俺達へと襲いかかってくる。これが死による解放だというのであれば質の悪い冗談だ。


「いちいち倒していたらキリがないな。ルー、風で呼んで敵を吹き飛ばせないか?」


「……ん、わかった。天つ風よ!


俺の意を汲み取ったルーが自然に語りかけ、その腕を振るう。すると天を覆っていた緑色の雲が裂け、その指先の動きに従うように莫大な大気の塊が丘を押しつぶすように落下してきた。大地に接触し、地表を叩いて揺らすその様はまるで空そのものが落ちてきたかのようだ。セントラル・ブリッジを覆っていた竜巻を何倍にも拡大したかのような規模で空気が荒れ狂う。人型の骨は鉄槌を叩きつけられたかのように砕け、さらに竜巻に飲み込まれて吹き散らされていく。

何よりも驚くべきはミキサーで掻き回されたようなそんな光景の中、俺たちの周囲はエアポケットとして完全に保護されているというところだ。そしてルーの言葉と腕の振りに応じ、大気の狂騒は見る間に姿を変えていく。


──雲の通い路を開け


前へ押し出すように伸ばされたその腕の動きに従って眼前の大気の壁が割れていく。そして出来上がった風の回廊は丘の斜面に沿ってまっすぐ上へと伸びている。その先に見えるは火巨人の死霊術師と、運良く暴風に吹き飛ばされなかった数体のスケルトンの姿のみ。


「見事。仕上げは任せてもらおう!」


エレミアが不安定な地表ではなく空中を蹴って進み、俺とラピスがその後に続く。それを迎え撃つパイアスは不敵な笑みを浮かべてこちらを見下している。移動しながらも数種の呪文を放つが、その全てが水鉄砲のように巨人の体表で虚しく散っていく。そして反撃とばかりにパイアスは掲げた掌を大きく開いた。そこに輝くのは五つの火球。遅延操作可能な火球──《ディレイド・ブラスト・ファイアーボール》だ。維持限界の5つをその五指に宿し、死霊術師はその腕を振り下ろす。


「フェルニアの炎に焼かれるがいい!」


先ほどこちらが放った《メテオ・スウォーム》よりも炸裂半径こそ狭いものの、密度の高い火球が5つ。それらがお互いの尾を絡ませるような軌道を描きながらこちらへと迫る。そして俺たちの陣形の中央で火球同士が接触し、その衝撃で内包しているエネルギーを解き放った。儀式を妨害したとはいえ、炎の海フェルニアは今だこの砦に近しい位置に留まっている。それにより火のエレメントが活発化し、火球は本来発揮し得る最大限の威力を具現化する。

地上に現れた小型の太陽。効果範囲に存在するもの全てを焼き払う死の宣告。おそらくは火に対する耐性を有していないあらゆる生物を殺害しうるエネルギーがそれには篭められていた。だがその炸裂は俺達にまで届かない。炸裂が開始した瞬間、その火球達を包むように力場障壁が現れたのだ。《フォースケージ/力場の檻》と呼ばれる、物理的効果に対する完全耐性を有する障壁。メイの展開したその呪文が、5つの火球の爆発を完全に封じ込めたのだ。

不可視の障壁に熱エネルギーと爆風は完全に押さえ込まれ、呪文によって呼び起こされたそれらは留まることもなく消え去った。後に残されたのは中空に浮かぶ力場の立方体のみ。通常の呪文による解呪であればひとつの火球を掻き消すに留まり、残る4つの火球に焼き殺されていただろう。敵の呪文を洞察し、それを最小の手数で最大限無力化する手段を一瞬で判断して実行する。まさに理想のカウンタースペルだ。


「小癪な、一瞬でドルラーへと渡してやろうという我が慈悲がわからぬようだな……ならば苦しみ抜いて死ぬがいい!」

 
苦々し気なパイアス・グルールの声に応じて、巨人の足元の地面を突き破ってさらにスケルトンが現れた。どうやら余力を残していたようで、それなりの数の黒骨たちが新たに戦闘態勢を取り始めている。剣と盾を持った者たちはこちらへと突進し狭い回廊を塞ぎ、弓を構えた者たちはその場から遠隔攻撃を開始した。その攻撃は俺やラピスにとってはさして脅威ではない。だが後衛であるメイにとっては別だ。《ミラー・イメージ》などによる虚像で敵を欺くにしても運に頼る部分があり、放置するわけにもいかない。そして彼女の支援抜きで先程のような呪文攻撃を受ければ大きな被害が出るだろう。だが俺が判断を下す前に小さな影がひとつ飛び出した。


「敵の剣兵どもは任せよ!」


そう言って突出したフィアはその小剣を振るった。信仰心により切れ味を増したその鋭い刃は黒化した骨を容易に断ち切る。敵を選ばぬ高い殺傷能力と、さらにアンデッドを払うパラディンとしての力を持った彼女は確かにこの骨達の相手をするのに適任だろう。狭い無風の回廊で敵の軍勢を押しとどめるように戦線を形成した彼女の頭上を超え、俺たちは前へと進んだ。絶え間なく射かけられる矢は剣で切り、外套で打ち払ってお返しに弓兵集団へ電撃呪文を打ち込んで薙ぎ払う。時折スケルトンの頭蓋骨を足場に、風の谷間の上半分を不規則な軌道を描きながら跳ねるように先へと進んだ。


「その首、貰い受ける!」


ついにエレミアがその間合いに死霊術師を収めた。あと数歩踏み込んで剣を振るえばその一撃は巨人の体を断ち割るだろう。そして剣の舞い手である彼女にとってその距離は瞬く間に詰められるものだ。だがその間合いを前にして彼女の歩みが止まる。死霊術師を中心に広がった不可視の領域。それが彼女を妨げているのだ。


「我が侍らすは死者のみよ! 生者が我が身に触れることは叶わぬ。

 絶望にその魂を染めて逝け、それが貴様らが選択した結末だ!」


再び巨人の掌に火球の炎が灯り、今度は即座に炸裂した。自分をも効果範囲に巻き込んだその攻撃は、人間の術者であれば自殺行為に等しい所業だ。だがファイアー・ジャイアントにとってはフェルニアの影響によって活性化されたものだといえども、爆風は涼風のようなものだ。周囲の黒骨達も同様、火への完全耐性を有しているからこそ可能な凶悪な呪文攻撃。溜めの時間がないため炸裂した火球は一つだけではあるが、最大化されたその呪文の破壊力は一流の冒険者を殺害するに十分な火力を有している。

だが、それは直撃すればの話だ。今前線に立つ俺とラピス、そしてエレミアは装具や自身の能力としてこういった範囲攻撃の影響を受け流す"身かわし"を備えている。迸るエネルギーの乱流を見極め、あるいは干渉することで飽和攻撃からでさえもその身を守る特殊な体術。特に敏捷に優れた俺たちにとっては、高位の術者の緻密に制御された呪文であっても恐れるには足りない。

しかし敵の攻撃を防いでいるだけでは勝利はない。こちらから攻勢に出なければならない。幸いエレミアの足を止めた呪文については心当たりがある。《アンティライフ・シェル/対生命体防御殻》──その名の通り、命ある存在を一定の距離まで寄せ付けない効果を持った信仰系に属する呪文だ。その間合いは剣や槍より広く、例え武器を持ち替えたとしても接近戦を挑むことは出来ないだろう。

眼前の火巨人は秘術系呪文の使い手だが呪文書に信仰系の呪文を追加する手段が無いわけでもないし、ひょっとしたらオルターダーやインスガドリーアから巻物を調達していたのかも知れない。後者であれば持続時間切れを待つことも選択肢として考えられるかも知れないが、巻物から発動したとしてもそのストックが残っていた場合は受けに回る時間が倍々に増えることとなる。そうなれば消耗は避けられない。そうなる前に片をつけるべきだろう。

役目を果たしたモールを消し、代わってブレスレットから新たな武装をロード。領域のギリギリ、最接近可能な距離まで近づいて投擲した。大きさの異なる2つの十字を互い違いに重ねたような形状の手裏剣。モンクとしての能力を宿したこの身によく馴染むその武器は手から離れてもその秘められた魔力でなお加速を続け、視認も難しいほどの速度で飛んで行く。だがその刃は巨人に触れる寸前、あらぬ方向へと進路をねじ曲げられた。

不可視の風の障壁、《ウインド・ウォール》が射撃攻撃を逸らしたのだ。なるほど、やはり呪文の内容から容易に想像のできる攻撃手段については対策しているようだ。近接攻撃と射撃攻撃を呪文により妨害し、呪文による攻撃は秘石による加護で打ち消す。そのうえ自身の呪文は阻害されずに行使可能。なるほど、ここまで接近されてもなお余裕を失わないその態度の裏にはこういう絡繰があったわけだ。


「剣だろうが矢だろうが、呪文であろうが問題ではない。古の巨人王の秘法、それを目にしたことを光栄に思うがいい!」


死霊術師から負のエネルギーが放たれた。大波のように押し寄せたそれは体内へと浸透すると、全身に倦怠感を引き起こす。足はもつれ走ることができなくなり、武器を振る腕はまるで鉛のように重い。《ウェイヴズ・オヴ・イグゾースチョン/過労の波》によって体内が一気に負のエネルギーで満たされたのだ。こちらの力を削ぐ戦術に切り替えたのだろう。あるいは俺達を嬲るつもりか。だがそれは愚かな選択だ。俺達がここまで距離を詰めた時点で、既に勝負は決しているからだ。

俺が巻物を取り出しその篭められたパワーを解放すると、先ほどとは対極の正のエネルギーが爆発する。《マス・レストレーション》と呼ばれるその呪文は体に蓄積した疲労を抹消し、体は万全の状態を取り戻された。そしてその機敏さを取り戻したラピスが呪文を展開する。こちらの狙いを読んだのか、慌ててパイアスはその呪文を相殺しようと動き始めるが、その相殺呪文は俺が同一の呪文をぶつけることで相殺する。霧散する巨人の呪文構成とは対照的に、ラピスの描く呪文がその回路に魔力を注入され起動した。

すると彼女の周囲にもあるはずの、生者の侵入を妨げるはずの防壁が溶け崩れたかのように道を開いた。《アンティマジック・フィールド》──インスガドリーアの不死性を解呪したのと同じ、超常の力を無効化する空間がラピスを中心に展開されているのだ。確かに秘石の加護は定命の存在の力では解呪できないだろうし、巨人に付与された呪文に対しても解呪抵抗を与えるのかも知れない。だが、その周囲に広がった秘術の領域は護りの対象外だ。それは先程から俺が幾度も放った呪文により確認できている。複数種類の呪文を打ち込むことで秘法の効果範囲や対象といったものを少しずつ調べていたのだ。


「さっきの大口のツケを払いな!」


ラピスの細剣が閃光のごとく疾る。彼女自身も秘術の恩恵を受けられないため、その鋭さは幾分かぬるいものとなる。だがそれですら、巨人の肌を傷つけるには十分だった。膝関節を側面から貫通され、苦痛の叫びをあげる死霊術師の元へさらに双剣を構えた死神が駆け寄る。

ヴァラナー・ダブルシミター。伝説の時代に数多の巨人の首を刎ね、血を啜った英雄の刃が、相応しき担い手の元でその能力を十全に発揮した。彼女がその剣の間合いに巨人を捉えたその次の瞬間、パイアス・グルールの体の複数箇所から血が吹き出す。前衛型であったインスガドリーアさえ瞬く間に切り伏せた彼女にとって、同じ巨人族とはいえ秘術使いの体など麻布と大差ない。俺の呪文火力に匹敵する殺傷能力。ひとたびその間合いに囚われた巨人に生き延びる術は無い。あっという間に地面は巨人から吹き出した血で赤く染まり、そこに横たわって死を待つパイアス・グルールはジャイアント語で罵りの言葉を吐いた。


私が賜った秘法を穢すか、小さい者たちよ。炎の王の名において呪われるがいい!

 お前たちの魂はドルラーの安息に捕らわれること無く、地獄の炎に永久に焼かれる苦行を味わうだろう!



切り裂かれた喉からかすれた声を出す死霊術師。その体は他の副官達と同じように末端から徐々に光の粒へと変わり、空中に溶け消えていく。ヘロスは全身を一瞬で焼き尽くしてしまいチリも残らなかったため確認できなかったが、オルターダーやインスガドリーアも同じような現象を起こしていた。他の巨人族の戦士たちに見られなかったことから、秘法に絡んだ事象なのかもしれない。そう考えている間にも光への転化は続き、残るは首から上のみとなったパイアス・グルールは最後に再び悪態をついた。


私は死によってさらなる力を得る──今度会った時には貴様達の目を抉り出してくれよう!


死霊術師らしい捨て台詞を吐いて消滅する火巨人。副官の最後の一人だというのに、呆気ないものだ。そして跡にはやはり砕けた秘石の破片が落ちている。もしも事前知識なしで戦うことになれば想定外の事態に戦闘が長期化し、スケルトンという物量と高位の秘術呪文使いというアドバンテージを得たパイアス・グルールに苦戦させられたかも知れない。だが手品の種が割れている以上、こちらは無駄なく的確に動くことが出来る。そうなればあとは詰将棋のようなものだ。あるいは創りだしたスケルトンをせめて何体か自身の制御下に置き、こちらの呪文を相殺するなどしていても相当に状況は変わっていただろう。数を増やすことに専念し、質を高めることを怠った死霊術師の失策だ。

他の副官達の例に漏れず、地面に落ちている秘石の破片──"ヴィルブータ・シャード"を拾い上げようとして気付く。石が仄かな光を放っている。何事かと慌てて拾い上げようと腰を屈めた所で、視界を染める色彩が変化した。パイアス・グルールが背負うようにして立っていた遺跡、その入り口付近の空間が渦を巻くように捩れている。その渦の中心から赤い光が迸っているのだ。その光が濃度を変え、宙に渦巻模様を描いている。

幾条かの赤光が溢れ、尾を引いて飛び散った。するとその軌跡にそって炎が踊る。その痕跡はまるで赤光の通ったあとの空間が塗り替えられたかのようだ。いや、真実そうなのだろう。"炎の海フェルニア"──そこは万物が永遠に燃え続ける世界。燃料や空気など不要。ただ、そこでは燃焼という概念がありとあらゆるものに付与されているのだ。地面も空も海も雲も、それぞれは密度の異なる炎の一様態に過ぎない。そんな苦界が、この物質界を切り裂くように侵食しつつあるのだ。


──とにかく、何か手を打たなければ。


誰もが脳裏にそんな考えを走らせる。だがその思考を粉砕するかのように、渦の中心から突如巨大な柱が飛び出してきた。いや、正確には柱ではない。黒曜石と見紛うその漆黒の円柱には、鮮やかな炎に見える毛が生えている。何よりその先端は平面へと変化した後、いくつにも枝分かれしている──それは指、これは、何か巨大な生物の腕なのだ

先ほどまで相対していたファイアー・ジャイアントと比較してその倍以上の太さ。逆算すれば体長は10メートルを越えるであろう体格の持ち主。その腕が渦を貫き、伸ばした指先を握り締める。


──結べ


その音は本来であれば意味など通じぬものであった。にも関わらず、それは聞いたものすべて──人や生物を超え、大地や木石、大気すらへもその意思を認識させる。そしてその言葉の力は世界の有り様をねじ曲げ、変質させる。赤光の軌跡を彩る炎が爆発的に膨らみ、丘を中心とした世界を染め上げた。

赤から白へ。とっさに覆った掌を貫通して莫大な光が目を刺す。視界が奪われたのは一瞬か、それとも数秒か。再び俺が目を開いた時には眼前には巨大な人型生物が立っていた。

先ほどの腕の主。並のファイアー・ジャイアントの倍近い巨躯でその膝の位置は俺の頭よりも高い。ずんぐりとした体格はドワーフを拡大したようなシルエットだが、その引き締まった四肢を見れば力の密度は逆に何倍にも高まっていることがわかる。そして腕の肌同様、赤光に照らされ微かに輝きを帯びた黒い肌は鍛えられた鋼を遥かに越える頑強さを感じさせた。


──新たな炎の王の前であるぞ。ひれ伏すのだ


ファイアー・ジャイアントを率いる将軍が炎の王の後継を宣言し、炎の海フェルニアを纏ってこのストームクリーヴ・アウトポストへと降り立ったのだ。



[12354] 5-12.ストームクリーヴ・アウトポスト7
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:a70380e9
Date: 2012/04/11 22:46
いたるところを炎が取り囲んでいる。地面は灰と瓦礫によって出来た、常に形を変え続ける高密度の炎の板へと転じた。それはマグマの河のようにゆっくりと動きながら形を変えており、足の踏み場を過てばまるで沼地を歩いている時のように足を取られてしまうことだろう。

丘の地表に散らばっていたスケルトンの残骸達はその黒い遺骨を火に覆われ、まるで松明のようにあちこちで燃え盛っている。そして周囲を満たす大気すらも高温だ。それは周囲の熱を吸収してではない。空間そのものが熱を放っているのだ。

火の元素が優勢である"炎の海フェルニア"という次元界は、それそのものが莫大な熱エネルギーを発している。その熱は人間であれば一呼吸の間に焼き尽くしてしまうほど。魔法で保護されていない水分はあっという間に沸騰もしくは蒸発し、あらゆる食料は黒焦げとなる。この世界で生きていくためには、炎そのものを糧とする能力が要求されるのだ。


「贄の血で器は満たされた。星辰の並びは未だ揃わねど、機は充分に熟した。今再びこの大陸は炎の王の名のもとに一つとなるのだ!」


この煉獄を現出させた巨人、ザンチラーはその高い視点から周囲を睥睨している。並のファイアー・ジャイアントを倍したその巨躯の右腕には長大な黒光りするファルシオンが握られ、額にはその位を示す鮮やかな宝冠が収まっている。いままでに見た四つの秘石の色彩を織りまぜたかのような怪しい光を放つ巨大な宝石が、額の第三の目のように鋭い光を放っているのだ。俺の手元にあった破片は、おそらくあの宝冠に共鳴しているのだろう。

その巨人を視界に収めながらも周囲に気を配ると、広がった空間に境界があることに気付く。麓付近ではカタニ率いる騎兵達が丘へ殺到する巨人達の軍勢と激しい戦いを繰り広げていたはずだが、状況が変化したことで今は双方戦いの手を止めて距離を取っている。そしてそのことが現状についての理解を助けた。

メイの付与した強力な《レジスト・エナジー》に保護されている俺達と異なり、彼らがこの炎の中で生き延びることは不可能と言っていい。つまり炎熱地獄と化したのは丘とその周囲の僅かな空間に限られているようだ。とはいえそれはあくまで現時点での話である。この巨人を放置していればどうなるか判ったものではない。そしてその俺の思考を裏付けるように、ザンチラーが動き出した。

先程渦から突き出していた腕を、今度は天に向けて伸ばす。その先にはルーが操った天津風により引き裂かれた雲の海が広がっている。そのぽっかりと空いた緑の雲の隙間が、どんどんと赤い雲によって埋め尽くされていく。


「見よ! 今こそ我はこの地に"黄銅城"を呼び下ろす。この地より始まった炎が嵐を駆逐し、再び我ら火の一族がこの大陸を統べるのだ!」


さらにザンチラーの声と共に、巨大な建造物が逆しまに赤い雲を突き破ってその姿を現した。数百を超える黒い塔の群れ。それはシャーンのような無秩序なものではなく、一定の規則に従った芸術品のように見える。それぞれの塔は炎が垣間見せる様々な表情のように1つとして同じものはなく、それでいて全体の調和を崩さずに自己を表現している。中央に見える最も高い塔の周辺には炎の噴水が見え、玄武岩の階段と炎の河が規則的に配置されている。塔群の全体を見れば、かすかに先端同士が広がっていることからこれらの建築物は半球状の土台の上に立っている事が分かるだろう。雲を突き破ったのは一部分でしか無いが、伝承からすればこの城の幅は50kmを超えているはずだ。

それが火の元素界の住人であるイフリート達の住まう城にして次元界の首都、黄銅城。ならば今見えているその中央部は火の次元界を支配する大君主が住まうという、"炎上宮"だろうか。それを察した俺は、視界に映っている光景への認識を改めた。赤い雲と思っていたそれはただの自然現象ではなく、文字通り雲霞の如く群れたファイアーメフィット達であり、川を流れる炎は火のエレメンタル達なのだ。

あまりの威容に動きを止めた俺達の前で、ザンチラーの伸ばした腕にそって空間そのものを変容させるエネルギーが迸り天へと向かっていく。それを見て俺の脳裏に浮かんだのは呼び水──この巨人は接近したフェルニアと同じ属性の空間をこの丘に展開することで、一気に”炎の海”をこの物質界へと引き寄せようとしているのだ!

空に浮かぶ黄銅城は今はまだ物質界に映し出された影に過ぎない。だが一度フェルニアとの接続が確立されれば、あの大量のメフィットを始めとした火の元素界の住人達がこの場へと流れ込み、やがて大陸全体を焼き尽くすだろう。そしてその契機となる架け橋が、今ここで接続されようとしている。

光の柱が天へと登り赤い雲に触れると、まるで決壊したダムから溢れ出す水のようにメフィットの軍勢が動き始める。その数は千、いや万単位だろう。比喩ではなく天を覆いつくす来訪者達。一体一体の能力はたいしたことないとはいえ、この物量差は絶望的だ。

最悪に近い状況でのザンチラーとの邂逅、そして今まで討ち果たした敵の数など誤差に過ぎないほどの大増援。それどころか、倒した敵たちはどうやら儀式の生贄として捧げられたのだという。俺の思考はここで踏みとどまった場合の勝率と退いた際に起こるであろう災禍について、絶望的な計算を繰り返し目まぐるしく回転する──そうやって空を見上げる俺の視界を、微かな光が駆け抜けた。

流れ星が赤光を切り裂き、その軌跡から群青が広がり空を染め上げていく。流星の尾から散らばった光はそのまま天に留まり、星空を形成した。だがその模様は見慣れた夜空のものではない──このエベロンとは異なる物質界、そこに結ばれたエルフの聖地。アルヴァンドールの"星の宮廷"。

新たに生まれた天球の中央には一人のドラウの少女の姿。ルーがその"導き手"の力により、丘の上空にアルボレアの一部を現出させたのだ。その範囲はザンチラーを中心とした炎の海を押し包み、天のフェルニアとの接続を断ち切っている。


「ほう、副官共を倒したのはどこの馬の骨かと思っていたが、黄昏の谷のドラウであったか。

 時代遅れの骨董品どもめ、前王を害したその血と肉こそが我が大望の成就を祝う宴への捧げ物として相応しい!」



天に向かって雄叫びを上げるザンチラーに対し、俺は戦うことを決意した。ルーが稼いでくれる時間と機会を逃すわけにはいかない。ここでこの巨人を討ち、この砦での戦いを終わらせるのだ。









ゼンドリック漂流記

5-12.ストームクリーヴ・アウトポスト7












ザンチラーの周囲は未だ炎が渦巻いている。異界を身に纏う能力はルーのそれと同質のものなのか、お互いの中間点を境界として競り合いを続けているようだ。密度の一定しない地面に足を取られぬよう、俺は地表スレスレを飛んで移動する。

この巨人の将軍は今まで倒した副官達が有していた秘法の加護を全て有しているはずだ。つまり物理攻撃は通じず、呪文を打ち消し、高速で再生し、触れたものを焼き尽くす炎を纏っているのだ。ゲームの中では副官たちが落とす秘石の欠片を用い、秘法を破るギミックが決戦の場に用意されていた。それによってそのうちのいくつか、あるいは全てを打ち消すことで付け入る隙を見出し、勝利する筋書きだ。

だが、勿論この丘にそんな仕掛けはない。つまり万全の状態のザンチラーをそのまま倒さねばならないのだ。事前知識がなければたやすく蹂躙されてしまっただろう。だが俺はこの将軍がこういう能力を有していることを想定しているし、そのための手段も用意していた。ブレスレットから取り出した剣を手に、敵へと向かう。敵の増援が無い状態であるならば勝機は十分にあるのだ。だがその行く手を遮るように、地面から火柱が上がる。


「巫女の走狗どもめ、王の前に立ち塞がろうなどとは、身の程を知れ!」


そう吠えたザンチラーが呪文を発動させた。《スペル・エンハンサー/呪文強化》という秘術回路の強度を上昇させる呪文を織り込んで編みあげられた呪文が、巨人が抜き放ったロッドの先端に刻まれた呪印の干渉により分裂。本来は単体を目標とするはずの術が俺達全員へと牙を剥く。高位の呪文と最高級のマジックアイテムを組み合わせた強烈な合わせ技が、接近する俺達へと放たれたのだ。


「──炎の渦に飲まれよ!」


ザンチラーの呪文を受け、俺達を取り巻く"炎の海"はその様相を変えた。吹き上がった火柱が鞭のようにしなりながらこちらに迫り、俺達それぞれを個別に包むように切り離していく。メイが解呪のために《グレーター・ディスペル・マジック》を放ったが、ザンチラーの呪文構成は一瞬揺らぎを見せたものの即座にその強度を取り戻した。妨げるものが無くなった呪文に操られ、荒れ狂う火柱が俺の視界を覆い尽くす。そうしてザンチラーが産み出したフェルニアの一部が、周囲の空間ごと俺達を丘から切り離した。

異空間に対象を捕える《メイズ/迷宮》の呪文。ファイアー・ジャイアントであるザンチラーが使用したからか、その異空間は炎に満たされた紅蓮の世界だった。どうやら個別に隔離されてしまったようで周囲に仲間の姿はない。周囲の空間ごと切り取る目標指定型の効果だけに、目視されてしまえば逃れられない悪質な呪文だ。唯一の防衛策は高度な呪文抵抗により空間そのものへと干渉し呪文の効果を霧散させることなのだが、ザンチラーはかなり強力な術者のようだ。間に合わせで装備している俺のアイテムなど意味を成さなかった。おそらくはフィアすらも同じような空間に取り込まれているだろう。今あの丘に残っているのは効果範囲の遥か上空のルー、そして《アンティマジック・フィールド》を展開していたラピスのみだろう。

ここから脱出する方法は2つ。10分あるこの呪文の効果時間切れを待つか、この異次元空間に存在する空間の"ほつれ"を看破し紐解くことだ。呪文によって一時的に構成された異空間だけに、この空間には特異点とでも呼ぶべき箇所が複数存在している。その点をしかるべき手順で結び、繋ぎ合わせることでこの仮想世界を崩壊させ元の空間へ戻ることが出来るのだ。


(おそらくザンチラーは前衛ではなく秘術型の後衛、それなら一人残ったラピスが即座に危険に陥る可能性は低い──《アンティマジック・フィールド》が彼女の身を守る)


焦る心を落ち着け、周囲の空間に意識を浸透させる。時間切れを待つ気など毛頭なく、この異空間から直ぐにでも脱出するためだ。燃え盛る炎、その揺らぎの澱みを探り当てる。1つずつ順番に、新しいものから古いものへとその澱みを繋げていく。一度でも過てば、澱みはその位置を変え工程を最初からやり直す羽目になる。丁寧に、だが大胆に決断を下し、特異点を結びあわせていく。そうするとまるでフィルムを逆戻ししたかのように周囲の空間は火柱へと解け、元の位相を取り戻した。外に広がるは星空と燃える丘。どうやら首尾よく《迷宮》を脱出出来たようだ。

だが、脱出に要したわずか10秒ほどの間に舞台上の配役は大きく変化していた。レイピアを構えたラピスに対し、向かい合っているのは二体の異形だった。暗色の鱗が体表の大部分を覆い、歪な角が頭部から生え、瞳は赤く輝いている。何よりも目立つのは背中から広がったコウモリ状の翼。ハーフフィーンド、悪の来訪者と物質界の生物の間に生まれた不浄の子。だが俺はその二体に見覚えがある。彼らはインスガドリーアとヘロス、姿は変わっているがかつて俺達が打ち倒したザンチラーの副官たちだ。よく見れば残る二人も距離をおいて呪文の準備を行なっており、4人が揃い踏みのようだ。その副官たちの戦う様を、丘の頂上からザンチラーが見下している。

死んだはずの連中が、しかも新たな力を持って蘇ってきた理由は解らない。だが今はそれを解き明かしている余裕はない。ラピスは未だ《アンティマジック・フィールド》を纏っている。それは後ろに控える高位術者を警戒してのことだろう。だが、その破魔の陣は同時に彼女の得意とする防御術や、その身体能力さえも抑止しているのだ。結果として盾とライカンスロープとしての俊敏さを失った彼女の動きはその最大値に対してひどく見劣りするものだ。それでは重量級の戦士たちの攻撃を凌ぎ切ることは難しい。

窮地の彼女を援護すべく、即座に呪文を選択し魔術式を発動させる。幸い、今なら広範囲を薙ぎ払ってもラピスを巻き込む心配はない。俺の口から放たれた単音の音声が指向性を持って圧縮され、副官達へと放たれた。《カコフォニック・バースト/不協和音の爆発》、文字通り音速で伝播した俺の声が指定座標に辿り着くと、その周囲の空間を爆音で攻撃する。最大限に強化されたその呪文は発動すれば範囲内の敵を破砕するだろう。

パイアス・グルールやオルターダーは俺が《メイズ》をこれほどの短時間で突破するとは思っていなかったのか、呪文相殺の用意を怠っていた。その隙を突く形となった音波の炸裂がインスガドリーアとヘロスを蹂躙する。連鎖する衝撃の波に触れた箇所の鱗は割れ、外皮は波打ちながら体から剥ぎ取られる。範囲内の骨は粉々に砕け、あとに残るのはひしゃげた肉塊だけだ。

普通であれば確実に殺害したといえる負傷。だがそれでも彼らは戦闘不能にはならない。既に術者が《ディレイ・デス》と《ビーストランド・フェロシティ》を使用しており、彼らを死から遠ざけているのだろう。砕かれた肉体は信仰呪文の加護に支えられ、まるで不可視の力によって操られているように四肢が動いている。だがラピスの援護にはそれで十分だ。ヘロスが彼女を攻撃するには《アンティマジック・フィールド》の範囲に踏み込む必要があるし、インスガドリーアの槍の間合いは広いとはいえ彼女から一足の間合いであることには違いない。その範囲内に捉えられることは彼らに付与されている呪文群が抑止されることを意味する。致命傷を負った状態でラピスに接近戦を挑むことはしないだろう。

その読みを裏付けるように、彼らは間合いを詰めようとしたラピスの機先を制して彼女から距離をとった。その再生能力により瞬く間に傷の癒えたインスガドリーアが壁となり、後退したヘロスを《ヒール/大治癒》の呪文によって回復させた。傷の塞がったヘロスは即座に反転、俺の方へと向かってくる。


「我自らの仇を討つ機会が訪れようとはな! 契約により授かりし力、その身でとくと味わって死ね!」


ヘロスはそう叫びながら、コウモリのような翼を広げこちらへと滑空してきた。その額の中央から伸びた三本目の角へと、悪しき力が収束していくのが解る。振動する凶角から、怖気を振るう音波が発される──彼らが"ハーフフィーンド"となったことでその肉体に宿った擬似呪文能力、《ブラスフェミィ》だ。仮初の魔術回路ではなく肉体を媒介とした呪文の構成は非常に強固で、俺の実力では解呪は不可能。だが先程の呪文攻撃の意趣返しか、音波攻撃を選択したヘロスの行動が俺に余裕を与える。ブレスレットから《サイレンス》の付与された小石を取り出して周囲を静寂で囲い、不快の旋律を遮断する。周囲の高熱に晒され小石はすぐに崩れていくが、それでも《ブラスフェミィ》の音がこちらに響く一瞬を抑えるには十分だ。そうやって敵の攻撃を凌ぎ切った後に待っているのは、こちらの反撃の番である。

呪文能力を持たず、今擬似呪文能力を一つ消費したヘロスは後回しで構わない。まずは最も厄介なオルターダーに狙いを定め、ガラス片を媒介とした雷球を放った。《シンティレイティング・スフィアー》、シャーンの地下空洞で数多くのガーゴイルを叩き落とした攻撃呪文だ。彼が前回の死因である雷撃呪文を警戒し、呪文による耐性を得ている可能性を考慮して酸属性を上乗せしたそれは巨人一人を葬るには十分以上の火力だ。だがそれは相殺呪文を待機させていたパイアス・グルールによって呪文構成を乱され、霧散していく。相手の手数を消費させたことを確認しつつさらにもう一度同じ雷球を《呪文高速化》により放つも、こちらもオルターダーにより解呪されてしまう。どうやらこちらの呪文攻撃は相当に警戒されているようだ。


「我らは死によってさらなる力を得たのだ。今やお前たちの流す血と悲鳴こそが我らの糧となる。

 さあ、逃げてみせろチビども。物影に隠れ、恐怖に震えたところを喰らってやろう!」


「お前たちの肉を骨から引き剥がし、目を抉り出そう。その魂を永劫の炎にくべ、魂殻が粉々になるまで砕いてくれよう!」



術士二人がこちらをマークし、一撃で戦況を覆す呪文攻撃を封じる。そうやって手数で押さえつけながら、ヘロスとインスガドリーアにより徐々にこちらを削っていこうという作戦なのだろう。その場合ラピスの状況は深刻だ。《アンティマジック・フィールド》により、一度傷を受ければそれを癒すことも出来ない。幸い周囲を包む炎の海すら抑止されていることと、敵の武器が銀製ではないことからライカンスロープである彼女は未だ致命的な負傷は負っていない。しかし、長期戦では不利に働くことは明らかだ。


「我が牢獄よりかくも早く解き放たれるとは、脆弱で愚かな種族としては稀有な強者のようだな。

 さあ、その小さな体に宿った魂を今際の際に燃え上がらせ、我を楽しませるがいい!」



ザンチラーが《ヘイスト》を唱え、部下へ指示を飛ばす。ラピスを放置しひとまず俺を叩くということなのだろう、ヘロスに加え呪文によってその動きを加速させたインスガドリーアもが槍を構えこちらへと突進してくる。動物の相棒を失ったとはいえ、本人の戦闘能力が損なわれたわけではない。死んだ時に身に纏っていた装備そのままに、魔化された肉体をもって敵はこちらへと襲いかかってくる。


「ドルラーから迷い出てくるにしちゃあ随分と早いじゃないか。だが、すぐにでも叩き返してやる!」


術者2名が呪文相殺のために待機しているのを横目で確認しながら、俺は双剣を構えた。呪文が封じられた以上、武器で戦うしか無い。両手に構えた剣はそれぞれが緑鋼鉄という特殊な金属で鍛えたものだが、今回俺が取り出したのはその中でも特別な品だ。その表面は錬金術の儀式により薄い力場の膜で覆われている。迫るヘロスの大斧に向けてその刀身を差し伸べると、刃は透過せずにその切っ先に干渉した。それにより力を加えることで俺の思い通りに敵の攻撃の軌道を逸らすことに成功する。


(よし、いける!)


剣先から伝わってくるベクトルが、ヘロスの情報を俺へと伝えてくれる。それは目に映る以上に力の支点や体重移動、続く攻撃の軌道を俺に洞察させる。自身の防御能力に絶対の自信があったのか、無防備に突進していたその肉体の勢いは最早止まらないようだ。隙だらけのミノタウロスと交差する瞬間、側面をとった俺は剣を腕の延長のように扱ってヘロスの体勢を崩した。剣を覆う力場は薄いため斬りつけても一撃で深手を負わせることは難しい。だが相手の体に触れられるのであれば、そのバランスを崩すことは容易なことだ。

転倒し、炎と化した大地にめり込んでいくミノタウロスを横目に今度は迫り来る槍を切り払いつつ前へ。突き込まれた槍が戻されるより早く、その柄に曲刀の刃を擦らせながら踏み込む。金属同士の摩擦が生み出す火花を後に残しながら得た足場はヒル・ジャイアントの至近、その頭部を間合いに収めた空中だ。そこから横薙ぎに振るった剣は側頭部から切り込み、耳を半ばで切断しながら頭蓋骨へと食い込んだ。巨人のそれはさすがに人間とは比べ物にならないほど強靭であり、一撃で頭部を破壊するには至らない。だが的確に打ち込まれた衝撃はインスガドリーアを朦朧とさせるには十分な威力だ。

対巨人の近接火力という意味では俺はエレミアには遠く及ばない。だが相手が無防備状態であるならば話は別だ。幸い敵は以前戦った時に比べ、明らかにその身に付与されている防御術などの類が少ない。俺が不在だった10秒の間に呼び出され、最低限の呪文付与のみをした状態でラピスとの戦闘に突入したためだろう。"フォーティフィケーション"を持った敵には手数優先の素手打撃に頼っていたが、それが付与されていない今ならば殺傷力の高いコペシュによる連撃で彼らに十分なダメージを与えることが可能だ。致命的な負傷を与えてからラピスの《アンティマジック・フィールド》で包めばこのヒル・ジャイアントを殺害可能なのは先刻の戦いで証明されている。まずは一体、その頭数を減らす。

首を切り落とし、返す刃でその頭部をさらに十字に刻む。それと同時にもう一方の剣により胴体を正面から腰半ばまで断ち割ると、そこで刀身を抉り込むように捻り、斬撃の方向を転換し横薙ぎへ。それによって刀身は側腹から飛び出した。剣に込められたエネルギーはその切断面全てで炸裂しており、残された肉体を蝕んでいく。だがそれでもインスガドリーアが死ぬことはない。最も大きく残った肉片が大きく炎をあげ、切断された体の断片を飲み込んで再構成を始めようとしている。己の体だった部分を炎に変え、その中から再生していく様は不死鳥のようだ。だが、その仮初の再生を止めるべくラピスが駆け寄ってくる。チェック・メイトだ。

しかし彼女のフィールドが巨人を捉える直前、インスガドリーアの姿は掻き消すように消えていく。死んだのではない。パイアス・グルールの使用した《リグループ》の呪文が、危機に瀕した仲間を術者の側へと転移させたのだ。複数の次元界の様相が入り乱れたこの環境下で瞬間移動系の呪文を使いこなすとは、やはり高度な呪文制御能力を有しているようだ。俺は武器に付与された魔法力で火力を底上げしているため、《アンティマジック・フィールド》下ではインスガドリーアを倒すことは出来ず、死亡するまでダメージを与えてからラピスに干渉して貰う必要がある。その間隙を突かれたのだ。

《リグループ》によって密集する形になった副官たちに向かって攻撃呪文を放つが、今度はお互いの中間で地面が突如隆起し壁となって雷球を受け止めた。《ウォール・オヴ・ストーン》の呪文だ。壁そのものは炸裂した雷と酸によりたちどころに破壊されるが、攻撃は見事に止められている。どうやら一旦仕切りなおしになったようだ。

この10秒ほどの戦闘でお互いが使用したリソースの量はこちらのほうが少ないだろう。だがこちらが手数で押されていることに変わりない。相手は空いた手を強化呪文の使用に回すことで戦力の強化を図っている。やはり初手に《メイズ》で分断されたのが効いている。戦場のコントロールを相手側に委ねた状態では、圧倒的な能力で相手を蹂躙しなければ勝ち目はない。だが、敵は俺の火力を十分に受け止める能力をそれぞれが有している。楽な相手ではない。


「我が眼前で無様な真似は許さぬぞ。汚名返上の機会である、これ以上我が手を煩わすこと無く自らの仇を討って見せよ!

 我が玉座に侍る将たらんとするのであれば、その役目に相応しい実力を示すのだ。あの者どもを殺し、頭上の巫女にその死に様を見せつけてやれ!」



王の号令を受け、部下たちが咆哮をあげながら動き出した。その再生能力により傷の癒えたインスガドリーアが、半魔と化したその肉体に宿した忌むべき力を解放する。炎の海の熱気に当てられ、ただでさえ干からびていた大地がさらに強制的に水分を奪われ枯渇していく。土は砂に、砂は塵へと転じ、気流にあおられてそれらが巻き上げられていく。《ホリッド・ウェルティング/恐るべき枯渇》と呼ばれる高位呪文、強制的に体内から水分を奪うその効果は火球による熱波と異なり、効果を完全に無効化することは出来ない。ただ全身に力を込めて少しでも呪文に抵抗するよう踏ん張ることで、受けるダメージを減らすだけだ。

体から強制的に水分が奪われていくことで脱水症状が引き起こされ、頭痛と目眩、脱力感に襲われる。だが敵の攻撃はそれで終わりではない。まるで共鳴を起こすように残った副官達も同様の力を解放したのだ。俺を打ち据えるように不可視の波動が広がり、それが水分とともに生命力を奪っていく。《擬似呪文能力最大化》《擬似呪文能力威力強化》された高位呪文の四連奏。立て続けに脱水を受けたことで指先は震え、意識に反して各部位の筋肉が痙攣を起こす。赤を通り越して黒に染まった視界の先、憎しみに染まった瞳でこちらを睨みつけながらロッドを振りかぶるインスガドリーアの姿が見えた。

ヒル・ジャイアントが質素な装飾の施された杖を振ると頭上の空間が歪み始める。術式の構成を肩代わりさせることにより呪文の高速発動を可能とする最高級の魔具、"メタマジック・ロッド─クイックン"により《デッドフォール/落とし罠》と呼ばれる呪文が放たれようとしているのだ。発動すれば空間の歪みから大量の朽ちた大樹が回避を許さぬ密度で降り注ぎ、範囲内の生物を圧殺し地形を塗り替えるだろう。ご丁寧に《即時呪文威力最大化》を受けて破壊力も十分なそれは、固定値で今の俺を屠る火力を有している。

それぞれの呪文一つが一流の冒険者チームを壊滅に追いやるに十分な威力だというのに、俺一人を殺すために躊躇いなくその能力を全て叩きこむ判断力。どうやらこれまでの戦闘で相手の能力を測っていたのは敵も同様だったらしい。今まで初見の敵は俺のレベル不相応な戦闘能力にどこか油断しており、その隙を突いて打ち倒してきた部分がある。だがこの副官達は一度そうやって敗れたものばかりだ。全身全霊を懸けて俺を殺しにかかっている。だがそれでも敵はまだ見誤っていることがある。その要因が俺を窮地から救い、敵を追い詰める一手となる。


「──そこまでです」


その優しげな声は後ろから響いてきた。呪力を帯びた声は俺を通り過ぎて天に届くと、開こうとしていた空間のほつれを塞ぎ正常な状態へと修復する。そしてさらに後方に位置する副官達へと届くと、パイアス・グルールを除く副官3人の姿がかすかにゆらめいた。傍からみて何の変化もないようなその現象。だが俺の秘術的知覚はその効果を確かに捕らえていた。副官たちに付与されていた全ての呪文効果は失われ、また彼らから呪文行使能力が奪われたのだ。


「遅くなりました、ごめんない──でも此処から先は、敵の呪文は一つたりとも通しません!」


ふわり、と三角帽子におさまらない金髪をなびかせながら俺の隣にメイが降り立った。その手には先程ザンチラーが《メイズ》を放った際に使用していたロッドをそのまま人間用のサイズに縮めた同型が握られていた。《呪文連鎖化》された《アンティマジック・レイ》。ラピスが纏っている破魔の力場を不可視の光線にして撃ち出し、強制的に対象に纏わせる高位呪文だ。この閃光に打たれたものはその超常の能力の一切を失う。定命の存在では干渉できない巨人族の秘法はこの呪文をもってしても停止することは出来ないが、通常の術理に沿った能力はその全てが無効化されるのだ。


「よくぞ吠えた、だが先程異界に放逐されたばかりだというのにもうそのことを忘れたと見える。

 もう一度わが迷宮の中へと送り込んでくれよう。次に戻ってきた時には仲間の死体との面会だ!」



彼女の言葉を不遜に感じたのか、先ほどまでは副官を援護するに留めていたザンチラーが再び呪文の構成を開始した。俺達を分断した《スペル・エンハンス》と《メイズ》の連携呪文。先程メイはこの呪文を解呪し切ることは出来ず、敵に戦場の制御権を奪われてしまった。その呪文に対して彼女は再び《グレーター・ディスペル・マジック》を展開して挑む。


「馬鹿な!」


その結果はザンチラーの驚愕の声が物語っているだろう。確かに《スペル・エンハンス》で強化された呪文はメイの解呪能力を上回る。そこをメイは、2つの解呪呪文で《スペル・エンハンス》と《メイズ》のそれぞれを別個に相殺することで呪文発動を抑止したのだ。《セレリティ》呪文による複数呪文の同時高速展開。本来であればそのような無理を通せば神経系への一時的な過負荷で幻惑状態に陥ってしまうところだが、胸の奥に刻まれたドラゴンマークが彼女に通常有り得ざる強靭さを与えている。それによりメイは何ら変わること無い状態で複数の呪文を行使しているのだ。これはおそらく彼女にしか出来ない芸当だろう。


「閣下の呪文を偶然止めただけで終わらせたつもりか、まだ我が秘術は封じられてはおらぬぞ!」


そう言って吠えたのはパイアス・グルールだ。編み始めたのは《リミテッド・ウィッシュ》の呪文。《ウィッシュ》の下位呪文であり、強力な秘術のパワーで限定的ながら現実を直接書き換える強力な呪文だ。おそらくはメイが先ほど命中させた《アンティマジック・レイ》の効果を打ち消そうというのだろう。アンティマジック系の呪文はその名の通り呪文の効果を受け付けないため、通常の解呪が功を奏さない。それを《リミテッド・ウィッシュ》で無かったことにする──なかなかに妙手である。

だが、その”望み”が叶えられることはない。突如空間を切り裂いて現れた影がまさに電光石火の速度で死霊術師へと肉薄したのだ。その小柄な影はドラウの剣士、フィア。《メイズ》から脱出した彼女は周囲の状況を即座に看破するや否や、"サドン・リープ"という独自の歩法により一気に跳躍して間合いを詰めたのだ。先ほどと異なり《アンティライフ・シェル/対生命体防御殻》を展開していない巨人へと迫るとそのショートソードを振るう。彼女の剣の向かう先を先導するかのように薄ぼんやりとした白い光が揺れ動き、その導きが剣閃を巨人の急所へと導く。

体当りするようにして膝へ武器を挿し込み、引き抜きざまにその膝を蹴り胸元へ跳躍。落下するまでの合間に体重をかけた強烈な突きで左右の肺と心臓を抉る。柄まで潜り込んだ深い刺突が引き抜かれる際には、体を切り裂きながら傷口を広げることも忘れない。"シャドウ・ハンド"と呼ばれる古代エルフの剣術流派の名に恥じぬ、抜く手の影すら見せぬ精緻にして痛烈な攻撃。

満身創痍となったパイアス・グルールはそれでも呪文を放つべく精神集中を開始しようとするが、その時目の前のドラウの少女が発する独特の気を察した──《魔道師退治》。その間合いの中で詠唱を行うことは相手の剣で斬られることを意味する、呪文使いの天敵の気配。それでも自らの活路を見出そうと半歩後ろへ後退しようとする死霊術師だが、彼女の積んだ修練はそれすら許さなかった。

その間合いからは許可無く逃れること能わず──"チケット・オヴ・ブレーズ/斬撃許可証"と呼ばれるその構えは巨人の退こうとする気配の揺らぎを鋭敏に察知すると、まるでその気の乱れに溶けこむように攻撃を滑りこませた。そしてそれが致命の一撃となる。死霊術師の肉体がその最後の意思に従って後ろ向きにゆっくりと倒れ、地面に激突すると肉体は炎の塊へと転じた。巨人の秘法による呪文無効化の影響は味方からの付与呪文にも及ぶため、パイアス・グルールは《ディレイ・デス》などの恩恵を受けていなかったのだ。


「──我は汝ら悪魔を討つ刃。剣霊の導きにより、その身を滅する者なり」


朗々と口上を述べるその姿にはまさに威風堂々という言葉が似合う。小兵に過ぎない彼女が体格で遥かに優る巨人達の只中に切り込み、押し負けるどころか瞬く間に敵を切り倒してしまうのだ。その存在感は眼前の敵等よりも余程大きなものだろう。

副官たちが見誤っていたのはこの仲間たちの存在だ。俺一人に拘泥し、他の皆への注意を怠ったために一瞬で戦況は逆転した。残る3人の副官は呪文を抑止され、巨人の秘法に護られただけの木偶の坊に過ぎない。ザンチラーが先ほどの呪文詠唱後の硬直で干渉できない隙に、俺は接近して致命の連撃を叩きこむ。その攻撃は彼ら副官の命を刈り取り、パイアス・グルール同様崩れ落ちる肉体は炎と化して丘の表面を彩る風景の一部となった。これで丘に立つ巨人は一体のみとなった。王を僣するファイアー・ジャイアントは、そのオレンジの体毛を猛る炎のように震わせている。


「さて、奈落から呼び戻した取り巻き達は全員いなくなったね。これでついにアンタは裸の王様ってわけだ、気分はどうだい?」


俺達が異空間に飛ばされた間もザンチラーと対峙を続けていたラピスが挑発するように言葉をぶつける。俺からしてみれば突然現れていた副官たちだが、彼女はその再出現の経緯も目にしているはず。"ハーフフィーンド"化していたことからして今の『奈落から呼び戻した』というのも言葉通りの意味なのかも知れない。だがその真意を問う余裕はなかった。残された一人のファイアー・ジャイアントは先程打ち倒した4人を合わせたよりもさらに強敵なのだ。


「抜かせ、ヒト族ごときに二度も遅れをとるような惰弱な者たちなど我が配下には不要。むしろ貴様らは十分に選別を果たしてくれたというものよ。

 やはりこの時代の同胞の中には真に価値ある者たちはいないようだ。我が戴冠した暁には、この大地の上に住む全てのものを焼き払ってくれよう。

 率いるに値する軍勢はすでに我が頭上にあり。この地の者達は生贄の役割を果たしたことで、我が偉業の一端を担う栄誉を得たのだ」



ザンチラーはそう言い放つと地面に突き刺していたファルシオンを引きぬいた。刃の先端から丘の一部であった重い炎の塊が舞い散る。どうやらこの炎巨人にとって、全ての配下は"炎の海"を顕現させるための道具に過ぎないようだ。しかも血を流させることでその儀式の触媒とするための消耗品。副官達はその中でもお気に入りのもので装身具のように近くにおいていたが、俺達に敗れたことでその価値が失われたのだろう。


「お前たちを排除し、あの巫女を引きずり下ろすのは我自らが行うことになったようだ。

 だが我が与える死はお前たちを解放しない。貴様らは骸となった後もこの丘から大地が燃えていく様を見続けるのだ。

 終焉も忘却も認めぬ。我が覇業を永劫にその瞳に焼き付け続けるのだ!」



その宣言と共に、ザンチラーは両手でファルシオンを握りしめ構えた。この巨人の体躯はかつて戦ったミノタウロスの戦士、ゼアドの狂乱した時の姿に並ぶほどだ。秘法が秘術的視覚をも妨害してしまうため推測ではあるが、さらに相当数の呪文で強化もされているはずであり、それらの呪文は巨人の秘法に保護されているため解呪には時間切れを待つしか無い。


「精々悲鳴を上げる事だ。そうすればあの巫女がお前たちを救いに降りてくるかもしれんぞ──どうあれ、結果は同じだがな!」


ザンチラーがその足を踏み出したかと思うと、お互いの間の距離は一瞬でゼロへと近づいた。巨体に見合わぬ俊敏さ。その動きは鈍重さなど一切感じさせない。巨人の狙いは横に並んだ俺とメイだ。黒光りするアダマティンの刃が、炎をまき散らしながらこちらへと迫ってくる。その間合いは俺達とは比べ物にならないほど広く、"にわかの移動"で逃げ切れるものではない。メイは咄嗟に《ディメンジョン・ドア》を発動させる。彼女の手が俺へと伸び、転移への同行を勧められたが俺はそれを拒否。迫る巨人を迎え撃つ。

射程内からメイが消えたことにより、俺のみへと狙いを定めた刃が迫る。体の運びといい、その斬撃の鋭さといい神がかった技量を感じさせるものがある。やはり《ディヴァイン・パワー》かそれに類する呪文で戦闘能力の底上げをしているようだ。他にも様々な呪文で強化されたであろう攻撃は、俺が展開している秘術の《シールド》に衝突。その力場の干渉を容易く突き破った。さらにその先にある反発の力場を物ともせず食い破り、勢いを緩めることがない。俺が構えた緑鉄の刃がアダマンティンの刃と交錯した時、研ぎ澄まされた集中力が時間の流れを停滞させた。

刃同士が触れ合うその一点を通じて、お互いの力の拮抗と直後の展開、それぞれの手札が応酬される。自分の動きに対してさらに変化する相手の対応、将棋やチェスのように相手の手を読みきった先の果て。そこに生まれた空間目掛けて体をねじ込むと直前の空間を死の颶風が薙ぎ払っていく。ひとまずは攻撃の回避に成功した。だがそれで終わりではない。ファルシオンを振り切ったザンチラーは既に剣から片手を離し、その腕を腰後ろに納められたロッドへと伸ばしている。

《早抜き》されたロッドが秘術構築を肩代わりし、展開された呪文は《ホリッド・ウェルティング/恐るべき枯渇》。先ほどの副官が使用した擬似呪文能力から、その呪文が俺に対して有効であると判断したのだろう。だが転移を終えたメイが即座に展開した《グレーター・ディスペル・マジック》がその構造式に干渉し、霧散させる。その動きを見てザンチラーは即座にロッドを手放し、武器を構え直す。放り出されたロッドは不可視の力に支えられ、背面へと戻っていく。どうやら《アンシーン・サーヴァント》に似た不可視の力場による従者を展開し、落とした装備を拾い上げさせる役割を与えているようだ。それらが起こったのはわずか数秒の間のことだ。一瞬の気の緩みも許されない決死の戦場。だが、その瞬間を積み重ねていかなければ勝利はない。


「さあ、どこまで保つのか? 足掻け、抵抗してみせよ!

 お前たちの燃えあがらせる魂の輝き一つ一つが我をさらなる高みへと至らせるのだ!」



ファルシオンを潜るように前に出ることで回避した俺にとって、ザンチラーの声は真上から響くように聞こえる。目前の巨人の足はまるで巨大建築物の支柱のように太い。剣を振り切った姿勢から次の行動へと移る体重移動に合わせてその下肢に剣を叩き込んでみるものの、まったくそのバランスを崩すことは出来ない。お互いの圧倒的な質量差が技巧を一切無効化しているのだ。例え飛翔して頭部に近づいたとしても、今までの敵のように平衡感覚や意識を奪うことは不可能だろう。


(使用した呪文レベルから考えて最低でもウィザード15レベル。種族としての巨人は竜ほどの頑強さは持たない。

 最大値を見積もって、秘術の付与を見込んだ場合800点ほどのヒットポイントか──)


戦士系の技術的特徴──《特技》と呼ばれる能力群には隣接する対象の現在ヒットポイントを知るという特殊なものが存在するが、あいにくそれを俺は習得していない。そのため敵が明らかにしている能力から推定するわけなのだが、そう大きくは外れていない自信がある。それよりも問題なのは、限られた攻撃手段でザンチラーの生命力を削りきらなくてはいけないことだ。


(エレミアが《メイズ》から帰還するまでの間メイの《ディスペル》の数が足りるか不明だ。

それにラピスやフィアが集中して攻撃を受ければ命が危うい。ここは畳み掛けるしか無い、か)


判断を下した俺は大きくバックステップしザンチラーから距離を取る。同時にハンドサインを飛ばしながら皆に行動を伝達。攻勢に出ることを伝える。


「そのような蚊の一刺しにも満たぬ攻撃では、未来永劫このザンチラーを倒すことは出来んぞ!

 それとももう諦めたのか? そのまま頭を垂れ、地面に額を擦りつけて許しを乞うのであれば優しく踏み潰して楽にしてやるかもしれんぞ?」



ザンチラーは傷を受けた事に対して機嫌を悪くした素振りも見せず、こちらに向き直る。先ほど俺が与えた傷は一瞬で癒えており、自身の不死性が損なわれていない自信があるのだろう。だがそれは承知の上だ。ヘロスが力場の壁を透過する事が出来なかったように、ザンチラーも力場による攻撃で傷つけることが出来る。今の攻撃はそれを確かめるためのものだったのだから。

"力場"──マジック・ミサイルやウォール・オヴ・フォースに代表される、不可視あるいは一定色を纏ったエネルギーによって構成されるもの。原書では"Force"だったか。本来であれば呪文によって行使される種別の力であるが、このザンチラーには呪文は通用しない。であれば、武器に付与された"力場"によって傷を与えていくしかない。

とはいえゲーム中に登場した"力場"ダメージを与える武器は限られており、さらにそれはクリティカル・ヒット時に1d10点やヒット毎に1点といった頼りないものでしかない。それで目の前の再生能力を有した巨人を殺すのは大海の水を柄杓一本で掬い続けるようなものだ。ザンチラーの自信の程にも頷けるというものだ。だが今俺に与えられている選択肢はゲームの頃とは比較にならないほど多い。その手札を最大限に活かすべく脳内でレベルアップの処理を行い、その終了処理にともなって白い翼が俺の体を包み込むエフェクトを感じながら切り札の一つ、弓を取り出した。

動物の角や骨を張り合わせたコンポジット・ボウと呼ばれる弓の中でも特に高級な、魔獣の体組織を材料とした品。人間サイズでありながらも巨人が扱うような強靭な筋力に耐える特注品、何張か発注したその中でも今回取り出したものには言葉通り"Force"と呼ばれる効果が付与されている。それは俺が取り出した矢弾を力場のエネルギーへと射出する、まさに今の状況におあつらえ向きの品だ。この世界では知られていないレシピを元に、ラース・ヘイトンが製作したこの世界で唯一無二の特注品。

足を止め、"束ね撃ち"による全力射撃に意識を集中させる。レンジャーの弓術、ファイターの精密攻撃、バーバリアンの破壊力、ローグの攻撃回数──身に宿る攻撃職の全能力を行使し、指に保持されたのは三本の矢。レベルが上がったことにより同時に放てる矢の数は増え、さらに攻撃速度も飛躍的に上昇している。この一呼吸で、あの巨人の全生命力を穴だらけにして削り切る──!

放った矢は三条の力場の閃光と化し、ザンチラーの肉体へと突き立った。常識外れの破壊力を有したその矢弾は突き刺さったその周辺の体組織を巻き込みながら体の反対側から飛び出していく。先ほどの剣による攻撃と異なり、その痕跡は開いた拳大の穴から反対側が覗ける程。体の輪郭に沿って燃え上がる炎だけが残り、その射線上にある巨人の肉体は完膚なきまでに破壊し尽くされている。


「なんだと!?」


予期せぬ攻撃により痛手を受けたファイアー・ジャイアントは割りこむように風の壁を展開した。吹き上げる強風が矢弾を逸らす《ウインド・ウォール》の呪文、パイアス・グルールと同じ防衛手段だ。呪文使いにとって、矢弾による遠隔攻撃は呪文一つで無効化できる単純な攻撃手段だ。数ある専門職の中でも確かに弓職を選んだ経験は俺の中でも少ない。しかし咄嗟の出来事に判断力が低下したのか、とった防御策に陳腐なものに過ぎない。それに対しては既に対応を織り込み済みだ。待ち構えていたラピスが《アンティマジック・フィールド》を伴ってその只中へと飛び込む。


「お生憎様、その手にはもう飽き飽きしてるんだよ」


無論そのためにはザンチラーの構える剣の間合いに飛び込む必要がある。フィールドによりポーションなどによる回復すら不可能なラピスにとって、この巨人の前に立つことは命を投げ出すような行為だ。数度剣が閃けばその体は両断され、周囲の黒骨の仲間入りを果たすことになるだろう。だが彼女は俺の合図に応え、その命を掛け金に乗せた。俺がザンチラーを葬らねば反撃で彼女の命は失われる。失敗は許されない。

彼女の献身により風の障壁は溶け崩れたかのように勢いを失い、霧散していく──こちらの攻撃に対処する貴重な一手をザンチラーに消耗させた。ラピスの位置取りは完璧で、俺がザンチラーとの間に開けた間合いに飛び込みながらも決してその封魔の結界をザンチラーにはギリギリで触れさせていない。そうやって出来た道筋へと、俺は引き続き矢を打ち込み続けた。この呪文の効果は魔法や超常といった種別の効果を解呪ではなく、抑止する。つまり矢弾もその範囲内では風の障壁が掻き消されたのと同様、通常の矢へと戻る。だが、それはアンティマジック・フィールド内に限った話だ。

勢いを殺されること無く飛び出した矢はザンチラーの体の直前でその特性を取り戻し、力場のエネルギー体へと転じると巨人へと突き刺さる。3、6、9、12、15、18──一瞬の間に二桁を超える回数ファイアー・ジャイアントの肉体を抉った。それぞれがショック死を引き起こすほどの痛烈な一撃。

最後の三矢がその頭部を射ぬき、想定した最悪のヒットポイントを100以上超えてダメージを振り切った瞬間ザンチラーの体に仕掛けられた《コンテンジェンシィ》が発動した。死の間際を発動条件として設定された《セレリティ》が、今際の際のザンチラーに呪文の発動を許す。巨人が選択した呪文は《リミテッド・ウィッシュ》。限定的ながら現実を改変し、あたかも《ディレイ・デス》呪文が発動したかのようにザンチラーの命をこの炎の丘へと繋ぎ止めた。


「クッ、殺しきれないか!」


当然《コンテンジェンシィ》の備えは想定していた。それが回復や脱出を図る能力であればどうにか対応する策は考えていたものの、高位の術者だけに呪文の取捨選択も憎らしいほどで的確だ──それはつまり、こちらにとって最悪な選択ということである。呪文の効果時間はおそらく2分。その間ザンチラーをダメージによって殺すことは不可能となったのだ。束ね撃ちの効果時間が30秒、再使用までのインターバルが3分あることを考えればその時間は絶望的なものだ。

だがまだ打つ手はある。《ディレイ・デス》の効果は死亡を防ぐだけであり、瀕死状態での行動を可能にするものではない。インスガドリーアがその肉体を破壊し尽くされてなお行動していたのはもう一つの呪文、《ビーストランド・フェロシティ》により実現していたもので、先ほどの《リミテッド・ウィッシュ》により現実改変ではひとつの呪文効果を模倣しただけ。つまり、このまま致死量を超える攻撃を続ける限りはザンチラーの行動を防ぐことができる。その間に非常用の手段を打てばいい。


「補助します!」


メイが俺を連れて転移、《ウインド・ウォール》に妨げられない射撃位置を確保した後にラピスがザンチラーの付近から離脱。フィアも有事に備えて俺の近くへと移動してくる。俺は数秒毎に完全にその肉体を復元するザンチラーへとひたすら矢を打ち込みながら、続く一手の準備として呪文を高速化して行使する。《束ね撃ち》の有効時間は既に残り20秒を切っており、その間が俺達に残された猶予なのだ。

発動した呪文は《サーヴァント・ホード/従者の群れ》。シャーンで最初に出会ったサイアスが使用していた呪文だ。複数生み出された不可視の従者、彼らに命じてブレスレットから取り出したアイテムを一対となるように運ばせる。残り時間のカウントが徐々に減っていく中、不可視の従者たちは手にした荷物を抱えながらザンチラーへと近づく。そして火巨人を包囲するように隣接した瞬間、従者は手にした布切れを鞄の中へと押し込んだ。その瞬間、彼らの位置を起点として万物を吸い込む虚無の空洞が開く──。

物質界の壁が破られ、アストラル界へと入り口が開かれたのだ。"バッグ・オヴ・ホールディング"と"ポータブル・ホール"、人工的に創造された異空間同士を重ねることで発生する物質界の壁に穴を穿つ──禁忌の重ね合わせがブラックホールのように周囲のあらゆる存在を吸い込み消滅する世界の欠落を生み出す。そう、俺の狙いとは、殺せないのであればこの物質界から追放しようというものだ。

このエベロンという世界では、物質界は強固な殻に包まれており他の次元界から干渉することは非常に困難なのだ。アストラル界へ追いやればそのうちいずれかの次元界に漂着するだろう。だがそれが物質界である確率は低く、またそうだとしてもこの場からザンチラーを取り除くことが出来ればフェルニアの顕現を防ぐことが出来る。強すぎる敵と相対した際に考えていた裏技の一つ。問答無用に敵をこの世から追放するこの攻撃を防ぐ術はない。

──だが俺の目に映るのはその考えを裏切る光景だった。虚無の空洞は瞬く間に炎によって塗りつぶされた。次元界に穿たれた穴はザンチラーを吸い込むより先に、巨人の周囲を"炎の海"へと書き換える能力により掻き消されたのだ。既知のルールという知識に縛られた俺の想像を超える現象。神話の領域に踏み込んだ存在にのみ可能な、世界法則の蹂躙。目の前の巨人は、自惚れではなく真に神という超位の存在へと昇りつめようとしているということか。


「──肝を冷やすとはこの事か。よもや我が秘法の護りを掻い潜り、ここまでの傷を負わされるとは想像だにせなんだぞ。

 見事な技量とそれに相応しい武具。まさに当代随一の使い手であろう──だが、運がない。我が同胞の血脈に生まれていれば、なんとしてでも我が配下に加えたものを」



空間の裂け目が消失すると同時に《束ね撃ち》の効果が切れ、矢嵐が収まりザンチラーがその傷を復元する。高い位置にあるその瞳は力強く俺を捕らえており、一挙手一投足も見逃すまいとしているようだ。


「もはや侮ることはせぬ、我が全力を持って葬らせてもらうぞ!」


巨人が吠えた。その言霊は秘術の鼓動を伴い、ザンチラーに一瞬だが未来予知に近い洞察を与える。秘術の初級呪文《トゥルー・ストライク/百発百中》、単純だが効果の高い呪文。だがメイはその呪文の相殺に動かない──いや、動けなかった。通常であれば呪文相殺を行うために必要な秘術回路の構築、その発動から効果の付与までが完全に秘法による防護の内側で行われ、外部からの干渉が行えないのだ。

秘法による防護は、巨人の体を覆う薄い一方通行の膜のようなものだと考えればいい。外部や周囲に向けて発動する呪文はその回路が少なくとも一部は秘法の外に置かれ、そこに干渉することで相殺することが出来る。だが今のようにザンチラーを目標とし、術者自身にのみ効果を与えるような呪文の場合はその呪文自体が秘法によって隔離された内部のみで完結してしまうのだ。

接近したラピスの《アンティマジック・フィールド》でパイアス・グルールやザンチラーに付与されている呪文の効果が抑止されなかったことから判断して、秘法の遮断能力は定命の存在に干渉できる範囲を超えている──つまり俺達は、ザンチラーが自己強化のために使用する呪文を一切止めることができないのだ。


「砕け散れ!」


肉厚なアダマンティンの黒い刃が俺へと迫る。一見先ほどの焼き直しに見えてその実、攻撃の質は全く異なっている。その軌道は俺が取りうる回避行動を全て蹂躙するように未来の軌道を描き、俺を封殺している。辛うじて持ちうる刹那の猶予を利用して弓を放棄、構えた剣をザンチラーの巨大な斬刀と俺の体の間に挿し込むことに成功する。

錬金術の秘儀により同じアダマンティンの硬度をエッセンスとして吹きこまれたはずの緑鉄製武器が悲鳴を上げるように軋む。そして新幹線と正面衝突したかのような衝撃は同時に俺の肉体へと深いダメージを与えてくる。手首、肘、肩と武器を支えている関節が歪み、骨は折れるまではいかないもののヒビが幾条も走る。

停滞した時間流の中、痛みという危険信号はまだ俺の脳には届いていない。だが既に防御に回した腕の機能は削がれ、常のような精密な動きは期待できそうもない。だがここで動きを止めれば待っているのは胴体の両断だ。敵の攻撃、膨大な質量と運動エネルギーを逸らすことは出来そうもない。だが自分の体を無理やり動かしその軌道上から外すことはまだ不可能ではなさそうだ。筋肉の断裂を感じながら武器の交差する箇所を支点に自分の体を回転させるように上へ。追撃の切り返しを受けぬよう、敵の剣の軌道を追うように飛び込んだ。

だがそこも安住の地ではない。一見距離を詰め間合いの内側に潜り込めば、円運動を基本とする斬撃の殺傷圏からは遠のくと思うかも知れない。だがそれはお互いが近い体格同士で戦った場合の話だ。180cmに満たない俺と10メートルを超える巨人。その腕の位置は遥か高く、また肩の付け根まで接近したとしても敵が半歩体軸をずらせばそこは一気に致死の斬撃空間に早変わりするのだ。自分の有利な位置を求め、空間の制圧をただひたすらに応酬する。それが俺に与えられた唯一の活路だ。

勿論間合いの外へと脱出することも可能ではある。だがそこまでして俺が接近戦を続けるのは勿論理由あってのことだ。他の仲間が狙われればともすれば一撃で命を奪われかねないため注意を引き付ける必要があることと、もう一つ──ザンチラーの持つ武器を破壊する機会を窺っているのだ。

見たところザンチラーは今手にしているファルシオン以外には呪文を強化するロッドの類しか持っておらず、アイテムを収納する効果を持つ道具なども身に付けているようには見えない。おそらくはその異界を展開する能力が異次元空間を恒常化するアイテムと相性が悪いのだろう。先程はこちらの想像を裏切って敵に優位に働いたその能力が、今度はこちらに攻め口を与える。巨人の膂力はそれだけでも凶悪だとはいえ、両手武器と素手では殺傷力に雲泥の差がある。攻撃呪文はメイが封じてくれる事を期待し、武器による攻撃を止めるためにあのファルシオンを破壊するのだ。そうすれば《ディレイ・デス》の効果が失われるまでの数分の時間を耐えきる可能性が飛躍的に向上する。

先ほどの交差の瞬間、俺を切り裂こうとした大剣は確かに僅かな力場に覆われただけの武器と噛み合ったのだ。インパクトの瞬間、透過を止めた瞬間であれば通常の武装でも武器破壊を試みることが出来るはず。己を鼓舞するように喉を震わせ、さらにその声に呪文の詠唱を紛れさせる。それはザンチラーが先ほど使用した《トゥルー・ストライク》。奇しくも全く同じタイミングで、巨人も再びその呪文を使用している。再び先ほどと同等か、上回る攻撃が俺に向かって行われようとしているのだ。殺意に満ちた必殺の斬撃。だがそれこそが俺が狙う機会となる。

戦闘巧者であるザンチラーに対して武器破壊の機会などそうそう訪れるものではない。俺の狙いに気がつけば他の仲間へと狙いを変えるだろう。そうなっては逃げに徹さない限り、瞬く間に蹂躙される。チャンスは一度きり。敵の攻撃が自分の体を抉るその一瞬、実体化したその刃を叩き折るのだ。肉を切らせて、骨ならぬ刃を絶つ。こちらに向かってくる剣に対し、ギリギリまで俺は回避を続けながらその瞬間を待つ。

呪文によって与えられた洞察力が数瞬後の未来を切り取ってこちらの知覚へと割り込ませてくる。ザンチラーの全身を構成する黒鉄のごとき筋肉はアダマンティンの刀身に恐るべき加速を与え、その刃はこちらの未来を切りとらんと迫ってくる。集中力が引き伸ばした時間の果て、その武器は確かに今度こそ俺の体を捉えるだろう。俺は自分の体へとその刃がめり込み、胴体が寸断される様を確かに幻視した。

だがそうはさせない。ウィザードとして脳内に準備しておいた呪文の回路に火を入れる。《セレリティ》、思考と神経伝達を加速させ、常軌を逸した反応速度と行動力を一時的に得る呪文だ。先程よりもさらに間延びした時間の中。アダマンティンの刃が俺の左腕の皮膚に薄く重なった瞬間に実体化し、表皮を切り裂いた刹那の瞬間。その一瞬を数秒にも感じられるほど引き伸ばし、その中で自分だけはいつもどおりの速度で動いている。手にした武器を構造物破壊に適した緑鉄製の戦鎚へと変え、呪文によって得た余力の全てを、一滴でも多くの重さを攻撃に乗せるために転用する。

永遠の闘争に明け暮れる次元界──"戦いの場シャヴァラス"で産出される希少金属を鉄と混ぜあわせ、さらにその住人である悪魔の肉体を大量の媒介として鍛えあげられた異界の武装。インパクトの瞬間犠牲として捧げられた悪魔たちの苦悶の声が響き、それは物質を崩壊させる《ディスインテグレイト》の呪文に似た効果を発する。不協和音はファルシオンを構成するアダマンティンの結合を分解し、ザンチラー愛用の武器はその半ばから削り取られる──はずだった。

火巨人の刃が突如目を覚ましたかのように動き始めたのだ。加速された時間の中、それは再び実体を捨てることで緑鉄製武器の発する破壊の一撃を透過し、さらに俺の肉体をすり拔けて──その途中で再び実体化した。体内に突如異物を挿し込まれたような感覚。咄嗟の反応で胴体全てを両断されることは避けたものの、右脇が抉られその傷口は炎で焼かれた。チリチリと痛みを伝える信号が腰のほうから沸き上がってくる感覚。そして時間の加速が唐突に終わりを告げた瞬間、それは俺の脳へと殺到した。《セレリティ》による反動で神経系が半ば麻痺していてもなお脳そのものが沸騰したのではないかと錯覚する激痛。魔法具の制御を失い、燃える地面へと叩きつけられる。

まともに身動きさえも叶わない幻惑状態の中、先ほどの出来事について僅かな思考で分析する。おそらくはザンチラーは俺が反撃に転じたその瞬間、同じく《セレリティ》を使用して行動を割りこませたのだ。俺の行動は読まれていた。武器は破壊できず、逆に腹を三分の一ほど裂かれ腎臓を片方持っていかれた。傷口が焼かれたことで出血がないのがまだ幸いか。だが呪文による加速の代償か、体を満足に動かすことができない。一方で巨人の秘法による再生は《セレリティ》の反作用さえも癒すのか、ザンチラーはその動きを止めず再びその剣を振り上げようとしている。一刀両断の危機──だが俺は仲間の手によってその窮地を脱した。メイの《ディメンジョン・ドア》による転移が、巨人と俺達の距離を大きく開けたのだ。駆け寄ってきたフィアが俺の傷口に手を触れると、聖戦士の持つ癒しの力が傷口を塞いでいく。


「──あのタイミングでよくぞここまで傷を抑えたものだ。だが、それでも深手には違いない。私の"癒しの手"では塞ぎきれぬな」


フィアの助けにより表面の傷は塞がったものの、未だ体内で黒い炎が暴れまわっているような痛みを感じる。おそらくはまだ臓器が傷ついているのだ。体を動かそうとする度に火花が散るような刺激が起こる──だが動きまわっても傷が悪化しない程度には回復している。それはつまり戦闘には支障がないということだ。とはいえ、次に同じような攻撃を受ければ今度こそ瀕死ではなく即死まで至ることは間違いない。まずは攻防の合間を縫って一手を治療に裂かざるを得ないだろう。だが勿論ザンチラーはその攻め手を緩めず、こちらへと詰め寄ってくる。


「どうした人間、出し物はもう打ち止めか。先ほどの矢は尽きたのか? 小賢しい秘術は使い尽くしたのか?」


ザンチラーは《アンティマジック・フィールド》を解除したラピスが時間稼ぎに創り上げた《ウォール・オヴ・フォース》をその両手剣で薄紙を斬るように一撃で破壊し、こちらへと迫ってくる。やはりあの剣も相当なアーティファクトなのか、それとも巨人の秘宝による加護の一種なのか。物理攻撃に対する完全耐性を有する力場の障壁を断ち割るとは想像以上だ。これでさらに俺の考えていた策が潰えたことになる。後は博打のような手段しか残っていない。だが俺が悩む時間よりも先に、仲間の声が戦場に響いた。


「ならば次は私が芸を披露するとしよう──貴様が最後に目にする光景を、しっかりと目に焼き付けておくがいい」


中空を切り裂き、エレミアが《メイズ》を脱出して戻ってきたのだ。彼女は視線でタイミングを合わせるようにこちらへ伝えると、ザンチラー目掛けて駆け始めた。彼女の戦闘力は接近戦に特化されている。その能力を最大に活かした攻撃を見舞うつもりなのだろう。


「素直に囚われの身でいればまだ暫くの生にすがりつけたものを、わざわざその首を差し出しに来たか!

 では望みどおりお前から叩き潰してくれよう。肉片となってこの丘の業火に焼かれ続けるがいい!」



ザンチラーはエレミアに向き直りその黒剣を構えて迎え撃つ様子を見せつつも、こちらに注意深く意識を向けている。そんな巨人に向けてエレミアは間合いの違いを物ともせずに先手を取った。トリッキーな動きを交えつつ距離を詰めることで手を出す隙を与えなかったのだ。そして直前で宙を駆け上がる。ダブルシミターが美しい弧を描き、ザンチラーの頭へと襲いかかる。

彼女の剣は俺の武器のように力場を纏っているわけではない。それは巨人の秘法の加護により、体を傷つけることなくすり抜けた。何の効果もない攻撃──だがその一撃はザンチラーの顔を驚愕に歪める。一体何が起こっているのか。ダブルシミターの対の刃がさらに反動をつけて襲いかかる。ザンチラーは何を恐れてか、必死に首を仰け反らせてその攻撃を避けようとしたが完全には間に合わない。刃の先端が微かにその皮膚へと抉り込み、すり抜ける。

今度の変化は俺の目にも顕著だった。突如、ザンチラーの体を包むように複数の防御術や変成術を中心とする呪文のオーラが現れたのだ。それから想定される事は一つ。エレミアは、ザンチラー本人ではなくその身に纏う巨人族の秘法を斬っている。初太刀が何を斬ったのか不明だが、二の太刀が魔法効果に対する完全耐性を無効化したのは明らかだ。


「馬鹿な、一体どんなペテンだ? この身に宿るは神に等しい力だぞ──」


その言葉が大気へ溶けるより早く、エレミアの次の攻撃が繰り出された。ついにそれは先程のように透過することはなくザンチラーの黒鋼のような皮膚を切り裂き、分厚い骨を抉った。確かにその体からは物理効果への耐性が失われている。


「我が肉体に宿るは古の祖霊の技、我が血に受け継がれてきた宿命の一撃──巨人よ、貴様が炎の王を僣するのであれば、我が刃にて討たれるがその運命というものだ」


「馬鹿な、貴様、まさか"神殺し"か──!」


ザンチラーは驚愕の声を上げながらも反撃のために呪文を紡ごうとする。だがそれは《魔道師退治》の技術を持つフィアがその間合いにザンチラーを収めたことで悪手となった。精神集中を乱された巨人の隙を突いて、さらに彼女たちの攻撃が巨人を襲ったのだ。さらにメイが唱えた《グレーター・ディスペル・マジック》によってその体を覆っていた数々の強化呪文を吹き飛ばされている。

だがエレミアの攻撃はそれらの援護すら不要と思えるほどの苛烈さだった。まるで時が静止した中で彼女だけが自由に動いているのかのように剣が舞う。討つべき宿命の敵へと、殺戮者の刃が振るわれる。毎秒5発を超える剣閃。それだけの攻撃を続ければ、未だ巨人の纏う炎に焼かれて彼女自身の肉体も無事では済まないはず。だが、まるで炎は彼女を飾り立てるようにその周囲を踊るだけで決してその身に届くことはない。故郷の砂漠の風を身に纏うように、エレミアは炎をその支配下において死の舞踏を続ける。

それは先程の俺の放った矢の嵐を超える破壊をもたらした。ザンチラーというファイアー・ジャイアントを形作っていた肉体がこそぎ落とされていく。肉と骨が飛び散り、その巨体は見る間にその体積を減じていった。そしてその傷が癒えることは無いのだ。もはや首だけとなり残る部分は全て炎と化したザンチラーは崩れ落ち、その頭部は丘の斜面へと転がった。


「馬鹿な、こんなことが認められるものか──」


掠れたその声に応じるように、周囲に展開されている"炎の海"が徐々にその範囲を狭めていく。ザンチラーの死により、この物質界を侵食していた異界の法則が消えていこうとしているのだ。丘を染め上げていた炎はザンチラーの元へと集まっていき、そこで天に伸びる柱と化すと夜空を突き破って伸びていく。

その火柱の中はまるで地獄の狂宴のような有様だった。一際密度の高い炎の塊から小鬼にコウモリの羽を生やしたような悪魔──"インプ"が生まれたかと思うと、彼らは火柱の中に映るザンチラーやその副官の肉体を象っている炎を一つまみずつ引きちぎって笑いながら天へと登っていくのだ。次々と現れるインプの数はすぐに数えきれないほどになった。


「止めろ、契約は無効だ! 私の魂を持って行くんじゃない!」


苦悶の表情で悲痛な叫び声を上げるだけ副官達とは異なり、ザンチラーはインプ達へと罵声を叩きつけている。だが自らの任務に忠実であり、現世での魂の回収を役割とする悪魔にその言葉が聞き入れられることはない。

先程エレミアに切り裂かれた時よりも時間をかけて、徐々に啄まれるようにその炎の肉体を減らしていったザンチラー。その残された頭部に一際鋭い爪を生やしたインプが爪を立て、両の眼を抉り取るとさらに頭部の宝冠を奪い取っていく。もはや呪いの言葉を吐く口と喉をも失った巨人はただその空洞となった眼下から血の涙を流し、萎れるようにその顔を細めると火柱の残滓と共に天に登っていった。

仮初の夜空に開いた巨大な穴からは、その火柱を供物のように受け止める巨大な炎の掌が突き出ている。それは最後の一欠片を受け取るとその指を閉じ、穴の向こうへと消えて行く。そして残されたのはルーが展開する異界の星空のみ。それもルーが地上に降り立つと同時に消え去る。現れた昼空は不気味な雲など一欠片も存在しない清々しいものだ。そしてその眩しさが、戦いを終えた俺達の心を癒すように燦々と降り注ぐのだった。



[12354] 幕間4.エルフの血脈1
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/01/08 19:23

「──見事だ。我が身に一太刀浴びせたその剣撃、確かにその身に宿る祖霊の息吹を感じたぞ。

 認めよう、エレミア・アナスタキア──新たなる"古き英雄"よ。その身は既にこの国に縛られるものではない。

 その剣の導く運命を辿るが良い。定めを成就し、祖霊の歩んだ道のさらにその先へと。

 そして叶うなら、その果てに辿り着き剣の極みに至った時。再び我と剣を交わしてくれ」


──ヴァラナー国王 シャエラス・ヴァダリア大王 剣舞の間にて  











ゼンドリック漂流記

幕間4.エルフの血脈1












太陽が強烈な光を投げかけている。夏が近いこの季節、赤道が近いストームリーチの街は熱波に覆われていた。海から吹き付ける風は熱せられた大量の水分を含んでおり、それが体に纏わりつくのだ。だがそれでもなお無風であるよりは救いがある。風が止めば海面や石畳から反射する熱が足元から襲いかかってくるのだ。日差しの下はまるで加熱された鉄板の上のような有様だ。普段は威勢よく荷運びを行なっている港の水夫たちも、この環境下では働く気力を維持できないのか早々に酒場へと避難している。おそらくは太陽が沈む夕刻まではエールでその体を冷やしておくつもりなのだろう。この炎天下の中で外出しているのはウォーフォージドと、そして耐熱の装備や呪文を用意できる者達のみだ。

勿論俺は後者に含まれる。"クローク・オヴ・コンフォート"は外套として直射日光を遮るだけではなく、仲間をも包み込んで周囲の外気温を適度に保ってくれる効果を有している。この季節、屋外での活動を行うには必須といえる品だ。とはいえその価格は金貨千枚単位で価値が計られる立派な"マジックアイテム"であり、一般人の手が届く品ではない。職人の稼ぎが1日金貨1枚程度であることを考えれば、その価値は判ってもらえるだろうか。

無論こんな炎天下に、用もなく外を出歩いているわけではない。あの炎の丘でのザンチラーとの戦いの後、地下遺跡の探索を含めた後始末を終えストームリーチの我が家に帰ってきた俺達の元へと、一通の手紙がオリエン氏族の手によって届けられたのが今から半月ほど前のこと。エレミアを宛先としたその手紙が今日、俺と彼女を港へと呼び寄せたのだ。エレミアにその祖霊の道を指し示した人物が、今日この街へとやってくる。その人物を出迎えようと、俺達は二人で港へと赴いたのだ。

俺の視線の先では独特の細いフォルムの船体に風を受けつつ、定刻通りに入港するエルフの帆船が見えている。優美な曲線で構成されたそれは特別な古樹を加工して形成された"生きている船"。エアレナルに植生するライヴウッドという樹木は、例え切断されたとしても枯れることなく命脈を保ち続ける。そういった"生きた"材木を、ドルイドたちが長い時間をかけて少しずつ船の形へと形成し、さらに植物に知性を与える《アウェイクン/覚醒》という呪文によって自我を与えられたのがあの船だ。その呪文が現代では使い手の少なくなった中位呪文であることもあり、同型品は世界中を探しても十指で余るほどしか存在しない。噂ではそれ自体がドルイドとして呪文を行使するとも言われている、まさにエルフの航海にふさわしい船だ。

停泊したその船から次々と桟橋に降りてくるのは勿論その全てがエルフだ。ヴァラナーの港を出発してからエアレナル諸島を経由し、ここストームリーチへと至るその経路はかつて彼等の祖先がゼンドリックから脱出する際に辿った道を遡るものであり、そのためエルフ達はゼンドリックを訪れる際に船旅を好むことが多い。それは祖霊の歩んだ道に自らを重ねることでこれから行う冒険へのモチベーションを上げる効果があるのだとか。

その旅路を終え、伝承に語られる大陸へと降り立ったエルフ達は暑さにも怯むことなく、規律正しく行動を開始した。荷物の積み下ろしや入港手続きといった作業を彼等は次々と片付けていく。その様子を観察していると、彼等はいくつかのグループに別れていることに気付く。それは10人前後の統率のとれた小集団──"戦隊"と呼ばれるエルフの戦闘単位だ。ヴァラナーの軍隊は45の"戦団"によって構成され、それぞれに200~500名のエルフが所属している。その戦団を構成している、一つ単位の小さなユニットが"戦隊"だ。

最終戦争を生き抜いた人間の古参兵が2レベル程度でしかないこのエベロンにおいて、この戦隊に所属する戦士は"ルーキー"を除けば皆4~6レベルに達しているらしい。これは動物で例えればホッキョクグマに相当する脅威である。それが圧倒的機動力の騎兵となって、巧妙な連携で攻め寄せてくるのだ。その戦闘力は人間の軍隊とは比較にならない。

ヴァラナー国内にはそういった戦団が常に20は常駐しているが、残りの戦団は行動の自由を保証されている。たいていの場合、その任務に従事していない戦団は教練に明け暮れるか、祖霊の道を辿ろうと国外へと出かけていく。今眼の前にいるエルフ達もおそらくこの大陸に祖先のルーツを求めてやってきた戦団の一つなのだろう。

そういったエルフの集団の合間を縫って、二人の人物がこちらへと近づいてきた。特徴のある耳の形から二人共がエルフであることが判る。ゆったりとしたローブは体の線を隠し、目元から下を覆うヴェールが個人の特定を困難にしている。しかしそれでも俺には彼等が目的の人物であると察しがついた。彼らの素性はその特徴ある装束が語ってくれているのだ。顔を覆う布は祖霊との一体化を果たすために顔という自分の個性を覆い隠すもの。そして衣服に刻まれた文様は祖霊を讃え、その伝承を語り継いでいくことを誓ったルーンが刻まれている。間違いない。ヴァラナーの精神的指導者──"キーパー・オヴ・ザ・パスト/過去の護り手"だ。


「お久しぶりです、師母。ご健勝のようでなによりです」


桟橋を渡り、近づいてきたその二人へとエレミアが駆け寄って声を掛けた。その声は弾んでおり、恩義ある人物との再会に喜んでいる様子が後ろ姿からでも見て取ることが出来るほどだ。声を掛けられたそのエルフの女性も、僅かに覗く目元を綻ばせてエレミアへと応じる。


「わざわざ迎えに来てくれたのね、エレミア。ありがとう。ここに来るまでの船旅の疲れも、貴方の姿を見たお陰で吹き飛んだわ。

 それに、また腕を上げたようね。4月ほど前に会った時はまだ私でも剣を合わせることが出来ただろうけれど、今はもう無理でしょうね。

 貴方が祖霊の道を正しく歩み進めている姿をこうして見れることは、私にとって何よりも嬉しいことだわ」


ふわり、と駆け寄ったエレミアを彼女が抱きとめるような形で二人は抱擁を交わす。ほんの数秒ではあるが、心を許しあった者同士がお互いの再会を喜ぶ気持ちを伝えるにはそれで十分だったようだ。距離を開けた今でも二人の間が信頼という絆で結ばれているのが判る。そしてそんなエレミアへと、もう一人のエルフが声を掛けた。


「お久しぶりですわ、エレミアお姉さま。ご活躍は遠くヴァラナーまでも聞こえております。

 今回は姉妹を代表してナーエラ様に同行させていただきました。是非、この大陸でのお話をお聞かせくださいまし」


エレミアを姉と呼ぶそのエルフは、凛とした声で呼びかけると躍動感溢れる動きでエレミアへと抱きついた。エレミアの身長はエルフの平均をやや超える170cmほどだが、この少女は頭ひとつほど背丈が低い。ちょうどフィアやルーとエレミアの中間くらいだろうか。姉の首元に顔を埋めた後、身を離した彼女へとエレミアが言葉をかける。


「ティア、よく来てくれた。船旅は初めてだったろうが、体調は崩していないか?

 君は昔から身体が弱かったから、長旅は堪えたんじゃないか」


「まあ、お姉さまったら。もう子供の頃とは違うんですわよ。それに体を悪くするような時間なんてありませんでしたわ。

 お姉さまの時のようにドラゴンが襲って来てくれないかと楽しみにしていたら、あっという間に到着してしまいましたもの!」

 
仲睦まじく会話している3人のエルフは、人間的感覚からすれば姉妹のようにしか見えない。だが実際にはナーエラと呼ばれた"過去の護り手"はかなりの経験を積んだエルフで、一方のティアと呼ばれたエルフはまだ成年を迎えていないであろうほど年が離れているはずだ。ナーエラからは調和のとれた清流のようなエネルギーを、ティアからは若々しく放たれる生命エネルギーを感じる。

エルフは人間で言えば20才程度の肉体年齢を死ぬ時まで保ち続ける。彼らの顔に皺ができることはなく、髪が白髪になることもなく、肌はなめらかさと張りを保ち続ける。そんな年齢不詳のエルフ達の年齢を推し量る指標となるのが、生命エネルギーの放射だ。以前はまったく感知することができなかったのだが、モンクとしてのレベルが上がったことか、あるいはエルフのキャラクターが解放されたことのいずれかを条件として俺にもそのエネルギーを知覚することが出来るようになったのだ。

年若いエルフからは激しくエネルギーが溢れているが、年を経るに従って徐々にその奔流は身体を包むように形を整え、密度を上げていく。その高まった密度に肉体が耐えられなくなることが、エルフにとっての老衰死なのだ。それはまるで彼らが徐々に血と肉でできた存在から霊と光でできた存在へと形質変化してく過程のように思える。エルフの祖先は肉体を持たぬ霊的存在──エラドリンという来訪者であるという学説は、そういった事情からもこのエベロンにおいても一定の支持を得ている。


「お二人に紹介しよう。こちらはトーリ、私が乗っていた船がドラゴンの襲撃を受けてコルソス島に漂着したとき以来行動を共にしている仲間だ。

 そして私が生まれた時に守護祖霊を見定めていただいたナーエラ師と、"剣の館"の後輩に当たるエスティだ」


エレミアから二人のエルフの紹介を受けた。エアレナルのエルフが偉大な過去の英雄に不滅の肉体を与えて助言を授かるのに対し、ヴァラナーのエルフは彼等の祖先の為した栄光を再現し、それによって過去の英雄の魂を現代に蘇らせようとしている。ヴァラナー・エルフが生まれると聖職者であるキーパー・オヴ・ザ・パストがさまざまな徴からそのエルフを守護する祖先の霊を判断する。この祖霊の行いに倣い、また家族全てにその栄光をもたらすべく努力するのがその子供の義務となるのだ。

同じ守護祖霊が複数のエルフを守護している事もあり、その場合どのエルフがもっとも祖霊の姿を完全に再現できるかという競争が彼等の中で起こることもある。そういった子供たちが成人までの間、剣の腕を磨くのが"剣の館"なのだという。ヴァラナーにおけるエルフの教育機関だと考えれば間違い無いだろう。

つまり、彼女たちはエレミアの恩師と妹弟子のようなものということになる。だが人間と異なり、エルフが成人となるのは100歳前後だ。その分教育機関で過ごす期間は長く、それだけの歳月を重ねた彼女たちの関係は単なる学校の先生生徒という領域ではなく、どちらかというと家族のようなものになっているのだろう。


「こんなところで立ち話を続けることもないでしょう。よろしければ我が家に招待させていただきたいのですが、如何ですか?」


既にお互いの素性はある程度エレミアから聞いていたため、挨拶を軽く済ませた後に俺は早々に場所を移すことを提案した。"クローク・オヴ・コンフォート"があるとはいえ、海面から照り返す太陽光が目を刺し、塩分を含んだ風が体にまとわりつくのは避けられない。旅人の二人は故国の気候からして砂漠のようなカラっとした暑さであれば慣れているのかもしれないが、このストームリーチの蒸し暑さには不慣れだろう。ひとまずは落ち着ける場所に移動することが先決だ。

一行を先導して道を進む。以前は港湾地区から中央市場への移動はハーバーマスターによって規制されていたが、そうやって足止めを受けた冒険者達を利用した治安向上作戦が一定の成果を上げたようで、今現在はそういった制限は課されていない。かつて港湾から市街地へと続く道を塞いでいた大門の脇には武装した衛視が立っていたが、今や彼らの仕事は持ち込まれる揉め事の受付くらいのものだ。それすらこの炎天下では開店休業状態なのか、彼らは脇に設けられた仮設の衛視小屋の中へと引きこもり、鎧を脱いで涼を取っている始末だ。

そんなわけで客人の移動には支障が無かった。港湾地区からタラシュク氏族のエンクレーヴを横目に見ながら中央市場へと抜け、南東の門を超えるとそこは"ストームヘイヴン"と呼ばれる高級住宅街だ。花や蔦で覆われた邸宅や外壁は庭師が腕を競い合うキャンバスとして多彩な彩りを見せ、さらに太古の巨人族の秘術の力で空に浮き上がっている塔や邸宅までもが存在しており"リトル・シャーン"とでもいうべき光景が広がっている。

他にもジョラスコ氏族のメンバーが丹精に育て上げた庭園が景観だけではなく香りや居心地といった面で訪れる者皆に癒しを与えてくれる。ストームリーチにおける安息の地、それがこの区画の特徴だ。エスティはこの街でも先達であるエレミアに対して目に映るこの街独特の物に対して次々と質問を投げ掛けている。新しく訪れた街の光景は見ているだけでも充分に旅人を楽しませているようだ。

そんな観光を兼ねた移動で港湾から30分ほど歩いた頃、ジョラスコ氏族の影響力を受けた街区を抜け、ストームリーチの外壁を超えた先に建つ我が家が視界に映り出した。外敵から守ってくれる街壁の外にあるため、屋敷の周囲は狭い間隔で打ち込まれた柱で囲われている。ハーフリングの子供であれば辛うじて通り抜けられるだろうという程度の隙間から庭の様子を窺うことが出来、そこではカルノ達が剣を振っているのが見える。おそらくはまたラピスが木陰のハンモックから指導を行なっているのだろう。

さらに家の周囲は契約によって派遣されたデニスの警備兵が巡回している。先日までは任務ということで義務感から仕事にあたっていた彼らだが、嵐薙砦の件以降その態度は大きく変化した。派遣されてくる氏族のブレードマーク達は相当な熱意を持って仕事に取り組んでくれている。デニス氏族の主催するいくつかのパーティーに出席し有力者と面識を得たのは確かだが、それよりもあのクエストでの戦いぶりが伝わったことが彼らの職務意識の変革に繋がったようだ。名が売れることに伴う有名税は俺にとって大きな負担だが、それがデメリットだけではないことを彼らが教えてくれている。

そんな彼らに挨拶をしつつ両開きの門を開くと、脇に控えている鉄蠍の姿が現れる。微動だにしないその姿は鋼鉄で造られた彫像のようだ。現にエスティは彼女が動くことに気付いていなかったようで、俺が挨拶がわりに尾を撫でたことに反応したシャウラに対してぎょっとした視線を向けている。


「ご安心を、門番を勤めてくれている我らの心強い仲間です。シャウラ、エレミアのお客さんにご挨拶を」


俺の言葉を受けてシャウラが後肢を伸ばすと、胴体の前半分がお辞儀をしたかのように下がって見える。その動作を見て害意がないと判断したのだろう、エスティはおそるおそるシャウラの外殻に手を伸ばしてその硬さに驚きながらも興味深そうにしげしげと彼女を眺めている。そんな客人を脇に俺は続いて家の門扉を開き、エスティとその様子を微笑ましく見守っている一行に声をかける。


「さあどうぞ、あがってください。ちょうどこの大陸で採れる珍しい茶葉を手に入れたところです」




† † † † † † † † † † † † † † 




客間へと通した客人らの相手はエレミアに任せ、俺は食堂に併設した厨房でメイに教わった技術をふるって茶を淹れていた。この世界の料理などは〈職能:料理人〉という技能で表され、【知力】の高低による修正値とレベルアップごとに割り振ることの出来る技能ポイントによって技量が決定し、行為の結果はその数値にD20を加えることで判定される。一般人の【知力】修正値が-1~+1程度、技能ポイントがキャラクター・レベル+3までを上限とするシステムにおいてD20という揺れ幅は非常に大きい。レベルが低ければ低いほど固定値が小さく、乱数の影響を大きく受けるのだ。

だがさすがにそれでは職人などの仕事は成り立たない。今の俺のように落ち着いた状況で邪魔されない環境であれば、サイコロの目で10を振ったものとして安定した結果を出すことが出来る──"出目10"あるいは"テイク10"と呼ばれる判定だ。戦闘中や設備の整っていない状況では不可能だが、日常に含まれる行為であれば大抵のことはこれによって処理されると思っていい。それとは別に、20倍のリソースを費やすことで"出目20"とするような事も出来る。これはつまり20回お茶を淹れ、そのうち19回分の茶葉と時間を捨てることで、理論上の最高の結果を出せるということだ。

あいにく判定の結果がログとして出力されるわけではないこの環境ではそれらのシステムがそのまま適用されているのかは不明だ。だが度重なる検証の結果として、完全ではないにしろ近い法則が働いているであろうことは確認している。俺の目の前では茶葉が対流により撹拌されている。訓練により鍛えられた観察眼は、細かい観測機器がない環境でも適切なタイミングを俺に教えてくれる。その日の温度や湿度といった外的要因、茶と湯の量や温度といった内的要因の組み合わせに対して解答を与えてくれるのだ。"出目10"をするように落ち着いて作業をすれば、茶の出来上がり具合の揺れ幅は殆ど無い。蒸れ具合を見計らいスプーンでポットの中をひと混ぜし、温めたカップと共にキャスターに乗せる。

この能力があれば直ぐにでも料理人として身を立てられると考えたことはある。だが、残念ながら世の中はそう都合良くはいかなかった。この技能に関する数値は、"既知のレシピについて、その通りに作成する"能力なのだ。難易度の低い目玉焼きのような料理はどれほど達成値を高く作成しても、その味は目玉焼きの範囲を超えることはない(それはそれで素晴らしい味の目玉焼きにはなるだろうが)。目標となる味あるいは調理法(難易度)を先に決定し、それに成功したかどうかを判定する形式なのだ。手の込んだ料理であればあるほどその難易度は高くなるが、そういった料理のレシピは秘匿されていることが多い。

無論〈職能:料理人〉には料理を味わうことでそのレシピを類推し、仮説を立てる能力も含まれている。だがその仮説を検証し、レシピをモノにするには研究が必要だ。それはウィザードが新たな呪文を探求する行為に似ている。時折メイと二人して新たな料理を味わいに様々な店を訪れ、帰ってからはそのレシピの再現に挑戦するといった事をしてはいるが所詮それは息抜きの範囲を出ないものだ。本職の料理人に敵うべくもない。

俺に《クリエイト・フード・アンド・ウォーター》の呪文が使えればそれによる和食の再現などに熱を上げたかもしれないが、この呪文は信仰呪文で使い手はクレリックに限定される。迂遠な手段を用いれば無理やり秘術呪文として再現する事も出来るのだが、残念ながら今はまだそこまで手が回っていない段階だ。そういうわけで俺の料理の腕前は趣味の範疇を出るものではない。例外があるとすればたった一つ、メイ直伝のこのお茶の淹れ方くらいのものだ。

分割した思考でそんなことを考えながらも体を動かす。ドアを《メイジハンド》で開き、キャスターを転がして客室へと入ると中にいた三人は和やかに談笑していた。どうやら近況を報告しあっていたようだ。基本的に誰それがどこかで武勲をあげた、という内容なのだがそのどれもが血なまぐさいのは彼らがヴァラナー・エルフであるが故仕方ないことか、と思う。彼らはまさに勲しを求めて海を渡り、今なお戦いに明け暮れる戦闘民族なのだから。

そもそも、自身らをヴァレス・ターン──"栄光の戦士"と呼ぶ彼らのルーツは遥か古代まで遡る。4万年前、エルフ達はドラゴンによるゼンドリック大陸の崩壊を予知したエアレンという名のエルフに従って旅立った後、ゼンドリック北東に位置する群諸島へと辿り着いた。預言者の名を取ってエアレナル(エアレンの眠る地)と名付けられたその島を新天地に、エルフ達は栄えていくことになる。しかし勿論それは永遠には続かない。2万5千年前、再びドラゴンがエルフ達の土地へと押し寄せてきたことで再び彼らは戦火に包まれることとなった。アルゴネッセン大陸に住むドラゴンとの戦争が始まったのだ。

原因は諸説ある。故郷を焼き払われ、追い出されたエルフの怒りが戦端を開いたのだとか、エルフの探求していた死霊術の秘奥がドラゴンたちの禁忌に抵触したのだと主張するものもいる。いずれにせよ、全てのエルフが団結しその地上で最も恐るべき軍勢へと立ち向かった──その中には、ヴァレス・ターンの前身、"ターナダル/誇り高き戦士"と呼ばれる、巨人との戦いで剣を用いたもののうち、エアレナルに到達した際に剣を捨てることを拒否した者達の姿もあったのだ。

当初の激突は激しいものだった。空を埋め尽くすドラゴンの軍勢に対し、秘術と剣技の秘奥をもってエルフ達は迎え撃った。海は遺体となった竜とエルフで埋め尽くされて赤黒く染まり、やがて両者には戦争の疲弊が残った。それにより戦いは徐々に、ゆっくりと肉体のぶつかり合いから魔術的なものへと移り変わっていく。最低でも数世紀のスパンで行われたこの戦争は、人間の眼にはまるでカタツムリの歩みのような代物に見えたかもしれない。だがそれは恐るべき高次秘術を交わす陣取り合戦のようなものであったのだ。だがそういった戦いにターナダルの居場所は無かった。彼らは一時戦いから遠ざかることとなったのだ。

それでも戦士たちは戦いの場を求め続け、新たな戦場としてコーヴェア大陸に目を留めた。1万年前、キャセール・ヴァダリアはコーヴェア大陸の南海岸に戦士たちを率いて上陸した。そこに住み着いた彼等は"ヴァレス・ターン/栄光の戦士"と自らを称する事になる。活動範囲を広げていったエルフたちはやがてダカーンのゴブリン帝国と接触し、小競り合いはすぐに戦争へと姿を変えた。ヴァレス・ターンは勿論一騎当千の勇士たちであったが、ダカーンにも鉄の規律に統率された大規模な軍があったのだ。しかし、この戦いは意外な結末を迎えた。

ダカーンとヴァレス・ターンの戦争が佳境を迎える中、ドラゴンの、いまだかつてない規模の軍勢がエアレナルを襲ったのだ。エルフは急ぎ海を渡って帰国し、残された砦はゴブリン達が占領するところとなった。そしてダカーンがエアレナルに対して戦いを挑んだ時、ドラゴンとの泥沼の戦いを続けていたエルフにゴブリン達と戦うだけの力はもはや無かった。ターナダルの指導者がダカーンと交渉を持ち、和平条約が調印された。「助けを求めてこれを呼ばぬ限り、ターナダルのエルフが再びコーヴェアに上陸する事は許されざる物とする」と。

彼等は約定を違えなかった。ダカーンのゴブリンは誇り高く、異次元からの悪意が侵入してきた時も、帝国が崩壊したときすらターナダルに助けを求めなかった。その間ターナダルは軍を整え、技を磨き、数千年待ちつづけた。王国歴914年、ついに召喚が為されるまで。呼びかけを行ったのはサイアリの王であった。ガリファー王国の正式な後継者でありながらも、兄妹達に権利を否定され各国から包囲攻撃を受けていたサイアリはコーヴェア大陸の外に助けを求めたのだ。請願に好奇心をそそられた指導者、シャエラス・ヴァダリアはヴァレス・ターンの一族を呼び出し、戦士たちも喜んでこれに応じたのである。

42年の間、ヴァレス・ターンはカルナスとブレランドに恐怖を撒き散らし、そして突然サイアリとの全ての関係を断ち切った。多くのものは同盟が価値のないものになったせいだと考えているが、新たに即位したサイアリ王がヴァダリアを侮辱したのが原因だというものもいる。ヴァダリアはサイアリの南東の端に自らの軍を集め、古代のエルフがここに築き上げた権利と人間の文明より古いこの地との絆について語って聞かせた。ダークウッドの王冠が彼の頭上に置かれたとき、彼はかつて祖先の物だった大地を回復し栄光を得る機会を全てのターナダルに与えることを誓った。彼は大地に自らの刃を突き立て、ヴァラナー──"栄光の王国"の建国を宣言したのである。

最終戦争が終結してもなお、彼らは頻繁に国境を超えてカルナス軍と衝突し、ダーグーンに侵攻し、タレンタ平原やクバーラを脅かしている。戦士の多くは祖先の足跡をたどってゼンドリックで巨人へ戦いを挑んでいるのだが、国に縛られた彼らが武勲を上げるには隣国へと攻め寄せるしか無いためだ。

シャーンなどに滞在するエルフの外交官は、その巧みな弁舌の才をもってその諸行を調整してのけている。西方諸国ではダーグーンのゴブリンの勢力を削っている功を語り、北方では隣国の悪行を挙げて攻撃を正当なものだと主張する。そして戦火を交えるカルナスにはエルフの襲撃はヴァラナーでも手を焼いている犯罪者の仕業であると言って苦り切った顔を装うのだ。その成果もあってか、これまでのところ各国が対エルフで一致団結するまでには至っていないという──。

はっきりいって国際社会の問題児、それが彼らヴァラナー・エルフに対する俺の評価だ。例としては初対面の時のエレミアや、街で遭遇したジュマルなどが挙げられるだろうか。アレが彼らの標準的な対応であり、そんなエルフ(しかも個々が世界でも頭ひとつ抜けた強さを有する)がウォージャンキーとして大量に従軍しているのだ。彼らがコーヴェアを征服していないのは、ひとえにその数の少なさと地理的要因に助けられているに過ぎない。

お茶のカップを傾け、先日メイが焼いたクッキーを美味しそうに食べている彼女たちの姿はとてもそうは見えない。文化が違えどエルフの外見が整っていることには違いがなく、華奢なその外見にそれだけの凶暴性が秘められているとはなかなか信じ難い。それは他のファンタジー世界のエルフ観に影響されていることも大きいのだろう。随分とこの世界には慣れたつもりなのだが、一度染まった固定観念はなかなか抜けそうにない。いつかそれに足元を掬われないようにしなければならないのだが、なかなかに難しいものだ。


「それで──師母はどういった用件でこの街までいらっしゃったのですか?」


俺が運んできたお茶は彼女たちのお喋りに一区切りをつける効果があったようだ。カップをソーサーの上に戻しつつ、エレミアは世間話を切り上げると正面に座る女性へと問い掛けた。


「一つはこうして貴方と話をするためよ、エレミア。あなたの歩みの軌跡を語り継ぐ責務が私にはある──それは私の楽しみでもあるわ。

 都合のつく時に時間をとってくれないかしら。勿論、忙しいのであればそちらの事情を優先して頂戴。貴方の都合に出来るだけ合わせるわ」


顔の半分を覆っていたヴェールを外したナーエラはそう旅の目的を語った。なるほど、確かに今のエレミアは生きる伝説といってもよい存在だ。ヴァラナーの"過去の護り手"にとってその足跡は語り継ぐべきものだろう。特に彼女の祖霊はエルフの船団を出発させるために敵の軍勢と戦い続け、この砕かれた大地に残った英雄だ。エルフ達の間にはそれ以降のことは占術などで漠然と知れる範囲内でしか残ってはいないだろう。


「私のほうは構いません。今のところ依頼を受けているわけではありませんから、鍛錬の合間に時間を取ることが出来るでしょう」


エレミアもその申し出に頷く。こうして伝えられた伝承がヴァラナーで英雄の息吹を伝えるのだ。"レヴナント・ブレード"──交霊により過去の英雄の業を我が物とするこの技術は、エルフの中でもごく最近編み出されたものだ。だがこれはターナダルのエルフ達の数千年に渡る祖霊崇拝の賜物であり、その精神はヴァラナー・エルフの精神に深く根付いている。その発展への協力を、エレミアが惜しむことはないだろう。


「もう一つの用事は、少し時間がかかりそうなの。この地を訪れる同胞の数はどんどんと増えているわ。

 大王に従う戦団の交代の時期も迫っているし、次の期間には今より遥かに多いターナダルがこの地を訪れるでしょう。

 その際に無益な衝突を生まぬようこの地の領主たちとの折衝を行なって、いくつか活動拠点の手配を行うことになったの」


ナーエラはなんでもない茶飲み話のように語ったが、聞いていた俺にとってそれは非常に大きい衝撃を与えた。ヴァラナーの戦団の来襲。それがコーヴェア大陸の国家に対して為されたのであれば、間違いなく侵略行為と受け取られるものだろう。任期明けを迎える20の戦団、その2,3割がストームリーチに訪れたとして、それはこの街の人口の1割に相当する。その中には交易を営んでいる無害な巨人族達との間に、ジュマルのように揉め事を起こしそうな連中が大量に含まれていることだろう。なにせ彼らはこの大陸へ、巨人族と戦うために来たのだから。

そしておそらくその大移動の切掛にはエレミアが絡んでいる。先達の戦士たちからしてみれば、半人前に過ぎなかったエレミアが一年足らずの間に偉業を成し遂げたのだ。そこには彼女を称える以外の気持ちも数多く生まれているはずだ。その鉾先が誤った方向に向かないように出来るか否かは、目の前のこの女性の手腕に掛かっているという事だ。おそらくこの街の支配者たるコイン・ロード達もこの難問には頭を抱えるのではないだろうか。大勢の高レベルエルフ達がもたらす経済効果は計り知れないが、それにはもれなく厄介事がついて回るのだから。


「既にシャーン経由で先方にメッセージは伝えてあるわ。近いうちに会談を設ける機会が出来るでしょう。もし何か耳寄りな情報があれば教えてね」


そう言ってナーエラは微笑むが、これはそんな軽い話ではない。仮にコイン・ロードのいずれか一人がエルフの戦団らを抱えることに成功すれば、それはこの街のパワーバランスを一変させかねない。コイン・ロードたちは同盟で結ばれた存在ではなく、お互いを喰らい合う蛇のような連中なのだ。静かな拮抗を保っている今のバランスが崩れ蛇たちが大きく動くようなことがあれば、その巣穴たるこのストームリーチはただでは済まない。

俺が最も縁深いのはジョラスコ氏族やデニス氏族と近しいオマーレン家なのだが、党首のパウロ・オマーレンはアマナトゥへの敵愾心を隠そうともしない過激な女性である。俺の平穏のためには、ナーエラには是非コイン・ロード達の間を器用に飛び回っていずれかのロードのみに利益を与えないようにして欲しいものだ。

突然降って湧いたとんでもない話に俺が頭を悩ませている一方で、彼女たちの会話は進んでいた。ナーエラの話が一段落したことで、次にエスティがエレミアへと話しかけていたのだ。


「ナーエラ様のご用向きは今仰ったとおりなのですが、私にも一つ目的がありますの──お姉さま、私をお姉さまの戦団の末席に加えてください!」


そう求めたエスティの表情は真剣そのものだ。戦団とはヴァラナー国王に認められたエルフの大規模戦闘集団。そういえばエレミアもどこかの戦団に所属していたとしてもおかしくない。むしろ"レヴナント・ブレード"であるなら本来そうあるべきものなのだ。彼女がヴァラナーを離れゼンドリックを終の棲家と定めたことについて、国元とは話が付いていると聞いている。俺とメイがシャーンに滞在している間、エレミアはその手続のために帰国していたのだから。細かい話は聞いていなかったが、どうやらそのあたりの事情が彼女のこの申し出には絡んでいそうだ。


「──確かに私は第46戦団の長として任じられている。だがそれは体裁上のものに過ぎないよ。

 期限の縛りを設けずこの大陸に留まる許可を願い出た私に、大王が与えて下さった政治的配慮というものだ。

 10年ごとの任期も持たず、ただこの地で祖霊の後継者としてあり続ける私の半端な立ち位置を慮って頂いたのだ。

 故に私はこの地で戦団を率いるつもりはない」


エレミアの返答は妹弟子の望みを受け入れるものではなかった。だがその言葉を聞いて俺は一つ納得がいった。高レベルキャラクターというのは戦術兵器に等しい存在だ。特に軍人である場合、それは国にとっての大きな財産なのだ。そんな存在であるエレミアが国を捨ててこのストームリーチに出奔するなど普通は認めがたいことだろう。だがそれをヴァラナーの国王は無期限の任務であるとすることで体裁を整えたのであろう。このあたり、あの新しい国の抱える一つの問題が浮き彫りになっている。果たして現代に蘇った過去の英雄たちは、今の国王に忠誠を尽くす必要があるのか? むしろ王よりも敬われるべき存在なのではないか? それが過去に存在した偉大なる王であった場合、現代の王との間に闘争が勃発するのではないか?


「古来よりターナダルの戦団はその戦闘力の高さを王に認められて叙勲を受けたもの。つまり今のエレミアはたった一人で一軍に相当すると認められているようなものですわ。

 声をかければ大勢の戦士たちが馳せ参じるでしょう──いえ、そうするまでもなく彼女と轡を並べて戦いたいという者は何百人といることでしょう」


澄ました表情でお茶を飲みながらナーエラが補足を加えてくれた。つまり、目の前のエスティはその最初の一人に過ぎないということだ。これから大勢のエルフが彼女の下にやってくる。自らの戦隊に引き抜こうとしたジュマルの時とは異なり、彼女の元で戦いたいという戦士たちが。


「たとえ誰が来ようと同じ事だ。私は未だ道半ばに過ぎず、戦団の長として他者を率い導くよりもただこの身を探究のために費やしたいと考えているのだ。

 それに私はこの地で共に戦う仲間たちの中でも長を務めているわけではない──我々のリーダーはここにいるトーリだ」


そのエレミアの言葉を聞いたエスティの反応は顕著だった。特に表情を変えないナーエラに対して、彼女はその目を大きく見開くと俺をじろじろと観察し始めた。おそらくは俺の実力を測っているのだろう。余程の実力差がない限り、相手の立ち居振る舞いなどから対象のレベルを推し量る事は出来る。例えば俺の見立てではこのエスティは2レベル、身のこなしからして軽戦士系だろう。ナーエラは10レベル、さらにその纏っている信仰のオーラからクレリックであろうと推測できる。


「確かに腕利きではいらっしゃるんでしょうけれど……」


彼女の瞳には困惑が見て取れる。彼女らの故国ヴァラナーでは戦闘力の高いものが部隊を率いるのは当然のことだろうし、俺とエレミアのレベル差は一目瞭然だ。冒険者のチームでは交渉担当者がリーダーになることが多いが、それでもレベルが劣っているものが隊を率いることは滅多にない。レベルの高さは能力の高さに直結し、自分よりも劣った相手の下につくことはそれだけ危険が増すのだから。例外としてドラゴンマーク氏族や各王家などといった家格の高さがあるが、それは一般的な冒険者チームの例からは外して構わないだろう。


「見た目からは察せないだろうが、私は彼と会って以降、その体に一太刀たりとも浴びせることが出来ていない。

 国元を立ってから確かに腕が上がった自覚はあるが、それでもだ。強さが序列を決めるのであれば、それこそ私が上に立つ道理はない。

 そういえば私はその場には居合わせなかったが、あのジュマルも先手を譲られた上で何も出来ずに打ち破られたそうだぞ」




† † † † † † † † † † † † † † 




エレミアの発言後、30分ほどが経過しただろうか。今俺は庭の中央に立っている。正面には膝を突いて荒い息を吐くエルフの少女。言うまでもなくエスティである。是非にと手合わせを望まれ、エレミアからもぜひ一度稽古をつけてやってほしいと頼まれ。ナーエラはいい経験になるでしょうと軒先でお茶を飲みながらこちらを見物している状況だ。

確かにこの少女は恵まれた才能を持っている上、充分に鍛錬を積んでいたようだ。武器を振る筋力、体を動かす敏捷性、そして俺が攻撃に合わせて武器落としを仕掛けるや即座に素手での打撃に切り替える判断力。いずれも高い水準だった。その素地を活かすべくモンクとしての修練を積んだ彼女は、取り回しの難しいヴァラナー・ダブル・シミターを自らの体の延長のように扱い、連撃を繰り出してきたのだ。"ジェルダイラ/剣の踊り手"としての正当な訓練を積んできたのだろう。

だが、彼女はその反面で弱点を抱えていた。それはエルフの種族的特性でもある生来のもの──耐久力の低さだ。おそらくこれについては彼女の能力は一般人と同程度でしかない。エルフにしては優れている部類かもしれないがそれはあくまで一般の基準に照らした場合であり、冒険者として活動するにあたっては致命的な弱点だ。レベルが上がる毎に攻撃を受け流し、痛みに耐える能力は増していく。それがヒットポイントとして表される数値だ。だがその能力は元来有している耐久力が直接的に影響するのだ。

さらにファイターやバーバリアンといった攻撃を耐える前衛とは異なり、モンクは攻撃を捌くことに特化したクラスであることからヒットポイントの伸びは鈍い。おそらく彼女はこのまま実力を伸ばしたとしても、ちょっとした運の偏り一つで死の淵に立つことになるだろう。それを防ぐには治癒と防護などの支援能力に長けた仲間が必須だ。魔法や高価なアイテムである程度補うことが出来るとはいえ、それにも限度があるからだ。


「基本は良い。自分の強みを把握してそれを活かす戦い方を知っているようだ。でも、これからは弱みをカバーするように鍛錬したほうがいいだろう」


もし彼女がデルヴィーシュへと進むことを希望するなら、このままモンクを伸ばすのではなくファイター/レンジャーを経由すべきだろう。モンクの連打とデルヴィーシュの旋舞の組み合わせは確かに脅威だが、それが完成するのは21レベルという途方も無い先だ。それよりは目前の生存能力を優先すべきというのが俺の判断だ。それにエルフの"レヴナント・ブレード"は俺が知るかぎり最強の二刀流クラスだ。どうせ21レベルまでを見越すなら、そちらを組み入れる余地を残したほうが良い。


「……あ、ありがとう、ございました──」


辛うじて声を絞り出したエスティに客室で休んでいくように勧めると、エレミアが彼女を案内していくといって肩を貸し庭を離れていった。残ったのは鍛錬を中断して周囲で見物していた子供たちと、縁側で変わらぬ微笑みを浮かべているナーエラだ。エレミア達の背中を見送りつつ、彼女の方へと歩みを向ける。


「彼女にとって貴方のような高みにいる相手と手合わせできたことは得難い経験になったことだと思います。ありがとうございました。

 それにしても見事な腕前でしたわ。用意していた奥の手まで易々と回避された時には、思わず我が目を疑いましたもの」


奥の手、というのは先程エスティが使用した《トゥルー・ストライク/百発百中》の呪文のことだろう。モンクである彼女は本来呪文発動能力を持たない。だが彼女はその最後の一撃に《朦朧化打撃》を放つ際、確かにこの呪文を使用したのだ。とはいえその命中の補正を得てもなお彼女の最高の一撃が俺に届くことはなかったのだが。


「やはりあれは貴方の仕込みでしたか。まあ今の彼女があの呪文の助けを借りても、エレミアの鋭さにはまだ追いついていませんからね」


では何故彼女は呪文を発動出来たのか。それは目の前のクレリックの女性の仕業であろう。信仰系の呪文には《インビュー・ウィズ・スペル・アビリティ/呪文能力付与》というものがあり、これは術者の使用可能な一部の低位呪文発動能力を他者へと貸し与える効果を持つのだ。だが港で出会ってから今までの間、この呪文を発動している様子はなかった。つまりこの女性はある程度この展開を読んでおり、予めエスティに呪文を与えていたのだろう。


「それで、俺は貴方のお眼鏡には適いましたか?」


どうしてそんなことをしたのか。いくつか考えられることはあるが、その中の一つは俺の実力を測ろうとしたというものだ。娘同然であるエレミアを預けるに相応しいかどうか判断するために手っ取り早いのは戦う姿を見ることだが、ヴァラナーの高官でもある自分が相手をするわけにもいかない。そこであのエルフの少女がその代役として選ばれたのではないだろうか。


「私はエレミアの人を見る目を信頼していますから。あの子があれだけ信を置いているのであれば、それだけで充分ですわ」


ナーエラは相変わらず微笑みの表情を崩さず、その真意を読み解くことはできそうもない。"キーパー・オヴ・ザ・パスト"のクレリックの習得技能に〈はったり〉は含まれていなかったはずだが、交渉担当として派遣されてきたということは、同僚のより交渉に向いたクラスであるバード達を超える能力を彼女が有している証左だ。ひょっとしたら俺の考えすぎかもしれないが、相手は長い時を生き抜いた海千山千のエルフ。レベルが自分より下だからといって気を抜くことは出来ない。ゲストへの礼を逸さない範囲で警戒を維持しつつ対応する必要があると心に記す。

先日のクエスト以来、こういった政治的に高い立場の人物と知り合う機会が格段に増えた。だがその度に俺は権謀術数の張り巡らされた世界に対する忌避感を感じてしまう。半ば自動的に相手の考えなどが透けて見えるほど高い〈真意看破〉を有しているために、下心や二心を持って近づいてくる人物のことが解ってしまうのだ。そして一方で本当に手ごわい相手はその内心をなかなか悟らせない。そういった人物との駆け引きを楽しめるのであればきっと権力者としての素質があるのだろう、だが俺はそれに面倒臭さを感じるばかり。こればっかりは能力以上に性格の向き不向きがある。俺が将来元の世界に帰ることが出来ずにこのエベロンに骨を埋めることになったとしても、政財界に深く関わることはしないだろう。

閑話休題。俺は食堂に降りてきていたメイにナーエラの応対を任せると、2階の自室で汗を流しにシャワーを浴びてそのままソファに深く腰を下ろした。そして今回のエルフの大規模な探索について思いを馳せる。俺の知識は基本的にゲームとTRPGサプリメントによるもので、その中には当然このようなイベントは含まれていない。もし俺の持つアドバンテージが崩れるほどの混乱がこの街に訪れるなら、本拠をシャーンに移してこの家は出先の拠点とすることも考えたほうがいいかもしれない。

幸いメイやラピスは《テレポート》の上位術式を使用可能で、最早同じ次元界であればその転移距離に制限はなく転移事故も有り得ない。古代の知識を探し求めることが帰還の近道であると考えられる今、ゼンドリックが探索先となることは変わりない。だが二人の協力が得られるのであれば拠点はどこに構えていても構わないのだ。とはいえコイン・ロードやナーエラは決して愚かではない。少々の混乱は避けられないだろうが、元より五つ国に居場所を失った者達が流れ着く無法の街がこのストームリーチだ。訪れたエルフ達もやがてはこの街の混沌に飲み込まれ、溶けこんでいくのではないだろうか──。

体がさっぱりしたところで思考を切り替え、1階へ降りると応接間からはメイがナーエラと談笑している声が聞こえてきた。一部のエルフにはハーフエルフを半端者と蔑視することがあるが、どうやら客人たちにはその傾向はないようだ。それはエベロンのハーフエルフの歴史は若いものであることと、またその血にまつわる因縁によるものだ。それについて少し語ろう──。

エアレナルでドラゴンとの戦争を続けていたエルフ達には2つの大きな派閥があった。正のエネルギーで死を超越した"デスレス"と呼ばれる存在と、負のエネルギーで死を克服した"アンデッド"──この2つの勢力がエアレナル諸島に存在していた"永遠の昼日イリアン"、"永遠の夜マバール"という2つの相反する次元界の顕現地帯から溢れるエネルギーを利用してドラゴンと戦い続けていた。それぞれの領域内では"デスレス"や"アンデッド"達は不滅に近い存在であり、それゆえに強力な竜たちとも伍することが出来ていたのだ。だがそれだけではドラゴンを押し返す決定打に欠ける。何万年も続いた戦いの膠着、その果てに一つの新たな動きが生まれた。

"死のマーク"を有し、アンデッドの派閥の頂点に立つヴォル家はドラゴンとの和平の道を模索していた。そして同じ志を抱いた年経たグリーンドラゴンの協力の下、エルフとドラゴン双方の血を受け継いだ一人の娘を産み出したのだ。2つの血を持つその子供が種族間の融和に繋がると信じて──。

だがその望みは打ち砕かれる。"デスレス"を率いるエルフ不死宮廷とドラゴン達の双方は、このヴォルの血が忌まわしいものであると宣言。皮肉にも両軍が手を結んでヴォル家へと襲いかかり、エアレナルで激しい内戦が巻き起こった。エアレナルのエルフたちはすでにドラゴンを相手に長い戦争を経験していたが、同族同士で戦ったのはこれが初めての経験であり、心に深い傷痕を残した。この争いの中で多くのエルフがエアレナルを離れ、コーヴェアと呼ばれる大陸に新たな希望を見出すことを選んだのだ。この大移動を指導していたのがエルフに発現していたもう一つのドラゴンマーク氏族──"影のマーク"を有するフィアラン氏族である。彼らはターナダルの戦士とは異なる部族であったため、盟約には縛られなかったのだ。

フィアラン氏族とその他のエルフがコーヴェアに到着したとき、彼等はこの大陸の新たな支配者と出会った──それは人間。富と自由を求めてサーロナから移住してきた彼等はエルフに心奪われ、多くの者が移住者達の持つ妖精の美と魔法の秘密を欲しがった。エルフの多くが貴族やギルドの支配者層と結婚したが、殆どのエルフはこれを長期投資だと見なしていた。エルフは何世紀も先を見ることに慣れており、また人間の短い寿命も知っていたので、結婚とは配偶者が持つ財産を引継ぐ素晴らしいチャンスだと思われていたのだ。殆ど誰もその存在を想像しえなかった、最初のハーフエルフが誕生するまでの間は。

結婚したエルフたちの配偶者は概ね特権階級だった。ハーフエルフの第一世代はほぼ例外なく権力と影響力の庇護の元に生まれたのである。人間の親は多くの場合この風変わりな子供たちのことを喜んだが、エルフの親はこれを先祖の冷やかな蔑みの印と見た。多くのエルフが人間との関係から身を引いてフィアラン氏族のエンクレーヴに引き篭もった。この種族的純血に対する欲求がなければ、現在のエルフは遥かに大きな影響力をコーヴェア大陸に持っていただろう。

そういった「真の」エルフが表舞台から去った後も、胸に未知への憧れを抱いた若いハーフエルフ達はコーヴェアに広がっていった。彼等の多くは異なる家系の出身であったものの、血統的なそれよりも強い絆を同じハーフエルフに感じていた。多くのハーフエルフは同じハーフエルフとの婚姻を結び、新たな氏族、新たなギルドを形成していった。こうして生まれたのが新たな種族としてのハーフエルフである。彼らは自らを"コラヴァール"(コーヴェアの子ら)と呼び、何世紀もの間にその数を増やしていった。

そしてその中にハーフエルフ独自のドラゴンマークが発現したことで、彼らは強固なアイデンティティーを獲得するに至った。そして富裕層の財産を有した彼らはドラゴンマークというさらに強力な力を得たことで財界における勢力を伸ばしていく。ガリファー王国が割れ、最終戦争がコーヴェアを引き裂いたにも関わらず諸国が融和の道を歩もうとしているのには勿論"悲嘆の日"という事件の影響もあるが、各国に根を張ったハーフエルフ達の働きかけによるところも大きい。このエベロンのハーフエルフは単なるエルフと人間の混血児ではなく、独自の文化と気風を有した種族なのだ。

勿論今でもエルフと人間の間にハーフエルフが生まれることはある。メイもその中の一人だ。だが例えば人間とハーフエルフとの間で子供が生まれるとき、子供が両親のどちらの種族になるかは半々である。しかし他のすべての場合(人間とエルフ、ハーフエルフとハーフエルフ、エルフとハーフエルフ)では常にハーフエルフの子供が生まれるのだ。エルフの学者は、これは生理学や遺伝学の問題ではなく魔法の問題であると主張している。エルフの血液は古代のゼンドリックの輝きを秘めており、いったん希釈するとそれを決して取り戻すことができないのだと。それが彼ら純血のエルフがハーフエルフを蔑視する理由の一つである。


「よかったら夕食をご一緒にいかがですか? エレミアちゃんの恩師であれば是非に歓待させていただきませんと~」


「申し出はありがたいのだけれど。残念な事にこの街に一緒に来た戦隊の皆とこのあと合流することになっているの。

 またの機会があればお願いしたいわ。淹れていただいたお茶もクッキーもとても美味しかった。私たちの国ではちょっと手に入らないくらい」


こういったやり取りが応接間で行われている一方で、庭からはエスティの威勢のいい声と応じるエレミアの声、打ち合う金属の音が響いてくる。どうやらあの少女は、今度はエレミアに稽古を付けてもらっているようだ。剣技という意味ではエレミアのそれはエスティの正当な進化先であり、おそらくは世界最高峰のものである。俺なんかと組手するよりは遥かに得るところがあるだろう。そうやって積み上げた鍛錬が実戦を経て昇華されることでレベルアップが起こる。

この鍛錬には経験値と違って蓄積の上限はない。効率の問題はあるだろうが、地道な訓練を続けた後で実戦を経験することで一気にレベルがあがることもある。時折鍛錬もなしに実戦のみでレベルアップが起こる場合もあり、それを才能と呼び慣わす。だが時折そういった才能の上限を持たない、あるいは非常に才能の上限が高い人物が現れることがある。そういった人物の中で歴史に名を刻んだ者が、"英雄"と呼ばれている──。

そんな益体もないことを考え、応接間でコルソス島の出来事をナーエラに語っているとやがて日が傾いてきた。いつの間にか庭からの声も絶え、しばらくすると大浴場で汗を流したのかさっぱりした表情でエレミアがエスティを伴って現れた。


「師母。約束がおありと聞いていますし、そろそろ出られたほうがよろしいでしょう。指定の宿までお送りいたします」


「あら、いつの間にか随分な時間になってしまったようね。そうね、名残惜しいけれどそろそろお暇させていただかないと」


エレミアの掛けた声に応じてナーエラもその腰を上げた。ちょうど俺達の思い出話もキリよく区切られたところだ。時間は18時すぎといったところか。そろそろ夕食の時間であり、街並みを見れば炊事の煙が夕焼けに照らされている様を見ることが出来るはずだ。日の長いこのストームリーチでは日没は19時ごろ。本格的に暗くなるのは20時頃からだろうか。食後に涼しくなった屋外で涼をとる人たちが、この近くの"憩いの庭園"へと集まってくる頃だ。港近くの酒場で呑んだくれていた水夫たちも、今頃仕事を始めているだろう。


「それでは皆さん、近いうちに再びお会いできることを願っていますわ。

 その時にはまたいろいろなお話を聞かせてくださいな」

「本日は得難い機会を与えていただき、感謝いたします。では──」


夕日が創る長い影を舗装された路面に映しながら、3人のエルフが歩いて行く。その姿が外壁に隠れて見えなくなるまで見送った後、食堂から漂ってくる食事の香りに誘われるように自宅の玄関を潜る。周囲の気配を探ると、子供たちは既に皆食堂と厨房に集合しているようだ。その指揮を取っているのがメイで、フィアとルーは自室に留まっている。ラピスの気配が無いが、彼女はこうして時折姿を消すことがある。そういう時は大抵外で食事をとってくるらしく、ひょっこり夜半頃に戻ってきてもデザートを少し口にする程度で腹を空かせた様子を見せることはない。


「トーリ兄様、食事の準備はもうすぐ終わります。二階のお二人は私が呼んでまいりますので、先に食堂の方へどうぞ」


食事当番だったのだろう、エプロンを掛けた少女が玄関を上がった俺にそう声をかけ、トントンと軽い響きの足音と共に階段を登っていく。どうやら今日はメイが秘術を教えているグループが夕食の担当だったようだ。このグループには秘術呪文使いを志すだけあって【知力】の高い子供が多く所属していることもあり、複数のグループの中で最も料理に期待ができる。その予想は正しく、メイの指揮もあるのだろうが他のグループよりも明らかに手の込んだ料理が食卓を彩っている。

今日はパスタがメインのようだ。茹でたてで湯気をもうもうと発する大量のパスタが複数の大皿に山盛りに盛りつけられており、その周囲には種類豊富なソースが彩りも鮮やかに並べられている。食べたいだけのパスタを自分の皿に取った後で、好みの味付けで食べるという趣向なのだろう。その他にもサラダや燻製肉などがいくつかの皿に盛り付けられており、そのテーブルを囲む子供たちは待ちきれないといった様相でそれらの料理を睨みつけている。いつもの騒がしさがこの時ばかりはなりを潜めており、その光景に思わずニヤリと笑みが浮かんでしまうのを抑えられない。


「それでは皆、今日の食事の恵みを与えて下さったアラワイ様、そしてソヴリン・ホストの神々に感謝を」


遅れてやってきた双子が揃ったのを待って、全員が席についたのを見てメイが食前の祈りを捧げる。目を閉じ、その両手は"ソヴリン・ホスト"を象徴する聖印を模した形に組まれている。それは彼女だけではなく、双子を除いた全ての子供達に共通したことだ。彼彼女らが特別に敬虔な信者というわけではない。これはどこの家庭でも見られる食前の儀礼なのだから。俺の常識で言えば「いただきます」という感覚に近い。聖職にある者や敬虔な信者であれば特別な詩をそらんじたりするのかもしれないが、この家ではそこまでの事が行われることはない。

目を閉じ、ほんの数秒の黙祷を終えた後は皆が一斉に食事を開始する。手近な大皿からパスタを山のように取り分けるもの、複数のスープを混ぜ合わせているチャレンジャー、黙々とサラダだけを食べ続ける子供──実に個性の現れた食事風景だ。フォークやスプーンが食器に打ち付けられる甲高い音を掻き消すように、大勢の子供達の会話する声が響いている。食前の静けさが嘘のようだ。とはいえ食べながら喋るようなことは誰もがしていない。口に物を入れたまま喋って周囲を汚すような不心得者達も最初はいたのだが、そういった子供たちは瞬く間にメイに"躾け"られたのだ。その料理の腕も相まって、この食堂を支配しているのは紛れもなく彼女だと言えるだろう。

時折当番の子供たちが茹でたてのパスタの入れ替えを行ったり、冷蔵機能を有したマジックアイテムから飲み物を運んだりするのを挟んで、最後に甘い味付けをされたシャーベットが振舞われて今日の食事は終了となった。パイン風味のデザートは後味も爽やかで、気分をすっきりさせてくれる。思い思いの場所に散っていく子供たちを尻目に、俺は自室の天窓から屋根へ出るとそこに横になって食後の休憩を取ることにした。そうして今日一日の出来事を振り返るのが最近の習慣だ。

やはり今日の出来事で最も印象深いのは大勢のエルフ達がこの街を訪れるということか。昼間はそれがこの街に及ぼす影響にばかり思考が行っていたが、今はさらにそれを街の外へと広げていく。北部山脈に住む友好的なヒル・ジャイアント達との軋轢も勿論心配だが、最大の懸念はドラウ・エルフ達との関係だ。あの肌の黒いエルフは巨人文明崩壊後、逃げ出したエルフを蔑んでおり自分たちこそが今のこの大陸の主なのだと主張している。実際に過激な連中はこのストームリーチに対しても縄張りに対する侵略行為であるとして攻撃を加えている。それは巨人族のようなわかりやすい攻撃ではない。

夜、暗闇と共に街に侵入した狩人は路地裏などの暗がりから獲物を見定めているのだ。彼らが生来持つ《クラウド・オヴ・ダークネス》の擬似呪文能力は周囲の光源をあっという間に覆い隠す。そして闇を見通す暗視能力により、狙いすました攻撃が急所へと撃ち込まれるのだ。毒の塗られたクロスボウ・ボルトやダガーは掠めただけでも容易に獲物から戦闘能力を奪う。そうして暗闇に引きずり込まれた犠牲者の姿が日の当たる場所へと出てくることは決して無い。秘密の抜け道や地下通路を熟知した先住者である彼等にとって、この街はまさに狩猟場なのだろう。

そんなドラウ・エルフが、大量に上陸したエルフ達によい感情を抱くはずもない。しかもエルフ達はこの地に埋葬された自身の祖霊に関する遺物を収集しようとするだろう。ドラウたちからすればそれは墓荒しに相違ない行為だ。ゲームでも『信者は去った』というエルフとドラウの対立をテーマにしたクエストが存在していたが、そんな衝突が各地で巻き起こることは避けられないだろう。この街の住人に友好的なヴェノムブレード族といった部族も存在するが、彼等は例外的な存在だ。大半のドラウ達は排他的で、自分たちの部族以外の存在は狩りの獲物に過ぎないと考えているのだ。

そこまで考えて、一つの天窓に視線をやる。月と星の光を取り入れるべく設けられたその窓の下では、おそらく例外中の例外とでもいうべきドラウの双子が子供たちに信仰呪文の手解きをしているのだろう。彼女たちはこのゼンドリックに住む現住のドラウとはその系譜を異にする者──対立する悪神との永劫の戦いをその宿命とし、別世界より訪れし来訪者。ゲームでは廃墟となっていたエラドリンの故郷、黄昏の谷の住人。ここがゲームの中と同じ世界なのであれば、本来存在し得ない人物だ。

思い返せば、ゲームの展開から大きく踏み外し始めたのは彼女達と出会ってからではないだろうか。コルソス島ではオージルシークスの相手をすることになったがあれはこちらが先走ったことが原因だし、ラピスについてはシナリオでは語られなかった背景要素の一つとして考えられないこともない。だが"シール・オヴ・シャン・ト・コー"と"ストームクリーヴ・アウトポスト"。彼女たちがその過去の因縁に触れるとき、物語は俺の知る範囲から逸脱していく。それは彼女達が俺と同様にこの世界にとっての異物だからなのではないか。

ルーは多くを語らず、ただ『星の導きがいずれ道の先を照らすだろう』と告げるのみ。果たしてこの世界の過去に何が起こり、俺の知る知識から外れていったのか。語り部は沈黙し、占術は何も反応しない。神代の過去はその後に興亡した文明の堆積により深く沈んでおり、人の手の届くところにはない。その俺の問いに答えを知る存在として考えられるのは、アルゴネッセン大陸で予言書の研究を続けている古龍の叡智の精髄か、あるいは隣接する次元界を統べる王族かだ。いずれも安易な接触はこちらの身を滅ぼす、危険な存在であることは間違いない。

いずれはそういった連中と相対することもあるだろう。その時に備え、力と知識をつける必要がある。夜空に浮かぶ星の光、そこまで自分を届かせなければならないのだ。シベイの天輪と13の月を超えたその先の世界は、今はまだ遥か遠くだ。だが俺は自らの気持ちを確かめるように、空を付き出した手を握りしめた。いつか必ずこの掌中に、その視界に映るものを収めることを誓って。



[12354] 幕間4.エルフの血脈2
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/01/08 19:24
ストームリーチ・クロニクル

王国暦998年 ニムの月 第一週号

街に来た若い冒険者で、皆にトーリと呼ばれている奴のニュースを覚えているだろうか?

彼らのパーティーの仕事は迅速で強力だ。南方遥か彼方のジャングルで救出作戦を成功させた帰り道、窮地に陥った嵐薙砦で巨人達を追い払うのに大きな役割を果たしたと聞く。

徐々にその噂は広がり、一般大衆から果てはコインロード、ドラゴンマーク氏族までもが注目し始めているらしい。

先日コルソス航路の開放に活躍したパーティーにインタビューした際、彼についてのコメントをもらったのでそれを紹介しよう。

「俺はトーリが、びた一文持たず岸に打ち上げられた時のことを覚えている。最初はどこにでもいる、ただのヒューマンにしか見えなかったよ」

「肩を並べて戦ったのは実際には数回にすぎないのですが、彼の働きなしでは我々も無事ではいられなかったでしょう」

「彼のこの地での活躍に、私たちの教えたことが少しでも役立っていれば嬉しいわ」

毎度おなじみストームリーチの見回り人、キャプショー・ザ・クライアーがお送りした!

著:キャプショー・ザ・クライアー











ゼンドリック漂流記

幕間4.エルフの血脈2











巨大な雪洞で2体の強力なクリーチャーが向かい合っている。神秘に彩られた叡智の守護者、ホワイトドラゴンと地下の暗闇で脳を啜り他者の精神を喰らって糧とするマインドフレイヤー。


「心を操る寄生虫め、私を解放しろ! これは予言書がいう私の役目ではないぞ!」


ホワイトドラゴンが唸るように挙げた声は雪洞を揺るがし、その響きに打たれて雪片が舞い落ちる。心弱いものであれば恐怖にかられて心が折られてしまうであろう威厳を有したその声に、しかし超越者たる精神の支配者は臆せず自らの持つ念波を放って白竜に服従を強いる。


──服従せよ、お前は逆らえぬ。今や汝の運命は予言書ではなく、この私が支配しているのだ


その体躯は禍々しいことを除けば人間の大人と変わらぬ大きさに過ぎない。だがそこから発される思念波は凡百の人間を何万人と集めたものより強力であり、大気を震えさせるほどの影響力をもってドラゴンへと浴びせかけられた。雪片が渦を巻いて打ち付けられ、竜は苦しげにその頭部を振って抵抗する様子を見せている。噛み締められた牙が折れるほどに力を込め抗うその姿は、想像を絶するエネルギーのやり取りが交わされていることを想起させる。

一方で巨竜と異形がそうやってお互いの意思を戦わせている雪洞へと、密かに忍び寄る影があった。彼らこそは敵中深くまで送り込まれた必殺のナイフ、悪神の信徒や召喚された悪鬼を打ち倒してここまで辿り着いた精鋭の冒険者達だ。既に疲弊の極地にあった彼らだが、最後に残された力を銀炎の象徴であるロングボウへと注ぎこみ、矢を放つ。

教会の祝福を受けた矢は銀色の尾を引いて空を駆け、狙い過たずマインドフレイヤーの背後に浮かんでいた紫色の巨大なクリスタルへと突き立った。鏃から吹き出した清浄なる炎はそのクリスタル──"マインドサンダー"に走った亀裂をさらに押し広げ、破砕する。


馬鹿な! 神秘の精髄たる我が秘石が打ち砕かれるなど──


破砕音に振り返ったマインドフレイヤーは、その捉え難い異形の表情ですらわかりやすいほど歪めて驚愕を露わにした。そしてその行動は両者の間の均衡を崩すに十分な隙となった。マインドサンダーが破壊されたことで自分の意思を取り戻したホワイトドラゴンが、その顎から憎しみとともにブレスを吐き出したのだ!


「カイバーになど帰さぬ、貴様はここで朽ちるがいい!」


白竜の口内に刻まれた魔法陣が威力を増幅し、直線上に放たれたその凍てつく吐息は振り返ったマインドフレイヤーを包み込むとその全身を一瞬で氷結させた。極低温へと塗り替えられたその氷像は、やがて周囲の大気との温度差に自らの構造を維持しきれなくなって砕けていく。それを見届けたホワイトドラゴンは、冒険者たちのほうを一瞥するとその大きな翼を広げて飛び立った。

竜が山から立ち去ると、積もっていた雪が光の欠片となって飛び散っていく。露出した地表には既に新緑の芽が出ており、木々も次々とその葉を広げていく。氷のドラゴンをマインドフレイヤーの支配から開放したことで、島が緑を取り戻したのだ。

冒険者を送り出した村からもその様子は見えている。仲間の勝利を確信した村人たちは勝鬨をあげ、押し寄せていたサフアグンの軍勢を海へと押し返していく。既に島の周囲を囲んでいた流氷は溶け崩れており、その周囲で待機していた救援の船が次々と村の港へと入港していく。ついに島を封鎖していた邪悪なカルトは追い払われたのだ。




† † † † † † † † † † † † † † 




幻術によって演出された舞台が大喝采の後に幕を降ろす。現実と見紛う精緻な描写をされたモンスター達は今までの常識を覆すクオリティであり、観客をその迫力で圧倒していた。シャーンの《メンシス》上層にあるここ"アート・テンプル"は格式で言えば"カヴァラッシュ・ホール"に劣るものの、流行の最先端を行く前衛的な芝居をかけることで有名な劇場だ。そこで封を切られたこの"コルソスの雪解け"はまさにその舞台に相応しい圧倒的な表現力を魅せつけてくれた。

そしてその演出に負けず、登場したキャスト達の熱演も舞台を盛り上げていた。カーテンコールに応えて舞台に上がった人の群れの中央には厳しい訓練を積んだのであろうレダの姿がある。他にもソウジャーン号で見た顔が何人も並んでいることからすると、あの客船に載っていたメンバーはよほどの精鋭ぞろいだったのだろう。

元々フィアラン氏族から分派したチュラーニ氏族は同じ芸術を表の家業としながらも、どちらかといえばそれは美術・造形方面へと偏っており芸能面では遅れをとっているとされていた。だがドラマや物語を主眼においた作品が多い中、派手なアクションや画期的な映像表現で観客の目を惹きつけて離さない演出は流行の最先端たるシャーンに間違いなく新風を吹き込んだだろう。今回のこの演劇は特別製の"イメージ・プロジェクター"と呼ばれる記録装置に収録されており、今後手頃な価格で様々なシアターで上映されることになる。いくつかのクラシックスタイルを旨とする劇場では受け入れられないだろうが、今日のこの反響を見れば心配は不要だろう。

拍手の音は俺がいる貴賓席でも響きわたっていた。どうやらこの席に座っている階層の観客にもこの演目は気に入ってもらえたようだ。隣に座っていたリナールも立ち上がって拍手をしながら、その周囲の様子を見回して何度も首肯している。責任者としてこの日まで監督を行なってきた彼にとっては、肩の荷が降りただけではなくこの反響を受けて舞い上がらんばかりの気持ちなのだろう。


「おめでとう、リナール。どうやら大成功といって良い結果に終わったみたいだな」


俺がそういって差し出した手を、リナールは力強く握り返してきた。そこに篭められた力から彼の感謝の気持ちが伝わってくるようだ。


「ありがとう、トーリ! これも君の協力のお陰だよ。本当に大変なのはこれからだが、今は初回公演が無事に終わったことを祝おう」


彼はそう言って、他の客への挨拶へと向かっていった。それを見送って俺もようやく一息つける。正直なところ、俺もこの作品が受け入れられるかは半信半疑なところもあったのだ。オペラや演劇が中心の時代にSFXを駆使した映画をぶち込んだようなものであり、ひょっとしたら全く受け入れられずに終わるかもしれないとさえ考えていた。だがその心配は杞憂だったようだ。このコーヴェアの人たちは普段からメイジライトやアーティフィサー、そしてフィアラン氏族のカーニバルなどで幻術自体を目にする機会が多くこういった演出を受け入れる素地が出来ていること、さらにそういった演出に負けないだけの演技をレダを始めとした舞台俳優たちが魅せつけてくれたこと。その結果が今もまだ鳴り止まないこの万雷の拍手に現れているのだ。

俺がしたことといえば大まかなストーリーを脚本担当に聞かせたこと、そして演出担当の幻術使い達に対してクリーチャーについての情報を伝え、精緻で迫力のある再現ができるように指導したことくらいだ。それを立派な芸術作品に仕上げたのはリナール率いるスタッフ達の努力の賜物だ。

早いもので俺がコルソス島に流れ着いてから半年ほどの時間が過ぎている。当時の俺にはこんなことになっている今の自分のことなどはとても想像できていなかっただろう。舞台に目をやると、降ろされたカーテンに島から出港する船の映像が映し出されている。それは勿論ソウジャーン号だ。実際にはストームリーチで行われた改修をこの時点で反映されたその姿は、勿論この公演を見た客からの予約を当て込んでの広告を兼ねている。超一流の豪華客船、そしてこの公演との縁もある曰くつきの船ともなれば刺激に飢えているシャーンの富裕層からの食いつきは十分に期待できるだろう。だが俺の心に湧き上がるのは感慨深さだ。徐々に小さくなっていくコルソスの風景はある意味俺のこの世界での原風景と言っていい。

そうやって感傷に浸っている間に拍手は鳴り止み、周囲は歓談へと移っていた。まだ日が沈んでそれほどの時間が経過していない頃だ。おそらくはこれから飛行ゴンドラに乗って雲の上のレストランで夕食、という人たちが多いのだろう。ありふれたシャーンの夕刻、だがそこを彩る話題に新しい芽としてこの舞台の事が登る。それが街中へと広がるのもそう遠いことではないだろう。そんな考えを巡らせていた俺の元へ、リナールが戻ってきた。後ろにエルフの男性を一人連れている。仕立ての良い黒い革のコートが薄暗い照明のもとでその輪郭を霞ませている──抑止状態ではあるが、おそらくはディスプレイサー・ビーストを素材とした品だろう。勿論相当な高級品であり、それを身に纏っている人物がそれなりの地位にいることを教えてくれる。


「トーリ、紹介するよ。こちらが我らが家長であらせられるエラン・ド=チュラーニ男爵閣下だ。閣下にも今回の公演を気に入っていただけてね。

 脚本に演出にと協力してくれた君に是非お礼したいということなんだ」


リナールに紹介されたその男性に俺は驚きを隠せなかった。エラン・ド=チュラーニと言えばチュラーニ氏族を率いる氏族のトップで、かの「影の大分裂」を引き起こした当事者、間違いなく歴史を動かしたキーパーソンの一人なのだ。コーヴェアを覆う幾重もの影、そのうちひとつは間違いなく目の前のこの人物の手によるものだ。突然のVIPの登場に俺は慌てて向き直り、一礼を返した。


「お目にかかれて光栄です、男爵閣下。ですが私は少々舞台に口を挟んだに過ぎません。

 賞賛の言葉は是非私の妄言を形にした演出と俳優の皆へとおかけください」


俺の言葉に、その黒衣のエルフは僅かに口元を歪めた。その細い瞳と相まって氷の微笑とでも呼ぶに相応しい表情だ。


「聞いていた通りの人物のようだな。そんなに畏まる必要はない、私と君との間には特に上下などなく対等の存在なのだから。

 それに今は私が礼を述べる時なのだ。それはこの舞台のことだけでなく、原作となった島での事も含めてだ。君の活躍は聞いている。

 私の家族が卵のまま凍てつくことなく、こうして飛翔の時を迎えることが出来たのは君の助けによるところが大きいのだろう。

 我々の一族は年若い氏族ではあるが、恩知らずではない。君が必要とした時には、我々が必ず援けに向かうだろう」


そうやって差し出された手を握り返した。紡がれた言葉は確かに丁寧なものであったが、その真意は深い影に覆われて一切察することができない。やはり氏族の家長ともなれば一筋縄ではいかない実力者のようだ。紹介されていたデータでは9Lvのローグ/ドラゴンマーク・エアだったと記憶しているが実際にはもう少し高いレベルを有しているのだろう。かろうじてわかるのは、こうしたやり取りをしながらも相手もこちらのことを探っているということだろうか。相手にもそのことは伝わっているのだろう、エラン男爵は再び口元を歪めると手を引いた。


「冒険者としてだけではなく、芸術方面にも優秀な人物というのは得難い人材だ。よければこれからもリナールと一族を支えて欲しい。

このあとの祝賀会には私は参加できないが、是非楽しんでいってくれ。リナール、後のことは任せたぞ」


そう言ってエラン男爵は踵を返した。その背後を守るように4体の影が現れ、まるで漣のように影へと溶け消えていく。その背中を見送ってこちらに身を寄せたリナールが呟く。


「ふむ、どうやら男爵は君のことを気に入ったようだな。紹介した甲斐があったというものだ」


どうやらリナールには先程のやり取りが好印象に映ったようだ。実際のところどう思われているかは不明だが、今のところ俺はチュラーニ氏族に害となるばかりか益を与える存在のはずだ。これからも友好的な関係を維持したいと思っているし、特段マークされるようなことはないだろう。なにせ相手は世界規模の諜報・暗殺組織のトップなのだ。接触が避けられないのであれば友好的に振る舞うに越したことはない。


「そうだと嬉しいんだがね──雲上人の考えることは俺にはわからんさ。さて、挨拶回りが終わったのなら次の会場に行こうじゃないか。

 料理の方は期待していいんだろう、リナール?」

「勿論だとも! せっかくシャーンに来たんだ、ストームリーチでは口にする機会もないような料理を是非堪能していってくれ給え!

 私としてはこれに味をしめて、ずっとシャーンに定住してくれても構わないんだがね」

そんな軽口を叩き合いながら、俺達は"アート・テンプル"を後にする。この後は近くのホテルを借りきって、公演に関わった内輪のメンバーだけでの打ち上げが行われるのだ。この公演については連日は行わず、話題が浸透するのを充分に待ってから第二回を行うこということで暫くはオフの日が続くことになっている。実際には数日後から再びレッスンの日々になるのだろうが、それまでは彼女たちにとってもつかの間の休日というわけだ。そのため今晩は全員、翌日を気にせず楽しんで欲しいと事前に言われている。そんなわけで俺はまだ会場にも到着していないのに既に出来上がった感のあるリナールと共に、飛行ゴンドラに乗り込んで次の目的地へと向かったのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




瞼を開けるとそこは薄暗い室内だった。窓に大粒の雨が打ち付けている様子が見えるが、防音がきちんとしている室内までその音が届くことはない。昨晩は夜遅くまで起きていたため十分な睡眠を取った今はそれなりにいい時刻のはずだが、分厚い雲に遮られて日光が届かないために現在時刻を空模様から測ることは出来そうもない。頭を巡らせてヘッドボードの上に置かれた時計を見やると、最後に見た時からぴったり6時間が経過している。どれだけ深酒をしても心身に影響が出るほど酔うことはなく、軽い酩酊感を感じる程度に収まる上に翌日に酒が残ることはないというのはつくづく便利なものだと自分の体のことを思う。

ベッドからゆっくりと起こした俺がシャワーを浴びて身支度を整え、リビングルームに戻るとそこには既にレダの姿があった。きっちりと身支度を整えた様子で、キッチンで作業をしているようだ。網目が粗く体にフィットしたノースリーブで長いニットに、レギンスを合わせている私服姿だ。黒い肌着に包まれたボディラインがニット越しに眩しく存在を主張しているその姿はまさに眼福だ。俺がソファに腰掛けると彼女はコーヒーを注いだカップを俺の前に置き、そのまま隣へと滑りこむように座った。


「おはよう、レダ」


彼女の方へ向き直ってそう尋ねると、彼女は柔らかく微笑んで首を振った。


「おはようございます、トーリ様。そろそろお目覚めになるころと思っていました。

 じきに朝食が届くように手配しておきました。ディオネ達が戻ってくるまで少々お待ちいただけますか」


「ありがとう。それじゃあここで待たせてもらおうかな」


そう返して彼女が淹れてくれたコーヒーに手を伸ばす。奇しくもソウジャーン号で毎朝頼んでいたものと同じ銘柄のようだ。ちなみにディオネというのはソウジャーン号ではプールで水球などを行なっていた際に俺の面倒を見てくれた中の一人だ。瓜二つの三人組だと思っていたが、どうやら彼女たちは正真正銘三つ子のエルフだったらしい。多産とはいえないエルフの中では極めて稀なことのように思える。

上からレア、ディオネ、ティティスという彼女たち3人の見分けをつけるのはかなり困難な仕事だ。なにせ顔だけでなく仕草や癖などといったものまでほぼ同一といっていいほど似通っているのだ。その三つ子という特性のおかげか、彼女たちの息のあったコンビネーションは見事なものだ。例えば昨晩の公演ではオージルシークスなどの巨大な幻術は一人の術者で表現できる範囲を超えているが、彼女たちは呼吸を合わせることでひとつなぎのクリーチャーとして観客に見せることに成功している。頭部から尻尾の先、翼の端に至るまでを一体として他の術者と共に操ることは俺にも出来そうもない。紛れもなく彼女たちも昨晩の成功の立役者の一人だと言える。

他にも昨晩の公演では演出の大部分を幻術で行うなど従来の演劇よりも圧倒的に多い人的資源を投下している。背景から音響に至るまで、俳優の演技以外の大部分は《マイナー・イメージ/初級幻像》等の呪文によって行われているのだ。この能力の持続時間は精神集中の続く限りというものであるが、だからといって何十分も精神集中を維持し続けることは術者にとっても相応の負担となる。特に静止した背景などではなく、大きなアクションを伴うクリーチャーを制御していた担当者たちは相当な精神的疲労があったのかもしれない。

それでもエルフという種族特性は、人間の睡眠よりも短い時間の"トランス"で体調を取り戻す。その差は一日あたり2時間でしかないが、彼女達はその時間を修練に当てる。寿命の長い種族が、さらに多くの時間を費やしたその技術の完成度の高さは言うまでもなく人間よりも高い。このコーヴェアで芸術など幅広いジャンルでこの種族が高い評価を受けているのも当然なのだろう。

そんな彼女たちは"エキスパート"と呼ばれるNPCクラスではないかと思っていたのだが、皆が技能系のクラスを成長させているようだ。俗にPCクラスと呼ばれるそれらの職業はそれだけでも特別な意味を持つ。1レベルのウォリアー(NPCクラス)と1レベルのファイター(PCクラス)を比較すれば、後者は前者の2倍程度の脅威と考えられる。前者がどこにでもいる兵士であるのに対し、後者は英雄の素質を持つものとして定義されているのだ。彼女達も今はまだ未熟ではあるが、今後成長することで氏族の精鋭としての役割を高めていくだろう。そしてそれは上役であるリナールが有力者として地位を挙げていくことに繋がる。情報屋としてのチュラーニ氏族の能力は疑うまでもない。"タイランツ"とは友好的な関係を築いているが、彼らだけに情報源を頼るのも危険だ。信頼出来るソースは多いに越したことはない。

懸念事項として、チュラーニ氏族は同じ"影のマーク"を有するフィアラン氏族と敵対関係にあるという点が挙げられる。俺がチュラーニ氏族に近づきすぎることは、フィアラン氏族との距離がそれだけ離れることを意味するのだ。こればかりはどうすることもできない問題である。

そもそもこのライバル関係にある2つの氏族は、元々は一つの氏族として纏まっていたのだ。その起源は4千2百年前に遡る。その頃、タレンタ平原のハーフリングに"歓待のマーク"が生じたのと時を同じくしてエアレナルのエルフに"死のマーク"と"影のマーク"が出現した。"死のマーク"はヴォル家に、そして"影のマーク"はティレン、ショル、エロレンティ、ペリオン、そしてチュラーニといった複数の家系に現れたのだ。

ドラゴンと戦争しているエルフの中に突然現れた"竜の予言書"に関わる神秘。その本質は不明ながらも、仇敵であるドラゴン達との関わりを示すその刻印は同胞であるエルフ達から疑惑の目で見られることとなる。それ故にヴォル家が同胞の手によって滅ぼされようとした時、フィアラン氏族がエアレナルから脱出したのは当然の帰結ともいえる。

それから長い間をかけ"五つ首のヒュドラ"と呼ばれるこの氏族はコーヴェアの人間文明の中で強い影響力を持ち続けていた。だが今から30年ほど前、王国歴972年にその頭同士が激しい衝突を起こす。それが"影の大分裂"──昨晩面会したエラン男爵が引き起こした歴史の転換点だ。

最終戦争のさなかチュラーニ家が毒蛇の牙を向き、同じフィアラン氏族を構成する主流血統の一つ、ペリオン家のその悉くを皆殺しにしたのだ。突然引き起こされたその凶行に対し、当時の氏族長はチュラーニ家全員を"皮剥ぎ"──ドラゴンマークを剥ぎ取り、能力を剥奪した上で氏族から除名するドラゴンマーク氏族における追放刑──に処すと宣言。だがエラン卿はそれに反発、刑に服することを拒否して新しいドラゴンマーク氏族を立ち上げたのだ。これが第二の"影のマーク"の氏族、チュラーニ氏族の興りである。

その原因となった殺戮の理由は今もなお謎に包まれており、エラン卿は現在に至っても自らのその行為が私欲ではなくフィアランは元より全ドラゴンマーク氏族に対する忠誠のなせるわざであるとの主張を変えていない。様々な陰謀論が語られる中、確かなのは滅んだ"死のマーク"の一族に代わって13番目のドラゴンマーク氏族が誕生したということだけだ。いまやフィアラン家とチュラーニ家はお互いの顧客を奪い合うライバル同士であり、規模で劣る新興のチュラーニは同じく歴史の浅い氏族であるタラシュク氏族と提携して各地で影響力を高めている。

一方でフィアラン氏族は失った勢力を取り戻さんと新しい活動を始めている。それはダーグーンのホブゴブリンとの提携によるゼンドリックの開拓だ。この砕かれた大地に住む現住のゴブリン種族をコーヴェアのゴブリン種族の国家"ダーグーン"へと取り込むことで、現地種族と傭兵契約を結んで現地で戦力を調達するタラシュク氏族へと対抗しようとしているのだ。彼らは軍隊を率い、ストームリーチを越えた位置に開拓村を築きながら現地部族の吸収に励んでいる。

それは時に流血を伴う激しいものだ。反発する現地部族がフィアラン氏族のエージェントを拉致・監禁する事件も起きており、特にストームリーチから近い"タングルルート渓谷"に住まうホブゴブリンの部族とは激しい戦闘が散発的に行われていると聞く。元は風光明媚な観光地として、あるいは秘薬の原料となる貴重な植物の群生地として知られていた土地だが、今や周辺のトログロダイトなどの部族も巻き込んでの紛争地帯と化している。無用心に出歩いた旅行者は放たれた狼に噛み殺されるか、奴隷狩りに捕まってしまう運命を辿ることになるだろう。

この地に纏わるクエストはゲームの中にも存在し、経験点効率が良いことで有名だった。俺も育成用のキャラで何週も駆け抜けるようにクリアを繰り返していたことを覚えている。だが今の俺のチュラーニ氏族との関係がそのクエストに干渉することを躊躇わせる。うまく天秤の均衡を維持したまま両氏族と友好的な関係を築ければそれが最良なのだが、果たしてそんな立ち回りが出来るのか、そしてそれが必要なことなのか、といった点で悩んでいるのだ。

現在の俺のストームリーチでの立ち位置は当然だがチュラーニ氏族寄りということになる。ゲームではフィアラン氏族に関する依頼を受けることが多かったため、これは俺のアドバンテージである知識の前提を覆しかねない状況だ。だがこの点に限っては問題ないと俺は判断している。

現状、ストームリーチにおいてドラゴンマーク氏族の中で最も大きな勢力として考えられるのはタラシュク氏族だ。彼らはその"発見のマーク"を使用してドラゴンシャードだけではなく貴重な鉱石などの採掘事業をゼンドリック北部で広く展開しており経済的にコインロードたちにとって欠かせないパートナーである上に、現地部族を取り込んだ傭兵部隊によりデニス氏族と並ぶ戦力を有している。このタラシュク氏族がゲームでは端役でしか登場しておらずストームリーチに確固たる拠点を築いていなかったという時点で、ドラゴンマーク氏族関連の知識は当てにならないと考えたのだ。

そのタラシュク氏族とはエンダックを通じていくつか仕事の斡旋を受けており、彼は既にストームリーチ周辺の複数部族と氏族の責任者として契約を結ぶなど、安全地帯となったセルリアン・ヒルの再開発に欠かせない人物となっている。本人の義に篤い人柄もあり、氏族の窓口としては信頼のできる人物だ。そのライバルであるデニス氏族との関係はストームクリーヴ・アウトポストの件で良好なものとなったし、ジョラスコ氏族とは相変わらず蜜月といっていい関係にある。そしてチュラーニ氏族との関係については言うまでもないだろう。他の氏族とは特に特筆すべき関係はないが、それでも一介の冒険者の後ろ盾としては十分すぎるほどのコネクションと言っていい。

またフィアラン氏族は確かにチュラーニ氏族と競争関係にあるが、攻撃的なチュラーニと異なってその方針は"バランス"だ。均衡を保つことを旨とする彼らは過激な行動を避ける傾向があり、ある意味信頼出来る相手であると考えられるのだ。そして何よりチュラーニ氏族には"ドラゴンの道"と呼ばれる"竜の予言書"の解析を行うセクションがあり、そこには歴史家や占者だけではなく、占星術師も多数在籍しているという。彼らが今まで研鑽してきた知識は、俺にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。今はまだ無理でも、俺が冒険者として名を挙げていけばいずれそういった人物からのコンタクトがあることは充分に期待できる。コルソス島での巡り合わせもあったとはいえ、俺がチュラーニ氏族との関係を重視するのはこういった意図があってのことなのだ。


「ただいま戻りました!」


リビングでレダの手配してくれた新聞『シャーン・インクィジティヴ』を読みながらゆっくりとした朝の時間を過ごしていたのは数分ほどだろうか。外へと通じるドアが開き、そこから3人のエルフの少女たちが元気よく現れた。服装は同じだが、それぞれ違う髪型にすることで個性を出しているようだ。ハーフアップがレア、ポニーテイルがディオネ、ツーテイルがティティスだ。服装はシャツを胸元で結ぶようにして大きく開けた状態で、へそのあたりを露出した随分と大胆な格好だ。側腹から伸びた竜紋がその姿を隠しきれずにかすかに覗かせている。ストームリーチほどではないとはいえ、このシャーンも学生たちの多いメンシス上層部ではこういった服装も見かけないわけではない。


「おはようございます、トーリ様!」

「朝食をお持ちしましたよ。このホテルのモーニングブレッドはとっても評判がいいんです」


この三人は性格も同じらしく、まさに揃えば姦しいという表現がよく似合う。動きも呼吸が実に合っており、今もレダがテーブルをさっと拭いたその上に三人娘が次々と皿とバケットを並べていく。焼きたてらしいパンからは香ばしい匂いが漂い、瑞々しく輝いて見えるようなサラダ。それらを彩るのであろう多彩なジャムやドレッシングを収めた瓶に、スープをなみなみと湛えたボウル。三人がかりでワゴンで運んできただけあって、流石の分量だ。


「今朝の恵みをアラワイに感謝します──」


簡素な祈りの言葉を"ソヴリンホスト/至上の主人"の一柱である豊穣の女神に捧げ、少し遅めの朝食を開始する。ティティスお薦めのパンをまずは一口そのままで食べると、カリっとした表面に対して中はフワフワに仕上げられており、舌の上で溶けるような食感がすると共に香ばしさが溢れかえってきた。これは確かに素晴らしい一品だ。初めてシャーンに訪れた時以来、様々なレストランやホテルを巡ってはいたがその中でも最高ランクの出来栄えだ。これだけ出来のいいパンが籠に山になって盛られているのを見ると、それだけで幸せな気分になるほどだ。他の皆もすっかり気に入ったようで、次々と籠に手を伸ばしている。すっかりその味わいに魅入られた俺達は、ジャムを塗ったりサラダを挟んだりと様々な食べ方を楽しんだ。山のように盛られていたパン達も5人がかりの攻勢にあっという間に切り崩され、見る間にその姿を消していった。


「昨日の祝賀会の料理も良かったけど、この朝食はそれとは違った感じで美味しいね。紹介がないと泊まれないホテルだけあって一流の味!」

「そりゃこのシャーンの大部分の塔の所有者であるイル=テイン家が経営してるんだもの、この街でも最高峰なのは間違い無いわ」

「それだけ期待されてるってことなんだし、次の公演も頑張らないとね! そしたらまたここに来れるかも……」


まだ室内に微かにパンの香りが残る中、再びレダが淹れてくれたコーヒーを飲みながらのんびりとした時間を過ごす。イル=テイン家とはシャーンの建築に巨費を投じた一族で、この街どころかブレランド王国でも王を除けば並ぶものがないほどの財力と権勢を誇っている者達のことだ。テイン家が雲の上の街、スカイウェイを築き上げた時に当主であったシャーラ女卿は当時最高の建築家を集め、60もの家族とその従者たちが入れるような広大な宴の間と宿泊設備を建設した。それが今俺達が宿泊しているホテルなのだ。現在は月に一度"テインの饗宴"と呼ばれるパーティーがここでは行われており、そこに必ず招かれる家門を指して"シャーン六十家"と呼ぶほどだ。この宴に招かれるということは紛れも無い成功の証であり、シャーンの有力家門であることを内外に示すことになる。


「そうだな……ひょっとしたらその機会は意外とはやく訪れるかもしれないな。

 六十家や招待客以外にも、"テインの饗宴"には余興を披露する芸人達が招かれることがあるそうじゃないか。

 昨日の公演の噂は近いうちにこの街に広がり切るだろうし、リナールの方針で次回公演は当分先と来てる。

 焦らされた名家の連中が君たちを指名することは充分にありえると思うよ」


今の彼女たちの技量は、万全の状態で望めば"名人芸"レベルのパフォーマンスを可能とする技量を持ち合わせている。もう少し腕を磨けば、充分に"名演"と呼ばれる領域に達するだろう。そこまでいけば"テインの饗宴"に呼ばれる資格は充分といっていい。それぞれのドラゴンマーク氏族は家門として六十家に数えられてはいるが、チュラーニ氏族の場合出席するのは家長であるエラン男爵かその代理人だ。氏族内でそれなりの地位まで登らなければ出席することは適わないだろう。だが有力家の一門ではなく、芸術家の一人として招待されることはそれよりも近いところにあるはずだ。


「それなら私達の中で一番可能性が高いのはチーフですね。私たちは裏方だし、氏族の中じゃマイナーな家系だからなかなかそういう機会は回ってこないんですよね」

「そうかしら? 私達の公演のウリはどちらかというと貴方達の創りだす精緻で迫力のある幻術なのだし、饗宴の出し物としてもそちらのほうが好まれるんじゃないかしら」

「あー、それでまた話題作りをするっていうのはありそうですね。キャプテンはそういうのが大好きですし」

「そういえばトーリ様は昨晩の公演を貴賓室でご覧になっておられたんですよね。他にはどんな方がお見えになられてたんですか?」


ティティスの問いに、昨晩の記憶を反芻する。エラン男爵以外にも、多くの要人らしき人物が昨晩は公演を鑑賞していた。だが直接紹介されたのは男爵だけであるし、顔を見たところでそれが誰かわかるということもない。勿論情報収集の一環として近くで交わされる会話にはひと通りチェックを入れていたが、それでも名前が解ったのはほんの数人に過ぎない。


「俺が紹介を受けたのは君たちの家長、エラン男爵だけだ。

 でもリナールが何人かそれらしき人物に挨拶回りをしていたし、おそらくもう根回しは十分に行なっているんじゃないかな」


確か、セントラル上層を代表する市会議員がその中にはいたはずだ。今はまだ六十家には数えられていないものの、いつそうなってもおかしくはないと評判の人物だ。この世界の富裕層も芸術のパトロンとなることがステイタスの一種として認められており、ひょっとしたらこの議員を後ろ盾として饗宴に乗り込むと共に、彼の六十家入りをサポートするという計画があるのかもしれない。
六十家は一枚岩のグループではなく"饗宴"の間を一歩出れば互いにしのぎを削るライバル同士に他ならず、またその六十家のメンバーは入れ替わっていくものなのだ。コーヴェア最大規模の都市であるこのシャーンでの政治力はその所属する国家であるブレランドにも当然強い影響を与えるため、謀略を生業とするチュラーニ氏族にとってはまさに主戦場といえるはずだ。そこでそんな謀が進んでいてもおかしくない。


「あー、でもそうなるともっと腕を磨かないといけませんよね。万が一失敗でもしようものならどんなシゴキが待っているものやら……」


ディオネのその言葉に、三人は一斉にテーブルに突っ伏した。晴れ舞台に登る歓喜が、一転してプレッシャーに転換されてしまったようだ。


「……まあ、そうならないように精進するしかないわね。最大限のバックアップはしていただけるでしょうし、悪いようにはならないはずよ」


レダがそう言葉を掛けるも、三人の心には届かなかったようだ。顔を伏せたまま微かにうめき声を上げるその様はまるで亡者のようだ。


「氏族の一部門を代表する芸術家になろうというんだから、ある程度厳しい鍛錬があるのは当然のことだと思うんだが……

 彼女たちの指導者はそんなに厳しい人物なのか?」

「そうですね……すでに一線を退かれた方なんですが、術式の制御については我々の氏族の中でも飛び抜けて優秀な方です。

 私も師事していたことがありますし、腕に間違いはありません。ただ、この三人のいうように教育指導はかなり厳しいです──」


レダも若干その当時のことを思い出したのか、若干笑みを崩した表情でそう語ってくれた。どうやらこの4人はいわば同門ということのようだ。ソウジャーン号のクルーの中でも特に仲の良いメンバーという風に思っていたが、年が近い以外にもそういった理由があったようだ。


「なるほど……それなら俺の用事に少し付き合ってもらえないか? ちょっと付き合って欲しい所があるんだけど──」




† † † † † † † † † † † † † † 




「そっちに行ったよ! 気をつけて!」

「また!? どうして私のところにばっかり来るのよ~~」

「《熱閃》撃つわよ、カウントに合わせて距離をとって、張り付かれないようにして! 3,2,1……」

「奥から何かデカいのが来てるよ! そいつは早く片付けてあれに集中しなきゃ──」


前面で敵を受け止めているディオネの側面を、粘体とは思えない機敏さで通り抜けてレアに迫る黄土色のウーズ、"オーカー・ジェリー"。レダが焼き払うべく《スコーチング・レイ》を放ち、その体積を減じたところで二人が取り囲んで対粘体に特別な効果を発揮する棍棒を叩きつける。残った一人は周囲の警戒を行い、新たに迫ってくるクリーチャーの接近を皆に告げている。その様子は随分と手慣れたように感じられる。短期間とはいえ集中的に戦闘経験を積んだことで、彼女たちの連携も上手に機能しているようだ。

そう、ここストームリーチ地下の下水道区画で彼女たちとパーティーを組んでから今日で4日目。最初は不慣れな土地の暗がりに怯え悪臭に辟易していた彼女たちも、今ではすっかり一人前の冒険者のように戦闘を続けている。


「ちょっと、トーリ様! あれは無理! 一匹ならともかく、二匹は手に負えませんよ!?」


悲鳴のような声で前方を警戒していたレアが救難信号を発する。そちらを見れば大型のアースエレメンタルが2体、地響きを立てながら彼女たちに迫っているところだった。


「……連中の足は遅いんだから、呪文やワンドによる攻撃を加えながら距離を取り続けていれば十分勝てるんじゃないか?

俺はその奥にいるのを相手にしてくるから、手前の2体はなんとかしてみるんだ」


そういって俺は前に飛び出し、2体のアースエレメンタルの横を通り過ぎるとその影になって彼女たちからは見えていなかったであろう3体目の敵へと向かっていった。床面から体の半ばを浮かび上がらせたこの一際巨大なエレメンタルは"ランドスライド"と呼ばれる狂ったエレメンタルだ。本来ははるか古代にこの地に縛り付けられ下水の管理を役割としていたのだろうが、今はその役目を放り出し、近づくものすべてを破壊する厄介者へと成り果てている。その体は半分が地下に埋まっていてもなお手前の2体より大きい。超大型サイズといったところか。

こちらの接近を感知してか、歪な人型をとって立ち上がったその身の丈は手前の5メートルほど、重量も20トンほどはあるだろう。こういった元素そのものといった敵には急所というものが存在しないため、さすがにこの大きさともなれば一撃必殺というわけにはいかない。だがそれはあくまで『一撃』では倒せないというだけだ。大振りの一撃を掻い潜って懐に潜り込むと、その半分程度の体積が集まった胴体に向けて掌底を放つ。モンクとして鍛え上げられた身体攻撃力が予め付与された呪文術式によって増幅され、エレメンタルの肉体はまるで大巨人に張り手を食らったかのようにその体を削り取られる。打撃音が響く度に、まるでシャボン玉の塊を吹き散らすような勢いで岩が、土くれが削り落とされていく。3発を叩き込んだ時点で超重量の岩の塊はその大半を吹き飛ばされ、その体躯を維持できなくなって崩れ落ちた。そして徐々にその姿を薄れさせ、溶けるように消えて行く。

この世界における仮初の実体を破壊されたことで呪縛が解け、元いた次元界へと帰還していったのだ。

俺がそうやって敵のボスを瞬殺した一方で、残った2体の大型エレメンタルを相手取りレダと三つ子達は慎重に距離を取りながら戦いを開始していた。彼女たちにはそれなりの装備を渡してあり、正面からの殴りあいであれば3トン近い重量の岩の塊にすら競り勝てる戦力を持たせてある。とはいえそのウェイト差を活かして組み付かれてしまっては勝ち目がないため、一瞬で片をつけられない敵を相手にして慎重に間合いを測っているのだろう。


「下がりながら焼くわよ! 呪文のストックがないならワンドを使いなさい!」


レダがそういって皆を指揮し、一斉に熱閃を放つ。攻撃を集中され、急激に熱せられたことで焼け焦げた部分が次々とこぼれ落ちて行く。全員で二斉射するころには1体のエレメンタルは完全に崩れ落ちるが、その隙をついてもう一体のエレメンタルが突進を開始した。突然加速したその動きに彼女たちは対応できず、敵の間合いの内側に収められてしまう。

だがその振るわれた岩の拳を、ティティスは構えたライトシールドで見事に受け止めた。本来であればそんな盾など無視して吹き飛ばしてしまうようなウェイト差だが、このミスラル製の盾に付与された強化魔法はその攻撃の勢いを緩和し、さらに身に纏ったエルフ製のチェインシャツは腕に加わった負荷を全身に逃すことで衝撃を受け流させる。


「ハッ!」


さらに追いすがろうとしたエレメンタルの追撃を、彼女は呼気とともに飛び退ってその間合いから逃れることで回避した。二人の距離が開いたことで、誤射を恐れて待機されていた呪文による熱閃攻撃が再開される。ティティスが距離を取ることに専念したため、放たれた閃光の数は3条。それらは狙い過たず命中するが、巨大な岩塊を焼き切る事はかなわない。生き延びたエレメンタルが今度は転がるようにして突撃を開始する。単純な打撃では仕留め切れないと判断し、押し潰すつもりのようだ。だが、その単純な軌道が仇となった。巨人族の作り上げた下水道は広く、大型のアースエレメンタルが転がってきた程度で塞がれるものではないのだ。猛牛の突進をいなす闘牛士のように、ひらりとその攻撃を開始した一行は再び熱閃を放った。鈍重な岩の塊相手であれば、彼女たちの技量でも十分に命中が期待できる。全弾をその身に浴びた最後の一体は流石に耐え切れず、自らの住処である次元界へと帰還させられていった。


「ふう、一瞬危ないかと思いましたけど無事切り抜けましたね」


ティティスはそう言うとワンドを腰のホルダーに戻し、袖で額の汗を拭った。彼女たちは呪文を行使する邪魔にならないよう、最低限の防具しか身に着けていない。鎧であるミスラル製の鎖帷子は胴体部を覆っているだけであり、盾もライトシールドと呼ばれる小型のものだ。それ以上の重装備では秘術呪文を発動する際の動作を妨げることになる。素材と付与されている魔法効果で軽減するにも限度があり、これが精一杯の装備なのだ。これ以上防具を纏うと行動のテンポが一拍遅れてしまい、それが原因で呪文の制御を失敗する可能性が出る。それを嫌っての軽装備だが、その代償として敵の攻撃を捌ききれなかった場合には手痛い痛撃を受けることになるのだ。先ほどの汗は暑さだけではなく、立て続けに攻撃の対象となったによる緊張からくるものもあったのだろう。


「お疲れ様。これでこの区画も処理完了だ。この周囲を軽く調べ終えたら、あとは狩り残しがないかを確認しながら地上に帰ろうか」


彼女たちの働きを労うように小さく手を叩きながら仕事の終了を告げる。ゲームであればボスを倒せばお宝が出るものと決まっているが、生憎今回出たようなエレメンタル系のクリーチャーは財宝を貯めこむ習性を持たない。あるとすればここで連中に殺された冒険者の遺品だろうか。魔法付与などで保護がかかっていなければ朽ちてしまっているだろうが、もし何かが残っていれば逆にそれは魔法のアイテムということになる。あとは宝石や貨幣などは遺体の近くに袋詰になっていることがある。とはいえ基本的にこのエベロンではクンダラク氏族という優秀な銀行屋がいるため、冒険者といえども全財産を持ち歩くようなことがないのでそう大した量は期待できないのだが。


「ひょっとして今トーリ様が相手にしていたのが今回のターゲットだったんですか?」

「そういうこと。さあ、まだ探索していないエリアもあるんだから気を抜かずに。

 油断して帰り道で下手な怪我をしたんじゃ割にあわないからね」


そう言うと4人は再び表情を引き締め、それぞれ手分けして周囲の探索を開始した。そこには初日にあったような過度の緊張や、技量不足からくる見落としなどは感じられない。俺は内心で実験が一定の効果を示したことに満足しながら、そんな彼女たちを率いて帰路へとつくのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「お疲れ様です~!」


元気の良い声とともに、エールを満たしたグラスが打ち付けられる。4日かけて3つの下水区画を踏破し、目的を達したのだ。今こうやって行なっているのはささやかな祝勝会のようなものだ。特に金銭が必要ない俺は、彼女たちに貸していた装備のうちワンドなどの消耗品を補填する金額を除いた報酬を4等分して彼女たちに渡していた。その中には下水道を探索している間に発見した戦利品の売却も含まれているため、結構な金額が彼女たちの手元には転がり込んだ事になる。


「いやー、最中は暗かったり怖かったりで色々ありましたけど、こうやってみると冒険者っていう暮らしも悪くないですね!」

「私達のお給料1年分を4日で稼いだんだものね……大勢の人たちがこの街に訪れてくるのも納得です」

「──でも、それだけの人が流入しても決して溢れたりはしていない。その分、犠牲になったり逃げ出したりしてる人が多いっていうことだよ」

「そうね、今回はトーリ様から貸していただいた装備のおかげだってことを忘れないように。

 きっと今回の稼ぎを全員分合計しても、あのお借りしていた盾一つ買えないんだから。

調子に乗って、シャーンに帰ってから地下に探検に行ったりしたら、二度と帰ってこれないわよ」


賑やかに騒いでいる彼女たちを見ながら杯を傾ける。彼女たちの言うとおり、冒険者は命の危険を代償に金貨を得る職業だ。そしてその金貨の出処は何も遺跡から発掘される遺物だけではない。むしろ同業者の残した遺品であることが殆どだ。特にこの街の下水区画のような浅い階層では既に古代文明の遺物はあさり尽くされていると見て良い。発掘が終わり無人となった区画に危険なクリーチャーが棲みついて犠牲者を産み、また討伐される──そのサイクルの中で冒険者の装備が遺され、回収して戦利品として販売され、修理されて店先に並んでは別の冒険者の手に渡る。経験が浅く、未踏破の区画に辿りつけないような若い冒険者の命を糧とした経済の循環。その中で例外的に成功を収めるか、成長したものだけがそのサイクルから逃れられるのだ。


「シャーンの深層は危険度が段違いだからお薦めはしないけど、この辺りの浅い区画なら今の皆でもそれほど無茶でもないだろうね。

 とはいえ一度不運に見舞われればそれで終わりだし、よっぽど切羽詰らない限りお勧めできないけど」


昨日まで安全だった通路が、ある日突然不気味なアンデッドや這いよる粘体の狩場に変貌することなど日常茶飯事。街の区画よりも遥かに深く広い地下構造物が外部からの侵入者を招いている。コボルドの棲家がそうだったように、外部の洞窟などに地下で繋がっているのだ。そこから何が侵入してきてもおかしくない。そういう異常を察知できる知覚あるいは占術による予知、そして危険が迫った際に逃げ延びることの出来る手段があるか否か。それらを用意できるようになって初めて安定したといえる。とはいえそれらも勿論絶対などとは言えないものだが。


「まあ私達って皆前に出るタイプじゃないですもんね。攻撃も呪文かワンドみたいな消耗するものばかりだし、冒険に向いてないのは判ってますよ」


「でも今回の実戦のお陰で、呪文の制御力は間違いなく上がってます! いまなら今まで成功しなかった呪文も発動できるかも──」


「それはそれで師匠のスパルタ訓練が正しかったってことになるんで複雑な気分ですが……」


「このことを追求されたら、それみたことかと言わんばかりに危ないところに放り込まれそうだよねー。嬉しいようで嬉しくない……」


「ははは……まあその辺の説明は任せるよ。依頼の報酬と戦利品の売却益を山分けにした金額が迷惑料ってことで勘弁して欲しい」


俺ひとりでも簡単に処理できるクエストに、わざわざこの4人に同行してもらったのには勿論理由がある。それはちょっとした実験だ。それは彼女たちを引率してのレベルアップ作業──俗にいう"パワーレベリング"──は可能か? という点を検証したかったのだ。そしてその結果は極めてYesに近い結果となった。この短期間の間に彼女たちはレベル4から6まで成長した、と俺の鑑定眼が分析している。ちょうど2日ごとに1回のレベルアップがされた勘定だ。

彼女たちの成長はまさに俺が判断した遭遇脅威度とそこから得られる経験点の仕組みに準拠していた。流石にウィザードの呪文書に呪文が浮き出るようなことはなく既に書き込まれている呪文が使用可能になるなど、レベルアップによって起こる成長についてはゲーム通りとはいかなかった。だがそれでも近似値といって良い結果だ。ケイジ達との冒険で彼らに起こった成長も同じであったことから、これはある程度共通性のある法則であると判断してよいだろう。

訓練による技量の蓄積──訓練値と呼称する──と実戦による経験点の入手のバランスについてはまだまだ検証が必要だが、この仕組を把握していれば他人のレベルアップ作業を安全かつ素早く行うことが可能になる。それは身内の戦力増強だけではなく、俺の経験点入手効率の上昇にも繋がるのだ。相手を殺さずとも気絶させることで戦闘に勝利し、経験点を入手可能なことが解っている。同じ相手を対象とした場合に獲得できる経験点は一度のみだが、相手がレベルアップなどで成長すれば再び経験点を得ることが出来るということまで検証済みだ。

これを利用すれば、カルノ達がある程度のレベルアップが可能になった時点で模擬戦の相手をこなしてもらい経験点獲得、さらにレベルを上げてもう一度……ということを繰り返すことで容易に経験点を稼ぐことが可能になる。

レベル差が8以上ある状況では戦っても経験点は入手できないが、既に街近郊の野生動物をあらかたノックダウンしてしまっている以上こういった備えは必要だ。ザンチラー1体を仲間4人で共闘して倒すのとトロル20体を一人で倒すのでは難易度的には比べるべくもないが、経験点的には等価なのだ。そういった選択肢を作っておくことは将来を見据えた上での必須事項である。


「迷惑だなんてとんでもないですよ。むしろまた機会があったらお願いしたいくらいです!」

「今まで見たことがなかった色んな生き物を実際に相手にしたわけですし、少なくとも今後の表現力を増すのにいい経験になりましたよ」

「そうですね。この先当分の間私たちはドラゴンとかを幻術で操作するのが主な仕事になるんですから、いい機会でした」


そんな俺の思惑を知らず、彼女たちは好意的な言葉を返してくれた。お互い抱えているものはあったとしても、相互を利する関係が築けているのでそれで十分だろう。目の前の彼女たちとは長い付き合いになるはずだ。願わくば、友好的な関係を続けていきたいものだ。騒がしくテーブルを囲んだ4人を眺めつつ、俺はグラスを傾けるのだった。



[12354] 幕間4.エルフの血脈3
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/01/08 19:26
眼前に迫る鈍色の刃。風を裂く音をたてながらこちらを切り裂かんとするその鋼の側面を、前に差し出した左の掌で押すようにして軌道を逸らす。そうやって敵の攻撃を受け流し、その剣とすれ違うように前へ。半身になりながら相手が前へ踏み込んでいる右足の外側へとこちらの左足を踏み下ろし、足首から先を内側へと回転させる。俺のつま先が相手の踵へと打ち付けられ、それによって相手は体勢を崩す。

そうやって体を前に泳がせた状態で、先ほど逸らした武器を握っている手を右手で掴んで下へと引くと、相手はいとも簡単にくるりと前方へと体全体を回転させることになる。天地を逆さまにした状態で呆けたようにこちらを見ている若いエルフの男。その胸部を覆っている鋲打ち鎧にむけて俺は掌底を打ち込んだ。衝撃を全身に浸透させることを目的としたその一撃は、種族的に華奢に見えるその男の意識を一瞬で刈り取る。見るまでもなく手応えでそれを確信した俺は、さらに一歩踏み込んでそのまま腕を突き出した。

それによって発生した突き飛ばしが、意識を失ったエルフの体をそのまま宙に浮かせたままで横滑りさせていく。2メートルほど吹き飛んだ先で鈍い音とともに男は落下し、そのままぴくりとも動かない。吹き飛ばす際にわざわざ背中から落ちるように調整したため、命に別条はない筈だ。しばらくは先ほどの打撃による全身への倦怠感と今の受け身無しでの落下による背中の痛みで苦労するだろうが、負けて命があるだけ儲けものだと考えてもらおう。


「エィ・ラヴェル!」


下生えに覆われた大地を踏みしめる音と共に、別のエルフが雄叫びを上げながら駆け寄ってくる。そう広くはない建物の中庭では、中央に立つ俺との距離はあっという間に縮まってしまう。先に上げた咆哮が未だ建物の壁に反響して残る中、秘術呪文によって切れ味を増した細剣が突き込まれてくる。

筋力で防御ごと叩き割るような剣ではなく、エルフ生来の機敏さを活かし鋭さに特化した《武器の妙技》だ。地面を蹴る足から刺突の先端までが、筋の通った芸術品のように見事な力の伝達を見せている。相手に反応の暇を与えずに攻撃を加えようとする、優雅さの中に苛烈さを秘めた攻撃だ。

だが、それですら俺の眼前では静止しているも同然だ。細剣の先端を握りこみ、ひねるように回転を加えながら腕を引けば武器は相手の手から抜き取られる。そうやって得物を失った相手に一撃を加え、先ほどの剣士の横に並ぶような位置に吹き飛ばす。そうやって累々と並んだ昏倒しているエルフの数は既に10を超えている。既に二度三度、立ち位置を変えなければ突き飛ばす先にも困る有様だ。


「──次」


俺の声に応じて、さらに新たなエルフが前へと踏み出した。それ以外にも中庭の壁際には順番待ちをしているエルフ達が列をなしており、そのいずれもが好戦的な目付きで愛用の武器を握りながらこちらを睨めつけている。獲物を狙う狩人の目、それらにさらされ続けるのは決して愉快な気分ではない。


(そろそろ面倒になってきたな……)


そんな内心を押し殺しつつも、俺は新たな挑戦者へと向き直った。










ゼンドリック漂流記

幕間4.エルフの血脈3











「お疲れ様です」


最終的に100人近いエルフを薙ぎ払って一息ついていた俺に、エスティが飲み物を持って声をかけてきた。ありがたくそれを受け取って喉を潤すと、果汁を薄めた冷水が体に染み渡っていく。代謝機能を完全にコントロールできるとはいえ、この炎天下で動きまわって体調を維持し続けるには汗をかく必要がある。そうやって失った水分が補給されたことで、いくらか失っていた活力が満たされていくのを感じる。


「ありがとう、おかげで楽になったよ。今日はこれで終りかな?」


一気に飲み干したコップを返して周囲を見渡すと、戦闘に参加していなかった術士系のメンバーによって昏倒したエルフたちを運び出す作業が行われていた。すべて非致傷ダメージによって気絶しているだけとはいえ、放っておけば数日目を覚まさない者もいるだろう。それを避けるため、できるだけ一箇所に集めて範囲回復呪文で一気に治療するのだろう。高位の呪文ではあるが、少なくともこの場の責任者であるナーエラには使用可能なはずだ。


「ええ。今日、というかこれで当分お騒がせすることはないでしょう──まさか本当に一時間足らずで全員を倒してしまわれるとは。

 それも皆先手を譲った上で一太刀も浴びず、逆に素手の一撃で意識を刈り取る。先日手合わせいただいた時に尋常の腕前ではないとは知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

 あの中には故国では達人と呼ばれる者達も含まれていたのですが……」


そういって彼女は未だ倒れたまま残されているエルフたちへと視線をやった。確かに今日相手をした中には、俺の見立てでは8レベル程度の戦士も含まれていた。だがレベルアップでダメージの許容量が増すとはいえ、その程度のレベルであれば俺の攻撃の前には無関係だ。対戦車砲程度まで衝撃を増加させる秘術式が付与された俺の打撃は、非致傷打撃ですら期待値で一撃70点ほどを叩きだす。種族的に頑健なドワーフではなく、エルフの戦士では相当の修練を積まなければ耐え切れまい。


「いくら攻撃が鋭くても、相手の攻撃を凌げないことには長生きはできないだろうな。この大陸には信じられないくらい頑強な動物や凶悪なクリーチャーがうようよしてる。

 君たちは種族的に打たれ弱いって弱点を抱えているんだ。それをどうにかして補うか克服しないと、どこかで一度不運に見舞われただけで旅を終えることになる」


実際には今回のように一対一で戦うのではなく、敵を無力化する術士のサポートを受けて敵を殲滅するのが彼らの役割なのだろう。だが、敵に先手を取られた時にそういった後衛を敵の手から守る壁としての役割を果たすことが出来なければそのグループの壊滅は必至だ。

文化的に軽戦士がその殆どの割合を占めているヴァラナーの戦士たちにとって、このゼンドリックの密林は相性が悪い。軍馬を駆れるような広いスペースはなく、視線も通りづらいジャングルでは非常に近い距離からの遭遇戦が発生しやすい。そういった戦況に彼らがどこまで適応できるかが大きな問題になるだろう。


「耳が痛いですわ。でも、今日のことは同胞たちにとって良い戦訓になったことでしょう」


立会人としてずっと勝負を見ていたナーエラが満足そうな笑みを浮かべながら話すその言葉は、彼女自身は仲間たちが薙ぎ倒されたというのにむしろそれを喜んでいる風に感じ取れる。実際、今日ここで俺が大勢のエルフと手合わせすることになった理由はこの歳経たエルフの女祭の手配によるものであるからして、彼女の狙い通りではあるのだろう。

そもそもの発端は彼女たちが初めて俺の家を訪れた際まで遡る。その時の出来事がどう広まったのかは定かではないが、いつの間にか『エレミア・アナスタキアの戦隊に加わりたいものは、その仲間であるヒューマンの男に勝たなければならない』などというようにエルフ達の間に伝わっていたのだ。

そしてその話を聞きつけたエルフは勿論俺の家にやってくることになる。一人二人であれば個別に対応も出来ようが、流石に数十人単位で押し寄せる連中をいちいち相手する気にはなれない。そこで俺はナーエラに仲裁を求め、話し合いの結果"挑戦"にはルールを課すことになった。

1.挑戦は指定の場所で立会人の元に行うこと
2.結果に遺恨を遺さぬこと
3.再挑戦は禁止。ただし立会人が大きく実力を伸ばしたと判断した場合はこれを認める
4.この挑戦を除き、市内及び近郊での私闘は禁じる

これを受けて行われたのが今日のエルフ相手の百人組み手というわけだ。場所はあのあとセルリアン・ヒルに建設されたエルフ達の拠点となる建物の中庭である。ストームリーチの街区はすべてそれぞれのコイン・ロード達の支配下にあり、そこに居を構えるとなるとどうしても特定のロードとの関係が深くなることを避けられない。そこでナーエラはどのような交渉を行ったのか、それぞれのコイン・ロード達から出資させて街の外に新たな砦を建造させたのだ。一ヶ月が経過した今、未だ建物は完成には程遠い状況ではあるが、それでも第一便の船でやってきた数百人のエルフを収容することができる体裁は整えられている。

周辺にある放棄された畑や手放されたダムや水路といった設備も徐々に手を入れ始められており、この工事が始まったことで港湾地区周辺は好景気に見舞われている。それにより街の住人が船から現れたエルフたちに向ける視線は好意的なものが多かったようだ。そのせいもあってか幸いなことに今のところ住人との深刻なトラブルが起きたという話は聞こえてこない。おそらくはそれもナーエラの計算の内なのだろう。

そしてこのエルフ達が周辺に転がされ、運び出されている惨状もおそらくは彼女の思惑通りなのだろう。彼らヴァラナーのエルフは確かに精強であり、コーヴェア大陸では誰もが恐れる戦闘部隊として知られている。勿論そこに所属する戦士たちもそのことは自負していただろう。だがそのプライドの高さが周囲との軋轢を生む。ナーエラは俺を利用して連中の鼻っ柱を折り、さらにこの失われた大陸の脅威を刷り込もうとしたのだろう。街は好景気に沸き、エルフは自らの実力を見改めて真摯に探索に取り組むようになる──その犠牲になったのはコイン・ロードの懐と、引っ張りだされた俺というわけである。

とはいえ、この件は俺にもメリットがあった。このストームリーチにやってきたエルフ達は流石に皆ルーキーではなく一人前の戦士であり、ほとんどが俺の相手として十分なレベルを有していたのだ。つまり、戦って勝つことで経験点が入手できるのである。平均して5レベルのエルフたちを100人倒した結果、俺は今日一日で大量の経験点を入手していた。

本来であれば挑戦者の数はもっと少ないはずだったのだが、大勢の同胞があっという間に倒されていくのを見ていた者達がエレミアには興味はないが自分も腕試しに挑戦してみようということでその数を増やしていったのだ。彼らが生き残って実力をつけ、再挑戦を望むのであればそれはまた俺の糧となることだろう。

デメリットとしてエルフの間で悪名が広まる、ということも考えられたが、武勇を尊ぶヴァラナーの戦士たちが相手ということでそこまで心配はしていない。勿論俺に対して良からぬことを考える者達も皆無ではないだろうが、そこはナーエラが責任をもってコントロールすることになっている。コイン・ロードたち相手に発揮した彼女の政治力はなかなかのものだ。それはこの砦に集う彼女の同胞たちにも充分に発揮されるだろう。


「まあそのへんも含めて後始末はそっちの担当だ。ちゃんとやってくれよ」


今回ヴァラナーからエアレナルを経由してこのストームリーチに到着した船が、次にエルフを載せて戻ってくるのは二ヶ月後だ。出来ればそれまでの間に、既にこの街に到着しているエルフ達にはこの街に溶け込んでもらいたいものだ。


「それは勿論なのだけれど。できればもう少し手心を加えて頂きたかったかしら──あそこまで深く気絶した全員を起こすのは一苦労だわ」


ナーエラはそう言いながら頬に掌を当てて首を傾げ、いかにも困っていますといわんばかりのポーズを取ってみせた。高齢とはいえエルフである彼女のその仕草は人間の若奥様風とでもいうべき風体だが、それに騙されてはいけない。一度食いつかれたが最後、蛇に絡め取られた獲物のようにじわじわと絞られるハメになる。それにそこまで面倒を見てやる必要もないだろう。


「後遺症が残らないようにしているだけでも充分すぎるくらいだろう。逆に手心を加えていることを侮辱だと受け取られないか心配しているくらいだ。

むしろ体の負傷よりもそういった心のケアこそ重視して欲しいところだ。

人手が足りないっていうならジョラスコ氏族なり、《テンプル》にある"ソヴリン・ホスト"の神殿なりを紹介することもできるが──」


今の俺では範囲型の回復呪文は使用できないし、そもそも無料で呪文まで提供する必要もない。そういった治癒呪文のサービスはジョラスコ氏族が最も得意とするところだし、勿論神殿も何人かの信仰呪文の使い手を擁している。いずれもナーエラに劣らぬ呪文の使い手が、高額な報酬と引き替えに呪文を提供してくれるはずだ。術者としての技量、そして行使する呪文のレベルが上がるごとにその金額は増していく。《マス・キュア・ライト・ウーンズ/集団軽傷治療》であれば9~10(術者のレベル)x5(呪文のレベル)x10+手数料の金貨、といったところか。一般的な職人1人の年収を遥かに上回る金額である。


「それはまたの機会にお願いいたしますわ。見ての通り何かと物入りなもので、財貨に余裕が有るわけではありませんの。

 逆に私達が祖霊から授かる奇跡の力を求める方がいらっしゃればそちらを紹介いただきたいくらいですもの」


彼女の言うとおりこの砦はまだまだ建築中であり、今もなお作業を続ける工事の音が周りじゅうで響いている。本土から連れてきた建築家以外にも、主に港湾地区から大勢の人夫を雇っているのだ。その働きの対価として毎日金貨が何百枚と支払われているだろうことを考えれば、追加の支出は避けたいところだろう。


「それとトーリ様。予定では明日もこちらにいらしていただけることになっていたはずなのですけれど……」


こちらが助力の手を差し伸べる気はないと判断したのだろう、ナーエラは話を切り替えた。頬に添えられていた手は今は腰の前で指先が組まれ、表情は相変わらずの微笑を浮かべたままではあるもののその瞳はこちらをしっかりと見据えている。話題が先ほどの雑談混じりのものから切り替わったことを示しているのだろう。


「今日一日で一通り済んだから明日は来なくていいって話かな?」


元々の予定では、ヴァラナー側は手合わせに2日を予定していた。エントリーしていた人数が少ないとはいえ、一人おきに休憩を挟むことを想定していたのだからそれが妥当な判断だろう。だが実際には全員が一撃でノックダウン。こちらは休憩なしで、数回に一度周辺で倒れている者達を巻き添えにしないように立ち位置を変える以外は5秒から10秒ごとに相手を倒していったのだ。スケジュールにズレが出るのも仕方ないことだろう。だがナーエラの返した答えは俺の想像から外れたものだった。


「いえ、申し訳ありませんが予定通りお願いしたいのです。本日時間の都合がつかなかった者がおりますので。

 お手数をお掛けして申し訳ないのですが、明日もご足労いただけませんでしょうか? 今日と同じ時間からお願いいたします。

 その代わりというわけではありませんが、明日は今日のような退屈な思いはしないですむように取り計らいますわ。

 この大陸を訪れた我々の中でも随一の戦士の相手をお願いしたいんですの」


そう言われてしまえばこちらとしても断る理由はない。元よりそのつもりでスケジュールは調整されているし、俺にとっても経験点を稼ぎながらエルフの戦士たちの実力を測ることができる機会は貴重なものだ。




† † † † † † † † † † † † † † 




そして訪れた翌日。ヴァラナー・エルフ達の砦の中庭で俺と向き合う相手は、予想だにしない相手だった。


「こうして刃を向け合うのは数カ月ぶりか。今日は私の事情に付き合ってもらって感謝しているよ、トーリ。

 今の私の全力が通じるか、一人の武人として試したいのだ。胸を貸して欲しい」


そう言ってダブル・シミターを構えるのはエレミアだ。それに立会人としてナーエラに加えてメイまでもがこの場に来ている。どうやらこれは俺だけに用意されたサプライズ企画だったようだ。


「……何もこんな場でなくとも、言ってくれればいくらでも時間は用意するものを」


せいぜいがジュマルとの再戦くらいかと思っていた俺の想像が甘かったことを思い知らされた。確かに今や彼女こそがゼンドリックのエルフの中で最強と呼ぶに相応しい。おそらくこれもナーエラの仕込みなのだろう。あまりにも俺が一方的にエルフを打ち倒したことで揺らいでしまったターナダルの誇りを再び示すのにエレミアほど相応しい人物は居ない。他、武勲を上げたとはいえ若輩であるエレミアの実力に疑問を示すエルフ達に彼女の武を示すという意味もあるのだろう。ご丁寧に昨日俺がノックアウトした連中は皆、意識を取り戻して観客としてこの中庭を囲んでいる。


「済まないな、私もヴァラナーに籍を置く身として定められた規律には従わねばならない。

 師母のお考えもあるのだろうが、一度だけ私の我儘に付き合ってくれ」


そう言ってエレミアはシミターを水平に構えた。左右に伸びる鋼がまるで彼女の両肩から生える翼のように見える。


「解った、そういうことなら否やはないさ。次からは俺から挑戦を申し込むとしよう。それなら問題無いだろう?

 とはいえ、今回の勝負を譲るわけじゃないけどな」


ここまでお膳立てが整ってしまった以上、逃げれば今後への影響が芳しくないだろう。そして戦う以上は真面目にやる必要がある。相手を殺さずとも経験点を得ることは出来るとはいえ、それは真剣勝負をした場合に限られるのだ。


「僭越ながら私も立会人として見届けさせて頂きます。お二人には事前に私から《インドミタビリティ/不屈》の呪文を付与します。

 この呪文が効果を発揮した時点で勝負あったものと見なし、終了とさせていただきます。

 事前に《ヘイスト》は掛けておきますけれど、他に何か必要な呪文とか用意とかされますか?

呪文付与の時間が必要でしたらその分の時間をお取りしますけれど」


向かい合っている俺とエレミアに対し、メイが話しかけてきた。彼女が付与してくれる《インドミタビリティ》とは、HPがマイナスに突入するようなダメージを受けた際に一度だけHPを1残してくれるという貴重な呪文だ。確かにそれであれば安心して全力で攻撃を加えられる。


「いや、《ヘイスト》さえ貰えれば十分。他に必要な物はもう準備済みだ。あとは開始の合図だけで構わないよ」


予め両腰に吊っていた剣と槌を構え、メイにそう告げた。自分で用意できる必要な呪文は毎朝、24時間化を施して自分に付与している。ならば後はエレミアと同じ条件で構わない。


「わかりました。それではお二人にドル・ドーンとドル・アラーの加護がありますように……」


メイが戦の神への祈りを捧げながら俺たちに呪文を付与していく。《インドミタビリティ》の効果時間は20分程度に過ぎないが、俺達の勝負が長引くことはない。決着は基本的に数秒の間のこと、向きあって全力での攻撃を打ち合う、ただそれだけのシンプルなものだ。少し違う点があるとすれば、開始の距離がいつもより少し離れていることぐらいだろうか。それは若干エレミアに有利に働くだろう。とはいえ他のエルフたちと同じ条件であり、エレミアに対してだけ異なる条件を課すことも出来ない。今まで彼女との勝負で一太刀たりとも浴びたことはないが、それは彼女があのストームクリーヴ・アウトポストの戦いを経験する前の事だ。あのザンチラーを斬り伏せた剣は間違いなく俺にとっても脅威である。あの剣舞を凌げるかどうか、それが勝負を決定づける。

用意が整ったのを察してか、ざわついていた観客たちも音一つ立てない静寂に包まれた。ナーエラが気を利かせたのか、工事の音すら今は一切が止まっている。大量の人員を投じて交替制で延々と続けていたスケジュールに穴を開けるとは、随分と手が込んでいるようだ。彼女も自分の愛弟子のことをそれだけ気に掛けているということか。


「汝らの祖霊に掛けて、誇りある戦いを捧げよ──始め!」


開始の合図としてナーエラの腕が振り下ろされる。それに反応したのは間違いなく俺のほうが先。《ナーヴスキッター/神経加速》の呪文により増幅された反射神経が、俺にわずかに遅れてエレミアが動き始めたことを捕らえている。膝を沈み込ませこちらに向かって駆け出そうと体を前に倒していく彼女に対し、俺は先んじた利を活かすために一気に距離を詰めた。

エレミアの"旋舞"は圧倒的な機動力と攻撃回数を兼ね備えた連撃だ。20メートルほどの距離であれば彼女は苦もせずに詰めた上で全力の攻撃をこちらに見舞ってくる。であれば待ち受けるのは下策。何より一撃で意識を刈り取ってしまえばそれで勝利は確定だ──。

《トゥルー・ストライク》により得られた攻撃に対する洞察を元に、俺は彼女の側頭部に対し左腕に構えた凶悪な外見のメイスを叩きつけた。古代巨人たちが"テンダライザー/肉叩き"と読んでいたその武器は衝撃と共に意識そのものを揺るがす魔力を注入することで、朦朧化打撃への抵抗を困難にする能力を秘めている。一流の戦士であっても意識どころか命そのものを刈り取られかねないその横薙ぎの一撃を、エレミアはさらに体を沈み込ませることでかろうじて直撃を避けた。だがそれは致命的な傷を負わなかったというだけに過ぎず、俺の腕に伝わる感触は確実に彼女を捉えていた。クリティカル・ヒットでこそないものの、有効打として命中したと判断する。それにより、彼女の意識を揺るがすには十分な衝撃が浸透したはずだ。

しかし彼女はその意識の混濁を耐えぬいた。取りこぼしそうになる武器を握る手に力を込め、奥歯を強く噛み締めながらそのまま体を前へと動かした。俺に体当たりせんばかりの勢いで、低い姿勢のまま俺の後方へと回りこむ。お互いが背を向けあった状態のまま、立ち上がって腕を振り上げたエレミアは頭上からダブル・シミターを振り下ろした。《曲技打撃》、軽業のような移動で対象の対応しづらい位置を食い取りそこから攻撃を仕掛ける体術だ。

だが勿論俺はその行動を織り込み済みだ。秘術で召喚された《シールド》が、その攻撃を妨げるべくシミターの軌道上に立ち塞がる。それで攻撃の勢いを一瞬だが弱め、その間に攻撃の軌道上から逃れるつもりなのだ。だがその力場の盾はまるでシミターに道を開けるように突然中央から裂け、その役割を放棄した。そしてそれは《シールド》だけに起こったことではなかったのだ。体の周囲に濃密な反発の力場を構築する《サイリンズ・グレイス》が、洞察を与える《アイ・オヴ・ジ・オラクル》が、そして虎の膂力や強靭な外皮を与える《バイト・オヴ・ワータイガー》がその効果を霧散させていく──ディスペルやアンティマジックではない、《魔法的防護貫通》による防御呪文の無力化だ。今朝までエレミアが取得していなかったはずのその技法が俺の護りを無効化している!

だがそれだけではまだ俺には届かない。エレミアの体術が攻撃に特化しているように、俺の体術は回避に特化しているのだ。先手を取って攻撃を打ち込む際に描いた動線はそのまま俺が彼女の攻撃に対応するベクトルを与えてくれている。そしてエレミアのこの反撃自体を想定し、防御の構えを取っていたのだ。《シールド》が消えたことでタイミングはギリギリだったものの、右手に構えた緑鉄製のコペシュが振り下ろされたダブル・シミターと絡み合う。その刃から伝わる聴勁が俺に深い洞察を与えてくれるのだ。獣化したラピスに並ぶほどのスピードと機械のように精密な動作──だがそのすべてを押し切って、エレミアの斬撃が俺の体を薙いだ。まるで障害などならぬとばかりにコペシュが弾かれ、なお緩まぬ剣筋が俺の肩口へと到達する。


(──馬鹿な! 呪文抜きでも80に近いACにエレミアが当ててくるなんて……)


交差する刃がエレミアの勢いに押された瞬間、俺は脳裏のギアを一段階上昇させ"アクションブースト"と呼ばれる一時的なドーピングにより自身の反応をさらに上昇させた。さらに体に纏っている竜紋が刻まれた布は分厚い鋼鉄並の硬度を有している。だがその全ての防御をエレミアは打ち破ったのだ。とはいえ斬撃はローブの表面を傷つけるに留まり、体が両断されたわけではない。突き抜ける衝撃が久々に痛みを感じさせ、思考を一層加速させる。


(一撃を受けたのは想定外、だが俺が反撃で倒しきることができれば問題はない、もう一度"朦朧化"を狙いながらの全力攻撃で──いや、待て!)


エレミアの《魔法的防護貫通》で溶け散らされた秘術エネルギーが光の粉のように舞う中、エレミアの振り下ろしたダブル・シミターの対の刃が既にこちらに迫っている。彼女の攻撃はまだ終わっていない!


(《魔法的防護貫通》を絡めた複数回攻撃──《怒涛のアクション》か!? まずい、今までの攻撃は前準備──これから彼女の全力攻撃が来る!)


しかもさらに先ほどの一撃はやはりあのザンチラーに浴びせたものと同種のものだったのだろう。俺がアイテムから得ていた"クリティカル・ヒットに対する完全耐性"が失われている。その指輪を破棄し、新しい物へと取り替えることは出来る。だがその刹那の間に可能な交換は一つだけだ。失われた耐性を取り戻すのを優先するか、それとも失われた秘術の護りを補填する装備を選ぶべきか? あるいは《セレリティ》で割り込んでの一撃に全てを賭けるか? 一瞬の逡巡すら許されず、俺は決定を下すと彼女の攻撃を迎え撃つ。

ヴァラナー・ダブル・シミターが俺から見て時計回りに回転しながら弧を描いている。そしてそれは突如方向を転換し、こちらに向かって切りかかってくるのだ。美しい円を描くその攻撃の軌道を見切るのは至難の業だ。俺はエレミアの握り手、ダブル・シミターの中央を目で追うことで両端の刃の動きに惑わされぬように対処を図る。これも何度となく繰り返した彼女との組手の中で培った経験によるものだ。だが今のエレミアはその俺の記憶の遥か上をいく。


(比べ物にならない──速度も、力も、技術もそして判断の的確さも!)


まるで《タイム・ストップ》の呪文を受けた時のように、静止したかのように思えるほど圧縮された時間の中でエレミアだけが加速した速度で動いている。いつもは相手側の動きがスローモーションになり俺だけがいつもどおりに動く加速された知覚の中で、今は逆にエレミアの動きだけが研ぎ澄まされ対して俺の体は泥濘に囚われたかのように遅く重い。

かろうじて攻撃に腕を割りこませ刃の軌道を逸らそうと鋼を押しこめば、エレミアはそれを予測していたかのようにそのベクトルを持ち手を中心に反転させることで逆に対の刃を加速させ、俺の体へと切り込んでくる。左右の手を、肘を、膝を、肩を、時には額まで使用してこちらが攻撃を捌こうとするその力のすべてを吸収するようにしてエレミアの攻撃が俺を襲い続ける。ローブの上から浴びせられた衝撃により骨が軋み筋肉は断裂する。嵐のような連撃が終わったかと思えば、もう一度同じ攻撃が繰り返される。三度繰り返された鋼の乱舞は瞬く間のことであるが、そのあいだに繰り出された斬撃は20を超える。なんとか直撃は4発に留めたものの、そのうち2発は"クリティカル・ヒット"だ。既にHPは見る影もなく削れ、あと一撃でも受ければ《インドミタビリティ》が発動するであろうところまで落ち込んでいる。まさに現状は紙一重だ。


(呪文で回復に専念しても癒しきれない。勝つなら次にエレミアが動くまでに倒しきる必要がある──)


だが俺の渡した装備のこともあってエレミアの防御能力はかなりのものだ。呪文による補助無しで必中を期すことは出来ない。だが彼女の残りの体力を一撃で削るにも呪文の助けが必要だ。呪文抜きでは素手打撃で2発、武器による攻撃なら3発の命中が必要になるだろう。足払いなどの搦手は今の神懸かったエレミアに通用するかは不明だ。ならば真正面から打ち砕く──!

一瞬で組み上がった秘術回路は複雑な文様を描いていた。それもそのはず、いつもの《高速化》などによる並列起動ではなく、正真正銘2つの呪文を同時に発動させる《アーケイン・フュージョン》の秘技。ウィザードには不可能な、ソーサラー固有の呪文として発動したその効果のうち一つは《トゥルー・ストライク》、必中を期すための呪文。残る一つは《コンバスト》、触れた相手を炎で包み焼き滅ぼす呪文だ。俺のアレンジにより電撃をも含んで荒れ狂うそのエネルギーが、槌を捨てて突き出した俺の掌とエレミアとの接点から吹き上がる。《インドミタビリティ》があるために手加減抜きで放ったその威力は300を超える。本来であれば消し炭一つ残さないオーバーキルの攻撃だ。


──だが、エレミアは再びその俺の予想を上回った。


紫電と炎を吹き散らし、彼女はその姿を現した。勿論無傷ではない。だが炎はまるで彼女を害することを拒むかのように、羽衣のようにたなびいてその肌を犯すことはない。電撃のみが彼女を打ち据えたが、それだけではギリギリ致命打足り得なかったようだ。"朦朧化"を狙うため、初手の攻撃を素手ではなく威力の劣るメイスで行ったのが裏目に出た結果だ。一撃で無力化を図ったツケが予想もしなかった形で俺に振りかかったのだ。

そしてこちらの攻撃を凌いで彼女が反撃に出る。おそらく先ほどの連撃は回数限定の技だったのだろう、その動きの鋭さは数段落ちる。だがそれでもなおあの神懸かり的な先読みが健在なのであれば、避けきる事は出来ないだろう。敗北の瞬間が、緩やかにだが確実に迫ってくる。


「まだだ!」


その攻撃に割りこむように《セレリティ》を発動。体に纏わりついていた重しが取り払われるような感覚とともに時間が引き伸ばされ、俺の体の動きは一時的にエレミアのそれを凌駕する。ただ一撃、先に当てるだけでいい。いまならばそれで十分に彼女を倒すことが出来るはずだ。運命を決するコペシュの先端が、エレミアのシミターと交差する。文字通り全身全霊を賭した一撃。神経系にかかる過負荷は視界を白熱させ、徐々に視野が狭まっていく。

腕を伸ばしコペシュの剣先が俺から離れるにつれ、逆にエレミアの振るう刃が徐々に俺の視界の割合を占めていく。どちらが先に命中するか。そしてそれは有効打足りえるのか。俺の首筋を狙い、ダブル・シミターの刃が舞い降りてくる。刃物が首元に押し付けられたゾワリとなる感触。だがそれとほぼ同時、俺の武器から手応えを感じた。


「そこまで!」


コペシュの剣先から手応えを感じたその瞬間、メイの声が響くと同時にエレミアが消失した。エレミアに付与した《インドミタビリティ》が発動したことを察したメイが、召喚術に属する瞬間移動の呪文でエレミアを移動させたのだ。メイが常時展開している《グレーター・アンティシペイト・テレポート》はアストラル界からの実体化を10数秒遅らせる効果があるため、エレミアの転移開始から出現までの間は彼女が消えてしまったように見えているのだろう。対して俺に付与された《インドミタビリティ》は残ったままだ。どうやら俺の攻撃は間に合ったらしい。


「……なんとか勝てたか。最後は運に助けられたな」


そう呟いて剣を鞘に仕舞うと何度も切りつけられたことでボロボロになった体を呪文で癒していく。その間、周囲で見守っていた観客は状況を把握できていないのか咳き一つ立てない。だが転移の遅延が終了したことでエレミアがその姿を表し、自らの敗北を認めるとまるで彼等の時間が解凍されたかのように突然爆発的な歓声が上がった。戦闘を行った時間は俺の突撃から数えても数秒間の間だが、エレミアが再び現れるまでの間にその間に繰り広げられた剣戟の応酬が何度も彼らの視界に蘇った事だろう。

その攻防をどれだけの観衆が正確に把握できたのかは不明だが、少なくとも凄絶なレベルのやり取りが繰り広げられたことは解っただろう。現代に蘇った過去の英雄の剣技、それを間近で見たことの感激以外にも自分たちもその領域まで到達せんとこの大陸にやってきたことを再確認したといったところだろうか。勿論そこまでエレミアの剣技を引き出し、かつ打ち破った俺に対する賞賛も含まれているようだが。


「信じられないほど腕を上げたな、エレミア。あそこまで一方的に斬りつけられるとは正直思っていなかった。

 呪文抜きの斬り合いじゃあもう到底敵いそうもない」


俺が回避に特化したように、エレミアは攻撃に特化している。先日までは彼女の攻撃を封殺し、俺の攻撃が徐々に彼女を削るということで勝ち星を譲ったことはなかったのだがどうやらその天秤の傾きは今や逆転したようだ。もはや今回のように呪文による大火力で吹き飛ばさない限り、彼女の攻撃が俺を削るほうが早いだろう。回復に徹したとしても呪文行使のインターバルの間に一瞬で削りきられるかもしれない。あの大巨人ザンチラーを滅ぼした火力はやはり尋常のものではなかった。


「今日こそは、と思ったのだが今一歩が足りなかった。私こそ運とトーリの判断ミスに助けられた点もあってこの結果だ。

 まだまだ精進が足りない──だが、ようやく同じ"階"に立てた気がするよ。これからもよろしく頼むよ、トーリ」


ナーエラの《ヒール/大治癒》で傷を癒したエレミアが、そう言って差し出した手を握り締めた。周囲の歓声はそれを機に拍手へと変わり、それと共に中には大きな樽がいくつも運び込まれてきた。何事かと周囲を見やると、立会人を勤めていたはずのナーエラが周囲のエルフ達へと演説を開始した。


「我々の新たな英雄エレミア・アナスタキアの剣の誉と、この地で彼女が得た素晴らしき友人に盃を掲げよ!

 我等は剣と共に再びこの大地へと還ってきた! だが剣は常に誇りをもって振り下ろされねばならぬ。

 偉大なるヴァダリア大王がヴァラナーの大地に剣を突き立て、国を得た時にその地にあった者たちは我が同胞となった。

 汝らの剣はこの地においては大王の剣であると心得よ。その振るう先を誤ってはならぬ。

 さすれば打ち合う剣の響きは得難き友を呼び、祖霊の道を歩む助けとなろう。偉大なる剣に誓い、先達の道を汚すことなかれ──」


ナーエラの堂々とした声が中庭に響き渡る。その間にも樽を運び込んだ小間使い達が、酒を注いだ杯をその場にいる皆へと配って回っている。俺とエレミアのところにもエスティがやってきて、それぞれに小さな杯を渡してきた。


「乾杯!」


号令とともに、全員が一息で渡された酒を飲み干すやいなや宙に放り投げた杯を剣で断ち割った。木製のそれが割れる甲高い音がたて続きに響き、中庭と取り囲む建物の壁に反響して周囲を満たす。さらに数多くの食料が運び込まれ、中庭はあっという間に宴会へと突入した。俺とエレミアを中心として大勢のエルフが輪となり騒ぎ立てながら、今もなおどんどんと運び込まれてくる酒と料理を楽しみ始める。若いバード、おそらくは"過去の担い手"の見習いたちが先ほどの戦いを即興で歌い始め、伴奏の音楽も奏でられ始めた。俺はすっかりと退出するタイミングを失ってしまい、取り囲むエルフ達からの質問攻めに晒されたのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「ふぅ……やれやれだ」


なし崩しに宴会に巻き込まれてから1時間ほど。どうにか機を見て中庭から脱出し、人気の少ない建築途中の区画に滑り込んだ俺は溜息を付いた。予め人格面での審査がされているのか、このストームリーチを訪れたエルフ達は人柄の良い者たちばかりで彼等はさんざんに殴り倒した俺に対しても隔意を抱くどころか比較的好印象を持っていた。勿論俺に敗北したことは悔しく感じているようだが、それはどちらかというと自分たちの未熟さに向けられた感情のようだ。彼らがエレミアの剣舞を見たこともその感情をプラスに向けることに一役買っているのは間違い無いだろう。俺が彼女まで完封してしまっていれば、少し結果は違うものになっていたかもしれない。反省すべきところの多い組手ではあったが、それがかえって良い結果を生むとは世の中わからないものだ。

それにエレミアの能力については、自身の身でその全力を受けたことで理解できたところもある。彼女自身は疑問に思っていないようだが、あの攻撃は紛れもなく俺の知るデータを逸脱したものだ。何故そんなことができるのか、そしてそれは俺にも可能なことなのか。考えるべきことは多い。


「しばらくは悩み事が尽きそうにないな……そういうわけでしばらく一人にして欲しいんだがね」


虚空に声を投げかける。すると、俺が入ったとの同じ入口付近から人影が現れた。高位の"過去の担い手"にのみ許された法衣を羽織ったエルフ──ナーエラだ。


「あら、お邪魔でしたか。でも悩み事であれば相談に乗りましてよ?

 今回の一連の事でもご助力いただきましたし、大変感謝しておりますの。私でお役に立てることがあれば、なんでも申し付け下さいませ」


そう言って妖しい笑みを浮かべるナーエラだが、彼女の手腕がひとかたならぬものである事は既に思い知らされている。こちらが利用しようとした力を彼女は利用し、他方面でこちら以上の利益を上げる。彼女のクラスがクレリックであることが疑わしいほど、交渉人として見事な実績だ。俺はそんな相手に悩み相談を持ちかけるほど怖いもの知らずではない。とはいえ、この場に現れた彼女をそのまま追い返しても意味がない。少しは口上に付き合うべきだろう。


「それじゃあエレミアの剣術のことについてでも教えてもらおうか。あれはヴァラナーに伝わる秘剣か何かなのか?

 俺が相手をしたエルフ達の誰と比べても異質な技法のようだから、一般的なものではないのだろうけれど」


俺との戦闘でエレミアが使用したのは"武技"と呼ばれる技術──日本語には翻訳されなかった『Tome of Battle』という後期サプリメントに記載された能力だ。だが彼女自身はその武技を使用可能なクラスではないし、手合わせした他のエルフ達にもその様子は見られなかった。ひょっとすれば言葉を濁されるかもしれない、と思いながら投げかけた問いではあったが意外にもナーエラはすんなりと答えを返した。


「さすがにお目が高くていらっしゃいますわね。確かにあれは我らヴァレス・ターンに伝わる秘奥──と、言いたいところなのですが。

 かつての英霊たちが上古の魔物達と戦うために編み出したその技法は、今や私達の中でも失伝しておりますの。

 対竜戦争と時の流れが私達から伝承者を奪い、今や〈武勇伝〉を知る以外に実際に武技を振るう者の数は片手の指にも満たぬほど。

 あの子は祖霊との合一を果たすことにより、その英雄の技を現代に蘇らせたのです」


穏やかな、そして寂しげな口調でナーエラは語った。なるほど、多くのヴァラナー・エルフ達がエレミアの元に集う理由の一つがおそらくはその武技なのだろう。英霊を蘇らせたことに抱く憧れ以外にその技術の伝承という実利があるのであれば、まさに誰もが彼女を放っておかないだろう。

だが、彼女の振るった力はそれだけではない。いかに強力な後期サプリメントととはいえ、お互いの命中と回避の間にあった差を埋めるほどのものではない。あの戦闘を見た観衆の中でもほとんどの者達は繰り出される剣閃の数に気取られて気付いていないだろうが、真に恐るべきはこちらの耐性そのものを切り裂き、かつ神懸かった先読みと洞察から繰り出されたその太刀筋そのものなのだ。


「なるほど、巨人の時代ではなく魔物の時代に振るわれた剣技か。そのころの伝承がヴァラナーにはまだ残っていると?」


一般的に巨人の時代、エルフはジャイアントの奴隷種族だったと言われているがそれは一部でしか無い。確かに奴隷として扱われていたエルフ達もいたが、それが全てではないのだ。実際には古代巨人帝国からの攻撃を打ち払い独立を保った恐るべき秘術集団も存在するし、巨人たちからの干渉を受けずにいた集落も多く存在する。大陸から脱出した集団の中に、そういった古代の伝承を継承したエルフ達が混ざっていても不思議ではない。


──其は神話の運命に語られし武器。月の光を束ねて鍛えられた、悪神を滅ぼすための剣。

 我々の伝承の中に記された、最も古く強力で、そして未だその目的を果たさず未完成とされる剣。

 私たちは祖霊の道を辿るその先に、自らこそがその剣たらんとしているのです」


神殺し。それはザンチラーが発した言葉でもある。それは彼女たちエルフに受け継がれている血脈のなせる業なのか。今はカイバーに封印されているオーバーロード達が暴れていた魔物の時代、確かにその上帝達は神に等しい力を持っていたのだろう。その力がエレミアに宿って今蘇ったということが運命だというのならば、それはその力を振るうに相応しい敵が現れるということに違いない。俺の脳裏に浮かぶのは奈落や地獄の君主、そしてそれを越える悪神たちだ。


「いずれ彼女が自身の運命と向き合う時が訪れるでしょう。それがどのようなものかは分かりません。

 ですが、できれば貴方にはその時にあの子と共にあってほしいと思っておりますわ」


こちらから話題を振ったにも関わらず、気が付けば会話は向こうのペースでしかも断りづらいお願いをされている。別に否やと言うつもりはないが、なかなかにやり辛いものだ。こうやって苦手意識を植え付けようとする考えがあるのかもしれないし、やり手の女性を相手にするというのはやはり疲れるものだと再認識させられた。


「その役割はどちらかというと代わってくれと言われるものかとばかり思っていたんだがね。

 今の彼女はヴァラナーにとっても至宝と呼べる得難い人物のはずだが、その隣に得体の知れないヒューマンの男を置いておいて構わないのか?」


先ほどのナーエラの話では、武技の伝承者がエレミア以外にも存在するという。祖霊崇拝はその血統を維持することを尊ぶことから純血主義に傾倒しているだろうし、つまらない横槍を入れようと考えるものは必ず現れるだろう。ジュマルのように軽い"話し合い"で済めば良いが、相手が貴重技能者で権威を振りかざすとなれば厄介だ。


「もちろん国内で騒ぎ立てる者たちもいるでしょう。ですが直接ご迷惑をお掛けする様な事にはならぬよう手は打ってあります。

 それに何よりも優先されるのは彼女の意思ですし、トーリ様の実力を疑うものはおりません」


言外に含ませた俺の意図を汲んで、既に対処済みであることをナーエラは淡々と語った。


「今日の勝負もその手の内の一つ、ということか。その様子だと特別席の観客にも満足いただけたみたいだな」


今日の戦闘は大勢のエルフが中庭とその周囲の建物の窓から見学をしていたのだが、その中に面識がなく突き抜けた実力のエルフが混じっていることは察知していた。こちらには気付かれていないつもりだったのかもしれないが、姿を隠す呪文は《トゥルー・シーイング》や《シー・インヴィジビリティ》を恒常的に展開している俺には効果がない上、アイテムでブーストされた俺の知覚力は10レベル以上格上の専門職だろうと容易に捕捉する。エピック級の相手であったとしてもアサシンなどの専門職でなければ、100メートル以内に侵入した時点で俺が気付かないことはない。


「──ええ、十分すぎるくらいですわ。ですが、その事については内密にお願いいたします。大騒ぎになってしまいますもの」


まさか気付いているとは思っていなかったのか。表情にこそ出さなかったものの、ナーエラの気配が一瞬揺らいだのを俺は見逃さなかった。彼女がそこまで慎重な対応をするエルフが誰なのかは、おおよそ掴めている。シャエラス・ヴァダリア大王。俺の知るデータではファイターとバードのマルチクラスで13レベル程度のキャラクターだったはずだが、随分とその知識からはかけ離れた存在のようだった。未だ実体を保っていることが不可思議に思えるほどの生命エネルギーの強さは、今まで見たどのエルフとも比較にならない(例外であるルーとフィアを除けばだが)。

間違いなく今のエレミアよりも高いレベルを有している上、ジュマルの件を考えればクラス構成も当てにならない。そんなVIPがわざわざ直接やってきたのは俺達が普段から《マインド・ブランク/空白の心》などの占術対策の呪文の効果で念視などに映らないためだろうか。含む所がないわけではないが、権力者のお墨付きが貰えたというのであればありがたい事だ。


「勿論、余計なことを触れ回るつもりはない。でも次回以降は余計なサプライズイベントは勘弁してくれよ」


ヴァラナーの船がターナダルを乗せて往復するのにかかる期間は二ヶ月ほど。その度に昨日のような100人組手を行うのは俺としても経験点の入手という点からは助かるが、そこに余計なしがらみが加わるのであれば話は別だ。


「それは勿論ですわ、出来るだけ余計な干渉が入らぬように致します──その上で次からは何かあるようでしたら事前に相談させて頂きますわ」


そう言って微笑むナーエラの表情を俺はまったく信用できないでいた。とはいえ楽してレベルアップしようというこちらの意図を咎められているような気持ちもあり、またそのイベントも最終的には俺やエレミアにとってプラスに働く結果に終わっているのだから文句を言うこともない。今はその匙加減や交渉術を盗み取るのが精々だ。仲間とは異なった立ち位置の、言うなれば同盟者──そんな油断のならない新たな隣人がストームリーチでの暮らしに加わったことを複雑な気持ちで噛み締めながら、俺は話を切り上げて再び中庭の宴席へと向かうのだった。



[12354] 幕間5.ボーイズ・ウィル・ビー
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/01/08 19:28
広く明るいホールの中央に、小さなテーブルが置かれていた。錨をあしらった布が1メートルほどの直径しかない丸テーブルを覆っており、それを囲むように5つの人物が椅子に腰掛けている。その広いスペースに対して少なすぎる人数は、一見部屋の雰囲気を冷たいものへと変えている。だが、テーブルの周りからはむしろ熱気が迸っているように見えた。


「以上が報告だよ。何か質問はあるかい?」


5人の中でもひときわ小柄な人物──女性のノームが言葉を打ちきると、太い腕がテーブルを叩いた。


「ふん。エルフもどき共の船が沈んだくらいの事、わざわざこの場で報告することのことではなかろう。

 それとも氏族長でもその船に載っていたのか? もしそうだというのなら祝杯の一つでも挙げてやるんだがな!」


大声でがなりたてたのは老年のドワーフだ。編みこまれた長い顎髭の白さと長さがその顔に刻まれた皺以上に彼の年輪を示しているが、鍛えられた肉体がその衰えに抗っており、その力が健在なことは着込まれたミスラルのチェインシャツを押し上げる筋肉の束が教えてくれる。ストームリーチがガリファー王国によって開拓された時からストーム・ロードとしての地位にあり、今年で260歳を迎えてなおヨーリック・アマナトゥはその覇気を減じていない。

彼の一家は元々ラザー公国連合での王冠を巡った争いに敗れてこの地に流れてきたのだが、その時代にはリランダー氏族の商船を幾度も獲物とし、その護衛船と激しい戦いを繰り広げていただけに彼の氏族のことを良く思っていないのだ。むしろ自身の宿敵と考えているほどであり、今しがた為された報告についても文句をつけながらもその口元を歪めて笑みを浮かべている。だがストーム・ロード達は一枚岩ではない。そんな彼と立場を対極とする者が存在するのだ。


「事はそう単純な話ではない。

 順調に回り始めた新航路にケチがついただけではなく、目と鼻の先でこう何度も船を沈められては我々の沽券に関わるというものだ。

 それともその老体同様、矜持まで枯れ果てたのかね? もしそうであるならそろそろ後進に家長の席を譲った方がいい」


ヨーリックに食って掛かったのはハーフエルフの男だ。その体の半分を占める妖精の血がその年齢を判別しがたいものにしているが、見るものが見れば既に壮年に差し掛かった人物であることに気づくだろう。5人の領主の中で、唯一その祖をこの地を荒らした海賊に持たない家系。ガリファー王国から4人の海賊王をコントロールするために送り込まれた私掠船団の船長の末裔。港湾地区に君臨し、しかし実務は自らが任じたハーバーマスターに任せ半ば隠遁の身にあるストーム・ロード、グレイデン・ウィルクスだ。

港に寄港する船舶から税金を徴収する彼からすればリランダー氏族は上得意先であり、また航路の安定も欠くべからざる要素だ。その感情面から、また利害関係でも彼の一族は古くからアマナトゥの一家と対立してきた。肥大を続ける古ドワーフの野心は、領主間のパワーバランスを均衡させることで街の維持を図る彼にとって放置できない問題なのだ。


「キリス、貴方の網に穴が開きでもしたのか?

 普段であれば調子に乗りすぎた傭兵くずれや船泥棒など、その気になった翌日にはこの街の港に首を晒していたはずだが」


グレイデンは報告を済ませて茶を啜っているノームの女性を促した。彼女も支配者たるストーム・ロードの一角、法と影を司る"セル・シャドラ"の家長なのだ。陰謀渦巻くノームの国家、ズィラーゴを出奔した彼女の持つ網は広く深くこの街に浸透している。それを評して彼女のことを"蜘蛛"と恐れる者達は多く、しかしその誰もがその巣の網自体を認識できないでいるのだ。街に蔓延る数多の犯罪組織も彼女の糸に繋がっており、その鮮やかな操作でシャーンから勢力拡大を期して乗り込んできた"ボロマール・クラン"を粛清した事はこの場の全員の記憶に新しい。だがその彼女の口からはそんな評判を裏切るような言葉が吐き出された。


「それがね、このストームリーチに踏み入った連中は水夫どころかネズミの一匹まで洗ったんだが、どいつもこいつも白と来たもんだ。

 つまりこの街の連中ではなく、他所からやってきた街のルールを知らないお客様ってわけさ。

 ご丁寧に補給も荷捌きもこの辺りでは行なっていないようでね、どうやらこの街に腰を据えたままじゃ手の届かない場所にいるようだよ」


キリスはまるでその事が楽しくて仕方が無いとでもいうように笑いながらそう告げた。


「……本当にそうなのかしら?

 大陸側からこの辺りまでやってきて、補給をせずに取って返すのでは相当に足の早い船でなければ水や食料がもたないわ。

 こちらの街から補給物資を積んだ船を出して、被害を装ったり海上で受け渡しを行なっていると考えたほうが自然じゃないかしら。

 ここ暫くで突然取り扱う船便を増やした連中なんかはその役割にうってつけではなくて?」


次いで口を開いたのはまだ年若い人間の女性だ。敵意に満ちた視線を隠さずにヨーリックに向けているその人物はパウロ・オマーレン。ストームリーチの開拓時、近海を支配していた海賊女王デレーラ・オマーレンの四代目だ。家訓として決闘で家長を決めるそのしきたりを勝ち抜いたことからも、彼女が若くして最もその偉大な開祖に近い才能の持ち主であることを示している。そしてその女領主は、この中で最もドワーフへの敵意に満ちあふれていた。

それは彼女の祖父が政争の末にヨーリックの手によって討たれ、その結果として彼女の一家の勢力を大きく減じることとなったことに起因している。その怜悧な双眸は目の前のドワーフを射ぬかんとばかりに向けられている。ヨーリック・アマナトゥはクンダラク氏族と深い関係にあり彼の氏族は金庫番という役割で知られているが、それは同時に錠前に最も深い造詣を有しているということでもある。あらゆる防護を掻い潜って送り込まれる暗殺者、それがこのドワーフの懐刀なのだ。そして十倍以上の長い生を送っている歴戦の老兵はその敵意など歯牙にもかけぬとばかりに平然と言葉を返した。


「そういえば貴様のコレクションしているあの鉄クズども──ウォーフォージドであれば水も食料も必要とせんだろうな。

 血の代わりにオイルが流れているのなら食い扶持をあてがってやる必要もないわけだ。貧乏人らしい苦労だな!」


兵権を司り、ストームリーチ・ガードのほぼ全てをその支配下においているアマナトゥに対抗するためにオマーレンは懇意にしているカニス氏族とのコネクションから多くのウォーフォージドを私兵として抱えることに成功していた。最終戦争が集結したことで行き場を失った"戦の申し子"達は自らの能力を活かすことの出来る場を求めており、彼女はその受け皿として彼らをこの街へと招いたのだ。さらに彼女はこの街におけるデニス氏族の責任者であるグレイゴール卿と愛人関係にあり、その戦力を自己の影響力下に置こうと画策している。アマナトゥとオマーレン、それはこの街で最も危険な火薬庫であり、其処に火がつく日は遠くないと誰もが考えている間柄なのだ。


「その辺りにしておこう。唾を飛ばして言い争いを続けても酒が不味くなるだけだ。どうせ喉を乾かすならもっとマシな手段があるだろう」


二人が言い争う様を見て、人間の男がため息を一息ついてから仲裁に入った。ヴァレン・ラシート、この中で唯一他のストーム・ロードと敵対的な関係を持たない中立の存在だ。彼は月に一度、ここ"ストームヘイヴン"の会議場で行われる領主たちの会合において毎度同じような役回りを務めている。オマーレンとアマナトゥの確執は彼が先代から家長を継いだ頃からの因縁なのだ。今は引退して趣味の醸造業に専念している先代はこの役目を嫌って自分に押し付けたのではないかと考えるようになったのは随分と前のことだ。


「ここで意見をぶつけあっても良い結果は生まれないだろう。

 新航路にケチがついたのは残念だが、遅かれ早かれ蜜の味に惹かれて虫どもが集まってくるのは予想していたことだ。

 私としてはこれを機に、一気に近海の掃除をしても良いのではないかと思うがね。

 この季節の羽虫は鬱陶しい。害虫を退治することは領主たるものの勤めだ、そうだろう?」


彼の視線が残る四人を突き刺すように移動していくと、ヨーリックは大きく口を歪めて笑みを作る。レディ・オマーレンはその双眸を閉じて瞑目し、セラ・シャドラはその小さな身体をせいいっぱいに竦めてやれやれと首を振った。グレイデンは静かに首肯することで同意を返す。その四人の反応をじっくり見極め、再び調停役たるヴァレン・ラシートが口を開く。


「皆にも異論はないようだね。ならば"協定"に則って細部を詰めようじゃないか。

 面倒事は他にもあるんだ、とっとと片付けてとっておきの極上のカーイェヴァで喉を潤そうじゃないか」


ガリファー王国がかつてこのストームリーチの開発を決定した際に、5人の領主にそれぞれの役割を割り振った"協定"は未だ彼らを縛っている。だが主を失った戒めは既に半ば以上に朽ちており、領主たちはいつでもそれを振りほどくことが出来る。それをしないのは偏にそれは他者が自身を攻撃する口実になると信じているからである。最も強大とされるアマナトゥを持ってしても、他の2家を相手にしては苦戦を強いられるだろう。かつてのオマーレンが四家を敵に回して伍していたのは過去の話。いまや彼らはいつか訪れるその時に備え、様々な表情をその顔に貼り付けながらも水面下で多種多様な手を伸ばしていた。導火線はいたるところに伸びており、そのどこに最初に火が点くのかは彼ら自身にも見通せないままに。









ゼンドリック漂流記

幕間5.ボーイズ・ウィル・ビー








鳥の囀りを耳にしながらカルノは目を覚ました。今日は鍛錬や当番が休みの完全な休日であるにも関わらず、習慣でいつも同じような時間に目が覚めてしまう。魔法具によって過ごしやすい一定の気温に保たれた室内では温度の変化から時間の経過を判断する事は出来ず、間取りの都合から日差しの入りづらい部屋であることもあって頼りになるのは自身の体内時計のみだというのに、慣れというのは凄いものだと思う。

暫く前までは暑く暗い地下の下水で外敵に怯えながら断続的に睡眠を取ることしか出来なかった事に比べれば、今自分たちが置かれている環境はまるで天国のようだ。カルノの仲間たちも最初は夜に魘されたり目が覚めてしまって眠れないといった事があったのだが、今はすっかりとここでの暮らしに順応してしまっている。

シャワールームに繋がる洗面所(なんとここでは部屋ごとにシャワールームやトイレが備えられている!)で顔を洗い意識をはっきりさせたころには、同室の3人も目を覚ましたのか寝具から体を起こし始めていた。チュニックとズボンを着替えた後でまだぼやっとしている一人を寝具から引き剥がす。


「ほらギル、今朝は家事当番だぜ。朝食の準備に遅れるとまたクリスがうるさいぞ」


少年組の中でも一番年下の少年をそうやって洗面所に放り込んだ次は、寝具を折りたたんで洗濯物と一緒に廊下に出していく。そうすれば食事の後で家事当番のチームが回収してくれるようになっているのだ。向かいの部屋と隣の部屋の仲間たちも起きだしたようで、それぞれの部屋の年長組がドアを開けて洗い物を廊下へと出し始めている。


「おはよう、カルノ。今日もいい朝ね」


向かいの部屋の扉から顔を出して、少女が挨拶をしてきた。エルフの血が薄く混ざった彼女はやや背が低いものの、しっかりとした性格で少女たちを纏めているサブリーダー的存在だ。カルノやこの少女も元は捨て子だった所を、この街に数あるストリート・チルドレンのグループに拾われることで生き延びてきた。当時彼らを拾った年長組は既に何度と繰り返された縄張り争いなどで命を失っており、いまやこの2人が最年長となっている。

『竜の公子』の怒りが街の区画を一つ滅ぼした際に発生した争いは特に激しいものであり、力のない最年少組や荒事を担当していた少年組から多くの犠牲が出た。それによって彼らの仲間は10歳から13歳の少年少女16人にまでその数を減らしていており、この屋敷に拾われなければ遠からず全員が薄暗い地下道で骸を晒すどころか骨も残さずに平らげられてしまっていただろうことは想像に難くない。


「おはよ。そうだな、今日も天気は良さそうだ」


カルノが挨拶を返した目の前の少女──ローゼリットはその時に切掛となった高次秘術の巻き起こす破壊を目撃して生き残った運の良い生存者であり、いまはカルノと共に秘術を学ぶ生徒同士だ。とはいえ前衛としての戦闘訓練も行なっていわば二足のわらじを履いているカルノと違い、彼女は訓練を秘術一本に絞っている。既に入門の初等呪文である《ディテクト・マジック/魔法の感知》を成功させるなど適性の高さも見せており、先生であるハーフエルフのメイからも筋の良さを褒められていたのは記憶に新しい。もっか秘術分野における競争相手だ。

身支度を整えたギルが食堂に向かって走り抜けていくのを横目に、朝食の時にまたと挨拶を交わしてそれぞれの部屋に戻るとカルノは棚に置かれた本を取り出し、クッションの上に腰を下ろして読み始めた。休養日とはいえ自分が同じ班の皆に比べて習熟が遅いことは判っており、生来の負けん気の強さがその現状を良しとしないため最近は時間があればこうやって自習に充てることが多くなっていた。戦闘の訓練と同じく秘術の訓練も反復することで体に──この場合は脳に──覚えこませることが重要なのだ。自分の裡にある未生成の魔力を集め、本に描かれた秘術回路に精製する作業に集中する。意識した回路が目を閉じても瞼の裏に焼き付くようになるまで、何度も何度も繰り返す。それは朝食の用意が終わったとギルが彼を呼びに来るまでの間、ずっと続けられた。





「今日の一日の恵みをアラワイ様、そしてソヴリン・ホストの神々に感謝して──」


挽いた小麦に刻んだ果物を加え、水とハーブを混ぜて焼かれたパンケーキが甘い匂いを放っている。その他にも食卓には様々な野菜や果実が並んでいた。平穏を取り戻したセルリアン・ヒルはかつてのように新鮮な食材をストームリーチへと提供し始めている。特に港湾地区で行われる朝市にはストームリーチ中の料理人が優れた食材を求めて押しかけており、もぎたての木苺や林檎などが果樹園から運び込まれている。この家の食卓もその恩恵に与ったおかげだ。近くにある酒場の主人に仕入れの一部を分けてもらう契約を結んでおり、やり手のハーフリングの目利きに適った良品を毎朝家事当番の子供たちが受け取りに行っているのだ。

そのあたりの段取りをあっという間に整えてしまった家主は食卓のテーブルにその姿がない。彼は先日布告された海賊の討伐令を受け、北部の島にある海賊たちの屯する港へと単身乗り込んでいったのだ。聞いたところでは無頼達の参加する競技に飛び入りで参加して優勝をもぎ取っただとか、海賊の墓に巣食っていたトログロダイトを蹴散らした上で亡霊となっていた海賊を倒して財宝を奪ったりと随分と暴れているらしい。半年前、お上りさんよろしく港の方から歩いてきた男の事だとはとても信じ難い話だ。

だがその男の気まぐれが彼らを拾い上げ、今の暮らしを与えているのだ。身に着けている衣服から今口にしている食事、そして安全な寝床。少年が自分の力で得たものは何一つ無い。だが怠惰に流されるということはない。厳しい訓練がその身を律しているからだ。朝食を終えると家事当番と休暇組を除いた面々はそれぞれ決められた場所へと向かい、鍛錬を始めていく。だがその表情に暗いものはない。各個人の適性を見た上で希望を聞いて割り当てられた訓練の内容は彼ら自身にも納得がいくものであり、非力故に居場所を失った自分たちが力を得るために必要なことだと皆が理解している。

そんな仲間たちの後ろ姿を見送った後、カルノは一人階段を登る。二階に上がってすぐに見えるのは書庫兼作業部屋の扉だ。扉を開けると、更にその内側には小部屋がいくつも並んでいるのが見える。そこでは家主が作成した小さな職人たちが、主の作業を引き継いで魔力の付与を行なっているのだ。50cmに満たない、三頭身の小さな人形にも見えるその職人は主にアーティフィサーと呼ばれる技術者達が自らの血を混ぜ込んで作成する人造──ホムンクルスだ。

主と魔法的に繋がったその人造達は魔法の効果を道具に焼き付けるために必要なもののうち、"時間"を肩代わりしてくれる存在だという。ある時一気に作成されたそのホムンクルスの数は20体ほどもあり、それらはこの小部屋から滅多に出ることもなく忠実に作業を続けている。


「今日も来たのか。勤勉なのは何よりだが、たまには羽根を伸ばすことも必要だぞ。

 休息は凝り固まった思考を解きほぐし、知識を受け入れる柔軟な素地を養ってくれる。水を撒きすぎても草木は繁るどころか枯れてしまうものだ」


人影のない室内に響いたのは紛れも無い共通語による言葉だ。声の元へ少年が視線をやると、そこには薄暗い室内でなお暗い影を塗りつぶしたかのような漆黒の大鴉が止まり木にその体を休めている。この屋敷の最も新しい住人はカルノの秘術の師が最近招来した"使い魔"だ。彼女はこの砕かれた大地に残された古代のエルフの秘術の残滓を研究の末に束ねることに成功し、今までは不得手としていた分野の呪文系統についてもその身に修め始めた。その幅広い知識と遥か高みにある技術は教えを請う身としても頼もしい限りだ。だがその使い魔であるこの鴉は主に似ず説教臭い上に理屈っぽいところがあり、カルノは苦手としていた。今よりもっと昔、食べ物を争って鴉の群れとやりあった苦い記憶の影響もあるのだろう。10歳程度の子供にとっては、鴉は一匹でも十分な脅威足り得たのだ。


「大丈夫だよ、昨日もちゃんと寝たし充分すぎるくらい休んでるさ。

 それより早く開けてくれよ。忘れない内にこの間の続きを読みたいんだからさ」


そういった意識もあってか、はやく用件を済ませたいカルノは手短に要求を突きつけた。大鴉はそんな少年のことを暫く値踏みするように見つめていたが、しばらくすると諦めたかのようにその嘴を開いた。


「我が言っているのはそういう意味ではないのだがな……

 まあ土を腐らせるようなことになる前には主が止めるであろうから、その時は大人しく言うことを聞くのだぞ。

 暫し待て、今望みの本を取ってこさせよう」


鴉がそう言うと不可視の存在が奥の扉につけられたノブを回し、ゆっくりとその扉を開いた。《アンシーン・アーヴァント/不可視の従者》が使い魔の手足となってこの区画の整理や掃除などを行なっているのだ。この部屋は価値の高いものが多く置かれていることなどもあって罠も数多く仕掛けられており、手入れするにも高い秘術等の知識を必要とする物も多い。そのためカルノ達はこの部屋の掃除をすることはないのだが、その役目をこの大鴉が代わりに勤めているのだ。使い魔は知識や技能を主と共有しており、主が多忙な際は授業を代わりに受け持つことがあるほどだ。魔獣として覚醒した使い魔は人間並みの知力を有している上、さらにこの鴉はその足に知性を強化する魔法の指輪を嵌めているため初等の秘術の教師としては十分な能力を有しているのだ。


「ほら、先日の呪文書だ。前回同様ここからの持ち出しは禁じておるから、その空いている小部屋を使うといい。

 昼時には合図してやる故、専心することだ。どうせやるなら徹底的にやってみせよ」


大鴉が従者に呪文書を差し出させ、さらにその止まり木の幹部分を嘴で何度かつつくと居並ぶ小部屋のうち一つの扉が自動的に開く。広めのテーブルの前に置かれた椅子にカルノが座ると、扉は音もなく閉じた。分厚い壁と重厚な樫の木の扉で閉鎖された小部屋は外界の音を遮断しており、集中するにはもってこいの環境だ。呪文書を開き、朝方焼き付けた秘術回路を意識しながら自らの内部へと意識の手を伸ばす。そこには確かになんらかのエネルギーを感じる。だが、それは手にしようとしてもするりとすり抜けてしまう。未熟な少年の言葉と動作がかみ合っていないためだ。

だが彼は諦めずに何度も何度も試行錯誤を繰り返す。もはや少年の意識にあるのは自らの裡のエネルギーとそれを汲み出す動作、言葉だけとなる。まるで目の荒い網で狙った砂粒ひとつを拾い上げようとするような感覚。だが長い挑戦の果て、ついに歯車が噛み合う時が来た。エネルギーを掴み取ることで湧き上がるような理解が心を満たしていく。その感覚のままに腕を振り、"力ある言葉"を口にすると突如視界が啓けた。

魔法のオーラの存在が知覚できる。それは初めはぼんやりと存在を意識できるだけだったが、徐々に鮮明さを増していく。直前まで意識していなかった目の前のテーブルや呪文書の装丁、羽根ペンなど様々な物が防御術や変成術といった種類や強度の異なるオーラを放っていることが理解できるのだ。まるで視界に一枚別のフィルターが被せられているかのようだ。だが間もなく《ディテクト・マジック/魔法の感知》の発動に成功したということを理解したことでカルノの心を興奮が揺さぶり、精神集中が乱れたことで術は効果を失った。視界は元に戻り、テーブルや調度品は再び無色の沈黙に沈んでしまった。

しかしそれでもカルノは飛び上がりそうな達成感に包まれていた。ついに呪文の発動に成功したのだ! 第零階梯という初歩の初歩、見習いが最初に学ぶ呪文ではあるが、今まで手応えすら感じることの出来なかったものを成功させたことは彼にとって非常に大きな一歩だった。先ほどの手応えは確かにカルノの中に残っている。

だが、それを試すには既に彼の中のエネルギーが不足していた。見習いにようやく足がかかった程度の彼が一日に準備できる呪文の数はこれ一つだけ。次の挑戦は休息を挟んだ明日に持ち越す必要がある。ずっと集中して張り詰めていた緊張が解けたことで、一気に疲労感が押し寄せてきたのを感じて思わず溜息が出た。だが、それすらも今は心地よい感覚だ。そうやって一息ついた後で、再びカルノは呪文書をめくり始めた。次はどの呪文に挑戦しようか。その吟味は大鴉が扉を開き昼食を告げるまでの間、ずっと続くのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




うさぎのシチューに焼きたてのパンという昼食をとった後、カルノは屋敷の外に出ていた。真夏は既に過ぎたといっても赤道近くに位置するストームリーチの日差しは凶悪だ。特に気温が調節された敷地から出た瞬間は、体を包む熱気に意識を漂白されそうになる。建物のつくる影を渡るようにして歩き、太陽から身を隠しながら街並みを進む。港湾地区に通じる大門をくぐり、倉庫区画を背にしてハーバーマスターの屋敷を横目に『志願者の広場』の手前までやってくると同じくらいの背格好をした少年が隣までやって来た。そのまま連れ立って歩き、カルノは広場の隅の日陰に置かれているベンチに腰掛けた。もう一人の少年もその隣に並ぶように座った。


「何か変わったことはあるか?」


カルノが椅子の上に滑らせるようにして銀貨を何枚か飛ばしながら問うと、それを流れるような動作で拾い上げてもう一方の少年が答えた。


「冒険者が海賊刈りに夢中になって大勢出ていったけど、最近増えたエルフの一団がこの辺りの仕事を片付けているから大した変化はないな。

 元からこの街にいる密輸商人たちはコインロードのえげつなさを知っているし、当分は大人しくしてるだろうさ」


この少年はかつてカルノがこの辺りに縄張りを持っていた頃に協力関係にあった別のストリート・チルドレンのグループの一員だ。当時のカルノ達より幾分か恵まれた環境にあったこのグループはメンバーの多くがこの区画の様々な商店などに下働きとして雇われており、幅広い活動を行なっている。もう少し年長のグループが縄張りを超えて彼らの仕事を奪おうとしてきた時にその排除に協力した頃からの縁だ。

こういったグループが港湾地区には10ほども存在している。大人たちの犯罪組織の縄張りの隙間を埋めるように、力ない者たちが寄り集まって生活しているのだ。ものによってはその犯罪組織の下部組織のようになっているところもあるが、今カルノが接触しているグループは比較的真っ当な仕事を生業にしている方だ。


「エルフについてはこの辺りじゃ人気者だぜ。砦を建てるだとかで荷運びの仕事は増えたし、人が増えればガイドの仕事にありつける。

 買い物客としても羽振りがいいし、わざわざ腕利きとわかってる戦争好き達に喧嘩をふっかけようだなんて連中もいない。

まあその辺りの事情についてはお前のほうが詳しいかもしれないな」


相手もカルノが今どうしているのかについては把握している。一夜にして家を築いたバード、さらに最近名を挙げてきた冒険者のところに子供が住み込んでいることは特に隠しているわけでもなく知られていることだ。短絡的な相手であればその身柄を攫ってしまおうと企むこともあるだろう。だが既にそれを実行した犯罪組織が一夜の内に全員が行方知れずとなり、さらに屋敷に侵入を試みた盗人が誰一人帰ってこないとなれば話は別だ。不確かな実入りを求めて命を賭けるにはリスクが高すぎると、今や誰もが考えている。

今カルノが接触しているグループにもそういった不審な動きはない。それが義理によるものか、定期的に金銭のやり取りをする関係を維持することによる利によるものなのかは不明だが、無駄に争わないに越したことはない。そしていまカルノの隣に座る少年は、指を一本立てていた。周囲を確認し、視線が集まっていないことを確認して金貨を一枚滑らせると再び相手が口を開く。


「海賊に襲われる商人の件だけどな、どうも随分と運に偏りがあるみたいだ。立て続けに船を沈められる奴がいる一方で、その逆の奴もいる。

 航路に不安があるおかげで無事に荷揚げ出来た船の売上は随分と好調らしいし、まさに天国と地獄ってやつだぜ。

 『きまぐれ海老亭』で酒を飲んでる商人連中の顔色は蒼白か興奮した赤ら顔の両極端って話だ。ここらでそのうちデカイ動きがありそうだな」


そう告げると少年は立ち上がり、軽く腕を振ると広場から立ち去っていく。その背中が角を曲がって見えなくなるまで見送ってからカルノも腰を上げる。そして今聞いた内容を反芻しながら歩き始める。情報の精度や質などにはカルノは頓着しない。これは噂話程度でいいからなんでも話を集めてきて欲しいという家主の要望に沿った契約だからだ。集めた情報の精査はカルノではなく家主が行うことになっている。とはいえこれも訓練の一環であると彼は考えており、雇用主には全ての情報をありのままに伝えるとして、その上で自分の中でも整理・分析しておくことが習慣になっている。

その後も何人かのストリート・チルドレンから情報を買い、支払わずに余った情報料を夕市で果物などに替えて帰路につく。屋敷の間近にあるジョラスコ氏族の管理する空中庭園に辿り着くと、人気の無い地下の庭園へと向かった。そこでは日差しを必要としない種別の薬草などが植えられているのだが、カルノの目的は勿論鑑賞などではない。草木で覆われた壁面の一部に、鉄柵で覆われた地表が露出している。その鉄柵の一部を持ち上げるようにしながら引くと、その奥にある地下構造物への入り口が現れる。そこはかつて"デッド・ホール"と呼ばれていた古い墓場で、アンデッドの巣窟として知られていた。

今は既に彼の家主の手によって不浄の存在は一掃され、二度とアンデッドが生まれないように《ハロウ/清浄の地》の呪文で浄化されている。かつては石棺が並んでいたその暗闇の奥に向かってカルノが口笛を吹くと、しばらくして何か小さな生き物が動きまわる音が聞こえてきた。犬のような顔は毛の代わりに鱗で覆われており、頭には小さな角が生えている。爬虫類にも見える小型の人型生物、コボルドだ。暗闇を見通すその瞳をキラつかせながら、その小さな生き物はカルノへと駆け寄ってきた。


「よく来た! ホワイトテイルはお前を歓迎する!」


犬が吠える時のような甲高い声でコボルドは辿々しい共通語を発すると、カルノが抱えた果実の収まった包みが気になるのか鼻を近づけてスンスンとその匂いを嗅ぎ始めた。部族のトレードマークらしい白い斑の浮いた短い尾は機嫌の良さを示すようにぶんぶんと振られている。その様子を見てカルノはその包みをコボルドへと押し付けた。


「ほら、差し入れだ。こんな地下じゃ果物は手に入らないだろ、みんなで食えよ」


カルノのその言葉に反応して、さらに奥から数体のコボルドが現れる。彼らはたちまち袋の奪い合いを始めるが、袋が破れて中身の果実がこぼれ出すのを見ると大慌てで落ちた果物を拾って奥へと引っ込んでいった。きゃんきゃんと吠えるような声で話される竜語がカルノのいる入り口まで響いている。そんなコボルド達を見送って、残ったコボルドがカルノに向き直った。


「あー、ホワイトテイルは礼をいうよ、ケ、カ、カル?」


「カ・ル・ノ!」


「おお、そうだ。カルノ! 今度こそ覚えたぞ。そのうち採れたての茸を持っていく。楽しみにしているといい!」


このコボルドの群れは家主がアンデッドを掃除し、《ハロウ》を張り巡らせて暫くしてからこの地下墓地跡にやってきた部族だ。ある程度数を増したコボルドのコミュニティは分裂し新たな居住時を求めて旅立つのだが、彼らは自分たちの新居をこの地下墓地跡に定めたというわけだ。

勿論この新たな移住者についてどうするかは主に庭園を管理するジョラスコ氏族にて議論がなされたが、最終的には管理者の居ない構造物は荒れ果てて危険なクリーチャーが住み着く恐れがあるということで彼らの討伐は見送られた。これには彼らホワイトテイル族の肌の色も強く関係している。

この世界のコボルドは始祖竜の子孫であると自称しており、気性や生活様式などもそれぞれに分かれている。肌の黒っぽいイーヴィール・コボルドがカイバーの子孫であり悪属性に偏って人間社会にも害を与えているのに対して、この肌の色の淡いイレダール・コボルドはエベロンの子孫でありその性質は中庸だ。イレダール・コボルドであるホワイトテイル達はこの街の住人として認められたというわけだ。彼らは与えられた地下区画を管理しながら、秘薬の原料となる茸などの栽培を生業として生活を始めている。主な取引先はジョラスコ氏族、そしてカルノの屋敷の住人達だ。

実はこの地下区画はその奥が屋敷の直下まで伸びており、管理をどうするかは家主も考えていたところだったらしい。緊急時の脱出路として使う等いくつかの案はあれども、いつの間にかウーズなどの危険生物が住み着かないとも限らないため、友好的な隣人が住んでくれるなら管理の手間が省けるというわけだ。そういうわけで暫く前からホワイトテイル族に対して主に食料や資材の提供という形で援助を行なっている。

家主が留守にしている間は、その役目はカルノが引き受けているというわけだ。最初はおっかなびっくりだったカルノだが、まだ小さな子供コボルドがまるで犬のようにはしゃぎながら果物に齧りついたり転げまわったりしているのを見ている内にすっかりと慣れてしまっていた。


「まあいいけどさ。なにか困っていることがあるなら伝えておくけど。変わったこととかは無い?」


ここの地下墓地はある程度独立した構造になってはいるが、それでも小さな穴などで他の地下部分や地上と繋がっている。空気や水の流れがそうやって生まれているのだが、時折その穴を通じて粘体等の侵入者がやってくることがあるのだ。コボルド達はトラップ作成の名人であり大抵の場合は仕掛けで燃やしたり叩いて潰したりすることで対処しているのだが、移住してすぐの頃は資材の不足で罠作りもままならず何人か怪我人を出していたこともあったのだ。


「大丈夫だ! ねばねばした奴らも最近はこないし、近くの川で魚も採れるぞ。茸もよく育つし、ホワイトテイルはとても満足してる」


彼らがいう川とは、ストームリーチの街を囲むように支流をなしているコロヌー河のことだ。他のゼンドリックの沿岸部同様、この街も港湾地区を除けばまさに断崖と呼べるような崖で水面からは隔離されている。多大な労力を掛けて地面を掘り下げ、かろうじて船が接舷できる程度の波止場を設けている箇所もあるが、この《レスパイト》の区画にはそういった場所はなく崖から水面までの高さは20メートルほどもある。

彼らコボルドはその小さな体で絶壁を登攀し、水面までいくとそこから小さな槍を使って魚を仕留めているのだ。河口付近のため流れはそれほど速くはないが、万一高所から落下すれば衝撃で意識を失いそのまま溺死する危険もあって街の住人でそのような真似をするものはいない。そもそも獲物を狙うのであれば港から小さな船を出して釣りをするのが一般的だ。狩場を奪い合う競争相手は皆無といっていい。


「そっか。んじゃ今日はこれで帰る。またな」


地下庭園の天井から差し込む光の加減から随分と日が傾いていているのを察したカルノは、雑談を切り上げてコボルド達の住処を後にした。手には土産として渡された魚の干物を包んだ革袋を持っている。そろそろ帰らねば夕食の時間に間に合わない。今から帰ってもメニューに一品加えることは出来そうもないが、彼の師の一人には酒の肴としてこの手の食材を好む人物もいる。それ以外にも身を細かく刻んでスープにしてもいい。ともあれ、手ぶらで帰るよりは心証も良いだろう。




† † † † † † † † † † † † † † 




夕食も終わり、日が沈んですっかりと暗くなった夜。カルノは一人中庭に佇んでいた。天候が崩れる前兆か、分厚い雲が天を覆っており月や星の光を遮っているため周囲は全くの暗闇に包まれていた。ともすれば二本の足で支えている上体の平衡感覚を失いそうになるその状態で、少年は利き腕で逆手に剣を握っていた。その瞳には目の前の暗闇ではなく、記憶の残響が映しだされている。

何ヶ月も前、倉庫区画で遭遇したオーガとそれを一太刀で屠ったドラウの少女の戦い。何倍もある体格差を物ともせずに敵を一蹴したその攻撃、その基盤となる純粋な剣技をカルノは何度も記憶の中で反芻してきた。攻撃を仕掛ける前の構えはどのようなものだったか。そこから動き出すに際して記憶の通りに体を動かすにはどうすれば良いのか。武器の扱いに慣れてから毎晩、こうやって少しでもあの時の動きを模倣しようと試行錯誤している。そうやって鍛錬している間に頭に浮かぶのは、この屋敷に住み始めてしばらくした頃に家主と交わした会話だ。





「なあ、良かったら教えて欲しいんだけど。どうして俺達にここまで良くしてくれるんだ?」


食事が終わった後の食堂で、魔法の竪琴を爪弾いている男と二人きりになったのを切掛にカルノは気になっていた質問を投げかけた。最初は金持ちの道楽で私兵として鍛えるつもりなのかと思ったのだが、暫く一緒に暮らしてみてそうではないと判断した。思想的な教育は一切行われず、訓練への参加は各自の意思に任されていて三日に一度の家事当番さえ行なっていれば毎週給金が支払われる。普通に考えれば逆にこちらが金を払わなければならないような環境だ。

自分たちの訓練を効率化するためといって設置された魔法の仕掛けの価値は相当なものだろうし、指導を行なってくれる同居人達はまさに伝説に出てくる英雄のような技量の持ち主ばかり。天国でもここまでは望めまいと言うほどの環境だけに、それを与えた存在の意図が気になったのは仕方ないことだといえるだろう。


「どうして、か。そりゃまたややこしい質問だな」


問われた男は弦を弾くペースを緩めて思案顔になった。音が絶えぬように一定間隔で指を動かし続けているのはおそらくそれが魔法の儀式の一環だからなのだろう。この屋敷自体が魔法の竪琴を用いて一晩で建てられたという話はカルノも聞いていた。ならばいまこの時も竪琴を通じて改装や手入れを行なっていても不思議ではない。そうやって男の様子を見ていると、暫くの後にその口が開かれた。


「最初は同情だな。屋敷を建てたはいいが、手入れのためには人手が必要だ。呪文で片付けることはできるが、長い間家を空けることもある。

 かといって外部から人を雇うのは色々とややこしい。それなら妙な縁もあることだし、お前たちを雇ってしまえばいいだろうと考えた」


男の人差し指が弦を弾くと振動が共鳴胴へと伝わり、柔らかな音が食堂に響き渡った。


「戦い方を教え始めたのは興味本位だ。

 お前たちくらいの年齢から本格的な訓練をはじめてどれくらいでモノになるのか、個人差はどれくらいあるのか。

 そんなことが気になったんだ。他の皆が乗り気になった理由はわからないが、俺の理由はそんなものだよ」


言葉が終わると再び弦の震えが周囲を満たした。


「それにしちゃあ随分と俺たちに手をかけてくれたみたいだけど。あの怪我や疲労を直してくれる装置や魔法の指輪とか結構な値段だろ?」


魔法のアイテムの価値は金貨千枚単位。そのくらいのことはカルノも知っている。確かに家賃と称してブラッドナックルとかいうオーガが使っていた魔法の武器を渡したがそもそもあれはドラウの少女が倒した敵の持ち物でカルノの財産といえるものではないし、それだけで訓練に使っている品々の費用が工面できたとはとても思えない。そして返って来た返事は少年の度肝を抜くものだった。


「そうだな、例えばあの指輪は一個で金貨5万枚分だ。普通に暮らしてれば一生かかっても買えない値段だろうな」


金貨5万枚! いまの彼が1日まっとうに働いても銀貨1枚が精々で、それでは石のように硬いパンと雑巾を絞ったようなスープ、そして口直しのエールを1杯飲めば無くなってしまう。手に職をつけて働く場所に恵まれれば1日の稼ぎは金貨1枚、しかし生活のことを考えればよほど切り詰めても半分と残らない。果たしてそれだけの数の金貨を稼ぐのにどれだけの時間を要するか、少なくともまっとうな手段では手が届かないであろうことしか少年には解らない。


「まあ使ったら消えてなくなるってわけじゃないし、滅多なことで壊れるもんじゃない。その代金を請求しようだなんて考えてないから安心しな。

 で、なんでそんなものを使わせたかというと……そうだな、さっきの興味っていうのも勿論あるが、次は情だな。

 長い時間を一緒に過ごせばそれだけ情が移る。ちょっと手を貸してやったところで大して懐が痛むわけでもない。

 こんな稼業を続けていれば、いつ何時ここに帰ってこれなくなるかはわからない。

 甘やかした後に放り出したせいで野垂れ死なれたんじゃ気分が悪い。だからそれまでは手に職つけてやろうと思ったのさ」


相変わらず竪琴に目を落としながら男は語った。


「そういう意味では、剣の扱いよりは呪文を学ぶことに専念したほうがいいと俺は思うけどな。

 どっちが先に身につくかといえば剣だろうが、それじゃその後も体を張っていかなきゃならない。

 秘術は初歩とはいえ使えれば危険を冒さずに生計を立てることが十分に出来る。

 せっかくある程度までは呪文を発動できる素養はあるんだ、あれもこれもと手を伸ばしていちゃあ大成は難しいぜ」


そこまで語ると男は再び弦を弾くペースを上げた。話は終わったという意思表示なのだろう。だがカルノはその音を掻き消すように不平を告げた。


「なんだよ、兄ちゃんがそれを言っても説得力ないぜ。武器を使ったらエレ姉より強くて、秘術の腕も相当なんだろ?

 俺もそんな風になりたいって思っちゃ悪いのかよ」


流れる音楽のトーンはその少年の声を受けて再び緩やかにその調子を戻した。その竪琴の主は視線を天井あたりに向けながら、記憶を掘り出して言葉を紡いだ。


「そうだな、エルフの太古の技術を汲んだ"ダスクブレード"っていうのは武器と秘術の扱いを融合させたスタイルだ。

 ジュマルってエルフを覚えてるか? 彼がその技術を下敷きに独自の秘術の研鑽を積んだタイプだな」


だがその言葉は少年には物足りなく感じたようだ。不満そうに口を尖らせる。


「ジュマルって人のことは覚えてるけどさ。それってそうやって鍛えても兄ちゃんには勝てないってことじゃないの?」


あまりにもバッサリと斬り捨てたその物言いに、男は竪琴を爪弾く手を止めて苦笑した。


「そうはいっても、系統の異なる複数の技術を束ねて昇華させるってのは並大抵のことじゃないぜ。

 単にそれぞれの技術を使えるってだけじゃなく、それを組み合わせてより高い効果を出せるようじゃなきゃ意味が無い。

 よっぽどの才能と適性がなけりゃ、いくら努力しても報われない。

その年齢までこの街で生き延びてきただけあって一般人に比べれば素地は高いほうだろう、だがそれでも随分と分が悪いと思うぜ」


年長者は忠告したが、しかし少年の熱意を冷ますには至らなかったようだ。カルノは気勢を削がれることなく言い募る。


「それは逆だぜ。そんな目標だからこそ『やってやろう』って気になるんだ!

 だいいち、俺達みたいなのに今みたいなチャンスが次にいつ訪れるっていうんだ?

 ここぞと思った時に有り金を全部賭金に突っ込んで勝ちをもぎ取ってなきゃ、俺達はとっくに死んでるよ。

 だから興味本位の実験台でも構わないから、俺に出来そうな事があるなら教えてくれよ。

 10倍努力が必要だってんなら努力するだけだ。賭けが外れてもそれは俺の責任だし、絶対に文句は言わない」


その言葉が口先だけのものではないことを示さんとばかりに、真剣な瞳でカルノは目の前の男を見つめた。音の絶えた食堂で視線が交差すること暫し、再び男が溜息をついて竪琴の弦をその指先で弾いた。一度演奏が途切れたことでその宿していた魔法の力は既に失われていたが、それを除いたとしても一級品の楽器としての役割をもったその竪琴は軽やかな音を響かせる。


「その負けん気の強さは俺には真似できそうにないな。いいぜ、それならこれからテストをしよう。

 それに合格すればその無茶な希望に向けて俺なりにサポートしよう──」





その出された課題が、今カルノの行なっている自己鍛錬に関わっている。これから4人の先達の持つ技術をその身に叩き込むにあたって、最も遠いと感じたのがドラウの少女の振るった剣技だ。その術理をその身に宿すことが出来なければ望む力を身につけることは出来ない。だから少年は頭と体でそれを理解しようと試行錯誤を繰り返す。

これまでは年下の仲間を導いてきたカルノだが、ここで訓練を始めたことで自分の欠点に気が付いた。体格で、機敏さで、論理的思考能力で、直観で。自分はいずれも人並み以上であると自負していたが、そのいずれもが仲間の中で最優ではなかったのだ。つまり同じスタートラインに立って学び始めれば、やがてそれぞれの得意分野で誰かが自分より大成するだろう。そして既に指導者がいる以上、彼が仲間を導く必要はもうないのだ。

ならば自分が目指すべきはどこか一つの系統に特化することではない。獣人の技術、ハーフエルフの秘術、エルフの双剣、そしてドラウの剣技。今得ることのできるその全てを飲み込んで、他の皆に欠けているオールラウンダーとなり他を支える。それがカルノの選んだ"道"だ。

代償として掛けた時間や労力は報われないかもしれない、だが天秤の傾きを決めるのは自分自身の才能と努力なのだ。ただ生き延びるためだけではなく、生きる意味を求めて自分の可能性を試す。その初めての経験に、その身に感じられる疲労すらも心地よく感じながら少年は暗闇で剣を振り続けた。




[12354] 6-1.パイレーツ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:5a399a21
Date: 2013/01/08 19:29
「いやあ、久々に胸のすくような気持ちの良い航海だった。

 はは、ルーグの奴は今頃ドルラーで驚いているだろう。ああ、いい気味だ!

 君の指揮を受けた部下たちはまるでディヴァウラーが乗り移ったかのように戦った。

 唯一の心残りは私自身の手で奴に引導を渡してやれなかったことだが、些細な事だ」


目の前の男──リフリー船長はまさに破顔一笑といえる清々しい表情で俺を労った。彼はストームリーチとコーヴェア大陸の間で物資を運ぶことを生業としている中堅どころの商人で複数の船を切り盛りしていたのだが、ここ最近頻発している海賊被害でその内のいくつかを失っていた。それがルーグというオーガが率いる海賊の仕業によるものであると突き止めたリフリーは、罠を仕掛けてその仇敵を始末しようと考えた。貨物ではなく船員を満載した船で、ストーカーのように彼の船に襲い掛かってくるルーグ海賊団を迎撃しようとしたのだ。だが彼の配下は戦闘の経験があるとはいえ本業は水夫であり、数だけでは本職の略奪者に敵わないかもしれない。そこでスリーバレル湾の港に居合わせた俺が護衛として雇われたのだ。

勿論俺がその気になれば海賊船が視界に入った時点で粉々に吹き飛ばすことも可能だ。だが船を沈めて海賊全員を海の底に葬っては今までに奪われた積荷の被害を埋め合わせることは出来ない。そこであえて海賊船との白兵戦を敢行し、敵を制圧することとなったのだ。俺がバードの"勇気鼓舞の呪歌"で支援した水夫たちは歴戦の精鋭のような果敢な戦いぶりを見せ、あっという間に敵を切り刻んでルーグ盗賊団の母船を血で染め上げた。押収した海図と捕虜にした船員から得られた情報で拠点を突き止め、リフリーは今までに奪われた物資を利子付きで回収することに成功していた。俺も報酬として海賊団が貯め込んでいた財宝の中から魔法の品を何点か頂戴しており、今回の仕事はお互いにとって良いビジネスだったといえるだろう。


「まだ航海は途中なんだ、気を抜かないでくれよ。ここで補給をしたらストームリーチまでまだ後半分残ってるんだからな。

 補給と休息は予定通り三日でいいんだな?」


俺は浮かれた船長に一応釘を刺しておく。この海域で活動している海賊は勿論ルーグだけではない。それにここからストームリーチまでの間には『シャーゴンズ・ティース』と呼ばれる難所が横たわっている。海の悪神ディヴァウラーの牙とも呼ばれるその海域にはかつてゼンドリック大陸であった大地の欠片がまるで尖塔郡のようにそそり立ち、複雑な海流を生み出している。さらにその巨大な塔は脈動するように動き、不幸な犠牲者を押しつぶしてしまうのだ。ギリシャ神話のアルゴー船を襲ったような浮島が大量に存在しているといえばわかりやすいだろうか。
案内人のサフアグンを雇わなければ必死、そして例え誠実な案内人を雇うことに成功したとしてもディヴァウラーの機嫌が悪ければ決して助からないという船の墓場。しかしコルソス島を経由し、その危険地帯を大きく迂回する航路が開拓されたことでコーヴェア大陸とストームリーチを結ぶ交易は一気に活性化した。航路を誤って、あるいはショートカットしようとしてディヴァウラーの捧げ物となる船は未だに無くならないがそれでも船便の数は膨れ上がった。そして最終戦争の終結で稼業を縮小することを余儀なくされた海賊たちがその新航路に目をつけるのも当然だ。

大部分のそういった海賊はコーヴェア大陸からやってきており、コルソスまでたどり着いてしまえば後のストームリーチまでの間の危険はそれほどではない。だがストームリーチの海賊王達を知らない若い海賊、あるいは恐れを知らない連中がいないわけではない。ここから先には途中で補給可能な港が無く、また船を寄せられるような島なども一切ないことから海賊行為には向いているとはいえないが、一発逆転を狙った愚か者たちに遭遇する可能性は残っているのだ。


「そうだ。私の船員たちもボーナスを使いたくてウズウズしているだろうからな、長めの休みを取ることにしている。

 カーゴには余裕があるし、少しはこの村で仕入れを行なってストームリーチでさばく荷物を増やしたい事情もあるからな。

 勿論その間も船室は自由に使ってもらって構わないんだが、トーリは陸で過ごす予定なんだったか?」


そう問うリフリーに頷きを返す。せっかく来たのだから、顔なじみの店に顔を出すべきだろう。


「それでは三日後の朝、出港の時までに戻ってきてくれ。後半戦でも頼りしているんだ、遅れないでくれよ」


そう告げるリフリーとその水夫たちに腕を振ってしばしの別れを告げ、俺はタラップを降りて三度コルソスへと降り立ったのだった。








ゼンドリック漂流記

6-1.パイレーツ








見る度に拡張されている港の様子は発展途上の街特有の活気に満ちている。埠頭で働いている顔ぶれにも知らない顔が随分と増えているようだ。何人かの顔なじみと挨拶を交わしながら最近舗装されたばかりと思わしき道を歩いて進む。

港からも見えていた巨大なドックには、リランダー氏族のシンボルが大きく描かれていた。4つの稲妻に囲まれ、暗闇から伸びるクラーケンの触手。それはリランダー氏族の始祖である二人のハーフエルフが不老不死のクラーケンとなり、深海から彼らを導いているという伝承に基づいたものだ。この氏族は始祖たる二人を"先覚者"として半ば崇めており、二人がソヴリン・ホストの神々であるアラワイとコル・コランから授けられたというドラゴン・マークに強い誇りを抱いている。

ハーフエルフが自分たちを"コラヴァール(コーヴェアの子)"と呼び習わしたのもその二人のハーフエルフ、リランとセラヴァシュが二柱の神よりその呼称を賜ったからだという。そしてリランの血統を重要視した彼らは本来禁忌であるはずの近親婚を繰り返し、やがて"リランダー(リランの子達)"
と名乗る一つの巨大な血筋を作り上げたのだ。

"嵐のマーク"により水と風を支配するこの氏族は最終戦争の終結後、海賊から船団を守るという名目で多くの軍船を配備している。今最も勢力を拡大している氏族といっても過言ではない。彼らの擁する風工ギルドに所属しない船はなにかと"事故"に見舞われがちだとかいう黒い噂も絶えないし、天候をコントロールする雨乞いギルドが農業だけではなく灌漑システム、ダム、運河、堤防などの公共事業に深く食い込んでおり政治的発言力も高い一方で、内部に始祖を狂信するカルト組織を抱えているなど危険な勢力ではある。だが少なくともこのコルソスにとって今は欠かせない存在であることは間違いない。

このドック以外にも寄港する船の船員向けの娯楽施設などが拡張した港に近いエリアに設けられており、そこで新たな経済が回り始めている。大量の人口が流れ込んだが今のところ好景気に湧いているためか古くからの住人との間でのトラブルなどもないようで、村長のヴィジー・ストールは胸を撫で下ろしていることだろう。


「お、トーリさんじゃないか。久しぶりだね、今日はどうしたんだ?」


「ちょっと仕事でね。暫く見ない内に随分様変わりしてるみたいだけど、シグモンドのところはまだ宿はやっているのかい?」


「ああ。ガランダ氏族の宿が出来たもんだから外から来た連中は皆そっちを使ってるからな。

 先祖代々の建物を手放したりはしてないが、宿としては開店休業みたいなもんさ。

 村の集会所として皆が集まる時以外は閑古鳥が鳴いているから、顔を出してやればあの男も喜ぶに違いないよ」


通りがかった村人と世間話をして村の道を進む。人の出入りが激しくなって繁盛しているかと思えばそんな事は無かったようだ。シグモンドにとっては強大なライバルが現れたということだろうか。とはいえ固定資産税などというものがあるわけでもなく、維持費以外は気にする必要がないのであれば宿屋の営業に固執する必要はない。自分の宿で使っていた食材なども菜園などで自給自足していたものが主だったはずだから、それを繁盛しているガランダ氏族の宿に卸してやればそれで十分に暮らしていけるのだろう。

またリランダー氏族が出資した施設といえども、その全てが氏族関係者だけで占められているわけではない。元からいる島の住民も、大多数がこの新しい港に関する仕事にありついているようだ。彼らの表情は一様に明るく、村を開放した時の喜びとは違った充実した感情を発しているのがわかる。だがその中でも出世頭とでもいうべきはラース・ヘイトンだろう。彼はその秘術技師としての技術を買われて、このドックの実質的な技術責任者として活動しているらしい。

リランダー氏族の代名詞でもある精霊捕縛船だけでなく、海の船も空の船も彼らは基本的にカニス氏族やズィラーゴのノーム達の技術に製造を頼っている。だが彼らはその現状を良しとはせず、優秀な人物を外部から招き入れることに余念がない。とはいえそれはあくまでハーフエルフに限っての事であるはずなのだが、どうやらラースの技術力と他の氏族に属していないという点は彼らにとってその種族に目を瞑ってでも取り込みたいほど魅力的だったのだろう。


「シグモンド、邪魔するよ」


硬い音を立てるウエスタン・ドアを押し開いて"波頭亭"へと入った。カウベルが鳴り響くが、それに応える人影はない。どうやら閑古鳥が鳴いているというのは本当のようだ。とはいえ几帳面な奥方の性格のためか、テーブルや床は磨き上げられており埃などは見当たらない。昼は過ぎたが日が沈むほどではない半端な時間のため、こういうこともあるかとカウンターに近づくとそこには呼び鈴と思わしきものが置かれている。

だがそれを使うより先に、店の奥から人の気配を感じた。酒場の地下の貯蔵庫、かつてジャコビーが逃げ込んだ通路に繋がる扉が開くとシグモンドがその姿を現したのだ。おそらくは入り口のドアを開いた時の音を聞きつけてきたのだろう、作業中だったことを思わせる薄汚れたエプロンと手袋を填めた姿で木製のケースを抱えている。


「よお、トーリじゃねえか久しぶりだな。悪いな、こんな時間に客が来るとは思ってなかったんで下の整理をしてたんだ。

 今日はどうしたんだ、泊まりか? うちには相変わらず"黄金竜の宿り"みたいな寝心地のベッドはないぜ。

 代わりに料理と酒じゃあ負けてねぇ自信はあるんだがな」


そう言ってシグモンド・バウアーはカウンターの上にケースから取り出したボトルを並べ、カウンター奥のキャビネットに並べ始めた。銘柄を示すラベルが貼られていないのは自家製であるこの島の特産ワインなのだろう。それ以外にもガランダ氏族の果実酒やアンデール産ワイン、ストームリーチのカーイェヴァなど豊富な品揃えには驚かされる。かつては腕利きの冒険者だったというシグモンドが現役時代に築いた伝手で入手しているらしいが、コーヴェアからストームリーチに至るまでの各地の酒をそれぞれ別のルートから取り寄せているという彼の冒険者時代の逸話をそのうち是非聞かせてもらいたいものだ。


「それじゃその料理と酒を奮発してもらおうか。この様子だといつもの部屋は空いてるよな? 2日ほど頼む」


シグモンドの背中にそう声を掛け、カウンターの上に金貨を数枚置く。彼はチラリと振り返ってこちらを確認すると、上着のポケットから鍵を取り出してこちらに投げて寄越した。受け取ったそれに刻まれた番号は俺がこの世界に来てから初めての夜を過ごした部屋のものだ。


「今日の夜は大した仕込みも終えてないからな、お楽しみは明日まで取っておいてもらおうか。

 どうせ今晩はお前が来たことを聞きつけて村の連中が集まってくるだろうから、質よりは量を用意せにゃならんしな」


キャビネットに酒瓶を仕舞い終えたシグモンドはパタンと音を鳴らしてガラス張りの扉を閉め、手袋を外して手拭いで手を拭き始めた。今は昼をそれなりに回った時間だが、どうやら料理の仕込みをこれから始めるようだ。彼の言ったことがその通りになるのであれば、今晩の酒場は満員御礼になるだろう。不意の出来事だけに準備不足は否めないといったところか。


「構わないさ。そういうことなら俺も少し外に出て、散歩がてら何か獲物を見繕ってこようか。島の様子も気になることだしな」


半年前はエレミアが仕留めてきた兎などをここで調理してもらっていたのが懐かしく思い出される。オージルシークスの影響で崩れていた気候が元に戻ったことで島は緑を取り戻し、不思議な事に動物を含めた生態系もがまるで何事もなかったかのように元に戻っている。ストームリーチ近郊の動物を散々相手にしたおかげで俺の狩猟者としての技量もすっかり一人前を通り越してしまった。匂いだけは今でも苦手なところがあるものの、血抜きや解体もその筋の専門家からお墨付きを貰っている。


「お客なんだからどっしりと構えていりゃいいんだ──と、言いたいところだが食材が足りなそうなのは事実だしな。

 持ち込みは歓迎させてもらうぜ。ただし、前みたいにゴルゴンだのこの村にないのを大量に持ってくるのは勘弁してくれよ。

 料理人としては腕の振るい甲斐があるんだが、滅多に入荷しないモンを一度食わせると連中がその後五月蝿くて敵わん」


そう告げるシグモンドに鍵を投げ返して背中を向け、俺はウエスタン・ドアを押し開いて再び外へと向かうのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




翌朝、部屋から降りてきた俺が目にしたのは昨晩の宴会の痕跡など微塵も感じさせない整えられた食堂だった。少し背の伸びたアイーダちゃんがテーブルを拭いて回っている姿を見るに、片付けはちょうど終わったところということなのだろう。開け放たれた窓から入ってくる風が籠もったアルコールの匂いをウエスタン・ドアの隙間から押し出しており、それに替わって柑橘類の絞り汁に漬け込まれた布棒が清涼な空気を色付けしている。


「おはようございます!」


俺を見て元気に挨拶してくる少女に挨拶を返し、裏庭の井戸で顔を洗ってから酒場に戻りカウンターの椅子に腰掛ける。すると娘の声を聞いたのか、奥の厨房からイングリッドさんが姿を現した。


「おはようございます。朝食を食べに来たんですが、大丈夫ですかね?」


俺は途中で抜けだしたのだが、集まって飲む口実を求めていた連中はその後も騒いでいたのは間違いない。シグモンドは朝方まで騒いでいたであろう村人達の後片付けに忙しかっただろう。ひょっとすると今日は昼まで起きては来ないかもしれない。


「大丈夫ですわ。私達も昨晩はシグモンドに任せて早めに休んでおりましたもの。今用意いたしますわね」


「なんなら昨晩の残り物でも構いませんよ。あのシチューはとても美味しかったですし」


昨日の夕方から始まった宴会は、村の男の大半が集まったようだった。酒飲み向けに濃い味付けをされた様々な料理がテーブルに並び、俺が仕留めて持ち帰った鹿も黒胡椒で味付けされたステーキとして一角を占めていた。集まった面々の中には元々はこの島の住民では無かったものの、白竜に船を沈められ漂着した元冒険者なども含まれている。彼らは共に肩を並べて戦った村人と意気投合し、ここに定住することを決めたのだという。

そんな彼らと近況を肴に盛り上がったのだが、やはり話題の中心となったのは頻発している海賊被害のことだった。港の寄港料と水や食料の販売が主な産業として育ちつつあるこの島にとって、航路が不安定になることは一番避けたいことなんだろう。造船業が本格的に動き始めるには相当の時間が必要だろうし、引き上げた船のリサイクルも長く続くわけではない。この島の近海以外では海はサフアグンの領土であり、彼らは海に沈んだものはディヴァウラーへの捧げ物と考えているため、沈没船を引き上げることは彼らへの敵対行為として認識され再び戦争が起こることになりかねないからだ。


「はい、おまたせしました。どうぞごゆっくりなさってくださいな」


奥方が差し出したトレイにはもぎたてと思われる瑞々しい野菜が盛りつけられ、分厚いベーコンを挟んで軽く焦げ目をつけたパンと冷製スープが乗せられていた。シャキっとした中に甘みを感じさせるサラダを頬張り、パンをベーコンごと噛みちぎって熱くなった口内をスープで冷やす。トマトの甘みとワインの酸味、セロリのピリっとした味わいが程よく混ざっていて、舌先に良い後味を残してくれる。

俺がそうやって朝食を堪能していると、テーブルの拭き掃除を終えたアイーダちゃんが隣の椅子に登ってきて腰掛けた。そしてニコニコしながらカウンターに肘を立て、俺が食べている様子を見ている。


「どうしたの?」


何かあったのかと思い、少女に問いかける。すると依然微笑みを絶やさぬまま彼女は俺に質問してきた。


「ねえ、今日のご飯はどうだった?」


その様子から事情を察した俺は、彼女の望む答えを返す。


「そうだね、いつも通り美味しいよ。特にこのスープはなかなかだね。一日の最初にはぴったりだよ」


それを聞いた彼女は両手を上げて喜びを表現した。その掌に奥方がハイタッチをするように手を重ねる。


「あらあら、良かったわね。練習の成果が出たみたいで」


「おかーさん、約束だよ! これでスープは合格、次の料理を教えて!」


やはりこのスープは彼女の作品だったようだ。前回沈没船の引き上げに来た時に料理を教えてもらうと言っていたその成果が実ったということだろう。本業だけあってか、同じ年頃のカルノ達の作るものに比べればしっかりと料理している。少女の才能かシグモンド家秘伝のレシピによるものかは不明だが、お世辞ではなくちゃんと立派なメニューとして一角を占めていると言えるだろう。


「さあ、それじゃ後片付けをしていらっしゃい。それが終わったらお昼までの間に次のレシピを教えてあげる」


奥方のその言葉を受けて、彼女は飛び跳ねるようにして厨房へと向かっていった。向上心が強いのはこの世界の子供共通のことなのだろうか。少なくとも技術を身に付ける喜びは誰もが持っているようだ。それが現実にレベルというものがある世界特有のことなのかは今となっては俺にはわからないが、少なくとも楽しそうにしている姿を見ることは微笑ましい気持ちになって良いものだ。そんな少女の姿を見送って奥方が声を掛けてきた。


「ごめんなさいね、試食のようなことをさせてしまって。

 私も味見はして十分合格だとは言ったのだけれど、やっぱりお客様方に褒めてもらえるのが何より嬉しいみたいだわ」


「お詫びの必要はありませんよ、このスープは十分な出来ですから。

 当たり前のことを言って喜んでもらえたなら、自分が良い事をした気分になれて嬉しいですからね。こちらからお礼を言いたいくらいですよ」


食事を片付けながらそうやって奥方と暫く会話を楽しんでいると、厨房からアイーダちゃんが片づけが終わったことを告げてきた。それを合図に椅子から立ち上がり、昼までの時間潰しにまた外に出ることを告げて鍵を預けた。彼女の上達ぶりについては夕食を楽しみにするとしよう。

かつては冷気から村を守っていた結界はいまや役目を反転させて吹き付ける熱風を涼風に変えていた。島に存在する古代巨人族の施設をカニス氏族が稼働させているのだ。端末となるクリスタルを設置することで効果範囲を広げることはできるがそれに応じて徐々に効果が弱まっていくようで、村の範囲が開発にともなって拡大したことから完璧な空調効果は期待できなくなっている。

とはいえストームリーチよりさらに赤道に近いこの島の気温を、なんとか屋外で仕事が出来る程度に抑えているのは十分な効果だといえる。どんどんと増えていく人口に対応するために、色んな所で住宅の建築が行われている。かつての事件で数多くの住民が失われたとはいえ、それで空き家となった以上に入植者の数が多いのだ。

リランダー氏族は飛空艇の運用の困難なスカイフォール半島に近い寄港地としてこの島に飛空艇の発着場を設けようとしているようで、随分と高さのある建築物も村の外れで建設が始まっている。コーヴェア大陸側からここまでを飛空艇で移動し、ここからは船でストームリーチに向かうというのが安全性とスピードを兼ね備えたプランとなるのだろう。実際には風の精霊を捕縛したガレオン船と速度は同程度なのだが航路に制限されず直線上の移動が可能であること、また海賊に比べて空賊の数の少なさや貴重価値というステータスもあって飛空艇の人気は高い。

最終戦争時は精霊捕縛の技術自体が軍の機密扱いであったこともあって一般には知られていなかったが、今や富裕層にとって、また名うての商人にとっては人気の的である。だがその製造台数は年間を通じて一定の数から増えることはない。それは建材であるソアウッドと呼ばれる樹木がエアレナル諸島にしか存在せず、彼の地のエルフが輸出する量に厳しい制限を課しているからだ。

さらに精霊捕縛の術式に高位の術者が必要であり、またその機構の製造がカニス氏族とズィラーゴのノームたちの間でブラックボックス化されていることもネックの一つである。そういった意味で、飛空艇や精霊捕縛船を所有している個人は非常に限られている。一部飛空挺については最終戦争時に撃墜されたものを回収・補修して利用している空賊がいるのだが、当然彼等は運用は出来ても中核技術のメンテナンスは出来ないためいずれはその数を減らしていくだろう。

そんな事に思いを馳せながら村を見て回っていると、港近くの歓楽街へと辿り着いた。そこは次々と入れ替わる船とその船員を相手にすべく、24時間で営業を続ける不夜城だ。ガランダ氏族の"黄金竜の宿り"に代表される宿だけではなく、娼館やカジノなども立ち並んでいる。それでいて猥雑に見えないところは計画的に建設されたということなのだろう。昼前だということもあるだろうが、道端に酔っ払った水夫が転がっているわけもなく道は整然と整えられている。

飾り窓越しに送られてくる秋波をやり過ごし、カードの絵柄を看板にしている店に入る。薄暗い店内には大きいテーブルがいくつも並べられ、それぞれを数人の男たちが囲んで運試しに興じていた。ここはカードやダイスといった手軽なゲームを目的としたエリアのようだ。バーカウンターの横の扉には別の部屋に通じる扉が開け放たれており、そちらから聞こえてくる声から察するに本格的な賭け事を楽しむ客はそちらにいるように思える。


「ようこそ"ハッチリング"へ。初めてのお客様でいらっしゃいますか」


暗い店内に溶け込むかのように黒い制服を着たハーフエルフが隣に立っていた。その髪の色が鮮烈な赤毛でなければ、暗闇に目が慣れるまでの間は一般人にはまるで虚空から声が聞こえてきたかのように感じたかもしれない。だが店の中に入る前から既にその存在に気付いていた俺からしてみれば特に驚くようなことでもない。銀貨を1枚指先で摘むように持ち、そのウェイトレスのほうへと差し出した。


「グローイング・ブルーをもらおうか。それと、あっちの部屋に入っても構わないのかな?」


そう言って奥の部屋を示すと、女性は恭しく硬貨を受け取って答えた。


「もちろんでございますお客様。

 お飲み物をすぐにお持ちいたしますので、空いている席であればどこにでもお掛けいただいてお待ちください」


その言葉に背を押されるようにして奥の部屋へ進むと、そこでは単なるテーブルだけではなくルーレットやディーラーを配したカードゲームなども行われていた。入口付近は気軽にカードなどに興じたい人向け、此処から先は賭け事を楽しみたい人向けといったところだろうか。壁際に並べられている椅子に腰掛け各テーブルの様子を窺う。テーブル周りは手先の悪戯を防止するためか明るい照明が灯されており、外からの観察は容易く行える。

カードに熱中しているのはやはり水夫らしい男たちが多く、中には先日のリフリーの船で一緒に戦った連中もいた。支給されたボーナスで昨晩を過ごし、さらに残った銀貨をここで金貨にすることでもう一晩豪勢に過ごそうと考えたのだろう。運ばれてきたグラスを受け取ると、俺もそういったテーブルに混ざった。稼ぐことが目的なのではなく、時間潰しがてらに情報収集を行うことが目的だ。程々に景気の良い金の使い方をすることでそれを潤滑油とし、勝ったり負けたりを繰り返しながら世間話に興じる。

金貨数枚を消費しそろそろ腹具合が気になってきた頃、この店内で聞けるであろう話は一通り聞き終えたと判断し店を出た。昼時のためか、いくつかの酒場からは良い匂いが漂い始めている。鉄杭に刺された巨大な肉をぐるぐると回しながら焼いている様子などが見られ、店内で提供する以外にもその場でサンドイッチにしてのテイクアウトなども行なっているようだ。興味を惹かれた俺はその店に入ると適当なお薦め料理と飲み物を注文した。

この島の動物であれば羊や豚などだろうが、外から持ち込まれた肉であれば牛や馬どころか恐竜の肉である可能性もあるのだ。タレンタ平原のハーフリング達はクローフットと呼ばれる比較的小型で高速移動が可能な恐竜を乗騎として使用しているなど、この世界では恐竜は比較的身近な存在だ。ゼンドリックにはティラノサウルスやトリケラトプスなども普通に生息しており、前者には平地を進むキャラバンが時折襲撃されて被害を出すこともあるほどだ。

ハーフリングの店員が運んできたのはおそらくそういった恐竜の肉だったのだろう、今まで食べたことのないものだった。味としては鶏肉のようなものだが、歯応えはかなりのものだ。サンドイッチにする際には薄く削られたものがパン生地に挟まれていたが、運ばれてきたものはサイコロステーキのようにぶ厚めにカットされたもので食べごたえは相当なものだ。

そうやって満足の行く昼食を終え、テーブルで食休みをとっている俺のところへと見覚えのある影が近づいてきた。ウォーフォージドを従えた壮年男性のヒューマン。ラース・ヘイトンだ。


「やあ、久しぶりだなトーリ。元気そうで何よりだ」


テーブルの向かいの席に腰掛けたラースは随分と日焼けしており、前回別れた時からは随分と印象が変わっていた。船の引き上げに《レイズ・フロム・ザ・ディープ/深海よりの浮上》を使用することができるのはラースだけであり、そのため船上での仕事を繰り返すことになったためだろう。その際にアンデッドと化した犠牲者との戦闘もあったのだろう、外見だけではなく内面も研ぎ澄まされた印象を受ける。


「すっかり海の男の顔になったな、ラース。

 研究室に引きこもっていた青白い顔から随分と変わったじゃないか。健康的でなによりだ。

 アマルガムも前回沈没船を引き上げた時以来だな」


忠実なウォーフォージドは椅子に座ることなく、ラースの後ろに立ったままこちらに首肯することで挨拶を返してきた。


「《センディング》で連絡をしてきたときは驚いたが、ちゃんとこうして時間が作れたのは幸運だったな。

 明日にはまた出るのだろう? 積もる話は後にして、まずは用件を聞こうじゃないか」


ラースは手近なウェイターに声を掛け注文を伝えると、そういって俺へと向き直った。確かに彼の言うとおり、こうしてラースと面会する時間が取れたのは幸運だろう。なにせ彼はついさっきまでリランダー氏族の船に乗っていたのだから。コインロードが海賊の討伐令をだした契機でもあるドラゴン・マーク氏族の所有する精霊捕縛船の撃沈、その調査に彼はしばらく洋上の人となっていたのだ。その不在を昨晩の宴会の席で村人から聞いた俺はダメ元で呪文による連絡を取ってみたのだが、いいタイミングで帰港してくれたようだ。おそらくはこの島に帰ってきてすぐにここに顔を出してくれたのだろう。ありがたい話だ。


「なに、そんな大事ってわけじゃない。これからストームリーチに船の護衛で向かうもんだからその前に最新情報を聞いておこうと思ったのさ。

 いくらか話は聞いているんだが、今その手の情報に一番詳しいのはラースだろうからな。

 機密に差し支えない範囲で構わないから知っていることを教えて欲しい」


スリーバレルからこの島までの航路にあることはクエスト知識として俺が予め知っていたことから想定可能な範囲内だったが、ここから先は不意の出来事が起こる可能性がある。海賊討伐が盛んになってきてから二週間ほどになるが、まだまだこの海域に巣食う無法者の数は減っていないのだ。先ほどまでラースが行なっていた仕事上、彼はその情報源として一番信頼出来るのは間違いない。

とはいえこの場でそのまま話せる内容かは解らない。俺は店員がラースの注文を運んでくるのを待ってから《サイレンス》の呪文と《ジョイフル・ノイズ》の呪文を組み合わせることで音を遮る中空の結界を創り出した。これであとは唇の動きを読み取られなければ話が外部に漏れる心配はないし、その程度であれば衝立で覆われているだけで十分だ。俺のその行動を確認してからラースは満足したように一度頷くと話を始めた。


「そうだな……普通の海賊であればトーリにとっては羽虫のようなものかもしれんが、ここ最近この辺りで起こっていることは少々勝手が違う。

 いいだろう、私が知っていることを話そうじゃないか。

 君は私とこの島の住人にとって掛け替えの無い恩人だ。積み上がった借りを返す機会は喜んで迎えさせてもらうよ」


そう言ってラースが語った内容は今まで俺が集めてきた情報を補完し、さらに細かくしたものだった。新航路として確立されて以降、ストームリーチからコーヴェアに向かう船はその大部分がこのコルソスを経由する。シャーゴンズ・ティースを突っ切るのに比べて日数はかかるとはいえ、その安全度が段違いだからだ。それだけ交通の要所となったこの島では、付近の航路についての情報がリランダー氏族の手により十分に集められているということなのだろう。

コルソスを出た船は一ヶ月ほどをかけてシャーンに向かう以外にも、三つの主な航路がある。エルフの住まうエアレナル諸島の玄関口"ピラス・タレアー"へと向かうもの、そしてタラシュク氏族の根拠地であるシャドウマーチの首都"ザラシャク"へと向かうもの。これらはそれぞれ通常の帆船で二ヶ月ほどの旅路だ。最後にノームの国ズィラーゴ首都"トラロンポート"へと向かうもの。この航路の所要時間はシャーンへ向かうのとほぼ同程度だ。

その中で被害が集中しているのはやはりシャーンへと向かう船だ。コーヴェア大陸とストームリーチで交易を行うのであればこれが最も効率の良い航路であることは間違いない。現在シャーンでは海賊被害によりストームリーチに関する商品──特産品であるカーイェヴァ酒から巨人文明由来の骨董品に至るまで──の相場が大荒れしており、運良くたどり着いた商人は普段の倍以上の稼ぎを得ているとも聞く。

それに比べればストームリーチとこの島を結ぶ航路の安全性は比較的高いと言えるだろう。実際にラースの把握している被害件数もシャーン間航路の1割程度と微々たるものだ。だがその内容をラースが語った時、そこにある危険性が他とは比べ物にならないことが知らされた。


「船が粉々だって!?」


思わず俺の口をついて出た言葉に、ラースは重々しく頷いた。彼の言葉が虚言でないことは明らかであることがさらに俺の混乱を助長する。


「ああ、サフアグンたちと交渉した後に例の呪文でエレメンタル・ガレオンを引き上げたんだがな。それは船の形状を保っていなかった。

 竜骨から外装の戸板、マストに至るまで原型を留めていない。クラーケンの触手に潰され海底に晒されたとしてもあそこまでは破壊されないだろう。

 海賊に襲われたとはとても思えない惨状だよ。とはいえ通常の生物は捕縛された精霊を恐れて船に近づくことはない。

 つまり、なんらかの悪意ある存在が船を襲ったということだ。そいつは積荷に興味は示さず、ただ船を破壊して立ち去った。

 その狙いが何なのかは我々も把握していない。今頃は回収した船の破片などで氏族の術士が占術で探りを入れている頃だろうが……」


通常の船と異なり、風の精霊を呪縛したウインド・ガレオン船は水面から僅かに浮くように水面を進む。また普通の船の何倍もの速度を出すこの船を攻撃するのは普通の船では不可能だ。視線を遮るものがない海上でこれだけ速度に差があれば、余程物量に差があったとしても包囲することは出来ず接舷は不可能だ。計画的な行動だというのであれば、航路を待ち伏せして遠距離からの呪文攻撃で船を破壊。これくらいが考えられる手段だろうか。そうであれば船の被害状況とも辻褄が合う。だがそれは、積荷を狙う海賊の仕業ではありえない。


「氏族の船に恨みのある連中の仕業ってことか?」


一番可能性として高いのは氏族間あるいは権力を持つ組織同士の争いだろう。勿論これにはストームリーチの権力者達も含まれる。船の性能云々は凄腕の冒険者となれば無関係だ。飛行呪文で乗り込み、皆殺しにした上で荷を奪い、証拠隠滅に船を破壊することなど造作も無い。勢力拡大の著しいリランダー氏族には敵もそれだけ多いだろう。


「勿論、リランダーのハーフエルフ達はその可能性を一番警戒しているだろうな。とはいえ、同じような被害は他の商船にも出ている。

 ひょっとしたら何か危険なクリーチャーが現れたか、流れ着いたのかもしれん。

 サフアグン達の哨戒に引っかからないか、彼らの口を閉ざさせるほどの何かが深海で起こっている可能性もあるだろう。

 今の時点ではそういった要素を列挙することが出来るだけで、そのいずれかに原因を特定することは出来そうもない。

 幸い、被害を受けている船の割合はほんの僅かだ。ディヴァウラーの慈悲とトラベラーの気紛れに身を委ねるしかなかろうな」


言葉とは裏腹に苦虫を噛み潰したような表情でラースはそう締めくくった。彼としても今回の調査で手がかりを得ることが出来なかったことを悔しく思っているのだろう。現時点ではシャーゴンズ・ティースを抜けるのに比べればこの航路の安全性は比べるべくもない。とはいえリランダー氏族のウインド・ガレオン船が被害を被ったのは戦争終結後としては初となる。それを為した存在が航路に潜んでいるというのであれば、とてもではないが呑気にしていられる状況ではないということだろう。


「船を破壊した手段とかはどうだ。破片を引き上げることが出来たならそういった分析は出来るんじゃないか?」


死体から死因を探ることが出来るように、破壊された船体からその攻撃手段を分析することが出来るはずだ。勿論ラース達もそういった作業を怠ってはいなかったようで、


「強力な火の呪文かそれに類する攻撃が行われたことは間違いない。焼け焦げた破片が随分と多かったからな。

 だが完膚なきまでに破壊されていて呪文による復元は不可能だったため、どこからどんな攻撃を受けたのか等は判別できていない。

 幸い精霊を呪縛したブラックボックス部分は回収できているが、今の私ではまだ手を出すことは出来そうもない。

 ズィラーゴのノームたちであれば呪縛された精霊から何か情報を引き出すことが出来るかもしれないが、それにはまだ暫くの時間が必要だろう」


流石のラースといえども、ノームの国家機密である精霊呪縛機構に手を出すことはまだ出来ないようだ。技量的にはあと一歩といったところだろうか。とはいえその技術が漏洩したことが明らかになれば、暗殺者が送り込まれてきてもおかしくはない。そんな危ない橋を渡るつもりは彼には無いだろう。そしてノームが情報を吸い出すまでここで船を停めているわけにもいかない。


「そうなると確かに運悪く遭遇しないことを祈るしかないか……被害の出ている場所や時間は絞れているのか?」


だが少しでも不運に見舞われる可能性を下げるため、出来る事はある。


「他の被害はわからんが、リランダー氏族の船は定時連絡の合間であることから大まかな時間と場所が判明している。

 少し大回りをしてそこを迂回するのも一つの手段だろう。海図は明日出港までにアマルガムに届けさせよう。"シーウィッチ"号だな?」


現代のようにGPSや無線通信などがない状態では、航行中の船について収集できる情報にも限りがある。とはいえ、それを魔法によって補っているのがこのエベロンという世界だ。おそらく俺が求めたであろう情報は既にリランダー氏族の占術師によって集められているだろうし、航路の安全性に関する情報であるからには彼らから提供してもらうことも不可能ではないだろう。勿論それには氏族に対するコネクションが必要不可欠だが、そこをラースが補ってくれるというわけだ。


「ああ、俺か船長のリフリーに渡してくれればいい。なにせソアウッド製でもない普通の帆船だからな。

 エレメンタル・ガレオンを沈めるような奴に狙われちゃあ、とてもじゃないが逃げ切れない。

なるべく災難に遭遇しないで済むようにするくらいしか出来る事は無さそうだ」


この世界の通常の帆船は風に恵まれたとしても速度は時速10kmほど、ソアウッド製の船であればその倍の時速20km。対してエレメンタル・ガレオン船は風に関係なく時速30kmで24時間動き続ける。リランダー氏族が逃げきれていない時点で、他の船がその不運と出会って逃げ出すことは絶望的だ。腕利きであるはずのリランダー氏族の乗組員が誰一人生き残っていないことから、相手に温情を期待することは出来ない。俺であれば数名を連れて《テレポート》で脱出することは出来るかもしれないが、それが限界だろう。


「さすがに船そのものを転移させることはできないだろうからな、それが最善だろう。

 簡単な占術で事前に危機を予想することはできるが、被害を受けている割合と術の精度を考えれば当てにはならないだろうからな」


ラースの言うとおり占術の精度は90%程度で完全なものではないし、妨害する様々な手段が存在する。さらに例え占術が災いを告げなかったとしても用心しなければならないことに変わりはない。出航しないという選択肢がない以上、あと出来るのは危険を避けて迂回するといったことくらいだ。


「まあ何か続報があればこれで伝えてくれ。今回使わなかったとしてもそのうち必要になるかもしれないからな、渡しておくよ」


俺はそう言って《センディング》の巻物をいくつかテーブルの上に並べた。アーティフィサーの技法で即興模倣できる呪文は第四階梯までのものに限られ、この有用な呪文は第五階梯なのだ。ラースであれば数日かけて巻物を作成することは出来るだろうが、情報の鮮度を大事にしたい局面でそんな事をしている余裕はない。


「わかった。それじゃあ"シーデヴィル"が蘇った時にはこれで連絡を取らせてもらうことにしよう。

 ドルラー以外のどこにいても届くだろうからな、その時はすぐに駆けつけてくれよ」


「ああ、そうしよう。そのためにもここ最近の研究の成果ってやつを聞かせてもらおうか。

 ドラゴン・マークから巻き上げた研究資金で何をしていたのか教えてもらおうじゃないか」


用件が終わったことで俺とラースは軽口を叩き合いながら互いの近況を報告しあった。シヴィス氏族の伝書サービスや《センディング》の文字制限といった制約のない状況で久しぶりに会話した研究家との話は、その後場所を"波頭亭"に移して夜まで続くのだった。



[12354] 6-2.スマグラー・ウェアハウス
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/01/06 21:10
"シーウィッチ号"とその僚船はラースの渡してくれた海図を元に遠回りの航路をとったことが幸いしたのか、災難に見舞われることもなく無事にストームリーチへと到着した。数日を海上で余計に過ごすことになったものの、今回の航海で大きな収益を上げたリフリーの機嫌はその程度で下降するものではない。仕事が欲しくなったならいつでも声を掛けてくれという上機嫌な船長に丁重に別れを告げ、一ヶ月ぶりに自宅へと到着した俺は久しぶりの帰宅を皆から歓待された。旅の話を肴に皆で夕食を取り、さらにデザートを平らげた後にようやく冒険譚は海賊ルーグの根城へと差し掛かった。そこに潜んでいたペットのヒュドラを火攻めで倒す頃には随分と夜も遅くなり、子供たちはそろそろ普段は寝付いている時間にまでなっていた。見慣れたサンダー海ではあるが、その先に待っていた物語は彼等の興味を随分と引いたようだ。区切りのついたところで解散とし、ようやく俺は自室へと戻ることとなった。

部屋のテーブルの上には留守中の間に届いたいくつかの封書が置かれている。数名の知り合いからの手紙以外にも夜会等への招待状、新聞社からの取材の依頼、カルノが集めた情報を書き連ねた紙の束……そういった全てに目を通し、返事を書いたりそのままレターケースに仕舞いこんだりとしているうちに一通の封筒が目に留まる。それ自体は決して派手な外見ではなく質素な白い外見であるが、封蝋に刻まれた印章には見覚えがある。俺がこの街に初めて訪れたその日、手にした短剣の剣首に刻まれていたものだ。

俺が知るその短剣の持ち主はただ一人──ロード・ジェラルド・グッドブレード。あの胡散臭い詐欺師のような男はしばらくこの街から離れていたのか、俺が海賊退治に出かける頃にはいつもその姿を見ていた『きまぐれ海老亭』でも姿を見せていなかったのだ。良くも悪くも有名であるこの男の失踪に、世間では「ついに雇い主の逆鱗に触れて僻地へ飛ばされた」だとか、「家業を継いで海に出たところでディヴァウラーに貪り食われた」だの様々な噂が流れていたものだ。

そんな話題の男からの封書である。念のため秘術などの反応がないことを確認した後、俺はその封書を開封した。特に何かが起こるわけでもなく出てきた便箋には達筆な字体での署名に始まり、迂遠な物言いを重ねながらも面会を求める文章が綴られていた。便箋に書かれた署名の日付はそう古いものではなく、この封筒が俺の部屋に届けられてからまだそう長い時間が経過していないことを教えている。俺は同居人たちに少し外出すると用向きを告げ、雨の降る夜のストームリーチへと踏み出すのだった。








ゼンドリック漂流記

6-2.スマグラー・ウェアハウス








『きまぐれ海老亭』は、深夜だというのにも関わらず相変わらずの盛況ぶりだった。人の入れ替わりの激しい港湾地区の酒場にあって、連日火を絶やすことなく営業を続けるこの店はまさに不夜城と言えるだろう。よく目立つ看板の下にある両開きのウエスタン・ドアを押し開き、カウンターまでたどり着くとすっかり顔馴染みとなったバーテンが声を掛けてきた。


「いらっしゃい、トーリの旦那。少し日に焼けましたかね? また一曲聴かせてくれるなら飲み食いの金額はサービスさせてもらいますよ」


ハーフリングの主人はそう気さくに話しかけながらもよく冷えたエールのジョッキを俺の前に置いた。俺はチップを含めた代金を代わりにテーブルに乗せてジョッキを受け取ると、一口呷ってから用件を告げた。


「生憎今日のところは演奏家は休業でね、しばらく顔を見せなかった間の話は今度来た時にでもさせてもらうとするよ。

 アイデアを纏めるのにゆっくりと静かなところで酒を楽しませてもらおうと思うんだが、どうかな?」


そういって外套の内側から取り出した封筒の印章を見せる。馴染みの店主はそれで俺の言いたいことを察してくれたようだ。彼はやや残念そうな顔を浮かべつつも、話を合わせてくれた。


「それなら仕方ないね、良い物語が生まれるには熟成が必要だってことくらい俺たちだって判ってるさ。

 とっておきのテーブルに案内するから、いい話が思いついたらまずはここで披露してくれよ。

 常連の連中の中には結構アンタのファンが多いんだ。最近顔を見せなかったものだから次はいつだと問い合わせが来るくらいにはね。

 ああディドリー、こっちの旦那を案内しておくれ!」


店主であるアラキア・ゴードンがそう声をかけると、近くで周囲のテーブルに目を配っていたウェイトレスの一人を呼び寄せた。彼女はハーフリングらしくすばしっこい動きでカウンターそばまでやってくると、一言二言上司と言葉を交わした後に俺の手を引っ張りだした。


「初めまして、旦那様。お席までご案内いたしますね」


ハーフリングは名前の通り成人でも背丈は人間の半分ほどと小さく、その掌も小さい。だがその分機敏さと手先の器用さは大したものであり、この小さな手からは様々な料理や工芸品が作られているのだ。勿論、戦場においても決して侮ることは出来ない戦闘力を発揮することもある。俺たち人間が大型の獣などを相手に勝利をおさめるのと同様に、この種族をその体格から侮った者たちは然るべき報いを受けることになる。

とはいえ彼女はそのいずれも得手としているわけでもないらしく、重心の定まらない動きでこちらを先導していく。はしっこく人の流れを見極めながらするするとテーブルの間を抜けていくのはどちらかといえば彼女が観察眼に優れているからなのだろう。こういった飲食店におけるウェイトレスの給与体系は基本給が少なく、チップで稼ぐ必要があると聞いたことがある。受け持ちのテーブルから注文がでそうな雰囲気を見逃さないために観察眼が鍛えられているのだろう。

そうやって案内されたのは他の客とは切り離された酒場の一区画だった。そこの壁だけが数メートル四方の広さで凹んでおり、衝立で広間から区切られたそのスペースにはテーブルといくつかの椅子が並べられている。ゲームでも酒場を隅から隅まで回っていれば、こういったスペースで密談のような会話が行われていたものだ。自分がそれを利用することになったことを感慨深く思いながら奥の椅子に腰掛けた。案内してくれたハーフリングのウェイトレスの小さな掌にこの場所の利用料を含めた多目のチップを握らせて飲み物を注文すると、彼女は飛び跳ねるような勢いで衝立の向こうへと消えていき、一息もつかないうちに新たなグラスを持って現れた。俺の待ち人が現れたのは、その一杯をちょうど片付けたころのことだ。


「お待たせしたようだね。お詫びに次の一杯は私のとっておきを出させてもらうよ。サイアリの15年物だ。

 あの国には腕の良いワイナリーも多かったのだが、もはや彼らの酒精がコンテストで表彰されることはないという事が残念でならないよ」


そう言って壮年の域に差し掛かった男が俺の正面へと腰を下ろした。ロード・ジェラルド・グッドブレード。失踪の噂を払拭するには十分と言える程、彼本人はいたって健康な様子だ。まだ長い休みを貰ってバカンスを楽しんでいたというほうが信憑性を感じられるほどだ。


「しばらくぶりだな、ジェラルド。

 てっきりカルナスあたりの針葉樹林で木の本数を数える仕事にでも左遷されたんじゃないかと心配していたんだ」


実はゲームのアップデートの間には、彼が姿を消した時期をそう表現しているものもあった。俺がそれを思い出しながらも声をかけると、彼はいつもどおりの大仰なアクションで肩をすくめるとやれやれと首を振った。


「それは勘弁してもらいたいな。私は生まれも育ちもこの街だからな、あんな北の果ての寒い国になどに行ったら芯まで凍りついてしまうよ!

 それより君も暫くこの街を離れていたみたいじゃないか。私の不躾な招待にこんなにも早く応じてくれてくれるとは思ってもいなかったよ。

 では我等の変わらぬ友誼に乾杯といこうじゃないか」


運ばれてきたワインをグラスに注ぎ、持ちあげて軽く合わせると硬質な音が響いた。口に含むと濃厚な味わいが舌を包んでいく。さらに予めジェラルドが注文していたのだろう料理を先ほどのウェイトレスがテーブルまで運んで来た。時間はそろそろ夜更けと言っていい時間で、既にお互い夕食を済ませているであろうことからその量は随分と控えめだ。ジェラルド推薦のワインをその運ばれたチーズと合わせて楽しむこと暫くの間、他愛もない雑談を続けた後にようやく彼は本題を切り出した。


「さて、わざわざトーリにここまで来てもらった件なんだが……勿論君は私達が初めて会った時のことは覚えているだろう?」


彼の問いに俺は静かに頷きを返す。この体になってからというもの、記憶力も抜群に向上している。元の世界で一度見ただけにすぎない情報などもが鮮明に思い出すことが出来るというこの便利な力は、俺がブレスレットを通じてキャラクターを成長させる上で欠かせないものだ。特技や呪文、あるいは技能の使い方、クリーチャーの一般的なデータ。この世界で俺だけが持つ、異質の情報を汲み取る力だ。それだけでなく、物覚えの良さというものは生活全般に渡って有用だ。俺のその反応を見て満足そうに頷くと、ジェラルドはグラスを置いて話を続けた。


「君にはボードリー・カータモンの悩みを解決するのに協力してもらった。

 あの時はハザディルというバグベアの密輸商人がボードリーの倉庫に目をつけていたんだが、君の助力を得てその企みを頓挫させることが出来た。

 おかげで彼はコインロードの信頼を失うことなく真面目に商いに精を出していた──つい先日までは」


そこまで話してジェラルドはこちらの反応を窺うように言葉を止めた。口ぶりから言うと再びボードリーに絡んだ難事が発生したということなのだろう。それは俺にとっても心当たりのあることだ。俗に"ボードリー三連クエスト"と呼ばれる事件にはアップデートによって続きが追加されたのだ。中レベル帯に位置するそれは、レイドクエストに繋がる重要なものとして記憶している。


「最近この街を騒がしている海賊騒ぎは君もよく知っているようだが、それに絡んだ内容だ。

 ボードリーは熱心なソヴリン・ホストの信仰者で、稼ぎの1割を常に寄付する篤志な男なのだがどうやらそれがディヴァウラーに嫌われたようでね。

 ここ暫く、彼の倉庫から出た荷物を載せた船はその全てがシャーンに届く前に悪神に招かれて海底に沈んでいるんだ。

 おかげで最近ボードリーはこの酒場でも顔を真っ青にして、程度の低い酒を呷っては酔いつぶれている始末だ。

 幸いこれまでの堅実な商売が実を結んでいるためにすぐに破産とはいかないようだが、それも明晩遠からずといったところだろうな」


ジェラルドはそこまで話すと首を横に振ってやれやれとでも言いたげにしながらグラスを口に運んだ。俺が不在にしている間にカルノが集めていた情報には確かにそういった内容も含まれていたが、彼の話はそれを裏付けるものだった。そしてその話しぶりからして不運という言葉で片付けられるものではない、この事件についてさらに深い事情をこの男が握っていることを予想させるものでもある。


「さらに間が悪いことに奴のビジネス上のパートナーと思わしき連中がここ2、3週間の間に、何年も滞納していた税金を完済している。

 そのうえ大規模な買い付けを行なって積荷を満載した船でシャーンとの交易を悠々と行い、莫大な利益をあげている。

 こういった流れの中にある悪の作為を放置する訳にはいかない──そういったわけで、何人かの捜査官がこの港を隅から隅まで走り回った。

 その結果として、裏で手を引いている悪辣なバグベアの密輸商人を姿が浮かび上がってきたというわけだ」


バグベアの密輸商人、ハザディル。それがこのクエスト「ハイディング・イン・ザ・プレイン・サイト」で相対することになる相手だ。このストームリーチで阿漕な商売をやっている組織の長だけあり、本人も強力な戦闘能力を有していた。また部下の質や量も生半可なものではなく、高難易度では無造作に突っ込んでいった前衛が瞬く間に死体になることもザラだったほどだ。レベル12が上限だったころの、数少ないレベル10クエスト。多くのプレイヤーがクエスト入り口にある罠で即死した経験もあるであろう、印象に残るクエストだ。


「そこまで解っているならあとはそいつを排除して"めでたしめでたし"ってやつじゃないのか。

 わざわざ俺を呼び出して世間話に聞かせるような内容じゃないと思うんだがね」


だがこの世界には冒険者や腕利きは俺の仲間だけではない。権力者はその権勢を維持するために強力な手駒を抱えているものだ。コインロードの面子にも関わるようなこの事件であれば、そういった切り札達が送り込まれそうなものではある。単騎での戦闘力はエレミア達に勝らずとも、その数と連携は十分に脅威としてこの街に存在していることを俺は把握している。


「このハザディルは厄介なやつでね。なかなか本人の尻尾を掴ませないんだ。

 長い間、このストームリーチを荒らしてきた癌のようなやつだけあっていろんな所に隠れ家や秘密基地を持っている。

 前回よそ者の犯罪組織がこの街に進出を図った際に、コインロードたちはこの街に巣食うチンピラどもを根こそぎ退治する計画を立てた。

 だがその中でも奴だけが我々の手をすり抜けていった。

 そして奴は我々をあざ笑うように、空白地帯となったこの街の裏側で勢力を伸ばしている。その手法は大胆で、強引なものだ。

 ならず者のグループに部下のオーガを送り込み、力で従わせてライバルたちを襲わせるのが常套手段だが、どんどん派手になってきている」


つまり、ハザディルの居場所を掴めないために始末しきれていないということか。確かにゲームでのハザディルの能力を考えれば高位の術者であることが推定できる。ならば占術に対する対策は十分だろうし、地道な尾行や調査を行うにはこのストームリーチの地下は環境として厳しすぎる。それらが相まって簡単に決着がつく話ではないということか。

そしてさらにジェラルドの語った手口には身に覚えがある。俺が先日始末したルーグ海賊団もそうだし、カルノがラピスやフィアと一緒に関わった倉庫での一件もコボルドの"ボーンバイト族"をよそ者のオーガが従えていたという話だったはずだ。既存の集団に荒くれ者を送り込んで支配し、自分の手駒として活用する──そんな存在がいるとなれば面倒な話だ。さらに潰しても潰しても次が現れるとなると、厄介なことこの上ない。


「随分と厄介な話だな。そもそもが昨日今日どころか随分前からこじらしている問題みたいじゃないか。

 ハザディルっていうのは一体何者なんだ?」


情報から察するに、相当以前からハザディルはこの街の裏側で暗躍していたようだ。ボードリーが狙われたのはおそらくは港湾地区を支配するストーム・ロード、グレイデン家と強い繋がりがあるためだろうし、今回の動きは明確にストーム・ロードに敵対する意志を表明したと見ていいだろう。ただの密輸商人とは思えない。そんな俺の疑問に対して、ジェラルドが答えてくれた。


「ハザディルの一味は、元はこの地に集っていた海賊たちの一派だ。

 ストームリーチがガリファー王国に開拓される以前、この地で強い勢力を有していた4つの海賊団は現在のストーム・ロードとして君臨している。

 だが、勿論他にも多くの海賊たちがこの地には存在していた。

 そういった連中の中でも4つの海賊団のいずれかに属することを良しとせず、地下に潜った連中を纏めあげたのがあのバグベアというわけだ。

 特にガリファーから派遣されてきた5人目の領主、港湾地区を支配しているグレイデン家は連中にとっては自分たちの地位を掠めとった盗人に見えるのだろう。

 以前からその手口の多くがハーバー・ロードを狙い撃ちにするものだったのは、そういった恨みのためだと私は踏んでいる。

 ひょっとしたらグレイデン家に取って代わるつもりなのかもしれないし、全てのストーム・ロードを敵に回すつもりなのかもしれない。

 そうやって疑心を煽ることで自分たちに優位な状況を作り出し、実際に既に何人かのロードと密約を交わしているのかもしれない。

 いずれにせよ我々としてはこれ以上放置するわけにはいかないのだが、ロードたちは自縄自縛で動くことが出来ない、というわけだ」


ジェラルドがその大げさな身振りを混ぜながら状況を丁寧に説明してくれた。やはり単なる密輸商人では無かったというわけだ。そしておそらくロードたちがお互いの紛争の中で失ってしまった、あるいは元より知られていないこの地に関する情報をハザディルは有しており、その地の利を活かして活動しているのだろう。そしてロードは疑心から自分の手駒を動かすことは出来ず、そのために根無し草である俺たち冒険者にお鉢が回ってきたというわけだ。冒険者とはいえ、ある程度の実力を認められた者たちは大抵が組織をパトロンとするために紐付きとなってしまう。半年という短期間でその実力を一気に伸ばしたエレミア達は、能力に比してそれほど名が売れていない。最近まで意識的に俺がそうなることを避けていたためでもあるが、フリーの冒険者としては破格の実力であることは間違いない。


「ハザディルが権勢を振るうようになれば私は勿論、君も良い暮らしは期待できないだろう。

 以前のことで奴は得意先である翠玉爪騎士団との取引を中止せざるを得なくなったと聞いている。

 執念深いバグベアはそのことをきっと忘れていないだろう」


ジェラルドに念を押されるまでもなく、これは放置しては置けない問題だ。ボードリーの倉庫に絡んだ一件で俺がハザディルに与えた損害は少なからぬものだろうと予想できるし、ルーとフィアにとっては故郷を滅ぼした仇敵である。ジェラルドとしてはそういった因縁浅からぬ仲である俺のチームを、ハザディルとの戦いに引きこもうということなのだろう。


「いいぜ。そのうち手を付けなきゃいけない問題だと思っていたところだ。話を続けてくれ」


元より友好的な関係を築きようもない相手だ。ジェラルドから話が出なくとも、遅くとも半年のうちには決着を付ける気でいたところである。貰える情報はもらっておいた方がいい。


「先ほどはボードリーの荷物を積んだ船が"全て"沈められているといったが、それは間違いじゃない。

 名義が違う別の船主や、果てはリランダー氏族の精霊捕縛船までがその被害に遭ってサンダー海の藻屑と化している。そこに例外はないんだ。

 ボードリー本人はスパイを疑っているようだが、それはこの際大した問題じゃない。

 リランダー氏族の船をも沈めうる海戦能力。このサンダー海の治安を揺るがす一大事だよ」


ジェラルドはグラスを置くとテーブルに肘をつき、手を組んでその向こう側から俺に真剣な視線を飛ばしながら自分の推論を語った。確かにその考えは俺の知識とも合致するものだ。だが解せない点がある。


「確かにリランダーの船を沈められるってことは、この海のどんな船でも同じ目に遭う危険性があるってことだ。

 でもなんでそんな力を持っている連中がボードリーに拘っているんだ?

 その気になれば自分たちの意に沿わない船全てを沈めて海の王様を気取ればいいだろうに」


それにボードリー本人を拐かすなり暗殺するなり、迂遠な手段を取らずとも相手を失脚させる手段はいくらでも考えつく。それに積荷を奪わずに船ごと沈めるのであれば、いっそ倉庫に火を放っても同じ結果ではないだろうか。わざわざ海の上でその船を破壊している意図が掴めない。


「おそらくは、奴はこの街に不和の種をばら撒くためにボードリーを生贄に選んだんだろう。

 積荷を奪うのではなく船を沈め、ストーム・ロード達を挑発しながらもお互いを警戒させている。

 このままいけばボードリーを始めとして港湾地区に倉庫を持つ商人たちの顔ぶれは半数以上が入れ替わる。

 グレイデンの影響力は下がり、街にはロード達を侮る空気が蔓延するかもしれない。

 ボードリーの首を真綿で締めるようにゆっくりといたぶることで、奴は自分の力を街中に示しているというわけだ。

 勿論以前に取引を台無しにされたことに対する意趣返しでもあるのだろうがね」


ジェラルドの推察に俺は成程と頷いた。既に十分に金と暴力を有しているハザディルにとっては、ボードリーを精神的に追い詰めることは目的ではなく手段でしかないというわけだ。ストーム・ロード達は強力な戦力をそれぞれが有しているが、お互いの不和から全力を発揮することは出来ない状況だ。ジェラルドの推理が正しいのであれば、ハザディルは随分と狡知に長けた人物ということになる。そしてそういった社会戦を含めた戦いは俺としては苦手なところでもある。


「で、俺は何をすればいいんだ? 今度はボードリーの船で張り込みをすればいいのか?」


勿論、ジェラルドも俺に社会戦を期待しているわけではないだろう。彼が冒険者に求めるのは直接的な戦闘力だ。最初に俺が彼から受けた依頼もボードリーの倉庫に入り込もうとする侵入者の撃退だった。ボードリーの部下であるタンバーが罠を仕掛けている間、人間では通り抜けられないような小さな隙間から侵入してくるコボルドをひたすら迎え撃ったのはもう随分昔のことのように思える。


「このストームリーチは危険な街だ。相手の動きを待つような消極的な動きでは敵に飲み込まれてしまうだろう」


そして俺の言葉に対し、ジェラルドはニヤリと笑みを口に浮かべてあの時と同じ言葉を返した。ただ違うのは、そこから先に続けられる俺の役割だ。


「前回は君が囮でタンバーが本命だった、だが今回はその逆になる──君には、ハザディルの首を取ってもらいたい」


薄暗い店内で、ジェラルドの瞳が鋭く細められた。周囲の体感温度が何度か下がったかのように感じられるのは彼の威圧感が俺に汗をかかせたということか、それともグッドブレードのそのフィクサーとしての一面が俺に錯覚を抱かせたのか。いずれにせよ、彼が強い決意で今回の仕事に臨んでいることが窺える。それだけの大勝負だということだ。


「この街の地下水路を徹底的に洗い直した結果、不自然な区画をいくつか発見した。

 ストームリーチが成立する以前、100年以上昔の古地図にも載っていないものだ。

 だが我々人間より以前、この地に栄えていたスリクリーンの文明時代の記述ではそこに港があると記されている。

 占術による探査も及ばない、この大陸におけるトラベラー神の気紛れが生み出した地下の秘密港。おそらくは奴はそこにいる」


巨人族の文明が衰退して以降、この地にはいくつかの文明が勃興したと言われている。今は街の郊外に居住しているルシェームと呼ばれるジャイアントの一派がまずこの地を訪れ、彼らが去った数千年後にはシー・デヴィルを奉じるサフアグンが海と陸の境界を曖昧にし、どこからか現れたストーン・ジャイアントの一団が彼らを追い払うまでの間繁栄を続け、その後に現れたのがスリクリーン──二足歩行する蟷螂人だ。そのマンティスフォーク達は1万年近くこの地で栄えていたと言われているが、今は地上のどこにもその姿を見せない。唯一いくつか彼らの文明の痕跡が残されており、歴史学者はそういった発掘物などから彼らの謎を追う研究を続けている。

コーヴェアの文明人たちがこの地に訪れたのは、スリクリーン達が消えて6百年以上経過してからと言われている。様々な文明が積み重なったこの街は深く潜るにつれ異なった様相を呈するが、時折地殻変動などの影響で別の文明同士が繋がり交じり合ってしまった区画などがある。この地はまさに遺跡の表層に人間が間借りしているだけの土地であり、薄皮一枚めくればそこは未知の文明が眠っているのだ。そういった秘匿された区画を密輸商人──いや、海賊時代のハザディルが発見し、今まで誰にも知られずに活用してきたのだろう。


「そんなことが解っているならもっと早くに手を打てたんじゃないのか?」


俺の疑問はもっともなものだろう。だがそれに対するジェラルドの答えは簡潔だった。


「これが判ったのはつい数日前のことだ。ここからは随分と離れた、ヒュドラ河を遡った先にある遺跡がスリクリーンのものだと鑑定された。

 そこはどうやらこの土地の同族たちと交流があったようでね、その記述の中に知られざる地下港についての情報があったというわけだ。

 当時、荒れていて航海に適していなかった海上を捨てて彼等は海中を進む船を創りだしてこの地の同胞と交流を行なっていたようだ。

 ハザディルがどうやってその事を知ったのかは解らない。

 だがこの海域でストーム・ロード達に知られずに船舶を運用する手段は他にはないはずだ。

 たとえ逃げられたとしても、密輸商人として活動できなくなれば奴の資金源を一気に断つことになる。

 そうなれば奴はもう再起不能だ。大陸の奥地に逃げ延びようとも、二度とこの街に手出しは出来なくなるはずだ」


どうやらその場で殺害することができなくとも、この街からハザディルを排除することが出来ればそれで許容するということではあるらしい。それはある意味当然の事だ。それは高レベルキャラを生け捕りにする事は至難の業であり、ジェラルドもそれを十分に理解しているからだろう。数秒を与えれば瞬間移動の呪文ではるか遠くに離脱されてしまし、例えその場所が転移無効化空間──"フェアズレス"だとしても土地勘がある者であればその正確な範囲を把握しているはずだ。そこから一歩でも出れば転移可能なため、逃さないためには初手で決定的な一撃を打ち込む必要があるのだ。そしてそれも当然相手のレベルが上がれば上がるほど困難になる。


「成る程。殺すか、お宝を持って逃げるだけの時間を与えずに追い立てろってことか。

 だがそれだけ派手に動いている相手なんだ、部下の頭数も質も相当なもんじゃないのか?」


衆寡敵せず、とは言うもののやはりある程度以上の質があれば数は脅威足りえる。完全に無効化することの出来ないタイプの呪文、《ホリッド・ウェルティング》などを数多く同時に撃ち込まれれば削り殺されかねないということは嵐薙砦で経験済みだ。これは極端な例ではあるが、ゲーム的には同レベルの敵2体は2レベル上の脅威と等しいと考えられる。4体で4レベル上、8体で6レベル上……となるが、それは単なる能力の高低以外に手数の差が戦力差となることを示しているのだ。圧倒的な能力差というのは確かに存在する。だが、それを覆す物量というものもまた同時に存在するのだ。定命の存在である限り、その限界を超えることは難しい。


「勿論、出来るだけ手薄になるように手を打つつもりだ。

 君の了解を得られれば、ボードリーは二日後に手持ちの金で行える最後の仕入れを行い、船を出す予定になっている。

 そして今回は航路を二手に分ける──コルソスを経由するルートと、"シャーゴンズ・ティース"を抜けるルートだ。

 傍目には賭けに見えるだろう。だがああいった連中は何よりも体面を気にするものだ。

 ここまで封殺してきたボードリーが息を吹き返すのを見過ごすわけもないし、双方の船を沈めるための追手を出すはずだ。

 君の一行にはその隙をついて奴の拠点に向かい、ハザディルを倒すか、それが無理だった場合は二度と使いものにならない様に港を破壊してもらう。

 ハザディルが追手の船に乗り込んでいたとしても、帰る港を失ってしまえば翼をもがれた鳥同然だ」


そのジェラルドの言葉を受けて俺は少し考える。ゲームで戦った時の敵の総数は100体ほどだっただろうか。一般的な帆船の場合、運行させるだけに必要な乗組員の最低人数は20名ほどであり、余裕を持たせるために何人かは多く乗ることを考えても、2つのルートをハザディルが追えば50名ほどの人員が必要となる。上手く行けば敵の戦力を半減させることが出来るというわけだ。

敵の殲滅は十分可能だろう。だが問題はハザディルを処理することが出来るかどうかだ。その可否に大きく影響を与えるのが奇襲の成否と敵味方の手数の差だが、ジェラルドの策が成功すれば厄介な呪文使い達はある程度船舶の管理に駆り出されるであろうことが予想できるため難易度は下がる。もし逃げられたとしても、その拠点を粉砕してしまえば成果としてはそれで十分だというのであればこれは俺にとっても好機だろう。

何よりこのまま放置しておけばボードリーやタンバーは路頭に迷うどころか首を吊ることになりかねない。ジェラルドには家を探す際に案内人を紹介してもらい、ボードリーにはその後、家を建てる際に権利関係で奔走してもらったりもした。もし他の冒険者がこの依頼を受けて失敗しようものなら、長い間後悔することになるだろう。そんな後味の悪い可能性を受け入れたくはない。


「仕事の内容は解った。早速準備に取り掛かろう。

 ──決行までの段取りと、詳しい情報についてもう少々話を詰めようじゃないか」


首肯するジェラルドを確認し、俺は席に深く腰掛けなおした。ルーとフィアの故郷を滅ぼしたハザディル。予定よりは早いが、ついにその組織とぶつかる時が来たのだ。本来のクエストの導入と異なるこの流れは、今までの経験からいって相当な難易度の高さが想定される。だがこの機を逃した場合、この街自体が全く俺の知らない勢力図に書き換えられてしまう可能性もある。

俺一人であれば迷っただろう。だが今の俺には十分に頼りになる多くの仲間がいる。皆がどこか突出した能力で俺を上回る、他に望むべくもないメンバーだ。彼らと一緒にいるのであれば、切り開けない困難は無いはずだ。そしてその能力を最大限に発揮できるように指揮することも俺の役割なのだ。

そのためにも事前の情報収集は欠かせない。ジェラルドとの対話が終わった後も、俺は自分に尽くせる手を尽くして万全を期すための努力を続けるのだった。



[12354] 6-3.ハイディング・イン・ザ・プレイン・サイト
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/02/17 09:20
真っ暗な水の底。俺を含めた仲間の全員は魔法の保護を身に纏い、サンダー海からゼンドリック大陸に打ち寄せる波間を潜り込むようにして水中を進んでいた。《フリーダム・オヴ・ムーブメント》の呪文は陸上と変わらぬ行動と機動を水中でも可能とし、《エアリィ・ウォーター》の呪文は水圧や呼吸の問題を解決してくれる。戦闘力の維持という面において、陸や空にいる状態となんら遜色ない状態だ。

地下港と呼ばれるハザディルの秘密基地への経路は、スリクリーンの歴史が記された古い石版に記載されていた。ただそれは当然彼らが当時利用した海路に沿ったものであり、それに沿って俺たちは全員が潜水して目的地に向かうことになったというわけだ。俺の記憶にある街の地下構造からのアプローチではなかったためクエストとは異なる侵入経路となっているが、街からのアプローチは当然多くの警戒がされており人員も配置されているであろうことを考えればこちらのアプローチのほうが奇襲には向いているはずだ。

勿論こちらの経路も無警戒というわけではなく、迷い込んできた水棲生物や侵入者を排除するためであろう番犬役のヒュドラが途中その鎌首をもたげていたり、その先には《アラーム》の呪文が幾重にも仕掛けられているなど警戒レベルは充分なものだった。だがそれは一般レベルの視点から見たものだ。ヒュドラはルーが一瞥しただけでその多数の首を竦めて大人しくなり、警戒の呪文は水底を掘り抜いて迂回することで通り抜けた。下手に殺害や解呪を行えば敵に察知される可能性もあるため回りくどい手段を取ることになったわけだが、戦力の温存という意味では良い結果になったといえるだろう。

そうやって進んでいると、やがて水中に明るい光が差し込み始める。どうやら目的地への到着が間近のようだ。念話で合図を飛ばし支援呪文の付与を開始しつつ、俺達はじりじりとハザディルの秘密基地へと忍び寄っていった。








ゼンドリック漂流記

6-3.ハイディング・イン・ザ・プレイン・サイト








ほどほどの透明度の海水のおかげで、水面下からでも秘術の明かりに照らされたその洞窟の概要を十分に窺うことが出来る。数百メートル四方にも渡るその広大な空洞内部は小規模な港として整備されている。桟橋にはエレメンタル・サブマリンが1隻係留され、出港の時を待っているようだ。その周辺には積荷を運んでいる屈強なオーガやバグベアの姿もある。桟橋の様子からすると他にも2,3隻の船舶が停泊する余裕が有るのが解る。どうやらジェラルドの策は功を奏しているようだ。

ゲームの知識ではこの秘密港は複雑なストームリーチの地下構造に繋がっており、それを通じてハザディルは街中にエージェントを送り込んでいたはずだ。そしてこの港を使うことでコインロードに知られることなく密輸を行なってきたのだろう。D&D世界には潜水艇も存在しているが、長期の航海に向いたものではない。噂ではカニス氏族が最終戦争のさなかに3隻の精霊捕縛型潜水艇──従来の風の精霊ではなく、水の精霊を呪縛することで水中への潜行を可能としたもの──を開発したとは聞いているが、実際にはほとんど運用されていない。それはやはり積載量が通常の船よりもかなり少なくなってしまうからだろう。戦争が集結した今となっては、シーレーンの防衛にそこまでのコストをかけられないという事情もあるのだろう。

だがハザディルはそれを実行している。カニス氏族ではなくスリクリーン文明の遺産を用い、この近海を我が物としているのだ。海上を浮くように進むエレメンタル・ガレオンと比較すれば速度では敵わない。だがこと戦闘になれば3次元航行が可能な潜水艦による待ち伏せは圧倒的な有利を生む。秘術でその差を解決する手段もある。《サブマージ・シップ/船舶潜水》という第七階梯の秘術呪文は通常の帆船に水中航行能力を与える。だがシャーンの大導師と呼ばれる存在ですら第六階梯までの呪文行使までしか行えないこの世界で、第七階梯以上の所謂高位秘術の使い手を船の維持のために拘束することは出来ないだろう。そして攻撃側は水中から《ファイアーボール》などで攻撃するだけでいい。攻撃呪文の多くは水中でも陸と同様の殺傷力を発揮する。深海から船底めがけて術者が攻撃呪文を撃ちこめば、一撃で竜骨を破壊することも可能なはずだ。

船から視線を移し、さらに他の区域の様子を窺う。埠頭に隣接する形で三つの扉と一本の通路、そして左手の壁際に埠頭全体を見下ろすロフトのような建築物が一つ。最後の一つが俺の知識ではハザディルの執務室となっている場所だ。どうやら俺の記憶の中の知識と実際の構造に大きな差異は無いようだ。転移と占術に対する防御がされているようでこうして直接侵入する以外に事前情報を入手することができなかったが、これであれば事前の打ち合わせ通りに予定を進めることができる。


──予定通り先行する。ラピスとフィアは同行してくれ。最後の付与呪文が終わったら左手上方に見える区画へ浸透する。

メイはここから港全体の様子を伺って、異常があれば報告してくれ。エレミアはメイの護衛、ルーは水棲の生物が近づいたら対応してくれ──


水面下に潜ったまま、念話で最後の方針確認を行う。了解の返事が返ってくると同時に、メイが音声要素を省略した呪文を使用することで最後の支援呪文を付与する。高位術者ですら数分しか持続しえないそれらが完了するのを待って、隠密に優れた俺とラピス、フィアが密かに水面から浮き上がった。《スーペリア・インヴィジビリティ》は姿だけではなく匂いや音、熱などのあらゆる知覚の源となる物理現象を隠蔽する。さらに水面に広がる波紋は打ち寄せる波間に紛れて消えた。通常であれば不可視を看破する呪文の効果すら遮る特殊な幻術を纏い、俺達三人は無音で空を駆けハザディルの執務室へと向かう。

水中を進んだことで装備が濡れることは避ける事が出来なかったため、空中を進む俺達の体からは水滴が零れ落ちていく。第八階梯の呪文といえども、体を離れた飛沫まではカバー出来ないのだ。一処に留まればすぐにでも広がる水溜りに異常を察知される可能性があるため、俺達のとった手段は速攻である。魔法的・物理的に可能な限りの隠蔽をしても、発見される可能性をゼロに出来るとは考えていない。だが発見から対応されるまでの間にこちらの用件を済ませてしまえばいいのだ。

幸い障壁などは設置されていないようで、執務室には飛行により直接飛び込むことが出来た。低い手すりに囲まれ、テーブルがいくつか置かれただけの簡素なそのロフトにはバグベア以外にも3人の人影が見えた──だが予定に変わりはない。全員がある程度の護りの呪文を身に纏っているようだが、こちらに気付いていないのであれば対処は容易いものだ。まず奇襲の先手を担ったラピスが、転移による離脱を阻むための《ディメンジョナル・アンカー》を放つ。それはこちらに反応できていないバグベアに命中し、その肉体を物質界に貼り付けた。次いで俺が秘術のエネルギーを解き放つ。対人に特化された不可視の衝撃が無音で空間を揺るがし、範囲内の生物の脳をシェイクする。

だが巨竜すらノックアウトするその攻撃を受けてなお、バグベアのみは意識を失わなかった。いや、正確には意識を失う直前に予め護身のために準備されていた待機呪文が起動し、その衝撃を癒したのだ。だがハザディルの実力をメイと同等程度と想定していた俺にとって、その程度の備えがあるであろうことは織り込み済みだ。高速化した同規模の呪文が再度炸裂し、今度こそバグベアの意識を切り飛ばす。非常用呪文《コンティンジェンシィ》は同時に一つしか付与できず、瞬間移動による逃走をラピスが防いだ以上この連撃に耐えるすべはない。フォローのために距離を詰めたフィアが床に転がる4名の意識がないことを確認していき、問題ないことを俺たちに合図する。


──無力化は間違いない。私は警戒に移る


透明化状態を維持した上無音で敵を瞬殺したために、まだ誰もが襲撃には気づいていないはずだ。打ち合わせ通りフィアがこの執務室へ近づく者がいないかを警戒している中でラピスが室内の目ぼしい品を回収し始め、俺は無力化した男たちの拘束を始める。バグベアと同席していた連中は特徴的な装身具から"アーラム"と呼ばれる組織の工作員であることが判る。銀の指輪はその中でも比較的上位に位置する構成員の証だ。彼らがハザディルのスポンサーだったということだろうか。

彼らアーラムはこの街では小さな支部一つ、そしていくつかの下部組織とストーム・ロード達との繋がりを有しているに過ぎなかったはずだ。そしてその中で最も密接な関係にあるのはアマナトゥである。アマナトゥとクンダラク氏族の蜜月、そして富裕層を中心としたアーラムの繋がりはむしろ当然だが、それがハザディルにまで伸びるとなると一気に事態はきな臭くなる。

アマナトゥとグレイデンの関係はお世辞にも良いと言えるものではなく、ハザディルはグレイデンを憎んでいる。アーラムがその両者の仲立ちをしていたとなると厄介だ。ストーム・ロード同士の権力闘争、それが水面下で本格化していたということになる。少なくともこの街に3人いる"プラチナ・コンコード"の中で最も有力な一人がリランダー氏族と協力関係にあることを俺は掴んでおり、それに対抗する組織内の別派閥がハザディルと手を結んだと考えるのが自然だが──いや、考え事は後回しだ。状況の整理はこの男たちから情報を吸い出した後でいい。

俺はバグベアを除いた昏倒している3人に《フレッシュ・トゥ・ストーン/肉を石に》の呪文を打ち込み石像へと変え、"ポータブル・ホール"の中へと収納していった。この異次元空間内の酸素の量は限られており普通に人間を放り込めば十分も経たない内に酸欠で死亡させてしまうが、石像に変えてしまえばその心配も不要なのだ。下手に殺せばどこか別の場所で蘇生されたりすることも考えられるが、石化は『死亡したわけではない』ために蘇生をも防ぐことができるという点で状況次第では殺害よりも有効な手段足りえるのだ。

そしてわざわざバグベアを残しておいたのは、尋問のためだ。実際にこのバグベアがハザディルであるかどうかの確認がまず必要だからだ。《アーケイン・サイト》でバグベアに付与されている呪文を確認し、解呪していく。術者としての素の性能はこのバグベアのほうが高いのかもしれないが、様々な補助により大きく向上している俺の呪文強度は彼を上回るようで、呪文は次々とその持続時間を終了させていった。

まず解呪を行ったのは尋問のために《ドミネイト・パーソン/人物支配》などの呪文を作用させる必要があり、そういった支配・魅了に関する心術に対する防御呪文を剥がすためだ。決定的な呪文だけにその対策は高位術者であれば当たり前のようにしていると考えた方がいい。そしてさらに抵抗力を奪うために《エナヴェイション/気力吸収》の呪文で負のレベルを十分に与えてから、《ドミネイト》の呪文を使用すればさらに万全だ。

だがその俺の下準備は無為に終わった。確かに俺の指先から放たれた黒い光線はハザディルに命中したものの、それがこのバグベアに負のレベルを与えることはなかったのだ。続けて発動した《ドミネイト》も、何かに妨げられるようでバグベアを絡めとるには至らない。とはいえこのバグベアは指輪やそれに類する魔法的な装身具も身に着けていない。いったい何が俺の呪文を遮っているのか? だがそう考え始めた俺の脳裏に、メイからの念話が響いた。同時にフィアも敵の接近を告げる。


──港全体に散らばっていたオーガとバグベア達が一斉にそっちに向かっています!──

──30体ほどが攻撃態勢でこちらに向かって来る。先頭の到着まであと20秒!──



いくらなんでも露見が早すぎる! 呪文か何かで常にこのバグベアを監視するような体制を敷いていたということだろうか。幸いここは2階にあり、梯子などを使用しなければ上がってくることは出来ない。視線を梯子へと向け、《ファイアーボール》の呪文を解き放つ。先ほどの《ショックウェーヴ》と異なり爆音を発しながら構造物を破壊するその魔法により、部屋の一部が梯子とともに吹き飛んだ。

大雑把に見える対処法だが、構造物を外から見た時点でどの程度の破壊であればこの部屋が無事なままかは〈建築学〉によりおおまかに把握できている。これで暫く時間が稼げるだろう、そう判断した俺はバグベアに向き直り──そしてそこで自分の過ちに気づく。分厚い体毛に覆われたその頭部に覗く4つの穴、その奥でぬめって光る緑色の物質──


「ヴォイド・マインド!?」


かつてのラピスも陥っていたマインド・フレイヤーの奴隷、ヴォイド・マインド。この哀れな儀式の犠牲者の状況は主たるマインド・フレイヤーに常に監視されている。つまり外のオーガ達が俺達の襲撃に気づいたのはこのヴォイド・マインドとマインド・フレイヤーの精神的な繋がりによるものなのだろう。幸い身体自体が大量の非致傷ダメージで昏倒している今、ハザディルの体を経由して寄生主が力を振るうことは出来ない。だが、ヴォイド・マインドが一体とは限らないのだ!

慌てて手すりの先、階下を見るとそこには大量のオーガやバグベアを中心とした部隊が迫ってきていた。この距離では濃い体毛に覆われて頭部にあるかもしれない穿孔の有無を全て確認することは出来ないが、ある程度はヴォイド・マインドが混ざっていると考えたほうがいいだろう。少なくともおそらくは指揮官クラスはマインド・フレイヤーからの指示を受けているはずだ。彼らは梯子が破壊されていることを見て取るやいなや、階上の生存者──ハザディル達のことなどまるで気にせずこの部屋を支える支柱へとそのグレートアックスを叩きつけた。大勢のオーガが入れ代わり立ち代わり攻撃を加えることで、建造物は容易く崩れ落ちる。


──ヴォイド・マインドと遭遇、全員精神作用に対する防御を徹底! ラピスは周辺の捜索、メイ達は退路の確認と確保を!──


傾いた床上を滑るように走りながら、俺はハザディルを"ポータブル・ホール"へと放り込んだ。石化させる時間は無かったが、一人分であれば10分程度は酸素ももつ。だがそこまで長い間ここでの離脱に時間を食うことはない。こいつが死ぬときは、俺達がすでに死んでいる時だ。可能であればこの港の敵を殲滅してからゆっくり調査を行いたかったところだが、それだけの余裕はありそうもない。

階下に落とされた俺達に対し、歩幅の関係からオーガの後方に位置していたバグベアの集団、そこに紛れていたドワーフの術者から《グリッターダスト》が放たれた。振りまかれた雲母の粉末が秘術により金色に輝き、爆発的にその量を増大させて半ばまで崩れ落ちた建物跡へと降り注ぐ。《スーペリア・インヴィジビリティ》による不可視化とはいえ、それは知覚を誤魔化しているだけで実際にその場にいることに変わりはない。咄嗟の反応で目を瞑り目潰しを食らうことは避けたものの、金粉が体に纏わり付いて体の輪郭を浮かび上がらせてしまう。

ラピスは呪文の効果範囲から逃れていたようだが、そうやって姿を現した俺とフィア目掛けてオーガの群れが押し寄せてくる。3メートルを超える巨人達が10体、グレートアックスや棍棒を振りかざしている。いずれも今まで見たどのオーガよりも鍛えられているようだ。足運びも隙なく、武器による攻撃も力任せではなく技巧に重きを置いたものだ。足並みを揃えて襲い掛かってくる様からは連携が取れていることも見て取れる。相当な訓練を積んでいるのだろう。

だがそんな攻撃も所詮常識の範囲内に過ぎない。刃の化身の如きエレミアの剣舞や、秘術と剣を掛けあわせたラピスの刺突のような理不尽な攻撃ではない。身体的に優れた種族が、厳しい訓練により習得した技術を持って振るう暴力──そんな程度では、俺に触れることは叶わない。

体を両断せんと振り下ろされる大斧。その動線から軽くステップを踏むことで体を逸らすと同時に、相手の間合いの内側へと飛び込む。そして交差の瞬間に体を捻って見上げるような巨体に対し、相手の膝を蹴って飛び上がるとその胴体に掌底を叩き込んだ。大型トラック等が使用する分厚いタイヤを叩いたような反動が腕を通して伝わってくるが、その抵抗も一瞬のことだ。俺の打撃はその筋肉の束を容易に貫通する。インパクトの瞬間に秘術によって何倍にも拡大された衝撃が浸透し、筋肉を突き破って体内で炸裂。臓器を破裂させ、骨を粉砕する。

そこまでのダメージを受けて即死しないのは激情の発露によりさらに身体能力を底上げしているオーガならばこそだが、戦闘能力を奪えばこの場では十分だ。それに今相手にすべきはただ近接戦を仕掛けてくるような前衛ではない。バーバリアンの激怒により脳のリミッターが解除され能力が底上げされたといっても、その近接戦闘能力が俺やフィアにとって脅威となるほどのものではないと判断したからだ。少し離れたところでは、フィアも敵の攻撃を危なげなく回避し、狙うべき獲物を見定めている。

今最も警戒すべきなのはオーガの膂力による攻撃などではなく、敵の術者とどこかにいるヴォイド・マインド、そしてその寄生主による超能力攻撃なのだ。頭部が剛毛に覆われたオーガに対し、目視で穿孔の有無を確認することは難しい。俺がそうやって周囲を一瞥している間に、フィアは刹那の判断で敵の攻撃を掻い潜って、先ほど俺たちに《グリッターダスト》を放ったドワーフの術者へとたどり着くと手に持った細剣を一閃した。高い精神集中が彼女に死線を認識させ、それをなぞるように振るわれたショートソードがドワーフをそのローブごと両断した。彼女はひとまず術者への対処を優先したのだろう。ならば俺の役割は残るヴォイド・マインドへの対応だ。

だがどうやって見分けをつけようかと思考を巡らせかけた俺へ、突如強力な指向性の超能力が放たれた。《ディスペル・サイオニクス》──超能力版の《ディスペル・マジック》が俺の体を包んでいた呪文を次々と解呪していく。俺が付与したものだけでなく、メイが付与した呪文までもが一撃で解呪されていった。サイオニクスと呼ばれるその秘術に似たパワーは一つだけ決定的に他の呪文体系と異なるところがある。それは一回の能力行使に大量のパワーポイントを注ぎ込むことで他の呪文体系では不可能な圧倒的な効果を発揮することが出来るというもので、それはどちらかといえば俺の行使する呪文体系に近いものだ。それを考えればこの呪文強度も不思議なことではない。だがそれだけ多くのパワーポイントを一回の超能力行使に注ぎこむことが出来るということは、相手がそれだけ強力な能力者であるということは間違いない。


──そちらから我が掌中に転がり込んでくるとは、愚かなものよ

──奴隷よ、地上の住民を殺すのだ!

──さあ、祝宴を始めよう!



周囲を取り囲んだ大勢のオーガ、そのうち数体の頭部から粘液に塗れた異形の触手が伸びていた。その触手全体が震えるようにして言葉を伝えてくる。ヴォイド・マインドを作成するのに必要なマインド・フレイヤーの数は3体。その全員がどうやらこの場を注視しているらしい。ディスペルに続いて、特異な精神汚染がこちらへと向けられるのを感じる。《エゴ・ウィップ》と呼ばれるそのサイオニック・パワーはその荒々しさで人間の心にある個性とでもいうべき精神的特徴をすり減らし、物言わぬ植物人間へと転じさせるのだ。

だが、先ほど皆への警告と同時に俺は一つの指輪を身につけていた。それにより体の周囲張り巡らされた薄い膜に弾かれたかのように、異形の繰り出した精神の触手は俺へ触れることが出来ずに中空で霧散する。"リング・オヴ・メンタルフォーティチュード"は着用するだけであらゆる精神作用を処断してくれる非常に強力な魔法具だ。士気を向上させる呪文や呪歌の効果まで遮ってしまうという弊害はあるにせよ、これがなくては即座に自我を削られて前後不覚に陥ってしまうため選択としてはやむを得ない。だがその代償として敵の第一撃を凌ぐことは出来た。超能力の痕跡がかすかに漂う異臭として残り、俺はその攻撃を繰り出したオーガの変異種へと狙いを定める。直後に放った三条の火閃がそのオーガ達の首から上を薙ぎ払い、消滅させた。かろうじて炎上を避けた触手の先端が溶け崩れ、地下港の床に染みを作る。だがそれらは寄生主にとっていくらでも替えの効く傀儡にすぎなかった。別のオーガの頭部から触手が伸び、狂気に打ち震える。


──抗うか、小癪な地上の生物が

──だがそれもよい、強者の心が折れる様も食事を彩るスパイスとなる

──ひとつひとつ、護りを剥いでやろう



マインド・フレイヤーは脳を貪る際にそこに蓄えられた感情や知識を糧とする。彼らがそうやって蓄えた知識は相当なものだ。勿論、いくら希少といえども自らの能力に対して脅威となる品について彼らが知らないわけがない。今度のディスペルは俺ではなく、装身具を狙って放たれた。歪な精神波長が魔法具に干渉し、その回路を一時的に不全に陥らせる。その時間は短ければ5秒、長ければ20秒ほどか。地下港全体に響きわたっているのであろう異形たちの不快な精神波が殺到する。

物理的なものであれば熱閃などの超高速攻撃であっても回避する自信はあるが、精神を直接攻撃するというそのパワーを回避することは出来ない。ただ自分の意志を強く持ち、押し寄せる狂気の波動に飲み込まれないように耐えるのが精一杯だ。狂気が俺の心からあらゆる衝動を削りとり、あるいは激しい感情の波が繰り返されることで精神を摩耗させる。指先ひとつ動かすにも億劫な感覚が付き纏う。だが自意識を総動員し、オーガの振り下ろす棍棒を転がるように回避しながら巻物を取り出して使用。発動した《ヒール》の呪文が精神に与えられていた傷を拭い去る。さらに機能を抑止された指輪を別の物へと交換。再び不快な精神波を遮断する。

精神を司る能力の達人たちが最大限まで強化して放ってくる《エゴ・ウィップ》の威力は致命的だ。先程は3発を打ち込まれ、その全てに抵抗してもかなりギリギリの状況だった。どこかで敵の精神力に押し負けてしまえば間違いなく自我をすり潰されていただろう。非常識な能力を持つ俺ですらそうなのだ、他の仲間たちが狙われれば一撃で戦闘不能に追いやられてもおかしくない。

だがその例外となる戦士がこの戦場には存在した。敵の超能力を無効化し、オーガの暴力の嵐を掻い潜ってヴォイド・マインドへと挑みかかる小さな黒い影──フィアだ。彼女の強い信仰心が生む加護は、普通であれば先ほどの俺が受けたように抵抗に成功しても影響を免れ得ない攻撃に対しても、その一切を無効化するのだ。そして彼女自身の高い抵抗力を突破するほどの強度は、このマインド・フレイヤー達は持ち得ていないようだった。そしてその加護は防御だけではなく、攻撃にも効果を発している。ショートソードが閃く度に、オーガの巨躯は切り刻まれ、あるいは急所を刺し貫かれて倒されていく。

勿論マインド・フレイヤー達は最も狡猾な部類に含まれる種族だ。攻撃が通用しないと見るや、即座に対処を切り替える。前線を担うオーガ達がフィアへと向かい、ヴォイド・マインドにとっての肉の壁となる。そして脳喰らい達を寄生主とした後衛達が俺へと向き直った。まずは頭数を減らそうというのだろう、先ほどと同じく思念波が津波のようにこちらに押し寄せてくるのを感じた。《エゴ・ウィップ》の波状攻撃だ。

だがその初撃を指輪が防ぎ、敵がその対応として再び解呪を放とうとしている隙に俺は一つの呪文を完成させていた。その呪文を解き放つと俺を中心とした半径3メートルほどの領域の法則が塗り替えられ、精神を陵辱せんと迫っていた波濤はそれに触れると無へと還って行く──《アンティマジック・フィールド》。あらゆる超常能力を抑止するこの空間は、魔法だけでなく超能力ですら無効化する。白兵戦向きのオーガ達の大半がフィアに向かったのをいいことに、俺はヴォイド・マインドの集団へと躍りかかった。

この領域内では脳喰らい達がヴォイド・マインドに及ぼす支配の力さえ無効化されるため、その護りを失った哀れな宿主達を俺の黒剣が切り刻んでいく。魔法の付与や魔法具の強化を失った俺の戦闘力は、普段に比べて大きく落ちている。特に回避能力は文字通り半減だし、呪文による攻撃が出来なくなったことで瞬間的な火力が大きく減じている。だが、それでもオーガの戦士を一体ずつ葬っていくことくらいは充分に可能だ。

だが俺の目的はあくまで敵がストームリーチに仕掛けている企みを阻止することであり、ハザディルの無力化はその手段にすぎない。そうなるとこのまま脱出するわけにはいかないだろう。ハザディルと思わしきバグベアが傀儡だった時点で、この組織の表の首領はマインド・フレイヤーから見ていくらでも挿げ替え出来る程度の価値しか無いはずだ。このまま脱出しても敵の企みを食い止めることには繋がらないだろう。そうなると次の目的はこの地下港の破壊ということになる。

そのためには、やはりヴォイド・マインドの殲滅が必要だ。地底港ゆえに天井をいくらか破壊してやれば崩落させることは可能だ。すでに《ファイアーボール》で破壊する箇所の目星もついている。いまいる場所の頭上は街から離れた小高い丘であり、地表までは2百メートル弱ほどあるはずだ。それだけの質量を崩落させれば一朝一夕で除去することは不可能だし、目的を達成したとしても良いだろう。だがそのためには《アンティマジック・フィールド》の解除が必要となるが、自身を守る為にはヴォイド・マインドを残したままこの呪文を解呪するわけにはいかないからだ。

そんな思考を巡らせつつ、また一体オーガの首を両断した。俺の眼前にはヴォイド・マインドと思われるオーガとバグベアが10体。殲滅速度はフィアのほうが速く、割り当ては同数程度であったにも関わらず彼女の周囲には既に7体しか残っていない。1分もしないうちにこちらに合流するはずだ。あとは退路が確保出来次第、天井を爆砕して脱出すればいい。

──だが、その俺の考えと共に均衡を打ち破ったのは敵の突然の動きだった。

俺の前にいたオーガが突如こちらを押しつぶそうとでもいうのか、その体で覆いかぶさるように圧力を掛けてきたのだ。隙だらけのその体を"ソード・オヴ・シャドウ"で斬りつけるも、今の弱体化した俺ではその一撃だけでは絶命させるには至らない。そうやって複数体のオーガが壁を形成し、俺を阻む。そうやって隔離された敵の最後列、そこにいた1体のオーガに突如異変が起こった。マインド・フレイヤーの秘技により脳に替わって詰め込まれた秘術物質、それが突然泡立つかのように膨れ上がったのだ。強靭なオーガの頭蓋骨も内側からの膨張には耐えることは出来ず、その内容物を溢れさせた。

膨張により薄まったのか、緑から白へと転じたその物質は、オーガの頭部を破砕しただけでは収まらずさらにその容積を拡大させた。それを中心に渦巻く思念波の波は視界を歪めるほどに現実へと干渉し、零れた余剰なエネルギーは火花と異臭を撒き散らしている。定命の者の限界を遥かに超えたサイキック・パワーが収束されていく。無謀な攻勢は俺にあの邪魔をさせないための肉の壁というわけか。だがどんな規模であれ、超常の力が《アンティマジック・フィールド》を超えることはない。専門家たるマインド・フレイヤーもそのことは充分承知のはず。つまりあれはこちらを攻撃する術ではないのだ。

そしてやがて三階建ての建物ほどまで球状に膨らんだその秘術物質は、その不要な部分をこそぎ落とすように落下させるとその内部から無骨なシルエットを露出させた。その体高は10メートルほど。幾重もの装甲板を殻のように纏った胴体が前後に大きく伸び、その前面の中央には埋め込まれるように頭部が存在している。煙を吐き出しながら関節部が展開していくと折りたたまれていた四肢が伸び、その身の丈はさらに大きなものとなった。

安定した二足歩行を成立させるがっしりと太い脚部の関節部分は過剰なまでに分厚い装甲に覆われ、左右の腕はそれぞれが凶悪な様相の武器と一体化している。左腕には爪のように3つにわかれたアダマンティン製の刃がドリルのように回転し、右腕には超巨大な鉄塊がハンマーのように取り付けられている。いずれも武器の大きさだけで先ほどのオーガ達を超えるようなものだ。人間などその攻撃が掠めただけで死ぬことがありありと想像できる、質量差という決定的な違いをその威容が示している。

悪夢で鍛えられた鋼によって組み上げられた戦争兵器、"ウォーフォージド・タイタン"──それはカニス氏族が近年作り上げた紛い物ではなく、正しく古代の巨人族文明を滅ぼした伝説上の兵器だ。頭部ユニットの2つの瞳に赤い光が灯り起動したその機械巨人は、眼前に敵である俺を認めるとそのハンマーを高々と振り上げながら鋼の咆哮をあげた。



[12354] 6-4.タイタン・アウェイク
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/02/27 06:18
古代巨人文明──今からおよそ8万年前から4万年前までの間、ここゼンドリック大陸を中心に栄えたエベロンで最初の文明だ。その中心となったのは勿論巨人たちなのだが、彼らは今この大陸に残っている巨人種とは異なっているとする論説がある。太古の巨人たちは今の末裔たちよりもより元素に近く、魔法的で、呼吸するように信仰と秘術の呪文を操った──それを現在の"ジャイアント"と区別し、"タイタン"と呼ぶ。

勿論その学説が真実かどうかは解らない。だが過去の巨人種達が、現在この大陸に残っているジャイアント達よりも遥かに強力な力の持ち主であったことは疑うべくもない。その"タイタン"達を苦しめたのが『夢の領域ダル・クォール』からの侵略者だ。夢の領域の存在である彼らは、この物質界に依代たる肉体を有していなかった。そこで彼らが作成したのが今のウォーフォージドの前身とでもいうべき人造の肉体──エンシエント・ウォーフォージドだ。

最初は夢を媒介に支配していた原住民を操って製作されていたそれは、各地に"創造炉"という大規模な工廠を設けることでどんどんと大規模なものになっていった。初めは人間程度の大きさであったそれらは、やがて戦争の激化に伴って大きく、強力なモノが創り上げられるようになっていく。そしてついにこの地の支配者である巨人の王族らに対抗しうる兵器が創造された──それが"ウォーフォージド・タイタン"。戦争の終末期に投入され、『夢の領域』そのものがこのエベロンの次元軌道から弾き飛ばされるまでの間、大陸で猛威を振るった戦争兵器である。








ゼンドリック漂流記

6-4.タイタン・アウェイク








鋼の巨人がその巨大なハンマーを振り下ろした。超質量が衝突したことで床材がめくれ上がり、固体であるはずの表面を波立たせるように衝撃波が広がる。大地震が発生したかのような揺れが地下港全体を揺るがし、直立していたもの全てを転倒させる。

半ばまで崩れていたハザディルの執務室も完全に崩壊し、瓦礫の山と化した。さらに先ほどの鋼巨人の行動はこの洞窟自体に影響を与えたのか、天井から大小様々な石片が剥がれ落ちてきている。何度も繰り返されれば生き埋めにされることもあり得そうだ。だが頭上に気を取られている余裕はない。

巨人の動きはそれだけでは無かった。大きく足を踏み出すと一気に距離を詰め、同時に左腕を振り上げるとその肘から先に伸びている3本の鉤爪が開く。爪刃の内側に赤いエネルギー光が這い、根本にあった砲口へとエネルギーが収束していった。直後空間を焼く名状しがたい音が響き、砲門から高密度のエネルギーが放たれる! それはフィアを捕え、直射上の全てを焼き払っていった。

放たれたそのエネルギーの奔流は彼女を取り巻いていたオーガやバグベア達をも無差別に焼き払った。お互いの高低差から打ち下ろすように放たれたエネルギー弾は堅牢な構造の床材を綺麗に繰り抜き、直径3メートルほどの穴を穿っている。

だがそんな状況でもフィアは無傷で回避に成功していた。彼女の"信仰の恩寵"は反応速度にも加護を与えているのだ。どうやら威力は俺が全力で放つ《ファイアーボール》に匹敵するほどのもののようだが、速度がさほどではなかったのが幸いか。収束されているため効果範囲もさほど広くはなく、予備動作の大きさもあって十分に回避することができそうだ。だが、当たれば無事では済まない。"身かわし"によって完全に無効化しなければ、掠めただけで即死させられるだけの破壊力をそれは有している。


「気をつけろ、あれは尋常の炎ではない。生半可な護りでは備えの上から焼き殺されるぞ」


巨人の砲撃を回避したフィアが、隣にまで戻って来ると剣を構えたままそう呟いた。彼女の里を滅ぼしたのであろう戦争兵器を目の前にしても彼女はその冷静さを失ってはいない。それは大変心強いことだが、このまま彼女と一緒にウォーフォージド・タイタンの相手をするわけにはいかない。確かに強力な敵ではあるが、今この場で優先して打倒すべきはヴォイド・マインドなのだ。このタイタンがオーガを依り代に発動した先ほどのサイキック・パワーの産物であることは明らかだ。ならば超能力の行使者であるヴォイド・マインドを壊滅させなければ、このタイタンを破壊したとしても再度同じことが繰り返しになる可能性が高い。


「──悪いがあいつの相手は俺に任せてもらおう。フィアは周囲のヴォイド・マインドを頼む。

 ただ、流れ弾には注意してくれ。どんな隠し玉があるか解ったもんじゃないからな」


安定してヴォイド・マインドを相手取ることが出来るのは《アンティマジック・フィールド》を展開した俺と、聖戦士として高い抵抗力を持つフィアのみ。他の仲間は《ディスペル・サイオニクス》により精神作用への防護を剥ぎ取られた瞬間、自我をすり潰されてしまうだろうことは間違いない。そしてさすがにタイタンを無視してフリーハンドを与えるわけにもいかず、注意を引き付ける必要がある。それは俺の役目だろう。魔法抑制下にあっても、防御に専念すれば俺の護りはフィアを上回る。


「承知した。だがあれには最強の矛と無敵の盾が備わっている。

 無理はするな──そなたの星に宿った運命はここで墜ちる定めではない」


まるで姉のような口ぶりでフィアは言葉を残し、残ったオーガ達の群れへと突っ込んでいった。俺も彼女と背中合わせになるように巨兵に向き合う。勿論命と引き替えにしてまで倒そうなどとは思わないし、危なくなれば逃げ出すつもりだ。そのためにメイやエレミア達が今も退路を確保すべく、市街の地下方向へと伸びる通路の先で戦闘を繰り広げているのだから。

それに俺にはこの"ウォーフォージド・タイタン"の能力を見定める必要がある。ハザディルとの戦いを導入として始まるレイドクエスト、そのボスであるこの巨人にはいくつかの理不尽な能力が付与されていた。こいつが完全にその能力を再現しているのか、紛い物に過ぎないのか。出来れば後者であって欲しい、と叶わぬ願いを抱きながら俺は巨人の能力を図るべく行動を開始した。

接近戦の間合いに突入する前に大剣から片手を離し、その空いた手で手裏剣を引きぬいて投擲。だがその攻撃は巨人の直前で薄い青色の障壁に遮られて力を失い、落下する。ウォーフォージド・タイタンをレイド・ボスたらしめていた強力な固有能力、あらゆる攻撃を無効化する防御フィールドだ。どうやらこのタイタンにもその能力は再現されているようだ。

ゲーム中のクエストでは、ウォーフォージド・タイタンとの戦いの場に設置されていた仕掛けを操作することでこのフィールドを打ち破ることが出来た。だが勿論この地下港にはそんな仕組みなど存在しない。そもそもハザディルとの雌雄を決するこのクエスト自体が、ウォーフォージド・タイタンへと至る物語の導入部分に過ぎないのだ。そんなラスボスとこんな状況で戦うことになるという事自体、本来であれば無理難題である。だがストームクリーヴ・アウトポストで戦ったザンチラーという前例があったおかげで、俺は平静を保ったままこの巨人と相対し続けることが出来る。

俺の剣の間合い──すなわちアンティマジック・フィールドの範囲内にタイタンをとらえる。もしこれが超常能力で維持されている産物であればこの時点で溶け消えるはずだが、眼前の巨体は健在だ。また一つ敵の能力について想定を重ねながらも体を動かす。横薙ぎに一閃。巨体を支える脚部に世界最硬度を誇るアダマンティンの刃が衝突する──だがその斬撃はその直前に不可思議な減速を受け、勢いを殺された。反発や抵抗が増したとは感じられず、まるで引き伸ばされた空間に延々と切りつけているような感覚。少しずつ剣は進むが決して辿り着かない、そんな未知の感覚が腕に伝わってくる。命中を断念し剣を引くと、まるで何事もなかったかのように武器は俺の思ったように手元へと引き戻される。そのまま足を止めず、巨人の股の下を潜って背面へ駆け抜けた。どうやらこのフィールドはアンティマジック・フィールドでも無効化出来ないようだ。想定していた最悪の場合を状況はなぞらえている。

そんな思考を巡らせる俺を追って、その巨躯からは想像もできない俊敏さで巨人は振り返り、その左腕の先端に存在する三枚の刃が機械の動力を受け超高速で回転を始める──突き出されたその腕を斜め後方に跳躍して回避。だが俺は巨人の機械的な判断速度を甘く見ていたことを思い知らされる。最初は束ねられ、ドリルのように突き出されていたその腕は、俺を捉え切れないと見るや即座に先端が展開。回転を維持したままミキサーのように旋回した刃が俺に追いすがり、鋭い爪が肉を引き裂いた。

巨人の爪先は先端が物体を掴むためなのか、束ねた際に先端同士が接触するように内側に少し出っ張っている。大きく広げられた爪の、その出っ張りの部分が俺の体を削るように擦り上げていった。皮一枚、というよりもさらに深く。だが肉を断つとも骨には届かない程度の傷が、体を逃すために置き去りとなっていた足の膝下にばっくりと描かれた。久しぶりの痛みが脳に向かって走りだすが、その信号が届くよりも速くその足を酷使してさらに後方へ跳躍。飛び散る血を後に残したその空間を、鋭い回転刃が埋め尽くしていく。

僅かな時間の後にそのミキサーは回転を止め、鋼の筒が擦れあう音と共に巨人の肘から巨大な薬莢がこぼれ落ちた。それは床にあたって硬質な音を立てる。今の刃の回転はその左腕の肘部に篭められた火薬による一時的なものだったのだろう。幸い俺が引っ掛けられたのはその最期の一瞬だったために辛うじて重症には至らず、浅い傷で済んでいる。だがそれは幸運の賜物であることは今の一瞬で十分に理解できた。この巨人はまだまだ攻撃に余裕を残していることが明らかだったからだ。

おそらく俺ほどの回避能力を有する敵を想定していなかったのだろう、最初の攻撃は威力を重視した極端な大振りだった。だがこちらの回避に応じるように、即座にその攻撃ルーチンを変更してきている。最初から命中させることを前提とした攻撃をされていれば、今の一瞬で深手を負っていた可能性もある。生物ではありえない体の動きに加えて、カートリッジにより増幅された瞬間的なスピードも相当なものだ。さらにあらゆる攻撃をシャットするフィールド。こうして向きあってみれば厄介極まりないといえる敵だ。最強の矛と無敵の盾という喩えも決して大げさではないといえよう。

それでも《アンティマジック・フィールド》を解除してしまえば、俺はこの巨人の攻撃を封殺できるはずだ。しかしそれを見過ごすマインド・フレイヤーとも思えない。指輪による護りを頼りにするとしても、一撃防いでしまえば看破されると考えた方がいい。そうなったら《ディスペル》で効果を抑止されてしまい、続く《エゴ・ウィップ》を防ぐことは出来ない。しばらくは予備の指輪への入れ替えで対応できるかもしれないが、安全マージンという意味ではヴォイド・マインドの数をある程度減らすまでは《アンティマジック・フィールド》を長い間解除するわけにはいかないだろう。

こちらからの攻撃が通用しない以上、暫くは守勢に回ってフィアがヴォイド・マインドを減らしてくれるのを待つしか無い。だがただそれを待つだけではなく、タイタンの能力を丸裸にする必要がある。仮にこのあとメイやルーの呪文で港を破壊して脱出するにしても、ここで戦うこの一体が最後ということは無いはずだ。ならばその時に向け、少しでも情報を集めなければならない。

俺はヴォイド・マインドの注意がフィアに集中していることを確認し、継続していた《アンティマジック・フィールド》を一旦解除。再度同じ呪文を行使し魔法抑止場が再展開するまでの一瞬を縫って、もう一種の呪文を高速展開した。それによりウォーフォージド・タイタンを包み込むように突如力場の壁が出現する。物理的な攻撃に対して完全な耐性を有する《ウォール・オヴ・フォース》だ。特殊な力場で構築されたこの障壁はごく一部の呪文などによる干渉以外では破壊することは不可能で、物理的な攻撃手段しか持たない対象を封殺することの出来る使い勝手の良い呪文だ。

だが巨人がその力場の障壁にその右腕のハンマーを無造作に振り下ろすと、不可視であるはずの力場の障壁が莫大なエネルギーを叩きつけられたことで空間ごと撓み、破砕された。砕けた"力場"の破片が周囲に散らばり、俺は咄嗟に宙に身を翻して回避したが、周囲にいたオーガたちは巨人の戦鎚が地面を叩いた衝撃に再び転倒した上、砕けた力場の破片を浴び鮮血を撒き散らした。力場呪文の専門家が奥義として行う"力場解体"、それと同等の効果をあの巨人のハンマーは備えているようだ。

そうやって力場の檻から解き放たれた巨人に、今度は高粘度の霧を纏わり付かせる。粘りつくその気体は内部で動こうとするあらゆる動作を減衰させる。《ソリッド・フォッグ》と呼ばれるその呪文はそうやって動きを制限する他にも視界を奪う効果も持つ。あくまで気体であるため強風には吹き散らされてしまうなどの欠点はあるものの、この地下港はその構造上微風程度しか空気の流れがない。呪文の持続時間が終了するまで、自然に消滅することはないだろう。

しかしその呪文も巨人を拘束することは叶わなかった。俺の視界には、巨人を包む青いフィールドの境界でジリジリと消失していく粘霧が映っている。いや、正確には飲み込まれているとでも言えばいいのか。先ほどの剣の手応えとも合わせて考えると、あのフィールドは空間を幾重にも圧縮しているようなイメージだ。一方通行の無限遠。眠りから覚める覚醒のさなかに感じる『夢の領域』と現実との境界のように、不明瞭でありながらもそれはしっかりと存在していた。物理と魔法、その双方をシャットアウトする障壁。ギミックの謎が解かれるまでこのタイタンを不破のボスとして君臨せしめていたその存在が、現実の障害として俺の前に立ち塞がっている。

そして《ソリッド・フォッグ》は足止めだけでなく、どうやら視界すら奪うことすらも出来なかったようだ。レーダーか何かで周囲の様子を把握しているのか、巨人はその左腕をこちらに向けると先ほどフィアに放ったのと同様の砲撃を放った。悪寒を感じた俺は身を捻り、その射線上から身をかわす──するとその砲撃は《アンティマジック・フィールド》の効果範囲内を、その効果を減衰させることなく貫通していった。再び地面に巨大な穴が穿たれる。再び排出された薬莢が床と衝突して硬い音を立てており、さらにタイタンの腕からは次の薬莢を装填する機械的な音が聞こえてくる。その様子を窺うに薬莢の装填は即座には行われないようだが、それでも間隔は10秒程度。連射が出来ないとはいえ、規格外の能力であることに違いはない。

砲撃の威力や力場を破壊してのけた行動が純粋に物理的なものだとは信じがたい──だが魔法的なものであれば《アンティマジック・フィールド》に抑止されるはず。だが俺の脳裏にはその例外となる存在の影がよぎっていた。アーティファクト。身近なところでは俺のブレスレットもそうだ。この腕輪の能力はチラスクの邪眼の効果範囲内においてもその能力を発揮し続けていた。それと同じ、既存の理論体系を越えた超常の力。人と神との狭間を埋める、現代では再現不能な定命の限界を越えた創造物。

だが考えてみればこの結果も当然のことだと言える。嵐薙砦で戦ったザンチラーは確かに秘法を身に纏った強大なジャイアントだったが、古代にはさらに強力なタイタン達が王として君臨しており、秘法を編み出したのもそういった存在だ。いわばザンチラーの力は借り物に過ぎない。その古代巨人文明を滅ぼす一因となった『夢の領域』の戦争兵器が、今の俺が行使できる程度の呪文で封じ込められるはずがない。

思考を巡らせ続ける俺へと向かってウォーフォージド・タイタンが霧を振り払って近づき、フィアが相手どっているヴォイド・マインド達も俺が《アンティマジック・フィールド》を何度か中断していたのを目敏く観察し、何体かが次の機会に《エゴ・ウィップ》を打ち込もうとこちらを狙っている。魔法を抑止したままでは巨人の攻撃を凌ぎきれず、かといってフィールドを解けば精神汚染に曝される。まさに前門の虎、後門の狼と言ったところか。

体の痛みと精神の摩耗を天秤に掛け、俺は巨人の方へと踏み出した。本来であればどちらも遠慮したいところではあるが、もはや無傷で済ませることのできる段階を超えているのだ。粘霧と同時に発動した最下級の治癒呪文で表面を塞いだだけの足の傷が疼く。だが臆している時間はない。大振りのハンマーではこちらを捕らえきれないと判断した巨人が再びその左腕の鉤爪を大きく開け、回転を加速させる。薬莢が弾ける音と共に速度を増した無慈悲な刃が、巨人の踏み込みと共にこちらに迫る!

巨体が突進し、左肩から叩きつけるほどの勢いでこちらへと近づいてくる。それだけで充分な速度だが、そこにさらに左腕を突き出す勢いが加算される。腕の外装が円筒状に開いたかと思うと、薬莢から生み出されたエネルギーが刃を回転させるだけでなくその内側の骨格部分を押し出すように加速させた。魔法抑止下では空を飛んで逃げることは出来ず、その迫る速度は飛び退って距離を取ることを許さない。さらに広がった鉤爪の広さが左右に飛んだ俺を容易に捕まえるだろう──ゆえに、俺は前へと出た。

だが、むざむざと斬られに飛び込んだわけではない。ブレスレットを操って取り出したのは盾──それも、大人の姿を容易に覆い隠すほどの巨大な"タワーシールド"だ。空色に染められたそのミスラルを銀の縁取りが囲い、中央には炎に化身した翼持つ蛇"コアトル"が描かれている。シルヴァーフレイムの聖騎士・レヴィクが遺産。守護者の名を冠する最硬の盾だ。

旋回するアダマンティンの刃が、俺が構えたこの盾を食いちぎろうと襲いかかった。金属同士が擦れる大きな音が響き、火花が飛び散る。保持した盾を通じて、俺の腕には機械の生み出す暴威が伝わってくる。一瞬でも気を抜けば腕は盾ごと回転に持っていかれ、肩から先が引きちぎられるだろう。無論その直後には無防備になった体が引き裂かれるのは間違いない。

俺は正面から受け止めず、可能な限り刃の勢いを流すように盾を巧みに操作する。瞬間毎に変化する彼我の微妙な位置関係、不規則な回転速度で唸りを上げる刃の勢い。盾を装備したことでモンクとしての洞察は一時的に喪失したが、今はファイターとしての経験が俺に体の動かし方を教えてくれる。そうやって稼いだ刹那にも見たぬ虚空。そこを唯一の活路と定め、俺は体を滑りこませた。回転する3本の刃の只中へと飛び込んだ俺の体へと鋼が食い込んでくる。だがバーバリアンとしての能力が俺の体に強靭さを与えており、さらに"アクション・ブースト"によりそれが強化されたことで盾により勢いを減じていた回転刃は俺の肉を裂くに留まった。一瞬で走った多数の切り傷から血が溢れるも、いずれも骨や太い血管まで達したものはない。見た目は派手に負傷したように見えるかもしれないが、戦闘には支障はない。

紙一重でミキサーをくぐり抜けた俺は盾を消し、巨人の足の間を走り抜けた。そうやって走り抜けた巨体の反対側には回転刃を突き出した反動で掲げられた大ハンマーが待ち受けている。床面を抉りながら裏拳のように横方向へと薙ぎ払われたそれは大型トラックに相対したかのよう。だが、非魔法下といえども充分な助走を得た状態であれば俺は容易に数メートルの高さを舞うことが出来る。飛び上がることでハンマーを回避。本来であれば無防備を晒すはずの空中の俺を、だが巨人は追撃することが出来ない。それだけ回転刃を突き出すのに勢いをつけていたのだ。無骨な脚部が地面を蹴りつけて反転しようとするが、巨大な質量がそれを許さない。そして音も立てずに着地した俺は、巨人から十分な距離を取ることに成功していた。再び巨人をくぐり抜けるように移動したことで、フィアとヴォイド・マインド達との戦闘がすぐ間近で行われている場所へと俺は戻ってきていた。

モンクとして鍛えられた機動力は魔法的なものではなく、今でも有効だ。俺はそれを活かして再接近したヴォイド・マインド達へと突っ込んだ。寄生主に行動を制御されていたヴォイド・マインド達は、俺の展開する《アンティマジック・フィールド》の範囲内へと収められたことでその自意識を取り戻す。そうやってヴォイド・マインド達を正気に戻しては次へと向かっていく。勿論再び距離が離れたオーガ達は再び精神制御を受けることになり、実質支配が解除されたのはほんの一瞬にすぎない。しかし、一旦切れてしまった集中を再構築するためには時間が必要だ。無論こちらが《アンティマジック・フィールド》を解除するのを狙っていた者たちも例外ではない。その虚をフィアが突いた。剣閃が閃き、俺を注視していたオーガ達が崩れ落ちる。


「トーリ、今だ!」


彼女の合図に合わせ、《アンティマジック・フィールド》を解除。ブレスレットからロッドを取り出し、その先端を基点に魔術回路を構築する。本来であれば半径6メートルほどの範囲を焼き払う《ファイアーボール》の呪文が、ロッドに込められた特殊な意匠が魔術回路に干渉したことで分裂。半径こそ半分程度でありながらも、4つへと分裂し散らばった。フィアの巧みな誘導によって意図せぬまま小集団を作り上げていたオーガやバグベア達へと向かったそれらの小火球は、範囲以外は変わらぬ殺傷力を発揮し敵を焼き尽くした。

敵の集団をまるで一個体のように翻弄せしめたのは彼女が学んだ戦闘術によるものだ。2人の戦士に5人分の力を、5人の戦士には20人分の力を与えるという"白き鴉"の戦闘術が、呼吸を合わせて動く俺との連携を一層深いものとする。数的には圧倒的不利にも関わらず、戦場を支配しているのは紛れもなく俺たちなのだ。寄生箇所である脳を確実に破壊すべく頭上を中心に火球を炸裂させたために、体躯の大きなオーガによっては膝下のみが呪文の効果範囲外にあったことで取り残されているが上体は完全に消し炭となっている。生き残った者はいない。今やこの地下港に動くのは俺とフィア、そして体勢を立て直してこちらに向かってきているウォーフォージド・タイタンだけだ。

再び繰り返される巨体の突進。だが先ほどと異なり、《アンティマジック・フィールド》が解除されたことで俺の身には秘術による強化が為されている。増強された知覚には迫る回転刃がスローモーションのように見え、思い通りに動く体は容易にその隙間をすり抜けた。そして交差の瞬間に抜いていた両手のコペシュを閃かせ、鋼の巨人の全身を確かめるように斬りつけていく。だが脚部から胴体、左右の腕部に至るまで一通り刃を走らせるも、その全てが外装に辿り着くことはなかった。全身を覆う完全無欠の防護。《ソリッド・フォッグ》を纏わりつかせていた時に観察していたとはいえ、やはり隙などないらしい。だが俺達の勝利条件はこのタイタンを撃破することではないのだ。それであればやりようはある。

回避に専念しつつも様々に手を変え品を変え、巨人の防御フィールドを試していく。そうやっていると地下港から伸びる通路の一本、ストームリーチの地下へと続く方向から立て続けに爆音が響いた。念話が封じられた時のために決めておいた合図をメイが放ったようだ。それを受けてフィアが駈け出したのを確認し、俺もゆっくりとその動きに倣った。ただし、しっかりと置き土産をしていくことも忘れない。《呪文遅延》を組み合わせた火球を港の天井にばら撒き、さらに巨人との進路上には《ウォール・オヴ・フォース》を張り巡らせた。大した足止めにはならなくとも、破壊のために一手を要させるのであれば充分だ。

次々と砕かれる力場の障壁を背後に、30秒かけて十分な火球を仕掛け終わったと判断した俺は巨人へと背を向け、一気に駈け出した。一斉に起爆した火球が天井を砕き、家ほどもある巨大な岩盤が落下してくる。上を仰ぎ見ることもせずに腰に巻いたマジックアイテムであるベルトを起動。嵌めこまれた3つの宝石の一つが白く染まり、それと同時に俺の体感時間が引き伸ばされる。色彩の薄れた世界の中で全力で足を動かす。粘りつくような大気を切り裂きひたすらに前へ。地下港は天井を火球によって崩され、弱まった構造にさらにルーが《アースクエイク》で追い打ちをかけたことで完全に崩壊を始めている。それでも鋼の巨人は任務に忠実に俺を追いかけることを止めはしない。

掛ける通路の先にはかつては隔壁だったのであろうものが、メイの《ディスインテグレイト》で砕かれた様子が見え、仲間たちもそこに待機していた。押し寄せていたであろう増援の骸がその周囲には転がっているが、生きている敵の存在は見て取れない。メイが転移の呪文回路を構築しているのが解る。あそこまでたどり着けば瞬間移動による脱出が可能だということだ。だがまだ距離が足りない。俺の聴覚は崩落の轟音に紛れ、巨人が薬莢を装填する音を捕えている。このままだとコンマ数秒の差で背後の巨人が砲撃を打ち込んでくるだろう。俺の脱出に備えて待機している仲間たちにそれを避ける術はない。唯一の手段は俺がその砲弾よりも早く彼女たちのもとへ辿り着くことだ。

マジックアイテムで引き伸ばされた知覚をさらに呪文で活性化させる。《セレリティ》。メイが得意とする、思考を加速する呪文だ。だがより正確にはそれは神経の伝達をも加速させる要素を持つ。魔法という要素が、脳から発される信号を直接四肢へと叩き込んでいるかのような感覚。引き伸ばされた時間の中でさらに自分の体が倍速で動く。もはやほとんどの視界は漂白されたかのように映り、ただ一点目標となる地点だけが淡く滲んで見える。

過負荷に四肢が悲鳴を挙げ、脳が押し上げられるような圧迫感で意識が塗りつぶされていく。《豪胆のドラゴンマーク》を有さない俺に、《セレリティ》の反作用が襲いかかってこようとしているのだ。だがその最後の一歩が俺を境界線から押し出した。崩れそうな体を柔らかい感触が包み、次いでアストラル界へと溶けていく感覚が全身を浸していく。もう随分と馴染んだ転移の際の感覚だ。そうやって迫る砲撃の赤い光に照らされながら、俺達は地下からの脱出を果たしたのだった。




† † † † † † † † † † † † † † 




「マインド・フレイヤーとその走狗か……どうやらこの件は私が思っていた以上に根の深い問題だったようだな」


屋敷の一階中央部、外壁と接しておらず陽の光の差し込まない部屋の一室で、ジェラルドはその眉の間に深い皺を刻みながらそう呟いた。彼の眼前には、石化呪文によって創り上げられたバグベアと人間の石像が立ち並んでいる。勿論バグベアはハザディル、人間は執務室にいたアーラムのエージェントだ。ハザディルはその頭部の穿孔をわかりやすく、また手枷を嵌められた状態で石化されている。


「港は破壊したし、こちらで把握できた拠点は全て潰しておいた。

 だがそれぞれの組織に潜り込んでいる工作員や、鼻薬を効かされている連中までは手の出しようがない。

 聞き出した名前は名簿にして纏めておいたが、その中にも"処置済み"な奴が混ざっている可能性はある。どうするかは任せるよ」


そう言って数枚の紙をテーブルの上に放り投げた。それを拾い上げたジェラルドは、より一層皺を深めながらも目を通す。紙をめくる音だけが部屋に響く時間が暫く過ぎ、最後まで目を通したジェラルドは大きくため息をついて椅子の背もたれに体を預けた。


「まさか、ここまでハザディルの──いや、その背後の存在の手が回っていようとは。

 その上この中にヴォイド・マインドがいたとしたら、そいつはこの街を吹き飛ばしかねない破壊兵器に何時変わるか知れない、と。

 しかも街から脱出しようにも、海路には古代の潜水艇が手ぐすねを引いて待ち構えているときた。

 こんな噂が街中に広まろうものなら、この街は外からの力ではなく内側からの力で自らを砕いてしまうだろうよ!」


薄暗い天井を仰いで彼は掌で視界を覆った。俺には解らないが、あの名簿に載っていた人物のリストは彼にとってそれだけ衝撃だったのだろう。大部分は金を積まれて組織の動きを鈍くする程度の役割しか果たしていないとしても、巨大な組織であればそれが積み重なることで全体を麻痺させることが可能となるのだ。一枚岩どころか、5人の領主に12のドラゴンマーク氏族が複雑に絡み合ったこの都市であればそれも容易かっただろう。


「相手が暴力でこの街を潰すつもりだったならもうとっくに仕掛けてきているだろうさ。そうでない以上は何か別の目的があるんだろう。

 聞いたところハザディルが脳を喰われたのは半年ほど前のことで、この街への仕掛けはそれよりも前から進められていたものばかりだ。

 だからこの件についてはヴォイド・マインドの心配はそれほどしなくてもいいはずだ」


港での戦闘が終わった後俺達は生き埋めにしたタイタンを放置してハザディルから情報を聞き出し、地下だけでなく地上も含めた10箇所以上の拠点を襲撃。そこに置かれていた大量の金貨や宝石、魔法の品々を回収している。おそらくは市街で工作するエージェントの資金などとして用意されていたのだろう。そういった拠点は全て魔法の護りを無効化した上ですぐには再利用できないように処置してある。ハザディルの部下たちが再度集結しようにも拠点となる場所がなく、そもそも大半が地下港で俺たちに討たれている。エレメンタルサブマリンで出港した連中は確かに脅威だが、このストームリーチの近辺には上陸に適した土地がない。連絡役の術者やヴォイド・マインドを通じて既に地下港が崩壊した情報は把握しているだろうから、この街に戻ってくることはないはずだ。後は黒幕たるマインド・フレイヤーの目的次第だろう。


「ふむ、そうであってほしいものだな。

 そういえばヴォイド・マインドの精神は寄生主の影響で干渉不可能な上、自律行動は制御されるということだが……

 トーリ、君はこのハザディルからどうやってそれだけの情報を引き出したのかね? 差し支えなければ後学のために教えてもらえないだろうか」


体を背もたれから起こし、ジェラルドは質問を投げかけてきた。確かにそれは俺も苦慮したところだ。シャーンとコルソスをメイの《グレーター・テレポート》で飛び回ってもらって、ようやく満足の行く結果を得られたのだ。これからヴォイド・マインドと関わるかもしれないジェラルドには教えておいたほうが俺の負担も少なくなるだろう。そう判断して俺は一つのアイテムをテーブルの上に置くと口を開いた。


「大したことじゃない。気絶しているハザディルに効果が出るまでこの兜を被せたのさ。曰くつきの品だ、聞いたことくらいはあるだろう?

後は寄生主からの干渉をあの手枷で防いで、じっくりと交渉したのさ。言葉通り人が変わったかのように協力的になってくれたぜ」


俺が出したそのアイテムを見たジェラルドは一瞬顔をしかめたが、すぐに得心したとばかりに首肯した。それも仕方のない事だ。これは"ヘルム・オヴ・オポジット・アライメント/対立属性の兜"──呪いの品なのだ。この兜を被った存在は抵抗に失敗すると元の属性から最もかけ離れたものへと変化してしまうという凶悪なもの。その変化は精神性だけではなく倫理観にも及んでおり、効果を受けた対象は心の底から新たな人生観に満足してしまい元の属性へ戻ろうなどとは考えない。ヴォイド・マインドによる精神作用への抵抗力がこの兜の効果を弾くかもしれないと考えていたのだが、どうやらこの効果は文字通りの"呪い"であるようでしっかりと効果を発揮してくれた。この街に破壊をもたらす混沌と悪の化身は、今や秩序を信奉する善人へと転じたのだ。

とはいえ彼がヴォイド・マインドであるということが変わったわけではない。建物全体が《マインド・ブランク》を付与されたかのように占術・心術に対する防護を展開している俺の家の中で、身につけた者を《アンティマジック・フィールド》で包む手枷"メイジベイン・マナクル"を嵌めることで寄生主の干渉を防ぎ、さらに交渉が済んだ後は(同意の上で)再度意識を奪い、石化したうえで再び手枷を嵌めている。本来であれば限定的な異空間などに置いておくのが保安の点からも望ましいのだが、今はジェラルドに状況を検分させるためにこうやって外へ出しているというわけだ。


「──なるほど。それは随分な投資をさせてしまったようだな。随分と君に報いなければならないものが積み上がってしまったな」


兜は効果を一度発揮したらその力を失ってしまう使い捨てで金貨4千枚、そしてこの手枷は13万2千枚という恐ろしい値段の品だ。確かに一般の冒険者では逆立ちしても払える額ではない。ゲームの基準でいうのであれば、14レベルのプレイヤー・キャラクターの財産が金貨15万枚相当。その大半をつぎ込まなければ買うことが出来ない上、金額的にも性質的にも一般的な市場になど出回らない品だ。金貨に不自由していない俺にとってもシャーンで築いたコネクションがなければ、ここまでの短時間で用意することは出来なかっただろう。


「まあその分は回収させてもらってるさ。港は瓦礫に埋もれて大したものは持ち出せなかったが、拠点から差し押さえたもので充分に元は取れているよ。

 それ以外にも今回はその紙束とこの石像にいい値段をつけてくれると思ってはいるがね」


「勿論だとも──だが、ハザディルの石像については暫く預かっておいて貰ったほうがいいだろうな。

 これから暫く街は騒がしくなる。私も身辺には注意を払っているつもりだが、万全と言えるほどではない。

 済まないがこちらの受け入れ準備が整うまでの間、よろしく頼むよ」


彼の言うことももっともだ。何かの拍子に石化が解除されてしまえば、"ウォーフォージド・タイタン"へと変化するかもしれない爆弾を引き取るには準備というものが必要だろう。あるいは遺恨を持つリランダー氏族達に引き渡すにしても、交渉が必要だ。これから大掃除を行わなければならないジェラルドにとって、余計な荷物を背負い込む余裕はないということだ。

それに彼の言うとおり、俺にとってハザディルはまだ利用価値がある──というよりも、聞いておかなければならないことが多い。双子の故郷を襲った件や彼を支配しているマインド・フレイヤーについてなど、引き出さなければならない情報はまだまだあるのだ。逆にジェラルドが言い出さなければ、こちらから何日か猶予を貰おうと思っていたほどだ。そのあたり、彼はこちらの要求に触れずに応える会話術に非常に長けている。

そう評価されていることを知ってか知らずか、ジェラルドは席を立った。彼が名簿が記された紙を丁寧に折りたたんでいる間に、俺はポータブル・ホールに3体の人間の石像を放り込んで彼へと渡す。この像は彼がアーラムと交渉する際に有効に活用してくれることだろう。唯一懸念があるとすれば、ジェラルドが"やりすぎる"のではないかということだが、彼はハーバー・ロードに仕えているように見えながらも都市全体のバランスに気を配っている。アマナトゥの1強状態である現状から、今回の事件を通じてロード間のパワー・バランスに変化が生まれるかもしれないがその辺りは上手く調整してくれるはずだと思っている。著しい不均衡によってロード間の争いが表面化すれば、彼の生まれ故郷であるこの街が戦火に見舞われることは間違いないからだ。普段からジェラルドが口にしている故郷愛について、俺は十分に信用しているし悪いようにはしないだろう。

そうやって来客を見送った後で、俺は再びハザディルの石像の安置された部屋へと戻った。表面上、先程までのやり取りで今回のクエストについては後処理を残して方がついたように見えるかもしれない。だが、俺にとってはここからが本番の始まりなのだ。ヴォイド・マインドにマインド・フレイヤー、そしてウォーフォージド・タイタン。ハザディルというこの街での手足を失った彼らが、これからどう動くかは解らない。だが、まず間違いなくもう一度戦う事にはなるはずだ。その時に向け、出来うることを一つ一つ片付けるべく俺は石像へと向き直った。




[12354] 6-5.ディプロマシー
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/02/27 06:17
《コンティニュアル・フレイム/尽きせぬ炎》の熱なき光が室内を薄く照らす中、高電圧が奏でる音が響く。室内の中央を占める大型の設備と多数のケーブルに接続された金属的な球体一つに向けて、3対の視線が注がれていた。ケーブルから莫大な秘術エネルギーを注ぎ込まれた小さな球体が微かな変化を見せる。薄く青いヴェールを纏ったように光を放ち始めたのだ。

それを確認し、壮年の人間が手を上げるとその合図に応じて一体のウォーフォージドが、部屋の隅に置かれていた大型のハンマーを両腕で担ぎあげた。彼はそのまま部屋の中央へと移動すると、構えたハンマーを高く振り上げ、そして球体へと叩きつけた。大人の半身ほどもある鉄塊が3メートルほどの高さから打ち下ろされ、金属同士が激突する甲高い音が──発生しない。横から観察していれば、紙一枚ほどの隙間を挟んで2つの物体が接していないことが解ったかもしれない。その隙間は青い光で満たされている。それを人の目に加えて、多数の秘術計測器具が観察していた。繰り返し振り下ろされるハンマーに対し、計測結果が一定速度で送り出される紙の上に波打つ線として描かれていく。それを手に取った壮年の男が顎髭に手をやって思索に耽る。


「成る程……初めて聞いたときは眉唾ものだと思ったものだが、こうして実際に目にしてみれば信じざるをえんな。

 情けない話だが、一体何がどうなってこんな結果に結びついているのか、今の私ではさっぱり理解が及ばないよ」


そういって男──ラース・ヘイトンは頭を振った。彼はそう言って部屋の中央の設備に繋がれた球体"ドセント"へと視線を飛ばしている。先程までハンマーを振るっていたアマルガムもその作業を止め、今は周囲の設備の点検を行っていた。

コルソス島の中央部、かつてサフアグンの襲撃に対しラースが籠城していた工房──ここはかつて、『夢の領域』の住人が創りあげた創造炉の一つが設置されていたという。その炉そのものは既にカニス氏族の手により移設され、今はシャーンの地下で管理されているが、広大な工房には"ウォーフォージド・タイタン"の一部と思われる巨大な四肢が、今もなお完成の時を待ち静かに横たわっている。

そんな工房の持ち主であれば、"ウォーフォージド・タイタン"の持つフィールドを突破する手段を発見できるのではないか──そう考えた俺は、レイド・ユニークである"タイタニック・ドセント"をラースの元へ持ち込んだのだ。それが今部屋の中央に置かれている球体の正体だ。これは文字通り"タイタン"撃破後に一定確率で入手できるウォーフォージド向けのパーツで、装備後にアクティヴにすることで一定時間、タイタンのフィールド劣化版を発動することが出来る能力を持ったアイテムだ。人間には装備できないにもかかわらずこのアイテムが俺のキャラクターの倉庫の中に入っていたのは、ゲーム中では性能的に優秀とはいえない効果であったためコレクターズ・アイテムと化していたことが原因だ。だが残念なことにその劣化版フィールドといえども、原理はラースの理解が及ばないもののようだ。


「話に聞いていたよりはフィールドの効果が弱いのは、おそらく供給されるエネルギー量の問題だろう。

 巨大なウォーフォージドであれば、生成されるエネルギーの量も人型サイズと比較すれば莫大なものになるはずだ。

 そもそも、古代の創造物は現代に作られたウォーフォージドからしてみれば非常に出力が優れている場合が多い。

 今の人型サイズのウォーフォージドでは限定的な効果を、それも短時間持続させるだけで精一杯だろう」


いくつかの分析結果を睨みながらラースは推測を述べる。それは理にかなった上に、ゲームでの効果にも合ったものだ。


「複数体のウォーフォージドを連結してエネルギーを……いや、個体差のある生体波長を調律するのは一筋縄ではいかないな。

 やはり専用の機能に特化したものでなければ本来の性能を引き出すことは出来そうもない。

 それに内側からは自身の攻撃を通すというのであれば、フィールドのコントロールを行う知性が必要だろう。

 現在はスローンホールド条約で新たなウォーフォージドを産み出すことが禁じられている事を考えれば、専用機を創るわけにもいかんしな」


最終戦争の終結を証だてるスローンホールド条約は戦争兵器として創造されたウォーフォージドに人権を認めると同時に、彼らを新たに産み出すことを禁じている。それを破ることは条約に調印している全ての国家と、ドラゴンマーク氏族を敵に回すことに等しい。それに必要となる創造炉自体が古代の希少な遺物を利用しており、一個人でどうにかできるものではない。


「──そうか、時間を取らせたな」


俺が知る限り最も高い秘術技工士としての技能を持つラースでも不可能ということであれば、あとはカニス氏族などといった組織の手に委ねなければならなくなる。だがそういった組織にこの技術を提供することは望ましくない。紛争の火種に繋がるからだ。いくつも同じアイテムを所有していればそれぞれにバラ撒くことで独占を防ぐといった事もできたのかもしれないが、流石にこんなアイテムは1つしか所有していない。倉庫代わりにしていたアカウントはウォーフォージドばかりでキャラを作っていたため、1キャラにつき最低でも1つはこのアイテムを持たせていたのだが、今それを言ってもどうにもならない。

だがラースはそんな俺を引き留めた。


「まあ待て。確かに原理はさっぱり理解不能だが、要はこのフィールドを相殺出来ればいいのだろう?

 同種のフィールドを干渉させれば相殺できる可能性もある。まあすぐにとはいかないだろうが、ここは私に任せてもらおうじゃないか」


研究者としての好奇心を刺激されたのだろう。ラースはそう言ってフォローしてきた。従者であるアマルガムもハンマーを片付けるとこちらへとやってくる。


「差し支えなければ、私が実際に着用し使用してみましょう。

 ゼンドリックで見出されるこういった品には、着用したウォーフォージドとの間に意志を通じ合わせることが可能な品もあると聞きます。

 そこから何か手掛かりとなる情報が掴めるかもしれません」


アマルガムが言うとおり、TRPGでのドセントは全てが"知性あるアイテム"として扱われている。だがMMOではそういった処理はなく、単にACを上昇させる鎧相当のアイテムだった。しかし一部にはこの"タイタニック・ドセント"のように特殊能力を有していたり、着用者に呪文使用能力を与えるドセントも存在したことを考えれば、そういったアイテムには知性が存在していたとしてもおかしくない。


「それは最後の手段とすべきだな。知性あるアイテムの中には所有者の意志を歪めたり害を為すものもあるという。

 まずは一通り調べるべきことを終えた後、万全の体勢で望むとしよう」


ラースとしても長年の相棒であるアマルガムに危険が及ぶ可能性があるなれば慎重な姿勢を取らざるをえない。ゲームから持ちだされたアイテムだからそういった危険性はないとは思うのだが、それを言った所で理解されるわけもないし保証にもならない。ここは彼らに任せるしかないだろう。


「しかしいいのか? リランダー氏族の仕事もあるだろう。ハザディルが捕縛されたことで大きな動きがあるんじゃないかと思ったんだがな」


この男が一度研究に没頭し始めると、寝食を忘れて一つのことに集中してしまうのは今までの経験上から明らかだ。シグモンドの娘、カヤにもその件で良く愚痴を聞かされたものだ。しかも今のラースはこの島におけるリランダー氏族の船舶に関して重要な立場にある身であり、そうそう長い時間を研究にかまけている時間はないはずだ。


「それがそういうわけでもない。

 確かに精霊捕縛船が撃沈されたのは大事だが、動きは慎重だ。対潜戦闘経験など皆無の上、有効な対策もまだ打ち出せていないのだから当然だな。

 一方で空の連中は主導権を握ろうと強硬な意見を出しているようだ。偵察のための飛空艇が既に先日ここから飛び立っているよ。

 戦争が終わってから配備されただけに空の連中には実績と経験が不足しているのは明らかだからな、貴重な機会だとでも思っているんだろう。

 その駆け引きの都合で、今のこの島は海と空に挟まれて宙ぶらりんの状態だ。そういうわけで時間については気にしなくてもいい。

 勿論近いうちになんらかの動きはあるだろうが、それまでは好きにやらせてもらうさ」


そう言ってラースは部屋に設けられている小さな窓へと目をやった。その方向には建設が進んでいる飛空艇の係留塔がある。既に外装を残してほぼ完成に近づいたそれは稼働に支障はなく、塔の先端近くには三日月状の桟橋が水平に伸びており、そこには数隻の空船がその身を浮かべている。精霊が呪縛され、リング条となってその船体を包むことで浮力を得ているのだ。

ストームリーチのある半島はスカイフォールという名称で呼ばれており、それはその荒れた気候から名付けられたものだ。マインド・フレイヤー達の拠点たるレストレス諸島も半島の半ばほどに寄り添うように位置しており、その悪天候の傘の元に入っている。緯度的にはレッド・ウィローの発掘していた遺跡のあたりとなり、そこに飛行船で近づこうというのは命知らずな行為にほかならない。どんなに腕利きの船長であろうと、翼をへし折る乱気流と船体を焼き撃つ雷の中を進むなど自殺行為だ。

だが、リランダー氏族の一流の船長達はそんな常識など無視してその空を舞う。彼らの有する《嵐のマーク》は天候を支配する。望めば嵐を凪に、晴天を雷雨へ変えることが出来るのだ。それが空において彼らを不破の船へと為さしめている理由だった。望むのであれば敵にのみ落雷を雨のごとく浴びせることが出来るのだ。コーヴェアの空では彼らを妨げるものは皆無だと言ってよかっただろう。魔法の届かぬ高度を飛ぶ彼らはまさに偵察兵にもうってつけと言える。

だがここはゼンドリック。怪異と不条理、そして伝説が現存する大陸。空には悪天候だけではなく狂った精霊が乱舞し、雲の中にはクラウド・ジャイアントの城が浮かんでいると噂される魔境だ。コーヴェアの常識など通用しない。俺は彼らがせめて無事に帰還することを祈るばかりだった。








ゼンドリック漂流記

6-5.ディプロマシー








コーヴェアにおいて、飛空艇の発着場は見晴らしの良い広場に塔として建てられる。それはこの世界の飛空艇が精霊を呪縛することで浮力を得ており、一度飛び立たせてしまえば後は半永久的に浮かせ続けることが可能であるからこそだ。消費されるようなエネルギーはなく、船体の維持のために定期的にメンテナンスを行う必要はあるとはいえそれも数年おきのことだ。ズィラーゴのノーム達がゼンドリックのドラウの一派、ファイアー・バインダー族から盗み出した"精霊捕縛"の技術は、今やコーヴェアの文明にとって欠かせない存在であるといえよう。

だが、それだけではわざわざ塔を建てる必要はない。積載量は少ないとはいえ運輸にも使われる飛空艇の発着を塔で行うとなれば、荷物の積み下ろしに多くの労力を必要とすることとなる。それは何故か。理由は飛空艇が登場して間もない頃にある。

最終戦争の終末期に登場した飛空艇は、当然戦争目的に使用された。一方的な爆撃、地形を無視した少数精鋭の兵員の輸送、敵陣の浸透突破……それまで陸上戦闘に限定されていた戦局はこの兵器の登場で大きく変化するかと思われた。だが実際にはこの兵器は大きな欠点を抱えていたのだ──それはエレメンタル・リングと呼ばれるこの空船を飛行させている機構そのものにあった。秘術の力で展開されているこの輪は《ディスペル・マジック》によって抑止されてしまい、そうなった飛空艇が揚力を失いあっという間に墜落するという事例が発生したのだ。

勿論、戦場でそのような損害が発生することは当初から予想されていた。だが問題は後方の拠点基地で待機している飛空艇を狙った破壊工作だった。大枚を叩いて建造された飛空艇が呪文攻撃により破壊されればその損害も大きなものとなる。それを防ぐために当時考えられた策が単純なもので、「呪文が届かないほど高空においておけば良い」というものだったのだ。軍属の秘術呪文使いの検証によって決定されたその高度はおよそ250メートル。生半可な術師では解呪呪文が届かない距離を保ち、さらに不審者の接近を感知するために塔の周囲は開けたままにしておく。

そんなことをするくらいであれば地上に降ろし、屋根と壁で隔離すればいいと思うかもしれない。だが一度浮かんだ飛空艇はその船体を包むエレメンタル・リングが邪魔で接地することが出来ないのだ。そのためどうしてもある程度の高度を取る必要があり、その結果、各国の空軍は上で述べた方法を採ったのだ。

従来の軍から文字通り距離をおいたその措置は、結果として彼らに特権意識のようなものを植え付けることとなった。元々が新兵器の運用ということでエリートが集められていたことに加え、高所から俯瞰するその視点があたかも上位者であるかのような錯覚を彼らに抱かせたのかもしれない。やがて彼らはその"高さ"にこだわりを持つようになった。飛空艇が開発されてから6年で戦争は集結したが、今も建設される飛空艇の発着場はその高さを維持したままだ。コーヴェアから離れたこのコルソスやストームリーチにおいてもそれは変わることがない。

今俺はそんな塔の最上階付近に設けられた部屋の一室に来ていた。ここ数日で設えられたばかりである新品の調度品達が雑多な香りを室内に薄く漂わせている。それらはリランダー氏族の隆盛を示すかのように良品ばかりだ。1枚張りの大きな窓が飛空艇の発着場に向いており、そこでは2艇の空船がそれぞれ青と赤のエレメンタル・リングの色を鮮やかに見せながら接舷しているところだった。前者がウォーター・エレメンタル、後者がファイアー・エレメンタルを呪縛している飛空艇であることは言うまでもない。精霊はどの種類でも飛行能力を与え、速度に大きな差もないことで知られている。だが飛空艇の動力とするには巨人よりも大きなサイズの精霊を呪縛する必要があり、それを成しうる術者が少ないことが製造数を伸ばせない原因の一つとなっている。

俺がこうして塔の一室にいるのは、ラースを通じたリランダー氏族からの要請を受けてのことだ。ハザディルを捕えたこと、そしてかつてこの島に手を伸ばしていたマインド・フレイヤーの陰謀をラースと協力して打ち砕いた経験を評価されてのことらしい。今偵察から戻ってきた飛空艇の乗員からの情報を合わせ、今後の対策とするのだろう。ストームリーチの支配を目論んでいたハザディルが捕虜となりエレメンタルサブマリンを一隻失った今、マインド・フレイヤー達がどの程度の行動を起こすかは不明だ。だがヴォイド・マインドとしたハザディルをその自由意志のまま活動させていたからには、その行動が彼らの意に沿うものだったと考えるべきだろう。その場合、ハザディルを失っても新たな傀儡に同じような活動を行わせる可能性が高い。そうでなくとも地下港で俺はヴォイド・マインドを何十体と葬った上でウォーフォージド・タイタンと戦って生き延びている。船を失ったリランダー氏族が彼らに対するのと同様に、自分たちに対して害を成しうる存在に対して干渉を行ってくることは十分に考えられる。そういった意味でリランダー氏族とは利害が一致しているといえるだろう。


「"ウィンドスパイア・スパロー"級の軽飛空艇ですね。少ないクルーでも取り回せると聞きますし、偵察任務には適しているんでしょう」


発着場側の窓を覗きながらメイが口を開いた。その視線の先には青いリングを纏った全長40メートル弱の船が浮かんでいる。これは飛空艇のサイズとしては最も小さい部類に入るものであり、最大の"ストームグローリー・タイフーン"級ともなれば全長は100メートルを超えると聞く。ワンオフものなどを例外とすれば軽、中、重のそれぞれに2つ、計6つの級で飛空艇は分類される。一番小さなこの"ウィンドスパイア・スパロー"級で15人のクルーを運航に必要とし、30トンの積載量で空を時速30キロ程度で飛翔する。ここからレストレス諸島までは片道1,300kmほど。往復に4日かけ、偵察には1日をかけたというところか。

偵察船が往復するその間、勿論俺は何もしていなかったわけではない。ストームリーチではハザディル達からの情報の引き出し、ここコルソスではラースとの共同研究、さらには高額なアイテムの購入にシャーンへと飛ぶなど忙しい日々を過ごしていた。個人的にはフィアやルーから引き出せる情報に最も期待していたのだが、彼女たちは里を襲った脅威については話したものの、その理由については解らないとのこと。

これについては襲撃に参加したハザディルも同様に知らず、ただ彼は取引相手であるマインド・フレイヤーの指示で双子の里を襲ったのだが、返り討ちにあいそうになった所で仲間のうち何体かが突然ウォーフォージド・タイタンへと化身し、ドラウ達を薙ぎ払ったのを見ていただけだという。その後瀕死のところをヴォイド・マインドへと生まれ変わることで命を繋いだのだが、その儀式に時間がかかり、部下に指示して略奪品をレストレス諸島に輸送する前にストームリーチの倉庫に一時保管させていたところに俺がジェラルドからの依頼を受けてやってきた、という流れのようだ。

推測ではあるが取引を重ねている間に徐々にハザディルの組織をマインド・フレイヤー達が侵食していっていたのだろう。そしてフィアとルーの里に手を出させ、そこで何らかの目的を達した──それは俺達が倉庫から回収した略奪品や双子たちとは異なる別の何かだ。あれから半年、特にイスサラン達が積極的な行動をこの街でおこなっていなかったことからもそれは推察される。

そして今現在も、ストームリーチの街も表向きは平静を保っている。裏側ではハザディルから得た情報を元に色々と動きがあるようだが、住民の暮らしに影響が出るようなことにはなっていない。とはいえ全くの無警戒でいるわけにもいかない。そこで、外で行動することは常に二人以上で一緒にいることになっている。今日は外出する俺にメイがついてきた、というわけだ。

だがリランダー氏族からすれば、どちらかというとメイが本命なのだろう。最近名を上げだしたハーフエルフの秘術呪文使い。彼らとしてはぜひとも一族に取り入れたいと考えるはずだ。今日はその接点づくりというところではないだろうか。実際のところ彼女は別種のドラゴンマークを発現しているためリランダー氏族に取り込まれることはないのだが、それを知っているのは彼女自身以外には俺とマーザのみ。傍から見ればフリーの魔術師に見えるのだろう。遠回しといえども指名を受けた以上無視することは得策ではないという判断をし、彼女を連れてくることになったのだ。勿論相手方の意向についてはメイにも知らせてあるが、彼女自身は特定の氏族に所属するつもりはないということ。おそらくは今日の席でその意志を先方に伝えることになるだろう。

そんなことを考えながら外の景色を眺めているとノックの音が響く。応じて声を返すと扉が開かれ、ぴっちりした制服を身に纏ったハーフエルフが姿を表した。海と空を示す青を基調としたブレザーを着こなした少女は室内の俺たちを確認するとその小さな口を開いた。


「トーリ様、メイ様。会議室までご案内させて頂きます」


先ほどの飛空艇が到着して、まだ10分と経過していない。まずは氏族のメンバーのみである程度の話を進めてから俺達にも聞かせられる話へと移るものだと思っていたのでまだ暫くは待たされるものだと考えていたのだが、どうやらその予想は外れたようだ。腰を下ろしていた椅子から立ち上がると、案内に従って廊下をメイと連れ立って歩く。このフロアは廊下の上部に設けられた天窓から太陽の光を存分に取り込んでおり、室内だというのに屋外と変わらぬ明るさを保っていた。ともすれば目を痛めそうな白い建材は不思議と柔らかく日光を受け止めており、反射光で不快になることもない。階段以外にも秘術式のエレベーターが備えられていることなどからも、リランダー氏族がこの塔の建設に随分と力を入れていることが見て取れる。ゼンドリックに対する橋頭堡として、この島は海だけでなく空からも重要な地点だと認識されているということだろう。

正式にはまだ完成していないことから、発着場から繋がるこの廊下を他に歩く者はいない。3人のブーツが床石を叩く音だけが静かに響きわたっている。そうやって辿り着いたのは、フロアの中央部に位置する大きな部屋だ。重厚な両開きの扉が入り口を警護していた衛視の手によって開かれると、中にはラースを含めた8人ほどが中央の大きな丸テーブルを囲んでいた。その上に広げられているのはおそらく偵察部隊が取得してきたレストレス諸島の地図なのだろう。


「初めまして、私はここの責任者を氏族長より任されているオーレリア・ド=リランダーと申します。

 高名な冒険者、そしてコラヴァールの同胞を招くことが出来て嬉しいわ。

 ゆっくりと友好を深めたいところなのだけれど、ご存知のように今私たちは試練の時を迎えています。

 まずはその脅威についての情報を共有したいと思うの。よろしいかしら?」


口を開いたのは正面に立つハーフエルフの女性だ。その円熟を感じされる風貌と物腰は、彼女が十分に経験を積んでいることを察させるに足りるものだ。身に纏ったグラマーウィーヴの衣装は首元から徐々に青さを深めており、その上半身が空を、今はテーブルに隠れて見えないが下側が海を示しているのだと思われる立派なものだ。装身具はいずれも流線型あるいは渦を巻く金属で構成され、嫌味にならない程度に彼女を飾り立てている。白い肌に薄い金の長髪が後ろで束ねられ、コーヴェア大陸で見られる典型的なハーフエルフの姿をそこに示していた。


「私たちの経験がお役に立てれば何よりです」


軽く一礼をし、空いている席へと誘導されるがその間もこの場にいる皆の視線は殆どがメイに集中していた。やはり関心の中心は彼女だということなのだろう。例外はラースと、あと一人の男だけのようだ。俺の右側にラース、そしてその向こうにオーレリアとその副官らしき人物、そして飛空艇乗りと思われる3人、最後に海側と思われる3人というように並んでいるのだが、飛空艇乗りのうち右側に立つ一人が強い視線をこちらに寄せているのだ。俺の記憶に無い、面識の無いはずの男。

俺はその視線に僅かな違和感を覚え、自分の記憶を掘り起こそうとし──その正体に感づいた。即座に脳裏に描いた秘術回路を展開。生み出された火球が小さな光点となってテーブルを飛び越え、飛空艇乗り達を巻き込んで炸裂する──その直前に、3人の中央に立っていた男が手元から何か小さな物を取り出し口を動かした。


「──《ファイアー・ボール/火球》」


男の手元の物質──おそらくは秘術構成要素──は俺が生み出したものより幾分か小さな光点となって飛び出した。そして2つの光点はテーブルの中央で軌道を干渉しあうと、お互いを相殺して消えてしまう。咄嗟のことに周囲の人々はラースを含めて何が起こっているのか理解できていないようだ。唯一メイのみが俺の行動から状況を把握し、腰元に差していた鞘からダガーを抜いて呪文の構築を始めている。だがそれよりも速く、左側の飛空艇乗り──そう見えるように幻術を纏ったマインド・フレイヤー──が呪文を完成させた! 一瞬遅れてメイの解呪呪文が完成するが、異形の放つ"力ある言葉"はその干渉を跳ね除けると効果を発揮した。


「──平伏せよ」


単純な命令が、強烈な意志と共に放たれる。《グレーター・コマンド/上級命令》と呼ばれる信仰呪文。その言葉が脳に浸透するや、周囲の皆は崩れ落ちるように伏せることを余儀なくされた。だがその思念波は不可思議なことに俺とメイには届かず、まるでわざと外したかのように影響を与えていない。勿論〈精神作用〉に対する抵抗は十分に備えているが、それ以前に相手の呪文の攻撃対象に俺たち二人が含まれていなかったのだ。だが問題はそんなことよりもメイの解呪呪文──《グレーター・ディスペル・マジック》が押し負けたことだ。エルフの秘術伝承により強化されたその呪文の強度は術式の限界まで達している。それになんなく抵抗したということは、相手の術者としての実力が22レベル以上であることを示している──オージルシークス以来、見ることのなかった"エピック級"のクリーチャーだ!


「バラーネク、不躾な視線を送るものではない。もう少しこの茶番を楽しんでおきたかったというのに、彼に気付かれてしまったではないか」


「失礼いたしました、猊下。我が未熟故にお楽しみを邪魔したこと、お詫び申し上げます」


そんな言葉を交わしながら彼らは纏っていた幻術の衣を脱ぎ捨てる。体格はあまり変化しないものの、その滑るような紫の肌と顎から伸びる太い4本の触手はハーフエルフには有り得ないものだ。マインド・フレイヤー。その異形を誤魔化していたのは《ヴェイル/覆面》と呼ばれる第六階梯の秘術呪文だが、《トゥルー・シーイング/真実の目》ですら看破できないよう他の呪文が重ねられていた。《クローク・オヴ・カイバー/カイバーの衣》。エベロン固有の、ラークシャサを始めとした悪の存在が秘匿している呪文だ。《トゥルー・シーイング》や様々な占術による正体の看破を防ぐ、嫌らしい呪文である。

おそらく連中は偵察に来たリランダー氏族の乗員達を貪った後、彼らに成りすましてここまでやってきたのだろう。触覚や嗅覚すら覆い隠す高位の幻術を、出迎えた氏族のエージェント達では見抜けなかったのだ。あるいは俺のように《トゥルー・シーイング》を使用していることで別人が成りすましているとは考えなかったのか。《クローク・オヴ・カイバー》はエベロンのサプリメントとはいえストームリーチを紹介した一冊の未訳本の、さらにサイドバーでしか扱われていないマイナーな呪文である。一般的には知られておらず、こうして使われているところを見るのは俺も始めてだ。それにより呪文による看破が出来ず、直接のやり取りが無ければ幻術を見破ることが出来ない。そして中央に立つ猊下と呼ばれたマインド・フレイヤーの呪文は見事な精度だった。俺以外の皆が誤魔化されていたのも仕方がないといえるだろう。

だが、今気にすべきはこの3体の目的だ。猊下、と呼ばれたことからおそらくはハザディルの背後にいたマインド・フレイヤー達の中でも中心となる人物であることは推測される。左側のマインド・フレイヤーは信仰呪文使い、そして右側の視線を咎められたバラーネクと呼ばれる個体は今や強力な思念波を振りまいていることから超能力の使い手であることが見て取れる。中央のマインド・フレイヤーが秘術呪文を使用したことからも様々な方向に技術を伸ばした集団であることは想像に難くない。そんな連中がここに侵入してきた目的は何だ?

その俺の疑問は相手の言葉によって解消される。いくつもの秘術回路を想起し、相手をどうやって効率よく、周囲に被害を出さないように殺害するかと思考を巡らせていた俺へと、中央のマインド・フレイヤーが声をかけてきたのだ。


「高次の秘術使いとの術比べは心躍るものだ──だが、今日の目的はそれではない。

 呪文より言葉を交わそうではないか、ヒューマンよ。私はここにお前と交渉するために来たのだよ」


触手に埋もれた小さな丸い口からは先程から流暢な共通語が吐き出されている。猊下、と呼ばれたマインド・フレイヤーはそう言って対話の姿勢を示している。後ろに控えた2体のうち一方は相変わらずの敵意を俺へと向け、もう一方は無関心であるように見受けられる。とはいってもその白く塗りつぶされたような眼球には瞳といったものを見て取ることは出来ず、焦点がどこに向けられているのかを察することは容易では無いため全ては俺の推測に過ぎない。たっぷりと10秒ほどの時間、俺が相手の動きを警戒している間、部屋は無音で満ちていた。服従の呪文で縛られたラース達は今だ床に伏せ、その動きを縛られている。だがそれ以外に相手は一切の動きを見せなかった。どうやら対話の意志があるらしいということは本気のようだ。


「……猊下とやら、生憎とこちらにはアンタ方と交わせるような有益な話題がないんだがね。

 それに実は人見知りでね、見ず知らずの化け物と歓談できるような精神は持ち合わせていないんだ」


とはいえ、気を緩めることは出来ない。今の俺には眼前の存在の脅威がどれほどのものか理解できている。3体のいずれもがTRPG基準にして脅威度20を超える怪物だ。呼吸をするように最高位の呪文を操り、精神の力で物理法則を捻じ曲げる超常の存在。その仕草の一つを見逃せばそれが即敗北に繋がるであろうことを考えれば、平静に会話など続けられるはずがない。

さらに憂慮すべきは目の前の3体が写身にすぎないということだ。俺の目には、その頭部からは通常は不可視のはずの薄い糸のようなものが伸びているのが見えている──シルヴァー・コード。実体と霊魂を繋ぐ霊的な糸であり、つまり彼らが生身の体ではなく物質界に投射された仮初の存在であることを示している。最高位である第九階梯、《アストラル・プロジェクション/アストラル投射》の呪文により構成された仮初の肉体は、例え破壊されても霊魂が肉体に帰還するだけでダメージが残らない。だがその呪文は装備品を含めて完全に同一な分身を構築する。つまり戦闘力は一切減衰せずに安全を確保したまま行動することが出来る、そういった状態に彼らがあるということだ。

だがその畏怖を振りまく脳喰らいは、その俺の反応を見て気を悪くするどころか心地よさげにその触手を動かし、表情を緩めてみせる。それは余裕のあらわれだ──高い〈真意看破〉が別種の生物の感情であろうともその心情を理解させるのだ。この世界にやってきて初めて、自分の高い技能と能力に対して否定的な感情が浮かぶ。


「──我々の実力を理解していながらそのような言葉が出るとは、やはり私が見込んだだけのことはある。

 今もその精神を屈することなく、状況を打開すべく思考を続けているのだろう──素晴らしい!」


機嫌を良くしたマインド・フレイヤーのヤツメウナギのような口元から、人間でいうのであれば笑い声のような意味を持つ呼気が吐き出される。触手のヒダをその空気が通り抜けることで、不気味な音が室内に鳴り響く。


「──おっと、失礼。私ばかりが一方的に話をしてしまったな。

 どうも事前の調査を含めてここ数日はずっと君という人物のことを考えていたために、こうして面と向かった今が初対面という気がしないのだ。

 だが、ここ暫くというもの私は今この時を楽しみにしていたのだ。

 自己紹介もまだだったね。私はイスサラン──事前にアポイントを取らずにこのように押しかける形になったが、どうか許し給えよ」


語られた名前は俺の想像通りのものだった。レイド・ストーリー《レストレス諸島》において出現する11体のマインド・フレイヤーを束ねる存在。『夢の領域』が残した武器庫を占拠し、その兵器で世界を蹂躙せんとした恐るべき異形の長。先日の戦いで姿を見せた"ウォーフォージド・タイタン"の様子からして、既に彼らはそのクエストにおける目的──武器庫の掌握を果たしている。こうして姿を見せていることを考えれば、戦争を行う準備が整っていると考えていいだろう。


「こちらの自己紹介は不要なようだから省かせてもらおう──だがよく御存知の通り、俺達は今重要な打ち合わせの最中でね。

 用があるなら手短にしてくれ。歓迎されていないことくらいは解るだろう?」


例え戦闘になっても、相手に痛手を与えられない以上勝ったとしてもそれは徒労にすぎない。《グレーター・コマンド》で無力化されている他のメンバーも、身動きがとれないだけで精神的に不活性化されているわけではない以上おそらくは念話か何かで応援を呼んでいるはずだ。だがそれはさらなる犠牲者を産むだけだと俺には理解できている。ならば求められている対話の用件を済ませて早々にお引取り願うべきだろう。だがその考えは徒労に終わる。優秀なリランダー氏族のエージェントたちはSOSを受け取って、即座に《テレポート》によりこの部屋へと突入することを選んだのだ。

スリーマンセルによる転移突入。一人が《テレポート》の呪文を制御し、同行する二人が転移直後の硬直をフォロー、さらに敵性対象の排除を行うという洗練されたものだ──だが、そのような"当たり前"の対処は眼前の異形たちには全く通用しない。俺の目はバラーネクの体から伸びる不可視の触手が、転移によりこの部屋へと現れようとする3人を捕えたのを見た。強力な思念波により構築されたそれがアストラル界から顕現しようとするハーフエルフ達へと包み込んだかと思うと部屋の壁を通り抜けて伸び、侵入者達を廊下へと放り出したのだ。

強力な精神が近傍の空間を歪め、転移に影響を与えているのだ。廊下側では数度、硬いものを叩くような音がした後に静寂が戻る。微かに聞こえた足音は人間のものではあり得なかった。固く分厚い体毛が音を吸収していたそれはおそらくはバグベアのもの。いつの間にか扉の前にいた衛視は排除され、俺達はこの部屋に隔離されている。突入を図ったハーフエルフ達は当然腕に覚えのある戦士だったのだろう、だがそれを一息に無力化するほどの存在が外にいる。だがこの部屋の何人がそのことに気づいているだろうか。救援を呼んだ者は突如念話が途絶えたことで事情を察したかもしれない。いつの間にか敵の腹の中にいた──まさに今はそんな状況なのだ。


「ふむ……私としてはもっと会話を楽しみたかったのだが、長居をして騒がしくなることは望む所ではないな。

 では残念ではあるがお楽しみは次の機会にとっておくとして、本題に入ることとしようか。

 ──私の元に来たまえ


秘術や超能力は一切介さぬただの言葉。だがその言霊が強烈な意志を持って吐き出されたことで、それは俺の心を激しく撃った。堕落に対する欲求。恐怖に対する誘惑。そういった負の精神が理性を押しのけて頷いてしまえと体を動かそうとする。普通に考えればあり得ない選択肢。だが強烈な個性と圧倒的な存在感から放たれた言葉が、心の奥底に沈んでいる感情を暴き立てるのだ──我慢する必要はない、受け入れてしまえ!


「勿論、君の自由意志は尊重しよう──私としては非常に気持ちを揺さぶられる選択ではあるのだが、君が望まぬ限りその脳を味わうような真似はしないことも約束しよう。

 だが、人間とはか弱くまた寿命も短い存在だ。われらの秘儀を受けることでそういった制約から解き放たれ、負のエネルギーをも寄せ付けぬ体になることはいずれ君にとって必要になるだろうとは思うのだがね。

 望むのであれば君の仲間の同行も認めよう。孤独に慣れぬ身では近しい存在を心が求めるのは当然のことだ。それだけの価値を私は君に認めている」


イスサランは饒舌に言葉を続けた。それはその言葉を信じることが出来るのであれば素晴らしい条件だと言えよう。マインド・フレイヤーの支配の証である意志の束縛をせず、仲間に迎え入れようというのだから。そして望むのであればヴォイド・マインドとなることで寿命や老化といった人間であるがゆえの弱点からも解き放つという。先程から俺に対する殺気を止めないバラーネクとやらの不服な様子からして、イスサランの言葉は本気のように思える。


「それは随分な評価をどうも。だがそこまでしてもらう謂れもないはずなんだがな」


「どうやら君は随分と自己評価を低くしているようだな──いや、そうあるように振舞っているのか。だが君の秘術は他に類を見ないものだ。

 私は随分と長い探求の末にある程度秘術を修めたものだと自負していたのだがね、君を見たことでそれが思い上がりであることを思い知ったのだよ。

 既存の術式では成し得ない、あるいは遥かに洗練されたその体系は私にとってすら未知のものだ。

 それを失うことは惜しい──そして例え脳から知識を得たとしてもそれを我が物と出来るとは限らない。

 私はその探求の道を望んでいる。そしてそれには君の協力が不可欠なのだ」


俺の否定的な言葉を押しつぶすかのようにイスサランは語る。そしてその言葉から想像以上に自分のことが知られていることが解る。常に《マインド・ブランク》による占術防御を維持していたつもりだが、相手の調査能力はその上をいったということだろう。サイオニックには《メタファカルティ/天眼通》という、こちらの占術に対する防御など関係なしに情報を入手するパワーがある。それはサイオニックの中でも最高位の能力で、簡易的とはいえアカシックレコードのような概念へとアクセスし、そこから情報を引き出すというものだ。神格ならぬ身ではそこからは直近の薄い表層をさらうことが出来るのみだが、この異形にはそれでも十分な情報だったのだろう。


「私もこのバラーネクがパワーによる調査を行おうとして、君の仕掛けていた《スクライ・トラップ》に引っかかるまでは気づいていなかったのだがね。

 本来であればあの呪文で与えうる限界を、遥かに越えた結果を君は残したのだ。私ですら事前に知らなければ一度命を失っていただろう」


「──猊下、その件については……」


「おっと、本人の前で話すような内容ではなかったか。だがその事実を見て、そして今こうして君本人と対面することでさらに私は感じたのだ。

 アルゴネッセンの年経たドラゴンが為したというのであれば私は何も思わなかっただろう。

 だがそれを行ったのが第六階梯に届いた程度の人間だとは!」


部下の言葉もイスサランの熱を冷ますには至らない。残った一体のマインド・フレイヤーは静かに周囲を睥睨し、ただ《グレーター・コマンド》で制圧した者達の動きを封じ続けている。海と空の支配者を自認するリランダー氏族の塔、その頂上の部屋の中に立つ3体の異形と、向かい合う俺とメイ。伏せたハーフエルフ達とラースはその異様な雰囲気に飲まれたのか、言葉ひとつ発さない。万が一余計な言葉でイスサランの勘気に触れるようなことがあれば、何が起こるかわからない。『狂気の領域』がこの世界に産み落とした闇。この広い室内はその1体が放つ気配だけで満たされてしまっていた。


「──ああ、また私だけが喋りすぎてしまったようだな。だが私の思いの片鱗は解ってもらえたのではないかな?

 さあ、答えを聞かせてくれ」


その細い両腕を広げ、イスサランが俺に呼びかける。勿論、俺の返事など決まっている。


──お断りだ、タコ野郎。人間がお前の足元に這いつくばると思ったら大間違いだぜ。

 そんな提案に乗るのは心のイカれた狂信者だけだ。日の当たる所にお前の居場所なんてないんだ、大人しくカイバーへ帰るんだな」


叩きつけたのは決別の言葉だ。仲間の故郷を滅ぼした相手だとか他にも理由はいくらでも考えつくが、最も俺が強く感じたのは『この存在の意を通してはならない』という強い反発心だった。その呼称からしておそらくイスサランは上帝のエグザルフ、まさにこの世界に狂気と暗黒を撒き散らそうとしている悪そのものだ。『世界』そのものを腐食させる存在に下るという選択肢はあり得ない。それはこの世界にとって、そしてやがて帰るつもりである世界を守るためにも当然なことだ。

俺のその拒絶を受け、イスサランはその広げた腕と触手をうち震わせた。


ククク……カカkakaka……Hahahahhhhhhhhhhh&%#'&%$#$%!%#$"!!!!!!!!!!


広げた両腕と触手をうち震わせるだけでなく、感情の動きに従って身に纏った《イナーシャル・アーマー》が形を変えることで室内に風を巻き起こした。秘術だけでなく超能力についても極めているとみられるその異形の体から溢れているのは怒りではなかった。驚きと好奇心、喜びがないまぜになってまるで空気に色がついたかのように室内を圧迫している。

ひとしきり哄笑を続けた後、イスサランは伸ばしていた腕をダランと下ろした。その白い眼が変わらず俺を見据えている。


「なるほど、それも良いだろう。ままならぬ故に、手に入れた時の喜びもいや増すというものだ。

 ならば私はその再会を劇的にするために趣向を凝らすとしよう──

 悲嘆と絶望で熟成された君が、捧げ物として我がもとに献上される時が再会の時だ。

 その時私は再び君に問うだろう。その答えを今から楽しみにしてるぞ!」


自らの圧倒的優位を信じて疑わないその言葉は、しかし確かに強烈な能力に裏打ちされていた。だがそれに対して床に這い蹲ったままのリランダー氏族の一人が呻くように声を上げる。


「人類がカイバーに屈することなどあるものか! ソヴリン・ホストと"先覚者"の怒りが必ず貴様達を焼き払う──」


だがその言葉は最後まで発されることはなかった。突然プツリと糸が切れた操り人形のようにそのハーフエルフは突っ張っていた四肢を弛緩させ、べちゃりと床に伏した。


「──囀るな、貴様らの発言は許可されていない。そのうえ猊下に対して直接口をきくなど、万死に値する」


そう声を発したのは向かって右側に立つマインド・フレイヤー、バラーネクだ。その掌にはいつの間にか拳三つから四つほどの大きさのピンク色の塊が乗せられていた──それは脳。強力な超能力が、あのハーフエルフの脳幹を抉り出したのだ。そして脳喰らいにとって好物であるはずのそれを、バラーネクは味わう価値などないとばかりに握りつぶす。血と脳漿が床へと撒き散らされ、静かな室内に水気の音が木霊した。

勿論俺はこのマインド・フレイヤーのことも警戒していた。だが恐ろしいことに、相手はこちらに対する警戒を維持したままでなお今の行動を成したのだ。たとえ俺が《ディスペル》を放っても相手はさらにその《ディスペル》を相殺してきたことだろう。《シズム/分離》、自身の内部に第二の精神を構築し超能力を行使させるパワー。そうやって構築された精神は当然主となる本体よりも弱いパワーしか行使できないにも関わらず、使用されたのは《ディーセレブレイト/除脳》という秘術であれば第七階梯に相当する能力だ。俺もチートにより高速化した呪文を併用して呪文を2つ使用することはできるが、眼前のこの超能力者はそれと同等の結果を素の能力で出している。脅威度20オーバーとは、存在そのものがチートといっても過言ではない。そんなマインド・フレイヤーが11体、さらに"ウォーフォージド・タイタン"を擁しているというのだから、人類社会を蹂躙することなど彼らにとっては造作も無いことに違いない。


「──無知とはかくも醜いものだ。だが、君たちに幸運なことに今の私は寛容さを持ち合わせている。

 叡智に触れる機会を与えてあげよう。バラーネク、彼らを少し教育してやりたまえ」


「Yes, Your Holiness!」


哀れな犠牲者を一瞥したイスサランの視線は実に冷ややかなものだった。そして出された指示を聞き、頭を垂れたバラーネクの姿が霞んで消えていく。字面だけとれば確かに悪いことには聞こえない。だが、その言葉を発した存在の感性は狂気によって彩られているのだ。これから起こるのが碌でもない事であるのは疑うべくもない。


「では、私もこれで御暇することにしよう──再会の時を楽しみにしているよ」


だが、その犠牲は状況に変化をもたらした。興が削がれたのか、イスサランが退去を宣言したのだ。彼とその傍らに立つマインド・フレイヤーの姿が歪みながら消えていく。強力な精神力が空間を歪め、転移を引き起こしているのだ。だがその姿が完全に消える前に、イスサランの声が響く。


──ああ、バラーネクは少々教育熱心すぎるきらいがあってね……早めにそこを離れることをお勧めしておくよ


直後、響く爆発音。その方向に視線をやれば、そこには爆発している飛空艇の姿。係留されているうちの一隻が、炎と煙を吐き出して徐々にその高度を落としていく。そしてその艦内から外壁を打ち破って現れたのは忌まわしき"ウォーフォージド・タイタン"だ。その巨体は明らかに飛空艇の中に収まるようには見えず、地下港の時同様あの場で創りだされたのだろうと思われる。奴は沈みゆく船を足場に跳躍すると、塔の先端から突き出した飛空艇の係留所へと着地した。

いかに頑丈に作成されたとはいえ、想定以上の重量が負荷として加えられたことで塔の構造が軋み、音を立てる。それはまるで建物自体が痛みに対して悲鳴をあげているのかのようだ。その原因となった人造の巨人は、左腕の砲門を振り上げて唸り声を上げる。その巨体の上には、先程までこの部屋にいた脳喰らいの姿があった。


──さあ、教えてやろう──お前たちの無力さと、絶望という感情をな!


半年の空白を経て、再びこの島にマインド・フレイヤーの狂気が舞い降りたのだ。



[12354] 6-6.シックス・テンタクルズ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:38d1799c
Date: 2013/02/27 06:44
ウォーフォージド・タイタンの砲口から放たれた一撃が、リランダー氏族の塔の頂上へと炸裂した。直径3メートルほどのエネルギーが照射されたその火線上の物体は蒸発し、周囲の構造物が外壁に衝突しながら落下していく音が会議室に響き渡る。既にマインド・フレイヤーが退去したことで《グレーター・コマンド》の強制作用からは開放されたはずだが、残されたハーフエルフ達の動きは鈍かった。最も素早く立ち上がったラース・ヘイトンが周囲へと激を飛ばす。


「おい、まだ念話が通じる相手がいるなら避難勧告を出すんだ! ぐずぐずしているとこの塔の崩落に巻き込まれるぞ!」


荒事をくぐった経験の差か、彼はまだ床にへたり込んでいる氏族のお偉方に遠慮無く指示を出していく。だがその彼の声を掻き消すようにさらなる轟音が響き渡る。跳躍したタイタンが、先ほど砲撃で吹き飛ばした塔の最上部へと飛び移ったのだ。だが鋼の巨兵の行動はそれでは終わらない。おそらくは左腕に備えられた巨大なハンマーを使用しているのだろう、何層か上の構造部が破壊されていく音と振動が響いてくる。そう時間をおかず、この会議室までその破壊が及ぶだろうことは明らかだ。


「駄目だ、外はクロスボウを構えたバグベアどもが飛び回っている! 飛び降りたんじゃいい的だぞ!」


いっそ飛び降りて《フェザー・フォール》などの落下を制御する呪文を使用したほうが安全、そう考えたのか窓に取り付いたハーフエルフが悲痛な叫び声を上げた。先ほど突入してきた氏族の護衛を処理した部隊だろうか、確かに窓の外には《フライ》の呪文で飛び回っているバグベアの小隊の様子が見える。


「なるほど、連中は俺達に階段を使ったタイタンとの追いかけっこをご所望のようだな。

 少なくともクソッタレなマインド・フレイヤーの瞬間移動を阻害するパワーの範囲外まではそうやって離脱するしかなさそうだ。

 さあ、立つんだ! 幸い《ヘイスト》の呪文の用意はあるが、ぐずぐずしているとここでぺしゃんこにされてしまうぞ!」


ラースはそういってスクロール・ホルダーから一つの巻物を取り出す。おそらくは先ほど彼の言った《ヘイスト》の巻物だろう。その付与を受ければ通常の倍ほどの速度で走ることが出来る。それはここから避難するのに十分な助けとなるだろう。

起き上がったリランダー氏族のメンバーがラースの元に集まっていくのを横目に、俺は会議室の扉を蹴り開けて外に出た。左右を見回してバグベアのニンジャが潜んでいないことを確認し、室内に声を掛ける。


「ラース、俺達はあの脳食い野郎を追い払ってくる。ここにいるVIP達のエスコートは任せたぞ。

 戦闘が始まれば転移妨害を行う余裕はなくなるだろうが、塔の中にもバグベアが残っている可能性はある。

 "幽遁の術"で不可視化かエーテル化しているかもしれない、奇襲には気をつけろよ」


おそらく外にいるバグベア達はレストレス諸島のオーガ部族の首領、ゴーラ・ファンに仕える近衛部隊だ。《テレポート》の能力を付与した黒いマスクが特徴で、そのアイテムとニンジャの技術により神出鬼没を地で行く精鋭部隊。彼らが支配されているのか同盟者であるマインド・フレイヤーに協力しているだけなのかは不明だが、少なくとも今の俺達に友好的ではあり得ないだろう。


「──わかった。私も念話でアマルガムを呼び寄せてはいるが、転移妨害のために工房からここまで来るにはまだ時間がかかるだろう。

 すまないがそれまでの間、持ちこたえてくれ」


ラースはそう申し訳なさそうに話しながらも巻物を起動させた。何人かのハーフエルフはその効果を受けるやいなや、廊下へと飛び出して一目散に階段へ向けて走っていく。先ほどの俺の言葉を聞いていなかったわけではないだろうが、待ち伏せの恐怖よりも頭上に迫るタイタンの恐怖のほうが遥かに強いということなのだろう。そんな中でも俺たちをここに招いたオーレリアは廊下まで出てくるとこちらへと声を掛けてきた。


「こんなことになってしまい、大変申し訳無く思っています──後ほど、改めてゆっくりとお話をさせてくださいませ。

 リランダーの名にかけて。あなた達の働きに報い、あの異形たちへ鉄槌を振り下ろすことをお約束いたしますわ」


そういってこちらに笑みを見せるほどには余裕を保っているあたり、やはり一角の人物だったのだろう。こちらとしてはとしてはあのマインド・フレイヤーを呼び込んでしまったことには俺達にも原因の一端があるのは明らかであるため、彼らを責める気持ちにはなれない。だが彼らがホストである以上、この場で起きたことの責任が彼らに帰属するのは仕方のない事なのだ。


「その時を楽しみにしていますよ、レディ。ではまた後ほどお会いしましょう」


そう言葉を掛け合うと、お互いが背を向けて走りだす。天井からは徐々に破砕音が近づいてきている。丁寧に1フロアずつを粉砕しながら徐々に下へと向かっているようで、その進みは早くない。だがそれは外にいるマインド・フレイヤーの胸先三寸で如何様にでも変化するだろう。直下への砲撃を行えばその一撃で塔が半壊し、誰も逃げ遂せることが出来ないのにわざわざ追い詰めるようにハンマーで塔を崩しているのは宣言した通りの恐怖を味あわせようとしてバラーネクが遊んでいるからに他ならない。

その余裕を剥ぎ取り、叩き潰す。このコルソスを再びマインド・フレイヤーによって蹂躙されぬように、俺はこの場であのマインド・フレイヤーを取り除くことを決意したのだった。








ゼンドリック漂流記

6-6.シックス・テンタクルズ








円弧を描いて水平に伸びていた空中桟橋が、支えを失って落下していく。降下しながらも自重に耐えかねて空中分解を起こしたそれらは、巨大なものは二階建ての小さな家ほどの大きさとなって塔本体へと接触する。幸いにも外壁が削られただけで塔そのものがその衝撃で崩壊することはなかったが、内部で階段を駆け下りているラース達はさぞ心胆寒からしめられただろう。

だが俺達は彼らに意識を向けている余裕はなかった。眼前にこの崩壊の原因となったマインド・フレイヤーを迎え、背後ではウォーフォージド・タイタンが塔を破壊している。下の方で塔の周囲を飛び回っているバグベア達はこちらに手を出すつもりはないようで、空中へと飛び出した俺とメイにリアクションしてくることはなかった。だがそれは何の慰めにもならない。このマインド・フレイヤー1体で、足元のバグベアを何十体集めても抗し得ない戦闘力があることは明らかなのだ。


「──ようこそ、観劇の特等席へ。ゆっくりと見ていくといい。馴染みのある者達が叫び、恐怖し、絶望に囚われて果てていく様を」


自身の優位を疑っていないのだろう、バラーネクは先程までの敵意と打って変わって余裕のある仕草で俺たちを迎え入れた。こうして改めて見てみれば、この異形は並のマインド・フレイヤーよりも一回り以上大型であるようだ──《Ulitharid/ウリサリド》。マインド・フレイヤーの中でも特殊な変異種だ。上背が高いだけでなく、通常の4本に加えて非常に長い2本の触手がその口腔の周囲から生えているのが特徴的だ。


「馬鹿なことは考えないほうがいいと警告しておこう──猊下は貴様に温情を示されたが、それはあくまで我々の邪魔をしないという前提の上のことだ。

 私が任された"教育"を妨害するというのであれば、降りかかる火の粉を払わねばならぬ──」


マインド・フレイヤーは人型生物に、触手を生やしたオタマジャクシのような幼生が寄生することで成体となる。宿主の耳から体に潜り込んだ幼生はその脳を喰らって肉体を支配下に置くと、徐々にその器を異形へと作り変えていくのだ。そうして生まれたマインド・フレイヤー、その100体に1体ほどかあるいはもっと少ない割合で生まれるのがこのウリサリドだ。稀少なだけではなく強力な念波能力者であるウリサリドは共同体の中でも指導者的な役割を占め、その精神性は高慢極まりなく同胞が奴隷種族を見下すように他のマインド・フレイヤー達をも見下しているという。

そんな存在が得意の念視に反撃を受けて殺されるという無様を晒した上で仲間に蘇生を受け、その屈辱の原因となった俺の前に立っているのだ。その心中は容易く想像できる。平静を保っているように見えて、このマインド・フレイヤーはどうやってその汚辱を濯ぐべきかを考えているだろう。


「今更上っ面を取り繕うなよ、化け物。手を出したくて出したくて仕方がないって気配がその気味の悪い触手の動きからダダ漏れなんだよ。

 ──安心しろ、その無駄にデカイ顔に、きっちりと恥の上塗りをさせてやる」


「Kuha%#"、期待通りだぞ、手間を省いてくれたことには礼を言おう! 褒美にとびきりの絶望をプレゼントしてやるぞ、ヒューマン!」


俺の挑発の言葉に、バラーネクは喜色も露わに応えた。その触手だけでなく周囲の空間すらもがその狂気に歪んだ感情の影響を受け、捻じ曲がっていく。その姿が歪んで見えるのは目の錯覚ではない。そしてバラーネクの体が二重に映り込んだかと思えば、直後には異形は2体に分裂を果たしていた。《フィション/分裂》、自身の超能力を分割し複製を作り出すパワーだ。人数の不利を補おうという考えなのだろう、さらに先ほど会議室で見せた《シズム/分離》によって精神を分割すればさらに倍。それぞれが《高速化》により並列化してパワーを使ってくることを考えれば、このバラーネクは1体でありながらもその忌々しい触手と同じ、6倍の手数を行使してくるということになる!

勿論複製体は創造直後はパワーによる強化を受けていないため本体よりも倒しやすい。だがバラーネクはこの展開になると考え、予め複製体を仕込んでおいたのだろう、既に分身は本体同様に強力なサイオニックのパワーの数々に包まれていた。先ほど分裂したように見えたのは瞬間移動で本体に重なるように移動してきたためだろう。いつもであればメイの周囲に展開されている転移妨害の術式がその出現を遅らせるのだが、リランダー氏族に招待されている身として今日はその呪文を使用していないことが仇となった形だ。

だが、倒すべき2体が近い位置に纏まっているというのはこちらにとってありがたい事だ。一つの呪文で双方を巻き込めるのであれば、その分威力に重きを置いた攻撃を行うことが出来る。


「御免被るね、早々にカイバーに帰りな!」


挨拶代わりに放ったのは定番の呪文である《スコーチング・レイ/灼熱の光線》だ。従来の火に加えて酸を付加されて宙を切り裂く6条の光がバラーネクへと向かう。一撃で200前後のダメージを叩きだす致死の火線。だがそれはマインド・フレイヤーが展開した力場の障壁によって遮られた。《フォース・スクリーン》、秘術の《シールド》呪文に相当する基本的なパワーだ。だがバラーネクの尋常ではない精神力を注ぎ込まれたその障壁は、もはや盾ではなく壁といっていい規模でマインド・フレイヤーの体を守っている。普通の盾使いであればその支えた手ごと焼き溶かし尽くしただろうが、この異形は力場の障壁を巧みに操ることで火線を逸らしていた。明らかに対呪文攻撃用に習熟しているその動きは、熟練した戦士の技量を備えていることを示している。


「クク、その程度ではどれほど打とうが私には届かんぞ──」


そして技量だけでない、超能力者としての直観が恐るべき精度での"先読み"をバラーネクに与えている。《プレコグニション/予知》により知覚能力が時間を超え、数瞬先の未来を感じ取れるようになっているのだ。有効な打撃を入れるどころか、触れることすら困難な鉄壁。莫大なサイオニック・エネルギーを戦闘に注ぎ込むことで、一時的ではあるが俺を超える防御能力をバラーネクは得ているのだ。


「さあ、返礼だ、受け取れ──くれぐれも、そう易易と死んでくれるなよ?」


そういってこちらを睨むバラーネクの視線に殺気が集中する。それを感じた俺が身を翻すのと同時、殺意が現実をねじ曲げた。空間そのものが圧縮される。強烈なテレキネシスが力場となって襲いかかってきたのだ。遮蔽物のない空中で視線から逃れることが出来ない以上、この攻撃を避ける術はない。だが全身を蝕む衝撃はその分低く、即死するようなものではない。俺なら10発程度であれば耐えることも出来るだろう──だがバラーネクの手数は通常の6倍。それが俺を死へと一気に近づける。


「トーリさん!」


メイがその状況を察し、お互いを包むように《フォッグ・クラウド》を発動させる。発生した霧がお互いの視線を遮り、念動力を封じる。高所であるがゆえに微風が絶えず、そのうち吹き散らされてしまうだろうがそれまでの間は視界を塞ぐことが出来る。専門外にも関わらず即座に敵のパワーを見抜き、対応策を実行するあたりはメイならではといったところか。俺と彼女はシャーンの地下での戦闘以降、サイオニック系の知識も収集してきたのだ。その成果の一端が現れたのだ。


「ハハハ、まだまだこれからだぞ! 傷に怒り、憎しみを育てろ! その全てを恐怖が折り砕き、絶望が塗りつぶすのだ!」


だが、無論敵も即座にこちらの動きへと対応してくる。俺は霧の中に突っ込んできた複製体がその掌をこちらに向けたのを気配で察した。そこに強烈な思念のエネルギーが注ぎ込まれ、意志力が物理法則に干渉して歪めていく。その結果として生まれたのは何千何万という、小さなクリスタルの欠片だ。その水晶の群れは円錐形に広がりながら全てを切り裂いていく。距離がある程度離れればその殺傷力は一気に落ちるが、小さな霧の中に留まっていては水晶片が全身に突き刺さるのは避けられない。メイが割り込むように発動した《ウォール・オヴ・フォース》がその噴出を妨げる。

だがそれは敵のパワーを封じたのではなく、一方を壁で塞いだだけの一時凌ぎだ。複製体は霧の中に突入してきた運動エネルギーを超能力で捻じ曲げるとその壁を回りこむように位置を変え、再びクリスタル・シャードを放ってきた。《シズム》による分割された精神から放たれたもののためか、先ほどの噴出よりも放たれる水晶の細片の数は少ない。だがそれは肉体的に劣るメイの体力を削るには十分な威力だ。回復することなく立て続けに数度も浴びれば、それで戦闘不能に追い込まれてしまうだろう。

反撃にこちらが放った《ファイアー・ボール》や《ホリッド・ウェルティング》などの範囲攻撃呪文は、その予知めいた洞察により無効化されるか待ち構えていたバラーネク本体が創り出したエクトプラズムの障壁によって効果線を遮られていく。相手が行なっているような"必中"で"抵抗不能"な確実にダメージを与える呪文も秘術には存在するが、そういった《マジック・ミサイル》系あるいは《アイス・ストーム》といった呪文は与ダメージが少なく相手の回復量を上回ることが出来ない。回復に相手の手を割かせるという意味では有用ではあるのだが……。


「私が受けた痛みと屈辱はそんなものではないぞ──悶え! 苦しみ! 血と涙を垂れ流せ!」


高位の呪文を撃ちあうとき、勝敗を分かつのはやはり"手数"の差だ。相手の攻撃の無力化と自身の攻撃という2つの手札をお互いに相殺し合い、すり抜けた攻撃が敵をすり潰していくのだ。だが今こちらは数の上では優っていても、手数で劣っているために押されている。一気に決着がつかないのはこちらが決定的なパワーの行使を許さないように対処しているためだが、何よりもバラーネクがこちらにダメージを蓄積させて徐々に弱っていく様を楽しんでいるというのもある。[精神作用]に対するこちらの備えを察してか、得意であるはずのテレパス系のパワーを行使してないにも関わらず敵の優位は揺らがない。

これだけの脅威であるマインド・フレイヤーが11体も存在し、しかも呪文で構築された仮初の肉体は破壊しても本体に影響を与えない。破壊せずに肉体を石化させたとしても、《アストラル・プロジェクション》を解呪すればその仮初の肉体から意識が抜けだして本来の肉体に戻るだけだ。バラーネクが遊んでいるのもそういった余裕があるからなのだろう。自身は安全圏に身を置きながら、圧倒的なパワーで蹂躙する。全くもって忌々しい敵だ。


「きゃっ!」


突如発生した強風が霧を吹き散らし、姿を表したメイに念動力が襲いかかった──いや、いまの風すらバラーネクの超能力により生じたものなのだろう。本体から発された《コンカッション・ブラスト》がメイを打ち据え、さらに迫る複製体はその掌に水晶片を生み出そうとしている。だがその直前、メイへのダメージが一定値を越えたことで彼女が自らに付与していた非常用呪文が起動した。複製体を包み込むように力場の障壁が展開され、《スウォーム・オヴ・クリスタルズ》は遮られたことで虚しく中空を叩いて砕け散った。そして再び彼女を中心に霧が発生していく。俺はその中に飛び込みつつ、同時に彼女の傷を呪文で癒し始めた。

相手の能力はこちらが予想していた以上に鉄壁だ。さらに単発のパワーはまだしも、付与に回されている超能力の類には解呪抵抗が施されていてメイですらかなりの運任せでなければディスペルできそうもない。《アンティマジック・レイ》は命中すれば一撃で本来の肉体に送還するが、俺では未だに手の届かない呪文である上にメイの射撃能力であの障壁を超えて命中させるのは至難の業だ。フィールド型のアンティマジックエリアは俺達の飛行能力すら中和してしまうため、この高空に留まっているバラーネクを巻き込むことが出来ない。

瞬間最大風速でここまで極端な戦闘能力を発揮する超能力にも弱点はある。それは継戦能力だ。威力が強力な分、消費するリソースの量も莫大であり、さらに手数が六倍とあればそれに応じたパワーを消耗する。だがこのままでは敵がエネルギー切れになる前にこちらが押し切られてしまいそうだ。


「そうだ、お前たちは自分が傷つけられるよりも仲間を傷つけられたほうが応えるのかも知れぬな。

 ならば今日はその女を甚振るとしよう。そして明日からは同胞に追われ、自らの行いを後悔することになるのだ。

 縁のある都市、北の大陸で人の群れる街などを1つずつ"ウォーフォージド・タイタン"で焼き払おう。

 そして告げよう。我らの前に貴様を差し出せ──それが果たされる時まで鉄の兵による蹂躙は続くとな!」


こちらの反応を楽しんでいるのか、今度は霧の中に複製体を突入させることもなくバラーネクは言葉を投げかけてくる。なるほど、他人の感情を糧とするマインド・フレイヤーらしいやり口だ。人類同士で争わせて高みの見物と洒落込もうというのだ。万が一コーヴェア全土を敵に回しても、自分たちであれば如何様にでも対処できると考えているのだろう。そしてこの超能力とタイタンのことを考えれば、それが思い上がりではないことも理解できる。それを間違いだと言葉で正す必要はない──ただ結果で示すだけだ。


「──そんなことはさせません!」


傷の治療を受け、体勢を整えたメイが霧を突き破って飛翔した。広範囲の攻撃は遮断され、光線系の呪文は反らされる──ならば、直接ゼロ距離から呪文を叩きこめばいい。だがそれは勿論危険な賭けだ。超能力による未来視は当然近接戦闘にも有効であり、接近戦では敵にはウリサリドとしての体格、そしてマインド・フレイヤーの危険極まりない触手があるのだから。


「そうだ、その怒りだ! それをもっと私に味あわせろ!」


バラーネクはそう叫んでメイを迎え撃つ。だがその視野が狭まったようなことはなく、複製体をこちらに向けて俺がメイのフォローをしようとしたのを妨げてくることも忘れていない。一対一であれば自身の優位は揺るがないと考えているのだろう。そしてその考えは概ね正しい。メイの腕はひときわ長い異形の触手に絡め取られ、体ごと引き寄せられた。


「その感情が恐怖と絶望に転じる瞬間こそが最上の美味──さあ、お前はどんな死に様が望みだ?

 ここでその脳を食い尽くされるか、我らが走狗と成り果てて同胞に弓引かされた後に殺されるか?

 それとも指先から少しずつ削り取るようにオーガに与えられ、最後に残された首を踏み潰されることを望むか?」


他の触手たちもが次々とメイに群がっていく。特別大きな二本が彼女の体を束縛し、残りの4本はメイの頭部を包み込むようにして固定している。マインド・フレイヤーが対象の脳を貪る際に見せる構えだ。このまま放置していれば数秒後にはバラーネクの口がメイの頭部に穿孔を穿ち、その脳を貪り尽くすかもしれない──勿論、そんなことを許すわけがない。

眼前に立ち塞がる複製体が放つ水晶の群れを、その只中を負傷しながらも突き抜けることで突破する。先程までは《ウォール・オヴ・フォース》などで遮ることで防いでいたのだから、突然の方針展開に敵は意表を突かれた形だ。だが高い知性を有するマインド・フレイヤーは即座に思考を切り替え、続けざまに攻撃パワーを叩きこんできた。霧を脱出したことで視線が通るようになり、《コンカッション・ブラスト》による衝撃波が体を揺さぶる。だがメイに比べれば遥かに打たれ強い俺はその程度で落とされることはない。そうやって辿り着いたのはバラーネク本体の背後だ。


「遊びは終わりだ──彼女は離してもらうぞ!」


メイに組み付いた状態になっているバラーネクはその動きに制限が加わっている。いかに未来予知めいた洞察力を得ていても、彼女を抱えたままでは反応に限界がある。メイの特攻はこの状況を作り出すための策だったのだ。だがバラーネクはそれでも自分の優位を疑っていないのだろう。メイを縛り付けたまま、念動力の盾をこちらに向けてくる。それが突き出した俺の掌底を遮り──俺はそのままその障壁を殴りつけると体をその内側へと潜り込ませた。接近戦で相手の盾を無効化する《盾封じ》と呼ばれる技法だ。先ほどレベルアップ処理をすることで手に入れた技術であり、いくら俺のことを調べていたとしてもこんなことが出来るとは思っていないはずだ。洞察による回避を防ぎ、盾を無効化した。そしてバラーネクには《イナーシャル・アーマー》による反発力場の鎧と、《シックン・スキン》で大幅に硬化された外皮という護りが残されている。

だがその双方はあくまで打撃や斬撃などの攻撃に備えたものだ。"触れるだけ"で発動する接触呪文にその護りは通用しない。ゆっくりと差し出した左の掌がバラーネクの背中へと触れ、そこから莫大な負のエネルギーが発生した。《エナヴェイション/気力吸収》、有名所で言えばヴァンパイアの生命力吸収と同種の効果。だがその威力は桁が一つ違う。《呪文威力強化》《呪文威力最大化》《呪文二重化》など様々な特技で強化されたその魔法は、一撃で15ものレベルドレインを引き起こす──!


「──貴様、よくも!」


「メイ、今だ!」


振り返りこちらに《コンカッション・ブラスト》を放ちつつも、並行して負のエネルギーを癒そうとするバラーネクの反応は流石と言える。だが《セレリティ》で加速されたメイの反応はそれを超えていた。いつの間にか彼女が取り出していた巨大な濃紺と黒の縞混じりの宝石──カイバー・ドラゴンシャードを基点に彼女の組み上げた呪文が起動する。


「"彼の者を捕らえよ!!"」


単純極まりない言霊に、しかし篭められた力は莫大なものだった。精緻極まりない魔術回路から発されるエネルギーは吸引力となってバラーネクを包み込み、その"魂魄"をカイバー・ドラゴンシャードに封じようとする。《トラップ・ザ・ソウル》──宝石に対象を封印する第八階梯の秘術だ。

だがバラーネクが長い間積み重ねてきた超能力者としての年月と経験が、大規模なレベルドレインを受けてなおこの呪文に拮抗している。広がって波打つ触手はまるで空間そのものを掴んで吸い込まれまいとしているかのようだ。だがその"空間"そのものが砕けたかのように触手は支えを失い、乱れ打った。彼の体はクリスタルの内側へと閉じ込められる。


「何!」


驚きを示したその表情のまま、ウリサリドのマインド・フレイヤーはカイバー竜晶へと吸い込まれていった。実はバラーネクは俺たちに挟み撃ちされた時点でプレコグニションによる洞察を失っており、その際に発生した知覚のズレに対して俺が発動した《リミテッド・ウィッシュ》が干渉し、バラーネクの知覚を誤魔化していたのだ。この異形が抵抗しようとしていたその時には既にメイの呪文は完成し、その霊魂を捕えていた。彼のしたことは、封じ込められた水晶の内側で手足を突っ張っていたようなものだ。表面に張り付く程度の効果はあれども、長くは保たずにその深淵に囚われることになった。魂を同じくする複製体もが本体に引きずられるように封印されてくれたのはありがたい。

本体が死亡して複製体が遺っていた場合、複製体が本体として扱われる──だが今本体は死亡したのではなく竜晶内部の異空間に囚われた状態であり、"複製体"が残っていれば逃げられてバラーネクが意識を一部とはいえ取り戻すようなことになる可能性があったのだ。だがその心配は杞憂に終わった。

この呪文は文字通り、"魂"を封印するのだ。魂を封印されれば本来の肉体にかけられた《アストラル・プロジェクション》を解呪しても肉体が動き出すことはない。そこに魂が戻ることはなくなった以上、永遠に不活性状態を保ち続けるだろう。仮初の肉体で活動することで安全圏に身を置いていたつもりだろうが、考えが甘い。単に破壊あるいは死亡させるだけであればもっと別の手っ取り早い手段を用いている。長々と戦っていたのは相手の力量を測り、奇襲の一撃を不可避のものとするための仕込みに過ぎなかったのだ。

バラーネクの敗因は明らかだ。100を越えるACにどのような呪文にも抵抗し得る強靭さ、そして万物をねじ伏せる念動力。いままで苦戦などしたこともなかったに違いない。それ故にその護りが突破されることなど考えたこともなかったのだろう。格上との戦闘による苦い経験がないことがその慢心を産み、この敗北に繋がったのだ。

こちらの狙い通りマインド・フレイヤーが片付いたことで空は一端の静けさを取り戻した。だがそれはすぐにウォーフォージド・タイタンの塔を砕く音によって乱される。創造主が消えてもなお、あの鋼の巨兵は動きを止めることなく主命を遂行し続けているのだ。あれを倒さなければならない。


「さて、もうひと頑張りだな。メイ、いけるか? 念のため増援を警戒してほしい」


彼女から受け取った竜晶をブレスレッドに収納しながら声をかけると、彼女は取り出したハンカチで頬を拭いながらも言葉を返してきた。


「呪文のストックはまだ大丈夫です。このヌルヌルしたのを早くお風呂に入って落としたいですし、ササっと片付けちゃいましょう!」


作戦の一環で先ほどバラーネクの触手に触れられた際、その粘液が付着したことが気になっているのだろう。本来であれば転移妨害の呪文を使用したいところだが、あれは起動に10分は必要なものであるから今回は間に合わない。彼女には転移突入してきた敵に対するカウンターをお願いすることになる。


(ラース、聞こえるか! マインド・フレイヤーは対処した、もう転移を阻害されることはない。タイタン戦の援護を頼む)


(承知した。こちらも無傷とはいえないが五体満足ではある。特殊装備を整えたアマルガムを向かわせる。くれぐれも無茶をするなよ)


こちらの《センディング》に対してラースが返事をそう寄越してきたのとほぼ同時、塔の直上に大型の物体が転移してきた。それはマインド・フレイヤーの増援ではない。ラースの用意した援軍、彼の忠実なウォーフォージドであるアマルガムだ。だがその姿は大きく異なっている。背中から肩にかけて取り付けられたパーツが彼の大きさを一回り以上に大きく見せているのだ。ラースの工房にあった"ウォーフォージド・タイタン"の素材を流用したというそれはひどく無骨で、また仮組みの段階でもあるためか秘術回路を象った銀の配線もむき出しのままだ。これらの機能は全てタイタニック・ドセントを使用するための機構だ。通常のウォーフォージドの発生させるエネルギーでは十分に起動し得ないそれを、一時的にとはいえ操作するための増槽なのだ。単体のウォーフォージドの出力で足りないのであれば、普段からエネルギーをプールしておき必要な時に一気に解放すればいいのではないか。そんなコンセプトで昨日試作品として完成したばかりのそれは、当然試運転すらまだ行われていない。だが一日間の着用で最低限必要なエネルギーはチャージされている。ぶっつけ本番での実戦となるが、この際仕方がない。


「トーリ様、突入の援護をお願い致します。また現在の試算では起動後、有効な時間は5秒ほどになります。

 それ以上は自壊、暴発の恐れもありますので避難を推奨いたします」


淡々と述べるアマルガムだが、勿論そんな危険を侵させるつもりはない。


「十分だ。それじゃあ少し距離をおいて追従してくれ。タイタンの間合いには入らないように注意してくれよ。

 メイ、サポートを頼んだぞ!」


各自の準備が整っていることを確認し、俺はタイタンへと向かって飛翔を開始する。少し遅れてアマルガムが、砲撃を警戒して一直線にならぬように続いている。メイは高度を高く取り、周囲を警戒しながらバラーネクが敗れたことで統制を乱したバグベアの遊撃部隊のうち、射程範囲内にいる集団を攻撃呪文で焼き払ってこちらへと近づけないようにしている。

お互いの距離が60メートルを切ったあたりでタイタンがこちらへと向き直る。足元に叩きつけていたハンマーを止め、その左腕をこちらに突き出すために後方へ引き戻している。その肘部から空薬莢が吐き出され、3枚の刃が高速回転を開始した。だがそれは地下港で相まみえた時となんら代わり映えの無い攻撃だ。不規則な高速回転は確かに厄介な攻撃だが、既に何度も学習し呪文によるサポートを受けている俺にとっては脅威足り得ない。射程内に突入した途端、弾丸のように突き出される左腕。だが既にその機械独特の攻撃範囲を熟知している俺にとってはテレフォンパンチだ。その刃の最大展開角度を僅かに超えるような軌道を描き、懐まで潜り込む。今の俺はタイタンの巨大な胴体、その真上に取り付いたような状態だ。そこで俺は準備していた呪文を解き放つ。


「"来たれ"!」


コマンド・ワードにより起動した呪文が、タイタンの射程外で待機していたアマルガムと俺の位置を入れ替える。バラーネクがいては転移妨害により成し得なかったであろう転移による位置交換だ。そうしてタイタンに触れ得る距離まで安全に接近したアマルガムが、そのドセントのパワーを開放する!

青い光。タイタンを薄く包むその防御フィールドが、アマルガムの起動したドセントのパワーによるフィールドと干渉する。だがお互いがその完全な球形を示した瞬間、アマルガムを包むフィールドが色を変え、お互いを相殺するように混じり合い始めた。じわりと波紋が広がるように、球形のフィールドが色を失っていく。接触距離まで近づかなければ干渉は不可能という制限をクリアし、タイタンのフィールドが中和されていく。その一瞬を逃さず、俺は攻撃呪文を立ち上げる。

殺到する12条の火線が、タイタンのその巨躯をもいでいく。アマルガムの周囲を避けて突き刺さったその攻撃は腕や脚部の付け根を焼き溶かし、さらにセンサーが集中しているとおもわれる頭部を貫通した。莫大な熱エネルギーと酸を受けたことで、半ばまで崩壊した塔の最上部に、太古の錬金術で創り上げられた貴重な成分が融解し広がっていく。内蔵されていた薬莢が散らばり、爆発して熱を放射した。

俺がこの世界に持ち込んだ、本来有り得ざるアイテム"タイタニック・ドセント"とそれを分析したラースの知恵が、現代に蘇った『夢の領域』の兵器を打倒したのだ。


「おいトーリ、少しやり過ぎじゃないのか? これじゃ無事なパーツを探すのに一苦労だ!

 アマルガム、こいつを工房へ運ぶぞ。あそこに浮いている飛空艇に出来るだけ詰め込むんだ!

 下に集まっているリランダー氏族の船員達に手伝わせるぞ!」


その偉業に気付いていないのだろう。逃げていた残りのメンバーを避難させ終えたのか、転移で駆けつけてきたラースはやってくるなりタイタンの破片を見て大騒ぎだ。彼からしてみればまさに宝の山なのだろうからその気持ちは解らないでもない。とはいえ相手のヒットポイントがどれくらいか判明していなかった以上、このくらいのオーバーキルは許してほしいものだ。

それにこの程度の騒ぎはまだ序章にすぎない。"黄昏の工廠"には俺の知識ではまだ10体のマインド・フレイヤーが残っており、彼らとは明確に敵対していくことが決まっている。ウォーフォージド・タイタンとはまだこれから何度も戦うことになるだろう。それにバラーネクの発した脅しの言葉、それは明日にでも現実になっても可笑しくないものだ。これからの出来事こそが寧ろ本番といえよう。

次の戦いまでの猶予時間を一刻足りとも無駄にする訳にはいかない。俺はラースとアマルガムに事後処理を任せる旨を告げると、メイを伴ってストームリーチの我が家へと転移で向かうのだった。



[12354] 6-7.ディフェンシブ・ファイティング
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55
Date: 2013/05/17 22:15
我が家へと帰った俺はまずメイの準備済みの呪文の中から持続時間が長いものを皆に付与して貰い、その上でマジックアイテムを使用してこれまでに使用した呪文を再準備してもらった。本来であれば呪文を用意するのに必要な8時間の休息と1時間の準備時間を、"パール・オヴ・パワー"と呼ばれるアイテムを大量に投入することでスキップしたのだ。使用済みの呪文と同一の呪文が再準備されるだけとはいえ、メイが日ごろ準備している呪文は汎用性の高いものが中心であるため戦闘力の維持という点では問題ない。同様にラピスにも呪文付与に協力してもらう。これから先はいつ戦闘に突入してもおかしくない。それを前提に最大の戦闘力を確保すべく行動したのだ。

《スクライ・トラップ》により念視を妨害し、さらに《マインド・ブランク》などで占術などへの対策を行なっていたために先ほどの戦闘の情報を呪文で探ることは出来ない。だがバグベアの部隊のうち何体かはその近衛の証である"ロイヤルガード・マスク"に付与された《テレポート》の呪文で離脱していたことから、マインド・フレイヤー達がバラーネクの敗北を知って動き出すのにそう長い時間はかからないだろう。

どうしてそこまで敵の攻撃を警戒しているのか? その理由はメイがバラーネクを封じた竜晶にある。《トラップ・ザ・ソウル》の媒介となったこの巨大なカイバー・ドラゴンシャードを、敵は取り返そうとするはずなのだ。竜晶を破壊すればその中に封じ込められたバラーネクを開放することが出来る、というのがまず一つ。そして次の理由は『この竜晶の持ち主は封じ込められている存在に対して、開放を条件に一つの奉仕を要求できる』というものだ。

その権利を行使すればバラーネクは開放される。だがその代償として、例えば彼らの秘密をバラーネクから聞き出すことが出来るのだ。猊下と呼ばれたイスサランに並ぶことを許されていたバラーネク。彼はおそらく彼らの組織の企みや拠点など、秘匿しなければならない重要な情報を多く握っているだろう。その漏洩を防ぐためにマインド・フレイヤー達はこの竜晶を早急に俺から奪う必要がある、ということだ。

これはバラーネクの重要性を図る試金石でもある。それが重要であればあるほど、彼らは必死になって奪還あるいは破壊を試みるだろう。逆に泰然と無反応であるならば、あのウリサリドは彼らにとってそこまでの存在だということになる。

だが俺は襲撃の可能性は高いと踏んでいる。それはバラーネクの持つ情報だけではなく、マインド・フレイヤーという種の社会構造そのものに因る。『秩序にして悪』という属性を持つ彼らの文化は典型的な階級社会だ。それは激しい出世競争が繰り広げられていることを意味する。そんな中で、イスサランに重用されていたであろうバラーネクが失態を見せる──これは競争相手から見て相当の好機に映るはずだ。何も竜晶によって命令を出すことが出来るのは封印を行った術者に限られるわけでもないし、バラーネクに勝る能力を有していることを示すために手っ取り早い手段は彼を破った俺を倒し、竜晶を奪うことだからだ。

俺達がマインド・フレイヤーに対する戦闘準備を一週間かけて整えていたのと同様に、彼らも俺についての情報を集めている。《メタファカルティ/天眼通》のパワーだけではなく、呪文で変装したオーガ・メイジが街に入り込んで動き回っていたことは確認済みだ。それはハザディルの裏切りによって失った拠点の調査なども役割ではあるのだろうが、俺についても調査を行なっていたであろうことは間違いない。

既にこの屋敷のことは知られていると考えたほうが良い。そしてバラーネクの敗北を知ってから《天眼通》を使用したのであれば間もなくそのパワーが効果を表す時間になる。であれば俺の現在位置を知ることとなり、即座に攻撃が開始されてもおかしくない。彼らの優先順位によってはウォーフォージド・タイタンの防御フィールドを限定的にとはいえ中和することのできるラースとアマルガムを襲う可能性もある。だが念のため彼らとは念話のラインを結んでおり、何かが起こればすぐに連絡が来ることになっている。思考する暇も与えられずに一瞬で二人が無力化されれば打つ手はないが、そうでない限りは援護に駆けつけることは出来る。

万全とはいかないが、出来うる限りの手は尽くしているつもりだ。その努力はどういう形であれ、間もなく結果を迎えることになる。かつてない緊張に包まれながら、俺は傾きつつある太陽を屋敷の上から眺めていた。








ゼンドリック漂流記

6-7.ディフェンシブ・ファイティング








「……来たか」


夜明けにはまだ遠い、真夜中といっていい時刻。月と星が雲に覆われ、光の差さない夜の街は漆黒で塗りつぶされたかのように真っ暗だ。そんな中、屋敷の屋根の上で竪琴を片手に待機していた俺の知覚が敵襲を察知した。我が家はストームリーチ北部の街壁の外沿いに建てられており、少し街から離れればコロヌー河の支流に橋が架かっている。その橋を構成する大きな石のブロックを、毛むくじゃらの足が擦る音が聞こえてくる。その数は一つや二つという単位ではなく、数十といったものだ。さらには特徴的な呼吸音も聞こえてくる。ワイルドマン──マインド・フレイヤーの哀れな奴隷たちが、監督役であるオーガとオーガ・メイジに追い立てられるようにして橋を渡っているのだ。

人間というよりはチンパンジーに近い外見で、手には思い思いの武器(主として棍棒など)をもった彼らはナックルウォークで近づいてくる。本来であれば彼らはレストレス諸島にて一部が奴隷化されながらも特定の区画に隠れ潜んでおり、クエストを受けにくるプレイヤーを待っているはずだった。鉱山で強制労働させられているワイルドマンたちを解放する《スレイヴァー・オヴ・ザ・シュリーキング・マイン》は、ドロップするユニークアイテムで一時期人気があったクエストであり、俺もソロやグループで周回したものだ。だがマインド・フレイヤーたちの行動が何手も先に進んでいるこの世界では、諸島はその全てが制圧済みと考えるべきだろう。

そしてそんな目立つ集団はもちろん陽動であり、敵の本命は他にある。俺が察知した風の音の乱れは何者かが大気の流れに逆らって空中を進んでいる証。それはバグベアの暗殺者たち。彼らはコルソスで塔の周囲を飛んでいたとき同様、《フライ》の呪文かそれに類するマジックアイテムの助けを借りて空を移動してきたのだ。おそらくは地上に目を引き付けておき、彼らが空中から二階や屋根から侵入するというのが本命なのではなかろうか。呪文による範囲攻撃によって撃滅されることを避けるため、転移により周辺の空中から出現しお互いに一定の距離を保ちながら接近してきている。もっとも近いバグベアが敷地に到達するまで20秒ほどか。

屋内で待機している皆が迎撃に出るよりも、空中を飛んでくるバグベア達が屋敷に取り付くほうが早い。地上の敵襲を察知して瞬間移動などで逃げようとすれば、その時にはすでに屋敷に取り付いているバグベアのヴォイド・マインドによる《ディヴァート・テレポート》──コルソスの会議室に突入してきたリランダー氏族の護衛が使用した瞬間移動能力を捻じ曲げたあのパワー──で俺たちの瞬間移動を捻じ曲げ、逆に包囲網の只中に放り込むことも出来ると考えているのだろう。

そしてその策は俺が敵襲を察知した今もなお有効だ。暗天に黒い豆粒のように浮かぶ点の数は俺の想定をはるかに超えていた。その全てを接近前に撃墜することは不可能だろう。引きつけてから一気に呪文で撃滅しようにも、全周から接近してくるバグベア全てを攻撃範囲に巻き込むことはできないからだ。だが少しでも数を減らすべきであることは間違いないし、そのためには少しでも攻撃に時間を割くべきだ。屋根の影に身を潜めていた俺は手にしていた竪琴を弓へと持ち替えると、背中の矢筒から引き抜いた矢を立て続けに空中のバグベアへと撃ち放った。額に吸い込まれるように炎矢を突き立てられた不運なニンジャたちは《フライ》の制御を失ってゆっくりと下降していきながら炎上していく。奇襲が察知されていたことにバグベア達が気付き、飛行を加速させる。そうやって《スコーチング・レイ》の射程に踏み入ったバグベアが熱閃を浴びて蒸発するも、矢と呪文で20ほどのバグベアを落としてもまだ敵は半分以上が健在だ。闇夜に毛深い種族がヴォイド・マインドであるかどうかを見分けることが困難な以上、1体でも残っている限り安心はできない。

そしてその対空迎撃の間にも、地上からの敵が迫っていた。駆け寄ってきたワイルドマン達がそのままの勢いで跳躍し、その長い腕を活かして敷地を囲む3メートルほどの高さの鉄杭に取りつき、するすると器用によじ登り始めたのだ。そしてたちまちに数体が敷地内へと飛び降り──そして両断された。いつの間にか鉄杭の向こう側に現れていた巨大な蠍──シャウラが、侵入者が空中で晒した無防備な胴体をその前肢の鋏で捕えたのだ。

攻撃の直前までその存在を気付かせない隠形は、生物には欠かせないはずの呼吸などが一切不要な人造ならではの特徴によるものだけではない。この蠍はまるで水の中を泳ぐように土の中を移動する。それは穴を掘り進むのではなく、固体であるはずの土砂を液体であるかのように通り抜ける"地潜り"という能力によるものだ。さらに蠍種特有の振動感知能力により、どれだけ足音を殺そうと地面に接して近づく存在をシャウラが見逃すことはない。この屋敷への侵入を試みた哀れな盗賊たちがただの一人も生還しなかった原因である冷徹な狩人。アダマンティンの装甲が夜の暗闇よりもなお暗く輝き、ワイルドマン達に無慈悲な裁きを下す。

シャウラの大きく広げられた両前肢の鋏に圧倒され、ワイルドマン達がその動きを止めた。たとえ恐怖で縛られていようとも、その生存本能を脅かすほどの威容を前にして野人たちの体が前に進むことを拒否したのだ。それは一時的なものでしかないが、それで十分だった。アダマンティンの装甲が夜の闇に溶ける。眼前の脅威が幻のように消え去ったことで、今度はワイルドマン達に混乱が生じる。支配が恐怖を打ち負かし、数に任せて目的を果たそうと思った瞬間に蠍が消え去ったのだ。立て続けに起こる状況の変化に再び動きが止まり、そして次に絶叫が木霊した。

地中を高速で移動したシャウラが彼らの足元から襲い掛かったのだ。巨大な鋏を備えた前肢が薙ぎ払うように弧を描き、その範囲内にいたワイルドマン達をひとまとめに擂り潰した。圧倒的な重量差とその巨体を支える筋力により、鋏の刃で切断するまでもなくその付け根である腕部分で殴打された野人たちがその肉体を破砕されたのだ。

もちろん、監督役であるオーガ・メイジたちも黙って見ているわけではない。呼吸を合わせて放たれた多数の《ファイアー・ボール》が夜の闇を吹き飛ばすような音と閃光を発生させる。周辺のワイルドマンをも巻き込んだ呪文攻撃だ。アダマンティンの分厚い装甲で包まれた鉄蠍を物理攻撃で撃破することは困難と察し、使い捨ての奴隷を撒き餌に呪文を打ち込んだのだろう。たしかに爆発の煙が晴れた時、そこには蠍の姿は無かった。だがそれは魔法で破壊されたのではない。爆発に紛れ姿を消し、"地潜り"によってシャウラはオーガ達の足元へと移動していたのだ。

最初の犠牲者に選ばれた哀れなオーガ・メイジがその体を両断された。その鋏の射程に囚われた侵入者達は自らの辿る運命をその肉塊に見る。だが訓練を積んだオーガ達は怯まない。シャウラの攻撃手段はその前肢の鋏と、尾による三つ。ならば3体が犠牲になっている間に倒せばよいのだ──そんな結論に達したオーガ達は、呼吸を合わせて一斉に攻撃を開始した。《ディスインテグレイト》などの高位呪文を行使しようとしたものもいる。

だがその一切を、鉄蠍は容赦なく刈り取った。縦横無尽に振るわれた前肢と尾は、一度攻撃を受けた対象を捕らえるやまるで吸い込むように獲物をその体の下へと放り込んでいく。体格差・質量差を活かしたグラップル。いくら膂力に優れた種族であろうとも、10トンを超える鉄蠍に抑え込まれては逃げようもない。さらにシャウラはフィアがそうであるように、呪文使いの天敵でもある。瞬間移動などの呪文行使すら許すことなく、その腹の下に大量のオーガ達を抱え込んだシャウラはそのまま地面へと潜っていく。地中移動能力のないオーガ達がああやって引きずり込まれれば、たとえ組み付きから逃れることが出来ても身動きすることは出来ず、一方的に刻まれるだけだ。最終的に肉片と化した犠牲者の成れの果ては排水に紛れてコロヌー河へと落とされ、海へと流れていくことになるだろう。

地上をシャウラが制圧している一方で、空を駆けるバグベアを相手取った俺はついに敷地内への侵入を許していた。矢と火閃に狙われずにたどり着いたバグベア達が着地し、そしてそのうちの数体から思念波が放たれ、現実を侵食していく。ヴォイド・マインドが至近距離まで辿り着いたのだ。解呪や攪乱のパワーが幾重にも乱れ飛ぶ。その数はバラーネクの手数を上回る。間違いなく複数体の寄生主がこの場に干渉している。

そのうちの一種のパワーが虚空から白い虚構の物質塊を創造し、俺の視界を塞いだ。《ウォール・オヴ・エクトプラズム》だ。視線と効果線を遮ることで俺の行動を封じる、あるいは時間稼ぎをするつもりか。周囲を埋め尽くす体積という物量に対して手にした武器で立ち向かうのはあまりにも効率が悪い。そうやって呪文リソースを消耗させようというのも敵の策の内だろうが、他に手はない。《ファイアー・ボール》による火炎と《ライトニング・ボルト》による雷撃が周囲の空間を焼き焦がしエクトプラズムを虚無へと還す。だがその一手を放つ刹那の時間の間に、脳喰らい達は万全の体制を整えていた。吹き散っていく白い虚無に代わって眼前に立ちふさがったのは黒鉄の巨体、"ウォーフォージド・タイタン"──それも二体だ。

こちらの対抗策であるアマルガムとドーセントによるバリア無効化が使用回数に制限があり、再使用までに数日を要することを脳喰らい達はまだ知らないのか、それとも知ったうえでなおも念には念を入れてということなのか。屋敷の正面を通る道路と、庭の敷地を占有するかのように現れた巨人兵達は鉄の咆哮をあげると、屋根の上の俺目がけその巨大なハンマーを同時に振り下ろした。

一部の付与呪文が解呪されてはいるものの、位置関係上挟撃されているわけでもないその攻撃を俺は容易に回避することができる。だが常であれば例え回避したとしてもそのハンマーは屋敷を押しつぶし、粉々に粉砕しただろう。だがその鉄塊が屋根へと激突した瞬間、建物全体が激しい音に震えたかと思うとその攻撃を跳ね返した! タイタンの肩関節が反動を受けて金属の擦れ合う甲高い音を立て、上体を通してその反動を受け流すと今度は対手の巨大なミキサーを叩き付けてきた。だが結果は変わらない。鉄にも満たない強度しか有さないはずの屋敷の屋根と壁面は、音こそ派手に鳴らすものの傷一つなく存在し続けている。だが不自然なのはそれだけではない。あれほどの巨体が動き回れば、地下港がそうであったようにその体重を受け止める地面は荒れ果ててしまうはずだ。だが普段カルノ達が訓練で使用している柔らかい土の庭はウォーフォージド・タイタン達の突撃によっても全く普段通りの様子だ。

それはこの建物の建築時に使用した竪琴、"ライア・オヴ・ビルディング/建造物の竪琴"の効果によるものだ。特定の和音を鳴らすことで、この竪琴は周辺90メートル以内のすべての建造物に対する攻撃を無効化するという能力を有しているのだ。それは破城槌のような物理的なものから《ディスインテグレイト》のような呪文までをも対象とする、非常に強力なもの。建造物を作成する能力も考慮すれば、防衛戦においてこれほど頼りになるアイテムはそう存在しない。

建造物を破壊できない以上相手は扉や窓といった出入り可能な部分から侵入せざるを得ず、勿論厳重に施錠されたそれらを開錠するには時間がかかる。そして妨害する俺を排除するしかない──そう考えたのであろう敵の動きは、さらに俺へと集中することとなった。次々と橋を渡って姿を現すオーガ、そして空中に転移で現れるバグベア達。彼らの中に潜むヴォイド・マインドから放たれる思念波が周囲を埋め尽くし、俺に残されているアイテムや防御呪文の効果を抑止しようとしてくる。そのうえで複数のタイタンにより俺を処理し、じっくりと屋敷の攻略をしようというのだろう。あるいは誰かが俺を助けるために扉から出てくるのを待っているのかもしれない──だがそれはこちらの思惑通りの行動だ。


『獲物は皆蛸壺に入った。前回抜け駆けした罰だね、トーリには悪いが今回はこっちで全部平らげさせてもらうよ』


『それは悪かったな。こっちは連中の残した大げさな玩具を片付けて待っているよ、さっさと済ませてしまおう』


ラピスからの《センディング》が近傍の影を媒介に俺へと届き、俺の応答がその影に吸い込まれるように消えると同時に攻勢へ移る雄たけびをあげる。


「さあ、狩りの時間だ!」


俺のその声を受けて、街壁の上に潜んでいたエレミアが姿を現した。ヴァラナーの剣士の本質は狩人である。その極致に至っている彼女の技術は剣のみにとどまるものではない。完全に気配を殺し、敵の意識から逃れていた彼女は雲の切れ間から覗く月を背に跳躍すると、俺を包囲するように集まっていたタイタンの1体の頭部へと舞い降り手にした剣を振るう。一呼吸おいてそのタイタンを足場にするように蹴り付けると、次のタイタンへと舞い斬り降りた。跳躍とともに振るわれたその刃は、かつてザンチラーの防護を切り裂いたのと同様にウォーフォージド・タイタンのバリアをも切り裂いていく。エレミアが俺の隣に着地するまでに振るわれた攻撃の数は16。バリア破壊に加えてタイタンを切り裂いた斬撃により、巨人兵の胴体から装甲が剥がれ落下していく。内部の構造までもが切り裂かれたことで紫電が溢れている、むき出しとなったその部位へ俺は用意していた攻撃呪文を解き放った。

炎と電撃がお互いを増幅させながら閃光となって突き刺さる。三本一組となった《スコーチング・レイ》の呪文式が四つ同時に起動され、熱閃はそれぞれが正三角形の頂点を保持しながらもえぐり込むようにウォーフォージド・タイタン達の胴体へと潜り込み、炸裂した。閃光と爆音が視覚と聴覚を塗りつぶし、肌に伝わる衝撃が触覚をもあやふやにするほどの破壊がまき散らされる。だが強化された肉体により、そういった感覚のブレは一瞬で消えていき俺の視覚は煙の向こうに崩れ落ち、スクラップとなった巨大な人造の姿を捉えた。それと同時に、再びラピスからのセンディングが届く。


『獲物は3匹、全部予定通りに処理完了したよ。歯応えのないったらありゃしない。これじゃかえって不完全燃焼だね』


『そいつは悪かったな。思う存分腕を振るってもらう機会はもうちょっと先に用意してあるんだ、次の機会まで待っていてくれ』


どうやら彼女たちのチームは首尾よくミッションを片付けたようだ。こちらもまだ周囲に残党が残っているものの、エレミアとシャウラが踊るようにその武器を振るえばあっという間に全員がその首を断たれて崩れ落ちていく。俺が矢や呪文で処理したバグベアはその攻撃に付与されている魔法属性によって焼却され跡形すら残っていないが、エレミア達によって倒されたオーガらはその骸を晒したままだ。切り裂かれた首からは大量の血が流れ出て、周囲には血臭が立ち込めている。巨人種族であるオーガの体から流れ出る血液の量は人間とは比較にならない。屋敷の前の道は薄い星明りに照らされて黒く染まっており、このままでは夜明けとともに凄惨な光景が現れるに違いない。

だがシャウラがそういった遺体を抱えて地中へと沈んでいく。付近の地下構造のひとつには、ごみ処理を兼ねた警備として知性あるアティアグ──主に地下に住まう、清掃生物──の群れを住まわせている区画がある。おそらくはそこまで運んで行ってくれるのだろう。彼らは雑食ではあるものの新鮮な肉を好物としており、今回の獲物は喜んで受け取ってくれるだろう。あとは地表に流れ落ちた大量の血痕だが、これは屋敷から水を流して一気に道の反対側に流れるコロヌー河まで押し流してしまうしかないだろう。それでも気になるようであれば後ほどシャウラに地表比較の土を攪拌しておいてもらえばいいだろう。

さらなる敵襲を警戒しつつも、そうやって事後処理のことを考えていた俺が張り巡らせている結界から転移反応が届く。その座標と転移数はあらかじめ打ち合わせをしている通りのものだ。念のため数種の呪文を待機させておいた俺の目の前にラピスとメイ、そしてフィアがアストラル界を経由した瞬間移動により姿を現す。彼女たちはそれぞれの手に大きな"カイバー竜晶"を手にしている──これが今回の戦利品、こちらの思惑通りに攻め寄せてきたうえでバラーネク同様に《トラップ・ザ・ソウル》により囚われた哀れなマインド・フレイヤー達のなれの果てだ。


「馬鹿な連中ばかりだね、最後の一瞬まで自分たちがハメられたことに気付いていなかったみたいだよ。

 あらかじめ言われてなけりゃあの間抜け面を穴だらけにしていたところさ。

 でもまあそのお楽しみは連中の本拠地に乗り込む時までとっておくことにする──あんまり待たせないでくれよ?」


そういってラピスが放り投げるように竜晶を渡してくる。彼女たちは街壁に伏せていたエレミアとも違う別働隊として動いていた。それはマインド・フレイヤーの強力な能力であり、端末であるヴォイド・マインドの特性を逆手にとったものだ。寄生主達がその端末を経由して超能力を行使するには条件がある──それは端末から一定距離内にいなければならない、というものだ。

別口のヴォイド・マインド擁するマインド・フレイヤーとの戦いに備えて、俺は自宅周辺の地下を中心とした完全な地図を完成させていた。そしてその中でマインド・フレイヤー達が指揮所として利用するであろう箇所にあらかじめ目星をつけておいていたのだ。さらにハザディル襲撃後にストームリーチに侵入したオーガ・メイジなどの敵斥候を追跡し、彼らの得た情報をこちらでも把握しそのうえである程度の情報操作なども行っておいた。それにより敵襲時にそこに来るであろうマインド・フレイヤーを隠密に長けたラピス達に待ち伏せさせた、というわけだ。

事前にどれだけ強力な超能力による防壁を展開していようとも、ラピスとフィアの《魔法的防護貫通》はそれを無力化する。そのうえでメイがザンチラーの置き土産である《呪文連鎖化》の効果を有するロッドによって拡大された《トラップ・ザ・ソウル》を発動させることで敵を一網打尽にしたというわけだ。急場しのぎの作戦だったのは確かだが、結果として大きく天秤をこちら側に傾けることが出来た。日ごろから周辺の地下部分などを探索・管理していたのは自宅周辺の治安向上だけではなく、こういった状況に備えるためでもあったのだ。その活動が功を奏したというわけだ。

今回襲撃してきたマインド・フレイヤーは3体。俺の知る"トワイライト・フォージ"の知識が正しいのであれば、敵対している脳喰らい達の数は11。残りは7体、今日1日で3分の1を撃破したことになる。今回撃破した"ウォーフォージド・タイタン"からドーセントが回収できればラースとアマルガムによるタイタンの無力化はさらに順調に進むだろう。
さらに今回彼らに頼らずともタイタンを撃破可能であると示したことがマインド・フレイヤー達を縛る鎖となる。《アストラル・プロジェクション》やヴォイド・マインドを利用することで安全圏だと思っていた自分たちの戦術が万全ではないことを彼らは知ることとなった。もはやバラーネクがいったようにコーヴェアの主要都市をタイタンで攻撃するなどといった行為に彼らが出るとは考え難い。タイタンを動かすためには彼らが超能力を使用する必要があり、それが俺たちに捕捉されれば自分たちが捕縛される危険性を彼らが認識したからだ。

さあ、これからがこちらの攻撃の番だ。要塞に閉じこもって震えているであろうマインド・フレイヤー達に引導を渡す。その時が間近に迫ってきているのだ。



[12354] 6-8.ブリング・ミー・ザ・ヘッド・オヴ・ゴーラ・ファン!
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55
Date: 2013/07/16 22:29
レストレス諸島。

ストームリーチのあるスカイフォール半島はゼンドリック大陸から突き出すように北に伸びているが、その半ばほどの位置に寄り添うようにして存在する小さな島の群れだ。特徴はその全てが海面から何百メートルと切り立った絶壁を有しており、島同士は空中に架けられた吊り橋と島内を海底まで掘り進んだトンネルにより連結されているという点だろう。

雨も少なく、水資源の乏しいこの諸島には古くから2つの種族が住んでいた。一つはオーガ・メイジを首領としたオーガ族。そしてもう一つはワイルドマンと呼ばれる自然崇拝者達だ。だが今やその二つの部族は恐るべきマインド・フレイヤー達の支配下にある。そしてその特徴から船ではアクセスすることが出来ず、飛空艇によってしか訪れることの出来ないこの島々はまさに外部から断絶された孤島だ。嵐や雷雲が突如巻き起こり、『変幻地帯』では豪雪と熱波が入り乱れるこの魔境ゼンドリックの空を飛空艇で飛ぼうという物好きは極めて限られるからだ。

だが、空の支配者たるリランダー氏族はその例外の一つだ。"嵐のマーク"を初めとした能力により天候を制御する彼らにとってはどの空も変わりないものだ。むしろそういった荒天でこそ彼らはその能力を発揮する。今も巨大な船体が雲を切り裂きながら空中を滑るように飛翔している。通常の精霊捕縛型の飛空艇とは異なり、船とは呼べない円盤状のその飛行物体は雲を突き破ったその上空に達するとやがてピタリとその動きを止めた。


「目標座標に到着、予定時刻との誤差は無し。周辺に敵影はありません」


その円盤の中央上部に位置するブリッジに、"コラヴァール"──コーヴェアの子を名乗るハーフエルフ達の声が響く。


「各機関異常なし。クルーの配置も完了しています」


一段と高い位置に置かれた椅子に腰かけながら、上がってくる報告を聞いていた船長がこちらに視線を寄越しながらも首肯してきた。俺がそれに対して同じように頷きを返すと、彼女──オーレリア・ド・リランダーは指揮所に響き渡る深い声で宣言した。


「我等が始祖より受け継いだこの空と海を汚し、歪めんとする狂気の軍勢を討つ時が来ました。

 これはコルソスで殉じた同胞の無念に報いるものですが、同時に天地に在るべき姿を取り戻すための、我々の世界のための戦いでもあります。

 かつて巨人とダカーンの帝国を衰退させた悪夢と狂気がこれ以上この大地に溢れる前に、その芽を摘み取らねばなりません。

 今の私達にはそのために必要な力が十分備わっていると私は確信しています──」


オーレリアの声に同調するように、この空中船に満ちる巨大な精霊の気配が脈動しているのを感じる。それは通常の精霊捕縛の技法によるものではない、独特で強大なものだ。単一でありながら複数。基本元素である地水火風の要素を全て兼ね備えた巨大な精霊、それが呪縛ではなく盟約によりこの船に宿っているのだ。

それはノームによりゼンドリックから精霊呪縛の技法がコーヴェアに伝えられるよりも先に、彼等リランダー氏族のハーフエルフ達がエアレナルの精霊船──自我をもたせた大樹を船として育てたもの──を参考に産みだした、世界に三隻限りの戦闘艦。彼らの本拠"ストーム・ホーム"を守護する伝説級の精霊より株分けされたが、その強力さ故にガリファー一世が発した"コースの勅令"によりコーヴェア大陸では運用を制限されている戦略兵器。


「『ストーム・プリンセス』起動! 雲下の者どもに《先覚者》の鉄槌を!」


指揮官たる彼女の号令を受け、乗船している"嵐のマーク"の持ち主たちが一斉にその能力を発動させた。船体中央下部に設けられた儀式場、そこに集った彼らが巨大なシベイ・ドラゴンシャードにその力を注ぎ込んでいる様がブリッジの透明な床越しに見えている。そのパワーは導体として使用されているエベロン・ドラゴンシャードを伝いながら船体外周を巡っていき、船に宿ったエレメンタル──強大化した"テンペスト"へと注ぎ込まれていく。そして彼女は求められたままにその能力を行使した。

足元の雲が、船を起点に白から黒へと塗り変わっていく。人造の即席雷雲が通常の自然現象ではあり得ざる莫大なエネルギーを瞬時に貯めこむと、精霊の導きに従ってそれを一気に吐き出した。秘術の《ライトニング・ボルト》とは比べ物にならない太さの雷光がレストレス諸島の一角へと突き刺さり、炸裂した。それはオーガ氏族の首長であるゴーラ・ファンが住む宮殿を打ち砕く。

高地に生える貴重な樹木をふんだんに使用した優美な建築物は走る雷光によって分解され、さらに吹き荒れる豪風によりまるで落ち葉が舞うように地面から引き剥がされて家屋が舞い上がる。それらを飲み込んだ竜巻はまるで咀嚼するかのようにお互いを衝突させ、小さく粉砕していく。勿論、そこに住む者たちも屋敷同様の運命を辿っている。

そして何より恐ろしいことはこの攻撃が『呪文によるものではない』ということだ。雷雲を産み雷を誘導したのは確かに秘術に近いものだが、落雷や竜巻そのものは自然現象によるものであり、例えオーガ・メイジが強固な呪文抵抗を有していたとしても関係がない。

呪文や擬似呪文能力ではない超常能力。それも通常の《ライトニング・ボルト》を幾重にも束ねたよりもなお強力なそれが、感知不可能な遥か上空より放たれたのだ。宮殿にはオーガのウォー・マスターを始めとした戦力が常駐していたはずだが、このような攻撃を受けては無事ではいられないだろう。

雷雲の発生から着弾までに有した時間は僅か数秒。そして既にその攻撃は既に数十秒も継続している。宮殿を蹂躙した雷光は今や複数に分裂し、諸島間をつないでいる架け橋を尽く粉砕していた。宮殿以外の拠点──鉱山や島内を巡るトンネルに潜んでいる勢力がいたとしても、それらを繋ぐ経路を破壊されては合流することも出来ない。

勿論瞬間移動による移動は可能だがバグベアの近衛部隊は先日の襲撃で大部分が損耗しているし、そもそも彼らの主要戦力であるオーガは人間などに比べると大型の生物であり、術者に対する負担が大きいため一度に大人数を転移させることが出来ない。勿論《フライ》などにより空中を移動することは可能だが、巨大なテンペストが気候を制御している状況で飛び出そうものならあっという間に竜巻に飲み込まれてしまうだろう。つまり彼等は分断を強いられており、拠点防衛側が本来有するはずの大戦力を有効に活用できない状態なのだ。

勿論、マインド・フレイヤー達がヴォイド・マインドを通してその超能力を行使すれば劣勢を覆すことは可能だ。ウォーフォージド・タイタンには俺が知る限り飛行能力はないし、これほど高空に存在する敵を攻撃する手段はないかもしれない。だがそれを抜きにしてもマインド・フレイヤー達は一騎当千を超える怪物なのだ。単身でこの船を攻撃し、制圧することも出来るだろう──この場に俺たちがいなければ。


「第一次から第二次までの目標の破壊を確認。地上側からの反応ありません」


「"嵐のマーク"を使用したクルーを交代させなさい。引き続き第三次以降の作戦目標に対する攻撃を続行します。

 生き残りが直近まで転移してくるかもしれません、油断せずに警戒態勢を維持」


一方でシベイから下級までの様々なドラゴンマーク持ちを大量に投入しての攻撃はリランダー氏族の人的リソースを大きく消耗させていた。攻撃の間じゅう特定のマークの能力を発現させ続けるというのは術者にとってかなりの負担なのだ。それが同時に10人ほど、さらに交代制で攻撃を継続させるとなるとこの船に乗船している30人近い"マーク持ち"をフルに回転させてもこの攻撃は数分程度しか続けることは出来ないという。

秘術に換算すれば最高位の第九階梯を超える、準エピック級とでもいうべき効果を儀式によって産み出しているのだ。世界は異なるがレッド・ウィザードやハサランの円陣魔法をドラゴンマークで行っていると考えるのが近いだろうか。高レベル術者が貴重なこのエベロンにおいて、均一な擬似呪文能力を大勢有するドラゴンマーク氏族独特の技法だと言えるだろう。

破格の火力の代償として、もしこの船が沈むようなことがあればこの先リランダー氏族は人員の回復に百年を要する損害を受けることになる。エルフに比べれば出生率の高いハーフエルフといえども氏族の中でドラゴンマークを有する存在は一握りなのだ。まさに秘蔵の戦力を投入しているということであり、リランダー氏族がこの作戦にかけている熱意がそれだけのものだということが判る。

オーレリアが語った同胞の仇討ちやエベロンを侵略する異界の来訪者の殲滅という大義以外にも、実戦経験の蓄積や彼らの生命線である海と空の安全を回復するためなど様々な目的があるにしても些か過剰ではある。だが今は心強い同盟者だ。

そして妨害の入らぬまま、その苛烈な攻撃は終わりを迎えた。時間的には余力があるはずだが、当初予定していた目標への攻撃が完了したのだ。そしてこれからが俺たちの出番となる。


「では、我々の出番ですね。何かあれば念話にてご連絡を」


「承知いたしましたわ、ご武運を。ソヴリンの導きがあなた達にありますことを」


オーレリアに一礼し挨拶を交わすと俺とメイはブリッジを出る。超巨大サイズの精霊に包み込まれているこの船の内部には瞬間移動で転移することは出来ず、直接乗り込まれる危険性が低いために奇襲を受ける心配はない。巨大なエレメンタルは肉体的にも精神的にも非常に高いタフさを有しており、マインド・フレイヤーといえども一瞬で無力化することは出来ないだろう。そして戦場で会い見えれば一瞬で連中を無力化する自信が俺にはある。むしろ出てきてくれればその頭数を減らせるという点でありがたい話だ。打って出るのはそのための誘いでもある。

船体外周の弧を描く通路を進んだ先には外へと通じるハッチがあり、そこには既に戦闘準備を整えた他の仲間たちが待機していた。眼下では儀式魔法によって雷を発生させていた雲がその色を失いながら霧散していくのが見える。深い海の青が広がる中で、その浸食から耐えるように茶と緑が織り交ざった島々が点在している。元はこれらの島々も大陸の一部だったのだ。

だがかつての巨人文明崩壊の折、ゼンドリック大陸はその半分が砕け散ったといわれている。その残滓の一つがこの海に突き立つ島たちだ。そして4万年の時を越え、再びこの島は異界からの侵略に晒されている。この島に存在する"黄昏の工廠/トワイライト・フォージ"が再び稼働し、マインド・フレイヤーの手によって機械兵団がこのエベロンに撒き散らされようとしているのだ。

リランダー氏族の過剰な攻撃を受けてなお一切の反応を示さない彼らだが、籠城を決め込んでいるのであればそれは何か企みがあってのことだろう。高い知性と戦闘力に加え、精神汚染による組織力を有する相手を放置しておくわけにはいかない。一度は罠にかけることで相手の数を削ることは出来たが同じ手は二度と通用しないだろう。攻守を入れ替え主導権を握ったからには、後は相手の先手を取り続け一気に押し潰すのみだ。


「ようやく僕たちの出番かい、待ちくたびれたよ──しかしあの有様じゃ、大した獲物は残っていないんじゃないか?」


ラピスの視力には島の惨状がよく見えているのだろう。あらゆる構造物が瓦礫と化し、クレーターが穿たれた地表。そこに生存者がいたとしても彼女を満足させるほどの獲物は残っていないように見える。だがこのレストレス諸島はその地下に鉱山を抱えており、島々を繋ぐトンネルも海底に広がっている。さらに宮殿は深い構造をしており、そこに住んでいた精鋭たちも全滅しているとは限らない。

本来、手っ取り早く敵を葬るのであれば島そのものを吹き飛ばしてしまえばよい。特に何百メートルと海から突き立っている特異な島であるこれらは、その半ばに強力な呪文を叩き込んでやればそのうち島そのものを"へし折る"ことだって可能だろう。

だがリランダー氏族はどうやらこの島々を自らの拠点として活用することを狙っているようで、戦闘の方針からそういった手段は排除されている。潜水艇を活用していることで地下港を有していることは確実で、さらに飛空艇の拠点として手を入れれば確かに彼らの拠点としては相応しい地になるのかもしれない。だがそれはすべてこの地に巣食う狂気の使徒達を滅ぼしてからのことだ。


「まあここまでお膳立てを調えてもらった分の働きはしようじゃないか。

 それにまだマインド・フレイヤー達は何体も残っているんだ。油断して不意を突かれることがないようにしてくれよ」


超高レベル帯の戦闘においては、先手を取るかどうかで勝敗の8割が決するといっても過言ではない。奇襲を受ければ瞬く間に劣勢に追い込まれ、そのまま押し切られてしまうことが十分にあり得る。この飛空艇から外に出れば、そこではいつマインド・フレイヤーがテレポート・アウトしてきてもおかしくないのだ。

一瞬たりとも気を緩めることは出来ない。反射神経を向上させる《ナーヴスキッター/神経加速》の呪文準備を意識しつつ、俺はレストレス諸島の上空へと躍り出るのだった。








ゼンドリック漂流記

6-8.ブリング・ミー・ザ・ヘッド・オヴ・ゴーラ・ファン!








ゴーラ・ファンの宮殿の生き残りたちは、どうやらクエストの裏口──取水用の井戸から島の地下へと逃れていたようだ。秘術の力によって海底のさらに深くから真水を汲み上げている不可思議な装置によって水が張られたそれは小さめのプールほどの大きさがあり、オーガ達が通り抜けるにも十分な広さがあったのだ。水中を進み出た先は本来であれば警備のために放たれたウーズで満たされていたはずだが、今は乾ききらない足跡が残るだけの無人の坑道だ。


「足跡から判断できる数は15,6といったところか。飛行呪文で浮遊したまま逃げている奴もいるかもしれないが、そう大した数ではないだろう」


オーガ達の痕跡を調べていたエレミアはかなり高い精度で状況を分析している。レンジャーとしての訓練を積んでいる彼女にとって、こういった追跡はお手の物だといえよう。勿論、同様の技術を有している俺も同じ結論に至っている。D&Dのルールブックに記載されている有名な技能判定の難易度として『1週間前、1体のゴブリンが固い岩を踏んでいったのを追跡する、しかも昨日は雪が降った』というのがあるが、今の俺は呪文の補助を受ければそんな困難な判定すら片手間で達成してしまうほどだ。大型の、しかも大勢のオーガの後を追うこと程度は相手が空中を飛んでいようが地面を潜っていようが問題ない。

一方で注意すべきマインド・フレイヤー達だが、あの脳喰らい達の痕跡はまったく見受けられない。彼らの使用するサイオニック能力は使用時に独特の附随現象が発生するし、もしも歩いていたならオーガ達とは体格も足の形も全く異なるために一目瞭然なのだがそういったものが一切見受けられないのだ。勿論高位の超能力者はサイオニック発動の際の附随現象を抑えることが出来るが、その強力なパワーの痕跡はその残照が長期間残るものなのだ。

だが少なくともゴーラ・ファンの宮殿やこの地下坑道にはそれがない。彼らの根拠地であるはずのこのレストレス諸島にその気配が存在しないこと、それが俺に警告を呼び掛けている。だがそんな俺の不安を笑い飛ばすようにラピスが口を開く。


「辛気臭い顔をするもんじゃないよ。あんなタコ頭が何を考えているかなんて判るほうがおかしいって思わないか?

 連中がどこで何を企んでいようと、いずれ目の前に出てきたのを切り刻んでやればいいだけさ」


彼女はそう言って身を翻すと、幾本かのナイフを手で弄びながら坑道の先へと進んでいった。確かに彼女の言うことにも一理ある。『彼方の領域』と呼ばれることもある狂気の領域ゾリアットの住人の思考回路は、俺たちとは大きく乖離している。狂人特有の論理の飛躍などは推し量ることは到底不可能だ。であるのならば今は少しでも早く相手の戦力を削ぎ、追い詰めることを優先すべきということだろう。


「そうだな、考え事は足を止めない程度にしておくよ」


エレミアと先行するラピスの背中にそう返し、メイと並んで坑道を進む。後方の警戒はルーとフィアの双子が行っており、俺たちの役割は隊列の中央で奇襲に対して即応することだ。

海底の、それも取水設備の近くであるためかこの坑道は非常にじめついておりところどころは貯まった水に通路が水没していることもある。岩をくり抜いた構造の表面には苔が張り付いており不安定な足場ではあるが、全員が《フライ》の呪文などにより飛行しているため苦も無く移動していく。

かつては暗闇を照らしていた秘術の照明はところどころが破損し不気味な暗がりを生み出している。《コンテニュアル・フレイム》の効果時間は確かに永続ではあるが、その付与された媒介が破損してしまえば効果は失われる。長い間手入れをされていないことで、媒介となっていた坑道を支える木の支柱が腐り落ちてしまっているのだ。それだけ長い間、この坑道は放置されているということだろう。

ゲームでは地中から蠍に襲われたはずの区画も飛行移動のためか敵襲を受けることなく通過し、俺たちは何の障害にも遭遇せずにオーガ達の痕跡を追う。鍵付きの扉も開け放たれたまま放置されており、ほんの数分前にそこを駆け抜けていったオーガ達の焦りを示しているようだ。勿論これが相手側の誘いかもしれない可能性を念頭に、俺の記憶にある以外の罠や仕掛けがあったとしても対処できるよう知識を総動員して周囲の観察を怠らない。


「この先は随分と広くなっているな。風の通過する音からしてかなり深くまで伸びているようだ」


そう呟くエレミアの声を押しつぶすように、坑道の奥深くからはまるで泣き声のような音が響いていた。"シェリーキング・マイン"とこの鉱山が呼ばれる所以となった風の音だ。細長いトンネルを通り抜ける風のうなりにちなんで名づけられた、その音はまるで苛まれた魂が叫び声をあげているかのようだ。まるで使い捨てるように酷使されたワイルドマンの奴隷たちが、この鉱山で骸となって嘆きの声をあげているかのようだ。

このレストレス諸島の海底鉱山で産出するクリスタルは精神的な音──テレパシーを発する特殊な素材として使用される。武器として加工すれば鞘から引き抜いた際や最初に血を流したとき、あるいは特定の敵を殺害した際に歌を口ずさんだり、戦いの歌を朗唱したり、叫び声を挙げる特異なものとなるのだ。そういったサイオニックの宿った特殊な道具の素材が眠っているがために、過去の『夢の領域』の住人やマインド・フレイヤー達がこの地を選んだと言われても納得できる。

だが今やその資源の大半は奪われ、運び去られてしまったようだ。ゲーム内では至る所でピッケルを振るっていた奴隷たちの姿はなく、壁にはわずかに残された小粒のクリスタルが紫色に輝くだけだ。オーガやオーガ・メイジの奴隷監督官達もその姿を見かけることは一切なく、溶岩が吹き散らす硫黄分が分厚く覆いかぶさった坑道に先を行く逃亡者たちの足跡だけが残されている。


「──ここから先ですが、《アンハロウ/不浄の地》が敷かれているようです。

 付与されているのは《ディメンジョナル・アンカー/次元間移動拘束》。おそらくは悪属性でないものにのみ影響を与えるようになっているかと」


メイがその《アーケイン・サイト》を付与されたことで蒼く染まった瞳で敵の罠を看破した。迷いなくここへと移動したオーガ達の狙いは、この場に俺たちを誘い込むことのようだ。一方的に呪文などによる転移を妨害したうえで戦うことが出来ればそれは相当な優位を産む。それは戦場の位置取りに関するもの以外にも、相手は逃げることも増援を招き入れることも自在という意味で二重に厄介だ。

《アンハロウ》という呪文は土地に定着するタイプの呪文で、解呪することが出来ないという点もこちらに不利な点だ。かといってその効果は発動させてから1年も続くために時間切れを待つことは出来ない。いったいいつごろからこの地が《アンハロウ》に覆われているかは定かではないが、このまま放置するという選択肢は取れない以上俺たちは先に進むしかない。


「ふむ、この強度であれば私の加護もそのうち貫かれるか──ルーアイサスならば問題ないのだろうが」


メイの指し示した《アンハロウ》の境界に腕を差し込みながらフィアがそう呟いた。《アンハロウ》自体は不可避でも、そこに付与されている呪文には『呪文抵抗』が有効だ。だがドラウとしてレベル相応の強固な抵抗を有するフィアに干渉するほどということはある程度高位の術者の仕業だ。信仰呪文の使い手といえばイスサランの背後に控えていたマインド・フレイヤーが記憶に新しいが、あのエピック級のクレリックの強烈なオーラはこの結界からは感じられない。

そうなるとオーガ・ミスティック達か。頭の中にゴーラ・ファンに仕える部下たちを思い浮かべ、脅威度から想定される術者レベルを眼前の結界のものと比べ、想定の範囲内であることを確認する。

だが、それで安心とはいかない。この《アンハロウ》は大きな選択肢を俺たちに突き付けた。この中に入れば、ルー以外は瞬間移動で離脱することは出来ない──つまりそれはもしリランダー氏族の『ストーム・プリンセス』がマインド・フレイヤー達に襲撃されたとしても即座に救援に向かうことが不可能になる、ということだ。

さらに二手に分かれたとしても、今度は俺たちが各個撃破される危険性が高まる。幸い坑道は狭く、ウォーフォージド・タイタンが暴れられるような広さはない。だがそれ抜きにしてもエピック級のマインド・フレイヤーとの戦闘になればそのリスクは測り切れない。先日の襲撃で連中を封殺できたのは、あくまでこちらのお膳立てした戦場に敵がまんまと引っかかってくれたからだ。

今回はいわばその逆、相手の用意した戦場に向かうことになる。そう考えてみると、目の前に広がる坑道が巨大な生物の顎のように見えプレッシャーを感じてしまう。一手の誤りが自分と仲間達をあの脳喰らい達の奴隷にしてしまうかもしれない。それは死よりもある意味恐ろしいことだ。


「──準備を整えたら全員で進むぞ。出来るだけ時間をかけたくない、警戒は怠らないが速度を上げる」


だが躊躇はせずに決断を下す。危険なマインド・フレイヤーの待ち伏せがあるかもしれないという状況で戦力を分けるのは愚策だ。それにこちらの分散を促す手がこの先に幾重にも仕掛けられていた場合、その全てで考え込んでいては時間のロスだ。転移を封じられたことを承知の上で、短期決戦に持ち込むことでリスクを減らす。もしも『ストーム・プリンセス』やコルソスが襲撃された場合は、残り少なくなった奥の手を切れば対処可能ということも俺の判断材料の一つだ。

レンジャーの呪文である《レイ・オヴ・ザ・ランド/地勢》を使用して俺の知識と実際の鉱山の構造が大差ないことを確認し、目的地の目星をつける。そうやって得た情報を幻術で立体図として投射。そしてラピスが《ファインド・ザ・パス/経路発見》を使用する。

本来であれば信仰呪文に属するためシャーンでメイを探したときには《ウィッシュ》でエミュレートしたこの呪文だが、占術に長けたラピスは秘術呪文としてこの有用な呪文を発動するという特殊な技術を有しているのだ。

他にも短時間有効な呪文を付与し準備を整えた俺たちはこの鉱山の最奥、ゲームでは1体のマインド・フレイヤーが座していた部屋へと向かって移動を開始した。呪文に導かれ疾風のように坑道を飛翔する俺たちに呼応するように、壁に残されたクリスタルがかすかに響く音を放つ。それは鼓膜を揺らさず、直接心に反響を返す精神波だ。

ひょっとしたらサイオニクスの達人はこのテレパシーのような現象をソナー代わりにこちらの位置を把握しているかもしれない。そんなパワーの存在は俺の知る限りは存在していないが、エピック級ともなれば既存のパワー体系に存在しない効果を持っていても不思議ではないのだ。

坑道を先に進むにつれ、周囲の気温が上昇していき、嘆きの声は強く響く。これが本当に死者の声ということがあり得るだろうか?

深く穿たれたこの鉱山は一部から溶岩を噴出させており、それが灯りとなると同時に耐えがたい熱源となって鉱山じゅうを満たし、さらにはそれによる空気の動きがこの音を産んでいるのだと理性では考える。

だが呪文による保護がなければすぐに疲労し、満足に力をふるえない状況に陥るであろう劣悪な環境下で酷使されたワイルドマン達は力尽きるまでピッケルを振るうことを強いられていたのだ。その怨念がクリスタルに焼き付くように残っておりこの音を産んでいたとしても不思議ではない。そう思わせるだけの淀んだ空気でこの場は満たされていた。それはまさしく狂気の領域の爪痕だろう。

そしてそれ以外にも痕跡はあった。水平に伸びる坑道はところどころにオーガの奴隷監督官が使用するものか、大型のクリーチャー用の椅子やテーブルが設えられた休憩所のような区画が設けられていた。その中には木材で周囲を補強するだけでなく、オリエンタルな装飾が施されているものがあったのだ。それはダル・クォール文化の影響がこの地に残っていたことの証左だ。

そんな異次元からの侵略者たちの気配を感じさせる扉を粉砕した俺たちの視界に、ついにオーガととワイルドマンの一団が映る。


「ここまで来るとはな──奴隷どもよ、攻撃だ!」


もっとも奥に控えたオーガ・メイジ──その額から鼻頭までを特徴的なマスクで覆ったゴーラ・ファンそのひと──が指示を下すと、その集団からワイルドマン達がこちらへと向かってくる。そんな彼らを盾にするようにしてオーガ達は前方へと離脱していく。視界を塞ぐフォッグ系の呪文と動線を遮るウォール系の呪文を撒き散らしながら撤退していくその動きに無駄はなく、リランダー氏族の呪文攻撃から生き残った彼らの練度の高さをうかがわせる。


「鞭打ちは嫌だ、逆らうことは出来ん!」

「俺を殺せ、さもなくばお互いに死ぬことになるぞ!」


そして口々に様々な叫びをあげながら、ワイルドマンはこちらへ突進してくる。その手にしているのは粗末な剣や斧。彼らの役割はまさにただの時間稼ぎで、哀れな生贄だ。だがその体毛の下にヴォイド・マインドを示す穿孔があるかを確認することは一瞥では難しく、万が一の危険を考慮すれば手加減することは出来ない。

先頭を駆けるエレミアのヴァラナー・ダブルシミターが颶風を従えて閃き彼らを薙ぎ払い、メイの呪文がエレミアを飛び越えて障害となる呪文を消し飛ばした。だがその後追撃を加えようとする俺たちにラピスの静止の声が響く。


「止まれ、罠だ! 視界を塞いだのはこいつを隠すのも兼ねてのことみたいだね」


《ファインド・ザ・パス》のサポートを受けたラピスは、たとえ視界が塞がれていても道中の脅威を見落とすことはない。呪文で生み出された霧の中に潜んでいたのは、坑道の壁面から飛び出す巨大なカミソリの刃だ。直径5メートルほどはある坑道、その天井からギロチンのように舞い落ちるその死線に不要に踏み込めば人間どころかオーガまでもを二枚におろしてしまいかねない危険なトラップだ。

勇んで追撃していればこの罠で命を刈り取られるという作戦だったのだろう。だが存在が露見している罠などもはや障害にはならない。エレミアは躊躇なくその死地へと踏み込み、剣を振るった。


「ッセイ!」


エレミアの振るう緑がかった刃と舞い降りる巨大な鋼の刃の銀閃が交わって坑道に甲高い音が響いた。彼女はわざと罠を起動して機械式の罠の刃を迎え撃ったのだ。勿論太古より受け継がれた彼女の剣が罠程度に撃ち負けることはなく、本来であれば地面に吸い込まれて再装填されるであろうギロチンは断片と化し散らばった。いちいち罠を解除するよりも手早い無力化の手段だ。

そしてそうするのが判っていたとでもいうように、直後にその横をすり抜けてラピスとフィアが追撃を開始する。俺も彼女たちに続いて《フォッグ・クラウド》の霧を抜ける。俺たちがワイルドマンと罠の処理に費やした僅かな時間の間に、距離を稼いだオーガ達を追い詰めようと先へと急ぐ。水平に続いていた坑道はすこし先で十字路を形成しており、その正面にはこの鉱山のメインシャフトが広がっている。


「攻撃、開始!」


一直線に正面のメインシャフトへと向かおうとする俺たちの左右から、オーガが挟撃を仕掛けてきた。その巨体に相応しい強弓から矢が放たれ、さらにそれを追うように狂戦士の激情を呼び起こし一時的に肉体の限界を超えたオーガたちが突撃を開始する。

だがメインシャフトから吹き上がる悲嘆の声をも掻き消す、竜巻級の暴風が突如発生し彼らの全てを薙ぎ払った。ルーの《コントロール・ウインズ》が、飛来した矢だけでなくオーガ達をも吹き飛ばしたのだ。

それはリランダー氏族達の儀式魔法が生み出した天候の猛威をさらに凝縮し、さらに精緻にしたものだった。それだけの勢いでありながらも俺たちや鉱山の構造物には一切の影響はないという神風。挟撃していたはずのオーガ達は風に吹き飛ばされ思うがままに一か所へと寄せ集められ、そこに俺が攻撃呪文を打ち込むことで一掃された。

ほんの数秒で攻撃を仕掛けた側が跡形もなく消滅するという異常な事態。足止めの役割すら果たせなかったオーガ達には目もくれず、俺たちはメインシャフトへと飛び込んだ。たった一人で縦坑の最奥に辿り着いていたゴーラ・ファンの顔が俺たちを確認し、不敵な笑みを浮かべているのが判る。


「まさかそこまでの腕利きとはな。人間よ、墓碑に刻むべき名を名乗れ!」


ルーが風を自然に戻したために、メインシャフトを上ってくる悲嘆を含んだ風に混ざってゴーラ・ファンの誰何の声が届いた。


「貴様などに名乗る名は持ち合わせていない!」


自らの声を追うようにメインシャフトを降下する。自由落下ではなく飛翔呪文の移動速度を利用した最大速度。だがゴーラ・ファンは臆せずに頭上の俺たちを仰ぎ見、徹底抗戦を宣言した。


「強大なゴーラ・ファンの前に震えおののくがいい! たとえ神ですら抗うことは出来ぬ!」


ゴーラ・ファンの強気な言葉は即座にその効果を発揮した。まさに俺たちが呪文の射程に不遜なオーガ・メイジをおさめた瞬間、全身を覆っていた秘術の、信仰の、さまざまな呪文効果が消失──いや、抑止されていく。落下中に飛翔呪文の効果を失った俺たちにはその勢いのまま地底へと叩き付けられる未来が待っているかのように思えた。それはメインシャフトに開いた側道、そこから俺たちを見つめる巨大な異形の瞳によるものだ。

ビホルダー。D&Dを代表するクリーチャー。巨大な単眼の頭部だけがゆらゆらと空中に浮かび、その頭皮には髪の毛に代わって10本の触手が生えている。さらにその触手の先端には小さな眼球がはまっており、それぞれが異なる疑似呪文能力を有している──だがそれらに優る有名な能力はその中央の巨大な単眼から放たれる《アンティマジック・フィールド》の領域だ。その瞳に捕えられたあらゆる魔法的効果は、同名の呪文の効果範囲に収められたかのように抑止される。

シャーンの地下で遭遇したチラスクは失った眼球に変わりにこのビホルダーの単眼と同じ作用を有する魔眼を移植していたが、本物のビホルダーに遭遇したのは俺にとってはこれが初めてだ。幸いなことに床に激突する直前にビホルダーの視界から離れたことで《フライ》の呪文が再起動し叩き付けられることは避けられた。だが急降下からの自由落下、そこからの急制動で俺たちの動きは停止する。そこに目がけて天井が落ちてきた!

正確には天井と見まごうほどの巨大質量の落下だ。ゴーラ・ファンがその特殊能力で自らの肉体をガス化して空中に溶けるのと時を同じくして、超巨大なブラック・プティングが落下してきたのだ。本来であれば宮殿の取水口近くや地下坑道の一部にいるはずの粘体達、その全てが合体したのだといっても信じられる大質量は大型プールをひっくりかえしたかのような規模だ。メインシャフトの最下層は完全に隙間を無くすほどの粘体に埋め尽くされ、俺たちはその波に飲み込まれた。

通常であれば粘体に纏わりつかれたとしても、《フリーダム・オヴ・ムーブメント》の効果により即座に離脱することが可能だった。だが、今この場にはその能力は無効化されている。ウーズたちが落下してきたその後に、側道にいた先ほどのビホルダーがメインシャフトへと移動するとその中央の瞳で俺達を睨みつけたのだ。

それは離脱のための呪文だけでなく、酸から身を守るための防護の呪文をも抑止している。かつて見たことがないほど巨大化しているこの年経たブラック・プティングを構成する酸が俺たちの肉体を焼き尽くすまで、そう長い時間は掛からないだろう。特に術者であり打たれ弱いメイなどは数十秒で命の危機に陥るだろう。魔法が抑止された状況でこの圧倒的質量に対処し、早急に脱出しなければならない。だが勿論、ゴーラ・ファンも悠長にそれを眺めているだけではない。


「男の頭部は残せ、イスサランへの土産としてくれよう──よく狙えよ!」


ガス化して側道へと逃れたファンが実体化して指示を下すと、暗闇から突如彼の周囲へとロイヤル・ガード達が現れた。ニンジャの能力の一つ、幽遁の術により自らの肉体をエーテル化し坑道の壁を抜けてきたのだろう。黒いマスクで顔の下半分を隠したバグベア達はぬらりと粘性の液体を塗られた手裏剣を手に構えている。身動きの取れないこちらの急所に毒をぶち込もうというのだろう。

こちらの間合いに踏み込まないのは万が一の逆襲に備えてのことか、あるいは粘体の触手に巻き込まれないようにするためか。精神をもたない捕食本能のみのクリーチャーであるこのプティングに狡猾な行動をとらせたところから、おそらくこの粘体は《ウーズ・パペット/粘体操り》の呪文で支配されているのだろう。粘体を念動力で操るマイナーな呪文だ。今はビホルダーのアンティマジック・フィールドに抑止されているため、不用意に近づけばバグベア達もが捕食されるということなのだろう。

だが投擲に移ろうとしたバグベアの背後の坑道の壁から、さらに現れた影が状況を変えた。それはバグベア達とは別の術理により壁を透過する能力を有するラピスだ。彼女は落下の勢いのまま床に透過するとそのまま側面に回り込むとゴーラ・ファンの背後へと回り込んでいたのだ。


「頭部は残せ、か。ならばそうしてやろうじゃないか」


彼女が両腕を振るうとその袖口からスローイング・ナイフが飛び出した。その数は15。それらは彼女の精密な《テレキネシス》の制御によって坑道を飛翔し、バグベアらの延髄へと突き刺さる。そしてそれをトリガーに内部に蓄えられていた呪文が起動。炸裂した《オーブ・オヴ・フォース》はバグベア達の首を弾けさせ、まるで人形遊びのようにロイヤル・ガードの頭部が胴体から切り離され舞い上がった。その死体の林の只中に立ったライカンスロープの少女が笑う。


「さて、せっかくだからリクエストにはしっかりと応えてやりたいんだが──お前は駄目だね、頭しかないんじゃ後には何も残らないな」


マジックアイテムのブーストにより立て続けに《テレキネシス》が発動され、今度はバグベアの持っていた手裏剣達が宙を舞った。浮遊する巨大な眼球の暴君は空気を震わせる奇怪な音を立てながらその身を捩るようにしてその瞳に飛来する凶器を捕えようとするが、手裏剣達は魔法抑止空間を踊るように避けるとその発生源であるビホルダーへと殺到する。

触手の先についた小さな瞳が放つ《ディスインテグレイト》や《スコーチング・レイ》の呪文攻撃を掻い潜り、手裏剣達はその触手を刈り取った。回転する刃が頭皮に突き刺さり、根元から触手を切断していく。10を数える触手は瞬く間に剥がれ落ち、それでもなお残る手裏剣達が中央の瞳へと叩き込まれた。異形の瞳から力が失われ、俺たちの体が自由を取り戻す。

まさに一瞬の蹂躙だった。思い出したかのようにバグベアの胴体がその切断面から噴水のように血を吹き出し、倒れ伏した。手裏剣を突き立てられたビホルダーは塗りこめられていたのが耐久力を直接削るワイヴァーンの毒だったのか、切断面から体をどんどんと崩していく。力を失い落下してきたそれは、ブラック・プティングの触手に捕食された。


「見事だ、が詰めが甘いな小娘! じわじわと体の末端から溶けていく恐怖を味わうがいい!」


7体のバグベアに2本ずつのナイフが投じられ、最後の1本はゴーラ・ファンへと向けられていた。だがその1本に込められていた呪文は攻撃のものではなく、かのオーガの逃走を防ぐ《ディメンジョナル・アンカー》が封じられたものだったため彼は生き延びていた。いくら急所を狙ったとはいえ、小さな投げナイフ1本が刺さっただけではオーガの首領を無力化するには至らなかったようだ。

ゴーラ・ファンの背後からさらにもう1体のビホルダーが現れたのだ。ゲームではクエストオプションにのみ痕跡を残す、実装されなかった2体目のアイ・タイラント。それが絶妙な距離と間合いでラピスの魔法的加護を無力化し、ゴーラ・ファンはブラック・プティングに彼女も飲み込ませようと指示を飛ばす。

しかしその念動力は行き場を失う。巨大なブラック・プティングは内部からの攻撃により破砕され、水飛沫となって飛び散っていったのだ。結合を失って溶け崩れた大量の液体が地面に転がったバグベアの頭と胴体を押し流していく。低きへと流れたそれは大半が溶岩だまりへと落下すると蒸気となって消える。


「馬鹿な!」


今度こそゴーラ・ファンはその顔を驚愕で歪めた。最大限度を超えて強大化していた粘体が一瞬で破壊されたことが信じられないのだろう。リランダー氏族のテンペストにも勝るとも劣らぬほどの莫大なヒットポイントを有しているはずのブラック・プティングに彼は相当の自信を有していたようだ。だが竜の秘術によって強化された俺の拳は巨人をも超える打撃力を誇る。しかも密着しており回避するなどという考えのない相手であれば最大限に威力を重視した攻撃を打ち込むことが出来る以上、仮に1000点程度のヒットポイントであっても葬るまでは一瞬だ。

そして俺の攻撃はそれで終わりではない。プティングを粉砕した攻撃の流れを止めぬまま、無銘のジャベリンを構えるとそれを投擲した。バーバリアン・レイジで強化された筋力によって目にもとまらぬ速度で打ち出されたそれは、ゴーラ・ファンの顔を掠めて奥へと飛翔。ビホルダーの中心へと突き刺さるとその体を破裂させた。

そして頬から血を流したゴーラ・ファンへと、エレミアとフィアが切りかかる。二人の剣はオーガ・メイジを挟んで鏡写しのような軌道を描き、その四肢を切り飛ばした。オーガ・メイジは火と酸以外による傷口を再生する能力を有してはいるが、それは欠損した部位を補うほどのものではない。たとえば首を落とせば10分ほどで死亡するし、ちぎれた四肢を繋ぎ合わせても使い物になるまでに1分ほどは必要だ。通常の戦闘であれば強みと言える能力なのかもしれない。だが今やその能力はこのオーガ・メイジの苦しみを長引かせるだけの存在に過ぎない。


「さあ、お前の叫び声を聞けば飼い主のタコ共は現れるのかな?

 ──ああ安心しろよ、お前は頭部だけじゃなく首と肺までは残してやるよ。声を出すには必要だろう?」


達磨になって転がったオーガの首領にナイフを突き立てながらラピスは残酷に告げる。故郷を失った経緯からか、カイバーに連なる存在に対しては冷酷をやや通り越した態度となる彼女だがそれは愉悦のためではない。取れる手段をすべて取らなければ、取り返しのつかない事態となりうる相手であることを充分に認識しているためだ。

シュリーキング・マインと呼ばれた鉱山に再び悲鳴が響く。それはかつてのようにワイルドマンのものではなく、支配者であったオーガのものだ。壁に埋まった小さなクリスタルは分け隔てなくその声を反響させては風に乗せて地上へと送り届けるのだった。



[12354] 6-9.トワイライト・フォージ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55
Date: 2013/08/05 20:24
ゴーラ・ファンは片肺と心臓から上だけを残された状態で生かされていた。オーガ・メイジとしての強靭な生命力がそれを可能にしているのだが、その状態で荷物のように運ばれ、ストーム・プリンセスの船内で拷問を受けたとあってはその生来の再生能力は本人にとって幸いとは言えなかっただろう。

彼はヴォイド・マインドとしての処置を受けていなかったためそうやって情報を吸い出されたのだが、それはマインド・フレイヤーの同盟者として対等な立場を有していたというよりはそのオーガ・メイジ特有の再生能力によるものかもしれない。

ヴォイド・マインドになったクリーチャーは酸への完全耐性を有するようになる。つまりもともと火と酸以外による傷を再生するオーガ・メイジにそのような処理をすることはその弱点を塞ぐこととなり、そのヴォイド・マインドが何らかの要素で火に対する耐性を得ることで不滅の生物を誕生させることに繋がりかねない。

マインド・フレイヤーのヴォイド・マインドに対する支配は一見盤石に見える。だが実際にはその処置に関わった3体のマインド・フレイヤーのみが支配権を有しており、それ以外の脳喰らい達にとっては自らの得意とする精神作用が無効化される厄介な存在であるのだ。自分にとって有用な手駒であるがゆえに、他者から見れば脅威と映る。

またその処置者である3体が滅んでしまえば、後に残るのは他者からの制御を受け付けない強力なクリーチャーのみとなる。そんなクリーチャーが多数発生するようなことがあれば、マインド・フレイヤーの社会構造を揺るがす可能性もあるだろう。暗黙の了解あるいは協定として、そのようなヴォイド・マインドの創造が禁止あるいは制限されているのかもしれない。

一方でそういった禁忌の研究はどこかで行われているものだ。近年のラースの研究により、コルソスに封じられている古代巨人文明の遺した封印もそれに関するものであると判明している。水棲のトロルに複数の竜の因子を混ぜ合わせることにより生み出された不滅の生命体、それがシーデヴィルの正体だというのだ。窒息せず、あらゆるダメージから再生するため殺しきることが不可能で、際限なく成長していく。何の目的でそのようなクリーチャーが産み出されたのかは不明だが、その危険性から古代巨人文明により冷凍封印されたのだろうというのが彼の説だ。

同じように殺害しえない存在として、ゼンドリック大陸の南にあるアイスフロー海にはタラスクと呼ばれるD&D世界でも有名なクリーチャーが巨人文明の封印により眠っているとされる。おそらくは各地にそういったものは存在しているのだろう。この世界の人類文明は、そういった危険な火薬庫と薄皮一枚隔てただけの場所で暮らしているのだ。

そして俺たちがこれから向かう"トワイライト・フォージ"もまた、それらと同等の危険性を有していると目されている。


「こんな島にあのタイタンを創り出す工場があるだなんて、空からではまったく解りませんでしたが……

 創造された擬似次元界とその内部に設けられているからこその"黄昏の工廠"という呼び名なんですね。納得です」


レストレス諸島を構成する島の一つ、その中心部の窪みに斜面に沿って設置されている巨大な扉を前にメイは感嘆の声を漏らした。4万年以上の歴史を誇るその構造物は、木製で質素なものに見える。だがそれだけの長い間を経て一切の腐食や劣化がないという時点でただの構造物ではあり得ない。それもそのはず、この扉は実際にはこの物質界"エベロン"と、隣接する擬似次元界"トワイライト・フォージ"を接続する"ポータル"の具現化した姿なのだから。

実際にはこの扉には開閉する機構は備わっていないし、扉の反対側を掘り返したとしてもそこには土と石以上のものはないだろう。だがその役割は明確だ。この扉は"トワイライト・フォージ"に招かれたもの以外の通行を拒絶するためのものなのだ。他のレイド・クエスト同様、"トワイライト・フォージ"についてもクエストに挑戦するためには前提条件が設けられていた。それを判断しているのがこの扉というわけだ。

そしてこの世界でも条件が同じだとすれば、それを満たすことは出来ない。扉を通行するために必要な条件は、かつて夢の領域の住人がこの地を支配していた際にこの扉を行き来するために使用していた印章を所持していることなのだ。

ゲーム内ではマインド・フレイヤーに抵抗するワイルドマンとオーガの部族にそれぞれ協力することで砕かれた印章をそれぞれ集め、それを修復することでレイド・クエストへの挑戦権を手に入れることが出来た。だがこの世界のレストレス諸島にはもはやその抵抗勢力は存在せず、印章を手に入れる手段は無い。

つまりマインド・フレイヤー達はこの中に籠っている限り、絶対に安全であるというわけだ。そしてゴーラ・ファンからの情報ですでに彼らは10体を超えるタイタンに破壊を命じ、解き放ってしまっているという。今頃鋼の巨人達は地道に海底を歩きながらコーヴェア大陸の様々な都市を目指しているのだ。

それが引き起こす事態を想像することは容易い──海からダガー河を遡り、突如シャーンの街へとウォーフォージド・タイタンが上陸する。そのハンマーは林立する塔を打ちこわし、砲撃は上空に浮かぶスカイウェイを薙ぎ払う。20万人を超える住人のそのほとんどは助からないだろう。そして同規模の破壊が世界各地の大都市で行われるのだ。

そして恐慌に陥った人類社会がどう動くかは想像もつかない。下手をすれば最終戦争を超える暗黒期を迎え、文明が疲弊することになるかもしれない。勿論それは俺の望むところではない。それは道徳的な面だけでなく、実利的な面でもだ。俺が必要とする高級なマジック・アイテムの類を安定して得るためには成熟した文明が必要で、コーヴェア大陸が荒廃してしまってはそれが叶わなくなってしまうからだ。

解き放たれたタイタンをすべて事前に破壊することは難しい。《テレポート》の呪文で距離を無視できるとはいえ、大陸全土を24時間監視し続けることなど不可能であるから被害を完全に防ぐことは出来ない──唯一の方法があるとすれば、それは操り手であるマインド・フレイヤー達を殲滅することのみだろう。

だが彼らは擬似次元界に引き籠り、外部からの侵入を遮断してしまっている。ひょっとすればゴーラ・ファンのことについても彼らの計画として織り込み済みで、安全圏からこちらの苦悩を糧に祝杯でも挙げているのかもしれない──だが、それを俺はすぐにでも苦杯へと変えてやるつもりだった。


「どうするんだい。あのオーガ・メイジもこのポータルの通行証は持っていなかったんだろう?」


ラピスが門を見上げながら問いかけてきた。彼女やメイはおそらくこのポータルを開くために必要な呪文を開発するための研究にどれほどの時間が必要かを考えているのだろう。たとえばサプリメントに記述されている呪文の中には《ポータル・リフォーマット》というこういったポータルの作動条件を追加・変更するという今回の目的に合致した呪文が存在するが、その使用条件は極めて厳しい。

この世界ではその条件を満たしているキャラクターはいないだろう──あるいはルーならば可能かもしれないが──同等の呪文を秘術として開発することは不可能ではないかもしれない。あるいは他のドラゴンマーク氏族の力を借りる手段もあるだろう。"監視のマーク"を有するクンダラク氏族のみに許された上級クラス"シルヴァー・キー"を極めた達人であれば、こういった魔法のポータルを含めたあらゆる鍵を無効化できるはずだ。だがおそらくは氏族中でもトップ・シークレットであろう能力と貴重な人材を借り受けるための交渉をするには時間が必要だ。勿論そんな手段を取るつもりはない。


「簡単さ──全員、これを持って手のひらを扉に当ててくれ」


そういって俺はブレスレットから取り出した金貨のようなものを全員に投げ渡した。先陣を切って扉に手を触れると、体全体に不思議な波長が伝わってくる。それは鉱山に埋まっていたクリスタルから感じたものが荒削りな原始の波長だとすれば、人の手によって整えられた芸術的なものだ。歌のようなそれは体だけではなく心にまで沁み渡ってくるように感じられる。


「そして伝わってくる波長に身を委ねてくれ──そうすれば中に入れる」


そう、この金貨のようなものこそがポータルを使用するために必要な印章なのだ。俺のキャラクターは全員がこのレイドに繰り返し挑戦していたため、全員の荷物の中にそれぞれ一つの印章が眠っていたのだ。今まではまったく意味のないアイテムとしてインベントリを占有していたのだが、それが活躍する時が来たというわけだ。

ゲームでは門の前に佇んでいた古代のウォーフォージドに印章を示すことでクエストへ突入することが出来たが、どうやら彼がいなくとも内部への侵入は可能なようだ。俺はマインド・フレイヤーの目論見を一つを外したことに舌舐めずりをしながら、体に伝わってくる波長に身を任せ"トワイライト・フォージ"へと突入するのだった。








ゼンドリック漂流記

6-9.トワイライト・フォージ








"トワイライト・フォージ"の入り口は俺の記憶と酷似していた。二車線分ほどの太さの通路が延び、その両側にはわずかに視線を通すほどの隙間を設けられた壁が続いている。その壁の向こう側にはこの擬似次元界に閉じ込められた哀れなマインド・フレイヤーの奴隷、オーガ達が警戒の任についていた。


「侵入者だ! 警笛を鳴らし、仕掛けを動かせ!」


俺達が現れた入り口に向かって警戒していたオーガ・メイジが唸り声をあげながら叫ぶと、壁の向こうで何やら動きが感じられた。彼の言う仕掛けとやらが動作を開始したのだ。壁に取り付けられている筒のようなものが一斉にこちらを向き、そこから様々な元素のエネルギーが噴き出してきたのだ! 酸、炎、冷気──さらには機械式の罠として通路の奥からは矢が幾重にも吐き出されてくる。

それらはメイが展開した《ウォール・オヴ・フォース》に妨げられ、こちらへと届くことはなかった。だがオーガ・メイジが《ディスインテグレイト》の呪文を唱えれば即座に破壊されてしまうだろう。そうなる前に少なくとも手前の罠だけでも停止させなければならない。

もっとも素早く反応したのはラピスだった。彼女が両腕を横に伸ばすと、いつの間にか指先にはつまむようにして大ぶりの宝石が保持されていた。彼女はその宝石から指を離すと、かわって引き抜いたショートソードを一閃。両断された宝石はその内部からあふれ出た火花のような現象に粉々に砕け散る。


──押し潰せ


彼女のシンプルな命令を受け取り、宝石からあふれ出た火花はうねるように宙を進むとラピスの指し示す左右の壁面へと張り付き──そこで大爆発が発生した。

《ファイアー・ボール》を幾重にも炸裂させたかのような破裂音が響き、壁自体がその衝撃に耐えきれず吹き飛んでいく。勿論、その向こう側にいたオーガ達も無事では済まない。直近にいたものは焼け崩れて炭化し、軽症のものも五体満足ではない。そして構造体を破壊したうねる火花は健在で、さらなる犠牲者を求めて空中を漂い進む──間違いない、あれはリヴィング・スペル"メテオ・スウォーム"だ。

魔法災害などが起こった地域で『呪文の効果が意識を持ち、消えるのを拒んでその効果を発揮し続ける』という現象が起こることがある──それがリヴィング・スペルだ。それは触れた対象に自らの呪文効果を及ぼすという魔法生物となり、破壊されるまで呪文を撒き散らし続ける──あれはその中でも最高位である第九階梯《メテオ・スウォーム》がリヴィンヴ・スペルと化したもの。ラピスは《ウーズ・パペット》の呪文でその恐るべき魔法生物を支配し、最高位の術者ですら一日に数度しか放てない《メテオ・スウォーム》を無限に発生させているのだ。その危険性は同じ呪文でブラック・プティングを隷従させていたゴーラ・ファンとは比べ物にならない。

リヴィング・スペルのサイズは元となった呪文の術者の力量によって異なるが、最高位の呪文ともなればオーガを超える超大型サイズとなる。そのサイズでは持ち運びに向かないため、普段は《トラップ・ザ・ソウル》で宝石に封じ込めて携帯したのだろう。解放のたびに媒介となる金貨2万枚近い価値を持つ宝石を砕く必要があるとはいえ、その戦闘力は凄まじい。罠を、オーガやオーガ・メイジ、ワイルドマンにペットと思われるウォーグ、そしてクオリ・スピナーといった障害を《メテオ・スウォーム》は擂り潰しながら進んでいく。


「さて、使い捨てた宝石の値段分の働きはしてくれそうだね──」


通常の術者ではあり得ない規模で多重に炸裂する《メテオ・スウォーム》の爆裂音をBGMに、なんでもないような風に彼女は呟く。実際、《ウーズ・パペット》の呪文を定期的に更新するために宝石は少なくとも月に一度の頻度で取り換える必要があることを考えるとあのリヴィング・スペル達はこれ以上ない金食い虫だ。同じ呪文を巻物で贖おうとすれば1回毎に金貨4千枚ほどになると思えばコストパフォーマンス的に優れているのは間違いないが、常人の発想ではない。だがいつまでも呆けているわけにもいかない。


「良し、アレが罠と壁を押しつぶしてくれている間に切り込むぞ。エレミアは右、フィアは左の回廊を頼む。

 ラピスと俺はリヴィング・スペルに手を出そうとする奴らの排除だ。メイとルーはマインド・フレイヤーを警戒してくれ」


オーガの中には何体かのオーガ・メイジが混じっているし、オーガの中にはリヴィング・スペルに押しつぶされそうになった際に逃げるのではなく反撃を試みるものもいる。せっかくラピスが手札の一つを晒したのだ、なるべく長持ちさせるに越したことはない。


「最初に逃げ出したオーガが、イリシッドの食料になるんだ!」

「撃ち続けろ!手を休めるな!」


おそらくはマインド・フレイヤー達が長期間この"トワイライト・フォージ"に籠るための食料として担ぎ込まれたのだろうオーガ達は、死よりもなお恐ろしいものがあるとばかりに果敢に抵抗を続ける。その境遇には同情しないでもないが、かといって容赦することは出来ない。リヴィング・スペルに斧を振り下ろそうとしたオーガの前に飛び込むと、その重心を預かっている前に踏み出された足の膝頭を叩き砕く。それにより体を支えられなくなったオーガが倒れこんでくるのを横っ飛びに回避すると、その巨人は火花に包み込まれていく。

他にも体に火花を絡みつかせた数体のオーガがいたが、その明滅が激しくなった瞬間にオーガそれぞれに対して《メテオ・スウォーム》が炸裂した。体の表面に突如複数の火球が張り付いたかと思うと、それらは即座に大爆発を起こす。

鍛えられたオーガの中には一度の爆発に耐えるものはいる。だが彼らが好む大型の武器は、体に纏わりついた魔法生物を攻撃するには不向きだ。組みつかれた状態ではダガーなどの軽い武器か、素手で攻撃を行うしかない。だがリヴィング・スペルは高等な魔法生物であり、魔法の武器以外に対しては高い耐性を有する。サブウェポンまで魔法の付与されたものを特別に用意していない限り、膂力に優れたオーガといえども有効打を与えることは難しい。

しかも武器を抜こうとしたり慣れぬ素手での攻撃を行うような隙を見せれば、火花は容赦なく瞬きを繰り返し再び《メテオ・スウォーム》を炸裂させる。それはもはや詰みといっていい状況だ。一度火花に絡みつかれたが最後、オーガ達に生き延びる術はなかった。

だが、スペルキャスターであるオーガ・メイジはその例外だ。恐怖による支配が逃走を許さないのか、戦線から離れることはないものの短距離の《テレポート》や《ディメンジョン・ドア》で距離を取り、弓を構えている。中には仲間を巻き込むことも厭わずに《コーン・オヴ・コールド》などの範囲呪文による攻撃を試みてくる者もいる。

だが彼らの前にはエレミアとフィアが立ち塞がった。奇襲対策としてメイが常時張り巡らせている結界は、他の次元界から範囲内に実体化するまでに10数秒の遅延を生じさせる効果を持つ。転移のためにアストラル界へ避難したのち、離れた位置に実体化したつもりだろうがその移動はメイにより読まれており、さらにその生じた遅延の間に前衛二人が距離を詰め、実体化の完了を待ち構えていたのだ。

瞬く間に1体のオーガ・メイジが切り伏せられたが、まだ敵には数が残っている。リヴィング・スペルを庇うように立った彼女たちを前に、オーガ・メイジたちは目標を変更した。射線が塞がれては矢は役に立たないがための当然の対応。メイジとしてのみならず、武器の扱いにも長けた巨人族の一派として彼らの放つ矢は空気を切り裂く鋭い音と共に放たれる。

その体の大きさの違いや一見して金属質ではない鎧を着こんでいることから、彼らが目標として選んだのはエレミアだ。だが彼女は迫る矢を切り払うようなこともせず弓手へ向かって前進する。顔への射線のみをそのダブルシミターで防ぎ、歩みを止めぬ彼女の四肢へと矢は命中する。だがエレミアがその鎧下に着込んでいる冷気の元素を宿したレイメントが鏃を凍らせて鋭さを削ぎ、さらに命中の直前に打点を革鎧の分厚い箇所へと誘導されたことも相まって、矢は目標に突き立つことはなく弾かれる。

顔の下半分を覆うヴェイル越しにエレミアが薄く笑みを浮かべ、前進の勢いもそのままに双刃を振るった。巨人の膂力を受け止めるべく複合素材から組み上げられたロングボウが一太刀でそれを握りしめた腕の肘先毎切断されて宙を舞い、対の刃がオーガ・メイジの首を切断する。エベロンで最も優れたる"巨人殺し"の攻撃は容赦なく獲物を切り刻む。

一方でフィアはエレミアの影から大きく跳躍した。崩れた壁や天井を蹴り、瞬く間に呪文を行使しようとしていた者たちをその間合いに捕える。彼女の放つ剣気がオーガ・メイジを打つと、それだけで忽ち彼らは呪文を構築する制御力を奪われていく。術の発動を強行すれば、そこには滑り込むように刃が差し込まれるだろう。傷の痛みは精神集中を乱し、結果発動を試みた呪文は霧散する。《魔導士退治》はまさにその名にふさわしい術者殺しの技術だ。

またフィアの付け入る隙をみせない構えはオーガ・メイジに一歩たりとも動くことを許さない。術者の天敵と白刃の距離で戦い続けることを強制された以上、もはやその結末は明らかだ。その強固な呪文抵抗が発揮されるまでもなく、彼女の構えたショートソードはその敵対したオーガの命を刈り取った。

そうやって罠と障害物と敵を文字通り粉砕し、屍を踏み砕いて前進した俺たちの前にやがて下へと続く通路が現れる。階段ではなく緩やかなスロープが九十九折のようになって下層への口を開け、そこからは工廠に相応しい機械的な音が響いている──俺の記憶によれば、この先にはマインド・フレイヤーが待ち構えているはずだ。おそらくは連中がこの工廠に侵入するための犠牲となったクンダラク氏族のシルヴァー・キー達のヴォイド・マインドを率いているはず。

すでに俺たちの侵入は気付かれ、相手は万全の状態で待ち構えていると考えられる。その敵の先手を奪って戦闘の主導権を得なければならない。無策で突っ込めば盛大な歓迎を受けることは間違いない以上、相手の思惑を外して奇襲を仕掛ける必要がある。

例えば俺とラピスの隠形は技能、能力、装備とどれをとっても最高峰だ。魔法的な手段によって認識を逸らすのではなく、純粋な技量による隠れ身は不可視や視認困難を無視するような呪文の類を利用したとしても看破できないのだ。

だが《タッチサイト/触視覚》と呼ばれる周囲の状況を視覚・聴覚に代わって触覚で認識することができるようになるパワーがある。その効果範囲内の状況を有無を言わさず把握してしまうというこのパワーの前では身を隠しての奇襲は通用しない。

ラピス一人であれば壁抜けを利用して奇襲可能かもしれないが、多勢に無勢となる可能性が高い。マインド・フレイヤー1体を仕留めれば良いのであれば彼女一人で十分だが、取り巻きのヴォイド・マインドのことを考えればより安全な手段を考えるべきだ。

腰を屈め、スロープの中央に掌を当てる。ゲームの知識を呼び起こし、"トワイライト・フォージ"の構造を自分の視界に重ね合わせた。このスロープを抜けた先にある下層のT字路、そこに立つマインド・フレイヤーと5体のヴォイド・マインド──彼我の距離は直線で50メートルほどか。

《呪文効果範囲拡大》《呪文距離延長》の修正特技により《呪文高速化》した《ライトニング・ボルト》を増幅。さらに《呪文エネルギー上乗せ》により酸のエレメントを加え、呪文本来のポテンシャルを遥かに超えて放たれた雷撃がスロープを食い破る。期待値にして500点、クリティカルすれば四桁を超えるダメージを与える雷と酸の奔流は幾層ものスロープを貫通し、仮想上のマインド・フレイヤーの立ち位置へと突き刺さった。

さらに追撃の呪文構築を行いながら、穿たれた穴へと身を躍らせる──だが、そのT字路には予想していたマインド・フレイヤーやヴォイド・マインドの姿はない。《ライトニング・ボルト》の命中した箇所の床材が酸と電流を浴びて消失し暗い穴となっている他には、壁に埋まった不気味な人面の意匠しか見当たらない。どうやら待ち伏せは杞憂だったようだ。

だがそれはこれからの戦いが厳しいものになるであろうことを示している。俺の知識通りに進むのであれば1体ないしは2体ずつのマインド・フレイヤーがこの工廠の各地に分散しており、それを各個撃破することでクエストは進行していた。だが今の彼らはおそらく集合し、戦力を集中して俺たちを叩くつもりなのだろうと想像できる。

その場所としてこの場が選ばれなかったのは、おそらくこのT字路は"ウォーフォージド・タイタン"が戦うには狭すぎるからだろう。そういった意味で戦闘の場となる候補は、この工廠内でも一気に絞られる。主に4つのルートに分岐するこの"トワイライト・フォージ"の攻略路、その全てが最終的に交わる場所。本来であれば4体のスチール・ゴーレムが守護している青の冷却炉と呼ばれる広間、鋼の巨人の能力を充分に活かせるほどの広いスペースは他には無い。

勿論それまでも奇襲を受けないとは限らないために警戒を怠たるわけにはいかないし、戦闘力を維持するためには短時間しか持続しない付与呪文を更新し続ける必要はあるだろう。そうやって疲弊した俺たちを待ち構えようという敵の意図は明らかだが、こちらはそれに乗るしかない。

テレポートなどの呪文を使用すれば時間は短縮できるかもしれないが、相手のパワーには転移を歪めるあの忌まわしい触手がある。あの干渉を受ければ出現地点を操作され、各個撃破されてしまうかもしれないとあれば地道にこの工廠を攻略していく他ない。


「不気味な彫像ですね……夢の領域に住む"クオリ"達の姿を考えれば随分と人に似せているほうだとは思いますが。

 この光を放っているクリスタルはそれぞれの通路に対応しているのでしょうか?」


追いついてきた仲間たちの中から、メイが壁に埋め込まれた人の顔を模した像──リーリング・センチネルを見て呟いた。そのグロテスクな像の頭上には紫と緑のクリスタルが輝いている。それはここから左右に分岐するそれぞれの通路に対応したものだ。

視線をやると右手の通路はしばらく進んだ先に台形のトンネルへと変化しており、その周囲は不気味な紫色に輝いている。対して左手の通路は緑色だ。近寄ればその危険な空気を感じることが出来るのだろう、それぞれに向かっていたラピスやエレミア達はその色彩に満たされたトンネルに踏み込むことなく、こちらへと戻ってきた。


「道は見ての通り別れているようだが、どうする? いずれも剣呑な空気だが」


エレミアの言葉に俺は進むべきルートを思案する。戦力を分散することは出来ない。左手の緑のルートはパズルが主で戦闘は少なく、対して右の紫のルートは戦闘が主。そしていずれのルートもその先で3人ずつに別れて行動することを求められる。ゲームでは最終的にはすべてのルートを攻略しなければクエストクリアのフラグを満たすことは出来なかったが、その点は細かく考える必要はない。最優先は戦力を分散させずに、マインド・フレイヤー達との決戦に臨むことなのだ。

しばらく考えたのち、俺はクリスタルの輝く壁面のうち緑に光るほうへと手を伸ばした。魔法の力を放つそのクリスタルに手を触れると、掌からチクチクとした感覚が体に広がっていく。痛みともとれるその感覚は徐々に強まっていくが、やがてその感覚は燃え上がるように激しくなると同時に体全体から掌へと流れ込むように集中し、それがおさまった時には手の甲に緑色の環状をした模様が浮かび上がっていた。これが同色の輝きに満ちたセキュリティ・トンネルを通過するために必要な認証なのだ。

ゲームの時は譲渡不能な固定アイテムとして扱われていたものが、このように体の一部に紋様として現れたのは少し意外ではあったが納得できることだ。体に刺すような感覚を覚えたのは個人登録を行うための検査の一環か。この工廠を設計した古代ダル・クォール人たちに遺伝子などという概念があったのかは判らないが、個人を機械的に判別するために独自の魔法的な仕組みを開発していたことは間違いないだろう。


「皆今俺がやったように順番にこの紫色のクリスタルに触れてくれ。少し痛みがあるが、この模様が浮かび上がるまでの辛抱だ」


俺がそういうと、隣で観察していたメイが俺の手の甲に現れた紋様とリーリング・センチネルに交互に視線を飛ばしながら俺の手を取った。


「なるほど、《アーケイン・マーク/秘術印》のようなものでしょうか。永続的ではなく一時的なもののようですね。

 体に害はなさそうですが、万一の際は《ディスペル・マジック》で解呪できそうですから心配はしなくてもよさそうです」


俺の手の甲に現れた紋様を触れたり擦ったりしながらメイは呟く。しばらくすると納得したのか自分もクリスタル・パネルに手を置いてみたが、流れ込む感覚に驚いて掌を一度離してしまったようだ。その後もう一度掌を寄せていくが、違和感に慣れないのか眉を顰めたままでもどかしそうな様子で我慢してくれている。

メイに続き他の仲間も一通りが認証を得たことで、俺たちは右手側のセキュリティ・トンネルへと向かった。皆が無事に先に進んだのを確認し、俺は実験のために《アンティマジック・フィールド》を展開した状態でトンネルへと一歩踏み込んだ。その効果により認証のリングも抑止されるが、セキュリティ・トラップも俺を撃つことなかった。実験は成功だ。

このセキュリティ・トンネルに仕掛けられたトラップは凶悪で、認証を持たないものが通過しようとしたなら激しいダメージを継続的に与え続けるというものだ。この先に待ち受ける青と赤のトンネルに進むための認証は3つずつしか支給されず、6人パーティーで進めば3:3に分断されることを余儀なくされる。だがこの実験により《アンティマジック・フィールド》が有効であると分かった以上、戦力の分断は避けられるということだ。

そして最終防壁を突破するためにはすべての色の認証を揃える必要があるため、誰かがここで緑の認証を手に入れる必要があった。もしこのトラップが魔法的なものでなければ、罠を浴びながら回復をし続けて無理やり突破することも考えていたのだが、どうやら楽をさせてもらえるようだ。

結果に満足した俺は《アンティマジック・フィールド》を維持したまま、駆け足で先に進んだ仲間達へと向かう。その通路は200メートルほど進んだところでいったん左へと直角に折れ曲がり、そのしばらく先で終端を迎えていた。トンネルは再び下方向へ向かうスロープの連なりへと繋がっており、俺たちはさらに下層へと向かっていく。

ゲームではこのスロープの終端にもマインド・フレイヤーが立ち塞がっていたはずだが、先ほど同様そこには誰もいないようだ。だが、それ以外の敵は俺の記憶に近い形で配置されている。

この降りてきた区画──仮に下層と呼ぶ──は、分厚い壁と溶岩の流れる窪みで迷路のように区切られている。そしてその壁の天辺を床とみなした中層と、天井近くに張り巡らされた細い支柱を足場とする上層にわかれている。このうち上層は常に放電を続けるトラップで埋め尽くされているため敵影はないが、下層と中層には先ほどと同じ組み合わせの敵集団が蠢いている。

天井から降り注ぐ紫色の照明と、床下の溶岩が放つ色が混ざり合ってこの区画は不気味な光景に映る。だがこの光景は今からさらに凄惨なものとなる。このルートを選択したのは、後のマインド・フレイヤー戦に余計な横槍を入れられないように敵戦力を削るためという理由が大きい。そのために今からここいる敵すべてを皆殺しにする必要があるのだ。

高速な空中移動能力と完璧な機動性を両立させた金色の翼を模したクロークの力で、俺は宙へと飛び上がる。いかに気配を殺していようと光を照り返して輝くその姿を遮蔽も無しに隠し通すことは出来ない。大勢の敵が俺を視認し怒鳴り声をあげて攻撃態勢へと移行するのを見下ろしつつ、俺は弓に矢を番えた。

優先するのはオーガ・メイジやワイルドマンのミスティックといったスペル・キャスターだ。彼らが放ってくる《ファイアー・ボール》や《ライトニング・ボルト》といった定番の呪文やオーガの放つ矢が俺目がけて雨あられと降り注ぐ中、それらを掻い潜りながらこちらは矢を応射する。弦が空気を震わせる度に3本の矢が放たれ、目標の両眼と額を穿っていく。巨人族の太い首すらもその衝撃に耐えきれず、直撃を受けた頭部はちぎれるように後方へ飛んでいく。

中には飛行能力により接近戦を挑んでくる者もいる。だがそれはさらに効率的な殺戮の対象に過ぎない。魔技とでもいうべき弓術は対象を貫通し、必ず狙った目標へと命中するのだ。飛び上がる行動は俺が同時に複数の対象を攻撃するための格好の的だった。そして敵の視線を空中に引き付けた俺のその足元で、非情な斬撃がさらに死を量産していた。

入り組んだ壁から無音で飛び出たエレミアとフィアに不意を突かれ、立ちすくんだままのオーガ達は無造作に切り捨てられていく。物質界と夢の領域を行き来する半透明の蜘蛛、クオリ・スピナーはエーテル化してこの場を逃れようとする。だが彼女たちが手に嵌めているグラヴは、握った武器に幽体への接触を可能とさせるマジック・アイテムだ。現世と幽世の双方を同時に刻む斬撃によって両断され、その八本の足を震わせて絶命する異形の蜘蛛達。

エレミアの斬撃ばかりが目立っているように見えるが、それはフィアの細やかな動きによるサポートあってのものだ。フィアが故郷で学んだ流派の一つ、ホワイト・レイヴンの戦技は隣に立つ仲間の力を結び付け、高めることに重きを置いている。相対した敵に隙を生みそこを突かせるだけでなく、呼吸を合わせた連携により仲間の動きの効率を高めることで常以上の実力を発揮させる魔法のような技術なのだ。

そして見事な連携を見せる前衛2人が血雨を振りまく地上へと、俺の放つ矢嵐が殺到する。二方向からの攻撃に晒された敵勢は数では勝っているにも関わらず、圧倒的な質の違いによりどんどんとその数を削られていった。《メニー・ショット》の効果時間が切れるまでの時間はほんの30秒ほど。それだけの時間で、この紫の区画に押し込められていたはずの大量のオーガ達はその大部分が駆逐されてしまっていた。

この戦場でもヴォイド・マインドからと思われるサイオニックの反応は感じられない。食料という意味ではすでに脳を失っているヴォイド・マインドが不適格なのは判るが、かといってこれだけこちらがやりたい放題しているのにも関わらず不干渉とはどういうことだろうか。死体を蘇生するパワーは彼らも使用可能だろうが、一度死によって解放されたオーガ達が脳を啜られるために蘇生を受け入れるとは到底考えにくい。

決戦の時に備えて力を貯めているのか、あるいは臆病風に吹かれて戦う意思を失ってしまったのか? 少なくとも俺の知るマインド・フレイヤーという種族に後者の選択はあり得ない。確かに敵わぬ相手を前にすれば撤退を選ぶ知恵は当然のように有しているが、プライドの高い連中が格下の人間種族相手に逃げるようなことをすればそれは彼らの階級社会の中で汚点として付き纏うことになる。

別の可能性としては、俺たちがこの擬似次元界に乗り込んだのと入れ違いにエベロン側へと撃って出て人類社会を攻撃するという事が考えられる。だが彼らの支柱たる"ウォーフォージド・タイタン"を具現化するエピック級サイオニック・パワーはこの"トワイライト・フォージ"なくては不可能なものだ。

術者に対してこの工廠に存在する"ウォーフォージド・タイタン"の設計図を上書きし、クリーチャーを人造兵器に作り替える──それが彼らのパワーの秘密であることを俺はすでに突き止めている。この工廠の奥深くにある設計図──"スキーム"と呼ばれる遺産を破壊すれば外界に存在するタイタンはすべて破壊されるという時点で、彼らがこの工廠の守りから離れるとは考えにくい。

やはり最初の想定通り、この先で俺達を待ち伏せていると考えるのが一番可能性として高いだろう。俺はそう考えを纏めると、残敵が掃討されていくのを眺めながら、中層にある2番目のリーリング・センチネルの元へとゆっくりと降下していく。今度の門番はその頭上に赤と青のクリスタルを掲げていた。その横からは不吉な赤い光を放つトンネルが伸びている。だが今はこの先には用はない。


「今度は青いパネルに触れてくれ──メイとラピスの二人でいい。

 他の皆は俺の《アンティマジック・フィールド》で先に進もう。次のセキュリティ・トンネルを抜けた先が正念場だ」


俺自身は赤いパネルに触れ、右の甲に紋様を得た後に下層の敵を掃討してやってきた皆に次の行動を示す。二人が紋様を取得した後は軽く休息を取り、次の戦闘の準備を整えて俺たちは再び宙へと浮き上がった。上層から伸びるトンネルは曇った青い光で覆われていた。

命知らずのセキュリティ・トンネルの手前で降り立った俺は魔法抑止のフィールドを展開し、青の紋様を持たない3人と歩調を揃えてゆっくりと進んでいく。その俺たちの後ろをやや離れてメイとラピスが続く。横幅6メートル、高さ4メートルほどの台形の通路は少し進んだ先で分岐があったが、悩むことなく進路を右へと取る。そのまま道なりに進んでいった先、トンネルの終わりには大きな広間が広がっていた。

一辺が100メートルほどの正方形、その角の一つがトンネルに通じている広間は天井までの高さも50メートルほどはあるだろうか。そしてその広間をさらに囲う様に、壁の半ばからは三角形をした中二階とでも呼ぶべき奥行きが広がっていた。そのうち正面の中二階には、ようやく出会うこととなったマインド・フレイヤー達が立ち並んでいた。


「──よくぞここまで辿り着いた、蛮勇を振るう愚者たちよ」


俺達全員が広間に踏み込んだところで、初めて聞くマインド・フレイヤーの声が響いた。それと同時にトンネルの入り口にフィールドが張り巡らされ、退路が遮断される。さらにこの広間には鉱山に仕掛けられていたものと同様の《アンハロウ》が定着しているようだ。物理・秘術の両面から俺達の逃げ道を塞いだというわけだ。


「雁首を並べてご苦労なことだな。お前たち雑魚に用はないが、こうしてまみえた以上見逃す義理もない。

 だが自分からドルラーに逃げ込むっていうんなら暫く待ってやるぞ」


勿論そんな提案を受け入れる連中ではない。言葉を交わすのは相手を観察する時間を稼ぐためだ。マインド・フレイヤーが5体、その中にイスサランとその部下である信仰呪文使いの姿はない。イスサランはゲームでの知識通り、この広間を超えた先に待ち受けているのか?


「話に聞いたとおりに口だけは達者なようだな、ヒューマン。

 だが我らはあの猊下ほど寛大でもなければ、バラーネクの小僧のように甘くはない。その死地からは逃れえぬぞ!」


遠目にもわかるほど、その触手をせせら笑う様に蠢かせながら名も知らぬマインド・フレイヤーが語った。こちらが値踏みしているにも関わらず、会話に付き合ってくれるのは格上としての余裕の顕れなのだろう。彼らの自信の根拠は、残る四方の3隅に佇むウォーフォージド・タイタンだろうか。だが、いまさらそのようなものが俺たちにとって脅威になるわけもない。


「でしゃばるなよ三下。その役立たずな脳みそでも理解できるようにもう一度言ってやる。

 俺が用があるのはお前たち雑魚じゃない。イスサランはどこだ?」


マインド・フレイヤー達が並ぶ正面の高台へと歩みを進めながら問いかけを続ける。床下に冷却水を満たしたこの区画はとても寒く、地下の水路が柵越しにむき出しになった場所からは下の冷却液から凍った霧が立ち上っている。《アンティマジック・フィールド》を解除していなければブーツが床タイルに張り付き、吸い込んだ空気が肺を凍らせてしまうのではないかと思えるほどだ。そんな俺達を見下ろすマインド・フレイヤー達は動きを見せずに問答を続けてくれる。


「──定命の存在には理解も及ばぬほどの長い間、あの方は戦いを続けてこられた。猊下はお疲れなのだろう。

 それは貴様ごときヒューマンに興味を示し、4名の同胞を失ったことからも明らかだ。

 今はすべてを我々にお任せいただき、奥の院にてお休みいただいている」


異形の目元が得意げに歪んで見えたのは錯覚ではなかろう。だが俺はまったく逆で内心呆れ返っていた。この愚かなマインド・フレイヤー達は仲間を失った責任をイスサランになすりつけ、今や自分たちがこの"トワイライト・フォージ"の主であると思っているのだ。タイタンをばら撒き、地上を破壊した功績を我が物として権力構造の高みに上ろうというのだろう。ひょっとすればイスサランの"猊下"としての地位すら狙っているのかもしれない。

だが俺はあの年経たマインド・フレイヤーがこの眼前の連中の思い通りの存在とはとても考えていない。むしろイスサランはすでにこの無能たちへの関心を失っており、なんら価値無いものだと考えているのではないだろうか。奥の院に籠っているというのも一体そこで何を行っているのか、想像もつかない。だが俺の心に射した影は最大限の危険を呼び掛けている。

時間を掛けるべきではない。早急にこの雑魚を処理して先に進まなければ。焦燥が俺を駆り立てる──。


「なら貴様らに用はない──時間切れだ、死ね」


広間の中央付近に辿り着いていた俺は決別の言葉と共に秘術を解き放つ。先ほど工廠の構造を貫通した《ライトニング・ボルト》が荒れ狂う電撃と酸の奔流となって一直線に伸び──そしてマインド・フレイヤー達の直前で不可視の壁に遮られたかのように霧散した。


「愚か者め、劣等種たる貴様の数少ない取り柄である呪文攻撃について我々が無防備だとでも思っていたのか?

 そして残る取り柄である逃げ足もその逃げ場のない空間でどれだけ保たせられるかな──さあ、祝宴を始めよう!」


マインド・フレイヤーのその言葉を受けて、彫像のように部屋の隅に鎮座していたウォーフォージド・タイタン達が起動する。折りたたんでいた四肢を展開しながら立ち上がり、その無機質な瞳に赤い光が灯る。機構が回転する独特の機械音を立てながら、立ち込める冷気をかき分けて黒鉄の巨人兵がこちらへと殺到する!

振り下ろされる巨大なハンマーを体をひねって回避し、小さくジャンプしてその大槌に飛び乗ったところに掬うように回転刃が叩き付けられる。あわよくば同士討ちをと狙ってみたものの、威力よりも命中を最優先とした攻撃は誘導することが困難だったため回避に専念する。足場を蹴って刃の殺傷半径から離脱し、空中にいるところを狙って放たれた砲撃は外套による飛翔能力でランダムな機動を行うことで被弾を避けた。

特に警戒すべきところは見当たらない、今まで交戦したウォーフォージド・タイタンと同じ機体。ならば俺のすべきことは他にある。回避行動によって広間のさらに奥へと進んでいた俺は、分断された形になっている仲間たちにタイタンを任せ空中を疾駆。マインド・フレイヤー達へと向かう。

元素のエネルギーが通用しないと判断した俺は力場の衝撃波である《オーブ・オヴ・フォース》を射出。だがそれも雷撃と同じ結果に終わる。《ウォール・オヴ・フォース》であれば砕くはずの《ディスインテグレイト》もその緑の破壊光線はまるで吸い込まれたかのように特定の境界に達した時点で焼失した。


「──タイタンと同種の障壁か!?」


攻撃の手ごたえの無さから俺はそう判断する。それは中二階の区域全体を覆う様にしてマインド・フレイヤー達を保護しているようだ。ゲームでは番人たるゴーレムたちを撃破するまで登ることが出来ないギミックだったが、それは今違う形となって俺の攻撃を食い止めている。

一方俺の背後ではウォーフォージド・タイタンの障壁をエレミアが切り裂き、そこへラピスが大量のスペルストアリング・スローイングナイフをばら撒いて爆発音を鳴り響かせていた。一発一発のダメージは俺の呪文に劣るものの、同時に10以上もの攻撃呪文をナイフを媒介に発動させるラピスの火力は俺に匹敵する。

2人が1体をそうやって処理している間に、残る2体の注意を引き付けているのはフィアだ。巨人の間合いから数歩離れた位置を保ち、踏み込んで放たれる一撃の直撃を避けている。だが俺ほどの回避力を持たない彼女の小さな体ではそうやって保たせられるのは10秒ほどでしかない。大質量の金属塊による攻撃は掠めるだけで全身におそろしい衝撃が走り、打ち付けられた床は砕けてその破片は散弾銃のように彼女を打ち据える。それはたちまち体力と集中力を奪い、その後に待ち受けている直撃という結果は容易く彼女を死に至らしめるだろう。

しかしその最後を刻むべき一撃は、割り込んだメイが《テレキネシス》によりフィア自体の体を強引に移動させたことで空振りに終わった。本来であれば瞬間移動などで敵味方の位置関係を制御する彼女だが、それが封じられたといえども別の手段を講じて役割を果たすというところが彼女のウィザードとしての優秀さを示している。そしてフィアに蓄積した疲労と負傷はルーが《ヒール》の呪文で癒していく。

3人がそうやって時間を稼いでいる間に、エレミアとラピスは確実に敵の撃破を重ねていく。戦闘開始から全てのウォーフォージド・タイタンが撃破されるまでの所要時間は20秒ほどでしかなかった。だがマインド・フレイヤー達の表情から不気味な歪みが消えることはなく、障壁も健在だ。そしてその余裕の根拠はすぐに明らかになった。


「お前たちの事は調査済みだ。そこのエルフがブレード・オヴ・ラグナロク──貴様らの言う神殺しの片鱗を宿しタイタンの護りを切り裂くこと程度織り込み済みよ。

 だがその能力、そう何度も使えるものではあるまい。そしてここは黄昏の武器庫、我らは無限にお前たちの前に兵器を送り込むことが出来るのだ!

 さあ苦しみ、足掻け! 

 絶望と悲嘆にくれたお前たちの命を1つずつ捥ぎ取り、最後に残った者の濃縮された感情で満たされた脳髄で祝杯を挙げよう──」


その声が響くや否や、広間の四方にあった下層の冷却水が満たされた区画との間を遮っていた柵が開かれた。凍てつく水を滴らせながら新たに4体のウォーフォージド・タイタンが現れる。彼らはこちらを先ほどと異なり、こちらを威圧するようにじわじわと距離を詰めてくる。揃った足並みは広間の床自体を大きく揺らし、残りの時間を告げる死の宣告として響き渡る。

連中の言う通り、エレミアの能力は立て続けに何度も使用できるものではない。すでに3度この戦闘で使用しており、今は限界のはずだ。やはり彼らは《メタファカルティ/天眼通》などで相当入念にこちらのことを調べ、この場での決戦に臨んでいるのだろう。例えこの場にラースとアマルガムを連れてきていたとしても、追加で撃破できる数は知れている。勿論連中はそれすらも想定したうえで準備を整えているだろう。

後退した俺を含めて全員が広間の中央にひと塊となり、迫るタイタンを待ち受けている。機械の正確さで一定の歩調を保ち進むタイタンとの距離を測ることは容易だ。彼らの間合いに入るまであと20秒ほどといったところか。俺は皆を促し、俺以外の全員を空中へと移動させた。それにより俺一人が敵を待ち受け、皆は空中からそれを見守る形となる。


「それがお前たちの望む自己犠牲の結末か。素晴らしい、我々好みの展開だぞ!

 全員の命を少しでも長くしようとするなら確かにその選択しか無かろう。

 だが疲れを知らぬ兵器たち相手に、お前はどこまで身のこなしを維持できるのだろうな──1時間か、それとも1日か?

 飲まず食わずでお前はどこまで戦えるのだ? お前が倒れれば次は上にいるお仲間達の番なのだ、少しでも長く保たせないとな!

 その時間が長ければ長いほど、感情は熟成される──さあ舞台は整った、喜劇の始まりだ!」


マインド・フレイヤーが手を振り下ろすと、タイタン達は牛歩の歩みから一瞬でトップスピードへと動きを変えた。脚部のチャンバーが爆発音を鳴らすと下肢を構成するフレームが伸び、それにより急加速した勢いのまま俺に武器を叩き付けようと迫ってくる。

俺はそれを待ち受けながら脳裏のスイッチを押すようにイメージする──それによりレベルアップのエフェクトが俺を包むように発光し、翼のエフェクトが円を描くように浮かび上がってくる。だがいつもと異なる点がある。それは俺を包む翼が消えずに残り、どんどんと大きく広がっていくということだ。真上に向かって伸びるそれはやがて20メートルを超え、そこで動きを変えた。迫るタイタンを迎え撃つように俺を中心に横方向へと向きを転じると、俺が振る腕へ対応するようにぐるりと1回転した。

翼に触れた無敵の巨人の輪郭が朧げに揺らぎ、直後激しい打撃音とともにその巨体は吹き飛んだ! 白い翼はウォーフォージド・タイタンの防御フィールドを打ち破り、その勢いのままに体を打ち据えたのだ。その正体は《ウイングス・オヴ・フラリー》。力場で編んだ竜の翼で範囲内の敵を殴打する秘術呪文。それだけ見れば当たり障りのない呪文のように見える──だがこのソーサラーにのみ許された呪文は"レイス・オヴ・ザ・ドラゴンズ"という竜に特化したサプリメントに収録されており、特筆すべき事柄としてその威力の上限に制限が課されていない!

通常の呪文、例えば《ファイアー・ボール》などは『術者レベルごとに1D6(最大10D6)のダメージを与える』などというように呪文ごとに固有の最大ダメージ上限が定められているが、この呪文にはその上限が存在しないのだ。エベロンで秘術の始祖とされるドラゴン種族、それ故の強大さなのかこの呪文は術者としてのレベルが上昇するごとに際限なくその威力を上昇させていく。そして俺は様々な呪文やアイテムの補助を受け、本来の倍以上の術者レベルを今有しているのだ。それによりこの呪文を一たび放てば4桁近いダメージが発生し、クリティカルしようものなら2000点を超えることもあり得る。その常識を遥かに超えた呪文打撃力が、無敵に思えたタイタンの防御フィールドを打ち破ったのだ!

無論これは予め算段しておいたものだ。コルソス島におけるラース達との実験により、タイタンの防御フィールドが力場によるものであることは判明していた。アマルガムがタイタンの防御フィールドを中和したのも、強大な力場同士を干渉させての無効化という原理である。通常の《マジック・ミサイル》や《オーブ・オヴ・フォース》などの力場呪文では到底出力が及ばないため、防御フィールドを破ることは出来ない。

だが、もしそれが常識外の破壊力であればどうなる? ウォーフォージド・タイタンの出力と、俺のチートによりブーストされた出力はどちらが上なのか? その答えは既に示されている。広間に横たわる4体の巨人は惨たらしく胴体を破壊されて崩れ落ちている。俺の勝ちだ。

そしてこの呪文を俺が修得したのは今先ほど。例え過去にどれだけ入念な調査をしていようとも、脳喰らい達は未来を見通すことは出来なかったのだ。彼らの味わう脳髄には所詮過去しか詰まっていない。それで全てを知ったつもりでいた連中は、その驕りにより身を亡ぼすのだ。


「──馬鹿な!」


ついにその表情から余裕が剥ぎ取られたマインド・フレイヤー達だが、今やその驚愕した一瞬こそが彼らの命取りとなる。弾丸のように飛び出した俺は彼らを覆う防御フィールドへと接近し、再び竜翼による攻撃を見舞う! あれほど強固に思えた障壁はまるで風に吹き散らされる煙のように消えていく。だがまだ俺のターンは終わらない。《セレリティ》により加速した意識の中で俺はさらに呪文を組み上げる。《呪文二重化》された《リミテッド・ウィッシュ》が《ハロウ》の効果をエミュレートし、この広間に定着した《アンハロウ》を相殺したうえで上書きするように現実を改変していく。今や瞬間移動を阻害されたのは俺達ではなく、このマインド・フレイヤー達となったのだ──そして彼らの死を告げる天使たちが舞い降りる。


「お前たちを刻むのにわが宿命の斬撃は不要──」


「さあ、鬼ごっこの役回りはこれで入れ替わりだ! ノロマな奴からその体に穴が開く──まずはどいつからだ?」


双刃が、数多のナイフが煌めいて脳喰らい達の命を刈り取っていった。《魔導士退治》の能力は超能力者達にも有効であり、彼らは満足に力も震えぬまま1人また1人と物言わぬ骸と化していく。サイオニック能力に頼り切り万事をその圧倒的なパワーでねじ伏せてきただけに、いざその能力が封じられてしまえばあとは脆いものだった。勿論、幾人かは攻撃を受けながらも間合いから逃れ、俺へとその超能力を振るった。だが、俺が両手に嵌めた精神作用を遮断する指輪の数は4つ。その全てを無効化するほどの手数が彼らには無く、無為な行動を最後に倒れていく。

もし彼らがウォーフォージド・タイタンに頼らず、そのサイオニック能力を全面に押し出してこの広間での決戦に臨んでいればまた違う結果になっただろう。バラーネクは1体で俺とメイをあそこまで追い込んだのだ。生け捕りが目的だったために本気ではなかったとはいえ、あの手数と圧倒的なサイオニックエネルギーは脅威だった。例え実力が一画落ちるとしても、5体ものエピック級マインド・フレイヤーと真正面からぶつかればこちらも無事では済まなかったはずだ。

だが自分たちのリスクを避けるために安全圏と信じた場所から設定した盤上にウォーフォージド・タイタンを配し、それに頼った彼らはその盤をひっくり返されたことでかくも容易く討ち取られてしまった。想定外の不意打ち、それがこの世界において戦闘の趨勢を決定する重大な要素であることが示されたという事でもある。

だが同じ手はイスサランには通用しないだろう。いまだ姿を見せない狂気の領域のエグザルフ。だが今や残るマインド・フレイヤーの数は2体となり、人数でこちらが逆転することとなった。ならばあとは戦力差で押しつぶすのみ。

奇襲を警戒し、一度セキュリティ・トンネルへ戻ってから残る他の認証を確保してから再び広間へ戻り、先へと続く最後のセキュリティ・トンネルを通過しても敵は姿を現さない。ゲームであれば再び元素のエネルギーを撒き散らす罠が満たされた区画だったはずの通路は、マインド・フレイヤーの食料やウォーフォージド・タイタンの材料となったのかその操作するオーガ達を失って侵入者に対してその役割を果たすことなく沈黙を保っている。

そして到着したのは本来であればイスサランの座す広間──だがそこにも彼の姿はない。先ほどのマインド・フレイヤー達の言葉通り、さらに奥にある次のクエストの間──"タイタン・アウェイク"の舞台に引き籠っているのだろうか。

だが俺達にもここで引き返すという選択肢はない。2度とこの"トワイライト・フォージ"を巡って戦いが起こらないようにするためには、その奥の間にあるスキームを破壊しなければならないからだ。

その目的を果たすべく、俺たちは最後の区画へと足を踏み入れる──。



[12354] 6-10.ナイトメア(前編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55
Date: 2013/08/04 06:03
薄暗い照明に照らされた広間。8本の支柱が高い天井を支えるように等間隔に並び、静寂に満たされたこの場所は本来は祭殿のような雰囲気を持っていた。だが今ここを満たしているのは、聖性とは真逆の気配である。狂気の領域ゾリアット──その奇妙な形状や言語で満たされた異界を理解しようとすれば精神が破壊されると言われる、彼方の領域の存在が放つ気配が空気を侵食しているのだ。


「──待ちくたびれたぞ、シベイの御子よ」


その原因たるイスサランは、もう一体のマインド・フレイヤーを傅かせて俺達を迎え入れた。その背後に聳えるのはウォーフォージド・タイタンのアーキタイプだ。エピック級サイオニクス・パワーによって顕現したものでないオリジナルの人造兵器は、ただ立っているだけだというのに遥かに強烈な存在感を放っている。大まかな外観に差はないが、細やかな造形一つとっても洗練された様子がうかがえる。ただの兵器ではない造形美、そういったものを感じさせるのだ。

彼我の距離は100メートル強ほどにすぎず、既に中距離射程の呪文攻撃の範囲内にお互いを収めている状態だ。それでもお互いが攻撃に出ないのは、その間の空間を幾重もの"揺らぎ"が満たしているからである。それは認識を攪乱し、お互いの位置を不明瞭なものにしている。本来は長方形であるはずの広間の形状を正確に把握できておらず、遠隔攻撃を行った場合に見当違いの場所に命中するかもしれないという疑念が晴れない。それは物理的な攻撃だけでなく、魔法的な攻撃についても同様である。

ゾリアットは半透明の紙が何層にも重なったように見え、それらの層と次元が無限に連なっている姿をしていると言われている。物質界に近づくと狂気が世界中にばら撒かれ、魔法は暴走し時間の流れさえも歪み、生命は異形へと変貌させられる狂気の領域──その再接近は太古の次元間戦争で彼らを追い払ったドルイドの一派《門を護るもの》によって防がれているが、本来であればエベロンと夢の領域ダル・クォールの中間点にあるはずのこの"トワイライト・フォージ"をイスサランは何らかの手段でゾリアットへと引き寄せているのかもしれない。


「これでも急いできたつもりだったんだがね──」


軽口を叩きながらも簡素な呪文を行使。ゾリアットの次元界特性である魔法暴走、それに影響されないように呪文をコントロールすることが出来るかを確認する。行使する呪文の階位が高ければ高いほどその難易度は高くなるが、種々のサポートを受けた今の俺達であれば問題なく制御可能なはずだ。

それよりも問題はゾリアットの持つ時間流の特性だ。ゾリアットの1分は物質界での60分に相当する。もしもそれがこの空間に作用しているとすれば、長時間の戦闘になった場合に"スキーム"の破壊が間に合わなくなる可能性もある。"無重力"という重力特性が反映されていない以上、この空間が完全にゾリアット化しているというわけではないようだが考慮しておくべき要素だ。

"揺らぎ"については、お互いの距離を詰めることで解決するしかない。ここを初めて訪れた俺達と異なり、ゾリアットの住人であるマインド・フレイヤーはこの視覚異常に影響されない可能性が高い。またイスサランの強力なサイオニック・パワーの発動を妨害するには《魔導士退治》の技術を習得している前衛が取り付く必要があることもある。

罠の気配はないし、俺の知るクエストギミックもそのままに見える。状況を確認しイスサランへと駆け寄ろうとした俺たちの動きを見て、マインド・フレイヤーは残念そうな声を発した。


「本来であれば長らく言葉を交わしたかったところではあるが、止むをえまい。

 まずはその肉体の縛りからお前たちを解き放ち、その後でゆっくりと語らうとしよう──」


イスサランの細い腕が、傅くマインド・フレイヤーへと伸びる。その気配を察し、伏せていた顔を上げた脳喰らいの司祭は歓喜にその触手を震わせた。


「おお、いと貴きお方の秘儀の礎となれる幸運にわが身は喜びに打ち震えております。

 我が肉と精神、魂に至るまでの全てを捧げます──」


イスサランの指がその顔にめり込み、脳髄をかき回してもなおその司祭からは喜びの感情があふれ出していた。言葉になる前の原始的な精神エネルギーが、そのマインド・フレイヤーの特性により広間じゅうへと拡散することでその感情がこちらへと伝わってくるのだ。

そしてズルリとイスサランの手が引き抜かれ、司祭の体は支えを失って崩れ落ちた。べちゃり、と音がして床に血が広がっていく。抜き取られたマインド・フレイヤーの指には、司祭の二つの眼球が収まっていた。イスサランはそれを両手の掌で包むようにして自分の胸の前へと運ぶと、小さく呟いた。


「では歓迎を始めよう──退屈はさせないことを約束しようじゃないか」


合わされた掌同士の距離がゼロとなり、莫大なサイオニック・エネルギーが噴き出した。イスサランの肉体を包むように白いエクトプラズムが膨れ上がる。元々視界を歪めていた"揺らぎ"がその煽りを受けて激しく撓み、目に映る光景はまるで万華鏡のようだ。だが視界の中央にある、その姿だけは捉えることが出来る。

超巨大なまでに膨張したエクトプラズムの塊を突き破り、鋼の四肢が現れる。それは大きさが倍ほどではあるがイスサランの背後に鎮座していたウォーフォージド・タイタンのものだろう──だが、一点だけ先程までとは大きさ以外にも異なるところがあった。いや、それは果たして『一点』と数えるべきなのか? タイタンの全身、至る所に不気味な眼球が対となって張り付いている。赤く血走ったその眼球の大きさは握りこぶし程度だろうか。鋼の肉体の表面を泳ぐように漂いながら、その瞳は俺達へと焦点を合わせる。

名付けるのであればそれは"ウォーフォージドタイタン・ナイトメア"。『夢の領域』が『狂気の領域』によって歪められ、悪夢となって顕現した姿だ。数多の眼球を漂わせた人造の機械神がその回転するブレードを振りかざし、鋼のこすれ合う音を戦場に響かせた。








ゼンドリック漂流記

6-10.ナイトメア(前編)








光の翼が指向性をもって振るわれ、前方を薙ぎ払う。《呪文二重化》により構築された2対の《ウイングス・オヴ・フラリー》が空気の層を貫き、異形の巨人を激しく打った。従来のタイタンと同様、この機体も防御フィールドは展開しているようだ。だがそれを食い破って光翼は装甲を直撃する。力場の奔流が胴体を抉り取り、巨大な傷跡を刻み付ける。

その不気味な外見に反し、内部の構造は従来のウォーフォージド・タイタンと同一に見える。だが今の攻撃を受けてなお擱座せず、脚部で胴体を支えながら攻撃のために腕を振るおうとしている姿からして耐久性は大幅に向上しているのは間違いない。その脅威度は今の俺には測り知れず、30を大きく超えているであろうその存在に神格ランクがあったとしても不思議ではない。そこまでいかなくとも、標準のタイタンに比べてヒットポイントが最大化されているなどの強化は織り込んでおくべきだろう。

例えその想定が正しくとも、俺のやるべきことに変わりはない。触媒であるコアトルの羽を握りつぶしながら立て続けに《ウイングス・オヴ・フラリー》を叩きつけ続ける。鱗粉となって周囲を舞う羽の細片が光翼の輝きをキラキラと反射するたび、ウォーフォージド・タイタンへと攻撃が叩きつけられる。

だが四対の翼に殴打されてなお、巨神兵は動きを止めない。大股に踏み込みつつ振り下ろされた巨大なハンマーを、余裕をもってバックステップで回避する。床を穿つその攻撃はやがて空を飛べぬタイタン自身の移動を阻害し、俺達にとって有利な点となる──はずだった。だがハンマーが衝突した瞬間、床を破壊すべきエネルギーの大部分は不可視の衝撃波として広間へと拡散した。かすかに遅れて音が届いているが、それを何人が知覚できたか怪しいものだ。三半規管をかき回されたかのようなショックを受け、聴覚は機能していたとしても音を理解している余裕が無かったのだ。

空中を浮遊していたはずの他の仲間達も、大半はバランスを崩している。コントロールを失って地面に倒れているものもいるほどだ。かろうじて〈平衡感覚〉に優れている俺やラピスは一瞬動きを止める程度で済んでいるが、他の皆が立ち直るまでは数秒を必要とするだろう。

そして勿論敵はその間も動き続けているのだ。ハンマーを打ち付けた箇所を支点にするように、巨人はその腕を使って全身を持ち上げると体全体をこちらへと投げ出した。その移動により対となる左の腕に備わった、回転するブレードがこちらを間合いに捕えている。その腕を突き出す速度、関節の稼動角から見た追撃予想範囲に対して、一瞬とはいえ動きを止めてしまった俺はそれを回避しきることは出来そうもない。

だが、直撃を受けなければ即死することはない。可能な限りその殺傷圏内から体を逃がしつつ、俺は構えた剣先をその回転するブレードの只中へと差し込んだ。秘術火薬の炸裂により人間の肉体では到底不可能な速度で空気を切り裂いている刃が俺の剣と激突する。最高硬度を誇るアダマンティンの刃は幸い切り裂かれるようなことはなく、その竜巻に巻き込まれるように流されていく──俺は剣を握る掌にありったけの力を籠め、そのうえで腕を支点に体全体を回転させるように動かした。

差し込む位置と体の動きを過てばそのまま床へと叩き付けられ、抑えつけられたところで体を切り刻まれるであろう賭け。だが俺は見事にその挑戦を成功させ、空中へと自らの肉体を放り出すことに成功した。ブレード自体の回転する力を利用して、その殺傷圏内から逃れたのだ。コンマ数秒を何十倍にも引き延ばしたかのように感じるほどの集中と、肉体を酷使したことでギリギリ可能となった行動。まさに間一髪といえるだろう。

腕だけでなく無理をした体全体に負担が残っており、傷はなくとも相当なダメージが残されている。同じことをもう一度するためには回復しなければならない。防御フィールドを打ち破った以上、攻撃は他の皆に任せることが出来る。俺は防御と回復に専念しつつ敵の注意を引き付け、攻撃は皆に任せるべきか?──そう考えた俺の視界に、信じがたい光景が映る。

タイタンの全身に散らばっていた眼球が、損傷箇所へと集まっていく。そして膨れ上がったかと思うとその部位は修復されてしまっていた──そのうえで、全身に這う眼球の量は増えているように見える。さらに損傷が癒えたことでか、再び防御フィールドも展開されてしまったようだ。そして万全の体勢を整えたウォーフォージド・タイタンはその左腕の砲口を振り上げる!

歪な眼球が赤く輝き、その光点が左腕へと収束していく。流れるエネルギーがブレードの内側を走って赤いラインを描き、砲口からも溢れださんとした瞬間にそれは放たれた。巨大な単発の砲撃ではなく、断続的に放たれる散弾の群れ。初弾を回避した俺を追って砲口が動き、さらには回避先をも想定して多数のエネルギー弾がばら撒かれた。弾速は早くない、むしろ目視してから回避を始めても直撃を避けることは可能だろう。だがその数と合わせ、床に着弾するや周辺に衝撃を拡散することで大きな範囲をカバーする点が厄介だ。〔力場〕と〔火〕の二重属性か、撒き散らされた余波は熱を伴い空気の層を揺らしている。


──得手とする秘術の引き出しはまだ残っているだろう? 私にその真髄を見せておくれ!


眼球が輝き、イスサランの思念が響き渡る。彼の意思はあの邪眼の群れとなって健在だという事か。であるならばサイオニクス・パワーをあの形態で行使可能である可能性についても考慮しなければならない。だが俺の目にはあの邪眼はその全てが同一のものに見える。全てを吹き飛ばすには結局のところタイタン自身を破壊する必要があるだろう。そして生半可な攻撃では状況を悪化させるだけだということが、先ほどの攻撃で判明している。

だが、全員の最大火力を集中するとなればエレミアとフィアには接近戦を行ってもらう必要がある。しかし万が一その攻撃で倒しきれなかった場合、苛烈な反撃を受けてしまうだろう。あの二人ではそれを回避しきることは出来ず、死亡する。勿論、蘇生することは可能だが一度死体となった時点で付与された呪文は失われるため、戦闘力を取り戻すためには相当な数の付与呪文を掛けなおす必要がある。その余裕を与えてくれるとは思えない。チャンスは実質1回きり。それを活かすためには相手の実力を正確に見極める必要がある。

既に敵の正体について見当は付いている。あの漂う眼球の正体は"マルチヘッデッド・クリーチャー/多頭種"、それもレルネー・パイロ種のものとみて間違いない。ヒュドラのようなクリーチャーを再現するためのテンプレート、それを先ほどのイスサランの秘術がタイタンへ後天的に付与したのだろう。《ロード・オヴ・アイズ/千眼の王》ベラシャイラと呼ばれるデルキールの王の一人、司祭を捧げることでその加護を得たというところか。

神話で語られるヒュドラ同様、レルネー種マルチヘッデッド・クリーチャーはその頭部を全て破壊しなければ倒すことは出来ない。そして一部の頭部が破壊されたとしても、やがてその傷は再生し元に倍する頭部が生えてくるという厄介なクリーチャーなのだ。その最大数は元々の頭部の数の2倍まで増加するうえ、それぞれの頭部は元となったクリーチャーと同等のヒットポイントを有している。元は50ほどだった眼球は先ほどの俺の攻撃を受けてその数を増している。最大であの邪眼は個数を100ほどまで増やし、その時のあのタイタンの耐久性は最大で従来の50倍──《千眼の王》の加護に相応しい、邪悪な異形だといえよう。

従来のレルネー種であれば火や酸で傷口を焼くことによりその再生を止めることが出来るのだが、レルネーの中でもパイロ種と呼ばれる炎のブレスを吐くタイプは火に対する完全耐性を有している。敵の砲撃に火属性が付与されていることから奴がパイロ種であることは間違いないだろう。そして残る酸はどうかというと、怪しいところだ。マインド・フレイヤーの秘儀であるヴォイド・マインドは酸に対する完全耐性を有する。このウォーフォージドタイタン・ナイトメアも同様にマインド・フレイヤーの秘儀による産物だ。そのうえイスサランという強力な術者が、そのような弱点を放置しているとは思えない。

再生に要する時間は短ければ6秒、長ければ20秒強だがその期間は頭部ごとに異なる。一気に倒すのであれば最短時間のうちに破壊し尽くすことが必要だろう。元となったウォーフォージド・タイタンは48HDの超巨大サイズの人造、最大化されているとすればそのHPは560点。その頭部を全て破壊しなければならないのだから、単純なHPの数字以上の耐久性を有しているといえる。

百眼の機神はこちらを嬲るように足を止めたまま散弾の砲撃をばら撒いている。立ち並ぶ柱を遮蔽に取ったとしても、着弾と同時に炸裂し周囲を捻じ曲げ焼き焦がす余剰エネルギーだけでこちらは徐々に削られていく。炎だけであれば《レジスト・エナジー》で防ぐことが可能だが力場効果に対して抵抗を得る手段を俺は有しておらず、眼球の数が増えるに従って威力と正確性を増しており回避が困難になっていくというオマケ付きだ。

半端な攻撃は邪眼の数を増やし、敵を勢いづかせることにしかならない。また一気に破壊するには相当の仕込みが必要だが、それを見逃すイスサランとも思えない。イスサランの動きを封じたうえで、タイタンの足を止める。非常に分が悪くとも、勝つためにはそれを達成するしかない。弾幕を回避しながら念話で皆に作戦を提案する。


──安全に勝ちを拾えるような相手であるとは最初から思ってないさ。

  少しでもあのイカレ目玉にナイフをぶち込む機会が増えるなら、喜んで手を貸すよ

もっとも危険な役を担うラピスが真っ先に返事をし、皆も肯定を返してくる。それを確認してから俺は柱の陰から飛び出し、護りの力を強く付加されたコペシュを片手に構えてウォーフォージド・タイタンの正面へと進んだ。


──相談は終わりかね? さあ、その力を存分にぶつけるといい。私にその輝きを、可能性を見せてくれ!


イスサランの思考と同時にタイタンの左腕の砲口がこちらを捕え、巨大なエネルギー弾が放たれる。全身を覆う邪眼から送られたパワーを収束されたそれは、直撃すれば一撃で俺の命を奪うだけの破壊力を今の時点でも有している。薄膜に覆われたような視界の中、近づいてくるその砲弾を床の上をすべるようにサイドステップを織り交ぜて回避しながら前へ。

タイタンは砲撃の勢いで後ろへと弾かれた左腕をその勢いを溜めとして、一気に突き出してくる。再び回転するブレードが眼前に広がり、俺を追い込むように展開したそれはやがて包む込むようにその幅を狭めてくる。その攻撃に対し、俺の展開した光翼が激突した。赤い光を放って回転するブレードが光の翼を切り裂こうと唸りを上げるが、それをなお塗り潰す勢いで白光が炸裂する。狂気によって鍛え上げられた悪夢の金属が、まるで深海に放り込まれた空のペットボトルのようにひしゃげて折れる。

肩の付け根から腕を奪われたタイタンだが、即座に付近の邪眼がその傷口へと移動すると泡のように膨らみ次々と再構築が始まっていく。一つの泡の表面の上を邪眼が滑るように移動し、その先で再び弾けて泡となる。連鎖する白い球体が歪な腕を形作り、それは数秒をかけて徐々に元通りの形を取り戻そうと蠢いていく。

だがその間、俺もただ傍観していたわけではない。さらにタイタンとの距離を詰めたうえで、今度は巨人の足を薙ぎ払う。支えを失って崩れ落ちる巨体は、だがその体勢すらも利用して俺へとその鉄槌を振り下ろしてきた。その腕を四翼の最後の一つで吹き飛ばし、四肢を奪われた巨人は轟音と共にその胴体を横たえる。


「──今だ!」


俺の合図とともに、周囲に立ち並んでいた柱の根元へエレミアとフィアが刃を走らせた。天井側の接合部は既にラピスが操るナイフに込められた呪文で切り離されており、そこに二人の斬撃が加えられたことで完全に自由となった巨大質量はゆっくりとその自重に従って傾き、四肢を失って身動きの取れないタイタンの上へと倒れこんだ!

そしてそれは一本だけで終わらない。林立する柱は次々と二人の手により切り倒され、鋼の巨人の上へとのしかかっていく。勿論、地下港で戦ったただのタイタンではなく、イスサランが宿った存在であるからにはこのような押しつぶしからはサイオニックの力で脱出することは可能だろう──だがそれを防いでいるのが、《アンティマジック・フィールド》を展開したラピスだ。彼女は倒れてくる柱から巧みに身をかわしながら、超常能力を無効化するフィールドにタイタンを捕え続けている。

仕込みの呪文を準備している俺とラピスはタイタンを中心に対照の円を描くように回る。そんな俺達に対して、四肢を捥がれた巨人は瓦礫の下で押しつぶされたままに不完全な腕を振り回してくる。打撃というよりもこちらを抑えつけようとする動き。不安定な姿勢とはいえ、その機械仕掛けの怪力は数千の年を経たドラゴンをも捻りつぶすほどのものだ。組み合いで勝負できるはずもない。

そしてそこにさらにエレミアが加わった。彼女は再生しつつある巨人の四肢に斬撃を加え、その勢いを少しでも削がんと剣を振るった。間合いに留まれば死という状況でデルヴィーシュの旋舞は彼女に連撃離脱を可能とせしめた。薄氷どころか、水に濡れた薄紙の上で踊るような精密で繊細な交差。刹那の動作を1ミリ誤っただけで全てが失われてしまう死の舞踏。

だがついに均衡が破られる時が来る。こちらの想定を超えた速度で、最初に破壊されたタイタンの左腕が復元を完了したのだ。その左腕の肘から薬莢が弾きだされ、回転するブレードがラピス目がけて地を這うように襲い掛かった。無理な体勢からの攻撃とはいえ、俺すら回避しきれない死刃の旋回を魔法抑止下にあるラピスが回避しきれるはずもない。《アンティマジック・フィールド》は彼女が生来有するライカンスロープとしての半獣形態や銀以外への物理攻撃への耐性なども抑止してしまっているのだ。ブレードが彼女を蹂躙し、やがて擦れ合う床との摩擦で回転を止めた。邪眼の放つ陰鬱な色とは違う、鮮血の赤がその周囲を彩っている──だがそれでもなお《アンティマジック・フィールド》はその効果で巨人を捕えることを止めていない。


「こんなナマクラに取られるほど、僕の命は安くないよ──」


停止した刃の間から、満身創痍のラピスが姿を現す。軽口を叩いているが、その全身は切り傷で覆われており纏っている黒いローブも至る所が切り裂かれている。それでも命を保っているのは、トリック・スターである彼女が死神すらも騙し、自らの死を拒絶したのか──いずれにせよ、彼女の献身が最後の時間を稼いでくれた。他の四肢の再生を順次終えたタイタンがもがくように立ち上がろうとしているが、それよりもこちらの一手のほうが早く巨人を打ち据える!

タイタンの直上、天井近くに張り付いた照準器へと膨大なエネルギーが注がれていく。この"トワイライト・フォージ"を維持しているエネルギーの大半が、クリスタル導火物という特殊な触媒によってそこへと収束されているのだ。俺達が時間を稼いでいる間、メイは本来の"タイタン・アウェイク"のクエストにおけるクリア手順を踏んでいたのだ。


「──撃ちます!」


メイがこの広間の片隅にあるコントロールパネルを操作し中央にあるスイッチを押し込むと、まばゆいルビー色の光線がものすごい力でウォーフォージド・タイタンを攻撃した! 極太のレーザーが巨人の上に折れ重なっていた柱を一瞬で蒸発させ、再展開されていたタイタンのバリアを破壊する。本来であればこれを繰り返すことでバリアの発生機構に負担をかけ、バリアを完全に無力化してからタイタンを倒すというのがクエストの流れだ。だが、今回はそのような悠長な手段をとっている場合ではない。

巻添えを避けるためにギリギリでラピスが離脱していたため、この瞬間タイタンは《アンティマジック・フィールド》に捕われていない。そのタイミングを見計らい、俺が《呪文遅延化》によって維持していた複数の《スコーチング・レイ》が同時に起動する。《エネルギー変換》により冷気と電撃の束となった呪文が、タイタンの表面を漂う邪眼へ次々と命中していく。

《スコーチング・レイ》が本来放つ3本の火閃は、《光線呪文分枝化》により4本となり、それぞれの邪眼は1本の光線で破壊されていく。時折クリティカルによって1閃で破壊される双眼もあり、俺は破壊力を最適に分散できるように30秒かけて蓄積した80本の閃光をばら撒いていく。

着弾した光線は邪眼を打ち砕きつつ、その周囲にあったタイタンの構造を食い荒らしていく。だがすべての光線がその役目を果たしてなお、ウォーフォージド・タイタンはその輪郭を保っている。直前に四肢を奪った攻撃から再生したことで、上限である50まで頭部の数が増えていたのだろう。いまだに残っているいくつかの邪眼が体表のそこかしこで蠢き、破壊された箇所では白い泡が再生の兆しを見せようとしている。


「──さっきの分だ、しっかり利子をつけて返させてもらうよ!」


だがそこに《アンティマジック・フィールド》を解除したラピスが操る45本のスペルストアリング・ナイフを降り注いだ。ルーに支えられるようにして《ヒール》を受けているラピスは両手にメタマジックロッドを握り、その《呪文二重化》と《呪文高速化》によって常の3倍の火力をタイタンへと見舞ったのだ。それぞれのナイフは突き立った箇所で爆発を起こし、俺の《ウイングス・オヴ・フラリー》がクリティカルした際の威力を超えるほどのダメージとなって体表に残った邪眼を駆逐する。

そしてすべての邪眼を剥ぎ取られた鋼の巨人に向けて、エレミアの剣舞が押し寄せた。稲妻を逆回しにしたようなジグザグな斬線が巨人の左脚を走り、その体が崩れ落ちる前にその今しがた切り付けた脚部を蹴りつけて上へ。上昇しながら左腕をその根元から一太刀で切り落とし、さらにはその肩から本来の頭部、さらに右腕へと空中をすべるようにエレミアは疾駆し、斬撃の痕跡を残す。瞬く間の24連撃は超巨大だった巨人のサイズを一回り小さくカットし、ウォーフォージド・タイタンは崩れ落ちる。

だが本来の頭部に残る赤い眼光はいまだ消えていない。右腕のハンマーはその崩れ落ちる体勢を利用するように高く掲げられ、振り下ろされる時を待っていた。しかし、機を図っていたフィアが突如間合いを詰めるとその胴体を一閃する。その華奢な体躯のどこにそれだけの力が秘められていたのか、技術と信仰の相乗効果で高められた一撃は崩れ落ちようとしていた巨人を押し戻した。


「さあ、止めを頼むぞ!」


《ホワイトレイヴン・タクティクス》。一撃離脱でタイタンから離れながら投げかけられた彼女の声に応じるように、俺の周囲に再び光翼が顕現する。荒れ狂う力場の奔流が殺到し、巨人の体は部品単位まで分解されると次は拳大に圧縮され、さらに砕かれ細片となって目に映らぬほどまで破壊していく。強力な力場呪文が立て続けに行使されたことで視界を覆っていた異界の層は吹き飛ばれており、後に残るのは煌めく光の残照のみだ。

かけらすら残さぬ、破壊を越えた消滅。ここまでやれば再生は不可能であろうし、途中でイスサランが超能力で干渉した形跡もない。万が一の場合はメイが《アンティマジック・フィールド》を展開して干渉する手はずだったが、その必要は無かったようだ。

戦闘の終結を感じた俺は残心を解き構えていた剣を下げる。だが剣はその掌から滑り落ちると床に落ちて固い音を立てた。いや、剣だけではない。指に嵌めていた指輪は割れ、砕けていく。魔法を帯びていた装身具の類がその力を失い、身を包んでいた種々の付与呪文もあたかも効果時間が終了したかのように消えている。


「──な、に?」


それらを知覚したのと、俺の視界が胸から生えている白銀の刃に気付いたのは同時だった。全身から力が抜け落ち、体を支えることが出来ず、剣先が抜かれると同時に膝が崩れていき体が崩れいていく。

そして膝をつき頭上を仰ぐような姿勢となった俺の視界に映ったのは、口元から生やした触手を気分よく蠢かせる異形の顔だった。


「──見事であったぞ、シベイの御子よ。その働きの代価として、真理に触れる機会を与えよう」


イスサランの瞳が怪しく輝く。指輪や呪文から付与されていた精神作用への抵抗を失い、さらに胸の傷により生命力を失いつつあった俺はその瞳に抵抗することは出来ない──閉じ行く瞳に最後に映ったのは、突如出現したマインド・フレイヤーへと打ち掛かる仲間たちの姿だった。



[12354] 6-11.ナイトメア(後編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55
Date: 2013/08/19 23:02
トーリを抱えたマインド・フレイヤーへとエレミアが刃を構え、疾駆する。その踏み込みは目にも留まらず、たなびく金糸のみが残像として残るのみ。だがその刃が振り下ろされる直前、イスサランの姿は消失した。


「上だ!」


エレミアをフォローするように舞っていたスローイングナイフの群れが、そのラピスの声と共に上空へと加速する。しかしその短剣群舞は見えざる壁にぶつかったかのように散らされていく。超能力により張り巡らされた《イナーシャル・アーマー》が鉄壁としてマインド・フレイヤー自身を護っているのだ。脱力したように指一本動かさないトーリを片手に、残った腕で銀に輝くグレートソードをだらりと下げたまま宙に浮かぶ異形の首魁は喜悦の感情を放っている。

先ほどのウォーフォージド・タイタンが変成する際に飲み込まれたかのように見えたのは《フィション》による複製体だったのだろう。そして本体はどこからかで戦いを観戦しており、戦闘が終わったと判断したトーリの心理的な隙を奇襲したのだ。黒いローブをその念波によってはためかせ、マインド・フレイヤーは笑い声を上げる。ローブの中央に銀糸で編みこまれた連なる逆さピラミッドが、異形の信仰を受けて微かな煌めきを返した。それを見上げる形となった者たちは高速で念話を交わしながらもその姿から視線を逸らさない。


──今の奴の動きは何だ? トーリに攻撃を加えた時と言い、直前まで一切前兆を感じなかった。

  瞬間移動ではない、とすればあれも何かの超能力のパワーなのか?


エレミアの問いに、メイが答える。一般的な秘術や信仰といった呪文体系とは異なるサイオニックという超能力について知るものは限られているのだ。トーリが敵の手に落ちた今、それを知るのはシャーンの地下にてその異能に接したメイのみ。彼女は先ほどの現象を自身の持つサイオニック知識に照らし合わせ、推論を伝える。


──おそらくは《テンポラル・アクセラレイション/時間流加速》と呼ばれるパワーでしょう。自身の時間の流れを一時的に加速させる能力です。

  時間流の異なる他の意志ある生物へ影響を与えることは出来ませんので攻撃には転用できないと思いますが、移動には有用です。

  ですがトーリさんにしたように移動直後に時間流を戻して攻撃をすることは可能ですし、楽観視はできません。

  直前の攻撃動作に注意すれば不意を突かれる可能性はなくせるはずですが──問題はトーリさんへ行われた攻撃です。

  《ディスジャンクション/魔法解体》は第九階梯の秘術呪文、それを行使することで魔法の加護を全て砕き、

  そこに《マイクロコズム/内宇宙への放逐》という強力な精神作用を引き起こすパワーを使用しています。

  相手は最上級の秘術呪文と超能力を極めた魔人です。技量も継戦能力も瞬間火力も相手が上と見ていいでしょう。


──そんなことはいい。それよりもその《マイクロコズム》ってのは何だ?

  一刺しされたくらいでくたばる奴じゃない、それが一瞬でまるで紐の切れた操り人形みたいな有様だ。あれでまだ生きているのか?


──精神に作用して、知覚を現実世界から切り離すパワーです。いまトーリさんの五感はすべて捏造された心象世界へ隔離されています。

  その切り離しが行われた時点でパワーは終了していますので解呪は出来ません。放置しておけば死亡するまで衰弱していくだけです。

  治療する手段は再度《マイクロコズム》の対象とするか、最高位の司祭による《ミラクル/神の奇跡》等で精神の混線を取り除くしかありません。


──それは私に任せてほしい。でもそのためには、あのマインド・フレイヤーから彼を取り戻す必要がある。

  触れなければ念威の障壁に阻まれて干渉することは出来ない。


絶望的なメイの返答に対し、ルーが告げた。コーヴェアの文明世界ではシルヴァー・フレイム教会の最高指導者、"炎の護り手"ジャエラ・ダランがその神域内でのみ行使可能といわれる神の奇跡と同等の行為を可能であると言ったのだ。だが仲間たちは今更その程度のことで驚くようなことはない。彼女たち自身もその階梯の一歩前までは至っているという自信がある。ならば自分たちの先に立っているこの少女がそれを為した所で当然のことだと考えているのだ。そして真っ先に動き始めたのは最速を誇るライカンスロープの少女だった。


──成程。アイツをぶち殺してしまえば問題解決ってわけか、話が早い。


ラピスが宙を疾駆する。先ほどのエレミアよりも速く、さらに影と一体化したかのような気配は近づかれる側の距離感を狂わせる技巧が織り交ぜられている。そして一気に詰め寄った彼女が繰り出したのは《魔法的防御貫通》による一撃。例えどれだけ強固な護りをしていようと、あらゆる呪文やパワーの効果を打ち消す解呪の一撃を受ければその全ては無に帰す。この一撃で倒すことは出来なくとも、続く仲間の攻撃でこのマインド・フレイヤーを倒せればそれで良い。予知に近い知覚も視界を捻じ曲げるほどの反発の力場も無効化して、黒塗りの刃がマインド・フレイヤーへと突き立つ。


──手応え有り!


急所でこそないものの、そのローブを貫いて体深くにショートソードを突き刺さしたラピスは自らの攻撃の成功を確信した。突き刺さった刃はその犠牲者に付与された秘術的・超能力的パワーを乱し霧散させる。どれだけ強力な術者であろうとも、《魔道師退治》の専門家である彼女の接近を許せばあとは呆気ないものだ。この攻撃ではマジックアイテムによる守りを無効化することは出来ないが、このマインド・フレイヤーのトーリに匹敵する鉄壁の守護の大部分はその強力なサイオニック・パワーによるものだ。後は続く仲間達に任せればいい。

だがその刃を引き抜いた直後、再びマインド・フレイヤーを中心に暴力的な強度の防護呪文が展開された。その強度は直前までとなんら変わりない。さらに驚くべきことに先ほどの攻撃で与えたはずの傷さえなく、黒いローブに付着していた血液の痕跡すら残っていない。


「ふむ、ダイア・キャットのライカンスロープの脳は未だ味わったことがなかったか──珍味であろうな」


脳喰らいの触手が、驚きに体を固めたラピスの頭部へ巻き付こうと蠢動する。攻防の双方に展開された《プレコグニション》がラピスの退路を断つように触手を誘導し、彼女を拘束する。付与されていたはずの《フリーダム・オヴ・ムーブメント》は《シズム》によって分割された思考から放たれたパワーにより解呪されており、その機敏さは予知に上回られ、彼女は逃れる術を失っていたのだ。


「ラピスちゃん!」


メイが《ディメンジョン・シャッフル》でラピスとフィアの位置を入れ替える。体躯の違いからかライカンスロープを捕えていた触手はドラウの少女に触れることなく宙を掴み、対してフィアの放った斬撃はマインド・フレイヤーを捕えた。それは先ほどラピスの放ったと同様の《魔法的防御貫通》──だが同じ事象が繰り返し、霧散したはずのパワーは時間を巻き戻したかのように再構築される。


──《テンポラル・リーイタレイション》で自分を数秒巻き戻しています。

  《魔法的防護貫通》と同時に攻撃を加えなければ時間を遡ることで無かったことにされてしまいます……!


──了解。僕とフィアで先行する。エレミアは止めを頼む、タイミングを合わせるんだ!


イスサランのパワーを看破したメイの念話を聞き、前衛の3人が再び宙を駆ける。だがマインド・フレイヤーはその初動を制するように動き出す。もっとも近くにいたドラウの少女へとその銀の大剣を振り下ろしたのだ。圧倒的な予知精度に支えられ、最適化された斬撃線はフィアの回避行動を全て網羅し、さらには受けに使用されたショートソードをすり抜けるように少女の体へと斬りこんだ。

肩の正面から入り込んだ剣先は背中をも切り裂きながら少女の心臓を狙う。フィアは咄嗟に体を捻ったが、銀光は彼女の肺を切り裂いて下へと抜ける。その刃が通った部位だけでなく、周辺の臓器すらも食い破って赤い花が咲く。掠めただけの部位すらも重傷を与えうるほどに、剣自体のみならずその周囲の空間すら切り裂くほどの念威が込められているのだ。

だが即死でなければ、彼女の信仰心から発される癒しの力が即座にその体を癒す。間合いの中にマインド・フレイヤーが留まったこの瞬間こそが、逆に好機となる──だが耐えきったと思ったその直後、その細い首から鮮血が迸る。《ヴォーパル/首刎ね》と呼ばれる、現代ではすでに製法の失われた凶悪な剣の異能が彼女を撃ったのだ。頭部を切り離すというその単純にして強烈な効果はドラウの少女の命を即座に刈り取った。

そしてその攻撃の直後、すでにイスサランの姿はそこにない。自らの時間流を加速させ、その場を離脱したのだ。一足の距離からは程遠い間合いを確保してイスサランは元の時間の流れへと帰還する。再び正常な刻みを取り戻した時間の中で、鮮血を撒き散らしながらドラウの少女が首と胴に分かれて墜落していく。


「ここまでの戦力がこの日、この場所に集っていてくれて私は大変嬉しく思う。

 過去この地を訪れたデルキール達も、これほどの素材に巡り合うことは無かっただろう!

 この運命の巡り会わせを、偉大なる我が神に感謝せねば!」


マインド・フレイヤーの喜びの思念が、異界と化した"トワイライト・フォージ"の深淵に響き渡る。時間すら望むままに歪める狂気の使徒が、その歪な感情を振りまいてその牙を剥いて彼女たちに襲いかかった。








ゼンドリック漂流記

6-11.ナイトメア(後編)








そは万物の狭間に横たう空間。
そはあらゆる次元に通づる道なり。
そは汝が何処にも在らざる時に在る場所なり。


澄み切った銀色の空が広がる果てしない世界。大きな管状の雲が遠方でゆっくりと渦を巻き、そのいくつかは入道雲のように見えるものがあれば、灰色の風巻く竜巻のように見えるものもある。

そんな無限の空に漂う船団があった。全長30メートルほどのキールボートが、集団となってこのアストラル界を旅している。複数の船が連結し、居住区画となったその船団の周囲を自由に動き回る単艦の船たちが動き回っている。大地の存在しないこの次元界においては何者もが流浪の民なのだ。時に遭遇する他の次元界からの来訪者や原住のクリーチャーを備え付けられたバリスタや衝角で、または正甲板を担当する乗組員が投射する秘術などの攻撃で打ち倒し、あるいは別の船団と交流して交易を行う。

そうやって自然的な時間の流れを有さないアストラル界においても無限と思えるような時間が過ぎ去った後、その船団は前方に巨大な物体を発見する。いちめんが腐植土と苔に覆われた巨大な土くれの塊。数十キロにも及ぶその発見物──"大地"は彼ら流浪の民の生活に革新をもたらした。無重力のアストラル界において局所的に重力を有し、堅牢で建築物の土台と成りえるそれは彼らに初めて確固たる拠点を持つことを可能にしたのだ。

数多の同族がそこに集結し、共同体は肥大化していった。やがてそこは10万を超える住人を抱える大都市となり、偉大な宗教的指導者である"女王"の元に国家が建設される。過酷な生活に由来する気質は定住によっても変化することなく、日常を訓練と戦闘に費やす軍国主義はアストラル界においてその勢力を拡大し、同じような漂流物を核とした都市、城塞、砦がいくつも築かれていった。

だがその千年王国はやがて潰える。始まりは女王が"大地"に眠る強大なパワーに目を付けたことだった。彼女らが足場としていたのは"死せる神格"の肉体であると考えられていた──だが、実際にはそれは死んでなどいなかったのだ。当時すでにリッチとなり一定以上の強者となった同胞の精髄を貪り食い、競争相手を排除すると同時に永遠の命を得ていた女王はその深淵に眠る神のエッセンスを利用することで自らが神格への階を上ろうと画策したのだ。

しかしその野望は半ばにて潰える。若き英雄が銀の大剣を振るい、仲間を率いて女王を討ったのだ。しかし首だけとなった不死の女王は滅びの間際に呪詛を放つ。それは昇神のための儀式によって接続されていた回路を通じて"大地"へと流れ込み──眠れる神格を蘇らせた。そして万物にとって不幸だったのは、その神が最も古く、そして最も狂った神であったということだろう。

狂える神は未だ眠りについていたが、その状態で放たれた精神波はその体表に存在する都市すべてに影響した。狂気の夢の中で揺蕩う神の思考の揺らぎに応じるように物理法則が歪み、住人の肉体を含めたあらゆる存在が歪んでいく。赤子を抱いている腕は癒着し、あるいは掌に生まれた口が柔らかなその肌を食い荒らす。瞬きするたびに眼は分裂し、収まりきらなくなり溢れた眼球が零れ落ちて割れる。その血と体液のスープからはいずことも知れぬ空間に繋がった口が生まれ共食いを始める。豪奢な王宮を含めたすべての構造物は石か灰へと転じ、耳にする音はすべて悲鳴か狂気に満ちた笑い声のようだ。

その変異は果たしてどれだけの間続いたのだろうか──永遠に続く狂気の抱擁によって肉体が変質してもなお生き延びたのは千に一人に満たないほどの割合であった。似通った姿をしたものは一人とていない、異形の生命体群。そしてそれらはこの都市の上ではお互いが融合し、新たな形質を得て分裂するように増殖していく。やがてその狂気は伝染するようにアストラル界を伝播し、周囲の都市、城塞を巻き込んでいく。


──そう、これが我らが故郷"ゾリアット"の始まり。


脳裏に響いたのは聴き馴染んだ脳喰らいの声だ。若き英雄はその類まれな生命力から命を長らえ、触手の生えた異形へと転じていた。やがて近しい分裂体との融合で生まれた"幼生体"による増殖が可能となったその種は、かつての生活に戻るように船に乗りアストラルの海へと乗り出していった。

狂気の伝播から免れたかつての同胞を捕えては奴隷とし、あるいは幼生体の苗床とし、またあるいは食料として食い散らかした。寿命で、または戦場で倒れた同種の脳を秘術的に結合し〈長老脳/エルダー・ブレイン〉と呼ばれる存在へ生まれ変わらせ、生活の核としたその存在こそがマインド・フレイヤー。アストラル界を蹂躙する無慈悲な脳喰らい達。

彼らはかつての同胞達との争いの中でその勢力を拡大し、やがてアストラル界の渦を通じて別の次元界を見出す。それは夢の次元界。そして狂気の神の感覚器の一つである彼らが発見した渦を通じて、夢へ狂気がなだれ込んだ。


──狂気の神の意識はやがて『夢の領域』へと感染し、その相を悪夢へと転じさせた。


黄昏特有の薄い紫色に包まれた世界が、闇よりもなお深い黒に塗り潰されていく。多くの住民が逃げ出そうとするが、逃げ場所となる別の次元界からの抵抗は激しくその大部分は脱出が間に合わず狂気に飲み込まれていった。そして変質した住人達はその直前まで抱いていた欲求のままに、隣り合う次元界──物質界へと雪崩れ込もうとする。そしてその住人との間で戦争が勃発した。激しい戦いは物質界の住人が放った大魔法──"リーヴァーズ・ベイン"によって軌道が歪められ、『悪夢の領域』が物質界より遥か遠方へと弾き飛ばされるまで続いた。

それにより戦争は終わった──だが、狂える神はその悪夢を通じて物質界へと触れたことでその意識を取り戻し覚醒した。そしてついに目覚めた神は自らの肉体を動かし、物質界──エベロンへと侵攻を開始した。自らの感覚器を端末として送り込み、世界を蹂躙する。


──そして神の御手はついにこの世界へと触れる。


その触覚が触れた物質は石と化し、
その視覚が映した生命はその姿を歪め、
その嗅覚が嗅いだ匂いは万物を腐食させ、
その聴覚が聞いた音は精神を狂わす旋律となり、
その味覚はあらゆる存在を喰らいつくそうとした──


それは受容器であるはずの五感が、逆に世界を捻じ曲げていくという狂気の侵攻。神の一側面を司る感覚器達はその本体が司る権能を存分に発揮した。さらに顕現地帯を通じてゾリアットの中心部で変異を繰り返していた異形の種子がばら撒かれ、それらは現地の生命体と結合して新たな花を咲かせる。そして感覚器によって歪められた生命体として、現地の生物を粘土をこねるようにして混ぜ合わされたドルグリムやドルガントといった新たな異形達が地上を埋め尽くしていく。

当時コーヴェア大陸を支配していたダカーン帝国の英雄たちがその力を結集し、ナイン・ソードと謳われた武技の使い手たちが戦争で多数の異形の王を打ち破るも、彼らが殺す勢いよりも新たな異形が生まれる速度のほうが速かった。大陸西部は食い破られ、住人は生きながらにして異形へと変貌させられていく。最終的に彼らは乾坤一擲の作戦として神の化身達を地下世界"カイバー"へと誘い込み、その間にゾリアットとエベロンの繋がる顕現地帯をオークの秘術の助けによって封印することで侵略を防いだ。だがその戦いからナイン・ソード達は戻ることなく、荒廃した国土を抱え軍閥の長を失ったダカーン帝国は衰退していく──

そして感覚器からの情報が遮断されたことで再び神は眠りについていた。だがそれはかつてのように深く長いものではない。半覚醒のまま、夢の領域に留まるその意識は今もなおエベロンにその魔の手を伸ばしている。なんらかの強い刺激があれば神は再び目覚め、その肉体を動かし始めるだろう。エベロン側に設けられた顕現地帯の封印は容易く弾け飛び、異形の軍勢が世界を蹂躙する。そして1万年の間、カイバーで自らの眷属を増やしていた異形の王や神の感覚器──デルキール達も地上へと溢れかえってくるだろう。


──そしてその時は間もなく訪れる。


脳喰らいの声と共に、視界が切り替わる。異形の軍勢が地上を満たすおぞましい未来から、現在の"トワイライト・フォージ"の奥の間へ。俺の体を肩に担いだままのイスサランが、銀の大剣を振るって仲間達を切り刻んでいる。負傷や解呪を受けても自分の時間を巻き戻すことで無かったことにし、自身は隙あらば《ディスジャンクション》で全ての魔法効果を破壊したのちにサイオニックか剣によって攻撃を加える。《ヴォーパル/首刎ね》が付与されたそのグレートソードはどれほどの呪文で身を護っていても一撃で命を刈り取ってしまうだろうし、《ディスジャンクション》によって精神作用への耐性を削がれてしまえば圧倒的な精神力から放たれる超能力に抵抗することは出来ない──まさにエグザルフの位階に相応しい、一方的な戦いぶりである。


──あの素晴らしい素体達から抽出したエッセンスを注ぎ、私がお前を完全な存在に昇華させよう。

──"ブレード・オヴ・ラグナロク"からは万物を死の宿命に至らしめる斬撃を。

──"ミスティック・シャドウ"からはその幸運と神秘を。

──"デミゴッド"からは神格に至る霊格の火花を。

──"エターナル・ヒーロー"からは永劫に回帰する不死性を。

──そして"チョウズン"からはその宿った神の欠片を引きずり出し、ゾリアットをこのエベロンへと繋ぐ階としよう。


仲間達が骸となって倒れ伏し、その中央へイスサランが舞い降りる。そして視界は沈み、"トワイライト・フォージ"を抜けてエベロンを見下ろす空の高みより落下を続け、地表を貫き地底世界へと進んでいく。次元界の海からエベロンを見下ろした際に感じた厚みを越えてなお続く地底の世界の連なりは無限に連なる奈落を思わせる。そのうちいくつかの層には支配者が蒼い炎に絡まれながらも君臨し、地上に現れる機会を窺っている──


──カイバーに眠る邪魔者共を駆逐し、地底竜が飲み込んだ"究極の一"をこの手に収め、世界を終わらせるのだ──


そこに封じられたどんなクリーチャー達もが立ち入ったことがないほどの地底の奥底。呪縛をその性質とする始原3竜の1柱、カイバーの心臓に位置する究極の深淵、そこにそれは存在した。赤であり、青であり、白であり、緑であり、橙であり──万色であるが故に黒い光を放つもの。欺きであり、憤怒であり、狂気であり、苦痛であり、傲慢であり、強欲であり、憎悪であり、堕落であり、破壊であり、腐敗であり、あらゆるデーモンとデヴィルの苗床であるもの──"シャード・オヴ・ピュア・イヴィル"


「まさか──お前の神は!」


──然り。


タリズダン。
俺の問いかけに即座にイスサランの念が応えた。"鎖に縛られた神"、"古き元素の目"と渾名されるその神は、別の宇宙観世界においてその罪から暗黒の次元牢獄へと封じられたはずだ。他の全ての神を敵に回して策謀を巡らし、敗れて封じられた"狂える神"。その神が"悪の欠片"を再び手にすれば、世界は絞りつくされるようにして消滅するだろうと言われている、生きとし生ける存在にとっての仇敵。それが『狂気の領域:ゾリアット』の正体であり、イスサランの仕える神であると。つまりこの脳喰らいの目的は、この世界そのものの消滅ということになる──。


──生ある限り蓄積していく狂気はやがて肉体に宿る精神を歪めていき、心を歪曲する。

  だがこの世全ての生命に課せられたその宿命から、捕われし全ての存在を解放しよう。

  世界そのものを破壊するのだ!

  全てを終わらせることこそが唯一、この悪と狂気に満たされた世界より解き放たれる術なのだ。


いつの間にか俺の周囲を囲むように3体に分裂したイスサランが立っていた。強烈な思念波がそれぞれから発され、その只中に仰向けに倒れた俺はまるで物理的に押しつぶされそうな圧力を感じる。だが抵抗しようにも永劫に思えるほどの狂気を追体験させられた体にはまるで力が入らない。自分の輪郭が溶け出してしまったかのようだ。果たしてこれは俺の腕であったか? 指は元は何本だった? 左右は思った通りに反応するか? そもそも、目に映る色彩はこんなものだったか? 


──さあ、私にその身を委ねるが良い。あるべき姿、あるべき力を取り戻すのだ。


イスサランの生やす触手が撓めき、その奥に覗くヤツメウナギのような口が露わになる。ヴォイド・マインド化──いや、もっとおぞましい気配を彼らからは感じる。だが四肢には力が入らず、満足に動くことも敵わない──いや、それは本当か? 心臓の鼓動は感じるか? 指先が動かないのであれば掌はどうか? 肘は曲がるか? 上腕はどうだ? 肩は回るか?──動く!


「付き合って、られるかよ!」


仰向けの状態から、肩だけを動かして転がるように移動。すると徐々に自分の体に意識が染み渡るような感覚があり、腹から腰、足へと感覚が繋がっていく。転がった勢いのまま立ち上がり、距離を取ってマインド・フレイヤーへと向き直る。


──まだ抵抗する力を残しているか。狂気を味わい足りぬようだな。


三対の視線が俺を捕えるや否や、タイタンの攻撃を受けても揺るぎもしなかった"トワイライト・フォージ"の床面が俺の足元から解けるようにして崩れると触手となって俺へと伸びてくる。床だけではない。壁や柱といった構造物すべてが解けるようにして触手となり俺へと伸びるその様子は邪悪な原生林だ。あるものは牙や口、あるものは眼球をその表面に散りばめた異形の束縛となって俺へと向かいくる。

切り払おうと腰の剣を抜こうと手をやると、ぬちゃりとした粘液質の手応えが返る。慌てて鞘ごと放り出した武器は見る間に巨大な口をはやした蚯蚓のような姿へと転じ、触手に絡めとられて視界の外へと消えていく。いや、武器だけではない。羽織っているグラブやローブ、レイメントすらも生きているかのように騒めき、不快な感覚が全身を包もうとしている。その違和感に足を止めた俺へと触手が殺到した。

首までを締め上げるように覆い尽くした触手が俺を持ち上げ、イスサランの前へ突き出すように俺を運ぶ。そうしている間も、四肢の指先から徐々に感覚が削られていくのが判る。そこに痛みはない。むしろ甘い感覚が思考を鈍らせる。例えるならば窮屈な空間から大海に放り込まれたかのような解放感と一体感。そこから伝わる感覚は既にないはずなのに、向こう側へいった自分の欠片が挙げる喜びの喝采が聞こえてくるかのようだ。


──逃げ場はないぞ、受け入れるのだ。それが調和。万物を一つとし、最後には無へと帰す──


3体のマインド・フレイヤーからの声が周囲から押し包むように俺を圧迫する。四肢はもはやピクリとも動かず、残る体も徐々に感覚が薄れていっているにも関わらず頭部だけは異常が見られないのはイスサランの温情か、それともこちらの精神を侵食するために五感を残しているためか。だがいずれにせよ、口が動くのであれば言う事は一つだ。


「もう一度言うぜ──お断りだ、タコ野郎。人間がお前の足元に這いつくばると思ったら大間違いだ」


再び拒絶の言葉を叩き付け、少しでも力が通う体の部分を動かしそこから返ってくる感覚の反応を頼りに自我の境界線を引き直す。それは自分の体だけに留まらない。身に着けている装備や絡みつく触手、それらのマヤカシ全てを打ち払い、マインド・フレイヤーと相対する。


──驚くべき精神力だな。だが無意味だ。抵抗は苦しみを長引かせるだけに過ぎぬ。我が支配からは逃れられぬぞ──


あくまで余裕の姿勢を崩さないイスサランだが、こちらも自分の状況を把握している以上抵抗をやめる気などさらさらない。《マイクロコズム》は確かに五感を遮断し、イスサランの創り出した幻想世界に俺を取り込む恐るべきパワーだ。だがそれを俺がそうであると認識できている以上、偽りの感覚で俺の心を折ることなどそうそう出来はしない──そう、俺は五感以外の手段で自分のステータスを確認することが出来るのだから。

レベルアップ作業以外にも閲覧しているキャラクター画面は、様々なデータを伴っている。戦闘ログこそないものの、自分の状態を大雑把に確認するには十分だ。直前に《ディスジャンクション》の呪文で全ての付与呪文が破壊されたことで現実世界でどれほどの時間が経過したのかは解らない。だが現実の肉体が衰弱死しておらず、疲労状態にも陥っていない以上何時間も経過していないことは間違いない。

だが五感の入出力すべてをマインド・フレイヤーに制御された状態でどれだけ抵抗を続けられるかは正直わからない。それにこの仮想空間の時間の流れすら通常と異なるであろうことは明らかだ。先ほど俺はアストラル界を旅するギスの一団が狂気に囚われ、このエベロンを訪れるまでの歴史を追体験させられた。体感時間的にはそれは何万年もの期間に相当するだろう。だが現実の時間は下手をすれば数秒しか経過していないこともあり得るのだ。

であるからには仲間の助けを待つだけでなく、自分に出来ることを探さなければならない。そもそもこのイスサランは、カイバーに封印されたオーヴァーロード達を除けば最も強大といえる悪のエグザルフ、しかもオーヴァーロードではなく実際に神に仕えているという意味ではその中でも突き抜けた存在であると言えるだろう。

彼より強力と言える存在はこの世界を神話の時代から遡ったとしても太古のデーモンの上帝30柱そのものかデヴィルの9君主、そして6体のデルキールくらいのものだろう。いかに仲間達が数で優っているとはいえ、先ほど見せつけられた幻視の通りに一方的に蹂躙されることもあり得るだろう。

だが今の俺は五感を遮断され、体を動かすことはできない。こうして思考することは出来るのはイスサランが俺を懐柔しようとしたためか、それとも狂気を見せつけることで昏迷させようとしたことに抵抗できたためかは不明だ。だが今のこの状態で俺が出来る事は──そして俺の思考に天啓ともいうべき閃きが走った。




† † † † † † † † † † † † † † 




「お前たちの力はそんなものか? 私の手を煩わすほどの価値もないとあれば、すぐにでもメイン・ディッシュに移らせてもらうぞ。

 さあ、文字通りの死力を振り絞って見せよ!」


空中に浮かぶマインド・フレイヤーはまるで余技だとでもいわんばかりの気楽さで最高位階の呪文を乱れ撃つ。それは異なる世界では《モルデンカイネンズ・ディスジャンクション》と呼ばれる、あらゆる魔法効果を破壊する究極の一。一たびそれを受けて精神作用への抵抗を失ってしまえば、巨竜さえも昏倒させる《マイクロコズム》が仲間を撃つだろう。あるいは負のエネルギーへの耐性を失えば《ステュギアン・コンフラグレイション》のパワーにより全ての生命エネルギーを吸い上げられて枯死させられてしまうかもしれない。

その一挙動どころか呼吸一つ、瞬き一つすら見逃すことは出来ない。メイは敵の呪文が放たれるタイミングに割り込んで壁を創造し、味方を移動させることで暴虐の嵐から仲間を守っていた。本来であれば最高位の術者でも数発しか放ちえない第九階梯の呪文を、すでにあのイスサランは十度を越えて使用している。超能力によって分離された意識体と本人、そして高速化された秘術から繰り出される数々のパワーの前に、《豪胆のドラゴンマーク》によって神経伝達を長時間に渡って高速化させることのできる彼女であってすら限界を超えるほどの呪文戦を強いられていたのだ。ルーやラピスのサポートなしでは抗しえなかったであろうことは明らかであった。そのうえで、敵はまるでこちらの実力を見定めようとしているかのように見える──手加減されている、ということが見て取れるのだ。

通常あり得ないほどの高次秘術の連打、そのカラクリは既に判明している。イスサランは呪文を行使したのち、時間を巻き戻すことで『呪文を使用する前の自分』で自分を上書きしているのだ。勿論それほどのパワーを行使するのに少なからぬ代償をマインド・フレイヤーは支払っているだろう。だがこの戦場に置いてはその暴虐が場を支配している。

時間を巻き戻すだけではなく、自在に加速させることでまるで瞬間移動のように任意の位置へ移動を繰り返すイスサランを前衛達は間合いに捕えられないでいる。前線をコントロールする役割を担うフィアが真っ先に落とされたことは、《魔法的防御貫通》を使用可能な人数が減ったこと以上に痛恨である。人数上は圧倒しているにも関わらず、完全に押し込まれている。時間を操作することで何倍もの戦闘力を、こちらよりも遥かに持続的に発揮し続ける。そして放つ呪文を一つでも通してしまえば、そこから均衡は一気に崩れてしまうだろう。

理性的に考えればここまで不利な戦闘であれば、余力のあるうちに脱出して再起を図るべきだ。今であればフィアの遺体を持ち帰って蘇生することも出来るだろう。だが、そういた場合にただ一人の犠牲となる仲間のことが彼女に退路を断たせていた。仲間の誰一人とて、ここから脱出のために転移を行ったとしてもついてくることはないだろう。皆が懸命に今出来る最善を尽くして戦っているのだ。そしてその決定打を為すべきは、戦場のコントロールを任せられた自分である。自らの持つ有限のリソースで維持できる微かな均衡の残り時間を脳裏で計算しながら、彼女は一か八かの賭けに出るタイミングを計っていた。


(1……2……3……4……5……6……)


メイはイスサランの呪文を無効化しつつも、冷静に時を数えていた。イスサランによる自己の『巻き戻し』による上書き、それは正確に6秒前の自分へと遡ることだと彼女は既に看破していた。そして呪文の巻き戻りは6秒であるがほんの一瞬、パワーの行使のための時間がその合間合間に挟まれていることにも気付いていた。

イスサランがパワーの行使を意識するその瞬間。そこに重ねるように《魔法的防護貫通》を浴びせることが出来れば、イスサランの巡らせる『ループ』に割り込みをかけることが出来る。桁外れのサイオニック・エネルギーが費やされた防御陣、それを無力化することが出来なければこの魔人を打倒することは不可能だという判断だ。

それは間違いなく正しいと断言できる──だがそれは同時に極めて困難な挑戦だった。刹那でも早ければそれは巻き戻りと共に無為と化し、遅ければ次の巻き戻りで消えてしまう。当初の予定であった《魔法的防護貫通》の直後に残る1人が攻撃を加えるという作戦はイスサランの《コンテンジェンシィ》からの逃走により失敗に終わっており、通常であればその《コンテンジェンシィ》すら一度きりの仕掛けでしかないにも関わらず、巻き戻る時間はその非常用の備えすら再び脳喰らいに与えているのだ。有限を無限に近いほど引き延ばす時間操作。それを打倒するには、時を止めるほどの精度によって時間の流れに介入する他ないのだ。


(本当であれば非常時に脱出のために預かっていた指輪ですけれど……トーリさんごめんなさい。使わせてもらいますね)


高速化した思考を分割して一方を魔法具から秘術のパワーを引き出すことに、もう一方でイスサランの放つ高次秘術を無効化しながら彼女は時を刻み続ける。


「さあ、手持ちの"パール・オヴ・パワー"は残り幾つかね? 楽しい時間もそろそろ終幕が近づいてきたようだな!」


イスサランの呪文を妨害するために鉄や石が障壁となって林立するも、それらはマインド・フレイヤーが撒き散らす攻撃によって即座に破壊されていく。一瞬呪文行使の狙いを妨げるための壁となれば役割を果たしているとはいえ、それらを行使するためのリソースは有限だ。特に戦場の制御を主とするメイとルーはそういった呪文を多く用意していたが、ラピスはそうではない。魔人の言う通り、限界は近かった。

だが間もなく実行の時は訪れた。薬指に嵌めた指輪に輝く三つのダイアモンド、その一つがメイの願いを受け輝きを増した。《ウィッシュ》──高次秘術が現実を書き換え、あたかも最初からその位置にいたかのようにエレミアをイスサランの背後へと移動させる。呪文が発動する以前からすでに予備動作に入っていたエレミアの斬撃が狙い通りのタイミングでイスサランへと振り下ろされた。一年にも満たないほどの間柄ではあるが、その短期間に数多くの激戦を潜り抜けてきた者同士として、視線を交わすだけでお互いの意思疎通は完璧に行われたのだ。

巻き戻りの直後に隙無く《魔法的防御貫通》が打ち込まれたことでイスサランの護りが剥ぎ取られた。だがその強力なパワーは健在であり、ようやくこれでまともに戦うことのできる条件が整ったという程度に過ぎない。その強力なパワーによる再チャージを許すことなく攻め切ることが出来なければ待っているのは確実な敗北である。

ラピスの操作する短剣が群れをなして飛翔し、急所目がけて降り注ぐ。だがそれらの攻撃は全てイスサランの前で空間が歪曲されたかのように軌道を捻じ曲げられ、込められた秘術のパワーを炸裂させることなく散らされていった──まるで、直前までの護りを取り戻したかのように。


「ふむ、何を狙っているのかと思えば今のがそうだったのかね──残念だったな」


秘術の使い手であるメイには、今イスサランが何を行ったのかを理解することは出来た──だが、同時にそんなことが出来るはずがないとも思う。この魔人はたった今、本来であれば時間流を十数秒だけ加速させるに過ぎない《タイム・ストップ》の呪文を使用して24時間もの時間を加速させたのだ!

消耗した秘術などのパワーを再び準備するために必要な休息時間は一般的に8時間とされている。イスサランは自らの時間を巻き戻したのではなく、刹那の間を24時間へと引き伸ばし、十分な休息を取り、呪文の準備や付与などを終えてなお余裕を持ったまま再びこの時間の流れへと回帰してきたということになる。発動を妨害されぬよう、高速化までして行使されたそれは秘術の階梯に換算するのであれば第十九階梯相当という、知識の神ウレオンや暗黒魔法の神シャドウでもなければ不可能ではないかと思われるほどの文字通りの神技。

それを成したマインド・フレイヤーは今日この場で初めて見えたときよりもさらに力に溢れた状態で彼女たちの前に立っている。そして同じようなことをイスサランはこの先何度でも繰り返すことが出来るのだ。時間を巻き戻すだけでなく、極端に加速させることで一度の戦闘に無限のリソースを投入することが可能な神の代行者──その存在は、彼女の心に敗北を刻むに十分だった。


「そう、その感情だ──深い恐怖と絶望で満たされた脳こそが至高の味わいよ!」


喜悦の感情と共に加速したマインド・フレイヤーがメイの前へと瞬間移動したかのように出現し、その触手を蠢かせた。エレミアを移動させるために一時的な神経加速を行っていたメイは、それに対応することが出来ない。4本の太い触手がハーフエルフの細い首から顎、耳へと回り込みがっちりと頭部を固定する。メイの視界はその触手の付け根にあるヤツメウナギのような凶悪な口が開き、牙が粘液の架け橋を描く光景に埋め尽くされている。マインド・フレイヤーが得意とする脳摘出だ。

その牙が額に穴を開け、そこから吸い出すようにして脳を貪るのに要する時間はほんの数秒と言われる。だが徐々に近づいていくるその咢が迫ってくるのがメイには何十倍にも引き延ばされたかのように感じられた。ご丁寧に妨害が入らぬよう周囲には種々の障壁がいつの間にか張り巡らされている。これでは周囲からの助けも間に合いそうにない。


──だが、救いの手は予期せぬ方向から差しのべられた。


「──何、馬鹿な!」


直前までに迫っていた異形の口が突然驚きの声を漏らした。そして驚いたのはメイも同様である。彼らを突如《アンティマジック・フィールド》が包み込んだのだ──その発生源は《マイクロコズム》によって指ひとつ動かすことも適わないはずの男だったのである。

あらゆる魔法的効果が抑止された状態であれば、術者にしては高い筋力を有するメイもこの異形の触手に抵抗することが出来た。全ての触手とはいわずとも、一部でも振りほどくことが出来れば即死の脳喰らいを避けることが出来るのだ。高次秘術の打ち合いから一転しての原始的な力のせめぎ合い。メイを即座に葬ることが出来ないと判断するや、イスサランは触手を振りほどき脱出を計る。しかし自らが張り巡らせた障壁が密室となりトーリを投げ捨てたとしても《アンティマジック・フィールド》から逃れることは叶わず、またメイがその体を逃がさないようにと逆に抑え込んで来る。

そして、10数秒の後に断罪の刃は訪れた。《ウォール・オヴ・エクトプラズム》はルーが《デッド・フォール》によって創り出された空間の狭間から降り注ぐシベイ・ドラゴンシャードによって破壊され、《フォース・キューブ》はラピスの《ディスインテグレイト》によって砕かれた。そうやって切り開かれた道を通って、エレミアの剣舞がイスサランへと襲い掛かったのだ。

ウォーフォージドタイタン・ナイトメアを葬った剣が魔法抑止下のマインド・フレイヤーを切り刻む。頭部を10を超える断片へと切断し、胴体は心臓を初めとした臓器を徹底的に破壊し、四肢と首をそこから切り離してようやくその剣舞は停止した。切断面からは大量の血だけではなく、まるでイスサランが今まで啜った全ての脳漿を吐き出すかのように異臭を放つ物体が溢れ出す。

それらは外へと放出されたことで何万もの時を数えたことを思い出したのか、イスサランの肉体から離れるや光の粉となって消失していった。そうでもなければこの広間を埋め尽くすほどの流出物となっていたであろうその物量は、今までこのマインド・フレイヤーが喰らってきた知的生命体の犠牲の数を示していた。

そして放り出され、倒れ伏した男の元へとルーが近づいていく──




† † † † † † † † † † † † † † 




幻想の世界から解放され、取り戻した視界には俺に寄り添うルーの姿が映っていた。少し離れた場所にはフィアが無残な姿のまま倒れている。やはり犠牲なしに勝たせてもらえるほど容易い相手では無かったという事なのだろう。しかしすでに戦闘の空気は薄れ、狂気を放っていたマインド・フレイヤーはその無残な骸を晒していた。

どうやら俺の使用した《アンティマジック・フィールド》は無事に彼女たちに勝機を掴ませたようだ。呪文の発動に必要な要素全てを省略することで、念じるだけでその効果を発揮させる《呪文高速化》という技術。それが俺にあの状態での呪文行使を可能とさせたのだ。ショートカットキーに配置したアイコンを押すように意識することで、それは容易に行うことが出来た。イスサランからしてみればまさに想定外の不意打ちだったに違いない。

だが生き残った彼女たちの表情も硬い。何故ならば床にばら撒かれたイスサランであったもの──その破片が未だに不気味な脈動を繰り返しているからだ。断面からのぞく分断された心臓は送り出す体液を失ってもその脈動を止めず、細い枯れ枝のような指先は痙攣を繰り返している。切断された触手は自らの体液に身を浸しながらもビチビチとうねるのを止めない。このような状態になっていてもこのマインド・フレイヤーはまだ生きているのだ。

《ビーストランド・フェロシティ》と《ディレイ・デス》により肉体的なダメージを無視して戦闘を続けることが可能ではあるが、ラピスが《アンティマジック・フィールド》を展開している以上そういった魔法によるものではない。そして俺には一つ思い当たることがあった──それは言うなればゾリアットの呪いとでもいうべきものだ。

幻想世界で俺がイスサランに追体験させられたヴィジョンでは、"鎖に縛られた神"が復活した際に住人はその肉体を変質せしめられていた。明らかに生命活動を行えないほど変形させられたまま、融合と分裂、変異を繰り返すという地獄。それを潜り抜け最終的に残った数十体の異形の始祖ともいうべき存在達は、言うなればその神の呪いが凝縮して誕生した肉体から成り立っているのだ。

定命の存在が操る魔法はアーティファクトと呼ばれる神器や神格には作用しない。イスサランの不死の呪いが神によるものであれば、それは《アンティマジック・フィールド》では抑止できないのだ。だが不死のみが呪いであり、再生は含まれないというのはなんという悪意だろうか。その断片からは、筆舌に尽くしがたい痛みに悶える脳喰らいの感情が迸っている。


「《ディスインテグレイト》も《フレッシュ・トゥ・ストーン》も効きやしない。

 細かく刻むことはできるけど、時間稼ぎにしかならなさそうだよ。どうする?」


既にそういった呪文による無力化を彼女たちは試していたようだ。そして万が一この状態で超能力を発動することが可能だった場合に備えて、《アンティマジック・フィールド》をいつでも行使可能な状態でラピスは待機していた。彼女たちからしてみれば五感を切り離されていた俺が呪文を行使してみせたのだ、それ以上の化け物であるイスサランがこの状態で超能力を発動するかもしれないというのも当然の発想だろう。


──全てを終わらせることこそが唯一、この悪と狂気に満たされた世界より解き放たれる術なのだ。


イスサランの言葉が脳裏に蘇る。この異形は死を望んでいたのだろうか。通常のそれが叶わないがため、世界そのものを破壊するという手段に出るしかなかったということだろうか。

コルソスの封印施設まで運び氷漬けにするという選択肢が思い浮かぶが、頭を振って否定する。この異形が氷漬けにしたことで動きを止めるかが不明であるし、万が一あの災厄級のクリーチャーに呪いが伝播するようなことがあれば島は滅んでしまう。ならばどこかの火口にでも放り込むか、といってもそれも結局はその場に生息する生物に対する影響が発生しうる。この世界にはレッド・ドラゴンを初めとして火に完全耐性を有する存在はそれなりにありふれており、同じようなどんな過酷な環境であってもそこに適応して生きている生物がいるものなのだ。

この場に放置していけばそのうちこの肉片は再生し、イスサランは蘇るだろう。その時、先ほどと同じ手段で彼を倒すことは出来ないだろう。次に相まみえた時に勝ちが拾えるとは到底思えない。

エレミアの『神殺し』が再度使用可能になるまでこの場で休息を取り、それによって彼を滅ぼすことが出来るかどうかを試すというのが最も有効そうな手段であろう。既にウォーフォージド・タイタンの”スキーム”を破壊したことでエベロンにおける脅威は取り除いたと考えていいはずだ。もし時間の流れが歪んでいたとしても、そのくらいの余裕はあるはず──。

そんな俺の考えをあざ笑うかのように、この”奥の間”へと再び狂気の領域のヴェイルが覆いかぶさってきた。ウォーフォージド・タイタンを破壊した際に消え去ったかのように思っていた空間の層が、視界を不明瞭なものへと転じさせる。イスサランがこのような状態になっても継続するということは、これは一時的な変化でなくこの場に起こされた恒久的な変化ということなのだろう。だが少しの違和感が俺に囁く。呪文行使に造詣の深いメイに視線をやると、彼女も同じ考えに至ったようだ。低難易度の呪文を発動し──そしてその制御が先程よりも困難になっていることに気付く。


「この空間はゾリアットに近い位相に変化されられていたのではなく──ゾリアットに向かって移動することでその影響を受けているようです」


メイの言葉が重く響き渡った。どこまで先を読んでいたのか、あるいは備えていたのか──このマインド・フレイヤーは《ジェネシス》の呪文あるいはパワーでこの”トワイライト・フォージ”を支配下に置き、エベロンとダル・クォールの狭間からゾリアットへとこの工廠を動かしていたのだ。おそらくは道中の戦闘も彼にとってはいい時間稼ぎに過ぎなかったのかもしれない。そして俺達がこの工廠に来るときに使用したポータルがその影響を受けて使用できなくなっている可能性は高い。自分が破れても最後には”トワイライト・フォージ”ごと俺たちをゾリアットに突入させることであの狂気に俺たちを晒し、目的を達するつもりだったということなのだろう。その想像が正しいかは不明だが、いずれにせよどれだけ時間が残されているかは定かではない現状では、のんびりと休息をとっている時間がないであろうことは確かだ。

細かく裁断されたイスサランの肉片をホールディング・バッグなどに放り込むというのは危険だ。今の状況だからこそ咄嗟の事態に《アンティマジック・フィールド》で干渉することが出来るが、異空間に放り込んでしまえばそうもいかないだろう。俺のブレスレッドに放り込もうにも、それぞれの肉片が別のアイテムとして扱われるためにとてもではないが全てを回収することは不可能だ。かといって欠片一つ残せばそこから再生してしまう可能性も捨てきれない。

このままゾリアットに突入しその後帰還の方法を模索するか、イスサランを放置する危険を冒してこの場を離れるか。リスクが大きいのは勿論前者だ。『門を護る者』達がゾリアットを遠ざけるために守っている封印が、俺達がエベロンに帰還することを妨げる。帰還する手段は唯一つ、モンスター・マニュアルⅢに記載されているゾリアットに住むマインド・フレイヤー達が有している次元間渡航技術を奪うことのみだ。

だがもし彼等を産みだした神の呪いがまだ残っており俺達にも作用するのであれば、それは目の前のイスサランのように自殺すら許されぬ永劫の苦しみに身を投げ出す行為となる。ならば危険を承知でイスサランを回収し、エベロンに戻るのが今選ぶことの出来る最良の手か。前者の手段は逃げ遅れてからでも取れるのだから。


──既に手遅れよ。我が神の腕が汝らを抱擁する。物質界を包むゲートキーパーどもの結界は優秀だ。

  この工廠を訪れた時点で、汝らの敗北は決定していたのだ──


苦痛を垂れ流していたイスサランの思念波が、突如その意識を覚醒させたかのように明瞭な言葉を為した。


「チッ、もうお目覚めかい!」


ラピスが《アンティマジック・フィールド》を展開し、エレミアと二人で纏まりつつあった肉片を再び細断していく。だがマインド・フレイヤーは苦痛を垂れ流しながらも、その思念波を止めることは無かった。


──我が手によって至高の芸術を創り得なかったのは残念ではあるが、お前たちがどのように変質していくのかを眺めているのも一興よ。


イスサランの言葉を無視して《ウィッシュ》による転移を試みるが、それはダイアモンドの輝きを無為に曇らせただけの結果に終わる。それもそのはず、《ウィッシュ》や《ゲート》の呪文でエベロンに侵入できるというのであれば、物質界は既に侵略者に蹂躙されきっているだろう。すなわちすでにこの”トワイライト・フォージ”は既にゾリアットの領域に完全に囚われてしまっているということになる。

《マイクロコズム》の中で見せられていた幻覚のように、壁や支柱が波打ち始める。人型生物のものに似た口が生まれ、狂気の賛美歌を奏で始めた。最初は一つしかなかったそれは、空間を満たす層が揺れ動くのに合わせるように分裂し、支柱の表面を埋め尽くすように増えていく。それだけではない、壁には眼や耳が生え始め、それらの隙間からは毛のように触手が伸び始めてきた。


──だが、それらは突如広がった星空の輝きの前に消え失せる。


ルーがその身を中心に世界を塗り替えたのだ。冒涜的だった床や柱といった構造物は生命力あふれる森へと上書きされ、天井は消滅し星の輝く夜空が広がる──そしてその星々の中にあってひときわ光を放つ月が天頂に輝いた。


「──この場は私達が引き受けよう。死すべきものにその運命を与え、在るべきものを在るべきところへ送り届けよう」


ルーの言葉を受けて月がその放つ光を強めると、その輝きに呼応するように倒れていたフィアの遺体が暖かな白い光に包まれた。離れていた胴体と首をそれぞれ中心に光は膨らみ、やがて交わるとそこにはドラウの女性があった。倒れていたドラウの少女の面影を残す彼女はフィアの成長した姿なのか。頭一つ分ほど背を伸ばした彼女は右手を振り上げると、月に向けてその掌を突き出した。

頭上に輝く月が、徐々に真円からその姿を変えていく。その放つ光を凝縮したかのように面積を減らし、弧状となった月は空から滑り落ちるようにしてフィアの手に収まった──文字通り、空から切り取ったようなそれは三日月をあしらった柄を有する長剣。


「──月が闇夜を照らすために鍛えた刃。今の身に扱えるは僅かな片鱗に過ぎねども、その身を安らかな夜の抱擁に誘うには足りよう」


一目見ただけで、その刀身が放つ圧倒的なオーラを感じることが出来た。クレセント・ブレード──それは彼女たちの神『イーリストレイ』が母たる蜘蛛の女王『ロルス』を滅ぼすために鍛えた刃、神殺しのアーティファクト。彼女たちの血脈に宿ったそれを剣技に昇華したのがエレミアであるとするならば、そのアーティファクトそのものの片鱗を宿したのがフィアリィル・タールアということなのだろう。その姓の意味する『聖なる刃』という言霊が、彼女の存在そのものを示している。

ラピスの展開する《アンティマジック・フィールド》を切り裂いてなおその光を放ち続ける刃が振るわれる。実際には肉片の上を刃が通過しただけで、触れたわけではない──にも関わらず、不気味な脈動は停止する。それだけではなく、それぞれの肉片は光の粉となって崩れ落ちる。森を駆け抜ける風に煽られてそれらが舞い上がり、宙に溶けて消えるのを見届けてからルーは再び言葉を告げた。


「私が今から物質界へ通じる門を開く。そこを通じて物質界に戻ることが出来るでしょう。

 でも、気をつけて。強い力で開く門は、その繋がる場所を定命の存在の力では制御することはできない。

 強い意志で、自分たちの『戻るべき場所』を思い描いて」


その言葉を終えるや否や、ルーの体の内側から優しい光が膨れ上がった。数多い神格の中でも、『イーリストレイ』と他一柱のみが有する権能。かの女神がこの地にルー達を送り込んだのと同質の力、神が司る『ポータル』の概念が彼女の肉体を通じて奇跡として顕現しているのだ。

イスサランの言葉通りであれば、彼女はその内面に死せる女神の『アスペクト』を宿していることになる。その権能を今ルーは行使しているということになるのだろう。だがそんな力を使用して、果たして彼女は無事でいられるのか?

だがそれを問う暇もなく、広がる光が俺たちを包み込む。その中心に立つルーの横に、成長したフィアが佇んでいるのがぼんやりと確認できる。二人に向かって咄嗟に伸ばした手は、だが何にも触れることはなく虚しく空を掴んだのだった。




[12354] 幕間6.トライアンファント
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:b370f3d2
Date: 2020/12/30 21:30
──それが君の選択か

円形に切り取られた白い空間で、一人の賢者が椅子に腰かけていた。小さなテーブルの上にはいくつかの本が積まれており、彼自身も一冊を手にして時折ゆっくりとした動作でページを捲っている。椅子に座っていてもその身の丈が高いことは容易に察することが出来るが、それよりも特徴的なのはまるで骨と皮ばかりに痩せこけてしまっているかのようなその外見だ。皮膚はざらざらとして黄色く、黒い髪は頭頂部で編み上げられて背中辺りで二房へと別れている。エルフのように尖った耳が後方へと伸びているが、その肌に刻まれたひび割れは老化せぬかの種族とは異なる存在であることを告げている──彼はギスヤンキ。アストラル界に住まう人型生物、その老生体だった。


──良いのかね? これは君が望んでいた千載一遇の機会かもしれないのだよ


そういって彼は本を閉じ、テーブルの上へと積み上げると空いた手で奥の方向を指し示した。距離という感覚が感じられない仮初の空間で、ぼんやりと薄い光を放つ空間の歪みとでもいうべきものがその先には見える。肉体を持たない意識のみの俺はその問いかけに答えることは無い。だが彼はその沈黙を返答を見做したのか、続けて言葉を紡いだ。


──そうか。唯一の心残りがあるとすれば、それは君のこれからの物語を私が知ることはもはや出来ないということだな


そう思念が伝わってくると同時に、ギスの賢者の肉体がその末端から光の粒となって溶け消えていく。彼だけではない。その腰かけた椅子や小さな丸テーブル、その上に積まれた本たちも同様にその形を失っていく。彼は俺の精神世界に干渉したサイオニック・パワーの残滓に過ぎず、目を覚ませば記憶に留まる事のない夢のような存在に過ぎないのだ。


──さらばだ、最も若きシベイの継嗣よ。私を永劫の呪縛より解き放ってくれた其方のこれから先に、幸多からんことを


光の粒が舞い散り最後の一片までもが消えていったその跡には、一本の大剣が残されている。かの種族が扱う伝統的な武器『ギスヤンキ・シルヴァーグレートソード』だ。俺はその置き土産を掴み上げると、自ら選択した光の中へと身を投じた。白く塗り潰された意識が浮上していく感覚。脳髄から目へ、脳幹から脊髄そして肩から手へと自分が広がり、やがて全身の輪郭を自覚すると同時に俺は覚醒した。

眼を開くとそこは見慣れた自室の天井だ。天窓からエベロンの空を彩る無数の月の光が射しこみ、部屋を優しく包んでいる。上体を起こすと4人分の体重を支えたベッドのスプリングが軋んだ音を立てた。エレミア、ラピス、メイ──3人は未だ意識を失ったまま、俺を囲むようにして体を横たえていた。ベッドの傍らには幻の虚空で拾い上げた銀の大剣が立てかけられている。屋敷自体は静寂に包まれており、カルノ達は襲撃に備えて地下の区画に避難させているためここにいる3人以外の気配は感じられない。

だが俺は体を起こすと、彼女たちを起こさぬようにベッドから降りて寝室のドアを開けた。さらに部屋を一つ抜け、廊下へと続くドアを開くとそこには通路を挟んでさらに一つの扉が佇んでいる。自分の聴覚は先ほどと変わらぬ結果を告げているが、俺は一呼吸を吸い込んだ後にその扉を開いた──勿論、その結果は言うまでもなくそこに広がるは無人の部屋。中央に飾り気のない麻布が敷かれ、そこに天窓から差し込む光が円を描いている。部屋の隅には彼女たちに教えを乞う子供たちが訪れたときのために使うのであろうクッションが積まれているのみで、他にはテーブルも寝具もないがらんどうの部屋だ。勿論、部屋の主である双子の姿もそこには無い。

すでに意識が覚醒した時点で判ってはいたことだが、こうして実際にその結果を目にしたことでその現実がようやく自身に溶け込んでいくのを感じる。彼女たちとはいったん道を別ったのだ。無意識に停止していた呼吸が再開し、大きく息を吐いた。扉を閉め、自室に戻る。現状を把握したところで、やらなければならないことが山積みだ。仲間たちを起こし、それらを一つずつ片付けていかなければならない。それがあの双子と再会し、俺が帰還するためにも必要なことなのだから。








ゼンドリック漂流記

幕間6.トライアンファント








ストームリーチの市場区画には中央の大テントを囲う様に三つの大きな建造物が配されている。北にはクンダラク氏族が銀行業務を行っているローズマーチ・バンク。南はシルヴァー・フレイム教会の聖職者たちの遺骸を弔ったカタコンベ。そして東側、ちょうどこの街の中央に位置する場所には盛り立てられた丘の上に巨大な塔が屹立していた──『ファルコナーズ・スパイア/鷹匠の尖塔』と呼ばれるそれは飛空艇の発着場だ。

かつては大陸からゼンドリックへと訪れる定期便の終着駅であり、リランダー氏族の選りすぐりの船長たちのみが僅かに利用しているに過ぎなかったその建造物は今かつてない盛況に見舞われていた。毎日複数の飛空艇が訪れ、積み荷を遣り取りしては飛び去っていく。その行き先の半分はレストレス諸島だ。オーガを初めとする原住部族が一掃された後、リランダー氏族達は当初の予定通り根拠地としてあの地の開発を始めたのだ。

とはいえ海に切り立った独特の地勢を有するあの島々では物資を現場で調達することは現時点では困難であるため、彼らはその多くをこのストームリーチで購入していくのだ。コーヴェア大陸の各大都市から運んできた品をここで下ろし、代わりに島の開発に必要な諸々の品を積み込んでは飛び立っていく。海を行く船に比べれば積載量に制限があるのは否めないが、そこを便数を増やすことで彼らは補っているのだ。そのため、彼らの擁する様々な飛空艇がここ最近はひっきりなしにストームリーチの上空を飛び交っている。

一連の事件により船便が一部運航に支障を来たし、物流が滞っていたことで物価の上昇が始まりつつあったところで訪れたこの空からの旅人は大多数の街の住人に歓迎された。飛空艇は火や風といった多彩なエレメンタル・リングで船体を包んでおりさらに特徴的な艤装を施されているうえ、その空に浮かぶ雄姿は街のどこからでも眺めることが出来る。その"空を飛ぶ"ということに関する憧れに加え、魅力的な造形は街の住人の大人から子供までを魅了するに十分なものだった。既に手先の器用なものが手のひらサイズのミニチュアを露店で売り始めており、精緻なシップモデルが高級インテリアの一つとして富裕層の部屋に飾られるまでそう時間は掛からないだろう。

そして今、この尖塔の頂上に設けられたパーティー会場からは2隻の飛空艇を見下ろすように眺めることが出来た。闇夜に大きなエレメンタル・リングの輝きを纏って浮遊する"ストームグローリー・タイフーン"級の威容は圧巻の一言だ。それらの側面には秘術火砲の砲門が設けられており、有事の際には上空から無慈悲な火力を放ち地上を蹂躙する強力な軍船でもあることを示している。その雄姿からはオーレリアに代わってこの街におけるリランダー氏族の代表者として大陸から派遣されてきたキャリンデンという年経たハーフエルフの考えが透けて見えるようだ。

元々文明圏において海洋交易の中心点だったこのストームリーチでリランダー氏族がそれほど大きな勢力を持っていなかったのは、ウィルケス家──代々のハーバー・ロード達がこの街における海洋交易の一切を取り仕切っていたからである。ガリファー王からその権利を与えられたこの街の領主の権限は、ドラゴンマーク氏族といえども蔑ろには出来なかったのだ。だが緩やかな同盟状態にあったこの二者の関係は、このリランダー氏族による空路での交易路開拓で大きく変わることになるだろう。ガリファー王が定めたウィルケス家の領分は港を介した交易に関してのみだ。それ故に他のロード達とは異なる"ハーバー・ロード"という名で呼ばれるウィルケス家であるが、その権力は空には及ばない。なにせ飛空艇が運用開始されてまだ10年と経過していないのだ。200年前に定められた約定には当然それを制限する記載など存在しない。

そして『鷹匠の尖塔』は中央市場エリアを支配するラシート家の領分であり、その繁栄は彼らの懐を潤すことになる。海賊時代にリランダー氏族と確執を持つアマナトゥは良い顔をしないだろうし、彼と敵対するオマーレンはリランダー氏族への接近を試みるだろう。キャリンデンは"クラーケン"の異名を持つ辣腕な交渉家だ。氏族の中心部にいたこのハーフエルフはリランダー氏族の天候を支配する能力を良い意味でも悪い意味でも十二分に活用し、コーヴェアの将軍から農夫までの様々な層に対してビジネスを成功させてきている。この大陸においても天候が重要な要素であることは言うまでもない。政治的中立を保ってきたラシート家が彼とどう付き合っていくのか、またキャリンデンの長い腕がこのストームリーチにどのような荒波を起こすのか。関係者は情報の収集に躍起になっているはずだ。

政治的な問題をさておけば、流通の改善によってこの街は大いに沸き立っていた。セルリアン・ヒルの再開発などで人夫が必要になったことで街の浮浪者は工夫に姿を変え、ソヴリン・ホスト神殿がストリートチルドレンの救済として学校事業を始めたこともあり街の治安も向上している。市場の空気に触れれば好景気の波が再び押し寄せてきているのを肌で感じることが出来るだろう。今日こうして開かれたキャリンデンの就任を祝うパーティーもそれを受けて華美なものとなっていた。

ホールのそこかしこに小さな集団が出来、これから盛り上がっていくであろうサンダー海のビジネスについて話を弾ませている。ここに招待されているのはこのストームリーチでもある程度の力を持った者たちだ。5人の領主、ドラゴンマーク氏族の有力者、12会のウィザード、大きな成功を収めた商人──そしてそれらと関わっている俺のような冒険者達。中には護衛としての役割を担っているものもいるのだろう。目に見える武装こそしていないものの、酒に手を付けず周囲に気を配っている者たちも多い。そういった者たちが談笑し、あるいは牽制しあい、一定の距離を保っているその様子はまさに今のストームリーチの縮図といえるだろう。

そんなパーティーに俺はメイを伴って参加していた。理由としては前任──今は昇格してサンダー海全体を統括する役割を任じられ、レストレス諸島に居を移したオーレリア・ド=リランダー──からの招待状を無視することもないだろう、という事ともう一つ。この街の支配者たちの姿を実際にこの目で確認しておきたかったということがある。

この世界を訪れたときから俺を助けてくれているいわば"原作知識"とでも言うべきものだが、実際に俺が眼にしているエベロンとは食い違っている点も多い。TRPG版の設定ではこのパーティーの主役である"クラーケン"キャリンデンはゲーム開始時には既にストームリーチに就任しているし、そのためか設定では彼が暗殺に関わったと噂されている"ハーバー・ロード"グレイデン・ウィルケスは未だ存命だ。一方で先日の"トワイライト・フォージ"に関するクエストにおいてはゲームよりも時計が先に進んでいるなど、細かなところで食い違いが生じている。それは時系列のズレだけではない。設定として根本から違っているものすら存在する。

そしてその差異が致命的な脅威となって俺に降りかかってくるかもしれないということは先日身をもって知ったばかりである。ならば出来るだけこの世界と俺の持つ知識の差異を埋めていくことで、自分に降りかかる危険を避けるあるいは減らすべきではないか──それが今の俺が取り組んでいる優先事項の一つなのだ。

こうして実際に彼らを目にすることで、俺の観察眼は彼らのクラス構成を丸裸にしていく。ゲームではNPCのクラス構成が明らかになることは無かったため、主にTRPGのデータと照合しながら知識を補完していくのだ。一部のストーム・ロードには「実はロード・オヴ・ダストに仕えるラークシャサのエージェントである」などというとんでもない設定が選択肢として与えられていたが、こうして見る限りはそういったことは無いようだ──高位の幻術や、影武者などによって攪乱されている可能性はあるためこの場で決めつけるようなことはしないが。

勿論、そういった観察は不自然にならないように行っている。この街に訪れてから半年程度ではあるが、こういった場で旧交を温めることが出来る程度のコネクションは俺にも備わっており、談笑しながらさりげなく視線を飛ばすだけでそういった用には事足りる。


「──こんな稼業をしていればこうしてお互い無事に再会できたことが何よりの幸運だ。次もこうして楽しい再会を祝いたいものだね!」


そういって俺とメイの前で盃を掲げているのは、恰幅の良い真っ黒に日焼けしたハーフリング──ファルコー・レッドウィローである。嵐薙砦の激戦を生き抜いた彼は相変わらずの陽気さで周囲に笑顔を振りまいていた。彼のような探検家はこうした場で冒険譚を語って聴衆を楽しませる役割を担っている一方で、次の冒険に対するパトロンを探している。少し遠くに目を向ければ、調子のよい語り口で何人かのご婦人方を惹きつけているジェラルド・グッドブレードの姿を見つけることが出来るだろう。


「君の活躍のおかげであの頭の固いアグリマーの奴もようやく砦の地下の探索許可を出してくれそうになってね!

 まあ放置していた遺跡から突然巨人の軍勢が湧いてきたんだ。

 同じような事件を起こさないためにも当然の判断だろうが、その探索班を私が率いることになったのはあの巡り会わせのおかげに他ならないよ。

 ジャンダルは少し拗ねるかもしれないがね、ここはジョラスコとデニスの氏族が手を取り合って世紀の発見といきたいものだな!」


どうやらあの砦での戦いの後、彼にとっては幸運の風が吹いていたようだ。大の高所恐怖症だった彼がこの塔の頂上に近いパーティー会場で笑顔を振りまいているくらいには機嫌が良い。まあ単なる食わず嫌いで、砦からこの街に戻ってくる際のフライトでそれが払拭されただけかもしれないが。


「景気が良さそうで何よりだよ。珍しい魔法のアイテムが見つかったら市場に流す前に一度声をかけてくれよ」


会話の相手は旧知の人物だけではない。特にファルコーの上機嫌の源である嵐薙砦での戦いを契機に俺たちのパーティーは腕利きとしてその名を急速に高めつつある。特にメイはゼンドリックでの研究成果としていくつかの新呪文をモルグレイヴ大学へ論文として提出していることもあり、その知識の深さと技量の高さはある程度知られている。どの組織にも所属していないフリーの高位秘術呪文使い。リランダー氏族だけでなく、様々な人物から声がかかるのも当然だろう。今もファルコーとの会話がひと段落し、ハーフリングが離れていったのを機に話しかけてくる者達がいた。だが彼女は上手に相手に言質を与えないようにそれらをやり過ごしていく。

伯母の教えなのかメイはそういった社交面にも長けているし、地域の要人についても詳しい。こういった場面では頼りになるパートナーだ。ラピスはそもそも社交性に欠けているし、エレミアはヴァラナー風の礼法は心得ているものの今しがたのメイのように相手をあしらうことは出来ないだろう。そのため、必然的にこういった場に招待された際には俺とメイが対応することになるのも当然の事だろう。

とはいえ、入れ代わり立ち代わり腹に一物を抱えた連中を相手に会話を続けることは精神的に消耗するものだ。俺はキリのいいところで来客がはけたのを見計らって、窓に突き出したテラスへとメイを誘った。分厚いカーテンでホールの喧騒から遮蔽されたその場所からは、ストームリーチの夜景に加え間近で飛空艇を眺めることも出来る。気を休めるにはうってつけだろう。秘術で空を飛べるとはいえその最中にこうして景色を楽しむことなどないし、シャーン育ちの彼女にとっては高所は珍しくもないがあの街の構造ではこうして夜の街の光を見下ろすようなことは出来ない。メイにとっても新鮮な体験だったようで、彼女は大きく息を吐きながら眼下に広がる景色に見惚れていた。

テラスは少し狭い造りとなっており、横に並べば肩が触れ合うほどだ。安全を考慮して手すりの先には不可視の《ウォール・オヴ・フォース》が張り巡らされており、転落防止だけでなく高度からくる強い風をも遮ってくれている。景色を眺めれば中央市場のテントからはところどころの切れ目から灯りが漏れておりその姿を浮かび上がらせていた。その中ではいま押し寄せてきている好景気の波を少しでも引き寄せようと昼夜を問わず活動している商人たちがいるであろうことは疑うべくもない。主要な街路には照明を兼ねたオブジェが飾られているため、まるでテントから伸びる光の葉脈が街全体に広がっていくように見える。不完全なその浮かび上がり方は暗闇に沈んだ箇所に想像力を働かせる余地を残しており、大都会の宝石箱のような夜景とは異なった趣を味あわせてくれる。


「少しここで時間をつぶしていこう。思ったよりも随分と注目されていたみたいだからね、ホールの空気が入れ替わるのを待った方が良さそうだ」


俺達が考えていたよりも周囲のメイへの注目度は随分と高かった。招待されてきた本人たちこそホストであるキャリンデンを中心に交流の輪が出来ていたが、その同行者たちが代理人としてこちらへのアプローチを熱心に掛けてきていたのだ。俺はチュラーニ氏族やジョラスコ氏族との関係で知られているがその仲間であるメイはそれら氏族と深いつながりがあるわけでなく、出来る事なら自らの陣営に引き込みたいと考えられているのだろう。その彼らの熱心さが、この街の権力者たちの暗闘がこれから激しくなっていくことを示しているようだ。


「確かに、色んな方がいらっしゃいましたね。でも、トーリさんのプレゼントのおかげで無事に切り抜けられそうです。感謝ですね~」


そういってメイは夜景に向かって腕を伸ばし、掌を上げて指を伸ばすと夜の街を背景にその指に輝く指輪に視線をやった。本来であればそのような役割を与えられた海千山千の交渉家達を相手取って無難に切り抜けることはメイにも困難だ。だが俺が渡した指輪──『リング・オヴ・ライ』が彼女に本職顔負けの交渉技能を与えてくれた。ゲームに実装されていなかった《真意看破》にこそ修正が入らないものの、基礎となる魅力能力値と《交渉》《はったり》技能に大きな修正を与えてくれるこのアイテムはこういった場にまさにうってつけだったのだ。

招きや誘いは受けないが敵対するつもりはないということを示しつつ、余計な言質を取られずに今後の干渉を控えさせる──そんな面倒な交渉を、アイテムの助けがあったとはいえこなしてくれた彼女にはこちらこそ感謝したい気持ちだ。放置しておけばそのうち屋敷に押しかけてきたであろうことは想像に容易い。下手にパーティーの招待状などを送り付けられ、相手方の用意したフィールドで話を向けられることに比べれば今日この場でそういった面倒事を片付けられることはこちらとしても願ったりであったのだ。要人の観察を含め、良い機会を与えてくれたオーレリアには後で礼状を出すべきだろう。


「それでトーリさんの用件のほうはどうです、お目当ての方は見つかりましたか?」


ベランダの手すりに置いた手をつっぱって、背筋を伸ばして一息ついたメイがそう言いながらこちらの瞳を覗き込んできた。その眼差しには先ほどまで窺えていた疲れは一片たりとも存在しない。僅かな時間、一呼吸入れただけで気持ちを入れ替えてしまえるのは高レベルの冒険者ならではといったところか。


「んー、そうだな……」


そんな彼女に曖昧な言葉を返しながら、俺はホールの気配を探る。確かに床まで垂れた分厚いカーテンは室内からの音を遮っているが、それはあくまで常識レベルに過ぎない。研ぎ澄まされた俺の聴覚はその向こう側にある広大なホールを反響する音を拾い集め、まるで直接見ているかのような知覚を可能とする。会話だけでなく歩行の音、それも履物とその持ち主の体重や姿勢、移動している方向などがソナーのように情報として集積され、俺の脳裏で立体化される。


「タイミング的には丁度良さそうだな──それではお嬢様、もう一舞台お付き合いくださいませんか?」


俺が芝居がかった台詞と共に手を差し出すと、メイはふんわりとした笑みを浮かべてその手を取った。


「ふふ、それではお願いしますね旦那様。

 トーリさんにエスコートしていただけるなんて滅多にない役得ですから、あとでたっぷりと二人には自慢しちゃいます」


左隣に引き寄せたメイを伴い、俺はカーテンを潜って再びホールへと舞い戻った。夜景とは打って変わって室内は明るく、白い光がシャンデリアから放たれておりテーブルの上の燭台がそれを照り返してキラキラと輝いている。眩いはずが決して不快ではない、優しい秘術の光だ。再び俺達が現れたことで、ホールの中には新たな人の流れが生まれつつある。だが俺たちはあくまで自然を装って、人の密度の少ないところへと進んでいく。ドリンクを運んでいるウェイターから二つのグラスを受け取ってメイと一緒に喉を潤し、近くにある空いたテーブルへと歩み寄っていく──そこには同じく止まり木を求めてか近寄ってくる一組の男女の姿があった。壮年の男性が連れているのはおそらくは娘ほどの年の差があるであろう若い女性、あるいは少女だ。年の離れたカップルというよりは、妻に先立たれた夫に対し娘がファーストレディを務めている、というほうがしっくりくるだろう──そしてそれがその通りであることを俺は知っていた。


「あら、こんなパーティーに出ているのはお父様のような方ばかりかと思っていたのだけれど。

 年の近い方にお会いできて嬉しいわ。ねぇ、お邪魔でなければ少しお話をさせてくださいませんか?」


退屈を持て余していたようで、彼女は興味津々といったふうにこちらへと話しかけてくる。その連れである男性の方は仕方ない、とでもいうようにかぶりを振った後、こちらへと話しかけてきた。


「すまないが、突然の不躾な私の娘の我儘に少し付き合ってもらえませんかな。

 どうやら彼女には私と知り合いの話はまったくつまらないものだったようでね。

 君たちのような若くして相応の振る舞いを心得ている先達と話をすることで、少しでも落ち着きを学んでくれればと思うのだが」


男性の態度は想像していたよりも遥かに物腰が丁寧で紳士的なものであり、新鮮に感じられた。俺が物語で知るその姿が憑依した悪霊によって歪められたものであったとしても、傲岸不遜を地で行くようなそのキャラクターは周囲からの評判も相まって強い印象を残していたからだ。だがこれが彼の本来の姿なのかもしれないし、あるいは擬態なのかもしれない──それを知ることが、今夜の俺の大きな目的の一つでもあるのだ。


「勿論、私たちでよければお相手を務めさせていただきましょう──猊下、とお呼びすれば?」


こちらのその言葉を受けて、男性は苦笑する。


「そのように畏まる必要は無いとも、年若きヒーロー。私こそ君の活躍にはお礼を言わなければならない立場なのだから。

 娘が退屈しない程度に、私にもぜひ君たちの話を聞かせてほしい。そしてお互いにとって実りのある話が出来ればなお有難いね」


ストームリーチにおけるシルヴァー・フレイム教会の最高権力者、大司教ドライデンはそういって微笑んだ。それが彼の心の底からの思いと言葉であるように俺には感じられる。だが事は慎重に判断しなければならない。彼もまた、俺の知る物語では重要な敵役の一角を担う存在なのだから。


「君のようなヒーローと巡り合う機会を得られて私は幸運だよ、トーリ。

 この街に来てから半年ほどの短期間に過ぎないというのに、その間に聞こえてくる君に関するニュースは私の心を奮わせるものばかりだ!

 君の戦果はまるでゼンドリックの悪の種族の展覧会のようだ。隣人としては心強い限りだよ」


そういって差し出された手に握手を交わすと、予想以上に力強い手応えが返ってきた。しかしそれは意地の悪いものではなく心の底から彼が示している好意に基づくものだというように感じられる。その体は良く鍛えられており、その心は信仰の炎に燃えているようだ。

シルヴァー・フレイム教会。それはまだ若い歴史しかもたないにも関わらず、コーヴェア中に確たる基盤を有する宗教組織だ。コーヴェア大陸で7百年ほど前にオーバー・ロードの一柱"炎の中の影"ベル=シャラーが地底より解き放たれつつあった時、ティラ・ミロンというパラディンがコアトルと力を合わせてそれを防いだ。その際に生まれた銀色に輝く炎の柱、それがこの宗教の原点である。

現在もその炎と一体化したティラ・ミロンは"シルヴァー・フレイムの御声"として存在しており、"炎の護り手"と呼ばれる代々の指導者に力を貸している。まさに彼女は生ける伝説そのものであり、神話の体現者といえよう。彼女の信奉者達はその意思を継ぎ、何世紀もの間大陸に蔓延る悪の勢力との戦いを続けてきた。デーモンと戦い、地下カルトを駆逐し、ライカンスロープを探し出して滅ぼした。その歴史はまさに戦いの歴史である──人類社会を脅かす悪を討つことこそが、彼らの存在意義なのだ。


「光栄です、猊下。しかし私のやったことは、貴方の手掛けていらっしゃる大事業に比べれば灯台とランタンほどの違いがありましょう。

 非才の身では自分の周りを照らすだけで精一杯ですが、猊下はこのストームリーチ全体を照らそうとしていらっしゃる。

 真に称えられるべきはそういった功績であるべきでしょう」


お世辞に思えるかもしれないが、これは俺の本心でもある。俺の行動はほとんどが打算と感情に基づくものであって、世のため人のために何か為そうとしているわけではない。結果的にそう転んでいることもあるし、望んで悪を為そうとは思わないが身を切ってまで善行を積もうとしているわけではない。カルノ達孤児に対する援助も実利に基づいたものであるし、神殿などへの寄付についても惜しくない程度の金銭を預けているに過ぎない。

本気で取り組めばそれこそ国一つ切り取って望みのままに運営することも不可能ではない、それだけの財産と力を俺は有している。だがそれは俺にとっては面倒事だ。既存の社会基盤を都合よく利用し、少し自分の周りを住み心地良く整備する──俺がやっていることはその程度の事だ。嵐薙砦のジャイアントや先日のマインド・フレイヤーは降りかかる火の粉を払っただけであり、もし連中が俺に関わりないところで悪事を働いていたのであればわざわざ手を出すことは無かっただろう。

そんな俺からしてみれば、シルヴァー・フレイム教会などという組織はまさに尊敬できる集団である。数百年のうちに組織として腐敗している部分を抱えてはいるものの、悪を討つという理念のもとに集った人たちが時には自らの犠牲も厭わずに戦っている。判断の基準にまず自己の利益が出てきてしまう今の俺からは眩しい存在だ。それだけに、その組織の長からこのように褒め殺しを受けるとどうも申し訳ない気持ちが先立ってしまう。


「何、それは謙遜が過ぎるというものだ。今や君の名前を知らないものはこの街にはいないさ。

 荒くれの水夫たちはスチーム・トンネルを制覇してエールに冷たさを取り戻してくれた冒険者に喝采を惜しまないだろうし、

 がめつい商人たちであっても海賊たちを叩きのめしてスカウンダレル・ランのチャンピオンに輝いた君にはサービスを惜しまないだろう!

 この街にやってきた最も新しいヒーロー、それが君だ。

 確かに私たちは広い範囲を照らしてはいるが、それは月と星の明るい夜に街の道を照らす街灯のようなもの。

 それに対して君は無明の暗闇に差し込む光そのものだ。

 我々の役割は、君のような英雄の助力をするものだと私は思っているのだよ」


その感情の動きを恐縮しているものと勘違いしたのか、ドライデンはさらなる賛辞の言葉を重ねてきた。しかしその発言からは俺について調べたのであろうことが窺える。まあ特に隠し立てしているわけでもないとはいえ、以前から俺に興味を持っていたであろうことは間違いないだろう。


「すべては依頼の結果です。私に仕事をくださった後援者の皆さんがそれだけこの街のことを考えていらっしゃるという事でしょう。

 それが世のためになっているというのであれば、それはソヴリン・ホストの神々のお導きでしょう」


言葉を交わしながらその人となりを窺うが、特にこれといった問題は感じられない。MMOでは悪霊に取り付かれていたという状況のため、それ以前のドライデンの人格がどのようなものかは語られていない。またクエスト受注の際には既に長い間カタコンベのある区画に隔離されていたという娘のマルガリータも健康状態は良好であり、父娘としての関係も良好なようだ。これらの情報から察するに、現在はMMOのクエストの開始される何年も前、あるいはこの世界ではあの"カタコンベ"のクエストが発生しないという可能性もある。

そう考えるに十分な世界設定の違いが、このシルヴァー・フレイム教会については存在している。なぜならばMMO版とTRPG版、そしてRTSゲーム版という三つの設定が混ざり合ってるからだ。最終戦争に国家として干渉し始めたコーヴェア大陸の教会本部がこのストームリーチへの援助を停止して以降、この土地で戦ってきた教徒たちをドライデン一族は導いてきた。TRPGではそれにより彼らは勢力を減じ、弱体化してしまっていたのだがこの世界では違う。本土の政治的な動きを教義から逸脱したものであると断じ、袂を別って独自に100年を戦い抜いた彼らは精鋭と呼ぶに相応しい実力を備えている。ここでは彼らはストーム・ロード、そしてドラゴンマーク氏族に比肩しうるほどの武力を有した勢力なのだ。

そんな彼らの働きの中でも、特筆すべきはRTSゲーム『ドラゴンシャード』に関するストーリーだろう。元のゲームではコーヴェア大陸から派遣されていたシルヴァー・フレイム教会の部隊が、この世界ではこのドライデンがリランダー氏族の協力を得て送り込んだことになっている。高位のデーモンやパイロヒュドラなどが敵として現れる戦闘に勝ち抜く戦力を保有しているというだけで、その強大さは判ってもらえるだろう。

俺としてはあちら側のストーリーラインの展開具合も気になるところだが、まずは要望に応えてこちらの物語を聞かせるべきだろう。嵐薙砦の戦闘が終結してから三か月ほどが経過しており、その物語は街の酒場の至る所でバードたちによって謳われている。戦闘に従軍していた彼らの迫力ある語りはすでに街中に浸透しており、ここで俺が語ったとしても今さらという印象を与えかねない。やはりそういう意味では先日の"トワイライト・フォージ"に纏わる物語がいいだろう。

海路を脅かす海賊、その拠点に攻め込んだ際に姿を見せる『夢の領域ダル・クォール』の破壊兵器。そして海賊たちを裏で操っていたのは『狂気の領域ゾリアット』の尖兵、忌まわしき脳喰らいの集団。かつてこのエベロンを侵略し、当時栄えていた文明を衰退させ崩壊の原因となった二つの次元界が敵となり襲い掛かってくる。だが自らの力を過信したマインド・フレイヤー達を誘き寄せて粉砕し、逆にその拠点である人造次元界へと乗り込んでいきその野望を打ち砕く。こうして見れば非常に壮大な物語である。

勿論俺が語った物語は随分と演出を加えたものだ。あのウォーフォージド・タイタンや上位マインド・フレイヤーはその存在一つで国を亡ぼす脅威だ。それをそのまま聞かせては過剰演出と思われるだろうし、どうやって倒したんだという事にもなる。リランダー氏族の顔も立てつつ、差支えない範囲に調節し後半は爽快感を感じてもらえるように一気に大勝利という展開で俺は物語を締めた。それが功を奏したのだろう、御令嬢はマインド・フレイヤー登場のくだりではその異形として人類とは相容れない在り様に顔を青ざめさせていたが終わってみれば正義の勝利に大興奮という様子だ。彼女の事はメイに任せ、俺はドライデンの相手に専念する。


「どうやら娘はすっかりと君たちのファンになってしまったようだな。

 だがそれも当然のことだろう。この街どころか世界を救った冒険譚だ、誰もが憧れるさ」


「まあこういった宴席での余興です、演出が行き過ぎた点はご容赦ください。

 それにここでこうして生きているのも相手の慢心とこちらの幸運が重なった結果です」


どうやらドライデンにも満足いただけたようだ。実際には演出は下方修正なのだが、それは言わぬが花というものだろう。それにこちらが幸運だったというのは嘘ではない。イスサランとの戦いで生き残ることが出来たのは相手がこちらを嬲っていたからに過ぎない。彼が本気でこちらを殺すつもりであれば一瞬でそれが可能だったはずだ。追い風に助けられ、偶々対岸に辿り着くことのできた綱渡り──それがあの戦闘の感想だ。

ルーとフィアの双子と暫くの別れを余儀なくされたのは俺たちの実力不足が招いた結果ではあるが、あのマインド・フレイヤーとの戦力差は一朝一夕で埋まるものではないだろう。だが直接的な戦闘力の差は、環境で埋めることが出来る。極論を言えば相手の不意を突くことが出来るかどうかであり、屋敷の攻防戦はそれが顕著に働いた例だ。目の前の大司教も、どうやら俺の話の中ではその部分に興味を抱いているようだった。


「私や教会の聖騎士達の中にも任務でマインド・フレイヤー達との戦闘を経験した者がいる。

 そういった経験を蓄積してはいるが、どうやらあの異形達の脅威についてはまだまだ我々は把握しきれていなかったようだな。

 今度は是非そのあたりについても詳しく話を聞かせてもらいたいものだ。無論、情報の対価としての報酬は十分に用意させてもらうよ」


ドライデンの依頼は至極当然のものだろう。戦闘は勿論、そこに至るまでに有利な環境を整えるためには相手に対する情報が不可欠だ。自分たちの能力を十全に発揮するだけでなく、相手が実力を発揮できない状況に持ち込むことが出来れば有利になるがそのためには相手を知らねばならない。例を挙げればこのエベロンではないがD&Dの標準世界観に存在するとある宗教においては信仰呪文の使用回数が回復する時間が朝や夕方などと決まっており、その時間から一定時間の礼拝を行うことが必要となっている。つまりその最中を狙えば、呪文使用能力が回復しきっていないところで戦闘に持ち込めるというわけだ。


「そういう事でしたら、是非対価は同じく情報でいただきたいですね。

 "カタコンベ"には大図書館があると聞いております。そこにある書物を閲覧する許可をいただきたいのですが……」


「その程度であれば容易いことだ。お互いの知識を補完することが出来れば、より悪との戦いに効率的に備えることができるはずだ。

 司書長のジェロームには私から話を通しておく。時間の都合の良い時に、好きなように訪ねてくれれば良い。

 君から聞いた話についても書物に纏めることになるだろうから、丁度いいだろう。

 とはいえまだこちらは書架の整理が追い付いていないのでね、君には面倒をかけることもあるかもしれんのだが」


話はとんとん拍子に進んだ。特に金銭を必要にしていない俺にとっては、こういった形の報酬であるほうが望ましい。ドライデンもそのあたりの事は解っているのだろう。お互いにとって有益な形で話がすんなりと纏まったのはありがたいことだ。これで俺がこの会場に顔を出した用件のほとんどは片付いたことになる。タイミング的にも会話を切り上げるのにちょうど良いだろう──そう思ったのだが、こちらがお暇を告げようとしたところでドライデンが先に口を開いた。


「では、あとは心躍る話を聞かせてくれた返礼をせねばならんな。

 ちょうど時間的にも頃合いだろう、すまないがあと少しだけ時間を割いて貰えるかね。

 少し場所を動いた方がいいだろう。特等席に案内しよう」


そういってドライデンは壁の一角、バルコニーに挟まれた大きな窓ガラスの前へと歩き出した。ホールから街並みを眺めることが出来るようにあつらえられたその大ガラスは徹底的に磨き上げられており、室内の照明を受けて鏡のように俺達を映し出している。だがそこについて間もなく、室内に照明を落とすアナウンスが響きわたるとホールを満たしていたシャンデリアの灯りが覆いによって隠された。だがそれで室内が暗黒に包まれることは無い。このエベロンには多くの月があり、それに加えて星明りも十分な明るさをもっているのだ。大ガラスと頭上の天窓から差し込むそういった光でも、薄暗闇という程度でしかない。また各テーブルの上で小さく灯る蝋燭の揺れる灯りは残されており、参加者の皆も不便は感じていないようだ。


「さて、今宵この場にお集まりいただいた皆様に一つのショーをご用意させていただきました。

 そちらのガラス越しに映るこの街の夜空をご覧ください──」


ホストであるキャリンデンがそう告げると皆の視線が束ねられた。そこにはストームリーチにはそれなりに珍しい、雲一つない空が広がっている。今日この日のためにリランダー氏族が天候操作の力を行使したのかもしれない、そう思わせるほどの見事な夜空だ。そこにはエベロンを周回する12の月のうち、4つが所狭しと浮かんでいる。だがその月の光を掻き消すように、青い光が夜を照らした。上空から市外へと投射されるその光は、徐々に強くなっていく──光源が近づいてきているのだ。そしてそれが皆の目に映った時、ホールは感嘆の声で満たされた。

2隻の飛空艇から吊るされるようにして運ばれているのは、巨大なシベイ・ドラゴン・シャード。その大きさは俺の屋敷よりもさらに大きいだろう。通常の宝石と異なり自ら光を発する竜晶は、やがて視界左手に位置するシルヴァー・フレイム教会の塔、通称"カタコンベ"の屋上へとたどり着いた。まるであつらえたかのようにその位置に収まったドラゴン・シャードが瞬くように青白い光を放つ。それは彼らの信仰の対象であるシルヴァー・フレイムそのものであるかのようだ──そしてそれはおそらく誤りではない。シルヴァー・フレイムの元となったコアトルとはシベイ・ドラゴンの系譜に連なる竜種であり、シベイ・ドラゴン・シャードとはシベイの別たれた肉片そのものだからだ。


「──伝説に謳われし巨大な竜晶がシルヴァー・フレイム教会の手により確保され、我らリランダー氏族によりここまで運ばれました。

 この未開とされた大陸の果てまで、ついに我々の手は届くようになったと言えるでしょう!

 今宵、ここにお集まりいただいた皆様は新たなる時代の幕開けを見届けた歴史の証人になったのです。

 リランダー氏族は、空と海の続く限り、どこまでも皆さまをお運びいたします!」


キャリンデンの演説はまるでドラゴン・シャードの放つ光のように聴衆へと染み渡り、やがて歓声によって迎えられた。最終戦争で疲弊したコーヴェア大陸の人類にとって、深い密林に覆われていたゼンドリックは生半可な探索者を寄せ付けぬフロンティアだった。その常識が空を駆ける飛空艇により一気に塗り替えられようとしている。その証である巨大な竜晶は静かに光を放ち、眠らぬ街の夜を照らし続けていた。



[12354] 7-1. オールド・アーカイブ
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:b370f3d2
Date: 2015/01/03 17:13
ストームリーチ・クロニクル

王国暦998年 ラーンの月 第一週号

・巨大なドラゴン・シャード、シルヴァーフレイム教会に到着
先日の夜、街中に満ちた青い光は記憶に新しいと思う。翌朝のミサはいつもと異なり満席であり、立ち見すらできなかったであろう多くの住民は本紙の書き起こし記事を参考にするといいだろう(別途号外を購入されたし)。インタビューに対し貴重な時間を割いてくれた大司教ドライデン曰く、
「目に見える結果としては解りやすい物だろうが、これは我々の活動の成果の一部に過ぎない。
 これからも人々のための戦いを我々は継続していくし、皆さんにはそれがどんなものかを知ってほしい。
 一人一人のしっかりとした意思を束ねることが大事で、この光は皆さんを少しずつ手助けする切っ掛けでしかない。
 不安や怖れに立ちすくむ前に、周囲には貴方たちの味方がいることを思い出してください。我々は常に門を開いてお待ちしています」
と語った。幸いその門に対して安眠妨害だと怒鳴り込む輩はいないようだが、何人かのチャレンジャーが塔の外壁をよじ登ってはシャードの欠片を削り出して持ち去ろうとし、翌朝無残な姿を晒していることが目撃されている。この記事を読んだ賢明な読者の皆さんがそういった非正規の接触を試みないことを祈るばかりである。

・メネタクルン大砂漠への定期便就航す。過酷な環境に耐えうる探索者のチームを募集中
ヴァラナーの高名な戦士であるところのジュネル氏が発見した砂漠に埋もれた都市"メル・クァット"において飛空艇の発着可能な基地が整備され、このたびリランダー氏族は週に1度の定期便の就航を発表した。今までは過酷なキャラバンで現地人や凶悪なモンスターの襲撃におびえながら一か月以上の長旅を続けなければたどり着けなかったフロンティアに、ワイングラス片手に6日ほど空の旅を堪能していれば到着できることになったという事は大きな変化といえるだろう。
またこれに伴ってジュネル戦隊長は共同で探索を行うメンバーを募っている。邪悪なノールやアンデッドとの戦闘、そして過酷な砂漠の環境に耐えうるタフな人材は砂に埋もれたピラミッドを彼の戦隊と共に探索し、隠された宝物を持ち帰るチャンスを得ることが出来る。興味がある方はボグウォーター・タバーンにいる彼のエージェントにその用向きを伝えられたし。

・懺悔者の不安!
デレーラ・グレーヴヤードに埋葬される死体のほとんどは、無一文の者たちのものだ。 だが犯罪者の遺骸はもう少し遠くにある荒涼としたペニテント・レストの一区画に運ばれる。死霊術士の埋葬がストームリーチ全土で禁止されているのにも関わらず、ムーンシャドー・ライトフット(別名デスシャドウ)は最近、あるコイン・ロードの許可により、そこに埋葬された。
最近、ペニテント・レストの門内から聞こえる叫び声や遠吠え、わめき声などは、デスシャドウが実はほとんど眠りについていないことを意味しているのではないか。最近コイン・ロードはよく眠れているのだろうかと、クロニクル社は疑問に思っている。



広告欄
サノリン様。ご無沙汰しております。会えなくて寂しいです。昔の仲間と会うのはやめて、どうか私のもとに戻ってきてください。

行方不明:ペットのサソリ、シェンカーがずっと行方不明です。何か心当たりのある方がいらしたらご連絡ください。フロビー・レッドメイス


著:キャプショー・ザ・クライアー







ゼンドリック漂流記

7-1. オールド・アーカイブ








シルヴァーフレイム教会の殉職者たちを埋葬する共同墓地、それが通称カタコンベと呼ばれる塔だ。中央市場のテントから僅かに離れたに過ぎない区画にこのような塔があり、周辺一帯がソウルゲートと呼ばれているのはこのストームリーチが拓かれるよりも以前から、この土地で活動していた教徒たちの働きによるものだ。地上部分はやや大きめの二階立てで、どちらかというと地下の墳墓部分こそが主体といえるこの構造物は、200年以上の長きに渡ってこの地で戦い果てていった信徒たちの亡骸を抱え込んでいる。

だがその本来陰鬱なものであるはずのその墓標は、今やこのストームリーチ最大の観光地となっていた。それは勿論、その頂点に据えられた巨大という形容すら生ぬるいほどの大きさを誇るシベイ・ドラゴンシャードのためである。握りこぶしほどのサイズで金貨1万枚ともいわれるその結晶、それが生半可な屋敷よりも大きいサイズとなればもはやその価値は天文学的だ。もとより大きな結晶であればあるほど飛躍的に価格を上昇させていた竜晶だけに、その価値はストームリーチ全域と比較してもなお優るだろう。

夜にはその青い清浄な光で街を薄く照らし、天に伸びる光で灯台代わりとなっていた巨人族の像と並んで航海中の船の目印たりえるその存在はすでにリランダー氏族が定期的にコーヴェア大陸の各地とここストームリーチを結んでいる定期便の予約が半年先まで埋まってしまうほどの話題となっているらしい。

そんなコーヴェアからも注目を浴びているこの塔だが、その歴史は苦難に塗れている。100年前からほんの数か月前までの間、この塔はアンデッド達に支配されていたのだから。事の詳細は明らかにされていないが、当時突如溢れかえったスケルトン等アンデッドの集団に教会の戦士たちは不意を突かれ塔からの撤退を余儀なくされたらしい。その後100年の長きに渡って周囲を封鎖されていたこの塔を解放したのが、ドライデンと彼が率いる聖騎士団だ。

彼とシルヴァーフレイム教会に対する街の住人の反応はそういったこともあり、かなり好意的なものだ。MMOのシナリオで見られたような過激な布教を行う司祭などはおらず、高圧的に寄付を要求するようなこともない。それでいて治安維持に一役買っているというのだからそれも当然だろう。そこに先日の巨大なドラゴン・シャードのお披露目である。街の大抵のところから見ることが出来るあの竜晶に関する話題で今はどこの酒場も持ちきりである。

その中で最たるものが、あのシベイ・ドラゴンシャードは探索行の本来の目的ではなく、その一部に過ぎないというものだ。そう、驚くべきことにこの巨大なドラゴン・シャードすら本来彼らが目的としていた『ハート・オヴ・シベイ』と呼ばれるドラゴン・シャードのかけらに過ぎないのだ。4万年の昔、高度に秘術を発展させていたクァバルリンという名のシャドウ・エルフの文明を滅ぼすために天より落とされたそれは、一つの城ほどの大きさだったとされる。

その巨大なシャードを目的としてここに街が出来る以前から多くの冒険者や組織が伝説の地『リング・オヴ・ストームズ』への探索を行ってきたが、めぼしい成果を上げたものは誰もいなかった──つい先日までは。今回人力ではとても持ち運べぬ大型の竜晶を運搬できたのは、リランダー氏族の飛空艇あってのことだろう。

そしてその竜晶を一旦の成果として、教会の部隊は一時的に撤収を開始しているらしい。今回得た情報を元にさらに大規模な遠征を計画しているのだろうと街では噂されており、一攫千金を狙って参加を希望する者たちが後を絶たないようだ。今日もソウルゲートの塔前にある広場には大勢の民衆が押しかけており、その対応で関係者が忙しそうに動き回っていたのを俺は目にしている。

だが、今いる"カタコンベ"の内側はそういった喧騒とは切り離され、静謐に満たされていた。長い間放置されていた間に積もっていた埃が音を吸い込んでしまっているかのような錯覚を与える。塔とはいうものの、地下にも広く深く広がっているこの建造物の区画一つの壁全てが本棚で覆われており、その蔵書の量は万の単位である。だが今注意すべきはその本棚に収まっているものではなく、暗がりに隠れている襲撃者の類だ。アンデッドの類は掃討されたといっても、長年放置されていた建物内には蜘蛛や鼠などの有害なクリーチャーが隠れ潜んでいるのだ。それらはなかなか駆除しきれるものではなく、未だに司書たちに怪我人が出る事態となっている。

そんな図書館の中をぐるりと一周して入り口付近に戻ってくると、この薄暗い書庫の中でそのあたりだけが眩い光に満たされていた。そこでは5名の揃いのローブを羽織った人達が積み上がった本たちと格闘している。人間、ドワーフにエルフ、ハーフリングと彼らの種族はバラバラだが、共通しているのはいずれもがシルヴァーフレイム教会の信徒であり、なんらかの原因で前線からは退いたがこうした後方のスタッフとして貢献し続けることを望んだ者達だということだ。その中の一人が、俺と同行していたジェロームへと声を掛けてきた。


「ふむ、その様子ですと目当てのものは見つからなかったようですな。

 ひとまずは埃を落とされ、一服されるがよろしいでしょう。こちらにお茶を用意しております」


何も持たずに無手で戻ってきた俺たちの様子から徒労に終わったであろうことを察した彼は労うようにそう告げると、入り口付近に仮設された休憩所へと俺達を誘った。その部屋の片隅ではお湯が沸かされており、彼はそれを用いて紅茶を入れるとそのカップと小さな菓子が載った皿をテーブルの上へと置き、一礼して退出していった。それを見送った俺はジェロームと目を合わせるとどちらともなく椅子へと腰かける。


「ご希望に添えず申し訳ない、トーリ殿。

 私はまだとても客人をお招きできる段階ではないと大司教には伝えていたのですが、やはりお手を煩わせただけの結果になってしまったようです。

 新しい目録を作成しながら整理を進めてはいるのですが、何分人手が足りておりませんでな。

 作業に取り掛かって一か月と少しというところなのですが、まだこの辺りの本棚をいくつか整理しおえた程度なのです」


そういって申し訳なさそうに司書長のジェロームは頭を下げた。とはいえ俺も怒っているわけではなく、事前に予想していた事態だけにやんわりと謝罪を受け取って返す。


「いえ、お気になさらず。こちらこそお忙しい中にお時間を取らせてしまったようで恐縮です」


100年近く人の手が入っていなかった図書館だけあり、管理されているとはとても言えない有様だ。かろうじて残されていた古い記録を手に、書架をぐるっと回ってみたのだがその内容は実情と大きく食い違っていた。アンデッド達がこの図書館を利用でもしていたのか、本棚の中身は随分と移動してしまっていたのだ。長い放置で傷んでしまったものも多く、表紙から内容が読み取れないなどは当たり前で司書たちはゼロからこの区画に収められている本たちの管理を始めているという事であり、無秩序におさめられた本の内容を把握して記録、整理するなどということがとんでもない作業量であることは言うまでもないだろう。

外部から人を雇おうにも、本を取り出そうとしたらその影から飛び出してくる鼠や蜘蛛に襲われて怪我人を出しかねないとなると素人を使うわけにもいかない。そういった意味で引退したとはいえある程度の戦闘力を持つジェロームたちがこの作業を担っているのだろうが、圧倒的に人手不足な有様だ。現状の作業ペースでは、終わるまでに下手をすれば何年もの期間を要するだろう──そしてそれは俺にとっては好ましくない。


「よろしければ、私にこちらの作業を1日で結構ですので任せていただけませんか?

 おそらく、お困りの悩みをいくらか解決できると思うのですが」


俺のその唐突な申し出に、ジェロームは少し困ったような表情を浮かべる。


「それは勿論構わない──大司教からは君の希望は最大限受け入れるように言われているからね。

 いささか彼の考えとは異なるかもしれないが、否とは言うまいよ。だが構わないのかね?

 君のような優れた人物はむしろ引く手あまただ、あまりここでその時間を浪費させるのは忍びないのだが……」


「構いませんよ、こういった古い文献を紐解くのは私の趣味と研究にも繋がりますし」


カップをテーブルの上に戻し、立ち上がった俺はジェロームに断りを入れた後に《テレポート》の呪文により自宅へと移動。そこで少々準備を整えた後に再び瞬間移動で休憩室へと舞い戻る。未だジェロームのカップからはその暖かさを示すほのかな湯気が香りと共に立ち上っており、大した時間が経過していないことを教えてくれる。


「それではさっそく取り掛からせていただきますよ。先ほどはああ申しましたが時間は有限ですしね。

 手早く片付けてしまいましょう」


そう老司書長に声をかけた俺は休憩室を出ると、そこで作業していた他の司書たちからテーブルを一つ借り受けた。その上に彼らが目録の作成に使用している紙の束を積み上げ、無数の筆記具を並べた。何が始まるのかと見守る視線に包まれながらさらに俺はポータブル・ホールをひっくり返すと、その中から先ほど屋敷から連れ出した大量の小型ホムンクルスを放り出す。

体長30センチ少々で、シックな服装に身を包んだそれらはデディケイテッド・ライトと呼ばれる人造生物だが、世間一般のそれとは違う。本来の醜い姿からはかけ離れ、まさに小人さんといった風貌をしているのはわざわざテーマ特技をとってまで俺が趣味を反映させたためであり、無論それだけでなく標準的なものより数段上のスペックを有している。本来は魔法のアイテム作成を補助してくれる人造クリーチャーだが、一時期調子に乗って数を作りすぎてしまったためアイテムの強化・作成がひと段落した今となってはその全てに仕事を与えられない状態となっていたのだ。そんな彼らを有効活用しようという目論見なのだ。

これらホムンクルスは使い魔ほどではないにしろ製作者である自分と精神的な繋がりがあり、また標準的な知性を有している上に俺の強化により一般人よりは打たれ強い。戦闘を忌避する性質ではあるが、この古図書館で働く分には問題はない。そんな彼らに一体ずつ、スペル・ストアリングの指輪を通して呪文を付与し、最後に《サーヴァント・ホード》の呪文で不可視の従者をこれまた大量に呼び出した。彼らの役割は本の運搬と清掃である。

従者によって運ばれてきた本を《スカラーズ・タッチ》によりホムンクルスが内容を把握し、それをテレパシーで俺へと伝える。俺はそれらを受け取って、《テレキネシス》で操作する大量の筆記具で一気に目録を作成してしまおうというのだ。呪文により一冊の本を熟読するのに必要な時間は数秒。30体を超えるホムンクルスが同時に作業することで1時間あたりに処理可能な本の数は2万冊近い数となる。まるで暴風のような勢いで、それでいて作業は古くなった本を傷付けないように流れるように精密に行われる。精神的繋がりを経由して大量の情報が俺へと送り込まれるが、魔法神には及ばぬとも古龍や一部神格に並ぶほどに強化された知性がそれらを処理し念動力を通して紙へと情報を書き写していく。時折本棚の裏に巣食っていた邪魔者を《マジック・ミサイル》などの呪文で粉砕しつつ、要約から興味をひかれた本については俺自身も呪文で内容を把握しながら歩みを進めていく。先ほどジェロームと並んで進んだ経路をなぞって再び俺がこの図書館を1周するのには半日ほども必要としなかった。

埃が積もっていたこの階層はまるで見違えたかのように磨き上げられ、塵一つ落ちていない静謐な空間へと変貌していた。痛みが激しい書籍や本棚は秘術の力で新品同様の姿を取り戻し、内容ごとに分類されて整列している。この図書館は100年の空白期を巻き戻したかのように、いやそれ以上にあるべき姿を取り戻したのだ。


「──いや、言葉もないとはこのことだな。まるで呼吸するように自然に秘術を使うのだな、君は。

 そして使い方も我々の想像もつかない方法で、その結果もとんでもないときている。

 ドライデンが君の事を特別に気にかけている理由が解ったよ。我々凡人を何百倍としたところで、君の仕事量には及ばないだろう。

 君のこの助力にどうやって報いたものか」


一仕事終えた後、そう話しかけてきた司書長の顔には疲れと共に達成感が浮かんでいた。最初は呆気にとられていた彼らも、途中からは目録を睨みながら適正な書架の配置に頭を悩ませたり別の建物に収蔵されている書籍をこちらに運び込んで整理したりと大忙しに働いていたのだ。彼らにはこれから俺が作成した目録のチェックと公開すべきものとそうでないものの整理などといった面倒な仕事が残っているとはいえ、その表情は晴れやかだ。停滞していた業務が一気に進展したのだから、それも当然だろう。

《スカラーズ・タッチ》はウィザードだけではなくクレリックやバードの呪文リストにも記載されているが、サプリメント収録の呪文だけあって一般的ではない。呪文書に書き写せばよいウィザードと異なり、ルール上存在するが今まで未知であった呪文をクレリックがどのように行使可能になるかは興味深い点ではあるし、是非とも彼らにはこの呪文を覚えてもらいたいものだ。

とはいえ俺のように日常生活に呪文行使を取り入れているのは、このエベロンにおいてもそれほど一般的ではない。特にクレリックであれば、万が一火急の事態が起こった際にキュア系の呪文を行使する余力が失われていたというのは人命に関わる一大事だ。特に悪との戦いにその身を捧げるシルヴァーフレイム教会においてはその傾向は顕著で、呪文は温存しておくべきという風潮が強いだろう。司書という役割であるとはいえ、予備役のような役回りであるジェロームたちには受け入れられないかもしれない。


「まあ、少々変わったやり方ではあったと思いますが有用だと思われたところを取り入れていただければと。

 お礼はお気になさらずとも結構ですよ。私にとっても趣味と実益を兼ねてお手伝いをさせていただいたのですから」


仕事を終えたホムンクルス達をポーダブル・ホールに誘導しながら、司書長へ言葉を返す。それは遠慮というものではなく、本心からのものだ。他の著名な図書館ではまさかこんな風に一気に蔵書を総ざらいさせてもらえやしないだろう。蔵書の内容は彼らが大陸から持ち込んだ古い文献に加え、この都市が成り立っていく経過やその間の彼らの活動などについて記したものが殆どであったが、それらはTRPGの設定本などには記されていなかった生の情報だ。半日にも満たない手伝いでそれらを得ることが出来たのだから、むしろこちらがお礼を言いたいくらいである。

そして何よりの収穫は、この書架に収められたのちのクエストに関わる書物──『デュアリティ』の手がかりを入手したことに他ならない。今はまだそのクエストが発動する兆候すら感じられないとはいえ、このカタコンベを舞台とする一連のチェインクエストの重要なキーアイテムを先んじて入手できたことはこれからの展開に先手を打つ助けとなってくれるに違いない。ゲームの設定ではいまここには無いはずの書籍。この3冊の本を、ゲームではいくつかのクエストを終えた後に大司教へと渡すことでストーリーが進行した。そのいくつかの前提を満たしていない状況でドライデンがこれを見ることでどう動くのか。幾通りものシミュレーションを脳内に走らせながら、俺はこの手にした書物についてジェロームに語り掛けるのだった。



[12354] 7-2. デレーラ・グレイブヤード
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:b370f3d2
Date: 2015/01/25 18:43
ガラス張りの天井からは巨大なシベイ・ドラゴンシャードが放つ青い光が室内を照らしている。カタコンベと呼ばれる塔の最上階、そこは大司教ドライデンの居室であり謁見の間でもあった。室内の外周は武器を携えたシルヴァーフレイム教会のパラディン達が並び、大司教の座す司教座に通じる階段はカニス氏族から贈られた鋼鉄製の番犬達が護っている。通常のものよりもかなり大型で強力な秘術のパワーを込められたこの人造はコーヴェア大陸にある教会の本部《フレイムキープ》で炎の護り手ジャエラを守護しているドラゴンハウンド・スカラヴォージェンを模しているのだろう。

政治的にコーヴェアから切り離されたこのゼンドリックのシルヴァーフレイム教会においてまさにドライデンこそが最高位の指導者であり、その権力を示すに相応しい広間が先日の竜晶の到着によって完成したと言える。今やこの大陸での信仰はフレイムキープの炎柱ではなく塔に設えられた竜晶へと捧げられ、その教会の一切を一人の大司教が取り仕切っている。この部屋に通されたものは彼の権力を疑うことはしないであろう──それだけの意味と意思を感じさせるに十分な威容をこの部屋は有しているのだ。

その至高の司教座において、大司教は本のページを一心に捲っていた。俺が渡した3冊の本に、急ぎ目を通しているのだ。


「叔父は私が思っていたより血迷っていたようだな。こんな戯言を書き綴ったりして!」


本を読み終えたドライデンが眉をひそめ、頭を振った後、一瞬沈黙する。


「そこに書かれていることは真実なのか?」


俺の問いかけに、大司教は弱弱しい溜息と共に言葉を零した。


「君は既にこの本に目を通していたんだな、では今さら秘密にしておくこともできないだろう。

『デュアリティ』──それは我らシルヴァーフレイム信仰の腐敗の象徴。我が叔父のジェラードはその思想に取憑かれたのだ。

暗黒六帝の一柱《ディヴァウラー》の力を利用してシルヴァーフレイムの純粋なパワーとの”バランス”を図る。

それにより力と支配、悪しき者が欲する諸々のことが手に入る、とこの本には記されている。

叔父の死と一緒にあの異教信仰も消えてなくなればよかったのに! やはりこの問題からは避けて通れないようだな」


彼は忌々しそうに本を睨みつけるが、すんでのところでそれらを床に叩き付けることは堪えたようだ。邪悪な思想が記載されているとはいえ、それは敵を知る貴重な資料でもある。じっくりと研究を行うことで、対応する術を研究できる可能が残されている以上安易に処分するわけにもいかないのだ。


「我々がこの塔を開放した際、叔父はエメロ司教の墓の前で彼の骨を磨り潰していたところを発見され、聖騎士により処断されている。

 『飢えを司る《ディヴァラー》の名において、 生者と死者を支配する力を我に与えよ。 信仰者の骸よ、我が糧となれ』

 この言葉が叔父の行動の意味を今になって教えてくれた。強い信仰を持って死んだ殉教者の遺骸を口にすることで力を得ようとしたのだろう。

 信仰に身を捧げた先人に対する最大の侮辱だ! フレイムに対する冒涜でもある!」


大司教は怒りも露にそう吐き捨てた。彼の怒りは俺の怖れている未来の一つでもある。この世界は死んだらそこで終わりではない──死後の世界が明確に存在し、死者を使役する、あるいは死後の魂を収穫する恐るべきクリーチャーが現実に存在するのだ。他の世界観であれば神格に信仰を捧げ、死後はその神格の有する異界で過ごすことが出来たかもしれない──だがこのエベロンではそうはいかない。死後はドルラーにて全ての記憶を忘却するまで揺蕩うのが一般的だろうが、デヴィルに魂を奪われればそれこそ文字通りの地獄の苦しみが待っているだろう。そして仮にその魔手を免れたとしても、安らかな眠りは生者達によって容易く乱される。《デュアリティ》によって貪られるなど考えられる最悪のケースの一つだといえよう。


「だが既にその叔父とやらは死んでいる。なら今すべきことは他にあるんじゃないのか?」


問題のジェラルド・ドライデンは既に過去の人だ。ゲームの中ではアンデッドとして登場し、さらにアルカシック・ドライデンという存在が目の前の大司教に憑依することで糸を引いていたが、今現在その兆候は見て取れない。さて、この状態で大司教はどのように動くのか。そして俺はどうすべきか。


「その通りだ、ヒーロー。こうしてここに君がいてくれたことは私にとって幸運だ、まさにシルヴァーフレイムの導きだろう。

 我々が過去の亡霊と決別し、来るべき『死の接触』に打ち勝つために君の力を貸してほしい」


そう言ってドライデンは怒りをねじ伏せ、使命感に燃えた瞳でこちらを見た。








ゼンドリック漂流記

7-2. デレーラ・グレイブヤード








「よくも私の安眠を妨げてくれたな! 死ぬがいい!」


『VALAK』と刻まれた棺桶から死体が這い出てくると同時に、背後の扉が音を立てて閉じた。眼前の遺体はかつて肉だったものに集る蟲の大群に包まれてその輪郭はあやふやにしか見えないが、サイズからして人族のものであることには違いない。


「蟲どもはお前の亡骸を喜んで食い尽くすだろう」


骨だけとなった死体が完全に起き上がると、まとわりついていた羽虫達が飛び立った。アンデッドの放つ負のオーラの範囲内を飛び交うその群れはまるで黒い球体のようだ。


「あの欲の張った私の弟子が、お前をよこしたのか? だがお前の骨は永遠に、私の墓を彩る一部となるのだ!」


半ば朽ちて見える杖と、人皮と思われる禍々しい装丁がされた呪文書をそれぞれの手に持って不死者は呪いの言葉を吐く。蟲の群れを切り裂くように紫電が奔り、火球が飛び出してくる。一方の呪文を高速化したことで一呼吸の間に立て続けの攻撃呪文を放っているのだ。それでいてなおこのスケルトンはこちらへと距離を詰めてくる。それは通常の秘術呪文使いではありえないことだ。だが生者を蝕む負のオーラを放射する呪われた存在はそのような定石には囚われない。この霊廟の主、秘術使いヴァラクは肉体の死を迎えてなお生前の能力と知性を失っていない。

──だが、俺の前では全くの無力だ。《ファイアー・ボール》や《ライトニング・ボルト》は俺の産毛の一本すら焦がすことは出来ず、絶望をもたらすはずの負のエネルギー放射は微風のようにしか感じられない。


「何を勘違いしているのか知らないが、俺の依頼主はあんたの弟子ではないぞ」


近寄ってきたのを幸いと、抜き打ちざまに剣を一振り。両手剣ほどの長さでありながらも小剣であるかのように感じさせる金色の刃が呪文書を持つ腕を両断するが、破壊はそれだけでは留まらない。《サン・ブレード》という銘をもつこの剣はアンデッドに対して極めて強力な破壊力を有しており、切断面から注ぎ込まれた正のエネルギーが不死者の肉体を破壊していくのだ。しかも俺が手を加えたことによりさらに研ぎ澄まされたその性能は死者の天敵ともいえるほどだろう。

自らの肉体が徐々に光の粉へと転じていくというのは果たして死者にとってどのように感じるものなのだろうか──それを問う間もなく、ヴァラクのスケルトンは消滅する。自身のステータスをチェックし、経験点が入っていないことを確認して溜息を一つ。もはや脅威度7以下の敵はどれほど倒しても俺の糧となることはない。それがクエストのボスであっても変わらないようだ。

ストームクリーヴ・アウトポストでの戦闘とタイタンに関連した一連のマインド・フレイヤーとの死闘は俺を一気に成長させた。日本語版MMOのレベルキャップであった16まであと一つだ。だが、そのために必要な経験点を稼ぐ手段は限られている。この世の中で一流と呼ばれるラインは5Lv~6Lvであるのに対して、そこからさらに一回り成長した相手でなければ俺は経験点を得ることが出来ないのだ。勿論、文明圏でもそういった実力者がいないわけではないが大抵は高い地位を有しているか氏族に囲われているなどで気楽に手合わせを申し込めるような相手では無い。

一方で文明圏の住人ではない、野生のクリーチャー──例えばストームリーチの近郊で稀に見ることもあるゴルゴンは石化ブレスを吐く鎧をまとった牛のような魔獣だが、これの成獣の脅威度が8で経験点となる最低ラインだ。しかし俺一人で倒した際に得られる経験点は375でしかない。対して15Lvから16Lvに必要な経験点は16万点だ。占術を駆使して毎日一頭を探し当てたとしても1年以上かかるというのでは効率が悪すぎる。

勿論、ゼンドリックの奥地には悪の巨人の集落や残忍なドラウの里などもあるわけだが、経験値稼ぎのためにそこに突入するというところまではまだ割り切れていないのだ。それだけにドライデンの依頼は渡りに船かと思ったのだが──




「トーリ、君であれば《死の領域・ドルラー》のもたらす災厄の事についても十分承知しているだろう」


謁見の間から場を移した、人払いのされた応接間で俺と向き合う大司教はそう呟いた。


「一説ではあの『最終戦争』すら、かの次元界が自らに死者の魂を招き入れるために引き起こしたのだ、といわれている。

 それが正しいかを知る者は人の身には存在しないだろうが、結果として多くの命がコーヴェア大陸で失われたのは確かだ。

 そして災厄はこの都市でも起こっていた。かつてこの地で秩序を守ってきた我々の先祖がこの塔を失ったのも、それに起因するものだ。

 100年に一度、この物質界に最接近する《死の領域》は多くの災いを落としていく。生と死の境界は曖昧となり、安息に囚われたはずの死者の魂が現世へと舞い戻るのだ──かつてこの地に葬られた殉教者たちの遺骨に、どこのものともしれぬ悪霊の魂が憑りつきスケルトンとして暴れはじめたのだ。

 それだけではなく、死者に憑依した悪鬼が生者を謀ってその魂を弄ぼうと暗躍した。

当時の記録は混乱のため多くは残されていないが、それは大変なものだったようだ。我々がこの塔を取り戻し、再び死者を鎮魂するのに100年近い年月を必要としたほどに」


ドライデンがここでいう悪鬼とは、ドルラーに住まうデーモン"ナルフェシュネー"のことだろう。脅威度14という数字は俺からしてみれば射程に捕えた瞬間蒸発させられる程度の小物でしかないが、一般的には街一つに甚大な被害を与えうる存在である。この地のシルヴァーフレイム教会が壊滅的な被害を受けていたとしても不思議ではない。


「そして、その災厄の日からまもなく100年だ。《死の領域》の周期は乱れることなく、再びこの物質界に近づいてきている。

 再びこの地が死と混沌に飲み込まれぬよう、私は出来るだけのことをするつもりだ──」


そう言って語られたドライデンの計画は大がかりなものだった。それはこのストームリーチの街全体を、《ハロウ》による結界で包むというものだ。これによりドルラーが接近しようとも死者が起き上がることは無く、例えアンデッドが発生したとしてもそれは街の外部での事となり街壁によって被害を防ぐことが出来る。一部の霊体は障害物を通過するとはいえ、そういったクリーチャーの脅威である負のエネルギーによる接触や能力値吸収を無効化することが出来るのは大きい。

だが勿論問題はある。単純には費用の問題だ。《ハロウ》の呪文行使に当たっては触媒が必要であり、最低でも金貨1000枚分もの薬草や香油を消費するし、彼が言うような効果を付与するのであれば一度の呪文行使で金貨5000枚分だ。そして街全てを覆うとなると、100回の呪文行使ではきかないだろう。声望を高めているシルヴァーフレイム教会といえど、容易に支払える額ではないはずだ。


「勿論それは解決しなければならない問題ではある──だがそれこそが私の仕事でもある。

 だから君には実働の場での最も重要な役回りをお願いしたい。勿論、相応の報酬は準備させてもらうつもりだ」


そう告げられたドライデンの言葉から今日という日まで、実に10日しか経っていない。彼はその間にこの街の領主たちを説き伏せるだけでなくスポンサーとして担ぎ出し、術の行使に必要な経費の大部分をストーム・ロードたちに負担させて準備を整えて見せたのだ。ある程度事前に根回しをしていたであろうとはいえ、現在の緊張溢れる領主たちを相手に大規模な提案を通してのけるその政治力は見事と言うに他ならない。確かにレベルや戦闘力でいえば彼は俺とは比べるべくもないほど弱小ではあるが、こういった影響力や戦略を実現する段においては俺には出る幕がない。ドライデンは自らの役割を英雄の働く場を設える介添人だと言っていたが、その仕事は十分に成し遂げていると言えるだろう──そして俺は経験点を稼ぎながらその役割の一端を担う。まさにWin-Winの関係だと思ったのだが。


「まあそう都合よくはいかないってことだな」


霊廟の主を滅ぼした後の探索を一通り終え、内部の罠を含めた障害を全て無力化したことを確認して地上へと足を向ける。このエベロンでは火葬ではなく棺に納められた遺体を埋葬するのが一般的だが、単に埋めた上に墓標を建てるのではなく係累の棺を納める霊廟を建てているケースもある。その中でも最も大きいものはこの墓地の異名でもあるストームリーチの開祖の一人、魔女デレーラ一世の墓である。丘をまるまる一つくり抜いて建造されたその地下構造物に比べれば小さいものの、他にもこういった様式で地下深くまで続く墓所というものはいくつも存在する。それらは副葬品の盗掘などを恐れて罠が仕掛けられていることも有り、まさしくダンジョンといっていい。こういった地下構造物の探索を兼ねた掃討は聖騎士達も不慣れであり、俺のような冒険者が適役というわけだ。

一方でシルヴァーフレイム教会の戦士たちは、俺が戻った地上で激しい戦いを繰り広げていた。夜を包む暗闇を打ち払わんと大量の篝火が敷き詰められた街の一角が、鋼の打ち合わされる音と怒号で満たされている。板金鎧の上から羽織られた青と白のサーコートを翻し、聖騎士達が肩を並べて戦列を維持していた。そこに打ち掛かるは暗闇から湧き出てくる大量のアンデッドの群れだ。そのほとんどは大した脅威とはならないゾンビだが、時折それらの集団に紛れてグールが地を這うように襲い掛かってくる。ゾンビ達の足の間を縫うように移動するグールたちは、騎士の脛などへ噛みついてその麻痺毒を注入しようとするのだ。そしてさらに厄介なことに頭上からはスケルトン・アーチャーの放つ矢が降り注ぐ。正面だけでなく頭上と足元へと注意を払いながら戦い続けることは歴戦の戦士たちでも困難であることは間違いない。だが彼らの士気は尽きることを知らぬかのように高い。


「For the Flaaaaame!」


信仰を捧げる祝詞と共に彼らの祈りが天から炎を降らせた。《フレイム・ストライク/業火》と呼ばれる信仰第五階梯の呪文が成す火柱は、例え火に対する抵抗があろうともその半ばを構成する純粋な信仰エネルギーで対象を焼き払う。その呪文によって敵の集団が薙ぎ払われたことで生じた空隙を利用して騎士たちは交代を行い、休息の間に信仰呪文や秘薬で傷を癒した者達が再び前線を構築する。夕暮れ時から開始された戦闘は既に10時間以上もの間継続されており、聖騎士達が屠った不死者の数は三桁を大きく上回っていることは間違いない。だがそれでも騎士へと襲い掛かる敵の圧力は一向に減じてなどいない。


「間もなく夜明けだ! それまで誰一人欠けることは許さんし、忌まわしき不死者達を一匹たりとも通してはならん!

 横に並ぶ同志と、背後の護るべきものの為に剣を振るえ! 一人一人の持つ火が集い、炎となって悪を打ち払うだろう!」


押し寄せる暗闇と悪のプレッシャーを指揮官の鼓舞が跳ね返す。善と悪のオーラが光と闇の境界線で激突し、激しく争っている。それは信仰のエネルギーを消費しながらも均衡を保ち、ついに太陽が顔を出す時間となった。それと同時に呪文が完成し、区画をひとつまるごと聖別する。それが《ハロウ/清浄の地》の効果だ。ゾンビやスケルトンといったアンデッドは特に陽光の下での活動に弊害があるわけではないが、聖別された空間を嫌ったかのようにその圧が減じていく。騎乗した聖騎士達の集団がその逃げ散る敵を追撃し、勢力圏を確保すると次の術者がさらなる《ハロウ/清浄の地》の詠唱に取り掛かる。

この儀式呪文は発動に24時間を必要とするが、一度発動すればその効果は1年間継続する。呪文の詠唱を続ける術者は設えられた神輿のような台座で儀式を行っているが、これはただのはったりではなく意味があってのものだ。霊体系の敵に地中から奇襲されて詠唱を妨害されないよう、地面とはある程度の距離を離す必要があるのだ。他にも呪文行使可能な高位のアンデッドが《テレポート》などで強襲してくる可能性などもあり、特に手練れの聖騎士達が儀式場の周囲を固めている。ヴァラクの霊廟を片付けた俺は、慌ただしく次の儀式の準備を行っているその場所へと近づいていくと顔なじみへと声を掛けた。


「司祭アストラ、少しお時間をよろしいでしょうか」


そうやって話しかけたのは重装の板金鎧を身に纏った女騎士だ。魔法で鍛えられたミスラルの上から特殊鋼による装飾がされており、胸部には蒼炎をあしらったプレートが嵌め込まれている──『忠義の砦』と称される、教会に対して大きな貢献をなしたものに与えられる強力なマジックアイテムだ。それに身を包んだ彼女はゲームのプレイヤーとしてもなじみ深い存在で、教会に対する貢献が深まれば様々なアイテムを融通してくれるという点でお世話になったものだ。


「トーリ殿か。こちらもひと段落したところだ。まったく、いくら倒してもキリがない。まるでこの世の死者全てを相手にしているかのようだよ──」


重装の頬当てから僅かに覗く表情には、やはり疲れが見て取れる。肉体的な疲労は呪文で取り除くことが出来たとしても、精神的なそれは同じようにはいかない。特に呪文の使い手であれば睡眠が不可欠だ。半日後に行われる戦闘に向けて、彼女もこれから交代で休憩を取るのだろう。


「皆さんが地上を抑えていただいているおかげで私の仕事は順調ですよ。報告にあった死霊術士の霊廟を一つ片付けておきました」

「そうか、それは有難い! 後背からアンデッドに挟撃されては厄介だからな、これで今夜の戦いも後顧の憂いなく進められるだろう。

 早速その霊廟内にも《ハロウ》執行の術者を送るように手配しておこう」


彼女の言伝を受け、従兵が駆けていった。早速術者を手配してくれるのだろう。なにせ儀式に24時間必要なうえに、今はこの墓地区画の地上を覆うのに大部分の司祭が動員されている。勿論予備人員もいるのだろうが、《ハロウ》を行使できるほどの術者となればそれなりの役職についているのが当然だ。その差配をするのも簡単ではない。

しかし、シルヴァーフレイム教会の層の厚さには驚嘆させられた。《ハロウ》は《レイズ・デッド/死者の復活》と同じ信仰第五階梯の呪文であり、クレリックであれば9Lvが必要だ。それだけの術者を10名以上同時に結界の展開に動員しつつ、押し寄せるアンデッドの波に対抗する前線を支えるだけの戦力を十分に維持している。大半はNPCクラスであるウォリアーであるとはいえ、装備や練度は高水準であり指揮を行っているのは優れた聖騎士達だ。《リング・オヴ・ストームズ》での戦いを経たことで、集団としての戦力はこのストームリーチでも頭一つ抜けた存在になっている。コーヴェアにおける教会の在り方を否定している以上、ここでドライデンが政治に関わろうとはしないだろうが強力な同居人を抱えることとなったストーム・ロード達の動きが心配だ。特にこの墓所での作戦行動には所有者であるオマーレン家の意向が大きく働いているはずで、大司教の彼らの間でどのような取引が成されたのかは気になるところだ。

実際のところ、今回の作戦に置いても大デレーラが葬られている墓所は俺は立ち入りが禁じられている。丘の地表部分には墓もなく、内部についてはオマーレン家が代々管理をしているので問題ないという話だ。俺の知る未来の展開では大デレーラに関わるチェイン・クエストもあるのだが、今のところその兆候は見て取られない。むしろこの墓地の霊廟を全て浄化してしまえば予防できるだろうと考えている。そういう意味でも、このシルヴァーフレイム教会による試みは俺にとっても有益なものなのだ。


「それではトーリ殿、また今晩に会おう。教会は貴殿の働きにひどく感銘を受けており、共に働く機会を楽しみにしているものも多い。

 近づきつつある暗闇に対抗して戦うには、強い信念を持った君のように勇敢な者達の力が必要だ。引き続きよろしく頼むよ」


そういって一旦の別れを告げた司祭から離れ、暁光で照らされた墓地の大門を潜って自宅への道を歩く。閑静な住宅街であるこの区画は、陽が昇り始めたこの時間帯はまだ静寂に包まれている。酒場兼宿屋となっている店舗が空気の入れ替えのために大きく窓を開け、店内の清掃を開始しているのが唯一の例外だ。近隣の住民としてすっかり顔なじみとなった店主とあいさつを交わし、朝市の仕入れ品からのおすそ分けを頂戴するとその果実を平らげる頃にはもうわが家へと到着だ。

敷地を示す黒鉄の支柱の高さは3メートルほどだが、姿を消したシャウラに替わって番を行う2体のアイアン・ゴーレムの姿はそれらよりさらに高く、その肩口から上を覗かせている。実際の戦闘力は兎も角、不心得者が受けるプレッシャーとしては随分なものだろう。その横を通り過ぎ、玄関の扉を開けようとしたところで俺の横にふわりと影が降り立った。


「おかえり──その様子だと怪我はなさそうだね」


その正体は勿論ラピスだ。彼女がシルヴァーフレイムからの依頼を受けるはずもなく、ここしばらくはメイと二人で秘術の研究にかかりきりだがどうやら今朝は出迎えに来てくれたようだ。その間子供たちの面倒はほぼエレミアが一手に抱えており、彼女たちはローテーションで留守の間の警戒も行っているのだが今の時間帯はラピスの担当だったのだろう。


「アンデッドの巣穴を一つ潰しただけだからな。俺が留守の間こっちにも特に異常はなかったみたいで何よりだ」


実際のところ、今日はお互いが様子見の状態だろうと考えている。墓地の奥から送り込まれてくるゾンビは統制も取れておらず、おそらくは死霊術士がアンデッドとして作り上げた後に制御を放り出してしまった烏合の衆に過ぎない。弓を射かけてくるスケルトン・アーチャーやゾンビに隠れて襲ってくるグールが厄介ではあるが、レイスなどの非実体クリーチャーはまだ出現していない。デレーラ墓地の奥には市民権を持たない者や犯罪者の遺体が葬られる『ペニテント・レスト』という区画があるのだが、どうやら大量のゾンビはそこから墓地へと送り込まれているらしい。《ハロウ》の展開のため、そこまで進んだ時こそが正念場になるだろうというのが俺とアストラの共通認識だ。

そこにいる死霊術士の事は既に明らかになっており、生前はデスシャドウと名乗っていたムーンシャドウ・ライトフットという名のハーフリングだ。実はこのハーフリングはご近所さんであったのだが、禁じられた住宅地での死霊術研究──アンデッドの作成──を行っている罪で犯罪者となり俺が討伐したという経緯がある。その際に遺体は証拠の一環として引き渡したのだが、今や悪霊となって蘇り、デスシェイドと名乗って生前の研究を墓地の奥深くで続けているというわけだ。

そこまで判っていれば俺が突っ込んで退治してしまえばそれで済む話ではある。だが実際にそれを行わないのはそこまでの仕事を求められていないことに加え、シルヴァーフレイム教会の成長に水を差したくないからだ。俺がゾンビをいくら倒しても経験値にはならないが、彼らが倒せば成長につながる。無論、犠牲は出るだろうがそれを判断するのはドライデンの役割だ。どうにもならない事態であれば声を掛けてくるだろうし、そうなれば手を貸すつもりはある。

ラピスは教会が気に食わないかもしれないが、善の勢力が成長することはこの街の治安向上に役立つ。常に留守番役を置いておくことが出来ない以上、不心得者が出ない環境作りは必要だ。一定水準以上の相手に通用しないのは仕方がないが、そういった例外はどこにいても避けられない。そして治安が向上すれば人口が増え、流通が増えれば様々なアイテムの入手が手軽に行えるようになる。このエベロンでも最大規模の都市であるシャーンとまではいかないにしろ、このストームリーチには発展してもらいたいものだ。


「何、また何か悪巧みでもしてるのかい?」


隣を歩くラピスがこちらを覗き込むようにして話しかけてくる。まったく見当違いも甚だしい。悪事を働くなんてことは、死後のことを考えれば恐ろしくて出来たものではないのだ。


「何、皆が平穏で無事に暮らせますようにって考えてただけさ。ラピスも嫌いじゃないだろ? そういうの」


軽口を交わしながら玄関をくぐる。そう、実際のところそれが出来るのであれば一番なのだ。



[12354] 7-3. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 1st Night
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6c5ade7
Date: 2021/01/01 01:09
その日の始まりは、いつもと変わらぬ曇り空だった。相変わらずカタコンベ周辺には群衆が集まり、シルヴァー・フレイム教会の司祭たちが人々に陽が沈んでからの外出を控えるように呼びかけていた。墓地における彼らの作戦は滞りなく完了し、さらに街の大部分をも《ハロウ》が覆い尽くしている。少なくともその範囲内で死者が起き上がることは無く、死霊が人を害することは無いとあって街を行きかう人たちの間に不安感は無い。100年に一度の凶事とはいえ、住人の大部分にとっては初めての経験なのだ。エルフやドワーフといった長命の種族においても100年をこの都市で過ごした者は少なく、また街の外でアンデッドが生まれたとしても高い街壁が彼らを護ってくれることを信じていた。

夕方になっても、いつもより薄暗いのは雲が分厚いせいだろうと誰もが思っていた。海から吹き付ける風が熱風であるはずなのに時折体に寒気を感じさせるものであったとしても、それはすぐに周囲の熱に紛れて消えてしまった。街角で叫ぶ狂人の戯言がねじれた狂気ではなく絶望を告げるものであったとしても、誰もが聞き流していた。

──そして太陽がいつものように山脈の影に沈み、夜が訪れた。








ゼンドリック漂流記

7-3. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 1st Night








全身を包む寒気。体の表面だけではなく、内臓までもが直接冷気に晒されたかのような違和感。まるで空気ではなく、世界そのものの温度が下がったかのような感覚だ。だがそれは人体以外には影響を及ぼしていないようだ。その証拠に夕食としてテーブルの上に並べられたスープから立ち上る湯気は変わりない。だが室内を照らす魔法の照明は明らかにその光度を減じており、部屋は薄暗く感じられた。さらに全身に押しかかる重みは、明らかな異常を示していた。


「──トーリさん、これは」


勿論その違和感に気付いたのは俺だけではない。テーブルを囲んでいたメイが警戒を促すように声を掛けてきた。子供たちの幾人かは突然重くなったフォークやナイフを取り落しており、違和感に周囲を見回しているもののその正体が判らなく不安な表情を浮かべている。幸い高重力は生物にはそれほど強い影響はないのか、体の動きは僅かに鈍る程度だが身に纏う衣服や装具はその重量を倍したような重さを伝えてくる。


「全員慌てず、食事を片付けよう。それが終わったら今日は全員大部屋に集まって過ごすようにしてくれ。

俺達は後で外の様子を見てこよう」


重くなったフォークとナイフに違和感を覚えながらも、しっかりと時間をかけて皿の上の料理を片付ける。これはただの食事ではなく、口に入れた者に活力と勇気を付与してくれる特別な晩餐食──《ヒーローズ・フィースト/英雄たちの饗宴》と呼ばれる呪文効果による産物なのだ。これは1時間の儀式にも似た食事を終えれば、毒と恐怖効果に対する完全耐性を与えてくれる高レベルの冒険者御用達の信仰呪文だ。このエベロンではガランダ氏族によって提供される高価なサービスの一つであるが、俺は今回『死の接触』という非常事態に備えてこれをスクロールで用意していたのだ。

初めて遭遇する他の次元界との接触──特に危険極まりないことが予想されるドルラーとのもの──に対して警戒をしていたつもりではあるが、どうやらそれでは足りなかったかもしれない。窓から覗く空の色は墨で塗り潰したように真っ黒で、あれほど大きな月や星の輝きは何一つ見つけることは出来ない。ベランダや庭に出て全天を眺めたとしても結果は同じだろう。どうやら想定を超える事態に巻き込まれてしまったようだ。


「護りのための仕掛けは起動していく。建物の外の事は気にしなくていい、例え俺達が外から呼びかけたとしてもドアも窓も開けないように。

 大部屋に集まって、そこから動かないこと。来客が来たとしても相手にする必要は無いからな」


玄関で他の皆の準備を待っている間、留守を任せる子供たちに注意事項を伝えた。屋敷は難攻不落といっても過言ではないほどに俺が手を加えている。立てこもっているのがカルノ達少年少女だけであったとしても、俺のいいつけを守ってさえいれば例えウォーフォージド・タイタンの集団が攻めてきたとしてもびくともしないだろう。それなら俺達も立てこもっていればいいのではないかと思うかもしれないが、現状を把握しないことには待ちの姿勢でいることが正しいかどうかも判らないのだ。占術を行使して得られる情報もあるが、それが全てではない。


「そろそろこいつらにも実戦を経験させても構わないと思うけどね。トーリはちょいと過保護すぎるんじゃない?」


そう言いながら階段を降りてきたのはラピスだ。その体を包んでいるのは動きを妨げない黒く染め抜かれたローブで、要所にはポケットが仕込まれておりスローイング・ナイフが多数仕込まれている。その一つ一つには凶悪な呪文が封入されており、命中と同時に解き放たれるのだ。常日頃からの準備が必要とはいえ、その瞬間最大火力は俺のチート仕込みの秘術呪文と遜色ない。だが真に恐ろしいのはその隠形能力だ。高い技能と魔法のアイテム、そして彼女に宿った種族特性が相乗効果を発揮しているのだ。本気で隠れた彼女は俺が最高の知覚能力を発揮しても見つけることは出来ない。


「まあまあ、ラピスちゃんの言う事も解りますけど、今はそれくらい警戒しておくに越したことは無いですよ。

 これから何が起こるかわからないんですから」


ラピスに数歩遅れてやってきたのはメイだ。ラピスとは色違いの竜紋が刻まれたローブは術者であり打たれ弱いという彼女の欠点を補い、またその呪文を相手に通じやすくするという神秘の力を内包している。他にもリングや呪文で強化された彼女の呪文の強度は一般的な呪文ではもはや解呪が不可能な域にまで達している。複数の秘術系統を修める『アルティメット・メイガス』という上級クラスを極め、並の術者に倍する呪文容量を持つメイのその呪文一つ一つがそれだけの精度を有しているのだ。呪文を相殺しあうといった通常の術者同士の戦い方はもはや彼女には通用しない。


「──私が最後か。待たせてしまったようだな、すまない」


そして最後に降りてきたのは言わずと知れたエレミアだ。戦士である彼女が纏っているのは他の二人と違ってレザー・アーマーだが、同様に刻まれた古の竜の刻印が鋼鉄を凌ぐ強度と彼女の体裁きを妨げないしなやかさを両立させている。だが何より目立つのはその武器だ。巨大な刃を両端に有するヴァラナー・ダブル・シミター。祖霊の修めた武技をこの双刃を通じて再現することで、言葉通りあらゆる者を滅ぼす彼女はヴァラナー・エルフの理想を体現した存在だといえるだろう。

俺を含めて、四人。先日までと比べると二人少ないことに少しの寂しさを感じるが、心細くは無い。戦力で言えば過剰なくらいだ。少なくとも文明圏の表舞台に、俺達四人を止めることのできる国家や組織は存在しないだろう。だが世界の影には途方もない脅威が潜んでいることを俺達は身をもって経験している。あれほどの力を振るったイスサランでさえ、『夢の領域』においては権力者の一人に過ぎないのだ。どれほど警戒してもしすぎるということは無いし、油断や慢心は禁物だ。

そう心を引き締めながら玄関の扉を開くと、いつも通り4メートルほどの距離を空けて敷地の境界を示す鉄柵が立ち並んでいる。その向こう側には舗装の行き届いていない荒れた道があり、その先には小さな木立を挟んでほぼ垂直の断崖が10メートルほど下のコロヌー川へ向けて斜面を伸ばしているはずだ。生憎と敷地内を満たしている照明も道路を照らすだけでそこまでは届いておらず、背後にそびえる街壁がカタコンベ頂上のドラゴンシャードの光を遮っているため木立から先は漆黒の闇に塗りつぶされており視認することは出来ない。だが、異常はその範囲内においても十分に観測することが出来る。

色彩はまるで灰色の分厚いフィルターを通したかのように色褪せてぼんやりしたものに映り、建物の輪郭もどこか歪になってしまったかのように見える。時折吹き付ける風によって木の葉の擦れる音が聞こえているが、それはまるで一定の音が鳴り響き続けているような単調さだ。いや、実際には複雑な音として響いているのかもしれない。それを受容する俺の感覚が鈍っているのだ。五感を通して感じられるあらゆる感覚は、まるで無機質な記号のように情報としてのみ処理されていき心に残らない。

肉体を縛り付ける高重力と感情をすり減らす無感動。何一つの望みすらなく、あらゆる記憶が零れ落ち、擦り切れるまで魂が留まる死後の世界。生きている者の魂が死後に向かう異次元、それがこの『死の領域・ドルラー』なのだ。


「やはり、この辺りは今物質界とドルラーの入り混じった『顕現地帯』になってしまっているようですね。

 今日からの一週間は二つの世界が最も近づく期間といわれていましたが、まさかここまでのことになるなんて……」


秘術を操るものにとって、物質界を含めた種々の次元界に関する知識は必須と言っていい。その最高峰であろうメイの推論に対してラピスも特に意見を挟んだりすることはない以上同意見ということだろう。一世紀に一度、一年の間ドルラーが物質界と密接に繋がる中でも最も接近する『死の接触』と呼ばれる期間。今回はどうやらこのストームリーチ近辺がドルラーに飲み込まれる事態になっているようだ。

俺が知る過去の『死の接触』にも類似の事例は存在しない。だが現在の人間を中心とした文明が発達してから4千年ほどにしか過ぎないし、その範囲はコーヴェアを中心としたエベロンの一部でしかない。俺の知らない時代、俺の知らない地域でこのような事態が発生していたとしても不思議ではない。そして記録が残っていない理由は他にも想像できる──その中で最悪のものは、飲み込まれた地方が二度と物質界に戻らずゆえにどこにも記録されていない、というものだ。

だがそんな俺の懸念をよそに、ラピスは軽い足取りで前に出ると立ち並ぶ鉄柵を透過するようにすり抜けて敷地の外へと歩み出た。


「特にこのあたりに害になりそうな奴はいなさそうだね──それで、どこへ向かうんだ?」


ここで立ち止まっていても本来の目的は果たせない。彼女が言う通り、目的地を設定して情報を集めるべきだろう。


「そうだな、まずはこのまま街の外周を回ってデレーラ墓地へ向かおう」


街の中で何かが起こる可能性が最も高そうなのは、やはり元来”死”に最も近い場所であった墓地だろうとの推測だ。市街地はシルヴァー・フレイムの警邏隊などが巡回しているだろうし、各街区には自警団も存在する。またアマナトゥの率いるシティ・ガード達は各個人の質は低いとはいえ数は多く、領主たちの潤沢な資金を背景に高品質な装備を支給されているためそれなりの能力が期待できるはずだ。街中で異変が起これば彼らが駆けつけ、大きな騒ぎになることは間違いない。全てをカバーすることは出来ない以上市街の事は彼らに任せ、大きな騒動になるようであればそれを聞きつけてから対処することにしても構わないだろう。


「了解。それじゃ先行するよ」


俺の発言を受けてラピスが先頭を切って歩き始めた。やや距離を空けてエレミア、メイと続き殿を俺が務める。闇をも見通す《トゥルー・シーイング》の効果は36メートルだ。そのぎりぎり内側の距離で、ラピスが気配を殺しながら先行している。街壁とコロヌー川で挟み込まれたこの一角はストームリーチのどの街区にも属さない地区でありそのため道も舗装が行き届いておらず、断崖沿いの木立も手入れがされていないために下ばえが生い茂り彼女が身を隠す場所には事欠かない。

街の北側に向かって伸びているこの道はコロヌー川に架けられた橋を越えて続き、北の山脈に住む友好的なゴライアスの一族などとの交易に主に用いられていた。だが今やその橋の向こう岸は見知った土地ではない。黒い泥のような輪郭すらあやふやな地面がシルヴァー・フレイム教会のシベイ・シャードから放たれる青い光に照らされている。幸い今のところはそこから橋を越えてこちらの領域へ踏み込んで来ようとするクリーチャーの存在は感じられないが、念のため呪文を一つ残していく。本当に脅威となる存在であれば大抵空を飛んでいるため効果は無いが、雑魚がこの橋を渡って市街地に侵入することを防げれば良いという程度のものだ。

橋のたもとからは道路が街中へと伸びている。ここから見る街は静まり返っており、時刻的には夕暮れを少し過ぎた程度であろうにも関わらずまるで真夜中のようだ。市街地を覆う《ハロウ》の呪文は健在で、街壁の内側はシベイ・シャードの輝きに満たされているためいつもと変わりないように見える。だが体に圧し掛かる重圧と心を萎えさせる恐怖が人々から活力を奪っているのだろう。半日ほどドルラーで過ごした生物は、意思が折れればそのまま魂が死の領域に縛り付けられてしまい物質界に戻ることが出来なくなるという。この現象がどれだけ持続するのかは不明だが、長期にわたる様であれば根本的な対策を考えなければならないだろう。だがまだそれは先の話だ。今はまず、目前に脅威が潜んでいないかの確認が必要なのだ。

橋から離れ、もはや道もなく整備されていない荒地を街壁に沿って海の方へと進む。やがて簡素な柵で覆われた、淀んだ不気味な空気に包まれた区画へとたどり着く。この辺りは『ペニテント・レスト』と呼ばれる墓地だ。市民権を失ったものや犯罪者などはデレーラ墓地に葬ることが許されず、こうやって街壁を隔てた街の外へと亡骸を埋められるのだ。遺体を燃やすために積み上げられた薪の山も、薄暗がりの中では不気味な影の塊に見える。土葬が一般的なこのエベロンで、彼らの遺体は焼いたのちに砕かれてそのあたりに掘られた穴へと埋められる。この敷地にはそうやって砕かれた骨がそこらじゅうに埋まっているというわけだ。

それでもなおネクロマンサーと呼ばれる秘術呪文の専門家たちはアンデッドとして蘇ってくることが多いと言われており、そういった者達の死体は大抵の場合は厳重に封印される。常日頃からアンデッドの動力たる負のエネルギーを扱う事から親和性が高く、その傾向が遺体にも影響するということなのだろう。当然ながら死霊術士はそのような扱いを嫌い、生前のうちに人里離れたところに自らの墓所を築き上げそこで死を迎えるのだ。俺達冒険者が墓あらしと揶揄されることが多いのも、こうやって財産を貯め込んで死んだ魔法使いの墓所へ踏み込むことを生業としている者が多いからだろう。先日、デレーラ墓地で打ち倒したヴァラクなどはその良い例だ。

だがこの街に巣食っていたあるハーフリングの死霊術士はそういった方法は取らなかった。彼は予め買収などで根回しを行い、自分の遺体をここペニテント・レストに埋葬されるように手を回していたのだ。俺が近所の治安向上のために依頼を受けて彼を倒した後、予定通りこの区画に埋葬され亡霊として蘇ったハーフリングはデス・シェイドと名乗り、地下に埋められた遺体の残骸から無尽蔵にアンデッドを産み出していたのだ。それが先日、墓地を《ハロウ》で浄化しようとしていたシルヴァー・フレイム教会たちに襲い掛かったゾンビやワイトの正体である。

だが三日間の激戦の後に全てのアンデッドは銀の炎によって焼き清められ、デス・シェイドも真の死を与えられた。そしてここペニテント・レストにも《ハロウ》が使用されたことで、ここに眠る死者たちが再び起き上がることはなくなったはずである。先行するラピスからは敵影なし、のハンドサインが示されている。それを確認し、俺達も”悔悟者のやすらぎ”へと踏み込んだ。


「《ハロウ》は問題なく持続していますね。これなら墓地から死者が起き上がって市街地になだれ込むような事態は起こらないでしょう」


展開されている結界にメイが太鼓判を与えた。墓地特有の恐ろしげな空気こそ残っているものの、今この場を満たしているのはシルヴァー・フレイムの清廉な信仰エネルギーだ。その結界は勿論街壁に設けられた通用門を通ってデレーラ墓地のほうへと連結されており、街全体を覆っている。この護りの内側ではアンデッド達特有の負のエネルギーを媒介とした攻撃が効果を発揮しないため、例え彷徨える亡者が入り込んで戦闘が起こったとしても優位を保てるだろう。そしてコロヌー川によって半島側から切り離されたような形となっているストームリーチの市街地は護るに容易い地勢だ。いくつかの橋を守っていれば、地を這う事しかできないクリーチャーが住宅地に侵入することはない。

だが、勿論脅威はそれだけではない。物質界とは異なる法則を有するこういった異次元界には、その法則に適合した強力なクリーチャーが勢力を築いているのが常だからだ。街壁の内側を偵察しているラピスが異常を察知したサインを送ってきている。その合図を受けて俺達は陣形を変更し、索敵に長けた俺がラピスを追って気配を殺しながら前へと進んだ。その一方でメイとエレミアは側面及び後方を警戒しつつ、範囲呪文で一網打尽にされぬようお互いの距離を保って散開している。

あまり整備が行き届いていない墓地の地面の窪みへと身を隠した小柄の少女の近くまで辿り着き、ハンドサインで彼女が示す方向へと注意を向ける。シベイ・シャードの輝きによって街壁の内側は薄暗い灯りで満たされている状態のため、かなりの遠方まで見渡すことが出来るのだ。俺達から見て左、市街地から見て奥側にあるデレーラ・オマーレンの霊廟の方角に大きな人型の存在が知覚できる。黄金の鎧を着用した巨人のような体格の人型生物──だがよく見るとその体は機械仕掛けの部品で出来ていることが判る。縞瑪瑙のような色合いの肌は固い装甲であり、外に纏った鋼鉄製のフル・プレートの倍以上の固さを有しているはずだ。その正体は『イネヴァタブル/避けがたきもの』。神々がこの世界から去る際に、秩序の執行を目的として産み出した機械仕掛けのクリーチャーである。

そのなかでもこれらの個体は『マールート』と呼ばれる、死の秩序を護る者だ。物質界で出会うマールートは不自然な手段で寿命を引き延ばそうとする者や尋常ならざる手段で死を欺く者達を裁きこのドルラーへと連れ帰ることを使命としていることが多いが、このドルラーにいる彼らは違う役割を担っている。正しい道筋に沿って魂が循環することを妨げようとする者──デーモンやデヴィルといった魂を狙う悪の存在を駆逐する、安息の守護者なのだ。

人造クリーチャーである彼らの能力はその体の大きさからある程度判断することが可能だ。一般的なマールートは人間の倍、つまりトロルやオーガといった大型種と同程度のサイズだが、今遠目に見える人造たちはさらにその倍近い体躯を有している。鎧以外は武器を帯びていないように見えるが、その体から繰り出される叩き付け攻撃はけっして油断できないだろう。なによりも『マールート』は雷の化身とでも呼ぶにふさわしい能力を有している。一方の拳には電撃が、もう一方の拳には雷鳴が宿っており、打撃と共にそれらが叩き込まれるのだ。直撃すれば例え即死しなかったとしても視覚と聴覚がしばらくは使い物にならなくなることは間違いない。

距離を取って戦おうにも、多彩な疑似呪文能力を無尽蔵に放ってくる上に自身は高い呪文抵抗能力と再生能力を有しており、人造故に疲れることなく永遠に戦い続けることが可能なのだ。死者の安寧を護るにあたって、これほど適した存在は他にないだろう。一度定めた目標を永遠に追い続けるしぶとさと、高い叡智を兼ね備えた強力な狩人。敵に回せば厄介だが、幸いなことに今の俺達と敵対する状況ではないはずだ。おそらくこの墓地は彼らのテリトリーであり、魂を収奪に現れるデーモンやデヴィルからこの地を護っているのだろう。


──墓地に他に変わったところはないよ。どうする?


判断をこちらに委ねるサインをラピスが出しており、俺の決断を待っている──彼らに接触するべきか否か。友好的に接触できるかもしれない原住クリーチャーからであれば有益な情報が入手できる可能性がある。一方で彼らはオマーレンの墓所を護っているようにも見え、あの領主一族と何らかの関わりがあるように見える。あの丘に眠るデレーラ・オマーレン一世は魔女として怖れられ、ストームリーチの歴史が始まる際にも大きな役割を果たしたことで知られる近代の偉人だ。ゲームでは彼女の亡霊と相対するシナリオもあったが、その原因となるヴォル崇拝のネクロマンサーは現在コーヴェア大陸にいてここストームリーチにはやってきていないことが確認できているため現時点では俺の知識はあてにならない。


──俺一人で行く。ラピスはそのまま待機、エレミアとメイは連中の索敵範囲外で墓地の外側と空の警戒を続けてくれ。


そう指示を飛ばすといくつか装備を入れ替え、遮蔽物から身を離した俺はデレーラの丘へと歩き出した。ランタンを手に持ちながら暗闇の中を進む俺の姿は彼らの目にもよく見えたことだろう。20メートルほどの距離まで近づいたところで、彼らはその両の拳を胸の前で打ち付けて警告を発してきた。間近で落雷が起こったかのような轟音が通り過ぎた後、硬質な声が墓地に響き渡った。


『生者よ、其方の命運はいまだ尽きておらずこの地にあるべきではない。速やかに自らのあるべき場所へ戻るがいい。

 もし我らの役割を妨げるのであれば、肉を纏ったままこの死者の列に並ぶことになることを覚悟せよ』


十分に距離はとっているはずだというのに肌にピリピリとした感覚が伝わってくるのは、この人造が宿している強大なエネルギーを感じさせる。初期の態度は中立か、残念なことに非友好的といったところか。相手が生物であれば精神作用系の呪文によって情報を得ることは容易いが、『人造』種別のクリーチャーは基本的にそういった精神作用に対する完全耐性を有しているためその手段は取れない。

だが、そんな相手であったとしても知性を有しているのであれば会話は通じるのだ。呪文によってではなく、交渉を通じて情報を吸い出せばよいだけの事。今の俺であれば例え相手が敵対的であろうとも、僅かに言葉を交わすだけで相手の態度を激変させることが可能なのだ。

ランタンを足元に置き、武器を持っていないことを示すために掌を開いたまま相手の警戒心を煽らないようにゆっくりと両腕を左右に広げる。まだ何一つ言葉を発してはいない。だがすでに交渉は始まっているのだ。相手の意識をこちらに引き付けて、俺の動きに対するリアクションから詰将棋のように相手の行動と思考の先を読む。あとはその閃きを追いかけるように、言葉を投げかければよい──。





[12354] 7-4. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 2nd Day
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6c5ade7
Date: 2021/01/01 01:09
東の空から朝日が差し込んできた。それは街を覆っていた陰鬱な空気を切り裂き、体に触れればそこから怖気を取り払っていった。街を照らす照明はその灯りをよみがえらせ、どこか狂っていたように見えた色彩も元の色合いを取り戻し、夜の間じゅう心に圧し掛かっていた不安と絶望は消え去った。
本来の夜明けが訪れると共にストームリーチはドルラーの抱擁から逃れることとなったのだ。

マールートから予め聞いていたとはいえ、再びこうして朝を迎えることが出来たことにほっと息をつく。もしこれがあと数時間も続くようであれば、長時間異次元界からの影響に晒され続けたことで、街そのものが物質界に戻ったとしてもそこに住む生物たちの魂はドルラーに捕えられたままとなってしまう可能性が高かったからだ。俺と仲間達のような一握りの高レベルな存在だけが物質界に帰還できたとしても、大部分の住人が失われてしまってはこの街を維持することは不可能だ。その最悪のケースを避けられたことが今は何よりもありがたかった。

しかし、普段であれば陽が昇ったことで動き始めるはずの街は未だに沈黙を続けている。一晩の間に刻みつけられた心の傷跡が人々から気力を奪っていっているのだ。太陽の光が優しくそれを癒すにしろ、それにはある程度の時間が必要なのだ。街がいつも通りの喧騒を取り戻すにはまだしばらくの時間が必要になることだろう。

だが一方で、夜の間恐怖に抗い続けた者達もいた。








ゼンドリック漂流記

7-4. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 2nd Day








いつもは食事が並んでいるはずの大テーブルの上を、幻術で映し出された街の図面が占めていた。”トラベラーの呪い"によって地図を作成できないというのがゼンドリックでの探索行を困難にしている最大の原因だが、それはもう少し密林を踏み込んだ先で顕著になる出来事であってこのストームリーチの市内ではそのようなことはない。逆にそういった事象を避けた位置に都市が建設されていると言った方がいいだろう。巨人文明の遺構を様々な種族が利用したその現在の姿がこのストームリーチなのだ。都市の街壁から下水設備など、その先代以前の住民による恩恵は数知れない。


「『サマーフィールド』だけどね、昨晩は大勢がヴォルの教会が随分と繁盛していたよ。

あのあたりの連中は教会を嫌ってるから、夜間の外出禁止なんてのは誰も聞いちゃいなかったみたいだ。

 そうやって外にいた連中が恐慌を起こしてローズウッドに駆け込んだんだろうね」


昨晩マールートからの情報を得た後、メイとエレミアを屋敷に帰した一方で俺とラピスは情報の裏を取るべく手分けして街とその周辺の偵察を行っていた。今はラピスがその幻術の地図の上を指さしながら昨晩の結果を報告しているのだ。ストームリーチの南側を占める《サウスウォッチ》は『グラインドストーン』と『サマーフィールド』の二つの区画からなっているが、共通しているのはここに住んでいる住民は貧困などの理由で他の区画に住むことのできない者達だということだ。特に『グラインドストーン』はカルナスからの移民が多く、彼らは閉鎖的な共同体を構築してまるで自治区であるかのように振る舞っている。

この区画を支配しているストーム・ロードはセル・シャドラというノームの女性だが、彼女もこのカルナス人たちには手を焼いている。とはいえ、特にこの街の犯罪組織を影から支配している彼女にとってみればそれすらも見せかけに過ぎないのかもしれない。『ヴォルの血』を崇拝するカルナス人たちはシルヴァーフレイム教徒と反目しあっており、こういった勢力のぶつかり合いの中で利益を上げるのは彼女にとって得意分野なのだから。

ラピスの言ったローズウッドというのは『グラインドストーン』に存在する”ヴォルの血”の教会だ。一般的にヴォルの血の教義はアンデッドと化すことで死を克服することだと言われている。まさに今回のドルラーの接近によって死の恐怖にさらされている者達には、シルヴァーフレイム教会ではなくヴォルの血に縋ろうというものも多いだろう。様々な意味でこの二つの宗教は対立しており、不倶戴天の仇敵同士であるといえる。最終戦争においても、カルナスとスレインといえばその宗教の違いから最も苛烈な戦いを繰り広げた二国として知られている。

一般的なヴォルの血の信徒はこの宗教がある邪悪なリッチの手先であることを知らない。生きるという事は生と死のせめぎあいであり、アンデッドになることがその戦いに勝利する手段の一つであると考えており、その真の目的を知らずにいる。むしろカルナスの現国王カイウス三世がこの宗教を弾圧し始めたことで、信仰を護るために祖国を離れこのストームリーチにやってきた純真な信仰者も多いほどだ。このため、カルナス人の多い《サウスウォッチ》においてはシルヴァーフレイム教会の影響力は皆無に等しい。それどころか、その聖印を掲げて歩き回ろうものなら血気盛んな自警団の若者たちとの間で衝突が起こることはまず間違いないだろう。

この『死の抱擁』に対するヴォルの血の動き──それを確認すべくラピスに潜入を行ってもらったのだが、どうやら特筆すべき情報は得られなかったようだ。アンデッドとなったことで死を克服した彼らにとっても、この『死の抱擁』は忌むべきものなのだ。文字通り、”アンデッド”は生者と異なり負のエネルギーを活力とすることで死を免れた存在だ。あるいは、彼らを狩りたてる存在であるマールートのことを察して大人しくしているのかもしれない。いずれにせよこの『死の抱擁』に際して、街の不穏分子の一つであるアンデッド達がいらぬ騒ぎを起こさないのであればそれに越したことは無い。勿論油断するわけではないが、いつも通りの警戒でいいという判断だ。


「そうなると、街の中には特に改めて注意する対象は無いという事か」


《サウスウォッチ》のアンデッドに動きは無く、《ハーバー》はハーバー・マスターの手腕により治安は大幅に改善されており揉め事の気配はない。それ以外の区画はシルヴァーフレイム教会とシティ・ガードによる警邏が行われており、街壁の内側の脅威は大部分が俺の手によって駆除済みだ。この機に乗じて騒動を起こしそうなものは、あとは反目し合うストーム・ロード達くらいのものだ。そしてそれについては自分たちに火の粉がかからない限り俺は手を出すつもりはない。エレミアの確認の言に頷きながら、今度は俺が昨晩の偵察の結果を皆に告げた。


「街の外だが、マールートから聞いていた通り不定形の大地が延々と続いているようだった。

少なくとも哨戒した範囲にはデーモンやデヴィルは見当たらない。遊撃部隊との不意の遭遇はあるかもしれないが、可能性は低いだろうな」


マールートが言うには、このドルラーにおいて地形とは死者の魂から零れ落ちた記憶の影響を受けて形作られている。そして魂の大半は、物質界において埋葬された土地に相当するドルラーの然るべき場所へと集まるようだ。このため、ドルラーは人口密集地においては物質界に相似した姿を有しているが街から離れれば徐々にその輪郭は不確かなものとなっていく。おそらくはこの大陸に数多く存在する古代巨人文明などの遺跡周辺なども、多くは墓地を含んでいることから同じことが言えるだろう。一方でそれ以外の土地については不確かなものだ。

知性のある生物だけでなく動物たちの魂もがドルラーを訪れることからまったくの虚無というわけではないが、それらはまるで泥のように不安定なものだった。踏み込めば僅かな足を取られる感覚が残るが、それは靴にまとわりつく粘度などではなく、こちらの四肢から何かを奪い去ろうとでもするような意思を感じさせるものだった。少なくとも、定命の存在が足を踏み入れていい場所ではない。短い時間でもそう感じさせるに十分なものがそこには存在していた。あの次元界において大地とは魂から零れ落ちた記憶の集合体であり、それは独特の吸引力を持ってあの次元界に流れ着いた魂から情報を吸い続けているのだ。

そしてそのドルラーには、マールート達の対極として魂を駆り集めるデヴィルやデーモン達が住人として存在する。幸いこの周辺はあのマールート達のおかげか、魂の収奪者の姿は無かった。おそらく、彼らの狩場はこのゼンドリックではなくコーヴェア大陸にこそあるのだろう。最終戦争で多くの死者を出したあの大陸では、いまだ埋葬されずにいる遺体がそれこそ数えきれないほど存在している。それらの死者の安息を護ろうとするマールートと、魂を収穫することでエネルギーを得ようとするデヴィル達。そして魂を弄ぶことで喜びを得るデーモン。これらが激しい三つ巴の争いを繰り広げているであろうことは疑いの余地がない。

例えば高位のデーモンであるナルフェシュネーはコーヴェアとこの地を行き来するに十分な瞬間移動能力を持っているが、そういった存在がコーヴェアでの戦いに飽いて不意にこの地を訪れる可能性は勿論ゼロではない。だがその程度のリスクは『死の抱擁』に限ったものではなく、わざわざ気にするほどのものではないだろう。強者の気紛れによって偶発的に危険に晒される可能性というものは、この世界にいる限り避けられないものなのだから。


「こんなところかな。とりあえず昼間の事はエレミアとメイに任せてそろそろ僕は休ませてもらうよ。

 夜通し動き回ったせいで流石にそろそろ眠くなってきたし、今夜に備えて呪文を準備しないといけないしね」


一通りの情報交換が済んだところで、ラピスはそう言って片手の掌で大きな欠伸を隠しながらもう片方の手を振り上げて大きく伸びをした。俺達の中で唯一エピック級と言われる21レベルに到達している彼女にとって潜入行為の負担はそれほどのものではないが、やはり生物であるからには肉体の疲労からは逃れられないのだ。呪文で一時的に緩和することは出来ても、それでは呪文を行使する精神力は回復しない。休める時に休んでおく、というのはどれだけ強くなったとしても冒険者にとって必要なことなのだ。


「では日中の警戒は我々が交代で引き受けよう。私とメイは交代で休んでいたから、二人が戻ってから夜に備えて休みを取ればいいだろう。

差し当たって脅威となるものは確認できなかったとはいえ、異常な現象に巻き込まれていることに違いは無い。

 夜に備えて万全の体勢を整えておかなければな」


「そうだな、俺達と交代でエレミアには昼過ぎから休息をとってもらおうか。

しばらく訓練は中止だ。カルノ達には庭に出る分には構わないが、念のため敷地の外には出ないように言っておいてくれ。

 休息が終わったら俺は陽が沈む前に少し情報収集に出かけてくるつもりだが、皆はどうする?」


俺の問いにラピスはテーブルに状態を伏せさせたままだるそうに手を振って応じた。外出するつもりはないというサインだ。そんな彼女とは対照的に、メイは意欲十分といった様子でその豊かな胸の前で拳を握りしめている。


「丁度いい機会ですから、私は顕現地帯の特性を調査する準備をしておきますね!

 どこか実地に出向く必要があると考えていたんですが、これで随分と手間が省けそうです」


そんな意気軒昂な彼女は、ルーとフィアがいるであろう『黄昏の谷』への移動手段の研究に取り組んでいる。《トラベラーの呪い》によって断絶されたあの領域には通常の手段で辿り着くことは出来ない。第九階梯に存在する《ゲート/次元扉》や《ウィッシュ》などの呪文であればその問題は解決できるのではないかという当初の思惑は既に失敗に終わっている。空間を歪める呪いの効果は最高階位の呪文の効果すらも寄せ付けなかったのだ。そのためこのままでは年に一度《トラベラーの呪い》が解ける間を待つしかないのだが、彼女はそれを解決する手段をより高度な呪文に求めているのだ。

俺が知る限りあちらは《黄昏の森・ラマニア》の顕現地帯であり、その特性を研究することで打開策を見つけられるのではないかというのがメイの見解だ。既に俺達はトワイライト・フォージから帰還する際に神の権能である《ポータル》による瞬間移動を体験していることも大きいだろう。それは定命の存在の限界を超えた階梯──エピック級呪文の開発を行う契機になったのだろうが、彼女であればそれを成し遂げるだろうと俺は信じている。

そしてこの研究は双子を迎えにいくためだけではなく、イスサランの姦計に嵌った時のようになんらかの事情で別次元界から脱出しなければならない場合や、将来的には俺が現実世界に帰還する手段の一つとして役立つはずだ。そのため、今回の《死の接触》によるストームリーチの顕現地帯化はデータ取りという点ではチャンスでもあるのだ。エピック呪文を構築する鍵である『シード』という要素。その中でも移動を司るものを中心に彼女の研究は行われている。未だ秘術呪文の実力が及ばぬ俺の仕事は、そんな彼女が万全の体勢で取り掛かれるように環境を整え障害を排除することだ。この『死の抱擁』も、俺達にとっては環境要因の一つでしかない──。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



午後からの天気はあいにくの曇り空だった。太陽の光は分厚い雲に覆われ、今にも底が抜けたようなスコールが降り出しそうな湿った空気を風が運んでいる。ゆっくりと休息をとった俺は、屋敷を離れ街の外へと通じる道路を一人進んでいた。友好的な巨人族たちが起居している街の外のキャンプ地へと繋がるこの道は普段は活気に満ち溢れているものの、今日は昼間だというのにほとんど人通りというものが無かった。それは決して天気の影響だけではないだろう。だがそれは今の俺には都合が良い。

コロヌー川にかかる橋を渡り昨夜は異界と化していた向こう岸へとたどり着くと、俺は石畳を外れ剥きだしの地面の上へと移動した。歩きながら定期的に小さな水晶のような物体を前方へと放り、落下したそれを踏みつけて地面に埋め込むようにしながら道路の脇を進んでいく。目印となる物体を一定の間隔で街の外に埋めておくことで、顕現地帯の範囲が街の外にどの程度まで及んでいるのかを判断するためだ。念視の対象にすることもできるこの物質は金貨数百枚という価値があるものであり、人通りが多ければこの行動を見咎められ掘り返されるようなこともあったかもしれないが、今の状況であればその心配はいらないというわけだ。

昨夜、街の外に出た際にも同様の事を行っている。そしてその全ては物質界に来ることは無く、ドルラー側に存在したままだ。それから考えるに、夜明けのタイミングで境界線上から外にいた場合、物質界に戻ることが出来ずにあちら側に取り残されてしまう事が予想できる。物質界がドルラーへと飲み込まれるタイミングでも夜明けと同じような現象が起こるのか、またそうであるならばその境界線はどこなのかを確認しておくのだ。

そんな作業を行いながら歩みを進めていると、やがて巨人族たちのテント村へとたどり着いた。昨夜の異界の間は何も存在しなかった地面の上に、今は巨木を材料としたいくつもの天幕が立ち並んでいる。つまりここまでは顕現地帯の影響は及んでいなかったということであり、そんな状態にあった彼らから見てストームリーチがどのように映ったのかを確認することも目的の一つである。


「久しいな、人中の竜よ」


なんどかの訪問の際に顔見知りとなったヒル・ジャイアントの戦士が俺を見つけると話しかけてきた。彼はその体格に応じた巨大な棍棒を持っており、害意ある侵入者をそれで叩き潰すのを得意としているのだ。とはいえここにいる巨人族の若者たちは密林で遭遇する連中とは異なり温厚で忍耐強い。俺がこの街にやってきたころにエルフの一団ともめていた際もその腕力に頼ることなく理性的な対応をしていた。既に失われてしまった過去の巨人族文明が持っていたであろう優れた文化を彼らは継承しているのかもしれない。


「知恵をお借りしたく、訪ねてきた。長老はいらっしゃるか?」


「変わらず中央の天幕にいらっしゃる。お前が来ることは聞いていた。進むがいい」


ここには巨人族に伝わる伝承を聞くために何度か訪れたことがある。ルシェームは古代巨人文明が滅んだあとに最初にこの遺跡群へとやってきた巨人達であり、口伝でデーモンの時代から続く長い歴史を伝えている希少な存在だ。巨人族でありながらも50年前の『炎の嵐』においてはストームリーチ側に与して戦ったなど人類に対して好意的であり、その知識は人類の文明圏にはないものが多く含まれている。また長老は経験豊かなドルイドであり、占術にも長けている。ルーと別れたことで強力な信仰系呪文による情報収集能力に欠けている今の俺達にとっては頼れる相手であり、先方もどうやら俺が来ることは察していたようだった。

立ち並ぶ天幕は布ではなく獣皮を繋ぎ合わされたものであり、中には信じられないほど継ぎ目が見当たらない──それだけ大きな巨獣から剥いだのであろう大きなものも存在する。そしてその中でも特に際立って大きく、年月を重ねた風格を感じさせる色艶をもった天幕へと俺は歩みを進めた。このルシェームで最も古く、最初に設置された天幕。集落の長が代々起居するそこへと足を踏み入れると、植物の香を焚き込めた独特の匂いが空気を色づけていた。


「待っていたぞ、竜の子よ」


フェルトが敷かれた床には二本の柱が隙間を開けて立っており、中央には小さな火が焚かれている。薄く切られた木材が火を囲う様に並べられており、それが匂いの原因であろう。そしてその向こうに年経た丘巨人の呪い師が胡坐をかいて座っていた。人間をそのまま大きくしたよりも長い腕は彼の種族に特徴的なものだ。本来であれば豊かに生えそろっているはずの頭頂には年輪を示す皺のみがあり、その大きな体からは肉体的な迫力ではなくまるで年経たエルフのような精神的な重圧を放っている。彼は鷹揚に腕を振ると、火の手前にある敷物を指し示した。勧められるままそこに腰を下ろし、こちらも胡坐をかいた状態で頭を下げる。


「ご無沙汰しております、ガウルロナック老。どうやら私が来ることは既にご存知だったようですね」


ルシェームの巨人族は世間的にはストームリーチとの交易を求める者達の集まりだと思われているが、彼らはこのゼンドリックにおける盛衰を記録する語り部なのだ。また彼らはこの大陸に眠る魂を安らかに慰撫するシャーマンでもあり、今のこの現状について話を聞くにはもっともふさわしい人物であるはずだ。


「強い輝きを放つものの動きに合わせて陰影もまた揺れ動く。じかに盲いた眼に捉えずとも、自ずと知れようというものだ」


彼はそういうと巨人用の大煙管を焚火へと近づけ、火を取ると口に咥えて一服つけた。吐き出される吐息は天幕内の空気にさらなる匂いを上書きし、焚火を照り返す煙はまるで生き物のように蠢いている。叡智の輝きをその瞳の奥深くに湛えたヒル・ジャイアントの古老は、静かなまなざしでその煙を通して俺を見つめている。


「其方が訪ねてきた用件についても解っておる──だがそれについては我らが知る過去の記録には、伝えられるものは無い。

暗い闇が先を覆っており、未来についてもまた見通すことは出来ん。ゆえに我らが其方に伝えることが出来るのは、ただ現在の事のみだ」


巨人の賢者はそういって再び煙管を加えると、大きく息を吐いた。かき乱された煙は天幕の上へと昇っていき、そこで滞留して雲のような姿を見せている。やがてその雲はまるで生きているかのように蠢きだすと、焚火の仄かな光を浴びて色彩豊かな色合いを帯び始めた。それはここではない、どこか別の場所を映し出している。煙を媒介として幻術系統の呪文を行使し、俺になんらかの映像を見せようとしているのだろう。

上空から俯瞰しているような眺めは、飛行能力を有するなんらかの動物の視点なのだろう。視野を青い光が満たしており、ストームリーチの近郊であることは察せられる。やがてその動物は視界が地上に届くほどの低空へと降りて行った。文字通り飛ぶような速さで映像が移ろっていく。はじめのうちは特に特筆すべきことは見受けられなかった──だが、時間が経過するにつれてある異常が目立ち始める。

不気味な生物が地上を闊歩している。1メートル強ほどの身の丈の、牙を剥いた口がそのまま生命を得たとしか形容しようの無い存在だ。球体の肉塊に大きく裂けた口、目玉がついた突起物が3つほどと、ずんぐりした数本の脚が生えている。そんな不恰好なデーモン──アビサル・モーが青い光に照らされその存在を示していた。最初は何十秒かに1体の割合で見えていたそのクリーチャーの数が、どんどんと増えていく。やがて数秒に一体から常に視界に映るようになり、最終的に幻術が終了するころには地面よりもアビサル・モーに占められている割合の方が多いほどとなった。大地を埋め尽くすデーモンの集団。そして青い光が彼らの影を象っている方向からして、その全てがこの街に向けて移動しているのだ!


「地上を埋め尽くす悪鬼の群れが街へと向かっている。明日の夜にはかの集団がこの地へと到達しているであろう。

そして三日後の夜から先は、占術は何も映さない──我らが其方に伝えられることは、それが全てだ」


大煙管を裏返して焚火の囲いへと叩き付け、燃え尽きた煙草が火中へと放り棄てられると同時に呪文は効果を終了した。先ほどまでは大量のデーモンの姿をとっていた天井近くの煙は跡形もなく消え去り、天幕は焚火の揺らめく炎を照り返して静かに佇んでいる。

礼を述べて天幕を辞し、ルシェームから離れた俺は街の南の平原へと視線を飛ばした。顕現地帯の向こう側、ドルラーにて大量のデーモンが今もこちらへと向かっている。街の住人の数よりも多い、万を超える悪鬼の集団。死者の魂の眠る世界で糧を得られなかった者達が、誘蛾灯に群がる蟲のようにこの生者たちのいる街へと押し寄せようとしているのだ。それはさながら草木を食い荒らす飛蝗の群れのように、全てを貪りつくすか壊滅するまで動きを止めることは無いだろう。そしてその被害を受けるのは植物ではなく、この街に住む住人達なのだ。

俺と仲間達が生き延びるだけであれば容易いことだ。『死の抱擁』が起こっている間、シャーンにでも避難していればいい。だがそうした場合、このストームリーチは失われてしまうだろう。そうなればゼンドリック大陸の橋頭堡は失われ、探索は大きく減速することになる──それはひょっとしたら数十年を超える時間となるかもしれない。

自前の占術師を抱えている街の有力者たちも今頃は同様の情報を手に入れているはずだ。彼らがどのような決断を下すのか。大筋で予想をすることはできるが、巨大な権力にとっての身動ぎ一つが末端には大きな波紋を与えることは当然であり大勢の住民はその影響を強く受ける側なのだ。政治の問題に首を突っ込むつもりはないのだが、現在の危うい状態で拮抗しているパワーバランスが崩れる方向へ加速することは避けなければならない。最悪の場合には直接的に介入することも考えなければならないだろう。そんな嫌な未来予想図を避けるための手段を考えながら、俺は自宅へと重い足取りで向かうのだった──。



[12354] 7-5. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 3rd Night
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6c5ade7
Date: 2021/01/01 01:10
デーモン/悪鬼。混沌にして悪の相を持つ、世界の破壊者。彼らは残虐性の権化であり、単に楽しいからという理由で他のどんなクリーチャーにでも──他のデーモンたちにすら──襲い掛かる。彼らは獲物を恐怖に震えさせてから殺すのが好きで、しばしば殺した相手を貪り喰らう。多くのデーモンは自らが悪であることに飽き足らず、定命の存在を誘惑して自分自身と同じような存在に堕落させることに悦びを感じる。

《戦いの場・シャヴァラス》では神々しいアルコン達、地獄のデヴィル達、そして群れ集うデーモンの3勢力が永遠の争いを続けている。唯一無二のデヴィルを除けば最上級に位置する”ピット・フィーンド”に対してデーモンには”バロール”という将軍が存在するように、それぞれの軍勢において個々の質自体は拮抗している。だが集団行動に適さぬデーモンが、秩序だったアルコンあるいはデヴィルの軍勢に対して伍することが出来ている理由は単純そのものである──数。圧倒的な物量こそが彼らの持ち味である。完璧な戦術を、芸術的な陣形を、理想的な統制をただ暴力的な数でもって蹂躙する破壊者達。

《死の領域・ドルラー》の、それもゼンドリック大陸に存在するデーモンの数などは彼ら全体からしてみれば大海原から掬い上げた水滴の一滴ほどでしかない。だが、無限の一滴はそれもまた無限なのだ──例えそうでないとしても、定命の存在からしてみれば数えることが出来ないのであれば同じこと。

砂粒のようなストームリーチの街に、その一滴が押し寄せてきている。お抱えの占術師達からもたらされたこの情報を受けて、ストーム・ロードやドラゴンマーク氏族の有力者たちは人と情報を様々な手段で動かしながら、どう行動することが自らにとって最大の利益足り得るのかを模索している。勿論彼らは自分の縄張りが侵されることは良しとしない──だが、それは街全体を護るという事ではないのだ。夜の闇が街を覆おうとしている今この瞬間も、彼らは水面下で様々な綱引きを行っていることだろう。

その結果次第では、夜明けには街の勢力図は大きく書き換わっているかもしれない。しかし、俺はそれには直接的な干渉はしないつもりだ。確かに肩入れしている一部の有力者たちは存在するが、下手に介入することで余計な事情を抱え込みたくないというのが正直な心情だ。無論明確に敵対するというのであれば容赦するつもりなどは無いが、今のところは占術にも情報収集にもそんな勢力は引っかからない。つまりは今の時点ではこの明らかな街の危機に対処することが優先できるというわけだ。

──そんなことを考えている間にも、視線の彼方で陽が沈んでいく。夜の帳が街の東、水平線の向こうから徐々に街の上空へと広がっていき、それが西の地平線の山々の稜線に届いた瞬間に世界が変質を迎えた。ぞわり、と産毛が逆立つような感覚。すでに三回目だというのにまるで慣れない悪寒が全身を包み込む。

屋上から見渡した市街地と郊外を別つコロヌー川に架かった橋には結界が敷かれ、それを維持するための戦力がストーム・ロード達によって集められている。末端の兵士までにも魔法を付与された武器が行き届いており、迫る悪鬼たちに対する備えは十分といっていいだろう。だがシティ・ガードたちの表情は硬い。アマナトゥが拡大を続けた結果、兵員の数は多けれども質は目を覆うほどだというのがこの街におけるシティ・ガードの評判である。一定の訓練を課されているとはいえ、実際に今日のような戦場に駆り出されるとはほとんどの者達が考えていなかっただろう。そしてそんな兵士たちに護りを委ねざるを得ない一般市民たちの不安たるやどれほどのものだろうか。

街の中心部ではバザーの大テント内が臨時の避難所として使用されシルヴァーフレイムの聖戦士たちが万が一の場合に備えており、他にも各街区を隔てる巨大な街壁ごとにそれぞれを縄張りとするストーム・ロード達の私兵部隊が守りを固めていた。一見そうとは見えない静けさだが、それはまるで街全体が巨大な闘争の気配を前に息を殺しているかのようだ。

やがて最も脆弱な部類の悪鬼が一体、シベイシャードの青い光に照らされた地平に姿を現すと、疲れを知らぬ疾走を続けやがて橋へと敷かれた《フォービタンス》の結界に触れて消滅した。一般的なアビサル・モーのHPは2D8+2──すなわち11点ほどだ。一回り大きく成長した個体だと40点を越えるだろうが一方でこの結界によるダメージは12D6、期待値で42点である。よほどのことが無ければアビサル・モーがこれを越えて街に侵入することは無いだろう。

そうやって見ている間にも、徐々に視界に悪鬼の姿が増えていく。数分おきに一体だった悪鬼の自殺がその頻度を増していき、1分の間に数匹になった。橋の内側ではどうやら自分たちは安全圏にいるらしいと考えたシティ・ガード達が、へらへらと笑いながら対岸を指さして緊張感無く空騒ぎを始めている。

だが彼らは知らないのだ。上空から見ている俺の視界には、彼らよりもよほど遠くの景色が映っている。それはもはや地面など見えないほどの悪鬼で埋め尽くされた奈落の光景だ。アビサル・モーが《フォービタンス》を越えて街に突入する確率はほとんどない。普通に考えればあり得ないといっていい数字だろう。そのうえ結界を越えた先には多数の兵士が詰めており、半死半生の最下層デーモンが被害をもたらす可能性は極めて低い。だが、このドルラーの世界にはいったいどれだけのデーモンが存在するのだろうか。比喩ではなく大地を埋め尽くすその物量は計り知れない。

預言者が先を見通せなかった未来まではまだ1日の猶予がある。だがそれは今日という日の無事を意味するわけではないのだ。コロヌー川という天然の防壁と、古代巨人族文明の遺産である街壁もこれらの数の暴力の前ではいかにも頼りげなく見える。そう、結局のところ最後にものをいうのはそこに住む人間たちの力なのだ。








ゼンドリック漂流記

7-5. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 3rd Night








高空から見下ろしたストームリーチの街は、漆黒に塗りつぶされたドルラーの中で宝石箱をぶちまけたかのように輝いて見える。勿論その中でも最大の物はカタコンベ最上階のシベイ・ドラゴンシャードだ。鮮烈な青い光は地平線までをうっすらと照らし、デーモン達はその光に誘われるようにして街へと押し寄せている。

極端なことを言えば飛行能力をもたないデーモンであればどれだけ押し寄せようとも俺一人の働きで街に踏み入らせないようにすることは可能だ。だが、今回俺は手を出さずに様子見に留まっている。それはこの程度のデーモンをいくら倒しても経験点にならないということもあるが、最大の理由はリソースの温存だ。預言者たちは口々にこの『死の接触』によりストームリーチの未来が見通せなくなったと告げている。それは尋常の事態ではない。であるならば街の防衛については基本的に権力者たちに任せておき、俺は起きるであろうもっと大きなアクシデントに備えるべきだという考えだ。ストームリーチは原作知識を活かし、ゼンドリック大陸を調査するのに大事な拠点ではある。だが俺は常にこの街に張り付いているわけではなく、むしろ探索に出ている割合の方が高くなっていくだろう。この程度の危機は、本来この都市を防衛する役割を担う者達の力で凌いでもらいたいものだ。

コロヌー川に掛けられた大橋は巨人達が行違う事を前提とされたもののため、その横幅は10メートルほどもある。現代でもドワーフの職人たちの手により維持されている12のそれらと、セルリアンヒルと港湾地区を隔てる街壁が陸側から街に入るための経路となる。街に押し寄せるデーモン達はその街道や橋へと殺到し、そこに敷かれた《フォービタンス》によって身を焼き尽くされていた。

全力疾走で突進してくるその異様な姿は連中が狂乱しているといってもいいように見える。そして時間が経つにつれ、その密度は上がっていった。やがて橋からデーモン達は溢れだし、不可能な跳躍で断崖に身を投げ始めた。飛行能力のないクリーチャーが50メートル以上も跳躍することは勿論不可能だ。だが物質世界から切り離された今、コロヌー川は普段飛び込んだものを海へと押し流す激流を失っている。落下の衝撃から生き延びたデーモン達は、今度はその崖をよじ登って街への侵入を試み始めるのだ。

《フォービタンス》の呪文には高価な触媒が必要となるため、その結界が展開されているのは橋とのその周辺のみである。つまり崖を登り切ったデーモンは《フォービタンス》に妨げられることなく街へと侵入することになるのだ。落下のダメージにより傷ついており、数匹程度が同時に押し寄せたところで多勢に無勢。魔法の武器を構えたシティ・ガード達に押しつぶされるのが関の山だ。だが、それが何十匹、何百匹となればどうだ? 疲労を知らぬウォーフォージド達と違い、シティ・ガードの大部分は人間やドワーフといった人族である。彼らは夜明けまで延々と戦い続けることなどとても出来ないだろうし、いくら数を揃えたといっても街の全ての外縁部を抑えられるほどでは無い。

慌てて予備のスクロールを抱えた術士たちが追加の《フォービタンス》を展開していくが、とても数が足りていない。巻物一つから展開される結界の大きさは一辺が18メートルの立方体に過ぎない。街の全周は30キロを超えており、ストームリーチに存在する全ての《フォービタンス》の巻物をかき集めたとしても覆いきれるものではなかっただろう。そしてこの呪文は《レイズ・デッド》よりも高位の第六階梯であり、巻物を使用せず自力で行使可能な術者は稀だ。それはとてもではないが数の不足を埋められるものではない。

結界の切れ目から崖を登ってくる手負いのアビサル・モーと、それを迎え撃つシティ・ガード。ようやく切って落とされた本格的な戦いの火蓋は、徐々に防衛側が押されていくのが上空からははっきりと見えていた。袖の下を受け取ることに日々熱を上げているならず者では、いくら魔法の武器で飾り立てたところで劣勢には抗いようがないのだ。威勢が良かったのは数で優っていた最初のうちだけで、戦線が拡大し自分たちの密度は下がる一方で敵は徐々に数を増やしていくという状況で彼らは士気を保てなかった。一撃クリーンヒットを与えれば倒せる相手だというのに、腰の引けた攻撃ではせっかくの魔法の武器は魔物の外皮を滑るだけで有効打には至らない。

そして潮目となる決定打は彼らの内側から放たれた。シティ・ガードの一人が、突然味方へと狂刃を振るったのだ。1グループが10名強で構成されている部隊において、たった一人とはいえそれまで味方だと思っていた者から攻撃を受けた衝撃はどれほどか。そして驚くべきことに、その裏切者は周囲の味方から剣を突き立てられてなお平然と凶行を続けるのだ。ライカンスロープ──銀以外の物質からのダメージに対して高い耐性を有した変身生物、それがシティ・ガードに紛れ込んだ埋伏の毒として働いた。悪鬼を斬る魔法の武器とはいえ、通常の鉄製のものでは彼らに対して有効な殺傷力になり得ない。あっという間に戦線は崩壊し、運よく裏切者を抱えていなかったいくつかの部隊を残してシティ・ガード達は悪鬼の群れに飲み込まれるのは避けられないように見えた。

だが、煌めく鋼の輝きがその流れを断ち切った。その体つきからは想像もできない破壊力を秘めたシミターが悪鬼や人狼を両断する──”ヴァレス・ターン”、エルフの戦士たちがどこからともなく現れたのだ。エベロン文明圏における武闘派の代名詞、ヴァラナーエルフ達は一人一人が歴戦の猛者である。そんな兵たちが百名以上、舞いながら敵を駆逐していく。デーモン達はそれこそ一刀で、ライカンスロープ達は巧みな連携で次々と討ち取られていく。

増援は我が家の存在する街区、《レスパイト》だけではなかった。《グラインド・ストーン》では過激派組織”ソード・オヴ・カルン”が、《オールド・ゲート》ではアンデールの精鋭秘術使い”ナイン・ワンズ”とスレイン人の自警団”ナイツ・オヴ・スレイン”がデーモンと戦い始めたのだ。勿論エルフの戦士の練度が飛びぬけているだけで、他の民兵組織についてはシティ・ガードよりはマシ、程度のものに過ぎない。彼らを率いるリーダーの中にはエルフの古参兵に匹敵する強者も含まれてはいるが、大勢ではない。だが士気の差だけでは済まされない勢いで、彼らは街に侵入したデーモンを駆逐していく。

「これは……どこかのロードの仕業か」

民兵組織はいずれも強力な支援を受けている。それはおそらくアマナトゥに対抗する他のストーム・ロードの暗躍だろう。今のところシティ・ガードの面目は丸つぶれで、それはあの老齢のドワーフの失点に繋がるものだ。盟約で定められた役割を果たせないとなれば、それは次回の領主会議でアマナトゥを攻撃する大きな口実になるだろう。

おそらくはオマーレンか。彼女はカニス氏族と懇意にしており、大規模な工房を抱えるあの一族であれば民兵たちに強力な装備を提供することなど容易いだろう。またデニス氏族とも繋がっており、そこから人員不足の民兵達に有能な士官や兵員を手配することも出来る。ひょっとしたら何人かのシティ・ガードを買収し、彼らの敗走を演出することまでしているかもしれない。

街の危機に何をやっているのか、という考えは無い。巣を同じくする毒蛇たちにとって、このような出来事は呼吸をするよりも自然な行動なのだ。現代の文明を支えるために必要不可欠なドラゴンシャード、その最大の産地はここゼンドリックでありこのストームリーチの重要性が失われることは無い。ドラゴンマーク氏族が大陸奥地からシャードを発掘・運搬し領主達を介してコーヴェアへと荷が運ばれる一方で、コーヴェアからの船は大量の人間をこの街へと運んでくる。ストーム・ロード達は自らの権勢を増すことが出来るのであれば、例え住人の半分が失われるようなことがあっても意にも介さないだろう。この都市が存在する限り、彼らの隆盛は約束されているのだから。自分達以外の住人など、いくらでも交換や補充の利くものに過ぎないのだ。

そんな考えをしている間にも、各地で戦線が押し返されていった。戦術的優位を占めることが出来ない地点に対して追加の《フォービタンス》が展開され、いくつか意図的に穴として設けられた場所では崖から這い上がってきた悪鬼たちに集中砲火が放たれることで市街地へ立ち入らせない。勿論それでも全ての外周をカバーすることは出来ないが、遊撃部隊が見回りを行って侵入者を警戒している。半人半獣の裏切者たちは形勢不利とみるや姿を隠した者もおり、全てを処分はできなかったものの戦線からは姿を消している。

地平線の彼方まで見渡しても、この状況を打開できそうな高位のデーモンは見当たらない。このドルラーにはアビサル・モーやその眷属以外にも多種のデーモンが棲息しているはずだが、そういった連中は姿を見せていないのだ。メイには占術で、ラピスには実際に大陸内部側へ足を延ばして偵察を行ってもらっているのだがその成果は現れていない。獅子身中の虫である人類側の破滅主義者達の手駒があのライカンスロープ達だけとは思えないが、今晩のところはその企みは阻止されたようだ。

日が昇り、街が物質界に帰還すれば今度こそストーム・ロードたちはその財力にものをいわせてシャーンなどから街の全周を覆いきるだけの防御術のスクロールを買い集めてくるだろう。そうすれば今のように結界の隙間からデーモンに入り込まれることもなくなる。果たしてこの街の未来を覆っている影の主はどこにいるのだろうか。それはまだ見ぬ悪鬼の王か、それとも人中に潜む狂人なのか。

やがて朝が訪れ、太陽の光が死の領域からストームリーチを物質界へと浮かび上がらせると街のそこかしこから勝利と生存を祝う勝鬨が挙げられ、響き渡っていく──だが夜は確かに街の住人に深い傷跡を残している。ライカンスロピー──それは今から200年ほど前、コーヴェア大陸に暗黒の時代をもたらした恐るべき災禍だ。長命な種族たちは自身の記憶として、短命な種族の者はほど近い先祖からの言い伝えとして、ほぼすべての者達はこの呪いの事を知り、怖れるだろう。果たして今聞こえてくる遠吠えは獣のものか、それとも人狼のものか。太陽の光は徐々に明るさを増していったが、人々の心に立ち込める恐怖と疑心はとぐろを巻いて少しずつ膨らんでいくのだった。



[12354] 7-6. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 4th Night
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6c5ade7
Date: 2021/01/01 01:11
本来であればひとまずの生還を祝うであろう朝、ストームリーチは昨日の日没前にも勝る緊張感で張りつめていた。人通りが少ないのは、昨日のように街の住人が”ドルラー”に囚われていた影響も勿論あるだろう。だが、それ以上に大きいのは一人のストーム・ロードが昨夜命を奪われたというニュースのせいだろう。ロード・グレイデン──この街の最大の権力者のうちの一人が死んだことで、領主たちはお互いへの警戒を強めている。

その領主たちの緊張に影響されてか、所属の異なる私兵たちが顔を合わそうものなら一触即発で私闘が起こりかねない状況だ。なにせ、この世界の戦闘というものは先手に圧倒的に有利な仕様である。互角の戦力であれば先手を取った方が間違いなく勝つといって良く、襲われる可能性があるのであればこちらから仕掛けるべき、と考えても仕方がない。今日の中央市場はこんな状況でも商売することを止めない筋金入りの商人と、今夜に備えて必要な物資の買い込みを行っている冒険者かどこかの私兵集団しかいないような有様だ。マーケットの大テントは日ごろの活気とは程遠く、殺気に満ちていた。

だが、各領主の本命はここにはいない。すでに昨日の時点でこのスチームリーチにある目ぼしいアイテムの類は、そのほとんどがいずれかの領主に買い上げられている。今頃虎の子の《グレーター・テレポート》の巻物かオリエン氏族のサービスでシャーンなどの大都市へとバイヤーを送り込み、それこそ都市全体を覆うほどの《フォービタンス》の巻物などを買い込んでいる頃だろう。

それは途方もないほどの金貨を必要とするだろうが、それを可能とする財力をストーム・ロード達は保有している。その富の源泉は、彼らが共同で管理している一つのエルドリッチ・デバイス──古代巨人族文明の遺した魔法装置だ。ゲームでも登場したその装置の能力は単純なもので、『小さいドラゴンシャードを結合して大きなサイズへと作り替える』というものである。だが、そのもたらす富は莫大なものだ。

このエベロンにおいて魔法文明を支えている根幹にあるのが、それぞれのドラゴンシャードであることはいうまでもない。そしてその大部分はこのゼンドリックから運び出されるものだ。各ドラゴンマーク氏族が発掘してきたシャードは、その全てが一旦ストーム・ロードに引き取られる。そののちに適度な大きさに加工されたそれらをマーク氏族達は買い取り直し、コーヴェアへと輸送しているのだ。本来であれば使い道のないような小さな破片すら、数を集めることで天然ものではまずお目にかかれないような巨大なシャードへと作り替えてしまう。領主たちが各街区の支配によって得ている権益も大したものだが、このエルドリッチ・デバイスこそが彼らの富の源泉であるといっても良い──そしてこれこそが彼らを縛る"盟約”の根源だ。

初代オマーレンの魔女・デレーラ1世はこのエルドリッチ・デバイスを解析し、その動作に5人の領主の血を引くものの同意を必須としたのだ。それによりロード達はお互いを滅ぼすようなことは出来ず、繰り広げられる勢力争いは激しくとも街区の支配権の取り合いに留まっている。どれか一つの血が途絶えてしまえば、もはや彼らはこの装置を起動する術を失ってしまうからだ。毒蛇たちがギリギリのバランスで暗闘を繰り広げているのも、こういった背景があってのことである。ガリファー王国が五つに分かれた後もなお、この仕組みが彼らを盟約に縛り付けているのだ。

それだけに今回のグレイデンが(おそらくは、であるが)暗殺されたという事は、首謀者以外の領主にとっては相当にショックを与えただろう。グレイデンには確かに二人の子供がいる。だが、それが真実彼の血を引いているという確信はあったのだろうか。そうでなければ首謀者は魔女デレーラのようにエルドリッチ・デバイスを解析し条件を再設定する術を見つけたのではないだろうか。もしそうであれば、他の領主が排除されるのも時間の問題であるはずだ──実際に過去のオマーレン家の当主の一人が他の領主の排除を狙って武力を用いた前例があり、彼はその手段を発見していたのではないかと言われている。結局のところその男はアマナトゥによって討たれ、オマーレン家はペナルティとして支配する街区を一つ失った。今の状況が、その過去の記憶を呼び覚まし領主達に疑心を植え付けているのだ。

とはいえこんな状況ではあるが、彼ら領主たちの争いはどうやら街の存亡には関わらないようだ。なぜかといえば、俺が今から領主全員に《ドミネイト》の呪文を行使して回って争わないように仕向けた場合の未来を占術で見通そうとした結果も、今までと同じように何も情報を得ることが出来なかったからだ。それはストーム・ロードだけではなく、ドラゴンマーク氏族の有力者たちを含めた一定の権力をこの都市で振るっている全員に対して同じ結果だった。そこから推測されることは、今夜この都市を消し去るのは権力者たちの争いではないということになる。

では一体何が原因だろうか。占術師達はこの街が破壊される未来を見たのではない。『この街の未来が見えない』と言ったのだ。個人レベルであれば占術からの探知を免れる手段は多い。占術に加えて精神作用を無効化する《マインド・ブランク/空白の心》は高レベルのプレイヤーであれば大抵が愛用しているだろうし、”セキュアー・カヴァーン”は同様の効果を屋敷全体に与える。さすがに建物一つと街全体では規模が違いすぎるが、今夜以降なんらかの形で街が占術による探知を受け付けなくなるのではないか、というのが俺の考えだ。何より、俺と仲間達で撃退できないような戦闘力なり規模を持ったクリーチャーというものが想像し辛い。おそらくは物質界が別次元界と密接に接触することによるなんらかの自然現象──物質界と『黄昏の森ラマニア』の接点である"黄昏の谷"が占術で探知できないことと同じではないか、という考えだ。

勿論、だからといって押し寄せるデーモン達を放置するわけではない。俺の糧になり得るような敵であればしっかりと経験点にしていくつもりではある。それに多くの街の権力者たちが自己保身に走っている中で、ドライデン率いるシルヴァー・フレイム教会達は街の防衛に大きな役割を果たそうと、日も高いうちから精力的に活動していた。”リング・オヴ・ストームズ”の探索行であの巨大なシベイ・ドラゴンシャードを持ち帰ったストームリーチの教会の事は今やコーヴェアにも広く知れ渡っており、政治的に断絶しているあちら側の大陸に住む信徒達の中にも協力を惜しまない者が増えているという。現在ストームリーチ及びその近郊ではあのシベイ・ドラゴンシャードの効用か、シルヴァー・フレイムの信仰呪文はその威力が最大化されるという状況もあり、デーモンとの戦闘において非常に頼りになる集団だと言えるだろう。

さらにドルラーの次元特性が有利に働く。この死の次元界では時の流れが曖昧なものであり、《ファイアー・ボール/火球》などの瞬間的に効果を発揮するもの以外の呪文を除いて、その持続時間は解呪されるまで永遠に続くのだ。信仰魔法には集団戦を優位にするための支援呪文も多く、これが一度かければ夜明けまで効果が継続するのだ。本来であればそのバランスをとる様に呪文の発動が困難になるという枷があるのだが、見たところ司祭たちの呪文行使に支障はない。これは街全体の戦力を大きく押し上げることになる。

勿論、懸念は残る。その際たるものは昨晩シティ・ガードを襲ったライカンスロープ達だ。シルヴァー・フレイム教会が《浄化/パージ》と称してコーヴェア大陸のライカンスロープを殺戮し始めたのは170年ほど前だ。それから50年ほどの間彼らの”聖戦”は続き、コーヴェアのライカンスロープ達はほぼ絶滅した。ラピスの祖先のように隠れ里に身を潜めた者を除けば、生存者のほとんどはこのゼンドリックに逃げこんだだろう。彼らにしてみれば銀炎教会は怨敵であり、この最近のストームリーチにおける教会の影響力拡大は再びの迫害の日々の到来を予感させたのかもしれない。捨て鉢になった獣人たちが、自暴自棄なテロに走ったとしてもおかしくは無いだろう。

獣の身体能力に人族の知恵と武器を併せ持った彼らは、その獣の種別によっては素体が一般人であったとしても熟練の兵士を上回る脅威となる。熊や虎が武器や罠を駆使して襲ってくるとしたら、どれだけの者が互角以上に戦えるだろうか。せめてもの幸いは、この『死の接触』の期間において夜は暗闇に覆われ月が出ていないというところだ。ライカンスロピーは感染する病気である。ライカンスロープに噛みつかれ感染したものは次の満月の日に発症するのだが、このエベロンには13もの月があり満月の頻度が段違いに多いため下手をすれば感染した翌日にはもういずれかの月が満月を迎えているなんてこともあるのだが、夜がドルラーに囚われている限りその心配はない。少なくともこの期間の間は、新たな発症者が出ることは無いからだ。

だがこれ以上広がることは無いとはいえ、既に入り込んでしまっている毒については対処療法を取るしかない。シルヴァー・フレイム教会には《ディテクト・ライカンスロープ》というかつて猛威を振るった呪文が存在するが、今から兵士一人一人を確認して回るには時間もリソースも不足しているからだ。ライカンスロープ達は昨夜街を滅ぼすことには失敗したが、確実にその種を撒くことには成功している。人々の心に猜疑心を植え付けたのだ。隣人が実は獣人かもしれず、突然襲い掛かってくるかもしれない──そういわれて不安を感じない者はいないだろう。またそれを煽るように、獣人の脅威を吹聴し排除を謳う連中がマーケットのテントなど数少ない人の集まるところに出没していた。

かくして、測り切れない不安要素を抱えたまま四回目の夜が訪れる。カタコンベの頂点からは清冽な蒼い光が投げかけられているが、それがあくる朝まで続いていることを保証するものはどこにも無かった。








ゼンドリック漂流記

7-6. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 4th Night








「撃ェ!」

外壁の上に並んだシルヴァー・フレイムの信徒達がロングボウを構え、指揮官の号令に合わせて迫りくるクアジットの群れへと矢を放った。魔法によって強化された弓から放たれたアローはデーモンの外皮を容易く突き破り、飛行する下位デーモンを撃ち落としていく。大地には昨夜にも増して群れ集うアビサル・モー達で地面が見えないほどであるが、彼らは街を覆う結界を乗り越えることは出来ない。だが今夜は敵に飛行能力を持つデーモンが加わったことで戦況は一方的なものではなくなった。

シルヴァー・フレイム教会においてはロングボウを信仰武器として扱っており、信徒は皆その扱いに習熟している。彼らが結界の上を飛び越えてくるデーモン達へと矢を放ってくれるおかげで大規模な侵入は防げているものの、弓の射程外から街の中央部へ直接侵入を計られては街壁からでは防ぎようもない。そういった連中の相手は必然的に、各街区に駐屯している自警組織や領主の私兵たちが相手をすることになっていた。

とはいえ昨日のライカンスロープによる奇襲の効果は如実に彼らの士気を落としている。隣人がいつなんどき、獣に姿を変えて襲い掛かってくるかもしれないのだ。一時的に武器に銀のコーティングを付与する錬金カプセルが各人に支給されているとはいえ、半人半獣の牙や爪の脅威が薄れるわけではない。誰もが疑心暗鬼になりながら同輩に背を預けられないでいる。強力な結界に守られているとはいえ、その内側を護る防人達はちょっとした弾みで崩壊してしまいそうな弱さを抱えていた。

幸い、今のところの敵はデーモンの物量のみだ。脅威度1から2程度の雑魚が大量に押し寄せているだけでありさらに飛行能力を有している敵の数は全体からすれば僅かなものだ。おかげで特に大きな犠牲が出たという話もなく、ただし緊張を緩めることは許されない状況で戦況は推移している。延々と続くデーモンの襲撃──だが二日目ともなると、その全貌がうっすらと見えてくる。デーモン、と一くくりにしてもそこにはいくつかの種別が存在するのだ。

“オビリス”──太古から存在するクリーチャーであり、狂気の体現。”タナーリ”──オビリスに奴隷として創り出された種族であるが後に反逆してその地位を奪った、残虐さと罪の体現。この二種がデーモンの大勢力であり他にも”ロウマーラ”などといった比較的新しい種族が存在するのだが、この『死の接触』でストームリーチに押し寄せてきているのはそれらのいずれにも属さないデーモン達なのだ。アビサル・モーを初めとし、アビサル・スカルカー、アビサル・ラヴィジャー。クアジットにナシュロウ、カルネージ・デーモンといった下位のデーモン達がその殆どであり、この中で脅威となるのは飛行能力を持つクアジットのみだ。仮に中位程度のデーモンが来たとしても飛行能力や解呪能力がないのであれば《フォービタンス》を通り抜けることは出来ず、出来たとしても瀕死となったところにシルヴァー・フレイムの炎で焼かれるのみだろう。

そうなると注意しなければならない対象は限られる。飛行能力を有する中位デーモンのゾヴト、ウィスパー・デーモン、シャドウデーモン。そして上位デーモンであるデス・ドリンカーとブラッド・フィーンドだ。中位までであれば手練れの冒険者たちがチームを組んで当たれば対処できるであろうが、上位デーモンともなると相手が務まるものは限られてくる。

もっとも激戦区となるであろう市街区南部《サマー・フィールド》の上空から、俺はそういった敵を求めて戦場を見下ろしていた。西部方面にはラピスが、自宅周辺の北部方面ではエレミアとメイが子供たちを監督しつつ防衛が破綻しない程度に介入を行っているはずだ。海に面している東方面には誰も人を向かわせてはいないが、港湾地区の様子はここからでも見て取ることが出来る。これは毎晩の事だが、海側からは敵は来ないようでそれは今夜も変わりないようだ。

空中で俺が構えているのは、身の丈を越えるほどの巨大な弓だ。弓弦を張られたその全長は2メートル近く、重量は3kgほどか。通常の大型弓であるロングボウよりもさらに一回り大きなそれは、”コンポジット・グレートボウ”と呼ばれる特殊な武器だ。MMOには実装されていなかった部類の武器であり、この世界でわざわざ特注したものでその特徴は『射程』にある。

ゲーム時代は残念ながら遠隔攻撃に射程という概念が無かったためにあちらの武器はその基本的な射程距離を延ばすという能力をもっていなかった。そのためこちらでわざわざ特注したのがこの弓だ。このような巨大弓は一般的なロングボウの射程より3割増しであるところ、武器自体に魔法を付与することでその射程距離を+1倍、さらに巻物から起動したドルイド呪文の力で風を受け+1倍に、”ファイター”としての技量によりさらに+0.5倍に──残念ながら倍率どうしを乗算することはできないが、それでもこの弓から放たれた矢は1300メートル以上先の敵を貫く。これは20レベルの術者が遠距離に投射できる呪文の射程距離のほぼ2倍となる数値だ。遮蔽もなく、ドラゴンシャードの光が地平までを照らすこの状況に置いてはこれに優る武器は無い。最初に自分に付与した支援呪文以外は矢しか消耗しないという点も、リソースの温存という面から優れているだろう。

眼下を見下ろしながら矢を番え、支援呪文によって50を超えた筋力で弦を引き絞る。狂乱し超大型化したゼアドに伍するステータスの俺に最適化されたため他の誰にも使いこなせないであろう弓から、死を告げる矢が放たれる。シャドウデーモンやゾヴトといった脅威度10に満たないような敵は自分に何が起こったのかも知ることもできず知覚範囲外からの1矢で葬られていく。矢弾は無限でこそないが、放っても75%の確率で破損することなく手元へと戻ってくるというものを数千と所持しており注意すべき敵を葬り去るには十分な量だろうし、もしも不足するような事態になれば補充する術もある。この射程に加え、一定速度で巡回を続けることで俺一人でこの街区をカバーするというわけだ。地表を歩いてくるのは結界に任せ、隠れようのない空中を飛ぶデーモンのうち脅威度の高いものだけを射落としていく。まるでインベーダーゲームをやっているかのような気分だ。

だが、想像していたよりも敵の数は少ない。大部分は地上を這いまわる雑魚デーモンであり、《フォービタンス》を越えることも出来ずに死んでいく。昨日であれば結界の切れ目から街に侵入できただろうが、いまや街の全周が呪文で覆われているためにそういった有象無象の相手はする必要がない。悪い場合の想定として街を蹂躙するほどの高脅威度のデーモンが大量に攻め寄せてくることも考えていたのだが、どうやら肩透かしに終わったようだ。空を飛んでくる敵の侵入を完全に遮断は出来ないため被害ゼロとはいかないだろうが、街が壊滅するような事態は避けられるだろう。

問題はやはり街の内側だ。狂人たちが今日もどこかのタイミングで仕掛けてくるだろうことは明白だ。それは外壁近くの防衛隊を狙ってかもしれないし、あるいは都市内部に引き籠っている要人を狙ってのものかもしれない。昨日のライカンスロープによるシティ・ガード達への攻撃は、私兵を前線に押し出して各領主の護りに穴を開け、暗殺を確かなものとする布石とも考えられる。グレイデンの次に狙われるのは果たして誰か。アマナトゥ、オマーレン、セル・シャドラ、ラシート──外敵に苛まれながらも、毒蛇たちは他の頭を喰いとる機会を今か今かと窺っているだろう。

だが俺はそういった内憂には目を向けないことにした。俺にとってストームリーチは護るに値する都市だが、その領主間の争いに手を出す必要は無いという判断だ。たとえ首がすげ代わっても都市が無事でさえいればそれでいい。TRPG設定では最初からグレイデンは先代として死去しておりMMO設定からの過渡期とすれば領主たちの勢力図に大きな変化は起こらないであろうという考えもあるが、最大の理由は彼らの争いに下手に干渉することで手を取られ、今夜訪れるであろう真の危機への対処が遅れてしまうかもしれない事を嫌ったのだ。

優先すべきは都市そのもの、その原則を変える必要はないという判断だ。そしてその対すべき危険は街の外から来るのではないかと考えていたのだが、どうにも目ぼしいターゲットが見当たらない。デーモンの軍勢は日を追うごとに徐々に強大化しているのは間違いない。だがそうはいっても俺から見れば誤差の範囲に過ぎないのだ。極端な話、名前付きを除いたなかで最も強大な種別のデーモンが数体現れたところで、今の自分であれば一瞬で駆逐することが出来る自負がある。地平の先まで見渡しても、そんな恐るべき存在の気配は毛ほども感じられないまま時間だけが経過していく。

複数の占術師が決まって予知した問題の夜がこのまま終わるとは到底考えにくい。しかし現実としてどんどんと朝を迎える時間が近づいてきている。街を背に西方の地平を睨みつけるが、視界に映るのはアビサル・モーの軍勢だけだ。やがて東から薄明かりが広がっていくのが背中越しに感じられた。死の領域の大地が青い光に照らされていき、そこにいた悪鬼たちは溶けるように消えていく。このまま夜が明けて、いつものように朝を迎える時間が訪れるのか──一瞬そんな楽観的な思いが頭に浮かび、だが背中を駆けあがってきた違和感に体を震わせた。

 “青い光”──それは朝日のものではありえない。東を振り返った俺の視界に映るのは水平線から顔を出した太陽の光、などではなく。

「──あれは、一体、なんだ?」

 街の中心、カタコンベの塔に据え置かれた巨大なシベイ・ドラゴンシャードが脈打つように強い光を放っている。溢れるように零れ落ちた強い光はまるで途中から液化したかのように地上へと落ち、そこにいた敬虔な信者へと降りかかった──その直後、その信者は爆発したかのように膨れ上がる。いやそれは正確な表現ではない。”獣化”だ。体が倍以上に大きくなりさらに体表を覆う様毛が生えたことで爆発したように見えたその信者は、あっという間にワー・ベアとして顕現していた。

 空には獣化を励起する月もないというのに、このような光景が街のそこかしこで見られるのだ。それは一般の信者たちだけでなく、厳正な審査を経たはずの高位の聖騎士の身の上にも起こっていた。まず間違いなくつい先ほどまで普通の人間だったはずの者達が、突如としてライカンスロープへと変じさせられている。ワーベアだけでなく狼、鼠、犬──様々なライカンスロープがこの瞬間にも次々に街中に誕生していく。

「《獣の悪夢/ワー・ドゥーム》か!? いや──」

最高階梯である第九位には、人型生物をライカンスロピーに感染させる混沌にして悪の呪文が存在する。だがそれは通常数人に対してのみ影響可能なもので、今俺の眼前で起こっているように街中で何十、あるいは何百といった対象を一斉に変じさせるようなものではない。そしてそれを成しているのはシルヴァー・フレイムの象徴たるべき青い炎を内に宿したシベイ・ドラゴンシャードなのだ。

──あれを放置しておくのはまずい。あれは良くないものだ

状況に流されながらも展開している占術には未だになんの反応もない。だが呪文の効果ではない、第六感とでもいうべきものが俺の中で最大限の警鐘を鳴らしている。だがどうすればいい? ここから攻撃を加えて破壊できるか、あの巨大なシベイ・ドラゴンシャードを。硬度、耐久、素材、射程距離から選択できる攻撃手段──それらを思索していたのは実際には瞬きにも満たない一瞬の事に過ぎない。だが、その刹那の間に大きく世界は変わってしまった。

脈動する青い光が一際大きく膨れ上がり、文字通り光の速さで広がったのだ。鮮烈な蒼い青い光──それが通り過ぎた後に訪れたのは待っていたのは全てを塗りつぶす漆黒の闇。それに至ってようやく、俺は街ごと喰われたのだということを認識できたのだった。



[12354] 7-7. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 5th Night
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:1811fb33
Date: 2022/12/31 22:52
──すべて燃えてしまえ、滅んでしまえ

 そう考えるようになったのは、いつの事だっただろうか。昔は先祖代々の墓守の仕事に誇りを持ち、伝統を受け継ぐことに喜びを感じていたはずだ。だがある時、私は自分のその仕事が割に合わないものだと考えるようになってしまったのだ。

 日頃は人の立ち入らぬ暗がり、地下の墓標で墓の手入れを行い、いざ村人と接する時は誰かが亡くなった時だ。死者の鎮魂を願いその魂の安息を祈る黒の外套は村人からは縁起の悪いものと思われるようになり、休日に買い物に訪れる際などにも露骨に目を背けたりされる始末。私自身が不幸を運ぶ者ではないと彼らも知ってはいるはずだが、それでも私と接することを縁起が悪い、と考えるものが居るのだ。

「それが人の心の弱さというものだ。人の心には強弱があり、大事なものを失った時にそれは極端に弱まってしまう。だが、それを責めてはならない。我々はその弱さに寄り添い、人が立ち直る手助けをせねばならん。
 遺された人がしっかりと立ち直ってこそ、死者も安心して眠れるだろう。怪我をした時に医者が傷を治すように、心に傷を負ったものを我々は癒すのだ。もはや失われた者が戻らぬことを示しつつ、されど彼らが安心して眠っていることが判る様、日々の勤めを続けるのだ。人の営みのその終着点、それを護る事が私たちの仕事だ。それはなくてはならないものなのだよ」

 亡き父が私に言い聞かせた言葉を何度も思い返す。それはきっと先祖代々がこの村の始まった時から伝え続けてきた言葉なのかもしれない。だが、その言葉はやがて私の心には響かなくなったのだ。

 カルティストたちの暗躍が始まり、白龍が島の周囲に近づく船を氷漬けにし始めた頃。私は彼らの教義に触れて地下龍の声を聴き、啓示を授かったのだ。あるいは日頃より地下にて死者と触れる事の多い私にはその声が届きやすかったのかもしれないが、私はあっという間に奇跡を授かり行使できるようになった。その時には既に、この村を滅ぼすことは決めていたのだ。

 墓地の地下深くに繋がる水脈を通じてサフアグンを招き入れ、村の各所に彼らを匿った。墓参りに来たものを秘かに捕えてカルティストに引き渡せば、数日で彼らは信仰を新たにして再び村の生活へと戻っていく。これを繰り返して徐々に勢力を強めていき、いずれ蜂起の時を迎えれば一晩でこの村は島から消え失せるだろう。その時は間近に迫っている、と考えていた──あの余所者が現れるまでは。

 その余所者は墓所に引き込んでおいたカルティストの神官やアンデッドを処理し、さらに古倉庫に潜ませていたサフアグンを狩り出した。今まで時間をかけて用意していた準備が次々と台無しにされていったのだ。他の冒険者をけしかけて処理をしようとしたがそれも上手くいかず、その跳梁を指をくわえて見ている事しかできない。

 だが転機が訪れた。我々が欲していた古代遺跡に関する巻物をその冒険者が手に入れ、その記載を喧伝し街の外へと打って出る流れになってきたのだ。だが数日前に村に現れたばかりの新参者を言い分で命を危険に晒そうという村の者はいないだろう。話をうまく誘導し、吊るし上げることが出来ればあの余所者を処分しさらに巻物を入手することが出来る好機となる──!

 だが、その先に待っていたのは我が身の破滅だった。群衆の前で用意したサクラは役に立たず、言い負かされ、さらには巻物を奪って逃走を図るも手に入れたそれは偽物で、宿の地下に用意していた抜け道から呼び出したサフアグン諸共に打ち滅ぼされたのだ。同行していた蛮族エルフのシミターで切り裂かれ、深く冷たい水底に沈んでいった私を地下龍の爪が捉えたのは偶然ではあるまい。

 死んだ体のままに意識を貼り付けられ、痛みと凍えに苛まされながら考えたのは復讐だ。次こそ殺す。そしてこの責め苦を奴にも味合わせるのだ。そしてその機会はすぐに訪れた。村の外の古い墓地に現れた余所者を、地下龍に授かった《ホールド・パースン/対人金縛り》の奇跡で麻痺させたのだ。あとは嬲る様に殴り続けるだけだ。

 ワイトと化したこの身は触れるだけで生きている生物から活力を奪うということは本能的に察していた。余所者はどこで入手したのか、その効果を防ぐ護符を身に着けているようでその生命力がこちらに流れてくる感覚がない。だがその効果も永遠には続かないだろう。むしろ、即死しないことで死に至る過程に怯える様を眺めることが出来るのだ。その表情が恐怖に歪んでいるのを見たとき、ついに私は自身を苛む痛みと凍えから解放されたのだ。その表情をもっと歪めたくて、見続けたくて拳を振るい続ける。

 あと何発でその加護は消え失せるか? その後死ぬまで殴れるのは何発だろうか? できればすぐには死なず、その生命力を貪る時間が長く続けばよい。そして死んでこいつがワイトになったならば、次は私を切りつけたあの蛮族だ。耳を削ぎ、四肢を刻んでその後に生命力を啜ってやろう。そうして邪魔者を排除したらその後に村の連中共だ。シグモンドとアルサスの邪魔者親子を並べて殺したあとは、カヤだ。

 ああ、カヤ! 私の思いを受け入れてくれなかったあの女を殺すのだ! そして引き籠っているラース・ヘイトンにその死体を投げつけてやる。そして全員殺した後で遺跡から魔人を呼び覚まし、この島だけでなくコーヴェアもゼンドリックも焼き尽くしてやる!

 だがその前にこの余所者を殺さねば。ああ、その恐怖に引きつった顔を見ていられるのももうあと僅かの事か。麻痺のせいで悲鳴を聞けなかったのは残念でならない、だが贅沢は言うまい。そんなものは、これからいくらでも聞けるだろうから。

 表情が変わったか、せっかくの恐怖に歪んだ表情が台無しだ。それは怒りか? 自らの不甲斐なさに怒り心頭と見える。だがその感情もすぐに消えるだろう。あと数発も小突けばもうこの余所者は干からびるだろうという手ごたえを感じた。その素晴らしい瞬間が間もなく終わってしまうという事が残念でならない。

 む、大斧だと。どこから取り出した?

 そしてその斧に纏わりつく稲光はなんだ?

 いかん、早く始末せねばならん──

 最後に視界を埋め尽くしたのは白の極光だ。そして俺はその光の正体を知っている。《ライトニング・ストライク》──古い墓所を埋め尽くしたのは、ある武装による破壊の極地。それを思い出したことで俺はこの脳裏に流れる記憶の正体を知った。

 "狂人"ジャコビー・ドレクセルハンド。それはコルソスで俺が殺めた裏切り者の墓守の記憶だ。その記憶が再現されたことで、あの時俺の体に刻まれた傷が再び浮かび上がっているのを感じる。死者の記憶──ドルラーに眠るその存在が、生者である俺の体を苛んでいるのだろう。

 だが、その正体が割れてしまったのであればそれを振り払う事は容易い。自我を正しく意識し、失われた五体の感覚を取り戻そうとすれば意識が浮上していくのを感じる。そうして目を開いた先に広がっていたのは、黒く染め上げられた無辺の空間だった。

 











ゼンドリック漂流記

7-7. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 5th Night











 死の領域のただなからしい、光の存在しない無明の空間。そこに立っているのは俺一人だ。他の仲間の姿は見当たらない。なんらかの存在に飲み込まれる前に物理的に離れた距離にいたためか、それとも先ほどまで俺が囚われていた死者の記憶がなんらかの効果をもたらしているのかは不明だが念話すら通じないのであれば現時点では合流は考えずに動かなければならないだろう。

 しかしだとしても、何の手掛かりもない闇に満たされた空間ではどっちに移動すれば良いのかすら判らないときた。だが周囲に知覚を張り巡らせるにつれ、その必要がない事に気付く。この場所には、空間という概念自体が乏しいのだ。無論、手足を伸ばすことは出来るし歩けば足を進めることは出来る。だが、どれだけ移動してもどこにも辿り着くことは無いだろう──漠然とそのようなものである、という認識を得たのだ。これは高度に発達した知覚能力と、鍛えた次元界についての知識の賜物だろう。

 そして同時に、移動などする必要がない事も判る。この空間そのものが、先ほど俺を飲み込んだ闇の核であるという事だ。俺が敵を認識し、敵対心を抱いたことで俺を包む空間そのものが反応を開始する。とはいえそれは物理的なものではない。俺のいる空間そのものが変質する──それはおそらくまた何者かの死者の記憶なのだろう。

 接触の瞬間、僅かにその存在がどんなものかが伝わってくる。かつて俺が戦って倒したクリーチャーたちの魂はここドルラーへと辿り着き、そこで記憶を落として次の生へと向かったのだろう。そしてドルラーに遺された死者の記憶が、敵の操る武器なのだ。足止めの罠にはまった俺を雷光で撃ったコボルトの呪い師や、秘術的自爆で相打ちを計ったホブゴブリンのシャーマン。当時は相当な割合のヒットポイントを削られたものだが、今の自分にとってはもはや大したダメージではない。真に危険な記憶の持ち主は何名か心当たりはあるものの、そういった連中の魂はドルラーに訪れていないようで死者の記憶が俺に与えるのはかすり傷程度に過ぎなかった。

「──つまらない出し物にはそろそろ飽きてきたんだ。他の芸を見せちゃくれないのか?」

 こちらの声が通じたのか、それとも一通りの記憶を乗り越えたことで次のステージへと移行するタイミングだったのか。暗闇から姿を見せたのは一体の人型生物だ。自分以外の存在が生まれたことで空間に広さが定義される。とはいえ人間サイズが二人程度がお互い手の届く範囲に立っている程度であり、その広さは畳数枚ほどだろう。相手はストームリーチでもよく見かけるような軽装な鎧姿に剣を帯びているが、その表情は黒く塗りつぶされているようで誰だか判別することは出来ない。

 こちらから手を出さずにいると彼は剣を抜いて斬りかかってきたが、その動きはエルフの戦団のメンバーと比べても見劣りする程度だ。会話もできそうにないと判断し、後の先で掌底を一撃浴びせればその衝撃が全身に行きわたるまでもなく輪郭から霧散して消えてしまった。まるで呪文などで召喚されたモンスターを破壊した時のような感覚に、状況を推察する。

(やはり実体ではない……記憶から再現された召喚モンスターみたいなものか?)

 不可思議な手応えとその存在に頭を悩ませている間にも、同じような存在が次々と姿を現し襲い掛かって来た。そのほとんどは人型生物と思われる相手だが、時折コボルトやバグベア、オーガなども混じっていく。とはいえその戦闘力は大したものでは無い。バフが付与された状態の俺の掌底は、強打せずとも一撃で犀を昏倒させる程度の威力がある。生半可なクリーチャーではこの攻撃に耐えることは出来ないだろう。

 そうして現れる敵を撃破しながら、この空間がどういったものかについての推察を進めていく。『死の接触』自体がゲームには実装されていなかったためそちらの知識は頼りに出来ない。だが入念に行っていた占術を掻い潜り、ストームリーチにを持たらした存在については、ここまでの状況証拠とD&Dというゲーム自体に対する知識から推察することは可能だ。

 今思えば街角で狂気を叫んでいたスクリーマー達や、青白い裏切りの影の蔓延はその前兆だったのだろう。特に前者はゲーム時代にも存在してたことからすっかり風景の一部として認識してしまっていたが、それは重大な見落としだった。

 街に広がったそれらの凶兆と、占術を受け付けないという特性は敵の存在の輪郭を浮かび上がらせていた──"エルダー・イヴィル/上古の大魔"。それは古代から存在する、世界を捻じ曲げる強力な悪の存在だ。神格の存在しないエベロンにおいてはまさに世界の滅びを象徴するものだと言えるだろう。

 俺のエルダー・イヴィルについての知識はTRPG版のサプリメントに寄るものだが、この世界で過ごしてきたことで得た経験と知識から、より正確な推測を立てることが出来る。あるいはこれも俺の持つ"バードの知識"の効果の一つだろうか──今このストームリーチを襲っているのは、遥か過去にこのエベロンを支配していた上帝の一柱だろう、と俺は判断していた。


 "デーモンの時代"を支配した上帝たちの大部分は現在完全に自由を奪われた状態にあるため、世界になんらかの意味のある影響を及ぼす事は出来ない。しかし、一部は縛めを緩め、囚われの身でも物質界に影響を及ぼす手だてを見出した。その中で最も警戒すべきものが、ある一柱の上帝が巡らせている策謀だ。

 今から7世紀前、その上帝はもう少しで縛めを解き脱出する寸前までに至っていた。パラディンのティラ・ミロンがシルヴァー・フレイムと"合一"することでそれを阻止したのだが、それ以、この上帝は二度と眠りに就いていない。何世紀ものあいだ、彼はシルヴァー・フレイムの核にとどまり、意志弱き者たちにささやきかけ、"予言"の道筋を操って暗黒の時代をもたらそうとしているのである。

 ありとあらゆる不和や裏切りから力を得るこの上帝は、最終戦争という巨大な争いによって著しく強大化した。もし彼が解き放たれるようなことがあれば、そのあとには混沌と絶望が続くに違いない。この上帝の名はベル・シャラー──すなわち"炎の中の影"である。


 本来であればコーヴェア大陸にて銀の炎に縛られているはずのこの上帝がどうしてこのストームリーチに影響を及ぼしているのか。それについてはかなりの部分を推測に委ねなければならないが、大凡のアタリはついている。あの巨大なシベイ・ドラゴンシャード、あれが関わってると考えて間違いない。単純に手の届くところにあるのであれば砕いてしまうのだが、どうやら今はその中に囚われてしまっている様子。ここからどうにかする手段を模索しなければならない。

 そのためには、こうやってけしかけられている再現体を倒しているだけではいけない。今のところ同じ記憶の再現体と思われる存在が二度現れる事は無いためそのうち在庫が尽きるかもしれないが、その根源がもし俺が想像する通り死者の記憶の成れの果てであるのならば、下手をすれば倒す速度よりも補充する速度の方が早いかもしれないのだ。

「こういうところで望みの場所に移動したい場合は……こう、だったか?」

 こういった主観的空間座標系の異空間において、移動は意志の力によって行われることが多い。自分がどんな場所に移動したいかを念じれば、それにふさわしい場所に勝手に移動するようなものだ。普通であれば様々な情報を集めて目的地を特定する手順を踏み、場合によってはその場所に関するアイテムなどを使用することで縁を深めて行う行為だが、それらは判定の難易度にボーナスを与えるものに過ぎない。今の俺であれば、ブーストされた高い能力値の補正によりゴリ押しすることも可能だろう──このように。

 念じた直後、闇に包まれていた周囲の様子が一変した。まず変わったのはその広さか。先ほどまでは手を広げられる程度の広さでしかなかったはずが、今や地平まで見えそうな空間の広がりを感じる。実際には一切の光源の無い暗闇の中であるため制限された知覚の届く範囲までのことしか判らないが、少なくとも全力疾走しても壁にぶつかる心配が不要なくらいの広さはありそうに感じられる。

 そんな空間に存在感のあるオブジェが浮かんでいた。それは中空に向かって伸びる階段だ。周囲の闇に溶け込むような漆黒で構築された物体が階段状に並んでおり、通常の視覚しか持たない存在であれば横を通り過ぎても存在に気付かないかもしれないほどだ。どこまでの高さがあるかは不明だが、この空間の頭上側から感じるプレッシャーからしてこれを登っていくことが正解のルートだろうと思われた。

 自分に付与されている一通りのバフを再確認し、階段を一歩踏み上がる。すると先ほどまでは僅かな幅しか感じられなかった段差が急速に広がっていくのを感じた。同時にその広がった空間の広さに相応しい威容を持った存在がそこに現れた。

 闇に煌めく黄金の鱗。天高く突き上げられた頭部からは大きく後方に伸びる一対の巨大な角の上に、横方向へ広がる二対の副角が生えている。口元から垂れ下がる髭はまるで触手のようで、しかしその太さは大人の胴体ほどもあるだろう。全長は30メートルほどだろうか。その重さは100トン近くあっても可笑しくはない。金龍独特のその淀んだ眼球がぐるり、とこちらを見据えた瞬間に既に俺は中空を踏んでその眼前へと迫っていた。

 対龍特攻を付与されたハンドラップを巻き付けた拳を握りしめ、全力の拳撃を見舞った。接触と同時に付与された電撃/衝撃を開放し追加のダメージと朦朧化を狙うも、巨龍の頑強さは相当なもので拳と電撃双方の衝撃を乗り越えてスタンには抵抗されてしまう。このサイズのドラゴンになるともはや状態異常の類はその生来の抵抗力からほぼ通用しないと考えて良い──打ち倒す手段はシンプルに、ダメージの積み重ねだ。

 先手を取れたことをよい事に、息を吐かせずに連撃を叩き込む。一撃を打ち込むたびに鉄壁よりも遥かに硬いはずの黄金の鱗がひび割れ、衝撃に頭蓋の輪郭が歪んでいく。一撃を打ち込んだその反発が来るよりも先に、次の一撃を。愚直に打ち込んだ連撃は三発目にして巨竜の頭蓋の許容量を突破し、行き過ぎた破壊力はその首から上を爆散させた。

「──ありゃ。ちょっとやりすぎたか……これなら初手の付与呪文は温存で良さそうだな」

 ドラゴン種に弱点があるとすれば、それはその巨体から来る鈍重さだろうか。このためよーいドンで戦闘開始すればほぼ一方的にこちらが先手を取ることが出来、一方的にこちらから攻撃を加える事が可能になる。本来ならば物理攻撃を寄せ付けないであろう強靭な鱗は《レイスストライク/幽鬼の打撃》という呪文により無効化され、人型生物の数倍を超えるタフネスといえども俺の突き抜けた打撃力には耐えられない。

 これが五分の条件で開始された戦闘であれば結果は判らないところであるが、どうやらこの世界に登場する再現体は所謂"素"の状態で出現する。つまり、なんの事前バフなどもかかっていない無防備な状態なのだ。対してこちらはありとあらゆるバフを乗せまくった状態で、特にリソースも大きく消費しておらずほぼ最高の戦闘力を維持している。レベルが上がっていれば上がっているほどこの事前準備の有無による戦闘力の格差は広がる一方のため、例え齢千歳を超える古龍であろうとも戦い方によってはこの有様と化すのだ。

 そうやって数秒で金龍を打ちのめしてふわり、と床に舞い降りると、階段の幅は元通りに縮まっていた。だがそれが幻でない証左として、階段の材質が変わっていた。先ほどまでは暗闇に溶け込んでいるかのような漆黒の立方体だったそれは、文字通りの龍骨へと変じていたのだ。俺が砕いたためか頭蓋の部分は存在しないものの、首から尾の先端までを一直線にした龍の背骨が階段を構築していた。四肢をもがれた哀れなドラゴンの遺骸として宙に浮かんでいる。

 足元を何度か踏みしめ、それが空間にしっかりと固定されていることを確認し、次の階段へと足を踏み入れた。すると足を踏み入れた途端に再びその幅が広がっていき、そこには別のドラゴンが姿を現している──左右に広がってから前方に伸びる捻じれた角と下顎部に突き出したトゲトゲは、次の敵がブラックドラゴンである事を示していた。相手の種族を分析しながら、既に俺の体は宙を舞い先ほどの戦闘を繰り返すかのように黒龍の頭部へと迫っている。

「──疾っ!」

 先ほどの結果を参考に今度はチャージ済のリソースすら出し惜しみ、連撃のみで倒しきる。要した打撃の回数は五度。手応えからして総ヒット・ポイントは600前後だろうか。所謂グレート・ワームと呼ばれる年齢層のドラゴンは千二百歳以降で、そのあたりのドラゴンのヒット・ポイントが種別によるものの概ね600~700程度である。単に年齢を重ねただけのドラゴンであれば、この辺りの年齢であっても今の俺より少々撃たれ強い程度に過ぎない。

 再び戦闘を終えて舞い降りると、足場の階段は龍骨へと変じていた。進行方向には数えきれないほどの段差が未だ残っているとなれば、この先の展開は予想できてしまう。

「……どこまで続くんだろうな、これ」

 うんざりとしながら次の段差へ足を運ぶと、再び展開される擬似空間と龍の記憶の再現体。同じように即座に頭部を打ち砕くことで一切の行動をさせぬままに倒す──ということを延々と繰り返した。倒すごとに徐々に敵は強大化しているようには感じるものの、それは緩やかなものだ。俺の掌打一発のダメージは盛りに盛っておよそ160点ほど。対して敵のヒットダイスが一つ増えた際のヒットポイントの増加は30点に満たないほどか。ヒットダイスが5増える毎に、撃破に必要な攻撃回数が1回増える事になる。今のリソース消費しない攻撃ですんなり打倒できる範囲をヒットポイントのみで換算していくと大凡ヒットダイス60ほどまで。単純計算で脅威度にして40ほどまでのドラゴンであれば、このやり方で一方的に蹂躙できる計算になる。だいたいのドラゴンの成長線からすると、およそ二千五百歳ほどまでのドラゴンがこの範囲に含まれることになる。

 本来であればその身に宿した絢爛たる神秘のエネルギーを扱う事で難攻不落の城塞にも等しい存在になるであろう古龍達が、その片鱗も発揮することなく単に図体の大きなトカゲとして倒されていくその様は、ありがたいと感じる反面残念でもある。エベロンの地上ではほぼ見ることが出来ないほどの強大な龍種達。その強さに羨望を覚えるはずの存在だというのに、それが浪費されていく。勿論、これらは過去において既に死んだ存在の残滓に過ぎないのだろう。魂はこの記憶とは別に流転し、今は別の生を謳歌しているかもしれない。だがそれでもなお哀愁を感じてしまうのは感傷的に過ぎるだろうか。

「──まったく、趣味の悪いトロフィーだ」

 どうにかこちらのキャパシティを越える龍の記憶が現れる前、倒す龍のサイズが最初の倍ほどまでに膨れ上がった頃にようやく階段が終わりを迎えた。振り返ればそこには延々と連なる龍の遺骨たち。トロールやオーガといった食人種が、喰らった獲物の頭蓋骨を首や腰回りに並べて身に着けるのは何度も見たことがあるがこれもおそらくは同種の行為なのだろう。あからさまなこれまでと異なる様相に、俺は指輪をひと撫でしてバフを確認してから歩みを再開する。

「それとも、これが自慢のオブジェなのか? だとしたらやっぱり俺にはその趣味は理解できそうにないな──その辺りどうなんだ」

 辿り着いた頂点は、奥行きのある長方形型の空間だ。これまで通り抜けてきた階段の発生させてきた擬似空間に比べれば何とも狭く、少し歩けば向こう側まで辿り着いてしまうであろう程の広さしかない。そんな空間に、小さな祭壇のようなものが置かれている──いや、祭壇というよりも和風の社というのが近いだろうか。小さな家を模したような構造物が置かれており、そこまでに至る短い道の左右には錫杖のようにも見える細い灯篭が地面に突き立てられている。頂点には蓮華のような意匠が施されており、その中央には蝋燭が添えられていた。そしてその蝋燭はまで俺の声に応じるように明かりを産んでいく。奥の社に誘うように時間差をもって生まれたその照明は、この暗闇に包まれた異空間では非常に頼りない薄暗いものとして周囲を照らしている。

──愚かな龍共は巡礼者の足の踏み場を飾る程度がお似合いよ

 そしてその社を中心に影が揺らめいた。闇の中に逢ってなお闇よりも深い影──それは中空に黒い虎の顔を映し出している。それが獣のものではないことは、赤く輝く瞳が強力に語っている。動物にはあり得ない高い知性と残虐性、それはこの虎面の怪人がラークシャサであることを示していた。

 ラークシャサとは、遥か大昔のデーモンの時代において何千年もの間エベロンを支配していた種族の一つである。"下たるドラゴン"カイバーの血から生まれた恐怖の化身である彼らは何十万年もの間、地上を支配した。そのラークシャシャの王族、ラークシャサ・ラジャのうち何体かは今の世にも伝説としてその恐ろしい存在が語り継がれ散るほどだ。ベル・シャラーもそのうちの一体に過ぎない。

 そしてそれら王族のラークシャサに仕える、戦士階級のラークシャサ達が存在した。彼らの王達がドラゴンとコアトルの同盟に敗れ、銀の炎によってカイバーの奥深くに封じられた際も彼らのうちの何人かはその網の目を潜り抜けて生き残り、今やロード・オヴ・ダストと呼ばれ大陸の影で自らの主を解き放つ"ゲーム"を執り行っている。

 そしてその中でもっとも知られた存在が過去の大戦において最も多くの龍とコアトルを滅ぼし、"龍の仇敵"として知られるラークシャサでありベル・シャラーの腹心にして代弁者──"ワームブレイカー"デュラストラン。過去においてはエルフとドラゴンの間に戦争を引き起こし、ここ数世紀ではその主を銀炎の呪縛から解き放とうと暗躍していた虎相の魔人である。

──死に囚われし哀れな存在よ、もはやお前たちに出来る事は何もない。解き放たれし我が主の腕はこの星を包むだろう。その死の抱擁はお前達から定命の運命を取り除く。その喜びの時を待つがいい、間もなくその刻は訪れるのだ

 そして、デュラストランはすでにその大願を果たしたと考えているようだ。主を縛った銀炎教会を内部から腐敗させ、さらにその上で残った敬虔な信者を誘導して騙すようにしてこの儀式を成立させたのだ。まさに今やその歓喜は絶頂であろうことは窺える。

 だが、俺はその喜びに水を差すためにここに来たのだ。社に浮かぶ虎相に向けて俺は言い放つ。

「お楽しみのところ悪いんだけど、邪魔させてもらうぜ。生憎お前たちにお似合いなのは地上ではなくカイバーだ。お前たちを産んだ母のもとに帰ってそこで好きなだけ妄想に耽るがいい。なんなら似合いの寝具をサービスしてやるよ、とびきりに蒼いやつをな」

 こちらの挑発にも虎相の表情は変わらない。彼らにとって人間などの定命の存在は季節の移り変わりとともに生え変わる草木のようなもの。人間かエルフかは一年草か多年草か程度の違いでしかなく、さらには総体として状況を観察することはあってもその1本1本ごとを気にかけること等無いからだ。

──愚かな事だ、我を怒らせてもお前の寿命をいたずらに縮めるだけに過ぎぬ。もはやこの場にいる時点でお前は我が主に囚われの身。ここで我に殺されようとも、寿命が尽きるまでこの場に留まろうともその運命は変わらぬ。
 
 おそらくこのラークシャサには俺の考えが理解できないのだろう。だがその必要はない。相互理解など不要。語らいから得られる情報にも価値は無い。淡々と倒し、次に向かえばよい。何か調べる必要があればその亡骸を越えてからすれば良いのだ。

 こちらの意図は掴めずとも戦意は察したか、虎相の幻影は社に溶けて消える。どうやら戦う気になったようだ。この畳数畳ほどに過ぎない狭い空間自体には特に変化はない。先ほどからぼんやりと光っている錫杖に見える細い灯篭が抱える小さな蝋燭の灯りがチラチラと揺れているのみだ。

──いいだろう、お前たちの足掻きと苦しみは、我が主を喜ばせる。主の復活の手向けに、一つ新たな首級を加える事としよう

 ここまで俺が倒してきたあのドラゴン達は、おそらく生前にデュラストランに滅ぼされた龍達なのであろう。俺とは違って万全な状態の龍種に対し、戦闘して勝利するだけの能力をあのラークシャサは有していることになる。それこそその龍との戦闘によって伝説となっているモンスターなのだ。今まで戦ってきた連中と比較して、甲乙つける事は難しいくらいだろう。格でいうならばイスサランと同等以上、そんなモンスターなのだ。

 精神を集中させ、いつどこから襲い掛かられても良いように神経を張り巡らせる──会話が途絶えてから経過した時間は数秒だろうか、それとも何時間も経過しただろうか? 時間の経過の定まらぬ死の領域に、戦いの火蓋を切って落とす銀閃が閃いたのはそんなことを考えた直後の事だった。

 その剣閃は地を割って現れた。あらゆる知覚よりなお迅く。足元に映った自分の影、それが主へと牙を剝いたのだ。優美な曲線を描く刀の波紋が揺らめき、周囲の蝋燭の灯りを玉鋼が照り返すその反射光よりも鋭く。気付いた時には既に神速の二連抜刀術が俺の体を切り裂いていたのだ。それは居合を極めた達人のみが認識可能な先の先、さらにその先の領域からの斬撃だった。抜き打ちの一閃と、それと鏡写しのように放たれた対の刃。その二段構えの攻撃が俺の体を深く切り裂く。

(イアイジュツ・マスターの先制抜刀術──! それはレギュレーション違反じゃないのか!?)

 それは現在は既に失われたはずの技術。だが確かにそれは今存在し、俺に対して牙を剥いている。本来であれば、この時点でその絶刀に付与されていた"致命の一撃"が発動し俺を殺していたのだろう。どんな龍種であろうとも、耐えようのない致死の刃。俺がそれに耐えることが出来たのは、斬撃とほぼ同時に展開された《アンティマジック・フィールド》によりその刃に付与された超常の効果が抑止されていたからに過ぎない。

 超位の抜刀術士の神速か、秘術者の脳内回路の燃焼による呪文発動のいずれが先か──その勝負に勝ったことが、俺の首の皮を繋いだのだ。戦闘開始直前に《コンテンジェンシィ》が発動したことで呪文を行使する猶予が生まれ、その一瞬で構築された《アンティマジック・フィールド》が相手の抜刀よりも早かったという事だ。

 相手がルール違反すれすれの攻撃を振るってきたことには驚かされたが、それはお互い様ともいえる。戦闘を開始する際に行われる先手の取り合い──イニシアチブ判定に合わせて呪文を発動させるという解釈次第では認められない離れ業で、イアイジュツ・マスターの奇襲攻撃に先んじて一手を加えることに成功したのだ。

「──だが耐えた、なら今度はこちらの番だ!」

 デュラストランは俺と同じく、自身を巻き込まないように範囲操作を行った《アンティマジック・フィールド》を纏っている。お互いがお互いを間合いに収め合っているこの状況、範囲操作云々を抜きにしてお互いが各種の付与効果を抑止された状態というわけだ。相手はラークシャサ、善を纏った刺突以外からの攻撃に高い抵抗力を持つ。魔法抑止状態で善属性の攻撃など、普通のD&D世界観であれば用意するのは至難の業だろう。だが、ここはエベロン──このラークシャサと久遠の闘争を続けている世界なのだ!

「くたばれ!」

 ブレスレットから取り出した武器はなんてことないただの高品質のダガーだ。魔法付与もされておらず、《アンティマジック》下であろうがなかろうが変わらない非魔法の武器に過ぎない。だがそれは間違いなくラークシャサの外皮を突き破り、体内へと突き立てられる。何故ならばそれは銀の炎によって鍛えられた金属、"フレイムタッチト"を鍛造して創られた武器。人の世を護ろうとする祈りに依って鍛えられたこの鉄は、その成り立ちからして善性を帯びているのだ。

 さらにダガーはモンクの得意武器でもある。モンクの連撃の勢いで、短刃が虎人の体を貫いていく。だがその殺傷力は先ほどドラゴン達に向けていたものに比べると小さなものに過ぎない。さらに攻撃の精度も低いものだ。連撃を振るう中での最善の一手が、先ほどまでの連撃の最もお粗末な一撃に劣るほどだ。あらゆる能力を補正していた呪文と、全身に纏った十を越えるマジックアイテムによる強化を失ったことによる落差にはそこまでの差がある。だが、それは相手にとっても同じこと。


──シベイの残りかす風情が! 我が絶刀をひとたび防いだとて、貴様の命運は変わらぬ!


 その毛並みを血で汚しながらもラークシャサは退かない。それは誇りに拠るものか、それともここで下がれば敗北すると悟っての事か。お互いが額を突き合わせるほどの距離で、再び虎相の魔人はその刃を振り抜いた。文字通り、その刃の軌跡は変幻自在。おそらくは『インヴィジブル・ブレード』の上級クラスか同等の技術を修めているのだろう、素早く多彩なフェイントは抜刀の瞬間をこちらに察知させない。

 だがそれも、秘術の強化を抑え込んでいる今では全盛期には程遠いものでしかなかった。数多の古龍を屠った変移抜刀術は、ともすれば察知した時には三度切られているほどの鋭さだっただろう。しかしお互いが超常の効果を抑止しあった結果、お互いその最善からは見る影もない有様だ。そんな泥臭い、頼れるのは自分の体一つという状況はすなわち基本性能の比べあい──だがそうなってしまえば俺の勝利は揺るがない。なんといっても、この体には八体分のキャラクターを詰め込んでいるのだ!

 ダガーの先端から生の秘術のエネルギーが注ぎ込まれ、ラークシャサの体内で炸裂する。呪文を構築するのと異なり、近接攻撃に秘術エネルギーを浸透させて殺傷力を底上げする効果はこの魔法抑止下であっても有効な技術だ。それは毒のように魔人を蝕み、生命力を奪っていく。こちらの手数が多ければ多いほどその勢いは強くなる。そして手数でいえば俺はこの竜殺しを遥かに上回っていた。

 まるでこちらの意識の間隙を突いて虚空から現れるような斬撃は確かに恐るべきものだ。だがその繊細な軌道故に強打することは叶わず、俺がアクションブーストによって一時的に得ている強力なダメージ減少効果により骨を断つまでには至らない。一方で魔人の防備は銀炎に鍛えられた短刀が食い破り、さらにその先端から打ち込まれる秘術エネルギーが体内を食い荒らすのだ。

 そして俺の一撃がついにデュラストランを打ち破る。刺突が顎を穿ち、注ぎ込まれた秘術エネルギーが頭蓋を焼き切った。術者の意識が途切れたことでラークシャサの《アンティマジック・フィールド》が霧散し、それによって各種の付与を取り戻した必殺の一撃が連撃となって魔人の肉体を完膚なきまでに破壊した。

 解放された武器の付与効果により、ラークシャサの体は光に飲まれて消えていき跡形も残らない。何百万年も闘争に身を置いてきた魔人といえど、滅びからは逃れられなかったようだ。断末魔すら残せず、刀一本を地面に残してデュラストランは消え去った。殺意の応酬が行われたのは随分と長い時間に感じられたが、実際には数十秒程度に過ぎないだろう。だが間違いなく今までの中で最も濃密な時間だったように思う。

 地面に落ちたデュラストランの愛刀を拾い上げると、それが恐るべき効果が付与された魔刀であることが理解できた。初手の《アンティマジック・フィールド》でこの武器の効果を抑止出来ていなければ、即座に首を落とされていただろうことは間違いない。二度とこんな武器が振るわれることはないよう、ストレージに仕舞いこむ。

「はぁ。判ってはいたけど、楽には勝たせてもらえないな」

 カイバーに封じられた32の上帝とその腹心。その辺りまでくればもはや存在自体がチートと言っても良い連中ばかりだ。今回もたまたま相手の武器の効果を抑止できたおかげで倒すことは出来たが、もしこの刀がアーティファクト級の業物であれば、あるいはデュラストランが神格にまで踏み入れていれば。定命の存在のアンティマジックなどではその秘術が抑止されずに一方的に斬首されて終わっていただろう。文字通り薄氷の上に成り立った勝利だ。

 何よりも問題は、今やすでに失われた技術──メタ的には改版されたことで無かったことになったルールを、この魔人が行使してきたという点だ。このエベロンという世界は、D&Dというルール自体が3版から3.5班にアップデートされた後に実装された世界観である。そのため、今まで3版独自のルールが適用されること等考えてもいなかった。

 だが、細かく時系列を追ってみれば確かエベロンという世界観の構築が始まったのは3.5版への改版より前の事だ。世界設定本の出版の時期ではなく、世界観が構築された時期ということであれば改版前にかすっていてもおかしくはない。この世界が生まれた時点、あるいはそれに近い時代の存在であれば、旧版で設定されていることも考えられる。

「──想定していた危険度をいくつも上げていかなきゃならんな」

 考えてみれば、俺自身がMMO版という3.5版をさらに改変した世界法則で動いているのだ。つまり異なる版が同時に存在することが起こり得る事は俺自身が証明している。こと戦闘においては余程の殺し間に誘い込まれない限りどうにかできると思っていたが、残念ながら根本的に見直しが必要かもしれない。

 そんな葛藤に思い悩んでいる間にも、デュラストランを倒した影響がこの場所に現れ始めていた。主を失ったことで、この狭い最上階に祀られていた社が崩れ落ちたのだ。左右に立ち並んでいた灯篭も朽ちて倒れたが、ただしその蝋燭のみが空中に浮かび残っている。それらの蠟燭の明かりはやがてふわふわと集まりだし、合体したかと思うと暗い火の輪を形成した。周囲の様子から茅の輪くぐりを思い出したが、その輪の向こう側は別の空間に繋がっているようだ。どうやら三周する必要はないらしい。

「さて、いかにもな展開だが──今さら進む以外の選択は無いよな」

 デュラストランとの戦いはいわば中ボス戦のようなもので、まだこのドルラーでの戦いが終わったわけではないのだ。いいところ折り返し点を過ぎたくらいというところか。一呼吸をおいて一通りのバフを確認し、俺はゆっくりとその輪を潜った。
 



[12354] 7-8. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 6th Night
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:005593ed
Date: 2024/02/10 20:49
 "炎の中の影"ベル・シャラー。それは現在のコーヴェア大陸でもっとも有名な上帝だろう。何しろ近代──七百年ほど前にこのオーヴァーロードはその縛めから解き放たれる直前まで行ったのだから。

 人間であれば三十世代以上が経過しているであろう昔話と思うかもしれないが、この世界ではエルフであれば当時の若者がまだ存命なくらいである。解き放たれそうになっただけで一地方を覆った災厄についてはまだ人々の記憶には新しく、現実味があるからこそ、それに抗する銀炎教会への支持も篤いのだ。

 しかし、この上帝について知られていることは少ない。世界設定本で語られているのは、彼が武器とするのは秘かに与える啓示と闇のなかの囁きだとされている。ベル・シャラーは彼自身が閉じ込められている牢獄を逆利用し、シルヴァー・フレイムがつくる檻の隙間から触手を伸ばして敬虔な者たちの心に働きかけているのだ。シルヴァー・フレイムの信徒のなかには、ベル・シャラーを積極的に崇拝するほど感化を受けてしまう者もいる。高位の枢機卿にすらその影響は及んでいるのだ。

 だが、これらはこの上帝が銀炎に捕われた状態で振るっているか細い力でしかない。"炎の中の影"という異名そのものが、このオーヴァーロードが今置かれている状況を示したものでしかない。果たして、コアトルに敗れ封印されるまでにこの上帝がどのような力を振るって上古の世界を席巻していたのか、それについては何も語られていないのだ。

 確かに小さな手掛かりはいくつも存在している。ベル・シャラーの影響がおよぶ範囲にいる人々の肌は青白くなり、その影は暗がりでさえ濃く鮮明になるとともにそれ自身の意志に基づいて動いているように見える。こうした影は影の主に不利益をもたらそうとし、もし影の主が秘密の計画を温めていればベル・シャラーに知らせる。そして彼の影響下に置かれ、それに支配されてしまった人々は身勝手で冷酷になり、一致団結してベル・シャラーに対抗するどころか互いを攻撃するようになる。そしてこの上帝はありとあらゆる不和や裏切りから力を得ることが出来、最終戦争という巨大な争いによって著しく強大化した──これがプレイヤー知識として知っている情報だ。

 そしてそれらの情報を基に、これまで自分が体験してきた情報を組み合わせることでこの上帝の輪郭が浮かび上がってくる。死者の記憶を再構築し、自分の力とする。それはつまり裏切りや戦争によってドルラーに魂を送り込み、そこから零れる記憶を我が物としているのだと考えられる。人々を争わせるのは手段に過ぎない。死後の魂がドルラーに送り込まれ、そこで記憶を落とし魂が次の生へと向かうというこのエベロンという世界の輪廻に寄生する大魔──それがベル・シャラーという存在の本質だろう。

 それがどのような敵となって自分の前に立ち塞がるのか──それについての答えはない。こういったこと上帝達は占術に対する耐性を持っているため呪文による情報の収集はできず、また自分の知る範囲では"解き放たれたベル・シャラー"などというものが公式でデータ化されていないためゲームの知識も当てにならないからだ。

 本来であればこういった強大な敵には事前に情報を収集し、弱点を見極め、有効な戦術を組み立ててから戦うものだろう。だがこの上帝は自らの存在を秘匿したままストームリーチをドルラーの底に落とす事でその準備期間を与えなかった。そのためこちらは出たとこ勝負するしかないという有様だ。

 そういった意味では戦略的にはすでに敗北している。なにせ相手は数百万年を超えて存在し、世界の隅々に謀略の糸を巡らせるような奴なのだ。定命の存在など生まれた時点でその糸に絡め取られているようなものとも言え、張り合えるようなものではない。

 だが、だからといって全てが相手の思惑通りに進むわけではない。それは"ベル・シャラー"自体が七百前に敗北を喫していることからも明らかだ。

 かつて青い闇に包まれた丘に踏み入れたティラ・ミロンはどんな思いでこの上帝に立ち向かったのだろうか──そんなガラにもない事を考えながら、俺は次元の越境を乗り越えた。そこはドルラーの底にして中心部。あらゆる魂が記憶を濾されて次の輪廻へと向かう生の終着地にして出発点だ。

 

 

 

ゼンドリック漂流記
7-8. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 6th Night

 

 

 

 暗黒の空間に夥しい数の光点が浮かんでいる。それはまるで夜空に輝く星々のようだ。ただその密度は地球で見た天の川よりもなお濃密だ。それらはゆっくりと立体的な渦を巻くように揺蕩っている──まるで一つの銀河系を眺めているようだ。

 そしてその中央には、銀河系のブラックホールに相当する黒い球体が浮かんでいる。しかし実際にはその球体自体を視認することは出来ない。ただその背後にあるはずの輝きが球形に塞がれていることから、おそらくそこにそういった存在があるのだろうと判断しているに過ぎない。

 ゆっくりと回転する小さな輝きたちは、やがてその渦の中心へと沈み込んでいくようだ。まるで鼓動のように脈打ちながら揺蕩う光点の群れ。宇宙の星々の動くさまを取り扱った動画を見ているように思えるかもしれないが、俺は一瞬たりとも気を緩める事は出来なかった。それはこの空間が強烈な悪の気配に包まれているからに他ならない──そしてその中心は、例の黒い球体だ。

──よもや定命の存在が生きたままここまで辿り着こうとは

 それは音ではなく思考として伝わってくる。その思考に触れただけで魂が肉体から引き剥がされそうな力が空間自体に満ちるのを感じる。おそらく、この思考の主は特に力を振るったわけではない。単にその知覚範囲に入り込み、認識されただけでこうなるのだ。それは例えば年経たドラゴンが周囲に畏怖を振りまくがごとく、生者を殺害する。この世界において最も死に触れていると言える存在、それがこの上帝の一柱"ベル・シャラー"だ。

 眼前で虚空がヒトガタを取る。無論それは視認できるものではなく、周囲を漂う光点から察しての事だ。サイズは人間並み。勿論これはベル・シャラーの本体などではなく、単にコミュニケーション用の端末として創り出したであろうことは容易に想像がつく。

──ここまで辿り着くことが出来たのであれば、より容易にここから離れることも出来たであろう。瞬きの合間に過ぎぬ生とはいえ自らそれを縮める代価に何を望む?

 
 その声には焦りなどなく、ただただに平坦な意志のみが感じられた。定命とは比べ物にならない規模の存在からすれば俺達人類の個体の一人など、砂漠の砂粒一つのようなものなのだろう。

「勘違いするなよ、俺が来たんじゃない。お前が俺の縄張りに足を突っ込んできたんだ。わざわざ退治されに来るとは、七百年火炙りが続いた程度で根を上げたのか? 長生きだけが取り柄の上帝様とやらは」

 その物言いに対して黒い輪郭は軽く全身を震わせるに留まった。失笑というやつか、特に思念に怒りという感情は見られない。だが俺の言葉は上帝の好奇心を刺激するには十分だったのだろう、その意識が強く俺へと向かうのを感じた。

退治とは。我こそがお前達人類の守護者にして羊飼い、導きと閃きを与える無二の存在ぞ。未だ自ら立つ事も成し得ぬ未熟な種が、随分と大きく出たものだ


「知らないな、お前が人類の守護者だって? よくもまあそんな考えが浮かぶもんだ」

 竜は我らに敵対し、巨人とエルフはその生が長い。ホブゴブリン共には華やかさがなく、ゴブリンは生が短いためか刹那的に過ぎる。対してお前達ニンゲンは良いな。多様性に富み、お互いで争う事に躊躇せず、世代の交代も早い。繁殖力も高く少々目減りしてもすぐに増える。まさに我が理想を体現したかのような存在よ

 ベル・シャラーが語ったのはこのエベロンの地上を謳歌した文明を支えた種族達だ。かつてドラゴンに魔法を授けたのがこの上帝だとも言われており、彼からすればドラゴンとコアトルに封じられたことは飼い犬に手を噛まれたような思いなのかもしれない。

 そして人類の守護者を自認しているというのも嘘ではないのだろう。彼にとってのお気に入りの作物、それがエベロンに住まう人類という種族なのだ。放っておけば他の上帝に刈り取られてしまう種として、確かに手を回して守ったこともあるのかもしれない。知的生命体の記憶という彼にとっての娯楽を兼ね備えた食事の供給源として、人類を好んでいるのだろう。彼が人類への干渉を行うのは作物の刈り取りや味付け、あるいは品種改良のようなものなのだろう。

 不和の種を撒き散らし、諍いを生む──それも彼なりの調理法ということか。そして人類はその期待に応え、戦争を通じて発展してきた。そして最後には最終戦争を引き起こし、その死者が養分となる事でこのオーヴァーロードをここまで肥え太らせてしまったのだ。

「じゃあその人類に噛み付かれた気分はどうだ?」

 そう言いながら牽制として放った俺の呪文攻撃に対し、ベル・シャラーは回避すらするそぶりを見せなかった。直撃した力場の翼はウォーフォージド・タイタンを一撃でスクラップにする程度の破壊力は有している。だがそれは黒い体の表面を軽く削いだだけに終わる。手応えは確かにあった。だがそれは大海原からバケツで水を汲み上げた程度のことなのか、オーヴァーロードはいささかも変わらぬ様子で俺の眼前にあり続けている。

 確かにニンゲンとは思えぬ術の強度よ。だがその術はあと何度使えるのか──十回か、それとも百回か? それで我を倒せると思うのであればやってみせるがいい。この死の領域において我が活力が尽きることはない。永遠の無聊の慰みに、その舞踏を見届けてやろう

 その思念が伝わってくると同時に、さきほどの呪文で刮いだ黒体の欠片が蠢いた。それはあっという間に膨れ上がり、蛇のような細長い形態をとるとこちらへと迫り寄って来る。あるいは朽ちた巨木と見まがえたかもしれないそれは、よく見ると短い前腕を備えていた。全身をのたうつようにしながら、その前腕で空中を掴んでこちらへとその巨体を加速させて来る──その先端には長く開いた咢がありそこに生えた数多の牙が煌めいていた。リノームと呼ばれる堕ちた龍種、死者と悪食の王だ。

 ただの爬虫類ではなく龍種を冠するだけの高い知性に裏打ちされた残虐性を持つそのケダモノがこちらへと迫る。その巨大な口から発せられる冒涜の声はもしも音声が届いていればあらゆる定命の存在から命を奪う効果があっただろう。しかしその音よりもなお早く、俺の掌打がせまる龍種の下顎を跳ね上げた。残された体躯が勢いそのままにこちらへと押し寄せてくるが、迫るを幸いと射程内に入った蛇体に次々と打撃を打ち込んではね上げていく。そうやって全身へと浸透された衝撃がリノームの体内で暴れ回り、その波が全身で調和を見せるとその瞬間にリノームの全身が分解されたかのように崩れて消える。

 脅威度としてはデュラストランの祭壇に向かう途中で戦った龍達と同程度だろうか。この程度であれば一瞬の足止めの効果はあるだろうが、それ以上にはなり得ない。だがその手ごたえに違和感を感じた俺は、再びベル・シャラーに呪文を放った。次は特に強化など施していない凡庸な火力だ。それは再び上帝の体を僅かに削り、そして再びその削れた黒体は化生となって俺へと襲い掛かって来た。それは先ほどのリノームほどではなく、それなり凶悪な獣という程度であり再びそれを拳撃で霧散させる。拳に残った感触を確かめるように指を開き、閉じる。

──ほう、理解が速い。ここまで辿り着くだけのことはある

 
 その様子を見てのベル・シャラーの関心した思念に、俺は一つの確信を得た。"ベル・シャラーが負った負傷に応じて、肉体の破片からクリーチャーが産み出される"。俺がベル・シャラーに与えたダメージと、その後に生まれたモンスターのヒットポイントがおそらく同一の値であろうと踏んだのだ。

 そうやって倒したクリーチャーの生命力がベル・シャラーに還元される様子はない。どうやら無限に戦い続ける必要はなさそうでほっとする。

──さあ、次はどんな攻撃をするのだ? 炎か、冷気か、それとも電撃か? お前の能力を我が前に晒すがいい


「そうか、それじゃあリクエストに応えるとしよう」

 火球。冷気。電撃。さらに音波に酸。斬撃に殴打に刺突。アダマンティン、ミスラル、魔法銀は言うに及ばず様々な素材による攻撃を繰り出すが、このオーヴァーロードはその全てを受け切って、そして与えたダメージに等しいクリーチャーを産み出してこちらへと嗾けて来た。それは攻撃一回あたりに一体とは限らず、一撃に対して多数の群れが生まれる事もあれば複数の攻撃を受けた結果の集合として生まれることもありベル・シャラーの任意であるように思われる。生まれたのもモンスターだけでなくどこかの国の戦隊の一団が装備込みで現れたり、ウォーフォージドなどもいればホブゴブリンなどの亜人種、巨人にエルフ、動物やエレメンタルなど大凡知性があると思われる殆ど全てのクリーチャーが現れた。

 そしてそれだけのバリエーションと数を産み落とすほどのダメージを受けてなお、この上帝の様子は最初にあったまま変わらない。ダメージは確かに与えているのだ。だがそれがその総量に対してあまりに微小であるため手傷を与えたと認識されない。それだけのヒットポイントをこのオーヴァーロードは保持しているのだ。

(コーヴェア大陸の人口が文明圏だけでおおよそ一千五百万。だが他の大陸、アンダーダークや海の中まで含めればエベロン全体の知的生命体の総数はその十倍で収まるかも怪しい……)

 このエベロンで生まれ消えていく生命、その大半はこのドルラーへと流れ着く。その全て、一つ一つからこの上帝が活力を得ているのであれば。この瞬間にもベル・シャラーは回復を続けているという事になる。

 日本神話でイザナギは毎日一千人を殺すと宣言したイザナミに対して、毎日一千五百人が産まれるようにしてみせようと告げた。今の俺の立場はそのイザナギの逆となる──今この世界で死んでいっているほぼ全ての生命の数を超えるだけ、このベル・シャラーを傷つけねばならないのだ。

 そしてベル・シャラーには時間という貯蓄がある。最終戦争で失われた数多くの命、そしてティラ・ミロンに封じられてからの七百年の間に蓄え続けた生命の数。敵の再生を超えるダメージを与えて、その生命の蓄えを削り切らねばこの上帝は倒せない。

 この世界における間違いなく最強の一柱、"炎の中より出たる影"ベル・シャラー。上古の世界を蹂躙し、暗黒の時代を築いた魔物達の王の中の王。その名に相応わしい恐るべき悪鬼は冥府の底にて俺を歓迎するようにその両腕を広げている。

 忌々しい翼蛇の呪縛から解き放たれたこの私を、一体何が止められるというのか! 


 周囲を満たす輝きは天の星ではなく消えゆく魂の最後の煌めき。あらゆる生命を飲み干す暴食の化身の歓喜の思念がその輝きを揺らす。それはまるで小さな蝋燭の炎の消える前の様子のように俺の目には映った。



[12354] キャラクターシート
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:58eaed57
Date: 2014/06/27 21:23
キャラクター紹介

仲間のデータにはトーリから渡されたチートアイテムによる補正が既に加えられている。
また、一時的な(24時間化されたものを含めた)呪文等による修正は加えていない。


トーリ
Lv.15 Ftr/Rog/Wiz/Brd/Bbn/Sor/Mnk/Rgr
人間、男性

STR 36(+13)
DEX 40(+15)
CON 36(+13)
INT 36(+13)
WIS 36(+13)
CHA 36(+13)

HP 565 SP 1547+700
AC 68 接触 55 立ちすくみ 68
基本攻撃ボーナス +15 イニチアチブ +15 移動速度 80Ft
セーヴ:頑健+26 反応+27 意志+26
攻撃:36/31/26(片手)あるいは34/34/29/29/24/24(二刀流)あるいは32/32/32/32/32/27/27/22/22(素手二刀流二段蹴り時)

解説:
レベルアップに伴って上記データブロックは若干の向上程度にとどまっているが、呪文や特技のバリエーションは大幅に強化され
戦闘力は飛躍的に上昇している。なおトワイライトフォージ編においてタイタンはマインド・フレイヤーの能力の一部という扱いであるため
破壊しても経験点は得られなかった。


エレミア・アナスタキア
Lv.20 レンジャー3ファイター2レヴナント・ブレード5デルウィーシュ10
エルフ、女性

HP 275
AC 46 接触 33 立ちすくみ 39
基本攻撃ボーナス +20 イニチアチブ +11 移動力 75Ft
セーヴ:頑健+22 反応+25 意志+24
攻撃40/40/35/35/30/30/25(ヴァラナー・ダブルシミター使用)(旋舞時+5)

解説:
ヴァラナー出身のエルフ。
神話の運命により祖霊の能力を一部行使可能であり、瞬間最大命中基本値は三桁に迫っている。
その能力である『宿命の一撃』はあらゆる耐性そのものを切り裂く。

ラピス
Lv.19 ウィザード2ローグ1アンシーン・シーア10アブジュラントチャンピオン5ドラゴンスレイヤー1
ダイアキャットのライカンスロープ、女性

HP 319 呪文数 4/6/6/6/6/5/5/4/4/2/2
AC 63 接触 50 立ちすくみ 47
基本攻撃ボーナス +15 イニチアチブ +16 移動力 50Ft
セーヴ:頑健+24 反応+28 意志+37
攻撃38/33/28

解説:
ワー・ダイアキャット族最後の生き残り。
トーリを除けば最も高い瞬間殺傷力を有しており、その能力でパーティー全体をフォローする遊撃役。


メイ
Lv.20 ウィザード5ビガイラー1アルティメットメイガス10フェイトスピナー4
ハーフエルフ、女性

HP 243 呪文数 4/7/7/7/11/6/10/5/5/2 6/9/9/9/11/0/0/0/0/0
AC 34 接触 21 立ちすくみ 28
基本攻撃ボーナス +9 イニチアチブ +6 移動力 30Ft
セーヴ:頑健+18 反応+16 意志+29

解説:
シャーンのモルグレイヴ大学に研究室を置くウィザード。
ラピスが攻撃特化しているのに対し、戦場をコントロールする役割を担っている。


フィアリィル・タールア
Lv.20 ソードセイジ4パラディン4パイアステンプラー2エターナルブレード10

HP 235 呪文数 3/0/0/0
AC 59 接触 46 立ちすくみ 46
基本攻撃ボーナス +19 イニチアチブ +14 移動力 50Ft
セーヴ:頑健+37 反応+36 意志+34
攻撃40/35/30/25

解説:
トーリが保護したドラウの一人。
無限に続く死と新生の輪廻の中で戦い続けるエターナル・ヒーロー。
神殺しの剣である"クレッセント・ブレード"の欠片を宿す。


ルーアイサス・ラトリア
Lv.29 ドルイド3バード2グリーンウィスパラー3アーケインハイエロファント10サブライムコード1プラナーシェファード10

解説:
トーリが保護したドラウの一人。
別世界の神である"イーリーストレイ"のアスペクトを宿してエベロンの創世期に介入した神の使徒。
現在そのアスペクトは休眠状態にあり、まもなく4万年の眠りから覚める時が近づいている。


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