////10-1:【恐怖! 地獄のモーモー牧場】
ある日の夜―――
白い髪の少女、ルイズは夢を見る。
秘伝書を読んだあとに眠れば、ときどき使い魔―――自らの中のボーン・スピリットを通して、サンクチュアリの情景が夢の中に浮かんでくることがある。
ルイズの脳内の知識に、精霊となった魂がそっと、彩りを添えてくれているのだ。
そこは、見えざる目教団(The Sightless Eyes)のキャンプ。邪悪に染まった修道院から逃れた戦闘シスターたち(ローグ)の、再起をかけたちいさな砦。
ルイズは、そこに集う冒険者たちを見ている。
ひとりのネクロマンサーが、そこにやってきた。ルイズはふわふわと浮かび、彼についてゆく。
太古の秘術をおさめる神秘の教団、ラズマの僧侶は、ネクロマンサー(死霊術師、死体呪術師、死人占い師)と呼ばれる。
彼らが動くのは、<大いなる存在の円環(The Great Circle of Being)>に大きなゆらぎが生まれたときである。
彼らは独自の倫理観にのっとって、ときに秩序の側に味方をし、ときに混沌の側に味方をすることもある。
いたずらに生命の循環を破壊したり停滞させたりするような輩も、敵とみなされることもある。
たとえば人々が自らの存在に飽き、怠惰や贅につかり、生きる目的を見定めることを忘れ、他の生命にたいする殺戮を始めたときなど。
たとえば人が生命としての領分を忘れ、禁忌の術に手を出したときなど。
ネクロマンサーは混沌の手先として、人を狩ることも辞さない。
数万年にわたる長い歴史のなか、幾度もそういうことは起こっていた。
ゆえに、彼らは恐れられる。彼らは外の人々から理解されることを望んではいないし、あまたの誤解も生まれたが、とく理由もないと大抵はそのままにしている。
そんな彼らにとって、ただちに敵と断定できる、もっとも唾棄すべき邪悪とは―――
自らの領分<魔界>を離れ地上を侵略し、存在の円環の自然なバランスを破壊しようとする、魔王たち。
長兄、憎悪の王メフィスト。
次兄、破壊の王バール。
末男、恐怖の王ディアブロ。
三柱の魔王たちを倒すために、ネクロマンサーは立ち上がる。骨の杖(Wand)を手に、荒野へと出る。
「おれに立ち向かう全てのものたちよ、警戒するがいい。(All who oppose me, beware.)」
(ああっ……かっこいい! すてき素敵ステキ……あーもうこの気持ちは言葉じゃあ言い表せないわ!!)
ルイズはうっとりとした表情で、彼の戦いを見ている。
スムースに秘術を駆使し、スケルトンを生み出し、敵を呪い、ゴーレムを走らせる。
荒野に魔物の断末魔、殺戮の嵐が吹きすさぶ。
そんな旅の途中で、目的を同じくするものたちと出会うこともある。
アリート山脈の守護者、バーバリアン。鍛え抜かれた肉体で、敵をほふる。
双子島の熱帯雨林の女性戦士、アマゾン。卓越した技術で、弓と槍をあやつる。
古きザン・エスの魔女、ソーサレス。炎、氷、電撃の魔法を極める。
ザカラム教徒の盾、パラディン。聖なるオーラと強い信仰心で、人々を守る。
ヴィズジュレイの異端魔道師殺し、アサシン。マーシャル・アーツと罠で魔物を殺す。
北方の森の神秘、ドルイド。大自然の精霊の力を借りて、悪の手先に挑む。
見えざる目教団のシスターの多くは魂を堕落させられ、魔物のようになってしまった。
パラディンの故郷、ザカラムの都クラストはメフィストの影響をうけ、邪悪に染まってしまった。
彼女(ローグ)、そして彼ら(パラディン)は、故郷を取り戻すために戦い、かつて同胞だったもののなれのはてを殺戮する。歯を食いしばって。
つまり、人の心は容易に堕ちる。
ときには、冒険者たちの心が闇に堕ち、他の冒険者を狙って殺戮を行うようになる。(Player Killing)
ときには、魔によって自分の存在を見失い、世界の理からはずれ、ゆがめ書き換えた半人半幻の存在へと変貌する。(Cheat Character)
冒険者たちは、魔物だけでなく、ときにそのような人間を敵にまわしながら、苦難の旅路を行く。
魔物に取り囲まれて殺されることもあれば、宝箱に仕掛けられた卑劣な罠によって力尽きることもある。
闇に堕落した冒険者に殺され、コレクションとして耳を切り取られることもある。
冒険者たちは魔王を倒すという至上の目的のため、ときに反目しあいながらも手を取り合い、友情を結び、旅をつづけていた。
ルイズの見ていたネクロマンサーは、ある時奇妙な場所へと迷い込んだ。
ホラドリック・キューブに入れていたアイテムが、偶然にも合成され、異次元へのポータルを開いたのだった。
ポータルを抜けた、その先には視界一面に、草が生えていた。柵がたっていた。
そこは牧場だった。
牧場であるからには、そこには当然のように、牧畜である牛がいた―――
―――ただし、地平線を埋め尽くすほどに大量の、二足歩行して大きな武器を振り回す地獄の牛が、津波のようにネクロマンサーへと押し寄せ『モーモモー
「っわっきゃああぁああぅわあなはぅあーーー!!!」
ルイズは叫び、飛び起きた。
悪夢から覚めれば、そこは見慣れた天井、『幽霊屋敷』のベッドの上だった。
ルイズは全身に汗をかいていた。呼吸が落ち着かない。ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……
今まで見た中でも五指に入るほど、インパクトのある夢だった。しだいに震えが襲ってくる。
今のは、ルイズにとっては夢だった……のに、あのネクロマンサーにとっては現実に起きた出来事なのであった。
ぶんぶんと首を振った。
まだ夜中なのに、目はすっかり冴えてしまった。
「駄目」
ぽつりとつぶやく。
「……あの死に方は、無いわ……悲しすぎるじゃない、あんなの」
ぼんやりと中空をみつめる、焦点の合わない目から、ぽろぽろと涙がこぼれおちる。
見渡す限り大量の二足歩行をする牛に囲まれ、押しつぶされ、タコ殴りにされて死ぬ―――あまりに悲惨な末路、絶対にしたくない死に方だ。
人生で最期に発した言葉が『おれは乳しぼりじゃない』というつぶやきだというのはあまりに救いがない。
「あれは……悲しい……ひどい、ひどいわ……」
ルイズは亡くなった異世界の冒険者のために、しくしくしくしくと、涙をながした。彼の魂の安息を願った。
―――ほわん
ルイズの使い魔をやって、肉体を共有している骨の精霊、『タマちゃん』と名づけられたそれがルイズのなかから浮かび上がる。
髑髏の白い火の玉が、室内を照らす。
「……ちょっと、まさか……さっきのって!!」
ルイズは悟る。さきほどルイズが夢に見たあのネクロマンサーは、死してのち<存在の偉大なる環>を何度もめぐり、
幾度となく浄化と祈りを受け、多くが寄り集まって融合し、純化され―――そしてそしてどうなったのか、ああ、今なら理解できる。
そうなんだ―――
時をさかのぼって、精霊となったんだ―――
「……あなた、だったのね」
ルイズはボーン・スピリットを抱きしめた。
胸がいてつくように、やけるように、それでいてちっとも痛くない。
ルイズは<存在の大いなる環>、大天使ティラエルと司祭トラン=オウル、この素敵な使い魔と出会えた運命、始祖ブリミル、父と母と姉に感謝の祈りを送る。
やがてそれは、ルイズという存在を成り立たせてくれている、すべてのものへの感謝の祈りとなっていった。
汗で濡れた寝巻きがきもちわるい。これをどうにかしなければ。
さすがにこんな時間に浴場は使えないだろう、裏の井戸で水浴びでもしようと考え、ルイズはベッドから出た。
「おい娘っ子、こんな時間に何処いくんだ」
「裏よ、水浴びしてくる」
「外は寒いぜ、水を汲んできて湯を沸かして、中で体を拭けばいいじゃないか」
「……ここには、司教さまがいらっしゃるから」
「死体じゃねえかよ」
なるほど、部屋の隅のほう、天井から下がったカーテンで区切られている場所は、棺おけの位置からは見えないようになっている。
そういやいつもそこで着替えてやがるよな、律儀なことだ、とデルフリンガーは思った。
「おうい、風邪引くぞ―――っつのによう……ったく」
////10-2:【月明かりの下で】
冷たい水が、白い肌の上を流れ落ちる。
二つの月が、夜空にかかっている。こうもりがばたばたと羽ばたいていった。
ルイズは一糸まとわぬ姿で、手桶に汲んだ水を体にそそいでいる。
(……痩せたわね)
月の光に照らされた、自分の体を見て思う。肌の色も白くなり、血管が透けて見えそうだ。
胸のサイズも、以前より小さくなったのかもしれない。ふにふに、と揉んでみる。「ん」。やわらかくないこともない、といった程度だ。
足にはすこし筋肉が付き始めているようだが、脂肪が少なすぎる。
髪の質も、なかなかもとのように戻らない。いずれ食生活が安定すれば、すこしはましになってくれるのだろうか。
(キュルケの言うとおり、もっと髪の手入れに時間をかけようかしら)
とくに男性を意識しているわけではないが、自分の女性らしさが失われることは、ルイズにとっても悲しいことだ。
自分は将来結婚できるのだろうか。
もうずっと音沙汰のない、婚約者候補のことを思い出す。
もし彼と結婚できたのなら、彼はこの貧相な体を見て、さぞかしがっかりすることだろう。
久しぶりに、ワルドさまの顔が見たい。
ただ、ひとめ見るだけでいい、彼は栄えある王宮の衛士、グリフォン隊の隊長さまだ、さぞや凛々しくなっていることだろう。
こんな胸も尻もゼロの女には釣り合わない、キュルケみたいな……いや、あれは無いか、カトレアお姉さまのような良き方と一緒になるのだろう。
もし、私に、同い年の少年との出会いがあったのなら―――
いいや、結婚できなくても、私はラズマの尼僧。
トリステインの誇り高き貴族は、ラズマ聖職者にだってなれるほどに高潔なんだ、そう証明するんだ。
ルイズはポジティブにそう考え、やっぱり寒かった、と夜中の空気に歯をがちがち鳴らしつつ、体を拭こうとタオルを手に取るのだった。
―――……
やがて―――
ふと、二つの月を見あげて―――
それは霊感、と言ってもよいのだろうか。あっ、ゆがんでる―――
ルイズの手から地面へと、ぱさりとタオルが落ちる。
何か
が崩れ、つつある。
死ぬ
もう来ている
大きな運命の流れだ。たくさんの人が死ぬ。どうぶつたちが死ぬ。不自然なものへと変貌する。
生と死との間のバランスが崩れる、どんどんどんどん零れ落ちる大切なもの
堕ちた宝石が輝く―――呼ぼうとしている。
まずい、このままでは
堕ちる
運命が歪められる
いけない―――気づかれる、あぶない、見るな、あの私を見ている目を見返すな、
やりすごせ
私は何も知らない無力な少女だ
ここにいてはいけないなにかがいる
そんな予感、そして身の毛のよだつほどの壮絶(そうぜつ)な悪寒が、全身を走る。
通常の人には見えないもの……霊魂や運命の流れ、魔の気配など……が観(み)えるということは、『人が見てはいけないもの』を見てしまう可能性があるということだ。
それらは、通常の人には見えない、だから強力な魔は、人びとに見えないままに、気づかれないままに、人の心をおかしくしてゆく。
もし、それが見えてしまうことがあれば―――
たとえば、サンクチュアリのザカラム教の聖職者たちなどは、本山まるごと憎悪に屈し、闇に堕してしまったという。
人が深遠を覗き込むとき、深遠もまた人を見返しているのだ、とはよく言ったものである。
多感な年頃の、聖職修行中の少女の心にとって、それは―――
「どうしよう」
ルイズは目も虚ろに、はだかのまま空を見上げ、体をぶるぶると振るわせる。
「怖いわ、どうしよう、怖い、司教さま」
ぺたぺたと物置小屋に入り込み、棺おけへとすがりつく。返事があるはずもない、司教はただのしかばねだ。
「天使さま」
小さな子供のように、あたりをきょろきょろと見回す。天使がいようはずもない。
「助けて」
「どうした娘っ子!!」
デルフリンガーの声がひどく遠いものに感じる。どうしたかって? それは
「わかんない」
背後に気配、振り向けば、古きロマリア教皇の亡霊。
ここに裸の女性がいるからだろうか、わざわざマントを頭から被って顔を隠し、じっと立ち尽くしている。
まるでなにかを警告するかのように、片手をひくくのばして、部屋の中にある何かを指差している。
「寒い、とっても寒い」
「おい、大丈夫か! っち、水浴びなんてすっからだ! どうしちまったんだあ、しっかりしろよ!」
「悲しいわ」
「何を―――っておい、娘っ子! 尋常じゃねえぞ何やってんだ服くらい着ろよ! 正気に戻れ! ああもう―――待て、おい何処行くんだ!」
ルイズはふらふらと何かを追いかけるように、外へ歩いてゆく。
「や、やべえよ、とうとういかれちまいやがった、どうすんだよう……」
残されたデルフリンガーは、かたかた、かたかたと震えることしかできなかった。
今の住処に越してきて、自分が剣の身であることを、これほど無力なものだ思ったことは無かった。
「マジで、どうすんだよアレ……」
かたかたと金具のすれる音、騒ぎによって眠りから覚め怒っているらしい毒ヘビの、しゅるしゅるという音が鳴り続ける―――
////10-3:【わたしにできること】
真夜中、ドアに人の気配。
タバサは目を覚ます。
(……誰?)
眼鏡をかけて時計を見れば、誰もが寝静まっている時間。こんな夜更けに、誰がタバサを尋ねてくるというのか。
キュルケ? いや、彼女は今夜、恋人と過ごすと言っていた。
シエスタ? いや、彼女は基本的に夜は自室から一歩も出ない。
シルフィードは……おしゃべり好きの使い魔は窓からくるし、まず声を出すだろう。
扉の前でじっと動かずに居る気配。
残る可能性は―――ゼロのルイズ。夜に彼女と会うのは、タバサの精神衛生上あまりよろしくない。
「誰」
返事は無い。
怖い。
静寂。だが、確かに扉の向こうには人の気配。
タバサは杖を手にする。
敵意は感じられない。
「そこに居るのは、……ルイズ?」
やはり、返事は無い……もし、ゼロのルイズでなかったら……おばけ?
背筋が震え、足がすくみそうになる。
「……そこで、何してるの」
返事はない。
さあ勇気を出せ、雪風のタバサ。
相手は害意をもっていない、大丈夫だ。
扉を開ければ、あのゼロのルイズが、いつもどおりの薄気味悪い笑みを浮かべて立っているに違いない。
―――開けた。
ぎいいい、と、音がした。
「ルイ―――……」
タバサは言葉につまった。
そこには、確かにゼロのルイズが居た。
「…………っ!」
タバサは、舌を空気ごと喉の奥へと飲み込んでしまったかのように、言葉が出てこない。
目を大きく見開き、まるで背筋に氷をつっこまれたように、さあっと全身に鳥肌が立った。
そこには、ゼロのルイズが立っていた。
うつろな表情で、
生まれたままの姿で、
顔に張り付いた白い髪から水のしずくをぽたぽたとしたたらせて。
―――どこを見ているのか解らないその目は、まるで白い壁にあいた穴のようだった。
タバサは杖を取り落とした。
かくりと膝が折れてしまう。完全に腰が抜けたのだ。
肺の中の空気を全部吐き出してしまった。吸い込む、今度は吐き出すことができない。
心臓はばくばくばくばくと戦場の大砲のようになりつづけている。
「!!―――ぅ、く……」
タバサは顔を恐怖と驚愕にゆがめ、歯を食いしばった。無意識に、ずりずりと腕の力だけで数歩分の距離をあとずさっていた。眼鏡がずれる。
「―――ぁ」
何か言わなければ、と思うが、タバサの思考は恐怖でオーバーヒートしつつあった。ひゅうひゅうと喉が鳴る。
「寒いわ、とても寒い」
白い髪の少女が、ぽつりとそう言った。
恐怖の針が振り切った。意識が飛びそうになる。
「寒いの」
聞き取れないほど小さな声。その言葉を、タバサは耳にする。
そのおかげでなんとか、タバサは、ほんの少しだけ冷静になることができた。深呼吸をする。
―――服を着ていないのだ、寒いのは当たり前だろう―――そんな思考が、迷宮の糸のように、タバサの心を平常レベルに引き戻したのであった。
「……ど、うしたの、何が、あった」
「助けて……怖い」
なんとか喉の奥から、声をしぼりだした。
彼女は誰かに襲われたのか? 敵が近くまで来ているのか? わたしは、どうすればいい? むしろわたしが助けてほしい―――
ルイズはふらりとタバサへ歩み寄ると、腰を抜かしているタバサの膝の上に、くたりと体を折り、崩れ落ちた。
「!…………」
ルイズはがちがちと歯を鳴らし、がたがたと震えている。
いつも彼女は異常だが、今日はなおそれに輪をかけて異常だった―――
すっぱだかのまま外を歩いてここにきたというのか? いったい彼女に何があったのだろう。完全におかしくなってしまったのか、そうだったらとても悲しい。
「まって、毛布を」
「怖い」
ルイズは何かにひどく怯えているようで、ぶるぶる震えており、立ち上がろうとしたタバサのネグリジェをぎゅっと掴んで離さない。
タバサは仕方なく、杖を拾って『レビテーション』の魔法をかけ、彼女の体を持ち上げる。
ルイズをベッドへと運び、毛布につつんでやる。先ほどまでタバサ自身が寝ていた場所なので、暖かいだろう。
枕が水滴で湿ってしまったので、タオルを魔法で取り寄せて、くしゃくしゃと拭いてやる。
「いったいどうしたの、いまのあなたはおかしい」
いくら話しかけても返事が無いので、顔を覗き込むと、ルイズはすでに眠っていた。
なにか怖い夢でも見たのだろうか。それとも、もっと恐ろしいものと出会ったのであろうか。
タバサにとって火竜より怖い、ゼロのルイズですら怖がる何かだ、よほど恐ろしいものにちがいない。
ぶるぶると背筋を震わせ、タバサは自分の身をかき抱く。襲ってきたらどうしよう、私が守らないと。
怖いおばけの夢を見るかもしれない。このぶんではタバサもひとりでは眠れないだろう。
ベッドは占領されてしまった。ルイズに何があったのかは気になるが、起こすのはしのびない。
誰かの部屋に泊まりにいこうか。キュルケの部屋には―――はだかの男の人がいるのだろう。
モンモランシー、シエスタ……。眠っているだろう、迷惑をかける。
ゼロのルイズは、寒そうだ。予備の毛布を何枚かタンスから魔法で引っ張り出して、ルイズの体の上にどんどん積み重ねる。
ドアにしっかりと鍵をかける。いつでもシルフィードを呼べるこの部屋なら、敵が襲ってきても逃げられる、安全だ。
この娘が恐れる何かから、私が守らないと。勇気を出して、タバサはルイズのとなり、ベッドに入る。眼鏡をはずして枕元に置く。
「……怖いわ、寒い」
「大丈夫」
返事が無い、ただの寝言のようだ。弱りきったゼロのルイズは、他でもないタバサを頼って、わざわざここまで来たのだろう。
―――自分が怖いとき、何度もキュルケに助けてもらったように、今夜はわたしが誰かを支える番だ。それに……
「怖いよう」
「大丈夫、わたしがいる」
以前ルイズには、命を救われた。彼女はとても怖いけれど、大切な思い出もくれた。
だから、たまにはこうして、頼られるのもいいかもしれない―――
「おやすみ」
ルイズのひんやりとした手を握る。
タバサは目を閉じた。
////10-4【指輪】
古びた剣と聖者の遺体が残された、住人のいない『幽霊屋敷』で、月の光を浴びて薄く発光する物体がある。
さきほど昔のロマリア教皇の亡霊が、まるでこの部屋の主人に警告するかのように、指差していたものだ。
それは、ネックレスに通された指輪。ベッドサイドにおきっぱなしの、ヨルダンの石(Stone of Jordan)だった。
さきほどルイズを『見た』目は、どうやらこれを探していたらしい。
ルイズは箱に入っていたそれを、天使からの贈り物だとばかり思い込んでいる。
勘違いである。
―――
―――
「ようやく見つけました……ここは、トリステイン、魔法学院ですか……おや、これは失礼、ふふ、なんとも可愛らしいお乳だ」
すっぱだかの少女が見えてしまい、聖職のトップである彼は苦笑した。
ふむふむ、と、しばし堪能する。周囲にはだれもいない、彼も男性だ、こんな状況に出くわせば誰だってそうする……と、彼は思っている。
(それにしても、こちらが見ていたことに、よく気づけたものですね)
ハルケギニアにも、ときどき魔の気配に敏感に気づくことのできる人物がいる。
あの白髪の少女は、彼が見ただけで、ひどく怯えていたようであった。
あの程度で錯乱するとは、実力などたかがしれている。放っておいても、たいしたことはできなかろう、と笑う。
まことに強い力というものは、ただ『見せる』だけでも役に立つものである、というのが彼の考えだ。
彼は、このハルケギニアから戦乱を無くしたいと、心から思っている。
そのためには、彼らの始祖の残した『始祖の虚無』という大きな力が必要だ、と考えている。
ハルケギニアが一丸となって、みなの心のよりどころ、聖地を奪還しなければならない。
この世界が一丸となるためには、人類にとって、唯一の敵が必要である。
―――恐怖の大王<DIABLO>を降臨させるのだ―――
そんな野望を抱いた彼は、ある日、自らの使い魔をガリアへと送った。
使い魔の老練な魔道師は、<召喚術(Summoning)>に長けている。
<世界扉>より現れた宝石のカケラ<Chipped Worldstone of Nightmare>をカギとして使えば、彼の使い魔の召喚術に、不可能はない。
恐怖の王を喚(よ)ぶには、現世の肉体が必要だ。それは、国でいちばん知名度と位の高い、王族が望ましい。
- -
かつてサンクチュアリの世界において、恐怖の王は、カンデュラス王国の名君と誉れ高きレオリック王を寄り代としようとした。
だが、それは失敗し、レオリック王は狂気に囚われた……それでも、肉体を乗っ取らせはしなかった。
やがて、狂ったレオリック王は、騎士団長ラックダナンに殺害された。
そして結局、恐怖の大王の寄り代となったのは、レオリックの子、アルブレヒト王子であった。(DiabloⅠストーリーより)
- -
王族とは、このように得てして魔へと堕ちやすい。
無能王と呼ばれるガリア国王は、自分と同じ<虚無>の系統であるが、始祖をまったく敬っていない。
彼はそいつが嫌いだ。あいつに代わりはいるので、あいつの肉体を使って、召喚してしまえ、と考えた。
<虚無>を使える<DIABLO>さまだ、さぞかしおそろしいにちがいない。世界中に恐怖を振りまいてくれる。
そうしたら、世界中のみんなで、いっせいにフルボッコだ、殺せば人の心をまとめる英雄も、次の<虚無>も生まれる。
あとは、行方不明の『炎のルビー』をじっくりと探しだす。
そうすれば、<四つの四>―――四人の虚無の使い手、四つの秘宝、四つの指輪、四人の使い魔、がひとところに揃うではないか。
<四つの四>がそろい、<始祖の虚無>を得て、戦乱もなくなり、聖地へと行ける!
―――ああ、なんと良いアイデアなのだろう!
もはや彼は、自分がすでに魔に魅入られていることに、気づいていなかった。
だが、その試みはすぐに頓挫(とんざ)した―――
ガリア国王ジョゼフが、自らの身を呈して、こちらのたくらみを打ち砕いたのだ。
これでは恐怖の大王を召喚しても、ろくなものにはならない。<扉>の開通できない場所に引きこもられてしまえば、殺せもしない。
なので彼は、別の方法をとることにした。
ヨルダンの石の、秘められた力を使おう。
使い魔の能力で写し身だけを喚(よ)ぶよりは、これとあわせて、もっと恐ろしいものをよべる。
アルビオン大陸に、<レコン・キスタ>という名の、恐怖の下地はととのえられている。
彼は配下のものを呼びつける。
魔法学院につながる<扉>を開く。系統魔法の<虚無>による、<移送扉(ポータル)>だ。
コツコツ貯めた精神力をやけに使うので、無駄遣いはできないが、いまこそ使うときである、と彼は決断した。
一度つかえばこの魔法はしばらく使えないが、まあよいか、と彼は思う。
ヨルダンの石が、ほらもう目の前にある。もうすぐ地上に地獄を呼べる。落ちているものを拾うように、さあ、ひょいっと手を伸ばすように―――
手下は<扉>をくぐり、やがて戻ってきて、戦利品を見せてくる。
まちがいなく、それはヨルダンの石(SoJ)だった。自分の持っているもの―――同じ方法で、ハーフエルフの少女から盗んだもの―――と見比べる。
帯びている力は弱いようだが、これを持っていた胸の小さい彼女の世界における重要度も、その程度のものなのだろう―――
―――ニコリと、絶世の美青年は笑った。
「よくやりました、すぐに適当な商人を呼び、二束三文でよいですから、売り払ってください」
彼の手下は、深々と礼をして、盗んできた『ヨルダンの石』の指輪を手に立ち去った。
このように彼は、ヨルダンの石を消滅させ、運命の流れをゆがめ、『別の寄り代』を使って、あの恐ろしいものを召喚しようとしている。
その寄り代は、もう、彼の使い魔が見つけている―――
////10-5:【石はどこに】
ロマリアに滞在していた名もなき商人である彼は、真夜中、法王庁の者にとつぜん呼び出され、美しい石のついた指輪をたったの銀貨三枚で売りつけられた。
ほかにもいろいろと品物を見せられ、安値で手わたされた。こちらは大もうけをした気分だ。
それにしても、妙な魅力のある石だ、と彼は思い返す。
もう一度眺めてみよう、とポケットをあさる。
彼の手に、指輪が触れる。取り出してしげしげと眺める。
ふふ、と笑い、これをどうしようか、と考える。商品として売るには、惜しい気がしてきたのだ。
商人は金を集めるもの、金を集めるのは生活のため。
生活に必要なぶんを越えたお金は、高価な品物を買うためにも使われる。
絵画、彫刻、そして宝石などを買うのだ。眺めて楽しんだり、人に贈ったりするために。
そういえば最近トリスタニアで、ときどき妙に質の高い宝石(Gem)がやりとりされているようだ。
聞けば出所不明の宝石で、どこかの貴族の隠し鉱山にて秘密裏に産出されているのだろう、という噂だ。
もしそんな隠し鉱山などが見つかれば、大騒動がおきるだろう。
隠し鉱山などを掘ったり維持できる人物は、相当に高い地位をもつ者に違いない。誰だろうか、ひょっとすると王宮の高官だろうか。
ロマリアに滞在していた名もなき商人であるところの彼は、明日にはゲルマニアへと帰る船に乗る。
この指輪、妻か姪にでもあげようか―――
宿にて彼は就寝時、それを枕元に置き、翌日になって―――石が、こつぜんと消えているのを目にする。
すわ盗難にあったのか。なんとも勿体無いことだ。
<光の国ロマリア>とは名ばかり、ここの治安もそんなものか、と長年商人をやっている彼は、それほどショックを受けなかった。
―――
―――
ヨルダンの石(Stone of Jordan)。
かつて預言者が神より賜った川、聖者が禊(みそぎ)を受けた川で生まれた、<境界の石>。
穢れと聖(ひじり)を分かつ石。幻想(null)と実体(substance)。価値のないものと、価値のあるものとの境界にある石。その存在は、ごくごく希少である。
この石は、ひとつの世界と他の世界との運命の流れどうしが交差し合い、双方の世界の運命に大きな分かれ目が出来たとき、流れの交点にいるものへと向かって、自然と押し出されるかのように流れ出てくるものだ。
まるで、大きな岩が下流へと流れてゆくまでに、小石になるかのようにして。
そんなことは滅多にないからこそ、この石は貴重なのである。
天界(Heaven)の摂理がそうなっているのだが、地上の人間の味方である大天使ティラエルも、これが現れたことを知らない。
大きな運命は、たいてい死すべき定めの人間にかかわる。なので、この石も自然と人が身につけやすい、指輪のかたちをとる。
運命のうずの中心にいる人物のもとへと、大きな力を秘めて顕現する。
人の心の魔を、ひどい悪夢を、そして地上へと現れた地獄を打ちやぶることを許されているのは、死すべき定めのものたちだけだから。
だから、運命の流れと直接のかかわりを持たない人物―――たいていは商人であるが―――へと金銭を対価として譲渡されたとき、
石は崩れ落ちて消滅し、運命の流れは大きなよどみを引き起こす。
その運命の交点にある、全ての石が消滅したときには……相応の結果を引き起こすこととなろう。
どんな恐ろしい結果となるのか、は……<神の頭脳>ミョズニトニルンの能力によってすらも、まだ読み取ることはできていない。
[ 一定数個のヨルダンの石が商人へと売却され消滅すると、より強大なる<恐怖>の大王が降臨する―――]
(IF xxx Stone of Jordans sold to merchants, -----a Uber-Diablo gonna come...)
という文言が、サンクチュアリにおいて、はるか昔に途絶えた魔導氏族(Mage Clan)の遺した文献のなかに存在するという。
////10-6:【聞こえない声】
どうしよう
つれて行かれた
にゅーってとびらがあいて
きもちのわるい気配がして
ひとがでてきた
だいじょうぶ、兄さんなら
すごいから
あたまがいい
あのこをたすけた
たすけて、って言ってたから、たすけた
よかった
よかった
兄さんなら、かえってこれる
かしこいから
でもこわい
あれはこわくない、あのこのほうが、ずっとこわい
ナイトはへたれだ
ほんとつかえない
―――と、人間には聞き取れない言語で会話しあう、何者かがいる……
////10-7:【朝チュン】
心の底から愛しうる相手と出会ったとき、ひとは『これは運命だ』と感じるのだという。
たとえば、トリステインの王女アンリエッタは、ラグドリアン湖で愛を語り合った、従兄アルビオン王国ウェールズ王太子のことを忘れてはいない。
だが運命とは、ときにひとのこころを軽々と押しつぶすものである。
かのアンリエッタ姫は、当の運命によって、ウェールズとこころをかよわせながらも、望みどおり結ばれることはできていない。
その事情を知るものはほとんどいないが、もし知った者がいたのならば、なんと悲しい運命なのだろう、と言うことだろう。
運命とは、通常はものやひとや立場や敵など、目に見えるものとして現れる―――普通の人に見えるのは、たいていそこまでだ。
そして―――
運命の流れを直接観ることが可能だということは、自分のこころをおしつぶさんばかりの恐るべきそれを見ても、耐え切れるほどの、こころの強さが必要だということだ。
つらい運命を、弱い弱い人間がたったひとりで耐え切ることは、往々にして出来ないものである。
だが、もし、ひとりではなく、そばにいてくれる人がいたとすれば―――
(…………ん)
ルイズ・フランソワーズは目を覚ます。
焦点の合わない目が、ぼんやりと天井を見る。
(あれ?)
運命の大きな流れのなかにあった、巨大な<苦悶>の感情のよどみが、霧が晴れるかのようにして薄くなっている。
少女のこころを主にさいなんでいた、ひどく大きなものが、消えていた。自分から何かを奪おうとしていた恐ろしい運命が、すっぽり消えていた。
ルイズは寝起きのぼうっとした表情のまま、ただ中空をみつめて、働かない頭で思考をつづけている。
―――そうだここは、寮の自分の部屋だ。
天井には見覚えがある。壁の色にも見覚えがある。
夢だったのか。
ヘンな夢だった、天使やら死体やら幽霊やらが出てきた―――
でもとてもとても楽しい夢だった―――
ツェルプストーやタバサと仲良くなっていた、信じられない―――
世界中の水のメイジを集めて治療しても良くならなかった、ちい姉さまの身体を私が治すなんて、まるっきり不可能なことなのに―――
「……へぷち」
くしゃみが出る。寒い。
もういちど布団にもぐる。あたたかい。
最後のところはとても怖い夢だったけど、続きはきっと、みんな幸せになれて、笑顔で―――
意識がまどろむ。
ふに、とやわらかいものに手が当たる。あたたかい。ふに、んんう……
ここちよい。あたたかい。
ルイズは寝ぼけた頭でそう考え、そのままもはや習慣と化している、二度寝を実行する。
つらい運命を、ひとがたったひとりで耐え切ることは、往々にして出来ないことである。
だが、もし、ひとりではなく、ともに歩むひと、そばにいてくれるひとがいたとすれば―――
思いのほかやすやすとそれを乗り越えたり、できてしまうものなのだという。
しばらくのち、雪風のタバサの部屋いっぱいに、白髪の少女の絶叫が響きわたったのは、言うまでもない。
////10-8:【ガビーン】
(……あれ?)
ある日、朝一の授業を受けるために教室に入ってきた赤い髪の美女キュルケ・ツェルプストーは、友人二人の様子がおかしいことに気づいた。
雛壇状になった座席で、ゼロのルイズの上下左右と斜めは、いつもぽっかりと開いている。誰もが怖がって近づかないからだ。
ときどき、キュルケやタバサがそこに座る……そんな聴講席の大穴の場所が、ずっと遠いところへと移動している。
雪風のタバサは、いつもと同じ場所に座って本を読んでいた。
「ねえタバサ、何があったの?」
タバサは本から目を離し、相変わらずの無表情で、特に何もなかった、と言い、本へと視線を戻す。これは普段どおり―――おかしな様子はない。
キュルケは思案する。タバサからルイズに対しては、わざわざ席を近づけたり、遠ざけたりする理由がない―――怖いことのないときであれば。
ならば、ルイズが自分から遠ざかったのだ。キュルケはゼロのルイズ空洞地帯(通称:エリア51)へと近づいていく。
「おはようヴァリエール、ここよろしくて」
「おはよう、どうぞ、ツェルプストー」
ルイズは、机の上に5冊ほどのノートをひろげ、ペンを片手にかりかりかりかりと何かを書いていた。本が3冊ほど積んである。
ノートを見ると、文字だけではなく、記号やら模様のようなものがたくさん。ハルケギニアの文字も、ちらほら見える。
ぴっ、と勢いよくフリーハンドで引かれた線は、まるで定規でも当てられたかのように真っ直ぐだった。あれ、この子って昔はずいぶんと不器用じゃなかったかしら?
「お勉強?」
「そっ」
ルイズは、とくに機嫌がよさそうでも、悪そうでもない。普段どおりの様子だが……行動はそうじゃない。
いつもこの白髪でやせっぽちの少女の行動は読めないが、こんなことは初めてだ。
目の下にくまができており、ただでさえうす気味の悪い顔がますます怖くなっている。風邪でもひいているのか、くしゅん、ずびずび、と鼻の頭が真っ赤だった。
何か、ひどく焦って行動しているようにも見える。そんな風にルイズを観察していたキュルケだったが、図形の中にいつだったか見覚えのあるものを発見する。
「ひょっとして、占いの勉強かしら?」
「うん、そんなようなものよ……よく解ったわね」
「―――何かあったの?」
ぴたっ、とルイズのペンを持つ手がとまる。白髪のひと房が、ぴくぴくっ、と震えた。
「何でもないわよ」
ふたたびかりかりかり、とペンを―――おや、とキュルケは思った。彼女は伊達に春先からルイズたちの行動を観察し続けてきてはいない。
ふむ、タバサは『特に何もなかった』と言ったが、あれは『結果的に何もない状態になったので、特に言うべきことではない』ということだろうか。
キュルケから見て、ルイズとタバサの二人の間には、よくそういう『省略されました』というような出来事がある。何かを秘密にされている。
キュルケは思う―――
二人だけでどこかへ出かけたりしているのだろうか。あたしだけ仲間はずれ、ということか、それは寂しいことだ。
恋人の代わりはいくらでもいても、ルイズとタバサの代わりは、世界中探したっていないのだろうから。
三人とも、出身国が違う。
ルイズ・フランソワーズはトリステイン生粋の貴族の子女だ。
ピンクブロンドの長い髪、細いからだ、真面目すぎるほどに一直線な、まぶしい貴族の魂(たましい)。
―――そんな時代が、彼女にもありました……
いまや荒れ気味の白髪、細すぎる体、斜め上四十五度に一直線な、あぶない奇特の塊(かたまり)。
まぶしいヒトダマなんかをぴゅうっと放っちゃって、もう大変だ。
ときに見ていられないほどだけれど、見逃すには勿体無さ過ぎることをやらかす。
最近ライバルだと名乗る自信がなくなってきた―――いろいろな意味で。なんて恐ろしい娘!
そして―――
タバサは、最近知ったが、どうやらガリアからの留学生らしい。秘密が多く、親友のキュルケも彼女については知らないことが多い。
この青髪の読書好きの眼鏡少女は、ルイズと同じくらい細いからだをしているが、よく見ると子供体型のうちがわに、いくぶんかの筋肉をつけている。
いつも語らず騒がず無表情、ときどきふらっと居なくなってひょっこり帰ってくる。小遣いは本につぎ込んでいるらしく、いつも貧乏。
舞踏会のときには上質のドレスを着ていたが、あれはよくみると古いもの……誰かのお下がりに違いない。
彼女に友人はいなかった。彼女は孤独で、他人を頼るということを一切しなかった。
あたしの情熱の炎は、この子の永久凍土のような殻を溶かし、その隠された内側の心を温めることが出来るのだろうか―――そう思っていたのだが……
最大の、ライバルに、してやられた。
―――喋ること、友達を作ること以上に、この冷静な雪風のメイジは幽霊が苦手だった。
容赦なく彼女の弱点を攻めさいなみ続ける、悪夢のようなゼロのルイズに、春からずっと何度も何度もしつこいまでに脅かされつづけ―――とうとう、他人を頼ることを覚えた。
キュルケ、シエスタ、ギトー、コルベール、ギーシュ、モンモランシー。
『恋をする』という占いの結果が出て以来、ほんのたまに、接点のないクラスメイトたちと会話する姿まで見られるようになった。
恐怖にゆがむ表情が、安堵に変わったり、落ち着いたり……薄く微笑んだり。読書だけでなく、自分から他人とのかかわりあいを求めたり。
ああ―――憎々しいゼロのルイズめ、永久凍土をがりがりがりとボーリングして中身を採掘してしまった。
今まではあたしだけが独占していたそれを、容赦なくばら撒いてしまったので、皆が、その美しさに暖かさに気づいた。
あたしが考えもつかなかったし、取ろうとも思えなかった方法だ。自覚してやったのだろうか、そうでないのか――――――断言できる、後者だ。
それがうらやましい、うれしい、そしてとても楽しい。
この三人は、出身国も境遇も違う。いつか離れ離れになってしまうだろう。微熱は、大切な時間、その瞬間瞬間に燃え上がる。魂の渇望があるのだ。
もっと大切な時間を、たくさんたくさん、あたしにも共有させて欲しい―――
「で、タバサとの間に何があったのよ」
キュルケがそう問うたとたん、ルイズは再びペンを止め、みるみるうちに真っ赤になった。耳たぶまで。
「な、何でもないわよ……今忙しいから、あとにしてくれないかしら」
この白髪のメイジは授業中も内職するつもり満々なのだろう。見ても、何をしているのかはよく解らないが。
昨晩のうちに何かがあって、占いをもっと深く勉強する必要が出来たのだろうか?
あの日の占いが当たった、という話は、キュルケもよく耳にする。
花を育てよ、と言われた少女は、日の当たる広場に花壇をつくり、それがきっかけで新しい友人と、生涯の趣味を得たという。
しばらく塩の小瓶を手元に置け、と言われた少女は、割った小瓶で手を怪我し、偶然通りかかった憧れの人と親しくなったという。
ギーシュ・ド・グラモンもコルベールと一緒に研究をし、なにやらいろいろと稼いでいるようだ。最近は税金まで支払いはじめたとか。
ルイズの『死相が出ていない』という予言どおり、囚われたままだとしばり首が確定であった『土くれのフーケ』は、逃げたという。
『いや、逃げたのではなく、ゼロのルイズによってすでに秘密裏に処分されていたのだ』という噂はともかく……
謎は多い。あたしと変人教師のことは……いやいやそんなことはあるはずがない、あたしが恋をするというのはどうなったのか。
モンモランシーの大失敗は、タバサの恋はどうなったのか。予言や忠告だけで、具体的な行動の提示も無かった。
それも気になるが、あれほど当たる占いをさらに追求する必要とは、一体何なのだろう? 恐ろしい目にでも会ったのだろうか?
いまのルイズの様子は、どこかひどく余裕の無いようなものに見える。
まるで春の召喚の儀式以前の、魔法が使えないという劣等感にさいなまれ、ただプライドだけが肥大していたころのように。
「……ということは、あとで教えてくれるのね、授業が終わったらお願い、ヴァリエール」
「しつこいわ、ツェルプストー」
「どれほど恥ずかしいことなのかしら、とっても楽しみだわ、タバサは優しいから他言しないでしょうけど……よっぽどなのね」
まさか、とうとうとち狂って同性のタバサに欲情して、襲い掛かったりしたのかしら?
―――と言ったとたん、ペン先がズビッと紙をつらぬき、みるみるうちに、ルイズの目のツヤが消える。
な、わけ、ない、わよね、と続けるキュルケの言葉はしだいにちいさくなり、やがてごくりと唾とともに喉の奥へ。
「ウフフフ、ねえあなた、おなかの中に虫を飼ってみない? ねえ? ほら、とってもステキな、痩せる毒を出してくれるらしいわよ、胸とか」
キュルケは慌てふためいて『そ、そんなはずないわ、ごめんなさいねルイズ』と、ルイズが本気で飲ませようとしてくる何かの小瓶を、必死の思いで押し返しながら―――
(うん、やっぱりヴァリエールはこうでなくっちゃ)
と、微笑みかけ―――そして、とある驚愕すべき事実に気づいた。
(えっ……ちょっ、あれ……な、なんだかあたし、今―――とっ、とんでもなく間違ったこと考えてなかったかしら!?)
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーはだらだらと汗を流し、ただただ戦慄するほかなかった。
慣れとは、このように恐るべきものであり……彼女の苦労は、ルイズ・フランソワーズがそばに居る限り、まだまだ尽きないようである。
////【次回:アルビオン手紙編へと続く】