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[13088] 【習作】あなたの Lv. は 1 です 【オリジナル D&D風味・人外】
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:b8e60353
Date: 2010/03/19 22:55

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 おはようございます■■■■■■!!
 現在時刻 は F.A.1845/12/10/01:30:12 です!
 あなた の 称号 は 徘徊者 です
 あなた の 二つ名 は ありません
 あなた は いま エテュード城 の 南F1 に います
 信仰心 が 5up した
 狂気 が 10down した
 体力 が 基準値まで回復した
 カオス を 讃えたまえ!
 You have a good lunatic day!
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 そんな声が頭の中に響き渡り、それは意識を覚醒させた。

「……??」

 それはずるりと身を起こすと、まずはぼんやりとした目で周囲を見渡した。
 そこは随分と埃っぽい石造りの一室で、腐って倒れた木棚や割れた壷、そして渇いてからからになった穀物やチーズの残骸から推測するに古い食料庫といった風情であった。
 それは寝起き特有の支離滅裂な思考で取り合えず手近にあったズタ袋を手繰り寄せ、その中に詰まっていた乾いたチーズを一欠けら口の中に放り込んだ。
 寝起きには何か口に入れる習慣があるそれにとって極々自然な行動であったが、段々と意識が覚醒するに連れてそれは口の中の物体がお世辞にも美味しいとは言えないものだと気付き始めた。
 だがそれの他にある物といえば虫や鼠が食い散らかして酷い状態であったので、致し方なかった。

「みず……」

 ポツリと、それは呟いた。
 カラカラに渇いたチーズ味の何かを食べながら「ビールが欲しい」と思った瞬間、それは自分が酷く乾いている事に気が付いたのだった。

「みず……のどかわいた……」

 夢遊病者のように……いや、もしこの場に第三者がいれば確実にそう判断するだろう。そんな按配でそれはずるずると狭苦しい食料庫跡を歩き回り、水瓶が残らず干上がっているのを確認してから落胆の溜息をつき、そしてふと気付く。

「……? とびら……」

 さっきまでは気が付かなかったが、ごちゃごちゃした室内を探し回った折に倒した棚の後ろに、何もかもが腐っているこの空間の中で唯一製造時の姿を保っている鉄製の扉があった。
 ドアノブを掴んで捻ってみたが、ギシギシと音がするだけで一インチも回ればいい方である。
 どうやらさび付いてしまっているようだ。
 小さく悪態をついて、なんとなく気に入らない時に誰もがするように「ガン」と苛立ちを込めてドアを叩くと、なんと蝶番も錆びていたせいか「ボキリ」と破滅の音を立てて頑丈そうな鉄扉は外向きに倒れた。

バァン!!

 まるで脳天まで突き抜けるような大きな音を立てて扉が倒れ、思わずその音に驚いたそれは両手で耳を覆って竦みあがった。
 そうしてそこらじゅうに響いた残響音が静かになったあと、それはそっと両耳から手をどけて静かに扉の向こうを見渡した。
 そこには朽ちてバラバラになったテーブルと、同じように木片へと姿を変えた椅子やその他のものが散らばっていた。
 水を貯めて置くためのシンクや大きな石窯を見て、それは相変わらず不鮮明な思考で「ここは台所だろうか。けど随分古臭いなぁ」とぼんやり考えた。

「みず……」

 ポツリと呟く事でようやく目的を思い出したそれは、ずるずると歩いて台所をでた。
 台所を出るとそこには食堂があり、往時には何十という人々がここで食事を楽しんでいたのだろうと偲ばせる作りであったが、既にその熱気も活気も冷え冷えとどこかに去って久しく、広々とした空間はただ空虚さを感じさせるだけだった。
 暫く当てもなく歩き回ったあと、それは食堂を出たところでピタリと立ち止まった。

「……みずのにおいする……」

 それは、「水の匂い」という本来ならば絶対にするはずのないものを感じ取り、その方向へと歩き始めた。
 ずるずると、何かを引きずるような足音を立てて。




――――――――――――――――




「畜生、最悪だ……」

 そう呟いて、パーティで一番冒険者として年季のある盗賊――スケルツォが青褪めた顔で彼等の前に座り込んだ。

「いったい……なんだったんだ?」
「……たぶん、マインドフレイヤだ」

 リーダーの質問にそう返した彼の言葉に、彼を除いた全員が絶望の呻き声を上げた。
 僧侶のセレナはごくりと生唾を飲み込んだあと、青褪めるのを通り越して蒼白になった顔でリーダーのバラッドに震える声で尋ねた。

「ねぇ、ま、マインドフレイヤって、こんな所に出たっけ……?」
「いや、今までそんな出現報告はないな」
「つーかよ」

 こちらも震えながらであるが、それでも虚勢を張って戦士のマーチが声を上げる。

「ここ、廃棄迷宮の一階だべ? こんなとこでマインドフレイヤとかありえねぇ。見間違いじゃねぇのかよ」
「……確かに暗くてよく見えなかった。それに以前見たのと細部が違っているような気もした」
「じゃ、じゃあ……」

 微かな希望にすがるようにしてセレナが期待の目をスケルツォに向けるが、彼のほうは深刻な顔で首を左右に振るだけだった。

「いや、確かに暗かったし、一瞬だったが間違いない。亜種かもしれんがあれはマインドフレイヤだ」
「そんな……」

 絶望感溢れる沈黙がその場を押し包んだ。
 戦士でリーダー、人間族のバラッド。
 同じく戦士、まだ15になったばかりの若い獣人族のマーチ。
 盗賊でサブリーダー、最年長でホビット族のスケルツォ。
 僧侶の紅一点、ノーム族のセレナ。
 この四人はパーティを組んでそれなりに同じ時を共に過ごし、それなりに大きな冒険や派手な任務をこなしてきたいわゆる「中堅」と呼ばれる四人だった。
 そんな彼等がとっくに踏破され尽くされ、宝も情報も何から何まで荒らされてしまった――いわゆる廃棄迷宮にわざわざやって来たのは理由があった。
 事の発端はマーチが怪しい宝の地図を二束三文で買い漁って来たのが理由であった。
 最近きつい仕事ばかりで気持ちに余裕がなかった彼等は「休暇のつもりで行ってみようか」という軽い気持ちでそれらの地図が示す「宝」を探し始めた。
 無論、殆ど地図は真っ赤な偽物か、あるいはたちの悪い悪戯、それか見つかった宝がこれまた二束三文の代物という有様であったが、彼等はそれに本気で怒るわけでもなく軽い気持ちで消化していった。
 そして最後、彼等にとって誰もが通った道である別名「最初の城」とも呼ばれるエテュード城にやって来たのだった。
 あの大鼠には苦労した、暗闇の蝙蝠はいやらしかった、あの盗賊共はこりもせず根城にしている。
 そんな、彼等が一度は通った初心者時代のほろ苦い思い出を語りながら、殆どハイキング気分で城中央の水飲み場で弁当を広げ、朗らかに団欒していたまさにその時だった。

バァン!!

 突然城中に鳴り響いた大音量に、一瞬にして緩んだ空気が引き締まった。

(ならず者?)
(いや、奴等は3階から降りて来ない)
(大食堂の方だったぞ)
(うーん……初心者共が石畳でも蹴躓いたのかな?)

 素早く指言葉で会話をしながら、油断無く武器を構える面々。
 やがて、緊張に張り詰めた彼等の耳にその音が聞え始めた。

        ずる……ずる……
                 ずる……ずる……

 何かを引きずるような、何かが這いずり回るような音。
 そして、その何かが遠い暗がりの向こうにちらりと姿を現した瞬間、スケルツォの乱れに乱れきって普段の精彩を欠いた指言葉が全員を遁走に走らせた。

(ヤバイ! 逃げろ!!!)

 そうしてとっさに逃げ出したものの、あまりに急な行動だったために荷物の殆どをその場に置いてきてしまい、しかも逃げ込んだ先は袋小路の先にある小部屋だった。
 位置取り的にそこしかなかったとは言え、逃げ込む先としては最悪以外の何物でもない。


「……このままここにいても埒が明かない。突破する」
「……それしか有るまいな」
「ちっ…分の悪い賭けだぜ」
「か、神様、どうかお助け下さい」

 そうして彼等は扉を蹴破った。


――――――――――――――――


「みず……あった」

 やけに遅い歩みで漸く到達した所には、直径5ヤードほどの池とその中心から滾々と清浄な水を吐き出し続ける獅子像があった。
 焦る気持ちと裏腹に、それに歩みは随分とろくさい。
 何故だろう、自分はこんなに歩くのが下手だったかしらんとぼんやり考えるが、そんな思考は目の前に満々とある水の前にはすぐさま霞んで消えた。
 手ですくうなどといった面倒な事はせずに、男らしく豪快に顔を突っ込んでがぶ飲みする。
 ごくりごくりと喉が鳴るたびに体の隅々まで水が循環する。
 まるでしおれた草木に水をやるように、生気が回復するのを実感した。

「ぷは……うまい」

 顔面を水から引き離して一息つくと、ぽたぽたと濡れて水をたらす髪の毛を掴んで絞る――と、そこでそれは首を傾げた。

「髪……?」

 自分の髪は、果たしてこんなに長かっただろうか?
 ふと両手で触ってみると、なんと背中を通り越して地面に付きそうなくらい髪の毛が長かった。
 そして、長さもそうだが色も奇妙だった。

「うすいさくらいろ……」

 いや、桜色は元々薄いピンクだったか。
 そんなどうでもいい事を考えながら、ふと覗き込んだ池の中には、それが一度も見たことのない格好をした知らない顔が写っていた。
 自分はこんなにすっきりとした顔だっただろうか。
 自分はこんなに鼻がつんと尖っていただろうか。
 自分はこんなに……女っぽい顔だっただろうか。

「……だれ」

 呆然と、両手を池の縁に乗せて覗き込む。
 両手で頬を掴み、引っ張り、まぶたを開かせ、頬を叩く。

「いたい、ゆめちがう、だれこれ」

 ふらふらと後じさり、ふと視線を下に向けると、そこにはついさっき注いだばかりというのが分かる、泡がたっぷりと立ったビールのジョッキがあった。
 本当はビールではなくエールであり、それがイメージする所の金色をしたピルスナーではなく真っ黒のスタウトであったが、それにとっては些細な違いだった。

「……」

 それは混乱する頭のまま、「取り合えずビール」とどこかの居酒屋で叫んだ時のことを思い出しながら、誰の物とも知れないビール(エール)をぐいぐいと呷った。

「ぬるい、まずい! もういっぱい」

 それにとって、味よりもまず冷えていないことが問題だった。が、このさい贅沢はいえない。
 げふっとげっぷを吐いた後、鼻をくんくんと鳴らして近くにあった小型の樽を探し当て、それにバーや居酒屋でよく見るタイプのコックが付いているのを見て嬉しそうに笑った。

「なまちゅういっちょう」

 へいおまち、と一人芝居をしながらジョッキの中に泡が溢れるほどビールを注いだ。
 そして流れるような動作で近くにあったサンドウィッチやブルーチーズをひと齧り。

「うまー」

 こういう時は、呑んで忘れるんだ。
 そんな教訓を、それは頭の隅にこびり付いた、どこで得たのかも良く覚えていない記憶から掘り起こしたのだった。


「のんでー♪ のんでー♪ のまれてーのんでー♪」


 調子の外れた歌を歌いながら、またしてもがぶりと一息でジョッキを干すのであった……。
















「どりゃああぁぁあ、あ、あ? ぁぁあああああ!? こいつ! 俺のエールを!?」
「え?」



[13088] はいてない
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:751a51a8
Date: 2009/10/30 23:00
「で、もう一回聞くぞ。いったいテメェはどこから来た?」
「あっち」
「…………はぁ……」
「びーるもうない?」
「それで最後だよっくそっ!」
「じゃあぶらんでー」
「はぁ?」
「ぽけっとにはいってる」
「!!?」

 マーチは右手で両目を覆うと「勘弁してくれよ」と嘆いてひとしきり悪態をついて、仕方なしに尻のポケットに入っていたスキットルを抜き出して差し出した。
 嬉しげに笑って蓋を開け、中に入っているかなり度の強い蒸留酒をまるで水か何かのようにがぶりと一口飲んで、その整った顔にはまるで不似合いな仕草――まるで場末の酒場で管を巻く酔っ払いか、あるいは土木作業場の人足のように「ぷっはー」と袖口で口元を拭いた。
 どうしてこうなった、そう言いたげな視線でマーチは目の前の物体を胡乱気に見る。
 そんな彼を不思議そうな顔で眺めてから、真っ赤なフレアスカートを石畳の上に広げて座っているそれは何かに気が付いた。
 まず驚きに目を丸くしたあと、自然な動作でスッと腕を彼の頭の上に伸ばした。

「わんわん」
「ッ!? 犬じゃねぇ! 狼だッ!!」
「わんわんおー」
「狼だ!!」
「おて! おて!」
「犬じゃねぇっつってんだろ!」

 彼女は興味深そうな顔で、マーチの頭からぴょんと飛び出た二つの三角耳を両手で触る。
 いつもならば犬扱いされた瞬間に相手の前歯をニ,三本は折っている所だったが、流石の彼も明らかに尋常でない様子のそれ相手に拳を使うのは躊躇われた。
 そんな彼の葛藤を他所に、それはまじまじと両手の中で形を変える獣耳を物珍しそうに弄り回していた。

「ひと? わんわん?」
「……獣人だ、知らねぇのか。あと、気安く触るな」
「る・がるー」
「なんだそりゃ」

 マーチはまたしても飛び出した意味不明の単語に眉を顰め、そしてそんな彼の様子に気が付いているのかいないのか、それは真剣な顔で相変わらず獣耳を弄繰り回す。
 そんな彼を遠巻きにしながら、バラッドとセレナは表向きどうでもいいような雑談をしながら素早く指言葉で会話を交わしている。

「それにしても紛らわしい。カオス神殿の改造尼僧服なんて悪趣味な。またぞろ公都の変態共が両目を血走らせながら嬉々として鋏を入れたんだろうな、全く恐れ入る」
(なあ、あれ何歳くらいに見える?)
「裾のレースとか袖口の逆十字の刺繍なんて気合入ってるわよねー。色が紅白って事は結構上の階梯に進んだ神官のだと思うけど……」
(たぶん26、7くらいだと思うけど……なんだか子供っぽいというか――)
「どこの誰だか知らないが神をも恐れぬ所業ってのはまさにこれだな。そこまで位階が進んでたら直接神の声を聞く事も出来るくらいの力量だろうに。天罰ってのは本当にあるからおっかないんだぞ」
(……物狂いかな、言動も時々意味不明だ。現在と過去と空間の把握も出来ていない)
「そうかな? 混沌神って割と人間の事どうでも良さそうなイメージだけど」
(たぶん、そうね。街から紛れ込んだ?)
「はぁ……信者が信者なら神も神だな、何をしでかすか分からんってのが一番困る」
(あるいは3階のならず者共が連れ込んだか……ま、これがカオス神殿の手先っておちはなさそうだ)
「はは……混沌神は本当に教義が難解だからねー」
(……じゃあ取り合えず保護の方向で? マーチにもなついてるし)

 その言葉に「ぷっ」と思わず二人して吹き出した瞬間に、偵察へ行っていたスケルツォが戻って来る。その顔は相変わらず緊張感が滲み出ていたが、幾分かその顔には困惑と安どの表情が浮いている。

「どうだった?」
「食堂から回廊を伝ってこの直線まで出てきた形跡はあった……が、それ以降がはっきりしない。たぶんこの水場まではやって来たと思うのだが……」
「確かか?」
「途中までは自信を持って言える、あの大蚯蚓が何十匹も同時に這い回ったような足跡はマインドフレイヤ以外にありえない。が……この直線は初心者とならず者が通り過ぎている、埃が殆どない上に足跡が無数にある。この水場まで来たとして……それ以降は正直分からん。唯一言えるのはもと来た道は戻ってないから、上階に上ったか地下に下りたか、だな」
「なるほど……」

 重々しくバラッドは頷いて、いまだに耳を弄り続けられているマーチの方にさり気無く指を動かした。

(聞いての通りだ、運が良かったのか悪かったのか……取り合えず当面の危機は去った。そいつにも一応マインドフレイヤを見なかったか聞いてみてくれ)
(了解。おい……あとで代われよ)
(やなこった)
(地獄におちろ!)

 やや乱暴に罵倒の言葉を指に載せたあと、彼はいいかげん鬱陶しくなってきた両手を無理矢理引き剥がした。

「おい、それ以上は止めろってんだ。それより、こんだけ好き勝手飲み食いしたんだ、俺の質問に答えてもらうぞ」
「はーい」
「取り合えず、俺はマーチだ。お前の名前は」
「……」
「おい、俺は名乗ったぞ、コラ」
「なまえしりません、まーくんしってますか?」
「知るかッ!」
「しりませんか」

 そう言って、途方にくれた顔をする。
 まるで迷子の子供か何かのようなその顔に、彼は深い深い溜息をついて肩を落とす。
 いきなりあだ名で呼ばれた事に関しては懸命にも彼は無視する事にした。

「名前はもういい。で、お前は「あっち」から来たんだな?」
「うん」
「じゃあ聞くが、あっちからここに来る間、他に誰か――いや、何か見たか? 具体的にはモンスターだが」
「もんすたー……?」
「そう、直立歩行するイカ人間だ」
「かいじんいかでびる?」
「……おいおい、ちょっとおもしろいじゃねぇか。で、そのイカデビルは見なかったか?」
「みてない、いるの?」
「いや、見てないならいいんだ」
「ざんねん、しにがみはかせとあくしゅしたかった」
「はぁ?」

 なにやら首を俯けながら「やめろーしょっかーぶっとばすぞー」とブツブツ呟いてクスクス笑い始めたので、これ以上は何も聞けないかと呆れた溜息を一つ。
 もう一つ隠し持っていたスキットルを取り出して一口含む。
 ふと視線を感じて目をやると、さっきまで思い出し笑いに忙しい様子だったというのにいつの間にか物欲しそうな視線を彼の持つスキットルに向けていた。

「駄目だ」
「ほしい」
「金払え」

 そう言って突き放すと、やや慌てた様子でごそごそと体中を探った後、ばつが悪そうに頭を掻きながら「さいふおとした」と申し訳なさそうな声で返す。

「じゃあ駄目だ、やらねぇ」
「……ぶつぶつこうかんでどうでしょう」
「へぇ、何があるってんだ?」
「ぱんつあげます」
「ぱ……はぁ!?」
「ぬぎたてはかちがたかいって、さいとーがいってた」
「サイトーって誰だ!? と言うかやめ――」

 全く止める暇もなく、立ち上がってその両手でフレアスカートをぐいっとたくし上げた。
 あまりの事態に虚を突かれた四人は、その後の数秒間、目の前の光景が上手く認識出来なかった。
 露わになったスカートの下には素晴らしい脚線美を誇る真っ白の生足――――などは一欠けらもなかった。
 有ったのは十数本の成人男性の太腿ほどの太さはある触手――俗に蛸や烏賊と呼ばれる頭足類の足が腰から下にぞろりと生え揃っていた。
 バラッドは今目の前に展開する事実が何を意味するのか理解して、死を覚悟した。
 スケルツォは身体に染み付いた訓練の賜物か、毒の短刀を抜き放った。
 セレナは立ったまま気を失い、マーチは相変わらず呆けていた。
 そして、冒険者の間で「狂気の司祭」と呼ばれ恐れられるマインドフレイヤは、自分の腰から下に生える「足」を見て心底不思議そうに首を傾げたあと、申し訳なさそうな顔で眼下で呆けたままのマーチに頭を下げた。

「ごめんなさい、のーぱんでした」



[13088] まいんどふれいや
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:751a51a8
Date: 2009/11/07 01:14
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
 エンカウント!
 ふいうち だ!
 敵対的レベル6シーフ の 攻撃 
 慣性の鎧(Inertial Armor) が 発動しました
 力場展開(Force Screen) が 発動しました
 AC(アーマークラス) +12
 命中判定………………回避成功
 あなた は 立ち竦んで いる
 反撃 します か?
 【y/n】
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 突然切りかかられて、良く分からない半透明の力場にそれが弾かれた。
 そしてそれと同時にまたしても頭の中に響き渡った「声」に彼女は混乱した。
 だが、元来「イエスかノーか」と言われると「ノー」と言えない性質だったため、殆ど脊髄反射のスピードで頭の中に声に向かって「'y' Enter」と答えてしまっていた。


















 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
《狂気の反転》 技能判定……成功
ボディ・イニシアチブ を クトゥーチク司教 に 変換します
カオス を 讃えよ!!
武器召喚(Call Weaponry) ……詠唱成功
高品質レイピア を 召喚 しました
《武器の妙技》 発動 命中ボーナス+14
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




「カオスに帰依するのだ!!」
「ッ!?」

 自分の口からしわがれた老人のような声が漏れ、恐ろしく正確で鋭い突きが放たれた。
 彼女の思考は二つの異なる存在がごちゃごちゃに入り混じり、マーブル状の混沌とした状態に陥ったが、辛うじて一時的な主導権を握った彼女の意識は、右手のレイピアが哀れなホビットを串刺しにする寸前で軌道を変える。
 喉元を貫くはずだった剣の切っ先はスケルツォの頬を浅く裂き、耳たぶにぱっくりと横一文字の傷跡をつけて通り過ぎたあと、すぐに引き戻された。
 そして流れるような動作で3フィートほど後退し、身体を相手に対して半身に構え、レイピアの切っ先を斜め下に構える。
 その構え方は一見無防備なノーガードのように見えるが、実際には飛び込んできた相手の下腹をカウンターで突き殺す危険な戦闘体勢である。
 そして、そんな浮き上がってくる知識と経験した事もない体捌きは、ますます彼女の頭を混乱させた。
 が、乱れきった頭の中身とは正反対に、身体はまるで何百回と繰り返したような正確さでレイピアを油断無く構えて目の前のスケルツォに相対した。
 奇しくもそれは、背後に腰を抜かしたマーチを庇うような配置となる。
 彼等が仲間だという事実を鑑みれば危険極まりない位置取りではあったが、彼女のぼんやりとした意識は「マーチ=味方」「スケルツォ=敵」という図式が構築されてしまっていた。
 そしてまたしても彼女の口から先程までとは似ても似つかないしわがれた声が漏れる。

「どうした小さき人、仕掛けて来たのはおぬしだぞ。さあ、その毒の滴る短刀でわしの臓腑を突いて見せろ。毒は何だ? 蛇か? 蠍か? 鳥兜か? それともバジリスクか? そんなちっぽけな針金でわしを殺そうというのだ、最低でもバジリスクの血は塗ってあるのだろうな」
「ぐ……」
「どうした、来ぬのか? 腰抜けめ、白痴の女は突き殺せても、武器を構えた怪物には足が竦んで動けぬと見える。薄汚い犬畜生にも劣る戦い方だ、このごろつきめ」
「くそ! マーチッ! 逃げろ!!」

 決死の覚悟でスケルツォが突きこんで来る。

「盗賊ふぜいが、百年早いわ!! くらうがいい!」

 まるで良く撓った竹が勢い良く跳ね上がるように、ランプの明かりに銀光を反射しながらレイピアがスケルツォを迎撃する。
 長年の経験から生み出される勘だけを頼りに、それを左手の袖口から抜き出した短剣で弾くと、スケルツォはまるで軽業師のような身軽さで彼女に突きかかった。

「化け物め!」
「蛆虫めが!」

 右かと思えば左、そうかと思えば含み針や目潰し、短剣を弾かれればすぐさま体のどこかに隠し持った新たな短剣を抜き放つ。そして僅かにできた隙に向かって彼は足払いを仕掛けた、が……。

「しまった!?」
「馬鹿めが! わしに足などないわ!」

 思わずいつもの様に二足歩行の敵に向かって戦うように足払いを仕掛けてしまったスケルツォは、そのフレアスカートの下にあった触手の群に絡み取られ、まるで磔台に上らされた罪人のように宙吊りにされる。
 恐ろしい怪力で締め付けられ、体中がバラバラになりそうな激痛にスケルツォは苦悶の声を上げる。
 その様子を眺めながら、先程までにぼんやりとした顔からは想像すら出来ない愉悦と狂笑にひき歪んだ顔で彼女は嗤った。


「フハハハハハ! 四肢を引きちぎり臓物を啜ってや――」


 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
3ラウンド 終了
《狂気の反転》 技能判定……失敗
ボディ・イニシアチブ を ■■■■■■ に 変換します
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「声」と共に唐突に戻って来た体の自由。
 彼女は慌てて、バラバラにする寸前だったスケルツォの身体をそっと地面の上に下ろした。ついでに頭の中の「声」に向かって「かいふくまほうありますか」と問いかける。
 しかしその問いかけに対してずらずらと頭の中に広がった「回復魔法」は相手の体力を吸い取ったり時間経過によって「自分の」体力を回復するものだったり、とにかく自分自身が生き残るための魔法しかなく、彼女は落胆した。

「うぐっ、げほっげほっ」
「スケルツォ! セレナ、回復を!」
「あ、あわわ、わ、わか、わかった」

 脂汗を滲ませてバラッドがブロードソードを油断無く構えて相対する。
 その背後では、気絶から回復したばかりのセレナが倒れて咳き込むスケルツォにキュア・ウーンズの魔法を唱えていた。
 そんな光景を見ながら彼女は途方にくれてしまっていた。
 今更剣を捨ててもどうにもならないかもしれないが、それでも取り敢えずは敵意がないことを示さなくては。
 そう考えて、彼女は持っていたレイピアを少し離れた所に投げ捨てた。

「……?」
「あの、ごめんなさい。もうしません」
「……どういうつもりだ」
「えっと、その、いきなりだったので、おもわず体がうごきました」

 我ながら酷い言い訳だなと思ったが、相手も同じ感想を持ったようで相変わらず油断無く剣を構えている。
 どうしよう、どうすればいいんだろう。
 焦った脳みそは、またしても記憶の奥底にあった記憶を掘り起こした。
 こういうときは、土下座しかないね!

「もうしわけありませんでした!」
「は――」

 その場になんとも言えない空気が充満した。
 あれ? もしかして間違えたのだろうかと彼女が背中にいやな汗を掻いていると、その背中に向かって乱暴な声が投げかけられた。

「おい、取り敢えず顔を上げやがれ」
「はい」

 指示にしたがって顔を上げると、苦虫を噛み潰したような顔でマーチがしゃがみ込んで彼女の顔を覗きこんでいた。
 しばしじっと彼女の目を覗き込んだあと、思い溜息をついて彼は彼女の頭に付いた埃を払った。

「……ようリーダー、もうこいつは安全だ」
(さっきまで「何か」を降ろしてやがった、魂の色が違う)
「……信用出来ん。マインドフレイヤだぞ」
(その「何か」がもう一度降りて来ない保証はない、殺すべきだ)
「まあ、そう言うなよ。なんならセレナの邪悪感知(センス・イービル)を使ってもいいぜ」
「……よし、セレナ。やってみろ」
「ええ!? 本気!?」

 再度要請されて、渋々ながら前に進み出た彼女は呪文を詠唱した。
 その魔法に体が反応して抵抗しようとしたため、彼女は慌ててそれを押さえ込めた。


 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
呪文抵抗…………任意失敗
アライメント 【混沌にして善】
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 その判定結果に、セレナは引き攣った顔をする。

「こ、混沌にして善(反乱分子)って……どう見ても混沌にして中立(自由人)に見えるんだけど…………」
「属性は絶対確実な指標というわけではない……とは言っても限度はあるがな」
「まあ、混沌ってのは当たり前だろうな……」
「げほっ! これがさっきの化け物と同一人物とはな……正直信じられん」

 四者四様の視線を向けられ、彼女は居た堪れないやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にして俯けた。
 そしてそのタイミングを見計らったように、激しい運動をしてエネルギーを消費した彼女の肉体は栄養を欲しがった。

きゅぅぅ……

 静寂の中に大きく響いた腹の虫に、彼女は耳まで真っ赤にしながらそっとマーチを盗み見た。

「あ、あの…………」
「………………はぁぁぁぁ…………取り敢えず、大人しく付いてくるなら飯を奢ってやってもいいぞ」
「あ、ありがとうまーくん」
「まーくんは止めろ!!」

 牙をむき出して一頻り怒鳴り散らしたあと、彼は両手で顔を覆って盛大に嘆いた。

「くそったれ(Holy shit)! 何で俺が!」
(……うーむ、マーチはモンスターテイマーの才能が有るのかも知れんな)
(さっきもマーチの事だけ庇って戦ってたよね)
(言われてみればそうだったなぁ)
「勘弁してくれ!!」



[13088] そういうぷれいですか?
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:751a51a8
Date: 2010/01/03 04:08
 ごとごとと幌付きの馬車が不整地の道路を進んでいく。
 馬車を引く馬は後ろの車に乗っている恐ろしい存在に怯えきっていた。
 馬車の中ははっきり言って最悪を通り越して地獄のような空気が充満していたが、その空気を生み出している元凶は、ぼんやりとした顔のまま最後尾で幌の外に顔を突き出して空を見上げていた。
 やがて、その桜色をした唇から歌声が漏れ聞え始めた。
 常人では殆ど聞えないほどの、か細い歌声。
 そして、常人よりも遥かに耳のいいマーチは、その歌の内容を聞き取った。

「(意訳*縛られた悲しみと 子牛が市場へ揺れて行く。
  ツバメは大空高く スイスイ飛び回る。
  風は笑うよ 一日中。
  夏の夜半に笑っているよ。
  力の限り 笑っているよ。
  ドナドナドナ……)」

 恐ろしく暗い歌である。
 マーチにはその歌詞の中で市場に連れて行かれる子牛が自分たちのような気がしてならなかった。
 歌っている本人が持つ悪鬼の如き力を考えると、全く冗談ではすまない。
 戦慄する彼をよそに、歌は更に続いた。

「(意訳*「泣きわめくな!」と農夫が言った
 「誰が、お前は子牛だ、と定めたんだい?
 翼を持った誇り高いツバメのように自由に飛んで逃げてったらどうだ?」
 哀れな子牛は縛られ、引かれて行って屠殺される。
 何故かなんて分からない、理由なんて知りもしない
 だけど自由を得るために、燕に飛び方を教わるんだ……)」

 そこで歌は終わった。
 そこにいた4人の中で唯一聞こえてしまっていたマーチはおもわず身体を震わせ、鳥肌のたった二の腕をごしごしと擦ってから、スキットルの中に詰まった酒を気付けに一口含んだ。
 その歌から漂ってくる名状しがたい恐怖感に、彼のSAN値は急降下していた。

「おい、不気味で不景気な歌を歌うんじゃねぇ。盛り下がるだろうが」
「さーせーん。というか、まーくん聞こえたの?」
「聞きたかなかったぜ、そんな暗い歌」
「この歌はとある国であったそしきてきぎゃくさつをうたった曲で……」
「解説すんな! バカ!」

 ぱかん、と思わず手が出てしまったマーチは、叩いたあとに「あっ」と呻いて思わず距離をとった。
 馬車内の空気が凍りついたが、叩かれた本人は痛そうに頭を撫でてマーチの方を見るだけで、あの時のような恐ろしい事にはならなかった。
 心なしか、その目尻には薄っすらと涙が滲んでいる。

「痛い、しゃざいとばいしょうをようきゅうする」
「……あんなに飲み食いしたのにか? 図々しいぜ」
「今ならそれをかえしてくれればゆるす」
「返すも何も、もともと俺んだろ!」

 指差された二本目のスキットルを、彼はポケットに突っ込んで隠した。
 そのどさくさに紛れて何とか回収したものだったので、そればかりは渡す気になれなかった。
 ちなみに一本目のスキットルは彼女が空にした後に自分で水を詰めなおしていた。
 それを自分もポケットに入れようとしたのだが、生憎と彼女が着ている服にはポケットが付いておらず(改造前の尼僧服になら付いていたが、魔改造を受けたそれには既に消滅していた)、暫し悩んだ彼女はなんと襟を開いて胸の間に押し込んだのだった。
 流石にこれはマーチでも無理矢理取り返すわけにも行かない。
 そんなわけで彼は二本目まで奪われてたまるかと、それを死守することにした。

「街に着いたら自分で買え、金は自分で稼げよ」
「おごってくれるって話は?」
「馬鹿、酒は嗜好品だろう。宿と飯代だけだ」
「えー……」
「だいいち! 金もないのに生きて行ける訳ないだろう、ずっと俺にたかり続けるなんてのは無しだぞ。宿代だって飯代だって普通は折半なんだからな、今回だけだぞ。冒険者ってのは金にシビアって相場が決まってる」

 そう言ってひとくさりした彼の顔を、彼女は呆気に取られた顔でポカンと口を開いてみていた。
 あんまりと言えばあんまりな顔に、彼はちょっと頭にくる。

「何だそのアホ面は、何が言いてぇ」
「だって……」
「だって、なんだ」
「それって、まーくん、わたしがお金かせいだらこれからはせっぱんしていっしょにご飯食べてくれるってことだよね? それに、お金かせげるようになるまで、食べさせてくれるって事だよね?」
「あ――――」

 言われてみて気が付いた彼は、確かに自分がこの厄介な化け物を放り出して知らん顔をするという選択肢を放棄していた事に気が付いた。
 今度は自分がポカンと大口を開ける羽目になった彼を見て、彼女はクスクスと可笑しそうに笑った。

「それに、たたき(強盗)でもするかとんび(追い剥ぎ)にでもなったら、はたらかなくてもたべていけるけど、まーくんはわたしにそういう事はしてほしくないんだよね?」
「あ、あー、えぇと」

 しどろもどろになる彼を見て一層可笑しくなったのか、彼女はご機嫌な笑顔で彼の手を両手で握って微笑みかけた。

「まーくんって、ほんとうにひとがいいね」
「それを言うなら「いい人」だろうが!!」

 スッパーン! と景気のいい打撃音を響かせながら、馬車はごとごとと街に向かって進んでいくのであった……。



――――――――――――――――



「よし、着いたぞ。下りろ」
「はーい」

 騒ぎになるのを恐れた一行は、所定の馬車置き場から少し離れた林の中で下りる事にした。
 ぞろぞろと馬車から降りた五人は、取り敢えず当面の方針を話し合うことにする。
 馬車の中ではまだ戦闘の緊張が残っていたせいでろくに会話もなかったからだ。
 ちなみにあの張り詰めるような緊張感はマーチのおかげで随分と和らいでいる。

「で、だ。ここまで来ちまったがこれからどうするよ?」

 だらしなく木にもたれ掛かってマーチがそう切り出す。
 ちなみにこうなった原因であるマインドフレイヤは、ひらひらと空中を彷徨う蝶々を目で追っていた。その右手がさり気無くマーチの上着の裾を掴んでいるのには、全員が見てみぬふりをする。

「……取り敢えず、貧民窟から入って盗賊ギルドに行こう。なんにせよ宿にこいつを連れて行くわけにも行くまい」

 そう言ってスケルツォが全員を見渡すと、依存はないのか三人とも無言で頷いた。
 そして次にやや慌てた様子でセレナが発言する。

「あのさ、その前にこのあ、足……? というか、触手を何とか隠さないと。立ってる状態だと丸分かりだよ」
「……たしかになぁ、おいマーチ、何か名案はあるか?」
「あ? あー……」

 手で顎をさすりながら首を傾げると、彼は隣で相変わらず蝶々を眺めているアホの子を見た後、ふと思いついたように口を開いた。

「あれだ、縄で縛って、こう、折りたたんで、担いでいきゃあいいんじゃねぇか? ほら、戦傷で両足無くしましたとか言ってよ」
「採用」
「了承」
「決まりね」
「よし、ちょっと荒縄持って来い」

 全員が迅速に動いた。
 良く考えなくても酷い作戦であるが、誰も気にしない。
 スケルツォが持ってきた荒縄は女の髪の毛を編みこんだ一品で、かなりの重量にも耐える中々の品物だった。

「おい、ちょっとスカート上げとけ」
「まーくん、パンチラしたくてもぱんつないよ」
「いいから上げとけ、このままだといつまでたっても街に入れねぇぞ」
「はーい」
「よっくらせっと」
「え?」

 昼を少し過ぎたくらいの林の中、甲高いソプラノボイスの悲鳴が高く高く木霊した。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
組み付き判定…………抵抗失敗
移動力 が 0ft. に なった
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*歌詞参考
http://ingeb.org/songs/donadona.html



[13088] あくとうのしごと
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:751a51a8
Date: 2009/11/02 23:03
 公都の北側は日雇い労働者や食い詰め者が軒を連ねる貧民街(スラム)と化している。
 公都を治める大公爵は掘っ立て小屋(バラック)がひしめき合う、犯罪の温床となっているその地区に頭を悩ませており、今まで何とかしようとしてはきた。
 しかしかつて高級邸宅が軒を連ねていたその地区はかつての大災厄において最も被害を受けた場所であり、故に復興が最も遅れた場所。
 早々に取り壊して新たに都市計画を立て直し、整然と街路と建物が建築されていった東西南地区からポツンと取り残されたその場所は、必然的に脛に傷持つもの――犯罪者、密売人、傭兵、ごろつき、そしてマフィア達が集う場所となる。
 自然発生的に出来上がったその場所にようやく行政が手を伸ばした頃には、既にそこには独自の社会秩序と文化体系を持つ一個の自治組織が形成されていたのだった。
 そして、スラム街を取り仕切る組織の中で最も有名な組織が、その名もズバリ「盗賊ギルド」である。


――――――――――――――――


 そこは何も知らない人間が見れば、少し煤けた感じのする一見何の変哲もない酒場である。
 だが、その酒場が盗賊ギルドの窓口になっているのはギルドメンバーと大公爵、そしてその側近達だけであった。
 がやがやと酒場の中に集った人種も年齢もバラバラの客達は、口々に益体もない話を交わしながら酒をあおり、馬鹿笑いを響かしている。
 だが、少しでも心得のあるものは彼等が話している本当の話題に気がつくだろう。
 窓際で、ある娼婦の具合のよさを下卑た笑いを上げながら話している二人は、そのじつせわしなく動く指言葉で南部の穀物市場の情報を交換し合っている。
 カウンターで、ある共通の人物が引き起こした失敗談を笑いながらからかっている二人は、その言葉の端々に含ませた暗号によって暗殺計画を練っている。
 そんなひたすら物騒な場所にスケルツォが入ってくると、その場にいた全員が視線を彼に向けないままそれぞれ独自の方法で「ようこそ兄弟」としるしを送った。
 スケルツォは目立つ男だった。
 その鼻はまるで童話の中に登場するピノッキオのように細く尖っていて、まるでキツツキの嘴がそのまま鼻になったかのようだった。
 身長はホビット独特の低さを差し引いても更に低く、成人で4フィートになれば平均的な彼の種族において彼はとっくに成人して中年の域に達しているというのにギリギリ3.5フィートといった所だった。
 イタチか狐に良く似たその顔は愛嬌と共に抜け目のなさをイメージさせ、実際その通りの人物だった。
 その研ぎ澄まされたナイフ捌きと密偵としての技能は、ギルド内でも一目置かれている。
 そして彼が尖った鼻をピクピクさせながらカウンターの特別席(子供用で座高が高い物)に座ると、まるで彼が来るのが分かっていたかのようなタイミングでその目前に琥珀色の液体が注がれたショットグラスが置かれる。
 それを差し出した太鼓腹の男は、逞しい腕で華奢なグラスを拭いながらニヤリと笑った。

「よう、ゲブト、久しぶりだな」
「おや、こりゃまた懐かしい顔のお出ましだ。あんまり来ないもんで死んだかと思ったよ」
「ぬかせ」

 スケルツォはそう言って自分もニヤリと笑ってから、「影と共にあれ」と唱えてグラスの中身を一気に飲み干した。

「ピクニックはもう終わったのかい? スケルツォ」
「ああ、なかなか実りのある旅だった」
(どでかい土産がある、奥に行きたい)
「ははは、そうかそうか。たまにはそんな外出も乙な物だな」
(分かった、着いて来い)
「お前もこんなヤニ臭い所に一日中いずに、たまには外に出ちゃあどうだ?」
「外に出なくたって欲しい物は手に入るし、聞きたい事は人から聞けばいいさ。ああそうそう、このあいだ帝国経由で珍しい酒が手に入った、奥でちょっと一杯引っ掛けないか?」
「そいつはいい、ご相伴に預かるとするか」
「ついて来な」

 ひょいと危なげなくカウンターをスケルツォが飛び越えると、その無作法にちょっとだけ眉を顰めるが、ゲブトは特に何も言わずに奥へ入った。
 それについてスケルツォが奥へ進むと、薄暗く入り組んだ通路を何度か曲がった後にある袋小路に到着した。
 そこの扉を開けて中に入ると、7フィート四方ほどの狭苦しい部屋の中に古ぼけたテーブルと椅子が2脚用意してあり、テーブルの上には年代物のワインボトルが置かれていた。

「準備がいいな」
「それだけが取り柄でね」

 まずは用意された酒を楽しんだ後、二人は本題に入る。

「で、土産ってのは?」
「友好的なマインドフレイヤ」
「――――――なんてこった(Jesus)。冗談にしちゃたちが悪いぞ」
「驚くのはまだ早いぞ、こいつはなんと自分の名前すら分からんくらいに脳みそがイッちまっている。……所がだ、いざ殺されかかると突然冷酷無比な怪物に早変わりだ。しかも、一級の細剣戦闘術に高レベル発現者(サイオニック)、薄いピンクの頭部と蒼白の体……この特徴、どこかで聞いた事がないか? それも、つい最近」
「ちょっとまて……」

 ゲブトは青褪めた顔で空中を見つめ、やがて「あっ!」と何かに気付いた。
 そして、同時に彼は首を絞められた鶏のような声を出す。

「《八つ裂き》のクトゥーチク司教! つい一月前に死亡報告が上がったぞ!」
「誤認だと思うか? ちなみにこれが似顔絵だ」
「よこせ」

 奪い取るようにその紙切れを受け取ったゲブトは、穴が開くほどそれを見た後に困惑の視線をスケルツォに向けた。

「……おい、俺にはヒューマンの女に見えるぞ」
「下半身は烏賊だ。元のクトゥーチクとは逆タイプのマインドフレイヤだな」
「うーむ…………」
「戦った俺から言わせると……あれは本物だ。二度と正面切って切り結びたくないな」
「やったのか!? 良く生きてたな」
「運の良さには自信があってな」
「うむむむ……これがあの《八つ裂き》……? 随分とまあ可愛くなっちまって……」

 疑わしげな視線をじろじろと似顔絵に注いで、やがて彼はその視線を目の前に座る小人に向けた。

「で、だ。こいつがクトゥーチクの転生体だか複製体だか――或いは娘だかしらないが、そういうものだと仮定して。そんな危険物を引っ張って来て、一体またぞろ何をしようってんだ?」
「分かってて聞くのはマナー違反だろう?」
「確証が欲しくてな」
「ま……いいだろう」

 そう言って、スケルツォは背凭れに体重を預けてニヤリと笑った。

「カオス神殿の至宝。ラ・ガレオの宝珠(Orb of La'Galeo)を頂く」
「――――」

 スケルツォは、悪党の顔で笑った。

「カオス教団は目下のところ顕界派(Material)と幽世派(Astral)の対立が激化中だ。はっきり言って一触即発、ほんの小さな火種でいつ内部抗争に発展するか分かったものではない。……そんなところに、幽世派きっての武闘派で鳴らした、しかも顕界派の策謀によって暗殺されたクトゥーチクが帰ってきたら……一体どうなると思う」
「戦争だ……間違いなく戦争になるぞ」
「そうさ、そうなったら奴等は憎き政敵の首をちょん切るのに夢中になって、あちらこちらで信者同士が殺しあう……そして大事な至宝を守るのは、そこから動くのを許されないたった数名の神殿騎士だけという寸法だ」

 そこまで語って、スケルツォはグラスの中身を飲み干した。
 暫く腕を組んで俯いていたゲブトだったが、やがて鼻をピクピクさせて鼻腔を広げ、両掌を擦り合わせて喜悦に目を輝かせながら呟いた。

「――匂いだ(The Smell)。金と、陰謀と、流血と――闘争の匂いがするぞ。イイ、実にイイ。まさにおあつらえ向き、俺たちみたいな悪党が這いずり回る大騒動の匂いがプンプンする…………その話乗った。とびっきりの隠れ家(safe house)を用意してやる。司教猊下をご案内してさしあげろ」
「そう言ってくれると信じてたよ」
「バラッドは何ていってるんだ?」
「まだ何も言っていないが、話せば乗ってくるだろう。あいつもこういう馬鹿騒ぎには目がない――本当に冒険者ってのは! 全くこれだから始末に悪い!」
「よく言うぜ、あの中で一番騒動好きでたちの悪い悪党の癖して」
「ありがとう」
「どういたしまして」

 そう言って朗らかに談笑する二人の悪党は、注ぎなおした酒盃を軽く打ち合わせた。
 最高級の帝国硝子特有の鈴のような澄んだ音を背景に、二人は高らかに杯を上げる。

「司教様バンザイ!」
「混沌神殿に栄光あれ!」













「あ、隠れ家にはそっちからも最低一人、監視員を誰か派遣しろよ。リスクは折半せにゃ」
「いいとも親友。その仕事にピッタリの奴がいる。我等が誇る最高のモンスターテイマーがな」



















――――――――――――――――――――――――――――――――
ギャグって難しいね。
本来の作風で書くと御覧の有様だよ!



[13088] ふわ
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:751a51a8
Date: 2009/11/03 23:35
「はぁ? なんだって? テメェ正気か」
「……わたしも、ちょっとそれはどうかと思うわ」

 パーティが集まってスケルツォが例の計画を打ち明けた時、真っ先に異議を唱えたのは予想通りマーチだった。
 まだまだ少年から青年への過渡期にあるこの若者は、灰色の体毛に覆われた耳をピンと立てて、そのとび色の瞳を疑惑と怒りに染めていた。
 彼がこの計画を不快に思うだろう事は予想していたスケルツォだったが、その次に不快感を表したのがセレナだったという事実は少なからず彼を困惑させた。
 早々にバラッドが「面白そうだ」と言って賛意を表した事もあって、それに引きずられるような形で済し崩し的に彼女も消極的賛成の立場になるだろうという彼の目論見は早くも頓挫しそうになっていた。

「あんなノータリン、混沌神殿のキチガイ共の中に放り込んで一体何が出来るってんだ。スケルツォ、テメェが言ってる計画ってのは何もかもテメェの都合の良いように運んだ場合の結果だろう、それを世間様じゃなんて言うか知ってるか? 妄想ってんだよ」
「貴方たちはカオス神殿の本当の恐ろしさを知らないからそんな馬鹿げた事が言えるのだわ。彼等が本気になって殺しあったら、本拠地のクシュ=レルグにこっそり忍び込むなんて馬鹿な真似は絶対出来やしないわ。きっとそこらじゅうに足の踏み場もないほど死体が転がって、脛の上まで血が溢れかえるでしょう。彼等は規格外なのよ、わざわざこちらから刺激するなんて愚か者の仕業だわ」

 特にこのセレナの常にない頑固で冷たい拒否の言葉にスケルツォとバラッドはおろか、同じ立場のマーチすら困惑した。
 いまだかつて、彼女がこれほどまでに自己主張して何かを拒否した事がなかったためだ。
 この四人の中でスケルツォの次に身長の低いノーム族のセレナ。
 身長は4.5フィート、種族特有のやや尖った耳を背中の半ばまで伸ばしたくすんだ金髪から覗かせている。前髪は全て後ろに撫でつけてカチューシャで止められており、標準よりやや広い額が印象的である。
 いつもはやや自信なさげな光りを灯している灰色の瞳は、この時ばかりは滅多に見ない激情に満ちていた。
 ツンと尖った高めの鼻を突きつけるように、彼女は両手をテーブルに乗せてぐいと身体を前に乗り出した。

「私は絶対反対だわ。カオス神殿の顕界派がどんな手合いを揃えていると思って? 密偵や暗殺者なんて可愛いもの、彼等の本当に恐ろしい点はあらゆる所に隠れ信者を構えている事なのよ……信者自身すら、自分がそうだって気付いてないの」
「どういうことだ?」

 首をかしげてそう問いかけたバラッドに、彼女は苦みばしった顔で口を開く。

「彼等は顕界派のマインドフレイヤによる洗脳を受けているのよ。本人はいつもと全く変わらないように行動しているつもりで、知らず知らずの間に神殿に情報を流しているの。そしていざとなった――彼等が言う所の「その日(Day of Days)」がやって来れば一斉に蜂起すると言われているわ」
「なん……だと!?」

 その言葉に一番驚愕したのはスケルツォであった。
 無理もない、社会の裏の闇にどっぷり浸かった彼ですら聞いた事のない情報である。
 そんな彼に向かって、彼女は疲れたような笑みを向ける。

「知らなかった? まあ、無理もないわね。この情報は光輝教会でもそれなりに上の位階に行かないと知らされない事だもの。それをここで喋ったのは、そうでもしないと貴方の馬鹿げた計画を止められないと思ったからよ。お分かり?」
「……いったいどれほどいるんだ、そのスリーパーは」
「さあ? 誰も調べられないから推測すら無意味よ。ただ言えるのは、彼等は自分たちに不利益をもたらすような情報を絶対に見逃さないって事だわ」
「……」
「顕界派は幽世派から「堕落した」なんて言われているわ。確かに彼等の殆どは神の声を聞く事すら出来ない似非神官だけど、その分この世の薄汚い陰謀と利益に首までどっぷり浸かっているのよ」

 スケルツォはほんの一瞬だけ神を呪う言葉を吐き出したあと、ガシガシと頭を引っかいて気持ちを切り替えた。

「よし、分かった。計画に変更を加えることにしよう」
「まだ、そんな事を! 彼女がクトゥーチクだと決まった訳でもないでしょうに!」
「例えそうでなかったとしても、何か関係が有るに違いない。現在劣勢に立たされている幽世派にとってそんな不確実なことでも喉から手が出るはずだ」
「だから! 彼等を刺激してはいけないと――」
「それに、セレナ。お前だってこの計画でカオス神殿を内部抗争に追い込んでしまえば教会から表彰でもされて昇任出来るんじゃないか?」

 セレナの言葉を遮るようにして紡がれたその言葉は、彼女が光輝教会の昇任儀式に毎回不合格の烙印を押されている事を思っての言葉だった。
 スケルツォにとって、相手を丸め込むために分かり易いリターンを示すのは交渉の常套手段であったが、この場に限っては最悪の一言だった。
 彼女はサッと顔を怒りに染めると、その小さな両手をテーブルに叩きつけていきり立った。

「あッッ!! 貴方にッ! 貴方のような不信心者にッ! 私の教団での地位をあれこれ言われる筋合いはないわ! いったい何様のつもりなのかしら!?」
「お……す、スマン、失言だ」
「だいいち! 彼女が本当にクトゥーチク猊下の関係者だと判明したわけでもないのに、あんな右と左の区別も出来ない存在を陰謀の出汁にするなんて、きっと神様もお許しにならないわ! この外道!」

 最後の一言に、カチンと来たスケルツォも椅子の上に立ち上がって肩を怒らせる。

「ハッ! これはこれは、さすが、元は異端審問官をお勤めになられた方はおっしゃる事が違いますなッ! 貴女のような神に愛された御方からすれば、その通り! 我輩は確かに悪党外道でしょうよ! で、どうなさいます? 火刑台にでも送りますか? それとも磔刑? ああ、それとも手ずからがお望みでッ?」
「こ、このおッ!!」

 怒りで耳まで真っ赤になったセレナがテーブルを飛び越え、それを迎え撃つようにスケルツォが拳を固める。
 流石に不味いと間に飛び込んで制止したバラッドを挟みながら、凄まじい罵倒の応酬と怒りの拳が飛び交った。
 もはや収拾のつかなくなった会議とは名ばかりの罵りあいを尻目に、言いたい事を全部セレナに言われしまい完全に蚊帳の外に置かれてしまったマーチは、ぺたんと耳を伏せながらそっと部屋を抜け出した。

「はぁ……やってらんねー」

 ドアを一歩出た瞬間に言いようもない脱力感に襲われる。
 彼は深い深い溜息をつきながら狭苦しく急角度の階段を下りていく。
 ここはギルドが用意してくれた隠れ家で、スラムの一角に存在する《黒山羊の薬壜》という名の秘薬屋であった。三階建ての建物で、ギルドが用意したのは正確にはその三階のフロアである。
 一階は厨房と店と水場があり、二階はこの住居の持ち主である半悪魔(デビリッシュ)の魔女ノクティとその甥っ子で今年13になるケヴィンが住んでいた。
 一応甥っ子とは聞いていたが、マーチは全く似ていない二人(なんせ、ケヴィンは普通の人族である)とノクティのケヴィンに対する溺愛ぶりに何か怪しい気持ちがした。
 が、藪から蛇どころかこの場合冗談抜きで悪魔が出てきそうなのでマーチは気にしないことにしていた。

「あ、まーくん。お話おわった?」
「マーチさん。お茶どうです?」
「ありがてぇ」

 二階の居間で暢気にお茶を啜りながら談笑していたケヴィンと件のマインドフレイヤに思わず苦笑を漏らしながら、彼は自分も椅子に座ってケヴィンの注いだお茶を一口啜った。

「……ふぅ、カモミールってやつか。旨いな、特にこういうときには」
「あれ、マーチさん紅茶に詳しいんですか? 意外ですね」
「意外は余計だ。……別に詳しいって訳でもない、偶々前にも飲んだから味を覚えてただけだ」
「さすが、わんわんの舌はゆうしゅうでした」
「知ってるか、犬ってのは味音痴なんだぜ?」
「え、うそ!」
「あ、僕も聞いた事ありますよ。鼻は良いけど舌は全然だって」
「ひとつ賢くなったな」

 そう言って、自分の殆ど倍は年上であろう彼女の頭を乱暴に撫でた。
 撫でられた方は「いやぁん」とふざけてむずがりながら、きゃらきゃらと笑ってまた新しいお茶を注ぎなおした。
 ちょうどその瞬間にドスンと上階で何かが暴れる音と共にパラパラと細かい埃が降ってくる。
 その光景に、ケヴィンが苦笑を浮かべた。

「随分白熱してますね。いやぁ、壊されないか心配だなぁ」
「……さすがに壊しやしないだろう。ギルドに睨まれるからな」
「ひとさまのおうちであばれたらダメなのにねー」

 お前のせいで暴れてるんだ。
 その一言を、彼はぐっと喉の奥に飲み込んだ。
 彼女だって好きで白痴になった訳ではなかろう、スケルツォやセレナの話が本当なら元はかなり高い地位にいた一角の人物だったはずだ。
 それが、何の因果か自分の名前すら分からない状態でこんな冒険者たちに保護され、挙句の果て……。

「ねぇ、まーくん」
「――あ、あ? なんだ?」

 考え事をしていた所に突然声をかけられて間抜けな声を出してしまう。
 そんな彼に向かって、彼女はいつもと変わらない緩い笑みを浮かべて言った。

「わたしはたしかにのーたりんだけど、受けたおんをかえすくらい、じょうしきはもってるんだよ」
「は?」
「このおちゃおいしいねー」

 突然の言葉に、彼は混乱した。
 そして、彼がその事に気がついた瞬間、驚愕に打ち震えた。

「お、おま、まさか全部聞こえ――」

 問い質そうとした瞬間、バタンと居間から廊下に続く扉が開かれ、そこから黒いローブ姿の女が不機嫌丸出しといったふぜいで踏み込んできた。

「おいそこの灰色狼! 貴様の仲間は私の家でいったい何をしているんだ? もともと聞いていたのはそこの烏賊女とお前だけだというのに、話し合いがしたいからと言って許可を出してやったのだぞ。私にはあれが話し合いの音には聞こえんが? 暴れたいなら闘技場にでも行け、これ以上うるさくするようなら全員に沈黙(サイレンス)の薬を飲んでもらうぞ」

 彼女の怒りは本物で、言っている事も最もだったので、マーチは慌てて立ち上がって階段を駆け上がったのだった。












「とっととしろ! この犬っころが! タマ切り落として秘薬の材料にするぞ!」
「俺は犬じゃねぇ!」
「ろんりーうるふ(笑)」
「テメェ、あとで覚えてろよ!?」
「早くしろ!!!」
「は、はいぃ!」



[13088] しょや
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:313be1f4
Date: 2009/12/05 02:10
 パン職人の朝は早い。
 ケヴィンはまだ空が白み始めるよりも前に起き、前日の夜から仕込んでおいたタネを取り出すと、それを調理台の上に置いて均等な大きさに千切っていく。
 大きすぎても小さすぎてもいけない、常に均等な大きさに。
 そしてそれを成型して鉄板の上に手際よく等間隔に並べ、既に薪をくべて準備万端に温まっている石釜の中に入れる。
 その手捌きに淀みは一切なく、すでに13にしていっぱしのパン職人らしさが滲み出ていた。

「ま……叔母さんは僕に錬金術師になって欲しいみたいだけど……」

 秘薬の調合は確かに面白い、けど、彼にとってパン作りに敵うほどではなかった。
 熱気だけで火傷しそうな釜の温度に満足げに頷くと、ケヴィンは壁にかけられた時計をちらりと見る。
 午前六時半。
 そろそろだ。
 彼は前掛けで粉だらけになった両手を拭きながら階段を上がると、途中の二階で念の為に叔母の部屋を開けて中を覗いた。
 ノクティはとある事情でほとんど昼前にならないと起き上がって来ないが、時たまのっそりと起き上がってはベッドに腰掛けてぼうっとしている事があったのだった。

「よし……寝てる」

 そっとドアを開けてみると、ノクティはすやすやと寝息を立ててベッドで熟睡中であった。
 彼女を起こさないように細心の注意を払ってドアを閉めると、彼は本命である三階の寝室に向かってそろそろと階段を上っていった。
 うっかり床板を踏み鳴らさないようにコソコソと忍び足で寝室の前まで来ると、彼はゆっくりと深呼吸をして心の準備をする。
 大丈夫、大丈夫、確かにおかしな人たちだったけど、初日だ。
 さすがに何事もないはず……。
 ドアノブに手をかけ、ごくりと飲み込んだ唾で喉が鳴る。

(ええいままよ!)

 ぐっとノブを握って捻る。
 そしてそっと蝶番が鳴らないように慎重に慎重を重ねて開いた先には――。












「へ……へへへ……うへへ……」
「う……ぐ…あぅ……」





 カオス が ひろがっていた !












「う――わぁ………………」

 絶句。
 この光景を一言で言い表すならばいったい何が的確だろうか。

「捕食……」

 うん、それが最適だろう。
 そう自己完結したケヴィンは恐る恐る部屋の中に足を踏み入れる。
 ベッドの上に本来ある筈だった布団はグシャグシャに丸められて触手に絡み取られている。
 そしてベッドの上で寝る二人のうち片方はすやすやと安らかな寝息を立てていた。何か愉快な夢でも見ているのか、その顔はだらしない笑みに崩れ、ちょっとどうかと思うような不気味な笑い声を上げている。
 そして片方は苦悶の表情を浮かべながら呻き声を上げており、どう控えめに見ても安眠しているとは言い難かった。
 非常に対照的な光景である。
 ベッド上で睡眠をとっているのはつい先日からこの家に間借りする事になった冒険者、マーチと女マインドフレイヤである。
 マーチは全身をマインドフレイヤの下半身から伸びる無数の触手に絡み取られており、更にその上半身はマインドフレイヤがその両腕でガッチリとホールドしていた。
 しかも彼女は寝巻きの上からでも分かるくらい豊かな双丘をちょうど彼の顔の部分に押し付けるものだから、全身の締め付けと息苦しさで彼の苦しみようは半端ではなかった。
 ここまでされて起きないのは冒険者としてどうなのだろうかとケヴィンは内心首を捻ったが、もしかしたらそういった事を超越した関係なのかもしれないと思い直した。
 そして彼は、もしそうならマーチは勇者と名乗って良いだろうと考え、今にも死にそうな顔をしたマーチに祈りを捧げた。
 彼に出来る事は、あまりにも少なかった。
 と言うよりもなかった
 むしろあってもごめんだった

「ああ……僕はなんて非力なんだろう、ごめんなさいマーチさん……」
「う、うぅ……くるな……ブラックウーズめ……」
「うへへ……よいではないか……よいではないか……」
「う、うぉ……に、にたいに増え……っ」
「へへ……もふもふ……わんわんおー……」
「うッ……く……」
「わんわんおっ!……わんわ…っ…っ!……わ…っ…っ…っ!……わー!」

 突然、何かのスイッチが入った彼女は渾身の力を込めてマーチを抱き締めた。
 触手の群は見た目に危険なほど全身に食い込み、そして彼の顔は完全に彼女の両胸に押し包まれて見えなくなった。
 「あ」とケヴィンが声を上げる暇もなく。




「ッッッッ!?」(声にならない声)




 ビクンビクン! と全身を痙攣させるマーチに、ケヴィンはさすがにこれは本気で不味いと血の気が引く。
 慌ててマーチの身体を掴んで何とか引き剥がそうとするも、やはり少年の非力な身体では化け物に捕食されようとしている哀れな子羊は助け出せない。
 ならば犯人の方に起きて貰おうと、幸せそうな顔で狼の耳を甘噛みするバカの頭を容赦なく棒で引っぱたくが、まるで視認出来ない速度でカッ飛んできた一本の触手が硬い樫製の棒を半ばから切り飛ばしたのを見て、ちょっとちびったケヴィンはとうとう事態が自分の手に負えないことを理解した。
 これは、ちょっと寝起きの悪い居候を起こそうだとかそんなチャチなレベルじゃない!
 おかしいな! いつの間にこの家はダンジョンになったんだろう! ふしぎ!
 ドアを開けたらいきなり触手プレイだなんて、レベル高すぎるよね!
 ケヴィンは回れ右して転げ落ちるように階段を下り、敬愛するおばの寝室に転がり込んだのだった。


「お、おばさん! ノクティおばさん! マーチさんが死んじゃう! 主に死因は腹上死とかそんなかんじで!!! 助けて、早く!! マーチさんの口から餡子が飛び出ちゃう前に!」




――――――――――――――――――――――――――――――――




「ねぇ、何でわたしおこられてるの?」
「それがわからねぇから怒られてんだろうがッ! このバカ!」


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友好的 レベル5ヴェアヴォルフ の 攻撃
命中判定…………回避失敗

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「いたっ!」

 全身にノクティ謹製の湿布をべたべたと張られたマーチの一撃が彼女の脳天に突き刺さった。
 場所は二階の居間で、割と本気の拳骨を打ち込まれた彼女はちょっと涙目になった。
 ケヴィンは店番があるのでこの場にはいない。
 そして無理矢理早朝に起こされて機嫌が地の底の更に下まで落ち込んだノクティは、「次やったら殺す」と完全に据わった目で二人を睨み付けてから寝室に戻っていた。
 ケヴィンが「内緒ですよ」と言って商品の湿布を持って来てくれなければ、今頃彼もベッドの上で唸っている身だっただろう。

「ゆめの中でわんわんをもふっていたら、まじょにはかいこうせんでうちぬかれた。なにを言っているのかわからねぇかもしれないが、わたしも何がなんだか分からない。どうしてこうなった」
「俺の悲惨な身体を見てもまだそんな事が言えるってのか」
「……?」

 寝巻きで乱れた髪のまま、彼女はキョトンとした顔で彼の全身を眺めた。
 そうしてじっくりと30秒ほど眺めた後、何かに気がついたように右拳で左掌をポンと叩いた。

「あ、かみ切った?」
「このバカっ!!」


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
友好的 レベル5ヴェアヴォルフ の 攻撃
命中判定…………回避失敗

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 スパーン! と景気のいい音を立てて、彼女の脳みそは揺れた。

「いたい! これいじょうばかになったらどうするの」
「お前は俺がこれまで生きてきた15年の中で一番バカだ。これ以上下があるってんならおもしれぇ、ぜひ見てみたいな」
「ご、ごじょうだんを……」
「……」
「あれあれ、まーくん、な、何でいきなりくつしたをぬぐのかな?」
「当ててみな」

 無言で靴下を脱いだマーチは、その中に自分の財布から硬貨をジャラジャラと詰め込んでいた。
 その光景に、彼女の脳裏にまたしてもどこで得たのか良く分からない知識が浮き上がってきた。



なあ知ってるか? 車が水没した時にフロントガラスを割るだろう? そんな時にハンマーを常備してなかったら、その時には袋にコインを詰め込んでそれを代わりに――――



「ぶ、ぶらっくじゃっく!」
「正解。商品はこいつだ」

 その瞬間椅子を蹴立て回れ右をする。
 そうはさせじとマーチが追いすがる

「ぼ、ぼうりょくはんたい!」
「暴力バンザイ!!」









△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

友好的 レベル5ヴェアヴォルフ の 攻撃
命中判定…………回避失敗
気絶判定…………抵抗失敗
■■■■■■ は 気を失った!

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昨日は残業で更新できんかった



[13088] あなだらけの「わたし」
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:313be1f4
Date: 2011/10/30 10:30
 彼女は夢を見ていた。
 つい先日のようで、もう何百年も前に過ぎ去ったような気のする、不思議な夢を…………。


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 彼女を一目見て万人がイメージするのはまず「不潔」というものだろう。
 もう何ヶ月も櫛を通していない黒髪は痛んでほつれ、グシャグシャに絡み合っているのを無理矢理ゴムひもで一つに束ねていた。
 そして染みだらけになった白衣は皺だらけでくしゃくしゃになり、一体全体どれだけの月日洗濯していないのか想像すら出来なかった。
 脂ぎった頭髪にはふけが浮き、いかにも不健康そうな青白い顔には一生取れないのではないかと思うほどの色濃い疲労の色と大きな隈があった。
 身に着けているもので唯一清潔なのはその顔にかかっている細い銀縁眼鏡で、それだけは念入りに磨かれて銀本来の輝きを保っていた。
 彼女はデスクトップコンピュータの前に陣取ると、薄暗い照明の中で液晶の生み出す青白い光に照らされながら一心不乱にキーボードを叩いている。
 やがて、だだっ広い研究室の中に新たな人影が入ってくる。
 彼女とは対照的に毎日洗濯しているだろう糊の効いた白衣を羽織った青年は、片手に資料の束を持ちながら研究室の照明を点灯させる。
 そうして彼は彼女の姿に気がつくと、慌てて腕時計に目をやってから驚きに目を丸くした。

「薫さん、もう来てたのか? 早いな……」

 そう言って、彼は彼女のデスクの傍にあるソファと寝乱れた毛布に気がついた。
 ついでデスクの上にずらりと並んだ栄養ドリンクの空瓶と、更に足元のゴミ箱から溢れ出したバランスフードの空箱を見るにいたり、大きな溜息をついて彼はさっきの言葉を訂正した。

「いや、まだ帰っていなかったのか」
「……宿舎に帰る時間も惜しいわ」
「へぇ、さいで」

 そう言って肩を竦めた青年は彼女の隣のデスクに腰掛けると、ひょいと手を伸ばして彼女のデスクから未開封の栄養ドリンクを手に取った。

「うへぇ、良くこんな代物をダース単位で飲めるもんだ。表示を読んだか? この国の食い物は添加物たっぷりだぞ」
「中国製品よりましでしょう」
「たしかに、毒を混ぜられるよりはましか。ま、それにしたって青色のケーキは頭がおかしいとしか思えんが。この国の奴等は料理に視覚的情報を求めないらしいね。同じ人類として嘆かわしい」

 そう言って彼はドリンクの蓋を開けるとその中身を一気に呷った。
 飲み切ったあと、そのあまりに酷い味に盛大に顔を顰め、抗議するようにげぇっと舌を出した。

「こりゃひどい! 貴女が以前作った毒スープの方がましだと思える日が来るなんて! それだけでこのドリンクは貴重な存在だ」
「よく効くのよ、それ」
「これだけ不味くて効果がなかったら作った会社にロケット弾でもぶち込んでやる。……なあ、ほんとにこれ毒じゃないのか? 飲み終わったあと歯茎が痛むんだけど?」
「よく効くのよ」
「嘘こけ(Bullshit)! 塩酸クロロプロカインみたいな味だ!」
「疲れが麻痺するのよ」
「笑えねぇ……」

 ぶつくさとぼやいて、彼は自分のデスクのコンピュータを起動させる。
 世界一有名なOSのロゴが表示され、起動を待つ間に彼はふと視線を隣に向けた。

「で、徹夜して何か進展は?」
「分かり切っている事をいちいち確認しなければ気がすまないのは貴方の悪い癖ね、斉藤君」
「ま……一晩かそこらで事態が劇的によくなるなんて俺だって期待しちゃいませんがね」
「急ぎなさい、パッドフッドの脳筋がまたおかしな事を言う前に何かしら成果を挙げる必要があるわ」
「上院議員かぁ……あの人もなぁ、もう少し気長に待ってくれたらいいものを。テメェが人員削減したんだから回転率が落ちるの当たり前だろうってんだ。……まったく! 相変わらず国民は自分勝手だし、議員様はどいつもこいつも本業ほったらかしでロビー活動に忙しい。ほんとこの国は国民が自己中だなぁ、「自立心旺盛」ってそりゃ協調性がない事の裏返しでしょうに。そりゃ銃規制なんて出来やしないだろう、けっ「汝の隣人を愛せよ」が聞いて呆れら」

 そうブツブツと愚痴を零し、彼は起動したPCを適当に操作して準備をしつつ、いつの間にか空席の多くなったデスクの群を寒々しい目つきで眺め見た。
 往時には朝から晩まで部屋一杯の人間で賑わっていた研究室は、既にこの時に半分の人員にまで削減されていた。

「ああー! 俺が寝てる間に全部仕事をしてくれる心優しい妖精(レプラコーン)でもいてくれないもんかね!」
「……研究が完成したら、そういう存在も実証されるかもしれないわね」
「はぁ……あのね、薫さん」

 そう言って、彼は隣でモニタを睨み付けている年嵩の女性にぐいと顔を近づけた。

「俺はね、「今」欲しいの、分かる? 完成してから届いても意味ないの、絵に描いた餅なの」
「夢みたいな事を言う前に、手を動かしたらどう?」
「夢みたいな事!」

 そう大げさに叫んで、彼は突然大笑いした。
 怪訝そうな目で彼女がそれを眺めると、彼は暫くして笑いの発作をおさめてから「失礼」と返して深呼吸をした。
 笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を白衣の袖で拭いながら、彼は心底おかしいという風に彼女に語りかけた。

「いやはや、おかしい。たぶん今年で一番笑わせてもらった、そのジョーク今度使わせてくれよ」
「……どこがおかしいのか説明してくれないかしら」
「だってさ」

 そう言って、彼はまたぶり返してきた笑いの発作を何とか抑えながら答えた。

「異次元の実証なんて、それ自体夢みたいな事じゃないか、ええ?」



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 おはようございます タチバナ カオル!!
 現在時刻 は F.A.1845/12/11/09:02:12 です!
 あなた の 称号 は 厄介者 です
 あなた の 二つ名 は ありません
 あなた は いま ホーム の 3階寝室 に います
 狂気 が 20down した
 覚醒 が 5up した
 体力 が 基準値 まで回復した

 マーチ への 好感度 が 上がった
 現在 の 好感度 は 【友好的】 です
 ケヴィン への 好感度 が 上がった 
 現在 の 好感度 は 【普通】 です
 ノクティ への 好感度 が 下がった
 現在 の 好感度 は 【警戒】 です
 マーチ からの 好感度 変化無し
 ケヴィン からの 好感度 変化無し
 ノクティ からの 好感度 が 著しく下がった
 現在 の好感度 は 【蛇蝎】 です

 カオス を 讃えたまえ!
 You have a good lunatic day!
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 むくりと、彼女はベッドから起き上がった。
 夢というのは起きた瞬間にはある程度鮮明であるが、何故かその夢に関しては起きてから時間が立っても鮮明に彼女の脳裏に焼きついていた。
 いまや名無しのマインドフレイヤから「橘薫」という自己を朧気ながら得た彼女は、自分がどうしてこんな有様になっているかまでは理解できずとも、少なくともそれに至るような事を研究していたのだと理解した。
 自分はこの世界の人間ではなかった――いや、そもそも今は人間ですらない。
 彼女はその事実が思ったよりも自分を打ちのめしている事に気がついた。
 自分を自分だと証明するべきものが、彼女には何もなかった。
 顔も身体も何もかも変化し、身分証すら持っていない。
 唯一あるのは嘘か真かすら良く分からない虫食いだらけの記憶だけ。
 ベッドから降りた彼女はふらふらと寝室から出て屋上へ続く階段を昇った。

「……わたし、いったい誰なんだろう」

 橘薫という一人の人間なのだろうか、それとも彼等が言う所のクトゥーチク司教という人物がそんな埒もない妄想を抱いているだけなのだろうか。
 考えたって、答えは出そうにもなかった。
 そして、最も可能性が高そうなのは後者である事も、彼女の心を陰鬱にさせた。

「こういう時は、空をみればいいんだよね。サイトーくん」

 屋上に出た彼女は、眩しい光に目を瞬かせた。
 そしてようやく光に目が慣れると、そこから見える光景に彼女は思わず溜息をついた。
 年の瀬も押し迫った12月、すでに本格的な冬の到来を告げるかのように身を切るような寒さが都市を覆っていた。
 道行く人々は皆肩を竦めて足早に先を急ぎ、粗末な物から上等な物まで全員が例外なく外套を羽織っていた。
 そうか、ここではまだ雪は降らないんだな。そんな風にぼんやり考えて、彼女は雲ひとつない空から降ってくる太陽の光を浴びながら屋上の床に直接寝転がった。

「このひろい空にくらべたら、わたしのなやみなんてへみたいなものだよね」

 ああ、今日もちっぽけな個人を置いてけぼりにしながら、世界は回っている。
 彼女は無意識の間に寒さを遮断する力場を展開しながら、ただ青一色に染まる視界の中で飛び回るとんびをただ見つめるのだった……。




――――――――――――――――
誤字とか脱字とか、発見したら容赦なく突っ込んでください。



[13088] みえた!
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:313be1f4
Date: 2009/11/10 04:08
 どのくらいぼんやりしていたのだろうか、ふと気がつくと視界を遮るようにしてマーチが腰に手を当ててそこに立っていた。
 彼は収まりの悪い灰色の髪をガシガシと引っ掻くと、しゃがんで彼女の顔の近くまで視線を落とした。
 別に、そのまま立った状態で話しかけても良かったはずだ。
 むしろ、彼女がこれまで彼にかけてきた迷惑を考えればそういった横柄な態度は許されて然るべきだろう。
 が、彼はわざわざ視線を落とし、なるべく相手と目線を合わせようとした。
 そういった行動の端々にある甘さ――いや、「人の良さ」に、彼女は優しい気持ちが湧き上がってくるのを自覚した。
 口では迷惑そうに――いや、実際迷惑極まりないのだろうに、彼は彼女を邪険にしたり恨んだりといった事もないようだった。それは、あの頭の中に響く声が教えてくれた。
 説教する時も、手を挙げた時も、彼の好感度は常に【友好的】から動かなかったのだ。
 彼女は早くもこの犬耳の青年が好きになっていた。
 彼のAlignment(属性)はきっと中立にして善だろうと、半ば確信めいたものを抱きながら彼女は彼に微笑みかけた。

「おい、こんなクソ寒い所で寝転がってたら風邪ひくぞ」
「ばかは風邪ひかないんだよ」
「なんだ、ようやく自覚したのか?」
「うん、私はばかものだよ。ごめんね、いっぱいめいわくかけて」
「――」

 マーチは絶句して、思わず彼女の額に自分のそれを当てて熱を計った。
 文字通り目と鼻の先にある精悍な顔つきと真剣な色を湛えたとび色の瞳に、彼女はちょっとどぎまぎしたが、顔には出さずにただ微笑み続けた。
 ただ、頬が少し赤くなってしまったのはしょうがないだろう。
 やがて彼は首を捻りながら身を引いてその右手を差し出した。

「熱はないな……バカが一周してまともになったか? 取り敢えず起きろ。腹ごしらえしてから今後について話がある」
「うん、分かった」

 彼の右手はごつごつと筋肉質で節くれ立っていたが、握られた手は決して痛みを感じなかった。
 それは彼が手を握る力を加減しているからに他ならない。
 ぐいと成人男性並みの力で引き上げられながら、彼女は下半身の触手を使って人間には不可能な動きで垂直に立ち上がった。

「居間に行くぞ」
「うん」

 マーチはチラチラと彼女を見ながらしきりに首をかしげている。
 言葉には出来ないが何かおかしい、そんな様子だった。
 やがて二階の居間に着くと、そこには前掛け姿のままお茶と軽食を用意するケヴィンの姿があった。
 彼は二人に気がつくとニコリと人好きのする笑みを浮かべてポットをテーブルに置いた。

「あ、やっぱり屋上におられたんですね。防寒具も無しに大丈夫でしたか?」
「バカは風邪ひかないんだとよ」
「まだ雪もふってないし、これくらいへっちゃら」
「そうですか、寒さにお強いんですね。僕なんて温暖な所で育ったから公都の気候は堪えますよ。特に冬場はね」

 そう言って朗らかに笑うと、彼はテーブルに陣取った。

「どうぞ、10時の軽食です。僕はすぐに店番がありますから途中で抜けますけど、食べたら一階の炊事場で洗って置いてください。あ、食べ残ったら布を被せてテーブルに置いといてくださいね」
「ああ、助かる」
「わー、おいしそう」
「有り合わせですけどね」

 そう言って彼は謙遜したが、バスケットの中にこんもりと溢れるサンドイッチはどれも緑の青菜・赤のトマトやピーマン・黄色のチーズや卵を効果的に挟んでいて食欲をそそった。
 挟んでいるパンの種類がバラバラなのは商品に出せない不良品を処分するためだろう。
 既にカップに注がれた紅茶のいい匂いに、彼女はじわりと唾が溢れてくるのが分かった。
 三人ともが席に着き、さあ食べようとパンに手を伸ばした彼女は、他二人が黙って座って目を瞑ったのを見てピタリと手を止める。
 ケヴィンは両手を組み合わせて何かの印を結びながら大地母神に祈りを捧げた。

「主(Letyous)よ、今日もまた日々の糧をお与え下さった事を感謝します。大地の雫に幸あれ」

 マーチは右手を心臓に当てて左手を額に当てながら静かに瞑目すると、ただ一言「豊穣の精霊よ、感謝します」と呟いた。
 カオルは慌ててサンドイッチを元に戻すと、自分もそれに習うように目を瞑った。
 どうしよう、「いただきます」で良いんだろうか?
 それともうろ覚えなキリスト教式のお祈りでお茶を濁そうか。
 軽いパニックになった彼女だったが、次の瞬間まるで生まれてこのかた何万回と繰り返してきたような自然な調子で祝詞がその口から飛び出した。

「幽界を統べる我等が主(La'Galeo)よ、我等未熟な者たちが一歩でも主の御許に近づけますよう慈悲をお与え下さい。いつか訪れるであろう肉の頚木を逃れるその日まで、我等に日々の糧をお与え下さい。渾沌の海から我等は生まれ、そして朽ち果てる時もそこへ帰るだろう……。かくあれかし(Amen)」

 そして、自然な動作でカオス神殿の複雑な印を結んで祈りを終える。
 全く意識などせずとも身体に染み付いた習慣が行うその動作は、まるで自転車に乗れるようになったらあとは意識など必要としないように、まさに自動的に行われた。
 そしてゆっくりと目を開けると、正面には驚きに目を丸くするケヴィン。
 そして隣には驚愕の顔で固まったマーチの姿があった。
 二人とも驚いてはいたが、驚きの量としては彼女の馬鹿さ加減を散々味わってきたマーチのほうが断然上であった。
 が、彼女の方はそんな反応などどこ吹く風で、ただ目の前にあるサンドイッチの山にしか目が行かなかった。

「ねえ、もうたべていい?」
「……え、ええ、良いですよ。いや、たまげたなぁ」
「?」
「やっぱり、本職の方は食前の祈り一つでも迫力が違いますね」
「ふぁ、ふぁふぁふぃふぉ」
「あ、食べてからでいいですよ。じゃあ、僕も頂きますね」
「うまー」

 自分もサンドイッチを手に取りながら、マーチは訝しげな視線を隣の彼女に向けた。
 両手に取ったサンドイッチをもぐもぐと頬張り、口の周りや手を汚すその姿はまるで幼い子供のように屈託なく、先程祈りを捧げた時にマーチが感じた厳かな空気など欠片も残っていなかった。
 知れば知るほど分からなくなっていく彼女の人柄に、彼は半ば諦めに近い溜息をついて食事を再開した。
 そして図らずも彼は昨日セレナが憂鬱な顔で辞去する時に呟いていた言葉を思い出していた。
 

「彼等を理解しようなどと考えてはいけないわ、狂気を理解するために狂気に陥るなんてナンセンスよ。「理解出来ない」これがカオス教団の一番大きな特徴なんだもの。マーチ、気を強く持つのよ(Watch your mind)。狂気は常にあなたの心の隙間から吹き込んでくるの……」



――――――――――――――――――――――――――――――――



 やがて休憩を終えたケヴィンが「後を頼みます」と言って一階に下りていくと、その足音が十分に遠ざかったあとマーチが彼女に向き直った。

「さて、取り敢えずこれからの予定をざっと言うぞ」
「あ、そのまえに言っとくことがあるの」
「なんだ?」
「なまえ、おもいだした」
「へぇ! そりゃあいい、いいかげん「お前」とか「おい」とか呼ぶのも面倒くさくなってきた所だ。実は適当な名前をこの場でつけてやろうと持ってたんだが、運が良かったな」
「……ちなみにどんななまえ?」
「そうだな、第一候補は「スキッド(squidの口語短縮)」か「フール(馬鹿)」の二択だったな」
「これは……ひどい」

 特に後者など直裁的過ぎて逆に新鮮ですらあった。
 もう少しタイミングがずれていたらとんでもない事になっていた、と戦慄しながら彼女はまともに自分の名前をつけてくれた顔も思い出せない両親に祈りを捧げた。
 ……もっとも、混沌神経由の祈りをもらって相手が喜ぶかどうかは別だが。
 むしろ、まともな神経の持ち主なら混沌神の加護などごめんこうむるだろう。

「タチバナ・カオルっていいます。タチバナがふぁみりーねーむで、カオルがふぁーすとねーむ」
「東の出身か? カウル(Cawl野菜と肉の煮込み料理)? ……そりゃまた随分食欲をそそりそうな名前だな」
「ちがう、カオル」
「カヲル?」
「うたはいいねぇ……じゃなくて、カ・オ・ル」
「カオル……カオル、か。よし」
「えへへ」
「なーに笑ってんだ、これから大事な話があるんだぞ」
「へへ、ごめん」
「おいおい、ちょとはマジな顔出来ねぇのかよ」

 呆れながら小言を言うが、それでも彼女の頬の緩みは引き締まるどころか更に弛んだ。
 彼女はただ、彼に本当の名前を呼んで貰うだけで嬉しい気持ちになれた。
 クトゥーチクでもマインドフレイヤでもない、橘薫と呼んでくれる誰かの存在がただ純粋に嬉しかったのだ。

「はぁ……ま、いいか。取り敢えずこれをつけろ」
「ねっくれす?」
「護符(Amulet)だ。幻惑の魔法がかかってるから、それをつけてりゃよっぽど洞察力に優れてる奴かそういうのを見破る技能持ち以外にはお前のその触手は普通の足に見える」
「へぇ……すごい、まほうちっく」
「いや、明らかに魔法だろ」
「こうがくめいさいかな? それともあんじ? どういうしくみだろう」
「はぁ? いや、だから魔法だろうが」

 大粒のピンクフローライトが中心に据わった護符を彼女はためつすがめつしながら興味深そうに手に取っている。
 日に透かしてみたり指で擦ってみたりと一連の動作を終えて満足したのか、彼女はそれを自分の首にかけた。

「にあう?」
「まあ、髪の色とは合ってるな」
「えへへ」

 そうして笑って彼女は椅子から立ち上がってスカートをめくって見せた。

「どう? なまあし?」
「いや、既に知ってる奴には効果が薄いんだと。俺にはやっぱりイカの足にしか見えねぇな」
「なんだ、ざんねん」

 言うほど残念な様子でもなく、彼女は触手の中でも太目の一本を抱き上げて撫でた。
 その瞬間、マーチの良すぎる目は捲れ上がったスカートと触手の奥にある女性の神秘をばっちり見てしまい、光の速度で首を横に逸らした。
 その瞬間あまりに勢い良く動かしたせいで「ごきり」と嫌な音が鳴ったが、彼にはそんな事を気にする余裕はなくなっていた。

「? まーくんどうしたの?」
「な、なんでもねぇ!! いいから座れ! 話の続きだ!」
「なにおこってんの?」

 不思議そうな顔で彼女が席に着くが、彼は相変わらず横を向いたままだった。

「……こっちのさほうだと、あいての目を見ないではなすのはいいの?」
「ちょ……ちょっと捻った……少し待て」
「……ほんと、なにしてんの?」

 呆れ帰った顔と声は、思いのほか彼の心を打ちのめした。
 ただ、さっき見た光景は目と脳裏に焼きついて、なかなか消えてくれそうになかった……。



――――――――――――――――
今日は休みだから二個くらい更新しようかと思ったが、いきなり友人からお誘いの電話。
ちょっと日本橋行ってきます。ノシ



[13088] おかいものにいこう
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:313be1f4
Date: 2010/02/12 01:32
 首元を揉み解して何とか捻った首を治したマーチは、ようやく本題に入った。
 ちなみに揉み解す時にカオルが手伝ってくれなければもっと長引いた事だろう。

「よし、じゃあ続きを話すぞ。カオル、今俺たちがしなけりゃいけない事は何か分かるか? 優先順位が一番高いものだ」
「はーい」
「はい、カオル君」

 マーチがピシッと人差し指で彼女を指差す。

「カオスしんでんに特攻(ぶっこみ)かける」
「そぉぉい!」

 スパーンと恒例になった一撃が彼女の頭に綺麗に決まる。
 叩かれた瞬間にパッと舞い上がる細い桜色の髪の毛は、まるで春風に舞い散る桜の花びらのようだ……などと彼女は全く関係ない事を考えていた。

「バカ! 丸腰でラスボスに挑む気か?」
「きたえれば‘こんぼう’で竜もたおせるはず」
「どこのバーバリアンだそいつは……」
「せかいで一番ゆうめいなゆうしゃです。ゆうしゃ「ああああ」のぼうけん」
「ひでぇ名前だ」
「ちかくの町でむすめさんと宿にとまりまくったのはいいおもいでです。「ゆうべはおたのしみでしたね」!」
「……ああ、もう、また話が逸れたじゃねぇか! 意味わかんねぇ!」
「だめだなぁ、まーくんは。しゅうちゅうりょくが足らない」
「お前だ!!」

 スパーン!
 容赦ない平手は結構な力で彼女の頭を叩いた。
 彼としては拳で顔面に行きたい所ではあるが、彼の力でそれをすると割と冗談抜きで洒落にならない事態になりそうだったので、涙を飲んでぐっと我慢したのだった。
 しかしかと言って平手打ちが痛くないかと言えばそんな事はないのだが。

「いたい! まーくんの愛がいたいよ!」
「愛の鞭でそろそろ脳みそもいい具合に暖まってきただろう。いいかげん本題に入る」
「はーい」

 彼はバックパックから古ぼけた羊皮紙製の巻物を取り出すと、重石を四個取り出して広げた巻物が巻き戻ってしまわないようにそれで固定した。
 所々擦り切れてはいたが使われているインクは十分に機能していた。
 黒いインクで描かれたそれは、見慣れぬ彼女でも一目でどういった物か把握出来た。
 即ちそれは、地図である。

「公都から南南東に10リーグほど離れた所にこのダンジョンはある。元はそれなりに力のある魔導師がねぐらにしていたらしいが、今じゃあその魔導師もとっくにおっ死んで廃墟になってる。けど、中のトラップと守護者はまだ生きてるからお宝のある公算は高い」
「……」
「分かるか? この地図は未完成だ。俺たちの前にアタックした奴等はこの地図に書かれた地点までしか到達出来なかった。で、その途中で手に入れた魔導師の書類にはそいつが作っていた魔道具の目録があってな」
「おたから?」
「そう、お宝さ。どうだ、ワクワクしてくるだろうが、え? まだ誰も足を踏み入れた事のないダンジョンの奥にアタックするんだ。興奮してくるだろう? こんなクエスト、冒険者冥利に尽きるってもんだぜ」

 そう言って、マーチは年相応の悪戯小僧のような笑みを彼女に向けた。
 その顔は、本当に彼がワクワクしているのが良く分かる純粋な好奇心が満ち溢れていた。
 今まで15とは思えないほど大柄で大人びた体格と、どこか擦れたような言動もあって彼女は彼の年齢をもっと上に見るようになっていた。
 しかし、今目の前でその少年じみた笑顔を見て「ああ、やっぱりまーくんも冒険したい年頃の少年なんだな」と不思議と納得と安心の感情が沸き起こってきたのだった。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
 クエスト『魔導師の遺産』 の 発生条件 を 満たしました
 このクエスト を 受諾しますか?
 【y/n】
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 当然彼女は笑顔で「イエス」と答えたのだった。



――――――――――――――――



 善は急げとマーチは取り敢えず自分の荷物を纏め出した。
 丈夫で破れにくいキャンバス地のリュックサックに冒険のために必要なあれこれを効率よく詰め込むと、不足品を素早くメモして何をどこで買えば一番効率がいいかいちいち隣の彼女に説明しながら書き込んでいく。
 最初は「こいつに果たして理解できるのか」と不安そうに教えていた彼だったが、話しを聞くときには真面目な顔で「ふんふん」と頷く彼女を見て心配は無用だったかと胸を撫で下ろした。
 一通り「冒険者の心得」を語り終えた彼は最後に「何か質問は」と問いかける。

「ええと、ほかのなかまは?」
「……さて、そこが問題だ。さっきも言ったがパーティに一人は絶対に盗賊技能持ちが必要だ。さもなきゃ部屋に入って一発目の罠で全滅なんて事もありえる」
「ふんふん」
「だが……スケルツォは盗賊ギルドとの話し合いで忙しい。そして僧侶のセレナも教会となにやら話し合っていて手が離せない。唯一動けそうなのはバラッドだが……さて、ここで問題点は何だろう?」
「はーい」
「はい、カオル君」

 そう言って先程の焼き直しのようにピシッと指差す。

「とうぞくとそうりょふざい=死」
「正解」
「…………まーくん、わたしまだ死にたくないよ」

 目尻を下げて本気で心配する彼女に、マーチは思わず吹き出した。
 そして安心させるように肩を竦めて見せる。

「安心しな、当てはある。そっちは俺に任せて、取り敢えずお前の装備を買いにいくか」

 そう言って全身を眺め回したマーチに、彼女は首を傾げながら腰の所の剣帯に差した鞘をもって見せた。

「レイピアあるよ?」
「防具どうすんだ。その尼僧服は――――まあ、正直言ってなかなかの性能だけどよ、打撃に弱いぞ、それ。斬刺冷熱雷に耐性があるってのはそんな薄っぺらい生地でよくもまあ実現したもんだと感心するが、オーガーに棍棒で一撃されただけで内臓破裂ってんじゃお話にならねぇ」
「なるほどー」
「金は俺が立て替えてやるから…………後で返して貰うぞ。ま、そこまで高価なのは必要ないだろう」
「……いきなりしゃっきんかー」
「マイナスから始まった方がギャンブル臭くてワクワクするだろうが、え?」
「……しねーよ」

 思わずやさぐれてそんな返事をしてしまった彼女だったが、彼の方は特に気にしたふうでもなく「やっぱ女にはわからねぇかなぁ」と嘯きながらしたり顔で頷いていた。
 そんな困った少年を見ながら、彼女はこういう時に世の女性たちが総じて抱く感想を同じようにして心の中で呟いた。
 即ち、「全く、これだから男って生き物は」である。

「じゃあ、今からいくの?」
「おう、護符をつけるのを忘れるなよ」
「はーい」

 改造尼僧服の首元にあるボタンを外し、落とさないようにアミュレットの基幹部分である宝石部を胸の谷間に落とし込むと、それを見たマーチがはっとして立ち上がった。

「あ、おい、俺のスキットル。まだ持ってるだろう、返せ」
「……ほしい。だめ?」
「自分で買え」
「ちぇー」

 唇を尖らせて、またしても襟のボタンを外して胸の谷間に腕を突っ込み、そこに入れっぱなしになっていたスキトッルを取り出してマーチにかえす。

「との! このイカめがひとはだにあたためもうしましたしょぞんでございます!」
「果たして人肌に温まった水が旨いかどうか、良く考えてみろこの馬鹿」
「しかしちょっとまってほしい」
「あ?」
「びょういんのまちあいしつで一人ずつじゅんばんがずれる時、となりの人が中によばれてすわるところが一つずれる」
「……」
「そんな時、そのいすがひとはだとくゆうのなんとも言えないあたたかさにみちていると……………………なんか、ほっこりしませんか?」
「しねーよ! ボケ!」

 このノータリンが!とひとしきり罵倒を浴びせてから、彼はいやに癇に障る微笑を浮かべる彼女からスキットルを奪い取った。
 受け取った彼はやっぱり人肌に温まったそれを嫌そうに受け取ると、小さく悪態と溜息をつきながら尻のポケットに突っ込んだ。

「よし、行くぞ」
「りょうかいしました」

 二人して階段を下りると、少し狭苦しい廊下を歩いて表通りに通じる店の方に一旦足を向ける。
 使い古された珠簾を手でどけながら店の方を覗くと、ちょうどカウンターに座って帳簿をつけていたケヴィンがこちらを向いた。
 焦げ茶色の髪を肩口辺りで切りそろえた少年は、書き物をする時だけにつける眼鏡をずらしながら「おや、どうしましたか?」と二人に声をかける。

「ちょっと出てくる。五時までには戻る」
「おかいものいってきます!」
「分かりました、裏口の鍵は持ってますね?」
「おう」

 そう言って彼がキーホルダに納まった銀色の鍵を見せると、ケヴィンは満足そうに頷いて眼鏡をかけなおした。

「じゃあな」
「いってきまーす!」
「お気をつけて」

 既に最後の言葉は彼女達に背を向けて帳簿を付けながらであったが、特に愛想が不足しているわけでもなく単に仕事中だからであろう。
 店側に反対方向へ垂直に伸びる廊下を過ぎると、頑丈そうな鍵の取り付けられた裏口へ到達した。

「まずはどこ?」
「とりあえず……」

 そう言って彼は彼女の全身を眺めて、そして彼の脳裏にさっき見てしまった光景がはっきりくっきりと浮かび上がってきた。
 思わず赤くなりそうな顔を彼女の視線から逃れさすようにドアに向けながら、彼はわざとらしく咳払いをした。

「取り敢えず、服やだな……」
「ごふくやさんですか」
「した――鎧下とかも買わなきゃならんしな! うん!」

 下着、と言いそうになった彼は慌てて言いなおした。
 ちなみに彼は今朝の抱きつき事件のドサクサで、彼女が上の下着も着けていない事を知ってしまっていた。
 あれだけ力強く押し付けられたら、そりゃまあ誰だって気がつくだろう? 不可抗力だ、不可抗力。そんなふうに彼は心の中で誰かに対して言い訳を繰り返した。
 そして、いきなりきびきびと扉を開けて歩き出した彼に追いすがりながら彼女は思った。
 あれ? これってデートなのかな。
 相変わらずどこか一本線のずれた彼女の思考は、この時ばかりは客観的な真実を付いていたとも言えるのだった…………。







――――――――――――――――
感想内でマインドフレイヤのイメージが掴めないと言う人がちらほらおられるようなので。

ちなみに私がこの作品の電波を受け取るはめになった絵は↓
http://dic.nicovideo.jp/
ニコニコ大百科「鬼畜王ラムザ」の項目にあるマインドフレイヤ擬人化。キャラクターと服のイメージはこちらの方が近い。

モンスター図鑑 開祖D&DのMindflayer
http://www.iwozhere.com/SRD/index.html
ここで「Monster」の項目の「Monster Gallery」で「Mindflayer」を選んでください。

いんたびゅーうぃずまいんどふれいや
http://www.youtube.com/
ユーチューブで「The Mind Flayer's Interview」と検索するとあります。

その他
http://www.elfwood.com/
エルフウッド
このサイトでMindflayerと検索するとズラズラおぞましくも逞しい彼等の有志が拝めます。海外の絵描きさんはどうしてこうクリーチャーを描くのが上手いんでしょうね?



[13088] ならずものとそうりょ
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:313be1f4
Date: 2009/11/25 00:05
 カオルがマーチと共に街へ繰り出したちょうどその頃、公都で最も大きい光輝教会の最奥部に近い一室で二人の人影が話し込んでいた。
 部屋の内装はその空間が経てきた年数を否応無しに感じさせるもので、全体的にやや懐古趣味に走ったきらいはあるものの趣味のいい家具類で固められていた。
 東西の壁にはズラリと天井まで中身の収まった本棚が並び、来客用の応接セットには座らずに黒檀製の執務机の正面へ立った女僧侶――セレナは相変わらずの黴臭い空気に微かな郷愁を感じていた。
 背後に帝国製の非常に薄くて頑丈なガラス窓を構えた執務机には、年の程はすでに50も後半を過ぎて60の大台に達しそうな白髪の老人が腰を下ろしていた。
 とっくに最盛期は通り過ぎた筈であるのに、その老人からは老いと共に誰しも纏い始める枯れたような空気は漂ってこない。
 銀糸で細かい飾り縫いの施された真っ黒の僧服は枢機卿という役職にある人間が着るにしてはシンプルに過ぎたが、その飾り気のない僧服の上からでも分かるほど彼の身体は鍛え上げられたしなやかな筋肉をしているのが見て取れる。
 現役から退いたあとも鍛錬を欠かさないその老僧の名は、ジュスタン枢機卿。
 公都の光輝教会において上から数えた方が早い人間の一人である。
 彼は革張りの重厚なチェアに座りながら右手に持った資料を熟読すると、やおら溜息をついてそれをデスクの上に放り出した。
 そうして目線を彼女に向けた彼の顔は年齢相応の皺が刻み込まれたもので、真っ白の髭が顔面を覆っていた。
 彼の表情は苦味と呆れとが等分に混ざった物で、それほど大きくはないが執務室全体に聞こえるような溜息をついた。

「まったくゲブトめ、毎度毎度あの馬鹿者の謀はわしをイラつかせよる! あれは一種の才能だな、わしの血圧を上げるというはた迷惑な才能だ!」
「申し訳ございませんジュスタン枢機卿、この私がついていながら……」
「よい、おぬしは元々そういった事が不得手であったからな。それにおぬしの性格上、例え怪しくとも仲間を監視するのは良心が咎めて上手くいかぬであろうよ」
「は……」
「そういった行為に後ろ暗さや後ろめたさを感じずにただ達成感と快楽を感じられるようになれれば、おぬしもいっぱしの異端審問官になれたであろうが――――それこそ、密偵が言う所の「ゲーム」としてそれらを楽しめるようになればな……。まあ、今更言っても詮無きことか」

 そこで彼は再度溜息をつくと、チェアをくるりと回して彼女に対して半身を向けた。
 枢機卿が溜息をつくたびに、僧服に身を包んだセレナは居た堪れない様子で身を縮める。
 彼女とて元はこの光輝教会ではそれなりに上の階梯まで進んだ身分だ、今は一介の巡回司祭の身と言えども――いや、そんな身分であるからこそ、この老いた元上司の身体に負担を掛けることが申し訳なくて仕方がなかった。

「……まあ、よい。良くぞ知らせてくれた。あとの事はわしに任せよ、ギルドとの折衝はわしのコネから捻じ込んでおこう。混沌神殿の隠れ信徒の件をスケルツォ経由でギルドに知られたのは今の所はプラスにもマイナスになっておらぬ。……まあ、やつらは盗み聞きするのは好きでも、されると途端に不機嫌になるろくでなしが揃っておる。殊更慎重に動こうとするであろうからそれに関してはプラスであろうな」
「は……」
「「僧侶が神を讃えるように、俺達もまた讃えるだろう、暴力と闘争と厄介事を」……か、まったく困った連中だ。冒険者と厄介さはそう変わらん! やつらは考え無しに事態を掻き回してくれるが、盗賊ギルドの連中は何もかも分かっていて掻き回すから余計に始末に終えん!」
「……」
「ああ、おぬしの事を言ったのではないぞ?」
「はい、承知しております。……それでは私はこれにて退室させて頂きます」
「うむ、大儀であった。おぬしの行く末に光輝神の恵みあらん事を」
「光の遍く照らす恩寵あれ」
「かくあれかし。暫しの別れだセレナ、またいつでも来るが良い。教会の門戸は扉を叩く者を決して拒みはしない」
「勿体無いお言葉です……」

 結局、入室から退室まで直立不動のままだった彼女は教本そのままの完璧な礼をして退室する。
 そして扉が閉まる直前、まるでその隙間からそっと差し出すように枢機卿の優しいバリトンの声が彼女を追いかけた。

「セレナ、おぬしの荷物はまだ部屋にある。いつかまた取りにおいでなさい」
「あ……」

 セレナは扉を閉める寸前にするりと耳に飛び込んできたその言葉に、言葉を返す間もなく扉を閉めてしまう。
 かと言って今更もう一度扉を開けて返事をするのも締まらない、彼女は仕方なしに溜息をついてその場を離れた。
 彼女自身は気付いていなかったが、その溜息をつく仕草は先程まで面会していた枢機卿と瓜二つである。

「お心遣い感謝いたします、猊下……」

 肩を落として一瞬だけ瞑目すると、彼女はスッと体の線を正して背筋を伸ばした。
 そうして先程までの消沈した様子を欠片も感じさせない毅然とした様子で、教会内の赤絨毯を敷き詰められた廊下を一定の歩幅で進んでいく。
 そうして一直線に進んでいた彼女は途中の辻で何か逡巡するように一旦止まるも、何かを振り切るように首を振ってそのまま真っ直ぐ進んだ。
 その辻を曲がれば、恐らく今でもここを出た当時のままになっている彼女の部屋がある筈だった。だが、彼女はその部屋を見る気にはなれなかった。何もかも記憶に鮮烈過ぎて、生々しい記憶は彼女をやや足早にさせる。
 途中で出会う信徒や神職が彼女に恭しく礼をするが、彼女は無表情のまま簡単な礼をして通り過ぎていく。
 そうしてようやく礼拝堂近くまでやってくると、一人の助祭がやや慌てた様子で彼女の方に歩み寄ってくる。
 光輝教会の一般的な僧服に身を包んだその助祭は、困惑の表情で彼女に呼びかける。

「セレナ司祭! ああ、良かった。実は貴女に会いたいという方が来られているのです」
「私に、ですか?」

 彼女は思わず首を傾げた。
 自分がここにいる事は限られた人間しか知らないはずで、その限られた人間が呼びに来ていれば助祭がそう言わない筈がない。
 また、教会の中でも特殊な身分であった彼女は一般信徒とも殆ど関わりがなかったため、いったい誰が呼んでいるのかと不思議に思って首を傾げた。

「その……身なりはしっかりしているのですが、どうにも怪しい男でして。お知らせするかどうか悩んだのですが、身分はしっかりしていますし物腰も丁寧ですので断りきれませんでした。申し訳ございません」
「いえ、構いません。なんと名乗りましたか?」
「は、ロキシオーネ商会のカッサシオンと言えば分かると」
「カッサシオン?」

 その意外な名前に思わず頓狂な声を上げた彼女に、助祭は疑わしげな視線を向けた。

「ご存知ありませんか」
「……いえ、一応は知った顔です。合いましょう」
「は、ではこちらに」

 助祭に案内されて応接室に通されると、応接室のソファに腰掛けていた男が彼女たちに気が付いて立ち上がった。
 年の程は30手前と言った所か、栗色の柔らかい髪をすべて後ろに撫で付け、その目には薄く茶色がかった色眼鏡をかけている。帝都の有名ブランドであしらえた三つ揃いは皺ひとつなく清潔に保たれている。
 物腰も柔らかで丁寧な仕草ではあったが、どこかしら胡散臭さと油断なさを感じさせるような人物である。
 彼を見て万人がイメージする職業はやり手の仕手師か若手代議士と言った所だろう。
 つまるところ「ろくな職業ではない」。

「これはこれはセレナ女史、またこうしてお会い出来て光栄です」
「ええ、私もこうしてまた生きたあなたと会えるとは私も思っても見ませんでした……ああ、もう下がってよろしい」
「は」

 案内役の助祭が退室すると、カッサシオンは優雅に一礼してから「では失礼して」と断ってからもう一度ソファに腰を下ろした。
 セレナは困惑と微かな驚きを顔に浮かべながら彼の対面に腰を下ろすと、やや不躾に彼の全身を眺め回した。

「美人に眺められるのはなかなかにいい気分ですが……残念ながら私は既に妻子ある身でして、貴女の気持ちに答えられません――もっとも、それも貴女次第ですが」
「――――驚いた、その減らず口は本当にカッサシオンね。一体全体その格好はどうしたの? 本当に最初は誰だか分からなかったわ」
「あの助祭が伝えませんでしたか? 今はロキシオーネ商会に籍を置く身分でしてね。以前のような格好は控えているのですよ。人というのは面倒なもので、まず見た目で九割ほどは印象が決まってしまうのです、以前の風貌はどうにも今の職には不釣合いだという意見には大いに賛同していただけるかと思いますが」
「商人、あなたが……世も末ね」
「意外と、才能はあったようです……人を使う才能が、ですが」

 そう言って笑うと、彼はまだ湯気の立っている陶器のカップをソーサーごと持ち上げると、そっと音を立てずにそれを口に含んだ。
 たったそれだけの動作が彼女に与えた衝撃はいかばかりか、殆ど目を剥くような様子でそれを見た彼女は頭痛をこらえるようにして右手で額を抑えた。

「……ま、作法が身についたのは素直に喜んでおきますが。で? 私に何のようなのかしら? 単に無事を伝えにきたわけでも、近況をわざわざ知らせに来て頂いたわけでもないでしょう」
「ええその通り。実は少しお耳に入れておきたい話があるのです」
「何かしら。最近は頭痛のするような話しばかり聞いているから、出来れば明るい話題が欲しいのだけど」
「明るいと申しますか、ある意味微笑ましい話題ですが……。まあ、貴女は一応彼らのパーティですからお耳に入れておいた方がよろしいかと存じまして。いや、幾つになっても男は少年だという言葉がありますが、それが年相応ならばやはり微笑ましいものです」

 もったいぶったその言い方に、彼女は少し眉根を寄せる。
 言葉の使い方自体は丁寧になったものの、以前と同じような慇懃無礼な態度が透けて見えたからだ。

「話が見えないわ。単刀直入に言ったらどうなの」
「おや、先程頭が痛いと仰っておられたのでなるべくショックが小さくなるようにと老婆心ながらに遠まわしにしたのですが……。余計なお世話でしたかな、では失礼して……。実はあなたの仲間のマーチ君からクエストの打診を受けました。最近私もそういった冒険には縁遠い生活ばかりでしたのでいい機会と思い了解したのです」

 その言葉に、彼女の頭痛と心労は明らかに倍以上に膨れ上がった。
 怒りによる貧血で眩暈のする頭を何とか持ち直し、彼女はテーブルに両手を付いて詰め寄った。

「な、なんですって……も、もう一度だけ言ってくださらないかしら。マーチがあなたに、いったい何を頼んだですって?!」
「クエスト(冒険)です、三度は言いませんよ。彼が言うにはスケルツォも貴女も手が離せないようなので盗賊職に私を誘ったようです。ちなみに僧侶は私が探してもいい事になりましたので、念の為貴女に声をかけておこうかと。いえなに、誰しも勘違いというものがありますから、もしかすると貴女が忙しいというのも彼の杞憂では――――どうしました?」
「――少し待っていて下さらないかしら。すぐに仕度をして参りますから」
「参加してくださると?」
「ええ、ただしこれ以上メンバーは増やさないでくださらないかしら」
「お安い御用です。取り分が減るのは好ましくない」
「では30分後に」
「ええ、お待ちしておりますよ」

 そう言い残すと、彼女は焦りを感じさせない優雅な仕草で部屋を出たが、足音が聞こえないほどの場所まで来ると全身を使って全力疾走した。
 馬鹿! マーチの馬鹿! どうして大人しくしていられないのかしら!
 まだ三日と経っていないって言うのに! 本当に、男って生き物はこれだから!!
 世の男達なんてどいつもこいつも救いがたい×××で■■の○○○○ばかり!
 母親のお腹にいる時に分別をどこかに落っことしたのかしらね!?
 もううんざりだわ! 私を気疲れさせるのがそんなに面白いの!?
 彼女は口に出せば教皇すら卒倒しそうなバラエティ溢れる罵倒を頭の中で吐き捨てながら、さっきあれほど逡巡しながら通り過ぎた辻を何の躊躇いもなく曲がると、ドアに金のプレートで名前がかけられた部屋に彼女は飛び込んだ。
 室内は埃ひとつない清潔なままに保たれていた。
 それはつまり彼女の元上司がそう保つように手配している証左であったが、頭に血が上った彼女はそんな事に気を配る余裕を失っていた。
 ドアに鍵をかけることもせずに彼女は服を脱いで下着姿になると、クロゼットの中から現役時代に着ていた鎧下などの服を引っ張り出した。
 どれも光輝神の加護を受けた中々の一品であるが、それに対して祈りを捧げる暇すらなく彼女は手早く着込むと、次に部屋の片隅の人型に着せてあるそれの前に向かう。
 白銀の鎖帷子と同色の胸当て、チェインスカート、黒地に白と赤で光輝神のシンボルが描かれた陣羽織(サーコート)、そして左腰には全長2フィートはあるバトルメイスをぶら下げる。
 右腰と後ろにはそれぞれ鞘内が聖水に浸されたナイフを差して、同じようにベルトにぶら下げた小物入れには聖別された塩と蝋燭、その他の触媒を机の引き出しから引っ掴んで入れる。
 長い髪の毛を乱暴に一纏めにして髪留めで留めると、最後に異端審問官を表す黒いベレー帽を一瞬の逡巡の後に被ってから光輝教会のホーリーシンボルを首からかけて踵を返した。
 そうして扉を開けると、いつの間にか扉の前には彼女の見知った顔が恐る恐るといった感じで揃っていた。
 中には彼女の元同僚達もかなり含まれており、その全員が驚きと喜びの表情を浮かべていたが、怒りの精霊が頭の中で踊り回っている状態の彼女には気にする余裕がなかった。

「セ、セレナ――」
「失礼、急いでおりますのでッ!」
「あ……!」
「どいて下さい!」

 並み居る人垣を小柄な体格の彼女は無理矢理掻き分け、呼び止める声も無視して走り去った。
 総重量にして50ポンドはある装備をしているとは思えないほどの俊足で廊下を走り抜ける彼女は、神の家をガチャガチャと騒々しく金属音を立てながら走るだけでも悪目立ちするというのに、その頭に被られた黒いベレー帽が殊更人目を惹いた。

「お待たせいたしました」
「――――」

 息も切らせず応接室に戻ると、優雅にお茶お楽しんでいたカッサシオンは驚愕に目を丸くして息を呑んだ。
 彼女の物々しいいでたちにもだが、特に彼の目線は彼女の被った黒いベレー帽に向けられている。
 そう言えば彼には自分の前職を教えていなかったなと今更ながらに彼女は思ったが、些細な事だと切り捨てた。

「では参りましょうか」
「は……では一旦わたくしの家に参って頂けますでしょうか、司教猊下」
「あら、なに? 突然畏まって。それに私は司教でなくて司祭でしてよ」
「……貴女も人が悪い。何が巡回司祭ですか、そのベレー帽を被っているという事は最低でも司教位を持っておられるのでしょうに」

 実際は降格されて司祭なのだが、彼女は否定するとややこしくなると思い黙っていた。
 道すがら、いつもの慇懃無礼さが鳴りを潜めてどこか遠慮したように話すカッサシオンに、セレナは思わず笑ってしまう。

「あなたも、あなたが言う所の「外見で人を判断する」人間の一人なのかしらね?」
「――これは一本取られましたな」
「マーチは今日中に来るって?」
「少なくとも私はそう聞いております。出発は明日でしょう」
「そう、じゃあ待たせてもらいます。……マーチが迷惑をかけます、申し訳ありません」
「いえ、さっきも申しましたが渡りに船でしたよ。最近腕が鈍って来ていないか心配でしたのでね。話によると中々歯ごたえのありそうなダンジョンです、いや、腕が鳴ります」
「……」

 まったく、男ってやからは!! 本当にどうしようもない!
 セレナはまたしても溜息をついて、心なしかうきうきとした足取りをする彼の後ろを付いて歩くのだった……。



[13088] まーけっとすとりーと
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:4f6869ec
Date: 2009/12/05 02:10
 やや慇懃無頼さが鳴りを潜めたカッサシオンといまだ怒り心頭といった様子のセレナが光輝教会を発ったちょうどその頃、マーチとカオルの二人は公都のマーケットストリートにやって来ていた。
 ちょうど昼時も近い時刻という事もあってか、立ち並ぶ店の中でとくに食事所や食料品を扱っている店からは大きな声で客の呼び込みが引っ切り無しにがなり立てた。
 食事にはあまり関係ない店であっても、この時間帯に現れる人込みの中からなんとしても上客を確保しようと、その呼び声は負けたものではない。
 北の貧民窟の半ばから東にある職人街の終わりまでを貫くマーケットストリートは、文字通りその通りの両側に大小幾つもの店が立ち並んだ商店通である。
 スラム側から歩き始めれば、その店の殆どはきちんと店舗を構えたものではなく吹けば飛ぶような露天やボロを無理矢理繋ぎ合わせたようなバラックの店舗が圧倒的に多く、そしてその道を職人街に進めば進むほど汚らしい露天の姿はなりを潜め、役所にきちんと許可を取った――スラムの住民曰く「お行儀のいい」店がズラリと立ち並ぶ。
 スラム街に軒を連ねる店の数々ではその猥雑さが売りである。
 いつ来ても喧しい呼び込みの声に、怪しげな商品を堂々と店先に並べる店主達。
 恫喝ギリギリの値切り交渉や喧嘩沙汰など日常茶飯事であるが、その代わりに掘り出し物を見つけるか安い物を探し出すならスラム街の店舗が最も優れていた。
 それとは逆に、役所に認可を取っている真っ当な店舗には極端に安い品も高い品も置いていない。安定した品質と安定した値段で商品が揃っている。
 安さと掘り出し物を求めるならスラム街、品質と安全を求めるなら職人街。と言った風に、状況によって買い物先を選択するのが賢い公都民の常識であった。
 さて、それなりにこの街に来て長いマーチも当然ながらこの流儀を実行していた。
 取り敢えずは古着屋に向かって当面の服を用意するかとドアを一歩出た所で、はたと気がつく。

 果たして、後ろの馬鹿を連れて近道(裏路地)を進んでいいものだろうか?

 目的の古着屋には近道を通って10分程度、ゆっくり歩いても15分はあれば到着する。
 しかし、相変わらず彼の横でニコニコと見るからに頭の緩そうな笑顔を浮かべた彼女を連れて、比較的治安の安定した場所であるとは言ってもスラムの裏路地を通ればどうなるだろう?
 その場合起きるであろう数々の厄介ごとを頭の中で想像して、彼は即座に結論を下した。
 うん、無理だな、と。
 彼は予定を変更して方向を変え、マーケットストリートに直接合流する道を進んだ。
 この時間帯は人出が多い、それを鑑みても恐らく最低20分はかかってしまうだろう。
 しかし、裏路地を進んで厄介事を起こすよりもずっと早くて安全に進めるに違いない。


 そんな風に、考えていたのだが……。


「さあさあそこのお嬢さん、こいつを見てってくださいな! つい先日仕入れたばかりの万能薬だよ! 風邪、腹痛、頭痛、歯痛から便秘に枯草熱まで、ありとあらゆる症状にピタリと効く万能薬だ。今日はなんとたったの500ディナールでのご奉仕ですよ!」
「へー、なんにでもきくの?」
「そうそうその通りです。こいつにかかれば治らない病気も治まらない痛みもない、まさに最高の霊薬ですよ! さあさあ手に取って見て下さいな」
「ふうん」

 興味深そうな顔で何やらどろりと蛍光緑色の液体が詰まった小壜をカオルが手に取ると、それを見た商人は外面だけはまっとうな商人の顔をしてその裏側ではニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
 当然ながら壜の中身は万能薬などではなくスライムの死体と沼地のヘドロを混ぜ合わせて作った真っ赤な偽物である。
 いかにも頭の緩そうな客に、商人は心の中で舌なめずりをして更に畳みかけようと身を乗り出す。
 と、それを遮るようにして彼女の方から話し掛けた。

「ところで」
「はい?」
「こそうねつ(フェイ・フィーバー)って実はかれくさがげんいんじゃないんだよね」
「へ?」

 突然の言葉にポカンとする店主を他所に、カオルはしたり顔で言葉を続けた。

「そもそもねつって言うわりには熱なんか出ないし、鼻水とくしゃみと涙が出るだけでしょう? どうしてこのびょうきを名付けた人は「枯草熱」なんて頓珍漢な名前をつけたんでしょうね? 本当の病名を教えてあげましょうか、「アレルギー性鼻炎」って言うのよ。何のアレルギーで症状が出ているかにもよるけれど、まあ一番多いのはスギ・ヒノキの花粉ね。通年性ならカビ・ダニ・ホコリとかのハウスダストも考えられるけどね」
「あ、その」
「まあ、何が言いたいかと言うと」

 今や、先程までの頭が緩そうな舌っ足らずな声など欠片も見せず、見た者が思わず背筋を震わすような笑みを浮かべながら彼女はずいとその顔を商人に近づけた。

「私(わし)をペテンにかけようとは見上げた根性ね(だ)、褒美をあげるわ(くれてやろう)」

 甘ったるくかすれた女の声と、しわがれた老人の声。
 一人の口から、二人分の声が漏れていた。
 まずい、こいつは鴨なんかじゃない、鷹だ。
 自分の失策に遅まきながら気付き、蒼白になった商人の耳にカチリと小さな音が聞こえる。
 固まったまま視線をそこに向けると、彼女の右腰に佩かれたレイピアがほんの半インチほど鯉口を切られていた。
 ギラリと日光を反射する刃金の煌きは、彼をして一級品の代物だと容易に想像がついた。
 殺られる。
 心臓が凍りつきそうな恐怖を感じながら、商人は死を覚悟した。
 この闇市(ブラックマーケット)――特にこの辺の奥まった所で人死には特に珍しい事でもない。
 殺してすぐに人込みに紛れてしまえば特定は容易ではなかった。

「受け取れ」
「ひッ――」

 恐怖に竦んでギュッと目を瞑る。
 だが、いつまで経っても覚悟した痛みはやってこない。
 恐る恐る目を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。

「この馬鹿ッ、ふらふら歩き回るなっていっただろうが」
「いたーい! もうちょっとてかげんしてー」
「手加減だって? これ以上ないくらいしてやってるだろうが。俺が本気で殴ったらそんな細い首なんて根元からポッキリいって吹き飛ぶぞ」

 拳骨で頭頂部を殴られて涙目になったカオルと、呆れと怒りの表情をしたマーチ。
 いまだ先程の衝撃から抜け出せない商人は、蒼白なって強張った顔のまま自分の首筋をそろそろと撫でた。
 なんってこった、まだ頭は首の上に乗っているぞ。
 ふと視線を巡らせたマーチは商人を見て、その強張った顔を見て勘違いをした。
 ははあ、またカオルの奴が滅茶苦茶を言って怒らせたな、怒りで顔が引き攣っていやがる。これは早々に退散するか。

「ようあんた、悪かったな。こいつが何を言ったか知らんが本気にするなよ、ちょっと頭がおかしいからな。もしかして何か商談があったか? もしそうならこいつは金を持ってないから払えねぇけど……」

 話している最中も固い表情で一言も返さない商人に、マーチは「これは不味いな、随分ご立腹だ」と内心溜息をついた。
 無駄な出費は避けたい所だが、二人とも今は余計な騒動はごめんであった。
 多少の出費で丸く収まるなら、今だけでも大人しく払っておこう。
 そう結論したマーチは固い表情の商人に話しかける。

「あー悪い、もしかしてもう商談成立か? なんなら俺が立て替えようか」

 その言葉を聞いた瞬間、商人の脳内ではマーチの言葉が自動的に翻訳された。
 俺が立て替えようか→俺が貴様の首をへし折ってやろうか!
 ようやく一命を取り留めたばかりだというのに、これ以上厄介事の種はごめんだった商人は、大慌てで首をふって「いえいえ、何もお代は結構です! どうかお引取りを!」と大声で叫んで屋台の窓口にあったカーテンを急いで閉めた。
 その剣幕にやや面食らったマーチは不思議そうに首を傾げる。

「なんだ……? おい、なんか変な事言ったんじゃないだろうな。お前は目立っちゃいけない身分なんだからな、大人しく俺の後ろについてこいよ」
「はーい」
「まったく……ほんとに分かってんのかねこいつは」

 ぶつぶつと文句を言いながら人を掻き分けて先に進むマーチの後に続きながら、カオルは相変わらず頭の緩そうな笑みを浮かべていた。
 ちらりと後ろを振り返ったマーチは彼女の手で弄ばれている小壜を見て取ると、あからさまに眉を顰めた。

「おい、一体全体そりゃなんだ? 俺の記憶が確かならそんなもんさっきまで持ってなかった筈だろ」
「ばんのうやく。さっきの人にもらった」
「はぁ? 貰っただ? この闇市の商人がそんな事するわけねえだろ」
「でもさいごに「おだいはけっこうです」って」

 そう言われて、彼もさっきの商人が別れ際に叫んだ言葉を思い出した。

「……ああ、そういやそんな事確かに言ったな、うん」
「まーくん、あげるー」
「……こりゃどうも」
「えへへ」

 明らかに毒っぽい色をした不気味な粘性の液体が入った小壜を受け取り、明らかに薄気味悪そうな顔で彼はそれを振ったり逆さにしたり日に透かしてみて手の中でくるくると回す。
 暫くそれを見ていた彼はフンと鼻で笑うとそれを一応はバッグの中に突っ込んだ。
 貰い物だからその場で捨てるわけにも行かないと考えての行動だったが、そんな考えを見透かしたカオルの好感度が更に上がっている事に彼は気付きもしなかった。

「こいつが万能薬(エリキシル)だって? あのボンクラ商人め適当なこと言いやがって。こんな沼ヘドロみてぇな万能薬があってたまるか」
「花粉症なおるんだって」
「あ? 何だって?」
「花粉症」
「なんだ? そりゃ」

 不思議そうに首を傾げる彼に彼女が「枯草熱と花粉症について」という題名が付きそうな長々しい講義をぶち上げた。
 相変わらず舌っ足らずな口調ではあったが、その内容は十分な知識に裏打ちされた論理的な内容である。
 道すがらそれを聞いている彼は「あながち、スケルツォの予想も外れたものじゃないかも」と思い直し始めていた。
 厳しい修行を積んだ僧侶というのは大抵が神学者と医師を兼ねているものだ、それを考えればカオルが枯草熱についてとうとうと語るのもそうそう不思議な事ではない。
 ややたどたどしい感じがあり、時々何かを思い出すようにしながら話を続ける彼女はふと何かに気を取られて余所見をする。
 1ヤード先も人込みのせいで見えないような所で余所見をすればどうなるか、分かりきった事だが彼女は前から歩いてきた筋骨隆々の戦士の胸板にガツンと正面からぶつかる。

「あだっ」
「おっと」
「あっ」

 上からカオル、戦士、マーチ。
 殆ど速度を緩めずにぶつかったせいで顔面を強かにぶつけた彼女はその反動でのけぞった。
 「気をつけろ!」と怒鳴ろうとした戦士も、慌てて後ろに倒れようとする彼女の襟首を引っ掴む。
 彼がそうしていなければそのまま後ろの人間にまでぶつかって収拾が付かなくなっていた恐れもあったので、咄嗟の行動とはいえ及第点の動きだろう。
 一歩ほど先を歩いていたマーチもその状態を見て慌てて引き返してくる。

「おっとと、おいおい、ちゃんと前見て歩けよ。こんな人込みの中でよそ見してちゃあいかんぞ」
「ふぁい……しゅみません」
「あ、こいつ、まったく……悪いな助かった、今後気をつけるよ」
「いたーい」
「自業自得だ、馬鹿」

 涙目になって鼻を押さえる彼女に辛辣な言葉を浴びせるマーチを見て、戦士は苦笑を浮かべながら肩を竦めた。

「坊主、女性といる時はちゃんとエスコートせにゃいかんぞ。特に、こんな物騒な所じゃな」
「エスコートぉ? こいつに?」
「なんだ、仲が悪いのか? お似合いだと思ったんだがな」
「はぁ?」

 思わず顔を顰めて「何を言ってやがる」と言わんばかりの顔をすると、戦士は微笑を浮かべるとそのまま先を進んだ。
 通りすがりざまに「じゃあな、気をつけなよ」とカオルの頭を二三度叩いて去っていったが、プレートメイルに包まれた手でそれをされても痛いだけで、彼女は鼻と頭とを両方さすった。
 案外、お仕置きのつもりでそうしたのかもしれなかったが、本人はとっくに先へ進んで人波の中に紛れ込んでしまい確認など取りようもない。
 エスコート? こいつに? スケルツォをあっと言う間にぶっ殺しそうになるほど強いこいつに? 《八つ裂き》のクトゥーチクかも知れない奴をエスコートしろだって、いったい何の冗談だ? 首を捻りながらそんな事を考えていた彼だったが、ふと視線を巡らせると期待に満ちた視線で彼女が左手を差し出している。

「…………」
「…………」

 はぁ、と溜息をつくと、彼は仕方なしに差し出された左手を右手で握った。
 よくよく考えてみても、確かにこうしていた方がふらふらとどこかに行かれる事もなくなる。
 不可抗力、不可抗力だ、決して思った以上に細くて柔らかい手にドキドキなどしていない!
 不機嫌丸出しの顔で先を急ぐ彼と、その横でニコニコ顔のまま歩く彼女は随分と両極端ではあったが、確かにこうしていればはぐれたりする事もなさそうではあった。

「ねえまーくん」
「あ?」
「たのしいね!」
「俺はちっとも楽しかねぇな」
「またまたごじょうだんを」
「……うぜぇ」

 こんな調子で目的地まで行くってのか? まるで拷問だ!
 心の中で盛大に嘆きの溜息をつきながら、それでも彼は彼女の左手を離さない様にしっかりと握っている。
 嗚呼、お人よしの哀れな灰色狼よ、汝の墓穴掘りに混沌神の幸あれかし!

「まーくん、まだつかないの? 意外とじかんかかるねー」
「お前のせいだっつの!!」

 結局、彼らが古着屋に着くのにかかった時間は当初の予想を大幅に裏切って、30分近くかかったのだった。







――――――――――――――――
PCの移行作業とか実家に帰ったりとか色々あって更新遅れました。
あと、Oblivionのせいです。あのゲームが面白すぎるのが悪いんです。
それと、更新速度は少し落とします。毎日更新はきついかもしれないので。



[13088] おかいもの
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:5b5a5c52
Date: 2009/12/05 02:10
 30分以上もかけて何とか古着屋に到着した頃には、既に当初の予定を大幅にオーバーしていた。
 そのせいでイライラと機嫌の悪くなったマーチは最後の方など殆ど彼女を無理矢理引きずるようにして店に入ると、店員に半ば押し付けるようにしてカオルを任せて「適当に三着用意してくれ」とアバウトすぎる注文をしてからカウンターの向かいに設置してある椅子にどっかりと座り込んだ。
 奥の試着室に連れて行かれる彼女が能天気に「またねー」と手を振るのに対して嫌そうな顔で「しっしっ」と追い払う仕草をすると、彼は大きな溜息をついた。
 体力的には問題なかったが、精神的には大きく疲れていた。
 何せ手を繋いでいる状態ですら、少しでも目を離すと通りすがりの露天や通行人と悶着を起こしそうになるのだ。
 何度か彼が変わりに頭を下げて学んだのは、どうやら彼女は興味の対象があちこちに飛んで行ってしまうという事。
 そして誰かと会話をしていると取り敢えずはそれに集中していると言う事だ。
 よって、彼は右手で彼女の手を握りながら先を急ぎ、更には彼女の注意が自分から動かないように話し続け、そして最後には彼の方ばかり見て前を全く見なくなってしまったカオルが人波とぶつからないようにした。
 体力には十分以上に自信のあった彼だが、今回の事で彼は大きな教訓を得た。
 つまり、ゴブリンの頭を叩き潰す筋肉と、傍らの誰かを介助する筋肉は全く別のものだということを。
 くたびれてへなった両耳と全身に漂う倦怠感を見るまでもなく、彼の姿はどこからどう見ても休日に女の買い物に振り回される哀れな男の姿そのものである。
 そして、カウンターの向こうで迷惑そうな顔の店主は、古着屋にしては筋骨隆々な両腕を胸の前で組んだままジロリと彼を睨み付けた。

「おいワン公、そんな所で溜息つかれちゃあ景気が悪くってしょうがねぇ。客が引いていっちまうだろうが。戸口に立って御主人様の帰りでも待ってりゃどうだ」
「テメェの店に閑古鳥が鳴いてるのは今に始まった事じゃねぇだろうがよ、俺のせいにすんじゃねぇ。あと犬じゃねぇ」
「いいや、違うね。俺の店になかなか客が寄り付かないのはテメェらみたいなゴロツキ一歩手前の冒険者共が入り浸るからだ」
「俺の見解は違うね」

 そう言った彼はぐるりと店内を見渡して、最後に店主の顔を見て「フン」と鼻で笑った。

「間違いない、お前の顔のせいだな」
「何だと」
「だってよ、どう見ても服屋って顔じゃねぇぜ。なまじ店内がどう見ても服屋だからな……入って来た奴はカウンターで腕組んでるオーガ一歩手前を見てこう思うんだ「ああ、この店はマフィアの……」ってな。そんでその場で回れ右して終わりだ」
「……」
「それが嫌なら店番に可愛い女の子でも雇うんだな」
「駄目だ、ここは俺の店だ。俺がカウンターに立たなくてどうする」

 その返答に彼は肯定も否定もせずに肩を竦めて「そうだな、あんたの店だ。好きにするといいさ」と答えて背凭れにもたれ掛かった。
 やけに疲労感漂うその姿に店主は眉根を寄せた。

「何だ、本当に疲れていやがる。珍しい事もあるもんだ」
「気疲れってのは空想の産物だと思ってたんだがな。……これからはセレナをからかうのは少し控えるか」
「あの一緒に来た御婦人が関係してるのか? どういう関係だ、やけに親しげだったが」
「御婦人(笑)」

 そのあまりに似合わない響きに、彼は失笑を漏らさざるを得なかった。
 女性を表す名詞は色々あるが御婦人? よりにもよってご婦人ときたか。
 あの馬鹿に御婦人…………これは、ない。
 などと失礼ながら的を射た事を考えて笑いを漏らす彼に、店主は不思議そうな顔で首を捻るしかなかった。
 この話題はこれ以上突いても益にならないだろうとすぐさま判断した店主は、何事もなかったかのように全く別の世間話を始めた。
 やや疲れ気味の顔をしながらもマーチがそれに食いついて話が弾み始めた頃、困惑の顔をした店員が戻って来た。
 40過ぎくらいの中年女性で、若い頃には王族が着るドレスも作った事があると事あるごとに吹聴する女性だった。
 ことの真偽はともかくとして、彼女が服を見立てる目は本物と言ってよい。だからこそ彼は特に何の制限も加えずに彼女にすべて任せたのだ。
 だが、思ったよりも早くに戻って来た彼女はその後ろにニコニコと笑うカオルを引き連れて、やはり困惑を隠せない様子で戻って来た。
 カオルの服装は来た時と同じもので、特に変わった様子はない。

「あの、店長、少し問題が……」
「なんだ、どうした」
「サイズがどうしても合わないんです」
「なに?」
「上の服は問題なく選び終わったんですが、下がどうしても……。パンツ系は全滅で、どれも合いそうにありません。スカートは何とかなりましたが」
「はあ?」

 その二人の会話を聞いて、彼の鼓動は健康に危険を及ぼすほど早くなった。
 まずい、あいつにパンツ系なんて入るはずがない、だってたった二本じゃ全く足りないのだから!
 だらだらと嫌な汗を背中にかきながら「あ、あの」と声をかけようとした時、店員はさらにまずい事を口走った。

「それと、その……このお客様、下着を着けておられないのですが……上も下も」
「はぁ? どういうこった」
「そのままの意味です……」
「下着なしで? ここまで歩いて来たってか?」
「はい、どうもそうみたいです」

 店員が非難と軽蔑の視線を彼に浴びせた。
 隣の店長は軽い賞賛と驚きの視線を彼に向けている。
 それぞれの視線が明白に語っていた。
 つまり、「この性犯罪者め」と「お前は勇者か」と。
 既に背中だけではなく額にまで嫌な汗を流しながら、彼はこの難局をどう乗り切ろうかと必死に考えた。
 これだけ必死になって考えたのは以前に100匹ばかりのゴブリンがうようよいる砦に一人取り残された時以来だ。
 彼は既にこの時ひとつ目の失敗をした。
 焦りはどうしても顔に出る、この時彼はとにかく強気の態度で「それがどうした」という風に出るべきだったのだ。
 なまじ真面目に考えたせいで、何やら後ろめたい理由があるようにしか見えない。
 店員はまるで道端に転がる犬のクソを見るかのような視線を彼に向け、店長はかすかに目を見開いて仰け反った。

「あ、ええ、その」
「……このゲス野郎――失礼、お客様、説明をお願いします」
「お前……純情そうな顔してそんな趣味があったとはな。さすがの俺もそれは引く」
「ち、ちが――」

 このままでは性犯罪者のレッテルを貼られてしまう!
 更に焦るマーチだが、それのせいで更に思考が空回りしてしまう悪循環に陥っていた。
 店員の眦は時を経るごとにキリキリと吊り上がり、それと同時に彼の胃袋もキリキリと悲鳴を上げ始めている。
 今にも店員が「ガード! ガード!(衛兵! 衛兵!)」と叫び出しそうな雰囲気を纏い始めたその時、助けの手は全く予想外な所からやって来た。

「けんこうほうです!」
「ガー――え?」
「けんこうほうです」
「……はい?」

 突然の意味不明なカオルの発言に完全に目が点になる一同。
 その場にいる全員の視線を集めながら、彼女はニコニコと笑いながら続けた。

「ノーパンけんこうほうです。かぜをひかなくなります、ね。まーくん」

 そう言って笑いかけられて、瞬時にその意図を悟った彼はすぐさま首を立てに振った。
 背中の汗はシャツをぐっしょりと濡らして、その声は若干震え気味ではあったが、なんとかかんとかつっかえずに言葉を続ける。

「そ、そうそう! 新しい健康法なんだ、それ。いやー参った、言うのを忘れてたぜ、ハハハハハハ」
「健康法……ですか」
「そうです。だからぱんつはいりません」
「そう……ですか」
「そうです」

 何か釈然としないものを抱えながらも、自信たっぷりに頷く彼女の様子に首をかしげた店員は「まあ、それならいいんですがね」とぶつぶつ呟きながらカオルを連れて奥に引っ込んでいく。
 去り際にほんの少しだけ彼のほうを見て、彼女は小さくウィンクをした。
 隣に店主がいるので何も返せなかったが、後でなんか奢ってやるかと彼は心の中で胸を撫で下ろした。

「健康法……ねぇ」
「……なんだよ、文句あっか」
「いやべつに、お前の趣味だから俺は何もいわねぇよ」

 このクソオーガもどきめ、分かってて言ってやがるな。
 今すぐ店長の首根っこを引っこ抜いて床に叩き付けてやりたい衝動を抑えながら、彼はカオルの買い物が終わるまでの間じゅう店長からの追求をいなし続けた。
 やがて一通りの衣服と細々した物を買い終えると、有難う御座いましたの声を背中に浴びて逃げるように店を出た。
 いつもなら続けて言われるはずの「またおいで下さい」がない事が、何よりも雄弁に語っていた。
 暫くこの店にはこれないだろう。
 カオルが着ている服はつい今しがた買ったばかりの物で、厚手の綿製ロングチュニックと丈夫な革製のフロックコートといういでたちだ。
 古着屋での一件ですっかり慎重になった彼は、その後に立ち寄った種々の店ではカオルを目立たない場所に立たせて黙らせてから素早く買い物を済ませた。
 冒険に必要な品物は結構な数になる。特に食料や水は多めに持っていく必要があるので、その場で持ち帰らずに届けて貰うように頼んだ。
 当然ながらそのまま持って行っても問題ないような商品もあったが、残念ながらこれからカッサシオンの家に行く必要があるので余計な荷物はなるべく持たない方が無難である。
 カッサシオンの居宅は職人街の外れに存在するので、商店通をそちらに向かって進むに連れて段々と道行く人の波が減り、そしてそれに伴って客層も変わり始めた。
 より具体的に言うなら冒険者やゴロツキの類がぐんと減り、変わりに市民や公僕の姿が多くなるのだ。
 もっともその中に冒険者やゴロツキは混ざっているのだが、先程までのように一目でそれと分かるような汚らしい格好や物々しい武装姿で歩いている者はない。

「よし、着いたぞ」
「おおー」

 そこにあった屋敷――そう、屋敷と言って差し支えない邸宅に彼女は思わず歓声を上げた。
 三階建ての屋敷は頑丈な石造りで、石材と木材をバランスよく使って作られている。

「ここに住んでるのが今回俺たちに同行する盗賊だ。カッサシオンっていってな、手先の器用さならスケルツォの方に軍配が上がるが、殺し合いになったらカッサシオンの方が一枚上手だな」
「へー、とうぞくってもうかるんだね」
「ああ、だからこの世から盗賊は居なくならねぇんだな」
「なるほどねー」

 この屋敷はカッサシオンが商人に転向してから建てた物だが、彼女の勘違いを彼は特に否定しなかった。
 なにせ、「真っ当な盗賊」は本当に信じられないくらいの大金をあっと言う間に稼ぐからだ。
 当然ながら、この場合の「真っ当な」とは一般市民とは間逆の意味である事は言うまでもない。

「さて、行くか」
「おー!」

 意気揚々とドアノッカーを叩く。
 コンコンと金属同士を叩きつける甲高い音が響いた後、ガチャガチャと何やら騒々しい音が扉の向こうから聞こえてくる。
 それが鎖帷子と金属製のブーツが立てる騒音だと気付いた彼は、はてと首を傾げた。
 帷子はともかく金属のブーツなんて奴は穿かないのに、一体どうしたんだろうか?
 幸運にもその疑問の答えはすぐに出たので、彼はそれ以上頭を悩ます必要がなくなった。


「あら、あら……随分とのんびり買い物を楽しまれたようで……」


 扉を開けて出てきたのは、全く笑っていない笑顔と言う矛盾した存在を顔面に張り付かせた怒りの精霊の化身だった。



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 2レベルプリースト・4レベルディバインナイト セレナ
 が 現れた!

 マーチ は 逃げ出した!
 カオル は 驚き竦みあがっている!
 
 セレナ の 《猛追》 が 発動した
 逃亡判定…………完全失敗
 マーチ は 回りこまれた!

 *イベント戦闘 です 逃げられません*
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[13088] みざるいわざるきかざる
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:ae4717d8
Date: 2009/12/05 02:09
 全体的に落ち着いたクラシック調の内装で占められた居間で、カッサシオンは手ずから入れた紅茶の芳醇な香を楽しんでいた。
 帝国を経由して届いた最高級の茶葉は、その鮮度をいかほどにも落とさずに完全に密封されて届けられる。
 たった一缶で一般市民が一月は暮らしていけるだけの値段がするが、金持ちは金を使うのが仕事だと言わんばかりに平然とした顔でそれを楽しむ。
 一方カオルは両手で耳を塞いだまま身を屈め、部屋の隅に縮こまってプルプルと震えていた。
 何も聞こえない何も見えない何も知らない知らない知らない何も見えない!!
 ぶつぶつと現実逃避する彼女だったが、残念ながら無慈悲で無味乾燥で容赦の欠片もない「声」は耳を塞ごうが何をしていうようがお構い無しに彼女の頭の中に響くのだった。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
セレナ の 攻撃!
マーチ は 手傷を 負った!

*ゆるしてください おねがいします*

マーチ は 命乞いを した!

*きこえんなぁ!*

セレナ は 意に介さない!

セレナ の 攻撃!
マーチ は 重傷を 負った!

*だれか! だれか!*

マーチ は 助けを 呼んだ!

*こうちゃ おいしいです*

カッサシオン は 見て見ぬ振りだ!

*(ガクガクブルブル)*

カオル は 怯えている!

セレナ の 攻撃!
マーチ は 悲痛な叫び声を あげた!

*ぎゃー*
マーチ 戦闘不能

*だれが ねていいといった*
セレナ は 重傷治療(Cure Heavy Wounds)を 唱えた
マーチ は 完全回復した

セレナ の 攻撃!
マーチ は 手傷を 負った!

*ゆるしてください おねがいします*

マーチ は 命乞いを した!

*きこえんなぁ!*

セレナ は 意に介s


精神負荷が許容量を超えます
メッセージログを強制終了しました

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d/ssdftouajuko.df??Sdfjkbbiafir?eportdsajdfdra-galeo/dsafjkixbugfixcom.cdshutdown


*警告*
完全同一内容が 10 リピートされました
何らかの次元交差線上の障害か或いは時空間ループトラップの恐れがあります
     →[候補]時空乱流?        →[候補]バイツァダスト?
四次元以上の次元交差線上に何らかの障害物が無い事を確認してください
敵対勢力による悪意ある攻撃を確認してください
自動防疫機構が作動しました
24時間以内に改善が見られない場合は超高次元不可知領域での致命的エラーの可能性があります
これより24時間のセーフモードに入ります
R.I.P..............._
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 それきり「ぶつん」と断線するような音を立てて「声」は止んだ。
 背中越しにルール無用の残虐ファイトが展開されているせいで彼女の精神はかなり危険な状態だったため、正直な所「声」が止んでくれてほっとした。
 だが、「声」がなくなったとしても今現在展開されている全ての現実がが消えてなくなるわけではないのである。
 両手で耳を塞いで「あーあーきこえないー」とやったとしても、聞こえてしまうものは聞こえてしまう。
 カオルは思った、家を出る前にトイレに行っておいてよかった……と。

「ふぅ……十分反省したようだし、今日の所はこれで終わりにしておくわ」
「…………」

 恐る恐る後ろを振り返ると、地面に突っ伏して「orz」となった状態のマーチと、何か赤黒い染みのこびり付いた篭手を布切れで拭うセレナの姿があった。
 セレナの顔や髪にも飛び散った赤黒い何かは、人間という皮袋の中にたっぷりと詰まっている「とある物」にそっくりであったが、彼女は必死に心の中で「けちゃっぷ! あかちん! しょくべに!」と現実逃避に必死である。
 誰しも認めたくない現実というものはあった。

「おや、もうよろしいので?」
「ええ、この辺でやめとかないと日が明けてしまうわ」

 その言葉に、カッサシオンは不思議そうな顔で首を傾げた。
 はて、日が暮れるの間違いでは……。
 そこまで考えて、彼は彼女の言葉を理解して疑問の言葉を飲み込んだ。
 「次の日の朝になるまで続ける」という意味である。
 げに恐ろしき異端審問官の肉体言語にごくりと思わず生唾を飲み込むカッサシオンであった。

「どうぞ、喉が渇いたでしょう」
「有難う、頂きます」

 少し遅めのティータイムと洒落込む二人を尻目に、カオルは恐る恐るマーチに近付いた。
 地面に這い蹲ったままぴくりとも動かないその物体に戦々恐々と近付くと、彼女はそっとその肩を揺すって声をかける。

「……まーくん」
「……」
「……まーくん?」
「ひ……」
「ひ?」

 ぐいと顔を近づけて耳を澄ます。

「ひかりが……ひろがっていく……」
「ノーーーー! そっちはダメ! まーくん!」
「お……大きな星が……ついたり消えたり……」
「ぎゃーー!」

 マーチがPTSDから回復するのに要した時間は1時間ほどだったが、不思議な事にドアを空けてからそれまでの記憶を根こそぎ失っていた。
 一人で首を捻るマーチを他所に、カオルはただ仮面のように貼り付けた笑顔を向けるしかなかったのだった。


――――――――――――――――


 制裁という名の処刑がひと段落してから、一同はダイニングに集まって遅めの昼食を取っていた。
 すでに昼食というには無理のある時間帯であったが、軽食にサンドイッチをつまんで来ただけ――しかも中途半端な時間に――のカオルとマーチにとってはちょうどよい昼時である。
 セレナも元々は教会の宿坊内にある食堂で昼食を済ませるつもりがそのまま来てしまっているので、怒りですっかり忘れていた空腹感が戻って来たせいもあってか整った見た目に似合わない健啖振りを発揮していた。
 自分の事は棚に上げてカオルがその様を見て「ふーどふぁいたーセレナ……」と失礼な事を考えているなど露知らず、セレナはもりもりとマーチやカオルに負けない速度で口の中に料理を運んでいく。
 だが、冒険者の中ではむしろこれは遅い方であった。冒険者と言う因果な職にあるものはすべからく食事の速度が速くなり、尚且つどんな物でもいつ如何なる時でも胃袋の中に突っ込めるようなる。
 世界中のありとあらゆる環境で働く可能性のある彼らだが、その殆どの場合快適とは言い難い生活を余儀なくされる。そんな状態で食事にゆっくりと時間をかけたり選り好みをしているような暇は無いのであるから、食事の速度が上がってしまうのは畢竟仕方無しと言った按配である。

「あら、このトリ美味しいわね」
「そのソースに隠し味がありましてね。今度レシピを差し上げますよ」
「あら、有難う。気が利くのね」
「お褒めに預かり光栄です」

 如才なく答えて紅茶を飲むカッサシオンであったが、カオルは彼をチラチラと見ながらしきりに首を傾げていた。
 終いには食事の手を止めてまでじっと彼の顔を見つめ始めたものだから、さすがの彼も無視する訳にもいかずに視線の主と目を合わせた。
 普通はこういう時にじっと見ていた方が弁解めいたものを言うはずなのだが、全く普通ではない彼女は更に正面から彼の顔をガン見した。
 さすがにこの反応には参ったのか、隣のマーチへ助けを求める視線を送るが、記憶の奥底にこびり付いているのかさっき見捨てられた仕返しに彼はその視線を無視した。

「……」
「……」

 奇妙な睨めっこが暫く続く。
 やがて痺れを切らしたカッサシオンが口を開く直前に彼女が口を開いた。

「……どこかでお会いしましたか?」
「は? ……いえ、初対面のはずですが」
「ほんとに……? なんか、みおぼえが……」
「はぁ……そう言われましても」
「……あの、ちょっともうすこし偉そうにしゃべってみてくれませんか」
「偉そうに?」
「そうです」
「馬鹿も休み休み言い給え。さっきから趣旨の分からん繰言はもう沢山だ。君の妄言には心底うんざりさせれる」
「!」

 その瞬間、これまでに無いほど強烈なビジョンが彼女の脳内を駆け巡った。

「見ろ! 人がゴミのようだ!」

 考えるより先に、彼女は驚愕と共に立ち上がっていた。


「ムスカ! ムスカじゃないか!」

 突然の大声にカッサシオンは思わず目を見開いてのけぞり、驚いたセレナは食事を喉に詰まらせた。
 しかし隣のマーチはこの手の奇行に慣れてしまったのか、ちらりと視線を向けただけで食事を再開したのはさすがと言うべきか。

「は?」
「どうみてもムスカ、ムスカ以外かんがえられない」
「私の名前はカッサシオンというのですが」
「命名ムスカ、へんこうふか」
「か、勝手に……」

 流石に気を悪くして立ち上がろうとするが、その時向けられたマーチの視線が語っていた。
 諦めろ、その方が楽だぞ、と。
 全くもって癪ではあったが、余計な時間を名前云々で消費するわけにも行かない。
 カッサシオンは大きく溜息をついて席に座り直した。

「どうぞ、お好きなように。……その代わり、食事中はお静かに願います」
「はーい」
「食事が終わったら今後の予定を話し合いましょう。私は先に上に行っていますので、食べ終わったら上がって来てください」

 そう声をかけて、彼は小首を傾げながら階段を昇って行った。
 それを横目に見ながらこんがりと狐色に色づいたパンを千切り、マーチは隣のカオルにこっそり語りかけた。

「なあおい、ムスカって誰だ?」
「さいきんひたいのはえぎわが気になるムスカたいさです」
「あ、馬鹿!」
「え?」

 凄まじい殺気に反応して首を巡らすと、標準よりやや広めのおでこがチャームポイントのセレナが、その特徴的な額に血管を浮かせながら「ニゴリ」と濁点つきの笑顔を浮かべていた。
 あ……気にしてたんだ……。
 というか、それならそんな強調するような髪形止めればいいのに……。
 そんな風に考えても、黙っているようなエアリードスキルはそろそろ身に着け始めたカオルであった…………。



[13088] にゅーとらるぐっど
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:18bfcda2
Date: 2009/12/19 01:23
 食事を終えてほど良い満腹感を味わいながら全員が上階に上がると、既に紅茶の用意をしていたカッサシオンが全員を書斎に通した。
 重厚作りの本棚が壁一面にずらりと並んだその部屋に入って一番驚いたのはやはりセレナである。
 マーチは既に知っていたのだが、セレナにとってカッサシオンとは最後に会った時のイメージのままであったので彼とハードカバーのいかにも高そうで難解そうな本の列と言う組み合わせがどうにも納得出来ず首を捻った。
 ちなみにカオルは「おおー」と感心した声を上げながら勝手に本を抜き出そうとしたのをマーチに阻止されていた。
 そうして全員が書斎の中央にあるデスクに付くと、開口一番にセレナが意外な言葉を言い放った。

「明日なんて悠長な事は言わないわ、今日中に出かけましょう」
「今から、ですか?」
「ええ、何か問題でもあるのかしら?」

 そう言ってセレナはゆったりとした仕草で用意された紅茶に口をつけた。
 彼女の言葉に思わず聞き返したカッサシオンは意外そうな顔で「ほう」と唸って顎を擦る。

「そうですね……問題としてあげるならばマーチが注文した物資がまだ届いていませんが」
「あなたが立て替えればいいでしょう? ロキシオーネ商会でも注目の有望株なんでしょう、それくらい簡単に手配出来るんじゃなくて?」
「まあ、出来るか否かと問われれば可能です」

 そう言って彼は苦笑を浮かべながら右手の中指でくいっと眼鏡を押し上げた。
 きらりと一瞬だけ眼鏡のフレームが光を反射して、眼鏡の位置を治した時には彼の両目は慎重に利益を計算する商人の目になっていた。

「ですが、今から用意するとなるとそれなりに入用ですよ。その分の差額は如何するつもりです?」
「それなら問題ないわ。今回の冒険での取り分は全部貴方に差し上げますから、それで立て替えて下さらないかしら」
「なんと、全部ですか」
「ええ、全部よ」

 流石にカッサシオンも驚きを隠せず、少しの間呆然とする。
 そしてその言葉に慌ててマーチが首を突っ込んだ。

「ちょちょ、ちょい待ち! そりゃルール違反だぜ、冒険で手に入れた財宝は一旦共有してから分配するのがセオリーだろうが」
「ええ、だからその分配に私は加わらないって言っているのよ……?」
「いや、だからそりゃ駄目だろ」
「どうして? 私は別に財宝が欲しくて参加したわけではないのよ、そんなにおかしいかしら」
「いや、だから、なんつーかよ……」
「どうしたの?」

 困惑の顔でセレナが首を傾げる。
 もしこれがセレナやマーチたちのパーティの共有財から出すと言えば確かにそれは問題だが、彼女が言っているのはこれからこの即興パーティで手に入れる財宝の事である。
 それの分配に加わらないという事は他の三人の取り分が増えると言う事だ、普通は喜びこそすれ反対などあるはずもない。
 どうして彼はこんなに慌てているのだろう?
 マーチとカオルを除いた二人がそんな事を考えていると、マーチはもどかしそうな口調で話し始める。

「だからよ、俺が言いたいのはだな、これから俺たちは四人で命賭ける訳だ、なあ」
「……ええ、そうね」
「俺も、カッサシオンも、セレナも、この馬鹿だってその点じゃあ条件は変わらない、全員が命張ってるんだ」
「ええ」
「だから、だからよ、ええと、その、なんつーかそんな話じゃ不公平だろ、不自然だ。セレナだって命張ってんだから。手に入れた物貰わなきゃ、そりゃ嘘って話だろ。違うか?」
「……」
「……なんだよ、なんかおかしいかよ」

 数瞬目を大きく見開いて息を呑む、そして彼女はゆっくりと息を吐き出しながら穏やかな笑みを浮かべる。
 憮然とした顔で身を乗り出すマーチを見ながら、カッサシオンは目を伏せて口元を手で隠した。マーチからは見えないが、その口元は微笑に緩んでいる事がカオルとセレナには見て取れる。
 そして、マーチの横でカオルは優しい笑顔を浮かべていた。

「な……なんだよ。なんか間違ってるかよ」

 なにやら書斎に漂う微妙な空気に身じろぎした彼に、微笑を浮かべたセレナはゆっくりと頷いた。

「いいえ……全く。これっぽっちも間違っていないわ、マーチ」
「ええ、そうですね。確かにそんな話は嘘ですね……セレナさん、お代金は分配が終わってから改めてでよろしいでしょうか」
「ええ、そうしましょう」
「お、おい」
「あら、どうしたの?」
「あ、いや……」

 何か言いたいけども何が言いたかったのか分からない、そんな様子で何度か口をパクパクした後にマーチは椅子に座りなおした。
 ふと視線を巡らせると、隣に座ったカオルがニコニコと相変わらずの笑みを浮かべて彼の方を見ていた。
 いつもと変わらない笑顔のはずなのに、何故か彼は大昔に母親から「えらいねー」と頭を撫でて褒められた時の事を思い出してしまい、なんとも言えず背中がむず痒い気持ちに襲われたのだった。
 彼ら二人を抜きにしてセレナとカッサシオンは今回の冒険の日程や概要を説明している。
 既に彼は知っていることであったが復習の意味も込めてそれに耳を傾けようとするが、ニコニコとこちらを見ながら笑みを浮かべるカオルが気になって集中できない。

「……なんだよ」
「ううん、なんでもないよ」
「じゃあこっち見んな、話を聞いてろよ」
「うん、そうする」

 意外と簡単に言うことを聞くと、カオルは視線を卓上の地図に移した。
 なんとなく気恥ずかしいような感覚がようやく無くなって、マーチはホッと一息を付いて自分も地図の上に視線を落とすのだった。


――――――――――――――――


「では、予定の方はこれで締めましょう。向こうに着いてからの行動をあれこれ考えても意味がありませんからね」

 そう言ってカッサシオンが書類を束にしてトントンと端を揃えてから革の書類袋に入れる。
 そうしているとまさにデスクワーク主体の人間にしか見えず、その変わり様にまたしてもセレナは溜息をついた。
 時々「実は彼はカッサシオンの双子の兄である」という可能性が無いものかと本気で考えてしまうほど、以前の様子とは様変わりが激しい。
 いや、これ以上これを考えてもしょうがない。やめやめ。そんな風に心の中で踏ん切りをつけると、彼女はぐっと伸びをした。
 既に鎧の類は脱いでいたが、久しぶりに着込んだせいで肩がこっていた。
 マーチはそんな彼女を横目で見ながら行儀悪く肘を突きながら紅茶を啜っている。
 そしてふと何かに気が付くと、きょろきょろと周囲を見回した。
 同時に音を探っているのか、その両耳も小刻みに動いている。

「なあ、カッサシオン。いつもいる奥さんと子供はどうした? あと召使い」
「ああ、彼女達なら帝都の方に旅行に出ていますよ」
「あ? お前は何でここにいるんだよ」

 その問いに彼は「何を言っているのかね」とでも言いたげな顔で片手に持った書類袋を顔の前で振って見せた。

「これがあるからに決まっているでしょう」
「……ちなみに何て言って残ったんだ?」
「“非常に重要で緊急性の高い仕事がある”と」
「なるほど、家族サービスより迷宮探索が重要で緊急と」
「何か問題でも?」
「いいや、無いね! これっぽっちも!」
「そうでしょう?」
「奥さんと子供ほったらかしで迷宮もぐりか、この悪党が!」
「はは、そんなに褒めてもらっても何も出しませんよ」

 はははは、わはははは、大人になり切れない男が二人、心底楽しそうに笑った。
 そんな二人を見ながらセレナは大きく溜息をついて椅子にもたれかかり、カオルは悪戯好きの少年を見るような困った笑顔を浮かべた。

「さて、それでは善は急げです」
「おう、早速行くか!」
「ちょっと待ちなさい。私はもう準備出来てるけど、あなたたち二人は――いえ、マーチは装備をいくつか置いて来ているでしょう。私達はここで待っているからすぐに持ってきなさい」
「分かった」

 急いで立ち上がった彼を見て「あっ」と声を上げて後に続こうとしたカオルだったが、座ったままのセレナに手を引かれてそのまま椅子に腰を下ろした。
 その間に彼は書斎の扉を開け放して外に走り去って行った。
 扉くらい閉めたまえとブツブツ愚痴を零しながらカッサシオンが立ち上がるのを横目に、セレナがカオルに話しかける。

「貴女は座ってなさい、すぐに帰ってくるわ」
「……うん」

 若干しょんぼりした様子の彼女を見てセレナは「あらあら、随分と懐かれたものね」と微笑を浮かべた。

「さて、彼の事だ、本当にあっと言う間に戻ってくるでしょうから今のうちに着替えてきます。貴女方もどうぞこの部屋をお使いになってください」
「ありがとう」
「ムスカさんありがとう」
「私の名前は…………いえ、何でもありません。それではまた」

 呆れたような溜息をついて、彼はドアを閉めた。

「さて、それじゃあ私はもう一度着替えるけど……貴女は――」
「カオルです」
「え?」
「カオルって言います。名前」
「あ、ああ、名前、思い出したの?」
「はい、今度からはそう呼んでください」
「ええ、そうするわね。これからよろしく、カオル」
「はい、宜しくお願いします」

 ふわりと微笑を浮かべて、カオルは右手を差し出した。
 セレナも笑みを浮かべ、その顔の下に困惑を隠して握手に応じた。
 おかしい、彼女はこんなにはっきりとした話し方だっただろうか……?
 膨れ上がる疑問に頭が一杯になったせいで、セレナは話しかけられた言葉を聞き逃した。
 慌てて聞き返すと、やはりあるかなしかの微笑を浮かべながらカオルは繰り返した。

「鎧」
「えっ」
「鎧、取りに行かなくていいんですか?」
「あ、そう、ね。そう言えば居間に置いたままだったわ」
「私は持って来ましたから、すぐ着替えます」
「……ええ、じゃあ私は着替えを取ってくるわね」
「はい、行ってらっしゃい」

 相変わらず、カオルは害のなさそうな笑顔を浮かべて手を振った。
 なにやら得体の知れない恐怖感がセレナの背筋を舐めるようにして通り過ぎた。
 さっき握手を交わした右手がじっとりと汗に濡れてびりびりと痺れる。
 考えすぎだ……疲れているんだ……そんなふうに心の中で言い聞かせながら、セレナは半ば逃げ去るようにして書斎を後にした。
 扉を閉める直前に見えたカオルは、やはり笑顔を浮かべて、手を振っていた……。


――――――――――――――――


 ばたりと扉が閉まると、彼女の顔から一瞬にして笑みが消えた。
 笑顔が消えた後に残ったのは、陰気で諦観染みた無表情だけ。

「ふん……」

 一人残ったカオルは、書斎まで持ってきていた革製の鞄の中から例の改造尼僧服を取り出すと、両手に広げてためつすがめつした。
 やがてその隅々まで調べ終わってから、彼女は呆れと感嘆の等分に混じった溜息をついてから苦笑を浮かべる。

「……いいセンスだわ。けど、どう考えたってこれから冒険にでるっていう時に着る服じゃないわね。何て言ったかしら……ええと、「コスプレイヤー」とか「ゴスロリ」とか言うんだっけ? ……ふふ、こんないい歳して着る服じゃない事は確かね」

 クスクスと笑うと、殆ど何のてらいもなく服を脱ぎ捨てて尼僧服を身に着ける。
 若干大きめの採寸であるが、彼女が身に纏った瞬間に魔法の生地がキュッと彼女の身体に合わせて引き締まった。
 そうして床に脱ぎ捨てた服を拾い集め、チュニックを鞄に放り込み、続けてフロックコートを放り込もうとしてピタリと動きを止める。

「……」

 若干の逡巡の後にそのままやはり放り込もうとして、そしてまた思い止まる。
 まるで一生解けない哲学的問題を抱えた学者のように眉根を寄せると、彼女はフロックコートを尼僧服の上から羽織った。防寒目的としてもあまり意味は無い。尼僧服には外気を遮断する魔法もかかっている。
 だが、彼女はまるでそれが神から与えられた至上の任務のような真剣さでコートを身に着けてボタンを留めた。
 そして一度鞄に放り込んだチュニックを取り出すと、丁寧に畳み直してから鞄の底にそっと入れ直した。
 そうして彼女は我に返ったように困惑の表情で髪をかき上げると、その髪の長さに漸く気が付いたような顔をして、鞄の中からバレッタを取り出してぞんざいに髪の毛を纏め上げた。

「やれやれ……どうなるやら。いえ、すでにどうにもならないのかしらね……」

 彼女はスカートをめくって自分の変わり果てた「足」を見て虚ろな笑みを浮かべる。
 その桜色をした唇から漏れる声は、いつもの能天気な明るさとはかけ離れた陰気な物だった。
 彼女はゆっくりと本棚に近付くと、さっき抜き出そうとしてマーチに阻止された本をそっと抜き出した。
 本のタイトルは『次元世界 召喚師の心得』
 彼女はそれをパラパラと捲ってから、パタンと閉じて「ふむ」と頷いた。

「読めないわ」

 とりあえず字を習おう。
 そう密かに決意して彼女はその本をそっと鞄の中に潜ませたのだった。



[13088] ゆめ
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:6281e5bb
Date: 2011/10/30 23:03
「ああ畜生」

 太っちょのカミンスキーが苛立たしげに特殊強化硝子の嵌まった窓を叩いた。
 右手に持った紙カップから珈琲がこぼれるが、本人はお構い無しに窓の外の光景に悪態をついた。
 そしてやや大げさに振り返ると、雑誌を読みながらくつろぐアダムスキーを見ながら窓の向こうを指差す。

「おお、お、おいみみ見ろよ、こっこれ!」

 やせっぽちのアダムスキーはその特徴的などもり言葉を聞いて、興味なさ気に視線をそちらに向けてから「見たぞ」とだけ言った。

「み「見たぞ」? ほほ、ほかに、も、もっとあ、あるだろうが、言うことが」

 アダムスキーは休憩室の安っぽいパイプ椅子に座りながらひょいと肩を竦めて雑誌に目を落とした。
 彼が会話を面倒がっているのはそれだけで一目瞭然であるが、律儀にも言葉を返した。

「ないね、べつに。一体何がそんなに気に入らない?」
「こ、ここ、これだ!」

 そう言って、カミンスキーは硝子の向こうに広がる一面の銀世界を指差した。
 窓のすぐ下までギッシリと雪に覆われた世界は、それでもまだ足りないとでも言うように続々と新たな雪を空から降らせている真っ最中である。
 ちなみにこの休憩室は二階にあった。

「お、おお、俺はな、こういうクソッタレたけけ、景色を見ずにすす、すむからって、だからこんな地球のうう裏側まできたってんだ。な、なのにここっこ、こりゃ一体なんだクソ! も、もうここ、この白い悪魔共とはええええ、縁を切ったはずだろ!」
「奴さんはお前や俺が大好きみたいだな。なんにせよ好かれるのはいいことだろう」
「ほほ本気で言ってやがるのか」
「ぐちゃぐちゃ言うなよ」

 アダムスキーはうんざりした様な視線を窓の外とカミンスキーに向けた。

「抱き合って暖を取る必要が無いだけましだろう。嫌なら見るなよ」

 そう言ってテーブルの上のリモコンを操作すると、硝子は一瞬にして曇って外が見えなくなった。

「そら、座ってろよカミンスキー。ドーナツでも食ってろ」
「おおお俺に命令するな、アダムスキー」

 どすどすと足音を立ててテーブルに歩み寄ったカミンスキーは乱暴に椅子に座って、そして憤懣やるかたないといった顔で彼女を見た。

「ききき教授、俺たち地下施設のけけけ警備にまわしてくれませんかね? せ、せせせめてこのクソッタレの季節だけ」

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

「見てくださいよこれ! 素晴らしい出来じゃないですか?」

 そう言ってリッチェンスは椅子ごと横にどいて画面を見せた。
 覗き込んだ斉藤と彼女は画面上のそれを見て思わず感嘆に唸った。

「ヒュウ! ナノマシンと同期させるのか? 見ろよこれ、外じゃあ絶対認可下りないぜこんなOS」
「倫理委員会が黙っていないでしょうね」
「β版でこれか。完成したら一体どうなる事やら」
「流石よ、リッチェンス博士。今度の査定では口添えしておくわ」

 その言葉にリッチェンスは鼻腔を広げて得意げな顔をしたが「私だけでは到底無理でした、ラードルフ博士に大いに助けていただきましたので」と同僚をさり気無く立たせる事も忘れなかった。

「ラードルフ博士か……あの人がいてくれて本当に良かったな」
「ええ、今度私から直接御礼を言いに行きましょう」

 ナノマシン研究界の権威であるラードルフ博士はこの研究施設内での最年長者であるという事もあり、研究者全員から一目置かれる存在である。また、彼の功績をその欠片でも知る者ならば自然と頭が下がるような経歴の持ち主でもあった。

「ところでプロフェッサー、そちらの進捗はどうです?」

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「なんて事……」

 彼女は思わずモニターの前でそう呟いた。
 その顔面はただでさえ不健康そうであるというのに、今ではより一層その危うさに拍車がかかっていた。
 もとより血の気の薄い顔はまるで蝋人形のように青白くなり、今にも倒れそうなほどだ。
 彼女の右手の人差し指はまるでそれ自体が意思を持っているかのようにキーボードの上を滑ると、デリートキーの上でピタリと止まった。よく見ればカタカタと小刻みに震えているのが分かる。
 彼女は怯えていた、自分の弾き出した答えに。寝る間も惜しんで手に入れた答えは、どうしようもなく残酷な事実を彼女の目に付きつけた。

「おいーす」
「!」

 突然部屋に入って来た斎藤の姿に心臓が止まるほど驚きながら、彼女は何食わぬ顔でファイルを切り替えた。
 切り替わった画面に映っているのは特に真新しい事も無いニュース映像で、キャスターが某無法国家で行われているPKFと現地軍との壮絶な武力衝突を報じていた。

「ノックくらいしたらどうなの?」
「まあまあ、日本人には元々ノックの習慣は無い事だし」
「ここは日本じゃないわ。ローマに来たならローマ人のようにしなさい」
「そりゃどうもすいませんね。それにこの扉じゃノックしてもあまり意味がないような気がするけど」
「じゃあインターフォンを使いなさい」

 いつもの様に会話をしながら、彼女は過去にこの部屋へ彼が入室できるようにセキュリティを変更した事を呪った。
 画面に表示されている内容こそ変更したものの、そんなものはちょっと触れればすぐにまた変更できる。
 今にも彼がひょいとデスクを跨いできて「なんだこれ」とでも言ってこれを見てしまわないかと、彼女は平静な外面の中で張り裂けるほど心臓を高鳴らせていた。

「ああそうそう、実はこの間いい豆が入ったのよ。どう?」
「おお! 薫さんがわざわざ「いい」何て言うからにはよっぽどだな。是非お願いします」
「ええ、ちょっと待っててね」

 彼が手近なソファに座ったのを確認してから、不自然に見えないほどのさり気無さで彼女は件のファイルに厳重なプロテクトをかけてその場を離れた。

「ブラックでいいわよね?」
「えーと……」

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

「その、非常に言いにくい事なのだがね……」

 そう言って、選考委員長は決まり悪げにその薄い頭髪を撫でた。

「プロフェッサー・タチバナ、君の受賞なのだが……その、随分先の事になりそうなのだ。わかるだろ? つまり、順番というものがある。悪い言い方だが、現在受賞を待っている人々の中には、その、なんというか……」
「老い先短い?」

 その直裁的な物言いに彼はギョッとした顔をして、部屋の中には二人以外誰もいないにもかかわらずキョトキョトと周囲を見回した。

「あ、ああ、まあ、そういう事だ。幸い、君はまだまだ若い。少々受賞が遅れるくらいかまわんだろう。いや、むしろそれだけ若いうちから受賞してしまってはおかしな注目が集まってしまう。やはりここは、まだ身軽なうちに色々としておくべき事があるのではないかね? やはり、最年少受賞となるとマスコミが五月蝿いからな」

 その勝手な言い分に彼女は内心苦笑を漏らした。マスコミが五月蝿いくらい一体なんだと言うのだろう、どうせ彼らは彼女の研究内容の万分の一も理解出来ない。散々騒いだ後はコロッと興味を失うはずだ。
 そうすれば後は好きなように研究が出来る。
 だと言うのに彼が随分遠まわしに選考の遅れを――或いは自発的な辞退を勧めて――報せてくるのは、恐らく彼自身も後ろめたく思っているか、或いは本当に悪いと思っているのかどちらかであろう。
 本当の事情を隠しながら何とか納得して貰おうという涙ぐましい努力であったが、生憎と彼女は自分自身が「若すぎる」という理由と「東洋人」だという二つの理由で選考が遅れていることをある筋から聞いて知っていた。

「……分かりました。本来ならば選考内容をこうやって漏らして下さること自体が異例の事だと理解しています。私は別にそれほど急いでいるわけではありませんので、受賞が数年――或いは十数年遅れても仕方の無い事だと思っておきます」

 その言葉に、彼はあからさまにホッとした様子で頷いた。

「よかった、それを聞いて安心した。ああ、ところで」

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「嬢ちゃん、さっきからなに読んどるんや?」
「えっ」
「なに読んどるんやって」
「え、えっと……」

 突然話しかけられた彼女は、顔全体で「びっくりした」という表情を作ったまま分厚いハードカバーから目を上げた。
 平日の図書館は大量の本独特の香りと静謐な静けさに包まれていた……少なくともついさっきまでは。
 自習スペースに座って高次元世界間における素粒子移動現象を紐解きながら、偉大なるリサ・ランドール博士の偉業に心躍らせていた所を突然現実の世界に引き戻された彼女は、いつも両親から言われている「知らない人から話しかけられても返事をしちゃいけません」という言葉をすっかり忘れていた。

「こ、これ。です」
「……」

 彼女が差し出した分厚い専門書を、突然話し掛けてきた男はまるで「イギリス人だと思って話しかけたらインド人だった」とでもいうよな顔で眺め見た。
 男は痩せ型でひょろりと背が高く、彼女にとってはテレビの中でしか聞いた事の無い、馴染みの薄い方言で話していた。
 身に着けているスーツはまるで繁華街のポン引きかホストのように着崩し、焦げ茶色の髪の毛はまるで馬の尻尾のように頭の後ろから肩越しに前まで垂れていた。
 それまで両目を覆っていたレイバンのサングラスを外すと、その下からは見開いた本を薮睨みする大きな三白眼が現れた。
 見れば見るほど怪しい風体の男である。
 少なくとも、平日の図書館で楽しく過ごすような人物には到底見えなかった。

「あかん、さっぱり分からん。嬢ちゃんホンマにこれ分かるんか?」
「は、半分くらいしか」
「半分も!」

 男は「ひえー」とやや大げさに驚いて見せた。

「いーつも楽しそうになに読んどるんやろ思とったら、こんな小難しい本やったんかい。四六時中こんなもん読んでて頭疲れんか?」
「えっと……あんまり」
「小説とか読まんのか?」
「あんまり……」

 実際は「全く」であったが、彼女は少し控えめに答えた。
 男は彼女の答えにまたしても驚くと「そらあかん、あかんで。あきまへん」と一人でブツブツ呟くと、足元に置いていた鞄から一冊の分厚いハードカバーを取り出した。

「これ、貸したるさかい。いっぺん読んでみ」
「え……これは?」
「おう、それはな――」

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

「かけたまえ」

 そう言われて、彼女は目の前の使い込まれたアンティークの椅子に腰掛けた。
 そこはただ白い世界が延々と続く異様な空間で、彼女はぼんやりと四方に伸び続ける果ての無い世界を眺めた。
 この広大無辺の世界に存在するのは彼女と椅子と、そして彼女の目の前に同じようにして腰掛ける異形のみ。
 異形は裾が鈎裂きになった禍々しく尖ったデザインのローブを身に纏い、その右腰にはどこかで見た覚えのある細剣が鞘に納まっていた。そして左腰には異形の手をデザインした長さ1ftほどの魔法の杖が吊るされていた。
 異形は怪しく緑色に光る両目で彼女をじっくりと見ると、常人ならば鼻があるべき所から顎にかけてまでを覆う触手状をした数本の口吻を揺らして「しゅるしゅる」と特徴的な音を立てた。

「随分と酷く断片化現象を起こしたようだな。わしが誰だか分かるか?」
「……誰でしょう。もう少しで思い出しそうで、思い出せません」
「ふむ……では、自分が何者かは分かっているか?」
「私は…………」

 彼女は言葉につまり、両手で頭を抱えた。

「わたし……わたしは……」
「……」
「私は……橘……橘薫……」
「よろしい、どうやら漸くよちよち歩きは卒業出来たな。おめでとう」

 そう言って異形は椅子から立ち上がり、後ろで手を組みながらこつりこつりと硬い靴音を立てて彼女の周りを歩き始めた。
 硬い靴音? ここは地面があるのだろうか。
 そんなふうにふと彼女が考えた瞬間、真っ白な空間がまるでパズルのピースを外していくかのようにバラバラと崩れ、その裏側から恐ろしく天井の高い書斎が現れた。

「おや」

 そう言って、異形は目を細めながら彼女の正面に回りこむと、そっと使い古された執務机を撫でた。
 その手つきには既に存在しない物を懐かしむ一種独特の寂寥感に包まれていた。

「わしの部屋だ。随分前に焼けてしまった」
「…………ここは、どこですか」
「クシュ=レルグ。我等混沌神殿に仕えるカオス・プリーストの聖地であり、また混沌の王国の王都でもある。……最も、今そこがどうなっているか、わしにも見当が付かぬが」

 彼女はごくりと唾を飲み込んだ。いや、飲み込んだ気になった。
 これは現実ではない。だが、ただの夢でもない。
 彼女は震える足を叱咤しながら立ち上がろうとして、そして気が付いた。
 足がある。二本の足が!

「あ、ああっ」
「焦るな、プロフェッサー。わしならまずは落ち着く事にするな。そして然る後に目の前の相手に質問をするだろう。それが最良で、しなければいけない事でもある」

 ごくりともう一度唾を飲み込み、何度か深呼吸をする。
 質問の内容をじっくりと吟味しながら、彼女は異形に向かって口を開いた。

「あなたは、クトゥーチク司教と呼ばれる方ですか?」
「然り。しかし思い出したわけではないな」
「はい。あなたは私を知っている?」
「然り。人間風に言うなら「ずっと前から」知っている」
「どういう意味です?」
「この空間では時間はあってないようなもの。有ると言えば有る、無いと言えば無い。だがそなたがあくまで肉体の存在する顕界の時の流れで語りたいのであれば、わしはこの状態となってから体感で100と1年経っている」

 彼女は今得た情報をしっかりと頭の中に刻み込んだ。
 今はまだ分からない事だらけでも、いずれこの情報が役に立つ時が来る。そう彼女は確信していた。
 そしてゆっくりと頭の中を整理して、彼女は漸く本題に入った。

「私は、帰れるのでしょうか? 或いは、元に戻れる?」
「後ろの質問は否だ。そして前者の質問はわしにも分からない」
「私はいったい何をすればいいのでしょう」
「その質問には答えられない」

 彼女は眉根を寄せた。
 そして慎重に問いかける。

「それは「分からない」という意味ですか?」
「否。答える事が出来ないのだ」
「では、分からないわけではない?」
「その質問にも答える訳にはいかない」

 彼女はイライラしてきたが、漸くこの「ゲーム」の要旨が見えてきた。
 つまり目の前の異形はある特定の質問に対しては答える事をしたくない……或いは何者かに禁止されている。
 彼女はぺろりと唇を湿らせて、更に慎重に質問を繰り返した。

「あの世界は現実ですか?」
「現実という意味が「見て触れる物質的世界」という意味ならばそうだ」
「私は何故あんな世界にいるのですか?」
「その質問には答えられない」
「今いるこの空間は一体なんです?」
「ここは幽世界(Astral Plane)にほど近い狭間の空間だ」
「私は自らの意思によってあの世界にいる?」
「そうとも言えるし、第三者による恣意的結果とも言える」
「その第三者とは?」
「答える事は出来ない」
「断片化現象とは?」
「世界を移動する際に、おぬしの方法では魂とその情報が断片化(フラグメンテーション)を起こすと言うのが問題点であった」

 彼女は思わず喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
 異形は先程までとは違いそのまま言葉を続けたからだ。

「いかな屈強な生物であろうとも、その魂が四分五裂してしまっては生きる事など適わない。そこでおぬしはその現象を上手く収める為の方法を編み出した……既に、思い出したのだろう?」
「……」

 彼女は酸欠になった魚のように喘ぐと、奥歯を噛み締めながら言葉を紡いだ。
 自ら考え出しておきながら、そのあまりの非人道的方法に血の気が引いたその方法を。

「その生物を基底現実に縛り付ける為には、どうしてもその世界の生物が持っている遺伝情報が必要だった。……遺伝子に「魂」の情報が刻み込まれていると認めるのは癪だったけど、一度認めてしまえば話は簡単だった。私は……私は……」

 ぐっと血の気が引くほど拳を握り締める。

「世界間移動と同時にその世界の生物と素粒子レベルから同期することにより、基底現実に繋ぎ留める為の錨にした。融合元の生物が持つ「魂」が、「世界を騙す」の」
「然り。おぬしは見事に世界を騙した。だが、結局死なぬ代わりにその魂に刻み込まれていた情報は断片化し、この擬似幽世界に散らばった」
「何故? あの理論ならば融合と同時に魂は完全な形を保ったはず」
「プロフェッサー、あの理論にはひとつ大きな落とし穴があった」
「それは?」

 異形はあのやけに耳に残る「しゅるしゅる」という音を立てた。
 どうやら、それは笑っているらしい。

「融合先の生物によって魂の強度は千差万別だ。わしはおぬしがやって来るのを知っていた。進んでわしの身体を明け渡した。だが、おぬしはそれでもなお融合時の衝撃に耐え切れず、魂の情報は四散した。わしの魂の強大さに耐え切れずにな。わしが飛び散ったそれを集めねば、今頃おぬしは混沌の海に溶けて消えていただろう」

 そこまで言って、異形は首を傾げながら口吻をしごいた。

「ふむ……混沌の海に溶ける……か。或いはそれも主の元へ近付く道のひとつかも知れぬが……生憎と今のわしにはそれを試す前にすべき事がある。残念だ」
「……出来ればその話は今度にしてください」
「そうしよう。さて、もう聞きたい事は無いか?」
「有りすぎて……どれを聞けばいいのか……」
「ふむ……」

 異形は壁際の巨大な本棚に歩み寄ると、その中から一冊の本を抜き出した。
 そして彼女の目の前に歩み寄ると、本の表紙を撫でながら語りかけた。

「おぬしは成すべき事がある。そしてその使命をこの場でわしが教える事はまかりならん。自ら考え、自ら思い出すのだ。世界は残酷で汚泥に満ちている、だがおぬしはそこでするべき事をやり遂げるまで休む事は出来ぬ。すべては定められた収束に向かって進んでいる、それは或いは破滅かも知れぬし更なる混沌かも知れぬ。それは分からぬ、それこそまさに主だけが知っている」
「……私は、もう人間には戻れないのですね。ミルクと紅茶を混ぜる事は出来る、でも、ミルクティーをミルクと紅茶に戻す方法はない」
「流石、聡明であるな」
「皮肉ですか?」
「まさか。わしは本気で言っている」

 そう言って、彼はひょいと彼女に向かって本を投げ渡した。
 慌てて受け取ろうとしたその本は、彼女の両手をすり抜けて胸の中心に溶けて消えた。

「わしが保管していた断片のひとつだ。狂気の波が多少は収まるだろう」
「……出来れば」
「うん?」
「出来れば、ずっとあのまま狂気の世界に浸ったまま何も知らずにいられたら……」

 異形は笑った。
 しゅるしゅると。

「それは元より無理な話。おぬしは「学ぶもの」だ、いずれ知識の泉への欲求が頭をもたげただろう。さあ、もう時間だ。行きたまえ」
 
 その言葉を契機に、またしても周囲の光景がばらばらと抜け落ちた。
 今度はその向こうに何者をも吸い込む暗黒の空間がぽっかりと顔を覗かせる。
 崩れ行く世界の中で、異形は彼女に背を向けながら「ああそうそう」と最後に付け加えた。

「あの銀狼とはあのまま親しくしておいた方がいい。あれはイレギュラーだが、プラスになる」

 一体どういう事かと問いかけようとして、彼女は声がでない事に気が付いた。
 それもそのはずだった、彼女の肺も、声帯も、とっくの昔になくなっていた。
 確かめようとした右手が、目の前で虚空に溶けて消える。

「主の加護よ、汝にあれ(May God bless you)」

 つぎはぎだらけの視界の中で、異形の右手がそっと机を撫でていた。






――――――――――――――――
クリスマス? ああ、キリストの誕生日がどうした?














仕事だよ畜生。



[13088] しゅっぱつ!…………あれ?
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:2e3902f9
Date: 2010/01/02 22:54
 ゆさゆさと身体を揺さぶられる。
 ああ、起こされている。また居眠りをしてしまった。
 一度意識が集中すると文字通り寝る間も惜しんで机に向かってしまう彼女は、よくそうやって机に突っ伏したまま寝てしまう事があったが、そのたびにこうやって起こされていた事を思い出した。
 意識が落ちてしまった時のために目覚ましをセットしているはずだが、それに気が付かない事が良くある。
 その為に眠気が出てきた時には傍に控える彼に「時間が着たら起こしてね」と頼むのだが、そんな時はいつだって彼はそっぽを向いてこちらの声に無反応でつんと澄ましているものだった。
 そのくせ、時間が来ても彼女が起きなければちゃんとこうして起こしてくれるのだから、彼女はいつも彼に感謝していた。

「おい、起きろ。行くぞ」
「…………ぁ」

 ぼんやりとぼやけた視界の中で、灰色の狼が彼女の顔を覗きこんだ。
 寝起き特有の滅茶苦茶の思考回路をした彼女は、目の前の顔をぼんやりと眺めた後「……マー君」と呟いた。

「あ? なんだ? 起きたのか?」
「……マー君じゃない?」
「は? 寝ぼけてんのか」
「まーくん? でも、違う? え?」

 混乱しながら自分でも分けの分からない事を呟くと、目の前の彼はやおら溜息をついて「だめだこりゃ」と肩を竦めた。

「おい、寝ぼけてないで早く立て。もう行くぞ」
「……まーくん?」
「そうだよ、ほら、立てるか?」
「……あれ?」

 何か違う。だが何が違うのか良く分からない。
 そんなもやもやとした感覚が彼女の頭の中をぐるぐると駆け回っていたが、やがてそれは溶けてバターになった虎のように液状化した果てに、頭の隅のどこかに溶け込んで消えてしまった。
 そうして彼女は何が違うのかようやくあたりをつけた。マーチの着ている装備が変わっていたのだ。
 先程まで身に着けていた普段着と違い、よく使い込まれたソフトレザーの上下につや消しのブラックに塗られたハードレザーの胸当て、そして両手には肘までをすっぽりと覆う金属製の篭手を装備していた。
 違うのはそれだ、特に他にはない。見ればすぐに分かる明確な違いだと言うのに、どうしてあんなに悩んだのだろうか。やはり、寝ぼけていたのだろうか。
 そんなふうに考えて、彼女は目を擦って起き上がった。
 そこは彼女が居眠りをする前と全く同じ光景で、カッサシオンの書斎にあった座り心地のいいソファの上だった。
 大寒波が襲ったアラスカ研究所の二階休憩所ではなく、リッチェンス博士の研究室でも、研究所にある彼女の自室でも、ましてやクシュ=レルグにかつて存在した《八つ裂き》の執務室でもなかった。
 またこうして彼女の魂に開いた穴が埋まっていく。抜け落ちた記憶と共にじわりと、言いようのない不安が彼女の心に広がっていく。それはまるで真っ白の半紙にぽたりと筆から墨を垂らしたように。
 その事実に言い知れぬ不安と期待を抱く彼女は、大きく溜息をついてからソファに別れを告げた。

「ごめん、ねてた」
「見りゃ分かるっての。行くぞ」
「ふぁーあぁい」
「欠伸しながら返事するな」

 コツンと軽く頭を叩かれて、カオルは「えへへ」と誤魔化し笑いでお茶を濁した。
 彼に促されて階下に降りると、既に準備を終えた他二人が待っていた。
 セレナの姿は最初にここに来た時に見たまま、白銀の装いが目にも眩しい鎧姿だったが、今度は上から黒を基調とした陣羽織を羽織っていたので少し地味な印象を与えた。
 ……もっとも、その黒い陣羽織が敵の返り血を目立たなくするために元来存在すると知れば彼女は戦慄しただろうが。
 そしてその隣で小さな砥石でナイフを擦っていたカッサシオンの姿は、さっきまでの糊の利いた三つ揃いと一変していた。
 身体にピッタリとフィットするタイプの革鎧で、滑らかなブラックが窓からの明かりに当たって濡れたように光を反射していた。足元は爪先が金属で補強された頑丈そうな編みあげブーツ、手元は細かい作業がしやすいように指先が出たフィンガーグローブをはめている。
 腰元のベルトには大小様々なポーチがぶら下がっていて、その中に噂に名高い「盗賊の七つ道具」が入っているのだろう。
 前を留めてフードを被ってしまえばそのまま闇に溶け込めそうな色をした、こちらもダークグリーンのフード付き外套を纏っているが、今はフードは被らず前も留めていない。
 さっきまで身に纏っていた「やり手の商人」という姿を脱ぎ捨てて、その下から現れたのはどう見ても裏家業に精を出すキナ臭い世界の住人だった。
 彼は階段から降りてきた二人に気が付くとナイフを砥ぐ手を止めて立ち上がると、まるで手品のようにその右手から鋭いナイフをかき消して見せた。一体どうやって何処にしまったのか、彼女には見当すらつけられない早業である。

「さて、全員揃いましたね」
「ええ、それでは行きましょうか」

 軽やかな足取りでカッサシオンが外に続く戸を開け、全員が外に出るのを確認してから扉に鍵をかけた。
 カッサシオンとセレナが前を歩き、その後ろにカオルとマーチが同じように並んで続いた。
 通りの人出は先程まで多くはないものの、やはりそれなりに存在した。
 円形の公都を南の正門まで続く通りは緩く右手方向に湾曲している。その道を四人連れ立って歩く途中、不意にカッサシオンがおかしくて堪らないと言うふうに笑い出した。
 唐突なその様子に他の三人が疑問の視線を投げかけると、彼は「失敬」と謝って笑いを治めた。

「さっきすれ違ったご婦人を見ましたか?」
「いえ? 特に注意してなかったわ。どうしたの?」

 セレナが首を傾げてそう問いかけると、彼はくすりと笑った。

「私たち四人を見てあからさまに警戒していました――いえ、不愉快そうと言ってもいいでしょうかね。実は彼女は冒険者というやからに以前手酷くやられた経験がありましてね、それもその中の盗賊に。それ以来こういう――」

 彼は全員の格好を示して見せた。
 そしてその中でも自分の格好を特に指差してみせる。

「格好をした手合いを見るととたんに不機嫌になるようです」
「それがどうしたの? ここはあなたの聞き耳の腕を褒める所なのかしら。「あら、物知りね」って?」
「いえ、いえ」

 彼はそう言って、再度おかしくてたまらないと笑った。

「彼女、商人としての私の常連でして――上得意というやつです、何度も直接顔を合わせているんですが、そんな相手すらこうして服装を変えただけで私だと気付かず、唾を吐きかけそうなくらい嫌悪感を隠そうともしない……まあ、人間の観察力なんてそんな程度のものだと言うことです。人間と言う生き物がいかにいいかげんな生き物か、凄く良く分かるって物じゃありませんか」

 そう言って、彼はもう一度ニヤニヤ笑って肩を竦めた。
 その言葉に感心したように頷くセレナの後ろで、彼女の隣のマーチは呆れたような溜息を吐いてそっと彼女の耳に囁いた。

「よく言うぜ、手酷くやった冒険者ってのはテメェの事だぜ? さっきのババアからがっぽり裏の商売でせしめておいて、今度は表の商売でしこたま稼いでやがるんだ。絵に描いたような悪党だぜ」
「……もしかして、盗品をおもてで……」
「よく分かったな」

 なんと言うマッチポンプ。
 彼女は今更ながら目の前でずんずんと歩く男が正真正銘の悪党だと気が付いたが、外面は紳士的なのもムスカそっくりだなと変に納得したのだった。
 やがて一同は商業区から公都の玄関口である南街区に足を踏み入れた。
 基本的に公都に入る正規の入り口はこの南街区にある正門を通る必要があるため、外から来る人間たちはまずは絶対にここを通る。そのためこの場所には冒険者や旅人相手に商売をする宿屋、露天、賃貸住宅、酒場やカフェなどが軒を連ねていた。
 ここまで来ると彼女達の格好はむしろ周りに溶け込んで目立たなくなった。
 門まで後少しという所までやって来た時、突然セレナが「あっまず」と呟いて回れ右すると後ろのマーチの背中に回りこんで身を縮めた。そうしていると元々マーチの体格がいいせいもあって小柄な彼女はすっぽりと隠れた。
 が、残念ながら遅きに失したらしく彼女が身を隠そうとしたらしい相手が真っ直ぐこちらに向かって近付いてきた。
 中肉中背といった風情の人族の男性で、その身を包んでいる僧服からして僧職にある人物だと見て取れた。年の程は20をようやく超えたくらいであろうか、若々しい覇気を僧服に詰め込んだ青年だった。
 彼は明らかに怒りを湛えた顔でマーチを回り込むと、顔を伏せて無駄な努力をするセレナの横で「ごほん」と空咳をする。
 セレナはその咳にびくりと肩を揺らした。

「ビショップ・セレナ、少しお話を伺わせて頂けないでしょうか?」
「ひ、人違いです」

 その返事に、青年の両目がカッと見開いた。

「この私が貴女を他の誰かと見間違えると、本気で思っておられるのかっ。いいから顔を上げなさい、見っとも無いっ」
「うぅ……」
「第一、そんな格好でほっつき歩いて、ばれないと思っておられたのが不思議でなりません。現在公都にその黒いベレー帽を被ることが許されているのはたった三人しかいないのですよ」
「う……」
「ほら! しゃきっとしなさい!」

 殆ど無理矢理に顔を上げられた彼女は、そこでようやく青年の顔を正面から見た。
 そうして彼女が何か言おうとした瞬間、殆ど有無を言わさず青年が彼女の手を取って歩き出した。
 セレナはギョッとした顔をするが、もっと驚いたのは見守っていた他の面子だった。慌ててマーチが青年の前に回りこむ。

「ちょっと待ちな、今連れてかれちゃ困るんだよ。話がしたいならクエストが終わってからにしてくれねぇかな」

 青年は目の前のマーチを見て鼻で笑うと、懐から取り出した金貨を彼の足元に放った。
 ちゃりんと澄んだ金属音を立てて石畳に転がった金貨を見て、マーチの眉間に皺が寄る。

「何のつもりだ?」
「それを拾って何処へなりと申せるがいい、公都の秩序を乱す乞食同然のゴロツキめ。彼女はお前たちのような薄汚い野良犬と付き合うような時間は一秒たりともないのだ」
「――いい度胸だクソが」

 その瞬間に彼の全身から膨れ上がった殺気に、カオルは思わず息を呑んだ。
 彼の全身を包むソフトレザーが殺気と共に膨張した筋肉で張り詰めると、荒事の空気を察知した人々がサッとその場から引いていく。
 そこにいたのは彼女が今まで見てきたお人よしで、優しい人狼のマーチではなかった。牙を剥き出しにして闘争本能を隠そうともしない一匹の飢えた獣だ。まさに餓狼。獲物を引き裂く事だけに全てを研ぎ澄ます狩人の姿だった。

「ほう……」

 それに相対した青年は少しも怯んだ様子を見せず、セレナの手を取っていた右手を離すとマーチと正面から向き直った。

「少しは出来るようだな」
「失せな、二度目はねぇぞ」
「ほざけ、野良犬め」

 その瞬間、振り抜かれた拳がぶち当たり通中に金属同士がぶつかる硬質の音を響かせた。
 金属の篭手に包まれた彼の右拳は、青年の顔にぶつかる寸前で半透明の何かに防がれている。
 驚きに固まる彼を見て、青年は笑った。

「そら!」
「ぐっ」

 半透明の何かは唸り声を上げながら彼が防いだ両腕の上から強烈な打撃を叩き込んだ。
 みしりと骨が軋む音が聞こえそうなほどの強烈な一撃で、3フィートほど後退した彼は驚愕の表情で青年と、それを守るようにして空中に浮かぶそれを見た。
 一言で言うなら中に浮かぶ人間の上半身だ。ただ、その大きさが巨人のようである事と、まるで霧か霞のように半透明であることを除けばであるが。
 驚愕に固まるカオルはなんとなくその姿を見て金剛力士像をイメージした。
 事実、その表情といい逞しい筋肉といい、日本の仏閣によく立っているそれにそっくりである。

「霊媒師(Holy Mediumer)か!」
「その通りだ、降参した方が身のためだぞ。私のヴァロースは手加減が下手だ」
「……」

 一触即発の空気が辺りを包み込んだ。
 マーチは注意深く構えを取りながらじりじりと隙を窺い、青年は先程の一撃を防がれた事が驚きだったのかこちらも慎重に相手の出方を見守っている。
 そこでようやく我に帰った彼女は、この事態を何とかしようと当事者の一人であるセレナを見たが、セレナは真っ青な顔のまま今にも倒れそうな様子である。
 それならばと振り返ってカッサシオンを見るが、こちらはニヤニヤと楽しそうに笑いながら細身の投げナイフを弄んでいる。事態を積極的に収める気がない事はそれだけで明らかであった。
 どうしよう、どうしよう。彼女の思考が空回りする。
 こんな時に限って司教は表に出てこない。それが《狂気の反転》の判定に失敗したからなのか、それとも発動する条件か何かがあるのか、例の「声」が聞こえなくなっているために彼女には分かりかねた。
 思わず唇を噛み締める。あんなに鬱陶しく思っていた声だが、なくなった途端に必要になるとは随分な皮肉だ。
 やがて一触即発の空気が限界まで張り詰め、周囲の観客が息を呑んだその瞬間に天の助けがやって来た。

「スタァァップ! 屑の犯罪者共が、ゆっくりと両手を頭の後ろに組んで這い蹲れ!」
「どけどけ!! 貴様等! 天下の往来で何をしているか!」
「散れ! 野次馬め!」
「俺の公都で犯罪を犯すクソッタレはどいつだ!」

 鎧に身を包んだ衛兵達が大声で怒鳴りながら観客を散らして走り寄ってくる。
 ガチャガチャと鎧を鳴らしながら殺気立った様子で走ってくる彼らを見てマーチは構えを解き、それとほぼ同時に青年も彼を守っていた半透明の巨人を消し去った。
 やがて衛兵達の先頭を走っていた男がやって来る。
 その姿を見て彼女は思わずギョッとその姿を見回した。最初は目の錯覚かと思っていたが、そうではない。その身長は明らかに成人男性の平均よりもかなり低く、その代わりにまるで筋肉と金属で出来た達磨のようにがっしりと横に太い。
 鋼鉄の全身鎧と兜に包まれ、その顔面には綺麗に三つ網をした立派な髭が蓄えられていた。
 鉄と大地の妖精族、ドワーフである。
 御伽噺の中の存在がまたしても現れた瞬間であった。

「そこになおりやがれ、犯罪者め! それとも抵抗するか? 俺はそっちをお勧めするがな!」

 そう言ってドワーフは腰に佩いていたサーベルを抜き放った。
 まるで墨を流し込んだような真っ黒の刀身が傾きかけた太陽の光に照らされてぬらりと光る。

「ま、待ってください!」
「あぁ?」

 そこでようやく再起動したセレナが衛兵の前に出る。

「騒ぎを起こしてしまった事は謝罪いたします」
「謝罪ですんだらガードはいらねぇんだぜ」
「承知しています。ですがどうか手荒なまねは……」
「けっ! 勝手に騒いでおきながら随分とまぁむしのいい――」

 そこまで言ってドワーフはセレナの黒いベレー帽とその陣羽織に気が付いたのか、まじまじとそれを見た後に彼女の尖った両耳と自分とそう変わらない身長を見てギョッと身を引いて息を呑んだ。

「あ、アンタまさか――」

 そう言って二の句が告げられない様子で絶句したドワーフを、後ろに控えていた人間の衛兵が不振そうに声をかける。

「ガンツ曹長、拘束しないんで?」
「ば、馬鹿! 出来るかそんな事! 常識で考えろ!」
「こ、ここは全員拘束するべきでしょう、常識的に考えて」
「馬鹿! 死にてぇのかっ」

 ごつんと胸元を叩かれた衛兵は何故怒られたのか理解出来ずに目を白黒させた。
 セレナに向き直ったガンツ曹長は、やや改まった様子でセレナに話しかけた。

「あー穏便に済ませたいというそっちの意向は分かった。けどこんだけ騒ぎになって、そっちの若いのは魔法まで使ってる。事情聴取に来てもらわねぇとな」

 そう言ってセレナの後ろにいる僧服姿の青年に目線を移すと、青年は先程までの傲慢な様子を欠片も見せずに頭を下げると「申し訳ありません、自分が挑発してしまって事態が大きくなりました。先に手を出したのは私で、この獣人は正当防衛です」と証言した。
 この発言にマーチは呆気に取られたようにポカンと口を開けた。
 セレナも驚いた様子で後ろにいる彼を見た。
 唯一、カオルの隣で事態を見ていたカッサシオンだけが不審そうに眉根を寄せる。

「事実か? それならまあ、お前と仲間は別に来なくていいぞ」
「あ、ああ、まあ」

 もごもごとはっきりしない返事をマーチがすると、青年が更に一歩進み出てセレナの横に立った。

「曹長、事実です。ついかっとなってしまいました。詰め所まで上司と一緒に同行します」
「そうか、分かった。おい! 引き上げだぞ!」

 その瞬間、カッサシオンが舌打ちと共に「やられた」と呟いたが、その意味をすぐに彼女も知る所となった。

「二人とも、俺の前を歩きな。詰め所まできてもらうぜ」
「では、ビショップ・セレナ、行きましょうか」
「あ……っ」

 しまった! という顔をセレナがする。
 すべては巧妙に仕組まれた事だった。まずマーチを挑発して喧嘩沙汰を起こし、ガードを招く。そしてその場ですぐに事実と違う自供をして自分が一番悪いのだと衛兵に告げる。マーチはわざわざそれを指摘してしまえば自分が先に手を出した事を言わなければならなくなり、結果的には口をつぐむ。
 そしてセレナが弁護のためにでて来る事も織り込み済みだったに違いない。この場にいる五人の中で僧侶然とした姿の二人は浮いて見える、そしてそんなセレナがもう一人の僧侶を庇う――実際は少し違うが衛兵にはそう見える。この時点で衛兵は頭の中で僧侶二人と冒険者三人という図式を勝手に作ってしまう。
 そんな中で青年がセレナと肩を並べて言った「上司」という言葉に、衛兵の印象は完全に固まってしまった。
 こうなってしまっては今更事実を言った所で「なら全員ツラ貸せ」と言われるだけなのは分かりきっている。
 それでもやはり納得できないマーチが声を出そうとするのを、カオルはその手を引っ張って押し留めた。

「なんだよ!」
「みて」
「あ?」

 顔を前に向けた彼が見たのは、申し訳なさそうな顔でこちらを見ながら衛兵と青年に見えない位置で右手の指をそれとなく動かすセレナの姿だった。
 その指の動きを見て、マーチは怒らせていた肩を降ろして溜息をついた。

「なんて?」
「……すぐに追いつくから、先に言ってろって」
「さて……どうしますか?」

 面白そうな顔でカッサシオンがそう水を向ける。
 一体何がそんなに面白いんだ、この野郎め。マーチの両目がそう言っている。

「これだけ見事に一本取られたのは久しぶりです。いや、冒険者と言うのはやはりこうでないと、刺激がありますね」
「…………出発する」
「彼女を信じると? あのねちっこい取調べで有名なブルーノ・ガンツ曹長の調書がそんなにすぐ終わると言われる?」
「俺は信じるっ、文句あるか!」
「いえ、ありません。行きましょう」
「へ?」

 予想と違うその答えに思わず間抜けな声を出す彼に、カッサシオンは肩を竦めて見せた。

「この状況で適当な憶測を彼女は言わないでしょう。何か手早く終わらせられる確信があるに違いありませんしね」
「それにセレナはお前みたいに嘘つきじゃねぇ」
「その通り。分かっているじゃないですか」

 皮肉も通じぬその様子に悪態をついて、彼は傍らで不安そうに立つカオルを見た。

「行くぞ。大丈夫だ、セレナは追いつく」
「……うん。行こう」
「おう」

 初っ端から僧侶不在で出発という、なんとも先行き不安なクエストであった……。



[13088] しんわ 1
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:01367de9
Date: 2010/01/08 00:41
 門の外で待機していた馬車に乗り込むと、一同は一路目的地に向かって進んだ。
 カッサシオンの用意した馬車は冒険者が使うには随分と金のかかった代物だったが、そことについて不満は当然ながら出なかった。特にカオルにとって快適な移動方法に慣れていた事もあってか、以前乗ったマーチたちの馬車はお尻が痛くなって仕方なかったので、しっかりとスプリングが利きクッションまで完備されている馬車に文句など出るはずもない。
 カッサシオンが御者を買って出たのでカオルとマーチは馬車の中で膝を突き合わせていた。
 話す内容はついさっきカオルが「文字を教えて欲しい」といったので簡単な読み書きの練習だ。

「で、これが形容詞、ここの単語にかかってくるんだ」
「ええ、と、じゃあこっちのこれがこの場合はせつぞくしの役割?」
「そうそう、なんだ、知ってんじゃねぇか」
「ふふふ、かんたんなすいそくだよ、ワトソン君」
「誰だよ」

 呆れとも感嘆とも付かないため息をついて、彼は大きく伸びをした。
 勉強を始めて3時間ほどたったが、カオルは凄まじい速さで文字を習得している。本当に文盲のなだろうかと首を傾げていると、ふと目を移した彼はギョッと目を剥くとともにこの異常な習得の早さをある程度納得した。
 彼女は昼の買い物で手に入れたメモ用紙にカッサシオンから貸してもらった万年筆ですらすらと文字を書いていた。
 驚いたのはその文字だ、彼女は彼が教えた文字だけではなく彼が見た事もないような文字を――その殆どは文字というよりも記号のような複雑なものをギッシリと書き込んでいたからだ。
 恐らく彼女が言う「字が読めない」という言葉は「帝国公用語が読めない」という意味だろうと彼は納得した。
 そしてじっと彼女の横顔を眺めると、いつもふやけそうな笑みを浮かべている顔は弛みの影もなく引き締まり、真剣な顔でしかも凄まじい速度でメモの白い空間を大量の文字で埋めている。
 この世界で文盲の人間はかなりの数に上る。帝都とその衛星都市圏といった首都圏ならばいざ知らず、その他大勢を締める農村圏は100人を越える規模の村で二、三人読み書きの出来る人間がいればいいほうといった按配である。
 また、四則演算すら満足に出来ない人間も大勢存在するため、悪徳商人が代金を不正に誤魔化して農村部から恐ろしい低賃金で収穫物を買い叩くような事件が多発している。
 そのことを憂慮する勢力は確かに存在しているが、そういった違法行為を正すための法律は帝都の上に届く前に有力商人に抱きこまれた議員によって握り潰されるのが常であった。
 閑話休題。
 つまりそんな世界で読み書きが出来るというのは水準以上の教育を受けた階級――つまり貴族か、商人か、あるいは僧侶と言うパターンが普通である。
 かくいうマーチも故郷から飛び出した時には完全な文盲で、公都に来てから文字を覚えた口であった。
 そんな彼は自分よりも明らかに頭のかわいそうな様子の彼女がすでに文字を――例えそれが異国の物であったとしても――読み書き出来るという事は驚愕と共に多少の嫉妬を彼に抱かせた。
 何でこんな馬鹿が? そんなもやもやとした気持ちのまま彼女の横顔をじっと見つめていると、視線に気が付いた彼女はふと視線を上げて彼を見た。
 彼女は彼の射る様な視線にどぎまぎと視線を泳がして、その白い頬を髪と同じ薄ピンクに染めて彼の視線から逃れるように顔を伏せた。

「な、なに?」
「……いや、別に。なんでもねぇ」
「??」

 不思議そうに首を傾げる彼女を見て、彼はまた小さく溜息をついた。
 どうやら、馬鹿に見えてそれなりに賢いようだ。そんなふうに分析して、彼は雑嚢から焼き菓子の入った袋を取り出した。

「お? なにそれ」
「クルツスだ、食うか?」
「ほしい」
「ほれ」

 1インチ四方くらいの賽子状に固めた焼き菓子で、すり潰したアーモンドを混ぜただけのシンプルな味だ。何処の雑貨屋にも置いているポピュラーなお菓子だが、有り触れているだけに作り手が上手いか下手かすぐに分かるため「クルツスのまずい店は全部まずい」という格言があるくらいだった。

「さて、休憩がてらなんか話そうか、何がいい?」
「ええと……」

 二人してクルツスを食べながら、彼女は一瞬視線を迷わせてから「よし」と小さく呟いた。

「じゃあ、神話がききたい」
「神話か……俺よりセレナの方が詳しいんだが、それでいいか?」
「うん」
「よし、じゃあまずは――」


――――――――――――――――――――――――――――――――


 昔々、まだ世界が今の形になるよりもずっと前の話です。
 世界には命の一欠けらすらも存在せず、ただ真っ赤に焼けた溶岩と灼熱の空気が支配する死の世界でした。
 そんな中、一人目の神様が生まれました。
 神様の名前は混沌神「ラ=ガレオ」。
 後に誕生する全てを内包しながら何も無い状態だった世界から生まれたこの神様は、ただじっと世界が冷えて固まり、海が生まれ、空気が生まれ、世界に命が生まれるまでずっとずっと世界を見続けました。
 やがて世界が安定してくると、次々に新しい神様が生まれました。
 太陽神「テファレス」
 暗黒神「シュナウクァ」
 大地母神「レティオウス」
 大海神「リムオール」
 雷神「シャグラ」…………。
 数え切れないほどの神々が生まれ、世界は俄かに活気付きました。
 やがて神様はそれぞれが集まってこんな事を話し始めます。
「この世界は随分と寂しい。もっと沢山の生き物を作って解き放てばもっと賑やかになるだろう」
 神様達はその意見に大いに賛成し、次々と新しい生き物を作り始めました。
 そんな中、たった一人だけそれに参加しない神様がいました。それは一番初めに生まれた神様である混沌神でした。
 混沌神の次に年長だった太陽神テファレスは、変わり者の混沌神を訪ねました。彼のほかの神様は混沌神を怖がって付いてこなかったので――なんと、傍若無人で鳴らした暗黒神すら!――テファレス一人で混沌神が篭っている東屋へと赴きました。
 太陽神が混沌神を訪ねると、そこには最後に太陽神が見たまま、一人で歪な石の塊を磨く混沌神がいました。
「ラ=ガレオよ、なぜ我等がきょうだいと共に生命の創造に加わらぬのか。みなあなたがおらずに寂しがっておる」
 太陽神は他の神々と違って混沌神を尊敬していたので、一緒に生命創造の仕事がしたくてちょっとだけ嘘をつきました。
 しかし混沌神はその嘘をたちどころに見抜くと「テファレスよ、我はそのような馬鹿騒ぎに付き合うつもりはない。我がそれに加わればあるべき流れは乱れてしまうだろう」とすげなく断った。
 あるべき流れとは一体何かと太陽神は問いかけるが、混沌神はそれ以上何も語らずただ手元の鉱石を磨き始めました。
 それ以上何も語る気が無い事を太陽心はすぐに察し、溜息をついてその場を去ったのでした。
 そして何万年という月日が立ち、世界は今我々が住む形に随分と近付いてきます。
 そんな中、またしてもとある神様が全員の前でこんな事を言いました。
「世界は随分と生き物達の姿で活気付いてきた、だがどれも知性の乏しい獣ばかり。我々のように考え、話し、高度な事を出来る生き物を創ろうではないか」
 その言葉にまたしても神々は大賛成です。
 そうして神々が新しい命――暫定的にそれらは「人類」と名付けられた――をこぞって作り始めた。
 そんな中、太陽神はまたしても混沌神の東屋を訪ねました。
 混沌神はずっと前と同じように鉱石を磨いていたが、それは前に見た時と比べて随分と角が取れて丸くなり、夕焼けの光りを閉じ込めたような輝きを漏らしていました。
「ラ=ガレオ、我が敬愛する姉神よ、我等は新しく「人類」を作り出す事にした。今回はあなたにもぜひ参加して頂きたい。何故ならば今回の創造は今までのようなそれとは全く違う重みを持つからだ、人類達はやがて世界じゅうで様々な文明を作り出す事になるだろう。そのような種族を作り出す作業は難解を極めるに違いない、故にあなたにも参加して頂き、我々に助言をして欲しい」
 いつに無い真剣なその物言いに、混沌神はその瞬間初めて手元から目を上げて正面から太陽神を見ました。
 七色に絶えず色合いを変えるその両目が太陽神を見ると、混沌神はゆっくりといい含めるように口を開きました。
「かつてそなたに言った言葉をもう一度繰り返そう。我はそれには参加せぬ。なるほど、今度の創造は今までとは趣が違う。この世界に絶対者である神ではなくメインプレイヤー(この言葉をPlayerすなわち「世界で遊ぶ者」という意味なのかPrayerすなわち「祈祷者・信者」という意味だったのか、口語で伝えられてきた為にはっきりとせず今でも意見が分かれる)を生み出そうとするのだからな。だが、ゆえに我は尚更参加するわけにはいかぬ。そなた達は好きなように作り出すが良い、全てが終わった時にこそ我は動くだろう」
 そう言って、混沌神はもう一度鉱石を手に取りました。
 太陽神はガックリと項垂れると、ふとずっと気になっていた事を訊きました。
「混沌神よ、以前から磨いているそれは一体何なのだ」
「いずれプレイヤー達が必要とするであろう」
 それだけを言って、混沌神は太陽神に背を向けた。
 太陽神はまたしても混沌神が孤立を深めていく事に心を痛めながらも、東屋を立ち去りました。
 そして多くの神々が「人類」をつくりました。
 その中、美と芸術を愛するデオナッソスは美しく不死の命を持つ人類を作り出し、彼はその人類こそ自分の求めていたものだとしてそれらの人類の守護神となりました。そして自らその種族に「エルフ」と名付けました。
 それを見たほかの神々はこの「守護神」という考え方にすっかり感心し、皆は「最終的な決定」を待たずにそれぞれ「人類」を選び始めました。
 鉱物と力強さを司るデアモンデスは何者にも負けない力強さと、無骨な鉱石をたちどころに加工してみせる手先の器用さを持った人類の守護神となりました。そしてそれらを「ドワーフ」と名付けました。
 大地の生み出す豊穣を司るレティオウスは、大地の精霊たちと意識を交わし大地と緑を活性化させる人類の守護神となり、そしてそれらを「ノーム」と名付けました。
 新たな神々がそれぞれ何かしら大きな特徴を持つ人類を選び出していく中、太陽神だけは違いました。
 太陽神は誰も見向きをしない、彼らが「オリジン」と呼んでいた人類を選びました。
 オリジンは神々が人類を作り出す過程で用意した文字通り「元型(オリジン)」で、何の特徴も無い外見で、寿命も短く、特技や特殊な器官も何も無い、没個性ここに極まるような人類でした。そしてこの人類を「ヒューマン」と名付けてそれらの守護神となりました。
 そんな人類を選んだ太陽神を他の神々はいぶかしみました。暗黒神などあからさまに嘲って見せました。
 暗黒神は三番目に年長の神でしたが、自分が一番でないと気がすまない癇癪持ちで、しかもたいそうな意地悪でもあります。
 暗黒神は自分が選ぶ民は他の神々が選ぶどんな人類よりも優れ、またそれらを進んで攻撃するような残忍さを持つべきだと確信していました。
 どんな武器も弾くような強固な皮膚と、恐ろしい筋肉、空を飛ぶ翼、そして見るだけで恐怖感を植えつける容姿。彼は選んだ民に「デーモン」と名付け、それらに君臨する王となり彼らに神々の御業である魔法の力を教え込みました。
 そうしてすべての神々が自らの人類を選びましたが、ここで問題がありました。
 言うまでも無いことですが、神々の業を持ってすら人類の創造は至難の作業でしたので、その過程で様々な失敗作が生まれていきました。
 それらの失敗作は皆奇妙でおぞましい外見をしており、神々はそんな奴等の神になるなど考えもしませんでした。
 暗黒神ですらあまりに気味の悪いそれらの生き物を嫌っていて、配下のデーモンたちにそれらを攻撃するように命令する程でした。
 そして神々はもう一度一堂に会し、この厄介な生物達をどうするべきかを話し合いました。
 開口一番に暗黒神が「あの気色の悪い生き物をすべて消し去ってしまうべきだ」と息巻きました。
 そしてそれに反論したのが豊穣を司る大地母神です。
「如何なる理由があろうとも、あれらは我々が生み出した者なのです。気に入らないからと言って創った命を消し去るなど言語道断です」
 大地母神に賛同する神々は大勢しましたが、それでも暗黒神に同調する神々はもっと大勢いました。
 つまはじき者の失敗作たちは、勝手気ままに世界を動き回っては彼らの民達を殺したり、厄介事を作ったりしていたのです。
 会議は紛糾し、とうとう結論が「失敗作の浄化」というものに固まりそうになった瞬間、神々は驚きと畏怖に息を呑みました。
 いつの間にか彼らの中心に今まで全く姿を現さなかった混沌神が立っていたからです。
 神々の中でも比較的若い者たちは、その場で初めてその姿を見た者がいたくらいでした。若い神々はこの最年長の神を馬鹿にしている者が大勢いました、その理由は「一度も創造に加わっていないのはそれだけ力が弱いからだ」というものでしたが、そんな浅はかな考えはその本人を見た瞬間に吹き飛びました。
 混沌神は恐ろしいほどの力を持っていました。
 それこそ、その場にいた全員で力を合わせても勝てるかどうか分からない位の力です。
 混沌神が強大な力を持っている事を漠然と知っていた年長の神々も、これには驚いて腰を抜かしました。
「テファレス。どうやら事態は私の考えた通りになったようだ」
「どういう事でしょう」
「そなた達はあの哀れな生き物達を消し去ってしまうつもりのようだが、その必要は無い。なぜなら我があれらの神となるからだ」
 その言葉にまたしても神々は仰天しました。
 特に太陽神は驚き、必死に止める様に言いました。
 彼らの殆どは野を駆ける獣程度の知力も無く、ただ他の生き物を殺して食べるだけしか頭に無い連中である。そして彼らの神になってもあの不快な連中はあなたに感謝したり、崇めたりもしないだろうと。
「何を勘違いしている? 我はそなた等のようにあれら地を這うやつばらの信仰など求めていない。我は信仰の力など必要ない。何故なら我はそのようなものがなくとも力が残っているからである」
 その言葉に神々は多くの事に気が付きました。
 混沌神の力が強大になっているのではなく、自分たちの力が大幅に弱まっているのだという事。そして彼らの民から捧げられる信仰の力が彼らの糧となっているのだという事でした。
 世界創造の時と比べてみる陰も無く弱まった神々は、やがて実体を持って物質世界にいる事が出来なくなりました。
 魂だけの存在になって神界へと移った神々だったが、その中でも暗黒神とその配下の神々だけは違い、プライドの高い暗黒神は「他の神々と同じ」という単語が大きらいでしたから神界ではなく魔界を作り、そちらへと移りました。
 そんな調子の暗黒神でしたから、自分よりもずっと力を持っていてしかもいまだ物質世界にいる混沌神に対する嫉妬と憤激に駆られていました。
「いつか力を取り戻し、物質世界へと戻ってみせる。そして私の配下のデーモン達こそ世界を支配するのに相応しいのだ!」
 そう息巻く暗黒神の事など何処吹く風で、混沌神は極北の辺境で腰を落ち着けると相変わらずその手の中で宝玉を磨き続けました。
 こうして一部の例外を除いて神々は私たちの世界から姿を消し、第一期――即ち神々の時代が終わりました。
 そして物語は第二期――神々達による代理戦争が勃発する戦乱の時代へと移っていくのです……。



[13088] しんわ 2
Name: 桜井 雅宏◆d56b063f ID:19e06ab6
Date: 2010/02/27 16:11
 さて、世界から神々の姿が消えてから間もなくして地上は人類達の黎明期を迎えました。
 世界中の様々な場所でそれぞれの人類達が順調に文明を育んでいく姿を見て、神界に移った神々は自分たちがもはや物質世界に必要ない存在だと確信し、自分たちは神界から彼らに力を貸すだけに留める事にしました。
 どんどんと人類が文明を発展させていくなか、特に神々が驚いたのは太陽神が選び出したヒューマン達でした。
 ヒューマン達は確かに他の人類と比べて短命でしたが、多産で、意欲旺盛で、他の人類と積極的に関る好奇心がありました。ヒューマン達はあっという間に人類の中で一番数の多い種族となり、またその文化の多様性は眼を見張るものになりました。
 それに加えて信者の多さは翻ってその神の力となりますから、太陽神の力もそれに比例して高くなっていきました。
 他の神々は太陽神の先見性の高さに驚き、賞賛しましたが、当の太陽神は少々浮かない顔です。
「彼らが熱心に私を祈ってくれているのはわかるが、どうにも不安がある。彼らは随分と移ろいやすい人種のようだ」
 太陽神の懸念は当たり、ヒューマン達の中には自分たちの守護神である太陽神ではなく他の神々を崇める者が大勢現れました。
 これに神々は驚きましたが、自分の信者が増えているので特に不満はありません。でも、太陽神はこのヒューマン達特有の移ろいやすさが随分と危うく思えたのでした。

 さて、神々がもはや物質界に戻る気がないことは先程話しました。
 ところが、この決定が気に入らない神がいました。
 それは数々の眷族を連れて魔界に移った暗黒神たちです。
 暗黒神は強欲で自分勝手でしたから、世界中の全てのものが自分の物でないと気がすまない性質でした。
 彼は人類創造の時にデーモンを創りその王として君臨しましたが、ここに来て暗黒神は歯噛みしました。彼の作ったデーモン達はあらゆる点で他の人類を圧倒する能力を持っていたましたが、ただ一点だけ他のどの人類よりも劣った点がありました。
 それはデーモン達の繁殖力です。
 強靭な生命力と不死に近い寿命を持ったデーモン達は、それに反してほとんど皆無と言っていいくらい繁殖力がありませんでした。
 現在の神々の力が信徒たちによる信仰心を糧にしている以上、その信徒が多ければ多いほど神の力が増大するのは自明の理でしたから、この繁殖力の低さに暗黒神は焦りました。計算してみると、この調子では物質界に戻るまでに力が回復するのに20億年ほどかかってしまう事が分かったからです。
 いくら気の長い神々でもこんなに待てません。それに、数々の生物たちの勃興を見てきた暗黒神は人類たちがそんなに長く絶滅せずに続くかどうかも怪しいと思っていました。
 イライラとしながら思索に耽った暗黒神は、ふと名案が浮かびました。
「そうだ、テファレスのやつが率いているオリジン達は随分とすぐに増えるようだな。奴らを引き込んでしまえばいい」
 そうして暗黒神は配下のデーモン達に他の人類を堕落させて暗黒教団に改宗させるように命令しました。
 その中でも特にヒューマン達を狙うようにデーモンに命令すると、すぐさま暗黒神の狙い通りに結果となりました。
 ヒューマン達は短命ゆえに目先の利益に飛びつく悪癖がありましたので、死後にその魂が暗黒神のものになると知りながらも現世での安楽を求めて享楽に耽るために改宗する者が大勢出始めました。
 この事態に憂慮した神々は暗黒神に止めるよう呼びかけましたが、暗黒神は全く止めようともしません。
 暗黒神が直接的な手段――つまりデーモン達を使って他の人類の魂を刈り取るという蛮行を実行に移した時、とうとう事態は暗黒神の配下とその他の人類達による全面戦争へと移っていったのです。

 世界が混迷を極める中、ただ一柱だけ物質界に残った混沌神は相変わらず玉を磨いて過ごしていました。
 後に「ラ=ガレオの宝珠」と呼ばれることになるこの神宝を磨きながら日々を過ごしていた混沌神の元に、すでに神界へと移っているはずのテファレスが現れました。これにはさすがの混沌神も驚き、その後心配そうに太陽神を見やりました。
 何故ならば神々は何も好き好んで神界へと移ったわけではありません。肉の体を維持する事が出来なくなり、物質界に留まることが出来なかったからでしたから、太陽神がこの場にいる事自体が自殺行為だと混沌神は思ったためです。
「テファレスよ、そなたに我の忠告を聞くだけの意志が残っているのならばすぐにでも神界へと戻るが良い。まだそなたが消滅するには早すぎる」
「親愛なる混沌神よ、気遣いは無用だ。これは幻影を投射しているだけで、実際はここにいない」
 その言葉に混沌神は感心したように頷き、要件を促しました。
 太陽神は暗黒神がついに乱心し、他の神々の人類へデーモン達をけしかけてきたことを告げました。
 そして神々はそれぞれの民を率いて連合軍を編成してこれに対抗していることを告げたあと、不思議そうな顔で混沌神の東屋を見回しました。
「混沌神よ、崇拝者はどこにいるのだ?」
「そのようなものは存在しない」
「存在しない? しかしあの奇っ怪な生物達の守護神となったのではなかったか」
「少し行き違いがあるようだな、我はあれらの神となると言ったが守護をするとは一言も言っていない」
 この答えに太陽神は仰天しました。
「では、あのおぞましい生物達はこの世界に野放しに成っているという事ではないか!」
「そのうちに収まっていくだろう」
「では、あなたが何とかして下さるのか」
「我ではない」
「では誰が」
「その話はもう良かろう」
 混沌神はそう言ってソファに深く背中を預けて太陽神を見た。
「しかし……」
 神々の中で一番混沌神と付き合いのある太陽神でしたが、いまだにそうやって正面から混沌神の虹色の輝く不思議な目を見ると言葉に詰まってしまうのでした。
「そのような事を話しに来たのではなかろう。要件を話せ」
「では……。実は折り入って頼みたい事があるのです、姉上」
 真剣な顔でそう切り出した太陽神でしたが、混沌神がその真面目くさった顔つきに思わず吹き出してしまい長続きしませんでした。
 太陽神は顔を真赤にしていきり立ちました。
「いったい何がおかしいのです!」
「すまぬ、そなたを馬鹿にしたわけではない。ただ「姉上」などという言葉は久しぶりに聞くゆえな。そなたが生まれたばかりの時を思い出してしまった」
「そのような……」太陽神は目を泳がせました。「そのような大昔の事は今はどうでも良いのです。ただ我々はあなたに助力を頼みたいのです」
「シュナウクァを消滅させてくれと頼むつもりか、この我に」
「それは……」
 言葉につまった太陽神を呆れ顔でみやり、混沌神は太陽神から目線を外してまたしても玉を磨き始めました。
「興味が湧かぬ。そなたらで好きにするが良い。我がシュナウクァとその配下のゴロツキ共を消し去る事になんの有意義さも感じ取れぬ」
「……そう仰られるだろうとは思っていました」
 太陽神は苦笑いです。
 太陽神はこの返事を予想していたので最初から混沌神のことは勘定に入れませんでしたが、他の神々は彼らが物質界を離れることとなったあの日の会議を覚えており、当然ながらその時に感じた混沌神の強大さも忘れてはいませんでした。
 物質界に平然と存在したままの混沌神が味方に加われば、戦争などあっという間に決着がつくと神々が考えるのも無理のない話です。
 そしてその使者に太陽神を任じたのも、順当な考えでした。
 最も当の太陽神はそうは思えず、混沌神がこの戦争に介入する事はないだろうと説きましたが、神々は聞く耳を持ちませんでした。
「混沌神よ、そろそろ時間だ。どうかご壮健あれ」
「無茶はするなよ、テファレス」
 驚いた顔をしながら太陽神の幻影は消えました。毎度のように辞去の言葉を無視されると思っていたからでした。
 混沌神はしばらくの間じっと太陽神の幻影が座っていた所を見ていましたが、やがて視線を外しました。
 そうして混沌神はもう一度宝珠を磨こうとして、すでにそれが完成している事に気がつきました。
 混沌神は満足気にそれを眺めたあと、絹で飾った台座にそれを据えてから安楽椅子に横たわりました。
 数十万年ぶりに睡眠をとる事にしたのです。

 さて、世界が二つの陣営に真っ二つ別れての戦争状態となっている頃、そのどちらにも属さない勢力がありました。
 語るまでもなく、混沌神の加護のもとにあるはずの生き物たちです。
 彼らは見た目のおぞましさもさる事ながら、他の人類のようにある程度纏まった単一の種族でもなかったため、その実態は民というよりもモンスターでした。
 彼等は当然ながらどこへ行っても歓迎されず、常に対立と迫害の運命にありました。
 混沌の生物達は概して知能が低く、同族同士で小さな集団を作ることはあっても、それが集落や国といった組織立ったものになることはありませんでした。
 そんな時、混沌の生物のうちのある種族の個体が突然変異を起こしました。
 混沌の生物は神々が実験的に作り出した生物が多かったために頻繁に突然変異を起こしましたが、その時に起こったことはその中でも群を抜いていました。
 もともとのそれは食欲と繁殖欲のみでできた単純極まりない生物で、陸上を移動できる頭足類の仲間でした。
 ところが変異を起こしたそれは不完全ながら二本の手足を持っており、またその知性も標準的な人類と比べて何ら遜色のないものでした。また、新たに得た能力――被害者の脳髄をすすってその知識を増やしていくというそれを使って順調に知性を高めたあと、それはある事に気がつきました。
 彼等混沌の生物達が纏まりに欠け、一個の共同体――すなわち国を作ることが出来ないのは彼等を治める神が不在であるからだと。
 それは混沌の生物を統べる神を探し歩き、とうとう彼等の神――混沌神ラ=ガレオが極北の地に存在しているということを突き止めました。
 長い長い旅を経て極北の荒野に到達すると、そこには何者をも寄せ付けぬ強固な結界に守られた神殿がありました。
 神々にとっては取るに足らぬ東屋ではありましたが、地を這う定命の者にとっては見上げんばかりに巨大な神殿です。
 他の人類から恐怖の代名詞として「マインドフレイア」と呼ばれるようになったそれは、神殿の前にひれ伏して必死に混沌神に呼びかけました。
 極北の気候は生物が生きるに不便極まる場所です。マインドフレイアは徐々にその体力を失い、衰弱していきました。
 とうとうその生命が消え去るかと思われた時、精根尽きはてて倒れ伏していたマインドフレイヤの前に混沌神が現れました。
「我が永遠なる休息を妨げる汝はいったい何用があってここへ参ったのか」
 マインドフレイアは地面に這いつくばったまま混沌神の足元にひれ伏すと、祈りの詞に掠れきった声を搾り出して混沌神に呼びかけました。
「いと高き至尊の座におわす我らが神よ、どうかこの卑小で矮小な我の言葉をお聞き下さい」
「話せ」
「我ら混沌の生き物たちは貴女がお隠れになっているためにその崇高なる存在すら知らず、ただ心の柱もなく明確な指針もなくこの世界をさ迷い歩いております。どうか我ら混沌の勢力を救うべくそのお力の一欠片でもお貸し下さい。そして願わくば我らの頭上に君臨し、王となりて率いて下さい」
「ならぬ。我は力ある身ゆえこの物質界で何事もする予定はない。……少なくとも今は」
「それでは、我ら混沌の民はただ滅びる定めと仰られるか」
「そうではない。我ではなく汝が治めるのだ」
「私が?」
「然り」
 そう言って混沌神はあの気が遠くなるほど古代に生まれ、そして今の今まで強大な力を持つ混沌神によって磨き続けられた宝珠を取り出した。
「これを汝に与えよう」
「こ、これは……」
 マインドフレイアはその宝珠が内包する圧倒的な力に息を飲みました。
「これを使って民を治めるのだ。ただ、いくつか忠告を与えておこう。汝は賢明な輩のようだが、これを受け継ぐ次代の者たちがまた同じように賢明とは限らぬゆえ」
「お聞きいたします」
「一つ、この宝珠を使って汝自身の欲望を満たしてはならない。
 宝珠は強大な力と意志を持っている、おのが欲望を満たすためにそれを使えば必ずや望ましからぬ結果を生むであろう。
 二つ、この宝珠を用いて何かの「消滅」を願ってはならない。
 この全宇宙に存在する全ての物はその宇宙誕生の瞬間からその場に在る事が決定付けられているのだ。それをみだりに犯したものは、自分自身の、果てはこの世界そのものの消滅を促すであろう。
 三つ、宝珠が虹色に輝いている時にその力を引き出してはならない。
 虹色に輝く宝珠はこの宇宙の中心――混沌へと繋がっている。完全な力を持った神々でさえ、その領域へと足を踏み入れては消滅を免れぬ。混沌の力を軽々しく引き出すことを禁ずる。
 四つ、汝が力量を超えて宝珠を使うべからず。
 宝珠の力をどこまで引き出せるかは個人差が在る。その領分を越えて無理に力を引き出そうとすれば、汝は混沌の渦に飲み込まれその宝珠の力の一部となり果てるであろう」
 その四つのルールをしっかりと頭の中に刻み込んだあと、マインドフレイアは跪いたまま宝珠を受け取りました。
 受け取った宝珠はただ触れるだけでその未曾有の力を感じるほどで、マインドフレイアは興奮と恐れに震えました。
「主よ、私はこれを使っていかなる偉業を成し遂げるべきでしょう?」
「知らぬ。汝が決めよ」
 混沌神はにべもなくそう言い放つと、ローブを翻して神殿へと立ち去ろうとしました。
 そのあまりに突き放した言葉にマインドフレイアはうろたえました。彼はせめてこの神から何か指針を得ようと慌ててそのローブの裾を掴むという暴挙に出ました。
 振り向いた混沌神を見て、マインドフレイアは自分がしでかした行為に青ざめましたが、何とか言葉を紡ぎます。
「主よ! どうか我々に道をお示し下さい!」
「…………世界を単色で満たすなかれ。すべてはまだらであるべきだ」
 それだけを言い放って、混沌神は消え去ったのでした……。
 こうして、現在まで連綿と続く混沌の王国の礎が築かれたのです。



――――――――――――――――



「おい、聞いてんのか?」
「うぇ?」

 ギョッとして意識を覚醒させると、目の前にやや怒り気味のマーチの顔が迫っていた。
 どうやらウトウトとしてしまっていたらしいと彼女は気がつき、慌てて「き、聞いてました」ととっさに口走った。

「ほう? じゃあついさっきまでどういう話だった?」
「え、えっと、ガレオさんがタマをイカにあげるところまで聞いた」
「やっぱ寝てたんじゃねぇか!」
「あいたー!」

 ごちんと頭を殴られてカオルは涙目になった。

「フェルヴェス平原で暗黒神の軍勢と光輝神たちの連合軍が激突する所まで話しただろう! 一体どこから寝てやがった! 誰だ、ガレオさんってのは!」
「あ、あれー? れ、れんごうぐん?? き、きおくにございません」
「まったく……お前が聞きたいって言うから話してやったんだぞ。途中で寝るとかあり得ねぇだろ」
「ご、ごめんなさい」

 全くもって正論すぎるので、カオルは情けなくなって本気で頭を下げた。
 この体になってまだ日が浅いが、以前の肉体と大幅に変わったと同時にその精神のあり方もまた大きく変わってしまっている事に彼女は気づき始めていた。
 以前ならば話の途中に居眠りをするなど絶対に有り得ないと断言出来たが、なにやらこの体になってから始終頭の中に霞がかかっているような感覚がして、はっきりと覚醒状態に在るとは言えないような状態がずっと続いていた。
 昔の夢を見る前後は随分とましになるのだが、それ以外は基本的に思考能力が格段に落ちてしまうようだった。
 かと言って、それが言い訳になるかといえばそんな事は全くない。彼女はせっかく話してくれた彼の話を殆ど聞き逃してしまったことを悔やみ、唇を噛みながらギュッと手を握りしめて頭を下げた。
 そんな彼女の反応にマーチは殆ど狼狽と言って良い様子を見せたが、頭を下げたままの彼女には見えない。

「い、いや、別にまた今度最初から話してやるよ。お前も慣れない旅で疲れてただろうからな」
「……ごめんね」
「ああもう、いいっての。この話はまた今度だ」
「はーい。じゃあ、書き取りのれんしゅう」
「よし、再開するか」

 そうしてクエスト一日目は何事もなく過ぎていくのであった……。














――――――――――――――――
ドラル国戦史のあまりの超展開ぶりに泣いた。
いくらなんでもこのオチはあんまりだ……。
これ、向こうでは受けたのかな……?



[13088] れぎおーん
Name: 桜井 雅宏◆d56b063f ID:a6985db1
Date: 2010/02/27 16:12
 クエスト一日目は何の問題もなく過ぎ去って行き、カオル達一行は街道の途中に一定距離で設置してある宿場で一夜を明かすことにした。
 宿場制度は帝国が出来てごく早い時期に整備されたもので、殆どの国を横切っている大街道と大小幾つもの街道網によって支えられている。すべての街道宿場には最低でも帝国軍団兵一個分隊が常に詰めていて、街道間を一定のルールに沿って巡回しては不逞の輩を排除しようと目を光らせているのだった。
 そうして彼女たちが利用した宿場にも当然ながら厳しい顔つきをした軍団兵が詰めており、街道を行き来する旅人たちに少しでも怪しい者が居ないかとチェックを怠らなかった。帝国はこの大街道網を使った輸送貿易にて巨万の富を得ているだけあって、特に密輸や禁制品の輸送には厳しくチェックをしている。
 カオル達も宿場に着くなり無骨なレギオンズ・メイルに身を包んだ軍団兵のチェックを馬車ごと受けたが、御者のカッサシオンがなにやら金属製の札を見せるとほとんど軽い審査のみで終了した。
 カッサシオンいわく「備えあれば憂いなしとはこのことですよ」との言であったが、具体的にその金属プレートがどういった物なのかは推測するしかない。
 何はともあれ、宿場の中でも一番ランクの高い部屋で欲日に干されたフカフカの布団に包まれながらカオルは安堵の溜息をついた。
 冒険者という言葉を耳にした時から旅の時は野宿前提だろうと密かに覚悟を決めていたのであったが、整備された街道網と宿場制度という存在に感心すると共に認識を新たにする必要を感じた。この世界は一見欧州中世の世界によく似ているが、似ているだけで全く別の世界であるという事をである。
 ウトウトと眠りの世界に落ちる寸前、彼女は今では少しだけその存在を信じ始めた神様に向かって祈るのだった。
 神様、どうか夢を見ませんように、と。


――――――――――――――――


 そうしてクエスト二日目に事件は起こった。
 結局一日目の宿場でセレナが追いついて来なかった事に若干イラついた様子のマーチに、カオルは気後れして話しかける事が出来なかった。
 険しい顔つきで窓の外を睨みつける彼の向かいで、カオルは前日に教わった文字を使って書き取りの練習を繰り返す。
 馬車内に重苦しい空気が充満していく。何か話しかけなければ、でも一体何を?
 ぐるぐると堂々巡りになる思考のせいで全く勉強に身が入らない。
 それでも何とか意を決して話しかけようとした瞬間に、まるで出鼻をくじくかのようにがくんと馬車が止まった。

「ストップ!! そこで止まれ! それ以上進むな」

 荒々しい制止の声に思わず二人で顔を見合わせる。
 御者台に向かう窓を開けて前方を見ると、そこには予想外の光景が広がっていた。
 街道を塞ぐように展開したテント群と軍馬の群れ、そして鋼鉄の鎧に身を包んでその上から軍団兵の身分を示す真紅のチョッキを身に纏った帝国軍団兵の部隊だ。全員が忙しく動き回っており、ガチャガチャと金属同士がこすれ合う騒々しい物音と共に兵士達の真っ白の吐息が辺りに漂っていた。
 十分離れているはずなのに、カオルは馬車の中にまで彼等が身に纏った鋼鉄からただよう鉄臭さが充満するような錯覚に陥った。それほどまでに兵士達の存在は圧倒的で、敵対者を無慈悲に粉砕する荒々しさに満ちていた。
 馬車を制止した兵士は鎖帷子にブロードソードを装備した伍長で、右手に持った槍を威嚇するように掲げ持っていた。もし馬車が止まらなければ威嚇ではなく実戦でそれが使われるであろうことは、荒事に詳しくない彼女にも容易に見て取れた。

「軍団兵(レギオン)! なんでこんな辺鄙なところに集まってやがるんだ?」
「と、とりあえず出ていく?」
「そうだな。こりゃ宿場みてぇに簡単な臨検で済まなさそうだ」

 その両目に警戒心を満たしながらマーチが降りる。
 それに続いて彼女も馬車を降りると、ちょうどカッサシオンが伍長を相手に会話をしている所だった。

「駄目だ! 此処から先は封鎖されている」
「そこを何とか、お願いいたします。ここからほんの少し行った所なんですよ、目的地は」
「知った事ではない。一週間もすれば封鎖も解除される、それまで待つんだな」
「……一週間も待てません。こちらにも事情というものがあるのです」
「もう一度同じ言葉を繰り返して欲しいのか? お望みならば何度でも繰り返してやろう、それが軍団兵が市民に持つ義務と責任というものだ。……「知った事ではない」、どうだ、もう一度言ってやろうか?」
「いえ、十分です」
「そうだと思ったよ」

 カッサシオンはくるりと踵を返すと二人のすぐ側までやってくると、声を潜めて話し始めた。

「これは奇妙な話です。この街道は若干寂れているとはいえ隊商道の一つですよ、そんな所を一週間も封鎖すれば軍団司令部に商人ギルドから抗議の文書が矢のように降り注ぐに違いありません。もともと軍団兵は帝国街道の交通安全を守って帝国の富を貯めこむために創設されたんです――表向きの理由はですが。そんな彼等が手に入る金貨を道端に捨てるような任務につくなんて、どう考えてもおかしい。理屈に合いませんよ」
「つまりこういう事か、突然いつもと違う事をし始めた奴らは何か問題を抱えているって」
「少なくとも、こんな仰々しいやり方をするだけの事態が進行中ではあるみたいです」
「で、ここをどうやって突破する?」
「考えがあります。まあ、見てて下さい」

 そう言って、カッサシオンは楽しそうに笑った。
 彼は再度踵を返して伍長の方に歩いていくと、ことさら憐れっぽい口調で話しかけた。

「兵士さん、お願いしますよ。どうにかこの先に行けませんか? お固い軍団兵の方々も、我々の目的を知れば通してやろうという気になろうかと思うのですが」
「目的?」
「はい、実は我々はこの街道の先にあるサルシオン修道院に向かっているのです」
「サルシオンだと? あそこには――」

 そこまで言って、伍長は何か苦いものでも飲み込んだように顔を顰めて口をつぐみ、カオルとマーチの両方をチラチラと見た。

「どっちだ?」
「女性の方です、はい。まだ今は比較的軽度の状態なのですが、不幸な事故で肉親がすべて帰らぬ人となってしまい、恒久的に世話をする人間がいなくなってしまったのですよ」
「お前たち二人は一体なんなのだ」
「彼女の両親に生前契約を結んでおりまして、もし自分達に何かあった時は頼むと」
「ではなぜサルシオンに向かっているのだ! 死者との約束など守る必要がないと抜かすか」
「まさか! 兵隊さんは私がそんな非情な人間に見えますでしょうか? あれのためにわざわざこのような立派な馬車まで商人様にお借りしておりますのに」
「む……」

 一同が乗ってきた馬車は確かに冒険者が乗り回す類のものではなかった。
 これほど手入れが行き届いた高級品ならば維持費も馬鹿にならず、その日その日を食うや食わずの生活が暫く続くこともままあるような博打者の冒険者風情が乗り回すには、確かに少々無理のある話だ。
 馬車の存在がカッサシオンの言葉に真実味を与えたのか、伍長が一同を――特に何故かカオルを見る目には深い同情の色が混ざり始めていた。

「そうか……それで、なぜサルシオンなのだ? 頼まれていたのならばお前たちが共にいるべきであろう」
「はい、確かにその通りであります。私たち二人も当初はそう考え、冒険者時代に手に入れた少ない蓄えを切り崩して帝都の片隅に小さな家を借りて慎ましながら生活を営んでおりました。しかしながらもともと冒険者という荒事ばかりで稼いでいたろくでなしの男二人がいきなり堅気の仕事で生活していこうとしても無理があるというもの、もともと少なかった蓄えはみるみるうちに目減りしていきました。そうしてついに借家の賃金まで滞納するまでになり、ますます生活は厳しくなりました。それに加えて……」

 そこで彼はいかにも言いにくそうに言葉を濁した。
 伍長は無言で先を促すと、カッサシオンは溜息を吐きながらようやく続きを話し始める。

「その……このような事は実際我々と同じ立場になければご理解出来ぬ事とは存じますが……その……」
「話せ」

 そう促され、彼は苦り切った顔をして唇を噛むと、右手で額を覆って「おお、神よ」と嘆いてみせた。

「彼女のような……その……なんというますか、ああいった症状は段々と進行していくもので、一時的に遅れたり、あるいは停滞する事はあっても良くなる事はまずありません。日に日に進行して行くその様子に、共に暮らしている我ら二人の心も平安を得られず……もちろん、伍長殿に分かって頂こうなどとという偉そうなことは申しません、言い訳じみているという事も重々承知でございます。ですが――」
「いや、よくわかる」
「今なんと?」
「よく分かると言ったのだ。私も――」

 そこで伍長は思わずといった様子で言葉につまり、心なしか涙の滲んだ目でカオルの方を見てから正面に向き直った。

「私も、同じようにサルシオンへ入れた姉がいる。お主の気持は痛いほど分かるつもりだ」
「おお……なんということだ! これぞ神の采配というべきか…………お辛いでしょう。心中お察しいたします」
「いや……辛いのはお主達も同じだろう。誰しもみな何かしら重荷を背負って生きておるのだ。彼女たちは特別に我々よりも目に見えて重い荷を背負ってこの世に生を受けてきたが、神はそういった者たちにこそ恩寵を与えるのだ。……私はそう信じている」
「アーメン」
「光輝神よ、お恵みを……」

 事ここに至り、カオルは自分が今まさにとんでもない設定(バックボーン)を勝手に組み上げられていることに戦慄と共に気がついた。
 彼女は思わず隣のマーチにしがみつくと、ほとんど形振り構わないような必死さで問いかけた。

「な、なんなの、ねぇまーくん! なんのはなし? ねぇ、どういうこと?」
「大丈夫だ……大丈夫だからな……」
「こ、こたえになってないよ!? まーくん、ねぇ!」
「しっ……静かにしていなさい、分かるな? ほら、いい子だ」

 そう言ってマーチはそっと優しくカオルを抱きしめた。
 突然の事に彼女の脳味噌は熱暴走を起こした。

「はぁあ!? え、ええっ? なに? なんなの、いったい何が起こってるの!? ガレオさんヘルプ!」

 なんとなく頭の隅に「知らんがな」というニュアンスの答えが帰ってきたような気がして、カオルは真っ赤に火照った頭のまま諦めて大人しくなった。
 その年に見合わぬ舌足らずの声と落ち着きのなさを見て、伍長の両目は重苦しい悲哀と悔恨に染まった。
 思わず溢れてきた涙をチョッキの袖で拭うと、彼は無理やりカオルを視界の中から引き剥がした。

「分かった……そういう事情ならば致し方あるまい。だが最終的な判断をするのは私ではなく隊長だ。お伺いを立ててみるのでそこで待っていろ」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
「まだ礼を言うには早いぞ。中尉! ガミジン中尉! こっちへ来ていただけますか!」

 伍長がそう言って声を張り上げると、50フィートほど離れた先で数人の下士官と頭を突き合わせていた集団のうち、頭ひとつ飛び抜けた立派な体格の男性がこちらへ振り向いた。
 年の程は40を過ぎたくらいか、立派な鷲鼻と彫りの深い顔立ちは歴戦の士官を思わせるに十分な風格が漂っていた。
 身長も高ければ肩幅も広く、およそ常人ならば持ち上げることすら難しいであろう幅広のブロードソードを腰に佩いていて、全身をくまなく覆ったプレートメイルはなんども磨いた下にうっすらと幾つもの傷跡が残って見えた。
 男はきょときょと視線を巡らせるが、もう一度伍長が呼びかけると大きく頷いて………………すぐ隣で地図を広げて下士官達に何か言っている、こちらは逆の意味で飛び抜けた身長の人影の耳元に身を屈めて声をかけた。

「中尉、伍長が呼んでます」
「ああ!? なに?」
「ベリス伍長が呼んでますよ」
「あ? ボルテッカ! このクソが! テメェそんなもん私の耳元でささやくのが仕事か? ええ? 違うだろ、見て分かんねぇか、私は今吐き気がするくらい忙しいんだぞ。馬鹿どものケツを追い掛け回して片っ端から吊るして回るってぇいう最高に楽しい仕事でクソ忙しいんだ、分かってんだろうが、え?」
「しかしなにやら指示を求めていますが」
「はぁん?」

 下士官連中に指示を出すのを一旦中断してくるりとこちらを向いたその人物は、一言でいう「小さい」である。
 その隣でまるでそびえ立つ山脈のような体格のボルテッカと比べれば誰でも低く感じるが、それでも軍団兵の平均身長は6フィートから6フィート4インチというところで、どんなに低くても5フィート8インチは最低あるのが普通であった。
 ところが振り向いたガミジン中尉は4フィートあればいい方というとんでもない低身長であったので、隣にいたボルテッカの巨体のせいで完全に隠れきっている。厳しい鎧姿の偉丈夫達がうろつく軍団の野営地で、その姿はいかにも浮いていた。
 中尉は数瞬の間その視線を下士官と伍長の間で行き来させたが、最後には大きく溜息を付いて両手に持っていた地図を綺麗に畳んでバッグに詰め込んだ。

「四半刻休憩!! 解散! クソどもを速やかに引っ捕えてこい! ボルテッカ軍曹! お前はいっしょに来い!」
「イエッサー」

 本人はズンズンと偉そうに胸を張ってこちらへ歩み寄っているつもりだろうが、残念ながらその短い歩幅のせいでズンズンというよりも「ちょこちょこ」か或いは「ぱたぱた」といった方が良さそうな歩き方であるし、隣を歩くボルテッカが一歩歩くごとに三歩歩いているようでは威厳もへったくれもなかった。
 そのユーモラスな光景に、カオルは元の世界で小さな頃に見たドキュメンタリーを思い出していた。それは過酷な南極大陸で子育てをする皇帝ペンギンの一年を追ったドキュメンタリー映画で、その中でひょこひょこと短い足で必死に歩くペンギンのヒナはまさにガミジン中尉が歩く様子そのままである。
 そうして中尉が近くまでやってくると、カオルは自分が思い違いをしていた事に気がついた。
 まず、中尉が胸を張って歩いていたのはそうしなければ歩けないからだった。
 中尉の服装は標準的な軍団兵の真っ赤なチョッキと外套だったが、その下に一体何枚着込んでいるのか、着膨れという単語を使うのも憚られるようなとんでもない厚着であった。マフラーと手袋まで装備しているというのにその顔は寒さに凍えて真白で、カタカタと小刻みに震えていた。
 そしててっきりその口の悪さから如何にも軍隊らしいがっちりした小男かと想像していたのに、その顔は思わずはっとするようなほど華奢で線の細い女性的な容姿であった。
 やがてその顔の細部まで判別出来る距離まで来て、カオルは思わずあっと小さな声で驚きの声を上げた。
 中尉の両耳はその肩口まである黒い髪の両側からぴこんと飛び出していたが、その形は常人ではありえない柔らかな正三角形を描いていた。
 彼女がその両耳を凝視しているのを見て、マーチがそっと囁いた。

「ロップイヤーエルフだ、珍しいな、もっと東に住んでる種族だぞ」
「え……えるふ……あれが……」

 カオルの頭の中にあったエルフ像に少しだけヒビが入る。
 彼女にとってエルフとは森深いところで詩歌と芸術を嗜む優雅な妖精で、まかり間違っても軍隊のど真ん中で部下に向かってスラング混じりの罵倒をひっきりなしに投げつけるような存在ではない。
 が、現に目の前にそれはいた。
 現実は非情である。

「で? 糞忙しい私をわざわざ呼び寄せるだけの理由があるんだろうな?え? まさかとは思うがこのアホ面を並べ立てた馬鹿どもを先に通したいとかぬかすんじゃなかろうな」
「大雑把に申し上げれば、そうです」
「なんとこいつは驚いた! おいボルテッカ、軍団兵は一体いつからここまで質が落ちたんだ? 大雑把にしろ詳細にしろ、この不届きな馬鹿者共を通らせるという事には変りないだろ、ここを、この野営地を、この私の野営地をだ! お前には失望したぞ伍長、お前の受けた命令は何だ? ここで、この場所で、この私の目の前で復唱してみせろ」
「ハッ! 街道を封鎖せよであります!」
「なら……」

 ガミジンは伍長の襟首を引っ掴むと無理やり自分の視線に合わせるように引っ張り下げた。

「なぁんでコイツらを通す理由がある? ああ? 一欠片もない。だろうが! それと、人と話す時は目線を合わせろと兵学校で教わらなかったのかっ」
「んなむちゃな……」

 思わずカオルがそう呟くと、凄まじい眼光でガミジンがカオルを睨みつけた。
 中性的で整った顔であるだけに、怒りの顔も迫力がある――などということはなく、どう控えめに表現しても小さな子供が癇癪を起こしているようにしか見えなかった。
 ちなみにガミジンの後ろでボルテッカはうんうんと頷いている。
 当然、彼にとって「目線を合わせる」など難しい事この上ない注文であろうことは容易に想像ができた。
 ――特に、平均以下の身長しかない隣の上官相手には。

「聞こえてるぞ! てめぇ……首切って馬糞でも流し込んでやろうか、ああん?」
「ちゅ、中尉……彼女は病人なのです……どうかお手柔らかに」
「病人?」

 伍長がこちらに背を向けて腰を屈めると、中尉の耳元でこそこそと話し始める。
 最初は胡散臭げな顔をしていたガミジンだったが、伍長の語り調が徐々に他人事とは思えない真剣味を帯びるに連れ、中尉の顔にも同情と気まずさが満ちてくる。とうとう伍長が涙混じりに語り始めるに至り、ガミジンは「おお神よ」と天を仰いでから伍長を慰めてハンカチを差し出した。

「分かった、済まなかったな。とりあえず下がっていろ」
「了解しました……」

 ガミジンがこちらの方に歩いてくると、カッサシオンは自然と背筋を伸ばした。

「さて……大詰めだ……」

 マーチがそう呟いて、緊張で少し強張った顔をしたまま前方のカッサシオンと小さなエルフを見つめた。
 この対話が今後の進退に大きく関わってくるのは疑いようのない事実である。






――――――――――――――――
休みとれたから久しぶりに早めの更新。



[13088] ぎよたん
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:7c16296a
Date: 2010/02/27 16:12
 カッサシオンの話術は実際見事なものだった。
 商人として鍛えた腕前なのか、或いは冒険者としての技能なのかは彼女には分からなかったが、その口からはまるで速射砲のように次々と嘘とデタラメが飛び出した。
 彼の話の中で彼女の設定はどんどん緻密で詳細なものになり、呆れるよりも感心するほどだった。
 その様子はまさに立板に水のごとくと表現したくなるもので、カオルはカッサシオンが商人というよりも詐欺しかペテン師の方がよっぽど向いていると内心思うほどだ。

「ふぅん……なるほどね」

 ガミジン中尉は感心したように何度も頷くと、肩から掛けていたバッグを開けて地図を取り出した。
 そうしてそれをもう一度広げようとするも、分厚い手袋をしたままなのでなかなか開けることが出来ないでいる。
 何度も失敗しながら悪態をつく上官を横目に、ボルテッカが溜息を付いた。

「中尉、手袋をとったらどうです」
「とったら寒いだろうが! それともお前がやってくれるのか」
「中尉、自分も手袋をしています」
「私を間抜けか何かと思ってるのか? それぐらい見れば分かる」
「なるほど、では聡明な中尉はこれも当然お気づきの事とお見受けいたしますが、手袋を脱げば私も寒いのです」
「で?」
「ご自分でどうぞ」

 ガミジン中尉はありったけの悪態をついて、渋々ながら自分の手袋を脱いだ。
 ミトン型で分厚い毛糸製のそれの下には指先が出るタイプの手袋をしていたが、それが外気に触れた瞬間まるで極寒の大地に裸で放り出されたかのようにガミジンはぶるりと大きく震えた。
 一秒でも手早く済ませようとでもいうのか、やや慌てた様子で地図を広げるとしばしそれを睨みつけ「ああ、ここだここだ」と小さく呟いてお目当ての場所が良く見えるように折り畳み直した。

「ふうん、サルシオン、サルシオン……と。ああ、お前……ええと、名前は?」
「ムスカと申します」

 サラリと飛び出した偽名に聞き覚えの有り過ぎるカオルは思わず吹き出したが、カッサシオンの積み上げた彼女に対する印象のおかげかその場の誰もがその反応に不思議そうな顔をする事はなかった。

「なるほど、ではムスカ。サルシオンに行くなら一つ頼まれてくれんかな」
「なんでございましょう」
「サルシオンのすぐ近くにガラコという名前の村が在るんだが、そこの林檎酒が絶品でな。行って帰るときに一箱ほど買ってきてくれんか。金は払う」
「はて……? ガラコですか。確かその村は随分と前に廃村になってしまったらしいですよ」

 その答えにガミジンは仰天して仰け反った。

「なんだと? そうか、初めて聞いたな。原因はなんだ?」
「確か流行病とモンスターが原因だと聞いております」
「なるほど」

 そう言って、ガミジンはさっきまで顔に浮かべていたさも「驚いた」と言わんばかりの表情を一瞬で消し去り、狡そうな冷笑を唇の端に浮かべてカッサシオンを斜め下からねめつけた。

「ハッ、そうかそうか、これから向かう先について入念に調べているようだな、感心感心……。ここで貴様が「承りました」などと抜かしたら、楽しい楽しい射撃訓練の的にしてやろうと思っていたのだがな。いやぁ、残念残念。ちょうど新しいクロスボウが手に入ったばかりだったからな、試し撃ちをしたかったんだが」

 そう言ってガミジンは青ざめる三人を他所にゲラゲラと笑い、地図を畳んで仕舞い込んだ。

「よし、通ってもいいぞ。ただし命の保証はせん。此処から先では我々軍団兵と盗賊団が戦闘中で、尚且つ貴様らが向かう方向にはゴブリン共の集団がお待ちかねだ」
「一つお聞きしても?」
「なんだ」
「ゴブリンに追われながらこの駐屯地に逃げ込めば軍団兵の方々は守って下さるので?」

 その質問にガミジンは如何にも嫌そうな顔を隠そうともしなかった。
 そして口の中に溢れた苦味を吐き出そうとでもするかのように「ぺっ」と足元に唾を吐いてから苦々し気な様子で答えた。

「我々軍団兵の義務に基づいて無辜の市民が襲われているならばそれらを守らねばならない」

 まるで規則集を暗誦するような――実際のところその通りなのであろうが――無感情で棒読みの返答であった。

「なるほど、良く分かりました」
「ああいや、別に分からなくてもいいぞ、一生な。出来ればそのままゴブリン共の晩飯になってくれ。お前みたいな胡散臭い奴を見てると吊るしたくてたまらなくなる、とっとと私の視界から消え失せろ」
「了解しました。中尉殿」

 ふざけたわけではないのだろうが、カッサシオンのその返事にガミジンは明らかに気分を害したようだった。
 虫でも追い払うかのように手を振ると、街道を臨時に設置したゲートで封鎖していた兵士達に向かって命令を怒鳴った。

「開門! このバカ面どもを通せ!」
「イエッサー!」

 伍長となにやら言葉を交わしたあと、カッサシオンはくるりとカオル達に方に向かって足早にやってきた。

「とっとと向かいましょう。どうやら中尉殿は随分と機嫌が悪そうですからね」
「オメェが挑発したからだろうが」
「私が?」

 心外ですとでも言いたげなカッサシオンにマーチは小さく毒づいて、今の今までその胸の中に抱きしめていたカオルの肩を抱いたまま馬車の方に歩き出した。
 演技にリアリティを持たせるためだと彼女自身も承知していたが、まるで恋人をエスコートするかのようなその優しい手つきにまたしても頭と顔に血が集まってくるのが分かった。
 そうして三人ともが馬車に乗り込み軋み音を立てながら馬車が進み始めた次の瞬間、何かに気がついたガミジンがはっとした顔でゲートの近くにいる番兵に向かって走り寄った。

「待て! 閉門だ閉門! そこで止まれ! ボルテッカ、第一小隊だぞ!」

 いきなり再度落とされたゲートに驚きながら手綱を絞ったカッサシオンと、何事かと窓を開いて外を見るカオルとマーチを他所に、鋼鉄の鎧を身につけているとは思えないほどのスピードでボルテッカ軍曹はすぐ近くにいた軍馬に跨って野営地の向こう側に走り去っていった。
 そして一分もしないうちに一台の馬車と数名の騎馬兵士を伴って戻ってきた。ついさっきまで戦っていたのか、兵士達は一様に鎧や体に傷をこさえている。
 そして騎馬兵士はガミジンの眼前に来ると全員が一斉に下馬し、踵を打ち合わせながら敬礼をした。

「隊長! 捕虜を取りました!」

 先頭の伍長がそう報告すると、ガミジンは喜色満面の笑みを浮かべた。

「でかした」
「朝めし前でしたよ。信じられますか、あの馬鹿ども森の中で火を炊いてやがったんですよ」
「敵が馬鹿なのは神様からの贈り物だ、違うか?」
「今度の礼拝ではいつもの十倍祈っておかなくちゃ」
「よしいいぞ、神もお前の熱心な祈りにご満悦なさるだろうよ」
「アーメン」

 ニヤニヤと笑いながら会話をする二人の前に、ボルテッカを筆頭とした兵士達が荒縄に数珠つなぎにされた三人の男達を引っ立ててきた。男達は口々に悪態をついて、とても素面では言えないような卑猥な罵倒の言葉を声高に叫んでいた。それを見てマーチが彼女の耳元で「ありゃ盗賊だな」とヒソヒソ声で囁いた。
 兵士達が荒々しい手つきで盗賊達を地面に座らせると、ガミジンは真ん中の男の前でふんぞり返った。
 盗賊達は最初ガミジンのあまりに幼い容姿と整った顔立ちに呆然とするも、すぐに気を取り直して卑猥な言葉を投げかけ始めた。
 そういった言葉に寸毫も眉を動かさず、ガミジンはいっそ丁重と行ってもいいくらいの調子で男達に話しかけた。

「いいざまだな、え? 散々痛めつけられて、そろそろ色々話したくなったんじゃないか、うん?」

 顔に幾つもの傷をこさえた如何にもゴロツキ風の男は、目の前のエルフに向かって唾を吐きかけた。

「地獄に落ちやがれ!!」
「お前がな」

 一瞬だった。
 男の後ろに控えていたボルテッカが雷光のごとき素早さで剣を抜くと、まるで台所で蕪か何かを切るかのように「すとん」と殆どなんの抵抗も感じさせない素早さで、薄汚い盗賊の首を造作もなく落とした。
 首を切られた身体は暫くのあいだ死んだ事が分からないかのように心臓の送り込む血液を首の断面から噴水のように吹き上げていたが、ガミジンが腰の入った前蹴りでその身体を蹴倒すと「ぐにゃり」と力を失って後ろに倒れ、カチカチに固まった地面に湯気を上げながら血の池を作り始めた。

「ひっ……あ……」
「やりやがった……ッ」

 あまりにあっけなく人の死ぬ様を目の前で見たカオルは、ショックのあまり息を詰まらせる。
 彼女の後ろから肩ごしにその光景を見ていたマーチは、突然の殺人を目撃した衝撃で細かく震える可能女の身体を後ろから抱きとめた。

「ところでボルテッカ、つい最近こんな話を聞いたんだが」
「なんです?」

 つい今しがた人ひとりを殺したなどと感じさせない声色と気楽さで、ガミジンは足元に転がって来た首の髪の毛を引っ掴んで自分の眼前に釣り上げた。

「首を切られた奴ってのは脳に血が行かなくなって死んじまう間、ちょっとだけ意識があるらしいぜ。なあ、おい。どうだ? おい、まだ私のことが分かるかよ?」
「中尉」
「なんだよ、今私は実験に忙しいんだぞ」
「肺がないので、返事は出来ないかと思います」

 軍曹の素っ気ないその言葉にガミジンはあっと小さく声を上げると、それきり興味を無くしたかのように首を倒れた死体の胸元に放り投げた。首はぼすんと胴体でバウンドすると、凍った大地にドクドクと鮮血を垂れ流している死体の首元に転がった。
 そうしてコートのポケットからハンカチを取り出すと、頬についた唾をしっかりとぬぐい取り、小首をかしげてから軍曹に問いかけた。

「じゃあ次は瞼をパチパチさせるなんてどうだ?」
「それなら出来そうですね」
「よし、じゃあ次はお前だ」

 目の前で展開される惨劇に蒼白になった盗賊は必死に逃れようともがきながら泣き喚いたが、両脇を屈強な軍団兵にがっしりと掴まれたままガミジンの目の前に無理やり引っ立てられた。
 恐怖のためにその両目は飛び出さんばかりに開かれて、何とか兵士の軛から逃れようと力の限りに暴れている。
 しかし抵抗も虚しく、兵士の持った鋼鉄製の警棒で足を強かに殴打された男はもんどり打ちながらガミジンの眼下で跪かされた。

「さて、お前はどう思う? なあ、眉唾だと思うか? え? 首を切られても意識があるなんて、そんな残酷な話がホントなもんかね?」
「ひ、ひ、た、助けてくれ、お、おれ、俺はやってない、何もしてない! か、かんけいな――」
「ボルテッカ」
「イエッサー」

 激しい殴打の音と、豚の鳴き声にも似た悲鳴が寒空の下で響きわたった。
 鋼鉄製の篭手でしこたま顔面を殴打された男は、先程と随分造形が変化した顔をさらすことととなった。
 ガミジンは男の髪の毛を掴んで無理やり顔をあげると、今やはっきりと冷笑を浮かべた顔のまま男に語りかけた。

「おいおい、誰もそんな事行ってないだろ、私はただこの首実検について意見を求めてるだけだぜ。どうしてやっただのやってないだのって話になる?」
「ひ……ひ……た、たひゅけて、お、おねがひ、ひまひゅ……」
「ははぁん、どうやらせっかくのお楽しみを短縮したいみてぇだな、え? 残念な話だ、なあボルテッカ」
「時間は有限ですよ、中尉」
「おっと、それもそうだ。それじゃあ犬畜生にも劣るウジ虫くん、早速君たちのアジトの在処をとっくりと語って聴かせて貰おうじゃないか?」

 血と涙と小便を垂れ流しながら、兵士流のやり方で顔面を整形された盗賊は殆ど叫ぶようにしてアジトの場所をペラペラと喋った。横で盗賊達を引っ捕えてきた兵士の一人がガミジンの地図にその場所を書き込むと、素早く距離や地形を測ってその男がデタラメの地形を言っているのではないことを伝える。
 ガミジンは満足げに頷いて、一応もう一人にも確認をすると、もう一人もその場所に間違いないと答えた。その答えにますます満足げに頷くと、殆ど難の衒いもない素っ気なさでひょいと右手を挙げた。 

「非常に宜しい。ご苦労だった」

 その言葉と同時に盗賊の後ろで剣を抜いて控えていた兵士達が眉一つ動かさないまま二人の男に心臓に剣を突き刺した。
 ドクドクと流れ出る自分の血を呆然と眺める盗賊を前に、ガミジンはハッとした顔で額を叩いた。

「ああ、しまった。首実験を忘れた」
「これから嫌ってほど試せますよ、中尉。畜生働きをしやがった禽獣共がうじゃうじゃ待ってます」
「それもそうか。いや、今から楽しみだ」

 そう言って、ガミジンは女性的な柔らかい声で「ガハハハハ」と似合わない笑い声を響かせた。
 そうしてカオルの持つエルフ像はガラガラと崩壊の音を立てて崩れ去り、とうとう泣きが入った彼女をマーチは溜息をつきながら慰めるのだった。
















――――――――――――――――
突発的に思いついたネタ

「やあボルテッカボルテッカ」
「なんです中尉」
「悪党どもはどこだい?」
「さっき吊るしたでしょ」
「れぎおーん……」

特に続かない



[13088] そらのうえ
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:0f39107b
Date: 2010/02/27 16:12
「こちらイーグル1、イーグル2応答せよ」
《ザザザちらザザ2――ザザザうぞ》
「イーグル2、聞こえているか? 聞こえているなら本騎の右翼につけ」
《ザザちらザザッザか? ザザザ、ーグル1、おうザザザザザ――》
「クソ!」

 ウィンターズ中尉は思わず舌打ちと共に通信装置を叩き割りそうになり、慌てて自制心を働かせた。
 最新式の魔導通信機という触れ込みだった筈が、たった100ftも離れた瞬間にこの有様だった。普段は温厚で滅多に悪態をつかない彼にしたって限度というものがある。
 帰ったら絶対にこんな代物にゴーサインを出した馬鹿を縊り殺してやると心に誓い、さっきから雑音しか聞こえなくなった通信を一旦切る。
 しようが無いので斜め上方に遷移しているイーグル2に向かってハンドサインを送る。
 内容は「本騎の右翼につけ」、それを見たイーグル2はすぐさま翼を捻って風を切りながら彼のすぐ隣に滑り込んできた。
 次のハンドサインは「超短波通信に切り替えろ」。

「…………聞こえるか?」
《イエス・サー、酷いもんですな。これじゃあ完全に孤立したも同然ですよ》
「お偉いさん肝煎りの最新式がこの様だ。やはり《ちびっ子(ミニマム)》・ミニーの忠告に従っておくべきだったな」

 ウィンターズは腰元に添えつけられた通信機を指さしてそう言った。
 視界の中のイーグル2は小刻みに肩を揺らした。どうやら声を殺して笑っているらしい。

《あのちびっ子中尉ですか、自分はてっきりあの人は根っからの戦場魔術師(ウォーメイジ)だと思ってましたが、意外と研究者肌なんですな……いや、単に見た目だけならジュニアスクールの生徒に見えますが》
「技研は前線から帰って来て欲しそうだが、本人にその気はなさそうだ……それと見た目云々はあれの前で口にしない方がいいぞ、以前酒を飲んでポロッと口を滑らせた少尉が股間を蹴り上げられていた」

 イーグル2はやや大げさながらも実感のこもった悲鳴を上げて、鎧の上から股間を押さえた。

「素晴らしい動きだったぞ、アレの潰れる音が耳元で聞こえるようだった。ま、その少尉は賞賛する余裕は欠片もなかったようだがな」
《なんて残酷な》
「いや、俺はそうは思わんね。あの少尉は家柄が良いだけのボンボンで鼻持ちならんアホだったからな、せいせいしたよ」
《魔法の才能だけじゃなくて蹴りの才能まであるとは、神様は与える相手には惜しみなく与えるって話ですか》
「しかもあの身長であのけしからん胸は反則だな。残念ながら冬は厚着過ぎて拝めんが」
《ま、そしてその才能溢れる偉人からの有り難いご忠告に従わなかったせいで我々は全滅寸前なわけですが、ははははは》

 洒落にならない悲惨な内容に関わらず、二番騎の声は明るかった。
 それが捨て鉢になった為の明るさでない事は彼は承知だったが、場違いな陽気さに彼は思わず小さな悪態をついた。
 彼は右手の親指で背中――正確にはこれまで通ってきた背後の空路を指差して言葉を続けた。

「コンプトン、やはりあの雷雲はただの自然現象ではないな」
《恐らくそうでしょう。あれとすれ違ってから既に100マイルは進みましたが、一向に空気中の拡散空電が収まりません。十中八九、ウィルオーウィスプの巣だったと思われます》
「クソッ! こんな調子では一個中隊も引き連れてきた意味がない」
《小隊単位で散開しますか?》
「駄目だ、国境付近ならともかくこれほど敵国領土の深部に侵入しての強行偵察中に隊を悪戯に分けるのは自殺行為だ」
《多少の被害は覚悟の上では?》

 その言葉に思わず彼はギョッとして右翼で風を切る二番騎を見やった。
 コンプトンの顔は竜騎兵[ドラゴンライダー]特注の特殊なフルフェイスヘルメットに覆われて窺い知る事は出来ない。
 だが、その言葉に漂う真剣な様子に思わず彼は慌しく返信をした。

「本気で言っているのか? 俺はこの任務で一人も犠牲を出すつもりなどない」

 そう強い口調で返すと、視界の中でコンプトンは手綱を握りながら器用に肩を竦めて見せた。

《分かっています。ただ、ソベル大尉ならそう仰るんではないですか?》
「そうだろうな、ただ俺はこの作戦に何の意義も見出していない。……もっと直裁に言うなら、全くの無意味だ」
《ええ、ええ、分かってます。ただ、大尉は俺たちがのこのこ帰って来て何の情報も持っていなかったらさぞかし落胆なさるんではないでしょうかね?》
「あんな阿呆は勝手に落胆させておけ、やつの胡麻磨りに付き合って俺たちが命を落とすなんて馬鹿馬鹿しい。お前も同じ気持だと思ってたんだが?」
《イエス・サー》

 笑いを含みながら敬礼をすると、一度離れようとしたコンプトンは何かに気が付いたように戻ってくる。

《中尉、この様子だと敵は俺たちの侵入を警戒していたと言う事でしょうか?》
「……その可能性はある。ただ、さっきも言ったがここまで侵入した事は今まで無かった。あのウィスプが常時存在しているのか、それとも我々の侵入を警戒して設置されたのかは分からん」
《常に最悪の状況を想定せよ、そしてそれを打破すべく作戦を練れ》
「そうだ、しかもこの状態では各個に連絡を取り合っての有機的な機動など出切る筈も無い。そろそろ切り上げるべきだ」
《先にそう言って頂いてホッとしましたよ、いつ切り出そうかとハラハラしてましたから》
「ラズを呼んできてくれ」
《イエッサー!》

 ばさりと翼を広げた飛竜がかなりのスピードで後方に下がっていった……ように見えるが、実際には速度が出ているのはウィンターズの方であり、コンプトンは空気抵抗をもろに受けて急減速しただけだ。
 やがて後方に控えていた一騎が前に出てくる。
 やや大型の飛竜に二人乗りで兵士が騎乗しており、手綱を握っているのがペルコンテ軍曹、そしてその後ろにしがみ付くようにして騎乗しているのが戦場魔術士(ウォーメイジ)のラズだ。
 ウィンターズはハンドサインでもう少し近付くように指示をしてから通信を入れる。

「ラズ、撤退の指示を仰ごうかと思う……一応な」

 偵察部隊は特に今のような敵地深部まで侵入しての任務中は高い裁量権が与えられている。いちいち本部に指示を仰いでいたら折角の好機を逃す恐れもあれば、同時に隊員達の危険度も増すからだ。
 本来ならば指示を仰がずに撤退しても問題は無かったが、彼らの上官はどんな些細な事でも部下の失点にしてやろうとてぐすねひいて待っているような輩であったので、ウィンターズも苦々しく重いながら危険な長距離通信を行う必要があった。
 この酷い拡散空電のせいで魔力通信は乱れに乱れて通信機は全く使えないが、厳しい修練と共に特別な絆で結ばれた魔術士の師弟は例え世界の果てからでも距離を無視して通信が可能である。……ただし、距離に比例してタイムラグが生じるし、そしてこの技術自体が魔導通信機が登場して以来ずいぶんと時代遅れで埃のかぶったレトロな技術になりつつあった。

「内容はこうだ『敵領奥深くに侵入するも、敵の妨害激しく通信困難。これ以上の作戦続行は危険と判断しこれより帰還する』頼むぞ」
《了解しました》

 暫くラズが精神を集中して本部と連絡を取るのを待つ。
 この方法で通信した場合、魔導通信機を使用した場合と違って盗聴の危険性は恐ろしく低い。
 通信機も暗号も、それを研究すれば盗み聞きする方法は編み出せるが、この通信――ウォーメイジは「念話」と呼ぶその手法は非常に高度な魔法技術であり、ウィンターズは一度興味本位でどういった仕組みなのか同僚のミニー中尉に聞いてみた事があったが、分かった事は「全く分からない事が分かった」という閉口するようなものだった。
 明らかに「良く分かりません」という顔をして、実際そう返したウィンターズに抗議を垂れた同僚は「お前の脳味噌が足らないんじゃなくて理解を放棄してるんだろ、え? 私に無駄な時間を過ごさせやがって、このクソが!」とカンカンに怒りながら罵倒された。
 それはともかく、このような危険空域で確実な通信方法がたった一つだけあるのは大きな強みだ。
 やがて、激しい悪態の声と共にラズが通信を繋いでくる。

「どうした」
《師匠は司令部におられて……その、当然ながらそこにはソベルがいました。奴が言うには「帰還の許可を与える前にどういった情報を得たのか確認したい」と》

 ウィンターズも悪態をついた。
 確認したい? 正気か? こんな敵のど真ん中から「こんな機密情報を得ました」と馬鹿正直に送信した場合のリスクを欠片でも考えていないのか。
 例え念話通信で盗聴の可能性が低いと言っても、常にその可能性が存在している以上リスクは避けるのが当たり前であった。

「敵の盗聴の恐れがあるため伝えられないと言え」
《はい、分かりま――――》
「どうした」

 ラズは突然空中を見つめて固まると、大きく息を呑んで切羽詰った声を出した。

《警告! 十一時方向より高速で接近中の敵編隊を捕捉! 数10、……いえ、15。速度――50ノット!》
「クソッ、種類は」
《連続的な空烈音を確認、蟲型……くそ、エアポケットだ……待って下さい……この音……黒蠅だ! 中尉、黒蠅です!》
「反転しろ! 急速離脱っ」

 ぐるりと宙返りをして180度反転すると、その動きに続いて全騎が反転して後に続く。
 突然のその機動に遅れたものは一騎もいなかった。
 二人乗りのせいで一瞬だけ反転に手間取ったペルコンテとラズが左翼に付く。

《隊長、このまま最大戦速を維持しても国境から20マイルの地点で追いつかれますっ》
「分かっている、いざとなったら奴等と交戦する」

 併走するラズがごくりと唾を飲み込む音が、サラサラと混じる空電に紛れて聞こえてきた。

《やるしかないですか》
「師匠にお別れの言葉でも送っておけ」
《縁起でもない! ……ソベルにも何か伝えますか?》
「そうだな「ばかめ」とでも送っておいてくれ」
《イエッサー》

 恐らくラズはそのまま伝えるだろう。
 その場合、本国にいる彼の師匠が四苦八苦しながらその伝言を「翻訳」する作業を想像し、ウィンターズはこんな非常事態にもかかわらず少し笑った。

「さて……今日も頑張って生きて帰るとするか」

 魔法障壁によって弱められながらも身を突き刺すような風が吹き荒れるなか、ウィンターズは部下達を率いて一路本国へと飛んだ。
 彼の得た情報はその目で見た本人ですら我が目を疑うような内容だった。ついさっきまで彼自身も何か見間違えか、或いは敵の幻術にでも嵌まったのかと半信半疑であったのだ。だが、つい今しがたその疑問は吹き飛び、この情報が敵にとって重大な意味を持つ物だという事が判明した。
 15騎の黒蠅……つまり空の上でもっとも最悪なクリーチャーのひとつに数えられる蟲型モンスター・ベルゼブブの編隊が、自分の翅が千切れるような猛速で追撃をかけて来た。これ以上確実な証拠は他に無いだろう。
 よっぽど自分たちは彼らにとって致命的な情報を握ったに違いない、そう考えてウィンターズは笑った。
 そして、それと同時にその情報が持つ危険性に背筋が寒くなる思いもするのである。

「全騎、この空域で死ぬ事は俺が許可しない。石に噛り付いてでも帝都に帰還するぞ」





[13088] ぐろちゅうい
Name: 桜井 雅宏◆6adae166 ID:6adfe403
Date: 2010/02/12 05:53
「私は今非常に良い気分だ、途中まで送っていってやろう」

 そう言ってガミジン中尉とその麾下数十名の武装した男達がカオル達の馬車の周囲を取り囲みながら街道を進んだ。駐屯地には百人単位で兵士が居たが、先に動ける者だけで先遣隊を作ったらしい。重武装の装甲騎兵が十騎ほどと軽歩兵が数十人、歩兵は全員が馬車に詰め込まれていた。
 兵士の詰め込まれた馬車が前後左右に陣取り、騎馬兵士がカオルの馬車を取り囲むようにして進んでいた。
 それら人殺しのプロを率いる小さな隊長は当然ながらその低身長に見合う馬が存在しないので馬車――だとカオルは思っていたが、その期待はすぐに裏切られた。彼女は眼を見張るほど立派な軍馬に跨ったボルテッカ軍曹に、相乗りする形でカオル達の馬車のすぐ隣で隊列を進めていた。
 背後の軍曹と何やら笑いながら話すその姿は、とてもではないがついさっき三人の人間を葬ったばかりには見えなかった。
 「ここじゃあ、人間の命なんて便所紙より薄っぺらいんだぜ」そんな言葉をいつだったか聞いた覚えが彼女にはあった。それが映画だったのか小説だったのか、はたまた実在の人物から聞いたのかすらあやふやだったが、ついさっきみた光景はまさにその言葉通りのものである。
 中世と言う時代は人の命など障子紙のようにバリバリと破られる代物で、そして破れた後もまさに障子紙の如くするすると張り替えてしまえばそれで誰も気にしない。
 代わりなんて幾らでもある、お前が死んだって誰も困らない。
 悪びれもせずに馬鹿話に花を咲かすガミジンがそんなふうに言っているようにカオルは感じていた。

「ハン? 私の顔になんかついているかい、ええ?」

 思わずじっと見つめていたガミジンがそう言って眉を跳ね上げながら問いかけてくると、カオルは殆ど考える暇もなく心の中の言葉を口に出していた。

「人を殺して平気なの?」

 隣でまんじりもせずにこちらを伺っていたマーチが息を飲むのが分かった。
 御者台のカッサシオンまでもがそれと気付かれないように座る位置を修正する。
 突然の質問にキョトンとしたガミジンは、次の瞬間弾かれたように爆笑した。
 ゲラゲラと哄笑する上官の後ろにいながら、ボルテッカは相変わらず鉄面皮で押し黙っている。
 堪えきれないというふうに笑い続けるその様子に、カオルはかっと頭に血が上るのを自覚した。

「何が、そんなに可笑しいのっ」
「ヒーヒッヒッヒ! 可笑しいとも! ああ可笑しいね、なあご婦人、私が何を殺したって? 人間? 人間だって? 違うね、あいつらはそこらにいる犬猫にも劣る最低の蛆虫どもさ。善良な市民たちの生活を脅かす害虫を「ぷちゅっ」と踏みつぶして、なんで後悔したり悔い改めたりする必要がある? え?」
「中尉、光輝教会は咎人にも終油の秘蹟を行いますが……」
「神よ! 憐れな魂の罪咎を清め給え、アーメン。これで良いか?」
「まあ、概ね」
「ふん、話の腰を折るんじゃない。ええとどこまで話したか、そうさな、どうやらあんたは随分と平和な人生を送ってこられたようで、ふん! 「畜生働き」って言葉は知ってるか?」

 カオルは黙って首を横にふった。
 それを見たガミジンは大げさに両掌を上に向けて肩と首を竦めてみせた。いわゆる「やれやれ」のポーズだ。

「畜生働きってのは所謂追い剥ぎとか強盗とか呼ばれるならず者がやる犯罪の一つだ。数人から数十人の徒党を組んで、公道を行く旅商人のキャラバンやら旅の一行なんかを襲って一切合切奪っていくのさ。そう、全部……命もな。目撃者はたった一人たりとも生かしておかない。襲った証拠は髪の毛一本血痕一つたりとも残さない。女は犯して奴隷にするか売り払う、子供もそうだ。男と老人は容赦なく皆殺し。たまたま見ちまった第三者も地の果てまで追いかけて殺す。そうしてこの世から犠牲者が盗賊に襲われたって証拠を何からなら何まで消し去っちまうのさ。当然ながらそんな事をされちゃあ中々気付かれない、何せ被害届を出す人間がこの世のどこにも居ないんだからな。で、さっき私が処理した汚物はそんな最低の犯罪をこれまで分かっているだけで8回もやっていやがるんだ。8回! 8回だぞ! 一体どれだけの人間が死んだと思う? どれだけの数の子供と女が南の蛮族共に売られたと? ついでに教えてやろう、畜生働きをした盗賊はな、裁判抜きで死刑だ。奴らには国民の税金でわざわざ裁判を開いてやる必要なんてこれっぽっちもないって事さ。私は法律家と弁護士は大嫌いだが、この法を考えた奴には抱きついてキスしてやっても良いね」

 一息でそうまくし立てたガミジンは、最後の締めくくりに「さて、これで御理解頂けたでしょうか、レディ?」と馬鹿丁寧な発音で付け加えた。

「……よく、分かりました。ご説明いただいてかんしゃします」
「ああいいとも、無知な事は罪じゃない。無知を顧みないのが罪だ」

 そう言って腰のベルトから取り出したパイプにパイプ草をやや詰め過ぎるほどに詰めると、何やら短い呪文を口の中でもごもごと呟いてから右手の人差指をパイプの中に突っ込んだ。すると突然直径1フィートほどの火球が彼女の頭全体を覆って「ドカン!」という爆発音が辺りに響きわたった。
 カッサシオンの馬はその爆音に驚いて嘶き声を上げたが、その他の軍馬はチラとそちらを見ただけだ。幾ら訓練された軍馬だと言っても限度がある。馬は元来臆病な生き物で、そんな彼等が警戒一つしないほどこの爆音は彼等にとってありふれたものになっているという事でもあった。
 ギョッとしてそちらを見ていたカオル達の目に、火傷一つない綺麗なままの顔が炎の下から現れる。
 火球が偽物だったということはない、その証拠にパイプからは灰色の煙が上がっている。
 驚愕の視線を三つ浴びながら、ガミジンはさも美味しそうにパイプをふかしていた……。



――――――――――――――――――――――――――――――――



 それから暫く進んで、ガミジン達と別れることとなった。
 兵隊達はこのまま東へ、カオル達は街道を離れて南東方面へ進路を変更する。
 別れ際に小さな中隊長は例の底意地が悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべながらカッサシオンにこう言った。

「よう兄弟、当てが外れたな。私たちはあの駐屯地を引き払う。ゴブリン共に追い掛け回されてあそこに逃げ込んでも、残ってるのは馬糞と飯炊きの跡だけだ。……これは軍団兵から良き市民に対する忠告だ、とっとと引き返しな。サルシオンにたどり着く前にゴブリン共の晩飯になりたかないだろう」

 その言葉に丁重な礼を言って別れたあと、一行はその進路を南東に変えた。
 十分に軍団兵と離れた途端、マーチとカッサシオンは今まで溜めきっていた物を一気に吐き出すような大きな溜息をついた。
 そうして二人して顔を見合わせてから堰を切ったように爆笑した。

「さすがだな、この詐欺師め。あの伍長泣いちまってたじゃねぇか、全くワックス掛けした床よりツルツルと良く滑る舌だな! サルシオンがなんだって?」
「中々うまい言い訳だったでしょう? まあ、あのまま待っていたらもしかすると勝手に引き払っていたかもしれませんが」
「しかし、まさかこんな所で《火炎旋風(FlameCyclone)》と会うなんてな。ガラコのくだりでは冷や冷やしたぜ」
「私も久しぶりに心臓が冷たくなりましたよ。かの有名な《極小魔導師(MinimumDreadnought)》にペテンを仕掛けたなんて知れたら、次の瞬間には灰も残さず焼き焦がされる所でした。いやはや、一瞬の油断が命取り、これぞ正しく冒険の醍醐味ですね」
「勘弁してくれよ、始まる前から終わるところだったぜ」
「まーくん、あのひと知ってるの?」

 図らずして知ってしまったこの世界の現実に若干打ちのめされていたカオルだったが、男達二人の会話に興味が湧いてそう問いかけた。
 するとマーチはひょいと肩を竦ませて彼女に説明した。

「結構な有名人だぜ。少なくとも悪党に分類されるような奴らは名前を聞いただけで震え上がるような」
「貴女もさっき見たでしょう? 犯罪者相手に対するあの苛烈さは軍団兵の中でも際立っていますよ。可哀想に、件の盗賊団とやらは皆殺しでしょうね」
「はぁ? 可哀想? どの口が言いやがる、いつだったか邪魔くさいならず者を始末するのに軍団兵へタレコミやがっただろう。あの時に出張ってきたミニマム・ミニーが奴らをこんがりウェルダンにしちまった時は腹抱えて笑ってたじゃねえか。あの時のテメェの馬鹿笑いは今でも思い出せるぜ」

 その言葉にカッサシオンは晴れやかな笑みを浮かべながら「いやぁ、あの時はまさかたまたま近くに来ていたガミジン中隊が担当するなんて思っても見ませんでしたよ」と白々しい顔で感慨深げに頷いてみせたが、彼のことを良く知らないカオルからしてもそれが分かっててやった事だったと推測がついた。
 そうしてようやく彼女は先程自分があのエルフとやった問答がどれだけこの二人にとって心臓に悪いものだったかを理解したのだった。
 後先を考えずに突発的に何かをしてしまうのは本来の彼女の気性からは外れているはずだったが、この体になってからは「本来」だとか「もともと」だとかいう言葉がどれほど意味のない物かという事を痛感する。
 カオルは自分がまたもやしでかしてしまった事に青くなりながら頭を下げるのだった。

「ご、ごめんなさい……」
「いや、過ぎた事はしょうがねぇや。ま、次からはまず俺に相談しろよ」

 そう言ってマーチは呵呵と笑って彼女の頭をガシガシと乱暴に撫でた。
 そうして危機を脱した一行は順調に行程を消化し始めた。
 なだらかな丘や雑木林を横目に馬車が道なき道を進んでいると、書き取りの練習をしている彼女の頭の中に例の空気を読まない「声」が帰って来た。


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システムはセーフモードから回復しました。
システムは機能改善を選択しました。
新たな機能が追加されます。

→メッセージログon/off
→System help

新たな機能を使用しますか? y/n ?[help]_
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 小首を傾げながらカオルは[help]を選択した。


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メッセージログon/off 機能のヘルプ
メッセージログ機能はシステム利用者に快適な利用環境を提供する
為の画期的な機能ですが、その機能が利用者の精神に重篤な圧迫を
及ぼす恐れが在る事が確認されました。この機能はそのメッセージ
ログ機能を任意のタイミングでon/offする事が出来ます。
このヘルプは参考になりましたか?
[参考になった][参考にならなかった][別のヘルプを見る]_
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 彼女は頭の中で[参考になった]をクリックしそうになって慌てて押しとどまった。
 今はどんな情報でも欲しい、彼女は[別のヘルプを見る]を選択した。


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[別のヘルプを見る]
現在この機能は利用出来ません。
システム管理者に問い合わせて下さい。_
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 一体誰のことなの、そのシステム管理者ってのは!
 カオルは舌打ちしそうになるのを我慢して、溜息をつきながら「メッセージログをオフ」と声に向かって命令した。


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メッセージログがoffになりました。
この状態が長く続くことにより重要なメッセージを聞き逃す恐れが
あります。ログ確認のため定期的にonにする事を推奨します。
メッセージログをシャットアウト............................_
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 ブツッと断線するような音を立てて、声はそれきり聞こえなくなった。
 この声が重要な情報源であることは確かだったが、問答無用の残虐ファイトを実況中継されてはたまったものではないし、何よりもまず鬱陶しいというのが大きな理由であった。
 考えても見て欲しい、日常のさり気ない動作の一つ一つにいたるまで嫌に数式化されたシステマチックな文章で客観的に寸評されたら、一体どんな気持ちになるだろう?
 ただでさえカオルは「この世界は実は分子の一つに到るまで計算し尽くされたスーパーコンピュータによって作り出された仮想空間で、本当の自分はニューロジャック(神経接合子)でそれに繋がったまま羊水の海に浮いているのではないか」という一昔前に流行った荒唐無稽なSF映画じみた内容を真剣に考える一歩手前まできていたのだ。そんな状態でまるで「神がサイコロを振っている」ような文章を延々聞かされては、気が滅入って仕方がなかった。
 なまじ、彼女が研究していた内容も一般人からすればSFじみている事も手伝ってか、その憂鬱さは一入である。
 とりあえず忠告に従って定期的にオンにするかと考えたところ、馬車がゆっくりと止まって御者台からカッサシオンが声を掛けてきた。

「マーチ、誰か戦ってます。ちょっと見てきますから万が一に備えていて下さい」
「分かった」

 そう言ってカッサシオンはひらりと御者台から飛び降りて前方の小さな雑木林に入っていった。
 その身に纏ったローブのせいで薄暗い雑木林の中に入った瞬間いったい何処に行ったのか彼女にはてんで見当もつかなくなる。
 耳を澄ませれば、確かに彼女の耳にも何かが戦っている音が聞こえてきた。
 金属質の物がぶつかり合う音がしたかと思えば、獣じみた絶叫が朗々と林の向こうから響き、そして甲高い馬の嘶き声が聞こえてくる。
 そうして一分も経たないうちにカッサシオンが帰ってきた、が、その顔にはいつもの余裕はなく引き締まり、そして舗装もされぬ悪路を物ともせずに凄まじい俊足で帰ってくるなりこう叫んだ。

「ゴブリンの一団とセレナが戦っています! 行きましょう!」

 彼女たちに否やがあるはずもなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――



 小さな林を抜けたカオルの目に一番最初に飛び込んできた光景は、頭のてっぺんから爪先までを隙間なく騎士鎧に包み込んだ人物が、こちらも馬鎧で身を包んだ騎馬の上から振り下ろした錫杖武器でゴブリンの頭を脳天からかち割るところであった。
 騎士はそのまま返す刀で反対側で短い槍を振りかぶっていたゴブリンを槍ごと真っ二つにすると、金銀で象嵌された見事なクーゼ(kuze グレイヴの一種)を血塗れにしながら更に一体を斬り殺した。
 そして正面から迫っていた一体を馬の突撃で跳ね飛ばすと、嘶き声を上げる馬を竿立ちにしながら朗々とした声を張り上げた。

「ヤァ! この汚らしいゴブリンどもめ! 吾輩の首を取れるものなら、さぁ、何処からでもかかってくるが良いぞ! 吾輩は逃げも隠れもせぬわ! エエイ!!」

 そうしてまた一振りしたクーゼが敵の首を刈り取った。
 その際ちらりと見えた顔を見て彼女は仰天した。真っ白な髭と皺に覆われたその顔は、どう低く見積もっても還暦を迎えていそうな老年の騎士であったからだ。
 同じように仰天した様子のマーチは、「セレナは何処だよ」というもっともな疑問を呟きながらゴブリンの群れに突っ込んでいった。

「爺さん! 無理すんなよ!」

 そう言ってマーチは背後から老騎士に襲いかかろうとしていたゴブリンに鉄拳を見舞うと、敵は冗談のように頭部を陥没させて息絶えた。
 金属の篭手に包まれているとは言え、信じ難い威力の一撃である。その時初めてカオルはマーチが徒手空拳で戦うタイプの戦士であるということに気がついた。
 馬上の騎士はマーチを見下ろして破顔一笑しながら、その物騒な長物にへばり付いた血と臓物を振り払った。

「おお、助太刀感謝するぞよ! さあ、ともに奴らを倒そうではないか!」
「それは良いけどよ、セレナは何処なんだよ!?」

 そう言って背後のカッサシオンを見ると、彼が口を開く前に馬上の騎士が答えを返した。

「む、猊下の知り合いであるか。あの方ならあちらで戦っておられるぞ」
「あ? っておい! ピンチすぎるだろうが!」

 そう言って指さされた方に目をやった三人が見たのは、どう考えても絶体絶命の状態にあるセレナだった。
 セレナを中心にしてずらりと数十体のゴブリンが鈴なりになり、どいつもこいつも凶器を振り回して興奮状態である。そしてその円陣の中心で、完全武装で血だらけになったセレナとその1.5倍は身長がありそうで体重は倍もありそうなホブゴブリンが使い込まれたウォーハンマーを振りかぶってセレナと打ち合っていた。

「安心めされよ、あれなるは《決闘の結界》! あの結界の中にいる限り術者と挑戦者、一対一の決闘者しかあの中には入れ申さぬ。ハァ!!」

 そう言って騎士は拍車を掛けると再度ゴブリンの群の中に突っ込んでいった。
 それを見てカッサシオンは背中に吊るしていたらしい得物をじゃらりと音を立てて取り出しながら「では、我々も加勢することにいたしましょうか」と笑いながらマーチに問いかけた。
 彼が取り出した得物は一見して余りにも一般的な意味での「武器」とは外見がかけ離れていた。
 それはいうなれば鎖付きの回転ノコギリとでも呼べば良いのか、カオルが元の世界で見た事のある物で例えるならば原動機付き草刈鎌の鎌の部分だけを取り出して鎖で繋いだような外見だった。
 ただし、草刈鎌のように細かい鋸状ではなく八つに鋭く剣状の突起が突き出した形状で、その鋭さは明らかに草木ではなくもっと別の物を斬る予定にしか見えなかった。

「では、ひと足お先に」

 そう言って彼はその武器を頭上でブンブンと回転させながら敵陣に斬り込んで行く。
 鎌が空気を切り裂く甲高い音を立てて投射されると、まさしく草か何かを刈り取るようにバサバサとゴブリンの首と言わず腕といわず、触れるに幸いと手当たり次第に切り飛ばし始めた。
 突然の伏兵にゴブリンたちが悲鳴を上げながら逃げ惑う様を見ながらカッサシオンは哄笑し、周りの手下に指示を出していたホブゴブリンの胴体に鋭く放った鎖鎌を突き立てた。
 血飛沫をまき散らしながら帰還した鎖鎌を見て、カッサシオンはまるで道行く友人に語りかけるようについさっき武器を突き立てたホブゴブリンに話しかけた。

「おや、こいつはしまった。もしかしてこの刃の根元でしつこくドクドクいってるのは貴方の心臓ですかな? こいつはとんだ失礼を、お返しします、よっ!」

 そう言って、ハーケンの先端の一つに引っかかっていた脈打つ心臓を貼りつけたまま、カッサシオンはホブゴブリンの胴体にとどめの一撃を見舞った。
 唸り声を上げて飛来した回転ノコギリは、敵の胴体の中に飛び込んで内蔵を滅茶苦茶に破壊すると、そのまま脊柱と肋骨をぶち割って胴体の向こう側に飛び出てしまう。
 そして力任せにぐいと再度引かれたノコギリは、敵を胴体のほぼ中央で上下に真っ二つにしながら空中に血と臓物を撒き散らした。

「ハハハハハハハハハハハハハァ! ジャァァックポォォット!!」

 なおも可笑しくて堪らないというふうな笑い声を上げながら、カッサシオンはセレナを取り巻いていたゴブリン達に背中から襲いかかっていく。

「ちっ、カッサシオンめ、相変わらず派手好きな奴だな。バトルトリックスター(戦闘軽業師)はこれが難点だな……」

 そう言って呆れ顔をするマーチの隣でカオルは今にも胃の中の物を全て戻しそうな顔で突っ立っていた。
 メディアを通して流れるグロ画像やスナッフビデオなど話にもならない、真っ赤な血潮の鉄錆じみた匂いと強烈な断末魔に彼女は完全に思考が停止していた。

「……おい、大丈夫かよ。クロスボウで援護するんだぞ、出来るか」
「で…………」
「で?」
「で、きま、しぇん……」
「…………」

 右手で口元を抑えて「うぷ」とえづく蒼白の顔色を見て、マーチは大きく溜息をつきながらその背中を軽くさすった。

「……いいよ、別に期待してなかった。林の影で大人しくしてろ」
「ご、ごめんなひゃい……う……」
「おわ、こんな所で吐くんじゃねぇぞ。いいから下がってろ。無理しなくていい」
「ふぁい……」

 ヨロヨロとさっき出てきたばかりの林の中に戻りながら、カオルは色んな意味で泣きそうになっていた。
 結局、マーチが心配でその後も血飛沫が飛び散る戦闘を見続けたカオルは、胃液しか出なくなるまで何度も何度も嘔吐しつつも最後まで林の影でへたり込んでいたのであった。
 くり返し襲いかかる嘔吐の波に涙目になりながら、彼女は思った。
 ああ、メッセージログを切っていて、本当に良かった、と。













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サブクエスト 「ゴブリンの襲撃」 終了
戦闘に 《不参加》 でした
経験点 なし
技術点 なし
評価 F
もっとがんばりましょう
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展開が遅いのは自覚してます。
でもなんというか、その場その場の情景をちゃんと描写しないと不親切なような気がしてついつい余計な事まで書いてしまいます。
もっと文章をスリム化する必要はあると自分でも思いますので、精進したいです。
あと、一話の分量を少し増やしました。
今までは「10kb前後」を目安に切っていましたが、今回は17kbです。
10-15kbくらいを目安にした方がいいかな?



[13088] しゅよ、ひとののぞみのよろこびよ
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:c26602ce
Date: 2010/02/27 16:12
「でぇぇえあああああぁぁぁッ!!」

 ぶぅんと唸り声を上げながら振り下ろされたバトルメイスは、驚愕に歪んだ顔のゴブリンの脳天に突き刺さった。
 ぐしゃりと周囲に血と脳症と骨片を撒き散らしながら、頭を打ち砕かれたゴブリンはふらふらとその場で半瞬だけたたらを踏んだ後に、まるで荷台から放り出されたジャガイモ袋か何かのようにどさりと地面に投げ出された。
 絶命。
 さっきまで生き物だったものが今では腐りゆくだけのタンパク質の塊となった。
 そんな代物が、半径15フィートの結界内にゴロゴロと転がっている。
 メイスにこびり付いた肉片を一顧だにしないまま、セレナは陣羽織の裾でぐいと血塗れになった顔面をぬぐう。
 しかし、疾っくの昔に流血を吸いすぎてじっとりと重くなったそれは単に顔面の返り血を薄く広げるしか出来なかった。
 血が目に入ると視界が著しく制限される。セレナは仕方無しに腰のホルスターに突っ込んであった金属製の水筒を取り出し、中身の水を顔面に浴びて血潮を流した。
 束の間の休息を終えると、不退転の意志を込めて彼女はキッと正面を睨みつけた。

「次!!」

 カーンと神々しいベルの音が響く。
 するとさっきまで結界の外にずらりと並んだゴブリンのうち一匹がするりと結界内部に入ってくる。両手を結界に押し付けて騒いでいた為に最初の二三歩はつんのめってしまったが、自身が中に入れた事を理解するや否や錆だらけのショートソードを振りかぶって彼女に斬りかかってきた。

――――《決闘の結界》心得 チャンピオンは常にチャレンジャーに初撃を譲らねばならない

 技術も何もない、ただ振りかぶって力一杯振り下ろすだけの単純な一撃を、セレナは左手に持ったカイトシールドで受け流した。
 自分の力を殺し切れずに体勢を崩した敵に彼女は容赦なく戦棍の一撃を見舞った。
 狙い通りに後頭部に突き刺さった一撃は、またしてもゴブリンに致命的打撃を見舞って終了した。

「次!!」

 そうしてまたしてもやってきた憐れな挑戦者(チャレンジャー)を数秒の攻防で叩き殺す。
 決して広いとは言えない結界内はまたしてもゴブリンの死体で足場が狭くなった。
 ゴブリンは彼女のレベルからすれば殆ど雑魚もいいところである、だがそれが数十匹にも及ぶ大集団となれば話は別だ。
 こうして強制的に一対一の形に持って行ったとしても、徐々に疲労は蓄積する。魔法の力も無限ではない。倒せば倒すだけ足場は死体で狭くなり、返り血で全身はずぶ濡れになり、内臓や脳漿や肉片が武器と言わず鎧と言わずこびり付く。
 この戦闘は結界の外で自慢の騎馬戦術を駆使して敵を薙ぎ倒しているはずのサー・アロンソが、どれだけ迅速に敵を倒せるかに掛かっていた。

「次!!」

 今度のゴブリンはナイフを棒の先端に括りつけた手製らしい手槍を持って襲いかかってきた。
 それを両手に握って突進する様は、まるで帝国槍歩兵の突撃のようである。
 が、屈強な軍団兵と比べればその威力も圧力もお話にならない。
 軽く盾で弾いてやろうと足を捌いたセレナは、連続した戦闘で溜まった疲労のせいか、さっき殺したばかりのゴブリンに躓いた。

「しまっ!」
「ギェェェェェ!!」
「ぐっ」

――――《決闘の結界》心得 チャンピオンはチャレンジャーから逃げてはならない

 体勢を崩したセレナは瞬時に盾の防御を捨てた。
 だが、避けるわけには行かない。
 チャンピオンは常にチャレンジャーと向き合わねばならないのだ。
 セレナはとっさに右手の盾を捨てると、勢い良く突き出された槍の穂先をむんずと掴んで止めた。そしてそれだけに飽き足らず彼女は渾身の力を込めてその穂先をボキりと折りとった。

「ゲッ!?」
「今度から柄も鉄製の槍にしなさい」

 今や単にささくれだった木の棒と化したそれを持ったまま呆然とするゴブリンの脳天に戦棍をお見舞いする。

「……今度なんて、ありはしないけれどね」

 地面に落ちた盾を拾いながら彼女はそうひとりごちた。
 また、彼女と挑戦者だけに聞こえる鐘の音が響く。
 そうして今度やって来たのは標準的なゴブリンの1.5倍は身長があるホブゴブリンだった。
 小癪なことにややチグハグではあるが鉄と革で作られた鎧を身に付け、いかにも硬そうな木製の盾と使い込まれたウォーハンマーを装備していた。おそらく冒険者から掠奪した物であろうことは、その無理矢理身体に合わせた改造からして推測がつく。
 だが、まるでお誂えたようにぴったりと頭部にはまった鉄製の兜を見て、セレナは思わず舌打ちを漏らした。
 さっきまでの敵はどいつもこいつも頭部の守りがお粗末過ぎたため、あのように一撃で沈めてこれたのだ。
 だが相手が鉄兜をかぶっているとなるとそうも行かない。それにそもそも頭部という狙い難い場所に何度もクリティカルヒットを見舞えていたのは、標準的なゴブリンの身長が彼女とそう変わらないからだった。
 しかしこれがホブゴブリンとなると、先程までのように気軽に頭部という一番の急所を狙うことは出来ない。

「グァァァァア!!」
「……来なさいっ」

 大きく振りかぶって、力一杯振り下ろす。
 身体が大きくなっても脳味噌の容量までは大きくならなかったのか、その攻撃方法はいっそ清々しいほどまでに普通のゴブリンと変わらない。
 だが、その膂力と一撃の重さは流石に違った。

「ぐっっうっ!」

 ガァンとまるで大人数用の寸胴鍋を思い切り叩いたような大音量と共に、思わず目の前が白くなるかと思うような「本物」の火花が散った。
 素早く反撃に移ろうとして、彼女はそれを断念せざるをえなかった。敵はハンマーで殴りかかったすぐ後に左手の盾で殴りかかってきたのである。
 がつりと衝突音が響く。
 かすかに砕かれた木片が周囲を舞い、馬鹿力を無理やり受け流したせいで盾を持つ右手がジンジンと痛んだ。
 休息を訴える身体の悲鳴を無視して戦棍で打ちかかると、今度は素早くかざされた盾に一撃を阻まれた。
 更に木くずを周囲に撒き散らしただけで彼女の攻撃は無駄に終わり、一瞬の隙をついて敵が更に戦槌の一撃を見舞ってくる。

「なっ!?」

 思わず驚愕の声を上げながら大地に重心を落として敵の攻撃を「正面」から弾く。
 彼女は心の底から驚いていた、何故なら盾で殴られる寸前まで確かに敵の武器は体の外側に大きく泳いでいたはず。
 そのまま攻撃するならば再度振りかぶっての一撃が飛んでくるとばかり思っていた彼女の予想は完全に外れた。
 敵のホブゴブリンは盾殴りでセレナの視界を塞いだ瞬間に、戦槌をその後ろに隠して「まっすぐ突き出した」のだ。
 驚くべきはその巧みな戦い方。
 恐らくは最初の一撃もこちらを油断させるための物だったと考えて間違いない。

「こいつっ、強い!」
「ギゥッ……」

 目の前の相手が単なる獲物ではなく「倒すべき敵」であると認識した瞬間、彼女の心の中に闘志という名の炎が燃え上がった。
 それは何年も前に置き忘れてきたものだった。いや、置き忘れたのではない、置き去りにしてきたのだ。彼女がまだ「巡回司祭セレナ」ではなく「異端審問官《鉄槌》のセレスティアナ」であった最後の日に、何もかもを置き去りにして、耳を塞ぎ、目をつむり、ただ自責と自傷の中に――あの炎と煙の中に置き去りにしてきたものだった。
 ただのセレナになってから、彼女は前線でこうして戦ったことなど殆どなかった。バラッドとマーチという純粋戦士が二人もいる上、いざとなればスケルツォも十分戦えたからだ。彼女はただ後ろに引いて援護に努めていればそれで良かった。
 そうして戦わなければ――この手で敵の生命を奪う感触さえなければ、全てを忘れて――忘れた気になっていられた。
 だが、今この場にはそのうちの誰もいない。盾となって敵の攻撃を一身に受け止めるバラッドも、その鋭い反射神経を駆使して敵を翻弄するマーチも、鋭いナイフを敵の心臓に突き立てるスケルツォも、だれもいない。
 いるのは、自分と敵。
 ただその二人だけ。
 昔はなんということはなかった。異端審問官は孤独な職だ、そもそもその数が少ない。単身辺境の村に赴いては本当にいるかどうかも分からない闇の化け物を探し、見つからなければまた次へ……。
 時には一体多数の戦いを強いられるようなときもあった。
 時には強大な悪魔と一騎打ちに及んだことすらあった。
 時には恐ろしく狡猾に人心を操る人に化けた悪魔を殺した事すらあった。
 ずきりと、彼女の古傷が痛んだ。
 悪魔につけられた傷は、とっくに癒えたにも関わらず彼女に幻痛を引き起こした。それが悪魔によって傷つけられた者の宿命なのか、それとも彼女の心に今なお残る傷跡から血が流れているのか、彼女には分からなかった。
 セレナは魔力を全身に巡らせて気力を漲らせた。
 ディバインナイト(神殿騎士)としての初歩の初歩、魔力を使って全身の肉体・感覚能力を強化する《フィジカル・エンチャント》の魔法を惜しみなく使う。
 左足は後ろに引いて、右足は前に出す。右手の盾は体の前面に保持して半身となった身体を守る。
 明らかに目つきの変わった彼女を眼前に、名も知らぬホブゴブリンの戦士は獰猛に牙を剥き出して笑った。
 やっと本気を出したか、そう言われたような気がして、彼女もうっすらと笑った。
 
「主よ……御見守り下さい」

 ほんの一瞬だけ神に祈りを捧げる。
 祈りに答えを期待してはならない。
 特に彼女は人一倍期待していない。
 なぜならば彼女は罪深き者だから。
 神は背信者を許さない。
 そして、たとい神が――この世の全てのモノが彼女を許したとしても、彼女は自分自身を許さない。

「うぁぁぁあああああ!」
「ガァァァァアアアァ!」

 裂帛の気合と共に戦棍を振り下ろすと、敵も全く同じように戦槌を振り下ろした。
 衝撃音と飛び散る火花を物ともせずに彼女はその勢いを寸毫も緩ませないまま突進した。今や鉄の弾丸となった彼女は全身を使って、鋼と革に覆われたホブゴブリンの胴体に突っ込んだ。
 チャージ(突進)戦法とは、基本的に体格の大きな相手が同格もしくは格下の体格の相手に使う戦法である。
 間違っても小さな体格の者が自分以上の相手に使っていいものではない。下手をすれば一気に劣勢になる危険すらある。
 だが、セレナがその小柄な身体に詰め込まれた恐ろしいまでの突撃衝力を解き放つと定説は覆された。

「ガァッ!?」
「ハァアア!」

 果たして、地響きを立てながら後退したのは圧倒的に体格が優っているはずのホブゴブリンの方であった。
 驚愕に息を飲んだホブゴブリンはとっさに盾を構えるものの、明らかに崩れた体勢からの無理のある動作である。そしてセレナはそんな隙を見逃すほど甘くはなかった。
 息もつかせぬほどの連打を敵に見舞う。
 極限まで高められた身体能力と感覚機能は、彼女の戦闘能力を跳ね上げていた。
 いつの間にか、彼女の口には獰猛な笑みが浮かび始めていた。
 かつての彼女の世界は全てが単純だった。世界には彼女と、神と、それ以外しかいない。
 そしてそれ以外の中にいる「悪」を彼女は見つけ出し、容赦なく叩き潰すのが使命だった。
 「悪」とはなにか? そして「正義」とは?
 そんな疑問など一瞬たりとも抱いたことがなかった。
 全ては単純だった。
 単純だったのだ、あの日までは。
 彼女が黒いベレー帽を脱ぎ捨てた、あの日までは。

「主よ!」

 胸の中から真っ黒いものが這い上がってくる。
 ヘドロのような、羽虫の大群のような、あるいは――まるで永遠に消えないと言われる地獄の黒い炎のような。

「主よ! 願わくば!」

 唸り声を上げながらホブゴブリンが戦槌を横殴りにしてくる。
 もはや盾で防ぐことすらしない。
 彼女は戦槌のハンマーヘッドが身体を捉える前に前進した。
 前へ、もっと前へ!!

「願わくば! その光り輝く御手を憐れにも罪咎にまみれた魂に差し伸べて下さい!! 主よ!」

 真っ黒の炎の中から、彼女を呼ぶ声がする。
  セレナ、セレナ、ビショップ・セレナ、熱い、熱いのです、助けてください、どうかお願いします。
  違う、そんなはずはない、悪魔め、正体を表しなさい。
  熱い、アツイ、あつい……セレナ、セレナ、助けてください、嗚呼、どうか、子どもたちだけでも許してください。
  下手な芝居はよしなさい、私にはわかっている、お前は子どもたちのことなどなんとも思っていない、悪魔め、人の皮を被った地獄の悪鬼めが!

 戦槌の金属で作られた柄が彼女の脇腹を痛打する。だが、彼女は前進した。

「ッ! 主よ! 暗黒の淵に沈んだ傷つきし者を癒して下さい! 凍えし者には温もりを、乾きし者には慈雨を!」

 黒い炎は更に燃え上がった。声は更に近く、鮮明になる。
  嗚呼、主よ、主よ、これが報いなのでしょうか? 分かっていました、アレは配下の裏切りなど許さない、しかし、しかし私は主の威光にふれて、蒙を啓いたのです、しかし、所詮悪魔には無理な願いだったのでしょうか? 思い上がった行動だったのでしょうか? 所詮悪魔に愛を理解する事など不可能だったのでしょうか? 誰かを愛する事など出来ないのでしょうか? 主よ、お答え下さい、主よ。
  な、なにを……!?
  ああ、セレナ、ビショップ・セレナ、どうか、あの子たちには何も言わないで下さい、あの子たちは何も知らないのです。わたしがこのような暗黒の世界に生きる眷属など、何も知りはしないのです、どうか、どうか!
  は、放しなさいッ! 汚らわしい悪魔めッ! 私を堕落させるつもりかッ! 放せ! この――悪魔がッ!!

 ホブゴブリンは盾を捨てた。両手に構えた戦槌は凄まじい威力でもって彼女を打ち据える。

「主よ! 正しき者に祝福を! 違えしものには道を! 悪しき者には――」

 全身の力を目一杯引き出す。
 まるで、そうして心の中の黒い膿をぬぐい取ろとするかのように。
 だが、皮肉なことに彼女が力を振り絞れば振り絞るほど、黒い炎は黒々と吹き出した。
  おとーさん?
  ッ!?
  く、るな……に、げ……
  お、とーさん……? え、な、んで、セレナさん
  ………………主よ…………
  なん、で、お父さんが血まみれに、なってるの? ねぇ、セレナさん、な、治してよ、いつもみたいに、魔法で! ……なんで? なんで、黙ってんの? ねぇ!?
  ……主よ、今貴方の御下に憐れな魂が向かうでしょう、願わくばその光滴る御手でその罪咎を清め、永遠の安息を――
  こ、答えてよ……私の質問に、答えてよぉ!!
  逃げろ!!
  ッ!? まだ、こんな力が……! このっ!
  お父さん!!
  来るなぁああ!

 ぎちりと、噛み締めた奥歯から血が滴る。
 彼女も盾を捨てた。
 この後も戦いは続くはずだった、全力を振り絞るなど愚の骨頂だった。
 だが、彼女はその一撃に全てを注ぎ込んだ。
 「次」など、今の彼女にはどうでも良かった。

「悪しき者にはっ! どうか! 愛と赦しを御与え下さいッ!!」

 振り下ろされた鉄塊が彼女の背後で地面を砕く音を聞きながら、セレナの渾身の一撃は驚愕に目を見張ったホブゴブリンの胸に叩き込まれた。







 ビショップ・セレスティアナ。君の異端審問官としての官位を剥奪する。
 …………はい
 それと共に降格処分が下った、君の身分は巡回司祭となる。……少々派手にやりすぎたな。
 …………はい
 ……何故、自分はまだ生きているのかと問いたげだな?
 なぜ、ですか
 ならば教えてやろう、君の見立て通りあの男は悪魔だった。まさか我々も光輝教会の敬虔な神父が悪魔などと思いもしなかった。よくぞ見破ったな、プリーステス・セレスティアナ。我々があと一歩遅れていたら君は死んでいたかもな。
 こどもは……
 ああ、あれか。君が寝ている間に焼いたよ
 な、んですって……?
 火刑だ。冒涜された教会ごと灰にしたよ。やたら数がいて梃子摺ったが、なぁにまだ悪魔の種子が芽生える前だ、そう難しいことでもなかったよ。
 あ、《悪魔感知》はッ! ほんとうに、あの子どもたちは――
 残念ながら、あの神父に化けていた悪魔が悪魔感知の魔法に反応しなかった以上、その種子を植え付けられた「子供」もまた反応しないであろうという結論に達した。……ざっと16体か、流石の戦果だな、ビショップ……いや、プリーステス。
 う……あ……
 そう気を落とすな、確かに少々やりすぎたためこのような残念な結果になったが、なあに教会内部ではむしろ君を賞賛する声のほうが多い。そうだな、人の噂も七十五日というからな、その2倍もあればいいだろう、少々長めの休みと思いたまえ。帰って来た時にはすぐに昇格しよう。あの村の小煩い連中もそれだけたてば町外れの神父のことなど忘れてしまうだろうさ。さ、今回の働きに対する報酬だ、受け取りなさい。
 こんな……もの……
 うん?
 こんなもの……ッ!!
 ……なんだ、新しい任務が欲しいのか? まったく……噂に違わぬ信心深さだ。そんなに次の敵を殺したいのかね? それとも16匹も悪魔を始末出来たというのにまだ物足りないのかね? やれやれ、こっちは歯ごたえの無い餓鬼をふんじばって焼き殺しただけでへとへとだというのに、まったくそのアグレッシブさには脱帽――――
 貴様ァッ!


 そこから先は、彼女の記憶も曖昧模糊としてよく分からない。
 ただ、気がついた時には足元に血達磨になった教皇庁の監察官がボロ雑巾のように転がり、同僚たちが彼女の両脇を抱えて拘束しており、目の前には憤怒と悲しみに彩られたジュスタン枢機卿が仁王立ちしていた。
 枢機卿は一報を聞いて動けるだけの異端審問官を引き連れてやってきていた。
 異端審問官は一見して常人に見える者の中にいる異端を見付け出すことに長けている。ジュスタン枢機卿をも含めた彼等の力を持ってすれば、或いは子どもたちの潔白を証明出来たかもしれなかった。
 だが、全ては遅かった。
 何もかも、遅きに失した。
 彼女はその日、黒いベレー帽を脱いだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――



「主よ…………」

 全身が指先も動かせぬほどの倦怠感に包まれていた。
 強制的に感覚器官を強化した反動で、目も耳も鼻もろくに利かない。
 ようよう開けた薄目の中で、なにもかもがぼんやりと滲んだ世界が広がっている。まるで水彩画にバケツ一杯の水をぶちまけたような世界の中で、何かが彼女を覗き込んでいた。
 彼女はとっさにここが死後の世界だと思い込んだ。あの状況で奇跡的に助かるなどということが起こり得るほど、彼女は神の恩寵に与っている自覚はなかった。

「主よ……私は……間違っていたのでしょうか……」
「――――――」
「あの神父が、悪魔だと知った時、何も知らない振りをすれば……? それとも、堕落の危険を顧みずに、対話をすれば……? それとも、枢機卿たちの到着を待てば……?」
「――――」
「教えてください……主よ、わたしは……」

 覗き込んでいた影は明らかに狼狽した様子で何かを言っていたが、彼女には聞こえなかった。
 彼女は更に呼びかけた、主よ、主よ、教えてください……。
 次の瞬間、まるで薄布がかかったかのような感覚が瞬時に剥ぎ取られ、まるで裸足で氷原に立っているような霊験とした空気が彼女を覆った。
 影は今や何の狼狽も見せず、ただ正面からじっと彼女を見つめていた。

「テファレスに仕えし大地の民よ、その問は汝の奉じる神へするが良い。我は汝の神ではない」

 光輝神ではない! 別の神だ!
 人違いならぬ神違いに、彼女は畏怖の思いとともに謝罪した。

「申し訳、ありません。ただ、主は……光輝神は、何も答えてくださらない」
「違うな。ただ汝が聞こうとしておらぬだけだ。また、その問に意味が無いからでもある。間違っているのか汝は問うたな? その問は意味がない。何故なら汝は自分自身で「間違っていた」と結論しているからだ。とっくに答えが出ている質問をしても滑稽である。汝がすべき問は「間違っていたのか」ではない」
「では……では、なんでしょうか。私は主になんと問いかければ……」

 思わず漏れたその言葉に、影は笑った。

「何故我が汝の問い掛けを知っていると思うのだ? ましてやそれを示唆出来るなど?」
「それ、は……」

 確かに、その通りであった。
 なんと質問すればいいのか教えてください、などと、余りに馬鹿げた質問ではないか。
 主との対話は誰でもない自分自身と神という完全な二者間でのみなされるのだ、そこに他の人間や神の入り込む余地など無い。
 だが、だが私は……。
 悲壮な顔つきで黙り込んだセレナをじっと見つめていた影は、やや躊躇いがちに口を開いた。

「…………汝は恐れている、テファレスに問いかけ、赦されてしまう事を恐れている。奴は慈悲深い、きっとお前を赦すだろう。赦されるのが怖いのか? そうだな、大地の民よ」
「……はい、私は、恐ろしい」
「だが、そこで立ち止まってはいけない。停滞は、やがて変化を拒むようになる。問いかけよ、汝が神に」
「しかし……」
「道に」
「……?」
「道に迷った時、誰かに問いかけることがそれ程までに恐怖をかきたてるか? それが汝のよく知った父にも等しい存在だとしても?」
「……道に、迷った時……」
「問いかけよ、さらば教えられん。門を叩け、さらば開かれん」
「……求めよ、さらば与えられん…………」
「恐れるな、委ねよ、問いかけよ、そして、最後には汝自身で決めるのだ」
「……」

 セレナは大きく溜息を付いた。
 それと同時全身に張っていた緊張感が抜け落ちて行くのが分かった。

「しばしの休息をとるがいい。起きた頃には世界はまた回り始めるだろう」
「名も知らぬ神よ…………何故…………」

 そこから先は言葉にならず、彼女は疲労に伴なう微睡みに落ちていった。
 全てが暗闇に包まれる寸前、彼女は赤い尼僧服に身を包んだ人影を見たような気がした……。



[13088] いんたーみっしょん
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:ceb919ef
Date: 2010/03/19 22:55
 緊張のあまり思わず胃の腑からせり上がってくるような衝動をなんとか抑え、カオルは両手で口元を抑えつけたままヨロヨロと狭い馬車の中を何とかあとじさった。
 青白い顔色のまま座席に腰掛けた彼女の目の前には、それと大差ないほど顔色の悪い様子でぐったりと横たわるセレナの姿がある。いや、単純に顔色だけでいうのならば、しっかりと手当を施されてからサー・アロンソと名乗る騎士の魔法で治療を受けたセレナの方が幾分かマシという有様だった。
 カオルが今にも倒れそうなほど悪い顔色をしている理由は、やはり先程たっぷりと目撃した激戦の名残も当然あったが、それ以上についさっき体験した衝撃的な内容も影響している。
 順を追って話せば、まずゴブリンとの戦闘は圧勝のままに終わった。
 もともとあの老騎士の力が水準以上のものだったということもあったが、それに加えてマーチとカッサシオンが加わった事により勝利の天秤はあっさりと彼らの側に傾いてしまった。
 勝負は水物とはよく言うが、これだけはっきりと変わってしまった流れをゴブリン程度では変えることが出来ず、戦力が目に見えて目減りし始めた途端に生き残りは逃亡し始めたのだ。
 また、彼らの間でのリーダー格だったのだろう大柄なホブゴブリンがセレナとの一騎打ちで壮絶な最後を遂げると――まさに、壮絶な最後であり、そのスプラッタな光景はカオルの胃に更なるとどめの一撃を与えるに足る物だった。
 閑話休題。
 そうして頭を失ったゴブリン達は我先にと逃げ出し、こちらも血塗れで昏倒したセレナを放って掃討戦に移るような余力もなかったためにそのまま敵は逃げるに任せて捨て置くこととなった。
 そして血と泥と内臓と何やら良く分からない物体がこびり付いたセレナの鎧と服をカオルは老騎士と共に脱がせ、他の男二人に見えない所で湿らせた布を使ってセレナの体を綺麗に拭った。
 その時に治療をその他を騎士に任せた。彼も男性なのでどうしようかと最初は考えたが、アロンソが回復魔法と治療術に通じているという事なのでしょうが無かった。それに今年で80になるという老人にまで気を張る必要もないだろうと考えたこともある。
 そうして治療を頼んだ際、リアルグロ画像を現在進行形で見ていたカオルの顔色も相当ひどいものだったせいか、騎士アロンソは彼女にも治療をしようかと持ちかけたがカオルは謹んで辞退した。
 まさかリアルな殺し合いを見たせいで吐きまくっていたとは恥ずかしくて言えなかったせいだ。
 彼女を除いた全員があれだけ勇敢に戦っていたのに、彼女一人だけが木陰に隠れてゲロゲロと吐きまくっていたのだから、とてもではないが頼めた話ではない。
 しかも目の前の二人は片方は彼女よりも年下で女性であるにもかかわらずあの強さ、そして片方は彼女の故郷――世界一の長寿国で医療も発達したあの国――の基準で考えてすら棺桶に片足を突っ込んでいるような年齢で、あれだけ勇猛果敢に戦っていたのである。どう考えても外科治療が発達していなさそうなこの世界にあって、80という年齢は何を況やというものだ。
 しかし老騎士は生来女性に対して崇拝じみた敬愛精神でも持っているのか――その点はまさに彼女のイメージする中世騎士だった――治療を固辞する彼女に最後まで心配の言葉を投げかけ、最後には「ならば吾輩たちが周りを警戒している間、司教猊下をお見守り下され」と言い残し、彼がロシナンテと呼ぶ愛馬に跨って去っていった。
 その際「サー・アロンソにロシナンテって……あとはサンチョ・パンサでもいれば完璧ね」と一人忍び笑いを漏らしながら、うなされるセレナの手を握ったその瞬間であった。
 握った手からまるで電流が流れ込んできたような衝撃と共に、彼女はセレナ――いや、《鉄槌》のセレスティアナの記憶を断片的にだが追体験していた。
 体感時間にして数カ月、実時間にしてみれば一秒にも満たない瞬間だったのだろう、ハッと息を呑んで素早く手を離した時には太陽の位置は一ミリも動いておらず、そっと窓の外を覗いた先には最後に見た時と同じくマーチが適当な岩に腰掛けて葡萄酒入りの革袋を呷っていた。
 先程見たものが単なる白昼夢なのか、あるいは本当にセレナの実体験なのか?
 そんな事を混乱する頭で考えていると、目の前で横たわっていたセレナがうっすらと両目を開けた。そうしてうわ言のような調子で彼女に対して声をかけてきたのである。
 あるいは、手を離してから話しかけられるまでの間が十分に空いていれば、カオルも混乱する頭の中を整理して普通の対応をする事が出来たかもしれない。あるいは、カオルが追体験したセレナの記憶が他愛のない内容であれば、ここまで混乱しなかっただろう。
 だが、実際は混乱から帰ってくる余裕などなかったし、そして垣間見たセレナの記憶と思しきものは余りにも重く凄惨な内容であった。
 結果、カオルは混乱した頭のまま普通なら絶対にしないような事をしてしまった。
 つまり、つい先日マーチから神話を聞いている時に見てしまった白昼夢に登場した混沌神の立ち居振る舞いをそっくり真似をして朦朧状態のセレナを煙にまいたのである。

「………………セレナさん、ゴメンナサイ」

 怪我と疲労で朦朧とした相手に適当な事を行って信じさせるなど、詐欺師かヤクザの遣り口である。
 意気消沈しながらも、カオルは恐る恐る頭の中で「メッセージログをオン」と呟いた。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
メッセージログon

サブクエスト 「ゴブリンの襲撃」 終了
戦闘に 《不参加》 でした
経験点 なし
技術点 なし
評価 F
もっとがんばりましょう


《ブレインハック》発動
セレナ の《精神抵抗》技能は[昏倒]状態のため 発動しません
セレナ の記憶野をハックしています…………成功
セレナ をブレインハックしています
セレナ が[昏倒]から回復
セレナ の《精神抵抗》 技能発動
意思判定………………成功
《ブレインハック》を中止
【発現者】技能点に加点


《他宗教の理解》発動
《神の言葉〈ラ=ガレオ〉》発動
セレナ をだまくらかした
《アクター》技能を入手しました
カオル は罪悪感をいだいた
カルマ が下がった
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「…………」

 メッセージログは正しく機械的で無味乾燥で容赦がなかった。
 その余りに直接的な言葉にカオルは両手で顔を覆って項垂れた。

「だまくらかしたって……」

 実際そのとおりであるのでどうしようもなかった。
 しかもその後に入手したと思しき技能はアクター(役者)だ、これがペテン師だったりしなかっただけマシだと思うべきなのだろうか? 判断に困ったカオルはとりあえず疲れきった者特有の空虚な笑い声を漏らしながら頭痛のしてきた頭を抱えて大きなため息をついた。

「……カルマ(業)……か……」

 面を上げて後頭部をゴツンと背後の鎧窓に押し当てた。
 カルマ、それは人の行いに付随する罪業の概念であり証だ、そんなものまでもし明確に数値化されてしまう世界があったとしたら、それは…………。

「それは、なんて気楽で手間の掛からない世界なんでしょうね……」

 もちろん彼女の故郷でも裁判によって罪の重さがある程度数値化される。だがそれは「暴行傷害で○点」「連続殺人で○点」等という明確でシステマチックなものでは当然ない。法を作るのも執行するのも裁かれるのも人間である以上、そこには人間らしさをすべて排除した冷徹な計算機械のような法律を作ることは出来なかった。
 宗教だとか、良心だとか、伝統だとか、慣習だとか、人種だとか、民族だとか……そんな諸々の何もかもを全く無視して絶対的な基準を求める「世界のシステム」なんて物がもしあれば、あるとするのなら……。

「やめましょう……バカバカしい……」

 欝な気分のせいでまたもやおかしな方向に思考が逸れてしまったようである。彼女は無理矢理にでも思考の道筋を正すと、新たに現れたログの内容を熟考し始めた。
 まず始めにこのメッセージログ機能を初めて使ってみたわけだが、これまでのようにあの無味乾燥な声が一字一句繰り返すのではなくまるでホログラフィー投影されたように彼女の目の前に半透明をしたメッセージボードが現れたのだ。
 そのボードは彼女が何処を見ようが目を閉じようが必ずそこに浮いていた。もしや本当にそこにあるのかと何度か指で触れてみようとしてみたが、当然ながら指はすり抜けた。
 そうして何度か目を左右上下に動かしているうちに彼女の脳裏にとある単語が閃光のように浮き上がってきた。

「……網膜投写?」

 自分で呟いて、彼女はその単語にハッと驚いた。
 心臓が高鳴る。まさか、そんなはずは。
 網膜投写型ディスプレイは向こうの世界ですでに実現化された技術だった。例によって例のごとく、空想世界のSFトンでも作品を大真面目に実現化してしまう彼女の故郷の技術であった。液晶技術で十分であるというのに、わざわざ金をかけて実現化してしまうのがロマンで飯を食っているような研究者の性というべきか……。
 それはともかく、もしこれが魔法や奇跡の産物ではなく彼女の世界の純然たる科学技術の産物であったならば? あるいは彼女自身の欠落した記憶の謎を解く鍵になるかもしれなかった。

「ま……今はこれは保留ね」

 これ以上は考えても仕方がない、彼女は一旦その考えをタンスの中に閉まって次の思考材料を取り出した。

「《ブレインハック》……これがあの追体験の原因かしら」

 だとすればなぜこんなものが発動したのか? ログには全くその辺の情報は書かれていない。
 なんにせよあんな事は二度とゴメンであるので何とか発動しないように気を付けるか、或いは発動条件が一体何なのか探る必要がありそうであった。
 他に初めて見るもの、《他宗教の理解》と《神の言葉〈ラ=ガレオ〉》はそのものズバリであろうが、これ以上深く知るには謎が多すぎる……と、そこまで考えてから彼女はハッと重要な見落としに気がついた。
 そしてダメでもともとという気持ちで「ヘルプ《他宗教の理解》」と心のなかで呟いた。すると……。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
《他宗教の理解》技能 のヘルプ
 あなたはとある神に仕える神官でありまた優秀な
神学者でもあります。あなたは自らが仕える神の法
典を隅から隅まで熟知しており、またそれだけには
飽きたらず優秀な神官が時に陥りがちな悪癖である
他宗教への偏見と蔑視と無知を克服したのです。

[取得条件]
神官クラスを[司祭]以上まで上げる
少なくとも一つ以上の他宗教について司祭位以上の
知識と理解を持っている
少なくとも二人上の全く別の神に仕える神職と知人
もしくは友人である

[恩恵]
他宗教の神官との交渉にプラス修正
他宗教の神官との戦闘にプラス修正
場合に拠っては《賢者》技能にプラス修正_
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
《神の言葉〈ラ=ガレオ〉》技能 のヘルプ
 あなたは自らが仕える神が記した経典・法典、そ
の他の書物や口伝による伝承までに至るありとあら
ゆるものを諳んじる事が出来ます。
 あなたは優秀な告解神官であり、迷える信者をあ
なたの宗派の知識に則って導き諭す事が出来ます。
その重厚な言葉の森と圧倒的な知識の海は、まるで
実際に目の前にその神がいるかのような印象を与え
るでしょう。

[取得条件]
神官クラスを[司教]以上に上げる
or
神学者クラスを[求道者]以上に上げる

[恩恵]
あなたの神の信者から様々な恩恵を得る
場合に拠っては《説得力》技能にプラス修正
場合に拠っては《賢者》技能にプラス修正
場合に拠っては交渉が有利に運ぶ_
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「おお……」

 まさかと思って試してみれば、そのまさかであった。
 二つのヘルプを熟読し、さらに他のものも試してみようとしてみるも帰って来た言葉は「現在この機能は云々」という例のセリフで、《ブレインハック》と《精神抵抗》については知ることが出来なかった。
 しかしそれでも大幅な進歩であることには変わりが無い。彼女はまた一つ新たな真実の欠片を得たことに満足しながらも、思索にふけるのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――



 戦闘で汚れた篭手や具足を布切れで磨き、地面からちょうど椅子のように突き出た岩の上でマーチは葡萄酒の入った皮袋をぐいと呷った。カッサシオンと騎士アロンソは念のためゴブリン達が逆襲を狙ってその辺に彷徨いていないか確認に出ていたが、前後不覚になっているセレナと戦闘力マイナスのへっぽこを置いていくわけにも行かず、彼が護衛のために残っていた。
 ちらりと馬車の方に目を向けて、彼は呆れと疲れと心配が混じり合った溜息を吐いた。
 あの初めての出会いの時のようにカオルが豹変してばっさばっさと敵をなぎ倒してくれるなどと言う都合の良い考えを持っていた訳ではなかったが、それにしたって援護くらいは出来るだろうという淡い期待感は持っていたのだ。
 しかしながら蓋を開けてみれば、危うくスケルツォを殺しそうになったほど強力無比なクリーチャーとしての片鱗は何処へやら。どう見てもお荷物です本当にありがとうございました。
 あの買い物の時にわざわざ中古品のクロスボウを購入してあったのに、とうとう一発も撃たず仕舞い。
 弓の心得などないだろうから素人でも狙いの付け易いクロスボウで、しかもその腕力だけは化物じみているので鋼鉄弦のヘヴィクロスボウを手引きで連射出来るのではないかという打算もあったというのに、取らぬ狸の皮算用とはこの事である。
 半ばヤケ酒のつもりで再度がぶりと酒を煽る。
 ええい、こうなったらマッパーと荷物持ちに専念させるか、どうせ体力と腕力だけは化物クラスなんだ。そんなふうにほとんどやけっぱちな思考になりながらも、周囲の音に気を配っていると、だく足で進む馬と鋼鉄同士がこすれ合う騒々しい音を彼の狼なみに鋭敏な聴覚が捉えた。
 視線をそちらに向けると、小高い丘を超えて老騎士とカッサシオンが帰還してくる。
 マーチは岩から立ち上がって大きく一つ伸びをすると、ひらひらと手を振りながらこちらに近づく二人に話しかけた。

「ゴブリンはどうだった?」
「なかなか頭の回るやつがいたらしく、四方八方に散り散りになって逃げました。ま、戻ってくることはないでしょうね」
「うむ、いくら奴らとてこれだけ叩きのめされれば大人しく巣に帰った事だろうて」

 そう言ってサー・アロンソが人好きのする笑顔を浮かべると、思わずマーチも釣られて笑い「そう願おうかね」と溜息と共に吐き出して肩を竦めてみせた。

「うむ、ところで一つ聞きたいことがあるのだが」
「あ? なんだよ」
「うむ……実はな」

 老騎士は馬から降りると周辺100フィート以上はだだっ広い草原と疎らな雑木林しかないというのに、まるで人目を憚るように声を落としてヒソヒソと声を出した。

「その……非常に恐縮なのだが時計は持っとらんか? なにせ急な出立であったのでな、いつも持っておる懐中時計を忘れてしまってな」
「俺はないけど……カッサシオン、持ってるだろ」
「ええと、現在時刻は午後三時半ですね」
「なんと、それはいかん」
「何が」
「いやはや、実は吾輩任務の途中で抜け出してきておってな。あまり騎士団の連中から離れるとまたぞろ小煩い輩がガミガミ騒ぎ立てよるでな。司教猊下に御暇の言葉をかけられんのが心残りだが……むぅ、やむを得んか」

 抜け出してきた、という穏やかならぬ言葉にマーチは眉根を寄せる。
 そもそもこの騎士が一体どういう身分の人間で、なぜセレナを連れてここまで来ていたのかすら彼は知らなかった。それらの事情を聞く前にやらねばならぬ事があったので仕方ないが、このままでは彼は帰ってしまうのだろう。
 その前に何とか事情を聞き出そうと彼が意気込んだ瞬間を見計らったように、それと気づかれないような素早い何気なさでカッサシオンから指言葉が飛んだ。

(すでに私が色々と聞き出しました、後で話しますからこのまま行かせてください)
(了解、いいんだな?)
(是)
「そうか、残念だな。そんじゃあ今度あった時にはお礼に一杯奢るぜ、爺さん。社交辞令じゃなくて本気でな」
「む、酒宴の契であるか? ハハハ、吾輩は酒と饗宴の神ドラブニィ(Drabny)を奉じておるわけでないが、まあ、あの神なら多めに見てくださるだろうて」
「じゃ、『ドラブニィの酒盃が乾く前に』」
「『いずれまた出会い酌み交わそう』では、さらばだ!」
「きいつけろよ、爺さん!!」
「貴卿の道行きに幸あれ」
「ワハハハ! 自分の心配をせぬか、ヒヨッコめ!」

 気持ちのいい笑い声を響かせながら目庇(まびさし)を下ろした老騎士は、またがった牝馬の嘶きを後に残して疾駆した。
 あっという間に地平線の彼方へと走り去っていくその速さは、なるほど確かに生半な騎士など真似すら出来ない凄まじい手綱捌きであった。まあ、そもそもあの戦闘を間近で共に戦った彼からすれば疾っくの昔に思い知っていたことではある。

「凄まじい爺さんだな、あれで80ってんだから恐れ入るぜ」
「しかもパルテノン騎士団の重鎮ですからね、フットワークが軽い人だとは聞いたことがありましたがあれほどとは想定外でした」
「へぇ…………え?」

 聞き捨てならない単語にギョッと目を向いて首を捻ると、先程までの彼のように岩に腰掛けたままカッサシオンがひょいと肩を竦めて水袋を取り出していた。

「聖王国から帝都まではるばる旅の途中だったそうで、公都にはたまたま立ち寄っていたそうですよ。で、たまたまセレナさんが衛兵詰所に入っていくところを見て……という流れらしいです」
「パルテノン騎士団……? マジで?」
「マジです。紋章も見せて貰いましたから間違いないかと」
「……どうしよ、おれ爺さん呼ばわりしちまった」

 心なしか青くなった顔でそう呟くと、カッサシオンはクスクスと笑って面白そうな視線を彼に投げかけた。

「こんど会った時に謝ったらいいじゃないですか。ドラブニィの酒盃が乾く前に」

 その皮肉交じりの言葉にマーチはむっと不機嫌な顔で押し黙った。
 酒宴の契と呼ばれるその一連の文句は、いうなれば「またいつ会うかさっぱり分かんないけど、俺たちがもう一度先を飲み合う運命ならドラブニィがそう取り計らってくれるよね」という意味でしかないので、神様の加護が本当にあるのかないのか――いや、殆どないと言っても過言ではない。
 なにせドラブニィの持つ「永遠の酒盃」と呼ばれる神器は決して涸れることのない酒が滾々と湧き続るという代物なのだ。つまり「ドラブニィの酒盃が乾く前に」という文言は実は「永遠の時間のうちまたいつか」という非常に気の長い、約束とも言えない約束なのである。
 こんな事ならもっと違う神にでも誓えばよかったと後悔してももう遅い。
 マーチは今日何度目かも分からない大きなため息をついたのだった。




















――――――――――――――――
パソコンが無いから執筆出来ないって?
じゃあモバイル買えばいいじゃないって脳内の誰かが唆したのです。

ジョーシンで安いGatewayのラップトップを買いました。辞書機能は弟にプレゼントした前の古いラップトップからレスキューして代用。
修理の方は音沙汰ない……(´・ω・`)

結論
人間、やろうと思えばなんでもできる



[13088] ゆめうつつ
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:4180e765
Date: 2010/03/30 02:01
 彼女は走っていた、まるで心臓が喉から飛び出そうなほど激しく高鳴っているのは、彼女の体に蓄積した疲労だけが原因ではない。恐怖と混乱と激しい怒りが彼女を急き立ていた。
 非常電源に切り替わった薄暗い通路中に「危険、即時退避」を意味する黄色の警告灯が回転しながら点滅していた。先程まで全職員の即時退避を狂ったように勧告していたスピーカーは、保安室が致命的な打撃を受けたのかそれとも何処かで断線でもしてしまったのか、不気味な沈黙をただ彼女に投げかけていた。

「はっ……はっ……くっ……」

 渇いた喉が少しでも水分を欲しがり唾を飲み込もうと動いたが、すでに口の中はこれ以上ない程からからに乾いており、飲み込むための唾は一滴も残っていない。
 彼女は90度に折れ曲がった角に差し掛かると、その壁際に背中を押し当ててそっと通路の向こうを覗き込んだ。
本職から見れば「バカっ不用意に顔をさらすな」と叱咤を受けたであろうが、彼女にとってはフィクションから得た特殊部隊の動きを何とか思い出しながらの苦肉の策である。
 そうして曲がり角の向こうに何もいないことを確認してから、彼女は安堵とも嘆きともつかない息を吐いた。そうしてその視線は両手でしっかりと握られた黒い凶器に否応なしに注がれる。ここに初めてやってきた時に護身用として渡されたそのちっぽけな凶器は、当たり所さえ悪ければ人間を死に至らしめることなど造作も無い。
 しかし、現在のところ彼女が陥っている混乱にあってはむしろ頼りなさしか感じなかった。
 そうは言っても彼女が持っている武器はこれしかない、途中で何度か酷い状態で死んでいる保安員を見たが、彼らの持っている武器はすべて安全の為に遺伝子錠が掛かっているために本人以外は使えない。
 しかしそれ以前に死体漁りをするような度胸は彼女にはなかった。もとは顔見知りの死体である、そんな所から平然と物資を漁れるほど彼女は幸か不幸か壊れていなかった。

「はぁ……はっ……」

 何度か大きく息をついて、上がりきった呼吸を整えると彼女はそのまま通路から躍り出て先を進んだ。
 長い直線、悪い場所だ。前から来ても後ろから来ても敵に丸見え。
 そんな悪い考えを振り払うように先を急ぐ彼女の頭上から「ガコン」と不吉な音がする。
 どう考えてもそれは通気ダクトの金網が外れた音にしか聞こえなかった。

「くっ!」

 上など見ない、そのまま全速力で先を急ぐ彼女のすぐ後ろに頭上の排気ダクトから這い出してきた何かが着地する。
 聞きようによっては何処かの言語に聞こえないでもない唸り声を上げながら、背後の何かは彼女を追いかけてくる。
 彼女の頭の中はもはや恐怖以外の感情が占める割合はなかった。
 これまで生きてきた中で最高の速度を出せたと自負出来るような走りも、しかしながら人外の怪生を相手取っては、その生涯最高の俊足すらほんの少し捕まえるのが遅くなっただけに過ぎない。

「あぅっ!」

 右足の太ももを襲った鋭い痛みに、彼女は埃っぽい研究所の廊下に投げ出された。よほどの速度が出ていたのか、それとも突然の事で反応出来なかったのか、彼女は両手で床を押さえるような簡単な受身も取れずに倒れ込んだ。
 廊下に這いつくばった彼女の視線に映ったのは、拳よりも一回り小さいほどの大きさをした何の変哲もない石の礫だった。
 彼女が握っている武器に比べれば余りにも原始的、余りにも簡素で粗雑な武器であったが、人ひとりを行動不能にするには十分すぎる代物である。
 激痛を訴える右足を引きずりながら何とか立ち上がろうとした瞬間、荒々しい動作で仰向けに転がされた。
 覆いかぶさる襲撃者の姿を満た瞬間、彼女は咄嗟に右手に握った拳銃の引き金を引いた。
 撃鉄が落ち、乾いた破裂音と共に鉛玉が銃口から飛び出るが、それは敵に当たらず虚しく天井に火花を散らした。彼女が銃を向けると同時に敵がその右手で彼女の手を打ち払っていたからだ。
 そうして二発目の引き金を引き絞る前に、化物は彼女の右手から拳銃をもぎ取って通路の彼方に投げ捨てる。金属同士がぶつかり合う異甲高い音と共に、彼女の反撃手段は永遠に奪われた。
 ぼんやりと薄暗い非常電源の明かりと、通路に等間隔に飛び出た黄色の回転灯の明かりに照らされて、今や彼女の命をその手に握っている襲撃者の姿があらわとなった。
 フィクションの中でしか見たことのない、薄汚れた革鎧にボロボロのマント。腰や首には革製のベルトに金属の留め金で短剣や小物入れ、そして何らかの儀式的意味があるのだろうアクセサリーがジャラジャラとぶら下がっていた。
 彼女の両腕を肘の所で抑えつける両腕や顔面には一切の体毛がなく、その代わりに全身を覆うのはきめ細かい鱗の肌であった。その両目は黄色い回転灯の光を反射して、まるで水に濡れた黒真珠のように光っている。彼女の両腕を肘のところで押さえつけている両手には指が四本しかなく、人間の柔な肌など簡単に引き裂けるような鋭く尖った爪が伸びていた。
 爬虫類の頭部に人間の体をした怪人。
 リザードマンとも呼ばれるその異形は、御伽話かフィクション作品の中だけに息づいている筈の化け物だ。
 いや、だった。そのはずだったのだ。しかし空想が現実を侵食した瞬間、虚構は実態として血肉を持った。

「シュッ――」
「ひ……」

 悠長に悲鳴を上げる暇すらなかった。
 異形は彼女の襟元に両手をかけると、臍の辺りまで一気に服を引き裂いた。飾り気の無い白のワイシャツと下に着ていたTシャツがただの襤褸布と化すと、その下にはまたしても飾り気の無い無地のブラジャーが現れた。
 そのあまりに突然行われた蛮行に彼女が呆けていると、蜥蜴人はまるで初めて見るかのようにブラジャーを引っ張ったりつまんだりしながら首を傾げたが、外し方が分からなかったのかそれをつけたまま彼女のやや控えめの胸を鷲掴みにした。
 爪の食い込んだ痛みに思わず悲鳴を上げると、怪人はシュルシュルとガラガラヘビの警戒音のような音を立てながら、その二股に別れた舌をチロリと彼女の顔に走らせた。そして同時に余った片手が彼女のスカートを下ろそうとするに至り、とうとう混乱した彼女の頭は相手の目的を察した。
 犯される。

「いやぁッ!!」

 瞬間的に爆発した嫌悪感に、彼女は自分でも何を言っているのか分からない叫び声を上げながら必死に抵抗した。
 五ヶ国語を駆使して世界各国の罵詈雑言を浴びせながら、その折れそうなほどか細い両腕でふんばり、なんとか自分の顔に舌を這わせる相手の顔を押しのけようとするも、そんな彼女の抵抗はかえって相手の嗜虐心に火を付けただけに終わった。
 蜥蜴人は生臭い息を彼女に吹きかけながら首に、頬に、胸元に舌を這わせる。
 殴っても彼女の非力な拳では碌な抵抗にはならず、引っ掻いた所でその硬い鱗のせいで自分の爪が傷つくだけに終わった。
 ならばと目や股間といった急所を狙おうとしても、相手は手馴れた様子でそういったなけなしの抵抗を防いでみせた。

「ケッ…………」
「ッ……?」

 ハッとした顔で手を止めると、覆い被さる影が背中を小刻みに震わせながら息を吐いている。もしや発作か何かと考えた彼女の目の前で、それの吐く息は明らかに一定の音律をまとい始めた。け、けっけ、けっけけけ、けけっけけ……。瞬時に彼女は悟った、それは笑っているのだ、嘲笑っているのだ、無力な彼女を、ひ弱な人間を、無意味な抵抗を、何もかもを嘲笑している。

「畜生が!! くそ! くそ!」
「ケケケケケ、ケケケケ」
「こんな所で、こんな所で!」
「ケケ、ケケケケ!!」

 涙を流しながら滅茶苦茶に暴れる彼女を見下しながら、異形は哂った。
 彼女の頭は怒りで真っ赤になる。こんな所で終わるのか、何一つ満足に出来ぬまま、くそったれな蜥蜴人間に犯され殺されるのが私の運命だというのだろうか? それが結末? 避けえぬ終わり?
 否! 断じて! 死ねない、こんな所で死ぬわけには行かない!
 嘲笑れながら再度四肢を組み伏せられた瞬間、彼女の脳内で最期まで掛かっていた安全装置が外れた。
 自分で自分の体を壊しかねない筋肉の全力稼働を、彼女の本能は今こそ使うべきと判断して鍵を外す。

「ウワァァァァ!!」

「!」

 容易く組み伏せたはずの相手がまさかその拘束を無理やり振り解くなど考えもしなかった敵は、突然の事に驚いて彼女の両腕を自由にしてしまう。そうして自由になった腕で、彼女は眼前にあった敵の右目に思い切り親指を突き刺した。生き物の目を指で突き刺すという行動に何の躊躇いもない、正確無比な一撃は角膜と水晶体を容易く貫いて眼球を破壊した。

「ギィエエエェェェェエ!!」

 おぞましい絶叫を上げながら異形が身を仰け反らす。
 その瞬間に逃げ出そうとした彼女だったが、這い出して起き上がろうとした瞬間に強烈な一撃を背中に受けて床に再度投げ出された。背骨が折れるかと思うような激しい痛みに呻きながらも、なんとか這って進む彼女の脇腹を容赦のない蹴打が襲う。
 蹴り飛ばされて廊下の壁に打ちつけられた彼女が見たのは、逆上しながら喚き声を上げてナイフを引き抜く蜥蜴人の姿だった。
 おそらく彼らの言語なのだろう、空気の抜けるような発音で何かを叫び、それはギラリと光る凶器を振りかぶった。

「くそったれ」

 末期の言葉にしては華がない。
 そんな事をぼんやり考えながら死の瞬間を待つ彼女の目の前を、目にも留まらぬ速さで鈍色の装甲服がかっとんでいった。

「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「え?」

 思考が追いつかない。
 呆然としたまま視線を巡らす。
 彼女がさっきまで向かっていた方向からやってきたそれは、今しも彼女を殺そうとしていた怪人を蹴り飛ばし、その勢いのまま強烈なタックルを食らわせていた。
 驚愕と怒りの声をあげる獲物を再度前蹴りで蹴飛ばしてから、装甲服で全身を覆ったビア樽のような後ろ姿は背中に担いでいた軍用パルスライフルを瞬時に構えて引き金を引いた。
 きぃぃんという独特の甲高いチャージ音と共に毎分一万発の速度で射出されたプラズマ弾が、瞬きする間にリザードマンを細切れの挽肉に変えていく。もともと凶悪な威力を持っていたそれは、研究員たちの悪ふざけの改造で桁外れに高火力へアップグレードされていたため、敵はおろか背後の床や壁までボロボロの穴だらけにしてしまうほどだった。
 そうしてポカンと呆けた彼女が見守る前で、彼は素早くライフル後部からエネルギーマガジンを引きぬいて再装填しながら上下左右に視線を巡らせ、新たな敵がいないか確認してから彼女の側まで駆け寄ってくる。

「き、きき、教授! ぶ、ぶぶ無事か!!」
「……あんまり」
「け、けけ、怪我か!? どこだ!?」

 プシュっと気密が開放される音を立ててヘルメットのバイザーを跳ね上げたその下には、心配そうにオロオロするカミンスキーの顔があった。
 そうして彼はそこでようやく彼女の酷い格好に気がつくと、羞恥と怒りに顔を真っ赤にしてから立ち上がり、すでに挽肉になった敵をさらに蹴飛ばして原型も留めない状態に変えた。

「こ、ここ、このクソ蜥蜴野郎が!! よ、よりにもよって、こ、この!」
「……カミンスキー」
「ここ、この、ふ、フザケやがって、クソックソッ! 畜生が! に、人間様を、ななななめるんじゃねぇ!」
「カミンスキー!」
「は?」

 まるで産まれたての子馬のようにプルプルと足を震わせながら、廊下の壁に手をついて立ち上がる。
 慌ててカミンスキーが支えるも、その際に触れた背中に激痛が走った。彼女は歯を食いしばって悲鳴を飲み込むと、憤怒と使命感に燃えた眼を前方へ――今さっきカミンスキーがやってきた廊下の向こうに投げやった。

「行くわよ」
「い、行くって、ど、何処へ」
「メインチェンバーへ……くっ」
「プロフェッサー!」

 思わず漏れた悲鳴を無理やり飲み込んで、彼女は薄暗い廊下の向こうを睨みつける。

「メインリアクターを止めるわ。さもないと地獄の釜が開けっ放しになる」
「お、おい! いいい、い今さっきそこから逃げてきたんだぞぉ!?」
「あら……そうなの? じゃ、あ、案内頼むわね」
「な、なななな、なに、なにを言って」
「く、くくく……それにしても、滑稽だと、思わないかしら? はは、あははははは」
「――――」

 彼女は笑った。まるで狂人のように。
 彼は硬直した。まるで新兵のように。

「こっちからあっちに行くのにあんなに沢山ハードルがあるのに、あっちからこっちに来るにはまるで素通りだもの。……ふふ、あははは、まったく……馬鹿にしてる、馬鹿にしてるわ……」
「ぷ……プロフェッサー……」
「なに?」
「か、帰ってい、いいか?」
「何処へ?」
「……」
「さあ、行きましょうか」
「畜生め!!」

 カミンスキーは一頻り罵詈雑言を故国の言葉で吐き散らしたあと、ブツクサと文句を言いながら彼女に肩を貸して歩き始めた。

「さあ、退職前の最後の大仕事よ。せいぜい派手に終わらせましょう」
「かか、か神様……こここ、ここ以外なら、どど何処でもいいですかかから、アアアアルドボーンのゲロクセぇ安酒場でも、あああのクソったれロシアでもこここのさいかかかまわねぇ、どど、どうか、ゆ、夢だと言ってくれよ!」

 しかしその世界に、神はいなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――



「おい、いい加減起きろ」
「――――」

 ひゅうと息を飲みながら、彼女の意識は覚醒した。
 現実の光景と夢の中の光景が脳内でごちゃ混ぜになり、早く浅い呼吸がそれに拍車をかけた。
 心臓はまるで鼠か何かのような異常な速度で鼓動を繰り返し、背中と胸元を冷たい嫌な汗が流れ落ちて行く。

「……おい、大丈夫か? 立てるよな?」
「……うん、行ける。だいじょうぶ、私はだいじょうぶ」
「そ、そうか」

 ちらりと心配そうな視線を向けるマーチに、彼女は今まで一番能天気に見えるような笑顔を向けてそう言い放った。カタカタと震える両手を必死に毛布の下で隠しながら……。
 マーチはやれやれといったように肩を竦めながら馬車から降りた。既に彼女以外の面々は馬車から降りて準備万端となっているようである。セレナの顔色は少々青白いが、手当をした頃と比べれば雲泥の差となっている。その隣でナイフを磨くカッサシオンは、まさに闇の世界での稼ぎを生業とする者特有のキナ臭さと不気味さを思わせる、例の暗緑色ローブを見に纏った姿となっていた。
 気取らない自然な動きでその列に加わるマーチを追って彼女がゆっくり馬車から降りると、いつの間にか目的地についていたのだろう、目の前にはカラマツの生い茂る林とその中に忽然と現れた扉がある。
 扉は随分と長い間手入れ一つされていないのだろう、腐りかけてボロボロになったそれには彼女の理解出来ない言語で何かが殴り書きされていた。更に扉の周囲には焚き火の跡や何かの骨が散らばり、そして何よりも彼女の目を引いたのは鋭い木製の槍に貫かれて地面に突き立てられた頭蓋骨であった。
 かつては生きて何かを見ていたであろうそれは、今や虚ろな眼窩を眼下の冒険者達に投げかけているに過ぎない。
 まるで何かを訴えかけてくるようなその薄ら寒い光景を見ていると、彼女の視線に気がついたマーチがひょいと肩を竦めて見せる。

「ゴブリン共の警告だ「ここは俺たちの住処だ、入ってくるな。もし入ったらこうだぞ」ってな」
「御丁寧に扉にまで書いてありますよ、クックック……骸になるのは自分たちの方だと教えて差し上げないといけませんね」

 さも可笑しげに笑って、カッサシオンは意外に細く優雅な指先をゆらゆらと動かしながら扉の前に跪いた。

「少し厄介な鍵と罠がかかっていますね。お茶でも飲んで少々お待ちを」
「しくじるなよ」
「まさか」

 そう言って肩を竦めて、それきりカッサシオンはこちらの事など一瞥すらせずに手元の作業に集中した。
 そんな背中にマーチは鼻で息を抜いてこちらも肩を竦め、足元に置いてあった巨大なバックパックを示してみせた。

「これがお前の荷物だ」
「で、でか!」
「それと、これと、これと、これ」

 彼女の背丈の半分はあるような巨大な背負い袋に呆然とするまもなく、彼女の両手にはマーチから渡されたアイテムが積み重なっていく。
 所々が空白になった書き込みだらけの未完成の地図。
 まっさらな方眼紙と鉛筆、方位磁石。
 腰に吊るすタイプのカンテラと重クロスボウ、予備のクロスボウボルト、油瓶、火口箱、12フィート棒。

「……これ、どうすれば」
「お前の仕事は歩いた道をその紙に書き起こすことだ。方眼紙の1目盛りをだいたい5フィートと考えろ、カンテラはずっと点けとけ、俺たちが消せっていうまでな。油瓶はカンテラの油だ、火口箱はカンテラが消えた時のため、12フィート棒は……まあ、みたまんまだ。で、クロスボウは使えるときだけ使え、基本的に戦わなくてもいい、いるだけで大丈夫だ」
「はぁ……」

 どうやら彼女は荷物持ち兼援護係となったようだ。
 最前線で切った張ったなど彼女には無理な相談だとマーチは悟ったらしいが、彼女にとっても非常に有り難い申し出である。一つ問題があるとすれば彼女自身の矜持であった。
 年下相手に守ってもらうというのはとうに成人して自活していた社会人にとって忸怩たる物がある、しかしかと言って「別に敵がバケモンなんだから殺すのに罪悪感も忌避感もないぜ! ヒャッハー!」などといったぶっ飛んだ思考と行動は彼女には出来なかった。
 頭の中から狂気と混乱が駆逐されつつある彼女にとって、相手の命を奪うという行為は非常に覚悟のいる行為である。もしも彼女がマーチ達と出会った時のように何処か遠い所で思考をさ迷わせていれば、或いは何の抵抗も無く敵をくびり殺せたかもしれなかったが、幸か不幸か彼女は正気と常識を取り戻しつつあった。

「……よし、開きましたよ皆さん」

 そう言ってカッサシオンが立ち上がり、彼らの方に向き直ると完璧な作法を匂わせる仰々しさと滑稽な道化芝居を思わせる軽妙さを含みながら一礼してみせた。

「それではワタクシ、ローグにしてバトルトリックスターたるカッサシオンが一同の旅先案内人を勤めさせて頂きます」

 そう言って面を上げ、彼はにやりと笑う。

「どうぞ、ごゆるりとお楽しみください」













――――――――――――――――
PCは戻ってきたが色々なくなった。
まさかのために作っておいたバックアップDVDディスクが役に立つ日がくるとは……
でも助かったのは必要最低限だった。ま、たかがデータだ、こまけぇこたぁいいんだよ!



[13088] でこぼこふたり
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:fe223a79
Date: 2010/04/30 20:07
 ガミジンによって率いられた総勢200余を数える野戦中隊が敵本拠地にやって来て目にしたものは、完全に要塞化された山肌と無数の馬防柵の群れであった。
 事前に仕入れた情報と違う。士官たちは戸惑いと憤りに舌打ちを漏らしながらも、その手と頭は的確に動いてた。
 敵アジトの全貌が拝める小高い丘に本陣を張ると、すぐさま戦列を揃えて戦闘準備に入る。
残念ながら今回は騎兵隊は本当の意味での予備戦力とならざるを得ない。
 そもそも騎兵は木々の生い茂った山肌の真っ只中に突撃する事などないが、それでもその多量の馬防柵によって中隊の機動力が大きく減じた事は確かである。また物見の報告によると敵本部と思わしき山中腹に向かう道には多数の罠と伏兵が確認できるとのこと、またそれら敵の総数がこちらの予想よりも遥かに多い事が分かった。
 様々な予想外の事態に緊張感の高まる中隊の兵士たち、そして士官達が招集に応じて集まった本部テントの中で顔を付き合わせる。
 馬鹿正直に敵捕虜から手に入れたルートを通れば、これでもかと用意された罠と伏兵で痛い目を見ることが分かりきっている。
 かと言って他のルートをいちいち開拓などしていられないし、そもそも地の利は相手にある。目に見えぬ罠が他のところに仕掛けてあるのはまずもって間違いないと思われた。
 そうして額を突き合わせて唸る士官達が、今までむっつり押し黙っていた最高司令官に指示を仰ぐと、この場で最も階級が高く最も背の低いその人物は両腕を組んだままたった一言、単純明快な命令を下す。


「焼け」


――――――――――――――――――――――――――――――――


「四番発射!」
「四番、ってぇー!」

 びゅうんという唸り声をあげながら、組み立て式トレビュシェットから放たれた火炎樽が敵中に飛び込んで爆発した。蝋でピッタリと気密された火炎樽は、中にたっぷりと詰められたナフサが着弾の衝撃で辺りに撒き散らさると同時に、まさに爆発的な威力で周囲の全てをなぎ払っていく。
 それと同時に次々と放たれる素焼きの壺は中に煮え滾った松脂がしっかりと詰まり、決して水で消えない業火と熱を敵陣で解き放っている。ぐつぐつと煮える松脂を全身に浴びた盗賊は、まるで生きた松明のようになりながら逃げ惑い、最後には全身の皮膚と肺の隅々までを焼き焦がされて絶命した。

「五番発射!」
「五番、ってぇー!」

 またひとつ、戦場に赤い花が咲く。
 熱と、炎と、生き物が焼け焦げる匂い。
 罠も、伏兵も、小賢しい策も、何もかも一切合切を蹂躙する炎の絨毯が広がっている。
 宗教画に描かれる地獄もかくやと言わんばかりの光景――正しくこれぞ地獄絵図と言われる炎の祭典こそ、火炎旋風の二つ名で恐れられるミニスティ・“ミニマム”・ガミジン中尉の真骨頂であった。
 たとえ摂氏数千度に達する炎と、戦場を丸ごと俯瞰出来るような距離にいてすら感じられる輻射熱に耐え切れたとしても、天まで届くかと思わせるような業火がもたらす無酸素状態は如何なる生物も逃れる事は出来なかった。
 骨すら残すかと言わんばかりの執拗で容赦のない灼熱の攻撃は、時には味方のはずの同じ軍団兵からも恐れられ、影で「クレイジーガミジン」「インザニティック・パイロマンサー」と囁かれる遠因となっていたが、本人はそんな陰口も何処吹く風で「箔がつく」と笑い飛ばしていた。
 そうしてまた新たな火炎弾が敵盗賊の根城である山肌の斜面を根こそぎ焼き払っていく。
 事前に延焼を防ぐためにぐるりと周辺の木々を伐採しているとはいえ、借りにもその山はこの地を収める領主――帝国属州カムラン公国の主である大公爵の持ち物であるというのに、まるで頓着せずに煤と灰の山に変えていくその姿は鬼気迫る物すらあった。
 その光景を眉ひとつ動かさず睨みつけていたガミジンは、やおら溜息を付いて踵を返すと傍らの下士官に命令した。

「……打ち方やめ、別名あるまで待機」
「了解!」
「私はテントで休む、あとの処理はいつもどおりにしろ」
「は……?」

 全く予想外の言葉に思わずポカンとした顔で投石機部隊の少尉が聞き返すと、ギロリと睨み顔が返ってきたので慌てて敬礼して命令を復唱した。
 その少尉の反応も無理からぬことではあった。なにせこれまで彼女は一度やりかけた仕事を中途半端な所で放棄することなど殆どなかったからである。
 ガミジンはそんな伍長にもはや一瞥もくれずに再度踵を返してズンズンと――いや、ちょこちょこと小さい歩幅で、如何にも急場凌ぎな感の漂う仮設テントの前までやってきた。
 テントの前で歩哨をしていた兵士を半ば無理矢理任務を解いて戸口から退かすと、彼女の体格に合わせたような小さいテントの中に入り入口近くのコート掛けへ脱いだ上着を三枚ほどかけ、テントの中心近くに車座に置いてある組み立て式の椅子に腰をおろした。
 大きなため息と舌打ちと共に背中を大きく反らして草臥れた組立椅子に背を預けると、ずいぶん使い込まれたそれはぎしぎしと抗議の悲鳴を上げる。
 彼女の正面にはテントの真ん中近くで赤々と炭火を燃やすダルマストーブの姿があった。極度の寒がりで知られる彼女は、冬場の戦場には絶対にこの重くて嵩張る暖房器具と大量の木炭を持ってきている事で知られている。
 その才能が「炎」というたった一点だけに飛び出していることは、弱点でありまた天与の才とも言えた。
 水や氷や寒さといった物に呆れるほど弱体化してしまう彼女は、その反面に熱や炎や熱さといったものに滅法強くなっているのだ。
 その証拠に、常人ならば火傷がしそうなほど近距離に――殆ど抱きかかえるような至近距離にストーブを置きながらも平然としていられる事がその証左である。ちなみに炎と熱に無頓着なその性格のせいで何着も軍服を駄目にした前科を持つ彼女は、特注品である耐火繊維で編まれた服を見に纏っていた。
 そして彼女はそのままぼうっとテント内に吊るされた周辺の地図を眺めると、殆ど無意識の動きで使い込まれた海泡石のパイプを取り出した。そしてそのまま流れるような一連の動作で腰の小物入れからパイプ草を取り出し、パイプの中にこれでもかと詰め込んで火をつけようとした瞬間に、背後から伸びてきた腕が彼女のパイプをひょいと奪い取っていた。

「あっ」
「吸いすぎです。今日はもうお止めください」
「ボルテッカ、いつ入って来た? 声くらいかけろ」

 むっと睨みつけてそう問いただすと、相も変わらず彼女の副官は鉄面皮でひょいと肩を竦ませた。

「なんどもお呼びしましたが」
「……そうか」

 嘘ではないだろう。彼女が最も信頼するその副官はそんなつまらない嘘を吐く男ではなかった。それにいつの間にか防寒具を脱いで入口近くのコート掛けに掛けているところまで見れば、入室してコートを脱ぎ、それから彼女の近くに来るまで気が付かなかったということだ。
 それについては納得したものの、パイプを奪われたことに関してはまた別の問題である。彼女は不機嫌そのものといった顔で彼の手からパイプを奪い返そうとする。
 しかしボルテッカも手馴れたもので、殆ど同時と言っていいタイミングでひょいとパイプを握った手を真っ直ぐ上に突き出した、そしてたったそれだけの仕草でもう彼女はそれを奪い返すことが出来ない。
 何度かジャンプをして無駄な足掻きをしてから、さらに酷くなった不機嫌顔で遙か上にあるボルテッカの顔を睨みつけた。

「おい、返せ」
「どうぞ、お取り下さい」
「バカにしてんのか!?」

 当然ながら彼女の身長ではどうあがいても絶対に取り返せない高さである。椅子の上に立ってもまだ届かないだろう。
 そうして一頻り罵倒の言葉を投げつけながら取り返そうと揉みあって、唐突に彼女は今の自分がとてつもなく子供っぽくて馬鹿馬鹿しい姿をしていることに気がついた。
 誰がどう見ても、今の自分はお気に入りの玩具を取り上げられて癇癪を起こす小さな女の子にしか見えない。それを自覚すると、彼女は羞恥と怒りに真っ赤になりながら再度折りたたみ椅子に腰を下ろす。

「私をからかいに来たならとっとと出て行け。まさかサボリに来たんじゃなかろうな」
「一体全体、何をそんなに苛立っておられるのです?」

 困惑混じりのその問に彼女は苛立ちを微かに漏らして鼻で笑うと、ストーブの上でしゅんしゅんと沸騰して湯気を吹いていた薬缶を手に取った。そしてそのまま注ぎ口を咥えて中の熱湯をゴクゴクと喉を鳴らして飲み込み、薬缶を元に戻して「ぷはっ」と息を継ぎながら口元を拭う。
 常人ならば火傷は免れない危険な行為だが、彼女にとっては人肌に温もった白湯を飲んだようなものだ。
 そうしてチラリと傍らで突っ立っている副官を横目で睨んでから、その視線を再度赤熱する木炭に落とした。

「……そんなに分かりやすいか? 隠してるつもりだったんだが」
「自分には分かります」
「ほう」
「いえ、訂正します。自分にしか分かりません」
「……」

 平坦な口調の裏に隠れた自負心を覗きみて、そして更にその言葉と自負心が一体何に裏打ちされているのかを考えて、彼女は小さくため息を付いた。
 相変わらずその視線はじっと下に落とされ、手が触れ合うような距離にいる彼をまるでいないかのように扱う。
 暫しの間、二人の間に気まずい沈黙が押し寄せる。そしてその沈黙に先に耐えかねたのは彼女の方であった。
 ちらりと傍らで直立不動のままむっつりと押し黙る副官を見て、手袋を抜いだ手でガリガリと頭を掻いてから溜息を一つ。肩口までで切り揃えた髪の毛をポケットから取り出した髪留めで留めた。

「一体、どうしてイライラしてると思う?」
「はて……なんでしょう」

 そう言って彼は右手に彼女のパイプを持ったまま器用に自分の顎を撫擦ってみせた。
 そうして暫く考えたあと、ポツリと独り言のように彼の言葉が漏れる。

「さて、アノ日はつい一週間ほど前に終わりましたし……」
「ちょっと待て」

 聞き捨てならない言葉に、彼女は首元まで真っ赤になったまま椅子を蹴倒して立ち上がった。
 しかし勢い込んで立ち上がった彼女も、もしかして自分の早とちりかも知れぬという意識があったため、怒鳴る前にグッと一拍置いてまずは問いかけることにした。

「一応、聞いておいてやろう、アノ日ってのは何のことかな?」
「……中尉、純情ぶらなくてもいいですよ、正直似合いません。見た目はそれでもとっくに三十路過ぎ――」
「シャラップ!! というかなんでお前がそんな事まで把握している!?」
「むしろどうして把握していないと思っているのですか?」
「――――」

 そのまま絶句した彼女はパクパクと酸欠状態の魚のように口を開閉させ、意味の取れない呻き声のようなものを思わず漏らしながら、真っ赤になった顔を両手で隠すように覆った。そして耳先まで朱色に染めて俯くと、小刻みに肩を震わせながら小さな声で何やら呟く。
 その間ずっと今まで鉄面皮で押し黙っていたボルテッカは、そこで初めて頬を綻ばせると、彼女の小さく尖った耳元から細いうなじまでを、まるで壊れ物を扱うようにそっと無骨な軍人の手で撫でた。その手は、今まさに自分自身の顔を覆っている彼女の両手に比べてみれば、その違いは一目瞭然である。
 ガミジンは軍人とは言ってもその職は魔術師であり指揮官である。実際に敵と戦うことは当然あるが、その際に使うのは魔力であり呪文であった。それに比べてボルテッカはまさに叩き上げの軍人であり、兵士であり下士官である。戦う際にも使われるのは剣であり両手であった。
 長年の軍歴による酷使で巌のように硬くなった両手であったが、彼女はその無骨な感触が好きだった――。
 ほとんど表面を撫でるだけのようなフェザータッチに、彼女は息をなんとか整えて――しかし顔は真っ赤のままそっとその手を握って面を上げた。
 そうして小さく微笑む彼の顔を見て自分の顔も綻びそうになるのをグッと堪え、無理矢理に相手の顔を睨む。

「突然おかしな事を言うな……任務中だぞ、ボルテッカ。兵士に聞かれたらどうするんだ、弛んでるぞ」
「うちの中隊の連中なら全員知っていることです」
「馬鹿者が……ケジメの問題だろう」

 そう言いながら、徐々に引いてきた顔の赤みを隠すように視線を逸らし、彼女はさっき自分が蹴倒した椅子を組み直してその上に腰掛け直した。
 チラリともう一度傍らに立つ彼を仰ぎ見て、大きな溜息をつきながらダルマストーブの扉を開けて新たな木炭を放り込んだ。

「いつまでそうやって突っ立てるつもりだ? 適当に座れ」
「ご命令なら」
「そうだ、命令だ」
「では」

 苦笑を漏らしながら素手で赤熱する木炭を弄っている彼女を横目に、ボルテッカは自信も折りたたみ椅子に腰を下ろした。
 標準以上の飛び抜けた体格の彼からすれば、まるで玩具の椅子に座っているかのような滑稽さがそこにはあった。そして当然ながら折りたたみ椅子は今にも壊れそうな軋み音を立てて抗議の悲鳴を上げたが、悲しいことにその悲鳴に耳を貸すような人間はその場にいない。それに、彼が鎧を着ていたとすれば軋み音を立てる間もなく押し潰されたであろうから、きしんだだけで住んだのは幸運であったかもしれない。

「では、教えて頂けるんですね?」
「……なあ、どうして私が裏に兵士を伏せなかったと思う?」

 質問に質問で返された彼は、しかしながらそれに不満を漏らすことなく頭を回転させる。
 実は彼がこのテントにやって来たのはその件も大いに関係しているからである。今回の任務はそもそも殲滅任務ではない。これまで盗賊に奪われた数々の貴重な品々の行方を探るための手がかりを手にいれる事は勿論のこと、殺されたであろう人々、奴隷として売られてしまってであろう人々、それらの追跡調査のために情報を得ることが求められていたはずであったのだ。
 だから要塞化されたアジトを前に士官達は頭を悩ませたのだし、どうやって攻略しようかと知恵を絞ったのだ。
 しかし、そんな彼らを前にしてガミジンが下した決断は火攻めという容赦のない殲滅戦である、当然ながら反対意見がでたが「任務内容の変更が通達された」という彼女の言葉にわざわざ否を唱える事は出来なかった。その通達がどんな物なのだとかいったことを管々問い質すような者はいない、それは一士官の領分を超えたものだ。
 それでもやはり捕虜はとった方がいいだろうと、一人の士官が敵が逃亡するであろう山肌の裏側にある獣道に兵士を配置しようと提案したが、それもまた彼女に否を突きつけららて引き下がらざるえなかったのである。
 そしてボルテッカはその否定に理由がない事に首を捻っていた。そうしてわざわざ彼女が一人になる瞬間を狙ってやって来たのだと容易に想像がつく。

「…………我々は奴らを逃がさなければならない」
「……惜しいな、それじゃあ50点だ」
「及第点に届きませんか、ではどうして――」

 そこで彼は思わず言葉を切った。
 眼前のガミジンが恐ろしく不機嫌な顔でギリギリと歯軋りをしながら、真っ赤に燃える木炭をへし折ったからである。
 ボキりと二つに折ったそれを更に握力をもって握りつぶすと、噛み締めた歯の隙間から無理矢理搾り出すようにして彼女はその理由を語った。

「特憲の糞共がッ! 何様のつもりだッ」
「な――特務憲兵が?」
「そうさ、御丁寧に軍団司令部の命令書までもってなッ!」
「特憲が、なぜ……」

 驚愕のあまり大きくなりそうな声を何とか抑え、彼はなんとかそれだけの言葉を口にした。

「はっ、知るか、知りたくもない。あんな犬っころ共が何処で何しようが私の知った事じゃない、ああそうとも知りたかないね、それが私の鼻先じゃなけりゃな! なぁにが特務だ、生っちょろい青瓢箪の、皇帝の狗が、偉そうに! さんざんドサ回りをやらせといて、最後の最後の目玉だけ横から掻っ攫いやがって! フザケるなクソが! 私らはテメェらの小間使いじゃねぇんだよボケッ!! クソったれの尻穴野郎が!!」
「ちゅ、中尉! 中尉! それ以上は危険です」
「畜生、クソ、クソ、バカにしやがって! ああぁあ、イライラするっ、ホモ野郎のベッドでケツ振ってりゃあいいテメェらと違って、こちとら現場で毎日泥まみれで血反吐まき散らしててるってのによぉっ、それで最後の手柄だけテメェらのものだってぇぇえ? そんなの許せるかぁ? 私は納得いかねぇぇえッ! フザケやがって! クソったれ! あの私生児のホモやろ――」
「ストップ!」
「んんんー!!」
「……大体の事情は分かりました、取り敢えず物騒な台詞は控えてください。何処に耳があるか分かったものじゃありませんから」

 そう言ってボルテッカがそっと口を抑えていた手をどけると、彼女は忌々しげにその手を打ち払ってから椅子を立ち上がった。

「特憲共が私をわざわざ監視してるって言いたいのか? アホぬかせ、あの玉無し共がなんでわざわざ軍団兵のいち中尉を監視なんてするもんかよ。はなから見下してやがるんだ、自分たちは皇帝様から直々に下賜された命令を遂行するお偉い立場だって、腐って鼻が曲がるような自尊心で立ってるような奴らだぞ。自分たちが命令したら、私らみたいな「身分の低い」兵士風情は黙ってハイハイ頷いてりゃいいんだとよ」
「……そう言ったのですか、そいつらが」
「ほとんどそのままな。特憲ってのは、前から鼻持ちならないエリート共が揃ってやがったがよ」

 そこまで言って、彼女は忌々しげにストーブを蹴りつけた。

「いつの間に、あの血も涙もない人でなしの巣窟は、自尊心ばかり豚みたいに膨らませた似非エリートが蔓延るようになったんだ? ええ? 信じられるか? 聞いてもいねぇのにべらべらと、散々いらん事をインコか何かみたいに空っぽ頭丸出しで喋りやがった。あんなボンクラ、どうやって特務になったんだか。信じられん」
「……ジェラルディン皇帝のお気に入りでしょう。コネで入ったんでは」
「コネ! はっ! 特務に入るのにコネときた! コネで特務には入れるようじゃあそこも終わりだな。ちっ、あーあ、早く死なねぇかなぁ」
「例の特憲が?」
「いや、皇帝」

 ごふっ、と軍曹は吹き出して、こんどこそ血相を変えて彼女の肩に掴みかかるとその顔を触れ合う寸前まで寄せた。

「滅多な事を! 誰かに聞かれたらクーデターか内通かと思われますよ!」
「うるせぇな、テントは防音だ。けっ、誰があんなろくでなしのアホを敬うか。クーデターだと? ああ、起きろ起きろ、転覆しちまえ、先帝のシュルード(賢明)帝ならともかく、誰があんな馬糞に膝を折るかッ。ローゼッカー元帥が「ついてきてくれ」って言ったら、なあ、お前だってやっちまうんじゃないか? え?」
「………………ノーコメントでお願いします」
「へっ、目を逸らしたって現実は動かねぇんだぜ。見た目は立派で綺麗だが、あのアホのせいで帝国はボロボロだ。元帥がいなかったら今頃……いや、やめよう」
「……そうですね、やめましょう。不毛だ」
「シヴァルリ(騎士)皇子殿下が生きてりゃ今頃は……」
「だから、よしましょうって」

 そうしてどちらともなく疲れた溜息をついたのを見計らったかのように、テントの入口から従兵の呼ばわる声がテントの中に入り込んできた。

「ボルテッカ軍曹、来て頂けませんか!」
「どうした」
「おかしな二人連れがやって来まして、冒険者だとは思うのですが何やら言っていることの脈略がなく怪しいので、一時的に拘束したものかどうかと。それになんと言いますか、風体も異様で怪しく……」
「わかった、すぐに行く」
「はっ!」

 彼が立ち上がり、かけてあったコートに袖を通す。
 その間ずっと彼女は新たな燃える木炭を両手で弄びながらその姿をぼうっと眺めていたが、彼がいよいよテントを出ようとしたその背中に向かってポツリと言葉を投げかけた。

「ディックはいま強行偵察中だとよ」
「ウィンターズ中尉が?」
「混沌の王国(Kingdom of Chaos)にな」
「んなっ…………」

 絶句。
 どんな時にも殆ど表情筋を動かさないボルテッカ一等軍曹が、その時ばかりは驚愕の顔で固まる。
 キングダム・オブ・ケイオス。彼らの属する帝国と国境を接する国の中でも最高ランクの警戒度を誇る仮想敵国、そして東の大国である連邦とだけ唯一正式に国交がある閉鎖的な国である。帝国開闢以来から続く緊張関係であり、その緊張が緩んだことは一度としてなかった。
 国とは名ばかりでその実態は無数のクリーチャーと異次元生命体が渦巻く狂気の土地であるというのが定説だが、少なくともラ=ガレオを頂点に戴く混沌神殿の本拠地であるクシュ=レルグがそこにあり、そしてそれら混沌の教徒を束ねるカオスプリースト達が一定の法と秩序を敷いているのは間違いない。
 そして、天地開闢以来一度として混沌の生物たちが本当の意味で人類文化圏の国家と融和したことなどなかった――其故、100年ほど前に限定的とは言えかのクシュ=レルグと国交を持ち大使館まで作ってみせた連邦は、その当時、ほとんど歴史のない弱小国にも関わらず各国から一目置かれる存在となったのだ。
 閑話休題。
 連邦とは微かながら接触を持つに至ったが、相変わらずかの国の閉鎖性と危険性は高いままである。南方戦線で矢のような催促があったにも関わらず、軍団司令部が頑として混沌の王国と国境を接するヘルハイム北方に張り付く第三・第四軍団を動かさなかったことから見ても、その偏執的なまでな防備体制が伺えた。
 そんな言語を絶する魔境の、更にその奥深くに押入る強行偵察。
 自殺行為という単語すら生ぬるい壮絶な任務である。
 なんと言っていいか分からず「ひょう」と喉の鳴る音をたてるボルテッカに、彼女は謎めいた微笑を投げかけた。

「……何かが起こってる、この帝国で、私たちが視る事の出来ない深い深い所で、何かが動いている。特務のイロハも知らんアホに無理矢理にでも特憲のバッジを貼りつけてほうぼうに送り出すような、クソったれの何かが動いている」
「――何故、何故それを私に?」

 舌が痺れそうなほどの強烈な苦味を感じたように、ボルテッカがもどかしげに問いかける。
 困惑の混じったその顔には「Need to know」の原則が頭の中に飛び交っている事は容易に想像がついた。
 そんな彼に向かい、彼女はさっきやられた攻めてもの仕返しにと、にやりと笑ってこう返したのだった。

「むしろどうして私がそれをお前に秘密にすると思ったんだ?」



――――――――――――――――――――――――――――――――



 真っ赤な顔でテントの布を打ち払いながらボルテッカが現れると、外で待っていた兵士はてっきり彼が激怒しているのかと勘違いすると、真っ青な顔で踵を揃えて敬礼をした。

「軍曹! 申し訳ありません、お取り込み中でしたか」
「どういう意味だ」
「は――?」
「いや、何でもない。案内しろ」
「了解しました」

 中隊で一番おっかない一等専任軍曹の雷を恐れるように、案内の兵士は首を竦めながら彼の前を案内するために小走りに進む。
 そうして彼ら二人が中隊が陣取る最も後ろにやってくると、二人の番兵に向きあうように件の冒険者らしき姿がボルテッカの視界に映った。

「なるほど、確かに奇妙な二人だ」

 まず片方、身長は5.5フィートといったところか、縦よりも横に膨らんだ体型でその全身は頑丈そうなハードレザー製の鎧と要所を覆った鉄の具足に覆われており、更にその上からボロボロになったマントを羽織っていた。
 ただそれだけなら単なる一山幾らの冒険者なのだが、まず目を引いたのはその頭部を覆う兜だった。全面に飛び出た鼻と口、そして後頭部から飛び出る四本の角。俗に「犬の顔」と呼ばれるバシネットのドラゴン版ともいうべき兜であった。しかも鱗や牙などかなり細部に渡って作り込まれているのが遠目にもよく判るような、職人芸の逸品である。兜というよりマスクといった方がいいかも知れない。
 そしてその寸胴の冒険者が持つ武器もまた、彼の目を惹いた。右腰の鞘に収まっているのは刃先が緩く湾曲した蛮刀で、この辺りでは余り見ないタイプの段平である。そして左腰には頭部を上にしてリングホルダーに収められた鎚矛が収まっている。斬撃と打撃、異なるタイプの攻撃方法を準備しておくのは用心深い熟練冒険者を思わせた。だが、更にその人影は右手に槍を携えている、槍の穂先は左右に張り出しのあるウィングドスピアー(十文字槍)だ。
 刀の斬・鎚矛の打・槍の刺の三種類、もしそれらを完璧に操れるならば軍団兵でも数えるほどしかいない戦巧者だろう。
 そしてその傍らに立っているのは身長8.5フィートはあるであろう、まさに雲をつくような巨人である。ボルテッカは未だかつて彼以上の身長を持つ人形生物を見たことがなかったので、これには流石に息を飲んだ。
 全身を赤金色をした鎧で隙間なく覆い、目庇を下ろしたグレートヘルムは十字の形にスリットが入った、まるでパルテノン騎士団が身につけるクルセイダーズヘルムを彷彿とさせる作りだ。
 その巨大な身の丈に合わせた特注品であろう、常人ならば展示用のレプリカだと勘違いしてしまいそうなほどの、馬鹿馬鹿しい大きさのハルバードを肩に担いでいる。腰にはブロードソードが佩いてあるが、巨人にしてみればショートソードのような使い回しだろう。さらに下半身を膝まで覆う佩楯と草摺には、おそらく手投げ用であろうと思われるフランキスカが数本ぶら下がっていた。
 巨人の方は上から覗き込んでいるだけだが、龍頭兜の冒険者と番兵は互いに紙の上を指さしながら何やら言い合っている。
 そしてその二人組の後ろで荷物を載せたまま呑気に草を食んでいるロバは、おそらく彼らのロバだろう。

「どうした、トラブルか」

 駆け寄ってそう話しかけると、その場にいた全員が彼の方を見やった。
 三人の中で一番大きな反応を返したのは困りきっていた番兵で、彼を見るなりあからさまにほっとした顔で生きを吐いた。

「あ、軍曹、申し訳ありません。どうもこいつら帝国公用語が片言で、連邦語とフィーンド商連語なんて俺分からなくて」
「ご苦労だったな」

 そう労って兵士を下げてから改めて至近距離で二人を見た瞬間、ボルテッカは自分が大きな勘違いをしていた事に驚愕とともに気がついた。

(龍頭は兜ではなく本物か!)

 ぎょろりと動く両目も鋭い牙も、何もかも剥製ではなく本物だった。
 人間ではない、二足歩行の龍人ドレイク族の戦士である。

「お、おお、お前、分かるか? ここ、言葉分かるのか?」

 吃音混じりのその言葉は兵士が言っていた通り連邦語である。
 龍皇国の言葉ではなく連邦の言葉を話すドレイクという珍妙極まる存在にやや鼻白みながら、ボルテッカはその問に答えた。

「ああ、分かる。それで我々に何のようだ? 我々は現在軍事行動中だ、これ以上近づくと敵とみなすぞ」
「し、しし、心配するな、ただみみみ、道を聞きたいだだ、だけだ」

 そう言ってドレイクはさっきそうしていたようにガサガサと地図を広げて彼に見せた。
 おそらく様々な地方都市で購入した地図を無理矢理張り合わせたのだろう、縮尺や書き方がバラバラの地図がひとつになって帝国全土の地図になっている。
 ドレイクはそのうちの一点、赤い星のマークが後で描き足されてその横に「ココ!」と一文が添えてある地点を指さした。

「こ、ここに行きたいんだが、こ、この先の、あの斜面か?」
「…………いや、随分北にズレているぞ。もっと南だ。今いるところは……」

 ボルテッカはドレイクの指差す地点からずっと北寄りにある山岳地帯の端っこを指さした。

「ここだ、そこに行きたいなら……悪いことは言わんから一旦街道に戻って進んだ方が無難だ」
「な、なな、お、おおい! ぜぜ、ぜんぜん違う所、じゃ、じゃねぇかよォ! ア、アア、アダムスキィィ! や、やっぱり、俺の方が、ああ、あ、あってたじゃねぇかぁ!!」

 激昂したドレイクはわなわなと怒りに震えながら背後の巨人に掴みかかる。
 掴みかかられた方はボルテッカが持ったままの地図を覗き込みながら「やれやれ」とでも言うように肩を竦めてみせた。

「ま、こういう事もある」
「こ、ここ、こここういう事って、お、お前が、じ、自信満々にッ!!」
「おい、言い争ってる時間はないぞカミンスキィ、時は金なり、だ」
「え、偉そうに! だ、だだ誰のせいで」
「あーあーあー聞こえん聞こえん。すまんな、この兜は耳が聞こえにくい」

 目の前でぎゃあぎゃあと言い争い始める冒険者を前に、ボルテッカは小さく苦笑を漏らしながら地図を差し出した。

「何にせよ、とにかくこの近辺から去れ。次に見かけた時は警告なしに射殺するぞ、あと――」

 怒りに顔を歪めながら地面を踏み鳴らすドレイクに地図を渡しながら、最後にボルテッカはこの奇妙な二人組に忠告を付け加えた。

「こんなキメラマップを使ってたら行ける所も行けなくなるぞ。帝国の本屋でちゃんとした地図を買うんだな」
「ケッ、ごご、ご忠告、ありがとさん」

 あんなバカ高いもんに金を払ってられるかとブツブツぼやきながら、怒りっぽいドレイクはノシノシとやって来た道を戻り始め、そんな背中を溜息混じりに見つめながら巨人はボルテッカに丁寧な礼を返して頭を下げた。

「それでは失礼します。御武運お祈りします」
「ありがとう。お前らも旅の神の加護があるように」

 無骨な外見とは裏腹に柔らかな物腰で、巨人はズシズシと地面にめり込むような重い足取りでドレイクのあとを追った。
 デコボココンビの後ろを荷物を載せたロバがとぼとぼ追って良く姿が、なんともシュールである。

「全く、対照的な図柄だな」

 そう呟いた彼は、自分とガミジンの関係も似たようなものかと気がついて、ひとり静かに苦笑を漏らすのであった。



[13088] めざめ
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:7c16296a
Date: 2010/04/30 21:13
 カッサシオンを先頭に、その後ろにマーチ、カオル、殿にセレナを置いて一行は扉をくぐった。
 ダンジョン内に一歩入るとそこには隙間なく積み上げられた石壁と、所々が赤黒いもので汚れた石畳の連なる地下施設が続いている。
 壁には松明を差し込む燭台が一定間隔で備えてあるものの、それらを維持する人間は既にこのうら寂しい空間から去って久しいようだ。かつてそこに備え付けてあったであろう松明によって付けられた煤の跡が、薄闇の中に不気味な陰影を加えていた。
 明かりの一切ない空間で背後の扉をセレナが閉じる前にカオルは火口箱からカンテラに灯りを移した。
 現代社会の恩恵に使った彼女からしてみれば、ゆらゆらと頼りなく揺れる炎の明かりはなんとも前時代的で使いにくそうに思えるが、この暗く冷え切った地下の迷宮にあってはその仄かな灯りが生命線になりうることは流石の彼女にも理解できる。
 カンテラに炎が灯ったことを確認してカッサシオンが頷いて先に進む。
 入ってすぐに十段ほどの階段があり、そしてその先には半径10フィートほどの広場がある、そしてそこから前方と左右にそれぞれ道が別れ、そのうち左右の通路の先は既に先発の冒険者達によって探索済みであった。
 広場には中央に微かな青白い燐光を放つクリスタルが収まった不思議な照明器具が設置され、その周囲には半ば朽ちかけた木製の腰掛けが円形に配置されている。それらの周りや広場円周に寝袋や焚き火の跡、そして何やら良く分からないガラクタの類といった生活感を匂わせる種々の代物が散乱していた。
 事前の打ち合わせ通りに中央の腰掛け周辺で一旦止まり、カッサシオン以外の全員で周囲を警戒。その間に彼は左右の通路につながる入口に仕掛けをする。
 細い糸をちょうど床から1フィートほどの高さに張り、それに足が引っかかると糸が切れてその先に結わえ付けられた鈴が地面に落ちるというものだ。
 この二つの通路の先は探索しない事になっているが、もしこの先にゴブリンがいて一行が奥に行った後に出てきた場合挟み撃ちになるかもしれない。その用心のためだ。
 ちなみにこの結わえ付けられる鈴は盗賊ギルドの特別品で、どれだけ離れようともそれぞれと対になった鈴が同じように鳴るという魔道具になっているらしい。小指の先ほどに小さな物なので、引っかかったものは鈴が鳴ったことすら気付かない可能性もあるとか。
 そうしてカッサシオンが戻ってくると、一旦全員が額を突き合わせて地図を覗き込む。

「よし、とりあえず前進だな」
「次の分岐もすべて無視して一直線ですね、分岐の先にあるのはすべてトラップですから対鳴りの鈴を仕掛ける必要もないでしょう」
「空白地帯まで一気に行くのかしら? 途中にあるゴブリンの巣は?」

 問いかけるセレナに覆面の下でクスクスとカッサシオンは笑った。
 その笑いにむっと不機嫌な顔をするセレナに、マーチが慌ててフォローを入れる。

「おいおい、ついさっきボッコボコにして追い払っただろうが。たぶん今出会っても半分以下の数だし、そもそもあれだけ痛めつけられたら警戒して近寄ってこねぇよ」
「えっ、あのゴブリンここの奴らだったの?」
「みたいだな、なぁ? そうだろ」
「そのよう……ですねぇ」

 そう言って、カッサシオンは床に放置されていたゴミクズの中から何かをひょいと抓んで見せた。
 それはまだ乾ききっていない血で薄汚れたボロ布で、細長く裁断してある所から見てどうやら包帯のようだったが、こんな不潔な布をあててしまったら傷が悪化するのではないかとカオルは首を傾げた。
 そしてそんな彼女の疑問をよそにセレナは納得したように頷くと、神妙な顔で背中に背負っていた盾を左手に握り、鎚矛を腰のリングに戻してその代わりに刃渡り1フィート程の小剣を抜いた。
 カンテラの薄ら明かりの中でギラリと輝く刃金の光は、如何にも使い込まれたふうに何度も補修の跡が見られる。

「なるほど、ではあっても小競り合い程度ね。じゃあこっちを使うことにするわ。こちらのホうが取り回しがいいもの」
「おやおや、聖職者が刃物ですか?」
「あら、私たち光輝神異端審問官の古い異名をご存じないのかしら?」
「異名?」

 訝しげに首を傾げるカッサシオン。
 目をやったマーチも彼女のほうを見て肩を竦めて見せる。どうやら彼も知らないらしい。
 そんな三人を前に、セレナは如何にもしゃちほこばった様子で剣を構えると、いつもカッサシオンがそうするようにニヤリと笑って口を開いた。

「スティール・インクィジター…………我ら《鋼(刃金)の尋問官》なり、ってね。」



――――――――――――――――



 聖職者が鈍器を武器に使うのは「異教徒に速やかな死を与えず苦痛を長引かせるため」であったという、全く知りたくなかった教会の暗黒史を道すがら滔々とセレナに教えられた一行は、背筋に流れる嫌な汗を感じながら半笑いで先を急いだ。
 ここが場末の安酒場であったならば都市伝説か笑い話の一つとして流せるはずが、語る本人の前職を全員知っているだけに全く笑えず、光輝教会の暗黒面を図らずも垣間見た面持ちである。

「あら、信じたの? いやね、冗談よ」

 そう言ってクスクス笑うセレナを背後にしながら、先頭のカッサシオンの方が小さく震えるのをカオルは見た。
 光輝神に仕える異端審問官といえば、その威光とともに悪名もまた隠然として存在するため怯えるのも無理はない。
 特に、この中でも一番善良とは程遠い人生を送ってきた彼からすれば、いつセレナがその手に持った剣を「神罰」の名において心臓に突き刺してくるのではないかと気が気ではないのだろう。
 流石にそんな事をするような相手ではないと彼自身も思っているのだろうが、彼女の前職を知りそしてつい先程その目で見た壮絶な戦いぶりを見ていしまった故の、それは無意識の反応であった。
 そうして途中の分岐を無視して進んだ先、L字に曲がった角にやってきて彼は小さな手鏡を取り出して通路の先を覗き見た。

「しッ……やつら、溜まっています」

 そう言ってカッサシオンが簡単なハンドサインで全員を止める。
 そうして一旦曲がり角から引き返すと、カオルのランタンの灯りが届く範囲まで来て石床にチョークのようなもので簡単な配置図を書き始めた。
 一辺が30フィート程の正方形の室内に五匹のゴブリンが集まっている、三匹はちょうど中心に、一匹は左の壁に、もう一匹はこの曲がり角を進んで部屋に入ってすぐのところ。通路は正面と右側に一つづつ。正面の通路から未踏破地帯、左は古い食料貯蔵庫に繋がっている。
 概要を見てすぐにカッサシオンが作戦を説明する。この中で一番冒険者として経験を積んでいるのが彼であるから、こうして何食わぬ顔で彼がこれからの方針を決めても誰も疑問を挟まない。
 彼は全員にかろうじて聞こえるだけのヒソヒソ声を出す。

「まず私とマーチが手早く手前の一匹を始末します、セレナさんはそいつに構わず突撃して正面を抑えてください。一匹目を始末してマーチはすぐにセレナさんに合流するように」
「へっ、手早くね……五秒もかからんぜ」
「分かったわ」
「壁際にいる奴を私が殺ります、そのまま横合いから奇襲しますのでそのつもりで。それで……」

 そこで彼はカンテラの灯りでぼんやりと照らされる彼女の顔をちらりと見た。
 数秒の逡巡の後、彼は考える時の癖なのか右手で顎を撫でながら肩を竦めた。

「カオルさん、あなたはそうですね……ま、邪魔にだけならないようにして下さい」
「はい……」

 当たり前といえば当たり前だが、ほとんど戦力外通告を受けたに等しい。
 しょんぼりと肩を落として彼女は「はい」と力なく答えた。
 気落ちした様子の彼女にセレナとマーチが慌ててフォローを入れる。

「気にしないで、後詰めがいるだけで安心感があるもの。いざとなったら仲間を引きずってでも進める人間――人間? あ、いや、その、誰かがいるだけで十分役に立つわ」
「補助と支援も重要な役柄だぞ、自分の仕事を弁えた奴が本物のプロフェッショナルなんだからな」

 二人の言葉に気遣いの色を感じ取りながらも、カオルはその気持が嬉しくて大人しく頷いた。
 そんな三人の様子を横目で見ながら、カッサシオンは覆面の布をぐいと目元の下まで引き上げ直してすっくと立ち上がる。

「さて、仲間のメンタルケアが終わった所でそろそろ行きますか」

 無言で全員が頷き、マーチとカッサシオンが曲がり角の側で身構え、その後ろにセレナが控える。

「ゴー!!」

 掛け声とともに放たれた矢のように三人が飛び出す。
 ほとんど地面に倒れ伏すような前傾姿勢でカッサシオンが先陣を切ると、そのままの勢いで取り出した鋭い刺突剣を敵の肝臓目がけて突き出した。突然の奇襲に全く反応出来ないゴブリンは粗末な革鎧を簡単に刺し貫かれて悲鳴を上げ、その叫び声にようやく敵襲に気づいた他のゴブリンがこちらを向く頃には、既にカッサシオンはローブをはためかせながら壁際の敵に向かって疾走している。
 鋭い一撃を受けて激痛に身悶えるゴブリンだったが、すぐ近くに走り寄ってくるマーチの姿を認めるとヨロヨロとした動きで鉄錆の浮いたショートソードとスケイルシールドを構えた。そしてそいつに向かって十分に助走のついた前蹴りの一撃をマーチが叩き込むと、盾を構えたまま敵は蹈鞴を踏んで後ずさる。
 その瞬間に前蹴りで生じた隙を瞬時に取り戻すと、マーチは盾を構えた敵に向かって凄まじいラッシュで畳み掛けた。防戦一方の敵は何とか反撃をしようとするも、その瞬間を狙って鋭い回し蹴りが飛来するためにどうしようもない。
 そんな二人を横目にガチャガチャと金属同士が激しく触れ合う音を立てながら、完全武装の神殿騎士が吶喊するのを見るやいなや、後ろで慌ただしく武器や防具を準備していた三匹が半ば恐慌をきたし、その内の一匹が弓は拾ったものの矢を持たないままその弓でセレナに殴りかかる。

「聖なる裁きを受けよッ!」

 弓の一撃を盾で難なく弾くと、鋭い剣閃が容赦なく煌めいたかと思うやいなや、ゴブリンは首筋から血を吹き出して血泡を吐いてどうと倒れた。
 あまりにも呆気ないその死に様に、一番後ろにいた一匹が恐怖に駆られながら首筋にかけていた笛を思い切り吹きならす。
 ピィーッと甲高い音が石壁に反射して迷宮中に響き渡る。

「クソッ、仲間を呼びやがった。カッサシオン! 片付けるぞ!!」

 敵の胸元を革鎧ごと陥没させて打ち殺しながら、マーチは舌打ちながらにそう言い放ってセレナの援護に走り寄った。
 壁際で彼曰く「華麗な技術の粋」を駆使して敵を惨殺したカッサシオンは返事の代わりに踵を返し、二対二となった戦場に横合いから奇襲した。
 そしてその瞬間、右側の通路からぞろぞろと十数匹のゴブリンが現れる。

「畜生増えたぞッ、セレナ、頼む!」
「全く……僧侶の仕事じゃないわね、これは!」

 悪態をつきながらも、凛とした表情で彼女はぞろぞろと今なお通路から溢れ出るゴブリンに向かって果敢に挑む。
 広場にいた敵を始末して他の二人もその戦列に加わるが、その戦力比はざっと見ただけでも1:5以上になるだろう。
 無謀、誰が見ても自殺行為だ。
 このままでは……死――

「では如何する」
「ッ!?」

 突然、世界が灰色となり全てが静止する。
 セレナは敵の長剣を盾で弾き返したまま、マーチはローリングソバットで敵の頭を砕いたまま、カッサシオンは闇に紛れて敵の急所を突き殺したまま、まるでモノクロ映画を一時停止したかのような異様な光景のまま全てが停止した。
 灰色の世界の中、ただ一人彼女だけが驚愕に震えて立ち尽くす。
 いや、一人ではない。
 いつの間に彼女の目の前にかつて夢の中でであった異形が一人、まるで世界から切り離されたかのようなあやふやな影の姿で彼女を見つめている。

「あ……あなたは」
「如何するのだ? タチバナ・カオル、あれらの腕であればこの閉所で戦えば殲滅も出来るかもしれん。だが敵の全てがあれだけだとは限らぬな、もしこのまま敵の数が増え続ければ? さあ、どうする、そのままここで突っ立っているのか? あの時のように?」
「わ、私、でも、わたしは」
「戦えぬ、そう申すのか? 笑止! わしはお主を知っている、たとえ死が免れぬという地獄の淵に居ながらも、我が身を顧みず勤めを果たしたお主の強さを! 思い出すのだ!」
「強さ……? でも、私は弱い、弱いのです! 貴方が私の中にいるもう一人の魂だと言うならば、さっきの醜態もご覧になったでしょうッ。仲間たちが血塗れになって戦っていたというのに、あの時私はただ地面に這いつくばってガタガタと震えていただけ。それに、見てください、今も震えが、震えが止まらない。こんな時にあって尚、私はこう思っているんです「怖い、逃げたい、何もかもから目をつぶりたい」と!」
「然り、お主は恐怖している、だが其れこそが真なる「闘う者」の条件である。恐怖を知らぬ者、恐怖を軽んずる者、恐怖に呑まれる者、それらは決して最後まで闘い抜くことはできぬ。恐怖を抱き、それと共に闘う者だけが真に強者と呼ばれる資格があるのだ」

 その言葉に、彼女は自嘲の呻きを漏らした。

「この私は恐怖に呑まれる臆病者ではないのですか?」
「何故そう思う」
「だってそうでしょう、さっきから震えが止まらない、逃げたくてたまらないんです!」
「では何故逃げぬ」
「え――」

 思わず息を飲んで、彼女は正面に立つ怪人の目を見た。
 灰色の世界で怪しく発光するその両目はブルーグリーンに輝いて、懊悩する彼女の心を覗き込んでいる。

「な……ぜ?」
「そうだ、何故逃げない? そんなに逃げたければ逃げてしまえばいいではないか」
「そ、そんなこと、出来ない」
「どうして?」
「お、恩が有るから、私は……」
「恩? そんなもの、命の対価となり得るのか? 冒険者に囲われるなど遠くない命の危機が約束されたようなもの、そんなもの打ち遣って何故逃げない。奴らが完全な善意でお前の世話をしてやっているなどと、そんな夢物語をまさか信じているわけではあるまいな? 人は打算の生き物だ、お主がその秤の中に含まれている事が分からぬわけがなかろう。その気になればお主に友など、仲間など、協力者など必要ない、山谷で暮らす事も、哀れで愚かな冒険者共を皆殺しにして身ぐるみ剥いでも生きられよう。その体はわしの遺伝情報から再構築されている、少々姿形が変わったところでわしの――マインドフレイヤとしての圧倒的な性能はその全てがそこに残っているのだ。逃げよ、そして何の呵責もなく力を振るえ。そうすればお主の望むままに生きられるのだぞ。何の束縛もない、自由だ!」
「いや……嫌よ、そんなの、嫌!」
「何故だ? お主はさっき自分で言ったではないか、逃げたいと、ならばそうせよ、お主にはそれだけの理由と力があるのだぞ!」

 いつの間にか目と鼻の先に近寄ってそう言い放つ異形に、彼女は怒りに燃える瞳を向けた。

「そんなものッ! ここで逃げて、逃げ込んだ先が楽園だというはずがないわ! 私は……私は――ッ」

 彼女の脳裏に遥か彼方に置き去りにした記憶の光が刹那閃く。
 虫食いだらけの朧気な記憶の中、彼女は泣いていた、自身も死に至るだけの傷を追いながらも、彼女を庇って息を引き取る「誰か」を胸に抱いたまま、彼女は泣いていた。身を引き裂くような悲しみの中、彼女はただただ怒りと嘆きに震えていた。みすみす己の無力のせいで起こった悲劇に怒り、そしてその結果半身を失う事に、震えていたのだ。
 その欠片を手に入れた瞬間に、彼女の胸の中に燻っていた小さな熾火は確固たる色と光を持って燃え上がる。

「もう、もう二度と、あんな思いはごめんよ。私は逃げない、私のせいで誰かが死ぬなんて、絶対に嫌!!」


 魂を吐き出すような怒号と共に、彼女はキッと目の前の異形を睨みつけた。
 そんな彼女に向かって、朧気な影はしゅるしゅると笑い声を上げる。

「よくぞ言ったプロフェッサー! ならば立ち上がれ、そして戦うのだ! 我が名を呼べ、杖を手にとるのだ、そして我らが主の名を声高らかに讃えよ! カオスの使徒よ、虹色の力を主より下賜されし混沌の下僕よ!」
「私は混沌神を崇めたことなどないわ」
「其れも良い、あの御方は信仰など求めない。唯世界の有様にだけ結果を求める。世界を相手にその頭脳で戦いを挑んだ異界の賢者よ、汝に神の誉あれ、主は汝を見守り給う!!」



――――――――――――――――



「クソッきりがねぇ!」
「潮時ですよ、マーチっ」
「そう行きたいがよッ」

 舌打ちとともに腰を落とした正拳突きが敵の内臓を破壊する。
 通路から増援が退去してやって来た瞬間からすでに退却は決定事項となっていた、しかしそうも行かない理由がある。セレナが敵の真っ只中で大立ち回りをやらかしていたからだ。
 いつもパーティの後列で魔法ばかりを使っていた彼女しか見た事のない彼からすれば、まさに瞠目するような光景で、それゆえに彼は彼女を完全に見誤っていた。
 てっきり彼はセレナが敵を撃破しながらもジリジリとその場に踏みとどまる重戦士か、或いは前衛を他に任せて中衛をこなすだろうとばかり思っていたのだが、その意に反して彼女はとんでもない突進力と前進圧力を駆使して敵陣にぐいぐいと斬り込んでいく戦法を取っていた。
 それに気がつくのがほんの一瞬だけ遅れた。
 そしてその一瞬が命のやりとりにおいて致命的なまでな遅さとなった。
 気がつくと彼女は敵陣に食い込んだまま他二人の援護が得られないまま退路を失い、通路の先から続々現れる増援に対処するので精一杯となるのにそう時間はかからない。
 その場は完全にジリ貧と言って差し支えない状態へと移行しかけていた。

「仕方ありませんね、〈オライオンの炎〉を使いますよ」
「こんな狭いところでかッ、セレナも死んじまうぞ!」
「彼女が耐えてくれるのに賭けるしかありません、どの道このままでは二進も三進も行かんでしょうが」

 そう言ってカッサシオンは手のひらサイズの小壜を取り出した。
 中に詰まっているのは無色透明の粘性の液体で、空気に触れた瞬間爆発的な速度で気化し、周囲の空気と撹拌されて飽和状態になった瞬間に直径30フィートの範囲が高温の熱と爆風で吹き飛ぶという代物だ。
 当然ながら閉所で使えば自分まで被害が及ぶ。だがマーチにしてみた所でそれ以外でどうやってこの難局を乗り切るのかと問われれば、唇を噛み締めながら頷かざるをえない。

「くそっしょうがねぇ。セレナぁ! これからオライオンの炎を使う! 合図があったら《元素抵抗(Resist Elements)》を使って伏せろ!」
「む、無茶言わないでよッ、何処にそんな暇があるように見えて!?」
「無茶でもやるんだ!」
「行きますよっ!」

 カッサシオンが投擲ポイントに向かって流れるように移動する。

「カウントスリー!!」
「3!」
「2!」

 カッサシオンが小壜を持って大きく振りかぶる。
 セレナが早口で呪文を唱える。
 マーチは素早くバックステップで退きながら身を隠す場所にあたりをつける。

「1――」

 勢い良く投擲しようとした瞬間、カッサシオンは唐突に動きを取りやめてその場に伏せた。
 その不可解な行動に声を上げようとした次の瞬間、ゴブリン共が持つ松明の明かりにギラリと光る無数の何かが飛来した。

「ギェェェェ!」
「ぐぎゃっぎゃっ!」
「アアァアァア!!」

 四肢を砕かれ、引き裂かれ、頭蓋を割られ、胴体に無数の穴を開けられたゴブリンの阿鼻叫喚が目の前に広がっている。
 一体何が起こったのか? 混乱する彼の肩を誰かがつかむ。
 驚きに心臓を跳ね上げた彼が振り返った先にいたのは、右手に異様な光を放つ異形の右手をかたどった杖が握られていた。

「下がりなさい」
「な――」

 その右手に握られた異形の杖は、先端にかたどられた骨張った手が握り締める紫水晶が発する燐光に鈍く輝いていた。
 彼女がその杖を一振りすると、薄暗闇の中にその紫光の軌跡が残る。

「玻璃の刃よ、敵を切り裂けっ! 《水晶弾(Crystal Shard)》!」

 凛とした彼女の声に混ざり、嗄れた異形の声が呪文を叫ぶ。
 空中に忽然と出現した無数の水晶片がギラリと致死の輝きを乗せて再度飛来する。
 目にも留まらぬ速さとはこのことか、一瞬何かが煌めいたかと思った次の瞬間には鋭く尖った水晶の弾丸が敵の体を破壊する。血みどろの地獄の中を困惑と驚愕を顔に貼りつけたままセレナが立ち上がり、通路の先から現れるゴブリンは無残に殺された仲間の姿に興奮の叫び声を上げて突進する。

「何度やっても……無駄よっ」

 更に杖が振り上げられた。

「そこで足踏してなさい! 《鈍化の空間(Deceleration)》!

 通路から数歩踏み出した空間がグニャリと揺れる波間を覗き込むように歪むと、そこに足を踏み入れたゴブリンたちは先程までの勢いの半分程度しか走れなくなる。本人は必死に足を動かしているのに、まるで油の敷き詰められた床で踏ん張るかのようにノロノロとした速度しか出ない。

「炎よ、我が意に従え! 《火炎操作(Control Flames)》!」

 入り口で大渋滞となったゴブリンたち、その手に持った松明が突然大きく燃え上がる。
 炎は互いに絡み合い、成長し、まるで意志を持った怪物のようになってゴブリンに襲いかかった。
 轟々と渦巻く炎は空気を取り込んで更に勢いと温度を上げ、入り口で一塊になっていた敵を一飲みにして焼き殺すと、そのままの勢いで後ろの通路に飛び込んで破裂する。
 絶叫とともに身を焼かれる苦痛に耐えかねて通路の敵が退却する。僅かに息のある者も、腕がもげ、足が千切れ、或いは重度の火傷を全身に負っていた。
 四度。
 そう、たった四度の呪文詠唱で、数十匹もいたゴブリンはその殆どを惨殺されて這々の体で逃げ出していた。

「はぁ、はぁ…………」

 その光景を生み出した張本人は、額に滝のような汗をかき、杖に寄りかかりゼエゼエと息を荒らげながら、自らの生み出した光景に恐怖するかのように慄いているのであった……。
 八つ裂き、そんな単語がマーチの脳内を駆け巡る。
 人の力を嘲笑うかのよう圧倒的暴力。
 其れはまさに、人々が恐怖とともに語る化け物の力そのものだった……。
























――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ようやく主人公のチート振りが描写できました。
みなさーん、マインドフレイヤって本当はこんなふうに鼻くそホジりながらでも片手間で冒険者を虐殺出来るぐらい強いクリーチャーなんですよー。














次回予告

言うなれば運命共同体
互いに頼り 互いに庇い合い 互いに助け合う
一人が四人のために 四人が一人のために
だからこそ過酷な冒険で生きられる
パーティは兄弟 パーテイは家族


嘘を言うな!


猜疑に歪んだ暗い瞳がせせら笑う
無能! 怯懦! 虚偽! 杜撰!
どれ一つ取っても命取りとなる
それらをまとめて無謀で括る
誰が仕込んだ地獄やら 兄弟家族が笑わせる

お前も! お前も!! お前も!!!
だからこそ、俺のために死ねッ!!

次回、「パーテイ」

「私たちは一体なんのために集まったのか……」



[13088] ぱーてぃ
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:e79515ac
Date: 2010/05/05 00:54
 無音の空間。
 息詰まるような静寂の中、ただ一人、この光景を作り出した張本人の荒々しい息遣いだけが殊更大きく響いた。
 それほど広くもない石壁に四方を遮られた空間に充満する、床一面にぶちまけられた血と内臓と汚物、そしてそれらが炎で焼け焦げる、思わずむせ返るような異様な臭気。
 最後に彼女が放った炎の一撃は、未だチリチリと燻りその火種を至る所で踊らせていた。
 ぜえぜえと大きく息をする彼女は、まるで絶息寸前の喘息患者のように荒々しい息遣いで何とか動揺する心臓を落ち着けようとするも、呼吸のたびに鼻孔を直撃する臭気――すなわち死の匂いに吐き気を抑えるので精一杯であった。
 自分がやった……他ならぬ自分自身で、瞬きする間もないほどの刹那に、両手では数えきれないほどの生き物を容易く殺戮したのだ。
 緊張の途切れた影響か、いつもは要らぬほどに鬱陶しい触手はその身体を満足に支えることが出来ず、彼女は両手で縋るように持った杖に身を預けながら、自らの生み出した光景をまるで気が触れたように両目を見開き凝視している。

「はっ、はっ、はっ、わ、わたし……わたしが……私が……はっ、はぁ」

 いつの間にか、ここに入る前に後頭部で結わえていた髪も解け、汗で湿った長い髪が彼女の顔に張り付く。
 まるで憑かれたように、うわ言を呟くようにして「私が、私が」と荒い息の間にぶつぶつと繰り返す様は、側で見ている者に得も言われぬ恐怖感を与えるに足る。
 何度かずり落ちそうになる身体を必死に繋ぎ止めるようにして杖を掴み直しながら、彼女は「こんなにぞろぞろ生えているクセに、肝心の所で役立たずめ」と下半身の触手に舌打ちをするようにそれを睨みつけた。
 やがて他の三人がこの驚愕から立ち直り始めると、まず一番に声を上げたのは先程まで地面に伏せて状況を見守っていたカッサシオンだった。

「一体……どういう…事だ! 貴様ッ!」

 彼は伏せの状態から飛び跳ねるように立ち上がると、常にない荒々しい口調でカオルに掴みかかった。
 覆面とフードを取り払ったその顔は、彼女に対する明らかな怒りに燃えていた。
 突然胸倉を掴み上げられたカオルは驚愕も覚めやらぬ様子で、青白い顔色のまま目の前に迫るカッサシオンの怒り顔を凝視する。触れれば火傷しそうなほどの怒りの形相に、もつれる舌で彼女はようよう返事を返した。

「な、なにが?」
「何が、だとっ、白々しい。さっきあなたは私ごと敵を始末しようとしただろうが! とっさに伏せていなければ今頃私もああやって、あそこに転がるゴブリンと同じように脳みそをぶちまけて死んでいたかも知れない! 呪文使い(スペルユーザー)なら味方巻き込みの回避くらい常識でしょうっ、いやそもそも」

 そこで彼は怒りの覚めやらぬ様子のままグルリと視線を巡らせて、未だ地面にへたり込んでいるセレナの方を睨みつけた。

「彼女が魔法使いだなど、私が一度も聞いていないのは一体どういう事ですっ! ええ、たしかに私は胡散臭い輩でしょうよ、盗人で、詐欺師で、殺し合いが大好きのイカレ野郎です、認めましょう。そんな奴になるべく手の内を隠しておきたいと思うのは分かります、しかし、しかし、ですよッ、呪文使いが一人戦線に加わるだけでどれだけ容易く戦況が動くものか、貴女も重々承知のはずだ! 仮とはいえ運命共同体に、そんな大事な事を一言も漏らさず、あまつさえ私ごと巻き込もうとするなどと……ッ!」

 そこまで捲し立てて、怒りのあまり言葉に詰まったのかあるいは息が続かなくなったか、カッサシオンは言葉を切った。
 ゼエゼエと息を荒らげる彼の鬼気迫る様子に、セレナはようやくヨロヨロと立ち上がると彼の方に重々しい足音を立てながら近づく。怪我も疲労もそれほど大きなものではないはずだが、彼女の顔には尚早と疲労感がべたりと張り付いていた。

「誤解よ、カッサシオン。彼女がそうだなどと、この私もたった今知ったんですからね」
「何を馬鹿な」
「落ち着きなさい。私がそんな大事な事をあなたに黙っているような人間だと、本当にそう思っているの? 事によれば命に関わるような情報をわざわざ隠しておくような?」
「……」

 彼は口をつぐんだが、其れは相手の言葉に理を認めたわけではなかった。
 現にその両目は猜疑に歪み、じろりと彼女たちを睥睨する。

「そんな、そんな戯言が通るとでも? あんな強力な力術の使える魔法使いを、力も知らずに仲間に入れるなど、そんな馬鹿な話が通るものかっ。それに貴女は確か異端審問官でしたか、欺瞞や偽装はお手の物では有りませんか? 現役時代は貴女もそうやって人々の目を欺いて異端を狩っていたんでしょうに」
「なっ……!」
「待ってくれ、カッサシオン」

 カッサシオンの暴言にセレナの顔色が蒼白から怒りの赤に変わる。
 肝を冷やした様子のマーチが激昂寸前の様子であるカッサシオンに話しかけ、今にも爆発しそうな彼らの間に割って入った。

「確かに、何にも知らなかったて言ったら嘘になる。正確には俺たちはこれが魔法を使う所を見たことがある、けど、こいつがそれを使えるとは思いもよらなかったってだけだ」
「何が言いたいんです、言葉遊びは結構だ」
「つまり、ええと……ああ……」

 マーチは言葉に詰まり、焦り顔で視線を泳がす。
 一から説明するのはまずい、かと言って殺されかけた相手に適当な逃げ口上が通じるとも思えなかった。特にカッサシオンに対して付け焼刃の話術を使って何とかなるなど、そんなことは仮定でも考えつかない。
 前門には猜疑と怒りに燃えるカッサシオン、そして後門には今にも凍りつきそうな氷点下の怒りをふつふつと湛えるセレナが待ち構える。
 このまま黙っていれば最悪の仲間割れが始まるのは分かりきっている、マーチは痺れる舌を何とか動かして言葉を紡ごうとしたが、機先を制すように彼を遮ってこの場の誰でもない声がカオルの喉から溢れでていた。

「よい、わしが話そう。元はと言えば全てはわしがその責を負うべきなのだからな」
「――」

 彼女の口から飛び出た嗄れた異形の声色に、その襟ぐりを握り締めていたカッサシオンは驚愕に息を吸い込んで彼女の顔を凝視した。
 そんな彼に向かって彼/彼女は何の感情も表さぬ顔のまま、その細枝の如き右手で自らの襟を掴むカッサシオンの右腕を振りほどいた。その見た目に反した強烈な握力に、彼はサッと顔つきを変えてその身を素早く彼女から離して臨戦態勢をとった。

「――誰ですか、あなたは」
「わしの名はクトゥーチク。かつて幾千万の混沌渦巻く都クシュ=レルグに於いて、《八つ裂き》のクトゥーチクと呼ばれしカオス・プリーストである」
「なにっ」

 その名を聞いた瞬間、カッサシオンは背中に折りたたんで仕舞ってあったフライング・チェインソウを無拍子で抜き放っていた。
 彼ほどの反応は見せずとも、マーチもセレナも驚きに息を飲んで身構えている。彼らとて「そうかもしれない」程度の認識であった事が、今初めてその本人によって肯定されたからだ。

「馬鹿な……《八つ裂き》は死んだはず」
「復活の奇跡などそれほどの椿事とも言えぬはずだ、死者が当たり前のように顕界を歩きまわる、この乱れきった世界であればな……。ふぅむ、話がずれたな。さて、お主が聞きたい事を教えてやろう……その前に、少し信じやすくしてやるか」

 そう言って無表情を初めて微笑の形に崩すと、その杖を持たない方の手でそっと自らのこめかみに触れた。
 ぶぅん、と一瞬、まるで耳の中に虫が入り込んだような羽音じみた異音が三人の頭蓋を揺らしたかと思った次の瞬間、さっきまで確かに目の前にいたカオルの姿が掻き消えていた。

「何処を見ている?」
「はっ」
「え!」
「なにっ」

 いつの間にか、カオルは彼らの背後、ゴブリン達がやって来た通路の手前に立っていた。
 そして彼女の姿を認めた瞬間に全員がその光景に違和感を覚える、その正体に最も素早く気がついたのはまさに今の今までその場で地に這いつくばっていたセレナである。

「待って……死体は……? ゴブリンの死体は何処に行ったの? それに、それに、私、たしか全身血塗れで、え? 髪留めが……」

 呆然とセレナは先程まで自分の髪の毛を纏めてい筈の髪留めが、揶揄うように薄く笑う怪人の右手で弄ばれている光景を見つめた。
 よくよく見れば、ゴブリンの死体は通路の向こう側でバリケードのように積み重なっている事が分かる。だが、ゆうに20は下らない数の死体――たとえそれが子供ほどの体重しかないゴブリンの物だとしても、それを作り上げる苦労がいかほどのものだろうか?
 一呼吸もない間に作り上げられたその光景を見て、マーチはゴクリと唾を飲み込んだ。

「まさか、あんな一瞬で?」
「一瞬? いや、とうに四半刻はたったぞ。しかしお前たちはその間にあった事を覚えてはいない、ちょうど、こんな」

 羽音。

「ふうにな」

 誰ともなしに生唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
 またしても一瞬、まさに瞬きする間にカオルは彼らの背後、さっきまで立っていた場所に戻っている。そしてセレナの髪の毛は綺麗に後頭部で先ほどと同じように――いや、先程と違って小奇麗に櫛まで解かした後にシニヨンを作って纏めてあった。

「……記憶操作」
「御名答、理解が早いな軽業師」
「やはり、そうでしたか。最初は時間跳躍(タイム・ホップ)の可能性も考えましたが、あなたが「信じやすくする」と言っていたのでその線は消えました」

 カッサシオンのその言葉に、クトゥーチクは初めて大きく顔に感情を表した。
 それは即ち「興味」と「好奇心」という名の感情である。

「何故その答えに行き着いた?」
「脳を弄るのはおまえらの常套手段だからだよ、化け物がっ」

 何の兆候もなく、金切り声を上げて死の回転ノコギリが飛来する。
 投擲する素振りなど欠片も見せずに投げ放たれたというのに、その軌道は測ったかのような正確さで敵の急所に吸い込まれていく。
 そして寸分違わぬ正確な一撃は、不敵に笑うマインドフレイヤの細頸を断ち切る寸前で、まるで世界の法則が切り替わったかのような不自然な軌道を持って明後日の方角へ飛び去った。
 その光景に舌打ちを隠すこともせず、かと言ってもう一度得意の武器をお見舞いするわけでもなく、カッサシオンは引き戻した愛用の武器を手に提げ持ち、姿勢を低く落としたまま用心深く探るような視線を投げかける。
 そんな彼に向かって、異形の声が今や喜色を含んだ声色で怪物は話しかけた。

「どうした、その自慢の草刈鎌でもう一度挑みかかって来ぬのか?」
「いえ、実力差は今ので十分解りました。それにあなたがその気になれば我々がそうと気付かぬ内に皆殺し出来るという事も、さっきの悪趣味な見世物で十分理解出来ましたよ」
「それは重畳。では幾つか説明しておこうか、余り時間もない」

 そう言い放つと、混沌神に仕える異形の司祭は彼らに簡単な説明をし始める。
 自分がすでに魂だけの存在となっており、かかって来ない限り彼らに対して敵意はないこと。この肉体は「橘薫」という元は人間であった学者が主導権を握っており、体の作りも再構成されて、かつて「クトゥーチク」と呼ばれた時の面影は殆ど残っていないこと。
 そして今現在、力を使いすぎて魂の力が衰弱してしまった彼女の代わりに自分が表に出ており、そしてこの状態はそう長く続かないという事。

「カオルはこの体の使い方を皆目知らぬゆえ、現状ではわしが手をとってやらねば満足に魔法を使う事も出来ん。時々暴発することはあろうが、基本的には自らの意志で使うには時間がかかろう。……ふむ、そろそろ時間だな。老兵は死なず、ただ去るのみ……か。人間もたまには上手いことを言う」

 しかし、そう簡単にできれば苦労はしない。そう笑って、司祭は去った。
 それと同時に今までその痩身に纏っていた異様な圧力がフッと掻き消え、面を上げた彼女の両目には極度の疲労が伺える、今はこの体の持ち主である「橘薫」であった。
 彼女はその場で固唾を飲んでいる全員をぼんやりと眺めると、その薄い桜色をした唇をそっと開いた。

「まーくん、お腹すいた……」


――――――――――――――――


 未踏破地区を目前にして、カオル達は休憩を取ることにした。
 まだ潜ってからそれほど時間が経っていないように思えたが、ゴブリンとの激戦による疲労と自分自身でもよく分からない、いつの間にか溜まった疲労を抜くために一時休憩を取ることにした。
 其れにマーチ、セレナ、カッサシオンの三人の脳内から消し飛んでしまった「空白の三十分」の間に一体何があったのか、カッサシオンとマーチは見に覚えの無い血の汚れが体について、気だるい疲労が両腕や肩腰に溜まっていた。これは推測でしかないが、おそらくその覚えていない時間に彼ら二人があのゴブリンの死体をえっちらおっちらと通路に積みあげたのだろう。
 また、この休憩を利用してこれまでの経過を見直して簡単なデブリーフィングを行う必要もあった。

「まったくよぉ……トラブルてんこ盛りでもう腹いっぱいだぜ」
「え――じゃあ、それちょーだい」
「やらねぇ! クソッ! しかもなんでこいつ馬鹿に戻ってんだよ! こういう大事なことを説明しろよ、あのイカ野郎!」
「いたいいたいいたい!」

 横から伸びてきたカオルの手を叩き落として鶏肉のソテーを守ったマーチは、その手でそのまま彼女の額を掴んでギリギリと力を込めて握りこんだ。篭手をはめたままの手で、である。彼女が耐久力も人外だと理解して容赦がなくなってきた。
 彼女が間抜けな悲鳴を上げる横で、そろそろ心配事のせいで胃が危険なセレナは溜息をつきながらライ麦パンをちぎってぶどう酒に浸した。

「とにかく、このことは後回しにしましょう。まずは私が謝るわ。さっきは私が前に出すぎたせいであんなピンチになった訳だから」
「珍しいですね、あんな戦い方をするとは――とは言え私は冒険者になってからの貴女の戦い方しか知らないわけですが。その格好をしてから昔の自分に戻った気でもするのですか?」
「――――ええ、そうかも知れないわね」

 カッサシオンの遠回しな皮肉をサラリと交わし、セレナは胸元の聖印を空いたほうの手で弄んだ。硬鉛製の其れは随分と使い古されて摩耗し、いかにもそれが年経てきた歳月を想起させる。
 訝しげな視線を投げかけるカッサシオンの前で、彼女は何かを決心したような顔つきで聖印の鎖を引きちぎり、乱暴な手つきでポーチの中に突っ込んだ。
 突然のその行動に目を白黒させる全員の前で、彼女は吹っ切れたように笑った。

「ええ、全く。その通りよ。過去には戻れない、考えたって仕方ない。そんな簡単なことも分からなかったなんて、私は本当の馬鹿ね。冒険者になっておきながら、巡回司祭として教会に籍は残す……そんな中途半端な事をしているから、ずっと同じところで足踏するハメになるのよ。私、決めたわ、マーチ」
「な、何をだよ」

 突然顔を向けられたマーチは驚き聞き返すと、憑き物が落ちたような晴れやかな笑みが返って来た。

「私、教会を辞める」
「辞めるって、そんな簡単に辞められるものなのかよ」
「簡単よ、私はね。もともとずっと上のほうから睨まれていたのを枢機卿猊下に庇って頂いて、そのお陰でこうして教会に残っていられたのだもの。少し書類を書いて上の方に直接送るだけで、一週間も経たずにお偉い方から直接破門状が届くでしょうね」
「は、破門って! それじゃあ信仰魔法が使えなくなるだろうが!」

 驚愕に飛び上がるマーチを前に、なおもセレナの笑みは崩れない。
 彼女は悟ったような笑みを浮かべながら、その手をそっと胸の前に当てた。

「私は悟ったのよ、教会も、法も、組織も、全ては小賢しい人間が勝手に作ったものよ。神はそんなちっぽけな人間が勝手に敷いた法になど従わない。あいつらが私を破門にするならすればいいのよ、私の教会はここにある、私の祈りは――信仰はここにあるのよ。あいつらが勝手に破門破門と騒いだって、神は見ていて下さるわ。豪奢な着物に包まれて丸々太った豚なんか通さなくたって、祈りの声は届くのよ」
「……おい、なんか異端くさいぞ」
「信仰上の異端だって、人間が勝手に決めたものよ!」

 元異端審問官の言葉とは思えぬ放言に、マーチとカッサシオンはギョッと目を剥いて顔を見合わせた。
 ポカンと口を開けて唖然とした様子のカオルにちらりと視線を向け、セレナは男二人に気付かれないようにサッとウィンクして見せる。そのサインの意味するところに瞬時に気がついたカオルは、自分が馬車内で彼女にやらかした事を悟られたのだと気がついて、羞恥心で真っ赤になって項垂れた。
 嗚呼しかし、まさかこんな影響を与えるなんて!
 カオルは自分の破れかぶれの行動が、敬虔な信徒の人生を大きく動かしてしまった事実に身悶するのだった。
 そんな様子に気づいているのかいないのか、セレナは少し危険な感じにキラキラと輝く両目のまますっくと立ち上がる。

「さぁ、行きましょう!」
「いや、ちょっと待て、カオルのポジションはどうするんだよ」
「さっきクトゥーチク司教が仰っていたでしょう、自分はそう長く力を使えないって。あの方なしで彼女が戦えないのなら、考えるだけ無駄でしょう。あの難局を助けて貰っただけで十分ではないかしら? いつ復活するかも分からない戦力を宛にするなんて、そんな博打はゴメンだわ。ねぇ、そうでしょうカッサシオン?」
「……さて、まあ、言われてみればそうですね」

 水を向けられたカッサシオンは幾つか反論したい事もあるようだが、概ねは賛成なのか表立って反対するわけでもなく頷いた。
 意味ありげに傍らのカオルをちらりと見ると、やれやれと言うように肩を竦めてマントのフードを下ろして覆面を上げた。

「ま、ごちゃごちゃしたイザコザはこのさい棚の中に閉まっておきましょう。今はただ、この冒険が無事に終わることに力を注ぐのが先決」
「ま、そういうことだ……おいっもっと綺麗に描けよ、方眼紙の升目を使え升目を」
「ご、ごめん。こう?」

 各々が身支度を終えて立ち上がり、マーチはカオルが地図の空白部分を補って書き足した部分に難癖を付け、それに謝りながらカオルが方眼紙上の線と点を書き直す。
 そんな微笑ましい光景を横目に、彼らはとうとう今まで誰も足を踏み入れなかったダンジョンの奥に向かっての第一歩を歩んだ。


――――――――――――――――


「なるほどねぇ……おかしいとは思ってたんだ」
「あの戦力と士気の高さの理由はこれでしたか」

 今にも舌打ちしそうな不機嫌顔で、マーチとカッサシオンはテラス状になった通路に伏せながら悪態をついた。その通路はちょうど胸ほどの高さまで石材の手すりが壁状に続いており、その足元に数インチのスリットがついている、そのスリットから目下の現状を見ていた二人は、後ろで同じように伏せているセレナとカオルの方に目線をやった。
 それに促されて同じようにその光景を除いた二人は、先程の二人と同じように顔を歪めて片や溜息、片や固唾を飲んだ。
 カオルは階下の広場に屯している怪物を横目に、目と鼻の先にあるセレナの顔に向かって問いかける。

「な、なに、あれ?」
「オーガーよ……不味いわね、たぶんあのゴブリンはあいつらと争ってたんだわ」
「道理で、あれだけ外で叩かれても余力があると思ったぜ」
「外に出ていた奴らはキャラバンや冒険者を襲って物資を調達していたんでしょう」
「な、なんか叫んでるんですけど?」
「おい、カッサシオン、訳せるか?」
「無茶を言わないで下さい、あんな下品な言語。耳が腐れ落ちそうだ」

 伏せたまま器用に肩を竦めるカッサシオンに、マーチは小さな声で「ちっ、使えねぇ」と悪態をついて小突かれていた。
 そんな彼らをこちらも小声で諌めながら、セレナは息を潜めて眼下の鬼たちを注意深く観察している。

「言葉は分からなくても何となくこれから何が起きるか分かるわ」
「……わたしも、なんとなく分かる」
「俺も何となく分かるがよ、何だと思う? カッサシオン」
「そうですね、ではここは平等に一二の三で全員一斉に言ってみましょうか。いち、にの、さん」
『戦争』

 ここまで見てきた中で最も広大な広場は、奥行きは暗くなって見えないほど有り、天井の高さは公都で一番高い建物がすっぽりと入りそうなほど高かった。横幅はざっと見ただけでも100フィートはあり、所々で明明と篝台が灯されている。そして灯りの周辺には身の丈10フィートは軽くありそうな筋骨隆々の巨人たちが、粗末な鎧と物々しい武装を準備していた。
 使い込まれた木製の棍棒には鋭い鉄釘が何本も突き出て、如何にも野蛮な鬼が使いそうな物騒な雰囲気を醸し出し、成人男性の頭程もある大きさの岩を幾つも籠に入れて背負っている鬼は、的に向かってスリングの訓練を行っていた。
 他にも様々な武器を持っているオーガーがいたが、基本的には棍棒とスリングの二種類で構成されているようで、時々歩いている一際大きな体格のオーガーは他の個体と違って巨人専用の板金鎧を着込み、鋼鉄製のウォーハンマーを肩に担いでいる。恐らくそれらがリーダーなのだろう。
 広場全体に充満する物々しい空気と緊迫した雰囲気は、どう考えてもこれからちょっと散歩に行こうなどと言うものではない。

「おい誰か、アイツらに教えてやれよ。お前らの戦う相手はとっくに半壊状態です、とっととお帰り下さいって」
「どうかしら、カッサシオン。英雄になってみる気は?」
「彼らがお礼を言ってくれるとは思えませんね。それに、儲けにならない事は出来るだけしない主義でして」
「じゃあ、カオル、お前いけ。これで貸し借りチャラにしてやるぞ」
「のーせんきゅー!」

 軽口を叩きながら、全員の視線が交差する。
 目は口程にものを語るとよく言うが、実際にアイコンタクトを理解することは至難の業だ。しかしながら今この場に限って言えば、全員がその至難の業を容易く成功させていた。
 即ち「どうするよこれ」である。

「~~~~ッ! ええい、畜生め、あんなもん抜けられるかボケっ」
「私一人であれば何とか行けますが……それでは意味が無いですね。いやはや参った」
「…………ブッコむ?」
「ちょっと、カオルッ、滅多なこと言わないで! 貴女が言ったら冗談に聞こえないわよッ」

 血相を変えたセレナに半ば本気で止められて、冗談のつもりだったカオルはしょんぼりして凹む。しかしながら彼女の持っている反則級の力を考えれば、この反応も致し方無しと言ったところか。
 闇夜に潜んで獲物を狩る梟のように、鋭い目付きで屯するオーガーの群れを見ていたカッサシオンは、舌打ちを漏らして無念そうに肩を竦めた。

「……駄目だ、気付かれずに抜けられそうにありません。ガス爆弾でも持ってくれば良かったんですが、流石にこんな事態は想定外です」
「ちっ……ここまで来て撤退かよ。骨折り損だぜ」
「こんな日もあるわよ、さあ、行きましょ――」
「シッ! なにか様子がおかしい!」
「え?」

 広場の空気が変わる。
 広場に充満していたざわつきが俄に色を変え、何体かのオーガーが声高に叫びながら広間に繋がる一つの通路を指さしている。その通路は半ば崩壊して石材が斜めに倒れかかっており、彼らの巨体では奥に進めないようになっていた。
 その通路から他のオーガーよりも半分程度しかない個体が大慌てで叫びながら飛び出してくると、その場に集っていた鬼たちは慌てて武器を構えて身構え始める。

「何だ何だ? 何が起きて……」

 思わず呟いたマーチの独り言の返答は――この世界では聞くはずのない、カオルにとっては馴染み深い、ザラザラとノイズ混じりになった甲高い電子音声であった。

《ZZiZiZyyzz..zzZ..bibibiii え、エネミー、コンタックzziiyyyzzizz..insight,insssssiiiaaaaaa》

 瓦礫の隙間から、全高4フィートほどのメタリックブルーが姿を現す。
 所々の装甲が剥がれ、明らかに作動不良を起こしていることは一目瞭然であったが、その見覚えのありすぎる姿にカオルは固まった。上に行くに連れて徐々に細くなる円筒形のボディに、胴体下には先端に高速移動用のボールタイヤが仕込まれた六本の脚、そして360度回転可能で三種類のカメラタイプに変更可能なターレットレンズ。この世界では見られるはずもない、彼女の世界の兵器。
 完全に場違いな存在の登場に、その他の面々はギョッと目を向いて息を飲んでいる。

「おい、な、なんでこんなところに連邦のマシンゴーレムがいやがる!?」
「私に聞かれたって……あ、馬鹿がっ」

 板金鎧を身に纏ったオーガーが雄叫び声をあげながら武器を振り上げ、突如として現れた敵に向かって突進する。
 そんな敵に向かって、無慈悲な機械はガチャリガチャリとターレットレンズを回転させながら電子音声でがなり立てた。

《BYYYYYYY! ケイコク! ii.i.i,IDパスを.zzzizy...Beeee!! ssss.ss....サーチ..aaa.aa..anddddddddd....デストローイイィィイイ!!》

 ジュッとも、ジジッとも聞き取れるような異様な音と共に、空間をやや斜め水平に薙ぎ払われた熱線は、その戦場にいたオーガー立ちをまるで豆腐か何かのようにスッパリと綺麗に両断した。熱線によって血の流れ出ない切断死体は、まるで狂人の描く悪夢のような非現実さをもって彼女たちの眼下に展開される。
 次の瞬間、広場中が怒号と雄叫びに支配された。
 もし彼らがゴブリンほど臆病なら一目散に逃走しただろう、或いはリザードマンほどに知能が高ければ戦略的撤退を選んだに違いない。
 だがしかし、彼らはオーガー。
 脳みそまで筋肉が詰まったと侮辱されるほどに、彼らの戦略はとにかく単純だった。
 即ち、敵の粉砕。そして前進。

「グォッォォォ!!」
「ガァァァァァ!」
「Dago! Dago!!」
「Hado!」

 口々に突撃の雄叫びを上げながら、凶悪な面相をした巨人たちがたった一体の機械兵器に群がっていく。
 迫り来る巨人の群れに、鉄の怪物は慌てもせずに胴体上部に装備された高収束熱線砲をぐるりと巡らせた。
 薄闇の中に光の筋が走る度、巨人達の悲鳴とマシンのエナジーチャージ音が広場に響く。ザラザラとノイズを混じらせながらの無機質な電子音声は、ただひたすら同じ言葉をリピートしていた。敵、敵、敵発見、殲滅、殲滅、敵殲滅、応答せよ、応答せよ、本部応答せよ、敵、敵、敵発見……。

「Glogshe! Hado!!」
「オオォォォオ!」

 片腕を熱線で切り落とされたリーダーらしきオーガーが傍らの仲間に命令すると、スリングを持っていたその鬼はすぐさま革紐に投擲用の岩を装填すると、熟練を感じさせる動作で敵に向かって一直線に投げ放つ。
 その岩が、彼らからすればあまりにもちっぽけな敵に当たる寸前、半透明の青白いプラズマシールドが半球状にマシンを覆い、シールドに阻まれた岩塊は青白い火花を散らしながら弾かれた。

《zizizzyyy....bibi..zzzzaazaaz...ee,e,en,ee,エネミー......》

 ビュゥゥンとまたしても高エナジー収束兵器特有のチャージ音を立てて、規格外の殺人兵器が猛威を振るう。巨人達は必死に抵抗するも、近づく前に横薙ぎにされる恐ろしい射程の熱線は容易くその生命を刈り取った。ここが起伏の全く無いだだっ広い広間であることも、大きく災いした。遮蔽物が殆どないのだ。
 そして、ものの数十分も経たぬ内に、あれほど広場いっぱいに集まっていたオーガー達は全滅した。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 またしても息を詰めて、四人は目を合わせた。
 その下では相変わらず雑音混じりの機械音声が、血眼になって敵の生き残りを探している。

「どうすんだよ……これ」

 誰に向けてでもなく自然に漏れたであろうマーチのボヤキに、カオルは小さく一言「詰んだ」とだけ呟くのだった。














――――――――――――――――――――――――――――――――


次回予告

不安と猜疑 欺瞞と隠蔽
閉塞空間に充満する鉄と血の匂い
利己的に 利他的に
そう 其れは生存を求めてせめぎ合う
打ち捨てられた鉄屑の叫び声
五体を引き裂かんと 石の壁を焼き切る過去からの亡霊
怯える魂がそっと呟く
「あいつもこいつも、私の盾になればいい」

次回「危機」


「これも一つの証明か……」



[13088] けつい
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:3b88ba70
Date: 2010/08/02 19:38
 ひりつくような緊張感と静寂の中、寄り集まった仲間たちの呼吸音と心音までも聞こえるような時が過ぎる。
 眼下の惨状を覗き込んでいたカッサシオンが冷や汗に覆面を湿らせながら彼女たちを振り返った。

「……行きました。広間のずっと奥に通路があるようです」
「……で、どうするよ」

 通路の壁にもたれかかって座ったまま、マーチが投げやりな感情を匂わせる様子で呟くと、同じように床に座したセレナが額に滲んだ汗をやや乱暴に手拭いで拭き取りながら答える。

「どうする? そんなの答えは一つしか無いわ。撤退よ。見たでしょう、あの規格外の強さを。連邦軍のマシンゴーレムが何故こんな所にいるのかは分からないけど、あの強さから見てどう考えても正規軍に配備されている型よ」
「見たとこブッ壊れてやがるが、それであの強さかよ……というか、マシンゴーレムってあんなバケモンなのか? 俺が見たことあるのとだいぶ違うが。あんなのがゴロゴロいるなら今頃連邦が世界を平らげている気がするんだが」

 訝しげに首を傾げるマーチにカッサシオンが肩をすくめてみせる。

「あの国は中部平原を平定してから不拡大政策をとっていますからね、それに世界征服なんて今日日流行りませんでしょう。いや、それは今はどうでもよろしい、問題は進むか、セレナさんの言うように退くかです」
「ここは多数決をとろうじゃないか、ええ? ちなみに俺は撤退だ、このメンバーでやるにはちっと心細いな」
「私は、ここは前進を押しましょう。オーガの軍勢とたった一体のマシンゴーレム、どちらが与し易いかなど考えるまでもない」
「まったく……撤退に決まっているでしょうが。私はまだノームの輪切りになりたくないわ」

 自然と、三人の視線は彼女の方を向いた。
 前進1、撤退2で、もし彼女が前進の方に票を入れれば票差は拮抗する。
 しかしカッサシオンは彼女が前進の方に票を入れるとは考えていないようで、その目は同数になった場合にどうセレナとマーチを説き伏せるかということを考えているようであった。
 だが、今まで俯いていた彼女が面を上げると、その真剣な顔付きに三人は驚き、そして吐出されたその「進む」という言葉に更に仰天した。

「おっ、これは予想外だな」
「彼女も冒険と暴力の悪徳に染まったということですかな? これはいい」
「カオル! もう! 冗談ごとではないのよ」
「さて、これで同数になったわけですが……」
「いえ、違います」

 突然言葉を遮られたカッサシオンは言葉に詰まりながらカオルを見る、彼女は真剣な顔を崩さずゆっくり噛んで含めるように言葉を吐いた。

「私の中には、司教がいます。彼の分の票も合わせて、2票。前進3に撤退2で前進の勝ちです」
「おお、なるほど。というわけで、前進することで……」
「ま、待ちなさい!」
「ちょっと待て」

 慌てた様子で制止の声をかけるセレナ。 
 そして真剣な顔でマーチが彼女の肩を掴むと、彼はそのまま触れ合うような至近距離まで顔を近づけると、何か感情を押し殺したような低い声でぼそぼそと呟いた。

「……本気なのか? あのクソッタレはお前が自由に力を使えないと言っていたぞ」
「うん、その通り。司教様の本来の力は言わずもがな、さっきゴブリンと戦った時のような力も出せないと思う。……けど、もう足手まといにはならない、約束する。だから、お願い、マーチさん、この先に進ませて。私に力を貸して」

 両手で彼の手を握り締めながらの必死の懇願に、マーチは顔を真赤にしながらモゴモゴと言葉にならない言葉を口の中で呟くと、正面からまっすぐ飛び込んでくる彼女の視線から逃げるように目線を逸らした。
 やはり、無理か。縋りつくように彼の手を握り締めながら、彼女は唇を噛む。
 彼女はマーチの赤面を怒りのためと考えて、悲痛な覚悟を固めつつあった。
 あのガードマシンは彼女の世界の兵器――それも、あの研究所に配備されていたタイプと同じ。それがこんな所にあるということは、このダンジョンに彼女の故郷の情報がある可能性が高い。
 しかし彼らの協力がなければ、この世界で右も左も分からない彼女はかなり苦労するであろうことは間違いない。
 それでも、彼女は未だ知らぬものを解き明かす、未知なるものに向かう欲求と使命感にも似た焦燥感に突き動かされていた。
 この先に進まなければならない。
 それはまるで魂に刻みつけられた使命のように、橘薫という人でも化物でもない、そのどちらにもなれない哀れな異邦人を突き動かしていた。
 一人でも進む、それはすでに決定事項となっていた。
 だが、それでも尚、この勇敢で優しい人狼の少年には一緒に来て欲しかった。
 マーチは撤退を支持するだろう、それは他でもない、彼女自身の未熟さを考えての行動であることは皮肉としか言えない。
 諦念と焦燥に焼かれながら、とうとう決定的な言葉を吐こうと決意したとき、相変わらず顔を赤らめながらマーチがその顔を上げて彼女と視線を合わせた。

「そ、その話し方が素か? さっきまでは演技かよ。もしかしなくてもあの広間からずっと、わざと頭が緩いふりをしてたな?」
「う……」

 突然痛いところを突かれ、彼女は言葉に詰まった。
 あの広間での一件以来、ほぼ自我を取り戻しつつあった彼女はその時に戻ってきた「打算」と言う名の考えをもって、この世界に初めて自我を得た瞬間の何も分からない狂人のフリをしていたのである。
 相手を馬鹿だと、或いは取るに足らない人間だと油断するものの、いかにつけ込み易いことか。そんなことを前の世界で嫌というほど味わっていた彼女はとっさにその場で最善と思う行動をとったのだ。

「う、嘘を付いたのは謝るわ。……信用できないって気持ちは分かる、だから、マーチさんが嫌なら無理には――」
「ああ、クソッ」
「あたッ」

 突然マーチは彼女にデコピンをすると、乱暴な手つきでグリグリと握り拳で彼女の頭を抑えつけた。

「半人前が、俺がいなけりゃろくに買い物も出来ないくせして、大口叩くんじゃねぇや」
「い、痛いよ、マーチさん」
「あと、そのマーチさんてのはやめろ。今更言葉遣いを改められても気持ち悪いだけだ」
「……まーくん」
「何だ」
「え、と……」
「うるせぇ、壁もいない後衛なんざいい的だ、お前は黙って俺のケツについて来りゃイイんだよ」

 ぶっきらぼうに、ムスッとした顔でそう答える。
 その憮然とした顔つきを見て、彼女は悟った。彼がどうやら、本当に驚くべきことに、彼女と一緒に来てくれるつもりであると。
 不安と決意に強ばっていたカオルの顔が目に見えて緩み、感動に目元に涙を滲ませながら彼女は突然胸の奥から沸き上がってきた激情に突き動かされた。
 彼は見ていたはずだ、あの凄まじい虐殺を。彼女の世界が生み出した殺戮の機械が振舞った、容赦無い攻撃の様を。アレには命を持つ者どうしの尊厳と誇りをかけた戦いなどはない、ただ効率と能率が支配する現代戦の申し子、魂無き戦闘機械の無情な殺戮。
 そこに、そんな所にいまから踏み込むというのに、彼は怒りに顔へ血を上らせながらも「応」と答えるのだ。
 まだ会って数日と経っていない、こんな氏素性の知れない化物に、彼は「命をかけてやる」と言い放って魅せるのだ。それがどれだけ尊いことか、どれだけ彼女に勇気と衝撃を与えたか。
 カオルは感極まりマーチを正面から抱きしめた。

「まーくん……ッ、ありがとう……」
「うっぉ」

 左手を背中に回し、右手で彼の頭をかき抱きながらその額にキスをする。
 そうして彼の肩に顔を預けるようにして抱きとめると、彼女の耳にドクドクと高鳴る彼の心音が聞こえ、彼の身体はまるで針金が入ったように硬くなった。もしかすると余り女性に耐性がないのかも知れない、思わずそう考えてしまうほどにそれは初心な反応で、カオルは思わず微笑を浮かべながら右手で彼の髪を櫛った。

「貴方には借りばかり増えるわ。この負債を何時になったら返せるのか検討もつかないほど……」
「……新米が先輩に世話かけるのは当たり前の話だ、さあ、行こうぜ」
「うん……」

 目尻に滲んだ涙を拭いながら、真っ赤になったマーチを離したカオルは微笑と共に頷くのだった。



――――――――――――――――



 カッサシオンの先導を受けながら、一同は素早く階下へと降りて影から影へと走った。
 そこかしこになぎ倒されて煙と炎を閃かせる篝台が点在し、揺らめく炎に照らされてオーガ達の凄惨な惨殺死体が散らばっていた。超高熱で一瞬にして焼き切られた死体は、炭化した蛋白質の嫌な匂いを周囲に撒き散らせながら、死して濁った両目は何かを恨むように虚空を睨んでいる。
 積まれた木箱の影や、或いは等間隔に置かれている巨大な石灯籠の影、そんな場所を瞬時に移動しながら一同は目的地である通路の影までやってきた。
 そこはあの壊れかけたガードマシンが出てきた通路で、崩れ落ちた天上と瓦礫に半ば埋まりかけている。
 標準的な人間サイズか或いはあのガードマシン程度の大きさならばくぐり抜けられそうな隙間があるが、どうも最近その隙間が出来たようで、その証拠に辺りには真新しい補強木材とツルハシやスコップが散らばっている。
 大方、この通路の先を探索しようとオーガ達が広げたのであろうが、その結果が自信たちの全滅だった。

「……さて、この様子からして此処から先は手付かずのエリアの予感がします。進みましょう」
「それはいいけれど、いえあまり良くはないのだけれど、とにかくあの物騒なゴーレムの対処法はどうするの?」
「取り敢えず、この瓦礫でふさいで戻ってこれないようにしておきましょう」
「もし向こうから回り込めたらどうするんだよ」
「その時は逃げましょう、煙幕もありますから」
「いえ、ムスカさん、あれには煙幕は効かないおそれがあります」
「……名前の件はこの際置いておいて、それは一体どういう事でしょう」
「アレには確か赤外線視のカメラアイがあるはずです」

 通じるかどうか不安ながらも彼女がそう言うと、カッサシオンとマーチは舌打ちをしてセレナは難しい顔をする。

「インフラビジョンですか……厄介な。とすると熱波の霧でも使わないと……」

 そう言って彼はちらりと彼女の方を見たが、カオルは首を横に振る。

「……まあ、そうでしょうね。というか、あなたはどういった魔法が使えるのです? それを聞いておかないと安心できませんから」
「ええと……」

 カオルは頭の中で「メッセージログをon」と呟いてから「使用できる魔法」と質問した。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
*魔法*
あなたが現在使用可能な魔法は 

サイオニック Lv.1 魔法

です
マナの導きとエーテルの加護のあらんことを........._
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「ええと、サイオニック……? とか言う魔法の1レベルの魔法が使えるみたい」
「ふむ……で、どの魔法です」
「え?」
「ですから、サイオニックの第一階梯魔法の内の、どの魔法だと聞いているのです」
「ええと……少し待って」



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
*魔法*

サイオニック Lv.1
Astral Traveler [help]
Biofeedback [help]
Bite of the Wolf [help]
Burst [help]
Call Weaponry [help]
Catfall [help]
Chameleon [help]
Claws of the beast [help]
Compression [help]
Conceal Thoughts [help]
Detect Psionics [help]
Dissipating Touch [help]
Distract [help]
Elfsight [help]
Empty Mind [help]
Expansion [help]
Float [help]
Force Screen [help]
Grip of Iron [help]
Hammer [help]
Intertial Armor [help]
Metaphysical Craw [help]
Metaphysical Weapon [help]
My Light [help]
Precognition, Defensive [help]
Precognition, Offensive [help]
Prescience, Offensive [help]
Prevenom [help]
Prevenom Weapon [help]
Skate [help]
Stomp [help]
Synesthete [help]
Thicken Skin [help]
Vigor [help]
Attraction [help]
Call to mind [help]
Control Flames [help]
Control Light [help]
Create Sound [help]
Crystal Shard [help]
Daze, Psionic [help]
Deceleration [help]
Deja Vu [help]
Demoralize [help]
Disable [help]
Ecto Protection [help]
Empathy [help]
Energy Ray [help]
Entangling Ectoplasm [help]
Far Hand [help]
Grease, Psionics [help]
Know Direction and Location [help]
Matter Agitation [help]
Mind Thrust [help]
Missive [help]
Sense Link [help]
Steel Life [help]
Telepathic Projection [help]
Control Object [help]
Detect Teleportation [help]
Destiny Dissonance [help]
Precognition [help]
Astral Construct [help]
Minor Creation, Psionic [help]
Charm, Psionic [help]
Mindlink [help]

以上の魔法を使用できます。
あなたが次のレベルに進むの必要な経験点は 150452 点です

〈アストラル体の加護〉
*≪八つ裂き≫のクトゥーチクはニヤリと笑った「ひよっこめ、しごいてやるぞ」*
*常に詠唱スキルが+++されます*
*常に魔力消費が30%カットされます*
*常にサイオニック魔法のダメージを15%カットします*
*常に入手経験点が半減します*
*常に必要経験点が激増します*
*《即時呪文威力最大化》使用可能 *
*《即時呪文効果範囲拡大》使用可能*
*《即時呪文持続時間延長》使用可能*
*《即時呪文高速化》 使用可能*
*《即時呪文音声省略》 使用可能*
*《即時防御の鎧》使用可能*
〈La'Galeoの加護〉
*混沌神は満足気に微笑んだ「停滞こそ忌むべきもの。世界よ混沌であれ」*
*混沌の杖[Chaos Septer of The La'Galeo]の一部機能が開放されます*
*習得したLv.の全ての呪文を瞬時に使用できます[サイオニック魔法]*
*精神に作用する魔法を75.35%の確率でリフレクトします*
*あなたは死ににくい*
*あなたの心は狂気と隣り合わせだ*
*あなたの魂は混沌神が保護している*
マナの導きとエーテルの加護のあらんことを........._
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 カオルは眼を白黒させてズラズラと目の前に表示された魔法のリストを眺め回した。
 一つ二つ三つ……全部で66もの呪文がある。カオルは唖然とした顔でそれらを眺めながら、催促するようなカッサシオンの顔に向かってモゴモゴと呟いた。

「え? なんです」
「ぜ、全部」
「は?」
「なんか、レベル1の魔法を全部使えるみたい」
「……」

 今度は彼らの方が唖然とする番であった。
 どのような種類の魔法使いであろうとも、その各階梯に存在する魔法の数はかなりの物になるのが常である。
 魔法使いは膨大な数の魔法から、自分がこれと決めた魔法を抜き出して修得するのが基本であるから、どんな大魔法使いであろうとその階梯の全ての魔法が使えるなど有り得なかった。
 つまり、この時顔を見合わせた三人の心中を代弁するなら「なにそれこわい」。

「え、ええと……それがマジだとするなら心強いが……使いこなせるのか? いったい幾つあるんだ」
「全部で66……ごめん、使いこなす自信はない。そもそもどんな魔法かもよく分からない」
「でしょうね……」

 呆れの溜息を付いたセレナはその視線をカッサシオンに向けた。

「たぶん、魔法の名前を教えてもらっても私は効果がわからないわ。カッサシオンもそうでしょうね」
「カオルさん、ほんとにどんな魔法か分からないので?」
「……時間をかけたら分かると思う。[help]が……ああ、と、司教様が教えてくれるみたいだけど、どれが役にたつかまでは……」

 申し訳なさそうにカオルがそう言って頭を掻くと、やれやれとでも言うようにマーチは溜息を付いた。

「じゃあ、今分かる範囲で役に立ちそうな魔法を一つ使ってみせろよ。何事も練習だ」
「わ、わかった」

 そう言ってカオルは眼を閉じて集中すると、瞼の裏に展開するスペルリストの中から一つの[help]を選んでその説明を読み、これならと思う魔法を選んだ。
 詠唱の仕方はなぜか頭に入っている。彼女は司教から託された禍々しい波動を放つ杖を両手で掴んで呪文を使う。

「Precognition……」

 helpによれば近い将来起きるであろう未来を不完全ながら予知してみせるという、まさしく「魔法」じみた魔法である。
 呪文を唱え終わった彼女の脳裏に予知のビジョンがキラキラと翻り、意志を持った雲のようなものがゆらゆらとイメージの海の中を漂った。
 虚ろな表情で中空を見つめる彼女のとなりでマーチが顔をしかめた。

「……何も起こらないぞ」
「未来予知の魔法を使ったわ」
「予知!? 相変わらずサイオニックの魔法は不思議なものが多いわね……」
「で、どうです? 何か見えましたか?」

 脳裏によぎったイメージとビジョンの断片を繋ぎあわせ、カオルはそれらを何とか形のあるものへと繕ってから言語化した。

「……あのマシンゴーレムは心配しなくていい、と出ました」
「それ、当たんだろうな」
「混沌神(ガレオさん)のお墨付きだけど?」

 余計に心配になった、そう言いたいような顔付きで一同は顔を見合わせるのであった。



――――――――――――――――



「お……なんだ、結構綺麗だな」

 そう言って、マーチは隙間をくぐり抜けた先に続く石畳の通路に眼を丸くした。
 カオルがランタンをかざして先を照らすと、一辺が1フィートのスレート材を隙間なく敷き詰めた通路が続いている。長い間放置されてきた場所という割には今まで見てきた場所と違い、荒廃の空気よりもむしろ密閉保存されてきた古い古い遺跡のような空気が充満しいる。
 それはつまり、今までここに生活を行うような生命体が皆無であっただろうという証拠にもなった。

「さて……お宝探しと行きますかね」

 ニヤリと笑ってマーチがそう言うと、先頭にマーチとカッサシオンが並び、真ん中にカオルがランタンを足の一つで掲げながら、その両手にマップの白地図を持ってマッピング、そして殿にはこのメンバーの中で唯一の回復役であるセレナが控えて一同は道を進んだ。
 しばらく進むと十字路に出た。
 手前で前進を止めると、カッサシオンが素早く辻に侵入して罠を確認する。

「……、罠はありません。どちらへ行きます?」
「よし、じゃあ左だ」
「まずは左に左に……懐かしいですねぇ」

 そうつぶやきながら、カッサシオンとマーチを先頭にして一同は左に曲がった。
 しばらく進むと行き止まりに重厚な木製の扉が見えてくる。素早く扉に取り付いたカッサシオンが鍵穴の近くに片膝を着くと、数十秒ほど小さな金属音が続いて最後に「カチリ」と鍵の開く音がカオルの耳にも届いた。

「開きました」
「よし……あ、セレナ、突入頼めるか? よく考えたらお前が一番固い」
「え、あの、まーくん、私の方がかたいとおも――」
「いいな? セレナ」
「ええ、わかったわ。」
「……」

 ナチュラルにスルーされたカオルは心なしか肩を落としてションボリする。
 そんな彼女に苦笑を向けて背中を慰めるように叩いてから、セレナが盾と小剣を構えた。

「では……エントリーッ」

 セレナの掛け声と共にカッサシオンがサッと扉を開き、彼女が室内に突入した瞬間、薄暗い室内に鉄と鉄が激突した火花が煌めいた。
 慌ててカオルがランタンの光を室内に投げかけると、中身が空洞の全身鎧がロングソードをセレナに振り下ろしていた。彼女は構えた盾でそれを防いで小剣を突き込むが、鎧が構えたカイトシールドに阻まれてその表面を滑る。
 続いて飛び込んだカッサシオンは、部屋の狭さにフライングチェーンソーが使えないことと敵がリビングメイルである事を見てとると、すぐに懐からブラック・ジャックを取り出して構えた。

「おやおや、狭い上に足場がたくさん……なんとも私向けの戦場ですよッ!!」

 そう言い放つと、カッサシオンは部屋中に屹立する足場……即ち本棚の群れを使って三角飛びしながら敵の背後に回りこんだ。
 彼が背後に回りこんだことを見てとると、鎧はセレナを無視してカッサシオンを倒そうと踵を返した。

「おっと、俺を忘れるなよ! なめんじゃねえや!」

 マーチは素晴らしい瞬発力で敵のそばに飛び込むと、繋ぎの緩い関節部に向かって鋭い拳打が叩き込む。
 肩口を潰されて左の盾を落とした鎧は、全くそれに頓着することなく長剣を振りかぶってカッサシオンに斬りかかった。
 カッサシオンは振り下ろされた刃を紙一重で躱すと、最小の動きでトップスピードに持っていったブラック・ジャックで鎧の膝を打ち据え、そのまま素早く本棚の壁をよじ登って視界の外へ消えていく。
 膝を壊されてバランスを崩した敵に向かってセレナのチャージが決まると、敵は武器を取り落としながら床に叩きつけられた。

「終わりよ」

 両手でセレナが持つ小剣を敵の胸部に深々と突き刺すと、バキリと何かが割る音と共にもがいていた鎧の動きが止まる。
 念のために鎧を蹴飛ばしてバラバラに分解してから、セレナは剣を収めてカオルを手招きした。
 扉が開いて五分も立たないうちの素早い行動に、カオルは自分と彼らの間に歴然と存在する経験値の格差に歯噛みする。
 なるほど、これでは自分がマーチに相手にされないのも当たり前だ。自分がセレナの立ち位置にいたとして、彼女以上にやってのける自信など微塵もない。
 自分はまだまだ未熟者だ。それを改めて痛感するカオルだった。

「ふむ……書斎、ですかね。お宝の匂いはしますが探し当てるのに苦労しそうだ」
「本かぁ……稀覯本なんかは好事家に高く売れるけどなぁこれだけあると厄介だ」

 うんざりといった様子の男ふたりの横で、セレナは本棚から一冊の本を取り出して見分した。

「……魔術師にとっては貴重な本があるんでしょうけど……私にはあまり詳しく鑑定できないわ。罠の仕込まれた本があるかも知れないし、慎重に行きましょう」
「分かった」
「では、私は本以外の値打ち物がないか見てきましょう」

 扉を閉めたあとに全員が手分けして書斎を捜索することになった。
 それぞれが散らばってあちこちを探っている中、カオルは真っ直ぐに書斎を横切って突き当たりまで進んだ。そこには持ち主が去って久しい文机と、高級感漂う座り心地の良さそうな革張りのチェアがある。
 自分の目当ての品はここにある。
 カオルは不思議な確信を持ってチェアに座ると、机の上に放置された分厚い鍵付きの本を手にとった。
 そこには無骨な金釘流の文字ででかでかと「研究日誌」と書かれている。
 マーチに基本だけ教わったこちらの言語は、司教のサポートのお陰か急速に形を帯びて彼女のものになりつつあった。すでに、その読解レベルは十分な教育を受けた貴族か商人レベルに達している。
 カオルはその人外の力で鍵の部分を壊すと、無味乾燥でひたすら事実だけを客観的に綴る文章の群れをむさぼるように読みふけった……。


















――――――――――――――――――――――――――――――――
随分久しぶりの更新です、申し訳ない。
5月は死にそうなほど忙しくて書く暇がなかった。
6月も結構忙しくて執筆に回す力がわかなかった。
7月前半はリハビリを兼ねて頭空っぽにして書いたネタ作品をチラ裏に投稿してました。
ネタが切れて勘も取り戻したので再開します。


*重複していた呪文を修正しました*



[13088] にっし
Name: 桜井 雅宏◆66df06ae ID:581653ed
Date: 2010/08/04 00:33
F.A.1640/01/01
 この研究日誌もついに1000冊目になってしまった。
 正直言って1000冊の内意味のあることが描いてあるのはその半分以下にも満たない。
 今後は研究に何かしら進展のあった時だけ日誌を書く事にしよう。


*以下、数十頁にわたり実験を行ったこととその失敗の原因について、難解な専門用語と複雑な数式、そして見たこともない記号がびっしりと記述されている*


F.A.1640/06/10
 今回も失敗した。何が原因なのか、この私の天才的頭脳を以てしてもあと一歩のところで足踏している。
 まあいい。実験の失敗は横において、明日はガラコの村に買出しに行かねばならない。
 憂鬱だ、配下のクリーチャーに行かせるという前回の案はわれながら名案だと思ったのだが、何故か銀貨を全部銅貨に両替えして帰ってきたり、一つだけ欲しかった材料を山ほど買い込んできたり、酷い時は年端もいかない少女を何故か担いで帰ってきたりと散々だった。
 硬貨を握らせて買い物メモを持たせるだけの行為でどうしてこれだけイレギュラーがでるのか、腹立たしい。
 仕方が無いので明日は自分で行こう。


F.A.1640/06/11
 凡夫共が! 魔導の探究の何たるかも知らぬ無知蒙昧の輩が!
 泥と垢にまみれて地を耕すしか能のない下民共が、いつかこの私をコケにしたことを後悔させてやる! ■■■の■■■■■で■■■■た■■■を■■■■■■の中に叩き込んで、黒い炎と地獄の蛆■で全身の■■を■■■てやる! 今に見ていろ、愚民共。
 怒りでどうにかなりそうだったので、井戸にたった一滴垂らすだけで成人男性を百万人は殺せる猛毒をついカッとなって調合してやった。いつかあの湿気たチンケな村の井戸に投げ込んで皆殺しにしてやる。
 天才を愚弄した賎民共はすべからく死ぬべきだ。
 実験は後日に回す。


F.A.1640/06/18
 やはり私は天才だ!
 どうして今まで気がつかなかったのだろう、この新しい方陣を用いれば今までボトルネックだった80もの行程を全部パスできる。
 私はいかなる神も信仰していないが、自らでは何の力もない凡人共が単なる偶然を「天啓」だと騒ぐ意味が少しわかった。
 突然頭の中に閃いたこのインスピレーションの煌き!
 これこそまさに天啓だ!
 次の実験は今までにないほどの資材と時間を費やして行う必要がある。
 これだけの実験を行えばたとえ失敗したとしても値千金の情報が得られるはずだ。
 すぐに準備に取り掛かろう。
 明日から忙しくなる。


F.A.1640/07/30
 実験は成功した。
 と、言って良いのかどうか分からない。
 私は次元境界線を踏み越えた先から一欠片の鉱物か、或いは無害な小動物でも召喚できれば御の字だと思っていたのだが……。
 召喚されたのは私の地下研究所と融合する形で「転移」してきた異界の施設と、100ばかしの見慣れた或いは見慣れないクリーチャーの数々だった。
 召喚した時の衝撃で不覚ながら私は暫く気を失っていたのだが、痛む頭をさすりながら眼を覚ました私は清潔なシーツで整えられたベッドの上で、その傍らには見慣れない形のマジックトーチを持ったハーフエルフの小娘が椅子に座っていた。
 混乱する様子の私に、リンジーと名乗るハーフエルフは彼女たちの事情を説明した。
 俄には信じがたい話であった。
 しかし、彼女たちが持っている数々の道具と、そして見当もつかない材質の建造物。それらを目の当たりにした私は興奮と感動に打ち震えていた。
 やったのだ! ついに私はやってのけた! 数十年にも及ぶ私の研究がついに実を結んだ瞬間だった。『異界経典』に示された秘められし魔法陣と、長年にわたって集めたアストラルクリスタルが次元断層を擬似的に発生させ、■■■■■が■■■た■■■■の秘術をついに実現させたのだ! この成功が召喚魔法と多次元観測、そして世界中の秘術使いにどれだけ大きな変革をもたらすか、想像もつかない規模だ、間違いない!
 しかし感動は長く続かなかった。どうやらやってきた異界の来訪者たちの半数近くが発狂してしまっているらしいということに私たちは気がついたからだ。
 彼らが言うには向こうでは全員がヒューマンだったというのだから、エルフやドワーフになってしまった連中はまだしもヴァーミンロードやアーケインウーズ、或いはレイジウォーカーなどになってしまった人間が正気を保っていられるはずもない。
 ヴァーミンロード……人から直立歩行する巨大昆虫になるなどおぞましくて吐き気がする。
 アーケインウーズ……そもそもこいつらに人間らしい情動などあるはずもない。というか、こいつらは私の天敵だ、後でそっと始末しておこう。
 レイジウォーカーなど、戦場に出現する憤怒と狂気と戦乱を象徴するフェイではないか。狂わぬほうがどうかしている。
 しかし、少々おかしな事に、高い知能を持つ人型生命体になってしまっているものよりも、間抜けで脳足りんだと相場が決まっている鬼や巨人といった連中や、人造クリーチャーやエーテル構成体といったそもそも自我があるのかどうか怪しいクリーチャーに「変性(以後、この現象をこう呼ぶ)」してしまった者たちの方が自我の確立がしっかりしているように見受けられる。リンジーのようなのは少数だ。まあ、自我がはっきりしていても、目が覚めて自分が異形の者になっている状況で正気を保てるか否か、それは別の問題だ。
 もしや、魂が二つ……? いや、憶測で物を言うのはよそう、詳細で客観的な実験結果がない状態での安易な推測はそれは科学的思考ではない。 
 近いうちに降霊術師か、霊媒師か、あるいは魂の観測の得意なメイジをつれてくるしかない。
 今日は濃密な一日になった。


F.A.1640/08/01
 今のところ、私と彼らの間にはある種の取引が探られている。
 即ち、私が彼らにこの世界の情報を教え、その代わりに彼らのうちで正気を保っている科学者――つまり錬金術師と数法学者を足して2で割ったような連中の知識を私が得る。
 ギブアンドテイク。なんて素晴らしい響きだ。
 取り敢えず、突然増えた食い扶持を何とかするために明日はガラコに買出しに行かねば。
 ひどく憂鬱な気分になってきた……。


F.A.1640/08/02
 とてもいい気分だ。
 というのも、ガラコの買出しに異邦人のうちでも比較的素早く自我を取り戻した何人かが手伝いを申し出たからだ。恐らく、外の世界を見たいという下心があるのだろうと思ったが、特に断る理由もないので許可した。
 しかし、これが大きな効果をもたらした。種族が全くバラバラの、しかも如何にも恐ろしげなクリーチャーが揃った異様な集団は、ガラコに住まわる雑草共の恐怖心を大いに煽ったようだ。
 いつも以上に素直な態度で応じる愚民共を前に、私は大いに自信を取り戻した。
 これはいい、今度からは買出しは全部彼らに任せよう。井戸に毒を放り込むのは延期だ。
 今日はリンジーと人工知能の可能性と限界について議論を交わした。非常に有意義な一日だ。
 明日は彼女と多次元上位世界における情報フレアが各下層世界に及ぼす影響について話す予定だ。


F.A.1640/08/13
 リンジーは男だったらしい


F.A.1640/08/14
 ……私としたことが、なんという無様な文章だろうか。
 たとえ一目で心奪われた儚げな美貌のハーフエルフの少女が実は魂♂であったことに茫然自失として一日を無駄に過ごすとは醜態にもほどがある。腹立たしい、何よりもまずそんな些細な事に脳のリソースを割いてしまったことが腹立たしい。
 それに、そもそも私自身が性別など超越した存在になっているのだ、何を思い悩む必要がある?
 天才も間違いを犯すことはある。その自戒の意味を込めて昨日の日誌はそのままにしておこう。
 決して修正液が切れていたわけではない。
 彼らのリーダー格たちが私に話があるらしい、明日も非常に興味深い一日になりそうだ。


F.A.1640/08/15
 不愉快だ!!
 奴らめ、あろうことかこの私を汚らわしいアストラルデモンか卑しく支配欲に取り憑かれたフォールンプレーンズウォーカーと同列に見なしよった!! 許せん! 我が偉大なる二つ名と魔道氏族の誇りにかけてにかけて! 信じられん侮辱だ!
 奴らの研究所にクリーチャーの軍勢を送り込んだのがこの私だとッ! 無礼者が!
 そのような無粋な物質的欲求のために、この私がこの崇高な研究に命を賭けていたと、奴らはそう言いやがったのだ! 腹立たしい! 反吐が出よる!
 やはり物質文明に毒された卑しい凡人共にはこの私の崇高な探究心と偉大な使命など理解できよう筈もなかったか。異界にも私のような天才と叡智を分かち合える崇高な者たちがいると、たまさかにも考えたのが間違いだった。
 明日にでも奴らにはここを出ていってもらおう。
 彼らの知識は確かに魅力だが、あのような侮辱を受けてまで得たいと思うようなものではない。やろうと思えばまた別のものを召喚すればそれですむはなしだ。


F.A.1640/08/16
 少し大人気なかったな。今回だけは大目に見てやるか。


F.A.1640/08/17
 ……私としたことが、なんという無様な文章だろうか。
 たとえこの私が一目で心奪われた儚げな美貌のハーフエルフの少女が実は魂♂であったがその外見は十分美しいものだということを再確認したからと言って、少々短絡的に過ぎる。
 だが、怒りに任せて致命的なことをしてしまう前に彼女――彼か、いや、あえて彼女と呼ぼう、彼女が止めてくれたのは今にして思えば良いことだった。
 うむ、十分時間はある。考えて見れば次の召喚も今回のような大きな成功を見込めるわけでない。
 せっかく手の中に転がり込んできた宝石をわざわざ捨ててしまうなど馬鹿者のすることだ。
 うむ、私は馬鹿ではない、天才だ!

 (汚い走り書き)何かデジャビュを感じる



*数十頁にわたり、筆者が異界の来訪者から得た様々な知識が記されている。B5サイズの紙面にはほとんど隙間もないくらい書き込みがなされ、筆者の興奮と情熱が文字を通して伝わってくるかのようだ*



F.A.1640/11/03
 最近、正気と記憶を取り戻した異邦人の数が徐々に増えつつある。
 また、こちらの情勢を村に行くたびにどこからか仕入れているらしい、私の遠視の魔法には気づいていない様だが、どうやらこそこそとなにやら企んでいる。
 リンジーを私の見張りに置いているつもりだろうが、その程度で大魔導師で尚且つ天才でもあるこの私を欺けると考えるとは、随分とかわいい話だ。
 私の食事に毒を盛って研究成果を奪う算段でもしているのかと、ファーサイトの魔法で覗いてみたが、どうやら彼らはこちらに来ている「はず」の仲間たちの消息を探しているらしかった。
 彼らが私に隠れてぼそぼそと語るところによると、「あの時」に研究所にいて、なおかつ「あの場所」で生きてこの災禍に巻き込まれた中で、十数人ほど姿の見えないものがいるらしい。
 痛恨の面持ちで彼らが語る名前の中で、繰り返し登場した人名をここに上げておく。

*彼らが「チーフ」或いは「プロフェッサー」と呼ばわる人物。カオル・タチバナ
 どうやら彼らの中でも一番高い地位にいたらしく、また彼らがこちらに来る羽目になった「災禍」の中でも大きな役割を果たしたらしい。捜索リストの最上位の様子。詳しいことは分からない。「天才」らしい。
 
*マルティン・ロペス
 上記のカオル・タチバナを語るときに一緒に語られることがよくある。どうやら彼女の側近? 或いは腰巾着か太鼓持ちのような何かのようで、セットで語られることが多い。よく分からない人物だ。ほとんど謎。ただ「彼は一体どんな生き物にアンカーを打ち込んだんだろう。そもそもこちらにこれたのか」「さあ? 何にせよ、それが人並みに知恵を持つ生き物でないことを祈るよ。もしそうなら、哀れすぎる」と言う会話からして、余り頭のいい人物ではない様子。

*カミンスキ・アダムスキ
 これも、ふたり一緒に語られることが多い。どうやら兵士のようだ。
 災禍の最中に八面六臂の活躍をした模様、かなりの数がこの二人に助けられたようだ。
 半数近くは生存を絶望視している様子。どうやらかなり手酷い傷を負っていたと推測される。
 しかし、研究員の中には彼らよりも酷い傷を負っておきながら、こちらへやってきた時に傷一つない体になったものもいて、その点から鑑みて二人の生存を信じているものもいる様子。
 要は、こちらに来る前にくたばっていたかいないのか。

*Dr.ゴードン・フリーマン
 どうやら災禍の数ヶ月前にどこか別の場所に「引きぬかれた」らしいが、複数の異邦人が「ごちゃごちゃした転移時の記憶の中で、彼を見たような気がする」と証言している模様。詳細不明。話の端々を集めてみるに、かなり優秀でタフな物理学者だという話だ。学者がタフとは、何かの隠喩か? 引きぬかれていった組織の名前は「ブラックメサ」というらしい。

 彼らの研究は、もっと上位の政治家の判断で「見込みなし」と判断されていたようだ。
 最高時には今の数倍の人員がいたというのだから、残念な話だ、もしその頃に私の研究が実っていれば、下にも置かない対応をしてやったというのに。



F.A.1642/06/15
 この日誌を開くのも随分久しぶりになる。
 何時からだったろうか、日誌に向かってぶつぶつと独り言を呟きながら筆を動かす事を止めたのは?
 今思えば、私の心は狂気の淵に向かって歩いていたのだろう。無限に等しい寿命を持ったものによくある、時間間隔の麻痺と狂気を予防するために始めた日誌だが、皮肉にもその行為自体がじわじわと狂気を深める方法になっていたことに、私は気がついたのだ。
 行方不明になっている異邦人たちの同胞は見つからない。どうも時間軸と位置座標のズレが存在するようだ。
 彼らがずっと過去に飛ばされたのか、或いはずっと未来に飛ばされたか。それとも我らが探ることすら不可能な深淵の奥深くへと誘われ、混乱と悲憤のさなかで生き絶えてしまったか。それとも転移に伴う融合現象で魂と自我を摩滅させ、自らの名も思い出せぬままに野を駆ける獣に成ってしまったか。
 いつしか、異邦人たちは彼らのことを英霊と呼び始めた。
 奇しくも、その動向の掴めぬ者たちの殆どは彼らに畏敬の念を否応なく思い起こさせるような人物が多かった。
 それ故にその動向が全く掴めぬことに彼らは落胆し、消沈している。
 しかし、彼らは決意したようだ、この世界から帰還する方法が皆無に近いゆえ、この世界に骨を埋めるしかないと。
 昨晩、私はリンジーから彼らの計画を打ち明けられた。
 それは即ち、彼ら異邦人がこの異世界に於いて自らの証を立てる、途方も無い計画。
 古代帝国が滅んで1000年以上にわたり、纏めるべき宗主国もないまま、無計画な戦争と、悲劇と、愚かしい流血の歴史が耐えた試しのない、我が故郷。大陸中部大盆地に国を建て、そして彼らこそがこの混沌の平野に未だかつて誰もなしたことのない偉業を完成させてみせると、そう彼女は断言してみせたのだ。
 そして、この私も断言しよう。
 今私は、後世に永々と語られる英雄伝説の生き証人となっているのだと!
 1000年の流血と暴力と怨嗟の染み付いた、あの呪われしジェミナスクラウン! おお、永遠なる双子王の末裔たちよ、今お前たちが繰り返し、やがてその起源すら忘れた愚かしい永遠の戦争に、異界よりやって来た異邦人達とこの私が幕を下ろそう。
 血が流れるだろう、誰かが私たちを恨むだろう、死すべきものが死に、生けるべきものも大勢死ぬだろう。
 だが、これから流れる血も、怨嗟の声も、今まで流れてきたものすべてを合わせたよりも少ないだろう。
 そして、我らが座して見ているうちにこれから流れ続けるであろうものよりも。
 アーケミィ連邦国家(United Kingdom of ARCAMEI)、それが彼らの作る国の名前。
 名前の由来を聞くと、彼女は苦笑を浮かべてこう言った。
 「正直、こんな所まで来てこんな姿になってまで諦められないって言うのは少し羨ましい。アナグラムでね、私たちの中の大半はその国の出身なんだ……私は違うけれど。そこの国民は自己主張が強くて時々鬱陶しい程だけど、彼らが「祖国」というものに抱く誇りは尊敬できるよ。……それに、もしこれから先の未来に私たちの同胞がやって来たら、このアナグラムに気がついてやってきてくれるかも知れないじゃない? 最も、カオルさんは私と同郷だから、気がつかないかも知れないし、もし本当に後発の同胞に対する立て看板のつもりならアナグラムなんて回りくどい手はは使う必要がないよ。まあ、ようは彼らのわがままさ、口ではもう諦めたっていっても、そうそう感情は納得できないんだ」
 そう言って、彼女は少し寂しげに笑った。
 寄る辺もなく、帰るあてもなく、何もかも失って異邦へ迷い込んだ彼女たち。
 そんな彼女たちがこれから誕生する新しい祖国に、アナグラムという諦念と望郷の表れを見せながら、今はもう戻れぬ祖国の名を使うことを、私は笑うことが出来なかった。
 彼女は出来れば私にも付いてきて欲しいと続けた。
 是非にとは言わなかった、常々私が彼らに向かって愚痴を言っているからだろう。
 彼らが来てから本流の実験が疎かになって困る、騒がしいのは好きではない、ところで何時出ていくのかね?と。
 私の返事は決まっていた、だが、気のない風を装って彼女たちを焦らせるのもいいだろう。
 ここでこの日誌を終わることにする、思えば私がこの場所に陣取ってからどれだけの月と太陽が巡ったのだろう。
 只人の一生など朝露のごとく消え去るような、長い長い月日だった。
 もう、この日誌を開くことはない、そして、これからも書く事はないだろう。
 古い時代を象徴する、私の財産の全てをここに捨て置くことにしよう。これからは新しい時代が始まる。
 これからの私の一生は、誰も読むことのない小さな羊皮紙の日誌に綴られるのではない。
 教養のあるものならば誰でも開くような、重厚な装丁の歴史書の中で。
 あるいは民草の集う場末の酒場で、優雅に竪琴を奏でる吟遊詩人の歌の中で。
 そして、これから私たちが治めるであろう、連邦の国民たちの生活の中で……。
 人々は謳うだろう、燎原の火の如く広がる戦火の光景を。
 人々は謳うだろう、怒涛のごとく攻め立てる軍勢の足音を。
 嗚呼、願わくば、この書を開いたものよ。
 今は十年後か? 百年後か? それとも千年? 万年?
 私は生きているか、新しい祖国を作ったか?
 輝かしい祖国の名は世界中に鳴り響いているか?
 悲しき異邦人たちは彼らの祖国を打ち立てたか?
 忌まわしい記憶の染み付いた、古の我が祖国が滅びしあの呪われし中原を平らげたか?
 出来うることなら、教えてくれ、この私に。
 そして、この書を開きし者よ、どうか、志半ばで倒れたであろう失われし英霊たちに祈って欲しい。
 我らの行く末に幸あれかし。
 汝の行く末に幸多からんことを。
 明日、私は歴史を作りに脚を踏み出す。

《蠢く死蛆》ガルファス・アルハザッド





――――――――――――――――




「どうした、何か見つかったか?」

 突然背後から声をかけられ、本を開いたまま呆然とその紙面に眼を落としていたカオルは驚いて肩を揺らすと、血の気の引いた青白い顔のまま背後を振り返った。
 そこにはいつの間にか彼女以外の全員が集合し、椅子に座って熱心に本を読む彼女を伺っていた。どうやら、一旦集合して彼女がいないことに気が付き、全員で捜しに来たらしい。
 もとより白い肌が更に青白い色合いを示していることに、マーチは眉をしかめたが、理由を説明するより前に彼女はカラカラに乾いた喉からなんとか声を絞り出した。

「ねえ、まーくん。ガルファス・アルハザッドって知ってる?」
「あ? なんか、聞いたことあるな……」

 そう言って首を傾げる彼の横で、セレナが溜息を付いた。

「もう、随分前に教えたでしょう。連邦首都にある秘術探究学院の創立者にして初代学長よ。今ある魔導通信機の基礎から応用まで、ほとんど全部この偉大な魔導師が作ったんだから、それくらい覚えておきなさい」
「ちぇ……座学は苦手なんだよ」
「ダメよ、物を知らない冒険者はいつか痛い目を見るんですからね!」
「はいはい、あーもう、二人目のお袋が出来たみたいだぜ」
「なっなんですって!? まだそんな歳じゃありませんっ!」

 ギャアギャアと言い争いを始めた二人の横を通りすぎて、カオルのそばの本棚にもたれ掛かりながらカッサシオンが続けた。

「《蠢く死蛆》のアルハザッドといえば、識者と魔法使いとアウトローの中では知らぬものなどいないほど有名ですよ。連邦建国の中核存在として八面六臂の活躍をし、更に画期的な魔導通信機と、限定的ではありますが二点間を結んだ魔導施設を使ってのテレポートを実現した……。これが表の世界でのこの偉人の評判ですが、裏の世界では《蠢く死蛆》はもっとおぞましく恐ろしい二つ名として囁かれていました。世界中に鳴り響くような異名は現す本当の姿……彼はラルヴァメイジだったと言われています」
「ラルヴァメイジ?」
「全身が蛆虫か芋虫で形作られた、辛うじて人型をした異形の魔導師のことですよ」

 その様子を想像して、カオルは更に顔色を悪くして、吐き気をぐっと飲み込む。
 そのさまを見て、カッサシオンはクスクスと笑う。

「最初に彼が表舞台に現れたのは、1300年頃の中原平野。今はもう名前も忘れられた亡国で、親友と婚約者に裏切られ、暗黒の邪法を用いて蘇った復讐に狂う異形の魔導師。その逸話は吟遊詩人の歌にもあります。そして、復讐を果たし、裏の世界に恐怖と畏怖をまき散らしながら唐突にその姿が掻き消えて300年後、突如として現れた彼は異形の軍勢と凄まじい戦略・戦術のキレを発揮して瞬く間に中原の国家群を侵略して今の連邦の基礎を作りました。その偉大な名前が表舞台に鳴り響き出す頃には、さすがの彼も外聞を気にしたのか常に仮面と手袋を身につけて、その姿を衆目になるべく晒さないようになったそうです」
「……今も、生きてるの?」

 カッサシオンは楽しげに笑った。

「さあ? 噂では今も学院の地下深くに自分の研究所を持っていて、日夜研究に耽っていると言われますが……まあ、都市伝説のたぐいでしょう。公式の記録では建国してから学院を作り、数々の発明を世に発表したあとに突然行方をくらまします。戦争時の恨みを買って誰かに暗殺されたというのが一般的な見方で、吟遊詩人の歌もここで結ばれます。「かくして、復讐によってその身を満たした異形の魔導師は、復讐によってその身を滅ばしたのだった……因果は巡る、全ての意思ある存在の頭上を」ってね。で、そろそろ予想がつきましたが……その本は?」

 最後のページを開いたままそれを差し出すと、カッサシオンは口笛を吹いた。

「これはこれは……想像以上の穴場でしたか。とんでもないお宝の匂いがしますよ」
「そうね、でも、この本は私が見つけたのだから、私が貰います」

 そう言って、不機嫌にカッサシオンを睨みつけながらカオルは本をひったくった。
 彼はその紙面に躍った情報から、金貨と宝石の臭いしか感じないらしい。それが彼女には腹立たしく、また、彼女の今の状況を解き明かす鍵があるかも知れないその本を誰にも渡したくなかった。
 やや乱暴な手付きで本を奪われたカッサシオンは、彼女の気持ちを知ってか知らずか、ひょいと肩をすくめて「お好きにどうぞ」と気軽に答える。

「何か見つかったの?」セレナが問いかける。
「ええ、カオルさんが見つけてくれました。どうやらこの研究所はあの高名な連邦の大宰相にして魔導軍団長だったアルハザッドが空白期を過ごした場所である可能性が濃厚です。残された魔道具の質も上々、それにここに残された歴史的遺物とその真実は、連邦大学のお偉方をさぞかし興奮させることは請け合いでしょう」
「へえ、そりゃいい。久しぶりに大物だな」

 そう言ってガヤガヤと笑いを交えて話しあう三人の傍らで、相変わらず混乱する頭の中でカオルは今しがた得た情報を何とか纏めようと躍起になっていた。
 そして、混沌とした思考の中でただひとつ、カオルは呆れとも安堵ともつかない思考を漏らした。

「斉藤君……女の子になってるの……?」

 斉藤凛二。
 欧米読みをするならリンジ・サイトー。

「リンジー……確かに、女性の名前だわ……」

 蛆虫が集まって人型をしたの魔導師に懸想される副所長を想像し、カオルは思わず小さく吹き出したのだった。













――――――――――――――――――――――――――――――――
モンスター・マニュアルの第四版を購入。ちょっと高い買い物だったが、フルカラーの挿絵と詳細な情報は素晴らしい。
モンスター・マニュアルⅢも購入しようかと思ったら、Amazonで1万超の足元価格で出品されててげんなり。
けどなぁ欲しいんだよなぁと思いながら諦めきれずに他の古本でないかとネットをうろついていると、ブックオフオンラインに原価で置いてあって吹いた。
まだ届いてないけど、いい買い物したなぁ。

セッションはしないけど、観てるだけでも面白いよね! 資料としても優秀だ。
ボーナスも少し出たし、これくらいの散財はいいや。

あと少しでカオルの冒険も一段落。
この話が終わったら、チラ裏からその他板に移動しようかと思っています。
というか、オリジナル板でもいいかと思ったが、一応D&Dの魔法とかクリーチャーとか出ているし、その点では二次創作かと思います。
それではみなさん、また次回。

いや、クリーチャーってホントいいもんですよね!



[13088] 真相01
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:cb1a3597
Date: 2010/12/01 00:37
 一旦書斎を出た一行は、そのままきた道を引き返してさっきの十字路まで戻ってきた。
 カオルがマッピングを終わるのを待ってから、地面と壁に白墨で何かを書き込んでいたカッサシオンが立ち上がる。その顔は宝の臭いを感じ取ったのか、まるで飛行石を手に入れた某大佐のごとく輝いていた。

「さて、お次はどちらに?」
「……よし、これだ」

 そう言ってマーチがグッと握り拳をカッサシオンの方に突き出すと、カッサシオンは苦笑いと共に肩を竦めて同じように拳を突き出した。
 そうして同時に拍子を付くようにして何度も拳を突き出しながら、同じセリフを同時に口にする。

「ペーパー、シザーズ、ロック!」

 最後に拍子にカッサシオンはロック(グー)を突き出し、マーチはペーパー(パー)を突き出した。
 ニヤニヤと掌をニギニギするマーチに対して、カッサシオンは口元に小さな笑を浮かべながらひょいと肩を竦めてみせる。
 悪ガキの悪巫山戯に呆れる保護者のような視線のセレナの横で、異世界の埃っぽいダンジョンでジャンケンを見たカオルは驚いていいやら何やら微妙な顔付きだった。

「おや、負けてしまいました。まあ、ここで負けるということは私の運は信用できませんので。さ、どうぞ」
「左だ。隊列そのまま」
「了解いたしました」

 先頭をカッサシオン、その後方にマーチが続き、クロスボウを構えながら触手の一本でランタンを持ったカオル、そして殿に最も装甲の厚いセレナが控えている。
 もし後方から奇襲されても、最も打たれ強いセレナが持ちこたえているうちに味方が駆けつける寸法である。今最も警戒すべきなのはあの壊れかけたガードマシンが帰ってくることだが、セレナ曰くその白銀の鎧と楔帷子にはレジストエナジーの魔法がかかっているらしい。
 あの熱線にも数秒くらいなら耐えられれると豪語していたが、正直怪しいとカオルは感じていた。
 願わくばあのガードマシンの故障が熱線の出力にまで及んでいることを思いつつ、四人はランタンの照らすほの暗い通路をゆっくりと進んでいく。
 数百年の間、誰の侵入も許さなかった大魔導師の住処に二人分の足音が虚ろに木霊する。見た目には四人組であるのに、たてる足音は二人分しか無い。もしこの光景を第三者が見れば、そのおかしさに首を傾げたかも知れない。
 カッサシオンは足音を立てない歩き方を心得ているし、カオルの足はそもそも床を打つことがない。
 ダンジョンの長い長い廊下には、セレナの具足である金属製のブーツと、マーチのはいた頑丈な革製のブーツの音だけが反響していた。

「うん?」
「おや」

 突然、先頭を進んでいたカッサシオンとマーチが頓狂な声を上げる。
 何事かとカオルがランタンを高く掲げてみせると、そこに広がる光景に思わず彼女は息を飲んだ。
 後ろから覗き込んだセレナが「何かしら、これ」と眉をひそめながら呟く声を尻目に、早速カッサシオンが目の前に広がる不可思議な有様を調べ始めている。
 今まで彼女たちが進んできた通路は、ほとんど継ぎ目もないほど組まれたと言っても石材で出来ていた。しかし、目の前からいきなり斜めのT字路となっている通路は、それまでカッサシオンたちが見たこともない素材で出来ている。
 しかも、それまで定規で測ったように几帳面に作られていた通路に、突然何の前触れもなく斜めに横切るT字路であったので、それも首を傾げる要因の一つである。
 魔導師というのは総じて規則性や幾何学性に重要な要素を見出すものだ。常人には計り知れない理由によって作られたその住処は、全体が何らかの魔術的要素を孕んでいることが殆どであった。

「こういう唐突な作りは、アルハザッドのような研究肌の秘術使いには似合いませんねぇ。後から無理やり付け足したみたいだ」そう言ってカッサシオンは首を傾げながら床をさする。

 そして極めつけにおかしい事に、石畳とその新しい通路はその境目がまるで互いが溶けて混ざり合ったようになっている点であった。

「……ふむ、この素材は見たことがありません。金属かと思いましたが、熱伝導性はむしろ低そうです」
「それよか、このグチャグチャのマーブル模様は一体何だ。コーヒーにミルクを混ぜたみたいだ」
「マーチ、ミルクを「混ぜた」らマーブル模様にはなりませんよ。注ぐと言ってはいかがです」
「わざわざ文法上の不備を指摘してくれてありがとよ、次からお前に手紙をかく時は注意させてもらうぜ」
「礼には及びません」
「けどまさか俺からの手紙に、元から美文を期待してやいねえだろ、ええ?」
「おやおや嘆かわしい、努力を忘れた知性は鈍るだけですよ」
「なるほどな、つまりお前は神に祈る努力を忘れちまったからそんなどう仕様も無い悪党になったってわけだ」
「光栄です」
「貴方達、ちょっとは黙れないの?」皮肉の応酬に見かねてセレナが呆れ半分に溜息をつく。

「カッサシオン。貴方もいちいち煽るようなことは言わないで。言葉に皮肉を混ぜないと会話できないの? さすがに聞き苦しいわよ」
「私が?」ちょっとショックを受けたようにカッサシオンが答える。
「へぇ、気づいてなかったというわけ? 驚きね、貴方ともあろう人が」セレナは彼女にしては珍しく、苛立った刺のある声で返した。
「で、どうする。右か? 左か?」それを無視するようにマーチが話題を振った。

 セレナまで頭に血が登っては大変だとその顔に書いてある。実際問題、彼女の頭に血が上ったときの惨劇を充分目撃していたカッサシオンは、あっと言う間に矛を収めて作業に没頭した。
 カッサシオンが罠を確認している姿をランタンで照らしながら、カオルは血の気の引いた顔で突き当たりの壁を凝視していた。
 ヂルコイドコーティングされたデュラスチール製の壁に、無数にあいた弾痕。
 通常の手段では傷つけることすら難しいその壁を、其れほどまでに傷めつけるものは一体?
 いや、考えるまでもない。彼女はその正体を知っていた。
 そう、パルスライフルの超高速連射によって穴だらけにされたその壁には、ボロボロに成った金属製の文字案内板がかかっている。
 あの破滅の動乱と、百年以上の長きの時間は、しかし、現代科学の粋を凝らした技術の塊を風化させ朽ち果てさせるにはまだ足りぬ。
 瞳孔が散大する。
 心臓が壊れたようにポンプを動かし、血の気の引いた脳内に必死に血液を送り込む。
 衝撃と共に魂が失った記憶の破片(フラグメント)を拾い上げる。
 体の中。
 魂の隅。
 心の裏側で、あの耳に残る異形(マインドフレイヤー)の笑い声が反響した。
 そうだ、プロフェッサー。それこそお前だ、お前が過去に置き忘れてきた、お前そのものだ!
 探究者よ探求者よ求道者よ!
 見よ! 真実を見よ!
 魂の記憶を見よ!
 そうだ、この光景。
 覚えている、この光景は、覚えている!
 フラフラと、まるで夢遊病患者のようにカオルは正面の壁に吸い込まれていく。
 不思議そうにその顔を見る三人をよそに、カオルは震える左手でそっと金属板を指でなぞる。

「メ、イン、チェンバー……」

 情報の爆発が彼女の脳髄を焼いた。
 クロスボウとランタンを取り落とし、頭蓋を砕くような怪力でもって自らの頭部を両手で掴む。
 人間に耐えられる限界を軽く超えた情報の爆発に、カオルは絶叫を上げて身を捩った。
 激痛という言葉すら生ぬるい、痛みによって狂い死ぬほどの衝撃が彼女の全神経と魂を貫く。
 誰かが彼女を呼んでいる。
 彼女の体を抱きしめて、必死に彼女の名前を呼んでいる。
 しかし今の彼女には耳から入る蚊の鳴き声すら脳髄を磨り潰す雑音にしかならず、己の体を抱きかかえる両腕は痛みに身を捩る彼女に取って己を拘束する鎖でしか無い。

「ぅあっ! あああああぁぁ! ぁッ! ああああああぁぁぁぁああぁ!!」

 全身を犯す激痛に絶叫を上げながら、カオルは己を束縛する邪魔臭い鎖を無理やり振りほどいた。
 誰かがまた、彼女の名前を呼んだ。
 思い出せない。
 誰か、思い出せない。
 大切な名前だったはずだ。
 忘れてはいけない名前のはずだ。
 だれか、たいせつなひとのはずだ。
 だけど、苛立つ、見て分からないの?
 こんなに苦しんでいる相手に、ただ名前を呼んで、それでどうしようって?
 それが一体何の解決になる?
 ならない、なにもならない。
 行動しなければ。
 口より先に手を動かせと、教えられなかったのか。
 解法だ。解法が必要だ。
 複雑に絡み合った事象をどうにかする解法が!
 行動だ。私は行動する。
 そうしなければ、気が狂う。
 狂気は駄目だ、狂気は正気を食いつぶし、やがて理性を放逐する。
 科学的思考は理性と論理によって成り立つのだ。
 そこに狂気の入る隙間はない。
 身体が痛い、頭が痛い、心が痛い、世界に押しつぶされる!!
 いつの間にか口元から溢れ出した流血を吐き出して、彼女はまるでそうすれば痛みを追い出せるというかのように己の頭部を拳で叩いた。
 こんなご大層な頭をのっけて、それが一体何の役に立った?
 その天才の頭脳は、世界に一体何を解き放ったのだ?
 破壊だ!
 破壊と、混沌と、狂気と、戦争!
 そして、荒廃と、憎悪と、大それた野望!
 お前の生み出した研究成果は、すべからく戦争と政治と人殺しの道具になったのだ!
 夢の為に全てを振りきってやってきた、それがこの末路だ!
 ノーベル賞? 大した皮肉。
 第二のノーベルとでもいいたのか。
 私の生み出した技術で先進国の一万人が助かる一方で、紛争地帯で数十万の人間がその技術で殺されているというのに!
 こんな物……こんなもの!!
 私が欲しかったのは、こんなモノじゃない!!
 私がやりたかったのは、こんな事じゃない!!
 畜生! 畜生! 畜生!
 この世界に神なんかいない! もしいるならば、こんな残酷な世界、許せるものか!


「ハ、ハカセ!!」
「!?」

 ギョッと、その懐かしい声に心臓が止まるほど驚いて彼女は身を捩って振り返った。
 そこには装甲服のフェイスプレートを跳ね上げたまま、呆然とこちらを見つめる懐かしい顔があった。
 見るはずのない顔、しかし、その違和感は淡雪のようの溶けて消えた。

「そ、その、すまねぇ、プロフェッサー。そ、そんなに痛むとは、お、思ってなくて」

 そうしどろもどろに言い訳をしながら彼女を抱えたその左手には、中身の無くなった無針注射器が握られていた。注入された液体は、外傷用の緊急メディカルパック。ナノマシンに同期して、破れた血管の修復と失った血液の代わりを務める擬似ヘモグロビンに変化し、鎮痛作用もある。
 襲撃によって全身に打撲と擦過傷を負った彼女に、彼がそれを打ち込んだのだ。
 しかし、よくよく見ればそのパックの側面に書かれている対応ナノマシンのバージョンは最新型である。三代前の安定型をしつこく使っていた彼女に取って、かなり危険な処方と言えた。
 パックの注意書きにもでかでかと「このメディカルパックは最新型ナノマシン適応者を想定しています。旧バージョン適応者に対する注射は全身の疼痛、吐き気、目眩、血圧の急激な低下などの危険な症状を引き起こし、場合によっては命の危険のおそれがあります。使用の際には医師または薬剤師の云々」と書かれている。
 それらの注意書きに全く気づかずに注射したのは完全に不注意だが、かと言って他に使えるものはない。
 結局この痛みは必要であった。

「…………最近、ナノマシンのバージョンアップをサボっていたツケよ。あなたのせいじゃないわ、カミンスキー」
「け、けど、そ、そんなら、そう言ってくれりゃあ」
「言ってたら、どうするの? 今ここでバージョンアップする? 機材がないけど……」そこまで言って薫はニヤリと青白い顔のまま笑いかけた。「貴方が粘膜交換方式でバージョンアップさせてくれたのかしら? 今ここで?」
「な…なな…何を」

 一瞬にしてスラヴ系白人のカミンスキーの顔が真っ赤になる。
 厳つい外観に似合わず、カミンスキーは性的な冗談に弱かった。こういう話題を振られるとあっと言う間にこうして真っ赤になるので、赤面症の元軍人であるこの警備員は度々そうやって女性職員や研究員に揶揄われていた。
 もっとも、薫がこういう話題で揶揄うのは初めてだったので、カミンスキーも尚更不意を突かれてしまったようだ。

「ハ、ハカセ、ここ、こんな時に、よせよ」
「ええ、そうね、ごめんなさい。ちょっと激痛のあまり、おかしくなったみたい」

 そう言って薫は穴だらけの壁に背中を預けて、そのままズルズルと同じく穴だらけの床に座り込んだ。
 青白い顔で息を荒げるその姿に、カミンスキーは心配顔で膝をつくと、メディカルキットの中にあった簡易バイタルチェッカーをカオルの方に向けた。

「……げげ、け、血圧が……ハ、ハハ、ハカセ、わりぃ、応急処置だけど、パ、パッチ当てちまっていいか?」
「パッチ?」
「ひ、一つ前のバージョンに、あ、当てる奴だけど、ハカセにも、た、多分効くと思う」

 そう言って取り出したのは、ナノマシンのパッチパックである。
 血圧の低下で目の前に黒い斑点が見え始めていたカオルは、朦朧としながらも頷いた。
 このまま放置しても短期に治る見込みはない、なら、この緊急事態だ、荒療治も仕方ない。

「やって頂戴」
「わ、分かった。行くぞ」

 プシュッと小さく空気の抜けるような音の後、彼女の首筋からパック内のパッチナノマシンが血管中に流れこんでくる。
 必死になって全身に血液を送り込んでいる心臓のお陰で、パッチナノマシンは急速に全身の隅々にまで行き渡っていく。座り込んだのも良かったのだろう、楽な姿勢で注射したお陰で覚悟していた痛みも殆ど無く、急激な血圧低下も収まりだした。
 額から溢れ出してた脂汗を拭い、薫は思わず安堵の溜息をつく。

「フゥー…………全く、こんな事ならリッチェンスの言う事に素直に従ってればよかったわ」
「ハ、ハカセは、あ、新しいものが嫌いだったか?」
「なに? 懐古趣味って言いたいのかしら。別に、信頼度を疑ってたわけじゃないわよ。ただ、交換に最低三日、長いと一週間も安静にしてなきゃならないってのが面倒だっただけ。その時間、どれだけ研究が進むか分かったものじゃない」
「そ、それでいま痛い思いしてりゃあ、せ、世話ねえや」
「全く……貴方まで斉藤君みたいなことを……」

 そこまで言って、彼女は言葉を切った。
 かなりの数の研究所からヘッドハンティングのスカウトが来ていたのに、カオルと一緒にこんな異国の北国にやって来てくれたその青年は、彼女に取って感謝の言葉が見つからないほどの恩人でありパートナーである。
 日本で史上最年少の教授になったはいいものの、旧弊から抜け出せない旧態然とした大学派閥に疲れきっていた彼女を支えてくれた若き院生が、今や世界中にその名を轟かせる天才科学者の一員である。米国に渡るように彼女を説得したのも、彼だった。
 皮肉屋で、お調子者で、世界中のサブカルチャーにどっぷり浸かったマニアック。
 この研究所から櫛の歯が欠けたように次々と研究員が抜けていく中、最後の最後まで断固として異動や辞令を拒否し続けた変わり者だ。
 ほんの少し自惚れさせてもらえるなら、彼が残ったのは自分の為だと、薫は控え目に主張する。無論、声には出さないし、確かめもしない。斉藤も、絶対口が裂けても言わないだろう。
 朦朧とした意識の中で、薫は昨晩に彼と交わした会話内容をつぶさに思い返していた。

『はぁ!? 査察!? 何の権限で!』
『国防総省とCIAが、怪しんでいるらしいわ』
『怪しむって、何を。俺達が予算を使い込んでるとか?』
『その……彼らの言い分は、私たちが不必要な武力を溜め込んでいるんじゃないかとか、その、日本で言う凶器準備集合罪みたいな』
『はぁ? イミフ、地球語でおk』
『……はぁ、アレよ、貴方とアレックスとシードが手慰みに作ったATが問題になってるのよ。あと、違法改造したパルスライフルとかが流出したの』
『あ、ああ、あーーー』
『そうよ、「あーーー」よ、全く……』
『い、いやいや、だって、ボトムズですよ? ねぇ? あんな紙装甲、バトルタンクのいい的ですよ? 兵器じゃありません、アレは自家用車です』
『明日彼ら(査察団)にもそう説明したらどう? でも私なら、無駄な事をせずに素直に謝るわね。誰がどう見たって、自家用車にも作業機械にも見えないもの。なんで自家用車にマニュピレーターとマシンガンとパイルバンカーが必要なのか、たっぷり質問されるでしょうね。もちろん個室で』
『どう見ても兵器です本当にありがとうございました。ちくしょー! お前らにはもう攻殻に出てきたみたいなパワードスーツがあるじゃねーか! 今更ボトムズにまで興味示すんじゃねーよ!』
『それだって基幹技術は日本の技研が作ったから、今度のアレも行けると踏んだんじゃないの?』
『馬鹿な! ATは搭乗者の命使い捨て前提だぞ! アメ公の軍事ドクトリンにそぐわないにもほどがある』
『そういう詳しいことは分からないけど、パッドフッドが強烈に働きかけたみたいね。あいつ、軍人上がりだからそういのに目ざといのよ』
『……………………』
『斉藤君?』
『ぜってーシラ切ってやる。あのクソッタレに負けるくらいなら首切られてもいいや』
『ちょっと』
『安心しろって、薫さん。こんなんなるまで此処に残った面子だぜ、口裏合わせは完璧だ』
『……こういうことをしてるから、怪しまれたのかしらねぇ……』

 査察は表向き順調に進んでいた。
 斉藤の言ったとおり、研究員から警備の人間まで、全員の口裏を完全に合わせた状態で査察団がやって来た。そして陸軍の兵士達に護衛されながら物々しい様子でやってきた査察団は、明らかに何かおかしいと感じながらも何一つその確証を得られぬままイライラと査察を進め、そして、あの悪夢の瞬間がやってきたのだ。
 遅々として進まない査察に業を煮やしたパッドフッドが、兵士の一団と査察員を連れてメインチェンバーに無理やり押し入ったのだ。
 その報告を受けて泡を食って飛び出して直ぐ、研究所の秩序は崩壊した。

「ど、どうだ」片膝を着いたカミンスキーが彼女を覗き込んだ。「た、立てそうか」
「ええ、だいぶマシになったわ。行きましょう。ここを第二のチェルノブイリにする訳には行かないわ」
「な、なあ」

 壁に手を突きながら立ち上がった彼女に、真剣な表情でカミンスキーが問いかけた。

「い、今更、俺達が行って、そ、それに何の意味が、ああ、あるってんだ? なあ、な、なんで俺達が、あの野郎どもの、し、尻拭いをしなくちゃならないんだ」ベッと床に唾を吐き出すと、カミンスキーは気密ヘルメットのバイザーを下ろした。「に、逃げようぜ。地下に緊急脱出用のトラムが、あ、あるだろう」
「そう、ならあなた一人で行きなさい。私はあの悪夢を止める義務があるの。貴方が来てくれるなら頼もしかったけど、ダメなら私一人でも行くわ」
「ば、馬鹿言うな! ハカセ一人で、い、行けるわけねぇ! むむ、無茶だぜ。あんな化け物どもが、そ、そこら中にわんさといるんだぜ!」
「無茶でも、やるわ」
「ッーーーー!! ああ! ファック! イェポンナマッド!」カミンスキーは顔を真赤にして地団駄を踏んだ。
「悪かったわね、頭のおかしい奴で」そう言って薫はニヤリと笑って肩を竦めた。「でも、よく言うでしょ。天才と狂人は紙一重だって」

 立ち上がって足首を伸ばし、薫はしっかりとした足並みで通路を進んだ。
 暫くそれをじっと見ていたカミンスキーは、母国語で小さく何度も罵り言葉を吐き出しつつも、ドスドスと思い足音を響かせながら彼女の横に並んだ。

「くく、くそが、馬鹿だ、馬鹿だよ。おお、大馬鹿だ。じ、自殺だ。自殺と、変わらない」
「安心しなさい、事が終わったら逃げてもいいわよ」
「へ、そりゃ、どうも。うう、う、嬉しくって、涙が出るぜ」

 ぶつくさと文句を垂れるカミンスキーを宥めすかしながら、二人は六番通路を通過して七番通路に、そしてメインチェンバーに向かう途中に通らなければならない中央通路に入った。
 通路に入った瞬間、カミンスキーが「しっ」と小さく呟いてパルスライフルを構えてセレクターを高速連射モードに入れる。
 本来ならばその銃身からはレーザーサイトが伸びる仕様だったが、カミンスキーは隠密性を重視してレーザーをカットしている。
 ところどころ照明が壊れ、送電線が破壊されたのか、無事な物でも点滅を繰り返す。
 血痕が所々にぶちまけられた不気味な通路で、薫はぐっと息をひそめて拳銃を構える。
 そうして彼女にも、カミンスキーが察知したそれを知る。50フィートほど行ったところにあるT字路の向こう、そちらの方からドスドスと荒々しい足音がこちらに向かって疾駆してくる。
 どう考えても、人間の立てる足音ではない。
 ともすれば震えだしそうな膝を叱咤して、大きく深呼吸したその瞬間にそれはやって来た。
 最初、彼女はその異形を人間なのではないかと一瞬だけ誤認した。だが、それが血に飢えた白眼をこちらに向けた瞬間に、そんな考えは露と消える。
 その化物は黒みがかった濃緑色の分厚い筋肉質の体躯をして、耳まで裂けたその顔はまるで顎の発達しすぎた人間の頭蓋骨のような不吉で不気味な様相だった。
 アメリカン・コミックスのヒーローである超人ハルクを、ありったけの悪意で戯画化したような醜悪な外見と冗談のような筋肉である。人間には絶対身につけられない、異常なほど発達した逆三角形の肉体は、その筋肉から繰り出される恐ろしい膂力を想像させるに足る。
 そして丸太のような両腕の先には、人間など一薙ぎでバラバラに引き裂けるような恐ろしく鋭く長い爪が飛び出ていた。どこかで誰かを殺してきたのか、その両爪には人血がべっとりと付いている。
 敵だ。
 カミンスキーと薫が同時に引き金を引こうとした次の瞬間であった。
 空気を引き裂く飛翔音と同時に、肉を裂き金属が食い込む鈍い音が通路に響いた。
 ハッと身構える二人の目の前で、通路の壁に打ち付けられた自分の右腕を驚愕の面持ちで睨んだ化物は、今しがた自分がやってきた通路の方を見て唸り声を上げる。
 その威嚇の声が絶叫に変わるのに、ほんの数秒。
 通路の先から次々飛来する全長数十センチの細い鉄杭が、まるで昆虫標本のように怪物を通路の壁に打ち付けていく。
 最初に足、次に腕、そしてがら空きになった胴体に、容赦なく打ち込まれる無慈悲な金属の暴力。
 最初こそ無理やり脱出しようとしていたが、さすがに頭部と頸部に二発づつも打ち込まれると、その抵抗も途切れ、廊下の上にドクドクと鮮血を溢れ返らせながら絶命した。

「……」
「……ワァオー」

 カミンスキーが小さく呟いてジリジリと前進すると、鋼鉄の凶器が先ほどまで飛来していた通路の先から、懐かしい声によるざわざわとした会話が近づいてくる。

「ヒーホー! どうだよ、ええおい! 100ヤードで百発百中だぞ! 恐れいったか」
「サブチーフ、前から思ってたんですがね、貴方、職を間違えたんじゃありませんか。現職でもこの距離でそんな武器を全弾命中なんて至難の業ですよ……というか、それ武器じゃなくて工具ですよね?」
「いや、俺から言わせればリベットガンは武器だ。特にこれはな。な、アレックス!」
「ホント、無茶苦茶な改造だよ。パルスライフルがあるのに、なんでわざわざそんなモノを改造して戦う必要があるのか、全く理解不能だ。反動がでかいし、取り回しも悪いし、弾の数だってそんなに無い」
「何いってんだ! 役に立っただろ! ほら! アレ!」
「まあ、威力がすごいのは認めます。あと、サブチーフの射撃の腕が変態的なのも」
「へへ、だろ? アッ! おい、こら、どこいくんだ! 戻ってこい、マーティン!」

 その名前を聞いた瞬間、彼女は走りだしていた。

「マー君!」

 通路から飛び出てきたのは、銀色の毛を靡かせたサーロス・ウルフハウンドの老犬。
 彼女の愛犬であるマルティン・ロペスことマー君である。薫は拳銃をホルスターに収めると、飛び込んできた愛犬を抱きしめた。
 激しく尻尾を振りながら、めったに聞けない甘えた嬉しそうな声を上げる誇り高い狼犬を抱きしめながら、薫は腰砕けにへたり込んでその体毛を撫ぜる。

「マー君、ごめんね。心配かけたね」

 愛犬が彼女の肌についた血を舐める。怪我をしたことに気がついたのだろう。
 だが、よくよく見れば彼女の心配をする彼の全身も、自分のものか誰のものかも分からない鮮血で薄汚れていた。

「アッ! 薫さん!」走りこんできた斉藤が大声を上げる。
「チーフ!!」サブマシンガンを構えたリッチェンスが喜色を浮かべる。
「プロフェッサー! 無事でしたか!」作業用のスーツに全身を包み込んだアレックスが、バイザーを跳ね上げる。
「カミンスキー、こいつめ、相変わらずしぶとい奴だ」長身のアダムスキーが、血に汚れた顔でニヤリと笑って拳を突き出す。
「へっ、おお、お前より先に死ぬ予定はねぇんだ」こちらもバイザーを跳ね上げたカミンスキーが突き出した拳をごツンと突き合わせる。

 その後ろから屋内移動用のエレカに乗った研究員や警備員たちがぞろぞろと現れると、一同はこのクソッタレな地獄の中で、ほんの僅かな時間、笑顔と安堵を取り戻していた。



















――――――――――――――――
仕事がヤバイ
今年はもう更新出来んかも



[13088] 真相02
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:05a9c3db
Date: 2011/10/30 10:29
 橘薫は日本の地方都市に住まう極々普通の中流家庭――に見える家庭に生まれた。
 父親は銀行員、母親は専業主婦。少し融通が効きづらいが真面目で実直な父と、若くて美人と評判のおっとりとした母。そんな二人の間に、橘薫という少女は生まれた。
 母親の実家は日本屈指の旧家で富豪であったが、殆ど縁が切れていたために薫が四つになるまでは完全に没交渉であった。そんな超がつくほどのお嬢様と、単なる銀行マンである父の出会いと馴れ初めの話は、それだけで一本の小説が書けるような波乱万丈な経緯があったらしいが、寡聞にして薫は詳しい話を聞いたことがない。
 さて、二人が結婚して直ぐに出来た愛らしい赤子は薫と名付けられ、すくすくと成長した。
 橘薫がその天才性を発揮したのは、わずか三歳の頃である。常人ならば漸くハッキリとした物言いが出来るようになって来たような年頃に、薫はテレビの教育番組を見ながら仮名漢字混じりの読み書きと、小学生高学年程度の算数の知識を身につけていた。
 その異常性に真っ先に気付くべきであった母親は、箱入り特有のどこかネジの弛んだ天然であり、真っ白の自由帳にかなりしっかりとした日記を書く愛娘に「すごいねぇ」と笑いながら褒めるだけであった。また、褒められた薫も当然ながら自らの異常性に気付くことなどなく、大好きな母親に褒められた嬉しさに笑顔を浮かべながら、その天才的な頭脳にせっせと知識を詰め込んでいった。
 それから少し経って、ある日父親は幼稚園の園長から緊急の呼び出しを受けて、仕事中にもかかわらずに早退して現場に駆けつけた。電話越しの園長が今にも倒れそうに震えた声で、「薫ちゃんのお父様ですか、い、今直ぐ来ていただけますか」と言われては、すわ一大事かと飛び出さずにはいられない。
 息も絶え絶えになってやって来た彼の見たものは、職員室の机で楽しそうに何やらお絵かきをしている自分の娘の姿であった。
 膝から崩れ落ちそうになった彼が思わず園長に掴みかかろうとすると、中年女性の園長は青ざめた顔のまま、彼に一枚の紙切れを見せたのだ。

「これを、まずご覧になってください」
「これは……?」

 思わず受け取った紙切れには、彼にはもう懐かしい高校時代の数学問題が書き連ねてあった。
 特に不審なものではない、強いて言うならばなぜかクレヨンで書かれていることに首を傾げる程度である。
 これが一体なんなのか、そう視線で問いかける彼に向かって、園長はゆっくりと噛んで含めるように「お父様は、あの子に御家庭でなにか特別な教育をされているのですか?」と訊いてくる。

「は……特別、というと?」
「……この、この数式は、あの子が解いたのです」
「は……?」
「お父様、このような事例は私も初めてです。ただ、これだけは確信を持って言えます。あの子は……薫ちゃんは紛れもない天才です」

 そんなバカな、と父親は最初否定した。
 だがしかし、単なるお絵かきだと思っていたそれが複雑な回路図だったと知った時、とうとう父も己の愛娘がとんでもない天才であると認めざるを得なかった。
 天才という生き物にとって日本という国は必ずしも住みやすい場所ではない。飛び級制度はないし、そもそもが最小限のコストで平均化された教育を目指している国である。
 一部の突出した天才を上手く導くという発想は、ついぞこの国には根付かなかったといえるのだ。それが悪いことだとは言えない、諸外国に比べて教育にかける支出の低さとその費用効果は眼を見張るのだから。
 ともあれ、母親は自分の娘が天才だと知っても「すごいねー」とニコニコと笑っているだけであったが、父親の方はそんな呑気に構えていられなかった。
 父はこれまでの日本の歴史から見ても、そして世間の風潮から見ても、どんぐりの背比べを軽々と無視して飛び出る存在は、いずれ有形無形の排斥を受けると確信していた。
 そこで漸く、父は母方の実家に挨拶に行こうと決心する。
 薫と母は無邪気に喜んだが、父は神経性の胃痛に悩まされていた。
 ほとんど駆け落ち同然の結婚だったのだ、下手をすると殺される……。
 その懸念はある意味当たっていた。三人が母方の実家に到着するやいなや、日本刀を振りかざして父は追い回され、最終的には可愛い孫娘にデレデレになって事無きを得た。九死に一生である。

「お義父さん」
「テメェにお義父さんと呼ばれる筋合いはねぇ」
「……ご相談したいことがあるのです」
「しらねーよ。俺は早く初孫と触れ合いてぇんだ、あっちいけよ」
「その、薫のことでお話があるのです」
「早く言え」

 変わり身の速さに、「ああ、この人もこういう一面があったのか」と内心思いながら、父は義父に幼稚園であった一件と、これから起こりうるであろう事を相談した。
 義父はじっと真剣な顔で全てを聞いたあと、唯一言「分かった」とつぶやいて深く深く頷いた。

「神童も二十を過ぎたらただの人なんざ言うがな、ありゃ周りが勝手に型に押し込めちまうからだぜ。安心しな、あの子は天才のまま成人できるようにしてやるよ」
「……有難う、御座います」
「そんかわり、これから毎日うちに連れてこいよ」

 父は苦笑いを浮かべながらも、孫が庭で遊びまわる姿に顔を綻ばせる義父に深々と頭をさげるのであった。

 さて、そんな事があって数年後、両親と両祖父母の愛情を目一杯に浴びてすくすくと育った橘薫という少女は、周りからはとんでもなく頭がいいが変人だという評価を貰いながらも順調に小学校の階段を登っていった。
 そして、彼女にとって運命の日
 図書館で勉強をしていた彼女に、その怪しい風体の男は一冊のハードカバーを差し出してこう言ったのだ。

「これ、おもろいで」

 その本の中には今まで彼女が夢想だにしなかった世界が広がっていた。
 地球に似ていて、全く異なる異郷の物語。
 世界を滅ぼす魔力の指輪と、それを破壊する使命を帯びた旅の仲間たち。
 幾多の困難を乗り越え、魔王の軍勢と戦う人間たちの国々。
 それらすべてが、彼女の魂を激しく揺さぶった。
 そして彼女は確信した、これぞ、私が出会うべくして出会った物語なのだと。
 やがて、幼き天才は一つの志を胸に、成長する。


■■■


 橘薫は真実天才であった。
 天才も成長すればただの人、とはよく言うが、彼女の場合は全く当てはまらないどころか成長するごとにその貪欲な知識欲と自由な発想は留まるところがなかった。
 科学界のダ・ヴィンチとまで呼ばれたその才能は、それまでの数十年のあいだ人類が足踏みを続けてきたあらゆる分野でブレイクスルーを巻き起こした。
 だが、だがしかし。
 彼女は世紀の大天才の輝かしい異名の影で、史上最も多くの人間から怨嗟を浴びせられた科学者としての功罪を併せ持っていた。
 例えば、高出力マイクロウェーブを使った無線送電装置と高効率太陽電池は、衛星軌道上から敵を焼き殺す悪魔の兵器に。
 例えば、超小型化に成功した量子コンピュータと災害派遣用ロボットは、魂のない無人兵器の群れで戦場を溢れさせた。
 例えば、障害者用の機械義肢と機械式補助器具は、鋼鉄の装甲と人間のパワーを軽々と凌駕する機動装甲服を。
 例えば、人間の遺伝子疾患を治療するナノマシンは、特定の遺伝子を持つ相手だけを殺す殺人ウィルスに。
 例えば、世界中のエネルギー問題を一挙に解決した熱核プラズマリアクターは、原油価格の暴落と産油国の政情不安定を誘発し、最終的には産油国一帯が泥沼の紛争地帯と化した。
 例えば、例えば、例えば…………。
 史上かつて、科学技術の発展による光と闇をこれほどまでにまざまざと見せつけられた科学者がいただろうか?
 世界中からの賞賛の声と、同じくらいの憎悪の叫びを全身に浴びながら、それでも橘薫という天才科学者はいっそ異常なまでにストイックに、ただただ己の目指す最終目標のために邁進した。
 彼女にとって、世界を一変させた世紀の大発明の数々は、単に目指す目標の過程で生じた副産物に過ぎなかった。
 それはつまり、偉大な先人リサ・ランドール博士が実証した高次元世界の実証と、そして幼少の彼女が図書館で出会った一冊の分厚い小説。
 名も知らぬ怪しい男から薦められたその小説は、既に出版されて一世紀以上たっているにも関わらず不朽の名作との評価を揺るがせない一冊。世界で最も有名なファンタジー小説だった。
 其れまで彼女は小説など全くと言っていいほど読んだことがなかった。
 そんな彼女にとって、人間の想像力が生み出す無限の可能性を彼女とは全く正反対の方向に進化させたその物語は、カルチャーショックという言葉すら生ぬるい衝撃を彼女に与えた。
 そして、少女は確信する。
 無限に存在する次元世界の中には、きっとこんな世界が存在する。
 ここ以外の宇宙が次元の壁を超えた向こう側に存在する……そこまでは、偉大な先人が証明してみせた。
 だから、そこが一体どんなところで、どんな世界が広がっているのか、それを見てみたい。
 その幼い頃の情熱は彼女の心を満たし、それ以外の何物も入り込めないほどに膨張した。
 やがて彼女は日本の最高学府で歴史上最年少の女性教授として就任した。
 最年少、そして女性という二つのハンディを物ともしないほど、彼女はその時すでに多数の功績を挙げていたのだ。
 だがしかし、数百年前から続く旧態依然とした大学内の派閥は彼女に対して冷淡で、その風当たりは強かった。
 学生や経済界からの圧倒的支持も、彼らにとっては面白くない。
 有形無形の妨害や嫌がらせに、彼女の精神は疲弊していった。元々あまり打たれ強い性格ではない。
 日に日にやつれていく彼女に、研究室随一の俊英である斉藤凛二はアメリカへの渡航を薦め、その時になったら自分も着いて行くから安心しろと胸を叩いた。
 正直、故国を離れるという選択肢に彼女は尻込みしていたが、いつの間にか全部のお膳立てをした斎藤が「さあ、準備をして下さい! 渡米しますよ」と急き立て、いつの間にか彼女は関係者筋から「亡命された」と嘆かれるほどの電撃的な移籍を行なっていた。
 みすみす超優秀な科学者兼発明家をアメリカに取られてしまった形の大学は面子が丸つぶれ、国と企業から「どういうことだ」「何も聞いていない」「腹切れ」と罵声を浴びせられ、責任の擦り付け合いに汲々としていたが、そんな事はどこ吹く風と、今度はアメリカの理系最高学府で嬉々として教鞭を振るう彼女の姿があった。
 プロフェッサー・タチバナの誕生である。
 彼女にとって、両親のいる故国を離れるのは心苦しかったが、今までと違って伸び伸びと研究開発が出来るこの環境は素晴らしい物があった。それに、渡米してから話した両親と祖父母は彼女の選択に全面的に賛成してくれた。
 そして渡米してから数年後、彼女は助手の斎藤と共にアメリカが主導する国家的大プロジェクトの参加を要請される。
 実際は、彼女と斎藤が根回しをして「要請されるようにした」プロジェクトだったが、細かいことはいい。
 とにかく此れで彼女はかねてからの悲願を達成するためにアラスカの秘密研究所に向かったのだった。
 プロジェクトチームにはアメリカ全土と世界各国から掻き集められた最高の頭脳がひしめき合っていた。
 これだけの顔触れが揃って成功しないようでは、これから何百年経っても成功しないだろう。そう言われるほどの、そうそうたる面子である。
 そして、プロジェクトはアラスカの片隅で世間的にはひっそりと、その中では盛大にスタートした。



■■■



「あ、くそ、まただよ!」

 斎藤が舌打ちと共にボールペンを投げ出した。
 彼の目の前には巨大なスクリーンと三次元的に描かれた何らかの建造物が、黒い背景に緑のワイヤーフレームで表示されている。
 薫はその隣に腰掛けると、皿に乗ったサンドイッチを差し出しながら声をかけた。

「また?」
「ああ、こりゃダメだよ薫さん。まずはバグ取りしないとどうにもなんねぇ。それか、あそこだけ空白で先に進むか」
「バグをそのままで次にっていうのは気に入らないわね。それに、本当にバグかどうかなんて分からないわよ」
「じゃあ何だって?」

 そう言って彼は手元のキーボードを操作して画面上で白く点滅するグリッドを移動させると、建造物の中で中心地にある空白に移動させる。
 今にもグリッドがその中心地に入ろうかという瞬間に、一瞬だけ画面がブレるとグリッドは画面を大きく移動して何やら天上の高い部屋の中心に移動している。

「ほら! ここに侵入しようとしたら絶対にこの訳の分からない所まで飛ばされる」
「……リッチェンスにもう一度話してみて、斎藤くんはもう休みなさい。あとは私が引き継ぐわ」
「あー、了解」

 彼女が持って来たサンドイッチを貪りながら、斎藤は頭をガリガリと掻きながらメインチェンバーの電算室を出ていった。
 一人残された薫はさっきまで彼がやっていたように腰掛けると、キーボードを素早く叩いた。
 ……彼女たちが何をやっているのかというと、それはこのメインチェンバーに備え付けてある熱核プラズマリアクター15基を使って生み出される常識外れのエネルギーで次元の壁に極小の穴を開け、そこから向こう側を曲がりなりにも「観察」しているのだった。
 そうして開いた極小の穴から向こう側の分子原子・イオン・素粒子などを解析し、そこにあるものが「此方で言う何か」という事を擬似的に判断、マッピングするという作業である。
 ちなみに機械によって殆どの工程は自動化されているため、コンソールに座ってする作業の殆どは機械に向かって「ココからこの辺までを調べて、表示しろ」と命令し、その結果があやふやならもう一度操作し、結果を纏めるくらいだ。
 この研究所にあって最も重要だがぶっちぎりに不人気な作業である。
 今までの研究結果から、向こうの世界はどうやら中世から近世くらいの文化レベルで、建造物のほとんどが木製か石造、或いはレンガ製。人々は第一次産業と第二次産業を活発に行い、第三次産業は黎明期か或いは発展期にある様子。そして、未知の元素や未発見の分子が幾つも発見されており、場所によっては此方の物理法則では理解出来ない現象も観測している。
 まさに、科学者にとって金鉱のようなものだが、それを見つけるまでの作業が恐ろしく退屈で冗長なものである。そういった実験に慣れきっている化学側の研究員ですら忌避するレベルであった。
 これを未だに自発的に行なっているのは薫を含めて極少数である。
 リッチェンスが作った自動化プログラムが本格的に動けば、この作業すら要らなくなるだろう。
 薫は個人的にこの「自分の手で異世界に触れている」という感触が大好きだったが、作業の効率化を主張されては折れないわけには行かなかった。

「……もう一度トライしてみましょうか」

 グリッドを再度動かして画面中心に動かす。
 するとまたしてもそれはさっきと同じ所に動かされた。

「待って、「動かされた」? 何故私はそう考えたの?」

 じっと彼女は画面を見つめる。
 そして今度はグリッドを如何にも中央には興味がないように周辺を探らせ、凄まじい勢いで中心に向けて走らせた。
 今度も、グリッドは移動した。

「HAL、今のデータと今までのデータを比較して、グリッド点が移動するまでのタイムラグを数値に出して」

 瞬時に管理AIがデータを右側のディスプレイに表示する。
 すると、明らかに今までも小数点第三位以下での細かい誤差があった、だが、先程は小数点第一位での誤差があった。
 これは一体何を示しているのか?

「HAL、ハッキングは?」
《確認されず》
「外からではなく、研究所内からの接続も?」
《ありません》
「……」

 彼女は右手を顎に添えて考える。
 じっと画面上で相変わらず点滅するグリッド。
 やがて彼女はポケットから栄養ドリンクを取り出すと、中身を飲み込んでから自分の頬をパシパシと叩いた。

「……試してみるとしましょうか」

 それから彼女はグリッドを今までになく激しく動かした。
 今までは研究が目的だったのだから、その動きは緩慢で慎重で、一歩一歩その場にある物質を注意深く調査しながらの牛歩の如き動きだったのが、まるで狭い瓶の中を羽虫が飛び回るかのような不規則かつ高速で動いたのだ。
 そして、「相手」が予想もしえないような角度から中心に突っ込むと、今度もまたグリッドは移動した。

「やるわね」

 彼女は知らず唇を舐めて笑った。
 更に動きは加速する。
 それからの彼女は半ば確信を持った「対戦相手」を出し抜こうとあらゆる手管を用いて中心地にグリッドを飛ばそうと躍起になった。
 グリッドを直接中心に飛ばそうと座標指定を行い、地面に潜って突き上げ、あるいは高度一万フィートから急降下したりと、とにかく最後の方にはある種の思考ゲームをしている気分になりながら彼女はグリッドを動かした。

「あ、もうこんな時間?」

 ふと視線を画面右上のデジタル時計に向けると、すでに日を跨いで数時間が経過していた。
 薫は、今度は移動する生命体にぴったりと張り付いて中心まで向かう「コバンザメ走法」を試している途中であったが、どうやらこの建物の中にいる生命体は中心近くは禁足地にでもなっているらしく全然近づかないのでこの作戦は失敗だと悟ったばかりである。
 彼女は溜息をつくと、グリッドをショットカットキーで「振り出しの書斎」に自分で戻した。
 何度も何度もそこを経由したせいでコンピュータが蓄積した情報はいつも移動させられるその部屋が「紙媒体を束ねたハードコピーが天井近くまである大型の木型に詰められたものが壁の両側を占有する部屋」であると説明していた。
 ぶっちゃけ書斎のことで、この回りくどい分析結果は機械特有のものだ。
 その中心で点滅するグリッドをしばらく眺めたあと、グイッと伸びをして椅子を倒すと、AIに光をすべて消すように命令してから彼女は仮眠を取った。


■■■


「お見事」
「え?」

 いつの間にか、彼女は重厚な歴史を感じられる書斎のど真ん中に立っていた。
 飴色の使い込まれた本棚の中にはギッシリとハードカバーが詰まっており、まさに彼女がイメージする書斎そのものといった風情である。
 それはいい、彼女の想像の範囲である。
 だが、目の前で此方を見つめる宇宙人のような異形は一体何だ。

「……この間、斎藤くんと一緒に『マーズ・アタック!』なんて見たのが悪かったのかしら。私にはこんなクリーチャーは想像できないし」
「然り。我らマインドフレイヤは遥か昔に人にではなく神々によって創造された。たとえその結果が彼らにとって失敗であったとしても、失敗を失敗として受け止め、あるがままにせよと仰せられた我らが混沌神に栄光あれ。永遠の都クシュ=レルグよ偉大なれ」
「は、はぁ……」
「……ふむ。反応が薄い。お主は帝国の心術魔導師ではないのか? もしや、フーロン皇国の道術師(タオ・メイジ)かな?」
「は、いや、私は日本人の科学者です」
「ほう、聞いたことのない国だ」
「極東の小さな島国です」
「東か! そうかそうか、いわゆるひとつの未開の地というわけだ」
「あなたにとって未開でも、私にとってはそうではありませんよ」
「然り。非礼を詫びよう。遠き異国の魔導師――いや、科学者よ」
「謝罪を受けます」

 応えながら、なんてけったいな夢を自分は見ているんだと内心苦笑する。
 まあ、所詮夢だと思いながら、彼女はこの夢を楽しむことにした。

「ここは何処でしょうか? 私は研究室の椅子で仮眠をとっていたのですが」
「ここなるは混沌渦巻くクシュ=レルグ、混沌の王国首都である、そしてこの部屋は王都中心に座しまする宮殿にある我が書斎である。そなたには我が秘術を用いてエーテル体にてここまでご足労願った。ご理解いただけたかな?」
「ある程度は」
「重畳。ではいくつか質問しても良いかな」
「はい」
「わしはクトゥーチクと呼ばれている。そなたの名は?」
「橘薫。タチバナがファミリーネームです」
「では、タチバナ。なぜこの混沌の宮殿に使い魔を放ってスパイ活動を行った?」
「はい?」
「惚けても無駄だぞ、お主は数週間前から恐ろしく発見の難しい極小の使い魔を使ってこの宮殿の間取りを隅から隅まで精査しておっただろう。このわしですら気がつくのに時間がかかった。あと一歩対応が遅れていれば、宝珠の安置された禁裏まで到達されるところであったわ」
「……」

 薫は我ながらトンデモない想像力だなと呆れた。どうやら気が付かなかっただけで自分には小説家の才能もあったらしい。

「アレは使い魔ではなく次元境界線に穿った極小のワームホールです。それを介して私たちはここに何があるのか、どんな物質が存在するのか調べていましたが、ここが宮殿で、重要なものがある場所だとは知りませんでした。なにせ、得られる情報はごくごく限られていますから、私達はその限られた情報を想像で補うしか無いのです」
「ふむ、ディメンションドアの応用……か? ……続けよ」
「私たちはあらゆる分野に特化した技術者集団で、次元の壁に阻まれた「向こう側」の情報を得ることが出来るとある装置を作り出し、それを用いて我々では容易に観測不可能な「異世界」を調べていました」
「何故? 征服するためか」
「いえ、純粋に興味からです……少なくとも私は。上の人間には他の思惑もあるのでしょうし、観測から得られる技術的ブレイクスルーは多くの人間に利益をもたらしています」
「興味……か」

 そう言うと異形は口吻を撫でさすって「しゅるしゅる」と音を立てた。
 細められた両目を見て、何故か彼女は幼い頃に祖父の大事な腕時計を分解してしまった時のことを思い出した。その時、祖父は両目を細めて微笑んで、彼女の頭を撫でながら「何にでも好奇心を持って接するのはいい事だが、ちゃんとその後のことも考えろよ」と苦笑したのだ。

「然り。祖父殿の言うことは正しいだろう」
「えっ」
「気がついていたのがわしだけでよかったな、他のものであればお主を洗脳して穴を広げ、そちらの世界へと侵攻しようと画策したであろう」
「……まさか、これは、夢のはず」
「夢……か、我らは皆生まれ落ちた日から夢を見ているようなものよ。神々が微睡みの中で見る泡沫の夢。それが覚めたときは、我々は真の意味で己の足でこの大地に立つ日が来るのであろう。お主の記憶に「胡蝶の夢」という故事があるな? われらの世界が夢で、お主達の世界が現(うつつ)だとして、お主はつまり夢と現の境界線に穴を開けたのだ。それは神々だけが成し得た、世界を歪み、変革する至高の技よ。人の身でありながら神の御業に足を掛けたそなた等を、わしは手放しで賞賛したい。或いは、主ラ=ガレオもこの椿事を喜んでおられるやも知れぬ」
「……」
「ふふ……神学論は退屈かな? まあよい。例の次元の穴は直ぐに消すかこの場から大きく離したほうが良かろう。まだ、わしだけが気づいている今のうちにな。では、勇敢にして智恵溢れる異界の科学者よ、汝の行く末にマナの導きとエーテルの加護あらん事を――」



■■■



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
警告!!
脳幹ナノマシンに重篤な侵入を確認
 ファイアウォール作動
 アイスウォール作動
  アドレスを特定できません
  接続が切断されました

レポート
 脳幹ナノマシンに障害なし
 全身をスキャン
 異常なし

レポートを収納します
 システム管理者(Dr.Lutjens)に報告して下さい
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「っはぁ!」

 リクライニングシートから薫は跳ね起きると、今まで止まっていたように呼吸を激しく繰り返した。
 心臓はバクバクと激しく高鳴り、耳鳴りがする。
 呆然とした顔で網膜に表示されるOSの警告文を眺め、一拍置いた後に彼女はコンソールに齧り付いてグリッドを遥か上空にすっ飛ばした。

「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁっ」

 まるで喘息患者のように喘鳴を上げながら、彼女は全身に溢れる冷や汗と興奮を止めることが出来ない。

「やっ……た」

 ポツリと呟いて、彼女は両手で握りこぶしを作ってグッとためた後に飛び上がった。

「やった! やったわ! やったのよ! 成功した! 見た! 聞いた! 話した! やったやったやったやった! やったーーーーーーー!!」

 狂喜乱舞する彼女を、コンソールに備え付けられたカメラアイだけがじっと見つめていた。
















――――――――――――――――――――――――――――――――
ほぼ一年ぶりとかアホか俺は。
皆さん非常に非常におまたせしました。
転勤があって仕事量ががくっと減って時間が取れるようになりました。
次の話も早いうちに上げたいともいます。
こんなに放置したアホに「待ってます」と言ってくださった皆さん、本当にありがとう。



[13088] 真相03
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:23dc0912
Date: 2011/12/12 23:17
 彼女にとって運命の日となったあの出逢いから、薫はメインチェンバーに籠りきってコンソールに齧り付いた。
 夢か現か分からないあの邂逅は、彼女に決定的なパラダイムシフトをもたらした。
 数字の上でしか把握出来なかった異世界の情景が、今の彼女には生き生きと目の前に思い描ける。無味乾燥なデータはそこに「木材、花崗岩、大理石、レンガで出来た構造物体が多数連なっている」としか表現できないが、彼女の頭の中でそれらは広大な河の合流地点に居を築いた城塞都市と、そこで息づく多種多様な人々の営みを、そしてその歴史をまざまざと感じさせた。
 不思議なことに、彼女がそうして新たな地図を広げるたび、彼女は夢の中でまるで目の前でそれを見ているかのような現実感に溢れる情景を見るのだった。
その度に、彼女はあの邂逅の中でクトゥーチクと名乗る異形が彼女に向かって説いた言葉を思い出した。

「われらの世界が夢で、お主達の世界が現(うつつ)だとして、お主はつまり夢と現の境界線に穴を開けたのだ――」

 夢を見ながら、彼女は何度となく考えた。
 私は己の想像力を補う夢を見ているの? それともこれは向こうの世界の情景を本当に除き見ているのだろうか?
 どれだけ悩んだって答えはでない。それ以前に、彼女は己がこんな途方も無いことを真剣に考慮していることに内心驚いていた。
 どう科学的に思考した所で、コレは狂気の沙汰である。
 向こうとの間にはミクロン単位の小さな穴が開いているだけで、電磁波すら容易に捉えることができないというのに、その向こうから精神感応で此方を捉える非人間型種族がいて、さらにそれと彼女が交信したなど……。
 本来ならば一笑に伏す所が、何故か彼女は説明のつかない「確信」を抱いてもいたのだ。

「ESPか……」

 自室でそう呟いて、彼女は何かを閃いたような顔をすると猛烈な勢いでキーを叩く。
 やがて、連邦生物科学研究所でいまだ実験段階であるESP能力者研究論文に更に彼女独自の科学的考察と、ナノマシンを用いた画期的かつ安全なその発現方法を付け足したした小論文を一気に書き上げると、ラボメールでサブチーフの斎藤に送った。
 その数分後にナノコールが鳴ったので、彼女は新発見分子を用いた画期的な合成装甲材の論文を書きながらそれに出た。

『薫さん! また厄介なものを! ていうか今やってる研究の何処をどう捻ったらこんな論文が出来るっていうんだ。全く関係なくね!?』
「煮詰める時間がないからその程度で終わらせたんだけど、どう思う?」
『どうもくそも、これを送ったら生科研の連中は大喜びだろうけど、能力開発なんて今日日流行らん時代遅れの分野をコレ以上加熱させてどうすんの? ほっとこうぜ、どうせ来年には予算切られて立ち枯れるだろ』
「そうでしょうね、でも彼らもそう考えているから焦っているはずだわ。無茶な人体実験でこれ以上被害を出させるのは業腹よ」
『――――それ、何処で聞いたんですか』

 すっと温度の下がった彼の言葉に、そう言えば誰に聞いたのか、彼女は思い出せなかった。

「――何処でもいいでしょ、いいから細部を詰めて斉藤君名義で送ってあげなさい。それと、これ以上違法スレスレのことをするならこっちにも考えがあるって」
『その考えってやつがどういうものかは聞かないでおきますよ。というか、前から思ってるんですけどマイレージみたいにホイホイ自分の発明を他人名義にすんのやめてくださいよ。ルーデルかアンタは』
「これ以上特許が増えても管理が面倒なのよ。今ですら全部把握しきれないのに。弁護士に全部任せきってたらあとが怖いし」
『あーはいはい。分かりましたよ。じゃあ俺の方から送っときますね』
「ありがとう」
『あ、そうそう』
「うん?」
『昼食、食ってないでしょ。休憩室にビュフェ用意したから行って下さい』

 そう言って通信が切れた。
 薫はふと画面右下のデジタル時計に目をやって、いつの間にか正午を回っていることに気がついた。

「はぁ……どうりで集中力が落ちると思った」

 ため息ひとつで立ち上がると、今まで彼女の横で身を横たえていたマーティンがすっと立ち上がってその尖った耳をぴんと立てた。
 彼女の脇にまるでナイトのように寄り添うと、彼女はそっとその頭を一度だけ撫でてから彼と一緒に部屋を出る。
 マーティンは誇り高い狼の血を引くサーロス・ウルフハウンドで、彼自身の性格もあるのか成犬になってからはむやみにベタベタと甘えることはなくなった。
 その変わり、彼女の身に危険が及んだ時には身を呈してそれを防ごうとする、まるでナイトのような武骨で気高い性格になっていた。
 灰色のナイトを傍らに休憩室に向かうと、すれ違う研究員が笑顔で彼女に挨拶をする。
 どんなに偏屈な科学者や、個人的信条で科学技術を拒否するメノナイトのような人々でも、彼女の功績自体を完全に否定することはできないだろう。
 橘薫という人間は、まさに生きた伝説、新たに教科書に刻まれる偉人の名前だった。

「ハフッ、ハフハフ、ハム!」
「おい、そのチキンはよせ、俺のだぞ」
「ふんぐっがが、ううう、うるせぇ! 早いもん勝ちだ!」

 休憩室に到着すると、中央のテーブルで保温器に乗せられた数々の料理と、それ目当てに集まった研究員や警備員たちが思い思いに料理を取り皿に盛りつけて舌鼓をうっていた。
 薫は取り皿に油物は避けて料理を乗せると、一同の中でも一際騒がしいテーブルに付いた。

「ここ、いいかしら」
「おお、チーフプロフェッサー、お疲れ様です」
「んぐんが、ハハ、ハカセ、お疲れ」

 軍人上がりの警備員、ヨゼフ・イワノフヴィチ・カミンスキとミハイル・ヤコブレヴィチ・アダムスキである。
 話によるとこの二人は又従兄弟らしいが、びっくりするくらい似ていない。
 カミンスキはまるで達磨から手足が生えたような体格で、全体的に長身が多いスラヴ系白人にあってその身長は発育不良かと思わせるほど低い。
 その代わりに全身にみっしりと張り付いた筋肉はまるで巌のようで、遠目に見ればただの肥満に見えるが実態はその脂肪の下には鉄のように鍛えられた筋肉が詰まっている。
 アダムスキはそれと正反対に、彼と同じ民族でもこれはなかなかないと言われるほどの長身である。2メートル近くある慎重に、此方も雪国の人間らしく適度な脂肪を残しながらも鍛え抜かれた筋肉で全身を覆い、怒りっぽくて喧嘩っ早いカミンスキと対照的にいついかなる時も澄ました顔を崩さない。
 研究所の中では「太っちょカミンスキとノッポのアダムスキ」と親しみを込めて囁かれていた。

「おや、チーフは随分と小食ですね」
「一気にいっぱい取ると、残した時がもったいないでしょ」
「確かに。おいカミンスキ、よく聞けよ、お前のことだ」
「けっ、ぜぜ、全部食ったら、もも、問題ねぇだろ!」
「そう言って、いつだったか巨大ピザを食いきれなくって俺に手伝わせただろう。全くいいかげんにしろ」

 その突っ込みに、カミンスキの顔は湯気が出そうなほど真っ赤になった。

「うう、うるせえな! すすす、過ぎたことをいつまでも、ネチネチネチネチと、おお、お前は俺のお袋か!」
「バカ言え、お袋さんだったら今頃お前の馬鹿さ加減に怒り狂ってケツの穴につららをぶち込んでいるところだぞ」

カミンスキはそれを聞いた途端に「うぅっ」と呻いて顔を白くした。
どうやら、身に覚えがあるらしい。

「ふふ……仲がいいのね。二人はいつからの付き合いなの?」
「さて、物心着いた頃からつるんでますからね。ざっと30年近くの付き合いになりますか……ふむ、こうして改まって数えてみると…」
「なな、何だよ」

 アダムスキはじっと隣のカミンスキを見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしてブルリと震えてみせた。

「腐れ縁てやつは切っても切れないから始末が悪いもんですね」
「どど、どういう意味だゴラァ!」

 ギャンギャンと罵り合いながらも食事を続ける二人を楽しそうに眺めながら、薫は自分の取り皿と山盛りになったカミンスキの取り皿から料理を摘んだ。
 幸いにもこの研究所のコックは斎藤が何処からともなくスカウトしてきた日本人のシェフで、日本人特有の節操のない料理レパートリーと世界でも上位に食い込む食へのこだわりのお陰で職員たちからの評判は上々だ。
 ……まあ、英国人の職員はどんな料理でも文句は言わないだろうが。
 そんなこんなで騒がしい昼食を取ってから、彼女は自室へと戻った。

「ふぁ……」

 大きなあくびが出る。
 どうやらお腹がいっぱいになって眠気が出てきたようだ。

「ちょっと仮眠しようかしらね……マー君、アラーム鳴っても起きなかったら、頼むわね」

 ウルフハウンドはベッドに横たわる彼女の言葉にツンと横を向いたまま、ベッド横の床に寝そべった。
 そっけない態度だが、アラームで彼女が起きなければきちんと起こしてくれるだろう。
 微笑んで、その耳の後ろを軽く掻いてから彼女はベッドに横たわる。
 眠りが訪れるのは、すぐだった。


■■■


 その日もまた、彼女は夢を見た。
 夢の中で彼女はぼんやりとした意識で空中を漂いながら、大陸有数の大都市を上空から俯瞰している。
 その大都市はどうやらこの周辺を治める国家の首都であるらしく、壮麗ながらも実用を兼ね揃えた王城と、堅固な城壁で周囲を覆われた大規模な城塞都市で、西側は穏やかな内海に接する港湾施設となり、大小三本の川が合流する流通の要所である。
 更に視線を引いて俯瞰してみれば、その大都市からまるで血管のように張り巡らせた道路の網目が至るところに続いている。
 薫は思わず「すべての道はローマに通ず」という諺を思い起こしていた。

『然り。これぞ人類帝国筆頭。インディーゴ・マッティーゾ――狂人と罵られた不世出の天才が己の生涯をかけて興したちっぽけな都市国家は、今や大陸全てに遍くその名を轟かせる当代切っての覇権国家よ。さあ見よ、南を』

 視線を移せば、枝分かれした大河の支流が湿地帯を形成し、沼沢地と亜熱帯雨林が延々と続くその南方にもまた、赤いチョッキの兵士たちが国家の礎たる道路を作り始めている。

『帝国はかねてから続いていた南方大戦にとうとう決着をつけた。我らが混沌の王国に後背を突かれる事を恐れるあまり、時と血と鉄の浪費を重ねて漸く戦争を終わらせた……まあ、幾つも燻る火種は未だ残るようだがな』

 その言葉を待っていたかのように、道路建設中の兵士たちのど真ん中に火球が打ち込まれ、爆発したそれのせいで兵士たちは生きる松明のように燃え盛る。
 ワッと鬨の声を上げてジャングルの中から雑多な装備に身を包んだ兵士たちが襲いかかると、情景はいまや突如出現した彼らによって血なまぐさい戦場へと早変わりした。

『帝国は決着を焦った。増大する戦費、戦時国債の肥大化、富裕層からの不満、兵士の多大な犠牲、北方軍からの参戦要請、南方軍からの救援要請、そして不気味な沈黙を重ねる混沌の王国……全てが彼らから余裕と冷静な判断力を失わせた。ふふ……見よ、あの有様を、これから百年、この茹だるような灼熱の地獄は混沌の坩堝と化すであろうよ……愉快……愉快……焦らず事を進めれば、ここに第二の首都を築くことも可能であったろうに……ふ、ふ……定命の者は早ってばかりで待つことが出来ぬなぁ』

 場面が移る。
 今度の情景は彼女の見慣れた光景だった。
 埃っぽい風の舞う中東の某国家、その都市部にて多国籍軍と現地ゲリラが壮絶な市街戦を展開している。
 多国籍軍はそのほとんどが全身装甲のアーマードモジュールに身を包み、歩兵火器の枠に収まらない大口径の重火器で敵兵を薙ぎ払っていた。
 やがて、合を煮やした指揮官の命令で装甲兵たちが引くと、その直後に衛星軌道上から放たれた一万ギガジュールの収束マイクロウェーブが地表の一切を粉砕した。

『ほう……はるか天空からの逃れられぬ死の一撃か。まるで隕石落としのようだが、それよりも遥かに……そう、スマートだ。想定された範囲内に、測られただけの被害をもたらす。力とは、無秩序に広がるただの暴力であってはならないのだ』

 死神の息吹が吹き去った後には、粉々に粉砕された構造物の成れの果てと、焦げカスすら残さぬほどに超高温で破砕した生物の残骸が風に吹かれているだけだった。
 ガラス化した地表の高温で陽炎の立ち上る廃墟を、ドローンユニットがフワフワと浮き上がりながら偵察を始めた。
 また場面が移る。
 今度もまた、彼女にとっては見知った光景だった。
 彼女が引き起こしたエネルギー革命による全世界的な大混乱の最中、アフリカ大陸でも最も治安の悪かったとある国で極右団体が武力でもってこれを掌握。周辺国家を巻き込んでの泥沼の闘争へと発展した。
 現地へと投資していた外国資産は軒並み凍結。世界中の株が暴落し、唯でさえ混乱していた政治経済にさらなる打撃を与える。
 さらに、強大化した海賊船の船団によるスエズ運河の安全性の低下に焦った列強は武力によってこれに介入することを決意。
 国連承認など、この時点において誰も口にすら出さなかった、それほどの混乱と混沌が世界を覆っていた。
 そうして、アフリカ大陸に出現した戦場は「兵器の見本市」と揶揄されるような光景となる。
 高速パルスライフル、プラズマカッター、アサルトドローン、アーマードモジュール、プラズマバリアシステム、戦術レーザー機構、高速リニアガン、遠隔エナジーリアクタ……全て、全て彼女が開発した技術が元になった兵器達だった。

『おお……素晴らしい。見よ、混沌だ。混沌が満ち溢れている!』

 違う。

『何が違う?』

 違う、違う、違う違う違う!

『何が違うのだ、プロフェッサー? 全て汝の落とし子よ! 混沌の忌子達よ!』

 違う!!
 こんなモノが作りたかったんじゃない!
 こんな事がしたかったんじゃない!

『違わぬ。汝は生み出した、これらを生み出したのだ』

 鋼鉄の巨神たちが機関砲弾をばら撒いて敵兵をミンチに変える。

 知らない! こんなの知らない!
 私は私は、足を、手を失った人たちに新しい手足を作っただけよ!
 こんなもの、作った覚えはない!

『いいや、汝は生み出した。無敵の装甲と強靭な手足を兼ね揃えた戦甲冑を!』

 蜘蛛のような形をしたアサルトドローンが、備え付けられた火炎放射器でトーチカを焼く。

 知らない! こんなの知らない!
 私は、災害救助用のロボットを作っただけなの、こんな、こんな使い方するなんて聞いてない!

『いいや、汝は知っていた。そういった使い方をされるだろうと感づきながら、汝はそれに目をつぶった!』

 鋼鉄の戦車が市街地に踏み込むと、歩兵の通れぬ邪魔な障害物を中の敵兵ごと巨大なリニアガンで薙ぎ払う。時折散発的に飛んでくる対戦車ロケットは、その装甲に達する前にプラズマバリアに弾かれて爆散した。

 知らない! こんなの知らない!
 リニアシステムはマスドライバーにするはずだった!
 プラズマバリアは宇宙船のデブリ対策にする予定だった!
 違う! 違うの! こんなの違う!

『いいや、違わぬ! 汝は生み出したのだ! 素晴らしくも愚かしく、叡智に溢れた愚行の果てに! 見るのだ! 目を背けるな! 汝の生みし子供たちを見よ! 己の生み出した全てのものを否定するな!』

 違う、違う、違う違う違う!

『違わぬ! 否定するな! ラ=ガレオは仰せになった、全てをあるがままに受け入れよと! 生み出したもの、変化したもの、移ろいゆくもの全てを受け入れ祝福せよ! 《世界》を否定してはならぬのだ、それは即ち己の否定となる。見るのだ、そして受け入れるのだ』

 いや、いや……いやぁ……。
 見たくない……こんなの……見たくない……。

『かつて神々は我ら混沌の眷属を生み出した。我らは醜悪で、知能の欠片もなく、ただ世界に向かって牙をむく狂犬のような化け物どもだった。神々は我らを恐れ、蛇蝎の如く忌み嫌い、打擲し、排斥し、殺戮し、我ら全てを無かった事にしようとした。己等の勝手で産み出しておきながら、ただ、我らが目障りだからと、その生き方が醜いからと』

 …………。

『プロフェッサー、汝は今、かつて神々が犯した愚行を繰り返そうとしているのだ。汝がどれほど結果から目を背け、臭いものには蓋をして、あらぬ方を見ながら自分には関係ないと嘯いても……そこには厳然としてそれはある、あるのだ。無かったことには、どう足掻いても出来ぬ』

 でも……今更、こんな世界を作っておいて、今更私に……ッ!

『よく聞け、プロフェッサー。人生においてどんな事にも遅すぎるということはない、早過ぎるということが無いようにな。見るのだ、プロフェッサー、そして己の魂に従え』

 たましい……。

『よく目を開き、両手でしっかりと形を捉え、その両足を地につけよ。全てはそれからだ……それから…すべてが始まるのだ。魂の声に耳を傾けよ』

 私の……魂……。


 真っ黒いローブを羽織った怪人は、薫の心臓をその節くれだった人差し指で突いた。

『たとえ熟練のマインドフレイヤでも、容易に最後まで破壊できぬたった一つの部品だ……錆びつかせたままでは、いささか惜しかろうよ』



■■■



「ワン! ワンワン!」
「うっ……く、あ……」

 全身にびっしょりと汗をかいて薫は覚醒した。
 鳴りっぱなしのアラームと、彼女の胸元に前足を乗せて心配そうにこちらを覗き見るマーティンを見ながら、ゆっくりと荒れた動悸を落ち着ける。
 なんとか体を起こしてベッドに腰掛けると、そのまま身体を後ろに倒して壁に背を預けた。
 下着までぐっしょりと汗で濡れた感触のまま、彼女は両手で顔を覆う。

「……畜生。こんな世界……」

 頭皮を突き破りそうなほど力の込められたその手を、マーティンがそっと手首を噛んで引き剥がす。
 ハッと顔を上げた彼女の目の前に、鳶色の瞳が迫る。
 じっと正面から彼女を覗き込むその両目には、人知の及ばぬ大神の智恵が宿っているかのように、ただ黙って彼女を見つめ続けた。
 呆然とそれを見返している彼女を前に、彼は不意に顔を伏せて彼女の胸元に鼻先を突きつける。
 それは偶然にも、夢のなかでクトゥーチクがその人差し指で突いた箇所であった。

「たましい……」

 呆然と、人類最高峰の科学者は呟いた。

「私の……魂……」

 その両目と胸に、未だかつて宿ったことのない炎が、確かに灯っていた。
 その炎の名は――――――。



[13088] 転変01
Name: 桜井 雅宏◆968836c5 ID:3a3edb23
Date: 2012/02/02 22:51
 アストラル体をゆっくりと結実させて、《八つ裂き》のクトゥーチクは肉の軛からの開放感を手放して今一度不自由な物質世界へと帰還した。
 ほとんど時間停止に等しいほどに遅らせていた肉体時間を元に戻し、鼓動を取り戻した心臓と共に大きく息を吸い込んで彼は「黄泉返」った。
 ゆっくりと開かれた瞼の向こうで、翠玉のような両目に光が戻ると、彼の周囲で円陣を組んでいたギスゼライの術師たちが感嘆とも、驚愕とも取れるどよめきを上げた。
 ギスゼライ――――遥か昔にマインドフレイヤたちが奴隷にしていたギスという種族が更に分派した存在で、ナイフ状に尖った耳と薄緑色の肌、生まれた時から顔や背中に浮き上がる黒い斑点、そして幾何学的な刺青が特徴的な種族である。
 彼らギスはギスゼライとギスヤンキという二つの種族に分裂し、前者は内観の道を選んだ。ギスゼライは僧院や修道院を築いて例外なく哲人・僧侶となり、精神と魂の力を制御する方法をひたすら修行している。
 彼らの修道院は殆どが前人未踏の山間部や、或いは魔法的に視認困難な呪法を施した場所に建設され、そしてその多くは混沌の王国全域に散らばっているが、大陸全土にその拠点があると言われている。
 そしてギス達に共通することだが、そのほぼ全てがかつて己達を奴隷として酷使したマインドフレイヤに対する憎悪と復讐心を抱いていた。
 が、今クトゥーチクの周囲で座禅を組みながら円陣を組むギスゼライには驚嘆と敬意の視線はあっても敵意はない。
 やがて、一人のギスゼライが両手で組んでいた印を解いて真正面からクトゥーチクに頭を下げる。

「帰還したようだな、《始まり》のクトゥーチク」
「――ああ、そなたらの助力あってこそ、な。ふふ……《始まり》はよせ、恐れ多いわ」

 《始まり》とは、混沌の王国の礎を築いた偉大なる《始まりのマインドフレイヤ》のことである。
 ギス達にとっては己たちを奴隷化した憎き王国の端緒となった存在だが、彼自身の高潔な思想と強大な力自体は認めざるをえないというのが大方の見解であった。肯定的に捉えるなら、混沌の王国を作ったのは彼ではなくその高弟たちで、彼自身は偉大な先人という地位を揺るがせない。
 そしてクトゥーチクのサイオニック魔法の技は、その偉大なる先人の再来であるという評判を下地にした一種の尊称であった。

「して、今回の旅路にて何か成果は」
「うむ、彼女は己の業と向き合う決心をした。あれの芯は強い、いずれ辿り着くであろう。主の御意に叶うだけの魂を持っているだけはある」
「混沌の女神は全てを見守り給う……」
「世界は全てを受け入れるだろう、全てをな。そうでなくてはならんのだ、そうでなければ……」

 何処か焦りを含んだ声色で呟いて、彼はたっぷりと香の焚き染められたテントの中で立ち上がる。
 それに合わせるようにして、ギスゼライたちが全員立ち上がる。

「イティハーサ、お主は残ってくれ」
「うむ……」

 二人以外がテントの外に出て行ってから、イティハーサと呼ばれたギスゼライ――先ほどクトゥーチクのことを《始まり》と呼んだ彼は、微かに鼻を擽る香辛料の香りが漂うティーポットと陶器の茶碗を二つ取り出した。
 そしてテントの中央に車座に並んだ座布団の一つに胡座をかくと、黙って二つの茶碗にポットの中身を注ぐ。
 クトゥーチクがその対面に同じように腰を下ろすと、差し出された茶碗を受け取った。

「――ラ=ガレオに栄光あれ」
「元素の混沌に光りあれ」

 二人同時に杯の中身を飲み干すと、どちらともなく溜息が漏れた。
 そしてイティハーサが思わずといったふうに笑いを漏らすと、そのフードを下ろした。
 フードの下から現れたのは、禿げ上がった頭から彫りが深く険しい顔全体に至るまで、見える所全てびっしりと刺青に覆われた顔だった。おそらく、刺青の入っていない場所は眼球などのほんの一部だけだろう。
 彼らの刺青はギスゼライ社会での地位の高さと、その魔術の腕前を示している。しかも刺青は単なるイニシエーションの手段ではなく、彼ら独自の文様技術によって術士の魔力を高める効果も持っている。
 これほど濃密で緻密な刺青を施しているイティハーサは、ギスゼライの中でも上から数えたほうが早い地位の人物だと、一目で分かった。

「全く……こうしてお前と茶を飲んでいると、時々これは夢の中の出来事なのではないのかと疑ってしまうよ。まさか、この私がマインドフレイヤと手を組む日が来るとはな」
「夢ならばよかった……そう思ったこともあるのではないかな」
「ああ、あるとも! 少なくともここ数十年のいざこざや、他の僧院長たちからの厳しい叱責もなかったろう。だが……」

 そこで彼は視線を伏せながら、己の手の中で陶器の椀を転がした。

「だがな、もしお前と出会わなければ、私の人生はひどく単調でつまらないものになっていただろう。或いは、お前と刺し違えるような、そんな結末もありえたかもな」
「さて、そうなったかな?」
「ふ……侮るなよ、私とてギスゼライの上級精神魔道士だ、お前と一対一で戦えば勝敗は分からんさ」
「お主を侮ったわけではない、ただ、あの時我らが出会わずとも、いずれこのような関係に落ち着いてのではないかな」
「ほう? 混沌の女神はそう啓示を下さったのか?」
「いや、これはわしの直感だ」
「直感……か、なるほどな。凡百の奴らならば何をしたり顔で言うかと怒鳴りつけるところだが、お前が言うと嫌にしっくりくる。気に入らんなぁ」
「ふ、ふ……こういった物言いに説得力があるのが我らの特権よ」
「違いない。マインドフレイヤというやつらはどいつもこいつも謀ばかり練って、その物言い一つとっても裏が何処まであるのやら……」
「耳が痛いな」

 暫し無言のままに、両人は香の焚き染めた天幕の中で茶をすする。
 やがて口火を食ったのはイティハーサであった。

「クトゥーチク、こんな賭けは狂気の沙汰だ、分かっているのか?」
「何を今更。主に仕えると決めた日から、常に混沌と狂気はわしの傍らにあった」
「そんな話をしているのではない! お前が狂ってなどいないのは重々承知だ、何故だ? 何故こんな死と隣り合わせの暴挙に急く?」
「これでも遅いほどだ。我々(幽界派)は己の中に篭り切る余り、その深みに嵌った。この肉の体を持ってこの世にいる限り、この世の理を無視することは出来ぬのだ。いくら我らが全てを拒否してそれらを無いものかのように扱ったとて、扱われた方まで我らを無いものとしてくれるなど、そんな夢想に取り憑かれた愚か者たちがあまりにも多すぎた」
「では、ギスヤンキのようにアストラル界に移住すればよいではないか」
「それは嫌だと、あ奴らは言いよるのよ。そうとも、神殿に宝珠があるかぎり、我らがこの世界を去ることなど出来よう筈もない。奴らは「顕界派の不信心者に宝珠を扱えるものなどおらぬ」と鼻で笑いながらも内心は怖くて仕方が無いのだ。もし、宝珠をその手に握れるだけの素質を持ったものが顕界派に現れたら? その時自分たちがアストラル界に引き篭っていたら、一体どういうことになるのか?」
「それでは、まるで駄々をこねる稚児と同じではないかっ」

 イティハーサはいきり立った。

「クトゥーチク! 幽界派は一体いつになったら我らと和解をするつもりだ!? 長老はいつ来る! 代表は! 交渉人は! この数千年の憎悪と遺恨を解消する唯一絶対の機会を、このまま歴史書の片隅に「あったかもしれない」という一文で終わらせてしまうつもりかっ! この関係を、この僥倖を、私達二人の個人的友誼で終わらせるつもりなど私には毛頭ないぞ!」
「説得は続けている。だが奴らはいざとなればそのような助力なしで顕界派を黙らせられると信じているようだ」
「貴様らお得意の妄想か! 夢想に耽って明日を夢見る間に、迫り来る今日に殺されるぞッ。おめでたい事だな、結局最後にものをいうのは組織力だ、今ここでこうしている一瞬の間にも奴らは手駒を増やし、その勢力を拡大しているのだぞ! 私達ギスゼライだけでは駄目だ、ギスヤンキだけでも駄目だ、貴様ら幽界派だけでも駄目なのだ……ッ!」

 彼は口惜しげに歯軋りをしながら握り拳で地面を叩く。

「このままでは……! 世界が、顕界派のいいように弄ばれてしまうぞ!」

 そう気炎を吐いたイティハーサがどしんと音を立てて地面を叩く。
 相対するマインドフレイヤは、ただ黙ってじっと己の手の中で陶器の椀を転がすと、その両目をふと彼の方にやった。

「それはない。断言しよう、我が友よ。それだけは何があってもありえぬ」
「何故言い切れる? なんの根拠があるのだッ!」
「主が――」
「なに?」
「主ラ=ガレオがそう仰せになったのだ」
「なん――」

 イティハーサは思わず絶句し、息を飲む。
 そしてすぐに興奮した様子でクトゥーチクに掴みかかった。

「聞こえたのか!? かの気紛れなる混沌の女神から《啓示》が! まさかそんな」
「ああ、すまぬな、黙っていて。恐れ多くも、わし自身あの声が聞こえるようになった時には《始まり》の御方に一歩迫れたかと思うた」
「一歩だと? 馬鹿を言うな! 始まりのマインドフレイヤから今まで、あの偉大なる女神の啓示を真の意味で得られた者がどれだけいたというのだ?」

 イティハーサは舌打ちをして立ち上がると、両手を大きく広げた。

「皆無だ! 一人もいなかった! いや、自称する畏れ多い馬鹿どもは掃いて捨てるほどいた。だがそのどれもがペテン師だったとすでに分かっている」
「わしもペテン師かもしれぬぞ」
「有り得ぬ。そんなペテンで水増しせねばならぬほどお前の力は貧相ではないし、名声に陰りがあるわけでもない」
「もしや、狂ってしまったのやもしれぬ」
「お前が狂気に落ちているというのなら、世界のすべてが狂うているのだろうよ」
「だが……」

 なおも言い募ろうとしたその言葉を、イティハーサは押しとどめた。

「もうよせ、我が友よ。その己の力すら疑ってかかる慎重さと、至上の信仰心を主は評価なされたに違いないのだ。顕界派の欲得狂い共や、幽界派の頭でっかち共とは一線を画すお前のそのあり方が、無上の方法で評価されたと何故素直に喜べない? 私は評価するし、素直に祝福するとしよう。おめでとう、クトゥーチク。我が友よ。もっとも、お前が評価されて欲しいと思うお方からはとっくに至上の言葉を頂いていたようだがな」

 そう言って朗らかに笑う彼を見やりながら、暫し何やら考えながら黙り込んでいたクトゥーチクは、そのうちに同じように相好を崩して笑った。

「そう、か……。まさかな、このような高みにまで上り詰められるとは思いもよらなんだな……こうなると、コレを報告してしまえばまた法衣の色が変わってしまうわ」

 そう言ってクトゥーチクは己がいま身に纏っている、紅白色をした正式な教団法衣を見やった。
 法衣の色は最下位が黒で、それから赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、白と位階が上がるにつれて色が変わる。一旦白に達すると、今度は白黒の法衣となり、それから紅白、白橙……という風にまた色が変わって、最後に真っ白となって至上の位に達する。
 だが、そもそも最初の白法衣に達するまでが今まで数えるほどしか至った者のいない、常人には果てしまい道のりであり、この「二段階法衣」もクトゥーチクがその位に達するのが確実と思われた時に顕界派と幽界派の長老がでっち上げたものでしか無かった。
 慌てて新しい位階を作らせるほどに、クトゥーチクの腕前が際立っていたという証左である。

「ふん! 本来ならばとっくに枢機卿となっていても可笑しくなかったのだ。お前ほどの腕を持つ者がたかだか司教位など馬鹿げている! 《白》の法衣を纏うことを許されておきながら、司教などというのは混沌の王国を探し回ってもお前ぐらいのものだ」
「そうかな? 時々思うのだが、現世での位階を上げるに連れて、至尊の位からは遠ざかっていくような気がしていたのだ。わしにとっては渡りに船よ」
「ふむ……そういう考えもあるか……」

 イティハーサは首をかしげながらも納得したように頷いた。
 その後に身を乗り出すと、ことさら声を潜める。

「で、だ。主はなんと仰せられたのだ? 今度のこの仕事に絡んでくるわけか」
「然り。……さて、イティハーサよ、時に尋ねるがお主はというものがいかなるものか、考えたことはあるか?」
「何? それはつまり「時間」ということか?」
「その考えで概ね問題ない」
「さて……そうさな」

 彼は暫し考える。

「時間とは、まるで悠久を体現する大河のようなものだ。その流れは一方向に固定され、我ら卑小なる存在がどのような事をしようともその流れを変えることは出来ない。せいぜい小石を投げ込んで波紋を立て、小枝を突き立てて小さな変化を促すのみ。そしてその行為も遠大な時の流れの中ではすぐに消え去る瞬きの出来事にすぎない……と、このような感じだが」
「ふむ……わしも概ねそれと変わらぬ認識を持っておった」

 含みのある言い方に、イティハーサの片眉が跳ね上がる。

「向こうの世界にはな、此方のような異能の力が全くといっていいほどに根付かなんだ。その代わりに錬金術と数秘術、自然哲学を高めた彼らは、ある日この時間という存在に目をつけた……イティハーサよ、例えば過去に戻る魔法があったとして、お主が過去でお主自身の両親を謝って殺してしまったら、さてどうなると思う?」
「……? 親がいぬのなら私は生まれぬから……む? いや、コレはどうなるのだ?」

 混乱して首を捻った彼に、マインドフレイヤはしゅるしゅると笑った。

「それを向こうの人間はタイムパラドックス――時の矛盾と呼んだ。我らのように限定的に時を操る異能など何もない人間が、もしも時を遡れたら……などと妄想して、しかもそれが大真面目に論じられるような世界なのだ。いやはや……げに人類の想像力の逞しさよ。して、過去には単なる思考実験の様相を呈していたこの議題は、彼らの技術力が発達するに連れて単なる夢物語ではなくなった。彼らの出した結論はこうだ、「時とは即ち始点から終点に向かって無限に枝分かれをした大樹の枝である」と。例えば先ほどの話、過去に戻って親を殺すとしよう、だが宇宙はその程度の矛盾など「どうにでもしてしまう」のだとか。実は、お前はその両親の実の子ではなかった、全く別の両親がお前を育てた記憶が突然生まれる、実は死んでいなかった……宇宙は「異常に辻褄合わせの上手いペテン師である」のだという。無数に枝分かれした「可能性の宇宙」は、全ての矛盾を内包しながら最も無理のない可能性を何処からともなくたぐり寄せる。その結果、過去で何かが変わった、変わってしまったとしても、我らにはそれを知覚するすべなど無い、何故ならばこの宇宙そのものが「それもまたよし」として受け入れ、我らもまたそれを知らずのうちに受け入れてしまう故」
「……つまり?」

 ますます混乱したという様子のイティハーサ。
 それに、長広舌のマインドフレイヤは続けた。

「つまり、我が友よ。世界は変わる、間違いなく。だがな、その瞬間をわしやお主が知覚出来るかどうかは別の話だということよ。すまぬな、コレ以上は主の意向に反することになるゆえ言えぬ」
「……なるほど、まあよい。この閉塞した空気がどうにかなるのならば、それに否やがあろうはずもない」

 そう言って最後に残った茶を一杯飲み干しながら、イティハーサは考えていた。
 全てを内包して「それもまた良し」とする宇宙だと? それはつまり、我らが神ラ=ガレオのことではないのか……と。




■■■




「遅いぞ、アイザック」

 社長室に飛び込んできたアイザックに、アラン・ピンカートンの叱責が飛ぶ。
 その激しい口調に首を竦ませながら「申し訳ございません」と返すと、アランの他に室内にいた二人が口をそろえて社長を宥めた。
 一人はすでに老境に差し掛かった英国人のジェームズ・パトリック・メイソン。もう一人は小柄な日本人のイヌヅカ、特徴のない顔が特徴という稀有な才能を持っている。
 彼が二人の間に立つと、腕を組んだ社長がその端正な顔つきを深刻そうに歪めながら机の情報パネルをいじる。
 部屋のロックと盗聴防止を行ったのだろう、つまり、それだけ重大な話があるということだった。

「さて……アラン、こんな錚々たる面子を、しかも仕事を中断させて集めたんだ、それなりに面白い話を聴かせて貰えると期待しているよ」
「ああ、期待して欲しいメイソン、もしご期待に添えなかったらこの椅子を君に譲ってもいい」
「おや、残念ながら全くそそられんね。そんな事じゃあ女の子も誘えんぞ」
「言ったな老いぼれめ」

 不敵に笑いながら、アランはパネルを操作して壁にかけられた大型液晶ディスプレイを待機状態に変更し、その後何やら細々した操作を液晶のタッチパネルで続ける。
 その間、アイザックは隣のイヌヅカに身を寄せて話しかけた。

「やあ、イヌヅカくん。君は確か中東の方に飛んでたんじゃなかったかな? 確か、そう、ジェイドメタル社の新兵器がどうのとかいうネタで」
「そうそう、聞いてくださいよ全く社長ったらひどいよ。もうちょっとで全貌が明らかになるって所でいきなり「すぐに帰ってこい、コレは最優先だ」だもんね。半年も砂と太陽と熱風に巻かれた苦労がパア! で、そっちは確かアステロイドベルトに出発する採掘船に潜入してたんじゃ?」
「こっちも同じ。出港直前になって「予定変更だ、すぐに戻って来い」これだよ! 全く、ボクが「ゲイツ・ガーランド」に成りきるのにどれだけ頑張ったか、この若社長はいつもコレだ」
「早漏基質で強引、しかも相手に理解させようという気がない。いやはや、コレでは女っ気が寄り付かないのもむべなるかな」
「聞こえてるぞ! お前ら!」

 激怒した社長が鬼の形相で三人を振り向いた途端、壁一面に広がったディスプレイになんとも言えない映像が写った。
 ぽかんと三人が見つめるそれは……。

「尻……」

 スカートを履いた尻だ。
 どう見ても尻。
 誰が見ても尻。

《う……ん? この配線がこっちで……? あれ? 赤プラグがコレで……ええと》

 画面の向こうで尻が何やらブツブツと呟いている。
 唖然とするアイザックとイヌヅカを他所に、メイソンは一人己の白い顎鬚を撫でながら「白……か」と呟いた。

《えっ、ちょ、あ、いた!》

 彼の声が向こうに聞こえたのか、慌てて身体の向きを変えようとして画面の向こうの人物は頭をぶつけたようだ。
 かなり痛そうな音がした後、ぷるぷると痛そうに震えている……尻が。
 この段階になるとすでに社長も振り返って唖然としており、二の句が継げないといった様子であった。
 やがて痛みが収まったのか、そろそろと今度はゆっくり振り向いたその人物の顔を見た瞬間、アラン以外の全員が驚愕の呻き声を上げた。
 なるほど、あんなに強引にこの面子を呼びつけたわけだ。
 画面の向こうには、いやしくも文明人を自称する者ならば知らぬはずのない超有名人が、痛みに涙目になりながらずれた銀縁眼鏡を直している。

《あ、あの。先程はお見苦しい所をお見せしました。何分ここは狭苦しくて……すみません、HALを騙す時間に限りがあるので手早くいきましょう。そちらはアラン・ピンカートンさんでよろしい?》
「ええ、そのとおりです。私、当社の社長を務めておりますアラン・ピンカートン、此方が左から順にジェームズ・パトリック・メイソン、アイザック・クラーク、イヌヅカ・ケンイチです。こうしてお会いできて光栄です、プロフェッサー・タチバナ」
《こちらこそ。では、ご依頼を受けていただけるのですか?》

 その言葉に、アラン・ピンカートンは満面の笑みを浮かべた。

「もちろん! ピンカートン探偵社は困った市民の要望には如何様にもお応えいたしますとも!」

 ピンカートン探偵社の歴史には決して残らない大仕事の始まりであった。









[13088] 転変02
Name: 桜井 雅宏 ◆bf80796e ID:dc3a5698
Date: 2013/09/22 23:33
「配置転換?」

 斎藤は訝しげに手元の資料から目線を上げて彼女の方を見た。

「ええ、そう。前から苦情が来てたでしょ? 陸軍の兵士が鬱陶しいって」
「ああ、そういや、あったなあ」

 今しがた彼女たちが話している内容は、研究所の警備担当を変更しようというものである。もともとこの研究所の警備は陸軍から派遣されてきた兵士たちと、民間軍事会社から雇った傭兵たちで警備されているというややこしい物だった。
 素人目で見たって、全く系統の違う組織が二つもあって、しかもその任務が被っているなんて馬鹿馬鹿しい配置だ。
 まあ、そのへんはどうやら今まで彼女が全く目を向けて来なかった政治的な力関係が色々と関わっているらしいが、そのゴチャゴチャした状況をすっぱり改善してしまおうという話である。
 まあつまり、陸軍は上層部と外の警備だけを担当し、研究所内部は全部傭兵で担当してしまうという話である。軍は外からの襲撃を心配していれば良い、ということだ。
 資料を読みながら、斎藤が小首を傾げる。
 恐らく、彼女がこういった事に口を出したことに内心驚いているのだろう。

「だけど、中を全部傭兵にするんだったら追加予算がいるんじゃない?」
「大丈夫よ、お金の心配は」
「なんで」
「私が払うわ」
「は?」

 ぽかんと口を開けて此方を見る斎藤に彼女は「口を閉じなさい、馬鹿みたいよ」と、努めて平静を装って返す。
 ここが正念場だ、薫と斎藤の二人が決めたことは滅多なことでは覆らない。ここで斎藤を説得出来れば、後はどうにでもなった。

「払うって……本気で?」
「この面倒な状況が改善できて、更に面倒事もう一つ片付くと考えれば楽でしょう」

 含みをもたせた言い方に、斎藤の両目がキラリと輝いた。
 研究所内部の警備を担当している陸軍の人間が、どうやら上からの命令で此方の監視と探りを入れているらしいというのは、彼女はメイスンからの情報で知っていたが、どうやらこの調子だと斎藤も知っているか感づいていたらしい。
 そして彼は彼女が「知っていて言っているのか」それとも「知らずに言っている」或いは「単にカマをかけているのか」と考えている――と、メイスンの予言めいたアドバイスに従って彼女は考えている。
 そんな思考はおくびにも出さず、彼女は「どう? 違う?」とことさらどうでもいいような様子で問いかけると、斎藤はじっと彼女の両目を見た後に「……そうですね、ええ、これで研究に没頭できるとみんな喜びますね」と返した。
 やった、思わず心のなかでガッツポーズをしながら、何くわぬ顔で次の資料を出す。

「じゃあ、警備主任はアダムスキーとカミンスキーでいい? 追加の派遣をどこから雇うかも決めてあるから」
「分かった、じゃあこの件は薫さんに任せるよ。で、次のコレは……」

 二人はそのまま淡々と次の案件を処理し続けた。
 案件の中にはいくつかのスピンオフ技術の消去や、すでに提出した資料の幾つかに重ねて新たな資料を提出して一部の高度な専門家にしか分からないほど巧妙に「実はコレコレこういう事が発見されたので、コレは失敗でした」というの報告書を提出する件や、現在広がっている技術に更に改良を加えることで大幅な低コスト化と効率化が図れるが何故か兵器利用には全くそぐわなくなってしまう新触媒や新製法を最近資金繰りの厳しいギガコングリマリットに売りつけたり、彼女たちが設計した新型ナノマシンが製作者の許可を得ずに表向きは医療目的で開発されているがその実は完全に軍事目的で研究している研究所への表向きでの警告という名の脅迫文だったりしたが、斎藤は特に何も言わずに全て「決済」の電子サインをした。
 書類をまとめて部屋を出る寸前、斎藤は「ああ、そうそう」と言いながら振り向いてニヤリと笑った。

「仲間外れは嫌ですよ、信用して下さい。俺と貴女の仲でしょう」

 と言い放って颯爽と部屋を出ていった。
 薫は黙ってドアの電子錠をかけると、ソファに座って大きく息をついた。
 疲れきってぐったりと背もたれに身を預けると、部屋の隅でおとなしく座っていたマーティンがやって来て彼女の足元に寝そべる。その耳元を優しく書きながら、彼女はナノマシンを介した秘匿通信回線を開く。

《プロフェッサーよりJ・B サイトーは味方》
《J・B了解 言った通りだったでしょうお嬢さん?》
《もうお嬢さんって歳じゃないわ 通信終わり》
《照れなさんな エンジニアは明日つく フェイスレスは活動中 通信終わり》

 ぼんやりと中空を見つめながら、薫は大きなため息をついた。

「まさか、この歳になってスパイごっことはね……」

 苦笑交じりの慨嘆に、傍らの愛犬だけが小さく鳴いた。



■■■■■■



 事態は目に見える所と見えぬ所、その両方で速やかに進んだ。
 まず研究所の中から軍人の姿が一掃され、その代わりにピンカートンの息がかかった民間軍事会社から傭兵たちが派遣され研究所内の警備を一手に引き受けた。それによって警備の軍人の中に含まれていた諜報部の人間が一掃され、さらには研究員やその他の職員が何人も「一身上の都合」や「職務中の事故」で研究所から姿を消す。
 言うまでもなく、これらの人間も「フェイスレス」や「J・B」が見つけ出した諜報員であった。
 更には薫が今まで日産レベルで提出してきた特許がパタリと途絶え、コレまで世に出してきた技術に対しても様々な情報媒体が虚実織り交ぜた「危険性」や「代替技術」が騒がれるようになった。
 そして薫の技術が大量の死を産み、それを「平和利用」だと公言して憚らない政府の方針を痛烈に批判する。これは表からアングラまでマスコミに顔が利くフェイスレスの手腕だったが、実際そのやりかたは見事で、政府が火消しをしようとするたびにそれを逆手に取って炎上させるやり方は悪魔めいていた。
 高度情報化社会はある一定以上の所得層にネットワーク環境を提供し、指先一本で隣人のトイレの回数まで分かるような世界がやってきたと同時に、それは政府による情報統制の激化も招いていた。
 だが、何時の世にもそういった管理から逃れたアングラサイトは絶えることを知らず、そしてフェイスレスはそういった情報網の有効活用が天才的に巧みであった。
 基本的に特許が申請されない技術は秘匿される。そして秘匿される場所が世界で最もセキュリティレベルの高い場所であり、その保管場所も電子媒体ではなく橘薫の脳内である。
 政府は焦り、原因を探した。
 一体何者が世界最高峰の「死の科学者」に要らぬことを吹き込んだのだろう?
 だが、彼らがいくら調べようとも分からなかった。彼女の周りに集う人々は基本的にそういった情報を彼女にあえて知らせないような人柄ばかりであり、そういった性格の人間以外は政府がブロックしてきた。
 まさか、彼らも異世界の僧侶が彼女の蒙を啓いたなどという真実に気づきようもなかった。
 薫は変わった、いや、ようやく事実をありのままに受け止められるようになったといえばいいのか。
 彼女はそれまでとはベクトルを変えて精力的に動いた。まるで今まで自分が放置してきた全ての罪を見つめ直し、清算するように。
 見る目のある者はこの彼女の「転変」を何事かと興味深く注視していた。ある者は彼女が突然良心に目覚めたのだと言い、またある者は新たなアメリカの陰謀だと騒ぎ、またある者はただじっと事態の推移を観察し、またあるものはこの騒ぎに乗じて己の利益を得ようと慌ただしく動いた。
 そんな外野の雑音を全て無視するかのように彼女は動き、政府は焦った。
 斉藤曰く「飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ。あの慌てふためいた様子は傑作だな」
 有用な特許技術の安全性にケチを付けられ、数え切れないほどの市民団体からの抗議に腹を立てた軍産複合体が政府の尻を叩くに至ってとうとう彼らは動いた。研究所の人員引き抜きと解雇を通告したのだ。
 だが、研究員たちは唯々諾々とその命令に従ったように見えてそうではない。中枢コンピュータHALを改造して専用の抜け穴と個人認証IDを登録すると、出先の研究所から、或いは自宅から、専用の秘匿回線を使ってプロジェクトの進行を助けた。
 誰一人として、この世紀の大プロジェクトを途中で放り投げることなど出来なかったのだ。
 そんな事だから当然、職員をクビにするぞと脅しても動じず、実際に人員削減を行なっても平気の平左。更にはメインプロジェクトは進行しているのに本当に政府がほしいスピンオフ技術は「マンパワーの不足」を理由に殆ど上がってこなくなる。
 政府は苛立ち、このプロジェクトの責任者であるパッドフット上院議員を強制査察団の最高責任者として任免するという過ちを犯したのだった。



■■■■■■



「はぁ!? 査察!? 何の権限で!」

 憤懣やるかたないと言った様子で斎藤が彼女のデスクに両手をついて噛み付く。
 手元のデータパッドを彼の方に滑らせながら、薫は肩をすくめる。

「国防総省とCIAが、怪しんでいるらしいわ」

 データパッドをためつすがめつしながら、斎藤が眉をひそめた。
 その両目は凄まじい速度で文章を追っている。

「怪しむって、何を。俺達が予算を使い込んでるとか?」

 それとも、すでにここを去ったはずの「元職員」たちが今でもプロジェクトを推し進めていることに気がついたのか。彼の両目はキラリと輝いて無言のうちに彼女に問いかける。
 それに大して薫は隈の消えない両目を胡乱げにひそめて首を横に振る。
 すでにその可能性については彼女は協力者たちとともに検討したが、どうもそうではないらしい。

「その……彼らの言い分は、私たちが不必要な武力を溜め込んでいるんじゃないかとか、その、日本で言う凶器準備集合罪みたいな」
「はぁ? イミフ、地球語でおk」

 本気で分からない、とでも言いたげな斎藤。

「……はぁ、アレよ、貴方とアレックスとシードが手慰みに作ったATが問題になってるのよ。あと、違法改造したパルスライフルとかが流出したの」

 そんなことを言いながら、彼女は一定のリズムでコツコツとデスクを叩いた。
 その符丁を、彼女と彼の頭の中にしかない暗号解読アルゴリズムが素早くデコードする。
 【ろくばんめのふぁいる じゅうにばん ごじゅうろく はち ろく さん よん わたしとあなたのたんじょうびを まーてぃんのねんれいでるいじょう】
 斎藤の指先が素早く動き、隠しファイルのパスワードを入力する。
 現れたテキストファイルには、ケツを叩かれたパッドフッドが軍の特殊部隊を率いて研究所の制圧を企図しているとの情報。

「あ、ああ、あーーー」
「そうよ、「あーーー」よ、全く……」

 その時彼らの目によぎったの一体どういった感情だったのだろう?
 驚愕? 怒り? 嫌悪? 反骨? 恐怖? 諦念?
 それら全てであり、それらのうちのどれでもない。
 あらゆるものが混ざり合ったような混沌としたその目、それらから読み取れる唯一絶対のもの、それはすなわち……。
 「覚悟」である。

「い、いやいや、だって、ボトムズですよ? ねぇ? あんな紙装甲、バトルタンクのいい的ですよ? 兵器じゃありません、アレは自家用車です」
「明日彼ら(査察団)にもそう説明したらどう? でも私なら、無駄な事をせずに素直に謝るわね。誰がどう見たって、自家用車にも作業機械にも見えないもの。なんで自家用車にマニュピレーターとマシンガンとパイルバンカーが必要なのか、たっぷり質問されるでしょうね。もちろん個室で」

 彼らの「覚悟」は、まるで幻のように消え去り、そこには道化のようにおどける世界二位の頭脳を持つ秀才と、それを呆れたように諫める世界一位の天才がいた。

「どう見ても兵器です本当にありがとうございました。ちくしょー! お前らにはもう攻殻に出てきたみたいなパワードスーツがあるじゃねーか! 今更ボトムズにまで興味示すんじゃねーよ!」
「それだって基幹技術は日本の技研が作ったから、今度のアレも行けると踏んだんじゃないの?」

 違う、作ったのは、彼女だ。
 死の科学者、戦災の天才、虐殺器官の彼女が作った。

「馬鹿な! ATは搭乗者の命使い捨て前提だぞ! アメ公の軍事ドクトリンにそぐわないにもほどがある」
「そういう詳しいことは分からないけど、パッドフッドが強烈に働きかけたみたいね。あいつ、軍人上がりだからそういのに目ざといのよ」

 パッドフッド、パッドフッド、何も知らなかった彼女が信頼していた一人。
 あいつにどんな使命感があり、義務感があり、そして己の中の一体何を拠り所にして紛争を煽り続けているのか、そんなことは彼女は分からない。
 ただ、彼女は決めたのだ、己の心に従い、全てを精算してのけると。
 夢幻の中で知り合った、異形の僧侶の言葉に従って。

「……………………」
「斉藤君?」

 はっと視線を前に向けると、今まで見たこともないほど真摯な視線が彼女を見据えていた。
 彼女を真正面から見つめ、斉藤凛二はニヤリと笑ってみせた。

「ぜってーシラ切ってやる。あのクソッタレに負けるくらいなら首切られてもいいや」
「ちょっと」
「安心しろって、薫さん。こんなんなるまで此処に残った面子だぜ、口裏合わせは完璧だ」
「……こういうことをしてるから、怪しまれたのかしらねぇ……」

 呆れたように呟きながら、彼女は嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑をこぼしたのだった。




■■■■■■




 査察当日、パッドフッドと彼が引き連れた護衛たち……という名目の軍直属の特殊部隊は不気味な静けさの中で研究所内に現れた。
 職員たちは日常業務を続けるように通達され、不審な動きは証拠隠滅ととるとも警告されていた。
 彼らは所長室の薫と斎藤の所までやってくると、威圧的な仕草で仰々しく紙媒体の書類を彼女に差し出した。

「プロフェッサー、なぜ私がここにやってきたのか、君はとっくに承知のうえだろうが、これも形式上の手続きでな。この書類を受理し、サインし給え」

 そう言って差し出された書類に反論の一つもなくサラサラと彼女が涼しい顔でサインをすると、パッドフッドはピクリとそのまゆを小さく動かした。
 思っていた反応と違うのだろうか?
 だが、そんなことをわざわざ斟酌してやる必要などない。

「どうぞ、ご確認を」
「……たしかに、確認した。国防総省内務規定第521-225-8により、本査察中我々は憲兵権限を持つ。万が一、この研究所内で国家の安寧を揺るがすような不当な物品が見つかった場合、我々はそれらを没収及び諸君らを逮捕する権限を有する」
不当な物品ね」

 斎藤が鼻で笑ってそう繰り返してやると、彼の顔にさっと朱が入る。
 彼の後で待機する二人の兵士の顔は、装甲ヘルメットで覆われて伺えないが、どうせ感情抑制処理が施されているのだ、眉一つ動かしていないだろう。

「何か言いたいことでも?」
「いえいえ、さすが、つい最近その「不当な物品」で世間を騒がせておられる議員閣下は仰ることが違いますなあ。私など、元来が控えめな性格のジャッパニィィズなもので、あなた方の広い広い国土とそれに付随した広い心の大きな棚にはほんと、感心し切りでございます。もしも私があなたなら、そんな面の皮が厚い放言などとてもとても」
「貴様!!」
「おっと!」

 激昂して掴みかかろうとした彼を、背後の兵士が制止する。
 もしここで殴りかかったら、その記録を盾に有利に立つことが出来るからだ。つまり、彼らからすると不利になる。
 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる斎藤とは対照的に、パッドフッドは今にも斎藤の首を絞めて殺してやりたいと言わんばかりの形相である。
 それもそのはずで、査察のほんの一日前に彼は己が必死に根回しして議会を通過させたとある新型ナノマシンピルが、実は服用後に特定の周波数の電磁波を照射するだけで脳の機能局在を選択的に刺激し、狙った感情・情動・認知機能・運動機能などを亢進・減退させることが可能であると大手新聞社にすっぱ抜かれたのだ。
 当然、すっぱ抜いた新聞社は協力者たちが根回ししており、さらにそのナノマシンピルの危険性をわざと隠して通過させたのも彼らだ。つまり、このスキャンダルはパッドフッドにとっても寝耳に水。
 この事件はナノマシンが開発された最初期に制定された「中枢及び末端神経における神経系のナノマシン使用による恣意的操作の制限に関する法律」に真っ向から違反しており、世界中のトップニュースを飾る大スキャンダルである。
 なにせ、この薬剤を使って特定の機器を使用すれば、感情抑制処理など目ではないほどの劇的な効果で、それこそ生きた人間をロボットのようにしてしまえるのだ。
 こんな物がろくな調査もされずに議会を通過した、そしてそれを半ば無理やり通過させた議員がいる。
 そう、つまりパッドフッドは現在、政治生命の瀬戸際に立っているのだ。
 両脇を兵士に抱えられながら、彼は鬼の形相で斎藤と薫を睨みつけた。

「涼しい顔をしてられるのも、今だけだぞ! 裏切り者め、貴様らを破滅させてやる」
「おお、こわいこわい。ぼくちんちびっちゃいそう! プギャーーーー!!」

 わざとらしく怖がる演技をして見せてから、斎藤はゲラゲラと人の神経を逆なでするような馬鹿笑いをする。
 アメリカ英語の汚らしいスラングをまき散らしながら、パッドフッドと護衛の兵士が退出すると、最後の最後まで指をさして笑っていた斎藤は次の瞬間に真顔に戻った。

「けっ……残念だったな、調べたって何も出やしねえよ。薫さん、どうする、一応ついて回る?」

 薫はしばし考える。
 査察に際して、相手側はとにかくなにか些細な事を口実にしてこちらに比を創りだそうとするはずだ。もし自分が彼らの後をついていって、彼らの挑発的な態度に異議を唱えたり職員を助けようとすれば、それを口実にされるかもしれない。
 事前にこの事については何度か議論がされたが、最後には薫の判断に委ねることとなっていた。

「…………やめときましょう、変な難癖をつけられたらたまったものじゃないわ。いつも通りに過ごしましょう」
「はいよ、そうしましょうかね」

 そう言って、二人揃って執務室を出る。
 そして、彼女はこの時の選択を一生後悔することになった。



[13088] 読み切り短編「連邦首都の優雅な一日」
Name: 桜井 雅宏◆bf80796e ID:e4b34583
Date: 2011/12/12 23:14
|∧∧
|・ω・`) そ~~・・・
|o旦o
|―u'

| ∧∧
|(´・ω・`)
|o   ヾ
|―u' 旦 <コトッ

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

| ミ  ピャッ!
|    旦

















 アーケミィ連邦の首都グロリアス。その街路を一人の少女が歩いている。
 少女が身に纏うのはゆったりとしたフード付きローブと、その下には上等な生地で出来たダブレットを着込んでいる。腰から下は地面につきそうなほど長い、丈夫なレザー製のロングスカートを身につけていた。
 連邦特有の定規で測ったような規則正しい赤レンガのタイル道を少女が歩くたび、カチャカチャと硬質の足音がまだ日も昇りきらない早朝の街並みに響く。腰下まで伸びた薄茜色の長髪が朝焼けの光と混じり合うと、少女はふと足を止めて街並みの隙間からかすかに覗く今日一日の始まりに眼を細めた。
 登り始めた太陽の薄明かりに照らされた少女の横顔は、見るものを思わず瞠目させるような美貌に輝いている。
 薄い桜色に色づいた唇は微笑の形に動き、その両目は白雲母のような不思議な色合いをしていた。
 少女は暫しの間、摩天楼の中に奇跡的に作られた空隙の向こうへと視線をやって、小さな声で朝の訪れを祝福するエルフたちの歌を口ずさみながら歩みを再開する。
 曙光と共に囀る小鳥のように、少女はその美しいソプラノを無骨な摩天楼の街路に響かせながら先を急いだ。
 少女は時計を持っていなかったが、日の上り具合からして少し遅れていると気がついたからである。
 やがて少しずつ街路の中に人通りが増える。
 まるで夜明けと共に森の動物達が巣穴から這い出すように、連邦首都という一つの大きな生き物がゆるゆるとその呼吸を再開する。
 歩みを再開してから10人目の出社するビジネスマンを見てから、少女は今まで口ずさんでいた歌を止めた。
 昇る太陽と沈みゆく月、そして天空の星々に感謝するエルフの賛歌は、この連邦首都の真ん中で歌うのになにやら不釣合な、もっと言うなら冒涜的な心持ちがしたせいである。
 こんな早朝から何を急いでいるのか、寒空の下で薄いワイシャツとダークブラウンのスラックス姿のビジネスマンが、革の鞄を脇に抱えたまま彼女を追い越していく。そのフェラーク族*のビジネスマンはちらりと彼女を横目で見てからちょっと頭を下げると、そのまま一定のリズムを刻みながら、髪の毛替わりに生えた真っ赤な羽毛をふさふさと揺らしてアスリートのような美しいロングストライドで走り去っていった。
 フェラークは伝説のフェニックスの末裔であると言われるクリーチャーで、ほとんど一処に留まることなしに各地を放浪する。彼らに共通する大きな習性は、不正に大して公然と反発し、己と他者の自由をこれ以上なく尊重するということだ。連邦建国戦争において、何者にもおもねること無いが故に容赦なく現地権力を叩き潰し、各地で圧政に苦しんでいた少数部族を次々に開放する建国メンバーに感動し、多くのフェラークが建国戦争に参加して獅子奮迅の働きをした。そんな彼らの末裔が、今は世界各地を飛びまわる一流商社のビジネスマンだ。その種族的性格から、連邦捜査官や派遣裁判官になるものも中にはいる。
 そうかと思えば、早朝で他の車両がいないことを良い事に、制限速度を無視した荷馬車がガタガタとセメントコンクリート製の道路を走り去っていく。おおかた、搬入ぎりぎりになった商人が冷や汗をかきながら鞭を振るっているのだろう。
 少女は荷台に座っていたシフター*の男が早朝警邏の軍警察に見つからないように祈った。たしか、早朝夜間帯の警邏はケンク族*が取り仕切っているはずだ。自己中心的で猜疑心の強い――だが、それ故に優秀な――ケンク達に捕まると、ほとんど一日の時間が潰れるだろう。もしそうなれば、ご愁傷さまだ。
 シフター。彼らはライカンスロープと人間の間に出来た子孫の末裔である。彼らの性格はその受け継いた野生の影響を大きく受けるが、無論その例外も存在する。彼らのほとんどは放浪者や狩人、或いは腕のいい探索者や冒険者として身を立てるが、連邦に於いては少数ながらホワイトカラーとして財を成す者も存在する。ただし、彼らが一般的な人社会に適応するためには克服すべき多数の障害がある。その代表的なものの一つは、彼らの持つ抗いがたい肉食と狩りの欲求である。
 そして、ケンク。元々は大都市の暗闇にこそこそと潜むこそ泥や、真っ当な理由で真っ当な人間を雇うことの出来ない輩が、何かしら後ろ暗い汚れ仕事を頼むために金でかき集めるような、どちらかと言えば半社会的な立場にいた彼らが連邦では軍警察の役職についていると聞くと、連邦以外の国ではたいそう驚かれる。
 鋼鉄と煉瓦と蒸気が渾然一体となり、あらゆる種族、あらゆる階級、あらゆるエゴが鬩ぎ合い犇めき合う。
 重商主義と実践主義が支配する、世界最高峰の頭脳と人材の集う連邦首都の、これがその一日の始まりだった。



*フェラーク…………この背が高く、痩せた人間大のクリーチャーは背中に大きなファルシオンを帯びている。ほとんど人間のように見えはするが、赤と金色の羽毛が腕や足の背中側に並んでおり、髪の毛のあるべき場所には羽毛が濃く生えている。金色がかった肌は内なる熱と温かさを放っているかのようであり、両の目も輝いている(モンスター・マニュアルⅢ p.152)
*シフター…………このしなやかな体躯をした人型生物は見を屈めたような姿勢で、素早く飛び跳ねるようにして歩いている。幅が広くて平坦な鼻、大きな目、濃い眉毛、尖った耳、野性的な頭髪はたてがみのような感じで、もみ上げが長い。どことなく威嚇的なニヤニヤとした笑みを浮かべる口元からは鋭い門歯が覗いている(モンスター・マニュアルⅢ p.77)
*ケンク…………外套を纏った人型生物が影に潜んでいる。人間の手足の代わりに鳥のような爪が生えており、外套のフードの下には鳥のような造作――黒い玉のような目、黒いクチバシ、赤褐色の羽毛――が見て取れる。(モンスター・マニュアルⅢ p.56)
――――――――――――――――



 少女が重厚な建築物の立ち並ぶ官庁街にやってきた時、すでに時刻は早朝出勤の人々がぞろぞろと街路を歩きまわる時間帯であった。
 夜勤明けの人々と、これからまさに職場に向かう人々が混ざり合う光景は、彼女の目にはまるでリバーシの盤上のように見える。
 眠そうに肩を落としてゆっくりと歩くのが夜勤明け、そして額にうっすらと汗を滲ませながら早歩きで道を行くのが出勤組だ。
 彼女はゆっくりとした確実な歩みで出勤組の流れに加わると、道行く公務員達に訝しげな、或いは好奇の視線を向けられながらも目的地に辿り着いた。
 いっそ病的なものすら感じられるほど、建物全体が白漆喰で塗り固められたその建物の門柱には「公衆衛生局」という文字が象嵌された金属プレートがはまっている。彼女は常々、その仰々しい飾り文字の看板を馬鹿馬鹿しい権威主義の醜悪なカリカチュアライズだと思っていたが、大多数の人間はこの悪趣味な金属製のプレートを殊更有難がる習性があるらしい。
 彼女には、理解できなかった。が、彼女はいやしくも文明化された連邦国民であるからして、自分が理解出来ないからと言って否定することはない。ただ、心の中で呆れはするが。
 もはや顔なじみとなった守衛のウォーフォージドに片手を上げて通用口を通ると、鋼鉄の体で直立不動のまま、警備兵はそののっぺりとした顔付きで彼女に向かって頷いた。
 ウォーフォージド……彼ら「戦争のために鍛造されしもの」は連邦統一戦争時に於いて、統一派の実働戦力の大半を満たしていた「生ける人造」である。最初は自意識のないゴーレムの派生として作られたはずが、混沌期の氾濫した秘術実験の成果か、或いは完全な偶然か、はたまたそれを意図して作られたのか、彼らは自らの意思を持つ生ける人造となったのである。
 彼らの原材料は黒曜石・鉄・石・ダークウッド・銀であり、それらを組み合わせてできたがっちりとした人型をしている。一見して動きが鈍そうに感じる者もいるが、それは間違った印象で、彼らはその見た目に反して驚くほどしなやかで優雅に動く。大半は男性の形をしているが、制作者の気まぐれか或いは何らかの目的を持って女性型をしているものもいる。顔面はのっぺりとした仮面状のプレートがはまっており、その眼窩には強化ガラスを使って作られた眼球がはまっている。
 彼らの大半は建国戦争にて激戦を生き抜いた古参兵で、戦争が終わった時に自らの存在意義を探し、苦悩して四苦八苦するものが大勢いた。一般的に、平和な時代と国において、彼らの存在は凄惨で残酷な戦を象徴するものとして余り歓迎されない。彼らの多くは戦争が終わったあとも軍に残るか、或いは警察機構等の国家的暴力機関に身を置くことが多い。一部のものは人間たちが自分達をあたかも奴隷のごとく扱っているとして反旗を翻し、反社会的組織を結成している。そして、ある者は未だに戦争が終わっていないかのごとく戦い続けている。
 ロビン自信は彼らに対してあまり否定的ではないが、一般人の多くはなるべく関わり合いになるのを避けようとするのが常だった。
 そのまま彼女は正面玄関から入らずに、建物を横切ってちょうど真後ろにある勝手口から中に入ると、そのまま板葺きの床に足音を響かせながら目的地へと進む。
 三階建ての建物を一番上まで登り、東翼の突き当たり、そのドアに掛けられた小さな金属板には「強制執行課 予備室」と彫られている。泣く子も黙る公衆衛生局の強制執行部隊、その予備室である。連邦首都グロリアスにはびこる「汚物」を消毒し、路地裏から下水道に到るまで完全に「キラッ☆」と「お掃除」するのが仕事である。
 ノックもせずに少女が中に入ると、まず彼女の目の前に壁のような資料棚がドンと構えている。
 床にボルトで打ち付けられたその棚は、オーガがタックルしても揺るがないほどに頑丈で、一体こんな首都の官庁街の真ん中で、どんな襲撃を警戒しているのかと言いたくなるほどの「防護壁」である。
 少女は棚を迂回して後ろに回ると、そこには彼女の予想通りの光景が広がっていた。
 身長8フィート程もある、メガネをかけた男性が資料棚から紙束を取り出して椅子に腰掛けるところで、彼は少女の姿を認めたあとに、少しメガネを直してから椅子に腰掛けた。
 身長が高い割には痩せぎすで、しかし貧弱そうな印象を与えることはない。その骨格には限界まで引き絞った筋肉がつき、短く刈り揃えた髪の毛はほとんど黒に近いダークブラウン。全体的によく研ぎ澄まされた鋭い刃物のような印象をあたえる男であるが、ただ一点だけ、その呆然と中空を眺める焦点の合わない両目だけが浮いていた。
 ここではないどこかを見つめ続けるようなその両目は様は、まるで夢遊病者か幻蓮(ドリームリリィ)をキメて飛んでいる中毒患者のようである。

「こら、ポンコツ。ボクを起こさずに先に行くなんて、随分薄情じゃないか。おはようの挨拶くらいしろよな」

 少女はそう言って唇を尖らせながら男の正面の机に腰掛けた。
 声をかけられた当の本人は、相変わらず何処を見ているのか分からない両目をゆっくり彼女の方に向ける。

「お早う御座います、ミス・ロビン」

 男はその焦点の合わない両目を、辛うじて彼女の方に向けながらそう答えた。
 少女――ロビンはぐるりと両目を回すと、肩をすくめて溜息をつく。

「相変わらず、木で鼻を括ったような返事ありがとう。はいはい、おはよう。朝ごはん有難う」
「お気に召して幸いです」

 相変わらず茫洋とした様子で、本当にそう思っているのかどうかすら怪しい。

「で、他の面々は?」

 ロビンがキョロキョロと部屋の中を見回しながらそう問いかけた。

「私以外の全員は、緊急出動、いたしました」
「へえ?」ロビンは片眉を跳ね上げる。
「錬金術師通りの下水道で「塊の怪物」が出現しました。四号装備で公衆衛生局員はフル出動です」
「ええっ、塊の怪物!? ポンコツは留守番してていいの」
「私は、閉所での戦いに向いていません。邪魔だと言われましたので」
「ああ、なるほど。まあ、あんなクッソ狭いところでスパイクトチェインなんか振り回せないか」
「いえ、攻撃自体は、可能です。ただ、味方も全員巻き込むので」
「はぁ……」

 ロビンは呆れたような返事をして窓際にあるボスチェアに座りなおすと、両足をデスクの上にどかっと乗せた。そのローブがはだけて丸見えになった両足は、太股の付け根からつま先まで真っ白で肌触りの良い羊毛に覆われており、頑丈な偶蹄目の蹄がその先端についている。
 彼女は人間ではなく、グラシュティグと呼ばれる水辺に住まわるフェイであった。
 グラシュティグは森林地帯や山岳部の泉などに住まう美しく危険なフェイで、信じられないほど美しい容貌をした人間或いはハーフエルフの顔をして、その美貌や美しい歌声で犠牲者を水辺に呼び寄せてからその血を吸う。無論、血を吸われた犠牲者の多くは命を落とす。気まぐれに通りすがった旅人や迷い人を助けることもあるが、再度出会った時にもその気まぐれが続くことはまずない。
 被害者は概ねその整った容姿にしか目がいかないが、その下半身は白山羊の脚が生えており、グラシュティグはその脚を他者に見せるのを激しく嫌う。誰かがそれを見た時は、怒り狂ったグラシュティグに襲われている時だろう。
 また、生まれ育った水辺から遠くに離れられないという弱点も存在するが、ロビンの場合はそのどちらも当てはまらなかった。
 いや、少なくとも、その両足を見せることには激しい抵抗感が存在するが、相手によってはそれも特に大きなものではない。
 ロビンは豊かな双丘を押し上げるように腕組みをして、悩みながらコツコツと蹄で机の上を叩いた。

「あー、そうかー、皆いないんだ。どうしようかな」
「どうしました」
「いや、実は依頼を手伝ってもらおうかと思ってたんだけど。四号装備で行っちゃったんだ。まさにそれが欲しかったんだけど」
「フレイムスロアーが、ですか」男は首をかしげた。
「そう、今度の依頼に丁度良さそうだったからさ」
「いったい、どういう依頼ですか」
「ん? 雑草駆除」
「雑草は、駆除するという動詞に似つかわしくない気がします」
「ええ? そこなの、突っ込むところ」

 ロビンは思わずぐるりと両目を回すと、肩をすくめてから「全く相変わらずのポンコツめ」と溜息を突きながら苦笑を漏らした。
 なんどもポンコツ呼ばわりされながらも、男はやはりほとんど感情を見せない茫洋とした顔のまま、ゆっくりと口を開いた。

「私に手伝えることなら、手伝いますが」
「んー、そうだなー、一人じゃきつそうだったし、暇なら頼むよ」
「暇、という言葉がどういった定義付けであるかの議論は、今は止めておきます」そう言って、彼はおもむろに立ち上がった。「さあ、行きましょう」
「よし来た」

 男が隣室で素早く装備を整えて戻ると、ロビンはニコニコ顔で先を急いだ。
 二人は足取りも軽やかに、部屋を出る。
 そうして裏口から石畳の街路に出てからふと、ロビンは首をかしげた。

「ところでさ、下水道にでたんだよね? 四号装備って危なくない?」

 隣を進む長身にそう問いかけると、彼はまるでそれが取るに足らない些細な事であるかのような仕草で頷いた。

「疑い無く。大惨事です」








――――――――――――――――
 摂氏数千度を超える火炎地獄の中を、耐熱防護服に身を包んだ男達が今まさに絶体絶命の佳境を迎えていた。

「ちょッ! 誰だよコイツらが火に弱いとか言ったアホは!」
「弱いじゃん! 現にめちゃくちゃ弱いじゃん!? ちょーこんがりパリパリじゃん!」
「ハァハァ……ハァ、ハァ、閉所で、火炎放射とか、自殺行為じゃね?そうじゃね? 兄者」
「い……今更気づいても、遅くね?遅くね?俺ら絶体絶命じゃね?弟者」

 ただ一人、何の防御機構も装備せずに生存可能なウォーフォージド・サンドロフが、アダマンティン製の身体を白熱させながら、襲い来る塊の怪物に向かってフレイルを叩きつける。ヘドロそっくりの汚水色をした体液を周囲にまき散らして、彼は背後の仲間たちに警告する。
 
「警告。空気中の二酸化炭素濃度が急激に上昇しています。このままの速度で上昇した場合、3分20秒後には有酸素運動が必要な生物は生存に著しく支障をきたします。本機は撤退を推奨します」
「………………」
「おい! ラームが息してねぇぞ!?」
「テファレス(ちくしょう)! 誰かあのアホを止めろ!!」

 あのアホことテリー・マッケンジーは、正面の敵陣に向かってずんずん進みながらフレイムスロアーの炎を景気よくボウボウとまき散らしている。
 確かに敵の被害は右肩上がりで上昇中であるが、それと同時に下水道内の温度もギュンギュン上昇し、おまけに酸素濃度は反比例して急降下中である。

「クソッタレ! こんな事ならオルトヴィンも連れてこりゃよかった! こんな所で連携もクソもあるかッ」
「テリー! 作戦失敗だっつってんだろ! ボケ! 帰って来い!」

 必死に呼びかけるも、残念ながら全く聞こえていない。
 とうとう痺れを切らした隊長が追いすがって彼の肩を掴んだ瞬間、テリーはフレイムスロアーの火力を最大にして灼熱の粘体を盛大にまき散らした。

「ヒャッハァァァー! クリスピィィィィィィ!!」
「ぬわーーーーーーーーーーーーー!!!」
「た、たいちょぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!?」
「テリー! 止めねぇかッ」
「巻き込んでる! 巻き込んでるよ!」
「警告。接敵。三時方向から敵増援」

 警告と共に、サンドロフはたすき掛けにしていたロングボウを取り出して新たな敵影に射撃を開始する。
 弓の弦や矢束を金属製の物に交換していたから良いものの、そうでなければこの異常な温度の支配した空間であっと言う間に使い物にならなくなっていただろう。
 ゾロゾロと悪夢の中から這い出してきた異形の群れを見た瞬間、双子の片割れがチアノーゼを起こしたように真っ青になって腰を抜かす。

「ヒィッ! 東の通路からも来たぞぉ! あ、兄者ぁ!」
「ラーム! ラームしっかりしろ! クソッ、人工呼吸を……」
「馬鹿! 防護服脱いだ途端に焼け死ぬぞっ! サンドロフ、お前が引きずってこいッ、そんなモン仕舞ってついてこい、今更弓なんて焼け石に水だ!」
「イエッサー」
「撤退! 撤退するぞ! テリー! 聞いてんのかッ!」
「ヒャぁ! もう我慢できねぇ! 突撃だぁ!!」
「ッんのドアホが!」
「隊長! 動けますか!?」
「だ、だれか、あのアホを何とかしろ……」
「警告。接敵。九時方向から敵増援。本機は撤退を支持します」

 とうとう進退極まった戦況に、錬金術師サンドラ=サ=スッガと生得魔術師ルードラ=サ=スッガの双子兄弟は悲鳴を上げながら抱きつき合って卒倒寸前となった。

「ぎゃああぁぁ! グロい! グロいよぉ兄者! 俺が今まで見てきた中で一番グロいクリーチャーだよぉ! 四方から襲われるぅ!」
「ヒィィィィィ! 肉屋の臓物が合体して襲ってくる!? あわわわ、ば、爆裂弾、爆裂弾はどこだ弟者!」
「これだ兄者! ついでに王水爆弾とルビージェムテックスも投げよう! やろうぶっ殺してやらぁ!」
「よーしいいぞ! 最高にカオスだ弟者! 兄ちゃんなんかグレーターファイアーボール投げちゃうもんね! せーの!」
「あ、このクソバカ兄弟ッ、何してやが」
――――――――――――――――









 どーん、と、どこかで下腹に響く重低音が響いた。
 それと同時に遥か遠くのビルの影から、天上高くに火柱が上がるのが微かに見える。
 早朝の街路を足早に進んでいた人々は、その異様な光景にざわりざわりと口々に何かを話しながら、それでも立ち止まったのはほんの一瞬。直ぐに目的地へと歩き直したのだった。

「早朝から随分飛ばしてますなぁ、ありゃあ錬金術師通りですよ」
「またか! 錬金術師ってのはこれだから始末におえん。三日に一回は騒動を起こさんと気がすまんのか」
「知ってます? こないだの繊維分解魔法事件って、あそこの錬金術師が原因らしいですよ」
「ああ、あれか。娘が巻き込まれて往生したよ。全く碌なことをせんな。頭のいい奴らのすることはさっぱり理解できん。ま、議事堂のお偉いさん方が揃いも揃って全裸になったのはさすがに笑ったが。にしても意味不明な魔法だったな」
「まあ、天才となんとかは紙一重といいますし」
「奴らのほとんどはそのナントカの方なんだというオチだろう」
「いっそあの陰気臭い混沌の大使館を焼き払ってくれればいいのに。そう思いません?」
「おいおい、滅多なことは言うなよ、まあ、否定はせんがね」
「ハッハッハッハ」
「ワッハッハ」

 出社途中のビジネスマンが馬鹿笑いをしながら二人のそばを通り過ぎていった。
 それとすれ違うようにスーツ姿の若い女性がクスクスと笑いながら街路を進む。
 ロビンとポンコツことオルトヴィンは黙って視線を合わせると、どちらともなく肩を竦めたのだった。

「全員生きて帰ってくる方に10ドラゴン金貨」と、ロビン。
「では、私はテリーが「完全に無傷」な方に10ドラゴン金貨」と、こちらはオルトヴィン。
「賭けになってないよ」
「そもそも成立しませんが」

 ぐるりと目を回し、かつかつと蹄の音を立てながら、ロビンは町の外に向かって歩みを再開する。
 それに並んでオルトヴィンはブーツの音を立てながら、無言で歩幅を調節するのだった。

「あ、仕事終わったら買い物行こうか。冷蔵庫中身空っぽだったよ」
「承知しました、ただ」
「ただ?」
「暫く、肉系は遠慮したいところです」
「…………同感」

 そう呟いて、ロビンは早朝の爽やかな空気と共に、錬金術師通りの方からじわじわ漂ってくる焼肉の匂いに、げんなりと溜息をつくのであった。
 一体何が焼けているのか、考えたくもなかった。
 それから二人はロビンの先導のもとに都市郊外の大規模農場にやって来ていた。
 農場には一面の真っ赤な花が咲き乱れ、陽光を燦々と浴びながら風に揺られている。
 ただそれだけならば華やかな光景なのだろうが、オルトヴィンは思わずといった様子で首を傾げた。

「……ここは牧場だったはずですが」
「そう、で、その牧場主が今回の依頼人」

 真っ赤な花が咲き乱れる元牧草地をかすめるように進むと、その先には二階建ての頑丈そうな家がある。いかにも農家の屋敷といった風情で、大きな家畜小屋とサイロ、家族を養う分を作るだけのこじんまりとした畑がひっついている。
 その木製の扉に設えてあるノッカーを彼女が叩くと、扉を開いて暗い顔つきの40男が顔を出した。
 男は二人を胡散臭げに眺めると「なんだ、あんたら」と不機嫌そうに詰問した。

「何だとは酷いな、依頼を受けてやってきたのに」
「なにっ! 冒険者か!」
「そうだよ」
「さあさあ、早く入ってくれ! 早く! あのクソッタレ共を皆殺しにしてくれ!」

 一瞬にして不機嫌顔を喜色満面にしながら、農場主のバーマンと名乗ったその男は家の中に招き入れた二人に状況を説明した。
 バーマンは身振り手振りを加えながら臨場感たっぷりに色々と説明をしてくれたが、単純に纏めるならばたった一言で済んだ。

「つまり、この赤い花を全部駆除しろってこと」
「なるほど」

 そう言って、二人は小高い丘の上から一面に広がる花畑と化した牧場を眺めた。

「しかし、どうやらただの花ではないようですが」
「まあ、ただの花があんなコトしたら溜まったもんじゃないよな」

 そう言って彼女が指さした先には、干からびて白骨化寸前の牛が点々と花畑の隙間に転がっている。
 牧場主いわく、あの「赤いクソッタレ共」が牛を殺してしまったらしい。
 当然、ただの花にそんな事が出来るはずもなく、依頼を受けた斡旋ギルドではこの異様な花を魔物災害の一種と認定した。

「さぁて……こいつの出番かな……?」

 そう言ってロビンは腰のホルスターから全長1ftほどの短杖(ワンド)を抜き出した。

「それは?」
「えへへ、師匠のところからちょっと借りてきた。今回の依頼にちょうど良さそうだったからさ。それ!」

 彼女がワンドを振ると、飛び出した火球が花の群生地に直撃して爆炎をまき散らした。
 やった、と彼女が小さくガッツポーズをした次の瞬間、今の今まで例の焦点の合っていない両目を中空に向けていたオルトヴィンが目にも留まらぬ素早さで彼女を抱きかかえてその場を飛び退る。
 彼女の小さな唇が抗議の言葉を吐き出すより先に、さっきまで彼女が立っていた場所に数十本の赤い花がその鋭い茎を矢のようにして突き刺していた。
 ぎょっと目を見張る彼女の目の前を、まるで羽虫のように舞い上がった大量の赤い花が、獲物から吸い取った赤い血を滴らせながら飛び回っている。
 彼女が放った一撃に触発されたのか、見渡す限りに続いていた赤い絨毯が次々に空中に舞い上がりはじめた。
 ロビンの顔が引き攣る。

「な、なな、これは」
「ドレッド・ブロッサム・スウォーム(恐るべき花の群体)を確認。対象を危険度AAAランクの異次元災害と認定」
「げ! トリプルエー!? 聞いてない!」
「殲滅します、援護を」
「分かった!」

 グルグルと上空で旋回するドレッド・ブロッサムが狙いを定めたのか、一塊になってその鋭い茎の先端を向けて急降下してくる。
 狙いは前衛のオルトヴィン。
 だが、その攻撃が届く前に彼の準備は完了していた。

「変身ッ!」

 オルトヴィンが特徴的なポージングを決めた途端、彼のベルトのバックルが閃光を放つ。
 その光が消え去った時には、その場には全身と一体化したなめらかな鎧に身を包むオルトヴィンの姿があった。その両手には鈍色に輝くスパイクト・チェインが握られ、周囲には雲霞を纏うが如く刃のついた武器が舞っている。
 襲いかかってきたドレッド・ブロッサムの群れはまず舞い上がった武器の群れに蹴散らされ、それでも抜けてきたものは振り回されたスパイクト・チェインに薙ぎ払われてバラバラに粉砕された。

《説明しよう! アレックス・オルトヴィンはベルトのバックルに仕込まれた高精度物質圧縮装置を起動することにより わずか0.00001秒の瞬時にて戦乱と憤怒の使者レイジ・ウォーカーに変身するのだ!》
「ベルトから師匠の声!? また変なギミックをッ!」
《スパイクト・チェインで敵を討て! ブレードバリアーで身を守れ! すごいぞ僕らのレイジ・ウォーカー! 君もグロリアスで僕と握手! でもリボ○ケインだけは勘弁な!》
「しかも長い! リボルケ○ンてなに!?」
「うおぉぉぉぉおおおぉ!」

 ロビンが引きつった叫び声を上げるのを尻目に、今までの茫洋とした様子からは想像も出来ない怒声を上げてオルトヴィンがスパイクト・チェインを振り回す。
 襲いかかってきた敵の一群を打ち払うと、危機感を抱いたのか見渡す限りに広がる真っ赤な花の絨毯が一斉に飛び上がる。
 空が一分で赤が九分の光景にロビンが引き攣る。

「ちっくしょっ! 燃えろ!」

 振りかざしたロッドから複数の火球が飛び出して炸裂する。
 爆轟波によって数百単位の敵が一斉に燃え上がり粉砕されるが、その穴を埋めるようにざあっと雨のような音を立てて更に敵が飛来する。
 ロビンの脳内で瞬時に撤退と抗戦が天秤にかけられ、その秤が撤退に傾きかけたとき、突然ドレッドブロッサムの一部が同士討ちをし始めた。
 はっと視線をオルトヴィンの方に向けると、相変わらず鎖で敵を打ち払いながら彼は憤怒の雄叫びを上げる。
 その瞬間、地面から吹き上がった炎の壁が敵を分断する。
 レイジ・ウォーカーの特殊能力、《血の狂乱》と《ウォール・オブ・ファイアー》が発動したのだ。
 炎の壁で分断され、隣の味方が突然敵になる。
 飽くなき闘争と戦乱の狂気を象徴するレイジ・ウォーカーにとって、その戦法は常套手段であった。この戦い方に一度嵌ってしまうと、よほど戦闘力に隔絶したものがあるか、もしくは類まれな幸運に恵まれない限り容易に抜け出れない。

「いいぞポンコツ! ヒャッハー! 燃えるんだよぉ!」
「オオオオオォォォ! 闘え! 戦え! 世界の戦がすべからく燃え尽きるまで! 死ぬまで戦え! 死んでも闘え!」

 炎の壁を敵の一群が突破する。
 どうやら団子状に固まって無理やり突破したらしい。
 オルトヴィンを避けてロビンに突っ込もうと飛びかかったが、そうはさせじとオルトヴィンのブレードバリアがそれを阻み、それすら突破した敵は彼が身を呈して弾いた。

「うっわぁ! ポンコツ!」
「闘え!! 戦うのだ! 現世の戦が消え果てる日まで! 闘え! 戦え! 戰え!!」
「うん……大丈夫そうだ」

 猛り狂った《歩く憤怒》と超一級アーティファクトを惜しげも無く振り回すグラシュティグのコンビが振るう、地獄の鬼すら裸足で逃げ出す情け容赦ない攻撃の前に、とうとうドレッド・ブロッサムはその最後の一匹に至るまで狩り殺されるのにそう時間はかからなかった。



■■■



「おお…………」

 燃えていた。
 彼がその半生をかけて築き上げた、彼の全てが燃えていた。
 というか、燃やされた。

「……………………殲滅……完了」
「……………………ごめーんね☆彡」

 燃え上がる牧草地帯と厩舎、納屋、穀物庫を前に、変身を解いたオルトヴィンがボソリと、冷や汗をかいたロビンが「てへぺろ(・ω<)」とかなり無理のある誤魔化し方をしたが、地面に崩れ落ちて男泣きをするバーマンは見てすらいない。
 メラメラと全てを灰燼に帰す炎を背に、やけに冷たい風が三人の間を吹きすさんだ。
 景気良く燃え盛るオレンジ色の炎をぼうっと眺めながら、オルトヴィンが口を開く。

「争いは……いつも虚しさだけが残る……」
「えっ」

 本日のお前が言うなである。
 それを突っ込むより早く、憤怒の形相で立ち上がったバーマンがオルトヴィンに掴みかかる。

「どうしてくれる……ッ! どうしてくれるんだあんたら! 私の財産が! 私の人生が! どうしてくれる、どうしてくれるんだよ! ええ!」
「私は、衛生局の役人です、汚物を処理しただけなので、周辺被害は別窓口へどうぞ」
「シュナウクァ(クソがッ)! じゃあお前! そこの魔法使い! お前冒険者だろ! ギルドに連絡するからな! 覚えておけこのアバズレが!」
「ちょちょ! ちょっと! ボクはそもそもあんな危険な異次元生物が巣食ってるなんて依頼で聞いてないし! ボクのせいじゃない! あんなのがいるって知ってたらもっとスマートに殺せる方法を準備してきたって!」
「うるさいうるさいうるさい! 畜生! 光輝神の心臓にかけて! 貴様ら覚えておけよ!」

 怒り心頭といった様子の依頼人は、頭から湯気が吹き出そうなほどカンカンになって二人に背を向けると、そのまま唯一無事だった家屋の中に引っ込んでいった。
 しばらく呆然とその閉じた扉を見つめていたロビンであったが、やがて肩を落としてとぼとぼと帰路につく。
 そのまま双方無言で都市の門扉近くまでやってきて、ロビンは深くため息を付いた。

「あーどうしよう、ギルドになんて言ったらいいかな」
「言い訳を考える、必要はないでしょう」
「え? なんで」
「そんな余裕は、吹っ飛びそうです」
「は?――――――げ」

 オルトヴィンの指さした先には、ニコニコと笑顔を浮かべる絶世の美女が立っていた。その姿を見て、ロビンの顔色から血の気が引く。
 連邦アカデミー教員服の上から白衣を羽織ったハーフエルフの美女は、如何にも上機嫌といった風情で此方に歩み寄ってくる。
 が、その内心では怒りの炎がマグマのように煮えたぎっているのが手に取るように分かった。

「し、ししょぉ……何故ここに」
「ああ、何処かの馬鹿が私の宝物庫から《炎の杖》を勝手に持ちだしたから回収に来たんだよ。心当たりがあるだろう?」
「は……はい、こ、ここに……」

 ブルブルと震えながら差し出されたロッドを手にとって矯めつ眇めつして、小さく溜め息をつく。

「なるほど、確かに。正直に返したのいい心がけだ。うちに来て妹をファックしていいぞ」

 その言葉の直後に間髪入れず、渾身のレバーブローがロビンを直撃する。

「この半端者のクソッタレが! あの程度の折檻じゃ足らなかったか? 帰ったら修行の続きだ! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」

 呻き声も上げずに崩れ落ちたロビンの後頭部を踏みつけて、容赦無く罵倒するその姿、まさに外道。
 道行く人々はなんだなんだと視線を向けるが、白衣姿のハーフエルフを見るなり触らぬ神に祟りなしとばかりにコソコソとその場を逃げさって行った。

「うぅぅ……」
「立て! それとも半分山羊だから道端の雑草でも食いたくなったか? 立てッ! 道草食ってる暇があったら今すぐ私の研究室に行って目録の続きを作れ! わかったか!」
「は、はぅ……あ……」
「返事!」
「は、はいぃ!」

 ボロクソになじられ涙目になりながらロビンが走り去ると、後に残った美女は大きなため息をついてジロリと傍らのオルトヴィンを睨みつけた。

「おい、あんまりあいつを甘やかすなよアレックス。あの気まぐれなグラシュティグをあそこまで持って行くのにどれだけ大変だったか、お前考えたことあるのか?」
「…………鞭ばかりで、人は育たない」
「ふん……飴はやってるさ、前払いでタップリとな」

 そう言って彼女は耳元のピアスを少しいじった。
 二人の周囲を盗聴防止の力場が包む。
 物問いたげなオルトヴィンの視線に彼女は険しい顔つきで「クトゥーチク猊下が暗殺された」と呟いた。

「――まさか」
「私も、本当に死んだのか疑問だ、顕界派は死体も残らないほどの火力を叩きつけたと言っていたが……。さて、あの化け物を相手にそれだけやれる戦力が奴らにあったものか……?」
「この世にあり得ぬことなど何もない、世界とは無限の可能性が織り成すタペストリであり、我らはその糸の一本を見ているだけにすぎない。糸を見てタペストリの絵を見たと放言することこそ傲慢の誹りを受けねばならぬ」
「無名司教至言集か……。なあ、アレックス、私たちは確かに世界を構成する糸の一つだろうよ、だけど、かなり重要な糸だって自負は、コレは自惚れかな?」
「……あの司教なら、笑ってこう言うだろう、「自覚無くして覚醒なし。覚醒なくして大成なし」と」
「ふん……ほんと、いけ好かないイカ野郎め」

 苛立ちを隠そうともせず、彼女は連邦首都の摩天楼を仰ぎ見た。

「さて……凸凹コンビは予言通りに薫さんを見つけられるのかねぇ」
「司教の予言が、外れたことはない」
「さて、だからこそ腹が立つんだけど」
「?」

 首を傾げる彼の横で、彼女は眉を顰めた。

「だったら、自分の死期ぐらい伝えて逝けってんだ」
「予言なんて、そんなものだ」
「それもそうか……全部分かったら何も面白い事なんてなくなるもんな」

 そう言ってカラカラと、気持ちのいい笑い声を中天に登った太陽が見下ろす。
 時に、1845年11月。
 すべての役者が揃うまで、あと一ヶ月…………。














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以前書いた短編の加筆修正版です。


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