冷たい鉛と電線の詰まったゴムコード。ついでに今にも掻き消えそうな光と、圧倒的な闇
それがこの空間を構築する、絶対の物だった
何時如何なる時も鉄錆びの匂いが漂い、硬質な雰囲気が人の心を圧迫する
だと言うのに憎らしいのは、硬質な雰囲気とは裏腹に、この空間が広い事だ
一辺四十メートルの正方形。嫌みったらしく高さまできっちりと測られた空間は、どうにも人間味のないキューブを思わせる
総評するに、どうしようもなく不快な空間
それがこの“南ジェネガン基地”の三分の一を占める、巨大格納庫だった
ブウゥゥン
薄暗い格納庫に虫の羽が震えるような音が響き、備え付けのPCの内一機に光がともる
簡素な机の上に置かれたそれは酷く大きく、既に時代遅れの代物とも言ってよい。何せ起動させるだけで三分もかかるのだ。今の最新型ならばその六分の一で事足りる
だと言うのにその古めかしいPCが置かれているのは、一重に持ち主のこだわりだった
ブウゥゥン
さらに鳴る駆動音。ただの光の塊だったPC画面上のそれは、今や0と1の羅列になり、高速で右から左へと流れていく
数字のマトリクスだ。ただそこに在るだけでそれは、威圧するような光を放っていた
不意に、ピイイと言う甲高い電子音が鳴り、マトリクスの移動が目に見えて早くなる
すれ違うように、重なり合うように、或いは競うように、そのマトリクスは動いた
ブウゥゥン
唐突に駆動音が増えた。マトリクスを処理し続ける横で、また別のPCが起動したのだ。PCは先の物に習うかのように、こちらも0と1を羅列させ始める
異変はそこだけでは収まらない。円を描くように周りに広がり、終いには格納庫内の全PC、計百三十四台全てを起動させてしまう
ほんの五分前まで静寂を保っていた筈の格納庫は、あっと言う間に電子音の大合唱となった
それぞれが勝手気ままに喚き散らし、0と1を踊らせる
その異様な光景が二十分程続いたとき、漸く一台のPCがその動きを止めた
百三十四台の中で一番初めに起動した、あの古めかしいPCである
PCは熱を帯びていた。それこそ、異様と言える程の熱量を
バチバチと表面に電流が走り、それが逃げ場を求め、繋がれていたゴムコードに殺到する
ゴムコードの先には、跪いた格好で座る鋼の巨人が居た
全長およそ八メートル。人間と比べれば十分大きいが、この高さ四十メートルの格納庫の中で見ると、それでもちっぽけに見える
接地面を大きくするための、無骨なまでに巨大な脚部
間接部を守りながら、それでも動きを阻害せぬようと思案されたブレッドストッパー
砲弾の直撃、若しくは衝撃を和らげる為であろう丸みを帯びた胸部。背中には短いながらもバーニアが取り付けられ、高速の起動を求めた物であると知れる
そして鋭角的な、一見バイザーを掛けているかのような滑らかな頭部
決して美しい物ではない。新品なのか機体表面には傷も汚れも付いていないが、全体的に鈍色で、外見に気を使ったようには見えない
それは、明らかな量産品だった
だが、量産品だからと如何ほどの物があろうか
なんと言われようと見れば解る。これは兵器だ、兵器なのだ
「兵器に美しさなど必要な物か。そんな物、ドブに捨ててしまえ」これが古めかしいPCの持ち主の格言だった
ゴムコードを駆け巡る電流はその流れを伝い、巨人のバーニア付近に繋がれているコネクト部にまで達する
その青白い光は、例えるならば雪崩が逆に駆け上っていくような、そんな形容が相応しい光
そしてその「雪崩」を受けた巨人のバイザーに、やはり青白い光がともった
熱を持ち、悲鳴を上げていたPCの画面に、一行だけの文字が浮かぶ
ご丁寧に、・・・・これも持ち主のこだわりだろうか。英数字ではなく、ひらがなで
『しすてむえらーなし。たいぷしゅとぅるむ、おーる・ぐりーん』
それを機に、格納庫で騒ぎ立てていたPC達は、ぱたりと動きを止めた
ロボットになった男 第一話 「彼は御厨。そしてシュトゥルム」
「御厨翔太」。解るかな?「みくりやしょうた」って読むのさ
今年で二十二歳の社会人。でもってフリーター。バイトの後輩達に「ボス」って親しまれてる彼女なしの寂しい男だよ
趣味はゲーム。プラモデルや人形なんかには興味ないね。誰が何と言ってもゲーム
僕は中学の頃からゲーム、それも戦略シュミレーションやロボットゲームが好きでね、それはよく遊んだ物さ
子供っぽい幻想を抱いた事もある。ほら、「ガン○ムのパイロットになりたい」とかね
まぁ、ある一点から見れば、僕の馬鹿馬鹿しい願いは現実となったんだ。有り得ないと思うだろう?僕だって理屈なんか知らない。けど、実際の事さ
しかし何と言うか・・・・・僕がなりたかったのは「パイロット」なんだ
決して、決して、「ロボット」になりたかった訳じゃないんだよ・・・・・・・・・・・・
(・・・・・・これは一体・・・・・・・・)
ピクリとも動かない視界に溜息し、青年・・・・・“だった”ロボット、御厨は息を詰まらせた
勿論ロボットが息を詰まらせる筈がない。これは御厨の心的状況な訳で、外界に一部の干渉も起こる物ではない
御厨の視界はすこぶる明るい
時は朝になり、人の活動が始まり、快適に生活する為に開発された電灯が点る
確かに今は朝だが、ハッチの開いていないこの格納庫は灯をともさねば薄暗いのだ
御厨が見つめる硬質な床の上では、統一されたツナギを着る工兵と思しき者達が、所狭しと駆け回っていた
「おーい!そっちはどうだぁ?!」
「駄目だ!ダメダメ!表面的にはしっかりしてるが、プログラムの中身はぼろぼろだ!」
「あぁもう畜生!一体どうなってんだここのPCどもは!」
どうやら深刻な状況下にあるらしく、それをフォローする為に走り回っている、と言うのは、御厨にも理解できた
だが御厨にとっての問題はそんな他人の事ではないのだ
それ即ち、一ミリとて動かぬ体と、視界下方に映る己の膝と思わしき鉄の塊
自分の体を見る事ができなくとも感覚で解る。理解できる。自分は、巨大なロボットになっていると
御厨は不快だった。何もかもが可笑しい。己にすら違和感がある
酸素を取り込まずとも苦しくないし、体の中に熱を感じない。在るのはオイルが駆け巡る、ヌメリとした嫌らしい感触
言い表すのならば、意識だけが狭い部屋に閉じ込められ、そこで巨大なプロジェクターを見せられているような感じだ
だがオイルの感触はある。各関節に巡り、頭部と背部の機能中枢を動き回っている
僅かながらに体の、鉄の巨体の感覚もある。そんな違和感の全てが、御厨は不快だった
見えはする。聞こえもする。だが感触は中途半端。嗅覚は無く、味覚など考えるだけ無駄だろう
だが暫くするとその感覚にも慣れてきた
変に己を保とうとせず、身を委ねる感覚だ。それで不快感は随分と軽減された
どこかぼんやりとした感じだった
突然の事態に慣れると、御厨はこれは夢ではないかと考える
だってそうだろう。自分がいきなりロボットになっていたら、誰だってそう思うだろう
御厨は俗に言うマニアだったが、常人の感性は持ち合わせていたと言う事だ
どうしても今の状況に陥って、涙を流して喜ぶ気にはなれなかった
(ここはどこだ。僕は何をしている。彼らは何者だ。僕は・・・・・)
自分の体が肉で出来ていたのなら、見る影も無い青褪めた顔で冷や汗を流しているだろう
目は虚ろで焦点が定まらず、漏れ出る呼気は狂人のもので・・・・・・・。きっとそんな感じだ
(僕は・・・・・・・・・・・何なんだ)
段々と冷え切り、色を失う思考の中で御厨は呻きを上げる
今までの自分を根底から覆された。それが彼だ
慣れ親しんだ肉の寄り代はなく、代わりに己が在るのは鋼鉄の巨人。その中
自分が自分でないなど、そんな生易しい物ではない
己が一瞬にして激変する、これは筆舌など既に何の意味もない、そんな領域の物なのだ
だがしかし、幾ら慌てようとも、順応性が高いのが人間の特徴だ。御厨翔太と言う人間の場合は、それが特に目立つ
自失呆然となりはしても、三十分も慌てふためけば、その焦りは消え去っていった
(落ち着け、落ち着け、落ち着け・・・・・。僕は御厨翔太だ。そうだろ?)
そうだ焦るな。御厨翔太は大のロボット好きで、こういう状況は寧ろ屁でもない筈だ
御厨は頭の中でそう唱え、必死に自分自身を説得――それが余りに奇妙な理屈であったとしても――する
翔太は元々、思い込みの激しい部分がある
それは美徳では無いが、悪徳でもあるまい。事実こうして役立っているのだから、御厨にしてみれば僥倖だ。御厨は冷静な思考能力を取り戻しつつあった
しかしそんな御厨の心を、この状況はまたもや打ち砕く
(ひぃっ!)
「お、よーし!繋がったぞ!基本プログラムは生きてらぁ!」
御厨は思わず悲鳴上げた。勿論彼の体に声帯など無く、その悲鳴を聞きとめる者など居ない
御厨とて誰かに聞いて貰いたくて悲鳴を上げた訳ではない。自分の身に起こった変化に戸惑ったのだ
(な、なんなんだ・・・・・?これ・・・・・・・体が・・・・・?)
御厨の閉じられた感覚が開いていくようだった
巨人の体内のあちこちが回転を始める様は、筋肉が脈動する感覚に似ていた
巨人の体内のあちこちが熱を持ちだす様は、意識が覚醒する感覚に似ていた
動けはしない。動けはしないが、己が己を取り戻していくのが解る
頭のてっぺんから爪先まで、そのすみずみまで『自分』と言う意識が支配していくのが解るのだ
こんなのは、肉の身体であった頃でさえ無かった。こんな、こんな、己を完全に屈服させるような感覚は
突然の変化は確かに驚くべき物であったが、不快な物では無いと、御厨はそう考える
だが、それもここまで
巨人の体躯が意思を外れて動きだした時、御厨は心底恐怖した
(うわ!うわあ!体が!う、動いて・・・?)
動いた。どれほど動かそうとしてもウンともスンとも言わなかった巨人の体躯が、勝手に動いた
膝が浮き上がり、中途半端に乗っかっていた腕が下ろされる。これらの挙動は全て、言うまでもなく御厨の意思ではない
必死になって状況を知ろうと、御厨は動かぬ視界の中で視線を巡らせる
ふと、動かないと思っていた視界が動いた
それは肉の体であった時とは違い、焦点が動くのではなく、視界そのものが四角いフレームを保って動く。そんな感じだったが
外から見れば巨人のバイザーの奥で動くズームレンズが見えただろう
しかし全員が全員忙しなく動く今この時に、その事に気付いた者は居なかった
御厨は一人の男を捉える
大体五十を過ぎ、六十に達しようかと言う歳の男だ
彫りの深い顔立ちに、太い眉がよく似合う。刈上げられた髪の毛が嫌に男臭い
彼がこの場の責任者であろうことは、その雰囲気から一目で解った
「ボトル主任!どうっすか!」
視界の外から、その男に向かって大音響の呼び声がかけられた
周りの雑音に負けぬようにするためか、それは不必要なまでに大きい。御厨が心中で眉を顰める程だから、どれほどの大きさか伺える
対する男・・・・・ボトルは、古めかしいPCに何か打ち込みながら、こちらも負けぬ程の怒号を返した
「五月蝿え!こっちは問題無しだ!今立たせる!」
次の瞬間、御厨の視界は急激に高まった
(うわ!あああ?!た、高ぁ?!)
視界が高い。先程までも見下ろしていると言う感はあったが、これが八メートルの高さとなるとまた違う
凄い、と御厨は素直にそう感じた
像や鳥は、何時もこんな視点で地上を見下ろしているのか
現実逃避に近かったが、御厨はその一瞬だけ、己の置かれた状況を忘れた
ハッと気付くと、目の前でボトルが腕を組んで佇んでいる
周りが忙しく走り回る中、責任者である彼は最も忙しいであろうに、それでもボトルはじっと御厨の・・・・・・・・巨人のバイザーを見つめていた
じっと見つめる。じっとじっと見つめる。腕を組み、硬い表情で
それは何かに喜び、また何かを嘆いているようでもあった
御厨が思考内に?マークを浮かべる中、ボトルは目を瞑り、ついで薄く微笑む
「良いぜ!嬢ちゃん!入ってきな!」
その言葉を待っていたかのように、ボトルの背後にある格納庫の入り口が開いた
プシュー、と、間の抜けた圧縮空気の抜ける音がし、鮮烈な紅が姿を現す
それは髪だ。肩口までのセミロングで、系色灯を受けている訳でもなかろうに、言い表せない程の美しい紅
入り口を開いたのは、女性軍服を着込んだ、まだ二十に届かぬであろう少女だった
「良い仕上がりだぜ。トゥエバ軍標準配備の量産機、『シュトゥルム』。量産機と銘打っちゃぁいるが、仕学でたばかりのヒヨッコにゃ、勿体無い機体だ」
ボトルの遠慮の無い言葉に、紅の少女は視線を上げる
その瞳は恍惚としていて、思わず目のあった御厨は、例え紅の少女がそんな積もりではないと解っていても、心落ち着いては居られなくなる
紅の少女は、潤んだ瞳のまま誰とは無しに呟いた
「これが・・・・・・・・・あたしの・・・・・機体・・・・・・・・」
(いや、あたしの気体って・・・・・・・・・・・へ?)
・・・・・・・・・・・・・・御厨翔太の受難は続く