第七十六話【研究】
「何ですって!? ルイズがいない……?」
開口一番、エレオノールは声を荒げた。
わざわざ出向いてきたというのに、目的である宝石……じゃなかった肝心要のルイズがまだ学院に戻っていないというのだ。
「はい、間違いないかと。誰もミス・ヴァリエール二年生を見ておりませんし、そもそもご家族からの面会及び急用ということで謹慎処分中の外出という異例状態だったのですから、もしお戻りでしたら一度この学院の窓口へおいでになっているはずです。ですがミス・ヴァリエール二年生はまだあの日から一度もここに見えておりません」
学院の窓口担当の職員は理路整然としてのほほんと説明する。
ルイズがいないということで目的を遂げられないと知ったエレオノールは苛立った。
のほほんと説明する窓口職員にも八つ当たりじみた怒りを覚えるし、この場にいない“宝石の為の生け贄”にも腹を立てた。
結局エレオノールはひとしきりのほほんとした窓口職員に苛立ちをぶつけると、万一ルイズが来た時の伝言を頼みその場を後にした。
エレオノールは学院の廊下を腕を組みながら歩き、難しい顔をする。
今日はこのあとどうしようか。
ルイズが居ないのであればこのまま帰ってもあまり意味がないし、そもそも夜の帳も落ちているので徹夜作業になる。
かといって最寄りにホテルなどあるわけもない。
「あ、そうだ」
エレオノールは、非常手段として学院に用意されている妹の部屋に向かうことにした。
この際、本人は居ないのだし姉妹なのだからルイズの部屋に泊まらせてもらって明日の昼くらいまでは様子を見よう。
父から依頼されたことでもあるし、宝石の為にもルイズのことはしっかりとしてやりたい。
無論、姉という立場から今の状態がベストで無いと思っているからでもある。
「全く、いくつになっても手のかかる子ね」
こんな状態を引き起こした愚妹を思って溜息を吐きながら、前もって調べてあったルイズの部屋の前までエレオノールが来た時……それは起こった。
ブォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!
「きゃっ!?」
エレオノールは自分を抱きしめるようにしてその場にしゃがみ込んだ。
突然の爆音に驚き身が竦んでしまった為である。
「な、何なの!?」
どこか学院すら揺るがせているかのような錯覚が起きるほどに力強いその音は、王立魔法研究所に勤めている彼女ですら聞いたことも無い音だった。
だが、それが“研究者”たる彼女を突き動かした。
彼女は自分に知らない、わからない、ということがあると“解き明かしたくなる”という典型的な研究家気質の持ち主だった。
一瞬の恐怖が通り過ぎると、ムクムクと研究者としてのエレオノールが目覚めて来た。
「ふ、ふふふ……今の、なんだったのかしら? 非常に興味深いわ」
エレオノールは立ち上がると、音のした方へと向かいだした。
***
「………………」
エレオノールが廊下を歩いて行くのを見つめる瞳が一対。
食い入るようにエレオノールを見つめていたが、やがて角を曲がってエレオノールが見えなくなると,
「……はぁ」
ようやく、というように廊下からずっとのぞき見ていた瞳の主が息を吐いた。
その瞳の主は、一ヶ月ほど前に急に全身に痛みを感じて最近まで療養に努めていたところだった。
その突如現れだした痛みは、浮き上がるような傷の具合や痛み方から、方法はわからずとも原因はおおよそ理解していた。
だから、その原因に復讐心を滾らせることで日々を過ごしていた……のだが。
「あの女性……何て美しいんだ、このヴィリエ・ド・ロレーヌ、あそこまでの美貌の持ち主はこれまで見たことがない……!! くそ、この体がもう少し楽に動けば……!!」
突如現れた“美女”に目を奪われたヴィリエは、未だ傷み自由にならない体に苛立った。
今自由に動ければ彼女を意のままに出来ると、何故か根拠の無い自身が彼の中に芽生えていた。
その為、ままならない今の自分の現状を思い、さらに“彼女”への復讐心を募らせた。
***
音源はすぐに見つかった。
大きな音だったが、遠いわけでは無し、あれほどの音を出してそれを隠し通せるわけでも無い。
さらには音を出した本人に隠す気が無かったのだから、すぐに音源に辿り着くのは自明の理だった。
それは外に出て、手入れされた原っぱが広がる広場の離れに建ててある一件家のようなものの近くにあった。
「おや? どうかされましたかな? 関係者以外は学院内の行動は自粛するようお願いしているはずなのですが」
そこには、音源らしき大きな“鉄の竜”と頭頂部が寂しい学院の教諭と思わしき人物がいた。
「これは……何なの?」
エレオノールは先の教諭の言葉など聞かなかった事にして質問し始めた。
これが何だかわからない。
何がどういう仕組みになっているのか検討というものがつかない。
そもそもこの“鉄の竜”からはさして魔法媒体が感じられない。
「おや? これが気になるのですか? 私も全てを知っているわけでは無いのですがね、凄いものですよこの“ぜろせん”と呼ばれる乗り物の技術は。ところで貴方は何故ここに?」
「ぜろせん……?」
研究者としてのエレオノールが、この正体不明の名前だけを言葉の中から切り取り記憶する。
またも他の言葉は聞いていなかった。
エレオノールは頭の中で記憶を遡らせる。
“ぜろせん”という記述があった学術書は無かったか、魔法理論書は? それとも技術書?
他にも倫理書から社会歴史書まで、今までに読んだ事のあるあらゆる本……かつて婚約した伯爵の為に覚えようと努力した料理本の内容に至るまでも思考を巡らせ、脳内検索に引っかからないことを確かめた。
久しぶりに、唐突な……それも特上の“わからない”に巡り会った。
エレオノールの胸中が子供が遠足に行く時のようにワクワクとしてきた。
「さっきの大きい音は何!? どうやってやったの!? その意味は!?」
「音……? ああそれでここに来られたのですな? そういえば“サイレント”をかけ忘れていましたな。これは生徒の皆さんにも迷惑をかけてしまったかもしれませんな」
教諭は自らの不手際を知ったのか、話の聞かない目の前の女性と同じように、相手の言葉の端だけを頭に入れて考え込む。
「それで!? この“ぜろせん”というのは一体なんなの!?」
「ふぅむ、考え事を始めると周りが見えなくなってしまいますなぁ、気をつけませんと。あ、そうそう今日は分解組み直しをもう一度やるつもりなのですから工具類も必要になりますなぁ」
だが、これみよがしに疑問が溢れ尋ねるエレオノールに対して、先程とは真逆に今度は自分の世界に入ってしまった教諭は答えようともしない。
いや、あれは聞こえていないのだ。
研究家気質の強い者はその集中力故に周りが見えず関係ない話は聞こえなくなったりするものである。
この教諭もまたそうなのであろうし、最初のエレオノールを見るに彼女もそうなのであろう。
この二人、案外似ているのかもしれない。
だが、こういう場合、一方はよくてももう一方は大変宜しくない。
シカトされていると同義の状態を看過し続けられるほど、心の広い人間はそういない。
先程、一切の質問の答えを返さなかったエレオノールに対して教諭がやや不満を感じていたのと同じく、今質問に一切答えない教諭に、エレオノールは業を煮やしていた。
「ちょっと!? 聞きなさい……よ? きゃぅ!?」
そうなったエレオノールが相手に飛びかかるのは時間の問題で、事実今我慢できずに教諭に飛びかかったのだが、教諭はエレオノールの腕を掴むと彼女の足を払いのけ、やや伸びた草地に組み伏せてしまった。
あっという間の出来事。
エレオノールにはこの瞬間なにも為す術が無かった。
「っと!? しまった、つい無意識にやってしまった!? 失礼、大丈夫ですかなお嬢さん?」
自身が何をしたのか気付いたのか、教諭は慌てて謝罪をしながらエレオノールを起こし始める。
その時、偶々触れた彼の体に、エレオノールはまた驚いた。
彼女は魔法研究が主だが、その為にとあらゆる知識と経験を取り込むことを厭わない。
その知識と経験から、今の教諭の体に触れてわかったことがあった。
それは……恐ろしく鍛え上げられているという事。
胸板は鉄板のように厚く硬い。
先程の身のこなしも一朝一夕で身に付くものではない。
エレオノールは始めて、その教諭の顔を見た。
先程までは丁の良い説明者、学院の教諭……程度にしか“思っていなかった”相手を始めてそこにいる“人間”として意識した。
そうして思ったことは……、
「……ハゲてる」
「こ、これはハゲではありません!!」
頭頂部のあまりの寂しさだった。
教諭は突然の暴言にすぐ否定を入れた。
違うのだ、これはハゲじゃないのだ。
そう説明しようと気合い高々に口を開いたが、すぐにそれはエレオノールの言葉に塞がれた。
「わかっていますわ、貴方の髪は局部的に生えていない。オマケにそれは毛根の死滅と著しい疲労が垣間見れます。貴方、一体“何を”してそうなったのですか?」
エレオノールの探るような目に、教諭は驚いた。
始めてハゲじゃないと否定して信じてもらえたから……ではない。
いや、それもあるにはあるのだが、彼女のそれを見抜く洞察眼……知識に驚かされた。
今までこれがただのハゲでないと気付いたのは学院長くらいのものだったのだが。
「貴方は、一体……?」
教諭が、やや猜疑心に満ちた目でエレオノールを見つめる。
「申し遅れました、私はエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します」
「ラ・ヴァリエール……? では二年生のミス・ヴァリエールの……」
「姉ですわ」
反対の肘を持ち合うようにしてエレオノールは腕を組み、優雅に自己紹介をする。
「そうですか、これは重ねて失礼をしました。私はこの学院で“火”の担当教師をやっていますジャン・コルベールという者です」
お互いにようやくとちゃんとした意味で相手を認識し、自己紹介を交わし合った。
研究家気質が強い物同士は割と自己紹介を交わすのがままならない程の変人と取られることもあり、これは意外に珍しいことでもあった。
「私は王立魔法研究所に勤めていますけど、このようなものは見たことが無いわ、これは一体どういったものですの?」
早速と、語る事はこれ以外無いとばかりにエレオノールは質問をする。
「王立、魔法研究所……? あ、いやこれは……」
王立、と聞いてコルベールは迷った。
話しても良いものか。
話して万一これを徴収などされたらその利用先は恐らく……それはこれの本当の持ち主や自分の望むところではない。
だが、そんな機微を感じ取ったのかエレオノールは口端を吊り上げ、
「先程はそういえば、か弱い私を地面に組み伏せて下さいましたわね、ああ、お父様が知ったらなんと思われることでしょう?」
ギクリとする。
つい思考に没頭するあまり周りを忘れて向かってきた敵意に体が勝手に反応してしまったのだ。
相手は公爵家の娘である。
出来れば事は荒立てたくはない。
「……これの持ち主は私では無いのです。手出し無用という約束をして頂けるのであれば、ご説明致しましょう」
「もちろん」
ニッコリと笑うエレオノールに、一本取られたという表情で苦笑しながらコルベールは「外ではなんですので」と自身の研究室に彼女を案内した。
エレオノールはまだ知らない不思議を知るためにワクワクしていた。
コルベールも自身の失態に少々気を落としていて、注意力が散漫だった。
その為気付かなかった。
夜闇に隠れて、静かな焔を灯した瞳で一部始終を見ていた碧い少女が居たことを。
後に、それが波乱を招くことになる。