<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[14118] 『マブラヴ デターミネーション』(Muv-Luv Determination) 【Muv-Luv 4th story】
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/12/27 10:50
 今回『マブラヴ デターミネーション』(Muv-Luv Determination)を投稿させて頂きましたBeggiatoaです.


 SS小説のルールとして、どのような設定のお話であるかを最初に説明しておくことがよいそうなので、簡単にまとめさせて頂きます。

 世界観・時間軸はマブラヴオルタネイティヴの後、3週目の世界。

 オリジナルキャラクターは無し、目指すものはBETAの打倒。そして、武とヒロイン達の決着。

 以上が設定のお話になりますので、以下の駄文は読み飛ばして本編の方に入ってもらって結構です。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










 こちらに一応作者の希望、動機などを。


 『Muv-luv Determination』は

 『Extra』
 
 『Unlimited』

 『Alternative』

 の後に繋がる物語として、考えたものです。


 マブラヴSSの世界には優れた作品が多く、作者も楽しくそれらの作品を読ませていただきました。

 マブラヴオルタネイティヴ発売後3年半の時が経った現在でも、今も新しいSSが多くの方によって書かれています。

 なぜこれほどまでに、マブラヴは愛され、SSが書かれるのか。


 マブラヴは素晴らしい「あいとゆうきのおとぎばなし」で、完結した作品です。

 ですが、多くの方があのストーリー、そしてエンディングに葛藤を抱えているのも確かだと思います。

 今も多くのSSが描き続けられる理由がその葛藤にあるのではないかと私は推測しました。


 そして私の思いも同じ。最良のエンディングを武達に迎させてやりたい。その思いで筆をとりました。

 拙い文章ですが、マブラヴに対する思いというものは誰にも負けていないつもりです。

 それでは『Muv-Luv Determination』の世界をお楽しみください。 



[14118] 第一章 each determination  第一話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:abdda045
Date: 2010/11/18 01:09
視界を覆い、網膜に焼きつけられるパラポジトロニウム光…。

 目の前の夕呼先生と霞の姿が色を失い、色褪せた古い写真のように徐々にフェードアウトしていく。




 神宮寺まりもを失い、A-01の先任たちを失い、共に学び、共に戦った元207衛士訓練部隊の面々―御剣冥夜、榊千鶴、珠瀬壬姫、彩峰慧、鎧衣美琴―を失った。そして00ユニット…いや生体反応ゼロ、生命的根拠ゼロの存在だとしても彼女は彼女だ…鑑純夏をも同じ世界で二度も失ってしまった。

 そこから勝ち得たものは桜花作戦の成功―オリジナルハイブの攻略と上位存在であるあ号標的の破壊。

 そして…ループするもの―白銀武の因果導体からの解放。

 白銀武は…元の世界に帰ることができるのだ。




 もうほとんど色を失った霞が泣いている。

 おい、霞、泣くな。

 世界は再構成される。オレだけじゃなく霞だって、この世界よりよっぽど平和な世界に行けるんだぜ。

 人の心は読めなくなっちゃうけど大丈夫か?でも人として持たざる能力―リーディングやプロジェクション能力―を持つことで思い悩むことなんてなくなるし、新しい世界で霞が欲しがってた「思い出」だって好きなだけ作ることができるんだ。

 この世界のみんなの思いはリセットされるけれど…、その思いはオレが持っていく。

 リセット…。リセット…。

 因果によって生まれた世界。けれどこの世界のみんなは…確かに生きていた。

 この因果の世界の人たちは…絶望的な状況にも必死で抗ってた。

 やり方はそれぞれ違っていたかもしれない。でもみんな、未来を掴もうと…必死に闘ってたんだ。

 そんな人達の思いを…リセットする?

 なんだよそれ。

 「世界」ってのは消えたり生まれたり、そんな軽いもんなのか?

 ああ、ダメだ…。

 もう思考が止まる。膨大な光につつまれていく。


 そして白銀武は…この世界―オルタネイティブな世界から、消失した。

 







 武が最初に感じたのは強烈な痛みだった。
 
 頭が痛い。
 
 いや頭というよりはその中に内包する臓器―脳が痛みと熱を持っている。
 
 まるで、大脳皮質に注射器の針が刺しこまれ、液体が投入された後、脳がグチャグチャとおたまで掻き雑ぜられているようだ。

 
 しかもゆっくりと加熱されながら。

 当然…痛みは止まらない。
 
 武は絶叫し、もう一度意識を失った。









 瞼を開くと、そこには見慣れた風景が広がっていた。部屋の壁にはくたびれた白陵柊学園の男子制服。枕元には愛用の携帯ゲーム機―ゲームガイ―が真っ黒な画面をこちらに向けている。間違いない。白銀武は数ヶ月ぶりに自分の部屋に帰って来たのだ。

 幸いにも脳の痛みと熱は消えているようだ。身体を持ち上げ、ベッドから立ち上がる。身体自体に痛みは感じない。
 
 だが、ふと自分の掌に気持ち悪さを感じた。ベッドのシーツを触ると、まるで突然の夕立ちを受けた洗濯物のようにぐっしょりと濡れている。慌てて自分の服を触ると同様の現象が起きていた。

「相当うなされていたみたいだな」

 武は呟きながら、不快感を煽る汗まみれの自分の服を脱ぐ。確かにあの脳の痛みは強烈だった。おそらくこの世界に戻ってきた直後に、過去2回分のループの記憶が脳に流入してきたのだろう。

 そういえば今日はいつ、何月何日なんだ?冥夜と床を共にしていないところを見ると、彼女がやってきた日、2001年10月22日以前なのは間違いない。ただ窓を見ると、日は高く上がっており、少なくともお昼はとうにこえていることがわかる。
 
(おかしい。なぜ、なぜ、幼馴染である鑑純夏はオレを起こしにきていない)

(そもそも脳の痛みで、あれだけの絶叫をしたのだ。家族の誰かだって気づくはずだ。それなのに…そもそもなぜ、この家には人の気配がしない)

 武は服を着るのももどかしく、階段をかけおり半裸のまま家のドアを開け放ち、外の世界に飛び出した。


 「っ…」

 目の前に広がる光景に武は声を失った。

 お隣の幼馴染である鑑純夏の家は確かに存在していた。

 ただし、その姿は見知った鑑純夏宅のものではない。

 
 巨大な鉄の塊…戦術機「撃震」がその巨体を預けるように、毎晩純夏が顔を覗かせていた窓辺の部屋ごと家全体を押し潰していたのだ。




「は…」
 
 オレは…

「ははは。」

 オレはまた…。

「はははっはははははははははぁぁ」


 この絶望の世界に還ってきた。
 


 


 そうだ。

 もう、もう誰一人失わない。

 BETAにおびえる日なんて終わらせる。

 そして…その時こそ、オレ―白銀武が元の世界に帰る日だ。





 
 部屋に戻り、着なれた白の制服に身を包む。「3度目」ともなれば、慣れたものだ。これからどうすべきかはよく知っている。武は自分自身が別世界から来たことの証拠となる品、ゲームガイを引っ掴み、白陵柊学園…いや、国連太平洋方面第11軍横浜基地に向かい疾走した。

 基地に行くまでの道程で、街の様子を武は横目で確認する。街の様子は前回、前々回と同じく廃墟となっており、人の気配は全くなかった。やはりこの世界もまた人類がBETAに対する絶望的な戦いを続けている世界の可能性が高い。武はそう見当づける。

 武の身体は前回のループ時と同じく鍛えられた体力や運動能力を引き継いでいたようで、長い坂道を息も切らさず走り終えることができた。

 むしろ、武には前の世界よりさらに身体が軽くなっているように感じた。身体が最適な筋肉の動かし方を完璧に把握しているようだ。

 武には自分の身体が鍛えられたアスリートの身体になっているように感じられる。


 自分の身体のチェックを終えた武は、長い坂道の上、不格好なパラボラアンテナを見上げる。

「やっぱり、横浜基地の方だな」 

 そこには学生が学ぶ学園には有り得ない巨大なパラボラアンテナが存在していた。

 そして、校門―いやゲートか―の前には見憶えのある二人組の兵士の姿があった。平和な世界ではありえない自動小銃を肩に掛けた姿に武はむしろ懐かしさを覚えた。
 

(こっちの世界の住人になりつつあるのかもしれないな…)


 武は校門ではなく、ゲートに懐かしさを感じる自分をそう分析した。
 
 しかし、いつまでもゲートの前で呆けていても仕方がない。


(オレはこの世界を変えるためここに来たんだ。ただ、同じことを3度も繰り返すのは可笑しなことだな)
 

 武は苦笑を抑えながら二人組に近づく。
 
「おい、こんな所で何をしているんだ」
 
 そら来た。武は過去2度もあった出来事と同じ展開が眼の前で繰り広げられることにおかしさが止まらない。まるで、見飽きた映画を見てるよう。武は予想通りの展開にほくそえむ。
 
「外出していたのか?物好きな奴だな。どこまで行っても廃墟だけ…。」

 守衛の一人が吐き出しかけた言葉を止め、口ごもる。


(なんだ?早く、認識票の話をしろよ。まだ持ってはないないけどな)


 武は前の世界、その前の世界でも聞いた守衛のセリフを待つ。

 だが、守衛達はお互いに視線を交わし、頷いた後、余りに意外な言葉を武にかけた。



「お前が…白銀武か?」



[14118] 第一章 each determination  第二話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/01/19 21:13
「…っ」

 武は守衛の言葉に声を失った。
 
 守衛の放った言葉は、それほどの衝撃を武に与えたのだ。

 今のは聞き間違いかもしれない。武はそう信じたいとまで思った。 


 だが、真実は残酷だ。守衛は確かにこう言った。

『お前が…白銀武か』と。


 その言葉が意味するもの。それは守衛がこの世界にループしたばかりであるはずの白銀武の存在をすでに認知していたということだ。

 そして、その出来事は武にあまりに恐ろしい事実を示唆していた。



 今までのループ世界では白銀武の存在を知るもの等いなかった。

 確かにBETA世界にも白銀武は存在したが、彼はBETAの横浜侵攻の際、幼馴染である鑑純夏を護るため命を失っている。

 だからこそループした白銀武はBETA世界ではイレギュラーな存在。

 BETA世界に存在する誰一人として、ループした武のことを知るはずなどないのだ。

 守衛が白銀武の名前を知っていたということ事実は、武に様々な可能性を提示した。


 
 一つ目の可能性。この世界にループした白銀武は二人目である。


 実はすでにこの世界にループしていた白銀武がおり、自分はこの世界二人目のループ白銀武である。

 だからこそ、横浜基地の守衛は白銀武のことを知っていた。

 ただし、横浜基地の守衛は二つ目の世界―オルタネィティヴな世界―で、BETAの横浜基地侵攻の際、命を失っている。

 よって少なくとも今日は、横浜基地BETA襲撃の日以前である。

 ならば話はまだ簡単だ。

 この世界にすでにループしていた白銀武と共に、BETA打倒の目的を果たせばいい。

 仮にこの世界一人目の白銀武が死亡していても、彼の思いを引き継ぎ戦っていけばいい。

 武はそう考えた。



 ただ全く別の方向性の可能性も存在する。

 横浜基地の守衛が、生前のBETA世界に元々存在していた白銀武を知っていた可能性だ。

 だが、その可能性は武にとってあまりに恐ろしいもの。

 なぜならばそれは、今回ループした世界が以前までの世界と全く状況が異なっていることを示唆しているからだ。

 この世界が武の知るループ世界と違う世界である可能性に武は身震いした。

 武がBETA世界に持つアドバンテージは大きく分けて二つ。

 BETA世界と全く異なる世界―エクストラな世界―で生まれ育った故の発想力、着想力。

 そしてもう一つは、BETA世界をループした存在である故の、未来を"知っている"ということ。

 この二つだ。

 だが仮にこの世界が今までのループ世界と異なっていた場合、武のアドバンテージの一つは消滅する。

 アドバンテージの一つ、未来を知っている故の行動が取れなくなるのだ。

 BETAの新潟上陸や、帝国軍による民間人の強制退避、HSSTの横浜基地墜落阻止等、武が未来を知っているからこそ止めることができた世界の問題があった。

 香月夕呼との関係性もこれらの問題をクリアすることにより改善し、武が使える手駒として認識される一因ともなった。


(けれど、未来を知っているというアドバンテージを失った場合、オレには何が残されている…)


 武は自分自身の持つ能力、それに不安を覚えた。

 確かに武は優れた戦術機特性を持ってはいる。だが、圧倒的に実戦経験が足りていなかった。

 二つ目の世界で武がBETA相手の実戦をこなしたのは4回だけ。


 新OSトライアルでのBETA襲撃。

 佐渡島ハイヴ攻略。

 横浜基地防衛戦。

 そして、桜花作戦。
 

 ただ、新OSトライアルでの戦いは発狂して戦術機を闇雲に走らせただけ。

 そして、桜花作戦では凄乃皇四型に乗って戦っていたため、戦術機による戦いを経験したとは言えない。


 となると実質武の戦術機による対BETA実戦経験は二度しかない。

 一つ目の世界―アンリミテッド世界―でも、確かに何となくBETAと戦っていた記憶はある。

 だが、それはぼんやりしたもので、実戦経験に数えられるものかというと疑問を呈さざるを得ない。


 そう考えると、自分がこの世界に対して持つアドバンテージは何だ。武は頭を悩ます。

 別世界を行き来することで、00ユニット完成に関する解法を夕呼に提示できるということは一つある。

 だが、それは言わば使い走りの一つでしかない。それを行えば自分は用済みだ。

(どうしたらいい…)




 武は脳をめまぐるしく動かすが、冷汗と体の震えが止まらない。この世界にループした時の覚悟や喜び等吹き飛んだ。

(そもそもこの守衛だって、何を考えているかわかったものじゃない)

 武は何があってもいいように身構えていた。


 だが、目の前で黙り込み、最終的に身構えだした武に対し、守衛がかけた言葉は意外なものだった。

「……。そう警戒するな、おかしな男だな。白銀武、君のことはすでに香月副司令から話は通っている」

 守衛の一人が緊張感のない軽い口調で話しかける。

「夕呼先生がオレのことを知ってる…」

 それはあまりにも意外な言葉。
 

「とりあえず、命令通り副司令に連絡してと…」

 もう一人の守衛が無線機に手を伸ばす。

 
(だが、本当にこれは何だ。何が、何が起きている。こんな展開をオレは知らない)


 目の前で起こっていることが理解できない。異常なほどの焦りが武の心の中に生まれる。
 



 二回目の世界―オルタネイティヴな世界―で武は一回目の世界―アンリミテッドな世界―の記憶を持っていたため、迷い戸惑うことはほとんどなかった。

 元207衛士訓練部隊の教官からも仲間からも、訓練兵とは思えないほどの異常な落ち着きだと何度も言われた。
 
 当然だ。武は同じ世界をループしていたのだから。
 
 遊園地のお化け屋敷で、どんなお化けが、どんなタイミングで飛び出してくるのか全て把握しているみたいなものだ。そんなアトラクションで驚く人間等いるわけがない。
 
 しかし、先のことがわかっていることに慣れ、「違うこと、異なること、予想していなかったこと」に久しぶりに向き合ったため、どういう反応、思考をしたらいいのか、武自身わからなくなってしまっていた。


(先がわからないことがこんなに気持ち悪いなんて…)


(白銀武という人間はループを繰り返すことで、経験は積むことができたが、人間としては弱くなったのかもしれないな)


 武は自分を嗤うことで冷静さを取り戻そうとするが、背筋の冷えた感じから未だ恐怖と気持ち悪さを感じていることがよくわかる。




「おい、副司令が話があるそうだ。受話器を受け取れ」

 守衛が声をかけ、無線機の受話器を投げ渡す。手の震えは止まらなかったが、動揺を悟られぬよう、もう一つの手で震える手を抑えながら受話器を耳に当てた。





「何ビビッてんのよ、白銀武」
 
 その声は確かに、元の世界の武の教師であり、そしてループ後の世界では国連軍副司令であった香月夕呼の声であった。

「あ、…」

「何、どもってんのよ、あんたは白銀武でしょ、名前を呼ばれたら返事くらいしなさい」

 あきれたような夕呼の声が飛ぶ。
 
「…ったく、さっさと部屋まで来なさい。私の部屋の場所はわかってるでしょ。無駄な時間を取らせるんじゃないの!」

 ガシャンという音と共に一方的に無線が切られた。だが、どの世界でも香月夕呼は変わらない。この武の知らない、かもしれない世界でも。そのことに武は心の底から安堵した。ふと気づけば、きつく叱責されたのにもかかわらず武の手の震えは止まっていた。


「連絡は通じたか。ではこのパスを渡すから、指示どおり副司令の部屋に向かってくれ」

 守衛がオレにセキリュティのパスを渡す。

 すでに名前の欄には白銀武の名前があった。しかも、夕呼の部屋に行けるということは…このパスは横浜基地の中を自由に歩き回れるレベルのものだということだ。

「それにしてもどういうことなんだ、本当に…」

「おいおい、早く副司令の部屋に行ってくれないか。さっさと行ってくれないとオレ達に副司令の雷が落ちちまう」

 守衛達は夕呼のことを怖れているらしく、必要以上に武をせかしているように見える。きっとこの世界の夕呼も他の世界の夕呼と変わらない傍若無人の態度を取っているのだろう。


(夕呼先生らしいな。先生はどこまでいっても先生か)

 
 この世界の夕呼も以前と変わらぬ彼女である。ということは彼女を待たせることは非常にまずい。武は先ほどとは違った種類の恐怖を覚える。
 
 守衛に礼を言うと武はゲートの中―国連軍横浜基地に入った。

 
(また、横浜基地に来ることになるなんてな…)


 武自身、少し感傷に浸りたい気持ちもあったが、夕呼の元へと急がなくてはならない。
 
 横浜基地の中は武が知っているループ世界の基地と見ることのできた範囲では変わっていないようで、そのため迷うこともなく夕呼先生の部屋の前までやってくることができた。

 途中、PXを覗いてみたが、京塚のおばちゃんが元気よく声を出していた。

 世界が大きく変わっていないことに、武は安心感を覚える。


(変わったのは、夕呼先生がオレを知っているということだけ…)


(原因はまだわからないが、このことがいい方向に進めばいい)


 そして、武は思考を止め、自分自身を引き締める。

 まずは夕呼との戦いが待っている。武自身の意思を通すためにも、ただ夕呼に使われるだけの存在になり下がってはいけない。

 鬼が出るか、蛇が出るか。一瞬の逡巡の後、武は夕呼先生の部屋をノックしドアを開けた。



「香月副司令!白銀武。入ります」



 自分を奮い立たせるように、武は大きな声を出した。
 



 目の前には…


「あんたが…白銀武ね」

 
 目の前にはかつての共犯者…香月夕呼がそこにいた
 

 見かけは、武の知っている夕呼先生と何一つ変わっていないように見える。というか、黙っている夕呼先生は本当に綺麗なんだなと間抜けな考えまで武の頭には浮かんでいた。

 だが、そんなことを考えている暇はない。相手は横浜の女狐と言われた、権謀術数に優れた世界でも屈指の策士なのだ。中途半端な態度や言動は許されない。

  

「夕呼先生!先生もオレのように、世界をループしているんですか?」
 

 開口一番、武はここまでの展開から自分自身がたどりついた結論を夕呼先生に投げかける。
 
 武が達した結論は、夕呼もまた世界をループしたという可能性。

 だからこそ、武のことをここ横浜基地で待っていたのではないかとそう考えたのだ。

 武には自分の知っている情報を小出しにすることで、夕呼との関係性で優位に立つという方法もあった。

 だが、相手は香月夕呼。余計な小細工等はむしろ邪魔になるだけ。自分は愚直に一刻も早く核心に迫るしかない。

 

 
 武の問いかけに対し、夕呼は元の世界でも、ループした世界のどちらでも、何度も見せたあの不敵な笑みを武に見せながら、言葉を返した。


「ふふん。私はあんたなんかと今まで会ったことなんてないわよシロガネタケル。あんたの顔だって、さっきあんたがゲートの前に来たとき、監視カメラで始めて見たわ」

「オレのことを…知らない…」

 武は絶句する。

「オレのことを知らないって、あんたどこの世界の有名人よ。それにしてもあんたさっきからビビりすぎでしょシロガネタケル。基地の守衛に話かけられたくらいであんなにおたついて。私は不審人物ですって言ってるようなもんじゃない」

 夕呼はにやにやと笑いながら、先ほどの動揺した武の姿を嘲笑する。必死で動揺を隠したつもりの武であったが、さすがに夕呼には隠し切れなかったようだ。

「まあ、私があんたのことを知っていようかと知らなかろうと、そんなことはどうでもいいでしょシロガネタケル。それよりも私に話したかったことがあるんじゃない。そのためにこの横浜基地までわざわざ来たんじゃないのシロガネタケル?」

 まるで全てを見透かされているようだ。そして一々会話の端々に付けるフルネームが勘に触る。

「オレの呼び方は白銀でいいです、夕呼……先生。オレの話を聞いてもらっていいですか?」

「だから話していいって言ってるじゃないシロガネタケル。耳ついてんの?私も一々あんたのご託を聞いてる時間もそんなにないんだけど?」

 夕呼先生という呼び方にも何も突っ込まれないことに武は驚く。

(本当に「この」夕呼先生は記憶がないのか?)

「白銀です、夕呼先生。少々長くなりますが、聞いて下さい」

 そして白銀は過去のループでも夕呼に説明した事柄を話していく。




 武が元はこの世界と異なる平和な世界で生きていたこと。
 
 夕呼先生は学校の先生で、天才的な言論や行動は同じだったこと。

 その平和な世界から武がBETAの存在する世界に飛ばされたこと。

 そこでBETAと戦う訓練兵となり元の世界のクラスメイトと切磋琢磨したこと。

 その世界では2002年12月24日クリスマスイブの日にオルタネイティヴ4が中止され、オルタネイティヴ5が発動されたこと。

 武は地球に残り、BETAと戦い続けたこと。




 そこまで話したところで夕呼が口を挟んだ。

「気になることがあるんだけれど…、あんたはその世界でどの女の子と付き合ったのかしら?男一人の訓練部隊。浮いた話の一つもなかったとは言わせないわよ」

 意外な質問に武は驚いた。1回目の世界でまず聞かれるとすればオルタネイティブ4の中止のことだと思っていたのに、夕呼が聞いてきたのは誰と付き合った等という、思春期の女の子が喜びそうな話だ。武にはそのような話は夕呼が聞いても全く面白そうではない話のように思える。

 だが、夕呼がわざわざその質問をしたということは深い意味を持つ可能性がある…。武は正直に夕呼の質問に答えることにした。

「御剣冥夜がオレの…妻でした。最後は宇宙に上げましたよ。オレは冥夜以外、他の誰とも付き合ったことはありません」

 武の答えを聞いた夕呼は、武の眼にはなぜか一瞬逡巡したように見えた。
 
「御剣、冥夜ね…。なるほど」

 夕呼は自分の言葉を反芻する。だがすぐに話を続けるよう武を促す。そして、武はまた話を再開する。
 




 地球に残ってBETAと戦い続けていた途中で記憶が無くなり、再度BETA世界にループしたこと。

 1回目の記憶という武器と新OS、XM3を開発することで人類の劣勢を盛り返したこと。

 帝国軍大尉沙霧によって行われたクーデターのこと。

 XM3のトライアルの際に我を失った自分のせいでまりもちゃんをBETAに殺されてしまったこと。

 夕呼に協力し00ユニットを完成させたこと。

 仲間を失いながらも佐渡島ハイヴを落としたこと。

 横浜基地BETA襲撃のこと。 


 そして、桜花作戦のこと。




 夕呼は気になったことがあるたびに話を止め、武に詳細を聞く。ただ、その質問は武の予想の範疇のものばかりで、先ほどのような突飛な―付き合ってた女の子が誰か?―のようなものはなかった。

 それら全てを隠すことなく、武は話した。夕呼に情報を出し惜しみしても仕方がないのだ。最良の協力者となるであろう可能性は目の前の横浜副司令以外にありえないのだから。

「で、これはあんたにとって三回目の世界になるのかしらね。この世界であんたはどうしたいの。私に教えてくれない?」

 夕呼の問いかけ。それが三回目の世界での武の最初の戦いのゴングとなった。



[14118] 第一章 each determination  第三話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/01/02 23:51
「まずは、新OS、XM3の開発を目指します。これが開発されれば、衛士の戦死者を半分に減らすことだって可能になるはずです」
 
 

 この世界でまずすべきこと。それは、新OS、XM3の迅速な開発、それをおいてないと武は考える。前回の世界でXM3のお披露目―次世代OSのトライアル ―が行われたのは、12月10日。武がループ後の世界にやってきたのが10月22日なので、おおよそ50日後のこととなる。
 
 だが、それでは遅すぎたと武は考える。前回の世界での甲21号作戦―佐渡島ハイヴの攻略―は12月25日、桜花作戦は1月1日に行われた。確かにこれらの作戦で多くの戦術機にXM3は実装されていた。

 しかし、実際に現場に立つ衛士がXM3の操作に習熟していたかというと疑問を感じ得ない。

 実装後、2~3週間の日数で、XM3の利点である先行入力、キャンセル、コンボこれらを使いこなすことのできた衛士がどれだけいたのだろうか?おそらく、当時の現場の衛士が先の二つの作戦時に得られたXM3の利点は、即応性の大幅な上昇だけであろう。
 
 この世界が1回目、2回目の世界のループであるならばBETAの動きに大きな変化はないはず。とすればXM3が開発される期間が短ければ短いほど、多くの衛士がBETA反抗の試金石となる作戦でXM3の恩恵を最大限に得ることができる。そして、そこで初めて多くの衛士にとってXM3が本当の意味で「XM3」という言葉の意味を持つと武は考えたのだ。



「新OSの開発ね…」

 だが、武が導き出した答えを聞いた夕呼の顔は浮かないもの。

 そして、次の瞬間の夕呼の言葉に武は戦慄する。


「あんた本当に、そんなちんけな新OSの開発でBETAに勝てるなんて思ってるの?」

 夕呼の一言は、武の言葉を完全に否定するものだったのだ。それどころか、前の世界の香月夕呼の仕事さえ否定する言葉のように武の耳には聞こえた。

「夕呼先生。今の言葉は…」

 武は夕呼の言葉に反論しようと言葉を発しようとする。

「そんな頭にお花畑が咲いた馬鹿とこれから手を組むと思うと心底うんざりするわ。というかこっちから願いさげよ」

 だが、武の反論の言葉を遮るように発した夕呼の言葉は、前の世界でもぶつけられたことのない、完全に武を見下したもの。


 夕呼は武に問いかける。

「まず、あんたその新OSが開発されたって、所詮は戦術レベルの改善にしかつながらないってことはわかってるのよね?」

「はい。それは理解しているつもりです。前の世界で夕呼先生も同じことを言っていたので。それでも夕呼先生はこの新OSの完成で人類が生き延びる期間が30年伸びると言っていました。実際に世界各国から歴戦の衛士を呼んで、新OSのトライアルを開いてくれましたし」

 そうなのだ。武の知っている限り、2回目の世界で夕呼はなんだかんだ言って、新OSの性能とその開発の成功による効果を認めていた。

「あんた、私が本当にそのちんけなXM3だっけ、そんなものを開発するためだけに私が貴重な時間や手間をかけたと思ってるの?だとしたらあんたは本物の馬鹿よ。それも救い難いレベルのね」

 だが、夕呼は否定的な言動を止めない。むしろその語気を強めていく。

「2回目の世界の私がどんな考えで、その新OSの開発をして、お披露目のトライアルをしてあげたか教えてあげましょうか?」


 そう言うと夕呼は武にゾッとするような笑みを向けた。


「まずその新OSの開発、それは完全に私の暇つぶしね。おそらくオルタネイティヴ4が上手くいっていかなかったこともあって軽い現実逃避をしてたんでしょう。どっかの馬鹿が、12月24日にオルタネイティヴ4が中止されるなんて情報を持ってきたせいで、必要以上のプレッシャーだって感じてたはずだわ。まあそのどっかの馬鹿よりあんたのほうがよっぽどの馬鹿だけど」


 
 その言葉に武は大きく戸惑う。

 目の前の香月夕呼の言葉は、前の世界の夕呼からは考えられないほどの悪意が込められた言葉だからだ。

 だが、そんな武の動揺を余所に夕呼の言葉はさらに辛辣さを極めてゆく。

 
「まだまだ続けましょうか?トライアルを開いた理由。それはまあ、悪あがきと八つ当たりね。12月24日までに何らかの成果をださないと、オルタネイティヴ4 が中止されちゃうんだから、それを一日でも遅らせるために悪あがきでトライアルを開かざるを得なかったのよ。だって新OSの開発なんてしたって、私に課せられた使命であるオルタネイティヴ4の成果としては全く認められないのよ。せいぜいオルタネイティヴ4の研究をするための期間をほんの少し伸ばすための、目くらましにしかならないわね」


(このオレの目の前にいる女は誰だ?)

 武には目の前の香月夕呼が、武の知る香月夕呼だとはとても思えなかった。

 武の知る香月夕呼は武に厳しい言葉をかけながらも、なんだかんだ言って武を手助けしてくれた。

 だが、この目の前の夕呼の言葉は100%の悪意しか感じられないものばかり。

「それから八つ当たりっていうのは、横浜基地で一人苦しんでる、まあ霞も入れたら二人になるわね、二人以外の、緩みきったノーテンキな連中共に地獄を見せたかっただけよ。そのために捕獲したBETAを解放したわけ。まあ自分の無二の親友がどっかの馬鹿のせいで、無残にも殺されるなんて夢にも思わなかったけど。ただそんな馬鹿よりもあんたのほうが許されないレベルの馬鹿なのは言うまでもないわ」


 次々と武にぶつけられる罵詈雑言。

 だが、武はその時初めて、自分自身の想像力の無さに気づいた。

 武は夕呼のことをいつでも飄々とどんな時でも奥の手を持った底の知れない人物なように考えていた。

 困った時の夕呼先生頼み。武自身もそのような夕呼に甘え、ループの度に頼りとしてきた。


 だが、そんな人物が存在するわけがないのだ。

 自分の研究に人類の未来がかかっている。その研究が上手く行かない。

 研究を邪魔する奴らは山のようにいるし、味方であるはずの横浜基地の人間ですら、「気分屋の女狐」扱いをやめず、夕呼の立場を理解しようとも思わない。それに加えて、未来からやってきたと言い張る男が、人類の未来をかけて全てを注ぎ込んだ研究の果てが失敗であると、ご丁寧に日付けまで付けて教えてくれる。

 そんな苦しみの状況に夕呼がいたことを武は今頃になって気づいてしまったのだ。




「そもそも新OSのトライアルが成功したからって、現場の衛士達が次の日からその新OSに乗り換えるとでも思ってるの?答えは間違いなくノーよ。訓練兵が歴戦の衛士に勝った?そんなの話半分にも信じるわけがないわ。まあ私、横浜副司令である香月夕呼が全て仕組んだことだとほとんどの人間が思ったはずよ。位の高い低いに関係なくね。トライアルに出た衛士の戦術機に整備不良を起こさせたとか、そもそも衛士達を含めてみんなグルだったと考えるのが自然でしょうね」

 現場の衛士にとって戦術機は自分の命を預ける「乗り物」以上の存在。

 戦術機を知り尽くした衛士ほど、劇的に改善された新OSの存在など、眉唾ものだと信じて疑わないだろう。

 さらにその開発者は悪名高い横浜の女狐。新OS採用と同時にその可能性を信じ、訓練を始めた衛士がどれだけいただろうか。


「100 歩譲って、世界の衛士がみんなあんたレベルの馬鹿で、ああなんて凄い新OSなんだ、これは人類を救う、みんなで今日からこのXM3に乗り換えようと思ったとするわね。彼らはすぐにシミュレーターに乗りました、戦術機で訓練を行いました。あんたの言う十分な期間が経った後、彼らのレベルはどうなってると思う?」

 それは仮定の上での問いかけ。だが、武は即座に言葉が出ない。


「まあ即応性の上昇の恩恵くらいは受けられると思うわ。でもそれだけ。たった2、3ヵ月の期間で、この世界にない先行入力やキャンセル、コンボの概念を、指導もなしに、習熟どころか実践レベルの使用につなげられるほどの衛士なんか世界に存在しないはずよ」

 新OSの概念はこの世界にないもの。だからこそ新OSは優れたOSであった。

 だがそれは同時にデメリットでもある。自らの概念にないものを自ら学ぶこと等、短期間で可能なことだろうか。


「で、でも実際に先生は30年人類を生き延びさせることができるって…」

「30年延命するだけよ。植物人間に人口呼吸器を付けさせたみたいなもの。その当時の私の言ってたことをわかりやすく意訳すると、新OSを開発できたって30年後に人類は破滅する、以上よ。」


 どうにか発した武の反論を即座に夕呼は否定する。


「だけど…実際に習熟さえできれば…。習熟できた俺とA01の仲間は甲21号作戦と桜花作戦を成功させました」

 夕呼がいくら否定しようとも、二つの大きな作戦成功の事実は変わらない。そしてその作戦の成功の要因の一つが新OSにあったと武は信じていた。



(夕呼先生が言ってるのは…、机上の空論だ。俺達は実際にうまくやれたんだ)



 だが、夕呼は武の言葉を聞いた瞬間激昂した。

「あんたの馬鹿さ加減にはほんとに呆れるわ。あんたとその仲間だけで、佐渡島ハイヴとオリジナルハイヴを攻略できたと思ってるの。最悪ね。自分一人でなんでもできるって思ってる男が、成功体験を覚えるってことは。あんたみたいな男が人類を破滅に導くのよ」

 今日一番の罵倒が武に飛ぶ。
 

「帝国軍と極東国連軍がどれだけの戦力を佐渡島にぶつけたと思ってるの?正確な数字はわからないけど、あんたが教えてくれた情報通りの作戦が実際に行われたのなら、その二つの軍は少なくとも総戦力の半分は佐渡島にぶつけたはずよ。そこまでやってようやくフェイズ4のハイヴを攻略できたわけ。犠牲も半端な数では済まなかったはずよね。それを「俺とその仲間が新OSに習熟できたから、成功した?」。そんなこと本気で思ってるなら、100回くらい死んだ方がマシよ。ああでもあんたはこの世界をループするんだったわね。二度と生き返りたくないように精神的にブチ壊してから、殺してやるわ」


 武の顔が蒼白に染まる。
 

「それから桜花作戦だっけ?何そのカミカゼ作戦は?BETA支配外圏外縁部の全ハイヴを陽動のためだけに攻撃?で、BETAがAL砲弾(対レーザー弾)を迎撃しない可能性も考えないで軌道降下作戦なんかにオリジナルハイヴ攻略なんていう人類の未来を背負わせるなんて。しかも、作戦の鍵を握ってるのが、運用できるのかできないのかが、操縦士の気分しだいのデカブツって。結局生き残ったのは二人だけ?そんな多大な犠牲の上に、奇跡に奇跡を重ねて上手くいった作戦を自分のおかげだと思うなんて、自分を特別な人間だと思ってるヒーロー気取りの馬鹿らしいわ」

 
 そして…夕呼は桜花作戦すら否定する。


「世界各国を煽りに煽ったのは当然私にも原因があるわ。でももう、その当時の状況だと、おそらくその方法しか人類を救う道はなかったはずよ。多少の延命措置じゃあ、結局人類は救えないわけだし、大博打に出たわけ。私を含めた世界の首脳全員がね。まあでもまさか、そんな大博打を最良の方法だと思ってしまった本物の馬鹿を生んでしまうとはね」


 武はようやく、自分の浅薄さに気づく。追い詰められた人類だからこそ桜花作戦は許されたのだ。


「そもそもね。どうしてオリジナルハイヴ内の上位存在だっけ?それを倒せば、BETAに勝てると思ったの?命令を出す側がいなくなったって、その道具である BETAがいなくなったりなんてしないでしょ。そこからも当然、泥沼の戦争は続くわよね。それにね…司令官を失ったBETAがそれをいつまでも放置しておくと思う?月にどれだけのハイヴがあると思ってるのよ。間違いなくバックアップ、上位存在の予備が地球に降りてくるわ。オリジナルハイヴ一つを攻略するために、人類の戦力は大きく疲弊してるのよ。そんな状況で相手側に司令官がいたらどうするかしら?大攻勢をかけられたら、その瞬間人類は滅亡するわ」


 武が救ったはずの世界は…救われていなかった。武が微塵も考えなかった可能性に夕呼が言及したことに、武はこれまで以上に打ちのめされる。そして…。



「白銀。もう一度聞くわ」


 夕呼は武を見つめる。その眼光は視線を逸らすことどころかか、瞬きすら許さない。



「あんたは"未来"を知っている。"何度も"世界をループしたあんた、白銀武に聞くわ。この世界でこれからどうすべきだと思うの?」


「オ、オレは…」



 白銀武は確かに世界をループしていた。

 それは夕呼の言うように、"未来を知っている"ことに等しい。

 だが、そのような絶対的とも言えるアドバンテージを持ちながら、白銀武は世界を完全に救うことはできなかった。

 そして、白銀武は本来与えられるはずのなかったチャンスをもう一度もらいながら、深い覚悟を持たず再度夕呼に頼り甘えようとしていた。

 世界を救いたいと願いながら、世界を救う方法を本気で考えることを放棄していたのだ。


 また同時に夕呼以外のもの(神宮寺まりも、A-01の先任達、そして元207衛士訓練部隊の面々)を頼ろうとは考えてもいなかった。

 彼女たちの重荷を増やしたくはなかったし、何より白銀は彼女達を護ることが自分の義務だと思っていたからだ。

 だがそれは矛盾。そして傲慢。

 世界や彼女達を自分の力で護ろうと考えながら、結局白銀は"自分一人で世界を変えよう"という覚悟までには至っていなかったのだ。



 


 武の身体は震え、もはや夕呼に反論する答えなど一つたりとも思いつかない。

 夕呼を納得させることができるような世界を救う方法なんてものは言うに及ばずだ。

 それでも、それでも、武は戦う。

 武は唇を震わせながらも、言葉を発した。
 



「オレはもう誰も死なせたくない!そして、BETAをこの地球から追い出して、未来を掴みたいんだ!」



 それは絶叫だった。

 そして、その言葉の内容は夕呼の質問の回答には全くなっていない、単なる武の願望の吐露。

 


 武の言葉に夕呼は動揺を見せず、睨みつけるような眼光を武に向け続ける。

 だが、次の瞬間視線を外すと、にやりといつもの笑みを見せた。

 そして、夕呼は視線を武の後ろのドアに向け…、誰もいるはずのないその方向に声をかけた。

「で、あんた達はどう思う?この救い難い馬鹿の答えを」





「本当に信じ難い馬鹿ですね。ただ、白銀は元々考えることは苦手ですから。副司令、難しいことは言わないで下さい」

「…白銀は馬鹿。…でも最後の言葉は私たちにも伝わった」

「みんな馬鹿馬鹿ひどいです。たけるさんは馬鹿じゃなくて、そういう所も含めてたけるさんなんです」

「ははは。でも確かに珠瀬さんの言うとおり、タケルらしい答えだと思うよ」

「質問に対して、全く答えになっていない。そんな風に指導した覚えは全くないが、白銀らしいと言えば、白銀らしいと言える。ただ香月副司令、私の教え子をいじめすぎです。香月副司令に口喧嘩で勝てる人間なんてこの世にいるわけなんてないってことは、私が一番知っています」



 そこにいたのは、榊千鶴、彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴、神宮司まりも。

 武が二回目の世界で護れなかったものたちであった。


「白銀、悪いけど私達はあんた一人に護ってもらうほど弱い人間じゃないわよ。今度の私たちはそんな簡単に死んだりしないわ」

「…白銀は自分一人で何でもしようとする。…でもそんなこと私たちは望んでない。それにもう榊と自爆なんて御免」

「たけるさん、あなた一人で全てを背負うのはもうやめてください。壬姫は今までたけるさんに頼ってばかりでした。でもたけるさんこそ私たちを頼ってください」

「タケル。僕たちはタケルの足枷なんかにもうならないよ。今度はボクたちがタケルを護る番だ」

「お前ら…。それに今度は死なないって…。……まさか…」

 
 夕呼が武の言葉の最後をつなぐように真実を伝える。



「白銀。世界をループしたのはあんただけじゃない。まりもも含めた彼女達も、前の世界、そしてその前の世界、つまりオルタネイティヴ5が実行された世界の二つの記憶を持っているわ」



[14118] 第一章 each determination  第四話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/11/29 10:31
「委員長達も…ループしている…」

「驚いたわよ。早朝から、まりもを先頭に、訓練兵が副司令室に押しかけようとするんですもの。てっきりクーデターでも起こされたのかと思ったわ」

 夕呼は信じられないといった感じで両手を挙げる。
 
「朝の点呼でね、整列している最中に、私たちの頭の中に一つ前の世界、そしてもう一つ前の世界の記憶が流れ込んできたの。白銀。私たちもあなたの話、ドアの向こうで聞かせてもらったわ。…桜花作戦は成功したのね。本当に…よかった」
 
 委員長、榊千鶴が涙をみせる。彼女達は桜花作戦の成功を見ることなく戦死したため、前の世界でオリジナルハイヴを攻略できたことを知らなかったのだ。


「鑑さんは救うことはできなかったんだね…。タケル……。」
 
 車椅子に乗った美琴が顔を俯ける。

「美琴、お前なんで車椅子なんかに!大丈夫なのか。ああ、そうか…お前はラベリング中の事故で…」

 自分のことを気にかけたくれた武に美琴は笑顔を向ける。その顔に先ほどまでの影はない。

「ボクも入院中だったんだけどね。朝、目覚めた瞬間にループする前の記憶が流れ込んで来たから。急いで横浜基地まで車を飛ばしてもらったよ」

 鎧衣美琴は武がループした直後はいつも、ラベリング中の事故のため入院していた。そのため美琴は前2回の世界では、武と顔を合わす時期が他の訓練兵に比べ遅くなったのだが、今回の世界では美琴自身がそれを変えた。


「たけるさん。壬姫もびっくりしました。自分の記憶が増えるって変な感じですね。壬姫は最初夢かと思って混乱しちゃいました」

 珠瀬壬姫が彼女らしい言葉でループを語る。

 お互いに会えるはずはない、そう考えていた同士の再会である。
 
 部屋全体が喜びと懐かしさの空気で溢れていた。




 だが、その柔らかなその空気を切り裂く声が副司令室に響く。


「白銀」

 空気を切り裂いた人物は神宮司まりも。まりもは直立不動の姿勢で武の前に立ち、そして武の両肩に手を掛け武の目を見つめる。

「白銀。一つだけ、言っておきたいことがある。いいか、私が前の世界でBETAに殺されたのはお前の責任ではない。戦闘地域で気を抜いた私自身の責任だ。副司令は先ほどお前に色々言っていたようだが、気にやむ必要はない」


 そしてそこまでの軍人顔の厳しい表情を止め、かつての…元の世界の神宮司先生であったような愛情に溢れる顔を見せる。武には、その顔がBETAに殺される直前のまりもの顔と重なった。


「副司令、いや、夕呼はね、私がBETAに殺されたことで何より自分自身を許せなかった。ただちょっとあなたに嫌味を言いたかっただけなの」


 ドアの向こうで、武を罵倒する夕呼をまりもは何度止めに行こうと思ったことか。あらかじめ夕呼に話を振るまで部屋に入るなと「命令」されていなければ、早い段階でまりもは武を庇いにいっていただろう。特にまりもがBETAに殺されたことの責任の一端は武にあると夕呼が武を叱責した時など、その場で叫びそうになったほどだ。




 否だと。

 私が死んだのは、神宮司まりも、己の責任だと。

 戦闘終了直後の戦場で、訓練兵を諭すなど、自分の甘さに反吐が出る。

 確かに白銀は後催眠とBETAに対するトラウマで強烈なショック状態となっていたかもしれない。

 しかしそんな状態であるからこそ、白銀を引っ張ってでも戦場から遠ざけなければならなかった。

 むしろあの状況では自分だけでなく、白銀までBETAに殺される可能性が高かった。

 武の命を救ってくれた伊隅みちるには、いくら感謝してもしきれないほどだ。
 
 そして結局のところ、まりもの死は白銀にさらに強いショックとトラウマを与えてしまった。


(私は教え子を立ち直らせるどころが、逆に追い詰めてしまった最悪の上官だな)


 だからこそ、まりもはこのループに感謝する。自分の死を二人の人間に弁解する機会を与えてくれたことに。一人は白銀訓練兵。そしてもう一人は、親友である副司令、夕呼に。



「夕呼。あなたにも言っておくわ。もう私は甘さなんて捨てる。あんたの知らない所で勝手に死んだりしない。そして…機密だろうとなんだろうと関係ない。自白させてでもあなたの話を聞くわ。あなたの最大の味方は、この横浜基地にいる神宮司まりもだってことを教えてあげる」


 夕呼はそんなまりもの言葉に対し、いつも通りの人を小馬鹿にしたような顔を向ける。けれど、ほんの少しだが夕呼がいつもより嬉しそうに見えるのは武の気のせいだろうか。


「まりも、あんた最大の味方って…。大きく出たわねぇ…」


 そして夕呼は言葉を止め、まりもの眼を見据える。

 
「神宮司軍曹、精々私に使われないように気をつけなさい」


 その言葉は横浜副司令香月夕呼が、神宮司まりもを「頼る」という宣言である。夕呼がまりもを頼りにするということは、共に仕事をするということであり、それはまりもが機密を「知る」ということになる。夕呼の仕事はオルタネイティヴ4計画。人類を救う最大の可能性であり、そしてその機密レベルは「知れば」後戻りできないものだ。

 
 『人類を救えるなら私は悪魔にもなる』夕呼の口癖だ。この言葉を聞いたものは、夕呼のことをどこか壊れたサイエンティストのように感じ、怖れ慄く。だが逆に言うとこの言葉は悪魔になる人間は私だけでいいという自己表示に他ならない。


 神宮司まりもは自分自身を、香月夕呼の親友である、と思っていた。しかしそう思いながら、彼女のしていることを知りたいと思ったことはなかった。夕呼のしていることは頭のいい人が考えればいいこと。頭のよくない私はそれを遠くから見守ることしかできない。そう考えていた。

 
 だがまりもは白銀を叱責する夕呼の姿を見て、ガツンと自分の頭を鈍器で殴られたような衝撃をうけた。何が「私にはわからない難しいこと」だ。「あの」夕呼をあそこまで追い詰めた責任は誰にある?見ないわからないふりをしていた愚か者の責任だ。何が親友だ。


 
 まりもは心に刻む。
 

 もう二度と夕呼にあんな顔はさせない。

 夕呼はとがった矛でいい。私が夕呼の盾になる。

 夕呼、あなたは前だけ見てていて、あなたの後ろには私がいる。

  


「…教官、申し訳ありませんが私も少々白銀に質問があるので、よろしいでしょうか」

 まりもが胸に深い覚悟を刻む中、声を掛けたのは訓練兵、彩峰慧。

 よろしいでしょうかと声は掛けてはいるが、まりもの返事を聞く前に彩峰は武の前に立つまりもを半ば押しのけるように白銀の前に姿を見せる。


「白銀…。桜花作戦の後、私たちの手紙…読んだ?」


 まりもを除く彼女達、訓練兵の仲間達は、桜花作戦開始前に、白銀に対し遺言を残していた。その内容は各自しか知らないものだが、いずれも白銀に対する恋心が含まれている。
 
「手紙?オレは誰からも手紙なんか受け取ってないぜ。彩峰、まさか俺に年賀状でも出してくれたのか?戦時下だから、1月1日には届かなかったのかもなあ」

 白銀武が馬鹿でよかった。4人は心から胸をなでおろす。なんだかんだ言って、実は4人が一番気になってこと。それは遺言状のことであった。乙女はいつの時代も乙女である。


 そして、緩まった空気を整えるように、夕呼が仕切り直しのように武に声を掛ける。


「あんたがこの基地に来るのが遅かったから、オルタネィティヴ4中止のことや桜花作戦のことなんかはまりも達がわかる範囲ですでに聞いていたわ。当然あんたのことも含めてよ。白銀武という男がさらに多くの情報を抱えて基地にやってくるはずです、ってまりも達が言い張るからね、守衛に話を通してパスも作っておいたってわけ。まりも達の話を聞く限りじゃあどんな屈強な男が来るかと思ったら、守衛相手にビクビク怯えた男が監視カメラに映るんですもの。笑っちゃったわ」

 
(そういうことだったのか…)

 
 今回ループした世界が、以前と少し変化していた原因がはっきりとしたことに武は胸をなでおろす。


(世界は変わっていたようで、変わっていなかった…) 


 だが武は、違和感を感じる。何かまだ胸にひっかかるものがあるのだ。


(あれ。でも何かおかしくないか)


 そして…武は思い至る。


(なんで、このループも今までと一緒の世界のはずだろ、それなら、なら…)


 この場にいるはずの少女の存在に。




「冥夜、御剣冥夜はどこにいるんだ」



 武は焦燥の念にかられる。



 一つ目の世界で愛した彼女

 二つ目の世界で救えなかった彼女

 この三つ目の世界で彼女はどこにいる?



「白銀。その質問には私が答えるわ」


 夕呼が武の顔を見据え口を開く。その顔にいつもの人を馬鹿にしたような笑いは見えない。


 
「『御剣冥夜』という訓練兵は、この世界では、横浜基地には存在しないわ」



[14118] 第一章 each determination  第五話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/11/21 20:27
「冥夜がいないってどういうことですか!先生」


 今にも夕呼に掴みかからんといった勢いで武は夕呼を詰問する。


「安心しなさい、白銀。別に私は御剣冥夜がこの世界にもいないとも死んだとも言っていないでしょう」

 夕呼はそんな武の態度にも動じず、話を続ける。

「彼女、御剣冥夜はね、この世界では国連軍には入隊せずに斯衛軍に入隊したようだわ。私は彼女に全く面識もないし、存在も知らなかったんだけれど。まりも達に「御剣冥夜という人物がこの世界にはいるはずです、所在を明らかにして下さい」って頼まれてね。あんたがいないうちに色々調べたのよ。すぐに彼女の居場所はわかったわ。帝国軍斯衛軍のデータベース上に『御剣冥夜』の名前があったのよ」


「冥夜もこの世界にいる…。冥夜も、先生、冥夜も記憶を引き継いでいるんですか!」

 他のみんなが記憶を持っているならば、冥夜も前の世界の記憶を持っているはず。武はそれを知りたかった。

「その確率は低いと思うわ。彼女がもし、前の世界の記憶を持っていたら、この横浜基地に何らかのアプローチを取ろうと思うはずよ。けれどここ最近、斯衛軍からの横浜基地へのアプローチは大小含めて全くない。このことは御剣冥夜が記憶を持っていないっていう状況証拠になると思うわ」

 
 ただ武はこの世界で御剣冥夜、彼女自身の姿をまだ見ていない。そのことに武は焦りを覚える。

「でも、もしかしたら冥夜は訓練兵だから、横浜基地に連絡が取れないのかも。訓練兵は外とは隔絶された環境にいるわけだし」


 しかし、焦慮する武を夕呼は鼻で笑う。

「白銀。私がいつ、御剣冥夜が「訓練兵」だなんて言ったの?御剣冥夜という兵士はね、訓練兵なんかじゃない。すでに任官している斯衛軍の士官よ。士官クラスの人間が横浜基地に問い合わせもできないと思う?それからこういうものもあるわ。あんただったらこの映像の意味がわかるんじゃない?」


 そういうと夕呼は机の上のリモコンを操作し、部屋の照明を落とし、スクリーン上に動画を映す。


「この映像は3ヵ月前に撮られたBETAに対する間引き作戦のものなんだけどね。この映像の14分30秒頃だったかしらね」

 そう言うと、夕呼は動画を早送りにする。早送りにされる映像には帝国軍の戦術機である不知火や撃震、また少数ながらも武御雷が映り込んでいる。どうやら帝国軍だけでなく、斯衛軍も参加した大規模な間引き作戦のようだ。
 
 そして、早送りが終わったのだろう。夕呼が動画の再生を始める。



「ここからね。白銀。まあちょっとこの映像を見てみなさい」

 その映像に武は息をのむ。それほどまでにその動画の映像が猛の心を衝いたのだ。

 そこに映るのは…BETAを屠る一機の武御雷の姿である。だが、その武御雷の動きは他の武御雷と全く異質のものであった。戦場で一機、その武御雷は舞い踊っていたのだ。

 当然ながら、実際に舞いを行っていたわけではない。だがその武御雷の動きは舞踊を想像させるものであり、そして…BETAに溢れる戦場の中、その手に握られた踊るように動く長刀は次々にBETAを屠っていく。その姿は美しくその動きと相まって、戦場の中にまるで一人の踊り子が迷い込んだように武には見えた。

 こんな動きができる衛士を武は一人しか知らない…。

 そして、武の心を衝いたのはその動きだけではない。





 その武御雷の姿。

 BETAの返り血を浴びてはいるがはっきりとわかる。
 
 その武御雷の色は紫。将軍家のみに許された色であった。





「先生、こ、これは…」

「3ヵ月前、大きな噂が立ったわ。日本国将軍煌武院悠陽から、『紫の武御雷』を直接賜わった衛士がいるって噂がね。将軍家は一人の衛士に、紫の武御雷を与えたことは確かに認めたんだけど、その理由も、与えた衛士についての名前も詳細も公表しなかったわ。でも、あんたならわかるはずでしょ。白銀」

 間違いない。この映像に映る紫の武御雷を動かしているのは御剣冥夜だ。その動き、そして何よりこのカラーリング。御剣冥夜の他にこの戦術機を動かせるものがどこにいる。
 
 そして、冥夜が紫の戦術機に搭乗しているということは、この世界の冥夜は自分の生い立ち、姉へのわだかまり、そういったものを乗り越えている…。

 この世界の冥夜はすでに…将軍煌武院悠陽、いや双子の姉悠陽と会い、そして日本国の民だけでなく、姉を護るため戦っているのだ…。



「は、ははは」

 武の眼からは涙が止まらない。当然だ。それほどまでに今までの世界で、冥夜と悠陽、二人の距離は遠かった。

 武は思い出す。 
 



 クーデターの際、将軍である姉の代わりとしてクーデター軍の矢面に立ち、狭霧を説得した妹の姿。
 
 妹を思い、たった一つの妹とのつながりである人形を武に託した姉の姿。
 
 二人は共に強く相手を思いながらも、最後まで近づくことは叶わなかった。




(けれど、この世界で二人は、絆を取り戻している)


 武はループした世界が変化することを何よりも恐れていた。何しろ、前回までのループと変化した世界に飛ばされてしまったのであれば自分の経験等は通用しない。そしてそのことは、大切な人を護ることができないことにつながる。
 
 だが武は感謝する。この「変化していた世界」に。世界が「変化した」ことに。
 

(冥夜、お前はすでにこの世界で頑張っていたんだな。そして今も頑張っている。オレもすぐに追いつくからな)



「これで満足したかしら、白銀。そろそろ次の話に移りたいんだけど。あと先に言っておくけれど、鑑純夏についてはさっきあなたが教えてくれた前の世界の状況とほとんど変わらないわ。詳しくは後できちんと教えてあげる。で、まりも達も白銀も色々と思うところはあると思うんだけれど、とりあえず次の段階に移りましょうか」

 部屋にいる全員が頷いた。全員に共通する思いがある。この世界をBETAから救わなければならないのだ。

「では打ち合わせ通り、まず120時間でXM3を完成させちゃいましょうか。ブリーフィングルームに集合。全員強化服装備で来ること。ああ鎧衣は着替えなくていいわ。あんたは今日CPの真似ごとでもしときなさい」



 武は先生の言葉に耳を疑う。

「XM3?先生さっき、俺の意見をあんなに否定したじゃないですか」

 夕呼はにやりと笑いながら武に言葉を返す。

「白銀。あんたはBETAを倒すっていう「目的」のために、XM3を開発しようと思ったんでしょ。それは確かに間違いよ。XM3を開発したからって、BETAに勝てるものじゃないんだから。けどね、まりも達を含めて私達がしようとしてるのは「目的」を達成するための「手段」としてXM3を開発すること。そのための道具としてどうしてもXM3がいるのよ。とりあえず今は説明している時間がもったいないから、あんたにはおいおい話して行くわ。さっさと開発作業に移りたかったんだけどね。発案者のあんたがいないとXM3が開発できないから、あんた待ちだったのよ」

 夕呼はXM3の性能の確かさなど、とうに把握している。だが、同時にその成果について、『武が持っていたような過大な評価』も先ほど『夕呼が武をあげつらったような過小な評価』もしていない。XM3は優れたOSだ。ただ、それだけではあまりに足りないのだ。夕呼達が持つ、あまりに大きな目的に対する武器としては。だから、夕呼はその武器を最大限利用する。


 夕呼は全員の前に向きなおり、声をあげた。

「それじゃあ5日後、10月28日までにXM3を完成させるわよ。何しろXM3を知っている人間が5人もいるんだもの。長い開発期間なんてかけるのは馬鹿のすることよ」

「「「「「了解!」」」」」

 全員の声が一致する。




「あれ。夕呼先生、今日って10月23日なんですか?今までのループだと10月22日にループしてたんですけど。微妙にこの世界も違ってるってことですかね」
 



 部屋の時が止まった気がした。



 
「……何…ですって」

 擦れた夕呼の声が部屋にかろうじて響く。

 そのまま夕呼は黙り込んでしまい、腕を組むと、こめかみを人差し指で叩き始める。

 けれど部屋の空気がおかしくなっていることに気がついたのだろう。その動作を続けたまま、それまでのどこか楽しそうな声から一転、気難しそうな声でまりもに声をかける。


「………まりも達は先に行ってなさい。軽くシミュレータを動かしておくといいわ。久しぶりの戦術機だからブランクもあるでしょう。それから白銀、あんたはちょっと残りなさい」

「「「了解」」」


 武以外の面々が、夕呼に敬礼を返しながら部屋の外に出て行く。いつもならば、敬礼なんていらないわ、という夕呼の上官らしくない声があがるのだが、今の夕呼はそんなことも気にしてられない様子だ。
 


 副司令室には、香月夕呼と白銀武のみが残された。

 しばらくお互いに無言の時間が続いた後、夕呼が武に質問を切り出した。


「白銀…、この世界に来てから、なんか変わったことはなかった?どんな小さなことでもいいわ。私に教えなさい」
 

 夕呼の口調は強く、その剣幕は普段の余裕ぶった夕呼の姿とは異なるものだった。
 

 武は思い出す。この世界で目覚めてから武はまっすぐこの基地に来た。

 変わったことといえば冥夜が横浜基地にいないことくらい。けれど、そのことは夕呼先生も知っているわけで、わざわざ武には聞いてこないだろう。


「強いていうならですけど、この世界にループした時、頭痛に悩まされたってことくらいです。あれは頭痛なんていう生易しいものじゃなかったですけど。脳がこう、シチューみたいに掻き混ぜられてる感じで。あんなことは今までのループでもなかったですね。一回目覚めたんですけどその痛みで気絶しちゃってたみたいで。二度目に起きたらもう昼になってましたよ。服も布団も汗でべちゃべちゃになっちゃって最悪の目覚めでしたね」

 武は少しおちゃらけたような拍子で夕呼の質問に答えた。

 だが、夕呼はその神経質そうな顔を崩さない。むしろ、その額の皺がさらに増えたように見えた。そして、また腕を組み、こめかみを人差し指で抑えながら、思考モードに入る。

 そして1分ほど経った後だろうか、夕呼が顔を上げる。その顔は苦渋に満ちた表情のように武には見えた。そして、夕呼は絞り出すような声で白銀に言葉を向けた。




「…白銀。このままじゃ、あんた死ぬわよ」 



[14118] 第一章 each determination  第六話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/11/29 10:30
「オレが……死ぬって、嘘でしょ、夕呼先生!」


 だが、夕呼は武の言葉に首を振る。 


「今すぐに…ってわけじゃないわ。正確には、あんたが次のループをしたらってことになるわね。一応断わっておくと、肉体的には健康なままのはずよ。ただ…ループが起きて、記憶が流入した瞬間、あんたの脳は壊れるわ。よくて廃人。運が悪ければあんたは最低限の生命維持機能も失って、ループした直後の自分の部屋でそのまま死ぬことになる。あんたが死ねば、またあんたはループするけれど、壊れたあんたは次の世界でもすぐに死んで…。世界は永久にループし続けるのかもね」


「な、なんで夕呼先生。今までだってオレは普通にループしてこれた。世界だって跨いで来れたんだ」

 白銀は必死で夕呼先生にまくしたてる。

「白銀、もう一度聞くけど、あんたはこの世界…3度目なのよね」

「はい。そうです先生。一度目の世界で俺は冥夜を宇宙に送り出して、二度目の世界で桜花作戦を成功させました」

「白銀。さっきまりも達も二つの世界の記憶を持ってるって言ったわよね。その世界の記憶があんたの知ってる世界の記憶と違う、って言ったらどうする」

 武は驚愕する。彼女達は、二つの世界の記憶を持っていたと言っていた。武は勝手に彼女達が自分と同じ世界の記憶を共有していると思い込んでいたが、夕呼の話によると武が思っていたものと彼女達のそれは違うらしい。

「前の世界、二つ目の世界―オルタネィティヴな世界―については、まりも達とあんたの世界はおそらく同じ世界を共有しているわ。話の内容にも齟齬は見られなかった。けどね白銀。そのもう一つ前、一つ目の世界の話―アンリミテッドな世界―はね、あんたとまりも達の話は大きく違っているのよ」


「ち、違ってる?」


「オルタネィティヴ4中止までのことについてはあんたもまりも達も同じことを言っていたわ。大きな事件が起きた日時なんかも一致していたしね。けど、オルタネィティヴ5計画が実行された2001年12月25日以降、あんたとまりも達、いえあんたとまりもと榊、それから彩峰に珠瀬に鎧衣。各々が、それ以降のことについて全く違うことを言ってる。簡単な例を挙げるとね、白銀、あんたは一つ目の世界で御剣と付き合ったって言ってたでしょう。けれどまりも達はあんたと全く別のことを言っていたわ。まりもはね、まりもとあんたがオルタネイティヴ5発動以降に付き合ったって言ってたし、榊は榊であんたと付き合ったって。それだけじゃない彩峰も珠瀬もそして鎧衣まで同じことを言っていたわ。しかも時間軸は同じって彼女達は言い張るのよ。これっておかしいわよね。まるで世界に白銀武がたくさんいたって言ってるみたい。違うのよ、白銀武がたくさんいるんじゃない。異なる未来を持った世界がたくさんあったのよ」


 武にはまりも、榊、彩峰、珠瀬のそれぞれと付き合った記憶は当然ない。武は驚愕する。


「私の推測を言いましょうか。白銀武、あんたの今回のループは三度めのループなんかじゃない。少なくとも彼女達の記憶がある世界分、もしかしたらもっとたくさんの世界があって、その世界の数だけあんたはループしているのよ」


「そ、そんなのおかしいですよ。現にオレは二つの世界の記憶しか持ってないんですよ」


「ループしたからって記憶が戻るとは限らないわ。私はそういう風に考えている。ただね、残念なことに記憶が無くてもあんたが世界をループした事実は変わらない。思い出せないってだけ。あんたの脳は物理的に記憶をしてる。神経細胞同士がシナプスでつながってね。だから一度脳が記憶をすると、二度とその記憶は消えることはないの。パソコンのキャッシュみたいにね、その記憶の残さ、一つ一つはとても小さなものよ。でもその小さなゴミが積み上げられてあんたの脳を圧迫してるのよ」

 そして、さらに夕呼は語気を強める

「あんた今日の日付いつだと思ってたの?10月22日だと思ってたんでしょ。でも今日の日付は10月23日、どうしてあんたは今日が10月22日だと思ったの?過去のループでは毎回、10月22日に始まったからでしょう。白銀、ちなみにまりも達が二つの世界の記憶を受け取った日を教えてあげましょうか。10月22日の早朝よ。横浜基地にいた連中だけじゃない。これは入院中の鎧衣が記憶を取り戻した時間とも一致したわ。それからね、脳と脊髄だけの状態である鑑純夏の精神状態も10月22日の早朝に激変したことも付け加えておくわ。10月22日以前までは霞に彼女の心をリーディングさせても、BETAに対する殺意とシロガネタケルに対する思いのみが断片的に観測できただけ。それがね、白銀。10月22日以降は劇的に精神状態が安定したの。リーディングした結果も良好。前の世界での桜花作戦の情報なんかも拾うことができたくらいよ。あんた以外のみんなが10月22日に記憶を取り戻した。それなのにどうして、因果媒体であるあんただけが一日ずれた10月23日にこの世界で目覚めたと思う?違うのよ。あんたは10月22日にこの世界にループした。けれど、記憶の流入による脳の痛みで丸一日以上、気絶していたのよ」


「で、でもループすること自体が危ないって言うなら、他のみんなだって危ないんじゃ」


「まりも達がループした回数はあんたと違って2回。それだけなら脳の記憶容量なんかも圧迫しないわ。それにね、あんたは別世界から来たって言ってたでしょう。全く異なる二つの世界の情報をあんたの脳は抱えてるわけで、それに加えてループまでしたらあんたの脳への負担はかなりのものになってるはずよ。あんたが2回分のループの記憶しか持ってないのは脳のセーフティ機能が働いた可能性もあるわ。あんたがループしている理由。前の世界の私はどう予想していた?」


「純夏がオレに会いたいと願ったこととG弾の影響って、前の世界の夕呼先生は言ってました」


「おそらく、あんたを今回ループさせた原因は鑑じゃないわ。鑑があんたをループさせたなら、世界は前回までのループ世界と全く同じように再構成されるはず。この世界は色々違っているんでしょ、白銀?それにね、あんたと鑑は前の世界で逢うことができたって言ってたわよね。彼女の願いは叶ったんだから、鑑が原因となるループはそこでおしまいになったはずなのよ。それに…あんた、ループ後に脳に痛みを感じたなんて出来事、今回のループが初めてだったんでしょ。…あんたの脳にかかってる負担具合を考えると…今までとは似て非なるループ方法であんたたちはループしていると考えた方が自然だわ…」


 そして、夕呼は白銀の目を見据えると、武に向って人差し指を突き付けた。


「白銀。あんたはこの世界をBETAから救うだけじゃダメなの。あんたがループしている"原因"を見つけなさい。どうして今回の世界でまりも、榊、彩峰、珠瀬、鎧衣、そしておそらく鑑だけが、記憶を引き継いだのか。このことが今回のループの原因のキーになるはず。無限地獄なんて嫌でしょ?私も嫌よ。あんた生きて元の世界に帰るんじゃなかったの!」

 武は夕呼の推測に戸惑う。

「そ、そんなの夕呼先生の推測じゃないか。オレが死ぬなんて、世界を救えないなんて…信じられない」




(オレが…死ぬ。死んだら…みんなを、世界を…救えないじゃないか)




「仕方ないわね…。霞、出てきなさい。あんたのリーディング結果を白銀に教えてあげて」

 夕呼が声を掛けると、ドアからひょっこりと一人の少女が現れた。特徴的なウサギを模したようなアクセサリーを頭に付けた少女―社霞である。その目は初めて会う武に緊張しているようでもあり、また心なしか武に対して親愛の情の目を向けているにも感じた。


「シロガネタケルさん。ごめんなさい。あなたが横浜基地に来てから、私はあなたの心をリーディングしていました。」

「か、霞…」

 社霞もまた、以前と全く変わらぬ姿で武の前に姿を現した。


「先に言っておくとね、白銀。残念だけど、霞にもあんたの記憶はないわ」

「…いいんです。霞の姿を見れただけでも…もう会えないかもしれないとも思ってたんで…。霞、オレとお前は初対面だったな…ごめん。初めまして、白銀武だ。それからリーディングのことなんか、謝らなくていい。夕呼先生に頼まれたんだろう」

「社霞です。初めましてシロガネタケルさん…」

 白銀さんではなく、シロガネタケル。仕方ないことだとわかってはいても、霞の呼び方に少し武の心はショックを受ける。


「霞、あんたのリーディング結果を教えてあげなさい…」

「シロガネタケルさん。あなたの心は…色が…色が…いろいろな色がまじりあって、もう何色かわかりません…。あなたの心の中には、うっすらとですが、たくさんのシロガネタケルさんが見えます…。本当にいろいろです。あなたみたいな人は見たことがないです。まるで、一人の人の中に、100人のシロガネタケルさんがいるみたいです…」

「…ッ」

 霞のリーディング結果は、夕呼の推測を裏付けるものであった。そして、何より…



(…何色かわからないほど、俺の心は塗りつぶされているのか…。オレはまだ…"壊れて"ないよな?)



 武は自分自身わからなくなっていた。今回のループ直後の脳の痛み、確かにあれは尋常なものではなかった。その異常さはそれを体験した武自身が一番知っている。けれど、丸一日気絶していたことに気付かないほど、自分自身が憔悴していたことにはまるで気付かなかった。そんな自分が信じられなくなっていたのだ。それに加え、霞の心の色が塗りつぶされているという言葉。武自身は、自分自身の心がおかしくなりかけていることなど、全く気付いていなかった。武にはその"気づいていなかったこと"ことが、自分の心が壊れかけていることの証のように感じたのだ。




「シロガネタケルさん。でも、あなたの心はまだ壊れてなんかいません」



 武が頭を抱える中、霞が今までのループでは聞いたことのないような、強い口調で武に言葉をかける。


「あなたは優しい人です。シロガネタケルさん。あなたの心の中の、どのシロガネタケルさんも、優しい目をしています」

 霞が白銀の心から見ることのできたイメージ。それは異なる世界の様々なシロガネタケルが優しげな眼差しで霞を見つめながら、霞の頭を撫でる姿であった。別世界に存在した全ての武が、他者をいたわり、慈しむ心を忘れていなかったのである。

「あなたの心は優しい。優しいばっかりにあなたは多くの世界で、人より多く傷ついて心を磨り減らしてきたんだと思います。でも、その優しさがあったから、それでも他の人を護りたいと思う優しさのおかげで、あなたの心は壊れなかったはずなんです」


 何度も同じ世界のループなど繰り返せば、人の心など簡単に壊れてしまうはず。たとえ記憶が戻らなくても、脳がその感情を記憶していることは変わりなく、徐々に心は蝕まれて、そして…壊れる。だが白銀武は傷ついても傷ついても、他の誰かを護るため、そのためにあらゆる世界で希望を捨てず、戦い続けてきた。他者のために。


「私はそんなあなたの心を知れた、そんな人がいることを知れたことが嬉しいです。そして…誰よりも他の人を護るために傷ついてきた人を、今度は私が護りたい。シロガネタケルさん。私にも、あなたのループの原因を探すお手伝いをさせてください。そして…あなたは私に教えてくれましたよね。今度は私があなたにその言葉を伝えます」



 霞の声はいつものか細いものではない。そして、その声は武のためだけに放たれる。



「白銀さん、未来の思い出、作りませんか?」



 リーディング。その能力は完全な形ではないにせよ、疑似的に霞に様々な世界の体験をさせたのだろう。そして。そのために霞は武のお手伝いを心からしたくなった。なぜなら、霞の体験した、別世界での全ての霞が、武に優しさをもらい護ってきてもらったのだから。



「霞…。思い出か…。オレが逆にお前に思い出を作ろうって言われるなんてな」



 武の心は…立ち直る。武の心という枯れた大地に水を与えたのは社霞。

 対BETA戦略のため、人として持たざる能力を持ちこの世界に生まれた霞。以前までの世界であれば、そのような複雑な生い立ちと能力を持つ霞の冷えた心を暖めてきたのは、白銀武であった。

 だが、この世界ではその関係が…逆転する。その出来事は、別世界の全ての霞の武に対する恩返しだったのかもしれない。
 

「………ありがとな、………霞」


 それは普段の武の声からは考えられないような本当に小さな声だった。だが、その精一杯の感謝の心は社霞に伝わる。

 武は自分自身がわからないと思っていた思いが完全に晴れたわけではなかったが、それでも。それでも自分をこんなに思ってくれる人がいるという事実に、心が水を与えられた花のように、生き生きとしてくることがわかる。


 そして夕呼も武に声をかける。

「白銀。あんたは一人で全部背負いこむ必要なんてないのよ。さっき、榊達が言ってた言葉、思い出してごらんなさい」




 武の頭に先ほどの榊達の言葉がフラッシュバックする。



『白銀、悪いけど私達はあんた一人に護ってもらうほど弱い人間じゃないわよ。今度の私たちはそんな簡単に死んだりしないわ』

『…白銀は自分でも何でもしようとする。…でもそんなこと私たちは望んでない。それにもう榊と自爆なんて御免』

『たけるさん、あなた一人で全てを背負うのはもうやめて下さい。壬姫は今までたけるさんに頼ってばかりでした。でもたけるさんこそ私たちを頼ってください』

『タケル。僕たちはタケルの足枷なんかにもうならないよ。今度はボクたちがタケルを護る番だ』





「あ……あいつら…」


「霞だけじゃないわ。榊も彩峰も珠瀬も鎧衣も、『白銀武』、あんたに手を差し伸べようとしてる」

 彼女たちは言っていたのだ。自分たちは白銀武の重荷ではないと。武に手を伸ばして欲しいと。そして、共に重荷を背負いましょうと。

「まりもだって同じ。それに…この私、香月夕呼もあんたが望むなら手を貸してあげてもいいわよ」

 そういうと夕呼は手をひらひらと振る。夕呼なりの照れ隠しのつもりのように武の目には見えた。


「白銀。それから忘れないで。この世界を救いたいと思ってるのは何も私たちだけじゃない。この世界に生きるもの全てが、そう願っているってことをね」


 
(オレは何を悩んでいたんだろうな)


 武の覚悟は……決まった。




「夕呼先生。霞」

 武は叫ぶ。それは単なる言葉ではない。魂からの宣言である。


「オレは…ループの原因を見つける。それだけじゃない。この世界を救う。いやオレ一人の力で救うんじゃない。一緒に…みんなで一緒に、この世界を救いましょう」


 白銀武はその手を伸ばした。



[14118] 第一章 each determination  第七話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/11/29 10:29
 話が思いがけず長くなってしまったため、武は急いで強化装備に着替え直接シミュレーション機に向かう。
 
 副司令室を出る直前にかけられた先ほどの夕呼の言葉を武は反芻する。

「白銀。とりあえずあんた達の実力を見てみたいから、ヴォールクデータに挑戦してもらうわ。小隊長は榊にさせるからきちんと従いなさいよ。」

 小隊長をまりもではなく、榊に命じさせるあたり、夕呼の本気度が図れるというものだ。夕呼は武達全員の実力を試す気でいる。




 シミュレータ室に駆け込むと、すぐにシミュレーターに飛び込む。ちらりと見える金髪の女性―イリーナ・ピアティフ中尉―の姿。どうやらピアティフがシミュレーションの設定をしているようだ。夕呼の副官はこの世界でもピアティフであった。

 シミュレーターに飛び込むと榊の声が飛び込んでくる。そして、どうやら機体は全員不知火のようだ。


「白銀ようやく来たわね。では小隊員全員にハイヴ突入前に小隊長として聞いておくわ。一つ前の世界は抜きで、この中にハイヴ突入経験のあるものはいる?」

 榊が小隊全員に声を掛ける。その質問は各自がどの程度の経験と技量を持っているかを聞いているのに等しい。


「…私は二つ前の世界では防衛戦ばかりだったので、ハイヴの突入経験はありません。ただ、後衛からの援護は得意としていたので、そちらの仕事は任せてもらって構いません」

 最初に言葉を返したのは珠瀬。そしてその答えは武の知る珠瀬壬姫からは考えられないような、自信に溢れるものだった。いや自信等ではなく、実際にそれだけのことができるという事実を述べているだけなのだろう。

「私は2度程経験はあるわ。ただどちらも反応炉までは到達できなかったから、期待はしないで欲しい」

 一方まりもからは、消極的な言葉が飛ぶ。

「私は…6度。全ての突入で反応炉破壊に成功している」

 彩峰からは驚くべき回答が返る。武はその答えに舌をまいた。


「彩峰。お前凄いな」

「凄いです。彩峰さん」

「うわぁ。そんな衛士が存在したんだね」

 彩峰は当然と言わんばかりに、鼻を鳴らす


「彩峰、それ桜花作戦も数に入れてないでしょうね」

「当たり前。それより榊、私は榊が何度ハイヴに突入したか知りたい」

「私は5度のハイヴ突入。そのうち4度で制圧に成功してる。ただし、その5度とも異なる小隊メンバーで突入したわ」
 
「ボクも榊さんの質問に答えておくと、ハイヴ突入経験は一度もないよ。それどころか二つ前の世界では戦術機にもオルタネイティヴ5発動後乗ってない。みんなに差つけられちゃってるかなぁ」 

「で白銀はどうなのよ?あんたのことだから、どうせ嫌というほど戦って来たんでしょう?」

「いや、オレも珠瀬とおんなじで、防衛戦ばっかりだったからなあ。ハイヴが攻略できるなんて思いもしない世界だったよ」

 榊が黙る。小隊員の話を聞き、小隊の編成を考えているのだろう。榊の判断は早く、数秒後には言葉が飛んだ。


「それじゃあ陣形を発表するわね。まずは前衛から。左から、神宮司軍曹、白銀、彩峰。その後方、中央に私。で後衛は珠瀬がついて。それから鎧衣は特に珠瀬機の動きに注意。偽装横坑からBETAが出てきたら、小隊が分断されるわ。そうなると珠瀬一人だとどうにもならないから」

「「「「了解」」」」

「それじゃあ突入するわよ。彩峰、あんたの速度に合わせるから、私たちを引っ張っていきなさい。以上。ピアティフ中尉お願いします」

 かつての榊からは考えられない『彩峰に合わせる』という発言に武は驚く。彩峰は優れた衛士だったが単独先行の嫌いがあり、榊はその対処に手を焼いていた。だが、先ほどの榊の発言は、そんな彩峰にむしろ自由にやりなさいと言っている。武の耳にはまるで、そんな小隊員を受け持つ度量が自分にはあると自負している発言のように聞こえた。ハイヴ突入経験6度の衛士に対する信頼もあるのだろうが、それでも以前の榊なら考えられないことだ。

「白銀。何ぼーっとしてんの。作戦はもう始まってんのよ」

 などと考えていると榊から怒号が飛ぶ。各隊員の状況を逐一確認しているのだろう。武は頭をかく。

「申し訳ありません。白銀機、行きます」

 そして、過去に類をみない、ヴォールクデータの攻略が始まった。













(私は…夢を見ているのかしら)


 夕呼は思う。それほどまでに目の前で行われていることに、現実感がないのだ。

 シミュレータの映像。その中ではたった5機の戦術機が、BETAを圧倒していた。その進軍速度は過去のあらゆるシミュレータ、実戦データの中でも最も優れたものであり、しかも彼らはその速度を維持したまま、30分以上ハイヴ深部へと進軍し続けている。


「彩峰、前方距離500に要撃級12。嫌な位置にいるから先にやっちゃいなさい。神宮司機は彩峰機の後方確保。白銀、私が左面を確保するから、あんたは右面を見なさい。戦車級一匹でも通したら許さないわよ。珠瀬機、進軍速度遅れているわ。今のうちに私たちの位置まで前進しなさい」

「神宮司、戦車級にいちいち36mmを当てなくていい。無視できるとこは無視しなさい。ハイヴの中で弾切れでも起こしたいの。白銀、あんたも近接に自信があるのかもしれないけれど、自分に酔ってるんじゃないの。私たちの目的はハイヴ制圧よ。BETA殲滅じゃない。状況を考えて長刀を握りなさい」

「彩峰3秒その位置で動かないで。珠瀬から援護行くわよ。味方に撃たれたくなかったら大人しくしてなさい」


 嵐のような戦場の中で榊の言葉が舞う。その言葉は戦場全体を見つめた、視野の広いものであるながら、さりげなく各員に対するアドバイスも忘れない。そして何より、初めて小隊を組んだはずである各員の能力を信頼しているのだろう。いやただ信頼しているだけでなく、その指示は非常に厳しいものだ。各員のさらに一段上の能力すら引き出そうとしているように夕呼には感じられる。


「5度のハイヴ突入経験は伊達じゃないってわけね…。しかも色んな小隊と組んだことがあるから、人の見極めも得意。榊がここまで成長するとは…思ってもいなかったわ。それにしても…BETAに対するこんな戦い方があったなんてね」

 夕呼は榊の対BETA戦術に気づく。榊はただ闇雲に、小隊各員に指示を出しているのではない。BETAの種類ごとの進軍速度の差を利用し、局地戦を各小隊員に仕掛けさせているのだ。

 BETAの群れに戦術機が突っ込めば、その戦力比は一対数百。BETAの数の多いハイヴ内、運が悪ければ、その戦力比は一対数千にまで膨らむ。そのような状況ではいかに優れた衛士であろうと、一瞬の集中力の欠如、一つの操作ミスといった些細な問題で数で勝るBETAに飲み込まれることになる。

 榊千鶴はそのことを誰よりもよく知っているようだ。そのために、小隊員にBETAの群れと勝負させない。方法は簡単だ。突撃級、要撃級、戦車級等、ハイヴ内に存在するBETAの進軍速度は種類ごとに異なる。そして、BETAの行動規範は単純で最も距離の近い戦術機に向かう。
 
 榊千鶴はそのBETAの習性を利用する。

 小隊員の立ち位置を細かく変更させることで、BETAの進軍方向を変更させる。結果、進軍速度の異なるBETAの群れは分断され、小さな群れとなる。その小さくなった群れに戦術機を向かわせることで、その戦場は数十秒間ではあるが、戦力比1対数匹、多くても数十匹の局地戦となる。数のいないBETA等、戦術機の前では紙屑同然だ。
 
 だが、言うのは簡単だが実行させるのは至難の業であろう。榊の優れた能力と実戦での経験、そして絶えまぬ努力。これらがなければ、このような戦術が生み出されることはなかったはずだ。

そして何より、

(まりものことを神宮司呼ばわり。戦場で相手の肩書に気を遣ってる暇なんてないってことね。まさかそれを榊が実践できるようになるなんて)


 榊千鶴は、地位や肩書に配慮できる訓練兵であった。そのことは軍人として当然のことであり、その態度は賞賛されてしかるべきである。だが、それは当然状況によって使い分けられなければらならない。ただ、そこらへんの柔軟さが以前の榊には足りなかった。そのため小隊の仲間同士の距離感を計れず、そのことが第207衛士訓練部隊が1度目の総戦技評価演習に失敗する原因の一つとなった。




「彩峰!要撃級8、45秒で片付けなさい」

「…了解」

 夕呼は彩峰機の動きを見る。

 榊千鶴が作り出した局地戦の中、誰よりも多くのBETAを葬っているのが彩峰だ。

 ただ彩峰機の戦い方には異常な点が一つある。戦術機とBETAとの距離間が異常に近いのである。通常の衛士の近接戦闘時の距離と比較してもおそらく、数mは近いように思われる。手を振ればBETAに当たる距離とでも言えようか。

 ただそれでも、彩峰の機体にはBETAによる損傷は未だ一つもない。おそらくBETAの各部位、間接の可動範囲を知り尽くしているのだろう。さらに彩峰の戦術機はただ闇雲にBETAに接近しているわけではなく、その行動には大きな意味がある。BETAは同士討ちをしない。そのため彩峰がBETAの懐に入ることは、他のBETAから攻撃されず、安全に目の前のBETAを叩くことにつながる。ただ、こちらも分析することは簡単だが、実践するのは相当の技術と精神力が要求される。他のBETAから攻撃を受けにくいといっても、その位置はBETAの懐。一撃でも攻撃を受ければ戦術機は大きなダメージを受ける。死の恐怖に打ち勝ち、戦術機を自分の手足のように扱える衛士だけが用いることのできる戦術だろう。


 そしてさらに、その手に握られる武器に夕呼は驚く。彩峰機の手に持つ武器。それは短刀なのである。

 短刀は通常、戦術機にしがみつく戦車級を振い落とすのに使われる武器で、近接の得意な衛士も普通は長刀を使う。だが、彩峰機はその独特の距離感―BETAに対する異常に近い距離―を持っているためか、長刀と変わらぬ速度で、BETAを短刀で切り裂いていく。いや、長刀より細かい動きが可能な分だけ、その速度は長刀以上だ。短刀は長刀より耐久度も高い。そのためか、彩峰は一つの短刀だけで多くのBETAを相手にできるようだ。

「こっちもこっちで、普通の衛士じゃないってことね。あんた達…どんな戦場で戦ってたって言うのよ…」




「彩峰2秒待ちなさい。珠瀬の援護が飛ぶわ。珠瀬、撃ちなさい」

 そして、今日何度も聞く、榊の合図。この合図もまた、一人の衛士の異常とも言える能力を利用したものだ。

 後衛から放たれる120mm弾。ただし、その狙い澄まされた弾道は一つではない、今の瞬間だけで4つの弾丸が飛び、4匹の要撃級が血の海に倒れる。

「単なる狙撃屋じゃない…異常なまでの、脅威度を見極める判断と照準合わせの速さね…」

 珠瀬機から放たれる120mm弾。その精度もさることながら、おおよそ0.5秒に1発という早撃ち。精度の高い狙撃が次々と後衛から飛ぶ。榊の合図後のみ超精度による早撃ちをさせているのは、味方討ちの危険を避けるため、あえて榊が使用に制限をかけているのだろう。

「珠瀬の判断と次弾を撃つまでのインターバルが短すぎるから、あえて彩峰機を立ち止まらせて珠瀬に撃たせるのね。しかも、彩峰機が止まることで、BETAの進軍速度がズレて局地戦がさらに進むと…。今日初めて組んだとは思えない化け物ね。3人とも」




 続いて、夕呼は自分の親友であるまりもの姿を見つめる。

「まりもはまりもで、私が知ってるまりもよりは1、2段上の動きを見せてはいるけれど…。あいつらに遅れないで行くのが精いっぱいってところね…」

 まりも機も悪い動きはしていない。むしろ、別世界での経験がまりもの衛士としてのレベルを1、2段階引き上げている。ただ、熟練した衛士の動きを見せるまりも機が可愛く見える、それほどに優れた3人の動きであった。




 そして異常な衛士はもう一人存在する。

「榊さん、前方距離300、右壁面嫌な感じがします。壬姫さん、最大速度で榊機まで前進」

 珠瀬機が榊機に追いついた直後、鎧衣が嫌な感じと言っていた壁面が崩れ、大量のBETAが飛び出す。ハイヴ内の偽装横坑が破られ、BETAが飛び出したのだ。しかし、珠瀬機はすでに小隊と合流済み。小隊が分断されることなく、各員は冷静にBETAに対処していく。

「鎧衣は鎧衣で、何なの。ハイヴ攻略中に偽装横坑を発見できるなんて聞いたこともないわよ…。それにBETAに対する理解度が尋常じゃないわ。本当に…どういうこと」

 夕呼が鎧衣に対する疑問を呟く間にも、鎧衣の言葉が戦場に次々と飛ぶ。

「神宮司教官、いえ神宮司機。突撃級は突撃後1.4秒は方向転換まで硬直時間があります。落ち着いて36mm弾を撃ち込んで下さい」

「珠瀬さん、その要撃級は彩峰さんに右腕間接をやられていますので、すでに無力化されています。無視して構いません」

「タケル。戦車級は戦術機の手前4.5mで、戦術機に飛びつくよ。だから逆に言うと、そこまでは近づけても大丈夫、36mmを無駄に使わないで」

 夕呼は一つの確信に至る。

「鎧衣の世界では…BETAに対する研究が進んでたってわけね…。これほどまでにBETAの行動規範を体系化可能だなんてね…。考えたこともなかったわ」




「で…最後に白銀…。あんたは…あんたはやっぱり天才ね、白銀」

 そう夕呼が呟きたくなるほどに、白銀機の動きは天才的であった。確かにその動きは、他の4人に比べれば無駄なものが多く、戦術機の一つ一つの動作も滑らかではない。だが、その動きの発想が他の衛士に全く見られないものなのだ。3次元の動き。それを白銀は体現している。
 
 飛ぶ。いや白銀機は翔ぶのだ。

 どう考えてもその動きによってもたらされる衛士に対する負担は半端なものではないように見える。なぜなら白銀機は単純に翔ぶだけでなく、空中で機体を回転、反転を繰り返し、その中で機体姿勢を変化させ、さらに推進剤を使い加速をかける。その加速のかけ方も一様ではなく緩急を使い分けており、その動きを見ていると、まるで地球に重力等存在しないような錯覚すら覚える。

「確かに…あの動きはBETAに捕らえられるものじゃないわ。光線級のレーザーを避けるってところから着想しているのかしら…。それにしても…あいつの三半規管はぶっ壊れてるの。どうして180度、逆立ちしたような体制から、姿勢制御ができるのよ…」

 白銀武は自らが空に臆することなく翔べる理由を、元の世界のバルジャーノンによるゲーム経験からと思い込んでいる。だが、決してそれだけではない。ゲームで空に翔べるからといって、戦術機で空に翔べるわけがないのだ。

 バルジャーノンのゲーム視点では、360度、世界が廻るような視点変更は行われない。そして当然飛翔時に、地上方向からの重力Gがかかることもない。ゲームはゲーム。戦術機とは全く異なるものなのだ。けれど白銀武は戦術機で空を翔ぶことができる。彼の優れた三半規管と、XM3開発時のシミュレーション、そして生死を賭けた戦場。これらが揃ったことで始めて、武の空を飛翔する才能が開花したのであろう。







 そして…それから15分後。ハイヴ突入後、活動時間45分で、5機の戦術機はヴォールクデータによるフェイズ3ハイヴを制圧した。



[14118] 第一章 each determination  第八話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/11/29 10:26
「あんた達の実力はよくわかったわ。ほんと嫌ってくらいね」

 夕呼から呆れたような声が飛ぶ。

「それにしても、旧OSであの動き。新OSを導入したらいったいどれだけの動きができるようになるのよ。恐ろしいわ」

 夕呼の意見は至極もっともなものであろう。たった5機でBETAを圧倒できる動きが旧OSでも可能なのだ。まだまだ、戦術機に関する操作技術には進化の余地があることを彼らは示した。


 だが、そんな夕呼の言葉をまりもが大きく否定する。

「夕呼。確かに彩峰達の技術は素晴らしいものがあるわ。私もあれだけの衛士はお目にかかったことはなかった。前の世界、その前の世界を含めてね。ただ…あそこまでの動きが旧OSで可能になるまで、一体どれだけの訓練期間が必要だと思う?それにあのBETAを恐れない精神力。並の兵士では、技術を手に入れられる可能性はあっても、あの動きの適性は得られないわ。私は新OSの凄さを知っている。新OSを導入しても、さっきの彩峰みたいにBETAを圧倒できるような動きが簡単にできるようになるわけじゃない。でも、新OSは、衛士を"生かすことができる"。今よりもっと長い時間ね。使いたくはない言葉だけど、『衛士の消耗度の低下』、その点において、あのOSにかなうものはないわ」


 XM3。前の世界でその存在を知った際、まりもは誰よりも歓喜した。より多くの衛士、教え子達が死ななくてもすむようになる。まりもの心に宿った思いはそれであった。


 確かに優れた衛士というものは存在する。彼らの中には常人には不可能と思われるような任務をこなし、一騎当千とまではいかないが、恐るべきBETAの撃墜スコアを持つものもいる。

 けれど、そんな衛士はほんの一握りの存在であり、衛士の訓練課程が整備された現在でも、初陣の死の八分すら越えられない衛士すら未だ多く存在するのが現状だ。特別な能力を持たず、戦場でBETAを圧倒する場面等ほとんどなく、いつも死の恐怖に怯えている。そういった"普通の衛士"達が大多数なのだ。

 だが、この地球を守っている大多数の衛士はそのような普通の衛士達である。彼らはそれでも戦い続ける。国のため、仲間のため、家族のため、恋人のため。個人個人の戦う理由は異なっているだろうが、彼らは護るべき何かのために戦い続けている。

 今、この瞬間も。その命を散らしながら。



 そんな彼らが、一人でも多く生き残り、何かを護るために戦い続けられるようになる。それが新OS。まりもの目にはその存在が、何物にも代え難い、美しい宝石のように映っていた。




「そんなことわかってるわよ、まりも。それにしてもあれだけの速度でハイヴを攻略できたら、彩峰とか榊の世界は、こっちよりかなり"楽な"世界になったんじゃないの?」


「…副司令。私の世界ではハイヴを攻略するだけじゃ、効果はあまりなかった。ハイヴを失ったBETAは、その帰巣本能に従って一番近いハイヴに向かう。ハイヴ二つ分のBETAが集まったハイヴはすぐにいっぱいになって、すぐにあぶれたBETAが次のハイヴを作ろうと活動を始める。あぶれたBETAがどこにハイヴを作るかなんて人類にはわからない。だから、間引き作戦なんかよりよっぽど厄介。防衛戦になるから。唯一のメリットはハイヴ攻略後に逃げるBETAが無防備なこと。だけど、BETA相手だと結局銃弾がいくらあっても足らない。だから私の世界では、ハイヴ攻略より、リスクの少ない間引き作戦の方が優れた戦術ということになった」


 榊以外の全員が、彩峰の発言に驚く。何しろハイヴを破壊することは、BETA襲撃の恐怖からの解放につながり、人類が掴み取る勝利の一歩となると考えられてきたからだ。しかし、彩峰が言ったのは全く逆の別世界での事実。単体でのハイヴ攻略作戦はあまり意味のあるものではなく、即座に防衛戦が始まるという、むしろリスクの方が高いというものだったからだ。


「副司令。彩峰の言ってることは事実です。特にエネルギーを補給するために別ハイブに向かうBETAの動きはなりふり構わないものがあります。どれだけの土地と人々が蹂躙されたことか…。ただ、ハイヴ攻略後に逃げるBETAが無防備なのも事実で、BETAの追撃作戦がきっちりと整っていれば、大きな成果を生み出すことは間違いありません。私の世界では、帝国、国連軍の消耗度が激しく、質、量ともに充実した追撃作戦はできなくなっていましたが、2001年時点での帝国軍であれば、そのような作戦はまだまだ可能なはずです」


 榊が彩峰の発言を補足する。彩峰と榊。二人の世界は似たような状況であったようだ。

 夕呼は彩峰と榊の発言に思考を重ねているようであったが、結論は先延ばしにすることにしたのだろう。シミュレータ室に居る全員に声をかける。

「どちらにせよBETAと戦い続けることは間違いないんだから、当初の計画通り新OSの開発に入りましょうか。時間がもったいないから、24時間交代制であんた達にはシミュレータに乗ってもらうわよ。あと榊、彩峰、珠瀬、鎧衣。あんたたちには聞きたいことがまだまだたくさんあるわ。シミュレータに乗ってない時間にそこらへんも済ませちゃうから、呼び出されたらすぐに私のところに来ること。いいわね」



「「「「「「了解」」」」」」



 そういって夕呼は彼女達全員にセキリュティパスを渡す。それは夕呼が彼女達のことを"認めた"証のように武の目には見えた。





 そして、新OSの開発が始まった。そのスケジュールは非常に厳しいもので、武は夕呼の恐ろしさを再認識することとなる。

 武達―武、まりも、榊、彩峰、珠瀬―衛士組の仕事は、武の脳に描かれた新概念―即応性、コンボ、キャンセル―を夕呼がOSとして構築した後の、膨大なバグ取りとその動きを新OSに記憶させることである。衛士組は様々な状況での動きを戦術機にシミュレートさせ続け、エラーや違和感が見つかれば即座に報告。それを夕呼、ピアティフ、霞、鎧衣が再度OSに反映させ、衛士はまたシミュレートを再開する。通常、一回のシミュレータに乗る時間というものは長くても数時間。けれども夕呼は武達をシミュレーターに搭乗させ続ける。結局、新OS開発開始から5日間、武達衛士は睡眠を除いた全ての時間をシミュレーターの中で過ごすことになる。

 武達は前の世界の記憶を持ち、優れた技術や能力を手に入れてはいるが、決して超人になったわけではない。当然ながら、5日間もの間、戦術機のシミュレーションをし続けることなど、体力的、そして精神的にも厳しいものだ。

 だが、その苛酷なスケジュールを誰一人、弱音一つ吐くことなく、こなしていった。そしてその結果…



「これで……新OSは完成よ」



 夕呼が強くパソコンのエンターキーを押す。
 日付は10月28日午前6時。交代制のため待機状態となっていた面々もその完成の瞬間を見届けていた。

「やりましたね、夕呼先生」

 武が満面の笑みで声をあげる。前の世界と比較しても一月以上早い新OSの完成に白銀は大きく歓喜したのだ。

「これで、これでXM3の完成で、オレ達、いや世界中の衛士達がBETAと長く戦えるようになります」

 その武の言葉を聞いた夕呼がにやりと笑う。



「白銀。この新OSの名前は"XM3"じゃないわ。『XM7』よ」


「XM……7」


「あんたが前の世界で作り出した新OSの名前はXM3。あんたの元の世界のゲームの概念である『先行入力』、『キャンセル』、『コンボ』。この3つの新概念からXM3の名前の由来は来てるってあんたは教えてくれたわね。でもね白銀。私がこの世界で作った新OSはそれらの概念に加えて、榊が教えてくれた『BETA進軍速度のリアルタイム演算』、彩峰『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』、珠瀬の『BETAの脅威度レベルの高速算出』、鎧衣の『戦車級BETAの危険距離警告』、これらの新概念を取り入れているわ。だからこの新OSの名前はXM3じゃない。『XM7』よ」


 これらの新概念はヴォールクデータでの各機の動きから、夕呼が新OSに取り入れられると考えた要素を、各員から直接話を聞き、改良を加えることで新OSに搭載したものである。

 
 『BETA進軍速度のリアルタイム演算』は榊がBETAの進軍速度の差を利用し、局地戦を仕掛けているころから発想したもので、榊が経験とある程度の勘で計算していた、各BETAの戦術機到達までの時間を新OSが自動的に計算を行うことで、衛士に知らせるものだ。流石に榊程の精度と、一定数を超えた数のBETA到達距離の同時演算は不可能ではあるが、それでも十分に実戦の使用に耐えうる範囲だ。新OSの優れた演算能力が生かされた結果と言えよう。
 

 『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』は彩峰のBETAの懐に入る動きを他の衛士にも実現可能なものにするために、彩峰が感覚で行っていたものを夕呼がベクトル空間上で解析することで、要撃級BETA等の各関節稼働範囲を視覚的に示したものだ。この稼働範囲外に入れば、その瞬間BETAから攻撃を受けないことを示しているため、近接格闘戦術の幅が大きく広がるだろう。
 

 『BETAの脅威度レベルの高速算出』は珠瀬機の狙撃判断の速さを夕呼が解析したもので、珠瀬が感覚で行っていた各戦場状況による危険BETAレベルの算出を、様々な条件を新OSに自動取得させることで、瞬時に衛士に伝えるものである。これもまた、新OSのCPU演算能力がなければ実現できなかったものであり、さらにOSに各状況下での危険BETAを手動で覚えさせていくことで改良することが可能となっている。
 

 『戦車級BETAの危険距離警告』は鎧衣が精通していたBETA知識のうち、最も多くの衛士を食い殺してきたと言われる戦車級BETA、これに特化したものである。戦場に溢れる戦車級のうち、危険距離まで接近した戦車級を表示。また『BETA進軍速度のリアルタイム演算』とも連動しており、数秒後レベルではあるが、戦車級の動きも予測可能となっている。この危険距離警告のみに頼ることは確かに危険ではあるが、戦術機に乗ったばかりの衛士にとっては心強い味方となるだろう。



「それから新OSの中身も全く別物。XM3の話を聞く限り、00ユニット開発に伴って、副次的にCPUの演算機能が大幅に強化されたことを利用してゴリゴリと力押しで演算させてるんでしょうけど、その構築方法は美しさが足りないわ。そこで、全く別のマトリックスを組んで演算の時間ステップを短縮することで、既存のCPUでもその恩恵を最大限利用できるようにしたの。まあプログラミング演算の二の字も知らないあんたにはわかんないかもしれないけどね」


 夕呼の言うとおり、武はその詳細について理解できたわけではなかった。 

「中身が別物っていうのはそういう意味よ。だからXM7は単なるXM3の機能拡張版じゃない。もしかしたら新新OSにでもなるのかもしれないわね」

 だが、夕呼の言っている言葉の本質については理解した。
 

「白銀。研究っていうのはね、新しいことをやって初めて、『研究』として認められるのよ。私は"研究"者よ。別世界とは言え、すでに"別の研究者"が開発したものと同じものを作るなんてまっぴら御免だわ」

 夕呼には研究者としての誇りがある。だが、まさか別世界の自分でさえもライバルと見なすとは。武は香月夕呼という人間の強さが少し理解できた気がした。

 限られた時間で新OSを作るという過酷な状況の中ですら、香月夕呼という人間は自分自身の信念を貫き通す。ただ頭がいいだけの人間ではない。そのような夕呼だからこそ、若くしてオルタネィティヴ4計画の最高責任者として横浜副司令に任命されることになったのであろう。



「まあ、あんた達もあのスケジュールの中でよくやったわ。ただし白銀。あんたよりよっぽど榊達の方が自分たちの持つ新概念を上手く私に教えてくれたわよ。あんたは初めてじゃないんだから、もうちょっと頑張りなさい」

 夕呼が新OS開発を共に行ったもの達に、ねぎらいの言葉をかける。白銀のところで話をオトすのが夕呼らしいが。

「それじゃあ、あんた達も連日の作業で疲れてるとは思うけど、このままこの後の計画について話を進めていくわよ。時間も"あまりない"ところだしね。とりあえずブリーフィングルームに移動しようかしら」



 武には一瞬、夕呼がにやりと白銀の方を見て笑ったような気がした。



[14118] 第一章 each determination  第九話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:3b22cafb
Date: 2009/12/05 09:01

 武達一同はシミュレータ室から、ブリーフィングルームに向かう。厳しいスケジュールをこなした直後なだけに、その足取りは重い。

 だが、武は気づく。榊、彩峰、珠瀬、鎧衣、まりも。彼らの瞳の奥に強い意志の光が宿っていることを。


 ブリーフィングルームに入ると、すぐに夕呼が話を始める。その喋り調子は軽快で、まるで子供がとびっきりのいたずらを他人に話しているような、そんな感じを武は覚えた。

「さて、それじゃあ今後の予定の"確認"をしましょうか。予定通り、5日間で新OSは完成したわ。本来は10月22日からの6日間で完成させるつもりだったから、開発期間自体は1日短縮できたわね」

 夕呼達は武が10月22日にやってくることを想定して、すでに今後についての計画を立てていた。武が1日遅れで横浜基地にやってきたため、スケジュール的にはかなり厳しいものになってしまったが、予定通りの日付に新OSの開発は完了した。


(それにしても…夕呼先生はどうしてここまで、スケジュールにこだわった…。1日2日の遅れが何を引き起こすっていうんだ…)


「では次の予定ね。彩峰の帝国軍への編入は、上手くいったわ。連日のシミュレータ搭乗で疲れてるでしょうけど、休んでる暇がないのは彩峰も当然わかってるわね。もうすぐ帝国軍の諜報部があんたを迎えにくるわ。新OSの入ったデータチップはこれ。大事にしなさいよ」

 そういって夕呼は彩峰に小さなデータチップを投げる。彩峰はそのチップを当然のように受け取る。


 武はあまりに予想の範囲外の展開に頭がついていかない。

「私も少し調べさせたけど、帝国軍の状況はあんたが教えてくれた前の世界の状況と変わらないわ。しっかりやりなさい」



「夕呼先生。これはどういうことですか。俺達はみんなでこの地球を救うんじゃなかったんですか!」

 武は何とか口を動かし、声を上げることができた。


「人類を救うためにやってるんでしょ、白銀!例え未来を知っている人間が5人いても、一部隊ができることなんて限られてるわ。そのための彩峰の帝国軍編入よ」

「でも、それならなんで帝国軍に…」

「あんたそんなこともわかんないの。あんたが私に教えてくれたんでしょ」

 そんな夕呼の言葉を彩峰が遮る。

「白銀。私が帝国軍に行く理由。それはクーデターを止めるため。これは私の義務」



「クー…デター…」

 夕呼が再び遮られた話を再開する。

「2001年12月5日、青年将校沙霧尚哉大尉を首謀者とした、帝国本土防衛軍帝都守備連隊により引き起こされた軍事クーデター。後に12・5事件と言われる出来事。あんたが教えてくれたことよ、白銀。この事件による影響をざっと挙げてみましょうか。クーデター軍は榊首相以下、主要閣僚を誅殺。これにより生まれた政治的空白による損失は計り知れない。何しろ、日本を動かしてた主要政治家が突然殺されたわけよ。彼らの代わりなんてすぐに見つけられるわけがない。加えて、そのクーデターを鎮圧するため派遣された米軍部隊はクーデター側による抵抗でほぼ壊滅状態に。当然米国の政治的な圧力が大幅に増加することが予想されるわ。今でさえ、きっつい状況なのに、榊首相もいない状況で米国に上手く立ちまわれる政治家なんているのかしら。また、クーデター軍、帝国軍の衝突により、貴重な兵士と戦術機を消耗。これにより国際的な発言力も低下。まあ力を合わせてBETAと戦わなきゃいけない時期に仲間割れしてる国なんて、他の国も愛想がつきるってもんね。そしてクーデターによって引き起こされる一連の出来事は、日本国のBETAに対する敗北を決定的にすると私は考えている。少なくともクーデターが起きれば、日本が主権を"永遠に"失うことは間違いないでしょうね」


「で、でもだからといって彩峰が行かなくても…」


「クーデターの事前阻止の方法については私も考えたわ。方法その1、火山噴火地域住民の強制退去の不実行。確かに2001年の12月5日にクーデターが起きる可能性は無くなるわ。それは1度目のあんたの世界で実証されてる。でもそれは、あんたと御剣冥夜の二人がそろって初めてできることよ。普通の兵士なら命令無視をしてまで、一人の老人のために命をかけたりなんてしないわ。それともあんた達の誰かが災害救助に行く?戦術機で溶岩流を止めるなんて無茶は命が何個あっても足りない。そもそも私はそんな無駄なことにあんた達みたいな貴重な人材を投入なんて死んでもしないわ。それじゃあ避難勧告を無視する住民を見捨てる?クーデターを起こす連中は自分たちが暴れられる口実が喉から手が出るほど欲しいのよ。『護るべき国民を見捨てる唾棄すべき現政権に死を』とでも銘打って、喜んでクーデターを始めるでしょうね。そんな奴らだから、もしあんた達が「命を賭けて」、「奇跡のような確率で」溶岩流を止めて、「住民を救っても」結局、クーデターの実行日をほんのちょっと遅らせるだけ。あいつらは結局、何か適当な理由をかこつけて、遅かれ早かれクーデターを始めるわ」


 武はその言葉を理解する。御剣冥夜という衛士がいたからこそ、あの作戦は可能だった。そのことを一番よく知っているのは武だからだ。


「方法その2、沙霧大尉の暗殺もしくは誘拐、監禁。頭脳優秀、衛士としての能力にも秀で、なおかつ下士官からの信頼も厚い沙霧。彼がいなかったら、あの規模のクーデターを起こすなんて不可能だったんじゃないかしら。じゃあ彼を消せばいいんじゃないかって?確かに戦略研究会が作られる前、沙霧の仲間がそれほど多くなかったころに実行していれば、クーデターは起こらなかったかもしれないわね。ただもう、クーデターに参加する者達の規模が質、量ともに大きくなりすぎたわ。富士教導隊まで参加してるんでしょ?もはやクーデター『軍』と言ってもいいくらいよ。沙霧一人が死んでも、もうクーデターは止まらない。むしろ、沙霧という有能な指揮官を失ったクーデター軍は内部に入り込んだ米国の諜報員にいいように使われるんじゃないかしら。米国にとって最もよい形でのクーデターの実行とかね。米国にとって都合のよい形、例えば、将軍煌武院悠陽の謀殺がそれにあたるわ。沙霧大尉一人を今更どうしようと、もう動きだした船は止まらないって奴よ」


「悠陽が…殺される…」


 ようやく冥夜と会えたはずの、悠陽。引き裂かれた二人の姉妹がその手を繋ぎ合ったはずの世界。クーデターはそれを…容易く切り裂く。


「方法その3。クーデターの早期鎮圧。あんた達のうち何人かに戦術機でクーデター軍を攻撃させるって話ね。大事になる前にあんた達がクーデター軍を早期に鎮圧できれば、傷は少ないかも知れない。じゃあ彼らをあんたは『いつ』攻撃すればいい?集まりだしたクーデター軍をいきなり攻撃する?証拠もないのにそんなことできるわけないでしょ。未来から来たあんた達以外の多くの人間は、沙霧達がクーデターを起こすなんて夢にも思ってないのよ。いきなり帝国軍の戦術機を国連軍が攻撃なんかしたら、大問題どころの話じゃ済まなくなるわ。じゃあ、クーデター軍が軍事行動を始めた直後を狙う?クーデター軍の軍事行動は、斯衛軍との皇居での睨み合いの最中に一発の弾丸が放たれてから始まるのよ。そんなのもう、始まった時点でこれ以上ないくらいの大事になってるじゃない。早期鎮圧なんて結果に関係なく、日本国としてのあり方が疑われるでしょうね。それじゃあ、帝都に侵入しようとするクーデター軍を警告した後、強行突破しようとしたところを攻撃?相手はただの帝国軍じゃない。帝国本土防衛軍帝都守備連隊なのよ。帝都に入るだけじゃ問題にはならないわ。むしろ国連軍の私達が帝都近くに戦術機を展開させた方が大問題になるわね」


 武が提案しようと考えていた案は次々と夕呼によって消されていく。武が思いつく程度の案など、すでに夕呼は検討済みなのだろう。簡単に解決できる方法等あれば、夕呼がすでに実行している。

「結束が固く、外部からの圧力ではもうどうにもならないクーデター軍。彼らを止めるには、もうクーデター軍の中から切り崩すしか方法がないのよ。そして、クーデター決行が迫った今、そんなことができる人間はこの世界にたった一人。クーデター軍が上り奉る彩峰中将の娘であり、沙霧大尉とも関係の深い、『彩峰慧』しかいないのよ」


「で、でもそんな危険な任務を彩峰一人にやらせるなんて…」



「あんたの言うとおり、もし仮に彩峰が国連軍、香月副司令からの回し者だなんてバレた時には、彩峰の命はないわね。ただ、彩峰が『処分』された場合、私はその事実を最大限利用させてもらって、クーデターを未然に潰すことも付け加えとくわ。スマートなやり方とは言えないけれど、最小の犠牲で最悪の結果を防げるんですもの。当然、彩峰が上手くやることを私も望んでいるけどね」


「……そんなどうして!彩峰はそれでいいのかよ!」


「彩峰の帝国軍への編入。これは私が無理強いしたわけでも、そうなるよう仕向けたわけでもない。彩峰自身が私に、頼んできたことなのよ」


「…っ」


「白銀。このことは私自身が自分自身の意思で決めたこと。私を止めることは白銀だろうと許さない」

 そう言った彩峰の姿は、周りの全てを拒否し、一人孤独に生きようとしていた、かつての彩峰慧を思い起こさせるものであった。

「彩峰…、オレはそんな目のお前を見たくねえよ…」



 武の心に流れた感情は無力さ。

 そうしなければならないということはある程度理解できる。

 ただ、彩峰にあのような目をさせたまま、彼女を送り出すことが許せない。

 何もできない、言ってやれない自分を心から恥じる。

 武の気持ちはまるで整理がつかない。



(どうしたら…どうしたら…いいんだよ)
 

 
 武の感情が落ち着かぬ中、夕呼の急いた声が彩峰に飛ぶ。

「彩峰、もう諜報部の連中が来る時間よ。急いで行ってきなさい」

「了解」

 そして、彩峰は椅子から立ち上がり、その足はブリーフィング室のドアの方へ向かう。

 誰も彼女に声を掛けない。いや掛けられない。


 コツンコツンと部屋に響く彩峰の靴音。

 その足音の一音、一音に武の心は強く締め付けられる。




 コツン、コツン、コツン、コツン。 


(わからない。どうしたらいいかオレにはわからない…)


 コツン、コツン、コツン、コツン。


 コツン、コツン、コツン……。 




 しかし、その音が突然止む。

 武はうつむけた顔をあげた。
 
 彩峰の靴のつま先の先にいるもの。それは白銀武。




「白銀」



 そう言うと彩峰は唐突に、本当に唐突に、身を屈めると、武の顔をその両手で押さえ、唇を重ね合わせた。


「……(く…っ)…」


 武の言葉は、彩峰のその薄桃色の唇でふさがれる。

 そのキスは武にとって甘美なものであったが、なぜか愛というよりはむしろ慈愛に溢れたもののように感じた。
 だが、そのような甘い時は一瞬。



「…白銀のエッチ」

「お前がしてきたんだろ!」

 武は突っ込む。だが、彩峰はいつものようなノリのいい返しをすることもなく、その表情は真剣なものに変わっていた。


「白銀。私は、かつての私は、他人の言葉に耳を傾けず、必死で自分の耳を塞ぎながら、運命を呪ってた。辛い運命なら知らないふりをして避ければいいと思ってた」

 彩峰は目を閉じ、覚悟を纏い言葉をつなぐ。


「でも、そんな甘えた少女みたいな私は今日で卒業」


 そして、彩峰慧の魂の叫びが放たれる。 




「避けられない運命なら、越えてゆけばいい」




「あ、彩峰…」

「白銀、私は必ずあなたの前に戻ってくる。だって私、彩峰慧は…」

 武には、ほんの一瞬時が止まった気がした。


「どうしようもないくらい、白銀のことが好き。そんな白銀をもう二度と拒否なんかするわけない。そのことを…忘れないで」

 そして…、彩峰はドアの方を向きながら叫ぶ。


「榊。…榊の父親、私が護ってくるよ」


 そう言うと、彩峰慧は身を翻し、ドアの向こうへと消えていった。照れ隠しなのだろうか。榊の顔を見ないあたりが彩峰らしい。

 部屋に残された面々は彩峰の行動に言葉も出ないようで、面くらっていた。ただ、夕呼だけが心から楽しそうに笑っていたが。



「それじゃあ、次の予定についても確認しちゃいましょうか」

 夕呼は部屋に残された面々に声をかけた。彼らの心もどこかに取り残された様子だったが。










 彩峰慧は走る。その動きは強化装備の服装と相まって、大型のネコ科動物を連想させるものだ。諜報部の人間との約束の時間が迫っており、1秒でも無駄にはできない。全力で横浜基地内を駆け抜ける。だが、彩峰の顔はにやけていた。


(この世界の、白銀のファーストキスは私のもの)


 彩峰慧は知っている。一つ目の世界で彼が彩峰と初めてキスした時に言っていたのだから、これがオレの初めてのキスだと。


 彩峰慧がこの世界がループしている世界だと知った時、心に誓ったことが二つあった。




 ひとつは、クーデターを止めること。

 もうひとつは…白銀武に、嘘偽りない自分の気持ちを伝えること。

 前の世界と、そのもう一つ前の世界。

 ふたつの世界での彼女の大きな後悔。 




 彩峰は行く。
 
 『愛する人』を護るため、『愛したかもしれなかった人』を止めに。
 
 彩峰は思う。

 これが私の運命に対する初陣だと。



[14118] 第一章 each determination  第十話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/01/30 11:28
「白銀。話聞いてんの。ったく、キスの一つくらいで呆けてるんじゃないの」


 夕呼の声で武は現実へと引き戻される。

 彩峰のキスに始まる一連の出来事の衝撃は、武の無力感などどこかに吹き飛ばしてしまっていた。ただ、その理由はキスという行為のためだけではない。彩峰が自分の言葉で武に伝えてくれたからだ。


「必ずあなたの前に戻ってくる……か」


 彩峰は確かに言った。自分の義務を為した後、戻ってくると。

 武を拒否したのではないと。自分の意志で為さねばならぬことがあるから、今は私に任せてくれと。


 あの無口だった彩峰がはっきりと、言葉に出して説明してくれたことが嬉しかった。『好き』と言う言葉には心から驚いたが。

 
 今、武の胸に宿る思いはたった一つ。


(彩峰、オレはお前を信じる。必ず、戻ってこいよな)


 その刹那、武の頭の中に何かうっすらとしたイメージのようなものが流れ込む。

 それは彩峰の笑顔。ただその顔は武の知る彩峰よりは少し大人びている感じだ。

 武の脳に焼きつけられる彩峰の表情は今の彩峰からは想像もできないようなとても優しげなもので、武の方をじっと見つめている。
 
 その笑顔は武にとって心安らぐものだった。しかし、同時に武の脳を物理的な痛みが襲う。 


(これは…。あの時と同じ)


 その痛みを武は体験したことがあった。この世界のループ直後に味わった、記憶の流入時と同じ痛みだ。

 武の頭が、彩峰のイメージで埋まっていく。タイプライターで文字を刻むように、武の脳に『知らないはずの彩峰』が刻み込まれているのだ。










 クリスマスパーティのプレゼント交換。武の手元に来たのは、彩峰のプレゼント「お昼を一緒に食べてあげる券」だった。
 
 いくら鈍感の武でも、そのプレゼントの意味くらいわかる。武も彩峰と同じ気持ちを抱えていたのだから。

 二人は気持ちを打ち明けあった後、結ばれた。その時彩峰と共有した幸福感を武は一生忘れないだろう。

 厳しい訓練が続いたが、二人一緒にいられる幸せはそのような疲労感など忘れさせた。

 訓練の合間二人抜け出し、何度も逢瀬を重ねた。

 彩峰は会う度、彼女の新しい一面を武に見せる。

 無口で無表情な彩峰など、他人の勝手なイメージだ。彩峰慧は武の前では、快活に笑う少女だった。

 冷めた態度をとることもあったが、それは拗ねた時の彩峰の姿。すぐに武の腕の中に飛び込むと、自分の心は暖かいのだと示すように強く武を抱き締める。
 
 世界は絶望的な戦いを続けているのに、こんなにも幸せでいいのかと思うほどに武の心は満たされていた。

 訓練学校卒業後、武達訓練兵はバラバラになった。武と彩峰の二人をのぞいて。

 二人は帝国本土防衛軍帝都守備連隊に赴任することとなる。

 その頃にはBETAとの戦況は絶望的なものになっており、戦場は本当に悲惨なものだった。

 けれど武は幸せだった。一番近くで、自分の最も愛するものを守れるのだから。

 オルタネィティブ5が実施され宇宙へと旅立つものもいたが、武達にそんなチケットを得るコネなど無く、戦い続ける日々に変化はなかった。

 あえて変化があったとすれば、彩峰の変化だろうか。

 武に黙って、上官である沙霧大尉のところへ行く時間が多くなっていった。

 武は嫉妬した。自分はこんなにも心の狭い男だったのかと、何度も自問自答した。

 そして、そんな心で戦えるほど、BETAとの戦いは甘くなかった。

 武は命を落とした。武の目に最後に映ったのは戦術機のディスプレイ。涙を流しながら何かを叫ぶ彩峰の姿。だが、戦術機の回線が壊れていたのか、音声は無かった。

 






「あ……あ……………」

 武は思い出したのだ。彩峰慧と過ごした日々のこと。その全てを。


 ただ…頭は割れるように痛い。意識を失わずに済んでいるだけ、まだマシといえるものだろう。

「先生ちょっと、便所に行ってきます。大きい方なので長くなるかもしれません!」

 夕呼にバレるわけにはいかない。武は夕呼の方を見ないまま大声で叫ぶと、ドアの外に飛び出した。


 

 武は洗面台で頭から冷たい水を浴びる。その行為は本当に温まった頭を冷やしているかのようだ。

 脳の痛みは先ほどよりは収まった。どうやら記憶の定着は上手くいったようだ。



「白銀。彩峰のキスで興奮しちゃったの。全身びしょびしょにしちゃって。頭でも冷やしてきたつもり?」

 部屋に戻ると夕呼が言葉をかけてくる。いい具合だと武は夕呼の言葉に乗った。

「そ、そんなわけあるわけないじゃないですか!これは自分の心を引き締めるつもりで…」

「そう……」


 思ったほど夕呼は武の言葉に乗ってこなかった。いつもの夕呼ならこのような面白い出来事の後は、これでもかというほどに武のことをいじってくるはずなのに。



「次の予定を話しちゃいましょうか。珠瀬、あんたも希望通り、国連事務次官珠瀬玄丞斎。あんたの父親の下で働けるように軍属を変えておいたわ。周りの目からは、厳しい訓練が嫌で泣きついた娘のように見えるはずよ。頑張ってらっしゃい」

「了解」

 先ほどの彩峰のことほどではないが、武は驚く。

「先生。オレにもわかるように、珠瀬が事務次官の元へ行く理由を教えてもらっていいですか?」

 珠瀬の目を見ればわかるのだ。深い覚悟と意思で父親の元へ行こうとすることが。だから武はそれを止める気は全くない。ただ理由を知りたかったのだ。


「白銀。あなた一つ目の世界で、事務次官が横浜基地を訪れた際に、HSSTが落ちてきたって言ってたわよね。その首謀者はまだ分かってないまま。それに加えて、米国のG弾推進派による圧力。一つ目の世界で私は彼らに敗れ、オルタネイティブ4を中止に追い込まれてるわ。あくまで私の予想だけど、この二つの出来事はつながっている。世界が変わってもBETAの動きは大して変わらない。人類のことなんてBETAは一瞥もしてないからね。ただ、前者は別。私や国連に悪意を持つものは、世界が変わっても変わらず存在する。そして彼らはBETAと違い、状況によって方法を変えて私たちを陥れようとしてくるはずなの。その行動は正直予想もつかないわ。肝心な所で足を掬われるかもしれない。相手の正体はわからないけれど、国連事務次官を狙ってきたということはそこに何らかのヒントがあるはずなのよ。加えて米国に早めに手を打ってく必要もある。それに今後のことを考えるとアジアやソ連、欧州やアフリカ連合にも接触を持っておきたいわ」


「そこで、国連事務次官を父に持つ、珠瀬壬姫の出番ということですね」

「そう。親のコネを使うようで悪いけどね。時間もそんなに残っているわけではないから、持てる武器は使えるだけ使っていくつもりよ。珠瀬も了解してくれたわ」

「副司令。私は嬉しいんです。パパ…いえ、事務次官を自分の力で守れること。たけるさんと一緒に世界を守れるようになることが」

「たま…。お前」

 そして、武の方に珠瀬が歩みを進めようと立ち上がった瞬間

「珠瀬。まだ話の途中だから座ってもらえるかしら。これは命令よ」

 夕呼の強い声が飛ぶ。珠瀬はその迫力に引きかけた椅子を元に戻す。先ほどまでの夕呼とは違う口調に、部屋は厳格な雰囲気に包まれる。


「話を続けるわよ。珠瀬は3日後にこの横浜基地から事務次官の方へ行ってちょうだい。XM7のデータは渡しておくから、いざというときは出し惜しみしないで使っちゃいなさい」

「了解」

 珠瀬の声が部屋に響く。




「次、まりもね。まりも、あんたの意思は変わらないのね…」

「ええ、夕呼。あなたのことを守ると言った矢先に、あなたの元を離れることになって申し訳ないわ。けれど…これがあなたを守る最良の方法だと思うのよ」


 まりもは武の方を向く。

「白銀。私は富士教導団に行くわ。目的は一つ。新OS、XM7の普及。あなたたちが作った新OSの成果をより多くの衛士が享受できるように、私自身の手で広めてくるわ」

 まりもは武たちほどの戦術機の操縦技術を持っているわけではない。ただ、彼女には教官として多くの衛士を育ててきた経験がある。前の世界、その前の世界での経験。まりもの最大の武器は、誰よりも上手く衛士に技術を教えられることだ。

「佐渡島ハイブ攻略。その日までに全ての帝国軍衛士が新OSを使いこなせるよう、全力を尽くすわ」

 まりもは5日前武達とヴォールクデータを攻略した後、武達の操縦技術についていけない自分に対する無力感にさいなまれた。

 けれど、まりもは思ったのだ。そんな自分だからこそ、わかることがあるのではないかと。

 新OS開発の時からまりもの戦いは始まった。開発の合間を縫っては各員の操縦記録を取り寄せ、その技術の根底に何があるのか探った。

 シミュレーション交代の時間になっても、自らの休憩の際にその動きをトレース。わからない部分は各員に直接聞きに行った。

 彩峰達が新OS開発後、それぞれ異なる場所へ行くことは、武が横浜基地に来る前の話し合いですでに決まっていた。まりもは彼女達が横浜基地からいなくなる前にその全てを吸収しようとこの5日間を過ごした。

「まりも、あんたには悪いけれど彩峰との兼ね合いもあるから、教導団に行くのは1週間ほど待ちなさい。その間はうちのA-01を鍛えてやって。新OSを誰よりも早く経験できるってことで、速瀬あたりは大喜びするはずよ」



 続いて夕呼の言葉は鎧衣に向かう。

「それから鎧衣、あんたは私と横浜基地で例の研究を進めましょうか。あんたの話は本当に興味深い。あんたの世界の私は本当によくやったって感じだわ」

「了解」

「夕呼先生、例の計画っていうのは?」

 夕呼はいつものにやりとした笑顔を武に向けると楽しそうに、人差し指を立て唇につける。

「そのうちわかるわよ、白銀。今は内緒にしとくわ」



 そして夕呼は残る最後の一人、榊に話を振る。 

「で、榊。あんたには斯衛軍に行ってもらうわね。貧乏くじを引かせるようで悪いけど、他に適任者がいないのよ」

「了解しています、副司令」

「首相の娘のあんたが斯衛軍に行くってことで、相当軋轢は強いと思うわ。けれどあんたならやれるはずよね」

「はっ。お任せください」

「夕呼先生。榊が斯衛軍に行く理由は?」

 白銀には斯衛軍にそれほどの価値があるとは正直思えなかったのだ。


 そんな武の気持ちを見透かしたのか、夕呼は厳しい表情で武に問いかける。その姿は横浜副司令香月夕呼のものだ。

「白銀。斯衛軍の戦力について、どう思う?」

「はい。専用機である武御雷だけでなく、それを操る衛士の錬度、士気共に非常に高いものがあります。帝国軍で最も優れた軍なのではないでしょうか!」

 香月副司令からの問いに対し、武は軍人として自分の持つ斯衛軍のイメージを伝える。前の世界の桜花作戦の際に、武御雷を5機用意してもらうなど、何かと縁のある斯衛軍。彼自身の斯衛軍のイメージを一言で語るなら、それは『磨き上げられた一本の刀』。それは決して折れることなく将軍を守る刃だ。

「では白銀。その日本で最も優れた軍が、最前線にあまり立ってないことについてはどう思う?」

 夕呼は白銀を試すように問いかけを行う。

「やはり将軍を守るというのが彼らにとって第一の任務でありますから、当然の選択なのではないでしょうか」

 彼らは将軍を守るための軍隊。その目的一つのために彼らは入隊し、辛い訓練に耐えているはずだ。

「その通りよ。前の世界でも、佐渡島ハイブ攻略やオリジナルハイブ攻略といった、猫の手を借りたいような状況でも斯衛軍はその戦力の多くを温存したわ。理由はあんたが言ったとおり。彼らの目的は『将軍を守る』ことなんだから当然よね。特にクーデター以後は、かなり神経質になっていたみたいで錬度の高い部隊ほど手元に置いていたようだわ。でもそれじゃあ困るのよ。本当にBETAを倒したいならね。その全てをBETAに投入しろとは言わないけれど、大きな作戦の際には先頭に立つくらいの気概は見せてもらわないと」

「そのための…榊ですか」

「そうなるわね。本来は御剣にやってもらいたかったんだけど、この世界の彼女は前の世界の記憶を持っていないみたいだから。榊に代わりに、というわけよ」

「先生。オレが代わりにって言うわけには行かないんですか?」

 斯衛軍に行けば、冥夜に会えるかもしれない。武にはそんな淡い期待もあった。

「白銀。あんたにはやってもらいたいことがあるの。世界中であんたしかできない仕事をね」



 夕呼は一拍置くと、横浜副司令として武に命令する。

「白銀中尉、任務を発表するわね。あんたには…………………………………をやってもらうわ」

 夕呼の言葉に武は驚愕した。








 2001年10月28日。

 この日を境に世界は大きく動き出すことになる。

 その先に待つのは希望か絶望か。

 白銀武、香月夕呼、神宮司まりも、榊千鶴、彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴。

 未来を掴むため彼らの戦いが始まった。




(第一章 each determination 終)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄






第一章 あとがき

 こちらは作者のあとがきですので興味のないかたは無視してもらって構いません。



 『マブラヴ デターミネーション』(Muv-Luv Determination)第一章いかがでしたでしょうか。
 手厳しい意見が多いですが、作者的にはそれだけマブラヴに思い入れが強く、愛している方がたくさんいることを知り嬉しく思っています。
 またフォローをしてくださる方の存在についても感謝の気持ちでいっぱいです。
 感想欄で言い訳はしない。全ては作品で描くというスタンスでやっていくと決意していましたが、何度かくじけそうになりました。
 ですが面白いと理解して下さる方もおり、十分な執筆意欲をいただけました。ありがとうございます。


 ちなみに今回で1章が終了しましたが、これは単なるプロローグ。
 冒頭でも述べさせてもらいましたが、作者が目指すものはBETAの打倒。武とヒロイン達の決着。
 まだまだ物語は続きます。
 どうか最後までお付き合いください。 
 
 ではまた二章あとがきでお会いしましょう。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2010/1/25感想欄について改定

皆様、作者のBeggiatoaです。

私が本作品を投稿するにあたって、「感想欄で言い訳はしない。全ては作品で描くというスタンスでやっていくと決意した」のは、自分の作品世界だけで読者さんが生じる疑念を解決したいという思いからでした。

特に感想欄で作品の設定的なものを語ることで、感想欄を見ていない読者さんに対して不平等になるのではないかと考えたからです。

ただこの作品を投稿して早3ヵ月。感想欄には詳細を語りませんという作者の勝手な決意にもかかわらず、それでも誠意ある意見・感想を述べて下さる読者さんには心から感謝しています。

この感想欄を覗き、意見を下さる方はより本作品世界について知りたい、疑問を解きたいという方だと思います。私はやはりそういう方がいることをうれしく思い、同時にその期待に応えねばならないという気持ちになりました。

またこのArcadiaというサイトのコンセプト自体が、読者さんのコメントと共に作者も作品も成長していくというものです。

私もその理念に従い、以後感想欄でコメント返しを行っていきたいと思います。

ただし、伏線や以後述べられる設定というものも多く用意しているため、全ての感想に順番に答えていくことはできません。また質問に答えなかったもの全てが伏線と思われても作品の面白さが半減する場合があると思いますので、意図的に答えない場合もあります。けれど、以後作品世界で述べられないこと、作者が読者さんに伝えているつもりでも伝わらなかった部分等はすべて答えていくつもりです。


また、作品でうまく伝わらなかった部分については本文修正、もしくはQ&Aのコーナーを作ることで対応していきたいと考えていますのでよろしくお願いします。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第一話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/12/12 12:03
【第二章 a girl detemines to grow up】



 帝国本土防衛軍帝都守備連隊の基地に到着した彩峰を出迎えたのは、彩峰の予想通り沙霧尚哉大尉であった。

「慧。待っていたぞ」

 その背筋のピンと伸びた立ち姿はかつてと変わらない。

「よく来てくれた。こちらの基地に居る分には、あの横浜の女狐には手出しはできんよ」



『国連軍訓練兵彩峰慧は、横浜副司令香月夕呼のやり方に納得できず、貴重な新OSのデータを持ち出し帝国軍に逃げ込んだ』

 彩峰が帝国軍に編入した理由は、そう、沙霧を含めた帝国軍の上層部には認識されている。


 武が横浜基地にやってきた10月23日から、彩峰慧は帝国軍諜報部に密かに連絡を取り合っていた。

 シミュレータ室に缶詰だった彩峰にそのような時間はもちろんなく、実際その連絡を取っていたのは、横浜副司令香月夕呼だったりするのだが。

「慧、君がここに来てくれたということが、私が送った手紙の返事と考えていいのかな?」



「……いえ、…沙霧大尉。………私は……自分の判断というものを…他人に任せたくない。そして………私は自分の目で見たことから、物事を判断したい…」

 その声はボソボソと消え入りそうな、彩峰らしくない声の調子であった。昔から彩峰は、沙霧に対してはどうしても緊張して、うまく声を出せなかった。

 覚悟をした今でさえ、やはりその声に変化はなく、そのような自分に彩峰自身戸惑っていた。


(二つ前の世界では沙霧と普通に話せるようになっていたのに。年を取った記憶はあるけれど、心は10代の乙女のままみたい)


 彼女は確かに何年か分の記憶を確かに取り戻した。ただ、データとして記憶を取り戻しただけでは、彼女の若い心までは変わらなかったらしい。精神年齢とでも言えるものは、変化がないようだ。

 2001年時点の彩峰慧は、沙霧尚哉に対して憧憬の念だけでなく、小さな恋心のようなものを抱いていたのだろう。

 今の彩峰はそのようなことを理解し冷静に分析することができるが、一方で彩峰の少女の心が彼の前では言葉をつなげなくさせるようだた。


「そうか……。とりあえず、宿舎の方に荷物を置いてくればいい。ついでに軍服に着替えてきなさい。その国連軍の強化服姿はこの基地では目立つ。その後、部下に基地の方を案内させよう」

 だが沙霧のその言葉を強く彩峰は否定する。

「い、いえ……。荷物は他にない……、それに……強化服姿でも大丈夫……。…それより……沙霧大尉の連隊の訓練が見たい……。……特に衛士の訓練が……」

 沙霧は大きく笑う。

「はっはっは。やはり君も衛士ということか。この連隊の衛士の錬度が気になるのだろう。慧、それではこちらに来なさい。私がいうのも恥ずかしい話だが、帝国軍でも屈指の強さを誇る本土防衛軍帝都守備連隊の実力、その目に見せよう」




 彩峰と沙霧は、戦術機の実戦訓練場に向かう。

 彩峰の国連軍の強化服姿はやはり目立つようで、あちらこちらから視線を向けるものや、コソコソと内緒話をするものたちが多数いた。

 その視線や話の内容は予想通り好意的なものではなく、沙霧大尉がいなくなった時にはわざと彩峰にも聞こえるような大きな声で話をするものもいた。


「国連軍から帝国軍に逃げだした訓練兵がいるそうだぜ。国連軍の人間は腰ぬけばかりという噂は本当なようだ」

「女というものは誰についていけばいいか、本能的に知っていると見える。それにしても大尉様も男だということだな」

「そもそも日本人なのに帝国軍ではなく、国連軍を志望するという感覚がわからん。見かけはともかく、頭の方は案外米国人に似ているのかもしれないぞ」


 いずれも彩峰が国連軍の訓練兵であったことや女であること、沙霧大尉と親しげにいることを侮辱するものばかりであった。


 だが彩峰慧はそのような言葉に対して、反応することもなく、じっと衛士達の訓練を凝視していた。

 結局、午後の訓練が終了するまで、時折、沙霧大尉と言葉を交わす時を除いて、彩峰は衛士達の訓練風景を眺め続けていた。

 

 そして沙霧の方は、そのような彩峰が戦術機を眺める姿や、その手や体を訓練中の戦術機に合わせて動かす姿を確認して、微笑ましく思っていた。


(慧はやはりその血の一滴まで衛士になっていると見える。中将、あなたの娘はこの沙霧が立派な帝国軍兵士に鍛えあげますよ)


 沙霧は心の中で、故人である慧の父、彩峰中将に固く誓っていた。



 午後の訓練終了後、二人は基地内のある場所へ向かった。

「連隊員達がこちらで待っている。あいさつの方をよろしく頼む」

 沙霧が声をかけ、基地内の一室を案内する。

 その部屋は普段は連隊員全員が集合する際に使われるのだろう。講堂のように広く、中にはすでに広い部屋いっぱいに連隊のものが集まっていた。

 沙霧が部屋に入ると部屋にいるもの達全員が整列し、沙霧達の方を向いた。

 部屋のもの全員に聞こえるように沙霧が大きな声を出す。

「本日付で国連軍からこの帝国本土防衛軍帝都守備連隊に編入した彩峰慧だ。階級は中尉となる。では彩峰、あいさつを」



「私は国連軍から、帝国本土防衛軍帝都守備連隊に編入した彩峰慧。国連軍の階級は訓練兵。ただし、香月横浜副司令の下で極秘任務をこなしていたから階級がついていなかっただけ。実戦経験もあなたたちが思っているより豊富」


 貴重なデータを帝国軍に持ち込んだ彩峰はその功績から、訓練兵待遇としてではなく、中尉として帝国軍に迎えられていた。
  

「私がこの基地に来た理由。それは日本人でありながら、自分自身の私利私欲のためだけにその研究の成果を利用しようとする、香月夕呼横浜副司令が許せなかったから。香月副司令と私達の仲間は共同で、戦術機の新OSの開発に成功した。この新OSは戦術機の革命といってもいいほど優れたもの。私達の仲間はその完成に歓喜した」


 部屋全体からどよめきの声が上がる。新OSの存在など一般兵には知らされていなかったことなのだから当然だ。


「けれど香月副司令は、新OSを単なる自分の政治の道具にしようとした。その成果は同じ日本人である帝国軍にも還元すべきものなのに。彼女は自分自身の研究の研究が上手くいっていないことで、彼女の立場が危うくなるのを恐れていた。日本国、いえ、世界中の衛士にとっても利益になる新OSを彼女のちっぽけな地位を護るためだけに隠そうとした。いざという時、自分の身を守れるように」


 今や部屋にいるもの全員が彩峰の声に聞き入っている。


「私はそのことが許せなかった。私は彼女のちっぽけなプライドを護るために、必死で新OSを開発したんじゃない。これ以上仲間、そしてこの日本という国を失いたくない、その思いで新OSを開発した。父、彩峰中将もそんなことは望んでいないはず。だから私はこの帝国本土防衛軍帝都守備連隊に逃げ込んだ。そしてここにあるのがその新OSのデータ」

 彩峰は右手を大きく上にあげる。その手に握られたものは小さなデータチップ。

 その瞬間。話を聞いていた沙霧の連隊―帝国本土防衛軍帝都守備連隊―のものたちは咆哮した。


「「「「「「「「「「「「「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ」」」」」」」」」」」」」」


 それまで彩峰のことを甘く見ていた連隊のものたち全員の目が変わった。

 彼女は日本人としての誇りをもって、帝国軍のため行動した。

 それもあの忌々しい横浜の香月副司令を出し抜いて。

 しかも彼女は『あの彩峰中将』の娘であると言った。

 これ以上ない程の熱気が部屋中を包む。部屋のにいるすべてのものが、彩峰に対し好意と称賛の視線を投げかける。





「以上が私がこの連隊に来た理由。でも…」


 しかし、そのような雰囲気を彩峰自身が崩壊させる。


「この連隊の訓練を見せてもらったけど残念。あんなレベルの錬度でBETAを倒せるなんて思ってるなんて、この連隊の連中は本当に甘ちゃんばかり。戦術機の動かした方から勉強しなおした方がいい。あれなら国連軍の訓練兵の方がはるかにマシ。私は自分自身わざわざここまで来た、その意味を疑った」


 部屋が静まりかえった。 

 先ほどまで彩峰の発言に狂喜していた連隊の者達、その全てがその口を閉じたのだ。

 そして全員が彩峰慧が言った意味を理解した後、部屋がこれ以上ないほどの怒気で包まれた。


「小娘。お前は俺達を侮辱しているのか」

「衛士の錬度もわからぬ若造に、馬鹿にされる言われはない」

「女だからといって何もされないと思っているのか。ここは国連軍と違い甘くはないぞ」


 次々と怒りの声があがり、彩峰にぶつけられる。

 沙霧もこのような展開は予想していなかったのだろう。ようやく連隊のものを抑えようと彩峰の前に進もうとする。

「だったら試してみる?あなたと……。あなたとあなた。それからそこのあなたとあなた…。それにあなたね…。私と戦術機で模擬戦でもする?」

 彩峰は連隊員の中から、一人ずつ、合計六人を指さすと、戦術機による勝負を挑む。その者達はこの連隊でもトップ10に入るほどの腕前を持った衛士ばかりだ。

 そのようなものたちを見分けることができたのは彩峰の衛士としての勘、というわけではない。あらかじめ横浜基地にいる際から夕呼に帝国本土防衛軍帝都守備連隊の衛士についてリサーチしてもらい、実際に訓練の風景を見ることで、その実力を確かめたのだ。


 当然、彼らの顔は先ほどまでの怒りの表情からにんまりとした笑いに変わる。

 何しろ彼らを侮辱した元国連兵を、痛い目に合わせることができるのだ。これ以上嬉しいことなどない。


「それでは誰からあなたに『戦術機の動かし方』を教えてもらえばよろしいですかな?六人全員が動かし方を教えてもらえればいいのですがね」

 それは彩峰が五体満足で模擬戦を終えられないことを、暗に示している。


「あなたの言ってることがわからない。模擬戦は私一人と…あなた達六人一緒に決まってる。1:6くらいのハンデがないと勝負にならない」


 彩峰が言葉を発した瞬間、部屋中が割れるほどの声で包まれる。

 だが今度の声は、怒りではなく笑い。歴戦の衛士達に対して、1:6で挑もうとする無知な小娘に対する嘲笑の声だ。

「いいでしょう。では訓練場で。『優しく』戦術機について教えてもらいたいもんですな」


 連隊員全員が部屋から訓練場の方へ向ける。模擬戦に参加しないものたちも観戦しようということなのだろう。愚かな小娘の無残な姿を。


「慧。どういうことだ。私の連隊はあんな発言を許すほど甘くないぞ。今すぐ謝りに行くんだ」

 沙霧は彩峰の発言を止めることができなかった。彼にも面子というものがある。沙霧と彩峰が親しく振舞っていたことは、連隊のほぼ全員が昼の訓練の際に確認している。

 あそこで沙霧が止めに入れば、沙霧がここまで築きあげた連隊の仲間との信頼を失ってしまうことにつながったろう。

 『あの』沙霧大尉も自分の女には甘い。そう思われることは上官として致命的だ。

 沙霧は連隊をまとめるものとして、彩峰を庇うことが許されなかった。

 彩峰は沙霧に止められずこの模擬戦を行わせるために、自分の存在を誇示するように強化服姿で基地を歩き回っていたのだ。

「沙霧大尉。もう謝っても遅いのはわかるはず。あなたには迷惑はかけない。私を見捨ててもいい」

「……っ」

 確かにここで沙霧が彩峰を見捨て、『彩峰中将の娘は国連軍に行ったことで以前と大きく変わってしまったようだ』とでも後で連隊のものに漏らせば彼の立場も連隊員からの信頼も失われることはないだろう。

 クーデター前の大事な時期。ここで仲間の信頼を失うことは許されない。

「慧。模擬戦を許可する。ただし、私も戦術機に乗って待機しておく。君の命や身体が危なくなった時は私が止めに入ろう」

 沙霧が妥協の末に出した答えはそれだった。彩峰には模擬戦で負けてはもらうが、その後の連隊の嬲りからは護るということだ。

「沙霧大尉、ありがとう。いってくる」

 気づけば沙霧に対する彼女の声は、消え入りそうだった少女のものから、いつもの彩峰の声に戻っていた。それは彩峰慧という少女の、沙霧尚哉に対する決別だったのかもしれない。




「では模擬戦を始めます」

 連隊員の一人が模擬戦の審判役を務めてくれるようだ。

「ルールは簡単だ。彩峰中尉。君の不知火が行動不能になるか、私達六人全員の不知火が行動不能になれば模擬戦は終了だ。時間切れや途中棄権はなし。よろしいかな?」

 彩峰の相手となる衛士から声が飛ぶ。さりげなくギブアップをさせないというところが嫌らしい。

「それでいい。さっさと始めて」

 だが、彩峰はそんなことを意も介さず、自分の戦場を確認する。訓練場は市街地戦を意識したものなのか、比較的高さの低い建物で構成されている。本土防衛軍帝都守備連隊ということで、本土での市街地線を想定しているのだろう。護るべき国の民の住居が戦場になることを織り込んだ訓練場の風景に彩峰は少し悲しさを覚えた。


(市街地を戦場になんて、絶対にさせない)


「では始め!」



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第二話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/11/23 21:37
 戦術機のコクピット中、彩峰慧の耳に聞こえるのは戦術機の駆動音、そして自分の心音だけ。

 彩峰はその二つの音―心音と駆動音―を完全に重ね合わせ同調させようとしていた。

 実際に彩峰の心音と戦術機の駆動音を同調させることができるわけではない。けれど、戦術機を自分の身体のように動かそうとする彩峰にとって、出撃前そのイメージを持つことが何より大切な行為であり、また彼女なりの集中方法でもあった。

 今回使う戦術機は帝国軍の不知火。国連軍のものとカタログ上のスペック等はほとんど変わらないが、当然その細部には微妙な差が生まれている。

 ただ、彩峰は二つ前の世界で、自分の乗りなれていない戦術機に乗る経験等何度もあった。

 戦闘中、自分の戦術機が壊れたため、即座に違う戦術機に乗り換え再出撃したことも1度や2度ではない。

 そんな彩峰にとって、その日始めて乗る戦術機など、模擬戦のハンデにはならない。

 いつも通り、両手に短刀を持つと、彩峰の戦術機は戦場に飛び出した。





「さてやっこさんはどうくるか」

 帝国軍衛士達は決して彩峰の実力を最初から軽視するつもりなどなかった。あそこまでの放言を吐くのだから、一部隊でエースを張れるくらいの実力はあるのだろう。だが、その程度の実力では1:6のハンデは越えられまい。


 実のところ彩峰に対戦を挑まれた衛士達は、彩峰のことを気に入っていた。

 彼らは思う。あれくらいの跳ねっ返りがないと衛士なんていうのはやってられない。BETAとの戦いは死と隣り合わせ。『自分は最高の衛士であり、決して死なない』、それくらいの心持ちでなければ、歴戦の衛士等なれるはずがないのだ。


「あれだけの大人数の前で、あそこまで言ってのけたんだ。これから鍛え甲斐があるってもんよ」

「若さゆえかもしれんが、あの無鉄砲さがうらやましい」

「はっはっは。さてそれでは今後の教育のためにも、小娘の鼻っ柱を思いっきりぶん殴りに行きますか」

「「「「「おう」」」」」

「前衛3機でターゲット機を取り囲め。近接格闘にも数の圧力が有効だってことを生意気な小娘に教えてやるんだ。2機は前衛の援護に。包囲網から逃げられるなよ。上に逃げた場合は私が撃ち落とす」

「「「「「了解」」」」」 






「前衛が3機、援護2機、後衛1機。予想通りの陣形」

 彼らが彩峰を確実に倒す陣形とすれば、これしか考えられないだろう。そして実際に彼らは彩峰の予想通りの陣形を敷いてきた。

 時間は無制限。彩峰機を迎え撃つもよし、逃げ回るなら包囲してもいい。そのどちらでも対応でき、また彩峰機が優れた前衛だとしても完璧に対応できる布陣だ。

 だが…、彩峰慧は優れた前衛ではない。その尺度は優れたなどという既存の概念では測れない。彼女は…異常な前衛だ。




「前方1500、ターゲット機突っ込んでくるぞ」

「隠れもせず正面からとはな。予想以上のじゃじゃ馬か」

「さてさて国連軍の衛士のお手並み拝見と行きますか」


 前衛3機からパラパラと彩峰機に向かい36mm弾が撒かれる。その弾道は彩峰機を牽制する程度のものではあるが、大きな回避軌道を取れば後方からの狙撃が彩峰を打ち抜く。

 彩峰は牽制の36mmを、推進剤を使わず左右のステップでかわす。その動きは、そこに牽制の弾が来ると予想していたとしか考えられないほどの無駄のなさ。そしてその戦術機の姿勢は、戦術機の間接の可動範囲はここまで広いものだったのかと思わせるような低さだ。彩峰の操る不知火機の姿は彩峰の全力疾走時と同じ、大型のネコ科生物を連想させる。

「いい戦術機姿勢だ。そして、よい動きをする」

 だが彼らも彩峰の口ぶりから、この程度の動きができることは予想済み。前衛3機はその手に持つ突撃砲を長刀に持ち替える。彼らが最も得意とする近接格闘で彩峰機を仕留めに行こうというのだ。

「前衛各機散開。近接格闘に持ち込むぞ」

 彩峰機の前方から1機、左右から1機ずつ、合計3機の不知火が彩峰機に同時に襲いかかる。その錬度は帝国屈指の名に恥じぬものであり、連携した前衛3機は一刻のズレもなく、彩峰機に長刀を斬りつける。

 左右に避けようとすれば、援護に回る2機からの36mmが飛び、空に逃げれば後衛からの120mm。そして前衛1機を相手にすれば、その瞬間2つの太刀が彩峰を切り裂く。通常の衛士であれば接触の瞬間に勝負は決していただろう。

 
 だが、彩峰機は通常の衛士などではない。彼女は異常な衛士なのだ。

 3機の前衛が彩峰に向かい長刀を振い下ろそうとする瞬間、彩峰機は推進剤を使いさらに前進したのだ。

「「「な、何っ」」」

 前衛3機の衛士から同時に驚きの声が上がる。 

 だが、彩峰機は機動を止めることなく次の動作に移る。

 彩峰機前方の不知火の長刀を避けながらその懐に潜り込む、と同時に反転。その回転のエネルギーを利用して、後ろ向きの態勢のまま、右手の模擬短刀を前方の不知火のコクピットに突き立てる。さらに長刀を振り下ろした直後で隙のできた、右方から彩峰を狙っていた不知火にも左手の模擬短刀でコクピットを狙って一線。

 前衛の彩峰機前方の不知火の懐は、援護に回った2機の不知火からは死角。援護2機は一瞬何が起こったのかわからなくなった。何しろ仕留めたと思った彩峰機の姿が消え、さらに前衛機大破の警告音がコクピット内に鳴り響いたのだ。

 彩峰はその隙すら見逃さない。

 コクピットに突き立てた右手の模擬短刀を放すと、背中の突撃砲に持ち替えながら、援護2機の方へさらに機体を反転。即座に2機の援護機に3点バーストで36mmを放つ。

 彩峰機から反撃が来るなど予想していなかった援護2機は必死に回避軌道を取るが、すでに遅い。3点バーストが正確に援護する2機の不知火を撃ち抜き、ペイント弾で真っ赤に染める。

 観覧していたものたちを含めてここまでの状況を理解できたものがどれだけいただろうか。だが、彩峰機はまだ止まらない。突撃砲を撃った直後、推進剤を燃やし、今撃ち抜かれたばかりの援護機の不知火に向かって突進する。

 彩峰機に撃ち抜かれた援護2機のうち、1機は大破判定が出ていたが、回避軌道がギリギリ間に合ったもう1機の不知火は右手が撃ち抜かれただけであった。彩峰機はその不知火に向かっていたのだ。

 右手を失った不知火は、右手の突撃砲を思わず撃とうとするが当然右手は動かない。左手で持ち替えようとバックステップを取りながら彩峰機から逃れようとするが、その判断は遅すぎた。

 彩峰機は、バックステップで逃げる不知火に肉薄。瞬間、左手の模擬短刀でコクピットを貫き抜く。

 それでも彩峰機はまだ止まらない。さらに後衛の不知火に向かい、フルスロットルでブースト機動をとった。





「……っ」

 後衛の不知火衛士は言葉を失った。

 彩峰機が隠れもせず正面から絶対的な包囲に飛び込んだ時点で勝負は終わったと思っていた。前衛3機の長刀が振り下ろされた瞬間に決着はついていたはずなのだ。

 だが、彩峰機は撃破されていなかった。それどころか、気づくとこちらの前衛機が撃破され、援護2機が撃ち抜かれていたのだ。120mmによる狙撃で彩峰機を狙おうとしたが、撃ち抜いた直後に援護の不知火に彩峰機が突進、死角に入ってしまったため撃ち抜くことができなかった。

 そして今、後衛機は彩峰機に追われていた。

「各機、現状を報告しろ!!!!!」

 後衛の衛士は彩峰機に向かい120mmを放ちながら、必死で叫ぶ。だが、姿の見える後衛からの狙撃など、彩峰機に当たるはずもなく、後衛の不知火と彩峰機の距離はどんどん縮まっていく。

「こちら前衛1。そちらに向かっていますが、彩峰機の機動が早すぎます。追いつけません」

「こちら前衛2。短刀を突き立てられた。ギリギリで回避した分、大破はしていないが、ブースト機動ができない」

 すでに生き残ったのは前衛の2機だけ。たった1度の接触で帝国軍屈指を誇る連隊の、その中でもトップクラスの実力を持つ衛士の戦術機が3機失われたのだ。

 彼らは確かに優れた衛士だった。通常の衛士なら、回避機動など取れず、瞬時に全機が大破に追い込まれていただろう。

 だが、彩峰機はさらにその上の上を行く。

 彼らがギリギリで取ることができた回避機動すら利用し、次の機動につなげているのだ。


 だが、彼らの焦りを見透かすように彩峰機はさらなる機動に出た。突然ブースト機動を続けながら、機体姿勢を180度反転。36mmをバースオートで撃ち込んだのだ。

 後ろから彩峰機に向かっていたのはブースト機動で彩峰機を追いかけていた前衛1機。当然回避機動など取れるはずもなく、36mmに撃ち抜かれる。後衛の援護に一刻も早く向かわねばならない。その衛士の焦りを見透かした動きだった。

「…くっ」

 当然、後衛機から反転した彩峰機に120mmが撃ちだされるが、彩峰機は予測済み。最小限の動きでそれを避けると、再度反転、後衛機に向かいブースト機動を再開した。







「慧…君はいったい…」

 沙霧が、ようやく声を出すことのできた時、それは、後衛機を撃墜した彩峰機が、残る前衛1機を36mmで打ち抜いた瞬間であった。

 つまり沙霧の優秀な部下達6人が乗る不知火全機が、彩峰機1機に敗北したのだ。


 模擬戦を見ていた誰もが言葉を失っていた。笑い声をあげるものも、怒りの声をあげるものも存在しなかった。彼らはあまりに現実離れした展開に呆然としていたのだ。

 だが唖然とする彼ら全員に対し、彩峰機から声が飛ぶ。

「これが私の実力。けれど…私はまだここに持ってきたのものを見せてない」

 連隊員全員が彩峰の言っていることの意味がわからず、首をひねる。

「今から新OS、XM7をこの不知火にインストールする。沙霧大尉、相手をお願いしたい」


「「「「「「「「………っ」」」」」」」」」


 連隊員全員が声にならない音を発した。

 彩峰機は、新OSを使ってもいなかった。

 新OSをもし使えば、彩峰機はどこまでの動きを見せれるようになるんだ。その動きを見てみたい。そして同時に沙霧大尉なら、彩峰機に勝てるのではないか。そういった期待感が連隊員に広がる。


「大尉。彩峰中尉の相手をお願いします。俺たちも新OSの動きを見てみたい」

「沙霧大尉、仇をお願いします」


 次々と連隊員から沙霧に声が飛ぶ。全員が彩峰と沙霧の対戦を見たい、と思っているのだ。


(勝てるのだろうか、私は慧に…)


 沙霧は恐れていた。沙霧が彩峰に負けることによって、自分の求心力が失われるのではないかと。

 彼の頭にあるのは、クーデターのこと。

 新任の中尉に負けた大尉に、彼らは以前と同じように付いてきてくれるだろうか。いや全員が以前のように沙霧に付き従うということはなくなるだろう。沙霧の連隊が沙霧についていくのはやはり、沙霧の多くの優秀な能力もあるだろうが、何よりもその圧倒的な衛士としての能力、それに心酔しているから。

 軍隊の連隊員というのは程度に差はあれ一種のマインドコントロールされたような状態になっている。上官は絶対的な存在であり、そして上官からの命令もまた絶対的なものである。自分の部隊は最高の部隊であり、仲間を見捨てることなど許されない。そして…沙霧の連隊は沙霧の衛士としての腕が帝国軍随一のものであり、彼の判断が最良のものであると信じていた。

 だからこそ、日本帝国に反逆し、クーデターに参加しようとするものたちがあれほどの人数に膨らんだのだろう。

 だが、ここで沙霧が負ければ、そのマインドコントロールが解けるものが生まれる。連隊員の中で沙霧の考えに疑問を抱くものが現れる可能性があるのだ。



「沙霧大尉。私は"沙霧大尉"としてではなく、一人の衛士、帝国軍最強の衛士としてあなたと戦いたい」

 彩峰が沙霧に言葉をかける。その声はとても優しい。

「そして、そのあなたに新OSがどこまでやれるか試してみたい」

 連隊員全員が嬉しく思う。国連軍の彩峰中尉ですら認めている沙霧の実力。しかも沙霧が帝国軍最強とまで彼女は言いきった。それほどまでに彼らの上官沙霧は強い。そして、その沙霧に彼女は新OSを試したいという。新OSにはどれほどのものが詰まっているのか。

 連隊員全員に、勝負の結果というよりは、純粋に両者の戦術機同士の勝負を見てみたいと、彩峰の言葉は思わせるものであった。

 
(ここまで言われて、負ければクーデターがどうであるとか、勝負以外のことを考えるものは帝国の男ではないか…)


 沙霧の覚悟が決まった。
 

「いいだろう。彩峰中尉。お相手しよう」

 彼がその決定を行ったのは物事の損得などではなく、一人の衛士として彩峰と戦いたいという気持ち。そして、新OSの能力を実際に見てみたいというBETAと戦う軍人としての好奇心であった。

 ただ、彩峰以外の人間が同じ提案をしていれば、沙霧はそれを断っていたかもしれない。沙霧にとっても彩峰慧という人物はまた特別な存在。その彼女の提案を内容がなんであれ、沙霧に断ることができるだろうか。
 

(どうにか『ここまで』来れた)


 彩峰はほっとする。沙霧が相手をしない可能性。彩峰はそれをわずかではあるが恐れていた。そのために彩峰は沙霧に対し、連隊員の気持ちを操るような言葉「一人の衛士」や「試したい」等のわざわざ逃げ道になるような言葉をかけたのだ。

 ただ沙霧が帝国軍最強の衛士だと、彩峰が思っているのは決して嘘ではない。前の世界でのクーデターの際、沙霧の不知火は性能差をものともせず米軍のラプターを次々と撃墜。最終的に武御雷に敗れたとはいえ、それもスペックの差が大きいものであるし、あの時の沙霧にはどこか誰かに介錯をしてもらいたそうな雰囲気が見て取れた。

 腕だけで言えば、帝国軍最強。彩峰が彼に下した判断はそれである。


(沙霧大尉に勝てる?私は…)


 沙霧だけでなく、彩峰もまた勝利への確信を持ってはいなかった。

 二つ前の世界。彩峰に戦術機の扱い方を教えたのは沙霧尚哉。いわば彼らは師弟関係にあった。

 彼女が今のような実力を持った衛士になるまでに、沙霧が戦死してしまったため、彩峰としても沙霧の実力がどこまでのものであるのか、未知数であった。

 ただ、クーデターを止めるためにも、彩峰は沙霧に勝たなければならない。


(白銀…。私を護って)

 彩峰はそっと自分の唇に手を触れた。




「新OSのインストール完了。正常に作動。沙霧大尉、行くよ!」

 彩峰の不知火が戦場に飛び出す。


 世界を超えた、師弟の戦いが今、始まった。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第三話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/11/23 21:36
「躊躇なく、空に飛ぶか、慧」


 沙霧の目の前、彩峰の不知火は空を飛んでいた。

 優れた衛士の前で、空を飛ぶなど自殺行為。いい的になるのがオチだ。沙霧もすぐさま36mmを上空の彩峰に向かって撃つ。そして、その弾道は牽制などではない。全てが必殺のものだ。彩峰の言葉で吹っ切れたものがあったのだろうか、その弾道から沙霧が他の事を忘れ目の前の模擬戦に集中しているということがよくわかる。

 その弾道は相手を「殺し」に行く弾道。

 一方彩峰機。彩峰は沙霧の弾に反応し、戦術機を空中で加速させる。いや加速だけでなく減速も組み合わせることで緩急を作る、白銀の得意としている『地球の重力を無視したような動き』だ。その動きの精度は『先行入力』、『コンボ』、『キャンセル』の3つの動きを組み合わせることで、白銀がヴォールクデータで見せたものよりも数段上のレベルに仕上がっている。

 空中で急速な速度変更と位置変更を行いながら高速飛翔する物体に銃弾を当てられる衛士がどこにいる。彩峰機は空中を自由自在に動きながら、沙霧機に接近する。


 

 だが…空中で高速飛翔する物体に銃弾を当てる衛士が帝国本土防衛軍帝都守備連隊にはいた。それが沙霧尚哉大尉である。




「くっ」

 戦場に苦しそうな彩峰の声が響く。

 戦術機で加速と減速を繰り返す。言葉にすれば簡単だが、実際の衛士にかかる負担は信じられないものだ。人間がGを感じるのはスピードが出ている時ではない。加速と減速のようにスピードを変化させた時だ。その変化が急であればあるほど、衛士にかかる負担は増していく。高速飛翔する戦術機の加速、減速時にかかる衛士の負担など、考えたくもないレベルのものだ。


 だが、そこまでの負担を強いられる彩峰の動きをもってしても、沙霧の銃弾は彩峰の不知火に『当たる』。


 その被弾は今のところ彩峰の戦術機にとって致命傷になるようなものではない。ただ、彩峰が苦痛に声を上げるレベルの負担を強いられてこそ、致命傷にならずに済むレベルのものなのだ。少しでもその機動に気を抜けば、その瞬間彩峰の不知火は真っ赤にペイント弾で染まることになる。


(化け物…)


 彩峰は心の中で思う。覚悟を持った数年間の訓練と実戦経験、新OSを持ってしても、まだ沙霧に接近することすらできない。彩峰は帝国軍最強と言葉に出してはみたが、自分の持つ『最強』という言葉の認識がまだまだ甘かったことに気付かされる。







 トップレベルの衛士、通常レベルの衛士、最強等、衛士を形容する言葉は色々なものがある。彼らの差はいったいどこから生まれ、実際どれくらいの差があるのだろうか。


 BETAの溢れる世界。多くのものが徴兵で、あるいは自分の意思で軍隊に入隊する。

 彼らのほとんどが目指すもの、それは戦術機の操縦士。つまり衛士だ。

 衛士になれば最前線でBETAと戦える。それもただBETAに蹂躙されるだけの戦いではなく、より多くのBETAを自らの手で屠ることができる戦いに参加できるのだ。


 ただ、現実は残酷だ。彼らのほとんどは衛士にはなれない。

 戦術機の適性検査。多くのものがこの適正検査で振り落とされる。最低限の『資質』を試されているといってもいい。

 そして適正検査をクリアしたとしても厳しい訓練が待っている。『資質』の上に『努力』が試されるのだ。

 ただ、他人によって課される訓練など『努力』のうちには入らない。『資質』による差は出るかもしれないが、それは全てのものに平等に課されているものである。どうすれば強くなれるか、これを考えながら訓練をするものと、ただ課される訓練に従うものでは大きな差が出る。訓練の時間など、多くて数年、昨今の厳しい前線の状況では衛士としての訓練は数か月程度しか存在しない。たった数か月の衛士訓練で、訓練兵は現場に立たなければならないのだ。

 その数か月という短い時間でできることなど限られている。全てを完璧にする時間などないし、完璧かどうかなど当然わからない。だからこそ、限られた時間の中で自分の足りない部分を探し、秀でた部分をさらに伸ばす。そして、その努力を一時のもので終わらせるのではなく、持続し続けなければならない。これが『努力』だ。

 訓練が終わり部隊に配属されてもまだまだ終わりは見えない。

 まずは、部隊の中で一番を目指せばいい。それはまだ簡単なことだ。目標となる衛士を作り、その衛士より強くなればいいのだから。『資質』と『努力』さえあれば、部隊一の衛士になることは十分可能だ。けれど、それで満足してしまえば彼は『優れた衛士』で終わってしまう。『最強』にはほど遠い。

 ここで『覚悟』が試される。少なくとも周りに自分より強いものはいない。仲間も自分のことを認めていることがわかる。それでも強くなりたいと思うのならば、更なる高みを目指すための目的、『覚悟』がいる。『覚悟』の内容は人それぞれのもので構わない。例えば『愛する者の笑顔を見たいから俺は強くなりたい』。そんな他人が聞けば鼻で笑うようような『覚悟』でもいい。その『覚悟』があれば、自分の中で高みを目指し続けることができるだけの理由となればいいのだ。


 誘惑はいくらでもある。「ここまで苦しい思いをしなくてもいいんじゃないか」「十分な実力はあるんじゃないか」そんな思いと四六時中向き合うことになるだろう。そういった思いを振り払い、『資質』『努力』『覚悟』これらを幾層にも、幾層にも重ね合わせた先に手にするもの。それが頂点。

 衛士の実力は『資質』×『努力』×『覚悟』で計られるのだ。




 そして…沙霧はまぎれもなく『帝国軍最強』であった。

 沙霧の資質は元々他人から見ても『化け物』と呼べるものであっただろう。けれど彼は自分の資質に驕らず、更なるレベルを目指し訓練を続ける。加えて十分な実戦経験が彼の衛士としてのレベルを引き上げるのに手を貸す。全ての戦いが生死をかけたもの。彼一人の命だけではなく、仲間や部下の命を護るため、彼はさらに覚悟を深める。そして光州作戦。敬愛する彩峰中将を最悪の形で失うという出来事は、彼の覚悟をこれ以上ないものへと深めるものになったであろう。筆舌にし難いような感情が彼を支配したに違いない。

 その上で生まれた『帝国軍最強』。

 その彼を倒すことがどれだけ大変なことかおわかりいただけたろうか。


 彩峰の動きは『優れた』あるいは『異常』なもの。

 けれど沙霧はその動きに当然のように銃弾を当てる能力を持つのだ。

 それでこそ『最強』の名に恥じないものといえるだろう。





 彩峰は最初の飛翔で沙霧との距離を大きく縮める予定であった。けれど沙霧の想像していた以上の実力の前に当初のプランを変更。空からの接近を諦め、地上へ戦場を移そうと戦術機を着地姿勢に操作する。


 戦術機が最も無防備になる時。それは着地の瞬間である。どうしても次の動きまでに硬直時間ができてしまい、次の動作までにタイムラグができる。だが、新OSを積んだ彩峰の不知火にその心配はない。先行入力とコンボでそのタイムラグを消すことが可能だ。彩峰は戦術機にその動きを入力させる。

 
 けれど、沙霧は彩峰のその万全の入力の先を行く。

 彩峰の着地の瞬間、沙霧は36mmを連射。

 沙霧のペイント弾で、彩峰機のボディが先ほどよりもさらに赤く染まる。




「着地の硬直をどこまで減らすかと思ったが、0にしてくるとは。新OS、恐れ入る」

 沙霧はただ闇雲に戦っているわけではなく、新OSの性能を予測、試しながら戦闘を行っていた。新OSというくらいなのだから戦術機の問題点の一つ、着地の隙くらいは限りなく0に近づけてくると予想し、彩峰の着地後の予測進行ルートに先んじて36mmを撃ち込んだのだ。そのため彩峰機は被弾。ただ、着地の隙を0にしていたため、かろうじて機体が動けない程の致命傷は避けることができた。

 彩峰機は被弾しながらもその機体を住宅街に滑り込ませる。あまりにも沙霧の弾を当てる能力が優れているため開けた戦場では分が悪すぎる。建物の影を利用し沙霧に接近しようといういうのだろう。


 だが…


「慧…。この訓練場で私がどれだけの訓練を重ねてきたと思う。その判断は愚行だ」


 沙霧が自らの不知火と共に飛ぶ。彩峰が死角と思った逃げ場は、この戦場を知り尽くした沙霧から見れば丸裸も同然の場所。

 沙霧の突撃砲が火を噴き、彩峰機の右大腿部が赤くペイント弾で染まる。




 
 彩峰は自ら望んで、建物の影に機体を滑り込ませたわけではない。そこしか逃げ場が見つからなかったのだ。その判断が過ちだったことはわかっていたが、どうしても一息つく必要があった。度重なる過酷な機体運動、沙霧機から際限なく跳ぶ36mm弾。彩峰はほんの数分で肉体的、精神的にひどく消耗していた。

 そこにこの戦場を知り尽くしているのであろう沙霧から36mmが飛んだ。その位置から機体を逃がすとしたらそこしかない、という自信が彼にはあったのだろう。迷いのない銃弾が飛んできた。

 彩峰はどうにか機体の向きを変えて、銃弾を右足に受けることで精いっぱいであった。


(勝つ方法が見つからない…)


 彩峰は焦燥する。新OSの即応性を最大限に利用して、戦術機を動かしてはいる。『先行入力』『キャンセル』『コンボ』を併用することでその動きはさらに洗練されたものにもなっている。それでも、沙霧は彩峰機に銃弾を当てる。彩峰は沙霧機との距離を縮めることすら叶わなかった。XM7の残りの機能『BETA進軍速度のリアルタイム演算』『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』『BETAの脅威度レベルの高速算出』『戦車級BETAの危険距離警告』はいずれも対BETAに特化したものであり、戦術機との模擬戦で役に立つものではない。



(私は、どうやって戦えばいい………白銀…)

 
 沙霧に簡単に勝つことなど不可能。そんなことは彩峰はわかっていた。

 けれどそれは『わかっていた』のではなく、『わかっていたつもりだった』という事実に彩峰は今になって気づかされる。

 彩峰は新兵の頃、沙霧に戦術機の操作を教わっていた頃より格段に強くなった。新兵の彩峰を知っているものが今の彩峰を見ればとても同じ衛士だとは思わないだろう。それほどまでに彩峰は強くなったのだ。

 けれど、それはあくまで『以前の彩峰自身』と比べての話だ。

 沙霧は『最強』だった。今も昔も。

 彩峰が強くなったからこそ初めてわかる、沙霧の衛士としての実力の底知れなさ。以前の彩峰では自分の強さとの距離すら測れなかっただろう。

 今、彩峰は沙霧と自分の強さの距離を測ることができるだけの強さを得た。

 だが、その距離を測れることができたが故に、彩峰は絶望し、どう戦えばいいのか見えなくなってしまっていたのだ。


(飛ぶこともダメ。地上戦も、奇襲も、銃撃戦も、近接格闘も、全部沙霧大尉には敵わない…。私には…打つ手がない…)



 彩峰は自らの手で、自分自身が持てる可能性を全て消してしまおうとしていた。

 その瞬間、彩峰のコクピットに警報が鳴り響く。


 それは模擬戦の間もずっと働いたのであろう、XM7の機能『BETA進軍速度のリアルタイム演算』の警告音であった。警告音は、沙霧の機体が彩峰機に到達するまでの時間をカウントダウンで知らせるもの。沙霧が決着を着けようと、彩峰機に向かってきていたのだ。


 その警告音を聞いた瞬間、彩峰の頭に痺れるような電撃が走った。


 その警告音はただ無機質に数字をカウントダウンする機械音。


 けれど彩峰には


『戦闘中に甘えてるんじゃないわよ、彩峰』


 そう榊が言ったように、感じられたのだ。




(そうだ…私は…)


(私の力ではどうしようもないと、わかったようなふりをして、現実から目を背けて逃げようとする…)


(そんな私を止めるため、変えるために、"ここ"に来たのに…)


(また私は、『戦う前』から、『戦うこと』を放棄しようとしてた…)


(そうじゃない!)


(『勝つ』とか『負ける』とかその結果の前に…)


(まだ私は『戦ってない』)




「…榊、ありがと…」


 彩峰はここにはいない彼女に向かい、小さく呟いた。



 そして、彩峰は自らの戦術機を立て直すと、沙霧の接近方向に向き直る。

「右足は…ダメ。でも両手はまだ動く」


 自分の戦術機の現状を理解すると、彩峰は両手に模擬短刀を持つ。


(このまま待っても、沙霧大尉に追いつめられるだけ。だったら、私の最高を今、ぶつけるしかない)


 右足の稼働範囲は大幅に狭まっているが、ブースト機動ならば可能。待っていても勝機はない。


(なら…)


 彩峰は推進剤をフル噴射。接近する沙霧機方向に向かって自らの不知火を高速機動させる。



 彩峰の出した結論。

 それは真正面から沙霧を迎え撃つこと。

 その戦い方は、もう何からも逃げないと決めた彩峰の生き方そのもの。



 正面の沙霧機が彩峰の動きに気付き36mmを放つ。だが、彩峰はそれを大きく避けようともせず、致命傷だけを回避すればいいという軌道でその銃弾の中に機体を突っ込ませた。


(次の近接格闘で勝負は決まる。私は"一回だけ"短刀を振れればいい)


 高速機動する不知火の中。彩峰機のコクピットに流れる音。それは沙霧機接触までの時間を知らせる『BETA進軍速度のリアルタイム演算』のカウントダウン音だけ。

 ただそのカウントダウンの音は、彩峰にとっては単なるXM7の機能による警告音ではない。 

 その音は彩峰にとって榊が発する声と同じもの。






 5



(榊とタイミングを合わせるなんて、まるで桜花作戦の時みたい)



 4



(でもあれは"おしまい"だった)



 3



(でも今回はこれで"おしまい"じゃない)



 2



(これは"始まり")



 1





「沙霧尚哉。私はまずあなたを乗り越える!!!!!」


 彩峰の咆哮が戦場に鳴り響いた。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第四話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2009/12/25 01:18
 彩峰機と沙霧機が交錯する。

 と、その瞬間、彩峰は咆哮と同時に大きく機体を回転させた。

 その回転速度は先ほどの模擬戦で見せたものよりもさらに速い。回転速度が上がれば上がるほど、遠心力は増し、衛士にかかる負担は増大する。もはや衛士が耐えうる負担の程度を超えているのではないか。そう見ているものに思わせるほどの回転速度に彩峰の戦術機は達していた。戦術機のスペックを大きく超えた動きに、戦術機の方がついていけていないのだろう、嫌な金属音が彩峰機の様々なパーツから鳴り響く。

 けれど、自分にも機体にも無理をさせなければ沙霧に勝つこと等不可能。彩峰はこの模擬戦の勝利に全てを賭けた。


 

 彩峰の得意とする相手の懐に潜り込む動き。これは回転の円運動を利用したものだ。体幹の軸を相手とズラすことで、相手の攻撃の軸を外し、相手の懐に潜り込む。

 沙霧がいかに優れた衛士と言えど、その動き、その距離を体験するのは初めて。必ず懐に潜り込める。勝機はそれしかないと彩峰は考えた。




 回転運動の中、沙霧機に彩峰は180度後ろを向いた状態から、回転の動きを利用して右手の短刀で斬りつける。

 だが、いくら動きが速かろうと彩峰のその動きは当然沙霧も予測。彩峰が斬りつけた右手を、沙霧左手の長刀が薙ぎ払った。


「右腕部損傷」


 コクピット内に無情な宣告が鳴り響く。だが、彩峰は回転の動きをやめない。


 右腕はおとり。それは沙霧の懐に入るための捨ての腕。

 それは一歩分、沙霧機に接近するためのおとりだったのだ。


 右腕を失いながらも、彩峰機はさらに180度回転。そして、完全に沙霧に背中を見せた瞬間、背面から左手の短刀を沙霧機のコクピットに向かって突き出した。

 BETA溢れる戦場の中、より多くのBETAを倒すために彩峰が考え出し、完成させた技術がこの動きだった。彩峰の攻撃範囲は360度。正面からだろうと、背面からであろうと彩峰は攻撃することができる。そして戦術機の体勢に関わらず、その攻撃の精度に狂いはない。


 BETAを1匹でも多く倒すため、彩峰が生み出したこの戦闘技術。これは衛士相手の模擬戦でも非常に有効だ。何しろ彩峰機は相手の戦術機に接触寸前の距離まで接近しているため、相手の衛士のコクピットに映る映像は回転する彩峰機の背面のみ。その状態から彩峰は短刀を繰り出す。

 
 それは相手の衛士にとっては視界外からの攻撃。
 
 2つ前の世界でも懐に入った際の彩峰の戦績は無敗。そして、彩峰は右腕を犠牲にすることで、その距離まで入り込むことを可能にしたのだ。




 沙霧機のコクピットの映像からは完全に見えない短刀が沙霧を襲う。



「甘いな慧。その動きはさっき模擬戦で見せてもらったよ」

 だが、沙霧は彩峰のその動きを知っていた。超高速で行われた衛士達との模擬戦の中、たった一度彩峰が見せた回転運動。彩峰以外でその本質を理解していたものがあの場にはいた。それが沙霧大尉だった。

 沙霧は『最強』だ。たった一度見ただけの動きを分析し、対策を立てすぐに実戦でそれを出せるだけの資質があった。そして、沙霧には相手に対する驕りもなく、先ほどの彩峰の模擬戦をつぶさに観察する程度のこと等当然のようにしている。回転の速度が上がっても、その動きの本質は変わっていない。速度の違い等、沙霧が自分の感覚で微調整すればいいだけのこと。


 沙霧機からは完全に死角だったはずの彩峰の短刀による突きは沙霧によって簡単に止められる。しかもそれは最悪の形で。

 沙霧は両手に長刀を持っていた。沙霧は右手に握った長刀で、彩峰の左手を薙ぎ払った。


「左腕部損傷」


 彩峰機のコクピット内に絶望的な警告音が鳴り響く。

 けれど、そのような状況の中、彩峰機はまだその回転運動をやめていなかった。


 両椀を失いながらも彩峰機は回転を続け、そして驚くべき行動に出た。

 なんと彩峰機は沙霧機にしなだれかかるように倒れていったのだ。


 彩峰の動きに対応し沙霧も必死に長刀で斬りつけようとするが、すでに彩峰の不知火は沙霧機に覆いかぶさっているためどうにもならない。

 しかし、右と左、両腕を失った彩峰機は攻撃する手段がないのだ。彩峰機は沙霧機に覆いかぶさることで攻撃を受けないかもしれないが、彩峰の方もどうすることもできない。


 単なる悪あがき。

 彩峰の動きを見たものはそう思ったかもしれない。


 けれど彩峰の不知火には3つ目の腕があった。

 3つ目の腕に握られているものも短刀。 

 その3つ目の短刀が沙霧のコクピットに吸い込まれるように突き立てられた。
 



 戦術機には人と違い、両椀以外に、一組のサブアームがついている。通常この腕はサポートに回らせるもので、36mm弾倉の交換や、弾幕を展開したい際に突撃砲を持たせることに使う程度のものであり、近接格闘、ましてや短刀等を持たせるものはいない。けれどこれは模擬戦。模擬短刀がコクピットに当たりさえすれば、大破判定が出るようになっている。実戦では使えない、応用のない動き。しかしこれは模擬戦。彩峰がそのルールの中で沙霧を上回るために考えつくした結論がこれだった。
 
 

 『執念』


 彩峰が沙霧に勝るものはたった一つそれだけだったのであろう。

 ただ、彼女はそのたった一つ勝る『執念』で勝利を掴み取ったのだ。




 模擬戦を眺めていた連隊員達は、その壮絶な戦闘に言葉一つ発することすらできなかった。

 彼らはわかっていた。

 もし、この模擬戦を100回繰り返したとしても、彩峰が沙霧に勝てるのは1回あるかないかだろうと。それほどまでに彼らの上官の実力は凄まじいものであった。彼ら自身、沙霧大尉の実力を過小に見誤っていた部分もあったのかもしれない。なぜなら、沙霧がこれほどの実力を発揮する機会など、無かったのだから。

 けれど、彩峰はその100回のうちの1回を、『執念』で引き寄せた。

 両者の戦術機の姿を見ればよくわかる。彩峰の戦術機は機体上のあらゆる部分がペイント弾で赤く染まっており、戦闘活動を継続できていたことが奇跡的と言える壮絶な姿だ。そして、彩峰機の両手は模擬長刀にとはいえ、薙ぎ払われたのだ。遠目からみてもわかるほどに湾曲している。一方、沙霧機。戦術機のボディは奇麗なまま。戦闘活動もまだまだ可能なように見える。ただ一つの異常、『コクピットに接触している短刀』を除いて。



 彩峰の『執念』に連隊員全員が大きな衝撃を受けていた。

 彼らは自分自信の甘さを思い知ったのだ。

 ここまでの勝利への『執念』を持って、沙霧との模擬戦を行っていたものが過去部隊に一人でもいただろうか?どこかで『大尉は自分たちとは違う』そう思っていなかったか?

 彼らはただ盲信的に沙霧のことを信じていたが、それは結局のところ彼を神格化することで、彼ら自身で考えるべき何かを失うことにつながっていた。

 しかし、今始めて彼らは単なる憧憬とは違う、沙霧に対する『異なる』思いを手にした。
 
 彼らが敬愛する大尉と同じ"位置"に、自分たちも立ちたいと。共に肩を並べ戦いたいと。

 部隊の多くの衛士が今、そう感じていた。




 連隊員達はこの模擬戦で二つのことを知った。

 一つは、沙霧大尉の真の実力。

 それは全く疑いを持つべきものではない優れたものであり、彼らの上官に対する思いはさらに深いものとなった。

 もう一つは彩峰中尉の覚悟。

 彼女の実力は自信溢れる言葉通り素晴らしいものだった。ただ、彼女がこの模擬戦で見せたものは戦術機の優れた技術などというちっぽけなものではない。彼女が連隊員に突きつけたもの。それは勝利への飽くなき『執念』であり、そしてその源となっている『覚悟』の強さであった。







 連隊員達が目の前の光景に対し、それぞれが思い思いに耽っていた中、一つの声が飛んだ。

「誰か、手を貸してくれ」

 それは沙霧大尉の声。

 連隊員達が声のした方を見ると、沙霧大尉。そして、その肩に担がれる彩峰中尉の姿。


「どうやら気を失っているらしくてな。宿舎に寝かせておいてやってくれ」


 彩峰は意識を失っていた。何しろあの回転運動だ。どの時点で意識を失っていたのかはわからない。勝利の瞬間安心して、意識を失ったのかもしれない。

 けれど彼女は間違いなく称賛されるべき勝者。沙霧から意識を失った彩峰を預かった下士官は、先ほどまでの彩峰に対する怒り等忘れ、丁重に宿舎まで彩峰を運んで行った。










「彩峰中尉の強さ、想像以上のものでしたな」

「だがあの態度、どうにかならんのかね。この会に参加するものの士気にかかわる」

「うーむ。ただ、彩峰中尉の行動自体は日本人の魂を体現してはいると思わんかね」

 
 あの壮絶な模擬訓練の後、今夜も戦略研究会の会合は開かれていた。

 今回最も大きな議題となっているのが、『彩峰中尉を戦略研究会の仲間に加えるか否か』であった。

 その議題のため、今日の会合は大きく紛糾していた。


 日本国のことを考え、貴重な新OSを持ち出し帝国軍に編入した彩峰の行動は、この戦略研究会に参加するにふさわしいものだ。

 彩峰の衛士としての実力も今日の模擬戦で彼らは嫌というほど知った。

 けれど彼女の最初のあいさつ。部隊のもの全員を侮辱した発言に、多くのものがわだかまりを感じているのも事実だった。

 あの発言がおそらく彼女の本意でないことくらいは、多くのものが勘付いている。彼女は模擬戦を行うことで、部隊のものの実力、その覚悟を試すために言ったに違いないのだ。

 ただやはり、彼女の口からその言葉を聞きたい。謝罪の言葉でなくともよい。負けたのは沙霧を含めたこの部隊のものたち全員なのだから。

 議論がまとまらない中、一人の先任が妥協案を出した。

「やはり、この場に一度、彩峰中尉に来てもらうのがいいのかもしれませんな。仲間として値する人間かどうかはその後で決めると」

 部屋にいる大多数のものが大きく頷く。

 流石に今日国連基地から来たばかりの彩峰を、いきなり仲間に加えよう等とは彼らも思ってはいない。彼女が国連軍のスパイである可能性もあるのだ。ただ優れた衛士である彩峰中尉が戦略研究会に加われば、当然その戦力は大きくなる。また、彩峰中将の娘ということで、クーデターに参加しようというものが、他の部隊からも出てくる可能性も高い。彩峰中尉の会への参加はこの研究会の大多数の者が願っていることなのだ。



「では彩峰中尉を誰か呼んできてくれないか」

 先任が声を掛けると、下士官達が彩峰を呼びに部屋の外へ飛び出していった。

 戦略研究会の参加者達は張りつめた空気から解放されたことに胸を撫で下ろした。それほどまでに今日の議論は大きく紛糾していたのだ。

 彩峰中尉から謝罪の一つでも入れば、今日の昼の態度は手打ちにしよう。多くのものがそう思っていた。




 しかし15分後…


「ダメです。彩峰中尉見つかりません。どこにも、どこにも……いないんです」

 部屋に下士官の絶叫が鳴り響いた。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第五話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:2e3cd64f
Date: 2010/01/19 21:14
第15話

 彩峰慧は夢を見ていた。

 それはこの世界に来てから何度も見た夢。

 いや夢ではない。それは記憶。彩峰が2つ前の世界で実際に体験したこと。


 









 彩峰慧の夢、それは衛士になりBETAと戦うことだった。

 彼女が父親を失ってから考えたことはそのことだけ。彼女は他人と関わることを拒否し、ただ厳しい訓練に没頭した。

 だが、軍隊には不必要な個人主義。それが彼女の足枷となった。

 仲間とも上手く行かず、行き詰まりを感じる毎日。そこに突然現れたのが白銀武だった。

 彼の兵士としての能力はお粗末なもの。今まで何をしてきたのかと問い詰めたくなるレベルのものだった。

 しかし、その代わり彼は彼女を含めた207衛士訓練部隊の誰もが持っていない"モノ"を持っていた。

 彼のその"モノ"は、207衛士訓練部隊の面々の心を変えていった。

 彼女の価値観も壊され、彼の価値観と混ざり合うことで再構築された。

 207衛士訓練部隊が抱えていた問題は彼の出現後、熱を与えられた氷のように溶け、仲間同士の関係も上手くいくようになっていった。


 そして…、彩峰慧は気づけば白銀武のことが好きになっていた。

 いつ彼を好きになったのか?と言われても困る。気づいた時にはもう"好き"になってしまっていたのだから。人を好きになることに理由なんて必要だろうか?

 衛士になるための訓練は相変わらず厳しいものだった。ただいつしかそんな日々に満足している彼女がいた。日々の訓練で自分が成長していることが感じられ、何より彼女の想い人に毎日会えるのだから。

 けれど訓練兵としての日々にもいつかは終わりが来る。近い将来207衛士訓練部隊は解散され、部隊員達はそれぞれの任地に向かうことになるだろう。

 それはBETAを倒すために衛士になるという自分の夢が叶うこと。待ち望んでいたはずの任官。けれど彼女は気づけば訓練兵としての終わりを恐れていた。

 白銀武との毎日に終わりが来る。その恐怖。他人から距離を取ろうとしていたはずの自分が、他人を求めていることに彼女自身戸惑っていた。

 任官を「おしまい」にしたくない。その想いが彼女の理性に勝った。だから彼女は…自分のプレゼントが彼に届くことを願い、クリスマスパーティの日に勝負を賭けたのだ。自分のプレゼントが彼に届かなければ諦めようと。待ち望んだ戦いの日々に自分の人生を預けようと。彼女はそう決めた。

 プレゼント交換の参加人数は6人。自分のプレゼントが彼に届く確率は…1/5。元々彼の存在自体がイレギュラー。けれども20%の確率で彼の元にプレゼントが届いたのなら、それは…運命ってやつなのじゃないだろうか。彼女はそのイレギュラーに賭けてみたくなったのだ。

 と彼女は自分自身納得した振りをしていたようだが、ようは言い訳なのだ。彼に受け入れられないこと、離れること。それを恐れた恋する乙女の。

 告白する勇気をその20%に委ねた、これはただの少女のお話。











 結論から言おう。少女は賭けに勝った。それも…最高の形で。

 クリスマスパーティの後、彼にプレゼントの確認をするかしまいか。結局そんなつまらないことに悩んでいた彼女の下に、彼、白銀武が現れたのだ。

 そして、彼の方からの告白。鈍感だと思っていたはずの彼が、なんと彼女のプレゼントの意図に気付き、同じ思いを持っていることを伝えに来たと言うのだ。

 その日、彼女と彼は結ばれた。彼女の人生最良の日。それはこの日だったに違いない。

 次の日から彼女の人生は一変した。オルタネィティブ4計画が中止になったそうだが、訓練兵の彼女にはそんな大きな話はそれほど関係のない話。それよりも…そこから、今までの辛かった人生を取り返すように幸福な毎日が彼女の下に訪れたのだ。

 訓練の合間、隙をぬっては二人抜け出した。見知った基地内に荒廃した街など、どこへ行っても面白くないと思う人もいるかもしれない。けれど想い人が隣にいるのだ。『どこへ』などは重要ではない。『誰と』それが重要なのだ。

 笑うこと。彼女はそのことを新しく覚えた。こんなにも自分は笑える人間だった。そのことに彼女自身驚き、そして嬉しくなった。彼女は自分自身冷静で、感情の揺れ動きの少ない人間、そう分析していた。けれどそれは違った。

 笑いというのは、喜びから生まれる表情。そんな当然のことに彼女はようやく気付いたのだ。いや彼に教えてもらったという表現が正しいか。何しろ白銀武との逢瀬は、毎日が新鮮で、面白く、そして何より彼のそばにいるだけで彼女の心は喜々としてくるのだ。

 今までの辛い日々が彼女から笑顔を奪っていただけ。面白いと感じ、嬉しければ彼女は笑えるのだ。最高の笑顔で。

 ただ彼女もたまには彼をいじめたくなり、以前と同じように彼をチクリと言葉で刺すことは忘れない。けれどしょんぼりした彼を見た瞬間、彼女はすぐに彼をこれ以上ないほどに愛おしく感じ、全力で彼に抱きつく。それが以前までの彼女との違いだろうか。


 幸福。これほどこの時の二人を形容するのにふさわしいことばはなかっただろう。


 けれど現実はおとぎ話のようにうまくいかない。『二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし』そんなおしまいを許すはずがなかった。



 任官。その時が訪れようとしていた。

 失脚した元横浜副司令、香月夕呼。彼女に限りなく近い位置にいた彼女達を受け入れる任官先等、簡単に決まるはずがなかったのだ。

 彼女は彼と一緒にいたかった。けれど同時に衛士になって戦場に立つ。その夢も叶えたかった。

 そんな状態の彼女の下に一人の使者が訪れた。使者は彼女に1通の手紙を渡す。それは『帝国本土防衛軍帝都守備連隊に彼女を受け入れたい』という、かつて憧れだった沙霧尚哉大尉からの手紙。

 自分の受け入れ先が決まらないだろうということに聡い彼女は気づいていた。だからこそ帝国本土防衛軍帝都守備連隊の入隊の話は願ってもない話だった。けれど…今の彼女には彼がいる。彼女は悩んだが、一つの結論を出した。彼女は「自分の恋人と同じ部隊に任官したい」そう願い、沙霧に手紙を返した。


 入隊したい。けれど一つ条件があると。彼女の訓練部隊の仲間は政治的な問題で他の部隊に入隊するのが難しい。だが、一人だけ衛士として任官させないのはあまりに惜しい訓練兵がいると。彼も入隊させて欲しいと。


 沙霧からの彼女宛ての手紙は今までも何度も来ていた。けれど彼女は手紙を返したことはなかった。だが今回初めて、死んだ自分の父に律儀に敬意を払う沙霧の善意に彼女は甘えた。


 沙霧は条件を受け入れた。国連軍からの二人の訓練兵の受け入れをOKしたのだ。

 彼女と彼の幸福の日々は、少しだけ延長した。本当に少しだけ。





 沙霧の部隊の入隊後、白銀武の訓練の熱の入れようは凄まじいものがあった。沙霧を筆頭とする優秀な衛士達の実力に触発されて、と部隊の人間は思っていたようだが、彩峰だけはその理由がすぐにわかった。

『一番近くで愛するものを護ることができる』

 その嬉しさに彼は歓喜していたのだ。

 熱心な新兵を嫌う先任等いない。彼は先任の衛士達に教えを乞い、衛士達もその彼の思いに応えた。何しろ集中力が違う。元々の『素質』もあったのだろうが、強くならねばならない『覚悟』が彼にはあったのだから。日々の『努力』も相まって、彼は衛士として驚くべき速度で成長する。そして結果、訓練はもちろん、数度の実戦でも彼は目覚ましい活躍を見せた。

 部隊員達は彼の将来に期待した。沙霧大尉は元々は陸軍のエリート。彩峰中将の部隊にいたことでその出世コースから外れ、最前線で戦い続ける日々が続いていたが、昨今の厳しい情勢がそれを変えようとしていた。実力優先。帝国軍もより優秀な兵士を必要とする流れが生まれ、衛士としても、長としても優秀な沙霧に白羽の矢が立とうとしていた。沙霧がいなくなれば誰かがこの部隊をまとめなければならない。けれど、ここは厳しい最前線。一つの判断ミスで連隊全員が命を失うことも考えられる厳しい現場。他の部隊から出向してきた長に命など部隊の誰も預けたくはなかったが、だからといって沙霧のような傑物もめったにはいない。だからこそ、白銀武のそのまっすぐさと日々成長する衛士としての実力に皆が期待したのだ。この部隊をいずれ率いていけるのは、この男しかいないと。



 だが…そんな希望に満ちあふれた日々は唐突に終わる。


 幸福と希望はある出来事から簡単に崩壊した。

 
 
 
 それは慣れたBETAの間引き作戦だった。前衛として刃を振うのは沙霧と彼を含めた部隊の仲間達。彼女は後衛で彼らが撃ち漏らしたBETAを処理していた。簡単な任務だった。数度の実戦で彼女もBETAとの戦いに慣れ、BETAに対する恐怖を大きく感じることも無くなっていた。

 だが…ミスというのはそういう慣れた瞬間、気が抜けた瞬間にこそ起こる。

 戦車級が彼女の戦術機に飛びつく。彼女はいつも通り1ステップでそれを交わそうとした。けれど彼女は足場の確認を怠っていた。

 そこは前日の雨でぬかるんだ状態になっていた。ステップの瞬間重心が崩れ、彼女の戦術機は転倒した。そこに…戦車級が押し寄せたのだ。

 すぐに体勢を整えれば一人でもどうにもできたはず。けれど彼女は転倒したこととBETAに取りつかれたことに動転し、すぐに姿勢を立て直すことができない。回線を通じ戦場に彼女の絶叫が響いた。



「慧!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 戦場にもう一つの絶叫が鳴り響いた。それは彼の声。

 彼女の声に反応した彼は、守るべき自分の前線位置を捨て、なんと転倒した彼女の戦術機の位置に向って高速機動を始めたのだ。

 それは愚行。なぜなら彼女の周りには他にも多くの仲間の戦術機がいた。動転した彼女一人ではどうにもならない問題だが、仲間がいれば話は別。すぐに戦車級を処理してやればいいのだから。

 それよりも彼が守るべき前衛位置を捨てた方が大変な問題だ。沙霧は彼の実力を信頼すると同時に厳しい戦場に立たせることで彼の成長を手助けしようとしていた。そのため彼の前衛位置はある程度の重責があった。

 このままでは前線が崩壊する。当然沙霧は彼に戻るよう言うが、彼の耳には届かないようで返事はない。沙霧は前衛の部隊員に声を掛け、どうにか前線を立て直した。


 彼女の方も戦車級に取りつかれたのは一瞬で、すぐに仲間に助け出されていた。彼が彩峰機にたどりつくころには彼女はすでに無事な姿を見せていた。

 だが…彼女の無事を確認しても、彼は前線に戻ろうとしない。彼女のそばを決して離れようとしないのだ。

 部隊員の説得も無駄に終わり、結局その戦闘で彼が前線に戻ることはなかった。



 戦闘後、守るべき自分の位置を捨てた彼の行為を上官達は叱責した。彼は営倉に送られる。

 けれど、部隊員の誰もが彼のことを見捨てたわけではなかった。若さ故のあやまち。部隊員全員が彼と彼女の関係を知っていたから、彼の気持ちは痛いほどにわかった。多くのものが彼の下を訪れ、彼をたしなめ、そのあやまちを認めさせ、早く立ち直れるようにと苦心した。

 だが…彼は部隊員達の説得には応じなかった。

 営倉から出てから、彼は彼女の下を離れなくなった。戦場だけではない。基地内でもだ。彼は…彼女を失うことの恐ろしさを知ってしまったのだ。

 戦術機に乗せても、すぐに彼女の下に行ってしまう。彼女の方は衛士としての実力はまだまだ未熟だったため、後衛から離れることはできない。そして彼は戦闘が始まると後衛の彼女の下に行ってしまう。

 何度営倉に送られようと、叱責され、殴打されようと、彼は彼女の下を離れようとしなかった。普通の軍隊ならすぐに除隊処分となっていただろう。けれど、厳しい前線の状況がそれを許さなかった。彼は訓練だけは誰よりも真面目に取り組むのだ。衛士としての実力だけは驚異的とも言える速度で成長していった。特にあの出来事があった以降は、もはや病的ともいえるほどに訓練をしており、その実力の伸びは以前よりさらに加速した。そんな衛士を除隊させるなど、愚行のように上官達は思ったのだ。

 上官達は悩んだ。彼らは何よりも…彼に立ち直ってほしかったのだ。そして時が解決してくれるのではないか、という希望的な観測が飛び出した。そこから、悲劇的な作戦が発案された。

 衛士としてはまだまだ未熟な彼女の方を前線に出す。そうすれば彼も彼女を護るように前線に立つことになり、衛士としての実力も実戦で伸ばすことができる。時が経てば、彼も己を取り戻すことができるだろう。

 そんな作戦だ。



 この作戦は前半部だけは上手くいった。彼は彼女と共に前線に立ち、その衛士としての実力を伸ばしていった。だが…後半部、彼女の下を離れること、これは上手くいかなかった。

 むしろ、戦場では彼女を失うイメージが増幅される。そして出撃回数は日々増えていた。彼の精神の均衡はいつからか狂ってしまっていたのだろう。

 彼女がまず彼の異変に気づいた。流石にトイレの際などは、彼と彼女は行動を共にしない。ただ…トイレから帰ってきたあと、彼は異常に憔悴しているのだ。彼女はある時、彼がトイレが行く際に後をつけた。

 そこで彼女が知ってしまったのはあまりにも悲しい彼の姿。

 彼はトイレの中で彼女の名前を連呼しながら嗚咽し、嘔吐していたのだ。彼は、彼の精神は…ほんの数分彼女から離れることにすら恐怖を感じ、耐えられなくなっていたのだ。

 彼が夜一人で寝られなくなっていたのは知っていた。だから彼女は毎日彼と寝床を共にし、彼を寝かしつけていた。たまに深夜、彼女の名を叫び飛び起きることはあったが、悪い夢を見たのだと思い、そこまで気にはしていなかった。


 彼女はすぐに軍医に相談した。すぐに軍医は彼を診断する。けれど…彼は正常なふりをすることができた。異常だと診断されれば、彼は彼女を守れなくなる。彼はそのことを予測し、何度もシミュレーションしていたのだろう。医者に対する彼の受け応えは完璧なものであった。

 医者は、精神に少し異常の兆候は見られたが、それは前線で戦う兵士としては珍しくないことであると診断し、睡眠薬のみを処方することにとどめた。彼女は軍医に詰め寄ったが、何より軍医の前では完璧な彼がいるのだ。どうすることもできなかった。

 
 彼女は考えた。どうすれば…彼を救うことができるかを。そして…一つの結論に達した。

 彼女自身が彼が心配しなくなるくらい強くなればいいと。そう彼女は考えた。

 彼女が強くなったからと言って、彼は彼女の下をいきなり離れたりはすまい。けれど未熟な彼女を庇って、無茶な機動をすることは減る。それは彼の命を救うことにつながる。それに彼より強くなれば、彼も…もしかしたら以前の彼に戻るかもしれない。そんな淡い希望もあった。

 だが、いきなり強くなることなどできない。そもそも彼女だって強くなろうと人並み以上には訓練に熱を入れていた。彼の衛士としての成長速度が異常なだけで、彼女も訓練と実戦で成長していたのだ。

 彼より強くなるため、彼女は一人の衛士の下を訪れた。彼より強く、自分に親身に協力してくれる人物等一人しかいない。それは沙霧尚哉大尉。

 沙霧は彼女の提案を受け入れた。その提案内容は深夜と早朝の1VS1の特別訓練。軍医が彼に睡眠薬を処方したため、薬さえ飲めば彼は睡眠薬の効いている時間分だけぐっすりと眠っていた。彼はもはや覚醒している間、彼女と離れることができない。だから彼の眠っている隙を狙って、彼女は強くなろうと考えたのだ。

 沙霧の訓練は厳しかった。いや厳しいなどという言葉が甘っちょろく感じるものだった。生死を賭けた模擬戦を毎日毎日彼女は行った。ただ彼女はそれに必死で付いていった。どんなに沙霧との訓練が苦しく厳しくとも彼女には『覚悟』があったのだから。

 部隊訓練、実戦、沙霧との訓練。このローテーションで強くならないはずがない。彼女は自分が強くなることを実感し、この方法で彼を救うことができると信じた。

 短刀を自分の武器にしようと考えたのもこの時だ。彼女は彼よりも1秒でも長く生きなければならない。彼女が先に死ねば、彼は確実に壊れてしまうのだから。突撃砲には弾切れがある。長刀も耐久力は高いが、いつかは折れて壊れてしまうもの。彼女に残された選択肢は、耐久力が高い、その一点のみに秀でた短刀しかなかった。


 そして厳しい訓練のおかげか、彼女が強くなったことで彼が彼女を庇う回数は減った。無理な機動をする回数も減り、彼女は彼を救いつつあるのではないかと嬉しくなった。ただなぜか、彼の言葉数が少なくなり、表情が日々暗くなっていくことに不安を感じていた。

 以前までの彼は、彼女と一緒にいる時だけは以前のような笑顔で彼女に相対していた。よく食べるし、よく喋る。戦術機に乗っている時と、彼女の下を離れている時のみ、彼は異常をきたしたのだ。

 けれど、彼女が強くなっていくことに比例して、普段の彼も異常に近づいていくことがわかった。彼女が喋りかけても反応は薄く、感情を伴った表情を見せることが無くなっていった。ただ訓練をがむしゃらにするところだけが変わらなかった。



 そして…全ての崩壊の日が訪れた。



 ある日のこと。出撃前のブリーフィングが終わり、衛士達全員が戦術機の格納庫に戻ろうとした際、最近は彼女にめったに話しかけなくなった彼が珍しく彼女に声をかけたのだ。


 彼は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして。

 そして彼は彼女に言った。

「慧。オレは……、お前が、オレ以外の奴を愛しても、変わらずお前を護るから」

 彼はそう叫ぶと唐突に彼女の唇を奪おうとした。

 彼女は彼の突然の行動に驚き、近づけた彼の顔を両手で塞ぐ。

 彼女は驚いてその行動をとっただけだった。

 だが彼は彼女の行動を、自分への拒絶へと受け取った。

 その時の彼の表情を彼女は忘れられない。

 「絶望」。彼の表情はそれを具現化したものだった。

「そうだよな…。オレみたいな人間。愛してくれる奴なんて、いないもんな」

 彼は悲しみの言葉だけを残し、彼女の言葉も聞かず、戦術機に飛び乗った。






 呆然とする彼女。

 彼は…睡眠薬を飲んでいなかったのだ。睡眠薬など飲めばいざという時、彼女を護れないかもしれない。そう考えた彼は一度も睡眠薬を飲まなかった。彼女を心配させまいと飲むふりをしていのだ。

 そして…彼は毎晩、彼女が沙霧の下を訪れることに気付いていた。当然だ。彼は寝ているふりをしていただけなのだから。

 彼は…なぜか沙霧に嫉妬はしなかった。ただ『寂しさ』それだけが彼を包んだ。彼は思った。異常になりかけている人間を愛したいなどと考える人間などいない。彼女は慈愛の精神で彼のそばにいてくれているのだと。そんな彼女を叱責する資格などないと。

 だから、彼は彼なりに考え、彼女に彼の思いを告白したのだ。彼は彼女が彼以外のものを愛したとしても、彼女を護り続けると。

 そして、ほんの少し心のどこかで期待してもいた。彼女がまだ彼のことを愛してくれているのではないかと。

 だが、彼は彼女に完全に拒絶されたと思い込んだ。 

 彼は護るべき愛すべきものさえ、失ったと感じたのだ。




 彼女は戦術機に飛び乗ると彼に回線をつなぐ、彼の誤解を解こうと必死で叫んだ。沙霧大尉には訓練を手伝ってもらっていただけだと。愛しているのは彼だけだと。しかし彼は彼女の回線を切り、戦場に飛び出した。


 その日の彼は彼女の下を離れ戦っていた。それはあの出来事以来初めての出来事だ。けれどそれは破滅的な動き。彼は…彼女の下に一匹のBETAも辿りつかせまいと部隊より遥か前線で戦い出したのだ。

 そんな彼を彼女は止めようと、彼のもとに行こうとする。けれど、他の部隊員の戦術機が彼女の戦術機を押さえつけた。自殺にも等しい行動をしようとするものを止めるのは仲間として当然の行動だろう。

 彼はたった一人で1時間も戦った。だが、いつまでも一人で戦えるはずもない。1時間後彼の戦術機はBETAの波の中に飲み込まれた。


 彼女は他の部隊員の戦術機を借り、必死で彼に呼びかけた。

 もはや彼を助けることが間に合わないことはわかった。けれど彼女が誰を愛しているかは伝えなければならない。彼女は泣きながら必死で彼に呼びかけた。

 だが、彼の戦術機の音声機能は壊れているのか、彼女の声は彼に届かない。一方的に彼の言葉のみが彼女に届く。「オレのことは気にしないで、他の奴を愛してくれ」「最後まで護れなくてごめんな」そんな言葉だ。

 そして最後に彼は彼女に泣き顔を見せ、その映像の後、プッツりと映像は切れた。





 そして数年後、部隊の長となったのは彼女だった。すでに沙霧はこの世にはいない。他の部隊に引き抜かれ昇進した後、どこかの戦場で戦死したと聞いた。

 彼が死んだ後も彼女は厳しい訓練を自分に課し続け、部隊の仲間達とともに彼女は成長した。彼女の部隊は6個のハイブを攻略することに成功し、名実共に、帝国本土防衛軍帝都守備連隊は帝国軍最強の部隊と呼ばれていた。だが、戦況はよくなることはなく、彼女達は戦場に立ち続けていた。

 彼女は強くなった。今なら彼を止めることができたかもしれない。けれど彼女は思う。

 なぜ私は彼を間違えさせてしまったのだろうか。私はやり方を間違えていたのだろうか。

 ただ彼女が気づいた間違いが一つだけあった。


(私は彼を愛していた。それなのに彼を誤解させた)


 彼女はその間違いだけははっきりと理解していた。





 ある日…戦場で彼女を光が包んだ。それは暖かく、どこか儚げな光。彼女の視界は徐々に失われ、コクピットの機器がフェードアウトしていく。

 そして光が彼女を全て包んだ瞬間、彼女は世界から消失した。





















 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 あとがき

 新年あけましておめでとうございます。

 本年も一定の執筆速度を守って何とかやっていきたいと考えています。


 またなぜか、第1章 第3話で[次を表示する]を押すとエラー表示になる問題が生じていましたので、再投稿しています(記事削除バグの影響でした)

 ついでに1章3話に関しては、地の文が少なく読みにくい印象でしたので修正を入れておきました。かなり読みやすくなっているはずですので一度ご覧下さい。

 では皆様、本年度も『マブラヴ デターミネーション』(Muv-Luv Determination)をお楽しみ下さい。





[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第六話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/01/21 13:33
「…っ」

 身体中に走る痛み。そして吐き気を催すような頭痛。

 彩峰の目覚めは最悪だった。

 沙霧との模擬戦は文字通り死力を尽くした激戦であった。当然、彩峰の身体も無事ではない。

 何しろ加速、減速を繰り返す戦術機の中、シェイクされたカクテルのように彩峰の身体は振り回されたのだ。身体中の微細な筋肉は引きちぎられ、痛みと熱を放っていた。

 それに加えて三半規管が壊れるのではないかと錯覚するほどの3次元の動き。ひどい加速度病の症状を彩峰の脳は訴えていた。


 だが、彩峰がまず気にしたことはそれらの痛みのことではない。

 彩峰はそっと呟く。

「…今日の夢も、"あの時"のこと…」

 この世界に来てから約一週間、彩峰が見る夢は二つ前の世界のことばかり。

 彩峰はそのことを偶然の産物ではないと感じている。


(偶然見ているんじゃない。見させられているんだ)


 なぜなら、何度も見たその夢から感じられるのは強い"意志"。

 "意志"の送り手は二つ前の世界の彩峰。

 二つ前の世界の彩峰が必死でこの世界の彩峰に伝えようとしている。

 何を?

 二つ前の世界の彩峰が体験した悲しい未来を。


 だからこそ、夢を見るたび彩峰は"覚悟"を思い出す。

 
 


 再度覚悟を確かめた後、彩峰は周りを見渡す。そこは基地の自分の部屋。

 彼女は自分が模擬戦で沙霧のコクピットに短刀を"当てた"ことを思い出した。

 記憶がそこでブラックアウトしている所を見ると、どうやら"当てた"所で意識を失ってしまったらしい。

 それにしても、あれだけ連隊員達を煽ったのにも関わらず、彼らは丁重に彼女を部屋まで運んでくれたようだ。

 自分の身体にはきっちりと布団が掛けられ、さらにはご丁寧にも枕元の机には水差しとコップまで置かれている。

 彼女は苦笑する。だが同時にそうなるだろうと彼らを信じてもいた。

 なぜなら、二つ前の世界の彼女はこの連隊の長だったのだから。



 彼女は身体の痛みを無視しベッドから飛び起きる。そして、痛む頭を抑えながらも水差しに直接口をつけると、一気に水を飲み干した。

 ここは軍隊。"彼女"が連隊の先任達から教えてもらった飲み方はコップに移して飲む等というお上品な飲み方ではない。


(沙霧大尉には…どうにか"模擬戦"では勝てた…。でも、私はまだまだ…)


 彼女は水差しを机に戻すと、自分が今"すべきこと"を確認"し、部屋を飛び出した。






「彩峰中尉はまだ見つからないか!」

 沙霧の怒気のこもった声が飛ぶ。彼は怒っていた。他人に対してではない。何よりも自分自身に。


(慧が持ってきたデータを欲しがるものなど、どこの諜報機関にもいる。加えて彼女自身を横浜の国連軍が狙っている可能性もあった。それなのに…なぜ私は彼女を一人にした)


 沙霧は後悔していた。この基地の中でなら彩峰は安全だろうと、模擬戦の後、彩峰のいる宿舎に警護をつけなかったのだ。

 あの激しい模擬戦。あれほど負けることを恐れていた沙霧。けれど負けた沙霧の心にはなぜか充実感があった。

 だが、沙霧はその充実感にかまけ、彩峰を一人にした。失態である。


 
 後悔に苛まれる沙霧の下に待ち望んだ下士官の一報が届いたのは、もはや日付も変わろうかというそんな時だった。
 

「大尉。彩峰中尉見つかりました!」

「中尉が見つかっただと。中尉はどこに?」

「そ、それが…シミュレーターの中です」






 あの気を失うほどの激しい模擬戦の後遺症を抱えながら、目覚めた彩峰が真っ先に向かったのは戦術機のシミュレータ室。

 理由は一つ。強くなるため。

 彼女は二つ前の世界。武を失った後、沙霧がいなくなった後も、トレーニングをかかさずにいた。それはこの世界でも同じ。



(今日の動き、まだまだ速度と精度が甘い。あれじゃあダメ)

 しかも今日は、優れた衛士達や沙霧と模擬戦を行うことができた。模擬戦の反省点は多く、そのチェックだけで彩峰はかなりの時間を費やしていた。






「彩峰中尉!」

 ようやく今日の反省点を修正し終える。そんな時に、シミュレータの外から沙霧の声が飛んだ。

 彩峰はシミュレータから出て沙霧を含めた部隊員の前に姿を現す。

「探したぞ、彩峰中尉。こんな夜遅くにトレーニングとは。訓練に励むのもいいが、君はこの基地にとっても最重要人物だ。心配させないでほしい」

 彩峰の姿を確認できたことに沙霧は安堵したが、他の連隊員の手前少々固い物言いになってしまう。

「了解。沙霧大尉。けれど、訓練は私の日課。朝と夜のシミュレーション室の利用は許可してほしい」

「それについては認めよう。ただ、警護のものを君に二人つける。今後は勝手な行動は慎んで欲しい」

 そして、沙霧は一旦逡巡したような表情を見せた後、彩峰に話を切り出した。

「それから彩峰中尉。君に少し来て欲しい所がある。私に付いて来てくれ。

 彩峰は少しためらうような表情を見せた後、沙霧に言葉を返した。

「……了解」


 


 そして沙霧は戦略研究会の面々が集まった場に彩峰を連れて行く。

 彩峰が沙霧に案内された部屋を覗くと、そこにはたくさんの連隊員達が集結していた。


「彩峰中尉。これは日本の将来を憂い、今後の施策について考えていく場だ。君の行動は私達が目指すべき日本人の姿と一致している。日本の在り方について私達と考えていかないか?」

 沙霧は戦略研究会の理念から切り出した。彩峰のことを疑ってはいるわけではないが、以前とは少し変わった印象を与える彩峰の姿に、沙霧はほんの少し違和感を感じていたのだ。

 連隊員達は彩峰の言葉を固唾を持って見守る。謝罪の一つでも彩峰が入れれば、今後の施策も決まっていくというものだ。

 だが、彼らの期待に反し、彩峰の言葉は彼らを拒絶するものであった。

「沙霧大尉、話はそれだけ?私の答えはノー。他に話がないのなら訓練に戻らせてもらう」


 しかもそれは態度、言い方共に最悪の返答だった。 

 上官に対するぶっきらぼうな態度に部屋の中の部隊員が怒りをぶつける。



「彩峰中尉。今の上官に対する言葉遣いはなんだ」

「修正したまえ」

 だが彩峰はその言葉には従わない。

「この会合の出席は任務?それなら私は従う。でもこれは『帝国軍』としての任務じゃない。私はそんなことをする暇があれば訓練をする。今の実力じゃBETAにやられるだけ」

 その言葉は部隊員には彼ら全員に対する侮辱に感じた。なぜなら彩峰は今日の模擬戦でこの部隊でのトップクラスの衛士を撫で切りにしている。その彩峰がまだ実力が足りないと言えば彼らは誰一人BETAに打ち勝つ実力を持たないということになる。そのことに彼らは腹を立てたのだ。

「模擬戦であれだけ『簡単に』我らに勝つ、それだけの実力がありながら、我々の会合に顔を出す時間もないというのか」

 部隊員の一人が彩峰に怒りをぶつける。


 だが、彩峰の方もその言葉に対し、いつもの冷静な口調でではなく、初めて感情、怒りを込めて言葉を返す。

「『簡単に』なんてよくも言える。それは私と模擬戦を戦った衛士全員に対する侮辱」

 そして彩峰は明らかにするつもりはなかった彼女の計画を連隊員の前でぶちまけた。

「私は自分の目的のために、なんとしても衛士としての実力を示す必要があった。そのためにこの基地に来る前から模擬戦を計画していた。昼の訓練を詳細に観察させてもらったのもそのため。私は相手の癖を知っていて、相手は私のことを知らない。さらに対戦相手を私が指名することで、作戦の幅も狭ませてもらった。そこまでのアドバンテージを得ながら、今日の模擬戦、私は何度も負けを覚悟した」

 彼女の意外な言葉に連隊員全員が驚きを隠さない。彼女は衛士としての圧倒的な能力で、『簡単に』模擬戦に勝利したと連隊員達は思っていたからだ。


 だが事実は異なったもの。彩峰は部隊員との模擬戦に勝つため、入念な準備を重ねていた。横浜基地にいる時から、部隊員についての情報をかき集め、自分に有利な編成を組むように模擬戦の相手を選んでいたのだ。さらに想定される編成、作戦でのシミュレートも横浜基地で何度も行っていた。ただ横浜基地で得られたデータは、書類上のデータ。基地に来てから、部隊員達の衛士の動き、癖をつぶさに観察することでさらに勝率を高めようと努力していたのだ。


「私は模擬戦、最初の接触で前衛2機、援護2機を同時に撃破するつもりだった。けれど実際、私が最初の接触で撃破できたのは4機じゃなくて2機。咄嗟に援護機を盾にすることで後衛機からの狙撃を回避できたけれど、タイミングが少しでも遅れていれば負けていたのは私」


 そこまで万全の準備で模擬戦に挑みながら、彩峰は何度も肝を冷やされる思いをしていた。

 なぜなら連隊員達が彩峰の予想の上を行く反応を見せたからだ。何より彼女が驚いたのは、彼らが彩峰の独特な動きからの攻撃を初見でかわしたこと。二つ前の世界でも初見で彩峰の動きをかわせる衛士等いなかったのにもかかわらず、この連隊にはそのようなレベルの衛士が複数いた。


「…なぜ私がそこまでする必要があったか。それは新OS、XM7をこの部隊の衛士達全員に納得して使ってもらいたかったから。新OSは旧OSに比べると操作はピーキーだし、機能が多くて、情報量も多い。いくら開発者が素晴らしいと言ったところで、現場の衛士が使いにくい、使いたくないと思ったらそこで終わり。だから、操作の猥雑さ以上の効果をあなたたちに示す必要があった」

 彩峰は言葉を続ける。

「沙霧大尉との戦いについては、私から言うことはない。あの戦いを実際に見た衛士であれば新OSの凄さは理解してもらえたと思う」

 それらの言葉に大きく異議を唱えるものはもういなかった。

 彩峰は誰も声を発しないのを確認すると、彼女が言いたかった最後の言葉を紡ぐ。


「明日から、私は新OSを用いた訓練をまかされている。新OSを広めること。そのために私はこの部隊に来た。……私はBETAを倒したい。私の頭の中にあるのはそのことだけ」

 彩峰は言い切った。自分の思いを。


 

 静まりかえる部屋。


 だがすぐにその空気を壊すものが一人。


「嬢ちゃん。嬢ちゃんの言う"明日"っていうのは、日付が変わっていれば"明日"になるのかい?」

 今日の模擬戦で彩峰と戦った衛士の一人が彩峰に言葉を投げかけた。

 その言葉に彩峰はニヤリと笑い、言葉を返す。

「当然、日付が変われば"明日"になる、先任殿」

 衛士は彩峰の言葉に笑って答える。

「いえいえ。では"明日"からよろしくお願いしますよ、中尉殿」

 衛士がそう言った瞬間、部屋の柱時計が0時を知らせる大きな音を発した。



「"明日"になりましたな。では行きましょうか中尉殿」

「私の"明日"は長い。年寄りには辛いかもね」

 いつも通りの彩峰の毒のある言葉。けれどその言葉に彩峰と戦った6人の衛士達が大きく笑う。

「年寄りはせいぜい途中でお休みしないように頑張りますよ。では行きましょうか」


 衛士がそう言うと、彩峰と模擬戦を戦った6人の衛士達がぞろぞろと部屋を出ていく。

 他の部隊員達はあっけにとられていた。彩峰を引き留めたいのはやまやまだが、一緒に出ていった6人の衛士達は部隊員全員にも認められた歴戦の衛士ばかり。彼らに声をかけることなど簡単にはできない。

「彩峰中尉」

 そんな中、沙霧大尉が声をかける。

「君の思いはよくわかった。ただ私達もこの会合を毎日開いている。時間が空いた時は、ぜひ出席して欲しい」

「……気持ちだけは受け取っとく。沙霧大尉」

 彩峰は返答を返すと、衛士達と共に部屋を出る。彼らが向かった先は当然一つ。シミュレータ室。


 その日、いや"明日"か。彩峰と6人の衛士達の訓練は深夜遅くまで続いた。








 翌日から始まった彩峰の訓練は厳しいものだった。ただでさえXM7の慣熟には時間を要する。だが、彩峰は慣熟だけでなく同時に小隊単位での連携等、さらに上の動きを衛士達に求めた。

 その厳しい訓練内容に不満を持つものも多かったが、部隊トップクラスの衛士が率先して訓練に取り組んでいたため、表面上は大きな声を上げるものはいない。

 ただそのような不満を持つものは徐々に減り、彩峰と模擬戦で戦ったものたち以外にも、彩峰の実力、覚悟に感化されるものが日に日に増えていった。

 その理由は彩峰が連隊員に見せた姿にあった。

 彩峰は厳しい訓練を部隊員に課していたが、それ以上に自分自身に厳しい。そのことを多くのものが知ったということが大きいだろう。

 特に連隊員に与えた影響が大きかったのは、あの壮絶な模擬戦後の満身創痍の状態でシミュレータ訓練を行っていた彩峰の姿。彩峰本人はいつもどおりの日課をこなしていたつもりだったが、常人にはその姿は信じられないものであった。

 また、彩峰が早朝と夜に行う特別訓練。この特別訓練に共に参加する衛士達も毎日毎日その数を増やしていった。

 別に特別訓練だからいって、彩峰が特別なメニューをこなしているわけでも、他の衛士に課しているわけでもない。

 彼らが特別訓練を毎日続けだした理由も彩峰の姿にあったのだ。

 特別訓練に初めて参加する者はたいてい、訓練で見せる彩峰の強くなるということに対する真摯な態度に驚く。

 彩峰はあれだけの実力を持ちながら他の衛士の優れた部分を見つけると、その技術について教えてほしいと頭を下げるのだ。

 そのような彩峰の姿に悪い印象を持つものなどない。

 彼女の自分の強さに奢らず、さらに強さを求める姿勢。その姿に多くの衛士が、忘れていたものを思い出されるような感覚を覚えた。


 忘れていたもの。それは『BETAに勝つために強くなりたい』ということ。

 衛士を目指した誰しもが持っていた最初の思いを彩峰はその姿で示していたのだ。

 その思いに触れたからこそ、一度朝夜の特別訓練に参加したものは、その後も朝晩かかさずシミュレータ室に顔を出すようになった。






 ただ、実は彩峰が他の衛士に頭を下げて、技術を教わっていた理由というのは二つあった。

 一つは単純に強くなるため。

 ではもう一つの理由は何か?

 連隊員たちに取り入るため?違う。

 連隊の先任達に『教わる』ことができるということが何より本当に嬉しかったからだ。


 彼女がこの連隊に編入するのは二つ前の世界の編入を合わせると二度目。だが二つ前の世界とは編入した時期も状況も異なっていた。

 二つ前の世界で彼女この連隊に編入した時期は今よりもっと遅かった。そのため戦況はかなり悪くなっており、今ここにいる先任達の多くはすでに戦死していた。

 けれど彼女は今、この連隊にいる二つ前の世界で会うことができなかった先任達のことをよく知っていた。なぜか?

 それは先任達が二つ前の世界でも生きていたからだ。

 どこに?先任の後に入隊した、後任の心の中にだ。

 二つ前の世界。彩峰は食堂でよく戦死した先任達の話を彼らの後任達から聞いた。

 先任達の実力がいかに優れ、素晴らしかったかを、後任達は誇らしげに語ったものだった。


 だからこそ彩峰は知っている。
 
 今、目の前でシミュレータを動かしている誰に対しても無愛想な男が、隊の部下を守るため一人でBETAを足止めした誰よりも情の深い男だということを。

 ドアの横、今日もやる気がなさそうな態度で軽口ばかり叩いている男が、撤退戦の中自ら殿を求めた熱い男であることを。

 いつも嫌味ばかり言う、あいつは心なんて持っていないと言われている男が、絶望的な状況の戦場を切り開くため、他の者をさしおいてBETAの大群に一番に向かっていった勇気のある男だということを。

 彩峰がここに来てから会った連隊員。彼らは彩峰にとっては皆等しく、心の底から尊敬する「勇者」であったのだ。

 だから彩峰は嬉しかった。生きて彼らに会え、その言葉に耳を傾けることができることを。


 
 彩峰の姿、実力に影響を受け始めていたのは何も衛士達だけではない。衛士以外の役職の連隊員も徐々に彩峰のことを認め、強く影響を受け始めていた。

 彩峰は対BETA戦術についても優れた知識を持っていた。当然だ。彼女は二つ前の世界、この連隊の長だったのたから。戦術機以外の知識も嫌というくらい習得している。

 きっかけは連隊員の一人が支援砲撃について彩峰に食堂で意見を聞いたのが始まりだった。

 彩峰はその質問に真摯に応えた。その答えは、まだ2001年段階では生まれていない支援砲撃に関する考え方。

 その答えにその会話を聞いていた他の連隊員も驚き、矢継ぎ早に彼女に質問を重ねる。

 気づけば食事を食べるための施設であったはずの食堂が、活発な議論を重ねるブリーフィングルームのようになっていた。

 食事の度にこんな状態が続いてはたまらないと彩峰は仕方なく、夕食後に対BETA戦略、戦術についての議論の時間、場を設けることにした。

 彩峰の習得していた知識は、最前線で戦い続けた経験から生まれた非常に実戦的なものばかり。その知識に耳を傾けたくないものなどいない。

 気づけば夕食後の時間は大議論の時間となっていた。

 衛士だけでなく、支援部隊、CP、後方補給部隊、衛生兵、整備兵に歩兵までが加わった、対BETA戦略の会議が開かれるようになったのだ。

 一つの意見に対し、様々な分野のものが角度を変えて意見を述べる。位の高い低いは関係なく「BETAといかに戦うか」それだけを追い求めた集まりが毎日行われるようになっていた。


 誰かが冗談で言った。

 これがほんとの『戦略研究会』じゃないかと。

 違いない、と多くのものが笑った。

 彩峰だけは笑うことができなかったが。




 元々の戦略研究会の会合も開かれてはいた。だが、その参加人数を日々減らしていた。

 沙霧達も彩峰達の集まりを止めることはなかった。なぜなら実際に彼らはBETAを倒すための議論を繰り広げていた。その結果は如実に訓練に表れており、シミュレーションでも、連隊全体が日々優れた成績を叩き出すようになっていたからだ。

 沙霧達もこの状況に対してどうすべきか、答えが出せずにいた。






 部隊の雰囲気は今までより遙かにいい。目標があれば人は変わることができるからだ。

『BETAを倒す』その大きな目標に部隊員の多くが日々邁進していた。



 何が彼らを変えたか。

 一人一人の心が変わった理由は異なるかもしれない。

 けれど一つ言えることがある。

 彩峰があるものを見せてくれたからだ。

 それは「未来」


 BETAの戦いは心との戦いだ。

 BETAの恐怖に打ち勝つ戦いは初陣だけ。その後訪れる恐怖は「この戦いはいつ終わる?」という恐怖。

 倒しても、倒しても、倒しても、倒しても、倒しても、倒しても、倒しても、BETAはやってくる。

 そして、間引き作戦の虚しさ。これがわかるだろうか。

 ハイヴを攻略することはできない。大きくBETAの数を減らすことも叶わない。ただ、本土を侵略されないように最低限のBETAを定期的に倒す。人類にできる最善の戦いはそれだけ。だが、その戦いに終わりは見えない。

 BETAを定期的に間引くことは戦略的には優れたものではあるかもしれないが、現場の兵士達にとって士気が上がるものでは全くないのだ。

 間引くとは言うが、兵士たちにとっては命がけの戦いだ。気づけば間引かれているのはこちら側。そんなことはよく聞く話だ。

 厳しい訓練の先に待っているのは、そのような終わりの見えない戦いばかり。


 だが彩峰が示したのはBETA相手にも戦うことができるという「未来」

 彼らの心に「BETAに勝てるかもしれない」。その思いが徐々に芽生えかけていた。










 そしてそのような状況の中、2001年11月10日、帝国本土防衛軍帝都守備連隊にある命令が届く。

 命令の送り先は国連横浜基地。

 命令の内容は簡潔。11月11日、新潟海岸の哨戒任務の連隊単位での参加命令。



 2001年11月11日。

 この日、人類の歴史が大きく塗り替わることになる。








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 あとがき

 1章3話のエラーは直ったのですが、今度は1章2話でエラーが出るようになってしまいました。

 1章3話と同様に2話も再投稿。これで直ればいいんですが…。(追伸:投稿削除による読み込みエラーが原因と知りました。感想欄のご指摘ありがとうございます)

 ついでに1章2話についても、文章的な部分を大幅に加筆修正してみました。出版物と違い、一度投稿した昔の文章を修正できるのがWEBの魅力かもしれませんね。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第七話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/01/24 21:14
「寂しいものだな、冬の日本海というものは…」

 沙霧はその視界に広がる真っ暗な海を観ながら呟いた。



 2001年11月11日未明。帝国本土防衛軍帝都守備連隊は新潟海岸に部隊を展開させていた。

 たかが哨戒任務に連隊規模の軍隊を差し向けさせるなど常識では考えられない。国連横浜基地は『何か』を企てている。沙霧を含めた連隊員の意見はそう一致した。

 彩峰中尉の身柄を確保した時から、横浜基地からは必ず『何か』を仕掛けてくると沙霧も予想はしていたが、まさか連隊全体に『何か』を仕掛けてくるとは思いもしてはいなかった。

 けれど沙霧達はその企てに乗ることにした。いくら横浜基地が何かを企てようと、こちらは連隊。まっこうからその企てを受け止める。それが帝国軍人としての沙霧尚哉の在り方だと彼は考えた。




 そして、横浜基地の企てはおそらくBETAに関係した何かであろうと沙霧を含めた連隊の上層部は予測した。そのため沙霧は連隊に万全の準備をさせ、この哨戒任務に繰り出したのだ。

「横浜の女狐が何かを企てているようだが、我らにそのような企てなど効かぬことを示してやれ」

 沙霧の任務前の説明に連隊員の士気も上がっている。非常時の対策についても各部署の長と話し合い済みだ。




 沙霧自身も不知火に搭乗し、今、日本海の前に立っている。


(さて横浜基地の企てとはどれほどのものか。見せてもらおう、香月副司令)
 




「おい、あれ見ろよ。斯衛軍じゃないか」

「武御雷があんなにもたくさん。それも黒や白だけじゃねぇ。赤や黄、おまけに青まで揃っていやがるぜ」

「ちょっとまて。紫の武御雷が見える。まさか!将軍機なのか…」

「これからここで、何が起こるっていうんだよ…」


 連隊の後方には大隊を越える規模の武御雷が展開されていた。それも黒や白といった一般兵のカラーリングの武御雷だけではない。赤、青、おまけに紫のカラーリングなど、戦場でもめったに見ることのない色の武御雷が勢ぞろいしているのだ。

 すでに未明から多くの基地で防衛体勢レベルが引き上げられており、日本海上には艦隊も展開済みだ。この状況で何もないと思わない方がおかしい。




 連隊員達の間に流れるのは不気味な静寂。

 無駄口を発するものはなく、連隊員全員が『何か』がここで起こることを肌で感じていた。







 そして数時間後、その静寂を打ち破る、一つの発報が飛んだ。

「日本海沖、BETA出現!規模は……旅団規模です」

 連隊員の中に大きな振動が走る。だが、彼らはすでに覚悟していた。BETAと戦うことを。

「現在、帝国軍日本海艦隊がこれを迎撃していますが、すでに多くのBETAが第一次海防ラインを突破した模様。新潟予想上陸時間は…7分後です」

「中隊長聞け!昨日話し合ったとおり、海岸線でBETAを迎撃する。3分で配置につけ」

「「「「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」」」

 沙霧の声に中隊長達が反応する。

「彩峰中尉。左翼は私が見る。右翼、抜かれるなよ」

「了解。沙霧大尉。要撃(グラップラー)級の一匹も、私達の後ろには抜けさせない」


 そして彩峰は叫ぶ!


「この国を護るのは私達!」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おう」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 彩峰の言葉に回線を聞いていた全ての連隊員が反応した。


 

 全ての部隊が配置に着く。その動きに迷いはなく統率がとれたもの。部隊の練度の高さがよくわかるというものだ。

 そして部隊が配置に着いた直後から海の中ほどに次々と大きな波しぶきが打ち上がる。

 海水中に設置済みの機雷がBETAに反応し次々と爆発しているのだ。

 その機雷の爆発の波しぶきはどんどんと海岸線に近づいてくる。

 それはBETAが彼らの仲間の死体を乗り越え、前進を続けている証拠。





「BETA来ます。上陸まで10秒」

「支援大隊、先頭の突撃(デストロイヤー)級に地獄を見せてあげて。金 輪 際、日本本土に上陸したくないと思うくらい」

 彩峰はニヤリと笑う。


「了解しました、彩峰中尉!!カウント3、2、1 撃ちます!」


 CPの合図の声と共に、後方の支援大隊から海岸線を覆い尽くすほどの砲弾の雨が降る。そして着弾ポイントに出現したのは突撃級BETA。いかに硬い殻を持っていようが、支援砲撃の前では一たまりもなく、突撃級が爆砕していく。 

 だが、突撃級の全てを破壊するには至らない。砲弾の嵐を抜けて、突撃級が上陸。突進を開始する。



「戦術機甲中隊、行くぞ!」

「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」

 沙霧の合図と共に、いくつもの戦術機甲中台が海岸方向を向き、その手に突撃砲や長刀を持つ。

「光線級はまだ確認されていないが、空を飛ぶのは危険性が高い。上に逃げ場はないものと思え」

「「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」

「突撃級の突進なんぞでやられるなよ。では……戦闘開始だ!!!!!!」


 連隊の戦術機が一斉に突撃級の突進を交わす、と同時にその無防備な背面に36mmを撃ち込む。全ての戦術機が危なげなく突撃級の突進を回避し、突撃級を処理してゆく。


「次、要撃級。近接に自身のないものは近づくなよ。弾は後方にいくらでもある。前衛行くぞ!」


 沙霧を筆頭に前衛機が行動を開始する。

 次から次へと海から現れる要撃級。それを沙霧は、突撃砲で撃ち抜き、長刀で切り裂いていく。

 いや沙霧だけではない。他の前衛達も沙霧に遜色のない動きを見せ、要撃級の群れを粉砕していた。

 

 彩峰は短い訓練時間でXM7の全ての機能を衛士達に教えることは叶わなかった。『先行入力』、『キャンセル』、『コンボ』これらは戦術機の動作の機能となるため優先的に覚えてもらったが、それ以外の機能については彩峰も未修得の部分が多い。何より彼女が得意な動きは近接戦闘。それ以外の概念を教えるのは難しい。だから彼女は教えるポイントをしぼった。

 つまり近接戦闘の際の戦い方を連隊員に叩き込んだのだ。

 近接格闘のために最も必要なものは、自分の手足のように戦術機を動かせる優れた操縦技術、だけではない。前衛として何より必要な能力。それは『死』の恐怖に負けない精神力だ。その恐怖を克服するための手段として、彩峰は『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』の機能を夕呼と共に完成させた。

 一般人だけでなく、多くの兵士はBETAに恐怖を感じる。なぜならそのグロテスクな外見や動き、生態などからBETAを化物のように感じるからだ。そのため非戦闘員だけではなく訓練課程の兵士にすら、BETAの姿形の詳細な情報は伏せられているほどだ。

 しかし、『BETAは化物』、そう思った瞬間に人間は思考の硬直を起こす。

 BETAは化物であり、人間の常識の範疇外にいるもの。何をしてくるかわからないし、予測もできない。だから俺達にはどうにもならない。BETAを化物だと認識した場合、最終的にそういう発想に行き着いてしまうのだ。

 彩峰はその発想を止めさせるため、『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』の機能を戦術機に搭載した。

 確かに、優れた衛士であれば『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』をフル活用して、彩峰のように懐に飛び込む動きが可能になるかもしれない。だが、そのような技術を体得できる衛士は限られている。彩峰が『BETAの各関節の稼働範囲の視覚化』の機能を用いて大多数の衛士に示したかったのは、彩峰の戦いを真似させることではない。BETAだって他の生物と変わらない。いくらグロテスクな見てくれだろうと、間接があり、その攻撃範囲には限りがある。BETAは対処不可能な未知の化物ではなく、ただの生物であるということを示したかったのだ。


 今、沙霧と共に闘う前衛衛士達は、BETAについてよく理解していた。彼らはまだ彩峰のような懐に入るほどの操縦技術は持ってはいない。ただ彼らはBETAに必要以上の恐怖心など感じず、ただの生物としてBETAをみなし戦っているのだ。BETAを『化物』から、『生物』の立場へと引きずり下ろすこと。彩峰は短期間の訓練でそのことに成功した。

 そして当然、彼らの操縦技術や戦い方自体も、新OSの即応性の上昇、そして訓練により、以前までより無駄がなくなり、力強いものとなっている。


「沙霧大尉の部隊に負ける気?こっちもいくよ!」

 彩峰の担当する右翼の部隊も同様にBETAを切り裂いていく。その速度は沙霧の率いる前衛達と変わらない。そして、彩峰は当然先頭に立ち、さらに磨きをかけた超高速近接格闘でBETAを蹴散らしてゆく。その姿は戦場に回る一つの独楽。いや、その姿はBETAにとってはもはや一つの災害、『竜巻』と化している。

 
 帝国本土防衛軍帝都守備連隊は信じられない速度で要撃級の群れを粉砕した。

「突撃級第2陣上陸します。戦車(タンク)級や、要撃級等、他種のBETAも混じっているようです。お気をつけて」

 CPから声が飛ぶ。ここまで連隊は一機の戦術機の損傷もない。

「ここからは乱戦だ。行くぞ!」

 沙霧の声が飛び、その直後に複数種のBETAが上陸を開始する。と当然同時に支援砲撃が撃ち込まれ、BETAが爆砕してゆく。

 砲撃の合間を縫ってBETAが突撃。先ほどと同じように前衛の戦術機達が突撃級や要撃級を打ち抜き、制圧支援の戦術機が逃れ出た戦車級や小型BETAを潰してゆく。


 そんな中120mm弾がいくつも飛び、海岸線に着弾する。その弾に当たり崩れ落ちるのは光線級。

「光線級出現しました。後方中隊迎撃を開始します」

「光線級は一匹たりとも上陸させるな!要塞級の出現にも注意しろ!」

「「「「「「「了解」」」」」」」


 実は厚い支援砲撃が、上陸前の海底移動中のBETAに加えられている。BETAの行動パターンは海の中であろうと陸上と変わらない。ただその足で海底を前進するのみなのだ。だが、水の抵抗を受けたBETAの前進速度は大きく下降している。そのため海水中を進むBETAは砲撃する側にとっては格好の獲物。

 それに加え、連隊はあらかじめ後方に狙撃中隊を展開させていた。目的は上陸前の光線級撃破。厚い砲撃を加えてはいるがBETAの数は多い。そのためどうしても光線級BETAも砲撃を抜けてくる。

 ただ光線級の武器であるレーザーは海水中では大きく減衰する。よって彩峰は光線級が武器となるその頭を海面から出す前に撃ち抜くよう命令を出していたのだ。通常、海面に当たれば銃撃の威力は大きく落ちてしまう。だが、120mm弾であれば光線級の薄い身体を撃ち抜く威力は海水中でもある程度は持続する。海際での狙撃による光線級の撃破。これは彩峰が2つ前の世界の防衛戦で実際に用いていた戦術だ。


 またこれは新潟海岸の地形を大きく利用した戦術でもある。新潟海岸の勾配は1/100ほど(100m進むと1m海底面が下がる)。そのような遠浅の地形が沖合約2kmまで続く。そのため明け方の海面にBETAの姿はよく映るし、砲弾もよく通る。



 ただ、防衛戦の難しさはBETAを一匹たりとも防衛ラインの外に出してはいけないというところにある。闘士(ウォーリアー)級、兵士(ソルジャー)級といった小型のBETA種などはどうしても戦術機だけで相手することは難しく、容易にラインを抜ける。それはこの防衛戦でも同じだ。ただ、ここは開けた海岸線。連隊はここでも地の利を利用する。



「小型BETA第二次防衛ライン突破。攻撃開始します」


 戦術機の作る第二次防衛ラインを抜けた小型BETAを待っていたのは、歩兵による砲撃や機関銃、機関砲による銃撃。

 機関銃の銃弾を受けた闘士級の象のような鼻は銃弾で引きちぎられ、血の海に沈む。その後ろにいたソルジャー級も姿を見せた瞬間、肉片へと変わっていく。そのような光景が海岸線一面に広がっていた。そこは連隊が用意した小型BETAの死地。

 大きさが人間と同程度の小型BETAの外殻は薄く、拳銃やライフル程度でも十分に致命傷となる。だが、歩兵は小型BETAに後塵を拝してきた。何故か?それは小型BETAの圧倒的な運動能力にあった。俊敏なその動きに対し照準を合わせるのは難しく、またその絶対的な数に、歩兵たちはなすすべもなかったのだ。

 だが、小型BETAには小型BETAなりの戦い方がある。遮蔽物のない開けた海岸上のBETA等ただの的。いかに俊敏だろうと機関銃の前に多少の動きの素早さなど何の意味がある?そして小型BETAには飛び道具すらない。歩兵は敵の銃弾から顔を隠す必要すらないため、十分な視界を確保したうえでBETAを照準を合わせることが可能なのだ。BETAに反撃の糸口すら掴ませず、歩兵の銃弾が小型BETAを次々と貫いていく。

 加えて小型BETAに類する戦車級もたまに第二次防衛ラインを抜けてくるが、これも対処方法は同じ。ラインを抜けた瞬間機関砲や歩兵による砲撃で最優先で駆逐される。


 BETAの恐ろしさはその数、そして大きさ、死を恐れぬ前進力にある。だが、連隊により寸断され、小型種のみとなったBETAの群れならば、大型兵器など使わなくとも歩兵で対応が十分可能なのだ。また歩兵のそばには後衛の戦術機を待機させているため、小型BETA以外のBETAが現れても迅速に対処することができる。



 ただこの作戦、発案、計画すること自体は簡単であるが、数値に現わすことのできない難しさが存在する。

 それは小型BETAに生身で向き合う歩兵の恐怖心だ。

 訓練初期段階で姿を伏せられる程の容姿を持ったBETAと直接向かいあうことに加え、小型BETAとは言え生身の歩兵にとってBETAに接近された瞬間迎えるのは死。歩兵は一匹たりともBETAを撃ち漏らしてはならないのだ。

 さらに撃ち漏らしが招くのは自分自身の死だけでない。横一面に引いた防衛ラインの崩壊をも招く可能性があるのだ。さらにこれは防衛戦。最後の一匹までBETAを駆逐しなければ戦闘は終わらない。

 自分自身の死や連隊の崩壊といった恐怖心。さらにBETAを撃ち漏らさない集中力の継続。どこの部隊でも上手くいくという作戦というわけでもない。


 そして今、本土防衛連隊の歩兵達も恐怖を抱えながら戦っていた。だが、彼らはむしろ恐怖を力に変えていた。なぜなら彼らが抱えていた恐怖は自分や連隊の死といった恐怖とは違ったもの。

 それは何か?

 それは家族、友人、恋人を失う恐怖。そして自分に関わるものだけでなく、防衛ラインの後ろBETAの攻撃に怯えているであろう日本国民、そして日本という国を失う恐怖。

 彼ら歩兵は最後の防衛線を守っているのだ。彼らが抜かれることは、後ろにいる無防備な日本国民の死を意味する。それを超える恐怖があるだろうか。

 日本国は1998年にBETAの上陸を許し、全国民の30%にあたる3600万人の犠牲者を生んでいる。全国民の30%だ。ほぼ全ての国民が自分に見知った人間を失った経験をしているといってもいい。加えて生き残った人間の多くも自らの生まれ育った土地を捨て、命からがら逃げることで生を得たのだ。

 その時の辛さ、悲しさを忘れた日本人はいない。それはここで防衛ラインを護る連隊の歩兵も同じ。

 もう何も誰も失いたくない。いや違う。"失わせない"。その思いが恐怖を超え、歩兵の力の源となっていた。


 その銃弾一つ一つはただの鉄の塊のはず。だが、その銃弾は歩兵の気迫が籠った魂の銃弾。その銃弾にBETAは次々と血しぶきを上げながら倒れ、海岸線を赤く染めていく。




 実はこの歩兵の戦い方も、夕食後の議論で何度も話し合ったもの。加えて歩兵達はいずれやってくるであろうBETA上陸に備え、日々その訓練を怠ってこなかった。だからBETAと向かい合う「覚悟」等、とうに彼らはできていた。


 適切な運用方法にそのための訓練。それらがあれば歩兵でも十分にBETA相手に戦うことができるのだ。

 




 乱戦の中、連隊は次々と上陸するBETAを撃破してゆく。上陸前のBETAの撃破。開けた海岸線という地の利。光線級の無効化。そして適切な部隊運用と準備。ここまで圧倒的にBETAを押しこむことができているのはいくつもの理由があげられるだろう。また加えて大きかったのは二人の優れた前線指揮官の存在である。

 沙霧と彩峰、二人は圧倒的な速度でBETAを屠るだけでなく、前線の状況を把握し各中隊が孤立するような危険な状況を未然に防ぐよう、的確な指示を中隊単位に出してゆく。特に指示の回数が多いのは支援大隊への砲撃指示。味方を巻き込まない射線上に展開させた支援大隊の砲撃は否応なしにBETAを撃破しており、隙のない砲撃により広い海岸線を連隊は死守することに成功していた。

 本来ならば指揮官が最前線に立つ等という愚挙は行われるべきものではない。500年前、戦国時代でも行われていなかった兵法だ。

 確かに戦場に置いて指揮官が最前線で状況を確認し指示を出せば、状況を見誤ることも少なくなるし、何より刻々と変わる戦場の状況に瞬時に対応できる。

 だが、そのメリット以上に避けられるべきは指揮官の戦死というデメリット。頭である指揮官が戦死すれば連隊は統率を無くし、正常な戦闘活動を行えなくなる。だからこそ古今東西指揮官が前に出る戦場など行われてこなかったのだ。

 だが、BETAの戦略性の無さと、圧倒的な指揮能力と戦術機操作技術を持った二人の衛士がそれを可能にした。

 通常、人間同士の戦争であれば、指揮官が前に出れば一番に狙われる。また、流れ弾や砲撃に巻き込まれる可能性も高い。しかし、相手は前進することしか知らないBETAなのだ。確かにBETAにも戦術機や航空機を優先的に狙う程度の行動規範はあるが、それもそこまでのもの。戦場の中、指揮官を識別し、それを優先的に狙う行動規範等持ってはいないし、今後も持ちえないだろう。

 そして、光線級さえ無効化してしまえば相手に飛び道具はないのだ。目の前に映るBETAに集中すればいい。

 また連隊規模を率いる指揮能力を持った指揮官が二人いることがこの作戦の肝だ。仮に沙霧と彩峰、どちらか片方が命を失っても、片方が全連隊を見ることで戦線の崩壊を防ぐ。指揮官の死をも考慮に入れた上での指揮官の最前線進出である。







 勝ち戦。通常の戦争であれば即時撤退。それほどの損傷率にBETAは達していた。けれど敵はBETA。損傷率がいくら増えようが関係ない。彼らは最後の一匹まで戦い続ける。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第八話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/11/28 00:22
 海岸線に押し寄せるBETAの群れ。その数は戦闘開始直後から変わっていない。むしろその数は増えているようにすら感じる。

 目の前の1匹のBETAを倒しても、倒したBETAの背後からはその何倍ものBETAが押し寄せる。それがBETAの数の恐怖。

 終わりのない戦いの前に、勇壮な戦士達が一人、また一人とやられ、最後には戦線が崩壊する。そうやって過去人類は何度対BETAの防衛戦で敗れてきたことか。

 しかし、今日この新潟海岸で戦う帝国本土防衛軍帝都守備連隊による新潟海岸防衛戦は、過去の防衛戦とは違った様相を見せていた。




 今、本土防衛連隊の不知火が、要撃級を右手の長刀で袈裟切りにする。要撃級最大の武器であり、また盾ともなる巨大な前腕を避け、その身体のみを切り裂く見事な技術だ。

 切り裂かれ崩れ落ちる要撃級。けれど衛士に落ち着く瞬間などない。その背後から飛び出してきたのは2匹の突撃級に3匹の戦車級。

 だが、不知火は軽くバックステップを取りながら、左手の36mmを連射。戦車級は弾け真っ赤な血の華を咲かす。そして、まだまだ不知火は止まらない。一瞬の間に突進する二匹の突撃級の間を抜けると反転。36mmで突撃級の柔らかい背中を撃ち抜く。

 すぐさま背後から二匹の要撃級が接近するが、不知火の衛士はそれを察知。要撃級の巨大な左手による打撃を回避すると、戦術機の長刀を持ち替えニヤりと笑う。

「次から次へと………。わざわざやられにきてくれるとはな」



 不知火の衛士は笑っていた。衛士は思う。

 一匹倒しても、その何倍ものBETAがやってくる?

 大歓迎だ、と。

 

 本土防衛連隊の戦いは、自分の大切な人を護る戦いでもあり、そして…BETAによって命を散らした大切な人の弔い戦でもある。

 その倒すべき仇敵であるBETAがいくらでもいるのだ。このことを喜ばずに何という。


 今までの彼らの戦いはBETAに対して劣勢であり、その戦の多くは引き分け、もしくは負け戦と呼んで差し支えないものであった。目の前に仇であるBETAがいようとも、歯がゆい戦いを続けるしかなかった。

 だが、今日の戦いはどうだ。適切な戦術、準備、そして訓練の結果、"あの"BETAを圧倒しているのだ。

 彼らは毎日毎日BETAを倒すことだけを考え、訓練を行ってきた。そして、彼らの本願が今日この戦場で叶っているのだ。

  
 連隊員の誰一人として、弱音を吐くことも、心折れることもなく戦い続けていた。







「左翼前衛中隊下がれ、後方補給だ。補給部隊45秒後に前衛中隊が補給に向かう。補給は120秒で済ませろ!」


「「「「「「「了解」」」」」」」」


「支援大隊。左翼に20秒後砲撃。30秒弾幕を切らすな。制圧支援中隊は砲撃後前進、一時的に防衛ラインを下げてもいい、後ろに抜けるBETAを減らせ。前衛が補給を終えるまで前線を持たせられればいい」



「「「「「「「了解」」」」」」」」


 今日何度も戦場に響く、沙霧の補給指示。

 連隊は海岸上に補給コンテナを展開させているため、衛士は弾切れや武器の不足に関しては気にせず戦い続けることができる。

 ただ、推進剤等となるジェット燃料の不足や跳躍ユニットの交換に関しては話は別。流石に戦場で補給するわけにはいかない。だが、連隊はこの哨戒任務のためあらかじめ後方に補給部隊を展開させていた。よって、大きく時間をロスすることなく、戦術機甲中隊は戦場に舞い戻ることができる。

 しかし、いくら補給のための時間を減らしたところで、どうしても戦術機の絶対数が不足する時間というのは存在する。沙霧と彩峰は左翼、右翼の戦術機甲中隊と支援砲撃部隊をうまく組み合わせることで、後方補給時にも戦場全体を埋めることができるよう、指示を出しているのだ。

 

「左翼要塞級出現しました。光線級、吐き出そうとしています」

 だが、前衛が後方に補給に向かった瞬間、運悪く要塞級が出現する。要塞級自体も危険なBETAではあるがそれ以上に危険なのは体内に格納した光線級の存在。今、光線級が海岸線に出現すれば、開けた海岸線の射角範囲は広く、展開した全ての部隊がレーザー攻撃の危険に晒されることとなる。将棋で言えば、自らの陣地にいきなり飛車を撃たれたような状態に陥るのだ。


「右翼戦術機甲隊。左翼回るよ!戦術機甲予備隊、出番。右翼を埋める!」


 彩峰の声とともに右翼前衛中隊が左翼に36mmを乱射しながら向かう。その右翼を埋めるのは後方で戦いを今か今かと待っていた予備隊の存在。

「ようやく出番ですかい。予備中隊行くぞ!」

 予備中隊の中隊長の声が飛ぶ。沙霧と彩峰は突発的な事態に対応するため予備中隊を後方に待機させていた。予備中隊は推進剤をフル噴射。すさまじい速度で右翼を埋めると、右翼のBETAを切り裂いてゆく。

 左翼の要塞級については彩峰と右翼から回った中隊が処理。光線級に一発のレーザーを撃たさず撃破には成功する。



 連隊の士気は最高調。防衛ラインを破られることもなく、しかもBETAを圧倒している。連隊員の全てがこの戦いに勝てる、そう感じていた。たった一人、彩峰を除いて。



(どうして。BETAの数が減らない…。旅団規模のBETAの群れならもう数が大きく減っててもおかしくない頃)

 二つ前の世界の記憶から、彩峰は部隊規模と戦闘時間から、おおよそのBETA数を勘で推測することができた。


「CP。現状のBETAの数は?規模は旅団レベルじゃないの?」


「それが…彩峰中尉。確定情報ではありませんが日本海上に展開された艦船の情報によると、旅団規模と思われていたBETAは数を増やし、旅団3つから5つ分。少なくとも師団規模の群れで新潟に上陸しようとしていると思われます」

「…えっ」



 彩峰は言葉を失う。なぜならばそれは予定外、いや考えられない非常事態。CPの報告は…未来が変わったことを意味していたからだ。

 これまでのループ世界。新潟を強襲したBETAの群れは旅団規模であった。そして、その未来を知る彩峰は夕呼と協力し万全の準備で、本土防衛連隊によるBETAの新潟上陸阻止を計画した。


(一つ前、二つ前の世界でも11月11日のBETAの新潟上陸時の規模は師団規模だった…。それが最悪5倍の師団規模。BETAに…、いやこの世界に…何が起こってるの…)

 彩峰はCPの報告が間違いであって欲しいと願ったが、世界が変わったという事実を受け入れざるを得ないことに気づく。すでに連隊が相手にしたBETAの数が旅団規模のBETA数を超えているのだ。さらに、上陸するBETAの量が目に見えて増えている。

 彩峰は思考を切り替える。二つ前の世界。確かに彩峰率いる本土防衛連隊は6つのハイヴを制圧した。いずれの戦いも劣勢を跳ね返した戦場ばかり。その際成功の要因の一つとなったのは、不測の事態にも慌てず冷静に対処することができる、彩峰の長としての力と判断力であった。

(BETAが増えた原因は今は問題じゃない。それよりも…目の前の戦場のこと)

 彩峰は冷静に現在の戦況を把握する。 

(師団規模のBETAを相手にするとなると…予備中隊の投入のタイミングが早すぎる。これじゃあどこかで防衛ラインを突破される)




 彩峰はすぐさま沙霧に秘匿回線を飛ばす。

「沙霧大尉。このままじゃおそらくBETA殲滅まで連隊が持たない。次の要塞級出現のタイミングで、後方に下がった方がいい」

 彩峰の判断は徐々に防衛線を徐々に後退させ、最終的に光線級のレーザーを避けることのできる遮蔽物のあるポイントまで下げるというもの。先ほどのようにタイミング悪く要塞級が出現した場合のリスクを看破できないと踏んだのだ。

 さらに防衛線を下げればここまで使用を制限してきたALM(対レーザー弾頭弾)も使用可能になる。ALMは重金属粒子を大気中にばら撒き、光線級の武器であるレーザーを減衰させる。ただ重金属は人体にとっても有害な物質。この戦場では歩兵の防衛ラインを高めに設定しているため、歩兵への重金属影響が無視できないと考え、ALMの使用を制限してきた。しかし、防衛ラインを後方に下げれば歩兵とALMを打ち込む地点の距離が伸びるため、ALMを使用することが可能になるのだ。


 おそらく沙霧もそれしか方法はないと考えているはず。彩峰は沙霧の同意の言葉を待つ。だが、沙霧の言葉は驚くべきもの。

「ダメだ。慧。引くことはできない」

 彩峰はあまりの衝撃に一瞬言葉に詰まる。

「……っ。なぜ!防衛ラインを後退させないと。もし光線級が出現したら連隊が持たない」

「つい先頃横浜基地から命令が出たのだ!海岸線を護れと!」

「なんで……香月副司令が…どういうこと」

「さらにそれに加え、ALM(対レーザー弾頭弾)の使用禁止も厳命された。ALMも使用できない」

 もはや彩峰は言葉も出ない。

 防衛ライン後退不可の話など、彩峰は夕呼から聞いていない。

 新潟のBETA上陸時の対応は夕呼と話を詰め、本土防衛連隊だけで対処できない状況になった場合は、防衛ラインを下げ、他の師団と協力しBETAを殲滅する予定であった。

 何より大事なものは兵士の命。対BETA防衛戦は連隊にとって大きな財産となるはずであり、今日の戦いを経験した兵士達をより多く生き残らせることが何より大事だと、夕呼と話を詰めたはずなのだ。

 だが、香月横浜副司令が出した命令は彩峰と取り決めた内容と全く真逆のもの。さらにALMまで使用禁止を厳命された。連隊員に死ねと言ってるようなものだ。



(香月副司令…なぜ…)

 彩峰は夕呼の命令に戸惑いが隠せない。

(この命令に私は従うべき?防衛線を下げれば、私は連隊を生き残らせる自信はある…)

 彼女は不可解な香月副司令の命令に従わないという考えすら浮かんだ。

 だが、彼女はそこで自分の大きな間違いに気づく。それは彼女の父親も間違えなかった絶対に譲れないもの。

(護るべきものを間違っちゃいけない…。私は日本帝国軍の軍人。護るべきはこの国の民)

 そして彩峰は夕呼の命令の理由を理解した。


 ここで最終防衛ラインを下げ、連隊を引いたとしても師団規模のBETAに勝てる保証がないのだ。何しろ一つ前、二つ前の世界のどちらでも、BETAの前進を止めることができたのは新潟の内陸部でありそれは旅団規模のBETA相手の話であった。今回新潟に上陸しようとしているBETAの群れは師団規模。止められる保証はない。さらに内陸部に入られれば遮蔽物や建築物も多いため、海岸線のように一方的な攻撃を加えることはできない。それらの条件を加味すれば、夕呼が海岸線を死守しろといったことも納得できた。

 ALM使用不可の理由については彩峰なりの答えを見つけた。桜花作戦の際、BETAはALMを迎撃しないことでALMを無効化した。BETAはその学習速度は遅いが、人類兵器に対して確実に対応していく。新潟防衛戦でALMを使えば、今後の佐渡島ハイヴを含むBETA反抗作戦に支障が出る可能性がある。そのための使用不許可ではないかと。

 言うなれば連隊は"香月副司令"に見捨てられたのかもしれない。だが、帝国軍人としてあるべき姿は生き残ることではない。日本国の民を護ることだ。

 彩峰は頭を切り替え、本土防衛連隊が日本の壁となるために、この連隊でできる最大限のことを考える。そして当然、連隊が生き残ることを彼女は諦めたわけではない。


(師団規模のBETA相手に、この海岸線で戦い続けるには戦術機の数が足りない…)


 小型BETAの対処は歩兵まかせでいい。支援砲撃のための砲弾も十分にある。問題は戦術機甲中隊の数だ。

 実際、海岸線を守る戦術機の数が足りていないわけではない。問題は先ほども生じた問題だが、戦術機が推進剤等を補給する際に戦線を埋める戦術機の数が足りないのだ。さらにそれ加え、海岸上に展開された武器コンテナの弾薬も尽きかけている。何しろ、この戦闘で彩峰は旅団規模のBETAを想定していたのだ。後方には予備の弾薬があるとはいえ、補給のタイミングがさらに早くなり、一度に戦場に立つ戦術機の数はさらに減る。

 突撃級、要撃級、要塞級、これらを撃ち漏らすことなく相手ができるのは戦術機だけ。戦術機甲中隊には代わりがいない。

(補給部隊を前線に上げるべき?戦場でどうやって前線まで補給コンテナを送る…。空軍に補給と爆撃を依頼?今からじゃ遅すぎる…)

 彩峰は現状でできる対処の方法を考えようとするが、案などすぐに思いつかない。簡単に考え付くのならすでにやっているはずなのだ。

 そして…左翼を埋めている彩峰率いる戦術機甲隊もタイミングを送らせてはいるが、もうすぐ補給をしなければもたない。今回は沙霧率いる戦術機甲隊と交代すればいいが、いつまでこの綱渡りが持つか…。

「右翼、BETAに押され気味です。戦術機の防衛ラインから戦車級多く抜け出ています!」

「もうすぐ沙霧中尉の隊が補給を終了する。あと少し粘って。支援砲撃、左翼はこっちが私の戦術機甲隊で何とかする。右翼に砲撃」

 そして右翼に向かわせた予備中隊も頑張ってはいるが、絶対的な数が足りない。彩峰は左翼の支援砲撃を右翼に増やす。

 だが、当然その反動は彩峰の戦術機甲隊に押し寄せる。

「彩峰中尉。36mmの銃弾も足りません。補給の許可を!」

「まだダメ。もう少し待ちなさい」

 だがこのままではジリ貧なのは彩峰自身もわかっていること。指示を出す。

「第一、第二中隊。補給に行きなさい。ただし、突撃砲、長刀、弾薬は海岸線に投棄。第三、第四中隊は投棄された銃弾を使う」

「「「「「「「了解」」」」」」」


 彩峰は率いる戦術機甲隊の半分を補給のため下げさせ、半分に放棄した銃弾を放置することで前線に残るよう指示。今戦場の戦術機の数を減らすことは、BETAの数に押し切られる可能性が高まる命取りにもなりかねないもの。だが、推進剤が切れれば戦場を自由に戦術機は移動できなくなり、武器であるその機動力が大きく半減する。もはや苦肉の策である。

「ここが辛抱所!戦術機甲隊、行くよ」

 彩峰は先ほどよりも戦闘速度をさらにあげ、次々とBETAを切り裂く。他の戦術機もそれは同じ。その姿は鬼気迫るもの。戦術機の振るう無機質な長刀が操縦士である衛士の気迫をまとっているかのようだ。
 
 ただ当然、いくら気持ちの面が充実してようと、戦術機の数が半分になったのだ。当然先ほどより撃ち漏らしが増える。

 多くの戦車級が戦術機の防衛ラインを抜け、歩兵の砲撃により処理される回数が増えてきた。ただ歩兵の砲撃は最後の防衛方法。そこを抜けられると戦線が崩壊する。

(綱渡り…。沙霧大尉の補給が早く終わらないと…)

 どんどんと戦術機の防衛ラインが下がっていく。このままでは沙霧大尉の隊の補給終了前に戦線が崩壊する。

(最悪の時は…S-11で…)

 彩峰は最悪の事態すら覚悟した。その時、彩峰の上空を黒い影が通過した。




「彩峰。あなたまた、つまらないこと考えてたんじゃないでしょうね?」

 彩峰の秘匿回線が開き、黒い影から彩峰のよく知る声が飛ぶ。

 だが、その声の主が今日、この戦場に来たことを彩峰は信じることができなかった。

 そして、黒い影は一陣の風となって、BETAを切り裂いていく。

 彩峰は驚きの感情から解放され、ようやく言葉を返す。
 
「榊!」


 その声の主は榊。そして彩峰の上空を通過した黒い影の正体。それは12機の黒の武御雷。

 黒の武御雷が左翼前線に降り立ち、BETAに対する戦闘活動を始めたのだ。

「遅くなってごめんなさい。斯衛軍のお偉方を説得するのに時間がかかってね」

 BETAの新潟上陸後、海岸に立ち並んでいたはずの斯衛軍の武御雷は姿を消していた。その理由は彩峰にはわからないが、ここまで榊が来るのに時間がかかったということはそれなりの理由があったのだろう。そして榊はそれを超えてここにやってきたということになる。


「師団単位の防衛線が全速力で新潟海岸の後ろに構築されてるわ。私たちの任務はそれの時間稼ぎ」

 師団単位のBETAが新潟に上陸しようとしていることに対して、帝国軍も手をこまねいてたわけではなかった。万が一の事態に備え、夕呼と彩峰は、帝国軍の師団に戦闘待機命令を作戦前に出していたが、BETAの数からその師団数では足りないと帝国軍上層部が判断したのだろう。おそらく相当数の師団が協力し、内陸部に防衛のための陣形を整えている。

「それから空軍に補給コンテナの投下と爆撃を依頼しておいたわ。10分後には山のように爆弾を積んでやって来るはずよ。それより彩峰、もう疲れたんじゃないでしょうね?」

 榊の言葉に彩峰は安堵する。再度海岸線上に補給コンテナが展開されるということのありがたさと、爆撃機までもがやってくる心強さ。空運が航空機を飛ばすというのは、おそらくこの新潟防衛線で、今日一度も光線級のレーザーが撃たれていないことにも起因しているのだろう。それは本土防衛連隊自身が引き出した成果といってもいいのかもしれない。

 この防衛戦、立て直せる。彩峰は榊に感謝したかった。だが、そのような言葉、彼女達の関係に必要ではない。

「冗談。準備運動は終わり。榊こそ逃げ帰りたくなるかもね」

 榊が軽口を叩いてきたのだ。彩峰も軽口で返さなければならない。それが…どんな時でも変わらない二人の関係なのだから。

 だが、二人ともその言葉の応酬でお互いの気持ちは理解している。

「「ふっ」」

 二人の小さな笑いが戦場にシンクロする。そして、


「戦術機甲隊行くよ、斯衛軍なんかに負けたら帝国最強の名が泣く」
「帝国軍の衛士たちに教えてあげましょう。日本を護る刃の強さを!」

 二人は部下に対する発破をかけると、BETAの群れに飛び込んで行った。



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第九話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/02/02 19:40
 彩峰は初めて見る榊率いる斯衛軍の戦術機甲中隊の動きに舌をまいた。

 戦場で舞う12機の黒の武御雷。彼らの戦術機の動きで驚くべきはその動きのスムーズさ。かなりの練度があるのだろう。一つ一つの動きが洗練されており、"機械"の動きであることを忘れるほど。

 それに加え、エレメントを組む二機連携の見事さ。一糸乱れぬといった表現がこれほど似合う動きもない。そして、彩峰はある事実に気づく。


「榊、新OS使ってるね」

「ご名答。流石にこの戦場で旧OSは厳しいわ」

 12機の黒の武御雷。その動きの滑らかさは旧OSではどうやっても出せない動きなのだ。


「よく斯衛軍のお偉いさんが許したね。てっきりもっと頭が固い人達だと思ってた」

「頭は十分すぎるくらい固いわよ。それより無駄口ばっかり叩いてないで―」

 榊の乗る黒の武御雷が突撃級の突進を交わし、35mmを撃ちこむ。

「さっさとBETAの数を減らしなさい。しばらく左翼は私が見てあげるから戦場の方は気にしないでいいわ。ヴォールクデータ攻略で見せたあなたの動きはこんなものじゃなかったでしょう」

「了解、榊中尉。じゃあ行ってくる」

 そう言うと彩峰は右手に持った突撃砲を投げ捨てると左腕部のハッチを展開。中から飛び出た短刀を抜くと、ジャンプユニットを噴射。両手に短刀を持ち、一つの弾丸となってBETAの群れに突撃する。

 そこから彩峰が見せた動き。その動きは今日最も速い。


 彩峰機は要撃級の目の前に着地。その瞬間巨大な要撃級の左腕が彩峰機を襲うが彩峰は前方へステップ。要撃級の懐内へ入ると両手の短刀を交差。その腹部を切り裂く。

 崩れ落ちる要撃級、だが要撃級の足元には大量の戦車級が。そのため彩峰の周りは戦車級の群れ、群れ、群れ。その中から一匹の戦車級が彩峰の背後からジャンプ、彩峰機に組み付こうとする。しかし彩峰はまるで背中に目があるかのように飛びついてきた戦車級に対して後ろ向きのまま短刀を突く。戦車級はその一撃で絶命。

 そして彩峰機は戦車級を串刺しにしたまま回転、と同時に絶命した戦車級を戦車級の群れに投げ捨てる。仲間の死骸に当たり、吹き飛ばされる複数の戦車級。その瞬間戦車級の群れに穴が開く。彩峰はその隙を見逃さずその開いた穴の中に突進、そこからまさに神業と言ってもいいような動きを見せる。

 猫科動物のような低い姿勢から1ステップごとに振るわれる彩峰の短刀。その短刀は次々と戦車級を切り裂く。たまに不知火に組み付こうと飛びつく戦車級もいたが、彩峰はそれを空中で串刺しに。

 彩峰は驚くべき速度で、戦車級の群れを抜ける。その彩峰機の後ろに広がるのは、死骸、死骸、死骸。戦車級の死骸の山であった。

 榊の中隊が前線を支えられることを確認した彩峰は、ここまで節約してきた推進剤をフルに使えるようになったのだ。加えて榊の「戦場を見てあげる」という言葉。ここまで彩峰は戦場全体を気にしながら戦ってきた。それゆえ自分自身が目の前のBETAを倒すことよりも、味方の立ち位置や戦場全体を見通すことに精力を傾けてきた。だが、その制限が榊の一言で解除されたのだ。榊の前線指揮官としての能力は彩峰もヴォールクデータの攻略で確認している。そのため彩峰はこの日初めて、一衛士として全力でBETAを倒すことに集中できた。
 
 次々とBETAを血祭りに上げる彩峰の不知火。そして他の本土防衛連隊の不知火もその動きに力づけられるように、BETAを粉砕してゆく。 



「彩峰中尉補給完了だ。私の戦術機甲隊で左翼を埋める、補給に下がれ」

 そして崩壊しかけた前線が立ち直った後、ようやく沙霧から待ち望んだ補給完了の発砲が飛ぶ。

「了解。沙霧大尉。戦術機甲隊。後方に下がるよ」

「「「「「「「「了解」」」」」」」」」

 
 彩峰を筆頭に戦術機甲隊が推進剤を使い次々と後方に下がる。そして、彼らを迎えたのはオイルまみれの補給部隊の作業員達。

「補給は120秒で済ませて。速く!」

 彩峰は焦った声で補給隊員に声を飛ばす。

「120秒?90秒で済ませますよ。彩峰中尉」

 補給部隊の長が彩峰に言葉を返す。彼は手を忙しく動かしたまま、補給隊員に檄を飛ばす。

「野郎共。全速力で補給だ。俺達の補給の1秒1秒の遅れの分だけ、死骸になるBETAの数が少なくなると思え」

「「「「「「了解」」」」」」」

 補給隊員の声が大きく響く。前日からの戦術機整備から今日の補給任務まで、働き続けているであろう彼ら。疲労も溜まっているはずだが、彼らの目はみな生き生きとし、大きく輝いていた。


 彩峰は補給が上手くいっていることを確認すると戦場を確認する。前線に戻った沙霧の部隊は左翼を埋め、榊達斯衛軍の武御雷の中隊は右翼に回り、予備隊と共に右翼を埋めていた。



 そして、彩峰は右翼側、帝国軍の不知火と共に斯衛軍の武御雷が戦っていることに深い感慨を覚えた。

 今も、戦車級に組み付かれた不知火を助けたのは武御雷。武御雷は戦車級を処理すると不知火を助け起こす。

「悪いな、斯衛軍」

「戦場では当然だ。気にするな、帝国軍」

 秘匿回線の番号がわからなかったのであろう、衛士全員の聞くチャンネルに不知火と武御雷の衛士同士のやり取りが流れる。

「私達の仕事はBETAを倒すことだ。一匹でも多く奴らを地獄に送ってやろうではないか」

「ちげえねえ。じゃあさっさとやっちまおう」

 そう言うと二機の戦術機は再度BETAの群れの中に飛び込んで行った。

 戦場で交わされたたった一言、二言の会話。だが、その言葉の重さ、尊さを何よりも理解していた兵士がいた。


(私のやったことは…間違いじゃなかった)


 この戦場で彩峰と榊だけが知っている真実。本土防衛連隊と斯衛軍。彼らは…異なる世界、未来では刃を交えた同士だったかもしれないのだ。

 沙霧が別の世界で起こしたクーデター。その始まりは本土防衛連隊と斯衛軍の激突からであった。BETAという共通の敵を倒すため厳しい訓練をこなしたはずの彼らが、BETA相手ではなく、味方であるはずの帝国軍同士でその血を流し合ったのだ。それは本当に哀しい未来。あってはならない未来。

 だが、今この戦場で繰り広げられている光景はそれとは真逆のもの。帝国軍、斯衛軍の垣根を超えて彼らは戦っているのだ。本当に倒すべきもの、BETAを倒すために。


 その感慨から彩峰の心に芽生えたのはある決意。そして、彩峰は沙霧に秘匿回線を飛ばす。

「沙霧大尉。相談があります―」



 彩峰率いる戦術機甲隊が補給を終え戦場に戻る。結局補給部隊は彼らの仕事を迅速に済ませた。そして、彩峰率いる戦術機甲隊が右翼側に降り立った瞬間。沙霧の声が、全チャンネルに流れる。

「全戦術機甲隊に告ぐ、私はこの前線を預かる帝国本土防衛軍帝都守備連隊の沙霧大尉だ。ここまでこの戦場の指揮官は私と彩峰二人だったが、ここでより優れた指揮官適性を持つものに、この前線の指揮権を移行する。指揮権を移行する相手は斯衛軍、榊中尉」

 その言葉に本土防衛連隊に激震が走る。指揮権を戦闘中、しかも異なる軍隊のものに預ける等前代未聞の出来事なのだ。

「驚くのも無理はないと思う。ただ、榊中尉は新OS、XM7の開発者の一人だ。特に彼女は『BETA進軍速度のリアルタイム演算』を筆頭とした戦場全体を見通す機能開発に尽力し、加えて彼女自身の指揮能力も帝国随一と考えてもらって問題ない」

 本土防衛連隊はその言葉に驚くと同時に、榊に親近感を覚えた。なぜなら榊が彩峰と同じ、あの化け物のような新OSを開発した一人であるのだ。新OSが優れた戦闘技術と豊富な戦闘経験を持った衛士なしに開発できないことなど、それを触った衛士ならばわかること。そして、実際に接近戦機能の開発者である彩峰の衛士としての能力は驚くべきものであった。

 さらにあの沙霧大尉がその指揮能力を帝国随一とまで言うのだ。逆にその指揮能力、どれほどのものか、連隊員達はその姿を見たくなった。

「この指揮権移行は命令だ。不平不満は戦闘終了後、BETAを日本から追い出した後に聞く。返事はどうした」

「「「「「「「「了解」」」」」」」」」

 連隊員の返事の後にすぐ、新たなチャンネルが響く。その声は榊。

「この戦場の前線指揮官となった榊中尉です。前口上は省かせてもらうわ。まず左翼前衛中隊。さっきから戦車級を相手にしすぎよ、制圧支援中隊にまかせなさい。それよりも突撃級、要撃級を逃がさない。いいわね」


「「「「「了解」」」」」

 榊は指揮権を移行直後、すぐさま指示を出してゆく。

「逆に右翼前衛は突撃級、要撃級を追いすぎ。あなたたちの防衛ラインはBETAと最初にぶつかる所よ。防衛ラインもっとあげなさい」

「支援大隊。砲撃位置を300m沖合側へ。その地点で十分要塞級は確認できるわ。あなた達の仕事は一匹でも多く、BETAを処理すること。砲撃速度上げなさい」

「狙撃中隊。時間ごとの光線級の数把握しときなさい。何か異常があれば報告」

 初めて指揮する、しかも所属の異なる相手に対し、榊は全く臆さず次々と命令を出してゆく。だが、そのようなこと榊にとって容易なこと。彼女が二つ前の世界で戦ってきた悲惨な戦場では、指揮官が戦死することで、何度勝手に指揮権が彼女に転がり込んできたことか。戦場の立て直しなど、お手の物。次々と補給の度に綱渡りだった戦場の様相を様変わりさせてゆく。





 そして、指揮権を移行することで制限を解除された衛士がもう一人戦場にいた。沙霧大尉である。


 沙霧の乗る不知火が、長刀を水平面上に一閃。なんと、要撃級はその巨大な身体を二つにぱっくりと割られ絶命する。どれほどの精度、速度で刀を振るえばそのような御技が可能になるのだろうか。

 だが、すかさず別の要撃級が巨大な右腕を振り上げ、沙霧機の側部を狙う。だが、残念ながらその右腕が振り下ろされることはなかった。一閃した長刀の運動エネルギーを利用したまま、沙霧機は手首を捻り、要撃級に突きを繰り出していたのだ。たったの一撃で要撃級は後ろに崩れ落ちる。
 
 突いた刀を引き抜いた瞬間、沙霧機に突撃級が突進するが、それを沙霧機は1ステップで回避。沙霧機を通過した突撃級は再度反転しようと、突進をストップ、と同時に転倒する。沙霧が回避と同時に突撃級の足を切り落としていたのだ。


 前線の最も高い位置で戦う沙霧機。そのため次々とBETAの群れが沙霧機に向かっていく。けれど、恐ろしいことに沙霧機を通過できたBETAはいない。沙霧が向かってきた全てのBETAを超速で処理しているのだ。沙霧機の前には大型のBETAも小型のBETAも関係ない。平等に死が与えられていた。

 ただの一衛士。沙霧は今日この瞬間、あらゆるものから解放され、一衛士として刀を振るうことができるようになったのだ。そして沙霧自身もその一刀一刀ごとに、自分の心境が少しずつ変化していくことを感じていた。



(将軍を傀儡とする輩によって崩壊へと向かう日本。その崩壊を止めるため、私は行動を起こそうとしていた)

 沙霧機は要撃級の右腕を切り落とし、無防備となった要撃級の右側腹部に36mmを撃ちこむ。

(そのための礎になる覚悟は幾重にも重ねてきたつもりだったが、)

 突撃級の突進。沙霧機はその突進を交わしざま長刀で両断。

(今になって命が惜しくなるとはな…)

 沙霧は仮にクーデターが成功したとしても、自分は長くは生きられないだろうと考えていた。武力という暴力で社会を掌握したものは、自らもまた武力でそれを失う。そのことは過去の歴史の軍事クーデターが証明している。沙霧自身が軍事政権を樹立し、厚い警護態勢を引き、自分に仇なすものを粛清すれば、命を失う可能性を下げることもできたが、そのような考えは彼にはさらさらなかった。彼が考えていたことは将軍に政権を渡すことのみ。だが…。


 さらに沙霧は足元を通過しようとした兵士級を蹴り飛ばす。

(BETAを倒す。その思いだけを高め、磨いてきた彼女達の姿…なんと眩しいことか)

 彩峰や榊といった自分より年若いものたちが、全く違った方法、それも真正面からの正攻法という形で、この国を救おうとしていたことに沙霧は強い眩しさを感じていた。


 沙霧機の背後から戦車級が飛びつくが、沙霧はそれを一撃のもとに斬り捨てる。

(この国を救うという目的のため、苦心してきたつもりだったが…違ってたのかもしれんな)

 反転する突撃級が一瞬見せた側部に36mmを撃ちこむ。 

(彼女達が作る未来…見てみたかったものだが)

 沙霧の斬撃が要撃級の右腕によって防がれ、長刀が折れる。

(もう少し早く…いやもう遅い)

 だが、沙霧はその折れた長刀を要撃級に突き刺す。

(今はただ…一つの刃になるのみ!)

「うおぉぉぉぉぉ」

 沙霧の咆哮が戦場に鳴り響いていた。




 戦場が正常化し、BETAとの戦闘状態が安定化してきた後、CPより発報が飛ぶ。

「CPより通信です。空軍の戦闘機隊が45秒後、こちらを通過します。補給コンテナを展開後、沖合まで絨毯爆撃を開始するそうです」 

 それは榊が依頼した空軍到着の知らせ。榊はすぐさま全チャンネルを開く。

「45秒後空軍が補給コンテナの展開と、爆撃を開始します。おそらく爆撃後BETAの数が一時的に減るわ。エレメント単位で警戒しながら、その間に補給しなさい」


「「「「「「「了解」」」」」」」」

 
 そして、戦闘機、爆撃機の連隊が上空を通過、補給コンテナが次々と上空から投下され展開される。さらに海岸側から沖合側へ、爆撃が始まった。

 次々と海中へ投擲され爆発する爆弾。BETAの死体が上空に四散する。それは圧倒的な光景であった。

 戦場に立つ誰もが安堵した。これでBETAとの戦いが一段落するmpではないかと。
 
 だが事態は急変する。




「榊中尉。こ…光線級の数が急増しています」

 それは狙撃中隊からの発報。

「な、なんですって…」

「またっ…、要塞級の群れが視界から確認できます」

 それは最悪の事態。

「支援部隊。すぐに砲撃場所を移しなさい」

 榊はすぐさま対策となる指示を出す。だがおそらく要塞級の上陸を許してしまうことは間違いない。

(なぜ…要塞級が群れに…。BETAが戦略を…?)

 だが、榊は沖合の状況を確認時し、その原因を理解した。

(支援砲撃の跡が…スポットになっていたのね!)

 明朝から行われてきた支援砲撃により、砲撃地点には巨大な穴がいくつも開いてしまっていた。その穴を通過することに手間取った地形走破能力の低い光線級や、大型の要塞級だけが足並みを大きく遅らせていたが、空爆によりその穴が崩壊し、一気に溜まった光線級、要塞級が流れ込んだのだ。


「彩峰、沙霧大尉。右翼で要塞級が上陸開始するわ。急ぎなさい」

「「了解」」

 沙霧と彩峰はその指示に従い、自分の持ち場から右翼に移動を開始する。

 だが…

「右翼要塞(フォート)級出現しました!!!それも…複数。6匹…いえ7匹です」


 ついに恐れていた要塞級上陸を報告するCPの声が飛ぶ。



「左翼前衛、右翼の要塞級を叩きなさい。他種のBETAは無視して構わないわ。支援砲撃も右翼に集中」

 榊の声が飛ぶ。その声は今日最も大きなもの。

「右翼前衛、増援が行くまで絶対に光線級にレーザーを撃たせない。いいわね」

「「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」


(間に合うの…)

 いち早く右翼にたどりついた彩峰と沙霧が推進剤を使い、超高速で要塞級に突進する。

 彩峰の短刀が要塞級の首を跳ね、その死体に右翼前衛が36mmを撃ち込む!

「1匹目!」

 沙霧の戦術機が跳ね、右手の長刀で一匹、左手の長刀で一匹、要塞級を切り裂く。崩れ落ちる要塞級には支援大隊の砲撃が直撃する。

「2匹目、3匹目だ!」

 制圧支援中隊の一斉掃射が要撃級を蜂の巣に。

「4匹目です!」

 彩峰と沙霧は方向転換の時間が惜しかったのだろう。それぞれ距離的には近かった背後の要塞級を無視。だが声をかけることもなく、ブースト機動のまま、彩峰と沙霧彩峰と沙霧の戦術機が交差。それぞれ対角線上の要塞級を撃破する。

「5匹目!」

「6匹目だ!」

 だが、要塞級はもう1匹いる。残った一匹の要塞級は光線級を吐き出した。一刻も早く撃破しなくければならない。だがその位置に間に合う戦術機がいない。

 光線級が砲台であるその首を彩峰の後方に向ける。その方角にあるのはCP等が集まる支援部隊。

 彼らがやられれば戦場の状況把握は不可能となり、各部隊は孤立する。その先に待つのは連隊の死。


 彩峰も沙霧も必死で36mmの射角を確保しようとブースト機動をする。だが、その動きも虚しく、光線級はそのレーザーを…。






 撃たなかった。光線級はレーザーを撃たなかったのだ。それどころか、驚くべきことに光線級は日本海側へ後退しはじめた。光線級だけではない、上陸していた全てのBETAが種類を問わず、180度進路を変え海側へ戻り始めたのだ。その姿は…まるでBETAが連隊を恐れ、敗走しているかのように見えた。


「全てのBETAが佐渡島方向に撤退を始めました。原因は不明。原因は不明」

 CPの声が飛び、榊が指示を出す。

「BETAは撤退中よ!一匹たりとも佐渡に逃がさないこと!支援中隊砲撃!」


 海へ逃げるBETAの背面に支援中隊から、戦術機から、歩兵から、ありったけの砲弾が飛ぶ。逃げるBETAなどただの的、砲弾により次々とBETAが爆砕していく。今、人類は蹂躙される側からBETAを蹂躙する側へと回ったのだ。

 










「上手くいったわね鎧衣。この勝利は大きいわよ」

 新潟海岸を見下ろす高台の上、そこにいたのは国連横浜基地副司令、香月夕呼。

「でもよかったのですか、副司令。おそらく少数のBETAは佐渡に帰りついてしまいます。今後佐渡島ハイヴのBETAにこの兵器は通用しなくなりますよ」

 夕呼に言葉を返したのは鎧衣美琴。その鎧衣が指さすのは直径3m程度の巨大なパラボラアンテナのような機械。

「いいのよ。どうせ『あれ』は制圧しちゃう予定だし。BETAを撤退させる兵器なんて、佐渡の場合はもう必要ないわ」

 佐渡島にそびえる巨大なオブジェを見上げながら夕呼が言う。  

「彩峰もALMの使用よく我慢したわね。おかげでよく戦場にこの子の声が響いたわ」

 夕呼はポンポンと巨大なパラボラアンテナのような機械を叩く。

「さてのんびりしてる時間はないわね。早くここから撤退するわよ。帝国軍なんかに見つかったら面倒だわ。ピアティフ、機器の収納をお願い。基地に帰るわよ。あたし達は他にもしなくちゃならないことがたくさんあるわ」

 夕呼の楽しげな声が、冬の新潟海岸に響いた。 



[14118] 第二章 a girl detemines to grow up 第十話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:76817d0a
Date: 2010/11/19 19:46
「新潟防衛戦成功を祝して、乾杯!」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 帝国本土防衛軍帝都守備連隊基地では、BETA新潟上陸を阻止した勝利を祝い、盛大な宴会が開かれていた。

 何しろ師団クラスを大きく超えたBETAの群れ相手に、戦術機はいくつか失ったものの、なんと連隊員の中に死者はなし。対BETA戦闘の歴史に残る大勝利を連隊は果たしたのだ。今日だけは『特別な』大宴会が開かれていた。


 また新潟上陸に失敗し、佐渡島ハイヴに帰巣しようとしたBETAの大多数は日本海上の艦隊に迎撃され撃破されている。


 連隊員全てが今日の勝利の立役者。そして誰一人欠けることなくこの宴会に参加できた奇跡に全員が喜びを共有していた。


「見たか、BETAの野郎共。俺の操縦技術にビビってハイヴに帰りやがった」

「馬鹿をいえ、私の支援砲撃の嵐に怖気づいたのだよ」

「衛士の夢を諦めてから始めて、歩兵でよかったと思えた。歩兵には歩兵の戦い方があり、私達には私達だけの戦場がある」

「あれほど戦術機に弾を補給することが楽しい戦闘はなかったよ。何しろ補給した弾の一発一発がBETAの命一つ一つと引き換えなのだから」



 喜びの声がそこら中から聞こえる。それらは今日の自分の仕事の大きさを誇るものが多い。

 けれど彼らにはそれを誇る資格がある。彼らが今日実際に成し遂げたことは、いくら誇っても言葉では語りつくすことができないほど大きなことなのだから。
 


 そして盛り上がる宴会場の中、一段と大きな人の輪が宴会場の一角に存在していた。その中心にいるのは彩峰中尉。


「彩峰中尉。あなたの開発した新OSは本当に凄いものです!」

「初めて戦場でBETAのことを怖いと思わなかった。俺達はBETA相手でも対等に戦えるんですね」

 興奮した下士官たちが彩峰を称賛する。

「嬢ちゃんよ、今日だけは感謝しなくちゃなんねえな。戦場で部下が命を失わなかったのは始めてだ。心から礼を言う。ありがとう」

 これまで彩峰によい顔をしてこなかった先任が彩峰に頭を下げる。

 彼らだけではない。次々と連隊員が彩峰のところに来ては思い思いの言葉をかけてゆく。彼らが彩峰に述べることは一人一人異なったもの。けれど彼らの言葉その全てに含まれているのは彩峰に対する感謝の心であった。

 それらの言葉に対して、彩峰は微笑を浮かべるばかりで言葉を返すことはなかった。

 ただその表情は見る者に冷たさを感じさせるものではなく、どこか照れた様子のように見えた。



「それにしても斯衛軍の武御雷。彼らの動き、働きは本当に素晴らしいものでした。私も命を救われましたよ。彼らもこの宴会に参加する資格は十分にあると思うのですが」

「確かに。ただ残念ながら彩峰中尉の言うことには、別任務があるということで、帰ってしまったようだ」

「次、会った時は、必ず今日のお祝いを彼らとしましょう。同じ…日本を護った軍人なのですから」

 残念ながら榊率いる斯衛軍の武御雷部隊はこの宴会には参加していない。ただ、同じ作戦を戦った仲間としての意識は、本土防衛連隊の中に強く残っていた。


 宴会はこれ以上ない盛り上がりを見せ、最高の雰囲気が連隊に広がっていた。




 だが、そのような雰囲気の中、一つの言葉が大きく宴会場を駆け抜ける。

「連隊員に告ぐ!沙霧大尉から話があるそうだ」

 声をあげたのは沙霧側近の少尉。その横に立つのは沙霧尚哉。ただし、その表情は優れない。


「沙霧大尉!」

 その声に反応したのは彩峰慧。

「『それ』は言っちゃダメ。『それ』を言えばもう取り返しはつかない。あなたもそのことはわかっているはず」

 その言葉に大きく動揺する沙霧大尉。二人しかわからない会話に連隊員は困惑する。




「彩峰中尉。この連隊の長は沙霧大尉なんですから、お祝いの一つくらいは言わせてあげませんと」

 連隊員の一人から能天気な言葉が飛ぶ。だが彩峰はその言葉を無視。もう一度沙霧に呼びかける。

「沙霧大尉!」


「彩峰中尉。沙霧大尉は上官だぞ。口を挟むとは何事だ」

 沙霧の傍の少尉が彩峰に言う。そして彼は嫌な笑いをしながら言葉を進める。

「それとも沙霧大尉に言われてはまずいことがでもあるのですかな、横浜国連基地、香月副指令の犬こと彩峰慧中尉」

 連隊員に大きな振動が走る。だがすぐさま、その言葉に対し、連隊員から反論の声が上がる。

「彩峰中尉が横浜基地の人間ならば、あのような優れた新OSを渡すはずなどない。そして、今日の勝利までの彩峰中尉の働き。彼女が横浜基地のスパイならば、あそこまでする意味はあるまい。いくら大尉直属ともいえども、彩峰中尉に対する侮辱は許されんぞ!」

 一人の先任衛士が叫ぶ。彼も始めこそ彩峰に対し反感を抱いていたが、厳しい訓練や対BETAの議論会、そして彼女の覚悟に触れることでそのような感情はずいぶん前に崩れ去っていた。


「彼女があそこまでする意味があったらどうしますか。先任殿」

 だが少尉は慌てず、冷静に言葉を返す。

「彼女の目的。それは新OSを広めることなどではない。"私達の計画"を潰すことだったのですよ。そのために彼女はこの基地に入り込み、私達の結束を解こうと動いていたようです。沙霧大尉や私を含めた側近はそのような動きには惑わされなかったですがね」

 連隊員に大きな動揺が広がる。連隊員の多くが沙霧に同調し"クーデター"に参加しようとしていたため、外部の人間である彩峰がその計画を察知していたという事実に彼らは大きく慄いたのだ。そして何より、共に戦った彩峰中尉が国連のスパイであるということなど、彼らはとてもではないが信じたくはなかった。

「本当なのか彩峰中尉……嘘ならすぐに否定してくれ」

 祈るような懇願の言葉が先任の一人から飛ぶ。だが、彩峰は否定をするわけでもなく黙り込む。

 彩峰の黙り込む姿を確認すると、少尉は嬉しそうに笑いながら言葉を発する。

「だんまりですか、彩峰中尉。仕方がありませんね。では証拠を見せましょう。あなたが横浜基地のスパイであるという証拠をね」

 そう言うと少尉はテープレコーダを手に持ちその再生ボタンを押す。


 

「「……………。私が帝国軍に行く理由。それはクーデターを止めるため。これは私の義務………………」」




 連隊員全員が絶句した。

 テープレコーダが再生したのは…彩峰が横浜基地で放った彼女の覚悟の言葉だった。


「これでもだんまりですか、彩峰中尉。私にはあなたの声にも聞こえますが、人違いなら違うという言葉を中尉から聞きたいんですがね」



 彩峰はようやく口を開く。

「少尉が言うように、私がこの基地に来た理由は…クーデターを止めるため」

「彩峰中尉を捕えろ。彼女は反逆者だ。早く!」

 彩峰の告白の言葉と同時に少尉が叫ぶ。

 だが連隊員の誰もが動けない、そして言葉一つ発することができなかった。

「なぜ誰も捕まえん。仕方ない。行け!」

 少尉以外の沙霧の側近が彩峰を捕えにかかる。彼らが手に持つのは拳銃。

 彩峰は反撃することも叶わず、組み伏せられる。だが彼女は言葉を止めない。

「私は日本人同士で姿なんて見たくなかった。確かに今の政治は間違っているのかもしれない。でもだからといって、私はそんなやり方で解決することがいいことだなんて思わなかった」

 組み伏せられながらも、彩峰は連隊員を説得しようとする。

「あなた達は本当にそのやり方が正しいと思ってる。違うはず?無駄な血を流して、そこまでして得るもの―」

「彩峰中尉うるさいぞ!」

 組み伏せられた彩峰の脇腹に少尉が蹴りを入れる。


 連隊員達は動けなかった。彼らとて、彼女の言い分にわかることもある。それに彼女は未来を見せてくれたのだ。BETAに勝利する未来を。

 クーデターを取りやめ、BETAと戦っていきたいと多くの連隊員が思っていたのも事実。

 けれど、彼らの心に重く残る思いがあった。それは「彩峰中尉に騙された」という思い。その相反する思いによって生まれた感情が彼らの足を止め、口を閉じさせたのだ。

「彩峰中尉を連れて行け!洗いざらい情報を吐いてもらった後に、その首を刎ねなければな」

 少尉の言葉だけが虚しく部屋に響く。





「若い女性に対してそのやり方、少々手荒なやり方ではないかね」

 部屋に響く男の声。その男の言葉の後に、連隊員の間を風が駆け抜けた。

 それは風ではない。人であった。



 疾風のように連隊員の間を駆け抜けた彼らは、彩峰を組み伏せた沙霧の側近、そして少尉を一瞬にして一人残らず取り押さえる。



 取り押さえられた少尉がうめきながら顔を挙げる。彼は自分の目に映る人物に驚き、声をあげた。

「榊…是親首相」

「いかにも私が、榊だが」


 そういうと榊首相は連隊員の間を歩き、彩峰達のいる方へ向かう。連隊員の間に自然に道ができる。

「君はやり方を間違えたな。彩峰君。君は彼らを説得したかったんだろう。それなのにどうして信じてほしい相手に嘘をつくようなやり方をした。『それは信じさせた』のであって、スパイの仕事と変わらんよ」

 榊首相はにんまりと彩峰をみて笑う。

「ただ、私は君のようなタイプの人間が好きだがね。言い訳をしない姿など、君の父上を見ているようだったよ」


「榊首相…どうしてこちらに?」

 沙霧がどうにか口を開く。 

「いや、新潟防衛戦の立役者達に祝いの言葉の一つでもと思ってな。それから別件で頼みごとも。ただこの基地を訪れたら驚いた。日本のために戦った勝利の立役者が米国の犬に組み伏せられてるではないか」

「「「「……っ」」」」

 少尉を含めた沙霧の側近達が大きく驚く。


「この基地は彩峰中尉が着任以降、情報監視されていたのだよ。流石に国連基地から来たものをいきなり信用するわけにはいかんのでね」

 彩峰が着任して以降、基地外へのやりとりは全て厳しく情報監視されていたのだ。

「だが、先ほどの彩峰君の横浜国連基地での会話の盗聴データのやりとりなど、監視された記録にはどこにもなかったのだよ。少尉。君はどこからそのテープを得たのかね?」

 組み伏せられた少尉は口を閉じ黙り込む。

「ただ情報監視のおかげで、別の面白いやりとりは得られたがね」


 榊は先ほど再生されたテープテコーダーを拾い上げると、自分の持つテープと交換し、再生ボタンを押す。



「「ダメです。このままではクーデターは行われない可能性が高く、沙霧大尉を説得するのも難しい状態です。…っ、彩峰中尉の盗聴データですか…」」



 それは沙霧側近の少尉の声。

「声の主はよっぽど焦っていたようでな。暗号化してはいたが、中継もせず、直接回線をつないでおったよ。米国にな。それから残念ながら、富士教導隊に送り込まれた君の仲間も横浜国連基地の人間によって取り押さえられたようだよ。斯衛軍の中の君の仲間も同様にな」


 連隊員が大きくざわめく。昨日まで共に飯を食らい、戦場を共にしていた仲間達が、米国のスパイだったのだから。

 沙霧大尉も大きく動揺していた。

「沙霧君。君の"軍歴"、実力、それがわからぬ米国ではあるまい。米国は君の影響力の大きさを帝国以上にわかっていたようでな」

 スパイの仕事は人を信じさせ、信頼させることから始まる。米国は光州作戦後、沙霧大尉を利用できる可能性があると考え種をまいていたのだ。人が相手に一番簡単に心を許させる方法。それは長い時間を共にすることである。光州作戦直後にすでに米国は、「いつか米国の役に立つ可能性がある」と判断し沙霧に対しスパイを放っていた。そして米国の思惑以上に沙霧は優秀であった。米国にとって大きく役立つ存在へと、沙霧は成長したのだ。

「だが、米国の言葉に騙されただけで、"計画"を立てるような君ではあるまい。君自身が絶望していたのではないかね。この国の政治にではない、BETAとの戦いに」

 沙霧はその言葉に今日一番の動揺を見せた。

「君は誰よりも強く、そして不幸なことに頭脳も明晰だった。この戦争、勝てないものだと思ったのではないかね」

 沙霧は強い。強いということは自分がどこまで出来て、どこまで出来ないということを理解できるということである。ただ彼が一衛士として強いだけれあれば、目の前の戦場で戦い続けることができただろう。しかし、彼は指揮官としても優秀であった。彼は、冷静にこの戦いを分析し、このままでは日本はBETAに近い将来、飲み込まれ、国を失うという未来が見えてしまっていたのだ。


「沙霧君。なぜ若者が先に諦める。君より年寄りである私は諦めておらんぞ、この戦いを。そのために逆賊と罵られようと、この国を守ってきたつもりだ。そして、私は一度もやり方を間違えたなんぞ思ったことはない」

「それならあなたはどうして!米国に迎合するようなやり方をする!あなたの政治はとても日本を護ろうとしているようには見えない」

 沙霧が言葉を返す。米国に対し腰の抜けたような政治を行う榊首相の姿に、苛立っていたのは沙霧だけではない。多くの日本人が思っていることだった。榊首相の政治では日本を護れない。多くの兵がそう思ったからこそ、前の世界でクーデターは実行されたのだ。



「沙霧君、BETAとの戦いに起死回生、一発逆転できる方法などない。今は確かに日本にとって苦しく厳しい時だ。だからこそ、粘り強く政治を続けておる。ただ私は未来を諦めておらん。私はね、日本の未来というものを護るためためにちっぽけなプライドは全て捨ててきたつもりだ。私の政治姿勢が米国に迎合しているように見えるということは確かに否定せん。けれど、次の世代にバトンをつなぐために、私は勝負を諦めず、逆賊と罵られようと、今の政治を続けるつもりだ。君にその覚悟はあるか?」

「……覚悟があるからこそ、計画を起こそうとしているのですよ首相…」

「覚悟があると君は言うが、殿下に主権を渡したいと考えているのだろう。なぜそこで殿下に、全てを任せようとする!今の政治が悪いと思うのならば、殿下に責任を押し付けるのではなく、計画を起こした君自身が政治をするのが筋だろう!」

 沙霧は絶句する。自分が政治をすることなどおごがましいと彼は考え、殿下に主権を任せることが最良だと考えていた。そのために自分の命すら投げ出す覚悟をしていた。


「私は自分の政治が悪いと、下の世代に否定され、駆逐されたのなら文句は言うまい。だが、年若い殿下にその全てを投げ出そうとする輩になんぞ、駆逐されたくなどない」

 だがその殿下に責任を押し付ける行動自体が、無責任な自分の覚悟を現していたという矛盾に今になって気づかされたのだ。


「今の政治を一掃して殿下に主権を渡しても、未来が見える可能性が低いことなんぞ、賢い君自身が一番よくわかっているだろう沙霧君。ただそれでも君が現状を変えるため、何か大きなことを起こさなければならないと考えた気持ちはよくわかる。だが、現状を変えようとすることと、無謀な計画に全てを委ねようとすることは違うのではないかね」 

 榊首相も沙霧の気持ちは痛いほどわかっていた。だが彼は長い政治経験から、博打を打つだけでなく、苦しい時を耐え忍ぶということを知っていた。


「若者に未来を見せられなかった私達年寄りにも原因はもちろんある。だが、もうちょっと頑張ってみんか。それに今日、君達自身が日本国民全員に未来を見せてくれたではないか」

 そして耐え忍んだ結果、今日の勝利があった。何たる皮肉か。榊首相を否定しようとしていた沙霧達の連隊が、榊首相の政治姿勢の助けとなったのだから。


「それにな。今度は私達年寄りが未来を見せる番だと思ってな。12月5日。私もある計画を立てておる」

 榊首相がニヤリと笑う。


「12月5日、BETAへの大規模反抗作戦が実行される。日本帝国はあの忌々しい佐渡島ハイヴを制圧する計画を予定しているのだよ」

 部屋全体が大きくどよめく。佐渡島ハイヴの破壊は日本人の悲願なのだ。

 榊首相達は今日の勝利を受け、BETA反抗の計画を話し合っていた。


「参加する軍隊は日本帝国軍だけではない。斯衛軍も多くの戦術機を出すと約束してくれた。そして国連軍も兵と、君達も使っている新OSを帝国軍全軍に提供するそうだ。さらに米軍の一部の協力も取り付けておる。

 連隊員は首相の言葉に驚きが隠せない。佐渡島奪回のために、今まで反目し合っていた、日本帝国に関わる全ての人が協力しようというのだから当然だ。


「ただ、ハイヴ内に突入する優秀な衛士が足りていなくてな。そこにいる彩峰君ももちろん突入するのだがね。そして…私は今日、その役割を君にも頼みたいと思ってここに来たのだよ、沙霧君」

 沙霧は一瞬押し黙った後、言葉を吐く。

「私は罰を受けるべき人間です、榊首相。私はクー…」

 その言葉を榊首相が遮る。

「沙霧君。私は彩峰君の口からはクーデターという物騒な言葉を聞いたわけだけだが。この基地にそんなことを計画している様子は見えないな。それから君たちは"ある計画"を立てていたようだが、それは何かね。私の誕生日でも祝ってくれる計画かね」

「榊首相…」

「君はまだ過ちを犯してはおらんよ。過ちを犯してない人間を罰することなど、いくら日本国の首相といえでもできまい」

 榊首相はまっすぐと沙霧を見据える。

「それより、君の返事を聞きたいんだが、どうするかね」


 沙霧の答えの前に連隊員から次々と声が上がる。

「行ってください大尉。ハイヴなんてぶっ潰してきて下さいよ」

「私達はまだ大尉と肩を並べて戦うほど強くありません。ただ"まだ"です。今は先に行ってください。必ず追いつきますから」

 その声は…沙霧を後押しするものばかり。彼らは今日わかったのだ。自分達が沙霧の足枷の一つになっていたことを。沙霧を諦めさせた原因の一つが自分たちの弱さであったことを。

 仲間の後押し。そして何より今、沙霧は謀殺しようとしていた相手にすら赦されたのだ。

「榊首相!」

 帝国軍人として、彼が迷う理由がどこにある。 

「帝国軍大尉沙霧尚哉。佐渡島ハイヴ突入の任務、お受けします。命を賭けて任務を果たします」

 沙霧の真っすぐな言葉が榊首相に返された。


「ありがとう沙霧君。だが佐渡島ハイヴ一つ潰すだけで、命を賭けるなんて言っちゃいかん。必ず生きて帰ってきなさい。戦いはその後も続くのだから」

 榊首相は沙霧の言葉を受け取ると、今度は連隊員全員の方に向き直る。


「それからな、ハイヴ突入隊を消耗させずに、ハイヴ入口まで援護する隊と、彼らの退路を確保する隊がまだ決まっておらんのだよ。この任務は危険かつ、難易度の非常に高い任務でな。優秀な部隊でないと務まらんのだがね。君、優秀でなおかつ危険にも怯まぬ部隊は知らんかね」

 首相は連隊員の中の一人の先任に声を掛ける。

 先任はその首相の言葉ににんまり笑うと、首相に言葉を返す。

「はい首相。私は一つそのような部隊を知っています。その連隊は全員が優秀で誰一人BETAなんぞ全く恐れておりません。その連隊の名前は帝国本土防衛軍帝都守備連隊というんですがね、ご推薦お願いできますか?」

「ふむ。では帝国本土防衛軍帝都守備連隊にその任務任せてみようか。そのように話を通しておこう」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「うおおおぉぉぉぉぉぉ」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 首相が言葉を返した瞬間、連隊員から大きな歓声が上がった!

 連隊員も、沙霧と同じ戦場で、日本を守るため、BETA溢れる戦場で戦うことができるのだから当然だ。



「では詳細については追って連絡しよう。私も忙しい身なのでな。これで失礼させてもらう。では最後になるが…」


 榊首相は部隊員全員に向かい敬礼を行う。


「日本を護ってくれてありがとう。感謝する」

 退出しようと榊首相が外に足を向ける。すでにスパイである少尉達は榊の護衛の手によって、部屋の外に連行されている。

「榊首相!」

 その背中を追うのは彩峰。彼女は連隊員に聞こえぬよう小声で榊首相に話しかける。

「首相。どうして」

 彩峰の質問は榊の今日の行動全てに向けられたもの。

「娘、千鶴に頼まれてな。"友達"を助けて欲しいと」

「…榊が……」

「千鶴がね、「あの子は口下手だから、間違えるかもしれない」と言ってね。…あの子が私に頼みごとをすることなど初めての経験でな。子の頼みを聞けぬ親がどこにいる。基地に来てからの君の行動はずっと見守ってきたつもりだよ」

 榊は彩峰の身を案じ、父親である榊首相を頼り、彩峰の身を守ろうと動いていたのだ。父親の助けを借りず、国連軍に入隊までしたあの榊千鶴が。

「君が父上に似て真っ直ぐな人間ということもよくわかってな。とても嬉しく思っとる。そして彩峰君、君の仕事は見事なものだったよ。ありがとう。では」

 彩峰に別れのあいさつをすると、榊首相は再び歩みを再開し、宴会場から出て行く。だが、海上から出て行く瞬間、彩峰に大きな声で呼びかけた。


「彩峰君。言い忘れておった。娘からの伝言でな。白銀武君のことは絶対に譲らないと!それでは」


 連隊員の中に広がる一瞬の静寂。だが次の瞬間。

「彩峰中尉。今の首相の言葉はどういうことですか!」

「白銀武っていうのは、中尉の男なんですか!クソっ、クソっ、クソっ」 

「中尉にもそんな男がいたなんて、その話、詳しく聞かせてもらいましょうか」

 彩峰に群がる連隊員達。彼らは思い思いの言葉を彩峰にぶつける。

 今日、とてもではないが彩峰は部屋に帰れそうにない。

 だが、彩峰の心にあったのは満足感。任務をやりとげたこと、そして…榊の友達であれたこと。










 2001年11月11日、二つの大きな出来事があった。

 一つは歴史に残る偉大な勝利。

 一つは歴史には残らない。けれどもそれは本当に大きな勝利。 



 第二章 a girl determines to grow up (完)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










二章あとがき


どうも作者のBeggiatoaです。

初投稿から3ヵ月、ようやく二章が終了しました。

ようやく作者の書きたい物語の形も、読者の方にも見えてきたんじゃないかと思います。

続きをお楽しみ下さい、と言いたかったところなのですが残念なことにある所に出張が決まってしまいました。

あれです。オルタネィティヴ5推進国です。米国です。

この作品を描き始めた所でこのタイミング。数奇な運命を感じます。

駐在ベースではなく、出張ベースなので早いところで(数か月?)日本には帰ってこれるかと思いますが、しばらくはドタバタが続きますので更新はおそらくきびしいかと思います。

ただ、まだまだ描きたい物語というものは作者の中にしっかりありますので、少しの間お待ちください。

せっかくの米国経験ですので、しっかりと作品に活かしたいとも考えています。それではまた。



[14118] 第三章 the girl determines to return the place. 第一話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:835b5f72
Date: 2010/11/19 19:47
【第三章 the girl determines to return the place.】



2001年11月8日 エジプト カイロ



 厳粛な雰囲気の応接室。革張りのソファーに座る二人の男。

 一人の男は大柄な白髪の白人。彼の服の胸ポケット部分に見えるのは星条旗。そして、身分が相当に高い人間なのだろう。体格のいい黒服のボディーガード達が数名その後ろに控えている。

 もう一人の男は東洋人。特徴的なチョビ髭が印象的だ。だがそれ以上に注目すべきはその後ろに控える兵士。国連軍の軍服は着ているが、子供かと錯覚するほど、その背丈はとても低い。
 
「G弾頼みのBETA戦略は危険だとは思いませんか?」

 東洋人の男。国連事務次官、珠瀬玄丞斎が問いかける。

「だが事務次官、現に唯一人類がBETAのハイヴを制圧した明星作戦。あの作戦成功の決定打となったのもG弾なのだよ。確かにG弾の危険性については私も認識しているが、その成果については認めるべきではないのかね?」

 何度も答えてきた質問なのだろう。やれやれといった感じで白人の男は答える。彼のスーツの胸元には米国の上院議員を表す議員バッジ。


 米国は歴史的な背景もあり、G弾の使用に積極的だ。

 歴史的な背景、つまり米国は南北戦争以来自らの土地を戦場にしたことがない。その南北戦争とて100年以上前の話。兵器も現代のようなものでなかった。


「しかし、その危険性を孕んだG弾を使用した土地に、また人は住みます」

 事務次官も答えを返す。日本を含め、BETAに侵略された国の民が願うのは、故郷の奪回。住めなくなった土地を取り返しても、それは故郷を取り戻したことにはならないのだ。
 

「危険、危険とあなたは言うが、BETAに国を侵略される方が危険なのではないのかね。あなたの祖国のように」

 だが、その心は自らの土地を侵略されたことのない米国人には伝わらない。従って米国人のG弾の認識というのは上院議員が述べたような認識と同じ。つまり危険性以上のメリットを取るという程度のものだ。

 さらに上院議員は珠瀬を一瞥し、言葉を放った。

「我が国も追い詰められて、子供まで従軍させる状況には陥りたくありませんな」

「上院議員!」

 そのぶしつけな態度と言葉に流石の珠瀬玄丞斎も声を荒げた。

「失礼、今のは不適切な言動だった。ただ私も忙しい身なのでね。失礼させてもらうよ」

 上院議員は話は済んだとばかりに、腰をあげるとボディガード達と応接室の外へ出ていった。




「中々上手くいかんのう、タマや」

「いえ事務次官、一朝一夕で解決する問題だとは思っていませんから」

 上院議員が部屋を出て行ったことを確認した後、珠瀬玄丞斎は彼の後ろに控える背丈の低い兵士、珠瀬壬姫に話しかける。

「エジプトまでやっては来たものの、やはり上院議員、中々やりおるわい」

 彩峰が帝国軍に向かった数日後、珠瀬壬姫もまた横浜国連基地を出た。そして、父親である国連事務次官珠瀬玄丞斎付きの兵士として、現在はエジプトの都市カイロにいる。

 エジプトの東に存在する地中海と紅海を結ぶスエズ運河。過酷な喜望峰回りという航行から人類を解放し、ヨーロッパとアジアを直接結び、世界の海運、物流の流れを変えたこの巨大な運河は20世紀後半にもまた人類を救うこととなった。1973年のBETA着陸ユニットのカシュガル落下以来、BETAはユーラシア大陸全体を侵略し、1989年ついにスエズ運河に到達。アフリカ大陸にもそのBETAの魔の手は伸びようとしていた。

 人類にとって幸運だったのはアフリカ大陸とアラビア半島を繋ぐスエズ運河の構造であった。アラビア半島とアフリカ大陸東北部の間に挟まれた湾、紅海。紅海の平均水深は500m近く、強靭なBETAでさえ移動を回避する深度を持っていた。そのためアフリカ大陸を目指す全てのBETA群は結果として、平均水深24mの人工的に作られた運河、スエズ運河に集結することとなる。

 BETAがスエズ運河に到達するころ既に、ヨーロッパの国々はイギリスを除き自国から撤退し、地中海の島々と、そしてアフリカにその戦力を集結させており、EU・アフリカの連合軍は強固な防衛線をスエズ運河に引くことに成功した。結果として1997年にスエズ運河はBETAに攻略されることとなったが、8年間防衛線を後退させなかったその戦いは、対BETA防衛戦略の一つの成功例とされている。以降人類とBETAはスエズ運河を境に一進一退の戦いを繰り返しており、現在もスエズ運河では日夜激戦が続いている。

 そしてこのBETA最前線視察のために、各国や国連から多くの人材がエジプトに派遣されている。最前線の戦場、それは同時に新兵器、新戦術機の見本市でもあった。ここスエズ運河防衛戦で多くの戦術機がテストされ、世界各地の戦場へと送り出されていく。戦術機や兵器を扱う企業にとっては自企業の製品を宣伝する最高の場であり、購入する各国にとっても最新鋭の兵器に触れることのできる最高の場。いつからかそのような状況を揶揄されエジプト,カイロは「武器屋のサミット会場」等と呼ばれている。

 そしてカイロには、多くの米国政治家達が視察に訪れる。特に元軍人や兵器製造企業とつながりの深い政治家ほどエジプトを訪れる傾向が強い。国連事務次官珠瀬玄丞斎がカイロを訪れたのも、そういった政治家達と接触を図るのが目的であり、今回はオルタネイティヴ5推進派の大物上院議員と懇談をする機会を得ることができた。だが、先ほどの会話を聞けばわかるとおり、会合は不調に終わったようだ。




「それにしても…」

 珠瀬玄丞斎が鋭い視線を珠瀬壬姫に向ける。

 その眼の真剣さに珠瀬壬姫は思わず背筋を伸ばす。

「事務次官なんて呼び方。タマも冷たいのぉ。パパは哀しいぞ」

「………事務次官、立場をわきまえて下さい。ただでさえ他の士官から目の敵にされているんですから」 

 珠瀬壬姫は大きく肩を落としうなだれた。珠瀬壬姫の唐突な事務次官付きの士官就任は、当初は当然のごとく大きな軋轢を国連軍に生んでいた。『苦しい訓練に耐えきれず父親に泣きついた娘』と『娘が前線で命を落とすことを恐れた親バカな父親』。部隊員全員からそう見られているのは間違いない。それなのにこの態度。この父親は本当にわかっているのかと壬姫は愚痴の一つも言いたくなる。

「そうは言うがのお、パパとしてはもうちょっと娘とこみゅにけーしょんを取りたい」

 中途半端な英語が本当に腹立たしく感じられる。

「会合も不調に終わったことですし、先に部隊の方に戻っていますね、事 務 次 官」

「た、タマ」

 後ろで聞こえる父親の情けない声を振り切り、壬姫は会議室のドアをピシャリと締め外に出た。


「ふぅ…」

 手を胸に当て、ゆっくりと呼吸を整える。以前からは考えられない自分の態度に彼女の父親は面喰っているだろう。

「ふふふ」

 自然と笑みがこぼれた。父親のあたふたする姿を見るのが本当に面白いのだ。

(あの頃は、パパのあんな言葉を聞けるなんて考えたこともなかった)

 部隊の仲間達の手を借りて、父親の前で一日部隊長を演じたことが懐かしく感じられる。父親に対する畏怖の心が強すぎるということを彼女は自覚していた。そして畏怖したままの彼女では、「彼女の成し遂げたいこと」が成し遂げられないであろうこともわかっていた。

 この世界で乗り越えるべきはまず父親。そう彼女は考えた。だからこそ、基地を出て最初にしたことは父親に自分の意思を示すことであった。そして、彼女は自分の意思をはっきりと父親に示すことで、父親に、いや自分の中に存在するであろう父親像に打ち勝つことができた。

「けれど越えてみると簡単な壁でしたね」

 さらりとひどいことを言う娘であった。



「珠瀬中尉!」

 ひとりほくそ笑む珠瀬の下に、息を急いて駆け込んできたのは国連軍の制服を着た男性士官。

「出撃を、出撃をお願いします」

 ここエジプトでの珠瀬壬姫の仕事は先ほどのような政治家達と接触をはかる仕事だけではない。

「スエズ東方、事前情報よりもBETAの数が多く、国連軍も出撃が要請されています。すでに珠瀬中尉以外の衛士はハンガーで戦術機の動作チェック中です」

 少尉の口調の慌ただしさから、今回の急な出撃の切迫さが伝わる。

「了解です中尉。私達も急いでハンガーに向かいましょう。詳しい状況は移動中に聞きます」 

「玄関の方にすでに車の方は待たせてあります。急いで下さい」

 2人を身を翻し玄関の方へ駆けだした。

 走りながら、珠瀬は少尉の準備の良さから、おそらく少尉は先ほどの米国上院議員との会議が終わるのを待っていたのだろうと見当づける。ここカイロの基地は各国企業、各国軍のハンガーが別個に存在するため敷地面積が広大であり、移動の際は車を使うのが一般的だ。先程まで珠瀬が上院議員と懇談を行っていたこの棟はこのカイロ基地の中でも会議等に使われる棟であり、国連軍の棟までは非常に距離がある。

「あの車です。珠瀬中尉乗って下さい」

 玄関先すぐの小型のジープに少尉は飛び乗ると、乱暴に助手席を開け放ち、珠瀬を誘導する。珠瀬も頭から助手席に飛び込むと後ろ手で勢いよくドアを閉める。

「飛ばしますよ」

 そういうと少尉は珠瀬がシートベルトをするのも確認せず、アクセルを全開に。何しろジープで飛ばしてもハンガーまで時間がかかる。今は時間が惜しい。珠瀬もそのことをわかっているから意にも返さない。それよりも珠瀬が気になったのは、

「少尉、私の強化服は?」

「一応後ろに積んであります。だけどこの振動じゃ着替えるのは難しいんじゃって珠瀬中尉!」

 少尉の声が大きく上ずる。少尉が驚くのも無理もない。珠瀬は車に積んだ強化服を引っ掴むと、自らの軍服を脱ぎ出したのだ。

「少尉は前だけ向いて運転して置いて下さい。私の身体は小さいので助手席で屈めば外からは見えないので、少尉が見ていなければ誰も私の身体を貴重な着替えシーンを見ることはないです」

「りょ、りょ、了解です!」  

「そんなことよりも時間がもったいないので、詳細な状況の報告を。スエズの東方はここ一週間は米軍が受け持つはずじゃなかったんですか?」

 珠瀬は強化服に着替えるという作業をしながらも、口と頭は動かす。

「はい。その予定だったのですが、米軍がBETAの数を見誤ったらしく、今出撃している部隊だけで対応を行った場合、BETAの打ち漏らしが発生する可能性が高いと」

「でもそれならなぜ国連軍に出撃要請が?元々あそこの管轄はEU軍だったはずです」

「詳しい事情は私にはわかりません。ただ米軍がEU軍の出撃を拒否し、国連軍に出撃を要請したと。そして国連軍に出撃を要請するという選択を米軍が行うまでにもかなりの時間が消費されたため、すでにBETAの一部は米軍の包囲圏から脱してしまっている可能性があります」

 どういった事情があるのかわからなかったが、珠瀬も状況のひっ迫さについて理解することができた。BETAの数が見込みと異なっていたという事態は戦場ではよく起こることだ。特にここスエズ近辺では、土壌の性質からBETAの把握について有効とされている振動によるBETA調査に誤差が生じやすい。ただ、数の見込みを誤ったとしても、すぐに増援を要請すれば済む話なのだ。特にカイロ基地近くということで、出撃可能な部隊は多い。

(米軍だけで処理をしたかった。けれど、それが上手くいかなかったから増援を要請した。ただしEU軍ではなく、国連軍という条件つきで。何かあるのは間違いないけれど、今ある情報だけでこれ以上推察するのは難しそう)

「戦場の状況については了解です。私の戦術機や部隊の準備については?」

 以降、珠瀬は少尉から国連軍の状況について一つ一つ確認を行っていった。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


どうも久しぶりの更新になってしまいましたBeggiatoaです。

米国から更新&投稿を行おうとしたのですが、アルカディアさんは海外からの投稿や編集はアクセス禁止しているようですね。
感想板にも書き込めず、少し辛い思いをしていました。

仕方なく物語の書き溜めをしていたのですが、日本に帰ってきてからageさんのマブラヴ公式本を購入したところ、色々と今まで不透明だった設定がはっきりと示されていることがわかりました。嬉しいと同時に、書き溜めた物語が公式の設定と大きく矛盾することがわかり、悩んだのですが、やはりできるだけ公式設定には準拠したい(所々嘘はありますが)と考え、再構成。そしてようやく話を書きあげることができました。
ただ、元々考えていた話の流れとは矛盾が生じなかったので、物語全体は修正せず続けられそうです。

忙しい日々自体は続いていますが、それに負けず、できるだけ更新を続けていきたいと考えています。
海外出張の際でも代わりに更新して頂ける友人を得ることができましたのでなんとか書きさえすれば更新は続けられそうです。

それでは皆様、まだまだストーリーも序盤ですが、お話にご期待下さい。



[14118] 第三章 the girl determines to return the place. 第二話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:abdda045
Date: 2010/11/24 03:04
 慌ただしく整備兵が走りまわる国連軍のハンガー。ハンガーの壁沿いに立ち並ぶのは数十機のF-15Cイーグル。
 F-15Cイーグル。機体に塗装されたカラーこそ各国軍隊によって様々であるが、ここアフリカ最前線で最も稼働数の多い戦術機。
 第二世代の傑作機であり、第三世代の戦術機が次々と稼働するようになった現在でさえ、その傑出した評価は変わっていない。特にここアフリカ前線は高い気温に加え、砂漠の微小な砂粒が稼働部に入り込む整備兵泣かせの過酷な戦場であり、未だ本格的な生産軌道に載ったとはいいがたい第三世代機に比べ,各パーツが潤沢に存在する第二世代機F-15Cは非常に重宝されている。
 

                                       イーグル
「さてさて、後は『あの』中尉さんを待つだけ。整備兵、中尉さんの F-15Cの動作チェックは終わっているか?」

 ハンガー内、一機のF-15Cの衛士からシーバーごしに声が飛ぶ。

「はい。問題ありません」

 整備兵からであろう。衛士の問いにすぐに威勢のいい答えが飛んでくる。

「前回の教訓を生かせよ整備兵。あの中尉さんは中途半端を嫌うぜ、っておいでなすった」


 屋根つきのハンガーから、爆走する一台のジープの姿が見えた。豪快に車体の背より高い土煙を立て、中に人が乗ってることを疑うような大きな上下動を繰り返すその姿から、尋常ではない速度を出していることが推察される。とそこに発報。

「ハンガー内の整備兵さん達。道を開けて下さい」

 シーバーから聞こえた声から飛んだのは耳を疑うような発報。『まさか』と兵士たちが思った時には既にその事態は起きていた。全速力で走ってきたジープがハンガー入り口でもスピードを緩めず、ハンガー内に飛び込んで来たのだ。

 今の今まで使用していたであろうレンチや工具箱を持ち上げ整備兵達が必死で道を開ける。その形相は死に物狂いだ。身をどけなければ中尉が自分達を轢くことくらい訳がないとわかっているのだろう。

「珠瀬中尉。ハンガー内はジープで走らないで下さい」

 必死で道を開けながら、整備兵は泣きそうな声をあげる。だがジープは意にも介さず加速、そして…ドリフト、耳を塞ぎたくなるような音量のブレーキ音と、盛大なブレーキ痕を残しながら一機のF-15Cの前にピタリと停止した。そして、その中から飛び出してきたのは一つの影。

「少尉さんありがとうございます。ご協力感謝します」


 声と共に、停止したジープの中から飛び出してきたのは、髪をドリル型に巻いた身体の小さな少女。

「もう勘弁して下さい珠瀬中尉…」

 ジープの運転席でうなだれる少尉から消え入りそうな涙声が発せられたが、意に反さず珠瀬は戦術機のコクピットまでの階段を一段飛ばしで駆け上がる。

「整備兵さん。戦術機の出撃準備はできていますか?」

 階段を駆け上っているのにも関わらず、そんな様子をおくびにも感じさせない落ち着いた声が珠瀬から飛ぶ。

「準備OKです、珠瀬中尉。中尉の注文通りのセッティングです」

 整備兵の答えを聞くか聞かないかのタイミングで珠瀬は階段を駆け上り終わった、そして次の瞬間に珠瀬はコクピットに飛び込んでいた。

「スカーレット8、珠瀬壬姫到着しました。出撃可能です」


 全体回線を開き、元気よくその声を轟かせる珠瀬。その声を待っていたのだろう、即座に全衛士に指示が飛ぶ。

「こちらスカーレット1。全員揃ったな、では国連軍紅海沿岸方面第25戦術機甲大隊出撃。場所はスエズ東方。仕事は米国さんの尻ぬぐいだ」

「「「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」」」」

 声と共にハンガー内のF-15Cが一斉に動き出す。数十機の戦術機が同時に動き出すその姿は、眠っていた太古の巨人が目を覚ましたような荘厳さを見るものに感じさせる。


 動き出したF-15C達は順序良くハンガーから飛び出すと次々とブースト軌道で飛び出してゆく。珠瀬機もその例外ではなく、入り口に向かう。とそこに―

「珠瀬中尉、詳細なMAPと現在の推定されるBETA分布状況はこちらだ。部隊の他のメンバーは既に確認済みだ」

 珠瀬の戦術機の個人回線が開き、赤毛のラテン系の白人の姿が映る。彼は第25戦術機甲大隊の部隊長だ。

「中尉。それから流石にハンガー内をジープで移動するのはこれっきりにしてくれ。整備兵達が逃げ惑っていたぞ」

 苦笑しながら部隊長は珠瀬に声をかける。

「緊急事態だったので。それにこちらの部隊じゃじゃじゃ馬くらいの方が女性は人気が出ると言って下さったのは部隊長さんですよ」

 珠瀬は部隊長からのレポートを高速で追いながら、言葉を返す。

「確かにそう言ったのは私だったな中尉。私が悪かった。」
                                                     ジャンプ
 軽口を返しながら、網膜に映るレポートを追う珠瀬。さらに珠瀬機はその足に付けられた跳躍ユニットに火をつけ飛び出す。姿勢制御の難しい一歩目のブーストジャンプを珠瀬機は苦ともしないようだ。

「隊長さん、このBETAの分布状況のレポートは実際に観測されたものではなく,推定されたものですよね?」

 それどころか空に飛び出した直後の珠瀬機からは問いかけすら飛ぶ。 

「ああそうだ。何か問題が?」

「おそらくBETAは米軍の敷いた防衛線の外側に広がっています。こんな感じで」

 そういうと珠瀬は推定されたBETAの分布状況を書き換えていく。そして珠瀬の引いたBETA進撃状況を表した線は、米軍の防衛線を大きく越えたものであった。

 部隊長は目を閉じこめかみに指をあて、珠瀬に問いかける。

「理由を聞こうか中尉?」

「地形情報からの推定です。現在のBETAの進撃状態に関するデータはここアフリカ戦線での過去の進撃速度から推定されていますが,この地域でその推定値を使うと大きなズレが生じます」

 そういうと珠瀬は現在アフリカ戦線で使用されているBETA進撃の推定値を表示する。

「この推定値を導き出すために使用された過去のデータを参照すると,その大半がここスエズ東方よりも―」

 珠瀬はよりスエズ東方より北のアラビア半島北側を写した地形図を表示する。BETAの進撃データが取られた地点が赤いマーカーで表示されているが、確かによりマーカーのほとんどは北側にあった。

「北側で取られたデータを使用しています。確かに一般的にアラビア半島全体の地形は一体が砂漠と考えられていますが―」

 珠瀬は新しいレポートを表示する。それは地学者によって書かれたアラビア半島のレポートであった。

「こちらのレポートから土質を確認すると、北側と南側では組成が大きく異なり北側の方が石英の割合が高いです。土壌の粒子がより細粒化し、成熟した砂漠において最後まで残る鉱物種が石英なので、北側の土壌は人が一歩歩けばズブリと沈んでいくような土質をしていると考えられます。これは人だけでなくBETAにとっても同じで、このような土壌では彼らの進撃速度も大きく鈍ります」

 人間と同じように足で移動を行うBETAも地形の影響を受ける。人が歩きにくい場所はBETAにとっても同じなのだ。

「ですが、私達が向かう南側の土質はまだまだ粒子が大きく、北側に比べるとしっかりした土壌で形成されています。これを補完するデータとして、BETAの振動検知のズレが南側の方がより小さいというデータがあります」

 そういうと珠瀬は新たなレポートを部隊長に提示する。それはアラビア半島ではBETAの振動検知のズレが大きく使用するのが難しいという内容のレポートであったが、北側、南側のどちらも実際にBETAが検知された場所のズレは大きいが、北側の方がよりズレが大きいことが確認される。

「これらのデータからBETAの進撃速度を予測すると、既にBETAは予測された位置よりも外側に出てしまっていると推察されます。そこで私は防衛線をより外側に引くことを提案します。特に今回,私達国連軍出撃の目的は進出するBETA殲滅を主眼とおいたものなので、問題はないと思います」

「だが、そうなると『君の仕事の範囲』が非常に大きくなってしまうが問題ないのか?」

「大丈夫です。スエズ東方は地形的に遮蔽物もないですし」

 手を顎に当て考えるそぶりを見せる部隊長であったが、すぐに答えは出たのだろう。

「了解した中尉。君の意見を採用しよう」

 そういうと部隊長は専用回線を全体回線に切り替える。

「こちらスカーレット1。先程配布したレポートに訂正が入った。防衛線を変更し、より深い位置に防衛線を引く。各自再構成されたレポートを確認してくれ」

 戦術機に乗った各衛士が、再構成されたレポートを確認する。そして直後にそのレポートを確認した衛士からどよめきの声が起こる。

「隊長。流石にこの防衛線は広すぎはしませんか?」

 疑問の声があがるのも仕方がない。再構成された防衛線は彼らが過去に引いた防衛線のどれよりも広いものであったからだ。

「珠瀬中尉が問題ないと言っている。殲滅方法は前回と同様の手法を取る。それなら各衛士の負担もそれほどではないはずだ」

「了解しやした。中尉がそう言うのなら信じましょう」

 だがなぜか部隊長の答えを聞くと、各衛士の疑問の声は消えた。

「ではレポートを確認したな。各機、全速力で防衛線を目指すぞ」

「「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」」

 部隊員の了解の声を聞き、珠瀬は安心した。無事に防衛線を広げる案が受け入れられたからだ。いくらデータが揃っていようが、信頼されなければ現場では中々意見というものは通らない。そういった意味では私もこの部隊に受け入れられ始めているのかもしれないと安心する。流石にこの部隊に来たばかりの頃は、こうはいかなかった。




 各戦術機はブースト機動を続ける。珠瀬も自機の設定、動作を再度確認しながら何度も跳躍を重ねる。

 珠瀬はふと外の風景を見つめた。ブースト機動をする戦術機の視界。眼下に広がるのは一面の砂漠。多くの人にとっては面白みのない殺風景だろう。だが、その風景を見ると珠瀬は自分がまたこの場所に自らの意思で戻ってきたことに気づかされる。

「………っ」

 何か一言軽口でも叩きたかったが言葉にならなかった。軽口なんて叩くことは、この場所に対して失礼だと感じたのかもしれない。目を閉じれば思い出すのだから、ここで経験した多くの別れを。その光景の一つが思い出されたのだろう。珠瀬は強く唇を噛んだ。


「BETA確認しました。珠瀬中尉の予想した進撃ラインの上です」

 感傷に浸る珠瀬を唐突な通信が現実に引き戻した。先行する戦術機のレーダー上にBETAが確認されたのだ。

「各機散開だ。予定通り防衛線を引く。BETAに目にモノを言わせてやれ」

「「「「「「「「「了解」」」」」」」」」

 声と共に塊となっていた戦術機甲隊が分散していく。各戦術機が推進剤をフルブーストで散開を行う姿は,レーダーで見ると閉じられた扇が開かれていくように綺麗に映る。だが一機、扇の中心、その場に留まった戦術機がいた。

「流石に最前線の国連部隊、よく訓練されていますね。一糸乱れぬ挙動に惚れぼれします」

 その場に留まった戦術機の衛士である珠瀬は感嘆の声をあげた。その声に先程までの感傷さは感じられない。そして珠瀬は周囲に広がる小麦色の砂漠を見つめながら呟いた。

          ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「でもこちらも…ホームグラウンドで負けるわけにはいきません」

 そういうと珠瀬機は120mm滑腔砲を構えると,その第一撃を放った。



[14118] 第三章 the girl determines to return the place. 第三話
Name: Beggiatoa◆ce3701c4 ID:abdda045
Date: 2010/12/04 12:38
 珠瀬機が構える120mm滑腔砲。その砲身から放たれた弾は虚空を貫き、突進する一匹の突撃級の中心に吸い込まれる。

 銃弾は突撃級の固い前面の装甲殻に着弾、弾頭部分が潰れ、内部の榴弾が拡散。拡散した榴弾はBETAの体内をズタズタに切り裂き、その生命活動を終わらせた。

 珠瀬が放った120mmの弾は粘着榴弾。着弾後、目標の内部に榴弾を拡散させるため、固い外殻を持つ突撃級にも非常に有効な砲弾である。

 生命を失い、単なる物となった突撃級の巨体が崩れ落ちる。だが、本当に不幸であったのはすぐ後ろを走っていた突撃級であったかもしれない。

 170km毎時にも達する突撃級の突進。当然前方に突然障害物が出現したとしても、その速度ゆえ突撃級はそれを回避することはできない。障害物が突撃級自身の重量より軽い戦術機や兵器であったなら問題はなかっただろう。だが相手は自分と同じ重量を持つ突撃級BETA。避けることもできず同族の死骸に衝突した後方の突撃級は、その装甲殻をひしゃげさせながら転倒した。

 哀れにも自らの弱部である外殻の裏側を見せる突撃級。そこにすかさず36mm砲弾が打ち込まれる。

「スカーレット6、突撃級撃破。現時点で確認されるBETA種は突撃級、及び要撃級のみです」

 36mmで突撃級を撃破したF-15Cの僚機から発報が飛ぶ。

「了解した。米軍さんもBETAの群れを逃がしたようじゃなさそうだ。全機前進しつつ、撃ち漏らしを掃討するぞ」

「「「「「「「了解」」」」」」」

 第25戦術機甲大隊が遭遇したのは少数の突撃級と要撃級。米軍の防衛ラインを抜けた足の速いBETA達だ。それらのBETA達を大隊の戦術機は各個撃破していく。BETAの最大の武器は数の暴力であり、少数のBETAは戦術機の敵ではない。さらに見通しのよい砂漠という地形。光線級、重光線級を除けば遠距離武器を持たないBETA達は、次々と戦術機の砲弾の餌食となっていく。

 F-15Cの36mm砲弾がダイヤモンド以上の硬度を持つ要撃級の前腕を避け、直接その身体に直撃する。ひとたまりもなく爆散する要撃級。

「スカーレット11。要撃級2撃破」

 突進する突撃級。確かにその前面の装甲殻は厚く多少の砲弾ではビクともしない。だが、突撃級に浴びせられたのは多少どころの銃弾ではなかった。中隊規模のF-15Cから放たれる36mm。その一斉掃射は多少の銃弾というレベルではない。固い装甲殻も一点集中された36mmの銃弾の前ではほとんど意味のないもの。突撃級の装甲殻に穴が開き、次々と銃弾は柔らかい体内へ。そして中から気味の悪い色の血液が噴き出した。

「右翼突撃級3撃破、スカーレット9、地点制圧」

 景気のいい撃破報告と制圧報告が続く。よく訓練された経験豊富な大隊らしく、奢ることもなくきびきびとした動きで前進を続ける各戦術機。前進速度は良好で、レーダー上に見える戦術機のマーカーで作られた広い孤も徐々に小さな弧となっていく。

 ただし、前進を続けながらも各部隊員の細心さには目を見張るものがあった。

「こちらスカーレット4、突撃級が一匹ラインを抜けた。カバーを頼む」

「了解。きっちりと息の根は止めておく」

 一匹の突撃級が大隊の防衛ラインを抜けていく、ただその身体はボロボロで、前面の装甲殻には複数の穴があき、穴なからはドクドクと大量の血が流れている。傍目には息も絶え絶えに前進を続けているようにも見えるが、そのようなBETAに対しても容赦はなく、カバーに入った戦術機の銃弾が突撃級を貫く。ついに突撃級はその前進を止め転倒した。

 そこに別の戦術機から36mmが飛ぶ。ようやくその銃弾により止めを刺された突撃級は生命活動を停止しピクリとも動かなくなった。

「スカーレット3、突撃級撃破、前進を再開する」

 死に体のBETAに執拗に攻撃を重ねているようにも見える第25戦術機甲大隊の各戦術機。だが、防衛線では衛士としてこの姿が当然の姿なのだ。

 少数の突撃級や要撃級と行ったBETAを戦術機で相手にすることは非常に容易いことだ。戦術機の俊敏性と火力を持ってすれば訳はない。だが、それは戦術機だからこそ簡単に行える芸当なのだ。他の戦術兵器、戦車や歩兵にとって全長20mm近い要撃級や突撃級を相手にすることは悪夢といってもいい。

 BETAは人間からすれば巨大な身体を持ち、さらにその巨体からは考えられないほど俊敏な動きが可能だ。さらにその肉体は強靭であり、多少の負傷程度では、動きを制限されることもない。

 負傷したBETAといえど、後方に控える、戦術機を持たない掃討部隊にとっては致命傷になる可能性がある。過去、一匹の要撃級が大隊レベルの後方部隊を一掃した話などいくらでもある。だからこそ、先行する戦術機部隊は細心の注意を払ってBETAの息の根を止める。ここスエズ運河でBETAの攻防攻防を何度も繰り返している彼らはそのことをよく理解しているからこそ、BETAを過小評価せず、嫌という程銃弾を浴びせるのだ。




 前進を続ける大隊。徐々に米軍の撃ち漏らしも多くなってきたのか、BETAの数は増加。さらに光線級、重光線級の姿こそ見えなかったが、戦車級、兵士級等の小型種も姿もちらほら見えだした。

「戦車級に跳躍ユニットをかじられるなよ!こんな砂漠に放り出されたら半日でミイラになっちまうぞ」

 部隊長から軽快な軽口が飛ぶ。実際にこの砂漠に放り出されればミイラどころか、小型種のBETAに狙われ無事では済まないが、誰もそのような無粋なツッコミは入れない。部隊長が伝えたいのは、集中力を持続させ、戦術機にダメージを与えるなという意図だ。

 集中力。防衛戦で最も必要な能力は、これを持続させる能力だ。例えば間引き作戦ならば、ある程度BETAの数を減らした時点で撤退すればいい。不測の事態が起きたとしても、一度後退し、装備を整えることができる。

 だが防衛戦は違う。目の前の戦いに勝たなければ未来はない。敵の数を減らせば終わるのではない、殲滅させなければ終わりはこない。戦いの終わりの決定権は人類側にはなく、何時まで戦い続けるか、未知数なのが防衛線なのだ。さらに攻撃を受けることも許されない。高い機動性の代わりに厚い装甲を失った第2世代の戦術機にとっては、BETAのあらゆる攻撃が命取りのダメージにつながる。

 だが、第25戦術機甲大隊のF-15C達は疲れも見せずBETAを殲滅し続ける。よく訓練された部隊であるというのもあるだろうが、その手助けとなっているのが『極東一』の狙撃能力を持つ珠瀬の狙撃である。



 右翼に進出する戦術機甲中隊。連携し、BETAを屠ってはいるが、増加する戦車級の処理が追いつかず、周囲にBETAの数が増えつつあった。BETAを殲滅する速度が、BETAの増加する速度に追いついていないのだ。

 BETAの数が増えれば、戦術機が銃弾を撃つ回数は減り、回避する回数が増え殲滅速度が落ちる。さらにBETAの数が増えると戦術機を回避させることができる安全地点すら減少していくため、効率よくBETAを屠ることができず、殲滅速度はさらに落ち、BETAの数は増大する。そしてBETAはさらに増加し……いつかは、いかに優秀な衛士といえどBETAの数の圧力に屈する。まさに一度嵌ってしまえば逃げ出すことのできぬアリ地獄のように衛士達を苦しめる。



 だが、この戦場では珠瀬壬姫がいる。彼女はそんなことは許さない。
 
「右翼、要撃級2、突撃級3…」

戦場を見つめる珠瀬の目に映ったのは、右翼戦場の複数のBETA。

「ひとつ!」

 珠瀬は呟きながら、120mm滑腔砲のトリガーを引く。放たれた銃弾が突撃級の身体に着弾。突撃級は爆散する。

「ふたつ、みっつ!」

 だが一匹目の戦果を確認することもなく珠瀬は二発目、三発目を放つ。後部を見せていた二匹の突撃級はひとたまりもなく、土色の砂漠に散る。

「よっつ!」

 更に珠瀬は120mmを連射。前進する要撃級の下半身を吹き飛ばした。だが、もう一匹の要撃級が巨大な右腕を振り上げ、右翼前衛の戦術機
へと振り下ろそうと――

「いつつ、むっつ!」

 ――要撃級の右腕は振り下ろされることはなかった。要撃級の強固な腕部を避け、その間接を狙った珠瀬の銃弾。針の先を通すような狙撃は、要撃級の右腕を吹き飛ばし、更にもう一発の銃弾は左腕を吹き飛ばした。最大の攻撃手段である腕部を失った要撃級は行動不能に陥る。

 さらに珠瀬は着弾を確認することもなく、空になった120mm滑腔砲の弾倉を入れ替えると、すぐさま戦車級の群れに砲弾を放つ。それも一発ではなく、連射。

 放物線を描く砲弾は空中で次々と破裂。戦車級の群れに次々と弾子の雨を降らす。珠瀬が入れ替えた弾倉はキャニスター弾(散弾)であった。戦車級の群れは身体に蜂の巣のように穴を開けられる。

 BETAの増加により混沌としかけていた右翼の戦況が変化する。

「珠瀬中尉――」

 右翼の中隊が行動不能になった要撃級、戦車級の群れの生き残りに止めを刺す。前衛中隊全体もBETAを押し返しはじめたようだ。

「――助かりました」

 右翼中隊の隊長機から珠瀬に発信が飛ぶ。だが、その声に対して大きな反応を見せることもなく、すでに彼女の目は次の戦場へと向いていた。



 珠瀬は右翼のBETAの数を劇的に減らしたわけではない。だが、確実に戦術機の脅威となる位置にいたBETAや厄介な量に増えつつある戦車級の群れを、大事になる前に始末した。
 
 たった一機の戦術機で戦場をひっくり返すような技術を珠瀬は持ってはいない。けれど、珠瀬は引っくり返さなければならないような劣勢を未然に防ぐことならできる。

 武や彩峰のような神がかり的な戦術機の操縦技術や、榊のような飛び抜けた指揮官適性を持つことができなかった珠瀬が、過去の戦場で身に付けたのがBETAの脅威度を瞬間的に察知する能力。珠瀬は、前衛の戦術機にとって危険となるBETAを算出した後、「極東一」と呼ばれた狙撃能力でBETAを高速で撃ち抜くことで、前線の戦術機の孤立を防ぐ、あるいはそういった状況を生まないよう、先行して始末をつける。


 ちなみに現在、珠瀬はXM7を使用していない。使わないのではなく、使えないのだ。

 XM7の新機能として搭載された『BETA進軍速度のリアルタイム演算』『BETAの脅威度レベルの高速算出』の二つの機能は、簡単に言えば既存のデータリンクのシステムを大幅に向上させたもの。BETAの位置と脅威度を各戦術機が高速で算出した後、それをデータリンクで相互通信し、お互いの戦術機の情報を加えた状態で最適化を行う。その計算を行い続けることで始めて、確からしい位置情報や脅威度レベルが得られるようになっている。

 膨大なデータのやり取りと計算。この二つを同時に行うためには部隊全員がXM7を使用することが前提条件となる。なぜならばXM7を搭載した戦術機と既存のOSがXM7基準の通信を行った場合、既存のOSはそのデータ量と計算量で一瞬にしてフリーズを起こしてしまうからだ。横浜基地でのXM7開発の際にも、この問題をどうしても回避することはできず、XM7の使用は部隊全体がXM7を採用している際のみ、という使用条件が付けられた。

 それならば第25戦術機甲部隊全体のOSを全てXM7に書き換えればよいのではないかと思うが、ことはそう単純ではない。XM7を搭載したOSの機動は既存のOSと大きく変わり、その習熟に一定の期間がいる。また、横浜基地では不知火、吹雪といった種類の戦術機でのXM7の搭載テストは行われたが、それ以外の戦術機でのテストは行われていない。特にF-15Cは米国のマクダエル・ドグラム社製の戦術機ということもあり、XM7搭載後のテストについては研究者と共に綿密に行う必要がある。

 だが、ここスエズ運河攻防戦の最前線にはそのような悠長な時間はない。まず防衛線を守ることが必要となってくる。 

 珠瀬はその中で、XM7に頼らず部隊を守ることを選んだ。だが、その事自体はそれほど難しいことではない。なぜなら、彼女が以前戦っていた世界ではXM7は存在せず、彼女自身の能力で防衛線を戦い続けていたのだから。

 BETAを倒すためというよりも、仲間を守るため。誰よりも優しかった彼女。

 『BETAの脅威度レベルの高速算出』。それはそんな彼女の心が生んだ能力。



 そして今も、彼女の120mmの発射音は戦場に吼え続けていた。 


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.2215850353241