黄土の馬に跨り駆ける。付き従う騎馬兵達を密集させ、軍の戦端を槍の穂先の如く鋭く陣取る。構えは突破。それだけで武名が風に唸る。齢28を数える、未だ若き勇将ドロアが勇躍せん、と
ドロアは敵との距離を測る。敵陣、強大なる王国の精強なる騎馬2000騎。自陣、己が率いる軍最精鋭鉄頭の1500騎。王国弓騎馬隊の、足早に駆けさせながらその馬上で構える弓の冴え、敵ながら見事
戦場である。他に言葉は無し
此処が何処か定まらずとも、その一言で事足りる。そう、戦場である
王国弓騎馬2000がそれぞれの射角を確保しつつ矢を放つ。ピタリと揃った斉射にドロアは驚嘆した。密集陣はそのままに下知を飛ばす
「来るぞ! 気合の乗らん腑抜けた矢の雨だ!!」
では、それならば
「貫かれたら末代までの恥よ! 一矢も食らわず駆け抜けぃ!!」
オリジナル逆行
ドロア及び鉄頭の騎馬は急激に速さを上げた。馬脚がガリガリと荒れた平地を削り、その目を見張る速さと荒々しさとは裏腹に、動きは地を這うように違和が無い。最精鋭を名乗る鍛え抜かれた馬力と研鑽され続ける馬術はこの為にある。無被害、とは行かずとも、降り注いだ矢の大半を鉄頭の騎馬を貫かせずに終わらせたのだ
構えた直槍を一振り。ビュゥン、と風に鳴るそれは、しかし馬脚が大地を蹴る音で聞こえもしない。ドロアは敵弓騎馬の後方から第二斉射が上がるのを見て、猛った
(第二射は狙いが深い。殆どが俺の動きを阻むように飛ぶ)
ギラギラと太陽が輝く空で雨の如く飛ぶ矢は目立つ。目立つ故に察し易く、また誘われ易い。ドロアの下知が続く
「鼓を乱打! これより騎馬は左右真っ二つに割れよ! 敵先遣を一撃し将の第二陣を貫く!」
遅延は少しも無かった。命令に違わず洗練された動きで陣を二つに分けた鉄頭の騎馬は、迷う事無く最速で駆け続ける。この速さこそが最精鋭の証。僅かでも遅れる者は、鉄頭の騎馬を名乗ること許されない。それ故鉄頭の騎馬1500は、考える速さすらただの騎馬軍とは違うのだ
迷う事なく。それは例え、自ら達を率いる若き赤毛の勇将ドロアが、ただ一人直進を続けていようとも
「クラード! バナーズ! それぞれが左右を率いろ!」
「応ッ!」 「バナーズの、槍をかけて!」
それだけでドロアは微塵の脅えも無く矢の雨に飛び込み、一振りでそれを薙ぎ払うと尚も駆け続けた
ドロアは戦っていた。敗戦必至のユイカ王国、その興亡をかけた戦で、攻め滅ぼされる者の一人として戦っていた
興亡をかけた戦で敗戦必至とは話にならない。ドロアとその配下、そして今も同じ戦場の違う場所で戦い続けるその他の軍団達は、死に場所を求めて戦っているのと大差が無い
だが例え敗戦でも、槍を握る手の力が弱まる事は無い。否、敗戦だからこそ、高まり荒ぶる心がある
ユイカは、この小国は確実に滅ぶだろうとドロアは感じていた。王家の族は尽く誅されて、ユイカの地は今攻め寄せる「リバンテ」の物となり、ユイカ自身は跡形も残らないに違いない
国の乱れによる隙をリバンテに突かれた形であった。一部の権力者の専横が招いた、必定の滅びであった
責任は自分達にもあるのだ。専横を許した自分達にも、責任はあるのだ。だからこそ、ユイカが滅んだ後の大地など見てはいけない。今この時に命の全てを燃やしてしまわねば、世界一の物笑いの種になる
「ユイカ王国」の為に尽くせる事が無いのであらば、恥を抱いて生きようとは思わない。ただユイカが存在したと言う証を、この一戦で世界の全てに刻み込んでやる
ドロアの腹は、決まっていた
「この俺が弱矢で討てると思うたかッ!!」
……………………………………………………
(やりおったなドロアめ、お得意の速さで、シランドの軍に食らいついたか!!)
激しい戦局を見渡せる小高い丘で、「攻め滅ぼす立場」にある老齢の軍師ダナンは、頬に皺と共に刻まれた剣の傷跡を撫でた
彼からしてドロアは敵である。しかし、その実力の解釈については、敵味方等と言う概念の介在する余地は無い
考えれば思うところ多々ある。圧倒的武力で以って、領土拡大の為に行う戦。言ってしまえば侵略戦争だ
しかしこの戦は侵略ではない。統治の乱れ著しいユイカ王国の民を救う、リバンテ王国の正義の戦い。そう言う事に“なっている”。事実、ユイカの政の乱れようは酷い物で、ダナン自身それに嫌気が指してユイカを出奔した、元・ユイカ王国の軍師だ
だがそんな名分…『正義の戦』など、他の国々どころか今はリバンテの将である自分すら信じていないがな、とダナンは笑った
ダナンは再び丘の下を見下ろす。平地の其処では、赤毛の勇将ドロアの軍がリバンテの精鋭揃いの中でも中堅どころに位置するシランドの軍を抜いた所だった。しかし散々に引き裂かれたとて、シランドも「これぞ王国」と言われるリバンテの将。立て直しは早い。あれならば戦列に穴を開ける事はあるまいと、ダナンは即座に頭を回す
ドロア。アレは、こんな詰まらない敗戦で輝かせるには惜しい智勇才心の持ち主であった。古くからの友誼と事前の諜報からダナンは、ドロアの事を常人以上によく知っている。ドロアだけではない、ユイカ国の事なら何でもだ
ドロアの武勇と軍才は例えリバンテの中でも一際抜きん出るだろう。ダナンは鬼謀の軍師であるが、自軍の損害を鑑みても、やはりドロアを殺すのは惜しい。何としても与力に欲しい。ダナンは只人を殺すのには何も感じないが、才人を殺すのは非常に嫌がる性質であった
激しい馬蹄の音を立てながら、連絡役の騎馬が五騎。ダナンが振り向くと、それら五騎は馬から飛び降りて跪いた
「ダナン軍師! 竜軍、翼軍、火軍、各戦列を押さえ込みました! なれど絡軍敗退、西部戦線を侵されております!」
この戦は長引かせるべきでない。当初そう考えたダナンは、戦場をユイカの王城から遥か東へ行った所にある、広大な平地に定めた。丁度進軍経路と重なっており、その都合もある。其処でなら、否が応にも勝利か、敗北かが一撃で決すると踏んだのである
「絡軍担当の西の陣と言えば、「大盾の」アルバートか。…流石にやってくれおる」
その戦場の西に置けるユイカ軍主力を率いるのは、「大盾の」アルバート。音に聞こえた名将だ。粘り強い構えをしながら、次第に敵を飲み込む戦をする。ユイカは小国の癖に無駄に歴史だけはあるから、こういう厄介なのが居たりする。ダナンは笑みを漏らした。しかしそれは先程の笑とは違い、僅かな苦笑
アルバートも抜きん出ていると言えばそうだろう。しかし、ドロア程の輝きは感じぬ
「…ふん、西に予備を投入しろ! 狙うはドロアだ、どの道ヤツには突撃するしか道が残されておらん。アルバートや他の支軍は、それまで封じておければ良い」
そのように、散々に陣立てしたからな
「極限まで駆け上らせろ、本陣近くまでだ! そしてそこで捕縛してやろうぞ!」
「はッ!!」
ダナンは赤いマントを翻らせた。この決戦は我が主の出る幕ではない。名高きリバンテの王が出張るには、余りにも舞台が貧相だ
ドロアを捕えてしまえば後は詰まらぬ戦になろうな。そう零しつつ、ダナンは己の職務を果たす為に動き始めた
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駆け上り、駆け上り、鉄頭の騎馬を幾多討ち取られ、その数がやがて半数になろうと駆け上り
誘いと解っていても駆け上り、返り血で肌と鎧を赤に染めた末に、敵本陣に辿り着いた時だった
「ドロア将軍! 四方の壁に弓兵です!」
即席に高く組まれた木の上で、先に炎が灯る矢を番えた弓兵達。予想出来なかった訳ではない。寧ろ当然であると、逆に得心が行く
ドロアは怯みはしなかった。何が相手でも関係無し。どんな数が相手でも関係無し。突撃した所で負け戦。万に一つすら無い勝ちの可能性を、まさか夢想していた訳でも無い
死しか無い。そう解っていて突撃を重ねてきたのだ。今更ドロアとその配下の鉄頭騎馬隊が、火矢如きを恐れる理由がない
「小細工を…。星落針の陣を崩すな、このドロアの元にお前達は一振りの刃よ! 切っ先は俺が担う!」
更に突撃。鉄頭騎馬の最速の基本は、密集にある。陣形を針の如く細く整え、それが彗星と見紛うばかりに戦場を駆ける
生半の包囲では押し留める事不可能。しかし正面からぶつかれば鉄頭騎馬兵は、人は人の範疇を超え、馬は馬の範疇を越えて動く。速く、鋭く動くのだ
下知をよく聞き、迷わず、素早く、臨機応変に動くのは兵としての大前提。出来なければ話にならない。そこに生きようと思わぬ覚悟、個人の技量、そして軍団としての連携が備わって、初めて歴戦の兵(つわもの)と呼ばれる
そして鉄頭の騎馬には、それに加えて圧倒的な速さと、攻撃力があった
火矢が放たれた。それを避け、或いは弾き、ドロアは陣の奥を目指して黄土の馬を駆る。そこにふと感じる鼻を付く臭い。大地に火矢が突き立つと、今度はそこから地面が燃え始める。臭いの元は油であった。火は瞬く間に炎となり、陣ごとドロア達を呑まんとしてきた
火計。戦場の気に晒され、ドロア達騎兵の猛気に乗り移られていても、馬は臆病な生き物だ。火の中に置いてはいけない。咄嗟にドロアが思ったのは、そんな事だった
「敵は我等を潰すのに陣すらも惜しくないようだぞ! 油に乗る火よりも疾く走れ!!」
追い縋る火を放し、駆ける。歴史ある鉄頭の騎馬隊。栄えある初代は揶揄でなく風よりも疾く走ったと言う。ではこれくらい出来ずに、何とするか
そして出てきた、真打ちが。ドロアは、謀ったようにして陣の最奥から駆けて来る騎馬隊を見遣り、獰猛に笑った
(行くぞ。このドロア、一本の槍と愛馬あれば、五百の首を取ってみせよう)
その言葉は嘘ではない。それこそが、勇将ドロアの武が行き着ける場所
ドロアとその後につき従う鉄頭の騎馬隊は、敵本陣に向けて、最後の突撃を敢行した
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「本来なら、こうするのは戦が決着してからなんだが………。お前は特別に今からやってやろう。ダナンの狸は俺を戦場に出したくないようだし、そうなると暇で如何にもならん」
火計に使われた陣から、少し離れた場所に建設された新たな陣。その中でドロアは、ある人物と相対していた
口調は尊大。気風は豪壮。如何見てもドロアより若い顔つきは、しかし王者の貫禄。戦場で着る物とは思えない、簡素な赤い布着に剣を佩いた大男
誰か、とは語るまでも無い。若いながらに虎のような容姿と体躯を持つリバンテの王が、其処に居た
「しかし、予想以上に若いな、ダナンがご執心の勇将ってのは。あのジーさん、男色の気でもあるのかね? お前はどう思うよ」
「は、自分が聞き及ぶ限りではその様な話は聞いておりません。優秀な人材を欲しがる、あの軍師殿の悪い癖が出た物と思われます」
「真面目に答えるな。気が抜けるだろうが」
「申し訳ございません」
リバンテの王が、傍らの副官らしき男と始めた漫才は、下らなかった。ドロアはフン、と鼻を鳴らした
「…さて、言わなくても解るだろうが一応名乗ってやろう。俺がタイガーだ。タイガー・レッド・リバンテ。場合によっちゃ貴様が最後に聞く名だが、やはり場合によっちゃ貴様がこれから忠誠を誓う名だ。どうだ、嬉しいか?」
「嬉しくも何とも無い。そこいらに転がる石ころに名が付いていた方が、まだ面白味があろうよ」
「そーかそーか。そんなに命が要らんか貴様。ここはスパッと逝くか?」
ドロアがギシリ、と歯軋りした。後ろ手に縛られた体が、激憤に軋んだ。その反応を引き出して何か思う所があったのか、タイガーは簡素な椅子の上で頬杖を付く
「憤懣遣る方無いって面だな。………降る気は無いのか? どうにもここで死ぬのが悔しくて仕方無いって感じがしてるぜ。ダナンの爺さんの事もあるし、その気があんなら悪いようにする心算はねぇんだがな……」
「みすみすユイカが滅びるのを見過ごした俺が……今更後世の事など…!」
そうだ、タイガーの言うとおり、悔しかった。確かに悔しかった。死を覚悟していても、どうにもならないと解っていても、ただ悔しかった。結局滅ぶであろうユイカを思えば、二十八年の己の人生、丸々全て無駄だったのでは無いかと、それが悔しくて仕方が無かった
何の大志あって祖国に仕えた訳ではない。ただ漠然とこの国の力になろうと、この国を支えようと、それが愛する国の為なのだと思って仕えた。軍に入るまで、母すら置いて好き勝手に国々を旅していたドロアに大志はなかったが、その心に偽りは無い。一兵卒から始まり、一軍の将にまで至った。心で仕えた故に、心が痛かった
其処まで思って、急に心が静まった。力が、抜けていった
国が滅ぶ。それと同時にこの身も滅ぶ。それだけだ。それだけならば、もう良いではないか
「………はん、一度言った事を覆す男にゃ見えんなぁ」
タイガーが立ち上がり、剣を抜く。華美な装飾の余り実用的ではない剣だ。本人もそれは解っているのか、顔を歪める
「こんな派手なだけの鈍らに斬られるんじゃ、この男に合わんな」
おい、と一声。タイガーの声に傍らの副官は、自分の剣を差し出す事で答えた
「さて、遺言があれば聞こう」
「………………生き残った部下達を厚遇して欲しい。俺に言われて無理矢理従っていただけの兵だ。助命を願う」
「何を言うか。嫌々従う兵が、あんなに強いもんかよ」
タイガーが腕を一振りした。その瞬間、ドロアの視界は暗闇に包まれた
「アンタも強かった。陣中でアンタが斬った400の兵と、アンタの部下が切った1400の兵の墓前で、アンタは俺が処断したと伝える」
それが、若き勇将ドロアが今生で聞いた、最後の言葉だった
……………………………………………………
真っ暗闇の中で目覚めた。夜である。咄嗟に木造りの窓を壊さんばかりの勢いで空けて、外の空気を思いっきり吸い込む。そして吐き出す。咽て悶える
そこまでして漸く、赤毛の青年は僅かなりとも落ち着きを取り戻した。油断なく辺りを見回し、そして疑問符を浮かべる。ここは…? いや、まさか。そんな台詞を頭の中でめぐらせる
其処は見慣れた質素な木の小屋。青年に取っての自宅であり、そして在り得ない場所でもあった。青年はその家を、遥か昔に“引き払っていた”のだから
ガタガタと慌しく外に駆け出す。そして桶いっぱいに水を張って、顔を突っ込んで水を飲む。ついでにバシャバシャと顔を洗って、改めて自分の顔が移りこんだ桶を覗き込み、再び驚愕した
月明かりで己の顔を確認し、腰を抜かしそうな程驚く青年の名は、ドロアと言った
「な、…なんで、若い? コレは、お、俺は!! ……訳が解らん!!」
訳が解らん、が
「解らんが、なんたるザマだッ!!」
目覚めて始めにした事は、夜空に向かって吼える事だった
――ランク「敗軍の将」
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中々新しい試み………でも無いか