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[14626] 【完結】 異世界の龍機師物語 (異世界の聖機師物語・オリ主・全212話+後書き)
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/15 21:10
 『異世界の龍機師物語』

 ・Scene1-1・

 結局のところ、彼がその無謀に至った経緯を一言で説明してしまえば、ようするに”それ”が何であるかを、根本的に理解していなかったからだという事になる。
 その日その時、森は彼が知る普段の静謐さとは程遠く、遠く何処かで鳴り響く遠雷のような音と、時折地を揺らし砂埃を巻き上げる騒音とが時を置かず鳴り響いていた。
 彼自身が何かをしたという訳ではない。断じてそうではない。
 彼はただ、何時ものように一人山小屋を出て、その日の糧を求めて森の中をさまよっていただけだ。
 ただ、そろそろ冬が近くなってきた、防寒具が必要だな、程度の事だけを頭の片隅において、仕掛けておいた罠の場所まで歩いていた。
 今日の獲物は、鹿か、猪か。コロだったら、怪我を治療して逃がしてやろうか。
 そんな事を考えながら、深い森の中を抜ける。

 「……大物だ」

 誰が聞いていることも無いだろうが、彼はただ呆然とそんな事を呟いていた。
 それを、見上げたまま。
 轟音が鳴り響き、突然の突風と粉塵が彼の視界を覆った先に、木々の隙間、本来ならばちょっとした広場になっているはずの空間には、何かとてつもないものが鎮座していた。
 巨大、余りにも巨大な、歪曲した壁面。始め彼はそう認識して、それから数歩たたらを踏んであとずさった後に、気づいた。
 玉だ。森の木々よりもさらに頭一つ大きい、それは巨大な巨大な球体、卵のような半透明の球体だった。
 卵状の巨大な物体。彼の記憶にも、知識にも無いような。
 半透明の球体の内側には、原始生物の化石を思わせるような何かとてつもなく巨大な物体が蹲っているのが解る。
 それが巨人だと理解した段階で、かれは理解する事を放棄した。

 解らないものがあったら、無理に考えずに直感に従って行動すればいいのよ。
 そんな風に、昔誰かに言われた記憶があったから。

 とりあえず、今日の狩は中止だなと、彼は纏まらない思考でそんな事を考えていた。

 遠雷。鋼と鋼がぶつかり軋む音。
 頭の片隅でそれが戦争音楽であると理解しているそれは、未だに鳴り響いたままだ。
 一つ山の向こうで、恐らく、何か巨大なものがぶつかり合っている。
 だがそれは彼にとっては、日々の糧を山から貰い、ただ一人細々と日を生きる彼にしてみれば他人事に過ぎない。
 今すぐに目の前のこれを視界から遠ざけ、踵を返し山を駆け下り、小屋に飛び込み錠を掛けて布団にもぐりこめば、それは次の日には全て遠ざけられているはずだった。
 何も、彼の理解の及ばぬままに。
 そしてそれが、正しい選択のはずだった。

 だが人は、時に自ら進んで間違いを犯す。
 その場で彼がしたことはそれら全てとは真逆の行為で、つまりゆらりと手をさし伸ばしながら、巨大な卵状の何かに向かって一歩を踏み出すという行為だった。
 当然だが、その行為の意味を彼は理解していない。ただただ、直感に身を任せただけのこと。
 目の前のそれが何かを、彼に背を向けたまま蹲る骨の巨人を、両腕に供えられた亜法動力炉も、背部に備えられた余剰動力排出路も、ジェル上の形状記憶装甲も、いずれも彼の記憶に在りながら理解の出来ないものばかりだった。
 解らない、知らない、理解不能。そうと”解って”いながらも、彼はそれへと向けて踏み出す足を止める事は出来なかった。
 胸の奥が疼く。
 いつもそうだ。
 何かいつもと違うことがあるとき、胸の奥で、自分ではない何かの鼓動が、疼くのだ。
 その意味は解らぬけれど、踏み出す一歩に意味はあるのだと、そう囁いている気がした。
 だから。
 彼はその球状の威容を見上げて、ゆっくりと。
 
 それに、手を触れた。



 「か、活動停止していた敵聖機人から強大な亜法波を感知! 照合不明の波形です!」
 それは唐突だった。
 大型装甲車内の戦闘指揮所の中で、ゆったりとした態度を崩さずに戦況を眺めていたフローラ・ナナダンの耳に、オペレーターの一人から焦ったような報告が届いた。
 壁面全域にはめ込まれたモニターに映し出された戦況図の片隅、戦闘開始早々に撃破し放置されていた筈の敵戦力に属する聖機人が、膨大な亜法振動波を撒き散らしているのが映し出されていた。

 人が放つ亜法波の波形には個々人により全て決まった波紋が存在しており、その波紋は指紋、声紋と同じで一つとして同じものは無い。
 そして、聖機人を動かしうる聖機師の亜法波は全て教会によって登録されているはずだから、本来”正体不明”等という事はありえない筈である。
 聖地学園から中途退学して落ち零れた最底辺の”ローニン”ですら照合可能なのだから、今眼前で展開されている正体不明の亜法波の感知というのはどうしようもないほどの異常事態である事が解るだろう。

 フローラは、それでも泰然とした態度を崩さずに、ただ眉をひそめるだけだった。
 まったく、面白いように状況が混沌としていく。顔に出さず―――何時ものように穏やかな微笑を浮かべたまま―――内心で毒づく。
 彼女のようなリベラルな思考の為政者を殿上に頂けば、保守的な封権貴族が反感を持つのも当然といえる。それは良い、フローラは当然と理解していた。
 なぜならそれらの阿呆どもを、胸先三寸で躍らせて見せてこその為政者という自負がフローラには在ったから。
 だが、正直に言ってここまで馬鹿踊りをして見せるとは思わなかった。
 北部駐屯地―――馬鹿の領地に隣接する直轄領だ―――で行われる予定だった大軍事演習にかこつけて山賊共々隣国の兵を招きいれた挙句、それを鎮圧に向かったはずの部隊が回れ右して視察に訪れていた彼女に向かって襲い掛かってくれば最早、笑い話では、済まされない。
 まったくもって当然の如く、ハヴォニワ国女王、フローラ・ナナダンは反抗に対して容赦は無かった。
 予定されていた規模の反抗より少々大きくなってしまったが、やる事事態は変わらないとばかりに、予め潜めておいた直属の手勢を直卒し、徹底的な鎮圧作戦に移る。
 亜法結界炉を埋設したエナの真空状態を発生させて敵勢の戦力を殺いで、その上で新造した列車砲を用いた徹底的な面制圧射撃を行った。
 亜法酔いにより次々と行動不能に陥っていり待機状態である球状のコクーンに戻っていく敵聖機人。飛行していたものはエナの真空に嵌り操作不能となって森の中に落下していった。
 初手を奪えば、後は、殲滅戦。
 埋設した結界炉の放つ人体に有害な亜法振動波を避けるために後方に控えさせておいた自軍の聖機人を起動させ、反撃に打って出る。
 作戦は予定通り順調に進み、戦力差2:3の劣勢も跳ね除けてもう四半時もすれば全てが問題なく”当初の予定通り”完結するはずだった。
 それ、なのに。
 
 「最後に飛んだサプライズ、といったところかしらねぇ」
 ふぅ、と扇子を頬に当てて可愛らしく―――実の娘が言うところの、歳に似合わぬ仕草で、ため息を一つ吐いた。
 その態度に、戦闘指揮所に集った人員たちは戦々恐々としていた。

 予想外の事態に対して、では無く。
 予想外の事態に対して、主君が取るであろう予想外の行動を恐れて。

 戦況図、そこに記されている数値は一般配備されている聖機師の放つ亜法波を遥かに超える数値。最低でも”尻尾付き”。
 それが牙をむいて来れば、戦闘開始からそろそろ結構な時間が経っている現状では余り嬉しくない状況だ。

 この世界、ジェミナーを覆う特殊な粒子”エナ”の海の中で絶対的な戦力とされる聖機人には、その出力に見合った膨大な亜法波の弊害がもたらす決して超える事が出来ない限界稼働時間というものが存在しており、フローラの配下の聖機師たちは交代員も含めて、その何れもがもう限界に近かった。
 聖機師としてどれだけ”技”を磨こうとも、亜法動力炉が放つ脳生理を揺らす亜法振動波に対する耐性は、先天的な要素に左右され改善する事は出来ない。
 限界稼働時間と呼ばれるそれは、たとえどれだけ聖機人を強化しようとも、亜法動力炉によって活動している限り、改善する事は不可能なのだ。

 「コクーンから、復元……、正体不明機、活動開始します!」
 オペレーターの声が戦慄を持って場を満たす。
 戦況図画モニターの脇により、望遠レンズの捉えた実際の戦況の映像が大写しとなる。
 焼け焦げた木々が濛々と煙を立ち上げる戦場となった森の向こう。
 ゆらりと、ヒトガタの影が、木々の間から体を起こしているのが見えた。
 その姿に、指揮所に集った者たちは、息を呑み、口元を押さえ、あるものは呆然としていた。
 微笑のままのフローラとて、それは同様だった。笑顔の仮面のまま、それを崩す方法を失念していた。









[14626] 1-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/07 21:15

 ・Scean1-2・


 聖機人。

 古代文明の技術を用いて教会が開発した人型戦闘兵器。
 巨大な人型を模した、亜法動力炉で起動する戦闘兵器。
 起動中のその姿、形状は待機状態であるコクーンの内部で蹲っている骨格だけの待機状態のときから、大きく逸脱する事はない。
 ただし、搭乗している聖機師の属性―――亜法波の波長特性とも言うか―――によって装甲の色彩、頭部を初めとした細部の形状が変わる。
 例えば褐色でバイザー上の装甲で覆われた瞳、サイドに魚の鰭のようなものが生えた頭部を持つ機体があれば、野生の獣の如きむき出しの目に、額から大きく張り出した一本角を持った橙色の機体というものも存在している。 
膨大な亜法波を放つ優秀な聖機師が操るそれには、それを象徴する”尾”が生える。出力制御機構を有するそれが存在しているという事は、その聖機人に搭乗している聖機師が優秀である事を証明しているといえよう。
 その何れもが、両腕部に亜法動力炉を搭載し、人の身で鍛え上げた技そのままを使用することが可能な、人間のものをそのまま巨大なスケールにした装甲に覆われた両手両足を供えている。腹部には半透明の球状のコントロール・コアユニット。聖機師が直立したまま搭乗する操縦席だ。

 それは、ジェミナーに、エナの海の中で暮らす誰もが知るであろう、厳然たる事実だった。

 だが、それの姿は。
 胴体を起こし、森の中から空へと浮遊していく、その姿。
 曇り空に溶け込んだ、むき出しの地金を思わせる鉛色の装甲。天へ向かって枝を広げる大樹を思わせる、牡鹿のように左右に広がる二本の角。金の瞳。

 何より特徴的なのは、腰部装甲から下、蛇腹のように張り合わさった装甲を繋げて伸びてゆく、一本の巨大な尾だった。巨大な、とても長大な、聖機人の全長の二倍は在りそうな、それは蛇を思わせる尾だった。
 腰から下、半身全てが装甲で覆われた尾になっている。

 「―――脚が、無い?」

 戦闘指揮所の中で、誰かがポツリと呟いた。あるいはそれは、フローラ自身の呟きだったのかもしれない。
 優秀な聖機人には尾が生える。それは誰もが知る事実で、だがそれは本来背骨から枝分かれするかのように背の中ごろから張り出しているはずだった。尾の形状には間々あろうが、基本的には変わらない。
 だというのに、モニターに映し出されたその鉛色の機体の尾は―――否、あれを尾といっても良いのか?
 「脚部が丸ごと欠損していた―――なんてことは無いわよねぇ?」
 流石に心底判断に困った体で閉じた扇子で額を撫ぜるままに、フローラはオペレーターに尋ねた。
 「そこまで損傷していたら、そもそも起動状態に持ち込めないと思うのですが……」
 問われたオペレーターも、困惑したまま言葉を返す。そも、観測情報から得られた正体不明機の状況は全て”正常”を意味しているのだから、常識的な教育を受けてきたオペレーターにとって理解のほかだった。
 聖機人は待機状態の球状のコクーンから起動状態に変更するとき、コクーン内部の素体がコクーンを構成するジェル状の形状記憶装甲を纏って変形する。
 形状は搭乗している聖機師により様々、しかし、予め存在していた骨格だけの素体が装甲を纏うという形での変形なのだから、そこから大きく外れた形状になれるはずが無い。

 本来どう変形しても脚がある筈のそれが、半身が蛇の化け物に姿を変えるはずが、無いのだ。

 その化け物は戦場の片隅で浮遊したまま、何をするでもなくゆるりとした体勢を空中で維持したままに、左右に視線をめぐらせている。
 まるでそれは、自分が何故そこにいるのかすら理解していないようだった。
 「……通信、繋がらないかしら?」
 「初めから反乱軍に所属していた機体なので、一方的な情報封鎖が掛けられているのではないかと思います。……難しいかと。そもそもアレは本当に、聖機人なんでしょうか?」
 少し悩んだ後に尋ねたフローラに、オペレーターは端末に手を動かしながら答える。
 識別信号を変えて一方的に封鎖されていた無線を、解除しようと試す。
 フローラは言われずともやるというその姿勢に満足しながらも、さてどうしたものかとモニターに映る機体を眺めながら考えた。
 戦況は、混乱する指揮所を余所に順調に推移している。
 目の前の戦闘に注力する現場指揮官たちは、率いる部隊を効率的に運営して反抗勢力を鎮圧している。
 圧倒的優勢。余力は充分。
 
 ならば、と。

 フローラ・ナナダンがフローラ・ナナダンたる悪戯心を発揮しても取り返しの聞く場面ではないかと、フローラは判断した。
 自らの体の具合を示すように尾をくゆらせる化け物に対して、フローラは控えさせておいた予備戦力を用いて接触を図るように指示を出した。
 待機部隊を率いる女性聖機師は主君の性格をよく知る思い切りの―――諦めの―――良い女性だったから、すぐさま自らの聖機人を起動させ、戦場の端のほうを移動しながら、正体不明機に対して接触を図る。
 戦場図に記された待機部隊のマーカーが、膨大な亜法波を示す正体不明機へ接近していくのを見ながら、フローラは広げた扇子で口元を隠したまま、舌なめずりをして見送った。
 
 きっと何か、面白い結果が出るはずだ。
 彼女の勝負師としての勘が、そう告げていた。

 正体不明機、半身が蛇の化け物は、自らに接近する巨人達に、気づいたかのように、みじろきした。


 有体に言ってしまえば、彼は混乱していた。
 彼が触れた球状の何かは、触れたその場所から発光を始めたかと思うと、瞬く間に彼を”中”に取り込み、変形を始めた。
 膝を抱えていた両腕が自らを覆う球体を押しのけるように手を広げる。
 下を向いていた頭部は、天を見上げるように首を擡げた。
 もっとも特徴的な変化を示したのは腰から下の脚部であろう。
 アゴが乗るほどの位置にまで折り曲げられていた両足が、膝をあわせて本来ありえない方向へねじくれ曲がり、形をゆがめながら、大樹の幹を思わせる野太い一本の尾へと変形していく。尾は本来の質量を無視して進捗しながらジェル状の形状記憶装甲を取り込み身の丈の二倍以上のサイズにまで伸び上がった。
 変形を続ける正体不明の物体の中、無理やり押し込められた腹部の操縦席の前面の小型モニターに表示された機体情報を呆然と眺めながら、彼は未だに自身の状況を認識していなかった。
 
 なんだろうか、これは。

 人型とも、そうでないとも言える、半身蛇、雄雄しく広がった二本の角を持つ、機動兵器。
 それが、どう言う訳か森の中に鎮座しており、彼を取り込み彼の意見を無視したまま起動している。
 待機状態から稼動―――”戦闘”状態へ。
 戦闘兵器というのは本来それを御しうる者が搭乗するものだから、内部にマニュアル等と言う物は存在しない。
 彼は慌てて”コックピット”内を見渡し、それが銀河標準規格で使用されている接触型の思念操作タイプとさして変わりが無い事に見切りを付けた。
 両サイド、腰の高さに備えられた半球形のコンソールパネルに手を置きながら、機体のコントロールを得ようと試みる。
 その後で、銀河標準規格ってなんだろうかと自身の思考に疑問に思っていた。
 凄まじい機動音を奏でる腕部マニピュレーターに備えられた亜法結界炉に酔ったのだろうか。

 セルフチェック・オールグリーン。
 測定限界稼働時間まで充分な余裕あり―――戦闘行動可能。

 「……いや、何と戦えと?」
 表示される情報を全く素人とは思えない滑らかな仕草で確かめながら、彼は頭を掻いていた。
 そも、元は巨大な球体だったこれが、大気圏内用自在軌道型機動兵器であることすら、彼には予想外だったのだ。
 特に考えもなしに機体を空に持上げるように操作しながら、彼はどうしたものかと思い悩む。その時、おそらく鏡面装甲を用いているのだろう前面モニターの片隅に小型ウィンドウが開き、足元に生体反応を感知したという情報を表示した。
 映像に切り替え、表示開始。流れるような操作で指示を出しながら、彼はウィンドウに映された、足元の森の中の様子を伺った。
 半裸といっても過言ではないような、薄い生地で作られたボディスーツを着た女性が、木に持たれて意識を失っているようだった。
 直接の面識などあるはずも無いが、彼にはその女性が何者かは理解できた。
 いつぞや獲物から剥ぎ取った毛皮を売るために降りた宿場の市で見かけた新聞で、それが聖機人を操る聖機師の戦闘衣だと記されていた事を思い出した。
 それをはじめて知ったとき彼は、都会の人間は変わった衣装を好むのだな程度にしか思っていなかったが、現状、足元に聖機師らしき女性が倒れ付しているという状況から考察できることは焦りしかない。
 
 辺境の森の片隅、山小屋で一人暮らしを送る少年である彼は、国家守護を担う聖機人というものを、正しく理解していなかった。
 ともに暮らすものが誰もいないから、誰も教えてくれなかったし、そもそも日々の糧を得るためにそんなものの知識は必要い。
 だから彼は、目の前に鎮座していた球体が聖機人の待機状態、コクーンであることを理解していなかったし、また自分の搭乗している―――搭乗してしまった機動兵器が聖機人であることも理解していなかった。
 そも、辺境、田舎暮らしの彼に聖機人を見る機会などあろうはずも無いから。
 山向かいで、ある日突然大規模な軍事演習でも起きない限り、一生知ることも無かったかもしれない。
 
 だが不幸にも、はたまた幸運と呼ぶべきか、彼は必要もないほどに頭の回転が速い少年だったから、推測から真実を拾い上げる能力に過分は無かった。
 「聖、機人―――近くに、あるのか?」
 誤解をしたまま、正しく理解をしないまま。
 彼は状況を理解した。

 つまり。

 「この”生体を使った機動兵器”が下で寝てる聖機師さんを捕らえて、多分、これに乗ってた人は何処かへ行っていたって事になるのか……なぁ?」
 首をひねる。

 あっているようで、何処かボタンを掛け違えているような、彼はそんな居住まいの悪さを味わっていた。


    


     ※ 需要があるのかどうか、そもそも元ネタを知っている人が何人居るのか。
       とりあえずは、ダンバインとかサイバスターとか、あとラムネ&40とかデュアルとかが好きな人が書くお話。






[14626] 1―3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/08 18:16

 ・Sceane 1-3・

 彼の知識は自身で集めた、偏ったものでしかない。

 彼は誤解している。
 聖機人の搭乗者―――聖機師は”女性しか戦場に立たない”つまり”女性以外になることはできない、女性以外聖機人と言う兵器には搭乗不可能”と理解していた。
 そして、こればかりはジェミナーに暮らす一般人の常識として、聖機人はその名を示すとおり巨大な人型―――すなわち、彼が今搭乗しているような”非人間型の機動兵器”などではないと解釈している。そもそも、飛行可能であるとすら理解していなかった。
 彼は、男性の聖機人搭乗者が希少であり、それゆえに戦場に出ないという事実すら、知らなかった。
 ともに暮らし始めて二年目の冬に病をこじらせて死んだ、山小屋の主、狩人の老人の教えに従って、彼はなるべく人とは接触しないように生きていたから。
 
 さて、状況は―――大きく間違っているが―――理解できた。
 遠くで鳴り響いているのは明らかに戦闘音。出ては閉じを繰り返す小型ウィンドウのそれぞれにも、そうと示すデータが、映像が表示されている。どうやら軍事的行動だったらしく、この機動兵器の所属している部隊を示すマーカーは、この機体を残して真っ赤。すなわち全機ロストを意味していた。
 いや、所属部隊だけではない、この機体の本来の自軍のほとんどが赤信号、戦域図はほぼ敵軍に制圧されている。

 負け戦の最中に、負けてる側の軍隊の兵器に偶然乗り込んでしまった自分。

 どう考えても危険な状況以外の何物でもない。
 頭をめぐらせあたりを見渡しながら、彼はどうしたものかと頭をひねった。
 この機動兵器、見たところ結構”イイモノ”だと言うことが解る。思考トレースのレスポンスがちょっと普通ではないほど早く、これならかなり精密な動作も可能だろう。
 安くはあるまい。いつぞや世話になったことがある鉱山にでも持ち込めば、それなりの値段で売れるかもしれない。
 いや、勝ってる側に持ち込んで、売りつけると言うのもありだ。そもそもどういう状況で戦闘中なのかは知らないが。
 一度乗り込んでしまった手前、乗り捨てて見なかったことにするにも少し惜しい。
 どうしたものか。悩む彼の視界の端に、何かが接近してくると表示されているウィンドウが入った。
 表示切替、機体が捕らえたリアルタイム映像。
 森の木々の上を飛行してくる、銃を構えた人型の機影。それが四機二小隊で編隊飛行で接近してきている。
 もとい、”接敵”してきている。
 データウィンドウが矢次接ぎに表示され、近づいてくる”敵”の搭乗者から出力数値等まで正確なものが映し出されている。
 「何で敵の詳細情報何か解る……って、そういう場合じゃないよね、これ」
 どの機体も、両腕で抱えている銃の銃口を彼の搭乗する機動兵器に向けている。
 
 拙い。
 彼がそう考えた瞬間に、思考操作により動く機動兵器は、反応していた。
 蛇がのたうつように半身を蠢かせ、急浮上。接近してくる人型より距離をとるように、空を滑る。
 「ちょっ、マズ……っ!?」
 思考操作機による弊害、望まぬときに、無意識に考えてしまった指示のままに動いてしまうことがある。今の彼の状況がまさにそれだ。
 操作盤に手を置いたままだったのが災いして、”危ない・離れなければ”と咄嗟に考えてしまった彼の思考を機体が忠実にトレースしたのだ。
 
 さて当たり前の話だが、近づいて逃げられた側からすれば、逃げられたからこそ追いかけるのが当然だろう。
 編隊を組んでいた二小隊は分散し、挟み撃ちを仕掛けるような軌道をとって彼の操る機体に接近を仕掛ける。
 指揮官機二機を除く計六機の聖機人が、左右からクロスするように威嚇射撃を放つ。
 それは威嚇と言うからには当然中らないように放たれたものなのだが、撃たれた側―――自身の操るそれが何であるかすら理解していない彼にしてみれば、撃ち落されるような攻撃をされていると同義だ。
 恐怖を覚える彼に機体は過敏に反応し、飛翔するその速度をさらに増し、―――あろう事か、”戦場中央に向かって”逃亡を開始した。
 体をくゆらせエナの喫水線すれすれを泳ぐように飛翔するそれは、その姿は、威嚇射撃を行った側からしてみれば、自分たちを振り切って戦場へと駆けつけようとしている姿にしか、見えなかっただろう。
 指揮官達の判断は早い。
 全機が蛇を模した正体不明機を囲うような陣形へと移行して、一斉射撃―――今度は、撃墜するつもりで。
 八方向からタイミングをずらしながら放たれ来る圧縮弾の群れを、喫水線ぎりぎり―――すなわち聖機人の活動可能範囲内ぎりぎりを飛翔していた彼の機体は、避け切ることなど出来る筈がない。
 
 なぜなら、聖機人を動かす亜法結界炉は、エナの海の中でしか―――大気中にエナが満ちる海抜約500メートル前後の内でしか、起動することが出来ないから。
 海抜500メートル以上、すなわちエナの喫水線を超えてさらに上空に出てしまえば、聖機人を動かす亜法結界炉は停止し、聖機人はコクーンに戻ってしまう。
 
 それ故に、彼に攻撃を避ける術はない。下へ行けば、前も後ろも、左右その何れからも、攻撃は飛来しているから、避けようとするなら、それは上空へ避けるしかないだろう。
 しかし喫水外である上空では活動不可能。
 哀れ状況を理解していない彼には、銃弾で機体をえぐられのた打ち回りながら森の中へ落下していく以外に未来はない。
 ない筈だ。
 そう、誰もが思った。


 「――――――え?」
 戦闘指揮所内に居た、誰の呟きだっただろうか。あるいはそれは、フローラ自身が漏らしたものだったかもしれない。
 突如として戦場へ高速飛翔を開始した正体不明機に対して、接近していた二小隊が攻撃を開始。喫水線ぎりぎりを飛翔していた正体不明機は、当然のごとく蜂の巣にされるはずだった。
 無傷で手に入れたかったが、あまりにもイレギュラーすぎるそれを戦場に入れるわけにもいかないから、仕方がなかろう。
 フローラはつまらなそうに鼻を鳴らして―――その後、我が目を疑った。
 
 正体不明機。蛇の下半身を持つ機体が、回避行動をとった。
 体を持ち上げ、丁度、飛魚が海面を飛翔するかのごとく。
 それはエナの喫水より上へ、自身の体を飛翔させたのだ。
 
 「……そんな」
 観測モニターを注視していた若いオペレーターの呟きだったが、おそらくそれは、戦闘指揮所に居たすべての人間の言葉を代弁していただろう。
 あり得ない。
 あり得るはずが無い。
 聖機人が、亜法結界炉を用いて稼動する機体が、エナの喫水線を超えて活動しているなど、あり得る現実のはずが無い。
 だがしかし眼前の、大写しになったモニターに表示されている映像は、確かにそれを成し遂げた図を見せている。
 喫水外で、聖機人が。不細工な外部ユニットから伸びる動力パイプを繋げることも無く。
 当然のように、自在に宙を舞っているのだ。

 「尻尾ね」

 混乱する現実を前に、一番は役に立ち直ったのはフローラだった。
 え、と振り向くオペレーター達に、手にした扇子を指し示す。
 尻尾。言われて注視してみれば、誰もが理解できた。蛇腹上の下半身装甲がスライドしてさらに伸張し、かつ尾の先端に付いていた分銅のような衝角が上下二つに分かれ、その内部に存在していたらしい亜法結界炉が高速回転している。
 そしてその尾の先端は、エナの喫水に浮かんだままだ。
 身の丈の二倍はあった蛇の半身をさらに倍近い長さに伸ばしたその機体は、両腕に備えていた亜法結界炉を停止させながらも、しかし尾の先端に備えたもう一つの炉をエナの海に沈めたまま動かすことによってエナの喫水外での活動を可能にしていたのだ。
 あたかも、自前で外部動力炉を用意したかのごとく。

 そんな機能、本来の聖機人には無い。いやそもそも、尾と言う事で納得してしまっていたが、あれは元は脚部だったのではないのか?
 聖機人の脚部に亜法結界炉が搭載されていたなど聞いたことは無い。
 新型だろうか。いやまて、反乱軍の機体も元はと言えばハヴォニワに所属していた聖機人。教会から配備された聖機人の中に、そんな、何か特殊な調整を施された機体があったと言う話など聞いたことは無い。
 一体どうなっている。そもそも照合不明なあの機体には、一体誰が乗っているのだ。
 戦闘指揮所に集ったすべての人間が、もはや混乱で思考を放棄し、殿上に座する主君に答えを求めていた。

 その現実を、後悔したもの、多数。
 主君たるフローラ・ナナダンの美貌は、それはそれは、とても楽しそうに歪んでいた。
 肘掛をきつく握り締め、目元を震わせ、扇子で覆い隠された口元など、想像したくも無い。
 誰か今すぐ王都に行ってマリア皇女殿下を連れて来い。
 口に出さず、誰もがそう考えた。
 そのまましばし、時が止まる。そしてそれを動かしたのはやはり、フローラ自身だった。
 パチン、と音を鳴らして扇子を閉じると、にっこりと微笑んで通信管制担当の顔を見やる。
 びくりと、その若いオペレーターは身を震わせ、周りの人間はいっせいに目をそらした。
 「通信、そろそろ繋がらないかしら?」
 「はっ、はひぃ、ただ今!」
 震える体を隠すことなく、通信管制担当は無線封鎖解除のための作業を急ぐ。
 「アイちゃんたちは攻撃を続行させてね?」
 「り、……了解」
 話を振られた戦域管制官がアイちゃんと名指しされた予備部隊の指揮官に攻撃続行の指示を送る。
 呆然と喫水外の空を舞っていた所属不明機に対して、砲撃を開始した様がモニターに表示された。
 それをやはり、当たり前のように。
 所属不明機は機体をくゆらせながら、その身を喫水外に置いたまま、自在に回避してみせる。
 「……やっぱり尻尾ね」
 上下左右に軽やかに身をかわしながらも、やはり尾の先端の亜法結界炉だけは喫水外に出ることは無い。
 「言ってみれば本当に、自前で外部動力炉を用意しているだけなんだけど―――」
 そのアドバンテージは圧倒的だ。
 本来稼動不可能な空間から、その気になれば一方的な攻撃が出来る。
 つまらない小悪党の狩りに出向いてみれば、面白い獲物が見つかったとフローラは一人唇を歪める。あれが特殊な機体なのか、それとも、内部に居る何者かによる仕業なのか。
 多少無理をしてでも確かめてみる理由としては十分だろう。
 「て、……敵機、メアリー・アンの機体に接近!」
 オペレーターの一人が鋭い声で叫ぶ。見れば、ひらひらと砲撃を避けることに専念していた鉛色の機体が、喫水線ぎりぎりまで接近していた茜色の機体に突進をかけていた。
 直角の急降下、そう思わせておいて、大きく体をたゆませてのサイドからのL字特攻。
 喫水付近での接敵行為という事態に、茜色の聖機人の聖機師は咄嗟の判断を誤った。
 跳躍回避―――不可能。そこから上は、喫水外。活動不能域なのだから。
 一瞬の判断ミスが彼女の運命を絶った。
 猛然と突撃してきた鉛色の化け物は、その両腕から張り出した鰭のような突起で、抱えた銃ごと、茜色の聖機人の腕を切断した。切断と同時に、幹のように太い尾の中程をコアユニットに叩き付けて、森の中に突き落とす。
 その反動すらを利用して、化け物は再び喫水外へ浮かび上がる。

 「―――早いっ!」
 その動作すべてが、実に数瞬の間のことである。予備部隊は女王直轄の近衛部隊であるから、その精強さも国内随一であったのだが、それが街路を開くために切り倒された樹木の如く、簡単に打ち破られてしまった。
 味方がやられてしまえば、それこそ本気になるより無い。
 予備部隊のより一層苛烈になった攻撃に対しても、やはり鉛色の化け物は、それを全て避けてみせる。
 空間の利、そしてそれを生かす機動力のたまものだろう。
 また一機が、今度は下半身を切り破られて地に叩き落されるの見て騒然となる戦闘指揮所の中で、フローラは一人微笑んで――― 一体誰が、それを微笑みと理解できるかは解らないが―――いた。

 ―――欲しい。
 とてもとても、アレが欲しい。






   ※ 思いのほか知ってる人が多くて安心した……っ!!

     そのまんまパイオニアの90年代のアニメを現代の技術で作ってる感じで、面白いんですけどね、元ネタ。
     いかんせん、見るのに手間が掛かるのが、何ともねぇ。DVD買うかアニマックスだけってのは、どうにかならんのか本当に。



[14626] 1-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/09 17:17

 ・Sceane 1-4・

 「頼むからちゃんと避けてくれよ、バカァッ!」

 今まさに攻撃を仕掛けてきた三機目の巨人の腕をひねり上げて、視界の端に見えた藍色の一機に叩きつけながら、彼はコックピットで一人喚いていた。
 激突した二体は彼がどんな思いをしているかを知ることも無く、凄まじい金属音を響かせながら、地面へと落下していく。
 まずい。まず過ぎる。まったく持ってこの状況は拙い。
 機体の過敏すぎる反応と有り余る出力に振り回されて、彼は望んでも居ないのに無双の強さを発揮していた。

 囲みを食い破って逃げたほうがよさそうだ。
 幸い、喫水外で活動可能な”仕様”になっているのはこの機体だけの様だし。
 何故彼を囲っていた機体が、戸惑うようなしぐさを見せていたのかも知らぬまま、彼は自らの安全のためにそんなことを考えていた。
 機体のデータベースから判断するに、自らを囲っている巨人達は敵側。
 ならば銃を向けてくるのも納得できるし、だからこそ撃たれる前に逃げ出そう、そう思っていただけのことである。
 因みにだが、自分の乗っているものはさておいて、周りに居るのが聖機人と呼ばれるものであろう事だけは、彼も理解していた。
 戦争代理人と言う割には”案外弱いな”とか思いながらも、さっさと遠くへ逃げてこの”由来の解らない”機動兵器を乗り捨てたほうがいい、彼はそんな風に考えている。
 だから、そう。
 包囲網の一角を食い破ろうと思っていただけなのだ。
 ただ機体が、彼の意思を過剰に反応してしまっただけで。
 彼にはまったく悪気がなかったのだ。圧倒的な暴力で茜色の機体の両腕を叩き折り、褐色の機体を鯖折りにして、藍色の機体と紫の機体を錐揉み上に地に叩き伏せながらも、彼には本当に、悪気は、無かった。
 無論、だからこそ性質が悪いとも言える。
 気づけば四機も打ち倒している。もう一機落とせばそれこそトップガンの仲間入りだったりする事実に、彼は気づいていない。
 残りは四機。四方を囲むように、彼の機体の周囲を旋回している。
 彼は―――傍目には次の獲物を狙うかのように―――完全に困った体で左右を見回していた。
 
 「―――この際だから、目撃者は全部消してしまえとか思っちゃったほうが楽だったり……?」
 戦場の狂気に囚われたわけでは決して無いはずだが、どうしようもないほど投げやりで物騒な考えが彼の思考の端で首をもたげていた。
 
 『それは出来れば、やめて欲しいのだけれど……』
 
 少し妙なテンションに走りそうになっていた彼を押しとどめたのは、突然コックピット内に響いた、ノイズ交じりの通信音声だった。
 腰元に位置する半円周状に設置されたコンソールパネルの端で、通信を知らせるインジゲーターが明滅していた。
 『もしもぉ~し、聞こえているかしら~?』
 間延びした、能天気に思えるような声が彼しか居ないコックピット内で反響する。

 サウンド・オンリー。

 一瞬喉を鳴らして眉をしかめた後、彼はコンソールに指を走らせ、双方向映像通信回線を開いた。
 全面モニターの端に、通信用のウィンドウが開く。
 そこに映っていたのは、なぜか無意味に豪奢な丁度で設えられた、おそらく管制室と思われる施設の全景だった。
 彼を―――恐らく彼が映っているであろうモニターを呆然とした表情で見ている、幾人もの女性たち。
 その奥に、一段高い場所に椅子を置いて座っていたのは、艶やかなドレス姿の女性だった。
 頑張れば微笑んでいると言えなくも無い表情に見えないことも無い物を作っていなくも無いその女性もやはり、彼を見て少し驚いているように見える。
 
 オトコ?

 ウィンドウの向こうで、誰かがつぶやいたのが聞こえた。
 オトコ。……男。驚かれることも無い、彼は男性だった。それが彼の認識で、だがその事実はウィンドウの向こう側の人々にとっては、衝撃の事実だった。

 『―――確認したいのだけれど』

 そう、硬質の響きを持って彼に問いかけてきたのは、扇子を広げたドレス姿の女性だった。
 高貴な身の上だと、一目でわかるその姿に、辺境の底辺者に過ぎない彼も自然に居住まいを正していた。
 「……はい」
 ゆっくりと頷くと、それに答えるように―――拡大し、その美貌をはっきりと映し出したウィンドウの向こうの女性も、満足そうに頷いていた。
 そして、一言。
 『その脚の無い聖機人は、貴方が動かしていると言うことで良いのかしら?』
 「は?」
 問われた意味が解らず、彼は恐らく間抜けな顔を浮かべてしまったのだろうが、しかしウィンドウの向こうの女性は静かに微笑むだけで、それ以上言葉を繋げてくることは無かった。
 慌てて左右を見渡し―――しかしそこに、答えがあるはずも無く、彼は大慌てで女性の質問の意味を考えた。

 脚の無い、聖機人。―――聖機人?
 脚の無い聖機人など、目に見える範囲には居ない。と言うか、やはり彼の周りを飛翔している巨人たちは聖機人と判断して良いらしい。
 脚が無いといえば、彼が操縦しているこの機動兵器にこそ相応しい指定だと思うが―――なるほど、つまり。
 聖機人。国家守護の象徴。選ばれた一握りの聖機師なる者たちだけが操ることを許される、国家最高戦力。
 「―――コレ、聖機人なんですか?」
 『ええ。我がハヴォニワ王国に所属する聖機人よ。―――まぁちょっと、賊軍に無断拝借されていたのだけど』
 震える声で問う彼に、ウィンドウの向こうの女性は、目を細めて楽しそうに頷いた。
 どうしようもないほど真実に、この機動兵器は聖機人、らしい。世界全体で厳然と管理されているそれの一つに、今彼は、気づかぬままに搭乗していたらしい。
 「……でも、脚が無いですよ、コレ」
 ちょっと洒落にならないくらい認めたくないその事実に、彼が細い声で反論して見せると、女性は閉じた扇子をあごに当て、悩むように頷いていた。
 『そうなのよねぇ、脚は何処へいっちゃったのかしら。……貴方、何でか解る?』
 「……なんででしょうね」
 

 心底困った風に、戦闘指揮所の壁面モニターに大写しされている少年が首をひねっていた。
 一人楽しそうに正体不明の年若い少年と会話を続けるフローラを余所に、指揮所に集った一堂は混乱すること仕切りだった。
 脚の無い聖機人。
 男性聖機師。ただし、本人は理解していない。
 じゃあなんで突然戦場へ向かって飛翔を開始したんだと言えば、本人的には逃げようとしていたらしいなど、常人の理解のほかである。
 落ち着いて彼の服装を観察してみれば、あまり裕福ではない辺境集落にでも住んでいそうな人々が来ていそうなくたびれた装い。腰に巻きつけてあるベルトに刺されているものが剣ではなく鉈やロープ、藁袋なのだから、それこそこのまま山の中で狩りでも始められそうな―――実際、狩人らしい。現在戦場となっているこの演習場の一つ山向こう、国境線ギリギリの辺りに山小屋を構えて一人暮らしをしているとか、なんとか。
 モニターに映る少年は、特に隠すことも無く言葉を続けている。

 「つまり……、なんとなーくコクーンに触れてみたら聖機人が起動してしまった、と言う事かしら」
 『ええと、待機状態だったコレがコクーンって言うんであれば、それであっていると思います』
 「特に公爵軍に協力していると言うことも?」
 『すいません、そのあたりの事情がさっぱりわからないんですけど。とりあえずその、貴女は……?』
 
 一体何を言っているんだこいつは。

 朴訥な顔でこちらに問いかける少年の顔を見ながら、オペレーター達の心は、そんな気持ちで一致していた。
 ちらりと、その中の一人が問われた女王陛下の顔色を伺い、慌てて視線をそらした。
 
 獲物を前に、舌なめずり。

 そう表現するしかない顔で、女王陛下は微笑んでいた。
 「私はフローラ・ナナダンと言うの。よければ貴方の名前を聞かせてくれないかしら。ついでに、モニター越しではなく、直接お話したいわ」
 泡吹いて倒れるな、私ならとオペレーター達の誰もが思うほどに緊迫した空気の向こうで、少年は困ったように微笑んだ後に、自身の名前を告げた。


 ・Sceane 1 :End・




    ※ 因みに、原作にならってすっごいローペースで行く予定なので、そのところはご了承ください。
      二十回分くらいまでストックあるけど、原作に突入する気配が無いからな!



[14626] 2-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/10 18:10

 ・Sceane 2-1・


 小高い丘の上に存在するハヴォニワ王宮は、華美というほど豪奢ではなく、質素と言うほど寂れても居ない。
 大国の陰に隠れつつも、やり手の女王に率いられてそれなりに国際社会で幅を利かせる小国らしい、それ相応の堅実さを抑えた、つまりはこじんまりと、それで居て品性を失わない程度の優美さを備えた城構えだった。

 「アム・キリ君、14歳、ねぇ」
 
 その城の主、現ハヴォニワ王国国主、フローラ・ナナダン女王は執務机の上に広げられた短い資料を広げて、首をかしげていた。
 衝撃の出会い―――いや、反乱軍鎮圧から既に三日過ぎた。
 フローラはあっさりと武装解除に応じた脚の無い聖機人の聖機師をひとまず拘束―――任意同行と言い換えても可―――し、ともに王城へと引き上げていた。
 そして、封権貴族最大勢力の鎮圧状況と合わせて提出されたかの少年の資料を捲りながら、彼女はさてどうしたものかと頭を悩ませているのだった。
 「アム・キリ。戸籍無し。推定年齢14歳―――自己申告です。マラヤッカの山林地帯の端に築いた山小屋で、三年前から一人暮らしをしていたとの事です。彼の姿を見かけるようになったのはそれよりさらに三年前―――つまり、今より六年前からですか。当時其処に住んでいた狩猟を生業にしていた人嫌いの老人とともに居る姿を幾度か見かけたことがあると、テムリの関にほど近い宿場町の人間から証言が取れています。少年本人いわく、七年前にわが国で発生した飢饉の折に山に捨てられた何処か近くの集落の生まれではないかとのことですが、正確なところは不明です。さしあたって、ロイエ、ウルトンネ、アルヘイア、それからトーラッド辺りまで聞き込みの手を広げてみましたが、それらしき証言は得られませんでした。そもそも、どの集落にも現役、引退、ローンン問わず、聖機師が存在していたと言う事実がありません。あの辺りは―――ああ、鉱山街のトーラッドは除きますが、マラヤッカ辺境でも特に赤貧で知られていますから、山賊などの襲撃もほぼ無いといって問題ないらしいですし。―――話が逸れましたな、ようするに、政治的な何がしかを持ちえているとは現在のところ―――彼にとっては不幸でしょうが、未来はそうでもないでしょうな。……いや、失敬。―――考えられない、つまり普通の少年です」
 調査結果の報告に訪れていた壮年の官僚が、生真面目な顔で資料を読み上げる。
 その報告にたいした興味も惹かれない体で紅茶を啜りながら、フローラはポツリと呟いた。
 
 「―――でも、男性聖機師よね」
 
 その言葉に、官僚は然り、と頷いた。
 「実際の活動記録はもとより、先日測定器により診察した結果から見てもまず間違いありません。男性聖機師です。―――それも、極めて高い亜法波耐性を秘めた」
 執務机に広げられた資料には、アム・キリに受けさせた聖機師適正診断の各種データが記されたものがある。
 其処に記された何れの数値も、この少年の聖機人に対する稀有な適正を示していた。
 と、言うよりも。女王フローラをして見たことの無い数値が並んでいる。亜法波耐性に至っては、測定ミスとしか思えない尋常ではない数値だ。
 ミックスを重ねた優れた血統を持つ聖機師であろうと、こんな数値を出すことは出来ないだろう。
 聖機師が限界を迎える前に、聖機人が根を上げるような、そんな数値はついぞ見たことが無い。

 聖機師の適正は、ほぼ完全と言って良いくらい遺伝によって決定付けられるから、ジェミナーに存在するあらゆる国家において、聖機師の出産行為は厳然たる管理体制が敷かれている。
 さながらそれは競走馬のごとく、良い血統を持つ聖機師どうしを配合し、血を深め、さらに強力な聖機師を生み出すために。戦場において絶対的な存在となりえる聖機人は数が限られている。教会によって各国の戦力の均等化を促すために、その配備数に制限がかけられているのだ。
 ならば、限られた数の中においては量ではなく質を重視するのが当然。
 血統を管理し、より質の高い聖機師を生み出すことは、このジェミナーに於いて、国家戦略上非常に重要なことである。

 より、強い血。最適な適正。それを求めた果てに現代の聖機師たちがいるのだが、今フローラの眼前に広げられている資料を見ていると、それらの努力がどうしようもないほど馬鹿らしいものに思えてきてしまう。
 異常だ、これは。ジェミナーの全ての聖機師の血を練り合わせても、こんな数値は出ないだろう。
 ごく稀に、聖機師とまったく縁の無かった家計に聖機師足りうる亜法波耐性を持つ仔が生まれることもあるが、その殆どが平均以下の数値を出すことしか出来ない。
 それらは新しい血として歓迎されることはあれど、それそのもの自体は良質な血統に生まれた仔には勝ち得ない者達であった。
 つまり、この異常な適正を見せるアム・キリ少年のごとき存在はジェミナーに於いて生まれることはまずあり得ないのだ。

 「そうすると、答えは一つ……なんだけどぉ」
 間延びした声で、しかしその事実を認めがたいと言う声音のままに、フローラは自身の豊かな胸の下で腕を組んだまま背もたれに体を預け首を傾ける。反らした身体、組んだ腕に押し上げられて、豊満な胸がドレスの中でむっちりと歪む。
 そのしどけない姿に―――長年の経験からくる賢明な判断として―――視線をまったく移すことなく、官僚は然りと頷いた。
 「過去二十年以内の全ての星辰の配列を調べました。当然、エナの海流も。教会の大施設を用いても不可能です。ましてや、わが国領土内にあるどの遺跡を用いたところでとてもとても。―――”異世界人”をこの世界に招き入れる事等、不可能と言わざるを得ません」
 「でも、現物が目の前にある以上、ねぇ」
 女王はくたびれたように眉根を寄せて、官僚は然り、と頷くほか無かった。

 異世界人。
 此処ではない何処かから。まったく違った文明、風土を持つ世界から訪れる、稀人達。
 古い記録では数百年以上前からその存在は確認されており―――その何れもが、ジェミナーに暮らす全ての人員を超越する高い亜法波耐性を持っていた。
 彼らは、星の配列と、古代文明の遺産を用いた大儀式によってジェミナーに召喚される。
 召喚された段階で、教会の保護―――管理―――下に置かれ、そしてその血の有用性を買われて各国から最上級の歓待をもって迎えられる。
 古い歴史から順繰り眺めてみても、なぜか不思議と呼び出される異世界人は男性ばかりだったから、その”歓待”の中身も推して知るべし、と言うやつだろう。
 繰り返すが聖機師の適正は遺伝。例えどのような生まれで、性格で、容姿であろうとも、ただ高い聖機師の適正を持っていれば、国家にとってそれ以上必要な要素は無い。
 ”多少”の我侭は許容範囲である。

 ―――たとえ見目麗しい女性達が襖の向こうで、閨の隅で涙を流すことになろうが、それも含めて、許容範囲なのであった。

 特に現代、近親交配の繰り返しで男性聖機師が不足し始めている状況では。
 稀有な才能を秘めた男性聖機師が現れれば、三顧の礼で迎え入れられてもおかしくない。
 全ての異世界人が教会によって保護される最大の理由は、教会に存在する大規模施設でも持ち出さないと、異世界人の召喚など不可能だからである。いや、過去には幾つかの国家には異世界人を召喚可能な遺跡が存在していたのだが、それらは戦時下に於いて真っ先に敵国から戦略目標に指定され、尽く、修復不可能なレベルにまで破壊されていた。
 現状、残っている遺跡が中立に座する教会内にしか存在していないのである。
 故に、本来的なところでは、異世界人ははじめに降り立った国家に帰属することとなる。
 
 「波形、装甲色、頭部形状の何れに於いても、アム・キリの操る聖機人は系譜を証明できる要素が存在しません。過去・現在に於いて存在する全ての聖機師に類似する特徴は見られませんでした。特に……」
 そこまで言って、官僚は口を閉ざした。
 言われずとも、フローラにも彼の言いたいことは理解できる。
 「何者なのかしらねぇ、この子……」

 執務机の片隅に置かれた幾枚かのプリントアウトされた画像データ。

 そこに写った鉛色の聖機人には、脚が存在していなかった。





   
    ※ 二章開始。この章はオリキャラが大量に登場します。
      出たきりでそのままフェードアウトといった体ばかりですが。




[14626] 2-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/11 18:10
 ・Sceane 2-2・


 「それじゃぁ、動かしますけど……ホントに良いんですか?」

 広大な面積を持つプレハブ作りの構造物の中に、巨大な半透明の卵上の物体が整然と並べられている。
 高い天井にはクレーンのレールが縦横に走り、巨大な卵の周りには亜法動力車が走り回り―――恐らく、整備中なのだろう。何処から引っ張ってきたのやら、野太いケーブルやら、聴診器の化け物のようなものを据え付けた車両などが、忙しなく作業を続けている。
 その一角。周りから離された位置、錬兵場へと続くシャッターが開かれた位置に置かれた卵―――待機状態の聖機人、つまりコクーンの足元に、彼は一人立っていた。
 彼の周りには整備士の姿は見えない。
 聖機人の放つ亜法波は極めて強力で、聖機師の資格を持つような耐性を持たない人間には有害に過ぎるからだ。
 それ故、彼が声をかけたのは壁際の高い位置に隔離された管制室に向けてだった。
 『ええ、がつ~んとやっちゃって』
 張り出した管制室の隅に埋め込まれていたスピーカーから、艶っぽい暢気な声が響く。
 そこには、幾人かのつなぎ姿の作業員たちの後方で優雅に微笑む、ハヴォニワ国女王の姿が見えた。
 先日、偶然乗り合わせてしまった聖機人から、指示されるがままに降りた彼を拘束してこの王城にまで連れて来た張本人だ。

 彼の知る最も大きな街、渓谷の宿場街―――彼は正式な名称を知らなかった―――とは比較にならないほど、何もかもが大スケールの王都。
 言われるまま―――言いくるめられるまま、押し留められるままに、部隊を再編成し撤収する王軍の装甲車に乗せられて、彼は長年暮らしていた辺境の山林を後にすることになった。
 一緒に来て欲しいと言外のプレッシャーとともに要請され、何故だか、二度とここには戻れないのだろうなと彼は理解することが出来た。
 その理由を、彼はあまり理解していない。
 ただなんとなく、胸の奥で何かが疼いて。それが必要なことだと告げられた気がしたからだ。

 王城に到着した彼を待っていたのは、簡単な事情聴取のようなものと、なにやら良くわからない機材を繋がれての何がしかの測定。

 それから、賓客が滞在するであろう客間に押し込まれての、下にも置かれぬ扱い。

 自分よりよほど清潔で質の良い装いの侍従達に傅かれながら、彼はその間に、自身が曲解していた幾つかの事実を理解していた。
 男性聖機師。選ばれたごく一部の特権階級。
 亜法波に対する耐性について。
 自分がこうだから、周りもそうに違いないとの思い込みの幾つかは、あっさりと否定された。
 つまるところ本来聖機人とはどういうものか、亜法酔いをまったく起こしたことのない自分がどれだけ異質な存在か、学が無かろうと、充分に理解できた。
 男性聖機師の、その希少性ゆえの現在の歓待も。……齢14歳に満たぬ彼に与えるようなものではないであろう、年若い女性侍従達からの、慰撫。都会は恐ろしいところだと、風呂で泡まみれになりつつ彼は理解した。
 そんな風に、カルチャーショックを受けながら賓客待遇で過ごす事三日。
 一瞥以来会話をしていなかった女王が唐突に彼の暮らす客間に訪れ、歳に見合わぬ愛らしい笑顔で彼に一つの頼みごとをしてきた。
 頼みごとといっても実質命令に等しく、そも、半軟禁状態の彼に、断ると言う選択肢は与えられていないのだが。

 かくて彼は引きずられるままに王城を横断し、王軍詰め所、聖機人格納庫まで足を運ぶことになった。
 目の前には、待機状態の聖機人が、卵の中で膝を抱えてうずくまっている。
 壁から張り出す形で存在する管制室からは、期待と興味に満ち溢れた幾つもの視線が自身に向いていることに気づかされる。
 男性聖機師は珍しい。だが珍しいだけで居ないわけではなく、特にその性質上、国家により厳重に保護されている訳だから、目の届きやすい王都内で生活していることが多い。
 それ故王都内であれば、男性聖機師が―――けっして、戦場に出ることはないのだが―――聖機人に搭乗して訓練をしている姿を見かけることも普通にありえるだろう。 
 「聖機人、ねぇ」
 乾いた唇を舐めとりながら、彼は誰にとも無く呟いた。
 ふと、眼前のコクーンから視線を離し、周囲を見渡してみると、彼の所作を見張るように、幾つかのコクーンの傍で戦闘衣姿の女性たちが待機しているのが見えた。
 
 暴れるつもりなど、ないのだけれど。いやそもそも、不安ならば乗せなければ良いのに。

 そんな風に思いながら、彼はため息一つ吐いて、そっとコクーンに手を触れた。
 不思議な柔らかさを秘めた硬質の表面に、彼の触れた手のひらを中心に亜法結界式が広がる。
 それはゆっくり回転しながら徐々に大きく広がっていき、環状の結界式のその内側はまばゆい光が満ちていく。
 触れていた硬質の感触が失せて、手のひらが光に引き込まれるかのようにコクーンに埋没していく。
 その引力に引きずられるように、彼は自らの意思も含めて一歩を踏み出した。

 「……亜法波、増大中。聖機師、コアユニットに移動しました」
 情報端末を開いていたオペレーターの声が響く。
 薄暗い管制室内を照らしつくして余りある光量が、窓の向こうの眼下に見えるコクーンから広がっていく。
 日の光よりも強く、淡く。それは新たな生命の誕生を祝福するかのような、自らの存在を世界に主張するかのごとき輝きだった。
 「測定器のミスじゃ……無かったんですね」
 若い女性オペレーターが、端末に表示されていく波形グラフを陶然とした顔で見つめている。
 そこに映されている数値はどれも、常識では考えられないあり得ない数値のはずだった。
 だが、この場を企画したフローラ自身は、未だ何を感心することがあろうかと、微笑みの形のまま表情を動かすことは無かった。

 ”ただの”有用な男性聖機師など、興味を覚えたりしない。
 だから見せない、貴方の真価を。

 徐々に光量を増していくコクーンを泰然と見下ろしながら、フローラはその時を待った。
 「聖機人、覚醒を開始します!」
 管制室内で誰かが叫び、そして誰もが、端末から視線をはずして直接窓の向こうへと視線をやった。
 
 首をもたげ、両肘の亜法結界炉を起動させながら身体を起こす聖機人。
 コクーンを押し広げるように素体に装甲を纏わせていくその起動法は、誰もが知るごく一般的な理解の上での聖機人のそれだった。
 だが、その変化は誰もが目を疑うものだった。
 折り曲げられていた両足が膝を合わせ、捩じれ寄り合わさっていく。
 発光と装甲の練り合わせにより細かいところまではわからないが、脚部を構成する骨格そのものが分割変形しているのがかろうじて目視できた。
 それは蛇腹上の装甲を纏いながら、徐々にその長さを増し、地にとぐろを巻いていく。
 発光現象が収まり、装甲の形状変化が完了すれば、そこには本来あるべき脚部を失った、半身に蛇の尾を持つ鉛色の聖機人が、だらりと両手をたらしたまま鎮座していた。
 「……やっぱり、脚が無いわね」
 フローラが扇子を広げながらつぶやく。
 「コクーンそのものは予備機として格納庫に保管されていたもので間違いありません。事前に別の聖機師が搭乗して確認済みです。その時はちゃんと、その、脚部が存在していたのですが……」
 「下半身……いえ、尾の先端? ですか。静止状態の亜法結界炉らしきものが存在しています。……本来、脚部にそんなものが存在している筈は無いのですが」
 「内部投影図撮れました。……脚部骨格が、背骨から直結したそれそのままの蛇のようなものに変形してしまっているのですが、これは……」
 次々と上がるオペレーター達の言葉は、その何れもが居住まいの悪さを表している。
 本来あり得ざる変化。比較対照が存在せず、解釈の仕様も無い。
 「聖機人そのものには異常が無かった……ということは、やっぱりあの子になにかあるのかしら?」
 「恐らく、間違いないかと。搭乗者の放つ亜法波の波形が、一般的な聖機師のそれとは異なっています」
 波形図をデータウィンドウに広げながら、生真面目そうなオペレーターの一人が言った。
 人体の簡易図形と、それを中心に一定間隔で放射される波紋。
 波形図は二枚存在していた。片方は広がる波紋は一定間隔で緩やかに広がっていくもの。
 もう一枚の方はそれとは少し違っていた。一枚目と同じように一定間隔で広がっていく波紋。そして、それを追い越す速度でランダムに発生する歪んだ波紋が存在していた。
 「通常、人間が放つ亜法波は常に一定、一種類しかありません。ですが、あの蛇の聖機師の子の亜法波は……二種類存在しています」
 「二種類」
 「恐らくこの、ランダムで発生している不安定な波長に何かあるのではないかと思いますが、詳しくは、もう少しデータを取って見ないと」
 「個人的な意見ですが、こっちの普通じゃない波長は、亜法結界炉が放つ波形パターンに類似しているように思えるのですが」
 「そりゃ何か? つまり体内に亜法結界炉でも内蔵してるのか、あの子」

 表示されているデータを確認しながら、オペレーター達の私見が続く中、フローラは一人扇子で口元を隠したままため息を吐いた。
 ようするに、”よく解らない事が解った”という、どうにもならない事実しか残らないと言うことだ。
 確定している事実は、あの蛇への変化はあの少年、アム・キリ自身の特性によるもので、聖機人の如何に寄ることが無い。
 『すいませーん。そろそろ、次の指示が欲しいんですけど』
 通信モニターの向こうで、管制室を驚愕の渦に巻き込んでいる件の少年が、困ったような笑みを浮かべていた。
 その言葉に指示を求めるオペレーター達に、適当に外で動かしておいてとフローラは指示を出し、管制室を後にした。
 その口元はやはり笑みを象っており、彼女の考えは初見のときより変化は無かった。

 アレが、欲しい。





   ※ 次辺りからそろそろ、話が回り始める……かなぁ。
     もう二、三回準備中みたいなノリが続くかも。



[14626] 2-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/12 18:06

 ・Sceane 2-3・
 
 「……国庫を預かる身といたしましては、反対と言わざるを得ません」

 王宮内に存在する国政を司る政庁、閣議室。すなわち、国政の中枢を担う長机に集った女王を中心とする閣僚たちの中で、議題に対して真っ先に反対の声をあげたのは、豊かな顎鬚とふくよかな体格が特徴的な、財務大臣だった。
 「先日の反乱軍討伐に関する戦費の拠出、ならびに接収した公爵領その他の新規直轄領の復興事業に関する特別予算の増額。これ以上、銅貨一枚たりとも無駄遣いは認められません」
 「待ちたまえ。公爵領の金蔵を漁れば、追加予算くらい……」
 「そんなもの、罰則金代わりに踏み倒す予定だった借用書以外存在しやせんよ。まったく、王政府から預かった国土を担保にしてまで、浪費に耽っておるのだから」
 がっちりとした体格の軍務大臣の言葉に、財務大臣がやれやれとばかりに反論する。
 戦争は、内戦と言えど、否、内戦だからこそ金ばかりかかって短期的には実入りが無いし、長期的な利益を望むのであれば新規の開発事業が必至だ。そして当然の事だが、新たに事業を始めるのであれば、やはり相応の資金が必要なのである。
 「運輸省としても、国土横断鉄道事業の予算減額の可能性がある議案には、賛成しかねます」
 線の細い幸薄そうな顔の運輸大臣が財務大臣の言葉に賛成すると、軍務大臣がそれを忌々し気な目で睨み付けた。
 「そも、現在聖機師の定数は男女ともに満たしております。これ以上無理して石潰し……おっと失礼、戦線に投入不可能な置物……ではありませんでしたな。男性聖機師を増やす必要性を感じません。年間維持予算も馬鹿になりませんからな、種が必要なら同盟国からそのつど買ったほうがよほど安上がりです」
 「だからと言って希少な才能をこのまま置き捨てる事は出来ないだろう! ただでさえ男性聖機師は減少の一途をたどっているのだ、新しい血が見つかったのならば積極的に囲い込むべきだ!」
 「そんな事を言って、国土省に取られた軍の予算の増大を狙っているのではないのですか? 今回の討伐によって、しばらく内外も安定するでしょうからな」
 「無礼であろう運輸大臣! そもそも貴様らの鉄道事業こそ、飛空艇の発達したこの時分に必要かどうか……」

 「それに関してはすでに議会に於いて承認を……」
 「補正予算の審議に寄せて見直しを図れば……!」
 「それこそ今回の討伐作戦に……!」
 「……!!」
 「っ!?」
 長大なテーブルを挟んで、運輸大臣と軍務大臣が取っ組み合いを始めんとばかりに言葉を飛ばしあっている。
 二人とも筋の通ったことを言っているように見えて、ようするに言いたい事は唯一つ。

 金があるなら、ウチに寄越せ。

 それだけだったりする。
 「静粛に!女王陛下の御前であるぞ!!」
 上座に位置する女王の脇に座っていた国務統制大臣が声を荒げてつかみ合いに至ろうとしていた二人をいさめる。
 「恐れ多くも国政の一翼を担わんとする大臣の一人ともあろうものがそのように感情的になってなんとするか! 諸兄らの背負う大権とは、すなわち国家に対して最大限の奉仕をするためにこそ陛下よりお預かりしているのであって、諸兄らの権勢欲を満たすためにあるのではないぞ!」
 腰の曲がった白髪の、しかし強い精神を秘めた老人の一喝に、二人の大臣は着座した。

 「まぁまぁ、爺やも落ち着きなさいな。誰もがハイと頷くだけしか出来ないよりは、議論が盛り上がった方がいいでしょう?」
 喧騒に包まれていた閣議上で、一人優雅に紅茶をたしなんでいた上座に座るフローラが、国務統制大臣に微笑みかける。
 「いや姫……もとい、陛下。元はと言えば貴女が手ずから持ち込んだ議題に関しての討論だったのですが」
 国務統制大臣は、自慢の口ひげをなでつけながら、自身が手ずから育て上げた主君に忠言する。
 しかし、老いた忠臣の気持ちも何のことかとばかりに、フローラは気ままな笑顔を崩すことは無かった。
 その笑顔を見て、国務統制大臣は誰にも気づかれぬように肩を少し落としている。
 
 ―――何のことも無い。彼女が時分で持ち込んだ議題なのだから、彼女にとってそれは実行に移すことと同義なのだ。
 
 フローラにとってはすでに答えの出ている案件であって、この閣議の喧騒自体も、まったく想定道理の内容でしかないのだろう。
 どうしてこんなに腹の黒い女に成長してしまったのだろうか、いやいや、拝謁した当初からこの姫はそんな風に自身を振り回していたような気もする。
 侍従の一角から、気づけば王家を除く国政の最高位に位置してしまっていた国務統制大臣は、そっとため息を吐いていた。

 「私としては、買いだと思うのだけど」
 「資料を見た限り同意せぬことも吝かではないのですが、如何せん無い袖は触れませんと申しておるのです」
 小首を傾げて尋ねる主君に、その愛らしいしぐさに頬を赤らめつつも、財務大臣は頑として反論した。職務に忠実な忠臣なのであった。
 「いっそのこと現行の維持予算の再配分を行って……」
 「それをあの石潰しどもが納得しますかな? 清貧という言葉を何処かに置き忘れたあの阿呆どもが」
 「……厄介なものですな、男性聖機師というものは。連中の取り巻きも含めて。庭の置石のほうがよほど役に立ちます」
 「だから常々私は言っているではないでですか。聖機人と違って血に縛られることも無い機工人の開発予算を……」
 「技術開発局長、その件についてはすでに先週の閣議で答えが出てるだろう」
 誰かが言葉を紡げば次々と別の誰かが私見を述べていく。
 会議が活性化しているといえば聞こえはいいが、要するに帯に短く襷に長く、堂々巡りを繰り返しているだけだった。
 
 「なんなら、王室府から近衛へ予算を増額してもいいのだけれど」
 また誰かの言葉に誰かが声を荒げそうになったとき、上座に座ったフローラが爆弾を投げ入れた。
 「それは、いや、確かに……」
 「す、少しお待ちを。流石にそのような事を……」
 みんなお金が無いのなら、私が奢って上げてもいいわとばかりに、簡単に言ってくれる主君に、誰もが言葉に詰まる。
 「……近衛長官といたしましては、反対する意見はありませんが」
 長机の一角に座することを許されていた、体格の良い紳士が、主の言葉に口ぞえした。それは国軍より独立して存在する王家直轄軍、つまり近衛軍の指揮官を女王より委任されている、近衛長官を勤める男だった。
 因みに、先ほどから誰かの言葉に乗るたびに散々ぼろくそな言葉を紡がれていた、男性聖機師の一人だったりする。言葉に詰まる他の大臣に対して、多少の意趣返しの気分もあったのかもしれなかった。
 「ま、待ちたまえ近衛長官。いや、お待ちください陛下。これ以上の近衛に対する予算増額は、指揮系統の混乱を生む危険が……」
 国軍の指揮権を持つ軍務大臣が大慌てで反論する。
 先ほどまで半ばいがみ合っていたほかの大臣たちも、おおむね気分は軍務大臣と等しかった。
 
 近衛軍とはすなわち国家ではなく王室の守護を司る。
 とはいえ、王家が国軍から完全に独立した私兵を有しているというのも、国体としていくらか決まりの悪いところがあるから、近衛軍の維持予算は、国と王室からの折半することにより、近衛軍の完全な独立を防いでいるという事情がある。
 王室府とは即ち王家の私的な資産―――動産、不動産にかかわらず―――の管理維持を請け負う部署である。
 政府の承認が必要なく、王家が自由に使える資産の全てを預かっているといえば早いだろうか。
 近衛が国軍と違い王室に仕える軍であるから、王家自身が給与を支払うのも当然と言える。
 ただし、王室府予算は、全て王家に関わりがある部分でしか用いることが出来ないという法が存在する。国政によって決定された事業に関する王室府の投資は、一般的な投資家たちと変わらぬ権限の中でしか行うことが出来ない。それにより王室の国政への過剰な介入を防いでいるのだ。
 
 ゆえに、軍に新たな男性聖機師を養う理由が無いからといって、王室が小遣いをばら撒くがごとく勝手に予算を投入することは不可能なのである。
 そして近衛軍に対する予算の増額も、前述の理由から不可能だった。

 「国庫にはお金が無い。近衛のお小遣いを増やすのは不可能……とは言え、迂闊に他国に渡すわけにもいかないし」
 「データと一揃えで、教会に引き渡してしまってはいかがですか?」
 「目の上のたんこぶをこれ以上大きくする趣味は無いわよ?」
 一人の大臣の言葉に、指折り事情を整理していたフローラが切って捨てる。
 全ての国家に対して公正、中立を掲げる教会であったが、ただでさえ聖機人の開発独占という強力なアドバンテージを有するそれの更なる権限強化など、国体を預かる人間としてフローラは許すわけにはいかなかった。
 「では、いっそ解りやすく、見なかったことにして切りますか?」
 首元をなでるような動作をしながら暗沌とした顔で混ぜ返す法務大臣に、フローラは眉をひそめた。
 「それも一つの方法、ではあるわよねぇ。……あるけど」
 「この少年一人の特性とも限りませんからな。仮に切って捨てて、”次”が他国で発見されたなどと判明されたら、空恐ろしいことです」
 軍務大臣が苦い顔で、主君の言葉を拾い上げた。
 現状、アム・キリ以外に見つかっていないからといって、他に似たような特性の持ち主が現れないとも限らない。迂闊に排除行動に出るには、危険に過ぎた。
 「賓客待遇でこのまま留め置くというのはまずいのですかな?」
 つまりは現状維持はどうかとの意見が上がった。
 「お客様の行動を制限する権限は、国家には存在しないわよ?」
 「他国に招聘された場合、止める謂れがありませんからなぁ」
 「ならいっそ、諸侯軍のどれかに……」
 「何か悲しくて政府自ら内戦の火種を野に放たねばならんのだ!」
 「だが現に国軍にはこれ以上予算が……っ!」
 「やはり氾濫抑制のためとは言え、国軍と諸侯軍の聖機人の配備数の比率を変更したのが……」
 「何年前の話を蒸し返しているのだ貴様は!」
 「だが現に軍事予算の逼迫によって……っ!」
 「ちょっと待て、ただでさえ予算不足の我が軍を、これ以上……っ!」
 「……!!」
 「っ!」
 「!?」

 「ええい、静まれ、静まらんか小童どもが! ……ごほん、陛下。このままでは堂々巡りです。如何なさいましょう?」
 再び始まった罵り合いに、政務統括大臣が声を荒げる。
 フローラは肩で息をしながら怒鳴り声を上げる忠臣の姿を楽しそうに見つめた後、―――さらに楽しそうに、議場を睥睨した。
 「国庫には限りがあり、近衛に王室費を流し込むには、些か理由足らずといえる故に不可能。―――さりとて、このまま放置することも、他国へ売り渡すことも、無論排除してしまう事も避けたい事態」
 出来の悪い生徒に辛抱強く聞かせてみせる教師のように、フローラは現状の問題点を並べ上げた。
 「ならば、ハヴォニアが取るべき行動は一つしかない。他国に対して完全な形で、アム・キリの所有権を確立すること」
 「ですが、予算が……」
 はっきりと言い切った主君に対して、財務大臣が気まずげに問う。
 やるべき事はわかったが、結局実行不可能ではないか。
 ―――解決策は?

 「みんな、お爺様のことを覚えているかしら?」
 「―――は?」
 唐突な女王の言葉に、誰かが間抜けな呟きを漏らした。
 「先王陛下が……何か?」
 閣僚たちの疑問を代表して、国務統制大臣が主君に質問する。老いた身に、何故だか冷や汗がとまらなかった。
 「そう、先王陛下。お爺様の女癖の悪さは、爺やもよく知っているでしょう?」
 退位して既に十三年前に崩御した祖父のことを、フローラはそんな風に評して見せた。
 その言葉に、半ば嫌な予感しかせぬまま、国務統制大臣は頷く。
 「はぁ。いや、確かに老いて尚、好色と言う様な方で御座いました事は否定できませぬが、それが何か……?」
 取替えひっかえ、幾つになってもまったく衰えることの無かった女性に対する飽くなき欲求を思い出しながら、国務統制大臣は言葉を返していた。傍仕えの侍従たちは言うに及ばず、未亡人、諸侯の妻子、果てはたまたま見かけた街娘に至るまで、とにかく女に関しては節操の無い君主だった。
 「でしょう? ……そんなお爺様だから、きっと聖機師にも手を出していて間違いないと思うのよ。たとえば、たまたま行幸に出かけた先で見初めたローニンとかに」
 あっけらかんと祖父の所業を想像してみせるフローラに、老人は気まずげに頷いた。
 「まぁ、まったく遺憾なことですが否定する要素はありませぬな。事実として、国軍に所属する誰それがお手つきになったという話はわたしにも聞き覚えがあります」
 「そうでしょう。あのお爺様のやることですもの。……なら」
 老人の言葉に我が意を得たりと満面の笑みで頷いた後、フローラは途中で言葉を切った。

 王室府の管理する王家の資産は、全て王家に関わりがある部分でしか使用することが出来ない。

 ―――ならば。




 「それで、つまり話をまとめると……?」
 王城の中庭全てを視界に納めることが出来るバルコニーの一角、ちょっとしたティーテーブルを挟んで、二人の少年少女が向かい合っていた。
 どちらともに、王城を闊歩するに相応しい瀟洒な衣装を身に纏い、しかし方や気品に満ち溢れた少女であるとは裏腹に、それと向かい合い困ったように微笑む少年は、自らの装いに未だ馴染めていない風に見えた。
 向かい合って座る栗毛色の美しい長髪の少女の気の強そうな瞳に、申し訳なさそうな顔をすることしか出来ないらしい。
 少女は―――この国のただ一人の王女であるマリア・ナナダン王女はその幼くも整った顔立ちに、不機嫌の感情を隠すこともせず、言葉を続けた。
 「つまり貴方は、山中で乗り手を失っていたわが国の聖機人に無断で搭乗し、あまつさえ近衛軍八機を相手に大立ち回りをした挙句、お母様―――女王自らに投降を呼びかけられ、それに応じたら王城内で三日ほど賓客待遇で軟禁されていたと思ったら、その翌日―――つまり今日!! 我が国の新しい王子になっていたと?」
 「なっていたって言うか、なる様に言われたって言うか……王女殿下もその場にいらっしゃいましたよね?」
 「……ええ、いましたとも。あの場では思わず納得してしまいましたけど、落ち着いて冷静に考えれば流石におかしいですよね。……おかしい、ですよね?」
 疑問符を浮かべるマリアに、少年はあいまいな顔で頷いた。
 彼女の判断材料では、不思議に思うのも仕方ないだろうと思いながら。


 ・Sceane 2:End・




 

    ※ オッサンとオッサンとオッサンとオバサン(失敬)が話してるだけのSSって流石に誰得過ぎるので、
     〆に次回への引きっぽく若い娘に登場してもらいました。




[14626] 3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/13 18:15

 ・Sceane 3・


 「今日からこの子が、貴方の新しいお兄さんよ♪」

 戦地から帰還した後もそれなりに忙しそうに残務処理をしていた母フローラ。それ故にマリアは謁見を控えて私室でおとなしくしていたのだが、その日唐突に母から呼び出されることとなった。
 母が呼び出したのは内裏―――すなわち王宮内の王家の私的な空間の中にあるちょっとしたリビングだった。
 そこを訪れたマリアを待っていたのは、優雅にソファに腰掛けた母と、その隣に座る、困ったような笑顔を浮かべている彼女より幾らか歳が上に見える少年だった。
 誰だろうか。マリアは判断に迷った。
 内裏の中に踏み込める、歳若い少年。装いから見て、それなりに高貴な身の上―――と言うか、何故ハヴォニア王家の物が纏うデザインの衣装を着ているのだ。
 まさか何処かから拾ってきた自分の婚約者ではあるまいな。マリアは母の奇行になれている手前、そんな事を考えた。だが、国内、国外問わず、各の如き少年を見た覚えは無い。
 未だ十歳に満たぬとは言え、マリアは王族の義務として社交界で活動し始めていたから、他国の同年代の王侯貴族の顔には通じていた。
 対面のソファに腰掛、挨拶もそこそこに、マリアは母の腕に抱えられてあからさまに困っている少年が何者であるかを訪ねた。
 そして、返ってきた言葉が冒頭の一言である。

 新しい、お兄さんよ。

 仮に未亡人である母が身篭ったとして、生まれ出でてきてもそれは弟にしかならない。
 兄、ですって?
 つまり何か、今は亡き父の不義理が―――いやいや、あの気の弱い父に、浮気などと言う大それた行動は出来まい。そもそも、娘よりも継承権の低い入り婿だし。父の血しか引いていないのであれば、王子になどなれる筈も無い。
 ニコニコと微笑んだままあからさまに娘の反応を楽しんでいる母を置いて、マリアは兄とされている少年を見やる。
 線の細い、特にこれと言って特徴の無い朴訥な顔の少年。身に纏う服は真新しいもので、まだ身体に馴染んでいないのであろうが、それ相応に少年の居住まいに馴染んで見えて、場違いと言う風には見えなかった。
 悪くない血筋の出身なのだろう。マリアはそう判断した。そう判断して、より一層混乱していた。
 
 ―――だからって、何で兄?

 母は―――人の疑問の顔を楽しんでいるだけだ。ならば、とマリアは少年本人に尋ねてみようと考えた。
 「その、貴方は―――」
 「アマギリちゃんよ」
 「は?」
 マリアが少年に呼びかけたところで、母が口を挟んだ。
 だが、母の言葉に反応したのは少年の方だった。何を言われたのか解らないと、不思議そうな顔をしていた。
 母はそんな少年の言葉を知ってか知らず―――いや、絶対に気づいているに違いないが―――か、にこりと微笑んで、少年を抱きしめる手をさらに強めながら言葉を続けた。
 「アマギリ・ナナダン。それが子のこの名前よ」
 「はぁ……。アマギリさん、ですか」
 マリアは微妙な表情で頷いた。彼女の知る限り、ナナダン家には母フローラとマリア自身しか居なかったはずだ。アマギリ、などという少年が居たなどという事実は知らないし、彼女の記憶している国内外の諸侯たちの中にも、そのような名前の人物はやはり居なかったと思っている。
 大体その、異世界人風の名前は何なのだろうか。いや、人の名前をけなすつもりは無いのだが。今は学業中ゆえに、傍に居ないマリアの近侍であるユキネをはじめ、ハヴォニワには異世界人風の名前を子供につけると言うのが一時期流行ったことがあるらしいし。
 だが、そんなマリアの思考を否定したのは、他ならぬアマギリと紹介された少年だった。
 「……あの、僕の名前はアム・キリなんですけど」
 「は?」
 今度は少年に代わりマリアが声を上げてしまった。
 兄だったりアマギリだったりアム・キリだったり。マリアにはまったく意味が理解できなかった。
 ことこういう状況のとき、マリアの解釈方法は決まっている。
 つまりは、母の言を取り除けばいいだけだ。この母はとにかく場を混乱させて楽しむ悪癖があるのだから。
 「つまり貴方はアム・キリさん。……アムさんで宜しいのかしら」
 にこりと微笑んだ―――少なくとも本人的にはそのつもりで、しかし傍から見れば額に血管が浮いていたりもするのだが―――マリアに、少年は困った風に笑って頷いた。
 「ええ、一応そのつもり……」
 「違うわよ、この子の名前はアマギリちゃん。アム・ナナダンだと響きが余り良くないでしょう?」
 だが頷こうとする少年を押し留めて、フローラが娘の言葉を否定した。
 マリアの眉がピクリとゆれる。
 「たかが響きの良し悪しで、人様の名前を勝手に変更するのもいかがかと思いますわよ、お母様?」
 「あら、こういうことは結構大切なのよ。大事な一人息子ですもの。何れ社交界に出たときに名前のことで陰口をたたかれるようなことがあったら、母として見過ごせません」
 少年を胸元に抱きしめたまま、芝居がかった口調で続ける母に、マリアの堪忍袋の尾が切れた。
 「だからな・ん・で、キリ家のアムさんがナナダン家のアマギリ王子に変わるんですか! とっとと説明なさい!!」
 「いやあの、僕も別に、キリ家何ていうものを起こした記憶も無いんですけど……」
 「外野は黙ってなさい!!」
 「……はい」
 困り顔で自分の名称の問題に横槍を入れた少年の言葉を、マリアは切って捨てた。
 鋭い眼光に、少年も思わず黙ってしまう。
 一睨みで年長の少年を黙らせたマリアは、ぎょろりと視線を動かして母フローラの微笑を睨み付けた。
 「さぁ、説明なさいお母様。解りやすく、簡潔に、私が理解できるように」
 「だからぁ、今日からアマギリちゃんがマリアちゃんのお兄ちゃんになるの。……ああ、継承権の事なら安心なさい。ウチは女系女子が優先だから、マリアちゃんが次期女王ってのは変わらないわよ」
 「そんな事は当然としても、簡潔かつ適当で、しかも投げやり過ぎます! 経過を説明なさいと言っているのです!」
 「……もう、マリアちゃんたらジョークが通じないんだから」
 とぼけた物言いに、さらにマリアが肩を怒らせそうになる。
 フローラは娘の感情的で素直な態度に微笑を浮かべながら、ゆっくりと経過―――つくりばなし、とも言う―――を語って聞かせた。


 「つまりこのアマ……アム、いえ。アマギリさん? いえ、様? とにかく、この方は亡き先王陛下……私の曽祖父に当たる方が晩年残されたご落寵であらせられると。―――それが先ごろ発見されて、嫡子の不足に悩むナナダン家の思惑に一致し、このたびお母様の養子として王籍簿に組み込まれることとなった、と」
 そこかしこへと外れていく母の語りを何とか統合し、噛み砕いて解釈したマリアの言葉に、語り聞かせたフローラ当人は満足とばかりに頷いた。
 「嘘だけどね」

 ガン。

 あっさりと笑顔のまま嘘と言い切る母の言葉に、マリアはテーブルに頭を打ち付けることで答えた。
 「お・か・あ・さ・ま?」
 地獄のそこからうなり声を上げるように、マリアは母に怨嗟の声を浴びせかける。
 だがフローラも然る者、自身の半分にも満たぬ年端も行かぬ実の娘の怒りなど、軽く方で受け流して見せた。
 「こんな自分もだませないような三流脚本、真実と思う方がどうかしているじゃない」
 企画・脚本:フローラ・ナナダンによって作成されたシナリオを、フローラはあっさりと笑い飛ばしてみせる。
 危うく信じかけていた娘としては、怒り以外の感情は浮かべようが無い。
 「だったらそんな紛らわしい言動を控えて、早急に事情を説明して欲しいんで・す・け・どぉ……!」
 放って置いたら淑女にあるまじき歯軋りでも始めそうな塩梅のマリアに、しかし母は余裕たっぷりの微笑を崩すことは無かった。
 「だから事情は説明したでしょう? この子は私のお爺様の……」
 「お母様っ!!」
 先ほどの無駄に回りくどかった作り話をもう一度繰り返そうとするフローラに、マリアの怒りがついに限界を超えた。
 テーブルを叩き腰を浮かせて母をにらみつける。
 
 笑みを崩さぬ母。顔を真っ赤にして怒る娘。
 ちょっとした緊迫感さえ漂い始めた広いリビングで、その空気を打ち破ったのは半ば存在を無視されていた少年の言葉だった。
 「……つまり、強弁であろうと押し切ってしまいたい事情があるってことですよね」
 そっと、首に絡められていた女王の腕をはずして身体を起こしながら、今やアマギリと名乗るより他無くなったと理解した少年が言った。
 落ち着いた物言いのアマギリ少年の態度に親娘が目を瞬かせる。
 その意味に気づいてか、アマギリは困ったような笑みを作る。
 純粋に、彼の頭上で交わされ彼の意思が介在する余地の無い、彼に選択肢の無い話だったから、状況を理解している事実に驚かれているのだろうなと、アマギリは考えた。
 
 無理を通して道理を叩き返すのよ。
 そんな風に、アマギリは昔誰かに言われたことを思い出していた。

 その言葉を誰に言われたかまでは思い出すことも無く、しかしアマギリは気軽に自分の考えを披露した。
 「当たり前の話ですけど、生まれもはっきりしない底辺者を王室に迎え入れるなんて常識で考えて有り得ません。だと言うのに女王陛下は自身でも無理があると認めているような設定を創作してまで僕を此処に引き留めようとしている。―――いや、手元に管理しようとしていると言った方が正しいですか。でも、僕自身はさっきも言ったとおり辺境で猟師でもやってるような学の無い底辺者ですから、殿上人のお達しがあればその下に付くことに否と言うことは無い―――と言うか、命も惜しいですし、出来ないんですよね。なにせ、銅貨数枚程度で取引できる安い命ですから」
 そこまで語った後に、アマギリはいったん言葉を切って二人の顔色を伺う。
 マリアは、幼い顔立ちに戸惑ったような表情を浮かべ、しかしフローラは口元こそ笑みを浮かべたままだったが、その目は明らかにアマギリを探るような冷徹なものに変わっていた。
 正面から視線を合わせると、それはとても恐ろしいものだった。
 「―――続けて」
 硬い響きで、フローラが促す。一度唾を飲み込んだ後、アマギリは自身の言葉をつなぐ。震えていませんようにと頭の片隅で願いながら。
 「はい。―――、僕を留め置くのに女王陛下は僕に対しては何かを気遣う理由は無い。だというのに、これほど無理のある設定をわざわざ創作するのは何故か。単純に解釈すれば、その必要があるからとなりますよね。しかし僕に対する理由は必要ないと既に解っていますから、これは僕以外の誰かに向けての言葉となる訳です。僕以外の誰か。―――誰でしょうか。王女殿下? いえ、でしたらああもあからさまに嘘だとは言いません。先ほどの言葉はつまり、王女殿下には嘘だと解った上でそれを受け入れて欲しいという事を意味していたと解釈できます。つまり、身内―――内側、これを何処まで含めるのかは、あいにく判断材料が足りませんが、身内には真実を知られていてもまったく構わない、むしろ一緒に口裏を合わせて欲しいと思っていると取れます。ならば、この作られた事情は内ではなく外の人間に向けて作られていると考えるのが妥当。例え嘘だとしても、王室とそれに付随する者たち全てがそれを是としている以上、対外的にそれは真実という事になりますから。それに異を唱えるのは不敬に過ぎますからね。例え誰もが嘘だと理解していても、です。―――さて、それを踏まえて。積極的に嘘を重ねてまで留めおきたい僕は果たして、何者なんでしょうか。如何様に、希少な人材なのでしょうか?」
 「―――え、わた、私?」
 手のひらを返すしぐさで、アマギリは突然マリアに話を振った。
 その落ち着いた所作は、本人が言うところの学の無い底辺者の態度にはとても思えなかった。無駄に持って回った言い回しといい、どこかでまともな教育を受けていなければ不可能な多弁ぶりであった。尤もフローラはそう思いつつも、それを顔に出すことはしなかったが。
 
 さて、唖然としたままアマギリの語り口を聞いていたマリアは、突然に振られた話に思わず慌てて左右を見回してしまった。
 もちろん、そんな事をしても誰も助けてくれる人はおらず、対面で座っている母と兄になってしまうことが確定付けられた人物に笑われてしまうだけの結果しか残らないのだが。
 その向けられる二つの微笑に、マリアは自らの醜態に気づき頬を赤らめ、一つわざとらしい咳払いをした後に自らの思考の整理を始めた。
 つまりアマギリの言っていたことを総括すれば、彼は自身を嘘をついてまで対外的に所有権を主張したくなるような人物である、と纏める事が出来る。
 そして、問題はそれが何故かという事。
 希少な人材。アマギリがなかなか頭が回りそうであることは理解できたが、それは別に、王室に招き入れる必要が発生するほどの要素にはならないだろう。
 希少。希少と言う評し方をすることは、そうそう無いだろう。この国で無理をしてでも確保したいような希少な人材―――そんなもの、一つしかあるまい。

 「男性聖機師。―――ですね、貴方は」

 マリアの言葉に、アマギリは差し出していた手のひらを胸元に戻して、一礼した。
 「なるほど確かに、これまでにない血統から誕生した男性聖機師であれば、無理を押してでも所有権を主張したくなる気持ちも解ります。戦略物資に匹敵する価値がありますから」
 「そしてその維持費用も、戦略物資に匹敵するほど高価なのよねぇ~」
 よく出来ましたとマリアをほめるように、ひらひらと扇子を振りながらフローラが続けた。
 いつの間にやら、再びアマギリのことを抱きしめていた。
 「……大体解りました。つまり国費ではこれ以上男性聖機師の維持費用を負担することは不可能で、かつ男性聖機師であるが故に諸侯や他国へ渡すことも憚られるから、王室費でそれを計上するために仮初の王族にしてしまおうとお母様は考えたわけですね」
 自身で学んだこの国の現状を思い出しながら、マリアが考察の纏めにを口にする。
 その言葉に何故かアマギリが不思議そうな顔をした。
 「あの、聞き伝ばかりでいまいち実感がわかないんですけど、そんなにかかるものなんですか、男性聖機師の維持……あー、生活費は?」
 アマギリ個人は単純に、費用という事よりも自身がもたらす聖機人に対する変化に関するが故のこの扱いだと解釈していたから、女王陛下自らが金がかかると言い出すほどに、男性聖機師の維持費用が高価なものだとは実感していなかった。
 そんな貧乏な底辺者の質問に、フローラはあっさりと答えた。
 「土地も持たず仕事もせず、つまりは収入はゼロのくせに、出費だけは爵位の高い大貴族級ってところかしら」
 「ああ、年度予算を見ると馬鹿らしくなってきますわね、アレは。しかも、聖機師として登録されているが故に、使わないのに専用の聖機人も回さなければなりませんから」
 女王の言葉を肯定するように、マリアが扱き下ろす。
 女性陣の余りの物言いに、アマギリは苦笑いを浮かべた。
 何せ今日から自分も、そのロクデナシの一人に仲間入りなのだ。引き返せない自分の現状に、さっき自分で止めを刺してしまったのだから。
 「あら、アマギリちゃんは大丈夫よ。王家の人間として、沢山お仕事してもらうから。私の代わりに閣議に出たり、私の代わりに直轄領の運営をしたり、私の代わりに外遊に出たり……」
 「今日突然王族になった人に女王の公務を代替できるわけ無いでしょう! いい加減にしてくださいお母様!」
 「マリアちゃんはお兄ちゃんのことをしっかり支えてあげてね?」
 「お母様っ! ……って、何処行くんですかお母様、まだ話は……っ!」
 「だってもうお仕事の時間ですもの。アマギリちゃん、マリアちゃんと仲良くね」
 新たな息子の頬に軽く口付けた後に、フローラは娘の怒声を笑って避けながらリビングを後にした。
 ドアまで追いかけながら尚母に向かって罵声を浴びせるマリアを見やりながら、アマギリは全身にたまった疲労感を拭う様に背もたれに身体を預けた。


 アマギリ・ナナダン。新しい、僕の名前。
 元々アム・キリと言う名前にしたって、うわ言で口走っていた単語を繋ぎ合わせて適当につけたものらしいし、名前を付け替える程度、何も問題は無い。
 元々身内も居ないし行く当ても無かったから、誰かが便利に使ってくれると言うならば、それを受け入れるても良いだろう。
 特に、この女王陛下は顔も覚えていない何処かの誰かに似ているような気がするし、暇にならない程度に扱き使ってくれる事だろう。
 
 だから、と。
 彼はため息一つ吐いただけで、その事実を受け入れた。

 胸の奥で何かが、彼ではない誰かの鼓動が、祝福するかのように、揺れた。



 ・Sceane 3:End・




   ※ 八回目で漸く主人公の名前が出てきた件。漢字で書くと雨霧ですかね。



[14626] 4-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/14 18:41


 ・Sceane 4-1・



 王城の中庭を一望可能なバルコニーの昼下がりは、二人の少年少女によって倦怠感あふれる空気がかもし出されていた。
 「……率直に言って、あきれたという他ありません」
 額を押さえて呻いているのはこの国の―――ホンの数時間前まで―――唯一の王女”だった”、マリア・ナナダン。
 「僕はどちらかと言うと、あきれたと言うよりは、諦めたって感じですかね……」
 テーブルを挟んでマリアと向かい合って微苦笑を浮かべているのは、流されるままにこのハヴォニワ国の王族に祭り上げられてしまった、アマギリ・ナナダン。最早アム・キリではなく、アマギリという取ってつけたようなネーミングこそが彼の正式名称だった。
 「そうやって簡単に諦められることに、呆れているんです」
 「そうは言っても、僕も女王陛下に逆らえるほどアウトローを気取っているわけではありませんし」
 困った風に空になったティーカップを弄びながら、アマギリは言った。
 彼の背後に控えていた若い侍従が、そっとティーポットを持って二人のテーブルに近づいてくる。
 アマギリは手馴れた仕草でカップを差し出し、お変わりを注ぐ侍従に、ありがとう、とさり気なく礼を述べた。
 一礼して控える侍従に軽く頷いてみせるアマギリの態度は、彼自身が語る”学の無い底辺者”という人物像とは程遠いふうにマリアには見えた。
 いっそ、母フローラが語っていた先王の落とし胤という三流脚本を信じた方がしっくりくるくらいだった。
 
 胡乱気な瞳で自身を見るマリアに、アマギリは首をかしげた。
 「何か?」
 「……別に。あんな年増にあっさりと迎合してしまうなんて、貴方、多弁なわりに殿方にしては覇気が足りませんね、と思っただけです」
 「ああ、何か昔誰かにも話が回りくどいって言われた気がします。―――まぁそれはさておき、僕は本当に、明日食べるものくらいしか悩むものがないくらいのその日暮でしたからね。断る理由がありませんでしたし」
 鼻を鳴らして口を尖らせるマリアに、アマギリはそれこそ気難しい妹を宥めるがごとく肩をすくめて言葉を紡ぐ。その能天気に過ぎるアマギリの態度に、マリアは深々とため息を吐いた。
 「断る理由なんて、それこそ幾つでも見つかるでしょうに。貴方、本当に理解してらっしゃるのですか? 仮初とは言え王族の一員になると言う事を」
 口調そのものは呆れ混じりのものだったが、その内容は真実、今さっき出会ったばかりの自身の事を心配してくれているのだと、アマギリは受け取った。
 だから彼は、少ない状況判断の材料から推察を交えて、自身の率直な私見を述べた。
 「―――短期的に見れば、たいして心配する事もないと思うんですよ。こうして王女殿下とお茶を楽しむ余裕くらいはあると思いますし」
 「はい?」
 思いのほか内容のありそうなアマギリの返しに、マリアは戸惑ってしまった。
 普通こういう場面では、無知無理解な少年に対して、懇切丁寧に自分が説明する状況ではないのか。
 そんなマリアの胸のうちを知ってか知らずか、アマギリは全く反省した風もなく、やはり持って回った言葉を謳い上げる。
 「僕がほら、聖機人をジャックする事になった戦闘―――というか、戦争ですよねアレ。……聞いた話ですけどあれ、中央集権に反対する封権貴族の最大勢力による乾坤一擲の大反乱だったらしいじゃないですか。まぁ、経過を聞いてみると尻に火をかけられて炙り出されたって感じですが。それを完全な形で殲滅する事に成功したんですから、数ヶ月単位の短期的な目で見れば、勝利者である女王陛下に対して迂闊な行動を取るような人は居ないと思うんですよね。すぐに動けるような余力があるのだったら、それこそあの戦闘―――反乱? に戦力を投入してるでしょうし」
 指折り事情を数えながら、何て事のない風に言葉を並べるアマギリの態度に、マリアはやはり眉根を寄せる。
 
 ナニモノだ、こいつ。本当に。

 「ただまぁ、部屋の掃除が終わったからと言って、床下に潜んだ害虫まで一気に駆除できたかというとそんな訳もないでしょうし、今の戦後処理の厳しい調査の目をかいくぐりながら、そういう連中は逆転の一手を探すでしょう。そうすると、当然目に見える形で置かれた……あ―――」
 そこまで持論を述べた後、アマギリは困った風に口元を押さえた。気まずそうに眉を寄せてマリアを見ている。
 「……なんですか」
 あまり心根を理解できないような付き合いの短い年上の少年のぶしつけな視線に、さすがにマリアも戸惑いを隠せない。
 少し椅子の上で身を引いてみせる少女に、アマギリは推測交じりですがと微苦笑を浮かべながら言葉を続けた、
 「仮に―――ですね。このまま僕が王族の一員であると対外的に示された場合、です。現政権……つまり、女王陛下に反抗する勢力が復権を狙うためにどう動くかと言う事なんですが。こう、素性も後ろ盾も解らぬ様な何処の馬の骨とも知れない、それでも一応王子としての格を示されているような右も左もわからぬような学の無い底辺者が居たとしたら、です。とりえる手段って結構限られていると思うんですよね。何せ、今回の反乱で結構後が無いくらい追い詰められているんでしょうし」
 「それはどういう―――」
 事でしょうかと言葉を続けようとして、マリアは大筋の事情を察する事が出来た。齢十歳に満たぬとは言え、次期女王としうけていた英才教育と、それを自力に変換できる程度の親譲りの聡明さの成せる業だった。
 「今の女王を廃しても、次期女王である私は現女王の政策を引き継ぎ利権にまみれた既得権益者の排除し中央集権体制の確立を推し進めるでしょう。私を擁立するであろう国家重鎮たちもそれを是とするはずです。ですけどそこに、足元の定まらぬ新しい王子が現れたとすれば―――」
 「……女王陛下って、僕に継承権を与えるつもりはあるんですかね?」
 「仮にアマギリさんに王位継承権が与えられたとしても、私より低い順位だと思いますよ。ハヴォニワは女系女子が優先ですから。ラシャラ・アースよりも低いかもしれません」
 昼下がりのティータイムとは思えない年下の聡い少女との物騒な会話を楽しみつつも、アマギリは耳慣れぬ言葉に首をかしげた。
 「ラシャラ・アース?」
 「ああ、存じませんか。私の従姉妹で、現シュトレイユ王国王女です。母の妹……伯母上がシュトレイユ現国王陛下の下に嫁いだんですよ」
 シュトレイユってそもそも理解してますかとマリアが尋ねると、アマギリは微苦笑する事によって答えた。
 「因みにその、シュトレイユという国には、他に王子様はいらっしゃらないんですか?」
 「現王陛下には息女一人しか居ません。伯母上は既に鬼籍に入られてますし、側室を入れたと言う話も聞いた事はありませんから」
 「……って事は、そのラシャラ・アース王女は将来的にシュトレイユを継ぐ公算が高いと言う訳ですよね。その場合どうなるのかなぁ、同様の王を戴くシュトレイユ・ハヴォニワ二重王国を成立させるのか、手元に居る王子を優先させるのか……」
 あごに手を当てたまま、最後は独り言のようになりながらアマギリは言葉を漏らす。
 「因みに我が国では、先日の反乱の首謀者として、王位継承権を持つロドメル公爵家が纏めて排斥されましたから、継承権を持つものは今や私しか居ません」
 マリアはこの、妙に知恵が回る正体不明の少年との会話が楽しくなってきて、彼の判断材料になるであろう情報を投げかけてみた。
 「うわ、継承候補者をあっさり誅しちゃったんですか。じゃあその件は多分、僕が王籍に入る事情に利用されますね。それにしても、公爵位にあるものを容赦なく廃したとなれば、中央政権に対して反抗的な貴族勢力が残っていたとしても、そう迂闊には動けないでしょう。下手を打てば明日はわが身ですし。……そうすると、やっぱりその勢力と繋がって甘い汁を吸っていた商家や資産家たちのグループが胎動する事になるんでしょうが、―――女王陛下が舵取りをあやまると、やっぱり血濡れの玉座一直線って感じがするのは、僕の気のせいですかね?」
 細かい部分はあえて省いて問いかけるアマギリに、マリアはやれやれと首を振るに留めた。
 「そうなった暁には、私は玉座の後ろに化けて出て、呪詛の言葉を投げかけて差し上げますわ」
 「じゃあ僕は、そういう恐怖を味わわないためにも、シュトレイユ・ハヴォニワ二重王国の成立に全力を尽くす事にします」
 「……私が廃されるのは既に前提事項ですか、お兄様?」
 半眼で睨み付けてくる王女に、アマギリはあさっての方向を眺める事で答えた。
 
 兄と妹の初めてのコミュニケーションは、そんな風にして終了した。





    ※ ようやく日常パート的な展開に移ります。
      今回のオリ主はとにかく無駄に喋るという設定。……と言うか、書いてたらそうなってた。
      原作設定も膨大ですしね、この元ネタ。



[14626] 4-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/15 17:29

 ・Seane 4-2・


 「それで、どうなのかしら」

 聖機人格納庫、その一角に存在する管制室の中で、フローラは眼前のつなぎ姿の技術者に問いかけた。
 時は夕暮れ。錬兵場での訓練を終え待機状態に戻された幾つものコクーンに、整備士達が群がって調整作業を行っている。
 そんな中、朝から一つの機体のデータ解析に注力していた技師が、フラリと格納庫を訪れたフローラに問われていた。
 問われた技術者は、手元の端末を操作して壁面に嵌められた大型モニターに聖機人の骨格を意味するであろう三面図を投影する。
 三面図は待機状態の第一素体を意味するもので、正面、背面、側面、その何れの図においても、幾つもの注釈が脚部に集中しているのが解った。
 「ごらんのように例の変形をして見せた機体を待機状態に戻した上で検分してみたところ、骨盤より下の下半身に酷い形質劣化が発生している事が判明しました。―――当然といえば、当然の様な気もしますが」
 その技術者は自身が精査したデータをまったく信用できないものでも見るような目で見ながら、肩をすくめた。
 優秀な技師であるその技術者の態度を誤解する事も無く、フローラも同意するように頷いた。
 「脚じゃ、無くなっていたものねぇ」
 「―――ええ。起動状態で投影図を撮影したときには、脚部は完全に竜骨状の骨格に変形していました」
 全身で遺憾の意を表現する技術者が手元の端末を操作すると、三面図を移していたウィンドウが縮小し、その脇に3Dモデルを表示したウィンドウが広がった。
 そこには背骨から繋がる下半身の骨格が、完全に蛇を思わせるものに変形している聖機人の骨格モデルが映し出されていた。
 その特徴的な下半身の全長は、通常の聖機人の全長の二倍に匹敵しようかというくらいの長大なものだった。
 始点から末尾に至るまで、蛇腹上の装甲の下に完全に骨格が存在している。
 「内部質量を算出してみましたが、骨盤以下、通常の脚部二本の質量を合計したところでどう考えても間に合いません。明らかに増加しています。外部装甲に関しても同様です。コクーン・シェルの形状記憶装甲の質量をはるかに超える量が装甲材として存在しています」
 「特殊な放射線でも浴びせられたのかしらねぇ……」
 「その可能性は否定できません」
 かつて異世界人が語ったという質量保存の法則を打ち破る特殊な宇宙放射線の眉唾話を広げてみせるフローラに、生真面目そうな技術者は肯定の態度を見せた。
 あら、と珍しく驚きを態度で示してみせるフローラに、技術者は作業机の顕微鏡の脇に於いてあったシャーレを手に取り示して見せた。
 そこには塗装の無い地金を思わせる鉛色の金属がガーゼに包まれて置かれていた。
 「……これ、あの聖機人の装甲かしら」
 「はい。起動状態の折に採取しました。ご存知のように聖機人の装甲は待機状態の時に素体の周囲を覆う亜法波に反応して変化を起こす極めて収縮性の優れた形状記憶型擬似生体装甲を用いています。それは搭乗者の亜法波の波長によって色素が変質する効果を秘めているのですが―――どれだけ色が変わろうと、素材そのものが機体ごとに変化する事はありません」
 技術者はそこで一旦言葉を切りフローラの反応をうかがったが、彼女は閉じた扇子を口元にあてたままシャーレの中の金属片をじっと見つめるだけだった。
 技術者は一つ息を吐いて言葉を続ける。
 「ですがこの―――何といいますか、仮称・蛇の機体とでも呼びますか。この機体の装甲は―――」

 「龍機人」

 「は?」
 説明を続けようとする技術者をさえぎって、フローラは金属片から目を離さずポツリとつぶやいた。
 「龍機人よ。今後我が息子の聖機人を示す時は”龍機人”と呼称する事とします」
 手のスナップを効かせて扇子を開きながら、フローラは確信的な態度で技術者の疑問に言葉を返した。
 「はぁ……龍、ですか。確かに、コレの形状は御伽噺で語られるような”龍”に見えない事も無いですからな。……では、さしずめ聖機師は龍機師という事ですか?」
 「龍機人の龍機師。―――そうね、そう呼びましょうか。いかにも衆目を引きやすい、特別な存在に聞こえるものね」
 若干投げやりな態度の入った技術者の言葉に、フローラは満足げに頷いた。
 そんな主君の態度を見て、また何かろくでもない未来を思い描いているんだろうなと、熟練の技術者は推察したが言葉には出さなかった。この王城で長く働くコツと言えるだろう。
 
 技術者は軽く首を振って気分を切り替えた。
 「ではこの蛇―――いえ、龍機人の装甲に関する説明に戻ります。事実を簡潔に説明しますと、この装甲素材は、通常の聖機人に展開しているはずの形状記憶装甲から大きく逸脱―――いえ、変質でしょうか。未知の物質となっています」
 壁面モニターに生物の細胞を思わせる画像が映し出された。顕微鏡で映された装甲材の粒子モデルなのだろう。
 二種類存在し、二つともにハニカム状のパネルが画面いっぱいに張り巡らされているのは同様だが、そのパネルの一枚一枚の形状が、パネルとパネルの間の隙間が、大きさが、二枚の画像でそれぞれ違っていた。
 「装甲の位置によって粒子密度にこそ変化は現れますが、粒子そのものが変質するという事はまず有り得ません。仮に周囲空間に存在する微粒子を取り込んだとしても、このような変化を引き起こす事は不可能と断言させていただきます」
 「では、どういうことなのかしら?」
 「―――はっきり言って不明です。それこそ、特殊な放射線でも浴びたんじゃないかと言わざるを得ません」
 抑揚の無い声で尋ねる主君に、技術者は投げやりな言葉で答える。
 「因みにこの装甲材の特性ですが、硬度は通常より劣りますが、弾性、収縮性は段違いに良くなっています。……まぁ、機体の性質に合わせて進化したんだと言っても良いじゃないですかね。案外、異次元から暗黒物質でも引き寄せて、再構成したのかもしれませんが」
 この王城に存在する聖機人の整備班長として、それ相応の経験をつんだこの技術者をして、まったく理解不能としか言えない。
 「早い話が―――解らない事が解った、と言う事かしら」
 「聡明な主君を戴き光栄の至りです」
 身もふたも無いフローラの言葉に、技術者はお手上げとばかりに肩をすくめるのだった。
 それから、吐き捨てるように投げやりな言葉を続ける。
 「率直に言って、この龍機人が見せた最大の特徴に比べれば、装甲部材の変質なんてたいした問題ではありません。この、尾の先端に備わっている亜法結界炉なんて、何処から発生したのかさっぱり理解できませんから」
 3Dモデルの尾部先端が拡大され、先端の分銅を思わせる形状をした衝角が大写しと成る。
 それが技術者の持つ端末の操作にしたがって、装甲をスライドし形状変化を促し、内部に存在していた亜法結界炉を展開してみせる。
 「聖機人に搭載されている亜法結界炉は両腕、肘の位置、及び背部に搭載されている計四基のみです。脚部にそんなものは搭載されているはずがありませんでした」
 「でも、あるわよねぇ」
 「ええ、あります。上半身に搭載されている亜法結界炉四基と同等の出力を有する炉が、確かに。こいつの存在のおかげで龍機人はエナの喫水外でも活動可能という最大の特性を発揮できるのですが―――ああ、その際に尾部装甲、内部骨格が分割し伸張します。その際の最高全長は通常時の1・5倍。つまり、喫水線から最大六十メートル程度の空間まで飛行可能になる計算ですね。いや、この高さの利は非常に有効です。―――おっと、話が逸れましたな。とにかくこの尾部の亜法結界炉。喫水外で機体を完全稼動させる事が可能な高出力な物なのですが、待機状態の機体には確実に存在していませんでした。起動状態に変化するときに、恐らく装甲部材と同質の素材で作られているのでしょうが、結界式も既存のものとは違い独自のものであり、何処からどのように理屈で生成してるのか正直私には理解できません。小型でありながら先に述べたように通常の四基分の結界炉と同等の出力を維持しています。―――ですがコレが、再び待機状態に戻ると……」
 要領を得ない顔でそう言いながら、端末をいじり壁面モニターに撮影済みの動画を表示する。
 それは、とぐろを巻いて両腕を床について蹲っていた龍機人が、眩く発光し亜法波を撒き散らしながら待機状態へと戻っていく映像が表示されていた。
 蛇を思わせる長い尾が、それを構成する蛇腹上の装甲がドロりと溶けるようにジェル上物質に戻っていき、その隙間に見える内部骨格は、発光しながらゆがみ、捩じれて二つに分かたれていく。それは、エナの光の中でいつの間にか踵、膝、股関節から骨盤までを形成し、本来あるべき聖機人の素体の形状へと変質していく。
 数瞬もしない間に、長い尾も、その先端に備わっていた亜法結界炉も見る影もなく消え去って、ただ形質劣化して濁った半透明の卵に包まれた待機状態の聖機人が存在しているだけだった。
 その足元で、自身が動かしていたそれを、不思議なものを見るかのような目で見上げているアマギリの姿が映されていた。

 「……とまぁ、このように。起動中は確かに存在していたはずの、亜法結界炉はエナの粒子に溶けて消え、未知の物質に変性していた形状記憶装甲は、形質劣化を引き起こしてこそ居ますが、通常時と変らぬものに戻っていました。……ああ、素体脚部の構造は、形こそ保っていますが、教会に戻して取り替えないとまずいくらいにボロボロに劣化しています。試しては居ませんが、通常の聖機人として構成した場合、数歩と歩かぬうちに足が折れるでしょう」
 形状記憶装甲が形質劣化しているので、そもそも起動させる事が不可能でしょうがねと続けて、技術者は言葉を閉じた。
 フローラは口元を隠していた扇を閉じて額に当てて瞳を閉じる。
 一つ息を吐いた後、既に解りきっていることを確認する口調で、技術者に問う。
 「―――この変化の原因は、機体の特性によるものでは……」
 「有り得ません。まず間違いなく通常のコクーン・聖機人であると確認できています」
 主君の言葉に技術者は冷徹な顔で頷いた。
 ならば、この変化の理由はやはり一つしか存在せず、フローラは自身の直感に従ったことを正しいと理解した。

 恐らくは異世界より訪れたのであろう、龍機師。
 あの朴訥で、聡明な、正体不明の少年が、この力を以ってどのような物語を形作るのか。
 
 ああ、私はとてもとても、楽しみだと。
 フローラはきっと本人にしか解らないであろう、満面の笑みを浮かべていた。





   ※ まぁ、コクーンも良い感じにオーパーツですよね、と言う話。
     そもそも何故薄着で乗るのか……



[14626] 4-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/16 16:54

 ・Sceane 4-3・


 住めば都と言う言葉が存在するが。

 ある日突然本当の意味で都―――このハヴォニワ王国の首都に暮らすことになった、アマギリは、周りが不審の目を向けてしまうくらい自然に、当たり前のように王城暮らしを満喫していた。
 未だこの王城、内裏の中で暮らし始めて十日ばかりしか経っていないというのに、アマギリの日々のありようは、此処で生まれそして育ったとばかりに、あまりにも不自然なくらい自然に、王城の風景に溶け込んでいた。
 客間から移され与えられた一般的な感性を有していれば持て余してしまいそうなくらい広大な面積を持つ私室にも、毎朝の、昼の、夕の仕度を手伝うべく傅いてくる若い異性の侍従たちにも、背後に付き従いそっと物事に関する助言を与えてくれる専属の侍従長にも、基礎教養を施すために秘密裏に呼ばれた家庭教師たちに対する対応も、それはそれはごく自然な、生まれ付いての王侯貴族の所作であった。
 多少、遠慮のような、下の者に対して丁寧すぎる部分もあったが、それも個性と取れる程度の許容範囲であろう。
 
 普通、貧困層の生まれのものが侍従たちに身の回りの世話をされる場合、どこか戸惑い遠慮が生まれてしまうものです。
 しかしアマギリ様にはそのような所は見受けられず、むしろ鷹揚に傅く侍従たちの所作を受け入れていました。
 ああいった自然な動作は、生まれながらにそういった行為になれていなければ、どこか不自然になってしまうものです。

 アマギリの背後で常に控えていた眼鏡をかけたり知的な風貌の女性侍従長は、女王陛下に問われてそう答えた。
 未だ詳しい事情を聞いていなかった彼女は、彼の出自は如何なる物なのでしょうかと尋ねるのだが、女王フローラ微笑を纏ったまま、それに答える事は無かった。
 
 さて背後に控える眼鏡の美女がそのような事を考えているとは知りもせず、アマギリは降って沸いた―――与えられた―――押し付けられた―――生活を受け入れ、馴染んでいった。
 慌て、戸惑って見せても良かったのだが、恐らくこの状況を作り出した女王は今のような状況を望んでいたのだろうとアマギリは考えていた。
 既成事実。彼が当たり前のようにそこに居ると言う事。
 それこそが自身がここに居られる理由だとアマギリは理解している。
 女王は聡過ぎる新しい息子の応対に満足し―――もちろん、最大の満足と最高レベルの警戒は同義と言えたが―――彼の存在に関する既成事実を徐々に徐々に広げていく。

 曰く、先王陛下の忘れ形見。
 王位継承権争いが発生する事を防ぐために、王室直轄領に隠匿されていたと。
 優秀な政務に関する知識を持ち、かつ聖機師の適性を持つため軍事にも詳しい。

 ある事ない事、少し考えれば嘘だと解りそうな、そんな噂を王城内に広めていった。
 噂は人から人へと渡っていき、真実を確かめようも無い地方の諸侯達、市井の人々の間にも、誤認された真実として広まっていった。
 その噂の中心に居るアマギリはと言えば、何食わぬ顔で、嘘か真かも断ずるでもなく、今日も今日とて、昼下がりのバルコニーでティータイムに勤しんでいた。

 「せっかく美しい庭園の風景が広がってますのに、視線を落として本を読むなど、勿体無いことではなくて?」
 書庫から持ち出した―――持ち出して、当然の様に、控えていた侍従に運ばせた―――半世紀前の経済学者が記した市場経済に関する専門書に視線を走らせていたアマギリの耳に、住んだ金管楽器を思わせる美しい旋律が響いた。
 それを少女の声だと認識して、アマギリが顔を上げると、テーブルの向かいの席には、すまし顔のこの国の王女が楚々とした態度で居座っていた。
 テーブルの上に無造作に広げられていたはずのハードカバーの書籍群は、いつの間にか片付けられており、入れたてのハーブティーとバスケットに入れられた菓子類が広げられていた。
 「風に運ばれてくる花の香りを楽しみながらの読書と言うのも、中々に味わい深いものですよ王女殿下」
 アマギリはマリアの存在に気づき、失礼の無いように栞を挟んで本を閉じた。
 そっと近づいてきた専属の侍従に、それを手渡し部屋に書棚に運んで置くように命じる。
 「厳つい家庭教師のありがたい礼節の講義も終了した事ですしね、少しの息抜きのつもりだったんですが」
 「息抜きで学術書を読むのは、些か不毛に思えるのですが」
 かく言うマリアも午前中は弦楽の稽古に勤しんでおり、多少消耗した幼い身体をリフレッシュしようと思っていたところだ。

 王室付きになるような家庭教師というものは、とにかく気位が高い。お前の方が王族に見えるわと思うくらいに無駄に鼻持ちならぬ性格をしていたりして、義務でもなければ付き合いたくないような人種である事が多いから、息抜きをしたくなるアマギリの気持ちはマリアには理解できた。
 特に礼節の教師は、神経質で声がでかい、揚げ足取りなところがある子供には好かれにくいタイプの人間だった事を思い出したので、尚更だった。

 「知識を入れるのは、割と昔から癖みたいなものなんですよ。知恵を育てるために、知識はあるに越した事は無いって、昔誰かに言われたような気がしてるんでね」
 「はぁ……中々含蓄のある言葉をおっしゃる方がいらっしゃるんですね。……ひょっとしてアマギリさんの親御様ですか?」
 「僕の親はフローラ女王陛下ですよ」
 「ああ、確かにあの母なら言いそうなものですが……解っていて流してますよね、お兄様?」
 一度会話に乗った後に目を細めて睨み付けると、アマギリは微苦笑を浮かべてあさっての方向へ視線を逃がした。マリアがアマギリのことを”お兄様”と呼ぶ時には、大抵怒っている時だと一週間と少しの付き合いで理解し始めていたから。
 対するマリアも、毎日のごとく朝夕の食卓をともにし―――母フローラはは国主としての仕事が忙しく、最近は殆ど一日中政庁に詰めていた―――、加えて結構な頻度で、こうしてバルコニーでのお茶会を開いていたせいか、アマギリと言う年上の少年に関していくばくかの理解を得ていた。
 
 聞かれたくない事柄に話が及んだら、あえて相手を怒らせて、その後会話を逸らす。
 
 つまり今さっきの会話の内容も、アマギリにとってあまり好ましくない内容なのだろうとマリアは思った。
 ならば、それに乗って会話を流して見せるのが淑女としての嗜みだろうとマリアは考えるが、さりとて本当にそれで良いのかとも、同時に考えてしまう。
 出所不明、正体不明瞭な少年。いつの間にやらマリアの目の前で、当然のように生活している。
 どう考えても貴顕な存在としての基礎教養を修めていそうなものであるのに、本人曰くは辺境の底辺暮らしだと言うのだ。
 そのあたりに話が飛ぶたびに、アマギリはさり気なく話を逸らす。マリアは幾度か似たような事があったため、それに気づくようになっていた。
 聞かれたくないと言う事は、知られてはまずい秘密があると言う事なのかと邪推してしまう。
 そんな、なにか拙い物を持ち合わせた生い立ちであるなら、あの母が自身の傍に置こうなどとは考えないだろう。
 いや、拙い部分があるからこそ、あえて手元に置くことも、あの母の所業から考えればまったく否定できない想像ではあるが。
 どちらかと言うと神経質な気のある、物事には白黒はっきりつけないと落ち着かないタイプのマリアにとって、”灰色”の存在のまま風景に溶け込んでしまっているアマギリの存在は許容しきれない部分があった。
 
 そして、マリアは母と同じ気風のよさ―――即ち、自らの望むものは自らの手で掴み取るべし、と言う意志の強さ―――を、持ち合わせていた。

 「アマギリさん?」
 「なんでしょう」
 ハーブティーを口元に運んだまま、アマギリはマリアの問いかけに方眉を上げた。
 マリアはそんな兄の対応に、いっそたおやかに微笑みながら、言葉を続けた。
 「そろそろこちらにいらして一週間も過ぎますけど、王城の暮らしには慣れたかしら?」
 「―――……ええ。そうですね。皆さんよくしてくれますし、今のところこれと言って問題は無いですよ。王女殿下こそ、目の前にこんな底辺者が……」
 「それはようございました。これまで暮らしていた場所とはずいぶん勝手が違いましょうに、戸惑うことも無いとは喜ばしい限りです」
 アマギリの言葉をさえぎって、マリアは自身の言葉を一気に押しかぶせる。
 明らかに言葉を選んでいたアマギリは、マリアの言葉に続けるべき言葉を見失った。
 その隙間を付いて、マリアは彼に逃げようの無い言葉を紡ぐ。
 「ところで是非、此処へ来る前の暮らしをお教え願いたいのですが。庶民の暮らしぶりを知ると言う後学のためにも、是非」
 是非、と二度も強調して、マリアはアマギリにまっすぐ視線を合わせたまま言葉を続ける。
 問われる立場のアマギリは、二度三度目を瞬かせたあとで、もう考えをまとめきったのだろうか、ゆっくりと口を開いた。
 
 自分でもはっきりしない部分のある、それは、気の強い年下の少女に対する、ちょっとした謎掛けの気分だった。
 
 「そうですねぇ。つい先日までの話なのに、思い返してみるとなんだか何年も前のような気もしますね。……覚えている範囲で思い返してみるに、 別段、何か特別な事をしていたと言うわけでもありませんね」
 アマギリはそこでまず言葉を切って、質問者の表情を伺う。
 探るような目つきのマリアは、此処から先の一言一句を聞き漏らさないと考えていそうな真剣なものだった。
 そんなマリアにアマギリは微笑を浮かべて、自身の言葉を続ける。
 「僕が此処へ来る前に暮らしていたのは地名で言うとマラヤッカ山脈って言うらしいですね。適当に僕は”山”って言っていたんですが―――その中腹あたりの自然の広場に構えた山小屋で三年前から一人暮らしをしていました」
 「三年前って、アマギリさん、まだ十一歳ですよね。……それはともかく、それ”以前”は?」
 此処で会話に突っ込まなければ、三年以上前の話は聞けないと考えたらしい、マリアは”以前”と言う言葉を強調してアマギリに先を促す。
 アマギリはあっさりと頷いて続きを口にした。
 「それ以前はまぁ、その山小屋を築いたと自称していた偏屈な猟師の爺さんと暮らしてましてね。人嫌いで滅多に麓の集落にも降りようとしないのに、変なところで面倒見が良かったんでしょうね。”働かざるもの食うべからず”とか言って、色々と狩りに関する手練手管を仕込まれましたよ。食える野草の見分け方とか、その辺の知識もね。で、爺さんが居なくなったのは三年前で、そこから先はさっき言ったとおり一人暮らしです」
 ほぼ自給自足、物々交換の社会の中での暮らしでしたと、アマギリは自身の過去をそう評した。
 
 マリアはアマギリの語りに、眉をひそめて考える。
 特にこれといって、流れに不振なところは無かった。三年前に祖父が死んで、それから先は一人暮らし。
 「そのお爺様は、何か特別な教育を―――?」
 「字は読めるけど計算の出来ないほど学の無い人でしたよ。いや、数字は読めてたから計算も出来たのか……? 聞かれなきゃ返事もしないような人だったしなぁ。―――まぁ、そもそも、あの辺りは貨幣経済がそれほど重要視されていないような地方ですからね」
 さっき言ったとおり狩った獲物を物々交換で事足りますしと、アマギリはマリアの想像を否定した。
 その言葉に、マリアは一層頭を悩ませてしまう。
 それが真実ならば、計算も出来ないような祖父に育てられた彼が、此処まで頭が回るようになる理由が考えられない。
 試しに学校に通った事は無いのかと尋ねてみても、思い出せる範囲内では無いですねと素気無く返されてしまった。
 簡潔に答えるアマギリの顔は、何か嘘をついているようには見えなかった。
 ただ、少しだけ。
 
 人をからかって楽しんでいる時の、母フローラの顔が重なって見えたのは気のせいか。

 からかわれている?
 ならば、これまでの会話は全て嘘―――そんな風には思えない。これまでの王城でのアマギリの態度を観察していたところ、彼は母フローラには逆らうような事はしなかった。フローラの尋ねる質問にはほぼ全て真実を話しているように見えた。
 そして、自身が辺境暮らしであると、アマギリがフローラに話している場面を、マリアは覚えている。
 つまりそれは真実。
 真実であるならば、先ほどまでの言葉の何処にマリアをからかえる要素があったのか。
 秀才型の人間であるマリアは、物事を推察する時、与えられた情報を精査する事から始める。
 
 アマギリ・ナナダンは三年前まで辺境で一人暮らししていた。
 それ以前は、祖父とともに暮らしていた。
 教育は、祖父に施された。
 祖父は、字は読めるが数字の計算は出来ない(らしい)ような人間だった。

 筋は通っている。ただ、何かボタンを掛け違えているような、居住まいの悪さ。
 ならばどこかに、何か彼女が捉えきれぬ情報が挟まっているはずなのだ。それは何だ。
 解らない。考えて答えが出ないまま、袋小路に陥りそうだったから、マリアは一旦思考をとめて一息入れるために首を回した。
 首を回して―――、その途中。視界の端に。アマギリの背後に控えている侍従の手の中にある、本のタイトルが目に入った。
 それは半世紀前の有名な経済学者が記したもので、商取引に関する専門的な知識を持ち合わせていないと、到底理解する事が不可能な―――不可能、な。

 当たり前のようにその本を読み込んでいたアマギリは、趣味の一環とでも言うかのようにそれを読み流していたアマギリは、つまりそれを読める程度の知識を有している訳で。
 ―――果たして、算数も出来ないような祖父に教育を受けて、どうやってその知識を身につけたのか。
 いや、違う。そこが発想の転換ポイントだ。マリアは先ほどまでのアマギリの言葉を良く思い出す。
 
 アマギリは言った、祖父には狩りの手管を習ったと。
 言い換えればそれは、アマギリが祖父に習ったのはあくまで狩りの手管だけであり、それ以外の知識を何処で身につけたのかは、彼は一言も話していない。
 高度な知識、もって回った言い回しを可能とする弁舌手法。それらを何処で身に着けたのか―――それどころか。
 そこまで考えをめぐらせて、マリアは気づいた。
 胸の中に沸いた羞恥にも似た感情の赴くままに、マリアはアマギリを睨み付ける。
 アマギリはそんな妹の拗ねた態度に、微笑を浮かべる事で答えるのだった。

 そもそもアマギリは”猟師の爺さん”とは口にしたが、自身の”祖父”だなどとは、一言も言っていない。
 単純に、マリアが勘違いしていただけだ。
 祖父だと言わずに猟師の爺さんなどという、もってまわった言い回しをしているという事は、その人物とアマギリとの間に血の繋がりがあるとは考えにくい。
 それにそう、アマギリは三年以前より前は猟師の老人と暮らしていた、とは言ったが”その暮らしをいつから始めたのか”は口にしていない。はっきりと期間が示されているのは、一人暮らしをしていた三年の間だけ。
 それ以前は、確かに猟師の老人と暮らしていた事はあったろうが、”それ以外が無かった”とはアマギリは否定も肯定もしなかった。

 「お兄様?」
 二コリと微笑んで。マリアは自らの兄に尋ねた。
 兄の顔が一瞬恐怖で引きつったように見えた事に、マリアは淑女の嗜みとして気づかない事にした。
 「何でしょうか、王女殿下」
 背筋を伸ばして返事をする兄にマリアは満足げに頷いて、それから次の言葉を述べた。

 「最初から全部詳しく話しなさい」

 優雅に庭園を見下ろせる昼下がりのバルコニー。
 そのはずだったその場所は、ブリザードが吹き荒れる極北の如き極寒地帯と成り果てていた。
 「最初からというと、その……ねぇ」
 アマギリは苦笑いをしながら、何度も唾を飲み込みながら、言葉を続けようと試みる。この後に続く言葉が、確実に少女を怒らせるであろうと理解していても、それが真実である以上語らないわけにもいかなかったから。
 一息ついて、覚悟を決めて。
 アマギリはゆっくりと決定的なその言葉を口にした。

 「さっきも言ったように、”覚えていない”んです」

 ガン。
 ソーサーにカップが叩きつけられた音にしては、あまりにも激しい音だった。
 見ると、マリアの手にしたカップの取っ手から先が、ひび割れ砕けていた。因みにテーブルの上のソーサーは真っ二つである。
 てめぇ、舐めてるのかという顔で睨み付けてくるマリアに、しかし半分椅子の上で腰を引かせながらも、アマギリは自身の言葉を撤回する事は出来なかった。
 「ホント……いや、本当に申し訳ないと思うんですけど、覚えてないんですよね。何か子供のころ死に掛けるような高熱を出したらしくて。そのせいで」

 それ以前の記憶が、曖昧なのだとアマギリは言った。

 怒りの表情を改めて、意外なものを見るような目で自身を見るマリアに、アマギリは微苦笑を作って頷いた。
 「爺さんが言うには、何処かの集落から捨てられたんだろうって話ですよ。……僕が高熱を出して山の中でぶっ倒れていて、それを爺さんが見つけた年は、丁度大規模な飢饉が発生した年だったから、食うに困って切り捨てたんじゃないかって。尤もその辺、聞いても深く答えてくれないんで自分で調べた上での推測混じりですが」
 「大飢饉というと……確か、七年ほど前の話ですよね。私は当時三歳程度でしたから、余り良く覚えていないですが、資料を見ると餓死者も出るほどだったとか」
 なるほど確かにとマリアは頷いた。
 捨てられて拾われて、という事なら先ほどの説明はひとまず納得がいく。
 ただでさえ農耕地の少ない地方であれば、食うに困って子や老人を山に捨てる事も無い話ではないだろう。
 そして、山の中を幼い子供が一人で彷徨っていれば、体力を消耗して高熱を出し、記憶を失っても―――無くは無い。
 
 有り得なくは、無いが。―――それは本当に真実か?

 マリアもさすがに二度は引っかからなかった。
 ”爺さんが言うには”。
 ”~ないかって”。
 それらは全て聞き伝の言葉を並べ立てているだけで、頭の切れる少年の言葉とは思えぬ曖昧なものだった。
 「だいたい、そう。―――辺境の集落から切り捨てられたと言う生い立ちでは、貴方の知識に関する説明がまるで付かないではないですか」
 マリアが口を尖らせてその矛盾を指摘すると、アマギリは良く見ましたとばかりに頷いた。そして、困ったように笑いながら正答を述べる。
 
 「我ながら曖昧な話で申し訳ないですけどね、正直、僕も自分の知識が何処から引っ張ってきているのか解らないんですよ。一つだけ確かな事は、僕の出身地が辺境の貧乏農村か何かって事は絶対無いということです。政治・経済・軍事関連・一般教養その他、得物を手にしたときの効率の良い体の動かし方から機動兵器の操縦法に至るまで、何がしかの専門教育を何処かで施されたんではないかと言うのはここ数日の王城暮らしで自分でも理解できました。―――ただそれを、何処で身に着けたのか、と聞かれると……」
 「―――解らない、ですか」
 ハーブティーで時折口を湿らせながら言うアマギリの言葉を、マリアがくたびれた様な声で引き継いだ。
 「―――本当に、何処かの貴族の落とし胤って事もありえそうですわね」
 「それは無いんじゃないですか」
 首をひねって考え込むように言うマリアの言葉を、しかしアマギリは確信的な口調で否定した。
 「何故?」
 「女王陛下が僕を此処に置いたままだからですよ。陛下が僕の身の上を調査していないわけも無いですから、調べた上で置いたままにしておいても問題ないと判断している以上、国内、国外問わず貴族の子だと言う線は消えます」
 「―――そっか。諸侯の血統に連なるものだった場合、王族として迎え入れるわけが無いものね」
 マリアの早い切り替えしに、アマギリは頷く。
 「女王陛下はただでさえ中央集権に注力しているんですから、迂闊に諸侯のパワーバランスを崩壊させるような事をするとは思えません。同様に国外からの過度の干渉を控えるためにも、他国の血に連なる可能性のあるものを、この立場に置いたままにする事は無いでしょう」
 「……なんだか、面倒な話になってきましたわね」
 
 やれやれと、背もたれに体を預けてマリアは呟く。
 それこそ、先王の落とし胤と言う事情が一番しっくり着てしまいそうだとぼやきながら。
 正体は、相変わらず不明。高度な教育を施されている事は確かで、さりとて現状から考えるに何処かの貴族の血に連なるとも思えず。
 そんな複雑怪奇な事情を全て満たしきるような存在は、この世界の何処にも存在しそうに無く―――。

 そこまで考えて、マリアは身体を起こしてアマギリと視線を合わせた。
 困ったように笑うその笑顔は、やはり、そういう考えに行き着きますよねと、言葉に乗らないマリアの考えを肯定しているかのようだった。

 ―――異世界人。
 此処ではないどこかに住まう、高度文明人たち。
 それこそ有り得ないような、それが一番しっくり来る事実だった。


 ・Seane 4:End・



   ※ で、結局きみは何なんだね、と言うお話。
     そんなに真面目に隠す気も無いので、第一部の間に大体ネタは出揃うような気がします。



[14626] 5-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/17 17:54

 ・Seane 5-1・



 「―――斯様な如き事実を以って、ハヴォニワ国女王フローラ・ナナダンは、先王ローランの末子アマギリを、王位継承権第一位を持つ我が実子マリアと同等に遇し、王位継承権第二位の王子とする事を此処に宣言する!」

 国内の全ての貴族、王政府閣僚、財界の重鎮、そして大使館を持つハヴォニワと関係の深い他国の賓客達、教会の高位の司祭、さらにはマスメディアまでを集めて、王城内の大広間でそんな宣言が達せられた。
 その後は新たな王子のお披露目の舞踏会から無礼講の宴へと続き、アマギリ・ナナダンは正式に、ジェミナー全土に於いて、ハヴォニワ王国の王子であると認知される事となった。

 彼が王城に住まうようになってから、実に一ヶ月目の話である。

 
 「……楽しいですか? 自分の顔が大写しになっている新聞をテーブル中に広げるのは」

 冬も間近、そろそろ外でお茶をたしなむには背筋が冷える処もあったため、兄妹の日常に変わりつつある昼下がりのティータイムは、室内、巨大な暖炉(型の亜法暖房機)が設置されたリビングで行われていた。
 三人掛けというには些かオーバースケールなソファに腰掛けながら、これまた中央まで手を伸ばすのが面度そうな大きなテーブルの上に、国内外を問わずあらゆる新聞社から取り寄せたまったく同じ日付の新聞を無造作に並べて、取替え引き換え内容を読みふけっていたアマギリが声の方に振り向くと、彼の隣には優雅な仕草で腰掛けながら、今や名実ともに彼の妹になってしまった王女マリアが、呆れ眼で彼を見ていた。
 「楽しいか楽しくないかって聞かれると、まぁ、興味深いと答えられますから――― 一応楽しいの範疇に入りますかね、コレ」
 無造作に散らばせていた新聞を寄せ集めながら、アマギリは肩をすくめた。その返しに、マリアは首をかしげた。
 「興味深い、ですか?」
 「ええ、同じ事件を多角的に見る事ができますから。―――新聞が、客観的事実のみを書くなんて事はまず有り得ないのは、王女殿下もご理解していると思います。新聞に書かれた記事の内容と言うのは、書いた人間や出版社の編集方針に従った主観に従って書かれるわけですよね。そのくせ、コレは事実のみを正確に書いているんだと嘯いて見せる辺りも、実に興味深いですが―――これはどうでも良いですか。兎角、同じ記事でも右から左から、それぞれ複数の主観で捕らえた”感想”を読み解いて、新聞社の望む”真実”ではない本物の世論を探ってみるのは、まぁ暇つぶしには丁度良い興味深さですよ」
 生産性は皆無ですが、と最後に付け加えて、アマギリは全ての新聞をたたみ終えた。
 おどけた仕草のアマギリに、マリアは些か不機嫌そうに鼻を鳴らして答えて見せた。

 「なるほど。それでは世論は貴方の王子擁立に関して、どのように判断してらっしゃるのですか? ―――アマギリ”王子殿下”?」

 本物の王女殿下から殿下呼ばわりされた偽りの王子は、しまったとばかりに頭を書いた。
 口を尖らせて不機嫌を表現する妹に、平謝りを行う。
 「申し訳ありませんでした、マリア様」
 「様付け、敬語ではあまり変わりはありませんよ」
 「……そう言われましても、いきなりえらそうにする訳にはいかないじゃないですか」
 心底困った風に苦笑する兄に、マリアはため息一つ吐く事で答えた。
 「……気持ちは解りますけどね。ですが衆目のあるところで、兄が妹に敬語で話している姿など見せてみなさい。貴方の言う新聞社の決め付ける”真実”とやらが、如何様になるかお解りでしょう?」
 「いやぁ、その辺りは市井の暮らしって言う設定だから平気……すいません、なんでもないです。鋭意努力します」
 眼光一睨みで黙らされた。
 どのみち、王家一門だろうが実の妹だろうが、アマギリがマリアに弱いのは変わらないらしかった。
 それはこの一月と少しの間に培われた関係で、今後もそうそう簡単に変化する事は有り得なさそうな事であった。
 
 「それで、世論は貴方の王子擁立になんと?」
 居住まい正しく主人たちの背後に控えていた侍従たちにお茶の支度をさせながら、マリアは再度アマギリに尋ねた。軽く、テーブルの脇に置いてある新聞の見出しをなぞってみせる。

 ”ハヴォニワの新王子・アマギリ”
 ”先王の御落寵アマギリ殿下・王籍復帰”

 多少の文面は違えど、どの新聞も一面を飾るのは礼装を纏ったアマギリの写真と、彼の王子擁立を記す文面だった。肯定的なもの、否定的なもの、内容は紙面によってさまざまだったが。
 「まぁ、見てのとおり肯定的・否定的・中立な意見問わず、何れも僕の存在に関して懐疑的な部分が感じられますね。それから、事実の如何に問わず王位継承権を賜った女王陛下―――フローラ様の決断を危ぶむ物が多いと感じます」
 「……予想通りと言えば予想通り。当然といえば、当然ですわね」
 「まぁ、当たり前の話ですけど僕らも世論の一部ですからね。何処かで無理やり操作しない限り、日常生活に係わり合いの無い事例に対する大衆の意見なんてそうそう人によって変わったりはしませんよ。……と言うか、やっぱり王位継承権はやり過ぎってのは誰でも思う事なんですね」
 自分がおかしいのかと思ってましたと空笑いするアマギリに、マリアは当然でしょうと頷いた。
 「アマギリさんの事情を推察できる立場の私たちですら耳を疑っているんですから、それこそ伝聞しか知らぬ大衆が不思議がるのも当然と言えるでしょう」
 「―――そりゃあ、異世界人だと思うような人は、居ないでしょうしね」
 「異世界人の聖機師。しかも男性。それに相応しい適正。多少の無茶をしても、囲い込みたい人材ですもの」
 我が事ながら実感のこもらぬアマギリの言葉に、マリアがいっそ簡潔に同意した。
 そのあっさりした態度にむしろ感謝しつつも、ついでに聖機人を”変形”させる何ていう他に無い特性を持っているんだと知ったらこの少女はどう思うのだろうかと考えてしまう。

 今のところ、アマギリがコクーンから聖機人ならぬフローラが名づけるところの半身が蛇の龍機人を構成出来るというのは、一部の人間を除いて秘密とされ、知っている人間には緘口令が敷かれていた。
 これまでに無い血統の男性聖機師というだけでも十分すぎる希少性なのに、それ以上に異常な能力を秘めている事を公にしてしまえば、必要以上の関心を集めてしまうと言う不安があったからだ。
 王女マリアに関しては特に隠す理由も無いのだが、単純に彼女が聖機人格納庫に訪れる事も無いため知る機会が無かったから黙っていると言うだけの事である。
 あまりにも常識から破綻している光景のため、実際に目撃しなければ口にして伝えたところで信じる事が出来ないだろうから、こればかりは仕方ない。

 「―――まぁ、良かったではありませんか。あのこまっしゃくれたラシャラ・アースよりも高い継承権を得られて」
 「こまっしゃくれたって、また言いますね。二重王国の次期国王に相応しい、聡明そうな方だったじゃないですか」
 鼻を鳴らして言うマリアに、アマギリは擁立披露宴で出会ったシュトレイユ王国の王女の姿を思い出した。
 
 おお、御主が噂の新しい従兄殿だな。ウム、伯母上の玩具役、真にご苦労!

 開口一番そんな事を言っていた、マリアとそう歳の変わらぬ少女姫。
 その後でマリアと、どんぐりの背比べとか五十歩百歩とか頭につけるのが相応しい、どっちもどっちな罵り合いを始めていたのはご愛嬌である。宴会の後も三日ばかり滞在し、丁度一昨日に帰国の途に着いたばかりだった。
 去り際に、今度はシュトレイユに来るが良い、ただしマリアは除く。と口にして見送りに参加していたマリアとまた口喧嘩を始めたのも、それはそれで微笑ましいところだった。他人の振りに失敗して、空港の人間に関係者だと思われていたのが最大の心残りだが。
 思い出しても口が達者と言うか、間違った方向に頭の回転が速すぎるというか。マリアもラシャラ・アース王女も歳の割りに聡明でなる。二人と血の繋がりのあるフローラ女王も非常に切れの良い思考能力の持ち主だから、そういう血なのかもしれないと、愚にも付かない事をアマギリは考えた。
 「何か、失礼な事を考えていませんかお兄様。……私とラシャラさんが似ているとか、そんなような事を」
 「いやいや、まさか」
 完璧に兄の思考を呼んでいる妹は、やはり間違った方向に頭の回転が速かった。
 
 「……それで」
 「はい?」
 「それで、アマギリさん自身としては、どうお考えなんですか?」
 心持固い口調で、主語のない問いかけをされて、アマギリは言葉に詰まった。あさっての方向を向いてティーカップに口付ける妹に、尋ね返す。
 「どう、とは?」
 「あなた自身は、継承権の取得に関して、どのようなお考えをお持ちなのかを尋ねているのです」
 「―――ああ」
 アマギリは納得した。
 望まぬ栗を、火中から拾った―――拾わされた。今のアマギリは状況的には、そう評するに相応しいから。
 「心配してくれましたか、マリア様?」
 「はっ―――、誰が、ですか」
 アマギリの言葉をマリアは何て事のないように笑い飛ばして―――その実、図星を突かれて頬が少し赤らんでいた。
 それは失敬とアマギリはおどけて見せた後で、それこそなんて事のない風に、私見を述べた。

 「面倒な事になったなぁとは、思います」

 「―――案外はっきりとおっしゃるんですね」
 意外だったという態度を隠さないマリアに、アマギリは微苦笑を浮かべる。
 「なまじ状況が読めますからね。重たい荷物を押し付けられたと思いますよ、本当に。―――正直なところ、此処に連れて来られた当初は適当に女王陛下の駒を演じた後で、適当なタイミングで姿を消すつもりでしたから」
 「今からでもそれをやっても問題ないのではないですか?」
 「無理ですよ―――というか、マリア様も解ってて聞いてるでしょ? あそこまで大々的に、他国の人間を招いて教会の司祭による洗礼まで行ったうえでの継承権授与式なんてやっちゃったら、逃げ道どころか正面通路まで封鎖されたも同然です。どのタイミングで僕が消えても、ハヴォニワが拙い状況に追い込まれるのは必至ですし、それはようするに女王陛下の顔に泥を塗る事になりますから。……そんな恐ろしいこと、とても出来ませんよ」
 「それは……ええ、そうでしょうね。逃げたところで、追いつかれて丸呑みと言った結末でしょうし」
 どうしようもないと投げやりに言う兄の言葉に、マリアは乾いた口調で頷いてしまった。
 彼女の母親、フローラ・ナナダンという女性は、敵にするには恐ろしすぎた。
 「そんな訳だから、僕は死ぬまで王子様役から抜け出せそうにありませんね」
 苦笑する兄に、ご愁傷様と思いながらも、マリアは同時にこんな風に思った。

 あの母が、どんな状況であろうが一度懐に置いたものが逃げ出すのを見過ごすはずがない。
 どの道、この城に来てしまった段階で、この朴訥な少年の未来は確定していたんじゃないか、と。




    ※ この辺から、割と景気良く日付が進むようになるような気がする。
      原作開始まで、後、二年くらいかな……



[14626] 5-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/18 17:28

 ・Seane 5-2・


 一緒にお茶でもいかがかしら。

 家庭教師を招いての午前の講義―――農耕地拡大事業における効率的な予算配分法を眠たくなるような言い回しで論じていたから、曖昧な部分に考察を加えて論破してやった―――が終了し、交易都市マサランの市長と昼食をかねた懇親会―――八割方、自身が考案した街道整備計画の成果に関する自慢話だったので、用地買収時のトラブルに関して突っ込んだ話を振ってやった――――――を追え、さて、暖炉のあるリビング―――つまり、暖炉の無い別の無いリビングも存在するわけだ、広大な王宮には―――で妹姫との恒例の茶会とでも行こうかと、そんな風に考えていたアマギリに、背後にそっと控えていた侍従がそんな風に言伝を運んできた。

 誘い主は、考えるまでも無い。彼の”母”からの物であった。
 たまたま廊下で鉢合わせた妹も、同じ言伝を受けたらしい。とても微妙な顔をしていた。

 「もう此処にきて四十五日程度にはなるけど、お城での暮らしには慣れたかしら? ……何か、不自由な事は無い?」
 畳敷きに障子窓の、純和風の部屋で―――洋装のまま―――手ずから茶を立てて子供たちを持て成しをしていたフローラは、おもむろにそんな事を尋ねてきた。
 「急に言われて、取り立てて思いつく事は無いですね」
 年代物の茶碗をそっと畳に置いて、アマギリは考え付くままに即答していた。
 「お母様に振り回されている現状こそが最大の不自由なんですから、それ以上のものが見つかる訳が無いじゃないですか」
 つんと澄ました顔で、アマギリの隣で座布団の上で脚を崩していたマリアが菓子をつまみながら言い添える。
 あからさまな嫌味にしかし、母はしたたかに手に頬を添えて微笑むのだった。
 「あらあら。……駄目よマリアちゃん。あまりお兄様にご迷惑をおかけしたら」
 「あ・な・た・が! 迷惑をかけていると言っているんです、私は!」
 「やぁねぇ、マリアちゃんたら。こんなに子供思いの母が、迷惑なんてかけるわけが無いじゃない」
 「アマギリさんがこの場に居ると言うそれ自体が、貴女が叩き付けた最大の迷惑でしょうが……っ!」
 言い合い、と言うよりは良い様に娘があしらわれているだけで、つまり家族の団欒以外の何物でもないそれを、アマギリは微苦笑を浮かべながら見物していた。君子危うきは、と言う心持だった。
 
 「……はぁ。アマギリさん言っておやりなさいな、このお惚け年増に。貴方が普段どれほど気苦労を強いられているかと言う事を」
 我関せずの体で茶を啜っていたアマギリに、マリアが肩で息をしながら話を振ってきた。
 横目でマリアの表情を伺ってみれば、そのまんま解りやすく、あの女をとっちめろと書いてあったし、フローラはフローラで、相変わらずの微笑顔で毒を吐くのみで内心がまるで読めない。
 そこで僕に話を振るのかと、一瞬喉に茶を詰まらせそうになりながらも、アマギリは何とか場の空気を安定化させそうな言葉をひねり出した。
 それは別名、どっちつかず、ええカッコしいとも言うかもしれない。だって仕方が無い。無言のプレッシャーが怖いし。
 「城内の皆さんも基本的に良くしてくれていますからね。……強いて言えば、自分の身の回りのことを自分が心配する必要が無いと言う事が、落ち着かないと言えばそうなりますかね」
 「……と、言いますと?」
 「もう、雪も降り出しそうな季節じゃないですか。この時分は普段なら、必至で越冬準備をしているところでしたからね。保存食料の買出しとか、屋根の補修とか」
 それの何が問題なのかと問うマリアに、アマギリは笑って一人暮らしの苦労を語った。
 「朝昼夕と、黙っていても食事が目の前に差し出され、何をするでもなく茶を振舞われ、日ごと毎夜に湯につかることも出来、ついでに衣服の心配もする必要が無いっていうのは、今までの暮らしとのギャップがあって流石に、慣れきれないですね。自分のために使う時間が減って、その分の使い道の無い持て余し気味の時間が増えたような気がします」
 「着る物食べる物に困った事が無い私には、到底理解しえぬ問題ですね、それは……」
 「いやまぁ、貧乏人の僻みみたいなものですからね、これは。人の苦労は人によって違いますから、マリア様のようなお立場の人が深く考える必要があるものでもないですよ」
 考え込むような殊勝な態度を取るマリアに、アマギリはいっそ笑って方をすくめて見せた。

 「ですが、民の安寧を考えてこその王族でしょう」
 そんなアマギリのあっけらかんとした態度に、マリアは思わず反論してしまった。しかし幼少ゆえの潔白さを掲げる妹に、世の不条理を少なからず理解していた兄は、微苦笑を浮かべて首を振った。
 「便りが無いのは元気な証拠―――と言うのは違いますか。……何ていいますかね、愚痴や文句って言うのは、余裕のある人しか出来ないものなんですよ。本当にどうしようもない状況に陥っている人間は、そもそも明日の食事の心配をする余裕すら無いですからね」
 「……意味が、理解しかねますが」
 「最底辺の生活環境だった僕すら、一ヵ月後の雪の降る夜の事を心配する事が出来る程度の余裕があったってことです。明日明後日の食事くらいなら、問題なく確保できたんですよ。底辺暮らしの人間ですら、日々の糧の心配をする必要が無かった……つまりは、何もせずにそれ以上を求めようと言う言葉があった場合、それはただの贅沢以外の何物でも無いってことです。為政者がそこまで面倒を見てやる理由はありません。とりあえず死なない程度に生活できてるんですから、事態の改善を望むと言うのなら、後は本人の努力次第でしょう」
 ドライといえば、あまりにも貧困層に対してドライな言葉だったが、他ならぬ貧困層に座していた人間の意見として、受け入れざるを得なかった。
 
 「アマギリちゃんの言っている事は、極論に近いけどね」
 居住まいの悪さを味わっていたマリアの耳に、それまで黙って子供たちの話を聞いていたフローラの声が届いた。
 「極論」
 「そうでしょ? パンだけ配ってそれで義務は果たしていますなんて言葉、表で堂々と口に出来る物じゃないもの。……そんな風に記者の前でもらして御覧なさいな。その翌日には政権が吹き飛ぶわよ」
 あっさりと禄でも無い未来を提示してみせる母に、マリアも素直に頷いてしまった。
 当然だろう、とマリアは思う。日々の糧を得るためだけに日々を送ると言う生活は、獣のそれと変わらない。
 余暇を娯楽に勤しむ程度の遊び心があってこその人の生、と言うものだろう。
 「楽しみは立場により手人それぞれ、と言う考えもありますけどね」
 「さりとて、為を唱える立場のものが、他者の誠意にばかり任せてしまう訳には往かないでしょう」
 マリアの心を読んだかのようなアマギリの言葉に、フローラがさらに意見を被せる。
 マリアには把握しきれないところがあったが、どうやらこの二人はスタンスが微妙に異なっているらしい。
 アマギリは他者への干渉を最低限に抑えすぎているところがあるし、フローラの意見では他者への干渉が多きに過ぎるようにも思える。
 どちらの意見にも一長一短ある気がするし、マリアはその真ん中辺りを通るように舵を取るのが正しいのではないかと思った。未来の女王は堅実な性格をしていた。

 それにしても、と菓子を咀嚼しながらマリアは思った。
 「人はパンのみにて生きるにあらず―――ってね。余裕のある立場のものがサーカスを見せてやるのも必要でしょう?」
 「常に民の事のみを考えて生きよ。統治者こそが民の奴隷なのである―――って奴ですか?」
 「あら、いい言葉を知っているのね」
 「昔誰かに言われたような気がするんですよね。……最もその人は、統治こそが最大の娯楽であるって付け足してた気がしますけど」
 「あら、まぁ。その方とは仲良く出来そうだわ」
 互いに笑顔を浮かべながら、傍から見れば微妙に物騒と思えなくも無い言葉を交わす母と兄。
 言い争いをしているように見えて、その実状況を楽しんでいるのは明白だった。
 「……仲の良い、親子ですこと」
 マリアはそっと呟いた。
 そしてその後、自身の言葉に失笑してしまう。

 親子。

 事実を知っていると言うのに。マリアにはアマギリとフローラが実の親子のようにしか見えなかったから。



 ・Seane 5:End・




    ※ もう十話が放映ですか、確か。少しは布教に貢献できてれば良いんですが、どんなもんか。
      そもそもスカパー見れる人が少ないか……




[14626] 6-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/19 18:09

 ・Sceane 6-1・


 雪の降り積もる早朝の庭園。そこが、彼女との出会いの場となった。
 偶然の出会い、と言うわけも無いだろう。黙って待っていれば必然として訪れた出会いだったろうから。
 その日、自室と食堂をつなぐ回廊を歩いていたアマギリは、屋根を支える石柱の向こうに見える庭園の雪景色に目を奪われる事となった。
 落ち葉と枯れ木の上に降り積もる山野の雪景色とは違った、人工的に象られた庭園と、自然の赴くまま不規則に降り注ぐ雪の調和が織り成す美に、心惹かれるものがあったのだ。
 底冷えするような寒さゆえに、目覚めが早かったから、朝食まではまだいくばくかの時間があった。
 だからアマギリは、傘代わりに雪避けの役割を果たすの小型の亜法風防結界式を展開して、庭園へと、踏み出した。

 それから、少しの時間を雪の降り注ぐ光景を眺めるためだけに費やし。
 アマギリはいつの間にか背後に存在していたその気配に気づいた。

 「ユキネ・メアです」
 雪色の髪をもつ女性が、彼に、そんな風に自らを紹介した。

 雪音。
 何故だかそんな解釈が頭に浮かんでしまい、そのまんまだなぁとアマギリは微笑んでしまう。その名の如き美しい旋律のような美貌―――などと、場末の宿場に登場する詩人のような文句を考えてしまった。
 早い話が、好みのタイプの美人だったから、アマギリは自身の思いつきの行動がもたらした幸運に感謝していたのかもしれない。
 「アマギリ・ナナダンです。―――此処に着てから二ヶ月過ぎてますけど、初対面ですよね?」
 だから彼は、殊更―――普段とは違い、意識的に―――優雅な仕草で一礼した後微笑んで、女性に尋ねるのだった。
 短絡的な男の見栄を丸出しにしてしまっているアマギリの態度の意味を知ってか知らずか、ユキネはすっと整った立ち姿を崩すことなく、頷いて見せる事で彼の言葉を肯定した。
 「学院から、帰ってきて―――きました、から。今日……冬休みで」
 その後、どうにもまとまりの無いか細い口調で、ユキネはポツリポツリと言葉を継ぎ足した。
 目の前に居る少年が何者であるか正確に理解しているらしい、一応敬語だった。
 「えー……っと。通っていたg区員が冬の長期休暇になったから、帰郷してきたって解釈であってますか?」
 雪に埋もれた巣穴から顔をのぞかせるコロみたいだなと思いつつ、アマギリはユキネの言葉を噛み砕いて見せた。
 ユキネ自身にも言葉足らずであるという自覚が合ったらしい。細い目を見開いて瞬きした後、満足げに頷いた。
 「……凄い」
 よく解ったね、と言外に継げているのだろうなとアマギリは理解しつつ、この女性がどのような性格かを理解し始めていた。
 「マリア様―――あー……いえ。妹には良く、先読みが行き過ぎて気分が悪いと言われてしまいますがね」
 王城内に居るから、侍従たちも何も言ってこないから大丈夫だろうと思いつつも、女性がどんな立場かわからなかったので、アマギリはあえてマリアの事を姫ではなく妹として訂正した。

 「平気」
 ユキネはアマギリの言葉に、ポツリと一言呟くだけだった。その後、何が? と言う風に目を瞬かせるアマギリに気づいて、言葉を付け足す。
 「……知ってる。貴方の事」
 「知っていると言うと……どの辺りまで?」
 いろいろと問題があるので曖昧な言い回ししか出来なかったが、ユキネにはそれで通じたらしい。
 「自称底辺者」
 簡潔に、一言でそう返してきた。
 アマギリはアマギリで、自身認める部分のある先読みの過ぎる思考で、ユキネの言葉を解釈した。
 「女王陛下か姫殿下辺りから、報告が上がっていましたか?」
 問われてユキネは頷いて、ポケットに入っていた通信結晶を開いて見せた。
 「マリア様が。……お話してくれてる」
 通信結晶を用いればエナの喫水以下であれば、かなりの距離を隔てていようとも双方向リアルタイム映像を介して無線通信が可能だった。
 しかも、お話して”くれた”、ではなく”くれる”と言う言い回しなのだから、おそらく定期的に連絡を取っているのだろうとアマギリは解釈する。
 王女と直接、定期的に会話を出来るような立場の人間と言う事は、軍や政府でそれなりの地位についているか、王家に近い位置で働いている人間と言う事か。
 立ち居振る舞いは洗練されていて、体幹のゆがみもまったく無いと言う事は、文官と言うよりは武官に見える。
 女性武官、ただし、まだ学生。
 「……因みに、どちらの学校に通ってらっしゃるんですか?」
 アマギリとしては自身の正体を知っている人間に対してまで敬語を使わずに話す理由が無かったから、殊更丁寧な口調でユキネに問うた。
 表向きの事情しか理解していない人と話すときは、口調は丁寧のままでもそれなりに王子様らしく”上に居る”態度を作らなければいけなかったから、結構疲れるところがあったのかもしれない。
 そんなアマギリの思いに気づいているはずも無いだろうが、下から持ち上げるような丁寧な言葉遣いも、ユキネは気にする風でもなく、マイペースに一言で返すだけだった。

 「聖地学院」

 聖地学院。
 女神との洗礼が行われると言う聖地。即ち古代文明の遺跡の上に築かれたと言う、聖機師を養成するための学院園。
 そこに通う事が出来るのは、上流階級の一握りの者たちと、聖機師の適性を持つ候補者たちのみだ。
 
 「ユキネさんはつまり、聖機師ってことで良いんですか?」
 アマギリの問いに、ユキネは頷いた。
 「……正式な資格を得るのは、来年の新学期」
 つまりは、まだ見習いと言う扱いらしい。ただ、候補生に選ばれて聖地で学ぶ事が出来たからとて、正式な聖機師として大成できるとも限らないから、資格を得られると既に言い切っているユキネは結構なエリートなのではないかとアマギリは思った。
 そもそも王城内に入り込めるのだから。いや、マリアと個人的な通信が取れると言う事は、専属の聖機師となることが内定しているのかもしれない。
 「エリートさんですね」
 アマギリは理解したとばかりに頷いた。素直に感心しているアマギリに、ユキネが逆に首をかしげた。
 「……貴方は?」
 「僕?」
 「……聖機師と聞いている」
 ユキネは澄んだ瞳でアマギリに尋ねた。アマギリは短い言葉をつなぎ合わせて解釈する。
 「つまり、僕も聖地学院に通わないのか、と言う事ですか?」
 アマギリの言葉に、ユキネはコクリと頷いている。
 「そう言われても……」

 考えても見なかったというのが正直なところである。確かに、十台半ばの王侯貴族であれば、どこぞのパブリックスクールにでも入学して、同世代の者たちとともに勉学に励む場面だろう。
 王城に来てから二ヶ月。専属でつけられた家庭教師たちの指導にも、特に無理なく―――理由は自分でも、今もって不明だが―――付いていく事が出来たし、アマギリは自身の立場上積極的に表に出て行く必要性を感じていなかった。
 「でもそっか。聖機師、ね。全ての聖機師は、教会の情報に登録されているから……」
 逆に言えば、聖機師として正式に認知されるためには教会の審査を受けなければいけないのだ。そのためには、当然教会がそれと認定する学校―――即ち、聖地学院に通う必要がある。
 「僕も通う必要がありますかね、聖地学院」
 「……?」
 答えを求めぬアマギリの言葉に、ユキネも判断が付かないと首を傾げるだけだった。

 「その件も含めて、お母様から話があるそうですわよ?」

 降り積もる雪を散らすような強い意思を込めた言葉が、二人の間に割り込んだ。
 はっとアマギリが視線を移すと、彼の妹姫が、寒そうに肌をさすりながら、頬を引きつらせていた。
 「マリア様。……お久しぶりです」
 「ええ、お久しぶりねユキネ。壮健そうで何よりだわ。……昼ごろの便で到着と聞いていたけど、随分早いわね」
 「雪が積もって船が飛ばなくなると困るから、早いのに乗って……」
 臣下の礼を見せるユキネに、マリアは満足そうに微笑んで答える。
 臣下にして腹心の友との久しぶりの再会にひとまず満足した後、マリアはゆっくりとアマギリをねめつけた。
 「何時まで経っても朝餉の場に姿を現さないと思ったら、こんなところで人の近侍を口説いているとは。すっかり王城の暮らしに馴染みましたね、お兄様?」
 
 それはそれは恐ろしいもので、しかし半ば事実であるから反論も出来ぬまま、アマギリは食堂までの道すがら、マリアにたっぷりと絞られるのだった。
 ユキネは背後に控えたまま、そんな兄妹のふれあいを、顔に出さぬまま微笑ましげに見ていた。





    ※ ユキネさんがエロかったとか以上に、閣僚っぽいおっさん達が原作にも出てたのが一番笑った。
      やっぱスケール感を出すには、ああいうモブの人って必要だよね。
      
      と、言う訳で。別に謀った訳ではないけどユキネさん登場回。

      しっかし、10話で結界工房に着くと思ったら、次回か……。
      残り三話。テレビで言えばまだ六話も残ってるし、締め切れるか?



[14626] 6-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/20 18:05

 ・Seane 6-2・
 

 「さて問題です。アマギリちゃんが聖地学院に通わなければいけない理由は何でしょう」

 朝食が終わり、家族三人、揃って寒々しい事この上ない広大な空間の真ん中に置かれた長いテーブル―――これでも、会食用の大食堂のものよりは、小さく、狭い王室の私的な空間、らしい―――の上座から三席のみを用いて食後のティータイムとなったところで、上座に座るフローラが年始特番のクイズ番組でも演じるがごとく、笑顔で子供たちに尋ねた。
 因みに食堂には王室の三人以外にも侍従たちが居るには居るのだが、その何れもが自らの職分を侵すことなく、そっと壁際に控えていた。
 ユキネは近侍としてマリアの横で朝食を共にしている。朝食の開始前に改めてフローラから紹介があった時にしゃべったきり、その後は口を閉じたままだった。
 つまるところ、主家に属する三名以外に、この場で自由に口を開く権利が無いのである。
 アマギリがちらりとマリアに視線を送ると、マリアは母の言葉など聞こえなかったとばかりにティーカップをすまし顔で口に運んでいた。
 ではフローラの方へと顔を動かしてみれば、質問をしたときの笑顔のまま、固まっていた。
 アマギリは一つため息を吐いて、答える事にした。
 どの道、この場でヒエラルキーの最下層に位置しているのは、自分なのだから。

 「聖機師だからですよね」
 「他にも単純に、王家の人間だからと言う物もありましてよ」
 簡潔に答えたアマギリに、マリアがそっと口ぞえする。
 母の言葉に返すのはためらわれても、兄の言葉を補足することに衒いは無いらしい。難しいお年頃だなとアマギリは思った。無論、口には出さないが。
 「ご存知でしょうがあそこは、聖機師の養成というもの以外にも各国の王侯貴族の子女に教育を施すための場でもありますから。……表向きは花嫁修業。本当のところは、同年代、同世代を担うものたちを集めて、外交と権力の行使の真似事をする場とも言えるでしょうか」
 「子供のうちに仲良くしておけば、戦争も起こりづらいだろうって事ですか」
 「現実には、国家勢力の縮図を理解する事になるだけですけどね」
 つまり、親世代が築き上げた勢力図がそのまま子供たちの交友関係にも適応されてしまう、と言う事だ。
 「おかげで卒業間近になると悲恋ぶって盛り上がる男女が多いらしいですわよ」
 「反対されると逆に燃え上がるらしいですからね、そう言うの」
 「因みに、同盟諸国の子女と親しくする事で、間接的な見合いの場としてしまうと言う意味も存在します。互いが気に入り、両家の親が認めたのなら卒業と同時に正式な縁談としてしまうんだとか。……アマギリさんは、入学したら売り手市場になるでしょうね」
 最後に棘を含ませながら告げるマリアに、アマギリは心底嫌そうな顔を浮かべた。
 「継承権の低い王族の使い道って奴なんでしょうけど……あまり考えたくないですね、その辺の事は」
 「諦めなさいな。婚姻相手を選べないのも王族の義務ですから。嫌でも、貴方には他国の女性たちと仲良くする義務があるのです。……それに、アマギリさんの場合はそれほど心配しなくても平気でしょう」
 「何故」
 何て事のない風に言うマリアに、アマギリは問いただすが、彼女の返答はあっさりしたものだった。

 「だってお兄様。聖機師ではありませんか」
 希少性の高い男性聖機師の婚姻は、所属する国家によって厳粛に管理されている。そして、聖機師の適正と言うものは遺伝的要素が大きい。
 「……ですから、仮に一夜の夢とばかりに他国の姫に手を出したとしても、その親たちからすれば喜びこそすれ、うらむ事は無いでしょう。片親だけとは言え聖機師ですから、それなりの確立で聖機師が生まれてくる公算がたかいですから。そこで男子が誕生すれば万々歳と言ったところではないですか。むしろ、迂闊に手を出さないようにアマギリさんには自制を養ってもらう必要があると思います」
 「ついでに認知されなくても、ハヴォニワ王室と通ずる事が出来るから損なんてかけらも無い……なんていうか、事実なんだろうけど朝の食卓で話す内容じゃないですよね」
 庭園でユキネにこなをかけていたのがまだ納得が言っていなかったらしい棘のある妹の言葉に、アマギリは苦い顔で答えた。
 これ以上兄妹の会話を続けるとさらに朝に相応しくない方向に飛びそうだったので、アマギリは母の方に視線を移すことにした。
 
 「それで、僕が聖機師だということで、それが?」
 「そう、ですわね。何か問題でもありましたっけ」
 アマギリのあからさまな方向転換に、マリアも自分の話していた内容がおおっぴらに語るような事でもないと気づいたのだろう、頬を赤らめながら兄の言葉に追従する。
 さて、母フローラはあけすけな会話を繰り広げていた子供たちの内心を知ってかどうか、笑顔からまったく表情を変えることも無く、自らの質問を繰り出してきた。

 「では、次の問題。アマギリちゃんが聖地学院へ通ってはいけない理由はなんでしょう」

 「は?」
 「……通っては、いけないですか」
 問いの意味が理解できないという風に問い返すマリア。アマギリはしかし、言われてどういうことかと考えていた。
 王族で聖機師であるからこそ、聖地学院へは通うべきで―――しかしフローラがこういう言い回しをしているのだ、つまりはアマギリは聖地学院へ通ってはいけない、通えない理由が存在するのだろう。
 「マリア様は、聖地学院へは入学しないんですか?」
 自身の考察はさておき、情報を増やすと言う意味を込めて、アマギリはマリアに話を振った。
 「もちろん、入学しますよ。……といっても、あそこは最低12歳からの年齢制限がありますから、私が入学するのは早くて二年後になります」
 整った顔立ちと落ち着いた物言いから忘れがちだが、マリアはまだ10歳だった事を、アマギリは思い出した。
 アマギリは現在14歳、年が明ければ15になっている筈―――彼には正確な誕生日が解らなかったから、新年を迎えたら年齢を一つ上げる事にしていた―――だから、入学資格年齢は満たしている。
 アマギリはもう一つ参考にとばかりに、マリアの隣で静かにティーカップを傾けていた女性に尋ねた。
 「因みにユキネさんは、何年生になるんでしょうか」
 「……四年生。来年聖機師の資格を取って、再来年で卒業」
 問われれば答えぬ理由もないと、じっと口を閉じていたユキネはアマギリの質問に答えた。
 「あれ、じゃあマリア様が入学する頃にはもう卒業ってことですか」
 「そう。……でも、専属聖機師としてお傍に居る必要があるから、その後も聖地学院内に居る事になると思う」
 「あそこは、初等学部に居る間は長期休暇の間でも理由の無い外出は出来ませんからね」
 従者の言葉に、マリアも然りと頷いた。

 「なるほど、ねぇ」
 紅茶で口を湿らせながら、アマギリは会話の内容を整理する。
 全寮制で周りから隔離された空間。
 「……言ってみれば、スケールの小さいアカデミーみたいなもんか」
 「? あかでみい、ですか?」
 考えていた事が無意識に口から漏れていたらしい。マリアがそれを聞きとがめて尋ねてくるが、アマギリ自身は自分が何と言ったか記憶していなかった。
 首をかしげるマリアに曖昧に笑い返して、アマギリはわかりきった答えを母フローラに返す。

 「聖機師だから、ですよね」

 「はい、アマギリちゃん良く出来ました」
 にこりと笑って、しかし解らなかったら許さなかったという体でフローラは息子をほめた。
 「やっぱり、拙いですか」
 「教会のお膝元に送り出す事になるんですもの。今のままでは流石に認めるわけにはいかないわ。……本当は、ユキネちゃんの三学期目にあわせてアマギリちゃんには編入してもらおうと思っていたんだけど、ちょっとアテがつかなくてねぇ」
 困ったわと頬に手を当ててため息をついて見せる母に、アマギリも仕方ないですよと笑ってみせる。
 しかし、中身を見せずに分かり合っているらしい母と兄の会話は、付いていけない妹にとって見ればはなはだ不服なものだった。
 「どういうことですか。聖機師であるからこそ、聖地学院への入学は必須でしょう」
 マリアの当然とも言うべき意見に、しかしフローラは薄く微笑んで答えようとしない。にらみつけても無駄だと解っていれば、マリアの取る行動は、気弱な兄にその視線を移すことだけだ。
 それに気づいてアマギリは苦笑を浮かべたまま、口を開いた。
 「正式に聖機師になるためには、聖地へ赴いて資格を取得しなければならない。そして資格を取得する方法は聖地学院に通学すると言う方法しかない。此処で問題なのが、聖地学院で取得された各種データは全て、聖地のデータバンクに記載されてしまう、と言う事です。つまり、聖機師になる、資格を得ると言う事は聖地に自身の詳細な情報を譲り渡すと同義なんですよね」
 「……それの何が問題なのです。教会のデータ管理体制は非常に厳粛かつ堅牢で、他国に漏洩するような事態はまず訪れないでしょう?」
 「ですから。つまりは発想の逆転です」
 前もやりましたね、と言いながら、アマギリはマリアに向けて手のひらを返す仕草をした。
 前、と言われてマリアは以前散々に言葉遊びでごまかされた事を気づかされ―――そう、その時のことを思い出せば、迂闊にアマギリの情報を外に出すわけにはいかなくなる。
 「アマギリさんは、そう……そう、でしたね」
 異世界人なのだからと、流石に声を出すのは憚られたが、マリアは納得した。
 アマギリはマリアの思考を読んで、同意を示した。
 「それも理由の一つです」
 「はい?」
 完全に納得の態度をしていたマリアは、兄の言葉に間抜けな声を出してしまった。
 そんなマリアの態度に微苦笑を浮かべた後で、アマギリはフローラに視線を送った。
 どうするのですかと言う視線を送られたフローラは、人差し指を立てて笑いながら言った。

 「家族で隠し事をするのもよくないし、丁度ユキネちゃんも居る事だし、実際に見てみましょうか」

 フローラの言葉に、マリアとユキネは顔を見合わせて首をひねった。






   ※ まぁ、天地三期の最終話のラスト10分くらいまで話が進まないとかに比べれば、どうって事無いよねと気付く今日この頃



[14626] 6-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/22 10:42

 ・Seane6-3・


 「……脚が、無い」
 雪音なる流麗な自身の名に相応しい、優美なシルエットを持った聖機人に搭乗して錬兵場で待機していたユキネの前に姿を現したのは、蛇の尾のような半身を有した、見た事も無い異形の聖機人だった。
 色は塗装の無い地金のようなくすんだ鉛色。天を覆うかのごとく左右に広がる牡鹿のような角が、その特徴的な下半身に負けぬ禍々しさを引き立てている。
 それが、格納庫の中から、地を這うように尾を蠢かしながら近づいてくるのだから、流石にこの状況は予想できなかったユキネからしてみれば恐怖の光景だろう。
 恐怖を振り払うためにも、聖機人に持たせた剣で、今すぐ切りかかりたい衝動に駆られる。

 『つまり、これが理由と言うわけですか、お母様……』
 『そぉよぉ。名づけて龍機人。凄いでしょぉ』
 『凄いとかそういう問題じゃないでしょう! ど、どうなってるんですかあの脚!! ……いえ、尻尾?』
 
 コアユニットに備わったスピーカーから、無線機越しに主君親子の声が届く。
 学院に居た時にあった通信では教えてくれなかったから隠していたのかと思っていたのだが、どうやらマリアもあの異形の存在を理解していなかったらしい。
 ユキネも、彼―――アマギリ・ナナダンの事は、女王フローラが何処かから拾ってきたどうやら異世界人らしい、とまでしか聞いていなかった。
 異世界人という存在は、ユキネの知る限り聖機人に対して極めて高い適正を示すと聞いていたから、食堂から聖機人の格納庫に移るに当たり模擬戦を行うよう主命を賜った時も油断をするようなことは無かったが、流石に目の前のコレには意表を突かれた。
 高い適性を持つ聖機師の操る聖機人には、尾が生える。王女専属の聖機師という栄誉を賜る程の才を秘めたユキネの操るそれも、例に漏れず”尻尾つき”であったが、流石に下半身が全て尾に変化するような事はありえない。

 『一体どういうことなんですかお母様! い、異世界人というものは、あの、ああいう物なんですか!?』
 『あらマリアちゃん。異世界人なんて何処に居るのかしら』
 『冗談を言ってる場合じゃないでしょう! あんな状態、通常の機体ではバーストモードにしてもなるはずがありません!』
 『……そういえば、龍機人のバーストモードはまだ見た事が無いわね。一体あそこからどう変化するのかしら』
 『お母様!!』

 主家親子の会話から得られる断片的な情報は、いまいち事情を図りかねるものしかなかった。
 ユキネは聖地学院の課外授業の時に出会った老いた異世界人の男の事を思い出していた。なんとも率直な意見を言うのも憚られる、好まそうとは言えそうも無い嗜好の持ち主だった。人間性に於いては突っ込みどころ以外の何ももつものが無いような困った老人だったが、記録映像―――本人の解説、つまりは自慢話つき―――で見た現役の時の戦闘記録は、流石の一言と言うほか無い凄まじいものだった。
 暴力が形を持って戦場を駆け巡っている。そういうほかの無い、他を圧倒する超戦力。

 だがそれとて、目の前のコレと比較してしまえば、あっさりと霞むだろう。
 常識的な感性を持つユキネは、何故あの少年が王室に迎えられるなどと言う異常な事態に至ったかを理解した。
 確かに、女王陛下はこういう一般人が避けて通りたくなるようなものが好みだろうから。見知ってしまえば、手元に置きたくなるのも道理だろう。
 
 『え~っと、それで、この後どうしましょう』

 眼前の異形からの通信だと解る少年の声が、スピーカーから響く。
 解っていたけれど、ユキネには驚かずにはいられない事実だった。あの聖機人の中に居るのは、あの異形をコントロールしているのは、あの困ったように笑う笑顔が印象的な少年なのだ。
 異形の聖機人は、その腕に格納庫の建設資材のような長槍を所持していた。長大な全長を誇るその機体が、片手では振り回せないような長槍を水平に構えている様は、いっそ冗談のような禍々しさだった。
 格納庫の中で、何故あんな扱いづらいオーバースケールな槍を得物に選択したのかと本人に尋ねたところ、少年は”脚を踏ん張れないので剣に体重が乗せられない”と言ういまいち要領を得ない言葉を返していた。
 今なら、ユキネにも解る。威力を込めて剣を振るうために軸足に力を込めようにも、そもそもあの機体には脚が無い。
 ならば槍を振り回すのも同様に不可能なのではないかと思えるが、あれは恐らく、空中から落下時の加速を加えて打ち落とすように使うつもりなのだろう。相手の攻撃範囲外からの、一方的な突きの連打。あの巨大な機体の重量も加わって、脅威だと推測できる。
 
 『先に説明したと思うけど、稼動限界の耐用年数を迎えた機体を纏めて教会に戻す、大掛かりな機体交換の時期が近いから、それに乗っかって稼動限界ギリギリの聖機人を使って、多少壊れてもかまわないから龍機人の近接戦闘のデータ取りがしたいのよ。ユキネちゃんは聖地学院の仕組み上まだ見習いだけど、ウチの国じゃトップクラスに強い聖機師なんだから、丁度良いでしょう?』
 『近接戦闘って……殴り合いなら、ほらその、何ていうか。”一番初め”にやりましたよね。近衛の皆さんを相手に』
 『確かにそうだけど、あの時はほらぁ、みんな龍機人の見た目に驚いちゃってまともな戦闘にならなかったでしょ? だから、一度正面からぶつかった時の情報が欲しいの』

 少年が拾われた経緯という奴はユキネもマリアから聞いていた。
 偶然聖機人を動かして、捕獲に現れた近衛の聖機人八機中四機を叩き潰したと聞いた時は、そんな無茶な話があるかと思ったが、なるほど、この化け物と初見で戦場で遭遇すれば、驚いて反応が遅れる事もあるだろう。
 眼前で対峙しているこの状況でも、ユキネには相手がどのような機動を見せるのか判別付かなかったから、緊張状態の戦場では尚更そうだと言える。
 さて、実際のところはどうなんだろうとユキネは首をひねる。
 朝の出会いから観察してみたところ、体の動かし方自体は知っているようだったが、達人、と呼べる人たちほど洗練された部分は見られなかった。思念操作が大きい部分を占める聖機人に於いて、自身の生身での技を磨く事は聖機人の動きを洗練させるためにも必須事項と言えたから、格闘戦に関しては自身に分があるのではないかとユキネは考えた。
 とは言え、相手はとても常識が通じそうに無い見た目の、アレである。
 実際にぶつかってみなければ、解らない。
 
 『それじゃあアマギリちゃん、ユキネちゃんも。覚悟は良いかしら?』
 小型ウィンドウの向こうで微笑み尋ねてくるフローラに、ユキネは決意を持って頷いた。
 『……どうぞ。いつでも良いですよ』
 緊張を交えたアマギリの声が、ユキネの返事に続いた後で、フローラはにこりと笑って宣言した。

 『それじゃあ、は~じめ』


 「……ユニーク過ぎる」
 首から右肩にかけて、襷掛けでそぎ落とされたままコクーンに戻った自身の機体を格納庫内で見上げながら、ユキネはマリアの問いに答えた。
 「そりゃあ、どうこう言う以前に、普通に生きていたら思いつかないような行動を取られてはね……」
 「初見でアレを見切るのは、不可能に近い」
 コクーンの真下、下腹部に大きく開いた穴に視線を落としながら、ユキネは追従してきた主君に言葉を重ねた。

 一方的な結果だった。
 アマギリの聖機人―――フローラに龍機人と呼べと言われた―――は開始の合図と同時に跳躍。エナの喫水線ギリギリでユキネの聖機人を待ち構えたと思ったら、下から切り払うようなユキネの斬撃を、あろうことか”喫水線より上空”へ避けて見せて、その異様に彼女が意識を奪われた一瞬を付いて、戦闘前の予想通りに槍を突き出してきた。
 完全に回避の遅れたやりはユキネの聖機人の腹を貫き、地に縫いつけ、そして何とか身を起こそうとしてみれば、肘で身体を持ち上げた瞬間に、襷掛けに手刀で首から腕まで切断されて、戦闘不能に押しやられた、
 
 「お母様が気に入るわけです。こんな隠しだまを有していたなんて……」
 「……聖機人が喫水外で動けるようになれば、それはとても凄い事。革命的」
 「この能力が遺伝するとすれば、戦場の有り様が変わるでしょうね。……それに、異常な動作ばかりに目を奪われがちですが、瞬発力や加速性能も非常に高いようですし。たかが王位継承権を与えるだけでそれを取り込めるなら、安い買い物と言えるかもしれません」
 ユキネとマリアは揃って破壊された聖機人を見ていた視線を横に向ける。
 ユキネの聖機人の隣には、無傷だったはずなのに何故か形質劣化を引き起こしてひび割れたコクーンが安置していた。内側に見える素体の脚部にも、無数の皹が走っているのがわかる。
 その下では、つなぎ姿の整備員に何かの質問をされている、困り笑顔が印象的な少年の姿があった。
 あの異常を引き起こしたとは思えない、朴訥な顔の少年。
 その横顔を、ユキネはない交ぜな気持ちで眺めていたが、ふと、マリアが自身を見上げている事に気づいた。
 母フローラのように、マリアは薄く笑っている。
 首をかしげて、ユキネは主君の言葉を待つ。
 「アマギリ―――お兄様の特異性は、果たして遺伝するのか否か。確証も取れぬ前に、他国の娘と子をなすような事があったら困りますわよね」
 悪戯っ子のように笑いながら、マリアはそこで言葉を切ってユキネの顔色を伺う。
 理知的な亜麻色の視線に写った、ユキネは自身の顔の色がどうなっているか気になった。

 「まずは、国内の信頼できる女性聖機師との間に子を成して見る事から始めてもらう―――というのは、どう? お母様が考えそうな事じゃない?」





   ※ 熱出して倒れてたんで更新休みました。
    
     データ取りたいと言ってるのに全力で仕留めに行く辺りこの主人公大人気なさ過ぎると思った。
    因みにこの章書いてるときはまだユキネさんの聖機人が登場してなかった頃なので、微妙に描写が曖昧だったり。
    マントがつくとは思わないよね。まぁ、シュリフォン王のジェロニモスタイルには負けるけど。





[14626] 6-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/23 17:45

 ・Seane 6-4・



 手のひらが痺れ、握っていたものの感触が薄れたと感じたその一瞬。

 身体が突然浮き上がったかと思うと、視界に天井が移り、そして暗転した。
 背中に強い衝撃。痛みとショックで呼吸は詰まっている筈なのに、身体はしっかりと横転して追撃の突き落としと避けていた。
 無様に砂地の上を転がりながら、肘を浮かす反動で身体を浮かし、バックステップで距離をとり、相手の姿をうかがう。
 氷のような感情の無い瞳で観察する襲撃者の姿を視界に納めたところで、そこまで、と言う妹の言葉が剣戟の修錬場の端から響いた。

 「うわ、木刀にヒビ入ってますよ。上手くいなしたつもりだったのに、道理で手が痺れたと思った……」
 やれやれと、くたびれた緊迫感のかけらも無い声を上げながら、アマギリは取り落とした自身の得物を拾い上げた。
 ユキネはそんなアマギリに近づいて、その背に付いた砂を払い落としている。
 「おわっと、すいません」
 「良い。……平気だった? ……背中」
 「ええ、何とか。ちょっと受身取りそこないましたけど」
 手首をつかまれて返す反動で脚を払われ転ばされた。息が止まりそうな結構な衝撃だったが、それを言わないのは、男の見栄という奴だろう。
 
 「それでユキネ、いかがでした?」
 マリアが砂で埋め尽くされた修錬場に似つかわしくないヒールの高い靴で二人に近づいてきて、尋ねた。
 なんてことは無い、思いのほか一方的に決着の付いてしまった聖機人での模擬戦の後で、聖機人は強い事がわかったけど、生身での戦闘はどれほどのものなのか、とマリアが言い出したのがアマギリが砂地に転ばされた事情だった。
 「……弱くは無い。基礎は出来てる。……後、致命傷だけは絶対避けるって姿勢は高評価」
 言外に、強くもないけどと言う感情がこもっていそうな、ユキネの言葉だった。
 とりあえず一回合わせてみようとルール無用で打ち合ってみたら、数合打ち合った後投げ落として終わり、と言う事だったので、ユキネの感想は割と妥当な意見だと言えた。
 「死ななきゃ、とりあえずそのうち勝てるって、昔誰かに言われた気がしてましてね」
 「間違っては居ない、けど……勝ち気が足りな過ぎる」
 「聖機人に乗っていた時はあれだけ軽快な動作をしてらっしゃったのに、何と言うか生身の時は、その、泥臭い動きになってましたしね」
 地面を転がっているのを思い出したのか、マリアが口元に指を添えて考えていた。
 ユキネの聖機人を叩きのめした後、限界稼働時間ギリギリまで聖機人でアクロバティックな飛行を繰り広げていた人物の戦いにしては、随分ドンくさい物に見えた。
 「……まぁ、聖機人のときも不意打ちくさかったから、現実はこんなものかもしれませんわね」
 「いやぁ、機動兵器の操縦と生身を使った戦闘技術を同列に比較されても」
 辛らつな結論に至った妹に、髪にかかった砂を払いながら、アマギリは苦笑いする。
 無茶言わないでくれと言っているようなアマギリの言葉に、マリアは眉をひそめた。
 「機動……ようは、聖機人のことですわよね。でも、聖機人は聖機師の思い描く動作を完璧に再現できるんだから、聖機人で強力な戦闘力を発揮できるなら、生身でも戦えるのが普通なのではなくて?」
 「そうですかぁ? むしろ、機動兵器戦も出来るのに、生身でもアレだけ強いユキネさんを褒める部分だと思うんですけど」
 「そうでもない」
 微妙にかみ合わない意見を兄妹が交わして首をひねっていたところに、黙ってアマギリの服に付いた砂を払っていたユキネが口を挟んだ。

 「そうでもない」
 「と、言いますと……?」
 繋げて一つの言葉を述べる兄妹に、ユキネは最後にアマギリの頭を二、三度撫で付けた後で、頷いた。
 「アマギリ殿下の聖機人の動かし方は、ユニーク。……普通じゃない」
 「……まぁ、見た目からして、普通じゃないですものね」
 考えをまとめるようにゆっくりと意見を述べるユキネに、マリアはそりゃそうだと頷いた。
 何せ、御伽噺に搭乗するような龍の写し身だ。常識では測れないだろう。
 だがマリアの言葉を、ユキネは小さく、そうじゃなくて、と呟きながら否定した。
 「中身は、普通の聖機人と同じ。……なのに、聖機人の動きじゃなかった」
 「……? よく、解りませんわね。ああいう見た目なのですから、動かす時はあの時の様に空を泳ぐように動くのが当然なのではないですか?」
 「あ、そう言う事ですか」
  首をひねって問い返すマリアに反応したのは、黙ってユキネの話を聞いていたアマギリだった。
 「そういう事とは?」
 どう言う事ですかと問いかけるマリアに、アマギリは頷いた。

 「ようはこの星の人たちって、機動兵器に自分の可能な行動をトレースする事しかしないって話ですよね」

 答えを返す形で、最後だけ問いかけるようにユキネに話を振った。
 ユキネは自身とアマギリの発想の違いにあるものを考えるようにしながら言葉を選んで言った。
 「聖機人を動かす時は……自分の。……自分の身体の動きをイメージして動かすのが、普通」
 「ですわよ、ねぇ。生憎私は聖機人を動かしませんから詳しい部分には疎いのですが。聖機人の操縦システムと言うのは、人間の、達人の動作を完全に再現できる優れたものなのではないのですか?」
 何を訳のわからないことを言っているのだと言う体で、マリアはアマギリに問い返した。
 下手な事を言ったらお仕置きでも始めそうな妹の態度に、アマギリは二度三度言葉を捜すように無言で口を開いては閉じた後で、言った。
 「何って言うか……ええと、聖機人って言うのは聖機人であって、人間ではないんですよね」
 「……意味が解りかねるのですが」
 「ああ、えっと何て言うかな。聖機人は人に似てるけど……ああ、つまりそう。アレは単純に人型の機動兵器ではあるけど、人間ではないんですよ」
 ようやくひねりだした、と言うようなアマギリの言葉も、マリアには何を同じ言葉を繰り返しているんだと言う風にしか理解できなかった。
 だが、ユキネは理解できたらしい。教室で、教師に解答を求められた生徒のような緊張した口調で、アマギリに尋ねた。

 「聖機人は、人間じゃない。……人間じゃないから、人間と同じ形をしてても、人間の動きは……出来ない」

 ユキネの言葉に、アマギリは我が意を得たりとばかりに楽しげに頷いた。
 「そう、まさにそれです。聖機人って言うのはあくまで全長二十メートルの人の思考を汲み取って動く人型兵器ですけど、それだけなんです。極論になりますけど、人型をしているからと言って、人の動きをさせる必要もないんですよ」
 「人の動きを完全に再現する事は不可能だけど、……だからこそ、人には実現不可能な動きも、出来る?」
 「その通り。自在に飛行が可能なところとか正しくですよね。でも、あまりに自分の生身での行動にとらわれすぎちゃうと、逆に動作に縛りが出来ちゃうんですよ。ほら、剣戟を行う時とかって、大抵地面すれすれの場所で、脚をちゃんと地に向けて踏み込みを入れて斬撃を入れるでしょう? ……宙に浮いてるんだから、踏み込みの動作とかあまり意味がないのに。つまり、反射神経とか戦闘向きの直感を養うには、生身での戦闘訓練は有効なんですけど、それと空間機動兵器の操縦を一緒にするものじゃ無いんです」
 まったく常識的ではない概念をそれが当たり前のように話すアマギリに、ユキネは首をかしげて問いかける。
 「……殿下は、聖機人を戦車やエアバイクの延長線上で扱っている?」
 「アナログな動作反応をしてくれる思念操作タイプを使っていますけど、マシーンはマシーンですからね。ペダル操作と根本的な部分は変わりませんよ。僕はほら、辺境の生まれで、惑星開発キットについてる大型のメテオマッシャーとか深海探査艇とか短距離ワープも可能なスペースクルーザーとかを小さい頃から乗り回したりしてましたし、その辺の割り切った考えが染み付いているのかもしれません。まぁ、そんな言い訳してたら闘士失格だって言われちゃうんでしょうけど。……って、マリア様どうかしましたか?」
 「どうかしたかももなにも、貴方今……いえ、気づいていないなら、良いです」
 どう考えてもこの世のものとは思えない単語を次々と口にしていたのだが、どうやら本人は無意識のうちの事だったらしい。

 こいつは絶対異世界人で確定だな、とマリアは確信していた。
 しかも、今までにジェミナーの住人が接触した事がないような、高度文明の生まれだ。
 ただの朴訥そうなお人よしにしか見えないこの少年。その実、有り得ない機動概念で聖機人を操り、その聖機人すら常識では有り得ない形状をしている。
 叩けば何が出てくるか想像も付かない、びっくり箱のような人間。
 「どうかしましたか、マリア様?」
 「何でもありません。―――此処は砂っぽくて良くないですね。湯浴みでもして、さっぱりする事にしましょう」
 考え事をしていたらじっと見つめていてしまったらしい。不思議そうな顔をしていた兄に首を振って、マリアは修錬場の出口へ歩を進めた。
 その後ろに、主と同じく考え込んでいる風のユキネが付き従う。
 「……早めに、既成事実を作って首輪を増やした方が良いかも知れませんね」
 そうでもしなければ、全てを思い出した彼が、どのような動きをするのか、まったく予想が付かない。
 わざと聞こえるように言ったマリアの言葉に、背後のユキネが、肩を震わせたのが感じられた。
 それをクスリと笑いながら、マリアは悪戯っ子の笑みを浮かべて、遅れて付いてきたアマギリに振り返って言葉を投げかける。
 
 「なんでしたら湯殿までご一緒しますか、お兄様?」




   ※ 因みに主人公の聖機人は邪神兵が元ネタで正解。色的にも。まぁ、動いてるのは見た事無いんですが。
     だからといってダグマイア君の聖機人の剣がドリルのように回転しだすとかは、特に無いかなー。



[14626] 6-5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/24 18:31

 ・Seane 6-5・


 「流石に、人が多いですね」
 「……年始休業も、昨日までだから」
 「ってことは、今日は何処も新年初売りの日ってことですか。……そりゃ、人も増えますよね」
 ハヴォニワ首都、市や商店が並び立つ大通りの人ごみの中を、アマギリはユキネを引き連れて歩を進めていた。
 

 どうせなら、お忍びで街に出歩いてみてはいかがかしら。良く考えたらアマギリさん、貴方まだ、此処に来てから一度も城下に降りた事がないでしょう?
 お供なら、ホラ。ユキネを貸して差し上げますし。


 そんな言葉が、朝の食卓で妹の口から告げられていた。
 「はぐれたら、いけないから……手を」
 「いや、そこまで姫殿下と陛下に義理立てしなくていいですから」
 寄せては引く人の波を掻き分けながら目的もなく商店街を進むアマギリに、背後からそっと、それこそ躊躇いがちにユキネが提案したが、アマギリは微苦笑をして首を横に振った。
 この淑やかな女性が自らそんな提案をするはずもなかろうし、どう考えても何処かのお気楽親子の入れ知恵に違いなかったから。
 年末から年明けの新年祝賀の行事にかけても、何故だかやたらとアマギリとユキネを一緒にさせようと言う王家親子の企みにアマギリは気づいていたから、その目的も知れるというものだった。
 据え膳を付き返す趣味はないが、つっかえ棒と草かごで作ったわながその上に仕掛けられているのが解って入れば、流石に迂闊に手を出す気にはならない。
 精々、美人と一日二人きりでお出かけできてラッキー、程度に思うしかないだろうなとアマギリは考えていた。
 ついでにある程度―――本当に、ある程度で充分だが、お近づきに慣れれば幸運この上ない。年初めのイベントとしては良いほうだろう。
 そんな訳で、アマギリは年初めで人気の無い政庁街―――コレも含めてハヴォニワ王城と言っても言いのだが―――を降りて、市民の行きかう首都市街地へとやってきたのだった。
 
 「おっと」
 そんな事を漠然と考えて苦笑していたら、アマギリは前から歩いてきた人にぶつかりそうになってしまった。
 咄嗟の事で立ち止まってしまうと、そっと背中を柔らかい感触が支えてくれた。
 ちら、と視線を後ろにやってみれば、女性にしては背の高い、アマギリと殆ど目線の変わらぬ位置にある整った顔立ちと、切れ長の瞳と視線がぶつかった。
 失礼、と一言口にして、アマギリが身体を離そうと思ったら、コートの袖が何かに引っかかったような感触が会った。
 細く、白い指が、アマギリのコートの袖口を、摘んでいた。
 そこからなぞるように腕を通って視線を上げると、頬を朱に染めたユキネの顔が、居住まい悪げに視線をそらしているのが見えた。
 「人、いっぱいで……危ないから」
 ポツリと、そんな事を呟いてくる。
 その小動物のような愛らしい照れた顔を見ていると、草かごを蹴飛ばしてご馳走を口にしてみたいと思わざるを得なかったから、アマギリはさっと紳士的に見なかった事にして、視線を前に戻した。
 「そりゃあ、ごもっとも」
 器用に手首を返して、袖口にあった細い指に自身の指を絡めて見る。
 相手の協力もあってかそれは、あっさりと成功してしまい、さて城に帰ってからが大変だろうなと思いつつも、アマギリは一先ず、この状況を楽しんでみようと思考を放棄することにした。
 役得だとでも思い切らなければ、どうにもならないのだから。

 新年の初市で賑わう商店街の人ごみを抜けて、幾つもの通りが交差する大広場に歩を進める。
 広場の中心の噴水の周りでは、曲芸やら即興の演奏会やらが見物客の喝采を集めていた。
 アマギリはたまたま路肩に出ていた屋台のクレープ屋に、ストロベリーソフトのクレープを二つ注文をし―――それから、良く考えたら自分が財布を持っていない事に気づいた。
  一瞬、どうしたものかと思考を停止したアマギリの脇からそっと、ユキネが屋台の店主に硬貨を手渡した。
 へい、毎度と受け取ったクレープを、ユキネはアマギリに差し出した。
 「……嬉し恥ずかし初デートって言うよりは、はじめてのおつかいって感じですね、コレだと」
 苦笑を浮かべて片方だけをユキネから受け取って、もう片方は貴女の分だと手で示して見せると、ユキネは驚いているようだった。二つともアマギリが食べるものだと思っていたらしい。
 その惚けた姿に微笑ましいものを覚えつつも、これきっと、何処かで監視しているんだろうなぁと言う事実を思うと、アマギリは暗澹たる気分が抜けなかった。
 たとえば、空を巡回飛行している聖機人の姿とか、怪しいよね。
 いっそ見事なエスコート振りでも示してやって、逆に笑い返してやろうと思っていたが、そうそう上手くはいかないらしい。
 噴水の外周を覆うように設置されていたベンチに空きを見つけて、座ろうかとユキネの手を引きながら、アマギリは微妙に空回った行動をしていた自分に苦笑していた。
 何処まで言っても僕は受身に生きるのがあっているのだなと、アマギリは自分に苦笑いしていた。


 「あれ、じゃあ週末にはもう帰る……ってのもおかしいか、学校へ戻るんですか?」
 巨大なボールの上に載りカラフルな棍棒を幾つも投げ操る大道芸を横目に、アマギリは雑談途上にでたユキネの言葉に目を瞬かせた。
 指に付いたクリームを舐めとりながら、ユキネは頷く。
 「新学期……始まるから」
 「三学期せいでしたっけね、聖地学院って。……珍しいですよね、普通学校って言うと、前期、後期の二期制で、それぞれ間に長期休暇でも挟むものだと思ってましたけど」
 「……異世界人が昔、そう決めたって聞いた」

 ユキネが言うには、聖地学院の学則作りに携わった異世界人の故郷の風習でそうだったから、聖地学院もそれに習う事になったらしい。学校における長期休暇のシステムは、本来その学校が存在する土地々の季節風土にしたがって決められるのが一般的なのだが、聖地学院では特にそういう部分を考えずに、圧倒的な権力者であった異世界人の言うがままにルール作りが行われたとの事だ。学期制度の他にも、異世界人が強引に決めた首をひねりたくなるルールが、聖地学院には他にもいくつかあるらしい。
 
 「なんだか、そこへ通うのが楽しみと言うか、微妙に不安になってきましたよ……ユキネさん、どうかしましたか?」
 聖地学院の風習を自身の常識に照らし合わせながら楽しそうに聞いていたアマギリを、ユキネは何か考え込むように眉根を寄せて見つめていた。
 失礼かな。ぶしつけ過ぎて怒られないかなと、不安そうに揺らぐ瞳を安心させるように、アマギリは微笑を浮かべて頷いて見せた。そっと膝の上に置かれた手でも包んで見せれば更に絵になったのだろうが、アマギリは礼儀正しくそれは見送った。頭上の空を、顔を下に―――こちらに―――向けたまま飛行する聖機人が横切ったからだ。
 この、ヘタレめと呟く母の言葉が、虚空に響いた気がした。

 「殿下……、学校は二学期制が普通って言った」
 「言いましたね」
 ポツリと呟くユキネに、アマギリは何て事のない風に頷いた。本当にそれがどうしたかという態度だったので、ユキネはますます居住まい悪そうに視線をそらしたまま、か細い声で後の言葉を続ける事になった。

 「ハヴォニワでも、何処でも……この世界の学校は、普通三学期制」

 学期制度が二期の学校なんて、聞いた事がないと、ユキネは言っているのだった。
 「……ああ」
 ユキネの言葉にアマギリは、まただ、とばかりに納得した風に頷いた。自分の常識が、また世界とずれている。
 ふぅ、と空を見上げてアマギリは大きく息を吐いた。
 「……殿下?」
 労わる様な目で見つめるユキネに視線を移して、微笑みかける。その後、もう一度空を見上げて―――ポツリと、どこか遠くへ向かって言葉を漏らした。

 「内緒話を少し、しましょうか」
 「―――?」
 「此処へ来る前は、山の中の小さな樵小屋で、一人暮らしをしていたんですよね。一人になったのは、三年前からで―――それ以前は、偏屈な爺さんと一緒に暮らしていたんですよ」
 その話は、ユキネはマリアから聞かされている。それ以前がどうだったかが、不明だと言う事も。その辺りをユキネが確かめるように聞くと、アマギリはその通りと弱い笑みを作って頷いた。
 「まぁ、偏屈な―――あまり、こちらが尋ねない限り言葉を話さないような爺さんだったんですけど、でも、僕が尋ねた事には基本的に全部答えてくれていたし、ユキネさんが感じているような、僕の微妙にずれた常識の事も、それがおかしい、という事はなかった」
 それは―――はたして、どう言う事だろうか。アマギリの知識は、恐らく少し突っ込んだ話をしてみれば誰もが”変”と思うだろう。爺さんというからにはそれなりの年齢だっただろうその老人は、それだけの時を常識の中で生きているのだから、一緒に暮らしていればアマギリの言動がおかしいと思うはずだ。
 「あの爺さん、僕に一人で生きていくための知恵を仕込んで―――そして、三年前に居なくなったんですよね」
 「―――居なくなった?」
 亡くなったのならはっきりとそう言えばいいだろうに、アマギリの言葉は微妙な表現に満ちていた。
 「マリア様はその部分には突っ込んでこなかったんですけどね。そう―――居なくなった、です。ある日忽然と、姿かたちが失せて、まるでそう、伝えるべき事は伝え終えたからと、陽炎のごとく」

 ―――それは文字通り居なくなったのだと、アマギリはそう言った。
 その不思議に何もいえないで居るユキネを余所に、アマギリは自身の思考に耽る。
 「今思い出すと、あの爺さんの常識ってヤツは、僕と同じ方向を向いていた気がするんですよね。あの人はあまり人前に出る事を好まなかったし―――僕にも、あまり人里に下りないように言っていた気がする。……最近になって、その理由がこの辺りにあったんじゃないかって思うようになってるんですよ」
 「自身の異質を知っているからこそ―――それを、悟られないように?」
 「ええ。聖地学院の話を聞くと、僕の常識って”異世界人の常識”とも違うんでしょう? それってつまり―――どういうことを意味するんでしょうね?」
 それぞれは些細な違いに見えるが、積み重なって全体像が映し出されると、まったく違うものが組み上がっているようにも見える。
 「本当にね、思うんですよ。僕はただの、ちょっと常識知らずの異世界人ってだけで済ませられるのか、そうじゃなくて本当は、ひょっとしたら隠れてすごさなきゃいけない禄でもない事情でも抱えているんじゃないかって」
 
 隠れて生きるのも、もう不可能なんですけどねと、困った顔で笑うアマギリに、ユキネはかける言葉が見つからなかった。
 自分には、わからない悩みだったからだと思う。
 否、彼自身が、それが悩みであるかすら理解し切れていないのだ。
 初めて出会った時から俄かに感じていた、芯の無い行動―――真実、彼は自分の中心に確固たる物が存在していない。いや、あるはずなのに、自分でも見えていない。
 それはきっと、ゆらりと流れに乗って何処へでもいけるだろうが、自分で何処に下りるかも決められない、辛い、生き方をする事になるのではないだろうか。
 他人に左右され、他人の意のままに振り回される。そして気付けば、敵ばかり。味方は何処にも―――居たとしても、今はもう、遠く風の向こう。流れ続ける限り常に一人だ。

 あの方達は、そういう人を利用するのは、とても得意だし。

 近侍であるが故の親近感から来る思考で、ユキネは主家親子の事を苦笑しながら、それならばせめて自分くらいは無条件で味方であると思ってもらえるような付き合いが出来れば良いと思った。
 今後長く、恐らくは生活を共にする事になるのだから。
 きっと、最後までついて行く事はしてあげられないけれど。今、此処に居る間だけは。
 だからユキネは、そう言う事が伝わるようにと、言葉を選んで―――結局、何時もの口下手な自分に困らされる事となった。
 「平気。―――多少変でも、平気。……私もたまに、変って言われるけど、平気、だから……」
 だから、何だろう。そこから先が必要なのに、ユキネには言葉が見つからない。
 口下手なユキネにはそれ以上の言葉が見つからなかったけれど、場の空気を読む能力には無駄に長けるアマギリには、それだけの言葉で充分だった。
 何を思っているのか、それは彼以外には知れず。
 今度は上手く、自分からユキネの手を取る事に成功させた後で、アマギリは微苦笑を浮かべて頷いた。
 「それなら、変なもの同士―――仲良くしましょうか」

 「―――、ん」

 ユキネが微笑を浮かべて頷いたのと時を同じく、王城の何処かで、喝采が上がったような気がした。 



 ・Seane 6:End・
  


    ※ 別にクリスマスイブだからそれっぽい話とか狙った気は無いぜ!
      まぁ、妹を挟んだ関係から個人的なお付き合いを始めましょうくらいにはなった、ってとこですかね。
      
      次回からシーン転換なのでユキネさんは一旦此処で退場。まー思いのほか早く出てくるんですが。



[14626] 7-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/25 17:49

 ・Seane 7-1・


 「だから、ね? ワウちゃんほどの腕があれば、簡単でしょう?」
 「いや、そのフローラ様。確かに素材さえあれば数字をいじくるだけですけど、あれは禁制品……」
 
 薄暗い―――必要もないのに、何故か無意味に薄暗い、証明の落とされた格納庫の一角で、ワウアンリー・シュメはこのハヴォニワ国王女、フローラ・ナナダンに笑顔で無理難題を押し付けられていた。

 「だったらなお更簡単じゃない。安心していいわよぉ、素材はね、実はもう用意できてるから」
 「あんな希少な結晶構造どこで手に入れたんですか!? ハヴォニワ国内じゃ出土しないでしょうに……って言うかフローラ様。今回あたしを呼び寄せたのって、コレを作らせるのが目的ですよね」
 「やぁねぇ、これ”も”目的なだけよぉ」
 
 ワウアンリーが、新学期始まって早々に休校届けを出してまでこのハヴォニワ王城にまで訪れたのには、当然理由がある。
 彼女自身が主導となって推し進めていたある研究のスポンサーである、ハヴォニワ国女王フローラから、個人通信を取られたからだ。現物の輸送を交えての紙面報告が殆どだったから、ワウアンリーとしても、もしやここまで開発を進めておいて予算の減額などと言い出すのではないかと緊張しきりだったのだが、フローラの告げる会話の内容は、まったく予想外の事だった。
 
 ウチの子のことで、ちょっと相談があるのだけど。

 それが子供の教育方針に関しての話であるなら、いくら90年以上の歳月を生きるとは言え、見た目は十台、加えてただの学生であるところのワウアンリーを頼るはずもない。
 だいたいワウアンリーは、自身の研究にかまけてしょっちゅう休学と復学を繰り返しているため、単位の取得に失敗し未だに正式な聖機師の資格も取得していないありさまだ。何しろ十数年前の一時期、当時聖地学院に通っていたフローラと同級生だった事すらある。今の状況だと恐らく、フローラの娘であるマリアと同窓を構える事となるのは確実だと言えた。
 それに、時期的に言って子供というのがマリアを指しているわけではないだろう事は予想が付いていた。

 アマギリ・ナナダン。

 ある日忽然とハヴォニワに現れた、新たな王子。
 先王―――年齢的な意味ではワウアンリーにとっては同世代だったりする―――の最後の忘れ形見と言われるその少年は、何と聖機師ですらあるらしい。
 王族であり、かつ男性聖機師というその存在が披露された時は、世界に対してセンセーショナルな話題を振りまく事となったのも新しい思い出だ。
 王家の者で聖機師であるなら、その搭乗する聖機師も通常一般配備されている機体とは違い、特別なチューニングを施す事もあるかもしれない。
 それならば、聖機工であるワウアンリーに相談するのも当然なのだが、むしろそのような理由があるならば、彼女を通さずに聖機人の製造元である聖機工房へと直接連絡を取った方が早いだろう。
 ワウアンリーの聖機工としての師であるフラン師を紹介して欲しいのだろうかとも思ったが、フローラはそれを否定した。
 じゃあ何のためにと問うワウアンリーに、フローラは映像通信機の表示映像を切り替えて、彼女の興味を引いて余りある映像データを表示してきた。
 
 そこには、太い蛇の尾をもつ、脚の無い聖機人の姿が映されていた。

 耐用年数間近の聖機人が、交換のために聖機工房へと運ばれていたのは、ワウアンリーも搬入を手伝った当事者の一人として知っていた。そしてその機体のうち、一部のものが極度に脚部に劣化現象がおきているのも確認している。今までにない形質劣化に、聖機工房がそこに至る経緯をハヴォニワ国に問いただしてみても、ただ不正地での全力戦闘に用いた結果だとしか答えが無かった。専門的な技術者集団である聖機工房の聖機工たちは、当然のことながらその嘘を見抜いていたが、生憎と着たい内部のデータにまで消去がかかっており、その劣化現象が何故起こったのかは全く知れなかった。
 ただでさえハヴォニワは、ワウアンリーの研究に対しての投資に代表されるように聖機人のみに比重を置く戦術構造からの脱却を求めていたから、何か聖機人を用いてよからぬ研究をしていたのではないかとの噂も立っていた。
 見習いとは言えその経緯をしっていたワウアンリーとしては、振って沸いたそれを知る幸運に、乗らないわけにはいかない。
 かくて彼女は、聖地学院に最早数える事が愚かしいほどの回数目の休学届けを提出し、聖機人の交換機体とともに、ハヴォニワ国まで訪れる事となった。

 「ええ……まぁ確かに。このアマギリ様、でしたっけ。この方がこの状態のままで聖地学院へ通うのは、些か無謀ではあると思いますが……」
 壁面モニターに表示された機動状態へ移行する龍機人の映像を見ながら、ワウアンリーは言葉をひくつかせる。
 波形グラフで表示されている数値はどれも常識知らずのアホらしいものだったし、脚部を捻じ曲げてのその”変形”は理外の他だった。
 専門的な知識を持っているからこそ、余計に異常なものに思える。
 正直、ワウアンリーに犯罪を働かせるためのブラフ、偽装映像ではないかという線も否定できなかったので、実際に機体を起動させるところを見せて欲しいとフローラに頼んだのだが、それは素気無く断られた。
 機体を起動するたびに、その後使用不可能になるほどの形質劣化を引き起こすのだから、当然といえた。
 
 「どぉしても、駄目ぇ?」
 「猫なで声で言われても……私もホラ、これから先も人生長いですから迂闊に道を踏み外すのも」
 「この映像を見ても?」
 「見てるとむしろ、この殿下の方を解剖したくなってくるんですけど……」
 フローラの示す映像は、龍機人が喫水外へと飛び出した時のものだった。尾部装甲がスライドして伸張し、先端の衝角が上下に分割され、内部の亜法結界炉が解放されている。
 「無いパーツをゼロから作り出す能力とか、機体のデータよりもむしろアマギリ殿下の精密データが欲しいですよ」
 「ワウちゃんみたいな子がウチの子に興味を持ってくれるなんて、私も親として鼻が高いけどぉ……残念だけど、それは駄ぁ~目♪ ―――だって、サンプルは今のところあの子一体しか無いんだもの。あの子を解剖しちゃったら追加データが集められないでしょう」
 親の語る会話ではない内容を笑顔で語るフローラに、ワウアンリーは頬を引きつらせる。このフローラと言う女性は、稚気と酷薄さが同居する、最も恐ろしいタチの女性だった。
 「あ、ワウちゃんが新しいサンプルを”作って”くれるなら、願っても無いことだけど」
 「あの、流石に話したことも無い方と子作りと言うのは……」
 そんな女性が笑顔で”お願い”してくるのだから、ワウアンリーとしては土下座してでも拒否したいところなのだが、生憎と此処はフローラのホームグラウンド。餌に釣られてのこのこ踏み込んできてしまったワウワンリーに、逃げ道は無かった。
 
 あさっての方向に視線を彷徨わせながら逃げ道を探すワウアンリーの態度に何を思ったのか、フローラは一つため息を吐いて手に持っていた端末機を操作し始めた。
 ワウアンリーが何事かと思っていると、モニターに表示されていた映像が消えて、ノイズ交じりの録音音声が壁際に設置されていたスピーカーから響いてくる。

 『ようはこの星の人たちって、機動兵器に自分の可能な行動をトレースする事しかしないって話ですよね』

 それは、歳若い少年の声だった。
 「コレ……」
 「ウチの子達の内緒話よ」

 『ああ、えっと何て言うかな。聖機人は人に似てるけど……ああ、つまりそう。アレは単純に人型の機動兵器ではあるけど、人間ではないんですよ』
 『聖機人は、人間じゃない。……人間じゃないから、人間と同じ形をしてても、人間の動きは……出来ない』
 『そう、まさにそれです。聖機人って言うのはあくまで全長二十メートルの人の思考を汲み取って動く人型兵器ですけど、それだけなんです。極論になりますけど、人型をしているからと言って、人の動きをさせる必要もないんですよ』
 『人の動きを完全に再現する事は不可能だけど、……だからこそ、人には実現不可能な動きも、出来る?』
 『その通り。自在に飛行が可能なところとか正しくですよね。でも、あまりに自分の生身での行動にとらわれすぎちゃうと、逆に動作に縛りが出来ちゃうんですよ。ほら、剣戟を行う時とかって、大抵地面すれすれの場所で、脚をちゃんと地に向けて踏み込みを入れて斬撃を入れるでしょう?』

 続けて流れてくる会話の内容は、技術者として優秀であるからこそ、ワウアンリーはとても異質な概念を秘めているのだと理解した。
 普通、当たり前の教育を受けていれば、こういう発想には至らない。そんな考え方を、この、恐らくはアマギリ・ナナダン殿下なのであろう人物は、当たり前のことのように話している。
 
 『……殿下は、聖機人を戦車やエアバイクの延長線上で扱っている?』
 『アナログな動作反応をしてくれる思念操作タイプを使っていますけど、マシーンはマシーンですからね。ペダル操作と根本的な部分は変わりませんよ。僕はほら、辺境の生まれで、惑星開発キットについてる大型のメテオマッシャーとか深海探査艇とか短距離ワープも可能なスペースクルーザーとかを小さい頃から乗り回したりしてましたし、その辺の割り切った考えが染み付いているのかもしれません』 
 
 「どうかしら、ウチの子。とっても賢い子でしょう……?」
 壁の向こうで買わされる秘め事に聞き入るかのように、スピーカーから漏れる音に集中していたワウアンリーの耳元で、フローラの天使のような囁きが聞こえる。
 「この子とお話をしてみたら、最近行き詰っているワウちゃんの研究にも、新しいアプローチが与えられるんじゃないかしら」
 「……フローラ様」
 「ワウちゃんさえ良ければ、じっくりお話しする機会を用意してみても良いけど?」
 それはとてもとても、ワウアンリーの如き技術者には魅力的な話で、だからこそ、声が震えそうになるのを隠しようが無かった。
 にこりと、天使と悪魔を同居させた笑顔で、フローラはワウアンリーに微笑み、言った。
 
 「そのかわり、ワウちゃんには是非作って欲しいものがあるの。―――そう、属性付加クリスタルを、ね?」






    ※ 札束で頬をビンタするノリで。
      ワウの設定は今ひとつ画面からは要領を得ない感じなので、とりあえずこのSSではこんなで。
      11話で結界工房が画面に出てくれば少しは解るかのぅ……





[14626] 7-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/26 17:20

 ・Seane 7-2・




 「……今度は、赤ですわね」
 「角は、ゴウトホーンね。さっきは一本ヅノだったのに」

 管制室から窓越しに聖機人を見下ろしながら、マリアとフローラは観劇に飽きた観客のような口調で呟いた。
 わざわざ持ち込んだクッションの効いた椅子に腰掛けて聖機人の様子を見物している王家親子の傍で、つなぎ姿で立っていたワウアンリーの顔は、微妙に引きつっていた。
 「や、やー……ほら、装甲の形状もちゃんと変わってますし、何と言いますか。見ての通り、属性付加には成功しているんじゃないかとぉ~あは、あははははは……」
 むなしい空笑いが薄暗い管制室に響き渡ったが、マリアもフローラもピクリとも視線を窓の向こうから動かす事は無かった。のぞき窓の上に設置されたモニターに広がる通信ウィンドウの中では、一人の少年が微苦笑を浮かべている。

 『……でも、脚は無いままですよね』

 半透明のコントロールコアから直接自機の様子を覗き込んだまま、居心地悪そうにアマギリは呟いた。
 モニター越しにも見えるアマギリの胸元には、鎖に吊るされた球状に加工された結晶体が首から下げられているのが見えた。格子のような金属飾りで色違いの三色が繋ぎあわされている。
 微細に振動しながら発光するそれは、属性付加クリスタルと呼ばれるものだった。

 「……コレで失敗三度目、ですわね」
 「あのねぇワウちゃん。試作品を試すたびに、予備の機体が形質劣化するのは困るんだけどぉ」
 「いやいやいやいや、ちょ、ちょっと待ってくださいフローラ様! 一番初めに私が乗って試してみた時には、ちゃんと成功していたじゃないですか! つまり……そう、あの状態はホラ、アマギリ殿下の特殊な才能によるもので亜法波の波長……属性とは何も関係ないものなんですよ!」
 微妙に剣呑なものが混じっていくスポンサーたちの言葉に、ワウアンリーも慌てて反論する。
 「だ、大体いくらあたしだって、属性付加クリスタルなんていうご禁制品を弄るのは初めてなんですから、それと今まで見た事も無い異常な形態に変化さえる亜法波長を有するパイロットを混ぜ合わせた時何が起こるかなんて、予想も付きませんし……!」
 『……何気に、酷い言われ方されてませんか、僕』
 「ああ、今度はこっちまで怖い声をぉ!」
 額に青筋を浮かべたまま苦笑しているアマギリを視界に納め、ワウアンリーが悲鳴を上げる。
 王族三人に囲まれて無駄にプレッシャーのかかる、最悪な職場環境だった。

 属性付加クリスタル。
 亜法結界炉と同調する形で放たれている聖機師自身の放つ亜法波長を変質させ、聖機人の外観を搭乗者固有の姿から変更させる特殊なアイテムである。
 素材となる特殊な結晶体は非常に希少価値の高いものだが、モノさえ用意できれば周囲に結晶を反応させるための亜法式を刻み込むだけなので、製造する事は容易である。ただ、望んだとおりの外観変化を成し遂げるためには微細な調整が必要となるので、製作者の力量が問われる事となる。
 もっとも使用用途がそもそも外観の偽装と言う後ろ暗い部分が多聞にかかわる事柄なので、好んで用いる者たちの素性も知れる、と言うものだ。
 言ってしまえば匪賊山賊御用達のアイテムであり―――これらを生業にしているものたちは、見た目をごまかすと言う最低限の役目さえ果たせてくれれば、細かいところを求めようとはしない。
 使われる用途が犯罪方面に限定されてしまう関係上、各国ではその使用が硬く禁じられており、その理由もあってか、属性付加クリスタルの現物を見た事のあるもの自体が非常に少ない。

 その辺りの事情を突いて―――息子の困った”癖”の矯正に利用できないかと考えたのが、ハヴォニワ国王女フローラ・ナナダンである。
 彼女の息子アマギリが形作る蛇の半身を有する龍機人、その構成理由とされているのが、彼の放つ特殊な亜法波によるものだとは既に判明していた。
 ならば、亜法波を変質させる属性付加クリスタルを用いれば、龍への形態変化を防ぐ事が出来るのではないかと、フローラは考えたのだった。
 昨年暮に発生した反乱勢力の征伐の折に接収した素材となる特殊結晶体を、優秀な聖機工であるワウアンリーに加工させて、アマギリの亜法波特性を覆い隠そうと言う狙いだ。
 
 「僕が言うのもどうかと思うんですけど……諦めるのが一番なんじゃないですか?」
 機体を待機状態に戻して―――例によって、形質劣化して使い物にならなくなった―――フローラ達の居る管制室にまで足を運んできたアマギリは、妹が手ずから入れてくれた紅茶を受け取りながら、ワウアンリーに提案してみた。
 「駄目です。このまま訳もわからず引き下がったら、技術屋としてのあたしのプライドに関わりますから!」
 しかし、アマギリの手から属性付加クリスタルを受け取って早速機材を繋いで検分しているワウアンリーには、諦めを認める境地には程遠かったらしい。道が困難なほど盛り上がると言う、見上げた技術屋魂と言えなくも無いかもしれない。
 「まぁ、ワウちゃんの研究予算が減額されるのはどうでも良い事だけど、このままだとアマギリちゃんが聖地学院に通えないものね~」
 「げ、減額は確定なんですか!?」
 「学院ではもちろん聖機人の実機演習もあるし、今のままだと流石に目立っちゃうからぁ」
 悲鳴を上げるワウアンリーを無視しつつ、フローラは言った。
 「聖地学院に行っても聖機人に乗らない……と言うか、そもそも聖地学院に通わずに済ますって訳には行かないんですか?」
 「行きませんわ。各国に対して、既にアマギリさんが聖機師であることは公表されていますし、それ故に当然教会もハヴォニワがアマギリさんを学院に寄越すものだろうと考えています。……聖機師適正を有する王族。聖地学院に通うべくして生まれたかのような人物を聖地学院に通わせないなどとなったら、各国や教会に無用の不審を抱かせますから」
 あたし、無理やり仕事を押し付けられただけなのにと呟くワウアンリーを無視して尋ねたアマギリに、マリアがすまし顔で答える。
 「人様の見栄に付き合ってやるってのも、面倒くさい話ですね」
 「あら、王族なんて見え張ってナンボよぉ。だから、アマギリちゃんには聖地学院には通ってもらわないと困るの」
 「限られた一握りのものしか通えない聖地学院に入学していたと言うのは、外交上に於いても高いステータスになりますものね」
 やれやれと、夢を忘れた大人のような顔で首を振る妹に、アマギリは微苦笑を浮かべた。

 それからようやく、部屋の片隅でいじけているワウアンリーに声をかける。
 「それでワウさん、原因は解ったんですか? いや、火竜になったり水竜になったりしたのは実に面白い経験だったんですけど」
 アマギリの問いに、ワウアンリーは半分なみだ目の顔を振り向かせながら答えた。
 「やっぱ、若い男の子は優しいですね……じゃなくてっ! ―――えっとですね、殿下が仰った様に色と見た目が変わったと言う事は属性付加自体は本当に成功しているんです。だから、龍型への変形は、変形の原因を取り除かない事には何とも……」
 「原因など、例のお兄様がランダムに放っている亜法結界炉の波長に近い亜法波にあるに違いないのではないですか?」
 ワウアンリーの考え込むような声に、マリアが面白くもなさそうな声で言う。ワウアンリーもその言葉に、眉根を寄せながら頷きながらも、今ひとつ腑に落ちない風だった。
 「そう、なんですよねぇ。属性付加クリスタルって言うのはつまり、人間の放つ亜法波をクリスタルの共振波を利用して変調させるものなんです。理論上、共振状態のクリスタルが存在する限り、人間から放たれる亜法波は全て変調しているはずですから、アマギリ殿下だけが放つ特殊な波長も、当然変調している筈なんですけど……」
 その方法では、龍への変化が収まらない。
 つまり、龍への変化はその波長は関係ないのではないだろうかとワウアンリーは考察してみせた。
 「どうですかね」
 しかし、その結論にアマギリ自身が待ったをかけた。
 「聖機人の形状に搭乗者が影響を与える事が出来るのは、搭乗者が放つ亜法波によるものでしょう? なら、僕の内側から出ている波におかしなものが混じっているなら、それが変形に影響を与えていると考えるのが普通でしょう」
 「それはそうですけど。でも、変質させても龍化が収まらないって事は……」
 「関係ない、からではなくて波長を消してしまわなければいけないから、では無いんですか」
 「消す、ですか」
 アマギリの意見に、ワウアンリーが考え込むような姿勢を見せる。
 「消すのが無理なら、別の波長に紛れ込ませるか。それとも、そっちの波長専用に属性付加クリスタルを用意して、波長を”通常の波長と同じように”変調させるとか、どうです?」
 「―――なるほど、それなら……あ、でも」
 木を隠すなら森の中とでも言うべきアマギリの意見に、ワウアンリーはそれならいけるかと頷いた後で、不味い物を口にしてしまったかのような声を出した。
 「いやぁその、二つの異なる波を、同一の波長に調律するのって、すっっっっっごい手間がかかって、難しいんじゃないかなーって、思いまして……」
 「……ワウちゃん?」
 額に汗浮かべ苦笑いを浮かべるワウアンリーに、フローラはにっこりと微笑みかけた。

 「徹夜で作業するのと研究予算減額されるの、どっちが良いかしらぁ?」

 アマギリ・ナナダンの、四月の新学期からの聖地での学院生活が、こうして決定したのだった。






    ※ 第一部があと二回くらいで終わりで、その次は新年明けからって感じですかねー。
      もうクリスマスも終わりましたし、今年も終わるだけですしね。



[14626] 7-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/27 18:04

 ・Seane 7-3・



 「……小豆色?」
 「尻尾は、付いたままですけど……」
 『脚、ちゃんと二本付いてますね』

 春も近く、けれど冬の寒さがまだいくばくか残る三月の末ごろ。
 「うう、父さん、フラン師。……ワウはついにやりました……っ!!」
 目の下に酷い隈を浮かべた少女の魂を揺るがすような言葉が、聖機人格納庫に響いた。
 端末を握り締め涙を流すワウアンリーが見上げる先には、魚の胸鰭のような角が張り出した頭部を持った小豆色の聖機人が、その姿を顕現していた。
 透過装甲を用いているコアユニットの内側に、胸元に不可思議な光源を有したアマギリの姿が見える。
 アマギリは自身の機体の具合を確かめるようにその場で足踏みして見せる。
 『……大丈夫、見たいですね。動き出した瞬間尻尾に戻るとかも無いですし』
 「……それはそれで、ちょっと見てみたい」
 「勘弁してくださいよ、ユキネせんぱぁ~い」
 ワウアンリーの傍で同様にアマギリの聖機人を見上げるユキネの口から漏れたぼんやりとした言葉に、ワウアンリーが悲鳴を上げる。
 「まぁ、5機も機体を駄目にしておいてそんな状況になったら目も当てられませんからね」
 一人だけ何処から持ち込んだのか、椅子に座って見物していたマリアが、ため息混じりにそう付け足した。
 「ええ……ホント、新しいものをゼロから作るのがどれだけ大変か、充分に味わいましたから……」
 「……頑張った」
  およそ二月半ほどの苦労を思い出してさめざめと泣くワウアンリーの頭を、ユキネが労わるようになでる。
 「確かに、気づけばもう春休み。まさかユキネが戻ってきてもまだ完成していないとは思いませんでした」
 「……これでまた、留年」
 「良いんですよぉもう。慣れて、ますから……」
 厳然たる事実を告げるユキネに、ワウアンリーがぶすくれながら呟く。

 属性付加クリスタルの調整には、案の定と言うべきか、難航した。
 それはまず、ランダムと思われていたアマギリの放つ特殊な波長を完璧にトレースして拾い上げることから始まり、次いでそれをごく一般的な聖機師の放つ波長に変換させる必要があった。
 そしてさらに、変換した波長を、アマギリの放つもう一つの―――つまり、通常の聖機師と同様の方の波と同調し、更にそれを両方同様に変調させる、と言う複雑な工程を隔てる事となった。
 データ上での試行錯誤は数知れず。
 試作品を作成しての実機テストでも失敗する事数度。
 二月半の歳月と、5機もの聖機人の消費を持って、ようやくアマギリ専用に調律された属性付加クリスタルは完成を見たのだった。

 「にしても、コレちょっと首にかけてたら目立ちすぎじゃないですか?」
 聖機人をコクーンに戻し―――形質劣化は現れなかった―――マリアたちの傍まで歩み寄りながら、アマギリは自身の胸元を見ながら言った。
 そこには三つの宝玉を銀細工でつなぎ合わせた属性付加クリスタルが掛かっている。
 手のひら大の表面積を有するそれは、その不思議なデザイン性も合わせて、首に掛かっていればまず人目を引くものであった。
 「……制服の上にそれだと、きっと凄い目立つ」
 「なんていうか、こんな派手な首飾りつけてたら、それこそ素性も解らぬ成金みたいですよね」
 聖地学院の上下黒の制服を思い浮かべながら言うユキネに、アマギリも苦笑しながら頷いた。
 「何を言ってるんですか貴方は。アマギリさん、自分がハヴォニワの王子―――正真正銘のお金持ちってちゃんと理解してるんでしょうね?」
 どうしたものかと笑うアマギリに、マリアがさめた口調で言った。
 「っていうか、聖地学院に通うのって、基本お金持ちしかいませんからねー。まぁ一応、表面に偽装加工は施せますけど。ナナダン王家の家紋辺りにでもしておけば良いんじゃないですか?」
 「……それ、良いですわね。アマギリさん、先王陛下の忘れ形見って言う設定ですし、形見として所持していたものとでもしておけば良いんじゃないですか」
 「設定ってあの……マリア様? あたし、他国の人間なんですけどぉ~?」
 「……大丈夫。偽装工作に関わっている以上、もう関係者」
 冷や汗を浮かべながら言うワウアンリーに、ユキネがその肩を叩きながら、首を振った。
 「良いですけどね。どうせスポンサー様には逆らえませんから……。あ、でも。構造上大きくカタチを弄る事は不可能ですから、見る人が見れば解っちゃうと思いますよ」
 特に、聖地学院は教会の敷地内にあると言う関係上、専門的な知識の持ち主が多く出入りしていると言うところがあるからと告げるワウアンリーに、アマギリが首をひねって答える。
 「その辺りは、フローラ様の裏工作に期待するしかないのかなぁ」
 「……でしょうね。お母様の事ですから、事前に一部の方には龍機人のデータを提供する事でしょう。どの道何時までも隠しきれるものではありませんし、単純に、学内でいらぬ騒ぎを引き起こしたくないと言うだけの事ですから」
 「その一部が、どの辺りまでになるかがちょっと怖いですよね。……背中の心配をしながら学園生活を送るって言うのも、ぞっとしないは無いですし」

 「……大丈夫、私がちゃんと守る」

 苦笑いを浮かべるアマギリに、ユキネがはっきりとした口調で微笑みながら言った。その言葉に、マリアが当然とばかりに付け足す。
 「聖地学院での生活に於いては、ユキネをお兄様の近侍としてつけます。身の回りの世話を担当する侍従たちは城からそのまま連れて行くことになるでしょうが、護衛要員としてはユキネがいますから、平気でしょう」
 「聖地への侵入は、その立地上の性質を利用して作られた要塞級の防備体性を突破しなければ不可能ですから、並みの賊では不可能でしょうしねー」
 「学院内部に居るのは教師と下働きの者たち、それに未熟な生徒たちだけです。ご安心なさい、ユキネは既に世界でも有数の実力のある聖機師です。ただの学生如きが何かをたくらんだところで、後れを取る事はありません」
 マリアは我が事のように―――実際、本来的な意味では彼女の直属なのだから、我が事と同義なのだろう―――兄に対してユキネを自慢をする。当のユキネ本人は顔が真っ赤だった。
 アマギリは得意げな妹の言葉に聞き捨てなら無い物を見つけて、顔をしかめた。
 「何かを企むって……なに、何か過激な学生運動をしているような人たちとかが居るんですかひょっとして」
 何せ、学生時代というのは明日の食事の心配を自分でする必要の無い暇な時間だ。
 それに加えて聖地学院にかよう学生たちは、世間から甘やかされて育ったボンボンたちの集まりである。
 暇にかまけてろくでもない思想でも広めていても何もおかしくは無いと思えた。
 「いやいやいや、そんな社会主義かぶれの革命思想の大学生なんて、聖地学院には居ませんから……」
 飛びすぎたアマギリの想像を、ワウアンリーが笑って否定する。
 「むしろ、恋と夢に溺れ切った、夢想気味の貴族子女たちの集団って言った方が早いですからねー」
 「前にも言いませんでしたっけ。アマギリさんは、売り手市場だと」
 「聖機師で、王子様。……きっと大人気。入学初日から、アイドル扱い」
 年頃の女子三人から次から次へと放たれる明け透けな言葉に、アマギリは苦笑いしか出来ない。
 「特に、聖地学院は全寮制で外界から隔離された場所ですしねー。似たような思考をしている女所帯に暮らしていると、自然、考え方が暴走気味になりますから」
 「……きっと、大変。覚悟は決めるべき」
 「今から、城下の商業大学辺りに進路変更を」
 「出来るわけが無いでしょうが」
 アマギリの逃げの口上を、マリアがばっさりと切って捨てた。

 「ですから、それらへの対処も含めて、ユキネの護衛です。ユキネは見ての通り、傍から見れば一種近寄りがたい風体に見えるらしいですから、虫除けには丁度良いでしょう」
 「マリア様、それ事実だろうけど本人の前で言うものじゃないかと」
 「……良い。慣れてる」
 妹のあまりの傍若無人な言い様にアマギリが突っ込みをいれると、ユキネが何てことが無いという風に首を振った。
 その様子を笑って見ていたワウアンリーが、でも、と言って話し出す。
 「ユキネ先輩はちょっと近寄りがたい中性的な美貌の持ち主として下級生の間では人気がありますから、庶民感覚が抜けない王子様って言う設定のアマギリ殿下と並べると、かえって変な人気が出るかもしれませんよ」
 あたしには庶民だったって事が信じられませんけどと言いつつ未来予想図を語るワウアンリーにアマギリは苦笑を浮かべる。
 「同姓同士の恋愛って言うのも……まぁ、閉鎖された環境だと珍しく無いのかなぁ」
 「不健全、と言わざるを得ませんね。……尤も、聖機師はその立場上恋愛に関しては享楽的なものに拠ってしまう部分がありますから、仕方ないのかもしれませんけど」
 「恋愛感情持ってる相手と、結婚できるわけじゃ無いですからねー」
 「……そればかりは、きっと仕方ない」
 
 聖機師三人、ついでに自由恋愛の資格を持たない王女も含めて、揃って大きなため息を吐いた。
 まったく若々しさの欠けた、それは聖地学院へと向かうほんの数日前のある日の出来事だった。


 ・Seane 7:End・


    ※ と、言う訳で次回で第一部完的な感じになるかと思います。
      完になると何が変わるかというと、単純にマリア様の出番がブツっと減ると言う、実際それだけのような。
      ……まぁ、次の次から学院が舞台だし。仕方ないよね。



[14626]
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2009/12/28 18:28

 ・Seane 8・


 「随分、しばらくぶりでしたか」

 ふと囁く様に漏れ伝わった声に引かれて、アマギリは膝の上に広げていたハードカバーから視線をはずして、対面に座る少女を視界に収めた。
 少女はしかし、アマギリの態度など気にする風でもなく、むしろその存在を認知しないようにあえて示しているかのように、バルコニーの欄干の向こうの、徐々に花咲き始めた春先の庭園を見下ろしていた。
 春風を纏って揺れる亜麻色の髪に、その透き通った横顔の稜線に魅せられながらも、アマギリは穏やかな声で尋ねた。
 「……しばらくぶり、とは?」
 何を示しての言葉なのか。尋ねるアマギリにしかし、マリアは横顔を向けたまま視線を移すことも無く、少しの間をおいた後、ゆっくりと、呟いた。

 「こうしてここで、お兄様と茶を嗜む事が」
 「―――ああ」

 マリアの囁きに、アマギリはなるほどと頷いた。
 「今年は、冬が長かったですからね」
 そっと、昨日まで昼下がりのお茶会を開いていたリビングを窓越しに眺める。
 ユキネを含めた侍従たちは、主たちの戯れを邪魔する事も無く、慎ましやかにリビングへと続く窓際に控えているのが見えた。
 「おおよそ、五ヶ月ぶりと言った所ですか?」
 「……五ヶ月」
 アマギリの言葉に、マリアは自身に言い含めるように言葉を繰り返す。
 その横顔はやはり、アマギリのほうを向く事は無かった。アマギリも、それに何を言うでもなく、テーブルの上に置かれた紅茶を手に取り、口に運ぶ。
 朝夕であれば冷えもするだろうが、四月の昼下がりともなれば、そこに吹く風は至極穏やかなそれだった。
 青空になびく細く白い雲の情景も、春の暖かさを象徴するゆったりとした風合いを示している。
 それはあまりにも穏やかな空気で―――ともすればアマギリは、今、会話の途中である事すら忘れてしまいそうだった。

 「五ヶ月」

 再び繰り返されたその呟きに、アマギリは視線をティーカップからずらすだけで応じる。
 マリアはそんなアマギリの態度を咎めるでもなく―――そもそも、視界に収める事も無く、自身の言葉を続けた。
 「五ヶ月もの時が流れれば―――そう、思い出にもなりますか」
 その言葉だけで、アマギリはマリアが何を言いたいのかを、察する事が出来た。
 一つ頷いて、口を開く。
 「僕が此処で暮らし始めてから、もう半年ですね」
 「半年」
 アマギリの言葉にマリアは、かみ締めるように繰り返す。
 「半年もあれば、そこにお兄様がいる事も自然に感じるようになりますし、そこから居なくなる事を―――居なくなる、と言う風に考えるようにも、なります」
 「そう、―――そういうものかも、しれません」
 アマギリは、マリアの言葉を否定しない。自身も感じていた事だったからかもしれない。
 「半年間、此処で暮らして。それから、此処を出て―――それから」

 「―――お兄様は、此処にまた、戻ってくるのかしら?」
 ふっと、ごく自然に視線を合わせながら、マリアは透き通った瞳のまま、アマギリに問いかけた。
 「戻ってくる、ですか」
 「お兄様にとって、此処は戻ってくる場所なのでしょうか。それとも、たかが半年程度滞在しただけで、通り過ぎるべき場所なのか―――」
 それは、半年と言う時間の流れの中で、彼と言う存在をごく自然に感じるようになったが故の、疑問だった。
 「受動的な生き方をしていらっしゃるお兄様にとって、今日までの此処での生活は、全て誰かに言われたから続けていたものに過ぎないでしょう」
 「否定はしません。―――ええ、まったく否定できませんね」
 辛らつとも取れるマリアの言葉に、アマギリも頷くしかなかった。
 居ろと言われたから居て、これから先、明日には、行けといわれた場所に行く。
 「お兄様には、自分で行く道を決める程度の力が備わっているのに」
 望むのならば、誰かに頼まれた生き方をする必要も、無いだろうにと、それはともに過ごした半年間があるが故の、マリアの言葉だった。

 「力はある、か―――そう、ですね。力、まぁ、今更こんな未開惑星で勉強する事もないでしょうし。生きるために必要な力は、それこそ」

 ありもする。それは否定しようも無い事実だったけれどと、アマギリは困ったように笑った。
 
 「僕には、目的が無いですから」
 「……目的、が」
 無い。それはそう、アマギリの姿を半年間見続けていたからこそ、マリアにはあっさりと受け入れられた。
 力は、ある。自身ですら否定しないほどのものが。人一人、きっと自分ひとりを支えるだけなら充分なものが。
 でも、それだけ。支えているだけで、何処かへ進もうと言う、目的が見つからない。
 「だから僕は、女王陛下の言葉に異を唱える事は無かったし、王女殿下とも、こうして茶会を楽しむ生活に溶け込んだりもしたんですけど」
 「―――此処から先へ行く場所で、目的が見つからないとも、限らない。……ですか?」
 「どうでしょうね。少なくとも、この半年では見出せなかったものですし」
 そう簡単に、見つかるとも思えない。そう、アマギリは己を嘲笑うかのように呟いた。
 目的の無い人生と言うのは、気楽で、生き易いものであろうが、だからこそ空虚なものでも有り得るから。
 いつかそれに飽きてしまうのではないかと言う、その不安は―――果たして、どちらのものだったのか。
 そして、だから。
 その不安をどうしたいと言うのか。
 目的の無い少年には、その力の方向性が存在せず、それ故に明確な行動指針と言うものが内包できない。
 どうしたいかなんて、きっと何時まで経ってもわからない。通り過ぎた後に、きっと、そういえばそんな事もあったっけと、少しそう思うだけの事だ。

 では、状況を明確化してしまった少女は何がしたかったのかと言えば、果たして。
 言い切ってしまえば彼女は何がしたかったと言うわけではない。
 強いて言えば何かを”して欲しかった”。
 受動的なこの少年の、多少なりともともに過ごした時間に対する郷愁のようなものでも、示して見せて欲しかったと。それが何処から来る感情かは、きっとそれこそ明確化できないものだったが、とにかく、彼女は彼に何かを求めたのだ。
 このとき、初めて。
 そしてそれが、迂闊な態度では伝わらないものであると、少女ははっきりと認識した。
 当たり前のように傍に居て、半年間。それだけの時が過ぎたというのに、それに気づいたのは、ようやく半年たってから。
 つまりそれは、たかが半年程度の時間しか、まだ、ともにすごした時間が無かったと言う事。

 このまま行かせて、そして戻ってこなかったとしたら、それはきっと、彼女の小さな、女性としての沽券に関わる。
 ならば、と。彼女は行動を決めてしまえば素早かった。親譲りの、躊躇いの無い、その行動。
 少女はこれまでの会話の流れをまったく受けていないような、その言葉を。ただ簡潔に、言った。

 「では、お兄様。聖地学院より無事のご帰還を、マリアは心より、此処でお待ちしております」

 その日、ハヴォニワでの一先ずは最後の夜が終わるその時に。
 アマギリは、少女の呼びかける自身への言葉が、最後まで変わる事が無かったことに、気づいたのだった。
 請われ、頷いてしまった以上果たさないわけにもいかず。
 そう思わなくてもきっと、少女がそうだと決めてしまった以上はその事実を果たさざるに終わるわけにもいかないだろう。
 そんな半年の間に当たり前になった事実に、少しだけ笑って。
 あけて翌日、船に乗り。

 彼は、聖地学院へと向かい、此処を旅立った。




 ・Seane 8:End・





     ※ 第一部完、的に。
       ホントに当分マリア様は出番がありませんので締めっぽく(湿っぽく?)登場してもらいました。
       だからと言って別にメインヒロインっつー訳でも……そもそも、まだ原作メインキャラ殆ど出てきてないしねぇ。

       因みにこれで今年最後の更新なので、次回は1月の三日だか四日だか辺りになると思われます。
       では皆様、良いお年を。



[14626] 9-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/05 18:05
 ・Sceane 9-1・


 深い森の生い茂る大地に挟まれた、やはり天然の樹海で覆われた渓谷の間を、一隻の飛空艇が巡航速度で飛行している。
 豊かな自然を有した小島をそのまま空へ浮かべたようなその威容は、ハヴォニワ国が有する王家御召艦、飛空”宮殿”・オデットの堂々たる飛翔の姿だった。
 上空から見下ろせば、前方に向かって首を伸ばし、V字状に翼を広げた白鳥のような姿をしている。
 頭の部分には小規模な東屋が、翼の部分には自然林を思わせる森林が広がっており、そして、首と翼の部分が連結する最も面積の広い部分に、庭園に囲まれた、王族が御座す小規模な寝殿が建てられている。
 外観からは鉄板で補強された岩塊のように見える地下部分にも広大な敷地が広がっており、そこには航海に必要な各種設備や、島一つを浮遊させる大型の亜法結界炉が備わっており、そして当然のことながら、格納庫には王家の寝所を護衛するための聖機人が出撃可能な状態で格納されていた。

 現在、時刻は深夜零時過ぎ。
 王子アマギリを乗せてハヴォニワを出発したオデットは、聖地学院へ向けて規定の航路を進んでいるところだった。教会の管理する聖地へと侵入するためには、定められた進路を進まねばならないから、オデットは、それにならって輸送艦などが殆ど立ち入らない専用航路を緩やかに飛行していた。
 何の問題も無ければ、翌明け方には聖地の門が見える、順調な航海のはずだった。

 轟、と。鋭い音を浴びせかけるかのような速度で、オデットの艦首すれすれを武装した聖機人が横切る。
 寝殿の上空高くにも、やはり同様に。甘い菓子に集る蝿のごとく、二機の聖機人が旋回飛行をしながらオデットへその銃口を定めていた。

 「三機だけ、ですかね?」
 「……下には、反応は無し。周囲にも、動力反応は無し。聖地巡回警備の支配権も近いし、伏撃も難しいと思う」
 「ああ、連中後ろから飛んできてましたしね」
 堅牢なシェルターともなっている地下設備内の外部観測室の壁面全域に広がった映像を観察しながら、この艦の所有者であるアマギリと、その護衛聖機師ユキネが言葉を交わす。
 二人とも、城下町の広場で繰り広げられている大道芸でも眺めているかのような落ち着きようだった。
 「あのぉ~、殿下? あんまり言いたくないですけど、落ち着いている場合でもないと思うんですけどぉ」
 そんな主従の背後で、客人としてオデットに乗り込んでいたワウアンリーが、冷や汗交じりの言葉を漏らす。
 一人、椅子に腰掛けていたアマギリはぐるりと椅子ごと回転させてワウアンリーを見やり、背後のモニターを指差しながら笑った。
 
 「だって慌てても仕方ないじゃないですか、もう襲われちゃっている以上は」

 事の起こりは、単純な話である。
 国境線を超え教会所有領内の未開発の天然樹林区域へと侵入したところで、聖機人三機による示威行動を受ける事となった。
 対空砲撃システムなども目だって存在していない、そのまんま空を飛ぶ宮殿に過ぎないオデットは、所属不明の聖機人の接近に対して取れるべき手段も特に無く、こうしてうるさい羽虫のように一方的に纏わり付かれるに至った事態、と言う訳である。
 「もともとスワン級の飛空宮殿は、護衛の艦と編隊を組んで対空防御を成立させるってコンセプトですからねぇ」
 「まぁ、小城を丸ごと一個浮遊させるなんて、普通は安全圏でしかやらないでしょうしね。こんなのがのんびり空を飛んでたら、誰だってカモにすると思いますよ」
 技術屋として同系列の艦のスペックを知っていた諦め交じりのワウアンリーの言葉に、アマギリも特に感慨も無く頷いた。
 「せっかくの船旅、船室の小窓から見える流れる雲の景色とか、楽しみにしてたんですけどねぇ。従者一式、部屋の中身まで丸ごと移し変えて、お城に居るまま空を飛ぶなんて、流石に想像してませんでしたよ」
 今回の聖地学院への旅が始めての国外旅行であったアマギリには、まだまだジェミナーの王族と言うもののスケール感が不足していたらしい。専用空港にスワン級三番艦”オディール”とともに城が二つ並んでいる光景は、流石に失笑しか浮かばなかった。

 余談になるが、スワン級一番艦”スワン”は、シュトレイユ、アース王家に嫁いだフローラの妹姫が嫁入り道具としてハヴォニワから持ち出している。妹姫亡き現在は、その娘ラシャラ・アースの御召艦となっているらしい。

 「船……好きなの?」
 「飛ぶのも潜るのも、ワープするのも好みですよ。手元の舵輪操作で信じられないような巨体が自在に動くって言うのが、子供心に惹かれるものがあったんですよね」
 興味津々といった風に尋ねるユキネに、アマギリはそれはもう、と楽しそうに頷く。
 その姿を見て、ワウアンリーは酷い酩酊感を覚えた。
 「あのぉ~、いい加減そろそろ、ホント何とかしてほしいなぁって……」
 近づいては離れ、と言う動作を繰り返している聖機人の群れを指差しながら、ワウアンリーが震える声で陳情する。
 「何とか、と言われてもねぇ」
 「……私、出ようか?」
 聖機師の嗜みとしてユキネはブラウスの下に戦闘衣を纏っている。それ故に、命令さえあれば速やかに聖機人に搭乗する事が可能だった。
 「いや、僕としてはこのまま放置が一番だと思うんですよね」
 しかし、忠臣の提言にアマギリはのんびりと首を横に振った。
 「このまま放置って……それ、すっごい状況悪化するんじゃぁ」
 「いや、それは無いでしょう」
 ワウアンリーの当然ともいえる言葉に、アマギリは否定の言葉を放った。断定的な意見に、完全に主の判断に任せるといった体だったユキネも首をかしげる。
 「……何故?」
 「未だに何もしてこないからですよ」
 「それは、こっちの様子を伺っているんじゃあ……」
 「それです」
 ワウアンリーの意見を拾って、アマギリが言葉を返す。

 「様子を伺って、連中は何をしたいんだと思いますか?」

 「何って……そりゃあ」
 誘拐? 暗殺? 考えられる動機は幾つもある。
 「例えば誘拐だった場合、目的は僕の身柄、と言う事になります。ターゲットである僕を見つけ、速やかに拘束し、そして離脱する。そこから先、身代金か政治犯の釈放かは知りませんけど、それを交渉によって手に入れるのが目的ですから、未だに何も仕掛けてこないのはおかしい。この艦を拘束中であるとして本国と交渉するんだと言うなら無くは無い話ですが、オデットは未だに巡航速度を保っていますし、連中がどこかと通信しているようにも見えないから、それも線の薄いところでしょう」
 ワウアンリーの機先を制するカタチで、アマギリはまず誘拐の線を否定した。突然の言葉に目を瞬かせるワウアンリーを尻目に、アマギリは更に言葉を続ける。
 「次に暗殺だった場合。現在オデットには公証で二機の聖機人が用意されています。ユキネさんのものと、僕のですね。これは、僕の出立を大々的にメディアに載せて報道してましたから、暗殺を試みるような組織であれば、当然理解している事でしょう。ユキネさんは、”尻尾付き”の有能な聖機師ですし、僕自身も聖機人に乗れます。さて、それを踏まえて連中を見てみると、尻尾付きの青い機体が一機に、蝿みたいに旋回している二機は尾のない一般機です。暗殺と言うミスを犯せない行為に到る場合、そのリスクを排除するために最大限の努力を払って当然です。だと言うのに、現実にはこちらとの戦力差は一機のみ。……更に言えば、ワウさんの乗る分もオデットには用意されてますから、現実には戦力差は零。むしろ、尻尾つきが多い分、こちらの方が優位と言えます。そんな、勝ち目の薄い状況でわずか三機のみで攻め込んでくるって言うこと自体が有り得ません。専門の人員を輸送してきたって風にも見えませんし、仮に数が用意できなかったと言うのなら、誘拐の線の時と同様に、こちらに悟られる前に高速で片をつけようとするでしょうし、ね。つまり、勝つ気があんまり無いんでしょうよ、主催者には」
 「……なるほど」
 何となく言い負かされた態度で、ワウアンリーは頷いた。そんなアマギリの言葉に、ユキネが首をひねる。
 「では、何が目的?」

 「様子見でしょう」

 アマギリはあっさりといい放った。
 「様子見、ですか?」
 「ええ。―――暗殺にしろ誘拐にしろ、そもそも誰が、と考えると否定しやすいんです。貴重な男性聖機師を誘拐して身代金を要求するような山賊グループが存在するってのは知ってますけど、もし連中だった場合は聖機人を有しているのがおかしいですし。連中の基本は、現地調達って聞きますから。暗殺の主犯を考えると、まぁ女王陛下は敵の多いお人ですから、幾らでもその顔に泥を投げつけたい人が居るでしょうが、その場合犯人はアシが付くのを恐れてあんなこちらに姿を見せ付けるような目立つ行動は控えるはずなんです」
 ワウアンリーの疑問の声に、アマギリは指折り淡々とした声で推察を提示していく。
 「目立つ行動―――連中、僕らにわざわざ姿をさらして、下手を打てば証拠が残りそうなものなのにその辺への配慮がまったくありません。ですが、女王陛下たちがダンスを踊る”お金持ち”の社交場では、証拠があっても口裏合わせてもみ潰せれば無かった事に出来ちゃうでしょう? つまり連中、ばれても平気なくらい余裕があるんですよ。ハヴォニワの女王陛下に反抗的な貴族たちではああは出来ません。もう余裕が無いですからね。ばれたら、即終わりですから」
 「つまりあいつらは、他国の人間……? それに、様子見。見たいものは……龍機人?」
 ユキネの考え込むような言葉に、アマギリは我が意を得たりと頷いた。
 「行動に余裕がある。出来れば龍機人が出てこないかなと思いつつ、失敗しても何とかなると考えている。しかもあの女王陛下に喧嘩を売るなんていう暴挙に出られるような力のある存在。どんな大物が控えているやら解らないですけど―――そういう大物ですから、引き際は見極められるでしょう。……もっとも、実行犯が馬鹿じゃなければ、ですが」
 「あのぉ~、馬鹿だった場合は、どうなるんでしょう?」
 最後の言葉に不安を覚えたのか、ワウアンリーが恐る恐る尋ねてきた。
 「短慮に走るって処じゃ――――――おぅ」

 アマギリの言葉は最後まで続かなかった。
 艦首の辺りを飛行していた青い機体が、突如高速で接近してきたかと思うと、右手を構えて亜法光弾を艦首にある東屋に打ち込んできた。
 高圧縮されたエナの弾丸が、大理石で築かれた優美な東屋の屋根を貫く。

 「……馬鹿決定」
 「修理費は、誰宛に出せば良いんですかね」
 「教会領内ですから、巡回警備宛で良いんじゃないですか?」
 微細な振動が伝わってくるそのモニターに映された光景を眺めながら、三者三様に唖然としていた。
 青い機体はこれでどうだと言わんばかりに艦首の中空で仁王立ちしながらこちらを睥睨している。
 「……私、出ようか?」
 「撃たれちゃった以上、見なかった事には出来なくなりましたしねぇ。……人が、下手に出ていれば、アレに乗ってるのはガキか何かですか?」
 「あの、殿下……怒ってません?」
 「別に怒っては居ませんよ。呆れては居ますけど。新人歓迎会としては少々手荒……いや、杜撰かな。―――まぁ、道化にするのも可哀相ですし、答えてやるのが情けってヤツでしょう」
 ユキネの言葉にもワウアンリーの質問にも答える事は無く、アマギリは椅子から立ち上がって堂々と宣言した。
 「目には目を、歯には歯を……さて、聖機人三機には、ねぇ?」
 「三機……ですか」
 物凄く嫌な予感を覚えて、ワウアンリーは楽しそうに言うアマギリに問い返した。

 この艦に、聖機師は三名。
 アマギリ当人。その従者ユキネ。それから、最後は。

 「あたしお客様扱いだった筈なんだけどなぁ……」

 ため息を吐きながら、それも今更かなとワウアンリーは思った。






    ※ と、言う訳で第二部・聖地学院(一年目)編開始です。
      とか言いながら学院着くのちょっと先なんですけどねー。
      いやさ、適当にバトルでも挟んでいかないと向こう二十話近く戦闘が無いのが判明したので。
      まぁ、原作に習う感じで。のんびり進めて行きたいと思います。





[14626] 9-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/05 18:04

 
 ・Sceane 9-2・


 ダグマイア・メストにとって、今回の父、ババルン・メストからの指示を是として受け入れられたかと思えば、そうでもない。
 どちらかと言えば乗り気とは言いがたく、むしろ忌々しいと感じていた。
 このような、場末の盗賊のような真似事を、この自分に押し付けようなどと。

 父は、実の息子を侍従の一片と勘違いしているのではないか―――?

 そのような不敬な思いさえ、浮かび上がってしまったのが真実だ。
 ダグマイアは、樹海の狭間に隠匿されていたコクーンの前で、顔を歪めていた。
 「おやおや、これから一戦交えようと言うのに、不機嫌そうですね」
 月明かりしか照らすものの無い夜の森に、穏やかなテノールが響く。
 それに気づき忌々しげな顔で振り返ったダグマイアの視界には予想通り、常日頃と変わらぬ淡い微笑を浮かべた自らの叔父、ユライト・メストの姿があった。
 「大願成就を目指し猛進しているところを、このような戯れごとに駆り出されれば、不機嫌にもなりましょう」
 「その大願への下準備に、貴方が一向に目立った成果を上げられないから、兄上もこのような稚拙な舞台に上がらざるを得なかったのですが、ね」
 「私を愚弄する御積りか……っ!」
 自らを揶揄するような言葉に、ダグマイアがますますその顔に不快な要素を強めていくが、しかしユライトはこの甥っ子の性格など知ったものであったのだろう、まったく堪えるそぶりも無く、穏やかな顔のままだった。

 「龍の、聖機人」

 やれやれと、短絡的な方向に走る帰来がある甥っ子を嗜めるように、ユライトはゆっくりと今回の目的を繰り返す。
 「ハヴォニワの女王陛下がそれはもう、わざとらしいくらい自慢げに噂を広めていますから―――兄上としても、解っていても一度踊ってみない事にはどうにもならないと判断した事でしょう」
 圧して聞かせるユライトの言葉に、ダグマイアはしかし、どこか拗ねたような表情で顔を背けた。
 「その程度の事は、先刻承知している。父上の悲願の達成のためには、いかなる炉端の石だろうと慎重に避けて進まねばならん事も」
 だが、とその先の言葉を口にすべきか、ダグマイアには変なところで拘ってしまうプライドがあった。
 それは実に単純な、自己顕示欲と一言で語られてしまうもので、それ故に尊敬する父や、普段見下している叔父までもが自分以外の何者かに執着していると言う事実が我慢なら無いのだ。
 「だが、こうまでして確かめるようなものなのですか? 所詮は聖機人。学院の実機演習で幾らでも確かめられる余地があるでしょう」
 何度確かめた事だろうか、それでも十度に一度くらいは自分の思うとおりの答えが得られるのではないかと言う淡い期待がダグマイアにはあるのかもしれない。駄々をこねる子供のように、やはり自身の現状に否を唱えていた。
 ユライトはそんな甥っ子の態度にやれやれと首を振った後、殊更幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと、此度の事を丁寧に説明して言った。
 「そこは流石に、名君と名高いフローラ女王と言ったところでしょうね。事前に教会に対して、龍の聖機人のデータの提出とともに属性付加クリスタルの使用許可を求めてきましたよ。素直に隠蔽に協力すれば、情報請求には応じてやると言ってきているんですから、学院側も嫌とはいえません。学院内の実機演習では、龍の姿を拝む事は不可能です」
 ユライトの視線が自身の首から下げられているものに向かっている事に気づいて、ダグマイアは眉根を寄せる。
 「属性付加クリスタル……」
 彼の胸元には、三つの宝玉が亜法式を刻んだリングに連結された、そう、聖機人の姿を偽装する事が可能な、属性付加クリスタルが掛けられていた。
 父より賜った、ダグマイアには秘密裏に使う事しか出来ないそれを、これから自分が強襲を掛ける相手は、自由に使えるらしい。全く以って忌々しい限りだ。
 「状況に流されるままに王家に絡め取られただけの惰弱な男の癖に……」

 アマギリ・ナナダン。
 事前に調査して―――するまでもない、今や聖地学院ではその存在は話題の渦中にあった―――得られた情報は憶測の域を出ないどうしようもないものばかり。
 先王の御落寵と言われる、何故か聖機師の資質を秘めた、ハヴォニワの新しい王子。
 天領の僻地で徹底的な教育を仕込まれてきたらしく、機知に富み政務に優れた才を見せていると言う噂がある。
 まさに、現女王フローラと血を等しくしているに足るとのもっぱらの噂であったが、それらは全て、嘘っぱちである。
 真実、アマギリ・ナナダンは得体の知れぬ辺境出身の底辺者に過ぎない。
 山賊に身をやつして、聖機人を奪いフローラ女王を強襲したところを撃退され、しかし希少な男性聖機師であるが故に、王家の一員だなどという仮の身分を与えられ、隷属させられているに過ぎないのだ。
 そして、アマギリはその現状を改善しようと言う意思の欠片もない。権勢に寄って怠惰をむさぼるなど、ダグマイアにとって、尤も許されざる存在であった。

 「何を例にとったにせよ、一芸に秀でるものは優遇されるのが世の常と言うものです。出自や性格がどうであったにせよ、かのアマギリ・ナナダンに特別な才能があること自体は否定できませんから。―――そう、龍を作り出すと言う、他に無い才能をね」
 龍。
 父ババルンが、自らの息子を嗾けてまでその真実を伺いたいと望んだ怪異。
 
 アマギリ・ナナダンの操る聖機人は、龍を模すのだと、ダグマイアも既に、秘密裏に入手した映像データで確認している。
 機動とともに二本の脚が捩じれ絡み合って、一本の長大な蛇の尾を構成していくその様を、ダグマイアもはっきりその目で見ていた。
 「だからと言って、何故この私が……」
 結局のところ、ダグマイアの不満はそれだ。
 ダグマイアは自らを確立された存在と自認している。例え他の誰が、何処から見てもただの男性聖機師ではないかと、そう口をそろえたとしても、ダグマイア自身は自らの内に秘めた意思、それを成し遂げるだけの自力の存在を、疑う事がない。それ故に自らは他者に対して圧倒しているのだと、ダグマイアはそう自認していた。
 だからこそ、このアマギリ・ナナダンは許容できなかった。
 自らと違い、”目に見える形で”特異性を示し、そして誰もがそれを、当然のように特別な存在であると受け入れるであろう存在。ダグマイアの心象領域を犯しかねない、危険な存在だった。
 もしかしたら、こうも接触を避けたがる真実は、無意識の保身に走る部分が、ダグマイアのうちにあったからかもしれない。
 そしてきっと、叔父に対してはいつも反発的な態度を示してしまうのは、その保身に走る部分を見抜かれているからだろうか。
 「たかが姿かたちが変わるだけじゃないか。聖機人の強さは見た目ではなく、聖機師が鍛え上げた技によって決まる。父上も、わざわざ私を向かわせる必要もないでしょうに……」
 何時までも同じ物言いを繰り返す甥っ子に、ユライトはやれやれと首を振った。
 唐突に月夜を眺め、ポツリと、話の流れを全く無視するかのように、言葉を漏らす。

 「―――伝承に曰く。かの地に舞い降りし龍、女神より翼を賜りて闇を払い、天へ帰る。租は女神の翼を戴きし龍。星海の果てへ、扉を開く者也」
 
 天にささげて歌うように言葉を紡ぐユライトに、ダグマイアはますます顔をしかめた。
 「御伽噺など、私は少しも興味がない」
 「古い話だからと言って、そう邪険に出来るものでは無いでしょう。何せ現実に、翌朝には翼を持たない龍が、女神の座する聖地へと降臨してしまうのですから。―――兄上のように、伝説を踏破しようとするものならば、特にね」
 揶揄するようなユライトの言葉に、ダグマイアは激昂を持って答えた。
 「叔父上と違い、私が求めるものは自らの手で掴み取る現実の未来だ。カビの生えた石碑が語る絵物語の再現を求めているわけでは、談じてない! ……そうだとも、アマギリ・ナナダンが伝説を驕ろうと言うのであれば、この私が踏破してみせる!」
 
 轟、と。木々を揺らし月を隠し影を落とす、飛空宮殿オデットの威容を退けるかのように、ダグマイアはこぶしを握り締め吼え上げた。

 「聖機人部隊、出るぞ! あの石ころの中から、アマギリ・ナナダンを引きずり出す!!」

 颯爽と、雑草を踏みしめてコクーンへと向かう甥っ子を見送った後、ユライトは天を埋める巨岩―――オデットの姿を見上げて、呟いた。
 
 「神話の再現を可能とするものと、神話の踏破を求めるもの―――さて、驕り高ぶっているのは、果たしてどちらなのでしょうね」






    ※ 真性のドMの人初登場の回。
      原作だと戦闘シーンが入るようになってから出オチ属性まで身につけてしまって、
     ダグマイア様は果たして何処へ行こうとしてるんでしょうか。

      と言うか本当に、彼、反乱の落とし所とかちゃんと決めてるんだよね?
      親父さんはその辺同でもよさげだけど。



[14626] 9-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/07 10:28

 ・Sceane 9-3・


 「どういうことだ、怯えて震えているとでも言うのか……?」

 ダグマイアにとって意外だったのは―――何時まで経っても飛空宮殿オデットが迎撃のための行動を取ろうとしないことだった。
 戦場に於いて絶対的な存在である聖機人と向かい合ったならば、対抗する手段はやはり聖機人を用いる事でしか成し得ない。
 オデットの内部には最低でも一機―――聖地学院学年主席であるユキネ・メアの聖機人が存在しているはずだ。
 ダグマイアの考えた作戦は単純で、迎撃に出てきたユキネの聖機人を撃破、拘束。それを人質として、用意されているであろうアマギリ・ナナダンの聖機人を引きずり出そうと言う魂胆だった。
 残念な事に、ダグマイアはオデットの戦力はユキネとアマギリの聖機人二機しか存在しないのだと考えていた。
 そして、ユキネの機体一機だけが出てきたのならば、自分は無傷でそれを拘束出来るのだという、現実感の無い驕りが存在していた。父ババルンが、彼に対して今ひとつ信用を置かないところが、そう言った自己認識の甘い部分なのだろう事に、彼は気づいていない。
 ダグマイアには、根本的に自分以外の存在を見下してしまう悪癖があったのだ。

 そしてそれは、受動的であるが故に、物事を俯瞰的に見る癖のあるアマギリと対した時、最悪の相性と成り得るのだった。
 理解したからこそ、拒絶したものと、理解して尚、受け入れたもの。
 元より根本的なスタンスの違いが、今後数年以上の長きにわたる彼らの対立を、決定付けた。
 決着の時は、未だ知れず。しかし、今日、今晩このときを持って、彼らの対立は始まったのかもしれない。

 艦首に備わった東屋の、ドーム作りの屋根を破壊し、挑発的に艦首の中空で剣を突きつけて見せても、未だオデットは何の対応を示そうともしない。
 オデットは機関を停止しようともせずに巡航速度を保っているから、聖地巡回警備の警戒網に突入するまでもう幾許の時間も無い。
 まるでこちらの思惑が読み取られているかのようで、ダグマイアの顔が恥辱に歪む。

 このまま、何の成果も示さずに父ババルンに報告してみれば―――父の事だ、興味の一つも示さずに、そうかと一つ、頷くだけだろう。
 それこそが、肯定も否定もせずにまるで初めから何の期待していないかのようなその態度が、ダグマイアにとって尤も我慢ならぬものだった。内に秘めた野望、それを実現するに足る器の大きさを持つ父ババルン。その器を引き継ぐに相応しい跡取りであるダグマイアを、まるで路肩に転がっていた石のような目で眺めているような、時にそんな戦慄に囚われそうになる。
 それだけは、耐えられない。ダグマイア・メストは、誇るべき、他者を圧倒する存在なのだから。

 「黙ったままで居るのならば―――次は寝所を両断してくれる!―――っ!?」
 激情に任せ踏み込もうとしたダグマイアの眼前で、オデットの首部分の中腹の地面が分かれ内部に続くハッチが開く。
 地下施設へ続く深い穴から、フットライトで中央を照らした昇降機が競りあがってきた。
 その昇降機の中心には。
 焦げた煉瓦の様な色の髪。特徴の無い、朴訥そうな―――しかし纏っている優雅な服が、首から下げたハヴォニワ王家の紋章を象った銀細工が、その人物が何者かを、告げていた。
 昇降機の四隅から光るライトに照らされた、その人物はダグマイアの聖機人を前に、生身のままで余裕たっぷりに両手を背で組んでいる。
 「アマギリ・ナナダン……っ!!」
 圧倒的な聖機人の威容を前に、生身のままで堂々と、それこそ王族の傲慢を体現するように、アマギリは一人ダグマイアの前に姿を現した。
 そして光に照らされたアマギリは、ゆっくりと口を開いた。スピーカーを用いているのだろう、オデット艦内から声が反響していく。

 『ハヴォニワ王国王子、アマギリ・ナナダンが無知蒙昧たる賊軍に告げる』
 
 「―――何っ!?」 
 突然の罵倒から始まったアマギリの言葉に、ダグマイアが目を見開く。
 なんだ、こいつはいきなり、何を言いだすつもりなのか。予想外の自体に混乱するダグマイアを余所に、アマギリの言葉は続いた。

 『愚劣きわまる諸君らの拙速な愚かしい行動は、我が偉大なるハヴォニワ国内は元より、ひいては国際社会に対して不和の目を植えつける、粗暴で卑しい、下劣なる暴力の行使に過ぎない! 短慮を嘲笑されて然るべき不貞の輩よ、我が、アマギリの名を持って下される、天意に等しき万状一片たる慈悲を地に付して受けるが良い。汝らに投降の意思あらば、我が名で持って保障しよう。我自らが慈悲の刃を持って汝らの介錯を仕り、汝らに来世での平穏を願う権利を保障すると!! さぁ、己が涙滴に頬を濡らしながら、伏して懺悔の言葉とともに投降を願い出るが良い!!』

 「なん……何っ!?」
 広大な大樹海に響き渡るかのように堂々と宣言するアマギリの言葉は、常軌を逸していると言って過言ではなかった。
 ダグマイアには、彼が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
 処刑してやるから、投降しろ?
 聖機人を目の前に、頭が狂っているのだろうか、この男は。
 「それともこの期に及んで、よもや切られまいと思っているんではなかろうな……!!」
 その状況を読まぬ暴虐な物言いに、ダグマイアの顔が怒りに染まる。
 激昂は思考の停止を促し、本能が短慮に走る事を、とめる術はなかった。
 思念操作により、ダグマイアの思推を完全に受け取って、聖機人がその手に握った長剣を、昇降機の壇上で立ち尽くすアマギリに向かって振り下ろした。
 
 避ける術もなく、避けられるはずも無い。しかし、避けようとも見えぬ、ライトで照らされたアマギリは、振り下ろされた長剣に、両断され―――その瞬間、姿を、泡のように消した。
 ギン、と。鋼鉄製の昇降機に振り下ろした剣を食い込ませながら、ダグマイアは目を瞬かせる。
 肉片を飛び散らして然るべき存在が、消えた。
 消えた、いや―――違う。打ち付けられた剣に両断されたまま、先ほどまでと同様に、そこに立っている。
 四方から光で照らされ、剣に両断されて、その姿がゆらりとブレながらも。
 それは、つまり―――。

 「立体映像か!!」
 『あったりぃぃーーー!!』

 ダグマイアのもらしたうめき声に堪えるように、何処からか軽快な少女の声が響く。次の瞬間、背後に大きな衝撃。聖機人の背中に、鋼鉄の何かが叩きつけられた事に気づいた。
 直撃を食らっていればそれで終わっていただろうが、気配を感じた瞬間前へ一歩踏み出していた事がダグマイアの聖機人を救った。振り下ろされたらしい鉄棍の、致死の一撃をギリギリで回避する。
 夜陰に紛れるダークグリーンのその姿。鉄板を張り合わせたような角ばった装甲を持つその聖機人は、ダグマイアも幾度か見知った事のあるそれだった。
 「結界工房のワウアンリー・シュメか!? 工房の聖機人が、何故……っ!」
 情報に無かった、と言うよりはダグマイアが詳しく調べようとしなかったと言うだけの事なのだが、予期せぬ戦力の登場に、ダグマイアは焦燥に駆られた。
 
 『あー、あー。青い聖機人の聖機師に告げる。そろそろ他の観客の目に届きそうな位置ですし、手打ちにするならここら辺が妥当じゃないかなーと思うんですが』
 「何っ……!?」
 相変わらず表示されたままの立体映像のアマギリ・ナナダンが、あまりにも気楽な風にダグマイアに告げる。
 当然だが、不意をつかれプライドを痛く傷つけられたダグマイアにとって、アマギリのその言葉は憎悪を掻き立てるものだ。
 意味が無いとわかっていても、ダグマイアは昇降機の中央に表示されたアマギリの立体映像を踏みつけていた。
 『引かない? ああ、引く気無しですか。でも、貴方このままだと三対一だよ?』
 映像を踏み消しても、余裕の態度を崩すことなくアマギリの言葉は続く。
 三対一、何を言っているのかとダグマイアが叫び声を上げようとすると、機内の通信装置から声が漏れる。
 『ダグマイアさ……あぁあっ!?』
 「何……!? 上だと、何時の間に!?」
 悲鳴のように漏れ聞こえたのは上方から警戒していた配下の機体のものだった。喫水線ぎりぎりの位置で旋回飛行を行っていたはずの二機が、ダグマイアにも見覚えのあるユキネ・メアの聖機人と、もう一機、見覚えの無い小豆色の機体に襲われている。
 『何時の間にって言うか、割と簡単な話だけどね。―――お宅ら、上からしか警戒してないみたいだから、結界炉の反応が出ないようにコクーンのまま下方から排出して、索敵圏外で起動させた後、強襲を掛けたっていう単純な仕掛けです』
 尾の生えた二機は連携してダグマイア配下の機体を追い詰めていく。
 しかし、圧倒的に優勢に見えるのに倒そうとする気配が無い事に、ダグマイアは気づいた。
 遊んでいるのか。一体、何のつもりで―――。
 そう考えたであろうダグマイアの心情を読み取ったかのように、アマギリの声が聖機人のコアの中にに響く。
 『明日から学院生活も始まるし、入学初日から事情聴取で潰れるなんて面倒な事この上ないんで、ホント、そろそろ引き上げてもらえませんかね?』
 圧倒的勝者であるが故の優越と言うものだろう。轟然とした事実を叩きつけられて、ダグマイアはやり場の無い怒りを叩きつける場所すら見つからなかった。

 配下の二機は、敵がその気になれば、落とされるのも容易いだろう。
 援護に向かおうとすれば、ワウアンリーの機体にダグマイアが襲われる。
 敵は尻尾付きが三機。アマギリ・ナナダンの龍の機体らしきものの姿はそこに無い。
 完全なる、ダグマイアの敗北だった。

 「叔父上が、初めから三機以上居ると伝えていれば……っ!」
 俯き歯軋りをしながら、誰に言うでもない言い訳としか取れぬ言葉を呟いて、ダグマイアは配下の機体に撤収を指示した。
 ユキネの機体も、長槍を持つ小豆色の機体も、逃走を開始したダグマイア配下の機体を追撃しようとはしなかった。ワウアンリーの機体も同様に、ダグマイアの背を狙おうとしない。
 屈辱にまみれたまま、樹海に紛れて逃亡するダグマイアの耳に、オデットからの全周波通信が届いた。

 『お宅らのスポンサーにはどうぞ宜しくお伝えください。見たいならば、ウチの女王陛下の前で跪いた方が手っ取り早いですよって』

 後日の事であるが。
 ダグマイアの聖機人の通信音声を消去しようとしたユライトが、そこに残されたアマギリの言葉を見つけて、ババルン・メストに聞かせたところ、ババルンは、息子の失敗には眉一つ動かさなかったと言うのに、アマギリの暴言には喉を鳴らせて楽しげに笑ったと言う。


 ・Sceane 9-3:End・




    ・ まぁ、前哨戦なので尻切れトンボ的な終わり方に。
      ドSの人とドMの人のDQNな戦いみたいになってしまったのは如何ともしがたいような気もします。
      
      でもこの二人はずっとこんな感じだよなぁ。味方になる訳にもいかんし。



[14626] 10-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/08 18:55

 ・Sceane 10-1・



 「昨晩はお楽しみでございましたな」

 四拾絡みの老紳士が、侍従たちの世話を受けて聖地学院の上下黒の制服の上着を纏っているアマギリに言う。
 女王フローラよりつけられている専属の執事……兼、スパイと言うか報告係なんだろうなと、アマギリは認識していた。
 「誘われたのはこちら側で、僕はそれに乗っただけですから。……それに、何ていうんですかこういうの。旅の恥は掻き捨てとか?」
 侍従が捧げ持つ銀の盆に置かれた王家の紋の刻まれた銀細工―――属性付加クリスタルを手に取りながら、アマギリは肩を竦める。
 微塵も反省を示さないアマギリに、老執事は大きく一つ、ため息を吐いた。
 「多少のやんちゃは見逃してやれと女王陛下より言伝を仕っておりますれば、殿下のなさりように一々口を差し挟む事も御座いませぬが……王家の臣たるみと致しましては、主が好んで危機に飛び込んでいくような事を続けるおつもりなら、諌言を憚る事は御座いませぬ所存」
 「自分から踏み出す気は無いですよ。……まぁ、危険が向かってきたら美味しく調理してみるかもしれませんが」
 別の一人が捧げ持った侍従が広げる三面鏡を覗き込んで首飾りの位置を確かめながら、アマギリは忠臣の言葉を受け流した。宝石のあしらわれた制服のタイの上に、さらに銀細工が踊る姿に、眉をしかめる。
 「黒い制服にこのサイズの銀細工って、やっぱ少し派手だと思うんですけど」
 「その程度の意匠であれば学院も文句を言いはしますまい。……しかし、こう仰るのもなんですが、最近益々、女王陛下に似てらっしゃいましたな、殿下」
 老執事の言葉に、何故か周りの若い侍従たちまで一斉に頷いた。アマギリは微妙に嫌そうな顔を浮かべる。
 「それは僕と陛下に血のつながりが無いって解ってて言ってますよね」
 「主家のご事情に一々口を挟む侍従はおりません。……例え真実がどのような物であったとしても、我々ナナダン家にお仕えする従者一同にとって、貴方様はフローラ女王陛下のご子息であり、ハヴォニワの唯一の王子殿下であらせられます」
 そう言って老執事は、アマギリに対して優雅な仕草で頭を垂れる。他の侍従たちも、それに続いた。
 アマギリは何故か朝の寝室で侍従たちに囲まれて頭を下げられていると言う頭の痛い状況に苦笑しながら、何とか場を収めようとする言葉を探した。
「お礼を言う、場面ですかね?」
 その言葉に老執事はゆっくりと顔を上げて、言った。

 「王家の一員たるお方が、みだりに下々の者に礼など口にする物ではありませぬぞ、殿下」

 「……朝から、酷い目に合った」
 囲まれて袋たたきとかどんな羞恥プレイだよと青空の下で不健全な言葉を呟くアマギリに、ワウアンリーが苦笑を浮かべた。
 「そりゃあ、何かはっちゃけてましたもんね昨晩の殿下」
 「売られた喧嘩は買い叩けって、昔誰かに言われた気がするんですよね。あそこまで堂々と格好付けられちゃうと、弄り回したくなるって言うか……」
 「……殿下。フローラ様に似てきた」
 ユキネにまで侍従たちと同じ風に言われてしまい、アマギリは全身でがっくりと項垂れる事となった。

 朝も早く。
 聖地への到着もあと数刻と経たぬうちに訪れるだろうと言う事で、朝食もかねて簡単なお茶会にでもしようと、アマギリたちはオデット上層部の宮殿の上階にあるテラスに出ていた。
 広大な自然樹林で覆われた台地の間を抜けて、聖地の門へと進むオデットの周囲には、輸送貨物船以外にも幾つか、貴族階級が有するであろう豪華な意匠の施された飛空艇が緩やかな速度で飛翔しているのが見えた。
 そのどれもが、飛空宮殿オデットに負けず劣らずの無駄なオーバースケールだったから、アマギリとしては最早自分の感覚が麻痺しかけて驚きもしない。
 「やっぱ、この時期は派手ですねー」
 「新入生、一杯来るから」
 眼下の光景をため息を漏らしながら眺める、ガーデンチェアに身体を預けたワウアンリーの言葉に、一人アマギリの従者として背後に直立して控えたままのユキネが言葉を添える。アマギリの客人であるワウアンリーと、配下であるユキネとの、立ち居地の差だった。
 「女王陛下が最初が肝心って言ってたのが、何となく解りますね。正直、この派手な艦隊を見るまではわざわざオデットを持ち出す必要は無かったと思ってたんですが」
 「オデットは親征艦隊の旗艦を勤めたこともあるハヴォニワを代表する船ですもんねぇ。多分、口の悪い人間の噂話を退けるための、フローラ様の親心なんじゃないですか?」
 「親心と言うか……きっと、挑発のつもり」
 昨晩もそれに引っかかったヤツがいたし、と続けるユキネの言葉に、アマギリもワウアンリーもそうだろうなと、苦笑してしまった。
 「ま、半年前から女王陛下の玩具であり続ける事が確定してますからね、僕は」
  まいったとばかりに髪を撫で付けながら言うアマギリに、ワウアンリーは不思議そうな顔で頷いていた。
 「そう言えば殿下って、王子様初めてまだ半年なんでしたね。何か生まれついての王子様ーみたいに錯覚する事があるんですけど」
 「……同感」
 続けて並べられる年上の少女達の言葉に、アマギリは困ったように笑う。
 「前に王女殿下と話した時も話題に出ましたけど、多分僕は、何処かの上流階級……どうしました、ユキネさん?」
 
 少女二人の疑問に答えようと口を開くと、ユキネが咎めるような視線を送っている事にアマギリは気付いた。
 ユキネは、少し躊躇っているようだったが、一つ頷いて口を開いた。
 「……今」
 「今?」
 「王女殿下って言った」
 言われて、アマギリは自分の言葉を思い出した。無意識のうちだったろうが、確かに言った気がする。
 「……直した方が、良いと思う」
 「マリア様に?」
 「……殿下」
 辛抱強く子供に言い聞かせる母親のような口調で、ユキネはアマギリの逃げ道をふさいだ。
 アマギリは、ユキネの言わんとするところが理解できているのだろうが、それでもどうしても踏み込みづらい部分があるのか、先ほどよりもより一層気まずそうな顔になった。
 微妙に悪くなっていく空気に、ワウアンリーが仕方ないとばかりに苦笑して、言った。
 「ユキネ先輩の言う事もご尤もだと思いますよ、アマギリ殿下。ただでさえ、端から見れば―――中から見たあたしから言わせて貰っても―――微妙なお立場なんですから、始めにビシっとそれっぽいところを示しておく必要はあるかと」
 「……ビシっとするのと偉そうにするのとは違うでしょう?」
 ワウアンリーの言葉に眉根を寄せて反論するアマギリに、ユキネが首を横に振る。
 「……違うけど、違うって解ってるなら尚更そうするべき。殿下が当たり前のように、この学院に居るのが当然の立場であると、周りに示す必要がある。……でないと、誤解する人たちが出る」
 「あ~。甘いところを見せると、変な考えを持つ輩は必ず出てくるでしょうねー」
 
 アマギリ自身、あまり深く考えないようにしている事だが、男性聖機師でかつ、ハヴォニワ国王子と言う立場は、ジェミナーにおける権力構造のほぼ最上位に位置しているといっても良い。
 無論、それより上、同列と言う者達も幾らでも居るが、それでも小国ながらも世界に名を轟かせるハヴォニワの王家一族である事と、更に男性聖機師と言う希少存在であるという事実が共存しているアマギリと言う存在は、最上位の権力グループに問題無く滑り込める肩書きなのである。
 そんな人物が、右も左も解らぬような顔で、権力構造の只中に放り込まれたらどうなるか。
 ハヴォニワ王宮であれば、ある程度隙を見せていても問題は無かった。あの女王の”所有物”に手を出そうという愚か者は、あそこには居ない。
 が、聖地学院は違う。道理も空気も状況も読みきれぬ雛達しか存在せぬが故、ろくでもないトラブルが起こる可能性も否定できない。

 「……とりあえず、今日から私に、さん付けは禁止」
 「決め付け!?」
 「丁寧語も、出来れば無し」
 「もうすぐ聖地の門に差し掛かるから、くぐったら、開始」
 「……ゲームか何かですか」
 「”本番前”のお遊びみたいな練習と言う意味では、そう取って構わない」

 淡々と続けるユキネに、アマギリの頬を汗が伝う。助けを求めるようにワウアンリーに視線を移してみると、彼女も苦笑していた。
 「因みに殿下、あたしのように下々の人間には、もっと上から見るような態度で話すべきだと思います」
 ようするに、下手な丁寧語は止めろと、言っている事は同じだった。
 
 「言葉遣いには気をつけなさい、生死に関わる事もあるからって、昔誰かに言われた気がしたんだけどなぁ……」

 ゆっくりと、寄港するためにオデットが上部庭園をエナの喫水外へと浮上させていく様を眺めながら、アマギリは喫水線を抜けるのに併せて暗澹たる気分を払うかのように、大きく首を横に振った。
 最後に一つ、ため息を吐いた後、真っ直ぐ艦首の正面、それそのものが巨大な神殿、鐘撞き塔を思わせる聖地の門を視界に捉える。
 小島に匹敵するオデットの巨大な船体よりも尚巨大な建造物であるその門の中心部、複雑な意匠を施された壁面構造が上下左右に分割され、アマギリを迎え入れるかのように開門してゆく。
 開いてゆく。内側に秘める何ものかが、アマギリを招き入れるかのように。
 開いてゆく。時はまだ早いと、それ自身が囁いているというのに。

 アマギリは最早その門を潜る以外の選択肢は無く、その果てに―――?
 
 詮無い事だ。これから始まり、そして理解するのだからと。アマギリは一つ息を吐いて、視線を前から動かさぬままに、言った。

 「ユキネ」
 「何、殿下?」
 「これからよろしく頼むよ。……頼りにしてます」
 「……はい、アマギリ様」

 


  

    ※ ユキネさんはマリア様、と呼ぶのでそれに習うとアマギリ様で正解は正解。
      でも、アマギリサマって何か語呂が悪いんですよねぇコレが。
      三文字の名前を考えるべきだったかもしれない。
      アマギ様とか。……ネタバレとかそういう部分を超越してますけど。



[14626] 10-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/09 20:05

 ・Sceane 10-2・


 「アマギリ様」
 
 「何? ……と言うか、やっぱり慣れないよねぇ、年長の人に名前に様付けで呼ばれるって」
 「私も慣れない。でも、慣れるべき……です」
 オデットを聖地学院内の発着港に寄港させ、稼動桟橋に乗り換え今正に、学園に足を踏み降ろそうとしていたアマギリの耳に、ユキネが囁くのが聞こえた。
 アマギリの感性で言うとユキネは自身の主であるフローラの娘のマリアの直臣、と言う見え方がしていたので、むしろ王家に飼われているに過ぎない自身の方が敬語を使うのが正しいと考えている。
 ユキネにそれを話せば、アマギリは自身の主であるマリアとフローラに”買われて”いる目上の人間なのだから、そのように遇するのが当然と答えるだろう。
 では何故ユキネまで硬くなっているかといえば、単純に彼女は口下手な部分があるからだった。目上の男性の下に直接付き従うと言うのが初めてだったというのも、あるようだ。
 「何かこのままだと、かえって周りに舐められそうじゃない?」
 「だからこそ努力するべき……です」
 「何ていうか……端から見てる側から言わせて貰うと、微笑ましくて見ていられないんですけどぉ」
 主にご馳走様と言う意味で、とでも付け足しそうな口調で、共に稼動桟橋に乗っていたワウアンリーが苦笑していた。
 視線が生暖かすぎる。アマギリは意味も無く首元を弄りながらあさっての方向を見上げた。
 「……まぁ、その辺は後でゆっくり考えるとして」
 「逃げましたね、殿下」
 「……まぁ、ワウの研究予算の削減については後で即決で判断するとして」
 「ちょっと殿下ぁっ!?」 
 涙目で叫ぶワウアンリーに無意味に暴君として君臨しながら、アマギリは稼動桟橋から港に降り立った後にユキネのほうに振り返った。
 ユキネの頬が赤そうに見えたが、礼儀正しく気にしない事にしている。
 
 「何かな?」
 「? ……あ」
 問われてユキネは目を瞬かせた後で、一番初めに自分が尋ねた事についての話題だと気付いた。
 アマギリに続き、古代の神殿の回廊を思わせる港湾部に降りながら、口を開く。
 「昨晩の事、本当に良かった……ですか?」
 「結構今更聞くね」
 アマギリはユキネの言葉に拍子抜けしてしまった。
 昨晩、と言えば問題となった物は一つしかなく、それは聖機人に乗る何ものかによる襲撃を受けた事だろう。
 少し羽目を外してみよう―――と言う自身の言葉を有限実行するように、珍しく能動的に、かつ後先をあまり考えずに動いたアマギリは、まんまと襲撃者達を嵌めきった最後に、もう飽きたとばかりに完全勝利を手放してしまった。
 「あのまま全員拘束する事も可能だった……でした」
 断崖絶壁の上に築かれた港湾の中を進む中、背後に続くユキネの言葉に、アマギリはそうだねと頷く。
 その言葉自体、昨晩その時に言われていた事だった。
 「昨日は納得してたのに、何か思うところでもあった?」
 「あの時アマギリ様は”絶対駄目”だと言いました。……断定的表現で相手の行動を縛るのは、初めてみたから」
 「その理由を、考えていたと」
 なるほどね、と学院校内へと続く長大な階段を見上げながらアマギリは頷いた。
 「まぁ確かに、そんな風に言ったような気がするけど……そんなに変だったかなぁ?」
 自分では必要だと思う措置をとったに過ぎなかったのだが、他人にとってはどうだっただろうかと思い、アマギリは同じ言葉を聞いていたであろう、絶賛いじけ中のワウアンリーに話を振ってみる。
 「はぇ? ……あ、えーっとぉ。あたしの個人的な感想ですけど、確かにアマギリ殿下がああしろこうしろって人に言うの、見たこと無いですからね。そのくせ、人から与えられる物は平然と受け取ってますから、その辺やっぱりちょっと、変わってるかなぁ~と、思ったりなんかしちゃって」
 本気で予算を減らされたら―――無論、アマギリにそんな権限は無いのだが―――たまらないのか、恐る恐ると言った口調でワウアンリーが答えた。
 アマギリは自分では良く解らない部分だとユキネのほうに視線を送ってみるが、彼女もやはり同感だとばかりに頷いていた。
 「明確な理由があると思って頷いた。……けど、一晩考えたけど、良く解ら……解り、ませんでした」
 「やっぱ慣れない口調はやめた方が良いんじゃないかな? ―――逆に聞くけど、何がそんなに問題だったの?」
 必要の無いことに突っ込みを入れながらも、アマギリは自身の考えは変える気が無いという口調でユキネに尋ねた。

 ユキネは頭の言葉に頬を赤らめつつも、いっそ生真面目な顔で語る。
 「私は、アマギリ様の護衛役」
 「そうだね」
 「だから……そう。危険となる要素は、なるべく排除しておきたい」
 自分の言葉を自分で確認しているかのようなユキネの言葉で、アマギリは大体の意味を察した。
 ようするに、アマギリを守ると言う自分の仕事を真面目にやっているのである、ユキネは。それを守られる側の人間が守られにくくなるような事を言ったのだから、扱いに困っているのだろう。
 「昨日みたいな短絡的な人間は、恥をかかされたと感じればさらに短慮に走るようになると思う…・・・思い、ます。機能の話しの通りに、もし上が止めても、ああいうのは動きたいときには、きっと勝手に動く」
 「その辺はねぇ。……まぁ確かに、ユキネの言う事も一理あるかな」
 「あれ、認めちゃうんですか」
 アマギリが頷いた事に、ワウアンリーが驚いたような顔をした。
 彼女にとってアマギリは自分の意見に絶対的な自信を持っている人間に見えるのだろう。
 「認めちゃうんだよ。あの場合何をやってもベストな答えは無かったからね。あの青い機体が堪えしょうがなかったせいで、もう何事も無くって訳にはいかなかったから」
 ため息を吐きながら、アマギリは続ける。
 「考えてもみなよ、あのまま何もしないで黙ってみていたら、女王陛下から預かっているオデットの宮殿部が完全に破壊されてた可能性が高いだろう。見送った場合はどうか。これはユキネの言ったとおり。しばらく背中を気をつけなきゃいけない生活を送る羽目になるだろうね。そこは聖地の治安維持能力に期待、だけど。……じゃあ、あそこで連中を拘束したらどうなるか。その後は安全に過せるかな?」
 掌を返す仕草で言葉を提示され、ユキネは言葉に詰まった。彼女は今まで捕まえなかったリスクの方を主題に考えていたので、捕まえた場合のリスクには考えが及ばなかった。
 
 下手人を拘束する。
 拘束したとして、相手は背後関係を話すだろうか。……その辺りはきっと、オデットに同乗していたフローラ配下の者が上手く聞きだすとしよう。
 聞き出して……その後は? アマギリは背後にはハヴォニワ国外の大物が居るのだろうと予想していたから、個人的な外交能力の無い彼にはそれ以上の手は出せない。やはりフローラにお任せ、と言うカタチだ。
 とすると、当然のことながら下手人たちもフローラに引き渡す事になり、その後は彼女の裁量に任せて、アマギリは彼女が望まぬ限り情報を聞くことも出来なくなる。
 フローラが上手くやれば由。……本当に、由と言えるのか?
 
 「女王陛下の事だからどうせ、貸し一つ、とでも言いながら下手人たちを枡箱にでも詰めて黒幕さんに送り返して手打ちにするだろうね。で、女王陛下に喧嘩を売ろうなんて豪胆な御方もそれを鷹揚と受け入れて、さぁ、下手人たちはどうなるかな。そこで切っちゃってくれれば、助かるんだけど……そういう人って往々にして、その辺の手間を面倒がってゴミ箱にポイだけで済ませる気がするんだよね」
 
 ……そうすると、下手人たちはどう動くだろうか。

 「逆恨みで、アマギリ様を……?」
 「飛躍しすぎだと言われれば、それはその通りなんだけどね」
 考え込むようなユキネの言葉に、だからベストは無理なんだとアマギリは肩を竦める。
 あの青い機体の聖機師に思慮分別が備わっていれば、変わった事があったけど、それだけでしたで済まされたのだが、最早どうしても”しこり”が残らざるを得ない。
 それ故に、アマギリはベストとはいえないが自分の好みの―――自分の裁量に近い部分の―――答えを選んだと言う訳だ。
 「アタマ良い人はアタマ良い人なりに、面倒な苦労を背負い込むものなんですね……」
 昨晩から幾らでも沸いてくる推測の未来像の連続に、堅実な既存技術の改良を研究主目的にしているワウアンリーがうめき声を上げる。アマギリのフローラに似た思考の飛躍は、あまり、付き合いきれない領域だと考えていた。スポンサー一家である関係上、縁切り出来ないのが残念な未来像だったが。
 「ま、そういう部分も含めての、これから宜しくって事だったんだけどね」
 「―――解った」
 投げやりな口調で微苦笑を浮かべるアマギリに、ユキネが神妙な顔で頷く。主が主なりに筋の通った行動をしているとあらば、臣下としては否応は無い。自らの務めを果たすのみである。
 そんな生真面目なユキネの態度に、アマギリは確信的な顔で頷いた。
 「とりあえず、今のところユキネが気をつけるべきなのは一つだけかな」
 「それは?」
 多少の不安が残っているのは理解していたから、ユキネは真剣な顔でアマギリの言葉を待つ。
 
 「―――無理な敬語は諦めて、普通に話そうって事」





    ※ 敬語(書いてる人が)一回で挫折。
      いや、いまいちユキネさんの敬語ってイメージが作りきれなかっただけなんですが。
      暫くこの二人の掛け合いがメインになるから、書き易い言い回しじゃないと持たないんですよね……



[14626] 10-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/10 19:03

 Sceane 10-3


 「それじゃあ殿下、あたしはそろそろお邪魔しますね」

 長大な階段を上り終え、学院の中庭に差し掛かったところで、ワウアンリーは言った。
 「ああ、付き合わせて悪かったね。僕らはこれから学院長質に顔を出すんだけど、ワウはもう寮に戻るの?」
 「いえ、あたし、下層部に場所借りて専用の工房を構えてるんです。オデットに積んでた機材も運ばなきゃですし、先にそっちへ顔を出します」
 「専用工房とはまた、剛毅だねぇ」
 アマギリから見ると、どうにも落ち着きが足りず幼く見えるワウアンリーだが、その実態は時間の流れが通常とは違う結界工房内で生まれ育ち、経過年齢は既に九十を超えている、ベテランの技術者だった。
 聖機師としては資格を未取得の未熟者だったが、技術者としては既に一流で、自身の工房を有している事に何の不思議も無かった。
 よく考えれば、今自身が首に下げている属性付加クリスタルの難しい調整を一人でやりきったんだったとアマギリは思い出し、それに頷いた。人は見かけによらないなと、微妙に失礼な事を考えている。
 「そう言う訳なんで、次は教室で……って、そう言えばアマギリ殿下って何年生なんですか?」
 「どうだろうね。なんか試験を受けさせられた時は、”編入用”って言われたけど」
 思い出したように言うワウアンリーに、アマギリもその辺りの事は良く聞いていなかった事を思い出した。
 聖地学院は四年制の初等部と、聖機師資格を取得したものが所属する高等部が存在する。
 最低入学年齢が12歳からで、それ以上の年齢の生徒が新規に入学する時は、事前に試験を受ける事で学年を振り分ける仕組みである。
 ほかに、入学希望者の地位・職務を考慮して在学期間を短縮する制度もあり、その場合もやはり、申請に応じて適当な学年に振り分けられる。
 しかし大抵の場合は、順当に一年生から始める事になるが。

 「因みにワウって何年生」
 「三年生です。……何度目かは忘れましたけど」
 研究に没頭するとあっさり休学してしまうせいで、中々学年が上がらないらしい。
 「ユキネが確か、今年から高等部だっけ」
 「そう。因みに、ワウと同級生だったのは一昨年の話」
 「言わないでください、ユキネ先輩……。これでもここ十年の間ではまともに通学してるほうなんです」
 かつて先輩ではなかった、と言うか自分が先輩だったときのことを思い出して、ワウアンリーがなみだ目になる。その情けない姿に容赦の無い笑顔を向けながら、アマギリは言った。
 「それをこれから学院長に確認に行くんだけど……まぁ、順当に一年生になるんじゃないの? 女王陛下は別に在学期間を短くしろとは言ってなかったし」

 「いえいえ、アマギリ殿下は初等部二年に編入になります。初等課程は成績次第で短縮可能ですから、試験成績を考慮して二年から、となります」
 
 階段の頂上で立ち話をしていた三人以外の声が、アマギリの言葉を否定した。
 柔らかいテノール。
 声がした方向に視線を送ると、ローブを纏った長身の男が、薄い笑みを浮かべてアマギリ達を見ていた。
 「ご歓談中に失礼しました。―――係留作業が既に済んでいると聞いていたのに、中々姿を見せなかったからどうしたのかと……」
 男はゆったりとした仕草でアマギリたちに近づいてきながら、丁寧な口調でそう言ってきた。
 アマギリが表情を作らずにその男の所作を見ていると、背後に控えていたユキネがそっと、アマギリに囁いた。
 「ユライト・メスト。……学院の教師」
 「へぇ。ユライト……メスト。メスト?」
 聞き覚えのある響きに、アマギリは口元でその名前を繰り返す。
 「うっわぁ、ユライト先生自ら出迎えとは、やっぱりV.I.Pは違いますねぇ」
 「いえいえ。担任も持たない身軽な身ですから。学院長の小間使いは、私の仕事です」
 主従の囁きは聞こえていなかったらしいワウアンリーが、おどけた様に言った。その言葉に、アマギリはさも初めて聞いたかのような態度で目を瞬かせて驚いて見せた。
 「先生?」
 「ええ。お初にお目にかかりますアマギリ・ナナダン殿下。聖地学院教師、ユライト・メストと言います」
 男はそこで始めてアマギリが自身を認識したかのような仕草で王家に対してのみ捧げられる半直角の礼を示した。
 長身にゆったりとした動作がさまになりすぎていて、流石にアマギリも失笑してしまいそうだったが、それを一つも顔に出すことなく頷いて答えた。
 「アマギリ・ナナダンです。教職に着かれている方のわざわざのお出迎え、痛み入ります」
 我ながら白々しい言葉遣いだなと思うアマギリの態度に、生徒のプロフィールくらい確認しているだろう立場に居るはずのユライトは一切の反応を示さず、ただ笑みを浮かべて校舎の方に手を差し向けた。

 「では殿下、こちらへ。ご案内いたします。学院長がお待ちです」

 自身の工房へと向かうワウアンリーと別れたアマギリとユキネは、ユライトに導かれるに従って、校舎へと続く中庭の石畳を歩いていた。
 その途中、正面左右を覆う巨大な校舎の間に開かれた中庭の様子を伺ってみる。
 各校舎の正面口から十字に渡された石畳の路に区切られ、丁寧に整備された芝生を植えられた庭園が広がっている。囲っている校舎が巨大なら、芝生の庭も広大で、もしハヴォニワの王宮を経験していなければ、アマギリとて傍目にわかるくらいの呆然とした顔をしていただろう。
 「どうですか殿下、聖地学院は。中々の景観かと思いますが」
 「そこかしこの木陰から、内緒話と共に伺うような視線を指して景観というのなら、そうでしょうね」
 事実そうであった、全寮制で、かつ初頭部生徒は特別な理由が無ければ校外への外出許可が下りないと言う関係からか、昼前の中庭には結構な数の歓談中の生徒の姿が見えた。
 それらの者全てが、アマギリたちが通り過ぎるたびに、何か囁き合いを交わしながら、時に指を指したり身振り手振りをしたりと、彼らを気にしている風にしている。
 邪気が薄い故に容赦の無い幼い興味心に、ハヴォニワで似たような経験を幾らでも繰り返したアマギリも、げんなりとした顔をしたくなってしまう。立場上それはやってはいけないと理解していたが。
 そんなアマギリの心を察してか、ユライトがその整った顔に微苦笑を浮かべる。
 「皆、噂のハヴォニワの新王子の存在が気になって仕方が無いのでしょう」
 「女の園で、単純に男が珍しいって事じゃないんですか? メスト先生の名前を口にしている生徒も多いみたいですよ」
 「女の園と言うのは言い得て妙ですが、それ以上にここは若者の楽園と言う向きもありますからね。私のような成人した人間は表には殆ど出ませんから、珍しく思ってくれているのでしょう。勿論、仲良くしていただける事には感謝していますが」
 「若い女子にとって、年上の男性ともなれば、そう言う事もあるでしょうね」
 メスト、とあえて家名で呼びかけてみても、ユライトは穏やかな表情を揺るがす事は無かった。
 それが逆に不審を呼ぶんだけどなと思いながらも、アマギリはそれは結構と微笑を浮かべるだけに留めた。
 
 「気になって仕方が無い、と言えば―――アマギリ殿下。昨晩は何やら宜しくない者達から興味を引いていたらしいですね」

 会話の流れに沿って、ユライトの口からそんな言葉が洩れた。
 ユキネは、ああ、その話はあるかと理解した。だがアマギリは、ユライトの言葉を鼻で笑った。

 女王陛下と同じだ。この人は試している。

 胸の奥の自分以外の何かがそう告げて、そしてアマギリ自身の直感もそう確信していた。
 ユライト・メスト。メストといえば、大国シュトレイユの宰相の家名と同じ。そしてその人物は、大局的な位置から見た時、母フローラの政敵に等しい位置に居るのだという知識がアマギリにはあった。
 それを理解しているのか。このユライト・メストという教師は試しているのだと、アマギリは理解した。
 故に、頷き、答える。言葉を刃物に変えながら。
 
 「ええ、夜遅くに面倒な方たちでした。―――ところで先生。私の配下の者がそちらの者に、背後から結構良い一撃を加えてしまったと思うんですけど、あの後平気でしたか?」
 ユキネの目が、主の言葉にぎょっと見開かれた。
 しかし、ユライトはアマギリの流れにそぐわぬ言葉を聞いても―――やはり、何処か穏やかな態度を崩さなかった。
 「アマギリ殿下。一体何を―――?」
 「あれ? その辺りの話がしたかったのではないかと思ったのですが、勘違いでしたか?」
 首を捻ってみせるユライトに、アマギリもさも理解不能とばかりに首を捻る。
 両者、そのまま言葉が止まり、ユキネが背後で一人居心地を悪そうにしたまま、無言のまま校舎への歩を進めることとなった。
 無言、無言、無言。表情だけは二人とも自然なのに、不自然なくらい無言の風景。
 アマギリの内心では、この段階で本当に”アタリ”を引いてしまったのだと確信していた。でなければ、理解不能のアマギリの言葉に、返す言葉を選ぶ筈が無いと考えたからだ。

 背中に注意。まぁ、背後に最強の護衛が居るから、安心できるが。

 鎌を掛けるだけだけ掛けておいて、場の納め方を考えていないアマギリは、さて、どう話を逸らすかなと空に息を吐いてみる。その態度に反応したのか、ユライトが口調も表情も変わらず穏やかなままで、口を開いた。
 「つまり殿下は……昨晩逃亡した襲撃者に、私が関与していらっしゃるとお考えで?」
 自然な質問だった。意味が解りませんと一言で済むという現実を取り外せば、自然な質問だった。
 試されているのか、隠す気が無いのか、隠すのに失敗したのか。アマギリは一瞬考えた後で、行くところまで行ってしまおうと思い直した。
 「ユライト先生が、襲撃者が”逃亡した”と言う事実を知らなければ、違うって言えたのですがね」
 アマギリがわざとらしく失敗したなと肩を竦めてみせると、ユライトが、はっと驚いたような顔をした。
 隠すのに失敗したと言うのが正解らしい。駆け引きが苦手なタイプには見えないから、単純にアマギリがストレートに突っ込んでくるとは考えていなかったのだろう。
 そりゃ、普通はそう思ってもいきなりは言わないよなとアマギリ自身も思いつつ、彼は現実、売られた喧嘩は買い叩く主義だった。
 
 「―――まぁ、学院の教師でいらっしゃる方なら、存じていて当然でしょう」
 これで手打ちにしようと苦笑して見せると、ユライトも困った風に笑って頷いた。勿論ユライトは、自身が事件に関わりがあった事を認めるような真似はしない。ただ相手の人物像を修正するだけである。
 「殿下は噂と違い中々聡明でいらっしゃいますね」
 「噂、ですか。―――碌でもなさそうなモノでしょうね、それは」
 皮肉気に笑うアマギリに、ユライトもそれはもう、と頷く。それから、穏やかな物とは違う隙の無い笑みを作って、こう言った。
 「老婆心ながら忠告ですが。碌でもない噂を信じている人間には、そうだと信じさせたままの方が良かったでしょうね。もしかしたら、程度にそう思っていた人間に対しても、勿論。あまりに弁が立つ人間は、要らぬ警戒を生みますから」
 ユライトの言葉に、アマギリの顔が苦々しく歪んだ。
 なるほど、つまりそれが目的。ここまで含めて試金石で、そうだと解った以上、次からはカケラの油断も無いのだと、それはつまりそういう事なのだった。

 「先生」
 「なんでしょう?」
 ため息と共に呼びかける声に、ユライトは穏やかな声で言葉を返した。アマギリは地面に視線を落としたまま、言った。

 「美しい景観が、何故だか地雷原に見えてきました」
 「自業自得、と言うのでしょうねそれは」





    ※ ミニデーモンと話しているつもりがバラモスだったでござる、みたいな感じです多分。
      まぁ、11話辺りでネタバレくれないと微妙に扱いに困る人なんですが、ユライト先生。



[14626] 10-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/11 20:30

 ・Sceane 10-4・


 「さっきの話だけど」

 「―――と言うと、どれの事かな?」
 「―――ユライト先生との……学院長室での」
 学院長室に挨拶に出向き正式に初等部二年に編入を申し渡されたアマギリは、今はそれを終えて、ユキネと二人で寝所となる寮を目指しているところだった。
 森から這い出した木陰が日差しを隠す水路脇のあぜ道を歩きながら、完全に敬語を使う事を諦めたらしいユキネの言葉に、アマギリは学院長室でユライトと交わした言葉を思い出していた。
 
 「ところでユライト先生、失礼ですがお歳は?」
 「今年で25になりますが、何か?」
 「25……3歳差かよ。―――ああ、失礼。と、すると聖地学院に通って居たのは7~8年前と言う事に?」
 「おや。―――ええ、その通り。こんな私でも当時は生徒会に所属していましてね。いや、あの頃は無茶をしました。殿下と非常に性格が似てらっしゃる方が生徒会長を勤めていまして、毎日毎日、騒がしい日常を過ごしたものですが―――それが何か?」
 「―――いえ。……強いて言えば、参りましたと言うか」

 ふくよかな体系をした学院長の老婆との会話を終えた後、唐突にそんな会話を交わして、学院長室を後にしていた。
 アマギリは食えない笑顔を浮かべるユライトを思い出して、苦笑した。
 「世の中味方じゃない人間が敵とは限らないって言う事と―――味方こそが最大の敵って事も無きにしも非ずって事かなぁ」
 出会い頭の雰囲気から、ユライトはあまりああいった”遊び”を好むようなタイプには見えなかったのが事実だった。だがあえてああいった場を仕組んでみたと言う事は、その背後に誰かの意思があったと言う事で―――アマギリは当然、それには気付いていた。
 だが、背後に居る誰かが一人とは限らないし、かつそれが複数だった場合、それらが協調関係にあるとも限らないとまでは、思い至らなかった。
 「今さらだけど、昨晩の件の女王陛下への報告は家令に任せきりだったし、陛下なら事件の背後関係を探る事だって簡単だったろうからね。―――付き合いがあれば、それを貸しにでもして僕に悪戯を仕掛けてくる事もあるか」
 完璧に遊ばれてたと木漏れ日を見上げながら言うアマギリに、ユキネは今ひとつ状況が掴み取れていないようだった。そんなユキネの気配に気付いたのか、アマギリは背後を振り返り微苦笑を浮かべた。
 「ようは、子供に甘い優しいお母様が、離れていても守っていて下さるってところだよ」
 「―――背中の危険は、気にしなくて良い?」
 ようするに事後処理をフローラが的確に行ったと言う解釈で良いのだろうかとユキネは尋ねた。
 「―――そ。結局、あの人は子供の遊びも自分で楽しもうとしちゃうって事だろうね」
 若干投げやりな口調で頷くアマギリは、歳相応に拗ねた態度に見えて、ユキネには意外なものだった。
 その後で、良く考えたらこの少年と自分の間にはまだ、それほど長い付き合いがある訳ではないのだと気付かされる。むしろ、知らない面の方が多いだろう。
 それはこれから理解していく事。共に過す過程で―――そう、しばらくは、当分の間は、共に過す事になるのだと今更ながらにユキネは思い出し、そう考えると何故だか胸が上気してしまう。
 
 何しろ彼女の本来の主であるマリアからも、”機会があれば一向に構わない”とハヴォニワを出立する前に言い含められているのだから。
 
 この少年と、所謂そういう関係に―――聖機師として当然の義務であるが。さりとて、付き合った歳月を錯覚する程度には親しく感じているが、あまりそういう気にならない不思議もある。
 と言うより、少年自体がその年齢に相応しくないくらい枯れているように見えるのはユキネの勘違いだろうか。
 仮に、この少年とユキネが”機会”を作ろうとした場合、アプローチを掛ける側になるのはどう考えてもユキネになってしまう訳で―――駄目だ、とても考えられない。
 自分にそんな事が出来る訳は無いと、ユキネは大きく首を振って思考を追い払った。
 「どうかした?」
 そんなユキネに、上から、と言うよりはむしろフランクな口調で話すようになったアマギリは、不思議そうな顔をしていた。この少年、丁寧語が抜けてから、さらに自分の事を女性として見るのを止めているようにみえるのは気のせいだろうかと思いつつ、ユキネは何でもないと呟きながら首を振った。
 そうこうしている内に、ユキネたちは目的地に到着した。
 
 「お帰りなさいませ、殿下」
 玄関ホールに整列した使用人たちと共に、老執事が頭を下げる。
 アマギリはどうにもコメントに困ると言う形で、オデットの小城にも劣らない豪勢な屋敷の高い天上を眺めながら、言葉を漏らす。
 「……学生寮、ねぇ」
 「はい、ハヴォニワ王国、王家専用の学生寮で御座います」
 只の別荘じゃないかと言う突っ込みはしても意味が無いだろうなと思い、アマギリはああそうと頷くだけだった。お金持ちの無駄なお金の使い方―――見得の貼り方―――はいい加減、今更立ったと言うこともある。
 「簡単なご説明を致しますと、アマギリ殿下にお使いいただくのはこの本塔施設及び、エントランスホールより向かって右塔のみ、となっております。左塔に関しましては―――」
 「マリアの部屋、でしょ」
 あえて呼び捨てにして見せるアマギリに、老執事は深々と一礼した。
 外観から察するに多少こじんまりとしていた右塔の方は新築に見えていた。ようは、アマギリがここに通うに辺り増築でもしたのだろう。そのために再設計したらしいエントランスも、まだ真新しく感じられる。
 これからここで、長い期間を過す事になるのだと、アマギリは特に感慨も無く受け入れた。

 「とりあえず、寝室と風呂と盗聴器の場所だけは教えておいてくれる」
 「寝室は右塔最上階奥、風呂に関しては本塔のもの以外に各塔個別のものが用意されていますので、お入りになられる際は事前にご連絡ください。盗聴器に関しましては、自分で見つけられたのなら解除して構わないとの言伝を預かっております」
 「……つけてること、否定しないのね」
 「絶対に尋ねられるからその時はそう答えるようにと女王陛下より仰せつかっておりますれば、私めにはそれが事実であるかどうかなど、些細な問題で御座います」
 整列した侍従たちに解散を命じた後、花壇で埋めらた中庭の見えるティールームで紅茶を啜りながら、アマギリは老執事の言葉に顔をしかめていた。
 因みにユキネは右塔一階にある私室―――アマギリの生活領域はエントランスの大階段を上がって二階以降になる―――で、明日の聖機師就任式で着る為の正装の着付け合わせを行っているいたので不在だった。
 「聖機人でも運び込んで、亜法機関を最大出力にでもすれば高振動波で盗聴器くらい破壊できるかなぁ」
 「その場合、屋敷の維持機能まで破壊される事はお忘れなきようお願いしますぞ」
 本気で実行に移しそうなアマギリの言に、老執事が口を挟む。
 アマギリは深々とため息を吐いた。
 「裏を読めば、僕が解っている以上盗聴器は、無い。でもその裏を読んでやはり、有る。―――と言う裏を読めばやはり、無いけど、やっぱりその裏を読むと……」
 「何やら機嫌が悪う御座いますな、殿下」
 「そりゃあ、ね。これでも少しくらい羽を伸ばせるような気分になっていたのに、遠く離れていてもこれだけ遊ばれてれば、不機嫌にもなるよ」
 率直に言ってアマギリには忌々しいとしか言えない状況だった。
 「大体この屋敷のスタッフだって随分多いじゃないか。オデットの乗員はオデットの管理維持で残してあるし、つまりこの屋敷の使用人たちはわざわざ別口で取り寄せたんだろう? つまり聖地学院は、生徒が必要と思えば幾らでも人を呼び込むことが出来るって訳で、建前としての”難攻不落”の警備体制なんてモノとは程遠いって事だ。これだって、何も言わずに僕が気付くかどうか、試していたに決まっている」
 「それにお気づきになられると言う事は、自然、女王陛下のお望みもご理解出来ましょう」
 吐き出すように多弁となったアマギリの言葉に、老執事は穏やかな声で返す。
 「―――期待してるって事? 何を期待するって言うんだ。僕はあの人にとっては只の道具だよ? 道具はその機能を見極めてその範疇で効率よく利用すべきだ。用途外の目的に使おうなんて、無駄だよ、無駄」
 「殿下の仰りようを字義道理に解釈しますれば、それはつまり、陛下はそれが可能であると判断していると受け取れるのですが」
 「……まぁ、ね。仕込めば使えると思ってるのかもしれないけど、わざわざ自分で教育するような事じゃないだろう? そういうのは王女殿下に仕込むものだ」
 何がこんなに苛つくのかと言えば、どうにも女王フローラの行動が、アマギリを甘やかすように動いているように感じられる事だった。便利に使われるはずの―――実際に、初めは真実そうだった筈だ―――自分が、今ではこれほどの厚遇、地位に於ける待遇的な意味ではなく、感情的な意味での厚遇を受けている事が、アマギリにはどうにも腑に落ちない。
 老執事からすればそれは、単純に気に入られているからでしょうと、一言で片がついてしまう問題なのだが、アマギリ本人には理解の及ばない真実らしい。ここに来ても、必要な時に直接的な指示を受けて便利に使われるのだと思っていたくらいである。自分が自由に動けるようにフォローを受けるようになるとは、流石に予想していなかったのだ。
 「……ホント、何をさせたいのさ、僕に」

 「逆にご質問いたしますが、殿下は何をどのように為さりたいのでしょうか」

 ふと洩れた呟き声に対する老執事の言葉に、アマギリは目を瞬かせた。
 「何を―――?」
 したいか。僕が。そんなものは、どうであったとしても何の意味も無い事だろう。
 そんな風に思い首を捻るアマギリに、老執事は言葉を続ける。
 「失礼を承知で私見を申し上げますと、殿下はただ便利に使うには余りにも優秀すぎます。しかし優秀な才隠す事無くを見せると言うのに、それを自らの意思で振るう事もなく、ただ言われるがままに誰かの言葉に従う。まるで望んで状況に流されるように。しかし、貴方様がそうあろうと、ただ流されるだけの石片であろうと思おうとしても、回りの人間にとっては巨石の如き存在感を示しております。ただ流れるのを見過ごすには巨大に過ぎ、さりとてその重量ゆえに、抱え込むのも難しい。有体に言って、扱いづらい。―――特に女王陛下の如きお立場であれば、尚更でしょう」
 「―――なら、切り捨てれば良いじゃないか」
 拗ねたような口調で、アマギリは窓の向こうの花壇を見やりながら言った。
 
 目的もなく、行く当てもなく。故に誰かの目的に付き合っているだけだと言うのに、それすらも邪魔だと言う。
 面倒な話だ。
 つまりは、せめて自分の方向性を此処で見つけて来いとでも言いたいのだろう。
 その上で尚付き従うなら由、裏切って見せても、笑って相対して見せるのだろうと思うと、怒りも沸かない。
 晴れてその意味を理解したとして―――アマギリは自身の意思を振り返った。
 
 例えば、何かしたい事があるか―――問うて一言、無いと返した。
 
 そこまで言い切れる自分が可笑しいと思う反面、そうであって当然と思う自分も居るのがアマギリには不思議だった。

 だって、欲しいものはもう、持っているから。

 心臓の位置を手で押さえて、そんな風にアマギリは思う。その理由すらも解らないまま。
 自分でも解らないのだから、これは、誰に言っても伝わらないだろうなと、唇をゆがめて首を振った。
 つまりは、その場しのぎの誤魔化し言葉を言うしか、無いのだ。
 「……遊び方を知らない人間となんか、誰も付き合いたいと思わないって、そういえば昔、誰かに言われましたっけね」
 陰の差した表情だったアマギリの顔が、微苦笑に変わる。
 その言葉に、老執事も微笑んで頷いた。
 「女王陛下は、事の他娯楽に対して拘りをお持ちの方ですからな」
 しかめっ面していないで、一緒に遊びを楽しめるように成長して見せろとでも言いたいのだろうか。
 面倒なものだと思いつつ、それこそ正に親の期待と言うそれそのものだと気付いてしまい、最早アマギリには苦笑する事しか出来なかった。

 聖地学院での生活が、こうして始まる。



 ・Sceane 10:End・





    ※ 此処まで来るとモブの人にも名前付けたほうが楽だったかなぁと思わんでも無いですが、このSSはそういう仕様。
      ただでさえ名前のある原作キャラが大量に要るのに、これ以上キャラを増やすとか、無理だ……



[14626] 11-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/12 18:58
 ・Sceane 11-1・


 聖地学院の始業式が、その通う者達の地位に比較して簡素な者だった理由は、その後に続く式典こそが重要なイベントだったからに他ならない。

 外周をすり鉢上に客席で覆われた円筒形にくり貫かれた舞台。石柱の林立する巨大な、聖機人ようの闘技場のなかで、その儀式は行われていた。 学院校舎を仰ぐ事が出来る側に式典用の台座が組まれ、そこには首のもがれた巨人のような鋼のオブジェが祭られていた。
 今年度の新たな聖機師を叙勲するその式典は、そのオブジェの前で今尚続いている。
 今年から聖地学院高等部へと進学する生徒達が、聖機師の正装に身を包み学院長の前にひざまずき一人づつ額に冠を被らされていく。
 式典用の儀杖を片手に持つ生徒達の顔は何れも誇らしげで、今日、正式な聖機師資格を得たこの日の事を心底から喜んでいる事が伝わってくる。
 何せ、整列する聖機師たちの最前列に立つユキネですら、普段の彼女の慎ましやかな姿とは思えないような笑みを浮かべているのだから、その心のうちも知れようと言うものだ。
 客席で見る初等部生徒達の顔も同様に笑みに満ちている。何れそこに立つ自分達に重ね合わせているのか、憧れの先輩達の晴れ姿に胸をときめかせているのか、何れも頬が高潮し、誇らしげな顔をしている。
 
 「……やっぱ僕は、異世界人で確定だな」
 その式典の様を、各国ごとに個別に用意された貴賓席の一角で一人眺めながら、アマギリはうめき声を上げた。
 率直に言って眼下の光景はシュールすぎる。
 誰が仕掛けたのかは知らないが、アマギリ自身が理解する一般常識において、眼下の光景は性質の悪い悪戯以外の何物でもなかった。
 だが、眼下の何れの―――周囲の彼と同様の立場に居るであろう賓客と遇される生徒たちでも―――人々も、それを感動的なものとして受け入れているのだから、それはつまり、アマギリの常識が歪んでいるのである。
 この気持ちを誰かに話したら、恐らく逆に、普通感動するだろ? と言い返されるだろう。
 それ故にアマギリは、自身が異なる常識を有する異世界人なのだと、再確認していた。

 と言うか、そんな今更な事実を再確認でもしていないと正気を保てそうになかった。

 ファーつきの分厚いビロードのマントをつけたハイレグレオタード姿の歳若い女子が整列し、穏やかな顔をした老婆に次々と猫耳をつけてもらいながら、先端に肉球をあしらった杖を掲げて笑顔を振りまいている。

 実は全員解っててアマギリを嵌めようとしているんじゃないかと疑いたくなるくらい、それはシュールな光景だった。
 「如何ですか式典は。中々、見応えが有るでしょう?」
 アマギリが額に手を当て悩んでいると、背後からテノールが響いた。
 「ユライト先生」
 何時の間に教員席を離れたのか、ユライト・メストが背後に立っていた。彼はごく自然な態度でアマギリの傍に近寄り、手すり越しに眼下の光景を見下ろしながら言葉を続けた。
 「毎年この光景を見るのが、教師としての楽しみでね。いやいや、壮観と言えませんか」
 「壮観と言うか……まぁ、コレを仕掛けた人はきっとあの世で大喜びしているでしょうね」
 ユライトの言葉に何処か皮肉ったものが混じっていたため、アマギリも素直に言葉を返した。
 ユライト・メスト。教会で歴史や古代文明史の研究をしている筈だったから、”現実の事情”を理解しているのだろう。
 「殿下もご承知の通り、この光景の発端となったのは異世界人の気まぐれです。……この学院はそういった部分が他にも沢山ありますから、殿下の如き嗜好をお持ちの方には、中々居辛い物になるかもしれませんね」
 「……人里離れた田舎暮らしが長かったものでね、世間の常識に戸惑う事も多いですよ」
 明らかにアマギリの事情を探っているであろうユライトの言葉に、嘘とも本当ともつかない言葉で答える。
 ユライトも言質が取れるとは思って居なかったのだろう、あっさりと頷くと、式典の祭壇を示して言葉を続けた。
 「そう言えば殿下は、王族として表舞台に立ってまだ日が浅いのでしたね。―――では、あの聖機神を見るのも、初めてでしょうか」
 「聖機神って……ああ、あの御神像みたいなのがそうだったんですか」
 祭壇の上に安置された、後輪を背負う鋼のオブジェ。
 名前だけは知っていて、実際見るのは、確かにアマギリにとって初めてのことだった。

 聖機神。物言わぬ鋼の骸。
 失われた古代文明の遺産。全ての聖機人の雛形とも言える存在であり、それは力の象徴として信仰される存在でも有る。
 だが決して、その存在は最早秘めたる力を発揮する事は不可能な、只の骸に他ならぬのだと、ユライトはそんな風に言葉を続けた。
 「動かない……ですか」
 「ええ。結界工房の聖機工たちがどれほど弄り回してみても、結局最後までうんともすんとも、腕一本上がる事無く終わったと聞いています。その時の研究結果を元に開発されたのが、聖機人となる訳ですね」
 ユライトの説明を聞き流しながら、アマギリは聖機神を視界に納める。
 動かない。腕を投げ出して片足をもがれて腰を落としたその姿は、最早動き出すことなど在り得るとは思えない。
 だが、どうだろうか。
 何故かアマギリには、その姿が動かないと言う言葉とは違うのではないかと思えた。
 
 死んでいる。―――違う。
 眠っている。―――違う。
 待っている。―――違う。
 物言わぬ鋼の巨人は、その胸の内の真実は―――。

 「呼んでいるんだな」
 「は?」
 ポツリと呟いたアマギリの言葉に、ユライトが目を瞬かせた。アマギリは言葉を返さない。

 動かない。当然だ。アレはそう言う物であり、呼ばれ、そしてその呼び声に答えた者でなければ、動かせる筈が無い。故にアレは、そこに留まったまま、何れ訪れる何者かを呼び続けている。
 同種の存在ともいえるアマギリには、それが理解できた。

 「―――下、アマギリ殿下?」
 「―――? あれ、どうしました先生」
 「どうしたも何も、少しぼうっとしていらしたようですが」
 アマギリが聖機神から顔を離すと、ユライトが不思議そうな顔をしていた。アマギリはもう一度聖機神に視線を移した後、首を捻る。

 ―――はて、あの鉄の塊を前に何を考えていたっけ?

 「あまりこういった場には慣れていないんで、疲れたのかもしれません」
 特に、下で繰り広げているが如きシュールな光景に対応するような事態には。
 二三度首を振って、アマギリは視線を闘技場内から遠い方へやる。
 高い岸壁がくり貫かれて、教会の信仰する女神の姿が掘り出されていた。
 確固たる姿が、名前すらも判らぬがゆえの極端にデフォルメされた人型が、光輪を背に羽衣を纏ったような姿。 「―――女神にはこう言った伝承があることはご存知ですか?」
 アマギリの視線の先に有る物に気付いたのだろうか、ユライトがそんな風に口を開いた。
 「女神の纏う羽衣―――その翼は、既に失われているのだと」
 「失われている?」
 唐突に飛び出した話に、アマギリは首を捻った。王宮の書庫に有る本で読んだ教会の布教している神話には、そんな筋書きは存在していなかった。
 それが、教会に属する人間の口から話されたのだから、混乱もする。ユライトもそれを解っているのか一つ頷いて先を続けた。
 「ええ。最新の学説では否定されている部分なんですが、ごく少数の遺跡に刻まれた伝承に、確かにそのような記述が存在したのです」

 ―――かの地に舞い降りし龍、女神より翼を賜りて闇を払い、天へ帰る。租は女神の翼を戴きし龍。星海の果てへ、扉を開く者也。

 「―――龍」
 「その伝承が刻まれた碑文には、幾つも破損により読みとれない部分があり、現在ではこの解釈は否定されています。同様の記述が他のどの遺跡でも発見できなかったと言うこともありますが。ですが私はこれを興味深いと感じている」
 眉を顰めるアマギリに、ユライトはしかし歌うように言葉を紡いでいく。
 「何処から現れたのかすら解らない、そもそも姿かたちすら記されていない存在。非常に曖昧なものだというのに、しかしその帰る場所と、為し得た事だけは明確に記述されています。―――珍しいのですよ、他の女神の伝承においてこのような明確な記述は存在しないと言う事も含めて」
 それ故に私は真実だと思っているのだと、ユライトは続けた。
 「龍。どのような姿をしていたのでしょう。私はね、殿下。貴方がその答えを教えてくれるような気がしてならないのです」

 「―――!?」

 余りにも直接的な言葉に、アマギリは絶句してしまった。アマギリ自身にも、もしかしたらと考えてしまう事実があったからだ。 龍機人。彼だけが作り出せるその姿がそれだ。
 しかし、ユライトはアマギリの態度にまるで気付かぬ風に言葉を続ける。
 「貴方はハヴォニワに、いえ、このジェミナーに忽然と現れた存在。龍の如き、その存在の見えぬお方です。それが遂にこの女神の聖地に訪れて―――此処で、どのような翼を掴むのか。個人としても一教師としても、私にはとても興味深い事です」
 ユライトの言葉は、そんな比喩的な表現の中で終わった。
 それをそのままの意味で受け取るか―――現実を念頭において深読みしてみるべきかは、今のアマギリには判断材料が足りなすぎた。
 ため息を吐いて、アマギリはユライトから視線を外した。
 「生憎、僕は龍じゃない」
 「龍では、無いと。では、何ものになるのかを楽しみにさせて貰いましょう」
 はき捨てるようなアマギリの言葉にユライトは笑顔で頷いたらしい。そのことを一層忌々しく思いながら、アマギリは遠く何処かへと続く自然林の向こうへと視線を飛ばした。
 
 龍では、無い。言うなれば僕は、僕たちはあの森に根ざす大樹の如き―――。

 胸の奥の何かが、最後にそんな風に囁いた気がした。





    ※ 進んでるような、そうでもないような。まぁまだ原作も始まってないしなー。

      ところで感想板で指摘があるとおり、最近どうにも誤字と言うか用法違いが目立ってしょうがないですね。
      本当に申し訳ありません。一応気をつけてはいるのですが、気をつけ切れていないトコが反省点として、気をつけて行こうかと思います。
      ……誤字に関しては、気をつけてもでちゃうのがねー。



[14626] 11-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/13 18:54


 「お初にお目にかかりますアマギリ殿下。クリフ・クリーズと言います」
 「クリフ君、か。うん。少ない男子同士、学友として親しくしてくれると嬉しく思う」
 
 新学期、新学級と来ればまずその初日に何をするかと問われれば、たいていの場合は自己紹介が入るだろうと答える。
 事実、聖地学院でもそれが変わる事はなく、今頃下階の一年生の教室では初対面の生徒たちが各々自身を紹介して、親睦の輪を広げている事だろう。
 では、上級生になるとそれがどうなるかと言えば、聖地学院は学年ごとにクラス編成を変更するルール―――勿論、それを決めたのは異世界人だ―――であるから、下級生たちと同様である。ついで言えば、アマギリ自身と同様に、入学者の立場を考えて短縮課程を選択する者もそれなりの人数が居るため、学年が変わるたびに誰か知らない人が増えたり、もしくは急に繰り上げ進級を決める者が出て減ったりもするのだ。
 但し―――そう但しと注釈をつける場面は必ず存在する。
 聖地学院の一クラスの人数は平均して二十人前後。それが、一番低い位置にある教卓から雛壇上に配置された机に、地位の高い順に上から座っていく。たいていの場合は男性聖機師(見習い)が一番後ろの席に座る事になり、それをクラスの他の女生徒達が侍従のごとく世話をするという形になる訳だ。
 とにかく男性優位で複数の女性により奉仕させられると言う退廃的な図式は、やはり当然、考案者の顔も知れると言うものだ。
 
 「ブール・フ・ルーレです。あ、あのっ……あ、あまギリ殿下には、ご、ご、ご機嫌麗しゅうっ」

 緊張そのまま声を裏返しながら頭を下げてくる同級生に、席に着いたまま鷹揚に頷きながら、アマギリは誰にも気づかれないようにそっとため息を吐いていた。
 一人が頭を下げ、一人が席に戻り、別の誰かが席を立ち、そしてまたひな壇を登りアマギリに頭を下げに来る。
 ひな壇の一番高い位置、即ち教室の最後方―――最高峰でも間違いではない―――の真ん中、教卓の真正面になるように配置された学習机とは思えない彫り細工が施された王族専用席。
 アマギリは―――ハヴォニワ王国、王位継承権第二位、アマギリ・ナナダン王子はその位置に着き、その礼を受けるのが当然と言う態度で、席に座して居た。
 内心は慮る必要もなし。無駄な時間だなと、当然のことを考えている。
 
 では新学期を始めましょう。担当教師はそう宣言した後、しかしその前に、と今学期から二学年に編入されたアマギリのことを紹介した。
 ―――アマギリが自ら名乗ったのではなく、教師がアマギリを紹介した。
 アマギリは教師の言葉に合わせて軽く礼をするくらいだった。
 では皆さん、後ほど自己紹介を欠かさないように。教師はホームルームの最後にそんな風に言い出した。
 壇上一番高いところに座して居たおかげで、ぎょっとした表情を見られなかった事は、アマギリにとって不幸中の幸いだったかもしれない。
 その後は、既に書かれたとおり。どう考えてもアマギリが前に出て一言挨拶した方が早いだろうに、それは許されないことであるらしい。
 ようするに、これも授業の一環と言う事なんだろうなと、今度は金髪で快活そうな少女に元気よく頭を下げられるのを笑って往なしながらアマギリは思った。
 王宮儀礼の作法指南。受け止める側と、捧げる側、両方にとって必要な事なのかもしれない。
 それでも、無駄な時間だなとしかアマギリには思えなかったが。流石にもうちょっと、幾ら王侯貴族の子女達が通うと言っても、学生時代は生徒として平等であるとか、淡い期待を抱いていたのだがそう言う事は有り得ないらしい。
 尤も、単一国家内だけで完結している学校ではないので、礼儀知らずで無礼を働いて国際問題という訳にもいかないから、当然と言えばそうなのだが。
 
 王家の人間は先に頭を下げる事は許されない。中々面倒な日々になりそうだとアマギリが表情に出さずに考えていると、彼の前―――当然、一段低い位置には、今度は赤髪の堂々とした態度の少女が直立していた。
 いかにも御飯事といった風だった他の生徒達と違い、彼女は洗練された宮廷作法で持ってアマギリに丁寧な礼をして見せた。
 「お初にお目にかかりますアマギリ殿下。シュトレイユ皇国皇家親衛隊所属、キャイア・フランと申します」
 「親衛隊―――シトレイユ皇家と言うと、ひょっとして我が従妹殿の?」
 「はっ。非才の身ではありますが、ラシャラ・アース皇女殿下の近侍として修行中の身です」
 所属とともに自らの名を告げたキャイア・フランに、アマギリはさも今気づいたとばかりに言葉を掛ける。
 当然だが、アマギリは同じクラスになる人間全ての簡単な人物紹介を事前に入手して記憶していたし、キャイアもそういう身分の人間につき従って長いから、それを理解していた。お互い、笑顔で語り合いながら、視線で別の事を話し合っていた。

 面倒ですね。
 お疲れ様です。

 「従妹殿に貴女の様な将来有望な方が片腕として付くと言うのであれば幸運だろうね。今後ともラシャラ皇女を支えてやって欲しい」
 「はっ。勿体無きお言葉、感謝いたします」
 
 あの子の面倒見るの大変そうだけど、頑張ってね。
 ええ、それはまぁ、もう慣れましたから。

 朗らかに語り合い、最後にキャイアがもう一度礼をして、席を離れた。席に戻るさなか、キャイアが男性聖機師の席の一角に視線を向けていた事に、アマギリは気づいたが何も言わなかった。
 その席の人物は、アマギリも注目していたからだ。
 自分より一段低いところに座っていた男性聖機師四名。その中の一人だけ、アマギリに頭を下げにこなかった。
 そして、その事をクラスの誰も―――明日以降のスケジュールを告げながら、本日の授業の終了を言い渡す担任教師すらも―――疑問を呈す事はない。
 金色の髪、整った容姿。アマギリにとっては後姿しか拝めぬが故解らないが、その表情はどんなものだろうか。
 きっと自信に満ち溢れているに違いないと、アマギリは思った。
 自らこそが特別であり、自らこそが上に立つのであると―――その後姿が、傍目にわかるほど得意げに語っているようにアマギリには感じられたから。

 同時に、またか、ともアマギリは思う。
 試されているのだ。しかも、今回は稚気の欠片も無く、見下したような目線で。
 俺とお前と、どちらが上か。地位ではなく、自らの存在としてのそれを、はっきりと見せ付けてやると。
 その背中は語っているように見える。
 
 ―――上等だと、アマギリは誰にも見えない位置で制服のポケットに入れておいたモノを操作する。

 教師の姿は既に無い。ホームルームも既に終了しているから、本来であれば生徒達も三々五々退出して構わない筈なのであるが、教室の空気がそれを許さなかった。
 アマギリ―――つまり、王家の、目上の人間より先にその場を離れるなど、不敬の極みだったから―――では、無い。

 一人だけ。不敬にも王族に対して挨拶を欠かせている人間が居たから。

 しかし、アマギリはそれを理解していながらも動かない。
 泰然とした態度で腕を組み、身体を背もたれに預けて目を閉じている。
 それが、何時までも続いて、授業終了後の弛緩した空気だったはずの教室は、奇妙な緊張感が生まれつつあった。
 
 カタン。

 その音がした方向へ、教室に居た全員がいっせいに視線を移した。特に、キャイア・フランの反応は早かったと、壇上一番上で片目を開いたアマギリには見えていた。
 それは人が立ち上がった音だった。上から二段目、男性聖機師の列の窓際の席に座っていた少年が、一人立ち上がっていた。
 少年はクラス中の視線を集めたまま、窓際の通路に出て、それから、一段上り、アマギリの席と同じ高さにまで上がって、それから、ゆっくりとアマギリの傍まで近づいてきた。
 薄い微笑を貼り付けたまま向かってくる少年に、アマギリは座ったまま首も動かさずに視線を向けるだけで答えた。
 立つ。少年が、アマギリの横に。何も言わずに。アマギリも、やはり何も言わずに。興味も示す風も無く。動きもせずに。
 じんまりとした、嫌な緊張感が、教室を満たす。
 誰も彼もが不安げな顔を隠す事は無く、見かけだけかもしれないが、平然としているのはアマギリとその隣で直立する少年だけだった。
 
 「ご挨拶が遅れました」

 無言で腕を組み続けるアマギリに、少年が一礼した後、言った。
 ざわり、と歪む空気を、笑い飛ばすように、少年は自然な態度で言葉を続ける。

 「ダグマイア・メストと言います。アマギリ殿下、どうぞ宜しく」
 
 言葉とともに示される、半直角の王族に対してのみ与えられる礼。全く見事と言う他ない宮廷儀礼に、一言でも遅いなどと苦言を呈してしまえばアマギリの負け、と言うカタチだろう。
 「丁寧な挨拶痛み入る、ダグマイア君。―――メスト、と言ったね。すると、君はやはり……?」
 それ故に、アマギリはダグマイアの形だけの礼を受け入れるしかない。そして、ダグマイアにとって受け入れられたと言う事は、この場を作り出した自分の勝利と同義だった。主導権を握り、場の支配権―――どちらが上の立場かを、はっきりさせると言う意味で―――ダグマイアは自らの勝利を確信していた。
 今後一切、自らの言葉に、作り出した空間に、アマギリが是とのみ答える。そういう仕組みを作り出せる。
 ダグマイアの言葉は全てアマギリにとって善意からなるもので、それ故アマギリはダグマイアの言葉を拒めない。一度でもそういう形を仕組んでしまえば、発言のブレと取られかねない迂闊な変更が出来ないのが、彼らの住む世界だからだ。―――所詮は出所も知れぬ田舎者。扱う事は容易でしかない。ダグマイアは自らの失笑が決して表に出ないように気をつける必要があった。

 「はい、教師ユライトは私の叔父になります」

 ダグマイアはアマギリの言葉に笑顔で答え―――アマギリは、それ故に失笑を隠す事に必至だった。
 お互い、事前情報はしっかりと認識していると解っているだろうに、この稚拙さ。あまりにも自身に都合のいい解釈で状況が進むと思い込んでいる。
 仕掛けるのは自分で、他の誰かが何かを仕掛けるとは、全く理解していないのだろう、彼は。
 アマギリはダグマイアに関する評価を、更に下方修正していたが、それをおくびにも出さずに、頷き返す。

 「へぇ、ダグマイア君はユライト先生のご親戚だったのか。いやすまない、それは知らなかった。貴方の父上のババルン卿の事を思い出していたんだが。てっきり僕の事ババルン卿からお聞きになったのかと思っていたが、違ったのか」
 
 まさか、父の名前など出すまい。この場で、出す筈がないとダグマイアは考えていた。
 アマギリに言わせれば、何故出さない必要があるのかと、失笑ものだった。
 それ故に、ダグマイアは場の掌握権を、最早失っていた。

 「僕の就任式の際にババルン卿には来賓戴いたからね。いやいや、卿は感情的で手のかかる息子だと仰っていらしたが、それは親であるが故の厳しい視線と言うものだろう。これほど優秀なご子息が居るとは、卿も内心、きっと誇らしく感じているに違いない」
 「――――――っ!!」

 それは、圧倒的な立場の違いを叩きつける言葉だった。
 自身と同格にあるのは、あくまでお前の父親であり、お前などが何かを企んだとしても、子供のやる事に歯牙を掛けるつもりもない。自分は元からそういう立場であり、お前こそが立場を知れと。
 圧倒的な上位目線。父の言葉を借りての罵倒。衆目の中でのそれらの行為は、ダグマイアにとって屈辱の極みだ。
 しかし、王の口から語られた言葉を真実かどうか確かめるなど、不敬すぎて出来るはずも無く。
 ダグマイアは、内心の激情を押し隠し、苦笑を浮かべて謝辞を述べる事しか出来なかった。
 
 この、田舎者が。空気も読めないうすら莫迦か。

 口の中だけで吐き捨てたダグマイアは、しかしこのままで終われる筈もない。これでは、体のいい咬ませ犬となってしまうから、挽回の必要性があった。
 「まだ、……まだ父の言うとおり修行中のみではありますが、教練を共にするものとして、殿下と御友誼を結べれば光栄、と考えております」
 謙り負けを認める訳にもいかず、さりとて、傲慢な態度も示す事など不可能。それ故に搾り出された言葉は、微妙の一言に尽きた。
 随分打たれ弱いんだなと内心思いながらも、アマギリはまるで状況がわかっていないかのような朗らかな笑顔でダグマイアに頷く。
 「友、か。そうだね。君のような男にそう思ってくれるのなら、これほど心強い事はない。」
 「―――! 過分なお言葉、恐悦に存じます、殿下。……よろしければ、親睦を深める意味を込めて、共に昼食でもいかがでしょうか?」
 謙った物言いに自分で吐き気を催しながらも、ダグマイアは状況の再設定の必要性を感じていた。
 この天然気味の莫迦殿を、何とかコントロール下に置かねば、後々面倒な事になりかねないとダグマイアは判断した。
 
 友として扱って欲しい。
 良いよ。
 では、友からの言葉です。

 常識で考えれば、断る事など不可能。イエスと言い、共に席を立ち何処かのテーブルへと向かわねばならぬ筈。
 だが、アマギリにはそんな気分は全く無かった。
 そも、アマギリは事前にダグマイアの思考分析のデータも入手していたから、こういう行動に出る事も予想していたし、それ故に対策を考える余裕があった。他人を常に下に見る部分があるダグマイアは、この辺りの前準備に不足するところが多い。

 ギィ、と。
 教室のドアが開き、白い髪の少女が教室中の視線を全く気にする事も無くアマギリの居るひな壇の上まで歩み寄る。
 教室の誰もが、彼女の事を知っていた。
 ユキネ・メア。先日行われた聖機師任命式に於いて、新聖機師達の先頭に立っていた、学年主席の少女。
 今は、アマギリ・ナナダンの傍仕えをしている。
 アマギリはその姿を当然のものと確認した後で、ダグマイアに笑いかけた。
 無論、ユキネを通信機で呼び寄せていた事など、タイミングを計って教室に入ってくるように伝えておいた事など、おくびにも出さない。
 「すまない、ダグマイア君。これから配下のものに校内の案内をするように差配しておいたんだ。―――男として、先に誘った女性との約束は、反故に出来ないだろう?」
 侍従如きとの約束を優先させるなど、国際社会であれば侮辱の極みだった。
 だがしかし、ダグマイアの提案は、あくまで友としてのもの。友人よりも女性との約束を優先すると言うのは、貴賓としては珍しいものではないから、ダグマイアは内心を押し隠して頷く事しか出来なかった。
 笑顔で、笑顔で。拳をきつく握り締めながら。
 アマギリは席を立つ。
 ユキネを促しドアへと向かうその前に、ダグマイアに笑いかける。

 「ではね、ダグマイア君。今度はこちらから誘わせてもらおう」
 
 それが、終いだった。
 上の立場のものにそう言われてしまえば、ダグマイアは礼儀として、彼から誘われるのを待ち続けなければならない。自分から誘いを求めると言う破廉恥な行為は、出来るはずが無いから。それは、挽回の機会の喪失を意味していた。
 礼をしてアマギリたちを見送りながら、ダグマイアは歯を食いしばり、自らの心の内を定めた。
 あの運が良いだけの田舎者を、必ず自らの前に跪かせてやると。

 それが、彼ら二人の、初対面だった。





    ※ キャラが増える増える。しばらくキャラ紹介ばっかりの連続になるような気もします。
      ダグマイア様だけ贔屓されてるようなきもしますけど、仕様です。
      ……美味しいよね、彼。貴重な男性キャラだし。




[14626] 11-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/14 18:48

 ・Seane 11-3・



 「……そう言う訳なので、アマギリ・ナナダン。貴方には生徒会執行部へ入部してもらいます」
 
 高圧的、と言うほど威圧感は無いが、さりとて威厳が無いとは決して言えない態度で、眼鏡を掛けたその少女はアマギリに言った。
 「……はぁ」
 「あら、何か不満でもあるの?」
 目を細めて聞いてくるその態度は、どうしようもなく反抗は許さないと言っているようなものだった。
 ユキネが手ずから入れてくれたハーブティーを受け取りながら、アマギリは微妙な笑顔で窓の向こうに視線をそらした。
 学院本塔最上階に位置する、生徒会長執務室。その隅に設置された来賓用のテーブルを囲んで、革張りのソファに腰掛けながら、格子窓の向こうのたなびく雲の流れを眼で追いかける。
 
 状況としては単純な話である。
 ダグマイア・メストの売りつけた喧嘩を安値で買叩いた後、食堂の個室で昼食を済ませていたら、生徒会執行部に所属すると言う上級生から言付けを受けた。
 曰く、アマギリ・ナナダンは速やかに生徒会長執務室に出頭すべし、との事。
 思わずユキネと顔を見合わせると、ユキネのほうは特別驚いている風でもなかったから、拒否は出来ないのだろうなとアマギリはそれを受け入れた。
 
 そして、この状況である。
 リチア・ポ・チーナと名乗った一目見て気の強そうだとわかる生徒会長は、アマギリに対して生徒会執行部への入部を厳命して来た。
 こういうとき、フローラだったら思いっきり遊び心を働かせて断るとか言うんだろうなぁと思いつつ、元来空気を読みすぎて逆に空気が読めないところのあるアマギリではそうはいかない。
 みつめる、と言うよりテーブルを挟んで睨み付けてくる視線に、曖昧に笑って頷いた。
 「了解しました、生徒会長」
 アマギリが生徒会へ入る事をあっさりと頷いてしまった事は、やはり別の意味で空気が読めない行為だったらしい。リチアはつまらなそうに鼻を鳴らした。
 「もっと反対すると思ったんだけど、案外あっさり頷くのね」
 「……いや、反対する理由も無いですから。ってか、生徒会長反対を許すつもりもありませんよね?」
 アマギリがやっぱりこういう性格かと思いつつ尋ねると、リチアは当然じゃないという顔をしていた。
 「そもそも、貴方の身分がそうである以上、生徒会に入らないと言うのは許されないもの」
 身分。それが理由だとあっさり言い切られて、アマギリは逆に納得した。
 「参考までに、他の生徒会のメンバーの名前をお教えいただけると嬉しいですね」
 アマギリが尋ねると、リチアが瞬きした後で何人かの名前を告げた。出てきた名前を頭の中で照らし合わせてみれば、それらは全て、王族、もしくは高位貴族の子女に他ならなかった。
 「富裕層向け高級サロンの、V.I.P専用ルームへの会員証って処ですか」
 生まれ持ったものが全てで、厳格な身分の差を適用し、これほど努力と言う言葉が介在する余地の無い学校も珍しいだろうとアマギリが苦笑していると、やはり、リチーナはどこかつまらなそうだった。
 「噂には聞いていたけど、本当にそうやって何でも解った風な口の聴き方をするのね貴方。そういうの、年上には嫌われる態度よ」
 ねぇ、とリチアは従者としての態度でアマギリの背後に控えていたユキネに声を掛けるが、ユキネも流石に言葉に詰まっていた。
 いやそれ、単純に虐めっ子気質のあんたの好みじゃないってだけじゃないのかと、アマギリはストレートに突っ込みを入れたい衝動に駆られる。なんだか、この生徒会長にはアマギリ好みの行間を読むような言葉を重ねるのは意味ないような気がしていた。
 と、そこまで考えてアマギリはふと気づいた。そして、リチアが眉をひそめるくらいに、思わず笑ってしまった。
 「ああ、すいません先輩。―――なんていうか、よく考えたら人から命令口調で何かを言われるのって、随分久しぶりだなと思いまして」
 学院に着てからは生徒達は元より、教師たちも含めて目上の人を扱う態度だったし、無理な敬語は使わなくなったがユキネとてそれは同様だった。
 ハヴォニワの王城でマリアとフローラ達と暮らしていた時ですら、彼女たちの言葉はアマギリを尊重した上での要請という形だったから、上から直接的な言葉で行動を指定してくるリチーナの態度は、アマギリにとっては実に久しぶりの経験だった。
 その辺りを説明してみると、リチアはつまらなそうに笑った。

 「当然よ。貴方の事だからどうせ、私がどういう立場の人間か解っているでしょう?」
 「それはもう。次期教皇聖下と目されていらっしゃるリチア・ポ・チーナ生徒会長」
 「ただ祖父が教皇の立場にあるだけで、私が偉いわけじゃないわよ。―――その辺り、私と貴方は同格って事」
 アマギリの言葉を悪い冗談とでも言う風に手で払いながら、リチアは言った。
 二人の会話に出たとおり、リチアの祖父は教会の現教皇の地位についている。リチアが初等部三年でありながら、生徒会長という立場についているのも当然そのあたりの事情が汲まれているのだ。
 教会は各国に対して中立であり、強い影響力を秘めているから、その後ろ盾のあるリチアにとっては、アマギリはその立場に敬意は払うが、彼個人を敬うほど重大事ではない、と言い切れてしまうのである。
 「だいたい生徒会に所属しているのは貴方がさっき確認したとおり、誰も彼もが何処かの王子王女かそれに近い立場の生徒しか居ないわ。はっきりと序列をつけるほうが帰って面倒だし、みんな平等に扱ったほうが後が楽なのよ。……それに、みんな幼い頃から顔見知りみたいなものだしね」
 「―――顔見知りって……ああ、そうか」
 国家要人クラスの子女達であれば、当然その付き合いの範囲も限られるだろう。であれば、他国の同格の人間たちとの付き合いが幾度か訪れていてもおかしくない。
 「ってことは、僕だけ外様ですか」
 アマギリは国内国外問わず、国家要人との会合を持ったことは幾度かあるが、生憎と同世代の人間とそういった場を持つ機会は、半年の間では訪れなかった。恐らく、フローラがその方が面白いからとか適当に考えていたのだろうとは思うが。
 「そう思われたくないのなら、せいぜい溶け込めるように努力しなさい。―――ダグマイア・メストに喧嘩を売るなんて派手な事をしていたら、難しいでしょうけどね」
 「―――ッ、ゲッホ!」
 酷薄な顔で笑みを浮かべるリチアの言葉に、アマギリは口に含んでいたハーブティーを喉に詰まらせてしまう。
 「な、なんで知ってるんですか」
 「此処に暮らす女は大抵話題に飢えてるもの。貴方がダグマイアを教室の真ん中で罵倒したなんて噂、一時間もあれば全校中に広まるわよ」
 「……いや、そんな事実は存在しないんですが」
 だからこそ、噂なのだが。大抵は百倍大げさに伝わるものである。
 「特に、ダグマイア・メストは今まで同性の男性聖機師も含めて学院中の憧れを一身に集めていた超エリート、貴公子みたいな存在だったもの。普通、喧嘩売られたって買うような真似するヤツは居ないわよ」
 事情はおおむね察しているらしく、リチアはむしろ楽しそうに笑いながら、アマギリに忠告染みた事を言っていた。大国の宰相の息子で、かつ男性聖機師でもあるダグマイアだから、当然生徒会に所属しており、だからこそリチアは彼の人となりを知っているのだろう。
 「新旧王子様対決って、学院中大盛り上がりよ。ブックメーカーまで登場してるって聞くわ」
 早ぇよ、とは流石に言えず、アマギリは顔をしかめるだけに留めた。
 「顔と容姿だけは、間違いなく向こうが圧勝かと思いますがね」
 「あら、そうでもないわよ。ああいういかにも貴族然とした美形は、聖地学院だと見慣れすぎて食傷気味なところがあるもの。貴方みたいに、ちょっと田舎者っぽい方が、かえって受けは良いんじゃないかしら」
 ストレートに過ぎるリチアの言葉に、そういえば同級生男子もそんな感じのヤツばっかりだったなと思い出しつつ、アマギリにとっては全く嬉しくない事実だった。
 「たまの粗食が美味しく感じるとか、美人は三日で飽きるとか、そういうヤツですか? ……これ以上、年上の女性の玩具になる気は無いんですが」
 ただでさえ、現状がフローラの玩具そのものだから、アマギリにとっては勘弁して欲しい事態である。
 しかしそんな願いもむなしく、リチアは笑って首を振った。
 「それは無理よ。だって此処へ集められた男子に課せられた役目なんて、貴方もよく理解してるでしょう。―――聖機師なんだから」
 
 男性聖機師に求められている事は、戦場に立って雄雄しく戦う事などでは、断じてない。
 彼らの役目は、必要な時、速やかに女性聖機師を孕ませる事。それ以外の要素は求められる事は無いのだ。
 なぜなら、聖機師としての能力は全て遺伝で決まる。
 聖機人に搭乗する上で最も重要な亜法耐性は、生まれ持ったもので全て決定付けられ、訓練による上達など存在し得ないから、男性聖機師は自らを鍛える必要すら生まれない。
 彼らに求められる事は、ただ女性聖機師が一夜身を委ねるに足る、偶像である事。それだけである。
 女性聖機師にとって感情的に望まぬまぐわいは、義務として決定付けられている事だから、せめてそれが楽しめる、他者に誇れるものであって欲しいと思うから、彼女たちは男性聖機師たちを祭り上げる。
 自分たちが選んだ―――自分たちが認めた、崇拝にたる偶像と閨を共にするという行為に、真実望まぬはずのそれを誤魔化すため。

 「貴方には不服でしょうけど、生徒達にとって誰が尤もアイドル足りえるかと言うのは此処で生活するうえで重要な要素なのよ。せいぜい、これからの一挙手一投足、常にダグマイアと比較され続けられる生活を覚悟する事ね」
 「―――いい、迷惑です」
 グイ、とカップに残ったハーブティーを飲み干しながら、アマギリは吐き捨てた。
 実力を己で見極めて、便利に使ってくれるなら嫌とは言わない。だが、期待されるのは好きではない。
 どうにも不機嫌収まらない気分の中で、とりわけアマギリの気分を害する事は、唯一つ。

 ダグマイア如きと同列に並べられるなど、アマギリには屈辱の極みだった。

 後になって考えれば、このリチアとの会話こそが、アマギリのダグマイアに対する態度を決定付けたのかもしれない。
 そのことにアマギリは、当然、その場に居たユキネもリチアすらも、まだ気づいていなかった。


 ・Sceane 11:End・




     ※ 何故かリチア先輩をひたすらリチーナと書きつづけてたっぽいです。
       一応全部直したつもりだけど、直ってなかったらホント御免。てかリチーナって何だ本当に……



[14626] 12-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/15 21:35
 ・Sceane 12-1・



 吹き抜ける風の息吹で葉を舞わせ、差し込む木漏れ日を唄に変えて。
 「―――なぜ、これほどまで」
 深い深い、鬱蒼と生い茂る森の中で、褐色の肌を持つ女性が呟いた。―――否、問いかけた。
 彼女の周りには人影は無い。森の中に戯れる生命の息吹は、彼女の如き存在であれば幾らでも、無限に等しいほどの数を感じる事が出来るが、だが、それらは全てヒトとは別種の生き物。ヒトの言葉による問いかけに答えるはずも無い。
 否、問いかけるこの女性も果たして人間なのだろうか。
 白い髪。褐色の肌、均整の取れた自然の美そのままの肢体。母性の象徴ともいえる豊かな胸。それらを包む装いは、全て天然自然より得られた素材を持って作られた、一級品の機織物。 
 そして何より特徴的といえるのが―――長く、尖った両の耳。
 森の民。ダークエルフと言われる、ヒトでありヒトではない生命の、彼女は王女だった。

 アウラ・シュリフォン。

 聖地の周囲を覆う森の管理を請け負っている、ダークエルフの国、シュリフォン国の王女。
 今は、聖機師の資格を得るために聖地学院に通学していた。
 アウラはダークエルフの性質として、自然、森との超感覚的な対話を可能としていた。森の意思とも言うべき、大きな感情の揺らぎを感じ取る事が出来たのだ。
 「何故これほどまでに、お前たちは―――」
 目を閉じ、大木に手のひらを合わせながら、問いかける。
 森は、元来おとなしい”生き物”であり、自然の営み、それらが生み出す生命の循環に沿った”静かな”状態を好む。ヒトという生き物が好む生態を超えた娯楽に対する情熱と言うものを、持ち合わせていない。
 それ故に、今の森はアウラにとって不可思議なものだった。
 森は、静謐を好むはずの森が、何故、これほどまでに。

 喜びを持って迎えましょう。我らが友。古き盟約を交わした、偉大なる存在を。我らは喜びを持って迎え入れましょう。

 「何故そんなにも、何をそんなに歓迎しているのだ、お前たちは―――?」
 歓喜にあふれた森の中で、アウラの困惑した呟きが漏れる。
 だが森は、宴に逸るヒトの如き祝福に満ちて、アウラの言葉に答える事はない。あまりにも浮かれすぎて、言葉が届いていないように感じられるのだ。こんな事は、森とともに生まれ育ってきたアウラにとって初めてだった。
 困惑のまま、アウラは苔むした大木から手を放し、屋敷に帰ろうとした時、それが訪れた。
 ざわりと、肌があわ立つほどの森全体から溢れ出した歓喜。
 来た。参られた。我らの元。我らの元に。歓迎せよ、祝福せよと森が歌う。
 それは、遺跡の塁壁跡がある、立ち入り禁止区域の境界線近くの方から、殊更強く響いていた。
 「何が―――」
 来たというのか。これほどに森が求める存在とは、果たして何者なのか。
 確かめねばなるまいと、アウラはその場所へ向けて駆け出した。

 
 「へぇ……うん。なんていうか、故郷を思い出す懐かしい感じがするね」
 「故郷。……マラヤッカの山林地帯?」
 「いや、あそこは植林で作られた森だから。此処みたいな生命力は無いかな」
 行儀悪く、崩れ掛けの古代の塁壁の上に腰掛けながら、アマギリはユキネに答えた。視線は、日の光が深く沈みゆく大樹海に固定されたままだった。
 珍しく、素直に喜んでいる感じがする主の言葉に、ユキネはしかし首をひねる。
 「じゃあ……どこ?」
 「どこだろうねぇ。昔、こんな感じのところで暮らしてたような気がするんだけど。……やっぱ、入っちゃ駄目?」
 自分のことだろうに、だからこそだろうか、殊更適当に言い放った後で、アマギリは今日何度も同じ事を尋ねていると言うのに、またユキネに同じ言葉を問いかけた。
 ユキネは玩具を強請る幼子を宥める気持ちで、言い含める様に言葉を返す。
 「聖地の森はシュリフォンの管轄。無断で入れば、外交問題に発展する可能性もある」
 アマギリの立場を考えれば、それはあながち的外れとはいえない事実だった。
 「シュリフォン。―――偉大なる森の民、ダークエルフの治める国か。一度だけ宿場町で見かけた事があるかな、ダークエルフ。……確か、どの国にも外交窓口は置いてないんだよね?」
 「そう。シュリフォンは自分たちの領域で完結しているから。……必要があれば、そのつど使者が訪れる仕組み」
 「聖地と関係が深いらしいしね。森の領域さえ侵さなければ、平原の覇権争いには興味なしって事なんだろうね」
 羨ましい話しだと、天下取り大好きな母親の顔を思い浮かべながら、アマギリは笑った。
 「連中、自分たちの勢力圏から討って出るような事はしないし、付き合いやすいから仲良くしておけって言われたよ。……何か、学院に通ってるらしいじゃない、シュリフォンの王女様の、名前が確か―――」

 「アウラだ。アウラ・シュリフォン」

 「そう、そのアウラ王女……え?」
 自身の言葉に答えたのが、耳慣れぬ高貴な響きだった事に気づいて、アマギリは目を瞬かせた。
 はっと、視線を落としてみると、自身の腰掛けた塁壁後の壁に、何時の間にか背の高い女性が腕を組んで背を預けていた。
 女性は整った顔に楽しげな笑みを浮かべて、アマギリを見上げていた。
 「―――始めまして、だな。アマギリ・ナナダン王子。私がシュリフォン国王女、アウラ・シュリフォンだ」
 長い耳、褐色の肌。一目見てダークエルフと解る女性の言葉に、アマギリは直ぐに答えることはせず、丁度アウラとは反対の位置に立っていたユキネに視線を向ける。
 ユキネは小さく首を振った。
 
 ―――気配が無かった。

 「……さすが、ダークエルフ。木々に溶け込んで気配を消すくらい、世話無いか」
 アマギリはお見事と肩をすくめた後、塁壁後から飛び降りた。アウラと正面から向き合う。
 「お初にお目にかかりますアウラ王女殿下。ハヴォニワ国王子、アマギリ・ナナダンです―――……何ですか?」
 殊更優雅な仕草で一礼して見せたアマギリに、アウラは何故か噴出していた。
 「いや、すまない。入学初日に、”あの”ダグマイア・メストに喧嘩を吹っかけたと言うから、どのような無礼者なのかと思っていたのだが、中々どうして、堂に入った挨拶をされてしまってはな」
 口元を押さえて笑うアウラに、いっそアマギリは不機嫌な顔になった。隣に立つユキネまでアウラの言葉に噴出していたから、なお更かもしれない。
 「―――いっそ見事な慇懃無礼とでも、思いましたか?」
 どうとでも思えと、初対面の女性に投げやりに言い放つアマギリに、アウラはより一層楽しそうに笑った。
 「クックックッ。―――なるほどな。そういう心根の持ち主なら、確かにダグマイアとは折り合うはずも無いか。あの男は、世の全てを疑っていると言うのに、世の全てが自身の望みどおりの結果を生むと信じているような性だからな」
 「……結構、言いますね」
 女性ならではの容赦の無い見解に、アマギリの頬を冷や汗が伝った。
 「遠めに見れば、それが自信に満ち溢れているように見えて受けもするらしいがな。私たちのような身分でもって見れば―――お前もだから、反発しているんじゃないのか?」
 アウラの問いかけに、しかしアマギリは明言する事を避けた。何せ初対面の相手であるから、下手な言質を取られるわけにはいかなかった。
 肩をすくめるだけにとどめるアマギリに、アウラはニヤリと唇をゆがめる。
 「瞬時にそういう対応が取れてしまう慎重な男なら、対立も道理と言う事か。―――これはリチアの言うとおり、今年の生徒会は荒れそうだな
 「と言うと、アウラ王女も―――って、当然ですよね」
 昨日今日見知った名前が出てきたところで、アマギリは首をひねったが直ぐに頷いた。
 生徒会と言う場がどういうものかは先日理解したから、アウラがその場所に居るのは当然に思えた。
 アマギリの思いを肯定するように、アウラは頷く。
 「ああ、私も生徒会に所属している。これから顔を合わせる機会も増えるだろうから、宜しく頼む。―――ユキネ先輩も、宜しくお願いします」
 アウラは、アマギリに微笑んだ後で、礼儀正しくユキネにも礼をして見せた。
 ユキネを上級生、目上の者として扱うその姿に、アマギリはアウラの人となりを知ったような気がした。
 
 ―――なるほど、母の言うとおり。仲良くする価値がありそうだ。






    ※ アウラ様は良いですよね。21世紀の現代にスタイルの良いベタなエルフ耳とか。
      ……ところで、この世界にはダークじゃないエルフって居るんですかね?
      



[14626] 12-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/16 19:01

 ・Sceane 12-2・

 深い森の、その獣道を抜けた先、天然の大木を利用する形で、その屋敷は存在している。

 入り口を守るように立っていた屈強なダークエルフの戦士をを横目に、アマギリとユキネはアウラの招待に従うままに、屋敷の中に招かれた。
 円筒形の、樹木の温かさが感じられそうな広い居間。繊細な刺繍の入った絨毯の上に敷かれた円座に腰掛けて、アマギリは改めてアウラと向き合う形になった。
 「さて、なにぶん急な事なので凝った趣向とはいかないが、歓迎するよアマギリ。―――ユキネ先輩も、よろしければこちらにどうぞ」
 アウラはアマギリに話しかけながら、お茶を組み入れて壁際に寄っていたダークエルフの従者と並んで控えていたユキネを招く。
 ユキネはアウラの言葉に一瞬戸惑ってアマギリを見るが、アマギリはあっさりとそれに同意した。
 「ああ、構わないよユキネ。―――助かります、アウラ王女」
 「助かる?」
 アマギリの心からの謝辞に、アウラは首をかしげた。
 「助かるとはまた、変わっているな。従者にまで平等に扱ってみせるのは不快に思うと言うのが大抵だと思っていたが」
 「そういうの、あるでしょうね。―――とは言え、僕は王子暦半年足らずの半端者ですから。外では国の面子もありますし気を使うようにしてますけど、まぁ、やっぱり女の子を背後に立たせて一人で椅子にふんぞり返ってるってのばかりだと、肩が懲りますから」
 試すような探るようなアウラの言葉に、隣の円座に正座するユキネに視線を移しながら、アマギリは肩をすくめて見せた。
 アウラはアマギリの言葉に、感心したかのように、ほぅ、と言葉を漏らす。
 「半年、か。先ほどの挨拶と言い今の従者に対する明確な態度と言い、とてもそうは見えないがな。―――まるで生まれついての王族のような振る舞いだが、ハヴォニワ王城に来る前は、どのような暮らしをしていたんだ?」
 アウラの言葉に、アマギリは頷いた。ユキネの前にお茶を差し出す侍従に目礼をしながら、さらりと言葉を滑らせる。
 「―――わざわざ屋敷にお招き頂いた理由は、そこですか」
 さしずめ美人局ってところかなぁと、特に気分を損ねることなく呟いているアマギリに、アウラも心痛める風も無く、頷き返した。ユキネは礼儀正しく何も言わなかった。
 「お前がフローラ女王に言われているように、私も父王から言伝を授かっている」
 「シュリフォン国王陛下からですか。―――聞くまでも無い気がしますが、どのような?」

 「見極めろ、と」

 アウラはアマギリの顔をまっすぐに見つめて、言葉を放った。
 「見極めろ、見極めろ。……見極めろ、ね」
 アマギリはアウラの言葉をかみ締めるように数度繰り返す。
 現シュリフォン王は娘であるアウラを、目に入れても痛くも無いほどに可愛がっていると聞いている。
 その娘に火中の栗を拾わせようとする現実は、自身が判断する材料が欲しいだけなのか、それとも、自身の判断すら人任せな凡愚の王なのか。内心判断に迷うところだった。無論、そう思っている事は眉一本動かすことなく、悟らせないが。
 アマギリの沈黙を受けて、アウラが一息ついたあとに言葉を続ける。
 「ついで言えば、聖地近隣で戦闘行為を行っておきながら、我がシュリフォンの巡回警備隊に一切連絡が無かった事も、父上の不審を強める要因でもある」
 「ああ、入り口の人の目が厳しかったのってひょっとして?」
 アマギリはこの屋敷の門兵のようだったダークエルフの刺すような視線を思い出してアウラに尋ねた。
 「警備隊に所属している。―――私は、まだ聖機師としての資格を持っていないから、未配属なのだがな」
 アウラは今年聖地学院四年。聖機師として認められるのは、いくらその実力が見合っていても、来年以降だった。
 「でも、理屈の上では警備隊の巡回範囲外―――聖地の管轄外の地域ですから、報告義務は無いですよね」
 「理屈の上ではそうだな。だが、感情面ではそうは行かないのはお前ほど頭の回転が速ければ理解できない訳が無いだろう? ああもあからさまな戦闘痕まで残しておきながら、何事も無かったかのように振舞っているのだ。邪推してくれと言っているようなものだぞ」
 飄々とした態度を崩さないアマギリに、アウラは眉をひそめて苦言を呈す。嫌悪していると言うよりは、迂闊な行動を咎めているような親しげな態度だった。
 だから、アマギリも苦笑を浮かべて受け流すのだった。
 「いらない邪推を受けるのは、確かに困りますね。アウラ王女とは、くれぐれも仲良くなるように申し付かっていますから」
 「仲良く、な」
 アマギリの言葉に、アウラが居住まい悪げな口調で言葉を漏らす。
 「その意味を―――アマギリ、きみはちゃんと理解しているのだろうな?」
 
 「え? ああ、アウラ王女と見合いをして来いって事ですよね」

 ゴフッっと、聞きなれぬ音がアマギリの横から響いた。視線を移すと、ユキネが器官に入ったお茶に咽ていた。
 「―――大丈夫?」
 「ッ、……大丈夫なわけ、無い。……そんな話し、私聞いていない」
 ユキネは口元を押さえながらも、アマギリを恨めしげにねめつける。
 「いやでも、外交関係を深めたい国の王女様を名指しして、仲良くなって来いって言われたら、ようするにそういう事を求められてるんだって理解しますよね?」
 ハンカチをユキネに差し出しながら、アマギリはアウラにも視線を送る。アウラも流石に明言は避けたいのか、頬を赤らめて視線をそらした。
 「……マリア様も、きっと聞いてない」
 「ああ、ばれたら怖いだろうね、きっと。……どうしました、アウラ王女」
 怒りに拳を震わすであろう妹の顔を思い浮かべて苦笑していると、なんとも微妙な表情をしたアウラが目に入った。
 「いや。―――あっさりと考えたくない事を言ってくれると思ってな」
 アウラの困ったような態度に、アマギリの笑みの質が変わった。目を細めて、試すような態度。
 「あれ、僕じゃご不満ですか」
 「不満を持つほど、私はきみのことを理解していないよ。―――それも含めて、父上は見極めろと言ったのだろうが」
 自分のことなのに到ってどうでもよさそうな酷薄な笑みを浮かべるアマギリを不審に思いつつも、アウラは答えを捻り出した。何とか話題を逸らせないかと考えている。
 「つまり、シュリフォン王はこの縁談にそれほど乗り気じゃないって事ですか」
 しかしアマギリは、アウラの退路をふさぐかのように、あえて”縁談”とはっきり明言してしまう。
 「ウチは、聖地を走っている鉄道とウチの鉄道網の連結計画がかかってるから、結構乗り気なんですけどね」
 「―――お前は。……少しは本音を隠す努力をするつもりは無いのか?」
 流石に嫌そうな表情を浮かべだしたアウラに、アマギリはそれを肯定するかのように言葉を重ねる。
 「隠してもあまり意味が無いですから。だいたい、王族同士の婚姻なんて、政治の一環以上のものにはならないでしょう?」

 「違う」

 「へ?」
 「ユキネ?」
 アマギリの言葉に激昂しかかったアウラを押し留めたのは、ポツリと呟かれたユキネの言葉だった。
 予想外のところから出た否の言に、アマギリも目を瞬かせる。
 ユキネはアマギリの視線は無視して、アウラだけを見つめて自身の言葉を続ける。
 「アマギリ様は外向きの事情を並べて自分の本心からアウラ様を遠ざけようとしてるだけ。―――破談になったとして、アウラ様のお心が傷つかないように、公的な部分だけで場を纏めようとしている」
 「いやちょっと、ユキネ、さん?」

 「―――ほぉう?」

 ユキネの言葉に、アマギリの慌てる態度に、アウラは目を細める。
 「私から―――つまり、相手から断るように仕向ければ、母親に対していちいち言い訳する必要もなく、しかも自分でそう仕向けたのだから、お前の心も痛むはずが無い」
 「ああ、いや、あの。アウラ王女?」
 「なるほど、言葉の裏側に相手を縛る縄を潜ませ、気づかれぬうちに場の支配権を奪おうとする。―――父上が見見極めろと言った理由がこれか」
 「……やり口が、フローラ様にそっくり」 
 アウラがよく解ったといった風に深く頷く傍で、ユキネが言葉を添える。
 「あまりに俗な理由過ぎて、私も乗り気ではなかったが、なるほど。こうまで虚仮にされれば、アマギリ・ナナダンという人間に興味も沸く」
 「いや、ちょっと待った……」
 「―――話してみると、もっとよく解らなくって面白い」
 「きみ、そんな風に僕の事思ってたの!?」
 ぽっと飛び出したユキネの本音に、アマギリが目をむく。
 アウラは楽しそうにその光景を笑いながら、大きく頷いた。
 「では、私も楽しませてもらう事にしましょう。外交上の問題が無いということは、近くで親しくしながら干渉しても構わないと言う事だからな」
 アウラの言葉に、ユキネが頷いた。
 アマギリは、年上の女性二人の結託しあう姿に、大きくため息を吐いた。

 「干渉も、観賞も勘弁して欲しいんですけど……」



 ・Sceane12:End・




    ※ 主人公が妙にカリカリしてたり、五、六話くらい纏めて書いているので割と書いてる時の精神状態にキャラが引っ張られてますよね。
      因みに、このパートを書いている時はよほどアウラ様をヒロインにしたかったようです。
      今は流動的になっちゃってますがねー。



[14626] 13-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/17 22:43


 ・Sceane 13-1・



 全身のバネを利用した低い位置から掬い上げるような打ち込み―――かと思えば、肘から先だけを使った打ち下ろしを加えてきて、崩れた体勢のまま、足首の力だけで全身を跳ね上げる。
 屋外に開かれた石畳の訓練場。
 アマギリは舞台中央で待ち構える形の、メザイア・フラン教師に対して、自らの動きを確認するかのようにバリエーション溢れる攻撃を加えていく。
 いよいよ本格化してきた聖地学院での講義の毎日。午前のこの時間は、剣戟の第一回目の講義だった。
 体技系の講義を受け持つメザイアは、去年聖地学院を卒業したばかりの新任であり、講義初日である今日は、まず生徒達の出来具合を確かめるためにと、順番に剣を打ち合わせてみると言う形になった。
 因みに、同学年との合同授業の中、アマギリの順番は最後である。興味津々と言う目ばかりの他の生徒達の前で、それを気負った風も無く、アマギリは自身の技を打ち込んでいく。
 速度を上げても、重い一撃を入れてみても、メザイアの表情に崩れは見えないから、アマギリは単純に、自身の技量はその程度なのだろうと判断していた。そもそも、同じ学生であるユキネにすら敵わないレベルなのだから、当然だろうと思っている。
 ひゅっ、と横凪に打ち込んだ一閃が脇の位置でメザイアの木刀にさえぎられたところで、アマギリはバックステップで距離をとった。

 「―――ここまで」
 時間にして二分弱。メザイアが終了を宣言した。
 「少し動きが独特過ぎる気がしますが、体の動かし方―――基礎自体はしっかり出来てますね」
 メザイアの講評に、そういえばユキネも似たような事を言っていたなと思い出しながら、アマギリは微苦笑を浮かべる。
 「殿下ほど自分の型がはっきり出来てしまいますと、後はもうそれを繰り返して研ぎ澄ませて行くしかありませんから、私から特に指導できる事はありません」
 頑張って自習してくださいと言う遠まわしの言い方に、アマギリの頬が引きつる。
 「微妙に、職務放棄になってませんかメザイア先生」
 「そうは言うけど……殿下が叩きのめされても良いというなら、私も全力で正統派の動きが出来るように矯正して差し上げますが」
 「遠慮します」
 サドっぽい笑みを浮かべながら言うメザイアに、アマギリはあさっての方向を見て笑いながら拒否を宣言する。
 メザイアは、あら残念と苦笑しながら次の言葉を続けた。
 「―――現実問題、殿下のお立場もありますし、あまり傷を付ける訳にもいけませんから、無理なんだけどね」
 「ああ。……男性聖機師に危ない事はさせられないってヤツですか」
 男性聖機師の役目は、戦う事ではない。最低限の護身が出来ればそれで充分で、だからこそある程度の動きが出来るアマギリには、メザイアは無理に指導する事が無かったのである。
 「そう言う訳ですから、後は向こうの子達と一緒に寛いでなさいな」
 握った木刀の剣柄で遠くを指し示しながら、メザイアは言う。
 そこには、日除け傘の下にティーテーブルを設置した場所で寛ぐ、同級生男子たちの姿があった。
 学院職員の給仕たちに甲斐甲斐しく世話をされながら、リクライニングの効いたガーデンチェアに背を預ける若い男たち。視線を反対方向に向けると、運動着姿の同年代の女子たちが、真剣な表情で木刀を素振りしている。
 これこそまさに社会の縮図だなと、アマギリは苦笑いを浮かべた。
 「―――なんか、僕自身が社会主義かぶれになりそうだ」
 いつか冗談で自分が言った事を思い出しつつ石畳の舞台を降り、アマギリはやれやれと肩をすくめた。
 聖地学園にきて早一週間と少し。この学園の空気と言うものを、そろそろ理解し始めていた。

 「お疲れ様でした、殿下」
 「ん? ああ、ダグマイア君こそお疲れ様」
 男性聖機師達の待つテーブルまで向かうと、アマギリの存在に気づいた少年たちが一斉に立ち上がり礼をしてきた。その全員に楽にしていいよと片手を振りながら、アマギリは一人声を掛けてきたダグマイアの言葉に答えた。
 「如何でしたか、剣戟の授業は」
 「初日だからあんなものじゃないかな。ダグマイア君こそ、どう?」
 会話の流れからダグマイアの隣に腰掛けねばならなくなったアマギリは、親しげに尋ねてくるダグマイアに、逆に言葉を返した。
 「アマギリ殿下の動きを見て、自身の未熟を恥じていたところです」
 「男の中じゃダグマイア君が一番動けてたと思ったけど、勉強熱心だねぇ」
 ダグマイアのあからさまなおべっかに否定も肯定もせず、アマギリはあっさりとダグマイアの技量を認めた。
 実際、開けた場所で正面からぶつかった場合は、自分はダグマイアには敵わないだろうなとアマギリは考えている。暢気に堕落をむさぼっている他の男性聖機師達に比べて見事な技だったから、見えない部分で本人の努力があるのだろう。直情的な部分があるし、案外努力家なのかもしれないとアマギリは思った。
 「―――ま、僕の場合はもともと身体を使って働くのって好みじゃないから、あんなもんで限界だと思うよ。だいたい、これ以上鍛えたところで、使い道が無いだろうしね」
 給仕の差し出してきた紅茶を受け取りながら肩をすくめて言うアマギリに、ダグマイアは眉をひそめた。
 不機嫌そのもの。受け入れがたい言葉だったらしい。
 ダグマイアの解りやすい表情の変化に笑いつつも、アマギリはなんてことも無いと言った風に、石舞台の方を指し示した。
 
 二人一組になって打ち込みの練習をしている女子生徒たちを、メザイアが真剣な顔で見て回りながら、一人一人に対して丁寧に構えから腕の振りまで指導している姿があった。
 「見なよ。僕よりも伸びしろが無さそうな子にまで、メザイア先生は僕たちに教えるときには無かった真剣さで指導している。何故か、と言えば答えは簡単で―――」
 「あの者達は戦場に立つ可能性が高いからですか」
 アマギリの言葉に、ダグマイアは苦々しげな声で返した。アマギリは表情をゆがめているダグマイアを横目で見つつ、言葉を続ける。
 「そう言う事。僕らなんて、遺伝子レベルの問題が根本的に解決しない限り、一生戦場に立つことは無いからね。だからメザイア先生も、無駄な時間を僕らに割くような真似はしない。こうして、隔離して手厚く扱って―――真綿で首を絞めるように、とはよく言ったものだよ」
 「アマギリ殿下は―――それに、ご不満がおありで?」
 苦渋のうめき声のようだった筈のダグマイアの声質が、変化したように感じられた。
 あからさまに探るような響きを秘めたその言葉に、アマギリは少しだけ眉をひそめた。
 少しけん制してみる必要があるかと、言葉を少なくしてダグマイアの様子を見てみることにした。
 「いや、別に」
 「何?」
 「何って―――何が何?」
 当てが外れたと言う事なのだろう、ダグマイアは本音の驚きを示してしまっていた。それから、探っていた筈が逆に探られている形になっていることに気づいた。
 自分から振った話しだから、ダグマイアとしては答えないわけには行かない。至極自然な口調を心がけながら、ダグマイアは口を開いた。
 「いえ、―――自身をないがしろにされて、才の無いものたちばかりが世に憚ろうと言うこの現状に、殿下はご不満なのではないかと」
 言い回しの妙、自身が不満であるとは明言を避けた形だったが、現実にはあからさまだった。
 アマギリはダグマイアという人間をまた一つ理解した。同時に、革命論者など居ないといっていたワウアンリーの嘘つきめ、などとどうでも良い事を考えている。

 少し、踏み込んでみて今後の対応を考えようかと思い立ち、アマギリは口を開いた。
 「もし不満があったとして―――」
 「はい?」
 疑問の呟きをもらすダグマイアの表情も確認せずに、アマギリは言葉を続ける。
 「知っての通り僕は王家に組み込まれてまだ日が浅い。だから、男性聖機師の不満と言うものの真実を、はっきり理解して居ないのかもしれないな。―――どうだろう、ダグマイア君。先達として、僕にその辺りの事じょ―――っ!?」

 キャア、と甲高い悲鳴が石舞台の方向から響いた。
 視界の端、何か硬質の物体が、アマギリに達の席に向かって、飛来してくるのが映った。
 危険。危機に際して脳が高速で起動し、感覚が何倍にも引き伸ばされているようにアマギリは感じられた。
 ガタンと、ダグマイアが機敏な動作で席を離れ前へ踏み出そうとしていたのを、見ても居ないのに気づいた。
 否、飛来する、女子たちの悲鳴が上がるより、ダグマイアの動きの方が先だった。その理由を確かめる間もなく、飛来してくる物体を、アマギリの脳は認識する。木刀の先端部。回転しながら、高速で。
 アマギリに直撃するコース、当たり所が悪ければ、軽症ではすまないだろう。
 どうする?
 思考の片隅では悩んでいると言うのに、アマギリの身体は、きちんと最善の行動を目指して動いていた。
 テーブルの片隅に立てかけておいた木刀を手に取る。
 逆手でそれを振り上げ、顔を守るように持ち上げる。
 瞬間、乾いた響き。衝撃を手首で往なして運動エネルギーを相殺する。

 一瞬の出来事だった。はじけ飛んできた木刀の破片を、アマギリは拾い上げた自身の木刀ではじき落とした。
 その事実に誰よりも驚いていたのは、実はアマギリ自身だったと気づいているものは居ない。
 反射神経だけで動いていた体の緊張を解いて、アマギリは大きく息を吐いた。
 「―――そう言えば昔、攻めるのが下手ならせめて危機回避能力だけは鍛えなさいって、誰かに肉体言語で叩き込まれた気がする……」
 「殿下……ご無事で?」
 アマギリがゆらりと腰を落としたことで周囲の空気も動き出した。
 ダグマイアが、心配したと言うよりは、いっそはっきりと”避けられた事実”に驚いた風に、言葉を掛けてきた。アマギリは苦笑を浮かべて応じた。
 「―――まぁ、ね。ダグマイア君が離れてくれていたから、動きやすかったよ」
 普通に聞けばなんてことの無い言葉だっただろうに、ダグマイアの反応は劇的なものだった。目を見開き、焦点を揺るがす。
 「その、突然の事ゆえ―――申し訳ありません」
 「? 何で謝るのさ」
 赤子をあやす様なアマギリの言葉に、ダグマイアはますます返事に窮していく。
 「それは、その―――エメラ! アマギリ殿下になんと言う無礼を!!」
 ダグマイアはアマギリの視線を振り切るように女子の一団に向かって叫んだ。
 騒然としてこちらを見ていた女子たちの一団から進み出てくる、先端の折れた木刀を持った少女の姿があった。
 どうやら、彼女が打ち付けた木刀がアマギリの眼前まで飛来したらしい。
 「知り合い?」
 「申し訳ありません殿下。私の従者です」
 「隣のクラスの子か。ふーん……、それにしてもダグマイア君、こんな遠目からあの集団の中で、良くあの子がミスったんだって解ったね」
 向かってくるエメラと呼ばれた三つ編みの少女と、メザイアを見ながら、アマギリは楽しそうに笑った。
 ダグマイアの肩がはっきりと揺れたのが、視界の隅で見えた。
 「それは、その―――」
 落ちた破片に視線を落とす。へし折れてささくれ立ってるのは片面だけで、断面の半分近くは、何故か平らになっていた。

 さて、ぶつけて何をするつもりだったのか。今のダグマイアの動きからして、守ってくれてマッチポンプ狙いと言ったところか、それとも事故死狙いか。
 
 「いやいや、さっきの言葉訂正だね」

 「は?」
 アマギリは困惑した態度のダグマイアに顔を向ける事も無く、椅子からのんびりとした態度で立ち上がった。
 「こういういざって時のために、僕らも身体を動かしておく必要はありそうだって事」
 向かってくるエメラとメザイアに問題ないと手を振りながら、アマギリは言った。

 その背中を、ダグマイアがにらみつけている事に、果たして気づいているのか、居ないのか―――。






   ※ 野郎二人で間合いの計りあい御座るの回。
     多分一番迷惑被ってるのはクラスの人たち。
     ギスギスしてて嫌な教室だろうなきっと……



[14626] 13-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/18 22:32

 ・Sceane 13-2・


 「邪魔をするぞリチア。……なんだ、アマギリも居たのか」
 
 放課後、生徒会執行部執務室のドアを開けたアウラが見たものは、生徒会長机で書類と格闘するリチアと、書棚の中にある分厚いファイルバインダーを開いて居るアマギリとユキネの姿だった。
 「あれ、アウラ王女、こんにちわ」
 取り出したバインダーをその場で立ち読みしていたアマギリが顔を上げ、アウラに向かって頭を下げる。
 その態度にリチアが書類から顔を上げて片眉をひそめて見せた。
 「何、貴方たちもう知り合いだったの? せっかく今日紹介してあげようと思ってたのに、アマギリ。あんた随分手が早いのね」
 「人聞きの悪い邪推をしないでください。先日偶然、挨拶を交わす機会があっただけです。
 酷薄な笑みを浮かべるリチアに、アマギリがげんなりとした顔を浮かべる。その横で、ユキネがぽつりと言った。
 「……でもアマギリ様。森はシュリフォンの管轄だから入れないって何度も説明したのに、行きたがってた」
 「ちょっ……」
 突然背後からの従者の奇襲に、アマギリは目を瞬かせた。ユキネの言葉を聴いて、リチアの笑みが深まる。
 「へぇ~。あんな何も無い森に何を拘っていたのかしら。いやねぇ、若い男って」
 「何ですか、その含みたっぷりの言い方」
 「別に貴方がダークエルフの美女に興味があったなんて誰も言って無いじゃない」
 「いや、言ってるから!」
 明らかに後輩いじめの体勢に入っているリチアに、アマギリは怒鳴り返す。
 ドアの近くで話しの流れを見物していたアウラは、自分の話題が出たらしい事で肩をすくめて笑った。
 「なるほど、それほど私に興味を持っていたとは、まぁ、悪い気はしないが、容姿だけ目当てと言うのは男としてどうかと思うぞアマギリ」
 「あんたもか!」
 「でもアマギリ様。アウラ様のお屋敷をお暇するの、凄く名残惜しんでた」
 「君もかよ! って言うか名残惜しんでたのは屋敷じゃなくて森の方だから!」
 年上の女性三人に一方的になぶられる、酷いいじめだった。

 「―――どうぞ」
 「ああ、ありがとう。ご苦労様」
 「いえ。失礼します」
 混沌とした状況を無理やり切り上げて来客用ソファに腰掛けて前年度生徒会の業務日報を開いていたアマギリに、年若い少女がティーカップを差し出してきた。自身よりも一つ二つ若そうな、侍従服に身を包んだ少女に丁寧に礼を言って、去っていくその姿を見送る。
 あの若さ―――幼さで学院に居るのなら、生徒であった方がおかしくないのだが、その服は黒い制服姿ではなかった。
 「今の子、学院の職員ですか?」
 アウラの私的空間へと続くドアの向こうに去っていった少女を目で示しながら、アマギリは向かいのソファに座っていたアウラに尋ねた。
 「今の―――ああ、ラピスの事か」
 「ラピス?」
 「私の従者よ」
 初めて聞く名前を繰り返したアマギリに、書類から顔を上げぬままリチアが答えた。
 「幼い頃から私のお傍付きとして働いてくれている子なんだけど、私も何度か生徒として学院に通うようにって言っているんだけど、聞いてくれなくてね。仕事が滞るからって、結局従者身分で私にくっついてきてるのよ」
 困ったものだわと語るリチアの言葉は、従者に対するものと言うよりは、かわいくて仕方が無い妹の身を案じているかのようなものに見える。
 「そりゃまた、侍従の鏡みたいな子ですね」
 「私は、若いうちから一つの事に縛られすぎるのも良くないと思うんだけど。とりあえずは、再来年に私が高等部に進学して身の回りのことに余裕が出来たら、あの子も学院に入学してもらう予定」
 「ん? 高等部に入ると、何か変わるんですか?」
 ため息とともに語られるリチアの言葉に、アマギリが首をひねった。
 「高等部に進学した生徒は、全て正式に聖機師として認められたと言う事だ。つまり、学院内ではその身分として正当な待遇で扱われる事になる。……高等部の寮は個人によって専属の従者がつけられるようになるからな」
 「おかげで、その専属従者が毎年のように卒業生に引き抜かれていって、学院は新規の人材募集に苦労してるんだけどね」

 アウラとリチアの会話を、アマギリは学院の人材の入れ替えは多いという部分を重点的に記憶した。
 難攻不落の防衛体制ってのは実にうそ臭いなとアマギリが考えていると、隣に腰掛けていたユキネがアマギリをじっと見ていた。
 「どうかしたの、ユキネ」
 「……私も、もう少し従者の仕事を優先した方が良い?」
 ラピスが侍従の鏡だと言ったのを受けての言葉だろう、ユキネは、現在の自身の学業を優先しているような状態でいいのかとアマギリに尋ねていた。
 本気とも嘘とも取れないユキネの言葉に、アマギリは苦笑して首を横に振った。
 「いや。僕の護衛を優先させてユキネの学業が疎かになっているとか王女殿……、マリアに知られたら、確実に雷が落ちるから」
 「……大丈夫」
 おどけて言うアマギリに、ユキネはしかし首を振った。
 「何が?」
 「もう、雷雲は発生しているから。……城を出て一週間以上経つのに、アマギリ様は一度もマリア様に連絡を取ってないから」
 とてもとても怒っていると、ユキネは顔を引きつらせているアマギリに、表情を変えずに告げた。
 「……い、いやいやいや。だってほら、王城への連絡は、どうせフローラ様の寄越した連中がやってくれてるでしょ?」
 「……それと、妹に連絡を取らないのは、全く意味が違う」
 マリアと公私共に親しいユキネの言葉は、アマギリの暗い未来を予想させるものでしかなかった。
 今晩急いで連絡を―――取ったら取ったで、積乱雲に自ら飛び込むようなものである。

 「何か、さっきから聞いてると、アマギリの口から出る名前って、女のものばかりよね」
 引くも進むも地獄ばかりと懊悩としていたアマギリを見ながら、リチアは言った。アウラもわざとらしい態度で頷く。
 「―――確かにな。仮にも婚約候補者の候補者程度の私としては、ここは、怒った方が良い場面なのか?」
 「アマギリ様、男の友達一人も居ないから―――」
 「んな、失礼な」
 女三人の、特に最後のユキネの言葉に、アマギリは頬を引きつらせるが、彼女らは全く堪える姿勢を見せなかった。虐めっ子の笑みを浮かべて、リチアが口を開く。
 「じゃあ、居るのかしら」
 「う」
 リチアの言葉に、アマギリは言葉を詰まらせる。もともと男子の少ない学校という環境に、王族と言う立場が重なった事もあって、率先してアマギリに話しかけてくるような生徒は殆ど居なかった。
 因みにハヴォニワ王城に居たころも、目だって親しかった同年代の男子は居なかったから、実はアマギリには本当に男友達と呼べる人間は居なかった。
 強いて言えば、ユライト辺りが一番年が近くて親しく―――込み入った会話をした事のある同姓の人間だろうが、流石に友人としてあげるのは憚られる。

 「ダグマイア・メストとか?」

 「貴方とダグマイア・メストって思いっきり対立してるじゃない」
 何とか搾り出したアマギリの言葉を、リチアはばっさりと切り捨てる。最早学院中で知らないものが居ない、対立の事実だった。
 「そういえば、新学期初日から派手にやったらしいな。昨日も訓練用の木刀をぶつけ合ったとか。……その後、どうなんだ?」
 「……いえ、不慮の事故でぶつけられただけで僕は何もしてませんから」
 わざとらしく思い出したように尋ねるアウラに、アマギリが疲れたように答えた。
 「そこでぶつかって於けば、同情点が入ったのかもしれないのに、アンタそういうトコ駄目よね。立ち回りが上手すぎると人が避けてくわよ」
 「……今のところ、オッズは3:7」
 何処で調べたのか解らない闇賭場のオッズを、ユキネがポツリと付け加える。
 「いや、どっちが勝った負けたとか、無いけどさ」
 声を引きつらせるアマギリに、ユキネは首をかしげた後で、言った。

 「……? 引き分けの場合は……親の、総取り?」
 「―――頼むから、もう勘弁して」
 
 深い深いため息が、生徒会執務室に響いた。





    ※ そして、第三者にとっては他人の喧嘩など見世物にしかならないのだった、と言う感じでしょうか。



[14626] 13-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/19 23:13

 ・Sceane 13-3・


 「失礼します、メザイア姉……、メザイア先生。頼まれていたアンケートの提出に……あれ?」
 
 その日の放課後、午前の講義の終わりに配布された今後の講義に対する要望を記入するアンケートをクラス分纏めて提出するために、キャイア・フランは教師、メザイア・フランの教員室へと訪れていた。
 キャイアにとってはメザイアはズボラな部分の多い困った姉であったから、例えそれが学院職員の手によるものだとしても、その部屋が整理整頓され、書類一枚床に落ちていないのを見ると、不思議な気分になってしまう。
 鍵のかかっていなかったドアを開いてキャイアが踏み込んでみても、メザイアの姿は見えなかった。仕事机にも、来客用ソファにも人影は無く、キャイアが部屋を見渡してみると、メザイアの私室に続いている筈の扉が少し開いているのに気づいた。
 その奥から、何か金属が軋み合うような音が漏れている。
 「姉さん、入るわよ―――、姉さん?」
 姉妹であるが故の気安さで、キャイアはメザイアの私室に踏み込んだ。
 「あら、キャイアちゃん。来てたのね」
 「来てたのって、姉さんが来るように言ったんじゃない。私を直々に指名して……」
 姉の姿は直ぐに見つかった。
 メザイアは、リクライニングチェアにだらしない体勢で腰掛けて、膝の上に乗せた小型の携帯用映像モニターで何かを見ていた。
 彼女を尊敬する女生徒達には絶対見せられないしどけない姿だなとため息を吐きながら、キャイアは姉の方に近づく。
 「一体、何を見てるのよ。だいたい姉さん、まだ仕事中の時間でしょ?」
 「あら、仕事中と思うならちゃんと”メザイア先生”って呼んでくれなくちゃ」
 「下着一丁で寝転がっている姉を先生なんて呼ぶ気が起きる訳ないでしょう……」
 「だってぇ、この方が楽なんだもん」
 誰に見せるつもりなのかさっぱり理解できないシースルーのアダルティックな下着姿を惜しげもなく披露している姉に、キャイアは額を押さえてため息を吐いた。
 「それで、一体何を見てるの?」
 「キャイアちゃんにも関係あるものよ~」
 疑問顔の妹に答えるように、メザイアは膝の上のモニターをキャイアにも見えるようにずらしてやる。
 姉の肩越しにモニターに流れる映像を覗き込んだキャイアは、そこに映された映像に見覚えがあることに気づいた。
 屋外の訓練場で、背中にケーブルのついた巨大な甲冑のようなものが、二機で組み合っている姿。
 「動甲冑の……これ、ひょっとして今日の授業のヤツじゃ」

 キャイアには組み合う甲冑の内一機の動きには見覚えがあった。何故見覚えがあったかといえば、それはその日に丁度生で見ていたから、と言うわけではなく、日頃から”その動き”を目で追っていたからである。
 「ダグマイア……」
 胸の底が焦がれるようなその名前を、キャイアは我知らず呟いていた。
 メザイアはそんな妹の態度に視線を送るだけで何も言わず、言葉を続ける。
 「そう、今日の授業の時の記録映像。映っているのは、ダグマイア君と……もう一人は、解るかしら」
 「へっ、あ……えっと」
 問われて、キャイアはダグマイアの事しか見ていなかった事に気づいて焦る。慌ててもう一人の動きを良く見てみると―――見てみて、よく考えたら自分は直にこの戦闘訓練を見ていたのだと思い出した。
 今日の授業でのダグマイアの対戦相手は、忘れる筈もない。

 「アマギリ・ナナダン王子」
 
 膝を折り曲げて身体を大きく逸らした人間では有り得ない状態で突進しているかと思えば、片膝だけに機体の全重量を掛けて、駒のように高速回転して斬撃を繰り出す。およそ、まともな戦闘訓練を受けている人間には有り得ないその行動は、キャイアを含めてその授業に参加していた全ての生徒の度肝を抜いていた。
 「剣戟の訓練の時はちょっと変わってるけど理に適った動きをしていたのに、動甲冑を動かした途端にコレだもの」
 動甲冑と言うのは、聖機師が聖機人の訓練用に用いる、大型の亜法機械である。その姿は名前どおりの、巨大な人型、フルプレートの全身甲冑のような姿をしており、腹の位置に聖機師が搭乗する事により操作する事となる。
 聖機人ほど反応は良くないが、二本のアームレバーと両足に供えられたフットペダルを利用して、搭乗者の意のままに動かす事が可能である。
 動甲冑の武装は聖機人と同じく、模擬訓練刀を使用しているから、聖機師は生身で鍛え上げた技を、ほぼそのまま動甲冑に搭乗して使用する事が出来る。……というか、普通ならそういう観点から動かす。
 いかにもこんな、機械然とした動きなど、させる筈が無い。
 アマギリ・ナナダンの動甲冑の動かし方は、中に聖機師が入っているとは思えないほど、異質なものだった。

 人間的な動きとは程遠い、機能然とした機動。
 そも、動甲冑はエナの圧縮力場を利用して浮遊して起動しているから、二本の脚に実はそれほど意味は無い。
 それ自体は事実であり、だがだからと言って、人間の思考を受け取って動くシステムである動甲冑に、人間的とは言えない動きをさせる事を普通は考えない。
 そんな事をしようと思えば、普段自らの身体に刻み込んだ技を放棄してしまうようなものだ。
 自身の体の延長線上として動甲冑、聖機人があると指導されている聖機師達にとって、考えようも無い思考方向と言えるだろう。
 だが、アマギリ・ナナダンは当たり前のように人の動きを放棄している。
 動甲冑と言う機械には、人間的な動きよりも相応しい動きがあるんだと、他の誰もを嘲笑うかのように、そういう動きを求めている、少なくともキャイアにはそう見える。
 それ故に、モニターに映された戦闘風景では、奇怪な動きをするアマギリの動甲冑に、セオリー通り対応が全く通じないと戸惑いが見られるダグマイアの機体、と言う構図が浮かんでいた。
 
 「でもコレ、ダグマイアの勝ちなのよね」
 アマギリの動甲冑の理解不能な動きに戸惑っているキャイアに、メザイアはあっさりと肩をすくめた。
 実際その通りなのだ。
 動甲冑は手にした模擬刀が敵機に接触すると、亜法反応によりその部分が変色し、稼動不能になるように作られている。
 事実メザイアの言葉どおりに、アマギリの機体は胴体部分以外ほぼ全身が変色しており、今では脚部での機動を放棄して尻を突いて足を投げ出したままの姿勢でダグマイアの攻撃を避け続けていた。
 対してダグマイアの機体には、全く変色は見られない。
 結果だけを見ればダグマイアの圧勝と言えて、それ故にアマギリが遊んでいたのではないかと、見ていた生徒達は考えていた。ダグマイアがその事実を考えて、酷く不機嫌そうな表情をしていた事をキャイアは覚えていた。
 アマギリが、敗北していたと言うのに笑っていたと言う事実も含めて。
 
 キャイアにとって、アマギリ・ナナダンと言うハヴォニワの新しい王子は、あまり好きになれそうにない人物だった。
 穏やかで誰に対しても人当たりの良いダグマイアに対して、アマギリは常に何処か超然とした態度を崩さない。
 キャイアにはそう見えていた。
 即ちアマギリの豪そうな―――実際偉い訳だが―――態度こそが、実直なダグマイアとの不和の原因になっていると、そう考えている。
 それは単純に、惚れた弱みと言うもので、当分先まで、解決する事の無い問題だった。
 
 「訓練をなんだと思っているのかしら、アマギリ王子」
 「”訓練”と思っているのよ。訓練なら、死ぬ訳が無いもの」
 思わずと言った風に漏れていたキャイアの言葉に、姉は淡々と答えた。その言葉に、キャイアは眉をひそめる。
 「死ぬ訳が無いから遊んでも平気ってこと?」
 「もう、キャイアちゃんたら。―――訓練だから、死ぬ訳が無いから勝つ必要が無いって思ってるのよ、この王子様は」
 「―――勝つ必要が、無い?」
 微苦笑を浮かべる姉の言葉に、キャイアは首をひねった。
 言葉の意味に悩む妹に、姉は解らないか、と困った風に笑った。メザイア自身も、実はこうして何度も映像を見直さないと理解できない事だったのだ。
 「ちょっと見て」
 メザイアはモニターを操作して、映像を巻き戻してキャイアに示す。
 「ホラ、ダメージを受けてるのは王子様の機体ばかりなのに、こうして見ると王子様の機体も結構攻撃してるでしょ?」
 「そういえば……でも、ぜんぜん当たって無いわね」
 アマギリの機体が放つ攻撃は、脚を脚として活用していないが故の刺突が主で、結構な数を打ち込んでいるように見えるのだが、現実にはダグマイアの機体は全く変色を起こしていなかった。
 「それに対して、ダグマイアの攻撃は一撃で王子様の機体を大きく染め上げている」
 メザイアの言葉に従うように、ダグマイアの放った斬撃はアマギリの機体を削り落とすように赤く染めた。
 その事が、何かおかしいとキャイアは思った。
 ダグマイアの斬撃は修錬の賜物と言える鋭い物で、キャイアとて避けるのは至難の業だろう。だが、仮にキャイアがそれを受けたとして―――あんな、一撃で下腕が真っ赤に染まるようなダメージを負うだろうか。

 「腕で、受け流しているのよ」
 キャイアの黙考を肯定する姉の言葉が漏れる。
 ダグマイアの攻撃がヒットする瞬間、アマギリはその攻撃の威力を削るように、装甲表面で滑らせるように攻撃を受けている。
 「動甲冑のシステムとして、ああ言う受け方をしてしまえば変色してその部分は稼動不能になるけど、実戦であれば装甲が少し削れるだけで、内部機構には一切ダメージはいかないわ」
 「そんな、偶然じゃ……」
 「そんな事はないわよ。その証拠に見なさい。腕で受け流した後、王子様の機体が戸惑ったような挙動を見せているでしょう。……本人はちゃんと受け流しているつもりなのに、機体のシステムがダメージ判定を出しちゃったから、唖然としてるのね」
 事実、最初の一撃を食らった後は、更に機体の動きが人間離れしていっている。それは、この訓練の勝敗に価値がないと見切りをつけたからだとメザイアは言った。
 「攻撃の方も、全部ダメージ判定の無い”実戦であれば有効な”間接部分と装甲の継ぎ目を狙った物ばかりに終始してるのよ。整備員に確かめてみたけど、ダグマイアの機体は間接部分の損傷が酷くてオーバーホールの必要があるって言ってたしね」
 メザイアの言葉にキャイアが呆然としている間も映像は続き、ダメージ判定が限界地を迎えたアマギリの機体が、稼動停止する。
 その後、苦渋の表情で期待から這い出してきたダグマイアと、何て事がないように身体を伸ばして平然としているアマギリの姿が見える。
 
 どちらが勝利者なのだろうか。この部分だけを見ていたら、誤解してしまいそうだ。

 「何よりも他人の評価を追い求めている人間と、他人の評価にまるで興味が無い人間。立場は似通っているのに、思考が正反対だと、―――はぁ、キャイアちゃん、このクラスきっと大変よ?」
 「そ、……れは―――」
 アマギリ・ナナダンの態度に問題があるからだ。
 今までだったらはっきりとそう言い切れた筈なのに、今のキャイアには、それが出来そうも無かった。
 ダグマイアは、正しい。
 真剣に講義と向き合い、鍛えた技を正しく振るっていた。
 だが―――アマギリが、”正しくない”とは、キャイアには言えないのだ。
 曲がりなりにも親衛隊の一員として自らを鍛え上げる事に余念の無いキャイアにとって、色眼鏡を外して見ると、アマギリの行動には一応の理解を払うより無かった。
 この人間は、行動の成果を自分の理解でのみ得られれば由として、他人からどのような評価を受けようがまるで頓着しない。傍から見ればそれは、人を食ったような態度で、超然として豪そうで―――だが現実は、物事に真摯に向き合っているだけだ。

 物事に、真摯に向き合っているのはダグマイアも同じ筈なのに。
 何故、何故だろう。 何故この二人の間には不和が流れるのか。
 今のキャイアには、それを理解する術をもたなかった。


 ・Sceane 13:End・





    ※ こういうヤツに限ってテストの点数は良くて、教師に嫌われたりするんですよね。



[14626] 14-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/20 20:52

 ・Sceane 14-1・

 「林間学校―――ですか?」
 
 「山間行軍訓練よ。生徒会主催の」
 生徒会執行部、大会議室の長机の上座から三番目アウラの正面に腰掛けていたアマギリが配布されたプリントを流し読みして呟いた言葉に、上座に座する生徒会会長、リチア・ポ・チーナが訂正を加えた。
 アマギリが聖地学院に来てから既に二月ばかり。日々の講義も放課後の生徒会も気づけば日常に変わり、今日も特別な変化も無く、一週間のスケジュールを確認して会議は終了と思っていたところに、一つの議題が提出された。

 『××年度・春季合同山間行軍訓練のお知らせ』

 配布されたプリントには、そう刻まれていた。今年、生徒会執行部に新しく選出されたのはどうやらアマギリだけらしく、長机を囲む他の生徒会役員達は去年から執行部に在籍していた。
 それ故、プリントの表紙を読んだ段階で、またかという少しのざわめきが起こっただけで、誰も興味を持つ事は無かった。どうやら、毎年の恒例行事らしい。 

 尚もプリントを読み進めながら、アマギリはリチアの言葉に苦笑してしまう。
 「行軍、ですか。―――それはまた、優雅な行軍もあったもので」
 荷物係に休憩所、ナビゲーター、宿泊施設に夜のキャンプファイヤーまで完備している行軍と言うのは如何程のものかと、思わず突っ込まないわけにはいかなかった。当然だが、山間と言っても、舗装された道を通るのだった。
 まるで、パスタを茹でていたら戦場に遅れたと言う逸話のような優雅な行軍に思える。
 「……しかも、初等部全員参加って訳でもないんですね」
 中間考査後の振り替え休日を利用して行われる二泊三日の訓練だったから、予定のある人間は回避する事が可能だった。
 参加希望ではなく不参加者のみが事前申請と言うのは、企画者である生徒会の意地であると言う事だろうか。
 因みに、参考として書かれていた昨年の参加者の総計は、初等部全生徒中四割弱と言う有様だった。
 そりゃ、試験明けの休日にわざわざ動き回りたくないよなと考えれば、当然と言えたかもしれない。

 「新役員に理解してもらったところで、議題を進めるわよ」
 アマギリが一通りプリントに目を通しおいたのを確認して、リチアが面倒そうに言った。彼女の本心も、アマギリの言葉に全く同感と言いたいのかもしれなかった。
 「生徒会主催、である以上役員は強制的に全員参加となります。進路策定、各種準備に於いては前年活用した―――前年”も”活用した資料を基に……」
  
 「―――宜しいでしょうか」

 お役所仕事的な棒読みで淡々と会議を進行させようとするリチアの言葉を、押し留める声があった。
 声は、アマギリの斜め前に座っていた、生徒会の中で数少ない男子によるものだった。
 「なにかしら、ダグマイア・メスト」
 リチアが片眉を上げてダグマイアの発言を許可する。
 ダグマイアはリチアに向かって頷いた後、優雅な仕草で立ち上がった。
 芝居がかってるけど、人心掌握には有効なやり方だよなと、アマギリは考えている。
 「今年の林間学校―――失礼、山間行軍訓練について提案があります」
 まずは会議室全体にそう告げた後で―――ダグマイアは壁際に控えていた侍従たちに視線を送る。
 侍従たちはそっと長机によってきて、生徒会役員たちに新たなプリントを渡していった。
 全員にプリントがいきわたった事を確認して、ダグマイアが再び口を開く。
 「私の去年の経験と―――先ほど、アマギリ殿下のお言葉もありましたが、この合同訓練、些か安定性に重きを置きすぎて、訓練目的と成果が不明瞭になっている部分があると考えます」

 「……そこで、僕の名前を出すか」
 誰にも聞こえないように呟きながら、アマギリはダグマイアの演説を聞き流しつつ資料に目を落とす。
 
 『山間行軍訓練・改定案』

 表紙にそう刻まれたプリントを捲る。
 その内容は、一見して解るくらい良く練られたものだった。
 訓練目的を記した序文から始まり、成績に応じたルート策定、安全ギリギリのチェックポイントの配置、それでいて訓練に偏り過ぎない適度な遊び心など、緊急時の対応マニュアルまで含めて、隙の無い作りだ。
 予算見積もりから人員配置までしっかりと記されているから、コレをこのまま使っても、何の問題も無いと言えるだろう。
 閉鎖的で変化の無い日常が続く、聖地学院のありようには、良い刺激に思えた。
 事実、上座のリチアも、目の前のアウラまで、だいぶ乗り気でダグマイアの話を聞いている。他の生徒会役員たちも同様だろう。

 そんな中で、アマギリは一人だけ表情に出さずにため息を吐いていた。
 要点をしっかりと書かれたこの資料。表面的な部分ばかりに目が行きがちなダグマイアの考えではないなと、アマギリは一目で理解できた。
 ちらりと、机の上に置いたままの古い方の資料に目を落とす。
 リチアは面倒そうに昨年”も”と言っていたから、恐らく一昨年も、その前も同じような事をやっていたのだろう。変化の無い退屈な恒例行事というヤツで、やり方がパターンで決まっているからこそ率先して変えようと考える人間がいない。
 ただでさえ試験前で自分の勉強に集中したいところだろうし、成績に関係の無い行事に力を注ぎたいと考える人間は少ない筈だ。
 特に、ダグマイアのような人間は―――。いや、これは自身がダグマイアの事を好いていないが故の視線だろうかと、アマギリは首を振る。
 考え過ぎだろうか。ダグマイアとて、たまには自分ではなく他人を楽しませるように動く事もあるかもしれない。
 アマギリはもう一度資料に目を落とした。
 コース策定は、成績に応じて三つに分けられる。一つ目は例年通りとほぼ変わらない、安全道。二つ目は多少険しく、休憩所も少なくなったもので、三つ目になると、獣道を自力で切り開くような文字通りの”行軍”訓練と言える内容だ。GPSと地図とコンパスを支給され、上空からの飛空船の監視の下での山間突破を試みる事となる。
 生徒会役員は、生徒達の模範となるために、全員最大難易度のコースを進むべしと記されている。
 それは先に述べた監視用の飛空船から動画撮影を行い、校内で放映するとされており、ブックメーカーを設けて順位を予想するのも由かもしれないと記されていた。
 ようするに、人気の生徒会役員たちによる山岳マラソンを、学生たちにイベントとして楽しんでもらおうと言う趣向である。
 明らかにダグマイアの手腕らしからぬ、よく出来たイベント企画である。

 「……ん?」
 そこでアマギリは気づいた。
 賭け事が絡むイベントとなれば、当然不正行為は厳禁となる。で、あるならば参加者を一人だけ有利にするようなサポート要員の参加は不可となって当然だろう。

 護衛無し。深い自然の樹海の中。出発は時間区切りで一人ずつ。
 上空からの見張りがあったとして―――背の高い木々に紛れた一人の人間を、常に追い続けることなど出来るのか? 監視不可能なエリアが必ず出てくるだろう。
 いや違う。―――必ず、監視不可能なエリアを通る筈だ。
 アマギリは資料を読み直す。
 スタート地点の山中までは飛空船で移動。学院のある台地の下方に広がる深い森。古くから伝わる自然の樹海。そこに生える大樹は、天に届かんとばかりに枝を高く高く広げていき―――それこそ、聖機人を潜ませておいても、気づかれないくらいの、全長が。
 考えすぎか。上空からの監視下、リアルタイムの映像があれば、無理は出来まい。本当に、リアルタイムの映像があれば―――の、話しだが。
 仮に自分がこのイベントを利用して誰かを罠に嵌めようとする場合どうするだろうとアマギリは考えた。
 考えて、そんな方法が幾通りも思いついてしまったお陰で、アマギリは頭を抱えたくなった。
 自分よりも頭の切れる人間なんか、世界には幾らでもいる。その中の誰か一人が、何かを考えていないとは言い切れないのだ。

 「予算、人材管理まで行き届いている以上、生徒会長としては反対する余地は無いわね。―――他のみんなはどうかしら。決を採ります。ダグマイア・メストの案に賛成ならば挙手を」
 何時の間にやらダグマイアの演説は終了していたらしい。対案を述べる隙も無く、会議は採決へと及んでいた。
 次々と手を上げていく役員たちを見渡して、リチアはゆっくりと頷いた。
 「賛成多数により可決―――だけど、一人だけ手を上げていないアマギリ・ナナダン。アンタ、反対なの?」
 会議室をぐるりと見渡してみると、提案者であるダグマイアと、アマギリだけが手を上げていなかった。
 基本的に、準備に手間を取らせない提案であれば、ちょっとの刺激として受け入れてしまうのが上流階級の常であったから、会議の流れから全員賛成でおかしくなかった。
 
 おかしくは、無かったが。

 一人反対の意を示したアマギリに、室内の全生徒会役員の視線が集中している―――と、言う事が無い事にアマギリは気がついた。
 幾人かが―――否、その殆どの人間が、気まずげにアマギリから視線を逸らしていた。
 まるで、自分達は望まぬ賛成票を投じたに過ぎず、決して貴方を悪く思っているわけではないのだと言いたいがように見える。
 それはつまりダグマイア・メストが根回しをして―――そこまで考えて、何を馬鹿なとアマギリは自身を哂った。
 どいつも、こいつも。
 生徒会役員につくような生徒であれば、その背後に存在する者達は、それ相応の身分の持ち主達の筈。
 そういう立場で暮らしてきた生徒達なら、無為の善意的な意見の裏に潜む利益誘導を求める思惑が透けて見えないわけが無い。
 ならば、そう。考えるまでも無い。
 どいつも、こいつも。
 誰も彼もにとって、この仕込みは有用であると言う認識で―――”偶然の一致”を見たのだろう。

 ならば、アマギリは受けざるを得ない。
 格下に虚仮にされるのだけは我慢なら無いから、他人事のように眺めて漁夫の利を狙う連中にも、相応の報復をしてやらなければ、気がすまない。

 アマギリは、ニコリと笑って―――尋ねたリチアが怯むほどの優雅な笑顔で、答える事にした。
 「いや、特に。優れた案だと思いますけど、単純に僕は身体を動かすのが好きじゃないってだけです」
 つまり、同意だ。お前達の望みどおりに動いてやると、室内に居た誰も彼もに、正確に伝わった。
 「―――あっそう。それでは、賛成多数としてこの案は可決。提案者としてダグマイア・メストは実行委員組織し運営を司る事」
 「かしこまりました」
 アマギリの言葉を、大きなため息を吐いた跡で往なして、リチアは会議を続ける。
 話を振られたダグマイアも、当然ですと実行委員を受け入れた。元より彼の提案であり、彼以外が実行委員に立候補しようと言うのは話しの流れからしておかしい。
 故に会議は、その裏側に潜むそれぞれの思惑を他所に、粛々と進行してゆく。
 一致した一つの意見を、それぞれの脳裏に秘めながら。

 ―――こんな気の効いた提案がダグマイアの物である筈が無い。何かが、起こる。

 来るべき危機に備えて、しかしアマギリの心は不思議にも、それが楽しみだと言わんばかりに高揚していた。





     ※ 何かドロドロしてきたなぁと思いつつも、まぁ少しずつ転がして行きます。
       剣士殿が居ないから皆、善意に欠けてますね。




[14626] 14-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/21 20:13

 ・Sceane 14-2・



 「危険すぎる」

 石造りの薄暗いガレージを見下ろす、天井を走るクレーン等を調査するモニター室。
 そこから見渡せる広大なガレージ内の風景は、王侯貴族の通う聖地学院の中とは思えない無骨で雑多な様相を示していた。幾つものコンテナが積み上げられ、クレーンには何がしかの巨大な機械部品が吊り下げられている。
 聖地学院の下層部分には、上層部の様式美優先の構造配置とは真逆の、このような機能性を最大限重視した空間となっている。
 ユキネの咎めるような声は、その中の一角―――ある人物の個人的な研究施設の中で発せられていた。
 室内に人影は三人。ユキネに咎められているのは、当然の如く彼女の現在の主であるアマギリ・ナナダンであった。
 何時もの如く、反省のカケラもなく平然としている。
 護衛として相応しい主の身を案じる言葉に対して、さも当然とばかりに腕を組んで頷いてみせる。
 「だよねぇ」
 ユキネの眉が釣上がった。この野郎、最近だいぶ羽目を外すようになってきたなと考えている。
 「断固反対、休むべき」
 ユキネは、むずがる幼児に言い聞かせるように繰り返す。でも、どうせ聞きはしないんだろうなと、内心思っているのも事実だった。
 その考えを肯定するように、やはりアマギリは苦笑して肩を竦めるのだった。
 「そうしたいのは山々だけどさ。それはそれで、向こうさんが攻めてくるような理由になりそうじゃない。お祭りの最中で人気も薄くなってるだろうし、ね。……確か参加者、景品で釣るようにしたんでしょ」
 「だからと言って虎の巣に土足で踏み込むような真似はするべきじゃない」
 「向こうから虎が近寄ってきたんだから、仕方ないじゃない。まぁ、猟銃一本持ち込めない辺り、向こうさんが上手だったのを認めるしかないかな」
 ポン、と作業机の上に投げ出しておいたプリント束を叩く。
 その表紙に記されているタイトルは、最早言うまでも無いだろう。

 『山間行軍訓練・改定案:決定稿』

 「一般生徒は順位景品で参加者募って、生徒会役員は模範として原則全員出場。ついでに、高等学部の生徒に対しては力量差が初等部生徒と大きすぎるため、不参加。……外堀埋められた感じで、隙が無いよ。これで僕だけ参加見合わせたら、恥ずかしくて翌日から外歩けないって」
 「アマギリ様の鈍感さなら、人の視線なんて気にしないと思う」
 「……最近言動がきついよね、ユキネ」
 余りの言い分にポツリと呟いたら、誰のせいだと睨まれた。
 そも、ユキネにしてみればこの主の行動は大胆と言うよりは杜撰に過ぎた。落ち着いて周囲を見渡しているように見えて、笑いながら足元の穴に落ちていく―――しかも、穴の中でまだ笑っているような、投げやりな生き方をしている、そう見えた。
 そんな危なっかしい生き方をしていれば、何時痛い目に合うか解った物ではない。
 だからユキネは、主をいさめるための言葉に、容赦と言う文字を使う事を放棄していた。
 
 数日を要する密林地帯での単独行動。
 対立者による提案、運営とくれば何かを仕掛けてくるのは当然と言えて、そこに仕方が無いからなどと言う理由で飛び込もうとするアマギリの行動は、ユキネには阿呆とすら思える。
 危機を楽しむ事に平気で命を掛ける、いかにもナナダン王家の人間らしいと言えば、それまでなのだが。
 彼の母親も、別に必要も無いのに反乱討伐の最前線に出張って陣頭指揮を取っていた。そんな所まで遺伝しなくてもよかろうに……と、そこまで考えて気付いた。フローラとアマギリは何の血のつながりも無い他人だった。
 ふぅ、と一息ついて詮無い思考を追い払った後で、改めてユキネはアマギリに告げた。
 「学院内の方が防衛がし易い。襲撃が予想されるのなら、尚更」
 「そぉ? 大掛かりな破壊工作をしてこない以上、むしろより厄介なやり方で攻めて来ると思うけど。何せ、向こうさんの最終目的は、僕に”コレ”を外させながら聖機人に乗せる事なんだから。学院に残った時のパターンも色々考えてみたけど、取り得る手段が複雑になりすぎて、返って予測が立てられなくて動きづらい」
 当然、と言う口調で反対の意を唱えるユキネに対し、しかしアマギリは思いのほか真っ当な意見で切り替えしてきた。首に下げた属性付加クリスタルを弄んでいる。
 「考えられるのは分断して退路の制御とか、いっそ屋敷の人員を人質にとって脅迫してくるか。仕掛けに手が込みすぎていて、僕の領分だけで事を収めるには難しくなる」

 「あのぉ~、ちょっと良いですか?」
 
 主従がそれぞれ、それぞれなりの理屈で相手を丸め込もうとしているところに、第三者からの声が掛かった。
 「何? 今結構大切な話をしてるんだけど。……主に僕の命的な意味で」
 「いえ、また何かトラブル起こしているのかとか思わないでも無いですけど、今回はあたし無関係ですし。あたしが聞きたいのはですね。……何で、あたしの工房でそんな内緒話をするんでしょうかと言うことなんですが」
 このモニター室に集った最後の一人―――ワウアンリーは、頬を引き攣らせながらアマギリに言った。
 元々この工房は、ワウアンリーが個人的な研究をするために教会から借り受けた彼女個人専用の工房である。
 決して、ハヴォニワ王家の秘密会議所では無い。
 「……関係者、だから?」
 「違いますからユキネ先輩! あたしバリバリに無関係です!!」
 首を捻って答えるユキネに、ワウアンリーが即座に突っ込みを入れる。ユキネの言葉に、アマギリは苦笑した。
 「やー、ホラ。屋敷で話すと子供の喧嘩に容赦なく首を突っ込んでくる怖い人の耳に入るからね」
 「良いじゃないですか、フローラ様に全部お任せしちゃえば」
 アマギリがあえて名前を出さなかったのに、ワウアンリーはあっさりと個人名を口にしてしまった。
 誰も聞いてないよなぁと回りを見渡しながら、アマギリは肩を竦める。
 「本当に良いの? かすり傷一つを領土割譲交渉に発展させるような人に任せても、―――本当に、良いの?」
 「幾らなんでもそこまで酷い事は……しますよね、多分」
 「……する。確実に」
 国家間のバランスが崩れて、血と硝煙の香りが待つ未来を思い浮かべてしまい、三人でため息を吐いてしまった。

 「とにかくそう言う訳だから、僕は出来れば自分の管理できる範疇で事態を収拾したいんだよね」
 気分を変えるために一つ咳払いを入れた後、アマギリは言った。
 「有る程度自分の事くらい自分の手元に置いておかないと拙いってことは、この前の事件の収拾を人任せにしちゃった時の事からも理解できたからね」
 「……この前のって、オデットに弾を撃ち込まれたときのヤツですよね。アレ、解決したんですか?」
 「いんや。解決して無いから二度目が来たんだけど」
 「ああ、なるほどー……って」
 当事者の一人としての当然の疑問に言葉を返すアマギリに、ワウアンリーは理解したと頷く。
 そして一瞬考えて、碌でもない事実に気付いた。
 「それって、ひょっとしなくても先日の事件にダグマイア・メストが関わっているって事になりません?」
 恐る恐る、といった風にワウアンリーはダグマイアの名前を出した。否定して欲しかったその言葉をしかし、アマギリはあっさり肯定する。
 「うん。―――って言っても、正確にはダグマイア・メストを動かせる人間が犯人なんだけどね。さて、シュトレイユ皇国宰相子息殿下をアゴで使えるような人物とは、一体誰でしょうか?」
 「それは……」
 当然。
 出てくる名前は、一般庶民のワウアンリーには想像したい者ではなかった。名前を出したが最後、洒落で済ませられる問題ではないと、ワウアンリーは肩を震わせる。アマギリはそんなワウアンリーをみて薄く笑った。
 「な? 子供の喧嘩で済ませちゃった方が、良いだろ?」
 「そう、ですね……」
 ワウアンリーは聞くんじゃなかったと、がっくりと項垂れた。
 
 「ブックメーカーが収集したオッズを見ると、僕とダグマイア・メストのどっちが勝つか、皆楽しみにしているらしいじゃない。こうもあからさまに挑発されちゃうと、それを蹴った時の反応が怖いよ」
 だから、とアマギリは隙の無い笑顔に表情を変えて、ユキネに自らの考えを宣言した。
 「ユキネは当日は監視船で待機。―――ヤバそうな時は、頼むよ」
 「―――監視船、で?」
 アマギリの言葉にユキネは目を細めた。
 監視船。つまり上空、人に囲まれた状態で待機しろと言うことは、事が起こったときに何もするなと言っているのと同義だ。
 そんな事は認められない―――と、言おうとして、アマギリの異論を認めないという視線に押し黙る。
 一つ大きく、ユキネは息を吐いた。
 「……危なくなったら、ちゃんと、逃げないと駄目」
 「―――前向きに善処します」
 ユキネの言葉に、アマギリは曖昧とした顔で笑って頷いた。
 
 いざ”これだ”と決めてしまえば、後は誰がどれほど言葉を重ねても、聞き入れてはくれない。
 そういう意味で、アマギリはまさしくナナダン王家の人間だった。





    ※ ユキネさんはスタッフサービスに早く電話するべき。
      ワウは……ブラック企業が似合うから、良いか。

 



[14626] 14-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/22 20:28
 
 ・Sceane 14-3・



 夜も更け、そろそろ寝ようかと考えていた時のこと。

 寝室の森に面したバルコニーに続く窓を、カーテンの向こうから叩く音にアマギリは気付いた。
 西塔の最上階にあるこの寝室に侵入できる人間など限られているから、アマギリはさして警戒もせずに寝巻きの上から上着を羽織って、カーテンを開いた。
 「アウラ王女」
 「夜分遅くに済まんな。邪魔をするぞ」
 私服姿のダークエルフの美女が、そこには居た。窓の鍵を開けてみれば、アマギリが開く前に外から窓を開けて寝室に踏み込んでくる。
 「……男の一人暮らしの寝室に堂々と踏み込んでくるとは、覚悟はできてるんだろうなーとか言う場面ですかね?」
 寝室内に備え付けられたティーセットを勝手に用意しているアウラに、アマギリは興味なさ気に問いかけた。
 「この屋敷には使用人もユキネ先輩もいらっしゃるだろう。……と言うよりも、彼女の頼みみたいなものだからな。少し時間が遅くなってしまったのは否定せんが」
 「ユキネに、頼まれた?」
 サイドテーブルに腰掛、アマギリに向かってティーカップを手渡しながら、アウラは頷く。
 「あまり先輩に心配を掛けすぎるな。短い付き合いだが、お前はどうにも行動が無防備すぎて危なっかしい」
 「自分としては頭を使って動いてるつもりなんですけどね」
 「ならば頭を使った後で、他人に気を使う事を覚えるべきだな」
 アウラの言葉はにべも無い。完全に年上の態度でアマギリを責める姿勢だった。
 ため息を吐いて、アマギリはアウラの向かいに腰掛けた。

 「で、ご用件は? 一応明日からしばらく歩き詰めって事になっているんで、早めに休みたいなと思ってたんですが」
 「そのものズバリ、明日の件だよ」
 「色気が無いなぁ」
 一応礼儀と思ってぼやいて見せたら、なら努力する事だと鼻で笑われてしまった。
 「明日の行軍訓練だが―――」
 「ええ、病欠不可みたいですね。いやまさか、事前にドクターチェックまで入れてくる手の込みようだとは思いませんでした。……それが何か?」
 アウラの真剣な声を遮って、アマギリはなんて事の無い風に答えた。
 「とぼけるな。私は入学式前夜の一件も知っているんだぞ。それに、会議でお前は一人だけ反対していた」
 「―――会議のときは、ホラ。僕、言いましたけど運動とか好きじゃないんで」
 視線を逸らして窓の向こうを見やりながらアマギリは言う。そんな態度をアウラは目を細めて追求する。
 「反対したのはそんな理由ではあるまい」

 「……解ってるくせに」

 逆に嗜虐感たっぷりの笑顔で返されて、アウラはアマギリより視線を逸らすより無かった。
 「―――そうだな、反対するのが当然だ」
 「ええ、ですから貴女は本当は、何故お前は結局賛成したのかと聞くのが正しいでしょう」
 「そんな恥知らずな真似、出来るはずも無いだろう」
 いっそ気楽にも聞こえるアマギリの言葉に、アウラは苦渋の表情を浮かべる。
 見た目どおりに清廉潔白を重んじる人であろうから、腹芸を交えた立ち回りは好かない―――出来ない訳では無い、決して―――のだろうなと、アマギリは思った。
 アマギリとしては別に、アウラが状況を認識した上で賛成した事を解っていたからといって、ソレを責めるつもりも無かった。
 立場上、仕方の無い事は幾らでもある。友情よりも優先せねばならない事の方が、むしろ多いだろうと思っていたからだ。
 「そういう言われ方すると、何だか僕が悪いみたいに思えてきますね。まぁ、悪いと思ってくれてるんなら、貸し一つって事にしても良いですけど」
 アウラのためも思って恩着せがましく言って見せたが、流石にそれは伝わってしまったらしい。
 アウラは、苦笑いを浮かべて困ったように返してきた。
 「こう言ってはなんだがな、アマギリ。お前、抜群に性格悪いな。ダグマイア・メストが正直哀れに思えてくる。―――尤も、フローラ様の息子だといわれれば納得するしかないが」
 短い付き合いの人間の本質をあっさりと言い切ったアウラに、アマギリとしても笑うしかない。
 「生憎、血が繋がっている訳では―――、あ」
 「ほう?」
 
 マズった。

 失言に、アマギリの思考は急速に冷えてきた。微苦笑が消えて、朴訥な普段の顔には似つかわしくない、無表情が出来上がる様を、アウラはまざまざと見た。
 見るものが底冷えするような冷めた瞳は、それこそ、本人が否定した筈の母親の顔に似ていた。
 「―――今の、オフレコでお願いします」
 カチャリと、普段ならぬ音を立てながらティーカップを手に取り口に含んで、アウラは息を入れ替えた。
 困ったように、笑う。
 「構わんさ。心配せずとも初めから解っていた事だ。―――いや、違うな。有る程度の力があれば、誰にでも解る。フローラ王女はお前に関する情報隠蔽は、ワザとその程度のレベルでやっていたらしい」
 「うわ、それはまた性格悪いこと」
 アウラノ言葉に、アマギリは無表情を崩して笑った。アウラも、お前の親だからなと肩をすくめて息を吐く。
 その後でアウラは、もう一度真剣な表情を作り直して、問いかけた。
 「―――で、だ。つまりそのあたりの事情も、今回の件に関係しているんだろう? ―――ハヴォニワの龍よ」
 「知ってましたか。……まぁ、そりゃあそうですよね」
 頭を掻きながら言うアマギリに、アウラも頷く。
 「それゆえの、”見極めろ”と言う父上の言葉だからな。事前にリークされた映像資料から、お前の聖機人の事は認識している。私以外にも恐らく、それなりの人間がお前に興味を示しているだろう」
 「……友達が増えないのは、それが原因か」
 通りで遠巻きに見られている事が多いと思ったと嘯くアマギリに、それは性格が悪いからだとアウラはさらりと言いきった。
 
 「因みに、生徒会長も?」
 「リチアか? 当然だろう。彼女は現教皇の孫娘。教会の中枢に関わる事のできる立場の人間だぞ。―――そんなリチアが、教会の信仰を根本から揺るがしかねないお前の存在を、知っていない訳が無いだろう」
 淡々と答えるアウラに、アマギリは肩を竦めた。
 あらゆる古代文明の遺産と各国の最高戦力である聖機人を管理する組織に属する人間だから、当然だった。
 元々予想済みの事態であるし、何より生徒会室での彼女の態度がソレを裏付けていた。
 それと同時に、そこまで衆目を引きすぎてしまう事だろうかと感じる部分もあったので、その辺りに探りを入れてみることにした。
 「コレでも僕は、神の実在を信じてる方だと思うんですけど。―――そんなに拙いですかね。たかが龍一匹、何ができると言うほどでも無いでしょう」
 輝く翼を背負った神の姿を思い浮かべながら言うアマギリに、アウラはゆっくりと首を横に振った。
 「龍と言う生き物は、神話や伝承において、破壊や暴力を司る存在として記されている。そして、その存在の出現が記述される時は、決まってその時代の文明の末期、崩壊寸前の時期だと相場が決まっている。―――教会が、大崩壊以降のこの世界の法理を作り上げてから数百年以上、大国間の水面下での鍔迫り合いは、最早隠しきれぬ現実の争いに発展しかねない規模になってきている。何かの拍子に、教会の手綱を食いちぎって当事者ですら止めようが無い大騒乱に発展しかねないのが、今のジェミナーの現状だ。一度世界を巻き込んだ騒乱が始まれば、最早次の新たな秩序を築き上げるまで止まる事は無いだろう。そんな、世界情勢に於いて―――」

 「―――龍、ですか」
 
 暗い声で洩れた呟きに、アウラはしっかりと頷いた。
 「そう、お前と言う存在が、現代秩序の崩壊の呼び水だとでも言わんばかりに、この世界に現れた。秩序の一端を担う、我々の父母達の立場からしてみれば、無視できる筈も無いさ。尤も今回の件は、他の誰もが抜け駆けする事甚だしいと考えるだろうがな」
 「―――なるほど、ね」
 締めくくりに誰かへの批判を滲ませているアウラの言葉を最後まで聞いて、アマギリは頷いた。

 龍。伝承。神話。
 馬鹿馬鹿しいと思わないでもないが、初期段階文明、それも古代文明の遺産が残る星系では、迂闊に笑い飛ばせないのも事実。その末端に、望まぬとは言え巻き込まれてしまっているのだ。
 姿かたちの見えないものは、誰にだって不安を覚える。それが、何か良くないものと結びついていると言われれば、尚更。誰かが―――いや、今正に。良からぬ事を考えている輩は、既に居るのだ。
 対策は。簡単だ、知られない事。
 では、既に知られている場合はどうする。
 単純だ、知っていても意味が無い事だと、理解させる。その情報の貴重性を、失わせる事が必要だ。
 
 「アマギリ?」
 無言で口元を抑えて考え出したアマギリに、アウラが心配げに声を掛ける。
 心配してきたのか、脅しにきたのか解らない自身の物言いに、今更気付いていた。
 だが、アウラの心配を他所に、アマギリは納得したとばかりに気軽な態度で頷いた。
 「うん、返って衆目を引いてしまった方が、そこら中で牽制しあって、僕が自由に動きやすいって事だよね。数少ない知ってる人同士で、背後でコソコソ動かれるから面倒に感じるんだし、これからしばらくこの場所で過さなきゃいけないんだから、ここはやっぱり打って出て主導権を握りに行く部分だろう」
 独り言とも誰に対する宣言ともつかぬ言葉を言いながら、アマギリは椅子から立ち上がり、首元に手をやった。
 属性付加クリスタル。寝る時以外は首に下げっぱなしのそれを、無造作に外す。
 「アウラ王女」
 「な、なんだ?」
 突然の呼びかけに戸惑うアウラに、アマギリはにっこりと笑いながら手にしたものを―――今、自身の首から外したばかりのものを―――アウラに、差し出した。
 
 「お近付のしるしに、僕からのプレゼントです」


 ・Sceane14:End・




    ※ 自分でミスって自分でキレてみるとか、割とたち悪いなぁとか思わないでもない。
      そしてきっと、ワウが草葉の影で泣いているとみた。
      用意したは良いけど、今の所ギミックとして使い道が見つからなくてなぁ。
      この学院、実機での演習とかやってるんですかね?



[14626] 15-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/23 22:08

 ・Sceane 15-1・


 走る。

 走る走る走る。只ひたすらに走る。
 薄暗い原生林の中を、最早崖と言った方が正しく思えてくるような傾斜の上を、滑り落ちるように駆け抜ける。
 背後を振り向くようなヘマはしない。足元を一々確認するような徒労はもたない。
 只眼前、視界に入る木々の枝葉を一瞬の判断で掻き分けながら、ひたすら、走り続ける。
 何処へ?
 それは解らない。
 だから正確に言えば、これは走っているのではなく走ら”されている”のだが、その事実は現状を何一つ改善しない。
 樹齢数百年は堅いであろう大木の枝から枝を飛び移り、時たま唐突に差し込む木漏れ日に目を細めながら、それでもアマギリは足を止める事はなかった。
 恐怖からではない。恐怖など一遍たりとも感じては居ない。
 そもそもここまで速度を出す事を、誰にも要求されては居ない。だが、アマギリはほぼ全力に近い速度で森の中を駆けていた。
 
 ヒュン、と言う空気を切り裂く音。
 それが、背後から自身を追い上げてきている事に、アマギリは気付いた。
 身体を傾ける。幹に手を掛け、遠心運動を利用して方向転換。最早どの方角へ向かって進んでいるかも定かではないが。
 はじめ、足場にしようとしていた枝を放棄して、隣に生えていた幹に水平に着地する。重力が地面に身体を押し付けようとする前に、全身のバネを使ってさらに次の幹へと飛び移る。
 通り過ぎる視界の端に、鋭い小刀のような物が足場にする筈だった枝に突き刺さっているのが見えた。
 それに構う事無く、さらに水平方向に身体を立てたままで駆け続けようとしていたが、その動きは次に飛び移ろうとした大樹の幹に小刀が突きたてられた事で封じられた。

 上、下、左、右。
 
 瞬時に視界を滑らせ―――そして、取り得る行動の全てが、付きたてられた刃によって封ぜられている事をアマギリは理解した。
 当たり前だが、人類は重力を無視して空の一点に留まっている事など不可能で、動きを止めてしまえば幹から足が離れて、アマギリは地面に落下するしかなかった。
 その事に、怯えは無い。
 止まれ、と言われているのだから、アマギリはその場に止まるだけだった。
 幹に片足を滑らせながら、速度を調節して背の高い雑草の生い茂る地面へと落着する。
 その最中、空を見上げる。幾つもの巨木の枝葉が複雑に重なり合って、空の青はカケラも見えはしない。
 周囲を落ち着いて見回してみても、急な傾斜の真っ只中であり、何か記しとなるモニュメントも無い。
 ただ、あのまま方向転換せずに更に直進していれば、さらに急な角度を落下する事になる事だけは解った。
 時間的にはまだ昼過ぎ程度のはずなのに、その向こうは暗く鬱蒼とした気配が漂っていた。
 
 「ゴール……って訳じゃないみたいだけ、どっと」
 幹を伝って盛り上がった根元に降り立ったアマギリは、動かし詰めだった足腰を休めるようにその場で屈伸運動を行いながら、辺りを見渡す。
 何も無いし、誰も居ない。アマギリと―――もう、一人以外。
 その人物は、アマギリが駆け抜けていた後方に、突然飛んできた小刀の突き刺さった枝の上に、静かに佇んでいた。
 日の差さぬ暗い森の木陰よりも尚、黒い装束。
 表情は読めない。当然だろう、白い仮面のついた修道女を思わせるフードによって、頭はすっぽりと覆われていたから。
 身体のラインから言って、恐らくは女性。とは言え、アンドロイドやアストラル体を遠隔操作している可能性も全く否定できないため、実際のところは解らない。
 
 ―――それに、はっきりと言えば。あまり、解りたくないのだ。

 そういう身も蓋も無い本音もアマギリの中にはあったが、現実として何も解らないままでは上手く状況に流される事しかできないと解っていれば、こういう無茶をとりもしてしまう。
 大樹の幹に背を預け、ずるりと滑るようにその場に座り込み、仮面の女と正対する。
 生命の暖かさを感じる背中の感触に、そういえば背嚢は速攻で処分してしまったなとアマギリは思い出していた。中に何が入っていたかもまともに確認していない。
 ダグマイア・メストの仕切りで用意された物だから、それ相応のものが入っていた事だろうが、それも何処か遠くに置き去りだ。
 「思えば、遠くへ来たものだ……ってのは、何か違うか」
 ぼうっと、アマギリの口からそんな言葉が洩れた。朝から一連の流れを思い出せば、あながち間違いでも無いかと、どうでもいい思考が頭を掠めて、苦笑を浮かべる。
 しかし、佇む仮面の女に、態度の変化は見えなかった。


 「……今日は、首元が寂しいのですね」
 「山の中じゃあ、ホラ。何かに引っかかって邪魔になるかもしれませんからね」
 「なるほど、準備万端と言うわけですか」
 「それほどしっかり考えている訳ではないですが、精々、行き当たりばったりですよ」
 探るようなユライトの言葉を、アマギリは肩を竦めて切り返す。むしろ、アマギリの言葉こそ相手の声音を伺うそれだった事に、周りに居た生徒達の誰も気付いてはいなかった。
 只の雑談、それ以上のものには、見えるはずもなく。その場はそれで、終わった。
 だからそれは、スタートを控えたアマギリに、スタートの監督役を務めているユライトが激励の言葉を掛けているようにしか見えなかった。

 二泊三日の行程で、聖地学園の麓の原生林を使用して行われる山間行軍訓練。その当日。
 大歓声の中森の中腹の開けた場所から参加者一人づつ順番にスタートして行き、アマギリは生徒会執行部役員として早い順番で出発する事になった。
 ちなみに、前走者は森が生活圏のダークエルフ、アウラ。アマギリの後に出発するのは、生徒会役員の中では運動が苦手そうな女子だった。
 前へは追いつけず、後ろからは追いつかれない。どうしようもないほど謀ったように、進行ルートで孤立しそうな順番である。
 とは言え、半日ばかり補整されていない山中の畦道を進めばタイム測定を行うチェックポイントで合流する訳だから、遭難を恐れる必要は無い。何しろ、背嚢に入っている備品の中には、地図代わりの亜法器端末も入っているし、それを用いて上空を飛翔している筈の巡視飛空艇と連絡をつければ、道に迷う事も無い。
 と言うか、迷うほど険しい道ではない。道なりに傾斜を上っていけば良いだけである。各国の王侯貴族が通うと言う性質上あまり危険すぎる事はできないし、ゼロからルートを作り直した最難関コースでこれなのだから、その現実は推して知るべしと言ったところである。
 費用ばかりかさむようになって、結局訓練としての名目が果たせているかと言えば、首を傾げざるを得ない。
 尤も、それを気に掛けるような生徒はこの聖地学院には存在しないが。
 生徒達は―――教員達すらも、この怠惰なモラトリアムの中でたまの刺激を求めていただけで、それが果たされると言うのであれば挙ってそれに参加する。積極的に、状況を楽しもうとする。
 だから、アマギリは大歓声に背を押され、山道へと踏み出すことになった。
 それを見送るように傍に居たユライトが、アマギリにだけ聞こえるように声を掛けてきた。
 「頑張ってくださいよ、貴方には大勢の人が期待しているのですから」
 「期待、ですか。―――期待、ね。まぁ、注目されてるうちが華とも言いますし、精々頑張らせてもらいますよ」
 穏やかな顔で激励らしき言葉を言うユライトに、アマギリは微妙な言い回しで持って答える。

 そこから、その日に起こる全てを予測できる人間は、きっとその場には居なかっただろう。
 アマギリでさえも。ユライトでさえも。少し離れた位置で、彼ら二人に厳しい視線を向けていた、ダグマイアでさえも。

 そしてアマギリは、観客の生徒達で溢れるスタート地点から森の中へ姿を消し―――。
 半日後に、消息不明として中継地点に戦慄を走らせる事となった。


 「―――待っても、来ないですよ」
 何時まで経っても言葉一つ掛けてこない仮面の女に、今頃自身の不在が判明した頃だろうかと思いながら、アマギリは言葉を掛ける。
 開始して、空からも木々に隠れて見えなくなったその瞬間、アマギリはおもむろに荷物を投げ出して道の無い森の中に飛び込んだ。方向も決めずに、只適当に進める方向に、進み続けた。
 その結果が、現在の状況であった。いつの間にか背後に現れた気配が自身の行く道をコントロールし、そして此処までたどり着いて、にらみ合っていた。
 『……来ない?』
 くぐもった、合成音のような女の声だった。無表情の仮面の向こうから、それが洩れている。
 つかみ所の無い声に舌打しそうになりながらも、アマギリは時間を無駄にするのも勿体無いと頷いて話を進めることにした。
 「ええ、荷物も、襟に張り付いてた結界式も捨ててきましたから。もうしばらくは、誰も此処には着ませんよ」
 そう、アマギリは手荷物べき端末も背嚢に押し込み、ついでに全身くまなく探して、上着の襟から見つけた探知用の亜法結界式も外して捨ててきたのだ。
 故に、現在の彼の居場所を探知する事は、ほぼ不可能である。足跡を辿って地道にやるしかないだろう。
 『いきなり自分から駆け出したのは、そのためね。―――此処でこうして、私だけとの会話の時間を作るために』
 「ええ。ダグマイア・メストの忠犬は恐らく会話が通じないでしょうから、性急に事を進められてしまいそうですし。―――付き合ってやっているのは僕なんですから、必要な情報を聞く権利くらいはあるでしょう?」
 隙の無い笑顔で言い放つアマギリに、仮面の女は顎を少し引いて伺うようにアマギリを睨んだ―――睨んでいるように、見えた。

 そのまま、少しの間また、にらみ合いの時間が過ぎた。

 『聞いていた通り頭の回転が、早い。それに、森の中を自在に駆け抜ける運動神経も悪くなかったわ。―――それにしても』
 仮面の女、ネイザイ・ワンというその女は、そんな風にアマギリを評した。
 実際に、ダグマイアの手の者が、本来ならアマギリを誘導する筈だった。
 だと言うのに彼は先手を打って、自分から道を外れ駆け出し始めた。それ故に、自分が出張らなければならなくなった。
 主導権を譲るつもりは無いのだと、そんな風に体を張ってみせる少年。
 何のためらいもなく自分自身を賭け札として投じて見せて、それでいてそれは、選択肢として非常に正しい。
 必要とされているのはあくまでそのスキルのみであり、アマギリ・ナナダン個人ではないのだと、彼自身理解している筈なのに、それを理解したうえでの、堂々とした態度。
 自分の価値を良く理解している人間だけが持てる、それは王器のようなものだ。

 『……それにしても本当に、その、いかにして相手をやり込めようかとばかり考えるのは、フローラ女王とそっくりなのね』

 「此処へ来てこのタイミングで、アンタみたいな人までソレを言うのか」
 しみじみと語られるその言葉に、アマギリは至極嫌そうな顔を浮かべた。
 



    ※ 12話の予告を見るに、やっぱ最終話のラスト15分くらいからが本番になりそうですね、天地らしく。
      謎ばっか増えてくよホント。それっぽい伏線はあるんだけどもさ。

      ……そしてダグマイア様。台詞の大部分が悲鳴だけってどういうコトッスか……あ、何時もどおり?



[14626] 15-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/24 23:23


 ・Sceane 15-2・


 「敵が居て、それをやっつければ万事解決、とか言うんだったら楽かなぁって思うんですよね」

 『敵?』
 「ええ。まぁ、現実はそう簡単じゃないから、こうやって微妙に体を張ってたりするんですけど」
 気を取り直して、相変わらずだらけた姿勢を崩さないままアマギリは世間話でも始めるかのように、目の前の正体不明の仮面の女に話し始めた。
 仮面の女―――ネイザイ・ワンはアマギリの言葉に少し首を捻る。
 『つまり、私達は貴方にとって敵に値しないと言う事なのかしら』
 「私達―――ね」
 ネイザイの言葉を、アマギリは鼻で笑う。
 それは、あまりにも無防備に傲慢な態度を示しすぎているようで、むしろネイザイ・ワンの方が心配を覚えてしまいそうなほどだった。
 しかしアマギリ自身は意図してソレを作ってやっている。目の前の不審者のようなタイプの人間は、どれだけ挑発したところで目的を終えるまでこちらに危害を加えるはずが無いと判断していたからだ。

 ……目的が終わった瞬間どうなるかは、少しは考えるべきなのだろうが、アマギリ自身の目的のためにもここは”如何にもアマギリ・ナナダンらしい”ポーズを崩せない。
 勿論このポーズは目の前の不審者に対してだけのものではなく、何処かで聞いているであろう誰かのためでもあった。

 「私達。―――わたしたち。まぁ、どの集まりを指しているのかは聞かないけど、詰まるところどいつもこいつも考えている事は同じだ。目の前に良く解らないもの―――つまり僕だ―――が居て、良く解らないから、とりあえずどういうものか調べてみようとしている。でも困った事にどう調べれば良いのかが解らない。なにせ目立つようにソレを置いたのはあのハヴォニワの女王ですし、迂闊に手を出せばどんなトラップが仕掛けられているか怖くて仕方ない。当然、置いた当人にソレが何かを聞くなんて、恐ろしくて出来る筈も無いですし。―――だからできる事と言えば、”たまたま”近くに居た自分の手駒に、遠巻きに探らせる事くらいしかない」
 そして、誰も彼もが同じように二の足を踏んでいる間に、無駄に時間ばかりが過ぎていってしまっている。
 その無為な時間の浪費こそ、恐らくはフローラが自らの”遊び"を優位に進めるために望んでいた物なのだろうから、アマギリの丁稚としての立場から言えば、現状維持でも問題は無かった。
 
 「だけど、あまりにも目障りだ」

 はき捨てるような言葉は、今まで誰にも見せた事が無いようなもので、それこそきっと、敵にくらいしか向けない表情の筈だ。
 『……目障り』
 程度の低い間者などに一々意識を傾けるようなタイプではなさそうに見えたがと、ネイザイはアマギリの評価を下方修正しそうになった。そんな仮面の奥のネイザイの心情を知ってかどうか、アマギリは喉を鳴らせて笑いながら一つ頷く。
 「そもそも、この遊びに参加している―――受動的能動的に関わらず、だ―――連中は、どいつもこいつも自分が何を調べているのかすら理解していない。そんな態度で目の前をウロチョロされて見て下さいよ。いざ調べようとして、初めて自分が何を調べればいいのか―――僕本人の目の前で考え出すんですよ? 僕に直接、意図を持ってちょっかい掛けて来るなら、ソレ相応に報復くらいはしてあげるのに、やってる事は人の目の前で右往左往して、ここには居ない誰か―――まぁ、親だかスポンサーだか知りませんけど、そいつらに涙目で助けを求めてる連中ばかりですから。見てられませんよ」
 お陰で友達が全然増えませんしと、それほど全く苦にして居ないような言葉でアマギリは締めた。

 聖地学院に通う生徒には二種類の人種が存在する。
 つまり、将来が確定しているものと、そうでないものだ。
 そして大半が将来が確定している―――つまり、帰属するべき国家を見定めている者達でありそういった者達はたとえ在学中であったとしても自身の仕える国家に忠実に働く。
 将来の決まっていない人間たちにしても、卒業してからの食い扶持を求めるために付き合う人間達の中で、既に将来が定まっている、特に確実に定まっている―――つまり支配階級の人間たちとの付き合う場合、最大限の便宜を図ろうと努力する。ようは、難しくない頼みであれば、優先して聞き入れると言うものだ。
 それらの事情を踏まえて、アマギリ・ナナダンの存在を置く。
 何か行くよく解らない力を有しているらしく、そも存在自体が良く解らない。
 それが厳戒な警備体制を離れて学生として聖地学院に通っているのだから、その存在を知る物ならばそれ幸いとその情報を集めようと躍起になるだろう。
 そして、アマギリの情報を必要とするような位置に居る人間たちは、直接それを行う事が不可能な年代の者ばかりであり、自然その方法は限られる。
 自国、自支配の及ぶ学院生徒たちに司令を与えるのだ。
 即ち”アマギリ・ナナダンを探れ”と。
 解らないから探ろうとすると言う姿勢は正しく、しかし司令を下される側からすれば、そもそも何を探れば良いのかすら解らないという事態を引き起こす。
 当然だろう。指令を出した側も、正直自分のいった言葉の意味を理解しかねているのだから。
 結果として、そもそも間者の訓練など受けた事も無い学生たちは皆、アマギリを遠巻きに囲みながら、あさっての方向を見ながら何かを考えている、そんな空気が完成する。
 幾らアマギリでも、何かを仕掛けてきそうで、しかし誰も何を仕掛けてくるでもなくそんな空気に二ヶ月も落とし込められていれば、苦言の一つも呈したくなってくるのだ。
 いっそ、ダグマイア・メストのお気楽な行動が清涼剤になっているとすら言える状況である。
 
 「その辺、あなた達と―――あと、ババルン・メスト卿の手下の人たちはがっつりちょっかいをかけて来てくれてむしろ清々しいんですけど。基本的に僕、受身の人間ですから、先手取ってもらったほうが動きやすいんですよね」
 『―――待ちなさい』
 腕を組みながらのんびりと言葉を続けるアマギリを、ネイザイ・ワンは待ったをかけた。聞き捨てなら無い言葉を聞いた。
 『”私達”と”ババルン・メスト”は別の物だと言うの?』
 今回の仕込がダグマイア・メストに近い部分から発せられていると解っている筈だろうに、その仕掛けの一端に居るネイザイをさして、ソレとは別だと言い切るアマギリの思考は、ネイザイにとって理解のほかだった。
 「同じだって言いたいなら別にそれでも良いですけど、人間が重複しているからと言って組織として一つに完結していると考えられるほど、僕はお人よしでもないですよ。―――先に言ったじゃないですか、”敵”が居れば楽なのにって」
 現実は、敵らしき連中ですら一つ塊ではないのだから面倒だと、ぼやくようにアマギリは言った。
 「―――空気を読むのは得意です、僕は。断言して、”あなた達”はババルンともダグマイアとも別だ。―――ああ、念のため言っておきますが僕は貴方達が何者で、何を企んでいるかなんて”知りません”。だからこれは例え話になりますが―――此処へ来て直接的な”攻撃”を受けたのは三回。聖機人をぶつけてきたのと言葉をぶつけてきたのと木刀をぶつけてきたもの、この三つです。―――今の貴女は言葉をぶつけてきている。聖機人をぶつけてきたのがババルン・メストで、木刀を投げつけてきたのがダグマイア・メストのやり方ならば、言葉をぶつけてきた貴女は、そのどちらにも当てはまらないでしょう?」
 『……』
 ネイザイは言葉を漏らせなかった。迂闊な言葉の一つでもあれば、きっとこの少年は発想を更に飛躍させると感じたから。たちの悪い事に、この少年の発想は真実を言い当てるセンスに長けているところがあった。
 正答ではないが、七割の正解は得られそうな答えを、彼は勝手に自身の中で組み立ててしまう。
 「ババルン・メストならこのタイミングで始末に走る、でしょう?」
 『―――っ!?』
 だが、ネイザイ・ワンは”今のところ”アマギリを此処で始末するつもりは無かった。
 それこそが、”今”はネイザイ達とババルンが別だと言うアマギリの言葉が真実であると認めていた。
 「お宅等には初っ端から警戒されてますから、今更ですしね。あなた達は憂いを残して、揺らぎを増やし―――自分たちの目的を有利にする必要があるはずだ。だから、僕を此処では殺せない。殺してしまえば、僕のバックに居る怖いオバサンが本気になりますし、それはそちらの望む展開じゃないでしょう?」
 『―――貴方の目的は何なの? ソレを私に此処で話して、何のメリットが貴方にある』
 ネイザイ・ワンのくぐもった声が、警戒感をむき出しにしていた。

 対してアマギリは、気楽な態度を崩さない。
 内心、裏側に居る誰かと違い、この女との化かしあいでは自分に分が有るようだと気付いてほくそえんでいる。
 後はこのまま上手く、小賢しく立ち回る小僧を演じきれば良い。

 事が起こったその時まで、牙は静かに研ぎ澄ませておけば良い。 

 「目的を持って僕を追い込んだ人間に、目的尋ねられるとは思いませんでしたよ。―――まぁ、強いて言えば、話を通す順番を間違えるなってトコですかね」
 『順番?』
 「ええ、順番。見たい物があるなら僕に言えば良いでしょうに。持っているのはそもそも僕なんですから。敵対するしかない怖いオッサンと比べて、あなた達はまだ幾らか話し合いで解決出来る部分が大きいでしょう。それなのに、コソコソとお馬鹿な学生盾にしてちょっかいかけて来るなんて態度とられると、困るんですよね、対応に。本気を疑いたくなりますから」
 『―――そんな事は』
 アマギリの提案に、ネイザイは言葉を濁した。 
 要するにアマギリが言っている事は、ババルン、ダグマイアから抜け駆けをしろと言っているのだ。
 当然そんな行動をとれば、ダグマイアはともかくババルンが気づかない訳が無く、ババルンが気づくと言う事は完全にその下の立場のダグマイアも気づくと言う事と同義だ。出来る訳が無い。
 だが、アマギリはあえて提案してきた。理由は想像するまでも無い。
 これで少しでもババルンや彼女達の行動を分断できれば、アマギリ自身の生活が平穏になると考えてからに違いない。
 どう足掻いても自身の立場じゃ退ける事が不可能なババルンはさておき、まず目の前に危機としてあるのはダグマイアではなく、ユライト・メストだと、このとらえどころの無い王子は考えているらしい。
 ダグマイアが彼の敵にもならない事はネイザイにも解る。しかし、感情的なダグマイアの背後にユライトが立たれると、途端にアマギリの身辺は危険度が増す。今回の山間訓練の一件のように。行動の前に逃げ場を塞いで来る相手と激突するのは、アマギリにとっては怖い話なのだろう。
 なまじ相手の行動が読めてしまうだけに、余計に。
 しかし彼も、上から押し付けられた立場がある。ゆえに個人的な嗜好で逃げ出す訳にはいかないのだ。
 だから、アマギリはこうして体を張って小細工を弄している―――つまりは、そう言う訳か。

 思考を整理しているネイザイを、アマギリは表情に出さずに観察していた。
 どうやら、上手く仕込めているらしい。
 問題は、何処かで聞いている誰かも、同じように考えていてくれているか、だ。
 
 アマギリが、彼らの企みに完全に乗って、貸しを作ろうとしてやっている―――そういう風に、ちゃんと見えているかどうか。

 もう少し仕込む時間が欲しい気もする。
 しかし、森の遠くで忙しなく動く気配がする。―――つまりは、もう潮時だ。
 アマギリは唐突に、何気ない風を装ってネイザイに尋ねた。
 「ところで話は変わりますけど、木刀をぶつけてきた彼は何がしたいんですかね?」
 『―――ダグマイアのこと?』
 何時ぞやの授業の折、ダグマイア・メストの従者が故意ではない偶然でアマギリにむかって木刀の先端を飛ばしてきた。
 それは結構なスピードで頭部目掛けて飛来していたから、直撃していれば軽い傷では済まなかっただろう。
 ダグマイアの従者がダグマイアの対立者に木刀の破片を事故でぶつける、なんてそんな偶然があるはずも無く、アマギリはこの必然の目的は何だったのか、彼に近い人間の意見を聞いてみたかった。
 ネイザイは頷いた。その場に居なかった筈だろうに、まるで見た事のように正答を述べる。
 『怖がらせたかったのでしょう』
 「怖っ……って、只の虐めか何かのつもりか?」
 『そうではないわ。人格云々を別にしても、ダグマイア・メストの立場であればアマギリ・ナナダンの存在は目障り極まりない。その影響力が強まる前に排除出来るのであれば、排除をしてしまおうと考える事もあり得るでしょう』
 何とも性急な話に聞こえるが、ダグマイア・メストなら確かにやるだろうかとアマギリは頷いた。ソレと同時に、言葉には出さないがダグマイアもまた他の者たちとは違った目的があるのだと理解している。
 どいつもこいつもが、自分の目的の障害になるか否かを見定めようとアマギリに仕掛けてくる。うざったい事この上ない事実だった。アマギリそのものが目的ではないのだから、余計に腹が立つ。
 
 まぁ、良い。抑えろ。―――それももう少しの辛抱だ。

 「排除、ね。そういえばダグマイア君の行動だけは初めから終始一貫して僕を物理的に排除する事に重きを置いていたかな」
 『今までの話からして、私でも解ることがある。―――貴方は今の自分のありように満足しきっている。それ故に、誰かの言で揺らぐ事が無い。変わらない。変わらないまま何処へでも行こうとする。そしてその事実こそ―――』
 「何かを変えようと思っているダグマイア君にとって、―――うわっと」
 
 ヒュカッ!
 アマギリの言葉は遮られた。何が起こったと考えるまでも無く、だらりと投げ出していた手首の力だけで身体を倒立させて、虚空から飛来してきた何かを避けた。
 ナイフ。今まで話していた仮面の女の物とは違う。ソレだけを頭に止めながらアマギリは木の根の上を倒立前転をしながら素早く移動していく。
 その行く末をふさぐ様に飛来した刃物を、安全靴の堅い踵で蹴り飛ばして、アマギリは体勢を起こして襲撃してきた何者かの姿を確認した。
 黒い意匠、覆面。髪まで隠す覆面は開いている瞳の部分にまで影を落とし表情をうかがわせない。
 だがその体系から女性である事は見えていた。このタイミングで、女性による襲撃者。探す気が無ければ見つからないような場所なのに。
 そこまで考えて、そういえば仮面の女の正体は解らなかったなとアマギリは思った。しかも、いつの間にか気配が消えている。確認する必要も無く、この地形は崖を思わせるほどの酷い傾斜となっている。
 そして、高い位置に覆面の襲撃者が投げナイフを構えており、低い場所でソレを伺っているアマギリが軽快な動作で動こうと思えば、重力を逆らって高い位置を目指せる道理は無い。
 「なるほど、ね」
 「―――っ!」
 一言呟いて、アマギリは後方、崖下に向かって飛んだ。襲撃者の女が虚を突かれた様に声を漏らしたのが解ったが、今は考える必要も無い。
 「忠犬てのは、居るもんだね―――ホント、羨ましい」
 訓練場でならきっと敵わないだろうが、森の中なら別だった。
 平面的な動作しか取れない訓練の場と違って、障害物を利用した三次元的動作が可能な森の中は、アマギリにとって実に行動しやすい場所だ。彼にも理解しかねる、何処からか浮かび上がる知識が、そうだと確信させていた。

 尤も、真に達人であれば戦場を選ぶ事は無いのだが。

 それは今は考える事ではないと、拾い上げておいた樹に刺さっていた短刀を投げつけて牽制しながら、落下速度に身を任せるまま姿勢を反転させる。
 結果は同じだろうと、状況は常に自分で作る。
 それが精神的な優位を呼び、その後の展開での選択肢を広げるのだと―――これも果たして、何処で覚えた知識だろうと、アマギリは一瞬笑ったあとで、表情を改め前を向いた。
 いきなり視界一面に迫ってきた巨木の枝の表面を削りながら足を滑らせ、次に見えた枝から、そのまた次の枝へと次々と飛び移っていく。どんどんと崖下に落ち下っていけば、そこには見慣れた物体が転がっているのが見えた。
 巨大な、卵上の球体。その内側に鋼の骸。
 見違えようも無い聖機人のコクーンを視界に捕らえて、アマギリは笑った。
 どうやらアマギリと同様に、何処かの誰かもお膳立ては完璧と言うことらしい。
 コクーンのある崖下は、木々の密度が薄く、聖機人が活動する事に支障が少なそうだったから、その後の展開も簡単だろう。

 ―――そうとも、罠は既に、どちらも共に仕掛け終えている。

 「さて、吉と出るか凶と出るか―――いや、狂と出るかな」




  

    ※ 戦闘前段階編。
      これで12話辺りで予想を覆されたら、どうフォローすりゃ良いかなぁと思いつつ、次回はさらに暴走してるような。



[14626] 15-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/25 21:33

 ・Sceane 15-3・



 戦場は、あらかじめ用意されたもの。
 
 罠が仕掛けられ、狩人が待ちうけ、策を練るに有り余る時間があったことだろう。
 だがそれはアマギリも同じだった。
 罠を推測し、それを食い破るために策を寝る時間は、存分に確保できた。
 故にアマギリはなんの躊躇いも無く、眼下に見つけたコクーンに飛び込んだ。そして素早く機体を起動させながら、同時に手動による機体調整を行っていく。
 外部からの介入が可能である通信系には、案の定幾つかのロックが掛かっており、今すぐには解除が不可能である事を発見して、眉をひそめる。可能な所だけ封鎖しておくが、役に立つかどうか微妙な部分だ。
 機体各部に異常なし。整備不良のせいか、多少の重量バランスの乱れが気になるが機動自体に問題は無いだろう。
 そもそも、龍機人はコクーンシェルを構成する形状記憶素材ではありえない質量で再構成される異形の機体だから、重量に関しては、気にしても無駄と言う部分がある。
 腰元に円周上に配置されたコンソールパネルの中の、外部索敵センサーを覗き込む。
 自機を中心にして、それを囲うように光点が12個。即ちそれが敵の数だ。そして、円形の索敵センサーの半径ギリギリのところを走る赤いラインが、戦闘可能領域、とでも言いたいのだろう。
 数分と掛からずに其処までを理解して、アマギリは外部からの通信接続を知らせるインジゲーターが明滅している事に気づいた。
 「……何か用ですか、何処かの誰かさん?」
 『いえ、そろそろ殿下のご準備が完了した頃かと思いまして』
 スピーカーから響く声は、機械的な合成処理が施されていたが、声音そのものは相手の顔が見えそうなくらい、いっそ衒いの無いものだった。
 当然だろう。
 こんな大仰な仕掛けを張ってくる人間が、今更恥じを覚える筈も無い。
 それにしても、本人が出てくるとはとアマギリは少し意外な思いだった。こちらを”信用”しているんだろうに、それでも不安は拭いきれないらしい。
 だが、最早不安がっても止めようが無いところまで事態は進行している。
 後は、結末までただ進むのみだ。
 
 そうとも、売られた喧嘩は全力で買叩く。
 何時か何処かで、そういう風に教育をされた。―――そのままに振舞う。

 アマギリの心は既に決まっていた。
 それ故に、煮え切らない相手の態度にいちいちイラついてなんか居られなかった。
 大きく深呼吸。す、と。本人でも気づかぬほどに冷徹な表情を形作り、口を開く。
 「全く根本的にやる気が沸きませんけど、準備は完了です。ルールは、こちらが把握している通りで良いんでしょうね?」
 『ええ。始めからその姿でいらしたと言う事を、殿下が我々のご招待に応じてくれたと理解します。ですので、僭越ですがこの演習の仕切りに関しても、当方にお任せいただきたく存じます』
 「さっきのお姉さんとの話を聞いてたんだから、その辺解っているでしょう?」
 『さて、何の事でしょうか?』
 少し探りを入れてみても、スピーカーから響く声はよどみ一つ見せない。
 その事実にアマギリは、仕込が有効に働いているのだろうと内心笑みを抑え切れなかったが、今はその気分を楽しんでいる場合ではない。
 言葉の主はきっとどこかで、言葉の主はきっと見ているのだろう。アマギリの構成した、半身蛇の異形の聖機人、龍の化身の姿を。無理かと思うが、探れないかを試みてみる。
 索敵センサーには表示されない。―――表示されていないからと言って、索敵範囲内に居ないとは、限らない。
 単純に考えても、この機体は敵が用意したものだから、その辺りの小細工は平気で弄することもあるだろうから。
 アマギリの無駄な努力を確認したかのようなタイミングで再びスピーカーから声が聞こえてくる。
 『我が方の全滅、もしくは殿下の機体の限界稼働時間がオーバーした場合が、演習の終了となります。終了した場合は、機体を乗り捨てて、そのままお帰りいただいて構いません―――ああ、コントロールコアの救急ユニットの中に、殿下が森で廃棄した発信機を入れておきましたので、それをお持ち帰りくだされば、学院側と素早く合流できるでしょう』
 「―――これだけ派手に仕掛けを作れば、とっくに学院側も気づいていると思いますけどね」
 『ええ。その可能性もあるのですが―――不思議な事に、学院側の捜索艇は、未だにこちらに気づいてすら居ないようです』
 「なるほど、気づいてない、ですか」
 そんな訳があるかと、嘲る様にアマギリは唇をゆがめた。
 視線を、遥か木々の天蓋が覆う空の向こうへと飛ばす。

 ―――そこに居るであろう高みの見物を気取る愚物どもにも、相応の報いを与えてやろう。

 『それでは殿下、演目の開始といたしましょう』
 激闘の合図は、いっそ軽やかに告げられた。
 「演習、ね」
 『ええ、演習です。貴方の何時もの授業態度の通りで構いませんよ。訓練ですから、死にはしません。―――存分に、全力を出してください』
 その言葉が終わると共に、索敵センサーに移された12機の機影が動き出す。アマギリもまた、ゆらりと蛇の半身を蠢かせ、森の中を飛翔し始めた。

 幸運にも言質は取れた。―――ならば、後は。滾りに滾るこの狂気を。

 轟。
 振り下ろされる鉄槌を、横薙ぎされる白刃を、遥か後方から撃ち込まれる弾丸すらも。
 避け、往なし、そして、打ち合わせて、アマギリは機体を滑らせる。
 一を避ければ二が現れ。防いで見せれば三の手に遮られる。
 数の不利と言うのは如何ともし難く、常に途切れることなく複数機による一撃離脱を繰り返され、反撃しようにも距離をとられてしまえば、龍機人の高軌道でも捉えるのは難しい。
 そも、龍機人の最大の利点は、今まさに敵が繰り広げている高速、変幻自在の機動による一撃必殺だから、常に機動を封じられるような戦法を取られてしまえば、その利点も失われてしまう。
 そのくせ、アマギリの機体にはまだ目立った損傷が無い。
 敵の機体にも同様だ。
 それは、達人同士の戦いであるから、互いが見事な技量で相手の必殺を避けあっているから―――の、筈は無い。

 「遊んでやがる、なっ! ―――やっぱり」
 細かく思念伝達盤に意思を伝えながらも、アマギリは呻くように言った。
 解りきっていた事。しかし、どうしようもなく腹の立つことでもある。
 敵に、アマギリを殺す気は無い。それ故にアマギリは未だに生きていられる。
 油断と慢心、判断材料不足と言う状態での戦闘だったこれまでと違い、敵は明らかに―――少ない情報しかなかった事を考えれば見事と言って良いほどに―――龍機人を研究して戦闘を仕掛けてきていた。
 勝てないまでも、負けはしない戦い方。常に集団で、鹿狩りでもするように、距離を保ちながら。
 互いをフォローしあう三機連携。それが途切れることなく龍機人を攻め立てる。戦闘開始から既に四半時、集中力を保ち続けているアマギリを賞賛するべき場面かもしれなかった。

 だが、それは―――お互いがありもしないルールを、本気で信じている振りをしている間だけ。

 三機連携。
 一機の攻撃の隙間隙間に、二機目の機体が牽制の一刺しを加えていく。龍機人が反撃に移ろうとした瞬間、後衛の一機が射撃により封殺する。
 龍機人の限界機動が見えてきてから、それらは更に洗練されてアマギリに襲い掛かってきた。
 もしも相手が本気なら、今や絶体絶命と言って他無い状況だっただろうが―――相手は、本気では無いのだ。

 故にアマギリは―――哂った。

 第一撃、大上段からの鉄槌の一撃を避ける。反撃に移ろうと龍機人の右腕を伸ばす。
 当然、それを弾く様に戦斧を持った二機目が、袈裟懸けに切りつけてくる。
 これまで通り、アマギリは直撃を恐れて、下がるしかない。最早それは、戦闘とすら呼べぬ確立されたルーチンワークに成り下がっていた。

 ―――きっと誰もが、この戦闘を見ている誰もが、そう思っていた。

 刹那の、心の間隙。
 ガオンッ!!
 金属と金属が、高速で打ち合わさった音。途切れる事の無い、耳障りな軋む様な騒音。
 避けるしかない斬撃。
 それが、何故。龍機人が、戦斧を持つ聖機人の腕をひねり上げているのか。
 きっと誰もがその瞬間に思っていた。―――哂うアマギリ唯一人を除いて。

  なるほど、大仰な仕掛けを組むだけはあって、敵は良く考えて動いている。
 集められたデータ、今現在も進行形で集めているデータを基にして、最適な行動を取っていただろう。
 聖地学院での成績、アマギリの嗜好的なプロファイルも含めて、敵は安全かつ確実に龍機人の情報を得るために、最善を尽くしていた。

 ―――それが、仇となる。

 「……遊びが、足りないんだよ」
 呟く。
 予めこれと決め込んで始めた作戦と言うのは、いざ不測の事態が起これば咄嗟の対処に乱れが出るのだ。
 成功する事を前提とした作戦は、一つの失敗が致命的な破局を生んでしまうのだ。
 捻りあげた聖機人を、強引に引き寄せる。
 牽制射撃の斜線上に被る様に、それを盾のように持ち上げる。
 丁度、龍機人の顔の高さに、敵のコントロールコアの位置が被った。怯えたような瞳の、きっと熟練の聖機師であろう女性の姿が、透過装甲越しに見えた。

 刹那の躊躇い―――否、それは不要なもの。
 冷徹な心で狂気を制御し、それを伝播させる事なく恐怖を巻き起こす。
 ―――待ち望んだ瞬間は、今。

 『何を―――ッ!?』
 驚愕に揺れる何処かの誰かの声が、スピーカーから響く。
 持ち上げた右腕。だから、開いていた左腕で。
 躊躇うことなく、アマギリは敵聖機人のコントロールコアを打ち貫いた。
 
 メキリと言う、鈍い音。コアを完全に破壊され液化した聖機人の外殻が、泥濘のように噴出し森を汚す。
 それに混じるように飛散する―――紅い、雫。

 死。
 そうとしか判断しようが無いものが、起こらざるはずの戦場で、遂に発生した。
 戸惑い。このような秘密裏に行われる作戦に参加できるほどの熟練の聖機師達にすら走る、一瞬の躊躇い。
 敵を理解していたが故に、実際にその通りに動いていたが故に、本当に危険は有り得ないのだと、そう信じ込ませる程度に経過した戦闘時間がもたらした、完全な油断。

 それこそが、アマギリの狙いだった。
 ここまであえて、見せ掛けの全力―――九割五分の力に抑える事によって作り出した、本当の全力での一撃との、僅かなズレ。それが、痛恨のミスを誘う。回避可能だった一撃は、しかし、見切りのミスにより、致命的な事態を招く。

 油断が、眼前の狂気が、心の隙間に恐怖を呼び起こす。熟練の聖機師と言えども行動に逡巡を呼ぶ、恐怖を。

 アマギリがこの刹那の隙を逃がす事はなく、まずは今仕留めたばかりの聖機人を、鉄槌を打ち下ろしたまま呆然としている聖機人に叩きつける。
 聖機人の超重量を支えきれずもんどりうって倒れるその機体の頭を尾の一叩きで潰しながら、森を縫うように高速で飛翔。
 体勢を立て直す隙など、与えようも無い。
 何しろ、絶望的な戦力差だから。アマギリは自身が求める勝利のために、容赦と言う言葉を使うつもりが無かった。
 狙撃主から銃を奪い取り木から突き落とす。リズムの狂った連携の隙間を縫うようにして、同士討ちを喰らわせる。奪い取った槍を投擲し、大木に縫い付ける。背後から忍び寄り鯖折にする。それら全ての破壊が、即ち搭乗者達の死に直結していた。
 残虐なまでに徹底的に、暴力を行使する。紛然と巻き上がる死の演舞。ほんの刹那の前までは、絶対に有り得ない光景だったのに。
 『お止め―――お止めください殿下! それ以上は、もうっ―――!! 必要の無い事でしょう、それはっ!』
 スピーカーの向こうで、何処かの誰かが焦りと共にアマギリを止めるための言葉を繰り返す。
 当然の対応だ。彼にしてみれば。
 この仕掛けを作り出した何処かの誰かにしてみれば―――誰も死なずに、苦笑いの一つで終わらせられる、そう信じていた。信じられるだけの根拠はあった。
 アマギリ・ナナダンは聡い人間だから。思惑を読み取れば、乗ってくれるだろうと。

 だが。

 アマギリは、その思惑を理解していた。
 相手の思惑に乗ってしまえば、明日からの平穏無事が戻ってくると―――当然、アマギリは理解していた。
 「だからこそ、だ」
 コントロールコアの中で、アマギリの瞳は狂乱に煌く。
 哂う。彼は自分すら知らぬままに哂いながら死を振りまいていた。
 愚か者ども。自分の格も弁えずに迂闊な遊びを繰り返した馬鹿どもに、その無知を思い知らさんがために、アマギリは哂い続ける。
 「――― 一つ、良い事をお教えしましょう」
 敵機より捻じ切った下半身をだらりとぶら下げながら、アマギリは何処かの誰かに聞こえるかのように呟いた。
 『―――何を』
 苦悶のうめき声を上げるように、何処かの誰かの声がスピーカーから漏れた。
 それを、アマギリは哂う。
 きっとその笑顔をみれば、何処かの誰かは、まるで自身の兄のようだと思ったことだろう。
 
 「そもそも、”突然襲ってきた””何処かの誰か”の言う事を僕が信じる理由が―――何処にあるのさ? ねぇ、”誰だか解らない”何処かの誰かさん?」

 『なっ―――!?』
 スピーカーの向こうで何処かの誰かが息を飲むのが解った。
 「本音と建前を、混同しすぎましたね、何処かの誰かさん? まるで僕と貴方が互いを理解しあってるかのような―――”見ず知らず”のもの同士で、そんな事がありえる訳が無い。ルール? 知らない誰かが決めたものを、何で僕が守る必要がある」
 『それ、は―――』
 「ついでに言えば、僕は今回、自分の命を一点張りしました。―――なのに、他の誰も彼もが安全な場所から代打ち任せで利益だけ得ようなんて、それこそアンフェアでしょう」
 龍機人はぶら下げた聖機人の半身に、もう片手を添える。
 イ、と人には聞き取れないような鋭い音が森の中で響き、大気中のエナごと聖機人の半身が一点に向かい圧縮されていく。
 圧縮弾の精製。
 圧縮弾。亜法を用いた聖機人用の弾丸の生成だった。
 今まさに精製したばかりのそれを、奪い取っておいた聖機人用の銃に込める。
 構える。狙うべき場所は決まっている。
 腰から取り出す、受信機。
 予め―――朝、屋敷を出るときに監視船に乗るように仕向けた従者に仕掛けておいた発信機の反応を、正確に映し出している。
 受信機を手早く操作し、発信機の傍にある大型の亜法結界炉の反応を表示させる。
 崖の向こう、森の天蓋の先。その先の空に存在する、愚かな観客たちが乗る―――何隻かの飛空艇。

 「……まぁ、直撃は不味いよな」

 いっそくたびれたようなやる気の無い口調で呟いて、銃口を少しだけ下にずらして、アマギリは引き金を引いた。
 森を突き破り天を切り裂き、摩擦によってエナを煌かせながら、弾丸は奔る。
 それは空をゆっくりと浮遊していた監視艇の群れの、丁度中程辺りを通り過ぎ去って天に消えていった。
 少し遅れて、真空状態から空費が引き戻される時に発生する轟音が巻き起こる。
 今頃、射撃を受けた監視艇の中では、酷い騒ぎになっているだろうと、アマギリは暗い哂いを隠せなかった。

 『殿下。―――なんと言う事を』
 「リスクは全員で等しく背負わないと、ギャンブルになら無いでしょう? 僕も、貴方も、漁夫の利を決め込んだ、誰も彼も」
 『……もともと、それが目的だったという事ですか。―――自分に関わる全てのものに対する、警告。その一点のためだけに』
 「見物料としては安いくらいでしょう? 実際に命の危機を覚えているのは、僕だけなんですから。ああ……死ぬかと思った。怖い怖い」
 何処かの誰かのうめき声を戯言と共に鼻で笑いながら、アマギリは機体を空に浮上させる。
 その刹那、少しだけ戦場後の様子を俯瞰した。自らが巻き起こした死の残滓。きっと消える事は無いだろう。
 苦い気分は、当然ある。割り切れるほどに上手く狂えはしない。
 だが―――決して、哀れにも思えなかった。
 
 彼らには罪が無いのにと、そう思うのか?

 反応炉の爆縮による閃光の華が幾つも煌く銀河の片隅。何処かでそれを見上げていた時に、誰かに確かにそう言われた。

 知らなかったから、俺は悪くは無いんだと―――あそこで消えていく命の殆どが、きっとそう言う事だろう。
 だが、彼らには知る機会があったのだ。それを知ろうともせず、誰かの言葉に踊らされ、自ら考える事を放棄して―――しかしその結末だけは受け入れられないなど、今更―――そんな、恥知らずな事。

 絶対にしてはいけないと、最後はやはり説教じみた事で締められたような。

 苦い思い出。いつか何処かでそんな話を、誰かと交わしたのだと、アマギリは唇をゆがめていた。
 まぁ良いと、首を振って思考を追い払う。考えるべきは未来であって、追想は後で暇な時にしておけばいい。
 「これで、お子様たちがパパたちに報告すれば、後は事情確認とかの面倒ごとは、女王陛下の担当だし……」
 少しは快適な学生生活が送れるだろうか、いや、益々面倒な事にもなりそうだが。
 事態を自分で動かしたと言う最低限の満足だけは得られる事を、今は幸運と思うべきだろう。
 
 「もう少し、どうせなら僕の姿がはっきり映るくらいまで近づけば―――」
 いざとなれば撃つし、それを隠すつもりも無いことを、はっきりと認識させる。素性の関係でどうしても格下に見られざるを得ない現状を改善するためにも、時には必要な強引さだった。

 そして、機体を慌てて方向転換を始めている監視艇へと近づけた―――その時。
 ミシリと。はじけるような音が、機体各部―――コアの中でまで、響いた。
 火花が散って、コンソールパネルがはじけ飛ぶ。
 何を、と認識しかねる刹那、アマギリはスピーカーから漏れる声を聞いた。

 『―――っ対、キサマならば檻を破っ―――と思っていた。―――し、わ―――の計画にお前の存在は不要だ。何、キサマが死んだとこ―――叔父―――き任、父上もどうとも言うまい。心置き―――が良い、アマギリ・ナナダン。目障りな程度には印象的だったよ、キサマは』

 ノイズ交じりの、しかしそれは聞きたがえる事の無い、声。
 嘲笑、歓喜の入り混じった、若い男の声は。

 「ダグマイア・メスト―――」
 轟音。
 機体を構成する外装の内側から、閃光が煌く。爆音と共に煙が上がり、コアの中を粉塵が満たす。
 爆裂。機体が、崩壊するほどの強烈な爆発が、内側から湧き上がる。
 何故、考える必要も無い。仕掛けを仕掛ける暇は幾らでもある。この機体は敵が用意したもの。そう、重量バランスの乱れ。だが外部干渉は起動時に削除。仕切れてなかっただろう。高出力通信波による短距離操作介入。短距離、接近。ダグマイア・メストは。
 「監視艇の、中かっ―――っ!!」
 アマギリ自身の油断だ、完璧な。
 考えるまでも無い。”遭難したアマギリ”の捜索責任者として、監視艇に各一名ずつ、生徒会役員が搭乗する。
 当然、ダグマイアも。一人で、誰にも見られる事はなく、仕掛けを起動させるのも容易い。
 そう、一隻だけ、突出して戦闘区域に近い監視艇があった。眼前のそれ。
 ダグマイアの仕掛けは他の誰もが気づいていたから、そういう状況であっても回りも察して何も言う筈が無い。
 アマギリが近づかなくても、上から外部入力で爆発させる事も可能。

 「なんて、考えてる暇は無いな、これ―――っ!」
 舞い上がる炎と煙によって視界を奪われながらも、アマギリは機体からの脱出を試みる。
 崩壊しながら落下する機体の中。
 後方の監視艇の一隻が急接近してきているのは―――おそらく、ユキネが乗っているのだろうと、いらない事まで理解できるほど冷徹な思考を、何故か、アマギリはしていた。

 なるほど、ダグマイア・メスト。小物と思っていたが中々に見事。
 きっと上の人間に逆らう事も出来ずに燻っていると思っていたが、意外なほど大胆な行動を取ってみせる。
 尤も、四月の初めのオデットの襲撃の件を思い出せば、当然か。
 ―――つまり、あの青い機体は、ダグマイアの物。何かのカードに使えるか?

 冷静に、冷徹に、焦りが無いわけが無いのに、思考は呆れるほどに冷えていく。
 何故か。
 自重に囚われ高速で森へと落下していく機体。確実な死の気配―――確実?
 笑わせるなと、アマギリの口元は笑みで歪んでいた。
 この程度の危機が、確実な死?
 それは有り得ない。そんなにまで腑抜けているつもりは無い。

 これでも、こう見えて。血は薄かろうが、僕は―――。

 煙ごし、ひび割れた透過装甲の向こう。もはや眼前に迫った林立する巨木。
 激突すれば、死。

 ―――まさか、そんな訳はあるまい。坊やがその程度で死ねる筈が無いだろう。まぁ、もっともねぇ、坊や。この程度の事で”     ”に縋ろう何て、未熟もいいところだよ。

 ドクンと、心臓ではない、胸の中にある何かが跳ねる。
 湧き上がる力は、アマギリ以外のものに違いないというのに、どうしようもなく彼の意思を満たすもので。
 だからアマギリは、思考を塗りつぶして有り余るほどの強大な力の胎動に身を委ね、まぶたを閉じた。
 白が、視界を満たす。

 そこに、自身の望むものが有ると―――彼は遂に気が付いた。

 
 そしてそれを。
 其処に居た全ての者たちが目撃した。
 爆発する聖機人。あの位置、あの爆発では最早搭乗者は助かる筈もなかった。
 それなのに。その内側から湧き上がる、白い閃光。
 爆発のもたらす死の気配とは間逆の、生を象徴する意思を持つ光。

 花の蕾が、綻ぶ様に。
 光り輝く三枚の翼が顕現する様を―――その威容を、見たのだ。





   ※ 次回は事後の話、所謂第二部エピローグ……では無いですね、第二部はもう少し続きます。



[14626] 15-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/26 20:08

 
 ・Sceane 15-4・


 その場所を、彼は独り歩いていた。
 
 何処までも何処までも続く、天上すらも見えぬ、木造板張りの床に無数の円柱の屹立する広い回廊。
 彼は独りで其処を歩いていた。
 何故か、幼い頃の姿で。
 迷子の子供のように独りで―――しかし、彼は孤独とは程遠かった。
 息づく生命の息吹が、彼を迎え入れるように、何処かから彼を呼んでいたから。

 懐かしい感覚。あの頃はずっと、それこそ、あの場所では当たり前のように、聞こえていた声無き声。

 だからこそ彼は、幼い姿には重た過ぎる、幾重にも羽織った着物姿で、回廊を歩んでいたのだ。
 導きに従うまま。ただひたすらに、歩く、歩く。
 何時から歩き始めていたのか―――そも、此処は何処なのか。
 不安はある。顔にも出さず、彼は不安を覚えていた。
 
 知らない事は、何時だって不安だ。知っている事を伝えられないのも、同様に。
 彼は何時もそうだった。
 だから初めてそれに気づいた時に、それを理解できない事、それに伝えられなかった事。
 それがどうしようもなく、幼い時分に耐えられなかったのだ。

 回廊はうっすらと霧が掛かっており、遠くその果てを見ようにも、白く靄が掛かって見えはしない。
 それでも歩みを止めないのは、歩んでいる事、この場所にいる事、その理由が解らなかったからかも知れない。

 そもそも、彼は―――自身の名前すら、解らないのだ。
 自らを構成する重要な要素の一つすら、今の彼にはかけていた。

 いやいや、何を言うの。貴方の名前はアマギリ・ナナダンでしょう?

 回廊にそんな声が反響した。楽しそうな女の声だった。生真面目な少女のようにも、少し年上の、優しい女性のようにも聞こえる。

 それは懐かしい、聞きなれた声ばかりだったけれど。でも―――違うと、そんな名前ではないと、彼は首を振っていた。
 何故なら彼は、これでも、自分の名前は気に入っているのだ。―――でもそれも今は、思い出す事が出来ない。

 恐らくは、対精神汚染用に施された催眠暗示による心理障壁の副作用だろう。
 まさに精神が揺らいだ状態である、今この場所に居るからこそ理解できる真実の一端は、しかしそれが事実であるが故に”知っている知識を理解出来ない”状態である彼には何の状況改善の手助けにもならなかった。
 
 ―――訳もなく、彼はため息を吐いた。
 つまりこれは夢で、起きたらもう、忘れてしまう事実。過去の情景か何かなのだろう。

 その証拠に、ホラ。

 霧が深まり、場面が変わる。
 広い空間。一段高い位置で、悠然と腰掛ける女の姿が其処に在る。
 其れは誰かの嫁であり、母であり、女王である筈なのに、何処まで行っても女そのものだった。
 そういう、女だ。
 薄く微笑み、扇子で口元を隠し、女は跪く彼に言葉をかけているようだ。

 ―――そんな記憶は、彼には無かった。

 この女の前で跪くなど、むしろ視線をはずせばそれが死の確定とも言えるだろうに、自身の知らぬ自殺願望でも所持していたのだろうか。
 いやそもそも、あの場所、あの頃の自分に、この女の前に一人で立つ度胸なんて有りはしなかった筈。
 誰も彼もが自身の立場を羨んでいて―――父も母も、兄、姉達ですら―――しかし彼一人だけが、初め対面した時から、この女に恐怖を覚えていた。
 震えて、逃げ出そうとして、慣れぬ礼服に脚を引っ掛け無様に倒れ。
 泣き喚きながら、底の知れない女から一歩でも離れたかった。

 それ故に、そう。女は何故か彼の事を気に入ったらしいのだが―――。

 当時を思い返し忸怩たる気持ちを抱く彼を放って、女のカタチをした過去が言葉を続ける。

 そういえば、坊やは哲学士になりたいんだってねぇ?

 楽しそうに、女は哂っている。 
 世界と言う世界、宇宙と言う宇宙、銀河と言う銀河全てを意のままに動かす女にとって、幼い子供の戯言など笑いものにするしかないという事か。
 今の彼ならきっと、それに殺意くらい覚えられただろうが、この頃にこんな事を言われたら―――きっと、その日の晩に自殺でもするだろう。
 嘲る様なその言葉に、精神が耐え切れずに。
 
 なるほど。―――樹の全てを解体し尽くしたいと望むお前であれば、あのアカデミーの狂人どもの英知を奪い取ることこそ、その最善の道と思えるだろうよ。

 女の語る言葉は、それは彼自身の内に秘めた考えだった筈だ。誰にも言ったことは無い、―――父に告げた、あの時より。
 夢は他人に利用されるものだと理解した、あの日より。
 特にこの女の前で、自身の夢を語るなどと言う隙をみせたりなんて、出来るはずも無い。
 一生を束縛され、血の一滴、魂の一欠けらまで、きっと毟り取られてしまうから。

 だけど、そう。彼はどうしてもなりたかったのだ、哲学士に。銀河の英知の頂点に。
 その場所から見える、その場所からしか見えない景色が、幼い、無知な頃の彼にはどうしても必要に感じられたのだ。
 最早心の原風景に焼き付いてしまっている、父や母と共に在った”それ”の意味、存在の理由が知りたかったから、だからこそ。その知恵を求めてその道を志し、貶められ―――その果てに、あの女の眼前に引きずり出されたと言うのだが。
 女は、女のカタチをした曖昧な記憶が、さらに彼に語りかける。
 知りたい事が、その先にあるような気がした。

 だがね―――<ノイズ:耳障りな響きが彼の耳をかき乱す>―――こうは考えられないか。自らを知らぬ者が他者を真に理解する事など出来ない。
 故に私はこう思う。人は他者を知ろうとする前に、まずは自らを知ることから始めるべきでは無いだろうかと。
 だが解る、私には解るよ。君はやはり―――の血統らしい性急な心根からは逃れられない。
 逸るまま、自らを省みる事すら忘れ―――きっと君も、既に穴に落ちたことにすら、気付かないようになる。
 私はそんな風に、君の感性を散らすのは惜しいと思っている。

 だから、君には良い物をあげよう。

 そう、君の望んだ―――<ノイズ:聞きたい言葉が聞こえない。知っていなければいけないことなのに>―――を。

 自らを知る暇が無いほどに他者を追い求めるとするならば、話は簡単だ。
 他者と自らを、同一にしてしまえば良い。そうすれば、自らを知るのと平行して他者を知ることが出来る。簡単な話だろう? ―――あの狂人どもの手を煩わせる必要も無い。

 そう言って女は、彼に近づき。
 彼は恐怖で―――そんな筈は無い。

 歓喜と共にそれを、受け入れたのだ。

 それに気付いて、その時には。いつの間にか全てが消えていた。木造の大広間も、女の姿も、霧も、何もかも。
 彼自身すらも。
 その白い世界に残ったものは只一点。

 静かに脈打つ、その小さな力強い生命の欠片―――彼は浮上する意識の片隅で、其れを見た。

 ……種。漸く芽吹き始めた、小さな小さな種。―――年もかかって、ようやく、発芽した其れの姿を。

 彼は見た。
 自らの、内側で。

 見たのに、気付いたのに、嬉しかったのに―――だけど。
 浮上する意識は、彼に過去への回帰を許さない。

 そして夢は覚め。
 規定の事実どおりに、彼は全ての記憶を破却した。

 ―――目覚めは、未だ遠い。

 ・
 ・・
 ・・・
 
 ぼやけた視界に映ったそれが、自身のベッドを囲う天鵞絨の天蓋であると認識するまでの刹那に、アマギリの意識から夢で見た全てが零れ落ちていた。
 それを悲しいとも思えないのが、つまり、アマギリ・ナナダンの現実だった。

 現実―――現実?
 一夜の夢、過ぎ行く夏の残照のようなこの日々が―――現実?

 漠然とした纏まらない思考のまま、天蓋の刺繍を眺め続ける。
 ベッド。自室の。昼。開いているカーテン、差し込む光と、淡い風。
 それから最後に、人の気配。

 「……気は済んだ?」

 ポツリと、枕元でアマギリの様子を伺っていた女性は、そんな風に漏らした。
 気が、済んだか。覚えている事、思い出せる事をアマギリは思い返す。
 戦闘、勝利、爆発に、それから―――それから?
 
 何か、大切なものを見つけたような、そんな胸の中に温かな気配が―――いいや、それは夢に過ぎない。

 自身の現実は陰惨で凶悪で、暴力的なものだったはずだ。
 罠に嵌め、欺き、叩き潰し、威嚇の咆哮をあげて―――それから、それら全てを映像に残したから、今頃―――今が何時なのか解らないが―――後ろ暗い物を抱えている者たちは、本国との通信で忙しい事だろう。
 だが、最後に一つミスを犯した。紛れも無い汚点といえるそれを、アマギリは苦い思いと共に思い出す。
 ダグマイア・メスト。あの程度の小物に勝ち鬨を上げさせた事は、羞恥を覚えずに入られない現実だった。
 必ず報復は行おう、そう、こんな所で手打ちにするつもりなど、まるで無い。
 
 気が、済んだか?
 いやいや、返って―――。
 
 「―――やっと盛り上がってきたって感じかな」

 コン、と。手の甲で額を叩かれたのが解った。
 眉根を寄せた、怒り顔。だらしない弟を叱る姉のそれだった。
 「御免、面倒をかけたねユキネ」
 謝って見せたら、もう一度、今度は平手で叩かれた。一度目より本気度が上がっているようにアマギリには思えた。
 「面倒とか、そういうのは、関係ない」
 「……ご心配をおかけして、スイマセンでした」
 ベッドの上で身体を起こしながら、アマギリはユキネに向かってしっかりと頭を下げた。
 下げた頭に、ユキネの掌の感触が伝わるのが解った。
 「無茶は、駄目。……反省して」
 心配する側のみにもなって欲しいと、それは、忠告と言うよりは懇願と言えたから、アマギリも素直に頷く事にした。
 本人としては勝算があっての無謀だったのだが、周りの人間全てがそうと受け取ってくれるとは限らないから。
 「次からは……まぁ、気をつけます」
 自戒を込めてそう宣言したら、ユキネは何故か、突かれた様に肩を落とした。
 駄目、まるで気が済んでいないと、音を出さずに呟いている気がしたが、気にしてはいけない。
 
 「……因みに、何日ほど寝てたんですかね、僕」
 時間帯が昼と言う時点で、爆死しかけた当日とは思えなかったから、アマギリは日数の経過を当たり前のようにユキネに尋ねる事が出来た。
 そういう、人に言われずとも自分で勝手に物事を理解してしまう態度こそが、他者に無用の心配をかけるのだという事実には気付かない。
 「……三日。今日は、振り替え休日の最終日」
 「三日?」
 随分と寝ていたものだとアマギリは目を瞬かせた。
 「随分寝ていた―――いや、そもそも何で意識を失ってたんだ、僕は」
 冷静に考えれば、爆死一直線の状況であった筈だ。いや、勿論高速で落下するコアからだっていざとなれば飛び出す覚悟もあったことだし、生き延びる事は可能だっただろうし、事実としてそのつもりだった。

 ―――もし本気でアマギリを爆殺したかったのならば、大火力で一撃で決めるべきだったのだ。
 相手に考える隙を与えず、悟られぬように一瞬で。
 犯行声明をわざわざ上げる等、愚の骨頂である。そういう満足は、自分の中だけに秘めておけば良い。
 それが出来ずに、中途半端に相手に何かをする隙を与えてしまう辺りが、ダグマイア・メストの限界とも言えるだろうが―――恐らくこれに関しては、意味が違う。
 ダグマイアは節操の無い、我慢の効かない人間だったから、彼自身が爆薬を仕掛けたのであれば、量を考えずにオーバーキルしてしまうような、それこそアマギリに仕掛けの存在を悟らせてしまうほどの量を仕掛けていただろう。
 だが、現実に起こった爆発は違う。
 完璧にアマギリを殺せるようで―――ギリギリのラインで、アマギリを”殺さずに済む”ような、神業的な配分。
 と、するならばこれを行ったのはダグマイアでもなく、ましてやユライトでは有り得ない。
 何故なら爆薬を仕掛けたという事実は、アマギリがユライトを出し抜かなかった場合において、彼の今後に致命的な悪影響を及ぼすからだ。
 常に自身を安全圏に置いておきたいと言う部分が見えるユライトのやり方では無い。
 直接的な排除行動はダグマイアの仕切り―――そして実行犯は、何処の忠犬か。
 全く持って見事なものである。ダグマイアのペットにしておくには、実に惜しい人材だとアマギリは思った。
 
 しかし、それとは別問題で、アマギリは有り得ない事実に気が付いた。
 
 ―――無傷。

 「無傷、だと?」
 ガバリと体を跳ね上げて、寝巻きの前を開き自身の体を覗き込む。―――やはり、目に見えて傷の一つも見当たらない。
 三日の間に直った? 
 いや、予想出来た怪我の度合いからすれば、聖衛師の回復亜法を持ってしても全開は難しかろう大怪我を追っていたはずだ。
 それが、傷一つ無いとは、一体。

 そもそも、それ以前に―――どうやって、助かった?

 後頭部を撫でる。痛みなど無い。包帯の一つも巻いていないし、頭を打って記憶が曖昧と言う訳でも、無いらしい。
 「誰かに助けられたか? 確かに、ダグマイアの暴走だったから気を利かせた忠犬か、後はユライト・メストが手を回して―――っと、うわ」
 口元を押さえて自身の考えに篭りそうになるアマギリの肩を、ユキネがそっと押した。
 そのまま、ベッドに押さえつけられる。
 「……起き抜けに疲れる事を考えるのは駄目。お医者様を呼んでくるから、少し休むべき」
 正面から両肩を押さえつけて、じっと至近距離で顔を向かい合わせて、ユキネは真摯にそう言った。
 視線が絡む。
 終ぞ無い、真摯に自身を、自身だけを心配してくれる瞳。
 「―――すいませんホント、心配かけて」
 それに溺れてしまいそうな曖昧な歓喜を味わいながら、ふぅ、と細く息を吐いて言たあとで、アマギリは答えた。
 その時になって漸く、アマギリは何故だかとても酷く疲れている自分に気付いた。
 三日間寝込んでいたから―――そういう物とは別の疲れだ。
 全身から生きるために必要な力を、残らず使い切ってしまったような、そんな、有り得ない虚脱感。
 止められる前に起き上がろうとしても、床に倒れ付していただろう。
 そう気付いてしまえば、もうベッドから半身を起こす力すら見つからなかった。
 「ごめんね、ほんとに―――」
 常ならぬか細い声。これが自分の声かと、アマギリは出来る事なら大声で笑いたかったが―――そんな体力も見つからない。

 ユキネはそっと微笑んで、ゆっくり休んでと言い残して彼の寝室を後にした。

 一人残されアマギリは、天鵞絨の天蓋を見上げて呟く。
 「助かった―――助かった、か。ハハ、そもそも僕は、死ぬなんて考えてなかったじゃないか」

 そうとも、たかが大爆発の中心に居た程度で、死んでやれるほど軟な生き方はしていない。

 今回の一件、その最後は、足元にたまたま爆竹が転がっていて、踏んづけたら甲高い音が鳴ったような、その程度のサプライズとして受け取っていたという事実を、アマギリは今更思い出していた。

 生き残って当然と、そう考えて―――そして、現実として理由はどうあれ、自分はそう考えたとおりに生き残っている。
 なら、この場所でこうしてのんびりと時を過しているのは必然の事実として受け入れるべきだ。

 きっとこの後、外へと出ればいくらかの面倒が待っているのだろうが、それはいま少し先の話。
 今はそう、心配をかけてしまった人のために、まずはゆっくりと身体を休めるとしようと、アマギリは瞼を落とした。

 ―――目覚めは、未だ遠い。


 ・Sceane 15:End・





    ※ 何か締めの展開に入ってるっぽいけど原作開始まで劇中時間でまだ一年半くらいある件。
      そこから事が起こるまで更に半年くらい掛かるから、……まぁ、もうちょっとだけ続くんじゃ的なアレで。

      次回は反省会フェイズ。



[14626] 16-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/27 22:06

 ・Sceane16―1・



 「藪を突付けば蛇が出る程度の覚悟は決めていましたが……いや、しかし」

 『フン、もとより龍の巣に首を突っ込んだのだ。この程度の神話の顕現など予測の範疇だろう』
 窓から差し込む夕日のみを光源とした暗い室内で、ユライト・メストは椅子に腰掛け亜法通信端末と向かい合っていた。
 机の上に置かれた、双方向立体映像をやり取りする事が可能な掌大のその装置には、厳しい顔をした壮年の男の姿が映し出されていた。
 覇気の満ちた野性的な笑み。名をババルン・メストと言う。超大国シュトレイユの宰相を勤めている男であった。
 ババルンは自らが率先した”余興”の顛末をユライトから聞きながら、さも可笑しそうに哂っていた。
 『何、根本的な解釈の相違すら疑われていた石碑の一文すら実在する事が判明したのだ。……ガイアの存在に確信をもてたと思えば、良い』
 予想外の事態にも轟然と笑みを浮かべてみせる兄ババルンに、ユライトは悟られぬように息を一つ吐いた。
 この兄にとって、只一つの目的以外は世界全てが余興に過ぎないと言う事を、ユライトは今また実感していた。
 ―――それ自体は、ユライト自身もさして変わらないのだが。
 困ったように眉根を寄せて視線を逸らす弟の内心を知ってか知らずか、ババルンは一方的に自身の言葉だけをつなげていく。
 『あの”女神の翼”が開いた瞬間に人形の意識にも活性化が見られた。大事の前の戯れに過ぎぬつもりだったが、それなりに有益だったと言うべきだろう』
 「ですが、能力を別として、彼個人をこのまま放置しておくのは正直躊躇われます」

 『―――ほう。ユライト。キサマが特定個人を”消せ”等と口にするとはな』

 それまでの報告よりもいっそ、弟の言葉にババルンは笑みを深めた。共に計画を進める外道の一味でありながら、ユライトは後ろ暗いやり方をあまり好む心根ではなかったから、個人の存在自体に否定的であるという意見は、珍しかった。
 「彼は―――いえ、だからこそ龍と言うのでしょうか。気紛れで人の手には負えない」
  『感心するべきだろう。ああも割り切って自らの手を汚せるなど、生半の事ではない。一歩踏み外せば政治的にも絶体絶命の状況だっただろうに、絶妙なタイミングで踏み込んで見せる。―――なるほど、伊達や酔狂であの女王の息子を名乗っていないと言う事だ』
 自身の仕掛けを利用され逆に利を奪われてしまったと言うのに、ババルンの顔に苦渋の一欠けらも浮かぶ事は無かった。
 失われた命、秘密裏にかき集めた装備の補充も一苦労だろうに、そういった事に対する陰りは一切無い。
 所詮は余興に過ぎず、大勢に影響は無いという事だろうか。
 『―――こうも衆目を集めてしまえば、最早戯れ気分で巣に手を差し込む事も出来んよ。国の内外問わず、またぞろ分別を弁えぬ愚か者どもが騒ぎよってからに』
 
 ―――龍は実在した。
 居るとされ、しかし今まで確固とした情報が欠けていたハヴォニワの”龍”。
 各国各勢力が躍起になって情報を得ようとしていたそれが、その水面下でのもがき具合を嘲笑うかのように、自ら姿を現したのだ。隠しようも無い映像データとして、全世界に伝えられたと言える。
 それ故に各勢力は、今までに無い全く異質なそれに対応する方策を決めるべく、浮き足立ったように騒ぎ出している。

 その力、どれ程のものか。
 引き入れる場合は? 対峙する場合は? そも、他に同様のものは存在するのか?

 深く、静かに自らの計画を進めたかったババルンにとって見れば、自らの周りで―――それを利用して自らを引き入れようとしながら―――慌しく活動を始めている愚か者達の態度は、うざったい事この上ないのだろう。
 『下らん話だ。あの程度の映像データであれば、ハヴォニワの鬼姫が意図的に流出した情報から幾らでも得る事が出来ただろうに、今頃騒いでいる連中はそのていどの情報を集める力も無い馬鹿どもばかりだ。だが、所詮この世は馬鹿ばかりが世に憚っている。―――私はしばらく、馬鹿どもを躾けなおす事から始めねばいかん』
 「―――では、女神の翼当人にまで干渉している余裕は無いと?」
 眉を顰めて問うユライトに、ババルンは鷹揚に頷いた。
 『自らを挟んで誰も彼もがにらみ合いで身動きが取れん。迂闊に手を出せば、先のように返り討ち。―――この状況を狙って作ったと言うのであれば、流石はフローラの息子、天晴れよとしか言えぬ』
 「……本人曰く、血の繋がりは無いらしいですよ」
 『出自や血のつながりなど、個人の才覚を決める要素の一滴にすらなりはしない。その者がその場に居られるのは、偏にその者が自らの才覚を示したが故の必然。それを解らぬ愚か者が我が身内に居るなどと羞恥と屈辱の極みと言った所か』
 自らを揶揄しながらも、ババルンの口調は楽しげであった。
 言葉の意味が理解できていたユライトも苦笑いを浮かべた。
 「彼は彼で、頑張っていますよ」
 『方向性の見えぬ努力に何の価値がある。あの粗忽者が、与えてきた何物かを使いこなして見せた事が、今までに一度でもあったか? ―――精々これ以上迂闊な行動をするなと言い聞かせておけ。私は情勢の変化が訪れるまでは本国での工作に専念する』
 取り成すようなユライトの言葉を切って捨てて、ババルンの姿は通信端末から掻き消えた。
 薄暗い部屋にユライトだけが取り残され、静寂が満ちる。

 「情勢の変化……ですか。起こると言うより、起こすという事なのでしょうね、きっと」
 『シュトレイユで政変でも?』
 ユライト以外居ない筈の部屋の奥から、くぐもった機械のような女の声が伝わってきた。
 背後から響いたそれに驚く事も無く、ユライトは肩を竦めた。
 「さて、私には何も解りません。天然の災害か不慮の事故か、何か不幸が起こるのかもしれませんが、それは私の感知できる範囲ではなさそうです」
 もとより計画は兄ババルンが個人で強力に推進しているのであって、協力者であるユライトであっても兄の動静を推し量る事は難しいのだ。
 起こった事態に対処するしかないと言う意味では、アマギリと似ているといえるかもしれない。
 『現シュトレイユ皇は宰相派とは政治的な対立状態にある。……しかし、心身不健康なシュトレイユ皇の跡継ぎは、幼い姫一人しか居ない』
 黙して語らぬユライトに、女の声が剣呑な事実を告げていた。
 「既に病弱な王に代わり国政の大半を取り仕切っているのは兄上です。しかし、そうであってもやはり皇と言う存在は大きい。頭一つ抑えられているせいで大胆な行動に移れないのであれば、或いは……」
 『それもまた、迂闊な行動と呼べるんじゃないかしら』
 「自信があるのでしょう、兄上には。伝説に挑もうというあの人には、瑣末な事と言い切れるのかもしれません」
 くたびれた老人のような声で、ユライトは言った。
 大きく何かが動き出そうとしている。それはきっと、ユライト自身も望んでいた事だった筈なのだが、時折こうして考えていると、酷く煩わしいものに感じられるのだ。
 
 『それで、女神の翼―――アマギリ・ナナダン。どうするつもり?』
 「どうも何も、兄上が手出し無用と言っていたでしょう?」
 『それはババルン・メストの意見。私が聞きたいのはユライト・メストの意見よ』
 質問に質問で返すユライトに、女は明確な回答を求めた。
 『彼は言っていたわ。貴方とババルンは別だと』
 「別、ですか?」
 『本質を突いていると私は思ったわ。―――本質を穿ちすぎているとも』
 言葉の意味を問うユライトに、女の声は淡々と言葉を返す。その態度にこそ、穿つべき言葉の本質が見えた。
 「私たちに、今、彼を排除する事は出来ない」
 『他ならぬ私たち自身が、そういう状況を生み出してしまった―――』
 「状況を利用された、の方が正しいですがね。―――それを別としても、不可能です。私たちは私たちの理由で、彼に手を出す事が出来ない」
 ユライト・メストにはユライト・メストの目指すべきものがあるから。
 そこへ至る道標を増やす意味でも、女神の翼は外しがたい要素の一つだった。
 『だからと言って、アマギリ・ナナダンに頼るのは―――』
 「ええ、頼れませんよ、アレは。龍に人の法理は通用しません。アレは自分の思うとおりにしか動かないでしょう」
 『こっちの勝手で動かそうとしても、噛み千切られるだけで終わるということ?』
 自身も同様の思いだったのだろう女の確認するかのような言葉に、ユライトは頷いた。
 「参ったものですよ。現状、彼は外し難いファクターである事は事実。しかしそれと同時にどうしようもないほど邪魔にしかならないファクターでもある。道の真ん中にとぐろを巻かれたような気分です」

 あきらかに、この世界において不要であり、邪魔な存在。しかし、大きすぎて動かせない。
 それがユライトのアマギリ・ナナダンに対する最終的な評価だった。

 『情勢の変化……私たちにこそ必要かもしれないわね』
 「ええ、―――現状、要素が少なすぎて取り得る手段が無い状況です。何か一つ、突破口でも見つかれば良いのですが」
 結局はしばらく動けないという事実に行き着くしかないのだ。
 アマギリ・ナナダンすら掃いて捨てても構わないような新たな要素でも搭乗しない限り、ユライトに取り得る手段は無かったから。
 「流石の兄上とて、シュトレイユ国内の意思統一を図るのは骨でしょうから、そうですね……一年や二年は様子見しか無いかもしれません。そのためにも、まずは……」
 『まずは?』
 やれやれと肘掛に手を駆けて立ち上がるユライトに、女の声が問いかけた。
 ユライトは、それこそが一番大変なのだというように苦笑を浮かべて、言った。

 「甥っ子を諌める事から、始めないといけないのでしょうね」






    ※ 次回は反省してくれないフェイズ。
      ……まぁ、反省してくれるならあんな事は誰もしないよねー。



[14626] 16-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/28 20:28

 ・Sceane 16-2・


 「私のやり方には何の問題も無かった!! 叔父上の用意した手駒がヘマをしなければ確実にヤツを仕留める事が出来た!」

 私室に訪れ、苦言を述べる叔父に対して、ダグマイアは激昂した感情をそのまま暴発させた。
 そういう態度でありながら、視線だけは叔父ユライトから外されているのは、彼自身にも今が拙い状況であると理解できているからかもしれない。
 「聖機人を破壊するために必要な爆薬量を見余る程度の人材しか用意できなかった、叔父上にこそ責任があるでしょう!」
 「……なるほど。与えられた人材の能力査定も自身で行わなかったとは考えもしなかった私に責があると。―――それも一つのものの見方といえるでしょうね」
 「私を侮辱するか、叔父上……っ!」
 幾つになっても変わらない、否さか、年々酷くなってきているきらいのある我侭な物言いに、ユライトも思わず皮肉気な言葉を漏らしてしまった。当然だが、ダグマイア・メストは歯を軋ませていきり立った。
 ユライトはしまったと思いつつもそれは顔に出さずに、何も見ていないかのように薄く笑って首を振る。
 「私は別に貴方に阿るつもりも批難するつもりもありません。現実の問題に対処する方法を提示したいだけです」
 「対処……対処だと? そんなものは一つしかあり得ないでしょう。事、此処に至ってしまえば速やかにアマギリ・ナナダンを始末するしかない」

 ダグマイア・メストの意見として、それは正しいといえた。
 爆破工作。自身による犯行声明。
 そして、事前の状況策定から始まる一連の流れを追いかけていけば、アマギリ・ナナダンがダグマイアに対して報復行動をとる事は確実と言えたからだ。
 自らを殺すためにこれほど大規模な計画を仕掛けてきたのだと、その主犯がダグマイアであると、信じない筈が無いからだ。
 ダグマイアは、アマギリ・ナナダンに対して強い警戒感を抱いていた。それ故の、叔父や父から先走ってまでアマギリを殺そうとしていたのだ。目障りなほどに巨大でありながら、外へ向けて何かを仕掛ける事もしない不気味な存在。目的を持ってこの場に存在するダグマイアにとっては、目障りこの上ない人物と言えた。
 例えどのような力を有していても、どれほどのカリスマがあろうとも、死んでしまえばどうとでもなる。どうとでもできる権力が自分には―――自分の家には―――あるのだと、ダグマイアはそう信じて、そして仕掛けた。
 確実な勝利の宣言と共に、それを果たした―――筈だったのに。

 アマギリは、生きていた。
 内部から爆発し高高度から落下していく聖機人の中から、無傷のままで生還したのだ。
 ダグマイア個人としてはアマギリが油断しきっていた必殺のタイミングで仕掛けたと言うのに、それでも生き残った。抜け目の無過ぎる男、それがアマギリ・ナナダンだ。
 ヤツは必ず報復してくるだろうと、こういう状況になってしまえばダグマイアも流石に焦りもする。

 「最早日を選んでいる猶予すらない、速やかに兵をヤツの屋敷に派遣し、そして殺す。叔父上、構わないでしょうね!」
 「構うに決まっているでしょう」
 拳を握り宣言するように言うダグマイアを嗜めるように、ユライトは首を横に振った。
 「これ以上彼―――アマギリ殿下に干渉するのは禁止します。これは、本国の兄上からもよく言い含められていますから」
 「なっ―――父上が!?」
 叔父の存在を自身より下に見ているダグマイアと言えど、父に対しては恐れを払わずに居られなかった。
 優れた政治手腕と聖機工としての技術力、そして圧倒的な威圧感を有する偉大なる父。他のあらゆる者達と並び立つ事などありえないであろう、ダグマイアにとっては超えられぬ壁とも言えた。
 「一時的な冷却期間が必要であろうとの見識です。元々アマギリ殿下の特異性は我々以外の勢力も興味を示していました。その中で、先日我々は一歩先に出る形で殿下当人に仕掛けてみたのですが―――上手く返されましたね。殿下の特異性は殿下ご自身の差配により衆目の下に晒されて、さらに拙い事は、我々が殿下に対して興味を持っているとの印象を諸勢力に与えてしまったと言う事実です」
 山間行軍訓練の企画からなる一連の出来事を状況証拠とすれば、どれほど程度の低い勢力であってもメスト家がアマギリ・ナナダンに何か思うところがあると考えが至るのは当然と言える。
 事実がどうかと言う問題ではなく、それら勢力がそう考える事によって、メスト家の動きに注目してしまうということが問題なのである。

 本命の計画に、大きく差し障る可能性があるからだ。

 「もとよりアマギリ殿下は、我々の思惑にある程度気付いていて、そうでありながらそれに乗ってきたのです。最後は、現場の人間の意見としては裏切られたと見る向きもありますが、大局的な意味では殿下の取った手段に異を唱える訳にもいきません。ただ、我々の取り分が多少減ったと言った程度でしたから、手打ちにするには充分でした……いえ、充分だった筈なのです。殿下ご自身の目的も達せられたのですから、あの場限りのご無礼容赦、痛み訳と言ったところで纏まっていた話だったのですよ。ですが」
 
 それを、最後に台無しに仕掛けたのは―――その場だけでは終わらせられない状況にしたのは、誰か。

 ユライトは滔々と語りながらも、最後だけ少し力を込めてダグマイアに投げかけた。
 ダグマイアはそれを受けて忌々しげに顔を背けて眉根を寄せた。
 「……私の判断は間違っていなかった。あの場で殺せれば、全てが解決した問題だ」
 呻くように、自らの判断ミスを決して認めないと宣言する。
 決してミスを認めず、後ろを振り返ろうとしない。それがダグマイア・メストの強さであり弱さであった。
 個人としてはそういう態度もありかもしれないが、咎める側のユライトにとってはどうしようもないほど面倒な少年である。言い含めるのに他者の名を利用せねばならないなど、常識的な大人であるユライトにとっては恥を覚えるところもあったからだ。
 「残念ですが、その判断をするのは貴方ではありません。兄上です」
 「それは、だが―――っ!」
 父の名を出されて一瞬怯んだダグマイアだったが、だからとってそこで引く訳にもいかない理由が彼にもあった。
 自らが巻き起こしてしまった事態であるが故に、より一層、収拾を―――自分に有利な形で、つけなければならないと考えたからだ。
 だが、ユライトはダグマイアを遮って辛抱強く言葉を続ける。
 「殿下がこちらの策に乗ってくれたのは、それがあの方にとってもメリットがあったからです。現在は結果論として殿下はご存命で、かつ我々もある程度の目的は達成していますから―――貴方の先走りもあの場限りの事と手打ちにしてもらえる可能性が高い。しかし、此処から先はそうは行かない。貴方がやろうとしていることは貴方以外の人間には何のメリットも無い。私にも、兄上にも、勿論アマギリ殿下にも。そういった行為を、あの殿下は好まぬでしょう。そして好みでは無いものには、何の容赦もなく―――、通じませんよ、あの方には。実行犯は自分ではないなどと言う言葉は。今度失敗すれば―――ねぇ」

 そう言いながらもユライト自身、それはどうだろうと自分の考えを疑う部分があった。
 アマギリ・ナナダンは龍。人の尺度で測れる存在ではない。
 過去についてヒトと同じような追想を行う保証は、まるで無いのだ。
 瑣末ごとと受け取ってくれれば御の字だし、ユライトはそう判断するのだが、果たしてその逆、重大事と受け取っている可能性も否定できない。
 いや、あえてあの時のように重大事と受け取ろうとする可能性もあった。
 それは、避けたい。
 仕方ない犠牲と受け入れるしかなかったが、むざむざと死を量産して平然と出来るような気概は、ユライトには無かったから。

 「私は失敗などしない! それに、我らの背後に控えるものの巨大さが理解出来ないヤツでは無いでしょう! 我らは何時でもヤツを始末する事が出来る。それを知らぬヤツではあるまい」
 「我々は殿下を何時でも始末できる―――なるほど、方法を問わなければ」
 「そうだっ! そうだと言うのに叔父上、貴方が中途半端に様子見などを選ぶからこんな状況になる。今からでも遅くは無い―――」
 なるほどと肯定して見せたユライトに、ダグマイアはここぞとばかりに自身の言葉に力を込めて押し込もうとする。
 しかし、ユライトはそれを手を示して遮った。
 「我々は、殿下を何時でも始末出来る」
 ゆっくりと、幼子に言い聞かせるように、ユライトは一度言葉を切った。
 ダグマイアは日頃滅多に無いユライトの威圧的な態度に、戸惑ったように後ずさった。
 ユライトはダグマイアの顔色を見ながら、ゆったりと微笑んで言葉を続ける。

 「ですが、それと同様にこうも言えます。―――殿下は何時でも、我々を始末する事が出来るのだと」
 
 「なっ―――!?」
 そんな馬鹿なと、そんな可能性すら考えていなかったと言う風に驚愕の声をもらすダグマイアに、ユライトは肩を竦めた。
 「有り得ない話ではないでしょう? 殿下自身の狂気―――いえ、才気。そして殿下の背後に控えている者達。それらを組み合わせれば、例え我々と言えど抗いようがありません。―――勿論、殿下の刃が本国の兄上に届く事は無いでしょうが、殿下にとってはそれで充分でしょう。貴方も気付いている通り、殿下にとって相手と見なせるのは私や貴方ではなく兄上―――シトレイユ皇国宰相・ババルン・メスト只一人なのですから。今回の件に対して警告の意味を込めて、我々の命を刈り取りに掛かる―――その可能性を、どうして有り得ないと言えるのです」
 「それ、は―――」
 暗い瞳で語る叔父の言葉は、ダグマイアの瞳の奥を恐怖で揺らした。

 ダグマイアは思い出していた。残務整理時に立ち会った、秘密裏に行われた破損した聖機人の回収現場。そこで目にしたのは、破壊、その残滓。
 撃ち貫かれたコアユニット―――その内側に飛び散った。
 胃液が逆流するような饐えた匂いが鼻の中に満ちるのを、ダグマイアは必死で食い留めようと努力した。
 
 切るでも、叩くでもなく、潰す。踏み潰し叩き潰し―――握り潰す。
 あの無残を、平気で実行できる精神を想像すれば、恐怖を顔に出さずにはいられない。
 ましてや、それが自分に向くかもしれないなどと。 

 ダグマイアの肩は本人にも気付かぬ間に細かく震えていた。
 それをしっかりと確認したユライトは、顔を背けたダグマイアに気付かれぬように息を一つ吐いた。
 これで良い。―――良い筈だ。
 アマギリは今の自分の有り様に完全に満足している。無理に変化を望んでいない。それがユライトにはよく解っていた。
 今回は、こちらが土足で踏み込んだから牙をむいてきただけ。だったら、これ以上近づかなければ彼自身からは何の反応も無いだろう―――無いと、思いたい。
 むしろ注意すべきは、彼を利用して勢力の拡大を狙っているハヴォニワの女王フローラである。
 今回の―――ダグマイアが最後に起こした失態を肴に、ババルンの勢いを削ってくる事は必定だった。
 だが、それもババルンが対処すべき話であり、ユライトたちは何もする必要は無い。
 それ故に、ユライトは甥っ子が迂闊な行動を取らない為にこれほどの脅しを仕掛けているのだった。

 「大事の前の小事とも言えます。目先の事に囚われず、大望に至るためにどうするべきか―――くれぐれも、よく考える事です」
 「叔父上に言われるまでも無い……っ」

 悔しそうな、それでも暫くは迂闊を起こさないと思える言葉を聞いて、ユライトは漸く安堵の微笑を浮かべた。
 ユライトにとっては、ダグマイアもアマギリと変わらぬ、状況の変化を呼び込むための重要な要素だったからだ。





    ※ 誰も反省なんてしない……っ!
      いや、このタイミングで自重を覚えられても困るんですが。



[14626] 16-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/29 20:55

 ・Sceane 16-3・


 「とりあえず言い訳して御覧なさい」

 「いきなりですね。もっとこう、まずは療養明けの後輩に暖かい言葉とか……」
 「あら、言い訳をさせる程度の時間は上げてるんだから、充分暖かいでしょう?」
 開口一番、出会い頭。
 生徒会長執務室に呼び出されたアマギリは、その部屋の主であるリチア・ポ・チーナから、ぞんざいな言葉を投げつけられた。
 因みに現在放課後の生徒会長執務室の中にはリチアとアマギリ以外にもユキネとアウラの姿があったが、彼女らは一緒にソファに座って何かの映像―――何であるかなど考えるまでも無いが―――を見ていたので、アマギリたちに何の反応も示す事はなかった。
 むしろユキネなどは、積極的に無視に走っているように見える。どうやら、無茶を繰り返したアマギリにお灸をすえるのに丁度言いと考えているらしかった。

 年上の美人三人に囲まれているって普通に考えれば幸せな状況の筈なのだが、むしろ悲惨な状況に思えるのは何故だろうか。

 そんな、くだらない事を考えてため息をひとつ吐いた後、アマギリは目の前の怖い女性に向かって口を開いた。
 「えー。そうですね、公式発表が只の遭難と言う不慮の事故である以上、強制参加させられただけのワタシには何の責任も無かったと思います」
 「―――抜け抜けと言い切るわね、アンタ」
 「事実ですし。―――むしろ、リチア先輩の生徒会長としての監督責任が問われる部分でしょう? 生徒が危険にさらされるような行事を強行したってのは」
 いっそ突き放すように言うアマギリに、リチアは眉をしかめて視線を逸らした。
 言外に、状況へ至る経緯を知ってもそれに乗ったのは貴女も同じだろうと言われていると気付いたからだ。
 アマギリの言葉は更に芝居がかって留まるところを知らない。
 「生徒会に在籍している生徒は全員上流階級。―――何処かしらの国家勢力に所属してる、言わば紐付きですから、ねぇ。あの見え見えの仕込みに誰も反対しなかったのは、ようするに―――」

 「解った、解ったから。もう良いわ」
 
 リチアが降参とばかりに手をひらひらと振った。背後でため息を吐いているユキネの気配を感じたが、アマギリは礼儀正しく気にしない事にした。
 「実際、今回の一見に関しては誰も彼もに問題があり過ぎて、一概に責任を押し付けられても困るとしか言えませんよ。―――いや、僕は僕で好き勝手やってる事は否定しませんけど、他人のフリして知らぬ存ぜぬ装って興味津々の顔してた皆様方に責められる謂れは無いですよ」
  「―――そうでしょうよ。全く、普通ならアンタの立場に立つ人間が頭下げれば終わりだってのに、どうしてそこで反骨精神を示してるのよ」
 やりにくいったらありゃしないわと面倒そうに肩を落とすリチアに、アマギリは気楽な笑みを見せる。
 「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆ならまとめて全部躍らせてしまえって―――まぁ、昔誰かに言われた気がしたんでね。観客気分の人とか見てると、苛々してくるじゃないですか」
 「―――ようするに、どうしようもないほどフローラ様の息子なのね、アンタは」
 リチアの言葉に合わせるように、また背後でユキネがため息を吐いているように感じた。

 「そろそろ良いか?」

 全く何も解決していないのは解っているのだろうが、どう頑張ってもこれ以上の解決が発生する事は無いと解っていたのだろう。今まで黙ってモニターに映った映像を眺めていたアウラがアマギリたちに声を掛けた。
 アマギリがリチアに確認の視線を送ると、リチアは視線も合わせずに、犬を追い払うようにアマギリに向かって手を払った。そのまま机の脇に束になっていた書類を広げ始める。
 「良いみたいですよ、アウラ王女」
 アマギリは肩を竦めてアウラとユキネの向かいのソファに座る。ユキネが半眼で睨んでいたが、怖いので見ないことにしていた。どの道、屋敷では二人きりである。嫌な事は基本的に先延ばしにする主義の男だった。
 アウラは隣に座るユキネの横顔をチラリと見て、息を吐いた後でアマギリに言った。
 「いや、全く良くは無いと思うが、まぁ、良い。―――うむ、良いか。黙殺したと言う部分では私も―――いや、シュリフォンも同じ事だからな」
 「ま、その辺はどっちもどっちですよ、さっきも言いましたけど」
 「そうだな。そうだろうが―――ああ、そういえばコレを返しておくのを忘れていた」
 微苦笑を浮かべて肩を竦めるアマギリに、アウラは思い出したとばかりにスカートの物入れに入っていた属性付加クリスタルを取り出し、差し出した。
 「ああ、このまま受け取って貰ってても良かったのに」
 受け取ったそれを首にかけながらも、アマギリはそんな風に言う。
 「そんな物、私が持っていても何の使い道も無いだろう。大体、使ってやらないと製作者が泣くぞ」
 「まぁ、夏休み近いですし、用意してくれた人にそろそろ会わなくちゃいけないから、ちょっと怖いってのはありますね実際」
 「……未だに一度も連絡をとろうとしないから、そうなるんだと思う」
 遠くハヴォニワに居る誰かの姿を思い浮かべて冷や汗を浮かべるアマギリに、ユキネが冷めた口調で合いの手を入れた。二人とも、実際の製作者の涙については特に意見も無かった。
 「お前は本当に内面を見せようとしないな。……まぁ良い、話を戻すが、と言うか、私が聞きたい事は理解できているんだろうな」
 「そりゃあ、そんなものを見ているんなら、ね」
 何処か疲れたように額を押さえながらいうアウラに、アマギリは苦笑して頷いた。

 「女神の翼」

 「あら、アルトワース・フレイの偽造碑文なんて珍しいものを知ってるわね」
 一言で答えたアマギリの言葉に反応したのは、書類に何かを書き込んでいたリチアだった。
 「偽造?」
 「ええ、大分昔に教会管理の遺跡から発掘された石碑に記された文章よ。発見、及び解読者の名前を取ってアルトワースの偽造碑文なんて呼ばれているわ。……同年代に分類される石碑に類似性のある文章が発見できなかった事と、そもそも文章の記されていた石碑の経過年数を測定した時に有り得ない数値が出たことから、現在では真実性が失われているとされているのよ」
 首をかしげて問い返すアマギリに、リチアは顔を上げずに説明した。教会現教皇の孫娘として、古代文明の遺物の知識に過不足は無いらしい。
 「でも、そうね。アンタがこの間出したアレが女神の翼だというのなら、偽典は真実だったと言う事になるのかしら」
 「確かに。女神の翼を賜った龍など、そのもの過ぎて出来すぎているものな」
 面白そうに哂うリチアに、アウラもなるほどと頷くが、アマギリだけは微妙な顔をしていた。
 モニターに映された、森の中から発光し、そして広がっていく光り輝く三枚の光板のような翼を見ながら、眉根を寄せている。

 淡い日の光を思わせるような生命的な輝き。前後の状況から繋がりの想像つかない、超常的な力の発露。

 「……コレ、本当に僕がやったんですかね」
 それがアマギリには、人間に出来るものだとは思えなかった。
 ぽつりと、確信的な口調で呟いたアマギリに、室内に居た女三人が、一斉に奇妙な顔をした。
 「何言ってるのよアンタ」
 「お前以外に誰が出来るんだ」
 「……それがあったから、無茶をしたんじゃないの?」
 最後のユキネの言葉に、アウラとリチアも頷いている。
 この”女神の翼”こそがアマギリの無駄に自信に溢れていた秘密だと誰もが思っていたのだ。
 だが、アマギリはそれこそ有り得ないと否定の言葉を言う。
 「コレが僕の任意で使える力だって言うんなら、僕だったら絶対こんな場面では使いませんよ。―――この状況だったら、骨の一本か二本でも折っちゃった方が、後の展開が有利でしたし……スイマセン、冗談です。怪我しないのは良い事だと思います」
 合理性のみを追い求めたアマギリの言葉は、ユキネの真剣に咎めるような視線に封殺された。
 ゴホン、と咳払いをして気分を正す。年上の女性の苛めには耐性があったが、真摯に心配する態度には非常に弱い男だった。

 「この光、そもそも何なんですか? 防御障壁? 粒子集合力場? それとも光波変動でも起こしてこう見えているだけなのか……。今回僕が―――ああ、”僕が”ともうはっきり言いますけど、僕が許したのは龍機人の映像の撮影だけです。こんな正体不明の力―――只のカメラじゃ何のデータも得られないような物の映像だけを撮らせるなんて無意味な行為はするつもりはありませんでした」
 「突然失踪したと思ったら森をぶち抜いて聖機人に乗って飛び出してくるという、無事を心配していた人間を虚仮にしているような真似を意図的に行っている事実について非常に突っ込みを入れたい所だが―――まぁ、良い。つまりコレは、お前の意図しない部分で発生したモノと言う解釈で良いのか?」
 「ああ―――心配かけてましたか」
 「荷物を落として足跡が崖下へ向かっていっているのを見つけたら、普通心配する」
 事情を知っていても、とユキネが咎めるように言うと、アウラも頷いていた。ダークエルフの能力として、森が戦闘のざわめきを発しているのを感じていたらしい。
 「それに関してはまぁ、先方の不意打ちとかでやばくなった時に発見を早めてもらうために保険って意味もありましたから仕方ないんだけどね。まぁ、不意打ちは不意打ちでも、中々予想外な出来事が最後に待ってましたが。―――とにかく。この翼は僕が意識してやった訳ではないですし、そもそも人間個人が発生させられるものとも思えませんよ」
 「―――なるほどな。事情を知らないものたちを山狩りに巻き込んで逃げ場を確保するという事か。抜け目が無いと言うか狡賢いと言うか……。しかし、言われれば確かに、爆発と落下の中から人間一人を無傷で救い出すなど、人間業を超えているようにも感じるな」
 「アウラ先輩は確か、現場に一番乗りでしたっけ」
 「―――仕掛けた連中には負けるだろうがな。たどり着けば森は焼け焦げ木々はへし折れ、金属片やら液体やらが飛び散り、しかし機体の回収だけは既に終わっていたせいか、それがいっそ不気味な雰囲気だった。そして、唯一残っていたコア以外の全てが爆散していた聖機人の中に―――」
 「無傷の、アマギリ様。―――コアの内部すら損傷していたのに、アマギリ様だけは着ていた服にも傷が無かった。その後のメディカルチェックでも、正常。完全な健康体だった」
 アウラの言葉を受けて、ユキネも言う。
 救急隊とハヴォニワ所属の人員を要請して現場に辿りついたユキネが見たものが、それだった。
 生きている事は何故か確信できていたけれど、無傷であるとは流石に予想がつかなかった。
 そんな風に自身の気の失っていた現場のことを語るアウラたちに、アマギリは首をひねった。
 「それ、おかしいですよ。あの時は中も火花とかパネルが飛び散って肌が痛かったのを覚えてますから。煙も大分吸った記憶がありますし。―――それが、本当に無傷? と言うことは、あの場所で直ったって事か?」
 「何とも、益々現実離れしてきたな。傷を癒しながら身を守るなど、我らダークエルフのダークフィールドでも不可能だぞ」
 ダークフィールド。ダークエルフの有する負の領域の力の発露である。効果範囲内から他者―――人、物に限らず―――を拒絶、排除する異能の事だ。
 うーん、と映像を眺めながら三人で頭を抱えていると、リチアが誤魔化されるつもりは無いとばかりに、アマギリに対して鋭い言葉を加えてきた。
 「無茶も過ぎれば道理も下がるとは言うけど―――流石にやり過ぎよね。で、結局何処から出したのこの光る翼は」
 その言葉を、アマギリは苦いものを口にしたかのような顔で否定する。
 「無茶言わないで下さい。こんなの、人間個人で出来る訳無いじゃないですか」
 「……随分、それを強調するわね」
 意外なものを見たという口調で、リチアは首を捻る。
 何時も表面的な言葉で他者を煙に巻き、本心を見せないようにしている男が、何故かこの翼の事に関しては強い口調で否定している。それが理論的ではなく感情的な部分から出ているというのも、何処かこの男らしくないとリチアには感じられた。

 リチアは教会教皇の祖父を持つ事からして、当然のことながらアマギリ・ナナダンの経歴の真実を理解している。
 一種教義を揺るがしかねない人物でもあったから、慎重にその素性を見極めろと祖父からも言い渡されていたから、事前に知りえた情報は全て頭の中に入っていた。
 アマギリ・ナナダン。本名不明。 
 ハヴォニワが極秘に入手した、異世界人。
 言動から推察する出身世界は、コレまでに召喚されたどの異世界人とも違う。極めて高度な文明からの来訪者らしい。
 加えて、他の誰にも―――他のどの異世界人にすら―――不可能な、聖機人の形状変化と言う異能すら発揮する事が可能。その聖機人の能力は極めて強大。限定的とは言え、補助装備の無い聖機人単独での喫水外戦闘行動を行う事が出来るのだ。
 そして、その異世界人はどうやって、誰が召喚したかも不明なのである。十数年前まで遡った星辰の配列から調べても、異世界人の召喚と言う行為は不可能であると結論付けられている。
 正体不明の存在。今回のこの翼すらも、その能力の一部ではないのかと教会は考えているのだが、何故かアマギリ本人がそれを否定している。
 リチアには意味が解らなかった。
 嘘をついている顔色ではない。もとより表情を読みにくい男だったが、意識的に嘘をついている時とは雰囲気も違う。
 常のような、持って回った言い回しでの言い逃れとも思えないから、尚更だ。

 「……ひょっとして、アンタにとっても拙い物なのコレ? 忌諱すべき―――無意識ですら否定してしまいたいほどに」

 完璧に探る態度のリチアの言葉に、アマギリは首を捻って考える。
 「……否定、ですか? そう……ですね。いえ、コレ自体には特に……でも」
 言われて初めて気付いた、とばかりにアマギリも自身の言葉を思い返した。
 否定。
 理由も解らずにとりあえず否定なんて、自分らしくも無い。確かにそう思う。
 だが、あの”翼”が人間個人に造れるわけがないと、何処かで確信している自分が居るのだ。

 自分には、無理だ。
 映像からでも感覚的に理解できる事がある。それは、この力は”普通”ではないと言う事。人には不可能な、何か高次元的な力に見える。
 この人知を超えた力の存在を否定する気は無いし、自身が助かったのはきっとこの力のお陰だろう。
 それが何故、こんな場末の初期段階文明しか存在しない未開惑星に―――胸に手を当ててみても、答えなんか見えない。
 見える場所にはきっと、答えは無いのだろうと、アマギリに解るのはそれだけだった。

 「まぁ、聖地ですし、何処かの女神の気まぐれに感謝って言うしかないですかね」
 故に、いっそさばさばとした物言いで、アマギリは話を終わらせる事にした。言葉は誤魔化しにもならないが、それで押し通す腹積もりだった。
 部屋に居た他の人間達も、アマギリの態度に聞くべきことではないらしいとだけは理解できたようだ。
 不審は当然各々抱いているだろうが、今はここら辺で終わらせるべき話だろうと暗黙の了解が完成する。
 「アンタの気まぐれに振り回された結果がコレなんだから、少し文句を言う権利くらいあるでしょうよ」
 「誰も彼もが責任があったとは認めるが、今回の一件、些か無茶が過ぎたのは事実だからな」
 「……他人が悪いからって、自分も悪いことしていいって訳じゃないと思う」

 何処か空虚な言葉の応酬は、それぞれの不安の裏返しかもしれなかった。
 解らないのだ。結局。考えてみても。
 それゆえに、解らない不安を感じたくは無いから、自分すら誤魔化せない嘘をつく。

 人に、翼は生えていない。ダークエルフですら、空を飛ぶ事は出来ないのだ。
 あの光の翼。そして、それが消えた後で、無傷のまま気を失っていたアマギリ・ナナダン。
 因果関係が無い筈が無い―――しかしだからこそ、原因と結果が繋がらない。
 ただ、アマギリは生きていて、自身ですら解らないと嘯きながらも、少しもその事を不審がって居ない。
 助かった事実が当たり前だと。あの人知を超えた力すらも、まるで当然のものとして受け入れているように他者には見えた。

 そして誰もが同時に思う。
 
 何れまた、同じような時が来れば。
 その時にこそ解るのだろうかと。
 

 ・Sceane 16:End・




   ※ コレで反省会は終了かなー。何か、何処ももやもやしてる感じでしょうか。
     次回は久しぶりに、第二部らしくダグマイア様苛めか。



[14626] 17-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/30 21:57


 ・Sceane 17-1・

 「このナイトをこうで……チェックメイトで良いのかな?」

 コン、と。クリスタルガラスで作られた駒を大理石の盤面の上で動かした後、アマギリは首をかしげながら言った。
 パン、パン、パンと。その言葉に合わせて向かい合わせに座っていた人物―――即ち、チェスの対戦相手であったダグマイア・メストが拍手をしながら言った。
 「お見事。―――チェスは初めてと仰られていましたが、御見それしました殿下」
 アマギリの勝利を祝福するダグマイアのその顔は、心底感心していると言う表情で満ちており、それ故にこの場は友人同士が昼下がりの一時に盤上遊戯に興じているとしか見えなかったであろう。
 
 当然であるが、平静を装っているダグマイアは当然気が気ではない。
 目の前でチェスは初めてだと嘯く少年は、先日自らが暗殺しようとして失敗―――したのは、部下だ―――した張本人。凄まじく拙い事に、ダグマイアは必殺を確信して自身の口で追悼の言葉をアマギリに送ってしまっている。
 その状況から生還したのであれば、普通常識的に考えて暗殺を試みたものに報復を考えるだろう。
 だと言うのに、アマギリはこの一ヶ月近くダグマイアに対して何も仕掛けてこない。
 教室で会う時は二言三言、当たり障りの無い会話をするだけだし、戦闘技術系の授業で組み合わさった時も、何か”不慮の事故”を起こそうと言う気配もまるで見えない。
 
 自分がやった事は、相手も当然やる可能性がある。
 
 犯罪を試みたもの特有の当たり前の発想でそう考えるダグマイアにとって、暗殺の主犯と考える他無いであろう自身を前に、何もしようとしないアマギリの態度は不可解だった。
 まさか、突然自壊し始めた聖機人に混乱して、言葉を聞き逃していたのだろうかと、そう自分に都合の良い発想すらしてしまいそうになる。
 そんな事は有り得ない。そう感じたからこそ、必殺の一撃を撃ち込んだというのに。
 そして、ダグマイアが警戒を解かぬまま神経をすり減らして生活する事一ヶ月、遂にアマギリから直接的なアプローチがあった。

 何時ぞやの約束の通り、昼食でも一緒しないだろうか。

 立場上目上の人間から誘われて、断るわけにも行かず―――遂に来るものが来たかと心を引き締めてダグマイアはアマギリの誘いに応じたのだが、そこで待っていたのはごく当たり前の一対一の会食だった。
 全面窓の眺めの良い、学院の食堂の専用個室での昼食会。
 最近の授業の事や国際情勢に関する当たり障りの無い程度の意見交換。聖機師としての戦闘技術に関する会話。
 そういった所謂学生の友人同士がするとしか思えないような会話に終始しながら昼食を終えた後、アマギリはダグマイアにこんな事を言った。

 時に、ダグマイア君はチェスが強いらしいじゃないか。生憎と僕にはこういったゲームは経験が無くてね、良ければご教授願えないか?

 否とは、言えなかった。
 そして、アマギリの考えている事も理解できなかった。
 それ故にダグマイアに出来た事は、極真っ当に、目上の人間を立てるように一局を終える事だけだった。
 
 「……なるほどね、勉強になったよ」
 駒を元の位置に配置しなおしながら、アマギリは楽しそうに何度も頷く。駒を持つ手つきはあからさまに慣れていないもののそれだった。
 「勉強になったのは私の方です。駒の動かし方をお教えしただけで、後は真剣勝負だったのですから。井の中の蛙に過ぎなかった自身を恥じるばかりですよ」
 自分の駒を元の位置に戻しながら、ダグマイアはアマギリの言葉に追従するように言った。
 自身に指導をした強者からそんな風に返されて、気分の良くならない人間は居ないだろう。

 「いやいや、そう言う事じゃなくてさ」

 だと言うのに―――アマギリは何故か首を横に振った。親しい友人と、楽しくチェスを打っていた、そんなただの学生の筈の表情が、いつの間にか変化していた。
 細めた目、釣りあがった口の端。吐く息は皮肉気なそれだ。
 気配の変わったアマギリに気づき、食後の穏やかな空気に弛緩しかけていたダグマイアの背筋に、冷たいものが走った。
 「どういう、事でしょうか……?」
 自身の声は、震えなかった。ダグマイアはそうであったと信じたかった。
 そんなダグマイアの態度に、アマギリは何てことも無い風に頷いた後で、さらりと言った。
 「相手にさ、気づかれないようにギリギリで上手く負けてやるその手腕―――いやさ、実に勉強になるよ」
 「――――――っ!?」
 胃が引きつり、悲鳴を上げそうになる自身を、ダグマイアは叱咤した。
 落ち着け、と。目の前にいるのは自身が最大限警戒して掛かっているアマギリ・ナナダンなのだから、と。
 アマギリであれば、ダグマイアが手を抜いて一局を終えた事など、当然気づいてしかるべきだ。
 ならば自身が考えるべきは、アマギリがそれを指摘したのか―――まずは、それを判断するのが先決。
 「―――、お気づきに、なられるとは。申し訳……」
 「ああ、良い良い」
 さしあたっての謝罪の言葉を持とうとしたダグマイアを、しかしアマギリは手をひらひらと振りながらさえぎった。手を抜いた、その事実に激昂していると言う事も無いことが、まず解った。
 「お互い、立場と言うものがあるからね。大方、お父上―――ババルン卿から言われているんじゃないかい? ハヴォニワの新しい王子と仲良くしておけ、とかさ」
 しかし続けていわれた言葉は、ダグマイアにとって非常に判断に困るものだった。
 父ババルンの名がこんなにもあっさりと自分との会話で持ち上がってくるとは、想像も出来なかったからだ。
 アマギリの表情は隙の無い―――考えの読みにくい薄い笑みが張り付いたもので、ダグマイアには全く解らない。
 どうする、どう答えるべきなのか。
 これを取っ掛かりとして先日の件への追及が始まると言う事も、無い事もないか――ーそう考えて、ダグマイアは思わず視線を入り口のドアへと走らせてしまった。
 部屋の中には給仕の影さえ存在せず、お互いの従者もまた、隣室で待機している。
 食堂塔最上階の見晴らしの良い一室であるこの部屋は、外部からの介入も難しい。そう考えれば、この場で直接的な行動に移る事も、有り得るのか。いや、戦闘技術ならばアマギリよりも自身のほうが上。メイアが来るまで防ぎきる事など―――いや、ユキネ・メアが隣室でメイアを抑えてしまえば。そもそも、この部屋での昼食会を指定したのはアマギリなのだから、あらかじめ手を回して誰かを潜ませておく事だって―――それ以上に、根回しさえ出来ていれば誰も救助など来ない。
 混乱は発想の飛躍を促し、この凪のような一ヶ月で積もりに積もった潜在的な恐怖感が、一気にダグマイアの中に膨れ上がってくる。

 殺される。この場で。

 その可能性を全く、否定する事が出来ないのだ。
 言葉を返せなくなってしまったダグマイアを、アマギリは相変わらず薄い笑いを貼り付けたまま見ていたが、やがて、肩をすくめてこう言った。
 「ダンマリ、か。前から思ってたけど、ダグマイア君って腹芸は苦手みたいだよね」
 「それ、は―――。私を、侮辱していらっしゃるか?」
 何かを観察されていたのだと、それだけは理解できていたダグマイアは、思わずといった風にぶしつけな言葉をかえしてしまっていた。それを拙いと思っても、口にしてしまった以上最早遅い。
 「そういうつもりは無いけど、そう取ってしまったのなら悪いね。いや、たださ。始める前に言っていたじゃないか。チェスの打ち回しには打ち手の内面が現れるって。対面に座っている人間からは、存外一手に込められた意味ってのが透けて見えるものだよ」
 「―――つまり、私の方が殿下を侮辱してしまっていたという事でしょうか」
 やはり、手を抜いた事に謝罪を求められているという事なのだろうか。しかしそれでは先ほどの謝罪をさえぎった事と矛盾してしまう。訳もわからず首をひねるダグマイアに、アマギリは笑みを深めて言った。
 「解らないかい? そういう部分が、って僕は言っているんだけど―――良いさ。それじゃあ、次は真剣勝負と行こうじゃない。学院最強の打ち手と名高いダグマイア・メストの一手を、拝ませてくれよ?」
 そんな言葉とともに、アマギリは自身の陣地に存在する駒の一つを手に取り、ゆっくりと前へと前進させた。
 それは素人とも思えぬ、堂に入った優雅な手つきだった。

 揶揄するようなアマギリの言葉は、理解しきれない部分があった。
 しかし、ダグマイアには一つだけはっきりと理解できた部分がある。
 なぜなら、対局者が込めた一手を、対面に座するものは正確に理解できるからだ。

 全力を見せても、僕が勝つけどね。

 アマギリの初手は、正しくそう語っていた。
 上等―――。ダグマイアは、反発的にそう思ってしまった。
 挑発されている。ならば、それを叩き潰してこそのダグマイア・メストだと。そう、考えてしまう。
 アマギリ・ナナダンの企みは依然として知れないが、まずは此処で勝利を収めることこそがその一歩を挫く事になるのだろうと、ダグマイアはまずはっきりと理解した。
 「お望みとあらば―――」

 全霊を持ってお答えしようと、ダグマイアはクリスタルガラスの駒を持ち上げ、大理石の盤上に打ち付けた。





     ※ まぁ、結果は見えてるとお思いでしょうが……







[14626] 17-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/01/31 23:06

 ・Sceane 17-2・


 盤面、一進一退の攻防が続く。

 一手を囮にし五手先、八手先の状況を手繰り寄せ、しかしそれを七手前の仕込によって覆される。
 観客がいたとすればきっと、盤上からあふれ出る得も言えぬ緊張感に、喉を鳴らして後ずさっていた事だろう。
 「正統派、だね」
 自身、どう考えても邪道な打ち回しをしている自覚のあるアマギリは、ダグマイアの打ち方をそう評した。
 純粋に自身の持てる技量のみで、相手を踏破しようとしている。ダグマイアの打ち方はそう言った物だった。
 常に相手の一手を利用とする傾向のあるアマギリの打ち方とは、対局といえた。
 「正道こそが相手を駆逐する上で尤も有効な方法です」
 兵士の駒を前進させながら、ダグマイアはそう返した。その表情は真剣そのもの。勝負に挑むに相応しい男の顔と言える。
 「正道。―――清廉潔白は、確かに美徳だろうね。……人としては」
 寄せ手に対して城壁をめぐらせて絶対防衛圏を築き上げながら、アマギリは薄く笑っている。あからさまに何かを企んでいる、そんな顔である。
 「何か、含むところを感じますが」
 騎兵の跳躍により城壁を乗り越えながら、ダグマイアは眉をひそめた。乗る必要もない挑発に、しかし乗らずにはいられない自身の心根が、どうしようもなく憎かった。
 ダグマイアの気持ちを知ってか知らずか、アマギリは城壁の裏に潜ませておいた伏兵を迎撃に向かわせながら、笑って続けた。
 「そうかい、なんだと思う?」

 「大方、為政者としては失格だと仰りたいのでしょう」

 向かってくる兵を槍の一突きではじき返しながら、ダグマイアは吐き捨てるように行った。
 パン、パン、パン、とダグマイアの耳に耳障りな音が響く。盤面から顔を上げて見れば、アマギリが一局目が終了した時のダグマイアのように、笑顔で手を叩いていた。
 「ご明察。―――大方、ユライト先生辺りに言われたかな?」
 「……何故、そこで叔父上の名前が」
 僧兵の痛打によって騎兵の攻勢を退けながら言うアマギリに、ダグマイアは顔をしかめた。
 落ち着け、と心の中で繰り返そうとも、どうしても心がささくれ立つ、アマギリの言葉は魔性の響きを秘めていた。
 「だって君のお父上は、自分の子供に愛のある教えを施そうとするようなお方には思えないじゃ―――おっと、こんな事を僕が言えた義理ではなかったね」
 途中まで述べて、わざとらしく言葉を濁す。
 城壁破壊のために進ませた一手が、大理石と打ち合わさって甲高い音を立ててしまった事が、ダグマイアの精神状態を告げていた。

 ―――父ババルン。偉大なるシトレイユの宰相。大なる野望とそれを実現する確かな自力を持ち合わせた―――しかしそうであるが故に、周囲の人間に対する斟酌は酷く少ない。それが、自身の息子であっても。

 「だいたい、放任主義はウチもさして人の家の事は言えないからね」
 日頃考えないようにしていた部分に思考が及びそうになっていたダグマイアの耳に、アマギリの自嘲するような言葉が聞こえた。
 「……フローラ女王陛下とは、あまり、親しくしておられないので?」
 普段聞かぬような生の言葉を聴いてしまったような気がして、ダグマイアは思わずそんな言葉を口にしていた。
 「本来的な意味で言えば、僕の方があの人の叔父になってしまうからね。立場上いろいろ―――解るだろう?」
 「それは―――いえ、はい」
 アマギリ・ナナダンは好色で成らしたハヴォニワ前国王の最後の胤であると、そう言われている。真実のところは全く以って不明なのだが、本人のこの吐き捨てるような口ぶり。事実なのだろうか。
 事実だったとして―――この言動は、何の含みもないものなのだろうか。それとも何かの仕込みなのか。
 ダグマイアにはそれが判断できなかったが故に、アマギリの次の言動を待った。
 アマギリは、盤上から拾い上げた王の駒を手で弄んだ後で、カツンと角を打って音を鳴らしながら、女王の傍に置いた。
 「手駒の一つも与えられずに、精精飼い殺し―――はは、これ何時か似たようなことを言ったっけ? 男性聖機師の悲しさってヤツ以外の何物でもないんだけどね」

 王は手ぶらで自在に動けるが、それ以外に戦力の一つも持っていない。

 あらゆるものを与えられ、最高の厚遇を齎されているが、何処へ踏み出す自由すらない。
 男性聖機師と言う、生き物に似ていた。
 ダグマイアは思い悩む。

 この男、現状に対して大きな不満がある、と言う事だろうか。

 飼い殺された獣が反逆の隙をうかがって、虎視眈々と―――よもや今回の一件。そのための会合のつもりではないだろうか。
 先日の森での騒動がハヴォニワの女王に対してすら不利益となる行動だったとしたら。それを引き起こしたアマギリの思考はどちらかと言えば、自分に―――いや、そこまで都合のいい話があるか?
 だが可能性は否定できない。そのための敵味方を探るために、あえて他者をふるいにかけるような言動を続けていたとすれば―――こうして、込み入った会話への前振りとも取れる状況もおかしくはない。
 
 ―――懐柔、してみるか?

 切り札ともいえる最後の騎兵を前進させながら、ダグマイアそんな考えを持ってしまった自分に気づいた。
 懐柔。アマギリを、自身の計画に引き込む。
 ダグマイアの思考の中で、急速にその気持ちが膨れ上がってくる。
 敵に回すには―――暗殺を試みようと思うほどに―――厄介な存在だった。だが、それが味方であれば。
 利に聡い男に見える。目分量さえ違わなければダグマイアにとっては有用な駒として働いてくれるだろう。

 事、この状況に於いても自分が上に立つ事を前提と考えてしまえる事が、ダグマイア・メストの最大の弱点と言えるかもしれない。
 自分優位過ぎるその思考は、どうしようもないほどの隙を生み出し、それ故に、アマギリの次の言葉を、初めダグマイアは理解できなかった。

 「―――その辺、優秀な手駒を持ってる人は良いよね」

 肘掛に体重をかけながら、頬に手を当てたゆったりとした姿勢で、アマギリはそんな事を言った。
 その視線は、入り口のドアの向こう。そこにいる誰かを指しているかのようだった。
 「何?」
 取り繕う何一つもなく、ダグマイアは素で言葉を漏らしてしまっていた。
 アマギリは、呆然とした顔をするダグマイアに薄く笑いかけながら、肩をすくめた。
 「だってそうだろう? 十回やれば八度は失敗するような粗雑な作戦に文句の一つも言わずに付き合ってくれるんだ。しかも、ちゃんと失敗した場合に仕える主人に不利益が行かないように最大限の配慮までしてくれるんだから、羨ましいったらないよ。―――ウチの母の手の者も感心してたよ? 盗聴を試みようにもランダムに変更される特殊集波帯を用いていたから、どんな機材を使ってもノイズにしか聞こえなかったとか。その辺の指示何もされていなかっただろうに、手際が良すぎるよ」
 その言葉の意味が、今度は正しく理解できてしまったからこそ、ダグマイアは震える自身を、隠しきれなかった。
 「何の話を……していらっしゃる、のか」
 夏の昼の中に相応しくない、冷たい汗が、頬を伝う。
 解っている。目の前のこの男はやはり、何もかも解っているのだ。
 「爆薬の量にしたってそう。あの最悪のタイミングでターゲットを消してしまうと、後々のリスクが大きすぎるから、本気で消してしまうわけにも行かなかった。だから、自身の判断で死ぬか死なないかギリギリの―――後で調べた時に、助かりようがあったと解る量にまで、爆薬を減らした。何故だか解る?」
 突然硬くなったダグマイアの態度などお構い無しに、アマギリは薄い笑いを貼り付けたまま言葉を続ける。
 いつの間にか女王による征進を始めており、次はダグマイアの手番だと、手で指し示している。
 「……何故、でしょうか」
 胆力を込めて、ダグマイアは言葉を返す事に成功した。城壁を築こうとする自身の指が、震えそうになるのを必至で押し留める。呑まれてはいけないと、叱咤しなければこの場から逃げ出したくなりそうだった。
 「生き延びられる状況で死ぬようなヤツだったのなら、興味を持っていた誰も彼もが、直ぐに興味を無くしてしまうからさ。そうであれば、それを成した人間が攻められる筈もない。逆に生き残ったのであれば、必死の状況から見事に生還した危険人物として誰も彼もがいっせいに警戒レベルを引き上げる。そうであれば危険人物と主を一人で対決させるような状況を起こさなくて済むって公算で、全く、すばらしいアフターサービスだよね」
 城壁を蹴散らし女王を更に推し進めながら、アマギリは哂う。盤上は既に支配しきっているかのように、超越的に、ダグマイアを哂う。

 「それを私に、わざわざ直接指摘する意味は―――何だ?」

 カンと。
 側背より騎兵を強襲させながら、ダグマイアは叩きつけるように言った。
 最早取り繕いようもなく、直接的な態度で。そうしなければ、押し負けてしまいそうな事が解っていたからだ。
 そして、決して此処で負けてはならないのだと言う事も、ダグマイアは理解していた。
 懐柔など、出来る筈もない。アマギリ・ナナダンは、全力で以って妥当しなければならない。
 「私一人では―――貴様の相手に相応しくないとでも、言いたいのか?」
 予備戦力まで投入して騎兵の奇襲を退けようとするアマギリを、僧兵の突貫でさえぎりながら、ダグマイアは吼える。進撃中の女王は退路を立たれて帰還も出来ずに、最早アマギリの王と騎兵を遮る壁は何一つ存在していない。
 「何を言っているか解らないな―――っと」
 胆力を込めたダグマイアの言葉を軽く往なしながら、アマギリは意味もなく王を逃がそうともがく。
 そんな悪あがきを見過ごす筈もないダグマイアは、騎兵を堂々と進撃させる。
 チェック。逃げ場は最早何処にも無かった。
 「何時でも、勝てる。そう思っている事こそが思い上がりと言うものだ。私はまだ負けた訳ではない」
 そして、今負けるのはお前の方だ。
 逃がしはしない。する気は無い。決着の時は今だと、ダグマイアはアマギリを睨む。

 しかし―――しかし、アマギリは強い口調で言葉を並べるダグマイアに、ただ肩をすくめる事しかしない。
 まるでこの場の凍りついたような空気が読めないかのように。
 何故なら。

 「だって、ダグマイア君は、僕を殺そうとした事なんて一度も無いだろう? 僕の話の何処に、ダグマイア君の名前が出てきたのさ」

 「―――な、に?」
 お前は、何を言っているんだと。それは果たしてどちらの言葉だろうか。
 アマギリの言葉は、単純だった。一度たりともアマギリは、ダグマイア・メストが事件の犯人であるとは―――間接的にそうだと取れたとしても―――言っていない。それ故に、アマギリの言葉は黒ではなく、黒の限りなく近いだけの灰色に過ぎない。
 それなのに、ダグマイアはアマギリの言葉に釣られてしまった。
 認めなければそれ以上何も起こらなかったはずなのに、認めてしまった。つまりは、罠に自ら踏み込んで。
 そもそも何処から何処までが罠だったのか。
 震えが、ダグマイアの全身を襲う。総毛立つ身を、掻き毟りたくなる様な恥辱を覚える。
 目の前で哂う男が、どうしようもないほどに、憎い。
 「本当に、駆け引きが苦手なんだな―――まぁ良いか。さて、僕の負けだね、これは」
 椅子から立ち上がりながら、アマギリはテーブル脇に置いてあったガラスのベルを鳴らした。
 控えの間に居から部屋に入ってきた使用人たちに、テーブルの上を片付けるように指示をする。

 戦いは、これで終わり。
 つまりはそういう事だった。
 「なるほど、言うだけあって正面激突だと強いね、ダグマイア君。それに、中々有意義な事も聞けたし、この時間を持ててよかったよ」
 椅子に座ったまま。ダグマイアには賞賛という名の侮蔑を受け入れるより他無かった。
 「―――ええ。私の方こそ、有意義な時間を過ごさせていただきました」
 はっきりと、貴様が倒すべき敵だと理解できたと、言外にそう言葉を込めてダグマイアは搾り出すように言った。
 アマギリは軽い仕草で入り口へ向かいながら、良いよ、と首を振った後で―――思い出したように言った。
 「ところでダグマイア君、一戦目の勉強の成果を、僕はちゃんと見せられたかな?」
 「―――は?」
 唐突な言葉に目を瞬かせるダグマイアに、しかしアマギリは返す言葉も無く。
 ドアを開く使用人に礼を述べて、部屋を後にした。
 残されたダグマイアは―――アマギリの言葉を、考えざるを得なかった。
 勉強。一戦目。素人と嘯くアマギリに対して。ダグマイアの敗北。

 「何だと……?」
 
 今まさにテーブルの上から下げられたチェスボードを見送って、ダグマイアの脳裏に戦慄が走った。
 アマギリ・ナナダンは言った。

 相手に気づかれぬように、ギリギリで負けるその手腕。

 それが、勉強になったとアマギリはそう言ったのだ。
 然るに、二戦目。際どい所を地力で押し切ったダグマイアの勝利―――そうだった筈だ。
 ―――だが、アマギリの最後の言葉を真実と捉えるならば。

 ガン。
 未だ席を立たぬダグマイアの元へ、代わりの紅茶を運んできた使用人が驚くのも構わずに、ダグマイアは拳をテーブルへと打ちつけていた。
 肩を震わせ、眉間を寄せて、歯を食いしばり。
 
 「その、侮辱に見合った……っ!!」

 最後を、惨めで無残な最後を与えてやると。
 ダグマイアは、例えそれがどれほどの時間が掛かろうが、成し遂げて見せると、今はっきりとそう決心した。


 ・Sceane 17:End・


 


     ※ それが本当かどうかは、実は言っている当人にしか解らないのが一番の罠。
       その辺までは解らないのがダグマイア様クオリティだと思うんだ。    

       このダグマイア様との暗黒チェスバトルはこのSSの書き始める前からやろうと思ってた話だったりします。
       本当はもうちょっと早くやる予定だったのに、後に引っ張ったお陰で黒さが上がっちゃいましたね。

       そんな訳でダグマイア様苛めも一先ず終わり、次回は第二部ラスト。漸く一年目の一学期が終わる……



[14626] 18
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/01 23:01

 ・Sceane 18・



 卓上に置かれた、厚みを持った手の平大の金属製の円盤。
 中央に設置された水晶のような球体から光が漏れ―――その上に、半透明の立体映像が浮かんでいる。
 中空に映し出されたそれは、円盤に収まるサイズの小さな人の上半身であり、身振り手振りと口の動きに合わせて、周囲の空気を震わせて音声メッセージをアマギリに伝えていく。
 立体映像に映し出されて居るのは、年若い―――本当に、実年齢を想像させない若々しさを見せる美女であったから、それを見ているアマギリの顔がげんなりしているのも当然といえた。
 女性の映像は記録された音声を再生し尽くした後、最後に宙に向かって投げキッスを残して、消えた。
 デフォルメされたハートマークのアニメーションが、むなしく円盤の上で舞い落ちる。

 屋敷の、広いリビングの中で静寂が満ちた。
 昼下がりに鑑賞するには相応しくない色気を秘めた美女の映像を頭の中から振り払うように、アマギリは大きく息を吐いて、腰掛けていたソファの背もたれに大きく背を預けて天井に掛かるシャンデリアを見上げた。
 そして、一言―――自分の隣の一人掛けのソファにきれいな姿勢で腰掛けていた少女に聞こえるように、呟いた。

 「見なかった事に」
 「ソレを見なかった事にするなら―――次は、コレ」

 す、と。少女―――ユキネは、テーブルの上に乗っていた映像再生機を避けて、全く同じ型の装置をアマギリの前に示した。
 再生機は自動で記録された映像を再生する。映し出されているのは、やはり先ほどと変わらぬ美女の姿。
 先ほどの映像の時よりも、胸元が開いた露出度の高い服を着ているのは気のせいではないだろう。
 「……この人、僕が自分の息子だって設定忘れかけてるんじゃないか?」
 「もう一回見なかった事にすると……下着姿になる」
 問答無用で再生を止めたアマギリに、先に映像を検閲済みだったユキネが付け添える。
 と、言う事はそれも見なかった事にすればオールヌードが見れたのかとか表情に出さずに考えながら、アマギリは頭をかいた。
 「拝啓。夏本番とも言うべき蒸し暑い季節となりました今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。さて本日貴方に伝えたい事は―――なんて、丁寧に当たり障りのない言葉が返って怖いよね。自主的に動かなきゃいけない気分になるし。……その辺、女王陛下は僕の事を解ってるって気がするけど」
 考えるまでもなく、再生機に映し出されていたのはハヴォニワ女王フローラ・ナナダン、公的にはアマギリの母親とされている人物だった。
 
 言伝の内容は端的に言えば、”夏休みになったら一度ハヴォニワに帰ってきなさい”というものである。

 この一学期の間に一度も本国と連絡を取る事をしなかった息子の態度に全く追求を見せない、それは逆にアマギリからすれば不気味な空気に思えた。あの女王の事である、アマギリが意図的に連絡を取っていないことも理解している筈なのに、それをおくびにも出さない。
 だから、言伝の内容を聞いてのアマギリの感想を端的に言ってしまえば、”絶対戻りたくない”という、割と人として駄目なものとなる。
 どう考えても、帰ったら面倒な対応をせねばならないと想像がつくから、避けられるなら避けてしまいたい。

 特に、母と違い自分からは通信を送ってこない、アマギリがハヴォニワに戻る事を全く疑っていないであろう”いもうと”の存在を考えれば―――。

 「出来れば顔を見せに戻られてはいかが? ―――”いかが”って事は、額面どおりに受け取れば戻らなくても構わないって逃げ道を残していてくれるようにも思えるんだけど―――」
 「―――まさか、帰らないつもりなの?」
 思考を逃げに走らせようとしていたアマギリに、ユキネが目を細めて問いつめる。
 ユキネの思いとしては、最近無茶ばかりしているこの男を、断固として母親の前に突き出す心算だったから、絶対に逃がすつもりはなかった。長い口上を言わせる間もなく、言葉をかぶせる事を容赦しない。
 そんな従者の威圧気な空気を察してか、アマギリは頬を引きつらせた。
 「いやさ、ホラ。一応、理由も成しに初等部の人間が帰郷ってのは認められていないし、そう考えると夏休みだからって本国に戻る必要が無いと……」
 「駄目」
 「は?」
 正論による理論武装で凌ぎ切ろうとするアマギリを、ユキネは一撃で切り捨てた。問答無用の従者の態度に、アマギリの目が点になる。
 「アマギリ様も帰らなきゃ駄目」
 「え? 駄目?」
 「駄目」
 駄目。命令形である。
 この主を常に立てようとしてくれる従者にしては珍しい、強固な意見だった。
 ユキネは問い返すアマギリにゆっくりと頷いて、口を開く。
 「私は、アマギリ様の護衛」
 「ああ、うん。そうだね。いつも迷惑掛けて―――」
 「そういう、心の無い謝罪が一番嫌い」
 「……御免なさい」
 平謝りの態度に走りそうだったアマギリを、ユキネは眉を吊り上げて封殺する。
 きつい態度に思わず年相応の少年のような素直な口調で謝ってしまったアマギリに、照れたように微笑みながら、ユキネは言葉を続けた。
 「私は、アマギリ様の護衛。―――だけど、それは聖地に於いてのみ適応される事であって本来は……」
 「あ、そうか。―――御免、忘れてた」
 ユキネの言葉を途中で遮り、アマギリは思い出したように言った。
 そう、当たり前のことを忘れていたのだ。
 それが日常で、そうである事がそれなりに自然な毎日を過ごしていたから、根本的な事情をアマギリは忘れ始めていたのだった。

 「―――ユキネさんは、王女殿下の護衛機師だもんね」

 ユキネ・メアの本来の職務は、あくまでハヴォニワ王女マリア・ナナダンの護衛機師であり、アマギリの護衛を勤めている現状は、たまたま同じ学院に通っていて都合がよかったからという偶然の結果に過ぎないのだ。
 言うなれば、アマギリへの護衛は、学業のついでのようなものである。
 「って事は、ユキネさんが本国へ戻る夏休みの間は、僕一人の行動になるのか。―――何かアレだね。四月からこっち、毎日顔を合わせていたから不思議な感じ―――って、どうかした?」
 「……言うと思った」
 とぼけて話を逸らそうとするアマギリに、ユキネがため息で応ずる。
 アマギリは苦笑して肩をすくめた。
 「―――思いましたか」
 「アマギリ様の言うとおり、もう三ヶ月以上も一緒に居るんだから、そろそろ言う事くらい想像がつく」
 「光栄に思うべきか微妙だねそれは。何か、前に王女殿下にも似たような事を言われた気がするし、やっぱアレかな、その辺ユキネと王女殿下は主従で気が合うって言うか―――」
 「アマギリ様。―――話を逸らすの、駄目」
 どう足掻こうと逃がす気は無いのだと、ユキネの瞳がそう語っていた。
 「―――御免なさい」
 降参、という風に頭を下げるアマギリの髪を撫で付けながら、ユキネは頷いて続ける。
 「ん。私は、マリア様の護衛でもあるけど、アマギリ様の護衛でもあるから、―――だから、アマギリ様は私と一緒にハヴォニワに帰ってくれれば、嬉しい」
 その態度があまりにも真摯過ぎて、アマギリは視線を逸らして言うべきことでもない事を言ってしまった。
 
 「―――それは、命令?」
 「主人に対して命令なんて、出来ない」
 本気で怒ってくれている―――ユキネの態度が嬉しくて、アマギリは微苦笑を浮かべる。
 「主人、て。忘れたの? 本来僕と貴女では、貴女の方が上の身分の筈なんですよ」
 神の悪戯か、運命の気まぐれか。
 何故だかアマギリはハヴォニワの王子などという立場を与えられているが、その実際を理解しているユキネは、本来であれば彼に畏まる必要は何処にもないのだ。
 だというのに、ユキネは常に真摯にアマギリの事を気遣ってくれていたから、彼にしてみれば―――彼らしくも無く―――後ろめたい気持ちを覚えてしまう事もあった。
 女王フローラのようにあからさまに利用してやろうという態度であれば、そういう風に思う事は有り得ないのだが、それがユキネの人徳というものだろう。
 だから彼女は、こうも簡単に言える。
 「そんな事は無い。本来の出自がどうであれ、貴方はもう―――今の状態を抜きにしても、ハヴォニワに所属する男性聖機師である事は間違いないから、百歩譲っても、私と貴方の立場は、―――対等」

 だから。
 上から、下からとか、そういうことじゃないことを、信じて欲しい。

 悪党には堪える、どうしようもないほどに善的な言葉に、アマギリは天を仰いで唇をゆがめる事しか出来なかった。
 「対等、ね」
 「―――失礼な事を」
 「ああ、御免。そうじゃなくて。いや、そういうの失礼とか思わないから、僕は。ただ―――いや」
 公的な立場を何歩も踏み越えてしまっていた自身の言葉を咎められたと思って、ユキネが謝罪の言葉を口にしようとしたのを、アマギリは押し留めた。
 押し留めた後で―――その後の自分の言葉を、彼はいつものように、胸の中に帰そうとした。
 
 いつも、そうだ。
 彼は、自分の言葉を決して口にしようとしない。
 彼から出てくる言葉は、状況に対する反射ばかり。

 「聞かせて、欲しい」
 「は?」
 だから、そう。
 一念を発起して、ユキネはその顔に真剣な眼を浮かべて、アマギリと正対した。
 聞かなければいけない―――そんな、義務感ではなく。
 聞いてみたいと。そんな、結局三ヶ月程度の付き合いの中でも本質を見切れなかった少年の、内に秘めた一つでも見せて欲しいと思ったから。
 「聞かせて欲しい。―――貴方が考えている事を。でないと私は、決定的なところで貴方を守れないと思うから」

 守る。
 自分は、この少年が守りたいのだろうかと、自身の言葉にユキネは疑問を覚えながらも、それでも言葉をとめる事は無かった。
 元来感覚的に物事を捉えることの多い自分だったから、ユキネは自信の無意識から出た言葉を信じる事にした。
 目を光らせて、外敵を物理的に打ち払うだけでは、それはこの少年の守護者たるを果たす事にはならない。
 ―――と、言うよりも。外敵と対峙する上では、この少年に積極的な護衛は不要だろう。
 この強かな少年は、放っておけば外敵の存在を察知して、自分で勝手に対抗策を練り、処理してしまう。

 そう、勝手に。

 それが問題なのだ。
 この少年は状況に対して完璧な対抗策を練ることが出来るのだが、それを周りの誰かに伝える事をしない。周りの誰かに、その方法を相談する事をしない。
 そして、少年の行う数々の対抗策は、ユキネから見れば何時も突飛なものばかりだ。後で聞けば的確と言えるものが殆どだが―――ようするに、後で確認をとらざるを得ないほど、傍から見れば危険で無自覚な行動ばかり。
 傍で見ているユキネからすれば、心臓に悪いものばかり。
 特に先日の森での一件など、本気で心臓が止まりそうなほど衝撃の光景だった。高高度での爆発、確実な即死かと思えてしまった。
 三日も目を覚まさずに、目を覚ましてみれば寝ぼけたような言葉でまた、周りを翻弄する。まるで全然、死に掛けた事に堪えて無いように。
 
 だから、ユキネはこれではいけないと思った。このままでは駄目だと確信したのだ。
 自分が駄目なのではなく、つまり、アマギリが。
 この、周りの親しい人間に対する配慮のかけた行動をとる少年を、何とか矯正する必要があると、ユキネは遂に決心したのである。
 それが、この少年を真の意味で守る事に繋がると、そう思ったのだ。

 例えるならそれは、駄目な弟を嗜める姉の態度にも似て。

 真剣な顔で、問われて―――請われて。
 アマギリはどうしようもないほどに会話をずらしてしまいたい衝動にもとらわれる。
 苦手なのだ、こういう人は。
 利益の甘受も求めずに、真摯に他人に気を仕える人間は。自分のためだけを思って与えられる言葉は。

 アマギリは、他人が思うよりはよほど、自分の性格に問題があると理解していた。
 食えない態度、容赦の無い言葉。重箱の隅をつついて哂う様な、意地の悪い性格。
 それを理解していたからこそ―――そういう問題のある人間の周りには、純粋な善意を持つ人間は近づいてくる筈が無いと理解していた。
 類は友を呼ぶものだと、酷薄な人間の作る人間関係は、酷く酷薄なものに違いないと、そう信じているところがあった。
 それは普遍的なものの見方からすれば明らかに誤解であり、本来は個人の内面などお構い無しに、人同士の交流があれば、多種多様な人間性が交じり合うのが当然である。どんな人間の前にも、善人や悪人、色々な人が現れるのが当たり前だ。
 だがアマギリの中にある得体の知れない真実においては、自身の周りには”絶対”に油断をしていけない人間しか周りに居ない筈となっている。そう確信している。
 顔も名前も思い出せぬ、本当の意味での自身の両親、兄や姉―――兄弟が居た事は思い出した―――そして、幼い自身の周りにいた、誰も彼も。恐ろしい人も愚かな人も。
 それら全てが、記憶のそこに姿かたちも茫洋のまま沈んでいると言うのに、迂闊に気を許す事が即、身の危険に繋がるような人ばかりだったと、それだけは忘れられない真実だった。

 記憶に無い、幼少期の原体験と言うものがよほど身に沁みているのだろう。

 それ故に、アマギリにとってユキネの善意はいかにも受け止めがたくあった。
 裏に何かあるのかと勘繰ってしまいそうになるからではなく、裏に何も無いと解ってしまうからこそ、である。
 単純に、善意の受け止め方を知らないのだ。
 自分にはそれが相応しいものだと思えなくて、だけど、だからこそ拒めなくて。
 だから、アマギリに出来た態度は、全く褒められたものではない、情け無い少年のような態度。

 例えるならそれは、優しい姉に頭をたれる、だらしの無い弟にも似て。

 「ただ―――うん、ただ、何ていうか、さ」
 「うん」
 蓋をして、秘しておきたい秘め事を口にするような気恥ずかしさで、アマギリはポツリと言った。
 「よく考えてみれば、此処に来てから対等な立場の人間に会ったのって初めてな気がして、だから―――」
 「―――だから?」
 
 その後の言葉は、早口で、小さな声で呟かれた。
 ユキネにはそれが聞こえた。アマギリはそれが聞こえなければ良かったのにと思った。

 そしてユキネは、アマギリに一緒に帰ろうと言って―――アマギリもそれを、拒む事は出来なかった。


 ・Sceane 18:End・

   

    ※ と、言う訳で第二部終了。
      エンドカットがダグマイア様って無いわなぁとか思ったので、一部にならって女の子に頑張ってもらう形で。
      まぁ、キャラの役割分担が漸く見えてきたような。

      第三部は所謂『承前編』。原作への布石となる一つの事件が起こる―――筈です。
      次回は再びハヴォニワへ舞台を移し夏休み。もう20話以上出てない人が、久しぶりに……。 
     



[14626] 19-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/02 21:42

 ・Sceane 19―1・



 一夜を過ごしたオデットの寝殿を出て稼動桟橋に乗って空港に降り立てば、王族であるアマギリを出迎えるものなど一つしかない。

 それは彼の帰還を歓迎する家臣達などではなく、報道関係者の写真機が焚くフラッシュの閃光だった。
 簡単な仕切りと居並ぶ警備の人間の間を歩みながら、アマギリはロイヤルスマイル―――所謂、作り笑い―――を報道関係者に向かって浮かべながら手を振ってやる。
 当然、もらしたいため息も皮肉混じりの微笑も、此処で浮かべる事は無い。その辺りのTPOは弁えている男だった。
 ただ、今日の夕刊辺りに写真が掲載されるのだろうかと、どうでも良いことを考えている。
 聖地は基本的に原則不可侵であるから、そこで”何が”行われていたかを庶民は知る由も無いし、その一端をつかんだとして、教会の権威を傷つけるような社会的に致命的な事を考える人間は居ない。尤も、三流ゴシップ誌辺りにまでなれば、流石にわからないが。
 ともかく、ハヴォニワの新王子が久しぶりに報道陣の前に姿を現したとあっては、それ相応の盛り上がりを見せるのも無理からぬ事だろう。
 統治者こそが民の奴隷であるからして―――率先してパンでサーカスを演じて見せる必要もある、と流石にそこまでは割り切れないが、我慢くらいなら問題ない。
 人払いのできる王家専用発着港を用いずに、通常の大型客専用の港湾をわざわざ使用したのも、そのためだ。
 かくてアマギリは、出国の時と同様の態度で報道陣たちをあしらった後、要人専用機発着港へのゲートへ姿を消していった。

 その姿は、王家に属する者以外の、何者にも見えなかった。
 
 「小国、という割にはそれなりの広さだよね、ハヴォニワも」
 長距離航行用の超大型艦船に分類される空中宮殿オデットから、小型の国内線用艦艇に乗り換えるために通路を進みながら、アマギリは肩をすくめた。
 国際線との連結空港である此処から、ハヴォニワ王城まで更に空路で四時間ばかり掛かる計算である。
 「……オデット、大きすぎるから」
 「アレ、首都の上空飛ばすわけにはいかないもんねぇ。……王城の水路なら入りそうな気もするけど」
 「非常時を考えてそうなってるって聞いた」
 「ああ、本気で脱出艇を通す訳ね。……そういえば三番艦のオディールは近衛の駐屯地に係留してあったっけ。僕らも一直線であっちに行ければ良かったんだけど」
 周りを囲う警備達の姿を気にもせず、アマギリは背後に続くユキネとどうでも良いような内容を話し合いながら進んでいた。
 やはり国内外の要人のみが使う通路であるということからか、無駄に天井が高く装飾が華美で、道幅のある其処を抜けると、小型であるが優雅な装飾の施された小型飛空艇が係留されている桟橋に到着した。

 「おお、まっておったぞ従兄殿!」
 広々とした桟橋全体に響くように、そんな元気の良い声が木霊した。
 声がした方―――係留された船の甲板の方を見上げると、手すり越しに金色の髪をした少女が手を振っているのが見えた。
 「……あれって」
 「―――ラシャラ・アース王女」
 「……だよねぇ、やっぱ」
 予想外の自体に眉をひそめるアマギリに、ユキネがあっさりと正解を口にする。いや、彼女の口調も若干戸惑っているようなので、この状況は予想していなかったのだろう。
 豊かな金色の髪を背中でまとめ、七分袖の赤いドレスを軽快に着こなしている。背後に控える護衛の聖機師の姿が、聖地でも見覚えがあった同級生のシトレイユの人間だったから、その人物を見間違いようも無い。
 シトレイユ皇国第一王女、ラシャラ・アースその人である。
 アマギリが乗る筈だった船の甲板には、何故かシトレイユの王女の姿があった。
 しかも、楽しげに手を振っているから、そんな状況を想像しろというのも無理な話である。アマギリは小さな声でユキネに問いかけた。
 「どういうこと? シトレイユの王女の来訪日程と重なっているなんて聞いてないけど」
 「……私たちに通達が無かっただけだとしても、同じ船に乗せるという事態は不可解」
 「てことは、お忍びか」
 ユキネから出てきた”私たち”という言葉に多少の気恥ずかしさを覚えながらも、アマギリは事態の確認が出来た事にだけ頷く事にした。
 何故だか理由はわからないが、ラシャラ・アースが眼前に居る。
 何故だか理由がわからないことが解れば、それで充分ともいえる。なにしろここは、ハヴォニワである。
 「……まぁ、ここはもう聖地じゃなくてハヴォニワなんだから、何が起こっても不思議じゃないよね」
 「同感。……マリア様が居ない事を感謝すべき」
 「それはただ後回しってだけだから怖い事には変わらないんだけどなぁ。……とにかく、待たせるのもなんだから船に上がろうか」
 忘れたかった事実―――三ヶ月ほど連絡も取らずに放置していた妹―――の事を思い出して若干欝になりかけながら、アマギリはユキネを促して船内へと続く昇降機へと向かった。

 出向を控えて頭を下げに来た艦長以下船のクルーたちを蚊歩くあしらった後で、アマギリは貴賓室にてラシャラ・アースと向かい合う事となった。
 「改めて、久しぶりじゃの従兄殿」
 「……そうですね、一瞥以来といったところですか、従妹殿」
 豊かな金色の髪を背で束ねた小柄な―――確か、マリアと同い年である―――少女の勝気な言葉に、アマギリはため息とともに応じた。
 悪戯が成功して嬉しくて仕方がないといった風に笑うこの少女が、大シトレイユの唯一の皇女、ラシャラ・アースである。あの大国の姫なのだから、権謀詐術に巻き込まれる事も多かろうに、この人懐っこさは貴重だなと、アマギリはどうでもいいことに感心していた。
 我が事ながら不審人物に違いない自分に、これほど堂々と話しかけることが出来るのだから。

 アマギリにとって、ラシャラと対面するのはこれが二度目の事だった。
 一度目は、彼自身の王子就任披露式典の時。シトレイユ皇の名代として来賓していたのが、ラシャラであった。
 その時は込み入った会話をする事は無く、ただ数日にわたるマリアとの口げんかを横で眺めていただけだったので、アマギリは殆どラシャラの事を知らないといってよかった。
 「ため息なぞ吐いて、なにやら覇気に欠けておるの」
 「そりゃ、隣国の姫様が勝手に人の船に乗っていたら、ため息の一つも吐きたくなりますから。―――なんでまた、こんな事を」
 「うむ、勿論伯母上の仕込じゃ。本人は経費削減と嘯いておったが」
 「どっちのための経費を減らそうとしているのか、悩みどころですねそれは」
 どうでもよさそうに―――実際どうでも良いのだが―――肩をすくめて、アマギリは手近なソファに身体を埋めた。
 当然とばかりに、ラシャラはアマギリの前の席に腰掛けていた。
 「―――それで、お忍びでの来訪の目的は、なんです?」
 「おぅ? なんじゃ、忍びと気づいておったか」
 席を外そうかと視線で問うて来るユキネに首を横に振って答えながら、アマギリは面白そうに伺うラシャラに言う。
 「幾ら聖地が外部から隔絶されているといっても―――建前だけで実際はザルも良いとこですがね―――新聞くらいは定期的に届きますから。体調不良で静養のためにエスターシャの離宮へと引っ込んでる筈でしょう、ラシャラ王女」
 ついでに言ってしまえば、シトレイユほどの大国の王女の外遊だというのに、配下の人間が確認できる限り二人しか居ないというのは異常である。身の回りの世話を司る侍従であろう褐色の女性と、もう一人は護衛の聖機師だけだ。
 「護衛が、まだ未資格のキャイアさんだけってのも、どう考えてもおかしいですから」
 「なんの。正式に認められていないだけで、キャイアは既に一流の腕を有しておるぞ」
 「あの、ラシャラ様。アマギリ殿下はそういうことを仰りたいのではないと思うのですが……」
 聖機師の正装を身に纏いラシャラの背後に控えていたキャイア・フランが、主の言葉に気まずげに答えた。
 聖地ではアマギリの同級生であるキャイアが、ラシャラの護衛として傍に控えていた。
 生真面目な彼女らしく、居住まいの悪い気まずそうな態度だったが、ラシャラは鷹揚と頷いて自分のペースを崩す事は無かった。
 「だいたい従兄殿よ、お主とて王族でありながら自身の従機師一人もつけずに行動しておるとは、なんとも不自然な事ではないか」
 「……痛いところ付きますね」
 当然だが、ユキネはマリアの従者として認知されているから、公的な意味でアマギリ自身の配下ではない。
 「お主もそろそろ適齢期なのじゃから、自身の聖機師くらい見つけてくるべきではないかの?」
 「そうは言いますけど、知っての通り僕はまだ王子様を始めて一年も経っていませんからね。自分だけの部下を作るには、中々時間不足ですよ。―――ラシャラ王女だって、その辺りの苦労は身に沁みているんじゃないですか?」
 問われて、ラシャラは一瞬目を瞬かせて―――そして、苦い表情を浮かべて呻いた。

 「……痛いところを突くのう」

 お忍びの旅に連れてこれた人間は二人のみ―――しかも、旅の脚も他国が用意したものと会っては、ラシャラの力不足が見えてくるというものである。
 アマギリの毒の篭った指摘に、ラシャラはばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
 「お主、以前に会った時よりよほどフローラ伯母に似てきておるぞ」
 「褒め言葉として受け取っておきましょう。―――んで、せめて外向きの事情くらいはそろそろ教えて欲しいんですけど」
 会う人会う人そこら中から同じように言われる言葉に、微妙に頬を引きつらせながらも、アマギリはラシャラに先を促した。
 「ハヴォニワ前国王陛下―――妾にとっても曽祖父に当たるお人でな。その方の今年で没後十五年……まぁ、正確には十四年らしいのじゃが、ともかくそういう事もあって、身内のみで内々に故人を偲ばんかと伯母上に誘われてな」
 「八月の帰霊祭も近いですし、まぁ無理の無い事情って言えばそうなんですかね。……にしても、十五年前に死んだ人って、ラシャラ王女は面識はないですよね」
 死にまつわる話しに殊更暗くなりすぎる事が無いように心がけながら、アマギリはやや事務的な口調でラシャラに尋ねた。その問いに、ラシャラは呆れたように答えた。
 「何を他人事のように言っておるか従兄殿。―――お主の父上の話しだろう」
 「は? ……え、ああ、そうか」
 半眼で返されて、アマギリはその事をきれいさっぱり忘れていた事に気づいた。

 アマギリ・ナナダンはハヴォニワ前国王の御落寵だったのだ。
 
 「……そういえば、そういう設定でしたっけ」
 「設定、て」
 「深く突っ込むでないぞキャイア。ハヴォニワの最重要国家機密じゃからの」
 何の感慨もなく本音を呟いてしまったアマギリに冷や汗交じりで反応してしまったキャイアを、ラシャラが嗜める。
 実際、公然の秘密の部分ではあるが、迂闊に広めてしまえば排除される危険があるような話題だった。
 「そういうのがあるんなら、事前に伝えておいてくれればいいのに」
 「……三ヶ月も連絡なしだったアマギリ様が悪いんだと思う」
 面倒そうに頭をかくアマギリに、ユキネがやはり半眼で突っ込む。何時ぞやの一件以来全く容赦がなくなってきた従者だった。
 「―――せっかくの夏休みだってのに、なんだかゆっくりと休めそうな気がしないねぇ」
 己が立場を自嘲するかのようなアマギリの言葉にあわせるように、ラシャラも口の端をゆがめて笑った。
 「王族なんぞそんなものじゃよ」
 生まれてから死ぬまで等しく公務であり続ける、それが彼と彼女に与えられた立場だった。その事実を最早否と言う事もせずに、アマギリも応と頷いた後で苦笑しながら尋ねた。
 「死んだ後まで政治の道具としてこき使われるなんて、ホント、王族なんて因果な商売ですよね」
 「そういう割には、案外と馴染んでおるのお主」
 「慣れて……うん、慣れてるんだろうね、きっと昔から」
 何処で慣れたかは生憎解らないけどと肩を竦めるアマギリに、ラシャラはやれやれと首を振った。
 「そうやって悟ったような顔ばかりしておると、あっという間に伯母上の劣化コピーが出来上がってしまうぞ、従兄殿」
 それこそ十歳と少しの年齢に見合わぬ悟ったよな物言いに、アマギリも苦笑しながら返すしかなかった。
 
 「そっくりそのままお返ししますよ、従妹殿」

 こうして、予想外の人物との再会を挟みつつ、夏休みが始まった。





    ※ えーっと、確か5-1辺りで台詞らしきものが確認できるし、40話ぶりくらいの出演ですか、ラシャラ様。
      後、出してないのってドールくらい? あ、追加の教会の人も居ますか。
      後者はどう頑張っても出しようが無いですが、前者はどうかなぁ。



[14626] 19-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/03 21:08



 ・Sceane 19-2・



 胃が痛い。

 だから、このまま回れ右をして聖地に戻ったら駄目だろうかと言ってみたら、従者の年上の女性に思い切り睨まれた。
 政庁としての機能を併せ持つ、広大な水路によって碁盤目状に区切られたハヴォニワ王城。その一角、王家専用の飛空艇の離着陸上に、アマギリ達を載せた飛空艇は着艇していた。
 着艇と同時に瞬く間に空港人員により昇降機が設置され、外部接続ハッチへと案内されれば、後はそこに乗り込むばかりであるのだが―――アマギリは、昇降機の扉を前に足踏みすることとなった。
 それは単純な理由で―――ようするに、ハッチへと続く通路の窓の向こう、下方に見える人影に問題があった。
 幾人かの護衛と侍従を引き連れた少女の姿。
 見なかったことに―――出来る、筈も無い。
 ならば、とばかりにアマギリは回れ右をして後ろに続いていた三人の少女に振り返る。

 「……此処は一つレディーファーストって事で、従妹殿から先に」
 「たわけが。お主の祖国じゃろうが」

 一撃で切り捨てられた。
 「というか、昇降機なんですから全員乗り込む以上順番を決める意味って無いですよね」
 逃げ口上を告げるアマギリを、ラシャラに続きキャイアまで苦笑しながら嗜める。
 ユキネの態度は言わずもかな、いい加減覚悟を決めろというそれだった。
 「いや、でもさぁ。……だいたい普段なら稽古事で忙しい時間だろ。何であんなところに居るのさ」
 女三人に白い目を向けられても、それでも、アマギリとしては出来る事なら逃げ出したかった。下方で待ち構えている誰かの存在が、そうさせていた。
 「美しき兄妹愛というヤツではないか、従兄殿。早う妾にも感動の再会の場面を見せてたもれ」
 殊更古めかしい言い回しで答えるラシャラはようするに、状況を指差して笑っているのと同じ事だった。
 「あのこまっしゃくれたマリア・ナナダンが、駄目兄貴を前にどのような醜態をさらすのか、実に楽しみじゃのう」
 「駄目兄貴って、ラシャラ様……」
 最早ラシャラは本音を隠す事すら放棄していた。キャイアまで心持ち胃が痛そうに見える。
 ユキネは相変わらず何も言わない。微妙にいい薬だとか思っているのかもしれない。

 「……嫌だなぁ」
 昇降機の開閉ボタンに指を添えたまま、アマギリは誰にとも無くもう一度ため息を吐いた。
 どうしようもなく自業自得だとは解っているのだが、それでも、なんとも言えぬ気まずい気分が胸の中で湧き上がってくる。
 第一声をどうすべきか。いや、第一声に何を言われるのか。
 何よりも何も言われなかった場合が一番怖いといえば怖い。

 お帰りをお待ちしております。

 そんな言葉で別れを終えて、それから三ヶ月。
 心変わりするには充分な時間だろう。何しろアマギリは、この三ヶ月一切連絡を取っていなかったのだから。
 所詮半年程度の付き合いしかない人間の事を、忘れてしまうには充分な間隔だ。
 「……そんなに気まずいなら、どうして今日まで連絡しなかったの?」
 せめて、聖地を出る前にでも一度連絡しておけばまだ良かったのにとユキネは呆れ交じりの言葉で言う。
 実際ユキネは帰還前に一度アマギリ自身が王城に連絡するように言ったのだ。だがアマギリは、その忠言をあれやこれやと理由をつけて避け続けた。
 そのくせ、いざ此処に到った時にそれを後悔するのだから、最早自業自得としかいえない。
 棘の混じった従者の言葉に、アマギリはばつが悪そうに呟いた。
 「……電話、じゃない。通信ってあんまり好きじゃないんだよ。低画質で補正された立体映像とかだと、相手の表情が読めないし、何を考えてるか読めないじゃないか」
 嘘か本気か判断に迷う説明だった。
 処置なし、とユキネが隠しようも無いため息を吐いて肩を落とした。
 何時まで経っても煮え切らないアマギリの態度に、ラシャラがやれやれと苦笑しながら首を振る。
 「いい加減覚悟を決めぬか従兄殿。確かにあのマリアのへちゃむくれの顔を拝むのが嫌だというのは同意するが、それでも嫌な事を後々まで放置しておくと、益々嫌になって、手を伸ばしにくくなってしまうぞ。言うなればあのへちゃむくれが更に……」

 「誰がへちゃむくれですか、ラシャラ・アース」

 ガコン、という音が昇降機から響いた。
 金属質の匂いのする空気を吐き出しながら、鋼鉄製のスライドドアがゆっくりと開く音だ。設置された昇降機は密閉式のものだったから、外から見れば動いているかどうか、開くまで解らないのだ。
 故に。
 例えば気づかぬうちに昇降機が下に下りていて、下から上に人が乗って上がってくるなどという事態も、まるで予想できないものではなかった。
 いや、下で待ち構えていた人間の性格を考えれば、まるで予想できていた展開ではあるのだ。
 事実としてユキネは、唖然として目の前の扉が開いた事を眺めていたアマギリを呆れた眼で見ていたし、呵呵大笑していた主に苦笑していたキャイアも、扉の上のランプの点等により、昇降機が作動している事に気づいていた。

 「……王女殿下」
 「ええ、―――お久しぶりですお兄様。無事の再会、マリアは嬉しゅう御座いますわ」
 ドアの前に立っていたアマギリと正面から向かい合うように、昇降機の中で一人立っていたのは、この国の唯一の王女、マリア・ナナダン。
 年に見合わぬ嫣然とした微笑は、母親譲りのそれだった。
 そしてそれが、アマギリにはどうしようもなく、恐ろしいものに見えた。
 アマギリの内心の恐れを知ってか知らずか、マリアは楚々とした態度で彼の脇をすり抜けて昇降機より出でる。
 歌うように、言葉を紡ぎながら。
 「―――ええ、ええ。無事の再会。マリアはまこと楽しみにしておりましたのに。お出迎えに上がっても何時まで経っても姿も見せず。何か御身に危急の事態でも訪れたのかと心配のあまり上がってきてみれば」
 「―――きてみれば?」
 まるで舞踏会に挑むような優雅な足取りで進むマリアの言葉に、アマギリが頬を引きつらせながら問い返す。
 笑顔が、まるで笑っているように見えなくて、いっそ恐ろしかった。
 「ええ、きてみれば。―――可憐で儚い妹を差し置いて、まさかどこかのこまっしゃくれたへちゃむくれの金タヌキと仲良く談笑していようとは。マリアは悲しくて涙が出てきてしまいそうですわ」
 「そのまま何処ぞの蛇女のように、涙で枯れ果てて干からびてしまえば都合も良いじゃろ」
 芝居がかったマリアの言葉を、鼻で笑いながら嘲った者が居た。
 
 ピシリ―――と言うか、いっそ”ギシリ”と鈍い音を立てて、空気が凍りついた。

 一瞬頬を引きつらせたマリアはしかし、ふわりと髪を撫で上げながら流し目で尋ねる。
 「―――何か仰いまして? こまっしゃくれのラシャラ・アース」
 「おお、何処かの年増の血を引いているだけあって耳が遠くなるのが早いの、マリア・ナナダン」
 今は玉座で政務中であろう何処かの年増と同じ系譜の血を引いてる事に関してはどちらも変わらないよなと思いつつ、言ったら酷いことになりそうなのでアマギリは何もいえなかった。
 とりあえず、額を押さえて疲れたような態度をしているキャイア達の下まで退避している。
 その間にも、当然だがマリアとラシャラのやり取りは続いていた。
 「だいたいなんで、貴女がお兄様の船に同乗しているんですか。まさかシトレイユは外遊に際して他国の王家の船に便乗するような礼儀知らずの集まりとでも?」
 「フン、自ら招いた賓客に対してこの物言い。いかにも小国の王女らしい、けち臭い事よの」
 「あら、失礼。自分で賓客などとのたまう品性に問題のある人間を賓客として扱えるほど、我が国は気品に掛けておりませんの」
 喧嘩と言うほど悪辣でもなく、ようするに似たもの同士の意地の張り合いではあるのだが、如何せん二人して身奇麗な美少女ではあるので、それがきつい口調でやり取りしているととても凄絶なものに見えてしまう。
 
 二人の姫君が昇降機の前で言い争いを始めてしまったから、その他扱いされそうなアマギリたちは少し離れた場所に退避していた。
 「仲が良いやら、悪いやら、ねぇ」
 「喧嘩するほど、とは言いますけど。これが公の場でもこれに近い状況ですので、そこは……」
 「……と言うかアマギリ様。他人事のように眺めている場合じゃないと思う」
 完全に観戦の体だったアマギリに、ユキネが白い目を向ける。
 「そうは言うけど、あの台風の中に飛び込んでいくのはちょっと、ねぇ」
 「台風の発生原因は、主にアマギリ殿下だと思うのですが……」
 放っておいてもラシャラとマリアが出会えば発生する事は間違いなかったのだが、今回の導火線はどう考えてもアマギリだろうと、キャイアも否定できなかった。
 と言うか、他国の船の中で、しかも下に出迎えの人間を待たせたままで喧嘩を始めるのは、お忍びとは言え流石に外聞が悪いので止めて欲しいと、常識を弁えるキャイアは思わざるを得なかった。
 だからと言って自分が台風に飛び込む気には決してなれないが。
 「放って置いて先に行くってのは……」
 「……そうやって、嫌な事は後回しっていうの、いい加減に直すべき」
 「だんだん、言葉に容赦がなくなってきたよねユキネ。……って、何処行くのさ」
 苦笑して話を逸らそうとするアマギリを放って、ユキネはキャイアを促して外部接続ハッチを後にしようとしていた。
 チラリと、珍しく悪戯っ子のように笑った後で、ユキネはアマギリに言った。
 「王家皆様方のご歓談を邪魔するわけにはまいりませんから、私たち従者一同は乗員勝手口を使用させて頂きます。……アマギリ様は頑張って、この場を納めて」
 「へ、あ、ちょ……っ!?」
 言うが早い。状況についていききれないキャイアの背を押すようにして、ユキネは接続ハッチを後にしてしまった。
 一人、少女たちの喧嘩の現場に取り残される、アマギリ。
 そろそろと、後ろを振り返る。

 「だいたい、ラシャラ。貴女は何時も何時もそうやって……っ!」
 「フンっ! そなたのように以って回ったやり口ばかり取るから、ああして……っ!」
 「なぁんですって!?」
 「何を言う……っ!!」
 「……!!」
 「!?」

 二人の姫君のやり取りは、何時まで経っても収まる気配は無い。
 恐らく、第三者の介入でもなければそれは、収まる事は有り得ないだろうから、アマギリは自ら進んで台風の中に飛び込んでいかなければならなかった。
 「……僕が何をしたって言うんだ」
 降って沸いた不幸を嘆くように、アマギリは心底からのうめき声を上げた。

 ”何もしていない事”が悪いんだと―――果たしてそれに、彼は気づいているのかどうか、それは誰にも解らない。





    ※ まぁ、私生活はダメな男である。
      どうでも良いけどOHPの人気投票の結果が偏りすぎていて笑った。
      ドールとキャイアが低めなのは、作品的にどうなの……。



[14626] 19-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/04 21:12



 ・Sceane 19-3・


 「ただいま戻りました、女王陛下。お久しぶりです」

 「あら、久しぶり。―――マリアちゃん達はもう良いの?」
 一枚板の執務机と壁を覆うように立つ書棚との距離が明らかに開きすぎている、仕事をしにくそうな女王執務室において、アマギリとフローラは再会した。
 「王女殿下でしたらラシャラ王女と仲良くご歓談中ですので、席を外す事にしました」
 何故か両の頬に三本船の横筋を腫らしたアマギリは、慎ましやかな態度で答えた。
 「マリアちゃん、久しぶりのお兄様との再会を楽しみにしていたのに、つれないわねぇ」
 「つられると錐揉みされて摩り下ろされそうな勢いでしたからね。―――というか、ああいう状況を希望してラシャラ王女を呼んだ訳じゃないでしょうね」
 率直に言って酷いものだったキャットファイトの様子を思い浮かべながら言うアマギリに、フローラはまさかと笑って首を振る。

 「そんな無駄な事をするタイプにではないでしょう―――お互い」
 「―――お互い、ですか」

 窓際に誂えられた歓談席にまで移動しながら、艶やかな、射るような笑みで言うフローラの言葉を、アマギリは眉根を寄せて問い返していた。
 胸元に挟んでいた―――何の意味があるのかは解らないが、アマギリが来ると解って仕込んでおいたのだろうか―――扇子を取り出し、口元に当てながら、フローラはにんまりと笑って頷く。
 「ええ、お互い。―――だってまさか、貴方が本当にハヴォニワに来てくれるとは思ってなかったもの、私」
 「戻って来いって言ったの、女王陛下じゃないですか」
 「あら、ちゃんと自主判断で黙殺しても平気なように仕向けたつもりだったのだけど」
 侍従の入れた紅茶を受け取りながら、嫌そうにアマギリはため息を吐いたが、フローラは楽しそうに笑うのみだった。
 「こちらの指示も聞かずに、散々聖地で好き放題暴れておいて、まさかあんなお願いを聞いてくれるとは思わないじゃない?」
 「―――いや、待った。もとい、待ってください。僕は向こうで何か女王陛下の指示を受けたためしがないのですが」
 むしろ、積極的に放置されていたじゃないかと言うアマギリに、フローラは肩をすくめて言う。
 「一度も聞いてこなかったでしょう、貴方」
 「―――いや、まぁ。……というか、今更それを言いますか」
 「勿論私は、聖地での貴方の行動を縛るつもりなんてなかったけど―――でも、それは貴方がその事を確認しなくてもいいと言う理由にはならないでしょう?」
 状況予測から来る思考展開で、フローラの思惑を読み取っていたアマギリは、それを真実として扱って、現実としての確認を怠っていたのは事実。
 故にその部分を責められたとすれば、粛々と受け入れるよりなかった。
 がっくりと項垂れて―――反省はまるでするつもりもないが―――アマギリは大きなため息を吐いた。
 「―――まさか、こっちへ来て早々に、女王陛下からお叱りを受けるとは思いませんでした」
 「あら、放蕩息子の帰郷に合わせて母親がやる事なんて、それくらいしかないでしょう?」
 自分で好きに動くように仕向けておいて、良く言う―――とは、心底楽しそうなフローラを見ていると、言えそうになかった。

 「それで、一人で好きに動いてみてどう? 楽しかったかしら」
 空にたなびく雲が窓の格子から格子に移る程度には時間が流れた後、フローラはポツリと尋ねた。
 アマギリは、執務室の窓の向こうに見える王宮の庭園―――記憶と違うように見えるのはきっと、見ている角度が違うからだろう―――を眺めながら、特に考える事もなく答えた。
 「まぁ、一人じゃどうにもならないって処ですかね。楽しむ余裕なんて、とてもとても」
 「何でもできるからこそ、一人を選ぶように見えたけど―――思い違いだったかしら」
 「ゼロから、共通のスタートラインから始められればそうなんですけど、まぁ、お解りかと思いますが、中途半端に途中から状況に放り込まれてしまうと、動きが制限されすぎるんですよね」
 フローラの言葉に、アマギリはあっさりと肩をすくめてお手上げでしたと言ってみせる。
 「せめてもう一年前から始められてれば、やりようは幾らでもあったんですけど―――あそこまで状況が固定されてると、もう駄目ですね。場当たり的に対処するしかないです」
 「それで自分の命だけをチップに、無茶を繰り返していたと」
 「生憎、命以外に賭けられるものを持っていませんでしたから。一点張りで大穴勝負するないでしょう」
 誰のせいでそうせざるを得なかった、等とはアマギリは一言も言わなかったが、フローラに解らない筈もなかった。
 「腕利きの子たちを、つけてあげたつもりだったんだけど」
 扇子を口元にあて呟くフローラを、アマギリは鼻で笑い飛ばした。
 「他人の用意した駒を無条件で信用して使えるはずないじゃないですか。何時”本当の”主人のために動き出すか解らないし」
 逆に監視されているようで非常に息苦しかったとぼやくアマギリに、フローラは嫣然と笑って答えることはなかった。
 内心で、その辺りを踏まえても、あえて他人の駒まで動かす器量があれば一人前なのだがと考えている。

 「―――じゃあ、貴方が聖地で信用できたのは、ユキネちゃんだけだったのかしら?」
 
 考えている事をおくびにも出さずに話題を逸らしたフローラに、アマギリは苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らす。
 口元に手を当て、目を細めて言葉を選んでいるその姿は、どうにも正対している母親にそっくりだった。
 「どうなんでしょうね」
 やがてぽつりと呟いた答えは、意外なほどに曖昧なものだった。
 「―――僕はきっと、あの人が信頼してくれてるほどには、あの人のことを信用すらしていないと思うんですよね。人物の好き嫌いはさておいて、ですけど」
 「人物の好き嫌いは別にある訳ね」
 「プライベートの事なので黙秘します。―――まぁ、ようは外向きの話をしてしまうと、結局あの人も王女殿下の部下ですしね。余り信用しすぎちゃうのも、本人に申し訳ないかなぁって。ホラ、真面目な人ですし」
 裏切り者の後ろめたさそのままの態度を見せるアマギリに、フローラは迂闊にも微笑んでしまいそうになった。
 先ほどまでとは打って変わって自分の感情を持て余しているその姿は、どうしようもないほど年相応のものである。
 
 こんな態度を見せられるようになっただけでも、聖地に行って正解だったと思うけれど。

 それはフローラにとっては第三者であるからの発想であって、アマギリ本人としては難しい分岐路に立たされているつもりなのだろう。
 今後この方向がどう転ぶであれ、フローラにとってはアマギリを縛る鎖が増えるのは良い事である。
 アマギリに気付かれないように、扇子で隠した口元に笑みを形作った。
 「その割には、ユキネちゃんの言う事は聞くみたいじゃない。こっちへ帰ってくる事を決めたのだって―――」
 「まぁ、そうですね。あの人にきつく言われたからで、終ぞ自発的にこっちへ戻る気にはなりませんでしたが」
 それは今でもです、と続けるアマギリに、フローラは微笑んで首をかしげる。
 「さっきから聞いてるけど貴方、気づいてる? 自分では一度も―――”帰る”って言葉を口にしていないわよ」
 さり気なく挟まれた言葉に、アマギリは目を瞬かせた。
 言われて、自分の言葉を思い返せば、確かに。事実ではあるが別にだからどう、と思われるのはなんなので、言い訳がましく話を逸らした。
 「だからといって、別に向こう―――聖地が帰るべき場所になったと言うわけでもありませんし、それにそう。生憎と帰る場所を探しているんだとか、そういう格好付けを望んでいるわけでもないですよ」
 「そうよねぇ。アマギリちゃんはそんな自分探しなんて甘ったれた学生みたいな事は考えないわよねぇ」
 アマギリの言葉にフローラは、それはもう楽しげに頷いた後で―――目を細めて、言った。

 「だって貴方には、初めから帰る場所があるんだものね」

 夕方も間近の穏やかな空気が、一瞬で凍りついた。
 微笑む美女と、向かい合う―――笑っているような、無表情のような顔をした、少年。
 向かい合い、視線を絡ませ、そして、失笑を浮かべたのはどちらが先立ったか。

 「そうですね、ええ、その通り。そしてそれは―――少なくとも、此処ではない」

 初めから、解りきっていた事実をそのまま告げるかのように、アマギリは感情のこもらぬ声でそう言った。

 「あーあ、言っちゃった。マリアちゃんも可哀想に」
 残念そうな口ぶりの割りに、フローラの顔は少しも残念がっているように見えなかった。初めからわかっていたことだと、彼女にとってはそういう事だ。
 「時と場所と言うべき人くらいは弁えてますから、ご心配なく。―――尤も、王女殿下も鋭いところがありますから、既に察しているような気はしますが」
 「そりゃあそうよ。私の大切な、一人娘だもの」
 「そりゃ、ご尤も」
 面倒そうに頭をかきながら言うアマギリに、フローラも好きのない笑顔で頷いた。
 悠然とした態度を崩さないフローラの態度に、アマギリは困ったように微苦笑を浮かべている自分に気づいた。

 一人娘、ね―――。

 聞こえないように、唇だけを動かして。
 少しだけ、寂しそうに。自業自得だと知りながら。





    ※ よく考えたらこの二人のサシのシーンって初めてですね。
      そしていきなりマジトーク。まぁ、段取り芝居をする関係には見えないし、こんなものでしょうか。




[14626] 19-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/05 21:48

 
 ・Sceane 19-4・ 


 夕暮れ時。

  アマギリとフローラの他人には聞かせられない内容の会話はまだ続いていた。
 毒を食らわばと言うほどでもないが、いっそ今まで曖昧で済ませていたものも話しきってしまおうという思いが二人とも似合ったのだろう。少なくとも、アマギリにとってはそのつもりだった。
 「それで貴方は、何処へ帰るのかしら?」
 フローラの問いはどうしようもなく直線的で、他者を気遣う部分に欠けていたから、その気遣いがアマギリには嬉しかった。こういう時は遠まわしな表現こそが一番嫌われると、理解していたからだ。
 ゆえに、アマギリの返す言葉も至極あっさりとしたものだった。
 「さて、何処なんでしょうね?」
 「あら、教えてくれないの?」
 「と、言われても。自分でも良く解りませんので」
 どこか上滑りした会話は、しかし意図して話を逸らそうとしているわけでは無く、自身の思考を纏めようとしているためだ。
 自分でも、あまり考えないようにしていた部分なんだなと、アマギリには今更ながらに気づかされた。
 
 ―――それだけ、案外、今の時間が楽しいと思っていたからなのだろうか。
 下手をすればこれで手切れとなってしまう事も有り得ると思えば、幾許かの寂寥感もあった。
 だがそうであっても、否定できない気持ちがある。今は霧が掛かって何も見えない、自身の根幹に根ざす物がそれだ。
 「何となく―――そう、何となくこの間の一件で解った事ではあるんですが」
 雲をつかむような態度で中空を眺めながら、アマギリは選んだ言葉を紡ぎ始める。
 
 例えば、天を―――宇宙を貫く、大樹のイメージが。
 自分の中には何時だって、森の、樹のイメージが中心にあった。
 それこそいっそ、それを前にしてしまえば他の全てが瑣末ごとに思えてしまうようなほど、心の根底に。

 「其処に居るべきなんだって、居たいって思っていた筈だと思うんです。僕は何時か其処へ戻るんだろうなぁって。戻らないわけには行かないんだろうなと、そう思うんですよね。いや、違うな―――どちらにせよ、僕の感情を抜きにしても……」

 戻らざるを得ない。

 そう言った方が正しい筈だと、アマギリはどこかで確信していた。
 ザ―――、と。思考にノイズが走り、アマギリがそう考えた瞬間、何かあまり思い出したくない人物の姿が脳裏に浮かび上がった。
 扇子を広げて、嫣然と微笑むその姿は―――。

 「どうかした?」
 「ああ、いえ」
 扇子を口元に広げて聞き手に徹していたフローラが、言葉を切ったアマギリに首をかしげる。
 アマギリはその姿にピントを合わせて、先ほど浮かび上がったシルエットを首を振って追い払う。
 そういえば、似ているな。
 アマギリはそう感じてしまいそうになって、それは失礼な事―――どちらに対してそう思ったのかは解らないが―――だと思い、その思考を追い払った。
 似ているから惹かれたなど、比較対照にされた側にとっては失礼な話だ。

 ―――例えば、深々と降り積もる雪の静かに響く音のような、そんな、そんな穏やかな人に対して持つ後ろめたさ。
 記憶の底にも残っていない筈の、しかし決して忘れる事も無い実の姉の一人に似た―――似ていると感じる人と話すたびに思う、そんな後ろめたい気持ちは、他の人と話す時にまで持ちたくは無い。
 尤も、どうやら居るらしい実の姉と、たまに脳裏に映る恐ろしくて仕方が無い女性では、訳が違うが。

 「どうかした?」
 一瞬、誰か別の人のことを考えてしまったのが顔に出てしまったのだろうか。フローラに目を細めて見つめられている事にアマギリは気付いた。
 女性徒の会話中に、別の女性の事を考えるなど、それこそ失礼な話だと、アマギリは気分を入れ替えて応じた。
 「いえ。……まぁ、僕が自主的に帰ろうとしなくても、そのうち迎えが来るとも思いますし、ね。―――言って見れば僕にとって、この星での出来事全てが余暇みたいなものですか。ちょっとした、長めの夏休みですよ」
 必死で何かを追い求めようとしている―――例えば、聖地でひたすらちょっかいを掛けてきた級友未満の人間などからしたら失礼極まりない言葉だろうが、フローラは案外あっさりと受け入れられる意見だった。
 「―――だから、そのうち居なくなるのに期待されても困る、と言いたいのかしら」
 「否定はしません」
 棘も交じろうというフローラの言葉に、アマギリは苦笑して頷くしかない。
 「言い方は悪いですけど、前提として何時か引き上げる必要がある以上、どう頑張っても暇つぶし以上のものにはなりませんから。そのうち、手放さざるを得ない事を、忘れる事は出来ませんからね」
 「暇つぶし。―――そうね、貴方の聖地での適当に見える行動を見る限り、そうなのでしょうね。貴方ならもっと、波風立てない生き方も出来るでしょうけど―――折角の暇つぶしにそれじゃ、退屈だものね」
 否定をしてごまかす事もできるだろうに、その辺りが誠実なつもりなのだろうかとフローラは呆れ混じりに言った。
 身勝手な男らしさではなく、年相応の素直な少年らしさを自分にも見せてもらえないものかと、心の片隅で思う。
 それはきっと自身の一人娘辺りに聞かれれば、その態度を前に無理を言うなと返されるところだろう。
 「傍から見れば、自分の命を手札にして、随分無謀な事をしているように見えるけど実際には貴方、あの程度で自分が死ぬ筈が無いって確信していたでしょ?」
 フローラは当然、山間行軍演習の時に起こった事件の顛末を聞いている。顛末どころか、発生する前段階から気付いて、アマギリの動向も見守っていた。
 その課程で気づいた事が、アマギリは自分が死ぬとまるで考えていなかったという事実。
 一か八かと言う捨て鉢の気分でも、鈍感さ故の無能でもなく、純粋にあの状況を考察した上で、自分なら死なずに終わると確信しているように見えた。
 その言葉に、アマギリはあっさりと頷いて応じた。
 「そうですね。あの程度は火傷の危険すらない火遊び程度ですよ」
 「死に掛けたのに?」
 「でも、ホラ。―――実際に生きてますし」
 両手を開いてあっさりと言ってみせるアマギリに、フローラも頷く。
 普通ならば咎める部分だろうに、その辺りがいかにもフローラ・ナナダンの態度と言えた。これで素直な少年の姿を見せろと言うのは、確かに無茶だろう。好きに振り回されるのがオチである。
 「そうね、結果が全てだもの。―――あの翼に関しては?」
 「知るべきでは、ないんじゃないかと」
 さり気なく疑問を差し挟むフローラに返したアマギリの言葉は、更に一段、二段とトーンが低くなったように感じられる。
 
 翼。考えるまでも無い。
 女神の翼などと、聖地では誰もが言っていた、アマギリを無傷で生還させた不可思議な現象だろう。

 「知るべきでは、ない?」
 重ねて問い返すフローラに、アマギリはそれでも声音を変えずに頷いた。
 それは本人でも理解できぬ感覚から来る、迂闊に触れられたくない領域だった。これに関しては、例え誰であったとしても、同じ対応を取ることしか出来ない。
 「ええ、知るべきではないと思います。アレに関しては僕にも説明できない―――いや、したくないのかな。とにかく、多分遊びじゃすまなくなると思いますから」
 後生だから聞いてくれるなと言うアマギリに、フローラは仕方がないかと同意した。
 勿論、フローラは独自に調べるのは止めるつもりはなかったし、アマギリもそれを止めるつもりはなかった。同時にアマギリは、自分でも解らないものが彼女に調べられる筈も無いと傲慢な考えもあったのだが。

 それにしても、あの翼が開いてから、覚えていない事を思い出す機会が、増えた。
 それが帰るべき場所へ帰る日が近づいているという事を示しているのか―――それとも。

 ここで生きていくために、必死で土台を形作ろうとしているのか。この大地に、根ざす為に。

 黙考に耽るアマギリを他所に、フローラは話題を変えて言葉を続ける。
 「そう、じゃあそれに関してはいいわ。それで貴方は、今後の余暇の消化方法は決まっているのかしら」
 お互い何を考えているか到底理解しあっているだろうが、それすらも表には出さずに、図ったようにタイミングを合わせて話題を変えていた。
 「今までどおり女王陛下にあわせるって言うのは―――」
 「それは、駄目」
 肩をすくめて返すアマギリに、フローラはにこりと微笑んで却下を告げる。
 「正直に言うとね、貴方と言うピースは大きすぎて、パズルの何処にも当てはめようがないのよ。私は構わないんだけど、最近議会がどうにかしろって五月蝿くって、ちょっと今のままだと面倒になりそうで、ねぇ」
 「其処で本人の前でため息を吐かれるのも困るんですけど。一応言っておきますけど、今更斬られるのは御免ですよ」
 念のためと言う風に告げるアマギリに、フローラは心外だと眉をひそめた。
 自分に対する―――自分の立場、ではなく個人にである―――他人の思いに、理解が及ばないんだなと、フローラはまた一つアマギリを理解した。
 ユキネが見るに見かねて世話を焼かずには居られなくなるわけだと、顔に出さずに考えている。
 「自分の息子を斬るような親は、居ないでしょ」
 「王族なら、むしろ珍しくない事じゃないですか。―――というか、息子ですか、結局」
 どうも会話の早々に梯子を外された感のあったアマギリとしては、今更息子呼ばわりされても戸惑う部分があった。 
 何故此処まで戸惑うかと言えば、冷静に考えればフローラと一対一で会話をするのが実は初めてなのだということに、今更に気づかされる。
 割と初めから一歩離れた位置に置かれていたために、割り切った関係で居られたわけだが、対面して話してみれば、意外なほど自分はフローラのことを理解していなかったらしい。

 誰かに重ねて、そういうものだと理解したつもりになっていた、そういう事かもしれない。
 
 だから、心底楽しそうに頷く―――本気の笑みを見せるフローラは、アマギリにとって意外な程の戸惑いを覚えさせるものだった。
 「そう、貴方は私の大切な子供。た、い、せ、つ、な―――”まだ”子供ね。そこは残念だけど」
 「……何か、すっごい嫌な含みを込めますね?」
 それこそ、何処かの誰かのように。蜘蛛の巣に絡まった獲物ににじり寄るかのような不吉な言い回しをするフローラに、アマギリが頬を引き攣らせる。
 しかしフローラは、アマギリの態度が楽しくて仕方ないと言う体で言葉を続ける。
 「忘れたのかしら、私は周りの、娘の反対すら押し切って、貴方を自分の手元に置きたいと思ったのよ? 言ってみれば―――」
 
 年齢を感じさせぬ、嫣然とした―――そうではなく、華のような微笑で、フローラは続ける。

 「―――言ってみれば、私は貴方に、きっとあの時一目惚れしたの。一目見た時から、そう。どうしようもなく、貴方の事が欲しいと思ったのだから」
 
  貴方の事が欲しかったから。ただ、それだけ。

 フローラがアマギリを手元に置こうと思った理由は、唯々それのみに尽きる。
 使えるとか、使えないとか、特殊な能力があるとか、そうではないのか、そんな事は瑣末ごとだ。
 欲しいと思えたから手に入れて、それがたまたま使えた―――今では、使え過ぎたとも言えるけど。それに関しては精々、一緒に楽しく遊べそうで何より程度の思いしかない。
 重要なのは傍に居る事で、何かの理由があるから、何かをするのに必要だから傍に置いておきたいと思っているのではないと、そんな風にはっきりと明言するフローラに、アマギリは戸惑い混じりに視線を逸らした。

 予想外の言葉過ぎて、正直な所、反応に困る。

 「……そりゃ、光栄ですけど。―――でも、なんていうか、ホラ。うん、何ていうか、……そのですね。―――あれだ。そう、僕は本当に、そのうち帰ると思うんですよね」
 女性から、此処までストレートな想いを告げられるのも初めての経験なのだろう。アマギリはどうしようもないほどに逃げの姿勢で言葉を返す事しかできなかった。
 だからと言って咄嗟に周りを見渡しても、経験の足りない頭の中を高速回転させても、逃げ場など見つかりはしないし、フローラが此処で手を止める筈もない。
 「因みに私は―――帰る場所があっても帰す気がある、何て言った事は一度もないわよ?」
 きっぱりはっきりと言い切ってしまうフローラに、アマギリはうめき声を上げるしかなかった。
 無駄な抵抗、そう思いつつも言う他ない。それが更なる事態の悪化を引き起こすと感じながらも。
 「―――でも、帰らざるをえないと思うんですよ、僕は」
 「それでも、絶対に帰さないわ。このフローラ・ナナダンが、欲しいと焦がれて手元に収めたものを、素直に
手放すわけがないじゃない」
 誰が相手でも、と。アマギリが時々フローラと重ねている誰かに向かって、挑むように言い放つ。
 
 女と言うものは、恐ろしい。
 何時だって恐ろしいそれが、最も恐ろしくなるその時とは、一体どういう時だと思う―――?

 疲れたような顔をした偉丈夫が、何時か何処かで、そんな事を漏らしていたような気がする。
 きっとそれは今みたいな時のことを指すのだろうなと、アマギリは逃げ場の無い思考の中で、そんな風に悟った。
 「それでも、帰るといったら―――」
 これぞ駄目な男の体たらくだという見本そのままのアマギリの悪足掻きに、しかしフローラは艶やかな笑みを浮かべて、自身の望むままに答えるのみだった。

 「そうね、その時は―――私が、貴方に付いていっちゃうっていうのは、どうかしら?」






     ※ ……そろそろ、このSSのヒロインが誰なのか、皆様理解し始めている頃でしょうか。
       と、言っても当たり前のように予定は未定なんで、今後も流動的に進むのですが。
       



[14626] 19-5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/06 21:49

 ・Sceane 19-5・


 久しぶりに浸かった王家専用の大浴場は、以前と変わらず何かの花のような香りの充満する―――率直に言えば、男性であるアマギリにとって、あまり長居したい場所ではなかった。

 別段、年若い女性の侍従たちに浴事の世話をされる事それ自体に何かを結びつける事もない―――ないと、思うようにしているのだが、そういう気まずさとは別で、単純に一糸纏わぬ姿で気を抜いていたい場所でも人の目があると言うのは、気分として落ち着かないものだった。
 そういう立場であるから仕方ない、と解っていても感情的には、別だという意味である。
 それを踏まえると、人手不足だからという理由で一人で風呂に入る事ができた聖地での暮らしは非常に快適なものだったのだなと、アマギリは明かりを落とし始めた夜の廊下を歩きながら、そんな風に思っていた。
 この王城で気を抜ける場所は、自室どころか、天蓋に覆われたベッドの中にしか存在しない。
 それ以外の場所では常に一目が存在するから、アマギリも王族としてそれ相応の態度が求められるのだ。
 普段であれば、意識せずともできるそういった態度も、今は気力を振り絞らねば難しかった。
 長旅の疲れ―――と言うよりは、ハヴォニワに降り立った後での疲れが多すぎる。個性的な女性たちへの応対は、それだけで体力、精神力を疲弊させるのだ。

 特に昼の気位の高い子猫の縄張り争い―――特に夕方のちょっとした予想外の出来事。

 特に後者に関しては、あまり深く考えるのは精神衛生上良くない気がする。
 ブンブンと思考を振り払うように首を振っていると、背後についていた侍従に、自室の扉を通り過ぎている事を告げられてしまった。
 苦笑を浮かべてすまないと告げて、アマギリは侍従の開いた自室の扉をくぐった。
 
 相当、疲れているようだ。―――早く、寝よう。

 それだけを考えるようにしていたから、だから、室内に人の気配があることにも、初め気づかなかった。
 開いているバルコニーへと続く窓。其処から運ばれてくる湿度の高い夏の夜風。
 其処に混じる、花の香り。
 揺れる栗色の髪、―――悪戯っ子のように、きらめく眼。

 この目、夕方にも見たな。

 誰と認識する前に、初めにアマギリが思った事はそれだった。その後で、どうやら相当夕方の一件が堪えているらしいと自分でも解った。晩餐の折にボロが出なくて本当に良かったと思う。

 「お帰りなさいませ、お兄様」

 窓際のリクライニングチェアに腰掛けていた少女が、やんわりとアマギリに向かって微笑んだ。
 「よりによって寝室に入り込みますか、王女殿下」
 どうりで、従者からお休みなさいませじゃなくて、ごゆっくりなんて言い方をされたと思ったと、アマギリは肩を落とした。
 無視してベッドに入ってやろうかと思いつつ、そんな事をすれば後が恐ろしい事になりそうだったので、仕方なく窓際のテーブルに近づく。
 「一番リラックスできる場所なら、アマギリさんの一番素の部分が見られるかと思いまして」
 兄の寝室で我が物顔で寛いでいたマリア・ナナダンは、疲れた態度のアマギリに、優雅な態度でそう答えた。
 「割と普段から、素のままで生きているつもりですが」
 「そんな事はないでしょう。聖地では随分と、こちらでは考えられないほどアグレッシブに動いていたとお聞きしていますよ」
 向かいに腰掛投げやりに言うアマギリに、マリアは手ずからティーポットからハーブティーを注ぐ。
 アマギリは礼も言わずにそれを受け取り、ゆっくりと口に運ぼうとして―――マリアからの一言で、それを噴出しそうになった。
 「それに、ユキネとは随分砕けた態度で接しているようですし」
 「……何を言いたいのか解りかねますね。そういえば、ユキネ―――、あ―――……さんは?」
 一瞬咽そうになるのを何とか堪えながら、アマギリは話を逸らそうと言った。
 その態度はありありと、聞かれて困る事があるのだと証明しているようだった。 

 その姿を、マリアは意外なものを見るかのような目で見ていた。
 自分で言っておいてなんだが、本当に素の部分の一端を見る事ができるとは考えていなかったらしい。
 まるで年相応の少年のような慌てた態度で、かえってそれが、マリアのイメージの中にある浮世離れした感のあるアマギリと合致しなくて意外だった。
 見ると聞くでは、やはり大違いだ。
 昼に話したユキネのほうは殆ど何時もどおりだったのに、アマギリだけが、以前と違う。

 もう少しこの部分を覗いてみたら面白そうかもしれないと、マリアは薄く笑って言ってみる事にした。
 「別に私に気を使わずに普段どおりで構いませんわよ。―――っユキネは旅の疲れもあるかと思って先に休むように言っておいただけですから」
 この内裏は警備体制も磐石ですからと続けるマリアに、アマギリは、きっと彼女はこの兄妹一対一の場面を用意するために、あえて席を外そうと思ったのだろうなと考えた。
 彼女は、主の行動を正確に読む事が出来る、よく訓練された従者だったから。
 「それはまた、従者の鏡のような話で」
 「あげませんよ。―――私のものですから」
 相も変わらずと言った親しげな態度が癇に障ったのだろうか、マリアは尖ったような声で言った。
 少女らしい移ろいやすい気持ちは愛らしくもあるのだが、正直疲れているから今日はもう勘弁してもらえないかなぁと、アマギリは投げやりな思考で―――普段なら絶対にやらない、何も考えずに口を開くと言う行為を行ってしまった。

 「それじゃ、欲しくなったら王女殿下ごと貰う事にします」

 他意は無かった。
 売り言葉に買い言葉で、まさか”要りません”等と言う訳にもいかず、脳から零れた言葉を適当に口に載せてみただけだったのだが。

 ―――サァと、レースのカーテンを揺らして夏の夜風が舞う。
 言った方も、言われた方も―――不意の一言に思考を停止させてしまう。

 この流れで、その返し方は無いだろう。

 言った方も、言われた方も全く同じように、そう考えた。
 だってその言葉はどう考えても、アマギリ・ナナダンが発した言葉に相応しくない。そういうキャラじゃないだろうと、二人して目を丸くしながら心を一つにしてしまう。
 それは、自ら泥沼に嵌りにいくような、失言と言うにも失笑が必要な言葉だったから。

 どう考えても失言だなこれはと思いつつも、しかし言ってしまった以上はどうにもならない。
 アマギリは何食わぬ顔で―――態度で、冗談でしたで済まされるようにと祈りながら、ハーブティーを口に運んだ。カップは空だった。気付かないように、飲んだフリをしながらマリアの様子を伺う。
 率直に言えば、マリアの表情の変化は見物だった。
 赤くなったり青くなったり眉根を寄せたり失笑して見せたり頬を引きつらせたり、慌てて周囲を見渡したり。
 どちらかと言えば、素の部分を見せているのはマリアの方じゃないのかと、アマギリは他人事のように思ってしまう。
 以前は何度もこういう機会を持っていたが、そういえば歳相応の少女らしい仕草を見るのはこれが初めてかもしれない。
 普段の聡明な、取り繕っているであろう態度の時の方がアマギリにとっては好みだし、歳相応の少女らしい態度で振り回されるのも御免だったりもするが、たまに見るなら、これはこれでありかなと思えてしまうのが不思議だった。
 美人は得だという事だろうかと、アマギリがくだらない事を考えていると、マリアの百面相は漸く止まった。
 俯き加減で口元に手を当てていたマリアがゆっくりと顔を上げて、ようやく口を開いた。

 「ようするに、絶対にいらないの隠喩と捉えていいのかしら?」

 「……こう言う時にお互いの信頼関係って問われますね」
 ようやっと搾り出されたマリアの言葉に、アマギリは椅子からずり落ちそうになりつつぼやいた。
 信頼感ゼロである。案外と無意識から出た言葉だったから、本音に近い部分もあったのにとアマギリは思うのだが、マリアにとっては冗談にもならない冗談に過ぎなかったらしい。
 そんなアマギリの滑稽な姿をマリアは鼻で笑う。
 「家を出たと思ったら三ヶ月間で一度も連絡をしなかった方に、信頼感など持てる筈がないでしょう」
 「―――まぁ、ご尤も」
 「そういう直ぐに迎合してみせる態度が、他人の信頼を損ねるんですよ」
 ため息交じりのアマギリを、マリアは冷めた視線で切り捨てる。

 どうやら相当に、一度も連絡を取ろうとしなかった事がマリアはお冠らしい。

 謝罪すべきか、宥めるべきか。
 生憎とアマギリの記憶の片隅にも、こういう時の解決方法と言うものは記されていなかった。
 何でこんな、我侭を言う妹を宥めるような兄みたいな真似をしているんだろうかと、自分の表向きの立場も忘れてそんな風に思ってしまう。
 やはり人間、素の部分をそのまま見せるよりは、適度に猫を被っていてくれた方が良いなと、そういう風に納得しつながら、当たり障りの無い言葉を口に載せてみた。
 「こう言ってはなんですけど、そういう他人に直ぐに迎合する部分こそが僕の素みたいなものではないかと思うんですが」
 「……だらしない、そして情けない部分を素だなどと、平気で言わないでください」
 「―――まぁ、ご尤も」
 しかし、一撃で切り捨てられた。
 腕を組んで口を尖らせて、完全にむくれた少女そのままの態度に、アマギリはどうしろって言うんだと頭を抱えたくなった。
 そも、何で疲れているときに限って厄介ごとが起こるんだろうかと、今更そんな事を考えている。
 
 どう考えても、”嫌な事は後回し”のツケが回ってきただけなのだが、それに気づかないのがそれこそアマギリの素だった。

 それに気づいているマリアとしては、駄目だなコイツとかばっさりと切り捨てた思考だったりする。
 同時に、こういう駄目な人間になら、ユキネも確かに世話を焼きたがるだろうとも思っていた。
 それである程度、この駄目な男をコントロール出来ているのだから、マリアとしてはユキネを賞賛する他ない。
 自分は三ヶ月前に割りと一念発起して言葉を伝えてみたのに、くびきの一つにすらなれなかったのだから。
 いや、くびきの一つになりたかったのかどうか、正直未だに解らないのだが。今日此処で話してみても、やはり解らない。
 そもそもであった当初は、アマギリ・ナナダンは母であるフローラのものだと言う意識が、マリアの中には大きくあった。
 それを前提とした付き合い。初めは本当にそれだけだった。どれだけ近づこうと、所詮は母のもの。自分のものにする事は、決して不可能。ならば、当たり障りが無い、ある程度の友好さがあれば充分。

 だが、それなりに長い事会話を重ねていれば、それだけでは居られない自分にも気付く。

 会話のリズムが合い、それなりに気を許せて絞しまった少年。
 初めての同世代―――と言うには少し歳が離れているが―――で同じ立場、つまり、母フローラに完全に庇護される立場と言う意味での、気を置く必要の無い仲間意識。
  そうであるが故に、勝手な同族意識で気を許してしまえているから、相手にも同様に思って気を許して欲しいと、そんな風に無意識のうちに考えている。
 無意識から来る、少女らしい甘えた態度。
 そんな”甘え”を、マリアは意識的に許容する事が出来なかったから―――彼女に出来る事は、兄と同様自分を見せずに相手だけが中身を見せる事を要求するという、情けない姿。それを、猫を被って誤魔化し通す。
 母が見ればきっと、素直になれば楽になるのにとそう言うに違いない。
 それが出来れば、苦労しないと。脳裏に浮かんだ、夕食時に見た幸せ絶頂といった顔をした母の幻影を追い払う。そういえば、何時に無く上機嫌だった。アマギリが帰って来たからか? いやいや、それだけでああはなるまい。つまり、ラシャラと離している間に、アマギリと何かあったか。そういえば目の前のコイツも随分疲れているように見える。食堂には二人で現れた、つまり二人は一緒に居た。一緒に、疲れるような、おいおい、何をしていた?

 ―――精神衛生上、宜しくない。これは後で、考えよう。
 
 マリアは首を振って、思考を追い払う。
 急いで考えるとろくな事になりそうが無かったので―――何が一番ろくでもないかって、ようするにそれが真実である可能性が高い事だ―――後でゆっくり落ち着いて考えようと、思考を改める。
 そして、そう考えた後でマリアは自身の思考に苦笑するほか無かった。
 嫌な事は後回しと―――やっている事は、兄と全く変わらない。

 「―――ホントに、反省しましょうね?」

 苦笑交じりに言われても、アマギリとしては目を丸くするしかない。
 勝手に怒り出して、勝手に機嫌を直してしまう。少女らしい気分屋な態度。全く持って、自分の手には負えないなと、アマギリも苦笑する事しか出来ない。
 「了解しました、王女殿下」
 結局、こうして、何時ものように。
 踏み込んでいるようで、実は全くそうでもないような、どこか上滑りする会話が、きっと三ヶ月前と同じように続いていく。
 真実、お互いが何を考えているかは、決して解らないまま。
 その事に、少しの居住まいの悪さを覚えつつも、これが、いまやハヴォニワの日常だなと―――きっと二人とも同じように考えていた。





     ※ 何だかんだで似たもの兄妹と言う、多分そんな話。



[14626] 19-6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/07 22:23


 ・Sceane 19-6・



 「あ、そう言えばさっきの話しはユキネにはオフレコでお願いしますよ」

 夜も更け、と言うほどには実はそれほど遅い時間でもなく、単純に疲れているからとアマギリが早く寝たかっただけなのであって、実際は晩餐から数時間しか経っていない時間。
 アマギリとマリアの会話は、未だに続いていた。
 大分気分が緩んでいるらしいと自覚のあるアマギリとしては、果たして冷静に帰った時に何処までがセーフティな発言だったろうかと考えてしまうから、余計な事を言われないように念押しすることは欠かせない。
 「やっぱりバレて泣かれるのが怖いのですか?」
 二杯目のお茶―――今度は、アマギリが用意した―――を口元に運びながら、調子の戻ってきたマリアは悪戯っ子の笑みを浮かべて兄に問うた。
 マリアはマリアで、後に考えると羞恥物の態度を取ってしまった自覚が合ったから、取れる時に主導権を取ろうとするのを、欠かす筈も無い。
 アマギリも調子を合わせるように―――合わせたら合わせたで、また理不尽な思いをする事になるんだろうなと思いつつ、微苦笑を浮かべて首を振った。気に優しき、兄心だった。
 「どちらかと言えば、叩かれるんじゃないですかね?」
 肩をすくめて言うアマギリに、マリアは兄と自身の従者の想像以上の親しさに、またぞろ微妙な気分が湧き上がる。表に出そうなそれを押さえ込みながら、マリアは形だけでもつまらなそうに笑った。
 「あら、つまらないの。アマギリさんならあの子の外側を覆う厚い氷をすり抜けてくれるんじゃないかと期待してましたのに」
 
 ユキネ・メアという少女は―――個人的に親しくしているアマギリ達にとっては冗談としか思えないのだが―――遠めで見ていればアイスドール呼ばわりされるほどに寡黙で冷徹な人間に見えるらしい。
 実際に付き合ってみれば、口下手なだけで心優しい女性だと解るのだが。

 「僕にそういう包容力を期待されても困りますが。―――にしても、氷を”壊す”とか”溶かす”ではなく”すり抜ける”なんですね」
 どちらかと言えば女性にこそ包容力を求めたいと言う気分のあるアマギリは、しかしそんな事はおくびにも出さずに笑って話をずらした。
 アマギリの内心を察してか、マリアはこのヘタレめと彼の態度を鼻で笑い飛ばした。
 「貴方がそんな、莫迦正直に正面から挑む筈がないでしょう。どうせ、蛇みたいに隙間を見つけて、するりと入り込むに決まってます」
 「まぁ、実際半身は蛇ですからね、僕は。―――龍呼ばわりされるより、プレッシャーが掛からなくてありがたいですよ」
 酷い言い草だなと苦笑いしつつも、アマギリは肩をすくめるにとどめた。
 「龍、ですか」
 ふぅ、とマリアはそう呟いて息を吐いた。
 「聖地では、蛇のように上手く立ち回ったと言うか、龍のごとく暴君のように立ち振る舞ったと言うべきか、その辺り、本人としてはどうお考えなのですか?」
 「―――やっぱり、気になりますかその辺は」
 「ええ、何しろ一度も連絡がなかったものですから」
 「……御免なさい」
 藪をつついたら蛇が出た。
 言葉どおりの状況にガクリと項垂れつつも、アマギリは気分を入れ替え首をひねった後で言った。

 「アレ、上手く立ち回ったって言えるんですかね?」

 完全な第三者から見てどうでしたかと、アマギリはまずはマリアの見解を聞いてみたかった。
 問われたマリアは、アマギリが聖地で起こした―――”聖地から”起こした騒動の成果を思い浮かべた後で、頷いた。
 「充分言えるのではないですか。手駒一つ持たないただの子供が、我が母フローラ、シトレイユの宰相ババルン・メスト、さらには教会の教皇聖下を始めとする各国のお歴々を存分に振り回して見せたのですから」
 「……其処だけ聞くと、何か凄い感じがしますね」
 実際は、後始末で酷い目にあわせただけの人間が殆どなのだが。
 投げやりに頭を掻くアマギリに、マリアは猫のように目を細めて笑った。
 「ええ、社交界でお兄様の噂を聞かない日はない、と言う有様でしてよ」
 「うわぁ、嫌な予感しかしない」
 聞き伝の噂を百倍にすることくらいしかやる事がない暇人の集まりの中で、ちょっとした話題の中心にすえられてしまえば、どんな酷い噂がたつかなど、アマギリには想像する必要もなかった。
 マリアもしたり顔で頷いている。
 「何でも婿に迎えたくない王族ダントツNo.1の栄誉を賜ったとか」
 「余所に婿入りさせるしか使い道が無い、継承順位の低い王族なのに、それを放置しておいて良いのかハヴォニワは……」
 夕方の女王の言葉を考えれば、きっと良いんだろうなと思いついてしまい、アマギリは首を横に振ってそれを思考から追い出した。
 そんなアマギリを楽しそうに眺めながら、マリアは添えるように言った。
 「因みに、嫁に入れたい婿のNo.1はダグマイア・メストのようですが」
 マリアの言葉に、アマギリは、ああ、と頷いた。

 「まぁ、外面は完璧ですからね、彼」

 「―――あら」
 「……どうしました?」
 何故かマリアは、アマギリを意外なものを見るような目で見ていた。
 目を丸くして、どこか驚いている風だ。
 「冗談のつもりでしたのに、まさか本当に素の顔を見せてもらえるなんて」
 よほど意外な事だったのか、何度も何度も確認するように、マリアは意味も無く手を合わせて頷く動作を繰り返していた。
 そんな風に言われても、アマギリにはいまいち意味が理解できない。
 「どんな顔をしていましたか、僕は」
 「そうですわね、蚊が自分に集っている時のイラついた顔、とでも言いましょうか」
 「―――蚊、ですか」
 開きっぱなしの窓の向こうの夏の夜空を見上げてる。因みに、人には感じられないほどの微細な亜法振動波によって、例え窓を開けていても虫が侵入する事は無いらしい。
 アマギリは冷めた思考でなるほどと思っていた。
 虫。精々羽虫が良い所だ。目に付けばうざったくて、潰して手を汚すのもわずらわしいし、払わずに捨て置くには目に余る。
 容赦も感慨もなく考えてしまえば、そう表現してしまうのが一番正しく感じられた。
 と、同時に余りの言い様に笑いもしてしまう。
 「大シトレイユの宰相閣下のご子息を虫けら扱いなんて、流石にハヴォニワの王女殿下ともなると度量が違いますね」
 隙の無い笑みを浮かべて言うアマギリに、マリアも華の様な笑みで頷き返した。
 それはお互い様でしょうと、まるで口には出さずに意見は一致を見ていた。
 「大シトレイユの宰相閣下には払う敬意に過不足はありませんが、その御子息は未だに海のものとも山のものとも知れぬ未熟者でしょう。評価に値する成果を見せていない人間の扱いなんて、その程度で充分ではありませんか?」
 「結構きついですね、王女殿下も。……だいたい、その辺は僕らも変わらないでしょう」
 まだまだ親の脛齧りという意味では、何処かの蚊扱いされた人間といい勝負だと言う意味でアマギリは言ったのだが、それとは関係なしに、マリアはまたもや目を瞬かせていた。
 「あらあらまぁまぁ」
 わざとらしく驚いたような口調で、そんな風にマリアは言う。
 「―――今度はなんです?」
 もう何が言っても構わないと投げやりな気分で問い返すアマギリに、マリアは実の母のような内心を悟らせないような笑みを浮かべたままで答えた。
 「やはり聖地へ行かれてから少し変わったような気がしますね、お兄様。―――”僕ら”なんて自分と他人を混同するような物言い、以前なら絶対にしなかったでしょう」
 
 「―――そう、ですかね」
 そうだろうか。そうかもしれない。
 一瞬、言葉に詰まってしまったのは、アマギリにとっても図星だったからだろうか。
 実際問題、何処まで言っても”此処”の人々と自分は別だと考えていた部分があったから、アマギリにそれを否定仕切る事はできそうに無かった。
 考え込んでしまいそうになるアマギリに、マリアは楽しそうに言った。
 「なるほど、硬い氷を溶かしたのはお兄様ではなく、ユキネの方、と言う事ですわね」
 「そん、―――いや」
 戯れる様なその言葉を、否定しようとして、そうしたら誰かの叱る時の顔が浮かんでしまったから、それも出来なかった。
 良くないペースに巻き込まれているなと、アマギリは大きく息を吐いた。
 「……それこそ、後で聞いたら誤解を生みそうな気がするので、オフレコでお願いしますよ」
 「あら、まぁ。顔が赤いですわよ、お兄様」
 からかうような妹の言葉に、しかし返す言葉の浮かばぬアマギリは、視線を逸らして黙秘を行使した。
 そんな拗ねたようなアマギリの態度に、マリアは優雅に笑う。
 仲の良い兄妹の、それは自然なやり取りに見えた。

 こういう雰囲気も、案外良いのではないか。
 お互いの立場を笑いながら、擦れた態度で賢しい言葉の応酬を行う。そんな何時もも好きだけれど。

 ふとそんな風にマリアは思ってしまい、だから、普段は言わない方向の冗談を言ってしまった。
 「ホント、お熱いです事。どうせならその熱で、心どころか身体ごと―――」

 「―――身体ごと?」

 かたり。
 音がした。そして、何故か、夏に相応しくない震えるような涼しい夜風が、肌を撫でた。
 まるで雪の降り積もった日の、朝のような肌寒さ。
 視線を、向かい合うお互いから、ずらす。
 風を入れるために半開きになっていた窓の向こう、バルコニーに。月を隠す、人影が一つあった。
 遠くの月が隠れて見えないのだから、座って見上げられる位置に居る人影は、つまり至近に居ると言う事だ。

 マリアは、そのまま固まった。
 アマギリは納得したように頷いた。

 「……ああ、なるほど。聖機師の身体能力を生かしてバルコニーを伝って運んでもらったと。うん、そりゃそうだ。年頃の姫様が兄とは言え夜に男の寝室に来れる訳ないもんねー」
 最後の方は棒読みである。
 「あ、あらユキネ。もう、休みなさいと伝えて置いたような気が……するの、だけど……」
 「……聞いたけど、主人を放って休む聖機師は居ない。―――大体、マリア様一人で、どうやってここから戻るつもりだったの?」
 「―――それは、その」
 冷や汗混じりの妹の言葉が、寒い空気をより一層冷やす。
 窓の向こうのその人は、じっとしたまま、動かない。次に口を開いたが最後、何だか恐ろしい事が始まりそうだ。

 アマギリは諦めたように苦笑を浮かべて、思う。

 さて、何処から聞かれていただろうか。いやそもそも、自分たちは聞かれて困る話なんてしていただろうか。
 そして自分は、助けを求める妹を救うべきか、無言でプレッシャーを掛けてくる姉に迎合するべきか。

 悩みどころだった。

 そんな風に考えながら、その日の晩は更けていった。
 それはつまり、夜が更けても考え続けなければいけない―――つまり一人で休む事を許されなかった、そう言う事である。




 ・Sceane 19:End・






     ※ まぁ、お姉ちゃんが一番強いという割とベタなオチがやりたかったと言うか。
       ハヴォニワ組は擬似家族っぽく纏まってきたかなぁ。



[14626] 20-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/08 22:43

 ・Sceane 20-1・


 「なにやら不景気な顔をしておるの、従兄殿」

 「優雅な昼下がりにティータイムと洒落込もうと思ってバルコニーに出たら、タヌキが上がりこんで菓子をつまみ食いにしていれば、誰だって不景気な顔になるのではなくて?」
 
 習慣と言うものは一度身につくと中々抜けないものらしい。
 その日、アマギリは午前中にちょっとした用付けを片付けた後、昼食後のこの時間に当然のように中庭が見えるバルコニーへと上がっていた。自然に体が動いたのだ。
 前日の夜に何か約束の一つでもかわしたということも無いのに、アマギリの行動は全く躊躇いも無かった。
 バルコニーへと向かう廊下の途中で、どうやら同じ事を考えていたらしい妹と鉢合わせてしまい、お互い顔を見合わせて気恥ずかしげに笑うなどという一幕を演じきった後で、いざ、と陽光降り注ぐバルコニーへと上がってみれば、である。

 「なんと。客人に向かって差し出す菓子の一欠けらも無いとは、なんとも狭量なことよのう」
 「私たちの午後のひと時を邪魔する輩を客として迎えたつもりはありません、ラシャラ・アース」

 夏の日差し、刺すような強い直射日光すら生ぬるいと言わんばかりの、棘交じりの言葉の応酬。

 王城に仕える従者たちは気の効くものばかりだったから、一言の指示も無かったと言うのに主家の息女たちの希望に沿う行動をして見せた。
 即ち、当然のように用意されたパラソルで直射日光を遮ったティーテーブル。
 席は、二人の共通の従者であるユキネの分も含めて三つ。―――その筈、だったのだが。

 バルコニーに上がった王家兄妹を待っていたのは、三人席と二人席、二つのテーブルと、五つの椅子だった。
 そして三人掛けのテーブルには、当たり前のように金色の髪の少女が居座っていたから、栗色の髪の少女の眉がつりあがったのは言うまでも無い。
 ラシャラ・アースとマリア・ナナダンは、どうしようもないほど相性が悪い―――いや、良すぎるのだろう。
 同属嫌悪から来る言い争いが当然のように始まってしまったから、のんびりと休憩を取るつもりだったアマギリとしては頭が痛い。
 おまけに、何とかなら無いのかと背後のユキネを振り返ろうとしたのだが、いつの間にか彼女は、二人がけのテーブルに居住まい悪げに腰掛けていたキャイアの前の席に我関せずの態度で腰掛けていたから、最早どうにもならない。
 夏の日差しが、痛い。このまま日射病になりそうだから帰ってやろうかと思いつつも、それをやったら後が怖いから、アマギリに限られた選択肢は無かった。
 
 喧嘩するほど、仲が良い。―――ああ、そうだろうさ。
 だが、喧嘩を止める必要がある誰かにとって見れば、本当に勘弁してもらいたい事態だと言う事を。

 「……解ってくれる筈、無いよね」

 ふぅ、と大きなため息を吐いた後で、アマギリは少女二人が言い争う三人掛けのテーブルに腰掛ける事となった。

 表面上は穏やかに―――穏やかに?
 突発的に設けられたお茶会は進行していた。従者二名は主たちの会話を邪魔するような不作法はしないし、マリアとラシャラは、互いが互いを無視の体制に入っていた。
 二人とも楚々とした、姫と呼ぶに相応しい態度で居るだけの筈なのに、何故だろうか、アマギリにはそれがとても恐ろしいものに感じられたが、だからこそ、怖くて迂闊に踏み込む気にはならなかった。
 そういう態度は、言葉に出さなくても、特に勘の良い女性であれば理解できてしまうものなのだろう。
 マリアは仕方ないと息を吐くだけで、しかしラシャラは、ズバリ核心を突くように言ってきた。
 「案外と、考えている事が顔に出るのじゃな、従兄殿は。我が国の若いのを言い様にあしらって見せた知恵者の顔にはとても見えぬ」
 「―――この方、案外仕事人間ですから。仕事以外の部分で勘の良さを期待するのは間違いですよ」
 どうしてこう、第三者を責めるときに限って息が合うのだろうかこの二人はと、アマギリは疲れたように呻いた。
 「どうせ僕は、配慮に欠けた人間ですよ……」
 追従する言葉の端に、自分の方が近い位置にいるのだという自己主張が混ぜられている事に、人間関係の機微に疎い彼は終ぞ気づかない。隣のテーブルで従者がそっとため息を吐いている事にも、当然である。
 当然のことながら場の空気を察しているラシャラは、そんなアマギリの姿を楽しそうに笑った。
 「なんの、弱点があったほうがよほど親しみがわくじゃろうて。何事も機能的機械的とあっては、人はついてこぬからな」
 「それには同意します。―――が、だからと言って母のように遊び心以外が抜け落ちたような人間にはならないでくださいね」
 呵呵と笑うラシャラに、マリアも不本意だがと言う風に同意を見せた。
 そしてアマギリは、マリアの言葉の端に上がった人物を思い浮かべて、なんとも居住まいの悪そうな顔をしていた。

 「女王陛下のように……ですか」

 あんなに明け透けな人間には、あんなに、そう。明け透けに自身の心内を口に出せるようには―――そんな風に考えてしまっていたら、やはり顔に出ていたらしい。
 年下の少女二人が、半眼でアマギリの事をねめつけていた。
 「……何かな?」
 「いえ」
 「別に」
 冷や汗交じりに尋ねてみても、少女二人は息をそろえて何も言わない。嫌な予感しか、しない。

 口火を切ったのは、金髪の少女だった。
 アマギリの気づかぬ間にアイコンタクトを成立させ、取りえる態度を確定していたらしい。尋ねているのは一人なのに、そのプレッシャーは二人分感じられるのが恐ろしかった。
 「のぅ、従兄殿よ。お主―――フローラ叔母となんぞあったかの?」
 ラシャラの言葉でむせ返らなかった事が、幸運だったのか。続くマリアの言葉で、どの道、アマギリは頬を引きつらせる羽目になるのだが。
 「昨日の晩餐、そして今日の朝餉の時も―――お兄様とお母様は、どこか普段とは空気が違いましたわよね」
 とてもとても、朝とは思えない桃色の空気が発生していたように見えますがと続くマリアの言葉は、アマギリにとって毒を飲まされるに等しい残酷な発言だった。

 全部解ってるから、とっとと吐けと。ようするにそういう事だ。

 視線を思い切りそらせてマリアの追及を避けようと思ったら、隣のテーブルに腰掛けていたユキネと視線がぶつかった。
 心優しい姉に対して、アマギリは決死の気分で助けを求める視線を送ってみる。
 ユキネはゆっくりと頷いた。
 
 同意。

 隠しようも無く、その瞳はマリアの言葉を肯定していた。更に視線を逸らす、キャイアと目が合った。目を逸らされた。アマギリは少し泣きたくなった。
 視線を自分たちのテーブルに戻せば、二人の少女が逃げ場を防ぐようにねめつけてくる。
 視線を逸らし、頬を引き攣らせて呻く。
 「……何を根拠に」
 「その態度がそのまま根拠じゃと思うが……」
 この男、本当に腹芸で大国の重鎮たちを振り回したのだろうかと疑ってしまうほどに、今のアマギリはどうしようもなく思考が顔に出ていた。
 こんな解り易い男にあっさりと力負けするほど、自国の若い人間は程度が低いのかと喜んで良いのか悲しんでいいのか、ラシャラには悩みどころである。
 「……まぁ、アレが腹芸に弱いのは昔からじゃしの。それより、話を逸らす出ないぞ従兄殿。結局、伯母上と何をしたんじゃ。―――よもや、昼日中から乳繰り合っていた訳でもあるまい?」
 「乳繰り……って、ラシャラ様、少しは言葉を選んでください」
 明け透けな主の言葉に、キャイアが流石に問題があるだろうと中進していたが、アマギリにはそれどころではなかった。
 いや、当然そんな事はしていないが―――其処まで考えて、はっとマリアの方を見ると、マリアはまさかと目を丸くしてアマギリを見ていた。
 なにせ、マリアにとっては生まれた時から見てきた母の享楽的な所業の数々である。
 昨晩は曖昧なまま思考から追い出してしまったそれだったが、まさか本当に。このアマギリの態度を見ていると、冗談では済まされない空気がある。問い詰めない訳には、いかなかった。
 「あの不良女王、本当に、まさか―――!?」
 「いや、違っ、違うぞ!? ……ますよ?」
 焦りすぎた返事は最早肯定に近い。
 マリアの脳裏に余り想像をしたくないような映像が映される。

 しどけなくベッドに横たわる扇情的な下着姿の実の母。それに、覆い被さる半裸の兄の姿。

 ―――何故だか似合いすぎていて、マリアは頭が痛かった。
 仕方ないなと思える自分も居て、どうしようもない気分にさせてくれる。これはきっちり、釈明を求めるしかあるまいと、ラシャラに追求を続けろと視線を送る。
 ラシャラも同じ想像をしてしまったのか、深々と頷いて応じた。
 「じゃがのう、従兄殿。あの叔母じゃから何でもありと思うところも我らにはある故、違うと言うであればはっきりと内情を明かしてくれなんだ、早々納得も出来ぬぞ」
 マリアの言葉に咄嗟に反論するアマギリに、ラシャラはニヤニヤと、蟻の巣穴に熱湯を注ぐが如き笑顔で言いそえる。
 
 追求の視線は二つ。アマギリは視線を逸らす。ユキネと目が合った。きつい視線が三つに増えた。
 更に視線を逸らす。キャイアと目が合った。キャイアは、実に気まずそうにどこか明後日の方向を見ていた。
 正面に視線を戻す。興味本位の視線と、眉をひそめた追求の眼。
 席を立って廊下までの距離を―――そんなアグレッシブな行動を、自信が取れる筈も無く。

 ―――アマギリに、逃げ場は無かった。

 「……此処から先は、オフレコで」
 この言葉、ハヴォニワに戻ってきてから使うの何度目だろうかと思いながら、アマギリはため息を吐いた。
 眼前の少女二人に―――背後の女性二人も含めて、興味本位の視線がぽつりぽつりと語りだしたアマギリに集中する。

 昼下がりのお茶会は、いっそ解り易いほどに、公開処刑場の様相を呈してきた。




    ※ 女性のほうが想像力逞しいとか、そんな感じですかね。



[14626] 20-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/09 23:48

 ・Sceane 20-2・


 「つまり、なんじゃ? ……口説かれた、とでも言えば良いのかのう?」
 「その頭に、”改めて”を付けるのが妥当ではないかしら」

 ある日のおやつ時。夏の緑香る庭園を望む事が可能なバルコニーで開かれていた若い王族達のお茶会は、一種微妙な空気で停滞していた。
 行儀悪く突っ伏している少年と、腕を組んで考えている少女。それから、そそと慎ましやかにアイスティーを啜っている少女。
 隣のテーブルに座る従者達は、何とも気まずげにあさっての方向を見ていた。
 「……とりあえず、この件に関して、僕はこれ以上はノーコメントを貫きたい」
 テーブルに突っ伏したままのアマギリは、憔悴したようなうめき声で言った。
 「全部話した後にノーコメントを宣誓するとは、親切なのか無粋なのかようわからぬの従兄殿」
 「……そうやって、話を広げないようにっておっしゃってるんじゃないですか、ラシャラ様」
 一応同級生のよしみ、と言うか同年代の情けとでも言うべきか、苦笑混じりにやんわりと取り成そうとするキャイアにしかし、ラシャラはとてもとても楽しそうに笑うのみだった。
 「何を言うキャイア。ここから先に主に既成事実的な意味でどの方向に持っておくかが楽しみなのではないか」
 「いえ、こういう事はお互いの気持ちが大切であって……」
 「自分で話を広げてますわよ、キャイアさん」
 マリアに視線も合わせず突っ込まれて、キャイアが紅くなって俯く。微妙に耳をそばだてている体だったユキネも、気まずげな顔をしていた。
 「……だから黙秘したかったんだ」
 「触りだけ語って、何時ものように適当な言葉ではぐらかせば良かったではありませんか。それが出来なかったという事は、自分の中にはぐらかしたくないと言う部分があるということではないのですか、お兄様。……いえ、なんでしたら」
 「……後生ですから、其処から先は言わないで下さい」
 兄扱いですら重たいのに、其処から更に有り得ない呼び方をされたら恐らく死ねる。
 アマギリは全力で平身低頭の姿勢をとってマリアに懇願した。
 「なんというかアレじゃの。その情け無い姿を見せてくれただけでも、ハヴォニワに来た甲斐があったというものじゃのう、”叔父上”?」
 「勘弁してくれよ、本当に……」
 「口調に乱れが出ていましてよ、”お父様”」
 流石に可哀相だとユキネが止めに入るまで―――何故か、随分と時間が掛かったが―――二人の姫君によるいじめは続いた。

 「では、可哀相な従兄殿改め叔父上殿(推定)のために、少し真面目に伯母上の思惑を考えてみようかの」
 「そう言いながら、自分が辱める事に関しては止める気は無いんですね……」
 他所の王家の色事を好き放題言って平気なんだろうかと、意味は無いだろうと思いつつもキャイアが突っ込む。
 尤も、彼女も年相応の興味からか、話の進行を止めるつもりはなかったのだが。
 ユキネも、たまには良いクスリだとでも思っているのか、アマギリをいじめる事に関しては留める気は無いらしい。どうも、命の危険さえ回避できれば私生活は締め上げていくべきだと悟ったのかもしれない。
 例外は、身内の話なのに特にこれといった驚きをみせないマリアくらいだった。
 「何じゃマリア、おぬし、まるで興味がなさそうじゃの」
 「貴女のように下世話な話題を好まない―――と、言うのも勿論ありますが、元々解っていた事ですから、何を今更といった所でしょう。むしろ、今更そんな事で悩んでいる其処の殿方の神経を疑いますが。―――遂に一夜を共にした、などというなら私も覚悟を決める必要がありますが」
 
 ”たかが”思いを告げられた程度で、今更何を驚くのかと、マリアは至極平然とした態度で、そう語った。 

 流石にテーブルを囲む全員が目を丸くする。
 こういう場合、驚いて、ついでにからかうのが普通だろうに、当たり前とは何事なのかと少女達は思った。
 しかしマリアはそれを取り合うこともなく、優雅な仕草でストローを加えた後で言った。
 「この素性不明、出所不明の殿方は、元々お母様が何処ぞの田舎から拾ってきたものですから。ここでこうして、私たちと共にテーブルを囲んでいられる理由なんて、それ以外考えられませんでしょ?」

 馬鹿馬鹿しい、心配して損したと、マリアは内心でアマギリを罵っていた。
 母が、フローラがアマギリに惹かれている―――あらゆる意味で、だ―――などと言うことは、そんなの、初めてこの男を紹介された時から解っていた事だ。
 何せ、フローラ自身がまるでその事を隠していなかったのだから。
 有無を言わさぬ態度、そして態度で示す執着、時折見せる焦がれるような瞳―――、一目見れば解るだろうに、この馬鹿兄はまさか今までその可能性を全く考えていなかったのか。
 てっきり母を喜ばせるために聖地であれだけ派手に、母好みの行動を取っているとマリアは思っていたのだが、全くそうではなく、アマギリが何も気づいていなかったと言うのなら、何とも微妙な気分と言える。
 何のために一線引いた付き合いをお互いにしていたのか解ったものではない。
 母を間に挟んで―――つまり、人一人分の、その分だけ距離が遠いと、それは仕方が無いことだとマリアは思っていたのだが……アマギリは、その辺りに何も考えが無かったと。
 ―――よもや、単純に興味が無いから距離を置いていたと言うことでは、あるまいな。

 それは、何だろうか。他意は無いが、非常に女性としての沽券に関わるような気がする。
 他意は無いが。
 
 「……なるほど、ヒモと言うヤツか」
 「と言うか、素性不明って……」
 したり顔で頷くラシャラの横で、キャイアが頬に汗をたらして呟く。また、聞いてはいけない事実を聞いてしまった気がしていた。
 「あの母の言葉は一件冗談のように聞こえるものが多いですが、現実には全て真実ばかりで―――だからこそ、ええ、忌々しいのですが―――ともかく、そうとしか取れない言い方をしたのであれば、一面とは言えそれは真実、と言うことです。―――ですから、いい加減シャキッとしなさいな、お兄様」
 テーブルに頭を突っ伏してユキネに頭を撫でられていたアマギリは、マリアのその言葉に、大きなため息を吐いた。休む暇も与えてくれないらしい。
 と言うか、何故この妹は先ほどからテーブルの下で人の爪先を踏みつけているんだろうと、アマギリは別の意味で泣きたくなった。
「何か、何時も以上に言葉がきつくないですか王女殿下」
 「自業自得です。その理由を少しは胸に手を当てて考えて御覧なさいな。 ―――ホラ、そうやってだらしなくして見せて、私から婚礼に反対だという言質をとろうとしても無駄だと知りなさい」
 「いや、実際凹んで居たのは本当なんですけど。……まぁ、冷静に考えれば別に求婚されたわけではないし、聞かなかった事にすれば平気かなーとか考えない事も無いですけ、ど……」
 そこまで言って、四方八方から半眼でにらまれている事に気付いた。ついでに脛を蹴り上げられた。
 アマギリはため息を吐いて、白旗を揚げた。
 「無理ですよね」
 「でしょうね」
 「じゃろうなぁ」
 従者二名にまで睨まれては、アマギリとしては最早どうする事も出来ない。
 往々にして、この手の話で女性から主導権を握ろうと言うのが無理なんだろうなと、それが解ったことが収穫と言えば収穫かもしれない。無論、何の慰めにもならない結論だったが。

 「それにしても従兄殿も、何だかんだでナナダン家の人間らしく食えない部分があるの」

 気分を入れ替えようとばかりにアイスコーヒーをグラスに注ぎ足しながら、ラシャラは唐突に言った。
 「と、言いますと?」
 アマギリは片眉を吊り上げて冷めた態度で応じる。ゆったりと背もたれに体を預けて、先ほどまでの話は何処へ行ったんだと言う優雅な態度だった。
 「それじゃ」
 「どれですか」
 応じても一言で切り返されて、アマギリは首を捻る。ラシャラは薄く笑って続けた。
 「凹んでいたように見えて存外切り替えが早い。―――お主、まるで今までの話が全て無かったかのような落ち着いた態度を取り戻しておる。ウチの若いのでは、そこまで突き抜けた割り切り方は出来ぬよ」
 アマギリの見せた情け無い姿がどこまで本心で、どこからが遊び混じりのものだったのか、ラシャラには判断がつかないが故の言葉だった。
 少なくともラシャラには、九分九厘本気で堪えているようにみえたが―――ここでこういう態度を取られてしまえば、それを真実と確信するにも不安に覚える。
 なるほどこれがこの男のやり口、ダグマイア・メストを体よくあしらっていた立ち回りの正体かと、ラシャラは誰にも解らぬように頷いた。
 
 ―――色々とお話ししたい事もあるし、ついでにウチの子もしっかりと紹介したいから、ハヴォニワに来ないかしら?

 数週間前に叔母フローラに言われた言葉だった。
 父王の容態の緩やかな悪化は最早止める事は出来ず、情勢の変化は避けようも無い。それゆえに、後ろ盾の非常に少ないラシャラとしては、今後の事も考えて今のうちに内々にフローラと話し合っておく必要があった。
 それゆえの、少ない共だけを連れたお忍びでのハヴォニワ来国だったのだが―――なるほど、この男の心根を覗けただけでも来た価値があったというもの。
 アマギリ・ナナダン。叔母の推挙により王族位を手に入れた、男性聖機師。
 あの叔母が選んだのだから”使えない”人間である筈が無いとは理解していたが、まさか手に余るタイプの人間だとは思っても居なかった。
 知っておいて良かった。この手の人の予想を常に裏切り続ける人間は、動乱においてこそその才を発揮する。
 動乱―――来るべき、動乱の時にこそ。

 「どうかしましたかラシャラ王女。日差しにやられでも、しましたか?」
 黙考に耽っていると、アマギリ・ナナダンが伺う様な目で自身を見ていることにラシャラは気付いた。
 そういえばこの男、行きの船の中で一度だけ聞いたきり、そのあとは一度もラシャラが何故ここに居るかを尋ねてこない。
 ―――気にしていない、筈が無い。この男は恐らくはフローラと同じで、”まつりごと”、その裏側に潜む人の生の感情のぶつかり合いと言うものを嗜好出来るタイプに見えたから。
 この手合いは少しでも隙を見せれば直ぐに罠を仕掛けてくる―――故に、今は迂闊にその方面に話を進める必要も無い。何れそういった機会を設ける必要も感じていたのも事実だが。

 ラシャラは首を横に振って、殊更戯れる風に言った。
 「どうもせぬよ。―――それに、どうにかせねばならぬのは叔父上殿の方じゃろうて」
 ラシャラの言葉に、キャイアがまた、と言う風に額を押さえて、アマギリはさてと肩を竦める。
 ユキネはアマギリの態度に呆れ顔で、マリアだけが一言二言の会話の裏にある二人の心理的な動きを察しているようだった。それゆえに、マリアは楚々とすまし顔で口を開く。

 何とも本当に、先ほどの想像が当たっているようで、マリアとしては酷く投げやりな気分であった。
 もう、いっそ行き着くところまで勝手に行ってくれた方が、悩まなくて済むような気がする。

 「個人的な意見を言わせていただけるのであれば、私は貴方のことを兄として扱う程度には親族であると思っています。―――ですので、あとはお兄様とお母様で、お好きなようにどうぞ」
 「……なんか、ハシゴを外されたみたいな気分になりますね」
 「補助輪がなくなった自転車のようなものです。精々、上手く自分でバランスをとってくださいな。―――ああ、二人乗りだと難しいかもしれませんわね」
 本気とも嘘とも取れぬマリアの言葉に、アマギリがガクリと項垂れる。
 ラシャラはそんな二人を笑い、従者達も微苦笑を浮かべる。
 
 まるで何処にでもある、おやつ時の団欒の風景だった。
 本気と冗談と本気と冗談と本気。会話の何処にどれが挟まれているかは、きっと、話している当人達にしか解らないが。




   ※ あんまりコメディ方面に振りすぎると後で大変かなぁと思って色々足したり消したりしてたら、微妙な感じに。
     いっそ突き抜けちゃったほうが良かったか……。



[14626] 20-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/10 23:16

 ・Sceane20-3・


 「こんな天気の良い日に、何を好き好んで薄暗い地下室何かに居座っておるのじゃ、従兄殿は」

 「……アレ、従妹殿。良くこんなところまで来れましたね」
 薄暗い室内の隅。小さな書生机の前のリクライニングチェアに腰掛読書に勤しんでいたアマギリが、突然の声に顔を上げた。
 巨大な書棚に遮られてうす暗がりとなった入り口付近の石造りの階段。そこに、一人の幼い少女の姿があった。
 ラシャラ・アース。お忍びでハヴォニワに来国しているシトレイユの皇女の周りには、常なら必ず存在する供の姿が何故か見えなかった。
 「この城には幼い頃より幾度となく訪れておるでな。恐らく、構造に関してはおぬしより詳しいぞ」
 「今でも充分幼い人が、幼い頃なんて語るのもどうかと思いますが」
 「ぬかせ」
 ハヴォニワ王城。内裏、王文書庫―――と言っても、政庁にある公的なものとは別のものである。
 外敵からの防衛のために、それなりに複雑な構造になっている王城の中でも、特に入り組んだ一角に存在する其処は、王家ゆかりの書物、文章を保管する巨大な書庫だった。
 あくまで王家の私的なスペースに含まれており、それ故に王家に縁さえあれば―――つまり、休憩中にパラパラと捲った、程度の関わりさえあれば、片端から書棚に放り込まれていく。
 そうして、歴代王族の趣味嗜好が渾然一体とした、一種近づきがたい空間が完成してしまった。
 そも、王族ともあらば個人で専用の書斎を構えているし、必要とあれば従者に告げるだけでその書物は何処からともなく入手可能であるから、わざわざ他の誰かの趣味を調べることくらいしか出来ないこの雑然とした書庫にまで踏み込む人間は居ない。
 それ故に、アマギリは一人で時間を潰したい時は好んでこの場所を利用していた。
 一人で本に囲まれて時間を潰す。
 アマギリにとって書物というのは知を象徴するものであり、その山に埋もれられているのは、至福の一時でもあった。
 完全な趣味の時間であるため、つき従おうとする従者たちにも遠慮してもらうほどに、一人であると言う事を徹底している。
 そんな時間を邪魔されるのは、些か心がささくれ立つ部分がある。
 それ故にアマギリは、幼い少女に語るには些か意地の悪い話題を振る事にした。
 「最近気づいたんですけど、其処の可動式の本棚を動かすと、簡単な寝室に行き着くんですよね」
 「……まぁ、人目につかぬ場所じゃからの」
 「初めて気づいた時は十年単位で使用されて無いって感じで埃被ってたんですけど、さっき確かめてみたら綺麗に内装がリフォームされてました。……使えって事ですかねぇ?」
 「妾は遠慮しておくぞ。―――そういう事は、伯母上と致すが良い。と言うか、十年単位と言うと、お主の父親の代に使用されていたものではないのか」
 素気無くアマギリの戯言を切り払いつつ、ラシャラは呆れたように言った。
 「親子揃って同じ部屋で胤を植えるなど、中々に王族らしい話よな」
 「そんな爛れた王家は滅んでいいと思いますがねぇ。だいたい、知っての通りその人と僕は他人ですし」
 「おお、そうじゃった。すっかり忘れておった」
 鼻で笑うラシャラに降参と苦笑しながら、アマギリは手ずから彼女のためにお茶を用意する。彼の趣味に合わせて、急須で入れた玉露だった。

 「んで、人のプライベートに土足で踏み込んできて、何か用?」
 自身の茶碗にも急須からお茶を注ぎながら、アマギリはいたってぞんざいな口調でラシャラに尋ねた。
 「唐突に言葉使いが変わるの、お主」
 「今は仕事中じゃないし。それに、外向きの言葉でキミと話してると、何時まで経っても堂々巡りになりそうだしね」
 「おお、それは道理じゃの。―――しかしお主、それを踏まえるとマリアとの談笑は主にとって仕事に含まれていると言う事になるぞ」
 態度をフランクなものに変えたアマギリをあっさりと受け入れながら、ラシャラは目敏くそう尋ねてきた。
 アマギリは書棚に遮られて光量の足りない書斎をチラリと見渡す。
 「……因みに、キャイアさんの姿が見えないけど」
 常にラシャラの傍に侍っている聖機師の姿が見えない事を疑問に思い、アマギリは尋ねた。
 アマギリの考察によるキャイア・フランと言う人間は、余り空気を読めない人だったから、居るのであれば迂闊な会話は避けたいと思っている。ラシャラもそれを理解しているのだろう、あっさりと頷いて答えた。
 「うむ。慣れぬ他国で妾の背後に付きっ放しというのも疲れると思うての。今頃は、お主のユキネと剣を合わせている頃じゃろう」
 「と言う事は王女殿下も……」
 「一緒じゃろうて。それにしても、お主にとってマリアは”王女殿下”なのじゃな」
 ついでにマリアの所在も確認するアマギリに、ラシャラは耳ざとく聞きつけた疑問を投げつけた。
 するとアマギリは、少しも眉をひそめることもせずに、あっさりと頷いてそれを肯定してしまった。
 「―――まぁ、そうだね。あの子はスポンサーの娘さんだから、必要以上に気を使ってる気もするかな。と言っても、別にラシャラ皇女が考えているほどには距離をとろうとしている積もりも無いけどさ」
 第一印象がそのまま残ってそれを引きずっているだけだとアマギリは言う。
 妙に弁舌が言い訳がましいのは、何か後ろめたい気持ちがあると言う事なのかもしれない。
 それを聞いて、ラシャラは気づく事があった。
 「なるほど、の。お主にとってマリアはあくまで”フローラ叔母の娘の”マリアなのじゃな。マリアはどこまでいってもフローラ叔母との関係を構築する上で付随するものに過ぎない、と」
 アマギリにとって、マリアとの関係は彼女との一対一で築くものではなく、フローラとの関係の一部に付帯する要素としての関係性なのだと、ラシャラはそう理解した。
 「マリアとの会話はフローラ叔母との関係に関わる事であるが故―――なるほど、その考えではあの者の前ではプライベートと言う訳にはいかぬか」
 「―――ですから、そこまで深く割り切っている積もりも無いんですがね。始めの前提条件のままズルズルと、って感じですよ」
 ハヴォニワ王城に来た当初は、当たり前だがアマギリが優先すべきだったのはフローラとの関係である。
 気まぐれで連れてこられたのだから、気まぐれで切り捨てられない保障は何処にもなかった。
 
 ……過去形ではなく、それは今もだが。 

 それ故にアマギリには、マリアはフローラと関係がある人間の一人、と言うフィルターがかかっていた。マリア個人との関係性を築く前に、その向こうに居る筈のフローラとの関係を考える必要があったのだ。
 「……考えれば、酷い話だよね」
 「そりゃそうじゃ。向き合って話しているようで、そなた、あの者の事を見ておらんと言う事になるからの。女と談笑する時に、別の女の事ばかり気にしているなど恥知らずも良い所ではないか?」
 「とは言え、今更改めるのも、ねぇ。何かホラ、説明しにくいけど、苦手なんだよねぇ」
 「お主アレか、年上に甘えるのは得意じゃが、年下に慕われるのは苦手なのか?」
 微妙な表情で言いよどむアマギリの言葉を、ラシャラが拾う。
 アマギリの表情が固まった。自分では意識していなかったが、どうも図星を突かれてしまったらしい。
 この男、こういう会話になると途端に顔色が解り易いものになるなと、ラシャラは内心面白がっていた。

 「……よくお解りで」
 「何となくじゃが、の。お主他のもの―――例えば叔母上辺りに対しては、上手く距離感を図って付き合えておるが、マリアだけは別じゃの。何処まで近づいても平気か、また、何処まで近づかれてしまうのかと、何時も何時も戦々恐々しておるように見える」
 つまるところ、距離感がつかめていないと言う事だ。
 一度腹を割って話してみればあっさりと解決してしまいそうな問題だろうに、それすらも何時切り出せば良いのか図りかねて、結局はお互いの隙間を埋めるように空虚な会話の積み重ねに興じている。
 「まぁ、マリアのヤツもアレで相当へ垂れた部分があるから仕方ないかも知れぬが、お主の方が兄なのじゃから、少しは努力せねば拙かろうて」
 「返す言葉もありませんね」
 一度だけ、向こうから近づいてきてくれた事もあったというのに、その時もアマギリは返答を避けて―――挙句三ヶ月も連絡を取らない体たらくだった。正に駄目人間である。
 「まぁ、妹ではなく娘として関係を深めるつもりだから今はそのまま、と言うのであれば妾は何も言わんが」
 ニヤリと笑ってラシャラは混ぜっ返す。
 「尤も、そちらの方もお主、回答を避けて逃げ回っておるようだがの。端で見て居る分には面白いから、それはそれで一向に構わんが」
 本当に、向けられる厚意―――いや、好意か。現状そこから逃げ回っている状態なので、何も言い返せない。
 「どうせ、最高の女に口説かれても指の一本も動かせないヘタレだよ、僕は」
 したり顔で語る、男女の機微の何たるかを到底理解できているとは思えない幼い少女に、アマギリはぼやくことしか出来ないのが悔しかった。
 ハヴォニワに戻ってから、どうにもこの辺の内容の会話ばかりしているような気がするな、と頭を抱えたくなった。思春期の少女たちと言うのは、たちが悪い。―――いや、元々の原因は妙齢の美女の発言なのだが。
 
 「お主も男性聖機師なのじゃから、手際よく女をエスコートする方法を覚えねばいかんぞ」
 「仕事の付き合いはちゃんとしますよ」
 ニヤリと笑って言うラシャラに、アマギリは憮然と返す。内心、まだこのラインの会話を続けるのかと考えていた。
 「歳の割にはその辺りに対する興味嗜好が欠けているように見えるの、従兄殿。―――よもや、既に聖地で何処ぞの教師か女性聖機師辺りに手を出して、手痛い失敗をしたという訳ではあるまいな」
 「もの凄い余計なお世話で薮蛇な気がするけど、自分の名誉のために一応言わせて貰うぞ。断じてそんな事は無い―――と言うか、諸々の事情で、僕に手を出そうと考える女の子が居ないって事なんですけど」
 「おお、そう言えばお主には色々と事情があったのじゃったの。例えばそう、奇怪な形状の聖機人や、女神の―――」

 「ノー、コメント」
 
 したり顔で頷いたまま、滔滔と語りだしそうだったラシャラの言葉を、アマギリはその一言で封殺する。
 突然話を遮られて、苦いものを口に含んだような顔になったラシャラに、アマギリはニヤリと哂いかけた。
 「言ったでしょ? ―――仕事はちゃんとするって」
 「……遊びが足らん男じゃの、従兄殿め」
 「褒め言葉として受け取っておこう。―――んで、本題はその辺りで良いの?」
 「なんじゃ、きつい顔して遮った割には教えてくれるのか」
 自分で話題を振っておきながら、どうせ聞けるとも思っていなかったらしい。ラシャラの目が点になった。
 「―――仕事は、ちゃんとする方なんで」
 アマギリは肩をすくめて皮肉気に笑った。
 「そうじゃの、お主との雑談はそれ相応に好ましいものではあるが、妾も仕事はきちんとせねばの。留守を任せている者達に申し訳が立たん」
 「それはまた、ご立派なお考えで」
 「ぬかせ。―――さて、それとしてもまずは、何処から話さねばならぬか」
 腕を組んで悩む振りをしてみせるラシャラに、アマギリは投げやりに言った。
 
 「僕が貴女に、―――ハヴォニワがシトレイユに賠償を請求するって話し辺りからで、どう?」
 
 道理じゃのと、ラシャラは二コリと頷いた。
 それは、互いにとって共通の懸案事項とも言える人物達についての話しだった。




   ※ 次回は久しぶりにギスギスしたノリで。
     で、ギスギスする時と言えばあの方。まぁ、別に登場するわけでは無いですが。
     



[14626] 20-4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/11 23:19

 ・Sceane 20-4・



 「……ダグマイア・メストが面倒をかけたの」

 「いきなり実名出して来るね」
 昨晩は何を食べたか、と言う質問程度の気楽さで口を開いたラシャラに、アマギリも言葉の割には興味が無さそうに応じる。
 ラシャラはぐい、と茶碗を傾けた後で頷いた。
 「ウム、そうでもしないとまた話が逸れそうじゃ。妾としては中々興味深い内容ではあったが、迂闊に余所で口に出来ないような事ばかりを話しても生産性が足りまい」
 「まぁ、ウチの王家の不名誉みたいな事になりかねないドロドロ具合だからね」
 「王家らしいと言えばそうなのじゃがのう。街娘辺りなら好んで話しそうな内容ではあったよ。……おっと、話が逸れたの。ともかく、何時ぞやの一件ではウチの若い者が面倒をかけたの」
 恐らくシトレイユの重鎮の中で尤も”若い”人間からすらも若い呼ばわりされてしまうのが、ダグマイア・メストの真価なのだろうなと、アマギリは流石に同情を覚えるラシャラの発言だった。
 「面倒、ね」
 苦笑しながら、ほんの一月と少し前のことを思い出す。

 森の中での聖機人同士の戦闘―――は、どちらかと言えば一方的にアマギリが相手方に迷惑をかけたような気もする。
 聖機人の破壊=搭乗した聖機師の死亡と言う酷い戦闘を行ったから、きっとあれだけの練度を持った聖機師達を補充するのは一苦労であろう。
 聖機人だってタダではない―――が、それで苦労しているのはきっと教会の方か。恐らくそれは、新学期になれば判明する事だろうなとアマギリは考えていた。
 とすると、アマギリにとって対処が面倒だったことなんて、一つしかない。
 
 「殺されかけた事を面倒の一言で済ませられるとは、さすが、大シトレイユの皇女殿下でいらっしゃる」
 この程度に茶化せてしまう自分が言えた義理でも無いよなと思いつつも、アマギリは肩を竦めて言った。
 ラシャラも特に気まずい思いを浮かべもせずに頷く。
 「何の何の。そう褒めるでない。―――だいたいお主、しっかりと生きておるではないか」
 「それは、あくまで自助努力の成果と言うヤツだよ。賠償を棄却する理由にはならないね」
 「自助、のう……」

 ラシャラは自身の元に届けられた、件の事に関する映像データは確認済みである。
 森を突き破り浮上してくる異形の聖機人。それが、突然内部から閃光を放ち爆発、落下していく様を。
 勿論その後に起こった、奇跡と名づけるしかない現象も理解しているが、その件に探りを入れると些か具合の悪い事態を引き起こしそうだったので、それは出来ない。

 故に、それを事情から除外して、会話を続ける事にした。ニヤリと笑ってアマギリに問いかける。
 「エメラがダグマイア以外の人間のために労力を払うなど、初めて聞いたわ」
 「―――む」
 その言葉に、アマギリは顔をしかめた。
 
 三枚の翼の顕現と言う奇跡を除いてしまえば、アマギリがあの場から生還する事が出来たのは、確かに仕掛けた相手が手を抜いたから、と言う理由に他ならなかったからだ。
 そしてそれは、アマギリを助けようと思ったが故の行動ではない事も、承知している。
 ダグマイア・メスト。先の見えぬ愚か者の先走りの末路を何とか回避するためにと、独断で仕込まれた隙だったのだ。

 そう言う事が出来る人間は、危険である。
 アマギリはその事をよく理解していた。きっと、ラシャラも同様であろう。
 完全に誰かのためだけの自分になれる存在。行動に際して自分を捨てられる人間。
 おまけに主を補うに充分なほどに頭も回ると来れば―――それを察せられるアマギリのような人間にとって、目障りな事この上ない。

 「エメラ―――ああ、あのダグマイア・メストの忠犬ですか。確かに、ダグマイアには勿体無いですよね。ラシャラ皇女も今後の事を考えるなら、早めにあの二人は引き離した方が良いんじゃないですか?」
 アマギリの膿を含んだ言葉に、ラシャラは笑って答えた。
 「引き離した程度で離れてくれるのであれば、お主もエメラを忠犬呼ばわりせぬであろう? ああいった手合いは、離れても決して主を変えようとせぬのだから、引き離した方がかえって危険じゃろうよ」
 面従腹背。それを地で行くことは容易に想像はつくだろうからと、ラシャラは目を細めて唇をゆがめた。
 アマギリもラシャラの言葉になるほど、と深く―――わざとらしいほど深く―――頷いた後で、撫ぜる様な声音で言った。

 「では、とっとと斬ってしまった方が良いのでは?」

 空気が凍るような事は、あり得なかった。
 聡明なラシャラは、アマギリが必ずそう言うであろう事を想像していたからだ。
 アマギリのような、何よりも実利を優先するタイプの人間は、こうした言動に全く容赦が無いと知っていたからだ。
 ラシャラは茶碗を傾けて喉を湿らせた後で、ゆっくりと、確認するように尋ねた。
 「斬れば良いのでは、ではなくて私に斬れと言いたいのだろう、お主は」
 「まさか。他国の人間を斬れなんて、とても口に出来る筈は無いでしょ?」
 戯れたように言葉を避けようとするアマギリに、ラシャラは明確な回答を強要する。
 「言える筈は無いが、言いたいのじゃろう、従兄殿。―――此度の一件の手打ち料代わりとして、あの者を斬り捨てよと」
 半眼でねめつけるマリアに、アマギリは降参とばかりに両の手を広げた。
 「お見事、良く見ました―――とでも言うべきかな」
 欠片も心が篭っていない賞賛の言葉を、ラシャラは鼻で笑って返した。
 「妾があの伯母上と何年付き合っていると思っておるのじゃ。劣化コピー如きのお主の言動など、いっそ読みやすいわ」
 「……劣化コピーときましたか」
 余りの物言いにアマギリが頬を引きつらせると、ラシャラは然りと頷いた。
 「劣化じゃの。―――おぬしの言葉には人を引き付ける色気と言うものが欠けておる。それでは、敵ばかりが増えて面倒じゃろうて。あの色ボケ叔母の息子を語るのであらば、今後はその辺りも考慮に入れるべきじゃな」
 「色気、と来たか。―――まぁ、そう言うのは考えたことは無いかな」
 苦笑してアマギリは頷いた。確かに自覚すれば出来る問題でもあった。周りに人が集まりにくいのは、つまりその辺りが欠けているという事なのだろう。
 「―――とは言え、その辺りを鍛えるのは王女殿下に任せる予定だしね」
 今後の改善を期待されても困ると、あっさりと挫折の言葉を口にするアマギリに、ラシャラは眉をしかめた。
 「そして、民に慕われる良き女王となったマリアの背後で、お主が実効支配を企むキングメーカー気取り、とでも言うのかの? やめやめ。そんな事をすればお主がフローラ叔母に斬り捨てられるぞ」
 「ま、義理の息子よりは実の娘でしょうしね女王陛下も」
 そんな事をするつもりは無いと苦笑しながら言うアマギリに、ラシャラも頷く。
 「それを言うなら男よりも実の娘と言った所であろうが―――フム。そうするとお主がわざと欠点を残したままなのは、便利になり過ぎて衆目を自分に集めるのを避けるためか。迂闊な言動を取れば、おぬしの立場ではたちまち現政権への当て馬として利用されてしまうからの。―――なるほどなるほど、全く涙ぐましい自助努力じゃろうて」
 後ろ盾の無い第二王位継承権保持者の王子。しかも第一王位継承者の王女よりも年上なのだ、少しのカリスマでも発揮してしまったら、妙な事を考える派閥が完成してしまうかもしれない。 
 それ故に、アマギリはわざと人が避けて通るような人物像を意識している節があると言う、ラシャラの言っている事は実に的を得ていた。
 「話が逸れてますよ」
 自分のことをこれ以上探られるのはうれしく無いと、低めの声でアマギリは言った。
 今のところこれ以上藪をつつくつもりはなかったラシャラも、苦笑交じりに頷いた。
 「おお、すまぬ。―――何の話じゃったかの?」

 「あの犬を斬れって事です」

 簡潔な―――言葉の内容にしては余りにも簡潔すぎるアマギリの言葉に、ラシャラは戸惑う事無く頷いた。

 「拒否する」

 「……貴女にとっても損は無いのに? 貴女から皇王陛下へ口ぞえすれば、まったく不可能って話でも無いでしょうに」
 全く隙の無い能面のような顔で、アマギリは言う。
 ラシャラの肝も、流石に冷えた。
 先ほどまで四方山話で情けない顔をしていた男とは、まるで別人にすら見える態度。何より恐ろしいのは、どちらの面が本質だか、まるでつかめない事だ。
 とは言え、彼女もアマギリの提案を受け入れるわけにはいけなかった。
  
 なぜなら彼女はラシャラ・アース。シトレイユの皇女なのだから。

 「なるほど、確かにエメラが居なくなれば、ダグマイア・メストを支えられる人間など居なくなるからな。妾の今後を思っても、煩い小蝿が黙ってくれれば御の字と言うものじゃろう」
 「それが解っていて、何故拒むかな?」
 アマギリの声音は平坦すぎて表情を感じさせない。朴訥な少年にしか見えぬ男からそんな冷淡な言葉が発せられているのだから、いっそそれが、独特な色気を持っていると言えるかもしれなかった。
 もっとも、ラシャラはそれに呑まれてやる訳には行かないのだが。
 「エメラを斬る。なるほど、それは妾の益になる行為じゃ。妾の益には、の」
 そこで言葉を切って、ラシャラはゆっくりと瞳を閉じて息を吸った。
 たとえ、意地を張っているだけだったとしても、曲げる事が出来ない事だったから。
 目を見開き、自らの利益を最も優先している男と正面から視線を絡ませる。

 「しかしそれは、シトレイユの益にはそぐわぬ」
 
 その言葉を言ってしまえば、ラシャラの胸中によぎるのは寂寥の念ばかりだった。
 そう、初めからわかっていたこと。こんな場所へ来たところで、解決不能の、既に確定した事実。
 認めねば、進めぬ。今後を決める事は適わぬからと、勤めてラシャラは意地を張り通す。

 「最早妾はシトレイユでは非主流派。今後あの国は―――遠からず旅立たれる父皇亡き後では、益々ババルン・メストが実権を握る事となるだろう。事は既に避けられぬ状況にまで来ておる。ならばシトレイユの国益を考えれば、あの愚か者がシトレイユを危機に晒さぬためにも、手綱を握る人物を斬るわけにも行くまい」
 「その結果、貴女の身に待ち受けているものが―――?」
 相変わらず平坦な声で問うアマギリに、薄く笑ってラシャラは答える。
 「それを受け入れるのもまた、皇族の勤めじゃよ」
 滅ぶべき時に、滅ばねばならぬ。我が身を偲んで無様に足掻いて、国体を危機に晒すわけにはいかぬ。
 ラシャラの決意は見事と言う他無い。
 なるほど、とその言を受けてアマギリは頷く。
 その後、途端に相互を崩して苦笑しながら言った。

 「それも、貴女がシトレイユの皇族で居続けようと思えばこそ、の話ですがね」

 そのための、今回の来国なのでしょうと問うアマギリに、ラシャラも苦いものが混じった笑顔を作らざるを得なかった。
 「まぁ、そうじゃの。皇女ラシャラ・アースとしてはこう言う他無かったが、ラシャラ個人としては、思うところは別にあるわ。―――主とて、そうじゃろう? アマギリ・ナナダンではない、名も知れぬ異世界人よ」
 ニヤリと笑いながら言うラシャラに、アマギリは目を瞬かせた。

 これは一本取られました。いやいや、有意義な会談だったと、最後にそれだけ話して、その場は終わった。
 会話は二人の心のうちだけに納められ、その後、誰かに聞かれる事は無かった。
 
 この会話が、今後にどう影響を及ぼすのか―――それは、事が起こるまで、解る筈も無い。






     ※ 今回のネタで何が一番大変だったかって、エメラさんの苗字が解らない事なんですよね。
       最近転落死したロンゲのイケメンの苗字はあるのに、何故エメラさんの苗字は無いのか。
       しかもOHPの区分けだと、所属がシトレイユじゃないとか。その辺どういう事なの……。
       



[14626] 20-5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/12 22:50

 
 ・Sceane 20-5・


 カンと言う音に続いて、何か堅いものが空気を切り裂くような音が満ち、それが背後の砂地に突き刺さったのに気付いて、アマギリは両手を上げて降参の姿勢を見せた。

 「お見事」
 「……いえ」
 アマギリ本人としては本気の―――しかし言われてる側から見ると何か含みをもたれているようにしか思えない賞賛の言葉に、彼の訓練の相手を務めていたキャイア・フランは視線を逸らしながら気まずげな表情で答えるのだった。
 ハヴォニワ王城、軍用施設の一角にある、訓練場。
 たまたま暇な時間のかち合ったアマギリとキャイアは、キャイアの主であるラシャラの提案―――思いつきとも言う―――により、こうして木剣を打ち合わせる事となった。
 結果は、いうまでも無い。
 学院での授業で幾度か有ったとおりに、キャイアが勝利を収めた。
 「フム。地を這ったかと思えば高く飛び上がって見せたり、剣戟の訓練だと言うのに脚ばかり振り回しておったり。―――何やら目新しくはあったが、その新しさの割には強くないの、従兄殿」
 訓練場の砂地の端でリクライニングチェアに寝そべり二人の訓練を観賞していたラシャラが、何か理解しがたい前衛的な舞台でも見てしまったかのような微妙な顔で言った。
 地に突き立った―――突き立てられた自身の獲物を拾い上げながら、アマギリは肩を竦めて苦笑した。
 「始める前に言ったでしょう? 平地で正面からぶつかるなんて悪条件が重なった段階で、僕に勝ち目なんて無いって」
 「剣戟の訓練であるなら、割と当然の条件ではないかのそれは……。その辺り、試合ってみた者としてどう見る、キャイア?」
 ラシャラはコイツは何を言っているんだという顔をアマギリに向けながら、無言のまま傍に寄ってきたキャイアに尋ねた。
 「ハイ、あ、いえ……その。アマギリ―――殿下の動きは、何と言うかちょっと、独特ですから」
 「独特か。そういえば、メザイア教諭にも言われたっけそれ」
 「えっと、ハイ。その……そう、でしょうね」
 快活なキャイアらしくも無い、常に無い堅い態度を見せるキャイアの言葉にアマギリが乗っかってみると、彼女はより一層硬い態度を示した。
 
 「う~む」
 ラシャラは自身の従者のそんな態度をみて、困ったとばかりに首を捻っていた―――その顔は、苦笑しているとしか表現しようがなかったが。
 アマギリも同様に、あさっての方向を見て頬を引き攣らせていた。

 まぁ、キャイアの気持ちも解るわな。
 余りにもぞんざいな、しかしそれが二人の共通見解だった。

 挽回しようの無い白けた空気が、三人しか居ない訓練場を満たしそうになったので、アマギリは気分を切り替えて自ら口を開いた。
 「まぁ、横壁も天井も無い、つまり足場に出来る場所が無い状況だと、学院で習う動きの方が断然有効でしょうしね。闘士の技は、僕の技量程度だと得意と苦手がはっきり別れすぎちゃいますよやっぱ。もっと鍛えれば、この動きでも普通にこの状況下でも戦えるんですけど。いえ、いっそ有利なくらいに」
 「それが解っていながら、御主の場合そこから先を目指そうと言う気配が全く見えんの」
 アマギリの言葉を聞いて、ラシャラは解りやすくため息を吐いてみせた。軽く自らを貶めてまで話題を作り出そうとする辺り、紳士的と言ってもいいかもしれないなと考えている。ヘタレとも言うが。
 そんなラシャラの半眼の視線に気付いているのかどうか、アマギリは苦笑交じりに肩を竦める。
 「生身で闘うのは専門外って弁えてますから。無駄な時間は使わずに、その分の時間を趣味にでも当てたほうが良いじゃないですか。ラシャラ皇女だって、自分で剣を振り回そうとか考えないでしょ?」
 答える前にラシャラはため息を吐いた。紳士撤回。他人を巻き込んで場を纏めようとする、只のヘタレだった。
 「おお、そうじゃの。それにそのためにこそキャイアがおるのじゃ。のう、キャイア」
 「は、……あ、ハイっ! も、勿論です」
 「……」
 「う~む……」
 相変わらず硬い態度で、主の言葉にすら一拍遅れてしまう心此処にあらずと言う態度。
 戯れ事に付き合わせるには酷な精神状態に見えた。
 ラシャラは、大きく一つため息を吐いた後で、ガバリと腕を組んで堂々と言ってのけた。
 「キャイアよ。妾はこれより従兄殿と気の置けぬ話しをせねばならん。―――少し、席を外してくれぬか」
 「―――あ、ハイ。かしこまりました。……では、失礼します」
 
 ラシャラの言葉に疑う素振りも見せず、キャイアはおざなりな礼を二人に向けた後で、訓練場を後にした。
 足早に、見送る二人には、逃げるようにしか見えないだろう足取りで。
 「なんともはや」
 「……いや、素直なのは美徳だと思うよ」
 首を鳴らして疲れたように呟くラシャラに、アマギリは彼女の隣に用意されていた椅子に腰掛けながら肩を竦めた。人目も無いので、口調は適当なものになっている。
 ラシャラもその言葉に頷く。
 「そうじゃの。アレがあのものの美点じゃからの……いや、しかし」
 そこまで言って言葉を切ったラシャラは、にやりと口の端を吊り上げてアマギリをねめつけた。
 「従兄殿よ。お主相当あの者に嫌われておるようじゃの―――」
 アマギリは厭味たらしいその言葉に、逆ににやりと笑いながら返した。
 「何を仰りますか従妹殿。恋と仕事に板ばさみなんて可哀相な状況を作っているのは、貴女ではありませんか」
 「ほぉう、言いよるの従兄殿。あやつの想い人が蛇蝎の如く嫌っておるお主の口から、抜け抜けとよくも。―――恥知らずはナナダンの血かの」
 「それこそ、真実ナナダンの血も混ざってる従妹殿には言われたくない言葉ですね」
 彼ら以外存在しない訓練場に、寒々しい空気が満ちる。
 誰もその光景を見ていないことが、余計に寒々しい―――早い話が、滑稽だった。
 
 「……止めようか」
 「ウム。気分の入れ替えにはなったしの」

 やってられんとばかりに同じタイミングでため息を吐いた後、アマギリは同でもよさげに言った。
 「やっぱ嫌われてますね、僕。―――まぁ本当に、仕方ないんだけど」
 「どうであろうな。先の態度、どちらかといえば嫌悪よりも戸惑っていた風ではあったが。―――と言うか主ら、学院でも同じクラスと聞くが、普段もあんな感じか?」
 先ほどの気まずいと言うにも温い微妙な空気を思い出して、キャイアは尋ねた。
 「どうかなぁ。一学期の初め―――いや、初日―――と言うか、自己紹介が終わる寸前までかなぁ、気楽に会話出来たのって。―――まぁ、とにかく。あの学校、女子と男子が親しげに話すとかそもそも有り得ないから、ダグマイアの件を差し置いても、余り話した事無いんだよ」
 聖地学院―――と言うより、男性聖機師と女性聖機師の間に流れる空気など、何処も変わらない。
 シトレイユの王城での記憶を思い出して、頷くラシャラに、アマギリは続ける。
 「多分、まだお姉さんの方が多く話しているんじゃないかな。あっちは教師だし」
 「姉? ―――おお、メザイアのことか。あの者も新任で戦技指導と言う大任を背負い気苦労も多かろう。どうじゃ、息災じゃったか?」
 ラシャラは古くから知る友人の如き気安さで、メザイアの事を問うた。
 「うん、放課後によく、女性徒を私室に連れ込んで宜しくやってるみたいだよ」
 「―――一あやつは」
 当意即妙と朗らかに答えてくるアマギリに、ラシャラは呻いて顔をしかめた。
 「ウム……なんじゃ。まぁ確かに、昔からキャイアにベタベタ引っ付いていたのを見かけた記憶もあるが」
 要するに、その方面に趣味思考を働かせてしまったのだろうか。
 同性として、そうであるが故に理解できなかったから、ラシャラは背筋に妙な汗を感じた。
 そんなラシャラの態度に、アマギリの言葉はあっさりしたものだった。
 「そんなに深く悩むような事でもないでしょ。双方同意の上みたいだし、遊びの範疇じゃない」
 「それを遊びと言い切れてしまうのもどうかと思うが」
 「聖機師の爛れ具合なんて、得てしてそう言うものじゃないかな」
 「聖機師だから仕方ないと言えば、何でも納得できるものではなかろうて」
 それでも納得がいかないと言う風に首を捻るラシャラに、アマギリは案外潔癖な部分があるのだろうかと思った。
 その後で、よく考えたらこの少女はまだ十歳かそこらだったのだと思い出した。
 そんな年齢から、アブノーマルな性癖に理解を示されても、それはそれで困る。
 「あまり、深く考えても仕方ない話題なんじゃないかな」
 ここだけは年長者としての態度で話題を変えようとするアマギリに、ラシャラも頷きつつ、それでもやはり理解できぬと言った風に呟いた。
 「一体アヤツは、聖地で何を教えるつもりなんじゃ……」
 恋の何たるかを未だ知らない少女そのままの意見に、アマギリは苦笑して答えた。
 
 「そうだねぇ。男を必要としない生き方、なんてのはどう?」

 聖機師同士で恋に落ちれば、待っているのは不幸ばかり。
 ならばいっその事、と考えてしまうのも道理と言えば道理であろうが。
 「流石にそれは、穿ちすぎというものじゃろ。それにきっと、メザイアの性格からしてきっと只の趣味じゃぞ」
 上手いこと言ったつもりかと、ラシャラは苦笑しながら応じた。
 
 それにそれが真実だとすれば、真っ先に妹にそれを伝えるだろうと、最後にそう付け加えて。



 ・Sceane 20:End・
 




     ※ 三部は基本雑談タイムなので色々思いついたネタ片っ端から放り込んでる感が強いんですが、コレなんか特に。
       なんとかキャイアさんが絡まんかなぁと思ってやってみましたけど、やっぱ剣士君にデレるまでは絡みようが無いですね。
      



[14626] 21-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/13 23:31

 ・Sceane 21-1・



 「……はぁ」

 一つ溜め息を漏らすと、扉を開いた侍従がどうかなさいましたか、と心配そうな顔で振り返ってきた。
 立場上、いや何でもないよ、と答えて扉を潜るべきなのだが、そうと解っていても、アマギリとしては嫌だなぁと言う思いが先に立つ。

 苦手な事は後回し。

 と言うよりはアマギリは自身の事を得意な事だけにひたすら時間を費やしたい人間であると自覚していたので、こういう対人関係の処理などと言う面倒ごとは、正直避けて通りたいと言うのが本音だった。
 だからと言って、本当にこの場から逃げても、それで全て終えられる筈も無い。
 何しろ、アマギリを呼び出したのは彼のスポンサーなのだから。

 「いや、何でもないよ」

 結局は、そう言うしかない。
 肩を竦めて、息を吐く。そのあと少しだけ大きく息を吸い込んで深呼吸の真似事をした後で、アマギリはその部屋に踏み込んだ。
 早い話がそこは、このハヴォニワ国の女王陛下の私的な住居空間だった。
 室内は広大と評するに相応しい面積であり、飾られている調度品も一級品のものである。
 一見派手好きに見えるように見えて、その実深い所では実利的な部分が強い女性の住まいであったから、内装は気品を失わない程度に実用的な拵えが多かった。
 おのぼりさん宜しく―――先導として前を行く従者に気付かれない程度に視線を動かしながら、アマギリは毛深い絨毯の上を歩み、部屋の奥に踏み入った。
 ロビーを抜け、リビングへと通される。件の女性は、そこに居るらしい。ソファに腰掛、テーブルをじっと見つめて、何かを考えているようだった。

 どうぞ、とドアの傍で立ち止まり横に避けた従者に礼を言って、一歩部屋に踏み込む。
 いっそわざとらしいくらい慇懃な態度で一礼して見せながら、アマギリは口上を述べようとした。
 「女王陛下。アマギリ・ナナダン、参上によりまかりこしました―――って、あれ?」
 「あら貴方、待ってたわ。今お茶を入れるから、こっちにいらっしゃいな」
 「”あら貴方”―――字面だけ見ると何の問題も無いのに、何やら妙な含みを感じるのは気のせいかの……」
 入り口からでは角度で見えなかったが、どうやら部屋の主以外にもう一人居たらしい。
 顔を上げたアマギリは、テーブル越しに向かい合うその二人を見て首を捻った。
 「ラシャラ皇女、居たんですか。―――なんか、変わった組み合わせですね」
 「そうでもないわよぉ。だって、ラシャラちゃんをハヴォニワに招待したのは私だし」
 言われてみればその通り。フローラの言に頷いて、アマギリはラシャラとフローラが向かい合うテーブルに近づいた。
 フローラが、一人で使うには大き過ぎるであろう横幅の広いソファの中心から、少しだけ体をずらした事にアマギリは気が付いたが、礼儀正しく見なかったことにして誰も座っていない開いているソファに腰掛ける事にした。
 丁度、二人の中間に位置する事となった。
 フローラがつまらなそうに唇を尖らせているように見えたが、あえて気にしない事にしている。ラシャラが呆れ顔で苦笑しているのも、意地でも見るつもりはなかった。
 基本的に、逃げの一手である。アマギリは視線をテーブルの上に落とした。

 「チェスですか」

 テーブルにはチェスボードが広げられ、盤上の進行は既に大勢は決しているような状況だった。
 「と言うか、また派手に負けてますねラシャラ皇女」
 「……言うでない」
 盤上は割りと酷い有様だった。白、ラシャラの側は既に寄り添うキングとナイトを残すのみ。対してフローラの黒の駒はポーンが一駒落ちただけだった。
 正直な所、どうやってこの状況に持っていったのか想像がつかない所がある。黒の側が途中から派手に遊びだしたんでもなければ、なし得ない状況にアマギリには見えた。
 盤上を見下ろし趣味が悪いなぁと考えていたアマギリに、フローラが話を振った。
 「ラシャラちゃんも頑張ったけど、まだまだよねぇ~。戦略に深みが足りないわ。―――そう言えば、貴方はチェスが強いんだったかしら」
 「……何処の情報ですかそれ」
 くるりと首を動かして問うて来るフローラに、アマギリは眉根を寄せた。
 「妾じゃ。尤も叔母上の独自に知っておったようじゃが。―――それでお主、ダグマイアに勝ったそうではないか。あの者はあれで、社交界では有名な指し手じゃからの。それに勝てるのだから従兄殿も見事なもの―――と言うか、おぬしの普段の言動から見れば当然か」
 ダグマイアとアマギリがチェスを指したのは終業式の少し前の一度きりである。
 しかも、あの時は食堂の個室を人払いもして貸しきっていたから、勝負の結末を見ていた人間も居なかったし、そも、あの内容をダグマイアが人に語るとは思えない。アマギリだって、控えの間で待機していたユキネにも内容を伝えていない。
 こういう、誰にも知られない筈の情報を何故か知っていたりする辺りがこの女性たちの油断なら無いところだなとアマギリは思った。
 尤も、よく考えればあの場を貸しきるようにフローラの用意した人材を活用していたので、それが広まっているのも当然だとも言える。二学期になったら、嫌がらせとばかりに学院中に情報が広まっている可能性もあるだろう。
 「……と言うか。あの勝負、僕の負けですけどね」
 「あら、あれだけ相手の顔を渋面に出来れば勝ったも同然よ。ちょっと苛め過ぎって感じもするけど」
 「それは叔母上が言えた義理ではないと思うが……」
 念のため、と言う気分で付け足したアマギリの言葉に、フローラは微笑んで答えた。やはり、大方の流れまで知っているらしい。
 そして今正にフローラに苛められている形のラシャラが溜め息混じりに更に重ねた。
 情けないような顔で、アマギリにこんな事を尋ねてくる。
 「従兄殿、お主―――此処から、勝てるか?」
 自軍、二駒のみ。敵軍に完全に包囲された状況。アマギリは苦笑いと共に首を振った。

 「無理ですよ。大体僕、ダグマイア・メストにすら勝てませんから。明らかにそれより強そうな女王陛下に、この状況から勝てるわけ無いじゃないですか」

 「あら」
 「む?」

 さり気なく語られたアマギリの言葉に、フローラとラシャラは揃って目を瞬かせた。
 眦を寄せる二人の美女―――或いは美少女に、さて、と首を肩を竦めながら、アマギリは室内付きの侍従が用意したコーヒーを受け取り、啜っていた。
 「お主まさか……本当に負けよったのか?」
 ラシャラが呻くように尋ねたが、アマギリはさて、余裕の笑みで答えようとしない。
 答えなければ、真実は誰にも解らないからだ。だが、彼とそれなりに会話をした経験があるのであれば、真実を推察するのは容易いだろう。

 アマギリ・ナナダンがダグマイア・メストとのチェスの真剣勝負でわざと―――それも相手に気付かれないほどさり気なく―――負けてみせたと言う話は、事情を知る術を持つ人間達にとっては有名な話である。
 アマギリとダグマイア。この二人の対立構造は、その上の人間達の対立構造の縮図として注目される事が多かったからだ。
 そしてこのチェスの勝負は、その前後の状況から、両者の格の違いを示す一例として評価された居た。
 アマギリ・ナナダン侮りがたし。そう思われる結果となった。

 ―――いたのだが。
 
 「バレたらきっと、お主の株も右肩下がりじゃろうなぁ……」
 「あら、そんな事はないわよぉ」
 明確な回答が得られなかったが故に、敗北が真実だと確信して呆れるばかりのラシャラだったが、フローラはそれに違う意見があるようだった。
 どういうことじゃと問うラシャラに、フローラは朗らかに笑って答えた。
 「だって、実際にダグマイア・メストは自分が負けたって思ってるじゃない。事実が調べようが無いなら、その人が思い込んだ真実が現実になるのだもの」
 ダグマイアどころか、その話を聞いた誰もがアマギリが実質的に勝ったのだと信じている。
 そして、事実はアマギリ本人以外に知りようが無いのならば、大多数が判断した仮定こそが真実に摩り替わる。
 「そもそもこのヒトが求めていたのはチェスで勝つことじゃなくて、調子に乗っている子供に、自分の立場を思い知らせる事だもの。その目的を果たしているんだから、あの場は実際、このヒトの勝ちよ」
 「……詐欺の手口じゃのう。いや、らしいとも言えるが」
 手八丁より口八丁。いかにもこの男ならやりかねないなとラシャラは呻いた。
 そして、その事実を誇らしげに語るフローラも何なんだろうなぁと疲れたように思った。
 アマギリをチラリと見る。何も気にしていないような顔をして、微妙に頬が赤かった。一丁前に照れているのかと突っ込んでみたかったが、どう考えても薮蛇になりそうだからとラシャラは思い直した。
 「遊びなら、それで済むが―――本気だったら、予想がつかないしの」
 誰にも聞こえないように、ラシャラは二人と視線を合わせずにそっと呟いた。

 最近、マリアがこの二人が一緒の時は傍に寄らないのもそれが原因かもしれないと、ラシャラは何とはなしに思う。
 第三者である自分は平気だが、一応は身内のマリアには、居心地が悪い空気に違いない。 

 「ところでラシャラちゃん。―――そろそろ、次の一手は決まったのかしら?」
 「む、おお―――すまぬな、いま少し待たれよ」
 ラシャラの曖昧な表情の変化を目ざとく察したのか、フローラが心持ち低い声で問うてきた。
 本当に、本気だった場合予測がつかんなと思いつつ、ラシャラは盤面に視線を戻す。
 ―――率直に言って、勝ち目は無かった。それなのに未だチェックが掛かっていないと言う神が定めたような絶妙のバランスの盤面なのが、自身と相手の力量差を示していた。
 しかし勝てないとは言え、この状況からあっさりと投了してしまうのも面白みに欠けるだろう。
 さて、どうしたものか―――ラシャラは考えて、あっさりと解法を見つけた。

 「のう、従兄殿よ」

 ニヤリと笑って、一人優雅にコーヒーを啜っていたアマギリに視線を向ける。
 「何です? 従妹殿」
 アマギリは、ラシャラの問いに目元を楽しそうに震わせて、答えた。面白い話だったら乗っても言いと、その目はそう語っていた。
 ラシャラは満足げに頷きながら言った。
 「ダグマイアを一敗地塗れさせたお主なら、この盤面からどう勝利を収めるか―――”お主のやり方”を、見せてもらえぬか?」
 「あら、楽しそうね」
 ラシャラの言葉に、フローラも賛同の意を示している。
 「僕のやり方、ねぇ」
 アマギリは、その言葉を反芻して、盤面を眺めて高速で頭を働かせているようだった。
 そして、何か判断がついたのか、一つ頷いて言った。
 「良いでしょう。僕のやり方―――ですよね」
 「その通りじゃ。お主の―――」
 「―――そう、貴方のやり方。ここからどうやって勝つのか、私にも見せて」
 ラシャラの言葉を引き継ぎ―――遮り言うフローラに、アマギリは卓上の駒に手を伸ばしながら、苦笑して頷いた。
 何だかんだで、女性の頼みに逆らえないのがアマギリだった。

 「ご期待に沿えるかどうか、解りませんがね―――」





    ※ ダグマイア様乙。みたいな話。



[14626] 21-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/14 23:46
 ・Sceane 21-2・


 さて、とアマギリは盤上を見る。
 
 ラシャラから引き受けた自軍は、キングとナイトを残すのみ。対してフローラが操る敵軍は、ポーン一駒を除いて全て健在。直ぐにこちらにチェックを掛けられそうな完全な包囲網を強いている。
 正直な所、どうやったらこんな器用な負け方を出来るのかが、アマギリには一番の疑問だった。
 そして、ラシャラとフローラは、アマギリにこの状況から勝利を収めろと言う。
 無茶な相談、そう言う他なかった。
 アマギリのチェスの実力は自己申告の通り、頑張ってもダグマイアに勝てない程度の腕しかない。
 それは、指し手として名の通ったダグマイアを追い詰めるだけの実力がある―――と、言う訳ではなく、アマギリの性格の駄目な部分、つまりは勝ち気に欠けると言う欠点が最大限発揮された結果なのだった。
 恐らく、それなりに指せる人間と対戦した場合、十中八九アマギリは負けるだろう。守勢に秀でて勝負を引き伸ばすのは得意だが、積極的に攻めるのは得意ではないのだ。
 たまに決定的な勝ちを求めて積極的な行動をとってみると―――あの、森の一件のような顛末を迎える。
 あの時も、求めていた完全な勝利と言うには程遠い、何とも微妙な結末だった。
 とは言え、アマギリは決定的な敗北をしないのも事実―――明らかに敗北だったあの日のダグマイアとの勝負ですら、アマギリは”負けていなかった”。 

 つまり、今求められているのはそう言う事だ。
 
 「……フム」
 「あら」
 コン、と盤を鳴らしてアマギリが動かしたのは、自軍のナイトだった。
 平凡な一手。追い詰められた状況から考えると、苦し紛れにも言える。ナイト一駒でどれだけ頑張っても、最早戦況は動かしようが無いのだから。
 フローラは考える素振りも見せずに自軍のナイトの駒を動かした。
 それを囮として、次の自身の手番でアマギリの唯一のナイトを仕留める算段だろう。自軍に余裕があるからこそ出来る指し方だった。
 やはり戦局は、どう足掻いても覆しようも無いのか。最早観客に徹していたラシャラがそう思っていたとき、アマギリが盤上に指を伸ばした。
 「おおう?」
 アマギリの指した返しの一手に、ラシャラが首を捻る。
 アマギリは、躊躇う事無く囮のナイトを自身のナイトで仕留めて、敵中で孤立させてしまう。
 このままでは、次のフローラの一手でナイトを仕留められて、逃げ場のなくなったキングを取られて負け。そうなってしまう。

 つまりはアマギリの負け。
 だがやはり、そう誰かが考えたとおりに事を運ばないのがアマギリ・ナナダンだった。
 
 「この盤上、何かに似ていると思いませんか?」
 唐突に―――フローラが次の一手に進む暇を与えずに、アマギリはそんな風に言った。
 「何か?」
 「―――あら、何かしら?」
 フローラは、予想はついているだろうに小首をかしげて疑問を口にしている。アマギリがこの状況から”勝つ”方法は一つしかなかったから、やはり予想通りの方法をとってきた事におかしみを覚えているのだろう。
 フローラの態度からそれを感じる所があったのだろう、アマギリは微苦笑をしながら肩を竦めた。
 
 ―――まるで、授業参観でも受けているみたいだ。

 「自軍には、聖機師が一人のみ。対して敵軍は有り余るほどの戦力でこちらに迫ってくる。―――そうだな、こうすればもっと解りやすいかな」
 そう言って、アマギリは盤から取り除かれていた自軍のルークを拾い上げ、キングの前に配置した。
 聖機師、と言う言葉の段階でラシャラにも気づく事が有ったらしい。ルークが再配置された盤面を憎憎しげに眺める。
 「コレは……」
 「まぁ、フネの一隻くらいは、流石に持ち出せるでしょう?」
 「あらあら、あからさまなお言葉。―――減点一点」
 ニヤリと笑ってラシャラに問いかけるアマギリに、フローラが茶々を入れる。冗談に聞こえるが、まるっきり本音だった。
 アマギリは、どうせ僕には色気が足りませんからと肩を竦めた後で、話を進めた。
 「なんでしたら、このキングをクイーンに取り替えるのがいいかも知れませんね」
 コン、とアマギリは自軍のキングを退けて、クイーンの駒に置き換えてみせる。
 「女王には聖機師が一人。領土は船一隻か……そうじゃの。直轄領とて危うかろう」
 ラシャラが、盤上を睨んで呻くように呟く。

 船に乗って逃げる女王。そしてたった一人の聖機師。敵は、全軍を掌握してこちらを包囲。
 悩む必要も無いほどに、あからさまな状況だった。

 「早ければ一年後、と言った所かしら」
 「流石にそんなに早くは無いんじゃないですか。僕の好みだと、七年後くらいが妥当かと思うんですけど」
 「あら、貴方ったら意外とのんびりしているのね」
 「そうでもないでしょう。僕がこれから準備してこの状況を作るとしたら、最低七年は掛かるって事ですし。現実には、二年後辺りが妥当じゃないんですか」
 「そうね、きっかけもある事だし。一年半後、辺りが丁度じゃないかしら」
 ラシャラが呻いている横で、アマギリとフローラが盤上を眺めて談笑している。

 ―――何かの事を、何時かの事を。

 「のう、従兄殿」
 それまで、二人の話を聞き流して盤上を睨んでいたラシャラが、ぽつりと呟いた。
 「何です、従妹殿?」
 アマギリは何を聞かれるか予想はついていると言う風に、気楽な声で尋ね返した。ラシャラは、重い言葉で先を続けた。
 「決定的な事態への布石は、やはり……キングがクイーンと交換されること、かの?」
 「―――ああ」
 アマギリは頷いた。
 「些か、余興で語るには不謹慎すぎましたか?」
 当事者の前だからこその例え話だったが、だからこそ当事者の前で語ることでもなかったかと、アマギリは今更ながらに思った。だが、ラシャラは苦いものを飲み込むように微笑んだ後で首を横に振った。
 「いや、良い。―――避けては通れぬ話じゃしの。元々妾が此処に居るのも、それを話すためじゃ。ただ、いざとなっても覚悟が出来ておらぬ自分に呆れておったに過ぎん」
 いずれそうなる、と常から考えざるを得なかったラシャラではあったが、そうであるが故に漠然とそれを遠いものとして考えていた部分があった。
 しかしそれは、彼女の年齢からも、置かれた状況からも仕方が無いといえるだろう。
 「現実には、まだ始まってもいない問題だから、仕方ないと思いますけど」

 「そうよねぇ、自分の親と近いうちに死別するなんて話を、笑顔で語るような子に王様になられてもきっと困っちゃうし」

 「……だから、直接言わない様にしてたのに」
 避けていた言葉を朗らかに語ってしまうフローラに、アマギリは苦笑しか出来なかった。
 この人なりの優しさなんだろうなと、無理やり思うことにして話を進める。
 「まぁ、ようするにそういう話ですね。敵は国の全てを手中に納めた宰相閣下。対して、我らが女皇陛下―――今は、皇女殿下ですが―――が動かせる手勢は、僅かに聖機師一人」
 「しかもぉ、内通の危険がある爆弾を抱えた駒だけどねぇ」
 アマギリの語る言葉に、フローラが毒のある言葉を繋げる。それは、流石にラシャラにも聞き逃せないものだった。
 「内通、じゃと?」
 「あら、信じられない? でも、恋に生きる女の子って、結構予想外の行動を取ったりする者よ」
 「どうしてアレに惚れてるんですかね、あの人……」
 フローラの言葉に、アマギリが場末の酒場でグラスを傾けているかのようなぶすくれた態度で呟いた。
 別にアマギリも、話題に上がった誰かの想いが自分に向いていたらとは思わないのだが、話題に上がった誰かが誰かから想いを向けられているという事実は、何とも理解しがたい現実だった。
 「貴方と違って、可愛げがあるからじゃないかしら? 多少隙のある人のほうが、女から見たら好印象に映るもの」
 「いや、叔母上。あの二人の場合はそう言う物でも無いぞ。アレは……そうじゃの、お互いがお互いを見ておらぬ。いや、見ているのに見ていないフリをしていると言うべきか。どちらにせよ、真っ当な関係とは言いがたい。―――ついでに、件の男は既に、可愛さ余ってと言う段階まで来てしまっておる」
 「まぁ、成績は彼より良いですからね、彼女。諸々有って飛び級するって話もでてるんでしょ? あのプライドの高い男が、女の下につく事なんて納得する筈無いですもんね」
 「お主、微妙に僻みが入っておらんか?」
 「ダメよラシャラちゃん、本当の事言っちゃ。男なんてプライドが高いだけの生き物なんだから」
 「―――うるさいよ、そこ」
 微妙に図星を突いていたらしいラシャラとフローラの言葉に、アマギリは頬を引き攣らせる。

 どうもやはり、この手の話題は自分には分が悪いと思い、話を戻す事にした。
 「で、どうします。女王陛下は僕にこの辺の話をさせるために呼んだんでしょうけど―――まぁ、当事者はラシャラ皇女ですから。ここで終わらせても……」
 「いや、良い。続けよ。アレコレと理由をつけて思考放棄をしていられるほど、妾には余裕が無いからな。」
 「あらご立派」
 「ええい、茶化す出ない叔母上。現状、妾は突破口があるかもしれぬのなら、例え僅かな蜘蛛の糸でも掴んでいかねばならぬのじゃからな」
 「蜘蛛の糸、ですか」
 歯を覗かせて叔母の戯言に言葉を荒げるラシャラを見て、アマギリは苦笑した。
 「どちらかと言うと、その場合蛇の尾をつかむ事になりそうなもんだけどねぇ。―――まぁ、良いか。さて、じゃあ話を戻しましょうか。予測されうる事態、その対処法について」
 「そうね、考える時間はたっぷり上げたもの。もう充分でしょう?」
  少し気取った風に口火を切ったアマギリに、フローラが楚々とした態度で注釈を入れた。
 話す内容を考えるために、アマギリが微妙に話題を脱線させて時間を稼いでいたのにも気付いていたらしい。
 そうなのか、と言う視線を向けるラシャラに、アマギリは微妙な表情で頷いた。
 「まぁ……うん。ようするにそれが僕のやり方だし」
 「時間を稼ぐ事が?」
 「機を伺う事、ですかね。正確には」
 勢いで踏み出して良い目に合ったことが余り無いのでと、フローラの問いにアマギリは答えた。
 「ですからラシャラ皇女。それを踏まえて僕の私見を告げると―――」
 「うむ」
 盤上を指し示すアマギリに、ラシャラも釣られて視線を向ける。
 そこには、絶体絶命、完全に敵軍に包囲された自軍の姿があった。
 「機を伺うにしろ、その間に包囲が完了して殲滅されそうな有様じゃが、どうするのじゃ」
 どんな詐欺的手法で脱出するのか。ラシャラは楽しみだった。しかし、アマギリの言葉は以外なものだった。

 「どうにもなりません」

 「……何?」
 「そりゃそうよねぇ。こんな状況が完成された後に機を伺っても遅いわよぉ」
 目が点になるラシャラに対し、フローラは当然とばかりに頷いた。アマギリも、あっさりと肩を竦めた。
 「そもそも、どの駒を動かしても速攻で取られるような配置ですしね。で、壁を除けられてチェックされて投了ですよ」
 「それはつまり……妾に未来は無いと?」
 自身の駒―――クイーン、ナイト、ルーク。その三つ。どれも有用に使えば戦局を覆す事すら可能な力を秘めているが―――最早、駒単体の能力でどうにかなる状況ではないと、アマギリは言った。
 「この状況から、こちらがチェックを掛けるのは不可能です」
 「―――そうねぇ。チェスとしては投了するしかないわね」
 狡賢い従兄にも、戦略眼の高い叔母にもはっきりと”勝ち目が無い”と断言されてしまい、流石のラシャラも目の前が真っ黒になる。
 つまるところ、自身を待ち受けている将来は。覚悟は、きっと頭では理解できていた筈なのに、心がまるで追いついてこない。
 体が震えて崩れ落ちそうになるラシャラを、しかし気楽な声が押し留めた。

 「だからまぁ、戦略の一つとして盤から降りるってのもありですね」
 
 ひょい、と。
 アマギリはラシャラの側の三つの駒を、盤から退けてしまった。
 「な、……なんじゃとぉ?」
 「そんなに驚く事でもないでしょ。そもそも、お互い求めているものが違うんだから、同じ土俵で勝負する方がおかしい。そもそも、既にキングが無い以上相手はチェックを掛けられませんしね」
 「いや、確かにそうと言えばそう、なのじゃが……」
 だからと言って、勝手に盤から降りて勝負を流すなど、詐欺もいいところである。
 「だいたいにして、あの者が妾が勝負を降りるのを認めるか?」
 盤を降りても放置しておく筈が無いと、ラシャラは敵の駒を弄って、テーブルの上で再び包囲陣を完成させる。
 しかも今度は、盤の区切りが無い故にきっちりと円周上に囲まれてしまっている。
 「あの者が事を起こせば、蟻の這い出る隙間もなかろうよ。包囲がしかれたとあらば、袋のねずみは確実。逃げ場などあるまい」
 「そうよねぇ。囲んだ後は、こうかしら」
 ラシャラの重々しい言葉に頷いて、フローラは包囲陣からナイトと二駒のポーンを抽出して囲いの中のクイーンに向けて接近させた。
 さあ、こうなったらどうすると、アマギリに目で問いかける。

 「そういう時は、こうですね」

 コン、と。語り始めたときから手に持ちっぱなしだった黒のナイトでポーンの一駒を倒した。
 「こっそりと傭兵でも雇っておくのが一番ですね」
 駒は黒でも、白の味方らしい。
 「でも船の中に隠しておける伏兵なんて、それ一騎くらいでしょう。そうしたら、数の不利で……こう」
 フローラは攻めてる側の黒のナイトで、アマギリが伏兵だと言い張る新しく登場したナイトを払う。
 「それでついでに、こう。……駄目押しは絶対有ると思うのよ」
 更に包囲の中からビショップの駒をクイーンに接近させる。
 「そう来ますか。じゃあ、こうしましょう。まずはこっちのナイトでポーンを撃破。―――それから」
 コン、と。白のナイトで黒のポーンを倒したアマギリは、何と倒したポーンを起き上がらせて攻め手の黒のナイトの前を遮った。
 「懐柔するつもりか。……また、無茶な事を」
 「そんな事は無いでしょう。駄目押しの伏兵を忍ばせておくような配慮の出来る人は、いざ失敗した場合の可能性も当然考えています。―――であるなら、主殺しに参加させるような兵隊は何も知らされていない、失敗した場合背後を探られない人間である可能性が高い。上手くやれば、懐柔は不可能じゃないかと。後はその間に、伏兵のナイトに復活してもらえば、と。―――ほら、何しろこっちは守る側。城にこもってますから補修の準備くらい完璧でしょう?」
 相手の駒を自陣に引き入れるなど、最早将棋のルールも混じり始めているアマギリの無茶な言葉に、しかしフローラは肯定の意を示した。
 「そうねぇ、聖機師さえ生きていれば、スワンの積載可能数はそれなりだものね。実際に登録された聖機師が一人だけだったとしても、王家座乗艦ともなれば、予備機としてあと二機はある筈よ」
 「ああ、オデットも五、六機積んでありましたっけね」
 アマギリは自身の借りている船の事を思い出して、頷いた。その後で苦笑してしまう。
 「でも、懐柔しようとして、逆にこっちの聖機師が懐柔される可能性もあるんですよね。こういう裏方仕事の指揮を取るような便利使い出来る手駒って、向こうも限られるでしょうし」
 「そうねぇ。―――そういえば、貴方も四月に襲われたものね」
 「あ、報告書読みましたか? 多分本人だと思うんですけど。―――そういえば、先月末にも爆殺されかけましたしね。まぁ、証拠は無いですが」
 お陰で慰謝料も請求できませんでしたと朗らかに語るアマギリに、それは残念ねとフローラも応じる。
 ラシャラは礼儀正しく二人と視線を合わせないようにしていた。

 盤面、と言うか今や卓上一杯に広がった戦域図に目を落とす。
 味方は敵が攻めてきたお陰で包囲に隙間が出来ている。そして、伏兵や寝返った者も含めれば、味方は三体。
 逃げ切れない事も無い―――か。しかしやはり、ネックとなる事が一つある。
 「……裏切ってくれるなよ、としか言えぬのが情けないわ。聖機師一人すら満足に忠誠を得られないとあらば、国ごと奪われて当然といえるかもしれぬの」
 ラシャラは、白のナイトの駒を撫でながら、自嘲気味に笑った。
 フローラは涙を流さずに泣いている様にも見える姪をチラリと見た後で、アマギリに視線を送ってきた。
 「それで、この後はどう動くのかしら?」
 アマギリは肩を竦めて応じた。
 「特にどうも―――って感じですかね。一度攻勢を防ぎきれば―――特に、女王陛下が指定する一年半後辺りに仕掛けてきたものを防げたのであれば、向こう暫くは安全の確保は出来ますから。その間に、状況の再設定って所じゃないですか」
 これ以上この場で考えても行動を固めすぎて制限してしまうだけ出しと語るアマギリに、フローラもゆっくりと頷いた。
 「そうねぇ。―――少し、ファクターが少なすぎるものね」
 「現実だったら、こんな風に敵と味方だけにははっきり別れませんからね。見えないところに第三勢力が居ないとも限りませんし」
 そう言いながら、アマギリはテーブルに広がった駒を、整理していく。
 その後で、考え込むラシャラに、言った。
 「そう言う訳なんで、納得していただけましたか?」
 アマギリの問いに、ラシャラは考え込んでいたままの顔を上げて、疲れたように笑って頷いた。
 「うむ―――まぁ、の。状況を利用して、妾が上手くやって見せればよいという事じゃろうな」
 諦め混じりのその言葉に、しかしアマギリは首を振った。
 「いえ、その事じゃなくて」
 チェスの駒を、盤上にゲームを開始するための初期の位置に配置しなおしながら、アマギリは笑った。

 「あの状況から、”僕のやり方で勝利する”方法、理解できましたか?」

 問われて、ラシャラは盤上を見返す。
 そこには、最早先ほどまでの投了状態の盤面の姿は何処にも無くなっていた。
 駒は全て初期は位置に戻されており、次のゲームを何時でも始められる状況―――つまり、以前のゲームを取り戻す事は不可能な状況。
 ラシャラの目が、点になる。それに対して、フローラの言葉はあっさりしたものだった。
 「私は勝ちを奪われた―――って感じかしらねぇ」
 「まぁ、僕としては乗ってくれて助かりましたって所ですけど。―――気付いてましたよね、女王陛下」
 アマギリの問いに、さてどうでしょうとフローラは微笑むばかりだった。
 ラシャラは、漸くアマギリがやっていた事を理解した。
 つまり、わざとチェスの勝負から逸脱させていき、勝負の結末を両者の思考から追い払ってしまうという、それがアマギリのやり方だった。
 「―――なるほど、ダグマイア・メストが嫌う訳じゃ。お主、あくど過ぎていかん」
 「そんな事は無いわよねぇ。今のは、目の前の状況に捉われ過ぎたラシャラちゃんの負けよ」
 ねぇ、と楽しげに微笑む視線。よくも嵌めてくれたなと忌々しげに睨む視線。
 その二つを同時に受けながらも、アマギリは肩を竦めるだけだった。

 「まぁ、大事なのは―――自分の勝利条件を忘れない事、ですね」
 
 後日に至るまで、ラシャラの思考の片隅には常にその言葉が残っていた。


 ・Sceane 21:End・




  
     ※ 超☆未来予知タイム。
       ……と、思わせてオチは天丼的なノリで。 
 



[14626] 22-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/15 20:40


 ・Sceane 22-1・



 「あらお兄様、お帰りなさい」

 そろそろ聖地学院へ戻る日も迫ったその日の夜、夕食後から詰めっぱなしだった自身の執務室―――形式上だけとは言え王家に属する以上、城に居れば地味な仕事を回されたりもするのだ―――から寝室へと戻ったアマギリを出迎えたのは、何時かの夜のような光景だった。
 「また人の寝室に忍び込んだんですか」
 アマギリの寝室の中では、マリアが月明かりを肴に優雅にワイングラスを傾けていた。
 「あら、何か問題でもありまして?」
 「まずはその格好じゃないですか。どっかの露出狂の娘のように見えますが」
 以前は内向きの私服姿だった筈なのだが、今回はシルク地の寝巻き姿だった。もう少し室内が明るければ、肌が透けて見えそうな装いである。尤も、着ているのがまだ年端も行かぬ少女であるから、扇情的と言うには程遠かったが。
 「……事実、何処かの露出狂の娘である事は否定でき無いのが辛いですわね」
 「だったらもう少し節度のある格好をして貰いたいんですがね」
 「あら、ひょっとして欲情でもしましたか?」
 ため息を吐いて自身の飲むためのコーヒーを用意しながら―――下戸だった―――言うアマギリに、マリアは嫣然とした流し目を送る。
 酒のお陰か、薄く紅色に染まった頬と合わさって、妙な色気が存在していたが、構ってみると酷い目に会いそうだったので、アマギリは見なかったことにした。
 「そういう誘惑をするには、あと五年は早かったですよ」
 「あら、つれない。―――では、五年後にもう一度行うとします」
 グラスに残ったワインを一息で飲み干した後で、マリアは鼻を鳴らして言った。アマギリはブラックのコーヒーを片手に彼女の対面に座り、けだるい態度で答えた。
 
 「―――まぁ、五年後に僕がここに居る保証も無いですがね」

 その言葉に空気が凍る―――と言うこともなく、マリアは平然とグラスに新たなワインを注ぎ足すだけだったから、いっそ当てが外れたのはアマギリの方だっただろう。
 「私的な意見ですが―――」
 「……はい」
 顔も合わせずに語るマリアに、アマギリが曖昧な顔で頷く。蛇の尾を踏んだ気分だった。
 「一度あの母の懐に抱きこまれた以上、逃げ出すのは不可能だと思いますよ」
 「……ですよねぇ」
 「尤も、逃げたくなる気持ちも解らないでもないですが」
 何しろ当人から逃がさないと断言されている訳だと項垂れるアマギリに、マリアは楽しそうに付け足した。
 「それにしても、少し我欲が出てきましたわね、お兄様」
 「我欲?」
 また日常会話では使わない単語が出てきたなと、アマギリは首を傾げる。マリアはええ、と頷いて続ける。
 「以前でしたらもう少し唯々諾々と状況にしたがっていたと思うのですが、今は少し、与えられた情況に対して否定をする事を覚えているように感じますよ」
 「否定……ねぇ。いや、否定と言うよりは」
 別に状況に対して不満がある訳でもないし、しばらくはこの状況に付き合う気でも居る。
 だと言うのに、周りから見た時に前より反抗的になったと思えるなら、それはつまり。
 「―――立脚点が見つかった?」
 「ああ、それですね正に」
 マリアが引き継いだ言葉に、アマギリは深く頷いた。
 そう。恐らくはあの林間学校での一件以来だろう。
 以前より少しは自分と言う人間がどういう人間だったかを理解し始めている事にアマギリは気付いた。
 望むもの、望まぬもの、耐えられるもの、そうでないもの。そういったものの区切りが、以前よりはっきりと出来るようになったと思う。元々合った自分の感性、判断基準を取り戻せていると言う事かもしれない。
 「一応、前に比べれば何処に立っているのかは解った気はしますね。―――ただまぁ、相変わらず自分がどうしてそこに立っているのかが解らないんですが」
 「相変わらず、珍妙な記憶喪失ですね。何だか、意図的に忘れるようにしているみたい」
 まさかそんな事もあるまいと言う風にマリアが言うと、アマギリが口元を押さえて嫌な顔をしていた。
 「まさか、本当に―――?」
 「ハハ、まさか」
 笑い飛ばしながらもアマギリには、何故か―――自分でも解らないが―――マリアの言葉を否定しきる事が出来なかった。確かに昔から、何度か考えた事のある話だったのだが、なるほど、森での一件以来の自分を元に考えるに、どうにもその与太話が真実味を持っているように思えて困る。
 とくにハヴォニワに戻ってきて、誰かの顔を見ていると、余計にそう思えてならない。
 
 忘れられるなら忘れたい記憶と言うものがある。例えば、忘れる機会があるとしたら、容赦なくそれを忘れようとする事も―――しかし、その忘れたい記憶に付随する形で、忘れたくない記憶が共にあったら。

 「まぁ、深く考えるのは止めましょうか」
 「その辺りは相変わらず、嫌な事は後回しですのね貴方は……」
 首を振って思考を追い払うアマギリを、マリアは半眼でにらみつけた。アマギリは礼儀正しく視線を逸らした。
 「……良いですけどね、貴方はそうやって捕まるまで逃げ回っていれば。―――尤も、捕まえに来るのが過去か現実かは知りませんが。私の言っている言葉の意味は理解できていますわよね?」
 ようは、誰が過去で現実なのかと言う話なのだろうが、アマギリにとっては耳が痛い話だった。
 そして、逃げ出そうにもここが自分の寝室だった。都合のよい逃げ場など無い。
 「あまり、理解したくは無いんですがね。―――本日の来訪の理由はその辺ですか?」
 結局の所アマギリは何時ものように話を逸らす事にするのだった。マリアも、仕方ないとばかりに応じる。
 「ええ。―――そうでもあるし、違うとも言えますが。ある程度立脚点も見えて、この世界の事で貴方を取り巻く事情も―――聖地での行動の結果で見えてきたことでしょう? それを踏まえて、貴方がどう行動をするのか。ぜひお聞かせ願いたいですわね」
 「どう行動するか、ですか……」
 問われてアマギリは腕を組んで唸った。
 「何か、初日に女王陛下にも似たようなことを言われた気がするんですが」
 「その続きだと思ってもらって構いませんよ。早い話―――今後の情勢に、貴方がどの立場で関わっていくのか。私たちも立場上知らない訳にもいきませんから」
 アマギリの疑問に、マリアは即答した。

 私たち、と言うのはハヴォニワの王家としての立場を指しているのだろう。
 今後の情勢と言うのは考えるまでも無い。最早引き金に指が掛かった状態であるから、後は少しの力を加えるだけ。一国の勢力図の変化が世界に劇的な変化を加える日が、間近に迫っているのだ。
 そこで、アマギリ・ナナダンの存在がある。
 現在は当然ハヴォニワの駒―――のように見えて、行動の端から予想外で手に負えない。
 普段は、大抵は人に従って見せるくせに、決定的な部分では確実に自分の考えを優先するだろうと、誰かの駒に納まる人間ではない事が、聖地での一件ではっきりした。
 ハヴォニワとしてはこれまでは配下の人間として扱うつもりだったが―――精々、非敵対的な独立勢力くらいの扱いにするしか無いのではないかと思い始めている。
 つまり、アマギリを動かす場合はハヴォニワだけの利益だけではなく、アマギリ自身にも利があるような形にしなければならなくなる。今更手放す訳にもいかず、しかし些か扱いに困るようになって居る存在。
 加えて、アマギリ本人が旗色を全く鮮明と使用としない事が、扱いづらさを倍化させているのだ。
 そろそろはっきりしろと言いたくなるのも解ろうというものである。
 
 「つまり、言質が欲しいって事ですか? ハヴォニワに絶対的に服従すると。もう王家の一員としてそれなりに動いてるのに? ―――まぁ、僕としてはここに居る間だけと言う括りでいいなら誓紙を書いてもいいですけど」
 アマギリとしてはそんな風に自分を扱われても、精々予想以上に大げさな扱いになったな程度にしか思えない。
 正直な所、彼にとってこの世界での覇権争いになど興味は無いし、何時か自分で理解したとおり自分はいずれ帰る人間だという思いもあったから、積極的な行動に出るつもりも無いのだ。
 勿論、今更足抜けできるとは思っていなし、降りかかる火の粉を払う事を躊躇うつもりも無い。
 だから、火の粉さえ降りかける気が無い相手の言う事だったら、基本的に聞くスタンスである。
 死なないのであれば、退屈よりはそれなりの刺激があったほうがいいと、安楽な思考であった。

 そんな風に気楽な答えを返すアマギリに、しかしマリアは渋面を崩す事はなかった。
 「貴方の普段の言動から言って、たかが誓紙一つで拘束できるとは誰も考えないのです。王家と言う考えられる最大の縛りを与えても、です。特に―――政府関係者にとっては、貴方は最早危険人物扱いなんですよ!」
 「―――ああ、なるほど」
 政府関係者。そう言われてアマギリは漸く理解した。
 「なるほどね、それは失念していました」
 深く頷きながら思う。政府関係者。そう、ハヴォニワには民政を司る政府も議会も存在するのだ。アマギリにとってハヴォニワといえばフローラとマリアの事を指すのだが、現実はそうは行かない。国家は彼女ら二人の思惑だけでは動かない。彼女らが危険を踏まえても由と言えてしまう人たちであっても、政府の人間にまでその気概を求めるのは酷と言うものだろう。普通の人はそこまで太い神経を持った人はそういない。
 しかしやはり、そういった人間でも―――そういった普通の人間だからこそ、自分の目に付かない場所には置きたくない。何が起こるかわからないから。

 では、どうするか―――どうするか。

 「……縁談ですか。まぁ、貴族御用達しの方法ですし、ありえない話じゃないですけど―――で、国内の、誰です?」
 「―――お気づきに、なりますか。既に王家の一員として最上級の待遇をしているのに、それでも勝手行動をするような人間を、縁談如きで縛れる筈も無いのに」
 愚かしい事ですと、マリアはアマギリの問いに頷いた後でワイングラスを傾けた。テーブルに置かれたボトルには既にワインは半分も残っていない。相当飲んでいる。
 無理やり酔おうとしているようなその姿に、アマギリには何とはなしに気づく事があった。酔った勢いで、どうにかしてしまいたい気分の時も有るだろう。例えば、言い出しにくい話がある時とか。

 「僕と、―――王女殿下の縁談ってトコですね」

 無茶な事を提案する人が居たもんだと、アマギリの抱いた感想はそれくらいだった。
 それと同時に、人間と言うのは解らない物ほど恐れるものだから、仕方が無いかと言う気分もあった。
 どのみち、縁談が成立したとしても王位を継ぐのはマリアだし、アマギリも建前上は王統に乗っている訳だから体外的な問題も少ない。名だけではなく、実を与える事によって扱いづらいが有効な駒を完全に管理下におければ―――そういう考えが出ても、仕方の無い話だと思えた。
 「それを発言した瞬間、その閣僚は何故か自主的に職を辞しましたが―――ね」
 「何時かの新聞で見ましたよそれ。不正資金の流用疑惑とか書かれてましたが、真実はそんなですか」
 完全に据わった目で呟くマリアに、アマギリは冷や汗をかいて頷いた。あの女王陛下の逆鱗に触れるポイントも良く解らないなと、内心考えている。やはりこの王女と付き合うときは慎重な対応をとった方が良い様に思える。
 「全く、馬鹿にするのも大概に―――という、はなし、です。情を利で縛ろう、として―――も、そこにホンモノの情が結ばれる―――筈が有りませ、んし。そんなものに、私たちが動かさ、れる訳が無いじゃないですか―――ねぇ?」
 「いや、ねぇ? って言われても」
 大分酔ってるなぁと、目の前の少女の胡乱な視線を横に逸らして交わしつつも、結局この子は何が言いたいんだとアマギリは頭を抱えたくなっていた。
 面倒ごとに巻き込まれたという態度が顔に出てしまったのだろうか、マリアは座った瞳でテーブルの上にワイングラスをたたきつけた。
 ガン、ともカンとも音がしなかったあたりに、無駄な育ちのよさを感じるなとアマギリはどうでも良い事を思った。
 「つまりです、私は―――」
 「……わたくしは?」
 ああ、ダメだなこの酔っ払いと言う気分で問い返すアマギリに、マリアはその態度に文句もつけづに言葉を重ねようとして―――。
 「おっと」
 ゆらりと、椅子から崩れ落ちそうになった細い少女の体を、アマギリはそっと受け止めた。
 想像以上に軽い。これで寝息が酒臭くなければ中々気分も出るだろうというものだろうが、そこは残念。
 ―――残念?
 「……子供相手に何を考えているんだ僕は」
 
 「貴方も充分子供でしょうに。女にばかり語らせて、自分の言葉は一つも言わないのですもの」

 さて、振り返った扉の先には思ったとおりの人物の姿があり―――アマギリは、少女を抱きかかえたまま大きな溜め息を吐いた。
 夜はまだ、長いようだ。




    ※ 飲酒適用年齢とか細かい事を気にしてはいけない。
      異世界人辺りが意味も無くお酒は二十歳になってからとか言ってそうな世界ですが。



[14626] 22-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/16 20:44

 ・Sceane 22-2・




 「それじゃあ、カ~ンパイ」

 「何にですか?」
 ボトルの底に残ったワインを二人で分け合い、付き合いよく杯を打ち合わせながらも、アマギリは苦笑して尋ねずに入られなかった。
 月明かりの下で向かい合う相手は、この国の女王、フローラ・ナナダン。寝巻き姿の娘と違って、こちらはむしろ、露出度の低い常ならぬ落ち着いた装いだった。シックな色調の装飾の少ないドレスが、いっそ彼女の女性としての魅力を引き立てていると言えた。
 「う~ん……マリアちゃんが初めて殿方の部屋で一夜を明かした記念って処かしら」
 「いや、確かにベッド貸してますけど、後で運ばせますからね」
 ちら、と天蓋の下で眠るマリアの姿に視線を移しながら、アマギリは肩を竦める。このままマリアを放置した場合、まず何よりも明日のマリア自身による報復が恐ろしかったからだ。
 「相変わらず面白みの足りない人ねぇ」
 「寝室に招かれざる客を招いてまで面白い言動をする趣味は無いですよ」
 ワイングラスを口元に近づけて―――そのアルコールの匂いに顔をしかめて直ぐテーブルに戻しながら、アマギリは呻いた。フローラはその態度を目敏く捉えて小首をかしげた。
 「お酒、駄目だったわねそう言えば」
 「ええ。酔わないですけど頭が痛くなるんですよね」
 酒の楽しみ方だけは理解できないと眉をしかめてワインを舐めるように啜るアマギリを、フローラは微笑ましげに眺めた。
 「じゃあ、―――貴方が酔ってしまう前に、面白く無い話をしちゃおうかしら」
 「女王陛下との会話が楽しくなかった事は一度も無いですけど―――まぁ、せっかくの機会ですし、まじめな話しは必要ですよね」
 「そう、ねぇ。それは私もだけど……ねぇ、ひょっとして酔ってる?」
 常なら絶対ありえない前振りを交えて言うアマギリに、フローラは思わず確認の言葉を漏らしてしまった。
 アマギリは首をかしげた。
 「何故です?」
 まるで何を言っているんだか解らないという顔でワインを舐めているアマギリに、フローラは小さくため息を吐いて首を振った。酔っている。完璧に酔いが回り始めていた。
 「……いえ、良いの。気にしないで」
 アマギリ本人にはどうやら自覚が無いらしいと思いつつも、これはこれで有りだろうと思ったので、フローラはこのまま話を続ける事にした。一緒に居て面白いと言ってくれるのであれば、悪い気はしないのは当然である。
 同時に、本当にこの少年は仕事―――本人が自分に与えられた役目だと思う事―――以外に関しては隙だらけだなと思っている。
 そりゃあこの様では、ユキネのような回りに気を使う人間には、危なっかしくて見ていられないだろう。
 アマギリ本人に自覚が無いから、なお更。
 自分で役目を押し付けておきながら、フローラにはユキネにご苦労様と思う気持ちが強まった。こんな少年を始終護衛しようなどと思ったら、きっと胃薬が幾つあっても足りないだろう。
 まぁ、良い。
 ユキネに礼を言うのは明日でいいとして、今は目の前のカレとの話であると、フローラは気分を切り替えた。
 因みに彼女本人は、酒に関してはザルである。まるで酔った試しが無い。

 「マリアちゃんから何処まで聞いたかしら?」
 「あ~―――、ワタクシ・アナタノ・オヨメサン、ってトコですかね」
 フローラの問いに、アマギリはまるで興味が無さそうに答えた。実際、興味が無いらしい。
 きっとこの少年は婚姻と言うものを、社会的な建前、段取りの一つ程度に考えているのだろう。それなりに一念発起して、お酒の力まで借りて話を持ち込んだ娘が哀れと言えば哀れだった。
 そんな風にフローラが考えていると、思考を見透かすような瞳でアマギリがそれを見ていた。
 「何か他人事みたいな顔してますけど、どうせ女王陛下が本人同士で話し合えとか言ったんですよね。―――何て伝えたんですか?」
 そのどこか責める様な口調が、フローラにはおかしかった。フローラ自身と同じで、謀略で他人を嵌める事に斟酌しないタイプだと言うのに、個人的な人間関係に関しては、随分と潔癖な―――他人の介入を嫌う性質がある。若さと哂うべきか、可愛げと評するべきかは、受け取り方に寄るだろう。
 少なくともフローラには好意的に映った。どんな食えない人間にも、弱点は必要だと思っている。
 「そ。気づかれないままに私が処理しちゃってもよかったんだけど、それじゃあ本人のためにならないかなーって思って。だから、”お兄ちゃんのお嫁さんになる気はある?”ってそう尋ねたわ」
 「―――それは、また」
 アマギリは呆れたように話しの流れを切った。やはり酔いが回り始めていても、自身の私的な部分に及びそうな部分の話しは、深くする気は起きないらしい。
 しかし、フローラとしてはその態度は好みでは無いので、少しからかう事にした。
 「あら、聞かなくていいの?」
 「何をです?」
 質問の意図は解っているだろうに、アマギリは付き合い事態は悪くない男だった。単純に、諦めが混じっているだけかもしれないが。
 フローラは、それは勿論と楽しそうに答えた。

 「マリアちゃんがぁ、どう答えたのか」
 
 当然、酒を持って兄の寝室に押しかけるような状況に到るような葛藤があったに違いないから、聞けば面白い話ではあるだろう。
 だが、アマギリは自分から”蛇が潜んでいる”と書かれた看板の立ている藪の中に踏み込むような悪趣味は持っていなかった。まるで興味が無さそうに投げやりに言う。
 「じゃ、教えてください」
 いっそ聞いている側が、話せるものなら話してみろといっている風にも聞こえる質問は、やはり当然の言葉で以っていなされた。
 「イ・ヤ♪」
 「……ですよねぇ」
 女同士の会話の内容を、異性にべらべらと口にするなど、流石に言語道断だろうと両者ともに理解していた。何事にもマナーと言う物があったから、ようするにこのやり取り自体もその範疇に含まれる話だった。
 とは言え、定型文通りのやり取りだけで終わらせてはフローラとしてはまるで面白くなかったから、再度別方向から攻めてみることにした。
 「聞いてくれないのかしら?」
 「……何をですか?」
 楽しそうに微笑むフローラに対して、答えるアマギリの顔は面倒そうなそれだった。しかし、それを全く気にする事もなくフローラは言葉を続けた。
 「女王陛下はどうお思いなんですかって」
 「あ~……」
 フローラの言葉に、アマギリは濁点でも付きそうな位の面倒そうな声で呻いた。
 「聞いたら踏み込んでも居ない薮から蛇が飛び出してきそうだから良いです」
 賢明な判断である。ただ、フローラに対してそれが有効であるとも限らないのがネックだった。
 「そうよねぇ、絡み付いて離れないかもしれないし」
 頬に付けた手の小指を立てていたり、流し目だったりと大変色っぽかった。アマギリは冷静に見なかった事にした。
 「まぁ、冗談はさておき」
 「冗談じゃないんけど」
 明後日の方向を見たまま話をまじめな方向に戻そうとするアマギリに、フローラが微笑んだまま切り込む。
 アマギリは更にどこか遠くを見ながら言葉を続けた。

 「……じゃあ、それはさておき」
 「この、ヘタレ」

 無理のある話の逸らし方にかぶさった言葉が、いっそ少女のような拗ねた口調だったから、アマギリは自然に微苦笑を浮かべてしまった。だからと言って、これ以上話をこの方向で固定するつもりは無かったが。
 「何とでも言ってください。―――それで、まじめな話しどうなんです? 僕と王女殿下は結婚した方が良いんですか? まぁ、時期が時期ですし、国内の面倒ごとを避けたいって言うなら、僕個人としては構わないですが」
 感情の挟む余地の無い問題は、基本的に利益の有る無しだけで判断する。それがアマギリの思考法だった。
 そしてそんなアマギリにとって、婚姻と言う対外的な”制度”は、感情面を考慮する必要性を感じなかった。それで面倒ごとが避けられるのならば、被っても良い泥程度にしか思えない。
 フローラとしては―――むしろ、一般的な女性全ての意見としてはといっても良いだろう―――婚姻などに関しては利益以上に感情も以って話してもらいたい部分だったから、そう冷静に返されては面白くない。返す言葉が若干棘交じりだったのも、仕方ないと言えるだろう。
 「そのうち帰るって、宣言してるのに?」
 フローラの内心を慮っているのか否か、アマギリはその言葉に肩を竦めて返す。
 「まぁ、そうです。そのうち帰るからこそですね。―――どうせ近いうちに大規模な戦争がおきるんですから、そこで死んだ事にしちゃえば痛みは無いでしょう。状況が落ち着いた後で、逆に今度は結んだ婚姻が面倒だと思われずに済むし丁度良いですし。ついでに言っちゃうと―――」
 「―――大っぴらな参戦理由にもなるし、一石二鳥だと言いたいのかしら?」
 あくまで淡々と利益だけを追求するアマギリの言葉に、フローラが付け加えた。
 
 戦争―――戦争である。
 恐らくは数年内には起こる、シトレイユが引き起こす、ジェミナー全土を巻き込んだ大規模な戦争。
 アマギリとフローラは、それが確実に発生すると意見を一致させていた。シトレイユ一国内部だけで収まる問題ではないと、状況がそう教えてくれる。
 資金、物資、人―――間者等、それらの不自然な流れはもとより、それを裏付ける理由の一つとして、アマギリ自身が聖地で襲われた事に有る。
 シトレイユ国内だけ事態を完結させたいのであれば、不可侵の聖地領域内で他国の王子の秘密を狙う必要は無い。
 だが、敢えてそれを狙い―――それが脅威であるか否かを確かめたのであれば、事態を国内だけで留める気は無いのは明白である。
 他国の人間が脅威になる可能性を調べているのだから、他国も巻き込む気があると思考を飛躍させるのは当然だろう。
 で、あるならば受身になり過ぎずに事態へ介入するための大義名分がハヴォニワにも必要になってくる。
 その一つが今現在国内に逗留しているシトレイユ皇女ラシャラ・アースであるし、そこにアマギリを加えると言うのも、悪いアイデアでは無いだろう。
 アマギリ―――ハヴォニワの王子が、シトレイユの何某の企みにより命を落とせば。
 犠牲になった王子を弔うために、積極的に侵攻の兵を送り込める。

 フローラとしては面白くないが有効であると否定できない事実で、アマギリ自身にとっては―――この先不良債権になるしか無い自身を上手く切り捨てる実に有効な方法だと信じていた。
 あからさまな女王の渋面をみて、アマギリは空気を和らげるために苦笑して言葉を付け足した。
 「そうですね。―――まぁ、その場合はアウラ王女との縁談が完全にお流れになるので、非常に残念と言わざるを得ませんが」
 「―――あら、アウラちゃんの事が好きだったのかしら?」
 平気でマリアの話はするのに、アウラの名前が出てきた途端、別の女の名前を出すのはマナー違反だと言う態度をとる。結局、マリアとアマギリが結ばれるという未来図を、フローラ自身が一番認めていないのだろうなとアマギリは喜べばいいのか泣けばいいのか、悩みどころだった。
 そう言えばそもそも、アウラと仲良くしておけと言う話を持ち込んだのもフローラだった。
 その辺りの前後の矛盾をはらんだ我侭を受け止めきってこその男と言うものだろうかと―――これは完全に、酒の勢いを借りた発想だったのだろう。
 アマギリは、意図的に”そう”と取れるような言葉を、口にしていた。
 「単に好みの問題です。年下の美少女よりは、年上の美女の方がいとおしいと、単純にそういう話ですよ」
 「あら、まぁ。―――あらあら、まぁ」
 余りにも気障ったらしい事この上ないアマギリの言葉も、どうやらフローラにはそれなりにツボに入ったらしい。目を瞬かせて、口元を押さえて驚いている。
 「それで、どうするんですか? 僕は王女殿下の夫になった方が良いんですか?」
 アマギリは肩を竦めてままよ、とばかりに言葉をつなげた。
 言外の意味を捉える事が出来るのであれば、妙に強気な言葉である。後で思い返せばきっと、赤面必至だろう。
 そんな阿呆な言葉すらそれなりに嬉しく思えてしまうのだから、場の空気というものは莫迦に出来ない。
 フローラはアマギリの言葉を数度かみ締めるように反芻した後で、にんまりと口元をゆがめた。
 「悪い子ねぇ、坊や」
 それに対して、アマギリもニヤリと笑って言葉を返す。
 「―――それはきっと、母親に似たんでしょうね」
 「そう。ママも鼻が高いわ」
 フローラは楽しくて仕方が無いとばかりに大きく頷いた後で、女ではなく女王としての顔を作って宣言した。

 「決めたわ。―――貴方とマリアちゃんは兄妹のまま。それから、貴方は聖地では今までどおり好きに動きなさい。誰にも文句は言わせません。報告も―――いえ、報告は事後でも良いから入れるようにして頂戴。もう炙り出しは充分だから」
 
 「あれ、気づいてたんですか?」
 宣言自体は納得とともに受け入れつつも、アマギリは最後に付け足された言葉に首を捻った。
 「あんまりママを見くびらないの。出たきり一度も連絡を寄越そうとしない新しい王子様―――そんなあからさまに怪しい餌にでも、釣られるような愚か者はそれなりに居たわ。全く、喉元過ぎればなんとやら、かしらねぇ」
 一年前に反乱討伐をしたばかりだというのにと詰まらなそうに続けるフローラに、アマギリも苦笑で応じた。
 「他人の粗探しに人生を賭けるような連中って、自分の荒っぽい行動に頓着しないところがありますからね」
 記憶の端に残る、何時も目を皿のようにして絶対に見つからないであろう誰かの粗を探していた何処かの誰かの顔がアマギリの脳裏に思い出された。生憎、誰だかまでは思い出せなかったが、権威を嵩に着た好きになれないタイプの人物だったような気がすると、アマギリはそこまで考えた後で、どうでも良いかと思考を切り替える。
 今はフローラとの会話に集中するべき所だろう。
 「ええ。お陰さまで莫迦を吊るし上げるのに材料の不足は無いわ。だから、”事”が起こるまでには国内の面倒ごとは一掃出来るから、坊やは何も気にせずに好きなだけ学生生活を満喫しなさい」
 現状で揚げ足取りが得意な連中は全て処理が可能であるから、そもそもマリアとアマギリの婚姻なんて無茶なパフォーマンスをして見せる必要も無いと、フローラは事も無げに言い放つ。
 絶対足る自信が、彼女を女王たるの貫禄を示していた。
 「了解です―――けど」
 アマギリはそれに信頼を持って頷きつつ、一つだけ頷けない事柄について口にした。
 「けど?」
 「出来れば、坊やは止めてください。貴女に坊や呼ばわりされるのは、何故だか受け入れがたいんですよね。―――思い出したくない事を思い出しそうな気がして」
 記憶の底から消えてくれない誰かの事を思い浮かべて、アマギリはそれを追い払うように左右に首を振りながら言った。
 フローラはそんなアマギリの態度を楽しそうに眺めていたが―――やがて一つ、小首をかしげて問いかけた。

 「それは良いけど……でも、気づいてる? 私は貴方の名前を知らないのよ。―――ねぇ、貴方。私は貴方を何て呼んだら良いのかしら?」
 
 曖昧な言葉は許さない―――許して、あげられないと、そんな意味が篭った問いかけだった。
 それに気づいたかどうなのか、しかしアマギリは割りと気楽な態度で肩を竦めて応じた。

 「もうしばらくは、アマギリ・ナナダンで」

 「―――良いの?」
 あっさりと欲しい言葉を貰えてしまった分、フローラの言葉は飾りの無いものになっていた。
 それに頷き返して、アマギリは微笑を浮かべながら続ける。
 「ええ。しばらくは、そうです。アマギリ・ナナダンとして動きます。―――ハヴォニワの王子、ナナダン家の人間として」
 それはつまり、政治的に見て、完全にハヴォニワの側に立って動くという宣言だった。彼個人という利益集団ではなく、ハヴォニワという国家の利益を優先的に考慮して動くという言葉に他ならない。
 彼の口からは滅多に語られない、自身の行動の自由を削ぐ言葉。
 この少年が見せられる、最大限の厚意と言っても過言ではなかったから、フローラは思わず、無粋な確認のような言葉を言ってしまった。
 「そう。―――お礼を言うべきかしら」
 アマギリはしかし、笑って肩を竦めた。
 「当たり前のことを言っている息子に、一々お礼なんて言う母親は居ないんじゃないですか?」
 しかし流石にその言葉は戯れが過ぎたか、フローラは鼻白んだように笑った。
 「―――そう、ね。そうよねぇ。つまりしばらくは息子のままで居るって宣言だものね。―――この、ヘタレ」
 「何とでも」
 お互いの言葉に、顔を合わせて笑いあう。

 「楽しみね?」

 「何がです?」
 今この時が―――そう言われていたらきっと、直ぐに頷いていたかもしれないような口ぶりで、アマギリは問い返す。
 フローラは今が楽しいのは当然だとばかりに、笑みを深めて頷いた。
 「何もかも、よ。これから起こる事、予想される災難、それに纏わる事件、その解決、外敵の排除。乱れた秩序の再構築―――それに、貴方が息子じゃなくなる時の事も。想像して御覧なさい、―――これから先ずっと、楽しい事ばかりよ?」
 トラブルばかりじゃないかと、普通の人ならば言うであろうそれを、さも楽しそうに語るフローラの姿は、アマギリにはどうしようもなく魅力的に見えた。だから、気づけばそんな思いが、口の端から漏れていた。
 「どう考えても、面倒ごとばかりにしか思えませんけど―――まぁ、それを楽しめてしまう貴女だからこそ、僕には魅力的に映るんでしょうね」
 常に無い直接的な表現に、一瞬だけフローラの目が点になった。その後で、薔薇のような微笑を浮かべて、アマギリだけに言った。
 「慣れないことを言って―――顔、赤いわよ?」
 言われてアマギリは、ワイングラスの中身を喉に流し込んだ後で、何もおかしなことは無いとばかりに応じた。
 「酔ってるんです。―――下戸ですから」
 照れ隠しにしても杜撰過ぎるだろう。その仕草がおかしくて、フローラも常なら見せぬ態度で応えてしまう。
 「実は私も、お酒って余り得意じゃないのよ」
 「でしょうね。顔、赤いですし」
 にやけそうな口元を無理やり正したような顔で応じるアマギリに、フローラは誰にも見せた事の無いような顔で頷いた。口にした言葉は、自分すら騙せない様な、ただの一言だけ。

 「―――酔ってるのよ」


 ・Sceane 22:End・





    ※ 拾われる⇒帰る日を考えながら何となく生きる⇒拾ってくれた人のためにもと頑張ろうと思い立つ

      と、こう書くと実は原作主人公とやってる事は変わらない筈なんですけど、演者が摩れ過ぎていて原型を留めてませんね。
      ……どうしてこうなった。

      因みに剣士君が年下を選んだので、こっちではガチの年上を選んでみたとか。



[14626] 23
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/17 21:13


 ・Sceane 23・




 空港は閑散としていた―――というより、当然だが政府専用の飛空艇発着港であり、加えてお忍びで来訪中の他国の姫君まで居るのだから、信用のできる限られた人間しか居る筈も無い。

 空港に係留されている船は二隻。一隻はそれなりの拵えの、極ありふれた個人用客船。もう一隻は船と言うよりは、まさしく岩塊。むしろ一つの島と言った方が正しい、空中宮殿オデットであった。
 港に居る人の姿は、警備のもの、作業員を除けば、四人。
 オデットへと上がる稼動桟橋に乗ったアマギリとユキネ。そしてそれを港で見送る姿となった、ラシャラとキャイアである。
 八月も半ばを過ぎたその日、彼らはハヴォニワ王城を発ち、それぞれの居場所へと戻る事へなったのだ。
 アマギリたちは、このまま聖地へ。ラシャラたちは、シトレイユ国内、王家直轄領の一つへ。
 
 賑やかに、されど穏やかであったハヴォニワでの夏休みは、この日、終わりを告げる。

 「それではの、従兄殿。次に会うときは―――きっと笑顔でとは、行かぬじゃろうが」
 何時までも立ち止まったまま雑談などしているわけにもいかない。ラシャラが遂に、別れの言葉を口にした。
 それはどこか、笑顔でありながら翳りを含んだものだった。
 それゆえ、応じるアマギリの態度も、微苦笑の混じったものになってしまう。
 「そう、ですね。精々、しばらく会えなければ、きっと一番良いんだろうけど―――」
 「よい」
 労わりの混じるアマギリの言葉を、しかしラシャラは困った風に笑って遮った。
 「要らぬ世話じゃよ、それは。天命すらも既に決しておる。避けえぬとあらば、受け止めるしかあるまい」
 悟ったような物言いのラシャラに、アマギリですら言いたいことは幾つもあった。だが、言えない。言ってしまえばそれはきっと、張り詰めた糸を切ってしまう様な残酷な結果を生んでしまうだろうから。
 だからアマギリは、肩を竦めて頷いた。
 「失言でした」
 「ウム。―――では、ひと時の別れじゃ。精々達者でおれよ」
 「ええ。キャイアさんは、新学期にまた聖地で」
 ラシャラに頷いた後で、その奥に控えていたキャイアにも別れの言葉を継げる。ラシャラの専属聖機師であるキャイアは、このまま聖地へと戻らずに、夏休み終了ギリギリまでキャイアに付き従う予定だった。
 キャイアはまさか自分にまで声をかけられるとは思っていなかったらしい。些か戸惑ったような口調で、アマギリに礼をした。
 「あの―――はい。アマギリ殿下もお気をつけて」
 ハヴォニワの王城での生活時と変わらぬ微妙な距離感を感じさせるキャイアとアマギリの会話に、ラシャラは大きくため息を吐いた。苦笑とともに、ユキネに視線を移す。
 「おぬし等、結局最後までその調子か。まぁ良い。ユキネも壮健での」
 「はい」
 ユキネは常と変わらぬ落ち着いた態度で、ラシャラの言葉に頷いた。それにラシャラは満足げに頷き返し、改めてアマギリに最後の別れを口にした。
 
 「うむ。―――では、さらばじゃ。ハヴォニワの王子、アマギリよ」

 オデット艦内の小城は、数週間前と変わらぬ清潔感を保っている。
 相変わらず搭乗者に船での旅だと感じさせぬ優雅さのまま、ゆっくりと飛行して国境を目指し進む。
 乗艦も三度目となれば、最早慣れたもの。アマギリは艦首に設えられた東屋で、改めて自身の従者の位置に着いたユキネと、ティーテーブルを囲む事とした。
 眼下を緩やかに流れる自然の風景を眺めながら、静かな時間が流れる。
 ハヴォニワ王城での暮らしは、二人の姫君、四人の歳若い女性、相変わらず胸のうちの読めない女王の存在もあってか賑やかで楽しいものであったが、アマギリはこういったただ静かに流れるだけの時間というのも、決して嫌いではなかった。
 それ故に、何か言葉を口にする事も無く、思い出を肴に紅茶を口に運んでいた。
 その態度が、ユキネにはどう映ったのだろうか、あるいはその質問は、彼女自身の心情だったのかもしれない。
 静寂を途切れさせたのは、アマギリと同様に静寂を好むユキネの方だった。
 
 「ラシャラ様達とお別れして―――寂しい?」
 
 「どうして?」
 ぶしつけとも思えるその言葉にも、アマギリは穏やかな顔で応じた。ユキネも、特別な遠慮も見せずに静かな口調で言葉を続ける。
 それが、今の二人の関係だった。
 「凄く、仲が良さそうに見えたから」
 「僕と、ラシャラ皇女?」
 「うん」
 「そう? ―――まぁ、話しのリズムは合った方かな」
 ハヴォニワでの会話時間の総計は、恐らく、ユキネとの時間よりも、ラシャラと会話していた時間の方が多いだろう。込み入った話から雑談まで、確かに、随分色々と語り合った。
 とかく、疲れる事無く会話の種に困らない。相手の次の言葉を想像しつつ、パズルをくみ上げていくように幾つ物言葉を積み上げていく。
 そういう風に、楽しく会話ができる相手と言うのは、貴重な存在だ。
 故にアマギリは、ラシャラと気が合ったと認めるのも、全く吝かではなかった。
 そういう風に語るアマギリに、ユキネは首を捻って尋ねた。
 「―――二人は、似てるって事?」
 思考パターンが似ているから理解が早いのかと問うユキネに、アマギリは首を横に振った。
 「まさか。それはあの子に失礼だよ。―――あの子はね、どうにもなら無い現状を正しく理解していても、それでもそこから這い出す方法を求める事を諦めない。―――あの歳で、良くもまぁ。……強い子だよ」
 アマギリの言葉は紛れも無い賞賛の言葉だったから、ユキネにとってそれは一種異様なものだった。
 この少年が手放しで誰かを褒めるなど、まるで冗談のようだ。
 それが可笑しく思えたから、ユキネは微笑んでこんな事を口にしていた。
 
 「好みのタイプ?」
 
 ユキネの言葉に、アマギリは一瞬目を丸くした後で、微苦笑して首を横に振った。
 「尊敬できる子と、好きになる子は、違うんじゃないかな」
 「―――同じ事も、ある」
 「そうだね。僕の尊敬するユキネさんの言う事だし、そう言う事もあるだろう―――イテっ!」
 つま先に何かが刺さるような感触。見ると、ユキネが頬を赤らめて視線を空へと飛ばしていた。
 「冗談で、そういうことを言われるのは、イヤ」
 先にこういう話を仕掛けてきたのはユキネの方じゃないのかと、アマギリはそう思わない事も無かったが、それを言うのはマナー違反なのだろうと思い、何も気づかないフリをして話を続ける事にした。
 「冗談”でも”じゃなくて”で”なんだ。―――本気の場合はどうするのやら」
 ニヤリと笑って問いかけるアマギリに、ユキネも強かな笑みで応じた。
 「その時に、考える」
 上手く避けきったユキネの言葉に、アマギリが一拍遅れた賛辞の言葉を送った。
 「―――手強いね」
 「もう、慣れたから」
 その後で、二人で微笑み合った。

 ひと時の間。

 流れる雲。眼下の光景に森の緑が増えてきた。夏は日が沈むのが遅く、西日というにも少し早い、そんな時間。緩やかなまま、たまに、茶器が合わさる音が響く。
 二人、東屋の中で言葉も無く向かい合う、穏やかな時間。ハヴォニワに戻ってからは殆ど無かった、二人だけの時間。
 静寂を破ったのは、やはり、ユキネの言葉からだった。

 「―――寂しい?」
 
 問いかける言葉も、先と同じだった。問い返す口調の穏やかさも、また。
 「どうして?」
 現状になんら不満を抱く事も無いと言うアマギリに、ユキネも穏やかなまま言葉を紡ぐ。
 「静かだから。―――誰も居ない。聖地では、貴女に好意的な人も、凄く凄く少ない」
 ハヴォニワでの数週間の暮らしは、賑やかなもので、アマギリの周りには、彼の存在を認める好意的な感情が多くあった。だがもう、それは遠い。別れの言葉は既に済ませており、向かう先にあるものは、欺瞞と猜疑と悪意が交じり合う聖地。
 郷愁の念の一つでも、覚えたとしても仕方が無い。
 例えば寂しいと答えたら、ユキネは慰めてくれたりするのだろうかと、そんな事が気にならなくも無かったが、アマギリは微苦笑してアマギリらしい言葉を返した。
 「静かなのは好きだし、親しい人なんてのも手の平に納まるくらいで充分だと思うけど―――親戚が増えると、何となく苦労する気がするし。でも、そうだね。まだ少し、気分の切り替えが出来て無いのかもしれない」
 そこまで言った後で、一拍の間があった。言うべきか言わざるべきか。少しの葛藤は、自然に浮かんだ茶目っ気を込めた笑顔で打ち切っていた。
 「なんだかんだでハヴォニワは、楽しい我が家って感じだったからね。母が居て妹が居て、従妹が居て―――姉が居て」
 「姉―――私?」
 少しだけ驚いた風なユキネに、アマギリは肩を竦めて応じた。
 「さて? ただ、女所帯で気疲れしているだけかもよ」
 明言を避けて話を逸らすかのような態度に、ユキネは苦笑してしまう。
 穏やかな、家族を見守るような顔で。
 「駄目な弟だ」
 「お姉ちゃんには、散々玩具にされた弟の気持ちは解ってもらえないか」
 芝居がかった仕草で応じるアマギリに、ユキネも楽しそうに続ける。
 「何時も誰かを玩具にしてばかりなんだから、家の中では玩具にされるくらいが丁度良いと思う」
 「言うね、キミも。―――ま、それも家族サービスみたいなものか」
 「うん。そういう心がけは、大事」

 冗談のような会話の流れ。本気とも取れぬ言葉の応酬。
 親しい者どうし―――家族のような―――そんな関係でしか作り出せないような、穏やかな時間。
 日の位置がやがて傾き。太陽が朱色に染まり始める頃。
 ユキネはそっと、問いかけた。家を離れて、家族の揃わない、穏やかなばかりではいられない生活を始める弟に。それを供に有る姉として。

 「―――寂しい?」

 微笑みながらそう問われて、遂にアマギリは、作ったのではない微苦笑とともに、一言だけ告げた。

 「少しだけ」



 ・Sceane 23:End・



 

    ※ 締めの展開っぽいけど多分アイキャッチくらいの進行度だよねきっと。
      まぁ、次回から二学期と言う事で。



[14626] 24-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/18 21:38


 ・Sceane 24-1・


 聖地学院の二学期が始まり、当然、夏季休業状態だった生徒会の活動も再開される。

 尤も、夏季休業状態だったのは積極的に生徒会への参加の意識が低い一部の役員のみで、例えば何でも一人でやろうとしてしまう生徒会長なんかは、夏休みで学業がストップしているからこそ、積極的に活動していた。
 むしろ正確に言えば、積極的に活動していたのは生徒会長ただ一人なのだが。
 そんな訳で、二学期最初の生徒会役員会議は、ポツポツと帰国の遅れ居ている人間の欠席を挟みつつ、どこか休みの気分の抜けない気だるい空気の中で始まった。
 議題は、授業内容にすら口を挟めるこの学院の生徒会の会議にしては、たいしたものではない。
 今学期のスケジュールの確認と、そして、前学期に行われた各種行事の事後報告であった。
 
 「山間行軍演習中の遭難者発生事件における最終報告……ねぇ」

 その議題に突入した瞬間に、会議場の空気に緊張が走った。
 一言呟いた主、上座に最も近い右列最前に座る少年に、一斉に視線が集中する。その殆どが、大小なりと怯えを含んだものであったが、視線を受ける少年は何処吹く風。
 素早く視線を走らせながら、手にした報告書を読み進めている。皮肉気に歪む口元が、いっそ不気味な気配をかもし出している。
 「捜索隊運用費ならびに艦船等整備費の予定外出費。および倉庫内に閉まってあった各種備品の整備状態を再調査するための別途費用……各国に対する最終答弁書の作成。血の様に金が流出されてますね」
 ただ事実だけを記した報告書を読み上げているだけの筈なのに、何故、そんな喜劇を観賞したかのような楽しそうな声で語るのか。会議机を囲う生徒達の心境は一致していた。
 会議室は、今や少年が報告書を捲くる音、呟く言葉だけで満たされていた。
 誰も何も、発言できない。特に下座に位置する生徒達は、立場上余計にそういう思いが強かった。
 率直に言えば、発現の出来ない彼らは、少年に対して後ろめたい気持ちで満ちていた。

 なぜならば彼らは皆、”誰か”がアマギリ・ナナダンを”嵌める”事に反対の意見を挟まなかった。

 彼の少年が大国の謀略に巻き込まれるのを、これ幸いと観戦に回る事にしたのだ、自分たちは。当然、それは自分の意思ではなく、それぞれの背後に居る大人たちの意見だったのだが、実際に被害にあった人間にしてみれば同じ事だろう。

 同じ、報復の対象だろう。

 この事態の仕掛け人の一人、ダグマイア・メストが自身の得意とするチェスの勝負で、酷くプライドを傷つけられるようなあしらわれ方をしたのだと、何処なりと噂が広がりだしている。
 素人同然の打ち方をするアマギリ・ナナダンに、侮蔑と嘲笑の中で敗れ去ったと、そう言われている。最早それは隠しようが無いほど聖地中に蔓延する噂だった。嫌がらせとも思えるほど執拗に、地下で作業を行う侍従たちですら知らぬものは無いほど、徹底的に。
 ダグマイア・メストとアマギリ・ナナダン。どちらの格が上か、はっきりとさせるとばかりに。それは、あからさまに意図的と思えるほどに、それを隠す事も無く徹底的に広められていた。
 今までなら決してあり得なかった、シトレイユ宰相子息に対する悪意を持った噂。
 それが容赦なく公に晒されているのだから、発生源は考える必要も無い。

 ダグマイア・メストと同等か、それ以上の立場を持つ人間。シトレイユと同等の、聖地に隣接する三国の内の一つ。そこに所属する、ダグマイア・メストに個人的な恨みを抱いていても可笑しくない人間。

 それが、ただ呟くだけで会議室の空気を変えた、少年。アマギリ・ナナダンその人だった。

 ふぅ、と。上座に座る生徒会長リチア・ポ・チーナは誰にも見えないようにため息を吐いた。
 こうなるだろうと想像はしていたが、いっそ予想以上の無意味な緊張感に、頭が痛くなってくる。
 やはり、議題に上げるべきではなかったか―――そうも思いたくなるが、リチアは生来の生真面目な性格から、そういった日和った行動をとる事は憚られた。
 その挙句、これだ。

 ニヤニヤと口を歪ませながらプリントに目を落とすアマギリ。
 そういう”イヤらしい”態度をとれば場の空気が悪くなる事は理解しているだろうに、アマギリはあえてそうした態度を見せている。
 興味が無さそうに報告書を机に置いたまま腕を組んでいるダグマイア・メスト。まるで自分が無関係であるかのような泰然とした態度である。

 両者は両者供に互いの事を意識していないような態度をとっているが、その真実は誰にも及びつかない。
 いっそ、激しく罵りあいでも始めてくれれば、生徒会長権限で退出を促す事も出来ただろうに、自身に非難が及ぶような事はしない。

 この糞餓鬼どもがと、罵りたくなる気持ちを、リチアは必死で堪えていた。
 何しろ、二人ともただ座っているだけなのである。会議の進行を乱すような事は一つもしていない。ただ、周りが勝手に気を使って空気を悪くしているだけだ。
 親友、左列最前に座るアウラ・シュリフォンの気遣うような苦笑いが、むしろ惨めな気分にさせた。
 だからと言って、リチアは職を投げ出す積もりも無かった。気を取り直して会議を進めるために口を開く。さっさとこの議題を終わらせた方が、いくらか空気も良くなるだろうという思いもあったのは事実だが。
 
 「それでは、質疑応答に移ります。報告書に記された事案について何か疑問点の有る人間は挙手を」

 そんな事を言われても、このよどんだ空気の中で手を上げられる度胸のある人間なんて居ない。
 ただ、全員が何となく上座近くに座る二人の少年の様子を伺うだけだ。しかし、アマギリ、ダグマイア供に無言で報告書に視線を落としている。発言の気配も見せない。
 無言のままの時間。空白。緊張感が充満する。

 「……アマギリ。アンタ当事者として何か無いわけ?」

 このままでは埒が明かないと、リチアはまだ組し易いと思われるアマギリの発言を促した。
 この少年は人を食ったような態度ばかりをとるが、空気だけは読める少年だった。尤も、空気を呼んでもその通りに動いてくれる保障は何処にも無いのだが。
 一応自重はしろよという視線で睨みつけては見るが、アマギリの態度は飄々としたそれだ。
 皮肉気に哂うままに、口を開く。リチアには、嫌な予感がした。
 「ま、見積もりの甘さが事態の悪化を促すっていう、良い前例になって良かったんじゃないですか? 下手すりゃ死人が出てましたし、教訓としては充分でしょう」
 「……死んでたのアンタでしょうに、何でそう発言が他人事染みてるのよ」
 嗜虐感たっぷりに周りを威圧する言葉を口にするアマギリに、リチアはうめき声を上げる。
 しかし、アマギリの言葉はリチアの予想を超えていた。
 「それが、つまり見積もりの甘さって事ですよ、生徒会長」
 ギ、と少し誰かが怯えたように椅子をずらした音がした。その発生源を特定する暇も無く、アマギリの言葉は続く。
 「僕が死んだ―――まぁ、そうですね。山で遭難したら飢え死には必至でしょう。でも考えてみてくださいよ。僕の死を聞いた僕の本国の誰かが、僕が死ぬ原因を作った誰も彼もを放っておくと―――まさか、思っている訳じゃないだろう?」
 最後のその言葉は、優雅な説明の言葉とは違う、挑発染みた、威圧気な、他者を睥睨するような意思に満ちていた。
 アマギリが余り見せる事が無い、力のある言葉と態度。 怯えたように視線を散らす、生徒会役員たち。
 彼らは今更ながらに、自分が踏み込んだ場所が龍の巣穴だと理解した。
 「アマギリ、あんたねぇ……」
 「一つだけ言っておくけど―――」
 リチアが、流石に嗜めるような言葉をかけようとしたが、アマギリはそれを聞こうともしない。堂々とした態度で王の宣言を行う。
 自然、散っていった視線が再びアマギリの下に集う。
 怯えたような、恐れるような瞳の数々。正面に座るアウラの、その意を確かめんとする視線。その隣にあるダグマイアの、汚物を見るような憎々しげな視線。リチアの、諦めたように額を押さえる態度。
 だがそれら全てを捨て置いて、ただアマギリは、自らの言葉だけを続けた。
 宣言は王命に等しく、即ちそれを受け入れないものにはどのような結末が待っているかなど、彼は一々語る積もりも無い。

 「―――次は無い」

 故に、ただ一言。アマギリの言葉はそれだけだった。
 場に、静寂が満ちる。誰も言葉を発する事が出来ない。君臨者が支配する空間が完成してしまった。

 ―――変わった。
 正面からその言葉を聴いたアウラ・シュリフォンは、今のアマギリをそう理解した。
 一学期の間は徹底的に第三者、外部からの視線を持ち続けていた人間が、突然こうして、場の中央に君臨した。
 そこに居るのが相応しいという王器を示して見せた。巻き込まれてバランスをとるのではなく、自らの行動に他者を巻き込む覚悟を決めた人間。
 好ましくもあるし―――同時に、恐ろしくもある。その方向性を見極めるには、まだ時間が足りないから。
 とは言え、それらは今すぐ考える事では無いだろ。
 今考えるべきなのは―――アウラは苦笑を浮かべて、頭を抱えてしまったリチアを伺う。
 二学期初回の会議からこの調子なのだから、生徒会長としては頭を抱えてくなるのも道理だろう。アウラも、ご愁傷様と思わずには居られなかった。

 パン、パン、パン。

 静寂を打ち破ったのは、場違いな拍手の音だった。
 ざわりと会議室がざわめき、視線が、その音の主に集中する。誰だってそうするだろう。
 手を叩いていたのが、ダグマイア・メストだと気づいたのだから。
 ダグマイア・メストが―――”あの”ダグマイア・メストが、アマギリの言葉に拍手を送っている。
 リチアの眉間の皺が深くなった事に誰も気づかないほど、凍りつくような空気が場を満たした。
 ダグマイアはわざとらしいほどに手を鳴らしながら、感じ入ったとばかりの表情をアマギリに向けて、ゆっくりと口を開いた。
 その余裕の有る態度を見せる事で、改めて自身の存在を他者に示そうとするかのように。
 「アマギリ殿下のお言葉、真に感じ入りました。今後二度と、こういった行事の最中に不慮の事故など起きぬよう、細心の注意を払いたいと―――生徒会一同を代表して、申し上げます」

 勝手に自分たちの代表になるなよ―――とは、誰も言えなかった。

 それを否定する事を許さない、ダグマイアの器もそれなりのものと言えるだろう。
 その言葉でつまり、真に支配者に相応しいのはどちらかと、ダグマイアは自らを証明して見せようとしているのだ。同時に、漁夫の利を狙っておきながら、今更足抜けをするなど許さないと周りに対して警告している。
 どちらに付くのか、はっきりさせないのは許さないと。

 ただ、自らの立場を表明しただけのアマギリとは対照的に、ダグマイアの言葉は何処までも他者に立ち居地の表明を迫るものだった。
 求めるものが対局であるが故に、対立は必然。 
 笑顔で向かい合う二人の間に流れる空気に触れれば、それだけで千度は殺されそうなものだった。
 故に、誰も言葉を発する事が出来ない。

 ―――故に、頭が痛いのはどちらにも付く気の無い、どちらの立場にも配慮する必要の無い地位に居る人間だろう。
 各国の調停役、教会の現教皇の孫として。そして聖地学院の生徒会長として。
 
 リチア・ポ・チーナの苦悩は、今まさに始まったばかりである。






    ※ 今日、明日辺りから十二話公開でしたか。
      そろそろネタバレに確信的な部分が欲しいですよね



[14626] 24-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/19 23:36


 ・Sceane 24-2・


 「アンタ、私に何か恨みでもあるわけ?」

 生徒会役員会議終了後、書類仕事をするために生徒会長執務室で仕事をするために生徒会長室に引き上げたリチアは、何故か来客用のソファに居座っていたアマギリに恨み篭った視線を叩きつけていた。
 「恨みは無いけど、厭味を言いたくなる時は間々有りますね」
 応じるアマギリの態度は飄々としたもの。リチアの従者であるラピスに、呑気に飲み物を持ってくるように要求している。
 「会議でアレだけやっておいて、まだ言い足りないのか、アマギリ?」
 ユキネと共にアマギリの対面に座っていたアウラが、苦笑交じりに問いかける。
 「会議では、ホラ。僕は生徒会長閣下に問われたからお答えしただけですし」
 「……ユキネ先輩、こんな事を仰っていますが」
 「何時もの事。……何時もご迷惑おかけしています」
 僕の何が悪い、と言う風に応じるアマギリに、アウラの頬が引き攣る。相も変わらず反省のカケラも見せぬ態度に、ユキネは既に諦め交じりだった。
 「今後もより一層ご迷惑”しか”かけないと思うから……ある程度は諦めるのが、妥当」
 言ってくれれば後で言い聞かせるのでと完全に保護者の体で続けるユキネの姿は、アウラとリチアの目には新鮮だった。

 この二人も、知らぬ間に随分と仲が良くなったものだと、リチアは思う。
 以前はもうちょっと離れた位置関係で付き合っていたようなのに、両者に対して踏み込まない遠慮が消えてきた。
 そしてアマギリは、やはり何処か、夏休みを挟む以前とは変わっていた。
 以前ならば曖昧に話を崩して逸らす事を選んでいた場面で、空気を読まない自分主体の発言をするようになっていた。
 自分の主張をはっきりさせる部分は、主体の無かった以前よりもマシになったと言えるのだろうが、主体の無いくせに扱いづらい人間が、主体性を持った扱いづらい人間になってしまったと考えてしまうと、どう考えてもリチアの立場からすればマイナスである。
 何よりも、未だに何を考えているかよくわからないところが、特に。今までは何もする気が無さそうだったので何を考えていようが構わなかったのだが、今後どうなるか、微妙な所である。
 一学期の林間学校の一件から、もう龍の巣を突付く様な馬鹿は居なさそうだと胸をなでおろしていた矢先に、龍が自ら巣から這い出してくるのだから、不幸としか言いようが無い。
 特に、先の会議の様子を見るに、未だに龍狩りを諦めていない人間も居るようだし。

 「素直に病気療養とかで、国に引っ込んでいてくれれば良いものを……」

 思わず本音が洩れてしまうのも、仕方が無いことだろう。
 実際問題、アレだけ危険な目に合ったのだから、聖地学院を休学して安全な本国へ引っ込む事になってもまるでおかしい事ではなかった。
 「それは、不祥事を起こして他国の王族を危機に晒した実行委員の誰かに言って欲しいですね」
 「ええ、ええ、それもあるわよ。ほとぼりを冷ますために引き上げてくれればとか、経費全部お前が肩代わりしろよとか、そりゃ私だって思う事はあるわよ」
 「誰と名前を出さなくても会話が成立してしまうのが、凄いな。よほど気が合わないと不可能だろう」
 笑うアマギリ、吼えるリチア。
 それを聞いて感心するアウラと言う、お茶菓子を載せたワゴンを引いて戻ってきたラピスが確認したものは、そんなシュールな光景だった。

 「それで、結局どういう風の吹き回しなんだ?」
 ラピスが全員分の紅茶を入れた後で退出した後、アウラがアマギリに尋ねた。因みに、リチアも仕事をするのを諦めてソファに腰掛ける事にしていた。
 アマギリは何も聞こえてないかのように視線を上げずに応じた。
 「どれの事です?」
 「どれもこれも……と言うと、恐らく惚けられるから止めておくが、ようは、会議であんな言い方をした真意は何処にあるのかと言うところだ」
 「あんな言い方?」
 この場で唯一、生徒会役員会議に参加していなかったユキネが首を捻ると、リチアが面倒そうに応じた。
 「”次は無い”―――だそうですよ」
 「……お城でも、誰も叱る人が居なかったから」
 言葉一つで概ねの状況を察したのだろう。ユキネは大きなため息を吐きながら呟いた。
 「……どうして、そうやって敵ばかり増やすような言い方するの」
 自重しなさい、自重をと、完全に姉の態度で口を尖らせるユキネに、アマギリは笑って肩を竦めた。
 「そりゃあ、僕がハヴォニワの人間だからだよ。―――あの場に居た連中は、どうにもその辺りの理解が欠けている感じがしたからね」
 少し警告する事も必要だろうと、アマギリは事も無げに言った。そうすると、アウラが眉根を寄せる。
 「ハヴォニワの人間である事は、今更説明する必要も無いことだと思うが?」
 「ハヴォニワの人間である事は、ね。ただそれだけって言う所に問題があると思ったんですよ」
 さて、どういう事でしょうと、答えにならないような言葉で問いかけるアマギリに、女性陣三名が揃って首を捻った。
 アマギリはやれやれ仕方ないなぁと言う態度で答えてみようと思ったが、流石にリチアの目が厳しかったので素直に話す事にした。

 「僕は誰だ、と言うことです」

 「誰?」
 「誰も彼も、いけ好かない後輩以外の何なのよ」
 「誰って……アマギリ様」
 「ユキネ、正解」
 微妙にリチアのほうだけ見ないようにしながら、アマギリはユキネを褒め称えた。おどけた態度に、アウラが痺れを切らした。
 「意味が解らないな。もう少し具体的に言ってくれ」
 「ようするに僕は、アマギリ・ナナダン様で、殿下で、王子様なんですよ。国際社会で主役の一角を勤める、ハヴォニワのね。本来もっと敬われる側の人間なんです。木端田舎の小国の貴族の子息令嬢如きのために、パンダやるのも馬鹿らしいかなって」
 「……アンタ、権威に縋って偉ぶるタイプだったかしら?」
 あっけらかんとしたアマギリの物言いに、リチアが変なものを見たという顔で応じる。しかし、アマギリは笑ってそれに頷くだけだった。
 「まぁ、心境の変化があったのは事実ですよ。初年度初学期からあの様でしたから、今後はもうちょっと、本番まではせめてのんびり暮らした言ってのもありますし、それに、―――いえ、この辺はプライベートな事なので割愛しますが」
 「そこが一番聞きたいんだけど」
 「同じく。―――が、なるほどな。言われて見れば確かに。お前がハヴォニワ所属の人間だというのは皆理解していたが、お前がハヴォニワの”王子”であるという事は、考慮に入れていなかった者は多かろう。内心皆、お前の事を自分よりも下の人間として見ていた部分もあるからな」
 多少の疑問は覚えつつも、リチアとアウラは納得の表情を見せる。
 「ハヴォニワに用意されたハヴォニワの駒―――それを否定するつもりは無いですけど、それでも建前は一応王族ですからね、僕は。その前提を忘れてあんまり舐めた真似をする連中を放置しておくと、国体に傷をつけかねませんから」
 だから、今後は見過ごさないようにしようかと、そう言って話を締めくくったアマギリをアウラとリチアは不思議なものを見るような目で見つめる。
 ユキネは、特に何も言う事は無かった。その辺の志向の変遷については、ハヴォニワで直に見てきて解っていた事だった。
 「ハヴォニワの王族としてハヴォニワの国益を考える……か」
 「当たり前の話なんだけど、何でアンタが言うとまるで信用できないのかしら」
 「日頃の行いのせい」
 若干時分でも事実かもと思いつつも、アマギリは女三人の感想に顔をしかめる。
 「そんなに僕が国の利益とかを考えて動くのっておかしいか?」
 折角真面目にやろうと思っていたのに、いきなり酷い言い草をするものだとアマギリは思っていた。
 しかし、女性陣の意見は一致していた。
 
 「おかしい」
 「まず、有り得ないだろう」
 「日頃の行いのせい」

 実に真っ当な評価である。頬を引き攣らせるのはアマギリだけだった。
 「そも、これまで自分の利益だけを考えていた人間がいきなり国体なんて形の無いものの利益を考えて動くようになるなんて、アンタ。どう考えたっておかしいでしょう」
 「いや、リチア。それは違うぞ。今までのアマギリは自分の利益も考えていなかった。適当にその場その場で状況にあわせて動いていただけだ」
 「それもそうね。お陰で後始末に苦労したし」
 「……酷い言い草だな、先輩方」
 事実だけに言い返せないと、自分でも思えるところが情けない部分であった。
 「ま、言いたい事は解ったわ。ようするに、アンタも漸くフツーのジェミナーの貴族をやるって事でしょ」
 「それに頷くと今までが普通じゃないって認めるみたいで嫌なんですけど、概ね同意です。何時までも外様って訳にもいきませんからね」
 肩を落としてげんなりとした顔をしているアマギリを見て、多少気が晴れたのか、リチアがニヤリと笑って言う。
 「じゃあ、そろそろプライベートな部分に対する追求に移りましょうか」
 「話しませんよ」
 「本人はこう仰ってますが、ユキネ先輩?」
 「……割と、簡単なこと」
 「ちょっとユキネ!?」
 リチアに追従して笑うアウラ。それに応じて、楚々とした表情で口を開くユキネ。焦るアマギリ。

 ―――その日の生徒会長執務室は、日が暮れるまで姦しい声で溢れていたそうな。



    



    ※ 登場キャラの中で真っ先にデレ期を迎えるのが主人公ってどうなんだ……



[14626] 24-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/20 23:32
 

 ・Sceane 24-3・



 「もう十月も終わりそうですけど、そういえば定番の運動系のイベントって何もやりませんでしたね」
 「六月の林間学校で負傷者が出た関係で、運動系のイベントは全部中止よ」
 「ああ。運営責任者は反省して首でも吊れば良いと思いますよ」

 山と積んだファイルの中から適当に選んだ資料を素早い動作で捲りながら何気なく呟いたアマギリに、リチアが視線も向けずに書類にサインを続けながら応じる。
 そのやり取りの尖り具合に、アウラとユキネが額を押さえている。
 最近放課後に、生徒会長執務室を覗くと良く見かけられる光景だった。
 因みに、生徒会の仕事をしているのはワンマン生徒会長であるリチアだけで、アマギリは個人的な興味から過去の資料を閲覧しているだけに過ぎない。ユキネはアマギリの御付、そしてアウラは友人たちの様子を眺めに来ているだけでだった。
 「あのねアマギリ。当たり前のように最近ここに居るけど、仕事する気が無いなら、邪魔だし出てってくれないかしら」
 「いやぁ、生徒会の資料があるのって此処しかないですし、それに、仕事なら手伝いますよって言ったのに断ったのリチア先輩じゃないですか」
 「断られたんなら気を利かせて退出するのが男でしょう……」
 この状況が成立して早一ヶ月と少し。二学期が始まってからは概ね放課後はこのやり取りを続けていたから、交わされる言葉も最早定型文に等しいものばかりだった。
 実際問題、リチアは個人の嗜好から他人に仕事を任せる気など―――それが例え親友だと思っているアウラだとしても―――無かったし、アマギリが何か自分の仕事の邪魔をしたなどとも思っていない。
 それどころか、息抜きに適当な質問を振ってみると、かなり的確な返答が戻ってきて助かっているくらいである。
 勿論、真実を言えば付け上がりそうなものなので、リチアは絶対にそれをアマギリに伝えるつもりはなかったが。
 アマギリはアマギリで、場の空気を最大限読むと言う自身の才覚に期待して、本当に拙い状況だと判断すれば素直に引き上げるつもりだったから、今の所は何を言われても席を外すつもりは無かった。この触ったら刺さりそうな棘のある会話も、精々時節の挨拶程度のものと理解していた。
 そんな訳なので、話は何時も平行線のまま、今日も聖地学院の放課後は過ぎていく。

 「それにしてもアマギリ。前から疑問に思っていたことなのだが」
 時間つぶしにと学科の課題を終わらせて、紅茶を口に運んでいたアウラが、アマギリに尋ねる。アマギリは書類から視線を上げて応じた。
 「なんです?」
 「かなり古い生徒会の執行予算なんてものまで最近は手を伸ばしているが、それは、何か意味のある行動なのか?」
 アマギリの座るソファの前のテーブルに無造作に広げられたファイルを示して、アウラが尋ねる。
 それらは全て、過去数十年に及ぶ聖地学院の各種イベントで用いられた予算の運用方法が記されたものばかりだった。
 「不正経理でも探しているのか?」
 「ああ、今日は今の所これで七件目ですけど」
 「あるの!?」
 何気なく尋ねたアウラに、アマギリがあっさりと答えた。リチアが驚いたように顔を上げる。
 アマギリは笑って頷く。
 「と言っても、もう三十年近く前の物ですしね。機材の卸値と申請された予算の差額が巧妙に偽装されてますから、まぁ、典型的な横領かと。手馴れてますね、この人。在学中六年間でかなりを溜め込んでると思います」
 不正とがあると思われる資料を次々に出しながら、アマギリは感心したような声を上げている。
 念のためとリチアが確認してみると、なるほど、言われてみれば確かに数字がおかしい事がわかる。そして、書類の記入者は全て同じ名前だった。
 「アーネスト・ホードルボゥ……何処かで聞き覚えが有る気がするが」
 同じように書類と睨めっこしていたアウラが、その名前を見て首を捻る。アマギリが読み終わったファイルを資料棚に戻していたユキネが、それを補足するように答えた。
 「六年前、公金横領罪で実刑判決となった当時のケルケリア公国の運輸大臣の名前」
 「……そういえば、新聞で見たか」
 なるほどと言う風にアウラは頷いた。リチアは、渋面を浮かべてテーブルに広げられたファイルの日付を見る。
 それらは全て、最低でも十年以上前のもの。言い換えれば、現在現役で各国の中枢で活躍している人材が聖地学院の生徒会に所属していた頃の資料である。
 「つまりアマギリ。アンタはこの古い資料を捲って、現在の各国の要人のプロファイルもどきを行ってる訳ね」
 「生徒会長閣下の慧眼に感服の至りです。―――こういう仕事に関する癖って、覚え始めた頃の癖が抜けないって昔誰かに言われてまして、参考がてらにね」
 あっさりとネタばらしをするアマギリに、アウラは納得して頷いた後で―――疑問を覚えた。
 「それで、それを調べてどうするつもりなんだ」
 ヒト、カネ、モノの動かし方からそれを動かしていた人物を考察する。
 行動自体は有用な事であろうが、何も、今此処で、こんな遠まわしな方法でやる必要もあるまい。必要があれば自分で調べなくても、アマギリのような立場の人間であれば、それこそヒトを動かして調べさせれば良いだけの話だ。
 アウラがそう尋ねると、アマギリは尤もだと苦笑しながら頷く。
 「まぁ、個人的な趣味の部分が大きいですし、それに、今すぐ必要って訳でもないですから、人手をう使うほどの問題でも無いですし」
 「……今、すぐ?」
 軽く言うには不吉な表現で、リチアはまたぞろ嫌な予感がした。
 「じゃあ、今度は何時、何をするつもりなのよアンタは?」
 「何もしませんよ、僕からは」
 信頼感ゼロで睨みつけるリチアに、アマギリは降参とばかりに手を上げて答える。
 アウラが首を捻って考える。この男がこういうあっさりとした言葉を使う時は、大抵碌でもない含みを抱いている時だ。そして、今回はそれは解り易い位だった。
 
 「―――つまり、お前以外の誰かが何かをすると言う事か?」
 
 問われて、アマギリは―――首を横に振る。
 「違います。誰も何もしません。ようするにコレは、土台を支える支えが一本欠けた時の備え、みたいな物ですよ」
 「土台? いや、そもそも何を支える―――」
 
 「ジェミナー」

 アマギリの言葉に疑問の声を上げるアウラに応じたのは、黙って書棚を整理していたユキネだった。
 言葉は短く、しかしだからこそ聞き逃せない響きがあった。
 「ジェミ、ナー? それは、どう言う……」
 不正経理の発覚の話から、現実政治の話へ、かと思ったら世界を意味するジェミナーと言う名称まで飛び出してきては、聡明と名高いアウラもリチアも、戸惑ってしまう。
 戸惑いの気持ちそのままに、二人はアマギリに説明を求める視線を送った。
 アマギリも別段隠す必要性を感じなかったため、それに応じようとして―――。

 「リチア様っ!」
 「アウラ様、こちらで!?」

 強い勢いで扉を開く音と共に上げられた声によって、それは遮られた。
 室内に居た四名が一斉に開いた扉に視線を移す―――否、ユキネだけが、腰から通信装置を取り出して何かを確認して表情を改めていた。
 「ラピス?」
 「おい、校内にまで立ち入って、一体……?」
 アウラとリチアは、断りも無しに室内に踏み込んでくる者達が、自身の知っている者達だと解って、戸惑う。
 一人はリチアの従者であるラピス。そしてもう一人は、褐色のダークエルフの戦士、アウラの護衛の一人だった。
 二人とも共通している事は、焦りを含んだ表情であるという事だ。
 二人は主に答えを返す事も無く、真っ直ぐに近づいてきて、それぞれの主に対して耳打ちする。
 囁かれる言葉を聞くに従い、驚愕に変わっていく二人の表情を伺っていたアマギリは、何かを悟ったのか手にしたファイルを閉じて、席を立つ。
 書棚の前に居たユキネに近づく。ユキネが、それに気付いてアマギリに振り向く。

 首を捻るだけで問いかけて、ユキネもそれに頷くだけで肯定と答えた。

 「支えが、欠けた……」
 ソファに座ったままのアウラが呟く声が聞こえた。アマギリは苦笑交じりに振り向いた。
 「天命には、誰も逆らえませんから、ね」
 「笑い話にもならないわよ、それ。―――なるほど、小さなことからコツコツと、将来への備え。よく解ったわ」
 ラピスの話を聞き終えたリチアが、やれやれといった仕草で立ち上がる。そして、室内に居る全員に宣言するように口を開いた。
 「それぞれ確認しなきゃいけないことがあるでしょうし、今日は此処で解散しましょう。……と言うか、私もお爺様に連絡を取らないといけないから、あんた達とっとと出て行きなさい」
 しっしっと、虫を追い払うような仕草で退出を促すリチアに、アウラとアマギリは力無さ気に笑って頷いた。
 そう、直ぐに屋敷に引き返して、情報交換しなければいけないことがある。
 そうと決心すれば、誰も彼もが行動は早い。次世代の国家を担うものたちとして、当然の心構えだった。

 「っていうか、ひょっとしてオデットに行った方が早いかな?」
 「そうだと思う。オデットの通信管制施設のほうが、屋敷より精度が良い」
 歩きながら尋ねるアマギリに、ユキネが肯定を示す。機密情報のやり取りをするにも適していると、流石にそれは言わなかったけれど。
 「じゃ、このまま港に直行で」
 アマギリは、挨拶もそこそこにリチアと別れて、中庭を突っ切って飛空艇の発着港を目指す。
 廊下の窓の向こう、夕暮れが早くなった聖地の広大な緑化庭園が見える。
 一見穏やかな、その光景。変わることなどありえなさそうなそれが、何故だか今日は、危ういものに見える。
 世界各国の要人の子息令嬢たちを集めて、此処では争いなど起こしようが無い場所。聖地。
 だがそれは、大国間のパワーバランスが安定していたからこそ完成していた平和だった。
 それが今日、崩れた―――否、崩れるとは、まだ決まっていない。転機を迎えた事実だけが、今は確かな事だった。

 「……笑顔では、会えないな。そりゃあ、そうだ」

 西日に照らされる庭園へと歩みだしたアマギリは、不意に、そんな一言を呟いた。 
 何時か何処かで、幼い少女に言われた言葉。半ば言葉遊びに過ぎなかった筈のそれを、遂に、実感と共に受け入れる時が来たらしい。
 
 ―――その日。

 シトレイユ皇国現国王崩御の報が、ジェミナー全土に広がった。


 ・Sceane 24:End・




    ※ 漸く原作展開に入るためのフラグが。ま、フラグ立っただけでもうちょい先なんですが。
      作中時間的には一年三ヵ月後くらいですし。そろそろ巻いてかんとなぁ。

      まぁ、それはさておき12話ですが。
      なんだろうか、やっぱり次の13話のラスト15分が勝負なんでしょうか。
      
      そろそろババルン閣下の目的くらい話してくれても良かったのに……
 




[14626] 25-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/21 22:51


 ・Sceane 25―1・


 『もう話は聞いているわね?』

 一月ぶり、通信装置越しに話すハヴォニワの女王フローラの姿は、常と変わらぬ泰然とした微笑を湛えたものだった。
 「ええ、来るべきものが来た、と言うヤツですね」
 対するアマギリも、オデットの管制室に儲けられた天鵞絨張りの椅子にゆったりと腰掛けた、余裕のある態度であった。
 向かい合う互い、両者共に従者を傍に侍らして。それは正しく王族達のやり取りだった。
 フローラはアマギリの態度に満足したのか、笑みを深めて話を続けた。
 『去年の暮れから病臥していて、ここ数週の間がヤマだろうとは聞いていたけど―――思ったよりも少し、早かったかしら』
 「狙った訳ではないでしょうけど、どうしようもなく”その後”のスケジュールがシンプルに進むタイミングでの崩御ってのは―――やっぱり少し、考えちゃいますよね」
 『喪に服して一年、明けて三ヵ月後に戴冠、その一月後に、留学。宰相閣下が手を回したとか―――本気で言ってる?』
 「まさか。でも、そう思う人は居るでしょうから、きっと少し困っているんじゃないですか、ババルン・メストは」
 朗らかに交わされる会話の内容は、正しく一人の人間の死にまつわるもの。笑顔で語るには、些か不謹慎ともいえるが、しかし彼らはその態度を崩す事は無かった。
 死者を悼む気持ちが欠けている訳ではない。
 ましてや、広義の上では身内の死とも言える仕儀。フローラにとっては見知った顔との別れでもあるのだから。
 ただ、立場として死者を悼んで現実を置き去りにするわけにはいかないから、余裕のある態度を選んで作っているだけである。

 「それで、ウチはどんな風に? 第一国境警備軍でも前進させるんですか?」
 意図せずとも重たくなってしまう空気を避けるために、アマギリは殊更軽い口調で今後の予定を尋ねた。
 国境を接する国の皇王の死である。しかも跡を継ぐべき皇女がまだ、年端も行かぬ少女とあっては、色々な混乱も予測される。
 因みに、第一国境警備軍と言うのは、シトレイユとの国境沿いの防衛を担当する軍団である。それを前進させるとあらば、言っている意味は悪趣味な冗談以外には有り得なかった。
 『貴方が総大将を勤めてくれるって言うんなら、やってみるのも面白いけど、倉庫から運び出される前の火薬に自分から火を付けに行くってのも手間が掛かりそうよねぇ』
 「じゃ、予定通り傍観って事ですか」
 本気とも嘘とも取れるフローラの言葉に、アマギリはあっさり戯言を撤回する。基本的にフローラの口から出る言葉は本音しかない―――そんな風に、実の娘さんから聞いていたからである。
 本気で受け取られてはたまらないという態度のアマギリに、フローラはつまらなそうに扇子を翻しながら応じた。
 『ケルケリア、オルゴン、クラウシアの三国隣接地帯の監視も兼ねて第三軍だけは警戒態勢を上げるけどね。調停役のシトレイユが暫く動けなくなりそうだから、馬鹿なことを考え出すかもしれないし』
 三つの小国、二つの大国の国境線が複雑に絡み合う政情不安定地域だけは、動向を注視する必要があるというフローラの意見だった。もとよりそれは必要だろうと考えていたアマギリも頷いて応じる。
 「あそこ、国が重なりすぎてますよね。資源も無いくせに、皆引くことを知らないから」
 『それこそ、宰相閣下が天下取りたての一仕事でも、してくれれば良いのにねぇ』
 「あー、葬儀の席で会ったら、唆してみたら如何です?」
 吉報をお待ちしておりますと、投げやりな口調で言うアマギリに、フローラはニコリと微笑んで首をかしげた。
 
 『あら、私は葬儀には出席しないわよ』

 「……は? え、マジですか。一応友好国でしょ?」
 当代が縁戚関係にある隣国の葬儀に、女王が出席しないと言うのも如何なものだろうかとアマギリは目を丸くしてしまう。
 「じゃ、王女殿下に一任って事ですか?」
 『いいえ、まさか。一任してしまうには、まだマリアちゃんには経験が足りないわ』
 「それなら、どう……って」
 流石に大臣送ってご焼香では済まされないだろうから、女王でなければ次期女王かと、アマギリがそう聞くと、フローラは微妙な言い回しで返してきた。
 マリアだけには一任できない。なら、誰かもう一人用意してやれば良い。
 「……マジですか」
 『マジよ』
 苦い顔をして主語を入れずに問うアマギリにフローラは当然とばかりに頷いてみせる。
 
 『アマギリ・ナナダン。貴方は私の名代、正使としてシトレイユの国葬に参列しなさい。副使としてマリアをつけます』

 「って、僕が正使ですか!?」
 会話の流れから薄々自分もシトレイユに行く事になるのだろうなとは感じていたが、精々マリアのオマケ程度だと考えていたから、アマギリとしては驚くしかない。
 何しろハヴォニワの次期国王はマリアで既に決まっており、マリアの代になる頃には国内の意思統一が完了するようにフローラも動いているのだから、今更それを乱すような”別の可能性”を表に出すのは問題がある。
 「流石にそれは……」
 考え直してもらえないかと眉根を寄せるアマギリに、フローラはしかし、きっぱりと首を横に振り意見を変えることは無かった。
 『駄目よ。貴方がしっかり主役を演じてきなさい。貴方はナナダン家の長子。自分でそうあると宣言したのは、貴方でしょう?』
 逃げを打つのは許さないと言う、それははっきりとした言葉だった。
 『私の代わり―――私の意見を代弁するには、マリアちゃんはまだ経験不足だわ。でも、貴方なら出来るでしょう? ―――ついでに、お兄ちゃんなんだから、しっかりマリアちゃんの弾除けやって来てって言うのもあるのだけれど』
 「ああ、後半の理由は納得です。精々、怨まれて恐れられるくらい目立って来いって事ですね」
 ようするに、当代の代理兼、”本物の”次代から衆目を逸らさすためのダミーの役割もやって来いと言うことか。
 演出としては悪くないし、何より得体の知れない存在であるアマギリを完全に掌握していると言う証左にもなるだろう。アマギリは納得というよりは、諦め混じりの苦笑を浮かべて頷いた。
 「似たもの親子、らしいですからね僕らは」
 『きっと貴方を仕込んだ人とは、私は気があうと思うのよねぇ。そのうち、紹介して頂戴な』
 「……それは、何だか嫌な予感しかしないので、本気で真面目に真剣に勘弁してください」
 そこだけは、理由は解らないが断固として完全に拒否せざるを得ないアマギリだった。

 『そんな訳だから、後で報告さえしてくれれば貴方の好きなように動いて構わないから、精々遊び相手の顔でも拝んでらっしゃいな。―――きっと、向こうも貴方に会うのを楽しみにしているわよ』
 「オッサンが顔を見るのを楽しみにしているって聞かされても、全く嬉しくは無いですけど……まぁ、了解です。正式に招待状が届き次第、聖地から直接向かっちゃって良いんですよね?」
 『ええ、マリアちゃんとは現地で合流して頂戴。―――ああ、そうだ。一つ忘れていたわ』
 アマギリの言葉に頷きながら、フローラは何かに気付いたように言った。
 「何です?」
 『今回、マリアちゃんも一緒でしょう』
 疑問の言葉を上げるアマギリに、当たり前の言葉を繰り返すフローラ。一瞬何を言われているのか解らなかったが、すぐにアマギリは意味を理解した。傍らに直立する女性をチラリと見ながら口を開く。
 「聖機師ですか」
 『そう。ユキネちゃんはマリアちゃんに着く事になるから、貴方の傍仕えが居なくなるのよ。国内や聖地であればそれほど問題にもならないんだけど、流石に外交の場で、王族に供回りの一人も居ないって言うのは』
 問題、困っているように見えて、困らせて楽しむつもりに違いないと、モニター越しにアマギリは確信していたが。
 事実として、バストアップで表示されていたフローラの映像から、着座している全身が表示されるまでカメラが引くと、玉座の傍に置かれたテーブルには見合い写真としか思えないファイルが山と積まれていた。
 『とりあえず、上は三十、下は十二歳のこの中から、好きな子を選んで頂戴』
 「……先日、婿にしたくない王族No.1の称号を頂いたと聞いた覚えがあったんですが」
 嫁にはなりたくないけど部下ならば構わないという人が多いのだろうかと、アマギリはどうでもいい事を考えてしまう。と言うか、十二歳の護衛は無いだろう。
 『どうせ貴方の事だから、そっちでもそういう人は見つけてないんでしょう?』
 「こっちでは自分の事で手一杯でしたから」
 『嘘ばっかり、邪魔になると思って後回しにするつもりだけだった癖に。前に言ったでしょう? いい加減に自分の遊びに他人を巻き込む覚悟をつけなさいって』
 「……いや、まぁ」
 返す言葉も無い。適当な人間を護衛に選んで足を引っ張られても困るので、アマギリは急いでまで自身の部下と言うものを持とうとしなかったのである。
 大抵の事は自分でこなせるだけの器用さがあることが、ある意味での彼の欠点だった。ついでに、多対一で数の優位にのぼせ上がっている連中を、上手く罠に嵌め叩きのめす事こそ至上、と考えている部分もあったりするので、余計に人材発掘へ向ける情熱に欠けているのだった。
 それに、アマギリにとってハヴォニワの人間は全てマリアの物であるという意識が強かったので、国内に自分と言う存在を余り意識させる訳にも行かないと思っていたから、人材探しに積極的になれなかったという側面もあった。
 フローラが見つけてきた人材ならば、癖はあるに違いないが、有用な人間ばかりなのだろうが、やはりそれでもハヴォニワ国内の人間を選ぶ気にはなれない。
 かといって、それを謝絶して誰も連れずにシトレイユ行きなどと言う、ハヴォニワのメンツを損ねるような真似も出来なかったから、アマギリの取った手段は単純だった。

 即ち、適当に手近な所から選ぶ事である。
 そして、アマギリが選べる手近な人材は、酷く限られたものだった。
 
 「じゃ、せっかくなので一つお願いがあるんですけど」

 頼みごと。
 アマギリ・ナナダンが誰かに頼みごと。普通、考えられない光景だった。隣で無言で控えていたユキネも、ありえないものを見るような目でアマギリを見る。
 モニター越しの女王フローラだけは、とても嬉しげな顔をしていた。
 『あら、珍しい。何でも言って頂戴?』
 内容を聞く前に聞き入れる体勢である。アマギリはその意味を深く考える事は避けつつも、今は都合がいいと朗らかに応じた。
 「ええ、一人だけこっちに居る人間に宛てがありまして。出来れば、女王陛下から手を回して頂けると」
 『あらあら。つまり私が手を回せる範囲に入る子なのね』
 アマギリの言葉にフローラは、楽しそうに微笑んだ。概ね、誰の事を指しているのかは理解しているらしい。
 アマギリも頷いて応じる。
 
 「ええ、何しろスポンサーですからね、こっちは」

 アマギリは一人の少女の名前を告げて、フローラは賛同の意を示した。

 ―――そうして、本人の了承を得ぬままに外堀は埋められ、シトレイユを目指すオデットの乗員に、一名が追加される事となった。






    ※ この世界の地理って良く解らんのよねぇ。
      八話以降のスワンの飛行ルートとか、割と謎っぽいし。行ったり来たりしてない、アレ?



[14626] 25-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/22 21:27


 ・Sceane 25-2・



 「へぇ、結構似合うじゃない。髪を降ろしてると、童顔の割りに可愛いと言うか、そういう格好すると美人系だね」

 オデット艦内下層部、居住区域内サロン。
 アマギリは使用人たちに案内されて連れられてきた少女を見て、簡単の声を上げた。
 紫がかった長髪が、聖機師の正装である真新しいマントに映える。一目見て、美少女と評して問題の無い少女が、そこに居た。
 「これで眼鏡でもかけて黙ってれば、誰も正体が解らないだろうね。うん、女性は装いによって別の魅力が引き立つとか、昔の人はよく言ったもんだ」
 アマギリの褒め言葉に、少女は戸惑う態度を隠しようも無い苦笑を浮かべて応じた。室内のあちらこちらに視線を移して、アマギリと給仕役の使用人以外の姿が無いのが、不安のようである。
 少女は着の身着のままで、半ば強制的につれてこられたのだから、当然といえば当然の反応だった。
 「はぁ……なんか、アマギリ殿下にそういう言葉をいただけるとは想像もしてませんでした」
 「そうかい? 私は割合人物評価は真っ当にする人間だと自負しているが」
 自身も聖地学院の黒の制服ではなく、ハヴォニワの王子に相応しい瀟洒な衣装を纏ったアマギリが、普段の気だるげな態度からは考えられない気取った仕草で肩を竦めた。
 その余裕たっぷりの仕草は似合いすぎていて、いっそ馬鹿げた喜劇のような滑稽さがある。
 何でそんなに楽しそうなのか理解に苦しむ。正直、係わり合いになりたくないタイプだなと、少女は改めて思うのだった。
 「と言うか殿下。一人称”僕”じゃありませんでしたっけ?」
 手招きで座るように促された少女が、げんなりとした顔でアマギリに問いかける。
 「ん? ああ、普段はね。だけど今の私はホラ、ハヴォニワの代表だからね。国を代表した立場の人間が”僕”なんて子供みたいな口調でいたら、舐められるだろうし。聖地のガキどもですらそうなんだから、その親の考える事なんて、ね。……私は特に新参者になるから、些細な事でも不安要素は削いでおくに越した事は無いだろ?」
 「はぁ」
 少女は、この人が子供らしい態度をしているのを終ぞ見た事が無いよなと思いつつも、とりあえずといった風に頷く。
 「なんだ、覇気が無いなぁ。我が従者ワウアンリー」
 「あぅっ……」
 さも楽しそうに応じるアマギリに、少女は―――始終つなぎ姿の常ではあり得ない格好をしたワウアンリー・シュメは、酷くダメージを受けたように項垂れた。

 その日も何時ものように工房で研究をしていたワウアンリーは、唐突にアマギリの遣いに呼び出され、あれよという間にオデットに詰め込まれ、気付けば髪をセットされ高級そうな装束を纏わされ、アマギリの前に担ぎ出された。
 道すがら聞いた話は、何でも、シトレイユ国皇の葬儀に参列するアマギリの、自分は専属の従機師に選ばれてしまったらしい。
 よりにもよって、あの、アマギリ・ナナダンの従者にだ。衝撃を受けて当然だろう。 

 アマギリはテーブルに突っ伏す少女の様子を一笑いした後で、息を吐いて気分を入れ替えたように―――何時もの、何処か冷めた目つきに戻して口を開いた。
 「ま、予行演習はこの辺で良いか。何か僕に聴きたいことがあるだろ? ユキネにも外してもらってるから、今のうちにどうぞ」
 聞かれたからって素直に答えるとは限らないけどねと、皮肉気に笑うその姿こそが、正しく何時ものアマギリ・ナナダンだった。蛇のような冷徹な目。頼りになりそうだけど、近づきたくは無いと聖地学院で噂され、そして恐れられているハヴォニワの王子そのものである。
 因みに個人的にアマギリの人となりを知っているワウアンリーも、それらの意見には全く完全に同意するところである。
 出来るならば、是非とも近づきたくない。主にトラブルに巻き込まれてはたまらない的な意味で。
 
 なんで、私はそんな人と正面から対峙する事になってるんでしょう?

 ワウアンリーが我が身を哀れむのを、誰にも止める事など出来ないだろう。
 「どうしたの? 特に無いなら向こうでのスケジュールのほうの話をするけど」
 「わぁぁっ、ちょっと待った。いや、待ってください。あります。っていうか質問しかないですから!」
 こちらの内心を完全に見透かしていながら、あえて知った事ではないという風に会話を進めようとするアマギリを、ワウアンリーは慌てて押し留める。
 混乱する頭を必死で整理しながら、聞くべき事をひねり出す。
 「えーと、え~~っと、え~~~~っと、そう! あのですね、殿下」
 「うん」
 ポン、と電球の点滅するエフェクトでも発生しそうなワウアンリーの顔に、アマギリは何でも聞くよと言う態度で頷く。
 それじゃあ、とワウアンリーはゆっくりと口を開いた。
 まず聞くべきことなど、一つしかない。

 「何で、あたしが殿下の聖機師に選ばれたんでしょうか?」

 王族の専属聖機師ともなれば、聖機師の道を志すものにとって見れば最大の栄誉に映る。それゆえにその地位に上れるのは限られた一握りの者達であり、ワウアンリーは自身がその位置に相応しいとは、思えなかった。
 しかも、よりによってアマギリ・ナナダンに指名されるなんてのが、ぶっちゃけあり得ない。
 彼自身の突飛な性格もさることながら、その背後に居るのはあのフローラ・ナナダンである。ワウアンリーの研究に理解を示し、資金援助を申し出るような数奇者なのだから、その嗜好も大分ぶっ飛んでいる。
 正直、名誉と言うかこれ罰ゲームですよねと、はっきりと叫んでやりたいと言うのが、今のワウアンリーの心境だった。
 
 アマギリはワウアンリーの顔をじっと眺めて、深々と頷いた。
 「なるほど。あのフローラ・ナナダンのお気に入りのアマギリ・ナナダンなんかの従者なんて、選ばれるだけで不幸じゃないか、自分を巻き込むのは勘弁してくれ、か」
 「言ってません! あたし思っては居ますけど言いませんでしたよ!! っていうかそれが解ってるんなら少しは自重してくださいよ!!」
 「来期の研究予算の振込み日、期待すると良いよ?」
 「勘弁してくださいよぉ!!」
 ワウアンリーの悲鳴がサロンに響き渡るが、生憎と調子に乗ったアマギリを咎めてくれるユキネの存在は、この場には無かった。
 「っていうか、質問に全然答えてもらってませんよね、あたし……」
 「いやぁ、きみをからかうと面白いから」
 ユキネはリアクション薄いからと笑うアマギリに、ワウアンリーの肩がガクリと落ちた。
 この世全ての不幸が、今日この時に降りかかってきたかのような、絶望的な顔をしている。
 半分涙目のワウアンリーに、流石にアマギリもやりすぎたかと思ったらしい。微苦笑混じりに頷いて、彼女の質問に対して答えを口にした。

 「でだ、ワウ。きみを従者に指名した理由、だったね」

 「―――はい」
 唐突に隙の無い表情に切り替わったアマギリに、自然、ワウアンリーの背筋も伸びる。アマギリ・ナナダンは意味の無い行動は取らない人間だと、彼女は理解していたから、自身がそれに巻き込まれたとあっては、聞き逃す訳にはいかなかった。
 待ち構えるワウアンリーに、アマギリはゆっくりと瞠目して、確かな答えを口にした。

 「消去法」

 「……え?」
 単語一つで終わらせられて、ワウアンリーは思わずといった風に聞き返してしまった。アマギリはそれに頷き、もう一度言葉を繰り返した。
 「だから、消去法」
 「……しょうきょほう?」
 「そう、消去法。最善も次善もその次もダメってなるとね。選択肢って限られてくるから」
 棒読みで聞き返しても、答えは変わる筈が無い。アマギリの言葉は一貫して、”お前を聖機師に指名したのは消去法の結果だ”と告げていた。
 消去法とは、つまり様々な選択肢がありえる場合に、明らかに不可能な答えや有り得ない選択肢を削除して行き、最終的に残った選択肢を答えとして選ぶ方法だ。
 ある種、消極的なやり方とも捉える事が出来るだろう。

 聖機師の花形、名誉ある職務である王族の護衛聖機師。
 それに選ばれたと思ったら消去法で選んだだけと言われてしまう。
 ワウアンリーにとって、不幸以外の何ものでもなかった。特に、その地位を全く望んでいない事が。

 「……あたし、帰って良いですか?」
 自分でも無理だろうなぁと思いつつも、切実な願いを口にするワウアンリーに、アマギリは笑って首を横に振った。
 「ところがどっこい、もう結界工房にまで根回しが済んで、きみには何処にも逃げ場は無かったりするんだな。―――あ、誤解すると拙いから言って置くけど、コレ今回きりの単発の仕事じゃなくて、少なくとも僕が聖地学院を出るまで続く契約だから」
 「…………マジ?」
 「マジなんだ。うん、僕もまさかそこまでやってくれるとは思ってなかったけど、ウチの女王陛下が相当吹っ掛けたみたい」
 目を丸くして聞き返すワウアンリーに、アマギリは重々しい態度で頷く。
 「龍機人の詳細なデータと、ついでに僕自身の情報とかも担保にして、何だかまぁ、無茶を押し通したらしいよ。なんだろうね、これ。人で人を買うっていうか。しかも担保になってるの僕だし。臓器を売り歩いてる気分だよね」
 ワウアンリーは結界工房に所属する聖機工である。普段は自分の研究だけを行っているが、組織に所属して、各種資料の入手などを初めとする益を享受している立場であるから、依頼と言う形で義務を命ぜられれば、それを避ける訳にも行かない。
 因みにコレが正式な依頼書になると、アマギリが取り出した書類を確認すると、なるほど確かにハヴォニワと結界工房の間で取り交わした正式な契約となっている事がわかる。
 
 右のもの、ハヴォニワ王国王子アマギリの専属聖機師に任ずる。要約するとそんな内容だ。
 
 一瞬、破り捨ててわめきながら逃げ出してしまおうかと言う甘い誘惑がワウアンリーの脳裏を過ぎるが、今後の事を考えれば流石にそれは実行できない。
 研究者としての今の立場から、ハヴォニワはもとより結界工房から捨てられるのは勘弁願いたい事だし。
 それに、何も悪い事ばかりでは無い。
 護衛としての報酬に加えて研究予算の増額とも記されているし、護衛の任務に関しても、公式行事に際して依頼があれば従属する。それ以外の場ではこれまでと変わる必要も無いと、何ともワウアンリーに都合の言い風に書かれている。
 「……けど、ねぇ」
 正直、誰が見ても美味しい仕事だと思うだろうそれを、しかしワウアンリーは頬を引き攣らせずには居られなかった。

 なにしろ、アマギリ・ナナダンである。

 その一言で全てが説明できてしまうような、ワウアンリーにとっての不幸は、この時始まったのかもしれない。






    ※ 文字通り消去法である。作中的にも作外的にも。
      他に所属を動かせる人が居ないんだよねーコレが。みんなセレブだし。



[14626] 25-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/23 20:53


 
 ・Sceane 25-3・


 「じゃあ、ま。快く納得してもらった所で、他に聞きたいこと無いの? 無いなら今後は何を聞かれても何も答えないし、後は素直に絶対服従してもらうだけだけど」
 「あります! 質問は尽きませんから!! あと、全然快くないです! 今のあたし、札束で頬を叩かれてるみたいなものですから!!」
 「そりゃ失礼。じゃあ、次回の研究予算の振込みは……」
 「お金大好きです! あたし、殿下に絶対服従ですからっ!!」 

 朗らかに話を終了させようとするアマギリを、ワウアンリーが必死で押し止める。
 そこに余計な一言を混ぜてしまい、弄繰り回されるという、最早パターンが確立し始めていた。
 一人、粛々と自身の役目を果たす給仕役の使用人は、この主従関係はきっとずっとこんな感じなんだろうなと、ワウアンリーの冥福を祈るのだった。
 「……あとで、ユキネさんに言いつけてやる」
 「我が従者ワウアンリー。きみの献身は忘れないよ」
 「それ、流れ的にあたしを斬るの殿下ですよね!?」
 涙混じりにぼやく言葉も、あっさりばっさり切り落とされる。契約が(強引に)成立してまだ数時間。既に完璧な主従関係が成立していた。
 
 「はぁ……もう良いです」
 そんなやり取りを続けて十数分、ワウアンリーがどうしようもなく疲れた態度で肩を落とした。
 優雅に紅茶を口に運んでいるアマギリを恨めしくねめつける。憎しみで人が殺せたらと思わずには居られない余裕の仕草だった。
 「ま、どうせこういうときでも無い限り呼びはしないから、素直に諦めると良いよ。半分はカタチ合わせみたいなものだから、深い忠誠とかも要求するつもりないし」
 からかうのに飽きた、と言うことなのか突然テンションを普通に戻したアマギリの吐く言葉は、いっそ独善的で投げやりなものだった。
 「それはそれで全く夢が無くて、腹が立つといえば立つんですけど……」
 蔑ろにされているどころか、初めから無いものとして扱われているようで、ワウアンリーとしては些か腹が立つ。尤も、この男と夢は見れないだろうなぁと感じる部分の方が大きかったが。
 「そもそも本当に、なんであたしなんですか? 消去法を使うにしても、あたしよりも成績良い人とか居ますけど」
 ”あの”アマギリ・ナナダンのお眼鏡に適ったというのは、正直ワウアンリーとしては冗談だと思いたい事ではあった。
 技術屋としての自分はそれなりに自負している部分があるが、聖機師の腕としてはまだまだ見習いの域を出ていないのがワウアンリーの現実だった。
 日頃学院でもトップクラスの聖機師であるユキネを傍にはべらしているアマギリが、何を好き好んで自分みたいな半端な腕の人間を護衛に饐えようと思うのか、素直に疑問を覚える所である。
 しかも、確認してみれば積極的に護衛役を任されることも無いらしいから、全く持って、理解不能である。

 いや、ある意味アマギリ・ナナダンらしい奇行とも言えるのだが。

 「なんか、良からぬことを考えなかった?」
 顔に出ていたらしい。アマギリがジト目で睨んでいた。
 「臣はそのようなことは考えておりませんです、はいっ!!」
 慌てて首を振って否定するワウアンリーに、アマギリは苦笑して応じた。
 「まぁ、良いけど。―――で、ワウを選んだ理由だっけ? 聞くと気分悪くしそうな気もするけど、本当に聞く?」
 「えー……っと。はい。何か、聞かないままだと落ち着かないので」
 試すような視線を送るアマギリに、ワウアンリーは一瞬いいえと言いそうになるのを堪えて、頷いた。後で悶々とした気持ちを抱えるのも、精神衛生上宜しくないとの判断だった。
 その言葉に、アマギリは御尤もとうなずいて口を開いた。

 「ま、単純に言えば、きみが”出来る事を出来ない”って言わないからかな」
 
 「……はぁ」
 アマギリの言葉に、ワウアンリーは首を捻った。
 出来ない事を出来ると言わない。
 などの言葉なら理解は出来ない事も無いが、今ひとつ、よく解らない。普通、出来る事はやるものだろうと言うのがワウアンリーの常識だった。そんな当たり前のことを理由にされても、困る。他に幾らでもそういう人間は居るだろう。
 それを察したのだろう、アマギリは肩を竦めて先を続けた。

 「不可能ではないけれど、可能とも言い難い問題があったとして、たいていの人は―――特に、僕みたいな立場の人間にそれを依頼されれば、失敗を恐れて否と言うのさ。でも、たまに是と唱えるきみみたいな人が居る。そういう連中も大抵はやった後で失敗しましたで終わるんだけど―――きみの場合、やると言ったらちゃんとやるだろ? 属性付加クリスタルとか―――きみの今の研究の、進み具合から見ても、ね」

 そういう部分が、僕と噛合うと思う。
 アマギリはそんな風に言葉を締めた。ワウアンリーは眉根を寄せて言葉の意味を考えた。
 「……褒められてますか、あたし」
 「凄い高評価だね。―――と言っても、こんなの当たり前のことで、それを当たり前だって思えないヤツは僕は端から使う気になれないけど」
 可能性があるならば、努力し、そして成功させる。確実な成果を残せる人間。当たり前のように、それが出来る人間。
 ようするにそれが、アマギリにとっての人物審査の最低基準だった。ワウアンリーは、何とかそこに引っかかっていると言う事なのだろう。 
 厳しい上に、偉そうなことこの上ない物言いだが、実際本人も言うだけの地力があるのがたちの悪い所である。
 そういう人に評価されているのだから、ワウアンリーとしても素直に喜んでも問題ないところなのだろうが―――だからこそ彼女は、聞きたいことが出来てしまった。
 
 「その評価を満たす殿下の最善の選択肢って、一体誰なんですか?」

 ワウアンリーをさして、消去法の結果だとアマギリは言った。他に欲しい人間がいたが、それが無理だから選んだと。
 ならば、それが誰だかくらいは、それがどれだけ無茶なのか位は、実際聞いてみたくなるのが心情だろう。
 アマギリもその質問は予想していたらしい。あっさりと口を開いた。
 「エメラって解る?」
 家名は覚えてないんだと、名前だけを告げるアマギリに、ワウアンリーは記憶を掘り起こした。
 「え~~っと、確か……え?」
 思い出して、予想以上の無茶っぷりにぎょっとしてしまう。
 「それ、ダグマイア・メストの従者ですよね!?」
 あのアマギリ・ナナダンがダグマイア・メストの従者を欲しがるとか、悪い冗談以外の何物でも無いだろう。
 しかし、アマギリは一切の稚戯も込めずにそれを肯定した。
 「うん、ダグマイア君の忠犬。良いよねぇ、あの子。あの忠節と小回りのよさ。多分、従者っていうカテゴリーの中では最高ランクなんじゃない? ―――惜しむらくはダグマイア君が足を引っ張ってる事なんだけど」
 才あるものが主人に恵まれるって事でも無いみたいだねと笑うアマギリに、ワウアンリーは才のある主人に出会ってしまった自分は恵まれているんだろうかと真剣に質問しそうになってしまった。
 その気配を察したのか、アマギリの目が笑っていない。ワウアンリーは話題を逸らした。
 「あの子、学院の貴公子ダグマイア・メストの背後に常に控えているから、女子の間でも凄い有名ですからね。たまーに上級生から苛めにあってるとか聞きますけど、全然堪えてませんし。―――あの組み合わせを引き離すのって、無理なんじゃないですか」
 「だろうねぇ。あの主人だからこそ身に付けた器用さって感じもするし。―――ああ、多分シトレイユで顔合わせることになるから、ガンの飛ばしあいでもすると良いよ」
 「しませんからっ! ……と言うか、そうですよね、シトレイユ行くんだから、会いますよねきっと」
 胃が痛いなぁと、ワウアンリーは伝え聞く後輩のクラスの様子を思い出して、顔をしかめる。物凄く、どうしようもなくギスギスした空気が流れていると言う噂の、そのクラスの情景を、自分はきっとアリーナ席で見る事になるのだ。
 「……と言うか、あたしもその一味だと思われるよね、きっと」
 従者は主の付属物。主の対立は従者の対立。当たり前の話過ぎて、涙が出そうな現実である。
 「何か言った?」
 「いえいえいえ、別に……あ、そうだ。最善がその人なら、次善は誰だったんですか?」
 口から洩れた言葉に目を細められて、ワウアンリーは慌てて話を逸らした。恐らくは言いたい事を理解していたのだろう、アマギリは鼻で笑いながら応じた。

 「うん、次点がアウラ王女でその次がリチア先輩」

 「そっちの方が無茶ですからっ!!」
 あんまりな答えに、思い切り叫んでしまった。しかし、アマギリは全く驚く理由が理解できないという態度で続ける。
 「何でさ。二人とも能力的には申し分ないよ? 特にアウラ王女の一を言えば十を理解してくれる所とか、リチア先輩の大方針さえ示せば勝手に結果だけ持って来てくれる所とか、実に素晴らしい」
 「能力以外に問題がありすぎるじゃないですか! っていうか王女様を従者に選ぼうとか、他所で言ったら戦争の原因に成りかねないですよねそれ!」
 「や、割と本人に話した時は笑われただけだったよ」
 「言ったの!?」
 リチア先輩はこめかみを抑えてたけどと笑うアマギリに、ワウアンリーは戦慄が抑えられなかった。ようするにそれだけ親しいと言う事なのだろうが、一国の王女達に言う言葉ではないだろう。
 「良くそんな神をも恐れない暴言を本人に……」
 「一人、宗教家の孫だけにねぇ。ま、本当に能力だけで選んでみただけだし、無理に決まってるのは解ってるよ。うん、女王陛下に言ってみたら、案外実現したかもしれないけど」
 「実現はしても、多分教会かシュリフォン辺りがハヴォニワに侵攻しますよねきっと」
 深々とため息を吐くより無かった。
 ようするに、このアマギリ・ナナダンの求めるに足る人材は、そのぐらいのレベルにならないと話題にも上がらないらしい。 

 「……つまり、消去法であたしになるんですね」

 「ま、そう言う事だね。消去法って言うか、ぶっちゃけた話、他の希望が無茶すぎて、きみ以外に当てが無かったから、まぁ、断られなくて良かったよ」
 ようするに、現実的な意味ではワウアンリーが第一希望だったと言う話である。
 それを理解できても、喜べば良いのか泣けば良いのか、ワウアンリーとしては悩みどころだった。各国の優秀な人材と同レベルで語られるのは嬉しいに違いないのだが、如何せんそれが高じてアマギリの従者である。それは不幸としか言えないだろう。
 今後は要らない苦労が増えるんだろうと、ワウアンリーは己を嘆こうと思ったところで、一人、名前が出てこなかった人間がいる事に気付いた。
 「あの、ユキネさんは、どうなんですか?」
 聖地学院においてアマギリ・ナナダンの従者と言えば、ユキネ・メアである。実際は妹姫であるマリアが来るまでの腰掛状態だったりするのだが、一般生徒はその辺りの事は知らない。
 泰然とした態度を崩す事の無い主と、冷徹な美貌の従者と言う組み合わせは、正しく王族の権威を象徴しているようで聖地学院では密かに人気が高いのだが、本人たちはどう思っているのだろうか。
 私生活でも二人が仲が良い事をワウアンリーは知っていたから、絶対に無理な人間の名前まで出しておきながら、直ぐ傍にいるユキネの名前が出てこないことは疑問だった。
 そんな当然の疑問に、アマギリは興味が無さそうな顔で頷いて応た。

 「あの人は、選考落ち」

 「えっ……と、それは、つまり?」
 あっさりと否定的な言葉を口にするアマギリに、ワウアンリーの言葉が詰まる。アマギリは微苦笑を浮かべて続けた。
 「いや、能力は高いと思うし、仲は良いよ? ただ、あの人と僕だと、どうしても個性を打ち消しあう組み合わせになっちゃうからね。とてもじゃないけど自分から組もうとは思えない」
 利のために無茶は必然と考えているアマギリと、無茶を避けるために利を捨てるのを厭わないユキネは、考え方のベクトルが違い過ぎて全く噛合わない。
 アマギリは淡々とした口調で、そんな風に語った。
 そこにユキネに対する後ろめたさが一切無いことが、きっと信頼の証なのだろう。
 「仲が良いだけじゃ、ダメなんですねぇ」
 「仕事をする時は、案外気が合わないヤツとの方が上手く行ったりもするしね。まぁ、馴れ合いも考え物って言うか、仕事とプライベートは別ってことだよ。―――あ、当然だけどコレ、ユキネにはオフレコでね」
 「……はぁ」

 お互いがお互いの事を正しく理解している、それは美しい主従の絆―――と、投げやりな気分でワウアンリーは考えていたが、一つ、聞き捨てなら無い言葉を認識してしまった。

 「それ、つまりあたしを従者に置いたからには、精一杯無茶をするってことになりますよね?」

 アマギリは微笑むだけで何も言わなかった。
 その日の晩、ワウアンリーは一人、枕を濡らす事となるのだった。



 ・Sceane 25:End・






    ※ 仕事に関してはシビア……と言うよりは、単純に『お姉ちゃんに危険な事はさせられねぇ』とか
     言うシスコン根性ではないかと思うんだ。

      次回はリトルシスターの方が登場。



[14626] 26-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/24 22:26



 ・Sceane 26-1・



 「何をご覧になってらっしゃるのですか、アマギリさん」

 在シトレイユ、ハヴォニワ公館。
 シトレイユ皇都上流階級の居住エリアにあるその館の、更に限られた一部の人間が滞在する時のみ豪奢な一角。
 気だるげにソファに腰掛窓の向こうの景色を眺めていたアマギリは、背後からの声に気付いて振り返った。
 薄い廊下、明かりの落とされた室内を伺うように、半開きのドアノブに片手を掛けたマリアが、じっと佇んでいる姿が見えた。
 「もう着いたのかい、マリア。―――すまなかったね、出迎えにいけなくて」
 「―――いえ。明後日の式典の件でアマ――ーいえ、お兄様がシトレイユの方とご相談していらっしゃったのは存じておりますから。お気になさらず」
 「うん、丁度使者殿を見送った所でね。―――ユキネ達とは?」
 口調に戸惑った部分が見える妹の態度を意も介さずに、アマギリは控えの間で待機している筈の聖地から一緒に此処まで来た従者達の事を尋ねた。
 「こちらに来る前に、顔を見てきました。―――その、お兄様の従者の方も」
 「見知った顔だから驚く事も無いと思うけど、まぁ、そういう事だから。これからは、それなりに会う機会も増えると思うから、仲良くしてくれよ」
 「いえその、充分驚いてますけれど。彼女、気疲れでソファに横になっていましたが、後で見に行ったほうが宜しいと思いますわよ」
 ユキネに膝枕をされてうんうんと唸っていた少女の事を思い出して、マリアが言う。アマギリは薄く笑って応じた。
 「黙って私の後ろに立っているだけで良い、楽な仕事だって伝えておいたのだけどねぇ。……ま、初めてだし仕方ないか」
 可哀相にと、少しもそんな風に思っていないであろう口調で呟いた後、アマギリは再び視線をマリアから窓の向こうへと戻した。

 曇天の空。霧雨が滴り落ちる、霞がかった皇都の景色。
 その主が失われた悲しみで、街が覆いつくされているかのような光景だった。

 「何を、ご覧になってらっしゃるのですか?」
 窓から差し込む僅かな光を光源とした薄暗い部屋に踏み入り、断りも無くアマギリの向かいに腰掛けて、マリアはもう一度同じ事を尋ねた。
 アマギリは、視線を窓の向こうから移さない。ただ何処か、霧雨の降りしきる外を眺め続ける。
 「たいしたことじゃあ、無いけどね。―――随分、霧が深い」
 それは、答えが帰ってくるまでに経った時間に比べれば、ごく当たり前の内容に過ぎなかった。
 マリアは嘆息して応じた。
 「湖のほとりに築かれた、元々水気の多い都市ですから。この天候では」
 「そういえば、マリアは当然、前に来たことがあるのか」
 「ええ、蒼天の元に朝靄に覆われた都市の景色はたいそう見ごたえのあるものでしたけど―――きっと、今回の滞在中は拝む事は出来ないでしょうね」
 深く、幾重にも被さった暗雲は隙間一つ無く、まだ昼も過ぎたばかりだというのに、窓の向こうは薄暗い。
 雨は降り続き、やむ気配は無い。

 「葬送は雨音と共に、か―――」

 洩れ聞こえた呟きは、実利のみが我が嗜好と思わせる、彼の普段の言動からは程遠い、何処か詩的な響きを含んだものだった。
 薄暗い部屋、窓の外の霧の景色と合わさって、陰鬱な空気が満ちるような気がして、マリアは息苦しさを覚えた。
 救いを求めて室内を見渡しても、アマギリが人払いを済ませているらしい、彼以外の姿は無い。
 そのアマギリは気だるげな仕草で、何時もと少し違う口調で、何をするでもなく窓の向こうを見ているのみだった。
 空気が、重い。
 ただでさえ葬儀に参列しなければならないと言う気疲れする事態が控えていると言うのに、その前にまで疲れたくは無い。
 普段のこの目の前の男ならば、その辺りの空気を呼んで、殊更軽い口調で場を和ます事はして見せるだろうに、何故だか今は、その気配は無い。
 
 「―――平気かい?」

 ポツリと、陰鬱な気配に自身も沈みかけていたマリアの耳元に、そんな言葉が聞こえた。
 顔を上げる。兄が、伺うような視線をマリアに向けていた。
 「見知った人間の葬儀が控えているんだ。気が重くなっても仕方が無いと思うが―――あまり、深みに嵌りすぎると、本番が辛いから気をつけたほうが良い」
 心からの心配、と言うよりはいっそ儀礼的な、率直に言ってしまえば一人になりたいのに目の前で沈んだ顔をされているのも些か煩わしいと、そんな風にも聞こえる言葉だった。
 「沈痛そうな顔をしているのは、むしろお兄様のほうじゃないですか」
 マリアは眉を顰めて答えた。アマギリはその言葉に瞬きする。
 「私が?」
 「随分、重たそうな顔をしてらっしゃいますよ。……その、余り聞きなれない口調のせいかもしれませんけど」
 付け足すように言われた言葉にアマギリは微苦笑し、襟を緩めるように首元に手をやった。
 「一応、場所が場所だから、気をつけてるんだよ。そんなに私がこういう喋りをするのは似合わないかい?」
 おどけたような態度と口調。何時ものアマギリがそこに居た。
 マリアは何処か安心したように息を吐いて、テーブルの上のスイッチを操作して室内に明かりを点した。
 「―――いえ。逆に嵌りすぎていて戸惑う所がありますけど。私としては、普段からそのままでも良いと思いますわよ?」
 「顔を忘れたけど、こんな喋り方してた筈の知人の真似をしているだけだから、普段からやれと言われても困るんだけどね」
 「あら、残念。それにしてもお兄様。初の外交で女王の名代として全権特使なんて仕事を押し付けられている割に、随分余裕ですわね」
 普通、緊張で他人を気遣う余裕など無いだろうにと皮肉気な視線を向けてくるマリアに、アマギリは肩を竦めて応じた。
 「私にとって今回の件は、顔も見たことの無い他国の王の葬儀、以上のものにはならないからね。死者を弔う祭事と言うよりは、この場を利用した諸外国に対する示威的行動を取るというまつりごと―――政治の気分が大きい。母上の名代と言うのも、言うなれば何時もどおりと言うことで、今更おたおたする事も無い」
 「お兄様は、皇王陛下とは面識がありませんでしたわね、そういえば」
 「通信機越しに会談でもするかって言う話も合ったんだが、私がこういう立場におかれた段階で、もう皇王陛下は病床の身であったらしいからね。そのまま一度も話す事も無く、だね。残念かどうかは、まぁ、判断に困るか。―――マリアは、何度かお会いした事があるのだろう?」
 会った事の無い人間の死を悼むのは難しいと、素直に語ってしまえるアマギリの態度は、逆にマリアにとっては納得のいくものだった。
 この兄が知らない人間の死に涙を流せるような感性の持ち主だったら逆に驚いてしまうし、明日からの対外的なスケジュールを考えれば、そうであっては困る。
 「園遊会などで幾度か対面した事はありますが―――今よりも幼い頃ですし、正直な所余り記憶に無いというのが本音だったりもします。ですから、私もお兄様と同じで、”まつりごと”だと言う意識のほうが強いですわね」
 「王族同士の付き合いなんて―――世代も違えば特にそんなものだろうね。葬列に参加する殆どの人間がそうだろうし、余りその辺を深く考えても……そうか、だからか」
 世知辛い話だと肩を竦めていたアマギリは、何かに気付いたように一つ頷いた。
 「何がですか?」
 「ああ、母上が私たちに全部を押し付けた理由がね。―――私たちにとっては遠い人だけど、母上にとってはそうとも言えない、一応は縁戚も結んでいるそれなりに親しい関係だっただろう? だから、死を悼む暇も無いような”まつりごと”に参加するような気分には、なれないんだろうね」
 今回は丁度、押し付けられる人材もいることだしと他人事のように語るアマギリに、マリアも曖昧な表情で同意した。
 「葬列に参加したほうが返って故人を悼む事にならないと言うのが―――なんとも、やりきれない話ですわね」
 特に、それに参加する自分たちも同じ穴の狢だと言う所が、とため息を吐く妹に、兄も苦笑して頷く。
 「それこそ王の孤独―――とでも、言った所じゃないかな。母上もまだ二十台半ば。為政者としては随分若い方だから、こう言う時位は気を使ってあげても良い」
 「そういうのは普通、親が子に見せる気遣いだと思いますが。いえ、お兄様がお母様に対して想うのであれば、全く問題は無いですか。―――こんな所にまで来てノロケ話を始めるなんて、全く、空の向こうで故人が泣くのも当然ですわね」
 嫌だ嫌だと冗談めかして言うマリアに、アマギリは肩を竦めて窓の向こうに視線を移した。
 
 霧雨に霞む、街明かり。幻想的で、もの悲しい光景。

 「雨に封ぜられた街。―――さしずめ雨の契り。いや、この景色なら霧の封印、か」

 遠い遠い、何処か此処ではない遠くを見ているかのような言葉。習うように霧の向こうを眺めていたマリアが、訪ねる。
 「随分と詩的な表現ですけど―――それは?」
 「あれ、知らないのか。割と有名な御伽噺だと思うのだけど」
 確認するように尋ねるアマギリに、マリアは聞いたことも無いと首を横に振る。
 それは勿体無いと、アマギリはその物語を語りだした。 

 ―――樹と少女と、そして一人の王子の物語を。




    ※ シーン25が妙にハイテンションだったのでクールダウン、と言うわけでも無いのですが、まぁ。
  
      ところで、現在進行形のアニメ原作の方では、シトレイユはどうなってるんでしょうか。
      国連治安維持軍が駐留して戒厳令でも敷いてるのかな……。



[14626] 26-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/25 22:03


 ・Sceane 26-2・


 語られた物語は、おおよそこんな内容だった。

 森の妖精への生贄に捧げられた少女。
 森に迷い込み、偶然に少女に出会ってしまった何処かの国の王子様。
 二人は惹かれあい、そして共に暮らそうと誓い合う。
 ―――しかし、森の妖精が二人を引き離す。
 少女を返せと叫ぶ王子に森の妖精は言う。
 少女は最早生きては居ない。我の力が無ければ存在すら出来ないのだと。
 信じられぬと激昂する王子に、しかし妖精は自らの分身とも言える、森の奥にある最も大きな木の洞の中を覗かせる。
 そこには、樹液に沈められた、少女の姿―――。
 王子と共にそれを見た少女は自らの真実を思い出す。
 少女は、役目を終えて旅立つ筈だった妖精の代わりとなるために、自らの意思で森へと赴いたのだ。
 妖精になりきる刹那、人としての最後の意志が、果たせなかった恋を望み、その想いが王子へと届いたのだと。
 貴方と出会えて嬉しかったと、そう述べて少女は消える。
 一人残された王子の嘆きがこだまし、流した涙が深い霧となって森を覆う。
 霧の覆う森、取り残された王子の耳元に、居なくなった筈の少女の声が聞こえる。
 少女は森の妖精となった。森と、一つになったのだ。
 此処に居る、此処に在る。
 最早霧で封ぜられ、外界から閉ざされた森の中で、二人の想いは永遠となった。

 「所謂悲恋モノ―――ですか? 残念ですが、やはり聞き覚えはありませんが」
 めでたしめでたしと、少しも目出度いと思っていないといった風に語り終えたアマギリに、マリアが首を横に振る。それなりに書籍に目を通す機会もあったが、全く初耳の話だった。
 「有名だって、聞いたんだけどなぁ。―――まぁ、僕が聞いたヤツもだいぶ脚色してるって聞いてたから、ホントの話はもっと違うのかもしれないけど」
 「誰に―――聞いたのですか?」
 首を捻るアマギリに、マリアが目を細めて尋ねた。

 誰に、何時。

 その言葉にアマギリは、諦念を込めた笑みを浮かべ、再び視線を窓の向こうへやった。
 「……お兄様?」
 目の前にいるはずなのに、何処か遠くへ行ってしまったかのようなその姿に、マリアが声を漏らす。
 それに答えることもせず、一人何処かへ沈んでいくかのような顔で、アマギリはポツリと呟いた。
 「さっきからずっと、それを考えていた」
 それで、暗く沈んでいるように見えたのかもしれないと、晴れない笑みを浮かべて続ける。
 「何時か何処かで、誰かに聞いた―――まったく、顔も思い出せないのに、居た事と言われた事だけは忘れられない」
 「……それで、それは思い出せたのですか?」
 マリアには問わずに要られなかった。
 それとも、本当は忘れてすら居なかったのですかと、本当はそう問いかけたかったのかもしれない。
 アマギリは答えもせず、再び追想に浸る。


 ―――凍えるような霧雨の降り注ぐ、深い森のを背に。
 女は微笑みの一つも無く、彼に語った。

 似ているといってもね、坊や。
 坊やとあの方ではその能力は雲泥の差だ。
 全てを見て、聴き、知り、そして語る事すら可能だったあの方の力に対して、坊やのそれは精々聴く事が出来る程度で、理解する事など以ての外。知ろうとすれば、脳がパンクして即死するだろうよ。
 だから、別のアプローチで理解を求めようという坊やの判断は決して間違っては―――いや、今はそれは良い。
 とかく、坊やの力はあの方の力を人間に相応しいように上手くデチューン、いや機能制限したものだと言いたい所だけど―――それでも、人が持つには過剰な力だ。
 現にその力に圧迫されて、坊やの人としての機能は悲鳴を上げている。
 もう、指一本動かす事すら辛いんだろう?
 ―――しかも悪い事に、あの方と違って坊やには、坊やを支えてくれる筈のパートナーが存在しない。
 折角辺境から此処までやって来たのだから、見つけてくれれば良かったのだがね、それもう、間に合わない。
 いやそもそも、此処に来たせいで、坊やは押しつぶされるようになったのか。

 断言しよう、坊や。近日中にキミは死ぬ。キミはもう―――持たない。

 故に、選べる選択肢は酷く少ない。だから私は、せめて提案だけはしよう。
 決めるのは無論、坊や自身だ―――。

 降り注ぐ雨が、やがて地を叩く音が響くほどに強くなった頃。
 連れ出されて、朦朧とした意識の底で、何時か誰かに、そんな御伽噺をされた。


 ―――そう、今のような曇天の空を眺めながら。確かに聞いたのだ。

 アマギリは郷愁の念を隠そうともせずに、呟く。
 「昔は、体が丈夫じゃなかったんだ。だから、戦うための業を身に付けるのはそこそこにして、あまり自分の体を動かさずに出来る作業ばかり覚えるようにしたんだ。車両とか船とか、そういうのの動かし方とかね。後はひたすら、今みたいに椅子に座って本を読む事が多かったかもしれない。―――そう言えば、何処行っても頭を使うよりも体を動かすほうが得意、みたいな連中ばかりに囲まれてたから、こういう雨の日は、公然と何もしないで済んだから好きだったな」

 聞きたいことは幾らでもあった。
 それは何時、何処で、誰との話しをしているのか。マリアはそれを問い質したくて仕方が無かった。
 しかし、出来なかった。
 問えば最後。この男はきっと、自分の言った全ての言葉を忘却してしまう。
 だから、話をあわせて続けさせる事しか、マリアには出来る事は無かった。

 「身体……弱かったのでしょう? それが解っているのなら、普段から何も言われないと思いますが」
 「生体強化とそれに付随する遺伝子治療を施しておけば、病弱なんて言葉とは一生無縁で要られるってのが常識的な話だからね。ただ、私の場合は確か人としての機能を支える器と言う意味でのアストラルの容量に致命的な……なんだったかな。専門家じゃないから良く解らないけど、とにかく下手に生体強化も施せないような体質だって聞いたけど」
 事も無げに答える言葉も、マリアには理解が及ばない世界のものだった。
 「せいたいきょうか、と言うのは一体……?」
 「文字通りだよ。外的手段を用いて人間を強化させる―――まぁ、有触れた技術だけど……それにしても」
 夢を見ているかのような空ろな瞳で質問に答えていたアマギリが、突然眉をしかめて言葉を濁す。
 「……お兄様?」
 じっと黙って、顔を歪めるアマギリに、マリアは心配そうに声を掛ける。
 だがそれにアマギリは答えを返す事は無く―――少しの間が経ったあとで、大きく息を吐いた。

 「―――やっぱり、無理か」

 アマギリは吐き捨てるように呟いた。
 「記憶喪失―――喪失して無いんだから、そうじゃないなやっぱり。記憶と知識を結び付けようとすると、いや、固有名詞が問題なのか……?」
 「……あの?」
 「―――ん? ああ、ごめん。少し考えを纏めようとしてたんだけどね」
 マリアの呼びかけに漸く答えて、アマギリは視線を窓から外して微苦笑を浮かべた。
 それは、何時も見かけるアマギリの顔だった。夢から覚めたかのような、現実に引き戻されたかのような、疲れた顔。
 「昔の事を覚えてないって、何時だか話しただろう? でも最近、曖昧だった部分が何となく思い出せる事が増えてきてね。多分、仕込まれてた誘導催眠が僕の精神状態が健全化しているって認識し始めて、緩んできたって事なんだろうけど、いやでも、コレ多分催眠暗示だけじゃなくてナノマシンキャリアーを脳に置いて常時チェックとかしてるよなきっと。特定の記憶を引き上げようとすると心理ブロックが掛かるようになって……いやそれにしても、インフォームドコンセント無しにナノマシン仕込むのって犯罪なんじゃ―――ああ、ごめん、それは良いか。―――とにかく、最近はきっかけがあれば記憶が浮かび上がってくるようになったからさ、それを上手く利用して、全部引き上げられないものかって考えてたんだけど」
 駄目みたいだねと、アマギリは肩を竦めて笑った。
 「記憶なんて切欠があれば直ぐに取り戻せると思って放置してたんだけど―――最近中途半端に思い出せることが多くて、帰って苛々してくるからねぇ」
 「生憎、私は記憶喪失に罹患した事が無いのでお気持ちを理解する事は出来かねるのですが―――あの」
 額を押さえてアマギリの言葉を聞いていたマリアは、躊躇いがちに口を開いた。
 なに、と視線で促すアマギリに、マリアは頷いて続けた。

 「それで、上手く思い出せた場合―――その場合、お兄様はどうなさるお積もりなのですか?」
 
 「どう……する? どうするか。―――どう、するべきなんだろうね。最近一番の悩み事だよ」
 アマギリは、望まぬ言葉を口にするかのように、続ける。
 「私としては―――面倒だな。僕としてはどうあっても帰るつもりはある。と言うか、帰らざるを得ないと思う。だけど、女王陛下は帰るなと言ったし、僕は結局、それを断る事が出来なかった。今の所は、せめて選ばなければいけない時までは、出来る限り女王陛下にお付き合いしようと思って、だから今もこうして此処に―――って、ちょっと!?」
 「どうしました?」
 言葉の途中で突然ぎょっとした顔で腰を上げるアマギリに、マリアは首をかしげて尋ねた。
 「いや、どうしたって―――」
 立ち上がり、テーブルに手を付き―――それで何ができるわけでもないと、どうにも混乱したかのような態度でアマギリは言葉を濁した。
 それから、酷く気まずそうな顔で、視線を逸らしながら言った。

 「―――なんで泣くかな、このタイミングで」

 泣く?
 マリアは言われて、意味が理解できなかった。
 泣く。つまり涙を流す行為だ。主に悲しい時に。
 では悲しい時は何時で、誰が涙を流しているのか―――マリアは、自身の頬が濡れている事に気付いて、驚いた。
 「なんで、わたくし……?」
 「そりゃ、僕が聞きたい事だよ……」
 取り合えずといった仕草でアマギリはポケットからハンカチを取り出し、マリアの頬を撫でるように拭う。
 必然、互いに至近距離で向かい合うようになる訳だが、互いの眼に映る互いの顔は、頬を赤らめ照れたもの―――と言うよりは、どちらもどうしようもないほどに迷いと戸惑いが入り混じったものだった。
 「何で、泣いてるんでしょうね、私」
 どうしようもなく不思議そうに、マリアはアマギリに尋ねた。アマギリも何処か惑いが混じった苦笑で応じた。
 「葬式も控えて、空気が重くなっているからね、この街。気疲れで普段より心が弱ってるのかもしれない」
 「こういう時は、普通、僕が帰ると言ったからじゃないかとか、聞くべき場面では無いのですか?」
 皮肉と言うよりはただただ確認するだけのような口調で、マリアは言った。本当に、自分の感情が理解できなかったのだ。

 悲しいのだろうか、自分は。彼が帰ると口にした事が。

 じっと目の前の、自身の頬を拭うアマギリの顔を注視する。
 困ったような―――ただ、この場を凌ぐにはどうすれば良いかと迷っている、苦い顔。
 「解っている事を、今更悲しんだりはしないだろう? キミは―――賢いから」
 本人の口から、今さっき。遂に帰るという言葉を聞いた。―――そしてそれは、初めから解っていた事だ。
 何時か目の前から居なくなると、初めてあったその時から、マリアは正しく理解していた。
 「それは……いえ、そうですわね」
 だからそれは、改めて言われたからといって悲しい事ではなく―――。
 
 「貴方は、結局そうやって、何時まで経っても私のことを見ては居ないのですね」
 「それは―――」
 「私はお母様の付属品。それ以上でもそれ以下でもない。違いますか? それとも、解っていないとでも思っていましたか? ”賢い”私が、まさか気付いていないとでも?」

 ポツリ、ポツリと己の身を切るよう冷たさを込めて、そんな風にマリアは言った。
 兄と思い妹と呼ばれ―――その実際、それは全て誰かに要求された演技に過ぎず、彼と彼女は、未だに自分たちで関係を構築していない。
 周りからそうと望まれて、その結果―――幸か不幸か、二人ともそれをこなせてしまうだけの器用さがあったのが災いした。
 だから何時まで経っても、お互いに向き合いきれて居なくて、近くに居る筈なのに、それはどうしようもなく遠くて―――だから悲しいの、だろうか。

 マリアは自分の思考に嘆息して呟いた。
 「よく、解りませんわね、自分の心と言うのは」
 「ああ、哲学っぽくて好きだよ、そういう言葉。大人になってから言うと恥をかくって聞くけど―――痛っ!」
 問答無用で、いつの間にか頭の上に載っていた手を、叩き落とした。
 「少しは反省してください」
 困ったと苦笑するアマギリにマリアは目を細めて追求する。
 「―――何をさ。いや、言いたいことは解るつもりだけど」
 「……本当に、解っているんでしょうね?」
 「そりゃあ、ね。確かにキミとは、それなりに長い事居るのに、まともに”会話”をした事は無かったかなとは、最近反省している所だけど。夏にハヴォニワに帰った時そこら中から突っ込まれたからね、その辺り」
 でも、それはお互い様じゃないかと、疲れたように言うアマギリに、マリアはバツが悪そうに視線を逸らした。 確かに、彼が自身を語らないのと同様に、マリアも当たり障りの無い会話しかしていなかった。

 いやそれでも、少なくともコイツよりは歩み寄る努力はしている。 
 こういう強がりが悪いのかもしれないけど。

 「解ってくれるなら、今後は少しは―――いえ、私もこんな無様を見せないように反省するつもりはありますけど」
 「はは。ま、可愛らしくて良かったけど。―――じゃあ、折角だから一つだけ良い?」 
 反省感ゼロのアマギリの態度に、マリアはもう一度引っ叩いてやろうかと思いつつ、収拾がつかなくなりそうだったので、顎で先を促す。
 「僕がキミと、あんまり向かい合わないようにしていたのはキミが思っているように女王陛下を間に挟んでいたから適当に相手にしていただけとか、そういう理由が一番じゃない。―――それを否定できないのも申し訳ないけど、それは今後の課題としよう―――で、だ。まぁ、何ていうか、また曖昧な思い出話になるけどね。僕、結構大家族の生まれなんだよ」
 「……はぁ」
 いきなり何を言い出すんだコイツはと言う態度で頷くマリアに、アマギリは曖昧に笑って先を続ける。
 「父や母、実の兄や姉、ついでに親戚連中は数知れず―――よくもまぁ、名前が全然思い出せないのに個性的な記憶に残る人たちばかりなんだけどさ、妹だけは、居なかったと思う」
 「………はぁ?」
 「あ、そういえば因みに、一人だけ名前が思い出せた人が居るんだ。僕には雪音と言う名前の姉が居た。これは絶対だ。間違いない」
 「そんな事は誰も聞いていませんけど―――いえ、と言うことは貴方がユキネにばかり妙に甘ったれた態度を取るのはそういう理由ですか―――ではなくて。……とにかく、つまり、どういう意味ですか」
 後で思い返せば割と普通に衝撃の事実であろう事を聞き流しながら、マリアは先を促す。
 アマギリは自嘲する様に笑いながら続けた。
 「少なくとも僕自身が自覚できる僕の年齢って、精々見た目と変わらない十数年程度なんだよね。―――覚えてないだけで千年くらい生きてるのかもしれないけど、まぁ、覚えてないから僕自身は十代だって思ってる訳で」
 「―――それが、何か?」
 唐突に関係の無い話が始まったと首を傾げるマリアに、アマギリは肩を竦めた。
 
 「―――人生経験の足りない十代の人間にしては、僕は随分と世慣れしているようにみえない?」

 「―――それは。いえ、確かに」
 問われて、そういう部分があるなとマリアはアマギリの言葉を否定できなかった。
 確か今年で、十六歳と言っていた、目の前の兄。しかしその態度も、穿ったような物言いも、とても年齢相応には見えない。
 「でも、それは私も変わらないと思いますけど」
 自分たちのような立場の人間では、珍しい話ではないだろうというマリアに、アマギリも頷く。
 「そうだね。キミもラシャラ皇女も歳の割りに弁が立つ。それはでも、そういう風に教育されているからであって―――それに何より、そうするべきと言う、誰かを見本にして演技をしているからでも、あるだろ?」
 「それは、そうです。余り見本にしたいとは思いませんけど、母が優秀な為政者である事は事実ですから―――それで、ですがそれも貴方も同様でしょう?」
 「うん、ようするに、そういう事」
 アマギリは、マリアの言葉にあっさりと頷いた。
 「僕がこういう場でも落ち着いていられるのは、そういう態度を示していた人たちの真似をしているからで、そういう経験まで忘れていたら、本当に僕はただの何も出来ない子供だろうね。―――慣れてるんだよ、偉い人とか年上の人とやり取りするのは。ホンモノを、間近でずっと見続けていたから。それだけは忘れられずに、記憶に染み付いている。だから、演じるだけなら自分でも出来る……でも」

 妹と上手くコミュニケーションを取っていた記憶だけは、無い。

 そんな風に、アマギリは言葉を括った。
 「……未経験だから、つまり、ボロが出ないように避けていたと」
 「まぁ、そう言う事にして置いてくれると助かるかな」
 「助かるかな、じゃないでしょうが、もう……。要らない理由で頭を悩ませていた私の時間をどうしてくれるんですか」
 額を押さえて、眦を寄せてマリアが呻いた。
 アマギリは肩を竦めるだけで、それ以上は口を開かなかった。つまり、そう言う事だ。

 「何か、疲れましたわね」

 何が悲しくて、こんな場所まで来てくだらない話をしてしまったのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい。何より馬鹿馬鹿しいと思うことは、何処かで安堵している自分が居るという事実だ。 
 語られた言葉が事実であれば、アマギリも一応はマリアの事を身内として認識していると言う事実だけは確かだと言える。
 だからこその、距離感。
 全く持って、馬鹿馬鹿しい。幾らか悩んだ覚えがある自分が、尚の事馬鹿馬鹿しい。
 くだらない事で焦燥感を覚えて、涙を流して―――ええい、こんな嫌な記憶など、雨に流されて消えてしまえ。

 「―――そういえば」

 マリアは、一つ聞き逃していた事があったことを思い出した。
 「なんです?」
 「いえ、大分話を戻すのですが」
 首を傾げて問い返すアマギリに、マリアはそう断った後で先を続ける。
 
 「霧の封印と言う言葉の意味は先ほどの話で解りましたけど、雨の契りと言うのは、どういう由来の言葉なんですか?」

 問われてアマギリは、そういえば話してなかったっけと頷いた。
 「ああ、二つとも別の話だからね、確かに。霧封の伝承についてはさっきの通りだけど―――雨契に関しては、どんなだったかな。結構曖昧な記憶しかないけど」
 「キリト……霧封、と言うのが先ほどの話ですわよね。それで”アマギリ”ですか。……雨、契?」

 雨契。

 それは目の前の少年の名前そのものだった。
 偶然にしては出来すぎていると呟くマリアに、アマギリも困った風に笑った。
 「まぁ、それに関しては本当に偶然なんだけどね。で、肝心の内容だけど―――よくある話しだと思うよ? 雨の日に交わした男女の契約が一度途は切れるけれど、でも最後には結びついて、それは永遠になるとか、そんなんだったと思う」
 「―――先ほどに比べて、随分曖昧ですわね」
 「こっちは聞いた話じゃなくて、自分で本か何かで読んだ内容だったと思うからね」
 普通自分で調べた話のほうが記憶に残りそうなものだが、アマギリは違うらしい。単純に、語って聞かせた人間のインパクトが記憶にこびりついているからかもしれない。
 「永遠へと変わる、契約―――ですか。雨に流され溶けて消える、では無く」
 「雨が降り、そして大地に溶け、つまり”一度消え”しかし再び天へと上り雨として降り注ぐ。その循環を指して永遠性を象徴してるんじゃないかな」
 推測だけど、と語るアマギリに、マリアは納得して頷く。
 それから、悪戯っ子のように笑みを浮かべて、挑戦的に問いかけた。

 「でしたら、せっかくですから私たちも今ここで、正式に兄妹の契りでも交わしますか?」

 そうすれば永遠に、そうで居られるかもしれません。

 貴方は、そうと望みますか? 

 それとも雨露に流して、この会話の思い出も、何処かに消してしまいますか?

 ”いもうと”の問いに対する問いに対する、アマギリの答えは―――。


 
 ・Sceane 26:End・






      ※ 初めは、どっかの銀河でトップクラスに偉い人の青春時代の話を使って一ネタ、くらいの軽い内容にする筈だったんですが、
       何をどうしてこうなったのか、スーパーネタバレタイムに。

        まぁ、親の目のないところで、兄妹の本音トークと言う事で。




[14626] 27-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/26 23:19

 ・Sceane 27-1・



 一目見て解る器の大きさ。全身から発する威厳。隠しようも無いほどに、威風堂々とした佇まい。
 成人男子の平均身長には達しているアマギリであっても、正面に立たれれば仰ぎ見上げる必要がある、厳つい体躯を有する男。
 
 それが、大シトレイユを統括する宰相、ババルン・メストその人だった。

 「これは、アマギリ王子。マリア王女。よくぞいらっしゃいました。申し訳ありません、本来であれば、こちらからご挨拶に伺わねばならないところを―――」
 その大きい体躯を半直角に曲げて深々と頭を下げてくるババルンに、アマギリは鷹揚な態度で応じた。
 「いや、構わない。事が事だからね。宰相閣下もご多忙であろう?」
 「恐縮にございます殿下」
 完全なる礼節を弁えた、それは極当たり前のやり取りだった。
 二人共に、微笑のようなものを浮かべ、流れる空気も極自然なもの。楚々とした態度で兄たちの会話を聞いているマリアも、その背後に控えているユキネも、至極落ち着いた態度である。

 唯一、アマギリの背後に控えるゆるくウェーブした髪を背に流している従者だけが、とてもとても気まずそうな顔をしていた。

 つまりそれが、この、何処から見ても礼儀正しいとしか思えない空間の真実なのかもしれない。
 
 夕刻を控えた時刻。
 明日に控えたシトレイユ皇王の葬儀に関して、来賓を代表して送辞を読み上げる役目のあったアマギリはその最終的な打ち合わせのためにシトレイユ王城を訪れていた。
 出向かいのものに案内され、対面する事となったのがこの葬儀の責任者である、宰相、ババルン・メストだった。
 アマギリにとっては二度目となるババルンとの対話は、極自然な、当たり障りの無い挨拶から始まった。
 「本当ならもう少し早めに顔を出したかったのだがね、少し本国と確認を取らねばならない事もあったから、このような中途半端な時間になってしまった。このあと、参列者を集めて晩餐会を開くのだろう? すまないね、運営に差し障らねば良いが」
 「何の。そもそも昨日のうちに式の進行手順の確認を全て終えられなかった我らの責任です。頭を下げねばならぬのは、本来我らの方でありますれば、余りお気に病みませぬよう」
 「そう何度も合っては困る事柄ではあるからね。多少ばたつくのも致し方ないでしょう。―――では、時間も押していますし始めてしまいますか」
 嫌味にならない程度に鷹揚な態度を示すアマギリに、卑屈で無い程度には低姿勢で応じるババルン。
 「はい。では殿下、マリア王女も、こちらへ―――」
 「ああ、すまない。少し待ってくれ」
 立ち話のままと言うのもどうか、と言う事でテーブル席を示したババルンを、アマギリは手で留めた。そのまま、背後を振り返る。

 「マリア、お前は先にラシャラ皇女にご挨拶をして来なさい」

 「宜しいのですか?」
 アマギリの言葉に、マリアは目を丸くして尋ねる。まるで自分の望みが叶ったとでも言うような、喜色のにじんだ顔に、アマギリは勿論と頷いて、ババルンを振り返る。
 「構わないでしょう、ババルン卿? 妹はラシャラ皇女が先王がお亡くなりになり悲しみに打ちひしがれているだろうと、自分が行って慰めなければと聞かなくてね」
 すまなそうに、子供の我侭を聞き届けてくれないかと言うアマギリに、ババルンは微笑んで頷く。
 「ありがたいお言葉です。悲嘆にくれる皇女殿下には、何よりの慰めとなりましょう。―――だれかある! マリア王女をラシャラ様の下へご案内しろ!」
 使用人を呼び寄せるババルンに、マリアは天使のような清らかな微笑で礼を述べる。
 「ありがとうございます、宰相閣下。ではお兄様、マリアはラシャラと共にお待ちしております」
 「ああ。私も閣下との打ち合わせが済んだら顔を出そう」
 室外に待機していた使用人が入室し、マリアとそれに続くユキネを連れて廊下へと消える。
 それを微笑を浮かべたまま見送るババルンとアマギリ。
 ただ一人、アマギリの背後に控えた従者だけが、馬車に乗せられた羊のような顔をしていた。

 「さて、次代を担う者達の友情に期待しつつ、我々は現実を満たす事に腐心するとしましょうか、宰相陛下」
 椅子に腰を落として、開口一番にアマギリはそう言った。
 先ほどまでとは違う、どこか皮肉交じりの態度。まるで、”純真無垢”な妹との違いをあからさまにしようとしているかのようだった。
 突然の態度の変わりようにも、ババルンは驚きの一つも見せず、ただ片眉を上げて、アマギリがさり気なく言葉に乗せた単語に反応した。
 「―――失礼、私の聞き間違いですかな?」
 穏やかな顔で確認をするババルンに、アマギリは挑戦的に哂って応じる。
 「おや、何か間違った事を言ったかな、宰相”陛下”」
 「お戯れを」
 ババルンは、繰返されたアマギリの言葉に、苦笑らしきものを浮かべて返した。戯言に取り合うつもりは無いと、態度で示していた。
 しかし、アマギリは言葉を止めなかった。肩を竦めてわざとらしく首を捻る。
 「別に戯れては居ない。海のものとも山のものとも知れぬ幼い王女に、まさか政治的手腕を期待するわけにも行かないだろう? ―――となれば、ババルン卿。亡き先王陛下の覚え宜しい貴方こそを、今や名実共にシトレイユの国主として扱うのが、当然だろう?」

 明け透けな言葉。あからさまな誘いとも言えた。

 「―――それは、ハヴォニワを代表してのご意見と捉えて宜しいのですかな?」
 困った風に眉根を寄せて問いかけるババルンの態度は、その裏に何かを秘めているようには見えない。
 「私の意見で、それが即ちハヴォニワの意見だ。若い―――というより幼い皇女よりも、錬達の士であり人望厚い貴方をこそ重要視すると言うのは、当然の考えだ」
 そして、応じるアマギリの直接的な言葉もまた、その裏側を想像させる事は出来ない物だった。

 実だけでなく、名も取ってしまえと、ハヴォニワの王子がシトレイユの宰相に囁きかける。
 二人の―――二つの勢力の対立関係を知っている人間が見れば、頭が混乱してくるような状況だろうと言えた。

 「お言葉、ありがたくありますが―――」
 一瞬の視線の交差を挟んだ後で、ババルンは丁寧に頭を下げながら言った。
 「私は、誓ってシトレイユ皇室に対して忠誠を誓っておりますれば、先の言葉、なにとぞご勘弁願いたくあります」
 平然と、斟酌の一つも無く頭を下げるババルン・メスト。アマギリは、彼の後頭部を身ながら、なるほどと頷いていた。
 「……やっぱ倅の方とは、役者が違うな」
 「何か?」
 ポツリと漏れてしまった本音に、ババルンが反応する。アマギリは微苦笑を交えて首を横に振った。
 「いや、なんでもない。しかし、なるほど。貴方ほどの名声があれば、現時点でシトレイユを取ることなど容易かったろうに、その忠誠には感服するよ」
 「恐縮です」
 忸怩たる態度で目を伏せるババルンに、アマギリは構わないと言って笑みを深めて言葉を続ける。
 
 「―――ではつまり、今後のシトレイユの外交方針は、完全に先王陛下の路線を次期女王へと引き継ぐまで維持し続けると、そういう解釈でいいのだね?」

 ―――さて、どう出る。

 これがメスト家の息子の方だったら、絶句して額に汗でも浮かべている言葉だろうが、このぎらついた瞳を隠そうともしない男は、この踏み絵にどんな態度を示してくるのか。アマギリには予想が付かなかった。

  笑うか? 怒るか? それとも―――?

 「無論です」
 言葉そのものに圧力が篭ったような、それはそんな言葉だった。
 「ラシャラ様の御即位の日まで、臣として先王陛下の残したものを守り抜き、それを堅持していく所存でございます。フローラ女王陛下にも、同様にお伝えください」
 ババルン・メストは、今後の行動に於いて明らかに不利になるであろう言質を、あっさりとアマギリに引き渡してきたのだ。
 なるほどと、アマギリは頷いた。
 
 自信家で、野心家。それを隠そうともせず、時に泥を啜る事も厭わない。
 最終的な勝利の形が見えているから、途中、幾らでも利を捨てるような真似が出来る。
 
 厄介な人が居たものだと、アマギリは気づかれぬように嘆息した。


 「それにしても、殿下には驚かされますな」
 日が沈み―――といっても、空は相変わらずの雨模様で、ただ闇が深くなってきただけだったが、実務的なやり取りを終えた後、ババルンが言った。
 「何がだい?」
 アマギリは書類を捲る手を止めて、視線を上げて尋ねた。
 「貴方と言う存在を初めて拝見したのが、今から一年程度前の頃でした。あの時の殿下は、まだどこか地に足が着いていないような揺らぎを抱えておりましたが、見違えましたな。今や、見事にフローラ女王の代理を全うしていらっしゃる」
 完全なる賞賛の言葉に、アマギリは照れの一つも見せずに頷いた。
 「そういって貰えると、若輩の身としてはありがたい限りだね。尤も僕は、外に出て居なかっただけで、教育だけは生まれた時から叩き込まれていたからね」
 「それは、直轄領で?」
 「そんなところだ。山奥で一人で、知識だけは詰め込まれた訳だが―――そうか、まだ王籍簿に記されて一年なんだな。ババルン卿と会うのも、ラシャラ皇女に会うのもこれが二度目か」
 ラシャラが知っている事実をババルン・メストが知らないわけが無い。
 つまり、ババルンの言葉は誘いである。そうと解っているから、アマギリは息を吸うように嘘をつくのを躊躇わなかった。

 ばれてないと思って調子に乗っている賢しい子供―――辺りに思っていてくれればありがたいが、流石にそこまで都合よくは行かないだろう。恐らくはこちらの反応を見て事前に調べた人物考査と照らし合わせているに違いない。

 「懐かしいですな、貴方の叙任式―――ラシャラ皇女とは、この後?」 
 「いや、止めておくよ。先に言ったとおり、私とラシャラ皇女は一度しかお会いした事は無いからね。ほとんど初対面のような人間が顔を出しては、かえって皇女も気が休まらぬだろう。その代わりと言ってはなんだが、できる限りマリアを皇女殿下の傍に居させるようにさせて貰えないだろうか。ここに居られる間だけでも、せめてもの慰めになればと思うのだが」
 一度しか会った事が無い。
 勿論嘘であり、そしてそうである事はババルンも解っている。
 マリアをラシャラの傍に置く理由。
 勿論、ラシャラを慰めるためなどと言う理由で無い事は、ババルンも解っている。

 どちらの姫も、素直に沈んでいるような柔な童女ではないのだから。

 だからと言って、確認して逆にボロを出すようなへまをババルンがするはずも無かった。
 だからババルンは、ただ感に堪えぬと言った風に頷き、シトレイユ皇室の臣として主に対して配慮を示したアマギリに頭を下げた。
 「格別のご厚情、ラシャラ様に代わり御礼申し上げます。―――では、マリア王女の寝所を王宮内に用意させるのは如何でしょうか」
 「ああ、それは良いね。尤も、手を繋ぎ共に寝ると言い出すかもしれないが。その時は許してくれたまえよ」
 「それも良き事ではありませんか」
 まるで冗談にしかならない言葉の応酬だった。

 観客の居ない喜劇。即ち、凍えるほどの寒い空気が、室内を満たしていた。
 しかし、ババルンとアマギリの顔は本気そのものの笑顔を浮かべているようにしか見えない。お互いの言葉を、心底信じているとしか思えない態度である。内心に何を思っているかなど、誰が想像できよう。

 唯一アマギリの背後に控えていた、ほぼ全ての事情を理解している従者だけが、顔を青くしていた。

 ひとしきり微笑を浮かべあった後で、ババルンは少しだけ稚気混じりの微笑を浮かべて、本当の意味で、心からの冗談を口にした。
 「それにしても殿下。真に英明であらせられる。これでは、私のほうが貴方のことを”陛下”とお呼びする日が近いかもしれませんな」
 含みがあるとしか思えないババルンの言葉。あっさりと否定するのも、今のアマギリに与えられた立場からすればおかしい、肯定する事もまた、彼の真実の立場から言えばしてはいけない事だ。 
 しかし、返す言葉を浮かべるのは難しいだろうそれを、アマギリは笑顔で首を横に振って見せた。
 「残念だが、それは無理だよ」
 あっさりと述べられた否定の言葉に、ババルンが感嘆の息を漏らす。

 否定した。
 知れ別句した彼の行動の足跡をたどれば、ただの飼い犬で終わる事も無いであろう男が、しかしあっさりとそれを是としてみせる。

 「……なるほど、倅とは役者が違う」

 「何か?」
 漏れてしまった本音の呟きに、アマギリが首をかしげる。ババルンは苦笑交じりに応じた。
 「いえ。―――そうでしたな、ハヴォニワは確か、女系女子に継承優先権がありましたしな」
 「いや、そうじゃない」
 波風立てずに話を終わらせるために放ったババルンの言葉を、しかしアマギリは遮った。
 ニヤリと、一番彼本来のものに近い隙の無い笑顔を浮かべて、言う。

 「私はラシャラ皇女の事は、生憎と友人以上のものには考えられそうに無い。だから、私にシトレイユ皇王陛下の座に着くように求められても答える事は出来ないと―――そう言う事だよ、宰相”陛下”?」

 「はっはっは、―――なるほど、面白い返し方をする。これは一本取られたと言った所だな」
 全く隠しようも無いほどに本音からの賞賛と共に笑い声を上げるババルンに、アマギリも恐悦至極と笑んで応ずる。

 まるで親しい友たちの会話のごとく、部屋の中を唱和する笑い声が満たした。






    ※ 牽制の弾幕をばら撒きあっていたら時間切れ、みたいな。
      




[14626] 27-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/28 22:50
 ・Sceane 27-2・



 故人を偲び、しめやかに。

 そんなお題目で始まった、明日の葬儀へ参列する各国の参列者を集った晩餐会は、一応はお題目の通りしめやかに進行した。
 だが如何に、葬送を控えたしめやかな空気を演出しようと思っても、見慣れた顔、見知った顔、時として敵だったり味方だったりする人々が、国家を代表して一つ処に集まってしまえば、出来る空気など相応のものしかありえない。
 しめやかと言うよりは、密やかに。
 お題目どおり、表向きは騒ぎ立てる事をせずに声の大きさを控えながら、立食形式となった晩餐の会場のあちらこちらで輪を作って秘め事を交し合っていた。

 これこそがまさに国際社会の縮図―――力あるものの周りには多くの人々が集い、そうでなければ、壁の花として隅によらねばならない。

 出来れば、私もそうでありたかった。
 リチア・ポ・チーナは、自らに纏わりつこうとしている参列者たちをのらりくらりとあしらいながら、嘆息していた。
 葬儀。死者を送る祭事を控えた、それを悼むための宴。そんなものはお題目以上の何物にもならないと、当然リチアも理解していたが、それにしても、どこか欲望が透けて見える大人たちのやり取りと言うのは見ていると気が滅入ってきてしまう。
 明日の葬儀の準備に余念の無い―――という建前―――のため出席できなかった祖父や父に代わって、教会の代表としてこの晩餐会に出席していたリチアであったが、この時ばかりは普段は誇りとできる祖父の代理と言う立場が恨めしかった。
 できる事ならば、ホールの隅に飾られている石柱にでもなってしまいたい。そんな心境だった。
 今、会場であるホールの中心となっているのはこの晩餐のホストの側であるババルン・メスト。
 途切れる事無く会話を求める人々が訪れ、大きな人垣を形成しているのが、リチアには見えた。
 人垣の中心に立つババルンは、威風堂々とした態度で、近づいてくる人々をあしらっている。あの才能を分けて貰えないものかとどうでも良いこと考えてしまい、それを羞恥と感じ首を振って周囲を見渡したリチアは、そこに先ほどまであった人物の姿が無いことに気づいた。
 リチアと同じように、親の代理と言う立場を与えられて、同様に人々に囲まれていた少年。
 ハヴォニワ王国王子、アマギリ・ナナダンの姿が会場から霞の様に消えていた。
 
 「上手い事一人で逃げやがったわね、アイツ……」

 普段強気の態度で聖地学院の生徒達を引っ張るリチアであっても、見知った顔の少ないこういう場に立たされれば、流石に不安の一つも覚える。
 見知った顔の一人と言う事で内心安堵を覚えていたアマギリの姿が消えていた事が、彼女の心に理不尽な怒りを覚えさせていた。
 
 探し出して小言の一つでもぶつけてやろう―――本音を言えば、それを理由にこの場を辞してしまえと思いつき、リチアは人が途切れた瞬間を見計らって、会場から廊下へと踏み出した。
 
 その直ぐ後、件の人物は、あっさりと見つかった。
 通りすがりの女中に姿を見かけなかったと尋ねれば、先ほどそこの角を曲がっていったと正答を教えられてしまったからだ。
 角を曲がり、人影の無い廊下を進めば、使用人たちが利用するような小さな扉が半開きになっているのが見えた。リチアがそこを覗き込んでみれば、アマギリの姿はあっさりと見つかったのだった。

 「……何やってるのよ、こんな所で」
 「あれ? リチアさんですか」
 使用人の待機所と思われるその部屋にリチアが踏み入ると、アマギリは部屋の脇に置かれた長いすに腰掛けているのが解った。
 日頃見慣れぬ、その立場を象徴するような優雅な装い。伸ばしっぱなしで普段は後ろに流して紐で纏めているだけの髪も、今日はキチンと整えられている。
 それは良い。場に合わせたフォーマルな装いと言うのは、神官服を纏っているリチア自身も同様だ。
 だから問題があるとすれば、アマギリがとっている行動にあった。
 座っている。それも良い。
 
 ―――だが、なぜ。膝の上に誰か女性の頭を乗せているのか。

 「と言うか、それワウアンリー・シュメよね」
 マントを羽織った聖機師の礼服を身に着けたまま、アマギリの膝を枕として寝そべっている少女は、リチアも良く知る結界工房のワウアンリー・シュメだった。
 行儀悪く指を指されて、アマギリは苦笑を浮かべて応じた。
 「ええ。―――遂に限界を迎えちゃったみたいなんで、こうして雲隠れって感じなんですけど。リチアさんもご休憩ですか?」
 「―――ええ、そうよ」
 まさかお前を探して会場を抜け出してきたなどと言う筈も無く、リチアは明後日の方向を見ながら答えた。ボロが出る前にと言葉を続ける。
 「ダグマイア・メストが会場中うろついて、アンタの事を探して回ってたみたいだけど、放っておいて良い訳?」
 「今回はパスで。―――公務で来たのにガキと遊んでる姿を周りに晒すわけにはいかないでしょう?」
 「ガキって……言うわね、アンタも」
 視線を逸らさす目的でアマギリの興味がありそうな話題を振ってみたリチアだったが、意外な反応をされて戸惑ってしまった。因縁深い筈の男についての話なのに、まるで興味が無さそうな態度である。
 「アンタ、ダグマイアの事を敵視してなかったかしら。良いの? 敵前逃亡みたいな真似して」
 「敵視なんてしてませんよ。ただ、目障りなだけです」
 向こうの気分に付き合ってやるつもりは無いのだと、アマギリは鼻で笑って言った。
 相手にされない片思いみたいな関係を思い浮かべてしまい、リチアはむしろダグマイアに同情してしまった。
 尤も、こんな所まで来て知人二人が言い争っている所など見たくもなかったが。何せここには親友であるアウラ・シュリフォンも居ないから、リチアの居た堪れない気分を理解してくれる人は存在しないのだ。
 「ま、場を弁えない子供のお世話よりは、愛すべき従者のお世話をやってたほうがまだマシって事です」

 「従者、ねぇ……」

 何時になく優しげな手つきで膝の上のワウアンリーの髪を撫でるアマギリを、リチアは何ともいえない気分で見ていた。
 ワウアンリーがアマギリ・ナナダンの護衛聖機師として正式に任命されたと言う事実は、彼が聖地を離れた直後には学院中に広まっていたから、当然リチアも知っていた。
 髪を下ろして普段とは違う大人びた顔でアマギリの後ろに付き従っているワウアンリーの姿を見たときは、随分堂に入ったものだと感心していたのだが―――この様子を見るに、どうしようもなくやせ我慢だったらしい。
 「まぁ、最初にしては頑張って我慢してくれてたんですけど、流石にキツそうだったんで。限界ギリギリのところで逃げ出したんですけど、会場出た途端にパタン、です。」
  「そりゃ、賢明な判断だと思うけど―――こうなる予想くらいついてたでしょうに、だったら始めから連れてこない方が良かったんじゃないの?」
 フローラ女王の名代と言うのが名ばかりではないと言うのを証明し、敵性国家に対して戦略目標の分散と言う役目を果たさなければならなかったアマギリは、常に回りに舐められない完璧な王子を演じ切る必要があった。
 歳若い従者が、突然過労で倒れてしまっていたら、台無しだっただろう。
 そのリスクを計算できないアマギリでは無いだろうに、何故こんな無茶をやろうとしたのか、リチアは疑問を覚えた。

 「まぁ、その心配もあって―――実際現実そうなりそうだったんですけど、今回はこの子を連れてくる事も重要でしたからね」

 疑問が顔に出ていたのだろう、アマギリは肩を竦めて口を開いた。
 「重要? ワウアンリーが?」
 「ええ。正確には私の従者としてワウアンリーが付き従う事が、です」
 リチアはアマギリの言葉に首を捻った。彼女の知るワウアンリー・シュメは、確かに聖機工として一角の人間と言えたが、特別家柄に何かあるということも無い、聖機師としてみれば、極めて一般的といえる範疇だ。
 しかも、聖機工としては蒸気機関という汎用性の低いな動力技術を専門としているマイナーな研究者であり、聖機師としても正式な資格を有していない見習いだ。
 いまいちその存在が判別しがたいアマギリが従者として連れ歩くには、周りに不安定な印象を植え付けかねない選択肢に思えた。
 そういった疑問を口にするリチアに、しかしアマギリは頑として首を横に振った。
 「いえ、この子の存在は重要ですよ。むしろ私と言う存在を認知させるために、極めて有効に働いてくれました」
 「―――どういう事よ」
 問いかけながらリチアは、またこの男の事だから禄でもない内容なんだろうなと予想した。
 事実、アマギリは彼女の良く知る意地の悪い笑みを浮かべて先を続けた。相変わらず、こう言う時にばかりとても楽しそうである。
 「ご存知かもしれませんけど、この子って確か、ナウア・フラン……ナウア師とか言いましたっけ? 結界工房の主幹研究員の直弟子なんですよね」
 「それぐらいは知ってるわよ」
 アマギリの言葉に、リチアは眉を寄せる。ナウア師と名指される聖機工は、フランと言う家名が示すとおり聖地学院に在学しているキャイア・フランの父でもあり、その技能は卓越し、高明と名高い。
 「つまり、何? 結界工房の重要人物の弟子って事が肝心なのね。でもワウアンリーを従者にしたところで結界工房から利益を引き出せるとも限らないんじゃないかしら」
 「いえ、利益供与はどっちかと言うとこっちが与える側でしたけど。この子の聖機師としての能力から見れば、随分高い買い物って感じでしたしね。―――尤も、本来なら幾ら金を積んでも借りられなかった人材だった筈が貸し一つで借りられたって思えば、安い買い物なんですけど」
 「自分の従者を指して酷い言様ね、アンタも。―――それで、貸しってのは何なの? どうせそれが、話しの核なんでしょ?」
 「良く解ってらっしゃる」
 戯言に紛れて確信を混ぜ込むのがアマギリの良く使う手だと言う事を、当然リチアは理解していた。
 心にも無い賞賛に目じりを吊り上げて、先を促す。アマギリは肩を竦めて応じた。
 「結界工房ってのはようするに、技術的な側面を補強するための、教会の外郭団体ですよね?」
 「それがどうしたのよ」
 当たり前のことを聞いてどうかしたのかと尋ねるリチアに、アマギリは然りと頷いて続けた。

 「林間学校の一件。メスト家の仕込みに聖機人を貸し出したのは、結界工房、引いては教会だ」

 「―――え?」
 いきなり何を言い出すのか。リチアは、アマギリの言葉が理解できなかった。しかし、理解する暇を与えずに、アマギリの言葉は続いた。
 「聖機人の配備数は全て教会によって厳正に管理されている。つまり、与えられる数が教会に勝手に決められてしまっているから、聖機人って秘密行動とかには向かないんですよね。数字を数えて数が合わなければ、隠していても直ぐにばれてしまいますから。―――それで、あのときの話です。信用有る筋から慰謝料代わりに聞き出した話しなんですけど、あの時期の近辺にシトレイユの聖機人の数が変動したと言う情報は無いんですよね。数が決まっている以上何かに使おうかと思えば、何処かから引っ張ってこなければならない―――でも、あの時期のシトレイユでは聖機人の配備数に不審な変動は見つからなかった。本来の秘密部隊に配備されていると思われる機体数まで変動なしとあらば、あそこで用いられた聖機人はシトレイユの物ではないという事は明白です。念のため、ババルンに近い国家の聖機人の数も調べましたけど、これもシロ―――となれば、数を誤魔化せない筈の聖機人が、何故かあの事件が起こった日にだけ増えてしまったと言う事実が残る」
 不思議ですねと、まるで種の割れてしまった手品を見るかのような酷薄さで、アマギリは言葉を続ける。
 リチアは不機嫌そうな顔で視線を逸らした。アマギリは、リチアの横顔を見て薄く笑った。
 「ところで不思議な話ですけど、二学期の頭から開始される筈だった聖機人による実機演習が、何故か延期になったとか。新規に搬入する筈だった聖機人全てに初期不良が発見されたとかで―――コアをぶち抜かれたり背骨を鯖折にされてたり、ついでに四肢を両断されてるような初期不良って、一体どんなのでしょうねぇ?」
 「はいはい、良いわよ厭味ったらしく言わなくても。そんな話は私だって知ってるから、良いからとっとと核心を話しなさい」
 リチアは渋面を浮かべてアマギリの話を遮った。

 そう、事実であるだけに、否定しても意味が無いのだ。
 教会もまた、他の勢力と同様に、アマギリ・ナナダンに強い関心を払っていた。
 新たに現れた異世界人。その真価を見極める必要があったのだ。それゆえに、ババルン・メストの誘いに乗った。
 あの時使用された聖機人は、そういう理由で全て教会が用意した物だ。
 人材だけはシトレイユの手持ちだが、機体は秘密裏に教会が聖地学院へと運び込んだのだ。
 と、言うよりも。教会以外が聖地の防衛権内にあれだけの数の聖機人を秘密裏に運び込める筈が無い。
 アマギリは聖地の警備はザルだと言って憚らないが、実際にはそこまで酷くは無い。間者を仕込むのと巨大な戦闘兵器を運び込むのとでは、話が違う。
 内部に協力者が居なければ、もしくは内側から運び出さなければ、そんな事は不可能なのだ。

 「ユライト・メストが教会と仲介したのか、それとも聖機工でもあるらしいババルンが直接結界工房に話を持ちかけたのか、まぁ、その辺はどうでも良いですか。重要なのはあの一件で、ババルン・メストと教会の関係に亀裂が入ったと言う事です。―――当然ですよね、”絶対に壊さないから貸してくれ”って言った物が、ボロボロにぶっ壊されて帰ってきたんですから。普通貸した側は怒りますよ」
 「……それやったの、アンタよね。あの一件の後始末のお陰で、教会の秘密資産が大分目減りしたって、お父様たちが嘆いてたんだけど」
 他人事のように肩を竦めるアマギリに、リチアが突っ込みを入れる。しかし、アマギリは鼻で笑ってそれに応じた。
 「私の命に比べれば、そんな物ははした金ですよ。―――それともまさか、教会は私に賠償を請求するつもりですか?」
 「―――出来る訳無いでしょう、そんな恥知らずな真似」
 間接的とは言え命を狙った相手に、それに失敗したから金を寄越せなど、暴利も良い所である。少なくとも、聖職者がやって良い事では絶対に無い。
 「そうですよね。ええ、そうですとも。ですから教会は―――恨み言を内心秘めようとも、涙を呑んで損失を被るしかない。精精今後は、迂闊に悪巧みには乗らないように気をつけようって思うのが関の山でしょう」
 「―――そう。それで、ウチとババルンの間に溝が出来るって話しになる訳ね?」
 リチアは結論だけを受け取って頷いた。
 基本的にこの男の会話は長い上に嫌味ったらしい。半分以上は聞き流して、要点は自分で纏めるのが正しい方法だと、それなりの付き合いからリチアは身に沁みていた。
 アマギリはリチアのあっさりとした態度に若干詰まらなそうにしながら頷いた。
 「ええ、教会とババルンの間に溝が出来た。ちょっと調べてみたんですけど、メスト家と教会―――正確には結界工房ですか。同様に先史文明の発掘研究を生業とする系譜として、関係が深いらしいじゃないですか。だから林間学校のときみたいな無茶も通ったんでしょうけど―――それが失敗した事により、蜜月関係が終わってしまった。そのタイミングで―――」
 
 「―――貴方が、結界工房の主幹研究員の直弟子を従者に据える」

 言葉を切ってワウアンリーの髪を撫でたアマギリに、リチアが添える。アマギリは頷いて続けた。
 「今話した内容は、私たちのような未熟者でも知っているような事ですから、当然、この場に集った大人たちも理解している筈です。ババルンと教会の関係に溝。そのタイミングで、教会に近い位置に居る人間が、私の側に傅く。聞き伝の噂を、私とこの子が一緒に居ると言う現実として目撃させる」
 「教会がシトレイユではなくハヴォニワを選んだと、そう認識させるって事?」
 「そこまでは、流石に上手くいかないでしょう。―――でも、疑念を抱かせる事は出来る。今日……いえ、明日以降ですか。誰もがババルン・メストの天下が始まると認識していた矢先に、それを疑問に感じさせる。もしかしたらと、利に聡い―――どっちつかずの蝙蝠達の判断を迷わせる材料にはなる。そういう積み重ねが後々に響く―――これは、重要な事ですよ」
 だから、ワウアンリーを連れて歩く事が必要だったのだと、アマギリは言葉を閉めた。紛れも無い感謝の念を込めて、優しい仕草でワウアンリーの髪を撫でる。 
 リチアはなるほどと頷くと共に、この場には来ていないアウラの言葉を思い出して、納得した。
 
 変わった。アウラはそう言っていた。

 なるほど、確かに。この男は変わった。
 以前と違い、他人を巻き込む事に、他人を自身の思惑で利用する事に、斟酌が無くなった。
 良い事か悪い事かと言えば―――要するに小悪党が本物の悪党に変わったと言う事だ。つまり、マイナス幅が広がっただけ。
 たちの悪い男が、同世代に存在している。今後のリチアの人生に、確実について回るであろうその存在。
 付き合い方には注意が必要だろう。呑まれない様に―――むしろ、呑み込む気概が居る。
 それこそ、彼を呑み越して利益を得ているフローラ・ナナダン女王のように。

 「あ、因みに私がここに居る事も、そこに遅れてリチアさんがやって来た事も、多分もうある程度広まってるでしょうから、判断材料の一つとして十全と誤解される事でしょうね」

 何しろ今度は教皇の孫娘ですしねと、朗らかに笑いながら言うアマギリ。
 リチアの額に青筋が走った。
 此処までを含めての計算だとは、流石に想像が及ばなかったのだ。

 本当に、今後は気を抜かずに付き合わなければならないだろう。リチアは深く深く、そう決心するのだった。


 ・Sceane 27:End・




     ※ 因みに次回で第三部完。
       「パス」と言い切られた某氏に関しては本当にパスなので三部ではもう出番が……



[14626] 28
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/02/28 23:05

 ・Sceane 28・

 故人を偲び、しめやかに。
 
 生前の威を讃えるように、厳粛な心持で。ただ、死後の安寧を祈りながら。
 ―――果たして、葬列に参加した幾人が、一体それを信じていたと言うのか。

 降りしきる雨の中、シトレイユ国皇王の葬儀はしめやかに行われ、そして静かに幕を下ろした。
 俯き加減の参列者たちの表情は、皆一様に暗く沈んでおり。葬祭殿へと進み行く葬列の足取りは、弱く、鈍い。
 それは、一人の人間との別れを惜しんでいるのではなく、一つの時代の終わりを惜しみ、新たな時代の訪れを、恐れおののいているかのようであった。

 そして、雨がやみ、霧が晴れ、雲が流れて日が差し込んだ頃。


 「ではの、従兄殿。―――次に会うときはお互いに、精々笑顔でと、―――そうありたいものじゃな」


 アマギリは一人の少女との別れと、一人の王との出会いを経験した。
 今後の彼女の人生に幸あれなどと、今のアマギリの立場から言えば間違っても言えるはずも無く、ただ、少女とかがみ写しのように困った笑顔を浮かべる事しか、出来なかった。
 別れの言葉は短く、そして淡々とした物。
 いずれまた会う、その日こそは。願って、笑顔でいられますようにと―――アマギリですら、思わずにはいられない物だった。

 「―――まずはお疲れ様、かな」

 「そう、ですわね。やはり、こういう空気は慣れません」
 「マリア様たちはまだ良いじゃないですかぁ、最後のお葬式に出席するだけだったんですからぁ。あたし何てもう胃が痛い頭が痛い心が痛い……」
 「そういえば、結局ラシャラ皇女……もう女皇って言っても問題ないか。ラシャラ女皇とはたいして話してなかったけど、元気だった?」
 「戴冠式は来年だから、まだ皇女だと思う。見た目は、何時もどおりだったけど―――」
 「空元気、ですわねアレは。ああいう態度を取られると、かえって気を使わざるを得ませんのに」
 「やっぱそんな感じだよなぁ。ま、状況が状況だし、仕方ないって事にしておいて上げないと。必要な話は出来たんだろう?」
 「ええ、今後ラシャラの耳に届かない可能性のある内容について、ある程度。従者の方を連絡役にして定期的に情報を送ると、ちゃんとお母様からの伝言も抜かりなく」
 
 「じゃあ、我が家の目的は一先ず達成って事で―――本当に皆、お疲れ様」  

 「「お疲れ様でした」」
 ここ三日ほどで慣れ親しんだ優雅で気取った態度ではなく、気だるげで皮肉めいた声と共に頭を下げるアマギリに続いて、テーブルに集った者たちは口々に言葉を続ける。
 在シトレイユ、ハヴォニワ公館。
この国における唯一の心安らげる空間に於いて、アマギリたちハヴォニワ王家一行はテーブルを囲んで午後のお茶会と洒落込んでいた。
 葬儀は終了し、既に一夜明け。この公館から引き上げるのも直ぐ明日である。
 先日までの沈痛な空気を象徴するかのような雨模様の天気も、今日は晴れ。アマギリたちは疲れを癒すかのように気楽な心持ちで身内だけの談笑を楽しんでいた。
 「ほんとに、疲れましたよ……」
 「頑張った」
 ぐてんと、だらしない姿勢で背もたれに身体を投げ出すワウアンリーを、ユキネが頭を撫でながら慰める。
 「殿下ぁ、やっぱりあたしにはこのお役目は向いて無いと思うんですけど……」
 「残念だけど賃金は前払いで一喝振込み済みだったりするんだな。―――ま、次は此処まで重たい空気って事は無いと思うし、頑張ってよ」
 率直に護衛の役目から解任してくれないかと話を振ってくるワウアンリーを、アマギリは笑顔で退ける。
 「ぅぅ……。返金する気が起きない貧乏な自分が恨めしい」
 「大丈夫」
 素気無い主の言葉に涙目になるワウアンリーに、ユキネが励ますように言った。

 「―――そのうち、慣れる」

 「嬉しくないですそれ!!」
 「知らない間に随分達観しましたわね、ユキネも……。気持ちは解りますが」
 妙に綺麗な笑顔で諦めろと告げるユキネに、マリアが微苦笑を浮かべて応じる。
 確かに、アマギリ・ナナダンの傍に居るのならば、有る程度の諦めは肝心だろうなと思っていた。
 「まぁ、しばらくはおとなしく学院生活を続ける予定だから、今日みたいな事はしばらく無いって」
 四方八方から酷いように言われているのにまるで堪えていないかのような気楽な声で、アマギリは言った。この男はこの男で、こういう扱いに慣れてきているのかもしれない。
 ワウアンリーは眉根を寄せて尋ねる。
 「―――何も無かったら、自分から何か起こすタイプじゃないですか、殿下」
 「良く解ってるじゃないか、我が従者ワウアンリー。それじゃあ、さしあたって新型蒸気機関の開発スケジュールの短しゅ……」
 「あたしが悪うございましたっ、サー!!」
 「サー、と言うかハイネスですけどね、その方」
 マリアがどうでもよさそうに突っ込みを入れると、ワウアンリーはこれ以上苛めないでくださいと言うような涙目を向けてきた。それを微笑を浮かべてあしらいながら、マリアは姿勢を正して兄に視線を向けた。

 「それでお兄様。如何でしたか、シトレイユは」

 「どう、ねぇ……?」
 質問の意図が理解できないと言うわけではなく、自身の考えを纏めるかのようにアマギリは首を捻った。
 「どう、か。―――どうもこうも、どうなんだろうな。……良く解らない」
 少しの間を取った後で発せられたアマギリの言葉は、随分要領を得ない物だった。
 「解らない? この三日と言う短い期間で、随分と大勢の方と言葉を交わしていたように見えましたが」
 「そうですよねぇ。その度に後ろに立たされてたあたしは随分胃が痛い思いをしたんですし」
 「いえ、そんな事はどうでも良いんですけど」
 ぼやき声を上げるワウアンリーを一言で往なしながら、マリアは眉根を寄せてアマギリのシトレイユでの行動を反芻する。

 予め決められた役割分担という事で、マリア自身は外交的行動をとらずに、ただ少女としての友情でのみ動く”無垢な王女”を演じていた。
 ハヴォニワの次代は未だ国際舞台に立つ力は無く、ただの子供に過ぎない―――それ故、シトレイユの次期女皇と常に行動を共にしていたところで何の問題にもならない。
 まさか悲嘆にくれる皇女とそれを慰めているだけの王女が、世を皮肉るような微笑を浮かべて今後しばらくの間の情勢の変化に対応するための協議をしているとは、誰も考えない。
 それ故に、各国の人間にとって、ハヴォニワの”本命”は積極的に動いているアマギリだと思わせる事が出来る。所謂、戦略目標の分散と言う意味にもなる。
 王女は放置しておいても、むしろ無知な分だけ放置しておいた方が得と思わせ、女王フローラに似た新しい王子のほうが危険人物だと印象付ける事が可能だったのだ。
 そのため、アマギリの人となりを見極めようと、彼の周りには大勢の人が集っていた。

 「まぁ、たいていの人はとりあえず顔を見に来たって感じだし、だいたい事前に資料を見たとおりの反応で、それ以上のものは無かったんだけどね」
 「では、何がわからなかったと?」
 個人的な感情の機微にはどうしようもないほど最悪に鈍感ではあるが、こういった方面に関するバランス感覚、洞察力だけは信頼できる兄が、こうも要領を得ない言動を取るのがマリアには理解できなかった。
 「うん。―――まぁ、何ていうか根本的な話しなんだけどさ」
 「―――はい」
 生真面目な顔を浮かべて聞く姿勢をとった妹に、我ながら馬鹿馬鹿しい話しなんだけど、と前置きした後でアマギリは口を開いた。

 「ババルン・メストって何がしたいんだと思う?」

 「―――はい?」
 マリアは思わず、目を丸くして間抜な返事をしてしまった。アマギリも、自分で言った言葉に自分で首を捻っている。
 それ故に、止まってしまった兄妹の会話に反応したのは二人の従者だった。
 「何って、その、簒奪とかじゃないんですか?」
 「そう。二人とも―――フローラ様もだけど、皆それを前提として動いていたんじゃないの?」
 言いにくそうに決定的な単語を告げるワウアンリーに、ユキネも頷いて続ける。

 シトレイユ国宰相、ババルン・メストは王亡き国を奪い取るつもりだ。

 それを発端として起こるであろう国際的な大紛争をどのように乗り切るか。これまでフローラを中心として話し合ってきたのではないのか。それが此処に来て、全ての前提を狂わせるような発言が出てくるとは、ユキネ達ならずとも、理解に苦しむ話である。
 マリアは苦い口調で兄に尋ねる。
 「つまりその、ババルン・メストは騒乱の引き金を引く事は無いと……お兄様はそうお感じになられたと言う事でしょうか」
 そんな莫迦なと言う口調で問いかける妹に、アマギリは確信的な口調で応じた。
 「いや、宰相閣下は必ず乱を起こす。それだけは絶対だと思う。今までの行動から考えて、それは間違いない」
 「―――はぁ」
 今度は先の自分の言葉を丸ごと否定するようなアマギリの言葉に、マリアは益々訳が解らなかった。
 「どう言う事ですか? ババルン・メストが何かをすると言うのであれば、あの人の立場であれば目的は一つしか無いでしょう。いえ、勿論そこから更に大きく広がっていく可能性は高いですけど」
 「えーっと、まずはシトレイユの玉座を頂いて、その後で世界征服とか……そんな感じですよね」
 聞き伝の知識で回答を言うワウアンリーに、しかしアマギリは否定的な顔を浮かべた。
 「其処なんだよね、問題は」
 「……何か、問題が?」
 「いやさ、あの人と話してみて解ったんだけど。あの宰相閣下、自分の立場をよく理解してるんだよね」
 アマギリは疑問の視線を向けてきたユキネに答えながら、天井を見上げ腕を組んだ。そして、考えを纏めるようにゆっくりと口を開く。

 「あの人がシトレイユって国を欲しいと思うなら、何もする必要は無い。黙って待ってるだけでシトレイユは彼の物―――どころか、今まさに、シトレイユはとっくにババルン・メストの国だよ」
 
 だから、わざわざ乱を起こして国取りなどする必要が無いし、ババルンはその事を理解している。
 アマギリの言葉はそういう意味だった。
 それを、この三日の間に幾人もの人々との対話の間に感じ取ったのだとアマギリはそう続けた。
 「取るまでも無く、国は実質的に自分の物―――ですがお兄様。その実質的にを名実共にと変えたくなると言う事は考えられないのですか?」
 「いや、それは無い」
 一先ず納得した後で、それでも疑問があると問いかけたマリアの言葉を、アマギリは確信的な口調で否定する。
 「話してみて解ったよ。あの宰相閣下、玉座なんて形式に興味を持つタイプじゃないね。まるで正反対。自分の必要が無いものには興味が無いんだ。―――それに、玉座が欲しいなら自分の倅と皇女を婚約なり何なりさせるだけで済むだろ? 誰も反対しないよ、この国なら」
 「それは……」
 「確かに」
 息子を皇女の婿にして、自分は摂政として玉座の更に上に立つ。これで名実共に苦もなく一切合財手に入る。
 なるほど、乱を起こす必要も無い簡単な手法だった。
 「でも、あの人にとっては今の宰相って言う地位と何も変わらないって事で、そんな無駄な手間を取るとも考えられないんだ。それなのに―――それなのに、何だよなぁ、ホント」
 「良く解りませんわね、お兄様は結局何が仰りたいのですか?」
 再び悩みだすアマギリに、遂にじれたかのようにマリアが尋ねた。
 アマギリは天井から視線を落として、マリアをまっすぐに見た。そして、ぞっとするような薄い笑みを浮かべて口を開く。

 「それでも確実に、”あの人は乱を起こす”んだよ。―――何のために?」

 最初に言っただろと笑うアマギリに、マリアは絶句してしまった。
 そうだ、確かに言った。乱は起こると。ババルン・メストは乱を起こすと。
 国を取るための乱ではない。で、あるならば国を取った後に更に国を広げるためとも、違う。なぜなら、他国を攻めたいのであれば今の立場でも充分。彼の言葉には反対を述べる物はいない。そのまま実行できる。
 「だけど、あの人は自分に近い人間を使って、周りに気づかれないように何かの準備をしてい。恐らくは大きな戦乱の引き金となる何かの、だ。―――それが何なのか解らない。そして何より……」
 「何のために起こす乱なのかが、解らないという事ですわね」
 眦を寄せて言うマリアに、アマギリは頷いた。
 「戦争の主導を始めとする殆ど全ての行動を誰にも反対されない立場に居るくせに、まるでそれがバレたら周り中から反対されるかのようなこそこそとした行動を取る。考えてみると怖いんだよねぇ。大国一つを自由に動かせる人間が、それでも周り中からの反対を恐れて秘密にしなければいけない野望。どんな禁忌に触れようとしてるんだ、あの人。―――このジェミナーで、それほどに忌諱されている事って一体何さ?」
 なぜかアマギリは、ワウアンリーに視線を向けてそう言った。ワウアンリーは、居づらそうな顔で、視線を逸らした。
 「何が、―――何のために。そうですわね、そう考えると」
 空恐ろしい物を覚える。マリアは背筋を冷気が掠めたかのように身震いした。
 今ですら絶対的な権力者が、王位すら興味を示さずに挑もうとしている野望。果たして、如何なる物か。
 そしてマリアは気づいた。母フローラも、兄と同様に、この不気味な気配を感じていたのだろう。
 それ故に、兄を自らの代理として指名し、見極めてくるように命じたのだ。しかし、兄ですら結論を出す事は不可能だった。

 ならば、どうすれば?

 思考の渦に沈みそうになったマリアを引き上げたのは、兄の投げやりな一言だった。
 「ま、どのみち僕らのやる事は変わらないさ」
 「? 変わらない、とは」
 尋ねるマリアに、アマギリは肩を竦めて苦笑する。
 「言ったろ、どんな理由だとしても乱は起きるんだって。僕らは元々、騒乱が起こった後に漁夫の利を狙うって予定だったんだから、どの道やることは変わらない」
 「……身も蓋も、無いですね」
 「でも、その通りではある」
 明け透けな言葉に、ワウアンリーは頬を引きつらせて、ユキネが同意を示した。従者たちに然も有りなんと頷くアマギリに、マリアも微苦笑を浮かべた。
 「それも、そうですわね。理由が解らなくても、結果だけは決まってますもの。勝つのは、ババルンでもラシャラでもなく、私たち―――ですわよ、ね」
 茶目っ気を込めてそんな言葉を口にするマリアに、アマギリも笑って頷いた。
 「そう言う事。だから、結局はしばらく、何かが起こるまでは待機状態さ。準備だけはして、後は流れに任せて上手く漕ぎ出せば良い。それまでは―――」
 「それまでは?」
 どうするのか。それこそが自分にとっては重要だという口調で尋ねてきたワウアンリーに、アマギリは鼻で笑って応じた。

 「しばらくは、学生生活。少なくとも、向こう一年は平和で居たいね」

 事を起こすのならば、一気呵成に、周りの気が緩み始めたタイミングで仕掛けるだろうと結論付けて、この会話は終了した。
 現状で考えられる事態の考察は、それが限界だったからだ。
 理由不明、目的不明、結果すらも―――。
 だが、自分たちがやることは変わらない。現状のままならば、何も変わらない。

 きっと一年と少しの後。

 何か大きな変化が訪れるまで―――それは変わる事など、有り得ないのだ。


 ・Sceane 28:End・





    ※ 本当に、何がしたいんですかねババルン卿は……。13話で明かされるんだよねぇ?

      つー訳で、第三部完。
      これで原作開始へのフラグが漸く、ホントに漸く立ちましたので、次回からは一気に時間ジャンプを繰り返しながら、
     原作開始まで話を進める事になると思います。

      それにしても、予想以上に掛かったと言うか。
      ガッとやってパッッと終わるってのを二回ほど連続でやったので、じゃあ次はひたすらひたすらひたすらに続く感じのを
     やってみようかと始めてみたらこんなです。
      この調子で学院二年目のイベントとかも片端から詰め込んで行ったら、多分剣士君は後半年(リアル時間)は出てこな
     いような気がします。

      と、言う訳でここから原作開始までは巻きで。
      さし当たって次回は、シーンスキップの中抜きの一コマになる番外編的な内容になります。



[14626] 閑話・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/01 22:44


 ・Extra 1・


 女三人、寄れば姦しい。
 そこに更にもう一人加えてしまえば、もう収拾がつかない賑やかさだ。

 聖地学院は次代の聖機師を養成するために各国からその候補生達が集う。
 その大勢は、当然のことながら歳若い女性たちである。
 淑女として教育され、普段は(一応、彼が現れる前のこの時分は、まだ)それに相応しい淑やかさを見せている少女達も、いざ男の目が無くなればその姦しさに際限など在りはしない。
 
 学院内にある、男性は絶対に立ち入る事が不可能な、女子更衣室の一つ。
 四人の少女達が着替えもそこそこに、薄い下着姿のままで賑やかに会話の花を咲かせていた。
 
 幕間。

 即ちこれは、アマギリ・ナナダンにとっては平穏で無事に過ぎる一年の中にあって繰り広げられた、彼は全く感知する事の無い、聖地学院の有触れた日々の一幕。

 ―――ある冬の日の出来事である。

 「ねぇねぇ、今年は皆、誰にチョコ上げるの?」
 「ん~~~、やっぱりダグマイア様とか?」
 「それだと去年と同じじゃない。鉄板って言う意味ではアリだけど」
 「じゃあ、メザイア先生とか!」
 「うっわチャレンジャー。思い付きなら止めといたほうが良いよ。親衛隊が怖いから」
 「お姉さま人気過ぎだよねぇ。王子様より難易度高いとか在り得無いっしょ」
 「やーでも、マジなところ。その辺の男性聖機師サマよりもよっぽど良い夢見させてくれるらしいし」
 「アナタ今度挑戦して見なさいよ。私をタ・ベ・テ♪ とかぁ!」
 「きゃぁ~~~っ! もう、ダイタン過ぎるっしょそれ!」
 「ていうか、多分親衛隊の子たちやるわよ、ソレ。―――でもそうすると、難しいなぁ。ユライト先生とか?」
 「あの人リアクションが少なくて……」
 「ホントにフツーに受け取られちゃいそうだもんねぇ。アルカイックスマイルで」
 「だいたい、オトコのセンセにはクラス皆で合同で作るってハナシだったから、抜け駆けとか拙いんじゃない? ……本気で思われるって意味でも」
 「う~~~、そっかぁ。あ、でも本命ですとか渡した時にどういう反応するかは見てみたいかも」
 「そこはもうアレっしょぉ! 何時もの調子で、”ありがとう。宜しければお茶でも如何ですか”とかぁ!」
 「それでそれでぇ!?」
 「―――勿論、それだけ。お茶が無くなったらやんわり帰されるわよ。因みにお茶請けは渡したチョコ」
 「ですよねー」
 「そのまま連れ込めよ意気地なし―――!」
 「駄目だわユライト! 夢が無さ過ぎる! こうなったらガードが固そうな人たちで勝負よ!」
 「……つまり?」
 「生徒会長とか」
 「あ、生徒会には上級生が合同でデカいの贈るって噂聞いた。抜け駆けすると怖いよ」
 「うあー。生徒会はやっぱオネエ様たちで脇固められちゃってるかぁ」
 「そりゃぉうだよぉ。去年ダグマイア様に渡せた時だって、同学年だってのを口実にして何とか追及かわしたんだから」
 「やー、怖かったね去年。まさか呼び出し食らうとは思わなかったもん」
 「だから今年は、やるなら秘密裏にやらないとねー」
 「っていうか今年もやるんだ、やっぱ……」
 「いや、王子様にはとりあえず渡すってのは基本っしょ」
 「だよねー。当たれば御の字みたいなもんだしー」
 「玉の輿~たぁまぁのぉこぉしぃ~♪」
 「おぉぉ~~~、ありがたや、ありがたやぁ~~~」
 「……エメラさんに聞かれたら刺されるよきっと」
 「うげぇ。―――そういえば、キャイアさんて去年結局どうしたの?」
 「ああ、柱の影の主」
 「あれ凄かったね。休み時間中見張ってたもん」
 「今年もきっと同じだよねーアレ。とっとと告っちゃえば良いのに」
 「でも何か、告白しても失敗しそうじゃない? あの人、幸薄そうだし」
 「と言うか、ダグ様があの人受け入れる未来が思い浮かばない……」
 「ダグ様もっと、清純派の子が好きそうだもんねぇ。守ってあげたくなるような」
 「―――じゃあ、あたし等駄目じゃん」
 「……それをいっちゃぁ」
 「そうだよぉ。バレンタインくらい夢を見なきゃ!!」
 「だよね、だよね! じゃあもっと大穴を攻めてみよう! え~っとぉ、アウラ王女とか!」
 「おおっ大穴きたー!」
 「受け取っては、くれるだろうけど……」
 「目に浮かぶわ、苦笑いが」
 「逆にあたしは、あの人が誰かにチョコを上げるシーンが見たいわ」
 「うわぁ、きっと超カワイイわよそれ!」
 「頬とか染めて、俯いちゃったりしてぇ」
 「きゃぁ~、もう何よその萌えキャラ!!」
 「うっわ、鼻血でそう」
 「駄目よ想像しちゃ! ダメージが大きすぎるわ!!」
 「あ、因みに実際にアウラ様に渡そうとした人の話って聞いた事ある?」
 「何ソレ」
 「うん、噂話なんだけど。あの森の中のお屋敷にまで直接渡しに行った子がいたんだって」
 「うわぁ、頑張るわねぇ。それで、成功したの?」
 「ひょっとして迷子になったとか?」
 「ん~ん。無事に屋敷にたどり着いたんだけど」
 「けど?」
 「……門番の人に間違われて食べられちゃったって」
 「自重しろよ筋肉ダルマ!!」
 「あの人たちも普段居心地悪そうな顔してるもんねぇ」
 「だからって乙女の純真踏みにじる事はないっしょぉ」
 「一応フォローすると、あの人たちの仕事って贈り物の検閲とかも含んでるからねー」
 「毒仕込むとか? そんなのあるわけ無いじゃない。言い訳だって。絶対自分が食べたかっただけだって」
 「うわぉう、婚期過ぎた中年の僻みだね!」
 「……中年?」
 「っていうか、あの人たちも聖機師だし、引く手数多だよねきっと」
 「う~~~む、こうして考えると、誰に渡しても帯に短し襷に長しと言うか」
 「もう、同学年の誰かで良いんじゃない?」
 「ああ。私等の学年、レベル高い人揃ってるもんねー」
 「うむうむ。あたしゃ毎日美少年が拝めて眼福じゃよ」
 「幾つよアンタ」
 「でも、あんまりフツーに美形揃いすぎて、ちょっと食傷気味かなぁ」
 「確かに。毎日フルコースばかりってのも飽きてくるよね。たまには粗食が食べたいと言うか……」
 「どっかに居ないものかなぁ。田舎から出てきたばかりで、ちょっと垢抜けない容姿をした世間知らずの王子様とか」
 「居るじゃない」
 「何処に?」


 「アマギリ殿下」


 「ああ―――ああ、うん」
 「うん。田舎上がりといえば、確かにそうだけど……そうだけど」
 「ホンモノの王子様だし」
 「ついでに聖機師でもあるし」
 「顔も、ちょっとイモっぽいよね」
 「でも……」
 「……ねぇ?」
 「何か、あの人にチョコとか渡したら、すっごい冷笑とか帰ってきそうじゃない?」
 「解るわぁ。あの人居ると居ないのとじゃ教室の空気が違うし」
 「一人で違う世界に居るみたいだよね、あの人」
 「そうかなぁ、アマギリ殿下、良い人だと思うけど。授業とかでも、駄目な所キチっと指摘してくれるし。―――わたし、そのお陰で華道の成績上がったもん」
 「あー、それあたしも。っていうか、目の前で直された。むっちゃ手つきが慣れてたわ、あの人」
 「でもあの人、駄目な所しか言わないじゃない」
 「人物評価が全部減算法っぽいもんねぇ。たまにはプラス点くれよぉ!」
 「確かにねぇ。私も良いところを言われた事って一度も無いや」
 「でもそれ、仕方ないって。いっつも傍に居るのが完璧超人のユキネ先輩だもん。あんな美人を年がら年中連れ歩いてたら、そりゃあ人を見る目も厳しくなるって」
 「えー。でもあの人の正式な従者ってワウアンリー・シュメなんでしょ?」
 「うっそ、あの落第魔神!?」
 「あ、ソレ私も聞いた事ある。お陰で浪人確定の上級生がめっちゃ騒いでるとか」
 「そりゃ、アマギリ殿下って普通に考えればハヴォニワの王子で超有望株だもんね」
 「目を掛けられればマジモンの玉の輿だし」
 「そういえば、ちょっと前に四年生の人がアマギリ殿下に誘惑仕掛けたって話はどうなったの?」
 「ああ、あの年下キラーのエロ子先輩」
 「エルスコア先輩ね。あのえっろい胸はワタシから見ても脅威だもん。それでどうなったの?」
 「何か屋敷までは踏み込めたけど、一晩空けて帰って来たときには、真っ白に燃え尽きてたって」
 「ソレって……」
 「まさか……」


 「殿下……絶倫?」


 「きゃぁ―――♪ ちょ、ちょっと、誰かチャレンジしてみなさいよ!」
 「うわーうわーうわーぁ。きっと、きっと目くるめく愛と淫欲の一夜があったんだよ!」
 「そりゃそうよ! だっていっつもユキネ先輩で鍛えてるんだから! エロ子一人増えた所で止められないわ!!」
 「うわぁぉ! 若く滾る情熱ねっ!」
 「ってことは、ユキネ先輩もクールな顔して実は―――?」
 「夜には別の顔が……」
 「氷の乙女は毎夜、熱に浮かされ……」
 「きゃ~~~~♪」


 「……っクシュン!」
 「どうしたのユキネ、風邪?」
 「ああー。今日も冷えますもんね。気をつけたほうが良いですよ」
 学院敷地内にあるハヴォニワ屋敷。暖炉のあるリビングで、アマギリは新旧従者と共に談笑していた。
 くしゃみをしてしまい口元を押さえていたユキネは、はしたない所を見せたと恥ずかしそうに行った。
 「誰かに、ウワサされたのかも」
 「ああ、時期が時期ですものねー」
 「時期?」
 楽しそうにユキネの話に乗ったワウアンリーの言葉に、アマギリは首を捻った。
 「二月に何か在ったっけ?」
 「殿下、気付いて無いんですか? もうすぐバレンタインですよ?」
 「バレ……ああ、あの異世界人が持ち込んだイベント。何でチョコに限定されてるの、アレ」
 ワウアンリーの言葉に納得してみせるアマギリ。イベントそのものに関してはまるで興味が無いから、返事は適当そのものだった。
 ワウアンリーも問われた所で異世界人経由で広まったイベントの詳細を理解している訳でもなく、適当な苦笑いを浮かべながらの返事となった。
 「多分、恋人同士で甘いひと時って気分が出るからとかですか?」
 「どっちかと言うと、告白の契機付けみたいなイベントになってない、聞くところによると」
 「まぁ、聖夜祭とかと同じで、モノが片手に在ると会話をつなげやすいですから……」
 「何とも拝金主義な恋になりそうだね、それは」
 貧乏性のところがあるアマギリにとっては、年末に行われた聖夜祭も、どうせその一週間後に行われる新年祭で騒ぐんだから、一緒にしてしまえば良い、程度の興味しかなかった。無論、イベント好きの身内の前では、そんな気持ちを漏らす事はありえなかったが。
 「殿下、こういうイベントごとってほんとに興味なさそうですね」
 「や、記憶に無いほど昔から、この手のイベントに深入りすると碌なことが無いって記憶があってね」
 「記憶があるのか無いのか、どっちなの……?」
 ユキネの突込みを、アマギリは無言で避けた。ソレが解れば本人にも苦労は無いのである。
 「でも殿下、今年は殿下も無関係じゃいられ無いんじゃないですか? ホラ、この間のこの屋敷に押しかけてきた四年生の人とか。チョコくれるかもしれませんよ」
 「ああ、あのエロ子さん」
 「エルスコア・デュマ」
 「そう、そんな名前だっけ。明らかにユキネが居ない時を見計らってって感じが笑えたけど、あの人、結局何処の間者だったの? オルゴンかクラウシア連邦辺り?」
 「ケルケリア公国」
 からかわれているのが解っているだろうに、アマギリの態度は冷淡そのものだった。ユキネの言葉も淡々としている。
 「患者?」
 話題を振ったワウアンリーだけが、意外な言葉に驚いてしまった。
 「か・ん・じゃ。スパイの方ね。―――と言っても、情事の後の寝物語で遠まわしに機密を聞き出すとか、そういうタイプのだけど。結構引っかかった人居る見たいだねぇ、この学院内でも。まぁ、エロそうな人だったし」
 「此処で関係を作っておけば、後々にも役に立つから。割とそういう仕事の人は学年に一人は居るって聞いたことがある」
 「……夢が、無いですね。毎度の事ですけど」
 淡々と美人局の話を繰り広げる王族達の会話に、一般人代表のワウアンリーは微妙についていけなかった。
 「ま、引っかかってあげるのも人生経験的な意味では悪くなかったんだけど、最近仕事が無くて鈍ってた屋敷に詰めてる人たちが気合入っちゃっててね。逆に尋問掛けて少なくない情報を引っこ抜いたってさ」
 「ちょっと大人気なかったね、アレ」
 「家令長が怒ってるの、あの時始めてみたよ、僕」

 翌朝見たら真っ白に燃え尽きてたしと笑うアマギリに、ワウアンリーは最早言葉も無かった。
 こんな上司に当たってしまった手前、この程度の事では一々驚いていては精神が持たない。それは葬式に参列した時から実感している事だ。
 しかし、少なくとも卒業を迎えるまでこんな胃が痛くなる日々が続くのかと思うと―――。

 そのうち、慣れる。

 いやきっと、早く慣れないとやってられないと。
 ワウアンリーはため息を吐きながら、そんな風に思った。

 つまるところそれは、今後一年よく見かけることとなる、極めて平凡な一日の出来事だった。



 ・Extra 1:End・






     ※ 女子高トーク的なノリで。喋っている人たちが原作で出てる人たちかどうかも割と謎。
  
      そして、閑話の1だけど2があるとも限らんと言うのが……。



[14626] 29-1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/02 21:43



 ・Sceane 29・


 「ハッピ~、バ~スデ~~~ェイ♪」

 冬も間近に迫った、十月も終わりそうなその日。
 何時ものように生徒会長室で時間を潰した後に帰路に着いたアマギリは、屋敷のドアを開いた瞬間、そんな声に出迎えられた。
 聞き覚えのある声。
 聞き覚えがありすぎて、対応に困る声でもあった。
 開いたドア。玄関ホール。シャンデリアの真下。抜群の笑顔の美人が、そこに居た。
 その背後には整列した屋敷の使用人たち一同。家令長の老人のすまし顔。及び、此処に居る筈のない少女の呆れ混じりの態度。

 とりあえず、クラッカーを鳴らされなかっただけ喜ぶべきなのだろうか。

 混乱から立ち直ったアマギリは笑顔のままで反応を待っている女性を差し置いて、背後の少女に声を掛けた。
 「マリア」
 「はい、お兄様」
 打てば響くと言う塩梅で、本来この聖地学院に居る筈の無い妹は、兄の呼びかけに答えてきた。
 「何で居るの?」
 アマギリの言葉は単刀直入だった。と言うか、コレくらいの会話はとっとと済ませないと、後がつっかえていて大変だと身にしみていた。妹もソレは同様だったから、至極あっさりと言葉に応じた。
 「はい。私は……ええ、”私”は、来年度に入学が決まっている学院への挨拶と下見のようなものです」
 妙な部分を強調しながら答えたマリアに、アマギリはなるほどと納得を示した。一応の確認のために、背後の従者へと振り返り尋ねる。
 「ユキネは、知ってた?」
 「マリア様が……”マリア様”が来るのは知ってた。秘密にしていてと頼まれてた」
 「そっか、じゃあ仕方ないか」
 アマギリは主への不義理を咎める事も無く、従者の言葉に理解を示した。
 元々ユキネはマリアの従者なのだから、そちらの頼みを優先するのが当然である。大体、秘密にされていたからと言え、妹の来訪が不利益になる事も無い。
 むしろ、通信越しではなく直接対面するのは去年の正月以来だったから、嬉しいサプライズと言える。
 事ある毎に学院から外出していた一年目と違い、聖地学院に通い始めて二年目、初等部三年生になったアマギリは、初等部生徒は理由無く学外への移動を禁ずると言う学院のルールに則って、長期休暇中もハヴォニワ本国に引き上げていなかった。
 「うん、まぁ案内とかが必要だったら言ってくれれば良いよ。放課後は基本的に暇だから付き合える」
 「ありがとう御座います、お兄様」
 「良いさ。んじゃ、家令長。マリアがいる間はワウアンリーにこっちに来て仕事しろって伝えておいてくれ」
 「かしこまりました」
 アマギリの指示に老齢の家令は深々と頷いた。

 「さて」

 コレで聞くべき事は聞き、言うべき事は言い終えた。
 アマギリはそう理論武装する事にした。ホールに集まった人全てが、いい加減に反応してやれとプレッシャーを掛けているかのようだったが、それら全てを振り切るようにアマギリは言った。無駄に笑顔である。
 「それじゃあ僕は、そういうことなんで教室に忘れ物をしたから取りに戻る事にする。ついでに、リチア先輩がまだ仕事してるだろうからソレを手伝う事に決めたし、勿論夕食も御相伴に預かろうと思う。その後はアウラ王女の家に久しぶりに遊びに行くのが当然だから、今日は帰らな―――」

 「ア・ナ・タ?」
 
 振り返ってドアまで突っ切ろうかと思ったら、背後から呼び止められた。
 振り返ったので背後にいたユキネと視線が合った。ユキネは無言のままだった。無表情、と言うかぶっちゃけ面倒そうな顔である。
 アマギリはため息を吐いてもう一度ホールへと振り返った。
 「……で、女王陛下は何でいらっしゃるんですか?」
 政務担当の女官が着る様なシックなスーツ姿なのだが、着ている人の色気の影響かどう見ても夜の商売をしているようにしか見えない格好で、ホール中央に構えていたフローラに、アマギリは漸く尋ねた。嫌々である。
 玄関ホールに蔓延している白けた空気も伝わっているだろうに、フローラはアマギリから反応がもらえた事が嬉しくて仕方が無いというようなノリノリの態度で微笑んだ。
 フローラの後方に控えていたマリアが、まだこのコント続くのかと、額を押さえている。
 「あら、女王陛下なんて人はここには居ないわ。今の私はマリア王女の御付女官、フローラ婦人ザマしてよ?」
 「何ですかその語尾」
 「あ、因みにコレが証明書」
 アマギリのどうでもよさ気な突っ込みも意に返す事無くフローラは開いたシャツの胸元から一枚の紙を取り出してアマギリに手渡してきた。
 その紙は聖地が発行した正式な入領許可証だった。書類に添付された写真の中のフローラは、何故か眼鏡を掛けていた。コレで誤魔化されたのか、それとも解っていてごり押しされたのか、判断に悩む所である。
 「ホントに聖地の警備ってザルだよな……」
 「特権階級者が集まりすぎて、あんまり大掛かりな警備をする訳にもいかないって、先ほど学院長先生にお聞きしましたよ」
 書類を覗き込んで眉を顰めていたアマギリに、マリアが応じた。
 「それで何か事が起こったら、誰が責任取るんだろうねぇ? ま、良いか。それじゃあマリア。女官殿には退場していただいて、久しぶりに家族の団欒としゃれ込もうか」
 「そうですわねお兄様。兄妹の触れ合いに、女官の存在なんて無粋ですものね」
 アマギリの言葉にマリアも素晴らしい笑顔で同意した。顔を見合わせて綺麗な笑顔で頷きあう兄妹が、そこにはあった。ユキネが大きなため息を吐いていた。
 「よし、じゃあサロンの方へ―――」

 「ア・ナ・タ?」

 「あー、はいはい。フローラ夫人もサロンの方へどうぞ」
 「もう、付き合い悪いわねぇ相変わらず。その書類偽造するのに結構お金掛かったのに」
 投げやり態度で使用人たちに解散を命じるアマギリに、フローラは不貞腐れたように言った。
 「もうちょっとマシな事に財力と権力は行使しましょうよ……」
 「因みに、事実ですよ。幾らなんでも教会管理の聖地に何の理由も無く王侯貴族が侵入できる筈もありませんから。わざわざこのコントを披露するためだけに、相当の人と金が動いています。無論、お母様の個人資産からですので国費に影響はありませんが」
 呆れる他無いアマギリに、マリアが仕方ないとばかりに声を漏らす。その表情は微妙に苦笑交じりだったから、アマギリには疑問な事だったが、不思議な事に母を庇っているかのようである。
 どうにも責められているような気分になったアマギリは、首を捻ってフローラに問うた。
 「ソレで結局、何でこんな中途半端な時期に聖地に来たんですか? ひょっとして、遂にオルゴンとケルケリアの間でドンパチが始まったりでも?」
 だからと言って聖地に来る理由にもならないだろうがと思いつつも、アマギリは取り合えずといった風に尋ねた。 
 マリアとユキネは駄目だコイツ、といった意味でのため息を吐いた。フローラはニコニコとしている。
 「そっちの紛争には連邦も介入してきて泥沼って感じだから心配ないけどぉ……もう、一番初めに言ったじゃない、ハッピーバースデーって」
 「ああ、そういえば」
 確かに扉を開けた瞬間そんな寝言を聞いたような気もするとアマギリは思い出した。
 余りにありえない光景が目の前にあったもんで、言語が頭の中に入っていなかったようだ。
 ハッピーバースデー。つまりは、誕生日おめでとうと言う意味である。
 「……誰かの誕生日でもありましたっけ?」
 自身の記憶を確認する限り、マリアもユキネもこの近い日付に誕生日など無かった筈だ。と言うか、アマギリは身内の誼としてしっかりと誕生日当日に贈り物をしている。
 アマギリの言葉に、マリアとユキネが再びため息を吐いた。
 「その辺りが、何時まで経ってもお兄様ですけどね」
 「仕方ない。周りに気を使えるようになっただけ、成長してる」
 「……何か腹心の筈の従者の人にエライ言われようをしている気がするんだけど」
 気のせいじゃないよなぁと、この一年で益々遠慮がなくなってきた本物の姉と同じ響きを持つ名前の従者に、頬を引き攣らせつつ、アマギリは会話の流れを漸く察する事ができた。
 自分のことには相も変わらず意味も無く疎い男なのである。
 
 「ようするに、僕の誕生日って事ですか? ……でも、僕の誕生日って、今年の頭にもう終わりましたけど」

 アマギリの誕生日は一月一日である。少なくとも本人はそのつもりだった。
 しかし、フローラは笑顔で首を横に振った。
 「それは違うわ、アナタの誕生日は今日よ。今日で、二回目の誕生日」
 「今日? ……ああ、そうか今日でしたね」
 二回目、と含みを持った言葉を言われて、漸くアマギリは意味を理解した。
 「なるほど、アマギリ・ナナダンの誕生日って、今日なんですね。―――二年前の今日、公式にお披露目された日」
 叙任式を行い王籍簿に正式に名前を記されたこの日。丁度二年前のこの日がそうだ。アマギリは思い出した。
 それにそもそも、元々自分の誕生日などはっきりとわからなかったから、年の初めをそうとしようと適当に決めていただけだったのだ。
 「そ。今日がアナタの十七歳の誕生日。ホントは去年もやりたかったんだけど、お葬式が重なってたしねぇ。今年は盛大にやろうと思ったら、アナタったら帰ってこないって言うんですもの。じゃあ、私がこっちに来るしかないじゃない?」
 シトレイユ国先代皇王の葬儀があったのが丁度去年の今頃である。
 確かに、隣国でそういう不幸があったときに、盛大に祝い事をするというのはご法度だった。

 なるほど、フローラが此処に居る意味を理由を理解したアマギリは、念のためと言う口調で彼女に尋ねた。
 「因みに、通信機越しに済ませるというつもりは……」
 「あったと思う?」
 にこりと笑顔で返されて、そりゃ無いだろうなとアマギリも微苦笑で返した。
 それで話が一段落したと判断したのだろう、既にサロンのある二階への階段をユキネをつれて上がり始めていたマリアが言った。
 「それではそろそろ、いい加減玄関前で話し続けるのもなんでしょう。上でささやかですが祝いの席を用意してありますから、いらしてくださいなお兄様」
 「そうね、今日は奮発したから、楽しんで頂戴」
 「……一応、今は僕だけが主の屋敷なんだけどなぁ、ここ」
 女二人の元気な声に苦笑をしつつ、アマギリも階段を上がった。

 それにしてもと、アマギリは思う。
 もう二年。ハヴォニワの王子として生活を始めて、もう二年なのだ。
 始まりの混乱を乗り越えた、丁度去年の今からの一年間は、概ね平和な日々だった。
 今年は、来年は、そしてその先は、どうなるだろうか。

 胸の中に微かな不安を湛えつつ、アマギリは女性たちの後に続く。






    ※ そう言う訳で、一年後となります。
      大分仲良くなってるような、そうでもないような。



[14626] 29-2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/03 22:17


 ・Sceane 29-2・


 「この筒、髪留め?」

 誕生日プレゼントだと手渡された天鵞絨の敷き詰められた箱に入っていたのは、皮製の土台に金糸銀糸を織り合わせた装飾の施された、豪華な髪留めだった。
 「ええ、先日の私の誕生日の折に、お兄様に頂いたものも手製のものでしたので、私もそれに習ってみようと思ったので。一応、装飾部は私とユキネで行いました」
 「僕が贈ったって、アレだよね。炭素結晶の試作品。アレはどっちかと言うとモノ自体よりも生成方のほうが肝心なんだけど。あれ、まだジェミナーでは開発されて無い技術だから、特許とっておけば役に立つよ―――って、前に言ったっけコレ。ワウの工房が使えるようになったお陰で、ああいう知識が生かせるようになったのはありがたいよ」
 照れ交じりに解説するマリアに笑って応じながら、アマギリは首の裏側で纏めていた髪留めを解き、貰ったばかりの髪留めに付け替えた。ユキネがそっと背後によりそい、それを手伝う。
 「こういうの貰うと、髪切らなくて良かったって思えるよね」
 「お兄様、別に長髪に拘りがあるわけでは無いのですね。お会いした当初からそうでしたし、てっきり好きでやっているのかと」
 二年前、マリアが初めて対面した当初から、アマギリの髪は無造作に伸ばされていた。今でもみすぼらしく無い程度に整えられてはいるが、前髪も後ろ髪も充分に長い。公務の時などは見栄えがするように結い合わせたりしているのだが、普段はそれを背に流して適当に纏めていた。
 「ま、僕は見た目が地味だから、髪くらい長いほうがそれっぽく見えるしね。王宮に入る前は単純に、ど田舎だったから床屋とか無くて伸ばしっぱなしにしてただけだけど―――いや、気づいた時にはもう長かったかな。ってことは、昔からか」
 「その辺りは、二年経っても相変わらずですか」
 「いい加減、思い浮かぶイメージも具体的になってきたんだけど、細部がどうもぼやけると言うか。コレは本格的に外部からのロックが掛かってるって考えるしかないかなぁ」

 アマギリ・ナナダンは記憶喪失―――と言うよりは、記憶”封印”状態にある。アマギリはこの二年の間に自覚的にそれを理解するようになっていた。
 思い出せること、絶対に記憶できない事。見えない部分。自分の中にあるそういう部分が、明らかに人の手によるものとしか思えない区分けがされている事に気付いていた。
 普通、頭の中に誰かの手が入っているのが解ればおぞましい気分を感じるのが一般的な感性だろうが、そこはやはりアマギリだった。
 恐怖を覚えるよりも先に、諦めを感じていた。
 解らないものは仕方が無い。その内解るさと、そういう気分である。

 「……完成」
 パチンと音を鳴らせて、半分に割れていた輪でアマギリの髪を纏め終えたユキネが、満足そうな声で言った。
 「ん、ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
 首もとの感触を確かめながら、アマギリは二人に対して礼を述べた。
 「どういたしまして。中々お似合いで良かったですわ」
 マリアもアマギリの背を覗き込みながら嬉しそうに言った。
 兄妹中睦まじく、こうして誕生日の一日は過ぎて―――。
 
 「それじゃあ、次は私からね」

 「ですよねー」
 にっこりと微笑むフローラに、明らかにアマギリのテンションが低くなった。もう嫌な予感しかしていない。
 「あら、何だか失礼な反応ね」
 「そりゃ、お年玉とか言ってシトレイユの国債押し付けてくるような親を目の前にすればね……。アレ、市場に放出したら戦争になるじゃないですか」
 今年の年初め、ハヴォニワの王城で行われた身内だけの新年の宴の席上で、お年玉、等という名目で手渡された書類がそれだった。
 王室費で購入していたシトレイユ皇国の国債の過半数が、何故かアマギリ名義に修正されていたのである。
 「あら、持ってると便利よ。国さえ保てばずっと利子が入ってくるし」
 「来年になったら紙切れになりませんかね、アレ。せめてくれるなら国内の有価証券にしてくれれば良かったのに」
 それはそれで、全くお年玉としては相応しくないものを要求している兄に、マリアが苦笑混じりに言った。
 「そう心配しなくても大丈夫ですわよお兄様。領土や軍や大公位などのアイデアは、事前審査で私が却下しておきましたので」
 「うん、今日ほどマリアが妹でよかったって思った日は無いね」
 心優しい妹の言葉に、アマギリがしたり顔で頷く。しかし、妹は無慈悲な言葉を付け足していた。

 「因みに、却下したものの中にはハヴォニワの玉座等もありましたが。尤も、私が継ぐまでの繋ぎですが」
 「洒落になってないぞそれ!」 

 冗談だと全く思えないのが現在のハヴォニワである。
 信頼されているといえば聞こえは良いが、どう考えても”それも面白いかも”と言う愉快犯的発想としか思えない。
 「ええ、ですからお兄様は反対なさるだろうと思ったので却下しました」
 「ちょっと待った。その言い方だと僕が反対しないとマリアも反対しないって事になるから」
 「気のせいです」
 絶対嘘だろとは、どう考えても薮蛇になりそうだから言えなかった。この辺、仲良くなりすぎるのも考え物だなとアマギリは思い始めていた。人に言わせれば贅沢な悩みだろう。
 「そんな訳で、私は代替案としてシトレイユの玉座など如何でしょうと提案しました」
 「……それは、兵を引き連れて自分で回収に行かないといけないから、嫌かなぁ」
 しれっとした顔で恐ろしい事をのたまう妹に、アマギリはげんなりとした顔で応じた。
 「要らないといわないのがお兄様ですわね」
 「情勢如何では本気で取りにいく必要も出るかもしれないしね。どっかの皇女が亡命……じゃない、その頃にはもう女皇になってるのか。まぁ良いや。―――ついでに、権力ってのは有れば有るだけ役に立つ」
 「過分な権力など与えられても、支えきれずに押しつぶされてしまう気がするのですが」
 「それは自分の無能に対する言い訳だよ。自分の手元に転がってきたものは、必ず自分が使いこなせる必然性がある筈だって、昔誰かにも言われた事あるし」
 肩を竦めて気楽に難しい事を言い放つアマギリに、マリアはため息を吐いた。
 「その根拠の無い自信は何処から来るのですか……。とにかく。今回のお母様のプレゼントに関しては、そういうドロドロした粘着性の高いものでは―――いえ、ある意味それこそ……これは、私が言うのは無粋ですわね」
 微妙な表情のまま、マリアは言葉を切り上げてテーブルを挟んで向かいの席に座る母に視線を送った。
 母は淑やかな態度で兄妹の会話が終わるまで待っており、漸くと視線を合わせた息子に対して、嬉しそうに微笑んだ。
 「はい、それじゃあ私からの誕生日プレゼント」
 そう言って、膝の上に用意してあったのだろう箱を、テーブルの上、アマギリの前へに差し出した。
 薄く平べったい、長方形の箱である。
 アマギリの思った第一印象は、書類の類なら三つ折にすれば余裕で入るな、だったから、まるで油断していなかった。
 かと言って、この場でそれを開けないで終わらせるほどの礼儀知らずでもない。
 「……では」
 アマギリは震える手で、禁断の扉を開く気持ちで、蓋を開いた。

 「……紐?」

 「因みに、私の手作りよ。」
 「はぁ、女王陛下の」
 それはようするに、シルク地の敷かれた箱の中に丁寧にたたまれた状態で置かれていた、赤い組紐だった。
 ハヴォニワは、織物や糸細工、レース地などの工芸品の産出地として名高かったりするから、その技を持って作られた組紐が登場したところで、不思議ではない。
 親しい人への贈り物として、手製のものであれば、尚更だろう。
 「ほら、ペンダントを結ぶ紐に使えるでしょう? チェーンの代わりに丁度良いと思って」
 「ああ、コレですか」
 アマギリは首に掛かっている属性付与クリスタルを偽装しているペンダントを結び付けている首紐を撫でながら頷いた。
 なるほど、このチェーン自体に特別こだわりがあるわけでもないし、何時も着けておけるものだから贈り物としても悪く無い選択だろう。
 なにせ、妹と従者からの贈り物も手製の髪留めである、母親からの贈り物だって手製のもであってもおかしくない。
 しかし、さぁ早速付け替えてみてと微笑むフローラの顔を見ていると、何か大きな罠が仕掛けられているような気がしてならない。
 と言うか、絶対仕掛けてある。アマギリはマリアへ確認の視線を送った。マリアは嘆息して答えた。

 「異世界人が言う所ですが、赤いヒモは運命的な二人―――意味は言うまでも無いと思いますが、そういった二人を永遠に結びつける縁だと、そう聞いています。ようするに、それを異性に贈るというのであれば」

 「ああ……」
 予想通り、碌でもないトラップだった。
 何より碌でもないと思えることが、その所以を理解したからといって”貰ったものを返す気にならない”と言う事実が第一にあることだ。
 「ねぇユキネ。年から年中女から貰った赤いヒモを見せびらかして歩いている男ってどう思う」
 「―――はしたない」
 「ですよねー」
 ユキネの言葉はにべも無かった。 
 アマギリはどうしろってんだチクショウと言う気分になった。
 視線を、テーブルの上とフローラの顔で行ったり来たりさせる。フローラは笑顔のままで表情が読めない。何度見たところで、紐が赤から色が変わるわけが無い。
 黙って蓋を閉じれば解決する問題なのだっが、至極単純な余り認めたくない個人的な感情からそれは躊躇われた。
 八方塞。

 ―――救いの手は、すぐ横から伸ばされた。

 「どうぞ、お兄様」
 その言葉と共に、突然マリアがアマギリの手を取り、その掌に青い組紐を乗せた。
 目を丸くするアマギリに、マリアが微苦笑を交えながら言う。
 「青は異世界人が言う処、幸せを運ぶとの謂れがあると伝え聞いていますから、普段はそちらを使ってくださいな。―――赤いほうは、まぁ、その。お一人の時にでもお使いになれば宜しいかと」
 因みに私の手作りですと言うマリアに、アマギリは地獄の中で救いを見たと思わずには入られなかった。
 「……今日ほどマリアを妹に持ってよかったと思った日は無いね」
 「その反応も、余りにヘタレすぎていてどうかと思いますが」
 妹は優しい中にも厳しさがあった。
 
 掌に、青。テーブルの上に、赤。
 青は安全、赤は危険。
 ならば、選ぶべくは決まっているだろうに。

 「うん、それじゃあ」
 首からペンダントを外し、ペンダントから紐を外す。そして、新たな紐に付け替え、また首に掛ける。

 「格好付けて、まぁ」

 そんな声が、耳に届いた。
 自分で贈っておいて酷い言い草だなと、アマギリは笑顔で応じた。






     ※ 紐の方は髪留めと違って合作とは言っていないのが一番の罠かと。



[14626] 29-3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/04 23:11


 ・Sceane 29-3・



 「あの……殿下?」
 
 ある日の放課後、聖地学院敷地内にあるワウアンリーの個人専用工房で、その主である筈の少女が、居心地が悪そうに声を上げた。
 ワウアンリーの視線の先には、製図机を占領してそばに置いた情報端末と睨めっこしながら、何やら図面を引いているアマギリの姿があった。
 まるでと言うかどう見ても、この工房の主人はアマギリにしか見えない堂々とした態度である。
 アマギリは呼びかけられているのが解っているだろうに、顔も上げずに一回だけシャーペンを指で回した後に返事をした。まるで興味が無さそうである。
 「何? 今良いところだから話しかけないで欲しいんだけど」
 「あー。その気持ちは同じ技術屋として理解できなくは無いんですが、とりあえずあたしとしては、何で年が明けてからこっち、一人で工房に来る時間が増えたのかなーって聞いておきたいのですが」
 大規模な機械の組み立ても可能な広い面積を持つ工房。
 聖機師見習いであると同時に一角の結界工房の聖機工でもあるワウアンリーのために用意された彼女専用の空間である。
 当然、学生兼技術士などと言う特殊な存在は聖地でもワウアンリーしか居ないため、そこを使用する―――訪れる人間はほぼ居ないと言って良い。
 現状、この空間に居るのは主であるワウアンリーと、勝手に居座っているアマギリだけだった。

 最近、多く見られる光景である。

 放課後にふらりと訪れては、何時の間に用意したのか自分専用の製図机に向かって何かの図面を引いているアマギリの姿が。本来あるはずの、従者を連れ歩くのではなく、彼個人だけでそこに居座る姿がである。
 「ユキネさんは……?」
 「もう直ぐ卒業だしね、あの子。卒業式典とかの準備で微妙に忙しいんだよ」
 「ああ、主席ですしね。―――だからって、何故こちらに来ますか、殿下」
 ユキネが居ない理由は理解できた。だからと言って、アマギリが自身の工房を占領する理由にはならないだろう。と言うか、ならないで居て欲しい。
 そんな気分を込めて恐る恐るワウアンリーが尋ねてみると、アマギリは深々とため息を吐いて、漸く製図机から顔を上げた。
 回転式の椅子をくるりと反転させてワウアンリーに振り向く。物凄く他人を見下した顔だった。
 「キミ、自分が僕の従者って事忘れてるだろ」
 「あ~~~」
 濁点の付き添うな呻き顔でワウアンリーは納得した。
 そう、ワウアンリーはアマギリ・ナナダン王子の専属の聖機師なのである。お陰でここ一年、就職を決められなかった浪人確定の先輩方からの視線が痛い。とても痛い。ついでに視線だけではなく、たまに物理的に痛い目に合わされそうになる。
 尤も流石にワウアンリーも尻尾突きの聖機人を顕現できる優秀と呼べる範囲の聖機師ではあったから浪人にしかなれないような聖機師に決闘を挑まれた所で早々負けたりはしないのだが。
 だからと言って、望んでも居ない。全く絶対これっぽっちも望んではいない地位について周りからひがまれるのは実に溜まったものではないというのがワウアンリーの本音である。
 そこまで考えていると、アマギリが半眼で笑ってるのが見えた。本音が顔に出ていたらしい。
 「そうか、そんなに研究費減らされたかったのか……」
 「スイマセンごめんなさい勘弁してください。此処へきて予算減額とか、機工人完成しないで終わりますから」
 伝家の宝刀を抜いたらあっさりと服従するよく出来た従者だった。金の力には逆らえないと涙を流しつつ、ワウアンリーは話題を変えた。
 「でも殿下、前はマリア様たちの誕生日の前とかにさらっと来るくらいだったのに、ホントなんで最近はよく来るんですか? 護衛名目だったら、一応あたしも納得はしてませんけど承諾はしてますし、呼び出せば良いじゃないですか。まさか、殿下にあるまじき遠慮なんて言葉を実行しまってるのでは……」
 「ま、キミを呼び出すのを遠慮してるとかそういうのは有り得ないんだけど」
 「無いんですね」
 思わず問い返してしまったワウアンリーの言葉を、アマギリは笑い話にもならないと切り捨てた。
 現実は無常である。 
 「単純に、こういう研究とかは僕の趣味だからね。趣味な行動にユキネ―――女の子を連れ歩く気にもなれなかったし、時季的に丁度一人で、良い機会かと思ってね」
 「その気使いを是非ともあたしにも向けて欲しいのですけど」
 呻くような言葉で本音を漏らしたワウアンリーに、アマギリは心外だという顔で応じた。
 「幾つかキミの引いた図面のミスを指摘してやったじゃないか」
 「やー、開発終盤のこの時期に指摘されると、それはそれで悲しいものがあるのですが」
 「いや、一年前くらいに気付いてたけど、何か意味があってやってるんだと思ってたから」
 「気付いてたんなら言ってくださいよ!! パーツ組んだあとに根本的な修正とか大変なんですから!!」
 自分が悪いと解っていても、吼えたくなる気持ちは抑えられる筈も無い。何せ事ある毎に予算の減額を狙ってくる上司である。正直、この研究を廃案にしたくてやってるんじゃないかとすら思えてくる態度だからだ。
 「っていうか、あたし何時だったか殿下の専門って生物心理学とかだって聞いた覚えがあるんですけど、何で工学系の知識まであるんですか」
 「何で、ねぇ。―――何でか。そりゃ、アレだよ。必要だったから」
 不貞腐れたような声で問うワウアンリーにアマギリは首を捻って答える。
 「必要って……王子様が先進的な逆転磁場配位型の核融合炉の図面を引ける必要性が、何処にあるんですか」
 「ああいう”原始的”な動力炉の知識とかでも、先進技術を理解する上での土壌になるしね。僕の目標は本来存在しない筈の無限ともいえるエネルギーを生み出し続ける神の如き―――……なんだったかな。まぁ、良いか」
 「スイマセン、研究者的にその部分是非とも細かく聞いてみたいんですけど」
 オーバーテクノロジーの世界の住人であるアマギリをして”神”等という酷く概念的な言葉が飛び出てくる動力。
 技術屋としてのワウアンリーが黙っていられる筈も無かった。

 「止めておいたほうが良いよ」

 「止め……?」
 しかし、アマギリの言葉は意外なものだった。
 却下と言うならば理解できる。人当たりの良い当たり障りの無い会話はよく行うが、その実アマギリは秘密主義が徹底しているような男だ。自分の中で話せる範囲を明確に線引きしており、それを踏み越えようとすれば即座に否定を示す。
 だが、止めた方が良い、等という他人に解釈を委ねるような言い方は珍しい。
 ワウアンリーが何かの罠かと首を捻ると、アマギリが苦笑して言った。
 「ワウってさ、結界工房の所属だろ? あの組織は先進技術の開発の促進を促すためにあると言うよりは、技術の先鋭化を防ぎ管理するためにある組織じゃないか」
 「―――それは」
 違う、と否定する事が出来なかった。
 アマギリが”そう”と何かを決め付けている時に否定の言葉を言うのが無駄だというのも知っていたし、何より、その言葉が真実だったからだ。
 「何をそんなに恐れているのか知らないけど、結界工房―――その上に位置する教会も、文明の発達と言うものを酷く嫌っている。このジェミナーが何時までも”不便”な亜法技術に頼っているのがその証拠だ。通信にしろ動力にしろ、亜法って言う微妙に扱いづらいとっかかりがあるのなら、そこからより便利な代替技術を発展させていくのが普通なのに、この星の歴史を読ませてもらったけど、何時まで経ってもその気配が無い。応用、と言う言葉を放棄しているみたいだ」
 理由は解るけど、と付け足して、アマギリは言葉を切った。
 ワウアンリーとしては、そう穿った言われ方ばかりをされてしまえば、返せる言葉は無い。
 何しろ、彼女の専門こそがその亜法機関の代替手段ともいえる、高出力の蒸気機関や火薬などを利用した推進機関の開発なのだから。
 そして、それらを研究テーマとして選んだ時、方々からの反対の声を浴びせられた。
 一時は、査問委員会まで召集されそうになったのだから、事の重大さも解ろうというものだろう。
 結果としては師である聖機工の口ぞえと、最大出力の制限を確約する事で許可が下りたのだが、あの当時の結界工房の紛糾を見ている立場として、ワウアンリーはアマギリの言葉を否定できない。

 「まぁ、それはワウが僕の従者に着いてるって理由にもなってるんだけど」

 「はい?」
 ワウアンリーが数十年前の記憶を呼び起こしているところに、アマギリが悪戯っ子のような顔でそんな言葉を投げかけてきた。
 絶好調に楽しそうな、ようするにワウアンリーにとっては余り見たく無い類の笑顔である。
 アマギリは製図机の脇においてあったラップトップの端末をコンと叩きながら言った。

 「あのねぇ、幾ら自分の工房だからって、外と繋がってる端末に何のロックも掛けてないのって良くないと思うんだ。過去の通信データ、読み放題だよ?」

 言われて、言葉を理解した瞬間、ワウアンリーの全身が総毛だった。
 「まさか―――」
 「まさかも何も、何のために”ユキネを連れずに”ここに入り浸っていたと思っているのさ。図面なんか屋敷でも充分に引けるし、そもそも、安全を考えてここに居るって言う割には、僕は夜にここから帰るとき、君を護衛につけてない危険な情況を作ってるじゃないか。その辺の矛盾、少しは不思議に思わなかったのか?」

 他人の端末を利用して堂々と他国(勢力)の情報を強奪する。
 しかもそれを身内とも言える人間の伝手を利用して行うのだから、悪辣と言わざるを得ない。
 ユキネが見ていれば必ず止めていただろう。だから、ユキネが居ないこの時期を狙ったのだ。
 傍若無人に、ただ嫌がらせのように人の領域に居座っているように見えて、それは全て冷徹で意味がある行動だったのだと、今更ながらにワウアンリーは気付いた。

 「さすが主幹研究員の直弟子。結界工房のデータベースへの直通アクセス件もある。本当は聖地の見取り図とかが見れれば良かったんだけど流石に無理だった―――まぁ、それは良いか。あ、一応言っておくけど、別にワウが結界工房に僕に関するレポートを定期的に提出してる事をを咎めようとかそういうつもりは無いよ? その内容にも感知するつもりは無いし」
 淡々と、背信を咎めるような言葉を続けながら、アマギリの言葉の意味はしかしそれを否定していた。
 「大分前にアウラ王女にも言われたけど、僕は所謂、現行のジェミナーの秩序を破壊しかねない存在だからね。それを間近で見張り、技術的な観点から考察が出来る人材を近づけようとするのは、何もおかしくない。―――と言うか、それを近くに置く事をこちらから言い出すことで、教会に対して叛意が無いポーズを宣言させてもらってるんだし。状況を利用するのもされるのも、今更どっちもどっちだよ」
 「って、今ポーズって言いましたよね!?」
 微妙に危険な発言だった。ワウアンリーの役目を理解していながら、簡単にそういう発言をしてしまうのがアマギリらしいともいえるが。
 「ハハハ、気のせい気のせい」
 「うわー嘘くさー」
 「そうかい? 羽とか人形とか宝石とか、嘘っぽい伝説みたいな話を組織で追っかけてる人たちよりマシだと思うけど」
 
 ―――時間が止まった。正確にはワウアンリーが一方的に止めただけだが。

 暫しの間が空いたあとで、ワウアンリーはとてもとても苦い顔でアマギリに尋ねた。
 「……何処まで、お調べになりましたか?」
 アマギリは肩を竦めて応じた。
 「もう一歩踏み込んだら粛清対象になりそうな感じだったね。いや、原始的なネットワークだったから力技だけでどんどん奥へ進めちゃって、少し悪ノリし過ぎた」
 「ああ、それは―――」
 良かったのだろうか。ワウアンリーとしては悩みどころだった。
 この高慢ちきな男がこう言っている以上、本当にこの世界に関する確信的な情報までは取得していないという事だろう。何処までの情報を手にしてしまったのか、真に不安ではあるが。

 ようするにアマギリが言いたかった事は、調べようとした事実が発覚したら言い訳を宜しく、と言うことだ。
 「今更ですけどあたしって、従者って言うか繋ぎ役って言った方が正しいですよね」
 「うん、どちらからしてもね」
 「そこは否定して欲しかったなー」
 ガクリと疲れたように項垂れるワウアンリーに、事実だから仕方が無いとアマギリは笑った。
 「因みに、何時だってお宅等のデータなんて全部丸ごとぶっ壊せるって警告って意味もある。ウチはもう許可したマスコミ以外に取材は許すつもりは無いから、その辺もちゃんと伝えておきなよ」
 「ちょ、マスコミってあたしのことですか!? しかも気付かないうちに検閲されてるし!!」
 
 従者を始めて、一年と四半年。
 ワウアンリーは未だに、一方的に振り回され続ける毎日だった。


 ・Sceane 29:End・



   ※ 家族と戯れた後は従者と戯れよう……と言うかむしろ従者”で”戯れようと言うか。
     何気にまた、前話から三ヶ月くらい飛んでたりします。




[14626] 30
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/05 22:54


 ・Scene 30・



 「んじゃ、戴冠式は何の問題も無く終わっちゃったんですね」

 「アンタが居なきゃ、大抵のことが問題なく片付くって証明よね」
 「僕の替わりに僕に良く似た僕の母がその場に居たと思うんですけどね」
 「……まぁ、少し空気がぴりぴりしてた事は否定しないわ」
 桜が芽吹く少し前。
 放課後の生徒会長執務室で、最早そうであるのが当然かのように、アマギリとリチアの歯に衣着せぬ言葉の応酬が繰り広げられていた。
 ラピスの入れたハーブティーのカップを片手に交わされる会話の議題は、先日行われた、シトレイユ皇国の新女皇の戴冠式についてである。
 各国の王侯貴族が参列して行われた―――そうであるのだからつまり、この生徒会長室に集まった人間の殆どが、その場に参加していた。
 リチア然り、アウラ然り、従者に過ぎないラピスも、リチアに付き従いシトレイユまで足を運んでいる。
 
 出席しなかったのは、アマギリだけである。

 「しかし、てっきりお前は出席すると思っていたのだがな。葬式の時は参列していただろうに」
 「そういえばあの時はアウラ王女は居ませんでしたね。シュリフォン王陛下はいらっしゃいましたが。―――まぁ、葬式の時は母上の代理でしたし、今回は母上が直々にお出ましでしたしね。お呼びじゃないですよ、僕は」
 アウラの素朴な疑問に、アマギリはなんて事は無いと応じる。実際言葉どおりの理由で、アマギリは戴冠式当日は聖地の屋敷でおとなしくしていた。
 「だが、ワウアンリーの姿を向こうで見かけたぞ。お前の従者だろう、彼女」
 「ああ、ワウね。でも結界工房の礼服着てたでしょ、あいつ。聖機神の管理名目ですよ。ユライト先生も一緒だったと思いますが」
 「ええ、二人とも戴冠式にいらっしゃったわ。―――聖機神、戻ってくるのは来週よね。それまでワウアンリーも向こうに居るんでしょうし、アンタひょっとして、その日まで従者無し?」
 「ユキネ先輩も卒業されてしまったからな」
 アウラの言葉どおり、ユキネ・メアはほんの十日ほど前に、聖地学院を卒業している。今は正式な聖機師として、本来の主であるマリアの傍へと戻っている。
 因みに今年の卒業式は例年より一週間ほど早かった。
 理由は、シトレイユの戴冠式で聖機神を使用するから、運び出す前に卒業式を行う必要があったからだ。
 「ま、ユキネは元々妹からの期限付きのレンタルでしたしね。それは仕方ないとして、まさか従者の予定に合わせて主人が振り回される必要も無いでしょう。ワウには精々、僕に恥を掻かせないように動いてくれれば良いですけど」
 「むしろアンタがユキネさんに恥を掻かせないように大人しくしてなさいよ。ユキネさん、どうせマリア王女と一緒に一週間後には戻ってくるんでしょう?」
 「―――それは、同感だな」
 リチアの鋭い指摘にアウラが深々と頷いた。

 「それにしてもアマギリ。何も起こらなかったのかと先に言っていたが、何か起こる事を想定していたのか?」
 話しも一段落つき、リチアが執務机で作業を再開し、またアマギリが当たり前のように書棚から取り出したファイルを眺めだした辺りで、一人手持ち無沙汰となっていたアウラが思い出したように尋ねた。
 アマギリはパラパラとファイルを流し読みしたままで応じた。
 「ええ。あれだけ各国のお偉いさんが集まってるんですから、爆破テロの一つや二つ、起こっても仕方ないと思いますよ。中継で戴冠式の様子見てましたけど、警備の主目的が対聖機人戦を想定しているような動きですからね。こっそり爆発物を持ち込むのとか、結構簡単に出来そうでしたし」
 戴冠式の様子を伝える中継の映像では、何機もの聖機人がローテーションで飛翔し、航空艦艇が回遊しながら周回警備に当たっていた。しかし、時折映る歓喜に揺れる市街地の様子を写す場面では、殆ど警備の姿が見えない。
 「狙撃のしやすい屋外での戴冠とか、オープンカーに乗って市街をパレードとか、僕なら躊躇わずに撃ちますね」
 「……やっぱ、アンタが居ないから平和のうちに終わったんじゃ無いの」
 暗殺しやすそうでしたねとあっさり言い切るアマギリの言葉に、リチアが呻いた。その後、アウラが興味深そうな顔で頷きながら続いた。
 「その辺り、異世界人と我々との認識の違いだろうな。”てろりずむ”……だったか? そう言った発想は我々には出来ない。確か、その言葉を伝えた異世界人が言うには”これだけ文明が発達していて未だに会戦主義とか有り得ない”との話しらしいが」
 「ああ、その話し解るかもしれません。初期段階文明のそれも最初期の状態の割りにこの世界は技術が発達してますから。普通もっと、大量破壊兵器とか面制圧を主題とした作戦とか出てきても不思議じゃ無いのに、その辺の発明がまるでされて無いってのは、どうにも。聖機人みたいに個人単位の力量に頼りすぎる不便な兵器を使い続けているところとか、正直理解に苦しみますし」
 「その、文明の発達が抑制されているのはお前らのせいだろ、みたいな事を言いたそうな目でこっちを見ないでくれる? 否定できないのが忌々しいから」
 半ば世界を管理する立場にある教会の教皇の孫であるリチアが、額を押さえながら言った。
 「確かに。これ以上この方向に話を続けると異端者として排斥される恐れもあるからな。―――大体そもそも、あの場で暗殺事件など起こしてもどの国にもメリットは無いだろう?」

 「いや、そんな事は無いですよ。と言うか、誰にとってもメリットしか無いと思いますが」

 「何?」
 あっさりと言い切ったアマギリに、アウラは目を丸くした。
 しかし、アマギリは何てことも無い風に話を続ける。
 「大国として抑えの役割を果たしていたシトレイユが冬眠状態になってもう一年以上ですし、いい加減、何処の国も―――小国間だと特に、歯止めが利かない状況ですし。今なら”ちょっとした”きっかけが発生してくれれば、皆喜んで飛びつくと思いますよ」
 調停役として小国に睨みを効かせていたシトレイユも、王不在で一年以上身動きが取れなかった。
 その間に、元々問題を抱えていた国同士の関係は悪化の一途をたどっている。それこそ、何か一つでも事が起これば会戦になだれ込むような不安定な状況にまで。
 「最悪、本当に参列者皆殺しってのは否定できなかったと思うんですよね。聖地隣接の三国が主導する国際情勢を打ち破り、自国を最大限躍進させる、何て考えてた人が居た場合、そいつはそれなりの賭けに出る必要もあったでしょうし。とにかく大国に混乱を引き起こして時間を稼いで、その間に広げられるだけ版図を広げる。―――そういう意味で、各国の重鎮がこぞって出席した戴冠式は、良いチャンスだったと思いますしね。味方ごとやっちゃえば、犯人の特定にも時間が掛かるじゃないですか」
 大国の戴冠式で発生したテロ事件に端を発する、ジェミナー全土を巻き込んだ大戦。三国の威光により築かれていた偽りの平穏は打破され、新たな秩序を構築しなおすまで、その争乱は続く。何時までも、何時までも。
 その容赦の無いデストピアのような未来にアウラは苦い顔を浮かべる。
 悪趣味な妄想―――そうと切り捨てられるほど、実際に平穏な国際情勢では無いのだ。

 「まぁ、あの宰相閣下がそんなヘマをする筈無いんだけどな……」

 「何?」
 「いえ、何も」
 ぽそりと呟かれた言葉に瞬きするアウラに、アマギリは苦笑して肩を竦めた。
 リチアもアウラも、アマギリの言葉を否定できない未来として受け取っていたようだが、それを告げたアマギリ自身は、そんな事は有り得ないと確信していた。
 大国による抑えが利かなくなり、好き勝手に蠢き出した小国たち―――しかしそれらは、巧妙に管理された不安定だった。
 内情悪化、国境紛争、利益対立。それら全て、偶発的に連鎖発生している事態の諸々を詳しく精査してみれば、何者かの意思の介入を透けてみる事が出来る。
 暴発直前、そのギリギリの状態を維持するように、巧妙に立ち回っている者たちの姿があるのだ。
 その正体を探っていけば―――自ずと、その姿は見えてくる。

 ババルン・メスト。シトレイユ皇国宰相の地位にある男。

 恐らくは自らの目的を満たすために、それを起こす日のために。
 ただ、邪魔をされないように時間を稼ぐために。それだけの理由で世界を混乱させようとしているのだろう。

 そうまでして、求める物は。

 アマギリには全く想像ができなかった。戴冠式に出席し、ババルンと言葉を交わしたフローラにも、やはりわかりかねるものだったらしい。
 なにかをするつもりは有る。それだけは確実。
 通信機越しに言葉を交わしたフローラは、それだけをアマギリに伝えていた。
 「それにしてもアンタ、自分の家族が死ぬかも知れなかったなんて話し、良く平気な顔で出来るわね」
 黙考にふけるアマギリに、リチアが嫌そうな顔で言った。アマギリの言葉が実現していた場合、自身もこの場にいなかった可能性があったのだから、当然ともいえるだろう。
 「ま、何も起こらなかったからできる話しでもありますし。―――ついでに、その辺りは母上もご承知でしたから。だから、三人居る王族のうち、一人は残して置いたんだし」
 「―――混乱を最小限に抑えるため、か。女王に何かあった場合は、速やかにお前が玉座につく」
 「僕も若輩とは言え、流石にマリアがトップに立つよりはマシでしょうから。―――とは言え、そのマリアを戴冠式に引っ張っていったって事は、母上には何も起こらないって確信があったんだと思いますよ」
 「そりゃ、そうよね。あのフローラ女王が正当な後継者である実の娘と二人で参加したんですもの。何も起こるはず無いわ」
 冗談めかしたアマギリの言葉に、リチアがようやく納得がいったという顔で頷いた。アウラも息を吐いて微苦笑を浮かべる。
 「それにしても、新たな王の誕生や、卒業や入学という新たな始まりを告げる輝かしい季節だというのに、素直に祝福も出来んとはな」
 「その辺は、仕方ないんじゃないですか。個々の親愛、個人の友誼より、僕らみたいな立場だと、どうしようもなく国家の利益を優先する必要がありますから」
 「祝いごととはまつりごと。友情よりも愛よりも、国益こそが第一ね。―――ま、アンタは少し行き過ぎだと思うけど」
 アマギリの言葉に、リチアが嫌そうにため息を吐きながら応じた。アマギリも苦笑しながら頷く。
 「ただの転ばぬ先の杖ですよ。大体、国益に縛られるってのは大なり小なり、この学院に通う全ての人間に言える事ですし」

 各国の聖機師候補生たちを集め教育を施す機関である聖地学院。
 即ち、其処での教育が終了すれば、各々元居た国家へと帰還し、其処へ仕える事となる。
 その時は、席を並び技を競い合った学友たちと、剣を向け合う事も有り得るだろう。
 例えどれほどの友情を抱いていたとしても、敵対したとあらば戦うしかない。
 それが国に仕える聖機師の定めである。
 
 「昨日の友は、今日の敵ね。卒業式が終わったばかりの時期に話す無いようじゃないわね、コレ」
 リチアが空気を入れ替えるように手を払った。アウラも仕方が無いと苦笑を浮かべながら頷いた。
 それを受けて、アマギリが話を纏めるように手を広げていった。
 「ま、何か世界滅亡でも企む悪の大魔王でも出てきて、それに世界が一つになって立ち向かうみたいな構図にでもならない限り、この問題は解決しないんでしょうね」
 「そんな都合の良い話がある訳無いでしょう」
 アマギリの戯言に、リチアが面倒そうに応じた。

 馬鹿馬鹿しい夢物語。聞くまでも無いと。この日のこの会話は、これで終わりだった。

 春休みが終わり、新しい一年が始まる。

 その少し前の、その日が始まる少し前の、ある日の平穏な日の事である。


 ・Scene 30:End・





    ※ 二ヶ月近く英単語のスペルミスに気付かないとか割と久しぶりに自分に笑えたと言うか。
      初めはちゃんとやってた筈だよなぁと思って見返すと、ちゃんとしてたのはホントに初めだけだったし。

      まぁ、さて。
      気を取り直して次回から遂に本編の時間軸に入ります。
      と言っても今回の話から既に片足くらい本編の内容に突入しているんですが。
      
      漸く、漸く次回、ヤツが出るぞ……



[14626] 31-1:白と黒の聖機人・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/06 22:10


 ・Scene 31・



 あー、テス、テス、マイクテ※※※※おや、もう聞こえ※※※※い?

 話しには聞※※※※けど本当に一発で受※※※※れるな※※※※良い感度をしてるじゃないか。

 まずは始めまして。あたしは銀※※※※学師、白※※※※気軽※※※※ちゃん♪ ――※※※※んでおくれ。

 ま、アンタにとっ※※※※殿のお友※※※※言った方が早いかも※※※※ね。
 
 あ※※※※そう、そう言えばその瀬※※※※伝言を預か※※※※だ。いやい※※※※るところだった。えーっと、何処置いたっけな……お※※※※の前に。

 一応※※※※に確認しておくけど、あ※※※※音殿で間違ってないよね? 

 え? ―――覚え※※※※ 
 
 あー、平気※※※※っちではち※※※※ってるから。うん、アンタは甘※※※※男坊、※※※※違いないよ。

 それ※※※※っけ? ―――おお、そう※※※※戸殿の伝言だっ※※※※し、じゃ聞かせ※※※※ほんっ!

 ”再会の日を楽しみ※※※※るよ坊や”。

 ―――だ、そうだ。いや※※※※離れても我が子を心配※※※※なんて、泣※※※※心じゃないか。

 え? 我が子で※※※※、ついでに放※※※※まま百年以上※※※※いかって? 
 
 ははは、それは※※※※音殿。正確にはア※※※※雷を離れてからも※※※※年以※※※※ている。放置し※※※※由は―――そうさな、帰ってき※※※※お楽しみだ。

 何? 帰りた※※※※? 
 
 それはあ※※※※知するところじゃないね。頑張っ※※※※瀬戸殿を説※※※※くれ。

 ―――さて、あんま※※※※で時間を食っても船※※※※の負担になるだけだし、そろ※※※※に入ろうか。

 実はね、ウチの子※※※※そっちへ送ったのさ。

 ※※※※ず鍛えられる※※※※てはおいたけど、何処まで出来る※※※※子次第さね。
 
 会うこと※※※※ら、先達として※※※※気にかけてやっておくれ。

 素直に育※※※※、ほいほ※※※※う事を聞いちゃうような子に育っち※※※※らねぇ……。ま、其処があの子の可※※※※ろなん※※※※

 おっと、話が逸れた※※※※言う訳なんで宜しく頼※※※※音殿。

 そのお礼※※※※いっちゃあな※※※※、あの子にはあ※※※※ったアンタの機※※※※化させる修正パッ※※※※戸殿の仕掛けたロックを解除※※※※コードを持たせてお※※※※。

 即※※※※けど、これさえ入れ※※※※肉体に負担※※※※限の能力の行使が可※※※※筈さ。―――必要だったら※※※※くれ。

 あ、念のため忠※※※※くけどね。

 二度と今の調整※※※※態で光※※※※開しよ※※※※考えるんじゃないよ。

 アンタは※※※※に皇※※※※なりきれていない、人と※※※※揺らぐ非常に不安定な状態※※※※あろうとしても、人でありきれ※※※※なろうとし※※※※とはなり※※※※。

 そんな状態で樹※※※※近づこうとしてごら※※※※タのただでさえ壊れ※※※※る人※※※※の部分が完全に※※※※うさね。

 早※※※※――。

 ・

 ・・

 ・・・
 
 ……
 
  
 ―――死んじまうよ?


 「―――っ!?」

 掛け布団を跳ね上げ、半身を起こす。
 周囲を見渡し、窓の向こうが夜に沈んでいる事にアマギリは気づいた。
 動悸が激しい。荒い呼吸、背を伝う汗が、まだ肌寒い初春の夜に急速に身体を冷やす。
 夜目に慣れ、月明かりを反射して、壁に掛かっていた時計の単身の位置がうっすらと確認できた。
 夜明けまで、後五、六時間はありそうだ。
 寝なおすには―――少し、目が冴え過ぎていた。

 「変な夢……だった、のか?」

 ベッドサイドに掛けて置いたカーディガンを羽織、漸く息が整った後、アマギリはポツリと呟いた。
 夢。
 夢だったのだろうか。
 誰かと会話をしていたような、蟹の化け物に襲われていたような、忘れてはいけない重要な事実を発見したような、良く解らない、ない交ぜな感触が胸をよぎった。
 しかし所詮それは夢。
 目覚めてしまえば、記憶の欠片にも残る事は無かった。
 どんなに思い出そうと足掻いても、その都度それは遠ざかる。二度とつかむ事は出来ないだろうと、そう思わせる。
 はぁ、と。
 仕方ないと、アマギリは気分を入れ替えるために茶でも入れようと思い、ベッドから這い出した。
 毛深い絨毯が敷き詰められた床は、はだしで踏みしめても冷気を伝える事は無く、帰ってそれが現実感を感じさせない空虚な感覚に思えて、アマギリの気分は沈みそうになった。
 
 ―――それを破ったのは。

 クラシカルなベルのリズムを響かせる、内線の伝達を知らせる音だ。

 RiRiRi……と、途切れる事無くなり続けるそれに、アマギリは嘆息しながら近づいて、受話器を握った。
 「どうしたの? ―――……へぇ」
 受話器の向こうから伝わる焦りを含んだ家令の声に、アマギリの面倒そうな顔が皮肉気に歪んだ。

 今、この場には、聖地には居ない、アマギリの従者であるワウアンリー・シュメからの緊急コード。

 シトレイユから聖機神を運搬するために、ラシャラ・アースの座乗艦である空中宮殿スワンに同乗している筈のワウアンリーからの、緊急を知らせるコード。
 何かが、起こったのだ。
 シトレイユの新国王が乗る船で――ー何かが。
 「位置は?」
 『聖地近く。警備隊の巡回エリア圏外ギリギリの位置にございます』
 アマギリの端的な質問に、家令長は落ち着いた声で答えた。アマギリは老人の言葉に、深々とため息を吐いた。
 「二年前からやり方何も変わらないな―――因みに、倅はどうしてる?」
 『外からの監視を続けている限りでは、寮内に居る筈なのですが―――生憎と、聖地内の隠し通路に関しましては、未だ我々も把握しきれておりませぬ故』
 「二年も居るのにどんな体たらくだよ……」
 毒づくアマギリに、老人が気を張った声で応じた。
 『面目次第もございません。―――ご命令があれば、踏み込みますが』
 「やめてよ。”居なかった”からって”居る”理由にはならないんだから、そんな無駄手間必要無いって。―――それより、オデットに積んであった快速艇に、コクーンを積んでおけ」
 禅問答のような物言いで、アマギリは老人の言葉を遮った。
 そして告げられた言葉は、老人の声を苦くさせるに充分だった。
 『まさか、ご自身で―――!?』
 「人が居ないんだから仕方ないだろう? ユキネもマリアと一緒に聖地への航路をとっている筈だけど、位置的にシトレイユからの航路とかち合う筈が無い」
 『しかし、危険が―――』
 主のみを心配する老人の言葉を、しかしアマギリは鼻で笑って応じた。

 「どんなにぶっ飛ばしても到着は明日の夜くらいになるんだから、どうせ行く頃にはもう全部終わってるよ―――どういう形にせよ、ね。終わってたらそれで良し。終わってなかったら見っけものだ。騒ぎに乗じて連中の駒を刈り取るチャンスでもあるし乱戦中に介入できれば新女王に恩も売れる。行って損は無いさ。―――女王陛下には、そう伝えておけ」

 『―――本当に、最近益々陛下に似てきておられますな、殿下。かしこまりました、手はずは整えておきますゆえ、オデットへ御向かい下さい』
 諦念の篭った老人の言葉を最後に、アマギリは受話器を置いた。
 寝巻きを脱いで壁に掛けて置いた私服を着込む。サイドテーブルの宝石箱に収められた属性付与クリスタルが目に入った。
 「そのままで行けば強いけど稼働時間がネック。そこは快速艇で稼ぐとして……それでも、一度動かしたらお釈迦ってのはあんまり良くないか。」
 嘆息して、アマギリは属性付与クリスタルを首に掛けた。因みに、紐の色はデフォルトで青だった。
 この聖地からスワンまでは本来二日以上掛かる距離だ。一度でも起動してしまえば、通常の聖機人よりも稼働時間が短く、そして限界を迎えれば工房に戻してオーバーホール必須の形質劣化が待っている事が確実の龍機人で直接向かうには、余り良い状況ではない。
 「スワンに搭乗している戦力は、何人だっけか。ワウと……そうか、キャイア・フラン。間違いないのは二人だけ……と言うか、ワウに何かあったら政治的に拙いって事解ってるのかね、従妹殿は。いや、従妹殿よりも、下手人の方に問題があるのか……。あの馬鹿。ちゃんとその辺弁えているんだろうな。」
 考えるまでも無い。弁えていたら、こんな節操の無い真似が出来る筈が無いのだ。
 そういえば、それを手引きした男も、スワンに同乗している筈だと、アマギリは気づいた。
 「何故何も言わないかな。何か目的があるのか? 状況を混乱させて僕に兄を排除させる……無茶すぎるか。それよりも下手人が本当にアレの場合、キャイアが裏切る可能性もあるのか? 結構やばい状況だな。従妹殿も、無事なら良いけど……」
 地位や立場から離れれば友人といって差し支えない少女だったので、無事であって欲しかったが、アマギリの冷静な部分は、それが難しいかもしれないと理解していた。
 ワウアンリーが聖機人以外にも自作の玩具をいくつ持っていっていた筈だが、それが有効に働くかどうかはまだ未知数である。
 主殺しなどという大それた行為に手を染めようとしているのだから、下手人たちはスワンにかなりの腕利きを派遣している事だろう。優秀とは言え見習いの域を出ないワウアンリーやキャイア―――そう言えば、明後日には彼女らは正規の聖機師として認められるのだが―――達で、ラシャラを守りきれるかどうか、かなりきわどいといわざるを得ない。

 「最悪は―――いや」

 その事態を口にしようとして、アマギリは首を振って思考を追い払った。
 良くない未来を口にすれば、それを引き寄せてしまうような気がしたからだ。
 そうであった場合の対策も、今まで幾度と無く考えてきたが、だからと言ってそうなって欲しいとは、流石のアマギリでも考えていない。

 今は、スワンが敵の一度目の襲撃を退けて、そして増援として到着する自分という未来を考えておけば充分だ。

 その後の事は―――その時、現場を見てから考えよう。

 着替え終え、部屋を出て足早に廊下に出た刹那。
 アマギリは、格子窓の向こうに見える、夜空に浮かぶ満月を目にする事になった。

 丸い、大きな月。

 それは漆黒の闇に開いた、光の扉のようにも思えて。

 ―――その向こうに居る何者かの存在を、アマギリは確かに感じていた。







    ※ 原作編、開始。
      ここまで来ると後は坂を下るだけなので、今まで回想でチラ見状態だった公式チートの面々も、
     容赦なく進行中の時間軸に登場とか。

      しかしまぁ、こういうやり方をすると、聖ヨト語の素晴らしさが解るというものですね。



[14626] 31-2:白と黒の聖機人・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/07 22:09


 ・Scene 31-2・




 妙な事になったなと、アウラは夜の森の中、聖機人を飛翔させながら嘆息した。

 警備隊の一員として聖地周辺を回遊していた途上に受け取った緊急信号。
 発信源はシトレイユ新国王ラシャラ・アースの座乗艦スワン。聖地学院へと入学するために聖地へと進路を取っている途上であった。
 その最中、何者かによる聖機人を用いた襲撃を受けたとの連絡だ。
 その襲撃自体は退けたと聞いていたので、通常速度で警備艇をスワンに向けていたのだが、その途中に今度はアウラ達が所属不明の飛行艦艇の存在を発見してしまう。
 偵察を兼ねて自ら聖機人に乗り込み出撃したアウラは―――何故かその所属不明艦の乗員、即ちラシャラ・アースの乗るスワンを襲った者達の一員と思しき少年を救助してしまった。
 救助、である。確保ではない。
 その少年は自ら生身で所属不明艦から身を投げ出していたから、傍まで接近していたアウラは、咄嗟の判断で聖機人でその少年を保護してしまった。
 そして、状況整理も兼ねて救助した少年ともどもスワンを訪れて―――その結果が、現在の状況である。

 保護した少年は致死性の高い風土病が発症していた。

 ロデトレシアンと呼ばれるそれは、人間の持つ抗エナ作用の過剰反応から来る呼吸不全、果ては心機能の不全に至る危険もある病だ。
 少年は病状は既に末期手前まで来ており、手遅れとなる前に治療を施す必要があった。
 故に、その特効薬の原料となるトリアムと言う植物が、必要となったのだ。トリアムは深い森、水辺に近いところに群生している。
 アウラはトリアムを探すために、同じくスワンを訪れていた聖地学院教師メザイア・フランと共に捜索に出たのだ。
 そしてメザイアと二手に別れ、アウラはこうして森の中に点在する小さな池の一つを目指している。
 
 「この辺りに群生があったはず……」

 木々の合間を潜り抜け小さな泉の前へと出たアウラは、聖機人を停止させて周囲の様子を伺う。
 森の狭間にある静かな、透き通るような泉。
 天上に輝く満月に照らされて、さながら光り輝く舞台のように見える。
 だが、その美しさに囚われている暇は、今は無い。アウラは素早く、しかし見落としが無いように慎重に、泉の周囲をつぶさに観察していく。

 ―――。

 ザワリとも、音すらさせず。

 それに気づく事が出来たのは、アウラが一流のいくさ人であったが故か。それとも、ダークエルフの超常的な直観力ゆえか。

 それとも、その一瞬に漏れ出した、まごう事なき明確な殺意によるものか。

 全身の神経があわ立ち、握り締めた聖機人の操縦桿に、培われ鍛え上げた回避の動作を実行させていた。
 急反転、同時に最大速度で背面飛行。波紋を浮かべながら泉の中心まで引き下がる。
 
 アウラを襲ったもの。
 それは、触れるものに抗いようも無い死を与えるであろう、巨大で、醜悪な意匠を持った大鎌による一閃だった。
 「何者だ! ―――っ!?」
 敵襲。回避から敵影の認識までにそう判断する猶予は充分にあった。
 だが、襲い掛かってきた敵の聖機人の姿を目にしたアウラは驚愕せざるを得なかった。


 『良く避けたわねぇ』

 起動中の亜法結界炉同士が干渉する事によって起こる局地的な全方向通信が、その嘲るような言葉を伝えてくる。
 女の声。聞くからに、歳若い。聞き覚えなど、アウラにあるはずが無い。
 
 夜よりも深い闇が形を持ったかのような、悪魔のような禍々しい姿。

 「黒い、聖機人……?」
 正当なる手順を踏んで聖機師となったものは、その顕現する聖機人の意匠から属性に至るまで全てを教会に登録されている。
 そのデータは金銭的なやり取りを介して閲覧が可能であり、そも、各国に配備される聖機人にはその情報が登録されている。対峙するものが何者で、いかなる組織に所属しているか、直ぐに解るようになっているのだ。
 無論、ある手順を踏めば聖機人の外観程度は偽装する事が出来る。だが、その方法を使って外観を偽装すると、”その方法を使って偽装している”と言う事実だけは直ぐに判明してしまう。
 
 故に目の前の聖機人が偽装行為を行っているのならばアウラには一目でわかる筈である。

 だが、その兆候は見られない。目の前の聖機人の正体が、アウラには解らない。
 全く見たことも無い、感じた事の無い強烈な亜法波を発している黒い聖機人が目の前に確かに存在していた。
 そしてそれは、殺意をむき出しにして、アウラに襲い掛かってきたのだ。
 「早いっ!!」
 黒い聖機人は鎌を流しもったまま突撃を仕掛けてきた。
 突撃の速度に載せて鎌を持たぬ開いた左手を、その鉤爪の様な掌を一杯に広げ、アウラの緑色の聖機人に叩きつけてくる。
 「―――ぐぅっ!?」
 鈍い音、軋む金属の呻きに合わせて、凄まじい振動がコア内部のアウラを揺らす。
 『アッハハハハハハッ!!』
 うめき声を漏らすアウラを嘲笑うかのような、甲高い笑い声が泉の中心で響き渡る。
 黒い聖機人はその手でアウラの聖機人の頭を掴み上げ、あろう事かそのまま腕力に任せてアウラの聖機人を泉の向こうにある巨木へ向かって投げつけた。
 姿勢制御の間に合わない凄まじい圧力。アウラは、その緑色の聖機人はなす術も無く巨木の幹に背を打ちつけた。痛みが熱すらを持ってアウラの背中を襲う。
 シートからずり落ちそうになる体を、握り締める操縦桿を支えにして持ち上げて、アウラは正面を睨む。

 泉の中心で、鎌を振り上げる黒い聖機人。ボロボロの黒い外套のような装甲が、亜法波に揺れて怪しく揺らめく。
 それは間違いなくアウラを死へと誘う死神の姿にしか見えなかった。
 黒い聖機人が、身を前傾に傾ける。
 来る。そうと思った瞬間には敵は既に眼前へとあった。
 無様な横転による回避。
 
 間に合うか―――!?

 死すらも覚悟した、アウラの咄嗟の判断。振り下ろされる鎌の速度。それよりもほんのわずかばかり、アウラの行動速度が勝った。
 ギィンッ、と。劈くような音が衝撃すらを秘めて泉のほとりの雑草を巻き上げる。
 回転しながら跳ね飛ばされる、ほんの数瞬前までは確かにアウラの聖機人と共にあった鋼の腕。
 片腕を犠牲にして、アウラは何とか窮地を脱した。
 泉の対岸へと距離を取るアウラ。それを獲物を追いかける猟犬のように追いかけ機体を翻す黒い聖機人。
 そして漸く、大木が切り倒された自らを認識し、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
 重い振動音は、アウラの聖機人が装備していたボーガンより放たれたエナの光弾の連射音にかき消された。
 牽制にもならぬとは承知しながらも、まずは状況を好転させるためにもアウラは引き金を引いていた。
 黒い聖機人は、幾つもの光の筋を或いは避け、或いは手にした鎌で弾き飛ばしながら、アウラ目掛けてその身を前進させる。
 その速度は、先ほどまでの突撃の時となんら代わりは無い。

 拙い。

 牽制などするまでもなく、場を離脱するべきだった。
 アウラがそう気づいた時には、全てが最早致命的な状況だった。
 突撃の速度に載せて横凪に振り払われた大鎌。今度こそ、アウラに回避する術は無い。
 
 アウラには、その一撃を回避する事は不可能だ。

 故に響き渡る死神の笑い声に怖気を覚えながら、アウラは鈍いきらめきを放つその刃に体を差し出さなければならない。

 ―――それを、許さないという意思が介在しない限りは。

 ゴォンッ!!

 『なにっ!?』
 「―――っ!!」
 打ち合わされた銅鑼の音の如く。
 それは泉に飛沫を撒き散らしながらかき鳴らされた。
 鎌首がアウラの聖機人のコアに叩きつけられる、その間隙。差し込まれたのは果たして。
 
 装飾の一つも無く、実用性以外の何一つも必要ないと宣言するかの如き無骨さの、聖機人の身の丈すらも越える長大な槍だった。
 槍は垂直に、鎌とアウラの聖機人の間に突き立てられている。
 『お前は―――?』

 それに何の意味があろうか。
 突き立った長槍の石突に爪先を立てて、小豆色の聖機人が腕を組んで争いあう黒と緑色の聖機人を睥睨していた。
 無形の威圧感―――と言うよりは、行動の不条理さに、黒い聖機人の聖機師が言葉を漏らしてしまうのも無理は無かった。アウラにも、いまいち状況が理解できていない。
 小豆色の、特徴の無い聖機人。尻尾は生えているから、それなりに優秀な聖機師が操っているのだろう。
 見覚えは―――何処かで一度、見かけたような気がする。否、そう感じる。視覚からの理解ではなく、肌で感じる特徴的な亜法波によって、アウラはそう理解した。
 そう、この亜法波は―――。

 『黒、か。まぁ、禍々しさでは僕もたいして変わらないか』

 男の声。聖機人のぶつかり合う戦場に、男の声が介在すること事態が異質。
 しかしその男の声は、異質であるが故にそこに存在するのが当然と感じさせるような男のものに聞こえた。
 「お前、まさか―――!?」
 驚愕しながらも、それ以外の答えは無いなとアウラ自身も気付いていた。非常識の場が似合う男の聖機人など、アウラは一人しか知らないのだから。
 些か聖機人の外観が何時もと違うような気がするが、それこそ、外観を偽装しているのだろう。行動自体が本人の証明のようなものだから、まるで偽装の意味を果たしていないのが、いっそのことその男らしかった。
 「アマ―――」

 『ワタシはダグマイア・メストであるっ!!』
 
 「―――は?」
 『―――は?』
 ここが戦場。死の一歩手前に居た事も忘れて、アウラは目を丸くして声を漏らしてしまった。
 どう考えてもアマギリ・ナナダンが乗っているとしか思えない小豆色の聖機人の搭乗者が、アマギリ・ナナダンの声でダグマイア・メストだと名乗った。
 
 意味が解らない。

 一つだけ確実にアウラが理解できた事は、この男がアマギリ・ナナダン以外の何者ではないという事実だった。
 だからと言って状況が解決する訳も無いが。
 だが、自称ダグマイアはアウラの混乱を解決する気はまるで無いらしく、偉そうに腕を組んだまま黒い聖機人に向かって声を張り上げ続ける。

 『作戦は既に終了した!! 戦闘を終了し速やかに撤収しろ!!』

 「……んん?」
 お前は何を言っているんだと突っ込んだ方が良いのだろうか。
 戦闘の熱が消え去り微妙に空虚に感じるようになった空気が、アウラには痛かった。

 そもそも、何故ダグマイア・メストの名前が出てくるのか―――そう、疑問に感じたのは、しかしアウラだけだ。

 ギッ、と。不快な金属の軋む音が、槍と鎌との間で唸る。
 『お前が―――』
 苛立ちの混じる、黒い聖機人の搭乗者の声に、アウラの神経が引き締まる。
 間断も無く、操縦桿に回避の思念を伝える―――それは、今度は間に合った。

 『ダグマイアの訳があるか―――ッッ!!』

 怒号一閃。後方に跳躍して逃れるアウラ。
 槍ごと圧し折ろうとばかりに放たれた力任せの斬撃。アマギリは力の流れに逆らわず、起用に聖機人の脚を使って石突を倒し、それを持って槍を半回転させて機体の前に跳ね上げる。
 両手で掴み、垂直一回転。構えなど一つも用意せず、そのまま機体の重量を載せて鎌を振り払って無防備な体勢になった黒い聖機人に刺突を放つ。
 『っ! ―――調子に、乗るな!!』
 しかし、上空からの刺突を黒い聖機人は上半身だけを捻って回避する。その捻りの動作と共に手首を返して、斜め上方、アマギリ目掛けて大鎌を振り上げる。
 しかしアマギリは地に突き落とした槍を撓ませ、聖機人で棒高跳びでもするが如き動作で反動をつけて大鎌の刃圏から逃れてみせる。飛びず去るその一瞬でしっかりと槍を回収している様は最早曲芸とも言うべき技だ。
 
 『このっ、猿か何かかお前は!』
 黒い聖機人から明確な怒りの篭った声が響く。
 しかし、森の合間に着地した体勢のアマギリの聖機人は余裕の態度そのものだ。槍を肩に担いで、巨木に背を預けてみせる。
 『生憎、動物では蛇に例えられる。その辺り、ダグマイア・メストから聞いているんじゃないの?』
 『何? ―――そうか、お前』

 怒りを薄れさせ驚愕に揺れる黒い聖機人の声に、アウラは先ほどの訳の解らないアマギリの言葉の意味を理解した。つまりは、そう。それがアマギリがこの場に居るという理由でもあるのだろうと言うことも。
 この男は、恐らく下手人の首魁がダグマイア・メストだとほぼ確信していて―――先の戯言を通して、それを確信したのだ。
 「……相変わらず、悪辣な事だ」
 ぼやくように、アウラは呟いてしまった。
 そして同時に、こうも思う。
 下手人の正体がダグマイア・メスト―――メスト家の人間であるなら、この事件はシトレイユ皇国の内乱に他ならない。そうであるなら、他国の―――シュリフォンの人間であるアウラには、個人的な感情は差し置いて、迂闊に介入する訳には行かない。
 尤も、何を思ったか向こうから突っかかってきたのだから、最早引き下がる訳にも行かないが。
 この事態を収め、保護した少年を救い、絶対に詳しい事情を聞く必要があるだろう。個人としての人道的な思いと共に、シュリフォンの王女として公的な面から見ても、外交上の強い道具になるであろう情報の入手は必須といえた。
 とにかく今は、味方―――おそらく、きっと、多分、確証は無いのだが―――のアマギリと共に、この場を退ける事が先決。

 『―――そうか、お前がハヴォニワの龍か』
 黒い聖機人の搭乗者は、納得したように言葉を漏らした。
 そして何を思ったか、アマギリに向かって構えていた大鎌を下げた。
 「なに?」
 ふわりと、黒い聖機人が重力に逆らって浮遊した。
 『あ、おい!』
 アウラとアマギリが戸惑ったように声を上げるのも聞かずに、黒い聖機人は木々よりも高い位置まで上昇を続けた。そして、ふっと体を翻して、森の中のアマギリを見下ろした。

 『今の所お前に関わるつもりは無い。―――坊やに騒がれるのも面倒だしね』
 
 ―――言うが早い。黒い機体は身を翻して、闇夜の中へと消えて行った。
 突撃の時にも見せた高速の機動。気勢を削がれて出遅れてしまったアウラたちには追いかけるのは難しいだろう。
 「―――助かった、と言うほか無いのか」
 アウラは片腕を切断された機体を制御して、泉のほとりに上がる。
 『おっとり刀で駆けつけてみれば、何だか良く解らないんですけど―――僕はてっきり、スワンが落とされて森に逃げ込んだラシャラ皇女でも居るのかと思ってたんですが。何でアウラ王女が居るんです?』
 映像回線を開いた私服姿のアマギリが、気だるげな顔で首を捻っていた。首にはやはりと言うべきか、聖機人を擬態させる属性付与クリスタルを掛けていた。
 「それはこちらの台詞だよ。何故お前がこんな所に居るんだ」
 『酷いなぁ、助けて差し上げたのに』
 アウラは、状況を推察しているに違いないくせに惚けた顔をしているアマギリの態度に安堵を覚えてしまった。
 「お前の事だから何となく理解しているのだろうが―――色々と事情が込み入ってしまってな。すまないが、私は少し降りる。トリアム草が必要でな」
 『トリアム? それって確かアレですよね、天日で乾燥させて冬場の保存食になる。鮮度の高いうちに市場とかに持っていくと高値で売れたりして、昔は貴重な収入源だったような―――確か、何かの薬に使えるとか……誰か、病気の人間でも?』
 相変わらず鋭い。そして無駄に知識が多い。
 アウラは疑問と言うよりは確認を求めるアマギリには答えず、機体をコクーンに戻して泉のほとりに降り立とうとした。
 『ちょっと待った』
 「―――どうした」
 アマギリがそれを、鋭い声で制止した。通信映像の中のアマギリが、視線を下に―――恐らく、レーダーに目を落としているのだろう、眉を顰めて続けた。
 『何か近づいてくる。恐らく聖機人だけど―――あれ、でもこの亜法波って』
 首を捻るアマギリの態度に疑問を覚えて、アウラもレーダーに表示される情報に視線を映した。そこに見えた数字に、なるほどと頷く。
 「問題ない、メザイア先生だよ、それは」
 『メザイア? メザイア・フランですか? ―――なんでこんな所に』
 「それは、お前が言えた義理では無いだろう?」
 首を捻るアマギリに笑い返して、アウラは機体を降りた。
 
 トリアムの群生は、果たして、直ぐに見つかった。
 「とりあえずは、これで―――」

 一段落。

 本当にそう言えるのか?
 今、この場で何か解決した事が一つでもあるか?
 トリアムは見つかった。
 だが、少年が助かるかはまだ解らない。
 敵から逃れる事は出来た。
 だが、撃退した訳ではなく、その正体も解らない。
 そもそも何故アマギリ・ナナダンがこの場に居る。
 アマギリが述べた下手人の名を、どう判断すれば良いのかも未知数。
 そして最悪の可能性ではあるが、アウラ自身が襲われたという事は、スワンも再度襲撃を受けている可能性もあるのだ。
 早々にトリアムを回収し、メザイアに事情を説明し、スワンに引き返す必要があるだろう。
 トリアムの回収に向かうアウラの視界の端に、アマギリの聖機人が警戒するように空に槍を構えるのが見えた。
 「……アマギリ」 

 ―――その聖機人はメザイアだと。アウラがしっかりとそう述べたのに、アマギリは警戒している。

 意味の無い行動をしない男の、意味を理解できない行動。
 胸に一抹の不安が過ぎる。その正体がつかめない事が、アウラには何よりの不安だった。
 悩みに嵌れば行動に躊躇いが生まれる。それは避けたい事だと、アウラは首を振ったあとで、気分を入れ替えるべく夜空を見上げた。

 漆黒の夜空。満天の月は未だ高い位置にある。

 ―――夜明けは、遠い。





     ※ 思えば聖機人が出てくるのがすっごい久しぶりな件。
       まぁ、ある意味原作どおりと言えば……。

       人形さんも漸くでてきたし、これでメインどころは出切ったって処でしょうか。
       



[14626] 31-3:白と黒の聖機人・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/08 22:15

 ・Scene 31-3・





 つまるところ最初の段階で躓いたのだと、彼は心のどこかで理解していた。

 だが常からの事だったが、理解できていたからといって納得できている訳ではないのが、彼―――ダグマイア・メストの性質と言うものだった。

 情勢は最悪、そう言う他無い。
 勝手判断で飛び出して、あまつさえ一度失態を演じてしまったのだから、二度目の今、こうしてまた失敗を迎えそうな状況に追い込まれてしまえば、ダグマイアの脳裏に蠢くのは焦燥の二文字だけだ。
 
 何が悪かった?
 
 成功すると判断した作戦が失敗したのは、何が悪かったせいだ?
 何故今更、キャイア・フランと件を打ち合わせる必要性が出てきた?
 貴重な特殊任務用の聖機人が次々と討ち取られていくのは何故だ?
 父の叱責―――否、明確な侮蔑の視線を浴びねばならなかったのは何故だ?

 自分が―――否。

 「叔父上が、使えない手駒など用意するから……っ!」

 素性を隠す仮面の向こうで、ダグマイアは呻くように呟いた。
 そうとも、確実に成功させられるような作戦すらまともに行う事の出来ない役立たずの手駒。
 あんなものを押し付けられてしまえば、仕方が無い。仕方が無いとも―――今、自分が追い詰められている事も、仕方が無い。

 全て、あの野蛮な異世界人が悪い。

 ロデトロシアンが発病していたから、今頃はもうくたばっているだろうか。
 だとしたら、いい気味だ。
 叔父の内通によって、スワンのラシャラ・アースはご苦労な事に戦力を分断してまで、あの異世界人を治療するための薬草の確保に向かっている。
 そちらには人形を向かわせた。
 例え警備隊のダークエルフと言えども、あの殺戮人形には適うまい。
 今頃は既に、シュリフォンの王女の命は尽きている筈だ。

 その割りに、人形の帰還が遅い。そう、遅いのだ。
 命令を果たしたならばすぐさまこちらの援護を行って然るべきだと言うのに、何時までたってもその気配が無い。
 まったく、ふざけた話だ。
 そんな事も出来ないから、また追い詰められる事になったのだ。
 そう、今のこの状況は―――三機の聖機人で一機の聖機人を攻めたと言うのに、既に二機を落とされたと言う今の状況は―――その程度の自己判断もできないあの人形のせいだ。

 ふざけた話だ。
 このダグマイア・メストが確実に成功する作戦を考案していると言うのに、どいつもこいつも足を引っ張ってばかり。

 そう、ダグマイア・メストは最善を尽くしている。
 それゆえに、ラシャラの護衛聖機師キャイア・フランを追い詰める事が出来た。止めを指す事だって容易かった。
 積年の―――最早、それがどんな感情であるかも解らない位、泥濘のように濁って積み重なってきた感情を爆発させる絶好の機会を手に入れる事が出来たのだ。
 しかし、確実に果たされる筈だったその想いが、ここに来て暗雲が漂い始めている事に彼は気付いていた。
 何故だ。
 張りぼてを積み上げたようなガラクタ重機の大砲で吹き飛ばされるような情け無い部下が居たせいか。
 否、父から預かっている手駒は優秀―――本来なら、父が主導する本命の作戦に参加する手はずとなっているほどの、腕利きだった。
 それを無能と罵る事は、それを与えた父、ババルン・メストの事を―――否、否、否。
 
 ―――そうとも、結界工房のワウアンリー・シュメ、その存在を報せる事が無かった内通者である叔父の責任だ。
 そうに、違いない。そうであるべきだ。

 まったく持って忌々しい。
 聖機師同士の戦いにあんなガラクタの鉄屑で割り込んでくるとは。
 まるで、一機を囲んで多数でなぶり殺しを仕掛ける不逞のやからのような浅ましいやり方だ。
 
 あの、素性も知れぬ不貞のやから、アマギリ・ナナダンの従者なだけある。

 「アマギリ・ナナダン……」

 その名前を思い出して、ダグマイアは焦燥の中に更に眉間の皺を深まらせた。
 アマギリ・ナナダン。ハヴォニワの王子。忌むべき相手だ。抹殺すべき、排除すべき。
 あの男が存在しているせいで、聖地学院の意志の弱い者達が惑っている。
 まるでダグマイアとアマギリを天秤に掛けるかのような目で、態度を決めかねているのだ。
 本来であればとっくの昔に掌握できていた筈の者達が、未だにダグマイアに靡いてこない。
 由々しき事態。父の不況を買ってしまいそうな、由々しき事態だ。
 忌々しい。
 キャイアよりも先に、ワウアンリーを始末するべきか。そうするべきだ。そうしてしまえ。

 従者を討ち取られたヤツの絶望に染まる顔―――。

 ”次は無い”。

 ぞくりと背筋があわ立つ、その言葉が脳裏を過ぎる。
 恐怖に、操縦桿を握り締めた掌が汗でじっとりと滲む。

 まるで、踊り狂うように戦場を蠢き、敵を粉砕する龍の機影。

 その姿を、恐怖と共に思い出す。
 忘れろ。出なければ―――忘れなければ。今は、アマギリ・ナナダンなどどうでも良い。歯牙にもかけてはいけない。
 そう、あのくだらない俗人などダグマイア・メストが意識を傾ける必要は無い。
 そうとも、わざわざ自身が手を打つまでも無く―――だれかに、やらせてしまえば。

 思考に逃げ道を見つけ、ダグマイアは意識を切り替える。
 戦場となっているスワンの上層庭園部をを空中にとどめた聖機人から睥睨する。
 格座したキャイアの聖機人と、元々ガラクタだったものがほぼスクラップになりかかったワウアンリーの乗機。
 たいしてダグマイアの戦力は―――既に、自身の一機のみ。
 援軍は来ない、配下は既に後退。
 それでも、普通に考えれば優位な状況で、ダグマイアは取り残された一人故の恐怖を押し隠して、笑みを顔面に貼り付ける事すら可能だった。
 
 一撃。

 斬撃の一つも加えてやれば、それで全てが終わる。
 後は悠々と、ラシャラ・アースを殺すだけだ。
 だから、まずはキャイア・フランに止めをささねば。
 常に自分の先を行く、あの幼馴染の少女を永久に視界から遠ざけるために。
 自身こそがと証明するために。証明するために、不可能は無いと、つかめるのだと、だからこんな所で留まっている事は出来ない。
 
 さあ、だから早く。
 震える手をしっかりと握り直して、攻撃の意思を聖機人に伝えるのだ。でないと、思考伝達方式を採用している聖機人は、動いてくれない―――動いて、くれないのだから。

 そうして、ダグマイア・メストは何時ものように。
 他の全ての不安要素を心から押し流して、成功だけをイメージして、ただその一点だけを睨みつけて突き進もうとして―――。

 ―――だから、何時ものように。

 「接近警報!? この速度は―――っ!」

 それは当然のように、彼が見落としていた方向からの、横槍が入ったのだ。

 夜の暗闇、空の向こう。森の上を滑るように接近してくる骨組みだけの船の姿。
 予想し得ない速度で飛翔するその船が牽引しているものは、見間違いようも無い、待機状態の聖機人―――コクーンである。
 
 誰だ。何処の人間だ。望遠カメラが接近してくる機影を拡大して映し出し―――その疑問は直ぐに解消された。
 「ハヴォニワの紋章だと!?」
 機首に堂々と、隠す必要も無く刻まれた、ハヴォニワの紋章。見ればコクーンの内にある聖機人の素体にまで刻まれているから―――正体を推測するのは、容易い。
 事実、操縦席と思われるキャノピーの硝子越しに、見覚えのある男の姿が見えたのだから。

 「アマギリ・ナナダン!!」

 ―――だから言ったじゃないか。”次は無い”って。

 そんな言葉を聞いた覚えは、ダグマイアには無い。
 だと言うのに、今まさに耳元で囁かれたかのように、ダグマイアの耳朶をその言葉が撫でた。

 グイと、正面から加重がかかった事にダグマイアは気付いた。
 何事かと思う間もなく、眼下にあったスワンの庭園が遠ざかっていく。
 遠ざかって―――否、遠ざかっているのは、自身の操る聖機人。思考伝達により自在に動く聖機人が、この場所から離れるように、機体を飛翔させていたのだ。
 
 「―――ドールめ、しくじったな!」

 そんな言葉が、気付けば口から洩れていた。
 そしてその後でダグマイアは、高速でスワンへと接近してくる船の後方に、緑色の聖機人の姿がある事に気が付いた。
 それは正しく、人形に襲撃させた筈のアウラ・シュリフォンの聖機人だった。

 そう、人形は失敗したのだ。
 それゆえに、敵に増援が現れたのだ。
 ダグマイアの戦力は、もう一人しか居ないのだ。

 だから―――仕方が無い。
 部下の無能故に、止むを得ず、望まぬ撤退を、ダグマイアは強いられているのだから。

 ああまったく、忌々しい。
 部下の無能、叔父の不義理、不快な男の横槍も。何もかもが忌々しい。
 こんなにも努力して、確実に成功できる作戦を立てたというのに。
 何時も何時も、最高の場面で最悪の邪魔が入る。それゆえに、望まぬ徹底を強いられるのだ。
 遠ざかるスワン。逃した獲物。確実だった筈の栄光。待ち受ける叱責。屈辱。

 「役立たずどもめ……っ!」

 罵るように、吐き捨てるように。

 ―――確かな安堵を秘めて、その言葉は洩れ響いた。





   

     ※ 「今日のところはこれで勘弁してやるぜ!!」とか誰も聞いてないのに言ってる感じで。



[14626] 31-4:白と黒の聖機人・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/09 22:52


 ・Scene 31-4・



 「げぇっ! で、殿下? な、何故……こちらに?」

 「出会い頭に主人に対して失礼な従者だな、オイ。―――てかさ、キミのそれに乗っけてる聖機人って、ひょっとしてウチのじゃないの?」
 飛行宮殿スワンの庭園部に快速艇を着艇させたアマギリは、そこで大砲のついた蒸気動力車を用いて聖機人だったと思わしき残骸の除去作業を行っていたワウアンリーと顔をあわせていた。
 まだ夜も明けぬ時刻。スワンの庭園は芝生が捲れ上がり、煙が燻り続ける戦闘の残り香が漂っていた。
 「さっきまで色々大変だったんですよぉ。と言うか、本当に、何故? いえ、何となく来た理由は解るんですけど」
 実際にはそういうことは無いのだが、ワウアンリーのイメージとして鉄火場と言えばアマギリ・ナナダンと言う印象があったから、戦闘後のこのスワンにアマギリの姿が見えるというのは妙にしっくり来ていた。
 「へぇ、理由解るんだ」
 「どうせアレですよね、どさくさに紛れて乱入して場を混乱させて恩着せてマッチポンプ狙おうとか」
 「なるほど、勉強になった。次からそうするよ」
 「あたしが言ったからやるみたいに言わないで下さいよ!!」
 何が悲しくて戦闘終了後の弛緩した気分の時にこんなテンションを上げなければいけないのか。ワウアンリーは涙目になって己が不幸を呪った。最早今更、考えても仕方の無いことといえばそれまでなのが一層悲しすぎる。
 そして、項垂れた後で重要な事実に気付いた。
 「いや、本当になんでこんなジャストなタイミングでここに来れたんですか殿下。この時間にスワンに到着しようと思ったら、ソレに乗ってきても一度目の襲撃の時に気付いてすぐに出発しなきゃ間に合わないでしょう」
 ソレ、と指差したのは後部に備えられたアームでコクーンを固定した快速艇である。
 因みに製作者はアマギリ自身。
 惜しみなく自身の知っている航空関連技術を投入しており、ジェミナーの常識ではありえない速度で飛行可能な船である。ワウアンリーの工房に入り浸って、勝手に設計して組み立てまで行っていた。
 しかし、そんなオーバーテクノロジーに片足を突っ込んでいる船を使っても、聖地からこのスワンの現在地までは遠い。
 「どうやってこっちに襲撃があったって気付いたんですか?」
 ワウアンリーの当然の疑問に、アマギリも納得の顔で頷いた。
 「実はキミの腰についてる避妊用の結界式には、心拍数が上がって緊張状態になったときに僕に伝わるように細工がしてある」
 「マジですか!!?」
 「どうでも良いけど新しいパーツを眺める時に興奮するのはどうかと思うよ」
 「他人のプライベート覗き見しておいて勝手にケチつけないで下さいよ!!」
 思わず後ろ腰を両手で押さえながら尋ねるワウアンリーに、アマギリは冷めた目で応じた。
 「嘘に決まってるだろう。つーか流石に、ソレは無いって気付けよ」
 「いやぁ、殿下ですし、やりかねないかなって」
 「解った、次は期待に答える事にするよ」
 「後生ですからやめて下さい」
 セクハラですよと半眼で訴えるワウアンリーに、アマギリも苦笑を浮かべて頷いた。
 「ま、仕掛けがしてあるのはアッチね。起動状態になると機密回線で通信を送ってくるように設定しておいた」
 「何時の間に……」
 ボロボロに大破している聖機人の残骸を示して言うアマギリに、ワウアンリーは言葉もなかった。
 聖機工であるワウアンリー自身にすら気付かないうちに機体に細工を仕掛けるとか、尋常でない技術である。
 尤も、他人の端末を利用して容赦なく結界工房のデータベースへ侵入を果たした人間のやった事だと思えば、当たり前とすら感じられたが。

 「―――で、結局、さっき逃げたッぽいヤツ以外にも来てたの? キミの言い方だと断続的な襲撃って事になるけど」

 辺りの様子を見渡しながら言うアマギリに、ワウアンリーは肯定を交えて尋ね返す。
 「はい、昨晩からコレで二度目です。こっちも、と言いますとやっぱり―――?」
 「来る途中にアウラ王女とばったり会ってね。何か教われてたから助けておいたけど」
 快速艇に遅れて到着した緑色の聖機人を見上げるワウアンリーに、アマギリも頷く。
 共に来ていたメザイア・フランの姿は見えない。どうやら、下方の格納庫に向かったようだ。
 「それって、大丈夫だったんですか?」
 片腕が失われた聖機人を見上げて冷や汗を流すワウアンリーに、アマギリは肩を竦めて応じる。
 「大丈夫じゃなきゃここに居ないだろうに。何を思ったか向こうも一機しか居なかったし……こっちは? ダグマイアっぽいのは居た?」
 「いえ、こっちは尻尾付が一体と、あと手下っぽいのが二機で……って言うか、ダグ……え? その言い方だと、まるで襲撃者の正体が……あ―――いえ、良いです答えなくて。聞きたくないです」
 ワウアンリーは大きく首を横に振って言葉を撤回した。世の中知らない方が心穏やかに暮らせる事があるのだと、この一年以内の間に良く実感していたのだった。
 アマギリも頷いた。
 「そうだね、こういうのは自分たちのテリトリーで話す事柄だし」
 「―――話すこと自体は避けられないんですね、やっぱ……」
 アマギリが登場した瞬間から予想していた後ろ暗い展開からは、やはり逃げられないのかと項垂れるワウアンリーに、当のアマギリは当然と胸を張る。
 「じゃなきゃ、何のために急いで駆けつけたのか解らないだろうに。あ、忘れないうちに経過の方を詳細なレポートに纏めといてね」
 「その前にせめて、建前くらいはお前を助けに来たんだってくらいは言って欲しいんですけど」
 「安心してくれ、他の連中にはそう言うつもりだから」
 「あたしにもたまにはそういう風に優しく言ってくださいよ!! 幾らビジネスの関係でも愛が足りなすぎでしょう!!」
 キサマに使う建前など無いと嘯くアマギリに、ワウアンリーが涙目で吼える。
 尤も、アマギリに優しい態度を取られたら取られたで、その裏を疑ってしまい落ち着けないだろうというのはワウアンリーも承知していたが。

 「……なぁ、そろそろ話しかけても良いか?」

 何時の間にやら二人の近くまで来ていたアウラが、微妙に居住まいが悪そうな顔で口を挟んできた。
 余りにも明け透け過ぎる主従の会話に、流石についていけなかったらしい。
 「ああ、お構いなく」
 「うわぁぁあ、スイマセン、お見苦しい所をお見せして。……あ、そうだ! トリアムは?」
 何故か息子の無作法を見られた母親のような態度で問いかけるワウアンリーにアウラは苦笑しながら頷いた。
 「メザイア先生が既に持っていった。これで、効いてくれれば良いが……」
 「ロデトレシアでしたっけ? 余り聞き覚えが無い病気ですが」
 心配そうに表情を曇らせたアウラに、アマギリが目を細めて尋ねる。その目に、ワウアンリーが頬を引き攣らせた。アウラは一瞬眉を吊り上げたが、そのまま一つ頷いて続けた。
 「罹患したのはどうやら襲撃者どもに使われていたらしい高地人だ。高地に住む人々は、エナに耐性が低いからな」
 「高地人?」
 アマギリは説明をしろとばかりにワウアンリーに視線を移す。
 「ええっと、ハイ。昨夜白い聖機人が襲ってきた日にスワンで保護した少年なんですけど」
 「少年。と言うか白? 黒じゃなくて?」
 「あ、黒い方も居ました。ついでに青いのも」
 「今度は青か。……青、ねぇ。―――いや、まぁそれはどうでも良いか。つまりその少年は聖機人を囮にしてスワンに侵入したって事?」
 次々と出てくる新しい情報に眦を寄せながら問うアマギリに、ワウアンリーも要領を得ない風に頷く。
 「多分、そうだと思うんです、けど……。あたしが青い聖機人と戦ってる最中に忍び込んだとか言う話で、良く解らないんですよね。途中で黒い機体も乱入してきましたし、死ぬかと思いました」
 「君が死んだらシトレイユとハヴォニワで外交問題に発展する事になるから死なないでくれて良かったよ。イヤ、本当に。最悪シトレイユに戦争しかける可能性もあったから」
 「……もうちょっとマシな心配の仕方をしてください、お願いですから」
 「優しさが欲しいなら、少しは公的な立場ってモノを弁える事だね。……まぁ、ともかく。黒い方は僕もさっき見かけたけど、青いのと白いのはどうしたの? どっちかくらいは仕留めてないの?」
 肩の部分にハヴォニワの国章が刻まれた聖機人の残骸を眺めながら尋ねるアマギリに、ワウアンリーはあさっての方向を眺めながら答えた。
 「えーっと、その。黒い方は殿下もご覧になったというからには、ご存知の通りで。白い方はキャイアさんがやっつけたって聞きました。……青い方は、今日も元気に手下を引き連れて。先ほどまで暴れてました」
 「あ、青いのはどうでも良い」
 「良いのか? お前のその口ぶりから言って、青い機体―――私も一瞥したが、アレの聖機師の正体にはお前は気付いているんじゃないのか?」
 まるで興味が無さ気に言い切ったアマギリに、アウラが目を丸くして尋ねた。
 森の中腹の泉での戦闘中の口ぶりからも、アマギリがある程度の事情を解釈済みだったことは疑うまでも無いから、恐らく首謀者と思しき男が操っていた聖機人に興味を示さないのは奇妙に思えたのだ。
 「それに関しては、あとでもっと詳しい人に聞けば良いですから」
 「詳しい?」
 「それに関しては、また後日」
 首を捻るアウラに、アマギリは薄く笑って話を切り上げた。視線が、遠くに見える宮殿部の方へと向いている。その入り口から女中らしき姿がこちらに向かってくるのが見えた。
 
 余り大勢に聞かれたくない部分の話になる。

 アウラはアマギリの態度に了解を示した。アマギリは目礼して続ける。
 「話を整理すると、青と黒は逃亡。白は撃破。暗殺犯と思しき捕虜一名確保。……ついでにウチの保有する聖機人も大破、と。国章つけた聖機人大破させるとか、マジで戦争でもするつもりかキミは」
 「あ、あたしは損傷した段階で、もう出す気は無かったんですけど、その、キャイアさんが……」
 「―――へぇ。その話、あとで詳しく聞かせてね」
 「うあああ、嬉しそうな顔!? あたし何かやばい事言いましたか!?」
 「嬉しそう……?」
 恐れおののくワウアンリーの言葉に、アウラが呟く。この冷めた無表情の男がどうして嬉しそうに見えるのか、疑問が尽きなかった。聞いても恐らく、微妙な気分にしか慣れないだろうから聞くことは無いが。

 「まぁ、ワウのミスと言うかナイスアシストの話は後にして、だ。―――撃破したって言う話の白い聖機人の搭乗者は何処? もう死体は埋葬したとか?」
 
 「―――えっと、逃亡したって聞きましたけど。確か、他の聖機人が確保していったとか」
 アマギリの疑問に、ワウアンリーは聞き伝の言葉で応じた。アマギリの目が益々細まった。
 「て事は、暗殺犯だけが逃げ遅れって事か。暗殺犯も一人だったの? それとも、一人を残して他にも着ていた連中は死んだか逃げたとか?」
 「その辺は、あたしは聞いてません。ただラシャラ女王は、あの子を捕まえたってしか」
 あの子、と恐らく捉えた高地人の少年とやらを思い出しながら語るワウアンリーに、アウラも頷いた。
 「ああ、そして逃亡したあの少年が辿りついた賊の根城らしき船を私が発見した。―――と思ったら、今度はその船から少年は逃げ出したのだがな。どうも何か、賊達の間で対立が起こっていたようだが」
 「多分、高地から攫ってきた子を無理やり働かせてたんでしょうね」
 アウラの言葉にワウアンリーは苦い顔で同意した。少年に対して同情している少女二人を別に、アマギリだけが、何かを考えながら表情を冷たくしていく。
 「三人で攻めて来て、三人とも逃げたと思ったら、一人後から見つかった、ねぇ。―――あのさ、その高地人を見つけたのって誰?」
 冷たい視線を向けられたワウアンリーは、一瞬方を震わせた後で答えた。
 「多分、キャイアさんかと。あたし、青いのを追い払った後でキャイアさんに合流して白いのを追い詰めてる途中に、白いの亜法結界炉の暴走で亜法酔いしちゃってリタイアだったんで……。あ、そうだ! 白い聖機人なんですけど、結界炉のリミッターを解除したのに動けたんですよ!! 普通、そんな事したらあたしみたいに一瞬で気絶なのに!」
 常識では考えられないと言葉尻を熱くするワウアンリーに構わず、アマギリは会話の流れを整理した。

 敵の聖機人がスワンに攻めてきた。
 スワンが襲われたなら、迎撃に出るのは当然城主であるラシャラの護衛であるキャイアだろう。
 キャイアが苦戦して、恐らくワウアンリーが援軍に出た。
 そしてワウアンリーが青と黒の聖機人を撃退し、その後、白い聖機人を二人がかりで追い詰めた。
 そう考えると、白い聖機人と言うのは腕利きだったのだろうか。それは今はどうでも良いか。
 とにかく、二人がかりで追い詰められた白い聖機人は結界炉のリミッターを解除。
 発生した凄まじい亜法振動波によってワウアンリーがダウン。
 その後、―――どうにか話が流れて、白い聖機人の搭乗者が他の聖機人に確保されて逃亡。
 聖機人を囮としてラシャラの暗殺を企んだ高地人を確保。
 
 「流れ的には考えられない話じゃない、か。―――いや、待った。青と黒の聖機人は、白いのを倒す前に引き上げたんだろ?」
 「え? あ、ハイ。そうです。黒いのが青いのを盾にしながら引っ張っていきました」
 突然沈黙を破って問いかけてきたアマギリに、ワウアンリーは慌てて頷いた。その答えに、アマギリは眉間に皺を寄せた。
 「じゃあ、白い聖機人の搭乗者を救助したのは誰になるんだ。黒と青はもう逃げたんだろ?」
 「それ、は―――そう言えば、そうですよね」
 「高地人の少年を乗せてきたバイクか何かに乗って逃亡したのではないのか?」
 アウラの述べた答えに、しかしアマギリは首を横に振った。
 「それは無い。そうだったら、”他の聖機人が救助した”なんて話を、ワウが聞くわけは無いじゃないか。―――ワウ、その話をキミにしたのは誰だ」
 「へ? えっと、ラシャラ女王……って、言いましたよね」
 詰問に近い口調で問うアマギリに、ワウアンリーは緊張気味に答えた。
 「そう、従妹殿だ。―――キャイアさんは何も言ってなかった?」
 「ハイ」
 「―――本当に、何も?」
 「えっと……はい」
 「アマギリ、一体何をそんなに問い詰めているんだ?」
 同じ質問を繰り返すアマギリに、アウラが解らないという風に問いかける。アマギリは冷めた目で応じた。
 「単純な話ですけど、従妹殿は嘘をついている可能性が高い。状況から判断すれば、その白い聖機人の聖機師は―――」

 「ラシャラ様が何か嘘をついているだなどと、聞き捨てならない事を仰っていますね、アマギリ王子殿下」

 アマギリの確信的な響きを持った言葉に応じたのは、いつの間にか彼等の傍まで来ていた矍鑠とした姿勢の老女中だった。
 「マーヤさん」
 真っ先に反応したワウアンリーにアマギリは説明の視線を投げかけた。その質問に答えたのは、他ならぬその女中だった。
 「お初にお目にかかりますアマギリ殿下。わたくし、ラシャラ・アース陛下の奥女中を勤めております、マーヤと申します」
 完璧な宮中儀礼でもって礼をしてくる老婆に、アマギリも堂々とした態度で頷いた。
 「ああ、従妹殿が言っていたばあや殿だね。宜しく、マーヤ殿。一応名乗っておこう。私がハヴォニワの王子アマギリだ。このワウアンリーの主でもある」
 口調を改めて言うアマギリに、ワウアンリーはびくりと肩を震わせる。マーヤはなるほどと頷くだけだ。
 「はい、存じております。ところで殿下、真にぶしつけで申し訳ないのですが」
 「女王の寝所に夜半に踏み込むのは男としてどうかって話?」
 慇懃な態度で口を開いたマーヤの言葉を、アマギリは封殺した。マーヤは一瞬目を見開いた後、ゆったりとした所作で頷いた。
 「はい。主君との面会をご希望でしたら、日をお改めになられるのが宜しいかと。仮初なれど女王の寝所に王子殿下が踏み入ったとなれば、いらぬ騒ぎを引き起こす恐れもあります」
 「是非とも今すぐ聞きたい話があるんだけどな。駄目かい?」
 「殿方を寝所に上げるなど、とてもとても。規則で御座いますれば、どうぞご理解いただきたく御座います」
 言葉尻は丁寧だが、ようするに速やかに出て行けと言っているのと同じだった。
 探られたくないものがあると言う事を隠そうともしない堂々とした態度である。アマギリはいっそ感心していた。

 ―――尤も、だからと言って譲ってやるつもりも無いのだが。

 「なるほど、規則なら仕方が無いな」
 「―――はい」
 アマギリの甘い響きを含んだ声音に何かを感じ取ったのだろう、マーヤは一瞬眉を顰めた後で、それでもそうする他無いが故に、頷いた。
 アマギリはそれを受けてニコリと笑った。
 
 「ならば私も規則どおりに行動させてもらおう。我が国の聖機人を無断盗用した挙句破損させたキャイア・フラン。早急にこちらにお引渡し願いたい。―――速やかにハヴォニワ本国に移送して尋問する必要がある」

 「―――なんと」
 「……さっき楽しそうだったの、それが理由ですかぁ」
 瞠目するマーヤの傍で、ワウアンリーが冷や汗を流した。
 確かに書類上、ハヴォニワの国章が刻まれている事からも解るとおり、ワウアンリーの聖機人はハヴォニワに所有権が存在している。しかも一般機と違い王族の護衛機として特別な調整を施された上で、である。
 他国の聖機師が勝手に利用していいものではないのだ。

 規則には、規則。

 杓子定規の態度で押し切ろうとするならば、こちらも同様の態度を取らせてもらうと告げるアマギリに、マーヤは一つ頷いて口を開いた。
 「ですがアマギリ殿下。戦地に於ける特殊規定に基づく緊急時の他国の聖機人の利用に関しては、現場の聖機師の判断が何よりも優先されるとされておりますが」
 アマギリはマーヤの言葉に感心したように目を見開いた。なるほど、相手が規則を切ってきたのならば更なる規則で押し通す。随分と有能な人だとアマギリは感心することしきりである。尤も、それでも事を納める事はしないのがアマギリであったが。
 「このスワンを戦地と規定するなら、”援護に来た友軍”の私が居ても何も問題は無いだろう。国際法に記された戦地に於ける王族に対する略式儀礼にも、ベッドを仕切る天幕の外側までは、理由があれば踏み入る事も可能であると記されていた筈だ。ついでに言うと―――キャイア・フランは形式上、現在は単なる聖機師見習いに過ぎない。彼女に聖機師に関する優遇規定を当てはめる理由は私には無いな」
 事実である。
 キャイアは未だ聖機師見習いに過ぎず、明後日聖地で行われる式典を持って初めて聖機師として登録されるのだ。因みに、ワウアンリーも同時に聖機師として正式に登録されるのだった。
 朗々と語るアマギリに、マーヤは眉間に皺を寄せた。
 うわさに聞いていた以上に頭の回る目の前の王子に、対応を苦慮しているようだ。
 だが、マーヤはラシャラを守る侍従長たる自身の立場として一歩も引く気は無かった。

 この王子は確実にあの少年に興味を示すだろう。
 興味を示せば、確実に確保しようとする筈だ。マーヤが主と仰ぐラシャラと同様の聡明さを持っているのだから。
 だからこそ、ここであの少年とこの王子を会わせる訳には行かない。
 あの少年はきっと、ラシャラにこそ必要な人間になると、マーヤは何処かでそう確信していたから。

 「ですが、殿下―――」
 マーヤは若い知性を押し切るように、深呼吸するように息を吸い、力を込めた言葉を結ぼうとする。

 「もうよい、マーヤ。その者と上っ面だけのやり取りをしても、本当に時間の無駄にしかならぬ」

 「おや、お早いご登場で」
 老女中の背後から響いた快活な少女の言葉に、アマギリはニヤリと笑った。
 「ラシャラ様」
 「うむ、ご苦労だったのマーヤ。この者がこの場に居る事だったら気にするでない。どうせそのあたりの事情も理解して、既に手を回しておる―――じゃろ?」
 信頼する侍従長をねぎらいながら、メザイアとキャイアを伴って現れたラシャラはアマギリに問う。
 「ご理解いただけて幸いです、ラシャラ・アース陛下」
 宮廷儀礼として目上の存在に対する礼をとるアマギリに、ラシャラが嫌そうな顔で眉根を寄せて応じた。
 「よさぬか、気持ち悪い。それにしてもお主、何処に居ても本当にかわらんの」
 「そりゃ、キミにも言えた事だと思うけどね。派手にドンパチやった後にしては、随分落ち着いている」
 皮肉気な言葉を返すアマギリに、ラシャラはニヤリと笑う。
 「妾の死に場所は妾自身で決めると決めておれば、この程度の災難如きで動じたりはせぬ」
 「良いお覚悟だことで。―――ま、何はともあれ、まずは久しぶりだね、従妹殿」
 肩を竦めて微笑を浮かべて応じるアマギリに、ラシャラは満足げに頷いた。

 「ウム壮健で何よりだ、従兄殿。―――此度の再会は、共に笑顔で会えて幸いだった。とりあえず皆、中に入るが良い。歓迎するぞ、従兄殿。面倒な話は、その後で良いじゃろ」
 
 「ラシャラ女王。あの少年は?」
 「落ち着いたみたいね。今は眠っているわ」
 「ウム。お主が見つけたトリアムのお陰じゃな」

 ラシャラの言葉を皮切りに、各々、疲れた風に労をねぎらいあいながら歩み始める。
 語り合い、宮殿へ向けて先を進む少女達の後を続きながら、アマギリは空を見上げた。

 空には月。しかしそれも、今や地平に消えつつある。

 ―――夜明けは、近い。





    ※ ワウが出ると会話を積極的に脱線させたい気分になります。軌道修正が大変なんですが。
      
      次回漸く真打登場……の筈。うん、多分。



[14626] 31-5:白と黒の聖機人・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/10 22:50
 ・Scene 31-5・



 「遙照様?」

 短髪で、小柄で、幼い顔立ち。トリアムの溶解液を送る点滴のケーブルを細い腕からはやした、あどけない寝顔をさらす少年。
 スワンの宮殿内にある客間で眠るその少年の姿を見た時、アマギリの口から零れた言葉がそれだった。
 
 ―――何故か眠り続ける少年の姿が、かつて憧憬の眼差しで見上げた人に似ていた気がしたのだ。

 いや、気のせいだろう。

 清廉潔白にして文武に於いて劣るものなし、皇族たるに相応しき完璧なるありようを示していたあの方と、この歳相応の無防備な寝顔をさらす少年に、何処に共通要素が―――。

 「―――下、アマギリ殿下っ!」

 「お?」
 「お? じゃないですよ、人の家にお邪魔してるんですから、こんな所でボーっとしてないで下さい」
 瞬きをして辺りを見渡すと、ベッドの周りに集った女性たちが不審気な表情で自身を見ていることにアマギリは気付いた。
 声がした方を振り返れば、薄暗い廊下に立っていたワウアンリーが、気まずそうな顔をしている。
 「―――ああ」
 なるほど、と納得してアマギリは入り口から室内に踏み入り、脇に避けた。
 どうやら部屋に入ろうとした瞬間に立ち止まって、ぼうっとしていたらしい。
 「ああ、じゃないですよ。どうかしたんですか、ホントに」
 従者としての役割を自覚してアマギリの背後に続いていたワウアンリーが室内に踏み入る。部屋で寝ている病人よりも、アマギリの態度に不審を覚えているらしい。
 と、言うよりもワウアンリーだけではなく、室内の全員の視線がアマギリに集中していた。
 ラシャラ、アウラ、キャイア、メザイア、そしてユライト・メストも含めて。
 何がしか自身が発言をしなければ拙い状況らしい事を、アマギリは理解した。と言っても、恐らく期待されているであろう言葉は、自身にも理解できていないから、言える言葉は当たり障りの無いものだったが。

 「その子が、ウワサの暗殺犯ですか?」

 室内の全員がげんなりした顔をした。予想はしていたけどと言う白けた表情も混じっているのがアマギリには微妙に悲しかった。
 しかし、言葉をこれ以上重ねる気もしなかったので、アマギリは腕を組んで壁に背を預けた。
 ラシャラがやれやれと首を振って口を開いた。
 「うむ。高地で生まれただけあって中々俊敏な動きをしよっての。キャイアも苦戦しておった。のう、キャイア?」
 「え? あ、ハイ……」
 片眉を上げて傍に立っていたキャイアに話を振るラシャラであったが、キャイアは突然話を振られて戸惑ったように曖昧な言葉を返してしまう。メザイアがため息を吐いた。
 「あの子、ホント腹芸に向かないよな」
 「気付いてもそういうのは口に出すの止しましょうよ」
 ポツリと遠くまで聞こえないように呟いたアマギリの言葉に、傍で聞いてしまったワウアンリーが頬を引き攣らせる。否定はしないあたり、ワウアンリーもそう思っているのは揺るがない事実だった。
 アマギリは都合よく視線が自分からずれたのを言い事に、薄く笑みを浮かべて再び口を開いた。
 「高地人、ねぇ?」
 「そう、高地人じゃ。運動能力に優れるがエナへの大勢の低い、の。―――ひょっとしてこの者、お主の知り合いか何かか?」
 探るような言葉を放るラシャラの態度から、先の居た堪れないやり取りは釣りだった事にアマギリは気付いた。尤も、キャイアの態度は素に違いないと確信していたが。
 「僕の知り合い? そんな訳は無いだろう」
 アマギリはお見事などと思いながらも、ラシャラの期待通りの言葉を返す事はなかった。ラシャラはしかし、アマギリの言葉にニヤリと笑って応じた。
 「先ほど何やら、この者の顔を見て驚いておったようじゃったのでな。てっきり顔見知りだと思ったのじゃが、妾の気のせいかの?」
 「それは無いって」
 「ホントかのう? ”ヨウショウ”などと口走っているのが妾には聞こえたぞ。―――この者の名前ではないのか」
 随分としつこく探ってくるラシャラの態度に、アマギリは彼女がこの眠り続ける少年にご執心なのだと理解した。
 その理由を察する事はアマギリには容易い事だった。

 確証が欲しい。”そうである”との、確証が。

 ―――ついでに、それを理由に横取りされる事を恐れている、だろうな。

 ラシャラの立場から言えば使えるものは猫でも杓子でも、と言った気分だろうから、そういう心配をするのも当然だろう。
 だが、些か焦りすぎている。アマギリは嘆息した後口を開いた。
 「気のせいじゃないか? だいたい、その子が僕の知り合いだった場合、その子は異世界人になっちゃうじゃないですか」
 「―――ム」
 異世界人。アマギリは自身の事を異世界人と認識しているし、実際それは状況証拠から言って間違いないだろう。
 ラシャラはそれを承知しているから、眠っている少年が本当に異世界人であるとの確証を欲してアマギリに確認の言葉を重ねてきた。
 ラシャラの思惑からずれた事があったとすれば、アマギリは自身が異世界人であるという事実を全く隠す気が無いという事だろう。
 平然としている本人より、聞いていた周りの人間の頬が引き攣っていた。
 「―――ちょっと待てアマギリ。それは自分で口にして言い事柄なのか?」
 「あれ、アウラ王女はご存じなかったんですか?」
 「そこで今気付いたみたいに惚けるのやめましょうよ、殿下」
 そう、例えその事実を知らなかった人間の前でも、必要とあればあっさりと口にしてしまえるのだ。お陰で従者は常に胃が痛い思いをしているのだが、アマギリはそのことに関しては感知していない。そんなものは給料分に含まれていると解釈していた。
 アマギリは傍で腹を押さえて顔を青くしている従者は放ったまま、アマギリは言葉を続ける。
 「まぁ、皆知ってる事だろうし、今更って感じだし―――ああ、そう言えば」
 それこそ、わざとらしい驚き方をして、言葉を切り、視線を移す。
 
 「教会に所属しているお二方はご存じない話でしたっけ。その割には随分とリアクションが低いように見受けられますが」

 ユライトと、そしてメザイア。アマギリはその二人の大人に冷めた視線を叩きつけた。
  座ったまま顔を伏せてアマギリたちの会話を聞いていたユライトが、その言葉に顔を上げる。
 微笑んだ顔。何時ものように、変わる事無く。
 むしろ、周りに居た人間達の表情の変化こそが、見ものだった。
 アマギリの言葉の鋭さに眉を顰める女性たちの顔の中で、ラシャラは特に、面倒な事をしてくれると苦い顔をしている。
 しかし、この場で二人だけの男達は、女性たちの表情の変化をまったく気にする事無く会話を続行した。
 「ええ、私とメザイアは教会に籍を置いていましたので、殿下のその辺りの事情は理解しています。―――ですから勿論、殿下の現在のお立場を否定するような事はありません」
 ユライトの言葉は、むしろ疑いたければ好きなだけ疑えと言わんばかりのものである。
 何時ぞやの一件で主導権を奪われた事が、案外腹に据えかねていたのだろうかとアマギリは考えた。
 「―――へぇ、教会に籍を置いていたから、知っていたのか」
 「ええ。教会には世界中のあらゆる情報が集結しますから」
 「そりゃあ良いや、じゃあ今回の襲撃事件の犯人が誰かも教えてくださいよ」
 皮肉気に唇を歪ませて言い放つアマギリに、しかしユライトは笑みを崩さなかった。
 「殿下のご想像通りかもしれません」
 あっさりとした態度。まるで動じていない。
 つまりは、その場限りの言葉など何の拘束力も持たないのだと、その辺りの解釈の仕方はアマギリと同じだった。
 それゆえ、アマギリもこれ以上探りを入れてみても何の意味も無いと解っていたのだが、目の前で堂々と、それも室内の全員から不審の眼差しを向けられている中で我関せずの態度を取られていれば、言葉を留める気になれるはずも無い。
 「じゃあ、目の前にいる事になってしまうんですが」
 「これはこれは。まさか、ラシャラ女王が自ら引き起こしたとでも?」
 
 「もうよい、止めよ。今は妾と話しておるのじゃろう、従兄殿」

 会話が直接的な表現に発展して行きそうになっていたので、流石にラシャラが仲裁に走った。
 ここには全く第三者であるアウラも居るのだ。 
 アマギリと付き合いも深い関係である以上、ある程度の事情を察しているだろうが、だからと言って詳しく話して聞かせてやりたい話だとはラシャラには思えなかった。
 だがアマギリは話の腰を折られて不満顔である。冷めた眼差しでラシャラに言った。
 「下手人の首を跳ねるチャンスなのに?」
 「―――つまりお主がここに居るのはそれが目的じゃったのか。何時ぞやの一件の時もじゃが、お主存外やる事が過激よの」
 「当然だろう。せっかく馬鹿な倅を始末するチャンスだったのに、気の利かない従者は下手人取り逃がした挙句聖機人壊されるわ、唯一の戦利品はキミが既に所有権主張してるわ。わざわざここに残ってやる事なんて、一つしか無いだろう」
 「始末って、ちょっと」
 「うわぁ、頑張って生き残った従者に相変わらず愛が無いなぁー」
 やれやれとため息を吐くラシャラに、アマギリは何を今更と応じた。
 何かに反応して声を荒げるキャイアや、肩を落としてしょげるワウアンリーには構いもしない。
 「今度は斬ってくれじゃなくて、斬らせてくれるだけで良いんだけどねぇ」
 「気持ちは解るが、本人の前でする話ではなかろうて」
 「キミのためでもあるのに?」
 「それで許可を出しては、妾が可能性の未来を恐れて粛清を重ねるだけの愚かな独裁者となってしまうじゃろうが」
 二人の王族の話に、メザイアは困った風に笑みを浮かべたままコメントを控えていた。ユライトも言わずもかなである。アウラは何かを考え込んでいるようだったが、それゆえに口を開く事はなかった。
 従者達に関しては、どのような顔をしていようとアマギリもラシャラも知った事では無いらしい。
 ラシャラはマイペースに確認すべき事項を尋ねてきた。
 「ところで従兄殿。口ぶりから察するに、この者は妾が貰ってしまって良いのじゃな?」
 チラと未だに目覚めない少年に視線を送るラシャラに、アマギリも頷いた。
 「ま、先に取られちゃった以上は、ここは素直に引くよ。ああ、ついでにキャイアさんがウチの聖機人をぶっ壊した事に関しても、キミの入学祝代わりにチャラにしてあげる」
 「あ……!」
 付け足された言葉にキャイアが顔を青くした。ハヴォニワ”王家”保有の聖機人を破損させてしまったと言う事実が持つ危険さに、今頃気付いたらしい。
 「アマ、ギリ殿下、そのっ……」
 焦った声で何かを言おうとするキャイア。
 アマギリはそれに何の反応も示さない。それはラシャラも同様だった。
 
 王が”由”と言った以上それは”由”であり、それ以上の意味は無いのだ。
 感情的な部分で気に留めても何の意味も無い事を、ラシャラはよく理解していた。

 「では、この者は妾の預かりとさせてもらう。アウラも依存はなかろう?」
 「依存は幾らでもある。―――が、舌戦でお前達に勝てるとは思わんからな。貸しにしておくぞ」
 唐突かつ強引に話を振られても、アウラは苦笑交じりに頷くに留めた。
 この場に居る人間の中で、特別状況を把握し切れていない事情があったため、現状何かを主張しようにも手に余る状況だったのだ。
 後手に回るのは仕方が無いが、迂闊な行動を取るよりは、後日詳しい事情を確認した方がマシだと判断している。
 最後の言葉に視線を合わされたアマギリは、そのあたりの事情を了解して苦笑を浮かべた。
 「何で最後だけ僕の方しか見てないかな」
 「日頃の行いじゃないでしょうか……」
 「そういえば、キミ明後日から正式に聖機師として登録されるから、雇用契約結びなおすんだよね。ゼロ、何個減らしたら良い?」
 「いやむしろそこ増やす場面でしょ!!」
 「だってホラ、キャイアさんに責任背負わせない以上、キミが聖機人壊したって事にしないと拙いし。それとも何か。キミは明後日から同期の聖機師となる人間を直前で排除しておきたい理由でもあるのか?」
 「う、あ……あのぉ?」
 アマギリの言葉に緊張に声を詰まらせるキャイアに、ラシャラは苦笑交じりに口を挟む。
 「気にするだけ無駄じゃぞ、キャイア。―――む、皆少し黙るが良い」
 突然言葉を切って真剣な声を出したラシャラに、アウラが瞬きをする。
 「どうした、―――おお」
 「あら」
 アウラの声に、メザイアの感嘆の息が混じる。

 
 ―――そうして、少年は目覚めた。

 「おお、目覚めたか」
 おぼろげな視界で辺りを見渡すと、薄明かりのついた天井と、それを隠すように周囲に折り重なる人々の姿が目に映った。
 「熱は引いたようね」
 枕元の近くに居た女性が、額に手を添えて優しい口調で言う。
 「薬草があったとは言え、随分早い回復だ」
 褐色の肌の女性が、安堵の息を漏らす。
 「まったく面倒な……」
 「とりあえずこの恩は、後で返してもらいましょ?」
 「あなたねぇ」
 気の強そうな女性と小柄な少女が、”仲良く喧嘩”をしている様はまるで故郷の姉達の姿を見ているようで、少年は郷愁に胸が締め付けられそうになった。
 
 いっそ、泣いてしまえたら。

 出来る筈が無い。
 男の子は強くなくてはいけませんと姉達も言っていたし、何より、迷惑をかけた人たちの前で無様をさらす事は、少年の矜持が許さなかった。
 起き上がって、お礼を言わなくちゃ。きっと助けてくれたのだから。
 
 そうして、ベッドから半身を起こそうとしたその最中、少年はドアの傍に佇む一人の男の姿を目にする事となる。
 
 「―――爺ちゃん?」

 我知らず、少年は呟いていた。
 栗色の髪を背に纏めた、観察するように少年を見ているその男性は、まるで似ている部分など何処にも無い筈なのに、何故か故郷に居る優しくも厳しい祖父の姿を連想させた。
 身に纏う空気が、きっと少年にそう思わせた。
 男性は少年と視線が絡むと、薄く笑って肩を竦めた。
 同情とも憐憫とも、しかし嘲りともつかぬ、そんな笑みだった。
 その笑みを顔に貼り付けたまま、男性は声には出さずに、唇を動かして少年に言葉を届けた。

 ようこそ、此処へ。異世界の聖機師殿。

 ―――そして、夜が明ける。

 目覚めの時間。物語の、始まりの時。


 ・Scene 31:End・





     ※ 漸く出てきたけど一言しか喋ってねぇ!! ……でも原作でも概ねこんな感じだよね。
       12話で叫んでてびっくりしましたよ。
       



[14626] 32-1:聖地へ・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/11 22:58


 ・Scene 32―1・


 小型の浮遊式の台座に乗せられて、物言わぬ鋼の骸―――聖機神が闘技場へと運ばれてくる。

 闘技場の一角、一段高い位置にある石舞台の上で、それを設置する責任者として作業を見守っていたリチア・ポ・チーナは小さく嘆息する。
 「何とか間に合いましたね」
 傍らに寄り添った従者―――今年度から聖地学院に入学する事になったので黒い制服姿だったラピスが、ほっとしたように息を吐きながら言う言葉に、リチアも微苦笑を浮かべて応じた。
 「そうね。アレを積んでいたラシャラ・アースのスワンが襲われたって聞いた時はどうなる事かと思ったけど、コレで無事に明日の叙任式は―――あぁ?」
 「ど、どうしたんですかリチア様?」
 言葉の最後にドスを聞かせるような音を響かせたリチアに、ラピスが一歩たじろいた。
 闘技場の最奥に設けられた舞台の上まで上がった聖機人を仰ぎ見るように見ていたリチアの目線が細く極まっている。
 その視線は、聖機神そのものではなく、その足元辺りに固定されていた。
 台座が所定の場所で停止して、ゆっくりと周囲のエナを振動させながら降着してくる。
 リチアは固定作業のための作業員が囲む聖機神に、足早に近づいていった。

 「何でアンタが聖機人と一緒に居るのよ、アマギリ・ナナダン」

 「やぁ、リチア先輩。お疲れ様です」
 台座の上で現場監督のように回りの作業員達に指示をしていたつなぎ姿の少年―――アマギリが、近づいてきたリチアに綺麗な笑顔で話しかける。リチアの額に青筋が浮かんだ事にラピスは気付いた。
 「やぁ、じゃないわよ。昨日屋敷に連絡を入れても出ない、朝呼び出しを遣わせても不在、と思ったらアンタそんな格好で何やってんの」
 早口で一気にまくし立てるリチアに、アマギリは肩を竦めて薄く笑った。
 「そりゃあ、アレですよ。生徒会長閣下が聖機神が届くかどうか心配してたって話をスワンからの搬出作業中に聞いてたんで、良き後輩として先輩のご心配を取り除くために、ね」
 「何でアンタがスワンから聖機神を搬出するのに立ち会ってんのよ!! あんた、まさか昨日留守にしていたのって、行ってたんじゃ無いでしょうね、スワンに」
 「はは、外出許可も取ってないのにそんなの出来る訳無いじゃないですか」
 「でも今……搬出作業中って、アマギリ様、仰ってましたよね」
 二人の言い合いをそばで聞いて、ラピスが苦笑交じりに呟いた。
 そんなラピスに優しく―――ラピスにだけ、不必要に優しげに笑いかけながら、アマギリは応じた。
 「それはホラ、ウチの気の利かない従者が迷惑を掛けてないか心配でね。様子を見に行っていたって言う事にすれば誤魔化せるじゃない」
 「誤魔化すって自分で言ってますよ殿下……」
 降着した台座の除去作業を監督していたワウアンリーが、頬を引き攣らせて突っ込みを入れてくる。
 「そう言う所が気の利かない従者だよなぁ」
 「何でそこで自分が反省しないのにあたしが怒られるんですか!?」
 「そのための従者じゃないか。主のために泥を被るとかが主な仕事だろ?」
 「違いますよ!! って言うかユキネさんにはもっと優しくしてたじゃないですか!!」
 唐突に周りの目を気にせずに始まった凸凹コンビの漫才に、リチアは深々とため息を吐いた。隣に居るラピスに聞こえるように投げやりに呟く。
 「仲が良くて良いわよね、こいつ等……」
 そういう意味で言えば、アマギリとリチアも充分仲が良く見えるんだけどなとは、ラピスは思っても口にする事はなかった。
 実に気が利く従者だった。


 「で、アンタは本当にスワンに火事場泥棒しに行ってた訳ね。―――それとも、襲った側?」
 聖機神の固定作業がひと段落つき明日の式典用の飾り付け作業が始まる頃、リチアは面倒くさそうにアマギリに尋ねた。相変わらずのつなぎ姿で、その平凡な顔立ちを加えるとそこら辺の使用人にしか見えないアマギリは、さて、と首を捻りながら応じた。
 「メリットが無いのにそんな暇な事はしないかなぁ」
 「……メリットが有れば襲うんですね」
 その時は自分も巻き込まれるんだろうなーと、視線を遠い所に逸らしたままワウアンリーが呟いた。アマギリは無視した。
 「じゃあ、何のメリットがあって火事場泥棒になんて行ったのよ」
 「火事場泥棒で固定なんですね……」
 ラピスが冷や汗混じりに呟いた。リチアは聞かなかったことにした。
 「まぁ、何ですかね。建前としては愛すべき従者の保護とかそんな感じで」
 「言った!今建前って言いましたよ!! しかも実際、思いっきり腹黒い私用でしたよね! 病人居る前で物騒な言い争いはじめるし!!」
 立ち上がって指を突きつけオーバーアクションでがなりたてるワウアンリーに、冷たい視線と共にアマギリは笑いかけた。
 「あんなの言い争いには含まれないって。ちょっと小粋にウィットに飛んだ軽妙な掛け合いだっただけじゃないか」
 「棒読みで言ってる辺り、確信犯よね」
 「もうすっごかったんですから。場の空気最悪、一触即発って感じで。剣士が助かって良かったー!! って爽やかに負われそうな空気が、台無しでしたもの」
 冷めた表情で突っ込むリチアに、ワウアンリーはええ、ええと何度も頷きながら応じる。
 「ケンシ?」
 ラピスは聞き慣れない言葉に首をかしげた。アマギリが薄く笑いながら遠くを指差して応じた。
 「あれだよ」
 「あれ?」
 指を指した方向、全員が注目する先。

 円形の闘技場を囲う雛壇上にせりあがった観客席の最上段の縁の辺りに、三人の人影があった。

 「あれ、ラシャラ・アースよね。施設の見学かしら?」
 「あ、ホントだ。アレですよリチア様。あの隣に居る男の子」
 眦を寄せてピントを合わせるように遠くに居る人影を見ていたリチアに、ワウアンリーが言う。
 リチアが、ああ、と頷いた。
 「あのペットの子犬みたいなヤツがどうしたのよ」
 「不敬ですよ、先輩」
 見たままの率直な感想を述べるリチアに、何故かアマギリが棘の混じった言葉で口を挟んだ。
 「なんでよ?」
 「……何ででしょうね?」
 首に皮製のベルトのようなリングを巻いている事から使用人待遇の従者である事は間違いない。
 アマギリ自身も、自分が何故そんな風に言ったのか不思議だった。
 「何訳の解らない事言ってるのよ。―――まぁ、良いわ。あの小動物がつまり、ケンシって名前なのよね。男の従者なんて珍しいけど、それがどうかしたの?」
 「それはそうなんですけど……えっと」
 微妙になった空気を払うように尋ねたリチアに、ワウアンリーはどう答えたものかと慌てる。助けを求めるようにアマギリに視線を振ると、彼は淡々と答えを口にした。
 「今の所はどうもって感じですけど」
 「何よ、ソレ。アンタが含みを持たせた物言いをするときって、大抵碌でもないことが起きる前兆だと思うんだけど」
 「うわー、絶望的な信頼関係……」
 容赦の無いリチアの言葉に、ワウアンリーが頬を引き攣らせるが、当の本人達にとって精々この程度では、ちょっと小粋にウィットに飛んだ軽妙な掛け合いに過ぎないらしい。言った側も言われた側も平然としたものだった。
 「早い話が、近日中に二年前の僕みたいな立場になるんじゃないですか、ね」
 アマギリは何て事の無い風に口の端をゆがめながらそう応じた。
 「二年前の、アンタ……」
 その言葉に、リチアは二年前の今頃―――アマギリ・ナナダンが聖地に現れた頃の事を思い出す。

 二年前。

 聖地へ向かう航路の途上で聖機人の襲撃を受けるが聖地に報告を行わなかった。
 編入初日にクラスの男子と言い争って打ち負かす。
 剣戟の訓練中に傷害事件になりかける事故に巻き込まれる。自力で回避成功。事後調査を自分で受け持ち自分で勝手に打ち切る。
 生徒会主催のイベントで遭難―――と思ったら捜索隊の船を狙い威嚇射撃。
 聖機人に乗って捜索隊の前に姿を現す―――と思ったらその聖機人が爆散。
 確実に死んだと誰もが思ったのに、平然と生き残った。しかも無傷。オマケに正体不明の発光現象まで発生。

 「―――思えば、初めから今と変わらず可愛げのない後輩だったわね、アンタも」
 当時の有様を思い出して眉をしかめるリチアに、アマギリも皮肉気に笑って応じた。
 「先輩も、初対面から無駄に高圧的で態度でかかったですよね」
 「アンタには負けるわよ」
 「いえいえ、僕如きでは先輩には適いません」
 「あの、周りの人がビビってるんですけど……」
 フフフ、と暗い笑みを浮かべてにらみ合うリチアとアマギリに、恐る恐るワウアンリーが言葉を掛ける。

 どうやら休憩中だったらしい作業員達は揃ってドン引きだった。

 リチアが髪を払うように顔を上げて、言った。頬が微妙に赤い。人目が合ったということを忘れていたらしい。
 「ようするに、何? あの小動物を中心に、あの頃の馬鹿騒ぎがまた起こるって訳? 勘弁しなさいよ」
 「もう遅いですよ、始まっちゃってるんですから」
 嫌だ嫌だと首を振るリチアに、アマギリは薄い笑みを顔に貼り付けたままで応じた。
 「今年一年は、きっと去年の平和が涙が出るくらいありがたいと思えるくらい、騒がしくなると思いますよ」
 「剣士だけじゃなくて、マリア様とラシャラ様もいらっしゃいますもんねー」
 ワウアンリーが苦笑混じりに言う言葉に、リチアは溜め息を吐いて続く。
 「コイツと、ダグマイア・メストもね。―――そういえば、昨日ダグマイアと連絡が付かなかったのも、もしかしてその辺の事情じゃないでしょうね」
 リチアが眦を寄せながら問いかける言葉に、アマギリはさて、と笑って肩を竦めた。
 その態度が肯定であると受け取って、リチアは今日一番の大きなため息を吐いた。
 「学院はどうしても内に篭りがちで閉鎖的な環境だし、多少の刺激だったら目を瞑りたい所だけど……」
 そう言った後で、もう居なくなってしまったラシャラたちの居た場所へと視線を送るリチアに、アマギリも続く。
 「多少で済めば、良いですけどね」
 その他人事のような言葉を、リチアは遣る瀬無い呆れ顔で切り捨てた。
 
 「アンタが言うな」





  

     ※ まだ、小動物。野生的な部分はまだ見てないのです。




[14626] 32-2:聖地へ・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/12 22:46


 ・Scene 32-2・




 「お帰りなさいませ、お兄様♪」
 「……お帰りなさい」

 物凄く綺麗な笑顔の妹が居た。
 傍に控える、半月前までは従者だった女性は、何時ものように表情は少なかった。

 「やぁマリア、ユキネ。随分と早い到着だね」
 
 対するアマギリは、腰が完全に引けていた。

 半開きのドア、覗き込んだ屋敷の玄関ロビー。
 時刻は、日も沈み、大抵の場所で夕食まで済んでいるであろう、そんな時間。
 明日の聖機師叙任式式典のための式典会場の設営作業と、その後に幾つかの書類仕事を片付けていたら、帰宅するのがこの時刻になってしまったのである。
 その結果この世に現出してしまったものが、この四半年ぶりに会う妹の素敵な笑顔である。
 仁王立ちして腕まで組んでいる。
 「ええ、ええ。早く到着しましたもの。それはもう、予定としてお伝えしておいた昼過ぎの到着よりもほんの一時間ほども早い到着となりましたわ。―――お兄様は随分遅いご帰宅ですわね?」
 アマギリの頬を冷や汗が伝った。
 間違っても、妹が本日聖地に到着する事を忘れてた何て言えなかった。例えそれが真実であっても、絶対に言えるはずが無い。
 最近、半月以上一人での行動が多かったから時間にルーズになっていたとも、言えそうに無い。
 「うん、まぁ何ていうかね。アレだね。入学シーズンだし、生徒会の役員としてはやる事が多くて」

 だから存在自体を忘れてたとかそう言う事ではありません。事故です、事故。

 無理だよなーと思いつつ、差しさわりの無い事情を説明してみた。妹はニコリと頷いた。
 「へぇ、それはそれは。ご苦労様です事。わたくしも新たに生徒会の役員になる事は内定していますし、後学のためにぜひお聞かせくださいませ。一体全体、二日二晩も屋敷を留守にして、あまつさえ長旅を越して辿りついた妹を出迎える事もせず、何処を遊び歩いていらっしゃったのか」
 「いやぁ、ホラ。それは何ていうか、色々とね、色々……」
 確実に怒っていた。主に後半の理由で。
 ばらしやがったなと、ロビーの奥のほうに控えていた侍従長を睨みつけてみると、すまし顔で視線を逸らされた。
 考えるまでも無くマリアのほうがアマギリよりも上位者だったりするので、そちらにつくのは当然と言えば当然かもしれなかった。
 女所帯では肩身の狭い兄である。
 「何をよそ見してらっしゃるのですか?」
 「スイマセン、何も見ていませんレディ」
 言葉が一々刺々しく、そして鋭い。視線は従者のものも含めて氷点下のブリザードだったので、会場設営の力仕事―――といっても殆ど指示だけだが―――をしてきた後の疲れた身にあって、散々な状況だった。
 さてどうしたものか。
 はっきりと割り切りの効いた性格のように見えて、この妹は根に持つと深い。
 何が恐ろしいかと言うと怒りが収まったと思って安心していると、忘れた頃に話題を持ち出してきたりするのである。最悪のタイミングに被せるように。
 故に、出来るならこの場で確実に、今後のために是非とも不評は濯いでおきたいのだが―――さて、どうしたものか。

 「―――プッ」
 「ちょっ、リチア様、声出したら駄目ですってば!」
 「ゴメっ―――なさい、でも、ちょっともう限界……」
 
 最初に噴出すような音と、それを止めようとする慌てた声。
 アマギリが半開きに開いたドアの影、玄関ホールに居るマリアたちからは見えない位置から、それは響いた。
 マリアが突然聞こえてきた声に目を丸くする。
 「? どなたかいらっしゃるんですか?」
 アマギリは直接は答えずに、半開きのドアを全開に押し広げた。
 「貴女は―――え? 教皇家のリチア様?」
 「おひさし、ぶりねマリア王女っ。くふっ」
 収まらぬ含み笑いのままマリアに答えるのはまさしく生徒会長のリチア・ポ・チーナだった。
 リチアはニヤリと嫌な笑みを浮かべて、アマギリに指を突きつけながら言う。
 「なに、アンタ。普段アレだけ偉そうな態度取ってるくせに、家じゃ妹に頭が上がらない駄目兄貴って事?」
 「ほっといてください。―――それから頬が引き攣ってるそこの従者! 後で覚えとけよ!」
 「何であたしだけ!!」
 唐突に怒鳴りつけられたワウアンリーが悲鳴を上げる。なんてことは無い、ただの逆切れである。
 「ワウアンリーまで。―――お兄様、何故この方達がこんな遅い時間にここにいらっしゃるんですか」
 もう充分に遅い時間だったから、男の暮らす屋敷に良家の子女が訪れるべき時間とは言えないだろう。
 一歩踏み出し問い詰めてくるマリアに、アマギリはたじろきながら応じた。
 「ああ、それは、ホラ……」
 「ワウアンリーは、今日からウチで暮らすんだと思う」
 マリアが乗り出した分だけ上半身をのけぞらしていたアマギリを遮って、ユキネが淡々と正解の半分を口にした。
 その言葉に、マリアはワウアンリーの顔をじっくりと眺めた後で、一つ頷いた。
 「……そういえば貴女は、お兄様の護衛聖機師でしたっけ」
 「そういえば……でしたっけって。何か、この王家の人たちはあたしに対する愛が足りませんよね」
 ぞんざいな扱いにワウアンリーはさめざめと涙を流した。しかし、誰も相手にしなかった。
 マリアもあっさりとワウアンリーから視線を外してアマギリに向きなおす。
 「それはさておきお兄様、何故リチア様が我が家にいらっしゃるのか、ご説明を」
 「チッ、やはり盾役にも使えないか……」
 「ちょっと殿下!?」
 さり気なく吐き捨てるように呟くアマギリの言葉に、ワウアンリーが突っ込みを入れる。
 「お兄様、お話を逸らしませんように」
 「ああ、うん。何ていうか僕も淑女としてこの時間はどうよって思ったんだけど、鉄は熱いうちに打てとか即断即決とかがこの人の長所みたいなものだし」
 ここは一つ勘弁してくれないだろうかと苦笑するアマギリの態度に気勢を削がれて、マリアはリチアのほうに曖昧な視線を送った。
 リチアはマリアの視線を受けて、余裕たっぷりに微笑んで応じた。
 「ごめんなさいねマリアさん。家族の団欒に割り込んじゃって。少し個人的に、あなたのお兄様に確認したい事があったから」
 なるべく、急いでと付け足すリチアの言葉に、マリアの心がささくれ立った。
 「確認したい……個人的に、ですか」
 「ええ、個人的に。出来れば人払いをした上で、二人きりで内密に、ね」
 「それはそれは……随分、ウチの人と仲が宜しいんですのね」
 「そうね。放課後は殆ど二人(と他数名)で一緒に過しているし、まぁ、他人とは言えない(が、特に恋愛関係には無い)関係かもしれないわね」
 半眼で問いかけるマリアの態度こそが望んだものだったとでも言いたいのだろうか、リチアは清清しい笑顔を浮かべていた。明らかにからかい交じりである。

 「うわぁー、場が混沌としていくなぁ。あたし帰っても良いですか」
 「いや、キミの家ここだから。つーか逃げるな。むしろ僕が逃げたいんだから」
 「アマギリ様は、完全に自業自得だと思う」
 にらみ合う―――と言うか、一方的にマリアが突っかかっている形だが―――二人の女性の間を蟹歩きですり抜けて合流した外野三人が、口々に言う。
 「いや、僕もこういう状況は予想してなかったんだけど。―――あの二人って相性悪いのかなぁ」
 「似たもの同士で気が合いそうな感じですもんねー」
 「気が強いのは同じだけど、ベクトルが違う気がする……」
 「いや、どっちかと言うと年季の差じゃない?」
 
 「外野。特にお兄様、黙りなさい」
 流石に好き勝手言いすぎたらしい。マリアが凄い目でアマギリを睨んでいた。
 「いやホラ、二人とも忙しそうだったから、僕はお暇しようかと」
 「なに他人事みたいに言ってるんですか!」
 既にホールの中央辺りまで後退していたアマギリに、マリアが怒鳴り声を上げる。
 「っていうか、お暇するのは僕等じゃなくて僕だけなんですね……」
 「頑張って」
 「あたしに何を頑張らせるつもりなんですかユキネさん!!」
 「あんた達、楽しそうで良いわね」
 一つ言葉が生まれればどんどん状況が混沌としていくこの状況に、唯一外の人間であるリチアが感嘆したような呆れたような声で言った。元々彼女の責任が大きいのだが、気にするような柔い少女ではなかった。
 「あの二人って、何時もあんな感じなんですか?」
 ガミガミと擬音が出そうな顔で説教をするマリアとひたすら平身低頭するアマギリを指差しながら尋ねるリチアに、ユキネは冷静な顔で一つ頷いて応じた。
 「実は週一のペースで通信で連絡を取り合っている」
 「うわ、必ず水曜だけ生徒会長室には顔を出さないのって、ひょっとしてそれが理由?」
 「ちょっと姉さん、そういう話他所に広めないで!!」
 平然と身内の暴露話をするユキネに、アマギリが顔を赤くする。
 「お兄様、人の話聞いていますか?」
 「いやだから、聞いているけどそれどころじゃないと言うかですね」
 「……つまり、私と話す事ははどうでも良い事と」
 「誰も言って無いよそんな事は!」
 その情け無い顔に、リチアの心底楽しそうな笑みは益々深まり、状況は更に混沌の様相を呈してきた。
 
 「お前達、そんな所で何をしているんだ?」

 そんな空気を凍りつかせたのは、ホールの中央階段の上から響いた女性の声だった。
 「あ」
 「あぁ……」
 「うわぁ」
 「ア……アウラ?」
 銀色の髪のダークエルフの女性が、二階、東塔との連結口の方から、ゆっくりと歩いてきていた。
 「む、リチアも居たのか」
 「居たのか、じゃ無いわよ。何でアウラがアマギリの屋敷に!」
 考えるまでも無いことだが、使用人たちが詰める一回を除く東塔上部はアマギリの住居である。
 「お兄様、どういう事ですか! 私は午後一杯屋敷に居ましたが、玄関からお客様を迎えた記憶はありませんよ!!」
 突然の来訪者に沸き立つ玄関ホールを冷静な目で見下ろしていたアウラはマリアの姿を確認して、なるほどと頷いた。

 「珍しくこの時間でも寝室のほうに姿が見えなかったので降りてきたのだが―――そうか、今日からマリア王女がいらっしゃるのだったな。すまない、邪魔をした。上で待たせてもらおう」

 あっさりとした一言を述べて、アウラは通路の奥に姿を消してしまった。
 玄関ホールに取り残された者たちの間に、実に気まずい空気が流れた。
 「……いま、寝室って言いましたよ」
 「と言うか、何処から入ってきたのよ。―――しかも、口ぶりから言って常習犯よね」
 ボソボソと意見を交換するリチアとワウアンリー。顔は興味津々なそれだった。
 「何でこのタイミングで来るかな……」
 無論、ここにリチアが居る理由とほぼ同様であろうことは理解しているが、タイミング的に何かの運命的な悪意を感じない訳にはいかない状況だった。
 そして、もう諦めたという口調でアウラが消えた連結口を眺めながら呟くアマギリの背後で、空恐ろしい気配が満ちる。
 振り返る。振り返った後で、アマギリは後悔した。
 
 ―――別に俯いている訳でもないのに、前髪に隠れて表情が見えない妹の姿があった。
 何故か光源が下にあるようにすら思える迫力のある影のつき方である。

 「―――ユキネ?」
 「はい、マリア様」
 
 尋ねる姫。応じる従者。
 従者の方は、微妙に表情が引き攣っていた。流石に怖いらしい。
 
 「どう言う事でしょう?」
 「……主家の方のプライベートには、例え多少思うところがあったとしても、口を挟めないかな、と」
 つまり、不定期に現れる夜間の来訪者の存在自体は把握していましたと、そういう事である。
 元従者の裏切り(?)にアマギリが慌てて付け加えた。
 「いや、待て。その口振りだと僕とあの人がナニかしてるみたいじゃないか!」
 「お兄様は黙ってなさい」
 「―――ハイ」
 一撃で切り捨てられる、どうしようもなく家では肩身の狭い兄だった。
 「さてユキネ。私の聞きたい事はそう多くはありません。主家の名誉を守ろうとする貴女の忠誠を嬉しくは思いますが、今は真実を述べる事こそがそれを果たす一助になると知りなさい。そう言う訳なので―――知っている事を全部話しなさいな」
 「初めと最後で言っている事違っているじゃないか!」
 「男が細かい事言ってるんじゃないわよ。ユキネ先輩。私も友人として上司として、この節操なしの素行については常に気に掛かっていたのですが―――」
 「アンタも自重しろよ!!」
 「えっと、一番初めにアウラ王女がいらしたのは―――」
 「冷静な顔で始めないでくれ!!」

 追求、突っ込み、追及、突っ込み、説明、突っ込み―――夜も遅いと言うのに騒がしい限りである。
 その様子を静かに見守っていた老執事は、少しの嘆息をした後でそっとその場を離れた。
 新たな主人を迎えての新たな仕事場。
 きっと今後何度も、このような騒がしい毎日が続くのだろう。
 老人は、僅かに口元を緩ませた後、せめて同性である自分くらいは、この場の唯一の男である少年の味方をしてやろうと思い、話の流れを断ち切る一助を呼ぶべく、客人に紅茶を振舞うように使用人たちに差配した。
 追求は未だ続き、少年の悲鳴は消える事は無い。

 そも、何故彼等、彼女等が自分たちがこの場に集ったのかを思い出すのは―――まだ少し時間が掛かりそうだった。






    ※ 流石にラピスまで配置するのは無理でした。
      しかし、流れるに任せて書いてみたけど、想像以上にカオスになったような。
     



[14626] 32-3:聖地へ・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/13 22:50


 ・Scene 32-3・




 「では第一回暗黒生徒会を始めたいと思います」

 夕餉の時刻もとうに過ぎた夜遅く。聖地学院内にあるハヴォニワ屋敷内のサロンに集った人々の前で、アマギリはおもむろにそう宣言した。
 当然、同じテーブルを囲っている誰もが何を言っているんだと言う顔で彼を見る。とりわけ、リチアの細い目は白けたそれだ。
 「ナニ訳の解らない事を言ってるのよ暗黒王子」
 「こういうの、形から入れって昔誰かに言われたんですよ暗黒生徒会長」
 「誰が暗黒よ、誰が」
 芸風を変えずに切り返すアマギリに、リチアの額に青筋が浮かぶ。隣に腰掛けていたアウラが苦笑を浮かべて仲裁に入る。
 「落ち着け暗黒リチア、話がズレてるぞ」
 「いえ、暗黒アウラ王女も巻き込まれていらっしゃいますが」
 「腹黒マリア様も」
 「……ユキネ。今何か違う言葉をつけなかったかしら?」
 「気のせい」
 ねめつけてくる主の視線を、ユキネは楚々とした態度で回避する。
 一人場の空気に乗り遅れた感のあったワウアンリーは、腹黒はむしろ言った当人の方があってるんじゃないのかと思った。この暗黒の空気が蔓延する空間で口にする気にはとてもなれなかったが。

 「で? これ以上くだらない話を続けるんだったら私帰らせてもらうわよ?」
 会話がテーブルを一巡した事で気が済んだのか、リチアが面倒そうな仕草で手で空気をを払って、アマギリに先を促すように行った。
 「ああ、スイマセン。何か、家族と友達が同じテーブル囲んでる空気って、慣れないなぁって思いまして」
 悪乗りし過ぎましたと、アマギリは苦笑した。
 「王子一人に王女二人、次期教皇が一人。冷静に考えれば、学院でも取り分け濃いメンツが揃ってますもんねぇ」
 アマギリの言葉にぐるりとテーブルを見渡したワウアンリーが、簡単とも呆れともつかない息を漏らしながら言った。
 「一番下っ端は聖機師見習いのワウだけどね」
 「うう、明日になれば正式な聖機師なのに……」
 主の夢や希望を切り捨てるようなぞんざいな言葉に、ワウアンリーがさめざめと涙を流した。
 「私も別に、次期教皇と言いきれるような立場じゃないんだけどねぇ。教皇を選出するための枢機卿会議の流れって、結構流動的だったりするし」
 「となると、次期女王が確定しているマリアが一番偉いって事になるのかな」
 「お兄様、解ってて人を上座に座らせましたわよね」
 「アマギリ様、形ばっかり気にする人だから」
 「あー、外面取り繕うの得意よコイツ。たまに意図的に取り繕わなくてむかつくけど」
 「……話、先に進めさせてもらうぞ?」
  流石に個性的な人間が揃っていると言う事か、一度話がそれると修正が非常に難しいらしい。
 アウラが苦笑交じりにそう切り出すと、リチアが頬を染めながら頷いた。どうやら、自分が一番わき道に乗りすぎていると気付いたようだ。
 誤魔化すように咳払いをして、リチアはそれこそ生徒会役員会議の時のように背筋を伸ばして口を開いた。
 「それじゃあ、議題なんだけど……」

 「何故お兄様の寝室の窓からアウラ王女が侵入してきたか、ですわね」

 リチアの言葉を遮るように、マリアがきっぱりはっきりとそう述べた。
 「……へ?」
 いや、そうじゃないだろうとリチアが目を丸くするが、マリアはニコリと一つ微笑むだけだ。
 「ですわよね?」
 「いや、えっと……」
 「ですわよね?」
 「……ちょっとそこの駄目兄貴、何とかしなさい」
 まったくにべも無いマリアの態度に恐れをなし、丁度向かいに座っていたアマギリにリチアはキツイ視線を投げかける。アマギリは了解と頷いた。
 「助けろ、従者」
 「ここであたしに振るんですか!?」
 「そのための従者じゃないか」
 「家族間の問題くらい自分で解決してくださいよ!!」
 ワウアンリーとしては当たり前の叫びの筈だったのだが、アマギリからは何故か使えないなコイツと言うような侮蔑の視線を送られた。まったくもって理不尽な主である。
 ようするにアマギリは現実逃避をしているだけなのだが、ワウアンリーはその事に気付かない。
 ユキネとアウラの年長組みが、同時にため息を吐いた。

 「この屋敷に玄関から踏み込むと、強制的に”こちら側”の派閥扱いされてしまうと、兄君から忠告を受けていてな。私としても何を今更と思わないでもなかったのだが、そこは男の見得に付き合ってやるのも器量だとユキネさんに説得されてね」

 いい加減埒が明かないだろうと、アウラが苦笑交じりに事実を口にした。
 「うわ、初耳だよ、僕」
 気遣っているつもりが逆に気遣われていた事に気付いて、アマギリは羞恥で顔が赤くなりそうだった。
 その言葉に、リチアがニヤニヤと笑う。
 「アウラもだったの? ソレ、私も来る途中に言われたわよ。案外意味も無くフェミニストよね、コイツ。今更手遅れなのに」
 状況が理解できている従者二人は、アウラの言葉にああ、と頷いているだけだったが、新入生であるマリアは首を捻った。
 「派閥……ですか?」
 「生徒会に所属すれば、嫌でも解るわよ」
 面倒そうに肩を竦めるリチアに、ユキネも頷く。
 「今の所、7:3でこちらが不利」
 「あれー、あたしが聞いたときは6:4だったんですけど。まぁ、友達少ないですからね、殿下」
 「いや、単純にダグマイア・メストの努力だと思うが」
 「外辺りは良いですからね、あの倅は。それから従者二号は黙れ」
 事実だけを述べているつもりのアウラの言葉に、アマギリが憮然と応じた。男として微妙な気分になる問題らしい。マリアはそんな兄の家では見せないような様子を、溜め息と共に納得した。
 「一人暮らしで随分と羽目を外してらっしゃったのですね、本当に……。一先ず解りました。その話は後でゆっくりと聞きますので、今は別の話をしましょう」
 客人が帰ったら覚えておけよと言う妹の言葉に、アマギリの肩がビクリと揺れた。

 「じゃ、本題に入るわよ」

 リチアがやれやれと、壁掛け時計を見ながら口を開く。何だかここまで話を進めるだけで無駄に時間が掛かった。どうやら、ラピスは先に帰らせておいて正解だったらしい。
 「本題か。……剣士の事で良いんだな?」
 リチアの言葉に確認するように返すアウラに、アマギリが眉を顰める。
 「ひょっとしてアウラ王女、もう先にお会いになりましたか?」
 「お会い……? ああいや、昼間、森でな」
 狩猟の許可を求められたと、アウラはそのときの事を思い出したのか、楽しそうに笑いながら続けた。
 「ケンシ、と言うのは柾木剣士さんの事ですわよね? あのラシャラの従者の」
 「ひょっとしてマリアももう会ったの?」
 「ええ、午前中に学院長室で。―――思えば、少しはしたない真似をしたような気もしますが」
 「何をしたのさ―――なんでユキネが顔を赤くしてるのさ」
 自分の言葉に顔をしかめている妹にアマギリが首を捻っていると、何故かユキネが首をちぢこめていた。
 「何でもない。……剣士、昼間も屋敷に来てた」
 直ぐにキャイアに引っ張られていったけど、顔を赤くしたままそう続けるユキネに、ワウアンリーが目を丸くする。
 「ユキネさんのところにも来てたんですか? あたしの工房にも来ましたよ」
 午後は工房の片づけがあるからといって聖機神の設置作業から抜けていたワウアンリーが、そんな風に言う。
 スワンから運び出していた資材の搬入を手伝っていたらしい。
 「へぇ。まぁワウのところは何となく解るけど、何でウチ? 何か話した?」
 言える部分だけで良いから教えてもらえないかと尋ねるアマギリに、ユキネは一瞬考えるように瞠目した後で、ゆっくりと口を開いた。その言葉の意味を、アマギリたちの態度を含めて、彼の少年の真実を推し量るように。
 
 「聖機師の婚姻に関して」

 それに関してどう思うか―――と言うよりも、どうして反対しないのか、と言う意味を込めていたように感じたと、ユキネはそう答えた。

 「……へぇ」
 楽しそう―――と言うよりもむしろ、アマギリの漏らした言葉は呆れ交じりのものだった。そしてそのまま、無言でワウアンリーとアウラの方へ視線を横滑りさせる。
 「へ? え?」
 何か怒られるような事をしたかと慌てるワウアンリーに対して、アウラは理解できたとばかりに頷いた。
 「ああ、私も同じ内容の話をした。―――随分と、心配してされてしまったよ」
 苦笑交じりに言うアウラに、アマギリは一つ頷いて応じた。ス、とワウアンリーを見据える。
 「ワウ?」
 「は、ハイぃ! えーっと、その、剣士との会話の内容ですよね? 何ていうか高地出身者とこっちの人の間に横たわる文化的風習の違いに関してと言いますか……」
 「あっそ」
 「え? 折角話したのに興味なし!?」
 話の途中でもう良いとばかりに視線を逸らされたワウアンリーは涙目になる。
 ユキネも含めて三人の証言を聞くだけに回っていたリチアが、考え込むように言った。
 「良く解らないけど、つまり……そのマサキケンシとか言う、アレよね? 闘技場で見かけた小動物。高地の出身で聖機師の義務とか何も知らないって事?」
 「それは―――どうなんだ?」
 リチアの質問に、アウラは直接は答えずにアマギリに視線を送った。考え込むように口を閉ざすアマギリの横で、やはり聞き手に徹していたマリアが、鼻を鳴らして口を開いた。
 「お兄様がそれほどお気になさるのですから、そんな単純な話ではないのでしょう?」
 妹の質問にも、アマギリは口を開かない。
 まるで沈痛そうな表情で、何かを深く考え込んでいる。
 「―――お兄様?」
 「ん? ああ、マリア―――どうした?」
 「どうした、ではありませんよ。皆様お兄様のお話を聞くために集まっているんですから、お話してくださらないと場が進まないではないですか」
 テーブルの下で膝を揺すられて、漸く自分がぼうっとしていた事に気付いたアマギリを嗜めるように、マリアは口を尖らせた。
 「ホント、妹には弱いのね……」
 その様子に、リチアはご馳走様とでも言いたそうな顔でぼやいた。口には出さなかったが、他の少女達も同様の思いだったようだ。
 アマギリは場の微妙な空気に気付いて、一度咳払いをした後で口を開いた。

 「まぁ、姫様方のご想像の通りかと」

 「では、やはり剣士は」
 吐き出すように述べられたアマギリの言葉に、アウラは眉根を寄せて声音を鋭くした。マリアも、母に似た隙の無い表情を浮かべて続く。
 「話の流れから察するに―――異世界人、ですか」
 「異世界人!?」
 マリアの言葉に劇的な反応を示したのは、教会に籍を置くリチアだった。ユキネは瞬きをして驚きを示し、昨夜からの状況の推移を理解していたワウアンリーは納得したように頷くだけだ。
 アマギリは、少女達それぞれの反応を確認した後で、ゆっくりと口を開いた。
 「状況を全て並べて整理すればそれ以外の答えはありません。あの方、柾木剣士殿は異世界人の男性聖機師。昨夜従妹殿を襲った下手人の一味、僕は見て無いけど、恐らくワウアンリーが言っていた白い聖機人の搭乗者です」
 「やっぱりあの白い機体は、剣士なんですね……」
 「むしろ、現場に居たワウが初見で気づかなかった事に驚いたよ僕は」
 観察力が欠けてるとジト目で睨んでくるアマギリに、ワウアンリーは冷や汗混じりに言い訳する。
 「いや、その、ほら。貴重な男性聖機師をああいう仕事に使うとか、普通考えられないじゃないですか。―――それ言ったら、昨日殿下がスワンに来た事も驚きなんですけど」
 「ウチは人手不足だからねぇ。ワウがしっかりやってくれれば僕が出る必要も無かったんだけど」
 「嘘だぁ。あたしがどうなろうと、剣士が居ようが居なかろうが、絶対来てましたよね!?」
 「気のせい気のせい」
 まくし立てる従者を適当にあしらいながら、こんなところでどうですかと尋ねるアマギリに、アウラは苦いものを飲み込んだような顔をした。
 「あの朴訥そうな少年がな……。俄かには信じがたいが」
 信じる他無いと、アウラも状況から考察してそう理解していた。何よりも、アマギリが確信的な口調でそう言いきってしまった以上、いかに荒唐無稽であろうとそれはほぼ真実といって差し支えないとアウラには思えていた。
 「ちょっとアマギリ、本気で言ってるの? 異世界人なんて、星辰の配置からしたってあり得ない話しなのに」
 慎重深い上に慎重さを重ねたような所があるアマギリの言葉だ。リチアとて言い切られれば信じる他無いのは理解していたが、それでも常識が邪魔をする。
 だが、アマギリはそんなリチアの気持ちを察してか、苦笑して自らを指し示した。
 「―――僕が居るのに?」
 「殿下、異世界人ですもんねー」
 「そう、言えば……」
 ワウアンリーの苦笑混じりの言葉に、リチアは忘れていた事実に気付いた。
 アマギリ・ナナダンは異世界人である。余りにも空気に馴染みすぎているお陰で忘れがちになるが、それが事実なのだ。
 「じゃあ、何? あの小動物はアンタのお仲間だったりする訳?」
 呆れ顔―――むしろ失念していた自分に呆れているかのような顔で、リチアは投げやりに尋ねた。

 「それなんですよねぇ」

 しかしリチアの予想に反して、アマギリはここに来て言葉をあいまいにした。
 「どれなのよ」
 コイツが言葉を濁したら絶対碌でもない事になる、と信じて疑わないリチアは、いいから纏めて全部吐けとアマギリを睨む。
 「いや……」
 それでもアマギリは言葉を濁した。リチアが益々不審そうに眉を顰めたところで、アウラが口を開いた。
 「つまり、仲間な訳だな?」
 確定的口調でそう述べたアウラに、アマギリは視線を逸らして答えない。
 マリアが焦れたように口を開いた。
 「どう言う事なのですか? お兄様が知り合いだと仰るのでしたら、あの方の事をお兄様は”記憶している”と言う事になりますわよね」

 それが、事実だとすれば。

 マリアの中にある予想図が浮かび上がって―――きっと彼女は知らぬ間に、恐怖を覚えていた。 
 だって、アマギリ・ナナダンは自身の名前すら覚えていない、昔の事をまるで思い出せないのだから。
 普段の様子からは気付けないが、少なくとも自己申告では、アマギリは記憶喪失なのである。
 ふとした弾みに限定的に知識が浮かび上がる事はあるようだが、それらを正確に並べなおして一つの記憶として成立させる事が出来ないと、他ならぬアマギリ自身がそう述べていたのを、マリアは覚えていた。

 「アマギリ様?」
 主の不安な気持ちを察したのだろう、ユキネが、アマギリに―――姉としての態度を口調に込めて尋ねる。
 家族に心配を掛けてはいけないと、そういわれている事に気付いたアマギリは、漸く微笑らしきものを口元に形作って応じた。

 「うん。―――うん、そうだ。僕とあの方……剣士殿は、恐らく何処かでつながりがあるんだと思う」

 そんな気がする。
 そう、事実を認めた。
 「お兄様……」
 その言葉に、マリアが不安を隠しようも無い呟きを漏らす。
 誰もが一様に次の言葉を捜しながら黙り込み、場の空気を、重たいものが満たした。
 女性陣が一様に言葉に詰まってしまった事を察したのか、アマギリがいっそさばさばとした口調で言った。
 「ま、だからといってどうなんですけどね。剣士殿は異世界人。僕も異世界人。近いつながりがあるかもと言っても、僕は彼個人に関しては生憎と記憶にありませんし、向こうがどうなのかも解りません。―――今後どうなるかはさておき、今の所は何も状況は変わりませんよ」

 何も、変わらない。

 聞かれてもいない事を口にしているという自覚はアマギリには無かったし、誰もその事を指摘する事は無かった。
 「ようするに、面倒ごとがそのうち起こるから、心構えを決めておけって事でしょ」
 「殿下が問題を起こすのは何となく想像できますけど、剣士はなー」
 「確かに、あの子には善的なもの以外感じなかった」
 「同感。剣士は、良い子」
 ただその言葉が引き金になったかのように、皆一様にそれまでの沈痛な表情をやめて、空元気のような明るい空気を作り出す。作り出そうと、努力していた。
 その空気にアマギリは安堵の吐息を漏らし、それから、自分の膝の上に置かれていた小さな手の事に気付いた。
 腕を辿るまでも無く、隣に座る妹のものであると解っていた。

 不安気に、惑うように。

 そっとその手を―――その権利が、あるのだろうか。
 逡巡は一瞬で終わり、アマギリはその手をそっと握り締めた。

 妹はなんら驚いたような態度も示さず、ゆっくりとした指の動きでアマギリの手を掴み返す。

 ここに居る。
 今は、まだ―――”まだ”としか言えない自分が、その日初めて恨めしいものだと、アマギリにはそう思えた。


 ・Scene 32:End・



 


     ※ 今後無い組み合わせだろうなぁと悪乗りし過ぎたら前半と後半のギャップがエラい事になった。
       因みにユキネは暗黒書記長。たぶんいちばんえらい。




[14626] 33-1:働かざるもの……・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/14 22:40


 ・Scene 33-1・



 「何か、女子の皆さんがやたらと騒がしかったけど、何かありましたか?」

 お昼時。珍しく呼び出しを受けて向かった生徒会長執務室で、アマギリは通りがかりに見た学院内の浮ついた空気を部屋の主たちに伝えた。
 室内にはリチアとアウラの姿が当たり前のようにあり、しかし何時もなら来訪者を出迎えてくれるラピスの姿は見当たらなかった。可動式の書棚を隔てたリチアの私室の方にでも居るのだろうか。
 「恐らく、剣士のせいだろうな」
 「剣士殿?」
 ソファに腰掛けてのんびりと寛ぐ体勢だったアウラがアマギリの疑問に応じた。執務机で書類を纏めていたリチアも続く。
 「あの剣士さんとやら、今日から学院で下働きをする事になったんですって」
 「ああ。若い男は貴重ってヤツですか。―――あれ、小動物からさん付けにレベルアップしてません? 僕の事は最初から最後まで呼び捨てっぽいのに」
 昨日までのリチアは、柾木剣士の話題が上がるたびに彼の人を”小動物”と評していたのに、何故か今日は丁寧に名前にさん付けである。アマギリが指摘してみると、何故かリチアは苦虫を噛み潰したような顔で噛み付いてきた。
 「なに、アンタ。女子に様付けされて喜ぶ趣味でもあるの? 男性聖機師っぽいといえばぽいけど、はっきり言って趣味悪いわよ」
 「そんな趣味無いですよ、ダグマイア・メストじゃあるまいし。ってか、何ですか。何時に無くアタリがきついですけど」
 「そこでダグマイアの名前を出す意味はあるのか?」
 書類を胸に叩きつけられて驚いているアマギリに、アウラが苦笑いを浮かべて事情の説明を始めた。
 「ラピスがちょっとトラブルに巻き込まれてな」

 トラブル。

 内容を語られずとも、眉を顰めたアウラの表情を見て、アマギリはその意味を察した。
 「ああ、そう言えば、今年からあの子も学院生でしたっけ。女子ってその辺陰湿ですもんねぇ」
 近づきたくない領域だわと、わざとらしく首を振るアマギリに、アウラも苦笑交じりに頷く。
 「特にラピスは、既にリチアの従者として将来が約束されているという所もあるからな」
 「失礼な話よね。それで体よくラピスを排除できたとして、そんなヤツを私が傍に置こうと思うとでも本気で思ってるのかしら」
 「そういう考えが及ばないから苛めになんて走るんでしょうけど。―――で、ラピスさんは平気だったんですか?」
 口々に感想を述べる先輩方の話に肩を竦めながら、アマギリは確認するように尋ねた。
 何しろ、聖地学院などと言う閉塞した空間で行われるような苛めである。
 しかもソレを実行するのはどちらかと言えば頭を動かすより体を動かすのが得意と言うような聖機師見習いばかり。脳よりも反射神経の判断を優先してしまうような生き物である。

 ”思い付きの碌でもない判断”で踏み外してはいけない階段を平気で踏み外してしまう可能性も高いのだ。

 「まぁ、その人の大事なものを隠すという些細な悪戯程度―――無論、あくまで隠した本人達の基準では、だが―――で済んで、その辺りは一安心だったのだが」
 「物理的な意味で、同性だからこそ男よりも酷い事とか平気で出来そうですしね」
 ラピス本人には怪我一つ無かったと聞いて、アマギリはやれやれと安堵の息を漏らした。その後、憮然とした顔で指でペン回しをしているリチアに振り返る。
 「生徒会長閣下が機嫌悪いのはどっちが理由なんです? ラピスさんが苛められた事? それとも、それを剣士殿に助けられた事ですか?」
 「っさいわね」
 図星を突かれたと言う態度そのままで、リチアはアマギリの言葉を切り捨てる。
 「つまり、どっちもな訳ですか。まぁ、王族の従者とかやってる生徒には避けて通れない道ですし、仕方無いんじゃないですか。ウチのワウとかも、結構苦労してるみたいですよ」
 「いや、ワウのそれはお前が何もしなければどう考えても避けられた苦労だと思うのだが……」
 したり顔で語るアマギリに、アウラが冷静に突っ込みを入れた。アマギリは聞きもしなかった。
 押し付けられた書類を適当に捲りながら、アウラの向かいのソファに腰掛ける。既にそこが彼の定位置だった。
 
 「―――結局それで、剣士殿が下働きを始めたんでしたっけ?」
 
 新規生徒会役員保護のための特別予算の内約と言う、市井の通常の学校であれば絶対に見られない要綱が記された書類に注釈、訂正を書き加えながら、アマギリは誰にとも無く尋ねた。

 因みに、この部屋で本来の用途―――生徒会の活動―――を行うのはリチアとアマギリだけである。
 アウラは何もしない。ただ、居るだけである。たまに自分の学業の課題を行っている時はあるが。
 アマギリも一年以上前はアウラと同様のごく潰しだったのだが、以前幾つか行事ごとが重なった時に、流石に限界を迎えつつあった"一人生徒会”のリチアの仕事を横から掻っ攫って以来、容赦なく断りも無く唐突に仕事を回されるようになった。
 事実上、行事関連以外の通常の生徒会業務を行っているのは幾人もの生徒会役員の中でリチアとアマギリの二人だけだったりする。
 リチアがその性根から周りに仕事を任せないせいである。そう考えれば、現状仕事を押し付けられる事のあるアマギリは、リチアから格別に信頼されているとも取れるのだが―――生憎と二人がその事を正しく認識しているかどうかは神のみぞ知る、と言うヤツである。
 それを疑問に思っているのも二人の様子を知っているアウラとラピスくらいだろう。
 閑話休題。

 「ああ。何と言うか私には言葉に困るが、剣士はあれで庇護欲を誘うタイプ―――とでも言うのか? 特に上級生達が見かけては色々と”可愛がっている”らしい」
 「アレは剣士さん本人と言うよりも、その後ろに居るラシャラ・アースとかが目当てなんじゃないかしら」
 「それもあるだろうな。どうも、メザイア先生も剣士の事を甚く気に入っているらしいから、その傍に居ればと言うのもあるのだろう」
 私見を積み重ねる二人の言葉に、アマギリは苦笑してしまった。
 「最終的にそういう打算的な部分が出てくるのが、毎度の事ですけどさすが聖地学院って感じですよね」
 無邪気に騒いでいるだけのように見えて、必ず何処かで利益を求めている部分がある。大なり小なりとこの学院に通っている人間なら持っている要素だとアマギリが嘆息していると、リチアが鼻を鳴らして応じた。
 「アンタがこの学院に現れた時みたいに、悪戯におどろおどろしい方向に行かないだけマシなんじゃない?」
 「―――片棒を担いでいた我々が言えた義理でもないだろうが、道理だな」
 「どうせ僕はあの方みたいに陽性なカリスマはありませんよ」
 内に潜んで網を張る方が好みだと嘯くアマギリに、アウラは片眉を上げた。ソファから少しだけ身を乗り出して、アマギリに尋ねる。
 「前から疑問だったんだが―――どうしてお前は剣士を指す時に丁寧な言い回しをするんだ?」
 「へ?」
 真面目な顔で問われて、アマギリは目を丸くしてしまった。
 丁寧な、と言われてもアマギリの中では柾木剣士の事はごく自然に扱っていた筈だ。
 「何か変でしたか?」
 「変、と言うほどでも無いかもしれんが、”剣士殿”と継承をつけたり”あの方”と評してみたり、まるで同等以上の存在として扱っているようだぞ」
 「あ、それ私も気になってたわ」
 アウラの言葉に、リチアも我が意を得たりと頷いた。アマギリは逆に口元を押さえて眉根を寄せた。
 「意識してなかったなぁ。―――言われると確かに、僕らしくも無い様な」
 「そのもの言いは、惚けているのか真面目な話なのかどっちだ?」
 お前の場合それが解り辛いと半眼で問うて来るアウラに、アマギリは肩を竦める。
 「両方、ですかね。自分でも少し驚きました」

 柾木剣士と言う存在を敬意を持って扱う事に、まるで疑問を覚えていなかった。

 「―――やはり、お前と剣士は昔からの知り合いと言う事なんじゃないのか?」
 アウラが聞きずらそうに、しかし話を逸らしようも無い聞き方でアマギリに言う。
 「そうすると、柾木剣士の方がコイツより立場が上の人間になるのかしら。―――あの小動物がねぇ」
 「いや、そう驚く事もないかもしれん」
 想像がつかないと言うリチアに、アウラは言った。
 「剣士とアマギリは、実際似た空気を持っている。我等ダークエルフ以上に森に祝福される気配。体の使い方も何処か似ている。―――そして、そのどちらにも言える事だが」

 柾木剣士の方が、”深い”。

 「―――深い、ですか」
 ぼうっとしたような顔で、アマギリはアウラの言葉を繰り返していた。
 「ああ、深いな、アレの懐は。傍による全てを引き付けて離さない、大樹の如き包容力があの子にはある」
 「大樹か。言いえて妙ってやつですかね」
 「―――たいして話もしてない筈でしょうに、解ったような口を聞くわね」
 アウラの言葉に頷くアマギリに、リチアが口を挟んだ。
 言われてみればそうかもしれないし、そうではないと言い訳したい自分もあった。

 ―――あの輝きに似たものに、かつて憧れていた記憶がある。
 
 「それとはまた、違うけど」
 何処までも清廉にして潔白だったそれと比べて、正樹剣士の秘めた物はまた別だろう。むしろ、そんな完璧超人が何人も居てはアマギリも堪らない。
 何しろ彼の人が完璧すぎたお陰で、遠く辺境に居た自身にすらお呼びをかけねばならに程に当時の―――。
 「どうした?」
 「―――いえ」
 フラッシュバックのように湧き上がった誰かと誰かと何処かのイメージを、首を振って追い払う。
 「遠めに見てれば解るじゃないですか、皆、剣士殿の傍に居ると生き生きとした顔をしてますしね」
 「遠目、ね。アンタらしくもないじゃない、遠巻きに眺めるだけなんて」
 「そうですか? でも別に直接話す機会なんてありませんし、仕方ないでしょう」
 アマギリの言葉は、何処か言い訳がましい。
 この男の本領を発揮すれば、必要とあれば”機会”なんて幾らでも作り出す事がかのうだろうに、それをしようとしない。
 自身の過去に繋がる可能性の高い人物に対して、随分と消極的な態度。一日二日どころか、そろそろ柾木剣士の存在を認識してから一週間もたつと言うのに、未だに遠めに見るだけ。
 手をこまねいているようにすら見える。
 リチアはかまを掛けてやろうかと、ニヤリと笑って言った。
 
 「まさかアンタ、妹に泣かれたりでもしたら怖いから、あの小動物と距離を置こうとか思って―――」

 言葉は最後まで口にされる事はなかった。
 リチアは何度か口をまご付かせた後、一つ大きくため息を吐いて首を振った。
 「ごめん、忘れて」
 「何ですか、いきなり」
 人をからかおうとしておいてどんな言い草だとアマギリが文句を言おうとしたら、今度はアウラが少し言いづらそうに口を開いた。
 「いやアマギリ。そんな愕然とショックを受けた見たいな顔をされれば、誰だって口を閉ざすと思うぞ?」
 「はい?」
 言われて思わずと言った仕草でアマギリは自身の頬を押さえてしまった。

 表情?
 愕然としたなどと、どんな顔だそれは。と、言うか何にショックを受けたんだ。

 「意識して無かったってけど、図星だったって事でしょ? ホントに妹には甘いわよねアンタ」 
 やってられないと背もたれに体を預け天井を見上げるリチアの態度に、アマギリは漸く自身が衝撃を受けていた(らしい)理由を悟った。
 
 少し前の夜の、少女の不安そうな顔を思い出す。
 迷子のような、置いてけぼりにされた、一人取り残されたかのような心細そうな少女のそれだ。

 ―――つまりそれを、見たくないのだ。このアマギリ・ナナダンは。

 「顔、赤いわよ」
 「―――絶対確実に気のせいですから放っておいてください。後生です」
 リチアの指摘に、アマギリは顔を隠して肩を落としてため息を吐いた。対面のソファに座るアウラが、微笑を交えて口を開く。
 「変わったな。いや、変わって行くなと言った方が良いのか。―――そう情けない顔をする必要も無いんじゃないか? 以前の暖簾に腕押し、柳に風といった態度だった頃に比べれば、ずっと好ましいと思うが」
 「そうそう、どうせ”こんなに他人を気にかけてるなんて自分らしくも無い”だなんてくだらない事考えてるんでしょうけど、それで良いのよ。そういう、”らしくなさ”ってのを積み上げて人間は成長していくんだから」
 アウラに続いて、リチアまでも何処か優しい声音でそんな風に語る。
 気を使われている、むしろ労わられていると解ってしまえば、アマギリには返せる言葉も無かった。
 「それに、それほどらしくないと言うものでもないと思うぞ。お前は懐に抱えたものに対しては初めから優しい人間だったからな」
 「ワウアンリーもアレで、嫌な事は絶対にしないタイプなのに、何だかんだでアマギリの言う事には従うものね。慕われてるみたいでよかったじゃない」
 初対面の時のユキネの扱いを思い出したのか、懐かしそうに話すアウラに、リチアも続く。
 アマギリとしてはそういう褒められ方をしてもただ恥ずかしいだけである。
 「何ですか、今日呼び出したのは人を羞恥プレイにかけるとか、そういう意図ですか?」
 憮然と―――表情もちゃんとそうなってるか定かではなかったが―――して口を尖らせるアマギリに、リチアはまさか、と肩を竦めた。少しやりすぎたかと微苦笑を交えるアウラが答える。
 
 「丁度良い機会だから、昼食を共にしないかと主ってな」

 「丁度?」
 なにがどう丁度だと言うのかと首を捻るアマギリの背後で、入り口のドアがノックされる音が聞こえた。

 「すいませーん、昼食の出前に参りましたー!」

 元気で明るい少年の声が、ドアの向こうから聞こえた。
 思わずと言った態度でアマギリはリチアに視線を送る。タイミングがよすぎないかと言う疑問の視線にも、リチアは肩を竦めるだけだ。
 「別に、アンタのために呼んだわけじゃないわよ」
 「最初に話しただろう。ラピスだよ」
 「―――ああ」
 アウラの言葉に、アマギリは漸く状況を理解できた。
 なるほど、だから自主自立を旨とするリチアは機嫌が悪かった訳で―――。

 そんな風に考えているうちに、扉は開かれた。

 「お弁当三人前、お届けにあがりました!」

 かくて、当たり前のように。

 彼等は出会う。







     ※ そう言う訳で原作編開始から数える事十回目で漸く真主人公との会話シーンが出来そうな。

       



[14626] 33-2:働かざるもの……・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/15 22:59



 「あのぉ」

 「はい、何でしょうか」
 困った風に問いかける少年に、背筋を伸ばし直立不動の体勢を取っていた男が丁寧な口調で問い返した。
 その物言いに、岡持ちを両手で抱えた少年の表情は益々混迷を深めた。
 「あの、俺何か粗相をしたでしょうか、えっと……」
 「アマキ―――リ、……です。アマキリ・ナナダン」
 「あ、いえ、お名前は存じてますけど。アマギリ様は何で、その……」
 何と言えば解ってもらえるのか。言葉に詰まった少年は、踏み込んだ生徒会長執務室内を見渡して、助けを求める。
 が、助けを求めようと思っていた室内に居た二人の少女も、少年と同様に直立不動の男を見上げて唖然としているようだった。

 妙な空気が、昼の生徒会長執務室の中で充満していた。

 困った顔で岡持ちを抱えた少年。その少年に対して気を付けの姿勢で立つ男と、そしてそれを唖然と見上げる二人の少女。
 ―――事の流れとしては単純な話である。
 少年、この日から学院の下働きとして勤務を始めた柾木剣士が、その仕事の一環として昼食の出前を部屋の主であるリチアから承った。
 リチアが弁当の配達人に剣士を指名した理由は、その日の午前中にトラブルに巻き込まれていた自身の従者であるラピスを、傍を通りかかった剣士が助けてくれたからである。その礼を述べようと思っていたのだ。
 因みに、ラピスの一件をリチアに伝えたのが、彼女と同様にソファの上で唖然としているアウラである。
 そしてアウラは、剣士を呼ぶのならどうせならもう一人呼んでみると面白いのではないかとリチアに提案した。

 そして呼び出されたのが、室内に踏み込んだ剣士に丁寧な言葉遣いで応対を始めたアマギリである。

 アマギリの態度は劇的だった。
 剣士が部屋に踏み込んだ瞬間、気だるげに腰掛けていたソファから即座に立ち上がり、直立の姿勢を崩そうとしない。表情も、何時も浮かべているような、世の中を皮肉っているような不敵なものではなく、生真面目で、何処か緊張感に満ちているものだった。
 
 まるでと言うか、完全に目上の人間に対する所作であった。

 「―――とりあえず、だ」
 固まった空気を破り、一番初めに状況把握に動いたのはアウラだった。咳払いと共にアマギリを見上げて口を開く。
 「アマギリは一旦座れ。剣士が困っているじゃないか」
 「いや、でも……」
 アウラに言われて、アマギリは目を瞬かせた後で困った風に漏らした。
 それは、今まで自分が取っていた態度に気付いていなかったかのような態度である。
 
 でも、―――何だろう。
 なんと言って否定したかったのか、アマギリ自身にも解っていなかった。
 だと言うのに、柾木剣士と言う名の少年を目の前にしてしまった瞬間、礼節をもった行動を取るべきだと、体が疑う事も無く自然に反応してしまった。

 そうとも、柾木と言う名の少年を、恐れ―――畏れとともに礼儀を示すのは、当然の事だ。

 とは言え、理由も解らずにそういう行動を取る事を気味悪く思う自分が居る―――”増えた”―――事も確かなので、アマギリはアウラの言葉に逆らうような事をせず、一つ息を吐いてソファに身を降ろした。
 失礼と言う言葉も無く、本当にただ座り込んだだけだったので、周りの空気は相変わらず微妙なものだったが。
 アウラはその姿に苦笑を浮かべ、立ち尽くす剣士を労わるように言葉をかけた。
 「わざわざすまないな、剣士」
 「いえ、そんな。生徒の皆様のお世話をするのが、俺の仕事ですから」
 アウラの言葉に、漸く気を取り直した剣士ははきはきとした態度で返事をする。
 場の滞った空気を払拭してくれるような、元気で気持ちの良い声だった。
 それで固まったままだったリチアも漸く思考を持ち直したらしい。口の端を持ち上げて楽しそうに剣士を見上げた。
 「へぇ、これが貴方達の言っていた、ねぇ」
 リチアは貴方達、と言った所で一瞬だけアマギリに視線を送るのだが、アマギリは浅い姿勢でソファに腰を下ろしたまま、無言のままだった。
 アウラは二人の間に交わされた一瞬の空気に気付きながらも、何も言わずに苦笑して剣士にリチアを手で示した。
 「リチアの方は剣士には初めてだと思うから紹介しておこう。リチア・ポ・チーナ。彼女は現法王の孫にあたる」
 「柾木剣士です」
 アウラの言葉にならって、剣士はリチアに深々と頭を下げた。リチアが面白そうにそれを見たまま、言った。
 「よろしく、剣士さん。―――それにしても聞いていたのとは随分印象が違うわ。そうね、まるで野犬みたい」
 何処か反応を見て楽しもうと言う魂胆が透けて見える挑発染みた言葉だったが、言われた剣士の態度は朗らかなものだった。頭をかいて笑っている。
 「ハハハハハ、良く言われます」
 しかし、朗らかに笑う言われた当人に比べて、聞いていた者たちのほうがむしろ目を尖らせた。
 「不敬ですよ、先輩」
 「ふけ、……え? ああ、いや、そうだ。失礼だぞリチア。剣士は野犬などではない。例えるなら誇り高き狼だ」
 一瞬自身よりも早く反応したアマギリに驚きつつも、アウラは強い口調でリチアを断じていた。
 「野生の生き物には変わらないでしょう?」
 一介の少年に随分と肩入れしている。そんな親友の態度が興味深かったのだろうか、リチアはさらに楽しそうに笑って言った。
 アウラはげんなりとした顔で溜め息を吐いた後で、剣士に言った。
 「やれやれ……。スマンな、少々口の悪いやつでな」
 「正直な方なんですね」
 謝罪するアウラの言葉も、しかし剣士は笑って受け流す。本当に言葉どおりの感想しか抱いていないようだった。その裏表の無い態度が、アウラには心地よく感じられる。
 「まぁ、な。―――さて……」
 
 ―――特に、裏表の激しい男が直ぐ傍に居るとなると。
 
 チラ、と向かいの席に座る男に視線を移して、アウラはどうしたものかと首を捻ってしまった。
 元々、アマギリをこの場に呼んでみようと思い立ったのはアウラ自身である。
 現状彼女が知りえる手札を何どう並べ立てて考えようとも、アマギリと剣士の間に何かしらの関係性が伺える事は確実である。
 しかも何故かアマギリは、剣士との接触を避けているように見える。
 スワンで始めて会った時ですらそうだった。病室で起きぬけの剣士の姿を一瞥したきり、その後は顔も合わせずにアウラと共に聖地へと帰還してしまったのだ。
 情報は力だ、あらゆる情報はあって損は無いと高言しているような男が、そう言った情報収集に対して消極的な態度を見せているとなると、そこに何か大きな意味があるように見えてきてしまう。
 だからこそ、アウラはこの場にアマギリを呼んだのだ。
 無理やりにでも二人を会話させてみれば、何かその裏側にあるものが掴めるのではないかと考えて。
 しかし、その結果が少々想定外の事態を呼んでしまったから、アウラは今こうして言葉に詰まってしまっている。
 あの普通ではない状態のアマギリの態度を見てしまうと、この状況を用意した自身の判断の正否を疑ってしまう。明らかに普通ではなかった。
 礼儀と言う言葉と慇懃無礼と言う言葉がほぼ同様の意味を持っていると考えているとしか思えないアマギリの常の態度を知っていれば、先ほど見せた”本物の敬意”を込めた姿勢と言うのは異質と言う以外に表現が見えなかった。

 自分は、開けてはいけないものの蓋を開けてしまったのではないか?

 少し前の夜に見た中睦まじい兄妹の様子を思い浮かべて、そんな想いが深まる。
 それゆえ、アウラはこの後どうやって場を進めるべきなのか惑っていた。
 アウラが言葉を濁した事で、再び停滞しかけた場の空気を、リチアが一つの嘆息と共に打ち破った。
 「アマギリ、アンタはこの野生動物の事をもう知ってるんだっけ?」
 不言実行、当意即妙。果断で男気溢れる性格のリチアは、親友が口ごもっていた部分をはっきりと理解したうえであえて切り込んでいった。ほぼアウラと同じ内容を吟味した上で、こうして踏み込むことを選ぶ辺りが性格の差と言うものなのだろう。
 そして、リチアの問いかけにより視線を一身に集める事になったアマギリは―――一瞬だけ瞠目したあと、目を開けて口を開いた。
 「まぁ、そうですね。スワンで会って、あの時以来、かな」
 語る動作にあわせて肩を竦め、表情を斜めに構えたものに変え、そして背もたれに体を倒す。
 つまりは、何時ものアマギリ・ナナダンの姿がそこにあった。
 「従妹殿―――ラシャラ女王にもう聞いているかもしれないけど、改めて自己紹介しておこうか。アマギリ・ナナダンだ。どうぞ宜しく、柾木剣士殿」
 それでも、先に自分から名乗ったと言う事実が、作って今の、普段のような態度を取っているのだと親しい二人には知らしめていた。
 しかし、たいした言葉も交わした事の無い剣士にそれを知る由も無く、何処か安心したような顔を隠しようも無く、アマギリに頭を下げていた。
 「はい、アマギリ様の事はラシャラ様から聞いてます。えっと、ハヴォニワの次の王様になるんですよね」
 様付けされて名を呼ばれた事に、片眉を跳ね上げる事だけで遺憾だと示した後で、アマギリは苦笑して応じた。
 「何を教えてるんだあの子は。―――大体それを言っちゃうと、次期ハヴォニワ国王よりも初代シトレイユ公国公王になる可能性のほうが高いんだけどね」
 「はい?」
 「いや、こっちの話」
 言葉の意味が理解できないと言う態度の剣士に、これは今晩辺りにラシャラに話した内容が伝わるなと思いつつも、アマギリは苦笑するだけで受け流した。

 そんな風に笑えるようになって、漸くアマギリ自身も普段の自分が取り戻せてきていると自覚が出来た。
 アマギリ・ナナダンとして相応しい、あらゆる要素を利用し尽くそうとするような油断ならない態度。
 そうあるべき、そうするべきだとしっかりと思う。ともすれば意識し得ない何かに引きずられてしまいそうになりながら、今の自身のあり方で居続けるために。
 自分は、アマギリ・ナナダンなのだから。今は、まだ。―――まだ、今は。
 それをしっかりと認識した上で、目の前の少年の姿を認識する。
 柾木剣士。異世界人。アマギリ自身の感覚が訴える所によると、恐らくは自身と同郷と思われる人間。
 今はラシャラの駒となったが、そのままで収まるのか。彼自身はその事をどう思っているのか、これからどうしたいのか。
 そもそも何故―――異世界人がこの時期に此処に居るのか。 
 初めラシャラ暗殺を企む襲撃犯―――早い話がメスト家の側に居た以上、理由が無い筈が無い。
 一つずつ、確認していかなければならない。アマギリ・ナナダン。ハヴォニワの王子として。

 「それより、スワンで一瞥した以来だったけど、その後は体のほうはもう平気なのかな?」
 「はい、もう全然平気です!」
 あの時はお世話になりましたと元気良く返事をする剣士に、アマギリはそれは何よりと笑いかけた。
 その笑みを見て、ああ何か企んでるなコイツ、何時もどおりで良かったと思えてしまう辺り、アウラとリチアの心境は微妙なものだった。
 「そう? 今日なんか、随分重たそうな荷物抱えて走り回ってて大変そうに見えたけど、無理してない?」
 「いえ、あのくらいは。鍛えてますから」
 「鍛えてる、か。僕はてっきり筋肉増強用のナノマシンでも入れてるのかと思ったけど、違うのかい?」
 何気ない態度で言葉を重ねていくアマギリに、剣士も含まれた単語が示す意味に気付かなかったらしい。笑顔のままで首を横に振る。
 「あはは、俺はそういうのは使った事無いです―――あ、でも。怪しい健康ドリンクとかは昔から飲まされてましたけど。アレ疲れたときに飲むと凄い効くんですよね」
 「へぇ、健康ドリンク、ね」
 飲まされていた、と言う部分だけを記憶の角にとどめたまま、アマギリは次の言葉に続けた。
 「やっぱり高地は変わってるねぇ」
 「高知? 俺の家があるのは岡山ですけど……」
 「オカヤマ?」
 「高地の集落の名前か何かかしら?」
 剣士の言葉に呟いてしまったのは聞き手に回っていたアウラとリチアだった。
 二人に指摘されて漸く剣士は言ってはいけない―――と、言い含められている―――事を言ってしまった事に気付き、慌てて訂正に移る。
 「あ、いえ、違います。高知! ……じゃなかった、高地です。俺高地出身ですから!! は、ハハハハハハ……」
 その慌てた態度自体がそれが嘘だと伝えているようなものだったが、理知的な二人の乙女は礼儀正しくそれに突っ込む事は無かった。
 アマギリは素直すぎる剣士の態度に苦笑した後で、アウラに視線を送った。アウラが頷いて口を開く。
 「さてアマギリ、これ以上引き止めると剣士の仕事の邪魔となるんじゃないか?」
 「そうですね。ご苦労様でした剣士殿。―――部屋の外で待ち構えてる娘達にも宜しく」
 「―――はい? えっとそれじゃあ、失礼します」
 正にやらせと言うしかないアマギリの言葉に剣士は目を瞬かせつつも、それ以上聞くことはせずに一礼して生徒会長執務室を後にした。

 ―――部屋の外、閉じられたドアの向こうで悲鳴が上がったのが聞こえた。

 「―――筋肉増強用ナノマシン、と言うのは?」
 弁当箱の蓋を開きながら、アウラは何気ない風にアマギリに尋ねた。
 「千年位すればこの星でも当たり前になる技術―――ってトコですかね」
 「ようするに、その言葉に首を捻らなかったあの野生動物はクロってことでしょ」
 部屋の間仕切りとなっている可動式本棚を開きお茶を汲みに来たラピスから茶碗を受け取りながら、リチアが面倒くさそうに言った。
 「ご明察。ついでに、通常の異世界人は自身の知りうる異世界の知識を残らず文章化する義務と言うものが発生しているので、それらの文章を僕は閲覧した事もありますけど―――人体に投与可能なナノマシン技術にまつわる事例が書かれた文章は一つも無かった。まぁ、この星じゃあ現状僕と彼以外には意味が理解しかねる言葉ってなるんでしょうね。いや、あんがい結界工房辺りを覗けば知ってる人もいるかもしれませんけど。―――そんな感じで、アウラ王女としては満足ですか? こんな結果ですけど」
 「いや……ウム」
 弁当箱を持ち上げ表情が周りから見えないように師ながら言うアマギリの口調は、何処か苛立ちを交えていた。
 アウラは、そういう態度を取らせる原因を作ってしまった事に少し申し訳無さそうにしながらも、言った。
 「普通、記憶喪失だった場合自身の過去への標が見えたらもう少し喜ぶものだと思うが」
 「普通じゃないから、アマギリなんじゃない?」
 いっそ面倒くさそうにリチアはアウラの抱いた疑問を切り捨てた。
 話が深い方向へ進めばまた先ほどのような姿を見る事になるかもしれないのが、嫌だったからかも知れない。
 アマギリはそんなリチアの思いに気付いて少しだけ感謝の視線を送った。
 リチアは鼻を鳴らしてアマギリから視線を逸らした。

 感謝なんかされる謂れは無い。自分が望んで―――いや、これ以上考えるのは止そう。

 一人で何かを振り払うように首を振るリチアの態度に疑問を覚えつつも、アマギリは苦笑を交えてアウラに言った。
 「ま、僕の記憶に関しては必要な時にはきっと戻ると思いますしね。剣士殿が回りまわって疑っちゃうくらい純粋な人柄で、ついでに異世界人って事実を改めて確認できた事だけが今回の収穫って事で」
 「その必要な時とやらを思うと、中々恐れを抱かずに居られんのだがな」
 記憶が無い(らしい)本人にそんな適当なことを言われてはアウラも苦笑するしかない。やれやれと首を振って、目の前の食事に集中することにした。

 「僕としては、アウラ王女が剣士殿の事を非常に高評価だった事の方が気になりますがね」
 「ああ、そうね。それは私もだわ。初めてじゃない、アウラ。貴女があんなに男の事でムキになるなんて」
 「っ―――! 私は、別に」
 
 アマギリの茶化すような物言いが発端となって、その後は暖かな空気が場を満たした。
 それこそ何時ものように、くだらない言葉の積み重ねで過ぎていくだけの時間。

 きっと皆こう思っていた。
 いつかとか、必要なとか、そういう日が来なければ良いのにと。





    ※ まぁ、剣士君ですし。誰とでも仲良くってトコで。 

      あと、結局アウラ王女とはフラグ立て切れなかったなぁと思う今日この頃。
      好感度マップで言えばナカヨシで終わる感じだよねきっと。



[14626] 33-3:働かざるもの……・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/16 22:58


 ・Scene 33-3・



 疾駆する機工人が、車輪を重厚に響かせながら森の中を駆け抜ける。

 舞い上がる粉塵と散乱した木々の枝葉が、ラシャラが立つ校舎屋上の庭園部からでも確認する事が出来た。
 時折響く爆音と、その後に閃光が上がる。
 その度に、どう考えても当たれば洒落で済むような事ではない破壊が既に充分な回数行われている筈なのに、開始から十数分過ぎた今でも、それはまだ収まる気配が無い。

 「やれやれ、派手にやっておるのぅ……」

 夕方の校舎の屋上でラシャラはそれを見下ろして、何処か感慨深げに呟いていた。何となく、黄昏時に見晴らしの良い場所で一人きり、と言う穏やかな空気に浸っているだけかもしれない。
 眼下の森で行われている破壊の一因を築いたのが自分だと言う自覚は、まるで存在しなかった。

 「他人事みたいに言ってるんじゃないよ、まったく」
 
 呆れとも賞賛ともつかない声を背後から掛けられたのは、夕日を背に浴びていたラシャラが、自身の足元近くに人の影が伸びてきたのに気づいた時だ。
 振り返る。
 態度悪くポケットに両手を突っ込んで傍まで歩み寄ってきた少年の姿が、そこにあった。
 ラシャラは破顔してその少年に声を掛けた。
 「おお、従兄殿」
 「おお、じゃないよ従妹殿。結局何なの、この騒ぎ。今朝ウチの姉さんが妙にエロ……もとい、色っぽかったのと何か関係ある訳?」
 語った内容を思い出してか、ややげんなりとした調子で言うアマギリに、ラシャラは口の端を吊り上げて応じた。
 「さて、妾にはとんと。どうも貴奴等の間で意見の相違があったようだが。―――それにしても、火薬兵器とは凄まじい威力じゃの」
 木々を圧し折り森の一角に空白を作る爆発の威力を、まるで花火でも見上げるかのような気安さでラシャラは評した。
 「つーか、機工人の操縦席にアウラ王女の姿が無かったか、今。自分の管理する森で何してんだあの人」
 「余り深く突っ込んでやるな。何でも今まで味わった事の無い衝撃をその身に受けてしまった事で、少し錯乱状態にあるらしい」
 「いや、適当なこと言ってるけど、それキミのせいだろ」
 風に乗って飛んできた千切れた木の葉を払い落としながら面倒そうに突っ込みを入れるアマギリに、ラシャラは何だ知っていたのかと気楽に返した。
 まるで反省の欠片ゼロの従妹姫に、アマギリは深くため息を吐いた。
 「妹の情操教育に悪い事は、なるべく見えないところでやって欲しいんだけどなぁ」
 「……見えなければ、良いのか?」
 もう少し怒声混じりの言葉でも浴びせられるのかと思っていたラシャラは、只単に呆れているだけらしいアマギリの態度に、逆に戸惑ってしまった。
 
 例え人に弱みを見せるのを由としないこの男であっても、少しは動揺すると踏んでいたのに。
 
 事の起こりは単純な話で、将来へのための外貨獲得努力の一環として剣士に奉仕業務を行わせて、将来聖機師となる女性徒たちに対する印象付けをしようとラシャラが企んだ事に起因する。
 そこで悪乗りに悪乗りが悪乗りし、気付けば只のマッサージだった筈のものが女性徒の肌を艶やかに、態度を艶かしくしてしまう脅威の産物に変貌した。
 常識的に考えればこの段階で”自重”の文字が先に立つ筈なのだが、こと金の匂いの絡む問題になると、ラシャラの辞書からその言葉は消えてしまう。
 尤も、そも”そういう”行為に需要があると言う時点で、学び舎としての聖地学院に些か問題があるような気もするが、それは瞬く間に評判となり―――そして一部の良識(?)ある顧客達からのクレームを受けるに至った。
 そして結果が、機工人を持ち出しての追いかけっこである。

 「まぁ、人間避けては通れない道の一つではあるからね。特に姉さんも、アレで一応は聖機師なんだし。何時までも生娘のままで居させてやる訳にもいかんでしょうよ」
 「お主、その辺りに関しては見も蓋も無いのう……」
 しみじみと呟くラシャラに、アマギリは肩を竦めて面倒そうに言った。
 「男性聖機師ってのは爛れた生き物だからね。閨の作法すら授業に組み込まれてるような立場に押し込まれた人間が、今更、身内が性感マッサージを体験した事を聞いた程度で驚くもんか」
 「出来れば、そこは淡々と言い切らずに驚いて欲しいのじゃが……」
 明け透けな単語の連続に頬を赤らめたラシャラに、アマギリはニヤリと笑いかける。
 「この程度で顔を赤くするって事は、キミにはこういう悪戯は早いって事さ。―――少しは反省しなよ?」
 コン、と頭の上に握った手の甲を乗せてくるアマギリに、ラシャラは頬をむくれさせて呻いた。
 親しい女性を”ああいう”状態にされて慌てふためいている所を笑ってやろうと思っていた魂胆を見透かされていたらしい事に今更気付く。
 「むぅ。―――嫌らしい位に強かじゃの、従妹殿。少しくらい弱みを見せてくれれば、もう少し可愛げもあろうものを」
 「それ、キミにだけは言われたくないけどね。ああいう素直な良い子を繋ぎとめるには、強請りたかりに脅迫とかじゃなくて、一度泣いて見せたほうがよっぽど有効だろうに」
 「剣士の事を言っておるのか?」
 そのまま忠告染みた事を言われてしまい、ラシャラが口を尖らせるがアマギリはさて、と薄く笑うだけだった。
 視線は森の中ほどにまで発展した爆音と粉塵に固定されている。

 何処かその瞳が寂しそうに見えたのは、或いは黄昏時の空気がそう感じさせたがゆえか。

 「どうしたの?」
 「何でもない。―――剣士の事じゃが、お主、どう見る?」
 顔を向けていなくてもラシャラの視線に気付いていたらしい。問いかけるアマギリに小さく首を振って応じた後、ラシャラはかねてより聞こうとしていた事をアマギリに問うた。
 柾木剣士とアマギリ・ナナダンは共に異世界人であり―――そして互いに、何かのつながりを感じているらしい事をラシャラは知っていたのだ。
 先に剣士にも似たような質問をした事があったが、その時の剣士の答えは、”何か祖父ちゃんと親戚のオバ……オネエサンを足して割った様な感じがする”と言う解るんだか解らないんだかラシャラには判断に困る答えが返ってきていた。
 因みに、アマギリがスワンにて眠り続ける剣士を見て第一声に漏らした”ヨウショウ”と言う言葉に聞き覚えはあるかとの質問には、知らない、との言葉が帰って来た。その祖父の名前とやらかとも思ったが、違うらしい。
 これ以上剣士に詳しく聞いて見ようにも、剣士は余りにも天然、感性で生き過ぎているきらいがあるので、望む答えは返ってこないようにラシャラには思えた。
 となれば、もう一人の人間に聞くしかない。

 こちらもこちらで、まともに答えを返してくれるか確証が持てないのがネックだが。

 「剣士殿、ねぇ」
 ラシャラの問いかけから少し間を置いた後で、アマギリは自身に問いかけるかのように、小さく呟いた。
 「どう、か。どうだろうな……。どうしようもないと言うか」

 どうにもしたくないと言うか。

 「従兄殿?」
 何時に無く気弱に聞こえる呟きを耳にしてしまい、ラシャラは思わず言葉をかけていた。
 アマギリは年下の少女の視線の意味に気付いたのか、僅かに苦笑して口を開いた。
 「いや。―――剣士殿の事だね。まぁ何ていうか、純真で純粋で純情で、裏表のある行動ってのはどう頑張っても取れなさそうかな。多分、そういうのをする必要が無い生き方が出来るって理由もあるんだろうけど。個人的に言わせてもらえれば楽しそうな人生で羨ましい限りってとこだし―――そんなだから、従妹殿を自発的に裏切るような事は絶対にあり得ないと思うから、手綱の引き方に気をつけさえすれば、その辺の心配は入らないと思うよ?」
 純と言う単語を三つも使って茶化しているのかと思えば、それは心底その人物に対して感嘆の念を感じさせる口調だったから、ラシャラは意外な気分を味わった。
 どう考えても、陰謀家の気があるアマギリと、楽天家にしか見えない剣士との間では相互不理解による軋轢が起きそうに思えたのだが、そういう部分は全く見えない。
 そも、自然と”姉”とすら評してしまうような女性に色々とされてしまったと言うのに全く剣士に対して怒りを覚えていないように見えることがこの男にしては異常に思えた。
 アマギリ・ナナダンと言う男は徹底して身内に対して慈しみを見せる達だというのに、である。
 
 ―――まるで、剣士の行いを身内のお茶目な悪戯程度と受け止めているようですら、ある。

 「身内、か」
 思えば剣士も、アマギリの事を親戚の人間に似ていると評しているのだから、やはり何処かしらで繋がりがあるのだろうとラシャラは納得した。
 そも、時期的にイレギュラーな異世界人が同時期に二人も居るという事実が異質だし、関連性を匂わせる。
 キャイア等の戦いに秀でた人間からの意見でも、二人の動き方は似ていると言うことだった。因みに剣士の方が業が極まっているらしいが、それに関してはラシャラは門外漢である。
 とかく、ここまで共通点があれば無関係と言う事はまずありえないだろう。
 それゆえに、ラシャラは改めてアマギリに尋ねた。

 「剣士の事じゃが―――良いのじゃな、妾の元に置いて」

 正体を推察すればその有用性を理解できない男ではなく、ならば万難排して獲得に走る可能性が高い筈だったので、ラシャラとしては再度の確約を望まない訳にはいかなかった。
 その想いが顔に出ていたのだろうか、横目でラシャラを見ていたアマギリは、フと苦笑した後で口を開いた。
 「僕があの方を取るとか思った?」
 「それは―――うむ」
 ズバリ図星を突かれて言葉を濁すラシャラに、アマギリは困った風に笑った。
 「少し前は、いやスワンから離れて半日くらいの間までは、間違いなくそうするつもりだったんだけど、ねぇ」
 そこまで言って、森の中で未だに続いている木々をなぎ倒す爆発の連続を見やる。たまにチラリと姿を見せる、機工人の操縦席に居る人々を、遠い視線で見つめる。
 「国際情勢を引っ掻き回す知識とか要らないから、もうちょっとああ言う時に上手く場を納める方法を知っておきたかったかなぁ」
 「はぁ?」
 「人の心はうつろ気で扱いづらいってこと」
 その言葉はラシャラには全く理解できないものだったのだが、何故だか酷い惚気話を聞かされてしまったかのような気分を彼女は味わっていた。
 眉根を寄せるラシャラに、アマギリは笑って首を振る。
 「遠く離したい気もするけど、それをすると何時か何処かで酷い目に合いそうな気がするからさ、―――でも”今は”なるべく近くに居たくないし、ラシャラ女王がちゃんと管理できるって言うんなら、今のままで構わないよ」
 アマギリはそこで一旦言葉を切った後で、視線を森から外し、体をラシャラと正対させた。
 
 「剣士殿は貴女にお預けしよう」

 言葉と共に、半直角の―――限られた一部の貴賓に対してのみ与えられる―――礼を行った。
 状況の上だけで判断すれば、アマギリに剣士をどうこうする権利などある訳もないと言うのに、だが頭を下げられたラシャラには、彼がその言葉を言うに価する場所にいることに疑問を覚える事は無かった。
 「―――うむ。丁重に預からせてもらう」
 朧気に見えた二人の異世界人の関係性に敬意を評するかのように、ラシャラは然りと頷いて見せた。
 アマギリは真剣な顔で向き合ってくれたラシャラの態度に満足の笑みを見せた後で、悪戯っぽく微笑みながら一歩後ろに下がった。

 「じゃ、お互い確認したい事もすんだっぽいし、僕はこれで。―――学院長、後はお好きに」

 「何?」
 「私としては、部下の管理を怠った貴方にも責任の一端はあると思うのですがね、アマギリ殿下」
 その穏やかなれど威厳を垣間見せる声は、日の光が沈む方向から聞こえた。
 ふくよかな体格をした眼鏡をかけた老女。聖地学院の学院長を勤める女性がそこには在った。
 「学院長……」
 「やだなぁ、先生。ここは学校であそこに居るのは皆生徒なんですから。外に向けた役目なんかに当てはめずに、ちゃんと一人一個人の学生として扱ってあげてくださらないと。生徒個人の責任を、他の生徒が肩代わりできる訳無いじゃないですか。しかも向こうの方が先輩ですし。―――ああ、妹もここでは一学生に過ぎませんから、叱ってやってくれて構わないですよ」
 唖然と目を丸くするラシャラに対して、アマギリの態度は先ほどまでのセンチメンタルに浸ったものとは対照的に飄々としたものだった。
 「学び舎に通う学生の一人と言うのなら貴方にも、もう少し殊勝にすると言う事を覚えてほしいものですね」
 もう諦めましたがと溜め息混じりに言う学院長に肩を竦めて、アマギリはその脇をすり抜けた。

 ―――脇を、すり抜けた?

 「ちょ、お主……!!」
 その行動の意味を理解し、叫びを上げて追いかけそうになったラシャラだったが、逆光に影を作る学院長の笑顔がそれを押し留めた。キラリと反射する眼鏡の奥で、瞳が見えないことがいっそ恐ろしかった。
 拙いと、ラシャラの脳裏に危険信号が湧き上がるが―――最早、手遅れ。

 「先ほどから随分他人事のようですが、ミス・ラシャラ?」
 
 「あ、ああいや……奴等にも、困ったものじゃ、のう?」
 言葉は丁寧そのもののはずなのに、震えが止まらないのは何故だろう。
 気楽に後ろ手で手を振ってみせる従兄の姿が憎らしい。言い訳は、逃げ道は。その言葉を見つける暇も無く、学院長の口から決定的な一言が放たれる事となった。

 「決着がつき次第、関係者全員私の部屋に来るように」
 
 ―――その後の結末は、語るまでも無いだろう。


 ・Scene33:End・





     ※ 姉さんは姉さんで固定、かなぁ。



[14626] 34-1:そして僕は……・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/17 22:50



 ・Scene 34-1・



 「それでは、お先に失礼します」

 屋敷の中央塔、共用部分にある食堂で夕食で済ませた妹は、一息入れる間もなく手短にそう宣言して、席を立った。
 その言葉を受ける、テーブルを囲む他の三人の人間は様々だ。
 一人は無関心に見えて、一人は気まずそうな顔。最後の一人は―――今日も、時間切れ。
 何かを思おうとする前に、妹は既に食堂を後にしていた。
 取り残される。
 安心したような疲れたような、隣に座る少女が息を吐く音が、狭いながらも上品な丁度で誂えられた食堂内にむなしく響く。
 カチャリと、対面、席一つとなりに座っていた少女がティーカップを手に取る音が響いた。
 そして彼は―――やはり未だに、動くべきを見つけられなかった。
 
 この後の展開は簡単だ。
 隣に腰掛けた少女が工房に戻ると席を外し、対面の少女がカップを空にした後で席を立つ。
 彼は独り取り残されて、何となく自嘲気味に笑った後で天井を見上げて―――そんな風に、もう一週間以上。

 「いい加減、何とかした方が良いんじゃないですかぁ?」

 だからその日も何時もどおりと思っていたのに、耳にその言葉が届いた時、彼は心底驚いていた。
 いずれはそういう言葉を貰う日も来るだろうと思っていたが、それは彼の予想では、対面の席に腰掛けた少女からもたらされるものだと思っていたから。
 「―――何かすっごい馬鹿にされてるような空気を感じるんですけど」
 目を丸くして居た彼の態度をどう受け取ったのやら、少女は恨みがましい視線でそんな風に言うから、彼は思わず苦笑してしまった。
 「それは、被害妄想ってヤツだろう」
 感心していたんだけどなと、素直な言葉を口にしてみると、やはり少女はその言葉すらも疑うような目を向けてきた。
 日頃の行いのせいだと、視線も合わさず紅茶を口に含んでいた対面の少女が纏う空気だけでそう語っていた。
 「ホラ、ユキネさんもそう言ってますし」
 それに調子付いたのか、隣に座る少女が大げさな口調で言ってくるのが些か面白くなくて、彼は鼻を鳴らして応じていた。
 「何時からキミは空気で会話できるようになったんだ」
 「あたし結構昔から空気読める子だったと思うんですけど……え? ユキネさんその驚愕の瞳はなに?」
 「気のせい」
 なるほど、一転して場の空気が停滞気味なものからにぎやかしい物に変わった事を思えば、自分で言うとおりに空気が読めているかもなと、彼は思った。
 時に意図的に、この少女はあえて道化役を演じてくれている事を、彼はよく理解していた。
 だから、だろう。
 その情に縋って、彼はポツリと洩らしてしまっていた。

 「ほんっと、どうするべきなのかねぇ」

 呟いた瞬間、空気が再び淀んできた。
 隣に座る少女は微妙な、何とも曖昧な表情で視線を逸らし、対面の少女が纏う空気はどこか呆れを含んだものに変わった。
 
 ―――空気を、読めよ。

 室内に充満するその空気が彼には痛かった。
 なんとも、上手くない。自分は空気を読むセンスには長けていたと思うのに、今のこの無様な状況は何だろうか。
 自分は何時もどおりやっているつもりなのに、何処で歯車が狂ってしまったのか。
 想像の自分と、実際の自分に、いつの間にか随分とズレが発生している気がする。
 自身が認識し、そして他者が望み、恐れ、嫌悪する自分と言う人間から、今の自分はどんどんと離れてきている気がする。
 ”たかが”人間関係一つに手間取り、ろくな解決策を見つけられないまま放置してしまうなど、彼らしくないだろう。

 ―――それも、当然。なぜなら、僕は。

 そうしてそこまで考えて思い出すのだ。毎度の如く、毎夜の如く。
 
 不安そうに手を差し出す妹の顔を。

 それを煩わしいものだと思い、そしてそう思う自分に嫌悪し、嫌悪した自分に戸惑い、結局彼は、現実の妹を前にしたときに何も出来なくなる。
 どうにかすべきだと解っているのに。どうしてこうなったかも、解っているのに。
 本当に、何時ぞや何処かの姫君にぼやいた時に思ったように、こういうときに対応できる知識を知っておきたかった。
 政治的な対外折衝や、宇宙空間における船舶等の航行技術等の知識など、妹との微妙になってしまった関係を解消する手段の一つにもなりはしない。
 全く持って、彼にはどうにも動きようの無い状況だった。
 
 どうしてこうなってしまったかと言えば単純な話で、人が一人、増えたからと言うだけの問題である。
 
 二年ほど続いて、それなりに確立していた人間関係の中に新たに投げ込まれた要素。
 
 柾木剣士と言う名の、異世界人の少年。

 一目見ただけで彼には解った。
 ああ、あれが”そう”なのだと。
 靄の掛かったように判然としない過去の全てを呼び覚ます触媒となるべき物が、あれなんだと。
 纏う空気も、立ち居振る舞いもそれを連想させる何ひとつ無い只の少年に過ぎぬものなのに、だが柾木剣士の姿を見て彼が連想するものは故郷の姿だ。
 今も食堂の窓の向こうに見える、星海のむこうで輝いている筈の、故郷の姿。

 彼は故郷を愛していた。故郷に居る人々を敬愛していた。そこに在るものに、執着とも言える感情を抱いていた。
 今でも、正しく形を思い出せなくても、それは変わらない。
 変わらず愛し、敬い、焦がれている。
 だから、再びそこへと至れるべき鍵の一片でも見えたのであれば、他の全てを投げ打って、それのみに執着できる自分になれると思っていたのに。
 
 ―――思っていたのに、今の自分は。

 「姉さんなら、こういう時どうします?」
 「―――?」
 不意に黙考から立ち直った彼の呟きを受けて、対面に座る少女は少しの瞬きで答えた。
 それを聞く態度を取ったと受け取って、彼は言葉を続けた。

 「例えば昔から欲しかったものが目の前にあって。例えば、暇つぶしの最中に作ったその場限りの関係が脳裏を過ぎる。僕だったら、昔から欲しかったものを間違いなく選ぶと思うんですよね」
 この場に居る人間であれば、その例えが何を意味するか、その選択がどういう意味を含むかも簡単に予想がつく。隣に腰掛ける少女ですら空気を堅いものに換えた。
 で、あれば対面の少女が取る態度も想像するのは容易い。少なくとも、彼の理解の中では。
 
 「たまに、私のことを”姉さん”って呼ぶようになったよね」

 しかし、たっぷり一呼吸分の間をおいた後で少女から返された言葉は、彼を戸惑わせるのに充分な内容だった。
 怒られる。
 どう考えても、どんな言葉であっても怒気をはらんでいて然るべき―――そう、少女の立場からいって、そうあるべきだ―――と思っていたのに、しかしその声音は、何処までも穏やかで、慈しみに溢れているように思えた。
 「へ? ああ―――うん」
 「どうして?」
 怒られて、その後の展開を想像していた彼は、慌てて少女の言葉の意味を考える。
 
 姉さんと、確かに。
 意図的に、無意識に、彼は対面に座る年上の少女の事をそう呼ぶ事がある。
 理由は、色々。記憶に無い筈の本物の姉に、少女が何処か似ているからとか、自然お互いの立ち位置から、そんな風に思うようになったからとか。
 それなりの頻度でそう呼びかけていたのだが、ひょっとして嫌だったのだろうか。
 
 「まぁ、自分でも甘ったれてるかなぁとか思うけど、嫌だった?」
 結局彼は、少女の思惑を理解しきれずに、当たり障りの無い言葉を用いて会話を広げると言う何時ものやり方を選んでいた。
 その答えに、少女は特別怒るでも呆れるでもなく、当然と受け入れて首を横に振った。

 「お姉ちゃんだから。―――弟を甘やかすのは、当然」

 ニコリと微笑まれてそんな言葉を言われてしまえば、大抵の人間は参ってしまうだろう。事実、自分が言われた訳でも無いのに隣に座っていた少女は、うわぁと一言感嘆したような声を上げて頬を赤らめていた。
 彼も自覚はしていないが、きっと似たようなものだろう。
 そんな彼の無様がおかしかったのか、少女はもう一度微笑んだ後で、こう言った。

 「だから、お兄ちゃんも、妹には優しくしてあげてね」

 「―――」
 言葉を返す余裕も無く。
 ただ、席を立ち食堂を後にする少女の後姿を見送る事しか出来なかった。
 取り残された―――文字通りの意味で。少年は力が抜け崩れ落ちるように背もたれに体を預けて、呟く。
 「―――割と何時も、気を使っているつもりなんだけど」
 不足なのだろうか。

 「気を使うのと甘やかすってのは、別の意味だと思いますよ」

 答えなど期待していない呟きに、反応したのは隣に座る少女だった。首を傾け視線を向ける彼のほうを見ようともせず、少女は更に言葉を続ける。
 やってられないと、面倒くさそうに。
 「尊重して丁寧に扱うって言うのは、そうしている自分は楽しいかもしれませんけど、相手からするとそれほど嬉しくも思えないんですよね。―――でも、殿下とマリア様の場合はそうでもないのかな。今のマリア様はどちらかと言えば―――」
 「―――言えば?」
 思わず問い返してしまっていた彼に、此処で少女は初めて顔を向けた。
 ニコリと、微笑む。
 
 「自分で考えてください」

 常ならありえぬきっぱりとした口調で言葉を残した後、少女もまた食堂を後にした。
 そうして結局、何時ものように。彼は独り取り残された。
 天井を見上げて、呟く。

 「自分で考えても解らないから、聞いているんじゃないか―――」
 
 そんな拗ねた口調を聞き届けるものは此処には居ない。
 妹の気持ちは解らず、姉の言葉が理解できず、従者は忌々しくも謎かけを残していった。

 さてどうしようかと、彼が選んだ答えは―――きっと、他の誰が聞いても呆れるようなものだった。





     ※ と言うわけで、原作の時間軸に乗りつつ微妙にズレた展開に突入と言うか。
       別名シスコン編。……いや、ブラコン編?



[14626] 34-2:そして僕は……・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/18 18:58

 
 ・Scene 34-2・







 その日ほど驚いた事は無い。

 フローラ・ナナダンは後にそう述懐する事となったその日の出来事は、夜半過ぎ、つもり積もった書類を捌ききって内裏の奥に引き上げようとしていた頃に舞い込んだ、一本の通信から始まった。

 特級優先秘密回線第零号。

 政庁機能を併せ持つハヴォニワ王城の一角、フローラの執務室にこのコードを用いて通信を送れる人間は数えるほどしか居ない。
 それは彼女の親類縁者だけが開く事が可能な特別な回線だったからだ。
 王族ともなれば縁戚にあるものも数知れず、されども、このような明らかにプライベートに片足を突っ込んでいるであろう時間に通信を送ってくるような度胸の持ち主など、限られている。
 ゆえに、回線が鳴った―――それ専用の着信音で―――だけで、フローラには相手の顔がはっきりと浮かび上がった。
 さて、と相手の事を認識した段階でまずフローラが行った事は手鏡を覗くことだった。
 気の利いた女中が既に用意している化粧箱を開き、書類仕事で疲れた顔を誤魔化すように薄い化粧を施していく。

 ―――果たして通信の向こうの相手は、自身が常に着信音を聞くたびに、このような行動を取っている事に気付いているだろうか?

 気づいた時の反応を見てみたい気もするし、気付かれたら負けだろうと女のプライドを賭けて思う。
 特別な相手の前であれば常に最高の自分を演出して見せるのは、当然であり努力などと言う言葉にも価しない。
 当然の事であるが、執務机の上に山と詰まれた書類も、床に散乱した紙ゴミも、勿論歯抜けになっていた書棚の本も全て整頓され終わっている。フローラには優秀な家臣団が味方に居るのだった。
 手早く身支度を整えたフローラは、一つ息を吐いて呼吸を整えた。
 部屋の中央に天上から映像通信用のスクリーンが降りてきて、それが数度光瞬いた後、通信相手の顔が大写しされた。
 
 『お久しぶりです、女王陛下』

 小奇麗ながらも簡素な装いを纏った少年は、返信に遅れた事を咎める事もせず、勿論フローラの美を褒め称えるような事は有りえる筈も無く、ただ自然な笑顔で挨拶の言葉を口にした。
 フローラも、事前の事情などまるで無かったかのように、余裕のある嫣然とした笑みで頷き、応じる。
 「ええ、お久しぶり。マリアちゃんがそっちへ行っちゃったから、もう連絡もくれないのかと思ったわ」 
 冗談とも本気ともつかぬであろう言葉で返されて、映像の中の少年は、一瞬虚を突かれた様な顔をした後で、困ったように苦笑した。
 『はっはは……。まぁ、何ていうかそちらもお忙しいでしょうし、余り私用でお手間を取らすのもどうかと思って』
 お忙しいでしょう? と、都合が”悪い”時ばかり相手に気を使う態度は何時もの少年のそれに見えたが、フローラには何処かその態度に無理を見ていた。
 
 ―――何か、あったか。

 勿論聖地近隣でここ数日”色々”あったのは知っているが、それはある程度までは以前から予想できていた事だし、この少年が取り立てて問題としてあげる事とも思えない。
 それに、少年は今何と答えた?

 「”私用”?」

 確認するように言葉を投げ返すフローラに、少年は何処か苦いものを口に含んだかのような顔で頷いた。
 『ええ、その……相談をしたい事と言うか、ですね』
 その言葉を聞いて目をむきそうになったのを堪えきった自分を、フローラは褒めて上げたかった。
 このオトコが、未だ名も素性も知れぬ、他人を姦計に嵌める事にかけてはフローラにすら匹敵する、状況判断に関して極めて高い能力を有するこの少年が、よりにもよって”相談”。
 しかも、それを布石に何かの罠を張ろうと言う風にも見えない、心底からの困り切った態度で。
 
 ―――何か、どころの話ではない。よほどの事が起こったのか。

 フローラは多少浮ついていた自身の心を落ち着けて、表情を改めた。
 これは恐らく、相当の判断力が求められる難問に違いないと気付いたからだ。
 「詳しく聞かせて頂戴」
 問いかける言葉の奥で、フローラの脳裏に幾つ物予想が浮かび上がる。

 例えば、メザイア・フランに関してとか。
 名指しで人を大量に動かしてでも調べろと、少年から指示があったと、聖地に置いてある情報部からも聞いている。
 こちらでも幾らか調べてみたが、深く調べようと突っ込んでいくと、霧に惑うような状況に置かれている。
 それゆえに何かあると言うのは解るのだが―――その内実が解らなければ意味は無い。
 もしや、メザイア・フランの不自然な所在の転位から予想していた、”転送装置”の実在を遂に確信したと言う事か。
 教会施設には聖機人大の物質を瞬時に転送する事が可能な瞬間転位装置でもあるのではないかと、聖地に居た筈のメザイアが自身より早く航行中のスワンに現れていた事実から少年はその存在を疑っていた。
 確かにそれはあり得ない話しではないとフローラも思う。
 以前から国内にある教会施設でも"居ない筈の人間が居る”、”居る筈の人間が居ない”と言う目撃情報が幾つか存在していたからだ。
 その一端を掴んだのであれば大きな事実となるだろう。
 
 もしくはメスト家に関する問題と言うこともある。 
 そういえば、遂にババルン・メストがシトレイユ最高評議会議長の座に着いたと聞いた。
 シトレイユが想像以上に早く”詰み”になった事実は多少の驚きはあったが、だがまだ予想範囲だと思う。
 先日の妙に拙速な行動に関して何かつかんだと言う事か?

 それともラシャラが見つけたと言う異世界人の話か? 
 アレでラシャラの周囲には少人数ながら優れた能力の持ち主が揃っているお陰で、”居るらしい”と言う情報以外の何も入ってこない。
 少年は既に彼の異世界人と接触済みだと聞いていたし、何か新しい、そして重大な事実でも掴んだ事も考えられる。
 私的な事と言っていたし、少年の事情と照らし合わせて一番可能性が高いかもしれない。
 何しろ、少年自身が異世界人なのだから。

 『ええと、ですね』
 脳裏に幾つものパターンを思い浮かべながらも表情には決して出さないフローラに対して、少年は少年らしくも無く、苦渋、窮状を示すそれを一杯に表しながら口を開いた。
 「ええ」
 小さい動作でつばを飲み込み、流石にフローラにも緊張が走る。
 それから刹那の間隙を挟んで、遂に、少年の口からその”私的な問題”なる事情が語られた。

 『妹に、最近避けられてるんですよね』

 「―――は?」
 『ああ、いえ。原因は予想がついてるんですけど、その、何ていうか。えーと、対処法が思いつかないと言うかですね』
 「いや……あの」
 『事前に手近な人間にもそれとなく尋ねてみたんですけど、皆、白い目で見るか、指差して哂ってくるかとかで忌々しいったらありゃしない有様でして、かくなる上は、フローラ夫人のお力添えを頂けないかなぁ……と』
 少年は万策尽きた、と言う絶望的な表情でフローラに頭を下げてきた。

 ―――そんな事を相談されても、正直困る。

 いや、有り得ないだろう。あり得ると予想できる人間がどうかしていると思う。
 何をどう間違えたらこの少年から、”最近こじれ気味の妹との仲を取り持ってくれないか”等という言葉が出てくるのか。
 「……本気で言ってる?」
 『何がですか?』
 「いえ、良いわ……」
 フローラは脱力して執務机に突っ伏したくなったのを何とか堪えきった。

 と言うか、どの口でそれを抜かしてるんだコイツ。

 白い目で見たり指を指して哂っていたであろう少女達の気分を、フローラは今正に理解していた。
 このガキ、もうちょっと人間関係の機微を悟る力を付けるべきじゃないかと、フローラは投げやりな気分でそこまで考えた後で、それが解らないからこんなに困ってるんだろうなぁと、どうしようもなく微笑ましいものを見た気分も味わってしまった。
 妹と言うのはマリアの事で、マリアと言うのはフローラの娘である。
 それは少年を取り巻く環境において、彼にとっては優先順位はそれほど高くない人間である筈なのに―――それをあろう事か、である。

 これもある意味、”成長”と言うのだろうか。

 オトコと言うよりムスコを見る目で、フローラは画像の向こうの少年をしみじみと観察してしまった。
 自分の質問のもたらす意味も、何故フローラが呆れたような顔をしているかも、きっと理解できていないのだろう。
 ただ、自分にとっての難問に頭を抱えている―――それも、”このままでは自分が嫌だから何とかして欲しい”などと言う曖昧で論理性の無い理由でだ。
 常の少年を知っている人間であれば、全く考えられない類の話である。この少年が自らの弱みを四方八方に自ら言い散らすなど。しかも、無自覚で。
 きっと今の少年の中では、妹との関係を修復する事は来るべき動乱への対策と同レベルで語られるべき問題に違いない。

 よくもまぁ、抜け抜けと。
 よりにもよって”オンナ”に別の女との仲を取り持って欲しいと頼むなど愚作中の愚作だ。
 それすら気付かないほどに思いつめているのか―――単純に、初めからそのことに考えが及んでいないのだろう。普段の知恵が回る部分から忘れがちだが、まだまだ人生経験の足りない若造に過ぎない少年は、同年代の中でも取り分け情操教育が不足しているように見える。

 妹から避けられている。
 つまり、マリアが少年を避けている。
 理由?
 考えるまでも無い。近づいて、”さらに遠くなったら”怖いからだ。
 マリアもマリアで、何処かその辺りの距離感を上手く掴めないところがある。
 尤もこの場合は、マリアは自身がそこまで少年に惹かれている―――意味は色々として、だ―――事を認めづらいと言うところが大きいのだろう。
 加えて少年が割合淡白な人間関係を好んでいるように見えるから、上記の部分を強く見せてもかえって事態を悪化させてしまうのではないかと言う思考も出来てしまう。
 少年は元々、”そのうち居なくなる”と公言して憚らなかったから、気を悪くさせれば尚更それを早めてしまうのではないか―――つまり、早めたくないが故に。
 そこに来て少年と関係性がありそうな異世界人など出てきてしまえば、戸惑いもするだろう。
 それゆえに、マリアは距離の取り方を見失う。
 何ともいじらしい、愛らしい話である。

 ―――他所でやれ、他所で。

 これが自分の娘と”息子”の話でなければ、フローラをもってしても、まず間違いなく白い目で相手を見つめてそう言い切っていたに違いない。
 何せこういう話は、本人達が大真面目であればあるほど、端から見ていれば滑稽に見えてしまうものだ。
 事情が斟酌出来る人間であれば、尚更。
 そして当然だが、フローラは最近になって少年が随分と未練たらしくなってきている事に気付いていた。
 諦念交じりに、帰る、そのうち帰る、と繰り返していた頃が嘘のように、今の少年は”誰かに引き止めてもらいたい”と常にそう考えている部分がある。
 その情けなさが如何にも少年らしくはあったが、しかしそれはフローラとしては面白くない。

 此処に居たいなら居たいと、自分で言えば良い。

 歓迎し、捕まえ、溺れ尽させて、二度と此処ではない何処かの事など考えられないようにしてやるのに。
 きっとマリアも、同じようにしてくれる事だろう。
 同じようにしてくれるだろうが―――それはそれで、フローラには面白い筈も無く。
 目の前に居たら手元の書類でも丸めて投げつけてやるのになぁと、画面の向こうで困った顔をした少年を前に思うのだった。
 大体、根本的な部分を既にフローラが知っている事を前提―――期待してこういう相談をするってどうなんだろうか。
 ああもう、まったくと。
 その辺り日頃から溜め込んでいる一切合財を纏めて投げつけてやりたい衝動に囚われつつも―――フローラは女の矜持に賭けて、少年を慈しんでやることに決めた。
 少年の望むフローラ・ナナダンで居てやろうと、そう決めた。
 
 ―――そういう微妙に日和った行動こそ、実の娘に遺伝しているんじゃないかと言う質問はきっとしてはいけない事である。

 「とりあえず、私の言える事は一つかしら」
 机に肘をつけ、両手を組んでその上に顎を乗せて、フローラは何の気も無い風に言った。
 『はい』
 神妙な顔で頷く少年をはたきたくて仕方なかったが、我慢した。
 「アナタの場合、言葉で説得するのは止めたほうが良いわよ。だって信用できないもの」
 『……何気に酷い事言われてる気がするんですが』
 「日頃の行いってヤツよ。そう言う訳なんで、言葉……聴覚に訴えかけるのはアナタには無理。視覚は、何時も顔をあわせているんだから今更だし、この際触覚にでも訴えて見なさいな」
 『……触覚、ですか』
 要領を得ない態度で繰り返す少年に、フローラは深々と、それしかないという体で頷いた。
 勿論言葉を尽くして上手い事やれば解決する問題なのだが、そこまで手伝ってやる義理もないし、だったら後日経過を聞いたときに少しは楽しめるものでもないとやってられないというのがフローラの現在の心境である。
 簡単な解決策など示してやるつもりは無かった。精々苦労すれば良いと思う。
 
 ―――それをたたき台に、自分の時には上手くやって欲しいなあと思うところも、少しだけ。

 そんな事はおくびにも出さず、フローラは戸惑う少年にニコリと微笑んで続けた。
 「いっそ抱きしめて耳元で囁くなりして、確かにそこに居るって実感―――体感させて上げなさいな」
 『抱きしめ―――はぁ。抱きしめる……ですか』
 そのまま考え込むように腕を組み始めた少年に、ああ、コイツ本当にこんなアホらしい事態に追い詰められてるなとフローラは理解した。
 普通の状態なら失笑して鼻を鳴らす場面だろうに、真剣に考えている。

 その姿を、成長したと評するべきなのだろうか。ある意味退化しているといった方が良さそうに見える。

 もう通信切ってやろうかと思うほどの時間が流れた後で、少年はおもむろに顔を上げた。
 『一つ、重大な事実に気付いたんですけど』
 「なにかしら?」
 真剣な顔になった少年に、微妙に白けた空気を感じながらも、フローラは笑んだまま応じた。
 少年は重々しい仕草で口を開いた。

 『そも、あの子と触れ合った事が、先日手を握った時以外存在しない事に気付きました』

 「―――ああ、そう」

 フローラは躊躇う事無く通信を切った。
 そう言えば、自分は手すら握った事も無いなと気付いたのは、後の話。






    ※ ユキネさんはやっぱ人気ですね……なんて呑気なフリしてる場合でも無いと思いますので、少しのお付き合いの程を。

      フォローと言うか注釈と言うか言い訳と言うか、そういう話です。

      さて、このSSですが、テーマは『ひたすら長く』と決めてあったのですが、裏のテーマとして『奏楽2』と言うものがあったりします。
      これは、長く書き続けるのだから、ある程度手癖で書ける、自分意慣れたやり方の方が良いだろうと判断したからです。
      ですので、オリ主の設定、始まり方から原作への入り、各キャラの配置の仕方まで、大体1の方を意図的に踏襲しています。
      気付いた方も多かったと思いますが。
      
       が、流石に全部1と同じだとわざわざ新しく書く必要も無いですので、2ならではの縛りとして以下の三つを用意しました。

       1・原作主人公と対立しない
       2・原作終了までオリ主を関わらせる
       3:原作ヒロインとオリ主の間で決定的な関係まで持っていく

       で、皆様気になっているのは3の話だと思いますので、ここからが本題。
       決定的な関係―――と言うことで前二作が限界で抱きしめるまでだったのでもう一歩先まで頑張ってみようかと思っているのですが、
      今の所そのお相手として想定されているのが、上から順に、

       妹>母ちゃん>生徒会長>姉ちゃん

       と言う風に暫定順位がなってるんですよね。姉ちゃん四位なんですよ、困った事に。
       そんなだから、この間の『(このままだと)姉さんは姉さんで固定かな』と言う呟きになるのですが、まぁ、これは完全な言い訳です。
       妹は当初予定のヒロインですし、母ちゃんはまぁ、私の趣味ですが、生徒会長がねー。アウラ様とフラグを立てたいと思って出番を
      増やそうとすると、何時の間にやら生徒会長と仲良くなってるという不思議。
       会長今後は過労イベントもありますし、そのままデレ期突入もあるのかなーと言う感じもします。
  
       それで、ユキネさんなんですが。この人、母さん共々三部の半ば辺りでもう関係が安定しちゃっててこれ以上変動させにくいと言うか。
       まぁ、妹プッシュしてる面もあるので姉さんサポート役で割を食ってる部分もあるんですが、感想見させてもらっている限り、姉さん
      もうちょっと前面に出した方が良いですかね?
        少し色々考えて見ます。

       で、長いですがもう一つ。
       形として1のやり方と同じですので、原作イベントは基点にオリ主が居ない場合は原作どおりに強制イベントとして発生してたりします。
       だからといって結果まで原作どおりって訳でもないですし―――早い話が、上で挙げたオリ主とフラグ立ってる人たちが原作主人公の側に
      新たにフラグを立てるとかは、今の所考えてません。
       あと、原作最後まで付き合う予定ですので、1の終わらせ方はやるつもりは無いって言うか、あんなの一度しか出来ません。
       この辺信用度が低いのが前科者の辛い所ですが。     
  
       普通に原作イベント起こしただけのつもりだったんですけど、此処まで拒絶反応が多かったのは、正直予想範囲外でした。
       こちらも少し、見せ方考えて進めていきたいと思います。

       と、言う訳で、以上。



[14626] 34-3:そして僕は……・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/19 21:01

 ・Scene 34-3・




 解らないものは解らないと、諦めも時に肝心だ。

 もし、その日の事を日記に記す事があるのなら、キャイアは間違いなくその一言だけを記すだろう。

 「キャイアぁ、これでもう三件目だよぉ?」
 「次こそ、次こそ大丈夫だから安心なさい! ……ホントよ?」
 目を潤ませた小動物のような態度で後をついてくる少年―――柾木剣士を、キャイアは無理やりの笑顔を作って宥める。
 あくまで、笑顔で。頬が引き攣り眉根を寄せていても、笑顔は笑顔。
 何しろ、泣かせているのはキャイア自身だったから。それがたとえ過失だったとしても、責任をもって宥めなければなるまい。
 「でも此処、確かワウの工房だよね?」
 上層庭園部から階段を下り、聖地管理設備の存在する下階層の一角にある観音扉を見上げて、剣士は不安そうに言う。日頃のワウアンリーの言動を知っている彼にしてみれば、この場所では自分の望みが果たされる可能性は薄いだろうと思っているらしい。
 「ワウアンリー・シュメはあれで父さん―――結界工房の優秀な聖機工の弟子なんだから、細かい作業は得意なのよ」
 「でもユライト先生だって駄目だったのに……」
 だから平気だと言うキャイアに、剣士は先ほど一人のところを見かけて、偶然出会い相談したこの学院の教師であるユライト・メストの名前を出して不安げに呟く。
 その名前を出されると、キャイアも微妙に反論が難しかった。
 ユライトは古くよりシトレイユで聖機工を生業としてきたメスト家の人間に相応しい、優秀な聖機工だったからだ。そんなひとかどの人物が無理だと言った事柄を、例えキャイアの父であるナウア・フランに師事しているとは言え、見習いに過ぎないワウアンリーに何とかしてもらおうと言う考えが無理に過ぎると言う意見は至極尤もである。
 だがキャイアの少ない伝手の中では頼れる人間がもうワウアンリーくらいしか残っていないのだ。
 「大丈夫よ。大丈夫な筈よ……多分。入ってみれば解るわ」
 それ故キャイアは、自分でもまるで信じていない言葉を口にしながら、剣士を引っ張って工房に踏み込むことしか出来なかった。

 「おや、珍しいお客様だね」

 うめき声を上げずに済ませた自分を褒めてやりたいとキャイアは思った。
 思わず後ずさり、入り口の標識を確認しなかった事など、軌跡としか思えない。
 それほど、予想できない―――予想したくなかった人物が、そこにはいた。
 「アマギリ様。こんにちわっ!」
 何処か特徴のかけた、装いが違えばそれこそ使用人の一人にしか見えないような少年に、キャイアの背後に立っていた剣士が礼儀正しく頭を下げる。
 「やあ、剣士殿。こんにちわ」
 微笑と共に剣士に礼を返した少年は、キャイアの方を向いた。その瞳は、何処か面白がっているように見える。
 只の使用人にしか見えない朴訥な顔が、その目だけで、そうではないと告げていた。
 「アマギリ殿下、どうして……」
 どうしようもなく苦手な視線に見つめられ、キャイアは逃げるように視線を逸らしてそんな言葉を口にしていた。少年は肩を竦めて応じた。
 「ジャイアニズムって知ってる?」
 「は?」
 惚けたような物言いに、キャイアは互いの立場から言って不敬とも取れる言葉を漏らしてしまった。
 しかし少年はそれを少しも気にした風も無く、キャイアの背後に居る剣士に視線を移した。剣士が頬を引き攣らせる。
 「ひょっとして、俺のものは俺のもの、お前のものは俺のものってヤツですか?」
 「流石剣士殿、博識だね」
 「いえ……むしろアマギリ様がその言葉を存じてらっしゃる事が以外なんですけど」
 「異世界人と言うのは新たな文化風俗の運び手って事さ。―――まぁ、この単語は何故だか昔から知っているような気がするんだけど」
 ようするに、異世界人が伝来した折に広めた単語らしい。
 そんな、知っている人にしかわからないような例えは、是非とも私と会話する時には持ち出さないでくれとキャイアは思う。

 本当に、こういうところが苦手なのだ。

 「それで、ドカンの空き地でリサイタルの人がどうしたんですか?」
 何時ものように態度に参っているキャイアを他所に、剣士は何処か楽しそうに、またキャイアには理解できない例えを持ち出して少年に尋ねていた。この素直さは貴重である。少年も素直に応じている。
 「うん。ようするに出っ歯の子分の物は須らく親分のものって例えさ。それをこの工房に当てはめてみれば良い」
 「―――つまり、ワウは出っ歯って事ですね」
 「なるほど、鋭い返しだ」

 「変な嘘広めないで下さいよ二人とも!!」
 
 工房の奥から、つなぎ姿のワウアンリーが歯をむき出しにして飛び出してきた。
 その形相に驚くキャイアと剣士を尻目に、少年は一人泰然とした態度だった。
 「あれ、居たの?」
 「今気付いたみたいな顔止めてくださいよ!! さっきまで一緒に図面広げてたでしょうが!! っていうか何時の間に居なくなってたんですか……」
 「ま、そんな事よりもお茶入れてくれる。お客さんだから」
 「それは見れば解りますけど、多分あたしのお客様ですよね、この人たち……」
 「だからこそのジャイアニズムじゃないか」
 笑うアマギリに対して、もう慣れましたけどと項垂れるワウアンリーの姿に、同業者としてキャイアは涙を禁じえなかった。
 「あ、お茶だったら俺入れますよ」
 「ああ、この間のお弁当も美味しかったしね。期待させてもらおうか。じゃ、とりあえずむさくるしい所だけど奥へどうぞ。歓迎するよ、剣士殿。キャイアさんは―――」
 元気良く宣言する剣士に頷いた後で、少年は再びキャイアのほうに視線を合わせた。
 「な……何か?」
 思わず後ずさるキャイアに、少年は苦笑と共に一言告げた。
 
 「―――とりあえず、今後も王族の護衛役の仕事を続けるためにも、表情を取り繕う事を覚えた方が良いと思うよ?」

 別に責めるつもりも無いけれどと、笑いながら奥へと誘う少年の態度に、キャイアは嘆息していた。
 油断大敵。主であるラシャラが言ったとおりである。何気ない風、見ていない風を装いながら、その実しっかりと全てを視界に納めている。

 『向かい合うのであれば決して油断なぞするでないぞ。一瞬でも気を抜いたが最後、紙突かれて骨までしゃぶり尽くされるわ。特におぬしのようなものにとっては、噛みあわせは悪かろう』

 事実としてラシャラの言葉どおり、キャイアはアマギリの事が苦手だった。
 その真意を読ませない態度が、苦手だ。それでいながら場のの全てを察しているような視線が、苦手だ。
 一人何も差し出さずに、全てを手に入れようとしているようで、彼のいる空間はとても居心地が悪い。
 アマギリ・ナナダンと言う少年に対して抱く、キャイアの想いはそれに尽きた。
 出来れば会いたくない人物であり、正直な所、キャイア自身が職務のために飛び級した事によってクラスが別になったこともありがたいと思えていた。
 見たくないものは、なるべく見ないようにすると言うのがキャイアの処世術だったから、遠く視界に入らない位置に居てくれる状況はありがたかったのだ。
 遠くに置き過ぎて、ワウアンリーの主であると言う事実を忘れていたのは問題だったなと、キャイアは今更この場所に来た事を後悔していた。
 どうせ無理なのだから、手早く要件を告げて断りの言葉を貰って場を辞そうと、キャイアは工房の奥まった場所にあるこじんまりとした休憩スペースに通されるや否や、目的のものを繰り出した。

 「……ペンダント?」
 「どっちかって言うと、千切れてる飾り紐のがメインなんでない?」
 
 ハンカチに包まれたそれを示された見たままに言葉にするワウアンリーに、その背後を推察したアマギリが続けた。
 そうでしょ、と目線で尋ねてくるアマギリに、キャイアは視線を逸らしながら頷いた。これは彼の視線が苦手だったからではなく、単純に後ろめたかったからだ。
 「はぁ、ポッキリ逝っちゃってますねぇ」
 ワウアンリーがしみじみと言った口調で呟いた。

 不思議な光沢を放つ水晶を、綺麗な金細工で装飾したペンダント。
 ペンダント本体と同じように首にかける紐の部分もやはり同様に精巧な金細工で作られていた。
 しかし、一級品の芸術品と呼んで差し支えない拵えのそれは、今はワウアンリーの言葉どおりに首にかけるという機能を失っていた。
 紐の部分が、折れて二つに割れていた。

 「キャイアが引っ張って壊しちゃったんだよ。酷いだろぉ?」
 「ワザとじゃないわよ! だいたい、元はと言えばアンタが紛らわしい……いえ、何でもないわ」
 よほどこのペンダントに思い入れがあるのか、それとも単純に根に持つタイプなのか、ぼやくようにのたまう剣士に、キャイアは声を荒げそうになったのを何とか押し留めた。
 「ようするに、剣士殿の私物をキャイアさんの過失で壊してしまった、と」
 なるほどねぇなどと、少しも感心していない口調で解りきった事実をわざわざ口にするのはやめて欲しいとキャイアは思った。流石に口には出せないが。顔には出ているかもしれないが、どうしようもなかった。
 「それでワウ、直せそう?」
 アマギリの言葉に一々懊悩に揺れるキャイアを放って、剣士が身を乗り出してワウアンリーに尋ねる。
 しかしワウアンリーは眉根を寄せて首を横に振った。
 「あたし機械の溶接なら得意だけど、装飾品の修復は専門外かなぁ」
 「……そっかぁ」
 ワウアンリーの言葉に、剣士は、しゅん、と犬のように残念そうに肩を落とす。
 そんな剣士とは対照的に、キャイアは何処か安堵を覚えていた。
 ワウアンリーは不可能と言った。―――ならば、もうこの場所に用は無い。
 手間を取らせた謝辞を述べ、速やかに場を辞してしまおう―――キャイアはそう考えて、実際既に、少し腰を浮かしかけていた。
 だがしかし。

 「殿下ならどうですか?」

 ワウアンリーが余計な言葉を口にした。
 「ん―――……」
 その問いにアマギリは、意味があるのか無いのか解らないような声で答えた。
 いやそんな、他国の王族方にお手間をたらす訳には行きませんとキャイアが口を開こうとするよりも早く、剣士が期待に目を輝かせていた。
 「アマギリ様、直せるんですか!?」
 「この人こう見えてもあたしよりも優秀な技師だからねぇ。案外何とかなっちゃうかもよ?」
 テーブルの上に置かれたペンダントを睨んだまま言葉を返さないアマギリに変わり、ワウアンリーが剣士に応じた。その言葉にキャイアは思い出した。
 
 アマギリ・ナナダンは―――

 「そっか、ラシャラ様が、アマギリ様は異世界人だって……」
 「馬鹿っ!」
 止めるには遅い。既に剣士の言葉は紡がれた後だった。キャイアは慌てて向かいに座るハヴォニワの二人の顔を伺うが、二人は共に、何を慌てているのかと苦笑しているだけだった。
 「あの、今のは聞かなかったことに……」
 「ま、今更だからね」
 「ですよねー。っていうか、そろそろ後輩を見習って隠す努力を思い出しましょうよ」
 その余りにもあっさりとした態度に、常識を弁えているキャイアとしては言葉に困るのだが、隣に座った剣士にとってはそうではなかったらしい。
 本人の口から確定的な言葉を聞かされて、更に勇んで身を乗り出す。
 「あの、ホ、ほんとに異世界人なんですか!? どうして、いやどうやって!? じゃなくて、えっと、ええ~~っと」
 「まぁ、少し落ち着きなって」
 聞きたい事は幾らでもあるという態度を隠しようもしない剣士を、アマギリはやんわりと押し留める。
 「でも、俺! その……」
 
 俺も、異世界人ですから。

 それでもその言葉だけは言わないようにしているのは、自省が効いているのか、躾が効いているのか。
 とにかく剣士の口から決定的な一言が出なかった事にキャイアは安堵して―――その数瞬の間もなく、無駄な事だと悟った。
 アマギリが教師のような顔で口を開いたのだ。
 「僕が異世界人と言うのは正しい。けど、剣士殿が聞きたいようなどうやって”此処から帰る”のかとか、”どうして自分が此処に居るのか”とかいう質問には残念だが答えられないかな」

 「どうしてですかっ!」

 アマギリの淡々とした口調に、剣士はバンと、テーブルを叩き身を乗り出す。
 その顔は必死そのもので、キャイアは衝撃を受けた。
 この場に居る自分という立場そのものに理不尽を感じていると、有々と示していたから。
 そして、それが当然の話だと今まで考えもしなかった自分を、キャイアは恥じた。
 剣士は異邦人なのだ。此処とは違う何処かから、自分の意思ではない何かによって引き寄せられ、そして使われ、今も使われている立場自体は何も変わらない。
 日頃どんなにお人よしで気弱で、気楽で能天気な態度に見えても、状況に理不尽を感じる感情が無いわけじゃないのだから。
 むしろ、今まで良く何も言わなかったと言える。

 「アマギリ殿下、私からもお願いします。出来ればこの子に、殿下の知りうる限りの事をお聞かせ願えませんか?」

 剣士の表に出ない心のうちにあるものを今更ながらに理解した身として、キャイアは彼の希望に沿うならと自身もアマギリに願い出ていた。
 しかし、キャイアの真摯な頼みも、それに感動してる風の剣士の顔も見えているだろうに、アマギリの言葉は単純だった。

 「無理」

 「あんたねぇっ!!」
 「どぉー、どぉどぉどぉ、キャイア落ち着いて!」
  断腸の思いからの言葉をあっさりと否定され、感情のままに激昂しかけたキャイアを、ワウアンリーが押し留める。そしてワウアンリーは、そのままアマギリのほうに言葉を飛ばす。
 「殿下! そう言う人をおちょくるような事ばっかり言ってるからマリア様に愛想つかされるんですよ!!」
 「此処でそれを言うのかよっ!?」
 「言われたくないなら、少しは反省してくださいよ!」
 「テメッ……客の前だからって妙に強気だなチクショウ」 
 ワウアンリー”が”アマギリ”を”叱ると言う、想像を絶する光景にキャイアは怒りを削がれて唖然としてしまった。
 王と従者のやり取りと言うよりは、どちらかと言えばそれは仲の良い兄弟のようなやり取りに見えたからだ。
 そして、驚いているキャイアの横で、剣士が余計な言葉を口にしていた。
 「アマギリ様、マリア様と喧嘩でもしてるんですか?」
 「ちょ、お馬鹿! そういう事は思っても口にしちゃ駄目でしょ!!」
 それこそ姉の態度で剣士を怒鳴りつけるキャイアだったが、自分の言葉のほうが地雷だったとは気付けなかったらしい。
 「つまりキャイアさんも気になるわけね」
 「あ……」
 アマギリの刺す様な言葉に呻くキャイアに、ワウアンリーはいっそ気楽に言い切った。
 「そりゃ、殿下にしては珍しく痛恨のミスって感じの状況ですしね。攻められる時に攻めないと、やってられないじゃないですか」
 「その前向きな態度は買ったぞ従者。次の給料日楽しみにしとけよ……」
 「優しいお兄ちゃんは、口ばっかりで今まで一度もゼロを引いた事も無いこと、あたし知ってますしー」
 キャイアならば絶対に恐れて引き下がる言葉にも、ワウアンリーは全く意に介していなかった。アマギリのほうがいっそ悔しそうである。
 「てめぇ……」
 「はいはい、後で幾らでも八つ当たりに付き合いますから、今は剣士の質問に答えてあげましょうねー」
 「あの、何でしたら私たちはお暇しても……」
 「ああ良いです良いです。殿下ちょっと妹にかまってもらえなくて拗ねてるだけですから」
 想像の中では絶対にありえないようなやり取りを繰り広げるハヴォニワの主従に完全に腰が引けていたキャイアを、ワウアンリーはからからと笑って留めた。
 アマギリも、不貞腐れた顔をしているが何もいう事はなかった。その事がまたキャイアには恐ろしかった。

 「ええと、じゃあ話を戻すけど、だ。まず僕は異世界人。で、剣士殿が知りたいのは此処から此処じゃない場所への帰還方法と、何故此処に居るのかと言うことで良いんだっけ?」
 「あ、はい。でも、それよりマリア様と喧嘩してるんなら早く仲直りした方が良いですよ」
 「うん、まぁその件に関しては前向きに善処すると言うか剣士殿の意見もぜひお聞かせ願いたいと言うか。―――とにかく、僕は剣士殿の質問に無理と答えた。此処までは良いよね」
 「良いですよ。俺、姉ちゃん達がしょっちゅう喧嘩してるの見てましたから、アドバイス出来ると思います。―――ウチの一番下の姉ちゃんとかもそうですけど、あの位の歳の子って結構尾を引きますしねー」
 「―――とりあえず、話す内容をどちらかに限定しなさいよ」
 天然何だか狙ってるんだか良く解らない会話の応酬に、キャイアも本音で突っ込んでしまった。
 「殿下の最近の一番の悩み事ですから、今更形振りかまっていられませんもんねー」
 「五月蝿いよ。ええと、それでだ。単純に覚えていない事は答えようが無いのさ、残念ながらね」
 「覚えてない、ですか」
 「そ。覚えてないの」
 あっさりと正答を口にするアマギリに、剣士も驚きも見せずになるほどと頷く。
 両者共に、話の流れの中で当然と受け取っているやり取りなのだが、聞いているキャイアとしては、此処まで引っ張っておいてなんでこいつらこんなに無感動で重要な事実を流せるんだろうと眦に皺を作らざるをえなかった。
 やはり異世界人のメンタリティはジェミナーの人間と違うという事なのだろうか。単純に、この二人のものを考える上での尺度、スケール感が似通っているだけかもしれないが。
 因みにワウアンリーは、既にこういう常識から一歩か二歩外れた展開にも諦めと言う処世術を身に着けていたので、何も言わずに呑気にお茶を啜っていた。二年の経験は伊達では無いらしい。

 「じゃあ、仕方ないですね。すいません、無理に聞いちゃって」
 「いやいや、気にしないで。気持ちは解るから」
 「いえ。人の答えに頼ってばかりじゃ成長しないって姉ちゃんも言ってましたし、自分で頑張って探してみます」
 「ははは、微妙に耳が痛いな、もう」
 「この場にユキネさんがいたら、きっと自業自得って優しく言ってくれますよ」
 「でも妹と仲良くするって難しそうですもんね。俺も兄弟はみんな、上しかいないから、きっと妹とか出来たら苦労しそうだな。―――あ、そう言えば上の姉ちゃんが、一番下の姉ちゃんと喧嘩した時は二人の母さんに頼んで仲を取り持ってもらったって聞いたことがあるかも」
 「剣士はこの人と違って素直だから、妹なんて何人出来ても平気っしょー」
 「お前本当に後で覚えとけよ……ってか、剣士殿と姉君方は母上が違うのかい?」
 「あ、俺は母さんは父さんの再婚相手の人なんです。それで、姉ちゃんたちは―――兄ちゃんの嫁さん……で、良いのかなぁ?」
 「おや、兄君もいらっしゃるのかい?」
 「ええ、何時も何時も姉ちゃん達に振り回されて―――」
 「っていうか剣士。異世界って一夫多妻だったっけ?」

 その後は、実に和やかなムードで会話が進んでいった。
 余りにも予想と違う和やかな空気過ぎて、キャイアはいつの間にか緊張が解けて安堵の息を漏らしていた。
 
 ―――実際に話してみないとわからないものだな。

 そんな風に思う。
 剣士の気持ち。アマギリの態度も。そうかもしれないで決め付けていた今までの自分にキャイアは反省を覚える。
 これからは、もうちょっと。これに気付けたなら、次からは―――。
 そんな風に前向きな気分になったキャイアとアマギリの視線が絡んだ。アマギリが笑顔で尋ねてくる。
 「キャイアさんは、誰かに想いを―――まぁ、どんな思いでも良いんだけど」
 「とりあえず殿下の場合は謝罪からですもんね」
 「五月蝿いよ。―――とにかく、想いを告げるなら、どんなタイミングが良いと思う?」
 キャイアは今度は、気後れする事無くアマギリと視線を合わせて、笑顔も作れて―――。
 「そう、ですねぇ。私なら―――何かイベント毎でもあれば契機付けにはなると思いますけど」
 「イベント、か。バレンタインとやらも新年祭とやらも遠いからなぁ。うん、ありがとう参考になった。―――ところで」
 キャイアの言葉に笑顔で頷いたアマギリは、思い出したように、今や会話の彼方に忘れられていたテーブルの上に置かれたペンダントを示して言った。
 キャイアは何の疑問も感じるでもなく、会話のリズムに引かれてなんでしょうかと笑顔で尋ねた。
 アマギリが頷く。
 
 「このペンダントを構成する金属部分は、見た感じ素材を粒子レベルで分解してこの形に再形成している可能性が高い。ジェミナーじゃ到底出来ない超技術の産物だね。―――こんな物を誰彼かまわず見せびらかして歩いてたら、その持ち主が異世界人だって言いふらして回っているようなものだと思うよ?」
 
 「……へ?」
 安心しきった瞬間に、間隙を突くように。
 アマギリの言葉は抉るようにキャイアの懐を刺した。






    ※ ワウはきっとアレですよね。FDでルートが追加されたけど、肝心のシナリオが微妙とか言われるタイプ。
      まぁ、この二人は本当に対等な関係って感じでしょうか。所謂悪友とか?
      それこそジャイア(ry



[14626] 34-4:そして僕は……・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/20 21:59


 ・Scene 34-4・



 油断した。今やその考えも遅い。

 咄嗟の事に頭を真っ白にさせたキャイアを放って、アマギリは状況を理解しかねている剣士に視線を向けた。
 「剣士殿、これ、他には誰に見せた?」
 ペンダントを指し示して、そう尋ねる。
 「え? あ、えーっと、マーヤ様と、学院の職人さんと、後はユライト先生だけです」
 「へぇ、ユライト先生。あの人は何て言ってた?」
 質問の意味を吟味させる間も与えない速度で、アマギリは剣士への質問を繰り返す。
 「何か、顕微鏡でのぞきこんでましたけど、別にとくには……」
 「顕微鏡。そのときの顔は?」
 「顔って……珍しそうにしてましたけど。あ、ちょっと嬉しそう……だったかもしれません」
 「―――なるほど」
 「あ、何か久しぶりにキレのある殿下」
 剣士の言葉に、アマギリは何を考えているか良く解らないような茫洋な顔で、一つ頷いていた。従者の横槍は初めから無視していた。
 その態度に不安を覚えたキャイアは、尋ねずにはいられなかった。
 「あの、ユライト先生が、何か?」
 「いや、別に。相変わらず勉強熱心だと思って」
 その、何の色も感じさせない返事に、キャイアは背筋に不快な空気を感じる。この男は嘘をついている。直感的にそれを理解した。
 何気ない会話の、キャイアには解らない何処かに、彼が注目すべき要素が見つかったのだ。

 『斬らせてくれるだけで良いんですけど』

 そう口にしていたのを、キャイアは覚えていた。
 平然と、本人の目の前でそう言い切れてしまう男だった。
 穏やかな顔で、従者に虚仮にされながら。アマギリ・ナナダンと言うのはそれが真実だ。

 『あの者は、身内と定めたもの以外の全てに対して容赦が無い。そして悲しいかな、我等はヤツの身内とは言えぬらしい。―――まぁ、妾がそうである事を拒んだゆえでもあるのじゃが。あの者にとって身内と言うのは須らく自らが保護する者であるという想いが強いようじゃしの。……妾はマリアと違って過保護は好かぬ』

 過保護。
 敵対者、否、それ以外の踏み入ってくる全ての者まで値踏みし、必要とあれば排除を躊躇わない。
 そしてどうやら、アマギリにとってユライトは敵に当たるらしい。
 キャイアには全く理解できない話だったが、 事ある毎にユライトを排除する隙を伺っているのを、キャイアは知っていた。
 あんなに穏やかで好印象の人に、どうしてそこまで悪意を向けられるのか。
 それは、見たとおりに対立状態にあるダグマイア・メストや、国家間的に対立しているババルン・メストに対して向けている悪意よりも、よほど強く本気の感じられるものだった。
 その理由が理解できないから、キャイアはアマギリが恐ろしいと感じていた。

 「アマギリ様、ひょっとしてユライト先生とも喧嘩しているんですか?」
 剣士が冷たくなった空気をまるで読まずに当たり前の質問を行う。アマギリが答えるより先に、ワウアンリーが口を挟んだ。
 「ああ剣士、そんなに怯えなくても平気だって。この人、所詮ちょっと口が悪いだけの只のシスコン兄貴だから」
 「何でそんなに今日は強気なんだよお前!」
 「最近のあの体たらくを見せられてれば、恐れの一つも沸いてきませんって今更……」
 「一度お互いの立場について根本から話し合う必要がありそうだなチクショウ。―――ああ、剣士殿。僕は別にユライト先生と喧嘩した事なんて一度も無いから、安心してくれ」

 ただ、対立しているだけだ。

 笑顔と共に剣士を安心させるような言葉を言うアマギリの内心を、キャイアは明確に察していた。
 キャイアにとっては過去より親しかったメスト家の人間に仇名される事など、たとえ他国の王族だったとしても以ての外だったから、当然それを事前に防ごうとするための行動をとった事もある。
 即ち、単純に自身の主に告げ口したのだ。
 アマギリ・ナナダンは我が国に害をなす危険ありと。
 しかし、主の返答はキャイアの安心を満たすものではなかった。

 『幸いと言うべきは、あのものは基本的に確信がもてない時―――すなわち、確実、堅実に勝てる勝負以外には絶対に手を出さないという事じゃな。故に、いかに九割九分”黒”と言えても残りの一分を埋められなければあの者は直接的な行動には出ぬ。それでも、チャンスが目の前にきたら躊躇わずに動くじゃろうが―――今はそれほど心配する必要もあるまい』

 そう言っていた。
 でもそれなら、チャンスがあれば迷わず実行に移すだろうとキャイアが問うと、ラシャラは単純明快な答えを返してきた。

 『そうであったとしても、あやつは関係の無い人間に実害を出すようなやり方はせぬ。心配する必要もあるまい』
 
 ラシャラ・アースは冷静な態度でそう結んでいた。
 つまり、ラシャラは仮にアマギリがメスト家の人間を害してもそれを許容すると言っているのと同じだった。
 現実的には、避けられないなら受け入れるしかないという事なのだが、キャイアは個人としてその判断は許容できなかった。
 キャイアはダグマイアの事を想っていたから。
 それゆえに、思考は必然的に、ダグマイアを優先して考えるようになっている。
 たとえいくらかの要素で疑いを覚えたとしても、それを否定する要素を優先的に探すほどに、キャイアはダグマイアへ向ける想いを大切にしていたのだ。
 何故だか今日は道化のような態度を良く見かけてしまっているが、それに油断してはいけない。
 目の前で笑っているこの男は、アマギリ・ナナダンなのだから。
 そんな風にキャイアが思って居た時、一瞬、アマギリと視線が絡んだような気がした。
 気のせいだろう。アマギリは相変わらず穏やかな顔で剣士と会話を続けていた。

 「そのペンダントだけど、そう言う訳だからこの世界で修復するのは諦めた方が良い。首紐の代替品でも用意した方が早いし―――そうだな。ウチの妹とその従者が似たような物を作ってくれた事があるから、参考に聞きに行ってみたらどうかな?」

 そんな言葉を最後に、ワウの工房での会話は終了した。
 空が茜色に染まり始めた学院の中庭をナナダン屋敷へと行く道すがら、改めて主の言葉を胸に思い起こし決意を新たにするキャイアの傍で、剣士がポツリと言った。
 「アマギリ様、本当にマリア様の事が心配で仕方ないんだね」
 「はい?」
 「だってマリア様の話を振られるたびに、必死で話を難しい方に逸らしてたもん。真面目な顔してたの、ワウが言ってた通り、本当にユライト先生の話をしてた時くらいじゃないかな」
 それは。
 朗らかな調子で剣士が語る言葉は、どういう意味だろうか。

 ”冗談”に紛れて本音を忍ばせていたと―――キャイアは少なくともそう理解していた。

 しかし剣士の言葉を受け取るならば、冗談だと思っていた方が”本音”であり、真面目な顔をしていた時こそ冗談になってしまう。
 「そんな、馬鹿な話が……」
 アマギリ・ナナダンが妹を思い煩って調子を乱すなど、普通有り得ないだろう。
 だが剣士は更に続ける。
 「今だってさ、俺達にマリア様のところへいくように仕向けて、最近話してないって言ってたから、きっと話題作りにしたいんだよ」
 それはまたポジティブな曲解の仕方をするものだと、少なくともキャイアにはそう思えてしまう。
 だが天然であるが故に物事の真理を突くような考えをする剣士の言葉であるから、嘘と切って捨てるのもキャイアには難しかった。
 
 従者に虚仮にされ、不貞腐れる姿。
 
 冷徹に敵性存在を排除しようとその要素を積み重ねる外道の有り様。

 どちらが果たして真実なのか。
 よもや、こういう思考にキャイアを嵌める事を計算づくで先ほどまでの会話は合ったのか。
 生憎と、キャイアには答えを出す事は出来なかった。
 「ホント、何なのかしらあの人……」
 「只の家族思いの良い人だって。自分のために動いてるのが大半だけど、結局俺たちの質問にもしっかり答えてくれてたしさ」
 「アンタ、何か随分あの人の肩持つわね」
 アマギリを擁護する言葉を続ける剣士に、それを否定したい気分だったキャイアは眦を寄せて問いかけた。
 剣士は初めその言葉に目を丸くした後、何処か遠くを見るような目で続けた。

 「アマギリ様、何か親戚の人に雰囲気似てるからさ。俺の家、住んでた村中どころか宇宙中に親戚いるんだけど、あからさまに見た目からして堅気じゃない人とか、性格の悪い人とか裏表の激しい人とか悪い人も一杯居たけど―――悪党だけは、一人も居なかったし」

 だから、あの人も大丈夫だと。剣士は笑顔でそう言っている。
 その呆れるほど素直な笑顔を見てしまえば、何もかもすっ飛ばして信じてしまいたくなる。

 だが、キャイアもこれで二年ほどアマギリの行状を眺めているから、幾ら剣士の直感的な言葉といえども、素直に信じる切るのも難しかった。

 アレは確実に”悪党”と呼べる類の人物だとしか思えない。

 「あ、信じてないな? 絶対キャイアにもそのうち解るよ」
 「だと、良いわね……」

 元気に頬を膨らませる剣士に苦笑交じりに返事をして、キャイアは天を仰いだ。
 本当に、解る日が来れば良いのだけれど。
 いや、それが解るような事態は訪れない方が良いのか?
 
 結局、キャイアにとってアマギリは混乱を呼ぶ存在であると言う事実は、その日も何も変わらなかった。







     ※ どれだけ俺設定叩き込もうと、あの公式チートな人たちの中に混ぜると、『ちょっと変わってる』くらいにしかならん事に最近気付いた。



[14626] 34-5:そして僕は……・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/21 22:49


 ・Scene 34-5・




 混乱が思いのほか長続きしなかった理由は単純だ。

 自身の只一人の主が、自身よりもよほど混乱していたから。
 驚愕も戸惑いも、まるで隠せずに―――手の震えばかりは相手に見えない位置だったのは幸運かもしれない―――ダグマイア・メストは、対面した男の言葉の意味を図りかねている。
 その同様をありのままに示した後姿を見て、ダグマイアの忠実なる従者であるエメラは混乱から立ち直った。
 
 処は、生徒会塔役員別個室の一つ。

 生徒会役員にはその特権の一つとして生徒会塔内の一室が与えられる。
 そこを利用して雑務を遂行せよ……と言うことなのだが、実際に使われる例は少ない。少なくとも、エメラとダグマイアが聖地に入学してからは、一度も使われていなかった。存在すら忘れられていたと言っても良い。
 何しろ先代当代と生徒会長がワンマンを発揮して一人でほぼ全ての仕事を片付けてしまうお陰で、役員の諸氏にまで仕事が降りてくることは殆ど無いのだ。例外があるとすれば、役員自らが仕事を提案する時のみ。
 そう言う時にしたって、そもそも役員の地位に着く人間は専用の屋敷を確保しているケースが多いから、やはりこの部屋は使われない。

 そして、今がその珍しい例外だったりする。
 ダグマイアを呼び出し、挨拶もそこそこに、分厚いファイルを示してきた部屋の主。
 それは、ハヴォニワ王国王子アマギリ・ナナダンその人だった。

 「それは、どう言う……」
 
 明らかに震えた、少なくと口にした本人以外にはそうと聞こえる声で、ダグマイアが問いの言葉を口にした。
 漸く、先だってアマギリが口を開いてから既に数分は経過してからだった。
 その不審を咎めるでもなく、その理由を問うことも無く、執務席に腰掛けるアマギリは、ニコリと一つ笑って応じた。
 
 「あら、聞き逃したか。じゃあもう一度繰り返すけど―――」 

 それを、良くないペースだなとエメラは無表情の中で思っていた。
 やはり、こんな誘いに初めから応じるべきではなかった。頑として止めるべきだったと思う。

 ―――ダグマイアはきっと、何時もどおり聞き入れてくれなかっただろうけど。

 それでも止めておけばと願ってしまう自身の浅ましさをエメラは恥じた。
 優先するべきはダグマイアの意思。それ以外のものは炉端の石以上の価値にもなりはしない。
 ダグマイアの意思、その結実が見せる全ても、等しく彼に与えられるべきものだから。どのようなものであっても。どのような結末であっても。
 そうして何時ものように、止めて当然と言う意思を止めない事が当然なのだと言う意思で塗りつぶした。
 現状は、何時ものように最悪な状況。誰が見たとしてもそう答えるだろう。
 だが、エメラだけはそう答える事は許されない。例えダグマイア本人すらもそう思っていようが―――エメラだけは、決して。ダグマイアの勝利以外を望む事は無いのだ。
 だから眼前の悪魔が悪夢への誘いの言葉をかけてきたとしても。

 「―――僕と、手を組まないか?」

 決して、自分から引く様に進言する事など出来なかった。

 「ウチも少し手が足りなくてね。借りられる手なら猫も杓子もって、ね。ああ、ダグマイア君が猫だなんて言ってないけど」
 「……はぁ」

 場を移し、立ち尽くす主従二人を来客用のソファへ誘ったアマギリは、自らも向かいのソファに腰掛けて、そんな風に言った。
 間の抜けた返事はダグマイアらしくも無い取り繕った部分の一切無い言葉で―――つまり彼の混乱をより一層エメラに伝えてきた。
 ダグマイア・メストは未だに混乱状態にある。
 何しろ従者であるエメラ自身がダグマイアの隣に腰掛けている事実になんら異を唱えないのだから、混乱してない訳が無いだろう。
 エメラには、アマギリが意図的にダグマイアを混乱させようとしている事が解っていた。
 それはエメラが優秀な知性を持っているから―――ではなく単純に、今まで幾度も似たような事があったからだ。

 混乱し、思考の方向を誘導し、そして罠に嵌める。

 アマギリ・ナナダンが使う典型的な手段の一つだ。
 そしてダグマイアが典型的に引っかかる罠の一つでもある。
 止めたい。是非とも止めたいとエメラは思う。出来るなら今すぐ話を打ち切ってダグマイアを廊下に連れ出しアマギリの企みを明かして聞かせるか、それともこの場で話を遮ってエメラ自身が交渉してしまうかを行いたい。
 だが、不可能。エメラは何処まで言ってもダグマイアの従者でしかないのだから。
 それゆえ何時ものように、ダグマイアが罠に掛かる様を間近で目撃するしかないのだ。
 
 「さきほど、手を組むと仰られていましたが、正直意味が解りかねるのですが」

 ―――その質問の仕方は、悪手です。
 言いたい。溜め息混じりに忠告してやりたかった。ダグマイアのためにも。
 この場で取るべき正解の選択肢は”興味が無い”と言って話を速やかに切り上げると言う一つしかない。
 問い返すと言う質問は最悪の悪手だ。自らが受身になると認めているようなものではないか。
 問題に対しては常に正面から向かい合うと言うダグマイアの精神が悪い方向に働いている典型的な場面と言える。
 ―――エメラにとっては、見慣れた光景だった。

 「いやさ、ダグマイア君も当然耳にも目にもしていると思うんだ。―――柾木剣士の事だけど」
 「柾木剣士、だとっ……!?」
 
 ―――そこで直ぐに答えを返してはいけません。貴方が例えその正体がどうであったとしても、たかだか一”使用人”の名前を覚えているなんておかしいじゃないですか。
 この場合は、一つ首を捻って先の言葉を引き出す程度で充分だろうとエメラは冷静な顔のままそう考えている。
 知っているような素振りを少しでも見せれば、そこに突っ込まれてしまうから。

 「あれ、ダグマイア君も何かあの少年の関係でトラブったのかい?」
 「いえ、それは―――」
 「まぁ、それも当然か。何しろダグマイア君にとっては国主に当たる人間の従者に当たるんだから。キミみたいに真面目な人間にとっては、ああいう氏素性の知れぬ人間が国主の傍に居るのは我慢なら無いんだろう?」
 「え、ええ―――その、通りです」

 ―――ほら、来た。
 こうやって答えられないと解っている質問を繰り返して、場の主導権を完全に握る算段なのだ。
 毎度の事だが、最早完全に遊ばれている。
 ダグマイアにとって、アマギリ・ナナダンと対峙する事は常に真剣勝負なのだが、アマギリにとってはダグマイアを相手にする事は娯楽の中の更に余興程度の扱いにしかならないのだろうと、エメラは正確に理解していた。
 立場の違い、視点の違いと言うものだ。
 ダグマイアは対峙した瞬間からが勝負と思っているが、アマギリは対峙した段階で既に勝負は済んでいる状態を用意している。
 既に確定した結果が予め用意されているのだから、直接対面した後のやり取りは完全に余興だ。
 エメラにとっては忌々しいほど見事な手腕と言えた。悲しいかな、彼女はその事実が理解できてしまっていたから、ここから勝ちを目指すのが不可能だと言う事が解っていたから。
 後は、いかにダグマイアに害が及ばないように負けるか、それしかないのだ。
 ダグマイアの心を傷つけないように、折れてしまわないように、後ろを振り向かないで居てくれるように。
 
 ―――できる事なら、ダグマイアにはアマギリの事など忘れて欲しいと思うのだ。

 敵対するのならば、せめてラシャラ・アースや柾木剣士のような者であって欲しいと言うのがエメラの望みだった。
 彼女達ならばきっと、ダグマイアが望む対等な”敵”であってくれるだろう。敗北に名誉が残るだろう。
 ……勝利?
 エメラは心の中ですら嘘がつけない性格だった。その問いは非道と言える。
 ともかく、敵対するのであればダグマイア自身と同様の根が真っ直ぐな者達が良い。
 アマギリ・ナナダンは頂けない。こんな化け物とはそもそもまともに付き合うべきではない。
 勝っても負けても、きっとダグマイアは心に深い傷を負ってしまうだろう。アマギリがダグマイアにもたらす物は陰性のものしかあり得ない。達成感など持っての他だ。
 勝利はむなしく、敗北もまた屈辱。
 いや、違うか。
 屈辱すらも許されぬ、”優しい”負かし方をしてくれる事だろう。天上に住まうものの慈悲の深さを持って。
 それは、ババルン・メストやユライト・メストと同じやり方だ。
 あの二人と同じように、アマギリはきっと、ダグマイアには絶望以外はもたらさない。

 「だからさ、知っての通りあの少年は余りにも不審だ。僕も従妹殿の傍には置いておきたいとは思えない。―――見た感じ相当の身体能力を有している事から考えて、只の従者である筈も無いだろうしね」
 「そう、ですね―――」
 「勿論背後関係を調べるのはお互い充分にやってると思うけど、まぁ、百聞は一見にしかずと言うか、直接その力を確かめてみたいじゃない?」
 「そう、です……ね。良く解るお話です」

 アマギリが、柾木剣士の事情を理解できない”筈が無い”。
 此処まではダグマイアは理解できているだろう。では、その先は?
 当然理解できる。
 つまりアマギリは、話の流れから表向きは断れない誘いを利用して、別の何かをダグマイアに対して仕掛けようと考えている―――そこまでは、読みきれる。
 では、その別の何かとは何か。
 それは、ダグマイアには解らないだろう。
 解らない以上、エメラとしては踏み込むべきではないと思うのだが―――困った事に、ダグマイアは自らを誤魔化す事が得意だった。否、自らを誤魔化さなければ無関心の只中に置かれていたこれまでを生き抜けなかっただろう。身に付けた、必要悪だ。
 ―――ともかく、ダグマイアは自己の保身の一環として当たり前のように、”そんなものは気にする必要は無い”と意味を置き換えてしまう。
 解らないではなく、解る必要が無いのだと、そうやって自らを守ろうとする。
 何と哀れで―――だからこそ、愛おしい。狂わんばかりに、エメラは切々とそう思う。
 
 「それで、この企画を利用して―――ですか」
 「そ。これなら上手い事立ち回れば、公然と喧嘩を吹っ掛ける理由になるだろ? 舞台は僕が整えるから、ダグマイア君には是非人を用意してもらいたくてね。キミほど、他の男性聖機師に顔の聞く人間は聖地には居ないからね」
 「っ……良いでしょう。私もあの使用人の存在は気に掛かっていた所です。その力の一端、危険性を理解する事が出来るのならば占めたもの」
 「そう言ってくれると助かるよ。僕なんか未だに外様扱いだから、こういうときに使える人材が少なくってさ。―――尤も、今の聖地学院の空気なら、わざわざ仕掛けなくても舞台さえ用意すれば必然的に状況は成立する気はするけど」

 ―――ああ、決まってしまった。
 初めから決まりきっていた答えに、何時ものようにたどり着いてしまった。
 ダグマイアの考えている事は解っている。アマギリの計画を利用して、自身のかねてよりの計画を実行に移す魂胆だ。
 ―――でもダグマイア、貴方は気付いているの?
 その思考は、あくまでアマギリの計画の”表向きの部分”だけを前提条件として進めようとしている事に。
 きっとアマギリは、ダグマイアの考えを読みきって、こう考えている。

 ”釣れた”と。

 あからさまに”これから貴方を利用してやります”と、これほど解りやすい挑発のされ方をすれば、ダグマイア性根から言って受けて立とうと考えるしか出来ない。
 そこをまた、何時ものように突かれたのだ。
 つまりは、ダグマイアのリアクション―――更に言えば、ダグマイアのリアクションにより生じる”別の誰か”のリアクション、それがアマギリの目的だ。
 ダグマイアでは、気付けない。
 アマギリが自身を見ていない等と考える事が出来ないダグマイアでは、絶対にたどり着けない答えだ。
 
 だが、ダグマイアが決意してしまえば、エメラに否応は無い。
 否、決意する前から、エメラに否は無いのだ。
 彼の選択肢は何時だって同じだと、エメラにはもうずっと前から解っているから。
 そして、それに従う事こそがエメラの望み。
 誰も彼もが見ようとしないダグマイアの事を、自身だけは見つめ続けようと決めた時から、エメラの選択肢は他に無かった。
 
 何時か最後に、決定的な最後を―――いや、最後の時ですら、気持ちが変わる事は無いだろう。








    ※ いやさ、最後に羽根を生やして重力で押しつぶすとかだと、そりゃあデュアルやらGXPやらと変わらないって事は解ってたけど、
     良いのか、アレ?
      物質変換は兄貴の方の数少ない個性じゃなかったのか。
      天地剣が最後にアッチに変わるってのは、天地無用のオマージュなんですかね?

      まぁでも、アレだね。
      復活させて何がしたいの? とか常々疑問だったけど、復活”したい”ってのが目的だったとは、流石に盲点だよねー。

      復活して何がしたかったんですか、ホントに……orz



[14626] 34-6:そして僕は……・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/22 22:28


 ・Scene 34-6・





 今更の事だが、未だにコイツの事だけは理解できない。

 その日、そのプリントに記された文章を読んだときに、聖地学院生徒会長リチア・ポ・チーナが、まず最初に感じた事がそれだ。
 
 『生徒会主催・新入生歓迎舞踏計画立案書』
 『発起人・アマギリ・ナナダン 連名・ダグマイア・メスト』

 理解できないと言うか、理解させる気が無いんだろうなきっとと、恐らくは同様の思いに至っているであろう会議室の面々の顔を見渡した後で、リチアは深く、大きな溜め息を隠す事無く吐いた。
 眉根を寄せる室内の面々の中で、アマギリとダグマイアの二人だけが済ました顔をしていた。
 解らない、やっぱり解らないと言う中で、一つだけ解る事があるなとそう思った事も、恐らく室内に居る全員共通の思いだろう。

 ―――ああ、また面倒ごとだ。

 昨年以前から生徒会に所属するものの共通認識であるが、アマギリ、及びダグマイアの両名が何かアクションを起こした場合、それはもう避けようも無いトラブルへの誘いとなることが確定している。
 しかもそのトラブルは、”気づかないものには気付かれない”類のトラブルに確実に分類されるから性質が悪い。
 両者がこれまでにそれぞれ企画立案してきた幾つかのイベント―――例えばくだらない肝試しだったり、劇団を呼んでみたり、学院内設備の改築を提案したり、つまりそれらの物は全て、只受け取るだけの側の人間からすれば、代わり映えの無い日々に於けるちょっとしたスパイス、程度のもの以上にはなりえない。
 だが、この生徒会役員会議に出席できるような―――手足が四本以上あるような者達にとって見れば、それは恐ろしい災厄の種と言える。
 一つイベントが起こるたび、生徒たちの見えないところで幾つもの目や耳がうろつき、ぶつかり、対立にまで発展して、率直に言ってエラい騒ぎである。
 決して表ざたにならない部分で行われているそれらが、いつ表側にまで暴発してしまうのか、それが想像出来てしまう立場に居る人間にとっては胃が痛い日々だ。

 ―――それがまた、再び。

 それだけなら、最早彼等にとっても、”やれやれ、新学期始まって、まだ新生徒会役員も任命していないと言うのに、いきなりか”と溜め息混じりに苦笑いの一つでも出来るだけの余裕―――諦めとも言う―――も出来たのだけれど、今回はまた爆弾が仕掛けられていた。

 『生徒会主催・新入生歓迎舞踏計画立案書』

 これは良い。どうせ準備をするのは使用人たちだし、基本的に彼等が提出する企画案は全て完璧である。
 こまごまな雑事を押し付けられてもさして苦にはならないから、後は何時ものように背中の心配だけしていれば良いのだから。
 問題は、である。

 『発起人・アマギリ・ナナダン 連名・ダグマイア・メスト』

 ―――え? 二人同時?
 何かの悪い冗談だろうか。
 ひょっとしてアレか、異世界人が言うところの、四月馬鹿。
 っていうか、名前が二つに増えるとパワーも倍になるんじゃね?
 逆に考えるんだ、名前は既に二つある。ゆえに既に話は済んでいる。トラブルは起きないと。

 悲喜交々。
 しかしでかい声を出すのは皆躊躇われるのか、ひそひそと小さな声で傍の者達と囁きあっている。
 如何にも生徒会役員として集った者の態度としては問題があったが、上座に座るリチアはそれを止める気にはならなかった。
 ただ、額を押さえてため息を吐く。
 できる事なら机に突っ伏すか、それともこのイベントの発起人様の首根っこを引っ付かんで廊下に退出の後、怒鳴りつけてやりたい気分である。
 最早毎度の事だが、近くに座っているアウラの同情するような視線を感じて、リチアは涙が出そうだった。
 そんなリチアの気持ちを知ってか、知らずか―――知らない訳が無い、断言しても良い―――やはりリチアに最も近い席に腰掛けていたアマギリが、何とも平坦で無機質な、聞こうと思えば気楽なものに聞こえなくも無い声で尋ねてきた。
 「それで生徒会長閣下、如何でしょうか? それなりに楽しめるように首を捻ってみたのですが―――二人で」
 最後に付け加えられた言葉に、室内のあちこちでうめき声が上がった。それはリチアも変わらない。
 「楽しんでるのはアンタだけでしょうが」
 「楽しいイベントを企画するには、まず自分が楽しむ事が大切だ、と仰りたいのでしたら、そうですね」
 存分に楽しんでいます―――この、滑稽に慌てふためく様をと、視線を交わしたリチアにだけ気付かれるようにアマギリは付け加えていた。
 その本気で楽しそうな態度に、リチアはやはり思う。

 ああ、駄目だ。私にはコイツの事は理解できない―――と。
 
 狡猾なだけの人間であれば、よほど理解できる。
 邪知佞姦をめぐらせ、陰謀詐術に秀でているだけの人間であれば、そういうものだと納得すれば良いだけの話なのに。このアマギリと言う男の振る舞いは、それを許さない。
 例えば誰かを貶めようとする時でも、回りに被害が及ばないように配慮を欠かさなかったり、仕事は優秀なくせに私生活はまるでだらしなかったり。
 と言うか、先ごろ相談された”妹に避けられている”などと言う冗談としか思えない質問は何だったのだろうか。
 新手の嫌がらせかと思ったのだが、今までに見た事も無いような至極真面目な顔をしていたためそういうことでもないらしい。
 むしろ国際政治の舞台裏で策謀を張り巡らせる時に限って遊んでいるような顔をしているのに、そんなどうでも良いようなことばかり糞真面目な顔をすると言うのはどういうことなのだろうか。
 ついでに、それをリチア自身に相談する理由も今ひとつ良く解らない。
 嫌がらせか。嫌がらせに違いない。―――それを嫌がらせと感じる自身の感性もたまに解らなかったが。
 ともかく、アマギリがこういう提案をするたびにリチアは忌々しそうな顔をしている事は、アマギリ自身が一番良く知っているだろうに、それをやめようともしない。
 嫌われているのだろうか、つまり歪曲的な嫌がらせなのだろうかと、リチアは度々考える事もある。
 いや、アマギリと相対している時は口調が何時になく辛らつになっていることは自分でも認めるところではある。
 だがそれはアマギリも同様の事が言えるし―――と言うか、あの男は気を使う時は逆に相手が萎縮してしまうくらい女性に気を使う事ができると言うのに、リチアと話している時は随分とぞんざいな口の聞き様である。
 やはり嫌われて―――いや、ワウアンリーよりはマシだが。あの扱いはリチアを持ってしても酷いと思う。
 尤も、アレはお互いあのやり取りを楽しんでいる節もあるのだが。
 
 ―――それを言ったら、私もそうか。

 遠慮せずに言葉を交わせる人間は貴重だ。
 特に異性でそういう人物と出会うことが出来たのは幸運だとリチアは思っている。
 アマギリがリチアに見せる態度はリチア以外に対した時は見せる事の無い態度であるから―――アマギリも、同様に感じているとリチアとしては思いたい。
 嫌われていると言うのは、有り得ないだろう。
 稀に繰り返す自身の懊悩の中で、また再び、リチアはそのように納得した。

 それゆえに、本当にリチアはアマギリが理解できない。
 
 別に嫌っている訳ではない筈なのに、どうしてこう、ひたすらにリチアに嫌がらせをする事をやめないのか。
 まぁ、妹との仲を何とかしたいなどと言う阿呆な質問をされたときよりも幾分はマシだったが。
 アレには本当に困った。考えるより先に手が出ていたのは初めての経験である。何で丸めた書類を投げつけられたのか理解していないのがまた忌々しかったのだが。
 ―――尤も、リチア自身も何故考えるより先に手を出していたのかを理解していないのだが。
 そんな二人のやり取りを、相変わらずそこに居たアウラが微笑ましげに見守っていた事に関しては記憶から除外していた。
 何しろ考えると精神衛生上良くないことになりそうだったのだ。
 リチアはそこまで思い出してしまい、慌てて志向の角からそれを追い払う。

 問題は現状をどう捌くべきか―――そんなものは既に決まっている。

 潔く諦めるのだ。
 アマギリ然りダグマイア然り、派手な行動を取る時には十全と根回しを済ませている事が殆ど。
 誰かに指摘を受けて修正をさせられるような手抜かりなど、毛の一本ほども残す訳が無い。
 尤も、アマギリに言わせれば、ダグマイアの場合は、別にブレインが居てそいつが企画しているから手抜かりの一つも見つからないんだと言う事らしいが、今は男の僻みに付き合う気分でもないのでリチアは割愛する事にした。
 それゆえに、此処までの思考をほんの数秒で片付けた後で、リチアは対応を導き出した。

 「面倒だから、建前は抜かして本音だけ言いなさい。そうしたら許可するから」

 上っ面の文言を形式どおりに交わすなど、この男と相対した時は愚の骨頂。
 トラブルは好きなだけ起こして良いから、とりあえずそのトラブルを回避する方法もここに居る人間にくらいは教えておけとリチアは単刀直入にそういっているのだ。
 此処まで割り切れるようになるまで二年掛かった。経験と言うのは貴重である。
 アマギリも、恐らくそう来ると予想していたのだろう、何の驚きも見せずにリチアの言葉に頷いた。

 「まぁ、ようするにガス抜きです」

 「ガス抜き?」
 これはアマギリの対面に座っていたアウラの呟きだった。疑問を素直に口に出したアウラとは対照的に、リチアはその言葉だけで概ね事情は察した。

 舞踏会―――つまりは着飾ってのダンスパーティーだ。
 そしてこの学院の男女比率には大きな偏りがあり、このイベントの要旨に、エスコート役として原則男子生徒は全員参加と記されていた。

 その辺りから”ガス抜き”の意味を推察していけばおのずと答えはでるのだが―――その答えに行き当たったがゆえに、リチアはアマギリの言葉を止めるべきだと感じた。
 しかし、遅かった。アマギリは既に極上に楽しそうな顔でアウラの質問に答えようとしている。
 かくなる上は何を言われても忍耐を―――無理か。
 「皆さん最近、”柾木剣士”と言う名前の使用人が、学院で働き始めたのをご存知でしょうか?」
 「なに?」
 ああ予想通りと思うリチアの傍らで、アウラがアマギリの言葉に目を剥いた。

 柾木剣士。
 考えるまでも無い。簡単に言えば野生動物。もっと詳しく言えば野生の動物である。
 色々と、遊び好きの教師の口車に乗せられて、気付けばリチアも正直余り思い出したくないような状況に巻き込まれた。いやもう、本当に。
 ともかく、何だかんだとあって、挙句の果てに校舎の破損行為への幇助なども行ってしまい、停学に奉仕義務などと言う生徒会長にあるまじき状況に追い込まれてしまった事は未だ記憶に新しい。

 リチアが一人で微妙に苦い顔をしている間にも、アマギリは目の前のアウラの態度などまるで存在しないかのような穏やかな口調で先を続けている。
 「何ていうか、この学院内では珍しい、僕等と同年代の、しかも男の使用人だったりするものでして。そのせいで、少し最近学院内が騒がしくなっていると言う事実は皆様も感じていらっしゃるのではないかと思います。―――生徒会内の人にも、色々ありましたしね?」
 「知らないわよ」
 視線だけで返事を要求してきたアマギリの言葉を、リチアは一言で封殺する。アマギリは肩を竦めて先を進めた。
 「ようするに、生徒会長及び何処かの国の女王様辺りを停学に追い込むような影響力のある使用人なんですが―――」
 「知らないって言ってるでしょうが」
 しれっとした顔で、言われたくない事を平然とのたまうアマギリに、リチアは頬を染めて罵る。アマギリはすまし顔だった。会議室のそこかしこで同情するような暖かい失笑が浮かんでいたのがよほどリチアの心を刺した。アウラなど顔を真っ赤にして蹲っている。
 アマギリは相変わらず、最早必要ないだろうと思われる説明を続けている。
 「そのカリスマ性が、最近他の一般の女性徒まで引き付け始めましてね、お陰で、これまで女子の視線を一身に集めていた人たちが―――ね、ダグマイア君?」
 「さて、他者の視線など私は気に賭けた事もありませんゆえ、理解しかねますね」
 悪戯っぽい顔でアマギリはダグマイアに視線を送ったが、ダグマイアも何処か楽しげな態度でそれを避けた。
 「―――とまぁ、このようにダグマイア君レベルになると使用人の一人や二人に一々気にかけるような大人気ない事はしない訳だけど、喜び勇んで聖地に来たばかりの新入生とか、すっかり聖地で味を占めてしまった高学年生徒とかだと、色々と、ね」
 「殿下に相談されるまで私には思いつかなかった類の問題です。流石に市井の者たちの心をよく理解してらっしゃると、あの時は感服しました」
 「いやいや、このままだと”愚かな事を考えてしまう人間が出てしまうかもしれない”と言った時に直ぐに理解してくれたダグマイア君こそ流石だと思うね」
 お互いを褒めあっているように見えて、何故か牽制しあっているようにしか見えないのは多分気のせいではないのだろう。
 リチアはまた一つ、眉間の皺を深める事となった。

 「ようするに、使用人に嫉妬し始めている男性聖機師に、少しは良い思いをさせてやろうって話ね」

 これ以上アレコレと混ぜっ返されながら説明され続けるのもおっくうだったので、リチアは強引にアマギリの言葉を切り上げて内容を纏めた。
 「ええ。まぁ、国に食わせてもらってる分際で贅沢なこと言ってるんじゃないって個人的には思うんですけど、ああいう暇をもてあましている連中の機嫌を損ねると、過激な方向に走りやすいですからね。―――だから、ここらで一つガス抜きでも、ね」
 アマギリはリチアの言葉を否定する事もなく、それさえ言えば自分の役目は終わりとばかりに背もたれに体を預けて瞳を閉じてしまった。
 ダグマイアの方に視線を滑らせると、少しだけ機嫌が悪そうだった事が、またリチアの懊悩を深めた。

 男性聖機師の慰撫。
 なるほど、言われて見れば確かに。
 あの柾木剣士ばかりがちやほやされている現在の聖地学院においては、必要な行動と言えるかもしれない。
 公然と女子と近づけると言うのも良い。使用人は参加不可能と言うのも、高ポイントだ。
 男性聖機師どもならば、それで会場に入れない柾木剣士の姿を見て、勝手に優越感でも覚えて悦に浸ることだろう。
 それ故に、この企画は断然有りだ。

 だから結局、問題は。
 何故アマギリとダグマイアが連名で提出した議題なのかと言う事で―――リチアにはそれが、解らなかった。
 ダグマイアだけが企んだのであれば後で問い質すだけで充分なのだが、しかしアマギリは一度仕掛ける側に回った場合、頑なとしてその内実を語ろうとしない。
 それゆえに、今回の疑問はリチアが自分で考えるしかないのだが―――解る訳が、無い。
 断言で着てしまう自分に思うところも無くは無いが、無駄な事をするのもどうかと思うので、納得するしかないのだ。
 
 繰り返すが、リチアはアマギリのことが解らないのだ。

 リチアが理解できる事と言えば、アマギリはどれほど悪辣な罠を張っていたとしても、リチアを生命の危機に落とすような事だけは、絶対にするはずが無いと言う事だ。
 それさえ解っているのだから、良いか。
 そんな風に思い、リチアは生徒会長としてこの提案の可否を問う挙手を役員たちに求めた。

 なあに、何時もどおり。
 全部が終わった後で、散々に苛め抜いてやれば良い。
 きっと苦笑交じりの、情けない顔を見せてくれる事だろう。
 それを楽しみに、少しの苦労を味わっても、別に。

 ―――今は、そう考えてしまうようになってしまった自分のことこそ、リチアは一番理解できなかった。

 
 ・Scene 34:End・





     ※ 書くも書いたり99話ってトコでしょうか。思えば遠くへ来たものですがテキスト量的には、大体此処までで1Mかそこらみたいです。
       ……ラノベ四冊くらい?

       開始当初の想定だと、プレ編50、本編50で全部で100話とか考えたんですが、実際は、ねぇ。もう暫く続きます。
       まぁ、今回は尺の事は考えないでやるってのがコンセプトでしたし、この調子でまったりと進んでいくかと思います。




[14626] 35-1:くち約束・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/23 20:56



 ・Scene 35-1・


 女性徒に追い掛け回され、逃げ出す。

 そして男子生徒に目をつけられ、逃げ出す。
 逃げ出している最中再び女性徒に見つかり、男子生徒の堪忍袋の尾を切断し、囲まれ、そして。

 ―――何時の間にやら人の数も減り閑散としたダンスフロアーの片隅、立食用のテーブルが並べられているスペースの更に脇。
 日頃の黒の制服姿とは違うドレス姿に着飾った聖地学院生徒会長リチア・ポ・チーナは中庭に続く連続窓に寄りかかり、気だるげな表情で呟いた。
 「……馬鹿らしいったらありゃしないわ」
 視線は窓の向こう、この新入生歓迎舞踏会の会場として利用している講堂の中庭に向けられている。
 夜闇の中、中世シトレイユ風の建築様式で整備された、美しい中庭では、着飾った少女たちが輪を作ってなにやら盛り上がっているのが、窓越しのリチアにも伝わってきた。
 無論、理由も解っている。
 あの少女達の囲いの中心には男たちの姿がある。
 あの場所に居るのは全て、本来ならばこの人が少なくなり楽団の演奏がむなしく響くダンスフロアーで踊りを楽しんでいるべき生徒達なのだった。
 いや、ほんの数分前までは実際そうだった。
 日頃無い着飾る機会に女子たちは色めき立ち、男子生徒たちは公然と女子たちに近づき放題。日頃何処か遠ざけられている感のある男女の交流の機会と会って、それ相応の賑わいを見せていた―――少なくとも、表向きは。
 じゃあ、裏向きはどうなんだと言えば話は早い。
 女子たちが着飾って居たのは単純にその姿を見せたい一人の男子が居たからであり、結局その男子にほぼ過半ともいえる女子たちが群がってしまえば、折角の機会を楽しみにしていたその他の男子達は面白くない。

 しかも、目の前で女子たちを掻っ攫って行ったのが、自分たちと同じ生徒ではなくただのウェイター役の使用人であったなら、尚更だろう。

 後は簡単だ。
 詰め寄られ逃げ出した使用人が、主役の座を横から奪われて妬みの篭った視線で姿を追っていた男子生徒たちに因縁をつけられて、その現場を運が良いやら悪いやら、女子たちが発見してしまう。
 初めは見えないところで分を弁えない使用人を”指導”するだけのつもりだった男子生徒たちも、此処まで大量の人目があっては陰険なまねは出来ない。
 いつの間にか各々獲物を持ち出して決闘まがいの勝負ごっこをする嵌めになっていたと、それがここまでの経緯である。

 けんしちゃ~ん、がんばってぇ~~~♪

 そんな声が、中庭からわいのわいのと響いているのが解る。
 普段の制服姿であれば、あそこまであからさまに件の使用人の事を贔屓したりしないであろう女子たちも、宴の熱気、着飾った普段とは違う自分たちの姿に浮されたのか、精一杯声を出して嬌声を上げている。

 「こんな所に居たのか」
 「おぅわっと、ちょっとアウラ王女、歩くの早いですって、うわ、また裾踏みそうになった!」

 元気だことと、中庭の様子を遠めに伺い嘆息していたリチアの耳に、二人の少女の声が響いた。
 一人は、優れたプロポーションの褐色の肌の持ち主のダークエルフの美女と、もう一人は普段はつなぎ姿が見慣れている少女だった。
 「アウラ……ワウアンリーも。てっきり、外の騒ぎに付き合っているのかと思ったわ」
 特にアウラは、と最後は意地悪い笑みとともにリチアは近づいてきた少女達に言った。
 「あそこまで衆目の目を集めてしまえば、最早そう危険な事も出来ないだろうからな。わざわざ残る必要もあるまい」
 何処か問われた意味からズレた回答をするアウラ。そのことを深く追求しなかったのはリチアの慈悲である。
 「因みにあたしは会場うろついてプレッシャーかけとけって言われてまして……」
 「プレッシャー、ね」
 宮仕えの辛さですとため息を吐くワウアンリーの言葉に、リチアは面白く無さそうに会場を見渡した。
 一部の要領の良い生徒達が人が少なくなって相対的にスペースの広がったダンスフロアーを優雅―――と言うには些か元気すぎるステップを刻んでいる。
 エスコート役の男子生徒は特に楽しそうで、満面の笑みといった所だ。
 それも当然だろう。
 いかな特権階級とは言え、だからこそ普段は女性徒たちから距離を置かれ気味な男性聖機師たちにとっては、公然と自分たちから気に入った女性徒たちを誘う機会である。
 しかも立場の差からダンスに誘われれば一般生徒の女子たちは断りようが無いから、男たちにとっては至福の時間と言えた。しかも上手くすれば王族方とも一曲を共にする事も出来るのだから。
 コレが男子生徒全員が実行できていれば、この企画の考案者も上手い事やったと言えるのだが……。
 
 「ガス抜き失敗って感じよね」
 「―――むしろ、今正に爆発してますからね」

 皮肉っぽく呟いたリチアに、ワウアンリーが言葉を合わせた。アウラが苦笑して応じた。
 「考えとしては悪くなかったが、使用人の配置にまでは気が回らなかったのはヤツらしくも無い片手落ちと言った所だな」
 此処には居ない誰かを指したアウラに、リチアの眉根がいっそうに寄る。
 「……何か不機嫌そうじゃないですか、リチア様」
 「別に」
 恐る恐る尋ねたワウアンリーに、リチアは冷たく言葉を返した。そうしたら今度は、アウラが意地悪そうな笑みを浮かべた。
 「ダンスパートナーの雲隠れが、そんなに不満か?」
 「誰がっ……!」
 その不機嫌さをそのままに乗せられた言葉こそが、リチアの本音だった。ワウアンリーが謝るような口調で言った。
 「ウチの駄目殿下、今日は何時も以上に周りの事が見えなくなってるんで、出来れば広い目で見ていただけると……」
 「だから、別に私はアマギリの事なんて少しも気にして無いわよ!」
 ワウアンリーの言葉に過剰反応するリチアに、それ以上の突込みを入れることはなかったのはアウラの慈悲と言うものだろう。
 少しだけ面白そうに親友の態度を笑った後で、アウラはワウアンリーに視線を移して尋ねた。
 
 「それで結局、アマギリは何処へ行ったんだ?」
 
 今回のイベントの仕掛け人、アマギリ・ナナダンの姿は会場の何処にも見当たらなかった。
 彼は、開会の挨拶を担当して最初の一曲を生徒会代表としてリチアのパートナーとして無難に勤めきった後、いつの間にか姿を消していた。
 どうやら、ウェイターとして会場入りした剣士に視線が集中しだした隙を突いて、会場から居なくなったらしい。
 無論、外で輪を作っている者たちの中にも存在しない事は、アウラも既に確認済みである。
 「てっきり、男子生徒に気に入った女性徒を宛がいつつ、自勢力への勧誘に繋げるのだと思っていたのだが」
 この状況では望み薄だがなと、人気の足りないダンスフロアーを見渡しながらアウラは言った。
 「それじゃあダグマイアと連名した理由が説明できないじゃない」
 「っていうか、アウラ王女も結構過激な発言するようになりましたよね……。ああ、ウチの殿下の悪影響が、蔓延していく……」
 ワウアンリーの冗談のような嘆きはあえてスルーしてアウラは周囲を見渡した。
 「―――ダグマイアは、居るな」
 「見張られて動けないんでしょ」
 壁際に背中を預けて瞳を閉じているダグマイアの姿を発見して呟いたアウラに、リチアが冷めた目で応じた。
 「見張り?」
 アウラは首をかしげた。

 「近くの柱の角じゃよ」
 
 一つの演奏が止まった空白期間のせいか、新たに現れた少女の声は殊更響いた。
 「ラシャラ様」
 ラシャラ・アースがダンスフロアーの中央から、リチアたちの傍に近づいてきた。どうやら一念発起して誘いに来ていた無謀な男子の威勢を買って、一曲付き合っていたらしい。
 「そろいも揃って何を密談などしておるのじゃおぬし等。あちらの一塊が、仲間になりたそうな目で見ておったぞ」
 そう言って、丁度彼女等が居る場所とはフロアを挟んで正対する位置にある立食スペースでたむろしている男子生徒たちを指し示す。流石の特権階級者たる男性聖機師たちを以ってしても、自身等の身柄を保障しているとも言える最高権力者たちに声を掛けるに足る勇気は中々持ち出せないらしい。
 因みに、その男子生徒の塊の直ぐ傍に、誘われるのを待っている女性徒たちの一群が完成している辺りが、この学院の縮図を意味しているかもしれない。
 「ラシャラ・アース。柱の角とはどう言う……?」
 「見たままじゃよ、丁度ダグマイアのヤツからは見えない位置に、一人居るじゃろう」
 「一人……ああ、と言うかアレは」
 「毎年二月恒例の柱の影の主さんですね」
 「なんじゃ、キャイアはやはり此処でもそんな感じだったか」
 二ヶ月ほど前を思い出して苦笑するワウアンリーの言葉に、ラシャラはしたり顔で頷いた。
 柱の隅で一人ダグマイアの様子を伺っているのはドレスアップしたキャイア・フランであった。
 単純な話でダグマイアと踊りたいらしく、それ以外に彼女の行動に含むところは欠片も無い。護衛任務を疎かにするほどの一途な行動と言えるかもしれない。

 「楽しそうで良いですよね、キャイアさん。それに比べてラジコン替わりにぶらつかされてるあたしと来たら……」
 如何にも青春と言ったいじらしい姿を見せるキャイアと、陰謀策謀の度に何か役目を押し付けられている我が身を比べて、ワウアンリーはしみじみと溜め息を吐いてしまった。
 「従兄殿もお主には特別甘えている所があるからの。マイペースそうに見えてアレで色々と周囲に気を使って生きているから、その辺りを少しは斟酌してやるが良い」
 肩を落とすワウアンリーに、ラシャラが苦笑交じりに言った。
 「それはなんとなーく理解してるんですけど、あの人の甘え方って可愛げが全く無いですしねぇ」
 「私は普段のあのやり取りで甘えを見抜くお前達を尊敬するよ」
 姿が見えないことを良い事に、ここぞとばかりにアマギリへの不満をぶちまけるワウアンリーに、アウラが感嘆して言う。聞く言葉をそのまま受け取れば、普段は虐げられて”いる”ではなく、虐げられて”あげている”と言う事になるのだから、伊達に九十年以上生きていないなと、男を立てるその配慮に無駄に感心してしまう。

 「……アマギリは姿を消し、ダグマイアは―――見張り? のせいで身動きはとれず。結局今回のコレは何のための企画だったんだ?」
 少なくとも表向きのガス抜きは失敗しているなと、アウラは丁度都合よくその場に集った者たちに尋ねた。
 リチアが未だに不機嫌そうに応じた。
 「ガス抜きの件が表向きって解ってるんなら話は早いじゃない。企画を主導したのはアイツ。なら、今のこの状況を演出したのも、勿論アイツ」
 「うむ、使用人頭にも確認したが、剣士をウェイターに回すように指示をしたのも、他ならぬ従兄殿らしいからの」
 「でぇ、先に挑発しておけば必ずダグマイア・メストは”自分のための”行動を取るでしょうし」
 リチアの言葉に、ラシャラとワウアンリーが更に補足する。
 アウラは少し考えた後、眉根を寄せて言った。
 「つまり、ダグマイアを挑発し対抗的な行動を引き出し、動きの予想を立てやすくすると。更に、男子生徒たちが暴発するような現場を作り出す事を目暗ましとして付け加え、自身の真の目的の隠蔽を密にする―――か」
 「後でちゃんと確認せねば解らんが、剣士も恐らくは従兄殿から何か言われておるぞ。―――幾らあやつでもこんな大騒ぎを引き起こしてしまうのが拙い事だというくらい察しておるからの、そうでもなければああはならん」
 ラシャラはそう言って、中庭を指し示した。
 そこでは、剣士を囲んで男性聖機師たちが木刀を振り回し―――更にそれを、女性徒たちが輪になって観戦している姿があった。
 どうあっても、視線はそこへと集まる事となり、アマギリは自由に動けるようになるだろう。
 「剣士すらも利用したのか―――アイツは」
 アウラがこれまでに幾度か垣間見ていたアマギリの剣士に対する態度からすれば、アマギリが自身の謀略に剣士を巻き込むなど信じられない事だった。
 アマギリは間違いなく、剣士に対して尊敬、尊崇とも言うべき感情を抱いている。並び立ち共に笑いあう相手ではなく、見上げ傅くべき人間であると定めているようだった。
 それを、利用する。―――冗談めかして言う言葉にすら不敬だと表情を苦くする男が。
 その事情を勘案すれば、一体此度の陰謀にどれほど重要な意味を秘められているのか、アウラは空恐ろしい気分を覚えた。
 
 「あー、深く考えると馬鹿を見ますよ」
 
 深刻な顔になりかかっていたアウラを見て、ワウアンリーが諦念混じりの言葉を告げた。
 見ると、ラシャラとリチアも似たような顔をしている。
 馬鹿馬鹿しいと、どの顔もはっきりと語っていた。これにはアウラも混乱してしまう。
 「……どういう事だ?」
 「どうもこうも無いわよ。馬鹿が馬鹿らしく、馬鹿馬鹿しい行動を取っただけ」
 「あの者、案外不器用に生きてるからの」
 「不器用なのはマリア様もなんですけどねー。あたしは最近屋敷が居辛くて困ってましたし、コレで解決するならもう良いですよ」
 次々と、件の男にさも呆れたという態度を隠さずに言葉を重ねていく少女達。
 その中で、アウラは気づいた事があった。

 「マリア? ―――そういえば、マリア王女の姿がないな」
 
 改めて会場を見渡しても、マリア・ナナダンも、当然その従者のユキネの姿も見当たらない。
 そもそも、このイベントの開始の時からあの二人の姿は見かけていないなと、アウラは今頃気付いた。
 
 ―――そして、最近のアマギリ・ナナダンの姿を思い出した。

 「なるほど、な」

 微笑ましいものを思うかのような微笑と共に、アウラは理解した。
 馬鹿馬鹿しい―――なるほど、まさしく。リチアが不機嫌になるわけだ。
 「なによ?」
 リチアが酷く不機嫌そうな顔をアウラに向けていた。思っていたことが顔に出ていたらしい。
 「いや、別に―――だが、しかし、そうか。あのアマギリが、なぁ……」
 「こういうの、成長したって言うんですかね……」
 「損得勘定抜きでアホな行動をとり始めることを成長したと評するのも、のう」
 「馬鹿が馬鹿らしく、極端から極端に振れただけじゃない」
 しみじみと呟いたアウラにあわせるように、少女達が次々に感想を口にした。
 「尤も、コレだけ派手に仕込んでおいて、本命の当人に逃げられているのだから、世話無いがの」
 「場所さえ用意すれば来るって考えている時点で、まだ利益重視の発想から脱しきれてませんよね」
 ラシャラとワウアンリーの言葉に、アウラは目を瞬かせた。
 「―――ひょっとして、二人が居ないのは狙ってやっての事ではないのか?」
 「当然じゃない」
 アウラの疑問に、リチアは鼻を鳴らして応じた。
 「アイツの今回の行動基底にあるのは、いかにして自分の行動を自然に溶け込ませるかですもの。逃げられて追いかけた、なーんて”特別な”行動を取ったら意味が無いじゃない」
 「なるほどなぁ。舞踏会で兄が妹をエスコートする。―――自然な事だな。問題はアイツがそれをやると途端に不自然に見えることに、あいつは気付いていないと言う事だが」
 「まぁ、ダグマイアが会場に拘束されてしまっている以上、こうなってしまったのは逆にアヤツにとっては幸運だったかもしれん」
 「柱の影の主は座敷わらじか何かですか」
 「浸かれておるダグマイアにとっては貧乏神かもしれんがの」
 「っていうか、アイツ今回の件の真実を知ったら泣くんじゃないかしら。ちょっと可哀相過ぎない?」
 「熾烈な情報戦のつもりが、実際は……ですしね」
 好き勝手に言いたい放題言い尽くし、そして、全員そろってため息を吐いていた。
 
 そして、宴の場から視点を移せば―――。






    ※ そんな訳で100話。
      記念すべき話数の気がするんですが、アレ? 主人公の姿が……。

      まぁ、今回は乙女会議ってノリで。次回はシスターとあれこれ



[14626] 35-2:くち約束・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/24 21:33

 ・Scene 35-2・




 昔から合理的に物事を動かすのは得意だった。

 一見その場その場では不合理に見えても、最終的に要求された結果に最短距離でたどり着くと言う能力に長けていた。
 と、言うよりむしろ、かつては要求されたものが弱い十に満たぬ幼子に与えられた試練にしては手に余りすぎて、強引、外道と受け取られようと最大限合理性のみを追求していかなければ要求に届かなかったのだ。
 なにせ、思い返すにどれもこれも、どう考えても行儀見習いの子供にやらせる作業の範疇を超えていた。微妙に軍事機密にまで片足を突っ込んでいたのではないかと言う気もするが、気のせいだと思いたい。
 今にして思えばあれらの無理な要求は、失敗させたがっていたのだろうと言う事が解る。
 間違いなく、失敗させる気で要求を押し付けていたのだ。
 何故なら、必死で無難に作業をこなして見せた結果いただいた言葉が、”つまらない坊やねぇ”の一言だったのだから、そうとしか思えない。
 そんな風に言われれば、子供の意地も働くだろう。
 次も、その次も絶対に失敗なんかしてやらないと、そんな事を思って―――事実、失敗しないだけの器用さがあったのだ。
 
 そんな事実もあって、アマギリは物事を合理的に判断して最短の答えを導き出す事は得意だった。
 それは、上記の事情を全て忘却してしまっている今でも変わらない。
 自身が主催した舞踏会の会場となっていた講堂の裏口から忍び出て、辺りを見渡す。
 居る筈もない。
 中庭にも居なかった。講堂の中の、何処にも。
 流石に聖地から離れてしまったとは考えられないから、きっと学院内を探せば何処かに居るのだろうが―――生憎と、学院は広い。闇雲に探していれば、夜が明ける。
 それに、闇雲に走り回っていたら、恐らくそこら中をうろついているだろう”存在しない”類の人々の視線が集まって余計な面倒を引き起こしそうだ。
 自分が用意した状況だった筈なのに、今はかえってそれが足を引っ張っている。
 
 どうしてこうなった。
 
 言うまでもなく、考えるまでも無い。―――それも、合理的な面で言えばの話。
 普通に考えて立場から言って、一曲も踊らずに人知れず姿を消すなんてアマギリは想像もしていなかったから、これはようするに彼の見込みの甘さである。

 決して、あの子の責任ではない―――無いのだが。
 
 せめて消えるなら一言くらい言ってくれれば良かったのにと、最近の曖昧な距離感を脇において、アマギリはそんな風に思ってしまった。
 ここ二年はそれなりに上手く兄妹をやれてきた気がするんだけど、まだ、上手くいかない。
 こういう肝心な時に限って、上手くいかない。
 やはり、向いていないし慣れていないと言う事なのか。合理的に感情面を廃して―――と言うより、感情すらも数値的に行動の可否のスイッチとして解釈して、状況に立ち回ってきたツケが、この状況と言うことか。
 こうして、薄暗い夜道をあてどなく歩く事しか出来ない。
 
 ふと、ポケットに突っ込んでいた手に固い感触を覚える。
 
 通信機。
 鳴らせば直ぐに、部下に繋がる。
 そこから洗い出せば、少女一人の―――ましてや、護衛対象の一人だ―――居場所をつかむ事くらい、簡単だろう。
 簡単な話だ。鳴らして、見つけて、駆けつけて―――。

 どうして此処が解ったのですか?

 そんな風に聞かれたら、どうする?
 調べてもらったなんて答えた時、相手はどんな顔をすると思う?

 また、泣かせてしまったら、どうしようかと。
 そんな不安ばかりが、頭を過ぎって行動を躊躇わせる。

 二年間。それだけは嫌だと慣れないなりに頑張ってきたつもりなんだけれど。
 「……?」
 道すがら歩いてきたら、いつの間にか分岐路に差し掛かっていた。
 右か、左か。後ろか、前か。―――そろそろ、諦めるべきなのか。それとも。
 「どうするべき、なのかな……」

 「貴方はどうしたいの?」

 そんな声が、片方の道の奥から聞こえた。
 「雪姉……、ユキネ?」
 白い肌、白い髪。白を貴重とした装い。夜の深い闇の中でも、その姿はしっかりと見て取れた。
 情けない話である。目安があればとりあえずと言った単純な思考で、アマギリはユキネが居る方の道へ歩みだしていた。
 ユキネに近づくと、彼女も踵を返してアマギリと並び歩み始めた。
 「姉さん、てっきり剣士殿のトコに居るんだと思ってた」
 ああいう、素直で純真な少年こそ、この女性の好みだろうと思っていたから。何とはなしにそんな話を振ってみると、ユキネはそれを否定するでもなく、ゆったりとした調子で言葉を返してきた。
 「剣士は良い子だから、皆が見ているから平気」
 だから今は貴方を見るとき。言外にそう告げられているようで、アマギリは微苦笑していた。
 「良い子、か。さしずめ僕は悪い子って処だろうね」
 「アマギリ様は……どっちかって言うと、駄目な子かな」
 「そこは違うって返して欲しかったなぁ」
 おどけた様にそう応じると、ユキネは無理の一言共に首を横に振った。
 「妹を泣かせる駄目なお兄ちゃん」

 ピタリと。
 その一言でアマギリは足を止めていた。

 「―――泣かせた?」
 ユキネが遅れて立ち止まったから、再び向かい合う形となった。
 「僕は、あの子を泣かせていたのか―――? また?」
 ユキネは恐ろしいほど透明感のある瞳でアマギリの瞳をしっかりと見つめたまま、続けた。
 「不安そうだったの、解っていたでしょう? それなのにずっと、碌に話もせずに自分の遊びにばっかり感けていれば、寂しくもなると思う」
 「自分の遊びって、だけどそれは―――」

 あの子のために―――では、無い。僕自身のために。自分自身のきっかけを作るために。

 「んぎっ!?」
 正しく言われたとおりだったと愕然としたその瞬間、ユキネに頬を抓られていた。
 「ちょ、にゃに、んにゃ、何するのさ!」
 首を払ってそれから逃れてみると、ユキネは何処か呆れたような顔で嘆息していた。
 「ほんと、駄目な子だね……」
 「いや、それは否定できにゅ……って、だから何で抓るの!」
 言われなくても駄目だ何てことくらい解っていると、投げやりな調子で言おうとしたら、何故か再び抓られてしまう。何ゆえ肯定したのに折檻されているのか。アマギリには理解できない状況だった。

 「あのね、アマギリ様」

 ス―――、と。混乱するアマギリを宥めるように、ユキネは抓っていた手を開いて、その掌をアマギリの頬に当てた。

 「こう言う時は、妹のために頑張ってるんだってはっきり言いきって良いし、自分を駄目呼ばわりされても否定して大丈夫なの。―――行動だけで自己主張しようとして、言葉足らずなやり方をしているから、マリア様は泣いてるんだよ?」
 
 「―――だけど、こんな一方的な。責任を押し付けたりなんかしたら迷惑だって思われるだろ?」
 「うん」
 「……あ、否定してくれないんだ」
 不貞腐れたように言った言葉にあっさりと同意されてしまい、アマギリは一瞬素に戻ってしまった。
 「迷惑は迷惑だから。実際、気付いている人は皆呆れてるでしょう? ―――でも、迷惑な行為だからって、それが全て嫌がられるとは限らないもの」
 しかしユキネの表情には稚気の欠片もなく、優しく頬を撫でながら、そんな風に言った。
 「―――でも、迷惑だって思われたら、僕は嫌だ」
 「嫌でも、我慢するの。お兄ちゃんなんだから。正しい最善の結果よりも、目の前で情けなくても、頑張ってくれてる姿をちゃんと見せてくれた方が、嬉しい事もあるんだから」
 それは、成果を示す事で立場を得てきた人間にとっては耐え難い事実で。

 ―――でも、あの子が一番喜んでくれていたのは。

 例えば、情けなくも本音を告げなければいけない時だったりしたんじゃないだろうか。

 「姉さんは、凄いねぇ」
 アマギリは、ポツリとそんな言葉を呟いていた。
 「そういう素直な態度で、マリア様にも接してあげてね。考えた末に出てくる優しさなんて、本物じゃないと思うし―――素直な貴方は、充分に優しい人だと思うから」
 身内の買いかぶり以外の何物でも無いだろうが、今のアマギリにはその言葉はうれしかった。
 「努力は、する。結果は―――」
 「後で考えれば、良いから」
 頬を撫でてて居た指で、最後まで言おうとしていた口をそっと抑えられた。
 「―――ね?」
 「……うん」
 その返事に満足してくれたのか、ゆっくりとした動きで口下に置かれた指が離れ、ユキネはそっとアマギリの背後に回りこんでいた。
 「じゃあ、頑張って―――優しくして、あげてね?」
 耳元で囁かれる言葉に従って視線を前に向けてみれば、そこは帰り道だった事に、アマギリは今更気付いた。

 ―――そこに、居るのだろう。
 疑いようも無い事実に身震いしながらも、アマギリは踏み出す一歩を躊躇う事はなかった。
 最初の最初、何処が最初だったのかすら結局わからなかったけど、つまりその判断が出来なかった時点で既に目指すべき結果にありつけないのは確実。
 それでも、お兄ちゃんなのだからと背中を押されたのだから、せめてそれに見合う格好つけくらいは許してもらいたいと思った。
 踏み出す。止まる事無く、振り返らずに。優しい姉が見守ってくれているのも解っていたし。せめて、与えられた優しさを自分も誰かに伝えられたらと思う。
 一つの目的のためだけに生きていられた頃が決して嫌になったわけでもないけど、今は、今しか触れ合えない人々との関係を大切にしたいから。

 「今しか、か……」

 ”まだ、帰りたくないな”とそう思ってしまい、それがどういう意味での思いなのか、自分でも解らなかった。

 少しだけ開かれた道と屋敷の敷地を遮る門の向こう、春の花が咲き誇る花壇の真ん中に、少女の姿があった。
 俯くその顔が何を思っているのか、それが理解出来ていれば、こんな無様は起こさなかっただろう。
 それを今から確かめる―――その前に、確かめたかったんだと、それを伝える事が先だ。
 
 更に一歩踏み出す。
 少女が足音に振り返った。
 門を潜り、そして気付けば少女に手を伸ばしていた。

 折角の月明かり、互い着飾った姿なのだからと、失敗した諸々に少しの未練を思い出して。

 「まずは一曲、少しの間お付き合いを―――」

 そんな言葉から、まずは始めることにした。





    
     ※ ひたすら姉さんに甘えるだけの回。
       多分コイツ、子供の頃は忙しい親に代わって姉ちゃんに面倒見てもらってたとか言う裏設定のある、天性のシスコンだと思う。
       因みに五人兄弟の末っ子とか言う設定が、出す気も無いのに初期プロットの段階から用意されていたりいなかったり。
       二男三女だそうです。



[14626] 35-3:くち約束・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/25 21:50


 ・Scene 35-3・


 
 「馬鹿ですか貴方は」

 ハヴォニワ王家城館。その中庭で。
 月明かりを即席の舞台に、春風の囀りにリズムを合わせ。
 望まれるがままに一曲を踊り終えたマリアが、渋るアマギリから事情を全て吐かせた上で言った言葉がそれだった。
 「何となーくそんな風に言われると思ったんだけど、実際言われてみると、きっついなぁ」
 「言われると解っているんならこんな馬鹿な行動取らないで下さい」
 吐息すら感じられるほどの至近距離。両者身を寄せ合ったままに、何処か上滑りな言葉を紡ぎ返す。
 風に乗って鼻腔をくすぐる甘い香りは、咲き誇る花壇からのものか、それとも。

 「何を空気に浸って自分を誤魔化してるんですか」

 「いやさ、今更だけどもうちょっと方法を考えておくべきだったなぁと、流石の僕も反省しない訳には行かないし。―――今頃ダグマイア君が泣いているような気がして」
 「どちらかと言えば、まず謝るべきはリチア様に対してだと思いますが」
 「なんで? ―――痛っ!? 何で踏むのさ!?」
 素で首を傾げる兄の姿に、改めて駄目だこの男とマリアは思った。一番駄目なのは、それでも身を寄せたままの自分なのかもしれないと思わないでもなかったが。
 半眼で睨みつける妹の視線をどう解釈したのだろうか、兄は浮かせていた手をマリアの後ろ頭に寄せて、髪を梳いてきた。
 「―――いい加減、そろそろもう宜しいのではないですか?」
 「やだ」
 「やだって、貴方幾つですか」
 「だってさ、これ以上ないくらい確実に後でからかわれる種を振りまいちゃったんだから、今のうちに元を取っておかないと損じゃないか」
 妙に子供らしい口調で、兄はそんな風に言った。腰に寄せていた手に、少し力が入ったのにマリアは気付いた。
 その力に逆らう事無く、マリアは体の力を抜き兄の胸元に頬を寄せた。開いた口から洩れたと息は、妙に湿ったものだった。
 
 「身を寄せる、髪を撫でる―――手を繋ぐ。いえ、指に触れる。たかがそれだけのために学院どころか国家間の謀略まで利用するのは、後にも先にも貴方くらいでしょうね」
 常識として呆れるべきなのか、それとも女として光栄だと思うべきか、実に悩みどころだった。
 これが恋に溺れて胸を焦がしての行動であったなら、圧倒的に後者の想いが勝つだろう。
 だがこの兄は、あろう事か自分のせいで妹が気分を害している、程度の事でこの行動に走ったのだ。
 呆れるべきだ。―――それが出来ない自分に、呆れていた。
 この兄が、果たして自分にそれだけの事をすると言う価値を認めてくれているという事実が、結局のところ、歓喜を覚えてしまった事が否定できないのだから。
 誰に対しての嘆息だったのか、それに合わせてマリアは言葉を継げた。
 「正直な話、以外だったんです。貴方が、その―――」
 「過去への切符が目の前に落ちてきたのに、拾おうとしなかった事?」

 その通り。

 あの異世界人。一目見た時から気付いていた。
 アレは、兄と同じ空気を纏っている。深く、静かに佇む大樹の気配。
 マリアでさえ気付いていたのだから、兄も当然解っていた事だろう。態度がそれを示していた。
 そしてマリアは、この兄が自身の過去を酷く大切にしている事を知っていた。
 過去に見たもの、聞いた話、出会った人々。覚えていないと嘯くそれら全てを、兄は思い出したように語る時があるが、その時は普段無いような誇らしげな顔をしていた。

 ―――その顔が、好きなのだと気付いたのは、最近だ。

 心底から嬉しそうな顔をしている兄と言うのは、そう言う時しかないのだと解ったからだ。
 普段もたまには嬉しそうにしている時も―――当たり前だが―――あるが、それらは全て、何処か表面的なものを積み重ねて”作っている”ような雰囲気がある。
 喜ぶべきだから喜び、楽しむべきだから楽しむ。そんな風に一度考えて整理してから行動している、とでも言うべきか。
 湧き上がってくるような衝動的な歓喜の念と言うものを見せる事は、この兄は滅多に無いのだ。
 その滅多に無い機会と言うのが、ほぼ全て過去への回想で占められる。
 
 ―――なのに。

 それを目の前にして足踏みしている兄を見て―――本来、歓喜に震えている筈だったのに。
 あろう事か、時が来れば終わるはずの関係に未練をみせていたのだ。
 そうさせてしまったのが間違いなく自分―――自分達―――で、それを申し訳ないと思い、それ故に、マリアは此処暫く兄とまともに顔を合わせることが出来なかった。
 他人の歓喜を邪魔しておいて、自身はそれに少しの喜びを感じてしまった事実など、マリアはそんな風に思ってしまった自身を許せなかった。
 
 ―――その結果が、これか。

 絵に描いたような月明かりの元、兄にその身を委ねている。
 どうやらこの事態を嗾けたのは母の讒言だったらしい。
 だが、あの母ですら兄が此処まで酷い事をやってしまうとは予想しなかっただろう。
 いや、普通―――普通じゃなくても、機嫌を損ねた妹の手を取るためだけにこんな事をするやつは居ない。
 
 「過去の事が大切なのは、きっと何時までも変わらない」
 兄がポツリと言葉を漏らした。
 マリアは顔を上げようとして、抑えるように力を込められた髪を撫で付ける兄の掌に、それを止められた。
 「欲しい物があったから。知りたい事があったから。知りたいものは全部―――全部、樹雷にあった。だから、たとえどんな理由であろうと樹雷へ行く事が出来たのは幸運だと思っていたし、神木様のお屋敷での日々は辛かったし、とてもしんどかったけど、それ以上に幸福だったと思う。あの場所で触れられる全てのもののためならば、自分の命を削っても構わないと思っている事だって、今も何も変わらない。帰りたい。帰るべきだ。帰ろうと―――……それを」
 吐かれた息が髪をくすぐるのをマリアは感じた。何も言わず、兄の背に回した手に力を込めた。
 兄が髪を梳く手が、より一層優しい手付きになる。
 
 「”いつか”帰れれば”いいや”、何てそんな風に考えるようになってしまった僕は―――」

 弱くなったのか。
 その一つのためだというのなら、検体として自らの体を差し出すことすら厭わなかったというのに。
 今、もう一度それをやれといわれた時は、きっと無理だと答えてしまうだろう。

 成長したのか。
 初めて出来た自分より幼い家族。
 まがい物で、暇つぶしの課程で出来た―――それに未練を感じる程度には。
 一つの事しか見る事が出来なかった過去に比べれば、こうである方が人としては正しいだろう。
 その代わり、体が重く感じるようになった。煩わしいほどに。重くて、何かをなそうとする度に―――。

 あの、泣きそうな顔が目に焼きついて離れない。

 見ていないと、あの時は言われた。
 だから見るようにした。二年間。
 狭い視野の中で何とか視界に収めようと思えば、それこそ真ん中に置くしか無いのだから、二年間も見続けていれば、嫌でも未練が沸くだろう。
 色々な表情を覚えて―――それで結局、あの泣き顔だけが、どうしても好きになれなかった。

 「なぁ、僕にどうして欲しい? 誰かに望まれた何かになるのは、得意なんだ。処世術として、幾らでも身に着ける機会があったから」
 場の雰囲気の中で選ぶ言葉としては最低の、冗談のようなその言葉が、何処か縋るような響きを持っている事にマリアは気付いた。
 で、あるならば答える言葉は一つしかない。

 ―――貴方の、思うままに。

 それが、喉の奥から出てこない。
 だって思うままに、また何処か遠くを見続けて、日々を漫然と過すだけの人に戻っていくのを見るのは、耐えられそうに無いから。
 じゃあ、言うのか?

 此処に、私の前に、兄として。

 ―――それで、その先は?
 その先の全てを共に居る存在で在れると言いきれるほどには、マリアはまだ大人ではなかった。
 即断、即決。直感だけを信じて行動していた母を、今ほど尊敬した事は無い。

 「じゃあ、何時もどおりに―――」
 「―――嫌な事は、後回しか」
 「仕方の無い人ですこと」
 「君がそうしろって言ったんじゃないか」

 子供たちは、膨大にある選択肢のどれも選ぶ事が出来なかった。
 それ故に、稚気めいた気分で、言葉を合わせていた。
 「僕は今日の目的は全て果たした。たまにはこういう時間―――いや、こうならないようにするための時間が必要だって事も解った」
 「私は貴方の情けなさ以上に自分の情けなさが身に沁みました。言いたいことの一つも言えない弱さ。その挙句がこんな―――ですけど、すいません。一つだけ、良いですか? きっと貴方を更に惑わせると解っているのですが」
 服越しに心音すらも聞こえそうなほどに顔を強く胸に押し付けながら、マリアはそんな懇願をしていた。
 「良いさ。自分で望んで惑っているような部分があるのも確かだから。―――遅めの反抗期とでも言うのかな。実際、帰りたいのは事実だけど、此処へ着てからは距離を置きたい気分も覚え始めているんだ」
 「そういう時は、只一言”良い”といってくれれば良いです。その内側くらい、勝手に自分で判断します」
 「それだと雰囲気作りすぎかなぁって思って」
 「こう言う時こそ、その無駄に空気を読むスキルを最大限に発揮してください―――」
 ぎゅっと、甘えるように背に回した手をきつく握るマリアに、兄はごめんと微笑と共に呟いた。
 マリアは、少しの緊張を抑えるように一つだけ深く息を吸った後で、言った。

 「嬉しい、ですし―――幸せだと思います。今、此処でこうしている事が」

 「何だか、兄妹の間でと言うよりは、深い仲の男女の間で交わされる類の言葉じゃないかな、これは」
 惑った、日和った、逃げた―――そんな雰囲気を肌で伝えてくる兄に、マリアは少しだけ、怒った。
 此処で呆れてしまえば、後は何時もの空気。最近の上滑りしたものとは違う、今までの。

 だけど。そんなのばかりだから。

 「深い仲の、男女ですか」
 「はい?」
 
 私が、こんな風に思いつめたんじゃないか。

 「そう言うのは、これくらいの事をした時に初めて出来る例え何じゃないですか?」
 「それは、何―――っ」

 ふっと背に回した腕の力を緩め、身を離す様に体を捻る。
 突然の妹の行動に、戸惑う兄の顔と正面から向き合えるだけの隙間を作り出す。
 頭一つ以上高い位置にあるそれに、踵を伸ばし、それでも届かず―――自由になった両の手を首にかけて引き寄せる。
 
 ―――さぁ、どうする?

 選択権は断然こちらにある。悪戯で済ませる事だって。それとも、勿論。

 決まっている。

 刹那の間際に日和見な態度で誤魔化そうとする自分を叱咤して、マリアは瞳を閉じる間も与えず―――自らがそうする暇もなく―――兄と自らの、唇を触れ合わせた。

 微かなアルコールの香り。舞踏会の会場で飲んでいたのかもしれない。
 その瞬間にマリアが理解できたものはそれが全てだった。
 目を丸く見開いた兄の顔すら、近すぎて視界に収まる筈も無いから。
 それと当然、勢いで行動しすぎた自分に混乱しているという理由が過半を占める。
 
 触れ合ったのが一瞬ならば、離れるのも一瞬だ。
 首に回された腕の力が抜けて、蹈鞴を踏んで数歩下がる兄。
 嫌がっている様子も無いし、拒絶もされなかった。拒絶されていたら多分本気で泣いただろうし。
 その事がおかしくて、その事が嬉しくて、マリアはステップを踏むように弾むような足取りでターンを決めて、少し離れた位置で兄と向かい合った。
 兄の全身が視界に収まる位置。
 朴訥な、これと言って特徴の無い顔立ち。
 でも、中身は色々複雑だし、肌の触れ合う暖かさだって、私は知っているのだ。私だけは、少なくとも。

 「母ほど器用に生きられませんし、貴方のように機を待つ忍耐強さも私はありませんから。これからはもう少しだけ、もう少しだけ鈍感なフリをして、貴方を困らせるようにします」

 ―――貴方の望みどおりに。
 
 言外に付け加えられた言葉は、果たしてちゃんと兄に届いたらしい。
 「昔の事に思いを馳せる暇すら与えないように、か―――うん。そうしてくれると嬉しいよ。僕はもう、君のお陰で一人で上手く生きていくやり方も忘れちゃったみたいだから。だってもう、二年半―――思えば、長いよね」
 そんな風に困ったように笑う。マリアも、笑っていた。
 「何時かの時が来ても、きっと困らせますよ?」
 「良いよ、そうしてくれないと逆に、嫌だな」
 答えて一歩、兄が踏み出す。
 
 じゃあ、そのときを楽しみに。
 
 差し出された手を受け取って、終曲までのその刹那。

 「それまで暫しの、お付き合いを―――」


 ・Scene 35:End・





   
     ※ 『完』とか言いそうなノリだけどまぁ、何時もの如くまだ続きます。
       次回から第五部くらいになるのかなぁ。原作編始まってからかなり曖昧ですが。

       因みに次回は反省会。



[14626] 36-1:曇りのち晴れ、ところにより雨・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/26 21:08


 ・Scene36-1・


 『マリアちゃんとちゅうしたんですってね』

 通信モニターの映像がクリアになった瞬間、フローラ・ナナダンから放たれた第一声がそれだった。
 「誰から聞いたんだよ!!」
 作り笑顔も優雅な態度も全部投げ飛ばして、アマギリは前のめりに叫んでいた。
 そんな息子の焦る態度を意にも介せず、フローラは頬に手を当ててたおやかな声で続けた。
 『でも、ちゅうって言うと、キスって言うよりえっちぃ感じがするのは何でかしらねぇ』
 「知るか! つーか本当に誰に聞いたんだ! 姉さんか!? 家令長か!?」
 何せアマギリにとっては昨日の今日の話題である。フローラの耳が非常に早い事は理解していたが、明けて翌日昼日中のこの時間に、既に事情を知りえているのはどうなんだろうと思わざるをえない。
 『ね、美味しかった? レモンの味でもした?』
 「あくまでこっちの質問には答えずにネタを振り続ける気な訳だな……」
 『だって悔しいじゃない。娘に先を越されるなんて、しかも何か乙女な顔をしてたし』
 扇子を広げて口元を隠して、笑みの形に見える目元だけを見せて語るフローラの言葉に、アマギリは脱力を覚えた。
 「―――自己申告したのか、あの子は」
 『先を越されちゃったわねぇ、お兄ちゃん?』
 「何のことやら解りかねますね」
 事こういう流れにいたっては、自分もその辺りを在る程度話すつもりで通信したなどとは口が裂けても言えなかった。
 一つ大きな息を吐いた後で、気分を切り替えるように無理やり平時の態度を作る。
 「で、母上的にはこういう展開はアリなんですか?」
 『恋愛は自由よ? 結婚は義務だけど』
 「本音と建前に気をつけろって処ですか。子供の浮気を公然と認める辺り、割り切ってますね」
 『じゃなきゃ王族なんてやってられませんもの。―――ところで、聞きたい答えはそう言う物じゃないでしょう? 聞いても良いわよ? 私が貴方とマリアちゃんのちゅうに関してどう考えているかって』
 ニコリと―――少なくとも目元だけは変わらず笑みのままで告げるフローラを前に、アマギリは返す言葉を見つけられなかった。
 と言うか、例えアマギリでなくとも、こんな前フリをされてのこのこ言葉を返せる男は居ないだろうが。
 
 「―――まぁ、それはさて置き」
 『このヘタレ』
 「何とでも―――いえ、スイマセン勘弁してください」
 これ以上何か言われたら耐えられそうになかった。精神的重圧な意味で。
 『別にそこまで怯えなくても良いじゃない。だいたい、こういう話題で女を不機嫌にさせる事が出来るなんて、名誉な事よ?』
 「名誉に付随する義務が怖いんですよ……」
 扇子を閉じて、口元にも笑みを浮かべて言うフローラに、アマギリはガクリと項垂れながら応じた。
 やっぱり不機嫌になっているわけだなと、―――”やっぱり”なんて、偉そうな考え方が出来る自分が、一番怖かったりもする。
 『それを難なく乗り越えてこそ男の甲斐性ってヤツよ。人をその気にさせておいて、今更甘ったれた事言ってるんじゃないの』
 人と言うのが誰を指すのか、聞いたほうが良いのだろうか。聞いて答えが帰って来たときにどうすれば良いのかは解らないが。
 これ以上藪を突付き続けるのは良く無さそうだとアマギリは判断して、手っ取り早く蛇を呼び出すことに決めた。
 「とりあえず、結論だけ先にお願いします……」
 『ほんっと、ヘタレね貴方。―――良い? 貴方とマリアちゃんの事は貴方とマリアちゃんの問題。私と貴方の事は私と貴方の問題。―――以上。お分かり?』
 「いえ、さっぱり」
 と言うよりも、解りたくありませんと答えたかったと、既に答えた後でアマギリは思っていた。
 ようするに何ていうか泥沼に踏み込んだと言うか気付いたら溺れていたと言うか。
 『ただ、貴方とマリアちゃんの組み合わせって、想像するに深みに嵌ってドロドロに溶けていく感じしか思い浮かばないから、その辺りの事は少し留意しておきなさいな。―――周りに居る他の子たちも若い子ばっかりなんだから、行き過ぎは目に毒よ』
 「……とりあえず、親とこういう話題を語り合うのが拙いという事だけは良く理解できました」
 『じゃあ、オトコとオンナとして語り合ってみる?』
 「盗聴された時が怖そうなのでやめておきます」
 此処数週の自分を思い返してみれば、最早今更な気もするが。
 こう言う時に限って否定の言葉が言えない自分が辛いなとアマギリは思っていた。
 理由はようするに、本気で言っていると思われるといやだからと言う、その意味を自分で理解してみると益々頭が痛くなるのである。
 二年以上前の万事どうとでもなれば良い、と思えていた頃に戻れれば楽なのだろうが―――今やそれも拒否したい気分だったから、酷く面倒くさい。

 ―――人間関係と言うものは、面倒くさい。

 今まで徹底的に表層的なやり取りで済ませてきてばかりだったから、そのツケが一気に回ってきたという事なのだろうか。アマギリはかつての―――覚えていない頃も含めた自分を、罵ってやりたい気分だった。
 誰かの事を考えながら生きる事がこれほど大変な事だったなどと、今まで気付きもしなかったのだから。

 「とりあえず、今後はより一層精進しますので今日は勘弁願えませんかね」
 『そういう珍しく前向きな言葉を聞かせてもらえたんだから、まぁ、良いでしょう。―――次に帰って来たときは、少しは楽しませてくれるのを期待しているわ』
 「知人にマッサージでも習っておきますよ」
 最後は投げやりに言葉を返して、アマギリはもう一度気分を入れ替えた。

 「もう聞いてると思いますけど」
 『機工人ね』
 「ええ。図面が盗まれました」
 それまでの緩急に富んだ会話は何処へ行ったのか、それは淡々と、規定の事実を確認するかのように始まった。
 「まぁ、私用のついでに釣り針垂らしたら本当に釣り上げられちゃった、程度のことですから、わざわざ報告する必要も無かったですかね」
 私用、と言う部分で軽く目線を逸らしながら、アマギリは早口で言った。フローラも淑女のたしなみでそれを咎める事はしなかった。脳内手帳にメモする事は忘れなかったが。
 『釣れた魚も外道だものねぇ。本命には動きなし―――と言うか、本命に報告した気配も無し』
 「ありゃ、って事はスワン襲撃の件と合わせて、これも先走りですか。もう一度失敗したら切り捨てられるんじゃないですか、それだと」
 『どうかしらね、機工人の図面は、あったらあったで有効でしょうし、今回はお咎め無しじゃないかしら』 
 「でも、倅君が持ってったのって、機体の図面だけで動力部は空ですよ? 結局それで、動力に当たりがつかなくて結界炉を使う事になったりしたら、意味無いと思うんですけど」
 
 機工人。
 ワウアンリー・シュメが開発している人が搭乗可能な機動兵器の最大の特徴は、その動力にある。
 このジェミナーでは大変珍しい、エナを使用した亜法結界炉を用いずに、蒸気動力によって稼動するのだ。
 つまり、エナに頼らないで済むが故に、エナの喫水線から上がったところでも使用可能なのである。
 その利点は考える必要も無いほど明らかで、今までは不可能だった、喫水外に立てられた城砦などの拠点への大規模な攻撃すら可能となるのだ。
 だがそれも、蒸気動力が搭載されて居ればこそ。
 それがなければ、ちょっと小回りが効くだけのただの結界炉搭載の作業機械と何も変わらない。

 『どうなのかしらね。あちらのお宅は昔から聖機工だったのだから、案外私たちの知らない結界炉を用いない動力にアテがあるのかもしれないわよ』
 フローラの推測に、アマギリは首を捻った。
 「もしそうだとしたら、それこそ機工人の図面なんて盗む必要も無さそうですけど―――まぁ、だからこそ倅君が一人で先走っているとも取れるんですが」
 『倅君、貴方にかまって欲しかったんじゃないの? 元気に学院内で政治活動してるらしいじゃない』
 「詳しいですねぇ。僕も、最近拾った蝙蝠に忠告されましたけど。―――と言っても、割とどうでも良い存在ですしね、彼。アイツが何しようが、ぶっちゃけ大勢には何の影響も無いじゃないですか。―――むしろ、派手に何かやらかしてくれた方が、公然と始末する口実にもなって楽ですし」
 本人が聞いたら歯軋りするであろう事を平然と口にするアマギリに、フローラも同様の思いで頷いていた。
 『本命経由で、聖地入りした人間が増えてることは当然知ってるわね?』
 「ええ。あからさまにやってますしね。やっぱ中に身内が居ると得なんでしょうね」
 やっぱりスワンで斬っておきたかったと呟く息子に、フローラは微苦笑を浮かべた。 
 『やっぱり、”弟さん”の動きが一番気になるかしら?』
 「―――そうですね、ああ言う何処にでも足場を作ってる人間が一番対応に困ります。っていうか、ウチとも繋がってるんですよね一応」
 『ええ、私の後輩でもあるし、少しだけ、ね。昔から本音を悟らせないのだけは上手い子だったわねぇ、そういえば。それは今も変わらないわ。たまに話す事あるけど、今でも何を考えてるのかさっぱり判らないもの』
 「本命だけ片付けたと思ったら、横から全部掻っ攫われたなんてなったら、怖いですしねぇ。早めに排除出来ればよかったんですけど」
 『排除はもう諦めなさい。時季を逸したわ。ここで弟君と言う駒を取り除くと、もうどんな流れになるのか想像もつかないもの』
 一度身の危険を感じた事もあるし、何より生理的に受け付けない類の人間だったので、アマギリとしては可能ならば今からでも始末してしまいたかったのだが、止められたのなら”今は”我慢するしかない。
 そんな気分が顔に出ていたのだろうか、フローラは苦笑して言った。
 『困難は人生を楽しくするためのスパイスよ。予め避けるように手を打つよりも、受けてたって乗り越える術を見につけなさいな』
 「楽しさよりも楽な生き方が好きなんですけどね、僕は」
 『その挙句が、昨日のちゅうでしょうが』
 「―――此処でそれをぶり返しますか……」
 上手いこと言って避けたつもりだったが、いとも容易く撃墜された。 
 アマギリは降参とばかりに手をひらひらと振るっておどけた様に言った。

 「今後はより一層精進します」

 『宜しい♪』

 モニターの向こうで、花が一つ綻んだ。
 それは昨晩の月明かりの元で見たものと、酷く似ていたとか―――。





     
     ※ まぁ、素面に返ると超恥ずかしいぜってヤツですよね。甘んじて辱められれば良いと思います。

       後は、舞台裏で彼が頑張ってますけど……どうでも良いかー。



[14626] 36-2:曇りのち晴れ、ところにより雨・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/27 23:28


 ・Scene 36-2・



 「あれ、ラピスさん、そんなトコでどうしたの?」

 その日の放課後、何時ものように生徒会長執務室に入室しようと思っていたアマギリは、その扉の前の長椅子に腰掛けている一人の少女の姿を見かけた。
 生徒会長リチア・ポ・チーナの侍従の少女、ラピスである。
 ラピスはアマギリの姿に気が付くと、姿勢正しく起立してから、深々と頭を下げてきた。
 「申し訳ありませんアマギリ様。今、中で少し……」
 「そういえば何か、人を呼ぶとか言ってたような……」
 ラピスの言葉にアマギリは思い出したとばかりに呟いた。だから来るな、とか言われていた気がするが、むしろリチアがそういっている場合は逆に顔を出すべきであると言うのが彼の中での常識だった。
 「あの人放っておくと一人で仕事しちゃうからねぇ。今度はどんな面倒ごと?」
 アマギリの言は解ってしまうものだったので、彼女は首を横に振りつつも微苦笑を浮かべてしまった。
 「いえ、今日は本当に―――」
 お客様が、そう続けようとした所で、立ち話をする彼らの前で、執務室に続く扉が開いた。
 
 「それじゃあ、失礼します」

 扉を開ける動作と踵を返す動作を同時に行い、深々と室内に向かって頭を下げていたのはアマギリにも見覚えのある少年の姿だった。
 「剣士殿?」
 「はい? ……あれ、アマギリ様? こんにちわ」
 呼びかけに答え振り向いた、聖地学院の制服姿の少年は、柾木剣士だった。
 「こんにちわ。そういえば、授業受け始めたんだっけね」
 制服姿と言うところでアマギリはその事実に気付いた。
 「入学おめでとうって言うべきかな。ご愁傷様って言ったほうが良い?」
 「あはは、ありがとう御座いますってだけお返しします」
 誰に向けられたのか、アマギリの茶化すような物言いは、無難に返された。

 柾木剣士は”特例”としてただの従者の身でありながら、その働きを考慮されて聖地学院への編入が認められたのだ。
 これは、これまでに例を見ない極めて特別な事態である。特に、誰からも物言いがつかなかったと言う事実が尤も異質な事態だ。
 王侯貴族の子弟が集う歴史と伝統に封ぜられた場所に、ただの使用人が生徒として通う。
 反対意見が出ないの方がおかしい話である。
 実際アマギリは、その辺りの流れに不審な物以外を覚えなかったので、母に連絡し学院側に圧力をかけてもらっていたのだ。聖地を囲む三国の一角であるハヴォニワの君主からの物言いともあれば、聖地としても無視できないはずだったからだ。
 だが、剣士は事前に受けた編入試験の成績の良さもあってか、あっさりと編入が確定してしまった。
 まるで、予め既定された事実をなぞるだけのように、反対意見は”無かった”事にされて。

 ―――その事実を通信越しに伝えてきた母は、酷く不機嫌だった事をアマギリは覚えている。
 具体的に言うと、そろそろ機嫌を取りに実家に顔出し他方が良いんじゃないかと言うくらいの不機嫌さだった。

 因みに、アマギリの見た横流しされてきた編入試験の成績は、本当に極めて高い水準を示していた。
 ただし、あまりにもジェミナーの地理、歴史に関する点数ばかりが劣っていて、剣士の現実を知る人間としてはどうかと思う部分もあった。
 自身が異世界人であることを真面目に隠す気が有るとは思えない知識の偏り方だったからだ。
 幾らなんでも、脇が甘すぎる。
 尤も、剣士の事はラシャラの判断を優先させるとアマギリは決めていたから、彼女が何も言わない以上は裏で動く以外のことはするつもりはなかったが。 

 そんなマギリの内心を、剣士は知る由もなく、何時ものように朗らかに、思い出したように言った。
 「あ、マリア様には同じクラスで凄いお世話になってます」
 「―――ああ。まぁ、何ていうか……いや、うん。迷惑な事があったら言ってくれれば良いよ」
 「迷惑なんて、そんな……」
 「いやいや、今は良くても、そのうち絶対大変だろうから」
 恐らく、ラシャラの従者で且マリアと同級生と言う段階で、今後色々と避けえないトラブルと言うものが訪れるだろう。
 それらに関しては、いかな兄と言えどもアマギリには止める術は無かった。

 何せ、色々とすったもんだがあった挙句、良く出来た妹は手間の掛かる妹にクラスチェンジを果たしていたから。
 「あの子、今無敵モードに入っちゃってるっぽいからねぇ」
 しみじみと言うアマギリに、剣士は冷や汗を流した。
 「どっちかと言えばアマギリ様が惚気モードに入ってるって、マリア様が言ってましたけど……嬉しそうに」
 つまりは、周りにとっては迷惑な兄妹である。
 もう少し周りのことも見てくれないかなと横で聞いていたラピスは思っていた。
 家族に対しては優しく―――優しく”したい”という部分を見せられるようになったのだが、それ以外に対しては未だ一つ、と言うのが今のアマギリである。
 ラピスが横でため息を吐いているのにも気付いていなかったりする。

 「でも、本当に大丈夫ですよ。俺、女の人が”凄い”のはウチの姉ちゃんたちのお陰で良く知ってますから」
 言葉の最後だけ微妙に頬を引き攣らせながら剣士は言った。
 正直者は美徳だろうかとアマギリは思った。迷惑がかかる事は既に彼も承知していると解ったからだ。
 何事も、避け様も無い現実と言うものは確りと存在しているものだ。故郷の人間関係など良い例だろう。
 「普通、迷惑かけるのは柾木か神木で、竜木と天木がそれを被る側なんだけどなぁ。まぁ、僕も今は天木って訳じゃないから良いのか?」
 「はい?」
 首を傾げる剣士に、アマギリは浮かび上がった思考を一端”忘却”させて、苦笑した。
 迂闊な事を言うと本当に酷い目に合うとアマギリは理解していたからだ。正直が時に美徳とは言えない良い例だった。
 「ああ、いや、何でもない。ま、困った事があったなら同郷の誼で頼ってくれれば良いけど―――ところで、今日はどうしたの? ウチの生徒会長に何か仕事を押し付けられたとか?」
 「いえ、そんなことは無いですけど……」
 「いやいや、無理してあのSの人を庇わなくても良いよ? 大丈夫、怖いなら僕が断っておいて……」
 因みに、剣士はドアを締め切る前にアマギリたちの存在に気付いていたから、当然ドアは半開きのままで、廊下からも室内の様子は見えている。
 当然だが中に居る人間に会話が伝わっていた事も気付いていたから、これは剣士を通して誰か別の人をからかっているのと同じだった。
 
 「アンタは何? 人の部屋の前で誹謗中傷を撒き散らす趣味でもあるわけ?」

 「おやおや生徒会長閣下。盗み聞きとは感心しませんね」
 くるりとその場で綺麗にターンを決めて、アマギリは話しかけてきた人物と向かい合った。
 部屋の主であるリチア・ポ・チーナである。ドアの向こうから差し込む光のお陰で逆光となっていた。
 ―――当然だが、ドアの前に居る剣士の前にアマギリは居たのだから、ドアの奥から話しかけてきた人物と会話をするために回転する必要は全く無い。一回転する間に横に引いていた剣士の直観力だけを褒める場面だろう。
 リチアはニヤリと笑いながら額に青筋を浮かべると言う器用な事をやってアマギリと向かい合った。
 「つまり喧嘩売ってるわけね。受身に立って叩き潰すのが心情だったくせに、自分から安売りして歩くなんて、随分安い男になったじゃない」
 「ははは、只の挨拶にそんな過剰に反応してらっしゃる会長閣下こそ、カルシウムが不足してるんじゃないですか?」
 「色ぼけて昨日の会議の内容すら忘却しているシスコンには絶対に言われたくない言葉ねぇ」

 唖然とする年少組みを放って、アマギリとリチアは何時ものノリで会話を進めていた。
 「……ねぇ、ラピス。この人たちって……」
 高速で回転する二人の会話においていかれた剣士は、隣に居るラピスに小声で尋ねた。ラピスは諦めたように首を横に振っていた。
 「何時も何時も何時もアウラ様がいらっしゃる時も基本的に何時もこんな感じですけど……仲、宜しいんですよ?」
 「仲が良いのは見れば解るけど……なんかリチア様だけ、少し怒ってたりしない?」
 実際アマギリの顔は何処かのマッドサイエンティストを思わせる”好きな子ほど苛めたい”な苛めっ子の顔だったし、対するリチアも、眉根を寄せて居るが本気で嫌がっているわけでもない。
 ―――が、何処かリチアの方は、口調に棘が多い感じがすることに剣士は気付いた。
 そんな剣士の感想に、ラピスは目を丸くした。
 「さすが、剣士さんですね」
 常に傍に居るラピスは、リチアがこのところ大分不機嫌な事に気付いていた。しかし、傍に居るからこそ気付けたという面もあったから、少しの会話からそれを読み取る事の出来た剣士に彼女は感心していた。
 「と言うことは、本当に機嫌が悪いんだ……」
 「はい、その事に気付いたのって、アウラ様以外では剣士さんが初めてですよ。アマギリ様は……」
 「鈍感そうだもんね、アマギリ様」
 あははと笑って告げる剣士に、ラピスは立場を弁えずに”貴方が言えることですか”と言いたい衝動に駆られた。善意だけで人として完成しているような剣士は、自身の行動が相手にどう思われているのか理解していない節が見受けられるから。―――当然、ラピスの淡い想いに気付いているなんて事はありえないだろう。

 尤も、アマギリが鈍感なのは、それはそれで事実であろうが。ここ二年ほど、生徒会長執務室での彼女等の日常をお世話していたラピスだからこそ言い切れる現実だった。
 ある程度の鈍感さは、人生を楽しく生きるために必要な素養だと、昔何かの本で読んだ事があったが、果たして本人はそれで楽しいだろうが、周りで見ている人の気持ちも少しは考えてもらいたいものである。
 
 「アマギリ様、マリア様とは仲直りできたのに、今度はリチア様と喧嘩してるのかなぁ」
 「いえ、どっちかと言うとそれが問題と言いますか……」
 首を捻りながら言う剣士に、ラピスは引き攣った笑みを返す事しか出来なかった。

 なにせ、アマギリもリチアも、”素直”と言う言葉を何処かに置き忘れてきてしまったような人である。
 だからこそ、似たもの同士で遠慮も容赦の欠片も無い会話が出来る気軽な関係を気付いていた訳で―――恐らく、姉役だったユキネ・メアを除けば、去年までの聖地学院で、アマギリと一番親しかった人間はリチアになるだろう。
 そして、リチアにとっても、アマギリは性別も立場も気にせずに好き勝手に自分を見せる事が出来る数少ない相手だったから―――ラピスとしては、主の手前これ以上思考を進めることは躊躇われた。
 まさか、リチア・ポ・チーナが、新たに今年から現れた彼の妹姫に嫉妬しているなどとは。考えるに不遜な、しかしそれが事実だとしか、ラピスには思えなかった。
 そして存外、アマギリ・ナナダンと言う人間が”家族”と言うものを大切にする人間だと、新学期が始まってから初めて気付いた事実も存在し―――然るに、目の前で仲睦まじい部分や、そうなるために必死になる姿を見せられれば、リチアが何処か置き去りにされた気分を覚えて不機嫌になるのも必定と言えよう。
 そして何よりも問題なのは、リチア本人ですら、自身が不機嫌だと言う事実に気付いていないのだ。

 「ラピス?」

 ふと、物思いから戻ると、剣士が不思議そうに自身を見つめている事に気付いた。
 薄く微笑んで、首を振る。
 「いえ―――お二人ともああなると長いですから、剣士さん、宜しければ場所を変えませんか?」
 仲良く言い争う主と―――恐らくはきっと、その想い人をチラリと見ながら、ラピスは言った。
 剣士も二人の様子を確認した後、悪戯っ子のような楽しそうな笑みを作って頷いた。
 「解った、二人にばれないように、こっそりとだね」
 何はともあれ、今の主たちの間は、ラピスが積極的に介入するような場面ではない。
 それに、今のラピスのおかれた状況からしてみれば、二人仲良く喧嘩している様は、何処か見せ付けられているような気分にもなるのだ。
 そっちがその気なら―――そんな、悪戯めいた気分を、ラピスは初めて覚えてしまった。
 出汁にしてしまって御免なさいと言う気分で、身をかがめて前を行く剣士に続いていたラピスは、一度だけ主たちのほうを振り返っていた。
 アマギリと目が合った。
 何故だか、目礼のようなものをされてしまった。健闘を祈るとか、そういう意味が込められているように見える。
 きっと、ラピスの気持ち”には”気付いているのだろう。
 周囲全ての人間関係を洞察しきるその能力は尊敬できるものではあるが、ラピス個人としては、頼むから自分の人間関係についても少しは考えていて欲しいと思う。
 でないと不幸だろう、今も尚アマギリの目の前で頬を膨らませている女性が。
 その事実に嘆息して、やっぱり何か考えた方が良いのだろうかと思いながらも、何はともあれ、今はお許しが出た幸運を感謝しようとラピスは思い直した。
 何しろ前を行く少年こそがラピスの想い人であるのだから、話の流れでこの後も少しの間は傍に居られると言うのは僥倖と言うほかない。
 
 だからラピスは、首を返してアマギリから見えない位置で、こっそりと舌を出して目元を指で押さえていた。






 
     ※ リチア様のターン開始、と言うことで。
 
       にしてもラピスも聖機師だったとか、最終回にして割りとびっくりだったような。しかもデザインが汎用じゃなかったし。
       わざわざデザインしたなら、もっと出番を……。
       まぁ、他の人たちも割りと大概出番無しでしたが。剣士君一人で充分だもんね、基本。



[14626] 36-3:曇りのち晴れ、ところにより雨・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/28 23:45


 ・Scene 36-3・




 「じゃあ、後は若い者に任せて、と……」
 「何訳の解らない事言ってんのよ」

 廊下の角からラピスと剣士の姿が見えなくなって数分と立たずに、良い笑顔で言い争っていた筈のアマギリとリチアの態度は、さばさばとした物に変わっていた。
 やれやれと疲れたように首を捻りながら、各々半開きになった扉を潜る。
 「いやぁ、ホラ。何か身内の見合いを仕込んだ心境だなぁって」
 「解らなくは無いけど、ちょっと年寄り臭いわよ、その意見」
 「人を年寄り呼ばわりする人こそ、年寄りの始まりって聞きますよ」
 「アンタ、やっぱ本気で喧嘩売ってるでしょう?」
 慣れた動きでソファ席に腰掛けるアマギリを、リチアは半眼で睨む。アマギリは肩を竦めて避けた。
 「まぁ、ホラ。ラピスさんには何時もお世話になってますし、少しは恩返しって事で」
 「アンタがそういう気遣いが出来る人間だなんて知らなかったわよ。あんなわざとらしく喧嘩売ってきて、本気かと思ったじゃない」
 「気遣いって言うか、まぁ空気は読めるつもりですけど」
 呆れ顔でお茶の準備をするリチアに、アマギリは苦笑しながら言った。

 なんてことは無い。
 ようするに先ほどまでの廊下でのやり取りは、半分以上がブラフである。
 会話の初期段階からアイコンタクトでやり取りを初め、どうせだからと、ラピスへと気を回してやる事に決めていたのだった。
 常の事であるが、この生徒会長執務室でアマギリとリチアが派手にやりあいを始めると、ラピスはいつの間にか―――本人曰く気を利かせて―――席を外す事が多かったから、そこを上手く利用してみたと言うだけである。
 ラピスが剣士に熱の篭った視線を送っている事ぐらい、近くに居れば簡単に解るからだ。
 
 「どうかしら? アンタの場合、ただ子供に甘いだけじゃないの?」
 カップから立ち上る湯気を揺らす程度の息を吐きながら、リチアはつまらなそうに言った。
 「子供って、ラピスさん―――そういえば、幾つでしたっけ?」
 「十五よ」
 アマギリにカップを手渡して、リチアはその隣に腰を降ろした。
 「それ、微妙に子供って言ったら失礼な年齢じゃありません?」
 「失礼でしょうね。―――つまり、アンタは失礼な人ってこと」
 「言ってませんよ僕」
 子供のように不貞腐れた声で返すアマギリを、リチアは鼻で笑った。
 「でも、思ってるじゃない」

 アマギリは憮然としたまま黙ってカップの中身を啜った。そして咽そうになって、しかし顔に出さずに喉に流し込んだ。
 苦いと言うか渋かったが、言わないのが礼儀だろうなと思った。
 ―――たとえ、同様にして口元に運んだカップを睨みつけているリチアが横に居たとしても、だ。
 冷静に考えればお茶を用意するのはラピスの役目であり、普段そんな事をしないリチアがいきなり美味しいお茶を入れられる筈も無いのだから。
 何となく、視線を合わせていないというのに、リチアが恨めしそうな顔で見ている事にアマギリは気付いていたが、あえて気付いていない振りをした。
 「そんなつもりも無いと思うんですけど、ねぇ」
 何事も無かったかのように、先ほどの会話を再会する。
 何しろ事実として、最近自分でも自分らしさと言うものが理解しかねる部分が増えてきていたから、リチアの言葉を否定する気分にもなれない。微苦笑のまま続ける。 
 「まぁ、先輩がそう言うならそうなんでしょうね」
 「何よそれ、投げやりな態度で」
 「信頼してるって事にして置いてください。―――で、結局剣士殿には何のようだったんですか?」
 リチアの口調に不機嫌の色が見えてきたので、アマギリは話題を逸らす事にした。だが、横目で伺えたリチアの目線は、さらに細められているように見えた。
 「別にたいした事情じゃないわよ。生徒会の雑務役に任命しただけ」
 「雑務―――って、ああ。”弾除け”ってヤツですね」
 アマギリは簡単な言葉だけで概ねの事情を察していた。学院に通って今年で三年目。奇妙な風習にも、いい加減慣れていたのだ。
 「良いんですか? 勝手に決めちゃって。確か、役員会議で賛同取らないといけなかったんじゃ」
 「アンタが自分の起こした不始末の後片付けをしている間に、役員全員から許可取ったわよ」
 「不始末って……フツーに片づけしてただけなんですけどね」
 待っててくれても良かったのにと呟くアマギリを、リチアは冷笑で迎えた。
 「自分で企画した行事の最中に、勝手に帰宅なんかするんだから、不始末も良いトコでしょ? それとも何? アンタ、あの野生動物が弾除けだと不満?」
 舞踏会の日、確かにアマギリは途中退場してマリアを追いかけていたから、予定されていたスケジュールがズレ気味になって―――ついでに中庭で起こったいざこざの後始末などもしなければいけなかったので、後日待っていたのは提出期限の短い始末書の山だった。
 因みに、ダグマイア・メストはあくまで連名で企画を提出しただけで実行委員と言うわけではなかったから、始末書の一枚も書く事は無かった。
 そんな事実があったし、何よりあの日に起こった諸々の事は話題にされすぎると精神的ダメージが大きい事もあって、アマギリは無難に頬を引き攣らせつつ、話を逸らすしか出来なかった。
 「いえ、特に。―――実際、剣士殿なら適役でしょうしね。体力ありますし」
 「ついでに、ラシャラ・アースの従者だもの。生徒達も、一線を踏み越える度胸があるとは思えないわ」
 「最近の元気な女性徒の皆さんを見てると、それも怪しいですけどねー」
 今後起こるであろう剣士の苦労を偲んで、アマギリは内心で黙祷を捧げる事にした。

 弾除け。
 読んで字の如くである。本命の存在を守るために、その身を犠牲に差し出すことの隠喩でもあった。
 生徒会役員と言うの全聖地学院生徒の憧れの的であり、しかし彼らは憧れられる偶像に過ぎず、現実にこれといった仕事をする事は無かった。例外なのは趣味で雑務までこなしてしまう生徒会長くらいだろう。
 では、役員達が仕事をしないのならば楽員の規模に比例して確かに存在している生徒会の雑務を誰が担当するか―――それがつまり、生徒会の雑務役とリチアが説明したものである。
 生徒会役員はその手足となって作業を代行させる雑務役を学院生徒の中から複数名指名する事が出来るのだ。
 選ばれた生徒にとっては名誉な事と言える。
 憧れの生徒会役員達と共にする時間が増えるのだから、幸運ですらあった。
 ―――逆に言えば。
 選ばれなかった生徒達にとって、選ばれた一部の生徒達の存在は妬ましい物だろう。
 そして悲しいかな、この学院は聖機師と言う究極の肉体労働者を養成する学び舎であったりする訳で、思ったことを即肉体に反映してしまう多感な少女ばかりが在学していたりする訳だ。
 後は簡単な話。
 一部選ばれた幸運な者達が、選ばれなかった者達の恨みを買って、哀れ哀れな最後を―――遂げないための制度が、用意される運びとなった。
 本物の雑務役を原則非公開として、毎年あの手この手で替え玉を用意してそれを弾除けに使うのである。
 わざわざ高い賃金を支払ってその道のプロを偽装入学させる事までするのだから、やはりこの学院は何処か極端すぎるなとアマギリとしては思わずに居られない事だった。

 「今年は新役員多いですしねぇ。―――僕の時は、全然騒ぎも起きませんでしたけど」
 他ならぬ自分の妹や従妹が新役員として次回の生徒会から参加予定であるから、騒ぎが起こったら他人事では居られないのだろうなと苦笑しながら言うアマギリに、リチアは面倒そうに応じた。
 「”急募・雑務役募集”なんて回覧回したせいでしょうが」
 「いやホラ、指名されるのが名誉で妬ましいって言うんなら、逆に立候補にしちゃえば丸く収まるかなって思ったんですよ」
 因みに結果としては、募集に対して応募はゼロだった。
 「常識的に考えて、あんな風に募集したら、皆二の足踏むでしょうが」
 「二の足踏んだんだから、その後でこっちから指名しても誰も文句を言えないかなって魂胆だったんですけどね」
 「―――私も、雑務役に指名されて、辞退を申し出る現場って初めて見たわよ」
 「良いんですけどね、姉さんが手伝ってくれましたから……」
 結果は推して知るべしと言うヤツだった。当時のアマギリの立ち居地を考えれば、荒天高波の中で岩礁地帯を突き進むような船に自ら乗り込みたい生徒は居ないだろう。
 当時は笑って済ませられた問題だったが、今思い出すと微妙に凹む話題である。

 「―――まぁホラ、アンタの妹は人気あるみたいだし、ねぇ?」
 何が、ねぇ? なのやら自分でも理解に苦しみつつも、リチアは沈みかけた空気を打ち払うように言った。
 人を慰めるなど、リチアとしても殆ど無い経験だったが、アマギリは笑顔に戻ったようだ。
 「大丈夫ですよ。マリアの仕事はついでに僕が片付けますから」
 
 ―――カップの残り、ぶっかけてやろうか、この野郎。無駄に笑顔の男を前に、リチアはそんな風に思った。

 「どうかしましたか?」
 「どうもしないわよ、シスコン」
 やってられないという気分で、首を傾げるアマギリの言葉を切り捨てた。
 先に話題を出したのは自分に違いないが、それにしてもデリカシーの無い男だと、リチアは理不尽な気分になった。
 「シス……って、何か最近会う人会う人皆そんな風に言いますけど、そんなにおかしいですか?」
 おかしいかといわれて、そうだと即答するのも容易いが、即答したとしても嫌な顔をしないんだという事実に気付いたリチアは、何も言う気になれなかった。
 「アンタ最近笑う事増えたわよね……」
 それに比例して、自分は額に青筋を浮かべる事が増えているような気がするなと思いつつ、リチアは疲れた声で漏らした。
 「そうですか?」
 しかしアマギリはそんなリチアの内心を知るはずも無く、惚けたような顔で応じる。
 「そうよ。―――ま、昔から笑ってたといえば”哂って”たのは変わってないけど」
 あの他者を見下した超然とした笑みとは違う、歳相応―――と言うよりも更に幾分幼い笑みを見せる事が増えている。だからどうと言うことも無い。生きていれば性格と言うものは変わっていくものだろう。そんな風に思おうと思えば思えるはずなのに、リチアにとっては余り面白い事実でもなかった。
 「ははは、まぁ……色々、ありましたしね。気が抜けてるのかもしれません」

 例えばホラ、今だって。
 ―――前だったらきっと困った風だった筈なのに、今は照れたように笑う。
 そしてその笑顔は、自分に向けられたものではないのだと、リチアは気付いていた。
 
 「先輩?」
 「―――何でもないわよ。それより、話が終わったならもう帰ってくれない? 仕事が残ってるし」
 気分のうつろいには敏い―――しかし、気分がどう変化しているかには疎いアマギリの呼びかけに、リチアは面倒くさそうに手を振った。
 「うわ、何か初めてお茶入れてくれて妙に親切だなと思ったら、いきなりそれですか」
 「出涸らし渡された段階で、歓迎されて無いって気付きなさいよ」
 「出涸らしじゃあこんな濃くは……いえ、なんでもありません」
 入れたリチアが最初の一口以外喉を通せなかった渋いお茶を、アマギリはきっちりと全部飲み干していた。
 「それじゃ、今日はこれで―――ああ、この時期は忙しいですし仕方ないですけど、ちゃんと休んでくださいよ」
 「―――アンタがこの間の面倒な企画なんて差し込まなければ、もうちょっと暇だったのよ」
 「それ言われると、何も返せないなぁ。ま、貸りにしておきますので好きなときに取り立ててください。―――お茶、ご馳走様でした」
 最後まで棘の抜けなかったリチアの態度に微苦笑を浮かべて、アマギリは生徒会長執務室を後にした。

 一人、二人掛けのソファの上に取り残されたリチア。
 無意識の動作で、手が、それまで男が座っていた場所を撫でていた。
 「―――なにしてるのよ」
 自分の行為に呆れ、リチアは脱力したようにソファに体を横倒しにした。―――勿論、頭の位置は。
 
 不安定な視界。見慣れたはずの部屋が何時に無く広く感じる。
 会話に気疲れ―――嫌だったという意味ではなく純粋に―――したリチアを、何時もならねぎらってくれる筈のラピスの姿も、無い。
 ラピスは今頃、あの野生動物と楽しくやっているのだろうか。やっていれば良いとおもう。せっかく学生として聖地学院に入学したのだから、楽しんでもらいたい。
 そう思う気持ちが確かにあるのに―――それを思うと、今、自分が一人なのだと実感してしまい、空虚な気分に、落ち込んでいく。

 丁度テーブルの高さと水平の位置の視線で、横倒しになった視界に、置かれたカップが目に入った。
 無理やり飲み干したのだろう、カップの縁に残った水滴は、いやに大きなものだった。

 上手いとも不味いとも言わないで、茶を手ずから用意してくれた事実だけに感謝を述べるのが、アマギリなりの誠意だとリチアは理解していた。
 嘘はつかない男だ。ただ本当のことを、言わないだけ。

 けど、家族相手ならば、渋かったと笑いながら言ってくれるんでしょう?

 ―――良くない思考で頭が占められている。
 前はもう少し、あの男と気の置けない会話をした後は、すっきりとした気分になれたはずなのに。
 今は少しだけ煩わしいと思う。いや、いつもなら居る筈の時に居ないと解った時も、何処か今と似たような気分になるから、これは別の感情だろう。
 
 その感情を、何と名指すか、聡明なリチアは当然―――。

 





     ※ 話の内容的には五巻辺りに突入してるんですよね。
       原作だとフラグ立ててる時期ですけど、こっちだとフラグ回収時期になってる感じでしょうか。



[14626] 36-4:曇りのち晴れ、ところにより雨・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/29 23:09


 ・Scene 36-4・




 「なるほど、のぅ。人間関係と言うのは、ままならぬものじゃな」

 広大な庭園となった聖地学院の中庭を見下ろせるバルコニーに並べられたティーテーブルの一角。
 ラシャラ・アースが腕を組んでさも難問にぶつかったと言うような顔で頷いた。
 「ま、あの人に人間関係の機微を理解しろってのが無茶ですしねー」
 その横で、同じくテーブルを囲んでいたワウアンリーが、たいした興味も無さそうにお茶請けのクッキーを咥えていた。
 主を指してあの人呼ばわりと言うあまりの態度に、同期の聖機師でもあるキャイアが呆れたように言った。
 「アナタ、良くあの王子に向かってそんな物言い出来るわね」
 私には無理だと言うその言葉こそ、結構酷い発言だと言う事実には迂闊にも気付いていない。
 ワウアンリーも気付いたていたが指摘する事は無かった。人間関係というものはままならないものだと思っている。
 「親愛の情の表れってヤツだよね。ワウと話しているときのアマギリ様、楽しそうだし」
 「素直にそういう表現されると、それはそれで照れるんだけどねー」
 給仕とお茶会の参加者の間を行ったり来たりしているような立ち居地の剣士の言葉に、ワウアンリーが頭を掻きながら苦笑した。
 「まぁ、ヤツと会話する時は遠慮をしないというのが基本ともいえるからな」
 「暫く会わぬ間に、随分と口が悪くなったの、シュリフォンの王女よ」
 然りと頷くアウラの言葉に、ラシャラが面白そうに反応する。 
 ラシャラとアウラは、お互い隣国の王女―――今はラシャラの身分は女王だが―――同士として交流があった。
 その当時の語らいの時は、常に落ち着いた物腰で言葉も至極丁寧なものばかりだったから、友人を茶化すような物言いをする姿は意外とも言えた。
 「口の悪い二人と二年も付き合いが続けばな。―――こうもなるさ」
 それが悪い事とも思わないという口調で、アウラは肩を竦めて見せた。
 「ふむ。ではその、二年間間近で見続けていたおぬしの意見としては、どうなのじゃ?」
 「どう、と言われてもな。―――ラピスとたいして違わない感想にしかならないと思うが」
 チラと、恐縮した畏まった態度で隣に腰掛けていたラピスに視線を送りつつ、アウラは続けた。
 「こと、こういう問題は須らく男が悪いと相場が決まっている」
 「……あの、アウラ様? 私、そんな事は一言も……」
 名前を引き合いに出された後に続けられたバッサリとした物言いに、ラピスが頬を引き攣らせた。
 「でも殿下が悪いのは事実だしねー」
 「まぁ、そうよね……」
 あっさりと言い切るワウアンリーに、キャイアも躊躇いがちに賛同を示した。

 ―――と、言うよりも。
 このテーブルに集った五人の女子は皆一様に、初めから”とりあえずアマギリが悪い”と言う意見を前提として会話を進めていた。
 
 同性として只一人同じテーブルにつく事になった剣士は、非常に肩身が狭かった。
 そういえば、家で兄が居ない時にその煮え切らない態度に文句を並べ立てている姉達の間に巻き込まれた時と、そっくりな状況だった。
 逃げ出したいけど、逃げ出したら後が酷いんだろうなと、とりあえず、こういう状況を作る遠因となった兄―――じゃなかった、アマギリ・ナナダンに胸のうちだけで恨み言を呟くしか出来ない。

 事の起こりは単純な話である。
 いきなり目の前でじゃれあい始めたリチアとアマギリの”お邪魔”にならないようにその場に居合わせたラピスと共に逃げ出してきたら、お茶会を開いていたラシャラ達に見つかってしまったのである。
 剣士とラピスの二人だけ、と言う珍しい組み合わせに興味を惹かれたらしいラシャラの言うままに、そのお茶会に巻き込まれるが早い、二人はそのまま、こうなるに至った経緯を説明する事になっていた。
 その中で上がった話題の一つがこれだ。
 
 ―――曰く、リチア・ポ・チーナが最近機嫌が悪いらしい。

 理由は、語るまでも無いだろう。
 先日の舞踏会。否、それ以前の諸々の経緯を把握していれば、正解は自ずと見えてくる。
 そして、多感な年頃の乙女達にとって見れば、近い人たちのそういう話題は語り合うに楽しい素材には違いなく―――悲しいかな、彼女達に悪気は無いのだ―――こうしてテーブルを囲んで好き放題言いたい放題と言う現場が完成してしまうのだった。
 
 「で、結局リチアはアマギリの事を好いておると言う事で良いのじゃな?」
 「うわー、直球ですね」
 流石に誤魔化しが効かな過ぎるラシャラの言葉に、ワウアンリーが棒読みで驚きを示した。止める気は更々無いらしい。
 「なに、従兄殿に関する話題なのじゃから、それに習って率直にやるのが礼儀と言うものじゃろう」
 「……アマギリ王子、結構歪曲で遠まわしな嫌がらせとか好きなタイプじゃないですか?」
 主君の言葉に、キャイアが微妙な顔で言った。その言葉が、誰に対するどんな行為の事を指して言っているのかは、この場に居られるならば悟るのは容易かった。
 「殿下、男には基本的に当たりキツイですしね。この間も派閥に移りたいとか言ってたロンゲの美形の人を、冷笑しながら甚振ってましたし」
 「それで味方が増えない事を嘆いていると言うのも、どうなんだろうな……」
 「所詮は日和見の蝙蝠。この程度も耐えられないヤツは端から当てにしないって涙目で強がってましたよ」
 涙目と言うのはあくまでワウアンリーの主観であるが、誰も否定の言葉を口にしない辺りが、言われた当人の扱いを象徴しているとも言えた。
 流石に哀れと思ったのか、やれやれと首を振って、アウラが苦笑しながら話題をずらした。
 「アイツが攻撃的に応対するのは男だけと言うよりは、身内以外と言った方が早いんじゃないか?」
 「身内と言うか、家族と言うか……」
 「家族と言うか、姉妹と言うべきでは?」

 「―――早い話が、最近はマリアが鬼門じゃな」
 
 口々に続ける皆が直接的な表現を避ける中、遂にラシャラが言い切った。ユキネに関しては今更だがと、言外に付け加えるのも忘れない。 
 その言葉に、女子たちは色々と思うところがあるのか揃って口を噤む中、剣士だけが一人朗らかに反応した。
 「あ、アマギリ様とマリア様、やっぱりちゃんと仲直り出来たんですね」
 「仲直り―――と、言うか……悪化した?」
 首を捻るワウアンリーに、アウラがやはり微妙な顔で言葉を捻り出す。
 「いや、”悪”くはなってないんじゃないか?」
 「しかし、壊れていた仲が修復したとも違うじゃろ、アレは」
 「目に毒、ですよね……」
 言葉に困るラシャラに、ラピスがそっと付け加えた。
 その言葉に、やはり女子たちは揃ってため息を吐いた。
 剣士だけが首をかしげている。雨降って地固まるとも言うし、仲良くなったのならば良いのではないかと思っていた。
 やがて、意を決したようにラシャラが口を開いた。
 「ワウよ、共に同じ屋敷に暮らすものとして、アヤツらどんな感じじゃ?」
 「へ? あ~~~……そうです、ねぇ。いえ、別に暑苦しいとかそういう感じは無いんですけど……」
 「けど?」
 「これまでだったら、ホラ。視線が絡んだら微笑み合う、とかで済んでたところが、近づいて髪を撫でるとか胸に頭を預けちゃうとかに進化しましたと言いますか」
 春ですねぇと、投げやりな気分で言うワウアンリーに、ラシャラは手に負えんと首を横に振った。
 「うむ、悪化しとるで良いみたいじゃの」
 「まぁ、別に良いのではないか? アレはアレで、微笑ましいで済む類のレベルだろう……まだ」
 アウラが苦笑しつつ言い添える。しかし、目に毒だと思う気持ち自体は否定する事が出来ないらしい。
 「最近、外で見かけても立ち居地が明らかに近くなってるからな……」
 「頭一つ分は近くなってますね、確かに。後ろから見てると良く解りますよー」
 通う場所が同じな事から、基本的に登校は同じ時間に行うアマギリとマリアだったから、その背後に付き従うワウアンリーには二人の距離の変遷が実に良く解る。
 仲がこじれていた期間は、それこそ間に人が二人は入りそうな距離を開けて歩いていたのに、今はもう、肩関節を水平に三十度傾ければ手をつなげそうな距離である。
 正直、今はワウアンリーが距離を開けて登校したい気分である。

 「しかも、最近はアマギリ様、リチア様と一緒におられる時間が減っていますから……」

 アマギリとマリアの関係には流石に何も口を挟めなかったラピスが、困ったように笑いながらそう言った。
 「ああ、そういえば最近は部屋を出る時間が早くなったな」
 アウラもそれに頷く。彼女もまた、放課後はアマギリとリチアと共に過すことが多かったので、その事に気付いていた。
 「どれだけ妹が好きなんじゃアヤツは……」
 「将来は子煩悩になりそうですよね、すっごい似合いませんけど」
 早く帰宅すると言う理由を取り違える事無く眉根を寄せたラシャラに続いて、ワウアンリーも処置無しとばかりに首を振った。
 「一番問題なのは、自分の行動に問題が無いと考えている事だろうな。―――そして実際の所、普通に考えて問題が何も無いのが困りものだ」
 「確かにな。家族が傍におるのだから、そちらを優先する事になんら問題も無かろう。むしろ、問題があると言う方が言いがかりをつけているようなものじゃしの。―――その行為自体に含む気持ちを持たぬ限りは」
 アウラの言葉に、ラシャラも然りと頷いた。
 そしてその後で、半眼で笑った。
 「―――アヤツはいつか、女に刺されて人生を終えるタイプじゃな」
 「兄妹で仲良くしていらっしゃるだけですので、そこまで言う必要は……」
 「だがなラピス。現に、リチアの機嫌はこのところ下落の一途を辿っているぞ」
 自分が持ち込んだ問題ゆえに、一応迷惑が掛からないようにとアマギリを庇ってみるラピスだったが、アウラが冷静な言葉で否定した。
 言外に、”リチアが何時かアマギリを刺す”と言われているような気がしないでもなかったが、何となく想像が出来てしまったので否定できなかった。

 「まぁ、仮にも友人たちの事であるからの。少し建設的な意見を出し合ってみるのが良いかもしれん」

 明らかに興味本位が半分以上といった風に、ラシャラが宣言する。
 「だがリチアとアマギリが―――結局、どうなれば良いんだ? その、交際を始めるということだとしても、そうすると今度はマリア王女が……」
 「いえ、アウラ様。別に殿下とマリア様って、愛は愛でも別に恋で愛な方向とは違いますから」
 「なんじゃ、違うのか?」
 苦笑いしながら言うワウアンリーに、ラシャラが目を丸くする。雨がやんだら筍と言うか既に竹林となっていたと言うような状況だったし、一線を余裕で踏み越えたものだと思っていたらしい。
 「何ていうか……家族愛?いや、家族愛ですけどすでにそういう部分ブッチぎってるって言うか、早い話、兄妹って言うか微妙に夫婦入ってる気もしますが……」
 「夫婦と言えば、従兄殿の場合、マリアを退けてもフローラ叔母の存在があったのじゃな」
 「フロー……ラ、女王陛下のことか?」
 「ナカヨシ家族なんですよ……ええ、ナカヨシなんです。本当に。詳しくは国家機密が絡むんで聞かないで欲しいんですけど」
 アウラの疑問の言葉に、ワウアンリーが遠い目で何処かを見ながら言った。
 アマギリの従者となってから二年。色々見なくて良いものも見てきてしまったらしい。
 「まぁ、あの色ボケ叔母の事は考えるのは止そう。今はいかにしてマリアを排除するかに考えを集中させるべきじゃな」
 「ラシャラ様、目的がズレてます……」
 一応突っ込みを入れたキャイアだったが、どうせ本当に、リチアがどうのと言うよりも、最近上機嫌この上ないマリアの鼻を明かしてやりたいんだろうなぁという事実には気付いていた。
 不幸になってほしい訳ではないのだろうが、何時も張り合っている手前、マリアだけが一人絶好調なのは面白くないらしい。
 「と言うか、だからマリア様に何かしようとすると、怖いお兄ちゃんが本当に洒落にならないことするから止めた方が良いと思いますよ」
 「ンム……。確かに、今の従兄殿ならやるじゃろうな。ええい、ならば話は早い、ようするに従兄殿にリチアの気持ちが伝わればよかろう?」
 ワウアンリーの言葉が現実として容易に存在できてしまったので、ラシャラは頬を引き攣らせつつ話題をずらした。
 「無理じゃないですか? ウチの殿下、恋愛方面の感性ゼロ以下ですから」
 「確かに。普段口先三寸で他人の動きをコントロールしている男とは思えないくらい、その辺りの適応力には欠けて居るように思えるな」
 「極端なんですよねー、能力の偏りとか、知識とかも。だからあんなシスコン状態に進化したとも言えるんですけど」
 「では、いっそイベントでも企画してやるか? 奴等が二人きりになれるような」
 ワウアンリーとアウラの明け透けな言い合いに首を捻って、ラシャラがそんな風に言った。
 「それだと……アマギリ様ってマリア様と組みそうですよね」
 「と言うか、お二人とも裏方に回ってイベントに参加しないんじゃないでしょうか」
 しかし、ラシャラの意見は剣士とラピスが否定した。
 「う~む。全員参加を無理やり義務付けるイベントを考案した従兄殿の無駄なセンスに感心するの、こうなると」
 「ああいう無駄な方面には本気出しますからね、殿下。もっと簡単な解決法があったでしょうに……」
 「簡単に解決できるのだったら、そも、今頃リチアと結ばれているだろう」
 お互い気を張らずに会話が出来る同士だったアマギリとリチアは、アウラの目から見ても非常に相性が良く見えていた。実際、今年に入ってからのアマギリの変化を見るまで、そのうち二人は結ばれるものだとアウラは本気で思っていたのである。ハヴォニワ国内でのアレコレとしたものを知らないが故の意見とも言えるかもしれない。
 「しかし、鈍感でシスコンが期待できないとなると、結局リチアに自力で頑張ってもらうしかないと言う見も蓋も無い結論になってしまうと思うのじゃが」
 「他人の色事は結局当人同士の問題で、周りが口を挟める領分じゃないってヤツですよね」
 「面白くないのう」
 「……やっぱり興味本位だったんですね、ラシャラ様は」
 「友人の恋話じゃぞ。興味本位以外の何を持って語れと言うのじゃ」
 それこそ身も蓋も無いラシャラの言葉に、キャイアは嘆息混じりに言った。
 そこは素直に応援してやれよと思いつつも、会話に参加している時点で自分も興味本位だったりするので何もいえなかった。
 「ま、ウチの殿下もやる時はやるってマリア様の一件で解りましたし、男の甲斐性見せてくれる事に期待するしか無いんじゃないですかねー。―――案外、リチア様が弱いところとか見せてみたりすればコロッと言っちゃうかもしれないですし。ウチの殿下、過保護ですから」
 「あのリチアが、あのアマギリに弱みを見せるという辺りが既に、難易度が高そうだがの」
 「アマギリ相手だと、特に弱い部分を隠そうとするだろうからな、リチアも」
 「それを察して上げられるのが、男の甲斐性ってヤツなんでしょうけど……殿下ですしねぇ」
 「従兄殿だしの」
 「まぁ、アマギリだからな」
 「うわぁ―――、ウチの兄ちゃん並みの信頼感」
 口々に、本人が聞いたら流石に凹まずには居られないであろう事実を告げる少女達に、剣士は只一人の男子としてアマギリに同情しないわけにはいかなかった。
 そして、頬を引き攣らせて腰を引かせたところで、ラピスが口元に手を当てて考え込んでいる事に気付く。
 「どうしたのラピス?」
 「―――? あ、剣士さん。いえ、その、少しアイデアと言いますか」
 「何か、思いついたのかラピス」
 アウラもそれに気付いて問いかけると、ラピスは困ったように笑った。
 「私の立場では、喜び勇んで言って良いことではないのですが、少し、その。―――アマギリ様に、リチア様の事を”見て”もらう機会と言うものが用意できそうな気がしまして」
 「ほぉ、それは、どのような?」
 興味津々という風に一斉に集中する視線の中で、ラピスは少し躊躇いがちに口を開いた。
 「その、ですね。最近アマギリ様のお帰りが早いせいで、リチア様の担当する仕事量が増えてらっしゃるんです」
 「―――ああ、そう言えばそうなるのか」
 話し出したラピスに、アウラが確かにと頷いた。
 基本的に何もせずに場に居るだけと言う状態が常のアウラと違って、リチアは常に生徒会の作業を行っている。
 そして、一人勝手に古い資料を持ち出して、それを捲っているアマギリにあれやこれやと理由をつけて仕事を押し付けるようになった―――と言うのが、ここ一年以内で出来上がったパターンだった。
 更に前までは誰かに自分の仕事を任せるような事は絶対しないリチアだったから、結構な変化と言えた。
 知らないもの達に説明するアウラに、ラピスも同意を示した後で続ける。
 「はい、ですので最近帰宅の早いアマギリ様に渡せる仕事が減っているので、リチア様の負担が増えています。―――正確には、戻ってきたというべきなのでしょうが、とりあえずそれは置いておきますね。それに加えて、最近はその、先ほどのお話にもあったとおり……」
 「―――あ、解っちゃったかも。労働の疲れと共に、精神的な疲れも増えてるってことでしょう?」
 ラピスの言葉を受け取って、ワウアンリーが楽しそうに笑いながら言った。ラピスも苦笑交じりに頷く。
 「はい。アマギリ様にお仕事を回す時は何時もリチア様は、その、口調が、その……ですから、アマギリ様も本当にあまった仕事を慰謝料代わりみたいな気分でお引き受けになってるだけみたいで」
 「まぁ、今更本気で手伝ってもらっているとは、リチアなら絶対言わないだろうからな」
 所々躊躇いがちに続けるラピスに、アウラも苦笑交じりに頷いた。
 
 ―――いつの間にか、アマギリが手伝って丁度くらいの仕事量を基準にしていたなどと、口が裂けても言うとは思えない。

 「最近は、ですので仕事の終わりが何時も遅い時間になってしまっていますから、少し、お休みを取っていただけたらと思っていたのですが……」

 なるほど、とラピスの言葉で皆一斉に頷いた。

 「些か、作りすぎな状況の気もするが……」
 「平気で舞踏会とか演出する人には、丁度良いんじゃないですか?」
 「どのみち、リチアに休息が必要な事も事実ならば、確かに」
 「うむ、では隠しカメラの設置を……」
 「止めてくださいラシャラ様」

 こうして大同団結した乙女達により、アマギリは強制的に男の甲斐性を示して見せねばならない状況に叩き落される事が決定した。

 ―――盛り上がる少女たちについていけなかった剣士が、胸の前で誰かのために十字を切っていた。
 






    ※ 乙女会議、その二。

      本人達が動かないなら、周りから動かしちゃえば良いじゃない、みたいな感じで。



[14626] 36-5:曇りのち晴れ、ところにより雨・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/03/30 23:50


・Scene 36-5・






 「……何故、マリア王女まで居る?」
 
 開かれた扉の向こうから生徒会長執務室に踏み込んできた人たちを見ての第一声がそれだった。
 思っても口に出して言うべき事柄でも無かったのだが、余り隠し事が得意でないアウラにとって、咄嗟の事態に放たれてしまう自身の言葉にはまるで制御など効く筈が無かった。
 「あらアウラ様。私も生徒会役員ですもの、こちらにお邪魔するのはいけない事かしら?」
 「いや、それはそうなの、だがな……」
 困った風に眦を寄せながら、マリアの横に立っている―――なるほど、距離が近い―――男に視線を移した。
 男はちょっと困ったように笑いながら、頭一つ以上背の低いマリアの頭に手で撫で付けながら言った。
 「いやさ、最近リチア先輩が疲れ気味、みたいな話を昨晩この子にしたんだけどね。そしたら私も手伝いますってさ。まぁ、人手はあって困る事でもないし、渡りに船かと思って」
 お望みどおりに連れてきてみたとあっさりと告げる男の態度に、アウラは額を押さえて呻いた。

 前から薄々感づいていたが、この男、駄目すぎる。 

 「お前……リチアへの気遣いの仕方としてそれは間違っているだろう……」
 「へ?」
 「いや、何でもない……ああ、何でもないとも。ただ、私には謀の類は向かないと言う事実だけが解っただけだ」
 「何を企んでたのさ、アウラ王女ともあろう人が」
 「気にするな。―――いや、気にして欲しいのだが、まぁ、言っても無駄だろうから気にするな」
 「よく解らないけど明らかに罵倒されてますよね、僕」
 込められた意味を理解せずとも、言われた内容だけを聞きとがめて、男が頬を引き攣らせる。
 男の手が頭に載ったままだったマリアが、室内を見渡して面白く無さそうに鼻を鳴らした。
 「―――ところで、リチア様はどちらへ?」
 「ああ、何と言うか。その……」
 言って御覧なさいなと半眼で見つめてくるマリアに、アウラは視線を明後日の方向に逸らした。
 初っ端からの予想外の展開に、対処法が思いつかないらしい。
 「そう言えば居ないね。……奥ですか?」
 男も部屋の主の姿が無い事に気付き、可動式本棚の方を見ながら言った。
 本棚は部屋の間仕切りとしての役目も持っており、奥にはリチアの私室があるのだった。
 「いや、その……何と言うか、な?」
 「何か、そうあからさまに不審な態度取られると、聞かないで回れ右したい気分になるんですが」
 「いや、まて。とりあえず―――まぁ、少し落ち着け」
 幸い出口は近いと嘯く男を、アウラは必死で推し留める。
 「落ち着くべきはアウラ様なのでは……?」
 男でなくても解るくらい、不審者そのものの不審な態度だった。
 辺りを見渡す、助けは居ない。
 当たり前だった。そもそもアウラに課せられた使命―――と言うレベルのものでは決して無い―――は、誰に頼る必要も無い単純なものだったからだ。

 ―――こういうときに限って、男が妹を連れてこなければ。

 親友の恋―――と呼べるほどのものなのか、実際本人に確認した事は無いが、ようするにそれの成就のほんの手助けのつもりで仕組んだ謀。
 いい加減、親友と男両名共にアウラにとっては長い付き合いとも言えたから、その状況がどう発展するのかと言う事実も個人的に興味があった。
 アウラ自身は、未だ自身の恋愛と言うものには心引かれる事が無かったから、近しい人間の恋する様を見て、まぁ、少しの楽しみに出来れば良いなと思っていた。無論、親友を応援する気持ちに些かの偽りも無い。
 それ故に、ラシャラたちとのちょっとしたお茶会で発展した謀に、アウラも加担する事を由としたのだ。

 ―――ようするに、雰囲気に押されて些か悪乗りしてしまったと言う訳である。

 アウラに課せられたミッションは単純だ。
 男に、アウラが疲れて寝ていると告げて、本棚で仕切られた隣室へ男を通す。
 後はそちらに控えているラピスと共に、何か理由をつけて席を外せば、それでそう、若い二人でごゆっくり、といった所である。
 その後の展開に関しては、実際二人の問題であるので深く介入する事も出来ないだろうが、上手くいったら祝福してやればよし、何か問題があったなら―――責められるのは、男の仕事だ。
 ついでに言えば、某女王が希望した盗聴器その他も仕掛けられていないし、此処は二階だから窓から覗かれる危険性も無い。
 簡単な仕事の筈だった。
 リチアはラピスが用意した睡眠導入剤で眠りにつき、今はベッドで寝入っている。薬の効果時間から考えて、丁度そろそろ目が覚める頃だろう。
 そして男も日常に洩れる事無くこの執務室へと訪れた。
 人の行動を誘導するなど苦手な部類に入るアウラであっても、実に簡単にこなせる筈の単純な仕事だった。

 「お疲れで、不在で、お休み……ですか」
 「―――ああ。ってことは、ひょっとして手伝いってのも一足遅かったかな」
 「それだけでしょうか?」
 「と言うと? 何か罠でも仕掛けてるとか? まぁ、性格悪そうに見えるからそう思うのも無理ないけど、あれであの人そういうの苦手な人だし、心配する必要ないと思うけど」
 「……ホント、何処まで言ってもお兄様はお兄様ですわね」
 「……何がさ」
 「何でも在りませんわよ」
 
 何が楽しいのやら、薄く笑いながらそんな事を呟く少女がこの場に居ない限りは、ね―――?

 アウラにとっては、このマリア・ナナダンと言うハヴォニワの王女は余り近い存在とは言えなかった。
 数年来の友人である男の妹―――と言っても、男の背景事情を察しているアウラだったから、マリアが男の妹であると言う意識はそれほど持っていなかった。
 それ故、アウラにとってのマリアは、あくまで隣国の姫、社交場で数度言葉を交わす程度の少ない関係性しか以って居なかった。
 その認識が間違っていると気付いたのは、マリアが聖地学院に通いだしてからの此処数ヶ月以内での事だ。
 対人関係を斜に構えすぎているきらいのある男にとって、この少女は大切に過ぎた、らしい。
 それこそ目を疑うほどに。現実として、ただ”妹との関係を何とかしたい”と言う理由だけで各国諜報機関を大混乱に陥れるほどに。
 去年までは男の従者だったユキネ・メアとの姉弟のような関係を思い出せば、納得できない事でもなかったのだが、やはりそばで実際に見るまでは理解しきれて居なかったようだ。
 そしてアウラにとっては困った事に、マリアにとっても男はかけがえの無い類の人間らしい。
 ―――今もこうして、視線を逸らしているアウラの様子を伺って唇の端を吊り上げている所からも、解る。

 十中八九、マリアが状況を理解している事が。
 マリアが、リチアの気持ちを理解し―――そしてそれを。

 「お兄様?」
 「何?」
 内心で何を思ったのかアウラには知る由も無かったが、マリアは一つ頷いた後で兄に視線を合わせた。
 「リチア様はどうやらお休みのようですし―――」
 「ああ、お邪魔する訳にも行かないし、引き上げる?」
 当意即妙と言う具合に反応した兄に対して、しかしマリアは首を横に振った。
 「いいえお兄様。お兄様はどうか、リチア様を見舞ってあげて下さいませ。―――私は、ご迷惑が掛からないように今日はこれでお暇しますから」
 「はい?」
 「なに?」
 目を瞬かせる男と同様に、どうしようかと懊悩していたアウラもまた、目を丸くしてしまった。
 「どうかなさいまして? アウラ様」
 「ああ、いや……」
 状況―――”用意された”状況が理解できるのならば、てっきり妨害されるとアウラは思っていたのだが、どうも違うらしい。むしろ応援するような行動を取られてしまった。
 「……宜しいのか?」
 意外な事態に戸惑うアウラに、マリアは苦笑いと共に言った。

 「お気持ちはお察ししますけどね、アウラ様。私は別に―――そうですね、”共に在りたい”とは思いますけど、束縛したいと言うつもりは無いのですよ」

 「……そう、なのか?」
 惑うような顔で問うアウラに、マリアは確りと頷いた。
 「はい。それを出来るほど―――それを受け止められるほど、お互い大人と言う訳ではありませんから」
 それはいっそ、この場で最年長の筈のアウラよりもよほど大人びた笑みにみえた。
 微笑のまま、ちらと視線を横の―――二人の会話の内容を把握しかねている男に向けて、続ける。
 「特にこの方は、アウラ様もご存知の通り本当に他者の気持ちに鈍感な方ですから。―――少し、学ばせて差し上げてくださいな」
 「……ひょっとしなくても僕の話題か、コレ」
 「何を当たり前のことを仰ってるんですか。そんなだから、普段から鈍感だと言われるんですよ」
 憮然とした顔の男に向かって、マリアは歳相応の背伸びをしたような笑みで返した。
 先ほどまでの大人びた態度からの豹変に、アウラは思わず微笑んでしまった。
 
 恋は少女を大人に変える―――そんな内容の本を昔、そういえば読んだか。

 ではやはり、目の前で兄をやり込めているこの少女と同様に、隣の部屋で眠っている筈の親友も、一人の大人の女性へと姿を変える事になるのだろうか。
 「―――それは、無いか」
 アウラは自身の思いつきに苦笑して首を横に振った。
 何しろ、その相手は目の前で罰の悪そうな顔をしている、この男―――、男女の仲などと言うものに、まるで頓着しないような幼子なのだから。
 そも、もう少し男が気の回る男であるのなら、わざわざこのような状況を仕込む必要すらなかったのだから、リチアが大人になるには、きっと前途多難だろう。
 
 「ではスマンな、マリア王女。そこの唐変木を少しお借りさせてもらうぞ。―――お返しできるかどうかは、正直私には保障できないが」
 アウラの言い回しに、マリアも不敵に微笑んだ。
 「ええ、どうぞ。一向に戻ってこないのであれば、私から迎えにいきますから、ご心配には及びません」
 「そこまで言い切れる強さと言うのは、いっそ尊敬するな。どうだろう。私は恐らくこの後時間が空く予定だから、少し場所を変えてお茶でも如何かな?」
 「宜しいですわよ。アウラ様以外のどなたがこの一件にお関わりあそばせたのか私も非常に興味がありましたもの」
 二人の少女は、楽しそうに挑みあうように頷きあった。
 その脇で、一人状況に置いていかれていた男がポツリと呟いた。

 「……何か、最近皆、僕の扱いが酷くなって無いか?」

 お前が悪いと、少女達の声が見事なまでに重なった。







     ※ あうら の きらーぱす !
       まりあ は うけながし を つかった !
       まりあ は ひらりとみをかわした !
       あまぎり は よけきれない !
       あまぎり は はしごをはずされた !

      




[14626] 36-6:曇りのち晴れ、ところにより雨・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:82330ac1
Date: 2010/03/31 23:41



 ・Scene 36-6・





 「それではアマギリ様、リチア様のこと、よろしくお願いしますね」

 「いや、お願いされても困ると言うか、出来れば是非とも僕も連れて行って欲しいんだけど」
 「往生際が悪いですわよ、お兄様」
 「まぁ、そうだな。別に何もやましい事が有るわけでもないのだから、覚悟を決めたらどうだ」
 可動式の書棚で遮られた向こう側。普段ならたまに人の往来による時に目に入るくらいしか縁のないその場所に、アマギリは一人取り残されていた。
 向かい合って彼と話している三人の少女は、既に本棚が走るレールを踏み越え、生徒会長執務室の方へと移動していた。
 アマギリも是非ともそちら側の岸へと渡りたかったのだが、何故か、少女達が立ち塞がるようにして、彼の通行を妨げているのだった。
 
 曰く、一人でそこへ残れ。
 いいから黙って、寝ているリチアの見舞いをしろ。

 「何で今日に限って、皆そんなに押しが強いのさ。特にラピスさんとウチの妹」
 「それはつまり、私は常から押しの強い人間だと思われているという訳だな?」
 「貴女が一番制御不能のマイペースに動きますしね」
 ある意味他人の言う事を全く聞かないとも言える。
 頬を引き攣らせて尋ねるアウラに、アマギリも苛められている側故の素直さで返していた。
 「それ、お兄様が言えた義理ではないと思いますよ」
 「僕はだから、割と他人に気を使って生きてるつもりだってば」
 「積もり積もっても塵は塵。それに気付かれなければ意味が無いでしょう?」
 「否定できないなぁ」
 リズム良く切り返してくる妹の言葉に、アマギリは肩を落とした。
 項垂れ疲れた態度の兄に、マリアは微笑みかける。
 「ですから、お兄様。その気遣いがリチア様にも伝わるようにしてくださいな」
 「そう、言われても、ねぇ?」
 「そこで、私に振られても困るのですが……」
 妹の美しい微笑みに圧倒されつつも、どうにか逃げ道が見つからないかとアマギリはラピスの方へと視線を逸らす。立場、性格共に正直に過ぎる言葉を言えるはずも無いラピスは、当然苦笑する程度しか出来なかった。
 「いやホラ、ラピスさんなら何時もの僕と先輩のやり取りを良く知っているかなーと」
 「何故私の名前を省く……?」
 「嫌な予感しかしないから」
 長い付き合いであるが故の正しい理解だった。
 ラピスはそんなアウラとアマギリのやり取りを、微笑ましいなぁと思いつつも、やはりそこにもう一人、居るべき人が居ない状況なのは寂しい事だと思った。
 「リチア様は、アマギリ様がいらっしゃると何時も楽しそうにしていらっしゃいますよ?」
 「あれだけ額に青筋浮かべてる状況を指して、楽しそうと表現できるんだからラピスさんもさるものだよね……」
 「素直に自分を出せている、と言うことになりますから」
 「ものは言いようと言うヤツだな」
 「アンタどっちの味方なんだよ!?」
 ラピスの言葉に染み入ったと言う表情で頷くアウラに、思わずアマギリは突っ込んでしまった。
 この真面目一辺倒に見えるダークエルフの友人が、実はかなりの茶目っ気を持った人物だと理解していたからだ。状況の一端を担っているくせに、他人顔をしているということは、ようするに状況を俯瞰して面白がっているからである。
 「大体、仮にあの状況を楽しんでくれているのだとして……」
 「あら、つまりお兄様はリチア様といらっしゃる時は楽しくないと仰るんですのね」
 「いや、そりゃ……」
 「昨晩はあんなに楽しそうに、此処でのやり取りの事をお話してくださいましたのに」
 「ああ、だからマリア王女が此処に居る訳か」
 朗々と澄み渡る声で兄のプライベートを暴露するマリアに、アウラがわざとらしい態度で頷く。両名共に実に楽しそうである。
 アマギリは初めて本気で泣きたい気分になった。
 「何で皆して今日は僕にキツイあたりをするかなぁ」

 「お前のせいだろう」
 「ご自分の胸に聞いてみなさい」
 「アマギリ様……そういう、ところが、その」

 一人ぐらい慰めてくれないものかと思ったら、皆して酷い言いようだった。厄日だろうか。
 どれだけ粘ってみても、どうやら無駄だったらしい事を、アマギリは漸く事実として受け入れた。
 ため息を一つ吐く。
 気分を入れ替える。どちらかと言えば仕事用に近い感情表現の薄い顔を意図して作りながら、アマギリは尋ねた。取り繕うにしても、我ながら間抜けな事をしているなと思わなくも無い。
 「で、結局僕にどうして欲しいのさ」
 最近こんな事ばかり言ってるような気がするなと思いつつも、実際そんな疑問ばかりが浮かぶのだから仕方が無い。
 全員一斉に溜め息を吐いているのが見えたとしても、仕方がないものは仕方が無いのだ。
 代表して返答してくれたのは、愛しき妹だった。
 「本当に解らなくて聞いていらっしゃるのですか? それとも、何時ものように解りたくないから聞いているのかしら」
 後に言われた言葉に、アマギリはぐっと詰まる。
 最近母に似て容赦がなくなってきたなと思いつつも、アマギリは苦い表情で口を開いた。
 「僕に先輩の見舞いをさせたいんだろう?」
 「そうですね」
 「僕一人だけで」
 「そうですとも」
 「……なんで?」
 「なんでだと、思いますか?」
 ニコリと笑みを消さぬまま。マリアは兄に問いかけた。

 解りません。

 ―――そう答えたら失望と言うか罵倒される事だけは解っていたので、アマギリとしても明確な答えを用意する他無かった。
 なるほどこの男はこうやってコントロールすれば良いのかと、妹の隣で感心しているダークエルフが居たが、気にしない事にした。そういう冗談をしている場合でも無さそうだ。

 状況があからさまに、人為的に作られたものだったから、そこに明確な意味がある事は始めから解っている。
 そして、状況を用意したのがアウラどころかどうやらラピスでもあるらしい―――恐らく、他にも仕掛け人が何人か居るのだろう―――から、この行為がリチアを傷つけるような事には絶対にならない、と言うことも解る。
 むしろリチアの従者であるラピスが率先して動いている節が見えるから、傷つけるどころか喜ばせる類の話なのだろう。
 
 結論を言えば、アマギリが一人でリチアを見舞う事は、リチアを喜ばせる事になる。そう言う事になる。

 何故、とアマギリは問いかけたかった。
 しかし問いかけても自分で考えろと帰ってくる事は目に見えていたし、そして何より―――考えるまでも無いのだろう。きっとそれは。だからこそ、こんなに躊躇いが生まれるのだから。

 「解らないなぁ」

 「おにいさま?」
 「ああ、いや、そうじゃなくて、さ」
 呟くに対して物凄い平坦な声を返されてしまったアマギリは微苦笑と共に首を横に振った。
 「その、こういう聞き方をするのって良くないと思うんだけど、その……僕の、何処が良いんだと思う?」
 「……良くないと思っていても聞くんだな、お前は」
 らしいともいえるがと、その弱気な口調にアウラは困った風に笑った。見ると、ラピスやマリアも同様だった。
 「そういわれても、こういうの、苦手だって知ってるでしょう?」
 「まぁ、そうだな。先日のアレを見ていれば、誰だって解るだろう」
 「だったら、さ」
 「ですからこうして、お兄様が一人で空回らないように皆様が知恵を絞って場を用意してくださったんではないですか」
 「……なんか、微妙に他人事だね、マリアも」
 僕が頑張ったの君のためだよと視線を送ってみても、妹はつんと澄ました態度で応じるのみだった。
 「今回は完全に他人事ですし」
 「いや、あながちそうでもないのではないか?」
 リチアが不機嫌な事の遠因は、一応マリアにもあるのだと思うがと、あまりの堂々とした態度にアウラも思わず突っ込んでしまっていた。
 しかしマリアは動揺一つしない強かな態度でアマギリに微笑みかけた。
 「先ほどの質問ですが、是非リチア様ご本人に尋ねて差し上げてください。―――貴方の様な人であれば、そう言う事を聞いてくれたほうが、いっそ安心しますから」
 「そうですね。ちゃんと見ていてくれているのだとお分かりいただければ、リチア様にとっても良いかも知れません」
 マリアの言葉に、ラピスも頷く。
 「ラピスさんまでそんな事言うのか」
 「私はリチア様の味方ですもの」
 「道理だな」
 顔をしかめるアマギリにさらりと微笑んで返すラピスの堂々とした態度に、アウラも笑っていた。
 「ですのでアマギリ様、どうぞ、リチア様の事をよろしくお願いします。―――出来れば、ほんの少しでも優しく―――いえ、無粋な言葉、お許しください」
 「いや、君の立場ならそういう言い方は当然なんだけど、さ」
 不安があるなら逃がしてくれれば良いのにと言おうとして、アマギリは口ごもった。妹の視線が怖かったのだ。
 マリアは半眼でアマギリをねめつけた後、一度だけ大きなため息を吐いて、それからアウラに声を掛けた。
 「そろそろ私たちは行きましょう。このままでは何時までたっても決心が定まりそうにありませんし」
 「む―――確かに。危うく逃げ切り目的の時間稼ぎに引っかかる所だったな」
 「いや、そんな事考えてませんから」
 真実だったが、日頃の行いゆえか全く説得力はなかった。少女達は初めから聞く気もなかったらしく、各々踵を返していく。
 「ではな、アマギリ」
 「失礼します」
 「―――どうぞごゆっくり、お兄様」
 踏み出し追いかけようとしたアマギリの前で、可動式の本棚が自動で閉じた。
 
 取り残される。
 初めて入った部屋。親しいには違いない少女の、プライベートの空間に。
 「親しさにだって、色々あるだろうに……」
 少女達が望んだ―――寝ている少女も、だろうか―――親しさは、ひとつしか形が存在しないらしい。
 それが理解できてしまうから、アマギリは喉の奥に何かが詰まるような、胸の奥を圧迫されるような、一つところに留まらない大きなうねりを感じていた。
 鈍感だが、馬鹿ではないのだ。
 幾らなんでも、こんな状況を用意させられれば嫌でも気付く。
 単純に、それに反対をしない妹や友人たちの姿が不思議だっただけだ。

 落ち着けと、自らに何度も言い聞かせる。
 息を吸って、大きく吐いて。顔を上げて、周囲に何があるかを理解しようと勤め、落ち着いている自分を形作る。
 可動式の本棚は、これまで見えなかった向かいの今アマギリが居る側も、本棚となっていたらしい。
 並べられている本は、執務室にあるものとは違う、趣味性の強い小説などが並べられていた。
 年頃の少女達が好むような作家の小説がシリーズ全て並べられていたりするのが、意外でもあったし、同時に納得する部分もあった。
 気の強いだけの、普通の少女であると知っていたからだ。
 振り返り、寝室に続く扉に視線を移す。その奥に少女が居るのだろう。

 扉を開け、寝ている―――もう起きているかもしれない、少女との会話している自分。
 何を話しているのかを想像してみても、さっぱり思い浮かばない。
 仲が悪い訳ではない。むしろ、良いほうだろう。
 互い気を使わずに話し合える関係と言うのは、此処では貴重だったから。
 だが、互いの寝室に招き入れる程に良好な関係だったかと問われれば―――解らない。
 大体展開が急過ぎるのだ。妹を初めとした家族に対してようやっと素直になろうと思い始めていたばかりだというのに、これは難易度が高すぎる。
 友人。友人だとは思える少女ではあったが、だがその内面を理解しきれる筈も無い。
 何をして欲しいのだろうか。何をすればいいのだろうか。どの道、此処を抜けたらもう前の位置には戻れないから、その後どうなるのだろうかさえ、解らない。不安だ。
 先を不安に思えるほどに、これまでの関係が気に入っていたのだと今更ながらに気付く。
 そしてきっとこれは、それが大切だったと気付かなかったツケが回ってきたという事なのだろう。
 あって当たり前と、蔑ろにしすぎて、この様。
 どう頑張っても、きっともう、同じ形には取り戻せない。
 新しい形が、想像できない。

 解らない事は怖い事で、理解できなければ理解できるように勤められていた頃の自分が、不意に滑稽に思えた。
 怖いもの知らずの世間知らず。だからあんなにひとつの事に集中できたんだ。
 今じゃこんなに、何かをしようとするたびに惑ってばかりだ。そしてそれが、今は正しいと思っている。
 惑うことは、悪くない。

 ―――ただしそれも、惑った後に、行動が出来ればの話だ。

 「―――結局、僕の何処が良いのかって、答えてもらえなかったな」
 自分を励ますように、あえて戯れごとを口にしながら、アマギリは寝室へと続くドアのノブに手を駆けた。
 重い。
 当然だろう。背中を押されているのはあくまで少女の方であり、アマギリは全て自分で考え、自分で動かねばならないのだから。自分、一人で。
 一人分の重さすら重圧に感じるというのに、この後はきっと、もっととてつもなく重いものを背負う必要に駆られるのだから、本当に逃げ出したくて仕方が無かった。

 「そうして今度は、先輩を泣かせるってか?」

 それこそ、重たい荷物が増えてしまう。
 それに耐えられない我が身の可愛さ、それだけが重要だと、誰に聞かせるでもなく自分に言い聞かせて、アマギリはゆっくりとドアを押し開いた。

 「……泣くのかなぁ」

 泣くのだろうな、きっと。

 それだけは何故か、唯一理解できていた。






    ※ こんな時にまで消去法で答えにたどり着いている辺り、割と根本から駄目な人の気がしてきた。
      次回は……ようこそ墓場へ(人生的な意味で)・始動編とかそんな感じ。



[14626] 36-7:曇りのち晴れ、ところにより雨・7
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/01 22:08

 ・Scene 36-7・






 「先輩、そろそろ落ち着きましたか?」

 「アンタが居なくなれば落ち着くから、とっとと出てってくれない?」
 「その意見には賛同したい所なんですけど、賛同したら後が怖いんでもう暫く勘弁してください」
 「……賛同したいんだ」
 「その口調は反則だと思うなぁ」
 
 そこで会話が止まった。
 言ってから失言だったかとも思ったが、予想―――期待?―――していたような罵詈雑言も訪れなかった。
 背中の位置で、何かがむずがるように動く気配がしただけ。温度が少し、背中に感じる熱が少しだけ高まったような気がしたのは、気のせいだろう。

 夕暮れ時。窓から差し込む赤い夕日が灯す僅かな明かりのみが照らす広い寝室。
 予定調和のやり取り―――騒いだり、物を投げたり、平謝りをしてみたり―――そういうものを一通り演じきった後に待っていたのは、むずがゆいほどの焦燥を覚える沈黙だった。
 身を隠すようにシーツに包まりベッドの上にペタリと座り込んだリチアと、何となく手持ち無沙汰で、何も考えずに彼女が座るベッドの縁に腰掛けてしまったアマギリ。
 背中合わせで、ぽつり、ぽつりと言葉を交わしては、途切れ、そしてまた何かに追われるかのような義務感に駆られて言葉を交わし、途切れる。
 
 「賛同したいってのは……嘘って事で」
 「……嘘、なんだ」
 「……多分」
 「どっちよ」
 「……じゃあ、嘘で」

 ―――何やってるんだろうな、僕は。

 何時までたっても落ち着かない思考の中で、何故か冷静な部分が少しだけ残っているらしく、一々自分の言葉の滑稽さに泣きたくなってくる。
 本当に、何をやっているのだろうか。
 見舞い? いやむしろ、アマギリ自身こそが見舞われるべき精神状態だろう。
 言葉が出てこない。真剣に、その事を実感したのは初めてだった。何時もの口先三寸は何処へ行ってしまったのか。何を話そうとしても―――そも、何を話せば良いのかが解らない。

 部屋に入る前に考えていたじゃないか。
 事情説明とか、友人たちの要らぬお節介とか、あとは当たり障りの無い見舞いの言葉とか、元気じゃないと調子が狂うとか、軽口を叩いてみようなんて、そんな風に。
 それら全て、本人を目の前にした瞬間に、ゼロである。思考の片隅からも掻き消えた。
 大体、薄い寝巻き姿で髪まで降ろして。気だるげで何時もと違う弱そうな姿で。
 これで普段どおりの会話をしようなんて考えていた自分が馬鹿らしいと、アマギリはそれこそ馬鹿のようにそんな事を思った。
 
 優しく。おんなのこには優しく。
 ―――姉さん、僕には無理みたいです。

 泣き言くらいしか、思い浮かばなかった。
 それでも逃げずに居られるだけ、成長していると言えば言えない事も無いかもしれない。大幅に譲歩すれば。

 なんて、くだらない事を考えている場合じゃないだろう。

 想像以上に茹っている自分の思考に、アマギリは思わず失笑してしまった。
 
 「何、笑ってるのよ」
 「いや、今の自分がどうしようもなくおかしくて」
 「……アンタは普段から充分おかしいわよ」 
 「おかしいですか」
 「……嘘よ」

 嘘なのか。
 問い返したかったが、問い返してどうしたいかが思い浮かばなかったので、出来なかった。
 だからまた、少しの空白の時間が過ぎた。

 「アンタさ、最近良く笑うようになったわよね」

 ベッドの上で身じろぎをしながら、リチアがポツリと言った。何時かに聞いた言葉だったが、その時にはどう答えていたかを思い出せるほどに、余裕がなかった。

 「先輩は、最近機嫌悪い日が多い、ですよね」
 
 だから、そんな風に会話が広げられそうな言葉を返していた。
 ピクリと、背中越しに何かが固まるような気配。それから、ややあって言葉が続いた。

 「気付いてたの?」
 「そりゃ……、まぁ」

 むしろ気付いていない人は居ないんじゃないかと言うくらい、此処の所不機嫌なオーラを発していた事を、”近くに居た”アマギリは良く理解している。
 傍に居ればわかるだろう。そんなの当たり前だ。そんな気分で頷いていた。

 「気付いてたなら、何で何もしないの?」
 「へ?」
 
 返された言葉の意味がまるで理解できなかったがゆえに、アマギリは余りにも素直な態度で言葉を漏らしてしまっていた。
 何故何もしないと問われれば―――単純だ、機嫌が悪い時はそっとしておく。”近くに居る人”が何とかするだろうからと、余り近寄らないように。そんなルーチンワークのような思考が直ぐに出来上がっていたから。
 しかして実際、これまではそれで幾許かの時間を置けば解決していた問題だったから、今回もと―――それが拙かったのだろうか。いや、拙かったのだろう。どう考えても、この流れから考えるに。
 
 「いや、その……」
 「帰って」
 「え?」

 第一声すら口ごもるアマギリに、リチアの声は何処までも辛らつな響きを持っていた。

 「いいからもう、帰りなさい。とっとと部屋から出てって」
 「あの、先輩?」
 「いいから早く! これ以上病人の気分悪くさせないでくれる!?」
 
 最後の方は殆ど罵声のような勢いで、リチアは叫んでいた。くぐもっているように聞こえるのは、抱えた枕が口元に近いからだろう。
 
 「そんな言われ方されて、このまま帰れる訳無いじゃないですか」
 「何でよ!」
 「何って……」

 常識的に考えて。
 答えずともその気持ちが伝わってしまったのだろうか。背中越しに伝わってくるリチアの怒りは、最早烈火の如き様相を示した。

 「どうせアンタは妹とか姉とか、家族さえ居ればそれで満足なんでしょう!? 私の事なんか放っておいてくれたって良いじゃない!」

 「んな……」

 そこまで、言われるほど何かしたか?
 落ち着いて考えれば”何もしていない”事が問題だと言う事にも気付きそうなものだが、場所も、状況も、落ち着いて考えられる空気には程遠かった。
 それ故に、アマギリの口から出た言葉は、下の下とも言うべき、どうしようもないものだった。
 第三者が聞いていれば、自ら進んで火中の栗に手を伸ばしているようにすら思えるだろう。

 「そんな、別れ話中に泣き叫んでる恋人みたいな態度取られたら、放置して置ける訳、無いじゃないですか」

 「恋―――っ、っっっ!」

 歯軋りすらもなりそうな、リチアは途中で言葉を詰まらせていた。
 怒りとも、羞恥とも、激情が思考を乱し精神を泡立たせる。
 何を言えば良いのか、何が言いたいのか、頭の中から零れ落ちて―――零れ落ちて、それがそのまま言葉になった。

 「こ、こいっ、―――こう、……なるまで放置してたのは何処の誰よ!」

 「―――知ら、ないですよそんなの。……だいたい、貴女何時も、機嫌悪い時は、放っておいてって言ってたでしょう?」
 「屁理屈こねるな馬鹿! アンタ一応男でしょう!? そう言う時こそ空気呼んで見せなさいよ!」
 「馬鹿って……だから、空気呼んで席外してたんじゃないか! 大体、一応って何だよ、一応って!」
 流石に一方的に怒鳴られ続ければ、返す言葉もきついものになってくる。アマギリも気付かぬうちに、激しい口調で反論していた。
 「最近馬鹿みたいにガキっぽい口調になってるアンタなんて、一応で充分じゃない!!」
 「が、……ガキって、そっちこそまるっきり子供の癇癪じゃないか!」
 確かに最近、自分でも解るくらいに抜けた思考をしているなと思っていたところに、思い切り図星を突かれてしまい、アマギリは強い口調で言葉を放ってしまった。
 「この、……私がっ!」
 感情が高ぶりすぎると言葉が詰まる。リチアは、自身の言いたい言葉を自身ですら掴みきれぬまま、それでも押し被せるように言葉を続ける。
 「私が、こんな無様に、こんなっ、男相手に泣き叫んで……こんなのっ、アンタ、アンタが……っ!!」
 「―――あ? うぇっ!? ちょ、ちょっと、先輩!?」
 「振り向くな、馬鹿ぁ!」
 その声音に濡れたものが混じっている事に気付いてしまい、我に返って後ろを振り向いたアマギリは、シーツを丸め込み肩を振るわせるリチアの姿を目にしてしまった。

 ―――泣いている。肩を震わせて。泣かせたのは、僕だ。

 驚くよりも先に、自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
 こうなるのが嫌だから、そう思って覚悟を決めて扉を潜ったのに―――結局、こうだ。
 思い切り息を吸う。そのまま、自身を怒鳴りつけてやりたい衝動を、歯を食いしばって押さえ込む。膝の上に置いたまま固まっていた手を、解きほぐすように幾度か握り締める。

 ―――泣いている、だから。

 出来る事は限られていたから、自身の知る僅かな経験則に頼る事にした。
 そっと伸ばした手は、髪に触れるか触れないかのところで、一度は振り払われた。
 もう一度、また振り払われて、次はむずがるように首を振られて、それから、今度はそうはならないように肩に手を置いて胡坐をかいた自身の胸のうちに身体ごと引き込むように、少女の体を抱きこんだ。
 それから漸く、それでもまだもがき離れようとする少女の頭をゆっくりと撫でる事が出来た。
 泣いている子供を慰める、これが、アマギリの精一杯だった。

 「―――ごめん」

 ゆっくりと髪を撫でる動作をやめぬまま、ポツリと、そんな風に呟いていた。

 「何に謝っているのか、解ってるの?」
 「正直、あんまり。―――でも、ごめん。正直、少し先輩……リチアさんに、甘えすぎてたかなって」
 「何よそれ」

 呆れるような声。何時ものような―――そんな訳が無い。何時も以上に、しっとりとした響き。
 殆ど無意識のうちに撫でる手の動きが更に優しいものに変わっていたのが、自身呆れるほどおかしかった。

 「こうあるのが当たり前だなんて―――いや、こうしてくれるのが当たり前だなんて考え方、それこそ、甘え以外の何でも無いじゃない。最近それで、失敗しかかったってのに」
 「そこで妹の話に飛ぼうとする辺りが、如何にもアンタらしいわ」
 「どうせ、妹に嫌われそうになっただけで大慌ての、甘ったれですから。それで、仲が良かった先輩にも愛想をつかされて―――知ってるでしょう?」

 いっそ開き直ったような言葉に、リチアは小さく嘆息した。

 「そうね。アンタは所詮甘ったれよね。―――それで、甘ったれなアマギリは、私にどうしてくれるの?」
 「―――」
 
 問いかけられて、返せずに、手の動きを止めてしまった。リチアの頭が小さく揺れた。
 再び手を動かし、撫でるのを再開した。それからアマギリは、言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。

 「どう、しようか。―――どうすれば、良いかな。ごめん、本当にさ。僕、誰かに何かをしてあげたいと思っても、駄目なんだよ。苦手でさ」
 「―――私に、何かをしてくれるつもりは、一応ある訳ね」
 「あるさ、そうじゃないと」
 
 こんな、一人で此処に来るなんて決心がつかないじゃないか。
 
 言葉に乗せた自分自身が何よりも一番恥ずかしかったから、アマギリは反応が来る前に言葉を続けた。

 「僕は、その―――僕はさ、せめて受け取った分の優しさくらい、周りの人に返せたらって、そう思ってる。……そう思えるように、なってる。それは、だから―――リチアさんにだって、変わらない」

 幼い子供が、無理やりに自分の気持ちを纏めたような言葉だった。それがアマギリの限界であり、それ以上にはまだなれなかったから、あとは、せめてそれが真実だと伝わるように、より一層髪に触れる手の動きを、丁寧に、優しくするしかなかった。
 「―――そ。優しく、してくれるんだ」
 熱を持ったような吐息が、胸元をくすぐっている事に気付く。
 「うん、そりゃあ、ね。精々、何でも頼みを聞いて見せるくらいしか出来ないけど、そのうち、ちゃんと―――まぁ、出来れば、だけど」
 まるで自分に保障が出来なかったがゆえに口ごもるしかないアマギリの態度に、リチアは呆れたようにため息を吐いた。
 「期待しないで待ってるわ。―――ところでそろそろ、頭から手をどけてくれないかしら」
 「ん、ああ―――ゴメ、ん?」
 言われるがままに手をどけてみたら、何故かリチアは、そのままアマギリに寄りかかったままの体勢で、身を捻ってきた。 

 必然、無理のある姿勢であるため、バランスを崩す。
 倒れこんだ先がベッドの上ならそれなりに絵になる光景だっただろうが、如何せんアマギリはベッドの端に胡坐をかいていた訳だから、体重をかけられて倒れこめば、ベッドから落ちる事になる。
 「―――っ、と、ぅおっ!」
 軟らかいカーペットの上に背中から崩れ落ちる。
 当然、彼に体重をかけてきた少女と共に。
 手を後ろにやってバランスを取ろうとするよりも、少女を抱きとめるのを優先する事が出来た自分に、アマギリは少し感心していた。

 この程度の気遣いは、どうやら自分にも出来るらしい。

 打ち付けられた背中にもたいして痛みは無い。
 背も、前も、軟らかいものがクッションになっていたから。
 抱きとめた少女の柔らかさを、床に寝そべったまま、体全体で受け止める格好となった。
 
 近い。顔が。おんなのこの顔が、とても近い位置にあった。

 「―――あの?」

 口を開いてみても何を言えばいいのやら、全く解らなかったがゆえに固まってしまったアマギリとは対照的に、リチアの瞳は信じられないほどに澄み渡り落ち着いたものだった。

 「他の何も解らなくて良いから、一つだけ解りなさい」

 言葉と、唇の動きが、全く別々のものに感じられる。不思議な感覚を覚えていた。

 「私はアンタに愛想をつかせた事なんて一度も無い」

 目を、見て。逸らす事すらも許されずに。

 「ああ、うん」

 肯定以外の言葉は許されなかった。

 「―――解ったなら、黙って目を閉じる」
 「あ、うん―――って、え?」
 「―――黙って」
 「……はい」

 言葉に従うがままに目を閉じようとした瞬間、何故だか少し前の夜の事が思い浮かんだ。
 何故も何も無いだろうと、最後に少しだけ残っていた冷静な部分が、呆れたような声を脳内に響かせていた。

 静寂。

 吐息の音と、それから。

 衣擦れの音は、果して両者が身に纏った衣が擦れ合うが故のものだったのだろうか。

 それとも、―――それとも?

 その後については、語る必要もあるまい。

 夕日の赤が夜の紫に変わる頃、アマギリは、リチアに言われるがままに従って、部屋を後にする事になった。

 一人残された部屋の中で、ベッドの上でしどけない姿勢で座り込んだまま、リチアは、自身の唇をそっと指で撫でていた。
 
 その、表情は―――。


 ・Scene 36:End・



     ※ このSSはコンシュマー仕様。と、言いつつラストの方微妙にオーバースケールに書き換えてたり。

       後半戦前、最後のまったり編、くらいの軽い気持ちで進めたら、案外長くなりましたね、この章も。
        次回は反省会。今度は耳の長い人と。



[14626] 37-1:バカンス・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/02 23:22


 ・scene 37-1・
 


 「何ていうか、最近自分が最低の人間なんじゃないかって思えて仕方が無いんだけど」

 「個人的な見解を言わせて貰えば、女性とそういう状況になったその日に、別の女性を寝室に招いているという行為は充分に最低最悪と言って良いのではないかと思うが」
 「アンタが勝手に上がりこんでるんじゃないか!!」
 森を覗くバルコニーに続く全面窓の側に置かれたティーテーブル。 
 悔恨の念と共に口にした言葉にあっさりと賛同せしめた女性の堂々とした態度に、アマギリは思わず全力で突っ込みを入れてしまっていた。
 「夜も遅い時間だというのに、大きな声で。近所迷惑だぞアマギリ」
 「半径百メートル以内に建物が無いよっ!」
 ついでに住んでいる人の偉さを象徴してか、この寝室は防音施工も完璧に施されていたりする。
 「大体アウラ王女、何で今日はこんなに遅い時間なんですか?」
 大きくリアクションを取るアマギリの様子を楽しそうに観察しているアウラの優雅な態度に、アマギリはげんなりとした声を上げた。

 このダークエルフの友人がダークエルフらしい気まぐれさを発揮して、稀に部屋を訪れる事は、ある。多くて一月に一度か二度程度だが、訪れてはさして内容の無い話を適当に広げた後で、アマギリ手ずから用意したティーカップの中身が空になる頃には姿を消す、と言う按配だ。
 しかし来訪する時間は決まって、アマギリが就寝する一、二時間前辺りが常だったから、今この時のように、既に日付が変わってしまったような時間に訪れると言うのは初めてのことだった。
 他所に知られれば、流石に言い訳の立たない危険な時間だといえるだろう。尤も、普段の時間でも別にまともな言い訳が成立する訳ではないのだが。
 
 そんな風に考えつつ、遠まわしに帰ってくれないかと言う意味を込めた言葉を送ってみたら、アウラは何故か奇妙な顔で首を捻っていた。
 アマギリの言っている事が、まるで要領を得ないという態度である。
 「アウラ王女?」
 「ん、ああ―――いや、ああ、そういう事か」
 呼びかけに応じて、何度か含むように口元をまごつかせた後で、アウラは何かに気付いたかのように薄く笑った。
 「その場に居たのに聞いていなかったんだな。私は、今日はお前と同じテーブルで夕食を食べていたんだぞ」
 「へ?」
 「まぁ、確かに目に見えてぼうっとしていたからな。ユキネ先輩もマリア王女も、大分呆れていらっしゃったが」
 「……ちょっと待った」
 思い出し笑いをしているアウラの言葉を遮って、アマギリは額に手を当て考える。

 本日の夕食。
 メニュー、不明。故に味も不明。
 食卓を囲んだ人間の顔など、覚えている筈も無いから、会話内容など知る由も無い。

 と言うかそもそも、食べた記憶がなかったが、ちゃんと食べたらしい。
 気分的には、気が付いたら寝室に居たといったところだったのだが、無意識に日常生活をちゃんとこなしていたようだ。てっきり、帰宅してからこっち、この時間まで寝室でぼうっとしていたのだと思ったが。
 尤も、その割にはちゃんと風呂に入って着替えまで終えていたようだが。
 
 「因みにその晩餐の折に、今日は泊まっていっては如何かとマリア王女のお誘いを受けてな。―――王女が就寝するまではお付き合いしていたから、遅れたのはまぁ、そのせいだ」
 「……マジですか」
 知らない間に随分仲が良くなったものだと、アマギリは微妙に頭が痛くなってきた。
 想像するに、碌でもない組み合わせである。口撃が激しくなりそうな意味で。
 「まぁ、それだけ意識を奪われていたのだから、最低と言うほどでも無いんじゃないか?」
 「―――ここで、そこに引き戻しますか」
 微笑むアウラに、今度こそアマギリはテーブルに突っ伏した。
 その常なら有り得ぬであろうだらしの無い姿勢に、アウラは益々笑みを深くした。嘲笑ではなく、好意的なものだった。
 「いや、なに。大切な親友に関わる問題だからな。真剣に考えていてくれているなら安心したよ」
 「真剣―――って、言われると辛いんですけどね」
 首だけ動かして顔を上げたアマギリは、苦い笑みを浮かべて応じた。
 「本当に何ていうか、戸惑ってるんですよ、ホントどうしたら良いのか、本当に解らなくって……」
 言葉の使いからして混乱が伝わってきそうな態度が、いっそアウラにとっては微笑ましかった。
 「少し意外だな」
 「何がですか」
 その頬を膨らませた拗ねた態度が―――ではなく、それはそれで意外だと思いつつも、アウラは続けた。
 「こういう人間関係の処理はお前の得意技だと思っていたのだが」
 もっと上手くあしらえそうな物だがと、今のアマギリの体たらくを意外そうな目で見るアウラに、アマギリは眉を顰めた。
 「他人事じゃないんですから、そんな遊び感覚じゃ出来ませんよ……。泣かせたら、怖いじゃないですか」
 「紳士なのか臆病なのか、返答に困る答えだなそれは」
 「どーせヘタレのビビリですよ、僕は」
 うあー、等と情けないうめき声を上げて脱力するアマギリに、アウラは片眉を上げて驚きを示した。

 泣かせると、怖い。

 冗談のような不貞腐れた口調だったが、本気でそれが理由らしい。
 何とも人情味に溢れすぎていて、正直この男らしくないとしか感想が浮かばない。
 女の涙に弱いなどと―――逆に考えれば、それが怖いからこそ、普段人を自分の外側に排除するような人間を演じているという事なのかもしれない。
 最近の年齢以上に幼く見える態度こそ本質、と言う事なのだろうか。
 本人曰く、記憶が無いと嘯いているから、記憶がなくなった丁度その瞬間で精神的な成長が止まってしまっているという事も考えられるか。
 尤も人間には誰しも多面性と言うものがある、それが全て真実という訳でも無いだろう。
 これまでは友人としての片側からしか見えなかったものが、彼の家族が現れた事により、違った面が見えるようになった。そういう事だ。
 
 「端から見ている分には面白いから結構な事だがな」
 「いきなり黙ったと思ったら、どんな経緯でその結論に到達したんですか……」
 「お前は得がたい友人だよ、と言うことだ」
 半分諦めの入った口調で突っ込むアマギリに対して、アウラは楽しそうに笑って応じた。
 「どうしてこう、他に考える事があるときに限って、色々重大事が起きるんですかねぇ。暇な時は本当に何にも起きないのに」
 だらしなくしているのも疲れてきたという態度で体を起こしたアマギリは、そのまま背もたれに体を預けて天井を見ながら言った。
 「他?」
 アウラは首を捻った。アマギリは苦笑して言った。投げやりに。
 「剣士殿の事とかね。他にもシトレイユのオッサン絡みの話とか、色々。まぁ、後者は半分遊びだから良いのか……」

 「―――剣士、か」

 忘れていた訳ではない、と言う言い訳すら難しいくらいに完全に失念していたアウラは、その名前に眦を寄せた。
 「剣士―――の、事はしかし、暫くは放置しておくと言っていなかったか?」
 「まぁ、本当はそうしたかったんですけど、ちょっとウチの連中の報告とか聞くに、あんまり遠ざけておくわけにもいかなそうなんですよね。―――放っておいても、遠からずぶつかりそうと言うか」
 天井から降ろされた視線は、何処か倦怠感のある、つまりはアウラの尤も良く知っている類の表情だった。
 貴女も巻き込まれますよと言う、視線に込められた意味をアウラは誤解しなかった。
 「どういう事だ?」
 「たいした事じゃないですよ。ヒトもモノも、何故だか此処―――聖地へと集中し始めているってだけです」
 「―――聖地へ、だと?」
 「ええ。まぁ前からその気配は無くはなかったんですけど、今年に入って一気にですよ。初めはてっきり従妹殿を暗殺するためかと思っていたんですけど、どうも違う。―――連中、此処で何かしようとしている」
 連中、と言うものが誰を指すのかを解らないアウラではない。従妹殿と呼ばれている少女がラシャラ・アースだと理解しているのだから、尚更だった。
 「しかし、それと剣士がどう関係がある?」
 「本命の手下の連中はさ、倅君が気まぐれに動かしている連中と違って、無駄な行動は一切取らない慎重な人たちなんですよ。だからこそ、ウチの連中も全部の存在を把握し切れていないんですけど―――まぁ、とにかく。その無駄な行動をしない連中が、何故か最近剣士殿の周りでウロチョロしているのが、ちょっと疑問でして」
 アウラはそこまでの話を聞いて、感心したように頷いた。
 「半分寝ぼけているような状況の最近でも、その辺も確りやってたんだな」
 「……まぁ、気分転換にもなりますしね」
 最早反論する気も起きなかった。投げやりな口調のアマギリに、アウラは冗談だと苦笑した後で、真面目な顔を作った。
 「しかし、確か剣士は元々その―――その、”連中”に使われていたのだろう? ならば単純に、回収に来たということではないのか? 何しろ貴重な男性聖機師だ―――その上」

 異世界人でもある。

 口に出さずに、アウラは付け足した。アマギリは肩を竦めて応じる。
 「回収する気が有るほど重要な駒なら、初めから捨て駒扱いで倅に預けたりはしないでしょうよ。百歩譲って回収する気が有るとしても、こんなに衆目にさらす前に、もっと早く手を打つと思いますし」
 「なるほどな」
 アウラは頷いた。
 そういう方面の人間心理なら読みきれるのに、何故女性の心理は理解できないのか疑問で仕方が無かった。無論顔に出す事はなかったが。
 「異世界人に、陰謀を企む権力者の影……後は、聖機神とかもあるのか。何なんですかね、聖地って?」
 自身の考えを纏めるように呟いた後、顔を上げてアマギリは尋ねた。しかし、アウラは首を横に振って応じた。
 「私が知っているような事は、とっくの昔にお前も知っていると思うが」
 「名も泣き女神との契約の地―――ってまぁ、建前は良いですか。元々はシトレイユの領内で、聖機神が発見された場所らしいですね。地底部には先史文明の遺跡がまだ眠っているとかいう話もありますし―――何か、偉い人が興味を持つような碌でもないものでもあるんでしょうかね」
 「偉い人間が興味を持つようなものがあるのなら、そも、聖地を教会に譲渡した時のシトレイユ国王が確保してしまっていると思うが」
 考えられる話だった。
 必要なものを全て手に入れたからこそ、もう必要ないからと―――そのカモフラージュも兼ねて、先史文明の遺産の管理を司る教会に差し出す。
 「でも逆に、偉い人でも手に負えないから、教会に丸投げしたって考え方もありなんですよね」
 「それを今更回収しようと思い立った人間が居れば、手に負えるようにする算段がついたと考えられるか。―――まさか、それが剣士だとでも?」
 探るようなアウラの態度に、アマギリはさて、と首を捻った。
 「そうするとさっき言ったように、剣士殿を捨て駒にした理由が解らなくなるんですよね。―――まぁ、この辺推測ばっかりになるし、推測しようにも、向こうも一つの思惑だけで動いているんじゃないっぽいんで解釈のしようが難しいんですが」
 「思惑が……一つではない、だと?」
 「現場で勝手に動いてたり、裏でこっそり動いてたり、隠し様もなく堂々としていたり、まぁ、ゴチャゴチャですよ」
 面倒くさそうに話を纏めるアマギリに、アウラは難しい顔で頷くしか出来なかった。
 この方面に関してこの男が解らないというような問題を、自分が理解しきれるものではないと正しく理解していた。

 「何か解って、手が必要ならば、その時は言えば良い。私でよければ幾らでも手を貸そう」
 
 その時は手助けをするからとはっきりとした口調で言うアウラに、アマギリは目を瞬かせた。
 「何か、随分と気前が良いですね」
 係わり合いになりたくないと一歩引かれると思っていたと正直に話すアマギリに、アウラは笑った。
 「何、単純な話さ。そんな面倒な事柄よりも、私個人としてはお前にはもっと別の問題に注力してもらいたいからな」
 だから、憂いを絶つ手伝いくらいはすると、とても楽しそうに笑うアウラに、アマギリは項垂れた。
 「結局そっちに戻る訳ですね……」
 「重要な事だからな。―――お前にとってもそうではないのか?」
 「否定はしませんよ」
 出来る筈も無いしと、音を出さずに付け足した。その言葉に、アウラは満足そうに頷いた。
 「ならば、いいさ。お前にとって先の件が―――特に剣士が関わってしまった以上、重要な意味を持ってしまっているのも理解できるつもりだ。何しろ剣士は、お前にとって……」
 
 たった一つの、帰還への道しるべ。
 二年間、此処へ来る前を含めれば、もう六、七年は暮らし続けていたジェミナーについに訪れた、過去との接点。
 重要で無い筈が無い。
 時に曖昧な過去を語る事のあるこの友人が、そういったときに限って憧憬の眼差しを虚空へと捧げている事をアウラは知っていた。

 「―――だが、出来れば帰還が決まった場合であっても、その前に……」
 そこから先を口にする事は、流石に当事者ではない自身には分不相応かもしれない。
 口ごもるアウラに、アマギリは薄く笑って答えた。
 
 「そうですね。―――発つ鳥跡を濁さず、とも言いますものね」

 アマギリの言葉に、アウラは悲しげな笑みを浮かべて頷いた。

 ”発たない”とは言わなかった―――発ちたくは無いのだという気持ちは痛いほど伝わってきたのに。

 地に下りし龍は女神より翼を賜り、そして。

 そしてその時―――龍は何を思ったのだろうか。喜びか、悲しみか。それとも。

 何故だか、それが解る日が近いことを予感せざるを得なかった。






    ※ サブタイが原作通りに戻りますけど、内容が最早原作を追従できる環境に無かったり。
      バカンスですので、久しぶりにアクティブに動く事になるかと。

      



[14626] 37-2:バカンス・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/03 23:35


 ・Scene 37-2・




 「……それで、バカンスですか?」

 『そう、折角明日から夏休みだし、聖地に居る御友達も皆連れて、一度いらっしゃいな』
 掌サイズの通信機に投影された女性の姿が、身振り手振りを交えて楽しそうに微笑んでいる。
 ハヴォニワ王国女王、フローラ・ナナダン。毎度の事ながら、楽しそうな事だなとアマギリは思った。

 ひまわりのような輝かしい笑顔、とでも言うのか。
 夏に相応しいし、良い例えかもしれない。
 
 ―――そんな風に夏の蒸した空気にあてられて、のぼせたような考えをしてしまった自分に、アマギリは苦笑してしまった。
 『何を笑っているの?』
 「いえ、別に。―――まぁ、確かに避暑地で涼むのが必要な気もしてきたところです」
 頭を冷やす意味も込めて。半笑いで答えたその内容を察せられてしまったのだろうか、フローラは、更に笑みを深めた。
 『楽しそうね、最近』
 「そうですか? ―――と言うか女王陛下もそれですか」
 『あら、他の子にも言われたのかしら?』
 「笑うようになったとか精神年齢下がってないかとか、何か会う人会う人そう言う事言われてる気がします、最近は」
 いっそ照れ混じりのその笑いこそ、周りの意見の正しさを示しているのだろうに、アマギリ自身はそれに気付いていない。
 フローラもそれを微笑ましく思いながら、指摘する事は無い。良い変化だと思っていた。

 「ところで、バカンスって言いましたが何処で?」

 余りにもフローラの笑顔が慈愛に満ち溢れていたものだったから、気恥ずかしくなってアマギリは話題を変えた。
 すると、通信機の映し出す映像がフローラから何かの文章ファイルに切り替わり、彼女は音声だけの存在へと変わった。
 『さっき貴方が避暑地が良さそうな事言ってたし、此処なんてどうかしら?』
 「いや、近くに山か海でもあれば勝手に滝に撃たれるか飛び込むかしてくるから何処でも構わないですけど……って言うか、此処」
 軽い気分で文章ファイルを読み進めていたアマギリは、その内容を吟味するに至り、頬を引き攣らせる事になった。
 示された、ハヴォニワ国内有数の高級別荘地に関して、知識があったからだ。
 高地に挟まれた狭い渓谷を抜けた先にある、森と湖に囲まれた風光明媚な土地。その自然は、天然の要塞ともなっており、外部からの何ものもの侵入を阻む。
 「セキュリティ管理の行き届いた、富裕層御用達しの場所じゃないですか」
 『そうよ? 貴方のご招待なんだから、来る子は皆立場のある子ばかりでしょうし、此処なら安心でしょう?』
 資料の映像を脇に避けて、フローラが笑顔を覗かせる。
 アマギリは苦笑して頷いた。
 「安心は安心でしょうね。―――何をするにしても」
 『遊ぶにはぴったりでしょう?』
 「ええ、水場も近いですし、火遊びにも持って来いじゃないですか?」
 『あら、だったら丁度良いから花火でもやろうかしら。貴方最近、そっちの方も研究しているらしいじゃない』

 いつの間にか華の様な笑みが隙の無い笑みに変わっていた。
 ―――どちらも、共に。

 「耳が早いですね。―――いや、目が良いって言うんでしょうか」
 『貴方の手足は元々誰のものだったかしら』
 「身も心も、僕は初めから貴女のものですよ、陛下」
 見られて困るものでもないしと、常ならやらぬ気取った返し方をしてみると、何故か半眼で睨みつけられた。
 『―――その割には、貴女この前リ……』
 「いやいやいや、ちょっと待った!」
 不穏当な響きが洩れ聞こえたのでアマギリは慌てて押し留める。
 そして高速で思考を繰り広げる。
 
 知られて困る話題では、無い。
 ―――と、思い込めないことも無い。余談だが妹が暫く冷たかったから肝を冷やした記憶があるが。
 と言うか、先にフローラ自身が告げていた通りに、アマギリの手足となって動く配下の人間は、元々女王であるフローラに仕えている人間である。今でも主は―――命令の優先権は、フローラが先に立つ。付き合い方を考えれば、優先権を変更させる事も出来ただろうが、アマギリはあえてそれをしていなかったから、フローラの命令を優先する事についてはアマギリは特に思うところも無い。お勤めご苦労様、くらいのものだ。

 ―――けれども、流石に。

 「……まさか、絵には残して無いでしょうね?」
 『それは相手の子に悪いから、してないわよ』
 「音でも駄目ですよ」
 『外には出さないから安心なさい』
 いや、全く安心できないと言うか僕には悪いとは思わない訳だなとか、短い会話の間に色々と突っ込みたい所が合ったが、全部薮蛇になるに違いないとアマギリは堪える事にした。
 とりあえず後で家令長に相談しておこう、と決心する。尤も肩を叩かれるだけで終わりそうだが。
 「―――まぁ、それは直接お会いした時にじっくりとお話しするとして、ですね」
 『じっくり、しっぽりと、ね。―――バカンスですし』
 「流し目送らなくて良いですから! ええと、”花火”に関してですけど」
 旗色が悪すぎると、強引に話題を切り上げるアマギリに、フローラは不敵に笑って応じた。
 『出来れば現物が見たいわ。―――ああ、情報開示を求める気は無いから、そこは安心して』
 「別に欲しいなら図面ごとあげますよ? ロハで」
 バカンスに物騒なものを持っていく事になりそうだなと思いつつ、火遊び予定ならば丁度良いかと若干投げやりな思いも込めてアマギリは答えた。
 「在り合わせのモノでも出来るもので作ったものばかりですしね。―――未開惑星保護条約にも抵触しないと思いますから」
 『モノがこの世界の物で出来ていたとしても、そういう形になる発想自体がこの世界の人間からは出てこないわよ。それに、教会に睨まれるのも面倒ですもの』
 だから、遠慮しておくわとフローラは鼻を鳴らして応じた。
 「教会、ねぇ」
 不機嫌そうなフローラの様子に感づきつつも、アマギリはその言葉だけを拾っていた。元々話題を振ってきたのはフローラの方だったから、自分から取り成す気も起きなかったのだ。
 「教会に関してですけど、その後何か解りましたか?」
 『―――いいえ、別に。これだけ盗聴可能な会話を繰り返していれば、そのうち何かしらのアプローチでもしてくれるかしらと思ってたけど、全部外れ。転位装置もユライト・メストもメザイア・フランも今の所何も解らないわ』
 世界的なネットワークを構築している教会は、その他を圧倒する高水準の技術力を以ってしてか、鉄壁の防諜体勢を有している。主君の適正ゆえか、情報戦に力を入れているハヴォニワを以ってしても、中々必要な情報を引き出せる物ではないらしい。
 「秘密主義も徹底してますね、ホント……」
 『案外、貴方が寝物語で聞き出したほうが早いんじゃない?』
 多少の厭味を込めてのフローラの言葉に、アマギリは心底嫌そうに眉をしかめた。
 「こういう遊びは向かない人ですよ、あの人」
 言外に巻き込むつもりも無いと強い口調で切り捨てる。
 その態度が逆にフローラには面白かったらしい、微笑を浮かべて言った。
 『一度身内と認めると、過保護になるわよねぇ貴方も』
 「……別に、そういう積もりも無いんですけど。―――うざったいですかね?」
 言葉を詰まらせた後で、気まずそうな表情でアマギリは問い返す。フローラは処置なしと首を横に振った。
 『若い子にとってはそういうの嬉しいんじゃないかしら?』
 「じゃ、女王陛下には現状維持を貫く事にします」
 投げやりな言葉には投げやりな返しで、そんな気分で適当に返事をしたら、その瞬間にフローラの顔が能面のようになった。

 『―――それは、私に挑戦しているのかしら?』
 
 「は? ……って、あ」
 やっちまった、とアマギリは冷や汗を流した。
 話の流れのままに受け取ってしまうと、”フローラが若くない”と言っている風にも取れる。
 
 ―――いや、でも”若い子”なんて表現を先に使ったのは、そんな言い訳はこういう場面では通用する筈も無い。
 それぐらいの理解力はアマギリも色々と経験があったお陰で身に着けていた。

 『最近どんどん男の顔をする場面が増えてきてたけど、まだまだ磨き足りないって事かしらね?』
 「―――いや、その」
 『やっぱり若い子に任せきりってのが良くなかったのかしら』
 「だからその発言を自分からしておいて青筋浮かべるとか筋違いじゃね!?」
 頬に手を当ててわざとらしくため息を吐くフローラに、アマギリは思わず無謀にも突っ込みを入れていた。
 睨み一発で黙らされたが。
 『原石は磨いてこそ。可愛い子には旅をさせろ。獅子は子を谷底へ……でもやっぱり、手元で丁寧に仕上げが必要なのかしらねぇ』
 「アンタ、そんなつもりがあったのか……」
 そういえば聖地に入学する当初にそんなような事を家令長から言われたような気がするなと、げんなりした顔でアマギリは思い出していた。
 
 ―――そういうの、調教とか言わない?

 聞いたら酷い事になりそうだったので、聞くことはなかったが。
 そんな風にアマギリが考えているうちに、フローラは勝手に納得し終えたらしい。再び笑顔になってアマギリに向き直った。
 『バカンス、楽しみねぇ?』
 「そう、ですね……」
 頬を引き攣らせて、応じるより無かった。フローラは小悪魔―――小をつけるのは微妙に気合が要ったが―――のような笑みで、続ける。

 『男の子の友達もちゃんと呼ぶのよ? もう、大歓迎だから』

 「―――ああ」
 アマギリは一度二度と瞬きする間に表情を改めて、納得の顔を浮かべた。
 「剣士殿とはまだ直接対面していませんでしたしね」
 『ええ。貴方の秘蔵の玉中の玉。楽しみにさせてもらうわ』
 「―――といっても、ラシャラ女王に譲っちゃったんですけどね」
 目だけは真剣な顔で頷くフローラに、アマギリは肩を竦めて応じた。
 『会わせたくない?』
 「と言うか、貴女とは”合わない”んじゃないかと。天衣無縫ってヤツですから、あの方も」
 利用したいのなら期待しない方が良いと、アマギリは簡潔に答えた。
 『そういう子は、今は貴方一人で手一杯ね、確かに』
 「僕は割りと、鎖でつながれて地べた這いずり回ってますよ」
 『それが解るようになっただけ、貴方も成長したわね。―――剣士ちゃんのことはそれでいいとして』
 置いておいて、とフローラは手芝居を加えた後でニコリと微笑んで続けた。

 『―――同級生の御友達も、是非ご招待なさいな』






    ※ ガチガチの前フリ回。
      色々とまぁ、起こる事が起こる予定なので。



[14626] 37-3:バカンス・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/04 23:52


 ・Scene 37-3・




 我が身の不幸を呪えば良いのか?

 そうではない、機会が訪れたのだと思え。
 欲しいもの、望むべき場所、全てを自分の力で手に入れる機会が訪れたのだと。

 薄暗がりで密会を行っている男性聖機師と、そして恐らくは庶民の少女。
 その姿を隠れて伺いながら、その者達の会話を聞きながら、ダグマイア・メストは不機嫌そうに眉を顰めてそんな事を考えていた。
 男性聖機師は徹底的にその血を管理される。配偶者を選ぶ権利など存在しない。
 聖機師の系譜に生れ落ちたダグマイアですらそれに苦いものを覚えざるを得ないのだから、あの少年―――恐らくは、聖地学院に在学している下級生だろう―――のように、庶民の一般家系から突然変異的に聖機師としての資格を有してしまったものであれば、その思いも尚更だろう。
 環境を変えるのは容易い。だが、人と人とのつながりを断ち切るのは酷く難しいから。
 だからこんな風に、他者から敬われるべき立場に”貶められて”いながら、後ろ暗い気分でかつてからの想い人と密会などせねばならない。
 男性聖機師とは、結局はそうした、自由に好きな人と会う権利すら与えられない、束縛に満ちた地位なのだ。

 風光明媚なハヴォニワの高級別荘地に向かう賓客専用の旅客船。
 乗り込んだ人々は各国を代表する王侯貴族に聖機師たち。
 しかして、他者から全貌の眼差しを集めるに違いないその場所へ居る権利を与えられたダグマイアにとっての現実は、この薄暗い倉庫室の冷たい空気に他ならなかった。
 今も甲板上で微笑みあっている者達が、決して視界の冷めようとしない不の情念。
 奢り高ぶった者達が天を見上げ、見ようともせずに踏みにじった者達の淀んだ意識の溜り場。
 
 今の、ダグマイアの居場所だ。

 だが、とダグマイアは思う。
 確かに此処に貶められているのは事実。生まれた時から決まっていた自分の居場所である事は間違いない。
 だけど―――だからこそ、此処から這い出してみせると、もうずっと前に決意していた。
 父の大望、叔父の思惑。それらすらを利用して、自らの求めるべき、自らが望む場所に居る力を手に入れる。
 手に入れてみせる。
 「欲しい物があれば、力で手に入れれば良いだろう……」
 そう決意していたから、ダグマイアは、同じくこの奈落に貶められている男性聖機師の少年を断絶した。
 諦めが先に立ち、自らを慰めるように世を嘆くだけで動こうとしない。
 決して、認められない生き方だった。
 「軟弱な奴らめ……」
 
 「そんな風に言うもんじゃないよ。誰にも立場ってモノがあるんだから」

 殆ど吐息に混じったような呟きに、重ねられる言葉があった。
 腕を組んで壁に背を預けていたダグマイアは、俯いていた顔を上げずに、横目でその存在を伺う。
 「アマギリ殿下」
 「出歯亀とは、案外変わった趣味があるねダグマイア君も」
 気が合いそうだ、等と興味も無さそうに言いながら、ダグマイアの横に、同様に背を預けた。
 両手をポケットに突っ込んで横目で―――見えないだろうに、角の奥にある倉庫の様子を伺うその態度を、まさかこの国の王子と信じる奴は居ないだろう。
 何をしに来たのやら、相手をするのも面倒くさいとダグマイアは肩を竦めた。
 「ご冗談を」
 「説得力無いよ、その言葉」
 「……」
 状況が状況であるから、否定できなかった。
 「さしずめ、密航者との密会現場ってトコか」
 体を戻したアマギリが、納得したといった風に薄く笑った。安楽な態度に、ダグマイアは眉を顰めた。
 「取り押さえなくて、宜しいので?」
 ハヴォニワ国内で他国の男性聖機師が(恐らく)面会禁止措置が取られた人間との密会。
 それ自体はハヴォニワの責任とはならないが、現場を目撃してしまったのであれば話しは別だ。
 現場を目撃して、それを見過ごした等と判明した日には、いらない問題が発生する可能性もある。
 だが、アマギリは興味も無さそうに鼻を鳴らすだけだった。親指を立てて甲板へ上がる通路を指し示して、場を離れる事をダグマイアに促してくる。
 特にこれ以上この場に居る必要性も感じなかったダグマイアは、黙ってその仕草に従った。
 振り返る事もしない。
 ―――それが無価値だと思っているのだから、当然だ。
 
 「ま、折角の夏のバカンスに、面倒ごとにわざわざ首を突っ込むってのもね」
 深い渓谷の間を進む旅客船の後部デッキに上がる階段の手前で、アマギリは唐突に立ち止まってそんな風に言った。ダグマイアも釣られて立ち止まる。
 「面倒、ですか。見過ごした方が後になって面倒なのでは?」
 「知らなければ意味無いだろう?」
 黙認する気らしい。
 そのまま壁に背を預けて話す体制になっていたアマギリにあわせるように、ダグマイアも向かいの壁に背を預けた。
 船と言う限られたスペースを有効に使わなければならない構造物内の、しかも客の目にはつかない筈の船員用の狭い通路。必然、向かい合わせに視線をつき合わせば、存外近い位置となった。
 一対一で向かい合うのは―――そういえば、随分と久しぶりか。
 表面上の親しさは常に見せていたが、それだけとも言える関係だったから、滅多な事では二人だけとなる事は無い。そも、互いに従者が常に付き従っていたというのもある。
 「僕としてはダグマイア君の態度こそ意外だね。ああいうの、見つけたら咎めるもんだと思ってたよ」
 「殿下は存じ上げないかもしれませんが、案外ああいう手合いは珍しくも無いですからね。一々口を突っ込んでいては、身が持ちません」
 「そりゃまた。―――んでも、弱みを握れば後で役に立ちそうじゃない?」
 軽薄そうな笑みと言葉。何を考えているのか、相変わらずダグマイアには知る由も無い。
 明確に敵と認識しているこの男の、しかしダグマイアは本性が読みきれなかった。

 ダグマイアとアマギリは敵対している。立場からも、個人としての関係からもそれが明らかだ。
 お互いの共通認識としてそうあるというのに―――時にこうやって、気軽な態度でアマギリは話しかけてくる。
 何かの布石なのかと神経をとがらせてみても、それで肩透かしを食らう事も多かった。
 今回とて、そう。
 ハヴォニワ王室経由―――王子アマギリの個人名義ではなく、ナナダン家からの誘いとして、この夏季長期休暇を利用した避暑地への旅行へと招かれた。
 王室から、宰相家公子への誘いとあっては理由も無く断る事も出来ない。他に他国尾の王族たちまで招かれているのだから、尚更だ。建前上、主君として崇めなければならないシトレイユ国王ラシャラ・アースも参加している事だし。
 何の企みなのか。事前にこれでもかと調べてみたが、判明しなかった。
 どうやら本当に気まぐれな避暑地旅行に招待されただけとも考えられるし―――そうであってくれたほうが良いかもしれないと、ダグマイア自身も気抜けた考えを持ってしまう。

 聖地では最近、自身の目的のための行動に手詰まり感を覚えていたからだ。

 人が、集まらないのだ。
 即応するとは思わないが、威を持って理を説けば後は自ずと賛同者が増えるだろうと思えていた”計画”の、しかし誘う者の誰しもが、話を聞き終えた瞬間に、天秤を前にしたような顔を浮かべる。
 そして、曖昧な言葉を述べてその場を辞し、そのまま二度とダグマイアの前に現れる事は無い。
 そうした人間を、もう何人も見てきた。
 本来であれば同士となってくれたであろう男性聖機師たちが、誰も彼も、踏み出す一歩を惑っている。
 その理由は、当然理解している。
 目の前の男の存在が、そのまま理由そのものだった。
 アマギリ・ナナダン―――ダグマイアと並ぶ、シトレイユと並び立つハヴォニワの王子。
 ダグマイアに協力するのであれば、アマギリとの対立は必須だ。
 そして賛同しなかった男性性騎士達は、悪辣さについては右に出るものの居ないこの男と対立する事を恐ろしいと感じているのだろう。

 ―――次は無い。

 今でも思い出せば背筋を震わすようなその言葉。
 事が起これば容赦なく―――だが、ダグマイアは止まれない。計画は元々彼の思惑を外れた所で動いていたと言う理由もあるし、きっと止まってしまえば、二度と走り出せないだろうという思いが自分の中にもあったから。
 だからこそ焦り、勧誘にも必死に―――それこそ、無様なほどに。必死さを見せれば、更に勝ち目無しと思い人は遠のいていく。
 挙句、行動に粗が目立ち始めたと叔父如きに咎められるようになってしまえば―――こうして、場所を変え気分を変えたくなる気持ちも、ダグマイアの中に生まれてくる。
 何もかも忘れて。しがらみも、情念も、沸き立つ怒りも何もかも。

 今更出来る訳が無いのに。
 
 「弱みを手綱に縛った所で、そんな人間は何の役にも立たないでしょう」

 考える事すら煩わしいと、ダグマイアは頭を振り払って吐き捨てた。
 アマギリが不思議な顔で見ている事すら気にならなかった。
 「役立たずすら役に立てるのが、一流の策士の技ってもんだと思うけどねぇ」
 「そうですね。そうでしょうとも。―――貴方ならばそうでしょう」

 だが、俺は違う。ダグマイア・メストは、違う。
 薄暗闇の中で罠を張り巡らし、只獲物が掛かるのを待つだけの―――そんな事は出来ない。
 だからこそ、水面下でどれだけもがいても賛同者の数が一向に増えない。
 気分転換にもならない。再びループした思考に、ダグマイアは頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。
 無論、敵の前でそんな無様は出来なかったが。
 
 「あんまり怖い顔するものじゃないよ。折角の夏休みなんだからさ」
 歯を食いしばるダグマイアに、しかしアマギリはへらへらと笑っている。同じ奈落に嵌った身でありながら、どうしてこうもこの男は軽いのか。 
 否。この男だけではない。
 野生の獣を思わせる、あの異世界人の小僧も。彼らは自身等のいる場所を闇の中とも思わずに、軽快に動き回っている。
 「どうしてそんな風に笑える。お前達は」
 気付けば、そんな風に尋ねていた。
 口調からして明らかな失言で―――しかし、アマギリは一瞬目を瞬かせただけで、肩を竦めるだけだった。
 「どうして、ね。僕の場合はまぁ、笑うしかない状況っつーか―――どうでも良いか。剣士殿の場合は、そうだな。アレも言ってみれば、そういう血とか因果に縛られてるって事なんじゃない?」
 「血に―――? それは、どういう」
 「神木は嗾ける。柾木は飛び出す。竜木は苦笑い。そして天木は一人愚痴る。どの時代でも何処の誰でも、その辺の根本は変わらないって何か昔そんな事を言われたよ、僕は」
 「―――何を?」
 訳の解らない事をと、ダグマイアが尋ねようとしても、アマギリはそれこそ笑うだけで答える事は無かった。
 「難しく考えたら負け、あるがままを受け入れるのが正道って事だよ、きっと。―――そう言う事なんで、そろそろ僕は諦めて上に行くよ。……ホント、どうしてこんな風になったかなぁ」
 最後の呟きは誰に聞かせるでもなく、何処か遠くへぼやくように呟いて、アマギリはさっさと一人で階段を上がっていった。
 話を始めたのはアマギリだろうに、最早ダグマイアには構おうともしない。
 元から存在を認知していなかったかのような、―――外を伺いドアの傍で身を潜める姿は、そんな風に感じられた。
 正直、ドアを少しだけ開いて外の様子を伺っているその姿は、滑稽というに相応しい。

 ―――笑うしか、無いほどに。

 唇をゆがめて息を漏らした事に気付かれたのだろうか、ドアノブを手に握ったまま、アマギリが振り向いていた。
 不思議なものを見た。そんな顔でダグマイアを見ていた。
 その後で、何がおかしかったのか一瞬だけ微苦笑した後で、アマギリはそういえば、と口を開いた。
 「この旅行の目的って言ったっけ?」
 「―――? いえ」
 目的。これほどのメンツを集めたのであれば、―――アマギリか、フローラか、どちらにせよ何かしらの思惑が無い筈が無い。
 だが、その理由をまさか、聞かせてもらえるとでも言うのだろうか。
 疑問の視線を受けてアマギリは、苦笑したまま続けた。
 「何か邪推してバカンス楽しめないんじゃ申し訳ないし、先に伝えておこうと思って。―――最近ね、この界隈で別荘に止まる金持ち目当ての大規模な山賊団の動きが活発化しているんだ。強盗から誘拐、ついでに暗殺まで何でも御座れの―――もう山賊って括りすら温いような面倒な連中らしいから、ここらで母上が一計を案じた、って処さ」
 理解できた? と尋ねてくるアマギリに、憮然とした態度でダグマイアは頷く。
 「―――我々はエサだと言いたいのでしょう」
 「ご賢察。まぁ、この船にもこれ見よがしに聖機人乗っけてるって段階で、バレバレか」
 「―――そう、ですね」
 迂闊にも気付いていなかったとは言えなかった。
 「そう言う訳だから、ちょっとした騒ぎも起きるかもしれないけど、安心してバカンスを楽しんでくれれば良いよ―――っと、ヤベ、見つかった!」
 ダグマイアが答える暇も無く、焦った顔をしたアマギリはドアから飛び出して姿を消した。

 開ききったドアの向こうで、バタバタと数人の足音が聞こえたが―――何をやっているのやら。
 あの間の抜けた只の少年のような態度が、最近良く敵が見せる姿なのである。
 フリか。余裕を見せているつもりなのか。舐められているのか。
 何せアマギリ・ナナダンである。どのような態度を示していても油断は出来ない。
 
 休暇を楽しめ。理由は説明したのだから―――その上辺だけで納得するなど、愚の骨頂。

 裏をかけ。そして利を手繰り寄せろ。
 
 ―――腑抜けている場合では無い。
 明確な指針が一つでも見つかれば活力が沸くということだろう。
 険のある顔を浮かべていたダグマイアの瞳に、力が戻り始めていた。
 それは、一縷の望みに縋ろうとしている狂信的なものだったかもしれないが、確かめるものは此処に居なかった。

 「……山賊、か」

 一言、そう呟いたダグマイアは、予め先に別荘地へ侵入させておいた連絡員との繋ぎを取る手順を考え始めていた。

 薄暗い、望めば直ぐに自分の足で光指す場所へ迎える所に居るというのに。
 影の中に立ち止まったままで。

 きっと、恐らく。
 背後から注がれる視線の純真さに後ろめたさを覚えてしまったからと、聖地へ置いてきてしまった従者が傍に居てくれたのならば、絶対に止めてくれるであろう最悪の一手を、ダグマイアは思いついてしまっていた。







     ※ 一人だけシリアス。―――それが逆に滑稽、と言うのがやっぱ彼のポジションかと。






[14626] 37-4:バカンス・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/05 21:07



 ・Scene 37-4・




 目覚めは絹のカーテン越しに差し込む夏の日差しのせいではなく、隣にあったはずの温もりが失せていた事によるものだった。

 瞼を開ける。
 薄ぼんやりと視界の向こう、格子窓の傍に置かれたリクライニングチェアに腰掛けていた男の姿があった。
 普段はまとめている長髪を降ろしたまま、シャツも半分肌蹴たような格好で、通信機片手にズボンをはいている姿は、何ともいえない現実感のありすぎる光景だった。
 男の姿を確認できた事にわずかな安堵を覚えると同時に、僅かに心がささくれ立った様な気分をフローラは味わっていた。
 
 居てほしい時に、居ない。

 本人、空気を読めると嘯いている男であったが、女性の視点で見れば冗談も大概にしておけと言う外無い。
 こうして目覚めた時に何時の間にやら腕の中から―――否、腕の中に居たのは自分の方だが―――居なくなっているとか、まどろみに落ちる刹那の間際に別の女性の名前を口にして見せたりとか、余りにも気の回し方がなっていない。
 
 「ん―――じゃあ、A班とD班は拡張ラインの2まで後退。B、C班は即応体制でゲストの皆様の傍で待機―――そう待機だよ、待機。動くのは向こうに動かれた後で良いから。―――良い、良い。平気だって。向こうには剣士殿が居るんだから、脇役に出番は無いよ。え、こっち? ああ、じゃ一応警急待機。ある程度なら何とかできるから」
 
 ―――寝室で女性を放って仕事をしている姿も、減点だ。
 結構、見ている側には態度で理解できるものなのだ。
 気付いていないで通信機越しにやり取りをしているフリをして、とっくに気付いているであろう事は。
 いっその事、ベッドから這い出して抱きついてやろうか―――そんな悪戯心が脳裏に掠めたが、今の自分がシャワーも浴びていない状況で、昨晩の”残滓”が染み付いている現状を踏まえると、余り女性のプライド的な意味でも望ましくない。そういったものも気分が乗っていれば盛り上がる要素の一助になるのだろうが、朝の新鮮な空気の中でわざわざそこまで気分を回復させる事も難しかった。

 ―――何より、眠りに着くのが”遅かった”手前、この朝の早い時間はフローラにとって辛く、体中から倦怠感を感じるほどだった。
 ついでに言えば、日のある時間にまで男の時間を奪うのも―――男ではなく、男に視線を送っていた少女達に申し訳ない。日差しの元でくらい、少年として少女達に振り回されて居れば良い。次の夜は―――語るまでも無い。
 
 それこそ、朝から考える内容ではなかった。
 フローラは自身の浮ついた考えに失笑を浮かべつつも、男の会話から洩れ聞こえた内容から凡その事態を理解して、ベッドサイドに投げ出してあったナイトガウンを身に纏う。出来れば服を着込んでしまいたかったが、どうやらその暇も無さそうだったからだ。着替えている途中に、などとあったら面倒だったからだ。
 
 「じゃ、そういう事なんで宜しく―――ああ、念のためコンテナのロック外しておいてね。うん、鍵明けておけばそれで良いから。―――あの従者その辺抜けてるからさ。解除コードは―――うん、じゃあ宜しく」
 最後にそう告げて、男は卓上の通信機を切った。
 会話をする度に何処かに誰か女の話題が上がる辺りが、この男の駄目な部分を象徴しているなと、フローラは口に出さずに思った。
 男に背を向けたまま、背中が見えるように袖を肘に引っ掛けておいたガウンを肩まで引っ張りあげる。服のうちに溜まった髪を外へと払う仕草の間に、近づいてきて抱きしめるくらいはして欲しいものだが、その辺りの才能はどうやらないらしい事は、フローラも充分理解している。
 男はフローラのちょっとした誘いに、当然気付く事も無く、どうやら肩を竦め―――癖らしい。余り似合わないのだが―――て、フローラに言葉をかけてくる。
 「お目覚めですか」
 「気付いていたでしょう?」
 「―――まぁ、まだ早い時間ですし、二度寝してくれてもかまわなかったんで」
 一瞬言葉に詰まった後で、微妙な早口で言う態度がおかしかった。わざとらしい最初の言葉は、許してやっても良いだろうとフローラは振り返って男と視線を合わせた。
 「そうね、夜は遅かったし」
 「……朝から何を言ってるんですか貴女は」
 「”何”でしょう?」
 男は頬を赤らめ、苦虫を噛み潰したかのような顔に変わった。からかいすぎたらしい。
 少々品がなかったと自覚したフローラは、微笑を浮かべて男の望む会話の流れに乗ってやる事にした。
 「それで、トラブルかしら?」
 「ええ―――まぁ、僕が此処で一夜を明かした事がこの旅行の一番のトラブルである事は間違いないでしょうけど―――まぁ、トラブルです。たいした事じゃないですけど、賊が警戒網突破してダグマイア君を攫っていきました」
 誘いに乗っておいてその言い草も―――言い訳がましいのがこの男らしいと思えなくも無いが―――どうだろうと思いつつも、突っ込み始めるとキリが無い事もあって、フローラは義務的な気分で後半の内容についてのみ頷いた。
 尤も、凡そ予想通りの事態だったため、まるで感情が篭らなかったが。
 「あら、まぁ大変。貴方の貴重な男のお友達が」
 「警備の穴を突かれたらしいですよ」
 「警備担当の子が疑問に思ってた、例の穴ね」
 「ええ。密閉された容器に無理やり開けたようにすら見える、あの穴の事です」

 開けたのはアナタだろと、男とフローラの視線が絡み合う。

 それも一瞬の事で、やはりどちらにとってもそれほど興味が沸く話題ではなかったせいか、全くどうタイミングで溜め息を一つ吐いた後で、会話は再開された。
 「―――ま、調べる気が無い限りは気付かない、ほんの小さな穴だったんですけどね。―――調べて見つけても、内側からの協力が無いと、使い道が無いという」
 男の言葉はあからさまに過ぎた。その割りに面白く無さそうに言っているのだから、まんまと乗せられた彼にとっては悲しい話だろう。
 「どうせ来る途中で嗾けていたんでしょう? 一人で考え込んじゃってるような態度で、キャイアちゃんも可哀相にねぇ」
 「キャイアさんが可哀相なのは何時もどおりって言うか最早デフォだから仕方無いんじゃないですか?」
 「可哀相ついでに言えば、目当てのあの子に逃げられちゃったマリアちゃんとリチアさんも可哀相―――でもないか、追っかけまわしてて楽しそうだったものね」
 「僕に聞かないで下さいよ、それを」
 「貴方に聞かないで誰に聞くのよ、色男さん? ―――まぁ、それに関しては今晩で良いわ。結局、予想通りにエサに釣られた倅君は、どうするのかしら」
 ”今晩は絶対何処かへ逃げよう”と言う顔を隠そうともしない男に向かって、フローラは尋ねる。男は無理やり真面目な顔を作って応じた。
 「戦力不足のところに都合よく抱き込みやすそうな駒が手に入れば、倅君なら絶対手を出すと思ってましたから、まぁ、まずは話がつくまでは放置してあげて良いでしょう」
 「あら、向こうの戦力強化を手助けしちゃって良いのかしら」
 「”大望”なんてお題目を抱えている連中が、ああいう営利主義に寄った連中を内に引き込んじゃったら、後々絶対内部で面倒ごとが起きますから。長期的な視点で見れば、逆に戦力低下要素になりますよ」
 「反乱の鎮圧は初手で潰すのが必須―――でも、私たちは向こうに初手を打ってもらえなければまず盤上にすら上がれない」
 「だからこそ、ゲームが長引くにつれて効いて来る毒を仕込んでおかないと、ね」

 夜にこそ相応しい悪い話を微笑みながら交わす男女。
 少女達には見せられない光景―――でもないか、この男は基本、何時もこんな感じだった。
 人好きするような性格の持ち主ではないし、何処が良いのやら。フローラとしては正直、娘の趣味を疑う気分だった。
 教育を間違ったのだろうか?

 「……何か失礼な事考えられている視線を感じるんですが」
 眉根を寄せて尋ねてくる男を、フローラは笑って受け流した。
 「それが解るだけ成長したって事かしらねぇ。―――それで、長期的な部分は理解できたけど、短期的に見てどうするべきなのかしら」
 「どう、とは?」
 
 「―――此処にも、賊はやってくるんじゃないかしら。貴方、警備には待機を命じていたんだから」

 その言葉が終わった瞬間、格子窓を覆う絹のカーテンに、黒い影が被さる。
 ガシャンと、窓の割れる音。飛び込んでくる、粗野な格好をした男―――賊だ。しかし。
 室内に着地する寸前に、窓脇のリクライニングチェアに座っていた男が、賊の落下に完璧にタイミングを合わせるようにブーツを履いた爪先を振り上げていた。
 狙い違わず、賊の喉元を抉る男のブーツ。華美な装飾よりも実用性を追い求めるのが男の趣味らしく、そのブーツは外皮の高級さからは解りづらいが、脚を覆うように針金と薄い鉄板が仕込んであった。
 自身の落下速度と、振り上げられた鉄の爪先。
 衝撃は半端無いものだっただろう。メキリと、碌でもない音がして賊の首が二百八十度近くねじれ曲がった。
 床に叩きつけられ、泡を吹いて痙攣している。
 「―――、む」
 一瞬眉を顰める男。
 殺害してしまった事に関してではなく、どうも、フローラの前で死体を用意してしまった事が趣味に合わなかったらしい。意味も無くフェミニストである。
 男が賊の頭を念のために踏み砕いておくべきか悩んでいる間にも、更なる襲撃は続く。
 今度はバルコニーに面した全面窓が盛大に割れる音が響き、やはり刃物を構えた賊の姿があった。今度は二人。
 最初に入ってきた賊と合わせて、本来ならば二面の窓と入り口を押さえてフローラ達を囲い込むつもりだったのだろう。
 男は悩む事無く足元に落ちていた今死んだばかりの賊の短刀を拾い上げて、サイドスローで、格子窓から踏み込んできた賊が床にうつ伏せで倒れ付しているのに気付いて動揺している賊の一人の眉間を狙い投げつけた。
 「ナイスコントロール」
 「昔は運動苦手だったから、この手のあんまり流行らない特技とか身に着けてお茶を濁してたんですよね」
 「敵を近づけずに一方的にいたぶるってのは、いかにも貴方のやり方っぽいわねぇ」
 「まぁ、近づかれたら一方的に負ける、ただのもやしっ子ですから、僕」
 久しぶりの投げナイフだったが故か、少しばかり狙いが逸れて、”上半身の右側辺り”に短刀が直撃した賊の一人は、当然の如く心臓の鼓動を停止させられて前のめりに崩れ落ちた。
 その様をつぶさに眺めながら、何処か呑気な会話を繰り広げているフローラと男は、やはり相性が抜群に良いと言うことなのだろう。
 「てっ、てて、てめぇ等!?」
 しかし、その仲の良い会話は、突然二人の味方が殺された最後に残った賊からすれば、恐怖以外の何物でも無い。
 言葉は震え、握り締めた刃物も先端が揺れていた。
 さて、どうしたものかと男は悩む。最後の一人くらいは生け捕りにしたいなと思い、それを考慮に入れなければあっさりと対処可能だという難しい判断に。
 
 その悩みこそが賊の命を救った。

 自身たちが侵入に用いた、広大な庭園に面したバルコニー。古代の巨木の根が地面からせりあがるようにのたうっている特長的な景観。バルコニーの手すりの向こう、手が届く位置にある根の上を滑るように、赤い金属の塊が突っ込んできた。
 卵に車輪の生えた四本の脚、蟹とも蜘蛛ともつかないシルエット。
 爆音を滾らせて根の上からバルコニーに飛び移り、そして、蟹の鋏のような前方に装備された二本のアームのうち片方を、室内の賊目掛けて振り下ろした。
 ドカンと、金属の重量を加速と共に叩きつけられて、最後の賊は自身でも訳の解らぬうちに沈んだ。
 「機工人? 良い動きするじゃない」
 「ええ、ワウには頑張ってもらいましたから」
 「でも事前に判子押した図面と見た目が違うわねぇ」
 「ああ、動力変えたんでほぼゼロから作り直しましたし」
 ぐしゃぐしゃに破壊された窓の向こう、バルコニーにその身をさらしていたのは、赤い塗装をされた最新型の機工人だった。
 前面に設置されたむき出しの操縦席には、一人の少年の姿がある。
 「フローラ様、ご無事です―――って、アレぇ? あ……あ、アマギリ様?」
 「あら剣士ちゃん、お早う」
 「やぁ剣士殿、ご苦労様」
 とまどう少年―――剣士とは対照的に、室内から出てきたフローラとアマギリは、むしろ意味も無く朗らかな笑顔で語りかける。
 
 拙いものを見られた―――などと言う気分はまるで存在していなかった。
 
 尤も逸れはフローラだけで、アマギリにとっては遅かれ早かれどうしようもないと諦めの感情が立っていただけなのだが。
 「えーっとぉ……なんで? あれ? う~~~ん……」
 未だに”早朝のフローラの部屋にアマギリが居る”という状況に剣士は理解が追いつかない。
 アマギリは、混乱させたままの方が良いかと思って、あえて何も答えらしき言葉を返さずに笑ったまま言った。
 「状況はわかってるつもりだけど、他の子達は?」
 「へ? あ、ハイ! ―――えっと、そうだった! ラシャラ様とマリア様はユキネさんとワウと一緒に警備室に逃げ込んでるんですけど、まだ、アウラ様とダグマイア様が―――」
 「んじゃ、とりあえずアウラ王女を助けに行こうか。ダグマイア君は男だし、もうちょっと頑張ってくれるのを期待しよう。―――後ろ乗せてってくれる?」
 返事を聞くよりも先に、地面に降ろしていた前腕部に足をかけていたアマギリは、フローラの方を振り返った。
 「女王陛下はどうします?」
 アマギリの問いに、フローラは微笑んだまま答えた。
 「男の子の遊びに着いて行く気は無いわよ。まだ眠いし、寝直すことにするわ」
 「そうですか。それじゃ、警備の連中回しておきますからごゆっくり」
 軽く頷いて、アマギリは応じた。

 気付かないうちに進んでいく状況に、思考が追いつかない剣士。
 それを良い事に自分に都合よく状況を進めていこうとするアマギリ。
 
 軽快な動作で剣士の背後の補助席に座り込むその態度は、男同士の遊びの方がまだまだ楽しいお年頃とでも言いたいのか、どこかフローラは蔑ろにされているような気分を味わっていた。
 肌にこびりついた昨夜の残滓が、昇り始めた夏の朝日に焼かれて、フローラの肌に纏わりつく。
 「じゃあ、剣士殿。急ごう」
 「ああ―――えっと、ハイ」
 急かすように行動を求めるアマギリの態度。

 ―――女をあっさりと置き去りにして、余りにも楽しそうなその態度は、少しばかり、面白くない。

 「剣士ちゃん」
 
 それ故に。

 呼ばれて剣士は振り向いた。フローラはニコリと微笑んだ。

 「ウチの”旦那”のこと、宜しくね~♪」

 「ちょっ……!?」
 「へ? 旦那?」

 唖然とする少年達にもう一度だけ微笑みかけて、フローラは室内に引き返した。
 床に転がる賊たちは視界にも居れずに鼻歌を歌いながらバスルームへと向かう。

 果たして少年が、今晩の寝物語では何を聞かせてくれるのかと、楽しみに思いながら。






    ※ バカンス……っっっ!!!
      夏はエロスでバイオレンスとか、多分そんな感じで。

      因みに、年齢上がるごとに描写がエロ……もとい、えらい事になってるのは、割と偶然。




[14626] 37-5:バカンス・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/06 20:54



 ・Scene 35-5・





 「あのぉ、俺がこういうこと言うのもなんだと思うんですけど」

 樹齢数十年と言う巨木の林立する森の中。その中を更に太い巨木の根が地を這う大蛇のように地面よりせり出している。

 「何? あ、そこのダッシュボードの奥、キーボード入ってるから解除コード打ち込んでくれる」

 直径十数メートルは在りそうなその巨大な根の上を滑るように、赤い蜘蛛とも蟹とも見える機工人が疾走していく。

 「あ、ハイ。何ていうかアマギリ様。みんなに合う前に、シャワーくらい浴びた方が良いと思いますけど。あれ、このテンキー、こっちの文字と違う?」

 左右二本づつ、四本の脚が生えた卵上の胴体の前、作業用の二本の稼動腕の間に独立して保持された操縦席には、二人の少年の姿があった。

 「あーやっぱ匂うか。まぁ、っていうか剣士殿、こういうの”解る”んだね。―――どうせ使うの僕だけだし、コッチに合わせる必要ないからさ、銀河標準規格の奴わざわざ作ったんだよ。コードは”Z”を続けて三つ押した後にエンターで宜しく」

 操縦席に座り複雑に隆起した地面で、見事な操縦で機工人を疾駆させているのは、むしろ自身の脚でそこを駆けた方が似合いそうな野生の動物を思わせる少年である。
 
 「ええ、その。ウチの兄ちゃんがたまにそんな感じだったりするんで、自然と。―――それにしても、トリプルゼットとか、何か凄い不吉な感じがしますね」

 補助席から乗り出して辺りの様子を伺っているのは、肌蹴たシャツに乱れた長髪と言うだらしの無い格好、しかし着ている物自体は拵えの良いものだったから、そのまんま苦労知らずの貴族の御曹司のようであった。

 「だらしのない遙照様って想像がつかないけどなぁ。―――それ、かえって簡単な方が解り辛いと思って適当に打った筈なんだけど、何故か銀河で一番不吉なパスワードっぽいよね、何故か」

 会話の内容は十代の少年達がするには些か擦れすぎているようなものだったが、その滑稽さに反して二人の顔は殆ど笑顔が無かった。
 機工人を操縦する剣士も、辺りの様子―――周囲で発生している結界炉の駆動音に聞き耳を立てているアマギリも、此処が今や戦場であるという事実を確り弁えていた。
 「おし来た、メインエンジンロック解除、ジェネレーター連結、フォロニックディスプレイオープン!」
 楽しそうに叫ぶアマギリの言葉に比例するように、機工人は本体後部の排気口から吐き出していた水蒸気の帯を留め、その代わりに赤い外殻を唸るように微細動を発生させた。その静かな振動が、逆に内側から発生しているパワーの大きさを思わせる。
 操縦席内でも、原始的な機械式の操縦桿や計器類がガシャガシャと音を立てて奥へと引っ込み、未来的なアームスティックやデータスクリーンがせりあがってくる。
 「―――って、うわ、何ですかコレ!? 突然五倍以上のゲインになりましたよ!?」
 突然引っ込んだ操縦間の変わりに出てきたスティックを慌てて握り締めて、光写投影式のデータウィンドウに表示された機体パラメーターの数値を覗き見た剣士が目を丸くした。
 「何か、どう考えてもこの機体の大きさに乗っけられる結界炉で出せる出力超えてるような気がするんですけど」
 「そりゃそうだ、こいつ結界炉の代わりにボート級の宇宙船で使われる小型の核融合炉使ってるし。―――全兵装安全装置解除っと、火気管制、こっち貰うよ」
 半透明のデータウィンドウをミラーグラスのように眼前に展開して、同じく補助席の両脇からせり出してきた操作盤に素早く指を走らせていたアマギリは、頬を引き攣らせる剣士に笑って応じる。
 「レトロなスチームパンクが、突然SFスペースオペラにでもなった感じですね……」
 「僕等異世界人なんだし、そっちの方が慣れてるだろ? ―――直線五十メートル先、森を抜けたら湖の脇に出るから道なりに峠の上だ。何とか、襲われる前に間に合えば良いけど……」
 操作盤を動かし剣士の眼前にアウラの逗留している別荘までの地図を表示させたアマギリは、湖の上を走る高エネルギー体の反応に眉をしかめた。
 「俺はアマギリ様と違って、ただの地球人なんですけど……この光点、ひょっとして聖機人ですか?」
 跳ねるように機工人を操縦して森を飛び出した剣士は、湖面を走る巨大なヒトガタの姿を確認して、自身の言葉が正解だった事を理解した。
 「地球って……確か船穂様の故郷で皇家の保護惑星だっけ? 何でそんな所で暮らしてるのさ。 ―――気付かれたな、面倒な。にしても、わざと手薄にしたとは言え、ホントに聖機人も盗られたとはね。予想以上にあの賊どもが使えるってことか? ……失敗したかな、倅君に渡したの」
 「いえ、生まれも育ちも地球は日本の岡山ですけど。先に、やっつけちゃいますか?」
 やる気あります、という感情を表すかのように稼動腕をガショガショと動かしてみせる剣士に、アマギリは軽く首を振った。
 「僕がやるから、最短距離で突っ走る事だけしてくれれば良いよ。―――って地球、出身だと? ……って事は、アレか? 初代様の妹君の血統とか言う船穂様の同族の……何か、僕と剣士殿って微妙に認識にズレがある気がするするね」
 操作盤の脇にあったレバーをアマギリが引っ張ると、機工人本体上部の装甲が中心に向かって谷折となって開かれ、その内側から巨大な砲塔がせりあがってくる。底部が可動式となって上下左右後と前自在な照準が可能なその砲塔は、現代ジェミナーで用いられる実体弾を放つための物とは見た目からして違った。
 
 表面に鋸状の凹凸が刻まれた、二枚の板が合わさったような形状。
 アマギリの操作に合わせて、その噛み合わさった二枚の板の間を紫電が奔った。

 「アマギリ様って俺から見れば宇宙人なんですよね。一応宇宙にも親戚さんは結構居ますけど、俺は自分の事はただの地球人だと思ってますよ。―――何か、後ろで凄い音してません?」
 「大丈夫、こいつコックピットむき出しだけど、エアフィルターだけは作動してるから。飛散粒子に焼かれたりしないって。―――只の地球人はそもそも宇宙なんか行かないと思うけど。確か、大昔に資料で読んだだけだけど、アレだろ、地球って。まだ初期段階文明にも達して無い、武器といえば槍とか弓。所謂最初期の産業構造、大量生産とか共通規格とかの概念すらない文明レベルだろ?」
 「あー、どうりでさっきからスピード出してるのに風圧が来ないと……。そんな中世の戦国時代じゃありませんし、頑張れば月へ行けるくらいの科学力はありますって、地球。ウチは―――ラシャラ様にも言われましたけど、ちょっと変わってるみたいですけど」
 納得、している場合じゃないだろうなと思いつつ、剣士は深く考えない事にした。
 どうもこの異世界人の先輩、姉のマッドサイエンティストと同じ方向へはっちゃけている部分を持っている事を感じたからだ。この手の手合いは深く突っ込んだ方が負けである。
 
 ずぎゃああああああぁん。

 擬音にすれば、そんな感じの馬鹿らしいと言う他無いような凄まじい騒音。
 剣士が考え事をしている間に、発射準備はとっくに完了していたらしい。
 機体をぐらつかせるような衝撃が背後から襲い、そして凄まじい光量が発生している事を逆光となった視界で理解した。発生したエネルギーに驚き、剣士は思わずシートの上で体を顰めた。
 眩さに細めた視界の端で、レーダーに映っていた光点が一個消失している事に気付く。
 体を起こして湖の方へ頭をめぐらせると、こちらを目掛けて飛行していたらしい聖機人のうちの一機が、コアから上の両腕と頭部を消失して煙を上げていた。
 「出力三割減ってトコか。……やっぱ、大気中のエナのせいでエネルギーの減退が予想より激しいなぁ。―――粒子砲の類はやっぱ封印かな」
 「これで出力不足って、何を撃つつもりだったんですか……」
 「いやぁそもそも、表に出す気無いしコレ。単にさ、モノ作るからには、常に最高のもの作りたいじゃない、やっぱ」
 聖機人を一撃で葬るとか、明らかにジェミナーの文明内ではオーバーテクノロジー過ぎるブツを持ち出した事に頬を引き攣らせる剣士に、アマギリは研究者の狂気でもって答えた。
 いきなり予想外の訳の解らない攻撃で破壊された味方機の姿に戸惑っている残りの聖機人に向かって、今度は散弾砲のように光弾の雨を叩き込む。
 聖機人は光弾の雨に打たれて、その装甲に小さな穴を次々と穿たれていく。時間をおかずに行動不能になることだろう。
 アマギリは、容赦と言う言葉は、既に何処かへ置いて来たらしい。
 ―――そういえば、室内で倒れ付していた山賊の人、明らかに事切れていたなと剣士は今更気付いた。平和な地球、日本とは違い命の軽い世界であるジェミナーなので、そうであっても咎める事はしないが、流石に平然とそれを行っている人を傍においていると気付けば、畏怖も沸く。
 剣士も敵を倒す事に躊躇いは持たない方だったが、命を奪う事については、流石にためらいが先に立つ。
 日常会話の延長線上で敵を容赦なく屠るような、アマギリほど明確な割り切りは出来なかった。

 ―――そう、この割り切り方。”宇宙に居る”親戚の人たちが身に纏う空気にそっくりだ。
 笑顔で酒を飲み交わし、その脚で敵を征伐しに行く姿。競うように獲物―――最早戦闘ではなく”狩り”―――を屠っていき、しとめた数を、誇らしげに語り合う。

 そしてアマギリの語る言葉から理解すれば、剣士もまた、それら親戚の者達と同様の立場に居る筈の人間らしい。
 簡単な催眠術にかけられて誤魔化されていたが、確かに、只の日本の一般家庭にしては自身の家庭は異質に過ぎた。自身より小さい数百歳の姉とか、どう考えても地球じゃ製造不可能な宇宙船、それに山一面の人参畑―――は良いのか。いやでも、ペットと言われて納得していたけど、あんな動物自宅の裏山でしか見た事が無い。そもそも、只のペットは宇宙船を動かせたりはしない。

 異常、だ。

 元からそんな異常な場所に居たのだから、剣士にとってはそれが正常である。異常だからと忌諱する気持ちも全く無い。
 だが―――そう思うと、異世界なんて場所でロボットに乗るような異常事態すら、割と正常な驚くべき事も無い事態に思えてくるから不思議だ。
 何時もの姉達の誰かの悪戯、程度のものと今の状況はたいして変わらない。

 悪戯、ならば―――。

 何時もなら、剣士が困る様を何処かで見ているはずなのだ。今も、そうなのだろうか。
 剣士は機工人を走らせるままに空を見上げた。視線なんか、感じる筈も無かったが。
 「どうかした?」
 顔を上に向けていた剣士に、アマギリが不思議そうに尋ねる。剣士は苦い笑みと共に応じた。
 「いえ。―――その、俺は何で此処に居るのかなって、やっぱりまだ悩んじゃうんで」
 貴方と違って。そんな風に思った事が顔に出ていたのだろうか、アマギリが微苦笑を浮かべる。
 「僕だってそういう悩みはあるよ」
 「―――あるんですか?」
 「意外そうだね」
 「いえ、なんか、アマギリ様ってあんまり悩みそうに見えないし」
 暗に悩みの少ない能天気と馬鹿にされているとも取れる言い方だったが、アマギリはそこまで悪くは取らなかった。肩を竦めて鼻を鳴らす。
 「そういうの、顔に出すと利用され易くなるって、昔誰かに言われて以来、気をつけてるからね。―――それに、その悩みに関しては、いつか時間が解決するだろうから、そのときに聞けば良いかと思っている」
 「―――時間が?」
 解決する、どういうことかと剣士は首を捻る。その悩みと言うのは剣士が言った、何故自分が此処にいるかと言うことだろう。
 しかしアマギリは、剣士の疑問の視線に答える事無く、謎掛けのような言葉を返すのみだ。
 「僕は、それが君なんじゃないかと思っているんだけど、ね」
 「お、俺?」
 前後で上手く繋がらない言葉が、剣士には理解できない。はぐらかされているのか、そういえば、こういう持って回った言い方が好きな姉やら親戚の偉い(らしい)人とかが居たなと剣士は思い出した。
 大抵それらの人物達は、剣士自身が自分の答えを出すまで、解答を教えてくれないのだ。
 「よく、わかりませんよ」
 そうした言葉を剣士にくれた時に必ず浮かべていた意地の悪い笑顔を思い出して、剣士は不貞腐れたように呟いていた。

 アマギリは、―――やはり、何処か意地の悪い微笑を浮かべて、それだけだった。

 「アウラ王女の部屋も近いし―――どうやら、僕の出来の悪い従者も近づいているらしい。ジェミナーでするには相応しくない会話は、この辺りでやめておこうか。生まれは異邦と言えども、僕等が今はジェミナーの中に居るのが現実なんだから、内輪の話ばかりってのも良くないしね」
 アマギリの言葉に周囲を見回した剣士は、背後の森の方から剣士たちのものと同型の機工人が飛び出してきたのが見えた。ワウアンリーが操縦しているのが見える。
 「過去に囚われて今やる事を見失うのも馬鹿らしい。―――気分入れ替えて行こう」
 「―――はいっ!」
 アマギリの言葉に剣士は強く頷いた。
 そうだ。今は危険の只中に居るのだ。剣士がではなく―――剣士が此処で出会った、大切な人たちが。
 世話になっている人たち、守らなければならない人たちが。悩むのは後で、まずは目の前の事態に対して行動しなければならない。
 俺は違う、外様だから等と言い訳して、見過ごすなんて事は出来ないのだから、同郷のものとの会話にだけ意識を向ける訳にはいかない。

 「―――でも、明らかに向こうのテクノロジーを使いまくってるアマギリ様が言っても、余り説得力が無いですよね……」
 「昔の人は言いました。他人は他人、自分は自分」

 つまり、自分は特別に良いなどと。
 ―――なるほど、その強引な割り切り方は、故郷の人々を思わせるものだったから、剣士にはおかしくて仕方が無かった。
 繋がっているのだと、故郷と。それが解ったから。

 だから今は、此処で頑張ろうと、決心できた。

 ―――その前向きな決意の背後で、”旦那”云々の話題から逸らす事が出来て良かった、と胸をなでおろしている男が居た事には、残念ながら気付かなかったようだが。






    ※ 雑談タイム……の割には結構込み入った話のような。
      一対一の会話は、そう言えば初めてなんですね、これが。



[14626] 37-6:バカンス・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/07 21:02


 ・Scene 37-6・





 「アマギリ様ぁ」

 バン。

 「何?」

 ズガン、バタン。

 「こんなゲリラの掃討戦みたいな事やってないで、アウラ様を連れてこの場を脱出した方が早くないですか?」

 ドドドドド、ズガガガ、チュンッ。

 「まぁまぁ、女性には色々準備があるもんだしさ、少しは待ってやらないと」

 ドッゴォ―――ンッッ。

 「うわぁ、一方的だなぁ……」
 「武器は現場調達なんてアホなやり方してるから、あんな目にあうのさ。きちんと装備してから出かけないとね」
 「装備してもひのきの棒じゃあ対人地雷と機関砲の面制圧には勝てないと思うんですけど……あ、死んだ」
 オペラグラスを覗き込んで観測兵になりきっていた剣士が、森の中で地雷を踏んづけて坂道を転がり落ちる山賊の姿に思わず呟く。
 「いや、ゴム弾だから。爆発も空気圧縮してた奴だから音だけだし」
 因みに、銃弾その他はアマギリが述べたとおり全てゴム製であるため、とても運が悪くない限りは死なない。
 死なないだけで、一瞬で死ぬ以上に痛い目に合わされるだろうが。
 「コレで全部かな」
 「みたいですね。―――まさか、こっちでサーモグラフィーとか見る嵌めになるとは思いませんでしたけど。いや、それを言ったら機工人に地雷埋設機能が付いてるのにも驚きでしたが」
 機工人のコックピット内のデータウィンドウを覗き込んでいたアマギリの言葉に、周囲を見渡していた剣士も頷く。
 若干引き攣った剣士の言葉に、アマギリは漸く機工人の本体上部からせり出していた機関砲の駆動を停止させる。

 風光明媚な高級別荘地を騒がせる物騒な銃撃と破砕音が、漸く止まった。

 「結界式関連の技術がもう頭打ちって感じだからさ、こういう対人探知システムとかがちっとも発達して無いんだよね此処」
 「ああ、一番使える対聖機人用のレーダーがコロって時点で、解りそうな感じですね」
 みゃーみゃーと鳴く、実家で姉の飼っていたペットに良く似た小動物を思い出して、剣士が頷く。
 「そそ、まぁその辺は割りと意図的に技術出し渋ってるんだけど―――詳しく知りたいなら、ウチの従者にでも聞くと良いよ。きっと言葉を濁すから」
 「それ、質問って言うか只の嫌がらせなんじゃあ……」
 背後に控えた丘の上に立てられた個人用の別荘を見上げて、剣士が呟く。
 その中に居るアウラ・シュリフォンを救出するために、剣士たちに遅れて到着したワウアンリーが中へと入っていった筈なのだ。
 剣士は既に中に賊が入り込んでいたのに気付いていたので、誰よりも先に自分が飛び込もうと思っていたのだが、アマギリに止められてしまった。
 曰く、女性の部屋に男がズカズカと踏み込むものじゃないとの事らしい。
 先ほど”女性の部屋”で合流した人が言える言葉じゃないよなと剣士が曖昧な顔で笑っている間に、アマギリは送れて到着したワウアンリーに”グリップと円形のレンズのついた太い筒”を投げ渡して突入を命じた。
 中で何度か炸裂音が響いていたのも、もう半刻ほど前のことだから、とっくにアウラの救出は済んでいる筈なのに―――遅い。
 ワウアンリーもアウラも、未だに部屋から出てこない。

 「中で、何か……」
 心配になってコックピットの中から立ち上がった剣士の背後で、機関砲にケーブルを繋いで何かをチェックしていたアマギリが顔を上げた。
 「ダークエルフってさ」
 「はい?」
 「何でダークエルフって言うか、知ってる?」
 いきなりなんだろうかと視線を向けた剣士に、アマギリは作業を続けたままで質問をしてきた。
 ダークエルフ。
 「―――って、アウラ様の、アレですよね」
 「そう、種族。優れた身体能力と感受性、後は特徴的な褐色の肌に何よりもまず、長い耳ってのだね。深い森の中でジェミナーの他のどの国とも違った独自の文化形式を築いている彼らを総称して、ダークエルフと呼ぶ」
 「へぇ―――で、それがどうしたんですか?」
 初めて聞く話に興味深い顔で頷いた剣士は、アマギリの質問の意図を理解できずに首を捻る。
 「いやさ、森に住んでて耳が長くてそれを一般の人間と区別して”エルフ”って言うのは解るけどさ―――なんでわざわざ”ダーク”なんて頭につけているんだと思う?」
 「ああ、―――そういえば」
 言われて見れば、と剣士は頷いた。
 現代日本人の剣士にとって、このジェミナーは所謂漫画やゲームやアニメ等に代表される創作物にあるような、”剣と魔法の世界”そのものと言っても良いものだった。
 それ故、耳が長い人間の事をエルフと言うのも不思議ではなかったし、そして肌が黒ければそれがダークエルフであろう事を疑う筈もなかった。

 「やっぱり、肌の白いエルフの人が居るんじゃないんですか?」

 と、言うか居るものだと思っていた。違うのだろうかとアマギリを伺うと、首を横に振って笑っていた。
 「残念ながら居ないんだ。”ダーク”なエルフが居るのなら、基準となるべき純なるエルフが居ると言う剣士殿の解釈が正しい筈なんだけど―――ジェミナーに、エルフと言う生き物は存在しない」
 色々調べたから間違いないと、アマギリは断言した。
 「―――じゃあ、何で?」
 例え肌の色が褐色で、見た目からしてそうだろうと、他にエルフが居ないのであれば単にエルフと名乗ればいいんじゃないのか―――と剣士は思った。
 その疑問に行き着くのを待っていたとばかりに、アマギリは気取った風に手を広げた。
 「答えは単純。”彼らがそう自称したから”なんだよ」
 「―――自称?」
 言葉を繰り返す剣士に、アマギリは深く頷く。
 「そう、自称。彼らは自らを指して”ダークエルフ”だと呼んだ。そしてそれまでこの”世界”には普通の人間以外のヒューマノイドは存在しなかったから、この世界の人々は彼らの事を”エルフの亜種のダークエルフ”ではなく単にダークエルフという一種族と認識する事になった、と言う訳さ」
 「へぇ~~~」
 面白い雑学を聞いたなという具合に、剣士は何度も頷いた。アマギリはそれに少し苦笑して続ける。
 「今の僕の話に、気になるところは無かったかな?」
 「へ?」
 気になる。
 何故こんな話を突然始めるのかと言うことが一番気になる問題だったが、他に何かあっただろうか。
 この世界の人々は、彼ら自分たちとは違った種族を見て、何か名称をつけようと思った。
 しかしその前に、その種族は自分たちをダークエルフと呼んだ。それ故に彼らはエルフがおらずとも此処ではダークエルフ。
 
 「―――此処では?」

 「気付いたか。そう―――つまりダークエルフの元居た場所には、確りと”エルフ”と言う括りの種族が居るんだ。それと区分して、彼らは自らをダークエルフと称していた」
 「あれ、でもエルフは居ない―――いやでも、それは此処だけの話で、―――それだと、ダークエルフも居ないって事に―――あれ?」
 何かがおかしい。それが何かがわかるような、解らないような。
 喉元に小骨が刺さったような嫌な気分を剣士は味わっていた。
 泣き出しそうなコロのような剣士の顔に、アマギリもそれ以上答えを引っ張る気が起きなかったらしい。
 素直に口を開いた。

 「正解は単純な話だ。彼らダークエルフは、元々このジェミナー発祥の生物ではない。つまり―――」

 「我等もまた異世界人―――その末裔、そう言う事か?」
 
 言葉は、機工人に乗っている二人の背後の別荘の方から聞こえた。
 「アウラ様」
 「おや、もう平気なの?」
 嬉しそうに声を上げてコックピットから飛び降り、別荘の入り口ドアの前のアウラへと走りよる剣士に続いて、アマギリも砲座から立ち上がって声を掛けた。
 「ああ、すまないなアマギリ、面倒な気遣いをさせてしまって。―――尤も、私などに気を使っている暇があったら、別の人間に気を使ってやれと言いたいところもあるが」
 苦笑するアウラに、アマギリも肩を竦めて応じた。
 「いや、まぁ。剣士殿を突入させるのもそれはそれで楽しそうだなーとは思ったんだけどね」
 「楽しい……?」
 「あー、そかそか、剣士は負の時間の事知らないのかー」
 疑問顔の剣士に、アウラに続いて別荘から出てきたワウアンリーが言う。
 「ふのじかん、ですか?」
 知らない単語を繰り返す剣士に、ワウアンリーはどうしますかとアウラに視線を送る。
 アウラは直接は答えずに、アマギリに視線を送った。

 「先ほどの流れから我等の負の時間にまでどう話が繋がるのか、少々興味があるのだが」

 「推測交じりですよ?」
 「構わない。お前が無駄に知識量が豊富なのは理解している。ハヴォニワ王宮の書庫を制覇したと、マリア王女が自慢げに語っていたぞ」 
 アウラの言葉に、アマギリは一瞬だけ視線を明後日の方向に逸らした後で口を開いた。照れたらしい。
 「まず―――ダークエルフの周囲の自然界に対する感能力に関してなんだけど、アウラ王女達が言う所の、”森の声が聞こえる”と言う奴は、現実的にはそんな夢のある感覚的な話しじゃなくて、銀河文明的な基準で言えばESPの感能力に値する物と言える」
 「なんか、ファンタジーが夢も希望も無い単語に置き換わっちゃいますね」
 「って言うか銀河……」
 「発展した科学なんてそんなもんだよ。で、まぁダークエルフのコレは、本来なら周囲の自然環境に溶け込む―――言わば動植物の擬態の一種みたいなもので、自身と自然を同質のものへと調和させる能力なんだ」
 「―――同質になるが故に、声が聞こえる?」
 顎に手をやって問うアウラに、アマギリは然りと頷く。
 「しかし問題になってくるのは、この能力はあくまでダークエルフが”元居た自然環境”に同化する為の能力であり、元居た場所とは違う環境とは、上手くマッチングできない。齟齬が発生してしまうんだ。―――例としてあってるかどうか解らないけど、惑星の自転と体内時計が一致してないとでも言うのかな」
 「えーっと、つまり、一日二十四時間のつもりが、実際は二十五時間だったりとか、そういうズレがあるって事ですか?」
 剣士の理解に、アマギリは良く出来ましたと応じて続ける。
 「そういう事。―――そして、ダークエルフはそのズレを修正するために起床からの暫くの間……何ていうかな、まぁ、アレだ。低血圧の酷い感じのダウナーな気分になる……で、良いですかね?」
 「そこまで言い辛そうにされると逆に私が困るぞ。まぁ、概ねアマギリの例えで間違っていない。朝方暫くは、正直な話、人前に出られる精神状態にはなれないと言うことだな」
 「―――あ、ひょっとして前に昼頃登校されてたのは……」
 一学期も初めのころ、まだ使用人として働いていた時期の出会いを思い出して問う剣士に、アウラはそうだと頷いた。
 「ついでに、ダークエルフの負の領域ってヤツは、アレようするに本来のダークエルフの生存環境を周囲に強制的に感応する事により、ジェミナーの他の生物に適応できない領域とする能力なんじゃないかと思います」
 補足するように付け足したアマギリに、アウラは苦笑して首を横に振った。
 「学者と言うのは本人達ですら理解できないような事をつまびらかにしようとするから、適わんな」
 「アマギリ様、物知りなんですね」
 剣士も感心したように頷く。
 しかしその横で、ワウアンリーが面倒くさそうに首を振った。

 「感心しちゃ駄目よ剣士。このヒト、只時間稼ぎしてるだけだから」
 
 「へ?」
 「この田舎から上京した売れないビジュアル系バンドのピアニストみたいな服装はともかく、匂いは流石に誤魔化せないからねー。直ぐに会いに行って突っ込まれるのが怖いから、こうして時間稼いでるのよ」
 「うるさいよ従者!」
 「と言うかアマギリ。只の友人とは言え、女性を迎えに来る時に別の女性の匂いを撒き散らしているというのは、流石にどうなんだ……?」
 「離れているのに鼻が利きますね、ダークエルフのヒトっ!」
 どうしようもないほどグダグダになってきた状況に、剣士は半笑いで空を見上げた。
 空の向こうで見ているのなら、家族達にとってはさぞ楽しい光景だろうなと、状況に相応しくないくだらない事を考えてしまう。
 そして、ふと一つの疑問が浮かんだ。
 
 ダークエルフも、異世界人。そして当然、地球人の剣士も、宇宙(?)人であるアマギリも。

 異世界人は須らく聖機師として優れた資質を有しているとの言葉はユライト・メストより聞いていたものだが―――しかし、そもそも異世界人でなければ上手く動かせないような使いづらい”ロボット兵器”なんて、何でわざわざ使い続けているのか。
 戦力の強化をしたいのならばそれこそ、此処に居るアマギリが用いたように汎用の誰にでも使える砲や車両などの技術を発達させれば良いのに。
 力のある異世界人を呼び出して、聖機人に乗せて、そして自分たちは見物―――戦争行為を見世物みたいにして。

 何処と言いようの無い、居住まいの悪い不自然なものを感じる。

 「剣士殿? そろそろ行くよ?」
 「あ、ハイ。すいません」
 呼ばれて我に返り、コックピットに戻る。
 「では、私が剣士の後ろか」
 「ああ、香水の匂いが……」
 「五月蝿いよ従者。救助が遅れたんだから給料分と割り切れ、頼む、後生だから」
 「何か微妙に卑屈になってますよ―――っていうか、あたし一応真っ先に殿下の寝室向かいましたからね! 居なかったけど!!」
 「何処に居たのか、実に興味があるが―――まぁ、その辺りの質問はリチアのために取っておくべきだろうな」
 「怖いこと言わないで下さいよ……」

 そう、真面目さが足りない―――例えば、この緊迫感の欠片もない人たちみたいな。
 焼けた鉄板の上で火遊びをするような、それが当然だと考えていられるような感覚。

 「まぁ、この人たちにとっては本当に日常なんだろうな……」

 実家の騒ぎを思い出すような、騒々しさが常にやむ事はない日々。
 あの温厚なセレス・タイトでさえ、恐れ交じりに声を潜めるような武勇譚の数々を有しているらしいし、きっとトラブルにトラブルを混ぜて、トラブルで固めたようなトラブルを常に乗り越えてきたのだろう。

 笑いながら。

 「どうかしたのか、剣士?」
 「いえいえいえ、別にっ!」

 機工人を発進させながら、気分を切り替える前に、最後に一つだけ、剣士はこう思った。

  ―――何でわざわざ、異世界人なんて呼び出すのだろうか。





    ※ 雑談タイムその2。しかも今回は本当に意味の無い俺設定的ウンチク話……に見せかけて、実は背後で恐るべき事態が。
      自分がフラグ立てられなかったからって人がフラグ立てるのを妨害するのは正直どうかと思う。
      因みに前回も、何気にコルディネ女史を葬りかけていたりする辺り、何処まで男には外道なんだろうか。

      後、感想で幾らかあった『同人誌出の裏設定はどの辺りまで知ってるの?』と言うヤツですが、多分それなりに知ってるかと。
      とは言え、このSSは基本、『映像から読み取れる物”のみ”が公式設定』と言う割り切り方でやってますので、
      同人誌からの情報は知ってても意図的に見ないフリしてる事が多々あります。
      拾い始めると割りと収集がつかない事になりますしね。
      フローラ様とかフローラ様とかフローラ様の件辺りが特に。根底から覆されるわ!!
      
      そんな訳で、裏設定は俺設定と混ぜ合わせて使ってたりするので、その辺りは、よしなに。



[14626] 37-7:バカンス・7
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/08 21:19

 ・Scene 37-7・




 「では第二回、暗黒生徒会を始めたいと思います。議題は……」

 「お兄様の件でしたら、私は興味がありませんわよ、暗黒リチア様」
 クイ、と眼鏡を上げて座った目で宣言したリチアに対し、マリアは言葉どおりに興味が無さそうに返した。
 「おや、暗黒ブラコンにしては意外な事を言うの、暗黒マリア。早々に風呂へ放り込んだ者とは思えぬわ」
 「当然でしょう、暗黒守銭奴。あのような格好で人様の前に立たれるなど、身内として恥ずかしいですから」
 「誰が守銭奴じゃ、誰が!!」
 「ああ、暗黒無一文でしたっけ」
 「む、無一文ではないわい!! ただ、ちょっと実権全部奪われてるだけじゃ!!」
 「……それ、ちょっとどころじゃなく真剣に御身の大事ですよ、暗黒ラシャラ様」
 にやりと唇をゆがめて言うマリアに、ラシャラががなりたてる。背後で、ユキネとキャイアが額を押さえて嘆息していた。

 何処へ行っても変わらない、集まれば自然と訪れる混沌とした空間に、アウラは苦笑する。
 天上に大穴の開いた警備管理室。
 壁一面を囲う大型のモニターに映る映像の中では、未だ山賊の襲撃の跡が色濃く残る、硝煙燻る様が映し出されていると言うのに、懸命に現状把握に努めているモニター前のオペレーターたちの背後で、各国の権威者達がくだらない言い合いを繰り返していた。
 「賑やかなのも結構だと思うが、いい加減方針くらいは定めた方が良くないか、暗黒……全員?」
 「……無理に暗黒つけなくて良いんじゃないですか、暗黒アウラ様」
 何なんだこの出来の悪いコント、みたいな目で騒ぎを見ていた剣士が、冷や汗混じりに呟いた。
 「とは言っても、肝心の暗黒王子が来ない事にはのう。方針も何もなかろうて。此処は一応アヤツのテリトリーなのじゃから」
 「あの、ラシャラ様? 一応暗黒アマギリ殿下よりもマリア様の方が優先指揮権が上なんじゃあ」
 「腹黒を、付け忘れてる」
 「……ユキネ。貴女は私の名前の前にその単語をつけることに何か強いこだわりでもあるのかしら?」
 前も言っていたよなと、半眼で睨みつける主に、ユキネは無表情を貫いた。

 「って言うか、何でアンタ達、あの馬鹿のあの姿を見てそんなに冷静なのよ!?」

 だっがーん、等という擬音とともにちゃぶ台でもひっくり返しそうな勢いで、リチアが叫んだ。
 「あの馬鹿の……」
 「あの姿っていっても、なぁ」
 くだらない無駄話に突入しかかっていた各人が、一斉に明後日の方向を見て考え出す。
 「やっぱ殿下ですし、むしろあれぞ殿下って感じで違和感が無いからじゃないですか?」
 「―――確かに、そうじゃの。最近のあの、精神年齢が二十五歳から十五歳くらいまで一気に下がったような状態の方が、むしろ従兄殿らしからぬ爽やかさだったからの」
 投げやりに笑いながら言うワウアンリーに、ラシャラも然り、と頷いた。
 「あのいじいじウダウダしていたのを指して爽やかと言うのもどうかと思いますけどね」
 「――― 一応、マリア様のためだったんじゃあ」
 棘も何もなく、只事実だからとあっさりと言い切るマリアに、キャイアが頬を引き攣らせた。

 「と言うか、人が居ない間に何を話しているんだ、君ら」

 入り口のドアの傍で、アマギリが頭をタオルで掻きながら室内を見ていた。
 「あ、暗黒スケコマシ」
 「黙れ暗愚従者」
 「暴言過ぎません、それ!?」
 従者を適当にあしらいつつ、部屋を突っ切ってモニター前のオペレーター達の処へ近づいていく。
 「まだ少し、お母様の香りが残っていらっしゃるような気がしますが?」
 「んなっ……!?」
 ちゃんとシャワー浴びたのかと、通りすがりにマリアがあからさまな事を言った。声を引き攣らせたのはリチアで、アマギリは背中越しに肩を竦めるだけだった。
 「そこのシャワー室、置いてある石鹸類が全部女王陛下が使ってるヤツだったよ」
 「―――嫌なトラップじゃな、それ。流石は我が叔母とも言えるが」
 「因みに頼まれたから私が入れ替えた」
 「姉さん何やってるのさ!!」
 オペレーターに指示してなにやら資料を出力していたアマギリが、ユキネの言葉に思わず突っ込みを入れる。
 「お母様も年甲斐もなくバカンスではしゃいでらっしゃいますからね……」
 「バカンスと言うよりも、遂に念願叶ったゆえ、ではないのか? ……遂に、じゃよな? ―――今回が」
 「女の子がそう言う事を聞くもんじゃないよ。それから姉さん、答えようとしないで」
 「……残念」
 ラシャラの耳元に口を寄せていたユキネを、背中越しに止める。微妙に声が必死だった。
 「それでお兄様、結局なんで今日―――昨日? いえ、昨日から今日でしょうか―――に、限ってお母様にお答えする気になったのですか?」
 「だからさ、そういうの聞くの止めようよ……」
 「え?あの格好で皆の前に躍り出たのって、聞かれるためじゃなかったんですか!?」
 「んな芸人根性は無いわ! と言うか何時まで続くんだ、この苛め!!」
 「―――それは勿論、お前が何かしら明確な返答をするまでじゃないのか?」
 いい加減辛くなってきたのか叫ぶアマギリに、アウラは冷静な言葉を返す。無論、口元が微かに笑っていた。
 「でないと納得してくれない方がいらっしゃる事ですしね」
 「それ、私のこと? 私は、別に……」
 「おお、顔が赤いリチアが見れると言うのも貴重じゃの。ホレ、従兄殿。責任とって甲斐性みせい」
 「ああ―――いや、うん」
 明らかな興味本位全開のラシャラの言葉に乗せられて、リチアと視線が交差してしまったものだから、アマギリも言葉を濁す他無かった。上目遣いに睨みつけられると言うのは、反則だろうと思っている。
 
 ―――と、言っても真面目に答えられるはずも無かろう。

 先日ああいう事があった後だと言うのに、平然と別の女性と―――まぁ、色々と―――と言う事に関してなど。
 怒りの視線を向けてくるのも当然で、むしろ何も言わない妹の方がぶっちゃけアマギリとしては怖かったりする。
 チラ、と視線を送ってみると、妹は半眼で嘆息していた。
 「そこでヘタれるくらいなら、お母様の誘いになど乗らねば良かったでしょうに……」
 妹の言葉は刃の如く胸に突き刺さるのだった。
 「いやさ、だって」
 「だってじゃありません」
 「……どっちが兄で妹か解らんの」
 「むしろ母の如しですよね」
 咎めるように指を突きつけるマリアの姿を、ラシャラとワウアンリーは感心深く頷きあう。
 「五月蝿いよ従者」
 「お兄様? そうやって直ぐに話を逸らすのは止めなさいと何時も言っているでしょう」
 「御免なさい。―――じゃなくて、ええい! 話が進まないだろ、コレ!」
 常の癖で速攻で謝ってしまったあとで、それを紛らわすようにアマギリは声を張り上げた。
 しかし、少女たちは一斉に能面のような表情になってアマギリに指を突きつける。

 「「お前のせいだ」」 

 「―――ですよね」
 がくり、と項垂れてから、アマギリは半笑いで呟いた。むしろ笑わなければやってられないと言った体だった。
 少し離れた位置で見物していた剣士が、胸の前で十字を切った。
 「……とりあえず、埒が明きませんから一言だけ率直に言ってもらって、と言う形で宜しいでしょうか、リチア様」
 「え? い、良い、けど……なんで私に聞くのよ」
 溜め息を吐いて肩を竦めて尋ねてくるマリアに、リチアはビクリと肩を震わせる。
 「いや、気にしているのは基本的にリチアだけだからな」
 「何じゃ? 妾も気にはなっておるぞ」
 「ラシャラ様は興味本位の出歯亀なだけじゃないですか」
 「それ、キャイアもじゃない?」
 「はいはい、それまで。いい加減待ちくたびれてる方もいらっしゃるんですから」
 またぞろ騒ぎ出した少女たちを、マリアが手を叩いて留める。
 何だか妹が最近一気に落ち着いてきたなと、アマギリはどうでもいい事を考えていたが、その妹に睨みつけられた。
 早く言え、ということらしい。
 「言える事なんて殆ど無いんだけどなぁ……」
 「ほんの少しでもあれば、貴方の場合はそれで充分ですから」
 頭をかいて罰の悪そうに呟くアマギリに、マリアが容赦なく告げる。
 それで、アマギリも漸く決意がついたらしい。困った風な照れ笑いを浮かべて、言った。
 
 「求められて答えられない人間に、誰かを求める事なんて出来ないんじゃないかって、思ってさ」

 いっそ堂々と言い切って見せたのはある種男らしくも在ったが、同時に間抜けな物でもあった。室内―――オペレーターたち含む―――全ての女性たちの何とも言えない視線を一身に受け、流石にアマギリでも耐え切れなかったらしい。
 明後日の方向を眺めながらポツリと一つ付け足した。
 「―――後は、その場の勢いかなぁ。……久しぶりにアルコール入ってたから気分良かったもんで」
 「結局それですか! 貴方、私の時もお酒に頼ってましたわよね!?」
 突っ伏すような勢いでマリアが突っ込む。
 「素面であんな恥ずかしい台詞の応酬できないよ!」
 「それはつまり、アルコールを口にしていなかった私が恥ずかしい人間だと?」
 「言ってないよそんなの! いや、ホント、嬉しかったから!」
 頬を引き攣らせるマリアに、アマギリが慌てて言い重ねる。
 衆目を集めてこんな台詞を堂々と言っている現実こそが羞恥モノだということに、本人気付いていない辺りが実に滑稽だった。
 「微笑ましいと言うか何と言うか」
 「と言うか、何気にマリア様もしっかり気になってたんですね、あんなに連れない態度だったのに」
 「腹黒ツンデレさんだから」
 見ている方が照れてくる、と言う気分そのままに頬を赤らめながら笑いあうアウラとワウアンリーに、ユキネがしみじみと頷いて続けた。
 放っておくと外野を他所に何時までも続きそうな―――何処までもアレな方向に発展していきそうな―――会話に、ラシャラがやれやれと投げやりな気分で苦笑しながら口を挟んだ。 
 「しかし、なんじゃの―――つまり、叔母上は踏み台か」
 「いや、そこまで外道言うつもりは無いけど。―――あ、でもあの人僕より余裕があるから、そう言う事になっちゃうのかなぁ」
 したり顔で頷く従妹に、アマギリは苦い顔で突っ込む。自分でも、そういう意味にも取れるよなと思うところはあったらしい。
 「まぁ、お母様がモーションをかけていたのは昔からですし、存分にお甘えになったら如何ですか? 積年の悲願が成就して、そのぐらいの方がお母様も嬉しいでしょうし」
 その分、私は甘えさせてもらいますがと言外に告げているようで、アマギリは背筋が痒くて仕方が無かった。
 「―――石の上にも三年」
 「水滴も板を穿つってやつじゃないですか?」
 従者勢は、基本的に状況の理解が早かったので落ち着いたものだった。ぶっちゃけた話、諦めの心境である。
 キャイアは明後日の方向を見てノーコメントを貫いていたし、アウラは薄く笑うのみだった。

 「―――アンタ、何時か刺されるわよ」

 大きく息を吐いて、散逸した場を締めるかのようにリチアは言った。アマギリはその言葉に微苦笑交じりにこう返した。
 「その時は、正面からでお願いします。―――後ろからだと、……抱きしめる事も出来ないので」
 「―――っっ! ……言ってなさいよ」
 フン、と首を振り払って、リチアは視線を逸らす。
 ああ、やっぱり刺すのはリチアなんだとの周りの囁きも聞こえないフリをしていた。

 「あの、良いでしょうか」
 
 どうやら状況も落ち着いてきたらしい。
 心持ち和やかな空気になったと判断して、剣士が声を上げた。
 「何かな、剣士殿」
 代表してといった風に声を掛けるアマギリに、剣士は隣で居心地を悪そうにしていた少女の示して口を開く。
 「ハヅキさんのためにも、そろそろセレス君の救出のための話をして欲しいかなーっと」
 「―――そうだ、ダグマイアっ!!」
 剣士の言葉に、キャイアが状況を思い出したように叫んだ。周りの人間が余りにも落ち着きすぎて居たから、雰囲気に流されていたらしい。
 「そうじゃの。貴重な戦利品に傷をつけるとは思えぬが、いい加減時間を取りすぎるのも拙かろうて」
 従者の言葉に、ラシャラも頷く。
 「ダグマイア君、ねぇ。―――セレス君とやらは、そっちの密入国者の手引きをした聖機師の事で良いのかな?」
 剣士の傍に居たいかにも田舎娘といった風情の少女を指し示して、アマギリが言う。少女がビクリと肩を震わせた。剣士が慌てて尋ねる。
 「うぇえっ!? アマギリ様、気付いてたんですか!?」
 「そりゃ、気付くさ。僕を誰だと思ってるんだ」

 「シスコン」
 「マザコン」
 「スケコマシ」
 「所謂、女の敵じゃな」
 「馬鹿よ、馬鹿」

 「―――こう、ね。王子なんていう立場柄、一応報告が届いてるんだよ、入管とかから」
 「ああ……なるほど」
 格好付けて台無しだったから、アマギリは半分涙目で言った。剣士が頬を引き攣らせて頷いた。何ていうか、同性として見てはいられなかった。
 「ん、で。まぁ此処はホラ、高級別荘地なんて場所柄、立場のある人が人様にいえないような密会をする現場としても使われたりするからさ、程度の低い密入国者は足跡だけ辿って、見てみぬフリをしておく事が多いんだよ」
 だから別に気にしないで良いよと少女に笑いかけるも、しかしハヅキと言う名の少女は曖昧な顔で言葉に詰まるだけだった。
 「―――とは言え、山賊を招きいれたとあっては、流石に只で済ますわけにも行きかねますけどね」
 アマギリの温情的な言葉に添えるように、マリアが冷静に付け加える。
 「でもそれも解ってて通したってのもあるしねぇ」
 「それはあくまでこちら側の都合でしょう? 無自覚な行動が犯罪の片棒担ぎとなってしまっているのですから、少しは反省していただきませんと」
 「えっと……どういうことですか?」
 怯えて口を開けそうに無い少女に代わって、剣士が尋ねると、何故かラシャラが首を横に振った。
 「―――ようするに、この山賊騒動は初めから予定されていた事態と言うことじゃろ」
 「ええ!?」
 「―――キャイア、何故おぬしが驚く。他国の王族を招くなど、それこそ常よりも万全な警備体制を敷くに決まっておろう。それを悠々と山賊どもが―――しかもピンポイントで妾達を狙ってくるのじゃから、何処かの誰かが状況をコントロールしておると考える方が無難じゃろうて。なにしろ、ここはこの従兄殿と、フローラ叔母のテリトリーじゃぞ。―――よもや、気付いておらなんだと……」
 隣で悲鳴を上げた従者に、ラシャラが半眼で問う。キャイアは明後日の方向を見て誤魔化した。
 ラシャラはため息を吐いてアマギリに視線を向ける。
 「それだけ落ち着いておるという事は、従兄殿。とっくに救出部隊も向かわせておるのじゃろ?」
 「と言うか、もう確保済み」
 ラシャラの追求にアマギリはあっさりと肩を竦めて答えた。従兵に向かって指を鳴らす。
 従兵は頷いて通信機を取り出し、何処かへと連絡した。
 少し時間を置いてから、ドアが開かれる。

 「ハヅキっ!!」

 「―――セレス!?」
 「あ、セレス君!」
 扉の向こうから、歳若い大人しそうな少年が駆け込んできた。部屋を見渡し、剣士の傍に居た少女を見つけるなり声とともに駆け寄る。少女も少年の姿に気付いたらしい、少年に向かって駆け出す。

 「ハヅキ、ああ、良かった」
 「セレスこそ……」

 笑顔と涙を交えて抱き合う少年少女達。
 リチアが、アマギリの傍までより小声で尋ねた。
 「―――アンタ、こう言うの見て自分の行動を省みたり出来ないの?」
 「いやほら、僕は汚い現実知ってる穢れた大人なんで」
 「泡沫の夢のような日々を過しているつもりの人が言える言葉じゃないですよ、それ」
 頬を引き攣らせて答えるアマギリに、マリアが溜め息混じりに言った。
 三人並び立ったその様子を、苦笑交じりに見ていたラシャラが、一つ頷いて言った。
 「まぁ、何はともあれ、何もせぬままに一件落着と言うことかの」
 「―――私としては、山賊の襲来が予定通りと言う件を激しく追及したいのだが」
 何となく予想はつくがと、アウラは苦笑交じりに言う。
 「でも良かったです、セレス君が無事で」
 「あの子確か、剣士と同じクラスよね。一年生の癖にこんなトコで逢引とは、やるねー」
 「立場があるんだから、仕方ない」
 未だ抱き合い言葉を交わす少年たちを微笑ましげに見ながら、各々言葉を交わす。
 穏やかな空気が場を満たし―――。

 「ちょっと待ってよ! ダグマイアは!?」

 キャイアだけが、焦ったように言葉を荒げた。
 急速に乾く空気。皆、言葉に困るように視線だけを流し合う。
 「ちょっと……何、よ」
 その気まずい空気に、キャイアがおののく様に言葉を漏らす。ラシャラが冷静な顔で言った。
 「―――従兄殿」
 「なにかな、従妹殿」
 アマギリもまた、冷めた顔をしている。その顔を見て、キャイアが何かに気付いたように叫んだ。
 「アンタまさかっ、コレを利用してダグマイアを―――!?」
 普段のアマギリとダグマイアの諍いを知っているがゆえ―――そして、どちらに感情の重きを置いているかを端的に表した言葉だった。
 激昂の感情がそのまま叩きつけられたようなキャイアの言葉に、しかしアマギリは肩を竦めるだけだった。
 「アンタはっ―――」
 それを、肯定と受け取ってしまい、キャイアは元からの相性の悪さもあったのだろう、アマギリを睨みつけ一歩踏み出そうとした。

 「止めよキャイア!」

 「―――ッ! ラシャラ様……でもっ!!」
 鋭い声で行動を制止する主に、踏みとどまりつつも反論するキャイア。ラシャラは反論は許さぬという視線を従者に送った後で、一つ嘆息して、アマギリに視線を送った。
 そして、当たり前の質問をする。

 「従兄殿。―――ダグマイア・メストはどうした? そこのものと同じく、山賊に攫われたようなのじゃが」

 そこの、とハヅキを抱いたまま目を丸くしていたセレスを指し示して問うキャイアに、アマギリは一つ頷いて口を開いた。

 「ダグマイア君でしたら―――」

 




    ※ まぁ、キャラが多いと喋らすだけで一苦労。多分今までで最高人数が一箇所に集まってる気がする。


      因みにマリア様は毎年お歳暮片手に愛人に挨拶周りをするタイプ。
      リチア様は一人になったときに考え込んで欝になるタイプ。
      みたいな感じ。



[14626] 37-8:バカンス・8
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/09 20:48


 ・Scene 37-8・




 「まぁ、バカンス先で、男が朝起きたら寝室に居なかったからって、責めるのは酷ってもんでしょう?」

 まるで何処かの誰かの行動をフォローするかのようなその言葉を、額面通りに解釈すれば怒りが沸く人間も居る。
 「いい加減にしてよっ!」
 「落ち着かんかキャイア!」
 「ですがっ!」
 「従兄殿がこういう言い回しなのは何時もの事じゃろうが。少しは慣れぬかお主も」
 声を荒げアマギリに掴みかからんとばかりに踏み出したキャイアを、ラシャラが止める。
 しかし、キャイアの立場からしてみれば、アマギリの言動は許容できる話ではないだろう。
 「殿下、ひょっとしてキャイアさんの事嫌いなんですか?」
 流石に態度が目に余ったのか、アマギリの傍によってきたワウアンリーが、キャイアたちに聞こえぬように小声で尋ねた。アマギリは面倒そうに肩を竦めた。
 「いや、特に。―――でも、理解している事を理解したくないみたいなタイプじゃない、あの人」
 そういうの、見てて気に入らないんだよねと投げやりな言葉を口にすると、両隣から一斉に突込みが入った。
 「―――アンタが言えた義理か、それを」
 「ですわよねぇ」
 彼女等が何を指していっているのかは、理解できていたが余り理解したくなかった。

 「―――でも、ほら。自主的に出かけた人を、わざわざ無理に探しに良く必要も無いじゃない」

 これ以上は薮蛇だと思ったアマギリは、率直に―――未だに回りくどい言い方だったが―――現実を口にした。
 「自主、的―――?」
 キャイアが戸惑ったように繰り返す。
 「そんなこと、ある訳……」
 山賊の襲撃を認知した後、他の者が集合した時に姿の無かったダグマイアの部屋へと救助へ向かったのはキャイア自身である。
 そしてキャイアは、無人のダグマイアの部屋を踏み荒らした土足の足跡を確認していた。
 金庫や据付の棚なども乱雑に開け放たれていたから、賊が踏み入ったのは確実である。

 ―――それを言うに事欠いて、自主的に出かけたなどと、納得できる言葉ではなかった。

 本当にこの王子は、このままダグマイアを見捨てて、亡き者にしようと企んでいるのではないか―――キャイアにはそう思えてならない。
 普段の言動から言って、そうとしか思えなかった。
 「そんなにダグマイアの事が憎いの?」
 「おいキャイア……」
 睨み付けて問い質すキャイアに、ラシャラが背後から困った風に口を挟むが、キャイアは振り返る事は無かった。いい加減、人を混乱させるような言い回しばかりのアマギリに、我慢なら無かったのかもしれない。
 
 良くも悪くも直情的だことでと、アマギリは妙な感心しながらも、冷めた表情を崩す事は無かった。
 「別に憎くは無いね。常々、周りをちょろちょろと目障りでは在るけど」
 「うわ……」
 あっさりと言い切ったアマギリに、ワウアンリーが唖然と声を漏らした。
 言葉の無残さにではなく、完全に仕事用の底の知れない顔つきになっていることに気付いたからだ。肩にバスタオル引っ掛けてるのが間抜けだなと、内心思わないでもなかったが。
 「語るに落ちたわね……」
 ドスの効いた声で唸るキャイアに、しかしその怒りの形相を物ともせずに、アマギリは態度を崩さない。
 ああ、むしろ楽しんでるなこの馬鹿と、彼の隣に居る二人の助成は気付いていた。
 「でも、事実だ。―――そもそもキャイアさん、何度も自分の暗殺を企んでいるような人間のこと、どうやって好きになれって言うのさ」
 「そ、―――それは……」
 エグイ言葉を直球で叩きつけるアマギリに、キャイアも怯む。事実―――キャイアですら知りえるような、残酷な事実だからこそ反論も出来ない。
 アマギリの両隣の女性たちの眉間の皺が、深まった。
 
 「それぐらいにして置いたらどうだ。言い方が露悪的過ぎて、空気が悪い」
 
 「そりゃ失敬」
 「反省ゼロだな」
 「する理由も無いですし」
 ため息を吐くアウラに、アマギリは肩を竦めて応じる。心底自分の言葉を信じているようだった。若干、先ほどまでの自業自得の状況を根に持っているのかもしれなかったが。
 「先ほどまでもその神経の図太さを見せていれば、あそこまで弄られなかったろうに」
 「大切な事を適当に流す性分は、無いんですよ」
 諦観混じりのアウラの言葉に、アマギリは薄く笑って踵を返した。
 壁一面のモニターを制御しているオペレーターの元へと向かう。
 「従兄殿?」
 「―――キャイアさんは僕の言葉は信用してくれないでしょうし、こういうのは、百聞は一見にしかず、ってね」
 オペレータ(女性)の肩口から腕を伸ばし、アマギリは端末を操作していく。
 「そこで女性の名前を引き合いに出すと、器が知れますよ」
 「みみっちいわよね、知ってたけど」
 「―――君ら、最近妙に仲良いよね?」
 きっと呆れ顔で見ているんだろうなぁと思いつつも、振り返る事はしなかった。顔が近い位置にあったオペレーターが、微笑ましげな顔をしている事も、気にしないことにしていた。
 「コレで……っと」
 気恥ずかしさを振り切るように呟きながら、アマギリはコンソールを弾いた。
 すると、大型モニターに表示されていた映像が切り替わる。
 「コレは……」
 「録画か?」

 広角レンズを用いた俯瞰の風景。何処かの室内のようだった。
 それが、モニター内に分割された映像として幾つも並べられている。同一の部屋を、それぞれ別角度で捉えた映像らしい。

 「……ちょっと。コレ、ダグマイアの部屋なんじゃ!?」 
 キャイアが驚いたように叫ぶ。先ほど見てきたばかりの部屋なのだから、気付いて当然だった。
 何よりも、湖の方を覗ける窓際に立つ、ダグマイア自身が映されていたのだから。
 「全部で二十四個とは、また仕掛けたな」
 感心するようなアウラの口調に、アマギリが端末を操作しながら応じる。
 「さっき言いませんでしたっけ? ココはホラ、各国のお偉い様の人たちが他所様に知られたら拙いような人と会うのに利用するような場所でもありますから。まぁ、壁に耳あり障子に目ありってね」
 「―――運営がハヴォニワの段階で、盗聴盗撮されてる事くらい、気付きそうなものじゃがの」
 「ココ、一応表向きは民営ですから。結構有名なホテルグループの系列ですよ」
 「詳しく会社を調べると、ナナダン家の財団が出資してる事に気付くけどね……」
 ありそうな話しだと鼻を鳴らすラシャラに、マリアとユキネが注釈を付けた。
 今回の旅行の場合、出迎えからしてフローら自らが行っていたから、気付きにくいところではあった。
 「アマギリ、アンタまさか、他の部屋にまで……」
 他、と言うかようするに自身の部屋にまで監視カメラが仕掛けられていたのではないかとリチアは顔を赤くした。アマギリも、今度は振り返って苦笑した。
 「流石にカメラもマイクも切ってありますよ」
 「―――ある事は否定しないのだな……」
 「一度仕掛けると外すのって手間ですしね。まぁ、皆が寝てた場所は女王陛下が管轄の場所でもあるから、あの人の許可がないと録画映像も閲覧不可だから、心配無いかと」
 「……撮られた可能性があるという心配は、無くなってないのではないか、その言だと」
 僕も詳しくは解らないと言うアマギリの返答に、アウラもラシャラもげんなりとした気分になってしまった。
 そもそもフローラのテリトリーである以上、そこに居るもののあらゆる行動は、全て彼女の掌の上だと言う事実は揺るがないから、諦めるしかないのだが。
 「まぁ、その辺は後で女王陛下に聞いてくれとしか言えないんだけどね、実際。―――さて、この辺からかな」
 「―――む」
 「アレは―――」
 
 『大人しく付いてくれば、痛い目に合わなくて済むよ』

 映像に加えて、音声まで流れ始めた。
 室内の一角。丁度、ダグマイアの居る部屋の入り口付近に、軽装の少女が壁に寄りかかっていた。
 「山賊か」
 「目的は元々、男性聖機師の誘拐って事だったらしいね。―――ついでに、その手の趣味な人に高く売れるって評判のダークエルフの女性とか」
 アマギリの言葉に、少女達は一斉に眉を顰めた。場の空気を察して、ワウアンリーが言う。
 「殿下、仕事モードですから口汚くなるのは解りますけど、回り皆若い女子なんですから、言葉選びましょうよ」
 「ああ、失礼。―――で、まぁご覧の通り山賊さんはダグマイア君の事を丁重にお連れしようとしてるわけだけど……」
 「ちっとも反省してないわよね、アンタ。―――まぁ、良いわ。でも、これだと自主的とは言えないんじゃないの」
 口先だけの謝罪の言葉を切り捨てて、リチアは嘆息交じりにアマギリに尋ねた。結果は解りきっているけど、と言う投げやりな口調である。アマギリも肩越しに頷いた。
 「ええ、ですから―――」

 『お前達のリーダーに話がある、案内してくれないか?』

 「え―――?」
 「ほう」
 「……フム」
 驚きの声は、最初のキャイアのものだけだった。殆どの少女達は、納得といった顔で頷いている。
 カメラ越し、映像の中のダグマイアは扉の脇に居る山賊の少女に振り返り、言葉を返していたのだ。

 『お前達を雇いたい』

 一番ダグマイアの正面に近いカメラが、彼の唇の動きを完璧に捉えている。映像の加工を疑うのも難しいだろう。
 完全に、言い逃れで着ないくらいに、ダグマイアは山賊たちに交渉を持ちかけていた。
 「で、次はこっち、と」
 驚く―――若干名に留まっていたが―――少女達を他所に、コンソールを叩いてアマギリは映像を停止させた。
 大画面のモニターが今度は外―――何処かの森の中の映像に切り替わる。
 「今度はリアルタイムかの」
 「―――あのトレーラーって、山賊ですか?」
 幾つかのコンテナを牽引したトレーラーと、いかにもといった風体の男たちがうろつく姿。
 それを、かなり離れた距離から望遠カメラで捉えているものらしい。
 「因みに、セレス・タイト殿を救出した部隊の撮影です」
 護送途中に奪還したらしいよと、脇に抱えていた資料をひらひらと振りながら、アマギリは言った。
 尚、セレスたちはアマギリたちの会話が白熱している間に、ワウアンリーが目配せした剣士が外へと連れ出していた。
 半分一般人に近い彼らには、この毒のある空気は辛すぎるだろうと言う配慮だった。
 「で、映像と音声はあんまり関係なくて悪いんだけど……」
 従者のさり気ない気遣いに気付いていながらも、まるで礼も言わないままにアマギリはコンソールを叩く。

 『私を捉えてどれだけの金になる。国との交渉は面倒だぞ?』

 何処か周囲に反響したような音が、ノイズ交じりに響く。
 「―――洞窟、か。この響き方だと」
 「あの、トレーラーが隠している岩壁の辺りですかね」
 アウラの言葉に、ワウアンリーが頷いた。その横で、キャイアが震えたような声を漏らす。
 「……何よ、コレ。―――ダグ、マイア?」

 『こちらで用意した女と貴公とで子供を作らせるという手もある。そういう浪人なら幾らでも用意できますからね』

 「んな―――っ!?」
 「―――音声照合取れました。山賊団首魁の女で間違いありません」
 遠くで会話の内容に驚くキャイアの声も聞こえないかのような冷静な声で、アマギリの耳元でオペレーターが呟いた。
 それを耳ざとく聞きつけたラシャラが、額に手をやりつつ言った。やれやれ面倒なと言いたそうに、眦がよっている。
 「従兄殿、お主ダグマイア自身にも盗聴器を仕掛けおったな」
 「―――ははは、警備上の安全性を考えてってやつですよ」
 「どちらの意味での安全性か、じっくりと聞いてみたい所じゃの」 
 わざとらしく笑うアマギリに、ラシャラも半笑いで応じた。
 「これ―――つまり、山賊との直接交渉の現場って事?」
 「―――と言うか、種の来歴を明かせない聖機師なんて生んだところで、引き取り手なんて早々見つからないのでは?」
 「運良く男性聖機師が生まれるまで―――つくり、続けるとか?」
 投げやりなマリアの言葉に、ワウアンリーが若干頬を赤らめつつ応じた。
 その間にも音声のみの会話は続く。

 『貴女も、その一人と言う訳だな』
 『―――勿論』

 「二人、黙って見詰め合う。―――ト書きなら、そんなところかの」
 「落ち着いている場合じゃないですよラシャラ様! このままじゃ―――っ!」
 「このままじゃ、何じゃ?」
 「何―――何って、……その」
 無音となった隙間に呟いたラシャラの言葉に、キャイアは真っ赤になって叫ぶ。
 しかし何処か冷めた目で切り返してきたラシャラの言葉に、キャイアはたじろく事しか出来なかった。
 このままなら、ダグマイアはどうなってしまうのか。
 どうもこうも、ダグマイアがこの会話を主導しているのだ。

 ―――彼は、被害者ではない。

 それが理解できてしまうが故に、キャイアは続ける言葉を持ち得なかった。

 『我々を雇ってどうなさるおつもりで―――ッ!?』

 「―――なに?」
 「金属をこする音がしたな。誰か、刃物を抜いたぞ」
 引き攣って止まった山賊の首魁らしい女の声に首をかしげたリチアに、アウラが推察の言葉を続けた。
 「耳が良いですねダークエルフの人。―――会話の流れから言って、ダグマイア君が脅しに行ったってトコかな」
 「ですわね」
 「そん、そんな―――」
 興味なさ気に考察するハヴォニワの兄妹に、キャイアは気が気ではない。
 囚われた―――筈、その言葉すら最早難しいが―――ダグマイアが、逆に山賊を脅しているなどと。

 『私は他の男とは違う。―――それを証明したいんだ』

 信じたくはない。そんなキャイアの思いを打ち砕くかのように、ダグマイアは強い口調で言った。
 熱の篭った、真剣な。最近キャイアの前で見せるような冷めた態度ではなく。執念の篭った口調だった。
 「ダグマイア……」
 置いていかれたような心境なのか、それとも何かに裏切られた気分なのか、何処か悲しげな口調で呟くキャイアと対照的に、場の空気は何処か乾いていた。

 「―――わざわざ証明しなければ解らない段階で、既に他の男と対して変わらないって認めてるようなものじゃないのか?」
 「あの言い方だと、証明したいのではなく、承認が欲しいってだけですわよね。他人に認められたいと」
 「ダグマイア・メストらしいといえばそれまでだが―――何とも感想に困るな。……そういう虚栄心をあからさまにしては、簡単に他人に利用されてしまいそうだが」
 「その辺りの脇の甘さが、正しくダグマイア・メストなんでしょ? 此処はそこの馬鹿のテリトリーだって言うのに、監視の一つも付いている事に気付かないんだから」

 アマギリもマリアもアウラも、リチアですらも―――皆が皆、否定的な言葉しかなかった。
 それら全てを、キャイアは混乱する思考の片隅で確かに聞いた。理解した。
 そう、理解した。ダグマイア・メストを、キャイアは理解した。

 彼らがそんなだから―――明らかに余人に換えがたい個性を持った彼らばかりが堂々と目の前を通り過ぎてゆくから、ダグマイアはこう言う生き方をせざるを得なかったのだと。
 ダグマイアの言葉の意味、それを真実体現している彼らが、しかしそれを当たり前だと価値もない物の様に扱っているから。
 必死の努力を重ねている人間にとっては、堪らないのだろう。
 違いが解る程度の優秀さがあったのがダグマイアの不幸で―――それが認められないからこそ、足掻く。
 足掻いて、足掻いて、そして―――違えた。
 違えているのだ、彼は。悲しいほどに違えてしまっている。正道には最早戻れないのだろう。
 認めがたい事だったが、キャイアはそう理解するよりなかった。
 理解しても―――それでも。

 『詳しい話をお聞きしたい』
 『―――出来れば、余人を交えずにお話したい』

 それでも、その思いを打ち砕くかのように、ダグマイアから放たれる言葉はキャイアにとっては残酷なものだ。
 最早、手段など一つとして選びようが無い。
 そんなところまで、彼は既に行き着いていたのだ。
 「ダグ、マイア……」
 折れそうな気持ちが、呟きに乗って、自然流れ落ちる涙と共に、キャイアの口から零れた。
 それを聞いたから―――と言う訳でもなく、アマギリは音声を止めた。
 その後の向こうの展開が、容易に想像できたからだ。
 「これ以上は、もう良いかな」
 「嫌よね、男って。結局最後は誰でも変わらないのかしら」
 「そうならないために―――させないために、でしょうか。確りと手綱を握らなくてはと言う事なのでは?」
 「―――言われると思ったよ、チクショウ」
 ダグマイアたちの最後の会話、その後の展開を想像してのリチアとマリアの不機嫌そうな声に、アマギリが項垂れながら言った。前科持ちは辛いと思っている。後悔は全くしてなかったが。

 「―――さて、と」

 だがそれに囚われてばかりと言うわけにも行かないから、アマギリはコンソールから身を起こして少女達に振り返った。涙を流すキャイアに気付いていたが、見なかった事にして口を開く。
 「まぁ、こんなだからダグマイア君は放っておいてもそのうち戻ってくるだろうし、朝から騒がしかったから一先ず解散と行かない?」
 「どう考えてもあたし達が助けに来るの待ってますよね、あの人」
 「寒いボケでツッコミを期待してるような人に、わざわざ応じる義理も無いし。しかも相手は男だぞ?」
 「そこが重要なんだ……」
 堂々と言い切るアマギリに、ワウアンリーは苦笑以外浮かばなかった。アウラも同様らしい。
 「相変わらず同性には手厳しいな、お前。―――と言うか、建前上迎えに行かねば帰って来られないのでは無いか?」
 アウラの突っ込みに、アマギリは面倒そうにまあね、と頷く。
 そして建前上、アマギリ―――アマギリ・ナナダンとしても、ダグマイア・メストの救助は行わなければならないのだ。
 実に馬鹿らしい話だが、建前上は仕方が無い。
 一応二人はクラスメート。そして旅行に誘ったのはアマギリで、監督責任はナナダン家だ。
 「じゃあ、面倒だけど―――」

 「アマギリ様! マリア様!」

 口を開きかけたアマギリを、背後に居たオペレーターが遮った。焦ったような声、突然呼ばれたマリアも目を丸くしている。
 「―――何?」
 嫌な予感以外の何物もしなかったが、アマギリはだからこそ冷静な態度でオペレーターに振り返った。
 「これ、を―――」
 オペレーターは、先ほどまで自分が読んでいたプリントを、震える手でアマギリに手渡す。
 受け取るアマギリの傍に、マリアが近寄ってきた。当然、従者たち二人も傍に来る。
 
 恐らくはハヴォニワ国内での緊急事態だろうと辺りをつけたほかの少女達は、しばし彼らから距離を取る。
 興味はあるが、その辺りは立場もあって弁えていた。
 
 「ダグマイア、何故……」

 沈んだ声で呟くキャイアに、ラシャラは冷静な表情で告げた。
 「何故も何もあるまい。ヤツは変化を望み、それ故に我等との対立が必定となった。求めるものが違えば争わざるを得ない、それだけの事じゃ」
 「―――我等」
 「その通りじゃキャイア。我が従者よ。―――あの会話の意味を吟味できぬお主ではなかろう。あのような者達を配下に加えてヤツが起こそうとする事はなんじゃ? 答えは当の昔から出ておった。ただ、対立を望んでいたのがヤツの父だけではなく、ヤツ自身もそう望んでいたという事がはっきりしただけ。―――直ぐにとは言わぬが、事の始まる前に割り切るのじゃな」
 「―――ラシャラ様」
 妾はとうに覚悟を決めていると、突き放すような主の言葉に、キャイアは呆然と言葉も無い。
 対立。
 ダグマイアと。
 キャイアはラシャラの従者なのだから、当然、ダグマイアたちにとっては打倒すべき敵の一人と映るだろう。
 ダグマイア自身が、既にそう望んでいるのだ。それは野心家の彼の父に命ぜられたからだけの理由ではなく、先の言葉どおり、彼自身が自らの証明を求めているから。
 キャイアは、ラシャラの従者だ。
 女王の従者としての責務を放棄するつもりはないし、職責を全うすると言う意思に些かの曇りも無い。
 だけど、だからといってダグマイアに剣を向けられるだろうか。
 解らない。解らないし―――答えを出すのが、怖い。
 どんな答えを選んでも、きっと何かを失う事になるのだと、それが解ってしまうから。


 「―――やられたね、コレは」


 アマギリの声が、室内に響いた。
 口調の軽さの割には、重い響き。傍に居る妹も、従者達も、その表情は厳しい。
 「なるほど。それを利用して事を起こす―――じゃないのか、それ自体が、つまり目的なのか」
 「アマギリ?」
 「あークソ、こんなんなら、躊躇う事無く全部のデータぶっこ抜いておけば良かったか」
 思考を高速で纏めるかのように呟き続けるアマギリに、アウラが声を掛けるが聞こえなかったらしい。
 「おい、アマギリ―――っ」
 二度目の呼びかけで、漸く視線が絡む。凍ったような目つきに、アウラはたじろいた。しかしそれも一瞬、アマギリは苦笑いを浮かべて、わざとらしく手をひらひらと振った。
 そして何故か、キャイアの方を向く。

 「おめでとうキャイアさん、どうやらダグマイア君との対決は無期延期のようだ」

 「―――え?」
 「いやいやいや、やってくれるよあのオッサン。流石に一人で大国廻してるだけあって割り切り方も上手い。―――ああ、くそ、やられた。何でこの可能性を思いつかなかったかな。馬鹿か僕は。ちょっと考えれば当然じゃないかこんなの」
 「延期―――じゃと? 従兄殿、一体何を言っておる?」
 キャイア以上に、傍に居たラシャラの方が混乱が大きかった。キャイアはむしろ、呆然として言葉の意味を理解できなかったらしい。
 アマギリは今度はラシャラに視線を移した。おどけたような身振りが、ラシャラには何か恐ろしいものの予兆に感じられた。
 「ラシャラ・アース女王陛下」
 声も、その呼び方も、不吉以外の何ものもうつさない。アマギリの隣に居たユキネが、無表情に変わったことも、それを助長させた。
 「―――何、じゃ」
 ラシャラは、返事の声が震えなかったことに安堵した。その敬称と共に呼ばれた以上、ラシャラは弱い部分を見せるわけには行かなかったからだ。
 アマギリは、ゆっくりと半直角の礼をした後で、言った。

 「真に申し訳ありませんが、御身の身柄を拘束させていただきます」

 「っ!」
 「な、に―――え? いえ、突然何を―――!?」
 驚愕に眼を揺らすラシャラの横で、混乱しながらもアマギリの言葉の意味を端的に理解したキャイアが、ラシャラを守るように一歩踏み出していた。
 「ユキネ」
 「はい、アマギリ様」
 冷徹なアマギリの言葉。そして能面のようなユキネがそれに従い素早い動作でラシャラたちの傍による。
 当意即妙。正に従者の鏡たる、主―――もう、違うじゃないか!―――に付き従う者たるを象徴した姿だった。
 「ちょっと―――!?」
 意味が全く理解できない行動だが、害意が含まれている事だけは理解できた。キャイアは咄嗟に私服のままでも携えていた短刀を抜こうとして、
  
 「止めよキャイア! ―――従兄殿よ、そう焦るでない。妾は逆らいはせぬ」

 その行動こそが危険を呼ぶと理解していたラシャラは、キャイアを鋭い声で制止した後に、アマギリの方へと自ら近づいた。キャイアがラシャラに続くより先に、無言のままのユキネがその間に割って入り続いた。

 「……今の、普通はポジション的に考えてあたしにお呼びが掛かる場面なんじゃあ?」
 「貴女の役割はそういう物ではないでしょう?」
 「どうせ、各方面への繋ぎでしかないですよ、あたし……」
 アマギリとユキネが、いっそ見事なコンビネーション過ぎて、本物の従者が微妙に凹んでいた。

 「ご協力感謝の極み」
 近づいてきたラシャラに手にしていたプリントを手渡しながら、アマギリは肩を竦める。それを鼻を鳴らしながら受け取って―――ラシャラは再び眼を揺らした。
 「要らぬ世辞じゃな。どのみち此処はお主のテリトリーじゃろうて。言われれば逃げ場も無いゆえ、従うより―――っ!! これ、は」
 ラシャラの手は明らかに驚愕で震えていた。
 「ちょっとアマギリ、結局何が何なのよ」
 「いい加減、我等にも解るようにして欲しいのだがな」
 若干蚊帳の外に置かれていたリチアとアウラが傍によってくる。
 アマギリは肩を竦めて応じた。

 あっさりと。

 誰にでも解るような簡単な言葉で。

 「聖地がババルン・メスト率いる艦隊に占領されました」



 ・Scene 37:End・







[14626] 38-1:ガイア・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/11 10:54



 ・Scene 38-1・



 窓の向こう。曇天の空。
 今にも雨が降り出してきそうな、建物の中に居ても解る、湿気混じりの空気。

 「だから何度も言ってるだろ! 調査じゃなくて接収だよ、接収! ああそう、内部の人間は全員拘束、資料及び設備は全て確保!」
 
 窓の向こうを眺めて何とはなしに気持ちを沈めていたアウラの耳に、明らかな苛立ちを含んだ少年の声が聞こえた。
 振り返る廊下の向こう、階段のある角を曲がった向こうから聞こえる、見知った少年の怒鳴り声。

 「ですが、教会施設にそのような……」
 「そんなもの後で幾らでも言い訳が出来る! とにかく今は一刻も早く国内の全教会施設を接収する事だけに集中しろ。抵抗されそうだって言うなら、公安騎士団に聖機人並べさせて追い立てろって言っておけ! なんだったら、一発だけなら撃っても構わん! 誤射で済ませる!!」
 追い縋る女官を振り切るように、少年は脚の深いカーペットの上ですら音を立てる強い足取りで、足早に廊下を進む。言葉は辛らつそのもの。一分の批判すら許さないかのごとき苛烈な態度だった。
 「それは余りに一方的過ぎます! まずは調査協力を求めて……」
 「馬鹿かお前は! それとも無能か? 屑か!? そんな無駄手間かけてたらこっちが一方的に攻撃される恐れがあるんだぞ!? 連中には教会に所属している人間だって居るんだ、その辺りの事情で強請ってやればそれで幾らでも名分も立つだろう! 少しは頭を使え!」
 怒鳴り声と共に、丁度少年の姿がアウラの見える位置にまで差し掛かった。
 アウラは、親友がこうまで一方的な態度で他者を罵倒する様を見るのは初めてだった。
 
 それだけ、切迫した事態と言うことか。

 「しかし、殿下……」
 「ああ、もう!」
 これだけの明確な怒声に晒されながらも、尚も反論の言葉を紡ごうとする女官に、少年は苛立ったように頭を掻きながら立ち止まった。
 「陛下が玉座にお戻りになられるまでは僕が全権を委任されている。もう一度言うぞ? 国内の全教会施設―――無論、主要都市近辺のものが最優先として―――全て強制的に接収だ! 施設内部において転位装置と思しき物を―――いや、時間が惜しいな。亜法機関を搭載している機材なら全てだ、発見次第速やかに停止、いや破壊しろ! 聖機人でも爆薬でも、必要ならば何を用いても構わん、後に活用する事など考える必要も無い、破壊だ!! どうせ後で必要になっても、僕がもっと使い易いヤツを作ってやる。―――良いか、これは勅命と心得ろ!!」
 「―――っ!? か、畏まりました!」
 「畏まらんでも良いからとっとと動け! 時間は有体に言って僕等の敵だぞ!」
 勅命―――滅多ないであろう言葉に緊張気味に応じる女官を蹴り飛ばす勢いで少年は言葉を散らした。
 女官は彼の言葉に従って、転げるように駆けながら、もと来た道を引き返していく。
 
 「―――ったく、情報部名乗りながら平和ボケしてるんじゃないよ。……ああ、くそ。瀬戸様に仕事押し付けられてた頃はこんな愚図共のせいで手間取る事なんて有り得なかったのに……ったく、こうなってくると家令長達と連絡が取れなくなったのは痛いな。連中、流石に女王陛下の推薦だけあって優秀だったって事か。―――生きてれば良いけど」

 呆れ混じりに、嘆息しながら振り返った少年と、廊下の窓際に体を預けていたアウラの視線が絡む。

 アウラは身を少し起こし、苦笑交じりに少し離れた場所にいる少年に言葉をかけた。
 「珍しく荒れているな、アマギリ」
 「ぁあん? ―――……っと、失敬」
 誰だか解らなかったらしい、凄い目で睨まれた。
 何処と無く疲れた顔。目の下にうっすらと隈が出来ているようでもあった。
 そういえば、朝方は―――なるほどつまり、昨晩は殆ど”寝て”なかったから睡眠不足と言うわけだと、アウラは気付きたくも無いのに気付いた。それなら気が立つのも仕方ないかもしれない

 尤も、本当に親しい人間以外には割りときつめの当たり方をする少年だったから、普段もああいう感じなのかもしれないとアウラは内心思っていた。

 アマギリ・ナナダン。
 少し歳の離れた、非常に気難しい性格の異性の友人―――親友の一人。
 アウラにとってはそれがほぼ全てと言う認識だったが、彼にはハヴォニワ王国の王子としての顔もあるのだ。
 公的な場面での一面を見せられるのは、初めてのことかもしれない。

 「アウラ王女。こんな所でどうしたん。ですか?」
 一度頭を振って気分を切り替えたのか、アマギリはアウラの知る何時もどおりの親友としての表情に近いものを浮かべた。気を使わせてしまったかと、アウラは微苦笑を浮かべた。
 「いや、―――と言うか今更かも知れんが、私を呼ぶ時に一々”王女”などと敬称をつけんでも構わんぞ?」
 気遣う気分で、あえてどうでも良い話題を振ってみるのだが、アマギリはやはり疲れが隠せないのか、戸惑いもせずに、ああそう、と頷くだけだった。
 「それじゃ、アウラさん。こんな薄暗いところでなにを黄昏て居たんですか? 皆とサロンでご歓談中だったのでは?」
 「ああ―――いや何、ラシャラ女王たちはお前が連れて行ってしまったし、情報も全く入ってこないしで、こんな状況で寛いで居てくれと言われてもな。空気も悪くなってきたし一度解散と言ったところだ」
 廊下の向こうにある風光明媚な景勝を満喫できるサロンを顎で示して、アウラは肩を竦めた。先ほどの会話は自分の中で無かった事にすると決めたらしい。
 アマギリはそれを聞いて、苦い顔をした。
 「ありゃ、つー事は部屋に戻ってるのか。―――やっぱ不便ですね、通信が使えないと」
 「通信、か。―――これほど大規模な通信妨害など、可能なのか?」
 アマギリの愚痴に、アウラは眦を寄せた。
 
 通信妨害。

 ”聖地占拠”なる異常事態の最中に、一国の王女であるアウラが、未だに他国の観光地で燻っている理由がそれである。
 シトレイユ皇国宰相ババルン・メストが、自身の直轄領から全軍を率いて聖地を占領。
 その詳細な情報を得ようと各国がその目と耳をそばだて様としたその瞬間―――全ての亜法を用いた通信設備が使用不能になった。民事、軍事、短距離、長距離問わず、ほぼ全ての通信設備が、である。
 例外としては特殊な亜法振動対策を施され地中に埋設された有線通信網くらいである。
 設置費用も馬鹿にならず、費用対効果も薄いとして、どの国も導入に二の足を踏んでいたような技術だったから―――そもそも、高度に暗号化した高速、長距離無線通信技術が発達している関係上、どうしても有線通信網の整備は進まない―――この事態に有効に働くような場所には存在していない。

 ハヴォニワに於いての事態の変遷を眺めてみると、女王が第一報を察知して、王女と共に高速艇で王宮へと帰還するためにこの別荘地を離れた瞬間に、通信妨害に巻き込まれた。
 それ故に、半ば冗談のように”玉座へと辿りつく間”に全権を委任されてしまったアマギリは、女王と連絡がつかない―――女王も、船上の人であるが故に、身動きが効かない―――故に、職責も在ってか、本当に可能な限りの全権行使の必要に駆られていたのだ。
 既に、第一報が入ってから半日ばかりが過ぎ、時刻もそろそろ夜に指しかかろうとする時間である。
 客人たちを放置して、人を集め、掌握し、走らせて、と泥臭い真似を演じ続ける羽目になっていた。

 「不可能じゃないと思いますよ? 現状有り触れた技術だけでも、使い方次第でこういった現象を起こす事は可能です。例えば、亜法波の通信はエナの共鳴振動を利用して行っている物ですから、海流に沿って特殊な振動波を発する結界炉でも一定間隔毎に設置していくとか。向こうさん、そもそも技術屋上がりらしいじゃないですか。こういうコスト度外視な方法も、立場と金に物を言わせれば幾らでも出来そうですしね」
 僕ならもっと簡単な方法で出来ますけどと笑う、何処か自身の才覚を鼻にかけた態度が、最近見ない男性的な魅力を感じさせる物だった。
 アウラとしては好ましい部分なのだが、彼に思いを寄せる親友―――同性の―――にとっては、余り好きではない部分なのだろうなと思うのだった。

 「―――まぁ、それだと通信妨害と聖地占拠がズレた理由がいまいち解らないんで、教会本部か結界工房辺りで、それ様のシステムでも発見したのかもしれませんが。元々通信技術も教会が発祥ですしね」

 「―――何?」
 ついでアマギリから語られた言葉は、一瞬アウラに思考の空白を生み出してしまうような爆弾だった。
 今、聞き捨てなら無い単語が連続で飛び出した。
 アマギリは呆然としたアウラと言う貴重な物を見たが故か、薄く笑って言葉を続けた。
 「教会本部施設―――早い話が教皇庁ですが、ババルン軍と思わしき聖機人部隊の襲撃を受けて壊滅。教皇聖下並びに枢機卿様方は行方不明―――多分、生き延びてるんでしょうけど。ついでに、同様に襲撃を受けた結界工房が上層施設を放棄して最下層部に隔離結界を展開して外部と物理的に遮断、引きこもり状態に入ったらしいです。まぁ、容赦ないと言うか遊び心に欠けるって言うか」
 「教会を―――教皇庁を、襲撃だと!? 正気か、ババルン・メストは。それでは全世界を敵に回す様な物だぞ!?」
 その常識から外れた行為に驚愕の声を上げるリチアに対して、アマギリの言葉は何処までも冷淡だった。
 「でも、有効な手ですよ。何しろ現在のジェミナーの秩序を形作っているのは技術管理団体としての教会の存在があったからだ。それが、あっさりと打ち崩されたと言う事は―――早晩、世界はそれを理解するでしょう。一つの”枷”が外れてしまったと。―――それは、これまでは二の足を踏んでいた幾つかの行動を、拙速な思考の持ち主達に選択させる充分な動機になる」
 「それは、いや―――しかし」
 余り想像したくもないような未来を思い浮かべて、アウラは頭を振り被る。
 しかし、否定する要素が見つからない。

 只でさえ世界は全ての通信の断絶などと言う混乱状態にあるのだ。
 そして現状、それを修復する目処は立っていない。
 混乱する世界。秩序の象徴とも言うべき教会の崩壊。
 そして、教会と両翼をなし世界に対して睨みを利かせていた大国も―――その、大国こそが今現在、世界に騒乱の芽を撒き散らしているのだ。

 「スイマセンね、人手不足で国内の掌握すらままならなくって。シュリフォンと繋ぎを取るのはもう暫く掛かりそうです」
 表情を歪めたのを、祖国に危機が及ぶ可能性について思考が及んだが故と捉えたらしい。アマギリが、本気の態度で謝罪の言葉を口にしていた。
 それこそ本人の言の通り、優先するべき事柄ではないのだから謝る必要も無いというのに。
 ついでに言えば、後に女王が国内掌握を目指す時に邪魔に成らないように、本気でアマギリ自身がそれをしてしまう訳にもいかないのだろう。何処か身動きの取れぬ歯がゆさが混じった言葉だった。
 
 ―――相変わらず、身内と定めた人間には、とことん甘い。

 アウラは微苦笑を浮かべて頭を振った。
 「構わんさ。こうして安全を確保してもらえるだけでも御の字と言える状況なのだから」
 窓の向こう、視界の端に警備の人間達が屋敷の門前に居る姿を捉えながら、アウラは言った。彼が行動を起こすにあたり、真っ先に行った事が警備の強化であると知っていたからだ。
 「それより、教皇庁が襲撃を受けたのであれば、リチアの方が心配だが……」
 現教皇はリチアの祖父が勤めている。行方不明であるというならば、どれほど不安に思うか想像もつかない。
 だから、アマギリは立場的にそちらを優先して心配してやるべきだろう、そんな風の意味を込めていってみたが、しかし彼の態度はむしろ何処か平坦で捉えどころのない物に変わった。照れの一つも無い。
 「アマギリ?」
 「ああ、いえ……教会に関しては個人的に色々思うところがあるんで、それを考えるとリチアさんもあんまり不安を覚えていない気がしちゃって」
 「と言うと?」
 「教会の秘匿技術と言うのは僕の目から見ても割りと洒落にならないレベルの物が揃ってますから、こういう状況ですし、それらの仕様を躊躇う理由も無いでしょう? そうすると、主要人物の安全確保なんて最優先で取り組んでいる課題だと思うんですよね。他の何よりも、真っ先に。―――それこそ、通信封鎖の解除技術の提供よりも先に」
 こういう風に考えるのは心苦しいのだけれど、アマギリはそんな風に付け足しながらも、それを思考することを止めなかった。
 底が見えないが故にまるっきり信用しないと決めているようだ。リチアに対してすら、そうなのだろう。
 「そういえば、お前は前から教会側の人間に厳しい目を向けていたな。メザイア先生しかり、―――ユライト先生にも」
 ユライト・メストは教会の人間であると同時に、その名が示すとおりにメスト家の人間である。
 今回のババルンの蜂起に無関係であるとは考えられず、自然、アウラの言葉尻は鋭くなっていた。
 「ユライト先生―――あの人なんですよね、ホントどうなんだか」
 「アマギリ?」
 ユライトの名を口元で転がしながら考え込むアマギリに、アウラは首を傾げる。そこに敵意らしき物は見えなかったからだ。
 アウラの疑問の視線に、アマギリは微苦笑を浮かべた。

 「敵が居て、それをやっつければ全部が解決だったら楽だな―――ってね?」
 
 「敵―――それは、つまり?」
 冗談めかした言葉に、アウラは戸惑ってしまった。
 現状は―――混乱しているなりに、明確な敵対勢力もはっきりしており、それを敵と断ずるのも早い。
 確かに最早それを打ち滅ぼせば全てが解決する問い状況では無くなってしまったが、それでも解決への一助となる事は間違いないだろう。
 「まぁ、その辺りを判断するために、それを知っているヤツを捕まえる予定だったんですけどね」
 最早もぬけの殻となったサロンの方へと視線をやりながら、アマギリは言った。
 「知っている?」
 リチアの事だろうか。だが、教皇の孫と言えば聞こえが良いが、所詮孫は孫でしかない。教会内で直接作用するような力を彼女自身が持っているわけではないのだ。
 誰を思ったのか、アマギリは気付いたらしい。僅かに笑って首を横に振った。

 「居るでしょう、一人。明確に組織に所属していて、しかもそれが教会と深い関係にある、技術関連の裏事情に詳しそうな組織だったりするヤツが、ね? こういう時のために捕獲―――じゃない、確保しておいたんだから、有効に使ってやらなくっちゃ」






    ※ 久しぶりに熱が38度オーバー出るとか。マジ地獄だぜ……・

      まぁ、ともかく。この辺りから待ったなしで終局まで一直線だと思います、多分。
      説明する事多すぎて中々進めないってのがアレなんですけど。




[14626] 38-2:ガイア・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/12 21:25


 ・Scene 38-2・





 「開けたぞ」

 「そういう時は”開けるぞ”ですよね、普通!?」
 「それじゃあ内職やってる現場を目撃できないじゃないか」
 「それならせめて何も言わずにこっそり入ってきてくださいよ!! まだ諦めがつきますから!」
 
 どたん、ばたん、がちゃん。
 
 扉を開けて踏み込んだ先で繰り広げられていた光景は、つまりそんな騒音が絡むようなものだった。
 普段は見覚えの無い先鋭的なデザインの機材を、大慌てで私物のバックの中に詰め込んでいる従者の姿がある。
 「今更隠しても仕方ないだろうに」
 「気分の問題ですよ、気分の……」
 溜め息混じりのアマギリの言葉に、ワウアンリーも嘆息して返す。
 ”気付いていないふり”と”気付かれていないふり”すら最早欠片もする気が無いのが、いかにもこの二人の関係性を象徴していた。
 「お前達、本当に仲が良いな」
 アマギリと共にワウアンリーの私室に踏み込んだアウラは、礼儀正しく部屋の惨状については知らぬ存ぜぬを貫き、只苦笑するだけに留めていた。
 「っていうか、アウラ様も一緒に入ってくる前に止めてくださいよ……」
 「現在この国の一番の権力者に、只の客人がそんな指図は出来んさ」
 「あ、やっぱりまだ通信状況回復してないですか」
 冗談めかしたアウラの言葉に、ワウアンリーが仕方ないかと納得した風に頷いた。

 フローラが、王宮へ帰還する前にアマギリに全権委任すると告げた事はワウアンリーもその場に居たから聞いている。
 その後、通信の途絶などと言う異常事態が発生してしまったため、その冗談が本当になってしまい、これまでアマギリが方々に人を動かしていたのだ。
 因みに、ワウアンリーは役職上後ろに立っていようとしたが、邪魔だと追い払われた。
 現在も通信は回復していない。
 それ故、現在女王の声が届かないこの別荘地内では、アマギリが最高権力者となっている。

 「つまり、今やってた内職は、その辺に関しての話か?」

 半開きのバックからはみ出ている、汎用の通信機より若干嵩張った形状の通信装置らしき物を指し示して、アマギリは尋ねた。ワウアンリーは苦い顔で視線を逸らす。
 「いや~それは、その」
 「どうせ結界工房と連絡とってたんだろ? ナウア師は何て? 教皇聖下達の所在は?」
 「アマギリ、少し飛ばしすぎじゃないか?」
 何時に無く遊びの足りない、直接的な言葉を畳み掛けているアマギリを、アウラが背後から肩を抑えて諌める。
 アマギリはそれに煩わしそうに振り向いて―――それから、アウラに焦点を合わせる様に何度か瞬きをした後で、大きく息を吐いた。
 そして、無言で傍にあったソファに体を投げ出して、大きく息を吐いた。
 「悪い、ちょっと疲れてるらしい」
 「目の下の隈が流石に凄いからな」
 他人の―――それも女性の部屋に強引に踏み入って、あまつさえ三人掛けのソファに身を投げ出すなどと言う傍若無人な態度を咎めもせず、アウラは脇に寄せてあったティーセットを引き寄せてお茶の準備を始める気遣いを見せた。
 「―――でも、殿下が寝不足なのってぶっちゃけ自業自得なんじゃあ」
 昨日はお楽しみでしたよねと、部屋の主の威厳が欠片もないワウアンリーが突っ込みを入れる。
 「それは言わないお約束だよ、おっかさん」
 アマギリのどうしようもない返し方に、ワウアンリーがげんなりと呟いた。
 「誰がおっかさんですか、誰が……」
 「でも、確かワウって僕の四、五倍も歳食ってなかったっけ」
 「あたしとしては殿下の実年齢の方が気になるんですけど……」
 「アストラルの成熟ってのは接続している肉体の年齢に引っ張られるって聞いた事があるよ」
 「その解釈だと、実年齢と肉体年齢が違うと宣言しているような物ではないのか?」
 アマギリの前に甘い香りのするカップを差し出しながら、アウラが笑った。
 どうも、とすら言わずに身を起こしてそれを受け取ったアマギリは、肩を竦めて言葉を返す。
 「何となーくですけど、百年以上は確実に生きてる気がしてるんですよね」
 「百……とはまた、大きく出たな」
 「っていうか、それだとあたしより年上じゃないですか……」
 素直に驚くアウラの横で、ワウアンリーがぼやくように言った。因みに彼女は、九十台後半だったりする。
 「まぁ、僕は寿命ですらあって無きが如しの世界の住人ですから―――なんて、今は関係ない世界の事はどうでも良い。そろそろ、目の前の世界情勢に関わる話をしようか」
 途中までは冗談を言う口調だった物が、突然重みを変える。
 だらしなく、完全に背もたれに体を預けてカップの中身を啜りながら、その目だけは、少しも隙が無い物となっていた。

  その暗い、隈が出来ているが故に普段よりも更に座った目で、ワウアンリーをねめつける。

 「どっちが良い? 素直に自分から話すか、それとも拷問の上に強制的に吐かせられるか」
 どちらでも構わない―――心底、それを思っている事を示すような目で、アマギリはワウアンリーに選択を迫った。
 「無論、君の立場は理解している。ハヴォニワの王子に話せない内容もあるだろう。だから、例え話してくれなくても、僕が君を怨む事は無いのは確約する」
 「……でも、強引にでも聞きだすつもりなんですよね」
 「それは当然だ。君が立場に則った行動を取らねばならないように、僕にだって立場を踏まえた責任を要求されているからな」
 その会話に、常の仲の良さを勘案する一切の要素は含まれていない。
 情の深い人間が見れば、気分が悪くなるような薄気味の悪い状況だろう。
 だが、アマギリは暗い瞳を溶かす事無く、ワウアンリーも少し困った風に眉根を寄せる程度だった。
 そして一人枠から外れた位置に居るアウラは、まるで置物のように表情一つ変えず、目の前の一切の情景が映らないかのような態度で、自らの入れた茶を啜るのみだった。
 
 にらみ合いと、僅かな陶器のカップがソーサーと擦れる音が響くだけの時間が、少しの場を満たした。
 
 「話しますよ、別に。―――普通に聞いてくれれば、幾らでも普通に話すのに。殿下、そう言う所が解らない人ですよねぇ」
 歳の離れた弟でも嗜めているかのような口調で、ワウアンリーは苦笑いを浮かべた。
 「どうせ、止むを得ずに話さざるを得なかったって逃げ道を残してくれてるつもりなんでしょうけど、そんなだから、ちょっと過保護過ぎとか言われるんですよ?」
 「確かにな」
 滔々と続けるワウアンリーに黙りっぱなしだったアウラまで頷くから、アマギリとしては立つ瀬がなかった。
 「人が気を使ってるのに酷い言い草だな、あんた等」
 「そーいうの、気遣いじゃなくてお節介って言うんですよ」
 「余計なお世話と言わないだけ愛があるな」
 ワウアンリーの得意げな言葉に、アウラも深々と頷く。アマギリはげんなりとした顔で頭を振った。
 「……どうしてどいつもこいつも、最近僕に対する扱いがぞんざいかなぁ。―――ああもう、んじゃ、給料減らされる前に知ってる事全部話せ、従者」
 「仰せのままに、我が主」
 照れ隠しの混じる投げやりの口調に、ワウアンリーは微笑みながら頷いた。
 「……と言っても、何から話しましょうか」
 「うわ、使えねぇ。そんなだから肝心の場面でユキネに活躍を取られるんだよ」
 「酷っ!? っていうか活躍の場を振り分けたの殿下自身じゃないですか!!」
 パワーバランスの変動が激しい主従だった。
 喚く従者を放置して、アマギリはアウラに視線を向ける。
 「アウラさん、何か知りたいことってありますか?」
 「私か?」
 突然話を振られて目を丸くするアウラに、アマギリはワウアンリーを親指で指し示して続ける。
 「ええ、コイツこれで、世界の秘密とかの結構後ろ暗い部分にまで足突っ込んでますから、大抵の事は解ると思いますよ」
 「―――間違ってないけど、嫌な評価するなぁこの主人」
 「むしろその評価があったからこその、これまでの雇用契約があったんだが」
 今更だけどと、下手をすれば関係性が崩壊するような言葉をきっぱり言い切る主に、ワウアンリーは疲れたように頷いた。
 「ああ……やっぱそうだと思いました」
 「理解が早い人は好きだよ」
 「―――の割には、選んで気難しい人間とばかり関係を深めてないか、お前」
 おどけて笑うアマギリに、アウラがどうでも良さそうに突っ込んだ。アマギリは図星を突かれた気分なのか、一瞬だけ肩を振るわせた後で、何事も無かったかのようにアウラに笑顔で尋ねた。
 「それでアウラさん、本当に何かありますか?」

 「そう―――だな」

 問われてアウラは、腕を組んで考える。
 そもそもアマギリにとってワウアンリーとの会話をアウラに聞かせるメリットは何処にもない筈だったから、単純にこれは彼の親切に寄る機会なのだろう。
 案外、先の会話であったシュリフォンと連絡が取れないことを本気で申し訳ないと思っているのかもしれない。
 自分の管轄する領域でほんの少しでも身内の人間に不便な部分があると許せないのか。
 過保護な事だ、相変わらずと唇の端を持ち上げつつ、アウラは聞くべき事を見つけた。

 「では、先に言っていた通信妨害の解除とか言うものは?」
 
 「あれ、そんなんで良いの?」
 もっと深い話を聞いても良かったのにといった口調で尋ねてくるアマギリに、アウラは苦笑いで応じた。
 「世界の秘密など聞いたところで、私如きでは役に立たせられないからな」
 「雑学知識として楽しんでおけば良いと思うけど―――まぁ、良いや。それじゃ解説の人、宜しく」
 「はいはい、解説のワウアンリーですよ」
 適当に返事をした後で、ワウアンリーは居住まいを正した。
 「お気づきの通り、先ほどまで結界工房のナウア師と連絡を取っていましたが……」
 「時流の乱れた最奥に引きこもってるのに、リアルタイムで通信取れるんだな」
 「―――それを聞かれると、殿下こそ前にあたしの端末から直接最奥まで侵入してましたよね」
 「擬似的な四次元ダイアグラム使えば結構簡単だぞ、ネットワーク上で時間を飛び越えるのは……んで?」
 確実に現代ジェミナーの技術では簡単でない事を口にしながら、アマギリは先を促す。
 「先に口挟んだのは殿下じゃないですか……、ええと、ですね。とにかく結界工房とのコンタクトに成功した結果、今回の通信妨害には襲撃された教皇庁にあった妨害振動波発生装置が使用された事が解りました」
 「妨害振動波―――読んで字の如くなのだろうが、これほど大規模な通信妨害が可能と言うのはな」
 「通信関連にしろ何にしろ、基幹技術は教会提供の万国共通のもの使用してますしね。どうせ、自分たちが渡した物を使って悪巧みを考えるようなヤツがいたら困るからって、初めから対策を用意してたって事じゃないですか?」
 疑問顔のアウラに、アマギリが推察を述べる。口調に何処か敵意のような物が垣間見えるのは、彼の好き嫌いを良く示していた。
 「後は、先史文明のテクノロジーってのは、割と現代では信じられないような馬鹿みたいなスペックを発揮する物が多いですしね、それを元にデチューンした物を各国に提供していたって考えれば、オリジナルを抑えられたら現代技術では太刀打ちしようもないでしょう。自力での技術革新を怠ったツケって処ですか」
 「……あたしが説明する必要って無くない?」
 「推論なんか幾ら重ねても意味ないからな。ぶっちゃけ、裏づけが欲しかっただけだし」
 微妙な顔で言うワウアンリーに、アマギリはあっさりと言い切る。
 二人のやり取りを楽しげに眺めつつも、初心を忘れていなかったアウラが口を挟んだ。
 「―――それで、原因が特定できたとして、妨害の解除は可能なのか?」
 「へ? ああ、出来ますよ。今すぐにとは言いませんけど、教皇聖下達が脱出するときに、ちゃんと教皇庁内の各種動力炉にトラップを噛ませて来たって話ですから。いずれ装置にエネルギーを送っている結界炉が勝手に停止するように仕向けてあります」
 「ああ、やっぱ生き残ってるのか。いっそ……ってのはリチアさんの手前、拙いか。―――敵さん、亜法に関しては専門家だろ? 時限式のトラップなんて、解除されるんじゃないのか?」
 「結界炉自体が地底深くに埋設されているものですから、ネットワークからアクセスする方法は全て破壊してきたらしいですし、平気だと思いますけど……」
 「確証は、持てないか。―――最悪教皇庁にも派兵の可能性があるな、こりゃ」
 最後を濁す事になったワウアンリーの言葉を、アマギリは懸念事項として脳内メモに書き留めた。
 「で、その結界炉が停止するのは何時頃?」
 「先史文明時代から動いているかなり巨大な代物ですから、停止に掛かる時間もそれなりって話です。それでも、二日三日以内には。――― 一度止めてしまえば、復旧するには現代基準で都市エネルギープラントが精製するレベルの膨大なエナが必要になりますから、後の心配は入らないと思いますし」
 「―――戦後復興が逆に心配だろ、それだと……」
 「それだけ、切迫した事態だと考えてください」
 一種の自爆行為に近いやり方にアマギリが呆れ声で言うと、ワウアンリーが暗い響きで以って応じた。
 「切迫した、か」
 それも当然か、とアウラが呟くと、アマギリが薄く笑っている事に気付いた。
 「アマギリ?」
 「なるほどねぇ……やっぱ教会は知ってて放置してた部分もあるんだな。―――いや、情報の遮断もあったって可能性も有るか? それとも、ここでも更に対立状況って可能性も」
 呼びかけるアウラに応じずに、アマギリは面倒くさそうに髪を掻き揚げて呟く。

 「誰が敵で味方やら……まったく、面白みがない話だよ」

 「……殿下?」
 前髪を払った手でそのまま目元を押さえ、ソファに体を投げ出して天上を見上げた体勢のまま、アマギリはワウアンリーの方を見ようともせずに、言った。
 「だってそうだろ? こういうのは順繰り問題をクリアして答えを見つけていくから楽しいってのに、全く、”まず初めに答えを知らない限り”ゲームを開始する事すら出来ないなんて、馬鹿馬鹿しい。ここ数年、無駄な時間を重ねた気分だ」
 アウラとワウアンリーには、アマギリの口元が自嘲気味に歪んでいるのが見えた。
 「これも、用意されていた脚本に強引に割り込んだせいって事なのかな―――そこの所、どうなんだ従者?」
 「は? ―――ええと?」
 突然声を掛けられて混乱するワウアンリーに、その態度が心底つまらないと言う風にアマギリは鼻を鳴らした後で、言った。

 「面倒だから、全部話せ―――最初はまず、”聖地には何があるか”からだ」






    ※ 真面目な話をやる時は割りとこの三人が回しやすかったり。
      で、ぼちぼちネタバレタイムに入ります。



[14626] 38-3:ガイア・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/13 21:25


 
 ・Scene 38-3・







 「邪魔するよ。―――って、剣士殿だけ?」
 
 「アマギリ様。いえ、ラシャラ様たちは上にいらっしゃいますけど。リチア様もです」
 「リチアさんも? 何で……って、まぁ一人で居たら帰って落ち着かないか」
 「その辺は俺には何とも言えないですけど。その、ちょっと今、上の空気悪くて」
 現在別荘地内に於ける尤も警備体制の厳しい屋敷を訪れたアマギリ達を迎えたのは、剣士だけだった。
 ここは、シトレイユ勢のために貸し与えられた―――早い話、色々と複雑な状況へと落とし込まれたシトレイユ勢を、外界から隔離するための屋敷だった。
 第一報が知らされた後、押し被せるような強い口調と共にこの屋敷へと軟禁状態へ置かれてから、ほぼ四半日ぶりのアマギリの登場に、何処かほっとしたような顔を浮かべている。
 困り顔の剣士に、アマギリと共に屋敷を訪れたアウラが労わるように微苦笑を浮かべている。
 「聖地の様子がどうなっているか解らないからな。情報交換しようにも、お互い一歩も引かない性格ゆえ、と言った所だろう」
 「言い合いが出来る元気さがあるなら、結構な事じゃないですか?」
 「―――止める役、多分殿下ですよ」
 「使い捨ての盾くらいは用意してあるから平気さ」
 「それあたしの事ですか!?」
 切り捨てるように言い放つアマギリに、ツッコミを入れたワウアンリーの方が涙目になった。
 剣士はその様子を見て、言い合いが出来る元気さがあるのは良いことだよな、と無理やり思うことにした。
 屋敷一階がほぼ一つのフロアとして構成されているが故、人物の在不在は良く解る。
 ざっと室内を眺めて一階には玄関辺りに居る彼ら以外の存在が居ない事を確認したアマギリに、剣士が尋ねる。
 「呼びますか?」
 と、言いつつ既に階段へと向かおうとしている。アマギリは薄く笑って首を横に振った。
 「いや、良いよ。用があるのは剣士殿だけ……」

 「そう連れない事を言うでないぞ、従兄殿。折角女の部屋を訪ねておきながら、下男だけを連れて行こうなど」
 
 優雅な足取りで二階へと続く階段を下りてくる、ラシャラ・アースの姿があった。
 不敵な笑みを浮かべているようで、その実、少し顔色が何時もより青白かった。
 「これはこれは、ラシャラ女王陛下。陛下のお耳に入れるほどの話ではありませぬゆえ、外界の瑣末ごとは我等に任せ、お心安らかに居られます様……」
 
 「アマギリ!? 聖地は!? 学院はどうなってるの!」
 「あ、アマギリ様!? その、だ、ダグマイアは!?」
 
 どったんばったん。
 慇懃無礼の極まったアマギリの言葉を遮るように、階段を丁度降りきったばかりのラシャラを押しのけるように、二人の女性が転げるような速度で一階へと駆け下りてきて、アマギリに詰め寄った。
 「リチアとキャイアか」
 「アレだけ騒げば、そりゃあ人が居るって気付きますよねー」
 「叫んだのワウだけどね」
 「叫ばせたのは殿下じゃないですか!!」
 アマギリは至極自然な動作でリチアだけは抱きとめた後で、予想通りの展開になったなと内心思う。
 言葉の必死さが、リチアよりもキャイアの方がきつかった辺りが、特に予想通りで溜め息が出てくる。
 「アマギリ?」 
 溜め息をどう受け取ったのか、不安そうな顔になるリチアの髪をゆっくりと撫でながら、アマギリは微笑を浮かべた。
 「ゆっくり幾らでも、質問にはお答えしますから、―――とりあえず、奥行って落ち着きませんか?」
 「うわー弱みに付け込むジゴロみたい」
 「さり気なく腰に手をやっている辺り、タチが悪いな」
 「―――外野五月蝿いよ」
 茶々を入れてくるワウアンリーとアウラを睨みつける。それでも抱いた腰を話さない辺り、いい加減耐性が付いて来ているということかも知れない。
 「当然、妾の質問にも回答をもらえるのだろうな、ハヴォニワの代王よ」
 口元だけをゆがめた笑みを浮かべたラシャラが尋ねる言葉に、アマギリは肩を竦めて応じる。
 「貴女の質問に答えるメリットが無いんですけどね、シトレイユの張子の女王様?」
 「―――将来の嫁に対して、随分な物言いをするではないか」
 「お嫁さんには家庭を守ってもらう事だけを考えていてくれれば、充分だと思いますので」
 微妙に捨て身だった発言を動揺の一つも浮かべずに切り替えされては、ラシャラの顔に苦い物も浮かぶ。
 が、それ以上に余裕たっぷりだったアマギリの顔が固まっていた。

 「……嫁?」

 ドスの効いた声は、暖かいものを抱きこんだ胸元から聞こえた。
 肩が小刻みに震えているのは、恐怖でも悲しみでもなく、抑えきれないこみ上げる怒りによる物なのだろうか。
 「うわージゴロみたい」
 「うむ、調子に乗ってオチをつける辺りが、特にな」
 「五月蝿いよ外野!」
 「へぇ~、そう。つまり私は外野って事かしら」
 「そんな事言ってませんから!!」
 背後の二人の適当な物言いに突っ込みを入れようとした瞬間、腕に抱いていたリチアからドスの効いた声が上がる。
 「あの、嫁って言うのはですね、言葉の比喩と言いましょうか……」
 「いや、比喩ではなくこのままなら妾はこの男の第一夫人確定じゃぞ。ハヴォニワ属国シトレイユ公国の初代公妃となるより無いわ」
 慌てて言い訳をしようとするアマギリに、ラシャラが面白そうに口を挟んだ。さっきの復讐のつもりらしい。
 「そういえば、戦後のロードマップ案にそんなのがありましたね」
 「シトレイユ分割統治計画だったか。現状のままならば確かに実現性の高い計画ではあるだろうな」
 苦笑いをしつつ会話に追従しながらも、一応は真面目な方向へ誘導してくれる辺り親切なダークエルフだった。
 「まぁ、そう言う事。―――その辺もあるから、……はぁ、ラシャラ女王もどうぞ」
 「疲れておるようじゃの、従兄殿。何時ものキレが欠けておるわ」
 項垂れるアマギリに、ラシャラは勝ち誇った笑みを浮かべた。
 「……そういえば、アンタ目の下の隈凄いわね」
 項垂れて顔が近くなっていたリチアが、アマギリの顔を覗き込みながら言った。
 至近で見合う形となった瞳に心配の色が見えていたため、アマギリは微笑んで応じた。
 「少し、寝不足で働きすぎなんで」
 「―――寝不足」
 「あ」
 途端細まった目に、アマギリは自らの失策を悟った。
 「やれやれ、ホントにキレが欠けておるのう……」
 「一応働き詰めなのは事実なんだ、その辺で勘弁してやれ」
 やれやれと首を振るラシャラに続いて、アウラが苦笑交じりに言い添える。
 「なんか今日は妙に親切ですね、ダークエルフの人」
 「時間は敵だと言ったのはお前じゃなかったのか?」
 感謝するように息を吐くアマギリに、アウラが微妙に冷めた表情で切り返す。その言葉に、アマギリは淀みかかった思考にブレーキをかけて気分を入れ替える事が出来た。

 「そうでしたっけね……」
 
 ぽん、と抱いていたリチアの背を押して、奥にあるテラスへと場所を移すように促す。
 「とりあえず、最初の質問ですけど」
 「―――そうよ、聖地! 馬鹿なこと言ってる場合じゃないじゃない!」
 アマギリの言葉に、漸くその部分にまで思考を戻す事に成功したリチアが、叫ぶ。その背後でアウラが、何とも言えないという風に呟いた。
 「恋は盲目……と言うヤツか」
 「意味違く無いですか、それ」
 「状況が状況でなければ、興味深いで済ませられるのじゃがな」
 「場を混ぜっ返したのはアンタじゃないか」
 然りと頷くラシャラを、アマギリはジト目で睨む。ラシャラはそ知らぬ顔で口笛を吹いた。
 眠たい頭に、率直に言って腹が立つ態度だった。
 「それよりアマギリ、聖地は、ラピ……学院は、どうなってるの!?」
 思考が戻れば焦りも動揺に深まる。リチアは縋るように詰め寄るものだから、アマギリは丁度傍まで辿りついたソファに尻餅をつく事となった。
 「うわっと。―――ちょっと落ち着いてください。体制がヤバイですから」
 「そんな事はどうでも良いから早く答えなさい」
 不自然な体勢でソファに沈むアマギリに、覆い被さるようなリチア。
 「有体に言えば、押し倒しているようにしか見えんの」
 「っていうか、顔だけ見ると凄い修羅場っぽいですよね」
 「気を利かせて席を外してやれば、そのものズバリとなりそうだがな」
 各々、周りのソファに腰掛けながら好き放題言っているのが、眼前リチアの顔で一杯に埋められたアマギリに聞こえた。反論できなかったのが悲しかった。
 
 「学院ですけど」

 アマギリはアウラから少し顔を遠ざけるように天上を見上げながら、呟いた。
 「通信途絶中のため、二時間おきにしか最新情報が得られませんけど、現状殺戮劇が発生していると言う事も無さそうですね」
 「―――何故、言い切れる?」
 目の前に居たリチアより先に、アウラが訪ねた。
 「通信可能状態の折に判明している最後の情報が、警備の要塞を沈黙させた後に学院内に侵入したババルン軍は、内部では艦砲を向けて聖機人を並べるだけで一発の砲弾も放っていないとなっていました。―――断続的に送られてきている情報からも、未だに爆発その他の戦闘に関する現象が発生したとの観測は報告されていません。どうも、学院に残っている人員は全て一箇所に固めて隔離状態にあるっぽいですね」
 「隔離、か。人質のつもりかの?」
 「目的の物が手に入りかけてるのに、今更人質取るような無駄な手間しないと思いますけどね、あのオッサンの場合。―――まぁ、だからこそ二の足踏ませるために生かさず殺さず囲ってるのかもしれませんが」
 「中身が空なら、直ぐに攻める決心もつくが……なまじ無事で残っていると思えば、その救出も考えねばならぬゆえ動きが鈍る、か」
 「そんなところでしょう。尤も、他にも理由はあるかもしれませんけど、それはまぁ、後で」
 眉根を寄せて呟くラシャラに、アマギリは投げやりに応じた。その後で、顔を起こしてリチアと正面から向き合う。
 「そう言う訳なんで、ラピスさんは一先ず無事でしょう。ウチの連中が生き残っていれば最優先で保護するように、緊急時の行動マニュアル内で取り決めてありましたから、まぁ、多少は安心してくれると。あ、ついでに教皇聖下のご無事も確認されています」
 「お爺様も!? ……そう、貴方がそう言うなら安―――」
 「っと」
 明らかにほっとしたような表情を浮かべて、言葉を続けようとして、リチアはふらりと崩れ落ちた。
 抱きとめるアマギリの胸の中で、安心したような顔で寝息を立てる。
 「相当、思いつめて追ったようじゃったからの。安心して気が抜けたのじゃろ」
 「―――眠いのは、僕も一緒なんだけどなぁ」
 「話が終わった後で、幾らでも添い寝してやるが良いわ」
 胸の中のリチアを膝に寝かせながらぼやくアマギリに、ラシャラは口の端を吊り上げながら言った。
 
 「尤も、その前に話す物は話してもらうがの」

 「っていうか、何が聞きたいんですかラシャラ女王は。むしろ僕の方が、色々質問したい事があるんですけど」
 「家庭を守る事しか出来ぬ嫁に、難しい話の解説を期待されても、のう」
 「―――良いけどさ。まぁ、ここまで来てグダグダやるのも面倒だから、剣士君がお茶持ってきてくれたら、暗黒生徒会の開催と行こうか」
 ラシャラの返しにため息を吐いた後、アマギリはそう宣言した。その言葉に、アウラが笑う。
 「闇黒生徒会長、寝ているがな」
 「こんな闇黒天使な寝顔を指して闇黒生徒会長なんて、酷い子と言うね、闇黒エルフの人」
 「何か、色々間違ってませんかその発言……」
 何時の間にやら姿を消していた剣士が、調理場からお茶を運んでくるまでの少しの間、場の緊張感が薄れて和やかな空気となった。

 ――― 一人を除いて。

 ソファテーブルを囲む彼等の輪に入れず立ち尽くすその一人に、ラシャラは視線を送った後で、嘆息した。
 「のう、従兄殿?」
 「何すか、嫁さん」
 「もうそのネタは良いわ。―――剣士が来る前に、一つ先に聞いておきたい事があるのだが」
 問われたアマギリも、ラシャラが視線を送る方向に気付いて、その質問の内容を理解した。
 面倒だなと、その表情を隠さないアマギリに、ラシャラは苦笑交じりに言う。
 「そりゃあ、おぬしにとっては瑣末ごとじゃろうから、一々面倒かとは思うがの。妾にとっては貴重な手勢がまともに起動するかどうかの瀬戸際でもあるのじゃ。―――未来の嫁の頼みくらい、快く聞き入れたもれ」
 「自分でそのネタ止めようって言ったばかりじゃないか。―――良いよ、なんだいハニー?」
 膝の上で眠るリチアの髪を優しく弄びながら、アマギリはおどけたように言った。
 ラシャラはウム、と頷いた後で言った。

 「ダグマイア・メストは、どうなった?」

 「ダグマイア君ねぇ。―――そういえば僕、捕まえろって指示出しておいたよね?」
 苦笑交じりにその名を呟いた後で、ワウアンリーにそんな事を聞く。
 色々と案件が積み重なって本気で
 「しましたよ。聖地の問題に集中しちゃってたから、凄い投げやりな口調でしたけど」
 「確か、”面倒だから纏めて捕らえて牢屋に放り込んでおけ”と言っていたぞ」
 朝方の様子を思い出して続くアウラの言葉に、一人立ち尽くしていたキャイアが血相を変えた。
 「牢屋なんて、そんな!?」
 「どうかした? キャイアさん」
 自分でも多少趣味が悪いなと思いつつも、挑発的に言う自分をアマギリは抑えられなかった。
 考える事は幾らでも残っているのに、どうでも良い話題に時間を取らせようとするキャイアに多少苛ついていたからかもしれない。
 「牢屋になんて、何で、だって、ダグマイアよ!?」
 「国内で犯罪者と密会、契約を結んでいた人間だよ? しかも、この別荘地への山賊団の誘引をした容疑もある。―――逆に聞くけど、何故ブタ箱に放り込んじゃいけないのさ?」
 「そっ……それ、はその」
 案の定、そのような返し方をされれば、キャイアには口ごもるしか出来るはずも無く、場の空気は悪い物になりかける。
 アマギリがキャイアの想いを理解できていない筈は無いのだから、こんな言い方をしなくても本来ならば問題ない。
 そも、先に保護した密入国者と男性聖機師には各種裏工作を含めた寛大で人情的な処置をしていたのだから、同級生のダグマイアばかりが情状酌量の余地も示さずに牢屋に叩き込まれるなど、キャイアに納得できる筈が無いだろう。
 「犯罪者だよ、アレ。しかも今現在聖地を侵略している人間の息子ですらある。その場で殺されてたって可笑しくないんだから、むしろ感謝して欲しいよ」
 「そん……、あ……」
 だが、アマギリは疲れているときに個人的に好きといえない人間の事を思い出させた事に対する煩わしさもあってか、残酷とも言えるほどの言葉の暴力を叩きつけていた。
 キャイアは瞳を震わせて後ずさった。
 「少し、悪趣味だぞ、アマギリ」
 「だいたい、そーんな優しそうに女の子の頭撫でてる人が露悪的な態度とっても、似合わないですよ」
 アウラの戒めるような言葉に続いて、ワウアンリーが茶化すように続けた。目だけは真面目だったが。 
 女性二人から嗜めるような言い方をされれば、アマギリとしても罰が悪い。一度嘆息した後、機械的に事実だけを伝えるように言った。
 「別に僕のやり方は何処も間違ってないじゃないか。―――まぁ、今は別件で忙しいし、どうも奴さん、その別件の事は一切知らないらしいから後回しにしているだけなんだけど……」
 そこでアマギリは、キャイアが安心したように吐息を吐いたのを見逃せなかったが故に、舌打ちをしそうになって言葉を止めた。
 どうも、根本的に性格が合わないらしいと疲れた頭で理解しきってしまったから、余計に苛立っている。
 ラシャラが目敏くそれに気付き、アマギリの口調が荒くなる前に、先手を打った。
 「ダグマイアの聖地での政治工作は、全てババルンの計画の一部ではなかったのか?」
 
 今の聖地占領と言う状況にダグマイアが感知していないからといって、ダグマイアが聖地で陰謀に加担していた事実は消えない。

 言外にそれが自身の従者に伝わるようにしながら、ラシャラはアマギリに尋ねた。
 「ブラフと言うか隠れ蓑と言うか、ついでに何時もの倅君の先走りも混じってたみたいですよ、それ」
 アマギリがやれやれと首を振りながら言った。精神衛生上を考慮してか、キャイアの事は視界に納めないようにする事にしたらしい。
 「どう言う事じゃ? 聖地から何か起こすつもりだったのなら―――いや、実際に起こしておるのじゃが、つまり、その時に使う兵として人材を発掘して居たのではないのか」
 「僕もそうだと思ったんですけどね、僕等がここに来る時、出掛けにすれ違った輸送船とか覚えてません?」
 「ああ、そういえば貨物船団が横を通り過ぎていたな……数が多かったが、まさか」
 「ええ、アレの中身が、今聖地に居るババルン軍らしいです。―――父ちゃん自前で用意するつもりがあったから、息子の頑張りとかぶっちゃけどうでも良かったって事じゃないですか?」
 自身の想像に目を瞬かせるアウラに、アマギリが肯定を示す。
 アマギリ自身、自分の嫌がらせでババルンの行動を妨害できているつもりだったので、微妙な気分らしい。
 「解らんのう。結局は全て自身の裁量で賄うなど、それでは息子はもとより賛同者まで裏切った事になるではないか。一端誘っておいてこのような前提を反故にするような行動を取っては、今後の行動に差し支えるじゃろうに。何を考えておる、ババルン・メスト」
 「そこは発想の転換って事なんですが―――おっと」
 考え込むように言うラシャラに、アマギリが同じ悩みを経験した者としての同情交じりに告げようとして、途中で何かに気付いて言葉を切った。
 「どうした従兄殿」
 
 「お茶が入りましたー!」

 「主役のご登場ってトコだね」
 ティーセットを載せたワゴンを引いて剣士が入ってきた。
 「主役?」
 「そう、彼が主役。ヒロインが君で―――悪役は、勿論。複雑に考えたら負けだって認めたら、割とシンプルに全部繋がるんですよね、このオハナシ」
 「オハナシとはまた、投げやりじゃな」
 肩を竦めて応じるアマギリに、ラシャラが苦い顔をする。
 その横で、アウラとワウアンリーが、微妙な顔を浮かべていた。先に三人で話していた時の事を思い出して、気付く事があったのかもしれない。
 
 まるで他人事のような態度を崩す事無く、アマギリは続けた。

 「所詮僕は外様ですから。―――ま、良くある勧善懲悪の物語ですよ。名付けるなら―――そうだな。”異世界の聖機師物語”」
 





     ※ ダグマイア さんが ログオフ しました

       ……と言うのは流石に冗談ですが。一応今後も出るよ!
       しかし何と言うか、オリ主の立ち位置上キャイアが割を食う状況から抜け出せないと言うか。
       そろそろ剣士君に頑張ってもらわんとなぁ。
 



[14626] 38-4:ガイア・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/14 22:08


 ・Scene 38-4・





 「異世界の聖機師物語……じゃと?」
 
 「そう、些か語呂が悪いけど、ストレートで良いかなって。運命に導かれ、戦乱の続くジェミナーに召喚された異世界人の少年が、復活した魔神を退治する―――そういう筋書きの物語さ」

 剣士がお茶を配り終え、改めて―――俯き沈んでいたキャイアも含め―――全員でテーブルを囲み直した後、口火を切ったラシャラに対する返答として、アマギリはそんな風に、肩を竦めて返した。
 「脚本家はお主か、従兄殿?」
 「まさか。―――僕はアレだよ、野次を飛ばして舞台を台無しにする係りだね。もしくは別番組のADがスタジオ間違えた感じだ」
 「では、お主以外の誰がそのような夢と愛に溢れたろまんてぃっくな筋書きを思いつくのじゃ。盤面の駒に人を見立てて世を裏から動かそうなど、お主以上に得意な人間おったかの」
 「殿下、得意そうですもんね、そういうの。―――でも、今回のは殿下じゃないんですよね、コレが」
 未だ眠り続けるリチアの頭を膝の上に乗せたままのアマギリを見やって苦笑しつつも、ワウアンリーがラシャラの言葉を否定した。
 「今回の一件に関しては、相当根深い物があるんで……」
 「僕みたいなぽっと出の異邦人如きじゃ、演出家として相応しくないらしいですよ」
 ここへと来る前に先に話を終えていたのだろう、苦い顔で言うワウアンリーに対して、アマギリは何処かさばさばとした口調で、いっそ投げやりですらあった。
 同様に既に事情を聞き終えているであろうアウラに視線を送ってみるが、彼女も何か人を寄せ付けない空気で黙考している所だった。
 「……解らんの。そもそも、妾には何故ババルンのヤツが聖地を侵したかすら、解らぬ」
 ラシャラもまた、場の濁った空気を反映するかのような疲れた態度で言葉を吐いた。
 
 「目的は一つです。”聖機神ガイア”」

 「……聖機神?」
 「聖地に封印されているんだそうですよ、そういう名前の物騒なロボットが」
 重たい響きをこめたワウアンリーの言葉で眉を顰めるラシャラに、アマギリがやはり投げやりな態度のままでそう付け足した。
 「封印―――いや、待て。聖機神と言うのは、あの普段から置物として使われておる鉄屑であろう?」

 一般的に、聖機神といえばラシャラの言うとおりの物を指す。
 聖機人の原型となった”と言われる”、発掘された先史文明の遺産の事だ。
 通常は教会によって管理されており、それは聖地にて安置され、外へ持ち出される事は滅多に無い。
 聖機神は超高度文明の遺産であるが故に、現在では再現不可能な超技術を以って作られておるが―――だからと言ってそれに危険性があるかといえば、そんな事は無い。
 何故なら、聖機神は決して動く事が無いからだ。
 聖機神を解析して作られた聖機人は問題なく現代で活躍しているが、肝心の聖機神は一向に動かない。
 かつては、あらゆる聖機師達がその起動に挑み、そしてその誰もが失敗していった。
 何時しか聖機神は、”動かないもの”として認知されるようになって今に至る。

 「まさかババルンめ―――アレの起動法を発見したとでも言うのか?」
 確かに、聖地学院への入学前夜に発生した襲撃事件の最中に於いて、飛行宮殿スワンに搭載されていた聖機神に反応があった。
 あの反応が起こったときは、そう。
 チラと、ラシャラは視線を横に滑らせる。
 俯き口を閉ざすキャイアの隣に腰掛ける、話の内容を理解しているのか、どうなのか、何時もどおりの自然な顔を浮かべている少年。

 異世界の聖機師、柾木剣士。

 この少年がラシャラの命を狙いスワンを襲撃したその日その時にこそ、聖機神は反応を示していた。
 「剣士が主役、と言っておったな、そう言えば」
 「へ?」
 呟きに混じった自分の名前に、聞き役に徹していた剣士が目を丸くする。
 「ええ、剣士殿が主役らしいですよ、解説のオバサン曰く」
 「誰がオバサンですか、百歳過ぎた爺さんのくせに」
 「あ、やっぱアマギリ様って見た目どおりの年齢じゃないんですね……」
 ジト目になったワウアンリーの横で剣士がどうでも良いことに納得していた。その惚けたような態度を見て、ラシャラは呆れ混じりに言った。
 「良く解らんのう。つまりアレか? 剣士には聖機神を起動する能力でもあると―――なんじゃ、その顔は」
 「いや、良く解ったなぁって」
 感心した顔で、あっさりとラシャラの疑問に応じるアマギリ。ラシャラは目を丸くした。
 「まさか、本当に―――いや、確かに聖機神は剣士に反応を示しているようにも見えた。―――そうじゃ、それに剣士は、”向こう”からこちらに”送られてきた”」
 何ものかによって。
 星辰を無視してこの世界に顕現した異世界人である剣士は、状況と本人の言葉から推察する限り、何がしかの目的を持って”向こう”から送り込まれてきたと考えるのが妥当だった。

 ワウアンリーは根が深い問題だと言った。

 わざわざ人を―――それも、あらゆる職種、武芸に於いて一流とまで言えるほどに鍛え上げられた人間を送り込もうと言うのであれば、そこに何かの目的が無い筈が無い。
 「つまり、聖機神を起動するため―――いや、待てよ?」
 では何故、現在進行形で聖機神を復活させようと―――違う。間違っている。
 何か思い違いをしていると、ラシャラは眉根を寄せた。
 聖機神―――これが全ての中心である事は間違いない。しかし。
 
 「そうか、ガイア」

 聖機神”ガイア”。
 個体名として、暗い響きでワウアンリーはそう名指した。
 ジェミナーの人間の共通認識として聖機神と言うものは物言わぬ鋼の骸として確定しているのだから、わざわざ誰も知らぬ個体名を名付ける必要は無い。
 「つまり、妾の知るあの聖機神とは違うものが―――封印されていると言ったな、従兄殿」
 「ええ。ガイアと言う危険な聖機神が存在する。そしてそれを復活させようとしているのが、ババルン・メスト」
 「―――では、その危険な聖機神とやらを退治するために送り込まれてきたのが……」

 部屋中の視線が、柾木剣士へと集う。
 話の内容を理解しているのか、そうではないのか。しかし彼は真剣な表情でそれを受け止めていた。

 「流石に柾木の直系ともなると、肝が据わってらっしゃる」

 ―――ウチの殿様とは大違いだ。
 その顔に郷愁を感じたのか、アマギリがポツリと呟いていた。

 「従兄殿?」
 瞬きをして尋ねてくるラシャラに苦笑を浮かべて応じながら、アマギリは気分を切り替えるように言った。
 「いや、何でもない。―――それより、ごっちゃになってきたから少し話を整理しよう」
 「そうじゃの。聞き始めから脇にそれ過ぎたせいで、正直よく解らなくなってきおった」
 「だろ? ―――じゃ、説明オバサン、宜しく」
 「はいはい解りましたよー」
 オバサン呼ばわりに突っ込む気分にもならなかったらしい、ワウアンリーは溜め息混じりに応じた。
 
 ガイア、と言う聖機神があった。
 教会の伝承に残る”悪魔”そのものである。 
 先史文明の末期に開発され、そして先史文明を崩壊に追い込んだ存在だ。
 そも、何故先史文明は自らを滅ぼすような存在を生み出す事になったのか―――戦争? いいや、違う。

 ”娯楽”だ。

 娯楽と言っても、死や滅びに美学を見出す虚無主義的な物ではなく、純然たる、大衆に向けて広められた、ある娯楽を発端としている。
 現代に於いて戦争代理人として活躍する全ての聖機人―――しかしその原型となった聖機神とは、その実際は先史文明時代に流行した”巨大ロボット同士の対決を観戦する”と言うショー的要素の強い娯楽に用いられていたものなのである。
 しかし何故、そんな娯楽用のロボットが文明崩壊の引き金となったかと言えば―――単純にして愚かな話だ。
 
 ショーとは即ち、客に飽きられぬように、常に進化していかなくてはならない。

 より派手に、刺激的に、エキサイティングに、ファンタスティックに、そんな風に、求めるニーズに応じて、初めは現代の聖機人以下の能力しか有していなかった聖機神は、改良に改良を重ね、やがて恐るべき力を持つ事になる。
 
 ―――只人には、御しきれぬほど強大な力を。

 人の制御を超えた聖機神を操るために用意されたのはまた、人を超え、人の望む通りの形として生み出された、人造のヒトガタ達だった。
 先史文明はゼロから人間をデザインする事すら可能なほどに高度な文明を有していたのだ。
 作られた人は目的に応じて調整され、強化され、先鋭化を重ね―――やがて、当然の如く人の静止を振り切った。
 
 暴走―――人間にとっては、明らかな暴走。
 しかし作られた人と、巨人にとっては生まれた意味を果たすための当然の行動であった。
 只、少しだけ忘れていただけ。
 破壊こそが生み出された目的で―――しかし、破壊すべき”目標”を、愚かな人間たちは設定し忘れていた。

 かくして、先史文明の崩壊に繋がる。

 先史文明末期に開発された、全ての聖機神の中でも最高傑作として名高い―――筈、だった―――ガイアは、破壊すべき対象を選ぶ権利すら与えられず、それ故、全てを破壊する事に決めた。

 都市も人も、何もかも。

 その人知を超えた圧倒的な力で以って、全てを灰燼に帰した。

 「ガイアとはつまり、そう言う物です」
 そこまで言って、ワウアンリーは一端言葉を切った。アマギリがすかさず茶化すように言葉を重ねた。
 「そして誰も居なくなった。―――めでたしめでたし……ってトコかねぇ」
 「過ぎた欲望は身を滅ぼす、とでも教養の講義の題材にでも使われそうな話じゃのう。―――しかし、聖機神がありふれた大衆娯楽として存在しているなど、先史文明の技術力は驚かされるな」
 「力の使い方は、明らかに間違っているがな。―――リチアが寝ているから言える事だが、現在の教会が文明の発達を推奨しない理由と言うのは、やはりその辺りの事情を知っているからではないのか?」
 黙って話を聞いていたアウラが、そこで初めて口を挟んだ。アマギリの膝の上のリチアに視線を送りながら、そんな風に言った。
 「知らなければ、知らさなければ等と、そういう消極的な対処法は確かにお前の好みでは無いだろうし―――なるほど、お前が教会を好まない理由がそれか」
 「”教える会”なんて自称しておきながら、現実は”教えない会”ですからね。それでいざって時が―――まさに、今のこの状況ですから。自分だけが知っているなんてやり方が、自分たちの嫌いな先史文明と同じ奢り高ぶったやり方だって気付いてないんですよ」
 リチアの髪を愛しげに撫でながらも、その口調は辛らつそのものだった。集団と個人に関して明確に線引きをしているアマギリらしい意見とも言えた。
 「しかし、詳しいのワウアンリーよ」
 幾度か頷いた後で内容の理解を深めたのか、ラシャラが説明を担当したワウアンリーに言った。
 ワウアンリーは苦笑交じりに応じる。
 「あたしが聖地に居続ける理由って、その辺も絡んでますから。結界工房―――引いては教会の命令の一環で、監視していたんですよ」
 「―――ガイア、とやらをか?」
 「いえ……」
 ラシャラの問いに首を横に振った後、ワウアンリーはある人物に視線を送った。
 
 「俺?」

 視線を受けて、剣士が自身を指差した。ワウアンリーはそれに頷く。
 「でも、俺……」
 この世界に来たのは、最近だけどと続けようとした言葉に、アマギリが口を挟んだ。
 「去年までは、僕だったらしいよ? その少し前は、皺くちゃの爺さんだ」
 「―――つまり、聖地におる異世界人の監視と言う訳か」
 口元に手をやっていたラシャラが、なるほどと頷く。
 「ええ、ラシャラ様の言うとおりです。あたしは、異世界人を監視し、”そう”であるならば教会へと招聘する義務を負っていました」
 「しかし、何故―――などと、考えるまでも無いか」
 自身の疑問に、余りにもはっきりとした答えが浮かんでしまったため、ラシャラは苦笑を浮かべた。
 ワウアンリーも頷く。

 「はい、ガイアを完全に破壊するためです」

 「全てを破壊しようとしていた聖機神ガイア。しかし先史文明は確かに崩壊したが、我等人類は未だこうして生き残っておる。それは即ち、一時的にとは言えガイアと言う脅威の排除に成功したからに他ならず―――なれば、その理由は何かと言えば……」
 「先史文明末期においては、その名が示すとおり神の如き力を得るに至った聖機神を操るには、ジェミナーの人間はもとより只の異世界人ですら不足するような有様でした。それ故、用いられたのは聖機神を操縦するためだけに作られた人造人間。ガイアにより崩壊の瀬戸際にまで追い込まれた先史文明人たちは最後の賭けとして、ガイアを倒すという目的のためにのみ存在理由をもたせた、三人の人造人間を生み出しました」
 「口を挟んですまないが―――我等ダークエルフはつまり、元は聖機神を動かすために召喚されたのだという解釈で良いのか?」
 眉根を寄せながら尋ねるアウラに、ワウアンリーは頷く。
 「ハイ。少なくとも結界工房の記録ではそう伝えられています。ダークエルフの各種特殊能力は、つまりジェミナーの生態に適応しきれないからこその……」
 「ああ、その辺りは既に聞いている」
 詳しく説明しようとしたワウアンリーを、アウラは苦笑交じりに遮る。
 今朝、雑談交じりにアマギリに説明された内容が真実だったのだなと、そのアマギリの発想の飛躍性に感嘆していた。
 「あたし言いましたっけ? ―――まぁ、良いですけど。えっと、それでですね。先史文明は最後の力を結集してガイアに対抗するために、三体の聖機神と三人の人造人間を用意しました。しかしガイアは強大で、それら三体の力を結集しても勝てるかどうかは未知数でした。それ故に、先史文明人たちは敗北の可能性を考えてある策を練りました」
 「―――策、か。いよいよ核心が近そうじゃの」
 次々と埋まっていくピースに、集った者たちの顔も真剣なものへと変わっていく。
 ワウアンリーがその空気に答えるように、静かな面で口を開く。
 「人工的に生み出された聖機神の操縦者―――人造人間。どのような力が作用したのか、彼らには遺伝的な特徴が存在しました」
 「―――人工的に作られたのに、”遺伝的”?」
 「はい。競走馬などと同じようなものです。雛形を作り上げ、後は優良な素体同士で交配を繰り返し、更に優良な存在へと昇華させる。後には更に高度な技法を以ってゼロから、作った後に鍛える必要も無い、完成された人造人間を製造する術も開発されたらしいですけど、人造人間と言う存在が生み出された当初はそういう風に改良を繰り返していたんです」
 ラシャラの疑問に、ワウアンリーは私情の一切を挟まない淡々とした口調で告げる。
 「現代の聖機師のやり方がそれだね。―――案外、現代の聖機師そのものが、人造人間の子孫なのかも知れないけど」
 「ありえる話だな。先史文明時代に呼び出された異世界人ですら、今日この時に子孫の繁栄があるのだから」
 推察を述べるアマギリに、アウラも自らを示して頷いた。
 一応の解が得られたと判断して、ワウアンリーは言葉を続ける。
 「それで、ですね。つまり人造人間は人と同じく生殖行為が可能で―――それは、人造人間同士、それ”以外”の存在とであっても、可能だと言う事なんです」
 
 つまり、普通の人間との間でも、子をなす事が可能と言うことだ。

 「―――当然、異世界人とも、か」
 「はい。どのような神の悪戯か―――先史文明の高度技術による技かもしれませんが―――、人造人間と異世界人との間に生まれた子は、聖機師として絶大な能力を有していたのだと記録されています」
 ワウアンリーの返答に、ラシャラはパズルの最後のピースが埋まった事を感じた。
 答えを纏めるように、自らの考えを口にする。
 「異世界人の召喚には、星辰の寄る辺に期待する部分が大きい。我等は異世界人の召喚に先史文明期の遺跡の力を用いて行っておるから―――それは、先史文明の代であっても歪められぬ理であったのであろう。なれば、必要とされるその時に異世界人を召喚できぬという事態も当然起こりうる」
 「作られた最後の人造人間たち。先史文明人たちはその内二名をガイアとの戦いに向かわせ、そして残った一人を―――送ったのです、何時かのために。異世界へと」
 「そして巡り巡って、二体の人造人間たちだけでは滅ぼしきれなかったガイアは遂によみがえり―――相打ち共倒れって感じだったらしいですけど―――そして先史文明の最後の希望が」
 
 「―――俺、ですか」

 「直接の母君か、先祖かは知らないが―――そこの説明オバサンが言うには、剣士殿には先史文明の遺産の遺伝子が確かに継承されている、らしい。向こうから送られてきたって辺りも、いかにもだしね。僕個人の解釈から言っても、まぁ、間違いないと思う」
 居住まいを正して尋ねる剣士に、アマギリが軽い口調で応じた。断言するようなその言葉に、ラシャラが首を捻る。
 「何故、そう言い切れる? 剣士と同様に、従兄殿とて異世界人であろうに」
 ラシャラの問いに、アマギリは薄く笑って肩を竦めた。

 「―――女神の翼」

 「女神の……って、それ殿下の事じゃないですか」
 疑問を口にしたのはワウアンリーだった。説明役だった彼女も、アマギリの発言を理解し損ねたらしい。
 しかし、アマギリは首を横に振った。
 「僕じゃないだろ? この世界で女神の翼と言うのは、”かつて地に降りた龍”とやらが纏っていたものだ。そして僕は―――何となくだけど、それについて心当たりがある」
 「―――それは?」

 「黙秘する」

 尋ねるアウラに、アマギリはあっさりと拒絶の言葉で応じた。誰にも反論の隙も与えずに、更に続ける。
 「まぁ、それが僕の想像通りのものだった場合、それの持ち主―――龍とやらは、こちらの世界を一度確認するために訪れていた”向こう”の存在の筈なんだ。次元の一つ二つ飛び越えるのも容易いだろうその力で―――まぁ、一度飛んできて、そして帰っていったんだろうね。そのときの様子が伝承として残ったのが、即ち”女神の翼を賜りし龍”と言うものだと思う」
 「なるほどな。送り込むのなら、当然下見くらいはするか。―――しかしアマギリ、その聞くからに恐るべき力の持ち主と同等―――かは、解らぬが、まぁ同等なのだろう、お前の口調からして。同等に女神の翼を有しているお前のほうが、送り込まれてきた存在としては相応しい気もするが?」
 「剣士も出せるのではないか、女神の翼」
 アウラの疑問を受けて、剣士に話を振るラシャラだったが、彼は首を大きく横に振った。
 「そんな無茶言わないで下さいよ、兄ちゃん達じゃあるまいし!」
 「その言い方だと、剣士、お前も女神の翼に心当たりがある事になるのだが―――まぁ、アマギリもそうなのだから可笑しくは無いか」
 アマギリと違って余り深く内情を突っ込むのもかわいそうだと思い、アウラは苦笑するだけに留めた。
 その隙間に、アマギリが口を挟む。
 「そんな訳でさ。下見に来た連中が僕の想像通りの側に居る人たちだった場合、―――僕を送り込むなんて、絶対にありえないね。断言しても良い」
 「その、根拠は?」
 首を捻るアウラに、アマギリは堂々とした態度でこう答えた。
 
 脳裏に浮かぶのは、何時か、何処かの人々たちの姿。

 ―――あの人が知らぬ筈が無い。知っているのならば、アマギリを送り込むなど感がる筈が無い。
 
 だって、あの人は言っていた。

 「―――僕じゃ、面白みに欠けるからさ」






    ※ 超ネタバレ祭り。 ガイア(の説明)と言うサブタイの由来だったりしたのには皆様お気づきだろうか。

      原作見てない、と言うか見れない人多いと思うんで設定周りは細々書いて行こうって開始当初から決めてたんですが、
     それにしてもまぁ、ネタバレ度が恐ろしい事に。
      ……まぁ原作でも全13巻中正味10分位で語りきった些細な内容だしって言っちゃえばそれまでなんですが。
      絶対尺の取り方間違えてるって……。
      
      一応注意ですが、モロに原作ネタバレそのままの部分と、このSS用に歪曲してる部分がまぜこぜになってますので、
     その辺の原作との齟齬は仕様です。



[14626] 38-5:ガイア・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/15 23:05


 ・Scene 38-5・




 「聖機神ガイア……ね」

 「やっぱりご存知でしたか?」
 「ただの学生に何を期待しているのよ」
 日も沈み、長い一日も漸く終わろうとしていた、そろそろ日付も変わろうかと言うその間際。
 暗雲に沈み星明り一つ無い無明の闇が広がる空を背景とした、三面の壁全てを窓で囲まれたサロンの一角。
 アマギリとリチアは二人きりで言葉を交わしていた。
 他の者達の姿は既に無い。時間も遅い、朝から色々合って疲れも溜まっているだろうと、既に各々寝入っている頃合だ。
 アマギリとて、本当は―――と言うより、アマギリこそ神経をすり減らした後なのだから休むべきだと言うのに、こうして睡眠時間を削り女性と戯れる事を優先していると言うのだから、中々に度し難い。
 ベッドの上では死ねないだろうなと、リチアは何とはなしに―――夕刻に自身がそうされていたように、髪を撫で付けてやりながらそう思っていた。

 そんな気だるげな空気の中での会話の内容は、リチアが眠っている間に意見交換された、聖地侵略事件に関する話題。

 そんな物騒な内容であっても、女が男の頭を膝の上に乗せていると言うような状況であれば、まるで枕を並べて睦言を交わしているかのような空気が出来上がるのだからおかしなものである。
 「聖地は結界工房と並び先史文明の遺産が今尚生き続けている曰くつきの場所だ―――と言う話なら、一応知っていたけど、私程度で知らされているのはその程度に過ぎないわよ」
 「ワウもあれで、自分の管轄以外の事は今日始めて知った、みたいな事言ってましたからね、ホント、秘密主義が徹底してますよね」
 「その徹底した秘密主義―――リスク管理体制が、逆に穴となった、と言うことかしら」
 瞳を閉じたまま、心地良さそうに女の膝に顔をうずめながらも、アマギリは面倒くさい世事の解釈を止めようとしなかった。
 目の下には隈。瞼を開ければ多少充血している事だろう。
 リチアは、こんな時くらい休めば良いのにと思う反面、アマギリが疲弊しているその理由の大半に心当たりがあったから、割といい気味なんじゃないかとも思っていた。

 粗食を食わせて、鍛えていけば良いんですよ。突き放すくらいが丁度良いんです。

 色々不思議な縁もあって親しく会話をするようになったハヴォニワの王女もそんな風に言っていた。
 甘やかすのは、良くない。背中を蹴飛ばすくらいが妥当な扱い方だと。リチアとしてもそうなのかな、と思うところはあったが、どうしてもこういう状況になれば甘やかしたい気分も沸く。
 ”作らない態度”と言うものを、滅多に見せない男だったから。
 
 ―――尤も、この甘えた態度こそ、それを見越して作っているのかもしれないが。

 「どうなんでしょうね。元々後回しにしていた問題で―――まぁ、ついでに丁度主人公が来たって事で演出家がシナリオを早めたって事かもしれませんが……どうしました?」
 撫でていた髪を絡めて引っ張るようにしてしまっていたのが気になったらしい、アマギリが片目だけを開けてリチアを見上げていた。
 ぽん、と軽くはたくようにしてその目線を掌で隠しながら、リチアは一つ息を吐いた。
 それなりに真面目な会話―――それも、現在進行形で動いている―――だったのだ。
 「何でもないわよ。それよりも、演出家って誰の事よ。お爺様?」
 襲撃を受けた教皇庁から逃れ、どうやら教会が保有する何処かの秘密施設へと批難したらしい現教皇である祖父を名指してみたが、アマギリは首を横に振った。
 その後で、思い出したかのようにリチアに尋ねる。
 「一応聞いておきますけど、教会の人間で延命措置を受けている人って居ませんよね?」
 「延命―――健康管理とかではなく、科学的な意味を指して言っているの?」
 「ええ。アストラルに関与する物でも外科治療でもナノマシン処置でも良いんですけど、老化抑制を行って長生きしてる方って教会中枢に居ますか?」
 
 例えば、先史文明時代から生き残っている人とか。

 核心的な内容を例に出されれば、リチアも言っている事が理解出来た。
 「居ない筈よ。少なくとも私が知る人たちの中には。お爺様も枢機卿会議に出席なさっている方たちも、皆、普通に歳をお召しになっている方ばかりだったわ」
 教皇の孫娘と言う立場に居れば、そう言った人々との付き合いもそれなりの年月を重ねる。
 皆、会う度に年輪を重ねていた事をリチアは思い出しながら言った。
 「そうですか、良かった」
 「良かった?」
 「これで権力者だけ不老、みたいな状況だったら今度こそ教会に見切りつけないといけない状況でしたから」
 アマギリの身も蓋も無い意見に、リチアも苦笑せざるを得なかった。
 「アンタの立場じゃ、そうでしょうね。―――今やそれこそ、局地的な国王代理みたいな物なんですもの」
 ジェミナーの国家が教会の教えを全うせざるを得ない状況を感受していた理由は、教会からそれなりの利益が得られていたからである。多少の息苦しさも、与えられる利益に比べれば何する物、と言うことだ。
 しかし、教会が為政者の、いや人間の夢とも言うべき技術を教会内部でのみ独占していたなどとあっては、それも崩されるだろう。
 
 従ってお零れを貰うより、奪い取り独占する方が利益になる。

 そう判断する者も出て来る筈だ。
 特にこの男の場合、教皇の孫娘であるリチアに膝枕をされるような間柄にまでなっておきながら、公然と教会への不信感を口にして憚らない。
 恐らくは、本人がジェミナーの人間にとってはオーバーテクノロジーの世界の生まれであるから、”この程度”の技術を保有して偉ぶっている―――つもりは教会には無いのだが―――教会の態度が面白くないと言うのもあるのだろう。
 普段でも隙あらば、教会の神秘のヴェールをひっぺかしてやろうと企んでいた事もあったので、限定的とは言えそれが出来る地位を手に入れてしまった今のアマギリなら、リチアが”イエス”と答えていたらあっさりと実行していた可能性はある。

 少なくとも、ハヴォニワ国内の教会施設を強引に抑える程度の事はやっていただろう。

 「……と言うか、やってないわよね?」
 「何をですか?」
 「何でもないわよ。―――それより、その延命措置と言うのがどうしたの?」
 流石のアマギリでもそこまで乱暴な真似は出来まいと、リチアは自分の考えに苦笑を浮かべた後で、先の話に引き戻した。
 「まぁ、良いですけど。ようは、さっきの説明しましたけど、このガイア退治の計画ってそれこそ先史文明時代にレールを引き始めた話なんですよね。んで、ここまで遠大な計画になると、順次引継ぎして次から次へと人の手に渡していくなんてしたら、絶対途中で計画がねじれ曲がって別の方向に行っちゃうと思うんですよ。―――だから、多分居ると思うんですよ。先史文明末期から生き残って、延々と計画を進め続けていた人が」
 「先史文明時代から―――それは、流石に無理があるんじゃない? 教会は先史文明の遺産の管理に関しては、それなりに上手くやってきている筈だし、その流れに沿っていると思えば……」
 「それこそ、ですよ」
 「え?」
 何百年、否、それ以上のはるか昔から生きて、一つの目的のために世界の動きを俯瞰してきた人間が居るなど信じがたいと、リチアはまだ納得がいく説明を用意してみたが、アマギリは首を横に振った。
 「教会の先史文明の遺産の管理って上手すぎるんですよね。我欲が見えず、世界の万民に対して益となるものしか配給を行っていない。さっきの延命措置の話もそうですけど、普通こういう超技術の管理を任されちゃったら、何処かの誰か一人くらいは、変な事考え出す物なんですよ」
 「そう言われると……なんか、人の本質的な欲深さを指摘されてるみたいで、認めがたいけど」
 曖昧に頷くリチアに、アマギリは微笑した。
 「むしろ、そのほうが人間味があって僕は好きですけどね。でもこの―――現代ジェミナーを形作った人は、どうもその、人の奢りが世を滅ぼしたってのがトラウマになってるっぽいですから、随分と機械的に割り切ったやり方を選んだみたいですね。―――推測で申し訳ないですけど、多分、教会上位者の方は全員催眠暗示か何かの、精神抑制措置でも受けているんじゃないですか?」
 「暗、示……っ!?」
 物騒な言葉が出てきた事に目を剥くリチアに、アマギリはあくまで何て事のない口調で続ける。
 「睡眠学習の延長線上くらいのレベルだとは思いますけどね。ある程度文明が発達していて、特殊な立場についている人間に情報漏えいの危険性なども考えて暗示を施すのは―――まぁ、珍しくないですし」
 よく考えたら僕にも掛かってますしと、本当にそれが当たり前のように言われてしまえば、リチアには言葉も無い。
 発達した文明は人の精神などと言う領域すら容易く侵すことが可能なのだと思うと、空恐ろしいものを覚える。
 「私は嫌ね、そういうのは」
 「そういって貰えると、光栄ですって事なんでしょうけど―――リチアさんの場合は立場上、諦めるしか無いんじゃないですか?」
 少女ゆえの潔白さでどのような形でも心に踏み入られると言う事に嫌悪感を覚えるリチアに対し、アマギリは困った風に笑うしかなかった。
 決してリチアに賛同はしない。無論、その気持ちを否定する事も無かったが。
 必要であれば受け入れると言う、正に文化の違いと言えるかもしれない。
 「ま、大人になれば解るかも―――くらいに今は考えておきましょうよ」
 「アンタの方が年下でしょうに、何を偉そうに」
 目元を押さえられていた手に優しく指を絡めながら言うアマギリに、リチアは憮然とそう言った。頬は赤かった。アマギリには見えなかったが。

 「それで?」
 「はい?」
 「―――演出家がどうのって話でしょ?」
 少しの時間をおいた後で、絡めあった指と手をゆすりながら、リチアは言った。
 「ああ、そうでしたっけ。―――こういう状況で、余り色気も無い話ですよね」
 「アンタに恋詩を語られる事なんて初めから期待してないわよ」
 「それは僕も遠慮したいですけど―――そうですね、話を戻しますか。まぁようするに、どれだけ優秀なシステムでも人手を伝っていけばいずれ腐る。それを防ぐために暗示なんての持ち出しても、欲に目がくらんで嫌がる人も出てくるでしょう。でも、この世界では全てが上手く行っている。人間技じゃあない。人間技じゃないなら―――話は早い」

 人間じゃ、無ければ良い。

 「人造人間、だったかしら。聖機神の聖機師として作られた……」
 「ええ、先史文明末期にもなると、聖機神は全て人造人間特有の亜法波を認識せねば起動もしないようになってたらしいですが―――ようは、それが剣士殿が呼び出された理由ですね。剣士殿を僕等の良く知っている方の聖機神……鉄屑に乗せて、それで完全に復活する前にガイアを破壊させようって魂胆なんでしょうけど―――話がそれました。ようするに、何処かに潜んでいるんじゃないかと思うんですよね、人造人間。文明の停滞と、ガイアの破壊の使命を帯びてるヤツが」
 目的のために生み出された人造人間は、目的のためにのみ活動する。
 破壊を使命に生み出された、ガイアと、ガイアの聖機師である人造人間に代表されるように。
 「でも、人造人間って生物学的には人間とそう変わらないのでしょう? 多少耐久力はあるのかもしれないけど、それで先史文明時代からこれまで生き残れるものなのかしら」
 途中で壊れる気がするのだけれどと、リチアは思った。
 「方法は幾つか思いつきますけどね。例えば―――と言うか、多分これが正解で間違いないと思いますが、アストラルを保存する器を別に用意して、それを伝承していくとか。その器の持ち主に記憶を授ける―――と言うよりも、それこそ正しく精神を操るって感じで」
 「アンタは好きじゃないかもしれないけど、そういう話ばっかり聞かされると、教会がオーバーテクノロジーを管理抑制しているのが正しく思えてくるわ」
 アマギリの推測に、リチアはげんなりとした口調で言った。
 そしてその後、思い出したようにアマギリに尋ねる。
 「―――それで、その貴方の推測が正しい場合の、今の人造人間の器の持ち主は誰になるの?」
 「そうですねぇ」
 リチアの問いかけに、アマギリはゆっくりと身を起こしながら応じる。
 
 指は絡めたまま。
 
 「―――ちょっと?」

 胸元に彼女を引き寄せるようにしながら。

 「教会の使命をコントロールし、封印されたガイアを監視し、その復活を企む者を内偵し、そして、異世界からの救援の到着を確認する」
 
 引き寄せ、引き込み、押し倒す。
 
 「あ、ちょ―――、ねぇ、アマギリ? まだ真面目な話の途中―――こういうのは、もうちょっと、後」
 
 そのまま、ソファの背もたれと、そこに座るアマギリ自身との間に押し込むように、リチアの姿を隠す。
 そう、隠した。
 そして、自身は立ち上がり、窓の向こうへ油断無く視線を送る。

 「―――例えば、今回の事件の首謀者の弟で、教会に所属する聖地学院の教師だったりもする―――ついでに、剣士殿の学院への入学を推薦した、ねぇ、貴方みたいな人とは違うんですか? ユライト先生」

 暗闇に沈む窓の向こう。
 そこに立つ、ユライト・メストの姿を睨み―――アマギリは、言った。


 ・Scene 38:End・





    ※ アレでソレな件に関してはあくまで『ご想像にお任せします』である。
      
      



[14626] 39-1:俺たちに翼はない・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/16 19:02


 ・Scene 39-1・


 此処が、終着点か。

 夜の闇も届かない、されども真正なる無明の闇に閉ざされた、石造りの地下室。

 牢獄だ。

 壁は鉄板を鋏、更に漆喰で塗り固められており、鉄格子に挟まれた扉は、分厚い鉄板―――最早その厚みは鉄塊とすら言えそうだ。地下ゆえに、窓一つ無い。換気扇が天井の片隅に嵌っている鉄網の向こうで回っているのが、本来ならば天井に一つだけ備わっていた灯りを利用すれば見えるはずなのだろう。
 だが、その灯りも付けられる気配は無い。
 何時までたっても。
 遠くに見える曲がりくねった階段の上、そこから僅かに差し込む光ともいえない上階の灯火の残滓が、それでも四、五時間前まではこの地下牢を薄ぼんやりと形作っていた。
 
 きっと、忘れ去られているのだろう。

 ダグマイアは誰かを嘲るようにそんな風に思った。
 堅いベッドに身を横たえたまま。漠然と、そんな風に思っていた。

 あの男、怨敵たるアマギリ・ナナダンは、遂にダグマイアがこの牢獄へ叩き込まれるまで只の一度も姿を見せる事は無かった。

 完璧な油断だった。
 成功体験を幻想し、詰めを誤った。
 ほんの少しの、些細なミスさえなければ今頃―――なんて、自分を慰めるような言葉こそ、惨めだった。

 ダグマイア殿、お休みの所失礼します。
 ババルン・メスト卿により聖地が制圧下に於かれました。
 つきましては、代王殿下の御下知に従い、貴殿の身柄を拘束させていただきます。

 ヤツの使い。
 アマギリ・ナナダンが山賊を一掃するために派遣した聖機師の代表は、ベッドの上であられもない姿のまま混乱するダグマイアの様子を歯牙にもかけず、一方的にそう宣言し、そしてその言葉どおりにダグマイアを拘束した。

 歯牙にも、かけず。
 
 ギリ、と暗闇の中でダグマイアは歯を軋ませた。
 ヤツがダグマイアを拘束したのは偏にババルン・メストへの対処を優先するため。
 ダグマイア自身が山賊と通じていたと言う事実は、ここへ至るまで、終ぞ一度も追究される事が無かったのだ。
 あまつさえ、山賊の根城に居たダグマイアに向かっての第一声が、謝罪から入ったのだから、ダグマイアにとっては屈辱の極み。絶望すら覚えずには居られなかった。
 当然の如く、罵声を浴びせた。
 護送されている間中、窓の無い輸送車両に放り込まれて、そんなダグマイアを監視している兵に向かって、吼えて、吼えて、そして、答えはいずれも変わらなかった。

 代王殿下より承った言葉は、”お楽しみの所、真に申し訳ない。しばらく、不自由を我慢して欲しい。事情は兵に―――小官でありますが―――聞いてくれて構わない”、それだけであります。
 殿下はダグマイア殿と山賊集団との間に結ばれた業務契約に関する一切を妨害する意図はありません。
 後日、此度の件に際してダグマイア殿が被った被害は全て弁償するとの事です。
 状況が状況であるが故、殿下も余裕をなくしている部分があります。
 ダグマイア殿には何卒寛大なお心で、ご容赦くださるよう、殿下の臣の一人として、願い申し上げます。

 泣き叫ぶ事も、哂う気力すら欠けていた。
 気付けば、ここで一人、漆黒に染まる天井を眺め続けていた。

 何時ぞや叔父、ユライト・メストが言っていた事を、不意に思い出す。
 アマギリ・ナナダンが敵と定めているのはあくまでババルンのみであり、ダグマイアでは決して無い。
 何を馬鹿な。アレは自分こそが倒すべき敵だと―――叔父の前でこそそう思っていた筈なのに。
 ダグマイアは、アマギリを見ていた。必ず排除するために。
 しかし、アマギリはダグマイアを終ぞ見る事は無かった。今でも、そう。吼え寄る駄犬を遠ざけるが如き気安さで、ダグマイアをこうして檻に押し込んだ。
 そして見向きもせず、きっとダグマイアがここに居ることすら忘れているのだろう。

 そして、何よりダグマイアを懊悩に沈めている事実がある。

 「―――父上」
 
 呟きは何処か枯れた響きを漂わせている。
 脳がその事について思考する事を望んでいない。だがこの暗闇の中、眠る事すら出来ぬ焦燥の極地に於いて、自然考えざるを得ない事実でもあった。
 
 ババルン・メストが、ダグマイア・メストに報せぬまま―――始めてしまった、等という事実を。
 父の大望。
 革命とも言うべき思想。
 現在の閉塞した権力構造を打ち壊し、力持つものが、持ち得る力を自在に振るえるべき世界へと変える。
 それに共感し、協力し、強力に邁進していた。
 大望の成就のために、人を集め、戦力を蓄え、ダグマイアは父から与えられた役目を精一杯果たしてきた。
 その成果はあと少しで結実しそうな物だったのに。
 
 ―――父は、自らに何一つ報せる事無く、父のみの力で、始めてしまった。

 何故、と繰り返し思っても足りないほど、疑問は尽きる筈が無い。
 それこそ、アマギリ―――その配下が―――もたらした情報を疑ってしまうくらいに。
 混乱させる罠に違いない、そうであって欲しい。事実、此処へ運び込まれるまでに何度も問い質した。

 嘘をつくな、と。

 しかし語られた言葉は、理路整然と、時系列順に矛盾の一つも見つける事が出来ず、父ババルンが聖地の占領を果たした事を伝えていた。
 そう、父は独力のみで聖地を占領しきれたのだ。ダグマイアの人集めになど頼る必要も無く、独力のみで。

 考えれば当然の話である。

 国家中枢を握り、元より絶大な人望と財力、そして技術力を有していた父が、子供が学業の片手間で行う人集めになどわざわざ期待する必要も無い。
 一気呵成と一人で全てを賄う事が出来て当然だ。
 ただ、今までは時期を計っていただけと言うことだろう。
 その隠れ蓑に―――そう、自身の真の戦力を隠すためだけに、ダグマイアを動かしていただけ。

 「道化は、私か……」

 気付かなかった。気付こうとしなかった。
 自らこそが主役であり、故に降りかかる苦労の全てに抗いの気を吐く事が出来ていた。
 中心に居れた、その事実に誇りがあったから。
 父の目指す大望、それを継ぎ、そして発展させていくのが自身であると自負していたから。

 ―――しかしその前提は全て崩れ去った。

 父は元よりダグマイアなど必要としておらず、そして敵と見定めていた男すら、同様に彼を見ては居ない。
 対立し睨み合う主役たちの間を、五月蝿く吼えて回っていた道化こそがダグマイアの真実だった。

 裸の王と笑うが良い―――しかし、笑ってくれるものすら居ない。初めから見ていなければ、笑うことも無いだろう。
 これを道化と言わず、何というのか。
 暗闇の中で、ダグマイアの思考は更なる絶望に沈んでいく。

 此処が、終着点。
 此処が、こんな場所が。
 誰にも見られず、理解すらされず。
 そんな無様な姿がダグマイア・メストの―――?

 認めたくない。

 「認められるはずが無い―――っ!」

 暗闇の中で、叫ぶ。
 それに答える者は誰も居ない。
 彼が主役であったならば、きっと救いの主が訪れる筈なのに。敵がその様を嘲笑ってくれる筈なのに。
 ダグマイアの言葉に応えるものは誰も居ない。

 「―――じゃあさ」

 それ故に。

 「一つ提案があるんだけど」

 彼にもたらされる言葉は全て、彼の思惑など一切関知しない物に違いない。

 跳ね起きる。
 暗闇。それでも鉄格子と解る場所を隔てた先に人の姿。待ち望んでいた声。
 そこに、居た。待ち望んでいた存在が。ダグマイアと向かい合っていてくれた筈だった―――敵だった筈の少年の姿が。

 「アマギリ・ナナダン……っ!」
 





     ※ ダグマイア さんが ログイン しました。

       こんなサブタイだけど、一人称「俺」の人は殆ど出てこないんだよなこの章……。



[14626] 39-2:俺たちに翼はない・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/17 19:03


 ・Scene 39-2・


 パチンと、恐らくは指を鳴らしたのだろう。

 乾いた響きに従って牢獄の中に灯りが灯る。数時間ぶりの、突然の光量にめまいを覚えたが、それでふら付く事などこの男の前では出来る筈も無かった。矜持がある。きっと張りぼてに過ぎないけれど。
 
 「やぁ、ダグマイア君。悪いね、忙しくって中々時間取れなくてさ。―――仮眠してたら、もう早朝だよ」
 
 苦笑交じりに形だけの謝罪を告げる、軽薄そうな態度。
 眠たげな眼が―――真実、眠たいのだろう。目の下に出来た隈がそれを示していた。
 しかし、その締まりの無さも含めてアマギリ・ナナダンらしい態度とも言えた。何処であっても、どんな時でも揺るがぬ姿。良いか悪いかは別として。確固たる自身があるという事だろう。
 
 「何の、用です?」

 それを打ち砕かれたばかりの、ダグマイアには辛かった。
 萎えそうになる、喚き、怒鳴り散らしたくて仕方が無い。そうあっても、冷笑すらも浴びせられないのだと理解していても。
 
 「いやさ、どうせやる事無いんだろうし―――って、ああ。一応疑問には全てお答えするようにって部下に伝えておいた筈なんだけど、状況は了解してくれてるんだよね?」
 喋り始めて、それから思い出したように、アマギリはそんな言葉を付け加えた。ダグマイアは忌々しげに頷く。
 「ええ。―――我が父が、大願成就への一歩を遂に踏み出したのでしょう?」
 「まぁ、そうさね。生い先短い―――文字通り、だな―――オッサンが、周りの不幸を考えずに夢へまい進中で、その迷惑を顧みない行動の犠牲として、僕等みたいな若いのが疲れた顔しなきゃなんないって状況だね」
 君も僕も、などと茶化すような物言いが、癪だったから、ダグマイアは叫んだ。

 「その戯言染みた態度を止めろ!! 父上は聖地を手にした! 貴様は出し抜かれたんだよ!! 我等の勝利だ! 大望の実現を止める手段は最早ない!!」
 
 割れ鐘のような響きこそが、ダグマイアの焦りと怯えをまざまざと示していたのだろう。
 アマギリピクリとも驚いた顔を見せずに、薄く笑って応じた。
 「大望、大望。野望に理想に希望に未来に、何だか夢みたいな言葉ばっかり使うけどさ、キミのやってる事ってそんなにたいした物かね」
 「―――権力に、胡坐を掻いて我等を見下している貴様等王族には解る訳も無いっ! 鬱屈した我等の心の置き処を理解せぬ者に、我等の理想を汚す資格は無い!」
 見下すようなその発言に、地の底から吼え上げる言葉は、しかし崖の淵に引っかかった指を手折る程の容易さで、あしらわれる事となる。
 「今度は我等、我等と、よくまぁ、そんなに形の見えない言葉に縋りついていられるもんだね。――― 一体、誰を指してるのさ、”我等”なんてさ」
 「そんな物、決まっているだろう―――!?」
 返す言葉は強気な物で、しかし何処か末尾に戸惑いの響きが混じって居たのは、相手の思惑を理解しきれぬが故かもしれなかった。
 そんなダグマイアを冷たい目で見やり、アマギリは作って呆れ顔のまま肩を竦める。
 「ひょっとしてアレ? キミがよく放課後に空き教室であってた”オトモダチ”の事?」
 「―――っ! 気付いて!?」
 「気付かない馬鹿は居ないでしょ。少なくとも目と耳があれば気付くさ。―――ただ、皆見てないフリをしているだけさ。男性聖機師”だけ”の集会なんて、首突っ込んでも百害あって一利無しだからね」

 隠れて、同志を増やし、地下に潜みその日のために力を蓄えていた。

 少なくとも、ダグマイアとしてはそのつもりだった。
 同志が増えていくにつれ、その都度高揚感が湧き上がっていたものだ。
 いずれ”何も知らぬ愚か者ども”に反旗を翻す日を思って。
 だが―――気付かれていた? 全て? 誰も彼もが、目を合わせようともせず?

 「アレだよね。前から思ってたけど、ダグマイア君って結構天然入ってるよね。―――ま、その辺の抜けてる所が、どっか頼りないからって周りから支えてくれる人達が集まる所以なのかもしれないけど」

 その、自分の正しさを信じて疑わない所は尊敬に値する。

 半ば以上本気で感心したようなその言葉こそが、正しくダグマイアに対する最大の侮辱に他ならなかった。

 ―――しかし。

 思い返しても見れば、かつてよりこれまで、幾度なりと重ねられてきた人々からの賞賛、激励、賛辞の言葉の諸々全てが、その内に今のアマギリの如き呆れと嘲りを含んでいたのではないだろうか。
 称えられるに相応しい自らであったつもりだった。それゆえに賞賛の言葉は当然の物として受け入れた。
 自身こそが、諸人からの止まぬ羨望の的であるからと。その位に相応しい場所へ立つべきだと。
 望み、語り、そして託され―――託された?
 彼等の夢や希望を託された―――託されていた、筈だろう?

 ―――いいや、違う。

 「アラン君にニール君、ついでにクリフ・クリーズ。同級生でも三人。上はコロネロ、クラフト、レイホウ、ロベルト、エルシド、ゼペッド、マジオンにアドネイ・ロッソか。下級生でもシトレ、フランク、エンリコとかドナ・カーツとか、あとグレアム君だっけ。聖地に居る男性聖機師の実に二割五分ってトコだから、まぁ頑張って集めたと言えばそうなんだろうけど……」
 「きさ、ま。何故、全員の名前を……!?」
 アマギリが指折り上げていった名前は全て、聖地においてダグマイアの思想に賛同した男性聖機師達だった。
 本来の予定であればこの時期には今の倍以上の人間を集められていた筈だったのだが―――今まさに目の前に居る男の存在によって、二の足を踏む者が多かったのだ。

 曰く、知られた時の報復が恐ろしい。

 絶対に頷けないが、ダグマイアとしてもその言葉が理解出来てしまっていたので、無理に引き止めることが出来なかった。
 だが、それ故に、今日までダグマイアの側に残ってくれていた者たちは、信用が出来る、決して裏切らない者たちであると確信できた。
 少数精鋭であると考えれば易い物。元より、烏合の衆の目を覚まさすための戦いなのだから、いっそ相応しいと思えた。―――思い込めた。思い込まざるを得なかった、がきっと正解。

 「クリフ・クリーズ」
 「……?」
 アマギリが再び名前を呟いた。
 「エルシド、ゼペッド。アドネイ」
 「何を」
 言いたいのか、ダグマイアの疑問に応じることも無く、アマギリの呟きは続く。
 「エンリコ、ドナ、そしてグレアム」
 「我が同士達がどうしたと言うのだ!!」
 能面のような裏側を見せない無表情に怖気を覚えたダグマイアは、ソレを振り払うように叫んだ。
 「解らない?」
 「だから何だと―――っ!!」
 肩を竦めて問うアマギリに、ダグマイアはどうしようもなく寒気を感じながらも、それでも吼えた。
 アマギリは、ため息をひとつ吐いた。
 そして、言った。あっさりと、感慨の一つも見せずに。
 
 「―――全部、僕に情報提供の見返りを要求してきた者達の名前さ」

 空白。
 放たれた言葉を耳が聞き入れ、脳がそれを解するまでの間に訪れた意識の空白は、無意識に言葉を理解したくなかったと言う気持ちの表われだったのだろうか。
 理解してはいけない。

 「繰り返すけど、ただの正義感から来る”密告”ではない。取引―――ビジネスだな」

 易と気高き理想の元に集った同志たちが―――なんて。

 「彼らは皆、自分たちの持ちえる情報を、僕に高値で売り付けようとしてくれていた」
 
 思想の対立による裏切りですらなく―――小銭稼ぎの気安さで、ダグマイアの大望を踏みにじっていたなんて。
 「馬鹿な……っ!?」
 「そうかい? むしろ賢いと思うけど。成功見込みの薄いギャンブルにチップの全てを賭けるよりは、手堅く稼げる方法を選んだってのは、堅実だって言えるじゃないか。―――まぁ、クリフ君辺りは本気で蝙蝠やる気だったらしいけど。彼はアレだね。無駄な火遊びで身を滅ぼすタイプだね。部下としては一番使えないわ」
 湧き上がる絶望感を押し殺すように吼えるダグマイアに対して、アマギリの言葉は何処までも冷酷で打算的だった。
 「ふざけるな! たかが金銭目当てで強者に阿るなど、それでは飼い殺しにされている今のままの生き方と何も変わらないではないか!!」
 「そう言うなよ、連中にだって立場って者があるし、現実ってものが見えているんだ。―――自分たちがどうして今の暮らしが出来るのか、その辺りに確りと理解が及んでるって事さ」

 ―――お前と違って。

 言外に、そう言われているとしか思えない、そんな響きを込めたことばだった。
 「彼らは所属する国家の庇護があってこそ今の暮らしがあると正しく理解している。そして、普通に生きていればそんな暮らしへと至るのにどれほどの苦労を重ねねばならないかも、そして勿論、現在の権力構造が失われた時に自分たちが被る被害も。それゆえに彼らは―――選ぶ」
 「選ぶ?」
 「夢のような―――正しく夢そのものとも言うべき、実現可能かどうかも解らない、しかも実現したが最後、今まで甘受してきた全ての利益が水泡と化す理想と、今ある恵まれた……多少、窮屈かもしれないが、それでも豊かな生活環境。保障された未来。天秤にかけて、そのどちらを選択するのか―――後者を選んだ彼らは、正しい。人は夢と理想のみにて生きるに非ず―――明日の食事の事を思えば、夢ばかり見ている訳にも行かないさ」
 それが侵されそうであれば、外道と謗られようともあらゆる手段を講じる事は可笑しくない。
 アマギリはそう理解を示し―――ダグマイアは当然、反発した。
 「だから! 良い暮らしなどどうでも良いことだろう! そんな即物的なくだらない物を選び理想を汚すような事、許されるはずが無い!!」
 「そういうのは、一度でも良いから山に篭って自ら獲物を狩って火をおこし暖をとるような生活を送ってから言うんだな、お坊ちゃん?」
 結構大変なんだよ? そんな軽い口調で、アマギリはダグマイアの夢も希望も封殺した。
 「貴様がっ……それを言えた口か!?」
 「おいおい、困るな。僕は元々、辺境の田舎暮らしだよ? ウチの女王陛下の気まぐれでもない限り、こんな所に居なかったさ」
 「そっ……」

 そういえば、そうだった。
 今の今までそれを―――知っていたのに、失念していた。アマギリ・ナナダンは何処とも知れぬ市井の出。
 己の才覚のみで、この場所に立つ資格を得たのだ。

 「金持ってて、栄達とかも考えなくて良い立場に長く居ると、そこに居られる幸運に気付きにくくなるんだよな。もっと上があるんじゃないかって贅沢な悩みもでてくる。安定した暮らしは停滞を生んで、ちょっとした刺激も欲しくなってくる。キミが提案したゲームは、中々彼ら男性聖機師諸兄の心をくすぐった事だろうが―――まぁ、僕が彼等の目を覚まさせてやれた存在で居られたなら、どうだろうね? 誇る部分かな、ここは?」

 そんなアマギリが、ダグマイアを断罪する。
 言葉の悉くが、一方的な蹂躙となってダグマイアを襲う。
 許すべからずと思いながらも、抗いきれずに、ダグマイアは絶望の淵に突き落とされていく。
 身の程を知れと。甘い事を抜かすなと。ダグマイアに現実を突きつける。

 「大体さ。本気でキミの”大望”とやらについて来ている人間が何人居ると思う? キミの計画に積極的な支援を申し出ていたのはどんな人たちが最初だった? ―――皆、今の世の中では旨みを味わえない人々ばかりだったんじゃないか? おだてれば木に登ってくれる御輿があって、皆それを隠れ蓑に甘い汁を吸おうとしていたんじゃないかって、そんな事は無いって言い切れるか?」
 「そんっ、そんな事は―――」
 ありえない?
 いいや、ダグマイア・メストは知恵がある。理解力だってそれなりに持っていた。
 解釈の視点に新たな物を与えられ―――そしてその方向から思い起こしてしまえば、支援者たちの顔が、顔が。
 
 「まぁ、そういう欲深い連中を上手く使いこなせてこそって言うし、その辺キミの親父さんは上手くやったと思うよ。忌々しいけど、さ。権勢欲に取り付かれた取り巻き連中に、夢見がちな息子まで利用して、秘めておいた自分の理想に一直線だ。男子たるもの、理想を抱いたならばかく在りたいとすら言いたくなるね」
 「私を、侮辱―――いや、父上すらも、…・・・いや、待て。秘めた……? 貴様何を言って」
 ダグマイアの理想とは即ち父の理想そのもの。それに共感したからこそ、これまでのダグマイアがあった。
 だが、今アマギリは確かに言った。混乱して、追い詰められて、それゆえアマギリの放つ一言一句すら聞き逃せなかったが故に、ダグマイアは確かに聞いた。

 ―――父には、秘めた目的がある。

 目を見開いたダグマイアに、アマギリは首をかしげた。
 「―――あのさ、オッサンが今、聖地で何をやっているか知ってるよな?」
 「当然、だ。―――いや、貴様こそ理解しているというのか!?」
 「それこそ、”当然”だ。聖機神ガイア、だろ?」
 「―――っ!」
 喉の奥が引き攣りそうになった。 
 こうして捕らえたならば、後は尋問して父の―――ダグマイアの計画を聞きだすのみだろうと考えていたから、ダグマイアは己が矜持にかけて、絶対にそれだけは口にしないと固く誓っていた。
 だがそれすらも、あっさりと破られる。何処から洩れたのか、初めから知っていたとでも言うのか、アマギリは当然のように核心を突いてきた。
 「ガイアを復活させて、その圧倒的な戦闘力で他国を制圧する―――とでも言った所かな、ダグマイア君だと」
 そのために聖地を押さえた。ガイアを独占するために。

 父より賜っていた目的。
 ガイア復活のため、その封印された地である聖地を占拠せよ。
 父から下されていた命は正にそれだけであったが、ダグマイアはそれを元に更に拡大解釈を行っていた。
 聖地を占拠、そしてその後の電撃作戦による他国への侵攻すら視野に入れてロードマップを引いた。
 そのための人材確保であり、その程度言われなくても実践できてこその、大ババルンの後継となりうると自らに課した試練だった。

 「けど、残念ながら違う。オッサン、欲しいのはガイアだけで、後の事なんて何も考えていないのさ」

 「―――何、だと?」
 今度こそ、言われた言葉の意味が理解できなかった。
 聖機神ガイア。かつて文明を崩壊させたという巨大な力の復活。優秀な聖機工である父は、それを求めていた。
 そして父の立場であるならば、その復活―――その力の活用法など一つしかない。
 「それを、違うだと。―――では一体、何に使うというのだ!? 聖機神の圧倒的なパワーを!」
 そのダグマイアの疑問に、尤もだと苦笑しながらも、しかして冷静に、アマギリは無常な言葉を放った。

 「そりゃ、簡単さ。文明を崩壊させた聖機神を復活させてやる事なんて一つしかない。―――文明を崩壊させるのさ、”今度こそ”、”完璧に”ね」

 「―――……正気か?」
 誰を指しての言葉か。
 父か、アマギリか―――それとも、今の言葉になるほどと頷きかけた、自分自身か。
 とにかくダグマイアは、尋常ではありえないアマギリの言葉の意味を、理解する事を拒んでいた。
 「馬鹿げている! ふざけているのか!? ―――縦しんば事実だったとして、そんな事をして何の意味があるんだ!」
 ダグマイアの求めているのは改革の果ての栄光であり、消滅ではない。無くしてしまえば、変わりようが無い。当然の理屈だ。
 そんな意味の無い行為の何処に意味があるというのか。
 「意味なんて無いさ」
 アマギリはあっさりとダグマイアの言葉に頷いた。そして、その淡々とした態度のまま続けた。

 「意味は無い。でも―――元々そうするために作られたんだから、そう生きるしかないんだ、これは」

 本能みたいな物だと、アマギリは言う。
 「そうする、ため―――作られた? 何を言っている、何だそれは!?」
 「人造人間」
 「っ!?」
 理解が及ばず言葉を荒げかけたダグマイアは、アマギリの言った只の一言に絶句する。
 人造人間。
 それは聖機工として家を成したメスト家が歳月を重ねて遂に見つけ出した、先史文明の遺産の一つである。
 聖機神を動かすために作られたそれを発見した事により、ババルンは聖地にある”最強”の聖機神ガイアを奪取する事を思いついたのだと―――ダグマイアはそう理解していた。
 聖機神を動かすための人形―――完全に、ババルンの制御下に於かれていた。完全に、だ。先史文明の時のような暴走は有り得ない―――有り得ないと、父は言った。


 以前の時のような事は最早絶対に有り得ない。


 ―――父は、不安を覚え尋ねたダグマイアに対して、そう自信を持って言葉を返していたのだ。
 
 「現に、ドールは我等に従っていた! ……確かに、無遠慮な個性は持ち合わせているが、命令には服従していたぞ!!」
 「ドール? ―――って、そうか。まだ人造人間が居るのか……」
 ダグマイアの言葉に、アマギリは何かに気付いたかのように呟いた。
 「この期に及んで出し渋りか、あのクソ演出家め。―――まぁ、ダグマイア君が人造人間について理解してくれてるなら話が早い。単刀直入に言うけど―――」
 面倒な話になってきたと嘆息した後で、アマギリは苦笑しながら言った。

 「キミの親父、人造人間だ」





     ※ ネチネチとした空気で奈落トーク。
       多分相当生徒会長とのひと時を邪魔されたのを根に持ってる。



[14626] 39-3:俺たちに翼はない・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/18 21:32


 ・Scene 39-3・




 「……っ―――な、に?」

 「だからさ、ババルン・メストは人造人間。それも、”聖機神ガイアの聖機師”である人造人間なんだ。だからさ、そういう事なんだ。ガイアを動かすために生まれた彼はガイアの復活を望むし―――その作られた目的に沿って、全ての破壊も望む。それだけの単純な話だ。国際政治とか、難しいパワーバランスとか、明日への展望とかそういうのはホントどうでも良いんだ、この場合」
 混乱に脳が理解を拒絶する間にも、アマギリの説明は続く。

 人造人間。ババルン。目的。破壊。

 受け入れられる筈が、無い。それゆえにダグマイアは叫ぶ。当然の反射的行動の筈だった。
 「出鱈目を! 証拠も無いのに出鱈目を言うな! 父が人造人間だと!? 馬鹿馬鹿しい! 何処からどう見ても人間だろう! 何処から、どう……」

 ―――見ても。

 何故か、肺から零れた空気が喉の奥で掠れた音をたてるのみで、それ以上の言葉が続かなかった。

 あの、ドール。
 緑色の髪、黒いドレス。暗い瞳。唇が歪め形作るのは笑みと言う名の何か別のものばかりだ。
 聖機人を操るに優れた物を発揮するあの人造人間が、”人間”以外の何に見える?
 小賢しい、気分屋で、他者を敬わない、生意気な少女にしか見えないじゃないか。
 只の人間にしか見えない少女が人造人間であるというのなら、只の父としか思えぬ人間ですら―――。
 
 馬鹿馬鹿しいと怒鳴り返して、一笑に付すべき言葉。しかし、ダグマイアの口は閂をかけられた、頑迷に開くのを拒んでいた。
 冷めた態度のアマギリから視線をずらせぬまま、幾許かの時間を置いて、ダグマイアがひねり出せた言葉は、結局は、ただの一言。

 「証拠は、あるのか……?」

 ダグマイアは何処か縋るような口調で、そう問いかけていた。
 思えば後先を考え過ぎない今の父の行動に、不審を覚えていたのは事実。
 下準備も出来ていないうちに兵を動かす愚を行うなど、父らしくも無い。これでは、後々先細りしてしまう危険性だってある。

 ―――だが、”後々の事”など初めから全く考えていないのであれば、頷ける話。

 全てを無に返す。
 無に返した後? 考える必要は無い―――元より、真に元より、考えていないのだ、初めから。命ぜられた目的に沿って、動いているだけ。
 破壊し終えたら―――きっと、新たな命令でも待つのだろうか。それとも、自らも滅ぼす?

 空恐ろしい真実。嘘だと言って欲しかった。しかし。元よりこの男がダグマイアの望みを叶える筈も無い。
 アマギリは肩を竦め、面倒そうに頭を掻きながら口を開いた。
 「さっき―――といっても、三、四時間前になるんだけど、キミの叔父君がこっちに遊びに来てね。色々話してくれたよ。ババルンの、教会の、そして―――彼自身の目的と、真実についても」
 「叔父上が、だと?」
 叔父。ユライト・メスト。病気がちな。父の同盟者でもあり、そして共犯者でもあるはずだ。
 思えば父は説明をしてくれない人間だったから、その役目は全て叔父が行っていた。
 人造人間、ガイア、それらの事に関しての詳しい事実も、そう。ダグマイアはユライトから聞いたのだ。
 「あの人は元々教会側―――と言うか正確には、教会があの人側とでも言うのかな。まぁ、面倒な部分は全部避けるけど、ようするにあの人はガイアの破壊を望んでいる。そのために、何代にも渡り肉体を変えながら今日まで生きてきたんだから。ガイアを監視し、いずれ封印が解けたとき、”今度こそ”破壊する。そのためだけに、そういう目的を”与えられて”生きてきた。―――言ってる意味が解る?」

 今度こそ。以前。目的。与えられた。
 先ほどから幾度も出てきた言い回し。その後に続く説明も、既に想像できない筈も無かった。

 「……叔父上、も?」

 震える声で問うダグマイアに、アマギリはご賢察、と頷いた。
 「そう、人造人間だ。ここでややこしい話になるけど、人造人間と言うのは、一つの小さな器にアストラルを封入する事により長く時を生きる。即ち、生身の肉体ではなく、器に入ったアストラルこそを人造人間と呼ぶのが正しい。そして、人造人間はその器の持ち主に干渉し、融合、助言、同調もしくは支配を行いながら、仮初の肉体として、世に潜み続けている。言ってみれば亡霊みたいなものだな。ユライト先生もババルン・メストも、ようするにその亡霊に取り付かれてその思念に命ぜられるままに生きているって言える。―――いやになるよねぇ、ホント。生きてる僕等の思惑無視してさ、亡霊どもが何時までも我が物顔で勝手気ままに暴れてるんだから」
 
 気に入らない。

 吐き捨てるように呟いたその言葉こそが、アマギリの行動原理とダグマイアは悟った。
 彼はシンプルだ。
 好きな物のために全力を尽くし、嫌いなものを全力で否定する。
 彼はその存在を望まないが故にババルンと対立し、そして滅ぼすのだろう。
 実現できるとは思えないが、少なくとも、そのつもりではあるらしい。

 嘘か真か、と言うそれ自体も、どうでも良いのかもしれない。
 聞き伝の話ばかりで、その真偽を確かめる術も持たぬと言うのに、彼は至ってシンプルだった。
 詳細の如何がどうあれども、現実に自身の気に入らない状況が起こっているのだから―――それを打ち倒す事に疑問など抱くはずも無い。

 大望なんて言葉で飾る必要は無い。
 後先なんて気にしないし、力の行使を躊躇わない。自分の居場所を、疑わない。
 そして、興味が無い事には一切興味を抱かない。無駄な事をしない主義なのだ。

 だから、端から興味が無かったのだから、ダグマイアの事を視界に映す事も無かった。
 ダグマイアの企みも、怨嗟の視線も、彼に一抹の不安も与えはしない。
 ―――興味が、無いから。

 そして許しがたい事に興味が無いままに興味の無い物を粉砕する自力を、彼は有していた。

 ダグマイアが終ぞ望んで、しかし何時まで経とうと得られない、望み赴くままに生きる力。
 それを彼は当たり前のように有していた。

 目的のためだけに生きる父と同様に、彼もまた。
 
 お前など居ても居なくても、世の中は何も違わない。

 その態度、生き方こそがそれを示している。

 絶対に弱みを見せたくない男の前であっても、項垂れざるを得ない現実。
 過去に亡霊に囚われた人間と、そんな事情すら歯牙にもかけない男の対決。

 その間に挟まれて。現実は、その間に挟まれる権利すら与えられない。
 我こそ主役であったなどと―――今や、思う事すら甚だしい。

 無力に等しい、ダグマイアの現実だった。
 「ここが、終着点か……こんな、こんな場所がっ、こんな現実が!!」
 震える拳を握り締め、何かを、世界を、自らを罵るように、吐き捨てる。
 ダグマイアに出来る、それが全てだった。たったそれだけが、全てだった。
 
 涙すら出てきそうな惨めな現実。同情以外は差し挟む余地は無いその様を―――あろう事も無かろうと、アマギリ・ナナダンが意に介す筈も無い。

 「あらら、随分堪えてるみたいだね。―――現実知って親に切り捨てられた事が解った程度で、そんなに凹む状況か?」

 肩を竦めてアマギリは言った。簡単に。
 軽い、余りにも軽すぎる言葉は、しかして真実以外の何ものでもなく―――認めがたい現実に、ダグマイアは吼える以外に在り様が無かった。

 「五月蝿い!! 貴様に何が解る!!」

 激昂する気力が、何処に残っていたのか。乾いた、割れた響きを鉄格子の向こうに叩きつけていた。
 だがそれでも、アマギリの態度は少しも余裕のそれを崩さない。
 予定調和の如き気安さで、アマギリは台本でも読み合わせるかのような口調で滔々と言葉を重ねる。
 「解らないさ。―――だってダグマイア君、きみ、自分が他の男と違うって証明しようとしてるんだろ? ―――あ、”してた”になるのか? ……まぁ良いか。少し考えても見ろよ。親の言う事に唯々諾々と従ってみせるなんて、それこそきみが変えたいと願って止まなかった今の権力構造の縮図そのものじゃないか。漸くこうして切り捨てられて、そこから抜け出す事が出来たのに―――願いが叶って喜ぶべき場面で、一体何がそんなに不満なんだ?」
 
 「―――なに?」

 言われた言葉を、一瞬理解できなかった。
 「願いが、叶った―――だと?」
 ふざけた事を。いや、実際ふざけているのだろう。アマギリの顔には冗談以外の何一つ浮かんでいなかったから。
 つまりは、そんな冗談を真に受けかねないほど、今のダグマイアは憔悴していたのである。
 認めず、跳ね除けねばならないただの戯れごと。
 戯れごとであるが故に核心を突いている―――だからこそ、跳ね除けねば今までの自分全てを。
 
 ―――それこそ、今更。

 跳ね除けて、それでどうするのだと。
 父は既に自身を切っているのだろう。つまりはこれまでのように後ろ盾も無く、そして檻の中で逃げ場すらない。
 縦しんば逃げ出せたとして、自身が山賊と密会していたと言う現実―――山賊と契約しようとしていた事実は、消せない。完璧に抑えられた罪状だ。
 庇護してくれる父も居らず―――これまでの話を総合すれば、父にダグマイアを庇護する理由が存在しない。
 どの道、全てを破壊するつもりなのだろうから、あの父は。
 父の理想の一助になろうと、努力を積み重ねてきたつもりだ。
 それだけは真実で、きっとアマギリ・ナナダンとて、その積み重ねを否定する事はしないだろう。無駄な努力と肩を竦めるだろうが。
 しかし全ては、今や無駄な事。今や、ではない。初めからずっと、無駄だった事。

 父のために、父の目に適おうと、父の息子に相応しく。

 しかし、父は初めからそんなものは期待していなかった。
 子は親を継ぐもの。親は子に託すもの。託すべき何かがきっとある筈だから、人は子をなし、そして育てる。その筈なのに。
 父の目的は破壊。破滅。消失。全てを零にする行為そのもので、そこに子が引き継ぐべき一欠けらも残しはしない。
 父一人だけで終わらせる。父だけの目的。それが父の存在理由だ。
  
 ―――私は、無価値だ。
 
 絶望に沈む必要すらなく、元よりその場所に居たのだと。ダグマイアは遂に気付いた。
 辺りは奈落。暗闇の底。
 暗闇の中で踊り狂えば恥も沸かぬし、暗闇にあっては周りの視線も届かないだろう、気付かないだろう。

 ―――”ふざけるな”と。

 そう思えた自分に、ダグマイアは歓喜した。
 奈落に住まう自分を笑うでもなく、恥じるでもなく、ただ憤怒する。
 怒りを覚えた。その場所に居る事に、その場所に居続ける事に。
 見下されるのは良い―――いずれ跳ね除ければ、踏みにじれば良いだけだから。
 だけど、置き捨てられるだけは我慢なら無い。奈落へ一人。覗き込むものも無く。それだけは、許せないのだ。

 今が許せないのならば?
 
 許せない今を変えるために―――その気持ちが今までと何処も代わりの無い事が、ダグマイアには可笑しかった。
 可笑しければ、笑う。鉄格子の向こうで怪訝な顔を浮かべている男の顔があった事が尚更可笑しくて、更に笑みを深くした。

 ―――良い気分だ。
 此処は奈落。冥府の沼。蠱毒の筵。それ故に、ダグマイアにこれ以上落ちるべき場所はない。
 ならば良い。後は昇るだけだ。
 何処までも、自身が目指す所まで。出来ないなどと、今までと同様に欠片の一つも想像しない。

 私には、出来る。

 そのための第一歩は決まった。

 鉄格子の向こうを睨みつける。
 
 奈落の底ですら鼻歌交じりに歩き去るその男の―――その毒を、食らい尽し飲み乾し統べるのだ。


 「貴方の言うとおりだ。何を今更、落ち込む必要も無い事だとも。そう、―――最早既に、私は自らが道化であると悟っている」


 「そんだけ芝居がかった言い回しが出来るんだから、結構神経図太いよねキミも。―――まぁ、でもなきゃ人の家の庭先で山賊と濡れ場を演じる筈も無いかぁ」
 ダグマイアにとっては―――精神的葛藤の果てに出てきた、悪魔との契約とすら思えるその言葉。
 乾坤一擲のその一言を、しかしアマギリはあまり関心も理解も示さず、面倒くさそうにそれだけの言葉で応じた。
 ガリガリと頭をかく。だらしの無い態度を隠れ蓑に、鉄格子の向こうでこちらを睨む瞳を観察する。

 ダグマイアの目の奥に潜むものが変わった事に気付いた。

 捻れた針金のような役立たずが、焼けた鉄棒のような迷惑極まりないそれに変わっている事に気付いた。
 率直に言えば冷や水でもぶっかけてそのまま叩き折ってやりたい気分ではあるが―――そういう自分の趣味だけで動けるような状況ではない。
 使えるものは道端に落ちた塵ですら使わないと難しい状況なのだから、諦めて―――安全手袋でもつけて、拾うしかない。

 些か予定とは違うが、どうやら”やる気”だけはあるようなので、納得しよう。
 ―――無理やり自分にそう言い聞かせて、アマギリは口を開いた。。
 「何にせよ、状況を受け入れてくれてるんなら良いさ。―――そんなキミに、話があるんだけど、どうだい?」
 「聞こうじゃないか。―――どのように利用するつもりだ、この私を」
 「……ホントに、状況を理解できているんだな」
 ダグマイアの返しの言葉に、アマギリは眉をしかめた。
 頭の良い馬鹿程扱いづらいものは無い。本当に面倒な事になったなと、アマギリは今後降りかかるであろう幾つかの面倒ごとを並べ立てながら嘆息した。
 「自棄になってるって言うんなら、一昨日来いとしか言えないよ?」
 これなら何も知らない馬鹿殿様で居てくれた方が楽だったなと言う気分を顔に隠そうともしないアマギリを、ダグマイアは何と恐れ知らずにも鼻で笑って見せた。
 アマギリの額に青筋が走った。
 「何もかも失った―――否、初めから何も以って居なかった事に気付いた男が、自棄になる以外にする事があるのか?」
 「―――そりゃ、ご尤も」
 「何も持たないが故に、確かに手に入った物もある。キサマの戯言の通りだ。私は自らの望みを果たした―――その結果何も手元に残らなかったなどと、気付いていなかったのは愚かだったが」
 「ソレに気付いたんなら成長したって認めてやらんでもないけど―――まぁ、どうでも良いか。空元気でも元気のうちって言うしな」

 駄目だなこれはと、アマギリはあっさりと白旗を振った。

 自らを嘲る事。ソレを覚えただけで、ダグマイアは少しだけ成長したともいえる。
 良くも悪くも。思考に厚みが付いた事だけは確かだろう。惑わすようなアマギリの言葉を、押されて圧し折られる事なく、受け止める事が出来るようになっていた。
 軟な針金だって熱して捻じ曲げ踏み固めればそれなりに硬い鉄の塊にならない事も無い。
 内部構造はボロボロで、ちょっとした衝撃で砕け散るに違いないが、残念な事に今のアマギリにそれを砕く楽しみは与えられて居ない。
 諦めて、話を進めるしかなかった。
 幸い―――何処が幸い何だか―――ダグマイアはやる気らしいのだから。
 
 「自立への第一歩は親離れから始まる」
 
 「それがどうした?」

 「今までのキミは体制への反抗を謳っておきながら、その実親の言うがままに動いていた、まさに何処にでもある体制への迎合する姿に他ならない」

 「なるほど。―――否定は出来んな」
 
 ―――目障りな度合いが数割り増しだなと、アマギリが顔に出さずにそう考えていた。
 本当に、後先を考えずに調子に乗る前に潰してしまいたいが―――いやしかし、この男を調子に乗せるだけで”便利な駒”が自陣営に加わると言う利点は捨てがたい。

 此処は我慢。
 我慢するべきだと何度も何度も自身に言い聞かせる。

 アマギリは、どうやら笑みらしき物を作っているらしいダグマイアの腹に蹴りを叩き込みたい衝動を抑えながら、言葉を続ける事とした。

 「そこで一つ、提案だ」

 今更かもしれないが、と繋げたあとで、更に言った。

 「改革への第一歩として、まずは自らの内面から―――そう、ここは一つ、”親殺し”に挑んでみるのはどうだろう?」






    ※ ああ、うん。
      マジ? とか思ってる人多いと思いますけど、マジでマジで。


      



[14626] 39-4:俺たちに翼はない・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/19 21:16


 ・Scene 39-4・





 「……それでは、闇黒生徒会を始めたいと思います」

 早朝、日の出始めるような時間帯。
 外部映像を映し出すモニターは、雑木林と渓谷の景色が流れているのが見える。
 集う事となった室内は、常に床部から微細な振動が伝わって来る。亜法振動による物ではない、鉄と鉄が高速でぶつかり合うが故に発する、文字通りの振動だった。
 「―――それは構わぬがの、闇黒従兄殿よ。何ゆえ妾たちは朝っぱらから鉄道になんぞ乗せられておるのじゃ?」
 「まぁ、軍用……と言うか、装甲列車ですしね。普通疑問に思いますよね」
 偉そうに尤も高い位置の椅子に腰掛けていたラシャラが言うに続いて、ワウアンリーも欠伸交じりに言った。
 彼女自身は状況に納得できているらしい。

 装甲列車。
 多数の砲門車両と前線指揮所を兼ねた機関車両を連結させた、ハヴォニワが誇る凶悪な移動要塞である。
 「しかも、目的地はどう考えても聖地だな」
 「聖地に装甲列車で乗り付けるんだもの。―――やる事は一つよ」
 外の景色―――聖地へと続く森に挟まれた深い渓谷を見やって呟くアウラに、何処か険を含んだ口調で続けるリチア。
 「ここって、でも喫水外ですよね。―――なんで結界炉で動く列車が走れるんですか?」
 聖地への巡礼路が一本道である理由は、単純にそこへ至る他の地平が全て喫水外に位置しているからである。
 で、あるならその喫水外の場所を通って聖地へと向かおうとしている装甲列車の中にあれば剣士の疑問も可笑しくない。
 「そりゃ、簡単さ。喫水外で結界炉を動かす時にケーブル繋ぐだろ? この装甲列車の場合は、今走っているレールそのものがその役割を果たしているのさ」
 線路そのものがエナを伝達させているのだと、アマギリは得意気に説明した。
 「あ、送電線の代わりにレールで、って事ですね」
 「うん、闇黒剣士殿は理解が早くて助かるね」
 良く出来ましたと剣士の言葉にアマギリは満足そうに頷く。

 「―――お主、説明する気は無いのか?」

 「いや、ぶっちゃけキミを連れてくるつもりは無かったし。つか、勝手についてきたよねキミ」
 げんなりとした顔で言うラシャラに、アマギリは急に冷めた態度に切り替わって応じた。
 その代わり身に、ラシャラは上座の上でたじろく。
 「僕は剣士殿だけが居れば良かったんだけど」
 「剣士は妾の物じゃぞ? 剣士を連れて行くということは、必然妾が居なければ話になるまい」
 「今回割りとシリアスな事になりそうだから、あんまりそういう戯言に付き合う気分でも無いんだけどな」
 えへん、と胸を張るラシャラを、変わらずアマギリは冷静な態度で切り伏せた。
 鉄製の倉庫を思わせる、寒々しい景観の指揮所が、それに相応しい冷たい空気で満たされる。

 「―――殿下、ホントになんか怖いですよ?」
 ワウアンリーが、場の空気に嫌気を感じて恐る恐るとした口調で言った。
 「機嫌悪いんだよ、今。やりたくない事をやりたくないやり方でやらされてる感じでさ」
 アマギリは態度を直しもせずにあっさりと真実を告げた。
 「やりたくない―――では、やらないと言う選択肢はいかんのか?」
 突然早朝に起こされて、あれよあれよと言う間に鉄道に乗せられ―――気付けば、聖地直行特急である。
 何をしようとしているかは一目瞭然であり、それがアマギリ自身の発案から出てきたのであればアウラは乗るつもりがあったが―――そうでないと言うのならば、いまいちやる気が沸かないのが本音だった。

 アマギリが好まない=勝算が無い。

 そんな図式が頭を過ぎるからである。
 「本当にそうなら今からでも引き返してほしい所なのだがな。―――今から成そうとしている事は、我等だけの問題で済ませられないと言うのは……」
 「解ってるわよ」
 「リチア?」
 詰問するような口調のアウラに言葉を挟んだのは、何処か疲れたような顔をしたリチアだった。
 「解ってるわよ―――解ってる。でも、動かざるを得ないわ。知ってしまえば」
 自らを納得させるかのような口調で、繰り返す。ワウアンリーもそれに頷いた。
 「そうですね。動きたくなくても、動くしかない。時間は有体に言って、あたしたちにとって敵ですから」
 「なるほどの」
 いぶかしむアウラを他所に、ラシャラは何かに気付いたかのように言った。

 「それはつまり―――そこに、ダグマイアが居る事と何か関係が在ると言う事だな」

 室内に集った少女たちの視線が、一斉に一箇所に集まる。
 車両の後備、下層部への階段に程近い端壁に体を預けて、ダグマイアが腕を組んでいた。
 「ダグマイア……」
 今までじっと彼のほうを見て佇んでいたキャイアが、その名を呟いた。
 それに呼応した訳でもないだろうが、ダグマイアは閉じていた瞳を上げて、ラシャラに視線を合わせる。
 「私がこの場所にいることに、何か問題が?」
 「……何か問題と言う以前に、お主がそのような気の効いた返しが出来るようになっている時点で、俄然問題じゃろう」
 眉根を寄せて応じるラシャラに、ダグマイアは皮肉気に笑って見せた。
 「なるほどな。そうと理解して知ろうと思えば、自身への評価の低さと言うものが良く解る」
 「―――従兄殿、お主コイツに何をしたんじゃ?」
 額に汗を浮かべて尋ねるラシャラに、アマギリは面倒そうに肩を竦めて吐き捨てた。
 「精神的に追い詰めて操り人形にでもしようと思ったら、失敗してそんな風にウザったくなった」
 「ちょっと何よ、その言い方は!!」
 他の全員が苦笑交じりに頷いた言葉に、キャイアだけが激昂した。当然と言えば当然である。
 アマギリがキャイアと気が合わないと感じているように、キャイア自身も相当同様のことを考えていたらしい。いつの間にか敬語を使うのを放棄していた。
 アマギリも得にそれについては何も言わない。元より、自分が好きではない人間に何を言われようと根本的に気にしない男だった。
 「事実を説明しただけじゃないか」
 「その事実に問題があるって解らないの!?」
 俄然、そんな二人を放置しておけば場の空気は悪くなる。立場的にストップをかけるのはラシャラだろうと、アウラやワウアンリーは早くも丸投げの視線を送り、視線の集う形となったラシャラは大きく息を吐いた。

 「止めておくんだなキャイア。その男の戯言に付き合っても、時間の無駄にしかならんぞ」

 「え?……ダグマイア」
 ラシャラが止めに入る前に、ダグマイア自身が口を挟んだ。キャイアと視線を合わせることもせず、瞼を落としたまま、表情も変えずに。
 当然だが、一方的に打ち切られた会話と言うのは、納得が出来なければ場にしこりを残す。
 場の空気は益々重い物に変わった。
 誰も彼もが微妙に表情を歪めながら、誰も率先して口を開こうとしない。

 「―――それで、何でダグマイア様が一緒に居るんですか?」

 剣士を一人、除いて。
 空気を読めていないのか。いや、空気を読んでいるからこその、平然とした態度だろう。直感的な洞察力を働かせた、素直すぎる言葉だった。
 それゆえに、場の空気が少し緩む。アマギリが肩を竦めた。
 「コイツ個人は無能だけどさ、割と人受けする性格だからね、今から行く場所では使い道があるんだ」
 嫌だけど、使えるものは使うと、アマギリは苦笑混じりに言った。ダグマイアは少し鼻を鳴らしただけで、何も言わなかった。
 「そういえば殿下、前にエメラさんの事が欲しいって言ってましたね。―――リチア様やアウラ様よりも、よっぽどって」
 アマギリの言葉を噛み砕いて理解したワウアンリーが、茶化すように言った。
 「ちょっ―――待てコラ!」
 「へぇ……面白い事を聞かせてもらったわ」
 「いやいやいや、絶対言ってる意味理解できてるでしょう貴女!?」
 ゾクリと寒気の走るリチアの言葉に、アマギリは必死で反論する。その様子を見て、何とか空気が戻ってきたかとアウラが笑った。
 「エメラは万能を地で行く従者だったからな、確かに。これから行く場所、やろうとする事を考えれば有効に働くか」
 「確かにの。ダグマイア・メストを完璧にサポートしきれるのだから、たいした物じゃよあの者は、実際」
 「あの、お二方とも、ダグマイアが……」
 ぬけぬけと言いたい放題の姫君二人の間で、キャイアがキョロキョロ視線を壁際に送りながら焦った声を掛ける。
 しかし、壁際に背を預けた件の少年は、棘で突付かれる様な言葉の連続にも、自重の笑みを浮かべるのみで激昂する事が無かった。
 「ダグマイア……」
 その姿に、キャイアは呆然と呟いた。
 
 悔しくないのか、こんなに言われて。

 そう尋ねたかった。そう尋ねた所で―――きっと帰ってくるであろう、何の興味も無いねという言葉が怖かった。
 昨日の今日。いや、その前からか。ダグマイアは変わってしまったのだ。そして今は遂にその変化が、キャイアの理解を飛び越してしまった。それだけのこと。
 良くも悪くも、人は出会いや環境に左右されて変化していく。
 アマギリと言う劇薬を投与されたダグマイアの変化が顕著すぎる事は、当然の結果と言えるだろう。
 だが、アマギリからもダグマイアからも遠い位置に居るキャイアは良くも悪くも何一つ変化していなかった。
 ここ最近で彼女に変化を与えたのは剣士の素直で奔放すぎる態度くらいだろう。
 その変化は陽性のものに限り、彼女本来の魅力を更に増したという変化でしかない。
 ほんの昨日知ったばかりの、知らざるを得なかったばかりの、ダグマイアの本質―――少なくとも、昨日までは確かにそうであった筈の部分ですら、まだ受け止め切れていなかったのに。

 一晩が明け更なる変化を遂げていたダグマイアに、キャイアは遂に超え難い距離を認識せざるを得なかった。

 一生かかっても、きっと届かないほどの、遠い距離。
 ダグマイアは初めから陰に潜む性質であり、陽性に特化したキャイアとは相容れない。

 何故、こんな風になってしまったのだろうか。
 問いかけても応じてはくれないだろう。きっとそうだと、キャイアは想っていた。
 だけど、何故かこの時だけダグマイアの視線がキャイアと絡んだ。何を考えているのかうかがい知れない瞳。
 深みは無い。かつてと変わらず。
 深みが無いくせに中身がうかがい知れなかったと言う事は、元から中身が無いせいだと―――そんな簡単な事実に、キャイアは今更ながらに気付いた。
 今はでも、ほんの少しだけ違う。それは自分でも解らない”自分”を必死で見直そうとしている―――奇麗事を捨てて、泥臭い努力を選んだ人間だけが出来る瞳だった。

 「一つだけ言っておく」

 聞いている人間が居るかどうかは知らないが。
 ダグマイアはそう付け足して、おもむろに呟いた。

 「望んで私はここに居る。―――その事について、誰に何を言われる筋合いは……いや、誰が何を言おうと、知った事か」

 キャイアはその言葉に、その突き放した態度に衝撃を受けた。
 絡んだ視線はその言葉を投げつけられたその一瞬だけであり、後はまた、彼は再び瞼を閉じてしまった。
 遠い。何処までも。
 そしてきっと今、近づく事を拒絶されたのだと、キャイアは理解した。

 「だから連れてきたくなかったんだよ……」
 アマギリの不機嫌そうな呟きに、ラシャラも嫌そうに応じた。
 「妾とて、来る前にここにダグマイアが居ると知れば、少しは考慮したわ」
 「本人同士の問題だから、仕方が無いと言うのは解るが―――アマギリ、これで本当に大丈夫なのか? やはり引き返した方が良いのではないか?」
 「あたしもちょっと、アウラ様に賛成したい気分になってきましたよぉ。戦う前から負け戦っぽいですよ、コレ」
 ラシャラの座る玉座の近くに集まって、コソコソと喋り始める。そのいずれも、何処か不安を漂わせていた。
 必然、この責任をどうしてくれるんだと、アマギリを責める視線が集中する。
 前髪を掻き揚げながら、嫌そうに視線を振り払って、アマギリは逃げるように視線を室内にめぐらす。
 キャイアは、剣士に言葉をかけられていた。無理やりにでも笑顔を作れているのなら、良いだろう。
 リチアと合わさった視線は、信じているとも、縋っているとも思えるもので、アマギリは受け止めるしか出来ない。
 ダグマイアが視界に入って―――偶然、視線が絡んだ。嘲るように唇を歪めているのが目に入った。

 無様な。

 舌打ちしたくなって、それこそ無様そのものだろうと堪えた。
 厄日だな、きっと。そんな風に思う。顔には出さないが、これから始まる全てに、何処かで不安を覚えている自分が居た。

 ―――坊やのそれは、言ってみればESPの発露のような物さ。直観力、認識の拡大。繋がれる事により手に入れた、”上”からの視点。一種の未来視と言っても良いかもしれない。一つ上の視点から見下ろしているせいで、この次元に於いては先の時間にある未来を認識する事が可能なのさ。

 そう言う時に限って、そんな言葉を思い出す。
 胸騒ぎがする時は―――本当に危険なのだと、思い出す。

 でも。
 ちらと、めぐらす視線が再びリチアと絡んだ。
 その視線を、裏切る気分にはなれない。例えアマギリ自身は彼女だけが居れば良いと思っていても、彼女の方はそうではない。それに、彼女だけでは彼女足り得ないのである。

 彼女を構成する大切な要素が失われる危険が大きくなってきたのだから、阻止せねばならない。
 
 「嫌だけど仕方が無いなんて、失礼だったな」
 それを思い出して、アマギリは自嘲するように薄い笑みを浮かべた。
 「―――そういう顔が出来るのなら、少しは勝算がでてきたか?」
 「ああ、悪い顔になってきましたね。これなら行けそうかも」
 「……キミ等、ホント最近僕の扱いがぞんざいだよね?」
 いきなり掌返して好き勝手良い始めた従者と親友に脱力気味になったところで、傍にあったリチアの顔に笑みが見えたことが解った。
 「日頃の行いのせい、でしょ?」
 「そりゃあ、ご尤も―――じゃあ、気分入れ替えて行こうか!」
 それに不敵な笑みを返して、アマギリは宣言するように言い放つ。

 半ば以上にやけくそ。
 空元気と、噛合わない歯車、そして足りない時間。
 通信状況は回復せず、昨日別れた母と妹とは、未だに連絡が取れない。
 ―――無事にあるに決まってる。しかし、援護は期待できない。
 状況は最悪以外の何ものでもなかった。

 だからせめて、威勢だけは大きく行かないと、先が続かない。

 「聖地攻略作戦の説明を始めるぞ! 目標は今も聖地学院に囚われている学院生徒及び教職員すべての救出、並びに―――聖機神ガイアの復活阻止だ!」


 ・Scene39:End・





     ※ 転入生を紹介するぞー!
       
       ……のノリで盛り上がる筈が、むしろテンションだだ下がりである。
       まぁ、そういうポジションだよね、彼。



[14626] 40-1:聖地攻略作戦・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/08 21:07
 ・Scene 40-1・


 「作戦は簡単だ。三方向から陽動をかけている間に、工作部隊を内部へ潜入させ、人質の救出。ついでに聖機神の破壊。そして、脱出。―――以上」

 何か質問は、とアマギリは聖地付近の地形図を広げた会議机の周りに集った一堂に尋ねた。
 装甲列車はその間も進み続ける。半日と経たずに、聖地付近―――地形図に書かれたエリアに突入するだろう。
 「……まずもって、この列車はこのまま聖地まで進めても平気なのか? 途中で線路が破壊されているのではあるまいな」
 何かどころか、質問は溢れて止まなかったが、当面の問題だろうと言う事で、まずはラシャラがそんな疑問で口火を切った。因みに何故か、相変わらず一番上座についていた。
 「線路は聖地の東南面―――ハヴォニワとシュリフォンの勢力圏を走っているからね。そも、線路がひかれてる場所が喫水外で攻め辛いし、シトレイユ側からの侵攻となると線路を潰そうと思ったらどうしても国境、関所を守護するシュリフォンかハヴォニワの軍勢と相対する事になる。線路に異常が出たらハヴォニワ国内のコントロールセンターに異常が伝わるようになってるけど、今の所そういう情報は入ってないから、多分平気だよ」
 「多分、と言われると不安が残るのう」
 「正確な情報伝達を不可能にして行動を躊躇わせるってのも、敵さんの狙いでもあるからね。―――仕方ないだろ、行き当たりばったりならざるをえないんだよ、もう。大体僕の趣味から言えば、こんな前か後ろへしか動けない鉄の棺おけなんかに使いたいとすら思えないよ」
 「それをここで言いますか、殿下……」
 本音をぶっちゃけたアマギリに、ワウアンリーが冷や汗を垂らす。アウラも苦笑していた。
 「フローラ女王肝いりの聖地連結鉄道も、お前にかかれば棺おけ扱いか」
 「あの人、こういうゲテモノ好きだからねぇ。むやみやたらと前線に出たがるし。まぁ、周囲の安全が確保されている平時の輸送用に便利なのは確かさ。―――でも、敵陣にコレで乗り込むってのは正直好みじゃないよ」
 「―――でも、やるしかないのよね」
 「そういうこと。コイツ以外の方法で聖地へ行こうとすれば、シトレイユ側の北の関所から侵攻したババルンの艦隊と正面からぶつからなければならないから。南のシュリフォン側の関所は、内側から封鎖、占領を果たしたババルン軍と、外のシュリフォン軍とがにらみ合いだし、北側なんてそもそもこの状況でシトレイユ国内に踏み込めるわけが無い。これ以外聖地へ近づく手段が無いんだよねー。三国の中じゃ、ハヴォニワ一番弱っちいから。何しろ、国内に聖地への関所無いし」
 顔をこわばらせたリチアに、アマギリはあえて軽い口調で事実を伝えた。

 真実アマギリの言葉どおり、ハヴォニワから空路で聖地へと侵入する場合は、北のシトレイユ側の関所か、南のシュリフォン側の関所を潜らなければならない。
 その状況の解決への一環として作られたのが、このハヴォニワ国内――― 一部、シュリフォン領へと踏み込んでいるが―――のみで聖地へと連結を果たした、聖地連結鉄道である。

 「シュリフォンは、軍を動かしていないのか?」
 「通信がまだ閉ざされている関係もあるし、情報が錯綜しているんだろう。そもそもシュリフォンって国は外に対して興味が薄い国家だから、事情が飲み込めるまでは率先して踏み込もうって言う気が起きないんじゃないか?」
 「―――それを言われるとな」
 アウラは困った風に笑ってアマギリの言葉に頷いた。
 天然の要塞となる深い森の中に存在するシュリフォンは、森を生活圏とするダークエルフの種族的性質上、他国へ対する領土的野心も薄い。積極的な攻勢用の軍を常備していないと言う事情もあった。
 「なるほどのう。この棺おけを使わねばならぬ事情は理解した。―――が、しかしこの喫水外の森の中から、どうやって断崖絶壁の彼方に見える聖地へと人を送り込むのじゃ? 駅―――ロープウェイも封鎖されてるんじゃろ?」
 鉄道終着点から聖地へは、通常崖の間を通されたロープウェイか、もしくは輸送船を用いて物資の運搬を行う。
 「っていうか、ロープ切られてそうですけどね。―――せっかく寄付やらODAやらばら撒いて、漸く通したばかりなんだけどなぁ」
 「ああ、そういえば、我がシュリフォンとも相当駆け引きがあったとか聞いたな」
 「秘匿技術に関する何枚かのカードを切らされましたからね。―――亜法技術庁長官が泣いてましたよ」
 「……因みに何の技術を渡したんですか」
 技術屋の従者に尋ねられて、アマギリはあっさりと答えた。

 「機工人」
 
 「うそ!?」
 「いや、事実だ。父王もそのように仰っていた」
 「そう、アウラさんの言うとおりホント。と言っても第一世代の、動力も亜法結界炉仕様のヤツだから」
 聖地内の森において縦横無尽に剣士を追い掛け回した事からも解るとおり、機工人は足場の安定しない難所に於ける作業用機械として非常に優れていると言う評価だった。それゆえの森の国シュリフォンへの技術譲渡である。
 「それでもあたしに一言くらいあっても……」
 「スポンサーってのは偉いんだよ。設計者なんかよりずっとね。―――ついでに、僕がゼロから図面引きなおしてるから、もう別物だし」
 「開発者より技術持ってるとか、嫌な金持ちだなぁ、この人」
 「王子様クビになったら実業家でもやろうかと思ってたからな」
 そういえば何時ぞや、工房で図面を引いていたなと思い出しながらげんなりとするワウアンリーを、アマギリは適当にあしらう。
 
 「―――それで結局、どうやって聖地へ兵を送り込むんだ?」

 その様子を黙ってみていたダグマイアが、呆れたように口を挟んだ。
 会議机の一角、隅の方に座って一応は会議に参加する形だったから、発言する事は問題ではないし、発言自体もまともだった。
 だからこそ浮いているとも言うが。
 急にテンションの下がる一同の中で、アマギリも同様に、何処か決まり悪げに息を吐いた後で、あえてダグマイアの方を見ないようにして応じた。
 「後部車両に電磁カタパルトを用意してある。動力に機工人の核融合炉を使用した強力なヤツをな―――それでコクーンを一機搭載可能な快速艇を聖地へと向けて射出する。射出後、弾道起動でエナの海の中に入れば、そのまま飛行可能だから、後は搭載した聖機人による内部の敵勢力の陽動、そして快速艇の乗員たちにより人質の救出―――と、こっちは詳しい話は後で」
 「電磁やら核融合やら、なにやらジェミナーらしくない単語ばかりが聞こえるのじゃが……」
 「技術は日々進歩してるってことじゃない?」
 「その進歩した技術の暴走した成れの果てが敵だったと記憶しているんだが……」
 眉根を寄せて呟くアウラを他所に、最早諦め気味のワウアンリーが実務的な疑問を行う。
 「どうでも良いけど、射出後暫く自由落下しか出来ないって、途中で撃ち落とされませんかそれ?」
 「確実にされるだろう。恐らく聖地直上には戦略起動要塞バベルが設置されている筈だ。無数の砲門による精密射撃を浴びせられれば、糸の切れた凧など容易く破壊される」
 ワウアンリーの疑問に淡々と答えたのはダグマイアだった。その言葉を受けて、ラシャラが目を見開く。
 「バベルじゃと!? ヤツめ、自領内の兵だけではなく国軍まで動員しよったか」
 「言っておくがな、ラシャラ・アース。我々―――いや、父上が国軍を動員したのではない。国軍が父上に賛同して勝手に協力を申し出てきただけだ」
 頭を下げて要塞を差し出してきたと、ダグマイアは鼻を鳴らしながら言った。ラシャラの顔が忌々し気に歪む。
 「ババルンこそがシトレイユじゃな。解っておった事じゃが……」
 シトレイユ国軍が保有する最高戦力すら献上されてしまうというのだから、実権を奪われているとは言え女王としては立つ瀬がなかった。
 「それこそ今更、じゃな。それでどうするつもりなのじゃ従兄殿。バベルの砲門は全方位において死角無しの強力無比なものじゃぞ。快速艇と言うと、何時ぞやの晩に使っておったアレの事なのじゃろうが―――砲火に晒されて耐え切れるほどの耐久力があるとも思えぬのじゃが」
 「ああ、あの魚の骨のようなヤツか」
 新一学期前夜のスワン襲撃の日の夜に見かけた奇妙な造詣の船の姿を思い出して馬鹿にしたような言葉を吐くダグマイアに、アマギリが肩を竦めて応じる。
 「そう、ダグマイア君が見た瞬間に逃げ出したコワーイ魚の骨」
 「―――逃げたのではない! 機を見て撤退しただけだ」
 「”退いて”ると自分で言ってないか?」
 「それは男のプライドが掛かる問題ですから言わない方が良いんじゃあ……」
 激昂するダグマイアをわき目に、アウラとワウアンリーがコソコソと話し合う。昨日まではありえなかった言い争いに、奇妙な気分だった。
 
 「皆の疑問の通り快速艇は確実に沈む」
 
 一先ず状況が落ち着いた後で、アマギリはあっさりとそれを認めた。
 「―――では、駄目ではないか」
 「ひょっとして、囮にでもするんですか?」
 「ダグマイア君外れ、剣士殿は半分正解」
 一々はずれと言う必要も無いだろうに、気分が許さないのかアマギリはそう付け加えながら続けた。
 「カタパルトは四基。撃ち出す快速艇は二機。コクーンも二機。ついでに多弾頭ミサイルに煙幕弾詰め込ん一斉射―――と、コレだけ言えば解るか」
 「どれが本命やら、解らぬな」
 状況を絵で思い浮かべてか、ラシャラがやれやれと呟く。
 「ま、そういう事。因みに、一番罠っぽい快速艇が実は本物。―――だけど、皆様のご期待通りに崖下に墜落してもらう」
 「……自殺志願者を募る気か?」
 崖の底は森である。普通に考えて死亡コース一直線だった。性質の悪い冗談でも言われたのかと思い嫌そうな顔をするアウラの横で、リチアが伺うように言葉を漏らした。
 「ひょっとして、それを利用してユライト先生が言ってたやつを……」
 「ユライト? ユライト・メストか?」
 唐突に出てきた名前に目を丸くするラシャラに、アマギリが頷いた。
 「ええ、昨晩遊びに来まして」
 「なんだとっ!?」
 「ああ、そう言えば叔父上が来たとか言っていたな、確か」
 驚くラシャラたちの横で、ダグマイアが牢での会話を思い出して納得していた。
 「お陰でリチアさんとの楽しい時間が邪魔されて非常に不愉快だったんですけど、まぁ、色々と聞きたくもない真実とかが聞けましたからね。プラスマイナスゼロ―――じゃないなぁ、マイナスかな」
 「アンタ、こんな時に何言ってるのよ」
 「体力的にはプラスだから良かったんじゃないですかー」
 顔を赤らめるリチアを横目に、ワウアンリーが面倒そうに言う。
 しかし、惚気話は他所でやれよと声を大にして言いたそうな従者を放置して、アマギリの言葉は続く。
 「まぁ、教師の長話に関しては後で書類に纏めるから各自適当に読んでくれって事で―――崖の下の樹海の中から、教会関係者しか知らない上への抜け道とかを幾つか教えてもらえたんだよね。むしろ、そこを使って聖地へ侵入しろって命令されてるようなもんなんだけど」
 「ああ、それで不機嫌なんじゃな、従兄殿」
 「と言うか……ユライト先生は味方と言う判断で良いのか?」
 「あ、それは平気です。あたしが保障します。―――あの人は、”昔から”教会側の人ですよ」
 疑問顔のアウラに、ワウアンリーが頷いた。昨日の情報交換が終了した後で、もう一度結界工房と連絡を取って詳しい事情を聞いていたらしい。
 「ま、そう言う訳なんで、一度落とされたと思わせて、再突入のための準備をカタパルトで偽装している間に、秘密ルートで工作班が侵入。人質を救出の上―――」
 そこまで言って、アマギリは言葉を切った。
 「上で?」
 ラシャラの疑問顔に、アマギリは苦笑してしまう。言葉に詰まるような内容ではない。少なくとも、現状を考慮すれば当然ともいえる選択肢なのだから。

 だが、アマギリの好みではなかった。

 チラリと、隣に居るリチアに視線を送る。強い瞳で頷かれた。
 それで決心―――それより先に、諦めが付いた。こんなだから、気分が乗らないんだと思いつつも、ままよと一気に口を開く。

 「救出した人質を全員戦力として組み込んで、港湾施設、そして停泊中の艦船を奪還する」





     ※ 承前の話。―――と言うか本当は一気に戦闘になだれ込みたかったりもするんですが、
      如何せん説明する事が色々残っていると言う罠。
       結構はしょってる筈なんだけど、中々減らないですねぇ。
       ……いや、微妙な独自展開で説明する量増えてたりもするんですが。



[14626] 40-2:聖地攻略作戦・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/21 20:41

 ・Scene 40-2・





 「それは―――いや、有効ではあるが。危険では?」

 眦を寄せて問いかけるアウラに、アマギリは轟然と頷いた。
 「そりゃ、危険さ。でも、別に僕等は無理して彼らを助ける理由は何処にもないんだ。脱出の機会は用意してあげるんだから、脱出方法くらいは自力で奪い返してもらいたいなと僕は思う」
 「その苦々しい顔。全然自分の言ってる事が納得できませんって感じですよ殿下」
 「そりゃそうじゃろ。このフェミニストが近しい人間を危険に巻き込むのをよしとする筈が無いわ」
 「……近しい?」
 「あ、ラピスが居ますもんね」
 首を捻るアウラの横で、剣士が解ったとばかりに元気に言った。
 「別に、ラピスさんだけ特別って訳じゃないさ」
 「その言い方だと、誰かをむやみに危険に巻き込みたくないってのは認めてるようなもんですよ」
 「五月蝿いよ従者」
 不貞腐れた態度になったアマギリを見て、アウラが笑った。
 「なるほどな。その前提条件で言えば、我等すらも危険な行動に付き合わせたく無い、と言う事になるか。―――朝からむやみに機嫌が悪いのは、それが理由か」
 「何を今更って感じなんですけどねー」
 好き勝手に言い出す女子たちに、アマギリは頬を赤くして怒鳴った。
 「ああもう、だから剣士殿以外はお呼びじゃなかったんだよ、ホント!」
 因みに本当に、剣士にだけ声を掛けていたのだが、何故か起きて―――しかも負の時間も越えていた―――アウラに気付かれ、更に押し問答の間にラシャラにも出発を悟られ、リチアは何時の間にか傍におり、ワウアンリーは列車の準備をしていて、気付いたら全員参加となっていた。
 「……と言うか、剣士は良いのか、危険な目に合っても」
 「いやさ、僕や剣士殿にとっては、この程度の危険は実家に帰れば日常茶飯事だし」
 「いえ……流石にウチも、軍隊が立て篭もりなんて事態は日常的には起こりませんが―――あ、でも何度か警察が襲撃に来た事があるかなぁ。昔はもっと多かったて姉ちゃん達は言ってましたけど」
 故に問題ない、とあっさりと言い切ったアマギリに、剣士が冷や汗混じりに呟く。アウラは日常的ではなければテロが起こるのかとか警察が襲撃とかおかしくないか、等と突っ込みたい気分だったが、恐ろしい話になりそうだったので控える事にした。

 「と言うか、剣士殿を連れて来いってのが演出か直々のご命令だったもんでね。―――正直、気に入らないんだよ。あの人多分、剣士殿を連れて行かないと学院の生徒殺すとかやりそうでさ」

 「―――なに?」
 続くアマギリの言葉は、何処までも露悪的で、少しの間場を満たしていた戯れ混じりの空気をかき消すようなものだった。
 「学院の生徒を……」

 殺す。

 そう言った。視線で問い正してみても、アマギリの冷めた表情は揺るがない。
 アマギリの隣に居たリチアは、歯を食いしばったように何かを堪えているかのようだった。
 「なるほどな。そういう可能性もあるか」
 ダグマイアは混乱する少女達を他所に、一人納得して頷いていた。
 ラシャラはそんなダグマイアをチラリと見やった後で、アマギリを問い質した。
 「さしあたって一つ目。―――演出家とは誰じゃ?」
 「ユライト・メスト」
 即答が得られた。頷いて続ける。
 「二つ目。―――昨日からの会話でガイア打倒のためのロードマップを敷いたものが居る事は理解できた。そしてそれがユライト・メストであると言う言葉にも納得しよう。しかし何故、ユライトが学院生徒を殺す? そういう話になる」
 「余裕が無くなったから」
 「―――具体的に」
 再び即答したアマギリに、ラシャラは質問を更に重ねる。
 アマギリは瞠目して何度か口を小さく開け閉めした後で―――息を吐いた。
 「結局、全部説明した方が早いか。―――だから、説明の要らない人だけでやりたかったんだよなぁ」
 面倒くさそうに言うアマギリに、アウラが微妙な顔で突っ込む。
 「お前それ、剣士相手には特に説明する気が無かったと言う事にならないか?」
 「さて?」
 肩を竦めて薄く笑うだけで、答えは返さなかった。しょうがないなコイツはと言う気分でアウラは嘆息した後で、剣士のほうを見た。話題に上がったと言うのに、透き通る湖水の如く落ち着いた表情。
 
 全ての状況を在るがまま受け止めて、そして確かに、そんな彼なら行動に疑問を覚える事はないのだろうなとアウラも思わざるを得なかった。
 頼まれれば、必要とされれば剣士は動く。そこにそれ以外の言葉は要らないだろう。

 ―――そうすると。どうでも良い事にアウラは気付いた。
 当初予定ではアマギリと剣士、そしてダグマイアの三名のみで事を実行するつもりだった事になる。
 ある意味成功イメージしか浮かばないが、しかし成功した場合何故か酷い未来が待っているように思えて、アウラには耐えられそうになかった。

 「アウラさん? 面倒だから一回しか説明する気無いから出来れば集中して欲しいんだけど」
 思考を要らない方向に飛ばしていると、いつの間にかアマギリが自身を見ていた事にアウラは気付いた。
 すまなかったと一言頷いて、話を聞く体制を取る。
 
 時間も、人手も、何もかもが足りなかったから、情報くらいは頭に叩き込んでおきたかった。

 
 そして、語られた内容は大雑把に言い切るとしても、真実味に欠ける内容だった。
 

 語って聞かせる人間がアマギリだった事が尚信憑性を薄れさす。
 隣でリチアが真面目な顔で俯いていた事実も、それを助長させた。

 「人造人間、人造人間、そして今度もまた、人造人間か……。何でもかんでもその言葉をつければ解決するもんでも無かろう」
 ラシャラが額を押さえて呻くように言った。
 「それ、本人達にも言ってやれよ。馬鹿も休み休みってな」
 「何より馬鹿らしいのは、そういう人造人間に踊らされ振り回されて居る我等人間だろうな」
 投げやりに手を払って応じるアマギリに、アウラも苦い顔で頷いた。その後で気分を切り替えて口を開く。
 「少し整理するか」
 ここ二日以内で新たに入ってきた情報が多すぎて、正直理解がオーバーフローしかかっていた。
 そもそも考えるのはアマギリたちのような人間の仕事で、自身は彼等の考えを信頼して与えられた役割を最大限力を果たせば良いとアウラは考えていた。短くない付き合いの間に出来上がった信頼関係によるものだ。
 だが状況が状況で在るが故に、そうも言っていられない。 
 何しろ頭脳担当であるアマギリやリチアですら状況を完全に把握しかねているのだから、些か心細くはあっても、知恵はあって無いよりはマシだろう。
 それ故にアウラは自身に出来る思考方向―――つまり、アマギリのような飛躍に飛躍を重ねるような大胆な答えの導き方ではない、地道で着実な聞き入れた情報を纏め、と言うやり方を行う事にした。

 「人造人間とは先史文明において作られた聖機神を動かすための生命。彼等の生命の有り方は、自身の精神……アストラル、と言うのか? そう言った物を小さな器に封じ込める事によって存在している。そしてそれを―――本来なら空っぽのヒトガタに封入する事により文字通りの人造人間、となるのだが―――その器と言うものは、人造のヒトガタだけではなく我等普通の人類にすら移植する事が可能である、と」

 そして現代―――現在において、その器を移植された人間は二名。
 シトレイユ皇国宰相ババルン・メスト。そしてその弟である聖地学院教師ユライト・メスト。
 
 「器に封じ込められた精神は、器を移植された人間の精神を凌駕し―――支配する事が可能。そしてババルン、ユライト共に現在はその人造人間としての意思でもって行動している―――ここまでは良いか?」

 ゆっくりと整理するように情報を並べていくアウラに、アマギリは頷いた。
 お先をどうぞと、手で示してくる。
 
 「ババルンを支配した器は、元々聖機神ガイアの聖機師のものだ。それ故にババルンはガイア復活を目指す。―――何故か。それが目的で生み出されたからだ。人造人間と言うものは明確な目的を与えられて製造される、しかしその命令の解釈は酷く不完全で―――先史文明が聖機神によって滅んだのはそれが原因とも言える。先史文明を滅ぼした聖機神ガイアの目的は破壊。本来ならば敵の聖機神を破壊、程度の当然のものだったのだろうが―――現実はこの有様だ。ガイアは目的に従って全てを滅ぼそうとした」
 「じゃが、当然そんなものを誰しもが望む筈も無い」
 アウラが言葉を切ったのに合わせて、ラシャラが口を開いた。言葉を引き継ぐつもりらしい。
 「聖機神ガイアの暴走を止めるために、先史文明人達は三体の聖機神とそれを操る人造人間を製造。―――結果、相打ち同然と言えどもガイアを活動停止まで追い込む事に成功した。尚、その戦闘に参加したのは製造された人造人間のうち二名。残りの一名はいざと言う時の可能性を残すためも考えて、異世界へと転位。異世界人との交配による高い能力を有する聖機師を誕生させると言う使命を負わされ―――そしてこうして、その混血児は現れた」
 隣に座っていた剣士に視線を送りながら、アウラは一気にそこまで語った。
 「で、まぁ問題はここからな訳だね」
 ある程度の前提条件が出揃った所で、アマギリが口を開いた。
 
 「そもそも、ガイアと言う聖機神は何が脅威なのか」





    ※ 消化試合にならないためにも少しガイアさんのスペックアップを図ってみようと思う。

      原作だと高笑いしてたくらいしか印象が無いしねぇ……。



[14626] 40-3:聖地攻略作戦・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/22 20:54


 ・Scene 40-3・




 世界を滅ぼした―――字義通りにそのまま受け取っても、具体的な形がまるで見えてこない。
 たかが一機の人型機動兵器で、どうやって世界を滅亡まで追い込めるか。
 
 「それは、ガイアのある性質による」

 トンと、考えを整理するように会議机を指で叩きながら、アマギリは続ける。
 
 「ガイアは亜法を”喰う”。亜法を用いたあらゆるマシンを、一方的に侵食し、そしてそれを自らの内に圧縮して蓄える。無数の聖機神と、先史文明の発達した亜法文明の成果を喰らい尽くして、ガイアはその果てに圧倒的な装甲密度と、膨大な、無尽蔵とも言えるエナを有するようになった。傷も付かず、無限に動き続け、そして亜法動力で動くものは一方的に捕食する。どう頑張っても勝てない。―――が、しかし。無敵のガイアにも弱点はあった。それが―――」

 聖機師。

 ラシャラ以外、この場に集った全ての人間が聖機師であった。
 無限の動力と絶えぬ装甲を有する最強の聖機神ガイア―――しかし、それを操る聖機師こそが最大の弱点とは、気付くものも少なかったのだろう。
 「亜法結界炉を用いた動力機には稼動限界が存在した。人造人間といえども、脳生理を侵す振動波を完全に克服する事は出来なかった。ガイアの聖機師は、恐ろしいほどの限界値に達していたらしいが―――それでも、限界がある事には変わらなかった。滅び尽くされ僅かに生き残った先史文明人達の取った手段は、限られているが故にシンプルだった。可能な限りの戦力で持って地帯防御戦闘を行い―――時が至らば、決戦存在として作り上げた最後の人造人間達による戦闘を仕掛ける」

 そして、それは成功した。
 
 無限とも思えるほどの起動時間を誇っていたガイアも遂に稼動限界を向かえ、コアからずり落ちてきたガイアの聖機師は討たれた。
 その犠牲は幾千万とも知れずとも、ガイアの聖機師は死に、ガイアは活動を停止した。

 「問題は、活動を停止した、だけであり根本的に破壊する事が出来なかったって事だな。まぁ、どんだけ装甲密度があるのか解らないから、実際、破壊する事なんて不可能なんだろうけど。やむなく、残った数少ない先史文明人たちはガイアを可能な限り解体して、聖機神としての形を保てなくした。そして、やはりどうしても破壊も解体も不可能だった亜法を捕食する機構を有しているガイアの制御ユニットを封印する事にした。ガイアの核ともいうべき部分は生き残ってしまっているが―――なに、体が無ければ自分から動けない。脳、つまり聖機師が存在しなければ動こう何て考えられない。人目につかぬ場所に厳重に仕舞っておけば安全さ―――と、なる筈だったんだけど……」
 
 問題が発生した。
 
 聖機神ガイアを操縦していた聖機師。その人造人間の精神の器が、何処かへ消えていたのだ。
 何処へ、何時の間に―――解らないし、そして先史文明は疲弊しきっており、最早それを探す力は残っていなかった。
 ガイアはいずれ復活するかもしれない。その不安が残った先史文明人たちに広がる。
 中でも取り分けそれに不安を覚えたのは―――ガイアを打倒した人造人間自身だった。
 二体で挑み、うち一体は滅ぼされ、一体は異世界へ。
 残された一体は、いずれ復活する”かもしれない”ガイアの存在を恐れた。復活したならば自身が打倒しなければならないと信じた。

 なぜなら、それがその人造人間の存在理由だからだ。

 ガイアを打倒するために作られた人造人間は、その使命に従って、遠大なほどの時間をかける事となる。
 全てはガイアを倒すため。
 今度こそ完全に、ガイアをこの世から抹消するために。
 そのための準備を整える。そのための環境を作り出す。そのための人材を育て上げる。

 その果てが―――。

 「今のこのジェミナーか。目的のために必要な物以外の全ての可能性以外をそぎ落とされた世界。尤も、所詮は個体を撃破するためだけに生み出された人造人間だ。世界全てをコントロールしようと言うには、随分能力不足だったようだがな」
 「ま、人の欲望は飽くなきものってね」
 ダグマイアが吐き捨てるように結んだ言葉に、アマギリが肩を竦めて頷いた。

 いかに文明の発達を抑えようと、人の上昇志向は止まらない。生活を豊かにしたいと言う気持ちは抑えられない。
 領土的野心、闘争本能を抑制しようと思っても、本能であるが故に理性では制御できない。
 娯楽に飢え、刹那的な快楽のために千年の平和を脅かす危険を、排除できない。

 「だから……この世界って何だか凄く不自然な部分が多いんですか?」

 ずっと黙って話を聞いていた剣士が、外の人間であるが故に抱いていた疑問を、アマギリにぶつけた。
 アマギリはゆっくりと頷いた。
 「そう、抑えて飛び出て、叩いたら跳ね返って、アッチを塞げば今度はこっちからってね。そんな繰り返しをしていくうちに、それが積み重なって色々なルールとして成立してしまったのが今のこのジェミナーって事さ―――まぁ、それで困ってると感じてる人も居ないんだから、良いといえば良かったんだけどね。最近まで、は」
 変なトーンで語尾をとぎらせながら、アマギリは言う。
 
 「それなりに、変なバランスを以って成り立っていたジェミナーでありましたが、ここで一番恐れていた事態が発生します。―――そう、ガイアの聖機師の復活です。……この辺、ダグマイア君的にどうなの実際? 心当たりは?」
 「叔父上から聞いたのだろう、貴様は」
 「あの人自身―――ようするに、ガイアを倒した側の人造人間だけど、あの人は聖機工を生業としている誰かに取り付いて宜しくやってきたって話だったんだけど、ガイアの聖機師の人造人間は、正直どっからでてきたのか良く解らないんだよね。ユライト先生は自分らの父が発掘して見つけたとか言ってたけど」
 挑発気味に返した言葉にあっさりと落ち着いた言葉を返されて、一瞬ダグマイアは憮然とした表情を浮かべたが、その後で直ぐに推論を返した。この男を前に愚鈍なように見える態度は取りたくないというのが在るのだろう。
 「我がメスト家が古くより聖機工を輩出してきた家系であったのは事実―――だが、今日のような栄光を手にする事が出来たのは、全てがババルン・メスト個人の力によることが大きい。父はその優れた聖機工としての実力と政治的才覚を利用し、前シトレイユ皇に認められ、そして宰相の地位にまで上り詰めた。聖地にガイアがあると言ったのも、そもそもは父が初めか……。その時の叔父上の顔。そうだな、―――そうだ。驚愕していた。あの時は私と同様に、世界を滅ぼすほどの力が聖地にあると言う事実その物に驚愕していたのだと思っていたが……この状況、つまり」
 「ババルン・メストがその才気を示し始めたのは幾つくらいの頃からだ?」
 「そこまで知るはずが無いだろう。―――しかし、我が祖父が父がまだ十に見たぬ頃に夜盗に襲われ殺されたと言う事実だけは、聞き覚えがある」
 「その話は妾も聞いたな。身寄りの無くなったメスト家兄弟を、当時即位したばかりの父王が後見となる事によってメスト家の取り潰しを避けたと言う話だ。そして父はババルンを取り立て―――ババルンが、国を盗った……と、これはどうでも良い話じゃな」
 アマギリとダグマイアの何処か棘の満ちた語り合いに、ラシャラが口を挟む。
 男二人に睨まれて、一瞬椅子を引きそうになるも、ラシャラは何とか堪えて続けた。
 「つまり従兄殿の疑問はこう言う事じゃな。一体何処から”ガイアの聖機師の器”が発見されたのかと。そしてそれがいかにしてババルンの手に渡ったか―――聞く限りは、こうか? 聖機工であったババルンの父が何処かの先史文明の遺跡から―――聖機工であるが故、そういう仕事もしておるじゃろうし―――”器”を発見。それを幼いババルンに移植した?」
 「祖父と共に夜盗に殺された人間の中には、父と親しかった結界工房の技師も居たらしい。―――メスト家が、教会とつながりが深かった理由の一端だな」
 「ああ、結構些細な事情なんだな。巡り巡れば僕が殺されかかるって事態にまで発展するのに」
 「素直に死んでいれば、今ここで頭を悩ます必要も無かったのではないか?」
 「キミ程度に殺されてやる謂れは無いね」
 お互い皮肉気に唇を歪めながら、間に挟まれれば一般人ならそれだけで惨死しそうな会話の応酬を繰り広げる。
 アウラが苦笑して―――苦笑しか反応を浮かべなかったのも流石と言えるが―――口を挟んだ。
 「話が逸れてきているぞ。つまり、こう言う事だな。ダグマイアの祖父と一緒に殺されたのがガイアを倒した側の器の前の持ち主。死に際にどうにかしてユライト・メストに器を譲渡したと推測できない事も無い。これで、ユライトはガイアの復活を知る。自身の存在を秘匿しながらババルン―――ガイアの聖機師の動向を傍で監視しつつ、ガイア復活の阻止行動に動く事が可能となる」

 「ひょっとしたら、異世界へのアクセスの取り方とかも知ってるのかものあぁ。コレについてはまぁ、向こうの技術力を考えれば向こうの善意で送ってきたって考える方法もあるから、イマイチだけど」

 アウラの纏めの言葉についで、アマギリは口元を押さえて考えるように付け足した。
 剣士もそれについては曖昧に笑うだけで言葉を濁した。色々と実家に関しては考える事が在るらしい。
 アマギリはいち早く過去への飛躍から復帰して、口を開いた。

 「さて、そんな訳でババルンがガイア。そしてユライトがアンチガイア―――とでも言うのかな、とにかくそんな関係な訳だ。そしてガイアは今復活しようとしている。ユライトはガイアを破壊したい―――破壊したいけど、彼は現状のままでは復活してしまったらガイアを破壊する手立てが無いと考えている」
 「ならば破壊できないのなら復活を阻止するしかないと考える訳だな」
 アウラの言葉にアマギリは一つ頷いて続ける。
 「そう。それ故の”時間が無い”だ。―――彼にとっては、時間が無いんだ。現状倒せない以上は、復活を阻止して仕切りなおしを図るしかないと考えており、そのためにはもう手段を選んでいられない。自分が知る”最高戦力”をすぐさま復活前のガイアにぶつけようなんて考えにも至るのさ」
 剣士を見ながら、アマギリはそう言葉を閉じた。

 「―――剣士を渡さなければ、生徒を殺す。昨日の夜、アマギリが言った言葉を、ユライト・メストは否定しなかったわ。全力で、今すぐにガイア復活の阻止に動かないのなら、聖地の学院生達の安全は保障しないって!」

 共に、昨晩突然現れたユライトとの邂逅に立ち会ったリチアが、暗い瞳でそう言った。

 「敵が居て、それを倒せば―――か。それで解決する問題ではない。お前の言っていた通りか」
 何処までもユライトに対して純粋な怒りを滾らせながら、リチアは何度も自身を納得させるように頷きながら言った。
 「ガイアを破壊したら、今度はガイアを二度と作らせないように全ての人間を破壊、とか言い出しそうですよね」
 「壊れた機械の壊れた命令―――されど、逆らう事は出来ぬ。従兄殿ではなくとも不機嫌になるわ!」
 ワウアンリーも、ラシャラも、やり場の無い怒りを抑えようが無かった。

 「―――だが、そこまでガイアの破壊を望むなら、何故自分でやらないのだ叔父上は?」

 怒りに震える少女たちの中で、立場ゆえか何処か冷めた部分を残していたダグマイアが、そんな言葉を呟いた。
 「そういえば……確かに」
 ダグマイアの言葉に、アウラが気付いたように相槌を打つ。
 そう、ガイアの破壊をしたいのならば、ユライト自身がやれば良い。それが出来る近くに居るのだから。
 ガイアの聖機師―――ババルンを、自身の手で。
 当然、キサマならそれを聞いたのではないかと尋ねるダグマイアに、アマギリは肩を竦めて応じた。

 「自分じゃ出来ないんだとさ」





    ※ 実際そこのところ原作じゃどうなんですか……。

      気付いたらこのマイナーな原作、地味な展開のSSも70万ヒットオーバーとか、何気に凄いですね。
      最初辺りからお付き合いくださってる方々には、本当感謝。



[14626] 40-4:聖地攻略作戦・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/23 20:22


 ・Scene 40-4・




 「―――何故」

 「最後に作られた三体の人造人間は、暴走を避けるために徹底的な心理制御を施されていたんです」
 苛ついたように先を促したダグマイアに、答えを授けたのはワウアンリーだった。結界工房のナウア・フランから事情を聞くに至り覚えた当然の疑問を、彼女もまた抱いて、そして尋ねていたのだ。
 そのときに返って来た言葉を、今伝える。
 「そもそも先史文明の崩壊は人造人間の命令誤認から端を発しています。倒すべき対象、破壊すべき存在を取り違えて、世界そのものを破壊してしまう―――それを阻止するために完成させた人造人間たちは、暴走する事を許されなかった」
 それ故に、厳密に精神調律は施され、倒すべき敵、守るべき事項は厳選され、遵守するように徹底的に仕込まれた。
 「ガイア打倒のために人造人間を開発した先史文明の聖機工達は、何よりもその人造人間たちが暴走するのを恐れ―――暴走により、自身等が害されることを恐れて、まず真っ先に最優先命令として組み込んだんです」
 そこでワウアンリーは一端言葉を切った。
 そこから先、口に出すべき言葉の意味を、自分でも受け止めかねているが故に。
 それでも、言わねば何も始まらぬと思い、一つ息を吐き、諦念交じりに先を続ける。

 「”聖機工を傷つけてはいけない”。自分達―――聖機工には、絶対に攻撃してはならないと言う命令を」

 「それはまた、何とも……?」
 ラシャラは唖然として大口を開けて固まってしまった。
 「と言うか、どうやって聖機工と一般人を区別するのだ?」
 「アストラルの内包する知識領域の拡張具合とかじゃないの、どうせ」
 アウラの当然の疑問に、アマギリが面倒くさそうに応じた。
 たまにアマギリたちの会話の中に出て来る”アストラル”と言う単語が今ひとつ理解できかねていたアウラだったが、ワウアンリーに視線を送ってみても肯定の頷きが返ってくるのみだった。
 「ようするに、文系と理系の人間とでは頭の使い方が違う、みたいなものか?」
 「大体そんな感じ。ヒトをゼロから作る事が出来るんだから、当然アストラルに関しても先史文明人は明るかったんだろうし、それを測定する事によって人物を区別する事も可能だったんじゃないかな。自分達聖機工のアストラルの統計から、これだと思われる波長を抽出して、それを有している人間には攻撃してはいけないって命令を組み込んだんだと思う」
 「解ったような解らんような。―――ようするに、他の誰よりも真っ先に自分達だけは必ず助かるシステムを組み込んだと言う訳だな」
 関連付けが面倒そうだけどと続けるアマギリに、アウラは理解の及ぶ範囲で無理やり自分を納得させた後で、難しい顔で唸った。
 いや、当時の聖機工たちの気持ちは理解できる。
 当時の状況も在るのだろう。この期に及んで自身が作ったものに自身が殺されるのは勘弁ならないという気持ちは、大変良く理解できる。

 理解は出来る―――が。

 今のこの状況で仇となった。
 ババルンは聖機工。家業として引き継いだそれは、覆しようの無い事実である。
 「保身が世界を滅ぼす……と言うところか?」
 アウラも微妙な顔でそう呟いた。
 そもそも当時の状況からして、”後”にばかり気を回していられる状況ではなかった筈だから、そういう命令を組み込んでしまう事も考えられる。 
 まさかガイアの人造人間が、聖機師でもないただの聖機工を器として選ぶなどとは想像もしなかったのだろう。
 だからこそ安易な保身を考えてしまった。

 ―――その結果、ユライトは命令により縛られて、ババルンを傷つけられない。

 そして自殺でもして別の誰かに乗り移ろうにも―――ユライト自身とて、聖機工なのである。
 自信を傷つけるような真似は、不可能。
 「器の拠り代を自由に選べないのか、ひょっとして……」
 会話の流れの中で思いついた疑問をポツリと呟くアマギリに、ワウアンリーが頷いた。
 「殿下がご想像の程には、教会のシステムは完璧ではないんです。伝承は幾度なりと失われて、ユライト先生―――ああ、”今は”ユライト先生である人造人間も、長い教会の歴史の中で幾度もその姿を消しています。むしろ、登場していなかった時期の方が多いんです。元々人造人間には、人間を上位者として、命令に服従しなければならないと言う命令が刻み込まれていますから、行動の自由を狭める事になるその命令を回避するために、人造人間は自らの正体を濫りに明かせません。それ故に、拠り代が限界を迎えそうになったとしても、表立って次の拠り代を選ぶわけにも行かず―――だって、人にばれたら最悪服従を強制される事もありますから」
 「―――なるほどねぇ。動けず、物言わぬ器である期間も増えるか。そして器のままでは目も見えず口も利けない。……偶然誰かに、拾われでもしない限り」
 「近代に於いて、そのような奇矯な事を考える人物はそれこそ聖機工くらいじゃろうな―――ハッ。笑わせてくれるわ。それでは聖機工かその縁者が拠り代になるより他無いではないか」
 呆れを含んだ笑いと共に、ラシャラはそう吐き捨てた。
 「ババルンも聖機工、ユライトも聖機工。その父親も、その前も、当然。―――聖機工、先史文明に明るい技術者ってのは、得てしてそれ相応の地位についている可能性も高いから、ユライトのほうの人造人間にとってはそういう意味では都合が良かった部分はあるんだろうな。自分の目的を果たすためにも。でもそれが相手にとっても同じ、と言う事に思考が及んで居なかった辺りは―――」
 「―――馬鹿らしいとしか、言えんな」
 ダグマイアが、吐き捨てるように言い切った。アマギリも、大きく息を吐いて同意を示す。
 「ダグマイア君と気が合う日が来るなんて、思わなかったね」
 「それは私の台詞だな。―――と言うか、貴様まさか、そんな事情を本人から聞かされてそれを丸ごと信じているのか?」
 「そんな訳無いじゃない」
 馬鹿にするようなダグマイアの視線に、その質問を更に馬鹿にしたような口調でアマギリは応じる。
 「……と、言いますと?」
 聖機工としての師であるナウア・フランからの言葉だったため、ユライトにまつわるそれが真実だと理解していたワウアンリーは、アマギリの物言いに首をかしげた。
 「”ワタシに逆らったらどうなるか解らないよ?”って思わせて、こっちの思考能力を狭める罠かも知れないなぁってね」
 つまり、嘘をついているんじゃないか、とアマギリは言っているのだ。リチアがその言葉に慌てる。
 「ちょっと待ってよ、それが本当だとしたらこんなに準備不足で急くような行動取る必要ないじゃない!」
 聖地に残してきた友であり従者でもあるラピスを中心として、聖地学院の生徒達の事が心配で思考が硬化しかかっていたリチアは、動かない訳には行かないと考えていた。
 それ故に憎憎しげにユライトを睨みつけていたアマギリに縋るような事をしてしまった。

 どうか、どうかラピス達を助けて欲しいと。

 その行動の危険を知りながらも、頼まずにはいられなかった―――そして、頼んだのであれば必ず聞き届けてくれるのだと、知ってしまっていた。
 リチアが頼めば、アマギリは断らない―――例え、その真実に何が有るかを理解していても。
 「ああ、リチアさんが責任感じるようなもんじゃないよ。―――って、言い方も問題あるか」
 愕然とした表情から気分を読み取ったのだろう、アマギリが優しく宥めるように言った。
 「……と言うと? と言うか、実際どう言う事なんだ。学院の生徒達は危険なのか、それとも安全なのか」
 「危険です」
 「―――まぁ、現実ババルンが聖地を占領してる訳じゃしの。危険は危険か」
 アウラの疑問に一言で即答したアマギリ。ラシャラもそりゃそうだろうと頷く。

 「それだけじゃなくてさ」

 しかしアマギリは、更に嫌そうに続けた。
 「ガイアの性質を考えるに、本当に危険なんだよ、聖地に居る連中は」
 「ガイアの性質―――、破壊か」
 ダグマイアが眉根を寄せて反応する。アマギリも苦虫を噛み潰した顔で首肯する。
 「ガイアの性質は破壊。”全ての破壊”だ。そして今の聖地には全てが揃っている。ガイアの本体。ガイアの聖機師。―――そして、失われたガイアの体の代わりとなる体」
 「体? ガイアは破壊不能だった核ともいうべき部分だけを残され解体されたと言っていたな。―――まさか、聖機人で代用可能なのか?」
 「いいや、現代の聖機人ではガイアの本体が保有する膨大なエナに耐え切れないで崩壊してしまう筈だ」
 動かすくらいは出来るかもしれないが、完全な力の行使は不可能だろうとアウラの質問にアマギリは答えた。
 「と言うと……」
 他に代替品があるのかとアウラが頭を悩ませたところで、ラシャラがポツリとつぶやいた。

 「―――鉄屑、じゃな」

 頭部も、コアも、片足すら失われている、しかし先史文明に製造された聖機神に違いないそれ。
 「皮肉な話だよね。かつてガイアを滅ぼした聖機神が、今度はガイア自身となるんだからさ」
 「あの聖機神、そういう曰くがあったのじゃな」
 「いままでの話を総合すると、いずれは修復し剣士にでも使わせるつもりだったかもしれんな」
 「ガイアが聖地……鉄屑の聖機神もまた、聖地。確か他にも聖機神用の亜法結界炉も発掘されたと聞いたことがある。聖地とは先史文明において決戦場となった場所とでも言うのか?」
 ダグマイアの述べる推察に、アマギリは肩を竦めて応じた。
 「流石にそこまではって感じだけど、まぁ、あの断崖絶壁の隔離された空間ってのはいかにも何かありましたって感じはするよね。―――とにかく、そんな訳であそこにはガイアが再起動するのに必要な全ての要素が揃っている。そして再起動を始めたなら―――やる事は、一つしかない」
 「破壊。―――まずは、聖地から。聖地に居る人間から」
 暗い表情で口元を押さえて、リチアが呟く。
 避け様の無い現実を突きつけられ、絶望感が一気に背筋を駆け上がる。

 準備の時間が足りなかったが故の、見切り発車の救出作戦。
 失敗したらやり直し―――不可能。

 「お客様の安全は私どもが完璧に保障いたします―――なんて言ってられる状況じゃないって事はこれで解ったろ? 死にたくなけりゃ、自分たちで脚の確保くらいはやって貰わないと、ホント、どうしようもないんだわ」
 アマギリが疲れたように椅子に体を預けて、投げ出すように言い放った。
 「ユライト・メストが言うには、ガイア本体の封印は既に解かれているらしい。そして、鉄屑の聖機神は現在ガイアの体となるべく聖地の施設を用いて各部を修復中。こちらに関しても、遅くとも二~三日の間……聖地占拠からこれまでの経過時間を考えれば、実質もう二日無いんだろうな。終了する。そしたらゲームオーバーだ。―――その前に、最低でも聖地に居る全ての人間の……いや、そうじゃなくても良い。皆が助けたいと思っている個人だけでも良いから、救出したい」
 「最悪、親しい人間以外は見捨てろ、と?」
 疲れた老人のような口調で告げるアマギリに、問い質すような視線でアウラが聞く。その意味を察して、リチアが肩を震わせた。
 アマギリは瞼を閉じて椅子に体を預けた体勢のまま―――少しの間を置いた後で、誰にとも無く呟いた。
 
 「僕が助けたいと思っている人間は、ここに居る皆と、王宮へ戻った家族達だけだな」

 だからどうしたと、そんな事を言うつもりは無かったし、今の行動を止めるつもりもアマギリには無かった。
 そして言葉を聞いた誰もがそれを理解していたから、何かを言う事は無かった。
 室内を沈黙が満たす。
 皆がこの、踊らされているような状況を受け入れるために、必要な間だったかもしれない。

 「剣士殿はさ」

 沈黙を破ったのもまた、アマギリだった。
 唐突に、名指しで剣士の名を告げる。
 「はい」
 突然の事にも慌てる事無く、剣士は澄んだ眼で応じた。
 瞼を閉じたままのアマギリの口元が、緩む。

 「剣士殿は、誰を助けたい?」

 その質問に意味があるのか。ある種、残酷な問いかけではないか。問われた少年に視線を集めた少女達は皆そう思った。
 しかし少年は、怯えも恐れの一つも抱かずに、胸に抱くあるがままの自信の気持ちを口にするのだった。

 「皆です」

 一言、それだけ。
 気負いの無い、純粋な言葉だった。
 その一言に込められた意味に気付けない人間は居なかった。
 それ故にその重た過ぎる言葉に、誰しもが言葉を失った。唖然とした、と言っても良い。
 アマギリだけが満足げに頷きながら、瞼を開き、応じた。

 「じゃあ、頑張ろうか」
 
 「はいっ!」






    ※ 何ともこう、受動的なキャラを能動的に動かすのは大変だなぁと思ったり。
      剣士君の真っ直ぐ揺るがなさ具合は実に助かると感じる今日この頃。



[14626] 40-5:聖地攻略作戦・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/24 21:14


 ・Scene 40-5・



 「想像していたよりも艦が少ない……と言うより、バベル以外、居ない?」

 最新の光学探知システム―――と言うか早い話、アマギリが持ち込んだオーバーテクノロジーを利用した望遠カメラを通して映し出された聖地の映像を見て、ダグマイアが眉根を寄せた。
 聖地北端の、先史文明時代の遺跡を整備して形作られた円周に沿って円柱を並べた神殿のようなモニュメントの上に静止した、巨大な塔を思わせる要塞の威容。
 学生達の学び舎である聖地に相応しくない剣呑な空気を撒き散らしているのは確かだったが、しかしいかに巨大な要塞であっても、それ一隻のみで聖地を襲撃したと考えるのは余りに不自然である。
 最初期の報告にすら、ババルン・メストは聖地を”艦隊で”占領したとあったのだから、他に軍艦の姿が一隻も見られないと言うのはおかしい。
 「まさか、バベルだけを残して引き上げた……?」
 「聖機神とガイアをシトレイユ本国に持ち帰ったと言う事かの」
 「それは無いんじゃぁ。聖地の大深度の遺跡にある設備を用いなければ、聖機神の修復なんて不可能ですよ?」
 「じゃあ、罠か何か……」
 他の者達も一様にその光景を不思議に思っているのは同様だった。
 もう一時間も掛からずして、彼らを乗せた装甲列車は聖地を占領したババルン軍の支配領域―――戦闘区域に突入する。
 ただでさえ問題だらけの突撃行軍なので、ここへ来て更に頭を悩ませる問題が持ち上がるのは避けたかった。

 「陽動が上手くいってるって事ですかね」

 頭を抱える少女達の横で、アマギリが一人呑気な―――何処か開き直ったような―――口調で言った。
 アウラが首を捻って尋ねた。
 「―――陽動?」
 「あれ、最初に説明しませんでしたか? 三方向から陽動を仕掛けるって」
 誰も質問してこなかったから解っているものだと思ってたと続けるアマギリに、他の者はそろって何処か遠くを見て思い出そうとする仕草を取る。
 やがて、ラシャラが、あ、と声を上げた。
 「言っておったな、確かに。三方向から陽動をかけ、その間に工作部隊を内部に潜入させると」
 「あー、ああ、言ってましたね。話がいろんな方向に逸れすぎて聞きそびれてました」
 「行動開始までもう時間が無いと言うのに、今更気付くというのが我ながら間抜けと言うべきか……」
 ワウアンリーとアウラが、揃って苦笑を浮かべる。何だかんだで結局、頭脳労働はアマギリ辺りにやらせておけば”大体”問題が無いと考える事が当たり前になっていた。
 「それで、陽動と言うのは?」
 少し雑すぎる思考を改めないとと思い直し、アウラは改めて尋ねる。
 「ええ、対シトレイユ最前線に位置するハヴォニワ第三軍団から部隊を抽出、敵軍の陽動、誘引目的でシトレイユ国内の北の関所へと進軍させました」
 「なんと。―――越境させおったか」
 ラシャラは驚き目を見開く。
 シトレイユ、ババルン軍が直接ハヴォニワに戦闘を仕掛けたと言う状況では”まだ”無かったから、形の上ではハヴォニワが先に攻撃を仕掛けたと言う形になってしまう。
 「まぁ、シトレイユは王も宰相も不在の上、議会も行政府も停止して無政府状態ですからね。ぶっちゃけ多少の無茶は後で幾らでも揉み潰せますし」
 「―――妾の前でそれを言うのか、従兄殿よ」
 国境侵犯に関して少しの気まずさも見せないアマギリの態度に、ラシャラが額に汗を浮かべた。
 現実問題として、ババルンに中枢を完璧に押さえられている以上シトレイユへ帰還する訳にも行かず―――ついでに言えば、アマギリもラシャラを帰す気は無いだろう。また何時もの無茶をしおってと、諦めて嘆息する以外ラシャラに出来ることは無かった。
 アマギリは従妹の態度に少しだけ楽しそうに笑った後で、すぐさま表情を冷徹な面に変えて、説明を続けた。
 「航空艦隊及び攻城兵器を使用した地上からの攻撃を敢行して―――まぁ、詳しいトコは別に良いですか。女王陛下の花押入りで”相手が本気にならざるを得ないほど全力でやれ”って命令しておきましたから、頑張ってくれてるんじゃないですか?」
 「何時の間にそんなものを……」
 「昨晩リチアさんとの時間を削ってね、頑張ってお仕事ですよ」
 「何を言ってるのよアンタは!!」
 アウラの問いに肩を竦めて返すアマギリに、リチアが頬を染めて突っ込む。
 因みに花押入りの便箋は、フローラが王宮へと引き上げる前に幾らか融通してもらったものを利用していたりする。好きに使って良いと言われていたので、こういう状況と言う事もあって、容赦なく活用して強権を振り回していた。
 
 「例によって無茶をして北の関所に陽動を仕掛けたのは理解したが―――後は、この装甲列車による攻撃だけだろう。最後の一つは何処だ?」

 アウラが何となく嫌な予感を覚えつつ尋ねた。関所は北。列車は東。後は南と西が残っていたが―――西はシトレイユ国内であり、しかも喫水外の高地であった。
 「まぁ、当然北で仕掛けたなら南でもやりますよね」
 「……やはりか」
 あっさりと嫌な予感を肯定したアマギリに、アウラはげんなりとした顔を作った。
 「流石のフローラ女王のご威光も、我が父王には通じるとは思えんのだが……どうやってシュリフォン軍を動かしたんだ? ―――と言うかまさか、シュリフォンにまでハヴォニワの軍を進めたりはしていないだろうな?」
 下手すればハヴォニワとシュリフォンで戦争になるだろうと、嫌な気分で問うアウラに、アマギリも流石にそれは無いと苦笑しながら首を振った。
 そのまま種明かしを始める。
 「僕の名前でシュリフォン王陛下に手紙を出しました。”関所に攻撃してください”って。―――状況から考える限り、シュリフォン王も快く願いを聞き届けてくれたみたいですね。いや、良かった良かった」
 「―――棒読みですよ、最後」
 「と言うか、アンタが命令じゃなくてお願いって時点で怪しさが爆発なんだけど……」
 半眼で突っ込むワウアンリーに続き、リチアまで眦を寄せて呟いた。しかしアマギリは自信たっぷりに笑みを浮かべたままだった。

 「嫌だなぁ。本当にお願いしただけさ。ただ最後に一文、”関所に攻撃を仕掛けない場合お宅の娘さんの生命の安全は保障しない”って書き添えただけだよ」

 「性質悪過ぎるじゃないですか!! っていうか脅迫ですよ脅迫!」
 「昔、困った時には手段を選ぶなって偉い人に言われたんだよ」
 「更に困った展開になりますって、後で! 絶対に!!」
 「その頃には僕、実権失ってるだろうしなぁ」
 「後始末は人任せな訳ね……」
 ワウアンリーの突っ込みに面倒そうに反応するアマギリの態度に、リチアが溜め息を漏らす。
 シュリフォンの王女であるアウラは苦笑するのみだった。
 「まぁ、良いのではないか? ガイアの問題はそもそもハヴォニワ一国で片付けるような問題でもないからな。父王とて、後で事情を説明すれば納得もするだろうさ。―――そのときアマギリがどんな目に合うかは保障できないが」
 「明日が怖くて今日は生きられませんよ」
 あえて軽い発言を返している背後に、責任問題に発展したら甘んじて受ける意思がこの男にはあるのだと言うことを、アウラは誤解しなかった。可能な限りの弁護に回ろうと覚悟を決める。元より、聖地攻めは最早彼一人の意思によるものではないのだから。
 それが面に出ていたのか、アマギリは微妙にむずがゆい気分になったので、気持ちを切り替えるように宣言した。
 「とにかく、そういう事情もあって陽動作戦は成功していると言っても良い。あとは、この列車によるバベルへの砲撃を隠れ蓑に工作部隊を突入させるだけって訳だ」
 納得してくれたかなと、アマギリが芝居がかった仕草で周りを見渡すと、剣士が元気良くてをあげた。
 「ハイ、先生! 質問です!」
 「はい剣士殿。―――って、別に起立しなくて良いから」
 本当に教師の質問に答えるように立ち上がった剣士に苦笑しながら座るように促し、アマギリは尋ねる。

 「ハイ。―――それで、誰が聖地の中に忍び込むんですか?」

 「……ああ」
 「そういえば、決めていなかったな。いや、私は自分が行くものだと既に認識していたのだが」
 瞬きして頷いたアマギリの横で、アウラがそんな風に言うと、他の者たちも続いた。
 「あたしも、多分行けって言われるんだろうなって思ってました」
 「私は行くわよ。聖地内部については私が一番詳しいでしょうし」
 「妾は元より員数外じゃしのぅ。ここで旗でも振らせてもらうわ」
 ワウアンリーとリチアは行くと言い、対してラシャラは行かないとはっきり言い切った。
 アマギリはそんな少女たちの様子を見て何を思ったのか、一秒の間瞼を閉じた後で、溜め息混じりに言った。
 「まぁ、概ねそんな感じかな。後は勿論、剣士殿。皆の事ちゃんと助けてあげてね?」
 「頑張ります!」
 軽い口調に本気の願いを聞き取って、剣士は力強くアマギリに頷いた。アマギリも剣士の肯定の言葉を聞けて漸く安心したように微笑を浮かべる。

 「私も行かせてもらうぞ」

 しかし、その微笑も一瞬で終わった。
 ダグマイア・メストが、腕を組んで瞼を閉じたまま、そう宣言したのだ。
 「……ダグマイア」
 これまで、ダグマイアの方にだけ意識を向けて沈黙を保っていたキャイアが、ポツリと呟いた。
 一人だけ向いている方向が違うなと、キャイアの方に一瞬だけ視線を送って思った後で、アマギリは面倒くさそうにダグマイアに告げた。
 「却下」
 「―――何故だ」
 眦を寄せて不満を顕にしたダグマイアにアマギリは肩を竦めて応じる。
 「キミみたいなイノシシをこんな繊細な判断が必要になる前線になんて送れるわけ無いだろ? 自分の得意不得意ぐらい、いい加減理解してくれよ、頼むから。―――キミの場合、人材や兵站関連の確保は得意かもしれないけど、戦場ではこらえ性もなくて直ぐ前へ出たがるし、怖くて使えないって」
 
 ガタン。

 椅子の倒れる音。それよりも早く―――叫び声。
 「いい加減にしろ!」
 割れ鐘のような―――甲高い、少女の激昂する叫び。

 「アマギリ・ナナダン! 前から前から、ずっと前から聞いていれば、あんたどれだけダグマイアの尊厳を踏みにじれば気が済むのよ! 自分の言葉が人をどれだけ傷つけるのか、少しは考えなさい!!」

 一息で―――これまで、口を閉ざしていた鬱憤もあったのだろうか。怒りの形相そのままを示すように、激しい言葉をアマギリに叩きつける。
 アマギリはキャイアの言葉を―――怒りを受けて、一つ頷いた。
 
 彼女の気持ちは解る。
 だが、解るからといって聞いていられる状況ではないし、完璧な主観だけの気分をぶつけられるような状況じゃない事を、是非理解してもらいたかった。
 だからこそアマギリも何処まで行っても好きになれないダグマイアを引っ張ってきたのだし、ダグマイアとて、居るだけで不和を呼ぶと解っていながらも、此処にこうして着いてきたのだから。
 両者納得済みで、本格的な対立を避けるために牽制球ばかりを投げ合っているのだから、直球勝負に至らざるを得ない言葉を投げ込むのは是非止めていただきたかった。
 
 チラリとラシャラに視線を送る。
 目礼のようなものが送られてきた。迷惑かけて申し訳ないと言うつもりなのか、それともお前が悪いと言いたいのか。とにかく解る事は、アマギリに場を納める事を期待しているらしかった。
 他の者達に視線を送っても皆気まずそうに明後日の方向を見たり唇を歪ませたりしていたから、やはり、一応状況を発生させる原因となる言葉を言ったアマギリ自身が解決しなければならないらしい。

 アマギリはそっと誰にもわからぬように嘆息した後、ゆっくりと口を開いた。
 
 「それはつまり、例え真実そう思っていたとしても、口にしなければ問題が無いと、そう言いたいのか?」

 アマギリが、言の葉を音に乗せるよりも先に。

 「―――え?」

 「役立たずには何も伝えず、誤解させたまま影で笑えば良いと、キャイア、君はそう言いたいのだな?」

 その言葉は。暗く沈んだその言葉は、アマギリではない、別の少年によるものだった。
 「ダグマイア……、私は、そんな」
 震える声で首を横に振り、キャイアはうろたえて狼狽しながらも、自身が庇った筈の少年に言い訳を―――言い訳なのだ、これは。

 「キミのその目が昔から嫌いだった。何時だって私の言葉を肯定していた時のキミは、言葉に詰まって微笑んでいた時のキミのその目は、私の言を”不可能”だと見下しているように感じられたから」

 吐き捨てるようにもたらされた、その真実は残酷だ。
 彼のためを思って―――そのつもりで、それが真実、彼を一番傷つけていた。
 それを今日まで知らなかったのは、彼の言葉を遮る事を今日の今まで、一度もした事が無かった。否、今もそう。否定しなかったから、否定された。 
 「……あ」
 瞳から涙が零れ落ちた事にすら、キャイアは気付かなかった。
 断罪を告げるダグマイアが自身から視線を外していくのが、ぼやけて霞む。それを不思議に思っただけ。
 
 「アマギリ。どうしても駄目か? 例え向き不向きを指摘されようと、私は聖機師としての自らを見出したいのだ」
 「泣き落とししようと思っても、駄目なものは、駄目。キミは居残り。そもそも初めからその予定だって伝えておいたろ? ―――恨むなら、精々自分の力不足を恨むんだね」
 女の子にあたってなんか居ないでさと、皮肉気に笑うアマギリに、ダグマイアも激昂の一つもせず―――絶対に怒らない筈がないと思ったのに―――無念そうに顔を歪めるだけだった。
 「その忌々しいほどに他者の言葉を聞かず揺れない在り様。―――私がお前に勝てない理由が、これか」
 「そういう一々芝居がかった物言いしてる自意識過剰な部分が、勝てる勝負を負けさせる遠因なんだよ。……ったく、選択間違えたなこりゃ。これも自業自得なのか? ―――ええい、とにかく、そう言う訳で剣士殿以外はシトレイユ組は居残り。突入対の皆さんはそろそろ準備に―――」

 「ハイ、先生」

 典型的な修羅場、否、愁嘆場か。それを振り切るように皮肉を言い合う男たちと、空気に圧倒されて言葉に詰まる少女たち。
 強引に纏めに入ろうとしたアマギリを、剣士の変わらぬ澄んだ声が遮った。
 「何かな、剣士殿。―――ああ、起立しなくて良いから」
 不自然にアルカイックな笑みを浮かべて座るように促すアマギリに、いえ、と首を横に振って剣士は立ち上がった。
 ビシッと気を付けしながら、宣言する。

 「キャイアを潜入部隊の一員に推薦します!」





 

    ※ 修羅場モード突入中(文字通りの意味で)。

      ホント、剣士君の存在に救われてるってばよ……



[14626] 40-6:聖地攻略作戦・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/25 20:27


 ・Scene 40-6・



 下階層に機関部を置いた、管制室を兼ねている装甲列車の先頭車両。

 壁面に沿って配置された管制官達の席から一段高い所に位置している、指揮官席。
 そこに座る男。何の因果か、通信妨害の只中に置かれたハヴォニワに於いて一時的に実権を握る形になり―――そしてこうして、国外へ出征すら開始してしまったアマギリは、難しい顔で壁面全域を覆う巨大モニターを睨んでいた。
 無論、その原因は職責の重さ故の苦悩ではない。
 アマギリの顔を苦悩に歪めている原因は、ただモニターの向こうに映る笑顔の少年の姿故であった。
 額に手をやり苦々しげな顔を隠そうともしないアマギリとは対照的に、モニターの向こうに映る少年の表情は健全なそれだ。普段の快活さそのままに、今はそこに少しの生真面目さをアクセントに加えていた。

 柾木剣士。

 樹雷の皇子―――だと、少なくともアマギリはそう理解している少年。
 恐らくは現樹雷皇阿主沙か、もしくは皇太子遙照と皇女阿重霞との間に出来た息子であろう。
 それに相応しい威風を備え、いかにも柾木の人間らしい奔放さも存分にある。
 よほど精神が陰性に拠っていない限り、その少年を嫌悪する事は難しいだろう。そもそも樹雷の血に連なる人間は、柾木家の人間のありように憧憬を覚えている節があった。
 思い込みが激しく、自身の思考から自縄自縛に陥りやすい性質のある天木の眷属ともなれば、尚更だ。
 それに加え、アマギリは個人として樹雷皇室を尊崇していたから、その血に連なる剣士の行動を制限しようなどと大それた事は思えない。
 今こうして行われている自身の行動に協力を求める時も、あくまで剣士の自主判断に任せた要請に過ぎないものだったし、断られた場合は素直に諦めるつもりだった。

 そして今、剣士がそうと望んだ以上、アマギリは彼の行動を咎める事は出来なかった。

 「―――何度も繰り返すようで悪いけど、本当に平気?」
 モニターに映る剣士に向かって、アマギリは改めてそう問いかける。質問と言うよりは、懇願に近く、当然求めている言葉は”平気ではない”と言う一言のみだった。
 しかし剣士は、少しだけ困ったように微笑んだ後で、キリリと表情を真剣なものにして答えるのだった。
 『大丈夫です。俺、頑張りますから―――任せてください!』
 「……大丈夫、か」
 チラリと剣士の横に視線を滑らせながら―――そこで俯き沈む少女に視線を送りながら、アマギリは難しい顔を崩す事無く呟く。
 『はい、大丈夫ですよ。だからアマギリ様はこう、え~っと、そう、宝船にでも乗った気分でどっしり構えていてください』
 「それを言うなら、大船じゃろうが……」
 アマギリの横に貴賓用の椅子を運び込んで座っていたラシャラが、苦笑交じりに呟いた。
 その背後に、まるで護衛の聖機師のように後ろ手を組んで立っていたダグマイアが、つまらなそうに鼻を鳴らす。
 
 忌々しいな。

 アマギリは率直な気分でそう思っていた。
 安穏と構えていられる二人―――特に片方は、元より此処に呼ぶ気も無かったのだから、一人苦悩するアマギリからすれば、その態度は忌々しいの一言で括れてしまう。八つ当たりに近いと解っていても、そう思うのを止められない。
 そして一度そういう気分になると、際限なく周りの何もかもが煩わしいものに思えてきていけない。
 剣士が映るモニターとは別のモニターに映し出された外の様子、聖地の端に屹立する巨大要塞バベルの威容も、装甲列車の振動音も、内線を通して連結する車両とやり取りしているオペレーターたちの忙しない声も、何もかも、自身を呪う呪詛の響きのように思えてくる。

 ―――上手く行かない時と言うのは、こういうものかもしれないな。

 漠然と、そんな風に思う。
 初手から躓き、望まぬ一手を打たされるがままこんな場所まで来てしまって―――調子が乗らない時と言うのは、何もかもが上手く行かない。
 発達した―――持て余した―――直観力による”嫌な予感”は依然として抜けない。
 故に、最悪の事態が起きる可能性は非常に高いのだが、しかしアマギリには、何を持って最悪の事態と呼ぶのかが判断がつかないのだ。
 たかが限定領域内でしか動く事もままならない二足歩行の機動兵器が起動しかかっている程度を、それほど不安に思っているのかと、自身の内面に疑問を持たずには居られない。
 剣士が、つまり未熟な見習いであるアマギリと違い完成した樹雷の闘士である剣士が参加してくれると言う時点で、人質、アマギリが―――アマギリが大切だと思う人が大切だと思う人たちの救出はほぼ確実に成功する事は約束されたようなものだ。
 人質が救出できるのなら、後はカビの生えた鉄屑など幾らでも対処のし様がある。

 ―――それなのに何故、不安が消えないのか。

 やはり、剣士の座る快速艇の操縦席の隣の補助席に腰掛ける少女が原因なのだろうか。

 キャイア・フラン。

 ラシャラの近侍たる聖機師であるが、アマギリ自身はイマイチ評価しかねる不安定さを覚えていた。
 能力的には王族の近侍に命じられるに見合うだけの力量は持っている事は否定しようが無いのだが―――性格的に合わない。
 直情的なのは良い。アマギリ自身とて直感で動く事が殆どだからだ。
 だが、はっきりと言ってしまえば”趣味”が理解できない。行動原理の核とも言うべき判断基準が、まるで狙ったようにアマギリの趣味ではないものばかりだったから、どうしても彼にはキャイアの事を素直に評価する事が出来なかった。
 尤も、アマギリも自分の趣味が悪い事は理解していたので、キャイアの趣味を糾弾するつもりなど無いが。
 故にアマギリがキャイアと気付きたい関係は一言、”無関係”である。
 関わらず、お互いの精神安定を考慮して可能な限り距離を置いて過したいと考えているのだが―――何の運命の悪戯か、彼と彼女が関わる誰も彼もが、彼と彼女の双方に関わりがあったものだから笑いの一つも沸いてこない。
 そしてアマギリがキャイアの趣味が悪いと思っているのと同様に、キャイアもアマギリの趣味が悪いと考えていたから後は悪循環である。
 些細な事から大きなことまで、あらゆることで互いの思惑に反発を覚えて、―――それでもこれまでは、何とか折り合いをつけてやってきたのだが、此処に来てこういう場面が訪れる。
 
 神聖にして侵すべからず―――等とそこまで言うつもりは無いが、アマギリにとっては崇め奉るに過分無い存在の傍に、行動原理にまるで信用が置けない少女、それも最悪なコンディションのそれを置かねばならない状況が、訪れた。
 アマギリの気分としては、目上の人間を自分の面倒に巻き込んでしまった上、自分の不始末―――望まぬとは言え状況を配置したのはアマギリであるから、そう言って問題ないだろう―――を押し付けてしまったような申し訳ない気分で一杯である。

 できる事なら代わりたいのだが―――生憎と、そう言う訳にも行かない。

 剣士自身が行く事を既に望んでいる事も元より、アマギリにも、やるべき事があるからだ。

 『大丈夫ですよ』
 眦を寄せるアマギリに、モニターの向こうで剣士が言った。強くは無い、しかし力のある言葉だった。
 外していた視線を戻し、再び異世界人同士、向かい合う。
 『俺、頑張りますから、大丈夫です』
 繰り返し、アマギリを安心させるように言葉を重ねる剣士。
 やると言った、平気といっているのだから、それを疑うなど恐れ多い事だ。それはアマギリが誰よりも良く理解している。

 だからこそ。

 「心配なんか、していないさ」

 ”頑張らなければ大丈夫じゃない”、そんな状況は。

 「そっちの事はよろしく頼むよ」

 不安以外の、何ものでもないのだ。

 『ハイッ。アマギリ様こそ、気を付けて下さいね』

 力ない笑顔の裏に隠された気持ちに気付いていたのだろう、剣士は殊更アマギリの言葉に力強く頷いてから、内線を切った。
 モニターがブラックアウトし、そして何事も無かったかのように両隣のモニターと同様に外の風景を映し出す。
 木々の向こうに見えていた古代の円塔を思わせるバベルの姿が、今や目に見えて近づいている。
 当然、バベルの側でもこの装甲列車の存在は既に感知しているだろう。塔のあちこちから、覗き窓を思わせる四角い穴が開き、その奥から砲門がせり出してくるのが見えた。こちらと同様に戦闘準備中、と言う訳だ。

 「ひき返してぇなぁ……」
 「……このタイミングで、お主がそれを言うか」
 思考が漏れ出してしまった呟きを聞きとがめたラシャラが、呆れたように応じた。
 「それほどキャイアの事が信用ならぬか?」
 「あの死んだ魚のような様を見せられれば、信用しようと言うのが無理だと思うが」
 アマギリが返答するよりも先に、ダグマイアが口を挟んでいた。
 誰のせいでそうなったのかと突っ込み待ちでもしているのかとアマギリは考えたので、何も言わなかった。
 「誰のせいでそうなったと思っておる」
 案の定、ラシャラが反応していた。アマギリは、どうせダグマイアは調子に乗るだけだから止めたほうが良いのにと内心思ったが、面倒だったので口を挟まない。
 「では何か? 私は常にキャイアの望む通りに取り繕った生き方をしていろと? どれほどの屈辱であろうと仮面を被り続けろと?」
 「そうは言わぬし、それは返ってキャイアを傷つけるじゃろう。単純に時と場合を弁えろと言うておるのじゃ」
 「言う機会を与えられたから言ったまでだ。そもそも貴様等の都合など私が知った事ではない。私は私の目的があって此処にいるに過ぎないのだからな」
 ただ、何となくラシャラの存在により放棄したプランの一つを実行したくなった。口にも顔にも出す事は無いが。
 
 「キャイアさんの事は心配して無いさ。心配なんかするはずが無いだろう? 剣士殿が自ら面倒を見るって言ったんだから、キャイアさんは平気さ」

 いらつくばかりの思考を振り払うように、ラシャラ達の不毛な良い争いを全く聞かなかったことにして、アマギリは一方的に言い切った。
 そう、キャイアは平気だ。アマギリにとっては疑いようも無い事実だ。
 樹雷の闘士が自ら手を上げて面倒を見ると宣言したのだから、例えどんな砲火の下であってもキャイアの絶対の安全は保障されるだろう。
 
 「―――だけど、キャイアさんの安全の分だけ、本来他に振り分けられる筈だったリソースが減ってしまったのなら、どうする。……いや、そうじゃない。他を減らして一人に注力するなんてやり方、あの方が選べる筈が無い。なら、本来以上の負担を背負わせてしまったこの状況は……」

 嫌な予感は何処まで言っても消えはしない。
 考えれば考えるほどに、どうしようもない不安が訪れる。
 恐れを抱けぬ眼前の敵とは対照的に、不安の種は内側に芽生え根を張っていく。

 「―――殿下」
 
 オペレーターの一人が、端末から振り返りアマギリに向かって声を掛けてきた。
 隣の席で繰り広げられていたラシャラとダグマイアの実りの無いやり取りもいつの間にか止んで、気付けば、管制室に居る誰も彼もが指揮官席に座るアマギリの事を見ていた。
 瞬きをして視線を上げると、正面モニターの隅に表示された戦域図が、装甲列車が交戦可能エリアに入った事を報せていた。

 撃てば届く。恐らくは、どちらからも。
 半ばインチキ混じりの技術力の差ゆえ、恐らくはこちらの攻撃が先に届くから―――その利点を失わぬためにも、行動に躊躇いを持つことは許されない。
 
 撃ってしまえば引き返しようも―――なんて、撃たなくても引き返せるわけも無いだろう。

 アマギリに”剣士の行動”を妨げる事は出来ないのだから。
 助けたい人たちを助けに行くと言った彼を、止める権利をアマギリは持ち合わせていない。
 それ故に、最早アマギリが内心どれほどの不安を抱いていようと、始めるしかないのだ。

 「全砲門開け。照準はバベル―――聖地構造物にはなるべく落とさないように注意しろよ。特に港湾施設には絶対に中てるな。それから、距離が届いたらすぐに打ち込めるようにアンカーの用意しておけ。墳進弾はその後だ。―――カタパルトはまだ開けるな、鴨撃ちにされるぞ」

 「了解。全砲列車両砲門展開。照準はバベルで固定。アンカー射出機、エネルギー充填開始します」

 「―――いよいよか」
 「父上……」
 復唱するオペレーターの言葉の脇で、シトレイユの二人の緊張にみちた声が聞こえる。
 「楽しそうで良いね、キミ等」
 思わず洩れてしまった要らない感想に、案の定ラシャラが嫌そうな顔を浮かべた。
 「―――どんな皮肉じゃ、それは」
 「本音からの言葉だよ」
 「尚更皮肉ではないか」
 肩を竦めるアマギリに、ダグマイアが鼻を鳴らして言葉を返す。
 案外立場を抜きにすれば、ラシャラとダグマイアは”合う”のではないかと、アマギリは言葉に出さずに思った。
 
 ―――尤もキャイアの存在がそれを不可能にするのだろうが。

 「照準固定完了しました。いけます」

 他所の家の事情など興味半分で気にするのは詮無い事だと、厭味混じりの思考を脳の片隅に追いやり、アマギリはオペレーターの言葉に頷き、立ち上がった。
 片手を腰に、もう片手をモニターの向こうのバベルを握りつぶさんが如く広げ、示し、そして強い口調で言い放つ。

 「砲撃開始! 趣味の悪い円柱など崖下に蹴倒してやれ!!」

 復唱の言葉と共に連結した砲列車両から振動が伝わってくる。
 複数の砲火の奇跡が、映像の向こうのバベルへと向かって伸びていく。

 「初弾、弾着確認! 照準良好!」
 「全車両照準補整情報連結。統制射撃準備準備よろし!」
 「敵砲門、稼動を確認―――発砲してきました!!」

 戦いのための幾つもの言葉が、管制室に重なり響く。
 焦りと興奮、怯えと歓喜と―――即ち、鬱屈した空気を払い戦場の空気が室内を満たしていく。
 それに少しの心地よさと、消せぬ不安に怯えを抱きながら、アマギリは立ち尽くしたままモニターの向こう、花火のように閃光を瞬かせるバベルを睨む。

 ―――此処に、第一次聖地攻略作戦の火蓋が切って落とされた。


 ・Scene 40:End・





    ※ 漸く戦闘に突入。
      ―――当初は39の説明回が終わったらすぐにドンパチが出来ると思ってたんですが、いやはや、伸びる伸びる。
      そろそろ派手に動いてくれる……かなー。
      



[14626] 41-1:鷹は羽ばたいた・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/26 20:44



 ・Scene 42-1・


 快速艇。

 文字通り、快適な速度で空を飛ぶ船である。
 ジェミナー由来の技術でもって制作された同サイズの小型貨物船の平均飛行速度の数倍の速度で飛翔可能であり、普通に考えれば”高速”艇とでも言うのが相応しいのだろうが、製作者であるアマギリにとってはこの世界の船は遅すぎて、自身の設計、制作したこの船で漸く快適と言えなくも無い飛行速度と呼べるらしい。
 製作者によって適当に命名されたその小型の貨物船は、ジェミナーでは良く見られる、海に浮かべる艦船をそのまま空に浮かべたような外観とは一線を画した構造をしている。
 通常の艦船であれば船体下部、局面で構成された外殻に沿って航行、姿勢制御も兼ねる重力制御リングを設置し、それをそのまま船の推進力とすると言う造りとなるのが一般的だ。
 しかし、この快速艇は見た目からして異様である。
 製作者曰く、三筒連結型の貨物航宙船をたたき台にして制作したらしいその外観は、魚の頭を思わせる操縦席から真っ直ぐ後方に伸びる魚の骨のような胴体と、その尾部に設置されたコンテナ保持用のアームからなる。
 胴体下部に一機の聖機人のコクーンを保持できるように円形の保持腕が大小三つ備わっており、それがそのまま機体を浮かせる重力制御リングを兼ねる。
 そしてその重力制御リングがそのまま推力を生む―――訳ではなく、細長い本体の上部に二つの円筒形の物体―――熱核タービンエンジンなる冗談を形にしたような産物が据付けられており、それが推進力を生み出す。

 二本の筒を括りつけた細長い棒の両端に頭と尾びれをつけて、ついでに下に卵を抱える。

 明らかに空力を無視した構造であるが、発生する慣性の中和や姿勢制御及び方向転換に関しては全て重力制御リングによって行われると言う無茶な構造である。
 日頃、亜法技術は胡散臭いと言って憚らない割りに、都合よく便利な所だけは利用している辺り、設計者の意地の悪い性格がよく出ている。

 「そういえば、船の性能を説明していた時は随分と楽しそうだったな」
 「殿下もアレで、相当マッドですからねー」

 四月の頭ごろに初めて快速艇を見た日の事を思い出して呟いたアウラに、船体後部に保持したコンテナのハッチを開いて機工人を搬入していたワウアンリーが答えた。
 装甲列車後部、貨物室を改造したカタパルトデッキ。発射体制に入れば壁面が全開となって快速艇を乗せている電磁レールが外に向かって回転、進捗する仕組みとなっているのだが、今現在は壁は閉じられたままで、作業灯の薄明かりが明滅する何処か陰鬱な気分を呼び起こす空間だった。
 突入部隊に配置される事となったアウラは、ワウアンリー、そしてリチアと共に船体後部の貨物コンテナの中で待機する事となっている。
 そもそもこの船自体が”とりあえず作ってみた”的な物体なので、前部の操縦席も、メインの操縦席に予備の補助席一席のみと非常に狭い。ギリギリ二人座るのが限界と言う粗雑な作りであり―――何より、率先してアウラは操縦席の側に乗りたいとは思えなかった。
 後部コンテナの前に居るアウラには角度的に伺う事が出来ない操縦席には、剣士と、そしてキャイアが座る事となった。
 既に乗り込んでいる二人が今どのような状況なのか、考えるべき事ではないというのに、色々と想像せざるを得ない。
 
 ―――悪い予感しか、浮かばないから。

 「良くないな」
 自身の言葉に微苦笑を浮かべて、アウラは首を払うように振った。
 悪い予感とは得てして悪い現実を引き寄せるものだと、自らの思考を強引に振り払おうとする。
 「―――キャイアさんたちの事?」
 しかし、壁際の椅子に腰掛けていたリチアが、その言葉を拾ってしまった。
 振り返りその表情を伺えば、何処かアウラと似たようなものだったから、考える事は一緒だったとそういう事なのだろう。
 「気にならないほうが、嘘ですよねぇ」
 一つ高い位置にある機工人の操縦席から降り立ったワウアンリーが、やはり苦笑いを浮かべていった。
 機工人はコンテナの中で確りと固定済みだった。一先ずは準備完了と言う事らしい。
 
 何時でも、戦場へと向かえると言う訳だ。
 
 ―――だと言うのに、会話の内容は殆ど休み時間に教室の片隅で繰り広げられるようなゴシップトークに近いものだったから、少女達の顔には苦笑いしか浮かんでこない。
 「些か趣味の悪い、しかし楽しいには違いない会話となる場面なのだろうが、今後を考えると流石に、な」
 男女の不和がもたらした心の迷いを戦場に持ち込む可能性が高いというのだから、笑い話ばかりでは済まされないとアウラは苦い顔で言った。
 「アマギリは野生動物に任せておけって言ってたけど……」
 平気なのかしらと、色々と情報の整理が終わったお陰で精神状態が通常に復帰し始めていたリチアが、不安顔になる。
 「殿下の剣士への信頼って、割と半端無い感じがありますしねー」
 「ああ、あからさまに目上の人間を立てるような態度をとるな、確かに」
 やれやれと首を振るワウアンリーに、アウラも確かにと頷く。リチアが眉根を寄せて呟いた。

 「結局、アマギリとあの野生動物ってどういう関係なのかしら?」

 思い出してみれば、アマギリは初めから剣士に対して謙るような態度を示していた。
 そもそも、同級生、ほぼ同格といって差し支えないダグマイアに対してでさえ”君”付けしかしない男が、表向きはただの使用人に過ぎない剣士に対しては常に―――周りの目を憚る事無く―――”殿”と敬称をつけて呼びかける。
 ただの使用人に対して外聞を気にせずに王家の人間が敬称をつけて呼びかけていれば要らぬ不審を呼ぶことは確実で、それが解らないアマギリでもないだろう。
 それが剣士の秘めた真実―――異世界人と言う真実を明かしてしまう一端になりかねないと言うのに、アマギリは剣士に対して敬意を示すのを止め様としない。
 そもそも、アマギリが本気の敬意を向ける相手が居ると言うことそれ自体が、リチアにしてみれば驚愕の真実とも言えた。

 「少なくとも、お互い顔見知りと言う訳では無さそうだがな」
 初対面の二人の様子を思い出して、アウラは言った。
 「親戚か、それに近い関係なのだろうが……ヤツの態度からして、剣士の方が立場が上の家と言う事なのか?」
 「の割には、礼儀作法に関してはアマギリの方がしっかりしてないかしら」
 アマギリの宮廷儀礼は、日頃の何処隠棲的な面からは意外なほど洗練されたものだった。剣士も作法自体は一通り納めているようだったが、本人の性根によるものか、何処か背伸びをした庶民染みた空気が滲み出ている。
 二人を並べて、どちらが”偉そう”に見えるかといえば、自然とそういう空気を纏っているアマギリの方を指し示す人間が多いだろう。
 顔も見た目も、背格好自体は、二人とも似たり寄ったりのジェミナーでは庶民に選り分けられるような容姿だったが。

 「そういうの、本人に聞いた方が早いですよきっと」

 首を捻る二人の上級生達に、ワウアンリーは簡潔にそんな事を言った。
 「一応自分の雇い主の事なのに、同でも良さ気ね?」
 「あの雇い主と一緒に居ると、それこそ一々解らない事を悩んでも仕方ないって割り切らないとやってられないですから」
 リチアの言葉に、雇い主の真似のつもりなのか肩を竦めてワウアンリーは応じた。
 そのに合わない態度にアウラは苦笑しながら言う。
 「しかし、ヤツに直接聞いたところでどうせ何時もどおり”覚えてない”ではぐらかされる事になると思うんだが?」
 「あはは、アウラ様とリチア様なら、お願いすれば全部話してくれると思いますよ」
 あたしは無理でしょうがと笑いながら言うワウアンリーに、リチアは眦を寄せた。
 「―――でも確か、あいつアレで一応記憶喪失みたいなものでしょう? 野生動物との関係なんてあからさまに過去に係わり合いがありそうなこと、あいつ自分でも覚えてないんじゃないの」
 冷静に思い起こせば”アマギリ・ナナダン”と言う彼の名前とて本名ではないのだ。
 覚えていた単語を組み合わせて自分でつけた名前を、更にフローラ女王が適当に練り合わせてつけた名前だと、何時だかアマギリ自身が笑いながら言っていた事をリチアは思い出す。
 しかし、ワウアンリーはその言葉にきょとんと目を丸くした。

 「そんな事無いですって、だってあの人……」

 「あの人?」
 途中で言葉をやめたワウアンリーに、アウラが眉根を寄せて尋ねる。しかし、ワウアンリーは瞼を閉じて数度息を吐いた後、首を横に振った。
 「いえ、何でもないです。とにかく、お二方は気になるんだったら殿下に直接尋ねてみるのが良いと思いますよ」
 明後日の方向を見て苦笑いをし、これで終わりとばかりに言い切るワウアンリーの態度に、アウラは何か感じる所が合ったらしい。なるほどと頷いて微苦笑を浮かべた。
 「―――それにしても、ワウは落ち着いているな」
 あからさまな話題の転換だったが、ワウアンリーとしてはありがたい気分だったのでそれに乗った。
 「何がですか?」
 「余り良い状況とも言えないだろうに、慌てている様子も見えん」
 チラ、と操縦席の方を見やりながら言うアウラに、ワウアンリーも同様に視線を動かした後で頷いて応じた。
 
 「信頼しする事にしてますから」

 「―――野生動物を……じゃ、無いわよね話の流れ的に。と言うか、あの野生動物も、その……こういう話題? に関して力を発揮できるとは思えないし」
 純朴な人の良い少年である事はリチアも疑う事は無かったが、その純朴すぎる部分があるからこそ、こういう泥沼の男女関係から滲み出た問題を解決する事が可能とはどうしても思えなかった。
 「それはあたしもそう思いますけど―――でも、剣士に任せておけばキャイアさんは平気だと思いますよ、ホント」
 絶対に。リチアの気持ちに賛同しながらも、ワウアンリーは持論を曲げなかった。
 「何故言い切れる? ―――正直、今回ばかりはヤツも人選をミスした気がするんだが」
 言葉の端に、実際は言いたい事は解っているがと言う気分を乗せながらも、直接ワウアンリーの口からそれが聞ければ面白いだろうなと言う思いから、アウラはあえて解りやすい言葉で尋ねた。
 ワウアンリーは手品の種が明かされてる事を察していたが、それでも自信たっぷりに応じた。


 「あたしはあの人に身請けされた立場ですもの。主人を信頼しない筈がないでしょう?」


 ―――予想以上に面白い言葉が出てきたな、と言うのがアウラの感想で、脇で聞いていたリチアは頭が真っ白になっていた。

 「……みうけ?」

 「固まってるな」
 「固まってますねー。予想通りですけど」
 呆然と呟くリチアを眺めながら、ワウアンリーとアウラはしみじみと言った。
 ワウアンリーの言葉に自覚的な意味を確認したアウラは、好奇心を抑えることが出来なかった。
 「それで”身請け”などと言う単語は何処から出てくるんだ? 信頼関係にある主従であるのは前から解っていた事だが、流石にそういう言葉で括る関係とは違っただろう」
 
 身請け、と言うのは一般的な用法で言えば事情があって娼館等に送られた女性を、客が金を払って、その稼業を止めさせて引き取る行為を意味する。
 引き取った女性はそのまま妻や妾に据える事が殆どだから、その言葉を引用する男女の関係は艶やかな物と思えるのが当然だろう。

 しかし、アウラの見ている限りではアマギリとワウアンリーの主従関係は良好では合ったが、そう言った部分が含まれているようには見えなかった。
 尤も、アウラの経験地不足のせいでそういう風に見えなかっただけで実際は……と言う可能性も否定できなかったが。
 「いえいえいえ、こう見えても清い体が売りですから、あたし」
 そんな考えが出てしまっていたのか、ワウアンリーが苦笑して首を横に振った。
 「正解は、コレです」
 ワウアンリーは作業着の裏ポケットから一冊の手帳を引き出して、アウラに見せた。因みに、リチアは固まりっぱなしで反応が無かった。多分、正気に戻ったら会話の内容を忘れていると思われる。
 「―――生徒手帳か?」
 出されたものは聖地学院の生徒が所持する生徒手帳だった。無論、今この場に手元には無いがアウラも保有している。
 しかしそれが”身請け”などと言う単語と何の関わりがあるのかと言えば―――その疑問に応じるかのように、ワウアンリーは手帳の皮製のカバーの折込に挟まれていた一枚の便箋を取り出してアウラに手渡した。
 「これは……自由れんあ―――なにぃ?」
 四つ折にされていたそれを開き、アウラは書かれた内容を長し読み、そして驚愕の表情を浮かべた。
 
 自由恋愛許可書。

 箇条書きに幾つ物条項が記されたその便箋の主題ともいえる一行目に、堂々とその文言は刻まれていた。
 つまりその意味は読んで字の如くである。
 本来義務が課せられて恋愛の自由もままならない女性聖機師に対して、その義務を免除して行動の自由を認めるものである。
 「……実在するんだな」
 アウラは呆然とした口調で呟いた。
 そういうものが存在する、と言うのはアウラも聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。
 幾つもの目覚しい功績を上げた聖機師に所属国家が教会の承認を受けて発行する”事もある”ついでにそこに”らしい”と付け加えねばなら無いほど、一種都市伝説に謳われるような存在なのである。
 そもそも発行の条件からして矛盾していて、功績を上げるような優秀な聖機師に国家が自由を認めるはずも無く、功績を上げればその分だけ恋愛―――その果てにある婚姻、出産は厳然と管理されるようになる。
 だからと言って特に目立った功績を上げる事も無い一般の聖機師にわざわざ労力を払ってまで与えるような書面ではなく、それ故にこの証書は幻の存在に成り果てていた。
 書面の最後には、ハヴォニワ王家と教会の証印が押されており、この書類が本物であろう事を告げている。
 「手配したのは、やはり……」
 「そりゃ勿論、殿下ですよ」
 ワウアンリーは困ったように笑って頷いた。
 「まぁ、ヤツらしいと言えばそうか……」
 フローラ女王がわざわざ自分から用意するようなものとも思えなかったから、アマギリが時に無駄なほどに発揮される気遣いで用意したものなのだろう。
 見える部分では傍若無人に振る舞い、見えない部分にばかり気を回す。その辺り実にアマギリらしい。気遣われる側が意図してない部分にまで気遣って見せるのは、時に重荷になると気付かない辺りが特に。
 「しかしこの書面は……同じ女性聖機師としては、羨ましいと言う部分なの……か?」
 ワウアンリーの顔と手渡された便箋を交互にみながら微妙な顔で首を捻るアウラに、ワウアンリーも曖昧な表情を浮かべる。
 彼女達は果たすべき義務を当然のように受け入れる立場にあったが、だからといって自由な恋愛と言うものに心惹かれない訳ではない。
 リチアの百面相を見てたまに羨ましいと感じる部分も、彼女達には当然存在していた。
 だからこの書類を受け取れたのならば、それは望外の幸運を手にしたと同じ―――筈なのだが。 

 やはり、素直に喜べない部分があるらしい。

 「その心は?」
 解らない事は悩む前に尋ねた方が早いと、明らかに何処かの男に毒された理論でもって尋ねるアウラに、同じように毒され気味のワウアンリーも頷いて応じた。

 「あたしってば、殿下の御傍付きなんですよね」

 「だからこそのコレではないのか?」
 ワウアンリーの言葉に便箋を指で叩きながらアウラは首を捻る。ワウアンリーはアウラの疑問に更に深く頷いた。
 そこにあったのは諦念交じりで、少しの照れも混じったような笑みだった。
 慈愛に満ちている、と表現しても良かった。 

 「だからそれなんです。殿下―――アマギリ・ナナダン、ハヴォニワの皇子、そして男性聖機師が、自身の従者に手ずから用意した”自由恋愛許可証”を手渡す。自身の従者に女性聖機師としての妊娠、出産の義務の免除を与えたんです。―――周りから見たら、どう見えると思いますか?」

 「―――ああ」
 アウラはぼうっとした顔で頷いてしまった。
 考えれば当然の話だ。王族が自身の近侍に義務の放棄を”命じる”。
 即ちそれは、男性聖機師と交わる機会を奪うと言う見かたも出来る―――そう、”自分以外の”男性聖機師と交わる事を禁じるとも。
 
 寵愛し、独占しようとしている。

 そう見えるだろう。

 「なるほど、身請けされたようなものだな、確かに」
 アウラは得心入ったと、苦笑した。
 「そういう部分に気付かない辺りが、あの人も異世界人なんだなーって思い出させてくれるトコではあるんですけどねー」
 ワウアンリーはアウラの手から取り戻した便箋を丁寧にたたんだ後で生徒手帳に挟みなおして、胸ポケットのうちに恭しい手つきでしまい込んだ。
 しまった後で、ぽんと胸元を撫でた後、ワウアンリーは笑った。
 「そんな訳なんで、あたしは今後一生、殿下のモノとして生きる以外に道は無いですから。―――唯一絶対の主様のやる事ですから、信頼して上げないと、ね?」
 長い付き合いになりそうですしねと、困ったように笑うその目に、まるで嫌そうな素振りが見えない事はアウラにとっては以外でもあったし、納得が行くものでもあった。
 ワウアンリーにとってアマギリは唯一の男―――アマギリはまるで意図していない事なのだろうが、厳然たる事実である。
 そもそもこの主従は何だかんだで相性が良いから、ワウアンリーにしてみればそれを受け入れる事も吝かではないと言う事なのだろう。嫌々というよりも楽しんだ方がマシと言う、現実的ながらも楽観的なワウアンリーの気質にも拠る所が大きいだろうが。
 「しかしそれと全肯定するというのも何か違くないか?」
 「別に全肯定なんてしませんよぉ。でもホラ、あの格好付けが素直に甘えたトコ見せるのってあたしの前だけですし、それは他の人にはない―――些か有り難味には欠けますけど、貴重な特権みたいなものですから。―――良い女を自認するあたしとしては、こう言う時は広い度量で寄りかからせてあげようかなーって前から決めてたんで」

 あの人、甘えたがりの割りに人に甘えるの下手な人ですから。

 固まったままのリチアに悪戯っ子のような視線を送りながら、ワウアンリーは言った。
 
 「ですからあたしとしては、殿下が剣士の裁量に任せるって我侭言った時点で、キャイアさんのことに関してはもう終わった話題ですから」

 その結果がどういう状況になろうと、是として受け入れる用意があるとワウアンリーは言い切った。
 身内を危機に巻き込むような行動は取らないと言うアマギリの性質を信じているからこその言葉でもある。

 ある意味、もうずっと前からリチア以上にアマギリに近い位置にワウアンリーは居たのだと、今更ながらにアウラは気付いた。そして恐ろしい事に、アマギリがそれを当然と受け取って―――その意味に気付いていない、気付かせていないのだ。
 
 「見ていて飽きないな、あの男は」

 気付けばアウラはそんな風に言って苦笑しているのだった。
 「周りばっかり見ていて、見られている自分に無自覚ですからね、あの人」
 「ああ、確かに。一歩引いてるつもりなのか知らんが、自分が輪の一員で居るという自覚に欠けているところがあるな」
 剣士が主役。
 アマギリはそんな風に評していた。
 しかし、その男を中心に出来上がった歪で賑やかな、誰も彼もが好き勝手な方向を向いているような、輪とも言えない輪を、一歩離れて観察しているアウラから言わせてもらえば―――。

 「名付けて”異世界の龍機師物語”、と言った所だな」

 それが、正解。

 正答を祝す号砲の如く、貨物室に今までにない振動が走った。
 線路を鉄輪が軋ませる音ではない、横に揺れる、強い反動と轟音を伴う振動。
 砲撃の音。
 「―――始まったか」
 真剣な顔で呟くアウラに、ワウアンリーも頷いた。
 「みたい、ですね。まずは撃ちあいからですけど……リチア様、そろそろ起こしましょうか」
 雑談の時間も遂に終わり、戦いがこれより始まるのだ。連続して響く砲火の響きは、少女達に否応なくそれを実感させた。

 始まるのだ。戦いが。

 物語が。

 誰の?

 それは―――勿論。






     ※ 最近かなりじめっとした展開が続いていたので、箸休め的に。
       本人の居ない所じゃないと出来ない本音トークみたいな、もしくは内助の功。
       ……と言うか無自覚に自分の墓場行きの切符を切りまくっている現実ががが。



[14626] 41-2:鷹は羽ばたいた・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/27 20:53
  

  
 ・Scene 41-2・




 「ハイッ。アマギリ様こそ、気を付けて下さいね」

 その一言を最後に、剣士は手元のパネルを操作して管制室との通信を終えた。
 狭い、居住性を全く考慮されていない快速艇の操縦席のクッションの全く効いていない背もたれに体を預けて、一つ息を吐く。
 アマギリと話す時、剣士は何時も胸のうちの何処かで少しの緊張感を抱いていた。
 苦手でもなく、ましてや嫌っている訳でもないのだが、どうしてもアマギリの、ジェミナーで出会った人々とは明らかに違う、自身に近い人種的特長を備えた姿を見ていると、故郷の親戚達の姿を思い起こさせる。
 剣士の知る範囲において親戚―――宇宙の果てに住まう親戚達は皆、彼にとっては絶対的上位者とも言える祖父ですら自身を下において相対するような人々ばかりだった。
 ようするに、目上の人間を相手にするような気分になるのだ。
 そしてそんな上の立場に居る人間が、今は剣士の身を一心に案じていた事も尚更緊張感を助長させる。
 
 これから剣士達は、砲弾の雨を掻い潜り悪漢に占領された聖地へと潜入しなければならない。

 危険な作戦だとアマギリは言った。

 それは嘘だなと剣士は正しく理解していた。

 アマギリの目が、危険は殆どないと語っていた事に気付いたからだ。
 状況もそれを肯定していた。アマギリが、彼が大切だと思っている人間達をこの作戦に参加させていたからだ。
 自分の大切な人間にはひたすら苦労をかけないように注力するのが、アマギリ・ナナダンと言う人間の本質だと剣士は理解していたから、本当に危険すぎる作戦ならば彼が大切な女性達を作戦に参加させる訳がない。
 万全とは言えないまでも、次善程度には安全性を考慮した作戦になっている筈なのだ。それでもアマギリは女性達が心配で―――ラシャラ曰くの、”過保護”と言うヤツだろう―――剣士を保険として一緒に向かわせる事にしたのだ。
 
 だから、危険があるとすれば、むしろアマギリの方なのだろうと、剣士は正しく理解していた。

 大切な女性達を”安全のために”遠ざけねばならないほどに、危険な事をするつもりなのだ、彼は。
 状況を整理すればそれが何であるか、幾つかの答えが導き出されるが、そのどれもが正解のようであり、間違っているようでもあった。
 剣士は、無理にその正解を追い求める気も無い。
 剣士はただ男として、見込まれて頼まれた役目を果たす事だけを考えるべきだと、正しく理解している。

 アマギリにも危険はあるだろうけど、それは乗り越えられない危険ではない筈だから。

 危機を乗り越え再会となったとき、女性達に傷の一つでもつけてしまっていたら―――想像するに恐ろしい。
 そんな笑みも浮かんできそうな想像と共に―――言い知れぬ不安を覚えているのも、事実。
 
 剣士達には危険はそれほど無い筈なのだ。

 それなのにアマギリは、この期に及んでも躊躇いを覚えるほどの不安を感じていたことに、剣士は気付いていた。
 その意味が理解できない。剣士が把握できる以内の状況設定では、真面目にやれば乗り越えられない筈も無い試練に思えていたから。
 「……それでも、頑張るしかないんだ」
 湧き上がる不安を押し消すように、剣士は小さく呟いた。
 やると決めた。守りたい大切な人たち皆を、守るんだと既に心に決めていたから。
 頑張る。可能な限り。

 男子が一度決意した事ならば、最後まで貫き通しなさい。

 故郷の姉達の教えを改めて胸に刻みながら、もう一度大きく息を吐く。
 初志貫徹。―――故にまず、剣士がやらねばならない事は。

 「アマギリ様ってさ、結構、心配性だよね」
 
 とりあえずと言う気分で、はははと笑いながら隣に座る少女に話しかけてみた。
 反応が無かった。
 笑いが空笑いになりそうだった。心のどこかでそれも当然だなと思える程度には、剣士も常識を弁えていたが。
 剣士の座る窮屈な操縦席の隣に設置された更にこじんまりとした補助席に座っているのは、俯き伏せる少女である。
 キャイア・フラン。
 剣士にとってはこちらに来てから親しくなった、姉のような存在でもある。
 剣士が守りたいと思う大切な人の一人で―――しかしキャイアは今、日頃の快活さは成りを潜めて落ち込み沈んでいた。
 どうにかしたいと思う一心で、剣士は彼女を自身の傍に引きずり込んだ。
 アマギリは難色を示していたようだが、剣士には譲れない部分だった。
 剣士”は”キャイアも守りたいのだ。だから、最終的にアマギリが折れてくれた事は剣士にとって僥倖だった。周りの人間に言わせれば剣士は人が良過ぎると言われる所だろうが、アマギリにとっても自身の大切な人たちの安全が脅かされかねない事態だったのだからと理解していたから、剣士は譲ってくれたアマギリに素直に感謝している。

 感謝しているからこそ―――早急に、この状況は改善すべきだと剣士は思っている。

 落ち込んでいるキャイアなんて見たくないと言う単純な思いからもあったし、このままの状況で先の予想の付かない作戦を始めるのは不安だったからだ。
 しかし困った事に、剣士自身は未だ経験したことの無い分野が原因で落ち込んでいるキャイアを、一体どうやって元気付ければ良いのか、彼には皆目見当が付かない。
 何しろ複雑な問題で、きっと時間が解決してくれるのを待つしかないと言うのが正しい理解の仕方なのだろうが―――剣士は諦めるつもりは無かった。

 方法を考えよう。キャイアを元気付けるために。

 決意して思いつくのは、例えば言葉巧みに思考を誘導して―――そんな、アマギリでもあるまいし剣士には無理だ。
 では、張り倒して無理やり叩き起こして―――女の子を相手に、何を考えているのか。
 考えれば考えるほどに、出来る事が無いように思えてきて、剣士も沈みたくなってくる。
 
 何も無い。きっと何も出来なくて―――自分で何とかしなければいけない問題なんだろうって、剣士も気付いている。
 
 でも、何かしたいのだと剣士は思った。

 きっとキャイアにとっても迷惑と思われるかもしれなかったが、剣士は彼女に何かしてあげたくて―――そして、気付いた。

 「さっきのキャイアと同じだ」

 「―――え?」
 思わず思考から洩れてしまった剣士の言葉は、俯き己の内に篭るキャイアにも届いてしまったらしい。
 自信の名前があったことに反応したのだろう、キャイアが、胡乱な視線を剣士に向けていた。
 「あ、……っと―――その」
 心を何処かに置き忘れてきたような、そんな暗い瞳が、剣士にはたまらなく嫌な物だったから、今さっき気付いたばかりの現実すら、剣士は放棄してキャイアに言葉をかけていた。

 気を引いて、引き戻さないと。瞬間的に考えられた事がそれだけだったのだ。

 ―――ああ、よく考えればこれも、さっきの状況と同じなんだ。
 そう思いつつも止められない。相手の気持ちよりも”相手を思う自分の気持ち”を優先してしまうのは―――良いのか、悪いのか。
 それは受けての気持ち次第、なのだろう。
 一方的に思いを押し付けて、その結末は相手任せなのだから、きっと度し難い真似をしているに違いないと剣士は正しく理解した。
 でも、止めない。
 そうしたいから、そうするべきだと思っていたから、剣士は口を開いた。


 「えっと、キャイアも、ダグマイア様も―――後、俺もアマギリ様も、皆似てるんだなぁって」


 「―――はぁ?」
 浮かび上がった感情は、不愉快、不機嫌、理解不能。概ねそのようなものだった。 
 元々思考が混沌としていて、ともすれば今の状況どころか、自分が何故この場所に居るのかすら忘れかけていたせいでもある。
 キャイアは、言葉の後に漸く見えてきた周囲の景色に多少の混乱を覚えながら、間抜けな返事を剣士に返していた。
 随分と近い位置に座っていた―――と言うか、自身がかなり貧相な椅子に座らされていた事にキャイアはこの時初めて気付いた―――剣士は、困ったように笑みを浮かべながらキャイアの様子を伺っていた。
 気まずい、と言うか怒られるかもしれない、とでも思っているかのようであったから、キャイアは状況も弁えずに条件反射とも言うべき日常の延長の態度を取っていた。
 「アンタ今、何ていったの?」
 強気な口調で、問いかける。剣士とキャイアの、日常的な力関係そのままを示すものである。
 問われた剣士は一瞬言葉に詰まった後で、もじもじと言いづらそうにしながらも、言った。
 「だから、その……キャイアとダグマイア様って似てるかなぁって」
 「はぁ?」
 言われた言葉、そして返した言葉も、先ほどの焼き直しだった。
 先の時は更に余計な一言二言が付け足されていたような気がするが、何となくキャイアは精神衛生上を考えれば追求しないほうが良いんじゃないかと思えた。これ以上最悪な気分にはなりたくなかったのだ。
 
 それよりも、だ。

 「―――私と、ダグマイアが似ている?」
 たまに理解できない所がある剣士の思考だったが、今回はそれに輪をかけて理解できない内容をのたまってくれた。
 と、言うよりも今のキャイアを見てダグマイアの名前を平然と出せる辺り、やはり空気が読めないのではないのかコイツはと思えてしまう。
 大体言葉の内容すら受け入れがたい。
 
 自分勝手な気持ちを押し付けて結果として大切だと思っていた人を傷つけてしまったキャイア。
 自身の本心を押し隠し、ずっと澱のように負の感情を沈殿させざるを得なかったダグマイア。

 何も気付いていなかった少女と、気付いていたからこそ許せなかった少年。

 似てなどいない。相対するものだ。

 ひょっとして、日頃趣味―――水晶採取―――を妨害されている恨みを晴らすために、遠まわしに厭味でも言われたのだろうか。
 陰性の思考でそんな風に思ってしまう自分が嫌になりそうだった。剣士にそんな器用な真似が出来る筈が無いと知っているだろうに。
 「私とダグマイアが似ているわけないでしょう?」
 考えるのも億劫だという態度で、キャイアは吐き捨てるように答えていた。機嫌が悪い、話しかけるなと言う気分を全身で示していたつもりなのだが、剣士はそれでも言葉を返すことを止めてくれなかった。
 「そんなこと無いって、似てるよ」
 「―――似てない」
 「似てるって」
 「似てない」
 「似てる」

 「似てないって言ってるでしょう!!」

 どれだけ怒気を込めた言葉でも、珍しくひくことの無かった剣士に、気付けばキャイアは握りこぶしをキャノピーとなっている強化硝子に叩きつけながら叫んでいた。かなりの力を込めて拳を叩きつけたのに、アマギリ謹製の超々硬化テクタイト製のキャノピーには皹一つ入らなかった事実が、また忌々しかった。
 上手く行かない時は何も上手く行かない。物に当り散らしたところで、それすら失敗するのだと嘲笑われている気分だ。
 
 「でも―――似てると思ったんだ、俺。キャイアもダグマイア様も、俺もアマギリ様も、皆」

 しかし剣士は、キャイアがどれだけ激情に駆られているかも理解しているだろうに、それでも言葉を重ねた。
 不器用なりに誠意を見せようとしている―――そういう事なのだろうか。
 それは今のキャイアにはまるで望まぬ気遣いで―――そう思ってしまったから、キャイアは気づく事があった。

 望まれぬ気遣い―――その果てが。

 キャイアはダグマイアの気持ちに気付けなかった。
 それはキャイアが気付こうとしなかったのと同等に、ダグマイアがキャイアに気付かせないようにしていたという事実が原因でもあるのだ。
 キャイアが気付こうとしなかったのは自分の想いを優先するため。
 ダグマイアが気付かせようとしなかったのもまた、自身の思いを優先するため。
 どちらも、自分の想いばかりを優先して、相手の気持ちなどまるで考慮していない。
 考慮しているのであれば、”ずっと嫌いだった”なんて言葉をはっきりと言い切れる訳も無いと、それでもまだダグマイアの事を庇いたいと思ってしまうキャイアですら、理解できる。

 そういう意味で捉えれば似ているだろう、実際。
 
 剣士の今の余計な気遣いも、いけ好かないアマギリ・ナナダンが時に意外なほどに思えるほどの気遣いを見せる事も、全部が全部、相手の気持ちを考えずに自分の気持ちばかりを優先する行為だ。
 しかし一方的な気遣いも、受け止める側の気分次第で良し悪しは別れるだろう。
 キャイアは、剣士の気遣いに―――受け止めたくなかった現実を受け止めようと思わせてくれた事を、感謝を思えた。
 でもダグマイアは、キャイアの想いを受け入れる事を拒んだ。拒絶した―――違う、否定したのだ。
 受け止めて、拒んでくれたのならば救いも合っただろう。でもダグマイアは、その想いそのものの存在すら、否定してしまった。
 向き合う事すら否定されてしまえば、心の置き場など何処にも無くなってしまうと言うのに。

 「どうして、上手く行かないのかしらね」

 「頑張っても上手く行かない時って、あるよ」

 でも、頑張る事を止められないんだ。
 想いが届かない事はきっと何処かで理解していたけれど。

 「好きだったのは……本当なのに」
 「うん。キャイアはダグマイア様のこと、好きだったと思うよ」

 自嘲気味に零れる言葉。静かに頷く剣士の言葉が、キャイアの疲弊した心には嬉しかった。

 「あいつ昔から一人で考え込んでる事が多かったから、私だけでも味方で居たいなぁって」
 「うん。その気持ちはきっと伝わってたと思う」

 だからこそ、受け入れがたい事もあるけれど。
 ダグマイアが男で、キャイアは女だったから。
 
 「プライド高いヤツでさ。ずっと隠れて、必死で努力してたんだ。でもそれも全部出来て当たり前だとか言われてるのを見て、私だけは、努力を知っているんだって、知ってあげられてるんだって……」
 「うん。ダグマイア様は、キャイアの気持ちちゃんと解ってたよ」

 だからこそ耐えられなかったのだけど。
 努力を無様なものと思っていたから、知られたくなかったのだ。

 「全部、余計な事だったって事かしら……」
 「―――……」
 
 返答は無かった。
 明確な答えが既にキャイアの中に用意されていたからだろう。
 はっきりと言い切って欲しいと言う思いがあったのは事実だが、この優しい少年にそんな重荷を背負わせられるほど、キャイアは落ちぶれていなかった。

 「ごめん」
 「良いよ」

 小さく呟く言葉に、確りとした返答があった。

 「俺はキャイアが良いやつだって、ちゃんと他人の気持ちを考えてくれるやつだって知ってるから」

 それは何の慰めにもならに言葉で、言われたほうも、言った側も、きっとそれは解っていた。
 解っていたからこそ―――その気遣いがキャイアには泣きたくなりそうなほどに嬉しかった。
 
 きっとキャイアの気持ちはダグマイアには重荷で、余計な気遣いだっただろうけど―――それでも、その気持ちはダグマイアの事を想う事から出たものだと、そう思えたから。
 
 だからキャイアは言えた。

 「―――ありがとう」

 その一言を。少しだけの救いを覚えたことに感謝を込めて。
 それに剣士が頷いてくれた事が嬉しくて―――ダグマイアは頷いてくれなかったんだなと理解できて。

 寂寥感は抜けず、それでも、前は向けそうだった。





    ※ からっと一気に日本晴れ、みたいな展開も考えたんですけど、そんなに軽い問題でもないかと、
     ギリギリ雲間から日が差してきたくらいに。

      下げ止まったんだから、後は上がるだけ―――の、筈。     



[14626] 41-3:鷹は羽ばたいた・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/28 20:51


 ・Scene 41-3・





 「本来、バベルの運用利点と言うものは、船体の九割九分を喫水外へと排出していると言う、その特異な形状にある」

 幾つかの断続的な振動音。統制され、一定の間隔に沿って響くその振動を乱すように、不定期に何か硬いものを撃ちつけられたかのような忌諱したい揺れが襲い掛かる。

 「亜法振動の対策も兼ねて幾重にも装甲を張り巡らせた、重力制御リングのある強固な底面部には並みの砲撃では傷つける事適わず、本体―――屹立した塔の部分は、喫水外にあるが故に、攻撃手段は限られる」

 縦揺れ、明滅するモニター。そして、天井の梁から人の手では落とせない塵が舞い落ちてくる。
 
 「砲撃で崩すのが難しいのであれば―――やはり、弱点である底部の重力制御リングを直接攻撃により狙うのが選択肢として正しいのだろうが、しかして全方位死角無しのバベルの砲門群を掻い潜り底部重力制御リングまで到達する事は難しい」

 「第十一番砲等沈黙! 外縁第三回路、予備に切り替えました!」
 「後部動力車に損傷! 運行速度96%に低下しました!」
 「敵要塞、再び砲撃正面を変更、―――破壊した砲門の一部が修復されています!!」
 
 「―――まさしく、シトレイユの誇る難攻不落の要塞と言うわけじゃな。尤も、本来であればバベルの前に艦隊と聖機人を押し立ててこその絶対防衛線の構築となるのじゃから、バベル単独で正面激突と言うのはいかにも片手落ちなのじゃが……」
 
 「―――オッサン、真面目に戦争する気が無いんだろ? あんな陽動にあっさり引っかかってくれるんだから」
 指揮官席の肘掛にゆったりと体重を預けていたアマギリは、今正に正面から火線を定めあっている空中要塞バベルの説明を語っていたラシャラに、彼女の背後にいたダグマイアのほうを身ながら返事をした。
 案の定と言うべきか、ダグマイアは憎憎しげに眉を顰めた。
 「私は知らんぞ」
 「―――知ってるよ」
 肩を竦め視線を外部映像を映す正面モニターに戻すアマギリの耳に、歯軋りをするダグマイアと、ラシャラの微苦笑する音が伝わった。
 「それにしても、叔母上肝いりの装甲列車も中々やるの。線路の上を走りながらこの威力の砲撃を―――しかも、喫水外で行えるとは」
 「射撃の反動はあらかた重力制御リングで打ち消してるからね。亜法の反則ぶりも、実際便利は便利だよ。明らかにエネルギー保存の法則に反してる」
 ラシャラの賞賛の言葉にアマギリは嘆息する。
 普通―――彼の、つまり銀河文明に於ける標準的な―――方法を用いて同様の事を行おうと思えば、それ相応のエネルギーが必要になってくる。しかしこのジェミナーのエナを用いた亜法結界式を応用する事により、かかるエネルギーの大半をカットできるのだから、まともな気分ではやってられなかった。
 「じゃなきゃ、あんな小型の反応炉なんか簡単に作れる訳無いもんなぁ……。軽巡クラスの出力を戦車に搭載可能とかチートにも程があるだろ」
 所詮は極地的な環境で無いと使えない技術と言うのは理解できるのだが、こんな技術にならされてしまえばまともな文明の発達など当然阻害されるだろうとも思う。
 いやむしろ、文明の発達を阻害したくなる人の気持ちが、実際アマギリにはよく理解できていた。
 ちょっと知識のある異世界人がほんの少し”ハメ”を外しただけでこの様なんだから、世界規模で制限無しの技術開発を促進なんてしようものなら、それこそ先史文明の二の舞だろう。

 必死こいて―――人質なんてものまで利用してその芽を阻止しようとする気持ちは、大変よく理解できる。

 「理解できるからって、認められない事もあるって訳なんだけど……」
 「この期に及んで侮蔑するか」
 皮肉気な響きを伴ったアマギリの呟きに、ダグマイアが苦い口調で応じていた。
 独り言のつもりだったのだが、ダグマイアには自分が言われたものだと感じたらしい。
 面倒くさい男だなと、アマギリは苦笑交じりに思いつつも、取り合おうとはしなかった。
 その代わりと言う訳ではないが、戦局図を確認しながらゆっくりと指揮官席から立ち上がる。そして一歩進み出て、階下に見える忙しなく戦闘指示を出しているオペレーターたちに尋ねる。
 「そろそろか?」
 「―――はい、間もなくアンカー射程圏内に入ります」
 アマギリの質問に一瞬遅れて、主任オペレーターが返答した。その言葉に、アマギリは満足そうに頷いた後で、背後に振り返って笑みらしきものを形作った。無論、それを受け取った少年はそれが悪魔のような形相に見えたのは当然である。


 「―――それじゃあ、感動の親子のご対面と行こうか」


 「敵装甲列車、沈黙していた貨物車両のうち一機が開口しました!」
 シトレイユが誇る空中要塞バベルの中央戦闘指揮所。そこに座する栄誉を得ていた管制官の一人が、緊張した面持ちで背後の―――円筒形の室内の中央、ひな壇のように競りあがった玉座に座る偉大なる彼等の盟主に進言する。
 厳つい面持ちを歪んだ笑みに変えて、威厳たっぷりに至高の玉座に腰掛けたまま戦況をうかがっていたババルン・メストは、その管制官の言葉に唇の端を吊り上げた。
 「ほう」
 面白そうな声。吐息とさして変わらないようなその呟きだけで、戦闘指揮所に集った人員たちの間には心地よい緊張が走った。
 この指揮所に集う、この要塞に搭乗する、この戦闘に参加する、この決起に参加する全ての人員は、玉座に納まった一人の男の事を等しく崇拝していた。

 彼こそが至尊たる玉座に納まるに相応しい。

 その一心でもって、彼らはこの決起に賛同したのだから。世がこの行為を悪と成そうとも、この行いこそが世界をよき方向へ導くと、この男こそが世界を栄光へと導くのだと、そう固く信じていた。
 男の反応一挙手一投足こそが、それを得られることこそが彼らにとって歓喜に等しい。
 
 ―――尤も、何事にも例外はある。

 「ただの撃ちあいだけで済むとは思いませんでしたが。いかがなさいますか、兄上」
 戦に舞い上がる指揮所の中に、まるで冷静そのままの涼やかな声が響く。玉座のその傍らに立つ、包囲姿の男の声だ。
 その声だけは、盟主に対する尊崇の念が殆ど感じられぬ不遜のものだったが、しかし盟主を奉る管制官達の間には、何故か怒りの一つも沸いていなかった。
 ユライト・メスト。
 盟主ババルンの弟であり、彼だけは唯一、この計画の賛同者ではなく”同盟者”なのである。
 唯一盟主と並び立つ事が許された、盟主のただ一人の盟友。それ故に、ユライトのみはババルンと対等に位置することを許され―――許している。

 「喫水外での撃ち合いもいい加減飽いてきた。―――まずは、あの王子の手並みは意見と行こうではないか」

 主上の意向を図ろうなどと不遜に過ぎる物言いに、しかしババルンもまた、笑んだまま応じるのみだった。

 「王子、ですか? あれはハヴォニワの女王座乗車両でしょう?」
 で、あるならば今撃ちあっている相手は、ハヴォニワ女王フローラ・ナナダンではないのか。ユライトは穏やかな顔で兄に問いかける。定型文をそのまま読んでるかのようなその物言いは、無論のことではあるが本人自身も一片たりとも本気ではない。
 「フローラ女王がハヴォニワ王宮で”掃除”に手間を割かれている事は既に報告を受けている。―――それを見越した上で、あの王子にフリーハンドを与えた事もな。内規の引き締めに忙しいあの女王に、外征を行う余裕などあるまい」
 「ハヴォニワは元々小領の貴族達が集って作られた都市国家群の集合体。一つ火種を投げ入れれば、一気に燃え広がるとは解っていましたが―――あの王子の排除に失敗したのは、些か手抜かりだったかもしれませんね」
 首を横に振り、形ばかりの悔恨の念を示してみせる弟に、ババルンは呵呵と豪快な笑いを浮かべる。
 「良い。異世界の龍などと、残しておいても後の禍根になるだけだ。目前に出てきてくれたほうが潰すに困らぬ。―――ドールを出せるようにしておけ」
 「……使うので?」
 何を、とは出さぬままに、ユライトは目を細めて兄の様子を伺う。
 「あの趣味の悪い鉄の塊も、的にするには丁度よかろう」
 探るような弟の視線を意にも介さず、兄は豪気な態度で答えた。鉄の塊とは、モニターに映る装甲列車の事だろう。
 
 一片たりとも視線を合わせようとしない兄弟のやり取りのさなかにおいても、戦闘は続く。
  
 装甲列車の後尾に連結されていた貨物車を思わせる箱型車両の側面が開口し、内側から砲等ともとはまた違った意匠の物体が競りあがってくる。
 円形のドラムを横に備えた、斜めに延びる細長い杭打ち機のような構造物。
 それが、バベルの方へと尖った先端を向けてきた。その様子を観測していたもの達にとって、次に起こる現象は想像する必要も無かった。

 「発砲―――いや、コレは―――いえ、発砲してきました!」
 
 火花を撒き散らしながら打ち出された杭は、発射台の横に備わっていたドラムロールの中に押し込められていたらしいワイヤーと繋がっており、それを伸ばしながらバベルの壁面へと突き刺さった。
 外部隔壁を打ち破り、その様子を確認する事は不可能だったが―――内部では杭の先端が変形し、内部から亜法式の端末が露出している。それが、バベルの多重装甲の隙間に張り巡らされていた亜法式に接続し、ワイヤーを通して繋がったバベルと装甲列車との間に有線通信を作り上げた。
 一瞬、指揮所の照明、及び全てのシステムが完全に沈黙し、管制官達の間に戦慄が走る。
 それもつかの間、灯りは非常灯に切り替わる事もなく元の照明へと復帰し、管制システムも不備無く再起動を果たした。そもそも、砲撃システムは全く問題なく動作していた。
 
 しかし一つだけ異常が発生した。
 誰の目にも解る事。壁面の大型モニターの一つに、見知らぬ―――この指揮所に似た構造をした空間が映し出されていた。
 二階層をぶち抜いた構造となっている戦闘指揮所。その上階中央に座するのは、一人の少年の姿。

 「これはこれは……」

 その姿を視界に納め、ババルンは楽しげに笑った。
 モニターの向こうでも、それと同様の笑みが浮かんでいる事に、指揮所に集う全ての人間は気付いた。ババルンの威厳を前にして、有り得ざるべき不遜の態度。

 『宰相”陛下”、御機嫌よう』

 「丁寧なご挨拶痛み入るな、アマギリ”陛下”」

 何時ぞやの冗談の都築のようなやり取りから、まずは始まった。
 「代王就任の件、まずはおめでとうと申し上げよう」
 『いえいえ、こちらこそ、貴方のクーデターのご成功に祝辞をのべねばならないでしょう』
 「心にもない事を」
 肩を竦めて戯言を並べるアマギリに、ババルンも楽しそうに応じる。今尚放火を交えている両軍のトップが、心底楽しそうに冗談の応酬を続けている光景は、両方の戦闘指揮所に集った人員たちにしてみれば肝が冷える気分だろう。
 『本心ですよ。―――でも酷いなぁ、誘ってくれれば、私も協力できたのですが』
 『ちょ、オイ、従兄殿!?』
 アマギリの軽妙な口調に、彼の座る玉座の隣に―――まるで、王妃の座るための席のように隣に並べられた椅子に座っていた少女が、泡を食って突っ込んだ。アマギリはそれを肩を竦めるだけで応じる。
 『ははは、男は幾つになっても革命ごっことか好きだからさ。―――ですよね、ババルン卿』
 「そうだな。愚者は生まれた時から愚者であり、死ぬまでそれは変わらぬ」
 『自省の言葉と言うのは、何処で誰から聞かされても耳につまされますね』
 「言ってくれる」

 『……おぬし等、実は本当に仲が良いのか?』

 そこで突っ込みを入れるべき状況でもないだろうに、余りにもリズム良く会話を重ねるババルンとアマギリの態度に我慢ならなかったラシャラが、ついに口を挟んでしまった。
 ババルンが鼻を鳴らして笑った。
 「おや、ラシャラ女王。そちらにいらしたのですか」
 てっきり聖地で身動きが取れないのかと思っていたと笑うババルンに、ラシャラは忌々しそうに眉根を寄せた。
 『お陰さまでな。―――妾が居らぬ間に随分と好き勝手やってくれるではないか、宰相よ』
 「陛下が居らぬ間も常に国家繁栄のために尽くすのが私の仕事です故」
 恭しく―――しかし玉座に腰掛けたまま、ババルンは映像の向こうのラシャラに頭を下げて見せた。
 『抜け抜けと…・・・、国家繁栄じゃと? 貴様がやろうとしていることは、ただの』
 『新国家の建設、ですよね?』
 破壊じゃないかと続けようとしたラシャラの言葉を、アマギリが遮った。
 『従―――!?』
 腰を浮かせて批難の視線を向けてくるラシャラを、アマギリは一睨みで沈黙させる。 
 余計な事を言うんじゃないと、その目がはっきりと告げていた。

 余計な事を言って何も知らない人間の目を覚まさせてやる必要は無い。
 
 知らなかったから、俺は悪くは無いんだと―――あそこで消えていく命の殆どが、きっとそう言う事だろう。
 だが、彼らには知る機会があったのだ。それを知ろうともせず、誰かの言葉に踊らされ、自ら考える事を放棄して―――しかしその結末だけは受け入れられないなど、今更―――そんな、恥知らずな事。

 苛烈なる気性の持ち主である樹雷の鬼姫の薫陶を、アマギリは常に心のうちにとどめていたから。

 出来れば自国民の目を覚まさせてやりたいと思うラシャラと、初めから殲滅すべき敵だと認識しているアマギリとの思惑の違いだろう。
 そして、この場の優先権はアマギリにあった事は、ラシャラも良く理解していたから、それ以上何も言う事が出来なかった。
 滅びに向かって突き進む兵隊達に哀れみを覚えるが、それを止める力も無い。
 ただお情けでこの場に居るだけで、状況に介入する力はラシャラには無いのだ。
 シトレイユの問題は、既に彼女の手を離れ始めている。蚊帳の外。自国なのに―――もう、自国ではないのだと、ラシャラははっきりと理解した。元々独立心の強い少女だったから、一度納得すれば割り切るのも早い物である。
 
 『連綿と続くシトレイユの歴史を、愚かな宰相を任命した事により終わらせたと言うのは―――父王も晩節を汚したの。最早是非もなし。妾はハヴォニワの庇護の下で”シトレイユ公国”なる権利無き国家で余生穏やかに過させてもらうわ。―――宰相よ、貴様等の菩提を弔いながらの』
 『未来の嫁さんもこう言ってくれてる事ですし―――愚者の夢路も此処で終いにさせてもらいますよ、宰相”閣下”』
 気勢の入ったラシャラの言葉に、アマギリも便乗して言葉を重ねた。

 宣戦布告。

 最早総力戦に突入しつつある戦局において、それは遅すぎる宣戦布告に他ならなかった。
 ババルン・メスト。己が―――真実、己のみのための野望に滾るその男は、厳とした態度でそれに受けて立った。

 「ならば我等は後顧の憂い無く進ませてもらおう。立ち塞がるあらゆる要素を排除して。―――それでよろしいかな、王子”殿下”」

 『ええ、勿論。これが閣下の最後のご奉公になるのですから、精々派手な花火を打ち上げる事ですな』

 笑みを向け合い―――にらみ合う。
 一回り以上も歳の離れた、この物語の主演達。対立者達の会話は終わった。
 舞台の端に追いやられた姫君ですら、自ら進んで舞台から降りた。
 後は行動で以って語るのみ。これ以上の会話は無粋。
 
 『―――……父上』

 それゆえ、尚も言葉を重ねようとするのは、壇上で自分の立ち居地すら忘れてしまった哀れな愚者のみだろう。
 ハヴォニワ側、装甲列車の指揮所の、ラシャラの席の背後に立っていた少年が、憔悴しきった顔で言葉を漏らしていた。
 
 ダグマイア・メスト。

 この戦いが新たな時代を切り開くための戦いであったのならば、本来若き先鋒として舞台の中心に立つ筈だった少年である。
 だが今は、会話の応酬に合って一言も口を挟む余地も無いほどに、脇に追いやられていた存在だった。
 「―――ほう?」
 ババルン・メストはこの時初めてその少年の姿を視界に納めたかのように、片眉を上げた。
 「暫く見ないと思っていたが、随分と変わったところに居るではないか」
 驚きを一片も含んでいない、感嘆にも似た吐息混じりの言葉を、ババルンは少年へと放った。
 ダグマイアは、父の視線を受けて怯んだように後ずさった。
 『父上、私は―――っ』
 私は、何だ。
 言おうとした本人にあとの言葉を見つけることは出来ず、そして、請うようなその響きをババルンは歯牙にもかけなかった。
 どちらかと言えば彼の興味は、ダグマイアの言葉が始まってから口を閉ざしているアマギリの方にあった。
 なにやら肘掛を一定リズムで叩いている。
 何をするつもりなのか。ババルンの手元にある端末に表示されるデータから、その一端は見えた。

 後部車両の一部に開口の気配。

 父と子の対話と言う情感たっぷりの空気を意に介さず、戦局を有利に進めようとするその態度には感心する。
 「器が違うという事か。―――まぁ良い、元々はスペアになるかと思って試し程度で作ったに過ぎん。その資格も満たせず、ましてやこの状況ならば最早スペアを用いる事も無かろう。精々好きにせよ」

 どうでも良い話だ。
 ババルンはそれで、息子であったはずの少年から、完全に興味をなくした。
 
 『父う―――』

 ババルンが腕を一振りしただけで、管制官の一人が強制的にい通信を遮断した。
 映像が沈黙し、モニターは外部映像を映し出す。装甲列車の後部の車両の一つから、砲台のようなものがせりあがってきた。
 砲台の上には、先の尖った円柱のようなものが乗っかっている。今度は、ワイヤーは付いていない。
 見覚えの無い、しかしあからさまに”兵器”であると主張するシルエット。
 ジェミナーで戦争に用いられる相手と向かい合い打ち合わせるための”武器”とは違う、まごう事無く、相手を一方的に殲滅するためのみに存在する”兵器”。
 「異世界の龍……手段を選ばぬと言う訳か」
 「我々の認識する異世界人よりも更に隔絶した文明の住人らしいですから。何をしてくるか想像もつきません」
 通信が繋がっている間は黙って脇に控えていたユライトが、ババルンの呟きにそう応じた。
 「何をしてきたところで驚く必要も無い」
 ババルンは暗い響きの篭った弟の言葉を一笑に付したまま、立ち上がり宣言した。 

 「ガイアは既に目覚め、聖機神は大深度地下にて修復は続いている。―――今更何をやろうとも、最早悪足掻きにしかならぬ。翼をもいで蛇の如く地にのた打ち回らせてやれ」

 了解。了解。了解と―――まるで歓声の如く次々と返答の言葉が響く。
 唯一絶対たる主の言葉を受けた指揮所は、熱狂に包まれて突き進む。

 破滅へと。


 ―――その熱気の中。

 ただ一人、感情を凍結していた少女が居た。
 少女は戦場の興奮に包まれる指揮所の端で、一人暗い瞳で立ち尽くしていた。
 居るだけで、居場所が無かったから。

 ―――たった、今までは。

 今は違う。暗い瞳の中、彼女は自身がやるべき事を明確に理解していた。
 何故なら、唯一絶対たる主の存在を、彼女は遂に確認する事が出来たから。
 主ではない男の思惑で使われるのは忌々しいが、それが主のためになるのであれば泥など平気で啜れてしまうのがその少女のありようだった。
 
 それ故に。
 
 少女は、人知れず指揮所から姿を消した。


 



    ※ ババルンさんは昨今と言うかこの21世紀には珍しい古典的な悪役像を持ってらっしゃるので、スケール感を出すのが大変。
      一人で70年代の空気だよね、作品自体は90年代チックだけど。



[14626] 41-4:鷹は羽ばたいた・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/29 20:50


 ・Scene 41-4・



 「父上、待って父上―――……あぁ」

 「通信、途絶します。ワイヤーが物理的に切断されました」
 「アンカーユニット切り離し」
 「了解。アンカーユニット、車外排除します」

 双方の砲撃による振動の続く戦闘指揮所の中で、置き去りにされた少年の力無い声が洩れ伝わる。
 その顔は憔悴に絶望が加わった酷いものだったが、指揮官席の奥と言う立ち居地ゆえか、それとも気を使ってなのか、誰も見ているものは居なかった。
 それが幸か不幸かは解らない。慰めの言葉すら一つも掛からず、結局それが、置き捨てられた自分と言う現実を、ダグマイアにいっそう理解させる事となった。
 彼の唯一の味方とも言える少女の存在には、彼は未だに気付けない。
 気付いてそこに救いが在るのかも、それは誰にも保障できない。
 兎角、今は一先ず役目を終え、消沈したままのダグマイアを於いて、戦闘は激化してゆく。

 「スペアとは、どういう意味じゃと思う?」
 指揮所の命令中枢としての機能を持つ指揮官席と違い、ただそのまま豪華な椅子に過ぎないアマギリの脇に設けられた貴賓席に腰掛けていたラシャラは、バベルとの映像通信が途切れて再び外の様子を映し出したモニターを眺めながら首を捻った。
 問いかけられたアマギリは、玉座について妻でも娶れば、きっとこんな気分なんだろうなぁとくだらない事を思いつつもそれを表に出す事無く、下手を打てば本当に将来の妻になりかねない少女の疑問に応じた。
 「推測だけど、オッサン本人的にも聖機師ではなく聖機工に生まれ変わっちゃったのは不本意だったんじゃないかな。そしてオッサンはユライトと違い今回の復活が初の復活だった。今回限りでガイアを見つけられるとは思って居なかった。だから、将来を見越して―――」
 「聖機師としての新たな肉体を用意しておいたと言う訳か。いずれ今の体から移り変わるために。―――取替え引替え体を変えるなど、確実に人間的な思考ではないな」
 「メスト家は確かに聖機師の血も混じってるらしいけど、こう都合よく男性聖機師が生まれるなんて考え辛いから、恐らくはオッサンの持つ技術で何かしたのかもねぇ。先史文明は聖機師を作り出す事が可能だったんだから、現代では不可能な事であっても、不可能じゃないのかもしれない」
 滔々と非人間的な現実を語るアマギリに、ラシャラも嫌そうな顔で頷いた。
 「―――自在に男性聖機師を作り出す技術か。確立できれば儲かりそうじゃが、現代の社会基盤を崩壊させてしまいそうな諸刃の剣じゃなそれは」
 「過ぎた技術は身を滅ぼすって、ね。奴さんを見てれば良く解るじゃない。―――力に酔いしれてその意味を取り違えた愚図どもが」
 ババルンその人と言うよりも、アマギリにとってはむしろその周りの人間達が忌々しい存在らしい。それは、事実を知り悔い改める機会を奪った事からも明らかだった。
 ラシャラは疼く様な幻痛を心のどこかに抱えながらも、アマギリのその気持ちは否定出来そうになかった。
 「女王の身とあっては、例え反抗勢力と言えど自国の民をそう評されるのは耳が痛いが―――異世界の超文明の技術を振り回しているおぬしに言われるのは、何か釈然とせぬな」
 「いざとなれば躊躇うなって、昔、尊敬する上司に言われたからね」
 「……たまに思うのじゃが、そのフローラ叔母のような過激な思考の持ち主は一体何者なんじゃ」
 状況を忘れて額に汗を浮かべるラシャラに、アマギリは笑って肩を竦めながら立ち上がった。
 「比較対照にするには、ウチの女王陛下じゃ可愛気がありすぎるってだけ答えておこうか。―――さて、気分転換はここまでにして、仕事に移ろう……噴進弾、準備どうか!?」
 強い口調で問いかけられた階下のオペレーターの一人、射撃管制官が、振り向いて頷きを返した。
 「誘導装置異常ありません。発射準備よろし。何時でもいけます!」
 射撃管制官の返事に、アマギリは自信を持った威厳ある態度を作って頷いた。
 「宜しい。大変宜しい。―――それならば、初期段階にも至らぬ文明しか持たぬこの惑星で、地表の上でジタバタと溺れぬように泳ぐ事しか出来ぬ技術を手にした程度で調子に乗っている者達に、文明的な戦争と言うものを教えてやろうじゃないか」
 カツン、ブーツで床を鳴らしながら脚を開いたアマギリは、大きな芝居がかった仕草で手をモニターの向こうに映るバベルに指し示し、そして命じた。

 「ア式噴進誘導弾発射! 目標バベル!! たかが鉄板など撃ち貫け!」

 「了解、噴進弾全弾発射。目標バベル!!」
 主の言葉に高揚した気分そのままに射撃完成の女性オペレーターは強い口調で応じる。
 周りで作業している者たちも、やはり今の言葉で気合が入っていたようだった。
 「―――演説自体は気が入っててよいとは思うのじゃが、言ってる内容がどうにも妾たちまで馬鹿にされているとも取れる内容なのは、気のせいか……?」
 丁度隣に立つ格好になった男を横目に眺めながら、ラシャラが眉根を寄せて呟いた。フローラ選りすぐりの女性オペレーター達には届かなかったが、アマギリには聞こえていた。
 微妙に肩を振るわせつつも、聞かなかったことにしたらしい男に、ラシャラはふいにある疑念を覚えた。

 おかしい。何時ぞやに比べ語尾が明瞭過ぎる。

 ―――この男、もしや。

 自身の思い浮かんだ疑念に、ラシャラは唇の端を歪めた。
 詮無い事。それが事実だったから何かが変わる訳でもあるまいし、こんな場所で本人に尋ねる必要も無い事だったからだ。

 ラシャラの思考の変遷が進む間にも、アマギリの命じたジェミナーには存在しない兵器による攻撃は始まっていた。

 ”対艦ミサイル”。

 誘導装置を備えた、ロケット等を推力に目標に向かって攻撃を行う、推進力の違いはあろうが宇宙空間でも活用されるような軍事兵器である。
 兵器と言えば聖機人、と言う概念が大きく刷り込まれているジェミナーでは絶対にありえない、遠方から一方的に相手を叩き潰す事をコンセプトにした碌でもない兵器と言える。
 片方だけが持っていればロケット推進を用いた超射程による一方的な蹂躙が可能だが、対立する両軍が所持するようになれば見えない場所からの打ち合いと言う泥沼の状況は必至だ。
 無論、初期段階文明以前のジェミナーに持ち込んで良い近代兵器ではなかったのだが、アマギリはあくまで現地文明―――亜法技術の活用の産物、と銀河警察の捜査官辺りに突っ込まれた時には言い張るつもりだった。
 尤も、明らかにアマギリの知る某所に所属すると思われる人間達の関与が見られる星系だったから、銀河警察の手が及ぶとも思えなかったが。
 それはそれで今度は逆に、そういう偉い人たちが怒り出しそうで怖いなと言う発想も沸いて来るのだが、それはもう、此処までこの星の国家間勢力争いに首を突っ込んでしまったため、必要経費と割り切るつもりだった。
 
 いざとなったら―――なんて逃げの発想は、それこそ背中を蹴り飛ばされそうだから出来ないが。

 どうしようもない想像にアマギリが苦笑を浮かべている間に、後部車両から離床した二基のミサイルは、白い尾を引きながら高速でバベルに命中、爆裂した。
 あたった部分に煤けた灰色の粉煙が巻き起こり、それが晴れた頃にはバベルの強固な外殻がボロボロに破壊されている様が映し出された。強引に持ち出した秘匿兵器の上げた成果に、管制室に歓喜の声が上がる。
 しかしアマギリ一人だけは難しい顔をしていた。
 「……あれだけ抉れてもピクリと傾きもしないんだから、重力制御リングってのは大概反則だよなぁ」
 「我が国の誇る鉄壁の要塞を、たかが”大砲六発”でアレだけ傷つけておいて、感想はそれか」
 「いや、本来なら上半分は吹っ飛ぶくらいの爆薬詰めておいたはずなんだけどね。装甲と装甲の間に循環させているエナが熱エネルギーを拡散してるのかな、やっぱ。―――ホント、嫌な現地ルールがあるよこの世界」
 ユニットさえ無事であればどれだけダメージを与えてもその機能は果たす。アレだけの破壊が片面に集中していれば、重量バランスが狂って直ぐに倒壊しそうなものなのだが、バベルはまるで傷の一つも負っていないかのように垂直に屹立したままだった。
 「敵要塞、回転開始しました。攻撃正面を入れ替えるようです!」
 オペレーターの声が示すとおりに、モニターの向こうのバベルは傷ついた側面を反転させてダメージをあまり負っていない部分を装甲列車と対峙させて来た。
 そして、まるで先ほどのダメージが無かったかのように砲撃が再開された。
 
 「―――よし。第二射に合わせて快速艇とコクーンを投げつけろ。煙幕弾の発射も忘れるなよ」

 「このまま砲撃で押しつぶしてからの方が安全では無いのか?」
 「ミサイル、ダミー含めても後ニ射分しか残ってないから。こっちには無い理論で作ってるから、素材の確保が面倒でさ―――それに元々、こっちを脅威だと思わせる陽動のための気分武装だったしね」
 だから威力も抑え目にしてある。
 ラシャラの疑問に、アマギリはコレが予定通りだからと肩を竦める。
 そう、わざわざミサイルなんて冗談も大概にするべき兵器を持ち出したのは、この装甲列車こそを高脅威目標として認識させるためである。アマギリがこの場に居て、ババルンとわざわざ正面から対峙したのだってそのためだ。
 
 快速艇を―――幾つものダミーと共に撃ち出されるそれを、例えその意味に気付かれても追撃を行わせないため。

 「ちゃんと食いついてくれよ、オッサン……」
 「過保護じゃの、本当に。危険は全て己で受け持つなど、リチア辺りに悟られれば、鉄拳が舞うのではないか?」
 「殴ってくれる元気な姿を見せてくれるんなら、幾らでも殴られるさ」
 苦笑交じりに言うラシャラに、アマギリは肩を竦めて取り合わない。何と言われ様と自分の意思を貫くつもりだった。

 「カタパルト全機起こしました。噴進弾、快速艇、コクーン。何れも直ぐに射出可能です」
 
 二人がそんなやり取りをしている間に、射撃管制のオペレーターが、全ての準備を完了した事を伝えてきた。
 アマギリは一つ頷いた後で、少し悩んでから続ける。
 「そう。―――快速艇と繋がる?」
 「内線、繋ぎます」
 オペレーターは即答し、モニターの一つが快速艇の操縦席の映像を映し出す。
 剣士とキャイアが、何処か大人びた顔で微苦笑を向け合っているのが映し出された。
 
 『―――あれ、アマギリ様?』
 『へ? あら、ちょ……』
 
 通信が繋がった事に気付いた剣士の言葉に、彼との会話に集中していたらしいキャイアが慌てたように声を上げた。
 「平気そうじゃの、キャイアは」
 その様子を確認したラシャラは、一人息を吐いた。自身の直属の部下の事である、自信がどうする事も出来なかった手前、やはり気に掛かっていたらしい。
 アマギリも微苦笑だけ浮かべてそれに答えた後で、何も見ていないかのように剣士に声を掛けた。
 ―――無論のこと、オペレーターに手振りで指示を出して消沈するダグマイアの姿が通信映像に映らないように指示する事を忘れない。これ以上余計な面倒は御免だった。
 「やあ剣士殿、度々悪いね。そろそろ出番だけど、良い?」
 『―――、はいっ!』
 元気良く返事をした剣士にアマギリは満足げに頷いた。

 一片の迷いも無い力強い言葉。
 それだけで、彼は安心できた。あの子達は、大丈夫だと。
 
 「無茶せず、しっかり役目を果たすのじゃぞ剣士。―――キャイアもな。まずは眼前の事に意識を置く事じゃ」
 『頑張ります。ラシャラ様も、本当にお気をつけて』
 『あの―――いえ、……はい』
 主に念を押されるような理由に心当たりがありすぎるのだろう、キャイアは苦笑交じりに頷いた。苦笑が出来る気力があるだけマシかなと、アマギリとラシャラはそれ以上特に追求する事もしなかった。
 「それじゃ、宜しく頼むよ」
 それだけを告げて、通信を終えた。
 「あれなら、体を動かしているうちに何時もの調子に戻れるじゃろ」
 「だと良いんだけどね」
 「解らぬでもないが、少しは信用してやれぬか?」
 「知ってると思うけど、希望的観測はしない主義なんだ―――第二射、放て! 続いて快速艇射出しろ!!」
 たしなめるようなラシャラの言葉に淡々と応じて、アマギリは階下の者達に指示を出した。

 
 「敵列車、さ、先ほどの大型砲弾を再び発砲! か、数は二機!」


 バベル戦闘指揮所。敵の放った正体不明の新兵器の威力のもたらした混乱より復旧作業を再開していた処だったが、そこに再び先ほどと同様の車両から発射された物体を観測し俄かに戦慄が走った。
 
 「迎撃しろ」
 ババルン・メストの冷徹な―――不気味なほどに焦りを見せない声が響く。
 「り、了解!!」

 発射される二機のミサイル。

 バベルはその高精度照準システムにより、対空砲火を高速で飛来するミサイルに集中させる。
 しかし砲撃戦を行うには至近に等しい距離で放たれたミサイルを打ち落とすのは至難の業であり、一機は撃墜できずに一射目と同様に外部装甲を抉った。
 もう一機のミサイルに対しては迎撃に成功したが―――しかし、迎撃弾により破壊したミサイルは灰と赤色の爆炎、そしてそれ以上にはっきりと解る視認を妨げる白煙をバベルと装甲列車の間に広げた。
 「目晦まし―――?」
 白煙で視界を奪われた外部映像に眉を顰めつつ、ユライトが呟く。
 「音波探知、熱源探知により敵車両、更に砲撃準備を進めているものと観測!」
 観測システムを目を皿のようにして睨みつけていた管制官の焦り声が指揮所に響く。
 「観測システムによって照準は可能なのでしょう? 慌てず慎重に迎撃なさい」
 ババルンが応じるよりも早く、ユライトが指示を出していた。それに疑問をさしはさむものは居なかった。疑問を許す状況でもなかったと言う事かもしれない。
 「て、敵車両、大型砲弾による砲撃を再か―――いや、しかしコレは……?」
 観測システムを睨みつけていた管制官は、焦ったように叫んだ後で、戸惑ったような声を上げた。
 「どうしました?」
 「だ、弾速が遅すぎます。これでは、通常弾よりも―――いえ、こ、これは!!」
 管制官は何かに気付いたかのように叫ぶ。
 観測情報を表示していた正面モニターを見ていたユライトにも、何事か気付いた。
 「―――コクーン、ですか」
 自由落下している大型質量。保有熱量が聖機人のコクーンである事を告げていた。
 「まさか、煙幕を隠れ蓑に強行突入を―――!?」
 「で、あるならば話は早いでしょう。喫水外にいる間に撃ち落してしまいなさいな」
 「り、了解!」
 素早く判断を下したユライトの言葉に従って、迎撃システムは火砲を放つ。
 推力を持たず自由落下することしか出来なかったコクーンと思わしき質量達は、次々と聖地と線路の走る森林との間に横たわる渓谷へと叩き落されていった。
 「全機迎撃に成功しました!」
 管制官の喜色に富んだ報告の声が響き、戦闘指揮所に少しだけ安堵の空気が洩れた。
 
 「―――本命の阻止に成功した、と言うことでしょうか」
 「あの王子がこのようなあからさまな行動を示すのも些か疑問だが」
 ユライトの呟きに、状況の変遷にもまるで表情を変えなかったババルンが、失笑混じりの声で応じた。
 「他に、何かあると?」
 探るような視線で伺ってくる弟に、ババルンは鼻を鳴らすだけだ。
 何事も、誰の言葉も歯牙にもかけぬ。
 
 ババルン・メストの行動を規定するのはただただ彼自身の意思一つだけ。
 
 「さて、な。―――しかし、異世界の超兵器、些か厄介な事は事実のようだ」
 言葉と共にゆっくりと玉座から起き上がり、そして宣言する。
 何を言おうとしているのかを察して、ユライトが少しだけ眉根を寄せたが、しかし何も言う暇も無かった。
 
 「ドールを出せ。異世界の龍を焼き払うのだ」







    ※ スーパーチート合戦の開始である。
      そしてこの展開だとロボット物って事を忘れかける……



[14626] 41-5:鷹は羽ばたいた・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/04/30 21:02
 ・Scene 41-5・




 「快速艇、無事谷底に着艇したようです」

 観測機を殊更つぶさに確認していた観測手が、上座に向かって報告した。
 「まずは一安心、と言った所かの」
 指揮官席の前に立つ主君よりも先に、その傍らに座る王妃―――ではなかった、ただの客人だし、良く考えれば主君は別に居る―――がほうっと吐息と共に呟いた。
 「どうかな、ただ単に興味が無いから見逃してくれただけかもしれないし―――尤も、いざとなったら空間歪曲場でも電磁フィールドでも、好きなもの使って良いって伝えておいたから、どのみち無事じゃない訳がないんだけど」
 肩を竦めて嘯きながら、現場指揮官、と言うかこの戦争を主導する立場に居るアマギリは指揮官席に腰を落ち着けた。
 「何を持ち込んでおるんじゃお主は……」
 「備えあれば嬉しいなってね。まぁ向こうは剣士殿に任せて置けば平気さ。―――それよりも」
 呻くラシャラに軽く笑って応じた後で、アマギリはモニターの向こう、外部映像に視線を移して目を細めた。
 視界を塞ぐために張った煙幕弾がゆっくりと晴れ渡り、対艦ミサイルの連撃によって抉られたバベルの姿が現れる。
 「まだ撃ってくるのか―――つか、撃てるんだな。どんだけダメコン優れてるんだ。―――おい、次に砲撃の隙間が出来たら残りのミサイルぶっ放せ!」
 「局地戦しかなくなった昨今、あの手の決戦用の巨大要塞は使い道に困る類のモノだったのじゃが……ウム、敵に回すと地味に厄介じゃの」
 本体にどれほどのダメージを負おうと、底部、喫水に面している重力制御リングさえ無事ならば、姿勢維持に関して端にも問題が無いというのが、アマギリにとっては忌々しかった。アレだけ中ほどばかりが抉られれば、自重を支えられずに倒壊する筈なのに、それすらも”重力制御”の一言で防がれている。
 正直、銀河最先端文明を知る身からしても、無茶が過ぎる光景だった。
 「人質さえ居なければ反応弾で吹っ飛ばしてやれるんだけどなぁ……」
 聖地ごと、と呟くアマギリの言葉に、ラシャラは頬を引き攣らせるとともに先の自身の思いつきに確信を持った。
 「あからさまに大量破壊兵器としか思えぬ兵器等、間違っても持ち込むでないぞ」
 「でも放射能汚染も重力変動もエナの中和作用で防げるらしいんだよなぁ。やっぱり戦争といったら一方的な蹂躙戦だと思わない?」
 「持、ち、込、む、で、ないぞ?」
 どうやら相当判断基準がずれてきているらしいと気付き、ラシャラは念を押すようにきつく言った。
 元々、目的のためなら手段を選ばない―――多少の犠牲は仕方ないくらいに考えている節があったが、そのふり幅が酷い事になっている。
 
 そりゃあ、銀河規模で戦争してるような輩からすれば、地上の片隅でせせこましく鉛玉を飛ばしあっている状況などまどろっこしくて仕方ないのだろう。

 だからといって、この星で生まれそして恐らく死ぬ事になるラシャラとしては、”壊れたら別の星に移住すれば良いんじゃね?”等という想定不能な尺度で地形を捻じ曲げる行為を行われるなど全く以って御免な話である。
 「頼むから、お前の女どもの前でまでそう言う態度は取らんでくれよ……」
 庇いきれないからと、溜め息混じりに言うラシャラを、アマギリは鼻で笑い飛ばした。
 「こんな刺激の強い話、あんな優しい子達のまでする筈ないだろ?」
 「妾の前でも是非控えて欲しいものじゃがの」
 「―――あれ? ラシャラちゃんはこういう話題、好きな方だと思ってたけど」
 おどけたように返してくるアマギリに、ラシャラも呆れ混じりの笑みで応じる。
 「好みであるからといって明け透けに語り合いたいと言うものでも無かろうて。嫌じゃぞ、妾は。実利ばかりを追い求めて、果てに無機質な仮面夫婦なぞ。妾の老後は、孫と財貨に囲まれて平穏に暮らすと決めておるのじゃからの」
 「その金巡って孫達が骨肉の争いでも始めそうだけどねぇ」
 「では死ぬ前に使いきってしまえば良かろうて。―――我先に枕もとの通帳を毟り取った孫達が、その残高を知り燃え尽きる様を、あの世から笑ってやるわ」
 戦闘の途中に何をくだらない話をしているのか、おかしくて仕方が無いという具合にアマギリは笑った。
 「笑って死ねるなら良いけど、死んだ後に笑っても―――いや、そもそも僕、死ねるのか……?」
 「―――? 従兄殿?」
 最後の呟きを聞きとがめて首を捻るラシャラに、アマギリは何でもないと肩を竦めた。
 
 「自分で望んだ事だもの。何を今更、だよね―――」

 相当の無理を通すためには相応のリスクを背負う。当たり前だ。
 それを理解しながらも、迷う事無く選んだのだから。自身の命が既に自身一人で好きに使える物でもないことだって、ずっと前から承知済みのこと。
 だから今は、この余暇の自由を少しでも楽しまないと―――。

 最後のミサイルの斉射により更に外殻を破壊され、遂に砲撃が沈黙していたバベルに、変化が訪れたのは、アマギリがそんな場を弁えない黙考に浸っていた時だった。

 「て、敵要塞、聖機人を発進させました!」
 
 「おや」
 オペレーターの緊張した声に、アマギリは気の抜けた声で応じた。
 モニターを見れば、確かにバベルの底部が開放され、恐らく格納庫となっていたのだろう、聖機人がエナの海に飛翔していくのが映し出された。
 当然のこと、その聖機人は喫水外の崖の上に陣取る装甲列車に向かって渓谷を飛んでいる。
 「―――あれは、黒い聖機人……?」
 「黒い……」
 モニターを睨んでいたラシャラの呟きに、これまで父親との会話にも満たない邂逅に打ちひしがれていたダグマイアが反応した。
 「おや、ダグマイア君復活したのか」
 「何が復活だ! ―――私は少しも落ち込んでなど居ない!」
 「聞いてないって、そんなの誰も。―――それよりアレ、何か知ってるの?」
 茶化すような物言いに激昂するダグマイアに肩を竦めながら、アマギリは眼下を接近してくる黒い聖機人を指し示しながら尋ねる。
 ダグマイアは一瞬忌々しげな表情を作った後で、かき集めた気力をそのまま叩きつけるように吐き捨てた。
 「ドールだ。あの聖機人の聖機師は」
 「どーる?」
 聞きなれない単語に眉を顰めるラシャラとは対照的に、アマギリは苦い顔で納得した。

 「人造人間か」

 牢獄での会話で吐かれた単語を思い出す。
 ババルン・メストが発見した先史文明期に製造された人造人間。
 人造人間であるが故に、聖機神の操縦資格を持ち―――それ故、ババルンはガイア発掘を計画したのだとダグマイアは理解していた。
 現実はババルン自身が人造人間と言う一種理解の外を行く展開だったのだが、それでも人造人間であるというのは脅威だ。
 由来が何であれ人造人間である、と言うだけで優秀な聖機師であることが間違いないから、それが操る聖機人も強力なものになるであろう事は想像に難くない。
 実際、四月の初めの晩に、アウラに助力するために剣戟を交わした際に、アマギリは当時は人造人間が操っていたとは知らなかった黒い聖機人の戦闘能力の一端を垣間見ていた。
 殴りあうには、中々厄介な相手だったから、アマギリの判断は素早かった。

 「対聖機人戦闘用意。電磁投射砲撃ち方初め」
 「了解、全電磁投射砲起動。照準を黒い聖機人に固定。迎撃開始します」
 
 情け容赦一切なく、反則ギリギリの手段で一方的に叩きのめす。
 後部車両の一部の砲塔が引き込み、変わりに細い銃身をリング状に並べて固定した、ジェミナーでは見られない形状の―――ようするに、機関砲の銃身がせり出した。
 そしてすぐさまその砲口は飛来する黒い聖機人へと向けられ、電磁誘導により加速された弾丸が高速で射出される。
 火線と言うよりは最早光線に等しい軌跡を描きながら、凄まじい勢いで叩き込まれる。
 
 「……容赦も何もあったもんでもないのぅ」
 「そんな余裕無いしね。もうちょっとバベルが近ければ、コイツを直接叩き込んでやれたんだけど」
 また変なもの持ち出しやがってと呆れるラシャラに、アマギリは平然と応じた。微妙に開き直りの心境に近かったが。
 「この馬鹿と阿呆を丸めて煮詰めたような光景を見ていると、聖機師の理想なんてものが馬鹿らしく思えてくるな……」
 流石のダグマイアを以ってしても一歩引きたくなるような惨い光景だったらしい。自身聖機師であるからこそ、あれほどの砲弾を叩き込まれれば聖機人は確実にミンチになると想像できてしまったからかもしれない。
 「あまり、こやつの尺度を真に受けるものでもないと思うが……」
 「酷いなぁ、一応僕も聖機師なのに」
 作り笑いで抜け抜けと言い放つアマギリに、ラシャラは額に手をやって嘆息した。
 「ならばもう少し聖機師らしい対応をせぬか。一方的にも程が―――む?」
 「―――何?」
 「……へぇ」
 
 途切れる事のない弾幕が一斉に黒い聖機人に叩き込まれる。
 元々運動性も高くしなやかな柔軟性を有した聖機人の装甲であるが、その分単純な衝撃には脆い部分がある。
 それ故に、ワウアンリーが独自に開発した”カヤク”を用いた原始的な銃火器であっても、直撃すれば聖機人にとっては大ダメージである。
 ならば、二世代三世代は超越した機関砲の銃弾の雨を叩き込まれれば聖機人がどうなるかなど、想像するまでもないだろう。

 しかし。今まさに弾雨に晒されている黒い聖機人は。

 「―――馬鹿な、無傷じゃと」
 
 黒い聖機人。禍々しい、鋭角的な装甲を張り合わせた凶暴な意匠。右手に持つ大鎌と、―――そして、何より。

 「あの盾で全て防ぎきっているのか―――?」
 
 ラシャラについで、ダグマイアの驚愕の呟きが洩れる。

 黒い聖機人は、その左手に持った身の丈ほどもある巨大な黒い盾を掲げて、弾丸の雨を退けていた。
 
 「いやいやいや、それ以前にアレだけ撃ちこまれてるのに平然と前進してるってどうなんだよ。防御力場張ってるわけでもないだろうに、衝撃とかどうなってんだ?」
 半ば遊びで作った武装による攻撃を防がれた事実にはあまり驚いていなかったが、別の意味で冗談染みた光景にアマギリも半笑いを浮かべるしかなかった。
 「あの盾、なに?」
 「―――不明です。膨大なエナを内包している……と言うか、コレは」
 単刀直入に尋ねるアマギリに、観測手が疑念混じりの言葉で応じた。見てもらったほうが早いかと、アマギリの指揮官席の端末に観測情報を転送する。
 アマギリはそれを見て眦を寄せた。
 
 「―――盾自体が、高密度に圧縮され、物質化したエナそのものか」

 「何だそれは? エナを内包した物質ではなく……エナそのものだと?」
 理解に苦しむといった体で、ダグマイアが口を挟む。
 「いや、圧縮された粒子が固体として固定化されるのは解るが―――あのサイズじゃぞ? 一体、どれほどのエナを圧縮すれば……」
 「そりゃ、決まってるじゃないか」
 ラシャラの言葉に、アマギリは何てこともないように応じた。

 「先史文明の高度技術を、丸ごと賄えるような量、だろ?」

 「な、に?」
 何を今更、と言う顔で語るアマギリの言葉に、ラシャラは目を丸くした。その背後に立っていたダグマイアは、ラシャラより一瞬早くアマギリの言葉の意味を理解した。
 「そう、か。”ガイアはエナを喰う”と言っていたな―――つまり、アレが」
 口の中に溜まった唾を嚥下しながら、ダグマイアは緊張に眦を寄せてモニターに映る黒い聖機人を見やった。
 正確には、その聖機人が持つ、何処か生物的なシルエットをした巨大な盾を、だが。

 「あれが、ガイアのコアユニットか!」

 叫ぶラシャラに呼応して―――まるで今更気付いたのかと彼女等を嘲笑うかのように、黒い聖機人は弾雨を退けていた盾―――ガイアのコアユニットを、装甲列車に向けて押し出すような仕草をした。
 「―――む」
 何を思ったのか、アマギリが立ち上がる。
 「アマギリ?」
 ラシャラの問いかけも、応じる事をせずにモニターの向こう、渓谷の狭間を一直線に装甲列車に向けて飛翔する黒い聖機人を睨む。
 掲げ、突き出されたガイアのコアユニット、その黒い局面装甲が、中央から走る厚みを持った分割ラインにそって構成するパーツごとに変形していく。
 中央部分から花開く―――そんな甘い言葉で済ませられそうにない、それは、猛獣が獲物に喰らいつく為に大口を開けている様を思い起こさせた。

 「空間歪曲場、電磁障壁、電位強化装甲! 最大出力で全部起こせ!!」

 総毛立つ恐ろしい予感に逆らわぬまま、アマギリは叫んだ。
 念のため。
 それ以上の意味を持たずに用意しておいた、このジェミナーでは絶対の防壁となるであろう防御システムの起動を次々と命じる。
 「り、了解―――! 特秘防衛システム、起動!!」
 防衛管制官がアマギリの焦りに従うままにシステムの起動手順を実行し、それについで、観測手が叫ぶ。
 「て、敵聖機人の持つ”盾”に向かって、ば、莫大なエナが収束していきます―――これはっ!」
 最早報告を聞くまでもない。モニターに映し出された黒い聖機人の掲げる盾に、集約するエナの燐光が満ちるのが解る。

 突き出されたそれが、何を意味するのか。

 秘匿されていた反応炉に火が灯り、本来喫水外では発揮できない莫大なエネルギーで以って、装甲列車は高密度の重力子による結界、電磁力場、そして特殊金属装甲による三層の絶対防壁を確立する。
 
 本来ありえぬ超技術、それと相対するのは、先史文明の遺産。

 モニターに映る黒い聖機人は、自身が持つ盾が放つ輝きにより、白く塗りつぶされ観測する事すら不可能。
 此処まで、僅か数瞬に見たぬ間と言うのに、それを見ている者達に戦慄を走らせない事は在りえなかった。

 白光に包まれ観測する事は不可能だったが、黒い聖機人の動作は酷く女性的で、そして丁寧なものだった。
 そっと、恭しく、捧げるように盾を前へと。

 前へと。

 一瞬の静寂―――そして。
 
 そして、齎されたものは圧倒的な破壊。
 視認し得る全てを消し尽くさんばかりの、圧倒的な閃光の波濤。
 この世界、在り得ざる粒子の存在により文明を成すジェミナーでなければ発揮する事は不可能であろう絶大な威力を秘めた極太の粒子砲が―――崖の上で防御を張る、アマギリたちの装甲列車に向けて、炸裂した。

 展開された歪曲場は一瞬も堰き止めることすら適わず、電磁障壁は容易く貫通を許し、戦闘艦の外殻にも使用される強化装甲は鉄板に押し付けられたバターのようにドロドロに焼け爛れた。
 
 しかし、”それだけ”の被害で済んだのは、防御システムがそれでも凌ぎきれたから―――ではなく、崖下からの砲撃と言う難しい射角の設定に黒い聖機人が失敗したが故だ。
 ガイアのコアユニットから放たれたエナの圧縮粒子砲は、装甲列車の外殻を溶かしながら、僅かに天上に逸れていた。

 だが、被害が甚大である事実は揺るがない。
 莫大なエナの奔流が過ぎ去った余波は、装甲列車の主機関―――メインシステムである亜法結界炉、そして電子回路に等しい役割を持つ結界式の全てにオーバーフローを引き起こし、戦闘車両としての機能を喪失させた。
 後付の反応炉は所詮は主機関の補助システムに過ぎず、生み出すはずのエネルギーも通すべき回路が破壊されていれば何の役にも立たない。
 加えて、装甲列車の外部装甲を焼き溶かした粒子砲は、当然その射角を遮っていた崖を、線路を隠す森を破壊しつくした。
 粉砕された岩壁は土砂崩れを起こし、森の木々は鉋屑が如く折れた幹を空に舞い上げ車体を叩き、飛散粒子を浴びた鉄道は焼け爛れて、列車を通すというその意味を消失した。
 線路の断線は即ち装甲列車へのエナの送信の不可能を意味し、例え内部の結界式が復旧したとしても、動力を失った装甲列車には最早それを動かす術は無くなった。

 たった一度の、それも射角を誤った砲撃だけで、ハヴォニワ王国が有する装甲列車は機能停止に追い込まれたのだ。






     ※ オリ主チート VS 公式チート
       
       余裕で公式チートが勝つとか、ホンマ梶島ワールドは恐ろしいところだぜヨ……




[14626] 41-6:鷹は羽ばたいた・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/01 20:55


 ・Scene 41-6・





 「これ、がっ―――ガイアかっ!」
 
 放たれた粒子砲を尤も近い位置で受けた装甲列車の先頭車両、亜法機関が停止して照明の落ちた戦闘指揮所内で、ラシャラが驚愕の呻きをあげながら体を起こした。
 膨大なエネルギーの奔流が生み出した衝撃波は、まるでトルネードの直撃を受けたかのように車体を揺らし、結界式は軒並みオーバーフローを起こし、端末や壁に這っていた回線がショートして火花を散らした。モニターを攻勢していた液晶パネルは罅割れ、照明灯は弾け飛び、床も天上も、構成していた鉄板と柱に亀裂、ズレが発生しその凄まじい揺れに殆どの人員が椅子から投げ出されれば―――さながら大災害の後のような悲惨な光景が完成した。
 
 「はっはははは、あのサイズでこの威力か。エネルギーの変換効率が狂いすぎだろ流石に。―――ちょっと楽しくなってきぞ、オイ」

 「笑っておる場合か! どうするつもりなんじゃこの危機的状況!」
 自棄になったかのように笑いながら体を起こしたアマギリに、ラシャラが焦って問いかける。
 焦らざるを得ないだろう、何しろ照明も消えて当然モニターは何も映さず硬い―――硬かったはずの―――外殻に守られたこの戦闘指揮所は、殆ど暗闇に包まれているのだから。予備の非常灯の橙色の灯りが、いっそう状況の悪さを助長させるようで悪戯に焦りを呼び起こす。
 「嫌だなぁハニー、そんなに慌てちゃって。―――予備システムの起動急げ! 結界式は全部放棄しろ! 送電システム接続開始!」
 ラシャラに戯れ交じりの言葉で応じながら、アマギリはふらふらと起き上がった指揮所スタッフ達を急かせた。
 亜法、エナによる動力系が全て死んだのであれば、持ち込んだ―――使い慣れた電装機器に使用を切り替えるのみだった。
 命じると共に、自らも床面のパネルを跳ね上げてその内側を走っていた配線を弄り始める。
 その顔は、何故か不思議なほど楽しげで、ラシャラは恐れを抱かずに居られなかった。

 恐怖に駆られて狂気に落ちたのか、まさか、この男に限って。

 「おい、従兄殿―――?」
 「だからさ、そんなに慌てなくて平気だって。―――大体、僕の傍に居れば、いっそう危険が増すって事くらい解ってただろう? 」
 「それ、は―――」
 手作業を止めぬままにあっさりと肩を竦めたアマギリに、ラシャラは絶句してしまった。
 「解ってながら、キミは戦後の事を考えて”危険な最前線に居た”って言う箔付けの欲しさにくっついてきたんだ。―――今更ゴチャゴチャ騒ぐべきじゃないね」
 見苦しいよと言外に込められた言葉に、ラシャラの頬が紅潮する。
 「んぐっ―――いや、しかし……危険はそりゃあ、承知しておったが、同時に、主の近くにおれば絶対安全であるとも考えて負ったのじゃから」
 少しくらい、慌てても良いじゃないかと不貞腐れて様な言葉が口をついていた。我ながら言い訳がましいなと思う傍ら、アマギリが少し笑みを浮かべた。
 「僕の傍なら、安全か―――さっきは危険から遠ざけるために皆を外に出したって言ってたのに、言ってる事が逆になってるじゃないか」
 「お主、これを自分の女達と今生の別れにするつもりがまるで伺えんからな。―――当然、どれほどの危機に陥ろうと再会の算段を整えておるのと違うか?」
 「なるほどねぇ」
 アマギリはラシャラの推理に一つ頷いた後で、手にしていた日本のケーブルを、一本に結びつけた。
 
 オォン、と微かな重低音の響きに応じて、照明が復帰し、各端末に灯りが戻る。動力の切り替えに成功したらしい―――無論、物理的に回線が切断されている部分も多々あったようで、若干暗くなった照明が照らす指揮所の光景は、正しく満身創痍のそれだった。
 それでも一応明かりがついた事もあってか室内に居る人々は一様にほっとしたような顔をして―――それから、生きている端末へ向かい現状の把握を急ぎだす。
  その光景を満足そうに眺めた後で、アマギリはゆっくりと立ち上がった。

 「ま、七十点って処かな」
 
 傍に立っていたラシャラの頭をポンポンと撫でながら、そんな風に答えた。
 「忘れたの? 僕は元々、この作戦はそこで頭打って倒れてるやつと、剣士殿と三人でやるつもりだったって」
 指揮官席に腰を落としながら、ラシャラの席の背後の壁際でうつ伏せで倒れ付している少年を指し示しながら、アマギリは言った。
 そこでラシャラは漸く、ダグマイア・メストが気を失って倒れていた事に気付いた。
 ――― 一人だけ椅子に腰掛けずに突っ立っていたから、衝撃によるダメージが一番大きかったのだろう。
 「―――随分大人しいと思ったら、気絶しておったのか。……まぁ、良いか。いやしかし、確かに主等男衆だけで片をつけるつもりだったとしても、ここに居る者達の面倒は見てやらねばならなかったじゃろ?」
 ならば、一人増えた程度変わらないじゃないか―――そんな風にラシャラが尋ねると、アマギリはとても良い笑顔を浮かべた。室内で作業中のオペレーターたちを示しながら言う。
 「ははは、あのねラシャラちゃん。この人たちは皆軍人さんだよ? 戦場で鉛玉を腹にぶち込まれてもがき苦しみのた打ち回りながら死ぬのだって、給料の内じゃないか」
 「んぎっ―――」
 言われた言葉が余りにも悪趣味に過ぎたため、ラシャラも顔面一杯に苦いものを浮かべる。
 つまり、必要だから死なすつもりだったと言っているようなものだったから、当然ともいえる。
 「本気で言っておるのか、お主」
 「さて、どうかな? ―――でもこういう話もある。王に敗走は許されず、一度戦場に身を置いたならば戦って死すべし、なんてね」
 軽い仕草で首を回しながら、ラシャラの問いにアマギリは微笑を浮かべて応じる。
 まるで自身の言葉に後ろめたさなど抱いていないかのようなその姿は、何時も通りのアマギリそのもの過ぎて、ラシャラは恐れるよりも先に呆れそうになった。
 

 「殿下。妃殿下とお楽しみの所申し訳ありませんが、敵聖機人に再びエナが収束し始めていると生き残った観測機から情報が得られました」


 ラシャラを困らせて楽しんでいたアマギリに、主任オペレーターの女性が、苦笑混じり報告した。
 「あ、マジ? ―――って言うか、言うねぇキミも」
 絶望的な報告そのものよりも、アマギリはむしろ戯れ事の内容のほうに興味を持った。歳若くも優秀な主任オペレーターは、それに年上としての笑みで応じた。
 「どうせもう直ぐ腹に鉛玉をぶち込まれてもがき苦しみのたうち血反吐を吐き臓器を腐り爛れさせながら死ぬ立場ですので、今更不敬を気にする必要もありませんもの。 ―――どうも、エナの収束が先ほどよりも遅いようなのですが」
 「ああ、そりゃ大気中のエナが一発目で拡散してるから、集まりが悪いんだな。―――まぁ、いや、失敬。さっきのはフローラ様には是非ご内密に頼むよ?」
 後が怖いから、と半ば本気交じりに続けたアマギリに、オペレーターの女性はニコリと微笑んで首をかしげた。
 「あら、どうせ此処で死ぬ人間に口封じなんてする必要無いのでは?」
 ラシャラは、女性が一瞬自身に視線を送ってきた事に気付いた。どうやら、先ほどはぐらかされた質問に関して助け舟を出してくれているらしい。
  
 楽しげに会話をしているように見えるが、現実問題として状況は危険水準をとうに飛び越えている。
 いい加減指揮官がどうするつもりなのかを知る必要があるのが実情だった。

 「僕は人からの預かり物を使い潰す気は、無いよ」
 アマギリは年上の女性から視線を外しながら、そんな風に言った。
 此処に居るスタッフは皆、女王フローラが選りすぐった人材ばかりであるから、当然アマギリとしてはこんな所で死なせてやる訳には行かなかった。
 戦場で死ぬのも仕事の内であると延べたのは紛れも無い本音だったが、死ぬとしてもせめて本当の主人の命令で死なせてやらなければ哀れだろうと考えている。
 大体、何処の誰とも思えぬような者の思惑に付き合って死ぬ目に合うなど馬鹿馬鹿しい話だと、何よりアマギリ自身が強くそう思っていた。
 
 で、在るならば―――生き残る算段を取らねばならない。
 最早防衛システムも沈黙し、外部の様子も半端な液晶が洩れ始めたモニターのノイズ混じりの映像でしか捉える事が出来ないようなこの指揮所の中に居ては、生き延びる事など不可能である。

 脱出。
 
 それ以外に道は無かった。
 「これでも、此処に集ったものたちは皆、真剣に殿下の臣であるつもりだったのですが」
 困った風に笑う主任オペレーターに、アマギリは照れ混じりの口調で返した。作業中だったほかの女性達も皆、一様に頷いていた事に気付いたからだ。
 「なら尚更、僕は自分の懐に入れた人間を無駄死にさせるつもりは無いね―――総員脱出用意! 特車管制、逃げる前にカタパルトにありったけのコクーンを乗っけて、カウント五十で自動発射させるようにセットしておけ! 火機管制官は生きてる砲塔に片っ端から弾をばらまかせろ! 観測、必要なデータ全部引っこ抜いて行くの忘れるなよ! 他の者は撤収作業かかれ!」
 一息で言い放つアマギリの言葉に、オペレーター達は煤けた顔で元気良く返事をしていく。
 ラシャラがその様子を見て、微笑を浮かべた。
 「―――お主、結局女には甘いのう」
 「美人は好きですから。年上で自立した女性なら尚更、ね。―――ラシャラちゃんも、そこで寝てる馬鹿と一緒にちゃんと逃げなよ? 立場に相応しく、立ったまま雄雄しく死のうなんて今時流行らないからね」
 特にコイツそういうの好きそうだし、と倒れ伏せたままのダグマイアを指で示しながら言う。
 「―――それ構わんのじゃが……」
 アマギリの言葉に頷きつつも、ラシャラは何とか復旧した外部モニターから視線を動かせなかった。

 そこには。
 何処か暖かな空気に満ちた戦闘指揮所の空気を凍りつけるかのような。
 破滅を齎す白い輝きが膨れ上がる様が映し出されていた。

 初撃と変わらぬ程の閃光。今にも、二発目の粒子砲が黒い聖機人より放たれようとしている。

 「些か判断が遅かったようじゃの……フム。辞世の句くらいは考えておくべきだったかの」
 最早空元気で強がるくらいしか方法が無いという気分で、ラシャラは訪れるであろう黒い聖機人の砲撃に備えた。
 立場に相応しく、立ったまま雄雄しく―――冗談が本気になってしまったかと苦笑していると、アマギリはそれこそ冗談だと鼻で笑った。
 「カッコつけた諦めなんざ、馬鹿馬鹿しいよ。種の割れた手品なんて、今更怖がる必要も無いさ―――ホラ皆、手を止めてないでとっとと撤収準備終わらせろよ!」
 流石に戦慄に震えていた室内の空気をまるで無いものとして扱うかのごとく、アマギリは面倒そうに手を振り払いながらオペレーターたちに指示を出した。
 「り、了解……、側面装甲排除、脱出車両、電源起動します」
 「全カタパルト、コクーン固定完了。タイマーセット、自動発射じゅ、準備よし!」
 些か遅くなった手つきだが、優秀な女性オペレーター達は危機的状況にあっても主君の命を実行しようと最善を尽くしてくれた。

 だが、それも。

 その行動の何割が意味を理解してのものだったのか。
 ほぼ全ての人間が、訪れる破滅を前にしての逃避の行動に他ならぬのではないだろうか。

 「全車両、退避勧告発令! 最優先指令以外の作業を実行中の職員は直ちに……―――第二射、来ます!!」

 通信管制官が、まるで悲鳴の如き叫びをあげる。
 椅子が倒され体が持ち上がり、誰も彼もが液晶を零すモニターに向かい震えながら視線を送る。

 「―――アマギリっ!!」
 
 ラシャラが振り返り叫ぶ。

 破滅を齎す白い光が、再び、モニターを埋め尽くすほどに大きく―――即ち、一直線に装甲列車目掛けて襲い掛かった。

 「あれ、ラシャラちゃん」

 そして彼は。

 「そういえば、キミがその名前で僕を呼んだのって、ひょっとして初めてじゃない?」

 ゆっくりと指揮官席から立ち上がる。
 そのあまりの優雅な動作に、ラシャラは喉の奥を引き攣らせた。
 「そんっ―――」
 な事を、言っている場合ではないだろう。
 最早モニタを埋め尽くす白い光は、車体を震わす大きな振動となってその存在を彼女達に実感させている。
 もう間もなく。

 もう間もなく―――消える。

 間違いなく訪れるであろう死の予感に、ラシャラの全身が総毛だった。

 「でも、少し残念かな」
 
 カツンと、彼は罅割れた床板を踏んで一歩前へと踏み出した。
 ラシャラの脇をすり抜けて、涼やかな声を残しながら。

 「出来れば一月……いや、後半年くらい早く、その名前で呼んでくれれば嬉しかったんだけど」

 振動は今や立つ事すら難しいほどに大きくなっている。
 モニターがブラックアウトし、そして、外側から強い圧力を受けたのか、破片を撒き散らしながらひしゃげて飛んだ。
 そして、黒く潰れた筈のモニターの向こうに、何故か、輝きが満ちるのを感じる。

 「少し、遅かった。……その名前、好きだったけど―――でも」

 破滅を齎す光、遂に外殻を破り指揮所にまで到達したそれと向かい合うかのように進み出た彼は、一度だけラシャラに振り返った。

 寂しげな笑み。
 笑顔と、それから―――。

 「僕の名前は、そうじゃないんだ」

 それから、光に向かって掲げ、伸ばされた腕と―――やっぱり、寂しげな微笑。

 立ち尽くし、真っ向から光と対峙する事となったラシャラの見開いた瞳に映ったものは、それが全てだった。

 否。

 もう一つ。

 ラシャラは見た。
 爆裂し、ひしゃげてゆく指揮所の壁も、床も。悲鳴を上げる人々も。
 この光の奔流の前には、最早何を成そうとも助かる可能性など零の以下にもありはしない。

 それなのに。―――それなのに。

 ガイアより放たれた粒子砲のもたらす絶対たる死の気配とは間逆の、生を象徴する意思を持つ光。

 花の蕾が、綻ぶ様に。
 光り輝く三枚の翼が顕現する様を―――その威容を、ラシャラは見たのだ。



 ・Scene 41:End・





    ※ ここに出てきてるオペ子さん達は皆一話辺りに出てきた人たちと同じと言う設定があったり無かったり。
      ……これだけ台詞あると、名前決めちゃった方が早かったか。
  
       



[14626] 42-1:輪廻転生・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/02 20:58


 ・Sceane 42-1・



 「女神の翼……」

 目を見開き呆然と呟くラシャラに、軽く微苦笑で応じた後で、アマギリは視線を伸ばした腕の先へ戻した。
 掲げた掌の先、彼の意思に従うがままに、外壁を焼き尽くし迫る粒子の奔流を塞き止めるように、光り輝く―――そうとしか表現しようがない、翼を思わせる発光体が三方に広がり、力場を形成している。


  正しくはその名を、”光鷹翼”と言う。


 銀河最強ともいえる軍事力を有する星間国家”樹雷”に於ける最高機密にして、最大的特徴である”皇家の樹”のみが作り出す事が可能な、計測不能、正体不明のエネルギー場。
 皇家の樹は樹雷本星に於いてのみ群生する、ものによっては亜空間に太陽系を丸ごと一つ固定可能なほどの膨大なエネルギーを有する意思を持つ樹であり、その中でも特に力の強いもの―――確立した自我を有するものは、その自らの意思で以って、人間のマスター……パートナーを選ぶ。
 樹のパートナーとして選ばれた人間は、契約に基づき樹の力を振るう事が可能となる。―――即ち、皇家の樹のみが展開する事が可能な光鷹翼の展開が可能となるのだ。

 アマギリ―――ジェミナーではその名で呼ばれている、樹雷皇家の末席に位置する少年は、今、自らの意思で以ってそれを作り出す事に成功した。
 頂神の、高位次元知性体の力の発露とも言えるそれを、例え皇家の一員であろうとも、本来なら作り出す事など不可能な筈のそれを、彼は作り出したのだ。
 彼に、パートナーとなるべき樹は今も昔も存在しない。
 樹雷本星に居た間も、樹に選ばれる事はなかったし、樹を選ぶ儀式を受ける事もなかった。皇家本流ではなく、分家の末席に過ぎない生まれであったから、それも当然であるが。
 だが、彼は光鷹翼を発生させている。
 
 それは彼が生まれ付いての特別な存在であるから―――の、筈は在り得ない。

 「……いや、特別と言えば特別なのか?」

 圧力の一つも感じず、絶対必死の光の波濤を受け流しながら、アマギリは薄く笑った。
 特別脆かったり、特別不幸―――人によっては、いや、大多数の人間には特別僥倖とさえ言える立場だったのは事実。
 その末路の果て、特別生き急いだ果てに手に入れたのがこの力だ。―――とすれば、やはり特別幸運だったと言えるのだろう。
 もとよりこれに同意しなければ確実に、それこそ何百年も前に死んでいたのだから―――いや、どうだろう。

 あの神木・瀬戸・樹雷が、一度目に付けたものをむざむざ死なすような真似をするか?
 
 ましてやあの女性は、かつて早死した友と同質の―――近い、衰えさせたような―――力を有していたという理由から、彼を政敵である天木家当主である天木・舟参・樹雷より取り上げたのだから。
 それはもう強引に、議論の余地を差し挟む間もなく。

 いや、酷かった。本当に、酷かった。
 今、思い出すにしても、アマギリはそう思わずに居られなかった。

 いやいや、子供の夢を弄んで脅迫まがいの真似をしてきた天木舟参も酷さで言えば同レベルなのだが、あちらはまだ手順を踏んでいるからマシだったと思いたい。
 何せ問答無用、気付けば檻の中のような泣くに泣けない状況だったから、啼きながら日々を必死こいて生きていく以外他無かった。
 その結果、皇家の樹の中でも格段に情報処理量が多い神木瀬戸のパートナーである”水鏡”の近くに居る事が多くなり、彼は自身の特性に押しつぶされて死期を早めた。

 人の窺い知れぬ高次元の於いて交わされる皇家の樹同士の情報伝達―――それを、アマギリは”存在だけ”は感じる事が出来た。

 実際に、やり取りされている情報の内容自体を把握できる訳ではないから、現実においては何の役にも立たない。
 役に立たぬとは言え、生まれ持った能力である事には違いなく、彼が生まれた時から感じる事の出来た、その自分でも理解できぬ情報のやり取りの、その意味を理解したいと望むのは当然だと言える。
 そのために目指したものが、哲学士。銀河最高の頭脳である。
 銀河の辺境で、曽祖父の作った負債を返済しながら細々と惑星開発に勤しんでいた父母に、哲学士になりたいから銀河アカデミーに留学させてくれ、等と望む末子の夢を叶えてやれる経済的余裕は無かった。

 それ故、父母達の取った手段は単純で、辺境に居たが故に疎遠だった主家に資金援助を願い出たのだ―――当時の樹雷中央で行われていた、政争の具合も知らずに。

 樹雷皇が柾木家の阿主沙に決まり、皇太子もその息子である照樹に確定したとあらば、樹雷皇を―――その権力の掌握を目指す天木家当主舟参には打つ手は最早限られる。
 樹雷皇も皇太子も、尚武の気風のある樹雷皇家において尤も解りやすい”力”の象徴とも言える、皇家の樹の中でも、更に最強の力を有する第一世代の皇家の樹との契約に成功していたのだ。
 舟参自身は力ある樹に選ばれなかったが故に、意思の薄い第三世代の樹を与えられた。
 彼の息子である次期天木家当主も、第二世代の樹との契約しか出来なかった―――それでも、樹と契約に成功するものの方が少ないのだから、たいしたものなのだが。
 しかし第一世代の樹と第二世代の樹の力の差は隔絶的であり、覆す事は実質不可能。当代も、そして次代の樹雷皇の座も、舟参の手の届く場所に落ちてくる事はありえなかった。
  
 ありえなかったからと言って―――諦められるくらいなら、鬼姫の異名で持って銀河に恐怖させる神木瀬戸と政治的な対立など初めからやろうとしないだろう。
 
 万策尽きて、打つ手なし―――そんな時に、辺境で忘れ去られていたような貧乏分家から届いたのが、資金援助願いと共に記されていた、特異な能力を有した少年のデータ。
 皇太子照樹と同年代の少年。才はそれなり、少しばかり変わった能力もあるし―――駄目で、元々。
 皇家の樹との契約、樹選びの儀式を司る家系であった天木家の当主ならば、秘密裏に辺境から呼び寄せて儀式を執り行うなど造作も無い事。
 運良く力のある樹との契約に成功すれば、皇太子の対抗馬として擁立する事が出来るし―――駄目だったのなら、放り出せばそれで済む話。

 短絡的な企み、見え見えの謀は―――銀河最高クラスの情報処理能力を有する、神木瀬戸の水鏡に察知されない筈も無く。

 資金援助のための審査をするからと、本家から出頭を命じられて樹雷本星を訪れた少年が、何故か気付けば神木家の屋敷で行儀見習いをさせられていると言う現実を生み出した。
 樹選びの儀式など、以ての外。待っていたのは本来会話を交わす事など在り得なかった様な高貴なる人々に振り回されて、見習い士官の真似事をさせられる忙しい日々。

 まぁ、楽しかったから良いけど。

 ―――そんな風に思っていたら、辺境、父母の有する―――数代前の古い時代に、主家から賜ったらしい―――第五世代の樹しか傍に存在しなかった頃には在りえなかった、莫大な、超高密度の情報処理に精神を押しつぶされて、あっさりと瀕死の瀬戸際に追い込まれていたのだが。

 偶然、予期せぬ事態、申し訳ない事をした―――扇子で口元を隠し、眦を寄せて。
 彼は、自らが死に行く避けられない現実を告げられた。
 
 ―――だけど。

 今ならばこそ出来る―――瀕死で指一本動かせないほどに疲弊していた幼い頃には出来なかった思考だが、実は間接的にそうなるように誘導されていたのではないかと、アマギリは思う。
 神木瀬戸はアマギリがどういう存在であるか理解して彼を引っこ抜いた訳だし、そうした結果どうなるかも、当然予想が付いていた筈だ。
 
 なるほど、確かに俺は今の立場に満足している。満足しているが―――しかしたまに考える事があるんだ。
 本来ならば必要なかった、要らない苦労を、背負わされていたのではないかと。

 もっと楽な道があったんじゃないかなぁ、そんな風に言っていた先達が居た事を、今更ながらに思い出す。
 アマギリは、今の自分に満足している。神木瀬戸の提案を受け入れる事は、彼の望みと一致していたから、願ったり叶ったりではあった。

 「けど、なぁ……?」

 僕は皇家の樹を”知りたかった”のであって、けっして、皇家の樹に”なりたかった”訳ではない。

 今更ながらに、そんな当たり前の事実を認識する。
 現状に後悔はしていないし、”なる”事が”知る”ことの一番の近道だったのも瀬戸が語るとおりに事実だったが、落ち着いて考えれば何処か間違っている気がしなくも無い。

 「まぁ、今更だな」

 そのお陰で、今こうして敵の攻撃を防ぐ事が出来ているのだからと、アマギリは苦笑して呟く。

 人為的な施術で、人に皇家の樹―――その種を移植し、力を行使する。
 聞けば、現樹雷皇阿主沙が皇太子時代に武者修行の途上で遭遇した、第一世代の皇家の樹の力と拮抗した能力を有する正体不明の海賊船の出現に、瀬戸は言い知れぬ危機感を覚えたらしい。
 何も解らぬと放置しておけば、いずれ樹雷に災いをもたらすかもしれないと、ならば、対策を立てることは急務だ。
 今後再びあるであろう、第一世代の皇家の樹を有する阿主沙と互角の戦闘を演じたその宇宙海賊のような存在に対応するための、樹雷の戦力強化プランの一つ。
 宇宙を駆ける船の動力としてではない皇家の樹の新たな活用方法、その試験石として考案されたその計画の被験者となる事を、死に掛けのアマギリは同意した。
 施術には数百年の時を賭け、慎重に慎重を重ね行うと、手術台で眠りに落ちるアマギリはそう聞いていた。

 調整を加えた自らの肉体をコアユニットに見立て、種をその内に定着させる。
 しかしアストラルの側面から見れば、皇家の樹の巨大なアストラルを器に見立て、ボロボロとなったアマギリのアストラルをそこに流し込む形となる。
 まだ意思が未成熟である種のままの皇家の樹の意思は、やがて流し込まれたアマギリのアストラルと同化し、そしてアマギリは人の身でありながら皇家の樹そのものとなる―――そんな計画だ。

 施術開始から、既に七百年以上。
 七百年以上の時が、過ぎているらしい。施術において組み込まれた幾つかの機能を用いて、彼は意識を凍結されており本来なら知らぬ筈だったそれを理解していた。本人のあずかり知らぬ所で、客観的な経過時間を観測する機能が備わっていたらしい。あるいは、これもまた、皇家の樹の高次元からの認識の一つかもしれない。
 しかし七百年以上の歳月を重ねているにしては明らかに調整は不完全。
 展開された光鷹翼は、”展開する”と言う意思自体は彼のものであるのは間違いないのだが、その展開する規模は明らかに彼が望むものを超えている。
 たかが大気圏内で使用される粒子砲を防ぐには不相応なほど、膨大な―――最大出力で以って、光鷹翼は展開されていた。それは目視においてはただの強力な防御力場にしか見えないだろうが、その実際は過剰に過ぎるエネルギーが凝縮されていた。
 最大出力である。縮める事は出来無い。制御がまるで出来ない。
 出すか、消すか。どうやら、スイッチのオンオフ以外は不可能らしい。
 この状態でエネルギーの解放による光鷹翼の攻撃的運用など行ったらどうなるか、想像するに恐ろしい。
 多分と言うか確実に消し飛ぶ。”惑星ジェミナー”どころか、”ジェミナー太陽系”が。

 「―――なんて、笑い話を考えている場合でもないか」

 フラリと―――急激に、足元が覚束無くなっていく。体が自分のものではないかのように、まるで言う事を聞かずに地に臥したい衝動に襲われる。意識が遠のく―――久しく忘れていた、身近に感じる死の気配。
 
 原因は考えるまでも無かった。

 光鷹翼はそもそも、頂神の一柱たるの落とし子である皇家の樹の様な超存在のみが発動可能な、三次元では認識不可能な高次元の力の発露である。
 人間には本来扱えない。高次元で振るわれる力で在るならば、三次元世界、つまり低次元下に於いては、そのエネルギー量を賄う事など不可能。
 アマギリが今現在発生させている光鷹翼も、だから彼の胸の中にある皇家の樹の生み出す常識の外に在るエネルギーによってのみ、発生させる事が可能なのだ―――本来なら。
 だが今、彼の内に存在する皇家の樹は、本来生み出せるはずの文字通り次元違いのエネルギー量の、その一片以下しか精製する事は叶わなかった。
 皇家の樹が幼生にもみたぬ発芽したばかりの種であるからかもしれないし、調整が未了であるが故に、生み出したエネルギーの大半をロスしているせいかもしれない。
 理由は幾らでも考え付く。
 そもそも人に皇家の樹を入れると言う計画そのものが初めてだったから、結論として想定通りのエネルギーを得られなかっただけと言う話かもしれないのだ。

 兎角、今重要な事実は、本来光鷹翼―――それも発生可能な最大出力の―――を維持するために必要なエネルギーに、今のアマギリの精製しているエネルギーが微塵も追いついていないことである。
 しかし光鷹翼は発生し続けているのだから、足りないエネルギーを何処かから持ってきている訳で―――急速に遠のいていく意識に、アマギリはふら付く足を地に押し付ける事に全神経を集中する必要に駆られていた。

 そして、何時かの夜に、誰かから言われた言葉を思い出す。


 あ、念のため忠告しておくけどね。
 二度と今の調整不良の状態で光鷹翼を展開しようなんて考えるんじゃないよ。
 アンタはまだ完全に皇家の樹になりきれていない、人と樹の間を揺らぐ非常に不安定な状態だ。人であろうとしても、人でありきれず、樹になろうとしても、樹とはなりきれない。
 そんな状態で樹の本質に近づこうとしてごらん。アンタのただでさえ壊れかけている人間としての部分が完全に壊れちまうさね。

 早い話が―――。





    ※ 今回だけはホント、まんま真・天地無用!魎皇鬼のSSのような。
      大体時系列的には、二巻の213ページと214ページの間の出来事辺りだと解釈してみると丁度良いかと。



[14626] 42-2:輪廻転生・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/03 21:02


 ・Scene 42-2・




 「―――命削って皆のために頑張ります、か。何処の喜劇の主人公様だ、僕は……」
 
 そういうの、劇とかだと大抵失敗するんだよなと、喉の奥を逆流してきた鉄臭い液体を強引に嚥下しなおしながら、アマギリは微苦笑した。
 現実、冗談でもなく自分の意思で望んでそれをやっているのだから、おかしな話だ。皇家の樹の力を得たのは、ただ自分の知識欲を満たすためだけだったのだから、その使い道など全く考慮していなかった筈なのに。
 「ガキの頃はホント、生き急いでたってことかな」
 体が弱かった―――アストラルが安定していなかった事が原因らしいが、そうであるが故に、死を身近に感じていた。だから、とにかく生きている間にやりたい事をやり尽くそうと、焦っていたのかもしれない。
 こうして、生き延びてしまっている今だからこそ解る自身の気持ちだった。
 
 そして、当時ならば結果として死んでも構わないと思えていた筈なのに―――今は、死ぬのが怖い。

 この幸せな余暇を、死によって終わらせてしまうのが、嫌だとアマギリは思っていた。
 急速に自身から生きる力が失われているのを感じる。これ以上の光鷹翼の展開は、確実に致死に至る。

 まだ、此処に居たい。もっとあの人たちと話して居たいから。

 黒い聖機人、ガイアの生み出した膨大なエネルギーの奔流は止む事無く、光鷹翼の絶対の守りを突破しようと無駄な努力を続けている。
 「いい加減に―――」
 ふらつく足を、強引に一歩踏み出しながら、アマギリは蜘蛛の巣でも払うかのように掲げた腕を振り払った。
 「―――してくれっ!」
 一瞬、展開された三枚の翼が撓み、そして瞬間的に増幅されたエネルギーがガイアの放つ粒子砲のエネルギーをはるかに超越し、かき消した。
 酩酊感の如く、視界が闇に落ちそうな所で、何とか踏みとどまり光鷹翼を消失させる。全身に掛かる虚脱感にふら付き崩れ落ちそうになる膝を、叱咤して堪え、立ち続ける。
 
 後には、風穴の開いた外壁と、ぶつかり合う二種のエネルギーの放つ衝撃はによってボロボロに破壊された戦闘指揮所が残された。
 振動と破壊のせめぎ合いが止んだ事で、身を伏せ、構えていた女性達がゆっくりと身を起こして辺りを伺う。
 飛散粒子により椅子も机も、端末も溶けて崩れて機能を失った。
 しかし、奇跡的に―――否、アマギリがそうと望んだが故に、人員に損失は無かった。
 絶対必死のガイアの砲撃を、光鷹翼はその次元違いのパワーにより防ぎきったのだ。

 「……なんつーか、風通しが良くなったな」
 巨大なモニターが一面を覆っていた筈の指揮所の側面は、砲撃により見事に焼け崩れ、その存在を消失していた。
 外壁は崖下から森ごと削り取られたようで、見下ろすまでも無く、視界一杯にバベルの座する聖地を奥に置いた霧混じりの深い渓谷の絶景が広がっている。
 渓谷の狭間にポツリと小さな影―――黒い聖機神が正面を向いて見上げているのが、悪夢と言えた。
 バベルに視線を移す。砲撃が止んでいた。弾切れの筈も無いから、きっと状況を窺がっているのだろう。
 黒い聖機人もまた、掲げていた黒く巨大な盾を降ろして空中に立ち尽くしていたから、恐らく同様のはず。
 「ってか、流石に三発目は撃てないかな。ガイアのコアユニットはともかく、ただの聖機人は持たないだろ……」

 と、すればやるべき事は一つ。

 呟きながら頷いて、アマギリは外の景色から視線を外して室内に振り返った。
 「―――なに?」
 女性陣が全員アマギリを見ていた。一歩引き下がりながら尋ねると、代表してラシャラが口を開いた。
 「何もかにもないじゃろうが。一体なんじゃ、今のは?」
 「おや、それをキミが聞くのか。こういうのを期待してついて来たんじゃないのか?」
 アマギリはしかし、聞かれた言葉と応えて欲しい言葉の両方の意味を確りと理解していながらも、あえてずらした回答を投げ返した。ラシャラはその言葉の意味を取り違えず、詰め寄るように踏み出しながら尋ねた。
 「ではっ―――やはりアレが女神の翼なのじゃな!?」
 「まぁ、そんな感じかな。質問はそれで全部? ……全部で良いよね、それじゃあ、敵さんのんびりしてくれてる間に、とっとと皆、撤収して!」
 驚愕の面持ちで先ほどの光景について尋ねるラシャラに、アマギリは何処までも軽い口調で応じる。そのまま手を叩きながら周りでぼうっと聞き耳を立てていたオペレーター達を急かす。
 オペレーターの女性達は、当然のことながら疑問と混乱で頭がいっぱいだったが、側壁が抉れ剥がれ落ち、谷底からの風が直接吹き付けるようになっていた事もあってか、どうにか思考を働かせて逃亡のための動作を体に命じ始めた。
 初めはどうしようもなくのろのろとしていたが、別車両から救護班もなだれ込み、本格的に遁走の空気へと移り始める。
 「カタパルトはどう? 砲塔は?」」
 アマギリは別車両からかけて来た人間の一人に尋ねた。
 「は? ―――ハッ、殿下。最後部のカタパルトに関しては無事です。アレは元々動力が別口ですから。砲塔に関しましては、特にこの先頭車両に近いものから順に……」
 「焼かれちゃったか。―――砲車のスタッフは無事だよね?」
 「はい、その……防御力場、なのでしょうか。あの強固な障壁が水際で完璧に防いでくれましたので」
 あの光り輝くエネルギー体は一体何なのでしょうかと、あからさまな疑問を浮かべる救護兵を、作業にもどれとアマギリは肩を叩いて押し出す。一々答えていられなかった。
 
 カタパルトの動力は持ち込んだ機工人の熱核反応炉と直結してある。機能が生きているのなら、無事に時限設定で崖の向こうに向けてコクーンを発射してくれる筈だ。
 そして、アマギリ自身の機能も先ほど光鷹翼の展開に成功した事から考えても、把握できるある程度の事は成果を出す事が可能らしい。
 後は、時を待って動くだけ。その時も、ほんの直ぐ先の事だ。
 「カタパルトは無事。―――って事は、何とか予定通りか」

 「何が予定通りなのじゃ?」
 
 やれやれと、撤収作業を眺めながら優雅な―――ふりをした―――仕草で指揮官席に腰を落として息を吐いていると、ラシャラが正面から腕を組んで覗き込んできた。
 「偉い人から逃げないと、下の人は逃げずらいんだけど?」
 しっしっと追い払うように手で払う仕草をするアマギリに、ラシャラはフンと鼻を鳴らした。
 「お主が一番偉かろうが」
 「いやホラ、嫁さんに血は残したから僕は残っても平気って設定で」
 「……一体何時、妾とお主がまぐわったのじゃ、その設定だと」
 ジト目で聞いて来るラシャラに、さてねと連れない態度で応じると、どうやら彼女もアマギリが他の者たちと一緒に逃げる気が無い事をはっきりと理解した。
 
 逃げる気が無いのならば―――座して死を待つ性格ではないアマギリのやる事など、一つしかない。

 「戦うつもりか」
 渓谷の狭間で静止している黒い聖機人をを見やりながら、ラシャラは固い口調で言った。
 「反則技もさっきので終いでね。そろそろ聖機師は聖機師らしく、ガチンコでぶつかってやろうかと、さ」
 「向こうは反則の手段をまだ持ち合わせて―――いや、お主もじゃったな、異世界の龍よ」
 「何のことやら?」
 このままアマギリが聖機人であの黒い聖機人と対決する場合、いかに相手が強力無比なガイアのコアユニットを持っていたとしても、その攻撃を完全に防ぎきる事が可能な”女神の翼”を有しているアマギリのほうが有利であるに違いないと、ラシャラは当然そう考えていた。

 事実は当然違う。
 光鷹翼ならガイアの砲撃を防ぎきるのは事実だが、制御不可能な光鷹翼は、無制限にアマギリから生命力を奪う。必死の状況を回避するために鉄壁の防御をしけば、逆に死に掛ける目に合うと言う碌でもない状況だ。
 無論、此処へ来る前からそれは解っていた事だったから、アマギリは限界ギリギリの状況まで光鷹翼の使用を避けていた。使えば碌でもないことになると解っていたから、二発目の直撃寸前まで温存していた。無論、敵を消耗させると言う意味もあったが。

 それにしたって、自身の消耗が激しすぎるなとアマギリは内心で思う。
 今もラシャラの追及をゆったりとした仕草でかわしているふりをして、その実肘掛に体重を預けておかないと前のめりに崩れ落ちそうなほど体に力が入らなかった。
 消耗していると言うよりも、あの何時かの夜に語りかけてきた声が言う所の、”人としての機能”が死に掛けていると言う事なのだろう。
 光鷹翼。
 皇家の樹としての機能が自身の中で優先されて、”体を動かす”と言う人としての当然の機能がどんどん脇に追いやられている。そういう感触がある。

 放っておけば、いずれこのまま―――。

 実感として虚脱を覚えているがゆえ、その恐ろしい想像がどうしようもなく焦燥を沸き立たせる。
 これ以上樹としての力は使えない。強くそう思うと同時に、恐らく此処から先は樹の力を使わねば厳しい戦いが待っているであろうことも、アマギリは正しく理解していた。
 自滅なんて真っ平御免。何とか上手くやり切る方法は―――せめて、出力を絞る程度の事でも出来れば、だいぶ変わるのだが。


 そのお礼代わりといっちゃあなんだけど、あの子にはあたしが作ったアンタの機能を安定化させる修正パッチと、瀬戸殿の仕掛けたロックを解除する解除コードを持たせておいたから。


 ―――”修正パッチ”。

 「―――言っていたな、そう言えば」
 唐突に、アマギリはそれを思い出した。
 機能安定化のための修正パッチを、剣士に持たせたと、確かに語られた。
 「従兄殿?」
 「ああ、御免。ラシャラちゃんは、剣士殿の……いや、良いややっぱ」
 突然呟いたのが不審だったのか怪訝な顔で尋ねてきたラシャラに、アマギリはそれを尋ねそうになって、しかし直ぐに止めた。益々怪訝そうな顔になったラシャラに、何でもないと苦笑して首を振る。
 現状剣士が傍に居ない以上、その修正パッチとやらのありかが判明しても、意味は無いからだ。可能性に引かれて気を逸らす様な事は後の展開を考えれば控えたかった。

 合流した後で、剣士本人にたずねれば良い―――後で、合流してから。

 合流―――出来るのか?

 自分の想像する未来のあまりの脆さに、アマギリは戦慄を覚えた。
 嫌な予感。皇家の樹としての高次元からの観測能力の片鱗により感じられる、可能性の未来。
 それが、近い未来にそんな現実が存在しないと、何処かで彼に悟らせている。
 
 嫌な予感の原因は、光鷹翼の発動が齎す自らの”死”の幻視によるものだと思っていたのに。

 それは乗り越えた筈なのに―――否、まだ乗り越えていないのか?
 最悪の未来が遠のく気配が、まるで感じられない。まだ何かが起こるのだと、そうアマギリに強く訴えている。
 「気合を入れるしかないって事かな」
 皇家の樹の力は万能ではない。迫り来る脅威を退けるための一助になりこそすれ、それがあれば全てを防げると言う訳でも、実際の所はそうではないのだ。
 同質の力、それを超える力、滅多にあり得る事は無いが確かに存在するそれらが向かってくれば、打ち破られる事もある。
 ましてや今のアマギリは皇家の樹としては不完全。
 「そもそも良く考えたら、マスターすら居ないんだよな僕。樹の癖に―――ん? マスター、居ないよな……」
 居る訳が無い。アマギリは一応、確立した自我を持つ強力な樹に分類される筈だから、契約を交わすマスターも自身の意思で選べる筈だ。故に、選んだ記憶が無いのだからマスターなど居なくて当然である。

 その筈だと、自分に何度も言い聞かせる。

 「……従兄殿?」
 「御免、本当に何でもないってことにしておいてくれ」
 当然ながらラシャラが不信感たっぷりの目で見ていたが、気にしない事にした。
 馬鹿な考えをしている場合じゃないと、そのまま体を起こす。ふら付きそうになるのがばれないように、そのまま二歩三歩と歩みを進める。
 撤収は続いており、崩壊した指揮所内に残っている人間は、最早アマギリとラシャラを残して数えるほどしか居ない。倒れ臥していたダグマイアは、どうやら救護班が護送したらしく、いつの間にか姿が消えていた。
 「と言うか本当に、そろそろキミ、行かない訳?」
 振り返って―――その動作でバランスを取りながら直立に成功したアマギリは、自身の椅子に腰掛けていたラシャラに尋ねた。
 ラシャラはアマギリの見せ掛けの態度とは違う皇族らしい優雅な態度で、肩肘に体を預けた仕草のまま、薄く笑った。

 「―――ホレ、フラフラで今にも倒れそうな夫が死地に赴こうとしておるのじゃ。妻としては見送ってやらねばなるまいて、のう?」
 
 フラっと一瞬本気で気が遠くなったのは、実際隠し切れないほどに消耗している事の証左だった。
 微笑む少女に何と答えたものか、言葉に詰まるアマギリに、しかしラシャラは笑顔のまま肩を竦める。
 「よいよい。大の男が意地を張って事を成そうとしておるのじゃ、妾は別に止めはせぬ。精々、悔い無きように暴れてくるが良いわ」
 「―――そりゃまた、大人な発言だ事で」
 「妾を何じゃと思っておる。国を追われた挙句、戦争の出汁に使われるような目に合っておる可憐な乙女じゃぞ? 大人にならねば、やってはおれぬよ」
 参ったと言う風情で漏らすアマギリに、ラシャラは鼻を鳴らして答えた。
 「ホント、強い女性ばっかりだよね、僕の周りは……」
 「これで年上なら、妾もお主のストライクゾーンと言ったところか。―――おとといきやがれ、百年経ってから出直して来いと言った処じゃな」
 「どんだけ低いんだよ、僕の評価は……」
 明け透けなラシャラの言葉に、アマギリは半笑いで尋ねるより無かった。周りに居る女性達が強いのではなく、単純に自分が弱いだけなんじゃないかなと思い始めていた。

 「評価を上げたいのであれば―――」

 ラシャラは、笑んだままに外に向かって指を突き立てた。
 指を突き立てる動作に合わせて、車体に振動が走る。
 敵の砲撃ではない―――時限発射の設定が成されていたカタパルトから、コクーンが投げ出されたためだろう。
 ラシャラの指が指し示すその向こう、渓谷の狭間に浮かぶのは、ガイアのコアユニットを所持した黒い聖機人。

 「アレを、とっとと片付けて参れ!」

 少女らしい威勢のよさに、アマギリは破顔した。
 不安な気持ちは消えはしないが―――不安に立ち向かえる程度には、気力が回復した。
 「了解したよ、ハニー」
 肩を竦めて芝居がかった仕草で、そう答える。ラシャラは更に不敵に笑って応じた。
 「おとといきやがれ、百年経ってから出直して来い―――吉報だけなら、受け取ってやるわ」
 
 ニヤリと、欠片の愛も感じさせない笑みをお互いに向け合った後で、アマギリはくるりと外へ向けて振り返った。
 

 座標、飛翔物体を追跡補整。亜空間航法システム、起動。

 皇家の船・雨契。―――発進。


 視界が一瞬で切り替わる。
 勝ち気な少女の姿は最早遠く、眼前一杯に移るのは、深い谷底の森と、霧交じりの空気。その中を飛翔するコクーン。

 標準的な航宙船の機能として備わっていた亜空間認識座標転位機能に基づき、気付けば、当然のように空間転位などしていた。ESP能力を用いてではなく、皇家の船のコアユニットとして、其処に組み込まれた機能を用いて。
 それは間違っても、まともな人としての身体の活用法ではなかったが―――躊躇う気持ちすら、沸かなかった。

 「当然のように座標固定でワープ・ドライブ……。人としての機能が”死ぬ”ってのは、こう言う事かな」

 体が動かなくなるのは消耗、疲労から来るものではなく、単純に自分の中から”体を動かし移動する”という概念が消えかかっているからだと実感した。
 「あんまり使わない方が良いみたいだな、ワープ」
 テキトーにやった後に逃げる時に便利かと思い試してみたのだが、想像以上に今のアマギリの”人間としての部分”を圧迫していた。継続して使用していけば、いずれ人間であった事すら忘れてしまいそうである。
 
 ―――そんな事は御免だ。こんな面倒ごとさっさと終わらせて、僕は。

 首を振り払い―――その動作すら重く―――気分を切り替え、空の上の人となったアマギリは、眼下、エナの海の中にあった黒い聖機人の姿を確認した。
 弾道軌道を描くコクーンの上に着地。そのまま、形状記憶装甲の中に体を沈みこませる。
 崩壊しかかった装甲列車から放たれた無人のコクーンと、突然空に降ってきた人影に戸惑うような姿勢で固まっていた黒い聖機人が、漸く状況を理解したらしい。盾を構え、大鎌を振り上げて、アマギリが落着したコクーンに向かって、接近してくる。

 「遅いんだよ」

 そう、遅い。コクーンは既に、喫水に着水を果たしているのだ。
 振り被られた鎌が下されるよりもあまりにも早く、アマギリは聖機人のコアユニットまで到達していた。
 起動―――流れるような仕草でコンソールに指を走らせ、機体を立ち上げていく。
 物言わぬ鋼の骸の瞳に光が灯り、卵の中で屈められていた体をみじろきさせる。
 背部の亜法結界炉が燐光を発し、持ち上げた首に、伸ばした両腕に形状記憶装甲が絡み、色づいていく。
 頭頂の牡鹿のような枝分かれした角以上に顕著な変化は、膝を合わさったまま伸ばされた下半身にこそ現れた。
 伸ばされた脚が関節に在り得ざる捻れを起こし、次第に分割され、背骨から続く竜骨のような形状へと変形しながら進捗していく。身の丈の倍以上の長さの、それが尾であると認識できるような頃には、そこに絡まっていた形状記憶装甲が蛇腹上の幾重にも重なった装甲を形成していた。
 尾の先端には、いつの間にか、分銅のような衝角のような外殻の内部に、亜法結界炉を内蔵している。
 
 鉛色の強靭な外殻。エナの水面でたゆめかされた身の丈以上の長さのある、蛇のような長く太い尾となった下半身。

 半身半蛇のその威容は、―――まさしく龍。

 顕現した異世界の龍は、先史文明の凶暴なる遺産を向かい討つべく、体をめぐらせる。
 
 「敵は人造人間、こっちはさしずめ改造人間か。養殖モノ同士、容赦なくいかせてもらおうか―――よぉっ!!」

 龍の騎乗席の中でアマギリは不敵に笑う。
 振り上げられた鎌を真っ向から受け止めるが如く、強靭な刃の張り出した龍機人の右腕を突き出した。







    ※ タイトルロールの主人公機の登場が約百話ぶりとか無いわww
      数えてみて自分でビックリした。
      まぁ、戦闘シーン自体が少ないしなー。



[14626] 42-3:輪廻転生・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/04 20:56


 ・Scene 42-3・



 聖地の建造物の存在する断崖絶壁の台地を、遥か天頂に仰ぎ見る形となる深い渓谷の狭間の森の中。
 
 煙幕と砲撃を隠れ蓑に撃ち出された快速艇は、乗員に一人の損失を出す事も無く、無事落着に成功していた。
 皆、快速艇から降りた当初は一様に霧の掛かった空の向こうに鳴り響く砲雷弾雨の響きに顔を向けていたが、そうしてばかり入られない事もまた、皆一様に理解していた。
 一度決意が決まれば、行動は早い。
 後部コンテナから機工人を降ろし、その稼動腕に快速艇下部アームで保持していたコクーンを固定する。
 「……誰かが乗っていったほうが早くないかしら?」
 人質救出のために選出された聖地への突入部隊の人員は全て聖機師だったから、機工人が持ち上げるには些か大きすぎるように見えるコクーンを眺めながらのリチアの呟きも、当然と言えた。
 「じゃあ、俺が乗りましょうか?」
 「あ、殿下に先に言われてるんだけど、”剣士殿ニハ絶対ニ聖機人ニ乗セルナー”だって」
 「……それは、アマギリの真似か?」
 後で怒られても知らないぞと、アウラが意味の無いツッコミを入れると、リチアも頷いた。
 「あいつ履歴書、特技の欄に覗き、盗聴とか書かれるタイプだものね。此処での会話も聞かれてても驚かないわよ」
 「いやあの、二人とも。話題にすべき部分はそこではないと思うんですが……」
 どうでも良い内容で会話を広げようとする先輩二人に、キャイアが冷や汗混じりに突っ込んだ。
 「些か冗談が過ぎたか。―――まぁ、だが確かに何故だ? 剣士が異世界人で聖機師であるなど、最早先ほどまでの会話を考えれば周知のことじゃないか」
 「―――と言うか、四月の頭から解ってた事だものね」
 「四月から!? って、コイツが来てから殆ど初めからじゃないの! あの頃はまだ隠してたわよ、一応――― 一応、としか言えない自分が嫌ね……」
 「そ、そうだよ! 俺、自分が聖機師だ何て言った事無いですよ!! ―――無い、ですよね?」
 頷きあうアウラとリチアの、その余りにあっさりとした態度に、隠しているつもりだった側は大慌てである。
 キャイアと剣士の慌てように、ワウアンリーが苦笑した。
 「キャイアさんはともかく、剣士は殿下の前でかなり迂闊な態度を取ってたと思うけどなー」
 「あ……」
 自身の行動を思い出して、剣士は冷や汗を垂らした。
 「そういえば、私もその場所に居たわ」
 一瞬剣士の迂闊に目を吊り上げそうになったキャイアも、売り言葉に買い言葉で止める事もしなかった自分の言動を思い出して苦々しく口元を歪めた。

 確かに、幾らか人目がある場所で、アマギリと剣士は同郷―――らしい―――の人間として少し込み入った会話をした事を繰り広げていた。―――と言うか、キャイアもそれに便乗していた。
 このジェミナーでは基本的に異世界人は全て聖機師であるから、異世界人と同郷であればそいつも間違いなく異世界人で、かつ聖機師と考えて何も間違いではない。
 柾木剣士は異世界人であり聖機師である。
 
 「白い聖機人、凄いパワーでしたよホント」
 「白……と言うのは珍しい、と言うか初めてか?」
 「光の波動の持ち主、と言うヤツじゃないかしら。教会の伝承でそういう者の存在を指摘しているものがあるわ。―――光の安寧、闇の混沌。両者は表裏一体であり、光は容易に闇に染まり、闇の中より光はいずるとか」
 「前から思っていたのだが、教会は高度な先史文明の管理を請け負っておきながら、何故伝承される文言は全て抽象的なものなんだ?」
 「そりゃアウラ様、アレですよ。その方がご利益が有るからですって」
 「勝手なこと言わないで、ワウ。先史文明は確かに高度な技術力を有していたけど、その文化形態は現代のジェミナーの物よりも自然崇拝主義的な形態だったのよ。だから当時の公文書などを見ても、こういう一種シャーマニックな書き方がされているものが多いの」
 教師のように指を立てて語るリチアに、機工人を操縦してコクーンを固定中だったワウアンリーがなるほどと頷いた。落ち着いたものである。

 解っている事が当たり前―――日頃からそういう風情で会話を繰り広げている他国の王族達の会話に、キャイアは場を弁えずに眩暈を覚えた。彼女等に何でもかんでも聞かれれば答えてしまう―――他人が秘密にしたい事であっても―――それをしている男の事を思い浮かべると、胃が焼けるような感覚を覚えてしまう。
 「……そうよね。あの王子の前でアレだけ迂闊な態度取れば、どういっても知られるわよね―――って、ちょっと待った。あの会話があったのって、五月頃じゃあ?」
 目敏い男だ、忌々しいと此処に居ない誰かを思い浮かべてため息を吐いたキャイアは、ふと時系列にズレがある事に気付いた。
 剣士の私物のペンダントが壊れた―――壊した―――時の一件で発展した時の会話の筈だったから、それは確かに五月の出来事だった筈。
 四月のはじめごろは、まだ知ることは出来なかったはずではないか―――そんな風にキャイアが思っていると、アウラが苦笑混じりに言った。
 「いや、一応フォローするが、この件に関しては剣士―――と言うか、ラシャラ女王の迂闊が過ぎるのだと思うぞ。単純に事後の会話の中で時系列から推理しただけの事だからな」
 「そうよねぇ、アウラでも遠まわしにヒント出されただけで気付くような状況だったもの」
 現場に居なかった私ですら気付いたくらいだしと、アウラに続いてリチアも頷いた。
 「うわぁ、どうしよ。これがバレたらきっと、ラシャラ様に怒られるよね……」
 「アンタが迂闊すぎるからでしょうがっ。―――私もだけど」
 迷子の子犬のような顔で見てくる剣士に、キャイアは投げ出すように言った。ワウアンリーに忌々し気に視線を送りながら続ける。
 「大体どうせ、あんた達が知ってる事をラシャラ様も把握してたりするんでしょ?」
 「あれ、キャイアさん良く解りましたね?」
 「そりゃそうよ。そういう裏からの根回しばっかりするタイプじゃない、あの人」
 あの人、と言うのが誰を指しているのかは推して知るべしである。
 勿論名指しで尋ねられたワウアンリーも、正しく理解している。あの人相変わらず嫌われやすいなぁと、苦笑してしまえる気軽さだった。良いところよりも明らかに悪い所の方が目立つ人に対する評価としては、妥当なものだと考えている。
 ワウアンリーは変な方向に流れ始めた話を断ち切るように結論を述べることにした。 

 「とりあえずそんな訳で、剣士が聖機人を動かすと亜法波がキツすぎて一発で敵にばれるから止めておけ、って事だそうです―――建前では」
 
 「……建前か」
 「建前ですとも」
 異世界人の聖機師ともなればそれが放つ亜法波も強力に過ぎるだろうと、普通に納得できる理由だったので頷いてしまったアウラは、含むように添えられた”建前”と言う言葉に首を捻る。ワウアンリーはそれはもう、と言う芝居がかった仕草で頷きながら続けた。
 「どーせ中に聖機人の一体も居ない事は解りきってますからね。下手すれば見張りの兵隊すら居ない可能性があるらしいですから、剣士にはそれでも念のための生身での護衛役を頼みたかったらしいですよ」
 保険にしては過剰ですよねと主の過保護を笑うワウアンリーに、言葉の意味を理解した少女達は目を丸くした。
 「ちょっと、上に見張りも聖機人が居ないってどういうことよ? ババルン・メストは聖地を制圧したんでしょう?」
 「―――残っていた生徒と学院の職員を、一箇所にまとめて監視しているのではないのか?」
 だからこそ突入部隊に精鋭をそろえて、秘密裏に救助を行おうとしているんじゃないのかと、リチアもアウラも戸惑い混じりに尋ねる。
 「いえ、生徒の人も先生方も皆、オデットとかスワンのある、一等艦船用の港湾施設に集合して、むしろ逆に船に乗せてあった聖機人を並べて防衛線を構築してますけど」
 通信封鎖される前の第一報の段階で、既に解っていた情報ですと、ワウアンリーはあっさりと口にする。
 その落ち着いた態度にキャイアが声を荒げて尋ねた。
 「ちょ、ちょっとそれどう言う事よ!? 船に乗せてあった聖機人って、ようするにそれスワンに搭載されてたヤツでしょ? なら、そのまま全員スワンに乗せればわざわざ私達が助けに行かなくても聖地から脱出できるじゃない!」
 「ましてや今は、陽動によって航路を封鎖していた艦隊の姿も無い。脱出も容易だろうが―――いや、そうか。中からでは何時脱出すれば良いか解らないか。つまり私達は、救出ではなく伝令役と言うわけか……?」
 しかもアマギリが言い切ったくらいだ、本当に敵兵は殆ど居ない上に、人質達も直ぐに逃げ出せるような状況なのだろう。
 「……これ、本当に野生動物一人が行けば済む問題だったりしない?」
 答えは解っているけど聞きたくない、と言う苦い口調で尋ねるリチアに、ワウアンリーは無常にも頷いた。
 「そりゃ、殿下は元々剣士とダグマイア・メストと三人だけでやるつもりの作戦でしたからねー。途中参加のあたし達には、一番安全なお仕事しか回ってきませんよ。ましてやリチア様が参加なさる作戦が、危険な訳無いじゃないですか」
 「―――そう言われれば、そうだな」
 「因みに、だから出来れば聖機人にはリチア様が乗ってくれると、一番安全な場所だから助かる。そういう風に話を誘導しろ―――って言付かってるんですけど、どうします? わざとらしい提案とか必要ですか?」
 「……私に聞かないで、お願いだから」
 どうします、と投げやりな態度で聞いて来るワウアンリーに、リチアは顔を赤くして視線を逸らした。
 
 何だこのお惚気空間。

 キャイアはそのやり取りを見て大きな溜め息を吐かざるを得なかった。
 何で自身が思い人から酷い仕打ちをうけたばかりで、こんな桃色な空気を目撃しなければならないのか、理不尽で仕方が無かった。
 そういう観点から考え出すと、キャイアをこちらのメンバーに入れる事にゴーサインを出したのも、実は初めから殆ど危険が無いからだと理解出来てしまう。
 「あの王子が過保護だって言うアンタ達の気持ちも少し解るわ……」
 忌々しいが、実際本調子には程遠く、下手を打てば周りに余計な危機を背負わせてしまう可能性もあったので、ありがたいことも事実である。
 「一段落付いたら、本人に徹底的に言ってやると良いと思いますよ? あの人、直で文句言われる事には特に怒ったりしない人ですから」
 「―――全く怒らないから、返って苛ついてきて駄目よ、私の場合」
 苦笑するワウアンリーに、しかしキャイアはどう頑張ろうとあの男とは相容れないと嫌そうな顔で応じた。
 「それだけ言える元気があれば、平気そうだが―――そろそろ、行くか?」
 キャイアの言葉に好意的な笑みを浮かべたアウラは、いつの間にか視界を遮る絶壁によって何か作業をしていたワウアンリーに声を掛けた。
 見れば、岩壁の隙間に、端末の接続口が存在している。ケーブルで繋いだ携帯端末を、ワウアンリーは高速で何かを打ち込んでいく。
 「あいあい、開きまーす」
 気の抜けた声で後ろ手を掲げながら、ワウアンリーはそんな宣言を行う。

 それに呼応するように、巨大な岩壁が、鈍い振動を起こしながらゆっくりと四分割され開放されていく。
 
 「―――これはまた」
 「うわぁ、デカイですね……」
 「聖機人どころじゃないわ、コレ、小型の艦艇が余裕で入るわよ?」
 砂埃を上げながら開ききった岩壁は、デカイと表現するのも馬鹿らしいほどに広大な立方空間をその内部に示していた。見上げても天井の梁が薄暗くてよく見えない。
 薄暗い鉄筋製の倉庫にしか見えないが―――その実この空間は、はるか天頂の聖地地表まで届く、巨大な昇降機である。
 「大地下深度の遺跡まで繋がってるんじゃないかしら、コレ」
 「とすると、下へ降りれば修復中の聖機神が存在する訳か。―――行くか?」
 リチアの呟きに、アウラが難しい顔で呟く。しかし、機工人を昇降機内部に導きいれたワウアンリーが首を横に振った。
 「下へ行くと多分全力で攻撃されるって話ですので、絶対行くなって言われてますので止めてください。あたしも立場上、行こうとしたら断固阻止しますからー」
 「そりゃ、幾ら人質に興味が無くても、聖機神は必要だろうから、絶対死守するだろうしねぇ」
 「しかし、ヤツが敵の目的を阻止可能圏内に居ながら何もしないというのも考えられないのだが―――実は我々が乗ってきたその船に爆発物が仕掛けられていて一網打尽、など考えていないだろうな?」
 木々を圧し折り乗り捨てることとなった快速艇を示しながら、アウラが言う。
 「あはは、アレは別に何も無いですよ。皆さんを運んでくるものにそんな危険なもの乗せたりしませんって」
 「―――それ、私達が乗らない”何か”に危険物が載っている可能性が無いかしら」
 硬い笑顔で否定するワウアンリーに、リチアがジト目で突っ込む。ワウアンリーは当然視線をあさっての方向に向けた。
 「まぁ、自分の屋敷の地下に情報部の本局を設置するような男だから、今更だな」
 「たまに思うんですけど、アウラ様ってあたしよりもあの屋敷に詳しくありません? あたし従者のくせに絶対入るなって言われてる場所多すぎると思うんですが」
 何故だか長い事帰っていない気分になっていた聖地内にあるハヴォニワ屋敷を思い出して、アウラとワウアンリーが微妙な顔をしていた。
 「と言うか、情報部って……」
 「気にしたら負けよ。大なり小なり何処の国でもやってる事だもの。危機管理の足りないラシャラ・アースだって、情報収集のための人間を聖地に連れてきてるでしょう? ―――尤も、あの男ほど本格的にやっているのはダグマイア・メストくらいでしょうけどね」
 学び舎に相応しくない言葉に額に汗を浮かべたキャイアに、逆に教会に所属しているリチアの方が落ち着いた態度で言い切った。聖地は国際社会の縮図。情報を制するものは正解を征す―――と言うことで、ある程度の地位についている人間が使用人名目でそういった人員を引き込むことを聖地は黙認している。
 尤も、リチアにとってはやりすぎの感のある男二人に関しては、男同士の意地の張り合い、全く以って馬鹿馬鹿しいと思うところがあったが。
 「よく考えたら、アイツは元々此処で何かが起こるかも、くらいは予想して居たものね。”避難誘導マニュアル”くらい用意しておいてもおかしくないか」
 「ああ、リチア様それ当たりです。緊急時の包括的な避難誘導計画に関しては、殿下は学院長先生とシトレイユのマーヤ様との間で、何度か会合を取り持ってましたから。生徒達の避難用にスワンを借り受けたいと思っていたので、特にマーヤ様とは密に連絡を取ってましたよ」
 昇降機を作動させるために開ききっていた隔壁を再度内側から閉口していたワウアンリーが、リチアの言葉に頷く。
 「ちょ、マーヤ様ってどう言う事よ!?」
 唐突に表れた、ラシャラの従者達を統括するマーヤの名前に、そんな素振りに全く気付いていなかったキャイアは慌てる。その隣で、剣士が何か思いついたかのように手をポンと打ち合わせた。
 「あ! ひょっとしてたまに学院長先生から届くマーヤ様宛ての手紙って……」
 「ハイ、剣士。正解。殿下から学院長、学院長からマーヤ様、他関係各所って感じで―――尤も、初めはダグマイアさんを弄ぶための計画だったんですけどねー」
 「弄ぶ……」
 どれだけ関係が拗れようともやはりダグマイアに対するアマギリの応対に納得がいかないキャイアは、ワウアンリーの言葉に苦い顔をする。
 「大方、事が起こった瞬間に速攻で鎮圧するつもりだったんだろうな……」
 「事前に止めるつもりが微塵も無いのが、また悪辣よねぇ」
 リチアとアウラが、溜め息混じりに頷きあった。
 「何処までいっても、結局ヘタレのいじめっ子ですからね、あの人。―――さて、上昇しますよ。上は、ほぼ安全な状況ですけど、念のために気は引き締めて於いてください。……あ、後流れ弾と破片等の落下物に注意だそうです」

 ワウアンリーの言葉に従って、巨大な昇降機が、細かい振動と共に上昇していく。
 何処か背筋におぞましいものが走るのは、照明も無く暗いが故か、それとも稼動している結界炉のせいか。

 「さて、鬼が出るか蛇がでるか……」
 暗い天上を見上げながら、アウラが呟く。

 「万難排したつもりで、結局更に大きなトラブルに突っ込むのがアイツの日常だものねぇ」
 リチアが、緩んだ気分を引き締めるように呟く。周囲には惚気にしか聞こえなかったが。

 「鬼も蛇も解りませんけど、少なくとも龍は飛んでるんでしょうね」
 「ワウ?」
 小さな声で呟いたワウアンリーの、意外なほどに暗い表情に、アウラは首を捻る。
 
 不安。
 そこに浮かんで居たのはそれが全てに見えた。

 「あたし達を皆安全な場所に―――護衛つきで”避難”させて」

 ダークエルフの優れた聴覚は、機工人の操縦席と言う少し離れた場所に居たワウアンリーの呟きを、確かに聞き取った。アウラは周りの者に気付かれぬように、何気ない足取りで機工人に乗るワウの傍に近づき、小声で尋ねる。
 「―――何か、気になる事でも?」
 ワウアンリーは一瞬ぎょっとしたように目を瞬かせた後、語りかけてきたのがアウラであった事に気付いてか、微苦笑を浮かべた。そして、やはり周りに聞こえぬように小さな声で応じた。
 「いえ、その。嫌な予感がするって言うか―――嫌な予感しかしないって善い言いますか」
 「嫌な……だが、実際私の主観で厳しく見積もってみても、突破可能な危機程度しか想定できないのだが?」
 「ん~~、そう言われるとそうなんですけど。いえ、あたしも何度も何度も念を押すように平気だって言われてるんですよね、事前に。平気だ心配するな、言われたとおりやってれば平気だからって」
 「ん? よく解らんな」
 つまり、事前に―――此処へ来る前に、ワウアンリーは主であろう男に散々に平気だと念を押されているのだ。
 「実はそれは嘘で、私達が大慌てになるのを指差して笑うつもり―――等ということは流石に無いと思うのだが」
 「そりゃ、幾ら何でもないですよ。―――あたしが言いたいのは……ん~~~」
 若干口を尖らせてアウラに反論した後で、ワウアンリーは言葉を選ぶように首を捻った。
 そして、腕を組んで悩みぬいた後で、言った。

 そのタイミングが丁度、昇降機の停止―――即ち、上層階、聖地施設内への到着を知らせるものだったのが、何かの予兆のようにアウラには思えた。


 「あの殿下が、目に見えて解りやすいほど―――あたし程度にすらあっさりと気付かれちゃうような気遣いをせざるを得ない状況って、―――なんだか、すっごい危険な状況な気がしませんか?」


 なるほど、納得したが―――しかし、もう。

 たどり着いてしまえば、引き返せない。







    ※ 一方その頃、的な。微妙に時系列遡ってますが。

      因みに各ヒロインのオリ主に対する好感度を決めるにあたって、大きく三つのパラメーターが存在していたりします。

      即ち、「友情度」・「恋愛度」、そして「嫁度」。

      恋愛度が高くても嫁度が低かったり、逆に恋愛度が低くても嫁度がカンストしてたり、まぁ、こういう日常の延長に無い
     状況になると目に見えて違いが出てくる、と言うか。

      誰がどうなんて言わないけどな!

    



[14626] 42-4:輪廻転生・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/05 20:54


 ・Scene 42-4・




 鋭角的なラインを有する禍々しい黒い聖機人。

 光を反射せぬ鉛色の装甲を不気味に蠢かせる龍機人。

 天を見上げてその光景を目撃したものが居たのであれば、言うであろう。


 ―――二体の悪魔が、空で踊っている。


 それは聖地北端に屹立した朽ちかけたバベルの威容と、その底部演習を高速で旋回しながらぶつかり、飛び交う姿を合わせて、まるで何か邪悪な儀式の様相すら想起させる。
 
 飛翔、交差、激突、回避―――超速での接近から繰り出される刃と刃、離れれば撃ち交わされる亜法の光弾の応酬。
 集中など、神経を鋭敏化させる暇が無いほどに反射的に動作を入力し、それが機体に反映したことにすら気付かないほどの速度で、更に先の動作を入力。
 
 「半死人にやらせる戦いじゃ無いっての、この―――っ!!」
 『いい加減堕ちろ! 蛇がっ!!』

 歯を食い縛り呻くアマギリの言葉に応じるように、刹那の交差によって開かれた接触回線から、恐らくは黒い聖機人の聖機師―――人造人間”ドール”のものと思われる、金切り声が鳴り響く。
 年端も行かぬ小娘としか思えないその声。それがこの、見たままに凶暴な黒い聖機人を顕現させていると言うのだから、なるほど、先史文明人と言うのは随分と悪趣味らしい。
 文明崩壊末期にまで、少女を矢面に立たせて自分達は引きこもろうと言うのだから、多分にフェミニストの気があるアマギリには苦々しい現実だった。
 「ああもうっ! 良いから諦めてオッサンのところへ帰れよ!」
 『戯言を!!』
 下された大鎌の腹を振り上げた右の手の甲を叩きつける事により払いのけ、零距離から左肘の刃をコア目掛けて抉り上げる。口にした言葉とは対照的に、明確に聖機師ごと殺すつもりで攻撃していた。
 しかしその一撃は、黒い聖機人の超常的な反射速度―――鎌の重量を利用して全身を捻り、滑る様に龍の側背にまろび出る事によって回避された。
 そして黒い聖機人は、そのまま遠心力を利用してガイアのコアユニット―――密集したエナの大質量を棍のように叩きつけてくるから、アマギリは空を泳ぐように衝撃を下半身の尾で受け流しきり、距離を離す。
 『逃がさないよっ!』
 距離を離そうとする龍機人に、さらに追いすがるように黒い聖機人はガイアのコアユニットを突き出す。
 「―――のやろっ!?」
 突き出されたコアユニットが中心から変形していく様を見て、アマギリは何が起こるのかを瞬時に悟った。
 収束される膨大なエネルギーが燐光を放つ。巨大な列車を絶壁ごと溶かし尽くすには不十分だろうが、しかしそれよりは遥かに小さなサイズの聖機人を焼き尽くすには有り余る威力。

 解き放たれる粒子砲は、避けた所で飛散する粒子を浴びただけでも致命的だ。
 射線をずらしながら追い縋られたら悲惨な事になる。

 ―――アマギリは、光点が収束するその一瞬で、覚悟を決めた。
 
 龍機人を反転させ黒い聖機人と剥き合わせ、そして、右手を広げ眼前に突き出す。

 その動作と、粒子砲の発射は全くの同タイミングだった。至近と言う外無い位置からの射撃。
 回避不能のそれを、防ぐ手段が―――あるのだ、彼には。
 
 『―――っ、また!?』
 
 正体不明の力場によって塞き止められ、捻じ曲がる粒子砲の光の奔流と交じり合うように、少女の悲鳴の如き声が上がる。
 「またも何も、だからもう、諦めろっての!」
 ―――頼むからと、口には出さずに付け加え、そして一瞬咳き込んだ後でアマギリは突き出した腕を振り払った。
 『くっ!?』
 完璧に防がれていたエネルギーが、押し込まれた力場に干渉して黒い聖機人に逆流する。
 自分の攻撃で機体を焼かれてはたまらないと、黒い聖機人はコアユニットを引き下げ龍機人より距離を離す。
 「なんつーかもう、チキンレースになってきたなぁ畜生!」
 何故か錆び臭くなった口元を袖で拭って、アマギリは吐き捨てるように呟いた。
 視界が狭まりぼやけ、頭の奥に鈍痛が鳴り響いている。シートに体を固定していなければ、今にもコンソールパネルに突っ伏してしまいそうだった。
 絶対たる防御を約束する光鷹翼の展開は、確実に彼の命を削っていた。
 「自殺願望なんて無いんだからな、僕は……」
 意識を繋ぎとめようと大きく首を振りながら、自分に言い聞かせる。
 ぼやけそうな視界の端に、崖の向こうでその役目を終えた破壊された装甲列車の姿を確認する。

  脱出用の電気自動車は、無事森を抜けただろうか―――抜けていると、信じるより無い。ラシャラも流石に、アマギリが姿を消したとなればあの場に残っては居まい。
 そして黒い聖機人の聖機師は、明らかにこの龍機人を破壊できない事に苛立って、攻撃を集中させている。

 「今の所は上手く言ってると―――」

 ―――言えるか?
 反射による行動に身を任せる刹那に、アマギリは思う。
 戦闘に持ち込んだ所までは予定通り。こうして一人、敵と向かい合う形になったのは願っても無いことではある。
 しかし、少し予定外だったのは戦闘位置に関してだろう。
 当初予定では渓谷の中だけで殴り合うつもりだったのだが、龍機人の特性―――尾の末端に備わった亜法結界炉を利用した喫水外での限定的運用能力を活用して、常に上を取るように戦闘を行ってきたから、何時の間にやら聖地直上―――バベルの直下辺りにまで移動してきてしまっていた。
 時間稼ぎのために相手に併せての行動を優先しすぎたのだ。
 と、言うよりも予想以上に黒い聖機人は強力で、余り位置取りを気にしていられる余裕が無かったと言う事もある。 


 そこに気をつけさえすれば―――概ね、予定通り。黒い聖機人は完全に龍機人に意識を囚われきっている。


 聖機神ガイアの特性を聞いた時から考えていた、想像通りの展開に事態が推移している事に、アマギリは安堵を覚えていた。
 
 ガイアは全ての破壊を望んでいる。
 それは、生命としてこの世界に誕生し始めた時から刷り込まれていた、本能のようなものだ。

 ―――ならば、そのガイアの前に、”絶対破壊不可能”な物が存在していたらどうなるだろうか。
 本能的に破壊を求め、そして実際に全てを―――生みの親とも言える先史文明そのものすらも破壊しつくしたガイアだ。
 生まれてから此れまで、一度も―――活動停止に追い込まれたときだって、二対一で相打ちにまで持ち込んでいる―――破壊活動に失敗した事が無いのだ、それはさながら、失敗を知らぬ子供のように思えた。
 生まれた時から失敗知らずの子供なら、自分が破壊に失敗すると言う想像すら抱けないのではないか、アマギリはそこに活路を見出した。

 絶対破壊不可能な光鷹翼を前に―――否、破壊不可能と言う事実すら、認められまい。
 存在理由にすら関わる問題だ、唯一の解法として、意地になって破壊しようとしてくるだろう。

 「ムキになってくれて、ありがとう、よっ―――とぉっ!」
 
 再び接近してきた黒い聖機人の一撃を、身を捻りながら避け、太い幹のような尾を捻り叩きつける。
 『ちょろ、ちょろとぉっ!!』
 「それはこっちの台詞だよ、人形!」
 鞭の様に撓り迫る尾の一撃を、ガイアのコアユニットを叩きつけて払う黒い聖機人。その一瞬に二人は怒鳴り声をぶつけ合う。
 アマギリにとって唯一の不安はこの、ユライトからは情報を渡されなかった人造人間ドールの存在だったが、戦闘の経過を見る限り、どうやら確りとガイア―――ババルン・メストの支配下に置かれているらしい。
 ババルンから攻撃中止の命が無い限り、アマギリだけを攻め立てるのをやめる事は無いだろう。
 「後の、問題は、あぁ―――っとっとととぉお!?」
 鎌を一瞬だけ白刃取りの要領で押し留めた後、一瞬で重心を逸らし一撃を避ける。慣性制御の範囲から逸脱する高速起動の連続に、アマギリはシートの上で体を前後左右に押しつぶされるような圧力を受ける。
 そのたび、一瞬意識に空白が出来て、回避動作に遅れが出始めている。
 
 危険を一身に引き受けると言う作戦自体は嵌ってくれたが―――流石にこの消耗は予想外の事態である。

 「もっと何とかなると思ったのに……」
 やはり、解析不能の神に等しい力を、人の思惑で振り回そうと言うのが土台無茶な話なのか。
 自身の見込みの甘さに、反吐が出そうな気分だった。―――現実として、嘔吐感があるのも事実で、それがまた嫌になる。
 「……自分がなってみれば良く解るなんて、嘘っぱちじゃないですか、瀬戸様。 ―――自分の事を完全に理解できるヤツなんか、居るかよぉ―――うっ、く!? ―――ぉぉおっ!?」
 此処には居ない誰かに毒づきながら、アマギリは打突武器として突き出してきたガイアのコアユニットと正面から組み合う。大質量による凄まじい圧力に、一気に振り回され、下方―――聖地地表へ向けて押し込まれそうになる。
 「こ―――のっ!?」
 『蛇なら! ―――地面を這ってるのがお似合いだろ!? このまま踏み潰してあげるよ!!』
 人造人間の狂気に彩られた叫びが響く。
 一気に流れ行く景色、近くなる地表、凄まじい圧力の中で、アマギリは覚悟を決めた。
 「ざけんなっ! 人形と寝技合戦する趣味なんかこちとら無いんだよ!!」
 確実に意識が飛ぶ。そうと解っていても状況を脱するためには使うしかなかった。

 三枚花弁の輝く翼。
 
 ガイアのコアユニットと組み合った両手の先から、幾何学文様を描くような軌跡を取りながら満ち開き―――そして彼の望みどおり、落下速度と合わさったガイアの最大重量が生み出す衝圧の全てが瞬間的にゼロと化した。
 『ゼロ距離でも使うっての!? っ、くっ―――あぁあっ!?』
 しかしそれは、受け手のアマギリのみの事。押し込んでいた黒い聖機人にとっては、唐突に目の前に強固に過
ぎる壁が出現したのと同様だ。最大速度の落下と合わさったガイアのコアユニットの大質量が生み出す落下エネルギーの全てを、ただの聖機人の身で浴びる事となった。
 
 相手を撃滅せんと放たれた一撃、自らが浴びる事となったその威力は絶大だ。

 ガイアのコアユニットによる二度の高圧縮エナの収束粒子砲の全力射撃と、そして高機動力に定評のある龍機人との息つく暇の無い鍔迫り合い。
 加えて、聖機神を動かすために特別な調整を受けた人造人間の強力な亜法波を浴び続けていた聖機人は、遂に身体構成の維持に限界を迎えた。
 光鷹翼によって駒のように錐揉みしながら跳ね飛ばされた黒い聖機人の脇を、アマギリは残った意識を振り絞って天上へ避ける。
 腕が、脚が、四肢がボロ雑巾のように引きちぎれ、武器を手放しガイアのコアユニットを投げ出しながら、黒い聖機人は聖地の中庭目掛けて突っ込んでいく。
 瓦礫と粉塵を撒き散らし、激突の衝撃で芝の禿げ上がった中庭を転がり、そして遂に、黒い聖機人は港湾部へと続く階段の下で―――スワンとオデットの、直ぐ目前で。稼動を停止した。
 「―――ぁっ、た……のか?」
 最早指を動かす事すら覚束無い。
 覚束無い思考で、しくじった事を理解する。

 落下場所が最悪だ。いやそもそも、戦闘領域を誤ったか。
 気付かぬうちに、愛すべき女たちの居る脱出用の船の傍まで接近していたらしい。
 黒い聖機人の落下位置は、もう桟橋の目前だ―――速やかに、止めを刺さなければ。

 アマギリは何とか機体を飛翔させて、四肢をもがれて階段の下に転げ落ち、仰向けに倒れ臥した黒い聖機人に止めを刺そうと、腕を振り上げ―――。
 

 ズルリと、操縦桿を握り締めていた左手から力が抜けて、滑り落ちる。


 支えの無くなった身体は、前面コンソールにそのまま顔面を叩き付けそうになって―――痛いのはたまらない。
 咄嗟にそう考えてしまったアマギリの思考をトレースするように、右手が掛かっていた操縦桿―――思考伝達モジュールが、前面コンソールの側面への退去を機体に命じていた。
 前周を覆うように設置されていた半円周のコンソールパネルが無くなれば、前面の透過装甲とアマギリ自身との間に遮るものなど何一つ無い。
 手を伸ばす、伸ばした掌が透過装甲と接触し、結界式を起動―――透過装甲の液化処理を命じる結界式が、起動した。

「まずっ……」

 そして当然の如く、液体に手を突っ込んだ形となったアマギリは支えを失って、コアの中から、転げて、落ちた。
 空の高い位置から落とされたと言うのに死なずに済んだのは、転げ落ちた先が柔らかい花壇の上だったからだろうか。堆積されたやわらかい土の上に、それでも、叩きつけられた事実は変わらない。
 「がっ―――んぐっ!?」
 落下によって受ける筈だった衝撃の殆どは回避された筈だったが、体が思うように動かずに受身も取れなかったため、顔から花壇の耕せた土の上に突っ込む事になった。錆びと、土、花の香りに意識を何とか繋ぎとめる。
 
 体を、起こさないと。

 しかし指一本動かず―――そして、背後で龍機人がコクーンに戻る気配を感じた。

 龍機人はアマギリの放つ特殊な亜法波―――皇家の樹の生み出す常外のエネルギーが原因だろう―――が原因で、たった一度の起動でオーバーホールが必要となるほどの形質劣化を引き起こす。
 故に、一度起動して、そして降りてしまえば再度の起動は不可能。

 ―――拙い。

 敵は階下、見えないけれど、まだ生きているかもしれないのに。

 否、真の敵は背後に、バベルの中に、まだ。

 倒れ伏している場合ではない。

 体を起こせ、意識を留め、対策を練れ。

 ああ、しかし。

 人の身に在らざる力を使った代価を支払う時が来た。

 一握りの砂のように零れ落ちそうな意識にしがみつこうとしても、最早それも叶わず。
 握り締めた傍から、意識は零れ落ち、視界は闇に。


 拙い。拙い。拙い、拙い、まずい、まずい、まず、い、ま、ず……、ま、………。

 







    ※ 長々と続いてきた聖地決戦もそろそろ佳境が見えてきたって感じでしょうか。
      まぁ、しかし。久しぶりに出てきたのに一話でログアウトはちょっと勿体無かった気もしなくも無い。
      あんまり戦闘にばっか尺取ってる訳にも行かないんで、仕方ないんですが。



[14626] 42-5:輪廻転生・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/06 20:43


 ・Scene 42-5・





 「ド、ドール……そして敵聖機人、共に、沈黙しました」
 「ガイアの盾、学院教職員塔に落着を確認! 回収急げ!」
 「ドール、意識レベル最低値を観測! 通信は……くそっ、封鎖中だよ!」

 管制官達の騒然とした声が、幾度もの攻撃を受けて些か機能の低下した感のあるバベル管制室に響く。
 当然だろうなと、ユライトは玉座の脇に立ち、静かな表を浮かべたままで黙考していた。
 モニターに映る映像は、主君の齎すであろう栄光に引かれてこの”義挙”に参加した全ての将兵の希望を粉々に打ち砕くような光景だったから。
 先史文明末期に開発された最強の人造人間ドールと、そして封印からとかれたガイアのコアユニットの組み合わせを以ってすれば、並みの聖機人では太刀打ちする事など不可能な筈だったのだから。
 二度の粒子砲を防ぎきった事すら目を疑うような事態だったのだから、ボロボロに打ち砕かれて地面に仰臥する光景は、彼らを恐慌状態に陥れるには充分だった。
 
 ―――それにしても、不完全な形とは言え、勝利を収めるとは。

 こちらの予定を悉く打ち崩す行動ばかり取るハヴォニワの王子に、内心忌々しく感じていたユライトにとっては、此れは意外な成果を見せられた気分である。
 積年積み重なった執念でガイアの打倒に邁進してきたユライトにしてみれば、アマギリの迂闊にしか見えない行動など、何も知らぬダグマイアのそれ以上に愚かなものとしか映らなかった。
 ガイアの恐ろしさを全く理解できぬ、中身の無い空虚な自信―――そんなものだと、思っていたのに。
 
 「女神の、翼……」

 先史文明の技術に明るいユライトを以ってしても、まるで理解不可能な超常的な力の発露。
 ガイアの粒子砲を苦もなく防ぎ、ドールの修羅の如き攻撃を意にも介さず凌いで見せた。
 なるほど、あんなものが使えるのであれば、あの調子に乗りすぎた態度にも頷かざるを得ないと、ユライトは再び自身の構想を滅茶苦茶にしてくれた異世界人に対して、恨み心地だった。

 ―――本当にこの状況から何をどうしろって言うんだ。

 ユライトとしてではなく、その半身ともいえる女性―――人造人間ネイザイ・ワンとしての思推として思う。
 完全にガイアの人造人間の意志に取り込まれているババルンと違って、ユライトには、ユライト・メストと言うこの時代の青年としての意識と、アストラル体のみとなっている先史文明最後の人造人間の一人であるネイザイ・ワンとの意識を共有している。
 ユライトは聖機工だった父の手によって埋め込まれたそのアストラル体の意思に同意し、共犯者としてあらゆる手段を以ってしてもガイアを破壊すると誓い、そしてここまで計画を進めてきていた。
 両者の意識は常に意識化では並列して存在し、表に出る側も自在にコントロールが可能なのだ。そして、表に出ているアストラルに引かれて身体は身体構造を作り変え、ユライトのときは男性として、ネイザイの時は女性として存在する事が出来る。
 その性別の切り替えを利用しての隠密行動は、ババルン―――ガイアにその正体を悟られる事なく、秘密裏に打倒のための計画を進めることに役に立っていた。
 
 打てる手は打てるだけ打って―――そして、遥か先史文明の時代に別れた姉妹、使命を帯びて異世界へと旅立った最後の人造人間レイア・セカンドが送ってくる筈の救援を待っていた。
 
 レイアと異世界人とのハーフ。最強の力を有した、単独でガイアを打倒しうる能力を持った聖機師の存在を。

 当然ことながら、目的を持って人を送り出したのであれば、連絡手段、帰還手段共に確保してあった。
 無論のこと、それに加えて連絡を取る手段も。尤もそれに関しては、SOSの信号を”向こう側”に一方的に送るだけの心もとないものだったが。

 ガイアの人造人間を、よりによって今代の寄り代に選んだユライトの兄の中に発見し、そしてそれを行った彼ら兄弟の父の残した研究データから、ガイアはあっさりと自身のコアの位置を知り、その封印をとくための活動を開始した。
 ならばユライトとしては猶予無く、向こう側への救援要請を発すると共に自身もガイア―――ババルンの傍に近づき、状況の把握と遅滞に勤めなければならなかった。
 そして待った。向こう側にいるレイアが送り届けてくれる筈の、最高の援軍を。

 それはユライトが望んだ再考のタイミングで現れた。
 間違いなくそれだと解る、レイアの面影を宿した少年、柾木剣士。
 ユライトは彼―――ネイザイのみが知る、レイア送還のための施設で発見したのだ。
 召喚施設の中心で眠り続ける少年を見つけたときから既に、ユライトはその後その少年をどう扱うべきか決めていた。

 ガイアの聖機師であるババルンは、父親の残した知識を元に人造人間の制御方法を知り得ている。
 ユライト達とほぼ同時期にこの世界に蘇っていた人造人間ドールは、その技術によりババルンの支配下に置かれてしまった。
 ユライト自身は、ユライト、ネイザイと言う二重存在を利用した巧妙な立ち回りで、ババルンに人造人間である事実を掴ませていない。
 だが、この少年はどうだろうか。今、呼び出されたばかりで全てを説明してしまったら―――迂闊なところの在ったレイアに良く似た少年だったから、ユライトが不安を覚えるのは無理もない。
 
 故に、全て秘密のまま、何も知られぬままに動いてもらう事とした。

 知らぬ間に中心に位置し、知らぬ間にやるべき使命を果たしてもらう。
 ユライトが彼に望んでいる事は唯一つ―――聖機神ガイアの破壊。
 かつて取った手段、つまり時間切れを利用した聖機師のみの打倒ではなく、聖機神ガイアのコアユニットを完全に破壊する事こそが、剣士の使命だ。

 最強の能力を有した聖機師である。ガイアを倒すためのその力を、ガイアの手に渡す訳には行かない。
 ―――秘密裏に、巧妙に立ち回ってガイア打倒まで誘導しなければならない。誰にも悟られぬまま。

 そしてユライトは策を弄して、柾木剣士をダグマイアの元に送り、そしてダグマイアを唆してラシャラ・アースを攻撃させ―――いくらかの幸運と、ユライト自身のフォローにも助けられ、剣士を自身の出自すら知らぬ無垢のまま聖地へ、全ての中心へと立たせることに成功した。
 各国の王侯貴族、その子弟達の集う学び舎、聖地学院へと。
 そこには何れ次代に於いて世界を動かす立場となる姫君たちが全て揃っており―――ラシャラの従者と言う保証された身元の元で、剣士はその姫君たちと交流を深める事が可能だ。

 親しく、深い仲へと進んでいけば―――例えば、互いに困った事があったら、協力し合う関係となるだろう。
 例えば、世界の危機が訪れたとしても。

 後は裏でうまく立ち回って事態の発展を急ぎ、剣士を中心としてガイア打倒のための戦力の集約を完成させるのみだった。表面上はあくまで人間達が自身の意思で大同団結すると言う形を作り、そしてその後詰めとしてユライト―――ネイザイが先史文明からの因縁の全てを終わらせる。
 そうする事により人は、英雄の下に統一を果たし、過去から脱却し新たな未来を切り開く―――。


 ―――その筈なのに、あの、邪魔者が。


 剣士のために用意された舞台を、主役登場を待たずに荒らし尽くした。
 何処で覚えたのやら、歳に見合わぬ―――と言うか、そもそも本当に見かけ通りの年齢なのかも解らぬ、知識や能力を有する正体不明の異世界人。
 アマギリ・ナナダン。
 ハヴォニワの女王の気まぐれにより、剣士の登場する数年前に唐突にこのジェミナーの舞台に立った少年。
 予定されて送られてきた剣士と違って、本当の意味でイレギュラーの異世界人。
 彼の存在により、彼が舞台の中心に座り込んでしまったために、事態は予想外の方向へと進み始める事となった。
 アマギリは誰が敵かも解らぬくせに行動力だけは一人前で、その常にふら付いているような落ち着きのなさを発揮して四方八方の行動を無闇矢鱈に妨害しては、薄ら笑いを浮かべている。
 当たり前のように存在していた勢力図をボロボロに寸断し、自身の好みで再構築して、誰にも先を読む事を不可能なほどの状況を生み出した。
 意味があってやっているのかと彼の行動を注視してみても、どう考えても愉快犯としか思えない。
 たまにすれ違った時にユライトに対して鼻で笑うような視線をぶつけてきていたから、恐らく間違いないだろう。
 お前が気に入らないからお前のやろうとしていることを妨害してやると、きっと物凄い低レベルな感性で―――忌々しいくらいに高度な情報戦を仕掛けてくる。
 どれほど陰険で邪悪な人間に教育を受けたのか、一度アマギリ本人に聞いてみたくなるほど、陰湿で大規模な、それでいて緻密で繊細な情報操作を水面下で繰り広げてくれた。
 ハヴォニワの女王フローラですら、あそこまで上手くはやれないだろうと思わせる見事な手腕だった。それを評価しての、聖地内へのハヴォニワ王国情報部本体の移動だったのだろう。あの女王もまた、学生時代から容赦と言う言葉を忘れている所があった。

 ―――その挙句、混沌とした状況に引っ張られるように、ババルンまでユライトには予想外のタイミングで動き出すのだから、もうたまらない。

 内心ユライトは、アマギリを千殺しても有り余るほどに怒りにハラワタが煮えくり返ったりしていた。
 剣士―――主役が、英雄が舞台の中央に居ない時に、演目が始まってしまう。剣士どころか、主演となるべき各国の王女達の一人の姿も無い状況は、流石のユライトを以ってしても、額に青筋を浮かべなければやっていられない様な対処不能の状況だった。
 
 聖地占拠。聖機神奪取。ガイア復活。

 どれもこれもが、一方的に成功されてしまった。
 ユライトは表の立場があるから―――自身が大っぴらに立ち回るのは本当に最後の手段としなければならなかったから、状況が絶望的な方向へ加速していくのを眺めている事しか出来なかった。

 とにかく一旦、状況を再設定して自身の手元に手繰り寄せなければならない。

 決心は早く、行動は拙速とも言えた。
 具体的に言えば、普段なら絶対にやらないような”脅迫”―――しかも有り得ない位程度の低い―――を行ってまで、演者達を舞台の上に強引に引き上げるくらい。
 一応、人質扱いの生徒達には兵員は余り策必要が無いと指示しておいたから、その辺りは上手くやってくれると、今となっては信じたい。尤も、もとよりガイア打倒のためならばある程度の犠牲は考慮していたのが、ユライトとネイザイだったが。

 兎角、ユライトはアマギリを行動するように強請り―――そして彼は、動いた。
 ―――再び予想外な行動で。いや、途中までは予想通りだった。局地的に入手した権力を活用しての陽動から襲撃。一応予定通りの行動を取ってくれたのにユライトは内心安堵した。
 だが奇襲を仕掛けようにも、バベルは強靭で”普通の手段”では目覚しい効果を与える事は難しい筈。ましてや喫水外の射角が限られた位置取りからの砲撃程度では、両者無駄な損耗が増えるだけだ。
 ならば後は、ユライトがリークした情報を元に人質を救出して、一気に離脱―――そして仕切りなおしするしか他は無いだろう。
 ついでに大地下に存在している聖機神にもある程度のダメージを与えてくれれば尚良い―――目鼻効くアマギリならば、それもするだろうとの公算があった。
 
 ついでに、作戦実行中にアマギリが不慮の事故にでもあってくれれば―――いや、此れは願望に過ぎる。

 ともかく。そうすれば一先ず状況をリセットして、計画の起動を修正することが出来る。当初のユライトの計画に近い物を取り戻せる筈だった。

 それなのに、アマギリはその期待を悉く裏切ってくれる。
 普通作れても使おうとは思えないような、本来ジェミナーには存在しない大量破壊兵器を情け容赦なくぶっ放しバベルに大打撃を与え、ババルンが本気にならざるを得なくして、ドールとガイアを戦線に引きずり出した。
 ドールの聖機人は、予定では今頃には既に行われていたであろう追激戦で、剣士と鍔競り合う程度になる筈だったのに、ガイアを用いての全力射撃である。
 砲撃の力は先史文明の時代から全く変わる事の無い凄まじい威力を発揮し、僅か二度の砲撃で完璧にハヴォニワの装甲列車を粉々にしてしまいそうだった。
 あそこに剣士が居たら悲惨な事になる―――ユライトがそう考えて肝を冷やしていると、アマギリは更に予想外の行動を見せる。
 正体不明の力場―――女神の翼の力を用いて、ガイアの砲撃を防ぎきってしまったのだ。
 抗えない滅びとして存在していたガイアの攻撃を、見るからに苦も無く防いでいるその様は、まるで悪い冗談のように思わせられた。

 そしてその後の展開も、予想外に過ぎる。
 最強の聖機師であるドールに対せるのは剣士だけだった筈なのに、何故かアマギリ当人が前線にしゃしゃり出て来て、しかも勝った。
 剣士抜きで、ユライトにとっては最後の希望抜きで、アマギリはかつて先史文明の代にネイザイとドールが二人掛りで勝ち取った成果に近いものを奪い取ってしまった。

 もう予定も計画も何もあったものではない。
 理不尽な暴力を更に理不尽な力で押しつぶしたようなものだ。
 お前、勝てるんだったら初めから勝てるって言っておけよと、勝手な文句を言いたくなるくらい、余りにも理不尽な光景だった。
 
 女神の翼。
 今時文明の黎明期に突如として虚空に現れた、正体不明の龍―――を、思わせる、恐らくは宇宙船だろう船影が有していたものと同様の、計測不可能な力場体。原始的な生活水準にまで落ち込んだジェミナーの人々が、天を仰ぎ見てその威容に恐れ戦いた、輝く翼。
 ユライト―――当時はまだユライトでは無く別の誰かだったネイザイの視線で見れば、恐らくは異世界の高度文明の技術だと思わせられた。
 光の翼を持った龍の影は、暫くジェミナーの空に留まっていた後、何事も無かったかのように空へ帰った。
 何を目的で現れたのか。ネイザイには理解が及ばない事態だったが、一先ずは当時の低水準の文明レベルの最中に、余計なトラブルが発生しなかった事に安堵していた。内憂を払ったら外患に止めを刺されたなどと言う事態は笑うに笑えない。
 亜法に拠り過ぎた、空へ上がる術を喪失した文明を築いてたジェミナー先史文明でさえ、銀河遍く世界には数多の文明が存在していると言う事は観測されていたから、恐らくはその文明のうちの一つが、何らかの意思を持って崩壊したジェミナーを観察しに来ていたのだろうと、ネイザイは判断した。
 その行為が今後どのような影響を及ぼすのか、判断付かぬままに時は過ぎ―――そして再び、それは現れた。

 相も変わらず、敵か味方か、目的の判別ができないままで。

 「放置、観察だけに止めず、早めに始末しておくべきでしたね……」







    ※ ワン、セカンド、と来ればドールはやっぱサードとかゼロなんですかね。
      
      親戚同士で当人そっちのけで親権争いしてるみたいになってきたなぁと、書いてて思ったり。  
      何かシュラ○ドさんみたいになってる……



[14626] 42-6:輪廻転生・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/07 21:20


 ・Scene 42-6・




 「随分逸るではないかユライト。―――だが確かに、これ以上盤上に余計な駒を乗せておくのは好ましくないな」

 無意識に漏れ出してしまった思考に、玉座で構えていたババルンが応じていた。
 「―――兄上。ですが……如何なさるおつもりで?」
 少しの焦りを覚えた思考を強引に押しつぶし、ユライトは探るような視線をババルンに送った。
 女神の翼はガイアに対して一定の―――かなり一方的ともいえる戦果を発揮した。ガイア自身にとってみても、これは予想外の展開だろう。破壊されたドールの聖機人、投げ出されたガイアの盾、そしてこのバベルも轟沈間近である。
 だがババルンは、何がおかしいのか不敵に笑うのみだ。
 「どうするだと? どうするまでもあるまい。ガイアを相手に良く持ったほめてやっても良いが―――しかしどうやら、異世界の龍もアレで打ち止めのようだ。結論は何も変わらない。我が行く先を遮るものは何も在りはしない」
 丁度、中庭の、元は花壇だった場所にうつ伏せに臥せった少年の―――袖口が、何故か血にまみれていた―――姿をモニター越しに見やりながら、ババルンは威風堂々と言い切った。
 なるほど、確かにとユライトは頷いた。
 異世界の龍は地に落ちた。―――否、羽根を休めて寝ているだけかもしれないが、とにかく身動きは取れないようだ。
 とすれば、ガイア側の視点で考えれば、この後の行動は単純だ。

 ―――寝ている間に、殺してしまえば良い。

 そしてそれは、これ以上の状況の混沌を嫌うユライトにしても願ったり叶ったりの状況だった。
 何しろ、今はガイアの支配下にあるとは言え、ドールを―――ネイザイにとっては血を分けた実の姉妹をなんの躊躇いも無く殺そうとするような男だ。生かしておいて、一利あっても百害しか生まぬであろう。
 ガイアと思惑が一致する事だけが、ユライトにとって屈辱とも言えるが、それは、耐えるしかない。
 何時もどおりに、全ては一つの目的のために。あらゆる矛盾を踏みにじってでも。 


 故に、異世界の龍の命運は此処で絶つ。


 このジェミナーの命運は、ジェミナーに住まう者達の力のみで決する。
 異世界の曰くの知れぬ暴力など、この世界には不要。縦しんばその力だけで勝利を収めることが出来たとしても、それは、ガイアに変わる新たな災厄の種となるだろうから。
 ジェミナーにはジェミナーを救うべき英雄が確りと存在している。
 彼を助けるヒロイン達も。

 モニターの向こう、港湾施設の入り口辺りで仰臥したドールの黒い聖機人。
 その奥の、港に係留されているシトレイユの空中宮殿スワン。
 学院の生徒達が脱出のために立て篭もっており―――そして、ユライトがわざと警備を緩くしておいた場所でもある。

 そこから、稼動桟橋も用いずに、港に飛び降りてくる人影を確認した。

 ―――彼こそが、真の。

 駆け出す剣士を追うように、続く姫君たちの姿も、また。

 ユライトの胸に安堵が過ぎった。無論、顔に出せる筈も無いが。それでも、必要なファクターが全て無事であろう事は理解できた。
 剣士は無事で、姫君たちもまた―――そして、あの様子では、上手くいけばドールすらも回収してもらえる。

 事態を正しい方向に修正可能だと判断する。

 ならばもう、舞台を混乱させる正体不明の暴力など―――要らない。

 アマギリ・ナナダンは、この物語から退場するべきだ。
 
 「では、陸兵の派遣を―――、っ!?」

 ガン、と縦に揺れる衝撃。

 ユライトが管制官達に宣言しようとしたその瞬間にあわせるように訪れた、一瞬の無重力状態。

 落ちている。
 ユライトはまずそれだけは認識できた。そして、その後で疑問に思う。

 ―――何が?
 
 決まっている。”バベル”が、落ちている。
 戦慄とともに理解する。この空中要塞バベルが、地表に向かって落下を始めたのだ。

 「て、底部重力リングに異常発生! 出力低下―――いえ、これは!!」
 「上層部、姿勢制御用リング、停止しました! 直立を維持できません!」
 「各部制御機構応答停止! あ、亜法結界炉出力低下―――違います! 稼動停止状態へのプロセスをっ!?」
 「停止プロセス、解除できません! 亜法結界炉、停止します!!」

 亜法結界炉の停止―――それは即ち、バベルの屹立を維持し続けていた重力制御リングの稼動停止を意味する。

 すると、どうなる?
 
 轟音が鳴り響き、装甲列車からの砲撃により外壁を大きく抉られていたバベルの巨体が、その自重を支えきれずに軋み、悲鳴の如き唸りをあげる。
 メキメキと不穏な響きを辺り中に鳴らしながら、壁に亀裂が走り粉塵が舞い、動力線が切れて火花を散らし、導管が割れて排煙を巻き上げる。
 「これは、一体―――!?」
 再び、これでもう何度目かも解らない予想外の事態に、ユライトは壁に体を押し付け姿勢を保たせながら呻く。
 バベルが落ちようとしている。只でさえ崩壊間近の所を重力制御リングに姿勢制御を押し付けて無理やり保っていた状況だったから、それが無くなれば無残に崩れ落ちるのは必死だ。
 慌てて対策を採ろうと管制官達が必死に作業を進めようとするが、しかし作業をするために端末に向かおうとも、端末を動かすための亜法結界炉がどうやら停止プロセスへ以降しているらしい。動力が回らず、キーに指を這わそうとも、云とも寸とも反応が無い。

 ―――拙い。

 ユライトは轟音と振動、それに予期せぬ方向への傾斜のなかで、顔を歪めた。
 ベースであるユライトの意思が大きく残っている人造人間ネイザイは、その能力は殆どただの人間と変わらない。無論、蓄積された先頭経験に基づく反射神経、運動能力に過不足は無いが、しかしこの高高度においてバベルの倒壊に巻き込まれれば、流石に命に関わる。
 対策を、直ぐに―――しかし、どうすれば。

 いやそもそも、何故バベルの亜法結界炉が停止したのだ?

 砲撃? 誰が? アマギリ―――倒れているし、装甲列車も停止したままで、森の向こうに噴煙が見えたから恐らく乗員も逃亡したのだろう。

 では―――まさか、内部に誰か。
 空中に静止したバベルに、内部の人間に気付かれないように人員を送り込むなど、流石の異世界の龍とて―――いや、待て。そうか。

 ユライトは気付いた。傾斜と崩れ落ちる機材の間で悲鳴を上げる管制官―――管制室に集った人々を見渡して、足りない人間が居た事に気付いた。

 それは、此処に現れてからずっと一人、暗い眼をしたまま俯き立ち尽くしていた少女。
 離れている間に主を敵に捕らえられると言う失策を犯してしまった少女だ。
 
 何時の間に姿を消した?

 ―――それは、少なからず少女の事を理解していれば、容易に判断がつく。
 一度だけ、予想外の手順でもって開かれた、敵装甲車との通信回線。
 そこに映されていたのは、アマギリと、そしてシトレイユの女王ラシャラ―――そして、もう一人。
 少女の唯一の主である、ダグマイア・メストの姿が。

 ダグマイア・メストが拘束もされず向こう側に居たと在れば、少女もまた、自分が何処に居れば良いかと決断するのは早いだろう。
 そして一度決断すれば、自身の行動の何を持って主に有利に働かせるか―――と言うか、主との合流を容易くするか、それを思いつく思考能力を存分に有している。

 ―――そして、それを気付かせたのは当然。


 「あの、クソガキっ!」


 歯を軋ませながら、崩壊の続くバベルの指揮所の中で呻く。つまりはこの状況を作り出すためのダグマイアの同道だったのだろう。親子の別れの会話を演出するようなセンチメンタリズムは有しているようには思えなかったから、疑問に思ってはいたのだ。
 もとより、アマギリにとってはユライトも明確に排除対象なのだ。自身を囮に気を引いているうちに、あわよくば内部からバベルを倒壊させてババルンとユライトを抹消しようと図っていた。
 ユライトがアマギリの存在を疎ましく思っているのとまったく同様に、アマギリもまたユライトの存在を疎ましく思っていたのだから、この行動も当然と言える。
 
 「クッ、ハッハハハハハ。邪魔者は一気呵成にか。異世界の龍め、やってくれる」

 轟音も、傾き揺れる室内の騒乱も知らぬとばかりに、揺るがぬ笑い声が室内を満たした。
 ぞっと背筋を冷たいものが這いずり回る感触を、ユライトは覚えた。
 ババルン・メストが嘲笑していた。自らを、この状況を、堂々と立ち上がったまま―――立ち上がった、まま?
 最早床に張り付かなければ姿勢を維持できないような傾きが訪れたこの指揮所の中で―――直立を。
 「兄上……」
 呟きもれた言葉に、ババルンがゆっくりとユライトに視線を送る。
 その瞳は―――不気味な、本能的な恐怖を沸きたてる赤色を宿していた。
 ババルンは見下ろしたまま何も言わず、語らず、笑みすら形作らず―――そこにある全ての存在を無意味であるかのように視線に止めないまま、消えた。
 「兄っ―――っ!!」

 空間転位。
 どのような方法を以ってか。考えるまでも無く、ガイアの聖機師としての異能の一つだろう。
 エナを取り込み自己再生、進化を繰り返してきた聖機神ガイアとその人造人間は、最早それを作成した先史文明の聖機工たちですら把握できぬ超絶的な能力を有していた。
 そして、ガイアの行動は全て、自身の目的を満たすためのみに存在しているのだから、このバベルすら彼にとっては不要なものとなれば、捨てる事も容易い。
 付き従ってきた将兵達の命の一片すら、対岸成就のための捨石でしかない。未練も見せずにそこを後にする事など、ガイアからしてみれば当然の判断だ。

 そしてそれは、ユライトにとってもまた同様だった。

 ―――拙いわよ。

 「ええ、解っていますよ……っ!」

 脳裏に響く自身のもう一つの意思―――ネイザイの言葉に、ユライトは吐き捨てるように応じる。
 空間転位―――らしき能力が、本当にそうであった場合。自在に、好きな場所へといけるのであれば。
 爆炎の中、明滅し機能を停止しかかっているモニターに映るその光景。

 ドールを抱き上げた剣士。その姿を―――見られていれば。否、どの道、自在に動けるならば。

 ―――急ぎましょう。 

 メザイアの囁きに、ユライトは頷き瞳を閉じた。
 バベルが沈む。哀れな将兵たちが、救いを求めて悲鳴を上げる。

 ―――知った事ではない。

 「私には私の目的がある。此処で死ぬ訳には行かないのよ」

 上背のある法衣姿のユライトが、赤い髪のしなやかな肢体を持つ女性の姿へと変化する。
 ネイザイ・ワン。先史文明時代から生き残った人造人間の一人。
 彼女はあっさりと沈み行くバベルと、そこに取り残された人々に見切りをつけて、脱出のための方策を取る。
 聖機師としての優れた身体能力を発揮し、崩壊の続くバベルの通路を、駆け抜ける。

 バベルは崩壊、ガイアは逃亡、ドールは意識不明、そして剣士たちは。

 全てがネイザイの予定には無い、異世界の龍の演出がもたらした結末ばかり。

 「滅茶苦茶よ、本当に―――っ!」

 状況を意のままに動かせていた筈の人造人間は、状況に振り回される我が身を嘆き、悪態を付いた。

 
 ―――そして、聖地の北端部に、バベルはその巨体を沈め、折れて、爆ぜた。

 舞い上がる爆炎と粉塵は、未だ終わりを見せない戦いを象徴するかのような号砲を響かせる。



 ・Scene 42:End・







     ※ あっちゃもこっちゃもてんやわんや。

       エメラさんが一晩でやってくれました……と言うか、ブリタニア99代皇帝の高笑いが聞こえてきそうな。



[14626] 43-1:罪と罰と贖いの少女達・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/08 21:06


 
 ・Scene 43-1・




 天空の塔が崩れ落ち、聖なる大地に築かれた学園は廃墟へと姿を変え、炎が舞い散り、黒煙が空を汚す。

 この世に地獄を再現したとしか思えぬその光景が誕生する―――その少し、前の事。


 ―――皆がきっと思っていた。


 あっさりと、全てが上手く行きすぎだと。

 でも、皆がそう思っていたけど、誰もそんな言葉を口にする事は無かった。

 言霊、と言う物がある。
 声に出してしまえば、本当に何か起こってしまうかもしれなかったから。

 ―――つまりは、そう言う事で。


 誰もが、このままでは終わる筈が無いと思っていたのだ。


 「―――確かに、承りました」
 手にしていた便箋を隅々まで読み終えた老執事―――アマギリの暮らす聖地のハヴォニワ屋敷に於いて家令長を勤める老人は、それを彼に手渡してきたワウアンリーに対して、深々と一礼した。
 「うわ、ちょっと止めてくださいよそんな」
 ワウアンリーは大慌てで言い募る。
 年長の人間―――いや、彼女の本来の年齢からしてみれば、年下なのだが―――から頭を下げられると言うのはワウアンリーにとっては慣れそうに無い経験だった。
 「王族の護衛聖機師ともあらば、時に名代としてその立場を代行するもので御座いますれば」
 しかし慌てる少女に対して、家令長は澄ました顔で応対する。
 つまりは、アマギリ王子からの手紙を渡している間は、ワウアンリーがその代行とも言うべき立場と言うわけだ。
 「あたし苦手なんだけどなぁ、そういうの」
 「殿下ともども、まだお若いのですから、これから覚えていけば宜しい」
 「お爺さんはそういう辺りよく解ってますよねー。ウチの殿下なんか、自分は地下に潜るから後は知らねーとか言って憚らないですし」
 「私が言えることでは御座いませぬが、いい加減身の程を知れと言うところでしょうなぁ」
 情報部統括と護衛聖機師と言う、表と裏で同じ主をサポートするものとして、彼等の言動にはまるで容赦の一つも無かった。

 「……何とも穏やかなやり取りだが、一応、お前達はこの後何をするのか聞いても宜しいか?」

 桟橋の向かいに係留されているシトレイユの空中宮殿スワンへと生徒達が乗船していく姿を見やりながら、アウラはハヴォニワの空中宮殿スワンの前で手紙のやり取りをしていたワウアンリーたちに尋ねた。
 老人は主君の友人の一人であるシュリフォンの姫君に対して優雅な態度で礼をしてから言葉を返した。

 「”聞かれると思った。流石アウラさん、目敏い”で、御座いますな」

 「―――は?」
 「追伸にそう記されておりました」
 目を丸くしたアウラに対して、老人は微笑を貼り付けた顔で答える。ワウアンリーが苦笑した。
 「殿下ですか」
 「ええ、二通りほど、手紙の内容を聞かれた場合のパターンが用意されておりました。”どうせ聞くのはアウラさんかウチの従者くらいだ”とも」
 ようするに、アマギリが状況も弁えずに遊び心を仕込んでおいたらしい。
 敵地へ侵入、速やかに脱出せよ、みたいな状況だと言うのに、完全な遊び気分である。
 「―――因みに、あたしが聞いた場合は何て答えてくれたんでしょうか」
 「そうですなぁ」
 老人はワウアンリーの言葉に一瞬悩んだ後で、瞠目したまま頷いて応じた。
 「”聞かないほうが宜しいかと”」
 「……あの、それ殿下に言えって言われたんですか? それとも、お爺さんの判断?」
 「”それも、聞かないほうが宜しいかと”」
 「殿下! それ絶対殿下の仕込みですよねそれ!?」
 身を乗り出して突っ込むワウアンリーに、老人は、ほっほっほとわざとらしい笑みを浮かべるのみだった。
 
 ―――それすらも、仕込みの一つなのかもしれないなと、アウラは苦笑交じりにそんな事を思った。

 穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。

 ユライトからのリークに基づく最短経路を辿っての聖地上層施設への侵入。
 結局本当に、一人の敵兵と出会うことも無く、剣士達一行は生徒、教職員達が立て篭もる港湾施設にまで到着した。
 途中、中庭の一角を駈け抜けた際に、バベルを凄まじい轟音と爆裂が襲っているのが見えた。
 今回は手加減なし―――事前にそんな風に嘯いていた男が居たが、実際その通りに行動しているらしい事が見て取れる光景だった。
 兎角、装甲列車を用いた陽動は成功していると言う事らしい。
 ならば聖地へ侵入した者達も自らの役目を果たすだけである。港湾施設に立て篭もっている人質達と合流し、そして聖地を脱出するのだ。
 脱出経路は、シュリフォン側。
 現在は恐らく国境防衛のためのババルン軍とシュリフォン軍が戦闘中のはずだったから、その後背を突いて一気にシュリフォンへと抜ける―――単純にして強引な部分が大きいが、それが計画である。
 普通本来なら、他に囚われていた人質の確保と、ついでに港湾部、船の奪取などが必要なのだが、緊急避難の初動の成功と、そして敵の内部に居る工作員―――ユライトだが―――による工作により見張りの敵兵たちの数が最小限しか存在していなかった事から容易に成功した。
 敵はどうやら、防衛は大地下深度の聖機神修復のために使用している遺跡にのみ防衛力を集中させているらしい。
 上層部の敵は艦隊で包囲したまま放置、と言う扱いだった。

 向こうは真面目に戦争やる気無いんだ、とは面倒くさそうに装甲列車の指揮官席に陣取っていた少年の言葉である。


 「それにしてもラピス。まさか貴女が避難誘導の音頭取りをしているとは思わなかったわ」
 「え? リチア様が私をご指名なさったって聞きましたよ」
 「私が? ちょっと待ちなさい。私はそもそも、この学院に”テロリストが学院を占拠した場合の緊急避難マニュアル”なんてものが作成されていた事すら知らなかったわよ?」
 スワンのブリッジが存在する宮殿部の二層構造となっているフロアの下階部分。広いホールになっているそこは、現在は聖地学院の生徒達の中でも中心人物たちが集い、防衛指揮所のような様相を呈している。

 リチアとラピスはその場所で互いの無事を喜び合っていた。

 リチアたち港湾に辿りついた当初は、バリケードを張り巡らせ起動状態の聖機人が並び立っているような物々しい状況だったが、今は、順次人員を係留されたスワンへの移動を開始させるに至っていた。
 「……一応聞くけど、誰に聞いたのかしら?」
 若干頬を引き攣らせながら知りえなかった事実を尋ねるリチアに、ラピスも苦笑交じりに応じた。
 ラピス自身、恐らくリチアには無許可でやっている事なのだろうなと言う自覚があったらしい。
 「それは勿論……」
 「あの馬鹿よね、ええ、あの馬鹿に決まってるわ。あの馬鹿以外の馬鹿が私の名前でラピスを動かそう何て馬鹿な真似をする筈無いものね」
 「それは、まぁ……あ、ですけど、避難マニュアルの決定稿を渡されたのは皆様がバカンスへと出かける前日でしたから、お伝えし忘れていただけと言う可能性も……」
 「絶対無いわソレ」
 一応、居ない人、ついでに先輩でも在るのでフォローしておこうかと思ってマイルドに語られた言葉は、リチアによって断罪された。
 「伝える気があったら、バカンスの初日から逃げ回った挙句、あんな……」
 「―――リチア様?」
 プルプルと拳を震わせて何かを思い出しているらしいリチアに、ラピスは恐る恐る問いかける。
 何でもないわ、との言葉が帰って来たが、明らかに何かがあったことは明白で―――ラピスは此処に居ない何処かの誰かの迂闊な行動について、また一つ溜め息を吐いた。
 
 いや、主の感情表現をストレートなものにしてくれた事には感謝しているのだが、頼むから、怒らせてばかりいないで少しは喜ばせてあげてくれないものだろうかと。

 「学院が復旧したらどうしてくれようかしらねぇ、ホント。ワウやアウラばかりに相談しているのも気に入らないし、フフッ、フッフフフ……」

 本当に、どうにかしてくれないだろうかと思う程、それは―――穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。


 「それじゃあ、本当にあの王子と連絡を取り合っていたんですか……」
 「はい。お互いある程度は守るべきものが一致していましたから。協力できる場所では協力をするべきだと、勿論ラシャラ様からも御裁可を頂いています」
 何とも言えない決まり悪げな態度で尋ねるキャイアに、ラシャラの侍従長を務めるマーヤが、澄ました顔で頷いた。
 裏切られたような心地であろうキャイアの内心を確りと察しておきながらもそれを追求するような事はしない、老婆の気遣いである。
 現在、この空中宮殿スワンのブリッジでは急ピッチで発進準備が進んでいる。
 人員と物資の受け入れが完了次第、すぐさま聖地を離脱できるように専門のスタッフ達が慌しくも慣れた手つきで出港準備を整えていた。
 マーヤとキャイア、そしてテラスまで出て外の様子―――外の戦闘の様子を伺っている剣士達は、此処で主を抜きに一先ずの再会と情報交換をする事になった。
 そしてキャイアの第一声の前に、剣士からマーヤへ、ハヴォニワ王家を示す封蝋で封ぜられた封筒が手渡された。アマギリからの、何かしらの要望を記した手紙だったらしい。
 気付かなかった自身への羞恥と、自分の領域を踏み荒らされたような悪い気分で、キャイアは顔をしかめる。
 「聖地で好き放題にやってたのは知っていたけど、マーヤ様まで巻き込むなんて……」
 「あの年齢で権力を振りかざす事の味を覚えてしまえば、容赦や遠慮、情けなどと言う言葉は何処かへ置き忘れてしまうでしょう。あの年代の権力者の子弟にはよくある、はしかのようなものです。長い目で見て、矯正するしか無いですよ」
 「いえ、矯正以前に、出来れば一生係わり合いになりたくない類の人間なんですが……」
 「でしたら尚更、今のうちにその行動を観察しておく事です。嫌な人間の行動パターンを理解し、そしてソレを避ける術を見につけねばなりません。”嫌だから見たくない”では、何時まで経っても何も変わりませんよ」
 「それ、は……」
 何も知らない筈なのに、余りにも今の自身の状況に当てはまるような言葉をズバリ放ってくるマーヤに、キャイアは絶句してしまった。
 
 嫌だから見たくない。

 結局その果てが、今の惨めの抜けきらない気分である。
 あの顔、その目、言われた言葉。何もかもが鋭い刃のようにキャイアの胸を今尚えぐり続けている。
 一生消えない傷なのだろうなと思う反面、これ以上傷が深くなる事がないのかと思うと、どうしようもない脱力感が湧き上がってくる。
 
 「貴女はまだ若いのですから、どのような経験でもしておいて損にはならないでしょう」

 俯き唇をかみ締めるキャイアに何を感じたのか、マーヤは穏やかな口調でキャイアに告げた。
 え、と顔を上げるキャイアに何も答える事は無く、その後は少しの疑問を覚えつつも、キャイアは今ある目の前の状況への対処に心を割かねばならなかった。

 ―――キャイアは知らない。

 マーヤが手にした手紙に書かれた内容を。

 丁寧な文章でつづられた、謝罪から始まるハヴォニワの避暑地を発端に始まった、一連の事態の経過。
 その間にキャイアが負う事となった心の傷に関しての詳細と、マーヤに対してそれを労わってやれないかと言う願い出。
 マーヤにしてみれば、逆にキャイアの事を甘く見すぎだとすら思える憤然たる内容ともいえたが、一応はそれを書いた人間の気遣いを読み取る事は出来た。

 「権勢を振りかざして遊んでいないで、こういった事にこそ表立って注力出来れば、もっと当たり障りも無く生きられるでしょうに」
 「マーヤ様?」
 「男というものは、何時の時代も無駄な事にばかり力を尽くして、大切な事を見失うと言う事でしょうか」

 唐突に呟かれた言葉にキャイアが疑問顔を浮かべるも、マーヤは応じる事は無く一人、去来する何かを思う。
 それは過去に経験した、出会った者達との交流の中にあったものか、それとも今目の前で必死に足掻き続けている若者達の事か。果ては、自分の見る事の叶わぬ未来に待ち受けるものなのか。

 老婆が静かに思いに浸る。必要な作業のための手を止める事も無く。それは日常と何一つ変わらぬ情景とも言えた―――つまり、穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。


 剣士は一人、テラスで空を見ていた。

 何かの予感を感じたとか、超自然的な直観力を発揮した訳ではない。
 単純に、つい先ほどまで年上のお姉さまたちに追い掛け回されて収集が付かない状況になっていたから、一時的に避難させられていたのだ。

 剣士ちゃん、助けに来てくれたの? 
 え~あたし達も戦わなきゃ駄目? 
 あたし、剣士ちゃんが守ってくれると思ったのにぃ
 ねぇねぇ剣士ちゃん、あたしの事守ってくれたらお礼にイイコトしてあげるからぁ
 お願い剣士ちゃん
 けんしちゃ~ん

 エトセトラ、エトセトラ。
 嬉し恥ずかしと言うより、大挙として迫り来る乙女達は、正直怖かった。
 囲まれ、触られ、握られ、見つめられ、語られて―――剣士一人だったら、泣いて逃げるしかないだろう混沌とした状況を断ち切ったのは、アウラの何気ない一言だった。


 一応、言っておくが―――この救出作戦を立案、主導しているのはアマギリだぞ?


 凍りつく状況。冷める空気。改まる表情と、次々に吐き出される嘆息の音、音、音。
 皆が皆、諦め顔で自分のやるべき作業に戻っていく様子は、それはそれで何か恐ろしいものを感じさせた。
 主に、居ないのに状況を支配している誰かさんの無形のプレッシャーに、と言う意味で。

 兎角、場の緩んだ空気はそれなりに引き締まり、学院の生徒達は自分達の脱出を万全にするための作業に戻り―――剣士は、何処かを手伝えば何処かが騒ぐ事になるだろうからと、脇へ脇へと追いやられて、こうして一人、空を見上げていた。
 正確には空の向こう。テラスを艦尾側に回り、巨大な港湾施設の向こうに見える、聖地学院の校舎の、更に向こう。
 雲を貫くとすら思える巨体を晒す、空中要塞バベルを仰ぎ見ている。
 遠くに響く、砲雷弾雨。爆音と、衝撃波の残り香のような涼風が、頬をかすめる。
 戦闘は未だ続いている。
 少し前に、恐らくはアマギリが持ち込んだのだろう現代兵器―――ミサイルらしきものの直撃を受けてバベルはその塔の中ほどを大きく抉られるほどの大ダメージを受けていたが、それでも戦闘は止まらない。
 何時まで続くのか、あの放火が交わされている渓谷の向こうは―――ラシャラたちは、無事なのか。
 アマギリが向こうに入る。だからきっと、ラシャラは平気な筈だ。平気な筈だと信じているが、傍に居れない自分に歯がゆさを覚えているのも事実だった。

 「―――?」

 そして、テラスの柵を剣士が握り締めて歯を食いしばった丁度そのとき、バベルから放たれ続けていた、砲弾の雨が止まった。
 静寂―――否、一方からの、つまり装甲列車からの砲撃は続いている。
 そして砲撃の音に紛れるように、剣士の優れた聴覚は崖の向こうから空気を攪拌するかのような凄まじい銃弾の乱射を知らせる音を耳にした。電気モーターの駆動と、音速を超える弾丸の掃射の音。それは恐らく、アマギリの秘密兵器の一つが再び火を噴いたことを知らせる音だった。

 ―――秘密兵器をまた一枚切らねばならないほどの事態が訪れたのか。

 剣士はそう理解した。

 その、次の瞬間。

 ―――校舎の向こうの灰色の曇り空が、白い光に満たされた。
 
 幻の如き刹那の平穏を打ち砕く、破滅の光が解き放たれたのだ。






     ※ 爺さんとかラピスとか、凄い久しぶりな感じ。劇中時間だと多分一週間と経ってない筈なんですが。

       あと、最近また、目に見えて誤字が増えてるっぽいですね。気をつけよう……



[14626] 43-2:罪と罰と贖いの少女達・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/09 21:05


 ・Scene 43-2・







 「何が起こっているの!?」

 天変地異の前触れかとすら思わせる轟音と、巻き起こる衝撃波。
 ハンガーに固定されている筈のスワンすら揺らすような凄まじい振動、周囲にあった固定していないコンテナが、遠く向こうの中庭に植えられていた街路樹がなぎ倒され、草花と塵、砂埃が突風と共に押し寄せる。
 突然背後の空が明るくなった事に驚き、慌てて視界の広いスワンのテラスまで上がってきたリチアは、舞い上がる砂埃の向こうに見える聖地学院校舎の更に置く、屹立するバベルの傍から、凄まじい閃光が斜め上方へと向かって迸っているのを目撃した。
 「これは……っ、何なの!?」
 一瞬また、アマギリがインチキを使ったのかとも考えたが、射角から考えてあの恐ろしい閃光はバベルの―――敵側の方から放たれている。
 「解らないけど、凄い、良くない感じがするよ、あれ!」
 先にテラスで戦場を見守っていた剣士も、何処か緊張した声で返した。
 天に立ち上る白い閃光。視界全てを埋め尽くすような、曇天の空を切り裂きそうなほどの極光は、彼らが見届ける先で、やがて細く絞られていき、消えた。
 熱量により焼き尽くされたからなのだろうか、突風により頬に掛かる大気は、何処か生暖かい、饐えた匂いが混じっていた。
 「止んだ……?」
 「今のは何だ!?」
 リチアが呟く背後、テラスから続くブリッジの中にアウラの焦り声が響く。慌てて階段を駆け上がってきたらしい。その背後に、ワウアンリーも続いていた。
 「どう考えても碌でもないことが起こったとしか……剣士、此処に居たのか」
 アウラはテラスに居た剣士達の存在に気付き、傍に近づいてきた。
 「アウラ様、これって……」
 「やっぱり剣士は来るべくして来た人間なんだね」
 振り返りアウラに尋ねる剣士の態度を見て、ワウアンリーが呟く。
 「それは、どういう?」
 「感じたんでしょう剣士。あの空の下に何かが”居る”事を」
 ワウアンリーが核心的な口調で剣士に尋ねる。突然問われた剣士もまた、何処か核心的な顔で頷いた。
 「凄く、良くないものの気配がした。―――違う、今もしているんだ」

 あの向こうに。

 校舎の向こう、屹立する傷ついたバベルの元を振り仰いで剣士は言った。
 「剣士が嫌な感覚を覚えるもの……それって、まさか」
 探るようなワウアンリーの言葉から導き出された真意に、リチアは戦慄を覚えた。
 アウラが目を細めて呟く。


 「―――ガイア」


 轟、と。
 アウラの呟きに、少女達が理解した真実を答えと告げるかのように、此処に居るのだと示すかのように、二度目の閃光がバベルの元に集い始める。
 「じゃあ、あれはガイアの攻撃って事?」
 「だとしたら、攻撃を受けているのは、当然―――」
 遅れて出てきたリチアの震える言葉に、アウラは目を見開く。
 攻撃は、打倒すべき敵の存在が無ければ放たれる筈が無い。
 そしてアレがガイアのものであるとすれば、攻撃すべき対象は、勿論決まっている。
 「ラシャラ様がっ!!」
 「待て剣士、こんな場所から動いても何も出来ん!」
 滾る戦慄に突き動かされて駆け出そうとする剣士を、アウラが肩を掴んで押し止める。
 「だけどっ!」
 「二度目の攻撃を放とうとしていると言う事は、一撃目は防げたか外れたかした筈だ! あの男の事だ、一度凌ぎきれば確実に対策は練れる! ―――筈、だ」
 自分でも何の気休めにもならない事を口にしていると解っているアウラは、流石に語尾が怪しいものとなった。
 しかし、此処に居て、広い聖地の両端にそれぞれ位置しているという位置取り上、今から何をしようとしても間に合わないだろう。
 「逃げるにしろ、防ぐにしろ、我々にできる事は無い。我々は我々で、やるべき事をやらないと―――」

 「―――二発目がっ!!」

 何かに言い訳するかのごとく言葉を重ねるアウラに被せるように、リチアが悲鳴のような声で叫ぶ。
 集い、蓄えられていた光が、一気に奔流となって、伸び上がる。
 回避など不可能な、天を切り裂く絶死の極光。仰ぎ見る少女達の胸に、絶望すら去来する。

 目を覆いたくなるような光度で瞬く破滅の光―――その先で。

 「―――天地兄ちゃん? いや、これは……誰?」

 濁流とも言うべき光の波が、ある一点で壁にでも叩きつけられたかのように、押し止められていた。
 「―――今度は、な、何!?」
 「あの位置、角度は確実に……」
 「装甲列車―――ですよね。でも、あの列車の防御システムでも、幾らなんでも……」
 聖地の存在する台地とは対岸の、喫水外の崖に向かって放たれた、恐らくガイアの力と思われる攻撃。
 破滅的な威力を持った粒子の奔流は、しかし、一撃目で抉り削られた崖の向こうで塞き止められている。
 その先にあるものが、彼女達が先ほどまで居た、彼女達が安否を願う者達が居る装甲列車である事は間違いない。
 「……いや、あれは」
 気付いたのは、やはりダークエルフとして優れた視覚を有するアウラが尤も先だった。
 光の奔流を塞き止める、その先にある存在に、彼女は気付いた。
 
 花開くように三方向へと広がった、生物的な意思を感じさせる光り輝く翼のような力場。
 翼のような力場を中心として、いなかる作用を発しているのか、装甲列車側面全てを包み込むように強力な防御力場が形成されているらしい事が解る。
 

 「―――女神の翼」

 
 かつて神話に語られるような時代に、聖地へ降り立った龍が、名も無き女神より賜ったとされる光輝なる力。
 「女神の翼……じゃあ、あれをやっているのは」
 そして現代。わずか数年ほど前の近い過去に、聖地には再び龍が降臨し、そして翼を天に広げていた。
 「殿下……」
 ワウアンリーが不安そうな面で呟く。
 破壊の本流を塞き止める光の翼は美しく、しかしその反面、翼に満ちる生命の如き煌きは、到底人の力で贖えるものとは思えない危うさを覚えたのだ。
 「何か無茶をすると思ってはいたが……独力のみで全て解決するつもりか。無茶も過ぎるだろう、流石に」
 「あの格好付け、本当に自分の事は考えないんだから……っ」
 傍によってきて囁くアウラに、ワウアンリーも苦い顔で頷く。

 彼女等の見ている先で、翼ははためく様に一瞬大きく広がった瞬間、ガイアのものと思える攻撃は押し返されるように消滅した。

 「平気、ってこと、なのかしら……?」
 再び曇天の下に戻った空を見やって、リチアが呆然と呟く。ミサイル―――と言う名称すら彼女は知らないのだが―――でバベルの外壁を吹き飛ばした時から感じていた事だが、常識外れもそろそろ極まってきたなと思っている。
 「自分でやりきるって言ってたんだから、やりきったんだと思いましょう。―――あたし達は、自分達のやるべき事をやらないと」
 解釈の違いからか、若干棘混じりの口調になりつつも、ワウアンリーは少女達を急かした。どのみち、此処で見ているだけでは何も出来ないのだから。
 「とは言え、出港準備はほぼ終了しているが、この後どうするのだ? アマギリは確か、”とても解りやすい脱出の合図”をするとか言っていたが……」
 アウラが不気味な沈黙を始めた空の向こうを眺めながら、困った風に言う。
 聖地からの脱出艇として用いる予定のスワンは、既に殆ど出港準備を終えている。
 下からあった避難計画に隙が無かった事もあってか、周辺警備の人間達を除いて、残りの人間達は全て乗船していた。
 「生徒の乗り入れはほぼ全て終了してるわよ。学院職員と、あと、身元の怪しい人たちも纏めて……」
 「なんだ、その身元の怪しい人たちと言うのは?」
 「多分、各国の情報機関に所属してる人たちじゃないかなーと」
 「流石にあんなに居るとは思わなかったわよ、私。―――バベルの接近当初に暴れる素振りを見せた男性聖機師たちも、拘束して船倉に放り込んであるし、教職員だって、学院長先生が……」
 ダグマイアの思想に賛同していた生徒達が、予定に無い事態だったとは言えバベル―――ババルン・メストの勢力が聖地に現れたのを見ておっとり刀で反乱を企てたと言う経緯があったが、それらは全て”身元の怪しい人たち”の暗躍によりすぐさま防がれていた。現在は明らかに何かの薬物を投与されたとしか思えない心神喪失状態で船倉に抑留されている。
 「後背を気にする必要も無い―――とすると、やはり後は合図待ちか」
 アウラが話を纏めるように簡潔に言った。
 

 「―――メザイア姉さんが見当たらないって、どういう事ですか!?」


 「あれ! 殿下の龍機人!?」


 落ち着きかけた空気を乱すような叫び声が、テラスとブリッジ、二つに位置で同時に響いた。
 遠雷のように鳴り響く、金属同士のうち合わさる響き。弾け合いながら高速で位置を変えていくエナの波動。
 「聖機人戦に持ち込んだのか。―――いや、初めからそのつもりだったのか?」
 「あの、相手のほうの黒いのってやっぱり……」
 ぶつかり合い、次第に聖地上空にまで接近してくる二つの機影。
 片や異形の龍。もう片方は、悪魔的装いをした大鎌を持った黒い聖機人。その姿を確認して、剣士が呟く。
 「あれ、ひょっとしてドールなんじゃ……」
 「知っているのか? ―――いや、知っていて当然か。あの晩の襲撃に参加していた聖機人だな」

 四月の頭、スワンが襲撃を受けた翌晩に圧倒的な戦闘力でアウラの聖機人を追い詰めた黒い聖機人。
 当時、スワン襲撃グループに参加していた剣士なら、それが何者か知っていてもおかしくなかった。

 「そうだよな、ドールはまだ、向こうに居るんだよな……」
 何処か苦い顔で剣士は呟く。置き忘れていた大切な荷物の存在に、今更気付かされたようだった。
 「あの黒い聖機人と殿下が戦闘中って事は―――ひょっとして、アレにガイアのコアユニットが搭載されてるって事なんでしょうか」
 「あの巨大な盾じゃないの―――、どうやら、本当にそうらしいな」
 アウラが言った傍から、黒い聖機人が左手に掲げた巨大な盾から、収束されたエナの砲撃が解き放たれる。
 聖地上空、バベル直下の位置で解き放たれたその一撃は、龍機人が突き出した右腕から先に広がった光り輝く三枚の力場によって苦も無く弾かれていた。
 「女神の、翼か」
 「ガイアの攻撃を完璧に弾いている。―――けどあれ、本当に平気なの?」
 並みの聖機人であれば確実に沈んでいるであろう砲撃を、龍機人は完璧に防いでいる。頼もしいというよりも、その無茶な光景は不安を掻き立てる。
 「解らん、が……此処に居て何か出来ることも無い。今はもう一つの問題の方を片付けないと拙そうだ」
 不安げな面持ちを隠そうとしないワウアンリーをそっと促して、アウラはブリッジ内での言い争いに意識を向けた。
 「勝つは勝つでしょうけど……心配しても、今更ですか」

 止められなかったあたしが悪いと嘆息した後で、ワウアンリーもアウラに続いた。






    ※ 尺の都合上男性聖機師連中の出番が……。
      まぁ、出てきても白いのに狩られるだけだし、良いか。



[14626] 43-3:罪と罰と贖いの少女達・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/10 22:22


 ・Scene 43-3・



 「どう言う事ですか、見当たらないなんて……姉さん、私達が別荘に行く前には、学院にいましたよね!?」
 「ええ、メザイア先生は此処での仕事がありましたので、聖地から外出した筈が無いのですが……」
 「なのに、ババルン・メストが聖地に侵攻してきた辺りから、行方不明ですか」
 
 ブリッジには、聖地学院学院長以下、聖地の職員の姿もあった。
 焦りと恐れを滲ませたキャイアが、常ならば穏やかな面を崩す事の無い、しかし今は辛そうな顔をしている学院長を強い口調で問い詰めていた。
 乗員名簿をチェックしていたリチアも、難しい顔で考え込んでいる。思考の片隅で聞き届いていた会話の流れを把握しつつも、アウラは確認のために尋ねた。
 「学院長先生もいらしたのですか。―――リチア、どういう状況だ」
 「アウラ。……その、どう判断したら良いのか」
 心情的な部分により、判断に困る内容だとその目が語っていた。
 「メザイア・フランか……見当たらないとなると」
  なるほど、判断に困るなとアウラも頷く。

 メザイア・フラン。
 聖地学院の教師の一人であり、数多居る教師達の中でも、特に生徒達に人気の高い教師である。
 主に男子生徒よりも女子生徒に人気が高い―――と言えば、どのような人間かは推察する事は容易いだろう。
 見た目グラマラス、性格は若干享楽的な側面が強いが、締める所はきちっと締める。
 人当たりも良く、生徒達との交流も多いとなれば、人気が出るのも当然と言える。
 そしてフランの家名が示すとおり、学院生徒キャイア・フランの親族であり、同時に教師と言う役職が示すとおりに、聖地―――協会に籍を置く人間でもある。

 つまり。
 メザイア・フランがこの緊急時に見当たらないと言う話を聞いた場合。

 キャイアは親族であるが故に心配し。
 リチアは尊敬する教師の一人であるから、やはり心配の方が先に立つ。
 それに対して、この危急の事態に居ないと言う事実に不審を覚えるのがワウアンリーと、そしてアウラもだった。
 
 「学院長先生、メザイア・フランはその……聖地側の人間、と考えて宜しいのですよね?」
 場の空気が冷えつく事が解っていても、アウラは多くの情報を確認しながら出ないと判断を下す事が出来なかった。剣士のような直観力も、アマギリのような論理飛躍も出来なかったし、自分の心情だけで判断を下せるほど、自分に自身が無かったから。
 学院長はアウラの問いに、こわばった顔を更に困ったように歪ませた。
 「まさか、アウラさんとこんなやり取りをしないといけない日が来るなんてねぇ……。実直な貴女と、腹の探り合いなんて」
 「真意を読ませてくれない男が友人に居ましたから、必然、こういった行為の真似事も覚えてしまったのです」
 溜め息混じりの学院長の言葉に、アウラは苦笑を浮かべて応じた。慣れない事をしているのは承知しているが、此処で退く気は無いと、その目は笑っていなかったが。
 「あの子は良くも悪くも影響力が大きくて困りますね……。下で作業している生徒達も皆、何処かであの子の行動を気にしていますし」
 「こういった状況には強い男です、当然と言えるでしょう」
 困ったと言う気持ちを隠そうともしない教育者に、アウラはいっそ誇らしげに頷いた。
 
 「それで学院長先生、メザイア先生はユライト・メストの協力者と言う判断で良いんですか?」

 「ワウアンリーさん、貴女もですか」
 「あたしが誰の従者か、理解していらっしゃいますよね? ―――出来れば、直ぐに質問にお答えください。今がどういう状況下は先生もお分かりでしょう?」
 普段、陽気なだけの人間が冷徹の仮面をかぶって情け容赦なく追求を始めれば、受け手に立ったものは恐れ慄くだろう。ワウアンリーは、正しく自身の立ち居地を理解しながら、二人の会話に口を挟んだ。
 「ちょ、ちょっと待ってくださいアウラ様。ワウも! 二人とも、何が言いたいのよ!」
 突如として流れ始めた不穏当な空気に、キャイアが慌てるように頭を振った。
 「メザイア姉さんの姿が見えないのよ!? 早く探しに行かないと―――」

 「何故?」

 冷徹に。声を低く。淡々と―――。
 たまに主が演じる姿そのままをイメージして、ワウアンリーはなるべく無表情のまま、キャイアへ応じた。
 「何故って、何で―――」
 そんな返し方をするのか。キャイアの立場からすれば当然の理解だろう。
 アマギリは自身の状況の解釈を、聞かれない限り人に話すと言う事はしない人間だ。そしてキャイアがアマギリに何かを尋ねると言う状況自体が在り得なかったから、キャイアの状況判断に、アマギリが持つ”教会、及びそこに所属する全ての人間に対する不信感”と言う物が存在しない。
 姉メザイアの些かの行動の怪しさはキャイアも理解している所だったが、それでも家族であるが故に心配の情が先に立つ。
 もし仮に、メザイアが何か不審な立場に実際立っていたとしても―――家族であるが故に会話により止められる筈だと思っていた。
 それ以上に、キャイア自身が不審を覚えているが故に、ソレを払拭したいからこそ、メザイアを探し出したいと思っていた。
 
 探し出し、不審を払拭して―――せめてその気持ちならば、理解してもらえる筈だとキャイアは思っていた。

 当然、ワウアンリーも、そしてアウラもキャイアの気持ちは理解できている。
 しかしワウアンリーが状況判断において何よりも優先するのは、まずは自身の主のものだったから、メザイア・フランの立ち居地の確定の如何によっては、此処で切り捨てる―――見捨てる。放置する―――つもりだった。

 「殿下はこの場で間違いなく、ユライト・メストだけは仕留めるおつもりですから」

 「ちょっ―――!?」
 「どういう事よ、それ?」
 ワウアンリーの淡々とした口調に驚くキャイアとリチアの横で、アウラはやはりかと目を細めた。
 「お待ちなさいワウアンリーさん。アマギリ王子はユライト先生がどのような職務についているのかは―――当然、理解しているのでしょう?」
 焦りながらも含んだような物言いで、学院長は口を開いた。この期に及んでどこか遠まわしな表現なのは、知らないのであれば知らせてはいけない事実を含んでいたからである。
 そして、知らないからこそそんな事を言っているのではないかと、一縷の望みを抱いても居た。

 「いえ、もう立場がどう、では無いんですこの場合。理由はどうあれ先に手を出したのはユライト・メストですから。誰が止めても殿下は止まりませんよ。縦しんば此処で失敗したとしても、何れかならず排除を実行します」

 正しく逆鱗を踏んだと言う事なのだからと、ワウアンリーは冷めた口調で”年下の老婆”に応じた。
 そして都合よく、公然と排除できる―――事故か何かで済ませられるようなタイミングが訪れたのだから、そうしない理由がない。

 「……何と言うことを」

 学院長は天に祈るような心地でそれだけを述べた。
 彼女は自身の立場があったが故に、ユライトの真実、そしてその目的を理解していたから、彼の何処か手段の選ばない行動にも理解を示していた。それを一時の感傷で阻む事によって生まれるであろう、更なる大きな被害を許せなかったから。
 しかし、手段を選ばなかったが故に生まれた軋轢の果てに報復を望むものが現れる事も、また当然だろうと、悟ってしまう。
 「―――あの、馬鹿」
 リチアが、苦悶の表情で呟いた。アマギリのはっきりと割り切った行動―――その発端が何処から来ているのかが理解できていたが故、彼女は口を挟むに挟めなくなっていた。
 自身―――だけでは無いが、当然自分を含めた周りの者達の安寧を土足で踏み荒らした、リチアとしては謝ってもらえればおそらく許してしまえる事だったが、アマギリの気性から言えば許さないだろう。
 いや、謝られれば許さざるを得ない、と理解しているがこそ、尚更積極的に排除行動を取る筈だ。
 「ですから、ユライト・メストとメザイア先生が協力関係にあった場合、当然殿下の気分に従うままになりますから―――」
 「排除もやむなし、か。私としては、視界に納まる部分でやってくれるのならば一応止めるがな」
 ワウアンリーの言葉に、アウラも条件付賛同の立場を取る。
 「私もそうね。幾らなんでもあの馬鹿にそんなくだらない理由で計画殺人なんてさせられないもの」
 リチアもアウラの言葉に賛同した。アマギリの行動動機が基本的に、自分の領分で好き勝手された事から来る私怨であると解っていたからだ。単純であるが故に根が深い、されど、止めれば止めてくれるとも解っていた。
 心配なのがメザイアと言うよりも、むしろアマギリの凶行と言う辺りが、彼女の立ち居地を解りやすくしていた。


 「冗談じゃないわよ! 誰があんな男に姉さんを!」


 そして、キャイアが怒りに震えるのも、そして条件反射的な行動を取ろうとするのも、当然の事と言える。
 「っと、どーどー、キャイアさんストップ、すとーぉっぷ」
 「離しなさいワウ! 私は直ぐに姉さんを保護しに行くわ! 邪魔をするなら……」
 「邪魔はしますけど痛いのは勘弁だからっ! って言うか、ホントのところメザイア先生がこのタイミングで居ない時点でもう怪しいって考えてよ、お願いだから!」
 最後若干、感情赴くままに走りっぱなしのキャイアへの苦言のようなものを交えながら、ワウアンリーは必死で押し止める。
 「私の姉さんよ!? ユライト先生だって教会の人間だって散々話してたじゃない! どうしてわざわざ狙って殺してしまおうなんて考えられるのよ! 絶対あの王子おかしいわよ!?」
 「少し落ち着けキャイア。アマギリがおかしいのは何時もの事だろう。―――それを除外しても、メザイア先生の思惑が解らん事は事実だろう?」
 「それは……」
 言い聞かせるように言葉を被せるアウラに、キャイアが気勢をそがれる。
 「考えたくは無いが、初期段階の防衛作戦に参加して戦死してしまった可能性もあるし、予期せぬ怪我で身動きが取れぬ可能性もある。その場合はお前は辛いだろうが―――見捨てねば、ならないだろう。我々も自身の脱出に気を払わねばならない状況なのだから。またはユライト先生の協力者でありババルンの側の人間だったのなら」
 「まさか! そんな訳が……っ!!」
 「違うと言い切れるか? もしメザイア先生がアマギリの覚えた不審の通りにユライト先生の協力者だったのなら―――そして、彼女がユライト・メストが人造人間であるという事実を知らなかったのならば。……当然、彼女の協力対象はババルンの軍と言う形になるだろう」
 「そん、それ、は……」
 否定できない想像の一つだ。キャイアは拒むように頭を振った。
 戸惑うキャイアに思考の暇を与えるかのように、アウラは視線を学院長の方へ送った。 

 「その辺りの真実を、私はいい加減に聞きたいのです。あなた方教会の秘密主義が今の状況を生み出したのだと、いい加減理解して欲しい。私は今すぐに、必要な情報を全て開示する事を―――シュリフォンの王女として、また、今まさに聖地の空の上でガイアと決戦を行っている男の友として要求する」

 友のために。
 
 結局はその言葉だけが詰問の理由の全てだと、アウラの目は語っていた。
 人当たりの良くない男だったが、どうしても嫌いになれない個性があった。
 話してみれば、何処かアンバランスで興味深いメンタリティの持ち主だった。
 付き合いが深くなれば、それだけ心の中で占める割合が大きくなり―――要らないお節介を繰り返す、気の回しすぎな男だったから、たまにはアウラから、気を回してやりたくもなる。
 今それが、必要な時なのではないかと、アウラはそう思っていた。

 「アウラさん。―――いえ、そうですね。私達老人の負債を、明日を作るべき貴方達に背負わせてしまっているのですから……」
 これまでの凄惨とも言える言葉からは突き放された理由を語られて、一瞬虚を疲れていた学院長は、短い瞠目の後で、そう述べた。

 穏やかな顔で。

 「話さねばならないでしょうね、メザイア―――あの子の事を。キャイアさんには辛いかもしれませんが、この状況では最早、知らないほうが害悪になってしまいます」

 ―――そんな顔をするには、何もかもが遅すぎるのに。


 「アマギリ様が!!」


 一人、室内での会話に口を挟まずに空―――聖地の上空で行われていた異形の聖機人同士の決戦の様子を眺めていた剣士が、明らかな焦りを含んだ叫びをあげた。
 泰然自若を地で行くような少年が、それほどの焦りを見せるとは何事か―――その叫びに含まれていた響きが持つ意味は、何なのだ。
 少女達の視線が一斉に空へと向かう。

 それよりも一瞬先に響く、凄まじい轟音。

 硬く、そして重過ぎるものと、人の手では創りえないほどの強度を有した壁が衝突した事によって起きた、地割れすら起こしそうな体が吹き飛びそうな衝撃波を伴う音。
 事実スワンの船体は揺れ、港湾設備―――優美な装飾が施された柱には皹が走り、整然と並べられた床石は悉く吹き上がり、砕けて割れた。
 音の発生源より距離の離れた位置であった港湾設備ですらその有様だから、よりその音を近い位置で受けた学院校舎群の被った被害は甚大だった。
 まず少なくとも、直上から衝撃波を受けた中央校舎はひしゃげて、つぶれ、瓦礫の山へと姿を変えた。
 ついで中庭を囲うように聳え立っていた古式ゆかしい建築技法で立てられた全ての後者の窓が割れ、柱が折れ、屋根が剥がれ落ちて上層階が悉く潰れていった。穏やかに整地されていた中庭もまた、重機で攪拌したかのごとく有様で、芝は禿げ上がり土が舞い上がり濁流の後の土砂のように堆積した。
 
 「なん、だ―――!?」
 今度は。
 最後にそう付け加えながら、アウラは耳を押さえてテラスへ這い出す。
 轟音の発生源。次はいかなる怪異が訪れたのか―――見上げてアウラは、絶句した。

 空へ両腕を突き出し、女神の翼を広げる龍の化身。

 そして、翼の輝きに浄化されていくが如く、腕を脚を、四散させながら天高くその身を跳ね飛ばされる黒い聖機人。
 それはガイアが、女神の翼の力によって撃退された事の証左だった。
 
 ―――しかし。

 「こっちへ落ちてくるぞ!!」
 「ちょっと拙くないですか、アレぇ!?」
 いかなる力か、空へ跳ね飛ばされた黒い聖機人は、弾道起動を描きながら聖地構造物―――港湾部から中庭へと続く、殊更スワンに近い位置にまで転げ落ちてきた。


 「ドールっ!」


 叫び、テラスの欄干を蹴って庭園部、森の中に飛ぶ剣士。それとまったく同タイミングで、黒い聖機人はその身を遂に、地面へと投げ出した。
 中庭へと続く階段を砕きながら、桟橋にまで転げ落ちてくる。そこへと向かって走る剣士。
 黒い聖機人に乗っている少女の事を知っていたが故の、咄嗟の反応だった。
 「ちょっと、剣士!?」
 「剣士、待て!!」
 キャイアの、そしてアウラの止める声も、剣士には届かない。
 「って、殿下まで来たー!?」
 「止めを刺すつもりかっ!」
 黒い聖機人を追いかけるように、空から鉛色の龍が降臨してくる。そのゆっくりとした動作が、断罪を告げる死神の姿に映った。

 空から、振り上げられる聖機人の右腕。肘から伸びる、鈍い煌きを見せる刃。

 森を突っ切り、木々を掻き分け黒い聖機人目指して走り拠る剣士。

 行動の速度は、人が龍に敵うべくも無く―――しかし、龍はそこで、動きを止めた。

 発条仕掛けが途切れた人形のように、ピタリと、手を振り上げたまま静止する龍機人。

 「―――アマギリ?」

 何を思っているのか。龍の胎の中に居るはずの少年の意思を図りかねて、リチアが呟く。

 その言葉が何かの引き金になったのか、静止する龍機人に変化が訪れた。
 
 腹の中から、空高くから、零れ落ちる、少年の姿を。

 「殿下っ!!」

 少女達は目撃した。悲鳴を上げたのは、従者の少女が一番先で、ダークエルフの少女が、真っ先に駆け出した。

 焦りと不安、混乱と恐れが渾然一体となった、納まらぬ胸のうちを秘めて、少女達は走る。
 
 今は卵へと還った龍の下、倒れ臥す少年の下へと急ぐ。

 そして、爆音と閃光が、今や瓦礫となった校舎中央塔の向こうで、炸裂した―――。







     ※ やっとのこと時間軸合流。
   
       そして仕事が忙しくなるとストックがえらい勢いで減っていく……。早く修羅場を抜けたいトコです、ほんと。



[14626] 43-4:罪と罰と贖いの少女達・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/11 22:39


 ・Scene 43-4・





 木々を掻き分け、崖を蹴り、稼動桟橋を用いずに、港へと飛び降りる。

 行動の意味が理解できなかった筈が無く、それがもたらすであろう少なからぬトラブルに関しても、予想がついていた。
 だが、剣士は止まらなかった。
 交通事故にでもあったかのように、芝が捲りあがり抉れた地面がむき出しとなった中庭の上を転がり落ちてきた黒い聖機人―――ドールの元へと、走る。
 ドールの操る黒い聖機人は、最早ヒトガタとしての原型を留めていない。四肢を両断され、頭部は割れ、腹の透過装甲すらひび割れ内側のコアユニットが覗けるような酷い有様を晒している。
 大破―――どころではなく、撃墜されたと判断されて間違いない状況だったが、それでも、それを行った者はまだ満足していなかったらしい。
 そうだろうなと、一直線にドールの元に脚を進めながら剣士は思う。
 ドールは敵だ。
 少なくとも、たった今、空から降臨してきた鉛色の龍にとっては。
 そして龍は容赦をしないだろう。自分が叫び呼び止めれば、止まってくれるかも知れないと言う淡い期待も剣士にはあったが、それと同時に、叫ぼうとした瞬間に躊躇わず、鈍い光を放つ刃の生えた腕をドール目掛けて振り下ろすかもしれないと言う確信的な予感もあった。

 龍を操っているのはアマギリで、だから、アマギリならばやるだろうと、剣士は確信していた。

 だから、剣士は走る。
 アマギリにとってドールは敵で、だから彼には容赦をする理由がなく―――しかし、剣士にとっては違った。
 ほぼ決着がついたという形になったのであれば、命を助けたいと言う思いが沸いて来る。
 剣士にとってのドールは、その程度の親しさは感じるような存在だったから。

 かつて、判断材料の不足から、剣士が道を過ちそうになったとき、幾度かの会話を交わしただけ。

 言ってみればその程度の関係である。
 ラシャラ襲撃犯の一味―――ダグマイアの主導だったらしいが―――に組していた頃の剣士が、同僚としていた女性聖機師である。何処か人を寄せ付けない、露悪的かつ隠棲的な面が強かったが、何故か剣士は親しみを感じていた。懐かしい空気を覚えた、と表現しても良いかもしれない。
 望郷への思い、行わなければならぬ事に対する罪の意識から心がささくれ立っていた頃の剣士は、彼女との会話で幾らか救われていた。

 ―――ゆえに、今度は自分が救う番なのではないかと、そう思った。

 しかし、頑なに自分のルールを遵守し、危険と認めたならば迷わず排除を実行するアマギリを相手に、どう凌げば良いのか。
 走りながら、振り上げられた龍の右腕を見上げながら、剣士には何も思い浮かばなかった。
 とにかく、刃が振り下ろされる寸前までにドールの元までたどり着ければ、きっと何とかなる。アマギリが自分を傷つける事はしないだろうと、それぐらいは会話を交わしていれば理解できていたから。
 相手の善意―――善意? ―――を利用した、ずるい手段だと言う思いは当然あったが、それでも今は、他に方法が無い。知っている人間が、知って居る人間に目の前で殺される所を見るのは、それを何もせずに見ているのは、剣士には出来なかった。
 

 ―――結論を先に言えば、刃が振り下ろされる事は無く、剣士はドールをその手に抱えあげる事に成功した。


 龍機人は何故か空に静止したまま、内側から血に塗れた少年を排出し、自らは殻のうちに戻った。
 その様子を見れば―――笑顔で別れた人間が、今にも瀕死の様相で天から地に落ちる姿を見せられれば、心に突き動かされるままに動いていた剣士も、流石に立ち止まる。
 破砕され、坂のようになってしまった階段の上の盛り上がった土砂の向こうに崩れ落ちたらしい少年と、目の前の破壊された聖機人の中に取り残された少女。どちらも剣士にとっては親しい人間であり、どちらも守るべき存在だったから。
 背後から追いついてくる女性達の姿が無ければ、剣士はずっと、呆然と立ち止まっていただろう。
 少女達は追いつき―――殆どのものは、剣士をそのまま追い抜いていき、伏せて動かぬアマギリの元へと駆けて行ったから、剣士は、ドールの下へ行く決心がついた。
 階段の上のアマギリの元を目指して走る少女達を見送った後、剣士は階下に転がっていたドールの聖機人に向けて再び駆け出した。

 なぜならきっと、ドールの事を救いたいと望むのは剣士だけだったろうから。

 液化機能の停止していたコアユニットからドールを引き上げるのは一苦労だったが、抱きかかえたドールが怪我一つ無い事に、剣士は安堵を覚えた。
 黒いドレス、長い髪。浮世離れした、白い肌。閉じられた瞼を飾る長い睫も、鼻筋整った稜線も、剣士の知るドールそのままである。
 脈はある。―――おそらくは強い衝撃を受けて、気を失っているだけ。
 「その子……剣士の知り合い?」
 「―――キャイア」
 仰向けに転がった聖機人の腹の上から、ドールを抱えて地面に飛び降りた剣士に、傍まで駆け寄ってきていたキャイアが声を掛けてきた。表情は余り明るいとはいえない。出発前とはまた別の陰鬱な面だった。
 「うん、ドールって言うんだけど……何ていうのかな」
 「んっ……」
 剣士がどう説明しようかと言葉を濁している矢先に、気を失っていたドールの眦が揺れた。
 「ドー……」
 ―――ル。声を掛けて腕の中で気を失っている少女の意識を引き戻そうとしたその瞬間。


 轟音と爆炎が、曇天の空を赤く染めた。


 「何なのよもう、次から次へと!!」
 再び起こる、人が生み出したとは思えぬ轟音と風圧に、キャイアが自棄になったような悲鳴を上げる。
 予測も突かない事態が連続して起こりすぎて、最早心が保ちそうに無かったのだろう。
 剣士も目を細めて舞い上がった土砂が降りかかるのを遮りながら、風圧の向こう、音の断続的な爆発音が響くその場所を見やった。
 階段を上り、中庭を抜け、瓦礫と変わった校舎の向こう。

 ―――そこに在った筈の、屹立する空中要塞バベルが、骸のように崩れ落ち、炎を吹き上げていた。

 「―――次から次に、本当に何がどうなってるの……」
 火山が噴火したかのような、黒煙と灼熱の炎、を瓦礫の向こうに目撃し、まるでこの世の終わりの光景とすら思えてくる尋常ではない情景に、キャイアは震える声で呟いた。
 「あれ、敵の……要塞だよね?」
 剣士も、割と想像の及ばなかった事態だったので、呆然と目を丸くするしかなかった。
 
 囮を用意して、こっそり忍び込んで、助けて、逃げる。

 事前に聞いていた計画を大まかに理解すればそういう事だった。
 ―――敵の本拠地を、爆破解体するなどと言う話は、間違っても聞いていない。そもそも一人で敵の最大戦力―――ドールだったのだが―――と戦い始めてしまった段階で、色々と思うところがあったのだ。
 その挙句、何も伝えずにこんな大それた行為を行ってしまわれれば、混乱するしかないだろう。案外、アマギリ本人にとっては”言わずとも解るだろう?”と言う状況に分類できてしまうのかもしれないが。
 「……ひょっとして、脱出のタイミングを知らせる”解り易い合図”って、コレのこと……?」
 キャイアが最早驚く気力も沸かないという平坦な口調で呟く。剣士も口を半開きにしたまま頷いてしまった。
 

 敵をやっつけたから、さぁ、帰ろう。


 ―――なるほど解り易い。
 「余りにも解り易すぎて、逆に誰にも解らないと思うんだけど……」
 「同感ね。無茶苦茶すぎるわ、あの品の無い男」
 「品が無いってのは、言いすぎだと思うけど」
 返された言葉の棘の多さに、剣士は赤い空を見上げながら苦笑してしまった。
 「人を人形呼ばわりした挙句、寝技だなんだってレディの前で口走るんだもの。それが下品でなくて何なのよ?」
 「ああ……それはちょっとアマギリ様が悪いかなぁ……―――って、え?」

 自分は今、誰と話していたのだ。

 剣士は目を瞬かせて、辺りを見渡し―――キャイアは、まだ呆然として燃え盛るバベルの残骸を見ていた―――そして、その声が直ぐ自身の耳元から響いた事に気付いた。
 「―――ドール」
 「久しぶりね、剣士。きっと此処で会う事になると思っていたわ……あの男のせいで少し、予想外の展開だったけど」
 いつの間にか。
 抱き上げた腕の中で力なく臥せっていたドールの瞼が開いて、その透明感ある瞳が、剣士を見つめていた。
 「起きたんだ。―――身体は平気?」
 「―――まず一番初めにそう言う事を聞いてくれるのは、やっぱり剣士ね」
 驚いたと口にする事も無く、ただ無事を案じてくれる剣士の態度に、ドールは微笑んだ。剣士は何故そんなに嬉しそうなのか理解できないと首を捻る。
 「起きれる?」
 「―――まだ無理よ。……無理みたい」
 とりあえずと、勝手に抱きかかえたままと言うのも失礼かと思い尋ねる剣士に、ドールはしかし、ゆったりとした仕草で両腕を彼の首に回しながら、答えた。

 耳元で囁かれた言葉に、甘いものよりもまず、諦念と疲れを感じ取ったのは、きっと気のせいではなかった。
 なぜなら。

 「―――何を戯れている、ドールよ」

 重く響くその言葉が、突然現れた気配と共に、聞こえたから。
 「何っ―――!?」
 「キャイア、下がって!!」
 傍に居たキャイアが驚き振りむく言葉に被せるように、剣士は咄嗟に叫んでいた。
 自身まだ、そこにいるはずの何者かを把握していなかったと言うのに、何故か確信的に嫌な予感しかしなかったからだ。
 ドールを確りと抱きかかえ、半身踏み出しキャイアの姿を隠すように、声の主と向かい合う。

 「―――なんで、こんな、処に……貴方、が」

 背後で、キャイアの震える声が聞こえた。
 
 そこに居たのは、厳つい、人とは思えぬ恐ろしい気配を秘めた、幹質な瞳と、覇気に満ちた笑みを併せ持った、不気味な男。

 「メスト卿」

 混乱をそのまま示したようなキャイアの声に、剣士は眼前の存在が何者かを悟った。
 敵の首魁、聖機神ガイアの人造人間ババルン・メストが、暗く、紅い瞳を滾らせながら、そこに在った。
 その赤い瞳と視線が絡んだ瞬間、剣士は本能的な判断で、腰を落とし、脚に力をためていた。
 
 ―――危険だ。

 そこに在るのに気配が薄い。在ると解っているのに、攻撃を中てる手段が、まるで思い浮かばない。
 人外としか評しようが無い、未だに勝つ方法が思い浮かばない身内に親戚達と幾度と無く試合って来た剣士を持ってしても、目の前のこの相手に対してどう立ち向かえば―――どう、撤退すれば良いのか、想像が及ばなかった。
 力は、きっと彼らには及ばぬであろう筈なのに―――目の前のこの男、人とは思えぬ虚ろな気配、戦うには危険だと、剣士の直感はそう告げていた。
 
 退かねば。―――何処へ?
 背後には混乱したままのキャイア、そして、腕の中には身動きできぬドール。
 背にした階段を上った先には、きっと倒れ臥したアマギリと、その傍には彼の少女達が。
 彼に守護の役目を託された、彼が守りたいと願っていた少女達が、居る。そして、ババルンの佇むその向こう、出港準備を終えたスワンには、剣士自身が守りたいと思う全ての人々が乗船していた。
 位置取りが拙すぎる。退くも進むも、どうしようもない。

 「―――人形の回収に来てみれば、これは思わぬ拾い物だ。まさか、このようなところで出会えるとは」

 紅い瞳の大男は、ドールを、ついで剣士の姿をじっくりと眺め回した後に、楽しそうに言った。
 後ずさりそうになった剣士は、背後に居るキャイアの存在を思い出し、何とか踏みとどまる。
 怯えているとも取れるその様子を見て、ババルン・メストはさらに笑みの形を深めた。

 「異世界の聖機師よ。我を封ぜんと望む愚かなる者達に操られるだけの人形よ。滅ぶ以外に価値の無い全ての存在のためだけに生きるその様は辛かろう」

 「なに、を」
 喉を鳴らして、力を込めて、しかし呻くように言葉を吐く。
 音も無く一歩踏み出してくるその男が、剣士にはこの世の者には思えなかった。

 「人柱に堕ちる、決められた運命から救済をしてやろうと言うのだ―――この、私が」

 その在り様は無意味であると、意味は理解できずとも、含まれた意思だけは理解できたから―――剣士の取った行動は一つ。

 ”拒絶”。

 「ふざけるな! 俺はお前なんか必要としていない!」
 強い口調で、今度ははっきりとした言葉を叩きつける。

 「クッハッハハハハハハ! 否定するか、私を。当然だ! それこそが貴様の決められた生き方なのだからな!」

 その力強い言葉を前にしても、ババルンは哂う、哂う、哂い続ける。剣士の揺るがぬ在り様を、嘲笑する。
 剣士は食いしばった歯を軋ませながら、叫び返す。
 「黙れ! 誰かに決められたからこう生きるとか、俺はそんなんじゃない!」
 「―――当然だ。そうと思わぬうちにそうあってしまうからこそ、決められた生よ。貴様と、私と、そして―――なぁ、ドール」
 鼻を鳴らして応じるババルンの言葉に、剣士は戸惑いを覚える。
 ドール。胸に抱いた少女を見下ろしてしまう。視線が絡む。透き通った―――悲しみを込めた瞳が、剣士の瞳に映る。
 「目的を持って造られた生である私達は、誰かに目的を押し付けられるままに、生きるしか、無いの」
 至近から、その整った唇より語られる言葉と共に、首に回されたドールの両腕が、剣士の背を撫ぜるように動く。

 
 だ。

 ―――か。


 ――――――ら。


 唇の形が順を追って変化していくのを、耳が音を拾うよりも早く、視界に納めた。


 ――――――――――――ごめんなさい。


 「剣士!!」


 ドールの言葉。

 キャイアの叫び。

 脳がその意味を理解するよりも先に、剣士は背中に発した熱の存在を理解した。

 焼きつくような―――痛み。
 じんわりと広がっていく、おぞましい寒気を覚える熱量は―――ああ、血だ。


 俺の血が、俺の背中を、焼いている。


 背骨の傍。さっきまで、服の上から細い指で撫で回されていた―――だけど今は、鋭い痛みしか感じない。
 トンと、胸を押す、紅く染まった掌に押され、剣士は蹈鞴を踏んで後ずさった。
 腕から力が抜けるよりも先に早く、ドールが、突き飛ばすように剣士から離れ、立ち上がった。
 ふらりとおぼつかない脚で後ろに下がる―――その最中、紅く染まったドールの片手に、鋭く尖った、ガラス片が握られていたのが、剣士には見えた。その鋭さは持ち主の掌すらも切り裂き、―――ああ、俺の血と、雫に垂れるドールの血が、混ざってる。

 「混血で強制力が弱まっていると言えど、傷ついたその身、保てぬ意識の狭間では―――抗えまい」

 無機質に変わったドールの顔のその奥から、不気味な気配の主が、剣士に向かって手を翳す。
 その奥にある瞳は愉悦に煌き、紅く、紅く、地獄の業火の如く、燃え滾るようだった。


 「さあ―――我に、従え!!」







    ※ ドール、画面に出るの初めてですねそう言えば。
      コレで原作のヒロイン格は全員出たのかな……って、そうか。山賊か……山賊なぁ。



[14626] 43-5:罪と罰と贖いの少女達・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/12 20:34


 ・Scene 43-5・





 体が重い。

 ―――この感覚は久しぶりだなと、彼は止まぬ鈍痛の底で思った。
 徹夜も二日三日続けば、何故だか空元気のようなものが沸いてきて、その勢いで更に三日四日と―――そして、気付けば何時もこうだ。
 でも仕方が無い。
 選抜され磨き上げられたエリート達の端の端で、彼女等に迷惑をかけないようにするためには、凡俗の身とあっては無理を幾つか重ねてみせるしかないのだから。
 資料室に篭りきりになり、机に突っ伏し気を失うなど、割と日常茶飯事だった。
 その度に心配そうな顔で肩をゆすられて―――それが迷惑をかけているのだと理解していても、そうしなければ更なる迷惑をかけてしまうと、今思えばそれは、所詮子供の意地なのだろうが。
 
 ―――そして今日も、鈍痛と歪んだ思考の狭間に落ちている彼を現実に引き戻すためか、肩を揺すられて。

 それにしても何故だろう、随分と机の上が泥臭い。空気は生ぬるく、資料室の古書の詰みあがった独特の饐えた空気とも違う―――ああ、そうか。

 彼は理解した。

 同時に、現実逃避をしていた自分が馬鹿らしくて笑ってしまう。

 「夕咲殿……いくら闥亜様に敵わないからと言って、僕をいたぶって気を晴らすのはいい加減止めてくださいと……」

 また例によって、寝不足でふら付いている所を、練兵場まで引きずり込まれたらしい。
 両者同意ではない訓練なんて、ただの私的制裁にしかならないのだからと毎回毎度の抗議をしているというのに、一向に聞き入れてもらえない。樹雷と言うのは何処までも武闘派が強い所だった。
 往々にして此処の連中は、人を殴り倒す時も乱暴極まりないが、起こすときもまた同様だ。
 肩を揺するにしても、もうちょっと、丁寧に―――。


 「―――殿下っ! いい加減にこっち戻ってきてください!!」

 
 「―――……っ、ぁ?」

 目を見開く。ぼやけた視界の向こうに、煤けた曇天の空が見えた。
 何処だ?
 瓦礫の山の向こうで朽ちた巨塔が火を吹き上げているような、この世の物とは思えぬ光景。
 「―――地獄?」
 「……つくったの、貴方ですけどね」
 呟き洩れた言葉の隅に、呆れた響きが混じった。
 
 それで、視界が一気に晴れた。

 「―――また酷い顔してるな、きみ」
 「させたの誰だと思ってるんですか……」
 「僕か。―――そりゃ、光栄だね」
 半身を起こした自身を支えるようにして、従者の少女が寄り添っていた。
 何故だか悲しいんだか嬉しいんだか、死にそう何だか生きてるんだかよく解らない、表現しがたい顔をしていた。

 ―――美しい、と評してやるのが一番かとも思ったが、その少女以外の人間の気配も当然感じていたので、言ってやる事は無かった。

 「軽口をきける程度の気力はあるようだが、体のほうは平気なのか?」
 傍に膝立ちしたまま、瓦礫の山の向こう―――倒壊したバベルを眺めていたアウラが、目を細めながら尋ねてきた。
 「お陰さまで、死にそうかな」
 「―――そういう事が言えるヤツほど、案外長生きするものだ」
 それこそ軽口に違いないアマギリの言葉に、アウラはその裏の裏を読んだのか、労わりを視線に込めながら、やはり軽口で返した。
 それに苦笑で返しながら―――アマギリは気付く。
 
 「いや待て、何処だ此処!! 何できみ等がこんなトコに居るんだ!?」

 咄嗟に辺りを見渡す。思い切り首を振ったせいで、鈍痛が酷かったが、それどころではない。
 崩れ落ちた校舎。倒壊し火を吹き上げるバベル。皹が入り劣化したコクーン。間違いなく、聖地の中庭である。
 「と言うか、バベルの有様は何なんだ……」
 何ともカタストロフとしか評しようの無い有様の黒煙を巻き上げるバベルの姿は、些かアマギリの想像を超越していた。
 「お前の仕業ではないのか?」
 「いや、広義で言えばそうなんだろうけど、ここまでやるつもりは無かったと言うか……」
 おそらくは、モニターの向こうに映ったバベルの管制室の隅っこで、暗いくら~い瞳をしていたエメラが、頑張りすぎたのだろう。アマギリとして精々倒壊させてくれれば良かったのだが、どう考えてもその範疇を超えている。火薬庫に火を放ったのか、それとも結界炉を暴走でもさせたのだろうか。一途な女の情念に恐ろしさを覚えずには居られない光景だった。
 「まぁ、予想を遥かに超えた光景だけど、あれはあれで、中に居たロンゲ辺りも一緒に死んでくれそうだから都合が良い。―――自分で手を下せなかったのは不満だけど。それよりも、だ」
 「色々不穏な発言が聞こえるのだが……」
 「気のせいだよ、気のせい。―――ホント、きみ等こんな所で何してるんだ!? スワンは? もう脱出したのか!?」
 アウラのツッコミを軽くいなした後で、アマギリは顔をしかめて尋ねた。ワウアンリーが、何とも微妙な顔で応じた。
 「スワンでしたら、多分まだ係留中……あ、出港準備は終わってますけど」
 「終わってるんならとっとと出せよ! 上がこんなに騒がしくなってたら、下から横からおっつけ敵が来るぞ
 !?」
 「それをお前が言うか? むしろアマギリ、お前こそ何をこんな所で倒れていたんだ」
 「何でって―――……あ」
 心底怒りに満ちた低い声でアウラから言われ、気勢をそがれたアマギリは、漸く今の自分の状況を理解した。

 空を見上げる。曇り空。
 地面を見下ろす。土砂が盛り土のようになっていた―――花壇では、なかったらしい。
 体を見下ろす。リチアが腹の辺りに手を添えて何かをしていた―――それは良いとして、何故か血まみれだった。
 そして、殆ど全身に力が入らない。

 「―――悪い、しくじった。もうちょっと持つと思ったんだけど……」

 パカンと、言った瞬間頭を叩かれた。

 「今のはお前が悪いだろう」
 叩いた涙目の少女をにらみつけると、反対から声が飛んできた。横目に見ると、私が叩いてやっても良かったんだぞと言う目で睨まれた。
 「こんな混沌とした状況になるなんて、私は聞いていなかったぞ?」
 「いや、だから流石に此処まで派手にやるつもりは無かったんだけど……」
 強いて言えば、ガイアもアマギリ―――皇家の樹も、些か力があり過ぎたというだけの話しである。そして、アマギリにはそれを受け止めきる力が無さ過ぎた。
 そんな風に考えていると、アウラが更に視線を厳しくした。
 「他人の秘密主義を責める前に、お前も少し、自分の秘密主義を何とかするべきだ」
 「ホントですよ。あたし、テキトーにからかった後でこっちに合流する、としか聞いてませんでしたよ?」
 「当初の予定だとそうだったんだけどね、ホント……」
 まさか、此処まで命を削るような羽目に陥るとは、流石に予想できなかった。
 他人事のように呟くアマギリに、アウラは大きくため息を吐いた。
 「説教は持ち越しだな。―――とにかく、元々逃げる予定だったのだから、逃げるぞ。間違っても反対などしないだろうな?」
 「と言うか、認めませんけどね、反論なんて。―――リチアさん、どうですか?」
 ドスの聞いた声で言うアウラに続いて、ワウアンリーも然りと頷く。ついで彼女は、アマギリの腹に両手を当てて目をきつく閉じていたリチアに尋ねた。
 リチアは暫くの間、先ほどからのように苦しそうに唇をかんだまま眦を寄せていたが、やがて、戸惑いを隠さずに首を横に振った。

 「―――駄目。どうして回復亜法が効かないの? 外傷すらふさがらないなんて……」

 それでアマギリは、リチアが今まで黙ったまま何をしていたのかと納得した。
 回復亜法―――女神の洗礼を受けた聖機師が、聖衛師と呼ばれる特殊な亜法を納めた聖機師の亜法により、傷ついた身体を癒す技法。
 聖機師の肉体の損傷の治癒どころか、聖機人の修復すら可能と言うのだから、中々ふざけた話だとアマギリは常々思っていた。一体どういう原理なのか、想像する事すら馬鹿らしいレベルである。
 「アマギリ、あんたちゃんと、洗礼を受けてる筈よね……?」
 リチアが泣きそうな顔で尋ねてくるから、アマギリは苦笑交じりに頷いた。
 「そりゃね、王子様だもの。教会の偉いさん呼んで、寄付金たっぷり積んでやってもらったよ」
 ハヴォニワの教会施設内の、女神のご神体の前で、そういう儀式を確かに受けた記憶がある。そう答えると、リチアは益々泣き出しそうになった。
 「じゃあ、何で直らないのよ!? 私が未熟だから……?」
 協会に所属しているが故に、リチアは回復亜法の手ほどきを受けていたから、傷つき臥せったアマギリを見た時、自分しか癒せないと思い、回復亜法を使い続けていた。
 しかし、幾ら結界式を展開して亜法波を流し続けようとも、アマギリの体中についた擦り傷の一つすら、一向に回復しない。
 「別に、リチアさんのせいじゃないですよ―――っと」
 ぽんと、ふら付いた手で泣き出しそうなリチアの頭を撫でながら、アマギリは起き上がろうとする素振りを見せた。しかし、意思に反して体は全く動いてくれない、背中を支えていた従者が、主の意向を理解して体を持ち上げるようにしてくれたから、事なきを得たが。
 従者に体重を押し付けたまま、地に足をつける。どう頑張っても体重を支えきれそうに無かったが、膝立ちで様子を伺っていた友人が、肩を貸してくれて何とか支えきれた。 
 その男としては些か情けない格好のまま、アマギリはへたり込むリチアに向けて手を差し出した。

 「津名魅の眷属である僕が、訪希深の加護に縋ろうってのが、どだい無理な話なんだよ」

 「―――は?」
 「養殖モノでもそれなりに認められてるって事かな」
 一斉に訳が解らないという顔をする少女達に、アマギリは肩を竦めて嘯く。
 「ようするに、この期に及んでも秘密主義と言う訳か―――まぁ良い、とにかくそろそろ本当に逃げよう」
 アウラが顔をしかめたまま、しかし状況を正しく理解して撤退を促す。
 「そう……ね。階段の下に野生動物達も居る筈だし、回収しないと」
 リチアも、何だか馬鹿らしくなったと言う風に溜め息を吐いた後、アマギリの手を取り―――体重もかけず、添えるだけに留めていたが―――立ち上がった。
 
 「―――今何て言った?」

 緩みかけた空気を凍りつかせるように、アマギリが低い声で問うた。
 「―――殿下?」
 背中を支えるワウアンリーの不思議そうな声に答えず、愕然とした瞳で辺りを見渡す。
 聖地学院―――今は最早、瓦礫の山と廃墟と言った有様だが―――その、中庭。
 ふら付く足で振り返ると、長い階段。―――その先には、王侯貴族用の一等艦船を係留している港湾に続く。
 
 そして。
 「まて、確か黒い聖機人は下に落ちた筈だな!?」
 「へ? ええ。びっくりしましたよ、凄い音がして……」
 「中央校舎が、一瞬でひしゃげたからな」
 ガイアのコアユニットを所持していた黒い聖機人を、光鷹翼の強引な運用で撃破して―――しかし勢い余って、桟橋にまで落下させてしまった。
 「剣士殿が出てきた、だと? どういう事だよ……」
 「へ? えっと、その……どういう事なんでしょ、そういえば?」
 ふら付く足取りで階段を目指すアマギリを慌てて支えながら、ワウアンリーが首を捻る。同様にアマギリに肩を貸していたアウラが、向かいから助け舟を出した。
 「アレに乗っている聖機師と知り合いのような口ぶりだったな。―――よく考えればそれも当然かもしれん。剣士は元々、”連中に利用されて四月の頭の事件に襲撃者側として参加していた”のだから」

 「―――ヤベ」

 言われた言葉に愕然とした。
 失念していた事実に驚愕を覚えた。
 この世界での事情よりも先に、本来の自身の居場所での関係性を念頭に置いていたせいで、完璧に忘れていた事実。
 黒い聖機人。四月の頭に遭遇した。
 剣士。同様の夜に初めて出会った。
 ならば両者には多少の関係があって当然で―――だからといって、それに何か問題が?

 自分が何故、そんな当たり前の事実に怯えを抱いているのか。
 今日のこの日が、日が昇り始まった瞬間からずっと感じていた不安が、急速に湧き上がっていく。

 ふら付く足取りで進む。
 階段が遠い。体が重い。
 急がないとと気ばかりが急いていく。

 「ちょっとアマギリ、あんたボロボロなんだから無理したら……ああもう、唇から血が!」

 慌てて追いかけてくるリチアの言葉も、アマギリの耳には入らない。
 早く行かないと。暗く沈む階段の下に。
 急がなくては。

 嫌な予感。絶望的なほどに感じる、絶対に避けねばならない最悪の事態が。


 『あああああああああああアアアアアアアアアアアァァァァァぁぁぁぁぁぁああああっっっっ!!!!』


 ―――この奥で、待ち受けている。








     ※ オリ主一週間ぶりですか。ここまで長い間隔で出てこなかったのって初めてでしょうか。
       彼の主観だと正味十分くらいしか経ってないんでしょうが。

       まぁ、何はともあれ次回、次回って感じですかねー。



[14626] 43-6:罪と罰と贖いの少女達・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/14 00:02
 ・Scene43-6・




 「あああああああああああアアアアアアアアアアアァァァァァぁぁぁぁぁぁああああっっっっ!!!!」


 頭が割れそうで。

 体が燃えそうで。

 そして、心が壊れてしまいそうだった。

 「あっ、ぎっ、がっぁあぁああああああぁあアアアアアアアアっっ!!」

 「剣士! しっかりしなさい剣士! アンタ、よくもっ!!」
 
 誰かの声。近づいて離れていく、誰か大切な人の声。
 守らなきゃ行けない人の―――何を守るべきなのかが、もう、解らなくなりそうで。
 行かないで欲しいと手を伸ばしたつもりで、その実、剥げた石畳の上をのた打ち回って呻いているだけだったのかもしれない。
 最早自分の状態すら、考えられないほどに、―――体も、心も、壊れて崩れ落ちてしまいそうだった。
 
 「フン。ナウア・フランの娘か。目障りな。―――ドール」
 「―――……っ」
 「ドールッ!」

 躊躇い、怒り、それから、砂利を踏みしめる音と、空を切る―――。

 「っ、こんのぉっ!?」
 「―――じっとしてなさい」
 「誰がっ!」
 「お願いよ、キャイア」
 「―――え? ……あ、なん、で―――? っ、がぁっ!?」

 一瞬の空白、ぶれるリズム。
 躊躇いと戸惑い―――それから、打撃音。地に叩き伏せられ、大切な筈の人の、うめき声。
 起き上がらなくちゃいけないと思って、それから、何故起き上がらなければいけないのかが、解らなかった。
 大切な人が打ち倒されたのに?

 「な、ん―――ぇさ、……が」
 「良いから、もう休みなさい」

 ―――でも、大切な人を打ち倒した人も、大切な人だったから。

 解らない。
 何も解らない。何も解らなくなっていく。
 頭がぐらぐらして、心はさっきからずっとグチャグチャで、空気が肺に届かず、荒い息が喉を焼く。
 おぞましい程の寒気と焦がすほどの熱が混ざり合い、おかしくなりそうだった。

 「中々に粘る。―――粘った所で、救いなど何処にも無いというのに」

 その声は、聞いては駄目だ。
 壊れそうな心が、そう叫んだ。
 その後で、その声以外の音は、聞く必要は無いのだと理解した。いや、理解したくなかった。どっちが正しいのか、もう解らなかった。

 いや、解っている、解っている筈だと、きっと歯を食いしばりながら、たぶん、拳を地に打ちつけながら、出来れば体を起こしている事を願い、睨みつける。

 ―――紅く、暗い、その目を。

 ――――――見てはいけないと知っていただろう?

 「命令されれば逆らえないのだよ。―――我等は、そのように作られているのだから」

 ―――なぁ、と。誰かを侮蔑するかのように問いかけている。

 地を踏む音。床を叩く音。ゆっくりとゆっくりと、近づいてくる音。
 もう、目の前。しゃがみ込むのが、見えたのか―――音で聞いたのか。

 最早それすら解らないほどに、心が追い詰められていたのだろう。

 「大丈夫よ、剣士」

 だから。

 「剣士には私がついているわ。―――ううん」

 こんな簡単な。

 「私には、剣士がついていてくれる―――そうでしょ?」

 罠に絡め取られる―――。


 ”勿論だよ。メザイア姉”。


 だからそんな、無機質な色の無い自分の言葉に、安堵を覚えるほどに恐怖した。

 恐怖して、そしてそのまま、心は凍りついていく。
 
 もう、戻れないのかな。

 「何処にも戻る必要なんて無いのよ。私がここに居るのだから」


 ああ、そうか。そう、だよね―――。




 「……どんな、状況だよこれは……」
 「剣士に、メザイア先生、キャイアさん……それ、に」
 「ちょっと待って、あれ、ババルン・メストなんじゃ!?」

 悲鳴が聞こえたのだ。本来、苦痛を面に出さないはずの少年の、悲鳴が。

 だから、従者と親友の女性二人に支えられて、最早ボロボロに崩れ落ちて坂に成り果てた長い階段を、可能な限り急いで降りてきた。
 階段の中腹辺りで漸く見えた、アマギリが目撃した桟橋の光景は、想像を遥かに飛び越えた異質な光景だった。

 うつ伏せに倒れたまま、背中を真っ赤に染めた剣士。
 その背中に両手を当てて、回復亜法を使用しているメザイア・フラン。
 その二人から少し離れた位置で崩れ落ちているキャイア・フラン。

 そして―――。

 「ほぅ、異世界の龍か。 ―――役者は揃ったと言った所か?」 

 階段の上に呆然と立つアマギリたちを嘲笑と共に出迎えた、ババルン・メストの姿があった。
 彼等の傍には、四肢をもがれた聖機人の残骸。コアユニットは外側から打ち壊されたような有様で、中には、聖機師の姿は無かった。
 「どんな状況だ……? 剣士殿が、ババルンに負けた?」
 呟きながら、そんな馬鹿な話ある訳無いと自らの考えを否定する。
 確かにあそこに居るババルン・メストの気配は異様の一言だったが、しかしそれでも、完成された樹雷の闘士である剣士が負ける姿は思い浮かばない。
 だが事実として剣士は臥せっている。そしてそれを癒しているのがメザイア・フラン。倒れ気を失っているらしいのがキャイア・フラン。

 ―――キャイアは誰に倒された?

 何度か剣を打ち合わせた事があるが、キャイアもまた優秀な聖機師であり、そして武芸者としての腕も良い。王族の護衛聖機師の地位は伊達ではないだけの力量はある。
 それが、見える限り外傷一つ受けないまま倒されるなど―――一体相手は、どれほどの力量か。それとも、どれほどの罠を講じたのか。
 剣士が倒れていると言う異常事態に、更にどのような力を働かせてババルン・メストが居るのか。混乱以外しようの無い状況に、アマギリが呆然としている傍で、アウラがやはり、戸惑いを多分に含んだ声で呟いた。
 「―――メザイア先生は何故ここに居る? 剣士を追い抜いて中庭に上がった時までは、桟橋には誰も居なかった筈だ。桟橋へ続く階段は此処しかない筈……いや、それを言ったら」
 ババルン・メストもそうか。
 全く訳がわからないと、アウラは苦々しく表情を歪めた。
 「とりあえず……殿下」
 「なに?」
 背を支えてくれていた従者が、半身前へと踏み込みながら、アマギリの耳元で囁いた。
 
 「―――この状況、この位置、良く解らないんですけど、凄く拙くないですか?」

 桟橋に続く階段は一つ。階段の下では倒れた剣士とそれを―――アマギリ達に一瞥すら送らずに―――治療しているメザイア。その奥に、ババルン。
 その、更に奥に。

 「スワンまで突破するのは、この位置だと……」

 敵が邪魔をして難しいだろう。ワウアンリーは、間違いなく主を自らの身で隠すようにしながら、苦しそうに呟く。
 言われて、アマギリは一瞬考えた。

 ババルン・メスト一人を”抜く”くらいなら、それほど難しくないのでは?

 「なに寝ぼけてるんですか、殿下」
 表情から主の考えを瞬時に理解したのか、ワウアンリーは酷く慌てた調子で囁いてきた。

 「メザイア・フランは貴方の”敵”でしょう!?」

 ガツンと、頭をハンマーで殴られたような衝撃で持って、その言葉は届いた。
 重い体に、覚束無い足取りの中で、ぼやけていた思考が急速に冷えていく。
 そう、メザイア・フランは―――少なくとも確実に、ユライト・メストとの繋がりだけはある筈。
 そしてそうであるならば、確かにアマギリ・ナナダンの敵と証するに相応しい。
 「ユライトは……」
 「気配は無いぞ。少なくともこの近くには。―――スワンの中の生徒達が慌てて動き出したようだが」
 ババルン以上に最優先排除目標である男の影を探して視線を彷徨わせたアマギリに、アウラがそっと告げる。
 彼女の気配察知能力は、種族的な意味もあって非常に信用の置けるものだったから、アマギリはソレにすぐさま納得の頷きを返し―――そしてそれから、折角スワンに乗船済みだったらしい生徒達が動き出そうとしている事に焦燥を覚えた。専用の稼動桟橋を用いねば簡単に乗り降りできない筈だから、迂闊に外に出るような真似はしないでくれると信じたいが―――とにかく、少しの焦燥を覚えるには充分な情報だ。

 でもそれは、此処を何とかすればどうとでもなる話だ。

 少し首を払った後で、今は気分を切り替える。従者の忠言の意味をかみ締めるために。
 メザイアは敵。
 そう、当然の話だ。
 居なかった筈の人間が突然現れれば―――メザイアが姿を消していた事は、アマギリは聖地襲撃の第一報を聞いた段階から聞き届けていた。元々不信感を持っていたから、人を貼り付けておいたのだ。
 ユライト・メストともども、バベルの登場とともに何処かへと消えたと、そういう情報だった。
 そこに、意味が無いとは思わない。彼らは、言動行動共にアマギリにとっては怪しすぎたから。
 そして、唐突にこの場に現れたと言う事にも、同様に意味はある筈だ。

 ババルン。傷ついた剣士。倒れたキャイア。癒すメザイア。

 何がおかしい?
 何かが欠けている気がする。メザイアとババルンがここに居る理由―――いや、そうじゃない。
 
 眉根を寄せて、目を細めた時―――視界の片隅に、入るものがあった。

 ”中身が空”の、聖機人。

 聖機師。聖機師。聖機師。そして、聖機師ではない人間。

 剣士とキャイアである筈が、無い。

 人間。人造人間のハーフ。人造人間。それから――― ユライト・メストは人造人間で、そしてナウア・フランは聖機工。

 ありえない話では、無い。


 「―――メザイア・フランも人造人間」
 

 え?

 目を丸くする周りの少女達とは裏腹に、どのような聴力でアマギリの呟きを聞き届けたのか、ババルン・メストが呵呵と哂った。
 「相変わらず良く見る。―――ユライトが警戒するのも当然か」
 「死んだロンゲの話なんかどうでも良い―――っ、クソ、思いつかなかった僕が馬鹿だったか。アンタとユライトの存在があれば、解ってもおかしく無かったってのに」
 歯軋りせんとばかりに唸るアマギリとは対照的に、ババルンは威風堂々とした余裕のある笑みを浮かべていた。
 そのまま、肩に掛かったマントを払い、下ろしていた手を掲げ持つように持ち上げる。
 
 その動作に従うかのように、フラリと機械的な仕草で、剣士を治療していたメザイアが立ち上がる。
  伏せた顔で、表情を見せぬまま―――それが、不気味に歪み、変化を見せる。

 黒いドレス、長い髪。浮世離れした、白い肌。

 「―――なに、何なのよこれ。メザイア先生……?」
 最早理解が限度を超したとばかりに、リチアが震える声で言う。
 彼女達の眼前で、彼女達の良く知るグラマラスな肢体の女性が、彼女達のまるで知らぬ、ドレス姿の小柄な少女へと姿を変えたのだ。
 混乱する少女達の狭間で、アマギリだけが大きく舌打ちした。

 「―――お前が、”ドール”か」

 「その通りよ、異世界の龍。お前にお前呼ばわりされ言われも無いのだけどね」
 「僕も人形風情にお前なんて呼ばれるのを許した覚えは無いな」
 無機質な、混線状態の通信機越しに聞いた、そのままの声で、少女はアマギリを見据えて応じた。
 ユライトが隠匿し、ダグマイアから洩れた名前。由来のわからぬ、人造人間。
 「姿の偽装まで可能なんて、聞いてないぞあのロンゲめ……」
 「ユライトは貴方を嫌っているからね。必要以上の情報を漏らす筈が無いでしょう?」
 その正体が、メザイア・フラン―――いや、メザイア・フランの正体が、目の前のこの”人形”なのだろうか。
 そのあたりの事情は詳しいものに聞かねば解らないだろうが、ともかく、これでキャイアが目立った傷一つ無く昏倒している理由も解った。剣士が傷を負った理由も。

 突然親しい人間に攻撃されれば、予測し得ない事態であれば、いかな剣士とて、容易に致命傷を負うだろう。
 キャイアは―――肉親が目の前に突然現れれば、当然。

 「待て。―――何故剣士殿を治した」
 一つの状況が理解できた瞬間に湧き上がった次の疑問。
 そしてその疑問の答えは、どうしようもなくおぞましいものに思えて、アマギリの顔は焦燥に囚われていた。
 不意打ちで剣士を倒す―――それは良い。おそらくユライトにでも聞いたか、それ以前に元々剣士はババルン側に使われていたから、その能力が敵側に存在していれば、排除を思いつくのは当然だ。
 だが、何故癒す。傷つけたのは自身等だろうに、なぜ、ババルンに従う人造人間が、敵である剣士を癒す。

 ―――そんなこと決まっていると、彼が思いつくのと。

 ニヤリと彼が唇を歪ませながら腕を掲げるのと。

 そして、フラリと機械的な動作で彼が立ち上がったのは。

 全てが、同時の事だった。

 そして彼は理解する。
 
 これがそうだと。

 立ち上がった彼の、無機質な瞳を、暗く沈んだ眼に見据えられて。


 これが恐れていたものの正体なのだと。


 フラリと揺れる、彼の体。
 「けん、し……?」
 従者の呟き。咄嗟の思考に、動かない筈の身体は、反応してくれた。
 「ワウっ、下がれ!!」
 怒鳴る声と共に、自身を支えてくれていたワウアンリーを背後に突き飛ばす。
 「アマギ、―――っ!?」
 超越的な反射神経を有するダークエルフの少女の理解よりも早く。

 眼前、視界一杯に、飛び上がり、腕を振り上げた剣士の姿が―――!

 振り下ろされる鍛え上げられた拳。未熟な闘士であるアマギリに防げる筈もなく、だから―――防ぐには、それ以外の方法を使う他無い。
 
 動作など必要ない。必要なのは唯一つ―――望む事。

 其処に、在れ。

 三枚花弁の光の翼よ―――!

 「―――っ!?」
 巻き上がる激しい衝撃波。吹き散らされた紫電は、ただの拳の一撃によるものとは考えがたい威力。
 樹雷の皇子。頂神の加護。或いは、鍛え磨き上げた彼自身の才気故か。
 ガイアの放つ粒子砲すら苦もなく防ぎきった光鷹翼が、剣士の振り下ろした”ただの拳”に震えて弾けた。
 「づぁ―――っ!?」
 「っく、アマギリ!」
 接触のコンマゼロ以下の数瞬しか保てなかった光鷹翼のいなし切れなかった衝撃を一身に受け、アマギリは大きく足を取られて背後にたたきつけられそうになる。
 肩を貸していたアウラが、背後に居たリチアが、瞬間的に巻き起こった突風の中で足を踏ん張り押し留める。
 だが、衝突により発生した威力を受けたのは剣士も同様だったらしい。
 空中に跳ね上げられた剣士は、くるりと器用に身を捻りながら、先ほどまで居た位置―――ババルンたちの前へと、着地した。
 「何をするんだ、剣士!?」
 アマギリの肩を抱きなおしたアウラが、纏まらぬ思考そのままの焦燥をぶるけるように、叫ぶ。
 しかし、言葉を叩きつけられた剣士は無反応のまま。少し伏せたままアマギリたちを見上げる視線は余りにも無機質なそれだ。
 「けん、……?」
 アウラは射竦められたように、たじろいて、言葉を失う。その横で、アマギリが怒りもあらわに形相を歪めて、吐き捨てた。
 「人形どもがっ……剣士殿を、巻き込んだな!?」
 「巻き、込んだ……?」
 突き飛ばされて尻餅をついて、漸く恐る恐ると立ち上がったワウアンリーが、眉根を寄せる。

 未だかつて無いほどの怒りに満ちたアマギリの顔。無機質に沈んだ剣士。

 訳の解らない状況に、少女達が答えを出すよりも先に、ババルンが哂った。
 「巻き込む……? 異なことを。元よりこの少年は、異世界の龍よ。お前が言う所の、生まれついての”人形”だぞ? 元より使われるために産み落とされた存在だ。―――ゆえに、今のこの状況こそが、正しい」
 「ざけんなコラ! 堕とし、辱めるだけでも万死に値すると言うのに、壊れた人形風情が、樹雷の血脈に連なる皇子を侮辱するか!?」
 千殺しても収まらない程の怒気を込めて、ババルン・メストに叩きつける。
 だがババルンは、アマギリの周りに居た少女達が、自身等が言われた訳ではないと言うのに恐れを示すほどの怒気を受けても、不敵に哂うのみだ。

 「怒るか。―――フン。さしずめ龍の逆鱗と言った所か? ―――だがだからと言ってどうすると言うのだ、地に堕した龍よ。最早翼も手折れ、動く事もままならぬほど消耗していると言うのに―――それともまさか、貴様は自身が此処で死なないとでも思っているのか? ―――やれ」

 「―――っ!!」

 顎で指図する姿に、憤怒を覚えている暇すらない。
 ぞんざいな命令の言葉が階上に居るアマギリたちに届くよりも先に、剣士は低い体勢で突進してきた。
 想像を絶する速度。かつて樹雷の修練場に於いて幾度なりと味わったそれよりも尚早く。
 ゼロコンマ以下の間隙に、思考を走らせる。まるで走馬灯の如く、突かれ、蹴られ、抉られ、ねじ切られる自分の―――いや、大切な少女達の姿が思い浮かぶ。

 絶望的なほど真実味の帯びたその幻想を―――アマギリには、止める術が。

 「剣士―――っっ!!」
 
 止める術が、あるのに。
 無謀にも、彼が行動するよりも先に、動いている少女達が、彼の視界から柾木剣士の姿を隠す。
 小さな背中、細い体。―――僅かな隙間、抱きとめられる自分の身体、酩酊する思考、展開位置の再設定が―――間に、合わない!?


 だが、都合よく奇跡が起こるものなのか―――それとも、予定調和のことか。


 いやさ、それこそ彼が彼である所以なのだろう。
 超速の踏み込みから突き上げられた拳は、咄嗟に迎撃しようと前へ踏み込んだアウラの鼻筋に突き刺さる寸前のところで、静止していた。
 「なっ―――?」
 「……けん、し?」
 引き攣った声で、眼前の拳を凝視するしかないアウラ。アマギリを抱きしめたまま、呆然と声を漏らすワウアンリー。

 拳を寸前の所で止めた剣士の瞳は、相変わらずの光を持たぬ無機質な―――否、僅かに、震えている。
 視線がぶれる、瞳が揺れる、痙攣するように瞼がゆれ、脂汗が頬を伝うと共に、それは全身の痙攣へと繋がっていった。
 「―――ぁ、あぁ」
 うめき声が、ガチガチと震え噛合わない歯と歯の間から洩れる。
 ゆらりと、拳を突き出した姿勢が崩れる、蹈鞴を踏むように、破砕した階段を、転げ落ちるように、落ちていく。
 坂を転げ落ちる刹那。突き出した拳が解けて、それが救いを求める手のように、少女達には見えた。

 「けんっ―――!?」

 思わずと、手をさし伸ばそうとするアウラ。

 「剣士!」

 しかしそれより一歩も二歩も早く、いっそ解りやすいほど取り乱した姿勢のドールが、剣士の体を抱きとめ、奪い取った。
 「うぁ、あっ、ああああぁあああアアアアぁあっ!!?」
 ババルンの元まで一気に引き下がったドールの腕の中で、我を失ったかのように剣士がもがき悲鳴を上げる。
 「剣士、剣士! しっかりして!」
 「あぁああああああああっ!!? あぁ、アアアアアアアアアぁぁあああ!!」
 自身を抱きとめる細い腕を振り解かないとばかりに腕を、体を振り回す剣士を、ドールは必死の形相で抱きとめ、声を掛ける。
 その姿に、本物の”情”以外のものを感じるのは不可能だった。

 「フン。まだ束縛が緩いか」

 戸惑うアマギリと少女達も、必死の顔のドールの姿にも、一念の情も浮かべる事無く、ババルンはつまらなそうに鼻を鳴らした。もがき苦しむ剣士の姿すら、冷静な観察対象の一つにもならないほどに、興味が沸かないものなのかもしれない。


 「まぁ、良い。折角の拾物がこれで壊れてしまっても些か面白みが足りん。―――、一旦、退くか」


 呟くが早い、踵を返し、手を振り上げて肩に掛かったマントを跳ね上げる様な仕草を取ったその瞬間―――消えた。

 「な、に―――っ!?」

 ババルン・メストが、ドールと、そして彼女が抱きとめる剣士と共に、この場所から、消えていなくなった。

 「消えた……?」
 「逃げられ、いや……助かった? 見逃された……?」
 「……剣士、操られたって考えれば良いんですよね?」
 「あの変身したメザイア先生は、ようするに敵―――で、良いのよね? それに、野生動物が……」
 「ババルン・メストは……そもそもアレは、生き物なのか? 気配が……」

 ふらつくアマギリの体を支えながら、状況を整理するために鋭い声で言葉を交わす少女達。
 その中でアマギリが一人、愕然とした顔で、剣士達が消えていなくなった、皹だらけの石畳を凝視していた。
 まるで力が入らない筈なのに、拳を皮が破けるほどに握り締めなければ気が済まないほどの、絶望的な焦燥と怒りが心を焦がす。

 「ふっざ、けんなぁ……っ!!」

 激情に駆られる。力の入らぬ体を、無理やり突き動かしても納まらないほどの。
 「おい、アマギリ……っ!?」
 ギリギリと体を軋ませるアマギリの姿に、少女の一人が心配の声をかけても、無茶に無茶を重ねていると解っていても行動を止められなかった。
 
 「逃がすか、よぉっ!」


 亜空間航法システム、起動。座標指定。データフォルダ内の特定人物を追跡捕捉。

 探査開始。探査実行中。実行中―――実行中―――実行中―――探査終了。

 探査機能の実行中に妨害処理を確認。妨害解除機能の発動に失敗。妨害解除機能に深刻な障害を確認。至急、航行機能の自己保守的検査を―――。


 「こんな時にバグんなっ……ってか、ジャミングされた―――だと?」
 三次元を超えた視界から、柾木剣士の姿を完全に見失っていた。視界を、認識を切り替えた瞬間までは見えていたのに、捕捉しようとした瞬間、アマギリの見える範囲から剣士達の姿が消失した。
 「人形がっ、ふざけやがって!!」
 「アマギリ、おい、どうしたっていうんだ!」
 怒りに肩を震わせるアマギリを、アウラが必死で呼びかける。彼女達には見えない”何処か”を見ようとしているその瞳は、明らかに普通ではなかった。
 「地下だ……っ!」
 「なに!?」
 「ヤツは地下に逃げた、直ぐに、追う……!」
 呼びかけられた事にも果たして気付いているのか、アマギリは気力のみで体を動かし、立ち上がり、そして這いずる様に歩を進めようとする。
 当然、一歩目から崩れ落ちそうになって、それをリチアが無理やり抱きとめる形となった。
 「ちょっと、アマギリ何を言って……!」
 「離せっ…・・・! 早く、剣士殿を」
 心配の面持ちで言うリチアの言葉を、振り切るように一方的に言い放つ。

 いっそ錯乱しているようにしか見えない程、他人の話をまるで聞かない、それが、本質的な彼に一番近かったから―――誰かが何かを言う前に、動く少女が居た。


 パァンッ!


 乾いた音には為り切らない、少し、湿った響き。

 熱、振動、ぶれる視界。叩かれたのだと、気付いた。

 「いい加減にしてください! 今がどういう状況で、自分がどういう状態なのか、ちゃんと認識して!」

 「―――あ、ワウ?」
 驚きは、頬を叩かれたアマギリだけではなかった。
 涙目で頭を振って叫び、言葉をたたきつけるワウアンリーの姿に、誰もが一瞬、状況を見失った。
 ワウアンリーは叩き振り切った手を引き戻す事無く、そのまま、アマギリに向けて伸ばし、叩いた頬と、反対の頬を、なぜるように、震える手で。


 「あたし達のためにカッコつけたんだったら、最後まで、あたし達のためにカッコつけきって下さいよぉ……っ! 貴方は、アマギリ・ナナダンなんですから、最後まで、ちゃんとっ……!」


 他の世界の何処かの誰かとしてではなく、此処に居る、この世界のアマギリ・ナナダンとして。


 「また、酷い顔、してるな……」
 目の前で泣く少女の事か。それとも、その少女の瞳に映った自分自身のことだろうか。
 「誰のせいだと思ってるんですかっ……!」
 悲しいんだか嬉しいんだか、死にそうなんだか生きてるんだかよく解らない、表現しがたい顔をしていた。

 「僕か―――そりゃ、光栄だ……本当に、光栄だよ」

 それで気力が尽きた。手を伸ばして頬に触れられたら幸運だろうに、主従のどうしようもないほど無様な会話を黙って見守っていてくれた少女達に微笑み振り向ければ幸いだったろうに、今のアマギリにはそれが限界だった。
 「―――っと、おい、本当に大丈夫か!?」
 「しっか―――ホントにしっかりしてよ、もう!」
 アウラとリチアが、崩れ落ちるアマギリを慌てて引き起こす。それに、無理やりにでも気力を尽くして、”自分”らしく冗談交じりの礼を言わないとと―――そう、思ったとき。


 「声が聞こえたっ! ―――近いぞ!」
 「ドールは既に回収済みだ! 敵は捕える必要は無い!! 見つけ次第全員射殺だ!!」


 ザッザッザッ―――。軍靴が、かつて聖地だった場所を踏みにじる音。学院だった筈の場所には似つかわしくない、粗野で暴力的な声。
 それが、彼等の居る桟橋にまで、近づいてくるのが解った。
 「ウソ、敵―――っ!?」
 「まずいぞ、スワンまで急いでっ、ワウ、キャイアを―――!」
 「任せてください、―――よぉっ、とぉ!!」
 おそらくは、バベルの崩壊と言う異常事態を確認して地下の遺跡から上がってきた敵兵達だろう。
 逃げなければ拙い。ろくな武器も持たず、軍人に狙われれば―――しかも、身動き取れない状態の人間が、二人も居るのだから。


 「居たぞ! こっちだ!!」


 その声と、銃撃の音はほぼ同時だった。
 罅割れた石畳、一歩前までアマギリたちが居た場所を、銃弾が叩く音が響く。
 「くそっ!?」
 「急がないと―――っ」
 ぞっとするような音から、少しでも離れようと少女達はアマギリと、そしてキャイアを抱えてスワンへと走る。
 だが、いかにも遅すぎる。
 階段の上から、続々と降りてくる、軍服に小銃を構えた兵士達。指は引き金に掛かっており、それを引く事を躊躇いはしまい。
 そして当たれば。一発なら平気でも、敵は沢山。弾も、沢山で、滅多矢鱈に撃っても―――当たったら。


 死ぬ。

 
 なら光鷹翼で―――駄目だ、まだ”早い”。最後の力を振り絞るのは、後だ。
 いやでも、他に方法が無いなら、死を覚悟してでも―――いいや、それは駄目だ。そうしたら今度は、きっと泣かれる。泣かれてしまうのだ。
 情けなくも、助けなければ行けない少女達に抱えられていたアマギリは、それを理解してしまった。

 泣かせてはならないけど、それでも、守らなくてはならない。翼は使わずに。


 どうやって?


 ―――逃げれば、良い。

 勝てないなら、守りきる自身が無いなら―――尻尾を巻いて、無様に逃げ出してしまえば良い。
 幸いそれを成す力程度なら、まだ残っているのだから。

 ギリ、と奥歯をかみ締める。血の味の混じる口の中に、痛みを感じるほどに。
 剣士は奪われ、ガイアは無事、ユライトの死も確認できず―――なんて、無様な。
 幾ら自分を罵っても足りないほどの悔しさが身を焦がしながらも、体は動かず、出来る事は限られる。
 そして選択肢を思いつく時間すら、足りないのだ。

 「畜生っ……っ!」

 限界はとっくの昔に超えている。進む先には崖しか―――否、最早崖から踏み出して、足場が無いことに気付いていないだけか。

 それでも、覚悟を決めて。

 「畜生が……っ! ―――必ず、必ず殺してやるから、首を洗って待ってろってんだっ!」
 地面―――その”下”に居る筈の誰かを見据えて、吐き捨てるように呟き、それまで以上にきつく歯を食いしばる。

 
 亜空間航法システム、起動。座標指定。データフォルダ内の特定人物を対象。
 ―――跳躍、開始。

 
 「―――っ!? なんだ!?」
 「ちょっと、は? 何―――?」

 突然切り替わった視界に、少女達が悲鳴を上げる。
 何処かの宮殿の中のような―――そこは、スワンのブリッジの中。

 「ここは―――!?」
 「スワンの? 何、今のは……?」
 「貴方達、一体……キャイアさん!? ―――アマギリ王子まで!」
 転位に混乱する少女達の姿を見て、その場に居た老婆がやはり、戸惑ったような声を上げた。
 否、老婆だけではない、スワンのブリッジ内に居た全ての人間が、混乱の面持ちで突然出現したアマギリ達を見ていた。
 アマギリは、ぼやける視界を強引に焦点を整えながら、近くにいる筈の老人に向かって叫ぶ。

 「家令長! 手筈は整っているだろうな!」

 「は? あ、アマギリ殿下、それよりも―――」
 「家令長!」
 「―――はっ! 万事抜かりなく、殿下のご采配のまま!」
 数日振りのそして突然の再会に一瞬の混乱を見せたハヴォニワ王家に仕える老執事は、主の怒鳴る言葉に直立の姿勢で肯定を示した。
 「……スワンの出港準備は?」
 「出せます。―――ですな、マーヤ殿」
 「ええ……それは、勿論。バベルの崩落を確認した後に、生徒達も全てスワンに退避させてありますから」
 「おい、アマギリ一体何を」
 有無を言わさぬ口調で尋ねるアマギリに、混乱交じりに応じる老人達。アウラの疑問にも応じてやる事無く、アマギリはそれを聞いて覚悟を決めた。

 「よし、スワンを出せ―――港を離れ次第、……家令長」
 
 「ちょっと、アマギリ説明を・・・…」
 「後でしますから、今は頼みます。リチア―――……生徒会長」
 「―――っ。……解ったわ。出航ね?」
 突き放すように行動だけを求めるアマギリに、リチアは一瞬泣きそうな顔をした後で、頷いた。そしてそのまま、空いているコンソールに向かい、スワン艦内に出航を知らせる放送を流す。
 「……逃げる、と言うことか」
 「ええ。逃げますよ、尻尾を巻いて」
 簡潔に尋ねるアウラに、顔も合わせずに一言で応じるアマギリ。
 「そうか。―――……そうか」
 アウラはそれだけ言って、それだけだった。批難も肯定も、一片も示さない。
 もしアマギリが横目にでも彼女の表情を伺っていれば、ただ己の不甲斐なさを恥じるのみの遣る瀬無い顔を、見る事が出来ただろう。
 「アレを使うって事は……殿、下」
 「キミが気にする事じゃない。この後で迎撃をしろって言われても無理だ。―――なら、今やるしかないだろ?」
 従者の労わりに満ちた声に、いっそ淡々とした口調で返す。独りで決めて、独りで行う。大切な女性の言葉であっても、曲げる気は無かった。 
 従者は、頑なな主の意を汲むしかなく、無力な自分に失望を感じた。

 「お待ちなさいアマギリ王子。突然出航とは―――」

 突然の出現、そして命令―――それに従い動く、少女達。
 だが、この空中宮殿スワンを預かる身として、理解も出来ぬ情況のまま、他国の王子に従うわけにも行かないのが、マーヤの立場だった。
 この船はマーヤの幼い主と、そして主と共に歩く少年の、大切なホームなのである。
 その二人が、どちらも居ない。その二人の、どちらの無事も―――解らないまま。
 そんな状況で出航など認められる筈が無かった。
 マーヤの放つ空気が伝わったのだろう、シトレイユに所属するブリッジクルー達の間にも戸惑うような空気が満ちる。腕が止まり、様子を伺うような姿勢。
 配下の老人が、艦内の制圧に動くべきかとの視線を送ってきているのに、アマギリは気付いた。
 
 時間が惜しい、剣士の束縛があっさりと完了し、そして再び攻めて来たとしたら。その超人的な身体能力をもってすれば、あっさりと此処にまで攻めてくる可能性もあったから―――老人の誘いに、乗るべきか。

 一瞬だけそう考えて、首を振った。
 「―――ラシャラ女王なら」
 それで贖いに何てなるわけが無いというのに、そうしない訳にはいかなかった。
 「ラシャラ女王なら無事脱出してハヴォニワ領内に既に入っている筈です。聖地から脱出に成功したら、迎えに行ってくれて構いません。―――剣士殿は」
 そこまで言って、意図せず言葉が途切れた。なんと言えば良いのか、自分でも解らず―――結局、何も思いつかないままに直感に任すしかなかった。


 「剣士殿は―――剣士殿は、必ず取り戻します。だから」


 ―――ああ、そうなのかと。
 周りの誰よりも、まず彼自身がその言葉に衝撃をうけていた。
 自分にそんな気が合った事など、アマギリ自身、今の今まで知らなかった。
 だがそうか。取り戻すのか。

 ―――取り戻して、くれるのか。

 そいつはありがたい。そいつは大変だぞと。言った我が身を笑ってしまう。

 「―――解りました。出航ですね」
 知らず浮かんでいた微笑が、どう捉えられたのか。老婆は静かに頷いて、やり取りを見守っていたブリッジクルー達に手で示した。
 突然の切り替えに戸惑いつつも、クルー達は出航のための手順を進めていく。
 繋留柵切り離し。亜法結界炉始動。船体を微細動が揺らし、船がゆっくりと、港を離れ行く。
 静かに水門を抜け―――エナの海に潜り加速していくスワンに、安堵の息を漏らしながら、アマギリは老執事に視線を来る。

 「―――やれ」

 「距離が近すぎませんか?」
 背後、漸く港から離れたばかりだと言う事を不安に思い、訪ねてくる老執事に、アマギリはしかし切り捨てるように言った。

 「平気だ、”防ぐ”。―――やるんだ」

 重ねて命じられる主の言葉に、老執事は今度は問い返さずに頷いた。
 何処から用意したのか、掌に収まる、小さな突起付きの箱を取り出しながら。
 
 ―――かしこまりました。

 「おい、アマギリ、何を―――?」
 この期に及んで今度はどんなと、アウラが恐れと共に問いかけるも、アマギリは肩を竦めて―――竦めようとして、一ミリも体を動かす事も出来ず、従者に体重を預けるのみだった。
 正直、もう顔を上げて瞼を開いている事すら苦痛だったのだ。

 そして。
 アウラの疑問は一瞬で氷解する。

 出航して、漸く船体の後部が全て抜け切った港湾施設の中から。

 凄まじい閃光と、轟音が鳴り響いたのだから。

 光は港湾施設全てを破壊しながらスワンに迫り―――そして、不可視の力場に遮られ、スワンだけを避けるようにしながら、球状に、大きく、大きく、鳴り止まぬ轟音と共に、聖地を塵に返してゆく。

 「―――っっぐ、オォェッ!?」
 「殿下!?」
 自身たちのみをすり抜けたまま広がっていく滅びの光と言う常識の範疇を超えた光景にアウラが目を奪われていると、アマギリの漏らしたくぐもった音と、ワウアンリーの悲鳴がブリッジを満たす。
 「殿下!? 殿下、しっかりしてください!」
 「アマギリ、お前―――」
 「ちょっと、アマギ―――何よ、何してるの!?」
 少女達の悲鳴―――吐き出した血反吐を拭おうともせず、アマギリは手を振って平気だと示そうとして、そもそも、手なんかあがるはずも無いと、笑顔も作れぬまま微苦笑を作った気分で、自らを哂った。
 
 オデットに搭載してあった、核分裂反応を用いた反応兵器の生み出す凄まじいエネルギーを、光鷹翼を展開して防いでいるのだ。
 血を吐いて当然。辛くて当然で―――止める訳にもいかないのが、当然。意地を張り通せ、全力で。
 少女達に支えられ、意識も朦朧のまま―――それでも、壊れ行く聖地から目を離さない。
 
 渓谷の狭間、孤島のように隔絶され切り立った台地として存在する聖地。
 今や、異世界の超技術たる大量破壊兵器の威力によって、その固い岩盤は見る見る削り取られていく。

 ―――だが、壊しきれないだろう。

 上層を幾ら削った所で、強固な岩盤に守られた大地下深度の遺跡は無事のままだろう。ババルンたちには傷一つ、つけられまい。
 凝縮されたエナの集合体たる、ガイアのコアユニットもまた、破壊不可能だろう。

 剣士。樹雷の皇子。必ず、取り戻す。
 忌々しい人造人間どもは、必ず滅ぼしつくす。

 今やはっきりとした覚悟を決めて―――しかし今は、もう眠ろう。

 羽根をたたみ、体を丸め。翼を休め。

 爆発の中から無傷のまま抜けたスワンの中で、光が収まりおぞましいきのこ雲を立ち上らせる聖地だった筈の場所を視界の端にとどめながら―――アマギリは、ゆっくりと、瞳を閉じた。


 
 ・Scene 43:End・









     ※ 長い……。
       いや、長かった。一気に見せないと拙い部分だったので全部詰め込みましたが、いやはや、長いの何の。
       通常の3話分くらいになっちゃいましたね。
       まぁ、聖地決戦編、つまり『原作八巻編』のラストですし、仕方ないといえば仕方ないですか。
       結局八巻の内容やるだけで24話も使ってますけど、コレを当初全五話くらいで纏めようと思ってたんだから見積もりの甘さに笑えると言うか。
       先に説明突っ込んだり、雑談タイムに尺取りすぎたりで、何時の間にやらこんなでした。で、最後はこれだもんなぁ……。

       さておき。

       八巻が終わったという事は次回からは九巻編になります。
       何か『終わる』『そろそろ終わる』『ラスボスキタ』とかの感想が一杯ありましたけど、ぶっちゃけまだ暫く続きます。
       多少後半の説明を前に突っ込んだとは言え、残り五巻も残ってますし、ね。
       ちゃんと原作最後まで付き合うって書いた様な気もするんですが、ここで終わるって思ってた人の多さといったら。
       思わずここで終わらせる展開も考えてしまいました。多分ハヴォニワ勢が突然やってきて上手い事何とか……。
       なんて、冗談はさておき。
       次回から九巻。舞台は勿論、活躍する人も勿論、といった具合。 
       ―――ただ、奪還対象がキャイアさんから剣士君に替わっていると言う何その無理ゲー状態ですが。
       こうご期待、と言うことで。


       ……まぁ、200話までには終わるよね、きっと。もう150超えますけど。





[14626] 44-1:嘘つきと傷あと・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/14 21:25


 ・Scene 44-1・



 天井の木目の数を何となく数える。
 
 そんなくだらない行為によって、自分が生きている事を実感した。

 シルク地のシーツに包まれて、柔らかい羽毛枕に頭を預けて。差し込む日差しと、木々の香りに祝福されて。
 その何処までも懐の深い年輪を重ねた森の空気のせいで、一瞬、自分が神木家の屋敷に居るのかと錯覚してしまった。

 そんな筈はあるまい。唇を歪める。眉根を寄せて、顎を引き、そのまま体を起こそうとして―――失敗した。

 「……動かない」

 身体にまるで力が入らない。
 その事実に絶望するでもなく、それも当然かもしれないなと、あっさりと納得した。
 自身は既に、本質的に樹木に近い立場に居るのだから、そもそも動物のように体を動かす必要は無い。

 ただ光と風、そして広がる大地に根を張ることさえ出来れば―――いや、待て。

 「隠居決めるにはまだ早いっての……っ!」

 慌てて思考を振り払い、首を捻りながら体を動かそうともがく―――もがこうと、試みる。
 しかし、うんともすんとも首から下は動く事を拒否しているようで、神経が通っている事も、体が熱を持っていることも理解していると言うのに、不思議なほどに力が入らない。
 自己診断機能を立ち上げて―――そしてそれが、人間のやることじゃないなと若干絶望する。

 動力の循環伝達機構に異常あり。損傷部位各所の復旧割合約七割。航法機能に異常・三次元座標取得機構損傷。
 
 現状では以降の航海に深刻な支障を孕むと認む。早急な機能の復旧、もしくは全機能の更新が必要。

 「いや航海って……」
 亜空間航法が可能だったと解った段階から思っていた事だが、人が寝ている間に何の機能を実装しているんだろうか、あの鬼姫はと、思わず突っ込まずには居られない状況だった。
 まさか、この身がそのまま聖衛艦隊の艦籍簿にのってやしないだろうなと、今は必要ない不安を覚えてしまう。
 「なんて、現実逃避してる場合じゃないか」
 そもそも今や、自身は存在そのものが秘匿される立場だろうから、表向きの艦籍簿に記されている筈は無い。いや、あれから七百年も経っているのだから、試作品である自身を叩き台とした正式採用版が量産されている可能性もあるか。兎角、今は考える必要の無い問題だ。

 記憶領域から人体の動作情報を抽出―――再現情報を定型化、この”船体”の動作機構として常駐展開開始。

 「よっ―――っと」
 ”ゆっくり”と”身体”を”起こす”―――鈍い。動作入力を並列処理化。初期動作入力時に分岐予測を補助展開。護衛力場体の動作情報を参考に、動作機構の再構築。
 「―――ってか、まんまガーディアンの動作パターンを入れれば良いだけか」
 そのほうが逆に、普段よりも良い動きが出来そうなものであると、即興で作った動作情報をあっさりと破棄して、船体の稼動設定の再構築を行う。
 手を握り締め、離す。膝を曲げ、ベッドの上で胡坐をかく。
 開いた窓に反射した自分の動作を眺めながら、一先ずの安堵を覚える。
 多少の不自然さは見られるが、まずまず調子の悪い人間、程度の動きには見えるようになった。
 「―――なんて一々やってる段階でもう、人間辞めてるって事だよなぁ」
 戻れない所にまで来てしまった悲嘆と、望んで此処までたどり着いたのだからと言う諦観が同時に沸く。
 
 ―――やはり、独りというのは良くない。

 広い室内―――見覚えの無い部屋、趣味の良い調度品に誂えられた其処を、見渡して、誰も居ないことに失望する。
 ベッドサイドのテーブルに載せられたベルを鳴らせばきっと誰かが来るのだろうが―――それをする気力が沸かなかった。
 4月の頭辺りから―――いや、はっきりと断言してしまおう。柾木剣士の存在を認識してからこっち、元々緩みかかっていたプロテクトが崩れ落ちるように無くなっていった。
 それまで思い出せなかった、結び付けられなかった知識と記憶が一本化し、なくしていた過去の殆どを取り戻してしまった。
 遥か銀河の彼方での、楽しかった日々のこと。

 思い出してしまえば、不思議と望郷の念も湧き上がるもので。

 今この場所での楽しい生活の最中においても、ふとした拍子に、過去と重ね、比べるようになってしまう。
 特に夜、独りになると駄目だ。
 夢と言う物は自分自身では御し得ないものだから、どうしようもなく、思い出さざるを得ない。
 本物の姉、本物の家族、本物の居場所。それを本物だと考えている自分にも苛立ちを覚えるし、その場所に居ない自分にも情けなさを覚えた。


 尤もその後、独り夜を過すという現実に耐え切れずに、遂に魔がさして女性の肌の温もりを求めてしまった事実こそが、正しく悔恨の事態なのだが。


 「きっとバレバレだったんだろうなぁ」
 何となくそういう目をしている感じだったと、真昼間から思い出すべきでもない事を思い出しながら、微苦笑を浮かべる。
 苦笑交じりに髪を掻き揚げ―――何時もつけている、妹から貰った髪留めの感触を首の後ろに感じない事に気付いた。眠っていたのだから当然なのだが、何故かなかったという事実に不安を覚え、ベッドの周りを見渡し―――サイドテーブルの呼び鈴の脇に丁寧に置かれていたことに気付き、ほっと息を吐く。

 髪留めを拾い上げようと手を伸ばし、そしてその傍に、一枚の紙の切れ端を見つけた。
 汚い字で一行、何か書かれた、破いたメモ帳の一ページのようだった。

 
 ”たびにでます さがさいでください”


 「……誤字? いや、わざとか……?」
 
 「―――因みに、裏に目的地と緊急連絡先が書いてあるぞ」

 なるほど。前フリだった訳か。
 キィ、という少しの音と共に、扉を開き入室してきた少女の言葉に、感心したように頷いてしまった。
 「つまり、連絡しろと見せかけて、絶対連絡するなと言うことだな……」
 「普通に連絡してやったらどうだ、そこは」
 メモ帳の裏面を眺めながら言い放つ彼の傍に近づいてきた少女が、困った風に笑う。
 「居てほしい時に居てくれない子に、わざわざ優しくしてやるのもなぁって」
 「そう言う事ばっかり言ってるから、居てほしい時に居なくなるんじゃないのかそれは?」
 「今は、アウラさんが居てくれるから満足するとしましょう」
 おどけて、肩を竦めながら言うと、ダークエルフの少女はシニカルな笑みで応じた。
 「誰かの代わりのような扱いをされて喜ぶ趣味はないぞ、私は」
 「目の前の美人を此処に居ない美人と重ねるような真似はしないさ」
 「――― 一応、ワウの事を美人と認めているのだな、お前は」
 瞬きして眉根を寄せた後で、戯言に対する反応はその一言だけだった。静かに近づかれ、額に掛かった前髪を払われ、ひんやりとした手を添えられた。
 「熱は下がった―――と言うよりも、上がったというべきか。正直、人体の平均体温を遥かに下回っていたからな。医者も肝を冷やしていたぞ」
 汗の一つもかかないのはいっそ不気味だったとはっきり言い切ってくれるアウラに、肩を竦めて応じる。
 「ああ、多分スリープモード……って、解らないですね、僕自身よく解って無いですし。身体機能の回復のためにエネルギーを回していたんで、寝てるときは体温下がるんです。体質みたいなものですよ」
 「ワウもそんな話をしていたから、結局は点滴だけして寝かしておく事しか出来なかったが―――何だかんだでお前は、アイツには必要な情報を全て話しているんだな」
 「そりゃ、大事な従者だからね。いざとなったときの代理役だって、任せたりもするしさ。多分あの子が、この星の中じゃ一番僕の身体の事詳しいんじゃないか―――って、何?」
 あっさりと返したつもりで、目を丸くされてしまえば眉根を寄せたりもする。アウラは瞬きをした後で、いや、と首を横に振った。
 「少しは否定するものだと思っていたよ」
 「そりゃ、本人が目の前に居たらこんな返ししないけどもさ」
 「私の前でも是非やめてくれ。たちの悪い惚気話を聞かされているようで落ち着かん」
 「先にからかおうとしておいて、その言い方は無いでしょうに」
 呆れたように言うアウラに、げんなりと返事をする。寝巻きの変えを手渡され―――そして、女性の前で着替える訳もなく、適当にベッドの脇に放る。
 ぞんざいな態度に、アウラが眉を顰めた。
 「着替えて、寝ていたほうが良いのではないか―――と言うか、起き抜けだろうに何でお前はそんなに落ち着いているんだ」
 「コレでも外面取り繕うのは得意でさ」
 「いや、それは良く知っているが―――とにかく、平気なのか平気でないのかくらい、ちゃんと正直に言ってくれ」
 ああもうと、余りにも何時もどおり過ぎる空気に流されそうになりながらも、アウラは頭をかき混ぜながら言う。若干懇願が混じっていたのが、おかしかった。
 「何か今日は、いやに真面目だね」
 「まだ戯れるか―――まぁ、一応方々から頼まれているからな、今の私は」
 「方々?」
 首を傾げると、疲れたような言葉を返される。

 「ワウもユキネさんも、フローラ女王も此処には居ないからな。―――私が今日は彼女等に代わり、愚痴を聞く担当だそうだ」

 ぽん、と肩を押されて頭を枕に押し戻されながら、言われた。
 その拍子にメモ帳の破片が手から離れて空を舞いそうになったから、慌てて掴みなおす。勢い余って握りつぶしそうになったのを、手ではたいて皺を伸ばしていたら、アウラはそれを面白そうに笑ってきた。
 「―――なに?」
 「いや、似たもの主従で何よりだと、少しな」
 何を思い出したのか、アウラは微笑ましいものを見るような口調だったから、不貞腐れたような態度で視線を逸らさざるを得なかった。
 「ワウでしょ、アウラさんにそんな事言ったの」
 「リチアにそこまでの包容力は無いからな」
 「―――微妙に酷くないですか、その発言」
 「いや、この場合否定しないお前の方が酷いと思うが……」
 図星だった。
 「まぁ、それはさておき」
 「良いのか、さておいて……いや、話を振った私が言うべき事でもないが」
 アイツ意外と地獄耳でカンが良いぞと言う言葉に一瞬詰まりそうになるが、あえて流す。
 「さて―――おかせてください、ええ、後生ですから。―――ともかく、体調なら問題ないですよ。若干血が足りてない気もしますけど」
 「アレだけ血を吐いていればな……正直、ああいうスプラッタな光景は金輪際御免だぞ。食事は? 何か食べるか?」
 「はは、善処しますよ。―――ああ、飯でしたら後で軽めのものをお願いします」
 「もう少しすれば往診の時間だからな、その時に頼もう。―――と言うか、善処ではなく、確約してくれ頼むから」
 アウラが流石に苦い顔で、嗜めるように言う。その後で、やはり慣れないなと大きなため息を吐いた。

 「言ったろ、私は彼女等の代理だと。戯れで誤魔化さずに、たまにはワウ達と一緒の時のように、少しは本音で話してもらいたいのだがな」
 
 窓の向こう。木々の合間から見える青い空。流れる雲。―――風が吹いて、カーテンを揺らした。

 言った方も言われた側も、慣れない空気に言うべき言葉を見失っていた。
 起き抜けに返って気を使う事になってる気がするなと、多分どちらも理解していた。
 それゆえ、どちらも気を使って最初に口を開こうとして―――重なる事無く、結局は、アウラは一歩遅れたお陰で、初志を貫徹する事が出来た。


 「―――負けたんだよねぇ」


 ポツリと、吐息と共に洩れた言葉は、弱音にも思えるか細い響きを伴っていた。
 ああ、この男こういう態度も取るのかと、アウラには中々の衝撃だったらしい。目を丸くしているのが、実に愛らしかった。
 だからいっそ、気楽に続ける事が出来た。
 「ボロボロに負けたじゃない。格好付けて飛び出して、自爆して、挙句ミイラ取りがミイラになって、最後まで見届ける事なくダウン、なんて」

 なんて――――――情けない。

 「もうちょっと格好良くさぁ、どかん、ばかん、ボカーン、みたいな感じで景気良く聖地を吹っ飛ばして脱出、とかするつもりだったんだけど……何だこれ。どうやったらこんな最悪な展開になるんだ。あり得ないでしょう」
 「その擬音はなんとかならんのか、その前に」
 「ならないよ、愚痴なんだからコレ」
 「そうか。―――そうか?」
 コレはコレで、適当にはぐらかされているのではないかとアウラは微妙に察しかけていた。それを細まった視線のうちに感じて、薄く笑う。
 「ま、良く出来た従者だよね、あの子もホント」
 「……すまん、会話の流れがまるで繋がってなくないか?」
 首を捻るアウラに、寝たままで肩を竦める。
 「ようするにさ、アウラさんみたいな人を傍においておけば、気を入れて格好付けてなきゃいけなくなるから、少しは気が紛れるだろうってこと」
 あの子は実際知っているのだろう。
 夜を迎える度に自然口数が少なくなり物思いに耽っている主の事を。
 故に、病人扱いされている現在、気を使われて独りになる場合が多くなりそうだったから―――無理やり誰かに傍に居てもらうように頼んだに違いない。
 そんな風に話すと、アウラが諦念混じりの吐息を吐いた。

 「……結局、酷い惚気話を聞かされることになっただけなのだな、私は」

 「いや、結構気晴らしになりましたよ。一人で考えてると、悪い方へ悪い方へ思考が走っちゃいますからね」
 「どうだかな。私こそお前で気晴らししてるだけの気もするが。―――正直この二週間、気分が良い事など全くなかった」
 内に溜まったものを吐き出すようなその言葉は、まさしくアウラの濁っていた心情を示していた。
 「……二週間?」
 「ああ、二週間だ。聖地を脱出して関を突破し、シュリフォン国内に入り、王宮へと逃げ込み―――そして、今だ」
 「ああ、シュリフォンなんだね、此処。道理でアウラさんがドレス着てるわけだわ」

 森の王国、ダークエルフの領域、シュリフォン。
 どうりで、樹雷のような濃い緑の気配を感じる訳だ。
 納得すると同時に、最後に指示をした特別製の反応弾の爆発を防いでいる途中で気を失ってしまった間にも、一応は計画通りの行動をとってくれたらしいことに安堵した。
 下手にあの場から引き返されでもしたら、どうなるか解ったものではないからだ。

 それにしても、あの最悪の結末を迎えた聖地攻めも、もう二週間も前かと、何処か遠い気分で嘆息する。

 ロケット花火をぶつけて、怒って庭先に出てきた鼻面を、引っ叩く。そして逃げる。
 子供の悪戯のような作戦だったのだが概ね、形として成功していた筈だった。
 失敗と言える結果になったのは、自身の―――自身に対する、見積もりが甘すぎた事。
 光鷹翼の使用が、あれほど消耗するものだとは流石に解らなかった。
 朦朧とした意識のままでの激闘、無茶に無茶を重ねた結末は、予想し得ない―――予想したくなかった、最悪の結末に到達した。

 「……剣士殿」

 奪われた―――敵に。樹雷の至宝たるべき少年が。
 状況の解釈には幾らかの視点はあるだろうが、自分が原因の一つになったと言う事実は変わらない。
 こうなると解っていれば、もう少しやりようがあった筈だと悔恨の念ばかりが沸いてくる。
 「シュリフォン側の国境は、現在厳戒態勢で封鎖中だ。聖地は最後の大爆発の後、岩盤の崩落が起こって巨大な岩山のような状態になっているらしいが―――どうも、シトレイユからの敵の増援が、復旧作業を開始しているらしい」
 大地下深度の施設を発掘しようとしているのではないかと、アウラは暗い瞳で告げた。
 その口調に労わりのようなものが見えたので、返って意地になって、振り切るように冷徹に言葉を吐いた。
 「なら、ババルンは生きているな。出なければ、わざわざガイアと聖機神を掘り出す必要が無い。ババルンが生きているなら、あのドールとか言うのと、当然、剣士殿も生きている筈だ。―――使い道がなければ、初めから奪いはしない」

 「―――そうか」

 その答えに何を思ったのか、アウラは短くそれだけを呟いた。

 「結局、私の愚痴に付き合ってもらっただけだな、やはり。すまなかったな、起き抜けに疲れる話を―――」
 
 アウラは医者を呼んでくると、それだけを言ってそのまま部屋を後にした。
 何処か気まずい空気に、耐えられなかったのかもしれない。

 そして、アマギリは一人取り残された。
 
 手元に握ったままのメモ用紙に視線を落とす。汚い字。くだらない冗談交じりで。

 「―――ホント、居てほしい時に居ないな、アイツも」

 顔を見せて、声を聞かせて欲しいと思いながらも―――自分から連絡する事は、多分無いんだろうなと。
 余計な意地を張って損をするであろう自分を、アマギリは哂った。







     ※ 燃え尽き症候群、と言うかまぁ、負け試合の後のアンニュイな感じで。

       



[14626] 44-2:嘘つきと傷あと・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/15 21:29


 ・Scene 44-2・




 「それじゃあ北部辺境第十三軍から聖機人一個大隊抽出して西部戦線に合流。西部最前線に居た第七、第八、は解体した後再編して中央に投げつけてやれ。代わりに第九軍を押し上げえろ。―――中央に戻せば、向こうで勝手に何とかするだろ」
 「ですが、王政府、中央議会ともに壊滅状態で連絡が取れませんが……」
 「んなもん知るか! この忙しい時に隠居なんかさせられるかって―――のは、伝えなくて良い、そんな感じだから、良い、送っとけば流石に働くって」
 「形だけでも心配して差し上げませぬと、へそを曲げそうですがな」
 「あーもう、それじゃあ、マリアにだけ期待してるって伝えておいて」 

 「邪魔するぞ―――っと、なんじゃ、本当に邪魔になりそうじゃの」

 「おやハニー。お見舞いかな?」
 「どう見ても半刻前まで意識不明だった重病人には見えんの、お主」
 なにやら高級そうな客間のベッドの上で、そこに似つかわしくない資料の山を積み上げて、だらしなく病人着のまま胡坐をかいてそれを捲っているアマギリの様子を見て、ラシャラは呆れたようにため息を吐いた。
 「ウチの陛下がどっかに引きこもっちゃったみたいでさ。表向きは僕が、”亡命ハヴォニワ政権”の中心だよ。それなりに国家機能を維持してるのに亡命ってのもおかしいけどさ」
 「うむ? 王都の壊滅したハヴォニワの臨時執政府を名乗る集団が、先ほどシュリフォン王に謁見を求めておったぞ?」
 「ああ、それさっき豚箱に送るように言っておいた。―――拙速は道を過つとか、知らないのかねあの手合いは」
 「半死人だった割りに、本当にフットワークが軽いの、従兄殿……。欠片すら、所在不明のフローラ叔母達を心配していない辺り、流石と言うべきか外道と罵るべきか……」
 侍従―――ハヴォニワの人間だった―――に何やら指示の書かれたメモ用紙を渡していた老執事に見舞いの品の詰まったバスケットを手渡しながら、ラシャラはアマギリの様子をじっくりと眺める。
 老執事は主達の会話にならぬようにと、一礼した後客間の寝室を辞した。

 シュリフォンで合流してから既に二週間。

 広域の通信封鎖も回復し、方々と連絡を取り合い状況の確認、行動指針の策定などをしていればあっという間に過ぎてしまう時間だった。
 どうにもこうにも後手に回り、旗色悪い状況だと性格に理解できるにつれ、重たい気分が沸きあがってきて―――久しぶりの、吉報と言えば吉報だったのが、眠り続けていたアマギリの目覚めだった。
 内臓器官の一部に損傷、軽度の打撲、及び血が足りないと言う以外は特別重体だったと言うわけではない筈なのだが、アマギリは眠り続けていた。体温を自ら下げ、生理機能を減退させ、まるで冬眠でもしているような様子だったのだ。
 今は、目的を持って何処かへと出向いているらしいワウアンリーの言葉によれば、本当に冬眠しているような状態だったらしい。アストラルが三次元世界との繋がりを減少させ―――云々。難しい事は解らないが、何やら超常的な力を発揮して、体と言うよりは、”心”を休めている、との事。


 ―――人はどれだけ背伸びをしたって、神様にはなれませんから。もし神様になれた人が居たら、多分その人は元から神様だっただけって話なんですよ。 


 そして、アマギリは違うと。神様な筈が無い、と。

 女神の翼―――”女神”の翼。

 人を超えた神の力を使用した代償が今のこの状況で、今後も悪化する事はあっても改善は無いだろう、とワウアンリーは暗い瞳で薄い笑みを浮かべながら話してくれた。
 詳しいな、と誰かが尋ねると、本人に聞きましたからと言う実にシンプルな回答が用意されていた。
 つまり、今ラシャラの目の前でだらしの無い態度で敵性国家に蹂躙されている国家の運営をしている男は、そうなると解っていて女神の翼を使用したのだ。
 それを聞いておけば、装甲列車でのアマギリの行動も理解できる。何故、限界ギリギリ、それこそ列車の外装が焼けとけるまで絶対無敵の防御力場たる女神の翼の使用を控えていたのか。
 脱出用の小型車から振り返ってみた、黒い聖機人との戦闘の様子でもやはり、アマギリは殆ど女神の翼を使おうとしなかった。
 
 「……自己犠牲精神など、似合わぬ事を」

 「―――いや、平気かと思ったんだけどね、ホントに」
 思考の淵から洩れてしまった言葉の意味を確りと理解したのか、アマギリが苦笑交じりに肩を竦めていた。
 「まぁ、できると思って格好付けたらこのザマって感じだよ」
 「だとしても、事前に方策を説明するなり、もう少し他者の力を利用しようとするなり、色々やりようがあったじゃろうが。全部が全部、自分に責任が帰結するようなやり方をされては、あの場に居た妾達全員に存在価値が無かった様に感じられる」
 「―――面目次第も無いね、それは」
 咎めるような言葉に苦い顔で応じる男を見て、ああ、同じ状況なったらまたコイツは同じように動くなと、ラシャラは正確に理解した。
 
 馬鹿は死に掛けても馬鹿。死ぬまで馬鹿。死んでも馬鹿。

 オマケに手綱を握ってくれそうな人間が端から居なくなっている辺り、割と現状救いが無いなとラシャラは諦念交じりに思った。
 アウラ辺りの活躍に期待したいところである。あの少女は逆に二人して悪ノリを始めそうで恐ろしい所もあるが。だからと言って、自分にその役目を押し付けられるのも御免だが。
 ハヴォニワ王都壊滅以来、行方不明―――アマギリ曰く、引きこもっている―――らしい、フローラ達の復帰を早急に期待したいところである。

 「と言うか、叔母上達は本当に平気なのか? お主妙に落ち着いていて、逆に見てる方が不安になってくるのじゃが。―――ハヴォニワ、現在進行形で侵略を受けておるのじゃろ?」
 「うん。キミの国からね」
 「……攻め入ったのはそなたの国の方が先じゃぞ」
 「お陰で出掛けに僕が管理していた地域は、あらかた潰されちゃって面倒な事になってるよ」
 眦を寄せて問うラシャラに、アマギリは肩を竦めて応じた。心底、まったく家族の安否に関して心配していないようである。

 聖地襲撃に際して行った、ハヴォニワ側から越境しての陽動攻撃に関しての報復も兼ねてか、通信封鎖時にアマギリが管理する事に成功していた地域一帯は、シトレイユ―――ババルン軍により、徹底的に叩かれている。既に主要陸路、航空路、及び聖地横断鉄道への連結路線まで押さえられてしまい、シトレイユ側の聖地への関所への経路は、完全にふさがれた形だ。現在は後退戦を行いつつ、戦線を再構築しなおしているような状況である。

 そして、その攻撃と同期するかのように、ハヴォニワ王国王都、一部国軍を糾合した軍事クーデターの後始末に追われる王宮及び政府中枢に対して、シトレイユのものと思しき聖機人による奇襲攻撃が敢行された。
 結果、王宮は陥落。政府首脳陣、並びに女王一家は行方不明と言う非常事態に陥り、現在ハヴォニワは、政府機能は麻痺状態となっている。
 アマギリが目覚め、彼の手元に残されていた情報局本部が漸く機能し始めたため、現在急ピッチで戦線の再構築と国家運営機能の修復を行っている段階である。
 
 ―――女王以下行方不明者の捜索は、全く指示をしていない。

 ともすればこの状況を利用しての”アマギリ王子”による権力奪取の行動ともとれるのだが、無論本人にはその気は無い。
 アマギリはあの母と妹が死んでいるわけが無いと確信していた。
 「”行方不明”ってトコがね。僕だったら敵国の君主を殺害するなり捕らえるなりに成功したら、大々的に発表する。―――特に連中は、現行の世界情勢そのものに喧嘩を売った、もう引き返せない立場の連中だからな。士気を高めるためにも戦果の発表は重要だ。―――なのに、敵側の発表で”行方不明”だよ? これじゃあ、”生きてるから安心してくれ”って言ってるようなものじゃないか」
 「―――誤って殺害してしまって、誤魔化しているというのは?」
 「ああ、その可能性は否定できないね」
 説明の流れになるほどと納得しつつも、一つの疑問を投げつけたラシャラに、アマギリはあっさりとそれを肯定した。ラシャラの目が一瞬見開く。
 「否定、出来ぬのか?」
 「生きてる”かもしれない”って言う状態をとどめておけば、その後の動作がどうしても遅れるからね。いっそ解りやすく死んでてくれたほうが、指揮系統の建て直しは容易くなるから。でも、まぁ―――今回に関しては、その可能性は限りなく低いな」
 「―――希望的観測、など間違ってもしておらぬじゃろうな?」
 楽観的な態度を見せるアマギリに、この二週間で出会った人々の陰鬱な影の拭えない顔ばかりを思い出して、ラシャラは疑り深く問い質す。
 何せこの男、つい数刻前に目覚めたばかりなのである。
 夢と現の狭間で判断力が鈍っている可能性もあるのだ―――まして、激闘の結末が結末だったから。
 しかし、アマギリはラシャラの疑り深い視線もまるで意に介さず、何時もどおりに論理飛躍を繰り返しながら応じる。
 
 「単純に言えばさ、人的被害が低すぎるんだよ。なにせ、死傷者が殆ど居ない。ついでにインフラに対する攻撃も少なすぎるし、ライフラインを掌握しようと言う行動すら見せていない。―――首都への奇襲何ていう大それた行動を取っているのに、やってる事が消極的過ぎる」

 お粗末と言うよりは、不自然。
 アマギリは、ハヴォニワ王都への奇襲攻撃に関して、そう切って捨てた。
 「あのロンゲ野郎、僕に見せしめでもしてるつもりなんだろうさ」
 「ロンゲ……とは、もしやユライトのことか?」
 不機嫌そうに口元を歪めてはき捨てるアマギリに、ラシャラは若干唖然として応じる。
 「ラシャラちゃんも良く他人事みたいな気分で居られるな」
 しかし逆に、そのラシャラの態度にアマギリが唖然としていた。
 「と言うと?」
 確かにユライトの行動は些か目に余るところがある。しかしラシャラにとっては怒りと言うよりは困惑、疑問が付き纏う人間だった。ユライトの思惑が読みきれないのだ。
 敵と断ずるにも難しい立場立ったから―――そんな風にラシャラが首を捻っていると、アマギリが冷徹な顔で口を開いた。

 「―――あのロンゲ、ウチの皇子に手を汚させているんだぞ」
 
 万死に値する。

 夏の昼間の、森の中から届く風が生み出す涼やかな空気が、一瞬で肌に突き刺さるような極寒のような凍りつく空気へと変貌した。
 「―――皇子、とは……剣士のこと、じゃな?」
 喉を一つ鳴らした後で、ラシャラは意を決して問い質した。アマギリはそれまでの軽薄さが嘘のような重たい―――二週間の間に出会った誰よりも重たい空気を感じさせる態度で、応じた。
 「そう、我等樹雷の皇家の血に連なるれっきとした―――なんでこんな所に居るんだろうな、そう言えば。ひょっとしてアレか。皇太子の武者修行ってヤツかな」
 主家のお偉方の考える事は良く解らないと、アマギリは一人自分で言ったことばに首を傾げ始める。
 「よう解らぬが、つまり、剣士は今はユライトの傍にあると言うことか?」
 「そう。そして―――ハヴォニワ王都を奇襲したのが、剣士殿だ」
 存外あっさりと、アマギリは重要な事実を言い切った。ラシャラはその言葉に目を見開き驚きを―――示さなかった。

 「……やはり、そうか」

 「まぁ、ウチの近衛を壊滅させて、揚々と空飛んで引き上げられるウデのある聖機師なんて、剣士殿くらいしか居ないだろうしね。樹雷の闘士―――それも皇族ともなれば、その力は計り知れないよホント」
 ついでに相方がついていたんだろうから、鬼に金棒だろうとアマギリはやれやれとわざとらしく首を捻りながら言った。
 「しかし、剣士の聖機人の色は白のはず。王都を襲ったのは”二体の黒”じゃったのじゃぞ」
 「光は容易に闇に堕ちるってヤツだろ。ドールの方もそうだけど、アレも姿を偽装してる時は聖機人の色が違った。おそらく、人間性を減退させて人造人間としての側面を強く出すと、あの黒い聖機人となるんだろう」
 それに動きからして、剣士で間違いないはずだと、何時の間に映像資料を確認したのやら、アマギリは結論付けていたから、ラシャラとしても苦い顔で頷くしかない。

 解っていた事だが、こうしてこの男から確定的な口調で言われれば、やはり気分が重くなる。

 柾木剣士。
 ラシャラにとっては―――必要な人間だった。こうして傍から居なくなって、だからこそ、それが良く解る。
 戦いの途中までしか聖地に居なかったが故、結末は人づてに語られたもののみで知ったのだが、語るものたちの一様に沈んだ態度ともども、精神的に随分と来るものがあった。

 「動き、か。―――確かに、キャイアもそのような事を言っておったの。あの”見た事の無い”黒い聖機人の動きは、剣士が示したものそのままだったと」
 「……そういえば、キャイアさんはどう?」
 その時の気持ちを思い出して、俯き沈みかけたラシャラに、アマギリがふと思い出したように尋ねた。
 「キャイア?」
 「状況的に、ね。あの子が一番気落ちしてそうな感じだけど」
 聖地での戦いの最終段階、桟橋でのババルン達との邂逅を思い出して、あの場で一人だけ倒れ伏していた少女の姿を思い出して、アマギリは尋ねた。
 「そうじゃの、酷く沈んでおる。剣士のこともそうじゃが―――従兄殿も知っておろうが、メザイアの事も、あるからの」
 「メザイア・フラン。―――人造人間ドール、か。剣士殿と同様、あの人形もババルンの支配下に置かれてるってことなのかな」
 「気持ちはわからぬでも無いが、人形と言う呼び方は止してやってくれぬかの。長い付き合いであるが故に、妾たちにとってはあのものにも情を覚えておる」
 困った風に語られるラシャラの頼みに、アマギリは首肯するだけで同意を示した。

 これは、ドールの排除は無理になったなと、内心忸怩たる思いも沸きあがっているが、頼まれては仕方が無い。
 怒られるのは構わないが、嫌われるのは好ましくなかったからだ。
 
 「キャイアの事は、正直妾では無理じゃ。今はマーヤ達に良く見ておく様に言ってあるが……だが実際の所、剣士ほどの度量が無ければ、あの者を支えきるのは無理じゃろう。―――もしくは、お主が強引な手段で荒療治するか、であろうな」
 「そりゃ御免だね、恨まれた挙句、肝心のタイミングでボロが出て再起不能、みたいな気がするし」
 「同意じゃな。―――とにもかくにも、剣士が居ないと言うのはいかんの。あの者の清純な空気は、周囲に伝播して場の雰囲気を良いものに変えるが―――一度それに慣れてしまうと、居ない時に場が重たくなりすぎるわ」
 お陰で、救出に成功した聖地学院の生徒達の落ち込み具合が悲惨な事になっていたと、ラシャラは苦笑交じりに言った。
 アマギリも、それに関してはラシャラと同様の気分だった。
 「まぁ、その辺りが剣士殿が”選ばれた”所以なんだろうけどね。―――話を戻そうか。ともかく、僕の不甲斐なさが高じて剣士殿は敵に奪われた」
 「主ばかりの責任では無かろうよ。妾たちも、少し他人事であり過ぎた」
 慰めとも自戒とも取れるラシャラの言葉に、アマギリは微苦笑で応じた。
 「こんな馬鹿な遊びに君等が責任感じる必要は無いのさ。―――でだ、ハヴォニワ王宮に”二体の黒い聖機人”を用いて奇襲。機械的に議事堂と政府、城だけを破壊して帰還。死傷者数が少なかったのは、まぁウチの緊急避難計画が優れていたせいもあるんだけど―――それは別としても、この敵さんの実に大雑把な攻撃の仕方にも理由がある」
 「取りようによっては、人的被害を最小限に食い止めようとしているようにも映る……? 確かに、まともな戦線を構築している北西部の状況とはだいぶやり方が違うの」

 ベッドの上に広げられていた、ハヴォニワの現状が記された戦域図に目を落としながら、ラシャラは頷いた。
 電撃的な王都奇襲と言う判断は良い―――その後の戦局を優位に進められるのだから。
 だが、このような短期的な実害の無いやり方では、むしろ仕掛けたほうの失敗にも見えて、戦争計画に問題が出てきてしまうだろう。
 そして、ハヴォニワ王都奇襲のあったその日の戦線は、何故かシトレイユ側で不自然に足並みの乱れがあった。
 まるで、その日に起こった異常事態に、戸惑っているかのようだったのだ。

 「ウチの北西に展開されている勢力の軍略と、今回の王都襲撃は完全に無関係だ。オッサンとしてはそもそも、今やってる戦争自体が、瓦礫に埋もれたガイアのコアユニットと聖機神の発掘に割く時間を作るための時間稼ぎに過ぎないだろうから、テキトーに暴れててくれれば後はどうでも良い。だから、複数の戦線で、それぞれの指揮官が勝手矢鱈に動いていて、横のつながりが出来ていないというどうしようもない状況になっていたとしても―――それすら、どうでも良い。むしろ混沌としていて返って助かるんじゃないか」

 だから、王都襲撃は、戦果拡大以外の目的がある筈だと、アマギリは決め付けている。

 
 「これはさ、僕に対する脅迫なのさ。家族を傷つけられたくなければ―――家族に人を傷つけさせたくなければ。今すぐ居場所を明かして、取り戻しに来いってね」


 どうやらバベル倒壊の巻き添えにしようとしたのが、相当腹に据えかねているみたいだねと、アマギリは薄ら笑いを浮かべていた。
 「まぁついでに、あの人なりにババルンから剣士とドール―――メザイア? とにかく、二人を引き離しておきたいってのもあったんだろうから、こういう時間稼ぎの奇襲に使うからとか何とか言って、引っ張ってきたんだろうよ」
 「あの者も、中々面倒な立場であろうな。八方敵しかおらぬとあらば、手段も選べはしまい。―――それで、乗るつもりか?」
 何に、とはラシャラは言わなかった。理解できていて当然だからだ。
 「当然、乗るさ。向こうも周りの目があるだろうから本気でやってくるだろうし―――万全の準備を整えて、ね。今度は準備も出来るし、場所もこっちが選べるんだから、精々鼻を明かしてやる。そして、我等が皇子には多少強引な手段を持ってしてもご帰還を願うさ」
 アマギリは自らの覚悟を決めるかのごとく、拳を握り締めながら告げた。
 それは、ともすれば剣士と戦場で鍔競り合う事すら厭わないと―――その目が、そう告げていた。

 戦いが明け、逃げおおせたと思ったら、また戦い。
 
 「―――今度は、一人でやりきろうな度と考えるなよ?」
 「保障できないなぁ、そればっかりは」
 あっさりと肩を竦めてそう返すアマギリに、ラシャラは深々と息を吐いた。
 駄目だ、妾には止められんと―――むしろ、止めずに背中を押したくなるような気分だった。
 アマギリにとって剣士が大切な存在であるのと同様、ラシャラにとっても剣士は必要な人間だ。
 心を奪い利用しようなどと言うやからには、天誅を下してやらねば気がすまないのはアマギリと同様だった。
 「どうせ徹底的に、やるのじゃろ?」
 「勿論。向こうだって僕だけは殺しても構わないって思ってるだろうしね―――容赦はしないし、元より、出来ない」
 「―――ならば、良い。妾は座して成果を期待させてもらおう」
 「期待してくれて良いよ、ハニー」

 そうして、二人して愛の一欠けらも感じられないような笑みを向け合った。

 馬鹿は死に掛けても馬鹿。死ぬまで馬鹿。死んでも馬鹿。それから、―――傍に居るのも、馬鹿ばかり。








     ※ 平時に結ばれていたら、暇つぶしに乱でも巻き起こしそうな組み合わせだよね。



[14626] 44-3:嘘つきと傷あと・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/16 21:05


 ・Scene 43-3・




 「帰れ」
 「断る」

 夕暮れ時。
 聖地との国境、崩壊した関所後を挟んでシトレイユ軍とにらみ合いが続き、ピリピリとした空気が蔓延しているシュリフォン王国であったが、この深い森の中の王宮の離れの客間ともなれば、まだ落ち着いた涼やかな空気に満ちている。
 満ちている―――筈だった。少なくともつい先ほどまでは。

 「つーか、疲れたからそろそろ寝ようかと思ってたんだけどさ、マジで帰れよ」
 「貴様の事情など私の知った事ではないな」

 寝ると言いながらもアマギリは、ドアを開け踏み入ってきた人物に微塵も視線を合わせもしないで、ベッドに無造作に広げた資料をパラパラと捲り、耳に挟んだ万年筆を取っては何かを便箋に書き綴っている。
 眠りにつく気配は微塵もなかった。
 無断で部屋に踏み入ってきた少年は、その客人―――招かれざる、と言う認識は彼にもあるが―――に対する余りにもぞんざいな態度に、眉根を寄せた。
 「貴様、せめて顔を上げたらどうだ……?」
 「……こんな安い挑発で青筋浮かべるくらいなら、ホント、来るなよマジで」
 パタンと、クリップボードに便箋を挟んで、閉じる。傍に立って無言を貫いていた老紳士にそれを手渡した後で、漸くアマギリは顔を上げた。老紳士は勿論、主とその客人に一礼した後で、部屋を後にした。
 
 「―――躾がなって無いんじゃない?」

 「き、さ……~~~っっ!!」
 肩を竦めてアマギリは、青筋を浮かべ握りこぶしを震わせていた少年―――の、背後に居た少女に声を掛けた。
 少女は丁度、夕暮れで窓からの日も差し込まず、影となったドアの脇で、静かに佇んでいた。
 瞳の色は暗闇色。唇は結ばれ、表情に氷のように色が見えない。無言のまま何の感情も見せないそれは、精巧な人形が壁際に立てかけられているだけのような錯覚すら覚えそうなものだった。
 アマギリはその無反応に、感心したように頷いた後で、漸く少年と向き合った。

 「ダグマイア君もさ、せめてこれぐらい上手く挑発を受け流せるようにならないと」

 「お、ま、えは、久々に顔を会わせてみれば、何処までも愚弄しかしないのか、このっ……」
 「もう、後ろ盾も無いんだし、ね」
 「―――っ!?」
 ベッドに向かって一歩踏み出してきたダグマイアに、冷徹な眼で言い捨てる。彼の背後に居たエメラに、漸く少しだけ反応が見えた。必要な情報の取捨選択が確りできていると言う事だろう。遊びが足りなすぎるのが些か趣味に合わないが、相変わらず有能な人だなとの印象をアマギリは受けた。
 「貴様はやはり―――、いや」
 「あん?」
 「何でもない。―――フン、死んだように眠っていたと聞いていたが、見事に死に損なっているじゃないか」
 不自然に言葉を切ったことにアマギリが首を捻るが、しかしダグマイアは無理やり話を切って、きっと入室当初からやろうとしていたのであろう、厭味を飛ばしてきた。 
 本当に形から入るのが好きだなこの男と思いつつ、指摘してやるのも面倒だから付き合ってやることにした。
 「ダグマイア君こそ、二度も頭打ちつけてた割には何時もどおりに元気そうで安心したよ。ちゃんとX線検査は受けたか? 脳震盪は後が怖いぞ」
 「―――っ! ……随分偉そうな態度を見せて労わりに、血反吐を吐いて倒れていた人間に言われたくは無いな」
 一瞬歯を軋ませた後で、ダグマイアはそれでも嘲笑のようなものを浮かべて切り返してきた。ある意味成長しているかもしれない。
 環境が人を変えるという良い見本と言うことか―――などと、偉そうな事を考えそうになった自分を、アマギリは笑った。ダグマイアにはどうやら、その笑みが自分を嘲笑っているものと取れたらしい、憮然とした顔をしている。
 動じていないふりをしているつもりなのだろうが、何時もどおりに気付かない人は居ないだろう。 

 「ほんと、何時もどおりで癒されるよね、キミを見てると―――んで、結局何をしに来た訳?」
 「まず初めにそれを聞け! 貴様は相変わらず、まともな他人とのコミュニケーションの取り方も知らんのか……」
 「それ、キミにだけは言われたくないなぁ」
 苦虫を噛み潰したように言うダグマイアに、アマギリは適当に手を振って先を促した。
 
 「一つ確認がある」
 
 一度大きく息を吐いた後で、ダグマイアはそれまでの会話を全て忘れたかのような冷静さを―――表面上だけ―――取り戻して、アマギリを睨みつけながら言った。
 「聞こうか」
 アマギリは鼻を鳴らして先を促す。
 ダグマイアは眉間に皺を寄せながら、口を開こうとして―――その一瞬、少しだけ、影のように背後に立つエメラに視線を移してしまった事で、口を開く前に、言いたかった事を悟られてしまった。


 「貴様が聖地で必要だったのは、私ではなく―――エメラだったのだな」


 ポン、とアマギリが手を打ち鳴らした音が、むなしく客間の寝室に響いた。
 夕闇が部屋を黒と赤で染め上げる逢魔が時と呼ぶに相応しいその空気に、どうしようもなく間抜けな響きだった。
 「良く解ったねぇ?」
 話したの、とエメラの方を見ながら、アマギリは感心したように言った。エメラは勿論、影の中で無表情を貫いていた。
 「後から事情を聞けば気付く。―――貴様、私を馬鹿にしているのか? その程度も解らないと」
 「馬鹿にされているって解らないんじゃないかって、これまでは馬鹿にしてたけど、今の台詞を参考にして、今度からは控えることにするよ」
 返答に至るまでの間はコンマ一秒以下しかなかった筈なのに、スラスラと並べ立てるように人をおちょくった言葉ばかりが出てくるのだから、せめてシリアスな空気を出そうとしたダグマイアとしてはたまらなかった。
 「戯言を……、ええい、貴様、本当に私のことは眼中に無いと言う事か!?」 


 「無いよ」


 「―――っ、な、に?」
 夕日を背に、影を落としたアマギリの顔は、色の一つも見つからない冷淡なものだった。
 その無表情から吐かれた言葉の意味を、一瞬ダグマイアは見失った。アマギリは、そんなダグマイアを見て、失望したかのように息を吐いた。
 「無いって。正直なんで未だに此処に居るのかすら疑問だ。―――解ってて聞いたんじゃないのか、キミ。勿論聖地で力を借りたかったのはエメラさんだけで、キミである筈が無い。そもそも僕が、キミの何処に期待すると言うんだ」
 「う、……あ―――……」
 冗談交じりに聞き流されるのだろうと言う甘えがあったのだろう。しかし、アマギリは特別それに付き合う義理も無かった。こんな面倒なことに時間を取られているよりは、さっさと剣士奪還のための策謀を巡らせたかったのである。それでもわざわざダグマイアのために時間を取っているのは、背後に居るエメラの存在が厄介だったからである。
 その瞳は、相変わらず何も映していないかのように影の暗闇を反射した色をしている。
 しかしその実体は、アマギリに対して腸が煮えくり返っているのだろう事は確実だった。
 ”聖地での一件でダグマイアを始末し損ねた”事により、彼とエメラがシュリフォンに滞在していると聞いた段階から、大きな負債を背負う事になるなと想像していたが、予想していた以上に面倒だと気付き、アマギリはばれない様に嘆息する他無かった。

 狂信者ほど性質の悪い生き物は居ない。
 樹雷と言う、目に見えて”神”が存在する国家に仕えていた関係上、アマギリは特定の何かを熱狂的に崇拝するような人間との付き合いの難しさを、良く理解していた。
 所作も口調も一見にはまともなそれにしか見えないのに、その目だけは何処か普通ではない。何処か薄ら寒いものを覚えずには居られない、そういう狂気に焼かれた目をしていた。

 ―――今も、暗闇の向こうに狂信的な炎を燃やしている、エメラのように。

 この手の手合いは、下手に取り繕って見せると返ってその激情に身を焦がす性質がある。
 予め主義主張を伝えて、明確な線引きを決めてから付き合わないと、いずれこちらが身を滅ぼす事になるのだ。
 特に聖地では、段取りを踏む前に、馴れ合いのようにも取れる”自主的な行動の強制”を行ってしまったから、エメラからしてみればアマギリに対しての評価は坂道を転がり落ちるようなものだろう。

 「んで、―――話はそれで全部かな?」
 ”エメラに対しての”立ち居地の表明は既に済んだが故に、酷くぞんざいな態度でアマギリは尋ねた。
 ダグマイアは怒りとも憎しみとも悲しみともつかない感情で瞳を濡らしながら、歯を食いしばっていた。
 「いや―――いや、まだだ。まだ”私の”話は終わっていない」
 「余り興味が無いな。出来れば今すぐ回れ右して出て行って欲しいんだけど」
 言葉の中で強調された部分を正確に理解して―――ダグマイアが、アマギリの態度を正確に理解していたことに若干驚きつつも、それでも面倒だという態度を態度を崩す事無く、アマギリは言う。

 「いいや、聞いてもらう―――っ」

 ダグマイアは大きく頭を振った。
 改めて感じる、想像以上の自身の立場の無さを、それでも受け止めて前へ進みたいと本人としては思っているのだろうなと、アマギリは特別興味を示さずに頷く事で先を促した。どうせ次の言葉は予想できていたからだ。


 「私は、貴様と父上の末路を見届けさせてもらう」

 「父上が私を縛る過去だとすれば、貴様は私の未来を遮る壁だ」

 「私は自らの道を自らの意思で決めると誓った。自らの居場所を、自らの力で手に入れると」

 「新たな道を探すためにも、縛られたまま使われていた事にすら気付こうとしなかった過去を振り切るためにも」

 「私はまず、貴様達の戦いの結末を見届けなければ何も始められん」

 「故に、何を言われようとも最後までつき合わせてもらうぞ」


 ―――長い台詞ご苦労様と、ベッドに広げておいた資料を頭の中で整理しながら、アマギリが思った事はそれだけだった。
 語られた内容自体に驚くべき部分は欠片もないし、一片の感慨も沸くものでも無かった。
 何時もどおり楽しそうで結構な事だ―――その分、また楽しくないアレコレを視界の隅に入れなければいけないのかと思うと、多少の苛立ちも覚えなくも無かったが、それも一つの、必要経費と言うヤツだろう。諦めれば済む話だった。
 一応と言う程度の気分で深くなった影の中に居るエメラに視線を送ってみるが、やはり無反応だった。
 忠臣も結構だけど、止めてくれると助かるんだが―――そんな風に思って、忠臣が忠誠を捧げている人間以外の気持ちを気にする筈が無いかと、自分の甘い考えにアマギリは微苦笑していた。

 「好きにすれば良いと思うけど、邪魔だから前には立たないでね」
 「―――っ、そんなもの、知った事ではない」
 黙ったまま、ダグマイアからしてみれば漸く得られたアマギリの反応が嬉しかったのだろうか。勢い込んで返答があった。
 三つ子の魂百までとか、こういう場面で使って良いんだっけとくだらない事を言いたくなったが、アマギリは肩を竦めるだけに留めた。
 「だと思ったよ―――で、今度こそ話は終わり?」
 もう面倒だから出てけよと言う気分をまるで隠そうともせずアマギリが言うと、ダグマイアは鼻を鳴らしてくれやがった。
 「私の話はな。―――だが」
 そして、何を思ったのかわざとらしい態度でエメラの方を見やりながら―――エメラも、戸惑うような態度を見せた―――薄い笑みを浮かべた。

 「貴様は随分とエメラにご執心らしいじゃないか。―――私はこれで外す。どうせ暫くは行動を共にするのだ。話したい事は話しておけば良い」

 「―――はぁ?」 
 ダグマイアの言葉は此処で初めてアマギリの予想の斜め上を行った。

 「ダグマイア様、私は―――」
 「エメラ。無位無官に落とされた私に、今も従ってくれていることには感謝しよう。だが―――これからの私の選択は、全て私だけのためのものだ。決して、お前の行動を縛るものではない。私の選択に、おまえ自身の判断を委ねようとする事は、やめろ」
 「私が貴方のお傍にあるのは、私自身の意思です! 貴方が決めたのであれば、私はそれに従うだけだと―――」
 「それがいかんと言いたいのだ、私は。結局それでは、お前は望む望まざるに関わらず、私の行動をただ優先するのみで―――これまでと、何も変わらない。もう御免だ、与えられたものを自分の力だと思いながら道化を演じ続けるのは。私は自分で必要なものは自分で掴む」
 轟然と語るダグマイアの言葉に、影の中のエメラは取り乱したように肩を震わせる。
 「わた、私は、貴方に必要ないと……」
 「―――……。感謝している、と言ったぞ。だが、エメラこそ、私を必要としないだろう。お前にはそれだけの能力があるし―――おそらく、そのことを私以上に理解している人間も居る」
 

 ―――待て、そこで僕を見るな。


 叫びたかったが、堪えた。一々説明しなければこの馬鹿は解らないだろうなと、直ぐに理解したからだ。
 アマギリが苦い顔をしたのをどう受け取ったのか―――ダグマイアは、最後にアマギリに、これで貸し借り無しだとでも言いたいのか、侮蔑のような笑みを浮かべて部屋を後にした。


 ―――エメラを、残したまま。


 そして、室内に静寂が満ちる。

 影の中にエメラ。
 
 夕日を背にしたアマギリ。

 向かい合い―――欠片も、視線を交わしていなかった。
 アマギリは作業に戻り、エメラはただ立ち尽くすのみ。
 ダグマイアは誤解しているようだが、アマギリは彼女と語る言葉を持ち合わせていない。
 そもそもエメラには、ダグマイア以外の言葉は”聞こえない”。行動の決定基準を自分以外の誰かに定めてしまっている以上、幾ら他所から言葉を重ねても徒労にしかならない。
 エメラを動かしたいのなら、聖地で行ったようにダグマイアを上手く誘導して、エメラが動かざるを得ない状況を作り出すしかないのだ。
 それが解っていたから、アマギリはダグマイアが部屋を後にした段階で、それまで行っていたハヴォニワ国内の治安回復を目的とした資料整理に戻っていた。 


 そのまま、幾許かの時間が過ぎただろうか。


 「一つだけ、確認したいことがあります」

 ふいに、エメラが口を開いた。

 「何?」

 アマギリは、微塵も驚かなかった。
 彼女の生き方にアマギリの存在は必要ない。それを理解していたから、この会話自体が無意味なものだと解っていた。
 エメラの口調は淡々としたものだった。色の無い、重みの欠片も無い。

 「聖地襲撃の折、貴方は当初の予定通りにラシャラ女王が参加しなかった場合、ダグマイア様を”列車に置き去りにして殺害する”つもりでしたね?」

 淡々として、色の無い。重みも、感情の欠片も無い言葉だった。
 
 「うん」

 それは、なんの衒いも無く、資料を並べなおしながら頷くアマギリも同様だった。
 エメラはそんなアマギリの態度に、頷く事すらせず、ピクリとも表情も、体も動かす事すらせず、言葉を続けた。

 「当然、バベルの停止のために利用し、そして用済みとなった私も?」

 「逃げるにはスワンに紛れ込むだろうって解っていたからね。確実を期す為に一個小隊を確保する予定だった」

 無駄になったけどと、やはり恥る素振りを見せずにアマギリは言い、―――エメラもまた、怒りの一つも見せなかった。
 そしてアマギリは、予定調和の言葉の応酬に、飽きた。独り言を呟いているのと何も変わらないことに気付いたからだ。

 「―――で、それを聞いてどうするのかな?」

 意味の無い行動も、時には気分転換に必要だろう。アマギリは書類をまくる手を止めて、薄く笑いながら影の向こうにあるエメラの顔をうかがった。
 予想していた通りそれは、やはり何の意味も持たない行為だった。

 「特に何も。―――貴方の企みが成功していたなら私はこの場に居ませんし、それにそもそも、貴方の殺意は私が貴方に殺意を抱く理由にはならないですから」

 ―――私の殺意は、ダグマイア様の意志と共にあるのだから。

 それが当然であるのだから、そこに誇るべき何かを見つけられるはずも無い。
 結局、当然の事実と事実を確認しあっただけで―――場を用意した人間には及びもつかないであろう、何の意味も果たさなかった邂逅を終了する。

 「ま、その辺が、後ろから黙ってついていくってタイプの人間の辛い所か。前に出て危機を取り除ければ楽だろうに、ご苦労様って感じだよ。―――さて、そろそろ行けば?」

 気障な仕草で掌を返して扉を示すアマギリに、エメラは何の反応も示さずにドアに向けて歩を進めることで返した。
 しかし何を思ったのか―――本当に何を思ったのか、エメラはドアノブを握り扉を引き、そしてそれから、何故か最後に一度だけアマギリのほうへ振り向いて、呟いた。


 「―――お大事に」


 瞬きをしている間に、エメラの姿は扉の向こうに消えた。
 
 ”お大事に”。

 他者を労わる言葉だったから、アマギリはその言葉の意味を履き違えなかった。
 なぜなら、エメラの生き方にアマギリの存在は欠片も影響を与えない。例え彼が好調だろうと不調だろうと、機嫌が良かろうと不機嫌だろうと、そんなものはエメラにとって、何の感慨も覚えない無価値なものだ。
 エメラにとって意味のある存在は唯一つだけ。

 故にその言葉は―――正しく、ダグマイアの意思である筈だった。


 だからそれは、アマギリにとって、無価値なものだ。


 ―――つまりは、結局。
 最後まで彼と彼女の会話に、意味の一片も存在しなかった事が、唯一の事実である。
 






    ※ 夢を語る少年と夢の無い現実、みたいな感じでしょうか。
      なんかホラーっぽくなったな……。



[14626] 44-4:嘘つきと傷あと・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/17 21:13
 


 ・Scene 44-4・




 『とにかく、無事で安心したわ』
 「だからそれは、こっちの台詞ですって。―――んじゃ、そろそろいい加減キリが無いんで」
 『そう、ね……あんまり無茶するんじゃないわよ? ワウ辺りの言う事良く聞いて―――ああ、今居ないんだっけ。アウラは……駄目ね、ラシャラ辺りなら―――逆に悪化するかしら。良いわ、アンタ定期的に連絡入れるようにしなさい』
 「了解。―――それじゃ、また。ひと段落したら連絡します」
 『出来れば段落を書き出す前に連絡が欲しいんだけど……ホント、無茶しないのよ。―――じゃあね』

 「邪魔をするぞ―――っと、どうやら本当に邪魔だったようだな。出直すか?」

 夜も更け、そろそろ寝支度を整えようと考え出す人も多くなるであろう、そんな時間。
 アウラはある男に貸し与えられている客間の寝室に、淑女とは思えぬ堂々とした態度で上がりこみ―――そして、ベッドサイドのテーブルの前に腰掛けている男の手元にあった通信端末を確認して、困ったような顔をした。
 「いや、丁度終わったとこだから。―――と言うか、アウラさん。ここ、一応キミの自宅だよね」
 手のひら大の通信機を弄びながら、男は夜風を誘う”窓の方”へ振り返りながら、苦笑を浮かべた。
 アウラは何を当たり前のことをと頷きながら、窓枠を乗り越え、スプリングの効いたベッドの上に足を下ろした。
 そして、ベッドの端に腰掛けたまま、手に提げていたサンダルを履きなおす。
 その態度は余りにも堂々としすぎていて、突っ込もうとしていた男も、何かおかしい事があるだろうかと錯覚しそうだった。
 「―――どうかしたか、アマギリ?」
 何がおかしいのかと、薄いシルクの夜着一枚を羽織って、堂々と男の部屋に窓から上がりこんできたアウラは尋ねる。
 男―――アマギリは、自身が眠るためのベッドに妙齢の美女が腰掛けていると言う状況に、むしろ頭痛を覚えていた。
 
 「―――なんでわざわざ、窓から入ってくるんだ、アンタ」

 彼女はこのシュリフォン王城の主たるシュリフォン王の一人娘である。
 客人の部屋に踏み込むのに、窓から忍び込む理由は無い。
 悪戯も過ぎれば毒だよなぁとアマギリが呆れていると、アウラは楽しそうに微笑んだ。
 「いや、なに。この時間帯にお前の部屋と言うと、やはり窓からがベターかと思ってな」
 「……じゃあ、ベストはどうなるのさ」
 「そう―――だな。やはり、お前が自分から誘うと言うカタチを取るべきなのではないか?」
 「いや、”ないか? ”なんて疑問系で聞かれても困るんだけどね」
 そんな事を言いながらも、やれやれと立ち上がって部屋の隅に置かれていたワゴンに乗せてあったティーセットを用意しているあたりが、二人の力関係を示していた。
 「まぁ、恋人との逢瀬を終えた瞬間別の女にそんな事を言われれば困るか、お前でも」
 アマギリの用意したハーブティーをゆったりとした仕草で受け取りながら、アウラは言った。因みに、ベッドの端に腰掛けたままである。
 「そう思うんだったらせめてドアから入ってきて欲しいんだけどなぁ」
 ベッド脇の椅子に尻を投げ出しながら、投げやりに言うと、アウラは少し照れの混じった微苦笑を浮かべた。
 「すまんな。―――ここ暫く気が滅入っているような状況だったから、少し気分がはしゃいでしまっているのかもしれない」
 理由は聞くなと、カップを口に運びながら言うアウラに、アマギリは何とも言えない曖昧な顔で頷くしかなかった。お茶を入れるのに邪魔だったため、ポケットに突っ込んでおいた通信端末が、何故だか非常に重たく思えてくる。
 「光栄だねって言って良いものかどうか、迷うね」
 「リチアに申し訳ないから、自重したほうがいいだろう」
 「―――じゃあ、自重してくれよ」
 「そればかりは保障できんな。―――ところでリチアの様子はどうだった? 十日前に別れたきりだったのだが」
 呻くアマギリにさらりと返しながら、アウラはここには居ない親友の少女の事を尋ねた。
 「元気そうだったよ、若干空元気だったけど。―――救出した生徒達抱きこんで、何か派手にやらかそうとしてるみたいだけど―――ラピスさんも一緒だし、それほど無茶はしないんじゃないかな」
 「ああ、先日漸く聖地から救出した全生徒を国許に帰す事が出来たからな。アレでウチの生徒も、纏めれば一大勢力となる。生徒会長として教皇の孫として、リチアもやるべき事をやるつもりなんだろう」
 「それがリチアさんがやりたい事って言うんなら、止めないけど……」
 「けど?」
 微妙な顔で言葉を濁すアマギリに、アウラはカップをマイクに見立ててすっと、向けながら先を促す。
 「その動機が、なぁ」
 「―――まさか、解らんなどとは言ってくれるなよ」
 「言わんけど……」
 「けど?」
 逃げ場を塞ぐように、アウラは問い詰める。有体に言って、凄く楽しそうだった。
 アマギリは自分で入れたお茶を一口含み、暫く遠くを見ながら考えていた後、言った。

 「まぁ、あの人の趣味は良く解らんなぁと」

 回線が開いてまず、湧き上がるようなものを堪えるようにして出来た笑顔と、潤んだ瞳。
 そういう美しくて仕方が無い顔を、自分だけに向けられているのだと思うと、アマギリとしてはどうしようもなくくすぐったいやら、申し訳ないやら。
 「人の縁など奇なるもの―――と言うヤツだろ? 精々お前は、その幸運を感謝してやるべきだな」
 「ありがた過ぎてちょっと重い時もあるんだけどねぇ」
 「贅沢な悩みすぎて、怒りすら沸いてきそうな答えだな、それは」
 「とは言え、女の子に頑張らせちゃうってのは趣味じゃないんだよ僕は」
 どうにかならないかなと、割と本気で呟く仕草がおかしかったのか、アウラは薄い笑みを浮かべた。
 「前から思っていたことだが、お前はフェミニストと言うよりは、アレだな。―――女性に対して、幻想を抱きすぎだ」
 余り舐めないでもらいたいなと、シニカルな笑みで言われて―――アマギリは、それは仕方が無いと肩を竦める。
 「昔から”現実が厳しすぎた”からさ。幻想くらい見たって良いじゃないか」
 アマギリの記憶において、”弱い女性”と言う生き物が存在していた事実は存在しない。変わりに思い浮かぶのは、銀河最強だったり最恐だったりするような女性陣ばかりである。多少の癒しを求めるのも、同性であればきっと解ってもらえると信じたいものだった。
 アウラは、その情けなさをもう少し何とかできないのかと思いつつ、一つ息を吐いて真面目な顔を浮かべて言う。
 
 「リチアもワウも、ここに残ったままでは、きっとまたただ見ているだけの状態になると解っていたからな。―――自分にできる事を、確りと自分で考えてやろうとしているんだ。それをお前が認めてやらないでどうする?」

 「認める事が出来るのは、精々自分の至らなさだけだね」
 「―――ならば、お前にそんな思いをさせている我等は更に至らぬ人間だと言う事になるが?」
 視線を逸らして言うアマギリに、アウラは淡々とした口調で返した。アマギリが眉根を寄せて応じる。
 「そんな事は言って無いじゃないか」
 「そう言っているとしか取れんだろう。いい加減、この期に及んで問題を全て自分に帰結させようとするのは止めにしろ。お前風に言うなら、そうだな―――”その遊びに、私たちも混ぜろ”、と言った所か」
 冗談めかした物言いで、目だけは真剣なものだったから―――アマギリも、視線を外して罰が悪そうに呟くくらいしか出来なかった。
 「よくよく、楽しくない事に進んで首突っ込みたいと思うよね、皆」
 「それが楽しいか楽しくないかは、私たち自身が決める事だ。―――それに、何をするかを聞かないことには、それが楽しいのかどうかすら解らない」
 だから、まずは話せと、アウラの言葉は至極明快だった。
 確り目と目を見つめ合わせて言われてしまえば、どうにも逃げ道を防がれた気分になるから困るなと、アマギリは一つ息を吐いた。
 
 実際問題として、アマギリは剣士が敵の手に堕ちたのは自身の過失であると認識している。
 油断、慢心、見積もりの甘さ―――そういった諸々、仕込みに時間が取れなかった事だって、全部自分の立ち回りが下手だったからだと、他の誰に何と言われようと、誓ってそう確信している。
 ”嫌な予感”は初めからしていたのだから、対策は幾らでも立てられた―――筈なのに。真実最悪の状況を迎えてしまったのだから、これはもう自分の無能以外の何ものでもなかった。
 
 だが、そういうアマギリの気持ちとは別に、現実問題としてこの問題の広い範囲の意味を拾えば、これは彼のものと言う以上に、彼女等の問題だと言う意味合いが大きい事も、当然理解している。

 ―――何故なら、彼女等はこの世界の人間で、そして。

 「―――剣士殿は必ず取り戻す。あの方がこんな辺境の何処の馬の骨とも知れない一個人の思惑で使われている姿なんて、見るに耐えない」

 結局まずはそこからだけど、と改めて決意表明をしてみると、アウラはなるほどと頷いて口を開いた。
 
 「それで、その後は?」

 「―――後?」
 首を捻るアマギリに、アウラは後だ、ともう一度繰り返しながら言葉を続ける。

 「剣士を取り戻すと言うのは良い。それは”お前にも”関わりのある事だからな。だが、その後はどうする? ガイアは? ハヴォニワは? ジェミナー、この世界は? リチアは、ワウは、フローラ女王たちは、お前はどうするつもりなんだ?」

 ―――私はいい加減、そこのところが知りたいと、アウラは言った。

 アマギリは、一瞬言葉の意味が理解できなかった。
 「いや、どうするって、そりゃ……」
 「この世界など、お前にとっては元々係わり合いになる必要も無いものだろう。―――特に、今のお前にとっては」
 言葉にまごつくアマギリに、アウラは正しく追求するような姿勢で問うて来る。
 言葉の意外な苛烈さに戸惑うアマギリに、―――アウラは、確りと彼の瞳を見つめ、睨みつけながら、口を開く。

 「お前はもう―――全部、思い出しているんだからな」

 「―――ああ」
 アマギリはなるほどと頷いた。何かに納得したような、何かをなくしてしまったかのような、そんな顔で。
 「気付いてたんだ」
 アウラにとっては、見知らぬ誰かのような顔で、頷いた。
 「気付かなかった私が間抜けと言うべきか、気付かせなかったお前の不義理をなじるべきか」
 「別にたいした問題じゃないんだから、一々アウラさんに言うことでも無いだろ?」
 肩を竦めてアマギリは言う。そのあっさりとした態度に、アウラは眉間に皺を寄せた。
 「たいした問題ではない、か。そうだな、お前にとってはここで起こるすべての事は瑣末事だったか」
 「は? いやちょっと待て、そんな事は誰も……」
 「翼を広げればお前は今すぐにでも天に帰れるのだろう? 剣士が心残りだと言うなら、彼を取り戻した段階でお前がここに居る理由も消滅だ」
 「ちょ、それはちょっと極論だろう」
 目を細めたまま語るアウラに、アマギリは眉根を寄せて反論する。なるほど確かにアマギリは、自分の本当の名前も含めて、ほぼ全てを思い出している。だが、だからと言って、その過去の記憶のみに全てを縛られているような言われ方は、流石に心外だった。
 「やる事やったらはいサヨウナラ、なんて何処の人非人だよ。一体、人を何だと思ってるのさ」
 
 「そんなものは決まっている。根暗で鈍感、ついでに秘密主義の唐変木だな」

 「後半はいいとして―――根暗?」
 「後半は良いのか」
 若干引き攣った顔で突っ込むアウラに、言われ慣れているんでと適当に返す。
 「これでも結構社交的にやってるつもりなんだけどなぁ。美人を夜中に寝室に招き入れるくらいには」
 「そうやって、当たり障りの無い事をいって煙に巻こうとしている人間は、社交的とは言わん」
 軽い口調で言うアマギリに、アウラは夜着の胸元を引き上げながら応じた。

 「……思い出しているなら、言ってくれても良かったじゃないか」

 ―――リチアたちには話しにくいだろうし。

 微妙に視線を逸らされながら、そんな風に言われてしまった。
 何か微妙な空気になりそうだなと、アマギリは―――視線を逸らして、それで更に微妙な空気になった事に気付いて、泣きたくなった。
 そんな気分を振り払うように頭を振った後で、あえて軽い口調で続ける。
 「言わなかったのは別に、ホントにたいした事じゃなかったから言わなかっただけさ。前はどうしていたかなんて、今のこの時にどうするかの理由にはならないもの。ここに居られる限りは、ここで何とかするよ僕は。ガイアもこの世界も、リチアさんもワウも、フローラ様も妹様も、勿論、アウラさんのこともね」

 ―――今更足抜けなんて、出来ないところまで来た。

 来れたと、思う。
 どうかなと、微苦笑交じりに尋ねると、アウラも苦笑しながら頷いた。
 「出来れば、それを普段から解りやすく伝えてくれれば、私もあまり余計な不安を覚えずに済むのだがな」
 「そういうことが出来ない人間だって事くらい、いい加減解ってくれてると思ってたけど―――にしても、アウラさんそんな不安が覚えてたんだ」
 以外だと、言外に込めた意味は、少女を見事に不機嫌にした。
 「覚えて、悪いか? お前は私を何だと思ってるんだ。今にも居なくなりそうな親しい人間に関して、何の感慨も沸かないとでも?」
 何と答えても大きな地雷か不発弾になりそうだなとアマギリは考えて―――それでも、アウラの視線は答えを返さないままを許さない雰囲気があったから、結局、どうしようもない答えを返していた。

 「まぁ、変わった趣味をしているなぁとは、常々思ってたかな」

 誰のせいだ、誰のと―――溜め息混じりの声が聞こえた。






     ※ 何だか最近誰(に刺されて迎えるBAD)ENDになるか自分で解らなくなってきた。
       梶島ワールドだし今回は軟派なヤツにしようとか書き始めに想ってた筈なので、一応当初の予定通りでは在るんですが。

       ……書き初めって、もう五ヶ月以上前なのかー。



[14626] 44-5:嘘つきと傷あと・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/18 21:17


 ・Scene 44-5・






 剣を振る。月明かりの元、一心不乱に。

 草木眠り、僅かなそよ風に木の葉の揺れるその静寂を、かき乱すが如く。ただ、我武者羅に。

 剣が夏の夜風を割く音も、踏み込む靴が土を抉る音も、舞い散る汗すらも、全てが、無様なものと見えた。

 
 ―――声を掛けずに済ませられたのに、明らかな拒絶の色が見えていたのに、それでも声を掛けてしまったのは、結局、自分にも原因の一端があるからだと、アマギリ自身解っていたからかもしれない。
 もしくは単純に、昼間に見舞いに来ていた少女が、その話題が出た瞬間沈んだ顔を更に深淵にまで沈めたような空気を纏い始めたからかもしれなかった。

 兎角、慣れない事をする事になったなと、一つだけ息を吐いて、アマギリは音も無く渡り歩いていた巨木の枝の上から、前転宙返りと共に地面に落着した。

 「こんな遅くに、せいが出るね」

 ぱきりと、足元に転がっていた枝を踏み折る音がして、それで漸く、彼女は気付いた。
 振り回していた―――振り回されていた、剣を止め、振り返る。

 「や、キャイアさん。―――二週間ぶりらしいね?」
 「アマギリ……王子?」
 キャイアは荒い息と、ふら付く体を隠そうともせず、疲弊しねめつけるような形となった視線をアマギリに向けた。疲労が行き過ぎて、思考が脳の理解に追いついていない風に感じられたが、生憎とアマギリには、都合よく持っていたペットボトルを手渡してやれる、等という器用さは持ち合わせていない。そもそも彼自身、客間で用意された寝巻きのままで、手荷物など一つも持っていない。
 結局、話しかけたは良いが特にどうする事も出来ず、黙って木に寄りかかりながら、キャイアが落ち着くのを待つしかなかった。

 「―――お目覚め、だったんですね」

 「ラシャラちゃんに聞いてなかった?」
 剣を鞘に収め、居心地悪げにその場に立ち尽くしながら、視線も合わせずに呟いたキャイアに、アマギリはそう返した。キャイアは首を横に振った。
 聞く聞かない以前に、最近話してすら居ないなと、アマギリは中りをつけた。
 「朝方漸く、ね。流石に寝すぎたみたいなんで、少し体でも動かそうと思って、夜の散歩に出かけた次第」
 「……そうですか。お目覚めになられたのでしたら、―――そう、ですか」
 世辞の皮を被った皮肉を言う気力も、どうやら無いらしい。キャイアは一瞬だけとても嫌そうに眉根を寄せた後で、そんな自分が嫌になったとでもいう風に、無気力な顔で呟いてくれた。
 アマギリは気付かれぬように嘆息した後で、軽く肩を竦めた。
 「何だか知らないけど、随分酷い顔してるねぇ」
 「―――知ら、ない?」
 無神経極まりない風をあえて作って言ったアマギリに、キャイアが胡乱な目で睨みつけてきた。
 「そりゃ、知らないさ。キミは僕を避けているし、僕もキミは避けたい人種だ。知れる暇も無いだろう。―――推測は、出来るけど」
 キミと違って―――、薄ら笑いを浮かべながら。
 「なら、何時もどおり避けてなさいよ。私だって、アンタに傍に近づいて欲しくないもの」
 些か張りに欠ける声だったが、それでも怒声と確りとわかる、その程度の気力は戻ってきたかとアマギリは判断した。
 「ハハ」
 声に出して笑う。俯きがちだったキャイアの顎が、少し持ち上がった。
 「何がおかしいのよ」
 「いやね、漸く似合わない敬語が抜けてきたなって。キミみたいな直球勝負の人間に、慇懃無礼なんて似合わないって前から思ってたんだわ」

 「あ……」

 濁点でもつきそうな音を漏らしながら、キャイアが目を丸くした。
 アマギリはニヤリと笑って手をひらひらと振った。端から見ていれば忌々しい事この上ない態度だろう。
 「どのみち学生としてはキミのが学年上なんだし、良いよ別に、楽な話し方で。立場とか気にしないで……と言うか、キミ、アウラさんとかには割りと直線的な言葉遣いしてるよね、フツーに」
 「そん、なこと……っ」
 無いともいえないなと、むしろ、高圧的な態度を取ったこともある。アレは剣士の所有権で揉めていた時だったか。それを思い出して、キャイアは気まずそうな顔になった。
 女王の護衛聖機師でありながら、あまりにも普段の態度がぞんざい過ぎるのではないかと、自分でも思わざるを得なかったからだ。
 アマギリはそんなキャイアの内心を察してか、薄く笑った。
 「良いって良いって、キャイアさんはそれで。ラシャラちゃんもキミのそういう不躾な部分はちゃんと理解してるんだから」
 重要な場面ではどうせ喋らせてもらえないだけだろうし、と何気にキャイアの存在理由に関わる事を平然と言うアマギリに、キャイアの額に青筋が走った。
 「―――アンタ、何。結局喧嘩を売りに来たのかしら?」
 「僕と喧嘩して気晴らしになるなら良いけど―――」
 重く響くキャイアの怒声に、フラリと木から背を離して手を広げながら、アマギリは軽い口調で続ける。
 
 「ここでやったら、確実に僕が勝つよ?」

 周囲一帯、大樹の生い茂る深い森を示して、アマギリはあっけらかんとそう言った。
 「はぁ?」
 何をふざけた事を言っているのだろうかコイツはと言う声で、キャイアは応じた。
 馬鹿にされているのだろうか、それとも、新手の趣味の悪い冗談なのだろうか。キャイアは主がラシャラである関係上から、アマギリと幾度か手合わせをした事があるが、その全てに勝利していた。手合わせの都度、打ち合わせた剣からアマギリのやる気の無さは伝わってきていたが、それを差し引いても、自身が勝てるだろうと、少なくともキャイアはそう認識していた。
 「いや、これだけ足場があれば勝てるよ、僕でも流石に。特に不正地での敵陣突破とか、相当仕込まれたてるから。―――ついでに今は裏業使ってるから、普段よりよっぽど良い動き出来るしね」
 何なら試しても良いけどと、アマギリはやはり軽い口調でキャイアに問う。

 ―――安い挑発だ。

 買う方の器が知れるような、そんな程度の低い誘い。

 「良いわ」

 それなら、今更自分の程度なんて気にする必要の無い自分なら、何も迷う事は無い。

 「やってやろうじゃない」

 元からこの男は気に入らなかったんだからと、負の想念をたっぷりと滾らせながら、キャイアはその誘いに乗った。
 鞘に収めた剣を、抜き放つ。―――アマギリが無手である事すら、気にならなかった。
 「訓練中の殺傷沙汰は事故で済む、か―――良いね、僕の好みだよ、そういうの」
 アマギリは特に動じる事も無く、それを許諾した。自身、実際に得物を持っていないにもかかわらず、だ。
 その言葉が、それこそ、”お前に俺は傷つけられない”とでも言われているようで、キャイアの思考を憤怒が満たした。

 殺傷沙汰は事故。
 事故―――ああ、そうか。そういう事か。
 こいつは、この男はこうやって”事故”と言う言い訳を使って、姉さんたちを。

 ―――ならば、何を躊躇う必要がある?
 これは訓練。そして―――ギラリと月明かりを反射して煌く、鈍い刃。キャイアのその手に、握られていた。

 「随分やる気みたいだし、早速始めようか?」

 足元に落ちていた、折れた枝を拾い上げながらアマギリが言う。
 この枝が落ちたらスタートねと、それこそ、かくれんぼでも始めるのかと言うほどの気安さで。
 剣を握り締めるキャイアの手に、力が入った。

 「それじゃあ、始めっと」

 ポンと、アマギリは枝を放り投げた。

 ザッ、と強く地面を踏みつける音。
 振り上げられる鈍い刃。狂想に歪んだ瞳。それはまるで今にも泣き出しそうな―――。


 そして―――結果は、いうまでも無い。


 「”地面"しか足場の無い平面的な動きだけじゃあ、さ。上下左右、無数の足場を自在に活用可能な状況を用意された樹雷の闘士には勝てないって」

 月の位置がさほど動く間もなく、勝負はあっさりと決した。
 開始と同時に、少しだけ開けていた、県を振り回すだけの余裕のあった広場から、アマギリはバックステップで後退。追撃を跳躍で避けて、それからは、深い森の木々全てを足場としてかく乱しながら、一瞬でキャイアの背後に回りこみ、あっさりと一撃を叩き込んだ。容赦なく、延髄に。

 「剣士殿との戦闘経験があるって言うのに、ちょっと油断しすぎだったんじゃないの? あの方に比べれば僕の技なんて、児戯に等しいんだぞ」

 吐き気と痛みで呻くキャイアの背に圧し掛かりながら、アマギリは飄々と嘯く。勿論、キャイアが手にしていた筈の、柄が血に黒ずんでいた剣は、既に彼の手の中にあった。
 「だいたい、インドア派の僕が調子こいた挑発なんかしてきてる時点で、おかしい事に気づけよ。どう考えても何か手札があるって言ってるようなもんだろ? それを真正面から突っ込んできちゃって、まぁ」
 「うるっ……」
 ―――さい、偉そうに。怒鳴りつけて背に掛かった重さを振り払って、ついでに斬り付けてやりたいくらいだったが、鈍痛で声を出すのも苦痛だった。
 「そんな調子で大丈夫かキミ。―――もう暫く経たないうちに、剣士殿とガチンコでぶつからなきゃいけないんだぞ?」
 
 「―――へ?」

 剣士?
 ぶつかる?
 
 あっさりと語られた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
 剣士と、ぶつかる。ババルン・メストの手に堕ちた、剣士と、ぶつかる。
 それは、つまり―――。

 意味する所を理解したキャイアは、歯を食いしばり押さえつけられた体を筋力だけで跳ね上げようとして―――ズガンと、容赦なく後頭部を掴まれて頭を地に叩き伏せられた。
 「―――っ、ぐぅ!?」
 「そうやって、自分以外の人間のやろうとする事は全部”悪い”みたいな発想止めような。そのうちダグマイア君みたいになるぞ?」
 「は、なせ……、このっ!」
 それでも、その細い体の何処にそんな力があるのか、キャイアは渾身の力を振り絞ってアマギリの束縛から逃れようともがく。力を、力を、自身の力で筋を痛めつけてしまいそうなほどに力を込めて。
 「―――ったく、聖機師の女ってのはホント馬鹿力だな畜生」
 アマギリは、ここで怪我をさせるのも馬鹿らしいと、キャイアの上から飛びのいた。無論、剣は奪ったまま。
 飛びのこうとした刹那、振り上げられた足刀が頬を掠りそうになって肝を冷やしたが、表情を変えることは無かった。
 少しの距離を置いて、低い体勢を取ったキャイアと向かい合う。無論、これ以上益体のない喧嘩など、彼には続ける気が無かった。

 「考え付く限り、洗脳の手段ってのは幾つかパターンが想定できる」

 故に、憎しみで人を殺せそうな目つきで睨みつけてくるキャイアに、淡々とした口調で一方的な説明を始める。
 「精神を完全に破壊し上書きする。認識をずらし、行動を誘導する。そしてアストラルに干渉して、脳に対する優先的な命令系統の確率―――ポートをこじ開けて上流からのリンクを一方的に繋げちまうってトコだな」
 「何、を言ってるの―――?」
 突然始まった”難しい”話に、キャイアは意味が解らず身を起こし目を丸くする。しかし、アマギリの一方的な説明は続いた。
 「教会の所蔵していた古いデータを参照とすると、人造人間に対する指揮系統って言うのは、二つ目と三つ目の複合的なものを用いて行っているというのがわかった。製造段階で予めポートを開いておき、そして認識をずらす―――つまり、無意識下に行動規範を設ける。先史文明次代に多くの人造人間が暴走した理由の多くは、この無意識下の行動規範の策定に失敗したからだ。アバウトだったのか、それともロジカル過ぎたのか、ともかく、入力したとおりの行動を取ってはくれなかった。―――だから最後に作成した三人の人造人間には、命令入力を行わずに、ただポートを開いておいてその都度必要になるたびに指示を出していくという形で育成を行っていたらしい」
 「だからなんだってのよ! 何の話をしているのよ、一体……」
 謂れの解らない事情に関する説明を滔々と語られた所で、苦痛なだけである。黙らせようと叫ぶキャイアに、しかしアマギリは、肩を竦めて言った。


 「全部、キミが自分の世界に篭っちゃって―――ついでに、僕が倒れている間に、他の人たちが頑張って調べてくれた事だ」


 「―――え?」
 「ホント、二週間と経たずに頑張ってくれたもんだよ。こうして起き上がった瞬間に、次に動くために必要な下調べが全部終わってるんだから、ありがたいったら無いね」
 言葉尻は軽く、しかし気持ちだけは真摯なもので、アマギリは、言いながら微笑を浮かべていた。
 キャイアは、何を言われているのか理解出来なかった。

 下調べ。必要な。次に、動く。人造人間の、行動規範。洗脳。

 「剣士殿は最後に作られた人造人間の子孫だ。なら、当然そこに組み込まれた制御機構も、最後のアストラルに対する干渉以外には無い。それなら―――解除手段は、ある」

 「―――うそ」

 言われた意味が、言われた意味を、言われたくない、だって私だけ―――何もしてない。
 キャイアは、我が身を省みる事すら恐ろしかった。
 この二週間。失恋と、真実と、敗北とそして奪われた痛みから逃げるように、誰からの干渉をも避け、ただ闇雲に―――何を、していただろうか。

 「ま、そう言う訳なんで、剣士殿をこっち側に引き戻すためにはキャイアさんの協力が必要な訳よ」
 内心を確りと悟っているだろうに、アマギリはあえて何も知らぬふりを見せたままそんな風に言った。
 キャイアが言われた言葉を理解するよりも早く、一方的に言葉を続ける。
 「現状、どれだけ思考を塗りつぶされているかわからないから、とりあえずは一度叩きのめして意識を失わせて―――その後は、まぁ、その後でって事で。……つまりは、さ」
 アマギリは手にしていた剣を地面につきたてながら、言う。

 「剣士殿を”生きたまま武装解除する”なんて難行に挑むためには、キャイアさんみたいに優秀な聖機師の助けが必要になるんだ」

 ウチの部下含めて、他の連中も軒並み居なくなっちゃったからねと、アマギリは苦笑交じりに言葉を結んだ。
 「わた、しが……必要?」
 「必要だね。猫の手もって言い方も正直否定できない部分はあるけど、キミ、例のスワンの襲撃の日に剣士殿と正面からぶつかって生き残ったんだろ? それだけやれれば上等さ。協力してくれるなら、願っても無い」

 してくれないなら、それはそれで構わないけど。

 アマギリの言葉は至極明快なものだ。
 ラシャラの線から手を回せばわざわざ説明する必要も無くキャイアを巻き込む事も出来るというのに、突き放したような物言いをする。
 「なんで、一々そんな……」
 特別親しい訳でもないのにと、混乱する頭で尋ねるキャイアに、アマギリは微苦笑を浮かべた。
 「何かダグマイア君がここに残るとか言い出しちゃったからさ。このままキャイアさんのテンション下げたままだと、また見たくも無いグダグダなやり取り見せられそうだから」
 「そん、そんな言い方―――っ!」
 「いや、人の好みにケチつけるつもりは無いけどさ、君ら本当に空気読まずに始めるじゃない。正直アレはね。剣士殿とのガチンコって展開を前にやられると萎えそうだから」
 出来れば見えないところでやって欲しいと、冗談めかした物言いにキャイアの脳が先ほどまでとは別の意味で沸騰した。
 「アンタ、いい加減にっ―――!!」
 つかみ掛かって張り倒してやろうと踏み込んでみれば、アマギリは膝だけを使って高く跳躍して、木の枝の上に跳びずさった。
 「元気が出たようで何より。―――僕が言えた義理じゃないけど、あんまり周りに心配かけるんじゃないよ」

 「このっ―――待てっ!」

 「それじゃ。動作プログラムの試運転に付き合ってくれてありがと~」

 その言葉を残して、森の闇の中にアマギリは消えた。
 キャイアは一人取り残されて、握りこぶしを震わせた。好き放題言われたまま、何も言い返せずに挙句組み伏せられるという屈辱まで浴びせられて。

 ―――その癖なんで、自分はこんなに前向きな気分になれているのやら。

 あれほどに、何に思いつめていたのかを見失うほどに思いつめていたというのに、今はそれが、少しだけ冷静に捉えられるようになっていた。
 「ああもう、腹立ってくるわね―――」
 突き立てられた剣を睨みつけながら、そう毒づくしかない。
 忌々しいばかりの男に好き放題言われて、気を持ち直しているんだから世話無い話だ。
 一度落ち着いてしまうと、ここ暫くの自分の態度が周りにいかに迷惑をかけていたかも理解出来てしまい、益々頭が痛くなってくる。
 目の前にアマギリが残っていてくれれば、怒りをそのままぶつける事が出来るというのに、それも不可能。―――と言うかあの男、避けるのが上手すぎだ。回避術だけ専門的に訓練されているとしか思えない。
 
 この苛立ちを何処にぶつければいいのか―――そう考えて、そして気付く。

 剣士を取り戻す。そのためにもまず―――。

 「ガチンコで、ぶつかる」
 
 アマギリは、そう言っていた。そのためにキャイアの力が必要だと。
 つまりは、キャイアが剣士と正面から激突する事になるのだ。

 なるほどと、キャイアはその事実に頷いた。

 「私に心配をかけたこと、後悔させてあげないとね―――」

 勿論、好き勝手言ってくれた男の鼻を明かしてやる事も、欠かせないだろう。

 ぐっと、柄を握り締め、地面から剣を引き抜く。

 一閃。それは、夜風と夜風の隙間を滑るように奔る、清々しい響きを有していた。






    ※ いい加減立ち直ってくれ的な話。
      脳筋系は悩むよりも身体動かしてナンボだと思う。ダグマイア様との絡みをどうすっかなぁ……。



[14626] 44-6:嘘つきと傷あと・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/19 21:30


 ・Scene 44-6・




 逃げる、隠れる、潜む―――隙を突く。時間を稼ぐ。

 どう頑張っても正面から勝てないからと、それでも立場を羨んでか、しょっちゅう喧嘩を売られる事が常だったから、考え出して鍛え上げた結果が先ほどのキャイアを瞬殺した時のような戦闘方である。
 意表をついて一撃必殺―――もしくは、中てて驚いている間に逃げる。逃げる、中てる、逃げる、中てるを繰り返して時間を稼ぐと―――貴様は卑怯と言う言葉を辞書に記し忘れているなと、後ろ指刺されるようになったが、アマギリなりの”負けない”戦闘方である。
 ただし問題があって、負けないを念頭に置きすぎたため、”勝ち辛い”と言うか”勝ち気が足りない”と言う駄目な側面も生まれてしまった。

 ―――その結果の一つが、聖地攻略戦の結末だろう。

 負けなかった。それは事実。だが―――勝ってない。

 いや、どれだけ誤魔化そうが、アレは負けだ。
 殴りかかってきた無機質な瞳を思い出して、苦いものが湧き上がる。
 「―――他人を励ましてる暇があったら、自分に気合入れなくちゃ、な」
 朝も昼も夜も―――夕は除くが―――女性達に心配をかけてばかりだったから。
 アマギリは、そろそろ夜の終わりに差し掛かった空を見上げながら、大樹の枝の上で深いため息を吐いた。


 「同感ね。―――その前に、是非反省を覚えてもらいたいけれど」


 フ、と。
 森の中から音が止んだ。痛いほどの静寂の中で、その声は確かにアマギリの耳に届いた。

 ―――背後から。

 薄い金属が風を切る耳障りな音と共に。気配も無く参上した夜の色よりも深い影が、アマギリを襲う。

 ギィッ……ン!

 「なにっ!?」
 混乱は女の叫び。
 突如として現れた襲撃者の女の放った一撃は、アマギリの首筋に届く前に、何者かによって遮られた。
 「誰……だ、いえ……これは」
 大樹の枝の先端辺りに立ったアマギリと、幹に近い位置を足場とした襲撃者との間に、一人の厳つい男―――男、らしきものが存在していた。

 獣を狩る猟師の様な服装。手にしているのは、邪魔な枝を払う鉈だろうか。
 歳は四拾絡みの、無精ひげに散切り頭と言う、特徴の無いいでたち。
 シュリフォンでは流石に少ないだろうが、何処の国であろうと、こうした山の中にはこの手の狩猟を生業にした人間が存在している。

 珍しくない。全く持って珍しくない筈である―――唯一つ、”半透明で奥が透けて見える”と言う事実が無ければ。

 「ガーディアン……まさか、力場だけで構築しているって言うの?」
 「そう、護衛力場体。光鷹翼を出すのと違って、これは予め決められた”型”に決められた力を流し込んでいるだけだから、余り苦労せずに作る事が出来る。―――熱出して丸ごと全部忘れる前までは、コイツを働かせて飢えを凌いでたんだ。言わば、僕の育ての親って処だな」
 襲撃者―――予想通り、覆面の女の姿だった―――に振り返り、アマギリは肩を竦めて言った。
 そして、手を軽くはらう仕草を持って、半透明の猟師の姿を消去する。
 「―――本当に、無茶苦茶なのね貴方は」
 手にしていた小刀を袖口に納めた覆面の女が、呆れたように言うのを、アマギリは鼻で笑った。
 「好き勝手やってる人造人間に無茶苦茶と評されるのは、気分が良いね。―――そう言えば、貴方の名前をまだ聞いていなかった気がするんだけど」
 「ネイザイ・ワンよ。―――それより、良く私が人造人間と解ったわね」
 ごねるかと思ったら、案外とあっさり返事が帰って来たことに、アマギリは少しだけ驚いた。無論、それを顔に出す事はなく、呆れたような態度で質問に応じる。
 「教会に僕の生存―――じゃないか、復活? を報せたのが丁度今日……もう昨日ですかね、夜の辺りでしたし。そろそろ来るかなって思ってましたから。ついでに、剣士殿のアストラルパターンに近い人間が近づいてきたら迎撃するようにってガーディアンを待機させておいたんで」
 つまりは、負けないための準備を整えて待ち構えていたのである。
 「殺さないまでも、どうせ一発くらい殴りかかってくるって解ってましたし」
 ニヤニヤとわざとらしく嫌らしい笑いを浮かべると、ネイザイが覆面のまま顎を引いたのがわかった。きっと、挑発にいらついていることだろう。

 「他人を怒らせて笑うなんて、いい趣味とは言えないわね」
 「背後から他人に切りかかる人間にだけは言われたくないね」

 即答したら、ネイザイは再び口を噤んだ。拳を握り締めている。
 「―――で? 怒ったからそろそろ帰るって言われても僕は怒りませんけど、どうします?」
 「貴方は―――本当にっ!」
 苛立ちを無理やり吐き捨てて、ネイザイは頭を振った。そして、一度俯いた後で、顔を上げる。


 「剣士の話をしましょう」


 「情報を小出しにしてる暇があったら速やかに引き渡せ、としか返せないな」
 「まさか貴方、自分が全ての情報を受け取れるほど信頼の置ける人間だとでも思ってるの?」
 「姿偽った挙句に覆面まで被る人間よりは、信頼できるんじゃないかね?」
 「名前も経歴も偽りだらけの人間が、良く言うわ」

 話にならなかった。
 おそらく第三者がその現場を見たらそう評するしか無いだろう、最悪の空気だった。
 ため息を吐いたのはどちらが先立ったろうか、それは割とどうでも言い話で、次の口火を切ったのはアマギリが先だった。

 「―――ところで、否定しなかったという事はアンタがユライト・メストという事で良いんだな?」

 「―――っ!」
 しまったと、ネイザイの覆面の奥からその空気は確かに伝わってきた。
 状況から判断してそれこそ今更、と言う話なのだろうが、あえてそうであると言ってやる理由は無かったのに、自らそうであると確信させる材料を与えてしまっていた。
 アマギリは、自分の言葉が女にもたらした反応にまるで構いもせずに、言葉を続ける。
 「良く生きてたね、あの爆発の中で。もう人間辞めてるババルンはともかく、アンタは……ああ、アンタも同類か」
 「―――下衆な想像はやめて欲しいわね。ガイアと違って、私達は普通の聖機師と何も変わらない存在だわ。―――だいた貴方、その言葉を剣士の前でも言えるの」
 「言わないけど?」
 間違いなく痛いところをついた筈だというのに、アマギリは微塵も堪えたような態度を示さなかった。
 それどころか、ネイザイの言葉など殆ど聞いていない風に、何か呟いている。
 「……ただの聖機師と変わらないか。なのに、無事。なのに、剣士殿たちを任されたまま。―――ヤツにとってそれほど重要でも無いのか、それとも……いや、何れにせよあまり情報を出しすぎる訳にもいかないか」

 ―――こいつ、敵だし。

 「何を言っているの?」
 口元に手を当て自身の思考に没頭しかかっていたアマギリに、ネイザイが苛立った声で問いかけた。
 アマギリは思考を払うように頭を振った。
 「いや、何も―――出来れば、ユライトの姿に戻ってもらいたいんだけど」
 「何故?」
 その頼みが本気の響きを含んでいたため、ネイザイは首を捻った。
 「だってほら、流石に見覚えの無い女の顔面に拳入れるのは気が引けるじゃない」
 「―――冗談にしては、笑えないわね。さっきキャイアの頭を地面にたたきつけていた人間の発言とは思えない恥知らずなものだわ」
 「やるとなったら、相手が親でも子供でも容赦するなって、昔から教育されているんだ」
 「何処の外道に教育されてきたのよ、貴方は……」
 一瞬喉を引き攣らせた後で吐き捨てるネイザイに、アマギリは薄ら笑いを浮かべて応じた。
 「少なくとも、アンタよりはマシな人間である事は確かさ。―――だいたい、アンタまさか、自分が殴られる謂れの無い潔白な人間だとか思ってないだろうな?」
 「その言葉、そっくりお返しするわ。貴方は一度か二度は刺されて死ぬべきよ?」
 「女性に刺されて死ねる様な人生なら、きっと幸せでしょうね。僕がそうなら、誇らしい事です」
 「―――……っっ、本当に、何でこんな男が……」
 苛立ちを隠そうともせず言葉を漏らすネイザイを見ながら、アマギリはその人となりを観察していた。
 
 ユライト・メストである事はどうやら間違いないらしいが、どうにも性格が違うように見える。
 ドールとメザイアも、あれで容姿以上に性格が正反対に見えたから、人造人間と言う物はこういうものなのかもしれないが。
 偽装状態と正体との性格の違いとは対照的に、人造人間としての正体を見せたネイザイとドールは、何処か似ているらしい。少し怒らせるだけで子供のように直情的になる。
 生まれながらにそういう性質なのか、それとも、生活環境の果てにそうなったのか。

 人造人間としての共通の要素だとすれば―――剣士との対決の時に、有用な情報となるだろう。

 「―――んで、何時頃こっちに来る予定なの、剣士殿は?」
 一つ良い情報が仕入れられたのならば、それ以上高望みはしない。もともと不仲の人間との会話であるから、嘘を混ぜられても困るだろうと、アマギリは早々に会話を切り上げる事に決めた。
 もうお前との会話に興味が無いと言う態度を隠そうともしないアマギリに、ネイザイは戸惑ったような仕草を取った。
 「今までの話の流れから言って、私が貴方にあの子を託せると思っているのかしら?」
 そんな自分を恥じてか、気を取り直して強い口調で言葉を返す。だが、アマギリは動じない。
 「思うだろ、普通に今までの流れから判断すれば。アンタが剣士殿を手元においていても宝の持ち腐れにしかならないし」
 自分の目的思い出してから言えよ、とでも言いたそうな小馬鹿にした口調が、尚更ネイザイの額に青筋を浮かべさせる結果となった。
 覆面を被っているせいで怒りの形相を見せられないのが、返って悔しかっく感じる。
 「他人の逃げ道塞いで自分だけ得するように仕向けて、そういう態度平気で取っておいて、良くあの子達に嫌われないわね、貴方」
 「ああ、いやそれは僕も割りと不思議だけど……、まぁ、アンタにはどうでも良いだろうそれは。僕は剣士殿を取り戻す必要があるし、アンタも剣士殿をガイアに操らせたままにして於ける筈が無い。立ち位置的に自分の手元に置き続けるわけにもいかない。―――こっちの受け入れ準備は殆ど整っている。後はアンタの決断だろう」
 一瞬、普通の少年の様な顔になりかけながらも、アマギリは酷薄な態度を崩しきらずに、言い切ることに成功した。
 「私の、決断……」
 「”甥っ子”可愛さに決断長引かせる訳にも行かないんだろ?ガイアが何時完全に復活するかも解らないんだからな」
 有無を言わせぬ口調に、ネイザイは嫌そうに頭を振った。
 懇願には程遠く、当たり前だが、人に協力を求めようとしている態度とは思えない。真実、命令に等しかったならば、益体も無く反発したくなるのも当然だろう。

 「―――そうは言うけど、貴方はガイアと敵対する意思はあるの? 貴方には関係ない事で、貴方は自分の関係ないことは好んで首を突っ込むような真似はしないでしょう?」
 
 「まぁ、そうだね。係わり合いになりたくない問題には、基本無関心を貫きたいかな」

 そしてアマギリは、ネイザイの想像通りの言葉を返してきた。
 やはりこの男は、何処まで言っても個人の好き嫌いでのみしか動かないのかと、ネイザイの眉間の皺が深まる。
 剣士を、ジェミナーの最後の希望を託されるという事は、必然ジェミナーの未来を託されると同義語なのに―――きっとこの男は、”世界”などと言う把握しきれない広すぎるものには興味を示さないだろう。 

 信用しきれない。


 個人の思惑でのみ振るわれる力は暴力―――彼女が尤も忌むべきものとしか、ならないから。


 少しの間続いた沈黙を、アマギリは何と感じたのだろうか。
 顎を持ち上げ、青みがかった空を見上げた後で、どうと言う事も無いように言った。
 
 「剣士殿に手を出した以上、僕はガイアは確実に滅ぼすぞ。出来ればお前も―――と言いたいところだが、ドールとかいうヤツも含めて、ウチの姫様達がそれは望まないだろうから、我慢してやる」

 嫌われたくは、無いからな。
 アマギリは自身の行動の基準を、端的に説明した。
 それを聞いてネイザイは―――馬鹿馬鹿しいと、はっきりきっぱりとそう思った。
 世界の命運や自分達の命を、そんな”女の子に怒られるのが怖いから”なんて基準で語られても、頭痛しか沸いてこない。先ほどまでとは別の意味で、コイツにだけは託したくないと言う気持ちが湧き上がってくる。
 
 「―――どうすればいいのかは、もうリチアにでも聞いているのでしょう?」

 だが現実、コイツに任せるしかないのだ。
 何処で世界が間違ったのか、各国の代表的な姫君たちが一様にこの男の周りに集まってしまっているから。
 彼女達を動かすためには、この男を巻き込まざるを得ないのがもう、間違いようの無い現状だ。

 諦観。

 先史文明の最後、ガイアに一番初めの肉体を破壊された時ですら覚えた事が無かったものを、長い歳月を経て辿りついた今の今まで覚えたことの無いものを、ネイザイは実感せずにいられなかった。

 「準備が整ったのなら、呼びなさい。方法は任せる。―――その時、剣士と共に行くわ。そして、貴方を見定めさせてもらう。異世界の龍」

 ネイザイの物言いに、アマギリは一瞬、何を偉そうにと言う気分を覚えたが、それもまた自分の負債が生み出したものだと甘んじて受ける事とした。

 「剣士殿は返してもらう。必ず。―――ウチの小さい女王様を、これ以上沈んだ顔にさせとくわけにもいかないからな」

 ―――結局、それすらも、そのためなのか。

 最早何の言葉を返す気力も沸かずに、ネイザイは無言のままで彼の前を去った。


 取り残されたアマギリは、会話の中から必要な情報だけを拾い上げて、他は全て忘却する事にした。
 殴り飛ばせる、きっと最後の機会だったんだろうなぁと、少しの無念を思いながら。

 「―――個人の問題ばかりで高望みしててもしょうがないか。それに……」

 ふと思いついたことが事実だった場合、また面倒な事になりそうだ。

 まったく、何もかも思い通りに進んでくれないものだと、アマギリは苦笑と共に空を見上げた。
 やる事は変わらないのだからと、自分に確りと言い聞かせる。
 みんなのために、みんなの事を。世界なんてどうでも良いけれど。重要なのは、それだけだ。

 「そのためにもまず、剣士殿を、だな。―――メザイア・フランは、どうするかなぁ……」

 漆黒の帳も剥がれ落ち、青が世界を覆う。夜明けが近い。

 再び、戦いを始める時が―――。


 ・Scene 44:End・





     ※ ガーディアンの伏線張ったのって凄い前だった気がする……。
       まぁ、順調に収穫の時季に来てるって考えれば良いのかなー。

       と、言う訳でアンニュイな時間は終了で次回から少しテンション上げてはっちゃけていく感じで。



[14626] 45-1:僕達の物語・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/20 21:22


 ・Scene 45-1・



 「一瞥以来ご無沙汰しておりました、シュリフォン王陛下」

 シュリフォン王宮、玉座の間。採光窓から夏の日差しが降り注ぎ、石造りの大広間にはっきりとした光と影のコントラストを作り出している。
 玉座には、守衛の屈強な兵達を除けば、三人の人物しかいない。そして、この場で口を開く事を許されている
のは、その三人だけだった。

 アマギリはひな壇の上に設えられた玉座に座る男に対して、深々と頭を下げていた。
 自身の娘である王女アウラを傍らに侍らせて鷹揚とそれを受け入れるのは、このダークエルフの国を納める、シュリフォン国王その人である。
 長身、細身でありながら筋肉質な、明らかに戦うために鍛え上げられた肉体を持つ偉丈夫。顎鬚を摩りながら、ゆったりとした声で応じた。
 「うむ。昏睡状態と聞いて心配していたが、お目覚めになられたのならなによりだ、アマギリ王子。かつて貴殿とお会いしたのは……そうか、シトレイユ前王陛下の葬儀の席だったか」
 「ええ、晩餐の席で、ご挨拶を。―――もう、二年も前の事になります」

 大シトレイユの王の崩御。その葬儀には各国有数の王侯貴族が挙って参加していた。当然、アマギリも、そしてシュリフォン王も参列者である。特に彼らは、聖地を囲む三王国の代表として、式典において送辞を読み上げる役目もあったから、その打ち合わせの席でも幾度か顔をつき合わせている。
 とは言え、あくまでその時に話した内容は実務的なものに限られており、私的な何か友好関係を気付くようなアプローチの仕方は、お互い見せる事は無かった。 
 各国の権力者達が集うとあらば、必然そこは国際政治の勢力争いの一環とも言うべき様相を見せるのだが、元よりあまり外に目を向ける事をしないシュリフォンと言う国柄もあってか、シュリフォン王は葬儀の場においては徹底的に故人を偲ぶ姿勢だけを見せていた。
 今、目の前に居る国際政治に携わる誰もが動向を注目しているであろうこのハヴォニワの新しい―――当時は、ともう頭につけねばなるまいが―――王子とも、二人だけで込み入った話をする環境もあったというのに、その選択肢を選ばなかった事からも、それが伺える。

 ―――それゆえ、実質的にいえば、シュリフォン王とアマギリ・ナナダンとの会合と言うのは、今回が始めてであるといえた。

 「そうか、もう二年になるのだな。―――あの頃は、このような形での再会など想像も出来なかったが」
 深く頷きながら、言葉を自身にしみ込ませる様にして言うシュリフォン王に、アマギリも同感ですと頷いた。
 「僕としても、次に陛下と再会するのは、制圧したシトレイユの王城辺りだと思っていました」
 「……む」
 暴言としか思えぬ言葉に返事を詰まらせるシュリフォン王の横で、じっと黙ったまま父と友人の話を聞いていたアウラが、一つため息を吐いた。
 こいつは何を言っているんだという表情を向けてくるシュリフォン王に構わず、アマギリは飄々とした態度で続ける。
 「それがどうしてこうなったのか、ハヴォニワは国土を蹂躙され、シュリフォンは国境を挟んで睨みあい―――中々、予定通りとはいかないものですな。ここから挽回して、当初の筋書きに戻すには、中々……」

 「すまない、少し待ちたまえ」

 片手を上げて言葉を遮るシュリフォン王に、アマギリは何かおかしな事でも、とでも言いたそうな顔で首を傾げる。シュリフォン王は上げた片手をそのまま額にやって、一度大きく嘆息した。
 そして、傍らに立つアウラに顔を向ける。
 アウラは父の視線を受けて楚々とした顔で頷いた。

 「―――つまりは、こういう男です。父上」

 何時もこの調子ですからと、諦めが肝心でしょうと娘の顔は語っていた。
 命からがら崩壊する聖地から脱出してきて、そしてこの王宮で再会してから二週間。表情に出さずとも何処か沈んだ空気を纏っていた娘の顔が、今日は随分と楽しげである。
 嬉しいやら、悲しいやらと、父としては複雑な気分だったが、とりあえず解った事は、どうやら威厳を出すために態度を作る必要は無い、と言うか作っても無駄らしい。
 「花押入りの手紙で脅迫を試みるような男であるから、それも当然かも知れぬな……」
 「はて、脅迫などと、そのような恐ろしい事を試みるものがいらっしゃるのですか?」
 片肘をついて顎を手で支えるだらしのない態度で、皮肉としか取れない言葉を口にするシュリフォン王に対して、アマギリは何のことやらと微笑んで見せた。
 言いたいことも返されたい言葉も、きっと解っていてやっているのだろうから、シュリフォン王としてはもう苦笑するしかないだろう。
 「他に選択肢の無い要望など、脅迫とさして変わらぬだろう?」
 「さて? 何の話をしていらっしゃるか理解できませぬが―――ひょっとして私が認めた手紙の内容に関することでしたら、選択肢は一つではなかったでしょう」
 「一つでは、無いと?」
 疑問に首を傾げるシュリフォン王に、アマギリはあっさりと頷いて応じた。
 「ええ、見捨てれば宜しい」
 「―――できる訳が無かろう!」
 「ですが、それは陛下の感情的な問題に過ぎませんが故、私が確りと選択肢を提示したという事実に代わりありません」
 「むぅ……っ」
 恥も恐れも何も無く言い切られてしまえば、シュリフォン王としては唸るしかない。 

 話題に出ている手紙と言うのは、当然、聖地襲撃前にアマギリがシュリフォン王宛てに出した、聖地の南の関所を封鎖しているシトレイユ軍に対する攻撃を要請する旨を記したものである。

 直筆で書かれたその手紙の最後には、こう記されている。

 襲撃参加予定者―――中略―――”アウラ・シュリフォン”―――中略―――尚、陽動支援が得られぬ場合、作戦の成功確率は極端に低下すると思われたし。

 「”関所に攻撃を仕掛けない場合お宅の娘さんの生命の安全は保障しない”―――とか確かに出掛けに言っていた気がするが、本気で書いていたのか」
 「必要ならば外道な手も使うさ。―――知ってるだろ?」
 「そうだな。だが、知らない人間からしてみれば気分が悪いだけだろう。と言うか、知っていても余り宜しくない」
 いい加減遊ぶのは止めろと、アウラが嗜めるように言うと、アマギリも表情を崩して苦笑を浮かべた。
 シュリフォン王に向き直り、肩を竦めて言う。
 「―――とまぁ、僕はこういう人間です。互いに探りあいをして日を傾かせるのも時間が勿体無いですし、どうでしょう、そろそろ本題に移りませんか?」
 「―――何?」
 「いえね、理由は存じませぬがこの広間に踏み入ってからこっち、陛下は延々探るような眼差しをこちらに向けていらっしゃいましたから、いっそ解りやすく自分というモノをみせてみたのです」
 目を丸くするシュリフォン王に、アマギリは手で自らを示しながら語る。芝居っ気たっぷりの―――それが真実、何時もの彼である事は間違いなかった。
 
 ―――見ただけで、己を量ろうなどと、無意味な行為と知れ。

 「なるほどアマギリ王子。君と言う人間が実に良く解った。―――大人をからかうのも大概にして欲しいものだが」
 言外にそう言われている様で、シュリフォン王は眉間の皺を揉み解しながら疲れたように息を吐いた。
 しかしアマギリは、シュリフォン王の言葉に、笑みも反省の色も浮かべず、むしろ心外と言う風な顔で応じた。

 「だからこそです、シュリフォン王よ。女王陛下及び妹姫が公式に行方不明である以上、私は現在ハヴォニワの国主としてこの場に立っている。―――子ども扱いされては、たまらない」

 口調も些か強いものに変化させ、アマギリは頑として自らの立場を言い切った。
 目を見開くシュリフォン王。気を抜いて雑談感覚になった隙間を、完全に突かれた形だった。
 「時間が無いと、私は確かに言ったつもりですが。―――子供の戯言と、まさか聞き流すおつもりだった訳では無いでしょうな?」
 「いや、それは……」
 無かった、とは否定できない。
 アマギリ、目の前で堂々とした態度を見せる少年は、何処まで言っても娘であるアウラよりも尚年少の少年でしかないのだから。
 意識不明の重体だった彼を、この城に留め置いて治療にあたっていた理由だって、隣国の王家の人間だからと言うよりは、娘の友人だったからと言う個人としての感情の方が大きかった。

 ―――それに、彼を王族と認識しきれない、もう一つの理由があった。

 何しろ、報告で聞く限りアマギリ・ナナダンは。

 「フム。確かに、些か礼に失した部分があった事は謝罪しよう―――」
 姿勢をただし顎鬚を摩りながら、シュリフォン王はゆっくりと口を開いた。

 微妙な問題が絡む部分だったので、実際に本人に聞いてみるのがいいかもしれない。
 未だ感情を覗かせない顔を見せる少年を前に、シュリフォン王はそう判断した。

 「ハヴォニワのフローラ女王、及びマリア王女が行方不明。王政府も壊滅、官邸機能は完全に麻痺状態―――中央政府は実質壊滅だ。これが、今のハヴォニワの現状で間違いないね?」
 「ありませんね。―――それゆえに、僕如きが国家元首を名乗らねばならないのですから」
 聞くに悲惨な状況にも、アマギリは落ち着いた言葉を返した。若干目が細くなっていることから、何を聞かれるのか勘案しているのかもしれない。
 「うむ。地方貴族の小領を統合して一つの国家として形成しているハヴォニワにとって、中央政府の壊滅と言うのは、国内の所領の分割状態へ至る危険な事態だと言えるだろう。―――小さい幾つもの勢力が己こそがと主権を主張し、少なくない対立も始まっている。こうなる事態を予測してか、先手を打って諸侯軍の削減、国軍の拡張を行ってきていたフローラ女王の先見性をたたえるべき部分であるが……」
 シュリフォン王はそこで一端言葉を切ってアマギリの様子を伺った。
 アマギリは、能面のような顔で一つ頷いて先を促すのみだった。シュリフォン王は小さくため息を吐いた。


 「その女王無き今、分裂し対立を続けるハヴォニワ国内で、キミを王子と認める人間がどれほど居るかね?」


 「父上、それは……」
 「国軍の掌握はある程度進んでいますが」
 アウラが何かを言い出すより先に、アマギリは淡々と言葉を返した。その声には動揺の素振りの一片も見えない。
 「ある程度、であろう? 事前にキミと親しかった西部方面の、しかも半壊状態のものだ。キミの保有する情報部は、外部に対する工作を行うための機関と言う側面が強いし、社会基盤や流通、経済方面に関しては全く掌握し切れていないと聞いているが?」
 徐々に国土を制圧されつつある隣国の様子である。王として当然の責務で、シュリフォン王は事態を正確に把握していた。
 軍事以外の殆どを把握し切れていないという事実こそが、アマギリがハヴォニワと言う国を纏めきれないであろう事の証左ではないかと、そう指摘している。
 アマギリも、それが事実であるが故、全く否定しなかった。
 「お耳が早くいらっしゃる。しかし、それも我が身の未熟さが招いた不徳。―――母の残した宿題ともいえるでしょうから、今後も全力で国内平定に邁進していく所存で……」

 「それだ」

 シュリフォン王は、アマギリの言葉を遮り、口を挟んだ。そして、少しの間瞠目した後で、ゆっくりと口を開いた。

 「私はキミと言う存在を知っている―――キミと言う存在を、知っているのだ」

 「と、言いますと?」
 含むような物言いに、アマギリは呆れとも取れるような言葉と共に首を捻った。
 シュリフォン王は眉根を寄せる。意味が理解できぬ筈が無いだろうに、全く変わらぬ態度。不気味と取るべきか、肝が据わっていると賞賛するべきか、判断に迷う所だった。
 だが、一度口火を切ったのならば確認しきるしかないと、シュリフォン王は決意して言った。


 「何処から現れたとも知れぬ異世界人―――そう、キミは異世界人だ。このジェミナーの人間ですらない。何処か別の星、別の国の何処かの誰かでしかない。ハヴォニワの王族などでは決して無い。あり得る筈が無い」


 ―――そんなキミが、一体どの口で ハヴォニワの王を僭称出来る?

 シュリフォン王の言葉は、苛烈な響きを持ってアマギリに叩きつけられた。
 言われた当人よりも、いっそ隣で聞いていた娘の方が眉を顰める形となった。何か言おうとして―――その前に、残酷な言葉を叩きつけられた当人に視線を送り、目を見開く結果となった。


 言われた当人は―――アマギリ・ナナダンは、静かに、微苦笑を浮かべていた。


 「何故私が、ハヴォニワの王を名乗れるか、ですか」

 ゆっくりと頷きながら、淡々とした言葉を。

 「単純な話です。認められたからですよ。王政国家の君主が認め、そしてそれを議会が承認した。それゆえです。それ以外に理由が必要ですか?」
 「形式としては、な。だが現実問題として、それを認めた王も政府も最早無ければ」
 重ねるように言い募るシュリフォン王に首を横に振って応じる。

 「そうですね、陛下。貴方は正しい。この状況では、僕がハヴォニワを治める事を認めない人間の方が多いでしょう。―――実際の所僕だって、自分の事はハヴォニワの王子様と言うよりはただの樹雷人の甘木凛音だって言う認識の方が強い。正直、アマギリと言う名で呼ばれる度に違和感はあるんですよ。他人を演じている様な気分にさせられて―――でも」


 『アマギリ・ナナダン。それが子のこの名前よ』
 『はぁ……。アマギリさん、ですか』


 もう何故か、長い事会っていないような気がする、妙齢の美女の姿を思い浮かべる。
 閨で優しく抱きとめてくれた人の顔を、温もりを。笑顔を。
 
 
 「それが始まりで―――」


 『あたし達のためにカッコつけたんだったら、最後まで、あたし達のためにカッコつけきって下さいよぉ……っ! 貴方は、アマギリ・ナナダンなんですから、最後まで、ちゃんとっ……!』


 涙交じりに、他のヒロイン達を差し置いて。
 後々に説明が面倒になるとか解っているのか、居ないのか。


 「まぁ、そうですね。約束したんですから、自分が。”もうしばらく”って―――だから」

 手のひらを見つめる。
 掴めるもの、乗せられる何かなど、殆ど無いだろう、小さく、弱い自分の手。

 それでも、繋ぎとめておきたい人が居るなら―――。

 握り締める。拳と言うほど、力強くは無いけれど。
 それでも掴めるものが―――きっと握り返してくれるものがあると信じて。

 「自分で決めたんです。アマギリ・ナナダンをちゃんと演じきってみようかって。他の誰が否定しようと、自分でそう決めた以上、そう振る舞い続けるだけです。例え中身がどうであれ、もしかしたら取り繕った無様な姿にしか見えなかったとしても―――最後まで、ちゃんと」

 その”最後”が何時かは解らないけれども。

 最後に一言そう付け加えて、アマギリは言葉を切って真っ直ぐにシュリフォン王を見た。
 言い訳にも理由にも程遠い、感情論と言うにも強引な言葉に、シュリフォン王は瞠目したまま言葉に詰まっている。彼の傍に立つアウラもまた、何処か考え込むふうだった。
 やがて幾許かの間を置いた後、シュリフォン王がおもむろに呟いた。
 「君の気持ちは理解した。理解した、のだが……」
 根本的な問題の解決にはまるで寄与していないではないか。
 アマギリに対する文句と言うよりも、むしろ自分の考えを必死で整理しているようだった。
 基本的には直情型に近い人間であるシュリフォン王は、理詰めで行くよりも情に訴える言葉の方が強く響いているという事だろう。アマギリの言葉に本気の意味を感じ取って、それは肯定したいと思ったが―――しかし、と難しい判断を迫られてるようだった。


 「それでも後ろ盾が必要とおっしゃるのでしたら、シュリフォン王―――貴方がなれば宜しい」


 アマギリが爆弾を投げ込んだのは、そんな時だった。





 
     ※ 幾つかパターンを考えたんですが、さらっと行く形で決めてみました。まぁ、大仰にするよりは返ってらしいかと。

       一番最初に聞くのはアウラ様ってのは、最初期のプロットから変わらなかったなぁ。



[14626] 45-2:僕達の物語・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/21 23:24

 ・Scene 45-2・



 「……なん、だと?」

 「ですから、後ろ盾ですよ。僕をハヴォニワの王子として擁立するための、う・し・ろ・だ・て。シュリフォンの王陛下が身元を保証していただければ、僕としても本国で動きやすい」
 突然言われたとんでもない提案に目を剥くシュリフォン王に、アマギリはいっそ気楽に肩を竦めて応じた。
 そこに、先ほどまでの真摯な態度は微塵も存在しない。
 
 ―――相変わらず、切り替えの早い男だ。

 長く付き合っていれば慣れる問題だが、父王には些か荷が重たかろうなと、アウラは苦笑してしまった。
 「確かに我がシュリフォンがお前こそがハヴォニワの本流だと保障すれば、それなりの効果も見込めるだろう。―――だが、他国に擁立された王子というのも、それはそれで問題が無いか?」
 「国土の三割が敵国に持ってかれてるとか、女王以下中央政府が行方知れず以上の問題にはならないって、今更」
 たしなめるようなアウラの言葉にも、アマギリの態度は見も蓋もなかった。
 「―――今は、実利のみを追い求める段階ではないですか?」
 強気の笑みで、シュリフォン王に視線を送ってみせる。
 「むぅ……」
 「状況が切迫しているのはご理解していただいていると思いますが」
 唸るシュリフォン王に、アマギリは畳み掛けるように言葉を重ねた。正論ばかりを重ねられれば、相手は詰まるばかりであろうと言うのは解っているだろうに、それを止めはしないのが、如何にも彼らしかった。
 
 「少し待て、アマギリ―――ではなく、アマキ・リンネだったか? いや、それは後で良い。先を急きすぎだ」

 アウラは一つ嘆息して、父の替わりに場を受け持とうと決めた。
 「誰も彼もがお前ほど頭の回転が速くは無い。―――順を追って整理しないと会話にならんぞ」
 「その割りに、アウラさんは理解できてそうな感じがするけど―――あ、あと、名前は凛音でもアマギリでもどっちでも良いよ」
 「リンネが名前なのか。……そうか、剣士と同じなんだな。あー……では、周りが紛らわしく感じそうだから普段は今までどおりアマギリにさせてもらうぞ? ともかく、交渉ごとにはまずお互いの要求を付き合わせることから始めるべきだと思うのだが」
 何事も相互理解が大切だからなと、いい加減その辺りを覚えてもらえないかと言う心持ちで、アウラは言った。
 尤も、アマギリはその辺りを弁えた上で、あえて突き放すようなやり方を好んでいるのだろうなと言う思いもあった。
 そしてそれは事実なのだろう、アマギリは、若干不貞腐れたような顔で鼻を鳴らした後で、アウラの言葉に応じた。
 「要求か。―――とは言え、これは交渉と言うよりも本当に僕からの要求ばかりを述べる事にしかならないと思うけど。そもそもシュリフォンが僕に何か要求する事ってあるの? 国外退去の言葉以外に」
 「いや、国外退去などと口にする気も無いが―――無いですよね、父上」
 「ん? あ、ああ―――……ウム」
 視線だけを動かして問う娘の威圧感に、シュリフォン王は反射的に頷いてしまった。
 てっきり、今日のアマギリの訪問は、ハヴォニワの平定のために帰還する前の挨拶程度の事だと思っていたとは、決して言える雰囲気ではなかった。
 そんなシュリフォン王の内心を察したのか、アマギリは少しの目礼を彼に送った後で、アウラとの会話に戻った。
 「じゃあ、要求があるのは僕だけか」
 「私にとっては、今後の行動指針、といった所だが―――そうあって、欲しいものだな」
 委細漏らさず説明しろと言うアウラに、アマギリは苦笑交じりに応じる。
 「それに関しては、ご期待には添えたくないんだけどなぁ」
 「お前の趣味に付き合っているような状況でもないからな、添えてもらうぞ、そこは。むしろそれこそが、我等シュリフォンの要求にしよう」
 「……我等?」
 いつの間にか国家代表的な意味で言葉を放っていた娘の横で、シュリフォン王は瞬きをして耳を疑った。―――とは言え、最早会話に介入するタイミングは逸していたが。
 「ま、現実問題、時間も無いしな」
 仕方ないかと、アマギリは一つ息を吐いてアウラの要求を受け入れた。
 聖地での手痛い失敗が自身の面子に拘りすぎた事にあったのが、彼なりに少しは思うところがあったせいかもしれない。

 「まず最終目標として、ガイアの打倒だ」

 「―――……意外、と言っても良いか?」
 「良いよ。僕も割りと意外な気分だし」
 簡潔に述べられた言葉に、簡潔であるからこそ判断に困ったアウラに、アマギリもにっこりと微笑んで頷いた。
 その後で、でも、と続ける。
 「実際に直でぶつかってみて解ったけど、アレはやばいわ。”先史文明”なんて呼ばれてるものの遺産がが碌でもないものだなんてのは、銀河中で常識で、解ってるつもりだったけど―――それを勘案しても、ガイアのやばさは結構高いね。1Gの大気圏内小型戦闘機としては破格の戦闘能力だよ。早い・硬い・強い。―――まぁ、それを言ったら聖機人からして結構大概なんだけど」
 この星自体が危険って言った方が早いかもしれないねと、アマギリはジェミナーの常識に染まっている人々には今ひとつ理解しがたい尺度で説明した。
 「事実上現代のジェミナーの兵器で、アレの装甲をぶち抜く事は不可能だろう。聖地へ持っていった僕の虎の子も、どうやら効かなかったみたいだし、アレ以上強力なものを用意しようとしても―――そうすると、洒落でも冗談でもなく、ジェミナーは人が住めない土地になりそうだしな。そもそも単純な物理エネルギーで破壊できるのかね、アレ?」
 「―――最後のあの大爆発、やはりお前の仕業なのか」
 辛くも聖地から脱出し、女神の翼で守られながらスワンで渓谷を抜ける最中に見る事になった聖地―――聖地であった場所から立ち上るきのこの様な形をした灰色の雲に、アウラは生物的な嫌悪感を思い起こして身震いした。どう考えてもあの黒煙の中心となった場所が、まともで済む筈が無いと思えたからだ。

 あれ以上の威力を想像するとなると―――それ以前に、あれ以上が存在する事事態が、信じがたい。

 「そんな訳で、反応弾以上の威力の大量破壊兵器の作成は御免被りたい。―――どのみち、工房も材料も無いことだし」
 「そう願いたいな。私もお前が教会から異端認定されるのは見たくないぞ」
 「今更教会なんて顔色伺う必要性すら無いと思うけど―――まぁ、厄介ごとは避けたいしね」
 相変わらず、宗教的権威は好きではないらしいアマギリは、アウラの忠告につまらなそうに頷いた。
 それに仕方が無いなと苦笑しながら、アウラは首を捻った。
 「それで、結局どうするんだ? まさか勝ち目の無い戦いに、シュリフォンの軍を総動員するという訳でもあるまい」
 「いや、一面それであってるけど」
 「なんだと!?」
 娘の言葉にあっさりと頷くアマギリの態度に、黙って話の流れを伺っていたシュリフォン王が目を剥いた。
 在って精々、シュリフォン軍の一部を借り受けてのハヴォニワ西部戦線の建て直し程度の要求だろうと思っていたから、”決死隊になれ”などと言われるのは心外以外の何ものでもない。
 「ああ、陛下。勿論シュリフォンの精兵をガイアに特攻させようなどと言うつもりはありませんので、ご安心ください」
 席から立ち上がって大声で反論しそうになったシュリフォン王に気付き、アマギリは慌てて付け加えた。
 その言葉に一先ずシュリフォン王が落ち着いたところで―――アマギリは正しい要求を口にした。

 「特攻してもらいたいのは、ガイアではなく剣士殿に向かってですから」

 「剣士……!?」
 その名前に、アウラが目を細める。
 柾木剣士。異世界人の少年。今は、ガイアの掌中にあって、操られている。
 「何は無くとも、ガイアを打倒するためには剣士殿の奪還は必要不可欠だ。―――むしろ、絶対条件といっても良い。剣士殿が居ないと―――僕にはガイアを破壊する算段がつかない」
 アマギリは、はっきりとそう言い切った。
 「待ちたまえアマギリ王子。ガイアが如何なる脅威かと言うのは、私も諸君等の報告から聞き及んでいるが―――その柾木剣士なる異世界人の少年が一人増えた程度で、ガイアの破壊は為るのか?」
 私にはとても信じられないと、シュリフォン王は疑念を口にした。
 聖地から逃亡してきた娘達を保護して以来、そこに至る経緯を詳細に報告させていたシュリフォン王は、ガイアが常識の外に居る恐るべき存在であるとの認識をしていた。
 少なくとも、通常の聖機人程度の攻撃では全く歯が立たない。
 対抗するためには、ガイアと同様に常識の外の、超常的な力が必要になる筈だ―――例えば。

 言葉だけで翻弄してくる、この、目の前の少年のような力が。

 あるいはその、柾木剣士なる少年にも秘めたる力があるのだろうか?
 目の前に居るアマギリ・ナナダンと同郷であり、加えて、本来的な意味では柾木剣士こそがジェミナーを救うべく現れた異世界人のはずなのだから。

 「剣士にも、やはりあるのか? お前と同じように―――その」
 父と動揺の疑問に行き当たったのだろう、アウラが躊躇い混じりに尋ねた。
 目の前に存在していたというのにまるで理解が出来なかった、光り輝く翼の存在を思い出しながら。

 ―――それが齎した、親友の昏睡という結果を思い出しながら。

 もし剣士のも同様の力があったとしても、それを思い出せば使わせたいとは思えない。
 難しい顔で口を噤んだアウラに、アマギリはしかし、あっさりと肩を竦めた。
 「光鷹翼の事? うん、どうだろうね―――正直剣士殿個人の力は未知数だよ。”見た”感じ、三女神全ての加護を受けているって段階で、もう割と本気で理解不可能な領域だし。だいたい、幾らこっちが弱っていたからって、パンチ一発で光鷹翼に干渉して吹き飛ばしてくれるとか、まぁ人畜無害そうに見えて、柾木家の皆様は相変わらずぶっ飛んでいらっしゃるよ」
 「……何の話をしているのか良く解らんが、その、つまり―――なんだ? ”コウオウヨク”と言うのが、女神の翼の事で良いんだな?」 
 「ああ、うん、そう。―――紛らわしいから女神の翼で統一しておこうか。とにかくアレなら、アウラさんたちも下から見てたかもしれないけど、ガイアの攻撃は完全に無効化できる。コアユニットしかない不完全な状態だったけど、あれ以上幾ら強くなった所で、ガイアでは女神の翼の防御を突破できない」
 そういえば、光鷹翼を知らない人間しか居ないんだなと、自身の常識からすれば些か奇妙だなと思いつつも、アマギリはその防御力の絶対性を保障して見せた。
 珍しく断言と言う形を取ったからにはそれは真実なのだろうとアウラは頷くが―――しかし、疑問に思うこともある。
 「だが、守るだけでは勝てまい」
 ガイアの攻撃は防げる。だが―――攻撃の手段が無い。ガイアもまたジェミナーの中では絶対的ともいえる装甲を保持しているのだから、並みの攻撃手段では傷一つつけられない。
 アマギリ自身も先にそれは口にしていたので、否定する事無く頷いた。
 
 「そう、守るだけでは勝てない。攻める手段が居る。―――そのために、剣士殿が必要だ」

 「剣士の―――しかし、剣士にも女神の翼があったとして」
 「いや、そうじゃない。剣士殿自身の力じゃなくて、この場合は剣士殿が”持たされている”物が必要なんだ。―――この、僕に」
 「お前に?」
 剣士―――優秀な聖機師(らしい)異世界人、そしておそらくはアマギリと同等かそれ以上の特異な力を秘めているらしいのだから、その少年を求めるのであればその力を欲しての事の筈。
 しかし、アマギリは違うと首を振った。
 剣士自身は、剣士の有する力は、この際勘定に加えていないと。
 「そもそも剣士殿の力は未知数だしね。縦しんば単独で光鷹翼を出せても剣士殿のことだから驚かないけど―――それでも、出せる保証は無い。出せてもそれを、制御できるのかどうかの保証も無い」
 

 それに、人任せなんて趣味じゃない。


 散々に自分ひとりで物事を進めるなといわれながらも、凛音には結局そこを曲げる事は出来なかった。
 自分のための雪辱戦なのだから、誰かの力に任せる事なんて出来ない。

 「先に言ったろ、ガイアの打倒が目的だって。―――”僕自身”がガイアを打倒するのが目的だ。そのためには剣士殿が持っているものを回収する必要がある。ついでに、剣士殿も取り戻せるし、万々歳だ」
 「……優先順位は、剣士よりもその、持ち物と言う事か?」
 普段の剣士に対する態度からは予想できないほど割り切った考えを見せるアマギリに、アウラは恐る恐る問いかけた。
 ”それ”がどのような形をしているのか、どんなものなのかは解らないが、アマギリが今の所最優先で必要なものである事は理解できた。可能な限り速やかに、絶対に手元に置きたいと思っていることも。
 で、あるならば。
 それと剣士の無事を天秤に掛けた場合、アマギリはどちらを優先するのか―――アウラが不安に覚えるのも無理はない。
 しかし、アマギリは苦笑してアウラの疑念を払拭した。

 「”持たされた”って言っただろ。剣士殿は持たされてるだけで、多分だけどそれを彼に持たせた人間は、剣士殿が無事じゃない限り僕の手元にそれが渡らないようにしていると思うね。”面倒を見る報酬代わり”みたいな事を言ってたし」
 「待て、何やらお前の話を聞いていると、お前と、その剣士に荷物を持たせた何者かには、殆ど面識が無さそうに聞こえるのだが」

 信用できるのか? 
 
 と言うよりも、どうやら信用しているらしいアマギリの態度が不審だった。
 確証の無いことを選択肢に含めない性質のアマギリにしては、良く解らない人間が持たせた”らしい”よく解らないものの存在を、さもそれがあれば平気と言うように語る姿はアウラには不自然に映った。
 しかし、アマギリはアウラの疑問の視線を笑顔で受け流して持論を曲げようとしない。
 「いや、あるね。修正パッチは必ずある。あんなご大層な”偽名”使った哲学師が、まさか自分の言葉を偽る筈が無い。”こんなこともあろうかと”が心情の哲学師が、しかもその言葉を述べた伝説になるような大人物の名前を語っておきながら―――ウソなんか言える筈が無いもの。ウソだってばれたら、銀河から爪弾きされるだろうし、ね」
 語った言葉の内容は重要な部分以外五分も理解できなかったが、とりあえずアマギリがその謎の人物を信用している事だけは理解できた。
 「納得がいくような、いかないような……。で、その、修正パッチ? と言うものがあると結局どうなるんだ?」

 「ガイアを確実に破壊する方法が手に入る」







    ※ この辺りまで読んで漸く42のサブタイがあんなだった理由が解るという。むしろあの段階で解ってた方とか居るんでせうか。



[14626] 45-3:僕達の物語・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/22 21:32


 ・Scene 45-3・



 「なに?」
 「なんと……」
 眦を寄せて問うアウラに、アマギリは隙の無い顔で断言した。
 驚きを浮かべるアウラとシュリフォン王を他所に、アマギリは自身の胸元に手を添えながら、言葉を続けた。

 「”最低限”―――まさか剣士殿を送り込める程度にはこっちの状況が認識できていて、艦内施設の機能なんかを追加してくれる筈も無いだろう。航行システムの修復……動力部の不調の改善。あわよくば、出力の完全制御。―――ともかく、そのどれか少しでもあれば充分だ。後はやり方さえ考えれば、”ジェミナーを壊さずに”ガイアだけを確実に破壊できる。最低でも、それだけは確実に保障するよ」
 
 重ねるように成功を保証するアマギリの態度は、アウラには今ひとつ信用できなかった。
 とくに、”最低でも”と言う辺りが。聖地での一件を思い出すに、それを許すと酷い事になるのは目に見えていた。
 だがここまで言うからには、その”修正パッチ”とやらが本当に必要なのは確かなのだろう。
 それを入手するための労を厭う事はしないのだろうなとも、アウラは理解した。
 「一度言い出したら、基本的に曲げんもんなぁ、お前……」
 「……そんな、駄々を捏ねた子供を見るような目つきで言われるのも結構心外なんだけど」
 「それ以外の何だと言うんだ」
 このヘタレの格好付けがと、アウラの言葉はにべも無かった。保護者担当のハヴォニワ勢が揃って不在のため、自分が確り言い聞かせないと駄目だと感じているらしい。


 「で、とりあえずその修正パッチとやらが手に入ったとして、結局どうやってガイアを破壊するんだ?」
 「ん? だから、詳細は直った部分によりけりだけど―――まぁ、太陽で丸焼きか、ブラックホールに叩き落すか、ベークライトで硬化するか、後は、光鷹翼で原始の一欠けらも残さずに消滅させるか、辺りになるんじゃないかな。まぁ、個人的には一番最後の選択しを選びたいんだけどね」
 「―――どれも、聞くからに力押しのように思えるのは、気のせいか?」
 「結局、暴力にはさらなる暴力で報いるのが一番って事じゃないかな」
 特に容赦してやる理由も無いしね、とアマギリは額に手を当てているアウラに、あっけらかんと告げた。
 「しかも、最後に言ったやり方だと、結局女神の翼だよりと言うことにならんか?」
 「でも最後のやり方が多分一番後腐れが無いからね。ああいう自己再生する輩は、一撃で完全に消滅させるのが一番だし。―――多少の無茶は、仕方ないよ」
 他のやり方では万が一、と言う場合も考えられるからと、アマギリは微苦笑を浮かべながら言った。
 アウラは深々とため息を吐いた。
 「―――他に方法が思いつかない、反論をしてやれない自分に呆れるな」
 「喧嘩なんてさ、男に任せておいてくれるくらいが丁度良いって」
 「そういうところが、お前は女に幻想を抱きすぎだと言う事だ。あくどい手法なら、いっそ女性の方が思いつくものだぞ?」
 肩を竦めて話を締めようとするアマギリに、アウラは隣に父親が居るとは思えないくらい女性的な笑みで反論する。
 その顔に、と言うよりもその顔の横で眉根をピクピクと動かしていたシュリフォン王の顔に、アマギリはたじろいた。普段の気分でアウラと話していたら、玉座の上の人の存在を半ば忘れ欠けていた。

 「ええと、まぁ、そう言う訳でして」

 ゴホンと、わざとらしい咳払いをした後で、アマギリは気分を切り替えた。
 「ハヴォニワの王子として、異世界人・柾木剣士の奪還作戦に正式にシュリフォン王に協力を要請したいのです。詳細は追って説明しますが、作戦に用いる人材と物資。そしてシュリフォン国内の山岳地帯の一部の提供を、要求したい」
 「……む」
 「本来ならば我が国、我が兵と国土を用いて行うべきなのでしょうが、ご存知の通り現在我が国は西部方面の大半をシトレイユ賊軍に占領されている状態です。加えて王政府が行方不明で、僕の意思も中々行き届かせづらい状況にあります。しかし、ガイアの再活動まで、おそらく幾許の猶予も無いでしょう。それまでに、柾木剣士を取り戻し、ガイアを破壊する算段を整える必要があります。―――是非、ご協力を頂きたい」
 
 返答や、如何に?

 問われた所で、シュリフォン王としては言葉に詰まるより無いだろう。
 目の前の少年は何しろ、正確な意味ではハヴォニワの王子ではない。
 ただの異世界人である。本人が幾ら言った所で、それは動かしようが無い事実。
 それがあえてハヴォニワの名を語り、シュリフォン王たる自身に人と物と場所を要求している。
 ―――おそらく、全てまともな形では返ってこないだろう物を。

 「―――我が国が、国境線でシトレイユとにらみ合っているのは、当然……」
 「存じています。ですが、天然の要塞たる森林に囲まれている以上、シトレイユも積極的な攻勢に出てきていないでしょう。むしろ、破壊された関の修復にこそ注力しているのではないですか?」
 「……起きて二日目だろうに、頭が回る。―――フローラ女王が気に入る訳、か」
 「最高の褒め言葉ですな、それは」
 優雅に一礼してみせるアマギリに、シュリフォン王は大きく息を吐いた。
 ほんの先日まで昏睡状態でこのシュリフォン王城の離宮で眠り続けていたというのに、自国どころかシュリフォン国境付近の正確な状況まで把握している。
 ならば、幾ら本格的な侵攻が無いからとは言え予断を許さぬ解っていながら、それでも自身の目的のために無茶な要求をしているということだ。
 シュリフォン王個人としてならば、柾木剣士と言う異世界人の少年の事も娘の友人と聞いているが故、それを取り戻すというのであれば手助けしてやりたい気持ちもある。
 だがそれに掛かる負担として、国防に掛かる貴重な人材を要求されてしまえば―――それも、他国の王族から。言葉尻から察するに、一部の部隊を指揮下に寄越せと言っているのだろう。非常時だからと安易に約束してしまえる問題ではなかった。

 他国の、王族?

 「何故わざわざ、キミはハヴォニワの王子としての要求を行うのだね。教会に認められたただの異世界人としての要望で在るなら、幾らか考慮する余地もあると言うのに」
 このジェミナーでは異世界人と言う存在は最高待遇で歓待すると言う習わしもあるのだから、むしろそちらの線から要求を通した方が早いだろうと、シュリフォン王は疑問を抱いた。
 しかし、アマギリはそれは良くないと首を横に振った。何故と首を捻るシュリフォン王に、苦い顔で言う。
 「作戦のためにお借りする兵は恐らく、―――少なくとも聖機師は、確実に死ぬでしょうから」
 「なにっ!?」
 ガタンと玉座を揺らして立ち上がるシュリフォン王に、アマギリは首を横に振って話を続ける。
 「柾木剣士の力は強大です。ただでさえ戦うには強すぎるそれを、”生かして捕獲する”何ていう真似をしなければならないのですから、その困難は恐らく想像を絶するものになるでしょう。僕が考えた最善と思える作戦であっても、かなりの人数の聖機師を半ば捨て駒として扱わねばなりません」
 
 そのくせ、自分は生き残る予定だというのだから、浅ましい事この上ない。

 「個人の要望に応えた形として戦略兵器たる聖機師と聖機人を失うのは許されないでしょう。それゆえに、ハヴォニワの王子としての立場です。―――シュリフォン国境から隣接する肥沃な穀倉地帯、鉱山資源、海への道。返礼としての割譲が可能となる、いえ、します。貴方が私を王として立ててくれるのであれば。縦しんば、母や妹達が生存していたとしても。それだけは確約します。―――それだけしか、確約出来ないのですが。命を金で買おうとしている、と罵られても否定できませんね」
 最後、自嘲気味にアマギリは笑った。
 それでも自分の言葉を撤回しない辺りに、シュリフォン王は彼に王としての資質見た。
 目的のために必要な犠牲で在るならば、躊躇せずに受け入れる。そこから逃げようとしない。為政者として重要な部分である。
 まだ十代と言う若さに見合わぬ苛烈さは、些かシュリフォン王の好みとは合わないが―――まだ若いのだから、理想ばかりが先走るくらいが丁度良いと彼は思っていた―――国家の代表として対等の立場で付き合ってやっても良いと言う気分にはなる。
 ここで縁を結んで―――早い話、貸しを作っておけば、今後のシュリフォンのためにもなるだろう。

 だがそのためには、確実にシュリフォンの戦士の命を犠牲にしなければならない。

 ガイアの打倒が肝心だという事も理解している。
 なるべくなら速やかに排除しなければならない危険な存在―――シュリフォンに、だけではなくこのジェミナー全ての存在に対して。
 「―――それで、ガイアの打倒は確実に成るのか?」
 「ええ」
 重い響きのシュリフォン王の言葉に、アマギリは一つ静かに頷いた。
 自身の言葉の一片をも疑っていない、済んだ眼で応じられてしまった。

 ―――しかし、シュリフォン王にとっては、彼の言葉のみをもって信用するには、些か関係が薄すぎた。

 それゆえに迷う。
 果たして彼の裁可によって生まれるシュリフォン人の犠牲は、この世界に対して良き物となれるのか。
 それとも、詐欺師の戯言に騙された愚者の烙印を押されてしまうのか。
 それゆえに悩む。

 時間は限られていると、解っているというのに。

 「確認したい事がある」

 王が黙り、そして少年が口を閉じたまま少しの時間が空いた所で、黙って二人の会話を見守っていた少女が口を開いた。
 その視線は、少年に向いていた。
 何かなと、視線だけで尋ね返すアマギリに、アウラは一つ頷いて口を開いた。
 「シュリフォンの助力が得られなかった場合―――お前は、どうするつもりだ?」
 その問いに、アマギリは一瞬目を瞬かせた後で、薄く笑って応じた。
 「そうだねぇ。本国に戻って兵をかき集めるってのが正しいのかもしれないけど―――生憎、ウチにそんな余裕は無い。何処までいってもウチは統制を失った都市国家の集合体、宰相以下挙国一致のシトレイユとの国力差は絶望的だもの。国内に踏み入ったが最後、誰が敵で誰が味方かも解らないまま、背中を刺されてジ・エンド、みたいな事も容易に想像できるからね。その辺りも踏まえて、お母様方も中々表に出て来れないんだろうし。―――だからまぁ、そうだね。今ある手持ちの駒を上手く使って、何とか自力でやるしかないかな。場所はこの際、無断拝借だ」
 「―――当然、その手駒とやらの中には?」
 最後おどけて言うアマギリに、確認するようにアウラは鋭く言葉を挟む。アマギリは降参、とばかりに手をひらひらと振った。
 「優秀な聖機師の参加は大歓迎だ。森の中でも自在に動けるダークエルフだったりするなら、尚更ね」
 それでも名前を出そうとしない辺りが、アマギリの最後の意地なのだろう。アウラもそれで言質をとったと解釈して、それ以上の追及はしなかった。

 「―――ならば、良い」

 替わりに、満足そうに一つ頷く。そして、真剣な顔でアマギリを真っ直ぐ見つめて、アウラは問うた。
 「それから最後に一つ聞くが―――シュリフォンの助力は必要か?」
 誤魔化しは許さないと、その目は確かに語っていたから、アマギリも一度だけ瞠目して、それからアウラに確りと視線を併せて応じた。

 「―――必要だ」

 「解った。―――ならば、良い」
 何故も、どうしても問う必要はなく、確かな意思と共に明確な求めを得られたという事実だけがアウラには重要だった。
 それからの行動は、アマギリをして予想外だっただろう。
 「アウラ?」
 アウラは父の呼び声にも応える事無くアマギリの傍まで歩み寄り、そして玉座に座る父に向かって、振り返り、言った。
 
 「父上、私からもお願いします。どうかアマギリの願いをお聞き入れ下さい」

 「は?」
 「なん、と―――」
 優雅な仕草で頭を下げる少女を置いて、驚くのは男二人。
 言われた側も、見ている側も、驚き、訳が解らないと視線を交し合ってしまった。
 それで何が解決する筈も無く、アウラは男達の戸惑いを気にする事もなくゆったりとした動作で顔を上げた。
 再び、父親と視線を絡める。
 娘の視線に気圧された―――などとはシュリフォン王とて思いたくない。愛娘の頼みだからと納得する訳にもいかないと自らを奮い立たせて、一度喉を鳴らした後で口を開く。
 「だがな、アウラよ。いかなお前の頼みとて、こと国防に関わる大事とあっては、迂闊に賛同する事も出来まい」
 それはお前にも理解できるだろうと、威厳を保つ努力をしながら言う父に、アウラはゆっくりと首を振った。
 「確かに犠牲は避けられぬでしょう。しかもそれが他国の王族の企てに賛同したが故に生まれたなら、その結果として土地を割譲した等とあっては、民達が納得せぬであろうことも道理。迂闊に賛同できぬというお言葉も理解できます」
 「ああ、そうか。そういう考え方があったか」
 アウラの語りに、アマギリが参ったなと眉根を寄せた。
 民達が覚えるかもしれない悪感情。
 どうしても現実として存在する”利”のみを重視してしまう所のあるアマギリには、発想し切れなかった部分だったのだ。
 これは失敗したなとため息を吐くアマギリを横目に見て少し微笑んだ後で、アウラは改めて父と向き合う。

 しかし。

 まずはその一言から始まった。


 「このアマギリは何れ、我が夫としてその生が果てるまでシュリフォンに奉仕する事になるのですから。シュリフォンの繁栄に向けての先行投資と思えば、何を惜しむ必要も無いでしょう」


 沈黙。
 その意味をかみ締めるための空白。
 刹那、と表するには些か掛かりすぎた時間の後。

 「何だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――――――――!!??」

 絶叫が、謁見の間に響き渡った。
 耳を塞ぐタイミングを完全に逸したなぁと、アマギリは玉座から立ち上がり叫び声を上げるシュリフォン王を見ながら、現実逃避気味な思考に没頭した。正直、隣に立っている女性の方は見たくなかった。怖い。色々な意味で。
 「ど、ど、どどどどどどどどどどどっ、どぉ言う事だ、アウラ!?」
 同様そのままに言葉を震わせるシュリフォン王。しかし、アマギリの傍によって立つ女性の声は、実に涼やかなものだった。艶やかと表しても構わないかもしれないくらいだ。
 「何のこともありません父上、簡単な話です。―――報告が遅れていましたが、私とアマギリは、既に”幾度もの夜を、同じ寝室で共に過ごすような間柄”なのです」
 「ん、な――――――――――――――――――っっっっっ!!?」

 勿論、昨夜も。

 戯れごとのようにそう続けるアウラの言葉を、アマギリは無理やり他人事のような気分で聞いていた。
 絶句するシュリフォン王の姿を、若干羨ましいなと思いながら。
 
 なるほど、確かに。
 アマギリの寝室にアウラが訪れるのは良くある事だし、それが夜中ばかりなのも何時もの事だ。
 そして、昨夜も彼女は、少し大げさにも思えるはしゃぎ具合で、彼の寝所に上がりこんでいた。

 間違っていない。

 そう、何も間違っていない。

 アウラの述べた事は全て正しく、アマギリには彼女の言葉を否定する要素は何処にも無い。


 「うん。間違ってないけど……無いけどさ。でも、どう考えても、間違っているだろ?」


 「ア・マ・ギ・リ・ナ・ナ・ダ・ン~~~~~~~~~~っっっ!!」

 呟きは誰にも聞こえる事無く、目の血走ったシュリフォン王の眼光の鋭さだけが、彼の記憶に残る全てだった。



 ・Scene 45:End・





     ※ このネタがやりたいがために、アウラ様は頑なに親友ポジションだったのさ……。
       いやー、長いネタ振りだったわ。



[14626] 46-1:神にも悪魔にも凡人にもなれる男・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/23 21:31


 ・Scene 46-1・




 「……なんで、目覚めた翌日にまた張り倒されてるんだろうな、僕は」

 しかも、今回は間違っても自分には責任が無い理由で。
 熱と鈍い痛みを持った顎を摩りながら、ゆっくりとシルクのベッドシーツの上で身を起こした。
 窓から差し込む日差しは、中天のものを思わせる力強いものだった。
 気付けば間借りしている客間で、どうやら着の身着のままで転がされていたようである。首を捻り、大きく息を吐いた。

 ―――結局謁見の間では、娘の発言によって凶暴化したシュリフォン王の右の一撃を顎に貰ってしまったらしい、そこで意識は途切れてしまった。
 会談中の他国の王族に突然殴りかかるのも正直一国の主としてどうなんだろうと思わなくもなかったが、突っ込んでやらないのがマナーというものだろう。
 困った時は無礼講、と言う実家の流儀に近いとでも思っておけば良い。
 壁にかけられた時計の針を目を凝らしながら見ると、シュリフォン王と対面していた朝のそれなりに早い時間からは、やはり幾許かの時間が過ぎている。
 もう、昼過ぎ―――と言うことは、それほど時間がたっていないのだろうか。

 「―――また二週間寝込んでましたとかは止めて欲しいなぁ」

 「―――安心しろ、精々三時間かそこらだ」

 「正直、それだけ寝れば充分だよね」
 じっと、ベッド脇の椅子に座っていたのだろう、アウラの苦笑混じりの言葉に、肩を竦めて応じる。
 「それで凛音。体は無事か?」
 「首の骨が折れなかった事はありがたいね。あと、床に絨毯が敷いてあったことも」
 「中々見事に衝撃を受け流していたな。と言うより、半ば自分で後ろに飛んでいただろうお前」
 「そりゃ、耐えようとしたら確実に骨に皹だけじゃすまなかったと思うし。―――まぁ、受け損ねて顎揺らされてダウンだったんだけどもさ」
 酷い目に合ったと、アウラから手渡されたグラスを受け取りながら言う。
 口に含んだグラスの中身は、酒精が混じっていた事に気付いた。アウラも同様のものを嗜んでいるようだったので―――と言うか、どうやら凛音が目覚める前から飲んでいたらしい。
 「差し向かいでお酒飲むの初めてだっけ?」
 「普段はお前が用意するからな。お茶ばかりだったか」
 「酔いが回りやすいからねぇ。それでよく怒られてるし」
 飲むこと自体は好きなんだけどと、ちびちびとシュリフォンの特産品らしい果実酒を啜りながら肩を竦める。
 「ああ、バカンスの時マリア王女がお冠だったか」
 「酔いが回ると言動が怪しくなるって言われてるからなぁ。何が一番辛いって、後日自分が振り返った時だよね」
 「記憶に残るタイプか」
 それはまた災難だことと、アウラは果実酒の入ったグラスを片手に楽しそうに笑った。
 「―――と言うか、何で寝起きで酒を飲まされているんだ、僕は」
 「私が飲んでいるからに決まっているじゃないか」
 「……酔ってる?」
 「さて、何のことやら」
 サイドテーブルの上に置かれていた果実酒のビン―――栓の抜かれた”複数”のそれを確認してジト目で問う凛音に、アウラは惚けたような口調で応じた。幸か不幸か、室内は明かりも灯していなく、影の部分が多かったため、元より褐色の肌の彼女の、その朱に染まった頬を伺う事は出来なかった。
 「まぁ、今日はちょっとした記念日みたいなものだからな、付き合え」
 そう言ってアウラは、まだグラスに半分以上果実酒が残っていると解っているだろうに、アマギリに向けて酒瓶を突きつけてきた。
 「記念って、何の記念さ」
 溜め息一つ吐き、残っていた果実酒を一気に飲み干してグラスを酒瓶の口に差し出した後で、凛音は尋ねた。
 酒瓶を傾けながら、アウラは笑って応じた。


 「―――お前の名前が解った記念だよ。甘木凛音殿?」


 「そんなの、聞いてくれれば何時でも教えたのに」
 じっくりと繰り出したアウラの言葉に、凛音は特に驚きも見せずに応じた。
 実際問題、思い出していた以上聞かれれば応えるつもりは合ったので、その態度に不自然な所は無い。
 「だが、聞かれない限りは教えてくれんだろう?」
 「そりゃそうだ。”今日から僕は××です”なんて言いふらして回るのも紛らわしいし」
 詰まらなそう―――と言うよりはどこか拗ねた口調で反論するアウラに凛音は微苦笑を浮かべて応じた。しかしそれが逆に、アウラには面白い態度ではなかったようだ。
 「別に言いふらす必要も無いだろう。私達くらいには報告があっても良かったじゃないか。―――と言うか、凛音。お前は何時からその辺りを思い出していたんだ? ワウアンリーは何やら察していたふうだったが」
 「その辺はお察しくださいって事で。僕もまだ思い出していない事もあるしね」

 ―――例えば何故、自分がこの世界に居るのか、とか。

 「あと、ワウとフローラ女王には大体あらましを話してあったり」
 「―――なに?」
 飲むと口が軽くなるなぁ、やっぱりと自分でも思いながらも、凛音は目を丸くするアウラに苦笑しながら先を続けた。
 「良くも悪くも僕はあの子の事を縛っちゃってる部分があるからね。福利厚生の一環てことで、余り隠し事はしないようにしてる訳さ」
 それがまた返って縛りを増やしているのかもしれないけどと、凛音は少し自嘲気味に笑う。
 アウラは窓際に背を預けてグラスを傾ける凛音を静かな面で眺めていたが、やがて一つ息を吐いた。
 「―――お前達は、何だかんだで信頼しあっているな」
 「僕とワウのこと?」
 尋ね返すまでも無い問題だったろうが、一応の意味で尋ねる凛音に、アウラは微笑を浮かべて頷く。
 「ああ。聖地での一件にしてもそうだが、肝心な場面では確りと互いの認識を一致させている。傍目には傍若無人に振舞っているように見えて、気遣いを欠かさない。振り回されているように見えて、確りと行動を把握して影に日向に良くサポートしている。―――お似合いだよ」
 「そうなるように見越して選んだんだから、当然さ」
 からかっているつもりだったのだろうアウラの言葉に、凛音はむしろ得意げに応じた。
 空になったグラスをアウラに差し向けながら、言う。

 「知ってる? 僕がこの世界に来てからわざわざ自分から”欲しい”って言ったのは、あの娘だけなんだ。結構無理言って手元に置かせてもらったけど、まぁ、こうして思い返すと元は充分に取れてるよね」

 「―――見事な惚気をありがとう、と言うべきか?」
 差し出された空のグラスに酒を注ぎこみながら、アウラは降参とばかりに苦笑しながら言った。
 内心、なるほど酔うとこうなるのかと、疲れたような気分になっていた。矢鱈嬉しそうに見える辺りが、正直微妙に腹が立っても居たが、それは面に出す事無く、アウラは話を逸らす事にした。
 「―――因みに、何故フローラ女王にも?」
 「何故ってそりゃあ、あの人には言わない訳にもいかないじゃない」

 後が怖そうだし。

 付け加えられたただの一言には、実感のある重みがあったので、アウラもそれ以上追求する気が起きなかった。
 「……とは言え、何時までも逃げ回ってる訳にもいかないよなぁ」
 「逃げ回る?」
 少しの間を置いてから呟かれた言葉に、アウラは片眉を上げた。凛音はグラスに視線を落としたまま、微苦笑を浮かべた。
 「”楽しみね”とは言われてるんだけどさ、これでも臆病だから、僕は。―――怖さの方が先に立つなって」
 「良く解らんが―――いや、よそう。お前が何処の誰として自分を認識しようと、周りの人間の応対は一々変わったりはしないだろう」
 
 お前は変わらず、私の友である事は間違いない。

 「それは、フローラ女王とて同じだろう。他人の好意が悪意に反転する時は、もっと別のタイミングで起こるものだ。ましてや、聞くのを察するに、示し合わせていたのだろう、その日を。―――ならば、何も怖いと思う必要もあるまい」
 「女の人ほど簡単に割り切れないものなんだよ、男なんて」
 情けない生き物なんだからと、凛音は恥ずかしそうに明後日の方向に視線を逸らした。
 アウラは凛音の態度に少しだけ笑う。
 「お前が情けないのは、良く知っているがな。―――ヘタレの格好付けが」

 好みの女性のタイプが自立心のある年上の美人、と言う段階からして、ようするに自分が”甘えたい”と言う気持ちが強いのだろうなと、アウラは口に出さずに思っていた。
 自分のそういう部分を確りと把握して、それでワウアンリーを傍に置くようにしたんだとしたら、実際たいしたものだと思う。褒めていい部分なのか、些か疑問を覚えなくも無いが。

 「まぁ、構われているうちが華って言葉もあるしね。―――剣士殿を取り返したら、一度、顔見せに言った方が良さそうかな。雪姉―――じゃないか、ユキネさん辺りが、先にこっちに来ちゃいそうな気もするけど。……っていうか来てくれると、手札が増えて助かるんだけどなぁ」
 向こうもどれだけ状況把握しているんだかと、アマギリは苦笑混じりに言う。
 「実際の所、どうなんだフローラ女王たちは。ユライト・メストが一枚噛んでるから最悪の状況にまではならないと言っていたとラシャラ女王から聞いたが。―――私にはそこまで楽観しできる様な状況には思えない」
 「うん、僕も一日置いて少しそう考えるようになってきたトコ」
 行方知れずのハヴォニワの女王たちの安否を気遣うアウラに、凛音もあっさりとその危機を肯定した。
 アウラは、余りにもあっさりと自身の意見が肯定されて、目を剥いてしまった。
 「だ、大丈夫なのか、本当に!?」
 「”多分”って頭につけられる程度には、大丈夫じゃないかな。―――近衛の駐屯地に泊めておいたスワン級三番艦の”オディール”が、何故か崩壊した王宮から見つからなかったらしいからね。今頃追っ手とくんずほぐれつしながら遊覧飛行って感じだと思う。身一つ城一つ、お気楽な気分だろうね、きっと」
 下手に通信回線を開くと位置が特定されて面倒だから、向こうから連絡を取ってくることは無いだろうと、凛音は何時ものように、自身の予想が真実そのものであるかのように語る。
 実際八割方はそれで正しいのだろうなと思いつつも、アウラとしてはやはり、逃亡中で在るならば救いにいけよと思わないでもない。

 特に、凛音の立場なら尚更。後が怖いとか言っていないで。

 「いやでもさ、危険度で言えば僕らとたいして変わらないって感じじゃない? 此処だって何時奇襲を受けるか解らないんだから。迂闊に合流して、固まった所を狙い撃ちとかされるのも拙いでしょ。―――嫌な予感が、するしね」
 当たるんだ、嫌な予感がと、凛音は何を思い出しているのか、とてもとても苦い顔で呟いた。
 その顔に近い昔に見覚えがあったアウラは、聞かずにはいられなかった。
 「―――何が心配の源泉だ? ”一度失敗している以上”今回は確りと予測を立てているんだろ?」
 問われて、凛音は目を丸くした。そしてその後、参りましたと微苦笑を浮かべる。
 「隠し事、得意なほうだったんだけどなぁ」
 「だろうな。―――ただ私もこれで、隠し事が得意な人間と長い交友があってな。それを見分ける事に関しては自信があるのさ」
 「その人間とは仲良くなれそうだから、是非今度紹介してもらいたいね。―――さて、まぁ心配事と言うか……可能性が高いんだか低いんだか良く解らないってのもあるんだよ」
 冗談に冗談で返しつつ、結局凛音は重要な部分で曖昧な言葉を返した。
 自分でも納得できていないことは余り言いたくない、と言う態度を見て取ったアウラは、苦笑交じりに口を開く。
 「とにかく、言って見ろ。お前が想定する最悪の状況を。―――恐らくそれが正しいだろうし、それに縦しんば間違っていたとしても別に誰も責めはせんよ」
 「責めはしなくても、信用問題に関わりそうだしなぁ」
 戯言交じりに言葉を濁す凛音に、アウラはそれこそ心外だと言う顔をした。
 グラスを三分の二以上を満たした果実酒を一息で飲み干しながら、言う。


 「一度や二度の失敗で信用する事を止めようなんて思うくらいなら、初めから婚約の申し入れなんてしないぞ、私は」


 吹き込む森の空気に冷やされた涼風が頬を冷やす程度には、酔っていたのだろうか。
 目を何度か瞬かせた後で、何故だか妙に喉が乾いている事に気付いた凛音は、手元のグラスに残っていたものを喉に流し込んだ。それが酒だったことを思い出したのは、胃が熱をもってからだ。
 その後、どうにも無様な仕草で空になったグラスを二度三度と弄んだ後で、漸く凛音は口を開いた。

 「―――そういえば、そのせいで殴られたんだっけね」

 「この、ヘタレが」

 直接的に話題に関わる事を避けたら、思いっきり鋭い言葉で突っ込まれた。
 「いやさ、酒飲んで寝室で差し向かいでする話じゃないじゃないって言うかああいうネタ親に振った後で堂々と寝室上がりこむのやめてよとか、そもそもなんで真昼間から酒宴を開いてるんだ僕らとか、色々僕としても思うところが無いことも無いということもあると言うかね」
 「ああ、そこまで反応してくれるのは女冥利に尽きると言えなくもないが、少し落ち着け」
 早口でまくし立てる凛音を、アウラが頬を染めて苦笑を浮かべて嗜める。話を振った本人としても予想以上に恥ずかしく思えてきたらしい。
 「そこで照れるくらいなら、初めから無かった事にして流そうよ」
 ああもうと、口をへの字に曲げて乱暴な仕草で空のグラスを差し出しながら、凛音は言う。
 「いや、無かった事にして流すには些か問題があるぞ」
 突き出されたグラスに果実酒を注いでやりながら、アウラは苦笑交じりに応じた。
 「問題?」
 「ああ、問題だ。―――人生の大事、と誰かに聞けばそう応えるだろう、問題だ」
 首を捻る凛音に、アウラは然りと頷く。


 「―――明後日。お前が私の婿に相応しいかどうか、父上が直々に見定めてくださるそうだ」

 
 静寂。
 静寂と次ぐ静寂。
 グラスを空にする音。突き出す音。注ぐ音。飲み乾す音。突き出す音。注ぐ音。飲み乾す音。


 「一つ、良いかな」
 「ああ。存分に言うといいぞ。―――因みに、明日ではなく中途半端に明後日などとなったのは、一応私の進言が受け入れられたからだが。お前、一応昨日目覚めたばかりだからな」
 据わった目つきでおもむろに呟いた凛音に、アウラはどうぞと頷く。自身のグラスにも、酒を注いでいた。勿論、三度突き出された凛音の空のグラスを満たすことも忘れない。
 凛音は口元に引き戻したグラスに、並々と注がれた果実酒を睨みながら、重々しい口調で言った。


 「―――キミの親父、馬鹿なんじゃないか?」


 「否定しない」
 即答だった。頭に”親”とつけると尚良いなと、”親”の心子知らずとはよく言ったものだろう、堂々とした態度である。
 むしろアウラの方が容赦ない態度だったせいか、逆に凛音のほうが落ち着きを取り戻した。グラスを傾け喉を潤した後で、苦笑を浮かべる。
 「まぁ、娘婿の要請って形を取れば兵を貸しやすくなるって言うアウラさんのフォローは実際助かるんだけどね。そこで過剰反応されちゃうと、割と収拾つかない感じなんだよなぁ」
 「収拾なら簡単につくぞ。―――お前が本当に父上の娘婿とやらになってしまえば良い。むしろ、それ以外の方法で収拾をつける手段は無くなったな。それ以外の解法を探そうとしたら、もうシュリフォンには未来永劫、出入り禁止を喰らうこと確実だ」
 「何か、投げやりじゃない?」
 「―――いや、本当に申し訳ないとは思っている。もう少し冷静に状況を鑑みて判断を下さると思っていたのだが、まさかいきなり拳から入るとは……」
 まだ少し赤く腫れている凛音の顎の辺りを見ながら、アウラは空笑いを浮かべていた。
 「まぁ、愛されてるって喜んでおけば良いんじゃないか……なぁ? たぶん、いやきっと」
 「あれは流石に愛されていると言うか、過保護とか言う次元でもないと思うが……」 
 割と国際問題にならんかと、アウラとしては眦を寄せるしかない。
 「親の庇護を離れてみると、結構その辺の事もありがたかったなとか思えてくるもんだよ。僕も、樹雷についた当初は、此処からは全部自分の力だけで生きていけるんだとか思ってたけどしばらく経つと―――って、どうでも良いか。とりあえず、さ」
 もうずっと、それこそ数百年単位で昔の事を懐かしみそうになって、凛音は首を振り払って気分を変えた。
 

 話を逸らし続けるのも、いい加減失礼に過ぎるだろう。


 「それでアウラさんは、僕の嫁さんになる事に依存は無いの?」

 「むしろそれは、私が聞きたい話だな」
 「美人は好きだよ、僕は。年上で自立した女性なら尚更、ね」
 おどけて尋ねるアウラに、凛音もまた、冗談交じりに返す。言った後で、二人してシニカルな笑みを向け合ってしまった。
 「構わんさ、私は。どのみちお前とは、長い付き合いになるだろうと思っていた。友人から夫婦の関係に変わったところで、なに、たいして違いはあるまい」
 何かあっても、基本的に被害を受けるのはお前だけだろうし。
 アウラはそんな風に、あっさりと自身の未来の予想図の一つを受け入れて見せた。
 「それじゃあ、仕方ないか。精々良い墓石でも探してくる事にするよ、僕は」
 凛音はそんな風に、アウラの言葉を受け入れて、まだ半分以上残っているグラスを差し出した。
 アウラもまた、同様に果実酒に満たされたままのグラスを凛音に差し出す。

 「それでは」

 「二人の未来を祝して―――」
 
 グラスを打ち合わせる涼しげな音が響いて、消えた。






     ※ 流石に此処まで話が進んじゃうと、このSSがオリ主ハーレム物だってバレますねw
       まぁ、あんまりお約束劇はやってこなかったし、今後もやる予定も無いので解りにくいのですが、元々こういうSSだったりします。
     
       でもこれで打ち止めかなー。フラン姉妹は、流石に無理だ……



[14626] 46-2:神にも悪魔にも凡人にもなれる男・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/24 21:22


 ・Scene 46-2・



 「ところで結局、お前の悩みの種は何なんだ? 妻としては聞いておきたいのだが」
 「ああ、それねぇ。いやさ、そっちは正直不確定な部分が多くって。―――それより、ちょっと頼みがあるんだけど」
 「……珍しいな、お前が他人に何か頼むなど」
 「それだけ切迫した状況と言えば、そうだからね。―――と言うか、そんなだから回りまわって、鉄拳制裁なんて喰らう嵌めになったんだけど」

 「邪魔をするぞ、従兄殿……ぉお?」

 「む? ラシャラ女王か」
 「おや、ラシャラちゃん、いらっしゃい」
 客間のリビングから寝室へと続くドアを堂々と踏み入ってきた少女に、二人の酔いどれは気軽に挨拶をした。
 勿論、グラスを手放すなどというマナー知らずのことはしない。
 「うむ、邪魔をする―――ではないわ。何を真昼間から酒盛りなどしておるのじゃ、若いの二人が、寝室で」
 ラシャラは大きくため息を吐きながら、開いたドアを閉めないまま二人に近づいた。正直、室内が酒臭くて仕方なかった。
 「いやさ、飲まなきゃやってられないような恥ずかしいトークをね」
 「……また酒の力に頼っておるのか、お主は」
 従妹姫が怒りそうだなと、少年の言葉にラシャラは呆れるほかなかった。
 「最初にお酒持ち出したのはアウラさんだけど」
 「いや凛音。私はこうでもしないと会話にならんと思って酒瓶を持参したのだが」
 「それはお姫様がやる事じゃないと思うよ?」
 至極当然の突込みを入れつつも、空のグラスを差し出す事を忘れないあたり、駄目な酔っ払いであった。
 「―――私も、個人的に飲みたい気分だった」
 「まぁ、うん。気持ちは解るけど―――ホラ、誰にも悪気はなかったと思うんだ、多分、きっと」
 「お前だけは悪気たっぷりじゃなかったか?」
 「え? そこでハシゴ外すの!?」
 くだらない雑談を繰り返す年上の少年少女のやり取りを見ながら、ラシャラは何かがおかしい事に気付いた。
 昼間から王族二人が酒を飲み明かしているという状況そのもののおかしさではなく、何処と言うか。

 「―――……リンネ?」

 聞き覚えの無い単語が混じっていたことに、ラシャラは気付く。アウラがリンネの酒椀に果実酒を注ぎながら応じる。
 「甘木凛音。―――この男の名前だそうだ」
 「呼びやすい呼び方してくれれば良いよ」
 目を剥きかけたラシャラに、重要な事実らしき事をばらされた形の凛音は、いっそ気楽過ぎる態度で肩を竦めて見せた。
 「……どうでもよさげじゃな、お主」
 「呼び方変わったところで、人間関係が変わるわけじゃないらしいですから」
 ねぇ、とアウラに視線を送る態度は、ラシャラにはそこに言葉どおりの気分が見て取れた。本人がどうでも良いと思っている問題に、一々気にするのも時間の無駄だろうと、ラシャラも言われたとおりに隙に呼ばせてもらう事に決める。

 「秘したものが明らかになったとあっては、それなりのイベント性はあったろうに、何ともお主らしいと言えば、らしいか。―――まぁ、良い。せめて妾から祝いの品をくれてやるわ」

 言いながら、ラシャラはどうやら最初から手に持っていたらしい小さな物を、凛音に向かって放り投げてきた。
 苦もなく手元に収めた凛音は、それが何であるかを理解して―――そして、顔をしかめた。
 「……指輪。―――いや」
 「うむ。聖地から救出した職人に、作らせてみた。婚約祝い、といった所じゃな」

 ブッ。

 「―――どうした、アウラ」
 おどけて言った言葉に、予想外の方向から大きな反応があったため、ラシャラは目を瞬かせた。
 「いや、何でもない……」
 喉に酒を詰まらせて咽帰りながら、アウラはブンブンと首を振った。
 凛音は咽るアウラを横目に、手にした複雑な装飾に彩られた指輪に刻まれた意匠の意味を理解して、ため息を吐いた。
 「あのさ、ラシャラちゃん」
 「何じゃ、凛音殿」
 「結局キミもそう呼ぶのか……まぁ、良いや。あのさ、コレ―――」
 何故かぴったりのサイズだったそれを指に通しながら、手の甲側にある装飾をラシャラに向けて、凛音は尋ねた。

 「―――”誰と誰”の婚約祝い?」

 ラシャラはその問いに、ニヤリと哂って応じた。
 「シトレイユの印璽の意匠を纏うことを許されるであろう相手など一人しかおるまいて」
 「だよねぇ。―――はぁ、キミ等、何か狙ってるのか?」
 「狙っておると言うか、妾の場合は流れに乗り遅れんようにとな。―――ハヴォニワ、教会ときて、シュリフォンにまで手を伸ばそうというのであれば、ついでに妾も流れに便乗させてもらって、お主をそのまま神輿に担いでしまった方が、方々と連携が取りやすかろう。文句が在るなら、まず自分の節操の無さを選ぶがよい」
 「節操無くやってるつもりはないんだけどなぁ……」
 シトレイユ皇家の印章が反転して掘り込まれている指輪を眺めながら、凛音はひとりごちた。そこまで聞いて、漸くアウラはラシャラの言った”婚約祝い”の言葉の意味を理解した。
 「つまり―――それは」
 
 「勿論、妾と凛音殿の、と言う事になるな」

 得意げに笑うラシャラに唖然とするアウラ。男一人、凛音は額に手を当て息を吐いた。酒臭かった。
 「国土を蹂躙された王子と国を掠め取られた女王の結婚か。―――コレを見せ金に、って言うのも良い感じに空手形じゃないの?」
 「なんの。お主なら空手形でも上手く活用できるじゃろ? どのみち最終的には―――何処が一体最終になるのかは解らぬが、盗られた物は全て返ってくるという形にはなる。その後にまた奪われるんじゃろうが―――ともかく、形式上は空手形にはならんよ。精々ソレは上手く活用してたもれ。あの国に関しては、今更妾も何の権利を主張したいという気分も残っておらぬからの」
 「―――それで、キミは一人で悠々自適って事か。採算合わない不良債権押し付けるだけじゃないか、それ」
 「あ―――、スマンが、説明を求めたいのだが」
 アウラはすっかり酔いも冷めたという気分で、愛の欠片も見えない言葉をぶつけ合う凛音とラシャラに質問した。
 凛音は指輪を嵌めたまま手を握ったり閉じたりと具合を確かめながら、何てことの無い風に応じた。
 
 「ようするにさ、文字通りの意味でアウラさんと同じ事しようとしてくれてるのさ、この子は」
 
 「私と……」
 同じ。
 思えば同日に二人の女から婚約だなんだと話しをされる等と言うのも凄い話だが、勿論アウラの場合は―――そこまで考えて、彼女は気付いた。
 「なるほど、な」
 一つ頷く。苦笑混じりの視線をラシャラに送ると、彼女も決まり悪げな笑みを浮かべていた。
 「ま、愛されてるよね剣士殿も。小切手代わりに丸ごと一つ国を差し出してくれる人が居るんだから」
 一人凛音だけが、微妙な空気を気にせずに酒を口に運んでいた。
 他人事ですと言って憚らないようなその態度は、流石にラシャラの癇に障った。口を尖らせて言う。
 「元より剣士は妾の従者じゃぞ。それをお主とハヴォニワが身銭を切って助けようなどと言う話が異な事なのじゃよ」
 「―――なるほど、其れゆえの、か。ハヴォニワの土地の替わりにシトレイユの国土を担保にすると。―――正直、父上の好むやり方ではないと思うが。凛音には先に言ったが、あの方はむしろ情だけに訴えかけたほうが実る芽があると思う」
 お前等どっちも即物的すぎだと、アウラは苦笑交じりに言う。
 「とは言え、シュリフォンもそれはそれで国難の折に、祖国に対して何の影響力も持たない女王の頼みなど、ただでは聞けんと思うしの。縦しんば王が認めても、周りが止めるじゃろう流石に。―――ならば妾としては、悪辣非道なるそこな男の手札を増やしてやるくらいしか出来る事は無い」
 「汚れ役押し付けてるだけって言わない、それ?」
 実際殴られたしと、顎を摩りながら言う凛音に、ラシャラはニヤリと笑みを浮かべた。
 「その代わり美女が室入りしてくれるのだから、良いではないか」
 「そりゃ美人は好きだけどさぁ。お金掛かる人は御免だよ?」
 「の割には、女に惜しみなく金と手間を注ぐ類の男だろうお前」
 「自分から使うぶんには良いのさ。くれって言われたら張り倒したくなるけど
 そんな風に言ったら、駄目だこの男と言う顔を両方から向けられたが、凛音はあえて見なかった事にした。
 ともかく、と無理やり話題を変える。
 
 「手札が増えるのは実際ありがたい事だけどね。ま、精々ありがたく頂かせてもらうよ、ハニー」
 手の甲を返して嵌めた指輪をラシャラに見せつけながら、凛音はおどけるように言った。
 「―――普通、そこは必要ないから返すと言う部分じゃないのか? 男らしく自分の力だけで充分だとか言って」
 「美人の誘いは、たとえ罠でも絶対に断るなって昔偉い人から言われてたんだ」
 お陰で死に掛けた事多数だけどと、微妙な顔で突っ込むアウラに肩を竦めて返す。
 「正直は美徳と言うが、行き過ぎは毒と言うヤツじゃな。お主の場合」
 「そこは婚約が成立した事を喜ぼうよ、ハニー」
 「事前に別の女と縁を結んだ男にそんな事言われたくないわ」
 「そっちはそっちで負けず劣らずギブアンドテイクの関係みたいだしなぁ。―――僕の周りには愛が足りない」
 癒しが欲しいとぼやく凛音の事を、ラシャラとアウラはコイツは一度死ぬ目に合うべきじゃないかと氷河期のような冷たい瞳で見ていた。尤も、本当に一度死に掛けているからこそ、二人ともこうやって遠回りなフォローをするようになっているのだが。そこはそれ、と言うヤツだろう。

 「ま、何は無くとも、とりあえずは明後日のシュリフォン王の”説得”がまずは課題かなぁ」
 
 与太話もそこそこに、と言う気分で、若干真面目な顔を作って凛音は言った。グラスを差し出し御代わりを要求している段階で台無しだったが。
 「忠告しておくが、イカサマは絶対にばれないようにやれよ。父上の好みは正攻法だ」
 五本目の酒瓶から凛音のグラスに果実酒を注ぐアウラに、ラシャラは首を傾げて尋ねる。
 「ばれなければ良いのか?」
 「よくは無い。―――が、どう考えてもコイツがイカサマをしないとは考えられない」
 「―――それは、道理じゃのう」
 「そこで納得されると僕としては立つ瀬が無いんだけど……」
 杯を傾けながら、少女達の言いように凛音は苦笑交じりに呟く。それから、そのままの情けない態度で、続ける。


 「でも、シュリフォン王のお気持ちを踏みにじる形になるのは仕方ないって思ってもらうしかないな」


 「―――と、言うと?」 
 薄い笑みを顔に貼り付けたまま言った凛音の言葉に、アウラが目を細めた。ラシャラも、冗談交じりの空気を消していた。
 「使えるものは何でも使わせてもらうのが僕のやり方だ。親が子を思う気持ちすら、悪いけど利用させてもらうよ。―――目的のために、ね」
 「目的?」
 眉を顰めたラシャラに、凛音は肩を竦めて応じた。
 「一つしかないだろ。―――剣士殿さ」
 いっそ馬鹿にしたような口調だった。アウラがグラスを弄びながら尋ねる。
 「剣士―――を、取り戻す、か。……明後日の父上が用意した何がしかを、利用しようと言うことだな?」
 「明後日と言うか―――まぁ、そうだね、うん。向こうがこっちの動きをある程度掴んでいるのは間違いないから―――罠を張らせてもらおうと思ってる。問題はどの辺りまでってトコで、無駄になるかもしれないけど、やらないで酷い目見るよりはマシだからさ」
 「先ほど、協力して欲しいといっていたことはそれだな?」
 確認に過ぎない言葉を口にするアウラに、凛音も頷くだけで応えた。ラシャラが一人、曖昧な顔をしていた。

 「待て。”向こう”と言うのはどちらを指すのじゃ?」
 
 「―――と言うと?」
 ラシャラの問いに、さも面白いものを聞いたとばかりに凛音は笑って首を捻った。顔に似合わぬ重い響きの問い返しに、ラシャラは余計に難しい顔をする他なかった。
 「ババルンか、それともユライトか。―――ユライトとは当然裏で通じ合っておるのじゃから、お互いの行動を辻褄合わせることも出来るじゃろう?」
 「だが、そうであるのならば、無理に明後日に事を起こす必要も無い。父上を味方に引き込んだ後に万全に整えた方が良いだろうからな」
 冗談のような掛け合いを続けながら、アウラはその意味について思いをめぐらせていたのだろう。些か性急過ぎると思われる行動開始の宣言の裏にある事情に、もう心当たりが生まれているのかもしれない。
 凛音は、それでも余裕の態度を崩さずに、グラスを傾けながら―――重い口調で言った。

 「起きてからこっち、色々と考えていたら一つ大きな危惧が生まれた。―――まぁ、一番大きかったのは本人と話した事なんだけど、さ」

 「―――何時の間にユライト・メストと」
 「昨晩来たよ? お陰であんまり寝てないし」
 アウラの問いかけに、やはり気付いていたかと思いながら凛音は軽く応じた。ラシャラがその横で目を丸くする。
 「待て、キャイアと一戦交えたとは本人から聞いておったが、ユライトが居たなどとは知らんぞ」
 「あ、そっちは聞いたんだ。―――まぁ良いか。キャイアさんと別れて一人になったところを襲われてね。―――少し話したんだけど、何ていうか、ね」
 「焦らすな?」
 「いや、本当に推測な部分が強いんだわ。外れてたりすると、それこそ準備が全部無駄手間になる上、シュリフォン王とも完全に決裂になるかもしれないなーって思うと……どうしたものか」
 眉根を寄せるアウラに、自信が無さそうな態度で肩を竦める。
 煮え切らない態度に、ラシャラが焦れたように嘆息した。


 「とにかく、言って見よ。お主が想定する最悪の状況を。―――恐らくそれが正しいだろうし、それに縦しんば間違っていたとしても別に妾は責めはせぬわ」
 

 目を丸くして顔を見合わせてしまうのも、無理はないだろう。
 その後で、二人して噴出してしまった。
 「……だ、そうだが?」
 「いやさ、周りの人に恵まれてるって実感するね、こういう時。愛が溢れてるよ」
 多少照れ混じりの笑みで尋ねるアウラに、凛音もまいったねと、微苦笑を作る。
 「な、なんじゃその微笑ましそうな笑みは?」
 年長者二人の作る曖昧な笑みに、ラシャラとしては慄くしかない。 
 なんでもないなんでもないと、声をそろえて言われた所で不安な気分が拭えぬ筈も無いが、深く突っ込んでも碌でもないことだけは理解できたので、それ以上言う事は無いが。
 戸惑うラシャラの態度に、凛音は実に楽しそうに笑った後で、遂にかねてよりの疑念を口にした。

 「―――ユライト・メスト、なんだけど」






     ※ そろそろ真面目な方向へ行く……のかなぁ。
       このサブタイの時点で、何かもう色々と。



[14626] 46-3:神にも悪魔にも凡人にもなれる男・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/25 21:10


 ・Scene 46-3・





 「あの~、フローラ様?」

 同型の二隻と違い、三つの小島を連結して一つの船体とした独特な形状をしている空中宮殿オディールの、上層部宮殿のテラス。

 「なにかしら、ワウちゃん?」

 カタリと、小さな音を立ててソーサーからティーカップを手に取りながら、ハヴォニワ王国女王フローラは小首をかしげた。
 例え国土の半分近くが占領されていようと、国内の反抗勢力が一斉蜂起していようと、貴顕なる存在の日々の優雅な生活は何も変わらない。
 今日も遠来の客を招いて、こうしてテラスで、一人娘のマリアと、その従者ユキネと共に優雅なティータイムを勤しんでいた。
 
 「な~んであたしは、鎖で椅子に繋がれているんでせうか?」

 無論、客人の素朴な疑問にだって、焦って返したりするなんて愚は冒さない。
 楚々とした仕草でカップを傾けた後、喉を潤したハーブティーが胃に落ち、そしてそれから更に幾許かの間を置いた後で、漸く、応じるのだ。そのゆったりとしたリズムこそが、彼女の優美さを引き立てるのだろう。

 「だってアナタ、手錠外したら逃げるでしょ?」

 「いえ、あたしもコレで、割と急ぎの用事があるんですけど……」
 ジャラリと、手首に掛かった手錠から繋がれた鎖を鳴らしながら言うワウアンリー。言葉の割には若干諦めが入っているのはまるで気のせいではないだろう。
 窓の向こう、テラスの下に広がるオディールの庭園部に置き去りにされている自身の聖機人のコクーンに視線を落とす。
 
 ―――飛び出して逃げようとしたら、また撃たれるのかなぁ。

 同型艦二隻とは対照的に、どちらかと言えば戦闘用途に優先した構造をしているこのオディールには、連結する三つの小島それぞれ独自に亜法機関を有するという出力上の余裕を利用して、かなり強力な対空砲火機構を有していた。
 つい先ほど、見なかった事にして素通りしようとしたら思いっきり砲口を向けられた事を思い出して、ワウアンリーは額に汗を浮かべていた。
 フローラ曰く、”お茶の誘い”だったらしい。

 「まぁまぁ良いじゃない。折角久しぶりに会ったんだから、少しのんびりしていきましょうよ」

 久しぶりに会った―――会わされた―――フローラは何時もどおり飄々としていて、ようするに反論なんて聞く気は無いという態度である。
 ”既に切れてる”蜘蛛の糸を掴む気分で周りに視線を送ってみても、マリアは我関せずの態度を貫いていたし、ユキネは小さく首を横に振っただけだった。
 「久しぶりなのに、相変わらずこの家の人たちはあたしに対する愛が足りない……」
 「痛みを伴う、愛もある」
 「嬉しくないですから、それ」
 「え?」
 「何でそこで”驚いた”みたいな顔してるんですか!?」
 無表情で相槌を打つユキネに、オーバーリアクションで突っ込みを入れる。鎖がジャラジャラと五月蝿かった。
 「そんなにカッカしないの。いきたい所があるんならオディールで送ってあげるから」
 「いえ、こんな目立つ上に足の遅いフネで送ってもらうよりも自分で聖機人飛ばした方が早いんですが」
 「女の子がそんな強行軍なんてするもんじゃないわよ」
 「だから急ぎの用事なんですってば。―――って言うかホント、凛音様と言いフローラ様と言いマリア様と言い、何でこの王家の人たちは無駄にマイペースなんでしょうか……」
 言っても無駄なんだろうなと思いつつ、一応の気分で呟くワウアンリー。隣に座っていたユキネが、ポンと肩に手を乗せてきた。
 「諦めが肝心」
 「いや、そんな”私はもう慣れた”みたいな顔で得意げに言われても」
 「生まれつきって言葉も在るから」
 「そこで何故私の方を向くんですか、ユキネ?」
 「え?」
 マリアに尋ねられ、ユキネは物凄く純真な目を丸くした。演技だろうか。天然かもしれないが、案の定と言う調子で、マリアの額に青筋が走った。
 「そこで不思議そうな声を出すんじゃありません! ―――大体、お母様とお兄様がゴーイングマイウェイなのは何時もの事ですが、そこに私まで加えないで下さい」

 「え?」
 「え?」 
 「え?」
 
 ユキネどころか、ワウアンリーとフローラまで不思議そうな声を出していた。何故かマリアの手元から陶器に皹が入る様な音が響いた。ちなみに、その手にはティーカップを手にしていたが恐らく何の関係も無い筈。
 「貴女方、私に何か言いたいことでもあるのかしら? ―――特にユキネ!」
 「―――別に?」
 「何で疑問系なんですか! と言うかそのあからさまに”もう諦めてますから”みたいな顔は何!?」
 「―――……別、に……?」
 「貴女とは、一度心行くまで決着をつけないといけないようですね……」
 親指でクイとドアの向こうを指差すという凄まじく姫らしい仕草をしながら、マリアは言った。ユキネは欠片も見ていなかった。フォークでケーキを崩す作業に没頭している。

 「あ―――、まぁ、とにかく。お三方とも元気そうで安心しましたよ」
 場の空気が物理的な意味も含めて酷い事になりそうだったので、ワウアンリーが冷や汗混じりに言った。
 「ご連絡なされば、凛音様もお喜びなさると思いますけど」

 「え?」
 「え?」
 「え?」

 「あ」
 先ほどまでとは別のベクトルで危険な空気が完成したことにワウアンリーは気付いた。と言うか、早い話が地雷を踏んだらしい。テーブルを囲むそれぞれの目が暗い輝きを放っていた。
 「凛音ちゃんたら本当に、何時になっても連絡してこないのよねぇ」
 「そこはホラ、したくても出来……いえ、何でもないです」
 フローラの何気ないと思えないことも無い呟きに、ワウアンリーは主従の義理立てで反論しようとして、あっさり撃沈した。
 ぶっちゃけたところ、ワウアンリー自身もフローラと似たような事を思っていたので、頑張って反論する気がおきなかったとも言える。尤も、現在彼が彼の意図しない所で連絡不可能な状態であるのは事実なのだが、そこはそれ、日頃の行いと言うヤツなのだろう。
 「まぁ、あの人”連絡シナイボク硬派、カッコイイ”とか思っちゃうタイプですしねー」
 「相変わらず駄目な子よねぇ」
 「ええ、全く。―――後ろついていく人の気持ちも考えて欲しいんですけどね、ほんと、ええ、本当に」
 いつの間にかテーブルを囲む人間の中で、ワウアンリーが一番淀んだ空気を纏っていた。
 常に一人で大暴れ―――その挙句ダウン、なんていう体たらくを何も出来ずに見てただけだったから、いい加減に鬱屈した気分だったのかもしれない。 
 「そこは……ホラ、お兄様ですから。そんな簡単に人に気を使えるようになったら、もうお兄様ではありませんよ」
 「諦めなければ、何とかなる、多分。―――……多分」
 マリアとユキネが、苦笑交じりにフォローにならないフォローを入れる。

 「だと良いんですけどね。―――はぁ、今頃また、無茶してるんだろうなぁ、あの人。ラシャラ様とアウラ様じゃ、絶対止めてくれないだろうし」
 ああもう嫌だと、だらしなくテーブルに突っ伏しながら、ワウアンリーは言った。”目覚めない”心配はまるでしていない辺りが、正しく信頼感が見える場面ではあった。
 言ってみれば惚気ているのとたいして変わらないと言う事実に確りと気付いているのか、フローラが苦笑を浮かべた。
 「むしろあの二人は、積極的に背中を押しちゃうタイプだものねぇ。ま、元気なのは良い事よね」
 「元気すぎるから困るんですよ。基本、予想の斜め上の行動しかしませんから。―――せめてリチア様が意地張らずにシュリフォンに残っててくれたらなぁ」
 自分の事は完全に棚に上げているワウアンリーに、マリアが苦笑交じりに小首をかしげた。
 「リチア様は、確か教皇聖下の下に合流なされたんでしたっけ?」
 「あい。聖地から救出した生徒達のコネを利用して、各国の調停と意思統一に乗り出してる筈ですよ」
 だれた口調で応じたワウアンリーにフローラが興味深そうに頷いた。

 「異世界の龍機師を中核に据えた対ガイア多国間同盟―――さしずめ、”甘木凛音同盟”にでもなるのかしら」
 
 「同盟の中核となるべき大国が挙って身動き取れない現状で、その同盟は上手く機能するのですか?」
 口元に指を当てながら言うフローラに、マリアは小首をかしげた。

 彼女の疑問も尤もだろう。
 シトレイユはそもそも敵国であり、ハヴォニワは侵略と内戦と言う最悪の状況。そしてシュリフォンも国境を挟んで睨みあい―――そもそも、彼の国は外征のための軍事力は殆ど有していないから、その意味では先の二国に些か劣る―――だから、身動きが取りづらい。

 「そこは結局、凛音様のシュリフォンでの頑張り具合だと思いますけど。あそこはシュリフォン王陛下が強力なカリスマを発揮して国を回している様なところがありますから、王陛下さえ落とせば、後はそのまま上手くついてきてくれると思いますし―――あぁ、無茶してないと良いなぁ、してるというかするんだろうけど」
 最後のほうは、もう殆ど天を仰いで聖印でも切りそうな勢いである。誰もそんなワウアンリーの態度を否定できない辺りが、凛音の日頃の行いというものなのだろう。
 「シュリフォンと凛音ちゃんって、どう考えても相性悪そうだもの。今頃、王陛下の前でアウラちゃんとイチャイチャし始めて、ぶん殴られたりして」
 「あー、ありそうですねソレ。凛音様といると、アウラ様もかなり悪乗りしちゃいますし。―――ああ、不安になってきた。大丈夫かな、ホント」
 凛音が、ではなくシュリフォンの国体が。
 なんだか碌でもない創造しかわかないと、テーブルに顎を乗せたままでワウアンリーは頭を抱えた。
 

 そんな兄の従者のだらしない姿を見ながら、マリアは久しぶりに影の無い笑みを浮かべる事に成功した。

 
 突然現れ、そして強大な力で持ってハヴォニワ王城を壊滅に追い込んだ、二体の黒い聖機人。
 その恐ろしい力から辛くも脱出し、今日まで二週間以上、追手―――シトレイユ軍ではなく、忌々しい事にハヴォニワの諸侯軍であった―――の追撃を撃退しながらオディールであてどなく逃げ続ける日々。
 身一つとなった母にすら完璧な忠誠を見せる手勢の聖機師たちは流石に優秀だったから、これまで大事無く敵を撃退し続けられていたが、それでも追われるだけと言う時間が長く続けば気が滅入りもする。
 おまけに、何とかして調べ上げた聖地へと進軍した兄の近況を知ってみれば、謎の大爆発により聖地壊滅―――因みに、その情報を聞いたとき母がアルカイックな笑みを浮かべていた―――加えて、兄が意識不明と言う碌でもない事実が判明して余計に気が重くなる。
 いい加減ノイローゼにでもかかりそうな状態だったから、こうして兄の従者を捕まえる事が出来たのは幸いだった。
 兄がまた無茶を繰り返せる程度には無事だということも、母たちの口ぶりからして信用が置ける情報のようだし―――。

 「……?」

 母と兄の従者の会話を反芻して、何処か違和感を覚えた。何時もどおり、鬼の居ぬ間に好き放題、と言う感じで何処もおかしいところはなかった筈なのに―――何かが。

 ―――様。
 ―――ちゃん。

 「―――っ!」

 何度瞬きした所で、その答えに間違いなど無い。
 息を呑み、唇に手を当て、額に汗が伝おうと、何も答えは変わらない。
 顔を上げる。不思議そうにマリアを見ている母と、そして兄の従者の姿に気づいた所で、答えは動かない。

 「少し、宜しいですか?」

 ならば、聞いてみるしか、ないのだ。

 「さきほどから、その―――。何度も出てくる、”リンネ”なるお名前は……その」

 母が、目を細めて薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。

 「ええ、”甘木凛音”ちゃん。―――貴女のお兄様の名前よ」







     ※ ……え? 一ヵ月半ぶり?



[14626] 46-4:神にも悪魔にも凡人にもなれる男・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/26 22:15


 ・Scene 46-4・



 「お兄―――っ、やはり!」

 アマキリ・ンネ―――違う。

 甘木凛音。

 アマギリ・ナナダンなる適当な単語を繋げた様な仮の名前を有していた、マリアの―――やはり、仮初の兄の、それが本当の名前。
 如何にも異世界人らしく、家名が前に来ている事からも、信憑性が非常に高い。

 遂に知ってしまったその名前に、驚愕の面持ちを―――浮かべているのは、ぶっちゃけマリアだけである。

 「……よく考えたら、何であなた達はそんなに落ち着いて、さも当然のように話してらしたのですか」

 母はニコニコしているだけだし、ユキネは何を考えているのやら、無言で茶を啜っている。ワウアンリーなどは、”え? 知らなかったの? ”みたいな実に忌々しい顔をしていた。

 「やー、あたし四月の半ば辺りには聞いてましたんで、てっきり皆様も……」
 「あらワウちゃんたら早いのね。私この間のバカンスの初日に初めて聞いたわよ」
 「―――私は今日、初めて聞いた」
 
 何て事の無いように自己申告を始める年長者達の態度に、マリアも驚愕している自分が、いっそ恥ずかしく思えてしまう。
 「……ユキネが何も驚いていないのが不思議ですが」
 「お姉さんが居るって聞いてたから、―――大体予想通り」
 ジト目で、自身と同様に今初めて兄の名前を知った筈の従者を睨んでみると、楚々とした態度で返答された。
 「お姉さん―――と言うと確か、アレですわよね、貴女と同じ名前の」

 
  『あ、そういえば因みに、一人だけ名前が思い出せた人が居るんだ。僕には雪音と言う名前の姉が居た。これは絶対だ。間違いない』
 

 雪音―――”ユキネ”。
 本人が”アマキ”なる家名であるなら、姉であるその人の家名もアマキ―――繋げれば、アマキユキネ。
 「先ほど聞いたお兄様のお名前が”アマキリンネ”で―――そっか、アマキリ……アマギリで、”ネ”ですね」
 異世界人の名前は表意文字で記されているから、おそらく”ネ”と言う共通の意味を持つ単語を、姉弟で共通させているのだろう。
 アマギリと言う名前も、何やら熱を出して朦朧としていたときに自身が口走っていた単語を組み合わせて名付けたとか言う由来だった筈だから、なるほど、改めて整理してみると直ぐに気付けそうなものですらある。
 
 いや、でもそれと驚かないのとは違うと思う。

 「と言うか、なんでワウアンリーは四月!? え? あの方その頃にはもう……!?」
 一番驚く所なのはそこだと思う―――と思うのだが、思っているのはマリアだけらしい。一斉に何を今更と言うか緒をされた。
 ワウアンリーが苦笑交じりに頭をかく。鎖がジャラジャラと五月蝿かった。
 「あはは、あたしはホラ、お仕事柄他所に広げられない話も色々聞かされてますから。特にあの頃は、殿下も結構不安定な感じでしたからねー」
 「不安、定……?」
 さらりと深い絆を感じさせるワウアンリーの言葉に、首を捻る。
 当時―――四月の半ば頃となると、マリア自身も聖地学院に通学し始めた頃で、色々と苦労していた記憶も―――あるだろうか。
 正直、あの頃は何やら物思いに沈む事が多かったから、あまり記憶に無いというのが本当だ。兄とも殆ど顔を合わせていなかった気がする。同じ屋敷で暮らしていたというのに、片や聖地、片や城と言う遠距離で暮らしていた頃よりも薄い繋がりになりかけていた頃だった。

 「マリア様も不安定だった頃だ」
 「ええ。兄妹で二人して微妙な感じで、我々従者一同が非常に居心地が悪かった時期です」
 ユキネの言葉に、ワウアンリーが大いに頷く。ユキネはそのあと少し考えるように天に視線を逸らして、言う。
 「―――……”舞踏会”も、ひょっとしてその流れ?」
 「ああ、ありましたねそんなの。いい感じにからまわってましたよね、あの辺」
 「普段はもうちょっと余裕あるもんね」
 納得と、ユキネは微苦笑交じりに頷いた。
 「……そこで何故私を見るのですか、ユキネ」
 「―――普段は、もうちょっと余裕があるもん……ね?」
 「疑問系にするんじゃありません!!」
 マリアは思いっきりテーブルを叩いて声を荒げた。どう考えても微塵も余裕が無い態度である。
 
 舞踏会と言うと、一連のアレでソレな結末に至るあの辺の事態である。
 思い返すに良い思い出になっているとは思うが、正直余り思い出すべきでもない嬉し恥ずかしな、つまりはそんな感じである。
 
 「四月の頭辺りにホラ、剣士が現れたじゃないですか。あの辺りで何ていうか、”霧が晴れてきた”みたいなこと言ってましたから」
 「きっかけは、―――剣士さんですか」
 兄が柾木剣士なるラシャラの従者の少年にご執心だったのは知っている。その少年が、異世界人だということも。
 「ジュライ―――でしたっけ? 凛音様の故郷の。剣士は何でも、その国の皇家の直系に位置する人なんじゃないかって」
 凛音自身は木端分家に過ぎないらしいですけどと、ワウアンリーは腕を組んで一々思い出しながら言う。
 「詳しい、ですわね?」
 「あたしあの方の愚痴を聞くのが仕事の大部分ですし」
 ほかの事は大抵一人で出来ますからねーと、笑いながら言ってのけるワウアンリーは、マリアには急に遠い存在に思えてきた。
 「そういえば、あの頃から会話の端々に固有名詞が出てくることが増えてたね」
 「貴女は貴女で、よく見てますわね……」
 思い返しながら小首を捻るユキネが、何時も以上に大人に見えた。
 自分ひとりでいっぱいいっぱいだったマリアに比べて、二人ともちゃんと周りの事が見えている。
 「まぁまぁマリアちゃん。そこで”自分のために不安定になっていてくれたんだ”って思ってあげるのが女の甲斐性ってものよ?」
 少しへこんでいた娘の内心を察してか、フローラが微笑を浮かべて口を挟む。
 尤も、フォローしている当人の、その余裕の態度が余計にマリアを惨めな気分にさせるのだが。

 「なんだか、私だけ何も気付かずに自分の事ではしゃいでいるだけで。―――情け無いですね」

 「あー、そういうのとも違うと思いますけど」
 余計な話をしちゃったかなぁと、沈んだ様子のマリアに、ワウアンリーは苦笑を浮かべる。
 「どうせ私はまだ子供ですもの」
 ワウアンリーの態度を余裕と見て取ったのか、マリアは拗ねた声で応じた。と言うか、完全に拗ねていた。
 どうしたものかと、救いを求めるようにフローラに視線を送ってみると、フローラはニコリと笑って応じた。

 嫌な予感がした。
 
 止める暇がなかった。


 「―――家族ごっこも、いよいよお終いって感じかしら」


 ガタン、と椅子を揺らしたのは、やはりマリアだけだった。
 驚愕の面。瞳はぶれて、言葉も無い。

 一人だけストローでジュースを啜っていたワウアンリーが、少しだけ瞠目した後で、まず口を開いた。
 「あたしの立場って―――」
 「契約更新をしないのなら、後はご自由にって感じかしら」
 「あ、そういえば複数年契約扱いでしたね。卒業まであと―――早くても、三年ってトコですか」
 じゃあ良いやと、それだけ確認してワウアンリーはあっさりと言葉を納めた。身の振り方は既に決めており、その妨げになるものがあるのか、無いのか、それだけが確認したかったらしい。
 先のフローラの言葉には、一片の感想すら述べなかった。
 マリアは慌ててユキネに視線を滑らせる。その行為に何の意味があるのか、自分でもよく解っていない。
 ユキネは主の切羽詰った視線を受けても、落ち着いた姿勢を崩さなかった。
 一口紅茶を口に運んだあとで、ゆっくりと口を開く。
 「男の子って、いずれ自立するものだと思う」
 「そうねぇ、可愛い子には旅をさせろっていうものね」
 然もありと頷く母の横で、マリアは視界が真っ黒になりそうな衝撃を受けていた。
 「そん、そんな、でも……」
 フラリとよろけるような足取りで体を母の方にに返してみても、母は穏やかな顔でカップを口に運ぶだけで何も言わない。
 
 何故、何故、何故と、纏まらない思考が胸を焦がす。
 
 家族”ごっこ”の終わり。当然だ。元より血のつながりなど何処にも無いし、アマギリ―――凛音もまた、この関係は”いずれ終わる”と言っていた。
 そしてマリアもその事実に何処かで気付いていた。気付いていて、それでも引き止められると―――縦しんば、そうであっても。
 時間があればどうにでも出来る筈だった。筈だったのに―――知らないうちに、自分ひとりだけが気付いていなかっただけで、とっくの昔に時間切れを迎えていたなんて。
 じゃあ、今までの、少なくとも自身の気持ちをはっきりと認めていた、この数ヶ月の出来事は―――何故、何の意味が。

 解らない。何も。混乱して、思考が纏まらず。
 
 ―――何よりも一番解らないのは。


 「…………なんでお母様はそんなに落ち着いてらっしゃるのですか?」


 その事実に気付いて、急に冷めた。
 「あら、悲劇のヒロインはもうお終い?」
 「だまらっしゃい! 一番執着心が強かったお母様がそんなに平然としてる段階でもう色々おかしいでしょう!?」
 「マリア様、怒鳴ると図星っぽい」
 「貴女も少し黙りなさいな!!」
 台無しだった。
 肩を怒らせて怒鳴る少女を、誰も彼もが微笑ましい顔で見てたりするものだから、見られている当人としては赤面しながら強がるしかないだろう。
 ドカンと、姫君らしい優雅な仕草で椅子に座り込んで母たちを睨みつける。
 「―――それで、どぉ言う事なんですか?」
 「何が?」
 「お・か・あ・さ・ま!?」
 愛らしく―――忌々しくもある―――小首をかしげる母に、眉間に皺を寄せて言葉を震わせる。
 勘定が面に出やすい娘の少女らしい態度にフローラは微苦笑を浮かべる。

 「そんなにカッカしないの。―――それに何を思っているのか知らないけど、あの子の立ち居地がズレた事には何も変わらないわよ?」

 「―――ズレた?」
 軽く目を瞬かせたのはユキネだった。フローラはうなずきを返しながら続ける。

 「あの子は今まで自分の内側、中心にあるものが解らなかった。だから、そこから少し離れた位置に自分の主観を置いていた。此処での人間関係も、全てその位置で作り上げてきたの。―――でも、もう違う。あの子は自分の中心を掴まえて、そこに戻った。つまり―――」

 「―――距離感が変わる、って感じですかね」
 「当面のライバルは、やっぱり剣士ちゃんかしらねぇ?」
 引き継いだワウアンリーの言葉に、フローラは悪戯っぽい笑みを見せた。
 「今も……剣士を取り戻すのに、命がけ?」
 「ぶっちゃけガイアより優先度高いと思いますよ、アレ」
 「私達の安否よりもねぇ」
 「意地張らずに連絡すれば良いじゃないですか」
 「こういう時に意地を張ってこそ、女の子ってものでしょ?」
 「おんなのこ……?」
 「ユキネちゃん、何か言ったかしら?」
 「別、に……」

 微妙に不穏な空気を撒き散らせながら雑談モードに突入した年長者三人を放って、マリアは再び思考の淵に沈んでいく。

 ”距離感が変わる”。

 これまで数年間の付き合いで、それなりに縮まった距離があって、でもそこから片方だけが位置が変わる。
 対岸に居たのが川の真ん中に来たのなら、それは近づいてきたとも言えるのだろうが、岸の上と川の中では見える景色も違うし、見方も変わるだろう。ついでに、川の中ではものを見る以上に他の何か、優先する事が出てくるかもしれない。それでは一概に近づいたとは言えない。
 逆に対岸に立っていたのがさらに遠のいたとして、それはどうなるだろうか。今まで見えなかった、相手の全身が見えるようになるのか。
 
 それとも―――相手が見えないほど、遠くへといってしまったのか。

 雑談を続ける母達に視線を送る。
 一様に、不安そうな面は見えない。淑女の嗜みとしてそういった部分は見せないようにしているのかもしれなかったし、真実何も心配していないだけかもしれない。いや恐らく、後者の考え方がきっと正しい。
 ”自信家”だと呆れてしまう反面、羨ましいとも思える。こういう時、マリアは大抵思考がネガティブな方向へと走ってしまうから、特に。
 何だかあの人が絡むと、定期的にこんな気分になるなと、マリアは懊悩する自身に苦笑を浮かべた。

 それにそう、こういう気分に陥った時の解決法も、決まっているのだ。


 ―――♪ ―――、―――♪ ―――♪♪


 「え、嘘?」
 
 突然鳴り響いた、機械的なハーモニー。その音の出所に据わっていたワウアンリーが、ぎょっと目を剥いた。
 慌てて知りの辺りに手を回し、ポケットからコンパクトサイズの結晶体を取り出す。
 多少見てくれは知っているものとは違ったが、それは双方向映像通信端末である事に間違いはなかった。
 今日免状に磨き上げられた情報表示部分を覗き込んだワウアンリーは、そこに表示された文面―――記された名前を見て、益々目を丸くする。
 「うわ、何これ? 天変地異の前触れか何か?」
 恐れおののくように呻くワウアンリーが見つめる情報表示分には、こんな名前が記されていた。


 ”ヘタレーノ・カッコツケ”


 「あらあら、まぁまぁ」
 「……意外」
 一緒に表示部分を覗き込んでいたフローラとユキネが、やはり目を丸くしていた。
 「どうせ、仕事の話だけなんでしょうけどねー」
 ワウアンリーが半眼で空笑いを浮かべながら、通話機能を開こうと指を伸ばす。

 それを横から、マリアは掠め取った。

 「あ」
 「え?」
 「あらあら」

 驚いているんだか楽しんでいるんだかよく解らない声を漏らす年長者達を差し置いて、マリアは自分の手元に引き寄せた通信端末を起動させる。


 『よう、何処に居るのか知らんけど、急ぎで用意してもらいたいものがあるから、ええっと、今からリスト送るから明日までに―――……ぉお?』
 

 赤ら顔の男が、そこに居た。

 『どうした凛音、うすら馬鹿の様に目を見開いて―――む』

 その立体映像の背後、肩の辺りから、やはり頬を薄く朱に染めたダークエルフの女性が顔を覗かせた。

 『何じゃ酔っ払いが二人して―――お? おぉ、マリアではないか。まだくたばっておらなんだか』

 ダークエルフの女性とは反対側の肩口に、金糸の髪を持つ少女が、こちらを覗きこんで悪態を付き始める。


 ―――正直な話。
 そのどちらも、マリアの視界には入っていなかった。

 
 『あ―――……スマン、掛け間違えた』
 「お待ちなさい」
 体をのけぞらして端末から遠のこうとしていた男を、ドスの聞いた声で押し留める。逃がす気は欠片もなかった。
 男は固まっている。その代わり、両隣に映っていた少女達は、いつの間にか姿を消していた。
 「因みに、その通信解除ボタンに指を触れた場合、このオディールに搭載している反応兵器をシュリフォン王城に撃ち込みますのでそのつもりで」
 『あー。そういえば城の工房に残しておいたもんなぁ』
 物凄く据わった目が怖かったせいか、男はこっそりと伸ばしていた手を引っ込めた。相当怖かったらしい。
 「―――さて」
 『なんでせうか、お姫様』
 コホン、とわざとらしい咳払いをして表情を正したマリアに、男は思いっきり腰が引けていた。
 「とりあえずは、お久しぶり、でしょうか―――」
 『ああ、まぁ二週間ぶりくらいかな。久しぶりといえば久しぶり―――じゃ、ないかな、多分。まぁなにわともあれ……」
 目を泳がせながら早口でまくし立て―――多分、頭を高速で回転させて言い訳でも考えているのだろう。
 呆れて溜め息を漏らしたい気分も合ったが、それはそれで癪だ。特に、興味深そうにこちらを伺っている女性達が―――恐らく、通信機の向こうも似たような状態だろう。と言うか、明らかに寝室らしき場所で、女性を連れ込んで昼間から酒宴とか、どういう状況なんだろうか。
 
 言いたい事は幾らでもある。
 此処暫くの沈んだ気分を、どうしてくれようかと。
 一体なんで、私にばかり何も言おうとしないのかと。

 まずはともかく―――何処から始めればいいのか。
 唇の端を持ち上げて、マリアは一つ思いついた。意趣返し―――それとも、自分に対する運試しか。
 通信機越しの距離は、果たして空想の中の川の幅よりも、広いのだろうか。

 
 「本当にお久しぶりですね、お兄様。―――それとも、凛音さん、とお呼びした方が良いのかしら?」
 







     ※ 駄目亭主的なアレである。



[14626] 46-5:神にも悪魔にも凡人にもなれる男・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/27 22:19


 ・Scene 46-5・






 「……酷い目に合った」

 「それはアレか。ひょっとして突っ込み待ちと言うヤツか?」
 どんよりとした顔で通信を終えた凛音に、アウラが冷静な顔で突っ込む。因みに、嫌な感じに酔いが冷めてしまっていたので、酒瓶その他は既に片付けられていた。
 「と言うか、妹との久々の語らいが終わった瞬間に出てくる言葉がその体たらくな辺り、お主も大物といえば大物じゃの」
 身内には欲しくないが、とラシャラが面倒そうに首を振る。処置なし、とか思っていた。
 「いやでもさ、ホラ。僕にも色々心の準備をしたいところもある訳で。開口一番妹から他人行儀で呼びかけられるってどうよ?」
 情けない顔で言い訳にもならない言い訳を口にする凛音に、二人の少女は揃って半眼で応じた。

 「「お前が悪い」」

 「ですよねー」
 解ってたけどさ、と通信中から続いていたわざとらしいほどの情けない仕草を止めて、凛音は諦念混じりの微苦笑を浮かべた。
 「ま、何時までも同じ場所にはいられないって解ってたけど、朝にあんなカッコつけたばかりで、いきなりコレだよ」
 笑わずには居られないと、そういう顔をされてしまうと少女達もあまりきつく言えなかった。
 「……別に、マリアもそれほど気にしている風には見えなかったが」
 「あのさラシャラちゃん。気にされて無いならされてないで、それはそれでキツくない?」
 「う……むぅ」
 言葉に詰まったラシャラに、凛音は嫌な返し方をしちゃったねと、肩を竦めて謝意を示した。
 「捨てられなかっただけ、良しとすべき場面だろうしね」


 ―――『あとでゆっくりお話しましょうね』


 ゆっくり話して、それでどうにかなってくれる問題なのかは、生憎解らないのが凛音と言う人間だった。
 「なに、アウラさん?」
 「いや、別に。―――相変わらず見ていて飽きない男だと思っただけだ」
 「……他人の不幸は密の味とか、アウラさんも随分性格悪くなったよね」
 「お陰さまで、悪い友人が傍に居たからな」
 不貞腐れる凛音に、アウラは苦笑交じりに返す。

 あんなもの、話の流れから相手の顔から、どう考えても久しぶりの会話で兄に甘えている妹の図にしか見えないだろうに、何故この男は気付かないのだろうか。
 同じ場所に入られない。なるほど事実だろう。
 しかし、結局”皆が同時に次の場所へ”移動しているのだから、何を恐れる事があるのか。

 「―――ま、その辺は後でのお楽しみって事で。とりあえず手駒が増えそうなのは良かったかなぁ」
 相も変わらず気分の切り替えだけは早い。凛音はあっさりと表情を改めて目の前に控えた問題に思考を移した。
 「だが、間に合うのか?」
 一つ息を吐いたあとでやはり真面目な顔に切り替えて尋ねるアウラに、肩を竦めて応じる。
 「流石に遠すぎるんじゃない? この際ほら、”来るかも”ってのが誘いにでもなれば御の字くらいの気持ちだよ。―――後は、向こうは向こうで動きを見せる訳だから、そっちに少し敵が分散してくれると嬉しいよね」
 「身内をあっさりと陽動に使うつもりか。―――その辺り、割り切ると存外ドライに徹するの、お主」
 オディールの面々も危機に晒されるのではないかとの視線を送ってくるラシャラ。凛音はまぁね、と疲れた息を吐いて応じる。
 「それを言われるとね。でもホラ、次は本当に無理ゲーが控えてるし」
 「―――剣士じゃな」
 「樹雷の流儀で柾木家の皇子と向き合わなきゃいけないなんて、とんだ人生の大事だよホント。僕一人じゃ、とてもじゃないけど無理だ」
 「なんだかんだと言っておきながら、結局キャイアにカンフル剤を入れたのはそのためか」
 「腕は良いから、あの人」
 好みではないけどと、いらない一言を付け加えつつラシャラに応じる。
 「姉―――……ユキネさんも間に合ってくれるとホントに実際、大助かりなんだけどね」
 「言い直す必要あるのか、今の」
 「なんとなくで重ねちゃうとね、本物の雪姉にもユキネさんにも失礼な気分で」
 苦笑交じりに返す凛音に、アウラは深々とため息を吐いた。
 「それ、予想だが本人の前で言うと引っ叩かれると思うぞ」
 ジト目で突っ込むアウラの横で、ラシャラも頷いていた。
 「まぁ、きっとそれも”後の楽しみ”とでもいうヤツなのじゃろ。―――ともあれ、ワウが”荷物”を運んで来れない以上、取れる手段はこの辺りで全てか?」
 「ああ、そっちはあんまり期待してなかったから良いさ」
 「―――相変わらず無茶振りしておきながら酷いな」
 「兵站線は幾らあっても助かるし、ついでに、僕があの子に連絡して、あの子の挙動が少しずれたって言う事実の方が欲しかっただけだし。―――オディールに居るのは予想外だったけどね」
 まいったまいったと、冗談染みているようで、そこには本気の気分があった。
 「ワウだけは本気で囮扱いにするつもりだったか」
 「あの子はソレが仕事」
 眉根をしかめるアウラに、凛音はあっさりと言い切った。ラシャラが苦笑混じりに言う。
 「信頼している―――と取るべき場面か、悩むの」
 「あの子も何だかんだで、聖機師としては良い腕持ってるからね。手元に居てくれればもうちょっと有利な状況も作れたんだけど、何か勝手に居なくなってるし―――まぁ、罰ゲームみたいなものだと思ってもらうさ」
 「従者の心主知らず、とでも言うべきか」
 「コレはコレでかみ合ってるのではないか?」
 アウラとラシャラは顔を見合わせて微妙な笑みを浮かべる。

 「ともかく、向こうは向こうで変わらず頑張るだろうさ。最悪フローラ様辺りまで聖機人で暴れ始めそうだけど。―――問題はこっちだよね。アウラさんに掛かる負担が大きい感じで申し訳ないかな」

 「致し方あるまい。必要な犠牲と言う言葉は理解できているつもりだが、それでも悪戯にシュリフォンの民を危機に晒す訳にもいかないからな」
 凛音の言葉に、アウラはそれ以上言う必要も無いと言いたげな目で返した。

 「―――この身は、シュリフォンの王女なのだから」

 「―――僕も将来的に、そうなるんだっけ?」
 「それはお前の努力次第だ」
 「どっちの方向に努力するんじゃ、そなた達」
 進むのか退くのか。端から見ているラシャラにとっては面白いとだけ感じられる話題ではある。
 「ソレも後の楽しみって事で一つ」
 「嫌な事は後回し、と言う発想と違うかそれ」
 「気のせい気のせい。―――ともかく、僕だって”あまり”意味の無い犠牲は出したくないからね、鋭意努力を期待しますとしかいえないかな」
 ラシャラに軽い言葉で応えたあと、凛音はアウラと確り向き合って言った。真面目な言葉である。
 「期待されよう」
 アウラも神妙な態度で頷く。―――そのあとで、少し表情を崩した。
 「なんだか、父上に申し訳が立たない気分もあるのだがな」
 「子供を溺愛してる親の図ってのは割りと有触れてるし、気分は解るんだけどね。―――でも悪いけど、今回はババを引いてもらうよ」
 アウラの言葉に苦笑を浮かべながらも、凛音は断固とした口調で言い切った。その様子を、ラシャラが面白そうに言った。
 「正しく、おぬしはジョーカーのようなものじゃものな。―――敵のエースを相手に何処まで立ち回れるか……剣士め」
 敵に回ればこれほど恐ろしいものは無いと、あらゆる面において万能を発揮していた少年の姿を思い出し、身震いする。
 「……勝てるのか?」
 不安な様子を隠しようもなく尋ねるラシャラに、凛音も暗い瞳で応じた。

 「やり方次第。生かしたまま捕獲って言うのが一番ネックだよなぁ。―――後は、そうだね。エースも二枚までなら処理できるけど、三枚詰みだったら……」
 「……だったら?」

 問いかけるアウラに答えず、凛音は手元に置いたままの通信端末に指を滑らせ、何処かへと通信を繋げる。
 通信が繋がるまでのタイムラグの間に、ポツリと、呟いた。

 「まぁ、此処まできたら、最後は化かしあいだな」



 『―――以上です』



 「ほう、まだシュリフォンに留まっておったとはな。貴様の予想も外れたというわけだ、ユライトよ」
 だからと言って全く責める様な口調にはならず、ババルン・メストは暗い愉悦を纏わせた笑みを顔に貼り付けていた。モニター越しに向かい合う弟に対する口調は、優しげですらある。
 「それで、攻めると?」
 『はい。ドールと柾木剣士。二体の人造人間の力を用い、全力でアマギリ・ナナダンを撃破します』
 「二人同時に使うか」
 巨大モニターに映された戦闘艦艇のブリッジ、中央に立つユライトの後ろに色の無い目で立ち尽くす二人の人造人間を見やりながら、ババルンは鼻を鳴らした。
 兄の疑問に、ええ、とユライトは頷く。
 『異世界の龍―――女神の翼の力は強大です。崩壊した聖地からガイアの盾の発掘が遅々として進まぬ以上、人造人間二人と言う最大戦力を用いて一撃で決めるべきです』
 「フン、―――女神の翼か」
 忌々しいとばかりに弟の言葉に吐き捨てた後で、ババルンはニヤリと笑った。

 「―――しかしな、ユライトよ。最大戦力と言うのに、”二人では少ない”だろ?」

 『―――は? も、もしやガイアの盾の発掘が完了したのですか?』
 ババルンの言葉に、モニターの向こうのユライトの能面じみた顔が崩れた。戸惑いが瞳を揺らしている事が、ババルンには事の外おかしかった。
 「異世界の龍が残した置き土産は、中々に面倒を残してくれた。大量の土砂と焼け爛れ、そして冷えて固まった強固な岩塊の中から、ガイアの発掘を行うのは骨だ。―――私が言っているのはそういう事ではない」
 あっさりと弟の期待―――期待? ―――を否定して、ババルンは言葉を続ける。

 「全力で当たるというのならば―――何故、”三体”全てで当たろうとしない?」

 ユライトの目が大きく見開かれた事は、疑いようの無い事実だった。
 『三、体?』
 ババルンは今こそ隠しようも無い愉悦を滾らせながら、”おとうと”に言い募る。
 「女神の翼。なるほど、座して見逃す訳には行かない目障りな存在だと言う言葉は理解できる。確実な対抗手段であるガイアが復旧し切れていない以上、ドールと柾木剣士を向かわせるという判断も正しいだろう。―――だがそれで足りると思うか? いかな人造人間が操っているとは言え、ただの聖機人であの龍の化身を打ち滅ぼせるか―――答えは否。”人”に”龍”は殺せない。食い殺されるのがオチだ」
 『―――……では、お止めになると?』
 探るような態度を隠そうともせず、ユライトは鈍い口調で尋ねてくる。ババルンは子供の悪戯を咎めるかのような笑みを浮かべて首を横に振った。
 「言ったであろう、女神の翼を見過ごす訳にはいかぬと。なにしろ、貴様が漸く居場所を吐いてくれたのだ。巣穴からあぶりだして膾切りにするのに、この機会を置いて他にあるまい」
 
 言葉に、不審な部分は無い。
 では何故会話の中に、これほど不吉な空気が漂っているのか。


 「なぁ、ユライト―――いや、”ネイザイ・ワン”」


 ―――ユライトには、永遠に気付く機会は与えられなかったのだ。
 何時ものように彼は、兄に”名”を呼ばれたが段階で、虚ろな瞳の人形に成り果てるのだから。

 当然の話である。
 ババルン・メストは彼をガイアの人造人間たらしめた聖機工であった父の教えを受けて聖機工として大成した。
 無論、先史文明時代に生きていた自身の知識を利用していた事も否定しないが、父だった男の残した各種研究資料も、充分役に立った。
 半身であるガイアのコアユニットの発見がこれほど早く済んだのも、その資料のお陰である。

 父の―――”不慮の事故”による―――死。

 メスト家の長兄であったババルンは、その研究の全てを引き継いだ。
 資料の多くは、ババルンにとっては既知のもので役に立たないものばかりだったが、その中の幾つかは、実に重要なものがあった。

 ババルン自身の―――ガイアの人造人間である自身の器以外にも、父は別の人造人間の器も発見していたのだ。

 そして、何よりも有効だったのは、人造人間を支配下に置き、制御する方法が記されていた資料である。
 あらゆる人造人間のアストラルコードに刻み込まれた、服従の烙印。先史文明次代ですら早い段階で失伝していたその方法を、父は復旧する事に成功していたのだ。

 発見した二つの器。一つはババルンに、では、もう一つは―――?

 若き日のババルンは”ある事実”に直ぐに気付いた。事実にさえ気付いていれば、その”視線”は不審に過ぎたから。
 そして試して―――成功したのだ。

 ソレがまさか、かつて自身を滅ぼした憎き聖機師であったなどと言うのは、運命の皮肉と言うほか無い。
 ―――あるいはそれこそが、ガイアによる世界の破滅を望む天意なのか。

 「異世界の龍の、そしておまえ自身の企み。―――全て話せ」
 『はい、兄上』
 「―――ック。ハッハッハッハ。お前は昔から、本当に素直な弟だよ」

 ババルンが見つめるモニターの向こうに映るのは、表情をなくした三体の人形の姿がある。
 かつて敵だった、忌まわしき先史文明の遺産は全て、最早ガイアの手の内にある。

 「遮るものなど、最早何も無い。滅びを開始する刹那の間際に―――精々、化かし合いでもして競い合おうではないか、異世界の龍よ。茶番も部慮の慰め程度にはなる……クッ、クハッ、ハッハッハ、ハァ―――ッハッハッハァ!!」

 嘲笑が、世界を見たさんがばかりに、響き渡った。
 
 しかし誰も咎めるものなどいない。

 ―――だって、そこには。

 
 意思を持たぬ人形しか、居ないのだから。




 ・Scene 46:End・







     ※ 魔装機神が発売されましたねー。
       コレを書こうとする前に、魔装機神のSSとか良いかなーとかネタ出しレベルまでは考えた事あったんですが、
      まぁ、当時は移植されるなんて解っている筈もなく。
       流石に14年前のゲーム実家から引っ張り出してくる訳にもいかんだろ、と言うことで、リアルタイムでやってる
      異世界ロボットアニメ、と言うことでこれに目をつけることに……。

       他にはライブレードとかの案もあったんですがね。アレも今からやり直すには、ねぇ。フルリメイクしてくれんかなぁ。
       ライブレード以外の機体もまともに使えるバランスにして、後、ロード時間短くするだけで良いから。



[14626] 47-1:黒と黒と黒の聖機人・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/28 21:27


 ・Scene 47-1・



 『と言うわけで、明後日。王宮中庭の特設会場な』
 
 「了解はしましたが……幾つか聞きたい事があります」
 『手短になら、聞くよ』
 面倒だけどと言う態度を隠そうともせず、小型通信端末の上に表示されたアマギリ・ナナダンの立体映像は肩を竦めた。
 手のひらサイズの投影装置の上に表示されたバストアップのアマギリの映像は、何故か顔が赤らんでいるように感じられて、ユライトは眉間に皺を寄せざるを得なかった。
 まだ夕方にもなっていないというのに、何故酒精を入れたかのような顔色になっているのか。

 本当にコイツに賭けて大丈夫なのか?

 またぞろ、疑念がわきあがってくる。
 内面を読ませない不真面目な外面が、どうにもユライト―――特にネイザイにとって、生理的に好きになれるタイプではないのだ。若さに見合わぬ老獪さ、少年的な陽性の前向きな情熱など一切感じさせない現実的な態度。
 実際非常時には頼りになるのだろう。問題は、ソレが齎す結果が、ユライトにとって予想外なものになるのが予想できることで。
 
 「―――まず剣士君をそちら側に引き渡したとして、ガイアの束縛を解除する手段は本当にあるんですか」

 『あるよ?』
 
 無いわけ無いだろうと、馬鹿にしたような言葉。口調があまりにあっさりとしすぎていて、信用できない。
 「破綻寸前、少しでも刺激を加えれば崩壊してしまうようなボロボロに壊された精神を復元しようなどと―――具体的な方法は?」
 『企業秘密。―――にしても、やっぱりそこまで酷い状態なのか。それだけガイアも剣士殿を恐れてるって事なのかな。反抗される危険性より使い物にならなくなる道を選ぶなんて』
 由来との言葉尻を拾って冷静に解釈を進めるアマギリに、苛立ち混じりに重ねて問う。
 「……教える気は無いと?」
 『ある訳無いだろう』 
 「貴方の迂闊な行動が剣士を今度こそ本当に失わせる事になるかもしれないのですよ?」
 『ろくな説明もなくただ”剣士殿を聖地に連れて来い”って強請りを掛けてきたのはお前だろ? 何他人事みたいに言ってるんだ』
 共通の敵を出し抜くために手を組むべき相手に、にべも無い。普通、心の中でそう思っていても、面には出さないものだろうに―――まったく、この傍若無人な男を育てた人間の顔が見たいものである。
 『―――で、質問はソレで全部?』
 もう通信を切って良いかと言う顔で聞いてくるアマギリを大声で怒鳴りつけたい気分になりながらも、ユライトは首を振り払って堪えた。
 「……いえ。もう一つ。明日はこちらの都合上ドールも向かわせねばなりません。貴方はドールを……」
 『ああ、メザイア・フランならこっちにも都合があるからな。―――殺さずには済ます。と言うか、いずれこっちに渡してもらうぞ』

 今回は無理だけど。

 何時ぞやは確実に殺しに行っていたのに随分と甘い方向へとシフトしていた。
 信用していいものか、はっきり言って信用できないが、信用するより道は無いのだろう。
 「なら、良いでしょう。明後日は貴方の要望どおり、教会施設の地下にある転位装置を用いて、剣士君とドールを、シュリフォン王都へ奇襲に向かわせます」
 『そして僕は罠を仕掛けた場所に剣士殿を誘導し、無傷で捕獲。―――簡単な仕事だ。アンタがしくじりさえしなければね』
 「その言葉をそっくりお返ししますとでも言えば貴方は満足ですか? 精々、その過信が足元をすくわれないように気をつけて欲しいですね」
 駄目だ、話していると苛立ちが湧き上がってくると、ユライトは半ば捨て台詞な言葉を残して一方的に通信を切断した。

 後には静寂が残される。

 「―――本当に、何処で道を間違ったのか……」
 あんな男と協力をし合わねばならないなんて、不覚以上の何物でもない。そもそも、元はといえばあの男の存在から剣士がガイアの手に堕ちるなどと言う異常事態が発生しているのだ。
 「剣士がラシャラ女王達の元に戻った段階で、速やかな排除を試みるべきでしょうか」
 薄暗い自室で、ユライトはじっと瞠目しながら、呻くように呟く。

 ―――彼は、自分の言動に疑問を覚えない。
 ガイアを破壊し、ジェミナーを救えるのは、自らの導きだけなのだと―――まるで誰かに強く言い聞かされたかのような頑迷さで、改めて自らの心に言い聞かせる。

 ―――彼は、自分の言動に、疑問を覚えないのだ。



 「父上、少し宜しいでしょうか」

 「む、―――アウラか。明後日の事ならば……」
 「ええ、そのことで少し。アマギリ王子から書状を預かっています」
 執務室に訪れた娘の纏う、些か酒気の混じる空気に眉根を寄せながらも、シュリフォン王は何も言わずに娘が差し出してきた封書を受け取った。
 「アマギリ王子、な」
 勢いで殴り飛ばしてしまい―――ついでに、明日も思い切り殴る予定のハヴォニワの王子の顔を思い出して、顔をしかめる。
 飄々とした―――飄々としすぎた態度。果たして何処までが演技で、本音なのか。果たしてあの会話の中では理解できなかったから、結局解りやすい手段を選ぶことになった。
 「決闘の予定は撤回せぬぞ」
 拳を交わせば何か解るだろう。戦時においてそんな暇も無いだろうにと思わないでもないが、彼の王子の要望を聞き入れるか否かに、シュリフォンの未来に対する一定の指針が与えられてしまうのだと思えば、やって損もあるまい。

 「例え嘘か真でも、な」

 「父上」
 ニヤリと笑みを浮かべてみせると、娘は少し驚いたように目を瞬かせた。
 「賢しすぎる態度と言うのは、余り私は好ましくないと知っておろうに」
 「―――ヤツの仕切りですゆえ、ヤツの流儀に合わせて見たのですが」
 「男同士で付き合うには、中々に興味深そうではあるが。女であるお前が深入りしすぎるのは、父としては不安なものだな。―――アレは、平時に乱を呼び起こす性質に見えた」
 裏返した封書を留めた封蝋が、何故かシトレイユの国章が刻まれていた事に一瞬目を剥きながらも、シュリフォン王は親としての最低限の責務とばかりに、娘に忠告じみた言葉を贈った。
 父の言葉に、娘は微苦笑を浮かべた。
 「いえ、アレで中々、紐で引っ張ってでもやれば言うことも聞きますから。―――その役目につく人間は苦労を強いるでしょうが」
 「その役目の主が我が娘でない事を祈るより他無いか。―――フム。なるほど、な。よかろう」
 封蝋を見なかった事にして中の便箋を取り出し目を通したシュリフォン王は、一つ頷いた。
 「堅物の娘をして面白いと表するような男の提案だ。乗ってみようじゃないか」
 「堅……、宜しいので?」
 父の言葉に一瞬言葉を詰まらせたあとで、娘は些か申し訳なさそうな口調で尋ねた。
 父は、娘の気持ちを察してか、穏やかに微笑んだ。

 「平時に乱では無いかも知れぬが、この乱に更なる乱を呼び込む事だけは間違いないようだな」

 「―――それは」
 「よい。責めている訳ではない。ガイアの事も考えれば、何時までも我が国だけが穴熊を決め込んでいる訳にも行かぬというのも事実。いずれは決断せねばならない事だった」
 些か予定外ではあるが、やむ終えないだろうとシュリフォン王は重い口調で告げる。娘は一度だけ深々と頭を下げた。
 「見定めるには丁度良い―――と言うには、民たちに申し訳が立たぬかも知れぬがな」
 「不必要な犠牲は、可能な限り出さないように努力すると告げていました」
 「”絶対”の言葉が無いことをあざとい生き汚さと見るか、それとも真摯な態度と見るべきか……」
 自分の目的のために、他国に平然と乱を持ち込める男のようだから、判断するには微妙な所だった。正直は美徳、と一言で言い切れない事だけは事実だろう。
 「何は無くとも、明日には解るか」
 シュリフォン王はそう結論付けて、深々と息を吐いた。
 「我がシュリフォンが聖地のようなことにならないことを祈るばかりだが……」
 「それだけは、絶対に無いから心配するなと言っていましたが。―――その、弾切れだから、そうしたくても出来ないと」
 「フン、言ってくれるな」
 気まずそうな顔で付け足された娘の言葉に、苦笑を浮かべてしまう。

 恐らくあのハヴォニワの王子は、他人の情に訴えかけるやり方と言うものが好きではないのだろう。
 それゆえに、他者を安心させるための方策として、極めて即物的な理由付けを行う。
 
 「それでは敵ばかり増やすだろうに、難儀な生き方をする」
 「アレは趣味のみに没頭して生きているようなところがありますからな。根本的な部分で、他人の目などどうでも良いのでしょう」
 最近は少しだけ、見栄を張る事を覚えたようですが、と楽しそうに続ける娘の将来が、若干シュリフォン王には不安だったりする。言ってみれば、親元を離れていた娘が、悪い友達と交流していたという事実を久しぶりの帰郷時に聞かされた気分だった。


 現実問題―――朝の玉座の間での会合で語られた言葉が事実だったとして。


 あの時は割と条件反射で殴り飛ばしてしまったが、後から娘の性格や昨今の情勢を鑑みてみれば、方便として利用していたのだと解る。長く玉座についていたのだから、そのくらいは判断できなければ王と名乗る資格も無い。
 ただ、方便としてとは言え自身に似て実直な気風を有していた娘が、あのような言葉を口にするのだから、色々と考えてしまう事もある。

 頭の回転は速いのは見て取れた。おそらくはシュリフォンの王たる自身以上に。
 では武芸はと見てみれば、不調明けのせいか、多少のぎこちなさが見えたがその所作は洗練されたものだった。余り鍛えているように見えない細身の体つきからすれば、目を疑ってしまうほどに。
 加えて教会未登録―――コレに関してはハヴォニワのフローラ女王に色々言いたいところもあるのだが―――の異世界人である。異世界人であるから、当然聖機師としては優秀と分類されるのだろう。
 娘の語ったところによると、自分で体を動かすよりも、余程良く動けているとの事とである。復活したガイアに対してすら一定以上の戦果を上げていたと、聖地から救助した者達が調書の上で口をそろえていたようなので、どうやら事実らしい。

 ―――ただ、やはり何処まで行っても性格に難あり。

 これで真っ直ぐな気性の明朗快活な少年であったのならば、こうも不必要な悩みを抱いたりせず、むしろ積極的に娘の背中を押すような真似もしただろうが。
 いっそ、この封蝋に刻まれたとおりにシトレイユの女王が引き取ってくれれば、いらない悩みを背負わなくて済みそうなのだが、先にシトレイユ女王と会合をもった折に、女王本人から丁重にお断りをすると言うような言葉を聞いてしまっていた。
 何でも、アレと結ばれても世界制服くらいしかやる事が思い浮かばないから、止めた方がいいとの事である。
 発言の不吉さも然ることながら、語っていた女王の目が本気そのものだったことも、冗談じゃなく恐ろしく思えた。
 しかし、あの金銭的感覚に非常に敏感なシトレイユの女王が、何のためらいもなくハヴォニワに替わってシトレイユの土地を好きなだけくれてやるから、好きにやらせてやれと頼んでくる程度には、人望があるらしい。
 所詮、国を追い落とされた女王の言葉である、その場しのぎの空手形を切って見せただけか―――と思わせて、今手元にあるハヴォニワの王子から渡された封書には、シトレイユの国章が刻まれている。
 つまり、本気でハヴォニワの王子を支援するつもりはあるらしい。子供らしい先走り、余り気に止める必要も無いだろうというには、シトレイユの女王も聡明な少女だったから、迂闊な判断も出来ない。

 「見てみぬフリが出来ればよかったのだがな……」

 「視界に映ると、何故か印象に残りますからね、アレも」
 良くも悪くもと語る娘の顔は、何処までも楽しそうに見えた。きっと、この父があの男にどのような評価を下すのか、楽しみで仕方が無いのだろう。
 楽しそうなのは、何よりだ。特に、この二週間沈んでいた所を散々に見せられていたのだから。

 しかし――――――。

 「やはり、自分の目で見定めるしかないのだろうな」
 「それが宜しいかと。個人的な意見を言わせてもらえれば、長い目で見てこそ、と言うタイプではありますが」
 「では、その価値があるかどうかを、まずは見極めさせてもらうとしよう」



 「シュリフォン、か……」

 空を飛ぶ船の上。
 月明かりの下、甲板で眼下一杯に広がる森を眺めていた。

 「何か、気になることでもあるの剣士?」

 いつの間にか背後に、少女の気配。チラリと視線だけで振り返って見てみると、夜闇に溶け込むような漆黒のドレスを纏った少女が居た。
 何処を見るともなく、何処か遠くを見ているかのような視線を、空に向けている。

 「うん、アウラ様の母国だなーって」

 聖地ではだいぶ世話になっていたアウラ・シュリフォンの母国。
 ダークエルフと言う種族が暮らす、森の王国。

 「―――明日は王都を攻めるそうよ」
 「うん」

 めんどくさそうに言う少女に、剣士は気楽な気分で頷いた。

 「真面目にやらないと、ユライト先生にまた怒られるよ?」
 「どうでも良いわ、そんなの」
 「ドールらしいや」

 あっさりと言ってのける少女に、剣士は苦笑する。
 少女がやる気に欠けているのは何時もの事だ。言われたとおりの成果を出す事は稀で、消極的に適当に暴れているのが、常だった。

 でも、少女はそれで良いと、剣士は思う。

 だって。

 「じゃあ、俺が、ドールの分も頑張るよ」

 ―――そう、誓ったのだから。






    ※ 決戦前夜的な。
      展開的にはこの辺から10巻の展開って感じでしょうか。
 
      まぁ10巻であるなら活躍する人も自然と……ねぇ?



[14626] 47-2:黒と黒と黒の聖機人・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/29 21:08


 ・Scene 47-2・



 「しかし何ていうか、シュリフォン人ってお祭り好きだったりするのかね?」

 森の王国シュリフォンにしては、かなり開かれた平地が広がる、王都均衡の練兵場。
 その中心辺りに設置された二機のコクーンを遠めに見るようにグルリと円周上に、大勢の見物人たちの姿があった。一様に浅黒い肌の、それは王都で暮らすダークエルフの民達である。
 凛音たちは、コクーンを中心に挟んで向かい合うように設置されたテントの片方の下で、人々が歓声を上げる様を眺めていた。
 「平原の民の国に比べて娯楽が少ないから、確かにたまの祝祭であれば盛り上がる事は否定せぬが」
 「妾としては、これほど民に愛された王家と言うのは羨ましい限りじゃな」
 直属の配下の人間から受け取った資料を見ながら応じるアウラの隣で、長椅子に座って呑気に観戦モードに入っていたラシャラがぼやいた。
 「アース皇家に関しては、それほど低い評価では無かったと思いますが……」
 「どうだかな。先皇后が相当商家連中に恨まれていたのを、私は知っているぞ」
 苦笑交じりに言うキャイアに、ダグマイアが鼻を鳴らして応じた。エメラは、そんなダグマイアの傍に控えて沈黙を貫いていた。
 予想外―――あえて見ないようにしていた方向から口を挟まれたキャイアが反応しきる前に、凛音が突っ込みを入れた。
 「……なんで居るの、ダグマイア君?」
 「観戦武官だ。精々足掻く様を楽しませてもらおう」
 「―――踏み潰されても知らんからな……」
 長話をするだけで疲れてきそうだという気分で、凛音はダグマイアの存在を黙殺した。どうせいざとなったらエメラが何とかするだろうと思っている。
 とりあえず、聖機人にだけは近づけないようにしようとだけ、数少ない手勢の老人に指示を出しておく。
 「ユキネさんは間に合わない、か。せめてワウが居てくれればなぁ」
 「殿下があと四日ほど早くお目覚めなされば宜しかったのですがな」
 ぼやく凛音に、老人が冷静に言葉を返す。
 ワウアンリーがシュリフォンを出立したのは今日から丁度六日前の事だった。つまりそれだけの日数の間に進める距離に居る筈のユキネが、普通に考えてこの場所に参上できる筈も無い。
 「まぁ、出来る範囲で仕込みはしたさ。―――後は、出たトコ勝負かな」
 もう行けと老人を手で払う仕草を下あとで、凛音は少し離れた距離にある対面のコクーンの元に広げられた天幕に居る人物を伺った。
 
 仮の玉座に腰掛けて、腕を組み瞠目している偉丈夫。ゆらりとオーラでも立ち上っていそうな、静かな覇気を纏っていた。

 「―――やる気じゃの、向こうは」
 「まぁ、娘さんの将来が掛かってるとなると、ねぇ」
 「それ、将来を奪う側の人間が言えること?」
 「悪党なんて、コレくらい言って丁度良いのさ」
 律儀に突っ込んでくるキャイアに、凛音は肩を竦めて応じる。顔をしかめるキャイアに薄く笑いかけた後で、アウラの方へと歩み寄った。
 「―――どう?」
 心持ち、低い声で問いかける。
 「八割七分と言った所か。民間人はほぼ全て集まっている筈だ」
 「じゃあ、残っているのは政府、軍関係者だけか」
 「―――あとは、仕込みの連中だな。逆にそちらは、増える一方なのだが」
 アウラの言葉に、凛音は軽く安堵の息を漏らした。
 「今の所は、上手くいってるって考えて平気かもな……んでも、よく殆どの住民を引っ張り出せたね」

 「ああ、偽勅を出した」

 意外だという風に尋ねる凛音に、アウラはあっさりととんでもない言葉を返した。
 流石の凛音も、目を剥いて尋ねた。
 「……マジ?」
 「大マジだ。父上の出立と併せるタイミングで、王都全域にあらゆる作業を中断して此処に集合するように父の名を記してな。―――愚かにもアウラ王女に求婚してきたハヴォニワの王子を懲らしめてやる、と書いたものを」
 楽しそうに言われては、凛音としては呻くしかない。
 「何時からそんな、自分の評判まで武器に使うような人になったのさ」
 「初めからに決まっているだろ? ―――何度も言っているが、お前は女性に対して幻想を抱きすぎだ」
 「夢を見れない人生なんか楽しくないって……」
 笑うアウラに、がっくりと項垂れる凛音。女は強いと、文字通りの光景だった。
 「民達の希望通りに、精々派手に負けてやるのも為政者の義務かも知れんぞ?」
 「勝てば美人の嫁さんが手に入るって解ってるのに、そう簡単に負けてやれないって」
 冗談交じりの言葉に、それこそ冗談にしかならない言葉を返して、凛音は身を起こした。
 アウラもそれに続く。彼女が現状で出来る事は既に全て終わっていたから、あとは流れに乗るしかないのだ。
 自然、同じ方向を向く形となった二人の顔は、冗談めかした空気が全て消えていた。
 「シュリフォン王ってさ、強い?」
 「我が国の王とは、即ち我が国最強の勇者と言うことだ。自分でぶつかって、確かめてみるんだな」
 「国民の過半数が聖機師の資格があるって羨ましい話しだよね。男性聖機師利権なんてアホなものが殆ど生まれないんだから。―――にしても、国王先頭で軍を率いるって訳か。馬鹿正直に殴り合ったら、あっさり負けそうだな」
 リズム良く会話を重ねながら、端からその会話の内容を忘れていってしまいそうなほど、それは何の意味も持たない会話だった。
 意味の無い会話と言うのは、存外長続きしないものだ。
 歓声を遠くに聞きながら、一時、彼等の周囲は静寂に包まれた。

 「―――出来る事はやった筈だな」
 自身に言い聞かせるように呟くアウラに、凛音はゆっくりと頷く。
 「昨日の今日で頑張ってくれたと思う」
 「またしても、時間が敵に回ってしまっているのが、忌々しい限りじゃったがの」
 いつの間にか傍にやってきていたラシャラが、そっと言い添えた。これからの展開を想像してか、その言葉は非常に重い。
 「キミ等が二人して、最悪の展開を想定して動こうって言うんだから、僕のせいじゃないぞ」
 「真実ほど耳が痛いという言葉もある。それをわざわざ告げてくれたヤツの事を、多少恨みつらみしたところで、問題あるまい」
 「同感だな。―――と言うか、流れ的にお前がリチアに連絡を取った辺りがターニングポイントだったのだから、やはりお前のせいと言う形になるんじゃないか?」
 「痛いところ突くな、畜生」
 真実が耳に痛い凛音だった。尤も、女性陣の気が晴れるというのなら、道化を演じるのも何も気にしない男でもあったが。
 微苦笑交じりにテントから一歩進み出て、対面のテントの様子を伺う。
 やはり、腕を組んで座したままのシュリフォン王の姿が、そこにあった。
 「―――落ち着いてるな」
 「父上か?」
 何か気になることでもあるのかと尋ねるアウラに、凛音は肩を竦める。少しの悪戯心で、顔を近づけて耳元に口を寄せる。
 「―――おいっ?」
 頬を赤らめ一歩引きそうになるアウラに、薄く笑って告げる。

 「これだけあからさまに娘といちゃついているのにさ、まるで目に入らない感じじゃないか。―――今日の目的から考えれば、おかしな話だろ?」

 「―――む」
 おかしな話だねと、ちっともおかしく無さそうな口調で言われれば、アウラとしては黙るしかない。とりあえず、至近距離によってきた凛音の足を踏みつけるくらいしか出来る事が無かった。
 「ま、伊達に王様やってないって事だよね。―――ただの親馬鹿じゃ無くて安心したよ」
 「そりゃ、三国の中で唯一未だに安定しておる大国の王じゃしの。敏さ多分に持ち合わせておるじゃろうよ」
 苦笑混じりに言う凛音に、ラシャラが何を今更と呆れ声で応じた。
 「報酬に上乗せした方がいいかな、コレ」
 「気付いてないふりをしてやり過ごすというのも手といえば手じゃぞ。―――不義理ではあるが」
 「でもさぁ、何かコレ、”子供の我侭に気付かない振りして付き合ってもらってる”みたいな形になっちゃってない?」
 「ああ、スマン。―――それは事実だ」
 半笑いで言う凛音の言葉を、アウラが申し訳無さそうに肯定した。凛音は若干頬を引き攣らせた。
 「やっぱりかー。嫌だな、コレが終わった瞬間縛り首とかだったら」
 「応対さえ間違えなければ、それは無いと思うが」
 「既に謀ってしまった段階で、思いっきり躓いておらんか」
 ナム、と聖印を切るラシャラの他人事さ加減が、いっそ妬ましかった。


 ―――その時、ワァと、一際大きな歓声が鳴り響いた。


 シュリフォン王が、仮の玉座から立ち上がっているのが凛音たちからも見えた。
 
 「化かしあいの一発目は、僕の負けか。―――幸先悪いな、コレは」
 「なんのなんの、コレが厄落としできたと思えばよかろうて」
 だらしなく大口開けてため息を吐く凛音の背中を、気合を入れるようにラシャラは引っ叩く。
 「同感だな。それに、失敗したら失敗したで、どう頑張ってもお前だけの責任には出来ないからな―――精々、共に地獄行きと言うことで良いではないか」
 「洒落になってないよそれ。―――まぁ、ハネムーンは地獄でってのも、それはそれで面白いか」
 パン、と洒落た仕草でアウラと手を打ち合わせて、凛音は真っ直ぐに向かい合うコクーンの元へ踏み出した。
 シュリフォン王も同様に、テントから歩みだしコクーンへと近づいていく。
 





     ※ 何か今回短いですね。久しぶりに上手く切れる場所が見つからなかったせいなんですが。
       ……でも、当初はこのくらいの長さがデフォだった筈なんだよなぁ。
       100話くらいじゃ終わらないって気付いた辺りから、だんだんタガが外れてきてるような気がします。



[14626] 47-3:黒と黒と黒の聖機人・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/30 21:00

 
 ・Scene 47-3・



 「逃げずに良く参られた、と言うべきなのかな、私は」
 「どうですかね。実家だと揉め事が起きた時は無礼講の殴り合いってのは日常茶飯事なんで、生憎逃げるって選択肢は思い浮かびませんでしたが」
 「中々面白い風習があるな、キミの実家は」
 肩を竦める凛音の気楽そうな態度に、シュリフォン王はクックと喉を鳴らして笑った。
 そして、辺りを見渡しながら、言う。
 「それにしても王都の民の過半以上を集めて見せるとは、中々豪快な事をしてくれたものだ」
 「―――真に申し訳ない話ですが、全ての人を逃がす、と言うのは無理な話だったようです」
 「で、あろうな。―――しかし、キミが気にする問題でもあるまい」
 重い口調で頷くシュリフォン王に、むしろ凛音のほうが眉をしかめた。
 「私が居なければ、確実に避けられた犠牲ですが?」
 「―――で、あろうな」
 「お認めになるのであれば、貴方は私を責めるべきでしょう。―――責められたからといえ、残念ながら首をくれてやる訳にも行かないのですが」
 「フム。―――確かに一面的な意味では、そうするべきなのだろうがな……」
 凛音の言葉に、シュリフォン王は少し考える仕草を見せた。
 「キミが居る。キミを殺すために敵が現れ、その過程で王都が焼かれる事になるかも―――いや、なるのだろう。そしてキミは、そうなる事が解っていながら、この国を退去しようとしない」
 「ええ」
 凛音はゆっくりと頷く。シュリフォン王は目を細めた。
 「人道に悖るとは思わないのかね?」
 「思います」
 「では、何故―――?」
 
 自分からは消えようと思わないのか。
 国を預かる人間として、当然の疑問だろう。
 しかし、その仁義を知る人間であれば誰でも思うであろう疑問に、凛音は微苦笑を浮かべて応じた。
 
 「王陛下、私は先日貴方に言ったと思うのですが。シュリフォンの民に血を流させる権利をくれと」
 「―――む」
 「まぁ、その後で思いっきり殴られて、有耶無耶になってしまったのですがね」
 「いや、うむ……」
 微苦笑交じりにそれを言われてしまえば、シュリフォン王としては言葉に詰まるより無い。
 凛音は口をモゴモゴとうごめかすシュリフォン王に薄い笑みを浮かべて言った。
 「多少、過程が変わりましたし被害が増える結果になるでしょうが、私の行動によって生まれるであろう被害、それ事態は既に受け止める決心はついていました。その結果生まれるかもしれない軋轢についても。―――私にとっては、それ以上に得るものがありますから」
 「―――具体的に、それは?」
 「ガイアを打倒する手段が手に入ると、確か告げたような気がするのですが―――」
 「そうではない」
 実利的な言葉で答えようとする凛音を、シュリフォン王は遮った。
 「私が聞きたいのは、―――そうだな、今回の行動を過程として、結果としてガイアを打倒する。それは理解した。―――では、その後にキミの手に残るものはなんだ?」
 「残るもの、ですか」
 「キミと言う人間が、実利さえあれば他者が何を考えていようと気にしない、と言う性質であることは既に見て取った。キミはそれで良いかもしれない。―――だが、私は捨て置けないのだよ。感情の見えない言葉と言うのは、人を不安にさせるものだ。そんなものに民の命を託す訳にはいかない」
 口元に手をやったまま、迂闊な返答は許さないという隙の無い顔で尋ねるシュリフォン王。
 「そう、ですね……」
 凛音は視線を外してどこか遠い所を見上げて考えた。

 この親にしてあの娘あり、とでも言うのだろうか。
 それとも、自分自身が気持ちを言葉にするという行為に頓着が無さ過ぎるだけか。自分の気持ちに、自分ですら信頼が置けないから、ただ惑っているだけなのかもしれないけど。

 剣士を取り戻し、ガイアを叩く。
 この世界で生きる人間の一人としてガイアは放置しておくには危険に過ぎるし、そんなものの側に柾木剣士が居るという事実は、とてもではないが許容できない。

 だから、だ。

 それ以上の理由は無いし、行動するにはそれで充分だと凛音の中では完結していた。
 でも此処で求められている言葉はきっと、それ以上の”何故”なのだろう。
 

 この忙しい時にめんどくさい事聞くなよオッサン。

 
 ふと、そんな風に答えてしまいたい自分が居る事に気付く。
 案外その言葉こそが、一番状況に相応しい言葉に違いないのかもしれないが―――凛音はそこまで、割り切った考えが出来る筈も無かった。

 「―――まぁ、自己満足ですかね」

 「自己満足?」
 結局といった風に出てきた当たり障りの無い言葉は、やはりシュリフォン王の満足は得られなかっただろうか。微妙な表情で繰り返されてしまった。
 しかし凛音としても、それ以上に上手い言葉など見つからなかったから、そのまま続けるより他無い。
 「そうです、自己満足。ぶっちゃけ、利益がどうのとか、どうでも良いんですよ。それが楽しいか否かとか、まぁこういう事を言い始めちゃうと、僕も樹雷皇家の一員っぽいなとか自分でも思っちゃうんですが、結局それに尽きるんです。”何となくそうすると良いかな”くらいの気分で、後はそれをいかに、自分好みに色付けしていくか―――シュリフォンの民に強いるであろう苦労は、その結果生まれるものです」
 酷い事を言っているなと自分でも頭を抱えそうになりつつも、それと同時に、ああ、こんな自分にも樹雷王族らしい奔放すぎる部分があるなと、妙な感慨すら抱いてしまえる。
 
 「―――自己満足、か」

 諦念の篭った深い溜め息とともに、シュリフォン王は言った。
 「ご納得いきませんか?」
 「キミは他人に自己満足のために死んでくれと言われて、納得できるかね?」
 「―――その行為に、自分が満足できれば納得するでしょう」
 出来ないと言う言葉を期待して言った言葉は、あっさりと肯定されてしまった。シュリフォン王は一瞬目を丸くした後、苦笑した。
 「そういわれると、納得してしまいそうになるな」
 「そこは馬鹿野郎とでも言うべき部分ですよ」
 「―――口が回るな、アマギリ王子。キミと話し続けていると、それはそれで楽しいが、惑い続けて抜けられなくなりそうだ」
 自分の娘のようにと、微苦笑を浮かべるよりなかった。いつの間にか会話をずらされて来ているのにも気付いているのだが、一々引き戻すのも億劫になってくる。
 「あの生真面目一辺倒の娘をあんな風にしたのも、今のやり口か」
 「御宅の娘さんも、アレで昔から食えない部分がありましたし、素なんじゃないですか?」
 「親を前にしてよくも好き勝手に言えるな?」
 「まぁ、寝室で夜を過せる程度には親しい間柄なんでね、あの人とは」
 斜に構えた笑みと共に肩を竦められてしまえば、最早怒りも沸いてこない。コレで最後、とばかりに大きくため息を吐いた後で、シュリフォン王は表情を改めた。

 「―――そろそろかね」

 ドン。
 遠くで鳴り響いた音が言葉と同時だったのは、ダークエルフの超直感によるものなのか、それともただの偶然か。
 「そのようですね」
 視線を丘の向こうの深い森の更に向こうに見える、王城の尖塔の方にやりながら、凛音は小さく頷いて応じた。
 その側で、王都が広がる筈の場所で、一筋の煙がたなびいていた。
 「敵の攻撃かね?」
 「いえ、こちらの先制攻撃です。出現と同時に教会施設に仕掛けた爆弾を起爆させました」
 「……聞きしに勝る背信者だな、キミは」
 重い口調を一旦途切れさせて、唖然と呟くシュリフォン王にチラリと視線を送り、凛音は薄く笑った。
 「これでも正真正銘の神の眷属なんですけどね、僕」
 「なに、それはどういう―――」

 「シュリフォン王陛下」

 疑問の言葉を遮って、凛音はシュリフォン王に向き直った。瞳の色は重く、深く。そこには斜に構えた態度は見られなかった。
 「それでは只今より、事後承諾になりますが、貴方の国と民をお借りします」
 言葉と共に、返事を待つまでも無く深く礼をする。顔を上げた瞬間殴られたら嫌だなと思いながら。
 しかし頭の上で発せられた、厳格な言葉は、凛音には予想外のものだった。

 「昨夜のうちに許可を出してある。―――此度の一件、全てアウラの判断に任すと」

 「―――っ、それは」
 聞き捨てなら無い言葉に、礼を失して頭を上げる。
 「私はアウラの言上だからこそ、今回の一件を承諾したのだ。ただキミ一人が望んでいたのであれば、絶対に否と述べただろう」
 機先を制するようにシュリフォン王は言う。重々しい、威風に満ち溢れた言葉で。凛音は苦々しい顔で押し黙った。
 「そうそう自分の思い通りにばかり生きられないことを、キミは学ぶべきだな。キミが趣味に走った結果生む、”キミの望まぬ”結果の事も」
 「―――そのために、娘さんに責任を取らせると?」
 即ち、シュリフォンの民達にとっては顔も知らない誰かを救うために被る事となる犠牲、その原因が自国の王女にあるのだという形になってしまう。それは、凛音にとっては許容できない。
 眉間に皺を作る凛音に、しかしシュリフォン王はゆっくりと首を横に振った。
 「撤回はせぬ。子供の遊びで済ませられる問題でも無いと、それはキミも納得していただろう?」
 「それは、そうです。ですがだからこそ―――」

 「―――あの子も、もう子供ではない」

 向かい合う凛音の向こうのテントの下で、慌しく兵に指示を出している自分の娘の姿に、シュリフォン王は目を細めた。
 「行動に対する責任すら与えられぬとあっては、返ってあの子の意思を侮辱する事となる」
 「だからって進んで泥を被せる必要も無いでしょう。―――此処に丁度、泥を引っ掛けても問題の無い異邦人も居るのですから」
 泥を被せて、切り捨てる役目なら幾らでも引き受けると凛音は言い募ろうとするが、しかしシュリフォン王は手を掲げてそれを遮る。
 「キミが被る責任とはそういう物ではない。そもそも、キミにとって大衆の評価などと言う物は箸にも乗らない、歯牙にかける価値も無いものだろう」
 だから、そんな風に自分が泥を被るなどと簡単に言えるのだと、シュリフォン王は続ける。
 凛音は、何かを言いたくて、しかし何も返す言葉が見つからなかった。
 への字に唇をまげて押し黙る凛音に、シュリフォン王はニヤリと笑いかける。


 「キミは私の娘にだけ責任を持っていれば良い」 


 「―――待てやオッサン」
 「人一人の人生を背負いきると言うのは、これで中々大変だ。私ですら、まだ道半ばと言ったところだからな。特にウチの娘は、知っての通り気難しい部分があってな……」
 「いや、何か話逸れてないですか?」
 腕を組んで語りだしたシュリフォン王に、目上に対する態度も忘れて素で突っ込んでしまった。
 「数知れぬ無辜の民よりも、娘ただ一人の方が重いものだと思ってくれているのは、親としては喜ぶべきなのだろうな。―――些か、複雑な気分ではあるが」
 「いや、ですから……」
 「今までの会話で、キミの人となりは大まかには見定めさせてもらったよ」
 なんと言えばいいのやら、微妙な方向に流れ出した会話に、凛音が眉根を寄せていると、シュリフォン王は厳つい笑みを浮かべて、凛音の肩に手を置いた。
 「つまり、だ―――」
 確りと、そこだけは冗談の一欠けらも無い視線を向けて。


 「娘の気持ちを裏切らない範囲で、大いに好きにやりたまえ。―――その結果起こる全ては、あの子の父である私が責任を負おう」


 さっき、”もう子供じゃない”って言ったばかりじゃないか。

 そんな風に突っ込む間もなく。

 その一言と共に、凛音はくるりと、体の向きを反転させられた。
 「さて、行き給え。フローラ女王譲りの戦の手腕、確りと見させてもらおう」
 振り向く暇も与えられず、背中を押される。
 蹈鞴を踏みそうになりつつも、真っ直ぐテントの元へと歩みださねばならなかった。
 次第、歩みは速くなり、表情も真剣なものに変わり行くその中で、最後に一つだけ、冗談めかした気分で思う。

 今日ほど、自分の事を子供だと思う日は無いのだろうなと。







     ※ 格の違い、みたいな。
       多分どちらかと言えば、娘に恥かかすんじゃねーぞ的な親心。



[14626] 47-4:黒と黒と黒の聖機人・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/05/31 21:36


 ・Scene 47-4・




 「なにやら気難しそうな顔をしておるの。―――婿入りは失敗か?」

 テントの下に広げられた、戦域情報図に表示されたシュリフォン王都の俯瞰図に視線を送ったまま、ラシャラは言った。
 早足でテントに駆け寄ってきた凛音は、アウラから端末の一つを受け取りながら、肩を竦めて応じる。
 「どうだかね。―――近所の悪ガキ扱いされた気分だよ」
 「的確な解釈じゃないの、それ。―――うそ、圧縮したの、ひょっとして!?」
 なれない戯言じみたツッコミを入れようとして、目線を外せなかった戦域情報図の端に表示された王都の各所に仕掛けられた小型カメラの送ってくるリアルタイム映像の一つを見て、目を丸くした。

 崩落し瓦礫の山となっていた教会施設が、一瞬明滅した後に”消滅していた”。

 後に残されたのは大きく長方形―――教会施設の形そのままに抉られたクレーターと、その中央に立って手を掲げている、三体の黒い聖機人。
 映像を良く確認すれば、それらの手のひらの上には、親指大の球状の物体が浮いているのがわかる。
 亜法による物質の高圧縮により精製される、圧縮弾に他ならない。キャイアの驚愕の言葉どおり、崩落した教会施設を丸ごと圧縮したのだ。

 「さっすが剣士殿、おっかないなぁ……」
 
 端末に備わったキーボードに行動指示文章を打ち込む手を休める事無く、凛音は乾いた笑いを浮かべた。
 打ち込み、実行キーを押す傍らから、戦域図の各所に分散されていた光点が順次動き始める。
 「あの爆発の中で無傷、か……。結界炉を高出力で起動させれば、強力なエナの防御壁を展開できるのは事実だが……」
 「流石にあの質量に押しつぶされて、傷一つ無いというのは勘弁して欲しいの」
 大鎌、片刃の剣、そして狙撃銃とそれぞれ獲物を構えながら、ゆっくりと教会施設だった場所の地下から浮かび上がっていく黒い聖機人達を見やりながら、アウラとラシャラは苦い顔で呟く。
 「まぁ、想定内想定内。―――そう思ってないと、こんなのやってられないよ」
 地上に飛び出したとたん、四方八方から矢に石に砲弾の雨霰に晒される黒い聖機人達。
 無論、事前に仕掛けておいたありったけの砲台群を遠隔操作しているものである。
 「まるで効いていないぞ」
 「足は止まるさ。っていうか、一々口を挟まないで欲しいものですな、観戦武官殿?」
 「フン、―――貴様が余りに無様な所を見せたなら、介入させてもらうぞ」
 「何のためにだよ……」
 腕を組んで鼻を鳴らすダグマイアを横目に、凛音は指示を出す事はやめない。無論、傍に立っていた手勢の人間に、ダグマイアが何かしようとしたら止めるように目配せする事も欠かさなかったが。
 「だが実際、ダグマイアの言う事にも一理あるのではないか? アレは防御に集中するために踏みとどまっていると言うよりも、むしろ辺りの様子を呑気に伺っているだけにも見えるが」
 「都市部に人の姿が無い事にそろそろ気付くかな。―――わざとらしく王城の前に並べておいた部隊で、どれだけ引っかかるか……」
 アウラの疑問の言葉に応えつつ、凛音はテントの外、王都のほぼ全ての住民が集まった練兵場の様子を伺った。
 シュリフォン王を中心とした一団が、状況を理解しかねている民達を丘の向こうの森に誘導しているのが見える。

 「避難が終了しきる前にこちらに気付かれたら悲惨じゃな」
 どうやら王城方面への進撃を開始したらしい黒い聖機人達の飛翔する様を見ながら、ラシャラは言う。
 広い大通りを滑るように飛翔する三体の黒い席人に、そこかしこの路地に潜んでいたシュリフォンの聖機人達が攻撃を仕掛ける。
 攻撃を仕掛けては、直ぐに身を翻し、また別の機体が攻撃を仕掛ける。一撃離脱の繰り返し。
 攻撃は回避される。迎撃もされる。ダメージは微塵も与えられない。しかし、黒い聖機人達の足は止まり時間稼ぎにはなっていた。
 「どうかな、無差別攻撃を仕掛けている様子も無いし、人的被害はあんまりでない気がするけど」
 「そう楽観視出来るものか?」
 「うん。連中が聖機人に乗ってきてくれた段階で確証に変わった。―――連中、戦争ってものの解釈が偏りすぎてる」
 「偏り―――?」
 片腕をもがれた聖機人に後退を命じ、それを援護するかのように背後から三機連携の奇襲を指示。苦も無く避けられ、やはり一機が上半身と下半身に別たれる結果になるが、すぐさまわき道に隠れていた一機に上半身の回収、離脱を命じる。
 「聖機人―――聖機神ってモノの由来がそもそも見世物が発端だからね。それを操るために生み出された人間が企画したこの世界の戦争は、まず認識として、”聖機人は聖機人で倒さなきゃいけない”みたいな前提条件があるんだ。そして”戦いに勝つ”と言う認識は、”敵の聖機人を打倒する”と言う認識と同義に近い。都市を焼き民を殺しつくす―――そういう見世物的要素の足りない戦争のやり方を選ぶって言う発想すらないんだろうな、人造人間ってイキモノには。こっちとしてはありがたい限りだけど、さ」
 少女達の疑問の視線に答える間も、作戦指示だけは怠らない。
 「なるほどな。―――”戦い”と言えば聖機人戦をイメージしてしまうジェミナーの人間では絶対に出来ない発想か。戦艦や要塞だとて、いかに聖機人を絡めるかという事に腐心している部分が確かにある」
 「そのお陰で大量破壊兵器の製造に対する抑止力が発生しているんだから、悪くは無いんだけどね。誰も彼もが僕みたいなやり方を始めたら、それこそこの星の落日の始まりだと思うよ。―――って、そうこう言ってる内に、もう五機も取られたのか。やっぱ半端ないねぇ」

 次から次へと波状攻撃を浴びながらも、徐々に徐々に王城へと向かって大通りを突き進む黒い聖機人達。
 やがて三叉路に到着し、中央の一本道を王城目掛けて突き抜けようとした―――その最中、足元の街路が爆発した。
 超絶的な反射神経で、広がる爆風よりも尚早い回避行動を取る黒い聖機人達。
 「―――よっしゃ、別れた!」
 三方向に別々に離脱した黒い聖機人達の様子を目にした凛音は、嬉しそうに叫ぶと共に、シュリフォン軍に攻勢を指示する。今まで一撃離脱を繰り返していたシュリフォン軍は、三機それぞれを集団で押しつぶし―――更に分断し引き離すように突撃を仕掛ける。
 更に何処に潜んでいたのか、砲車がせり出してきて、街路を埋め尽くし、そして味方の存在を考慮に入れない砲撃を慣行。
 「作戦通りとは言え……何とも、えぐい光景だな」
 「”初めから犠牲を考慮に入れた”戦い方だからね。気分が悪くなるくらいで丁度良い」
 そう言いながらも、凛音は一片たりとも表情を変えずに次々と命令を切り替えていく。
 戦域図に新たに巨大な光点が出現する。聖機人を格納可能な、空中戦艦が王都を円周上に囲うように接近してくる。
 「包囲陣完成っと……こっからは我慢比べだな。にしても、シュリフォンの皆さんは良い腕してるね。思ったよりも消耗が少ない」
 「―――まだ、序盤じゃろ? 既に五機も食われておきながら、少ないと抜かすか」
 「正直、片道特攻が殆どなんじゃないかと思ってたから。―――無意識で、手を抜いてるって可能性もあるのかなぁ」
 「それは、姉さん達がって事?」
 「少なくとも剣士殿はね。思ったよりも動きが悪すぎる。瀬戸様に知られたら再訓練確実だな」
 じっと画面の一角、大鎌を持った聖機人から視線を外さないキャイアに、凛音は頷く。
 
 樹雷の闘士―――しかも皇族、”見てみる”に三柱の女神達全てから加護を得ているような少年が、たかが砲弾の雨と波状攻撃で間断無く襲い掛かってくる聖機人の集団程度を相手に、あれほどの苦戦を強いられているなど、冗談にしか見えない。
 「立ち回りにアラが大きすぎる。―――”人”としての部分が押さえ込まれて無理やり”人造人間”として動かされているから、体の動かし方が自分で掴みきれて居ないって事か……?」
 「近衛の精兵達が千切っては投げられている様を見て、”動きが悪い”と言い切れる辺り、ぞっとしない話だな」
 「他人事みたいに言ってる場合じゃないよ? 僕ら、この後あれに突っ込まなきゃいけないんだから」
 苦い口調で呟くアウラに、肩を竦めて応じる。三箇所でそれぞれ混戦に突入し、もう細かい指示を出すような段階は過ぎてしまったから、凛音は戦域図から視線を外さざるとも、一息吐いて体を起こす余裕は出来た。
 「突っ込む、か―――。味方の弾に誤爆しそうになる、あの悪夢のような戦場にな」
 「……燃えてきた、みたいに言ってるけど、キミは居残りだぞ」
 「何故だ!?」
 激昂して立ち上がるダグマイアに、凛音は視線を送る事はしない。眉根を寄せるダグマイアの視線の後ろから、更に凍えるような視線を感じていたが、それにすら、反応しない」

 「何故も何も無いから。―――キミが前線に出ると、キャイアさんがまともに動いてくれなくなるし」
 「なにっ!?」
 「ちょ、私―――!?」
 同時に対角線上から反応する、少年と少女。戦域図の周りで、一番離れた―――しかし、視界に収まる位置取りをしていたらしい彼らに、凛音は大きく溜め息を吐きながら、言った。
 「キミ等の不仲がさ、周りの人間の命を奪う可能性が高いわけよ。例えば―――ダグマイア君が命令無視で突っ込む。それをキャイアさんが見る。案の定、死にそうになったダグマイア君を助けるために、キャイアさんが突っ込む。キャイアさんごと、ダグマイア君死ぬ。ついでに、命令無視した二人のカバーのために、別の誰かも死ぬ。作戦失敗おめでとうございます。……ざけんなよ?」
 最後、未だかつて無いくらいドスの効いた声に、周りで聞いていた全ての人間がたじろいた。
 「特にキャイアさんさぁ、ダグマイア君と共同戦線組んで、それで何時もどおりの動きとか出来るの?」
 「それ、は」
 「出来ないってはっきり認識して欲しいな。今回キミ、割と重要な役どころなんだから、気分切り替えて自分がベストなコンディションで動ける状態を作り出すような努力を見せてくれよ」
 「凛音殿よ、すまないがそれくらいにしてもらえぬか」
 「もらえません。つーか、キャイアさんはキミの管轄だろ?」
 「む―――」
 急速に冷え込んでいく場の空気を払うように、仲裁に入ろうとしたラシャラの言葉を、凛音は一刀両断する。
 そして、呆れたように続ける。
 「昨晩から準備で忙しくて疲れてるのは解るけどさ、寝ぼけているなら今のうちに目を覚ましておいてくれよ? 僕らがこれから相手にしなきゃいけないのは、ある意味ガイアよりも凶悪な存在なんだよ?」
 頼むよ本当にと、言った当人が一番疲れたような態度だった。実際、疲れているのは事実なのだろう。精神的な意味で、と頭につけるのが正しいのだろうが。

 重い空気にそれぞれ押し黙り、そして、凛音が時折キーボードを叩く音だけの時間が暫し続いた後で、まず口を開いたのはダグマイアだった。


 「―――私が出なければ良いのだな?」


 誰もが、無言。無言のまま、恐らく声を掛けられた側であろう凛音の様子を伺った。凛音は戦域図に視線を置いたまま、何も反応しなかった。やがて、ダグマイアは再び口を開く。
 
 「キミに聞いているんだ、キャイア」

 「―――え?」

 漏らした声は、果たして誰のものか。一様に、少女達は驚いていたというのが真実だった。

 「キミに聞いているといった、キャイア。私が居ないほうが、キミは力を振るえるのか?」
 「それは、その―――」
 偽りは許さないという目に射竦められて、キャイアは身を縮める。身をすくめ、助けを求める視線を周囲に送り―――そのどれもが救いとならないことに気付き、何より、ダグマイアの背後に立っていた存在の視線の、その温度に恐れおののいた。

 ―――凛音に向けられていたものよりも尚、暗く冷たい視線。

 意味を成さない無形の圧力に晒されて、最早キャイアに逃げ道は与えられなかった。
 逃げ道はなく、助けは無い。踵を返して場を離れてしまえば、それも一つの選択肢となり得るのだろうが―――そうしてしまったが最後、二度とこの場所に戻って来れず、そして、二度と少年と言葉を交わす機会を与えられないのだと理解できた。
 理解できて―――それから、もう一つの事を理解できた。

 怖ければ逃げろ―――逃げろ、そう無様に逃げて、二度と姿を見せるな。

 そう、凍れる視線の主から、侮辱されているのだという事実に。
 「―――上等」
 我知らず呟いていることに、キャイアは気付かなかった。
 意地と見栄しかない―――少年の気持ちも慮る事も、周りの視線も、先ほどまで叱咤されていたのだという事実も忘れるほどに―――奮い立たざるを得ない、自分があった。
 醜い女の見得。女性のそうした一面と言うのは、異性にたいして現れるのではなく、得てして、同性に対して発揮させるものだという事を言葉にならない気分で実感する。
 思いを―――寄せていたのか、今でも寄せているのか、自分でも解らないが。とにかく、その少年に見限られる恐ろしさよりも、今は、同性に侮蔑される屈辱の方が許せなかった。
 一瞬瞼を閉じ、そして目を見開くと同時に情けない自分を消す。

 視線は少年―――その後ろか。

 「ええ。―――今はまだ、貴方が居る事には耐えられないと思う」

 「そうか」
 自分から振った話だろうに、それでも顔をしかめてしまうのが、きっと男であるが故の女々しさなのだろう。
 気分を振り払うかのように、ダグマイアはテントの外へと歩みさってゆく。
 無論、その背後に一人の少女が付き添うのは当然の事だった。キャイアの傍を通り過ぎる一瞬、視線が絡む―――などと言うこともありえず、まるで存在しないかのように、視界の端にも映さない。そのうちに秘められている意思は、誰にも図りようが無い。






    ※ 戦いは(せめて)数だよ兄貴! 的な。基本、質であっさり駆逐されるのが梶島ワールドな訳ですが。



[14626] 47-5:黒と黒と黒の聖機人・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/01 21:30


 ・Scene 47-5・




 「これにて一件落着―――で、良いのかの?」
 「他人事みたいに言うなっての。キミの管轄って言ったろ?」
 「男女の四方山話の解決を求められても、知らぬよ」
 「キミぐらいの歳の子は、恋愛話には耳が早くなるような頃じゃないか。僕よりは上手く場を納められたんじゃないか?」
 
 歩み去るダグマイアの背に視線を送るキャイアに聞こえぬように、凛音とラシャラは言葉を重ねる。
 「これも厄払いの一環だって思えば良いのかなぁ……?」
 「どうだかな。―――まぁ、あの様子なら流石に次からは弁えてくれるのではないか」
 「だと良いけどね。ホント、腕は良いんだけどなぁ。―――それ以外が」
 やれやれ、とボヤキ声を上げる凛音にアウラは苦笑を浮かべた。お前が言うなと、目が語っていた。口に出した言葉は、まったく別の内容だったが。
 「まぁ、良い。分断、足止め、囲い込みの状態が形成できた以上、一応計画通りと考えて良いんだな?」
 私的な会話をしながら、同時に仕事の方にも確りと意識を払えている。やはりこういうことが自然に出来る女性の方が好みだなと、それこそどうでもいい事を考えながら凛音は頷いた。
 「コスト度外視の人海戦術だけどね。たかが三機相手に一個連隊に加えて艦隊封鎖までかけてるんだから、順調にいってくれなきゃ困るよ。―――正直、これ以上にやりようが無いし」
 「後は向こうの時間切れまで持久戦、と言う形か」
 「そう。そして最後の段階で、僕らも突っ込む」
 
 「軍を率いた経験は無いと聞いていたが、中々どうして、確りとやっているではないか」

 テントの屋根を潜った辺りから、厳つい声が聞こえてきた。
 凛音は礼儀悪くそちらに視線を送る事も無く、入ってきた人間に対して肩を竦めて応じた。
 「シュリフォンの精兵のお力を存分に活用させてもらってますからね。机上の空論、もっと言えば参加している将兵の命を虚仮にしているような作戦なのに、皆様よく付き合ってくれていますよ」
 「主命とあらば忠義を尽くす。我が国の戦士達は皆そういった気構えを有する勇者達だ。―――キミは彼等の忠節と誇りに報いるためにも、作戦の完遂のみに全才能を注力すればよい」
 「―――肝に銘じておきましょう」
 視線を合わさずに、並び立ち言葉を交わす。 それは傍目に見ても、王と王の会話に見えた。
 ハヴォニワの王子とシュリフォンの王―――いや、もしかしたら先代と次代、その二人の会話かもしれない。

 「父上がこちらに参られたという事は、民の避難は―――?」
 テントの外の練兵場の広い丘を見渡し、そこにはもう追うとの住民達の人垣の姿が失せていた事に気付き、アウラは父に尋ねる。
 「ウム、誘導に関しては滞り無く。―――しかし、別の問題が発生した」
 「別の?」
 そばで聞いていたラシャラが首を捻る。シュリフォン王が答えるより先に、戦域図からひと時も視線を外そうとしない凛音が応じた。

 「シトレイユは越境してきましたか、やはり」

 「何じゃと?」
 目を丸くするラシャラとは対照的に、シュリフォン王は少し眉根を寄せる程度の反応だった。
 「その様子だと、予め予想していたか」
 「ええ。でなければ此処に三機投入してくる筈が無いですからね。―――全戦力投入なんて、此処でケリをつけるつもりじゃないとやらないですよ」
 今頃、ハヴォニワの方でも激戦が開始されている事だろうと、凛音は何て事が無いように言い切った。
 「では、私の知らないうちに北部方面の全ての駐屯地に警急待機が発令されていたのは、やはりキミの仕業か」
 「こっちの都合で好き勝手に兵隊借りておいて、そちらの事情は知ったこっちゃありませんじゃ、流石に不義理でしたからね。娘さんに頼んで、こっそりと」
 「申し訳ありません父上。―――罰は、後に幾らでも」
 王命を偽造して軍を動かしたとあらば、如何な王女とは言え最悪極刑になりかねない危険な行為に違いない。
 だがシュリフォン王は豪気にも笑って首を横に振った。
 「良い。全て任すと指示を下したのは私だ。―――なれば、お前の行動の全ては、私が命じたが故の事。何の責を負わせるつもりも無い。それに何より、お陰でシトレイユの侵攻を未然に防げているのだ」
 「―――怒られないと、返って申し訳ない気分になりますよね、こういう時って」
 「フン、詳しい相談なしで好き勝手動かれた事、それ自体は気に入らんのが事実ではあるからな。柾木剣士の事はともかく、シトレイユ軍の動静に関する予測くらいは、一言あっても良かったのではないか?」
 今更咎める気は無いがと付け足しつつも、シュリフォン王の言葉は真剣そのものだった。
 「それも考えない事は無かったんですがね。個人的な予測で言えば、現状は”一番最悪のパターン”がピタリと嵌ってしまったような状況なので、如何とも」
 「……シトレイユ軍が動かないという可能性があった?」
 「ええ、僕は動く可能性は低いと思っていたので、そもそも駐屯地への偽命は出す必要は無いと考えていました。―――の、ですが」
 シュリフォン王の懐疑の視線に頷きながら、凛音は微苦笑を浮かべた。

 「―――コイツの”最悪の予想”は当たるんです」

 ですから、私が動きましたとアウラが付け加えた。
 「まぁ、実際最悪の展開になったしの」
 戦域図の、無数の光点に囲まれている三体の敵影を睨みながら、ラシャラは眉根を寄せる。
 「嫌な予想ほど当たるってのはホント、嫌な感じだよねぇ」
 「慎重論者が傍にいた事を喜ぶべきであろうな。自分では考えたくない、耳の痛い忠告をしてくれるありがたい存在だ。―――尤も、キミの場合はただ、尻に敷かれているだけかもしれんがな」
 「美人の尻に敷かれるなんて、至極幸運―――なんて、親御さんの前で言うことでもないですか」
 「うむ。その辺りの事は後でゆっくりと聞かせてもらおう」
 凛音の戯言にニヤリと笑って応じた後で、シュリフォン王は踵を返した。
 「父上?」
 尋ねる娘に、父は振り返らずに応じる。
 「此処での事は全て任せる。―――私は、国境での戦の指揮に向かう」
 「―――御武運を」
 「それは、キミにこそ与えられるべきだろうな、アマギリ王子」

 両者、最後まで視線を合わせる事無く、しかし浮かべた笑みの形は共に男らしいものに、きっと周囲の人間には見えたことだろう。

 「……入り婿確定かの」
 「内海様を思い出すから、やめて」
 ポツリとつぶやいたラシャラに、凛音がとてもとても微妙な顔で応じる。誰を指しての言葉なのかは解らなかったが、言いたいことだけは皆きっと理解していた。
 「まぁ、何だ。―――向こうの事は父上に任せれば良いとして、我々は我々のやるべき事をしよう」
 アウラが明後日の方向を眺めながら言った。頬が微妙に赤かったりすることには、礼儀正しく誰も突っ込む事は無かった。
 「そうだね、実際最悪のパターン何ていう洒落にならない状況ではあるんだし。―――気分を、切り替えようか」
 苦笑交じりに始めた言葉は、途中から言った通りに表情まで冷徹なものに変わる。

 「突っ込むまでにはもう少し時間があるし、一つ整理してみようか」

 的確なタイミングで攻撃正面を切り替えながら、凛音は宣言した。
 「確かに、な。此処までは上手く行っているから余り気にしていないかったが、今の進行状況は、予備計画を用いたものだというのは事実だ。一度改めて粗が無いか整理してみるのもアリか」
 アウラが凛音の傍まで寄ってきながら、それに同意した。
 わざわざのアウラの行動を横目に見ながらも、それについては何も言わないままラシャラが口を開く。
 「―――三機きよったの、本当に」
 「剣持ってるのが剣士殿で、鎌がドール……つまり、メザイア・フランだろう。そうすると、この狙撃銃が」
 的確な誘引によって都市郊外まで押し込まれた狙撃銃を有した黒い聖機人を指し示し、凛音は眉根を寄せる。
 アウラが言葉尻を引き継ぐように、硬い表情で呟いた。

 「ユライト・メストか」

 「こういうの、何ていうのかね。―――ミイラ取りがミイラ、とか?」
 凛音は嫌らしい形に唇をうごめかしながら、嘯く。
 
 ユライト・メスト。
 先史文明崩壊以降のジェミナーの歴史を見守ってきた、人造人間。
 その目的、行動は全て”ガイアの打倒”と言う一つのものに集約されており、そのためにのみ長い時を、幾度と無く姿かたちを変えながら生きながらえてきた筈だ。
 ガイアの完全なる破壊。そのためならば怨敵たるガイアの人造人間の傍に潜み、その企てに手を貸す真似すら厭わず、倒す側、倒される側、双方を誘導し、最適な結果を導こうとしていた。
 彼にとっての切り札たる柾木剣士がガイアの手に堕ちてしまった最悪の展開ですら、彼は絶望する前に次の手を打とうとした。
 即ち、敵陣に潜り込んでいるという己の状況を利用して、剣士を再び”倒す側”に引き渡そうとしていたのだ。
 
 「で、まぁ今回、事前に口裏をあわせてこういう場を用意した訳だ。”明後日”剣士殿一人だけを連れて来いってね。―――ユライトはそれに同意した」
 「明後日、か。連絡を取ったのは昨日じゃったから、つまりは明日になるはずじゃった」
 「うん。明日―――つまり今日だけど、シュリフォンとのすり合わせで忙しいだろうから、明後日にしてくれって、ちゃんと伝えておいたんだよね」
 「だが、密約は果たされなかった」
 ラシャラに頷く凛音の傍で、アウラが重い口調で付け加える。
 「そう、果たされなかった。見ての通り今日、何故かユライト自身も含めて三機同時に襲い掛かってきてくれた。しかも、シトレイユ軍の侵攻なんてオマケつきで。こっちの準備が出来てなかったら大惨事になるところだった。幾ら僕とユライトが不仲だとは言え―――こんな事をして、ヤツに何のメリットがあるって言うんだ」
 解る人、とまるで学級の班長のような口調で言う凛音に、ラシャラがやれやれという口調で応じた。
 「ある訳無かろう。現状ヤツの目的である”ガイア打倒”に一番近い位置に居るのはお主じゃ。今回のこの密約破りは、剣士がガイアの手に堕ちた今、その僅かな可能性すら失いかねない危険な行為に他ならぬ。―――ヤツには何のメリットも無い。ヤツには、の」

 ―――では、凛音が死ぬ事にメリットがある人間が居るとすれば?
 もっと解りやすく言えば、ガイア打倒の芽が摘まれて喜ぶ存在は、このジェミナーの何処にいる?
 
 「―――ミイラ取りがミイラ、か」
 「洗脳ってのはさ、掛かってる本人が気付かないから洗脳って言うんだよね」
 戦局図に映る剣士の聖機人に視線を送りながら、凛音は答える。
 黒い聖機人を駆ってシュリフォンの聖機人を追い払っている剣士はきっと、今は自分の行動に疑問を覚えていないのだろうなと、苦い気分で思いながら。
 「でも、一体何時から……?」
 それまで黙って話を聞いていたキャイアが、考え込むように呟くのを、凛音は素気無く、さぁねと肩を竦めて返す。
 「ずっと前からなんじゃない? それを前提に考えてみると、アイツの行動ムラが多かったし。本人は真っ直ぐガイア打倒に突っ走ってるつもりだったんだろうけど、如何にも無意味と言うかぶっちゃけ悪手を選んでいた所も目立つ。まるで、ガイア打倒を目指すふりをして、ガイア復活のために尽力しているようにも見える」

 例えば、ドールをガイアの支配下に置いたままで何も対策を打っていない処とか。

 自身の姉の事情が例だったせいもあるだろうが、それだけの例えでキャイアは納得した。
 アウラも頷き、続ける。
 「気付かなければ逆に、ガイア復活を目指しているふりをして、その実ガイア打倒のために策を練っていたようにも見える、か」
 「そういう事。まぁオッサンが上手だったのか運が良かったのか。騙してるふりして騙されてりゃ世話無いよね。―――僕も気をつけないとって気分になるよ」
 「お主も企む側の人間じゃからの」
 ウムウムと頷くラシャラに、反論できない辺りが弁えていると言えるかも知れなかった。
 「ま、この辺はキミ等の意見に従っておいて助かったって処かなぁ。あのオッサンも何気にやる事が過激だよ。いきなり聖地に進軍したり、虎の子の人造人間三人とも寄越してきたり」
 「三人全員を寄越さねば、お前が倒せないと解釈されているんではないか?」
 「―――女神の翼のご利益と言った所か」
 「オッサンに目をかけられても何も嬉しくない。迷惑な話だよ、全く。―――まぁ良い、話を戻そう」
 凛音は本気で嫌そうに首を振りながら、幕を閉じるように手を叩いた後で、続ける。

 「さて現状、敵三名を分断して攻勢をかけている訳ですが―――こっちは一向にダメージを与えられず、向こうは向こうで、何時まで経っても敵の数が減らない。こう着状態だ。この状況が長く続きすぎると、それはそれで良くない。相手が焦れてくる可能性がある」
 「―――すると、どうなる?」
 「僕なら、逃げる」
 アウラの合いの手に、凛音はあっさりと言い切った。
 「でも、船で退路を断ってるじゃない」
 「あんなもの、三機一斉に一箇所を目指せば、直ぐに抜けられるさ。―――逃げる事にのみ集中されたら、逃がすしかないな」
 「だが、我々は素直にお引取り願う訳には行かない―――だな?」
 「そう。シュリフォン的にはアリかもしれないけど、僕たちには拙い。なにしろ、今回先手を打って罠を仕込んでおいた段階で、ユライトが洗脳されている事にこっちが気付いているという事実がババルンに伝わってしまう訳だからね。こうなると、もう”次”がなくなっちゃうだろう」
 つまりは、此処で決めるしかないのだと凛音は言う。
 「此処で確実に、剣士殿を取り戻す」

 「―――メザイア、姉さんは?」

 不安げな面持ちで問うキャイアに、周りが不安を覚えるのとは対照的に凛音は気楽に応じた。
 「悪いけど、今回は運が良ければ程度に考えて欲しい。―――言うだろ、二兎追うものはって、さ」
 「……そう。そう、よね。今は剣士。まずは―――剣士を」
 「そういう事。とにかく剣士殿をまずこっちに引き戻せれば、幾らでも後でやりようが出てくる」
 その言葉に安堵の吐息を漏らしたのは、何もキャイアだけではなかった。
 「―――随分と、丸くなったの」
 「キミのためさ、ハニー」
 苦笑を浮かべるラシャラに、凛音は面倒くさそうに応じた。
 実際本気で、ラシャラがメザイアを救いたいと思って居なければ、切り捨てるつもりだったのは事実だ。
 だが、それが少女達を悲しませるという結果を生むと解れば、自分の感情論度外視で撤回出来るのが、凛音と言う人間だった。どのみち、メザイア自体はどうでもいいと感じている当たりが、彼の人間性を象徴しているとも言える。


 「ま、そんな訳でそろそろ行こうか。手順は説明したとおり―――、一斉に”メザイア目掛けて”突っ込む」
 
 
 体を起こしながら、凛音は宣言した。少女達の顔が、一様に引き締まる。
 「―――すると必ず、剣士がフォローに入る、ね」
 「うん。メザイア―――救うべき対象が危機に陥れば、剣士殿は絶対に自分の身の安全を度外視して妨害行動に出る。それこそ、亜法結界炉のリミッターを解除して限界運用を発動しても、だ」
 「あの、四月の晩。妾を襲った時のように、じゃな」

 空中宮殿スワンを襲撃してきた剣士は、限界稼働時間ギリギリまで追い詰められて、遂に機体のリミッターの解除と言う自分にすら危険な―――亜法振動波が人体の健康を害する危険域にまで突入するのだ―――行為をするに至った。
 ”そうしなければ帰れない”という固定観念から、追い詰められていたがゆえの行動だ。
 そして結局、ラシャラの元までたどり着きながら、剣士は亜法波に酔ってふら付く所をキャイアに取り押さえられ、気を失う結果となった。

 「―――つまり、剣士殿を追い詰めてその状況を再現する」
 「限界稼動時間、亜法酔いにまで追い詰めて、意識を飛ばして捕獲―――という事だな」 
 「リミッター解除した聖機人に乗った剣士殿を、メザイアを背中に置きながら迎え撃つ。―――良いトコ無理ゲーだよね」
 「でも、やるしかないのよね……」
 嫌だ嫌だと首を振る凛音を無視して、キャイアは自分に言い聞かせるように呟く。
 覚悟は完了した。全員の顔を見渡して、そう判断したアウラが、おもむろに口を開いた。

 「―――では、最後の問題について話し合おう」

 「最後?」
 凛音は―――凛音だけが、首を捻った。
 話すべき事は話して、後は行動に移るだけだったから、彼の疑問は当然だった。

 彼にとっては、だが。

 「そう、最後の問題だ。リミッターを解除して想像できない領域の戦闘力で突っ込んでくる剣士を、どう止める? 誰が、どうやって止める?」
 淡々と、アウラは告げる。言葉は明らかに、凛音にだけ向けられたものだった。
 「どうって……そりゃ、勿論」
 「”全員で頑張って”などと言うつもりか?」
 「それ以外に方法があると?」
 雲行きが怪しくなってきた事は察していながらも、凛音は返す言葉を選びようが無かった。
 「それで何とかなるのか?」
 「するしかないだろ? 多少の無茶は、仕方ないさ」
 今更、何を。
 言外に込められた意味を解っているだろうと視線で告げる凛音に、アウラもゆっくりと頷いた。

 「そうだな、多少の無茶は仕方ない」

 ―――だから、こうもするのだ。

 「ん、ぎっ―――!?」
 首筋に走る僅かな痛み。
 それから突然、がくんと、膝の力が抜けた。
 「即効性の超強力な麻酔薬でな。治療不可能な重傷者に用いるものだが―――投与されれば、例え足を切り落とされようが目覚めんぞ」
 「なに、を―――!?」
 急速に遠のいていく意識に、傍に立っていた筈のアウラに向かって、凛音は震える言葉を漏らす。

 「簡単な話だ。無茶をする。今回はお前ではなく―――私達が、無茶をする」

 慈しみを込めた言葉こそが、彼に苦痛を与える。
 「そん、なの……」
 「女神の翼がお前の命を危険に晒すと解っている以上、易々と使わせるわけには行かない。―――お前にばかり、命を張らせたりは、しない。させるつもりは、無い」
 駄目だと、言おうとして崩れ落ちる凛音に、アウラは頑なな声で告げる。
 うつ伏せに地面に倒れこむ凛音を支えながら、アウラは優しげな口調で続けた。
 
 「今はワウも、ユキネさんもフローラ女王も居ないからな。私が、お前の無茶に付き合う係りだ」

 でも、と閉じていく瞼の外で、唇が動くのが解ったけれど。


 「―――私は、あの人たちほど甘くは無い」


 だから、お前の好きにばかりはさせられない。

 決意の言葉は、終ぞ凛音の耳に届く事は無かった。


 ・Scene 47:End・







    ※ オリ主として生まれたからには、原作主人公を物理的に殴り倒すって言うのは外せないイベントのような気がしますが、
     ただでさえ、ハーレム横取り(と言うか先取りと言うか)なんて優遇措置を受けているこやつに、そんな素敵イベントは
     訪れる訳は無いのです。
      まぁ、勝てない男の面目躍如って事で、殿下は脱落。

      もうアウラ様って言うかアウラ姐さんってノリになってきたよね。




[14626] 48-1:利用する者される者・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/02 21:32


 ・Scene 48-1・




 「問答無用で眠らせてしまうとは、中々強引に行くの、愛妾六号よ」

 「ここは私は、”いいや、正妻の勤めさ”とでも答えれば良いのか?」
 「それはそれで、本音かどうか一度じっくりと尋ねてみたい答えであるが―――」
 アウラの膝の上に崩れ落ちた凛音の顔を覗き込んでいたラシャラの顔が、冗談交じりなのはそこまでだった。
 「―――本当に良かったのか?」
 何が、とは問うまでも無かった。
 遠目に見ていたキャイアでさえ、主の懸念は理解できた。
 
 「この男抜きで、剣士を止められるのか?」

 今も戦局図の上では三つの敵を示す光点の周りに、過剰なほどの味方戦力が密集している様が映し出されている。
 三対多数、ではなく一対多数を三つ。タコ殴りと言う言葉すら乱暴と思える過剰な戦力が敵一体ごとに投入されているというのに―――徐々に戦力が減らされているのは、味方の方である。いや、敵が味方を減らす間隔が遅くなってきている事からして、敵もそれなりに消耗してきている事は伝わっている。
 しかし、敵の行動速度がゼロに近くなるより先に、この調子では味方が全滅する方が早そうだった。

 ―――そんな状況に、アウラたちは飛び込むのだ。

 龍の化身、女神の翼の超常的な力を抜きにしたまま。

 そういう選択を、自ら選んだのである。
 昨晩、バタバタと今日のための関係各所への根回し、準備に忙しかった中で、凛音が見ていないところでアウラが切り出し、ラシャラはソレを了承した。ついでに、連絡役としてその場に居た、凛音の腹心の老人も理解の態度―――成功したなら黙認、とも言う―――を示した。

 「コイツにはガイアを倒してもらわねばならないからな」
 アウラは凛音を地面に寝そべらせながら、ポツリとそう述べた。
 「じゃが、それを成すためには剣士の力が必要だと―――そやつ本人がぬかしておったではないか」
 「正確には剣士の”持っている物”とやらが必要らしいが、それは良いか。―――単純な話になるが、剣士は強い。おそらく、我等では勝ちを奪う事は難しいだろう」
 チラ、と話を聞くだけだったキャイアに視線を送ると、彼女も同意の頷きを見せた。
 「そう、ね。あの時は防戦一方のときにワウのフォローが入って漸く、しかも剣士の時間切れでギリギリ引き分け、みたいな感じだったし……、今回は、剣士以外に姉さんとも」
 姉、ガイアに操られているらしい、何故か人造人間だった姉メザイア。これから、戦わねばならないのだ。
 複雑な表情を浮かべる従者を、ラシャラが目敏く見咎めた。
 「凛音殿がおらぬ以上、状況的にメザイアを追い詰める役割はキャイア、お主の役目となろう。―――やれぬと言うのであれば、今のうちに退くが良い」
 「いえ。―――いえ、やります。メザイア姉さんの動きを一番良く解っているのは私でしょうし、きっと、私が一番その役目に最適ですから、それに―――」
 やせ我慢とも言うべき真剣な表情を無理やり作って主に言葉を返した後、キャイアは瞼を閉じた凛音の方に視線を送った。
 「それに?」
 ラシャラが尋ねる言葉に、キャイアは苦い笑みを浮かべながら応じる。

 「それにそれが、―――姉さんを救う近道になるらしいですから」

 そんな風に、昨晩作戦の概要を伝えられた時に、凛音に言われていた事をキャイアは思い出す。
 メザイアは剣士に執着を見せていた。聖地崩壊の最終段階のときも、ドールの姿のままで錯乱した剣士を必死に抱きとめ、呼びかけ続けていたから、演技とは思えない。
 ならば、剣士をこちらに引き戻せば、後々剣士を求めるメザイアを、こちら側に引き込むチャンスも増えるだろうと、凛音はそんな風に解釈して見せた。

 「不言実行が好みらしいから、言葉にした段階で疑わしいんですけどね……」
 「確かに、碌でもない事ばかり断言するタイプじゃしの」
 疲れたように言う従者に、ラシャラも呆れたように頷いた。
 「まぁ、女との約束事は基本的には守る―――守ろうと、努力くらいはする男だろ」
 散々な言われ様に、アウラもかなり酷い言い方でフォローじみた事付け加えた。苦笑を浮かべて凛音の額に掛かった髪を払った後で、ゆっくりと立ち上がる。
 
 「凛音にはガイアを倒してもらわねばならん」

 かみ締めるように、もう一度繰り返した。
 「―――それ故に、剣士との戦いで消耗させる訳にはいかない。コイツ個人の好みとしては、きっと剣士の事を自分で止めたいと望むだろうが―――コイツの趣味に任せてまた寝込まれてもらっても困るからな」
 「女神の翼、か?」
 ラシャラの問いかけに、アウラは頷く。
 「どう考えても凛音は、”私達に傷一つ付けず、且つシュリフォンの戦士達の消耗も最低限で”剣士を無力化しようと考えているからな。今行われているこの状況とて、人的、物的被害を最小限に食い止めるための方策なんだろうさ。それでもかなりの損耗が確実視されているのだから―――コイツが、例え必要だったとしてもそれ以上の被害が増える事を望む筈も無い」
 「―――じゃろうな。特に、お主の肌にはかすり傷一つつく事すら嫌うじゃろうて。身内にはどこまでも、甘い男じゃから」
 美点と言うか欠点と言うかと言う気分で、ラシャラは頷く。
 キャイアは微妙な顔をしていた。自分は多分、半分くらい身内から外れているのだろうなと考えている。
 アウラはキャイアの表情からソレを悟ったようだが、薄く微笑するだけに留めた。
 「そんなだからコイツは、剣士を止めるためにかなり強引な手段に出る筈だ。”ある程度の犠牲さえあれば凌ぎきれる”場面だろうと、確実に無茶をして犠牲を抑えようとする。しかし私達にとっては既に犠牲は承知の上―――とすると、他の助力が得られない以上は自分ひとりで無茶をするしかない」

 ―――そして、甘木凛音と言う少年は、それを可能にする力有している。

 「女神の、翼……」
 「使えば、きっと確実に倒れるのじゃろうな」
 幻想的と言って過言で無い、輝く翼が広がる様を思い出して呟くキャイアに、ラシャラは苦い顔で頷く。
 また倒れられて、何時目覚めるかも解らない間、暗い気分で待ち続けるのは御免だった。特に、目覚めない理由の一端に、自身の無力などという物があったのなら、尚更。
 「そんな訳で、今回はコイツの趣味に付き合ってやることは絶対に出来ない。―――少し、気になることもあるしな」
 きっぱりとアウラは言い切った後で、少し含みを持った言葉を付け加えた。
 「気になること?」
 ラシャラが片眉を上げて問う。
 「キャイアなら―――いや、キャイアも意識を失っていたな、確か。とすると、見ていたのは私だけか」
 アウラの言葉に、キャイアは瞬きをして首を捻る。何を言われているのか解らなかったからだ。
 アウラは苦笑して首を横に振ると、改めて凛音を見下ろしながら続けた。
 「剣士がメスト卿―――ガイアの支配化に置かれる事となった、あの時のことなんだが」
 「―――剣士が突然ババルンの命に従って襲い掛かってきた、と言うアレか」
 ラシャラとキャイアにとっては、後で聞いた話だ。キャイアは、切り結んでいた人造人間が姉メザイアに姿を変えたことに混乱して、不意を突かれて意識を奪われていたし、そしてラシャラは装甲列車から辛くも脱出して、四輪車で喫水外の森の中をシュリフォン方面に逃亡している所だったから。
 「ああ、あの最後の場面で、剣士が我等目掛けて攻撃を仕掛けてきた。混乱する私たちの中で、剣士の鋭い―――鋭すぎる一撃を防ぐために、凛音は使ったよ。アレだけ、血まみれで動く事もままならなかったというのに」

 剣士の一撃を防いだのは、女神の翼の輝きだった。
 反応すら出来ない速度で繰り出された一撃を、女神の翼は防いだ。

 ―――しかし。
 
 「……しかし?」
 「アレは、完全に防げていたのか……?」
 疑問に眉を顰めるラシャラに、アウラは自分でも理解が出来ないと言う口調で呟く。
 「どう言う事じゃ? ―――いや、想像はつくが、それでも疑問しか沸かぬ。あのガイアの砲撃すらも防いだ女神の翼が、まさか……」
 
 ラシャラは、ガイアの恐らく今この場に居る三人の中で、尤もガイアの恐ろしさを身近に感じている人間だろう。
 彼女は同乗した装甲列車の中で、ガイアの放つ凄まじい威力を持つ砲撃を、その威力を直に味わった―――味わい、かけた。
 それを完璧に防ぎきった女神の翼の常識を超越した力を、肌で理解していたとも言える。


 「だが見たのだ、私は。目の前で。剣士の”ただの拳”が、女神の翼を打ち弾く様を」


 故に、アウラの疑念はラシャラには信じがたかった。
 「俄かには信じがたい話じゃの……。それではまるで、ガイアよりも剣士の方が強いと言う事になってしまわぬか?」
 「解らない。単純に、凛音が限界だったからか、それとも剣士が同質の力を有していたからなのかも知れぬし―――それに、凛音もあまり、女神の翼については話したがらない雰囲気だしな」
 ラシャラの言葉に、アウラも曖昧な顔で首を横に振る。
 幾度か凛音との会話の話題で、女神の翼について話しを振ったことがあるのだが、そのいずれも、よく解らない単語を並べられて煙に巻かれていた。天然でボケているのかと思ったが、それが繰り返されれば、どうやら話したくないのだろうという気持ちも伝わってくるから、余り深く尋ねる気も沸かなくなってきていた。

 ―――それ故に、解らないのなら、解る範囲でのみ解釈すべしと、判断するに至ったのである。

 「肝心な所で防げず、そのくせダウン、では困るからな。今回は最初から頼らない事にすべきだと思う」
 アウラはそんな風に纏めた。
 「そうじゃな。死力を尽くせば人の手で超えられる難関を、初めから神頼みであっては如何にも具合が悪い。―――キャイアよ、良いな?」
 アウラの言葉に頷いてから、ラシャラは確りとキャイアに視線を向ける。
 「―――覚悟は出来ています」
 キャイアもまた、その視線に答えて頷いた。
 
 キャイアにとっても、この剣士奪還作戦は雪辱戦とも言えるものだったからだ。
 目の前の状況に混乱するばかりで何も出来ず、その結果敵に付け入る隙を与えてしまった。
 剣士が刺され、倒れる様を、ただ突っ立って見ているだけしか出来なかったのは、思い返せば痛恨の出来事であった。
 
 「―――今度は、そんな無様な姿は」
 「逸り過ぎて、前のめりに倒れるでないぞ。―――剣士の後には、メザイアの事が控えておるのだから」
 「っ! ―――はい!」
 嗜めるような主の言葉に、キャイアは力の在る言葉で返した。
 ラシャラは従者の態度に満足そうに頷いた後で、何気ない仕草でアウラに視線を送った。

 「それでお主は、正面から剣士とぶつかるという役割になる訳じゃろうが―――平気なのか?」
 
 キャイアがその言葉に目を剥いた。
 そう、自分のやることの困難さに忘れていたが、自身がメザイアを打ち崩す事を担当する以上、剣士を止める役割は必然的にアウラが負担するのだ。
 剣士を。しかも、膨大な亜法波を撒き散らしながら突っ込んでくるリミッターを解除した聖機人を。

 「平気さ、勿論」

 不安の視線を向けるキャイアに微笑みかけた後で、アウラは堂々と宣言した。
 「無茶な事は―――」
 「しないさ。いや、必要な犠牲は掛かるだろうが、私も王族だ。それに関しては、背負う覚悟はある」
 覚悟だけだが、と付け加えながら、ラシャラの疑念に首を横に振る。
 「必要な犠牲、必要な努力―――それに、最後は」
 答えながら、テントより歩みだし、空を見上げる。
 高い高い、何処か遠くを見上げる様なその姿に、ラシャラは眉根を寄せた。
 「最後はやはり、神頼み―――等とは言わんじゃろうな?」

 まさか、と振り返り苦笑い。

 「最後に頼りになるのは―――最後に人を救うのは、同じ、人さ」






     ※ 良いサブタイが思い浮かばなかったので、こんなで。
       算術ホーリー辺りが欲しい状況ですね。



[14626] 48-2:利用する者される者・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/03 21:52


 ・Scene 48-2・




 思い出せない状況に似ている気がした。

 思い出せない意地悪な誰かが、如何にもやりそうなえげつない手段。

 出会い頭の一撃を喰らった段階で、既にそう感じていたけれど、しかし命令に逆らう権利を、剣士は有していなかったから―――今もこうして、煩わしいばかりの攻勢に晒されていた。
 後から後から沸いて出てくる有象無象。台所で時た思い出せない誰かに駆逐される、黒い何かを思い出してしまいそうなほどの、厄介な―――尤も、黒いのはこちらで、向こうは色取り取りカラフルな装甲の集団だったが。
 とかく、煩わしいほど次から次へと間断無く―――否、嫌なタイミングで間と間を挟みながら、飽きる事無く攻撃を加えては、逃げて、それからまた攻撃を仕掛けてくるのだ。
 しかもその攻撃全てが、あからさまに剣士達を倒す気が感じられないものだったから、ドールなどは真っ先に苛立ちを覚えていた。やる気の八割が既に削がれている、と言う雰囲気である。
 今回は共に作戦を遂行する事になったユライト―――ネイザイは、妹のやる気の無さに戦場だというのも忘れ、何時もの調子で苦言を呈するようになっていた。
 ネイザイ自身も、随分苛立っている証拠だった。 

 それにクスリと笑いながらも、剣士もまた、何処か居心地の悪い気持ちを覚えていた。
 「頑張らなきゃ、いけないのに……」
 呟きは茫洋として、まるで自分のものとは感じられない。
 確かな決心の筈のそれが、どうしても空虚なものとしか思えない。
 そのせいなのだろうか。思うように、体が動いてくれない。何時にもまして、技の切れが悪い。
 鍛え上げた―――鍛え上げた? 鍛え上げた、筈だ。断じて初めから持って生まれたものではない、鍛え上げなければ、技は身に付かないのだから。
 鍛え上げた技、身体の使い方を、忘れてしまったかのような不思議な感覚。
 肉体の反射に、意思が追いつかない。

 ―――自分の体じゃ、無いみたいだ。

 冗談みたいな、そんな事を本気で思う。
 何か決定的な間違いを犯しているのではないかと、そういう気分にすらなってしまうのだから、相当な重症といえるだろう。
 何も間違っていない。間違っている筈が無いのに。
 命令は絶対で、従うことは当然で、ならばその通りの行動を取っている今に、何の疑問を抱く必要があるのか。

 『どうかしたかしら、剣士』
 
 ふと気付くと通信モニター越しに、ネイザイが怪訝そうな顔で覗き込んで居た。
 銃撃による支援機としての役割が多い事は確かだろうが、今は彼女も存分に敵の攻撃を浴びている筈だろうに。
 随分と余裕だと思いつつ、それとも、そんな中でも声を賭けずには居られないほど、今の自分は心配をかけてしまうような状態に見えるのかとも思えてしまい 随分と余裕だと感じつつ、それとも、そんな中でも声を賭けずには居られないほど、今の自分は心配をかけて居るのだろうかと申し訳なさも覚えてしまう。
 隣に開いていたもう一つのモニターから、ドールもやはり横目でこちらの様子を伺っている事が解る。
 無表情なように見えて、瞳の奥は何時だって他者を労われる気持ちに溢れた少女だったから、無言とは言えその意思は雄弁だった。

 それはいけない。

 頑張ると決めて、守らなくちゃいけないと誓った―――何時? 誰に? もう思い出せない―――人たちに、逆に心配をかけてしまうようなことは。

 「ううん。流石にこれだけ来ると、ちょっと大変だなって」

 だから、笑顔を浮かべて、否定する。
 透過装甲、外の景色との狭間に反射した自分の顔を、まるで人形のように無機質で、不気味なものだと感じながら。

 『本人が出てこなくても、厄介な事この上ないって事でしょうね』
 『戦術論考、七学期連続”優”評価は伊達じゃないって事でしょ?』
 
 感情的に眉をしかめるネイザイに比べて、ドールの言葉は何処か面白そうな響きを含んでいた。
 「やっぱり、この状況ってアマギリ様の仕業? ……アウラ様の国なんだよね?」
 人気のまったく存在しないシュリフォン王都の街路で、シュリフォンの聖機人の妨害に苦慮しながら、剣士は首を捻った。
 『そもそも教会施設を発破をかける様な輩は、あの男しか居ないわよ』
 『アウラとアマギリは―――ついでにリチアも含めて、昔から仲が良かったもの』
 渋面そのままに声を荒げるネイザイの横で、ドールは懐かしそうな響きを保って剣士の言葉に応じた。
 『仲良しついでに、何時の間にかシュリフォン軍を指揮できるような関係にまで昇華したのかしらね。―――リチアはどうするのかしら、あの女の敵』
 『くだらない事言ってるんじゃないわよ、ドール!』
 「ネイザイ、流されてるよ……?」
 やる気の無いドールを嗜めるネイザイ。剣士が間に一人で苦笑を浮かべる形は、最早定番の様式美とすら言えた。
 
 どれだけ不調であっても、余裕がある証拠、と言えるかもしれないが―――いい加減煩わし過ぎる。
 くだらない内容で言い争っている二人の姉も、それに関しては同様だろう。

 『―――稼動限界まで粘りきるつもりかしら。王宮に立て篭もって、撤退まで粘るつもり……?』
 『都市部を艦隊包囲が完成しつつあるわよ。―――此処でなぶり殺しにするつもりなんじゃないの』
 『如何にもやりそうね、あのアマギリ・ナナダンなら……っ』
 未だ遠い王城―――その前に堂々と配置された高射砲の群れとバリケードを睨み、ネイザイは姿の見えない誰かを罵った。

 剣士達三人の目指す場所はそこだ。
 そこへと進み、そこにある全てを破壊する。

 ―――そう言えば、あそこには何が有るんだろうか。

 今更ながらにどうでもいい疑問を浮かべつつも、今は悩んでいるような状況でもないだろうと気持ちを切り替える。
 「負けるつもりは無いけど……でも、時間切れは確かにやばいのかな」
 剣士としても、ネイザイの心配には同意だった。この調子で幾ら攻められようと、容易にしのぎきる事は可能だったが、聖機人の稼動限界の壁だけはどう頑張っても超えられない。生理機能を犯す亜法振動波を完全に防ぐ手立ては無いのだから。

 『無理やり突っ切りましょうか』

 以外にも、真っ先に対策染みた提言を行ったのはドールだった。
 何気ない風を装った、無表情。しかしその瞳の奥で何か別の意味合いを秘めた輝きがある事だけは剣士には解っていた。
 『一気に踏み込んで、また爆薬でも仕掛けられたら……』
 『教会では防げたじゃない。―――あの程度の仕掛けなら、幾らでも、何度だって防げるでしょ』
 慎重論を唱えるネイザイの言葉を、ドールは一蹴してみせる。暗に、自分の考えを押し通そうとしているのが透けて見えた。
 
 ―――元々、あらゆる命令に対して消極的な態度を示しているドールにしては意外な態度だ。

 『剣士もそう思わない?』
 「そうって……無理やり突っ込むって事?」
 『そ。いい加減蝿に集られるのも飽きてきたわ』
 冗談めかした言葉の割りに、目の奥の意思は真摯なものだった。どうしても、と無言の圧力が伝わってくる。
 剣士個人の好みからすれば、ネイザイの意見に賛成だった。無理やり突破した所で、確実に罠を仕掛けるくらいの抜け目無さを有している筈だから、安全策で行くべきだ。
 むしろ一回確りと立ち止まって、完全に目の前の敵を排除する事に集中した方が早いかもしれないとさえ思う。
 
 だが……。

 『こんな状況、もう早く終わらせましょう』
  
 その言葉が、何故か懇願に聞こえてしまって、剣士には逆らえなかった。
 「うん。……解ったよドール。進もう」
 『剣士?』
 「ネイザイ、ドールの言うとおり時間切れの前に一気に突破した方が早いと俺も思う。だから―――行こう」
 妹のような姉の言葉こそ、今の剣士の何処か纏まらない志向の渦の中で、唯一道標となるべきものに思えてならなかった。
 『―――解ったわ』
 「ありがとう、ネイザイ」
 お礼を言われるような事ではないと苦笑するネイザイに、剣士も笑みを作りながら首を横に振る。
 ネイザイが剣士の頼みを良く聞いてくれる事を知っていたからこその、些か強引な願いであると理解していたからだ。

 「じゃあ、俺が先頭で突っ込むから、援護、宜しくね」
 『―――ええ』
 剣士の言葉に、ネイザイが躊躇いがちに頷いた。装備の関係が無ければ、自身が先頭を行きたかったのだろう。心配性な長姉の態度を、嬉しく思う。
 「ドールも、良い?」
 『思うとおりにやりなさい、剣士。貴方は、自分の思うとおりに』
 「―――……うん」
 面倒くさそうな声が返ってくると思ったが、不思議なほどに心に残る声が帰って来た。

 首を捻るべきなのだろうか―――そう思いながらも、体は意思に反して、敵の攻撃の間を抜け目無く見つけ、既に突進の行動を示していた。
 左右から迫り来る連撃を、剣で押し返し腕で受け流す。
 長剣を振りぬく動作そのままを勢いに変えて、石畳の街路に思い切り足を踏み込ませ、全力走破を試みる。
 三叉路の広がる先に見える、バリケードで守られた王城へと、一直線に。

 踏み込み、駆け出し、突破して―――次の瞬間。

 「―――っ!!?」

 轟。
 背中越しに、爆音が鳴り響く。
 敵も味方も関係なく、全て等しく破壊し尽さんとばかりに、炎が炸裂し、三叉路を両断する。
 振り向き、その意味を確認するよりも先に、断続的に次々と―――爆風で前に弾き飛ばされる剣士の背後で。
 凄まじい衝撃、錐揉みするような衝撃波の渦の中で、必死で聖機人の挙動を制御する。
 「味方、ごと―――?」
 間違いなく、爆炎にシュリフォンの聖機人達も巻き込まれていた筈だ。あの距離だ、どう考えても、避けられるとは思えない。まさか味方の戦力を巻き込んで罠を発動させるとは考えていなかったから、それゆえに一瞬の判断の遅れで、剣士は爆発の直撃を浴びかけた。
 衝撃に逆らわずに、更に前へと跳んだ事が、結果的に剣士を救ったとも言える。
 
 ―――しかし。

 「―――っ、このぉ!?」
 体勢を立て直して、最早王城まで一跳びの位置に降り立とうとしたその瞬間、またぞろ、有象無象と敵聖機人が―――今度は、集団一塊で突撃をかけてくる。
 それそのものが質量弾のような勢いで、剣士の聖機人に体当たりを仕掛け、覆せない推力差を利用して、一気に王城から、都市郊外に向けて押し出してゆく。
 「ドール、ネイザイ―――!?」
 いかに強力な剣士の聖機人とて、数の暴力を適切に統率されて挑まれれば、対処に苦慮するのも当然。
 慌てて管制モニターをチェックしようとも、最早ソレは敵の狙いそのままの情報しか映し出していない。

 ―――完全に、ネイザイ、ドールとは引き離された。
 
 それぞれ三方に、等しく分断されてしまったのだ。

 「くっ、そ!」
 押し込んできた内の一機を、懐から膝で蹴り上げる。少しだけ軽減された重圧の中で身を捻り、更にもう一機の腕を捻り上げて投げ飛ばす。そのまま強引に身を滑らせ、鉄の弾丸とかした聖機人の集団の中から離脱を果たす。
 さりとて、当然のことながら敵の攻撃は止む筈は無い。
 むしろそれまで以上に苛烈に、最早敵味方の区別もなく、何処からともなく四方八方から砲弾までが降り注ぎ、遠くに離れた王城に備えられた高射砲の照準すら、こちらに向けられている事がわかった。
 敵聖機人は決死隊も画やと言う有様で、四方八方から、今度は呑気に志向している暇も無いほどの勢いで剣士を圧してくる。

 完全に相手の思惑に嵌められた、と言うことだろうか。

 敵の攻撃は此処が勝負どころとも言うべき苛烈さで、剣士の技量を持ってしても、防戦に回らざるを得ないほどのものだ。
 たいしたダメージは無いが、空から降り注ぐ砲弾の雨は見ていて心地よいものでもなかったから、剣士の精神は追い詰められて当然といえた。

 ―――何よりも、二人の大切な姉の事が心配だったから。


 防ぐ。切り返す。進み、圧し戻され、防ぎ防ぎ防ぎ―――。
 
 
 幾度となくそんな状況を繰り返しながら、次第積もり積もっていく焦りのなかで、更なる焦燥が剣士の胸に宿る。
 「―――ドールっ!!」

 遠く、街路の向こうにドールの聖機人の姿が見えた。
 尻尾を持った、一目で手練だと解る赤い聖機人が、ドールの黒い聖機人に猛攻を加えている。
 手刀の一撃を掻い潜り腕を切り落とし、返す刀で頭を刎ねる。遂に向かえた稼動限界による劣化によって膝から下がひしゃげて崩れ、それでも、しかし赤い聖機人はドールに倒れることを許さず、コアに蹴りを叩き込み、機体を浮かす。

 「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」

 知らず、叫んでいたし、体も動いていた。
 大きくバックステップを踏んだ赤い聖機人が、刺突の体勢を取ってバーストモードに移行したのが見えてしまえば、最早剣士に我が身を省みる猶予などなかった。
 機体を操作し、遥か遠すぎる距離を生めるために、―――限界を超えるために。

 リミッター解除。亜法結界炉最大出力。
 
 脳生理どころか、最早機体、コアの内部すら超振動が揺らすほどの、凄まじい亜法振動波が響き渡る。
 狙ったものではなかったが、その振動波に晒されて、周囲の敵機の動きが鈍った事は、剣士にとって幸運だったといえる。
 ドールの元へ、一直線。
 猛烈にわきあがってくる吐き気と、歪む視界に晒されながら。


 ―――頑張らなくちゃと、そう決意したとおりに。

 守る、ために。

 誰を?

 ―――皆を。

 皆って―――誰?

 脳を揺らす亜法波の影響だろうか、常識外れの速度で、ありえない距離を走破するその刹那の中で、剣士の脳裏に幾つもの疑問が沸いては消える。
 
 見慣れた黒い聖機人が、見覚えのある赤い―――赤い聖機人は、キャイアの。

 キャイア・フランは、メザイアの妹。
 メザイアって―――ドールだ。
 キャイアがドールを。
 何故?

 何故?

 何故俺は、キャイアを止めるのはだってドールを救うためにそのためにはキャイアを―――。

 「守る、んだ」

 誰を?

 お前は誰を、誰から守るんだ?

 「守るんだぁぁぁあぁぁあああああああっっ!!」

 叫びはむなしく響き渡り、最早、叫んでいる自分すら理解できぬ混乱の極みの中で、それでも剣士は止まらなかった。リミッターを解除した亜法結界炉が放つ膨大な亜法波が、彼の思考の生理を阻む。
 行動は止められず、命令の遵守は求められ、誓いの反故は許されず―――それ故に。

 長剣を振り被る。
 振り下ろすべき相手を見つけられぬまま。振り下ろすその意味を理解できぬまま。

 ―――止まれなかった。

 『剣士ぃぃぃぃぃ―――っ!!』

 突然横合いから進路を阻むように突っ込んできた緑色の聖機人の姿を確認しても。

 「うあぁあああぁあぁぁあああぁぁぁぁっっ!!!」

 ―――止まれなかったのだ。

 迎え撃つ構えの緑色の聖機人と、更にそれを守るように立ち塞がる敵聖機人達が、壁のように。
 それを突き破り、弾き飛ばし、踏み潰し、前へ、前へ、何処へ進んでいるのかすら、最早忘れてしまったけれど―――。
 
 守りたかったから。

 それ故に、一片の躊躇いもなく。
 緑色の聖機人。見覚えのあるその姿を、混濁する視界と思考の中でもはっきりと理解していたのに、剣士は、道端の石ころを払うかのように、刃のような腕を横凪に。
 
 一撃でコアを斬破せんがため。

 その中に居る誰かが、誰かを―――。

 守らなくちゃと、誓った筈なのに。

 「あ、あぁあ!? うあぁぁああぁぁぁああぁぁっ!!」

 最早入力された命令だけでは到底処理しきれないロジックエラーの坩堝の中で、それでも、剣士は止まれなかった。


 轟。


 聖機人の金属の外殻を打ち砕く音が、響き渡った。






   ※ 誰が敵で味方やら、と言う感じで。
     まぁ、剣士君の視点はそこそこに、次回からは別の人の視点で。



[14626] 48-3:利用する者される者・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/04 22:22


 ・Scene 48-3・





 聖機人で森を一気に駆け抜けて、敵の後背より襲い掛かる。
 
 地雷により分断された敵は、それぞれ予め指定してあった地点に誘導されており―――まず、ユライト・メストの機体は他の二機より尤も遠い位置へ。
 ひたすら、可能な限りとの指示であり、遠くであるのならば戦闘領域を固定する必要が無いとされている。ある程度離れたら、待機させてあった空中戦艦を間に入れ込んで、他の二機とは完全に分断する寸法だ。

 そして剣士の機体は、最も砲車の射線が集中するエリアへ。とにかく時間を稼ぎ、可能な限り消耗させる。弾雨の中で強敵と剣を合わせねばならないシュリフォンの勇者達には悲劇だろうが、耐えてもらうしかない。―――犠牲を、覚悟で。

 そして最後の一機、ドール―――メザイアの機体である。
 位置取りとしては剣士と同じ街路沿いまで押し込む事が肝心。”戦闘領域が剣士の目の届く範囲”にまで戦闘領域を移動させる事が重要なのである。

 「―――そして目標地点まで到達したら、一気に私が姉さんに奇襲をかけて、剣士の行動を誘発する……」
 『それから、私が剣士を止める―――限界稼働時間まで追い込み、亜法酔いにまで』

 随伴するシュリフォンの近衛を引き連れて森の中を聖機人で疾駆しながら、キャイアとアウラは言葉を交わす。
 『しかし、少しまずいな。―――メザイア先生を押し込みきれて居ない。完全に街路一つ分離れた位置で膠着してしまっている』
 アウラが戦域モニターを見ているのだろう、苦い口調で呟く。
 キャイアも同様に、正面に半円周上に広がったコンソールパネルに示された王都の戦域の情報を読み取る。
 アウラの述べたとおり、王城至近の大通りで敵と対峙している剣士の位置と、そこから一本ずれた裏路地に入り込んでしまったメザイアの機体と言う位置関係は大いに拙いと言える。
 
 ―――メザイアを追い詰めようにも、剣士に見える位置で無いと意味が無いのだ。

 『きっと通信が繋がっている筈だ何て、希望的観測は違っていたら笑えないからな』
 「失敗したらやり直し出来ないんだから、尚更よね……」
 とは言え、動き出してしまえばもう考えている猶予も無い。
 『下手に間を空けすぎると撤退されてしまうからな』
 事前に、それを懸念されていたから、何処かのタイミングで勝負を仕掛ける必要があったのだ。
 ついでに言えば、こちらの戦力も無限にある訳でもないし、ましてや同じ聖機人である以上、永遠に動き続けられる筈もない。
 作戦に参加している機体はアウラやキャイア、ついでに随伴機を除けば、残りは一般仕様の尾の付いていない―――つまり、稼働時間の短い、戦闘力に劣る機体ばかりだった。
 『とは言え、これ以上の戦力投入は不可能だ。王都近隣の駐屯地から、動かせるだけ―――本来動かすのが拙い位の戦力を投入してしまっているのだからな』
 これで国境守備軍がシトレイユに抜かれたら酷い事になると、アウラは呟く。
 
 「―――なら、やるしかないでしょ」

 勢い任せに言い切るキャイアに、アウラは苦笑を浮かべる。
 『今更何を、と聞くつもりものないが……行けるのか?』
 「行くしかないじゃない。―――私がこのまま奇襲をかけて、姉さんを剣士の前まで押し込んでみせるわ」
 『なら、止めんがな。ヤツも、”キャイアなら絶対に平気”だと言っていたし……』
 「……逆に不安になるからやめてくれる?」
 ヤツ、とやらが誰だか考えるまでもなかったから、キャイアは顔をしかめずにはいられなかった。
 アウラは微苦笑を浮かべて言う。
 『実際、聖機師としては一番腕が良いのはお前だからな。―――頼むぞ』
 「―――まかせて。森を抜けたら速度上げるから、援護宜しく!」
 アウラの言葉に確りと頷き、そのまま、まだ森を抜けきっていないと言うのにキャイアはトップスピードで王都へと突っ込んでいく。
 人気の無い郊外から続く街路には、複数を相手取りながら一歩も引かない大鎌を持った黒い聖機人。

 「姉さぁぁぁぁああああああんっっ!!」

 気勢を上げながらの、突貫。
 剣を振り下ろした二機と組み合っていた黒い聖機人が、森の奥から突っ込んできたキャイアの姿に気付き、振り向く。

 『―――キャイア! ……来たわね』
 
 最初驚いた言葉に続いたのは、むしろ落ち着いた響きの呟きだった。
 「うううっぁああああっ!!」
 何かを抱く前に行動を、止まらずに勢いだけを重視してと考えているのが傍目にも解る様なキャイアの攻撃。
 正面では二機とくみ合い、側面からの大上段の一撃とあらば黒い聖機人も易々とは避けられまい。
 
 ―――避けられない、筈だ。

 『っ、―――ふぅっ!』

 一瞬だけ圧しかかる二機に抗う力を緩めた後に、片足を軸に身体ごと反転。当然のこと、両腕で構えた大鎌がその流れに沿って並び立ちバランスを崩していた二機の聖機人に鈍い刃を走らせる。
 
 力任せの斬線が、重たい響きを伴いながらシュリフォンの聖機人二機を一息で両断する。
 
 振りぬいた鎌をそのまま、キャイアの斬撃に対する防御と成す。
 凄まじい金属と金属の激突。火花が散って踏み込んだ、押し込まれた街路の石畳が陥没する。
 「―――っ、くぅっ!」
 必殺と思われた一撃が避けられ、あまつさえ味方が一刀両断されたとあってはキャイアも苦い顔を浮かべるしかない。
 先ほどの二機と替わって、今度はキャイア自身が黒い聖機人と組み合う羽目に陥ってしまった。
 「ならばっ!」
 脚部に力を溜め込み、亜法結界炉の出力を上げてこのまま押し込んでしまえば。

 『―――来ると思っていたわ、キャイア。奥に居るのはアウラよね。―――アマギリは?』
 
 「―――え?」
 余りにも落ち着きすぎていた姉の言葉に、キャイアは一瞬我を忘れた。
 『はぁあっ!』
 「―――っづぅ!?」
 その一瞬の間隙が命取りと言うべきか。黒い聖機人は力が緩んだ瞬間を逃さずに大鎌を振りぬきキャイアの聖機人と距離を取る。
 「しまった!?」
 慌ててもう一度踏み込もうとして―――キャイアは、大鎌の石突を地面に付きたて、肩に担ぐ格好となった黒い聖機人を目撃した。

 不思議なほどに、隙だらけの姿。

 姿も声も変わっても、技の切れは見慣れぬ獲物を使っているとは言え姉のものと解るのに。あの黒い聖機人に乗っているのが姉メザイアであれば、戦場で気を抜く筈などありえないのに―――どう考えても、ただ武器を肩に担いで突っ立っているだけの姿は、やる気の一片も感じられない。

 『いいえキャイア、大丈夫よ。―――まだ、もう少し剣士には時間が必要だから』
 
 「何、を―――?」
 混乱。
 そう言い表すよりない精神状況に追い込まれる。
 落ち着けと、むしろこちらを労わるような言葉は―――罠か。
 『違うわよ』
 「―――っ!?」
 まるで聖機人越しにキャイアの思いを察したかのような態度は、正しくキャイアの知る何時もの姉の勘の良さに思えてしまう。
 『アウラ! 出てきなさい。―――アマギリも居るならば!』
 そしてキャイアが混乱している隙に、メザイア―――声は何時もと違うが―――は、キャイアの背後の森の中に潜んで様子を伺っている筈のアウラに聞こえるように声を響かせる。
 「ちょっと姉さん、いきなり何を―――っ!?」
 『何もかにも無いでしょう、キャイア。あなた達はユライトから情報が漏れているのを逆手にとって、剣士を奪還する手筈を整えていたんでしょ?』
 「何で姉さんが、それを―――」
 あっさりと言い切られればキャイアは驚愕するしかない。対する姉の言葉は、どこか呆れを含んだものだった。
 『……キャイア、例え真実そうだったとしても、敵の言葉に迂闊に同意を示したらだめって授業でも教えたでしょ? ハッタリを仕掛けられていたらどうするのよ』
 「う、―――……って、何で今この状況で姉さんにそんなこと言われなければならないの!?」

 『―――もしや、”キャイアなら絶対平気”と言う凛……アマギリの言葉の真実は、こう言う事なのですか、メザイア先生』

 ガサと、木々を掻き分ける音が響いて、アウラが森の中より進みだしてきた。無論、質問をしつつも武器を下ろすなどと言う油断は見えるはずも無いが。
 『……そう、そんな事言ってたの。あの子やっぱり優秀ね』
 アウラの疑問に、メザイアは肯定の響きを持って返した。当たり前のように話が通じ合っているアウラとメザイアの間に挟まれて、キャイアは訳が解らない。
 「ちょ、ちょっと、一体どういうことよ。―――剣士は、だって。ユライト先生が操られて、それに姉さん―――、アマギリだって、何で? え?」
 『私? 貴女の言葉を借りるなら、私はガイアに操られたままよ。―――とは言え』
 「っ!? 姉、さん?」
 含み笑いを響かせながら、メザイアは、妹が驚く姿を楽しそうに眺める。

 ―――聖機人のコアより、外に進み出でて。
 
 腰元に寄せた手のひらに、黒いドレスを纏った童女の姿を晒す。
 『どう言う事なのです。貴女は―――』
 混乱しているのはキャイアだけではないらしい。黒い聖機人の手のひらの上で優雅に微笑むメザイアの筈の少女の姿に、アウラも驚きの声を隠せなかった。
 「あら、アウラまで。アマギリに先に聞いていたんじゃないの?」
 『……アレが、一々細部まで人に説明するタイプに見えますか?』
 「見えないわよねぇ。見栄っ張りだし。―――そういえば、彼はどうしたの? まだ何処かに隠れてるとか?」
 『いえ、その……私が、眠らせました。アレで一応、貴女との戦闘でかなり消耗している状態ですので』
 キョロキョロと辺りを見回す仕草をするネイザイに、アウラが思わずと言った風に正直に答えてしまう。
 その言葉に、ネイザイはクスリと微笑んだ。
 「―――そう。あの常識を超越した異能はやはり……。ま、あの子には良い薬かもしれないわね。……じゃあ、時間もあるし少し説明しましょうか。―――あ、その前にアウラ。ネイザイ……ユライトに向けて攻勢をかける様に指示を出しなさい」
 『はっ?』
 小首を傾げた後に思い出したように言った、今は敵である筈の女性の言葉に、アウラは戸惑う。
 「致命傷とは行かなくても、機体に損傷を与える事さえ出来ればユライトは撤退するわよ。―――貴方達もその方が都合が良いでしょ?」
 『それは―――そう、ですが。いや、その……』
 「ちょっと待ってよ、何で姉さんが!? 私達の特に―――いえ、自分達が不利になりそうな事を」
 言葉に詰まるアウラに続いて、キャイアも混乱したまま言葉を重ねる。
 二人の少女の戸惑う姿に、ネイザイは微苦笑を浮かべる。
 

 「簡単な話よ。―――その件に関しては、”縛られて”いないから」

 『―――縛られて?』
 「そう。アマギリかワウアンリー辺りから説明されていない? 私達人造人間を括る方法を―――その危険性を。余りにも細かすぎる命令は、暴走を招く危険性があるから行えない。広い範囲で曖昧に、と言うのが望ましいのだけれど―――でも、それは解釈に余裕を招くと言うことでもある」
 言っている意味が解るかしらと尋ねてくるメザイアに、アウラは躊躇いがちに口を開く。
 『命令が単純且つ曖昧な部分が多い故に―――ある程度、それに沿ってさえ居れば独自の行動がとれる余地がある、と言うことでしょうか』
 「大まかに言えばそんな感じかしら。貴女も頭の回転が速いわね、アウラ」
 「……なんで私を見ながら言うのかしら、姉さん」
 アウラの返事に満足そうに頷く姿の違う姉に、キャイアは眦を寄せて呻く。実は、未だに意味を理解していたのだが、そんな彼女を放ってアウラとメザイアの会話は続いた。
 「今の私は”シュリフォン王城の壊滅が第一目標。そのニが無事の帰還。―――障害の排除は求められているけど、それが何かまでは指定されていない。当然ガイアの目標はアマギリ―――異世界の龍なのでしょうけど、王城に居ると解っていたのだから、どうせ纏めて壊滅させると。一々個人として特定する事もなかったから……」
 『王城の外に居る私達は、攻めるに当たらないという解釈が成り立つ?』
 「そういう事よ、それに加えて、私は自らの無事の帰還は命ぜられているけど―――これはユライトも同じね。特に向こうは最後の最後、奥の手とも言える存在だから、尚更ガイアはその安全に気を使っている。もうちょっと攻撃を加えれば、本当に撤退するわよ。―――私と剣士を放置してでも。その事にあの子は疑問すら抱けないように括られているからね」
 『―――、お前達。半分はユライト・メストへ攻撃を掛けろ』
 『しかし、アウラ様―――!?』
 『行け。恐らくは平気だ』
 『―――ハッ! では第二分隊、任せる!』
 『応!』
 考えた末のアウラの言葉に、随伴として帯同してきたシュリフォンの近衛の一部が別れて、戦艦に道をふさがれた向こうに居る筈のユライトの黒い聖機人目掛けて移動を開始した。
 「良いの? 私が嘘をついているかも知れないのに」
 自身意見に賛同したアウラに、メザイアがおかしそうに笑った。アウラは自らも聖機人のコアから外へ出て、得意げに笑って応じた。
 「貴女のように露悪的な態度を取る人間が傍に居たので、そういった手合いの言葉の真贋を見分けるのは、こう見えて自信があるのです、私は」
 「……アレと比較されると、何だか凄く傷つくわね」
 メザイアは整った美しい童女の顔を、不機嫌そうに崩した。
 
 「……あの、姉さん。つまり、姉さんはその……アマギリと裏で通じていたって事なの?」







    ※ 解答編的な。
      原作だとババルンさんと並んであんまり台詞無かった人だし、何とも―――と言うことで、このSSではこんなで。



[14626] 48-4:利用する者される者・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/05 22:25

 
 ・Scene 48-4・





 他の二人に合わせて、いつの間にかキャイアも聖機人から外へと踏み出ていた。
 一点に集中していた意識も、何処かへ吹き飛んでしまっている。そのお陰―――と言うのも憚りがあるが、とりあえず、周りの状況が良く見えてくる。
 一つ通りを隔てた向こうでは、砲弾の炸裂する音と、金属と金属が光速でぶつかり合う音。
 つまりは、剣士が戦闘中だということだ。
 そして遠くの方で、王都の低い位置にまで降下していた空中戦艦の向こう側でも、剣士の場所ほど大きくは無いが、戦闘音楽が鳴り響いているのが解る。
 次第遠ざかっていっているように感じるから、どうやら本当にユライトは撤退しようとしているらしい。
 
 ―――そして、自分達の状況だ。

 当たり地面一体に広がっている、破壊された聖機人の残骸。残骸、残骸。
 そう、破壊されつくされていた。中隊が編成できそうなほどの規模の聖機人達が、全て。
 それをやったのはどう考えても目の前で自身の髪を梳いでいる姉である。一人で、中隊規模を全滅させたのだ。自身は殆ど傷つかずに。
 
 ―――強い。解っていた筈だけど尚改めて感じてしまうほどに、姉は強い。

 若くして聖地学院で聖機師の教導などと言う役職につけるほどなのだから当然と言えたが、それでも想像以上の強さだった。

 仮にもし、あのまま突っ込んでいたら―――勝てたのだろうか、自分は。

 無理かもしれないと、苦い気持ちで実感せざるを得ない。
 精々自分の勝率は、運が味方に付けば或いは、と言うレベルしか無かっただろうと思う。
 そうであるなら―――忌々しい話だ。キャイアをメザイアにぶつけようとしていたアマギリ・ナナダンは、この状況を初めから想定していた事になる。

 メザイアは絶対にキャイアを傷つけようとしない―――キャイアなら絶対に平気だと言う、この現在の状況を。

 「通じていたとは、少し違うわ。―――私だって貴女と同じように、あいつの事は好きになれないもの」
 「私は、別に―――……いえ、正直、リチア様とかの趣味って解らないなって思うけど」
 「……何故リチアの名前を出しながらこの私を見るんだ、キャイア?」
 姉の言葉に反論しようとして、図星であるため反論できずに言葉に詰まるキャイアに、アウラは頬を引き攣らせた。アウラの様子を見て、メザイアは驚いたように瞬きした。
 「あら、アウラもなのね。―――あの子も結構プレイボーイねぇ」
 「―――アイツも、姉さんには言われたく無いと思うわ」
 思わず突っ込んでしまったキャイアに、アウラも深々と頷いた。
 学院生を取替え引替え寝室に連れ込んでいた、メザイアの聖地学院での享楽的な行動を知っていたからだ。

 「―――話を、戻すわ」

 どっちかと言うとそれ、話を”逸らした”って言わない?

 明後日の方向を見ながら嘯く姉に、思いっきり突っ込みたい衝動に駆られたが、今はそういう状況でも無いと何とか思いなおして気分を引き締める。アウラも似たような心境だったらしい、呆れとも諦めともつかないと息を吐いているのが気配で解った。

 「私とアマギリは一度も連絡を取り合ったことは無いわ。―――そうね、ユライトと密談している時に傍に居たけど、会話どころか、私は端末に映らない位置に居たし」

 「では―――どうやって、これほど連携の取れた―――いえ、取れている―――違うな、我々に、連携してくださるんですよね?」
 「ええ、剣士を決定的に追い詰める引き金の役割を私に背負わせるのでしょう?」
 アウラの躊躇いがちの言葉に、メザイアははっきりと意味を理解していることを示す言葉で応じた。
 驚くアウラたちを尻目に、メザイアは穏やかな笑みを浮かべる。
 「簡単なことよ。私とあの子の目的が一致しているだけ」
 「目的が……」
 「……一致?」
 
 「そう、”剣士を助ける”。その目的にね」

 はっきりと言い切った、姉と同一人物に見るには難しい、しかし確かに姉に違いない人物の態度に、キャイアは戸惑うしかない。
 「助けるって……でも、え?」
 
 剣士は敵に操られている。
 アマギリ・ナナダンは剣士を救おうとしている。

 そこまでは良いだろう。いけ好かないことこの上ない男ではあるが、剣士奪還に掛ける意気込みは、どうもキャイアには理解が及ばないレベルで真剣らしい。
 その真剣さを、もうちょっと周りの女性にも向けてやれよと突っ込まずには居られない気分もあるにはあるが、今はそれはどうでも良い。

 ―――だが、メザイアが。今は姿を変えてドールと呼ばれている、ガイアに与する人造人間の少女が、剣士を”助ける”と言うのはどう意味合いを持つのか。
 自分達は現在、囚われているから引き戻そうとしているのであって、メザイアの側からしてみれば、剣士は既に彼女の傍に居ると言う事になるのではないか。
 「助ける―――助け、……今の状態は、剣士の助けにならない?」
 戸惑いながらも整理した答えをメザイアに向けてみると、彼女は如何にも姉を思わせる態度で微笑んでくれた。
 「無理やりに精神を犯され、書き換えられているような状態が、あの子にとって良いものに思える?」
 「―――ですが、その状態は”貴女方にとっては”都合が言い状態なのではないのですか?」
 情を感じざるを得ない少女の言葉に、しかしアウラは眉間に皺を作って問う。

 そもそも、剣士がガイアの手に堕ちた原因の一つが、この女性なのだから。

 「そうね。ガイアにとって、かつて敵だった最後の三人の人造人間全てが掌中にある、と言うのはこれ以上なく都合が良いと言えるでしょうね」
 アウラの言葉を、メザイアは拍子抜けするほどあっさりと同意する。その後で、視線を剣士が戦闘を行っているであろう場所に向けた。
 「―――でも、それは”剣士にとって”都合が良い状態とは、言えないでしょ?」
 「それは―――そうでしょうが」
 誰かに心を支配され操られている状態と言うのは、どう考えたって屈辱極まりないなどと言うのは、当たり前の事だ。だがそれを、心を奪った側の人間が言う理由が解らなかった。

 「ユライトこと、ネイザイ。レイアの息子、剣士。そして私、ドール」

 解らない、と言う意思が顔に出ていたのだろう。
 メザイアは微苦笑を浮かべて教師のような口調で喋り始めた。
 「この三人の中で、唯一私だけが正真正銘の先史文明から生き残った人造人間と言えるの。ガイアと共倒れになり肉体を失ったネイザイとも、異世界人と人造人間のハーフである剣士とも違う。私だけが、心も、体も―――先史文明時代から何も変わるところが無い、正真正銘の」
 アウラたちにとって初めて聞く真実はしかし、それが現状に対する何の説明になっているのかすら理解しかねるものだった。しかし、メザイアの言葉は続く。
 「ユライト―――ネイザイは、恐らくガイアと相打った段階で、嫌な言い方になるけど、機能として損傷があったのでしょうね。それともコアクリスタルが経年劣化したのか。ユライトと言う少年の肉体にコアを移植された段階で、本来ならその意識は完全にネイザイのものになる筈だったのに、ユライトの意識が残る不自然な形となってしまった。あの子本人はそれを奇禍と受け入れて、ユライトの姿をガイアに対する隠れ蓑として用いるつもりだったんでしょうけど、結果は知っての通り」
 「ガイアに操られて居る……」
 「そ。ユライトはあれで一応、ネイザイと言う巨大なポテンシャルを持った意識が共存している関係で身体は弱いけれど、それでも聖機師として最低限の能力を有していたから。聖機師ではない存在を宿主としてしまったガイアにとってすれば、自身の本体を動かすための傀儡とするには、まずまず、と言った所ね」
 アウラの言葉に頷きながら、複雑そうな笑みを浮かべてメザイアは言う。
 「そして剣士。あの子は異世界人とのハーフ。精神は完全に人造人間とは言えないが故に、傀儡とするには些か問題がある。今もかなり強引な施術で支配下に置いているから、あの子の精神は既に破綻寸前の瀬戸際まで追い詰められている。―――自身の本体を任すに足るかどうかと言えば、首を捻らざるを得ない」
 
 何かの比較の話しをされているらしいと言う事が、この時点で漸くアウラは理解できた。
 剣士とユライト。
 二人の人造人間―――聖機師―――傀儡―――の、ガイアにとっての評価。
 ならば、次に来るのは当然。

 「翻って、私は?」

 アウラたちが良く知るグラマラスな彼女のものとは程遠い、ひらべったい少女の胸元に自らの手を置きながら、メザイアは哂う。

 「私は、ガイアとの戦いが終わった後で当時の聖機工たちの手により一旦赤子の状態まで肉体を戻され、カプセルの中で眠りにつかされた。それが、本当にあの人たちの言葉どおりに、私に今度は戦うためだけではなく、人としての生を全うして欲しかったからと言う理由なのか、それとも、倒しきれなかったガイアの復活に備えた保険と言う意味合いだったからなのかは解らないけど―――とにかく、私は完全に先史文明末期そのままの力を有したまま、この現代で目覚める事となった。目覚めさせたのは、勿論聖機工だった―――」
 「―――お父様」
 ポツリと呟く妹に慈母のような笑みで頷いた後で、メザイアは更に続ける。
 「そう。ナウア・フランに発見された私は、そのまま彼の娘として二度目の生を歩む事になった。人造人間の本質たるドールに、メザイアと言う仮初の装いを纏わせて。―――まぁ、その辺りは今は良いわ。兎角、私は結界工房の聖機工であるナウアに発見され―――”結界工房の聖機工”の発見だったから、当然結界工房に私の存在は知られている。教会に関しても恐らくは同様ね。そして、まだ教会や結界工房と強い結びつきがあった当時のガイア―――ババルンにも、私の存在は知られる事となる」
 「知れば当然利用されるのでしょうね」
 「ええ。完全な形で現存する人造人間―――聖機神たる自身の力を最大限引き出せる先史文明の遺産が手に入ったガイアは狂喜したは。その”二度とは無いだろう”幸運に。コレを失ってしまえば、自身はどう足掻いても不完全な状態でしか復活できず―――ならば、慎重に慎重を期して、それは扱わねばならないものとなった」
 「慎重に―――ですか」
 「そう、慎重に。些かの能力の損失も許し難いが故に」
 アウラの言葉に、更にメザイアは重ねるように頷く。アウラもまた、頷いた。
 言いたい事が理解出来てきたのだ。

 「つまり―――貴女は、ガイアからの束縛が酷く”緩い”のですね? その能力を行使するに、余計な障害があってはならないからと、ガイアは貴女をきつく―――今の剣士のように、でしょうか。無理やり縛り付ける事が出来ない」
 

 「あの気難し屋のアマギリと、長い事縁が切れないでい続けられる訳ね」
 確実に意味を理解しきっているアウラの言葉を、メザイアは褒め言葉にもならない言葉で讃えた。
 アウラは少しだけ苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。
 「そういう事を言われるのは末代までの誉れとなりますね、とでも言えば、アイツのようでもありますが。―――まぁ、今は貴女の話の続きをするべきでしょう。貴女はつまり―――そうですね。ガイアの要望には最大限応じるべきだと言う縛りはあるけれど、しかし、”他の誰かのために”貴女自身の意思で動く事までは、縛られていない」
 そういう事で良いのですね、とほぼ断定的な口調で問うアウラに、メザイアも困った風に笑って頷いた。
 「そういう事。ガイアの要望―――と言う名の、つまり命令ね。アレの言葉に従っていさえすれば、私にはある程度の解釈の自由が存在する。ガイアが断固として拒んだのは、唯一”ガイア自身を破壊する”と言う事。それ以外の命令は、解釈の権利は私に与えられている。例えば―――強引な束縛が施されている新たな人造人間の”手助けをする”なんて命令であっても……」

 「”何が手助けとなるか”を判断するかは貴女に一任されている」
 
 ―――例えば、”元の場所に返す”事こそが尤も剣士のためになると思えば。

 「感情―――判断力、持ちえるポテンシャル。それを損なえないが故に、ガイアは私を完全に縛りきれない。ものは試しと傀儡に置いたネイザイとも、運の良い拾い物程度の扱いでしかない剣士とも、違う扱い。―――とは言え、いざとなれば、聖地での一件のように、ね」
 自らの手のひらを見ながら語るその面は、湖水のように澄んでおり、その内面を理解するのは難しかった。
 それを聞くのは躊躇いを覚えずにはいられなかったので、アウラは、今必要な事実のみを聞くこととした。
 「ガイアが目の前にいない今ならば、平気と言うことですか」
 「そうね。―――といっても、アレも正真人間を辞めている処があるから、何時聖地から此処に参上するかは解らないから、完全に保障してあげる事は出来ないけど。―――尤も、ガイアにとってこの一件は暇つぶしのための余興にしか過ぎないから、まぁ、結果だけ聞ければアレは満足するんじゃないかしら」

 例え、どのような結果だったとしても。
 ガイアは蘇り世界は滅亡すると言う事実だけは、ガイアの中で何も変わらないから。

 「遊ばれているようで、腹が立ちますね」
 「そうね。―――きっと私にこうして自由意志が許されている事だって、アレにとっては遊びのようなものなのでしょうし」
 吐き捨てるように言うアウラに、メザイアも頷いた。
 「まぁ、でもガイアとの遊びは、貴女の王子様に任せるわ。アウラ、貴女みたいな子が確り手綱を引いていれば、幾らなんでも負けはしないでしょうし。―――私の王子様のことも任せなきゃいけないのが、少し嫌だけど」
 「王子様って……剣士のこと?」
 姉の言葉にキャイアが口をあんぐりとあける。メザイアは楽しそうに笑うのみだった。
 「負けないだけでは駄目なんですがね、勝たないと。ですが―――ええ。ヤツには確りと言い含めておきましょう」

 笑顔で応じて―――それが、この間隙の邂逅の終わりだとばかりに、表情を戦うためのものへと、切り替える。
 それはメザイアも同じだった。

 だが。


 「あの、姉さん。だったら―――姉さんも、戻っては来れないの?」


 キャイアにしてみればまだ終われない状況と言えただろう。
 降って沸いたかのように思える、姉を救出できるかもしれないチャンス。姉の真意を知り、ならばとの思いが沸き立つのは肉親として当然の事だ。 
 だが、当の姉は表現し難い笑顔で首を横に振る。

 「無理よ」

 否定の言葉は単純で絶対。口を挟む余地すら与えられなかった。

 「私は”そっち”へ”帰る”とは”思えない”の。だって私が変えるべき場所は―――」

 「もう良いだろう、キャイア。剣士もそろそろ稼動限界も近い筈だ」
 最後まで言わせなかったのは、果たして慈悲か、ただアウラ自身が聞きたくなかったが故か。
 どちらであったにせよ、キャイアが此処で姉を取り戻すと言う選択肢が潰えたのだけは事実である。

 「戦場では割り切る事。―――聖機師で在るならば。聖地学院の授業でも最初に教わる事だったわよね。現在のあなた達はたまたま共通の敵が居るという”幸運”から轡を並べる事が出来ているけど、もしそうでなかったのなら、あなた達は共に国境を接する大国の聖機師どうしとして、戦場で剣を向け合う可能性が多分に存在していた。―――戦場では、”例え肉親、友と向かい合ったとしても”割り切る事。それが出来なければ死ぬのは貴女と、貴女が守るべき人なのよ、キャイア」

 厳しく、しかし確かな情を持って。
 姉は妹を諭すように言葉を告げる。

 それが、此処での別れの言葉となる。

 なぜなら、頷く妹の瞳には、最早迷いは存在しなかったから。

 「解っているとは思うけど、アウラ。剣士の精神は既に破綻しかかっている。此処でこれからあと一息を加えてしまえば―――その結果が」
 「アレが、事後の対策を考えていないとお思いですか?」
 「思わないけど……でも貴女、それ、聞いてないでしょ?」
 「ええ。―――しかし、やると言ったからにはやり切るのが、アイツですから」

 いっそ得意げに見えるほど自信たっぷりに頷いたアウラに、メザイアは解らないわね、と素直な微笑を見せた。

 それで本当に、幕間のお終い。

 各々聖機人へと再搭乗を果たし、一時の中断を挟む形となっていた喜劇の幕が、再び上がる。

 姫君たちによる、囚われの王子を救出するための、戦いの幕が。







     ※ 実際のとこ、キャイアさんは真面目にやったら姉さんに勝てたのかと言うと原作を見る限り割と微妙なトコが。
       後半は無敵モード入ってる剣士とドールだけど、一話だとボロボロになってるんですよね、アウラとキャイアのお陰で。
       まぁ、どっちも条件が重なってたりはするんですが。



[14626] 48-5:利用する者される者・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/06 22:27


 ・Scene 48-5・





 そもそも正気の人間は、自分の事を、わざわざ”正気だ”と宣言したりはしない。


 ―――それに付随するような内容が会話尻に混ざっていたら、要注意だ。

 昨夜、凛音がついでとばかりに語っていた言葉を思い出して、アウラは内心苦い気分が覚えていた。
 それぞれが同様に決意の眼差しを秘めて聖機人の中へと戻っていくのを横目にしながら、アウラだけがただ一人。
 此処でメザイアと会話を出来るとまでは想定していなかったアウラにとっては、かなり最悪の事態に陥ったのではないかと言う感触がある。
 「正気の人間は―――では”正気だ”などと語る人間は」
 わざわざ言葉に乗せて、纏める必要すらない思考を纏める努力をする。纏め方次第で、最悪の予感を退けられるのではないかと思って。
 だが、結論が変わるはずが無い。
 この状況まで予め予測して居たのだろう凛音にとっては、対策すら思いついていたに違いない。
 ただ、一つ彼の予測と違う事があるとすれば、彼自身がこの場に居なかった事―――そして、この事態を予測できなかったアウラは、最早止めようもなく進みだそうとしている状況に対する、最善の解決策を思いつく事が出来なかった。
 
 「ただでさえ、剣士だけでも……」

 至難と言う言葉だけで括りたくないほどの難事だというのに、それに、加えて。
 ゆっくりと立ち上がり、決闘の合図のようにキャイアの聖機人とそれぞれの獲物を向け合う、黒い聖機人。
 止めるべきかとも思うが、状況をまるで疑っていないキャイアからすれば―――メザイアもまた、”疑っていない”事はおなじなのだろうが―――そんな事をされても戸惑うだけだろうし、何より、此処で制止に入ってしまえば全ての段取りが崩れてしまう。
 そして恐らく止めに入ったが最後、全てを理解したガイアに足をすくわれるのは確実で、剣士の奪還の機会は二度と失われる事になるだろう。

 「どうすれば良い、どうすれば……。お前なら、どうする?」

 どうする―――つもりだったのか。
 
 アウラ自身の手で眠らせてしまったのだから、答えてくれる筈も無い。
 きっと彼の中には解があったのだろうとは思うのだ。
 ならば、その解を彼の立場にたって想像してみれば―――想像してみて、余りにもあっけなく解を導き出せてしまったお陰で、アウラは更に表情を苦いものに変えた。

 元より敵ばかりが有利の無茶な状況で、無茶を成さねばならないのだから。

 眠らせた自分の判断は何も間違っていないと、アウラは何の衒いもなくそう思うことが出来た。彼女の立場からすれば、彼のやり方は許容できない、それだけは例え状況が悪化した今でも変わっていないのだから。

 優位な状況が一転、知らなかった事実に覆されようとしている。

 ―――ならば。

 その事態を覆す事が出来る力もまた、自分以外の誰も知ることの無い力―――そうである、筈だ。
 
 「見込みは、薄いかもな……」
 アウラは自身の希望的観測を呟き、薄く哂う。
 ”何となくこのまま上手く行くんじゃないか”、そんな風に考えた次の瞬間に大惨事が発生したのが直ぐ前の聖地での一件だったというのに、自分は全然それを生かせていない事に気付かされたからだ。

 聖地での敗因は、状況を完全にコントロールし切れなかった事。
 ―――戦略を勝手に指定され、戦術レベルで幾ら小細工を弄しても、やはり無理があった。
 戦う前から、負けは決まっていたのかもしれない。

 確かにそう聞いていた筈なのに。凛音の力を当てにしないという現状、自分から優位性を捨ててしまったのと同じではないか。
 これでは、負けて当然。ただでさえ此処の力量ではこちらが圧倒的に劣っているのに、数の優位すら明け渡すなど愚かなことだ。
 「―――数、か」
 ふと、アウラは自身の思考の中から、その言葉を拾い上げた。
 
 数。
 
 敵は剣士とメザイア。二体の聖機人。
 立ち向かうのは、アウラとキャイア。それからシュリフォンの近衛達。優秀な聖機師を揃えているが能力的にはアウラたちとそこまで差は無い。つまり、剣士達との単独での戦闘力は、相変わらず圧倒的に負けている。
 そもそも三体の敵に対して十倍近くの戦力を投入して、漸く足止めが叶うなどと言う非常識この上ない状況なのだ。

 ならば、せめて数だけでも。増やせるだけ増やしておきたい。

 アウラしか知らぬ切り札も確かにあるが、それは剣士に向けねばならないから―――最悪の事態。
 今まさに、示し合わせた結果に至る筈の戦いを始めそうな黒い聖機人に向けねばならない戦力が、やはり必要だ。
 凛音のやり方は真似できない―――させられない。
 ならば、凛音が絶対に取らない方法。やり方が―――そんな都合よく。

 「あるんだが……これは、吉と出るか凶と出るか」

 最早躊躇っている時間も無いと、手短に暗号通信文書を作成して、送信する。
 せめて、凶と凶が重なり合って吉に転じれば良いのだがと祈りを託しながら。
 「腕だけは信用できる―――だから、使う。そう、お前がキャイアの力を利用しようとしているのと、同じだ。同じ―――筈だと思うんだが……良いのか、なぁ?」
 誰に言い訳するでもなくアウラは白々しい言葉を呟く。
 後が怖いなと言う予感と、後を期待できる安心感とを、アウラが弄んでいる間に、遂に事態は動いた。


 『はぁぁぁぁぁぁぁああっ!』
 『―――っ、シィァッ!』


 正しく示し合わせたと表するしかないタイミングで、姉妹が機体を踏み込ませる。
 下段から振り上げるキャイアの剣が、”最適な”タイミングでメザイアが大上段から振り下ろした大鎌を弾き飛ばす。
 回転しながら空を切り裂き飛んで行く大鎌の行方を見やっている暇もなく、戦闘―――らしきもの―――は続く。獲物を失ったメザイアが、それでも刃を重ね合わせたかのような禍々しい意匠を持つ腕を振り被り手刀の体勢を取ろうとするが、最早低い体勢で身体を懐に潜り込ませたキャイアの聖機人に届かせるには、”余りにも遅すぎた”。
 『姉ぇ、さん!!』
 『―――くぅっ!?』
 気合一喝とともに、踏み込んだ両足に力を込めて、キャイアの聖機人がチャージを掛ける。街路に沿って建てられていた家屋を破壊しながら、一気に黒い聖機人を、一本ずれた街路へと押し出していく。
 黒い聖機人は、その勢いに”抗いようもなく”背中で木造の家屋を倒壊させながら押し出されるままだ。
 たたらを踏んで向かいの街路に踏み出した黒い聖機人。
 酷い体勢から何とか打ち出した手刀の一撃を、キャイアの赤い聖機人は容易く掻い潜り、突き出されてきた腕を逆に切り落とし、返す刀で頭を刎ねる。遂に向かえた稼動限界による劣化によって片方の膝から下がひしゃげて崩れ、それでも、しかし赤い聖機人はドールに倒れることを許さず、コアに蹴りを叩き込み、機体を浮かす。

 当然、次に放たれるのは止めとなるであろう一撃。

 身体を弓のように引き絞り、番えられた矢のように、先端を黒い聖機人のコアに向けて構える。

 回避は不可能。絶対必死の一撃が、今まさに放たれようとして。

 
 そして、膨大な亜法波が少し離れた場所から発生したのは、その時だった。

 
 猛然と湧き上がり、周囲のエナにその属性に相応しい黒い燐光を巻き上がらせていく、それは見間違いようも無い。
 両腕、背中に供えた亜法結界炉を最大出力で起動している剣士の黒に染まった聖機人。
 発生した凄まじい亜法振動によって周囲に居たシュリフォンの聖機人達を無力化していく。
 獣のように背を曲げて、広く開いた両足を地につけ、腕をだらりと下げているその姿は、獲物に飛び掛るために力を蓄えている姿を思い起こさせる。
 
 「―――空恐ろしいものだな」

 何よりもまず、これからそれに向かって特攻しようと思っている自分の精神が。ついで、それについて来てくれるはずの臣下達の忠誠が。
 「亜法酔いには気をつけろ。各々気を確りと持ち、勤めを―――果たせ」

 応―――!

 通信機越しに重なる声と、それが接近行動に移ったのはほぼ同時だった。
 アウラが指示するよりもよほど早く、背後から彼女の機体を追い抜いて、接近してくる黒い獣に突貫していくシュリフォンの聖機人達。

 振り上げる腕で、まず一機がやられた。
 肘の位置に付いた刃上の突起を振るった、聖機人の鋼の腕を切り飛ばしたその衝撃で、黒い聖機人は自らの腕を消失した。
 劣化だ。あふれ出す自らの膨大すぎる亜法波に、機体が耐え切れて居ない。
 
 二機目は、下から掬い上げられる様に投げ飛ばされ、地面にもんどりうった。
 聖機人の自重を支えるために力を使いきったのだろうか、メザイアの機体と同様に、踝の関節が割れて、潰れた。
 当然だが、それで止まる筈も無い。身体をねじり、背後に投げ飛ばしたシュリフォンの聖機人の腹に、手にしていた長剣を突き立てる。

 三機目は余りにもあっさりと味方がやられたことに動揺している間に、押し倒され残った足で高く跳躍した黒い聖機人に、思い切りコアを踏み潰された。透過結晶がひび割れ、循環液が血の様に吹き上がる。
 
 黒い聖機人は止まらない。
 膨大な亜法波を撒き散らすまま、聖機人をボロ雑巾のように引きちぎりながら、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、仲間である筈の黒い聖機人の元へと駆け続ける。
 シュリフォンの勇者たちが与えたダメージは皆無に等しい。ただ、障害物に過ぎないそれらを排除した時に、自らの力を支えきれずに、徐々に自壊していくのみに過ぎなかった。
 
 最早障害となるべきシュリフォンの聖機人は存在しない。
 数秒の間も置かず、剣士はメザイアの下へとたどり着くだろう。

 最後の砦となってしまったアウラにとっての、それが、正念場と言えた。

 機会は、一瞬。

 ―――”一瞬でもいいから”。

 『剣士ぃぃぃぃぃ―――っ!!』

 怒号はむしろ、自らを奮い立たせるためのものだ。
 剣士の接近は止まる気配は無い。近づくにつれ増大する亜法振動波によって、胃の奥から嫌な熱を持つものが沸きあがってきそうに思えた。堪える。集中する。
 横凪に―――自らに向かって振り払われようとしているその腕に、全神経をアウラは集中した。
 
 背後に居るキャイアも巻き込んでしまうと言う関係もあって、ただ生存本能の赴くままに”自己”の領域を拡大する負の領域は展開できない。

 一撃を凌ぎ、剣士の足を止めるのは―――ただ、アウラ自身の聖機師としての能力に頼るしかない。
 しかし超速で繰り出された手刀に自らの獲物を合わせるのは、如何なダークエルフの反応速度をもってしても不可能だろう。
 タイミングを外され、容易く打ち払われてしまうのがオチだ。

 それでは足止めにならない―――ならば。

 死中に活。否、活など求める必要すらなく、全ての選択肢を消去して、武器を手放し両腕を広げて、アウラは剣士の機体にそのまま自らの機体で体当たりを仕掛けた。
 繰り出された剣士の一撃が、体制を低くタックルを放ったアウラの機体の後頭部と背中の装甲を弾き飛ばすが―――しかし、アウラの目論見は成功した。

 我が身を省みない突貫。速度と質量が齎す凄まじい衝撃。

 踏みとどまり、堪える。ゼロ距離によってより一層激しくなった振動波からも。
 ただ、剣士をこの場に止めると言う一点のみに集中して。

 そしてアウラにとって幸運だったのは―――剣士の聖機人は、片足が既に破損していた事だろう。
 連続跳躍によりそのハンデを凌いでいたのだが、一度でもそれが止まってしまえば、勢いが一気に殺されてしまう。次への行動のために、その場で力をためなければならない。
 ましてや、全身で腰元にアウラの聖機人が組み付いているとあっては、それは避けようも無い事だろう。
 
 『あ、あぁあ!? うあぁぁああぁぁぁああぁぁっ!!』

 苦しんでいるとしか思いようの無い絶叫が響き渡る。
 もがく様に、腕を振り上げて、背中を晒したアウラの聖機人に向かって突き立てようと、恐らくは最早正気ではないだろうに、無意識のままに。
 剣士は止まらなければならない。最悪の事態を避けるために。
 アウラは避けねばならない。自らの命を守るために。
 だが両者ともに、それは不可能と言わざるを得なかった。アウラは動けず、剣士はもう、止まれない。

 ―――ならば。

 「今だっ!!」

 『了解―――っ!』

 それを止める力を持つのは、その場に居ない天よりの一撃に他ならない。


 轟。


 聖機人の金属の外殻を打ち砕く音が、響き渡った。








     ※ だいじょうぶだ・・・おれはしょうきにもどった!



[14626] 48-6:利用する者される者・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/07 22:37
 ・Scene 48-6・




 轟音は三度連続で鳴り響いた。

 天空高くより下された鉄の雨。
 亜法により文明を成すこのジェミナーにおいて、文明の手の届かぬ場所、エナの喫水を越えた遥か空高くより、砲弾は飛来した。

 一撃が左腕を、二撃目が振り上げられていた右腕を穿つ。
 最後の一撃は、バランスの崩れた黒い聖機人からアウラが離れた瞬間に、コアの真下の下腹部の中央、竜骨が通り下半身と亜法結界炉を繋いでいる部分を間違いなく直撃した。
 コア頭部のみとなった剣士の操る黒い聖機人の上半身が、背骨をねじ切られた衝撃で回転しながら横殴りに街路に並ぶ民家に叩きつけられた。
 急激にエネルギーの循環路を破壊された影響下、叩きつけられた背部の亜法結界炉からくぐもったような爆発音が連続して響き、煙がたなびく。
 透過結晶で構成されたコアに幾筋もの皹が走り、濁った色へと変色していくのを見れば、それが聖機人としての機能を完全に消失したのだと見るのが当然だった。
 最後の瞬きとばかりに、エナの燐光―――最早閃光ともいえる煌きと共に空気すら揺らす振動波が吹き上がった後には、倒壊した家屋に埋もれて腹を晒す、四肢をもがれた黒い聖機人の姿が残るのみだ。

 柾木剣士は、これで完全に無力化された。
 
 恐らくはきっと、中で気を失ってしまっている事だろう。
 自身が放つ膨大な亜法振動波に脳生理を揺すられ、なけなし残っていた、僅かな正常な精神も、最早完全に打ち壊されて―――意識が残っていたとしても、意思が残っているとは思えない。
 「―――剣士」
 各座した自らの聖機人の中で、ドールは苦渋の声を漏らす。視界に剣士の居る筈の場所を納めながら。
 そこから視線が外せない。その中に居る剣士が、今どのような状態か、察するに易い知識を彼女は有していたから。

 一度壊してバラバラにしたパズルを、滅茶苦茶な形に繋ぎとめて、隙間に好き勝手に粘土を流し込んだ様なもの。

 それが、今のババルンの支配下にあった剣士の精神の状態だ。
 精密な、唯一つの完成形でのみ形作られるパズルを、無茶苦茶な形で完成させたのだからそれが破綻するのは当然だ。
 しかも、無茶苦茶に繋ぎ合わせたのだから―――当然、本来合わさらないパズルのピース同士が、各々を傷つけ合い、歪め合う。それは、元の形を取り戻せないほどに。
 そして更に、外側から押し付けた本来存在しないピースまでそれらの中に混じってしまっているのだから、今の剣士の心の内部は混沌と表するに余りある状態だろう。
 
 それこそ、二度と修復不可能なほどに。

 ギリ、と音を鳴らすほどに奥歯をかみ締める。
 自分の選択が間違っていたとは思えない。ガイアの傍で、日々壊れていく剣士の姿は見るに耐えないものだったから。本来あるべき柔らかな温かみのある笑顔が、どんどんと虚ろなそれに変わっていく様は、ドールにとって心を凍りつかせるものだった。
 ただでさえ、ネイザイがあんな状態なのだ。そこに剣士までが破綻へと突き進む姿を並べられてしまえば、ただ一人正常な神経を保っているドールには辛い。
 
 だからこそ、である。彼女がアマギリ・ナナダンに協力しようと考えたのは。
 ドールの個人的な趣味では好みとは全く程遠い人間ではあったが、その能力には一定の信用が置ける―――しかも、剣士の事を酷く大事にしている事が見て取れた。
 何よりも、どうやら自分には―――それどころか、先史、現代ジェミナーの何処を探しても存在しないような技術と知識を持ち合わせているのが素晴らしい。
 ドールにとっては最早剣士を救う―――もとの剣士に戻す手立てが思いつかなかったが、彼ならば、と期待を抱かずにはいられなかったのだ。先史文明末期に残されていたほぼ全ての知識を受け継いでいるドールにすら想像し得ない方法で、剣士を救ってくれるのではないかと。

 「あの子にしてみれば、私が協力する事も織り込み済みだったって事かしらね……」

 剣を構えた体勢のまま動きを止めたキャイアの聖機人から、片足だけでバネを作って身を離しながら、ドールは呟く。
 念のためと言った調子で獲物を剣士の機体に向けたままのアウラに比べて、妹は如何にも突発的な事態の対処に弱いのが見て取れた。王族の警護の任についているものとして、些か問題があるように思えてならない。教師として鍛え方を間違っただろうか。
 その辺りの柔軟性に欠けた部分も、剣士が居れば本来は補えたのだろうが―――生憎現在、妹の傍に居る男はアマギリとダグマイアのみ。
 二人とも自信家で世に拗ねた部分を多分に持ち合わせている処があって、どうにもキャイアとは相性が悪い。
 あの二人が進んでキャイアを支えてくれるとはとても思えない。
 「そういう意味でも、剣士。期待しているんだから……」
 早く悪い夢から覚めて、元の剣士に戻って欲しいと願わずに居られない。後は託す事しか出来ない自分を、惨めとすら思う。

 「―――?」

 その時、彼女等が居た通りの一角を、影が覆った。
 見上げる。飛空艇だろうかと思ったが、それにしては影が小さすぎる。
 「あれは……」
 まず真っ先に認識できたのは、巨大な二等辺三角形。その頂点から底辺に走る部分に、人型が括りつけられている。随分高い位置に居るそれは、ゆっくりと旋回しながら高度を落としてこの場所へと着地しようとしているらしい。
 飛空艇の静止している高度との差から考えても、明らかに喫水外を飛翔しているのだ。それも、自在に。
 二等辺三角形の底部両端に備わった円柱状の物体から青白い筋を吹き上げて、角度を調節している。
 そして中央にぶら下がっていた人型が、長大な狙撃銃を手にした聖機人であると解った段階で、ドールは戦慄に駆られた。
 
 「―――聖機人の、喫水外運用ユニット……!?」

 喫水外を飛行する手段と言う物は、少ないが確かに存在する。亜法文明が発達してしまったジェミナーにおいては、コストに見合わぬ手段として、余り用いられていないが、無い事は無いのだ。
 しかし、亜法文明の成果である聖機人を喫水外の高高度で運用する方法は、未だ存在し得なかった筈である。
 そう、喫水外においてもコクーンに戻らず、明らかに聖機人として顕現して武器を構えている以上、アレはその未知の成果を達成しているのだ。
 「また碌でもないもの作るわね、あの子……」 
 唖然とした口調で、ドールは呟く。
 有線形式ではない完全な喫水外運用に成功していると言うのであれば、それは聖機人用に用いる高出力の亜法結界炉を起動するに足るエネルギーの確保に成功した事に他ならない。それとも、亜法結界炉と代用可能な動力源を精製したのか。
 どちらであれ、戦争どころか社会のルールすら一変させてしまうような恐ろしい発明だった。
 停滞による安定を何よりとするネイザイが、彼を毛嫌いする理由も解ろうというものである。

 「でも、今回はそれで助けられたのかしら」
 聖機人の形状から見るに、アレにはユキネ・メアが乗っているらしい。そして、手にした狙撃銃で、アウラが一瞬足止めすることに成功させた、剣士の聖機人を狙撃したのだろう。
 ユキネは確か、ハヴォニワ王都を襲撃した折、ナナダン親子と共に飛空艇で脱出して、ハヴォニワの東部辺境辺りに潜伏していた筈だったから、このシュリフォン王都まで来ようと思えば一昼夜ではとても足りないほどの時間が掛かる。
 「とすると、背中の三角は高機動ユニットなのかしら。……って事は、アレを外せば本当に喫水外での全力運用が可能って事?」
 元々、彼は喫水外でも限定的に運用可能な特殊な形状をした聖機人を操っていた手前もある、その辺りのノウハウから完全な喫水外運用―――そこから更に発展させた長距離高速飛行能力を聖機人に備える事すら可能なのかもしれない。
 「ホント、こんな立場じゃなければ絶対に敵に回したく無いわ……」
 妹と同様に、人間的には全く彼の事を好きになれなかったが、その気分のままで対立しようとは考えない辺りは、相応に歳を重ねているが故なのだろう。むしろ、苦手な部類の人間だからこそ敵に回さないようにしておくべき。今回の一件も、状況を整理してみれば彼に対して恩を売った形にもなることだし、剣士のためにもなり、更にガイアの行動を妨害したことを加えれば、良い事尽くめである。
 一々行動に枷が付き纏い、迂闊な行動を取れずに悶々とする日々を送っている彼女にとっては、久しぶりに気が晴れる状況と言えた。

 「―――それじゃ、後は最後の仕上げね」

 薄く笑って、ドールは誰にともなく呟く。
 剣士の事で、彼女に出来る事は既に全て終わっていたから。後のことは、あの男のやらかすであろう常識外の行動に期待するしかない。
 故に、彼女は今は、自分がやるべき事をやるだけ。
 丁度飛びのいて着地した場所に、キャイアの一撃で取り落とした大鎌が突き立って居たから、それを躊躇いなく引き抜く。
 剣士からはもう、名残惜しいけど視線を外して、背中に背負っていた三角形をたたんで着地したユキネの聖機人と、それを迎えるように構えを解いたアウラの聖機人に意識を移す。

 大鎌を支えに、残った片足を撓めて。

 剣を降ろして四肢をもがれた剣士の機体へと駆け寄るキャイアの聖機人に苦笑しながらも、ドールは行動を止めなかった。
 
 跳ねる。

 石畳を踏み割りながら。直線機動で最速の接近が出来れば尚良かったのだが、片腕だけで鎌を振り回す関係上、遠心力を上手く活用するためにもある程度の高さまで跳躍することは必然だった。
 突然背後で飛び上がった、ドールの機体の起こした石畳を割る音に、アウラとユキネの聖機人が反応を見せる。

 ―――遅い。皆、戦場では一時たりとも油断してはいけないと教えた筈なのに。

 教え方が悪かったのだろうかと、今日は一々、教師としての自分の才覚を疑うような状況ばかりで、苦笑が止まらない。
 慌てて反応して、漸くドールが空にいたことに、彼女たちは気付いたようだが、もう、遅すぎる。
 今から動いても、もう避けられない。

 振りぬく鎌の一撃は、容易く二体の聖機人を両断してみせるだろう。

 これがだから、最後の仕上げ。

 剣士を救いたいと言う自身の思いに、何ら矛盾していると言う気持ちを思うはずもなく、ドールはその名に相応しい機械的な正確さで、色の無い動作で、ただただ、己の成すべき役目を全うする。
 


 『なるほどな』
 哂うガイア。色の無い顔で、話してはいけない全てを語ってしまったネイザイ―――ユライトの言葉を聞いて。
 『とは言え、ヤツも中々の打ち手であるから……念には念を入れるべきと私は考える』
 赤い瞳を、無表情のまま聞いていたドールへと移す。
 『”自分だけが正しい”そんな思い込みが通用しない事は、他ならぬこの賢しくも愚かな弟が証明してくれているが故に。それに何より―――遊びとは真剣に挑んでこそ、面白いのだ』
 さもおかしげに語るガイアの言葉を、ドールは何一つ口を挟まずに聞いていた。
 ガイアの言葉に逆らう必要など無い事を、ドールは何よりもよく理解していたから。
 『裏の裏を斯いたつもりで―――更に裏をと言うつもりだろう。ならば、だ。その更に裏を突いて行けば、ヤツはどんな反応を見せてくれると思う?』
 疑問系で語られたところで、ドールが口を開く事はありえない。
 ドールは、ガイアの命令を聞く以外の事をする必要が無いと、正しい心で理解していたから。


 
 故に。
 彼女はガイアの予想通りに進んだこの展開に合わせて、前もって下されていた命令通りの行動に移る。
 アマギリ・ナナダン本人の姿が見えないのが一抹の不安を抱かせる部分だったが、やむを得まい。
 寝かせた、とアウラは言っていた。森の向こうから彼女等は来たことからも考えて、恐らくはそちらを探せば発見する事も容易いだろう。
 発見できなくても―――それはそれで、彼女には何も問題ない。
 命令どおりに動いて、そして失敗する。それは仕方が無いと受け入れられる”解釈の自由度”を、彼女は有していたから。これは、剣士にもネイザイにも与えられていない、彼女だけに残された―――それゆえ、彼女は自分を疑わない。
 
 「最後まで、絶対に油断してはいけなかったのよ、あなた達は―――」

 大鎌が振り下ろされる最後の一瞬に、ドールは呟いた。
 彼女が育てた生徒たちと、今生の別れを告げる言葉を。自身の一撃が確実に少女たちの命を奪うと、解っていたから。

 そして。

 斬と、空すら切り裂く金切り音が響き。

 ―――彼女は自らの言葉そのままに、油断の不意を突かれて。

 森の奥から飛び出してきた赤と青の聖機人の手により、地に叩きつけられた。

 『所詮貴様も利用されるだけの人形と言う事か。―――無様じゃないか、ドール』

 侮蔑そのままの少年の言葉こそが、強い衝撃を受けて意識を飛ばしかけている、ドールが最後に聞いた言葉だった。







     ※ 危うくフェードアウトさせる所でしたよ、彼。



[14626] 48-7:利用する者される者・7
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/08 22:28


 ・Scene 48-7・




 淡々と、よどみない動作で聖機人の両手足、及び背部の亜法結界炉を破壊していく姿は、それをただ突っ立ってみているだけの存在も合わせて、中々人間性が現れているなと、アウラは安堵の息混じりに思った。

 『―――ダグマイア・メストと……エメラさん?』

 「ええ、念には念をと言うヤツで、急遽呼び出しを掛けてみたのですが……」
 間に合ってよかったと、背中に見た事も無いような巨大なユニットを背負った曲線美のシルエットを有する聖機人に乗るユキネに、返事を返す。
 『やっぱり、アウラ様の考えだったんだね』
 「―――お気づきでしたか」
 『あの子がダグマイア・メストを使おうと考える筈が無いもの』
 ユキネはそう言って、クスリと笑う。
 『使えるものは使う、とか普段から言っておきながら、肝心な所でプライドとかが邪魔しちゃう人だから、アウラ様の判断は正しいと思うよ』
 「そう、でしょうか……」
 穏やかな声で言ってくれるユキネに返しながら、アウラは周囲を見渡す。

 破壊された市街地。割れて捲れ上がった石畳。そこに倒れ伏し煙を吹いている何機もの聖機人。

 『―――あの子が前に出ても、きっと同じ風だったと思う』
 「……そう、でしょうか」
 考えていた事をズバリ突かれてしまっても、やはり、その思いを捨てる気にはなれなかった。
 凛音を眠らせ、ラシャラ共々スワンに退避させて、後の指揮は全てアウラが取った。
 間違いなく味方を犠牲にする事を前提とした作戦を。
 それゆえの当然の結果がこの惨事なのだから―――覚悟はしていたとは言え、やはり考えてしまう。

 ―――アイツなら、もっと上手くやってくれたのではないかと。

 無論それは、アウラの願望でしかない。
 途中―――どころか決定的な部分まで、確かに凛音が指揮を振るっていたのだ。後の状況は流れに任せるしかないと言う状態だったのだから、凛音の指揮のまま変わらなかったとしても、今現在の状況とほぼ等しくなる事は必定と言えるだろう。
 
 『アウラ様は、自分の選択に後悔してる?』
 「―――それは、凛音をこの作戦から遠ざけたことに関して、でしょうか?」
 明らかな年長者としての落ち着きを持って尋ねてくる女性に、アウラは躊躇いがちに応じる。通信モニターに表示される白い髪の美女は、穏やかな眼差しで頷いた。
 『そう。アマギリ様に無茶してもらった方が良かった?』
 「まさか」
 以外にも一言で、直ぐに断言できた。
 「聖地で、血まみれで空から降ってきたあいつを見て血の気が引きましたよ。その後、此処で二週間も眠り続けていた、その寝顔を見ている時も、最悪な気分でしたね。あんな姿をもう一度見せられるくらいなら―――……」
 思うままに呟いていると、通信モニターに映されたユキネの顔が、微笑ましげにアウラの事を見守っている風に見えた。何故か、背中が痒くなるような感覚に襲われる。
 「……なんでしょうか?」
 『マリア様には内緒にしておくね?』
 「何をですか!」
 身を乗り出して突っ込んでも、フフフと棒読みで笑いを返されるだけだった。
 「おからかいになられるのであれば、是非とも凛音にやってもらいたいものなのですが……」
 溜め息混じりに言うと、ユキネが少し申し訳無さそうに微笑んだ。

 『今のアウラ様、あの子が他の人達よりも大切になっちゃたから、だから、あの子以外の大勢の人の犠牲よりも、あの子が無事で済んだ事を喜ぶ自分自身の事を、何より責めてるみたいに見えたから』

 少しは、気が紛れてくれたら嬉しかったんだけれどと、ユキネは弱い微笑みを見せる。
 アウラにとってその言葉は、自分の及びの付かない部分を引き出されてしまったようで、言葉に詰まってしまう。
 「それは……」
 『そういうの、誰でもあるものだから。―――アウラ様たちの様な立場だと難しいかもしれないけど、余り、思いつめない方が良いと思う』
 遠くの誰かよりも、親しい隣人に慈しみを覚えるのは、当然の事だ。ユキネはそんな風に、アウラが後ろめたさを覚えたアウラ自身の想いを肯定した。
 『だからって、ウチの女王陛下みたいな強かさを身につけられても、それはそれで困っちゃうけど』
 「中々、あの領域に到達するには修行が足りないと思います」
 冗談めかして付け加えられた言葉に、アウラは苦笑交じりに頷いた。
 すこしだけ、気持ちが軽くなった事に感謝の念を覚える。

 「―――さて、と。キャイア、剣士は……」
 『ん、もう、ちょっと……力入れすぎてコアを潰しちゃっても拙いし、難しいわね』
 気分を切り替えてとばかりに一息ついた後で、アウラは倒壊した家屋に埋もれる剣士の黒い聖機人の前に自らの機体を膝を付かせていたキャイアに尋ねる。
 キャイアは、四肢をもがれ、首すら残っていない、最早聖機人としての体を成していない剣士の聖機人の、罅割れたコアの外殻を破ろうとしながら応じる。
 亜法結界炉が停止し、エネルギーの循環がなくなったために機能しなくなった透過結晶製の外殻だったから、強引に叩き割らなければ中の人間を引きずり出す事は不可能だった。
 透過結晶一層で装甲も兼ねている訳だから、例え皹混じりと言えど、それ相応の強度があって、力の入れ具合が言うとおりに、難しいらしい。
 『ここから出したら、喫水外に浮上させたスワンの宮殿部の中の一室に、隔離だっけ』
 「―――不満か?」
 事前に聞いていた、剣士奪還後の対処プランを言うキャイアに、アウラも曖昧な表情で尋ねる。
 『囚人用の拘束服の着用は必須で、尚且つ窓の無いなるべく閉鎖した空間に―――とか、言ってたじゃない。それじゃあ保護と言うよりそれこそ監禁、拘束よ。―――そこまでする必要、あるのかしら?』
 「慎重論は唱えすぎるに越した事は無いという状況だと言うのは、もう解っていると思うが……お前が納得行かないという気持ちは解るな。それでなくとも、スワンの宮殿など、本来ならシトレイユ女王の寝所でもあるのだから」
 キャイアの立場なら、実務的な意味でも反対したくなるのは当然だろうと、アウラも頷く。
 尤も、キャイアの場合、感情面からの反対の気持ちが大きい事は当然―――キャイア本人も―――理解していた。
 『そりゃあ、うん―――解ってはいるのよ。今の状態の剣士だと、また……』

 直ぐにガイアの支配下に入ってしまう可能性があるから。

 キャイアは、想像したくない未来であるが故、後を続ける事は出来なかった。
 その未来を防ぐために必要だと言う事もわかっていたから、愚痴以上のことも言えない。
 喫水外とわざわざ指定しているのも、エナを媒介にした遠距離通信による干渉の危険性を唱えてと言う理由だったから、納得するより他無い。
 
 それでも、と作業の手は止めずに、チラリとキャイアは視線を横にずらす。
 
 そこには、キャイアと似たような―――尤も、コアを破壊しようとしている彼女と違い、そちらはコアだけ残して周りの機能を破壊している途中だったが。
 『剣士も、と言うことは当然、姉さんも、なのよね……』
 「―――そうだな。あの最後の一撃のお陰で、キャイア、お前も理解できただろう?」
 『理解なんて、したく、無かったわよ……』
 あえて冷淡な言葉をかけるアウラに、キャイアはつらそうな顔で漏らす。
 
 自分の意思で、剣士を救うのに協力する。

 姉は確かにそう言っていた。
 ガイアの思惑に反発して、ある程度は自由意志を用いることが可能なのだと。

 ―――しかし。

 剣士の行動停止に成功しかけた最後の一瞬、姉はこれまでの演技による敗北を忘れ去ったかのように、キャイア達に牙を剥いてきた。
 何体の聖機人を切り刻んできたか解らない、禍々しい輝きを放つ大鎌を振りかざして。
 メザイア・フランは、明らかにキャイアたちを殺すつもりに見えた。
 先ほどまでの会話のうちに見えた彼女の本心―――剣士を救いたいと言うその気持ちを前提に考えれば、少女たちを害する理由などありえない筈なのに。
 そんな事をしても利するのは怨敵たるガイアのみだと言うのに―――姉は、それを成そうとしたのだ。

 洗脳と言う物は、洗脳されている本人に自覚が無いからこそ、恐ろしいのだ。

 『姉さん、ガイアに……』
 「此処までを見越したガイアに、そう命ぜられていたと言う事なのだろうな。知らぬ間に―――いや、知っていても言わない、言う必要が思い浮かばないのか」
 キャイアにとっては嫌いな男の言葉だったが、納得せざるを得ない現実があった。
 「だが、形はどうであれ、取り戻す事が出来た。剣士だけ、と言うつもりで挑んで、この結果は僥倖だろう。―――ガイアの意図を妨げる意味でも」
 『そう、ね。そうよね。―――ダグマイアが飛び出してきたときは、本当に驚いたけど……』
 溜飲を下げたと言うのも事実だと頷く一方で、その一端を担ったのが、半ば絶縁状態と化している少年たちである事が、やはりキャイアには引っかかる所だったらしい。
 当然その気持ちは理解できていたから、アウラは申し訳無さそうに微苦笑を浮かべるより無かった。
 「ああ、お前がメザイア先生に突っ込む直前に私が急遽呼び出しをかけた。―――凛音の最悪の中でも最悪の予想が、本当に当たってしまったものだからな。ユキネさんを剣士に当てる以上、他に当てが無かった」
 『―――と言うことは、何? アイツ、ひょっとして姉さんが本当は剣士やユライト先生と同レベルの状態でガイアの支配下にあるって、初めっから解っていたの?』
 「恐らく、な。終ぞ明言は避けていたようだが、こうなった上で改めて考えると、そうとしか思えない」
 実に嫌そうな顔を浮かべるキャイアに、アウラも同感だと苦笑を浮かべる。
 
 「今回は早い話、アイツとガイアの”化かし合い”、だった訳だからな。取っ掛かりとしてユライト・メストが本当はガイア側だったと理解した段階で、それを利用した罠をお互いが張り合っていたと言うことだろう。―――結果として、我々の勝ち、と言っても良いかもしれんな」


 『そうだな。一本取られたと、そういう場面なのだろうな、私は』

 
 巌のような声。重く、暗い。聞くものに絶望感を覚えさせる、そんな声が辺り一体に響き渡った。

 何処からとも無く。無線機越しだと言うのに、背筋に悪寒を覚えさせるように。

 『―――ちち、うえ……!?』
 
 メザイアの聖機人を解体していたエメラの作業を見守っているだけだったダグマイアが、驚愕の声を漏らす。
 聖機人を恐れおののくように後ずさりさせながら、空を、見ていた。
 アウラも釣られて、彼と同様の方向を見上げ―――そして、後悔した。

 燕尾の装束に、肩に白いマントを靡かせて。
 ―――映像では、ありえない。
 確かな存在感を有する、ババルン・メストが、アウラたちを睥睨していた。
 「ババルン・メスト……!?」
 『アウラ・シュリフォン、それにナウアの娘だけか……アマギリ王子本人の姿が見えぬな。よもや、異世界の龍そのものは姿すら見せず、その上最後の仕掛けには何処で捨て置いたかすら忘れていたような、無能の手で妨害されるとは。―――天晴れ見事なりと、賞賛せざるを得んな』
 『父上……あなたに、とって』
 一片の苦渋の態度も見せず、しゃあしゃあと言い切る父であるはずの人間の言葉に、ダグマイアが震える声を漏らす。
 その声、恐怖に揺れる言葉こそが、ババルンにとっては至福なのだろうか。楽しそうに唇の端を持ち上げて、笑みと見えなくも無い凶相を浮かべて口を開いた。

 『塵も無能も使いよう、と言った所か。―――少し見直したぞ、息子よ』
 
 『あ、あぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
 『ダグマイア様!?』
 
 元より、見てくれ変わらぬまま異形へと変貌していた父の存在が許容しきれるようなものでは無かったのだろう。
 期待をかけられていたのだと言う一縷望みを捨て切れなかったと言うのも、きっとあるだろう。
 一度目ならば、何かの間違いかと疑うことも出来た。

 でも。

 この期に及んで改めて突き立てられた現実に―――無能であり、不要な存在だと言う烙印を、既に遥か昔から押されていたと言うこの現実に、遂にダグマイアの心は限界を迎えた。

 衝動的な行動の赴くまま、聖機人を飛翔させる。
 如何なる力を持ってか天に佇むババルンへと向かって、剣を構えて。

 それが何を意味する行動なのかすら、ダグマイアには気付けていないのかもしれない。呼びかける従者の言葉も耳に入らず、突然現れた父と言う不思議すら、理解できぬ。

 父に向けて、剣を振るう。

 ―――”親殺し”。

 乗り越えるべき壁として対峙し、堂々とそれを乗り越えて見せろと言う、いつか凛音が言っていたような比喩としてのものではない。
 正真正銘の”親殺し”が成ってしまいそうな、その、刹那。

 『ダグマイア様!!』

 二度目の従者の少女の悲鳴は、突如横合いから出現した黒い聖機人に、ダグマイアが弾き飛ばされた時に発せられた。
 「黒―――ユライト・メストか!?」
 凄まじい圧力を無防備な横合いから喰らい、地に叩き返されて行くダグマイアの青い聖機人。
 従者の少女が、誰よりも早く反応して赤い乗機を駆け出させて、主の機体を落下の衝撃から保護しようと全身で抱きとめる。
 聖機人の質量と落下エネルギーを、僅か一機のみの出力で支えきれる筈も無く、無理な体勢で地面と期待の間に割って入ってしまった時点で、主共々立ち並ぶ家屋に叩き付けられるという結果は決められていた。
 轟音と共に粉塵が撒き散らされ、二体の聖機人が家々の瓦礫の中に沈む。
 『ダグマイア、エメラ!?』
 「キャイア、上に集中しろ、あれは―――!」
 剣士の機体のコアを抱えたまま落下したダグマイアたちの下に踏み出そうとするキャイアを、アウラが鋭い声で押し止める。
 『でも!―――……あれ、は。そんな』
 反論しようとして、それでもアウラの言葉に従って上を、ババルンとその背後に寄り添うように立つ黒い聖機人の姿をはっきりと目撃してしまったキャイアは、驚愕と共に声を震わせた。
 『……ガイア』

 黒い聖機人。姿かたちから、先ほど戦線を離脱したユライトのものに違いなかった。
 だが、その装備は、先ほどまでの狙撃銃ではない。
 片手に、身に余るような巨大な盾―――盾のようなユニットを構えている。

 その姿に、少女たちは見覚えがあった。
 「―――ガイアの、コアユニット……!」
 『ガイア、あれが!?』
 アウラの言葉に、ただ一人聖地での決戦の実情を知らぬユキネも、驚愕の声を漏らす。
 その恐怖に歪む声こそが、喜びと言うことなのだろうか。ババルン・メストは凶相に愉悦の笑みを交えた。
 そのまま、手を掲げ軽い動作で振り下ろす。

 「来るぞ!!」

 ガイアのコアユニットを所持する黒い聖機人は、ババルンの動作の示すままに、機動を開始した。
 身構える少女たちを差し置いて、しかしガイアが降り立ったのは。
 『しまった、姉さん!』
 解体途中だった、メザイアの黒い聖機人の前。その行動の意味は明白だ。
 何しろメザイア本人が言っていたのだ。

 ”自分こそがガイアにとっての本命”だと。

 ならば、それを回収しようと思うのは道理。
 慌てて踏み込もうとするキャイア達に、しかしユライトの黒い聖機人は、ガイアのコアユニットを掲げる事で応じた。
 「―――っ!!」
 その意味に気付きアウラは戦慄する。
 ガイアのコアユニットを構成するパーツが、分割線に沿って中央から割れ、竜種の顎のようなその凶暴な内部をさらけ出したのだから。
 大気が震えるほどの、膨大なエナの集約が始まる。
 「いけない!離れないと―――っ!!」
 『でも、姉さんが!』
 『言ってる場合じゃない!―――でしょ?』
 反論しようとするキャイアに、想像でしかこの後に起こる展開が解らぬユキネが口を挟む。ガイアに向かって集合するエナの密度は、彼女の常識が許すような生易しさは感じなかったからだ。

 ―――危険すぎる。生存本能が直接行動を訴えかけてきているようにすら感じさせる。
 
 剣士のコアユニットを抱えているキャイアを、アウラと共に両脇から抱え、そのまま有無を言わさずに飛翔。
 飛翔してどうなるものかすらわからなかったが、とにかく、何よりもまずあの黒く危険な顎より遠くへと離れなければと、少女たちの心は一致していた。

 『―――やれ』

 少女たちの無様を嘲笑うかのように、天に座するババルンが、自らの半身たる聖機神ガイアに告げた。

 その瞬間。

 圧縮され加速されたエナの凄まじい奔流が迸る。
 ガイアのコアユニットの開口部より放たれたそれは、大地を抉りそのまま削り溶かし、家々を塵の一つも無く粉砕し、それで止まる筈も無く王城の外壁を、その奥の離宮を丸ごと焼き尽くし、その彼方に広がる深い天然樹の茂る森をこの世界から消滅させた。
 
 少女たちはその激しい奔流から避けるように、ともかく遠く、遠くへと、遮蔽物に紛れながら逃げ惑う。
 崩れ落ちた家屋の下敷きとなっている筈のダグマイアたちの無事を確認する猶予も無く、まだ生きていたであろう破壊されたシュリフォンの聖機人の中に居る聖機師たちの事を思う暇すらなく。
 背後に満ちる白い破滅の光と、ババルン・メストの高笑いの音から。

 そして、永遠に感じるほどの刹那の時が終了して。
 「―――無事、かっ!?」
 『何とか……』
 『今のが、ガイア……』
 最終的に舞い散った大きな瓦礫の山に埋もれるような状態で身を伏せていたアウラたちは、光の奔流が収まったと同時に身を起こしていく。
 辺りを見渡す。危険すぎる動作ではあったが、それに気付けるほど落ち着いた精神状態ではなかった。
 王都を包囲していた飛空艇艦隊が、突然巻き起こった破壊の現象に、慌てふためいているのが見える。
 それも当然だろう。何本もの道が抉れ、城の四分の一近くが消滅してしまったとあれば。そして、抉られた森の向こうに、海の所在すら見えてしまえば。
 凄まじい威力、相表現するしかない一撃だった。
 「ガイアは……?」
 『―――消えた』
 『居ない……そんな、姉さんも』
 
 空に浮いていたババルンの姿は無かった。
 その下に居た筈の、光の奔流の発生源に位置する場所には、既に黒い聖機人の姿が無かった。
 そして、黒い聖機人の足元に転がっていた筈の、メザイア・フランの聖機人のコアユニットもまた、姿を消していた。

 「回収に来たと言うわけか、メザイア先生を……」
 『そんな、姉さん、せっかく……!!』
 想像は、あながち外れではないとアウラには思えた。そうであるから、言葉を聞いたキャイアもまた、認められないという声を震わせるのだろう。 
 『―――剣士だけは、無事だけど……こんな、これがガイアの力』
 剣士の機体のコアユニットを抱きかかえたユキネの言葉が、この場においての唯一の救いかもしれなかった。

 「最後の最後に、これかっ!」

 自国の王都の惨事を見て、アウラは言うべき言葉を見つける事が出来なかった。
 自らの油断が招いた結末―――そんな自戒すら超越してしまいそうな、どう足掻いても抗いようが無い暴力を見せ付けられたようで、沈むよりも先にそれを成した存在への怒りが湧き上がる。

 許せる筈が無い。
 
 認められるはずが無い。

 抗えない存在など。抗う気持ちが湧き上がらない自分など。

 「これで、ますますお前だけに任せて置けなくなってしまったぞ、凛音……っ!」

 無意識に漏れた言葉は、縋るような響きにも聞こえた。



 ・Scene 48:End・






     ※ 主人、公……?
       まぁ何ていうか、光鷹翼VS光鷹翼ってのもきっと楽しいには違いなかったんですが、それをやると、
      今後対決予定のラスボスがラスボス(笑)にしかならないんで、こう言う形に落ち着きました。

       殿下、最後に出そうかなとも思ったんですけど、それはそれで女の子達の頑張りが前座に成り下がり
      そうでしたので、最後までお休みに。
       それにしても戦わない主人公だなぁと、書いてる自分でも思わないでもないです。     
 



[14626] 49-1:アマギリ・ナナダン ・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/09 21:48

 ・Scene 49-1・


 人肌の温もりと言う物は、案外と特徴的なもので。

 目を見開く前に、意識が深い闇の底から浮上する前に、凛音は自身が頭を乗せている柔らかい枕の存在に気付いていた。
 懐かしい感触だなと、頬が緩んでしまう程に穏やかな気分になれる。
 膝枕など、それこそ樹雷本星に訪れる以前の頃まで遡らねば記憶に無いことだったから、このまま瞳を開けてそれを終わらせてしまうと言うのも何処か寂しいと思えた。
 
 「ん……」

 吐息と共に漏れる、自分の声の幼さに失笑すら覚える。
 額に掛かった前髪を、そっとたおやかな仕草で撫でられた感触が、酷く気恥ずかしかった。
 この状況で何を、と言う話なのだろうが、このまま穏やかな気分に溺れていると、大抵決まって碌でもない目にあってしまうから、凛音は気を奮い立たせて口を開くしかない。
 
 「初姉? ―――こういうの、鈴にからかわれるから止めてって、何時も……」

 「リン?―――誰?」
 
 前髪を緩く引っ張られた。柔い痛みに苦笑する。
 「誰って……また鈴と喧嘩したの? 初姉の方が倍以上も年上なんだから、あの御転婆と同レベルの喧嘩なんて」
 「―――ハツネ?」
 「え?」
 瞼の向こうで顔に被さった影の位置が少しだけ動いたことが解ったから、膝枕をしてくれている女性が首をかしげているのに気付けた。

 ―――自分が懐かしい夢の世界に居た事に、気付けた。

 瞼を上げる。
 少女の膝に頭を乗せていると言う現実は何も変わらずに、豊かな胸の上で、不思議そうに小首を傾げている少女の顔が、自身が思い描いていた人のものとはまるで違うその事実に、凛音は漸く気付いた。

 「ユキネ―――、さん」
 
 ぺし。

 「―――痛いよ」
 「さんは、要らないと思う」
 ムスッと顔をしかめて、呟かれてしまった。腫れている訳も無い額を摩りながら、身を起こす。
 そのついでに辺りを見渡してみると、此処二週間以上お世話になっていたシュリフォン王城の離宮の一室ではない事に気付いた。豪華な室内である事に変わりは無かったが、様式がシュリフォンのものとまるで違う。
 窓の向こうの空が、存外近い位置にあった事で、どうやらシトレイユ皇家御用達の空中宮殿スワンの一室である事がわかった。
 景色が動いている素振りも無く、喫水線辺りの高度まで浮かせたまま、シュリフォン王都郊外の森に停泊している形のようだ。
 王都の様子は有体に言って、戦場跡と言うほか無いほど散々たる有様で―――主要道の一本から王宮の一角を削り取るように、抉られむき出しになった地面が、森を貫き海岸線まで続いているのが見えた。

 「アレは一体―――……む」

 ぱたん。

 ベッドの上に座ったまま、窓の向こうに身を乗り出そうとしたら、さっと横合いから伸ばされた手に、開き戸を閉じられてしまった。
 ガラス戸であるからして、そんな事をしても行使が邪魔になる程度で外の景色は当然見えたままなのだが―――不満そうな顔からして、見るなと言いたいらしい。

 何となく、膝立ちとも胡坐とも付かない不自然な体勢のままで、不機嫌そうな少女と向き合う格好となってしまった。
 頭を掻きつつ、状況を整理する。
 
 目覚めたらスワンに居ました。
 目覚める前は無理な戦闘を行う予定でした。
 何故か妹と一緒にいるはずの年上の少女が、目の前に居ます。

 高速で論理飛躍を繰り返しながら整理した結論として、まずまずそれなりの結果が得られたのだろうと凛音は判断した。
 もし何か予定外の碌でもない事態が発生していたのであれば、目の前のこの少女が、あんな穏やかな顔をしていられる筈が無いからだ。
 
 一つ大きな息を吐いて、凛音は改めてベッドの上に腰を下ろした。
 正座を崩した楽な姿勢で同様にベッドに座っていた少女が、ぽんぽんと自分の腿を叩いている。

 「……」
 「……」
 「―――……」

 無言で向き合うこと暫し、折れたのは凛音の方だった。ごろりと、頭を少女の方へと向けて身体を投げ出す。
 体勢を調整する必要も無いくらいぴったりと、少女の膝の上に頭が乗ってしまった。
 自然な動作で髪を梳かれてしまうと、物凄い穏やかな気分になると同時に、こんなのんびりしている場合なのだろうかと言う焦燥感も同時に覚えてしまう。

 ―――と言うか、本当に実際どんな状況なのか。

 まさか味方にノックアウトされるとは想像もしていなかった手前、目が覚めたら膝枕と言う状況は、正直理解に困る。
 そも、何故この少女が此処に居るのか。距離的にどう考えても間に合わないだろうに、それを聞くべきなのか、聞いてはいけないのか。
 酷く幼い顔になっているのだろうなと言う自覚はありつつも、改めて瞳を閉じたままで悶々としていると、少女が漸く口を開いた。

 「ハツネって……?」

 ―――聞いてはいけないらしい。

 得も居得ぬ脱力感が湧き上がってくるのに身を任せるままに、凛音は此処以外の全ての状況を一旦忘却する事に決めた。
 助成に個人的な時間を望まれるというのは最高の贅沢だろうしな、等と愚にも付かない思いで無理やり自分を納得させながら、凛音は少女の言葉に応じる。

 「初姉―――甘木初音。僕の一番上の姉だよ。雪姉―――ええと、二番目の姉さんだけど、その人と一緒に、僕の殆ど親代わりだった人かな」
 「お姉さん、二人居たんだ」
 「うん。他に、紫音って名前の兄さんが一人―――ああ、二人の間に挟まるんだけど。五人兄妹の甘ったれな末っ子だよ、僕は」
 「そんな感じだよね」
 茶化した言葉を穏やかな声で肯定されてしまうと、反論する気も起きなかった。
 目を閉じたままクスリと微笑むと、少女も同様に微笑んでいるのだろう気配が伝わってきた。
 「あれ、―――じゃあリンって子は?」
 話に出てきたのは凛音を含めて四人である。そして、五人兄妹の末っ子と言うくせに、兄姉併せて三人しか居なかった。一人足りないという疑問も当然である。
 凛音は膝の上に頭を置いたまま、軽く顎を引いて頷いた。
 「鈴―――鈴音はね、僕の妹……と言うか、姉と言うか。双子なんだよ、早い話」

 「……双子?」

 流石に少し驚いたような声が伝わってきた。
 「それに貴方と名前……」
 「うん、字が違うんだけど、響きがね。何か、生まれてくるのが男か女かで、使う字を選んでおいたら、男女の双子だったから、両方使う事にしたって母さんが笑ってたかな」
 気分だけ肩を竦めて、あっさりと応じる。単純すぎるよねと微苦笑を浮かべると、少女も困った風に笑った。
 「少し……紛らわしいね?」
 「家族皆でそれ言ってたよ。―――で、結局僕じゃない方を”鈴”ってだけ呼ぶようになって、僕の方をフルネームでって分けるようにいつの間にかなってたんだ。鈴は、”何か自分の方が扱いが悪い”って、時々不貞腐れてたかな」
 「そうなんだ」
 「うん、何か自分の方が省略されると後から生まれてきたみたいで、嫌なんだと」
 「―――そう、なんだ」
 若干疲れたような苦笑を浮かべている少女の想像の中の双子の妹だか姉だかが、どのような姿になっているのか、実に興味深い事だった。
 
 「ま、見た目性格も全く似てないんだけどね」
 「そうなの?」
 本人が居ないのをいい事に、好き勝手に主観で評してしまうのも後々怖い様な気がして、凛音は付け加えるように言った。
 「うん。生まれてくる時に、知性と体力のパラメーターの配分を間違ったって評判でね。病弱で引きこもりがちだった僕とは正反対で、開拓惑星の上を一日中駆け回って笑ってるような脳筋な娘っ子でさ。そんなだから全然趣味がかみ合わなかったな」
 それにそもそも、当時は唯一つの事に我武者羅に生命を捧げているような部分が強かったので、親兄妹含めた全ての人間と、極端に係わり合いを持たないようにしていた気がする。一種の狂信的な信仰のあり方を実践していたともいえるかもしれない。
 「―――結局、樹雷へ行くからって僕一人が家を出た時まで、殆ど仲良く遊んだような記憶も無いや」

 今頃何をやっているのだろうか―――そもそも、最後に別れてから七百余年。
 貧乏皇家と名高い実家の人々が、延命調整を重ねているかも疑わしい所である。とっくに死んでいてもおかしくないのだと、今更ながらに気付いた。

 「会いたい、の?」

 瞳を閉じたまま自分の言葉に考え込む風になってしまった凛音の頭上から、穏やかな少女の声が降り注いだ。
 「会いたい、か……」
 言われて考えてしまうような段階で、それほど執着心は無いのだろうなと、自分の情の薄さに愕然としなくも無かった。
 「鈴よりもまず、マリアに会いたいかな―――って言えば、此処は正解なのかな」
 冗談めかして、実際それが本音だった。
 どう、と片目だけを開けて少女にお伺いを立ててみると、小さく小首を傾げられた。
 
 「―――ギリギリ、及第点ってとこかな」

 「……案外、厳しいね」
 割と意外な答えだったので、本音の呟きを漏らしてしまうと、少女は解らないかなと薄く微笑む。
 
 ああ、なるほどと、凛音は一つ頷いて見せた。
 今の状況を整理してみれば、そんな答えが返ってくるのも一目瞭然といえるだろう。

 穏やかな日差しが差し込む、柔らかいベッドの上。 少女の膝の温もりに頭を預けて。

 「また会えて良かったよ、ユキネ」

 合格、と。そんな言葉が返って来た。







     ※ 久しぶりにお姉ちゃんにひたすら甘える回。原作編に入ってから出番減ってたからね! 姉力補充せんと。
       
       ところで、五人兄弟の第五子ってのは後付ではなく当初のプロット通りだったり。
       おっとり、ツンデレ、クーデレと選り取りみどりである、多分。
 
       因みに親父の名前は慈音(じおん)である。どうでも良い話ですが。         



[14626] 49-2:アマギリ・ナナダン ・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/10 21:47


 ・Scene 49-2・




 「で、どんな状況?」

 踏み入るなり第一声が、周りを見渡してのそんな言葉だったから、その室内に集った少女たちも目を丸くするしかない。
 「おお、凛音殿」
 「―――目覚めたのか」
 「お陰さまでね」
 勝手に部屋の隅においてあるティーセットから自分のお茶を用意しながら、凛音は肩を竦めて応じた。
 背後にそっと付き従う形になっているユキネの存在が、随分と昔の平穏だった日々を思い起こさせるものだった。
 「結局今って、何時頃なの?」
 「ああ、お前が眠ってから……」
 「”眠らせてから”だろ?」
 「お前が原因不明の病で意識を失ってから、既にもう一昼夜過ぎた」
 ジト目で突っ込みを入れる凛音の視線を避けながら、アウラは掛け時計を確認しながら言った。
 「丸一日、か。―――なんか最近、寝すぎな気がするなぁ」
 「と言うか、三日前まで寝っぱなしだったろうが」
 「今回は不慮の事故ってヤツなんだけどねぇ―――さて、と」
 アウラの言葉を軽くいなしながら、入れたての紅茶をユキネに手渡して、凛音は少女たちが集う室内の一角へと歩み寄る。

 そこは。
 先ほどまで彼が寝ていた場所と変わらぬ、スワンの客室内のベッドの置かれた空間。
 採光窓からレースのカーテン越しに柔らかな光が差し込む、白いシーツを張られたベッド。
 
 一人の少年の姿があった。

 「―――お疲れさん、とか言った方が良いのかな」
 「……それは、誰に対しての労いなのじゃ?」
 「すくなくとも、人に麻酔薬打ち込んでまで苦労を背負い込もうとする女の子たちに対してじゃあ無いかなぁ」
 瞳を閉じてベッドに横たわる少年の面を、何ともいえない微妙な表情で眺めながらも、向けられたラシャラの言葉に返す言葉は酷く皮肉気なものだった。
 窓際に背を預けて腕を組んでいたアウラが、恐る恐るといった風に口を開いた。
 「……怒ってたり、するのか?」
 「まぁ、わりと」
 あっさりと凛音は頷いた。ベッドサイドの椅子に腰掛けていたラシャラが、仲裁に入るように苦笑交じりに言う。
 「愛しき妻の気遣いじゃろうて。粛々と受け入れるのが男の甲斐性じゃろ?」
 「僕、三歩後ろから影を踏まないように付いてくる女が好みだから」
 「今時流行らない古風な趣味じゃな、また」
 「近場で強い女性ばかりが目に付くからね、夢くらい持とうかと」
 どちらかと言えば、実家に居た頃に出会った女性陣を指しての言葉だったのだが、少女たちは自分たちのことだと受け取ったらしい。頬を引き攣らせている。
 
 「あの、良いかしら?」

 微妙な空気になりかかった所で、それまで黙っていたキャイアがポツリと声を漏らした。
 凛音たちのように上っ面の軽さの全く感じられない、淡々とした言葉。それ故に逆に重みを感じるものだ。
 「何かな?」
 一口自身で入れた紅茶を口に含んだ後で、凛音は応じた。
 キャイアは、視線をベッドで眠る少年に固定したままで、口を開く。

 「―――剣士、今」

 それ以上の言葉が続かなかった。何を言えば良いのか、キャイア本人も要領を得ないところが合ったらしい。
 だが、室内の空気が一回り重くなったことからして、彼女が言いたかった事は全員が理解できた。
 そして、視線は一斉に凛音に集中する。
 凛音は微苦笑を浮かべて、ベッドで眠り続ける剣士の顔を覗き込んだ。
 
 普段の剣士らしからぬ、まるで意思の欠片の一つも感じない面。

 何時ぞやの夜とは違う。
 あの時は、今と同様にベッドで眠り続ける形でありながらも、それでも、遙照と見紛う程の意志力を感じたものだが、今の剣士にはそれは無かった。
 ただ、人型の入れ物がそこにあるだけ。そしてその中身は、酷く空虚なのだ。

 「精神死ってヤツだね」

 「ちょ―――っ!?」
 「おい待て、凛音!」
 一つ頷いた後であっさりと言い切った凛音に、少女たちは引き攣ったように声を上げる。一様に目を見開き、驚愕の面持ちである。見た目だけでも落ち着いているように見えるのは、凛音の背後に居るユキネくらいだろう。彼女の場合は単純に、他の少女たちに比べて主の突飛な発言に対する抵抗力が強いだけかもしれないが。
 「どういう事じゃ従兄殿!? ”死”などと、そんな簡単に―――っ!」
 「呼び方前に戻ってるよ」
 「そんな事はどうでも良かろう! お主の計略に従った結果がこうなのじゃぞ! 何を呑気に―――」
 どうでもいい突っ込みを入れる凛音に、ラシャラは斬りつけるように言葉を重ねる。
 凛音は呑気に、愛だなぁなどと音を漏らさないように口の中で呟きながら、紅茶を一口啜った。
 「とは言え、ホラ。僕は途中で眠らされちゃったからさ。責任能力なんか無いって」
 「従兄殿―――!」
 その余裕の姿は幼い姫君を激昂させるに当然の軽薄さだったろう、それに何より背後の視線が少し厳しいものに変わっていくのに気付いた手前、真面目に話を進めざるを得なかった。
 
 「メザイア・フラン辺りから、何か聞いていない?」
 
 ポンと、宥めすかすようにラシャラの頭の上に手を置きながら、凛音は尋ねた。
 「姉さんから―――それって」
 「”既に精神は破綻寸前”と言うヤツか?」
 首を捻るキャイアの後を、アウラが引き継ぐ。凛音は一つ頷いた。
 「もうちょっと何か無かった?」
 「―――確か、後一押しでもしてしまえば、その……」

 「限界を、迎えてしまう」

 一度握った手のひらを持ち上げ、軽い仕草で開く。ポンと、何かが割れるように。
 相も変わらず、重くなる一方の空気を物ともしないような、軽い仕草である。
 流石にこの期に及んでも落ち着いた態度を示しているのだから、少女たちも疑念を覚えざるを得なかった。
 「……やはり、剣士がこの状態に至るまでが、想定済みだったと言うことだな?」
 代表するように問うアウラに、凛音は頷く。その表情は何故か、つらそうな微笑に変わっていた。
 「うん。実際痛ましいとか申し訳ないとかは思うには思うんだけど、ね。他に完璧な形で剣士殿を取り戻すって方法が思いつかなかったから。―――対処療法的なやり方でこんな状態にまで落とし込めなくても済むやり方もあるにはあったんだけど、それだと、後遺症みたいなものが残っちゃうから」
 認めたくは無いけど、仕方は無いと、凛音はそんな風に―――何よりも自分を納得させるように言った。
 「とりあえず、一つだけ正確な答えをくれ。―――直るんだよな?」
 何が、とは付け加えずにアウラは尋ねた。探るような視線、見渡せば、キャイアもラシャラも同様だった。
 ラシャラの上に置いたままの手を撫で付けるように動かしながら、凛音は頷いた。

 「直りますとも」

 「―――直します、では無いな」
 お前らしくも無いと、アウラは首を捻った。基本的に自分で始めたことは最後まで自分で始末をつける事を好む男だったから、何処か他人事のように言う態度は疑問に残るものだった。
 凛音はその疑念に気付き、苦笑して応じる。
 「まぁ、現実問題として僕にはお手上げの状態だから」
 「おいっ!?」
 ラシャラは、頭の上の凛音の手を振り払うように身を乗り出す。
 剣士の今の状態が精神死だと言われて頭に血が上り、直ると言われて何とか落ち着いたところで、またこの物言いなのだから、穏やかな心で居られる筈もないだろう。
 凛音はしかし激昂する彼女とは対照的に、払われた手をひらひらと動かしながら、笑った。
 「いやいや、僕にはお手上げってだけでさ、ちゃんと方策は有るさ」
 「―――それゆえ、”直ります”か」
 「そう言う事」
 「それで、結局具体的にはどうなるのよ。アンタ何時も何時も、話が回りくどすぎるわよ?」
 何時もの調子に戻ってきたアウラと凛音の独特の空気に、遂に焦れたキャイアが口を挟んだ。
 凛音は形だけの謝罪の言葉を言った後で、分の考えを整理するように天井へ視線をずらした。
 
 それはシンプルに一言で纏める事が出来るような内容で―――しかし、恐らく誰もそれでは納得してくれないだろう事は解っていた。

 どう言ったものか。結局、回りくどい言い回しになるしかないかと、凛音は微苦笑を浮かべて口を開いた。
 「剣士殿が、神々の加護を受けているって話はしたっけ?」
 「神? ―――それは、教会の奉る女神の祝福の事か?」
 「まぁ、それもあってると言えばあってるかな」
 突然出てきた単語に首を捻るアウラに、そんなのもあったねと凛音は頷いて先を続ける。
 「教会とかの形式自体は別にどうでも良いんだけど、ようするに剣士殿はさ、とてもとても偉くて、本来なら人間一個人に干渉するような事はありえないような位の高い神様から、直接加護を授かっている訳なのさ」
 「……はぁ」
 断言するようにスピリチュアルな話を聞かされても、眉根を寄せるしかないのも当然だった。
 だが、凛音は場の微妙な空気に気付きながらも言葉を続ける。
 「でも、広い宇宙、進んだ文明ともなると”神”と言う概念の本質にもそれなりに触れて、偶像の崇拝なんて捨てて、果ては低階層次元の管理神なんかも一段も二段も飛び越して、直接”一番偉い神様”を崇め奉るようになったりするんだ」
 「話の流れから察するに、もしやジェミナーの名も無き女神も」
 「そう、”一番偉い”三柱の神様に属する。尺度が狂いそうになるほど古い時代には、神々は神々自身の思惑で、この三次元世界の様な低次元に直接干渉していたらしいから、その残滓が今も銀河中で発見されたりするんだ。偶像ではなく実在する超存在たる神々の痕跡―――我が故郷である樹雷も、そういった物が目に見えて存在するケースの一つだ」
 「―――樹雷」
 ユキネが背後でその言葉に反応した事に気付いたが、凛音は振り返ることはしなかった。
 「ジェミナーも恐らく、先史文明期に神々との接触があったんだろうけど―――まぁ、その辺は割りとどうでも良いんだ」
 「良いのか?」
 核心に迫るような事を聞かされているつもりだったのに、アウラには気勢を制される気分だった。
 しかし凛音は、あっさりとそれを肯定するように頷きながら、続ける。

 「重要なのは、一つ。―――神々は”神々自身の思惑”で人界に干渉するという事だ」
 
 「神々の思惑、か。何とも話が大きくなってきたの。―――しかし、そんな位階の高い存在の思惑など、妾達のような唯人に推し量れる訳もあるまい」
 嘆息するように言うラシャラに、凛音は微笑を浮かべる。
 「まぁ、ね。でも神々には神々なりの思惑があって―――むしろ、思惑が無ければ悪戯に人界に干渉しようなんて考えない筈なんだ。特に、このジェミナーで信仰されているような神とか、ウチの方で奉られている筈の神様とかは、幾らなんでも位階が高すぎるからね。猫を撫でるような気分で手を伸ばすだけで、次元を簡単に歪めてしまうほどの力を秘めているのだから、尚更だよ」

 だから、必要に駆られない限りは、無闇にこの世界に干渉するはずが無いのだと、凛音は断言する。

 「つまり―――そうか。剣士がその神々の加護を得ている事も、何か必ず意味があると言う事なのだな?」
 「そう。見れば解る。剣士殿からは圧倒的といって良いほどの、神々の気配を感じる。―――普通在りえないよ、三柱全てだなんて。理由が無ければこんな事が起こる筈が無い」
 真剣に過ぎる凛音の口調に若干押され気味になりながらも、アウラは首をひねった。黙考してみても理解が追いつかなかったのだ。
 「それで結局―――それは、今の状況とどう繋がるんだ?」
 「解らない? ―――まぁ、解らないよなぁ」
 実物を知るものと知らないものの違いだろうと、凛音は苦笑しながら続ける。

 「剣士殿の存在には神々の思惑が付き纏っている。僕たちのような低次元に存在するような者達には推し量れないような、思惑が。なら、さ。―――そんな思惑に縛られた人間が、こんな所で簡単にくたばる事を認められると思うかい?」
 「それは―――」

 ガイア。
 この星で生きる人間にとって見れば恐るべき敵であろうが、凛音の視点で見れば”ちょっと危険な存在”でしかない。神々などと言う位階の存在からすれば、道端の蟻以下にもならないかもしれないだろう。
 そんなちっぽけな存在に心を壊された程度で、剣士が科せられたその役目を終えるなどと言うことはどう考えたって在りえないというのが凛音の結論だった。

 「神々は剣士殿がリタイアする事を認めないはずだ。恐らくこのまま放っておいてもいずれ何らかの手段で剣士殿は蘇るのだろうけど、生憎と、僕らは僕らの都合で、剣士殿には早めに立ち直ってもらわなければならない。―――さぁ、これで僕らは一箇所だけとは言え、神々と思惑が一致する所が出来た」
 「……まさか」
 得意げな口調で語る凛音の思惑に当たりをつけて、アウラが引き攣ったように声を漏らした。
 「なら、簡単だ。僕らは剣士殿を自力で治す手段は無いけど―――僕らは都合よく、僕らと同様に剣士殿に直ってもらいたいと考えている、そして、剣士殿を直す手段を持っている存在に心当たりが出来た。―――餅は、餅屋」
 軽い笑みを浮かべながら、凛音はくるりと身を反転させる。
 視線が、静かに背後に佇んでいた従者と絡む。理知的な女性だったから、きっと次に凛音が言う言葉も察していたのだろう。
 言う前に、頷いてくれた事が、たまらなく嬉しかった。

 「一つ、神頼みに行こうじゃないか。―――名も無き女神との交信の地、”天地岩”へ」







     ※ 結界工房は(ワウの扱い的な意味でも)後回しっぽい。



[14626] 49-3:アマギリ・ナナダン ・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/11 21:20


 ・Scene 49-3・




 「―――テンチガン?」

 「あ、知らないか。まぁ、僻地と言うかド田舎と言うか、ハヴォニワ西部の山の中だしなぁ」
 「観光目的の人とかも、絶対来ないような場所だもんね」
 聞き覚えの無い言葉に首を捻るラシャラ達とは対照的に、顔を見合わせたハヴォニワの主従は示し合わせたように頷いていた。
 「天地岩って言うのは、私の故郷にある―――ええと、聖域の一種……かな」
 ユキネにとってはあって当然のものらしい、説明に困ったように小首を傾げながら言った。凛音が微笑を浮かべて言葉を引き継ぐ。
 「天を貫くと言う言葉に語弊なしと言うくらいの巨大な岩塊を中心に、周囲に侵入者を排除する結界が張り巡らされていてね。一度だけ視察に赴いた事があるけどあれはちょっと、見ものだよ。観光資源としては―――立地の問題で、イマイチかな」
 山間部の間を走る喫水に近い高高度に位置する、大型船舶が交差する事は不可能な狭い空路しか存在しないからねと、凛音は肩を竦めた。
 「ああ、ひょっとしたら聞き覚えがあるかもしれん。―――今は使われなくなった”女神との交信の地”と呼ばれている場所か?」
 「そう、それ。女神に選ばれた巫女だけが入ることを許された神聖なる結界ってね」
 思い出したように言い出したアウラに、凛音は頷く。それに、ユキネが困った風に微笑みながら言い添えた。
 「―――因みに、今は使われていないって言うのは、単純に巫女として認められた人間が此処数十年の間居ないからなの」
  私も無理だったと、若干自身への情けなさを示す珍しい態度だった。
 「まぁ、神様の判断基準なんて、結構出鱈目だったりするからね。人の考えでは及びつかないゲテモノ好きだったんじゃない?」
 何故か凛音が慰めるような態度だった事を、ラシャラは不思議に思った。
 
 「―――お主、もしやその神聖なる結界とやらの内側に入ったのではあるまいな」

 「え!?」
 ラシャラの言葉に何より驚いていたのはキャイアだった。凛音が頬を引き攣らす。
 「僕が聖域に踏み込めたら、何かおかしいかい?」
 「いや、その……だってアンタ、神聖とか神子とか言う言葉とは、思いっきり程遠いじゃない」
 「だから神様の基準なんだって。―――キャイアさんみたいに、人好きするような性格してなくても問題ないのさこの場合」
 「……何か、引っ掛かりのある言い方するわね」
 ジト目になるキャイアに、凛音は何の事やらと飄々とした態度でいなす。アウラが額に手を当てて難しい顔をしていた。

 「……つまり、口ぶりから言うに、お前は本当に聖域に踏み入ったのだな?」
 「―――あ」
 アウラの言葉に、キャイアは目を丸くした。確かに、言い方からしてその空気はあったと凛音を改めて見ると、彼は笑って頷いた。
 「神様の趣味って解らないよね」
 「いや、ユキネが入れずお主が入れたとあらば、なにやら非常に良く解る話なのじゃが……」
 人間性で言えばどう考えても―――逆立ちをしても凛音がユキネに勝つ事などあり得ないのだから、後は条件を考察するのは簡単すぎた。

 「―――女神の翼か」

 「丁度ホラ、ラシャラちゃんがウチのお城に忍びで遊びに来てた時があったろ? あの夏休みに、ちょっと確認がてら、ね」
 「とすると、二年前か。―――ウム、確かに視察名目で留守にしていた事があったの」
 懐かしいのう等と、当時平和だった頃を思い乱しているのか、妙に年季の入った仕草で頷きながらラシャラは言った。アウラがその横で考え込むように口元に手を当てていた。
 「二年前の夏休みとなると、そうか。―――お前が、女神の翼を」
 「そういうこと、だから、確認にね。自分が本当に特別な人間かどうかなんて―――まぁ、良い所自意識過剰なんだけどもさ」」
 アウラの言葉に、凛音は苦笑を浮かべて頷いた。
 「―――それ、ダグマイアが……」
 キャイアが微妙な顔で呟いていたが、礼儀正しく誰もそれ以上のコメントは避けていた。

 二年前の、夏休み。
 ―――その、少し前の事である。
 諸々の事態の結果として、同級生による予告殺害にまで追い込まれた凛音は、自らの意思のあずかり知らぬ所で、自らの力を発露させて窮地を逸した。
 その力こそが、女神の翼―――即ち、光鷹翼である。

 「そういや、ダグマイア君居ないね」
 ふと思い出したように回りを見渡して言う凛音に、ラシャラがああ、と頷いて応じた。
 「エメラ共々、スワンの客間の一室で療養中じゃぞ」
 「―――療養?」
 「全身打撲―――ついでに亜法酔いと配線がショートした関係から来る火傷じゃな」
 「何したのさ、一体」
 「後でアウラにでも説明してもらうがよい。妾は知っての通り戦場には立っておらぬでな」
 嫌そうな顔の凛音に、ラシャラは投げ出すような言葉を返す。
 凛音は、つまりダグマイアが戦場に立つような碌でもない事態が起きたのかと、アウラに視線を送った。
 アウラは気まずそうな顔で視線を逸らしながら、口を開く。
 「まぁ、色々な。―――それより、話を戻すぞ。つまりお前は、二年前の夏にその聖域とやらに踏み込んで―――……踏み込んで、結局どうなったんだ?」
 「うわ、酷い話の逸らし方だなオイ。―――いいけどさ、どうせ僕は、寝てただけだし。何で間に合わなかった筈のユキネが此処にいるかとかも、ホントのところ全然知らないし」
 「……拗ねてる?」
 「拗ねてません」
 人差し指を頬に当てて尋ねるユキネに、凛音は口を尖らせて反論した。
 アウラと凛音は即座に顔を見合わせて休戦の約定を取り付けた。二人して藪に蛇と言う状況もどうかと思ったのだ。室内の生暖かい空気が痛々しかった。

 「ええと、なんだっけ。―――そう、天地岩ね。僕はその結果居の中に踏み込めた。踏み込めたからといって、別に神の声を聞いたとかは、特に無かったんだけど」
 「なんじゃ、無いのか」
 凛音の言葉に、ラシャラは詰まらなそうに鼻を鳴らせた。
 「うん。でも、解った事が一つある」
 「と言うと?」

 「あの場所からは本当に神の気配が感じられた。聖地よりも濃厚な、超越存在の気配が。言っても解らないと思うけど、天樹の内奥の気配とよく似ていた。―――実際の所、聖地よりもよっぽど”聖地”って呼ぶに相応しいよ、あそこは」

 「フム―――まぁ、実際の所あの聖地は、埋まっていた遺跡がシトレイユ一国の手に負えるものではなかったが故に、協会に委ねて国際共同管理地となったと言うだけの場所じゃしの。正味なところ、”聖地”などと言う名前は、各国の王侯貴族が集うための、箔付けに過ぎん」
 「そんな、見も蓋も無い……」
 主の言葉に、キャイアが冷や汗混じりに苦笑を浮かべる。
 「しかも、奉ってあったのは邪神像じゃしのぅ」
 「いや、アレは奉ってあったとは違うんじゃないか……?」
 「一応、邪神を滅ぼした御神体も一緒に奉ってあったから、宗教的な神殿としての役割は果たしていない事も無いかなぁ」
 言うまでも無く、ガイアと聖機神の事だった。
 「っていうか、あんな直ぐに使える状態に保管しておくとか、やっぱり馬鹿なんじゃないかって思えるんだよな僕的には。喫水外の活火山の火口にでも投げ入れるか、海底に沈めるかとかすれば良かったのに」
 「あわよくば後で平和利用したいとかの下心でもあったのではないか。もしくは、教会の権益を保障する最後の手段としておきたかったとか」
 「近寄るな、危険ってか? 死ぬ死ぬって騒ぎ立てる詐欺じゃないんだから」
 「そこまで露悪的に見ないでも……」
 何か色々鬱屈としたものが溜まっているのだろうか、凛音もラシャラも、教会に対しての発言が全く容赦の欠片も無かった。
 「まぁ、エセ聖地なんか良いさ。どうせ今はただの瓦礫の山だし」
 「それやったの、アンタよね……?」
 「不幸な事故だったよねぇ」
 半眼になるキャイアの視線を軽くかわした後で、凛音は真面目な顔を作った。
 
 「天地岩は、本物なんだ。さっきも言ったけど、正真の神の気配が存在する。あそこを守る結界は、所謂亜法に基づいた人の生み出した理論体系によって成る結界ではなく、神自身が降臨せしめる自らを下界の穢れから守護するために、自らの領域として場を改変した事によって成立した産物だ。―――まぁ、語弊があるかもしれないけど、光鷹翼―――ええと、女神の翼に守られている様な感じをイメージすれば良い」
 「女神の翼か。―――同質の力を有しているが故に、お前は侵入できた、と言うことか?」
 「天地岩の領域も女神の翼による防御も、領域の改変による外界情報の遮断を行っていると言う意味では、基本的には同じと言っても良いからね。ようは、この世界の常識で可能な何がしかの防御力場とかとは違うから、通り抜けるにはその領域限定のルールに則るか、もしくは、領域を更に改竄する力が無いとってね」
 尋ねるアウラに、凛音は少し考えた後で答えた。そのまま、自分の考えに没頭するように何処か遠くに視線を置いたままブツブツと呟きだす。
 「まぁ、二年前の当時は無意識だったんだけどね。―――でも、アレでよく考えたらこの世界の神に僕の存在が知られちゃったって事にもなるんだよなぁ。想定済みとして組み込まれたって事なのか、排除不可能と見て放置してるのか、それとも……」
 「―――何を悩んでいる?」
 「ん? ああ―――まぁ、何ていうか」
 眉根を寄せて問いかけるアウラに、一瞬瞬きした後で、凛音は言葉に詰まった。

 「剣士殿はこの世界の神様にとっても特別な存在なんだ。だから、天地岩へ連れて行って―――上手い事神様とアポイントメントを取れれば、確実に治療してもらえる。それは、間違い無い」
 「フム。それは頼もしき事よな。―――して、ではお主の悩みは何じゃ?」
 「ん……―――そうだな。例えばだけど、どうせ神様に直接頼みごとが出来るんだったら、剣士殿を直す以前に、”ガイアを滅ぼして欲しい”って直接頼めば早いとか、思わない?」
 考えた末に出てきた言葉に、少女たちは絶句した。

 ガイアを滅ぼす。
 全知全能たる神々の力を用いて。
 単純にして確実な方法だろう。ガイアを倒すべきは自分達だという思いが先行し過ぎて、思いつかなかった事が不思議に思えるほどの。
 
 「―――可能なのか?」
 半ば唖然とした口調で問いかけるアウラに、凛音は笑って首を横に振った。
 「勿論、無理」
 「やはりか。しかし、何故。―――神は崇高にして気まぐれな存在、とでも思っておけと?」
 皮肉混じりのラシャラの言葉を、一面では正しいと凛音は頷いて見せた。
 「神様にとっての重要度と、人間にとっての重要度ってのは違うって事だね。ガイアなんてさ、所詮は人間にとっての脅威でしかなくて、神様視点で見れば、ちょっとした害獣以下の存在にしかならないのさ。―――わざわざ、自分で払う必要も無いって思ってるんだろうな」
 「野生の動物どころか、蝿蚊の類か。―――何とも、スケールの大きな事よな」
 「何しろホラ、神様だしね。特に、この星で崇められている神様は、神様社会の中でもトップクラスに偉い人だし」
 やってられないという口調で言うラシャラに、凛音も面倒くさそうに同意を示す。アウラの視線に促されながら、それで、と諦念交じりに続ける。

 「だからさ、そういう意味でも剣士殿は特別なんだわ。彼は神様にとっても必要だからこそ此処に居る。意味を伴って此処に訪れた以上、その意味を成すまでは健常な状態で居なければならない―――健常な状態で居られる筈だったのに、本来存在しない筈のイレギュラーによって、それは破綻した」

 「破綻……いや、それよりイレギュラーって」
 呻くように呟くキャイアに、凛音は暗い瞳で応じる。
 「先に言ったろ? 本来改竄不可能な神の作った領域は、同質の神の力によって改竄が成される。このジェミナーはこのジェミナーに奉られている”実在する本物の神”の庭だ。そして神と言う存在は、傲慢で奢り欲深く、末端の次元に位置するような僕らみたいな存在など、実験室のテーブルの上に置かれたシャーレの中で繁殖する微生物以上の価値など抱きはしない。―――そう、実験だな。神々にしてみれば、シャーレの中の我々は、彼等の望む通りの実験結果を生み出すからこそ存在価値が在る事になる。それなのに、シャーレの中に外から未知の―――神々ですら干渉不可能な存在が訪れて、実験を無茶苦茶にしてしまえば」

 どうする?

 問いかける瞳に、少女たちは釣られるようにそれぞれの言葉を返した。

 「何とか実験を正しい方向へ修正しようと足掻くか……」
 「何とか異物の排除を試みるとか……」
 「―――シャーレを割り、実験を放棄するか」
 
 「今の所、実験は継続中―――かな。ま、神様の尺度ってのは人間の理解を超越しているから、”上から見ると”悩んでいる間のほんの刹那の時間って事なのかもしれないけど」
 「―――なんとも、大げさな話になってきたの」
 困った風に笑う凛音に、圧倒されそうな自分を振り払うように、ラシャラはあえて呑気な口調で言った。
 「まぁそんな訳で、必要なファクターとしてシャーレの中に放り込まれた剣士殿と違って、予期せぬ異物に過ぎない―――しかも意思を持って神々の思惑から外れていく―――存在である僕本人としては、ちょっとした不安を覚えている訳さ」
 「不安……」
 ユキネがかみ締めるように呟く。

 「神様ってのはさ、ホント自分の都合で好き勝手に事象改変とかやっちゃうからね。此処でこうして皆して泥臭く頑張ってるのが、あっさり無かった事にされたりしたら、さ。―――無かった事になってしまえば、本当に無かった事になるから、誰も痛みを感じる事は無いんだ。差し引きゼロ。いや、失敗を糧に今度は上手くやるからって事もあるから、プラスといっても良いかも知れない。普通に生きられるのなら。―――そう、普通に生きられるのなら、何も気づく筈は無いのだから」

 しかし、凛音は気付ける。気付いてしまう。
 身の内に宿す―――今やそれこそが自分自身である皇家の樹としての力、頂神の系譜であるが故に、三次元世界の事象改変程度ならば用意に知覚することが可能だ。

 「天地岩に行かずに済ますわけには、いかないの?」
 「むしろ行かないで不安を放置しておく方が怖いかな。いっそ直接お伺いを立てて、居留権―――って言うのもどうかと思うけど、とにかく、存在を認めてもらった方が安心できる」
 苦い口調で尋ねるユキネに、凛音は微苦笑交じりに肩を竦める。話しても混乱するだけの話題だったと解っていたのに口に出してしまった自分の弱さを、恥じていた。

 曖昧な表情で会話を終わらせようとする凛音に、誰もがかける言葉を見つけられなかった。
 それこそ、ものの尺度が違いすぎて、判断が追いついてこないのだ。
 例え神々とやらにどんな思惑があろうとも、彼女たちにとってはガイアとは正しく脅威であり、その排除のためには命をかけなければならない事だった。

 「―――例えこの世界の神とやらが、お前を不要だと言ったとしても、私にはお前は必要だよ」

 言葉の重さと熱量に反して、アウラの顔は苦渋に染まっていた。言える言葉の陳腐さに、自分が情けないと思えていたのだ。

 「それは、嬉しいね」

 凛音はしかし、深みのある微笑で応じた。
 その短い言葉に、ユキネは感じる事が在ったらしい。そっと、凛音の手を取りながら言い聞かせるように言った。
 「私―――アウラ様、だけじゃないよ。皆にとって、貴方はもう、居なくてはならない人だと思う。私たちの言葉を嬉しいと思ってくれるなら、尚更。」
 宥めるようなユキネの言葉に続いて、ラシャラが、一つ嘆息した後で言った。
 「そうじゃの。それこそ此処まで好き勝手に場を荒らしておいて、何を今更といった所じゃ。いい加減、お主は事ある毎にグチグチと詮無き事に思いを馳せていないで、覚悟を決めるべきじゃ」
 そこまで言って一旦凛音より視線を外し、ラシャラは剣士をいとおしげに見つめた。
 そして、困った風に―――諦念の混じった笑みを浮かべた後で、再び凛音に向かい合う。

 「お主は何時だか言った。これは剣士が主役の物語。異世界の聖機師の物語じゃと。だがもう、違う。今はお主の―――異世界の竜機師の物語じゃ。お主は主役として覚悟を決めて、この物語をハッピーエンドに導く責任がある。神々とやらがそれを認めないというのであれば、お主は主役たる自らと、その脇を固める演者たちのためにも、この物語の舞台を守らねばなるまい」

 「―――また厳しいこと言うね。ガイアだけでさえ、厄介だってのに」
 「おぬしが持ち込んだ話じゃろ。そのくらいの甲斐性みせんか」
 苦笑を浮かべる凛音を、ラシャラは蹴り飛ばすような口調で切って捨てた。
 凛音は勝ち気な少女の言葉に、やれやれと首を横に振る。
 「大体、主役扱いする割には、それこそキミ等が皆して図って、人を脇に追いやってくれたんじゃないか」
 お陰で因果論的な意味での修正力が働いたのかもとか、要らない心配を抱いたんだ―――などと、またぞろ、グチグチと呟きだす凛音に、少女たちは皆、困った風に顔を見合わせて笑った。
 
 ―――結局それから代表して、彼の手を取ったままだったユキネがたずねることになる。

 「―――拗ねてる?」

 「拗ねてません」

 やることは一杯あるのだからと、付け加えて。







     ※ ちょっとメタっぽい話。
       ……と言うかぶっちゃけると、そろそろ出るものが出てくるので前フリ的な要素が強い感じでしょうか。



[14626] 49-4:アマギリ・ナナダン ・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/12 22:00


 ・Scene 49-4・


 

 「―――思えば、こういう状況も久しぶりか?」

 「三日とおかずに人の寝室に忍び込んでいる人が言う台詞じゃないね」
 「いや、そうではなくてだな」
 夜。スワンの宮殿内にある客間の一室において、例によって例の如く、凛音とアウラはテーブルを挟んで向かい合っていた。
 因みに、アウラが持ち込んだ酒精類は丁重に冷蔵庫の中に封印される運びとなっていた。

 「凛君、アウラ様、―――それから、私。リチア様が居れば、ちょっと前の生徒会室だね」

 ―――今晩は、保護者の監視の目が存在していたのである。
 丸いテーブルを囲って丁度二等辺三角形の頂点の位置に座る形となっていたユキネの言葉に、なるほどと凛音は頷いた。
 「そういえば、そうか。闇黒生徒会再び―――ラピスさんのお茶が、懐かしくなってくるね」
 自身、手ずから入れたハーブティーを啜りながら呑気な言葉を吐く凛音に、アウラは呆れたように嘆息した。
 「お前、そこはリチアの事を懐かしんでやる場面じゃないのか? と言うか、連絡くらいしてやれ」」
 「―――凛君、”また”連絡してないの? そうやって、苦手な事を後回しばかりするのって良くないよ」
 マリア様みたいに拗ねちゃうよと、ユキネが何気に主君に対して失礼な事を言いながら嗜める。
 「いや、流石に三ヶ月放置とかはして無いけど。と言うか、三日前に通信したばっかりなような」
 「……リチア様には連絡したのに、マリア様たちには連絡は取らないのね」
 「家族とは心で通じ合ってるとかそんな感じの言い訳でお願いします」
 口をとがらせ気味のユキネから視線を逸らしつつ、凛音は冷や汗を流しながら言った。
 実際、予期せぬトラブルによって通信が繋がってしまわなければ、自分からマリア達に連絡を取ろうと言う意識がゼロだったから、迂闊な反論も出来なかった。

 「と言うか、一騒動終わった後なのだから、報告くらいしてやったらどうだ。―――後で会った時に、等と考えているなら、リチアの頭痛の元が増えるだけだから止めた方がいい」
 「―――それ、アウラさんが言うの?」
 苦笑交じりに言ったアウラに、凛音はしかめっ面で応じた。
 「何?」
 「あのさぁ、リチアさんに諸々の事態を報告するって事は、”貴女の親友と婚約する事になりました”とか説明する事になるんだよ? ねぇ、婚約者さん」
 「―――ああ」
 気まずそうな声で漏らしながら、アウラは頷いた。
 ユキネは無言のままお茶を啜っている。その静かな態度が、逆に空気に緊張感を持たせていた。
 アウラは暫し無言で眉根を寄せていたあとで、言った。

 「―――やはり、拙いか?」
 
 周りの影響などを気にせずに、個人的な気分で事を進めてしまった事でもあるので、アウラとしては何とも言い難い話題だったのである。
 と言うよりも、深く真面目に考えてしまうと、色々な意味でドツボにはまりそうな問題だったため、無意識に考える事を避けてきたとも言える。
 因みにそれは、凛音も同様だった。ただし、彼の場合はかなり自覚的な部分があったため、意図的に避けていたと知られてしまえば、人として最低の部類に分類されてしまうだろうが。
 「そりゃあ、ねぇ……」
 ついでに言えば得意な方面の内容ではないため聞かれても直ぐに答えは思い浮かばない。
 個人の感情の機微というものに関して疎いのはアウラも同じであるため、話している内容の青臭さに反して、場の空気は如何ともし難い間抜けな気分が漂っていた。
 「拙いといえば、拙い……のかなぁ」

 「拙い」

 唐突に、鋭く。横合いからユキネが口を挟んだ。
 アウラが思い切り口に運んでいたハーブティーを噴出す。凛音は思いっきりオーバーアクションで叫んだ。
 「姉さん、そんなはっきり言わないでくれ!」
 「因みにマリア様はご立腹」
 「ホントやめて、背中が怖くなるから!!」
 すまし顔で空恐ろしい未来を淡々と呟くユキネを横目にしながら、アウラは思った。

 実はこの人はこの人で、凛音の連絡が滞ってた現実に怒ってたりするんじゃなかろうかと。
 思い返してみれば、甘木凛音と言う男がハヴォニワに現れてから今まで、一番近い位置で常に共に居たのはユキネなのだから。

 「―――どうかした?」
 「……いいえ」
 いつの間にか顔を向けられていたユキネから、アウラは視線を逸らして呟いた。
 余り深く考えない方が良い話題らしい。なにしろ、藪を突付いたら出てくるのは蛇どころじゃすまないのは目に見えていたから。
 
 「でも実際、リチアさんはさて置き、フローラ様たちにはお伺いを立てないと拙いかなぁ」
 
 「リチアはさて置き、と言うところが色々と突っ込みたい所だが、まぁ、私は何も知らんし聞いていないとあえて言わせてもらおう。―――何故フローラ女王だけ?」
 「いやさ、ホラ。天地岩へ行くには、ハヴォニワ西部を抑えているシトレイユ侵攻軍を散らかさないといけないからね」
 言われた事の八割方は聞かなかった事にして、凛音は端的に答えた。アウラは難しい顔で頷く。
 
 「天地岩、な」

 「疑り深い声してるね」
 「―――実際、どうなんだ? どれだけ聞いても、今ひとつ要領が得ないのだが」
 苦笑交じりに尋ねる凛音に、アウラは眉根を寄せつつ返した。ユキネも横で頷いている。
 「まぁ、実在する神の存在を見た事が無いとなると、そんな反応が普通か。皆、微妙に納得してない感じだったもんね」
 「その物言いだと、お前は見た事があるとでも言う訳か」
 「と言うか、ある意味僕そのものが―――なんて、どうでも良いか。宇宙は広いからね。居る所には神様ってのも居るものさ」
 仕方ないとばかりに、凛音は肩を竦める。
 「まぁ、それに関しては見てのお楽しみって事で」
 「神の実在を目撃して楽しもうなどと考えていたら、神罰でも喰らいそうだが」
 やりきれない気分で吐き出すアウラの言葉に、凛音は天井を見上げて呟いた。

 「罰を喰らうのなんて、多分僕だけさ」

 「……罰?」
 不思議そうな顔で尋ねるユキネに、微苦笑を返す。
 「奉仕労働くらいで勘弁してくれれば、ありがたいけど」
 「と言うと?」
 「剣士殿の代理でガイア退治で相殺、何て感じでどうだろね」
 「世の大事も、お前からすれば結局は瑣末ごとか」
 どう、と尋ねられても呆れるしかないと、アウラは諦念を込めたため息を吐いた。凛音は、心外だと言う風に肩を竦めて続ける。
 「いやぁ、そうでもないよ? 絶対に回避不能な避けられない強制イベント程度には重大事さ」
 「―――それ、避けられるなら絶対避ける程度の大事って事になるよね?」
 「それは言わないお約束ですよ、姉さん。実際問題、ガイアのコアユニットも、再発掘されちゃったみたいだし、そろそろイベント発生も待ったなしって感じだからね」
 ああ嫌だ面倒くさいと、凛音は眉根を寄せて吐き捨てる。

 「一撃放っただけで逃げてくれたのは幸いだったな。理由は解らないが」
 王都での戦いの最後の一幕―――放たれたガイアの粒子砲の威力を思い出して、アウラは身震いするように言った。
 「聞き伝の人間の意見になるけど、多分、ユライトがガイアの亜法波に耐え切れなかったんじゃないの? 剣士殿を簡単に放り出した事と言い、やっぱ、身体も含めて本物の人造人間じゃないと扱えない代物なんでしょ」
 「そうなると、やはり最後の一手でしてやられたと言った所か。メザイア先生の確保さえ出来ていれば、今頃勝負はこちらの勝ちだったと言うのに」
 「それはそれで、オッサンをマジにさせるだけなんじゃないかな」
 悔しそうに言うアウラに、凛音は否定の言葉を述べる。疑問の視線を浮かべるユキネに対して説明を行った。
 「メザイアにガイアのコアに鉄屑―――修復中の聖機人。手元に三枚とも必要なカードが揃ってるから、オッサン安心してこっちの行動をお目こぼししてくれてるんだから。此処でメザイアを掠め取るなんて機嫌を損ねるような真似したら、直ぐにでも西と東からシトレイユ軍が突貫してくると思うよ。―――ついでに、ガイアのコアユニット装備したユライトの聖機人も」
 「―――でも、それだともう、ガイアの復活は完全になっちゃうって事にならない? 聖機神の修復だって、何時までも掛かるものじゃないでしょう?」
 「楽観視はしない方が良いってレベルで、ハイと頷くしかないかな」
 「―――と言うと?」
 「聖機神の修復が既に終わっているのなら、それこそこんな呑気にしてないでとっとと攻めてくるはずなんですよね。一々コアユニットだけ持ち出してくるなんて盗難の危険を考えれば怖くて出来ない。でも実際コアユニットを唯の聖機人に持たせて使っているんだから、まだ聖機神の修復が完了して無いってことなんですよ」
 首を捻るアウラに、凛音は楽観視はするべきじゃないけどと繰り返しながら言った。
 「後はついでに、僕の手駒に指示を出して、聖地大地下深度にある遺跡の施設を稼動させている亜法結界炉に対して外部からの妨害工作を指示してますけど―――あれも役に立つかどうか」
 「外部から妨害って……一体どうやって」
 「稼動中の先史文明の遺跡を有しているのは、オッサンだけじゃないって事さ」
 「―――ひょっとして、ワウ?」
 自信たっぷりにアウラの疑問に答える凛音に、ユキネは一人の少女の名前を出して尋ねた。
 
 数日前、ハヴォニワ王城を脱出して、空中宮殿オディールでもって逃亡生活を送っていた時に、偶然航路上ですれ違った聖機人に乗っていたのが、現在絶対不可侵の隔離結界を展開中の結界工房を目指して飛行中だったワウアンリーであった。
 オディールに招待という名の拉致監禁しておいたのだが、ユキネがこのシュリフォンへと移動を開始すると時を同じくして、どうやら逃亡したらしい。
 長距離飛行ユニットで飛び立つ背後で、砲撃音が聞こえていたから間違いないだろう。

 「結界工房の隔離結界は、結界工房所属の聖機工以外の侵入を拒むからね。―――今後のためもあるし、上手く中に渡りをつけてくれれば良いんだけど」
 大丈夫かねと、揶揄するような物言いの癖に、その顔は個人をさして心配していると言うのがはっきりと見て取れた。
 アウラの目が細まった。
 「―――実は、お前他人が見てないところでワウとは定期的に連絡を取り合ってるだろう?」
 「そんなプライベートに使うような暇な時間は無いって」
 ユキネがジト目に変わる。
 「ワウとは、仕事の付き合いとか言わない?」
 「……黙秘権を行使しようかな」
 少女二人の追及の視線を、凛音は微妙に頬を引き攣らせつつも避ける。
 
 「話を大分戻すけど、その辺の妨害工作の件も含めて、一度フローラ様と連絡を取る必要がある」
 「妨害……いや、待て。ハヴォニワの防衛網通過のための算段を整えるための連絡の筈だろう? 今はお隠れになっていらっしゃる筈のフローラ様に、一体何を」
 ハヴォニワ国内から聖地へと繋がる道は、現在全てシトレイユ侵攻軍に抑えられている。そして東部のどの辺りかは知れぬが、潜伏中のフローラに聖地に対して妨害工作をかけろと言うのは中々無茶な話だと思うのも当然だった。
 しかし、アウラの尤もな疑問にも、凛音はあっさりと言い切った。

 「反応弾。持ってるみたいだから撃ってもらおうかなーって」

 「反応段と言うと……アレか」
 聖地を文字通り灰燼へと変えた凄まじい威力を誇る大量破壊兵器。何処か空想の産物とすら思えるガイアの脅威よりもよほど、あの黒ずんだきのこ雲を思い出せば現実的な脅威に見えてくるほどだった。 
 「危ないと思って凛君の工房から真っ先に運び出しておいたんだけど……使うの?」
 ユキネの声も、若干硬いものに変わっていた。こちらは、事前に凛音から理論に関しての説明を受けていたが故に、その危険性に恐れを覚えていたのだ。
 「ま、丁度長距離飛行ユニットはワウのお陰で完成したみたいだし、高高度からの爆撃で一つ派手に吹き飛ばしておこうかなって」
 「聖地を吹き飛ばしておこうなどと―――実際今更な事だろうが、それこそそんな事をしたら、ガイアは本気にならないか?」
 「いやぁ、どうせ大地下深度の遺跡はシールドされてるだろうから破壊できないだろうし、笑って見逃される程度だと思うよ」
 「……では、何のためにやるんだ」
 遠まわしに求めた意見の撤回を、身も蓋も無い言葉で根底から覆されれば、アウラの口調も厳しいものになる。
 しかし凛音は相変わらず、気楽な風に言った。
 「例えオッサンが笑っていてもさ、巻き添え食らったシトレイユの軍からすれば恐ろしい話さ。ぶっちゃけ、亜法のクリーンなエネルギーによる破壊しか行わないガイアなんかよりもよっぽど、反応弾の齎す破壊の光景は人に本能的な恐怖と嫌悪を沸き立たせるものだからね」
 丁度、今のアウラさんみたいにと、厭な笑いを浮かべながら凛音は続ける。
 「最終的には―――此処でまたフローラ様に繋がるんだけども、ハヴォニワとシュリフォン双方からシトレイユ軍を押しつぶして、聖地を南北の両関所から挟み撃ちにする形を取ることになるだろうし、次は自分たちの上にコワイ爆弾が降ってくるって怯えててくれた方が、こっちは戦争がやりやすいさ。―――唯でさえ、負けてる状態からのスタートなんだし、多少の無茶には目をつぶって欲しいね」
 最後だけ、頭を下げる風に凛音は言い添えた。
 二人の少女は、演技だなと見て悟った。どうせ止めてもやる時はやる男だとはっきりと理解していた。

 「―――そう言う訳なんで、明日には早速フローラ様と連絡取らないと拙いか」
 大変そうだなと天を仰ぐ凛音に、アウラは苦笑を浮かべた。
 「お前が頼むのだから、フローラ女王ならあっさりと受け入れてくれそうなものだが」
 「どうだか。その辺、政が絡めばシビアな人だよ、あの人も。血の繋がりも男女の情も、必要とあらば切って捨てられるからこそ、あの若さで一国を切り盛り出来ていたんだから」
 「男女の情って、自分で言うか」
 「言わない理由が見つからないって―――よく考えたら、婚約者の前で母親と男女の情が云々、なんて言う物じゃなかったか」
 微苦笑交じりに言う凛音に、アウラは呆れたようにため息を吐くだけだった。

 「―――あ」

 そして、ユキネが唐突に一つ声を漏らした。
 今の二人の会話で何かを思い出したというのか、目を丸くして、口元を押さえている。
 「―――ユキネ?」
 「伝え忘れてた事があった……」
 凛音の問いかけに、ユキネは、非常に気まずそうに呟く。
 狼狽の感情を顕にする、珍しい態度に、アウラも凛音も戸惑った。
 
 「二人の、婚約だけど」

 やがて躊躇いがちに、ユキネはそう切り出した。
 
 「駄目になるかも―――ううん、駄目になってると思う」

 「駄目に―――」
 「”なってる”?」
 反対意見が出た、どころでは済まない様な言い回しに、二人は顔を見合わせて首を捻った。
 形式的な部分が多分に締め、結果としてそれが多方面に対して都合が良いだろうという了解があったから、反対意見があったとしても封殺されるだろうと言う意見で一致していたのだ。

 どういう事かと問いかける視線に、ユキネは一つゆっくりと深呼吸した後で、言った。

 「アマギリ・ナナダン王子は、聖地での決戦の怪我が祟って既に死亡してしまったから」







    ※ と言うわけで、180話近く主人公を勤めてくださった殿下が、真に残念ながらお亡くなりになりました。
      次回からは新主人公で……と言うか、シュリフォンに入った段階からもう変わってましたが。

      冗談はさて置き。気付くと180ですよ、180。半年おなじSS書き続けるとか、流石に予想してなかったなぁ。
      まぁ何とか200話辺りには―――と考えているんですが、何かオーバーしそうな気配が……。
      因みに今回辺りから、徐々に締めの展開へと入っていく感じです。何事も、終わらせるのが一番難しいと言いますし、
     無事にゴールを迎えられるよう頑張りたい所です。



[14626] 49-5:アマギリ・ナナダン ・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/13 22:15


 ・Scene 49-5・




 「今回は災難だったなアマギリ王子……いや、甘木凛音殿と呼ぶべきか?」

 「今回ってのが何処から何処までを指しているのか今ひとつ判断に悩みますけど、まぁ、概ね何時もの事ですよ。思った通りに行かないのは」
 「それはまた、達観していると言うべきか、悪い老成の仕方をしていると言うか」
 歳若い少年の手にしたグラスに果実酒を注いでやりながら、シュリフォン王は苦笑いを浮かべた。
 少年は、何処までもやる気の感じられない態度で肩を竦める。一国の国主と向かい合っているとはとても思えない、だらしない態度であった。
 「娘にも娘なりの言い分が在った訳だろうからな。余り怒らないでやってくれ」
 「どっちかと言うと、アレだけ大見得切っておいてあっさり熨されてダウンしている僕が怒られる場面の気がしますけど」
 
 「……結果が、ああだったからかね?」

 並々と果実酒が注がれた杯を口元に運びながら、投げやりに言う少年に、シュリフォン王は目を細めて尋ねた。
 少年は、グラスを口元に当てたまま動きを止め、暫し瞠目した後で言った。
 「ガイアのコアユニットが既に再発掘されていた、と言うのは流石に予想し切れませんでしたが故。人的被害は予測どおりだったのはさて置いて、物的被害があれほどになるとは。些か見積もりが甘かったですかね」
 「慰める積もりは微塵も無いが、仕方があるまいと言う他あるまい。一撃で中隊規模の聖機人と―――それを操る歴戦の聖機師達が、”消滅”。塵一つ残さずに、王宮の四半分事吹き飛んだわ。失われた聖機人は当然修理など出来ぬし、骨も残さず消えた我が勇士達もまた、二度と帰ってくることは無い。―――こんな状況を予想せよと言うほうが無茶であろう」
 深い溜め息とともに重い口調でシュリフォン王は言った。居なくなった者達の事を、悼んでいるかのような遠い目をしている。
 「一応僕は、一度喰らって身に染みてるんですがね。警戒程度なら出来ていた筈なんですが、怠ったのは矢張り怠惰と言うヤツでしょうよ。ガイア本体―――ババルンですけど、アレが自在に瞬間移動出来る様子からして、ガイアのコアユニットのほうも自在に好きな場所へと転位できる可能性なんかも、当然予想できたはずなんですから」
 少年は自嘲気味に笑って言う。
 そうしないととてもではないが動けない、と言うのは在ったが、些か悪条件を放棄して物事を組み立てすぎたと言うのは、悔やんでも悔やみきれない失態だったのだ。
  
 「だが、それもキミが居たのならば防げた―――だろう?」

 硝子の杯をきつく握り締めて眦を寄せる少年に、シュリフォン王は苦い笑みをかけた。
 「あの子がキミを差し置こうなどと考えなければ、例えどれほどの危機的状況が発生しようとも、キミの力で少なくとも人的被害は最小限に抑えられた」
 「お宅の娘さんも責任感の強い女性でしたからね。ああいう手段に出る事は予想できて然るべきだったんですよ、僕は。―――それなりにお互い、長い付き合いのつもりだったんですから」
 何も解っていなかったのかと、だらりと背もたれに身体を押し付けながら言う少年に、シュリフォン王は唇の端を吊り上げる。
 
 「―――夜を共に寝室で過すような関係だったから、か?」

 「睦言くらい交わせたのなら、本音が聞けたのかもしれませんがね」
 「それは、父親の前で言う台詞ではあるまい」
 漸くといった風に微苦笑を浮かべた少年と同様に、シュリフォン王も笑みを作って冗談交じりの言葉を返す。
 間接的に、少年が娘に対して指一本触れていないことを宣誓しているようなものだった事に、安堵を覚えると共に、若干の不満を覚えた事が、自分でもおかしかった。
 少年は、曖昧な形に歪んだ口元に、シュリフォン王が何を思っていたのか正確に見て取ったらしい。茶目っ気のある笑みを浮かべて言う。
 「―――ああ、娘さんは充分に魅力的な方ですよ。確実に僕の手には余りますが」
 「喜べばいいのやら、嘆けばいいのやら、だなその言葉は。―――言ってみればそれは、その程度の言葉を平然といえる程度には、キミは私の娘と親しい間柄と言うことになってしまう」
 「それこそ、夜に共に寝室で過すような関係ではありますから。―――先日も、今のようにこうやって向かい合って昼間から酒を飲んでいました」
 唇の端を引き攣らせるシュリフォン王の言葉を軽くいなしながら、少年は窓の向こうの青空を見上げた。

 シュリフォンの王城。
 天守の一角にあるシュリフォン王の私室の一つ。窓の向こうのバルコニー越しに見える、破壊の爪あとの色濃く残る王都を見るともなしに見る。
 尤もにぎわうであろう王城から続く中央の大通りから幾本か逸れた居住区の大筋。中央通りと水平に並ぶその道が、両脇の細い小道も併せて二区画分近く―――抉られ、土砂の山へと成り果てていた。
 ガイアの大出力の粒子砲の威力の凄まじさを物語っている光景と言える。
 しかし、その見るにおぞましい景観の中にも、既に復旧せんが為の手が入り始めているのだから、人間と言うのは逞しいものだと思わされた。

 「悔やみすぎず、さりとて、投げ出すのは論外―――と言った所でしょうか」
 「そうだな。一つの結果として既に成立してしまった事に、何時までも囚われているのは良くない。特に、生き残った我等のような立場のものは、事後の方策を建てる為にも誰よりも働き続けねばならん」
 ポツリと、自分に言い聞かせるように呟いた少年に、シュリフォン王も深く頷く。

 「……とは言え、僕はもう、王子様廃業なんですけどね」
 
 「フローラ女王も思い切りの良い事だな。私が女王の立場であれば、キミを手放すのは些か惜しくあるだろう」
 「光栄の至り、ですね。―――ああ、そんな訳ですので、僕のことは凛音とおよび下さい。甘木は家名ですし」
 シニカルな笑みを見せる凛音に、シュリフォン王は深く頷いて答えた。
 「フム。では、凛音殿と呼ばせてもらおうか。―――しかし、このタイミングでのキミの”死亡”の発表。正しく我等シュリフォンにとっては空手形を切らされた、といった所かな?」
 「一応手元で囲っている人間が、皆この後も付いて来てくれるらしいので、先日の約束の件に関しては、その筋を利用してハヴォニワ本国と交渉、実行させる予定です。―――まぁ、確約できる訳ではないですから、本当に空手形になってしまいますが。それをお認めにならない、と言うのであれば僕の有する幾つかの先進技術の割譲で手を打ってもらいたいのですが」
 そちらは直ぐに用意できますからと、凛音は言う。

 尤も、それは口調の軽さに反して、実際は苦渋の決断だったりするが。
 先進的―――と言うか、技術体系が全く違う世界から持ち込んだ技術なので、迂闊に広めすぎて、自身の管理できなくなるような状態になっても困るなと思っていた。
 
 「どちらも要らんよ。既に言ったと思うが、私はただ、娘の願いを聞き入れただけに過ぎない。―――そもそも、公的には此処に存在しない事になってしまったキミとの約束など、最早無効だろう」
 異世界人・甘木凛音は、教会の保有する遺跡の一角で召喚されたばかりなのだからと、シュリフォン王はニヤリと笑いながら言った。
 凛音はそれを聞いて、当然に憮然とした表情に成る。
 「勝手に人を、教会所有なんかにしないで欲しかったんですけどね……」
 「それこそ仕方あるまい。対ガイア戦において、恐らくは最高戦力として用いられるであろうキミがハヴォニワの王子のままとあっては、戦後国際社会において彼の国の力が強力となりすぎる。最早キミは、一国の所有で居られる立場では無いだろうよ」
 「こうして表舞台に立てとか言われる立場になると、親の脛の有り難味ってのが解りますよねぇ……」
 好き勝手やってきたツケが回ってきたのかもと、諦念交じりに凛音は天を仰いだ。


 ”アマギリ・ナナダン王子死亡”。


 ガイア出現、聖地占領事件に於いて、その残された聖地学院の生徒たちの救出作戦の陣頭指揮を取っていたアマギリ王子は、自ら特殊部隊を率いて聖地内に侵入、人質となっていた生徒たち全てを無事に救出することに成功した。
 発生した犠牲は、唯一つ。
 アマギリ王子当人の、作戦中に負った怪我の悪化による死亡と言う結果のみである。
 聖地での救出作戦と同時期に、王宮を強襲されて逃亡を余儀なくされていたハヴォニワの女王フローラは、後日知った息子の死に涙を流し、そして怒りを覚えたのだ。

 ガイア、許すまじ。

 王都を焼かれ国土をあらされ、更には王家の血すら流させたとあっては、最早捨て置くことなど不可能。
 かくなる上はハヴォニワ全戦力を用いて直ちに国土を荒らす賊軍を駆逐し、聖地に立て篭もる怨敵ガイアへ向けて侵攻すべし。

 まだ侵攻を受けていない東部天領に仮の玉座を設け、内外に健在を示したフローラ女王は、賊軍をたたき返した後は外征よりも国内の安定こそが第一と述べる貴族たちを一喝し、ハヴォニワ全国民に対してそう宣言した。

 「―――まぁ、ようするに、総力戦の出汁にされた訳ですよね、僕。そうでもしなければ、都市ごとに独自性の強すぎるハヴォニワの国論を一まとめになんて、出来なかったんでしょうけど」
 「此処で対ガイア戦に参加しなければ、不利益を被るとフローラ女王は見たわけだな?」
 「ええ。王族の聖機師の種なんて、迂闊に売り歩くことも出来ませんから実際はそれほど利益も出ないでしょうし、それならいっそ、使えるときに景気よく使い切って、後々の利益を考えた方がマシだったのでしょう。何しろ、ガイアさえ滅ぼせば後は各国によるシトレイユの切り取り合戦が待っていますから。声高に対ガイアを唱えて戦線の主導権を握れば、その時有利になる―――そんな感じですかね」
 探るようなシュリフォン王の言葉に、凛音はいっそ正直すぎるほどのハヴォニワ側の意見を答えた。
 内に秘めておくべき類の言葉だろうにと、言われたシュリフォン王のほうが落ち着かない気分になる。
 「……そうも正直に、良いのかね?」
 「だって僕、もうハヴォニワの人間じゃありませんし」
 だから、多少ハヴォニワに不利益が掛かった所で、知らんと凛音は言い切った。その後で微苦笑を浮かべる。
 「ついでに言えば、僕の死亡云々の話は、僕がまた別の形で表舞台に立つ以上、内実を知ってしまえる人が多数でしょうからね。あの人もそこまで阿漕なことはしないと思いますよ。―――むしろ、駒一つを献上したのだから、その分くらいは譲れ、程度の気持ちじゃないですか?」
 「キミを見つけて表舞台に押し上げたのは、フローラ女王だからな。占有権を手放すとあらば、他国も一定の譲歩をしようと思うか。なるほどな。―――それにしても、キミはあの女王の事を、矢張りよく理解しているのだな」
 余り自身の好みではない類の話に嫌気がさしたのか、些か冗談めかしてシュリフォン王が問いかけた。
 凛音は軽く肩を竦めて頷いてみせる。

 「そりゃあ、寝室で夜を共に過す様な間柄ですので」

 「……私は、何も聞いていない」
 凛音の放った言葉の意味をかみ締めた後で、シュリフォン王は思い口調で呟いた。シリアスに過ぎる顔が、いっそシュールな空気を生み出していた。
 「自分で言うのもなんですけど、割と有名な話だと思いますよ」
 「―――あっさりとフローラ女王がキミを手放すことを決意したのは、その、つまりその辺りの件も考慮したうえで、と言うことかな?」
 シュリフォン王らしからぬ曖昧な物言いに、凛音は微苦笑を返す。
 「さて、僕には何とも。―――自意識過剰と取られるのも、恥ずかしいですし」
 「閨を同じくした女の事柄に、その答えは些か無責任といわないか?」
 「いや、昼間っから真面目な顔して公称母親との関係を語るのも拙いでしょう」
 果実酒の杯を傾けながらの会話であったからか、人払いをして男同士二人での会話であったからか、その内容は些か下世話なものになりかかっていた。
 
 「キミが取り替え引替え女性を連れまわして歩くのを好む性質だというのは、娘から聞いているがな。―――無論、同じ男として、そう言った事を好む気分も解らないではないが」
 「いや、解らなくて良いですから。―――と言うかそれ、娘さんの高尚なジョークってヤツですから、とっとと忘れてください」
 「だが、キミも異世界人と言う立場で表舞台に立つ以上、今後はその辺りのことには少し気を使うべきだろうな」
 「聞けよ!」
 倍近く歳の離れた中年に、凛音は思いっきり突っ込む。無論、酔いが回り始めた男が人の話を聞くはずもなかったが。
 「聞いているとは思うが、キミは今後、ガイアを脅威と見て教会の手によって召喚された”救世の異世界人”甘木凛音として、対ガイア国際連合軍を率いる立場となる。―――男性聖機師、異世界人、加えて見事ガイア打倒を果たせたとあらば、輝かしき武功も添えられることとなる。それがどういう結果を生むかは、当然」
 「種付け相手には困らなそうで何よりでしょうね、それは」
 シュリフォン王の言葉を、凛音は面倒そうに切って捨てた。
 意識的に考えないようにしている類の話題を降られて、気分を損ねたらしい少年に、シュリフォン王は困った風に笑って続けた。
 「そう邪険にするものでも在るまい。王家王族の淑女達からも、縁談の誘いも出よう」
 「それこそ、充分に魅力的だけど、確実に僕の手には負えない女性ばかりと縁が出来そうで、お先真っ暗と言う気分にしか」

 どの道、苦労するであろう未来は変わらないじゃないかと嘆息する凛音を、シュリフォン王は楽しそうに笑って応じた。
 






     ※ 居酒屋トーク。
       こういう男同士で馬鹿話ってノリは好きなんですけど、如何せんこの原作、男性キャラが少なすぎる。
       ―――数少ない男性キャラがアレだしなぁ。
  



[14626] 49-6:アマギリ・ナナダン ・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/14 22:04


 ・Scene 49-6・



 「さて皆様、”はじめまして”。甘木凛音です」

 スワンの食堂に集った一同を前に、宣言する凛音。席は上座に一番近い長テーブルの一角である。
 因みに上座は空白。本来ならば艦首であるラシャラが座るべきなのだろうが、アウラが何気なく凛音の向かいに座ってしまった段階で、生徒会会議の席順を思い起こさせてしまったため、席順は自然、それに近い物となった。アウラの隣にラシャラは腰掛け、その向かいに―――これは、従者の気分だからだろう、凛音の傍に控えると言う意味でユキネが座る。これまた従者としてラシャラの隣に座る形となったキャイアだけが、対面に座するものがおらず、あぶれる様な形となった。
 尚、ダグマイアとエメラは共に、先日の戦闘中に受けた怪我により休養中で此処に居ない。
 仮に健康体だったとしても、共に夕食を取ろうと言う気は起きなかったのだろうが。

 「遠い異世界から、最近召喚されてきたばかりで右も左も解らぬような僕ですが―――えー……っと、アレだ。誠心誠意正義のために戦い抜く所存とかそんな感じなんで、まぁ、宜しくお願いします」

 本人ですら自覚しているくらいの、余りにも白々しい凛音の態度を前に、少女たちは一瞬顔を見合わせる。
 「とりあえず一つ良いか?」
 代表して、アウラが手を上げた。
 「何?」
 「酒臭いぞお前」
 「それはキミの親父さんの絡み酒のせいです」
 時刻は既に夕食時である。昼間から飲み始め、夕刻過ぎまで男二人で飲み明かしていたのだから、大概だろう。
 「お主、最近酒飲むか寝てるかばかりではないか? 若い身空でその怠惰はどうかと思うのじゃが……」
 「半分キミ等のせいだけどな、それ」
 特に、酒が入ることに関してはと、食前酒を口に運びながらラシャラに返す。
 「時間があまり無いってのに、オッサンの酒の肴にされる側の気持ちも考えてくれよ」
 「そう言う割りに、様子を見に行った時は随分と盛り上がっていたように思えたが。―――時間が無いという割には、くだらない内容で」
 「それはホラ、たまには男同士で気の置けない会話も必要って事で」
 ジト目を向けてくるアウラに、凛音は同性の少なさを嘆いてみせる。
 
 「と言うか、あの。本当にこんなにのんびりしてて平気なの? 時間無いんじゃ……」
 「ガイアのコアユニットも出てきちゃったしね」
 
 またぞろくだらない内容に主たちの話が走り始めたところで、従者二名が口を挟んだ。
 「とは言え、スワンはこれ以上の速度は出んからのう」
 食堂の大窓の向こうを流れる夜空を見ながら、ラシャラは唸る。
 「喫水線に近い位置では、結界炉も出力が出ないからな」
 アウラも、緩やかな雲の流れに視線を移して、些かの焦燥感を含めた言葉を漏らした。

 奪還した剣士が、大気に満ちるエナを介したガイアからの再干渉を受ける事を防ぐために、ハヴォニワ国領内へと向けて航行中のスワンの上層部は、喫水外へと浮上させている。
 そして、エナを媒介にして稼動する亜法結界炉は、エナの密度の薄い喫水線に近くなるほど、その出力は落ちるのは当然だった。
 一応可能な限りの全速運転をしている筈なのだが、航行速度は遊覧飛行のそれと大差無い、一級戦列艦と同等の出力を有する結界炉を二機搭載しているとは思えないのんびりとした速度だった。

 「まぁ、まだ推定十日程度はあるしね。最短なら三日で天地岩にたどり着いて、その後二日かけて結界工房へ。その前に、色々下準備はあるし、まぁ予定通りにはいかないんだろうけど―――まぁ、ギリギリかなぁ」
 無理やり楽しい気分にしようとしていた夕食の空気が、言い知れぬ焦燥感に包まれ始めたところで、凛音は殊更呑気に言い放った。と言うか、少女たちとは対照的に、彼独りだけは何処までも落ち着いた普段どおりの態度である。
 「―――お前、落ち着きすぎじゃないか?」
 「いや、ホラ。剣士殿を物理的に奪い返すって言う難業が片付いちゃってるから、後は消化試合みたいなものだし」
 溜め息混じりのアウラの言葉に、凛音は肩を竦める。ラシャラが首を横に振った。
 「良くあのガイアの力を目にして消化試合などと言い切れるの。異世界人の尺度は、理解に苦しむ」
 「ガイアの方はホラ、実際の所手段を選ばなければ今すぐにでも滅ぼせるし」
 「え!?」
 あっさりと言い切られた言葉に、キャイアは目を剥いた。
 大口を叩く事暫しの男だったが、実際凛音はそれなりの成果を示してきた事も事実である。
 流石に不可能だろうと思うが、言い切ったからには本当にやってしまうんじゃないかと言う妙な信頼感もあった。
 しかし凛音は、目を丸くしているキャイアに薄く笑ってみせる。
 「言ったろ、”手段を選ばなければ”って。最低でも必要な犠牲として、キミのお姉さんは確実だよ」
 「そんっ……そ、う……―――そう、よね」
 条件反射で激昂しかかって、キャイアはそれを堪えきった。それを彼女の成長と見て取って、隣に座っていたラシャラが少しだけ微笑んだ。

 「最小限の犠牲に抑えられるとあらば、それに越した事はあるまい。その準備を整える対価として必要な時間とあらば、良い、限界ギリギリまで許される限り、使い切るのじゃな」
 「同感だな。―――何は無くとも聖地占拠事件以降、こちらが準備を整える暇が与えられた試がなかった。準備に万全を整えられる状況が漸く与えられたのだから、此処は最大限有効活用するべきだ」
 ラシャラの言葉に、アウラも然りと頷いた。そのまま瞳を閉じて、準備不足の作戦で労した犠牲達を脳裏で思い浮かべる。
 「今回も実際の所、それほど時間がある訳でも無いんだよねぇ。剣士殿の治療に多国籍軍の取りまとめに、ハヴォニワにいたってはまず、敵軍を国外へと追い出さなければいけないしなぁ」
 「複数の国家を束ねその全軍を指揮する立場に立つなど、男子一生の本懐と言うヤツであろ。成功すれば末代までの誉れとなるじゃろうて」
 「失敗したら、全責任を押し付けられるんだけどね、ソレ。―――大体僕、軍功とか興味ない学術の徒だし」
 「アンタの場合、学者って言うかただのマッドサイエンティストじゃない? 私、アンタの発明で爆発物以外のものって見た事無いんだけど」
 「先進的な技術ってのは、凡俗からは奇異の目で見られるものだよね、悲しい事に」

 「十日って、随分と具体的に出てきたけど―――どうして?」

 やれやれと語る凛音の横から、ユキネがそういえばと口を挟んだ。
 皆が一様に顔を見合わせて、”確かに”と頷きあう。
 これまで彼女等が焦燥感を覚えていた理由の一つが、ガイアが何時完全に復活してしまうか解らなかったからである。
 ともすれば、明日にでも聖機神の修復が完了し、聖地から飛び立ってきてしまうのではないかと、そんな当然の不安を覚えていたのだ。

 「まぁ、アレだよ。―――関係者からの垂れ込みってヤツで」

 「関係者―――まさか、ユライト・メストか!?」
 片目を閉じて冗談めかした言葉を言った凛音を、アウラは目を細めて問い質した。
 先日のシュリフォン王都襲撃の一件で、ユライト・メストが完全にガイアの支配下にあることは確定していたので、その彼が語ったのであれば、信用できる筈がなかった。
 「いや、あんな蝙蝠の言う事なんて、もう誰も信用しないってば。―――リチアさんも事実を知って衝撃を受けた後はプンプンしてたし」
 「……私は、お前がいつの間にかリチアと連絡を取っていた事実に衝撃を受けたよ、たった今」
 「やる時はやる男なんだよ、僕は」
 「―――その言葉、使う場所間違ってるわよ、絶対」
 キャイアから見れば、恋人(?)と連絡も取らずに別の女と―――と言うか、自分の主人と、婚約まがいの事を平然とやってしまう男であるから、無駄に偉ぶられても、呆れるよりなかった。
 対照的に、婚約まがいの事をしてしまった側のアウラは、微妙に頬を引き攣らせていた。
 「……何か、言っていたか?」
 「流石のリチアさんも、状況は弁えてるって。でも、”そう”の一言で終わった辺り―――後が怖いのは、事実だけどさ」

 「前々から思っていたが、お主、案外とリチアに対する扱いが酷いな」

 苦笑交じりにアウラに答える凛音に、ラシャラが不思議そうに問いかけた。
 「そう見える?」
 「妾には、お主はリチアの事を外へ外へと押しやろうとしているように見える。情を交わした―――のかは、聞かぬが、ともかく。それなりの仲の、それなりの立場同士の女に対して、お主らしくも無い。妾やアウラの事は平気で利用しておるのに」
 「ああ、確かに。どうも消極的に蔑ろにしているようにも見えるな」
 首を捻るラシャラに、アウラも頷いた。二人の少女にどうなんだ、とねめつけられては、凛音は困った風に笑うしかない。
 「いや、君等の事も割りと、本当に利用したくは無いんだけどね、ホント。ただまぁ、状況が状況だし、仕方ないって思ってるんだけど―――それでも、リチアさんに関しては」
 「しては?」
 言いづらそうに言葉を切ると、キャイアが完全にゴシップな気分で先を促してきた。凛音は一つ嘆息した。
 その後で、ゆっくりと躊躇いがちに口を開いた。

 「どうも、あの娘の事は、自分より幼く見えてるのかもなぁ……」

 「―――マリア様と、同じだ」
 どうとも取りようがある凛音の言葉に、ユキネが仕方ないな、と微苦笑を浮かべる。凛音も、困った風に息を吐いて、頷いた。
 「かもねぇ。どうもガキの頃にひたすら年長の人間に甘えてた記憶があるから、無意識に年下の子には甘えさせるだけにしなきゃって思ってるのかも」
 「フェミニストと言うか、それただ女性を下に置こうとしてるだけじゃない?」
 「遂にキャイアさんまでそう言うか。―――何か最近、そんな感じのことばっかり皆から突っ込まれてる気がするよ」
 「事実じゃからの」
 ラシャラの言葉に、少女たちは一斉に頷いた。
 給仕役のラシャラの侍従たちまで頷いているのだから、凛音としては立つ瀬がなかった。
 「でも本当に、リチアさんて”出来ない”無理を無理やりやりきっちゃうタイプに思えてならなくてさ。あんまり無理させたくないんだよ」
 「典型的な男の独りよがりな我侭じゃの。そんなに心配ならば傍に居て籠にでも閉じ込めておけばよいのじゃ。こんな所で酒など飲んでおらずに」
 「尤も、リチアならば恐らく、籠に閉じ込められたら自力で脱出すると思うが」
 「そうですか? リチア様って、アマギ―――えと、凛音? が傍に居たなら、喜んで籠の中に入ってそうな気がするんですけど」
 「リチア様、乙女だもんね……」
 キャイアの言葉に、ユキネも同意のうなずきを示した。
 人の考えを散々に言ってくれる割に、自分たちも結構酷い事を言っているなと、凛音は少女たちの姦しい理不尽さに男の純情が崩されそうだった。
 
 「―――それで、正式な日数を教えてくれたのは、やっぱりワウ?」

 雑談の方向へと流れに流れた空気を引き戻したのは、ユキネの何気ない一言だった。
 「解ってたんなら最初からそう聞いてよ」
 凛音は憮然とした態度で頷く。食堂マナーにあるまじき仕草で後ろ手に頭を掻きながら、続ける。
 「アイツも道草をやめて漸く結界工房までたどり着いたみたいだからさ。いの一番に調べさせた。―――知らない筈が、無いからね」
 「と、言うと?」
 「聖地で野ざらしにしてあった鉄屑―――聖機神は、公式には”絶対に動かない”となっていた。けれど、先史文明の遺産であるガイアや人造人間などの現存を確認してあったのなら、鉄屑を再稼動する方法だって調べていない筈が無い」
 首を傾げるアウラに、凛音はあっさりと答える。
 「確かに、現実として聖地の地下において聖機神の修復は進められている訳じゃしの。工房の聖機工たちであれば、その修復に使うための機材に関して知っていてもおかしくないか」
 「そもそも、元々境界の予定では剣士殿に聖機神を使ってもらってガイアを破壊する予定だったんだから、尚更修復方法に関しては知っていなきゃ嘘なんだよ。―――だから、調べさせたら案の定ってね」

 聖機神の完全な修復に掛かる、具体的な日数が明らかになった。

 「それで、十日か」
 「うん、ババルンが聖地を占拠した日から逆算して、最短の日にちがね。分刻みって言うほど忙しくは無いけど、それなりの緊張感を持ってくれれば、まぁ、不可能じゃないよ」
 アウラの言葉に頷いた後で、凛音は少女たち全員に言った。
 「まずは、剣士の復活ね」
 「うむ。必ず成功させねばならん」
 ラシャラとキャイアの主従は頷き合い、アウラたちもまた、真剣な面持ちをしている。
 凛音はそれらを満足そうに見渡した後で―――諦念混じりの吐息を漏らした。

 「そのためにもまず、ハヴォニワに入らなきゃならないんだよなぁ」

 「……なんじゃ、突然テンション下げおって」
 「いやさ、ホラ。天地岩って現在シトレイユ軍に抑えられている西部辺境にあるじゃない」
 眉根を寄せるラシャラに、凛音はやれやれと疲れたように続ける。
 「西部辺境―――しかも喫水に近い高山地帯に侵入するには、どうしてもシトレイユ軍が陣を引く主要街道から入って行かなきゃ、遠回りになるんだよ」
 「あの辺りは航路が狭まりすぎていて、物流も滞っているものね」
 ユキネの言葉に、しみじみと頷く。
 「列車も抑えられちゃってるとね、ホントに僻地だから。―――そんな訳だから、どうしてもシトレイユ軍を排除しなければならない」
 「―――すれば、良いではないか。軍の再集成は滞りなく進んでおるのじゃろ?」
 二週間ぶりに目覚めた瞬間から、精力的にハヴォニワの軍事面の統率を行っていたのだから、スワンの進撃の活路を開くための軍事行動くらいは、起こせるのではないかとラシャラは考えていた。
 しかし、凛音は苦笑交じりに首を左右に振る。 

 「そう上手く行かないのが、世の中ってもんでね」

 「―――ハヴォニワ軍は、それほど損耗しているのか?」
 アウラは慎重な口調で尋ねた。ハヴォニワには今後、シトレイユ軍をたたき出した後にシトレイユ側の聖地関所へと向けて侵攻して貰う予定だと事前に聞いていたため、予定が崩れてはたまらないのだ。
 しかし凛音はその不安を一蹴する。
 「いや、軍の再編に関しては割と順調に進んでいる。元々攻撃を受けているのは西部地域だけで、中東部一帯は王都を除いてほぼ健在だったからね。これまでは指導者が居なくて纏まりを欠いていたけど、フローラ様が表に復帰した以上、趨勢自体は既に引き戻しつつあるといっても良い位だ」
 「ならば、何が上手く行かないのだ?」

 「ひょっとして……」

 ユキネが、何かに気付いたように呟いた。
 そして主―――”かつては主であって、今は違う”少年へと視線を向ける。
 凛音はその瞳に込められた意味を誤解する事無く、困った風に笑って頷いた。

 「忘れてるかもしれないけど、僕は甘木凛音って異世界人なんだよね」

 「―――それが?」
 
 「だからさ、ホラ。王子じゃない唯の異世界人には、ハヴォニワの軍事に関する指揮権がある訳じゃ無いんだよ。―――勿論、要望する事は出来るけど、聞き入れてくれるかは……ハァ」

 本気で疲れたように、凛音はため息を吐いた。ユキネが微苦笑交じりに尋ねた。

 「……フローラ様、なんだって?」
 
 「"そういう大切な事は、直接顔を見ながら話すべき”―――だってさ」

 それで、少女たちは納得した。

 ろくに連絡を取らないツケが回ってきたのだと。

 「ハヴォニワの女王様に直接対面してお伺いを立てなきゃ、だよ。―――天地岩の前に、一苦労だ」


 ・Scene 49:End・





    ※ と言うわけで、ハヴォニワ。
      頑張って差し込もうと悩んでいたんですけど、やっぱりメテオフォールは出ないっぽいです。
      ロマンは感じるんですけどね、あの兵器。でもアレに尺を使ってる状況でも無くてなぁ。

      山賊? ああ、うん。御免無理。



[14626] 50-1:家・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/15 21:15


 ・Scene 50-1・



 胃が痛い。

 だから、このまま回れ右をしてシュリフォンに戻ったら駄目だろうかと言ってみたら、以前従者だった年上の女性に思い切り睨まれた。
 政府機能が崩壊した王都王宮に代わり、女王以下政府機能を移管した、東部天領内に存在する仮の王宮。まだハヴォニワが今ほどの勢力を有していなかった頃は王城として使われており、現在は旧城などと称されるその場所に、凛音たちの乗るスワンはたどり着いた。
 ハヴォニワ領内に入った途端に八方周囲をハヴォニワの空中戦艦が取り巻き護衛―――と言うか、半ば鹵獲されるような状態で先導を受けながら。
 否応を言う隙すら与えられず、気付けば大型艦艇も停泊可能な大軍港へとスワンは着艦することになってしまった。
 着艇と同時に瞬く間に空港スタッフにより外部接続ハッチが開口し稼動桟橋が上げられ、後はそこに乗り込むばかりであるのだが―――凛音は、ハッチの前で足踏みをする事となった。
 それは単純な理由で―――ようするに、ハッチへと続く通路の窓の向こう、下方に見える人影に問題があった。

 従者の一つも連れずに、一人で稼動桟橋の着艇場所に佇む一人の少女の姿。

 見なかったことに―――出来る、筈も無い。
 暫く振りの、見たかった顔なのだから。
 しかし見たかったのと同時に、見られたくなかった顔でもある。

 あまりにも女々しい想像が幾つも浮かんでしまい、足が竦むような感覚を覚えてしまう。
 踏み出し、降りて、それから。
 
 その先を考えるのが怖く、凛音は一つ大きな息を吐いた後に、背後に振り返った。

 「……此処は一つレディーファーストって事で、ラシャラちゃん達から先に」
 「たわけが。お主が主賓じゃろうが」

 一撃で切り捨てられた。
 「と言うか、その稼動桟橋、別に一人乗りじゃ無いし」
 逃げ口上を考える凛音を、ラシャラに続きキャイアまでが半眼で口を尖らせる。
 「いやでも、ホラ。僕、”この国に来るの生まれて初めて”だし、付き合い長いキミたちが先の方が」
 「来るの初めてなら、何も怖がる必要ないと思う」
 無理やり捻り出した言い訳は、ユキネに一瞬で否定された。凛音は非難の目を向けてくるユキネから視線を逸らして漏らす。
 「―――人見知りする男なんだよ、僕は」
 「微妙に本音じゃろ、それ」 
 「ああ、確かに。何かにつけて人との距離を測ってるものな、お前」
 ラシャラの呆れ声に、アウラが大いに頷いた。
 「ヘタレーノ・カッコツケさんは、いざって時に醜態を晒すタイプだもんね」
 「……姉さん、何かキツくないでしょうか」
 「私、”初対面”の人には人見知りするタイプだから」
 自分の使った言葉で切り返されれば、押し返す言葉が見つかる筈も無く、凛音は厭な汗を垂らしながら明後日の方向を眺める事しか出来なかった。

 自然、少女たちの視線が無い方へ無い方へと顔を向けていけば、大きくハッチを開いた外の景色へと目が向く。
 外を見れば、港に一人で佇む少女の姿が。

 「あ……」

 吐息のような声が漏れた。
 それなりの距離があったはずなのに一瞬、埠頭で待つ少女と視線が絡んだのだ。
 静かな面、揺れる事無い瞳の色は、果たして何を思っているのか。凛音の胸中に複雑なうねりを呼び起こした。

 今すぐ傍へと。今すぐ見えない場所へと。背反する二つの思いが、彼をその場に束縛した。


 端から見ればそれは、常では見られぬであろう酷く気弱な物に写ったらしい。
 曖昧な表情で少女たちは顔を見合わせて、しかし言葉が見つからずに押し黙ってしまった。
 情理において、兄と妹、そのどちらの気持ちも理解できていたが故だ。

 だから、労わりの気持ちから押し黙ってしまった少女たちの姿を見て、キャイアは一つ息を吐いた。
 
 それなりに迷惑をかけているのは事実だし。
 元々、それほど好いても好かれても居ない自分こそが、無理やりに場を進めてしまう役目としては相応しいだろうと、決心する。
 一歩踏み出して、呆れた口調と聞こえるような声で、言う。

 
 「っていうか、良いからさっさと行きなさいよアンタ。遠くから陰に隠れて見てるなんて、みっとも―――……?」

 
 ない、と続けようとして、何時の間にか周りの視線が自身に集中している事にキャイアは気付いた。
 皆、曖昧な笑顔をしている。有体に言って、不気味な空気だった。
 「―――なんですか?」
 「いや、何と言うか……」
 「ウム。その自覚の無さこそがお主の魅力かもしれんからの」
 「……褒めてません、よね? ソレ」
 頬を引き攣らせた主の言葉に、キャイアは眦を寄せたる。
 「―――柱の影の主」
 「へ?」
 「姉さん、それ言っちゃ駄目だって!」
 ボソリと呟いたユキネの言葉を、凛音は経緯を忘れて慌てて嗜めた。
 「柱の、影って……。ん~?」
 キャイアは目を丸くして、ユキネの言った言葉を考える。何しろユキネがソレを口にした瞬間に、アウラもラシャラも一様に視線を横に逸らしたのだから、考えないわけにもいかない。
 
 柱の影。自分。凛音の情けない態度。自分。遠くから陰に隠れるだけの凛音。―――自分。

 「―――っ!!!」
 咄嗟に辺りを見渡してしまったのは、キャイア自身、正確にその意味を理解できたからだろう。
 「二人の仲が何時まで経ってもかみ合わないのは、ひょっとして同属嫌悪と言うヤツを抱いているからなのかのう?」
 「じゃあ、凛君と同じでヘタリーナ・カッコツケだね」
 「いや、格好付けてるのは凛音だけだと思いますが」
 「好き勝手な事言うなそこ!」
 ボソボソと言いたい放題の主たちに、キャイアは怒鳴る。その後で、オーバーアクションで凛音に向き直った。
 「アンタも! ヘラヘラ笑ってないでとっとと降りなさい!」
 「ちょ、八つ当たりかよ!?」
 「煩い!―――いいから、行け!」
 そのまま首根っこを引っつかむという、普段ならば絶対にやら無いような真似をして、凛音を稼動桟橋の中に放り込む。ギロリと視線を向けられたスワンの担当乗員が、苦笑しながら稼動桟橋を起動させた。
 
 稼動桟橋は亜法機関を稼動させて、ゆっくりと浮上し、尻餅をついた凛音を中に乗せたまま、ハッチの向こうへと飛び去っていった。

 少女たちは怒り肩のキャイアの背後からその様子を伺っていたが、やがて、ラシャラがポツリとつぶやいた。
 「アレ一機しかないというに、妾たちはどうするのじゃ」
 「―――あ」
 聖機人を搬入可能な巨大な接続ハッチの前に取り残された事実に気付き、キャイアはしまったと目を丸くした。
 ギ、ギ、ギと錆びたカラクリのような動きで背後を振り返ると、主たちは一様に苦笑していた。代表して、アウラが口を開く。
 「少し間を置いた方が、丁度良いだろう」
 「確かに、の。―――下世話な真似をするのもなんじゃから、場所を移すかの」
 チラと、軍港に着艇した稼動桟橋を見送りながら、キャイアは肩を竦めた。
 「ヘタレ兄妹だからね」
 「……何気に、やつ等に冠する発言には欠片も容赦がありませんよね、ユキネ先輩」
 「お姉ちゃんですから」
 冷や汗を流すアウラに、ユキネは答えにもなっていない言葉をすまし顔で返す。
 各々踵を返して接続ハッチを後にしようとする主たちの背中を追いながら、キャイアは後ろ髪を惹かれるような気分で、振り返ってしまった。

 「―――……あ」

 折悪しく、と言うべきか。
 視界に納めた光景の美しさが、一人取り残された自身とのコントラストを示しているようで、胸の中に悲しいほどの空白を覚えた。
 
 同属嫌悪。
 冗談の中に含まれていた言葉だったが、今はソレが重みを持っているように思える。
 ただ違う事があるとすれば、稀に訪れる切っ掛けの度に、彼だけは踏み出すことに成功している事だ。
 機会を逃さず、その度に、親しい者達との関係を更に深めていく。

 ―――翻って、自分は。

 「人は人、じゃぞキャイア」
 「―――ラシャラ、様」
 いつの間にか傍で同様に港の様子を眺めていたラシャラが柔らかい声で言った。
 「ヘタレではあろうが、要領は良いからの、アヤツは。―――ソレが良い事か悪い事かは別として」
 「複数の女性の間を練り歩く要領の良さなど、百害あって一利無しだと思うが」
 「何時か刺されるよね、きっと」
 声がした方を見れば、アウラもユキネも、困った風に笑いながら傍に戻ってきていた。一様に、港で繰り広げられている光景を眺めてしまっている。
 「と言うか、お三方とも立ち回られている立場ですよね?」
 他人事のように話される言葉は、キャイアに常から思っている疑問を沸きたてるものだった。
 ラシャラも含めて、この女性たちは皆、甘木凛音とそれぞれそれなりの関係を築いている。

 ―――”それなり”の。

 親しいのは解るのだが、親しさの具合が見えないところが、今ひとつキャイアには理解しかねる部分だった。
 具体的に言えば、リアルタイムであんな光景を見せられているというのに、何故嫉妬の一つもせずに見守っていられるのでしょうかと言うことである。
 キャイアが彼女等のような立場におかれていれば、とてもではないが耐えられないだろうから。
 「まぁ、我等の如き立場のものにとっては、恋愛も結婚も課せられた義務に付随するものでしかないからな」
 「―――むしろ、一人の男性を一途に思っているキャイアさんのほうが、立場的に珍しいと思う」
 「妾は抜きにしても、おぬし等皆、聖機師じゃしの」
 ユキネの言葉に、ラシャラは然りと頷いた。

 女性聖機師はその職責に基づき、婚姻、出産は厳然と管理されている。
 愛する男性とだけ閨を共にしたい、等と願っても叶うことなど稀―――と言うか、ほぼありえない。 

 「それこそ、ワウみたいな幸運でも無い限りは、な」
 何時だか腹が立つくらい幸せ層な顔をしていたワウアンリーの顔を思い出して、アウラが苦笑を浮かべる。
 「いや、ワウの場合はああいう立場になった後から出来た感情とも言えるが」
 「うん。初めは凛君の片思いだったからね」
 「薄々解っていましたが、それを平然と言えるのはユキネ先輩だけでしょうね……」
 得意げなユキネの言葉に、アウラは苦笑いを浮かべる。ラシャラもやれやれと首を横に振っていた。
 驚き目を剥いたキャイアは、どうやら少数派だったらしい。
 「凛音って、―――あの、ワウの事が、その……好き、なんですか?」
 躊躇いがちな口調は、当然ハッチの向こうの景色を見ながらのものだった。
 いや、うん。男性聖機師と言うイキモノが女性に夢を見させるために存在しているのだという事実は、先ほどのアウラたちの言葉から改めて理解しているが。
 
 「好き、と言うか……多分、ワウだけは明確に”自分のもの”だって確信できているんだと思う」
 口元に手を当てながら、ユキネがそんな風に言った。
 「確かに、ワウにだけは扱いがぞんざいですし―――まぁ、惚気話でそんな風に聞かされたような」
 「うん。ワウだけは凛君が”自分から選んだ”人だから。でも、対照的にリチア様とかだと―――」
 「報われん話じゃの、リチアにとっては」
 「基本的に、押されると退いちゃう駄目な子だからね、ヘタレーノは」
 「そのくせ格好つけている辺りに、男の見苦しさというヤツが見えるな」
 散々な評価は、むしろ日頃から非友好的なキャイアの方がフォローをしたい気分になるほどだった。
 
 「だが、ソレがヤツにとってのこの世界、男性聖機師と言う立場での生き方なのじゃろうて。―――誰か一人のために生きられる立場ではないと、本質的な部分であやつは理解しておるよ。それこそ、自分のためにすら生きられないのだとすら、解っておるのじゃろうな」
 賢し過ぎる男だからと、ラシャラは言った。幾つかの事情の積み重ねによって、遂に決められた生き方から足抜けしてしまった彼女にとって、一人で自由にやれる力があるというのに、あえて他者に望まれる誰かとして生きようとしている少年のありようは、色々と考えさせられることがあるのだろう。
 「故に、誰からであろうが向けられた好意には応じる―――が、応じるだけで、求めることは限りなく少ない。……あんなものを眺めながら言っても説得力は無いが」
 港の光景を見ながら、ラシャラは肩を竦めた。
 「あれは、マリア様の努力の成果だから」
 「―――決して、凛音が努力しているわけでは無い辺りが、色々とアレですね。……つまり、リチアには努力が足りていないと言うことでしょうか」
 「奥手とヘタレの組み合わせじゃからな、リチアと凛音殿じゃと。―――落ち着いたらまた、何か機会でも作ってやるべきかもしれんの、友人としては」
 「良いね、楽しそうだ」
 そんな風に笑い合いながら、ラシャラたちは今度こそ、外部ハッチを後にしようと踵を返す。
 キャイアとしても何時までも此処に居たい気分ではなかったから、その後に続くことに否応無かった。

 だから、振り返ったのは未練だろう。

 「―――望まれた生き方を、それに答えて」

 自らも望んで生きる。
 押し付けられた立場であろうと、楽しめてしまえたのならば幸運なことだろう。
 そう、幸運。凛音は幸運が重なって今もそれなりの幸福―――すくなくとも、端から見る限りは、そういう場所に居る。
 
 翻って、キャイアは。
 
 「私じゃ、無いか」

 苦い笑みが、口元に象られたことにキャイアは気付いた。
 他者から望まれた生き方、それに答え続けて―――そして今は、投げ出してしまった人。
 投げ出さないで居てくれたら、この想いにも答えてくれたのだろうかと、キャイアは女々しくも思わずに居られない。
 何時までもそれは、変わらないだろう。
 望んで、そして応じてくれた、キャイアの望んだ結末の一つの形がそこにあるのだから。
 そしてそれは、キャイアのものではない。
 キャイア自身は、不幸が積み重なって―――厭さか、努力が足りなかったのか。
 ほんの少し、文字にすれば数文字に満たない程度の違いが、現実には大きな違いとなって、凛音とキャイアの置かれた場所の明暗を分けている。

 同属―――かつては同属であったが故の、嫌悪。

 そういえば、似ていると言われたっけ。

 彼と。

 ―――彼とも。

 「やっぱ嫌いだわ、アンタのこと」

 言葉は、その意に反して爽やかな響きを含んでいた。
 大人びた微苦笑を浮かべて、振り返るのをやめて、キャイアは主達の後に続いた。






     ※ キャイアさんの物語は多分これでお終い、だと思います。
       まぁ、原作ではともかく、このSSでは割とサブの人なんで、一足早くって感じに。

       ……原作でも大概、とか言ってはいけない。



[14626] 50-2:家・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/16 21:06


 ・Scene 50-2・




 救世の異世界人を出迎えるにしては、軍港は酷く閑散としていた。

 空中宮殿スワンが係留された大型航空艦船用の発着港の一角。
 稼動桟橋の接着場所の近くに一人佇む少女と、その少女を遠巻きに距離を取って見守るように、正装した文官武官の姿が僅かに見えるのみ。後は、空港職員の姿が、少しだけ。
 殆ど全員が、空港の入り口付近に控えていたから、実質的には広々とした港内の空間に、少女一人だけがポツリと佇んでいるような空虚な様子が出来上がっていた。
 少女、この国の唯一の王女である、その存在価値と比すれば余りにもそれを取り囲む人の数が少なすぎる。

 凛音は自動操縦でゆっくりと浮遊する稼動桟橋の中から、少女の姿を目で追っていた。
 安全柵に置いた両手を握り締めながら、桟橋が埠頭に降り立つ僅かな時間の間に、何度と無く大きな息を吐く。
 柄にも無く緊張しているのが自分でも解った。
 もう僅か、あと僅か、視界の中の少女の姿は次第に大きくなってきており、少女のその瞳が確りと自身を見つめているのだと言う事実すら、認識する事が可能だった。

 「……胃が痛いな、畜生」

 呟いて、それで落ち着けるわけが無く、この後に控えているであろう展開を思えば、むしろ心臓の鼓動は嫌なリズムに加速していくのみである。
 酒が欲しい。今度から外出の時は欠かさずリキュールのボトルを持ち歩こうと、恐らく自分を知る誰からも引っ叩かれる事になるだろうと理解していながらも、そんな風にすら思う。
 無論、一番凛音の酒癖の悪さを指摘するであろう人は眼下に居る少女である事は確実なのだが。
 「ばれない様に、今夜は一人で自棄酒だな、これは」
 シュリフォン王と、男二人だけで顔をつき合わせて飲めたのは楽しかったなぁと、現実逃避気味に思考を過去へと飛ばして居る間に、いよいよ稼動桟橋は港に縁に接続した。
 そして、自動で安全柵が開かれ、タラップが伸びる。
 
 タラップを真っ直ぐ下って、九十度身体の向きを変えれば、もう、十歩も進まないそこに。

 最後の悪足掻きと言う気分で、あえて少女が視界に収まらないようにと真正面だけを勤めて眺め続けるようにしながら、凛音は漸くの一歩を踏み出した。
 何故だかとてもぎこちない足取りで、タラップを降りる。

 何をそんなに緊張しているのやらと、脳裏の置くの冷静な部分が呆れ声を響かせながら。

 そんなものは決まっていると、思考の過半を埋める落ち着かない気持ちが反論する。

 「特別……か」

 特別じゃない人は居ない、何て格好の良い発言でも貰いそうな言葉を呟き、それがおかしくて自分を哂う。
 タラップを居り切った。不自然なほど機械的な動きで、直角に体の向きを変える。

 栗色の長い髪。小さな肩。お気に入りの青いドレスが包む、細い身体。
 頬から顎に掛けてのラインが、歳の割にははっきりとしており、幼い少女の愛らしさよりも、自然と女性としての美しさを見るものに感じさせる。

 マリア・ナナダン。

 凛音がこの世界での生活の中で、最も付き合う必要性を感じない人間である。
 社会的な立場、与えられた情況も、凛音の中にマリアと親しくする必要性を覚えさせるものは無かった。
 程ほどで、充分。それで誰が困る事も無く、それこそ、マリア自身も困りはしなかった筈だろうに。

 だと言うのに、これほどにまで親しい―――のだろうか、それとも、いや、他に表し様が無いのだから、矢張り親しくなってしまったと言う事なのだろう。
 運命的なものを全く感じさせなかった二人の関係は、事あるごとにちょっとした躍動を得ながら、いつの間にか、お互いの事で思い悩む程度にまで昇華してしまった。
 
 ―――して、しまった。
 したくてなった訳ではないからと、心の中で言い訳してしまう。
 男の意気地の無さと哂われようとも、凛音は結局、自身が此処まで少女の前に立つ度に躊躇いを覚えるのは、そういう理由だからに他無いと思っている。
 適切な距離感と言うものを維持し続けられていれば、他の少女たちとのように、マリアとも上手く付き合えていたはずなのだと。
 
 尤も、最近は他の少女たちとも今ひとつ距離感が掴みづらくなってきているのだが。

 何処で間違えたのやら。
 今ではもうその様子を思い出せないような、この世界に来たばかりの自分に、今の自分の空回りを教えてやりたい。お前は精々上手くやれよ、などと。
 
 「―――何だか、凄く久しぶりの感じがします」

 たかが二週間かそこらしか経っていない筈なのに。
 風に乗って、少女の言葉が耳朶を打った。
 
 思考に没頭している間に、いつの間にか、踏み込めば手が届く距離にまで、少女の近くへと歩み進めていたのだ。
 至近ともいえる距離で、突然少女の顔を認識してしまい、目を瞬かせて驚きそうになるところを、強引に押し止める。微苦笑を浮かべるふりをしながら深呼吸まがいの息をひとつ吐いて、凛音は頷いた。
 
 「そう、だね。本当にそうだ。今よりもっと離れていた事もあったのに」
 
 「でも、あの頃は、―――いずれ帰ってくると解っていましたから」
 
 それに比べて、今は、僅か一歩で手が届く距離が、何て遠いのだろうか。

 両手を腰元で重ねて、静かな面を浮かべたまま、マリアは言った。
 言葉の頭に”でも”と付いている以上、今はもう違うのだと言っているのと同義である。
 「そうだね。うん―――本当に、そうだ」
 誰の仕業とか、どういう状況だからとかは関係なく、結果としてもうそう言う関係では無くなってしまったのだ、凛音とマリアは。
 予め決まっていた関係、決まっていた帰る場所も、もう何処にも無い。

 それでも同じ場所へと帰りたいのであれば―――それは、二人共に相応の努力を払わねばならない。自らの意思で。
 
 必要の無い行為だよ、それは。

 脳裏の奥の冷静な部分が、凛音に訴えかける。わざわざ自分で自分を縛る行為を選ぶなど、阿呆のすることだと。
 それこそ、今はこうして双方合意の上で関係がリセットされているのだから、改めて適切な距離を保った関係を築けば良いではないか。打算的と言うほか無い思考が畳み掛けるように脳裏を埋めてゆく。


 適当に距離を置けば―――だって、泣き顔も見ずに済むじゃないか。


 ―――馬鹿馬鹿しい。咄嗟に首を横に振って、惰弱に過ぎる思考を振り払っていた。
 泣いている事実に気付いておきながら、余りにも浅ましい思考。何よりも、確実に泣かせる事ができるのだと言う優越的な思考に、自分で呆れてしまう。
 
 「あの、まずはその、―――先に、形式を果たすべき、ですわよね」
 
 脳内会議から抜けられない凛音の表情から何を見て取ったのか、マリアが取ってつけたような口調でそんな事を言った。
 
 形式。

 考える必要もなく、今与えられた状況に対する公的な応対。
 甘木凛音とマリア・ナナダンは初対面であり、故に交わされる言葉は立場の上に置かれた親しさとは無縁のもの。作り笑顔と、会話の裏の思惑を察する事に腐心するのみのやり取り。互いに利益を幾らか自分の方へと多く引き込むための。

 ―――それを、この少女と?

 目を剥きたくなるような馬鹿げた話だと思い、同時に、馬鹿げていると思えた自分の思考の馬鹿馬鹿しさに、一番呆れてしまった。
 なんてことは無く、結局凛音にとってマリアと言う少女に求めている在り様は既に決まっていたのだから。

 誰かに、自分のためにこうあって欲しいと。

 そこに何の利益も生む訳が無いのだと正しく理解していながら。それでもそうあって欲しい。
 自分のために。見返りを与える事は、出来ないけど。

 ―――覚悟を決めろ、つまり、自分の墓穴を掘る事の。

 幼い頃に苦笑交じりに語っていた誰かの体験談を思い出しながら、今が自分にとってそういう時なのかもしれないなと、凛音は思った。
 そうと決断してしまえば、幾らか心も軽くなって―――しかし、口を開いたのはマリアのほうが先だった。

 当然と言えば当然だ。
 語る言葉も見つけられずに、漸く出てきた言葉が公務に縋る弱さそのものだったのだから、ましてや、男は言葉に反応することも無く黙ったまま。
 幼い少女に耐え切れる筈も無かった。
 
 「我がハヴォニワへようこそお越しくださいました、救世の異世界人、甘木凛音様。―――はじめま、ぁ」

 聞くに堪えない。
 透き通るような―――透き通り過ぎたその声に、そんな思いを抱くのは凛音くらいだろう。
 だが、凛音には耐え切れなかった。あろう事か、他人のように”始めまして”などと。

 踏み込み、肩を掴み、強引に引き寄せる。


 ―――それから、”口を塞いだ”。


 直ぐ傍に居たのだから、か弱い少女にそれを成すのは、凛音にとっては簡単に過ぎることだった。
 
 それは文字として書き起こすには簡単すぎる行為だったが、その一字一句に漏らさず注釈を付けるとすれば、実行した凛音は確実に何処か誰も居ない所へと逃亡を企てる事だろう。

 最早物語の中ですら絶滅していそうな、そんな行為を、刹那の反射で、凛音は行っていた。

 眼前―――目いっぱいに写る少女の顔は、お互いが写った瞳は、驚愕に見開かれている。

 当然だ。

 同意無しに行ってしまえば、強姦だ等と訴えられても、おかしくは無い。
 同意が無ければ。
 同意を求めるなどと言う、つまり、理性を保ったままにこんな事を行うなど、自分にはとてもではないが耐えられないだろうなと、凛音は思った。 

 だから、一方的に寄せて、そして、一方的に離す。

 離すといっても、背中に回した量の腕を解きはしないのだから、大概だったが。

 そのまましばらく。その態勢を解かずにじっとしていると、腕の中の少女もまた、震えるような手つきで、凛音の背に手を回してきてくれた―――きてくれた、等と喜んでいる自分に、少し呆れた。

 「―――ぁの?」

 胸の中で吐息と共に発せられた少女の言葉に、凛音は息を吸い込んだ。

 「”久しぶり”。碌に連絡もしないで御免。―――心配を掛けて、ホント、御免。反省した。謝る。だから」

 演技だろうとそんな、他人行儀な真似をしないでくれと、胸に抱きしめると言うよりは、肩に縋りつく風に、一息で言い切った。

 言葉が風に溶け消えた後の、暫しの空しい時間が満ちる。

 ―――はぁ、と聞こえた音はに乗せられた熱量の重さは、錯覚に過ぎなかったのだろうか。
 
 「謝るくらいなら、もっと早く連絡してください。私、―――本当に」

 漏れ伝わった言葉に、安堵以上に歓喜を覚える自分が、余りにもおかしかった。

 「そうだね、本当に、御免。それから、心配してくれたありがとう。また会えて嬉しい。―――マリア」

 親しげに、殊更にそう聞こえてくれるように。

 「はい。本当にお会いしとう御座いました」

 答えてくれた少女の背中に回した手に力を込めて。

 「―――お兄様」

 凛音は、その言葉を聞けた。







      ※ 前の時は妹視点だったので~って感じでしょうか。
        まぁ、会えば何時もどおり。周りの人たちがやってらんねーとか言い出すレベルである。



[14626] 50-3:家・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/17 22:15


 ・Scene 50-3・




 「マリアちゃんとちゅうしたんですって?」

 ハヴォニワ東部、天領にある旧王城内の仮設政庁、女王執務室に案内された凛音は、書類の山から顔を上げすらしない女性から、開口一番そんな事を言われた。

 「何処で見てたんだよ!」
 作り笑顔も優雅な態度も全部投げ飛ばして、凛音は檜を切り出して設えた一枚板の執務机にバン、と両手をたたきつけて身を乗り出した。
 「ああもう、決済前の書類が落ちちゃったじゃない。―――やっぱり、収納が少なすぎて使いづらいわねぇこの部屋」
 がなりたてる凛音の言葉を聞いていないかのような呑気な態度で、この国の王である女性は、漸くゆっくりと顔を上げた。

 因みにこの執務室、と言うか旧王城は全般的に和洋折衷で落ち着きのない内装をしている。
 三代前の当時この城を居城としていたハヴォニワ王が、異世界かぶれだったために、異世界―――つまり地球は日本の様式を中途半端に好んで取り入れたためだ。
 見た目優先の内装に走りすぎたため、国家中枢としての機能を果たすには些か問題がありすぎる。
 先代の御世に遷都する事となったのはその辺りにも事情があった。

 「でもあなたも成長したわね。遂にお酒の力に頼らずにちゅう出来るようになったなんて」
 手元に置かれた小型の立体投影機―――そこに映されたリアルタイムの空港内の映像を隠そうともせずに、フローラはコロコロと笑う。 
 「知るか! つーか本当に貴賓用の空港を盗撮、盗聴するの止めようよ! 後で何故か僕がマリアに怒られるんだから!」
 「あら、平気よ。私もちゃんと怒られてるから」
 「そりゃ貴女は慣れてるから平気でしょうよ……」
 テンションを無理に上げるのも疲れたと言う風に、凛音は机に手を置いたままがっくりと肩を落とした。
 「相変わらずマリアちゃんには弱いのねぇ」
 「何とでも言ってください、何とでも」
 ぐったりとした態度で身体を起こしながら、凛音は肩を竦めた。その酷く投げやりな態度に、フローラは見た目だけは愛らしい態度で小首を傾げながら、天井を見上げた。

 「じゃあ言うけど、マリアちゃんの唇は美味しかった? レモンの味でもした?」

 「スイマセン、もう勘弁してください、ホント……」
 部屋の片隅に置いてあったティーセットの傍まで寄りながら、凛音は白旗を揚げた。
 慣れた手つきで緑茶の準備を始める凛音の背中を見ながら、フローラは微苦笑を浮かべた。
 「やあねぇ、この子ったら照れちゃって。今更ちゅうくらい、貴方にしてみればスキンシップみたいなものでしょう? ア・ナ・タにしてみれば」
 「昼間っから艶っぽい声出されても、生憎お答えできませんからね。―――大体、”この子”何ていう割りに、一方的に親子の縁を切ったのは貴女でしょうに」
 「あら、つれないヒトだこと。元々このタイミングで切り捨てるって言う提案は貴方が始めに言い出した事じゃない」
 きっと振り返ったら、フローラはエロい目を向けてるんだろうなと思い、凛音は絶対振り返らないように決心した。背中越しに肩を竦めながら、茶葉が蒸れるのを待つ。
 「まぁそりゃ、僕の提案ですけど」
 「でしょう? 聞く側の気持ちも考えずに、”全然気にしてませーん”みたいな顔しておいて、いざ現実となった途端にゴネ始めるなんて、男らしさの欠片も無いわ。挙句それで、マリアちゃんに泣き落とししてみたり、アウラちゃんといちゃついてみたり」
 「ちょっと待った、マリアの事は関係ないでしょうが。―――いや、うん。二人して毎度毎度、飽きずに雰囲気に流されているような自覚は無きにしも非ずですが」

 片方に酒が入っていたり雨が降ってアンニュイな空気だったり片方に酒が入っていたり。
 そういう意味でも、割り合い気分で流されている空気は感じていた。後悔していない―――されていないのが、唯一の救いかもしれない。

 「そして遂に、二人とも素面で。まぁ、感動の再会ってスパイスはあったけれど」
 フローラの口調は井戸端で円陣を組む姦しい街女の態度そのものの楽しさに満ちていた。
 「切欠があれば盛り上がれるんですから、別に、悪い事でもないでしょう」
 楽しげな割に、微妙に口調に棘が混じっているように感じられるのは気のせいか、それとも、自分に後ろめたい気分があるからだろうか。凛音は反論にもならない―――むしろ、自分から火に油を注ぐような言葉を返していた。
 「その場その場の空気だけで、傍目も気にせずに盛り上がる男と女。男女づきあいで一番駄目なパターンじゃない」
 「―――真にご尤も」
 友達無くすわよと言う母だった人の言葉に、凛音はぐうの音も出なかった。
 「貴方もマリアちゃんも、思い込んだら一途と言うか、こうと決めたら曲げられない変な生真面目さ―――いいえ、硬さ、かしらね。噛み合い過ぎると歯止めが利かなくなるし、もう一歩二歩踏み込んだら、きっと泥沼でしょうね。良かったわねぇ、マリアちゃんがまだ”コドモ”で」
 「実の娘を引き合いに出して、何を言ってるんですか」
 「ドロドロでグチャグチャな貴方の素敵な未来図の話?」
 流石に癒そうな顔を浮かべる凛音に、フローラはあっさりと切り替えしてきた。
 「そういう爛れ続けられる生活って、ホント、憧れますがね……」
 力無い仕草で急須から茶碗に緑茶を注ぎながら、凛音は言った。
 「それ、本音でしょ?」
 「ご想像にお任せしますよ―――っていうか、そろそろ止めませんか? 昼日中にこんな場所でする話じゃないですよ」

 暗に、昼ではない時間に別の場所で語らおうと言っているようにも聞こえるが、凛音に他意はない。
 防戦一方だったので、いい加減切り上げたかっただけである。援軍も、残念ながら誰も居ないし。
 親しい少女たちは皆、サロンに案内されて、空港で凛音とちょっとしたロマンスみたいなものを演じた少女の歓待を受けている筈だった。

 フローラも、渋い緑茶を差し出す凛音の言葉に、納得するように頷いた。無論、緑茶はサイドテーブルにそのままスライドさせていたが。
 「そうね、あんまりバカップルみたいなじゃれ合いを続けていると、マリアちゃんに怒られちゃうし」
 「止めませんかって言いましたよね、僕!? っていうか、自分でバカップル言わないで下さいよ!」
 テーブルに置いた茶碗から飛沫が飛び散るほどのオーバーリアクションで執務机を叩く凛音に、フローラはニコリと微笑むのみだ。
 「息子の頼みなら聞いて上げられたけど、通りすがりの異世界人さんの頼みを聞かなきゃいけない覚えは無いものねぇ」
 「で、このタイミングでそこに戻るんですか……」

 散々人を弄繰り回しておいて、マイペースなことこの上ない。
 それにしても、碌に再会の挨拶もしていないのにあっさりと何時ものリズムを作り出せる手腕は、如何にもフローラらしいなと、凛音は今更ながらに思った。
 多少関係性が変わろうと、本質的な部分で何も変わるはずが無いのだと、態度で示されている感じがする。
 そしてそれは、そうあって欲しいと思う凛音の希望を抜きにしても、厳然とした事実なのだった。

 「ま、それでこそ、ですかね」
 「何がかしら?」
 ポツリと漏れてしまった声に、フローラが瞬きする。
 「いえ、特に何も。頼もしい限りで助かります、と言う話でしょうか」
 「―――ひょっとして、怒ってる?」
 「まさか。むしろ感動してますね」
 凛音は笑って首を横に振った。

 両者無意識の間に交わされてしまった、この先数十万年以上に渡るであろう長い付き合いの、今はほんの末端に過ぎないのだから、劇的な変化など起こる筈が無い―――なんて、言える筈もなく。

 「つまりは、楽しみましょうよと言う事です」
 「―――?」
 いつか伝える必要が在るのか、それとも案外、もう理解しているのか。どちらにせよ、敏い女性である事は間違いなかったから、こうして心底からの不思議そうな顔が見れる機会があるのは在り難いなと凛音は思った。 

 「何時だったか言ってたでしょう? ”楽しみ”だって。丁度今がその時じゃないかと僕は思うんです。全ての手札が表となって手元に集まって、そして、何を切っても構わない。今後、何度在るか解らないくらい貴重な、僕たちが主役で居られる本当に貴重な機会が巡ってきたんですから。――― 一緒に、楽しみませんか?」
 
 おどけた仕草で差し出された凛音の手を、フローラは目を丸くして見つめていた。
 そしてそれから少しして、コロコロと華のような笑みを見せた。
 「僕たち、ね―――私で、良いのかしら?」
 疑問と言うよりはいっそ、挑戦的な視線だった。凛音はシニカルな笑みを作って、肩を竦めることで応じる。
 「愚問ですね。”貴女が呼んで僕が答えた”。―――そうである以上僕のパートナーは貴女以外には存在しません」
 自信たっぷりに応えた言葉は、しかしフローラの口を尖らせるものだったらしい。

 「マリアちゃんたちは?」
 「昔聞いた事があるんですけど、結婚は義務で、恋愛は自由らしいですよ」
 「―――どちらがどちら、なのか聞いた方が良いのかしら」
 「ご想像にお任せしますとお答えしましょう」
 鼻を鳴らすフローラに、凛音はまだ気軽に答えた。
 「そういう言葉、あの子達の前でも言えれば一人前なのにねぇ……」
 「―――いや、流石にそんな恐ろしい真似は出来ません」
 溜め息混じりの言葉を、そこだけはきっぱりと否定する。
 「このヘタレ」
 「長い目で見てくれると嬉しいですね」
 「長い目で見てる間に、そこら中の若い子を掴まえては人をやきもきさせるのよね、きっと」
 「……怒ってます?」
 旗色悪くなりそうな気配を感じて、凛音は問いかける。フローラは若々しい態度で顔を背けて口を尖らせた。
 「べ、つ、に? そうやって自分だけ解った風に盛り上がって強気になる癖、直したほうが良いとか思ってないわよ?」
 弾みをつけるように差し出されたままだった凛音の手のひらの上に自身の手を重ねながら、フローラは言った。
 「そんな変な癖をつけてるつもりは無いのですが」
 「無意識だからこそ、癖って言うんでしょ? ―――やっぱり、そうやって不貞腐れてる顔してる方が、可愛げがあって良いわよ」
 憮然と返事をする凛音に、フローラは年季の入った笑みで応じる。
 凛音は、フローラの手を引いて椅子から立たせてやりながら、降参ですと首を横に振った。フローラは満足そうに頷く。

 「じゃあ、遊びましょう。美しく、豪華な花火を沢山打ち上げて。行く手を塞ぐ全てを更地に返してしまうような、そんな勢いで野を駆け回って。―――出来るかしら?」

 「貴女が望むなら、やってみせましょう。―――その意思に答えることこそが、我が存在の本質とも言えますから」
 自信を持って、誇り高く―――しかし、姫君には通じたそれは、女王には届かないらしい。
 「無駄に装飾を重ねた言葉は、嫌いよ」
 そんなものは聞き飽きていると、フローラは重ねた手のひらから二の腕に手を滑らせるようにして身を寄せながら、楽しそうに微笑んだ。
 
 挑戦されている。
 理解するまでもなく、そう理解した。

 直接的な言葉を欲しがるのは、娘の少女と何も変わらないよなと、要らない思考を一瞬だけ抱きそうになって、それを慌てて振り払う。
 至近で向けられていた透明な瞳が怖かったからでは、多分無い。

 そうですね、と凛音は一つ前置きをして口を開いた。
 永劫を共にする筈のパートナーに対する、―――まぁ、今後の待遇を考えての、接待の一種かもしれないなと、くだらない事を思いながら。

 「―――好きな女の子の希望は、全力で叶えますよ、僕は」

 その後の経緯―――つまりは、少女たちを歓待するための晩餐に、二人して欠席した事実からして、フローラはご満悦だったらしい。

 特に、”女の子”のくだりが何よりもそうであったとは、気付いても誰も指摘するものは居なかったが。
 






     ※ まぁ、つまりはそう言う事で。
       このSSの冒頭の展開って、儀式的な意味合いが含まれていたのでした。



[14626] 50-4:家・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/18 21:11


 ・Scene 50-4・





 「何してるのさ、こんな所で」

 夜半過ぎ。草木も寝静まると言う言葉も相応しいほどに遅い時間。
 雲ひとつ無い、大きな満月が照らす夜空を見上げて佇んでいた少女を、通りすがりのバルコニーで見かけた凛音は、わざわざ傍まで歩み寄って声を掛けていた。
 夜着を纏った線の細い金糸の髪を持つ少女は、静かな空気に相応しいたおやかな動作で振り返って―――端正な顔立ちに相応しいとはいえない、下世話な笑顔を浮かべた。

 「いと―――……凛音殿か。叔母上のお相手はもう終わったのかえ?」

 「ラシャラちゃん、耳年増って言葉知ってる?」
 「マリアのことじゃな」
 やり返す言葉の衒いの無さに、凛音は苦笑交じりに肩を竦めた。
 「―――此処で僕が、あの子はもうその辺飛び越えてるとか言ったら、どういう反応してくれるんだキミは」
 「赤飯でも炊こうかの」
 「何処で覚えて来るんだ、そういうネタ……」
 即答してきた少女に、凛音は心身ともに疲れたように肩を落とした。尤も、体力的に消耗しているのは、此処に来る前からだったが。
 「それはホレ、妾もお年頃と言うヤツじゃから」
 「年頃と言うか、そりゃ井戸端会議の主婦の発言だよ。黙ってれば見たまんまお姫様なんだから、少しは気を使おうよ」
 「フム。本来の妾の立場であれば深窓の―――奥に、黙って幽閉されている様な立場が正しいじゃろうから、一概には否定できぬな」
 口元に手を当てて得意げに言う少女の姿に、凛音は、口の減らないと言う言葉はこういう時に使う言葉なのだろうなと、自分を省みずに考えていた。
 
 凛音は嘆息を一つして、少女は薄く笑った後で再び視線を空へと戻した。
 そのまま少し、無言の時間が過ぎる。

 「てっきり―――」
 ポツリと、月を眺めたままで少女が口を開いた。先ほどまでのからかう様な口調ではなく、ただ、静かな音で。
 「てっきり、こんな時間ならば叔母上の身体に溺れておる頃だと思ったのじゃが」
 「それはまぁ、出来るのならば魅力的なんだろうけどね」
 明らかに風呂上りだとわかる、湿った髪を夜風に靡かせながら、凛音は苦笑した。
 「お互いこれで、立場を弁えているのさ。―――明日は明日で、色々やる事があるから、夜遅くまで運動してる訳にもいかない」
 「―――その割には、晩餐を欠席しておったようじゃが」
 「アレ、公務じゃないから」
 空を見上げたままの少女の視線が、微妙にジト目に変わっているような気配がしたが、それでも凛音は余裕の気分で返していた。
 「少しは憚らんのか、お主。マリアが泣くぞ?」
 「あの子は、呆れて溜め息吐くくらいだと思うけどねぇ」
 容易に想像できると口の端を吊り上げていると、少女が大きく息を吐いた。諦めと言うか、諦念交じりのものである。
 「む、―――いや、実際その通りじゃったが。例え現実そうだとしても少しは後ろめたい気分になってやるのが礼儀じゃろうて」
 「そこはホラ、人間関係、特に男女仲なんてのは複雑怪奇って事で。僕が言う事じゃないけど、あの子は本当に必要な最後の一本の手綱だけを確り握るタイプなんだろうね」
「本当にお主が言う事ではないの。―――因みに、その言い方で言うと叔母上はどのようなタイプとなるんじゃ?」
 もう何でも良いと言う口調で尋ねる少女に、凛音はそれこそどうでも良さ気な声で応じる。
 「所謂放任主義じゃないかな」
 「なるほど、あえて放置する事によって帰巣本能を植えつける、と」
 「定期的に帰らないと後が怖そうだしねぇ」
 自分のことなのに他人事のように、凛音は少女の言葉に頷いた。
 「なんと言うべきやら―――如何にもな男性聖機師じゃな、お主の態度は」

 刹那的で享楽的で、投げやりで退廃的な生き方。その様を誰憚る事無く振舞ってみせる。

 少女の言葉が嗜めるような響きを伴っているように思えたから、凛音は少しだけ考えた後に答えた。
 「まぁ、最近刹那的に生き過ぎてるかなぁって反省はしないでもないけど」
 「そうじゃの。―――些か最近のお主は、半端に生き急いでいるように感じられる」
 「そう見える?」
 自分で言ったことなのに、頷き返された言葉に、目を瞬かせていた。
 少女は空を見上げたまま、暫しの沈黙を保った後で頷いた。

 「ウム。”終わりが見えてきたから、今のうちに”そのような気を纏っておるように見える」

 「―――へぇ」
 少女の言葉に、凛音は乾いた唇を舌で潤しながら呟いた。 
 「どうせ居なくなるから、好き勝手に食い散らかせて―――などと考えているなら……」
 「居るなら?」
 「―――まだ、マシじゃな」
 「マシなのか」
 緊張を交えて尋ねると、拍子抜けするような言葉が返された。
 「最低か、ほぼ最低かの違いのようなものじゃが、マシはマシじゃよ。―――お主相変わらず、周りの人間に未練を持ってもらうように生きているのが気に食わぬ」
 「……そりゃ、スイマセンね」

 「いい加減、残れるなら残りたいではなく、此処に残るとはっきりと言えぬものなのか?」

 ようやっと月から視線を外して、少女は凛音に視線を置いた。
 澄んだ青い瞳に見据えられて、嘘誤魔化しは通用し無そうに思える。
 「妾には疑問がある」
 「―――どんな?」
 聞き取れないような小さな声を、唇の動きだけで聞いた気になって、凛音は尋ねていた。
 少女は力のある視線を朽ちさせぬまま続ける。
 「天地岩―――神とやらの座する地。眉唾物の理屈で、そこで剣士の復活がなるとお主は告げた」
 「眉唾って……そんな風に思ってたのか。割と可能性の高い話なんだけどな」
 「それよ」
 不貞腐れたように言った凛音の言葉に、少女は鋭く切り込んだ。

 「”割と可能性は高い”とは、つまり失敗する可能性もゼロではないと、そういう事ではないか?」
 
 「失敗しないように、鋭意努力するって言葉は……」
 「聞けぬ」
 凛音の言葉は、少女にあっさりと切り捨てられた。凛音は肩を竦めて微苦笑を浮かべる。
 「聞けないか」
 「他の事ならば仕方ないとため息でも吐いてやろうが、事が事じゃからの」
 きっぱりと頷く少女に、凛音は少し面白くなって尋ねた。

 「剣士殿はやっぱり、大切かい?」

 「無論。―――今の妾にとっては、他の何よりも」
 驚くよりもむしろ見事なものだなと、凛音は感心してしまう。
 「少しも憚らないねぇ」
 「おぬしと違って、誰憚る必要も無いでの」
 「いや、ラシャラちゃんの場合は、別の意味で立場ってものを気にする必要があると思うけど」
 「そんなもの、熨しをつけてお主にくれてやったろうが」
 年長者としての顔で言った凛音に、少女は得意げに言い放った。その言葉に、凛音は真新しい複雑な意匠の施された指輪を嵌めた手を持ち上げる。
 「さしずめ三行半ってとこだな」
 「お主を夫としてこのジェミナーに戦乱の嵐を巻き起こすというのも、それはきっと面白い事なのじゃろうが、の」
 「日向の縁側の暖かさを覚えてしまえば、嵐の中では笑えなくなりますか」
 「―――そんなところじゃの」
 残念だなと嘯く凛音に、少女は何の衒いも無く頷く。
 「国も民も、お主の好きにするが良い。そのために力を貸せと言うのならば幾らでも貸そう。無くしてしまえば、今更そんなものには興味がもてない自分に気付く。―――のう、従兄殿よ。大切なものを見つけた、と言うのはこう言う時に使えば良いのか?」
 大人びた笑みで尋ねる少女に、凛音は肯定の頷きで応じた。少女の笑顔が、些か眩しかった。
 「―――そうか。それは、良き事よな」
 歳相応とも、深みがあるとも、どのようにでも取れる微笑を浮かべた後で、少女は一つ頷いて表情を改めた。

 だから、と前置いて。

 「妾にとって剣士の復活の失敗は許されぬ事じゃ。それ故に、”もし、万が一”といったときの場合のお主がとり得る手段を知りたい」

 「―――”無い”って言ったらどうなるのかな」
 視線を逸らして嘯く凛音に、ラシャラはそれは有り得ないと断定的に切り替えした。
 「お主が剣士の復活を、たかが一度失敗したからといって諦めるなど、妾には想像もつかんよ」
 一度、自分の日頃の言動を振り返るべきだと、少女は鼻を鳴らす。
 「そりゃ、道理か。―――と言うか、実はラシャラちゃん、想像がついてたりしない?」
 自分でも説得力が無かったなと苦笑しながら、凛音は尋ね返した。少女はため息を吐いた後で、口を開いた。

 「―――”帰る”」

 「何処へ?」
 面白そうな口調で尋ねる凛音に一瞥くれた後で、ラシャラは夜空を見上げた。
 「無論、お主の故郷。天上の月より尚遠い、星海の果て。星々を又に掛ける超高度文明が所在するその場所へ。お主と、―――剣士の、本来の居場所へと」
 「ご賢察って言った方がいいのか、僕が解り易すぎるのか……」
 「無論、後者じゃよ。つまるところお主、帰るべき場所を今こそ近くに感じすぎて、それ故に、終わりの時を計り始めておるのじゃろ?」
 「そうだねぇ……」
 曖昧な顔で頷いて、凛音もまた空を見上げた。

 「あそこには、結局僕の欲しい全てものが揃っていたからね。あそこに居られればそれだけで楽しくて、満たされていたから。曲がり間違ってこっちの事が道半ばで向こうに戻る事になったら、さ。―――何ていうか、こっちの事が”どうでも良い事”に思えちゃうんじゃないかなって、そんな風に考えてた」

 「女々しいの」
 「元からだよ」
 ポツリと呟かれた言葉に、矢張り淡々と返す。 
 何とはなしにそのまま、二人で空を見上げる。
 「―――では、剣士の復活はしくじれぬか」
 「そうだね。失敗したら、後が怖そうだから」
 「屁理屈捏ねられるよりも、いっそそんな言い方をしてくれた方が、お主の言葉であれば信用できるわ」
 戯れごとのような言葉を、少女は喉を鳴らして笑って頷いた。

 「星海の果て、か」
 「うん。実はもう、正確な座標も特定済みだったり」
 
 何時でも帰れるんだと、何気ない口調で凛音は応じる。
 
 「どのような世界が広がっておるのか、想像もつかぬのう」
 「望めばご招待しても良いけど、ね」
 「妾はきっと、空の下で日差しを浴びるくらいが丁度良い」

 だから、行けないと少女は笑った。

 「そりゃ、残念。―――結構本気だったんだけどな」
 指輪の嵌った手のひらを弄びながら、凛音は言った。
 「一昨日着やがれと―――いや、縁が無かったとはきっと、こういう時に使う言葉なのじゃろうな」
 「だろうね。―――精々僕は、一人で逃がした魚の大きさに、枕を濡らす事としよう」
 それだけ言って歩み去ってゆく凛音の背中を追うこともせず、相も変わらず天上の月を見上げたまま、少女は笑った。

 「では、妾はそれを、末代までの誉れとしして、日差しの差し込む縁側で、孫に語って聞かせようかの」

 月明かりの元、二人は刹那交わって、そして別れた。





     ※ 別れ話。―――と言うほど、元々そこまで深い関係では無いですね。
       まぁ、お互い一番になれなくて残念だったねぇと苦笑してる感じで。

       後は原作のシチュをなぞってるってトコでしょうか。結果は、真逆ですけど。



[14626] 50-5:家・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/19 21:23


 ・Scene 50-5・




 『何年、何百年、何千年待ったのでしょうか、貴方達は。生憎と、異世界人たる私には与り知らぬ―――きっと多くの苦労と忍耐を必要とする月日だったのだと思います』

 すり鉢上に席が配置された、円形の広い会議場。

 『私は皆様を、そして皆様に忍耐を強いてきた方々を責めたい訳では在りません。何故なら幼い頃は我慢を知らねばならないでしょうし―――そしてそれを教えるのは大人の勤めだろうからです』

 その中央に設置された議長席の真下にある演壇に立って、一人の少年が朗々と声を上げていた。

 『ですが―――ですが、何時まで皆様は大人たちに教わり、導かれ、手を引かれて生き続けるつもりなのか。当たり前の事ですが、永遠に子供で居られる筈も無く、また、教師である大人たちも何れ老いて死に行く定めと在るならば、永遠に貴方たちを導いてくれる事は無い』

 議場に集ったのは、一つの目的のために集ったあらゆる国家の重鎮、代表たち。
 老練なる外交の名手達であったが、演壇に立つ少年を見る眼差しは皆、それぞれの若い頃を思わせるような楽しげなものが光っていた。

 『そろそろ、宜しいでしょう。教師たちにもう我々は自分の足で進めるんだと、今まで導いてくださったそのご恩に報いるためにも、我々は自らの意思で決めて、進む必要があるのです』

 慇懃無礼も極まってきたなと、モニター越しに議場の様子を見守る彼女ですら思うのだから、各国のお歴々も、きっとその思いは同じ事だろう。
 どれもニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべているのが解る。
 唯一、演壇の直情に設置されている議長席に座している者達だけが、不機嫌な気分を隠そうともせず、苦虫を噛み潰したような顔をしているのが印象的だった。
 まるで、悪ガキの悪戯に頭を抱えている担任教師のようですらあった。

 『―――そうですね、言ってしまえば、皆様が聖地で経験なさった事を再現するみたいなものです。生徒会は生徒による自治運営組織であり、教会職―――おっと、失礼。教師及び職員はその介入を原則として禁ずる。独自性と自立心を養うために、ええ。此処にいらっしゃる皆様ならば、既にそれらは容易い事でしょう?』

 身振り、手振りとオーバーアクションは、いっそ壇上で一風変わった演劇でも披露しているかのようで、講堂内に朗らかな空気が満ちる。
 それに比例するように、少年の頭上から不機嫌極まってきた視線が、更にきついものに変わっていくのはご愛嬌といった所だろうか。

 「……って、私たちにとっては笑い事じゃないわよね?」
 ハヴォニワ王国東部天領にある、通称旧城内に存在する旧議事堂でリアルタイムで進行中の国際会議の様子を、教会職員用の控え室でモニター越しに見ていたリチアは、議場内の朗らかな空気に自分も染まりかけていた事実に気付いて、乾いた笑いを漏らした。
 「です、ねぇ」
 傍に控えていた従者のラピスもまた、苦笑いを浮かべて頷く。
 「お爺様には療養名目で出席を控えてもらったのは正解かしら」
 「教皇様ですと、何となくアマギ……いえ、凛音様のお言葉に笑って賛同してしまいそうですが」
 「だからこそ、よ」
 教会現教皇である祖父の、実は庶政に敏くおかしみを理解する所のある気風を思い起こせば、ラピスの言は全く持って頷ける事だった。
 故に、現在勢いに任せて教会の実務を切り盛りするようになっていたリチアにとっては堪らない。
 「急すぎる変革は、碌でもない軋轢を呼び起こすわ。幾ら戦時体制で無茶が効き易いからといって、おいそれと頷いて良い問題でも無いでしょう」
 「でも凛音様は、それを踏まえても利があれば踏み込む事を良しとしてしまう方ですし」
 「そうなのよね―――って、なんか、私が咎めてラピスがフォローするって形、ちょっとおかしいわよね?」
 各々が壇上で演説―――正しく演技を交えた説得劇―――を繰り広げる彼の少年に抱く感情を思い起こして、リチアは眉根を寄せた。

 ラピスの想い人は柾木剣士だった―――筈。いや、そうに違いない。多分。
 モニターの向こうで偉そうな笑いを浮かべて背後に振り返っているあの男ではない―――恐らく、絶対。
 イマイチ自分の事でいっぱいいっぱい過ぎて、その辺り良く解っていなかったのだけど、こんなにあの男に対して肯定的な印象持っていただろうか、この娘子。 

 ラピスはちょっと混乱した主に、ふわりと笑いかける。
 「いえ、そういう方ですから、きっと止められるのはリチア様だけですと、私は言いたかっただけなんですけど」
 
 あ、この子嘘ついた。

 言葉の意味に頬が赤くなるのと、言葉がからかい混じりに即興で作られたものだと気付くのは同時だった。
 「―――貴女、ちょっと性格変わったかしら?」
 「もう数年もの間、凛音様のなさり様を近くで見ていましたから、多少は影響を受けているかもしれません。でも―――」
 「でも?」
 まぁ、印象に残りすぎる男であるから、大なり小なり影響を受けるのは当然だなと頷くリチアに、ラピスはさらに楽しそうに微笑んだ。

 「でも、リチア様ほどではないと思いますよ?」

 「やっぱり貴女、少し強かになって来てるわ……」
 「リチア様はその分、愛らしくなられました」
 それが心底嬉しそうな言葉だったから、リチアとしてはラピスの視線から逃れるようにモニターに視線を戻すしかない。
 壇上の少年はどうやら絶好調のようで、いつの間にか腰に手を置いて背後で声を荒げている、議長席の教会利益代表である枢機卿と舌戦を繰り広げていた。
 オブザーバーとして議長席の隣に身を置いている”元”シトレイユ女王ラシャラ・アースは、肘掛に体重を預けて、呆れ顔で眺めるのみと言う体たらくである。そして、会議の参加者は誰一人その舌戦を止めようとしない。
 即席のブックメーカーすら登場しそうな、学級会レベルの程度の低さだった。
 「こう言っちゃなんだけど、アイツを真ん中に置こうと思った段階で、もうまともな空気は諦めるのが正解よね」
 
 『キミは、教会の存在を何だと思っているんだね!? この秩序が打ち砕かれれば、一体幾つの失われる必要の無い命が失われると!』
 『飼いならされた羊の幸福を甘受すれば、たしかに生き続ける事は出来るでしょう。ですがその生に何の意味があるのです? 檻の中に飼われた家畜は飼い主の目的のためだけに生き続けなければならない。―――家畜なら、それも良いでしょう。所詮家畜です。でも、僕らは人間だ。そこに息苦しさを覚える。例え檻の外が寒風吹き荒ぶ荒野であろうとも、踏み出してこそ掴みたい幸福だってある。―――その過程で幾らの犠牲が出ようとも、それは望んで迎えられる物に過ぎない』
 『望んで滅びを迎えようなどと―――それでは、終末論者の思想ではないか!』
 『そうじゃないでしょ? 単純に、僕らはどうやって生きるか死ぬかを、自分で選ぶ権利がある。そうですね、先に言いましたが、物を教え導いてくれた事には感謝もしましょうし、恩義に報いる気にもなりましょう―――それ故に、我々は貴方達教会の失策を挽回するためにこうして集っているのですから。ですが、例え傲慢と言われようと、教え、抑えられつけたまま生を終えるなど御免なのですよ。―――誰もが、国家それぞれが好き勝手に利益を追い求め出す? 良いじゃないですか。その形こそが正常で、そして例え争いがあったとしてもそれは何時までも続かない。”戦う相手が居なくなれば”必然的に、どのような形になるかはそれこそ貴方達の伝えた教えの結果が示される事になるでしょう。―――そう、自分たちこそが正しいと思うのであれば、それこそ黙って結果を見守っていれば宜しかろう』
 『それは―――いや、しかしだからといって……』

 少年に一気に、一方的に畳み掛けられて、枢機卿は一瞬言葉を失う。その隙を逃さないように、更に少年は大げさな言葉を積み重ねていく。反論など微塵も聞く気が無い勢いで、自分のリズムで状況を満たしてゆく。

 「ホント、楽しそうねアイツ」
 呆れようと思っているのだが、もう口の端が釣りあがってしまうのが抑え切れなかった。
 あそこまで傍若無人を極められてしまうと、本来はたき倒したい筈の、何処であっても己の姿勢を崩さないと言う何時もどおり過ぎる少年の態度が、むしろ頼もしくすら思えてくるから不思議である。
 隣で、ラピスも同意するように深々と頷く。その後でラピスは、思い出したかのように人差し指を立てて付け加えた。

 「何か、ご実家では余り表舞台に立った経験が無いそうで、こちら―――ええと、ジェミナーに来てからは色々と尊敬する方たちの真似が出来て面白くて仕方が無いとか。留学のつもりが丁稚奉公扱いにされていて、主筋のかなり上役の方の御付をしていたら、その手際をいつの間にか覚えていたらしいって」

 「……ねぇラピス、何で貴女そんな事知ってるの?」
 「以前、雑談交じりにお聞きしましたけど?」
 「―――私、何も聞いてないけど」
 リチアは半ば固まったまま呟いた。
 彼の少年の実家―――異世界での生活など、殆ど聞いた覚えがない。
 それ以前に、彼の本名すら、彼本人の口から聞いた訳ではないのである。
 別口―――つまりは、結界工房へと進路を目指していた少年の従者の少女を強引に捕獲して、色々とシュリフォンでの状況を確認していた時に、たまたま聞いてしまったのだ。
 後々連絡を取ったときに問い詰めると、少年は困った風に笑って頷いていた。
 憚る所もまるで無いようなその態度に、リチアは気勢をそがれてしまい、その衝撃の事実を当たり前の現実として受け入れてしまったのである。
 
 だがしかし。ああ、だがしかし。

 先ごろこの旧城で再会した―――と言うか、モニターの向こうで少年と老人の舌戦を絶賛鑑賞中の友人の少女たちは、既にあらかた彼の事情を聞き及んでいるらしい。
 つまり、何者で、何処から来て、どうするつもりなのか。
 少年本人の口から、つぶさに。
 何で何でとリチアが混乱していると、少女たちは決まって、”放っておいたら自分から語り出した”と口をそろえるのみだった。
 自分の口から、である。尋ねられたから答えたのではないらしい。
 その事実を知った時のリチアの心情は、想像するに余りあるものであろう。

 ―――因みに実際は、酒を飲ませて口を軽くさせた、と言うのが単純にして明快な現実なのだが、誰もそれをリチアに教えてくれる人は居ない。
 尤も、教えたとしてリチアが少年と酒盛りをするなどと言う光景は想像の中にすら存在しなかろうが。

 「……私、ひょっとして蔑ろにされてる?」

 ポツリと呟く、その言葉の真実味に空恐ろしい気分になった。
 そういえば、と言うほど考えるまでも無く、ヤツはリチア自身から連絡を入れないと、全く連絡をしてこない男だった。シュリフォンで別れてから幾度か譲許報告を交し合っていたが、その最初の一報を入れるのは何時だってリチアの役目だったのである。

 ラピスでも―――と言う言い方には些か語弊が生まれそうだが、ラピスのように特別親しいと言う訳でもない少女にまで、話せることは雑談交じりに話しているのに―――翻って。

 「いえ、凛音様はアレで、リチア様の事を大切にしている―――つもり……だと、思います。多分、本人にしかわからない論理で。きっと」
 
 暗い方向に思考が飛び始めた主に、ラピスが微苦笑を浮かべながら口を挟んだ。
 「どう……言う事?」
 リチアは後一押しすれば、泣き出してしまうんじゃないかと思う暗い顔になっていた。
 
 何で私がフォローしなければいけないんだろう。いや、立場上仕方ないのかもしれないけど。

 モニターの向こうで、いつの間にか枢機卿をやり込めた少年に恨み節を思い浮かべつつも、主を慰めるように言葉を続ける。
 
 「凛音様は、何ていうか―――その、大切な人ほど、遠くへ遠くへと自分から離して、折角高嶺から掴み取ったのに、わざわざ更に高い嶺に置きに行くような人ですし。私みたいに特に、と言う人間には、別に話した後でどう印象が変わられても構わないので気軽に何でも話してしまえるんでしょうけど、リチア様の様に、情を御交わしになった方に対するとなると、途端に」

 臆病になる。
 ヘタレの格好付けと、誰もが口を尖らせるその言葉を、ラピスは正しく理解していた。
 ついでに、それに比するくらい自身の主が臆病である事も。
 何時ぞやの夕刻の邂逅―――って、アレもラピス達、周りの人間の仕切りだった―――の時のようにたまには自分から踏み込む勢いを示して欲しいものだと、思わないでもない。
 少年が軟派な性格で、アッチへコッチへと誘われれば拒まない軽薄な部類に属しているのは事実だが、それでも一度懐に入れた人間には―――大切だと見定めた人間には無償の愛を注ぐような人間であるのは間違いない。
 早い話が、好きな子から頼まれれば”断る”と言う選択肢が辞書にすら書かれていないような。

 だからラピスとしては、主も是非に日頃からの不満は、本人にそのままぶつけて欲しいと思うのである。

 「この後、確かお二人での御時間があるのですから、その時に、色々と―――その、普段出来ないような甘え方とかをなされてみたら、凛音様もお喜びになると思いますけど」
 おもに、愚痴と言うか惚気と言うか、とにかくそういう事を毎度毎度聞かされる立場になる自分を労わりたいから。
 「そ、そうかしら?」
 「そうですとも」
 溜め息は喉の向こうに押し止めて、微苦笑混じりに言うと、リチアは頬を赤らめて照れ笑いを浮かべた。


 「あらリチアさん、何時の間にそんな乙女な顔を出来る様になったの?」


 聞き覚えのある、懐かしい声が聞こえてきたのは、そんな時だった。 







    ※ 気のせいか凄い久しぶりの登場な気が……。
  
      でも何ていうか、微妙に漂う置いてけぼり感がこの人の持ち味な気がするんですよね。



[14626] 50-6:家・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/20 20:56


 ・Scene 50-6・


 「貴女は……」

 ドアが開かれた事にさえ気付かなかった。
 振り返ればそこには、既に一人掛けのソファに足を組んでしどけない姿勢で座っている一人の美女の姿があった。

 「お久しぶりね、リチアさん」

 余裕たっぷりの笑みで、艶かしく唇を動かす。
 釣り目がちな瞳は自信に満ち溢れており、楽に崩された姿勢であっても、均整の取れたグラマラスな肢体が作る美は隠しようも無い。
 その装いは、国家に属する上位聖機師が身に纏う礼服の範疇からは外れていない筈なのだが、有体に言ってしまえば、無意味矢鱈と周囲に色気を振りまいているようにも見えた。それも、女性からの憧憬を集めるような偶像的なものとは別の、異性の目から見て本能に訴えかけるような肉感的なそれである。
 無論、今この教会に与えられた控えの間には女性しか居ないのだが。
 先端でカールした豊かな長髪を弄りながら、その女性は驚くリチアたちに対して、さも楽しげな視線を送っていた。
 
 「……モルガ先輩」

 唖然、と言うよりもまず呆れを含んだ声が先に出たのは、つまり二人の関係性を象徴しているだろう。
 「トリブル王国の外交官の御付として入らしているとのお話は伺っておりましたが……」
 チラと背後の議場の様子を映すモニターへと振り返ると、トリブル王国の名札が置かれた机だけ、国ごとに三つ用意されていた席のうちの一つが、ぽっかりと空いていた。
 「武人の戦場は会議場ではありません。あんなものは政治屋に任せておけば充分でしょう?」
 「相変わらずですね、先輩」
  三年前に聖地学院を卒業し、トリブル王国近衛騎士団へと所属するようになっても、まるで変わっていない先輩の姿に、リチアはどうしようもない脱力感を覚えていた。
 やりたい事はやる。やりたくない事はやらない。堂々と言い切って見せて、取り繕う真似をしない。
 かつて彼女がリチアの前任として聖地学院の生徒会長を勤めていた時から、一貫してその姿勢は変わっていないらしい。
 むしろその事実を誇らしげに示している辺り、トリブル王国の諸氏歴々の気苦労が窺い知れるというものである。
 
 「でも、お元気そうで安心しました」
 複雑な表情で押し黙った主を取り繕うように、ラピスが引き攣った笑いを浮かべる。
 「ええ、貴女もね、ラピス。わたくしが学院を卒業してから既に三年……貴女も女の顔をするようになったのねぇ」
 「ふぇ?」
 感嘆を込めたモルガの言葉に、ラピスは頬を赤くする。初々しい事だと満足げに頷いたモルガは、そのまま額に手をやっていたリチアに視線を戻した。
 「―――貴女は、漸く少女の仲間入りって感じよねぇ」
 「誰が少女ですか!」
 「だってリチア、貴女さっきから見てるけど、”恋に恋する女の子”みたいな態度そのままじゃない」
 顔を真っ赤にするリチアに、モルガはなんてことは無い風に笑って返す。
 ねぇ、と彼女より視線を送られたラピスは、曖昧な笑顔で視線を逸らした。ラピスにも色々と、思うところはあるらしい。
 「暫く見ない間にラピスは女に、リチアさんは乙女に生まれ変わっているのだから、驚いたわ。―――卒業を早めたの、少し、失敗だったかしら」
 むくれた顔でねめつける主と、必死で視線を明後日の方向に逸らす従者の二人を楽しそうに見た後で、モルガは、ほぅ、と色気たっぷりのため息を吐きながら言った。

 生徒会長と言う役職につけていた事からも解るとおり彼女は高貴な出自を持ち、生まれながらにその人生は約束されていた。何れはこのまま、所属するトリブル近衛騎士団の長となるのは確実視されている。
 そう言った事情も在って、王侯貴族とそれに順ずるものに与えられる特例措置を用いて、モルガは最低限の単位を履修した段階で、本来の過程よりも二年ほど早く聖地学院を卒業している。
 在学期間は四年。
 生徒会長として在任していた期間もそれに等しく、つまり四年の長きに渡って彼女は彼女の気の向くままに学院を振り回し続けていたのである。
 付き合わされる―――後始末をさせられる―――者達の気苦労も知れよう。
 彼女が卒業する時、生徒会役員は誰もが万歳三唱で送り出した事実は、それを良く象徴していた。
 あのダグマイア・メストですら、生徒会長退任の報を聞き、安堵に胸をなでおろす姿を目撃されていたと言うのだから、大概である。

 「ダグ坊やも、随分とわんぱくをしてたみたいだし、本当に失敗したわ」
 
 「いえ、それは……」
 「流石に……」
 残念無念と語るモルガに、リチアとラピスは揃って頬を引き攣らせた。
 確かに、モルガが在学当時―――その最終年に入学してきたダグマイア・メストは、まだ右も左も解らぬ新入生と在って、余り目立たぬよう大人しくしているように見えた。
 無論、陰でコソコソと忙しなく動いていたのだろうが、それでも今日の様に一目で解る―――”あからさまに誰かに対抗するかのように”政治的な行動を取る様な真似はしていない。
 ダグマイアがそういう後ろ暗い真似を積極的に行うようになったのは、今は世界の敵へと成り果てた彼の父親からの指令が発端だろうが、もう一つ、一人の少年への対抗心が中心にあったことは疑いようも無い。

 「アマギリ王子と学院生活。さぞ楽しかったでしょうねぇ」

 壇上で弁舌を振るう少年の姿をモニター越しに眺めながら、モルガは言った。
 「勘弁、して下さい先輩……」
 行動の節々に、一々妙な色気を感じさせるものだったから、リチアとしてはそちらの意味でも気が気ではない。
 「モルガ様と……アマギリ様、ですか」
 ラピスも、主に習って乾いた笑みを浮かべてしまった。

 傍若無人と慇懃無礼を煮詰めたような組み合わせ。
 それが、”世の中多少の混乱が見えたほうが面白い”と言う意見で一致して、好き放題に聖地をかき回す。

 「それは……本当に、これまでよりももっと、たの、―――楽しい学院生活となった事でしょうね」
 「―――想像しただけで、胃が痛くなってきたわ」
 何とか上辺の返事をすることに成功した従者の横で、主が思わず本音で呻いていた。彼女の友人たちがこの光景を目撃すれば、無理も無いと皆で頷いてくれた事だろう。

 「尤も、今や聖地学院は瓦礫の山―――そういえば、あちらのお方が吹き飛ばしてしまわれたんですっけ?」

 冷や汗を流す少女たちを気にする風でもなく、モルガは何気ない口調で言った。
 「いえ、その、それに関しましては……」
 「ああ、そっちはアマギリ・ナナダン王子の仕業でしたか。―――紛らわしいわねぇ、一々」
 政治は面倒くさいと言う口調を隠そうともせず、モルガは言った。
 「あの、先輩はつまり……」
 その態度に思うところがあって、リチアは眉根を寄せて尋ねる。
 「あら、リチア。どうしたのかしら、貴女らしくも無い。そんな、言葉に詰まるなんて」
 まるでキャイア・フランみたい、と続けるモルガの言葉を侮辱と捉えて良いものかどうかと内心で迷いつつ、リチアは呻くように言った。
 
 「ご存知、なんですよね?」

 知らぬ存ぜぬのフリをして、後で揚げ足を取られるのもまずいと、リチアは端的な言葉で尋ねた。
 「アマギリ王子と、あちらにいらっしゃる異世界人の殿方が同一人物だと言う事かしら? 勿論よ」
 それに応じるモルガの態度は、如何にも武張った性質の強い彼女らしい割り切った態度だった。
 やはりか、とリチアはため息を吐いた。
 「一応、大っぴらにはされていない話なのですが……」
 「ホントに? だって見た目背格好から言ってそっくりじゃない。―――服装だって」
 モニターに映る少年は、あからさまにハヴォニワの王侯貴族が好む様式の正装を纏っていたから、それを見て真面目に隠す気があると思えと言うのは無理が在るだろう。
 むしろ、政治的なアピールか何かであると疑うのが当然である。―――が、少女たちの意見は違っていた。
 「アレは、単純にフローラ女王への嫌がらせよね」
 「割と、凛音様って根に持つタイプですもんね……」

 なんて事は無い。
 相談無しに一方的に関係改善を強要されたことに、彼の少年は未だに根に持っているだけである。
 精々後々、立ち回りに苦労すれば良いさと、中立公平であるべき場所に立ちながら、あからさまにハヴォニワ寄りに見える装いを纏っているのだ。

 「あら、案外子供っぽいところがあるのね」
 「―――と言うか、基本我侭な子供ですよ、アイツ」
 「好きな子には意地悪して気を持たせてみせるくらい?」
 「何ですかその含み笑いは!?」
 学生時代と変わらない先輩の貫禄を見せるモルガに、リチアは頬を膨らませるしか出来なかった。
 「ほんと、益々興味が沸いてきたわ」
 肩を怒らせるリチアの奥で、楽しそうに笑っている少年を見やって、モルガは舌なめずりをした。

 教会の言う所の世界を滅ぼす悪魔―――ガイアの復活。
 復活したガイアは、かつて先史文明を滅ぼしたと言う伝承の通りの強大な力を有しており、かくなる上は世界が団結してこれに立ち向かうしかあるまいと、教会現教皇の名で持って各国へと布告された。
 対ガイア国際連合軍に、参加せよ。
 その命を受け取ったのは、トリブル王国とて例外ではない。
 教会が選出した異世界人の指揮下に入り、聖地を侵す、世界を破壊する悪魔を打倒すべしと、このハヴォニワの旧城へと集合する事となったのだ。
 凶悪な敵に対抗するために強力な軍隊を組織する―――聞くに好みの話だと目を輝かせてモルガが此処へと到着してみれば、しかし現実は何時もどおりの面白さの欠片も存在しない国家間の綱引きが見え隠れしている。
 誰も彼もが、始まる前から”終わった後”の事を気にして、その結果得られる利益に関しての話し合いにのみ腐心していた。
 それは、連合軍結成を打診した教会とて例外ではない。
 ガイアの復活の責任が、明らかに教会の不手際に含まれる領分であった事を、教会自身がだれよりも良く理解していたと言う事情も合ったのだろう。
 彼らは自身の用意した英雄たる異世界人と、そして悪魔を退治するための武器―――聖機人の提供を盾にとって、自らこそが変わらず世界を主導するに相応しいとの態度を示した。
 戦後に於ける、各国の聖機人の保有数の比率の変更すら、内々に主要国に対して打診していると言うのだから、彼等の危機感と言うのも相当なものである。
 
 面白くない。
 有体に言って、モルガにはそんな俗な話は興味の欠片も沸かなかった。

 世の中、楽しいことは他にある。
 血沸き肉躍る戦場とか、素敵な殿方との一夜の逢瀬とか。勿論、お行儀の良すぎる後輩たちを振り回す事も。
 決してそれらのなかには、しかめっ面しい顔をして老人たちが顔をつき合わせている現場は存在しなかった。

 しかし退屈な国際会議の場とあっても、王命が下れば出席せざるを得ないのが今のモルガの立場である。
 唯一の楽しみは、新たに召喚されたと吹聴されている異世界人の姿を拝める事だけだったのだが―――しかし一目見てみれば、その人物も詰まらない国際政治のパーツの一つに過ぎないことが見て取れた。

 ハヴォニワ王国の王子アマギリ・ナナダンがそのままそこに居たのだから、そう思うのも当然である。

 元々微妙に出自が怪しいところのある王子だったから、ちょっと死んだとの情報が流れた後に抜け抜けと異世界人を演じていれば、如何にも過ぎて笑えもしない。
 一夜の逢瀬も期待できないとあらば、後は何れ来るであろう戦場を心待ちにするしかないと、トリブル王の目が無いのをいい事にサボタージュを決め込んでいたのだが―――会議の様子を何とはなしに眺めていたら、少し気分が変わってきた。
 
 ハヴォニワの龍の異名で成る王子が、その名に相応しく議場を荒らしまわっているのだ。

 明らかに当初伝えられていた会議の流れとは別物へと変貌していく。
 龍。時代の変革を告げる獣の名そのままの態度で、彼は、教会主導の国際会議の場で、教会の権勢をこれでもかと言うくらい―――本当に何の恨みがあるのかと聞いてみたくなるくらい―――削ぎ落とそうとしているのだ。
 教会の権威の低下とは即ち、現行の国際パワーバランスの崩壊に繋がる。
 目の上のたんこぶとしてにらみを利かせていた組織の力が失せていけば、今までは抑え切れていたものも、抑えが効かなくなる部分も増えてくるだろう。
 
 つまりは、これまでよりも幾分、戦場へと向かう機会が増える。

 モルガにとってそれは、実に好ましい話だった。 
 派手で乱暴なやり方は彼女の好みそのままだったし、国際政治の場であれだけ我を貫き通している姿勢も実に評価できる。
 そうとなれば、俄然、あの王子だか異世界人だか良く解らない少年にも興味が沸いてくるというもので、控え室を飛び出して昔馴染みの所に顔を出す事になった訳だ。
 そして昔馴染みの堅物の極地である後輩と再会してみると、何故か後輩は愛らしい少女へと変貌している。
 それも、彼の少年の仕業らしいから、モルガの興味が最高潮に達するのは当然だろう。

 「政治に巻き込まれるのは御免だったから、お断りするつもりだったけど……これなら、一度直接お会いしてみた方が面白―――もとい、良さそうね」
 上機嫌を微塵も隠さず、モルガは言った。
 「直接?」
 乙女の勘で嫌な予感を感じたのだろう、眉根を寄せるリチアに、モルガは余裕たっぷりに頷く。
 「ええ。実は事前にこんな物をアマギリ王子―――じゃないか、甘木凛音様から頂いていたの」
 言いながらモルガは、懐に手を突っ込み、一通の封書を取り出して、リチアに渡す。
 「手紙……」
 「これ、シトレイユ皇家の証印なのでは?」
 既に開封済みだったが、その封筒は何故かシトレイユの国章が刻まれた封蝋が貼ってあった。
 しかし何故か、そこに記された書名は、”樹雷皇国情報局情報本部資料科第三資料室所属研究員見習い・甘木凛音”と件の少年の名が記されていたから、リチアの眉間の皺が深くならないはずが無い。

 怪しい、とか最早そういう問題を超越している。

 「中、見てもいいわよ?」
 言われる前に既に封筒の中身を取り出しているリチアに、モルガは楽しげに声を掛けた。
 「モルガ様と凛音様って、御面識はおありなのですか?」
 「流石に無いわよ。”アマギリ王子”は余り国際舞台にお出にならない人だったし、わたくしもまだ、いかな近衛の一員といえども、目立った役職にまでは至っておりませんから」
 落ち着き無い主の態度に苦笑しつつ尋ねるラピスに、モルガは首を横に振って応じた。
 「面白いお人だと聞いていたから、何れお会いするのを楽しみにしていたのだけど、ほら、先日死亡の報が流れたでしょう? ああ、残念と思いながらこの会議に出席したら―――」
 「何時もお変わりなく、元気そうですよね、凛音様も」

 「―――何考えてるのよ、アイツは」

 二人でモニターを見ながらどうでも良い感じに頷きあっていると、リチアが便箋に記された文章を読み終えたようだ。
 「リチア様?」
 便箋をもつてを震わせながら呻く主に、ラピスは少し失礼かと思いつつも横からそれを覗き込んだ。
 
 その手紙は、こういう書き出しで始まる。

 『明日、庭園でご一緒にお茶でも如何でしょうか』 





 ・Scene 50:End・



  



    ※ 新キャラだ―――――――――っ!!

      あ、一応念のためですが、オリキャラではなく、ちゃんと原作に居る人です。



[14626] 51-1:僕だけの旅路・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/21 21:38

 ・Scene 51-1・




 コンと、ハヴォニワ檜を削り出して作られたチェスボードに、漆塗りの駒が叩きつけられる音が響く。

 「一つ、確認したいんだけどさ」

 向かいからも手が伸ばされ、今度はニスだけが塗られた駒―――つまり、白駒が持ち上げられ、一つ前へと前進させられた。無論、木の盤と木の駒を打ち合わせたところで、普通は周りに聞こえるほどの大きな音は立たない。

 「何も答えんぞ」

 不機嫌さを微塵も隠そうとはしない言葉と共に、カン、と乾いた音が響く。
 漆塗りの黒駒が、一つ移動して白い駒を盤上からはじき出した。

 「―――ダグマイア君はアレ? 頬に紅葉作って人前に出て自慢げに振舞う趣味でもあるの?」

 「何も答えんと言っているだろうが!」

 だがん、とテーブルに叩きつけられた握りこぶしの余波で、足つきのチェス盤の上の駒が震えた。
 「いやぁ、でもそんなにあけっぴろにされてるとさぁ」
 苦笑を浮かべながら、凛音は白駒を動かして黒駒を盤外へ弾く。忌々しげに睨んでくるダグマイアの視線に、欠片も物怖じしない。
 「―――なりたくて、こんな風になっているのではない!」
 片方だけが真っ赤に―――紅葉のような形で腫れあがった頬をなで摩りながら、ダグマイアは呻いた。
 「だけどホラ、回復亜法で簡単に消せるのに、わざわざ残してあるんだもの。―――やっぱり、ちょっとは記念にでもなるかなとか思ってるんじゃないの?」
 「せめて自戒として残していると思えんのか貴様は!」
 口調の強気さとは裏腹に、キングを一つ遠ざけている辺り、相変わらず堅実な打ち回しだった。
 怒りに肩を震わせるダグマイアを、凛音は面白そうに眺める。
 
 「へぇ、自戒なんて覚えたんだ」

 「―――……っ!」
 嘲笑とも侮蔑とも違う、心底面白がるだけの笑みだったから、ダグマイアとしては唸るより他無い。
 「キャイアさんも報われるんじゃない?」
 「黙れ!」
 凛音が動かしたばかりの白駒を、返しの一手で叩き落しながら喚く。
 盤上の経過はさて置いて、心理戦では明らかにダグマイアが敗北していた。
 その様子を聖地学院の一般生徒が見ていたとすれば、”ああ、何時ものヤツか”と揃って頷いたことだろう、極有り触れた光景といえる。

 「んでも実際、一方的に一発貰ってあげるなんて、どういう心変わりなのさ」
 「……あくまでその話を振り続ける気か」
 「いやね、何時も何時も言われる側にばかり回されるからさ、たまには聞く側に回ってみたいという男心が燻っていてさ」
 「この場で貴様に一撃くれてやろうか……!?」
 護身用に常から備えている懐刀を抜こうか抜くまいか、ダグマイアは本気で考え出していた。
 流石に凛音も、同性の誼として申し訳ないと思ったのか、苦笑交じりに肩を竦めて言葉の調子を変える。
 「―――キャイアさんがね、妙に気合入ってる訳ですよ」
 手をひらひらと振って、軽薄な態度とは裏腹にその瞳は万物を探りつくすかのように深いものだった。
 否、初めから、何時ものように凛音は目だけは笑っておらず、感情赴くままに制御し切れていないダグマイアが、それを思い出すのは何時も遅れたタイミングなだけの事。
 その事実に改めて気付き、それを恥辱と感じて唇をかみ締めるダグマイアの様子を薄く笑いながら、凛音は続ける。
 「あの人、割り合い切り替えが苦手なタイプだからさ、ああも突然前向きにテンション上げている姿見ると、妙に不安でね。ウチの連中に探らせてみると、何故かホラ。どこぞの倅君の頬が腫れていましたとさ」
 「……仮にそこに因果関係があったとして、お前が何を気にする必要がある」
 そこまで口にした後で、ダグマイアは一瞬言葉に詰まった。

 自分がこれから言おうとしているその言葉の、余りの俗っぽさに愕然としたのだ。

 これは、私とキャイアだけの個人的な問題だ―――等と。誰が聞いたところで痴情の縺れとしか思えない言葉だった。

 だが会話の流れからして何もおかしな事は―――いや、それを考えると、そもそも目の前のこの男とこんな会話に興じている事実こそが、ダグマイアにとっては最大の狂気とも感じられた。
 シュリフォンでガイアに立ち向かった―――人によっては、錯乱して突っ込んだだけにしか見えなかったろうが―――折りに負った傷を癒すために、暫く療養していた訳だが、問題無しと完治し、しかしいつの間にか到着していたハヴォニワの旧城に於いてダグマイアに与えられる仕事の一つもある筈も無い。
 手持ち無沙汰にしていてみれば、余り好きとは評せない少女から、一方的にまくし立てられた挙句、頬に一発きついものをお見舞いされてしまう始末。
 労しげにその後を見る従者の視線こそが一番耐え難いもので、停泊中だったスワンを降りてハヴォニワ旧城内の庭園区画をうろついていれば、仇敵とも言える男から、チェスに誘われる。

 そして今、何故か異世界風の豪華な庭園の中心にある東屋で、盤を挟んで向かい合っていた。

 ―――思えば、遠くへと来てしまったなと、らしくも無く思ってしまう。

 あらゆる俗事から目をそむけて、理想にのみ邁進する事が出来た自分が―――否。ひょっとすると、いや、確実に。当時の自分を、今の自分が見れば、それこそ滑稽に見えてしまうだろう。
 変わってしまったのだ、ダグマイアは。望む、望まざるに関わらず。外圧によって―――外圧に、耐え切れずに。

 「気にする必要? 当然あるさ。あの人アレで、貴重な戦力には違いないからね。これから厳しい場面に出張ってもらう予定なのに、それまでにガス欠にでもなられたら周りにも迷惑だ」
 ダグマイアの内心を知ってか、知らずか。
 凛音は言葉に詰まるダグマイアを放ったまま、身勝手で一方的な意見を述べた。
 
 耳にするに不快極まりない。
 女性の気持ちを何だと心得ているのかと―――考えてしまった自分に、ダグマイアは、絶望的な敗北感を覚えた。
 
 「―――そうするべきだと、思っただけだ。犬畜生にも劣る慮外漢には、なりたくない」

 だから、こうして。
 張られた頬に宿った熱を思い起こしながら、知れず、呟いてしまう。
 一方的に好きだ、嫌いだと重ねられて、返す言葉も無いままに叩かれてしまって、責める事すらしなかった自分。
 情けない事この上なく―――その情けなさが、今は必要な気がしていたのだ。

 広上げた黒い駒を弄びながら呟かれたその言葉を聞いた凛音は、暫くダグマイアを眺めていた後で、おもむろに肩を竦めた。
 「つまりアレは、一つ気持ちの整理が付いて、つき物が落ちた様な感じだって思っておけば良い訳ね」
 「私は知らん。本人に聞け」
 誰、と最後まで固有名詞を出す事を拒絶するダグマイアに、凛音はやれやれと頷いた。
 「良いけどさ。―――でも、何か浸っちゃってる今のダグマイア君も、それはそれで滑稽に見えたりもするよ?」
 「―――黙れ」
 冗談以上の意味を持たない言葉に、冗談以上の価値に至らない怒りで返す。
 目の前のこの男と、そんなやり取りが出来てしまった事実に気付かされ、本当にもう、かつての自分には戻れないのだなと、胸の奥に寂寞感が湧き上がるのだった。

 「それで結局貴様は、何故こんな所で私とチェスに何ぞ興じているんだ。―――そんな暇もあるまい」
 私と違ってと、投げやりに吐き捨てながら、ダグマイアは強引に話題を変更した。
 「まぁ、ね。思惑がてんでバラバラの多国籍軍なんか任されても、ホント面倒以外の何ものでもないよ」
 「それは、位人臣を極めたものとして、書生に等しい私へのあてつけか何かか?」
 「ダグマイア君じゃあるまいし、ただの正直な感想に決まってるだろ? 単純な話だけど、キミと雑談に興じている暇なんて当然無い。―――つまりは、必要が無い限りこんな場を持つはずも無い」
 面倒くさそうな態度を隠そうともせずに、凛音は言った。
 
 甘木凛音。
 かつてアマギリ・ナナダンと名乗っていた、今はただの異世界人である少年は、対ガイア国際会議を主催した教会の権勢を強引に押さえ込み、それを各国の上に立つ特別な機関ではなく、ただの”少し大きめの一勢力”に過ぎないレベルにまで引きずり落として、自らが各国を指揮する頂点へと立った。
 それにより、国際連合軍は教会の指導による一つの意思を持つ組織としてではなく、各国の思惑が複雑に絡み合う呉越同舟極まりない雑多な多国籍軍へとその性質を変貌させた。
 当然、上に立つ事が確定した人間には、その利益調整のために奔走せねばならないから、こんな所で呑気に友人―――友人? ―――とボードゲームに興じている暇など無い。

 そして当たり前の話だが、ダグマイアが層であるのと同様に、凛音もまた、向かい合っている男の事を毛嫌いしている筈だったから、理由が無ければ一々向かい合う筈が無いという言葉も当然だった。
 更に言えば、凛音はダグマイアの能力をまるで信用していなかったので、そんな人間にわざわざ持ち込むような話は、面倒ごと以外の何でもないに違いない。
 
 「―――それで?」
 端的な言葉で先を促すダグマイアに、凛音もそれが当然と一つ頷いて口を開いた。


 「北部中小国家群と共に、シトレイユへと攻め入って欲しい」


 言われた言葉に瞬きする事も一瞬で、その内容を吟味するのはダグマイアには容易い事だった。
 平均以上に能力があるためというよりは、単純に昔から、国同士の陣取り合戦にばかり興味があったから、とも言える。
 「北部と言うと……ハヴォニワ、シトレイユと国境を面している国々だな。聖地へと入りきらなかった父上―――いや、ババルン・メストの軍は、四割がハヴォニワ、三割がシュリフォンに向かって……なるほど、空き巣狙いをしろと言うことか」
 自身の言葉に、ダグマイアは鼻を鳴らして笑った。
 「空き巣といっても番兵は居るんだけどね。―――ついでに言えば、ご存知の通り北部の連中は赤貧極まりなく、その軍勢はお粗末極まりない」
 「―――なるほど、後詰めとして残されているシトレイユ精兵達を相手に、私に死んで来いと言う訳か」
 喉を鳴らして皮肉るダグマイアに、しかし凛音は肩を竦めて既定の事実を告げるのみだった。
 「当然だが、金も無ければ欲も無い、ついでに当然力も無い北部の連中にばかり任せる訳は無い。先ごろ結成された国際連合軍から一部を引き抜いてその任に当てる。―――でも、当然主戦力はシュリフォンとハヴォニワに向けることに成る訳だから、聖地への関所へも近づく予定の無い北部ルートからのシトレイユ侵攻は、二線級戦力で行う事にはなる。まぁ、一応数だけは立派だよ? 雑多に集いすぎていて統制が取れるかどうかは知らないけど」
 
 ―――纏められるかどうかは、纏めるものの腕次第。

 「シトレイユの平定は、連合軍が形を維持している間に始めたほうが、後々抜け駆けとかされたくないから良いと思うんだけど、如何せん他が忙しくてね。ついでに言えば、ダグマイア君が言ったとおりこれは留守を狙う居直り強盗みたいなものだ。やったところで地位や名誉も特に無いだろうから、余り皆やりたがらなくてね。―――そんな訳で、キミ、暇だろ?」
 
 やること無いなら、ちょっと戦争してきてよ。



 



    ※ チェス勝負って150話ぶりくらいですか?
      何か、学園モノだった頃が若干懐かしくなってきますね。思えば遠くへ来たもんだ……



[14626] 51-2:僕だけの旅路・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/22 21:10


 ・Scene 51-2・





 あからさまな挑発染みた言葉に、ダグマイアの眉間に皺がよった。
 「それを私が成すメリットが何処にある?」
 「さぁ? 少なくとも、自分の居場所くらいは確保できるんじゃないかな」
 「―――居場所?」
 意味が理解できずに首を捻るダグマイアに、凛音はいっそ冷徹極まりない視線を送った。

 「あのさ、忘れてると思うけどキミ、あのババルン・メストの息子なんだよ? 今や世界滅亡を企む大悪党の息子で―――しかも、ほんの少し前まではその覇業に加担する立場だったんだ。いや、親父がアレだったから、実務面は殆どキミが取り仕切っていたようなもの―――ああ、勿論叔父上殿に関しては、教会の方がその面子にかけて必死で悪行をもみ消す予定だから、何の心配もしなくて良い。つまるところキミは、戦後には、現在の立場上大変都合の良い、この戦いの最大最悪の戦犯として新たな世界に向かうための”贄”となってもらう未来しか残されていない」
 
 現状では、確実に。
 言い切った凛音の言葉に、ダグマイアは目を見開いた。
 「そんな、馬鹿なことが―――っ」

 「馬鹿なものか。そもそもキミ、考えた事無いのか? ”なんで僕が、キミを未だに此処に置いてやっているのか”を」

 呆れを隠さないその言葉に、ダグマイアは今度こそ言葉を失った。
 チェス盤に戻そうとした駒が、震えて零れ落ち、盤上を乱す。
 千路に乱れてゲームとしての体を喪失した盤面に、だが、全く構うことなく凛音の言葉は続く。 

 「新たな世界、人の総意によって成るその世界であるなら、それは集合的無意識論に於ける、神と呼ぶに相応しいだろう。ダグマイア君。キミはそこへと捧げられる生贄だ。そして、神に捧げられる贄であるならば―――肥えて太らせた方が、その役目には相応しかろう?」

 何もせずに飼い殺されていた己の立場を、いい加減弁えたかと、凛音は色の無い瞳でそう告げた。
 
 手が震え、頬に汗が伝った。
 目の前の男は、やると言えば最後まで必ずやりきる男だったから、言葉のスケールの大きさに反して、その意味は限りなく現実味を感じさせている。
 戦争に負けた側の末路が悲惨なものであると、ダグマイアは良く知っていた。言葉だけの意味であったかもしれないけど、大筋で間違った解釈はしていないだろうと思っている。
 
 瀟洒に都合が良いように、敗者は如何様にでも貶められる。
 それこそ、大衆の目を引く解りやすい生贄を用意するなど、当たり前過ぎて考えるまでも無い話だった。

 「だから、さ。いっちょここらで、”悪逆の父を諌めんがためにその身を晒す悲劇の公子”なんて物を演じてみては如何かなと僕は思うわけですよ。―――そりゃあね、キミの所の忠犬さんは非常に優秀なのは疑いようは無くて、戦争が終わる頃には誰にも知られずに隠遁する事だって可能でしょう。でも、キミは僕と違って、この星、この世界からは逃れる事は出来ない。世界中の国々が参加する戦いだから、世界中全ての人間が”キミの悪行”を知る事になるのは確実だ。つまり、世界の全てがキミの事を悪と断じて容赦なくなじる世界が待っている。―――さて、そんな世界でキミは、誰にも会わずに隠棲し続けて一生を終えるのを、良しと出来るのかな? 曲がり間違ってもダグマイア・メストともあろう男が、そんな屈辱を、本当に受け入れられるのかな?」

 答えは、初めから決まっていた。
 当然だろう。甘木凛音は無意味な行動は取らない。
 話を持ち込んだ時点で此処までのレールを強いていたのも当然のことと言えた。
 つまりは、彼との対話の機会を持ってしまった段階で、ダグマイアの命運は決していたのだ。

 「まぁでも、頑張ってシトレイユを平定できたならば、恐らくそこはキミの領土になるだろう―――勿論、幾分狭くなっているだろうけど。誰に憚る事も無く、自分のために使える自分の居場所―――ホラ、君が求めていた場所が完成だ」
 「―――良いだろう、後の世に乱を呼び起こす強大な国家の建設のための礎として、貴様の言に乗ってやる!!」
 初めから負けが決まっていた戦いだったから、せめて気迫だけは拮抗するようにと、ダグマイアは震える手を握り締めて力のある声を張った。

 凛音はそれに満足そうに頷く。

 そして。

 「モルガ殿、OKだそうです!」

 庭園の茂みの向こうに向かって、朗らかな声で手を振った。

 「あら、もう良いの?」

 そんな言葉と共に、ダグマイアの背後の、独特の形状に切り揃えられた庭木がガサリと揺れて、女性が一人、這い出してきた。
 豊かなプロポーションの持ち主が、何か人間代の物体を小脇に抱え、頭には木々の小枝や葉っぱを絡ませたまま仁王立ちしている姿は、中々衝撃的な光景だった。

 存在を予見していなかった者にとっては、殊更だろう。

 「―――モルガ……生徒、会長!?」
 
 身を捻り背後を見やって、呻いたきり、そのまま絶句。
 「久しぶりにその敬称で呼ばれたわ」
 小脇に抱えていた物を肩に抱えなおして、モルガと呼ばれた女性は茂みの中から東屋の方へと踏み出してきた。
 「ああ、エメラさんの気配がしないなと思ったら、そこに居たんですか」
 何で極薄の戦闘衣じゃなくて普通に正装を纏っているだけなのに扇情的に見えるんだろうなと、どうでもいい事を考えつつ、凛音は納得するように頷いた。
 「エメラ? ―――エメラッ!?」
 凛音の言葉に出てきた名前に、ダグマイアは瞬きをして―――瞬時、その意味を理解して絶叫した。
 「よっこいしょっと―――ええ、アマギリ殿下……では、ありませんでしたわね。凛音様。庭園の入り口辺りで少し殺気が漏れているのを感じたので、背後から、こう」
 良い笑顔を浮かべながら、モルガは手のひらを立ててクイ、と振り下ろす動作を見せる。
 空いていた椅子に座らされたエメラは、口と手、足を布で縛られていた。
 何処から用意したのやらとモルガの姿を見てみると、マントの裾が少しだけ破れているのに凛音は気付いた。
 随分と豪快な人らしい事を理解する。

 「―――って、オイ、エメラ!?」

 唐突に背後から昔見覚えのあった女性が出てきたと思ったら、その女性は何故か自身の唯一の従者を肩に担いでいる。
 ついでにその従者の両手足が縛られ口を塞がれているのを見れば、ダグマイアでなくとも混乱して当然だろう。
 因みに従者エメラは、普通に健常な意識を保っており、ただ拘束された無様な姿を主に見られた羞恥心に顔を伏せているだけだったりする。
 モルガが乱暴な手つきで口元の布を外してやった後も、俯き黙ったままだった。
 「エメラ、無事、……なの、か?」
 ほぼ完璧な能力の持ち主である事を疑っていなかったこの従者が、縛られ抱え上げられているという異常事態を目撃してしまい、ダグマイアは柄にも無くエメラに対してそんな言葉を放っていた。
 「その、ご心配をおかけして……」
 しかしエメラとしてはその気使いこそが羞恥物に違いなかったから、益々椅子の上で縮こまるしかなかった。因みに、足を縛った布を解くのを忘れている。
 「いや、なんだ? ―――その、無事なら良い……のか?」
 「ええと、はい……いえ、本当に、無様な所を」
 「あ、あぁ……いや、構わん。うむ、構わない、筈だが」
 日頃見慣れぬその気弱な態度に、ダグマイアも慣れない物言いで言葉を濁すしかなかった。

 「前の人の背中に集中しすぎて、自分の背中に意識が無さ過ぎるのよ」
 「いや、エメラさんの周囲半径十メートル以内に近づいておいて、気配を探らせないモルガ殿が凄いのだと思いますが」
 「そんな事無いわよ。―――と言うか凛音様? 私が近づく隙を作るために、貴方様はワザとエメラをダグ坊やに注視させるようにしてくれたのでしょう?」
 「まぁ、わかりやすい弱点ですからね、完璧超人のエメラさんにしては」
 モルガの楽しそうな流し目に、凛音は肩を竦めて頷く。
 庭園の入り口付近、こちらの会話が届く辺りにエメラが居るであろう事は理解していたから、後は、彼女が嫌がる物言いをしてやれば釣れるであろう事は当然だった。
 無論、本当に釣り上げて捕獲して持ってくる様な女性が居たことについては、完全に想定外だったが。

 「おい待て、……いや、待て! おいアマギリ! 何故この女が此処に居る!?」
 呑気に物騒な会話を続ける凛音たちに、漸く立ち直ったダグマイアが声を荒げた。
 「あらダグ坊や。貴方、何時から人を”この女”なんて呼び方出来るようになったのかしら」
 「―――っ、ぐ」
 流し目から自然に据わった目つきに変貌したモルガにねめつけられて、ダグマイアはたじろいた。
 「生徒会役員に推薦してあげた恩を、もう忘れちゃったのかしら」
 「別に、あ、貴女の推薦なんて無くても―――」
 弱みを握られた男そのままの情けなさで反論しようとするダグマイアを、モルガは艶のある笑みで粉砕する。
 「席は確保できた? 本当に? あの頃は役員全席埋まりきっていて、わざわざ新入生から新役員を選ぶ理由も、本当は無かったのよ? ―――って、これ何度も言ったわね」
 「ええ、聞きましたとも―――っ。何度も何度も、事ある毎に……」
 「だってダグ坊やったら、事ある毎に不服そうな顔して頬を膨らませてるんですもの。それがおかしくて、つい」
 「私は何もおかしい事は無い!!」
 声を荒げても、ケラケラと哂って往なされるだけ。先輩と言う言葉の重みを、実感せざるを得ない状況だった。
 凛音は他人事そのままの気楽さで、楽しそうに笑う。

 「丁度僕の入学と入れ替わりに卒業だったらしいですね、モルガ殿は」
 「ええ。凛音様がもう一年早く学院にご入学なされば、ご一緒出来たのですが。―――そう言えば、あの留年魔神を従者に迎え入れているらしいですね」
 「留―――ああ、ワウですか。お陰さまで、便利使いしてますよ」
 「さすが異世界人、やりますわ。―――これまでどんな男性聖機師の誘いにも乗った事の無いあのワウアンリー・シュメを、手篭めにするのですから」
 ニンマリと笑うモルガに、凛音はさて、と鼻を鳴らすだけで済ませた。
 「人の縁は奇なるもの、と言うヤツでしょう。―――いやしかし、モルガ殿が生徒会長だった時に入学できていれば、それはそれで、楽しそうな日々が送れたでしょうね」
 「あら、リチアさんがいらっしゃるでしょうね、私にそんな事を言って宜しいのかしら?」
 「それは、アレですか? この程度の事では僕らの信頼には皹が入ることは無い、とでも僕に言わせたいんですかね」
 「そこは、信頼ではなく愛情と言いませんと」
 柔らかく年長者の笑みを見せるモルガに、凛音はごもっとも、と頷いた。

 「―――頼む、アマギリ。そろそろ説明してくれ……」






     
     ※ ダグマイア様は基本、シリアスの国の人だからギャグ漫画の国に放り込まれると困るタイプだよね。
 
       まぁ、しかし、エメラさんと言いモルガさんと言い、苗字がなくて説明文を書く時に非常に表現に困る。
       テキトーにつけるのもどうかと思うしなぁ。
       特にエメラさんなんて、アレはダグマイア様の異母兄弟とか言われても何も驚かないし。
      



[14626] 51-3:僕だけの旅路・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/23 21:18


 ・Scene 51-3・




 よりにもよって、と言う気分すら最早超越していた。
 ダグマイアはこれまで一度もした事が無かった、明確な白旗を揚げるかの如く、モルガとの雑談に興じる凛音に頭を下げていた。
 「相変わらずこらえ性が無いのね、ダグ坊やは」
 「いや、これで彼も、漸く物の道理を弁えてきてはいるのですが」
 やれやれと首を振るモルガに、流石にダグマイアが哀れと思ったのか、凛音が口を挟んだ。尤も、ダグマイアが正常な時に聞いていたなら、確実に激昂していた様な物言いだったが。
 
 「こちら、トリブル近衛騎士団に所属してらっしゃるモルガ殿―――って、まぁ、ダグマイア君のほうが良く知ってると思うけど。元聖地学院生徒会長閣下でいらっしゃる」
 
 まずは前置きとばかりに、苦笑を浮かべながら凛音は口を開いた。それに頷きながら、モルガも姿勢を正す。
 ダグマイアは何度か口を開いたり閉じたりした後で、矢張り堪えきれずに尋ねる。
 「そんな事は知っている。それで結局、何で、この―――いや、モルガ……先輩、が此処に居るのだと」
 いい加減はっきりしてくれと、半ば懇願になりかかっていた。
 そろそろ泣き出す領域に足を踏み込みそうに見えたし―――ついでに、俯いたままのエメラから立ち上る気配が尋常でないものになりつつあったから、凛音は笑って頷いて先を続ける事にした。

 「で、このモルガ殿なんだけど。さっきダグマイア君に説明した、北方方面軍、シトレイユ侵攻部隊の指揮官となって貰うことを予定している―――と言うか、こちらにお越しいただけたということは、ご了承と受け取っても宜しいんですよね?」
 
 最後だけ、確認するようにモルガに視線を送ると、彼女は勿論と頷いた。
 「雑多で脆弱とは言え軍は軍。それを率いての大国への侵攻行為など、武人としてこれほど心躍る機会はありませんわ。初めはガイアとの対決の機会を与えてくださらないのかと不満にも思いましたけど、そちらの方は、凛音様本人で当たりなさるご様子ですし」
 梅雨払い役だけを回されるくらいなら、自分が最前線に立てる方がマシだと、モルガは言い切った。
 「まぁ、頑張れば勝てる、位の戦力は用意しますので、シュリフォンとハヴォニワに侵攻中の連中の背中を、上手い具合に引っ掻き回してくれれば幸いです」

 「勿論、私の判断で」

 ”No”なんて言葉は認めないと言う目を向けてくるモルガに、凛音は勿論と頷いた。
 「無論、モルガ殿のご意思のままに」
 「―――あら、素敵。凛音様は女心と言うものを良くご理解なすってますのね」
 「美人は好きですから。―――年上で、自立した女性ならば尚更」
 「口説くための労力なら、厭うつもりはないって事かしら? ―――残念ね、リチアが居なければ是非お傍に置いて欲しいと言っていた所だわ」
 色っぽい流し目を送ってくるモルガに、凛音はそれは何よりと頷いた。

 女心と言うか、実家に今尚現存しているだろう、脳も筋肉の一種と思っている人たちの気持ちを理解しているだけです、とはとても言えなかった。
 流石に命は惜しい。


 「指揮官、だと……?」


 しかし、意思の疎通に成功した二人の男女の横で、一人納得できないと間男が口を挟んだ。
 「おや、ダグマイア君。若くして近衛騎士に推挙されるモルガ殿が指揮官では不満かい?」
 言いたい事は確実に理解しているに違いないのに、凛音は抜けぬけと言い切ってみせた。

 「そんな事を聞いているんじゃない! 指揮官とはどういう事だ! それは、私の―――っ!」
 
 椅子を蹴飛ばし立ち上がって、ダグマイアは怒鳴る。
 当然だろう。
 久方ぶりに訪れた、規模は小さいなれども自らが主役になれる舞台―――その筈だったのだから。
 「いやいや、ダグマイア君? 何か勘違いしているみたいだね」
 しかし、凛音は素気無く首を横に振った。
 「……何?」
 憚らない物言いに、ダグマイアは眉根を寄せた。
 「どう言う事だ。貴様が私に依頼したことだろう。―――シトレイユに侵攻しろと」
 「うん、言った」
 凛音は唸るようなダグマイアの声に頷いた後で、”でも”と続ける。

 「でもさ、一体何時僕が、”ダグマイア君をその指揮官に据える”なんて言ったんだ?」

 「―――矢張り、口実として担ぐだけのつもりか」
 凛音の言葉に絶句するダグマイアの横から、エメラが忌々しげに吐き捨てた。
 憎悪と怨嗟の混じった、空恐ろしい響きに、しかし凛音は肩を竦めるだけでいなす。
 「いや、まさか。神輿に乗るだけの無駄飯ぐらいになんかさせる積もりは無いよ。―――役割は、そうだな。主席の参謀か……まぁ、違っても間違いなく司令部には入ってもらう。勿論、前線に出させるつもりは無いけど」
 「前線で戦うのは、私の仕事ですもの、ね」
 口を挟むモルガに、凛音は勿論と頷く。
 「ダグマイア君を前面に出すと、周囲への気配りが疎かになって、自滅するだけだからね。前に出て暴れまわってくれる人を別に用意して、ダグマイア君は、ホラ。後ろ側で諜略でも仕掛けてくれればいいよ」
 人集めは得意だろと、軽い口調で言う凛音に、ダグマイアは歯軋りを浮かべた。
 「貴様、最初からそのつもりで……っ!」
 「と言うか、僕がキミに活躍の場なんてわざわざ用意してやる訳が無いだろう。―――単純にホラ、元は同類だったキミが侵攻軍の中に居ればシトレイユでババルン側に付いた連中も、幾らか降伏し易くなるだろ? 連中、こんな大それた反乱なんてしちゃったもんだから、今更自首した所で確実に死刑だろうから、いっそ全滅するまで反抗してやるぜとか思ってそうだし」

 「―――最初から降伏なんてされたら、つまらないのだけど」

 「ああ、平気ですよ。向こうもガイアが滅びるまでは強気で押してくるでしょうから、確実に一会戦はぶつかる事になりますし。上手く侵攻路を選定して、全力対決でも演出させるようにして下さい―――”司令部の参謀”に命じて」
 
 司令部の参謀。
 それが、誰を指しているかは明白だった。

 「おい待て、アマギリ! 貴様、私にこの女の御守をさせるつもりか!?」
 
 ふざけるなと、ダグマイアは叫ぶ。
 「ダグマイア様、駄目!?」 
 迂闊な言葉に、エメラが目の色を変えて取り乱すが―――如何にも、遅い。

 「”この女”。―――”御守”?」

 凍りつく空気と、重い言葉。

 「あの泣き虫坊やが、随分言うようになったじゃない?」

 ゆらりと、言葉と共に立ち上がる女性の、その恐ろしさと言ったら。

 「―――さて、と。それじゃあ後は、現場の人間同士で打ち合わせとして貰おうかな」
 「なっ!? 待て貴様、この女を置いて逃げるつもりか!?」
 わざとらしく咳払いして席を立つ凛音に、ダグマイアが取り乱して叫ぶ。
 「また”この女”呼ばわりするつもりね、坊や」
 「あ、いや、違、違う―――っ!!」
 テーブル越しに手を伸ばして襟首を掴んでくるモルガに、ダグマイアは慌てて首を横に振った。
 凛音は引き攣った笑みを浮かべて、それでも取り繕った余裕を見せて言う。
 「じゃあ、モルガ殿。後はお任せして宜しいですか?」
 「ええ、勿論。凛音様の戦争計画を決して遅らせないように、万全を期して理解を深め合うとしますわ」
 美しい笑顔が、何故か獲物を前に舌なめずりしている野生の獣にしか見えなかったのは、多分凛音の気のせいではなかっただろう。
 明らかに助けを求める視線を送ってくるダグマイアを、しかし凛音は礼儀正しく無視したまま東屋を後にした。


 そのまま、しばらくは異世界式庭園をあても無く進む。
 そして、東屋が木陰に隠れる程度には歩みを進めた後で、凛音はおもむろに立ち止まって口を開いた。

 「―――そんな訳で、キミの主様の後始末はああいう形になった訳だけど」

 何か不満がある?
 
 そんな言葉と共に、背後に振り返る。

 そこには、木々の陰に隠れた位置に立つ、一人の少女の難しそうな顔があった。
 
 「ダグマイア様が、ご自身で納得なさったのなら、私が言う事は何も無い―――無い、けど」

 あの状況を指して、ダグマイアの意思と表しても良いものか。
 ダグマイアのただ一人の従者であるエメラとしては、言葉を濁すより無かった。
 凛音は眉根を寄せる少女に、苦笑交じりに肩を竦める。
 「でもねぇ、実際あの条件辺りで手打ちにしてくれないと、戦後は本当に縛り首一直線な訳よ。―――しかも彼の場合、いざその時になるまで、自分がその道を選んでしまったという事実にも気付かないまま」
 そんなの嫌でしょうと哂う凛音に、エメラは視線を逸らす。
 「―――それは」
 「勿論、僕はそれでも良い。―――と言うか、元々そうするべきだなって思って彼を今日まで放置しておいた訳だし」

 生贄羊は要らない余り物で充分。

 だからこそ、聖地襲撃の折に殺し損ねたダグマイアを、もう一度殺そうとしなかったのだ。
 解っていた事だろうと、冷たい視線をエメラに送った後で、凛音はやれやれとため息を吐いた。

 「でも、ねぇ」

 顔を上げるエメラを全く視界に要れずに、視線を上に向けて凛音は言葉を吐き出した。

 「あんなでも、死ぬとキャイアさんがまた沈むだろうし、キャイアさんが沈むと今度はラシャラちゃんが、ね。それでラシャラちゃんまで沈み出すと、ウチの妹に、他の姫様たちにと、どんどんそれが伝播していく訳で―――」

 そればっかりは、認められない。

 「―――結局、貴方は貴方の事情でダグマイア様を利用するんですね」
 「そういう正しい理解の仕方をしてくれる辺り、エメラさんは本当に優秀だよ」
 向けられる冷たい言葉に、凛音は表情一つ変えずに頷く。
 味方になってくれれば良かったけどと、詮無い事を脳裏の端で思いながら。

 「―――戻ります」

 暫しの間の後で発せられたエメラの言葉に、凛音は何も返さなかった。
 その合間に、どんな思いがエメラの中にあったのかだけ、少し、本当に少しだけ興味はあったが、最早それは、詮無い事であった。 

 「美人は好きなんだけど、―――縁が、無かったって事だよねぇ」

 「私の事が嫌いですか? アマギリ・ナナダン」

 顔を併せぬままに、言葉を交わす。

 「そりゃあ、ね。決して手の届かない星が、目の前で瞬いていれば煩わしいとしか思えない」

 「どうせ焦がれても届かないのであれば、嫌いになってしまった方が楽だから、ですか?」

 「何しろ、ヘタレの格好付けだからね」

 何となく、これが最後の会話になるのだろうなと二人とも了解していた。

 「そうですか。―――ですが、私はあなたの事は嫌いになれませんでしたよ」

 むしろ好きなほうですと、エメラはそんな風に言うのだった。

 何故、と空気だけで問う凛音に、彼女は困った風に哂う。

 「―――だって貴方は、ダグマイア様のお友達ですから」



 ・Scene 51:End・







      ※ こうして、ダグマイア・メストの冒険は終わった。
        彼の行く手にはこの先も様々な困難が待ち受けているだろうが、しかし我々は信じている。
        何時の日か、彼がその手に栄光を掴む事を。
     
        
        ―――とまぁ、そんな投げやりな感じで、ダグマイア様がクランクアップを迎えました。
        最後の最後で、オリ主に最大の屈辱を与えると言う当初の目的を微妙に達成してたりもするんですけど、
       生憎と本人はそれに気付かない。と言うか、気付いたら多分泣く。

        原作のように落ちるべきところに落ちていくと言う形も美しいとは思うのですが、どうせなのでと言うことで。

        良く考えたらモルガさんも出番これで終わりか。
        まぁ、元々登場予定の無い人だったし、この終わり方にしようと思いついたが故の存在ですし、良いか。



[14626] 52-1:偽・天地無用! 魎皇鬼 ・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/24 21:03

 ・Scene 52-1・


 「神……ねぇ?」

 「何か、この話すると皆微妙な顔するよね」
 細い渓谷を抜けるスワンの客間の一角で、曖昧な顔で呟かれたリチアの声に、凛音は苦笑した。
 「と言うか、現実政治に染まりきっている感のあるお兄様からそういった言葉が出てくる時点で、眉唾物と思えるのですが」
 やれやれとため息を吐いて、兄の隣に腰掛けていたマリアが言う。
 何か近いなと、無駄に豪華で大きな二人掛けのソファの真ん中辺りばかりを占領している事実に、対面に一人で座っているリチアに後ろめたい気分を覚えつつ、凛音は肩を竦めた。
 「これでも結構夢ばかり見て生きてきてるんだけどね。―――と言うか、リチアさんの場合、一応聖職者なんだから、神の実在に不信を抱いたら拙いんじゃないの?」
 「聖職者って……まぁ、一概には否定できないんだけど」
 リチアは、喋りながら扇を広げるかのように微妙に体勢を外へとずらしていく男の態度を鼻で笑いながら続ける。特に怒りなどは覚えないが、せめて堂々としていると言いたい気分はあるらしい。
 「私たちの教会は、確かに信仰対象としての神は要るけど、その実体は殆ど貴方の理解の通りと言ってもいいわ。―――つまり、先史文明期の技術を管理運営し、現代ジェミナー全体の技術文明に対する適切な発展の抑制を行う……って、アンタがそう言うの嫌いってのは解ってるから、つまらなそうな顔しないの」
 苦笑交じりにリチアが言うと、凛音は憮然と応じた。
 「別に、今更つまらないとは思いませんよ。―――ようするに役人のやり方みたいなもんでしょ? 曖昧な権威を振りかざして、何となく人の上に立ってルールを押し付ける、みたいな」
 「それ、役人と言うより教師みたいな物じゃないですか。―――文字通り」
 口を挟んできたマリアに、リチアも頷く。
 「そうねぇ。教会は文字通り”教える”会だし、アマギリみたいな悪ガキにしてみれば、そういう存在は面白くないって事かしら」
 「―――酷い言い分だな、キミ等」
 余り間違っていないけど、とは本人も思っていたりする。
 学問の徒は常に権威に抗うものなのだと、そういえば昔から思っていたような事を思い出していた。

 「でも、今回の戦争で教会はその権威を幾らか失墜し、そして在り方を大きく変革せざるを得ない状況に追い込まれる―――と言うかもう、追い込まれてたわね」

 この間の会議の時から。
 否、それ以前に甘木凛音がジェミナーに現れてからか。
 さて、と視線を外を流れる岩の壁に送るだけの凛音の姿に苦笑しながら、リチアは続ける。

 「会議と言うか、アレは何と言うか、一風変わった観劇のような物でしたわね」
 「ウチの外務卿、胃痛と頭痛で寝込んでるんだけど……。私も会議の結果報告を受けた枢機卿会議から散々に言われちゃったし―――しばらく、向こうには顔を出したくないわ」
 日頃の篤実さも威厳もブン投げて、声を荒げてモニター越しに叱責の言葉を放ってきた老人たちの姿を思い浮かべて、リチアは深々と息を吐いた。
 「ああ、だからリチアさんこっちに居てくれるんだ」
 「居てくれ……いや、そうだけど」
 「いけませんよリチア様、そこで喜んでいてわ。―――せめてそこは”こっちに”ではなく、”僕の傍に”とでも言わせないと」
 頬を赤らめて口を尖らせるリチアに、マリアがすまし顔で言う。
 凛音は微妙な顔で視線を逸らすのみだ。色々な意味で、早く天地岩に到着しないかなと思っていた。

 国際会議が終わり、その後の瑣末ごとも勢いで片付けること一日足らず、ハヴォニワ軍の国土奪還作戦に同調する形で、スワンも天地岩へと向けて進行していた。
 ハヴォニワとシトレイユ侵攻軍の決戦は、フローラの先代の頃に整備された東西を繋ぐ広大な横幅を持つ新航路で行われる形となったから、スワンは結局、余りにも狭く曲がりくねって実用性にかけていた旧航路を抜けて天地岩のある西部辺境、山間のユキネの故郷へと向かうこととなった。
 新航路―――主街道に比べれば到着まで時間が掛かるが、接敵の可能性が殆ど無いのがありがたい。
 申し訳程度に置かれていた、主街道の道幅に対してはまるで役に立たなくなった、高高度質量弾―――岩塊とも言う―――投下要塞、通称メテオフォール基地が稼動していたことも、シトレイユの旧街道占拠に対する意欲の減退を促す要素に繋がった。
 正方形の要塞本体の四つの角から長い―――喫水からせり出すほどの長さの足を伸ばし、その先端に結界炉と重力制御リングを設置して浮上させる。
 後は要塞本体下部のハッチから、横の岩盤から削り出した岩を、眼下に見える狭い航路をヨタヨタと進む敵船に投下するだけ、と言う原始的極まりない要塞だった。
 平原―――どころか直線距離が確保できる航路にでも設置すれば、あっさりと艦砲射撃で撃破されること請け合いだが、船舶がすれ違うことすら不可能な程狭く、そして前方の視界すら危ういほどにうねっている旧航路という立地に置いてみれば、割り合い鉄壁の要塞と化するのだから、中々侮れないといえる。
 
 ―――尤も、思ったよりも鉄壁過ぎたお陰で、敵中で孤立、と言うか放置されるという結末に繋がったのだが。
 何せ、要塞本体は喫水外に浮いているのだから、侵入占拠することすら難しかった。

 「今頃向こうじゃ、楽しくドンパチしてるんだろうねぇ」
 「両軍、あの広い主街道を埋め尽くすように船と聖機人を並べて、正面からのぶつかり合い、ですか。―――勢い余って、お母様が突出なさらなければ宜しいんですけど」
 「そういえば、新しい戦闘衣の発注があったって家令長から連絡があったな」
 「―――いい歳をして、何をしているのですか、お母様……」
 ハヴォニワ女王フローラは、かつては聖地で行われた武道会で優勝するほどの猛者だったから、戦場で血が滾ってしまえば見境無く聖機人で暴れ出してしまいそうな現実も、在りえないとはいえなかった。
 母の凶行を思い浮かべて乾いた笑いを浮かべる兄妹に、リチアが苦笑を浮かべる。
 
 戦場ではフローラ様に頑張っていただくとして、ねぇ、アマギリ。―――戦後はどするつもりなの?」

 「―――どう、と言うと?」
 「さっきも言ったけど、この戦争が終われば教会の主導による世界も終わる、と言っても良いでしょう。主導者を失った新たな世界を―――アマギリ、貴方はどうするつもりなの?」
 首を捻って尋ねる凛音に、リチアは躊躇いがちに言った。
 
 壊す、と言うことは理解した。昔から壊したいなと思っていたことはリチアとて知っていたし、機会があればそうなるように動くだろう事も予想していた。

 そして現実、それが出来るようになって―――そして、世界は彼の望みどおりに一つの変革を迎えている。

 ―――だが、変革した後でどうするつもりなのかと言えば、その具体的な話は聞いた事が無かったのだ。

 「別に、どうも?」

 「は?」
 
 あっさりし過ぎた言葉に、リチアは目を丸くした。
 聞き間違えだろうかと眉根を寄せていると、凛音は皮肉気な笑顔で肩を竦める。

 「いやだって、戦争が終わればこの連合軍も解散、僕も指揮権を返上して無位無官の身になるのは確実だし、その後の国際政治に口出しをすることなんて、出来る筈が無いじゃない」

 「―――それは、無責任に放置すると言うことになりませんか?」
 額に手をやりながら妹が言うのだが、しかし凛音は呑気な態度を崩さなかった。
 「と言うか、これまでジェミナーの全ての国々が、余りにも無責任過ぎたのさ。何事も、最終決定権は教会に任せきりってのは、健全じゃないよ」
 戦後の領土確定すら、当事者国家同士で決着できずに教会による裁定が入るというのだから、流石に目に余ると凛音は言う。
 「まぁ、どの国家も発端からして、その起源を先史文明崩壊後の復興時期に、教会によって区分けされた地方自治組織を成り立ちとしているんだから、中央政府としての教会を上に仰ぐのは仕方ないといえば仕方ないんだけど」
 「―――それでも、今は国家としてひとり立ちしているという建前なのですから、協会に依存しすぎる姿は良くない、と言うことですか?」
 「まぁ、そうだね」
 敏い妹の言葉に、凛音は満足そうに頷いた。
 「でもそれでは、暫く世間は荒れ模様となりそうですわね」
 「これまで目をつぶってきた部分を、自分で見つめなおさなきゃいけなくなるからなぁ。―――でも、これまで散々”親の脛”を齧って楽をしてきたんだから、文字通り社会の荒波にでも揉まれて、大人になってもらわないと」
 「想像すると気が重くなるわね。―――それ、これまで培ってきた暗黙のルールが通用しなくなるって事でしょう?」
 兄妹の会話の、テンポの良さに反する重苦しさに、リチアは深々とため息を吐く。
 その言葉に、マリアは気付くことがあった。 
 
 「つまり、その”暗黙のルール”とやらを改めて明文化して遵守を誓い合う必要がある、とお兄様はお考えなのですか?」
 
 それも、教会からの始動による物ではなく、各国に取っ組み合いの喧嘩をさせながらでも、自分達の意思でルールを形作れと。

 妹の想像に、凛音は一つ頷いた。
 「そんな感じ。―――とは言え、僕はそんなに、悲観的にはなってないんだけどね」
 むしろ、楽観視していると続けると、リチアは首を捻った。
 「と言うと?」
 「先史文明が崩壊してからこっち、ちょっと信じられないくらいの歳月を延々と積み重ねて築き上げたジェミナーで暮らす人間のメンタリティは、ちょっとやそっとの混乱程度じゃ、壊れたりはしないんじゃないかって事」
 凛音はつまらなそうに肩を竦めるのだが、マリアには何処か響く物があったらしい。
 「―――積み重ねた歴史の重み、ですか」
 「うん。老いも若きも貧しきも、でもそれなりに言葉が通じるだけの教養が、話し合いを出来る程度の土壌があるからね。いきなり殴り合いを始めたりは、流石にしないさ。―――まぁ、多分、今回の連合軍をたたき台にして、各国の利益調整の場となる国際連合でも結成するんじゃないの?」
 なるほどと兄の言葉にマリアは頷くが、リチアはもう一つ聞きたい事があった。
 
 「―――そのとき、教会は?」

 凛音の好みはさて置き、これまで世界を牽引してきたのは教会であることは間違いない。
 多少息苦しくかんじる人も居ただろうが、それでも、それなりに緩やかな形で世の中を平定してきた訳だが―――その立場が、失われるとなるとその後はどうするのか。
 特に、この戦争が終われば教会のもう一つの存在価値である、”打倒ガイア”と言うお題目すら失われてしまうのだから、教会に属する人間としてリチアが不安を覚えるのも無理ないだろう。

 しかし、凛音の態度は気楽な物だった。
 「抱えた技術を盾にして、少し小さくなったなりに、それでも”老いた強大な勢力”みたいな生き方をするんじゃない? 別にホラ、一番上に立てなくなるとは言え、これまで培ってきた技術の蓄積と世界に対する影響力、各国との繋がりがいきなり無になる訳じゃないし。―――まぁ、確実に以前よりは動きづらくはなるだろうけど。なにしろ、これまでは”YES”以外の言葉を言われた事が無かったのに、これからは相手が不利益だと感じたらあっさりと”NO”を突きつけられる可能性だってあるんだから」
 「そうならないためにも、襟を正して節度を持って動け、と言う事かしら」
 「そうだね」
 口元に手を当てて伺うリチアに、凛音も頷く。
 「―――これまでの関係に胡坐をかかずに?」
 「? ―――うん、まぁ、正にそう」
 繰り返し確認する妹を不思議と思いながらも、凛音は改めて頷いた。

 ―――なるほど、とマリアは頷いた。

 「だ、そうですわよ、リチア様」

 「へ?」
 何の事かと目を丸くするリチアに、マリアはふんわりと笑って続ける。
 「いえ、ですから。例え形が少し変わったところで、”これまでの積み重ねがゼロになる訳ではない”と」

 ―――ねぇ、と。
 その流し目が、実に彼女の母親に似ている物だったから、凛音は言い知れぬプレッシャーを感じた。

 ああ、と声を漏らすリチアを放って、マリアは更に言葉を続けていた。

 「そして未来に関しましては、それを土台として、今後の行いこそが大切―――でしょう、お兄様?」

 「何の事やら。―――大体、僕は何度見捨てられても仕方の無い真似を積み重ねてきた事やら」
 言葉尻が嫌に早口になっているなとは、自分でも気付いていた。
 「あら、自覚がおありでいらしたの?」
 「後悔って言う言葉は、”後で悔いる”って書くらしいよ」
 「そう思うんなら、普段からもうちょっと考えて動きなさいよ」
 硬い笑いを浮かべる凛音に、リチアが半眼で言った。凛音は視線を逸らした。生憎と、出口はリチアの奥にあるのだが。
 「そんな事が出来るなら、ホラ。今日の如き混乱は、最初から生まれなかったんじゃないかな」
 「上手いこと言って逃げ切るつもりなんでしょうけど、生憎、これまでのように逃げ切れると思っていたら大間違いだと思いますよ?」
 「そうよねぇ、散々人に心配させてると思ったら、あっちでこっちで、フラフラと良くもまぁ……」

 女二人が何かに納得して、深々とうなずき合う姿は、有体に言って恐ろい。
 そして、顔を見合わせて頷く頃には、凛音は無理をしてでも逃げ出しておくべきだったと後悔していた。
 無論、後悔は先に立つものではなかったが。

 「私、アンタに聞きたいことがあったの忘れてたわ」

 リチアが、綺麗な笑顔で口火を切った。マリアもそれに続く。

 「アウラ様のこととか」

 「ラピスとも、随分と仲良くなったみたいね」

 「かと思えば、ラシャラ・アースとは湿っぽい空気を作っておりますし」

 「モルガ先輩に私的な手紙を認めるなんて、―――いえ、そもそも何時あの方の事を知ったのよ」

 次々と重ねられる言葉。それ以上に、言葉の度に詰め寄られる事こそが、凛音には恐怖に感じられる。

 「―――黙秘、したいな……とか」

 圧し掛かられんばかりにまで顔を近づけられて、それでも、視線を遠くへ逸らしてそんな風にのたまう男に、二人の少女は顔を見合わせて一つ頷いた後で、口をそろえた。

 「会議の結果、その意見は否決されました」






     
     ※ これ、最終回として使っても良いネタだったかなぁと書いた後に気が付きました。もう遅いですが。
    
       それはさておき、まぁ何ていうか、サブタイトルからしてアレでソレな感じがビンビンしてますが、概ねそんな感じです。



[14626] 52-2:偽・天地無用! 魎皇鬼 ・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/25 21:13


 ・Scene 52-2・



 「こうして、我が目で見上げてしまうと、自身の語彙の少なさが嫌になってくるの……」

 「いや、でもラシャラ様。これは、流石に表現方法が限られてますし」
 
 「ウム―――いやしかし、首が疲れてくるな、これは」

 少女たちの声音はどれも畏敬に満ちており、それでいて、唖然と言うか呆れとも付かぬ響きを含んでいた。

 なだらかな丘陵地帯、その中腹。背後、来た道を下っていけば、先史文明の遺跡を土台とした小さな山村へとたどり着くのだが、今この場には、見渡す限りの草原が広がるのみだ。

 「スワンと見比べても、流石に尺度が狂いそうになるますわね」
 「何か、トリックアートでも見せられてる感じよね」
 「私はもう見慣れてるけど……」
 やっぱり初見だと驚くよねと、マリアとリチアの言葉に、ユキネは微苦笑を浮かべる。

 「ま、確かに。このサイズを肉眼で目にすることは稀だからね」

 外部カメラが捉えた映像でならば、暗礁宙域にでも行けば好きなだけ見られるけどと嘯きながら、両手で剣士を抱えた凛音が、遅れて丘を登ってくる。
 感心の欠片も見えないような口調と態度だったが、矢張り自然と、顎は上を向いて、視線は天高くへと置かれていた。
 「む? 案内の者は帰し終えたのか?」
 凛音の背後の丘を村へと向けて下っていく幾つかの背中を見送りながら、アウラが尋ねる。
 「うん、まぁ、正直何が起こるか解ったもんじゃないからね。―――何度も言ってるけど、キミ等も出来ればスワンの方に―――」

 「断る」
 「と言うか、いい加減諦めなさいよ」

 往生際の悪い。ラシャラとキャイアの主従が、口をそろえて即答してくる。
 一応、とばかりに他の少女たちの顔も伺ってみるが、やはりそのどれもが、若干呆れを含んだ冷たい視線を向けていたものだから、凛音としてもはぁ、と大きく息を吐くことしか出来なかった。
 腕の中の、物言わぬ剣士の復活を、これ以上もないほどに強く願いながら。

 「此処まで来て、後は安全地帯に退避していろは、流石に無しだろう」
 「いや、別にアウラさんだったら居てもいいけど」
 「―――それは、喜んでいいのか、私は……」
 「ご想像にお任せします」
 困った風に眉根を寄せるアウラに、凛音は肩を竦めるだけで応じた。些細な掛け合いのつもりだったが、微妙に周りの視線が痛かったのだ。
 「お主、未だに頬の赤みが引かぬというのに、無駄に豪気じゃの」
 「機会は逃さない男ですので。―――と言うか、その件につきましては本当に何もお答えできません」
 「道中の状況を思い返せば、聞かないでも解るわよ」
 まだ少しヒリヒリとする頬を摩る事も出来ずに、凛音はラシャラとキャイアの冷たい視線から逃れるように一歩前へと踏み出した。
 
 目の前には、石造りのアーチ状の構造物がある。
 アーチの中に戸も、その周りを仕切るように柵も壁も無かったが、ただそこにあるだけで、それを見て受ける印象は”扉”以外に無かった。

 扉とは、二つの空間を繋ぐ出入り口。その奥を覗き込めば、別世界が広がっている。
 そしてまさに、今凛音たちが目にしている扉の向こうには、別世界が広がっていた。
 
 見渡す限りの、”岩壁”。

 視界全てを、岩の壁と言う他無いものが占めていた。

 少し、円弧状に歪曲している岩の壁は、見上げても見上げても、何処までも果てなく続いている。
 雲すらも付き抜け、それこそ常識では計り知れない高さまで、垂直に屹立しているのだ。

 「天地岩、か。天上と大地を結びつける巌ってところかなぁ……」

 やはり、全体像を思い浮かべてしまえば、畏敬の声を漏らすより無い。

 それは正しく、円を描き天へと続く、続き続ける一本の巨大な、岩の柱なのだった。

 「感心する気持ちも解らぬでは無いが、これから、どうするのじゃ?」
 アーチ状のモニュメントの前で岩壁を見上げたままとなった凛音の背後から、ラシャラが声を掛けてきた。
 返事を聞く前に、凛音より前へと踏み出して、アーチの内側へと手をさしのばす。
 
 音も無く。色すら見えず。
 
 「このように、遮られてしまう訳じゃが」
 
 その手は、丁度アーチを構成する二つの柱が平行した地点を境に、奥へと侵入する事は出来なかった。
 何も無い空間を、窓でも叩くかのように、二度三度と手の甲を打ち付けるその様子は、とても演技には見えない。

 「―――結界」

 ユキネが呟く。
 見えない壁が、確かにそこに在るのだとその瞳は告げていた。
 「なるほど、何か妙な存在感とでも言うべきか、確かに、感じる」
 横合いから、今度はアーチの傍の空間に手を伸ばしてきたアウラが、感覚を研ぎ澄ましながら言う。
 ダークエルフらしい卓越した直観力から読み取ったその言葉に、凛音は頷いた。
 「此処まで強力な神域ならば、本当は周囲の空間との間に何の違和感も感じさせない筈なんだけど―――多分、自己主張の激しい神様なんだろうね」
 「―――その、強力な神様とやらに、随分な口の聞き方するわね、アンタも」
 今更大概だけどと、キャイアが呆れ口調で言うので、凛音は哂って言い返した。

 「そりゃ、僕にとっては”親戚の叔母さん”みたいなものだからね」

 え、と目を丸くする少女たちを放って、未だアーチに手を付いたままのラシャラの脇を潜り、凛音はアーチの中に足を踏み入れた。
 「……おお」
 誰か、或いは少女たち全員か、驚きの声が漏れた。

 凛音は、何も無い空間を、それが当然とも言うべき気安さで、踏み抜けた。

 「入れたな」
 もう一度何も無い空間に手を伸ばして、矢張り何も無い場所でさえぎられる事を確認したアウラが、感心したように漏らした。
 この地で生まれた人間として、ユキネも同様に感嘆の声を上げる。
 「神罰が下るかと思ってたのに」
 「……姉さん、何気にきつくない?」
 岩壁―――天地岩の前に抱えていた剣士を降ろして、凛音は乾いた笑いを漏らした。
 「まぁ、お兄様に下るのは天誅と言うよりは人誅でしょうしね」
 驚きから復帰してそんな風に言い切ったマリアに、”誅するのは誰なんだ”と聞くものは居なかった。
 誰だって、命は惜しい。

 「それで―――これから、どうするのだ」

 少し怪しい方向へと走りそうになった空気を振り切るように、アウラが声を上げた。

 見渡す限りの岩壁―――天地岩。神の降臨する聖なる結界に守られた地。
 
 遂にその場所へと辿りついたわけだが、そこから先に一体どうやって、何を以って精神崩壊した剣士を復活させるのか。
 出来ると断言した凛音に引きずられるようにこの場所まで来たようなものだったから―――実際、言うからには出来るのだろうと疑わなかったのだが、それでこの後、具体的にどうするのかが判別しなかった。
 凛音は剣士を横たえた姿勢から身を起こして、少女たちに頷いた。
 「まぁ、ようするに前に説明したとおり、神頼みをね」
 これからするのだと、凛音はあっさりと言う。
 「―――だから、それをどうやってって」
 「神様……居るの?」
 天を見上げながら言うユキネに、凛音は肩を竦めた。
 「居るとも言えるし、居ないとも言える―――まぁ、人間の尺度じゃ解らない領域に存在する人たちだから、ね。アプローチを取るには、それなりの手順を踏まないと」
 そんな風に言いながら、凛音は再び、アーチを抜けて”外”へと戻ってきた。
 無論、寝かしたままの剣士は、”中”に残されたままだ。
 
 まさか、このまま後は、神様とやらが降りてくるまで、待ち続けるだけなのか。
  
 嫌な予感に顔をしかめる少女たちを見渡した後で、凛音は二度、三度とキャイアとユキネを交互に見渡しながら、一つ頷き、口を開く。

 「キャイアさん、腰の物貸してくれる?」

 指を指しながら凛音に請われて、キャイアは護衛聖機師としての嗜みとして腰に下げてあった鋭剣の柄にてをやった。因みに、この場で帯剣していたのは護衛役であるキャイアとユキネのみである。
 「腰の物って……コレよね」
 「うん。ちょっと必要だからさ」
 「剣など、何に使う気じゃ?」
 疑問を浮かべながらも、何となく剣を手渡してしまうキャイアを横目に、ラシャラは不信気な顔を浮かべた。
 「言ったろ、―――手順が要るって」
 内面を見せない笑みを浮かべながら、凛音は片手で適当に剣を振り回して、握り具合を確かめる。
 「聖域に武器を持って立ち入る、と言うのは些か趣から外れているように感じられますが」
 「儀式的な意味合いでは、刀剣類は結構見るけど……」
 ハヴォニワの主従も揃って首を捻るが、矢張り、答えは出なかった。
 揃って疑問顔を向けてくる少女たちに、しかし凛音は何も答えずに再びアーチの向こうへと踵を返す。
 それを潜り抜ける刹那、アーチの傍の空間に立っていたアウラが、囁くように尋ねた。

 「―――やはり、碌でもない事をするつもりか?」
 「まぁ、ね。―――”抑えてくれると”助かる」

 やはり凛音も、小声で返す。
 アウラは小さく息を吐いて、凛音にだけ伝わるように了承を示した。
 
 「お前の頼みは聞く。―――前に、言ったろう?」

 アウラの同意も得られたことで、まずは一安心といった所かと、振り返らずに凛音は微笑を漏らす。
 そしてそのまま、剣を右手に下げ持って、剣士の前まで歩みを進めた。

 天地岩の真下に仰向けで寝かせられている、物言わぬ剣士の前へと。

 「さて、と」

 自分の声の乾き具合に、要らぬ緊張を覚えていたことに気付かされる。
 いつの間にか口の中に溜まっていた唾を嚥下して、大きく、深呼吸をして―――それから。

 剣を持ち上げて、刃先を、剣士の喉下に当てる。

 「―――おい!」
 「ちょっ―――何を!?」

 背後で悲鳴が上がるのが聞こえたが、凛音は剣を持った手をピタリと静止させて揺らす事は無かった。

 天を見上げる。
 屹立する岩壁、雲の向こう、成層圏を越えて、更に遠く、物理的な距離すら、時間の遠さすらも超えて、遠く、遠くを。


 「―――柾木剣士を殺されたくなければ、今すぐ我が声に応じろ。10秒だけ待つ」


 言った。

 「ちょっと何考えているのよ、アンタ!」
 「正気か従兄殿!」
 「凛君、それはさすがに……っ」
 
 次々と聞こえる、少女たちの避難を向ける声も、凛音に行動の撤回を促す事は出来なかった。

 「10。9。8。7……」

 一片も姿勢を動かさぬが故に、その顔色は伺えない。

 しかし、少女たちには確信があった。


 ―――やると言ったら、やるのだ。


 甘木凛音と言う少年は。
 それを信じたからこそ少女たちは此処まで来たのだし―――それ故に、宣言したその言葉に、嘘を感じる事は出来ない。

 「4。3。―――2」

 「待て、待つのじゃ、聞かぬか!」
 「ああ、もう―――ちょっとアウラ様、なんで止める!」
 表情を消して肩を掴んで押し戻してくるアウラを突破した所で、見えない壁に阻まれて凛音の元へとよれる筈が無いのも道理。
 
 「―――……1」

 だが、遂にカウントが狭まり剣を天頂へと振り上げた凛音の姿を見れば、目を見開きもがき前へと進もうとするのも、当然だろう。

 「従兄殿っ……―――剣士!!」 

 自身を遮る鉄柵となったアウラの腕越しに、ラシャラは叫び手を伸ばして―――やはり、阻まれた。
 強い力で手を伸ばしても、資格無き少女に、聖域は門を開くことは無い。

 故に。


 「0」


 言葉とともに振り下ろされた白刃を、極限まで研ぎ澄まされた意識で、見続ける事しか出来なかった。
 
 ゆっくりと―――しかし、現実には刹那の間も持たずに、剣士の首と胴体を切り離す刃。
 
 届く。
 もう直ぐ届く。

 ほら、見てごらん。もう。

 もうその刃は、皮にめり込んで、赤い雫が―――。


 音にすらならぬ音と、光とは感じられぬ光が、空間を満たしたのは、その時だった。






      ※ 割りと本気で捨て身である。



[14626] 52-3:偽・天地無用! 魎皇鬼 ・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/27 00:19

 ・Scene 52-3・





 六畳一間の畳敷き。
 
 中央にちゃぶ台。その周りに座布団が敷かれている。

 板張りの壁には、カーテン代わりに窓に障子がはめ込まれており、何とはなしにそれを開いてみれば、庭先だろうか、霧雨に包まれた外の様子が見て取れた。

 雨の染み込んだ地面。小さな池と、その中央の小島に在る、一本の巨木が何よりも印象的だ。

 新緑の葉が雨露を弾き、大樹は物言わぬまま、佇むのみで―――呆然と立ったまま、窓からそれを見ていた雨契には、それが、自らを歓迎する祝福の言葉を贈ってくれたように感じられた。

 そう、同属たる雨契を―――。

 「―――え?」

 それに気付いて、目を瞬いた。
 しかし何度瞬きをして、目を擦った所で、その現実は変わらない。

 雨契が窓越しに見やるその先には、確かに大樹が地に根を下ろし、天に枝葉を広げている。

 「皇家の、樹……は? しかも、アレ―――うぇ!?」」

 いや、そんな馬鹿な。
 夢から突然覚めたかのように、動作から緩慢さが消えて、凛音はしきりに辺りを見回す。

 ちょっとした書生室のような、古めかしいつくりの木造建築。明かりがついていないため、雨ゆえに日差しも指してこないせいか、室内は薄暗い。
 だが、何の変哲も無い部屋である事は確かで―――そう、何の変哲も無いのだ。

 「何だ此処。天樹の中の筈も無いし―――あの樹が作った亜空間でも、無いよな。そんな、馬鹿な事が」

 自身の健常な認識が異常でかつ冗談であって欲しいと、雨契は願った。

 「いやいや、お前さんの認識は何も間違っちゃ居ないさね。此処は間違いなく鄙びた有人惑星の大気圏内で間違いない。因みに惑星の名称は―――”地球”」

 声が聞こえた時には、丁度再び窓の向こうの異常事態に目を向けている最中だ。
 振り返る速度の速さといったら、後で思い返したら自分でも笑うだろうなと思ってしまうくらいの必死さで、体の動きに目の焦点をあわせる動作がまるで付いてきていなかった。

 だから、ブレる視界で一目見て。


 「―――何時かの蟹の化け物!!」


 「誰が蟹だい!」

 頭を畳の敷かれた床に叩きつけられる事になった原因が、ハリセンによる一撃だったと気付いたのは、顔だけ起こしてソックスに包まれた細い足首を視界に納めてからの事だ。
 そのまま、細いと言うかやせ気味の足をなぞるように視線を上げ―――られる筈もなく、もう一度顔を伏せて、まずは身体を起こした。

 「―――瀬戸殿から聞いていた通り、面白みの足りない子だねぇ」

 頭上から、つまらなそうな声が聞こえてくる。
 もう一度叩いてやろうと思ったのにと聞こえたのは、幻聴だと思いたかった。

 「割と最近は、女性に玩具にされる機会が増えましたが」

 頭をなで摩りながら、頭一つ半は下に在るその女性に、雨契は言葉を返す。
 
 「そりゃあ、いい男になってきた証拠さね」
 
 納得の顔で、特徴的な髪型の持ち主は頷いた。赤い髪、後ろで纏めている筈なのに、大きく左右に広がった―――ようするに、蟹の足のような、そんな印象すら覚えるシルエット。
 
 まぁ、座りなさいなと、何処か年寄り染みた口調でちゃぶ台の前に誘うその言葉に、雨契は逆らう気は起きなかった。
 
 「一目見て勝てないって解る人と会うのは、大分久しぶりです」
 「そうかい?」
 「ええ、樹雷には沢山居たんですけど」
 「だろうさね」

 座布団に腰を下ろしながら語る凛音に相槌を打ちながら、赤毛の女性は何処か中空を、じっと眺めていた。

 その顔には見覚えがあった。
 ESP能力者が遠距離念話を行う時に見せるものだ。

 今、お茶を持ってこさせるからと、顔を下ろした女性は言うので、雨契は曖昧に頷いた。

 「―――それ、飲めるんですか?」
 「飲めると思えば、飲める。飲めないと思えば、飲めない。―――まぁ、気分の問題さ」

 自分の体を改めて見下ろして尋ねる雨契に、女性は禅問答のような言葉で返した。
 改めて確認するまでも無く、雨契の身体は半透明に透き通っていた。

 「アストラル体―――」
 「そう見えるかい?」
 「……いえ。”何だか良く解らない状態”に思えるんですけど」
 
 見た目そのままの幼い顔立ちの中に、老練な賢者の視線を交えてくる女性に、雨契は正確さに欠けた返答をする。

 これは何? 
 解りません。

 質問した側が怒り出すようなその言葉に、しかし質問者の女性は、満足そうに頷いた。
 中々見所があるじゃないかと、楽しそうに哂う。

 「無理やり自分の常識から答えを導こうとしないのは、良いことさ」
 「いや、まぁ……今更、この状況で常識云々語られてもしょうがないような」
 
 体の重みを感じないながらも、肩を落としてみれば体重が乗った気分になる。全く以って不思議である。
 そも、自分は今、何処で考えて何処で見ているのか。どうやって喋っているのか、謎以外の何者でも無い状況だった。
 諦め口調でのたまう雨契に、女性は完全に同意だと頷く。

 「そうさね。まさかあたし達も、いきなり脅迫なんてされるとは思わなかったさ」
 
 暗い室内が、更に暗くなったように感じられたのは、気のせいだろうか。
 責められているのか、面白がられているのか―――いや、反応を見て、玩具にするつもりなのだろう。

 「必要であれば、やる。他人に言わせると、僕はそういう人間らしいですよ」

 それ故に、”面白みが足りない”と言う人物評そのままの、落ち着いた態度で応じていた。
 元より本気で、憚る気持ちは一片たりとも以って居なかったのだから、仕方ない。
 案の定、とでも言うべきか、女性はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 「―――ま、思惑がみえみえの演技でも、乗ってあげるのが大人の役目さね―――でも、本気で切っちまうヤツが居るかい」
 「ああ、ガーディアンを自立モードにして命令を実行させてましたから。―――でも、本気でやらないと、出てきてくれなかったでしょう?」

 辛口な言葉にも、雨契は落ち着いて言葉を返す。
 何が、とも言わないし、そもそも、目の前の女性が何者であるかすら、彼は未だに確認して居なかった。
 暫しの睨みあい。

 「まぁ、良いさね」 

 その後で、折れたのは女性の方だった。折れてくれた、と表するのが正しかったろうが。

 「坊や殿の思惑通り、剣士殿は、今はあたしの末妹が必死こいて修復してるトコ。喧嘩ばっかり得意な妹だけど、まぁ、剣士殿のためなら心配はいらないさ」
 「ああ。―――助かります」

 女性の言葉に、雨契は深々と頭を下げた。
 女性は良いって、と面倒くさそうに手を振った。
 

 「あたしにとっても大事な弟のことなんだから、こうなっちまえば他人事とは言えないさ。―――坊や殿を放置しっぱなしにしていたのは、あたし等にも責任がある事だからね」
 「―――今更、消されるのは無しですよ」
 「あたしは恋する女子供の味方だよ」

 一部、女子じゃないのも居るみたいだけどと、目を細め鋭い眼差しになった雨契に、女性はカラカラと笑って言い切った。

 「好きなだけ、居れば良いさ。予定はあくまで予定。―――結果が満足いく物ではなかったからといって、他所から強引な手段で手直しするなんて、如何にも破廉恥だ。あたしは嫌いだよ、そういうやり方」
 「僕は割と好きですけど、力押し」
 「―――ははっ、実はあたしもさ」

 軽く肩を竦めた雨契に、女性もニヤリと笑って同意する。

 「でも、今回の力押しは剣士殿を直すまででお終いさ。正常な力を有する剣士殿と、正常な力を発揮できるようになった坊や殿を、二人同時にあそこに放り込んじまうと、正直、あの時の二の舞になるだろうからね」
 「……あの時?」
 「こっちの話さ」

 首を捻ってみるが、女性は深くは聞くなと話を切ってしまったので、雨契は相応の賢明さを発揮してそれ以上の言葉を重ねる事は無かった。
 
 「ま、世の中知らない方がいい事は、沢山ありますもんね……」
 「そういうのを無理やりひっくり返してあけっぴろにするのが哲学師の役目なんだけどねぇ……。坊や殿のその潔さは、哲学師には向かないね」
 「それ、瀬戸様にも言われましたよ」
 「つまり、誰でも思うことさ」
 
 だからと言って、それで諦めないのも自由だけれど。
 先達としての目上の態度で語られて、雨契も律儀に目礼を返していた。

 「―――お茶をお持ちしました」

 と、そんな声とともに、部屋を間仕切る襖が開き、三つ指付いた女性が楚々とした姿勢で廊下に控えていた。
 
 赤に対して、今度は青―――青よりは柔らかな、水色だろうか。
 美しい、と思う以前に幻想的な雰囲気を感じてしまうような、そんな女性。

 ―――尤も、私服にエプロン姿と言う、如何にも現実感と言うか、生活観が有り過ぎる装いだったりもするのだが。

 大和撫子と言う言葉が完璧に嵌るような洗練された動作で、女性は六畳間に踏み入り、雨契の前に緑茶の注がれた茶碗を差し出した。
 
 傍に近づいた一瞬に視線が絡み。

 「―――めが、み?」

 雨契は、気が遠くなりそうなほどの衝撃を受けた。

 「口説き文句としちゃ、唐突過ぎる上にイマイチ洗練されてないね」
 「もう、からかっちゃだめだよぉ」

 ちゃちゃを入れてきた赤毛の女性に、水色の髪の女性は、ふんわりと微苦笑を浮かべる。
 それから、先ほどまでよりも幾分現実味を感じさせる笑顔で雨契に振り返り、再び、ゆったりと頭を下げてきた。

 「あの子がいつもお世話になっています」
 「は?」

 言われた意味を理解できずに、後頭部を見つめたまま呆けた声を上げてしまった雨契に、赤毛の女性が茶を啜りながら口を挟んだ。

 「その子も、剣士殿の姉ちゃんさ」
 「―――ああ」

 納得したと雨契は頷く。
 本当に柾木剣士の”姉”なる存在であるとすれば、とんでもない人に頭を下げさせている事になるよなと頭の片隅で思いながらも、何とか返す言葉をひねり出す。

 「その、むしろちゃんとお世話し切れなかったから、こうやってお縋りせねばならなかったのですが」

 自戒染みた口調でそんな風に言うと、女性はゆっくりと頭を上げて、やはり、微笑んでいた。

 「元々こちらの勝手で押し付けてしまったようなものですから。気にかけて下さる方が居てくれるだけでも、安心するものです」
 「あ―――でも、その。……僕が居たせいでってのも、ありますし」
 「そんな事は……」

 
 『そうだな。貴様の存在が全てを狂わせた』


 暗かった室内が、壁や、天井、畳と卓袱台だけを残して、無明の闇へと姿を変えた。
 下される言葉は、正しく、天上からのもの。

 しかし見上げるまでも無い、確かな存在感を感じさせる”何か”が、今まさに、雨契の目の前へと顕現していた。

 赤、青と来れば黄色か。
 思うほど黄色っぽくも無いなと、圧倒されている割には、自分でも不思議に思うほど、余裕のある事を考えていた。

 「―――終わったのかい?」
 『ええ。無事に。送り返すタイミングは、姉さんに任せます』
 「任せておき」

 それはきっと、その存在の興味が、一片たりとも自身に向いていないことに、気付いていたからだろう。
 
 ただの人間にしか見えない存在。
 神とも人とも付かない存在。
 それから、神そのもの。

 「―――人に自慢しても、誰も信じてくれないよな」
 「随分余裕あるじゃないか、坊や殿」

 もれ聞こえた言葉に、赤毛の女性は感嘆の笑みを浮かべたが、超常的な”気配”にすれば、毛ほども面白くない言葉だったらしい。

 『戯れごとばかりを。―――エラー如きが。姉様たちの言が無ければ当の昔に因果の一欠けらも無く滅せられておる事を、よう心得るのだな。”次は無い”、故に』

 一瞬だけ、戦慄を覚えざるを得ない圧倒的な圧力を雨契に浴びせた後、それは消えた。
 同時に、無明の闇から、世界があるべき姿へと戻る。
 
 少しだけ、無言の間。
 女性たちにとっては、恐らく驚くべき事でもない事態だったのだろうから、ようするに、雨契の言葉が待ち望まれている状況だった。


 「―――世の中、知らない方が良い事も、ありますよね」


 熟考もせずに、当たり前のように吐き出された言葉は、それだった。

 「坊や殿には、哲学師は無理さね」
 「そうかなぁ、その慎重さは、危険な研究をする人には必要だと思うけど」

 深々とため息を吐く赤毛の女性を、水色の髪の女性はやんわりと嗜めるように口を挟む。
 わざわざ言葉に”危険な”と入れている辺り、日頃何か色々と思うところがあるのかもしれない。

 是非とも聞いてみたい所だが―――。

 「じゃあ、そろそろ時間さ」

 そういう事だ。

 六畳一間の小さな和室。
 理解し得ぬが、確かな現実として存在しているらしいこの場所で、理解し得ぬであろう方法を用いての邂逅は、いよいよ終わりとなるらしい。

 「最後だし、サービスだ。何か聞きたい事があれば答えるよ?」

 赤毛の女性の言葉に、雨契は少し考えて―――それから、一つだけ知るべき事があった事を思い出した。
 じゃあ、と前置きして。


 「結局なんで僕は、ジェミナーに居るんでしょうか」

 
 その言葉で、ピシリ、と。
 擬音でも響きそうなほどに、世界が、固まった。

 ダラダラと汗を流しながら視線を逸らす赤毛の女と、困った風に笑いながら、矢張り額に汗を浮かべた青い髪の美女。
 空気は余りにも不穏すぎた。
 

 「まぁ、アレだ。そのうちウチの馬鹿娘に、詫びを入れさせに……」

 「ウチのお姉ちゃんにも、菓子折りを持ってちゃんとお詫びをしに行くように言い聞かせておきますので。―――ああ、いえ。勿論、私も原因の一つではあるんですが……」


 冗談でもなく、本気で両手を床について頭を下げてくる二頂の神の姿は、恐ろしすぎていっそシュールだった。
 何なら今から呼び出すけど、と気楽に言ってくれたところで、雨契としては全力でお断りするより無い。
 世の中、本当に知らない方がいい事があるのだと、二人が頭を上げるまでの間、必死で自分に言い聞かせ続けた。

 
 「じゃあ、そろそろ時間さ?」

 
 赤毛の女性は、先ほどの区切りの言葉を、何故か今度は疑問系で言い直す。
 礼儀正しく、誰もそのことには突っ込まなかった。
 青い髪の女性が、雨契と向かい合い、そして矢張り、深々と頭を下げた。

 「あのこの子と、どうぞ宜しくお願いします。無茶ばかりを繰り返す子なので、また、ご迷惑をおかけするかもしれませんが」

 まるで母のような口調だなと思いながらも、一つ頷くだけで答えた。
 それは、答えるまでも無く、我が身の生まれを思えば、果たすべきことだと確信していたからだ。

 「―――それから」

 そのまま別れとなるのかと思ったら、女性は頭を上げて、更に言葉を続けてきた。

 そっと、たおやかな動作で、雨契の頬に手を伸ばす。
 母のような、優しい仕草で。


 「余り無理をなさっては、いけませんよ。魅月が―――あの、優しくて憐れな子が、貴方に託したその命。その想いを、どうか、忘れないで」


 目を見開く。

 その瞬間から、視界が急激に”そこ”から遠ざかっていく。
 引き伸ばされた距離は現実を超越し、―――否、今こそ現実への回帰の時だと告げていた。
 遠くで、赤と青の女神が、手を振っているのが見えるが、もう、届かない。

 あるべき場所へ、戻るのだ。






     ※ 9が六個も並んでいる珍しい光景を見れる人も中には居るんですよね……。

       まぁ、さて、そんな訳で。
       これでオリ主の前日譚的な経緯に関して、劇中で語れる範囲で語りつくしたかなぁと。
       大体こんな感じ、と何となく解れた人も中には居るでしょうか。と言うか、居てくれると助かる。予備知識必須だけど。
       これ以上正確に書くとしてもエピローグ以降になりそうですかねー。

       しかし遂に、聖機師の二次なのに聖機師キャラどころか舞台すら出てこない話が出てきちまったなぁw



[14626] 52-4:偽・天地無用! 魎皇鬼 ・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/27 21:42


 ・Scene 52-4・




 届く。
 もう直ぐ届く。

 ほら、見てごらん。もう。

 もうその刃は、皮にめり込んで、赤い雫が―――。


 「お兄様、駄目っ!!」


 妹の悲鳴よりも、まず、首筋に感じた湿った感触に総毛だった。
 
 我に還る。自らの行動を省みて―――そして、戦慄し、蹈鞴を踏んだ。
 固まったまま動かない何かを握り締めた右腕を、その中身にあるものを認識して、全身から冷たい汗が噴出す。
 
 剣を、握っていた。赤い雫がうっすらと滴る、剣を。

 「何を考えておるのじゃお主! いきなり”自分の首を”掻っ切ろうとするなど!?」

 ラシャラの怒声が、背中越しに響く。
 その言葉の意味をかみ締めて、ごくりと一つ、喉を鳴らす。
 開いている左手で、そっと自身の首を撫ぜた。

 ぬるりとした、生理的な嫌悪を呼び起こすような、おぞましい感触。
 撫ぜる仕草をやめて、手のひらを、顔の高さに運ぶ。指が朱色に染まっていた。

 ―――首筋から、血が滲んでいたのだ。

 何故か。考えるまでも無い。右手に下げ持つ借り物の剣に視線を落とす。
 滴る血が剣先に到達し、ゆっくりと、血に雫を垂らした。

 「―――天罰」

 震える声で、凛音は呟いた。

 ”次は無い”。

 どうでもいい事のように、会話の片隅に混ぜられていたその言葉の意味を、今こそ正しく理解した。
 予想通り怒らせると怖い存在で―――そして、予想以上に、矢張り恐ろしい存在だったらしい。
 「事象の改変、か。”僕”にすら認識させないほど、完璧な―――」
 しかも、きっと片手間に。ちょっとした悪戯気分で。
 その事実に気付かされてしまえば、最早恐ろしいと思うよりも、唖然としてしまう感情のほうが強くなる。
 自分では、どう足掻いても勝てない存在。
 その実力のほんの一端を、見たくもないし知りたくも無かったけど、体験してしまった。

 「無茶をするとは聞いていたが……その無茶は、流石に想定外だぞ?」
 「っていうか、ちょっと、だいじょぶなのアマギリ! け、剣に、血、血が!」
 アウラが安堵の息を漏らし、リチアは凛音の手の中に在るものを見ながら、取り乱す。
 「……変な感じ。何時もの凛君の筋肉の使い方と、違う感じがした」
 ユキネは、何処か不可解な物を感じて、考え込んだ。
 「―――もう、私あの剣使えないわ……」
 その横でキャイアが、自分の剣が切ろうとしたものが何だったのかを理解してしまい、呻いた。

 息を一つ吐いて、高いところを見上げる。
 目の前にある岩壁に息が詰まりそうだったのと―――それから、背後を振り返るのがどうしようもなく恐ろしかったから。
 
 しかしどれほど首を傾けようとも、視界の端から屹立する巌の姿は消える筈が無く、返ってそれが、全知たる神の存在を実感していた。
 
 今頃、何処かで。

 嘲笑っているのだろう。凛音の事を。高みから。

 「ま、居させてくれる事を認めてくれただけでも、御の字ですよ」

 誰にとも無く口にして、肩を竦める。首を振り払って、何時もの気分へと切り替えた。
 凄まじいという他無い経験をした事は事実だが、二度は無いと言う事もまた事実で、つまりは、囚われすぎていても何の意味も無いことに気付いていたからだ。

 やるべき事。―――そうやるべき事は別に在る。

 何となくの動作で抜き身の剣を地面に付きたてた後で、ようやっと、下を向いた。

 地面。
 そこに横たわる、柾木剣士のほうを。

 「ん……」

 まるで計ったようなタイミングで、剣士の閉じられた瞼がぶれて、口から小さくうめき声が漏れた。

 「剣士!?」

 耳聡くそれを聞き届けたらしいキャイアが、結界の向こうから驚きの声を上げる。

 「んっ……―――んん?」

 その音を煩わしいと感じたのかは、きっと本人以外にはわからないだろうが、眉根を寄せる剣士の顔は、明らかに意識を現実へと浮上させようとしているのだと、理解できた。
 
 丘陵地帯に、緩やかな風が靡いて。

 「―――空、晴れてる? さっきまで雨が降っていたのに……」

 柾木剣士は、ジェミナーへと帰還した。

 「そりゃ、夢だよ」
  一足先に帰還を果たしていた凛音が、微苦笑交じりに声を掛ける。
 剣士は、茫洋とした視線を空に向けたままで、凛音の言葉に応えた。
 「夢ですか……。姉ちゃんたちにスゲェ怒られて、それから砂沙美姉ぇが、爺ちゃんのとこにお客様が来たからって席を外して、それから……」
 「うん、夢だよそれは。間違いない、夢だ。と言うか、僕のために夢だと思うことにしてくれないかな」
 何となく嫌な予感が先行したので、凛音は早口でそうまくし立てた。振り返るまいと誓った瞬間に追いかけてきたとあれば、その反応も仕方ないだろう。

 「―――……? アマギリ、様?」

 頭上近くから重ねられた言葉に、漸く剣士は、傍に立っていた凛音の存在に気が付いたらしい。
 起き抜けの目を丸くして、凛音の顔を見ている。
 「や。―――お早う」
 後ろ手に手のひらを示して、物言いたいであろう少女たちの発言を止めながら、凛音は剣士に笑いかける。
 「お早う……御座います」
 「気分はどう?」
 「えっと―――」
 問われて、剣士はそれでもまだ大地に横たわったままで、何度か瞬きをした後で答えた。

 「お酒が、漸く抜けたときみたいな気分です」

 「夢から覚めた、みたいな言い回しを死無かったって事は、悪酔いしてた自覚が残ってたってことかな」
 「―――どうなんでしょう。でも、ああしているのが正しいって、何だか」
 今でこそ解る自身の行動のおかしさに、剣士は戸惑いを覚える。
 「まぁ、酔ってる時の行動って、後から考えると、結構恥ずかしい物だったりするしね。―――あんまり引きずる物じゃないよ」
 「そんな、簡単に。だって、俺―――」
 眼前に手のひらを持ってきて、剣士は呻くように言った。辛そうに。
 「俺、この手で」
 手は、少し震えていたし、顔は青ざめかけていた。

 ババルン・メストの下にあった時の事を、正しく、理解し始めているのだろう。

 破壊した”物”。奪った”者”。その何れも。
 今の剣士の正常な倫理観で言えば、決してやってはいけない事だったのだ。

 「壊して、―――殺して」
 「だから、そんなの気にするような事じゃないって」
 「そんなのって!」
 気軽な口調で返す凛音に、剣士は悲鳴としか聞こえない声で反論する。しかし、凛音はそれでも、剣士の揺れる瞳を前にしても、平然とした物だった。

 「殺して、壊した。思わず、意識しないままに? それがどうしたってのさ。たかが城や砦の一つや二つ吹き飛ばした程度で、ゴチャゴチャ泣き言を口にしてるんじゃないよ。―――若い闘士が勢い余って”小惑星の一つや二つ”塵も残さず消滅させるのなんて、日常茶飯事じゃないか」

 それに比べれば、どうと言うことも無い瑣末ごとに過ぎないと、凛音はあっけらかんと言い切った。
 剣士は、果たして何と応じればいいのか言葉に迷い、押し黙る。

 「いやまぁ、僕の領分が荒されていないからこそ言える事ではあるんだけどさ。でも、そうだからこそ、ホントに、あんまり気にする必要も無いことだと思うんだよね。―――今回はキミは失敗した。うん、それは事実。だけど、運良くキミの大切な人たちも、概ね無事のままなんだから、次に気をつければ良いだけじゃない」
 肩越しに親指を差し向けて、結界の向こうで見守っていた少女たちを指し示す。
 「皆……」
 「そ、皆居る。―――ああ、若干名外回りで外しているけど、概ね無事だ。メザイア・フランとユライト・メストも、まぁ、向こうで元気なんじゃない? ―――ああ、ついでにガイアも無事な訳だ」
 やれやれと、凛音は肩を竦めた。
 「ガイア」
 かみ締めるように剣士は繰り返す。その瞳に、意志力が戻ってきている事に、凛音は安心を覚えた。

 「やられたら倍返しが樹雷の流儀だろ? そんな所で呆けてる暇無いぞ。―――いろんな意味で」

 向こうのお嬢さんたちもそろそろお待ち兼ねだと、茶化しながら。此処から先、完調に戻す役目は、もう自分の役目では無いなと判断して、苦笑混じりに言う。

 「そうですね」

 漸く剣士は、微苦笑交じりに頷いた。
 それに頷き返して、凛音は寝たままの剣士に、片手を差し出す。

 「立てる?」

 「―――はい!」
 
 ぐっと、差し出された手を握り締めて、剣士は身を起こす。

 そして。

 
 転写情報内に規定情報との差異を感知。
 必須更新情報と確認完了。
 情報更新を自動実行開始。
 実行中。実行中。実行中。実行完了。
 システムを再起動し、全情報領域に対して自己診断機能の実行を開始。

 
 「―――どわっ!? 何するんですか、アマギリ様!」

 起き上がろうとしてバランスの悪い姿勢になった瞬間に、突然支えにしていた手を離されてしまえば、剣士といえども悪態を付くのは当然だろう。

 しかし、凛音はたった今振り解いたばかりの、手のひらを見ていた。

 「何をしておるのじゃ、凛音殿」
 「―――新手の、虐め?」
 「日頃自分が苛められる立場だからって、それは無いと思う」
 次々に背中に突き刺さる少女たちの言葉も、しかし耳に入らない。

 手のひらを、じっと見る。
 何も無い。―――でも。
 あっさりと怒り顔をなくして、不思議そうな顔で見ている剣士に、視線を送る。
 もう一度、自分の手のひらを見る。

 「―――アマギリ様?」

 剣士の呼びかける声も、やはり、何処か遠い物に聞こえた。
 手のひらには何も無い。そこに物理的な影響力を持つ何かは、一つたりとも存在していなかった。

 でも。

 「アストラル・コードの、接触転写……?」

 まさか、とか。そんな馬鹿な、とか。脳を占めるのはそんな益体も無い言葉ばかり。
 でも、これが現実だ。
 元はと言えば、これを求めて剣士の復活を目指していて、そして、こうしてそれは、無事に手に入った。


 ”修正パッチ”。


 ”剣士の手”から”凛音の手”に、今まさに、それは写し取られたのだ。

 『そのお礼代わりといっちゃあなんだけど、あの子にはあたしが作ったアンタの機能を安定化させる修正パッチと、瀬戸殿の仕掛けたロックを解除する解除コードを持たせておいたから』

 ―――”持たせておいた”。

 呆然とした思考で、その意味を理解する。
 
 「持たせておいた―――なるほど、”持たせておいた”か。ハハ、そうだな。足の先や頭の上に、物を”持つ”ヤツは何処にも居ない。持つと言うからには、手段は一つ―――ハハ」

 暗い笑みが、そばで見ていた剣士には酷く恐ろしい物に見えた。

 「あ、アマギリ……様?」

 震える声で問いかけるも、しかし凛音は歯噛みしながら、手を思いっきり握り締めて、遥か天空を見上げるのみだ。

 そして。


 「気付く筈が無いだろうがっ! 蟹ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ――――――!!!」


 絶叫が、青空に響き渡った。 



 ・Scene 52:End・






     ※ 上手くやれば90話前後で手に入っていたと言うのに、コイツと来たら……



[14626] 53-1:結界工房・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/28 21:05


 ・Scene 53-1・



 『それでは、剣士さんはお目覚めになられたんですね!』

 大画面のモニター越しに映る喜色満面の笑みに、凛音も心持ち満足げな表情で頷く。
 「うん、何とかね。―――しかし悪いね、そっちの仕事押し付けちゃって。ラピスさんも、本当ならこっちに着たかっただろうに」
 『いえ、お構いなく。私がこちらに残らないと、リチア様がそちらへ行けませんでしたから』
 ニコリと笑顔で言い切ってくれるラピスに、凛音は大げさな仕草で肩を竦めた。
 「さすが、従者の鏡だね」
 『私を褒めてくださる暇がおありでしたら、凛音様は是非リチア様のためにお時間をお使いくださいましね?』
 「……さすが、従者の鏡、だね。―――そんなに蔑ろにしているように見えるかなぁ」」
 降参とばかりに手を振った後で、天井を見上げる。
 上層部の宮殿区画では、今頃剣士の快気祝いのパーティーでもやっているはずだから、件の少女もそこに居る筈だった。
 『ご自覚、おありだったんですね……』
 呆れる様な嗜めるような、そんな口調で年下の少女に言われてしまった。
 「自分、不器用なんでね、生憎」
 『直ぐにそういう返しが出来る方を、不器用と評する世の中は存在しないと思いますけど』
 「―――まぁ、僕のことは、良いじゃないか」
 硬い笑みで視線を逸らした凛音を、ラピスは悪戯っこい笑みで追いかける。
 『私としては、このまま一時間でも二時間でもお説教して差し上げたいのですが。―――ワウアンリーさんにも頼まれていますし』
 「―――何処で誰に何を頼んでいるんだ、あいつは」
 意外なところで繋がっていた従者ネットワークに、凛音は驚愕を覚えるのだった。

 「それで、そっちの様子はどんな感じ? ウチの母―――じゃないな、もう。フローラ様辺りが無茶したり、してない?」
 一頻り説教染みたものをいなし切った後で、凛音は疲れた顔で実務的なことを尋ねた。因みに、本当に精神的に疲れている。年下の少女に正論で説き伏せられるというのは、中々心が痛むものなのだ。
 男に対してひたすらに自分を上に置いて言いたい事を言い続けるという、ある意味女性としての究極の満足を存分に味わったラピスは、気分良さそうに凛音の言葉に頷く。
 『フローラ様との連絡は、こちらにお借し頂いている凛音様の下の方々に行っていますから、私は特に。―――その、たまに酷く、皆様が疲れた顔をしてらっしゃるのを見かけますが』
 「……家令長に後で、残業手当だすからって伝えておいて」
 僕、個人資産持って無いけどと続けながら、凛音はかつての主を相手に気苦労を強いられているのであろう老人たちの冥福を祈った。
 「まぁ、フローラ様がはっちゃけてるって事は、ようするにハヴォニワ西部での逆襲は上手く言ってるって事で良いのかな」
 『そう、ですね……。その、応援に来ている連合軍に活躍の場が無く、若干不満が溜まっているのが気がかりですけど』
 「何なら、文句言ってきてる連中は、モルガ殿の所に押し付けちゃうのもありかもよ」
 三人寄ればと言う体で、相応の思惑が絡み合う国際連合軍の内情に眉根を寄せたラピスに、凛音は気楽な風に言う。
 『モルガ様、ですか?』
 瞬きをするラピスに、凛音は頷く。
 「うん。もう纏めてシトレイユの国内に投げ入れちゃうのもアリだよ。明らかに過剰な戦力が国内に流れ込んでくれば、流石に穴熊決め込んでいたシトレイユ貴族の連中も道を過ってくれるかもしれないし。そうすれば、モルガ殿的には好みだろうさ」
 『―――土地に住まう人々には、まるで喜ばれないと思いますが』
 「ゲリラでも生まれてくれれば、後々そこを統治する連中は大変だろうね」
 人道的な懸念を表明するラピスに対して、凛音はそれこそが狙いだとでも言いたそうな態度だった。
 「あんまり意識して無いかもしれないけどさ、形式上コレ、”国家シトレイユ”から仕掛けてきた侵略戦争だから。向こうの首魁は宰相閣下だし、実験を奪われた”女王陛下”も”シトレイユは世界の敵となった。最早滅びる他無し”って、章印入りの文書発行しちゃっているからね。―――この期に及んで逃げていないなら、そりゃそいつ等の責任だよ」
 『―――凛音様は、少し割り切りが過ぎると思うのですが』
 「正直、顔の見えない会った事も無い人間なんて、興味沸かないから」
 咎めてくる言葉にも、凛音はまるで揺るがない。

 一つの国家が滅び、そして滅んだ国の民が、滅んだ国を懐かしんで侵略者たちに反旗を翻す。

 結構なことだ。
 強大な国力を有する大国など、世界にとっては百害あって一利なし。
 適当に中で乱れていてくれれば―――ついでに、その泥沼に足を突っ込んだ諸々の欲張りな人々が、苦労を強いられてくれれば、世間はそれなりに平穏が保たれるだろう。
 
 勿論、その中に親しい人間でも居たのならば、多少の扱いの変更も考える必要があったのだが―――生憎と、そう言う事も無い。
 顔の見えない、数字でしか現れない人々が、どれほどの苦難を背負おうと―――他に優先したい事があるのだ。一々背負っていられなかった。

 「まぁ、そういう嫌な面が見え過ぎる仕事を押し付けちゃった僕が言うことでもないと思うけど、そんなに気に病む必要も無いと思うよ? 何だったら、仕事押し付けた僕を恨んで気を晴らしてもいい」
 未だ広いネットワークを有する教会の代表として、各国の派遣軍の調整業務を主に代わって遂行しているラピスに、凛音は殊更気楽な声で言った。
 『―――何だか、そうやって納得ばかりしていると、自分が嫌な大人になって行きそうで』
 「ああ、それなら平気。ラピスさんが嫌な大人になる頃には、きっとキミの周りの人たちも、嫌な大人になってるだろうから」
 暗に、自分だけが特別じゃないから気にする必要も無いと慰めているのが伝わったのだろう、ラピスは困った風に微笑んだ。
 『不器用、ですね』
 「先に言ったろ?」
 そうでした、とラピスはふんわりと笑う。

 凛音はこっそりと安堵の息を漏らした。何処からとも無く今の会話がリチアに伝わったら碌でもない事になるなと思ったからだ。
 ラピスを苛めた(?)事に激怒されるであろう事は元より、リチアは今モニター越しに会話をしているラピス以上に潔癖な部分が大きい。もしリチアに連合軍の面倒な内情が伝わってしまえば、抱え込んでしまう彼女の事だ、余計な心労をかけてしまうだろう。
 だからこそ、まだ少し世慣れしたラピスが、リチアに変わりこう言った裏側のドロドロとした部分を引き受けている訳だし。
 こういった夢や希望ではどうにもなら無い領域に関して頼れる人が、多少なりとも周りに居てくれたのは幸いだった。
 それが年頃の娘さんたちばかりなのは―――それも、世情を理解しながらも、夢や希望を無くさないような娘さんたちばかりだったりするのは、本当に困りものだったが。

 「ま、どうなった所で、最終的には僕に責任が押し付けられるのは確実だし、それなら特に、僕は気にしないから、良いさ」
 『ですからご存知の通り、そうなった場合はリチア様が大変お心を痛めるであろう事が、問題なのですが』
 優秀な従者殿は、相変わらず主第一の真面目な態度だったので、凛音も少し真面目な顔を作ってみる。


 「―――じゃあ、心を痛める暇が無いくらい、全力で愛して見せようとか言ってみるのは、どうかな?」


 『似合わないと思います』
 「ですよねー」

 モニター越しに突き刺さる冷めた視線が、非常に心に痛かった。

 「ま、近いうちに顔を合わせる事になると思うから、問題がありそうな事とかはその時までにリストアップしておいてくれよ」
 『承りました―――ああ、そうだ。近頃報告を受けたのですが、北部連合軍のダグマイア・メスト様が、何でも随分おやつれのようだとか……』
 「いいよ、アレには粗食を食わしとけば。我侭に育った子供は、力づくで押さえつけられる事もあるんだって学ぶ必要があるのさ」
 僕のように―――とは、流石に付け加えなかったが。
 ラピスは苦笑いを浮かべながら解りましたと頷いて、話題を変える。

 『合流は、結界工房で用を済ませた後、ですか?』

 「うん、このまま全速で結界工房へ向かって―――まぁ、明後日には付くでしょ。そこで荷物を受け取って、そっちへ合流した後は、いよいよ聖地への進軍だ」
 長かったねぇと、ラピスの言葉に肩を回しながら頷く。
 『位置的に考えて、合流までに一日以上と考えると、―――ギリギリ、ですね』
 「そ、ギリギリ”間に合わない”」
 表情を曇らせたラピスに、凛音も遊びの無い表情で頷いた。その後で、でも、と続ける。

 「だからこそ結界工房だ。今向こうに行ってるワウに準備させている”アレ”さえ回収できれば、ガイアなんて今更恐れる必要も無い。復活した瞬間、ドカンといけるさ」

 

 「―――との、事です」
 薄暗い地下遺跡の、殊更暗闇めいた空間。
 「なるほどな」
 その部屋の主は、闇すらも震えだすような、底冷えするような声で頷いた。
 本人はきっと、笑みを浮かべているのかもしれないが、それを理解できる人間は居ないだろう。

 ―――そもそも、その室内に、純然たる意味での人間は存在していなかった。

 「ユライト、貴様はどう見る?」
 豪奢な椅子に腰掛けたババルン・メストが問いかけると、機械的な姿勢で直立していたユライト・メストは一つ頷いて口を開いた。
 「事の正否は図りかねますが、あのアマギリ・ナナダンがわざわざ立ち寄ろうというのですから、彼にとって必要な何かが、結界工房に存在しているのは間違いないでしょう」
 「フム……」
 「結界工房は現在、最奥部を中心に隔絶結界を展開して外部からの介入を完全に遮断しています。それ故に我が軍も手出しできずに観測のみに留めていた訳ですが―――スワンで向かうとなれば、工房も結界を解除して迎え入れなければならないでしょうから、これはこちらとしても好機と考えられます」
 ユライトは淀みない―――機械的な口調で、兄に言葉を返していく。その瞳に迷いは無い―――そもそも、何の色も見えなかった。
 「好機、な」
 「覚えておいででしょうが、先日喫水外高高度から行われた航空爆撃。あの折に使われた汚染兵器―――無論、エナの中和作用によって放射線は中和されている訳ですが―――アレの一撃によって、再び我が方の艦隊は大打撃を受けました。ガイアさえ復活すれば艦隊の一つ二つ滅んだ所で瑣末な事、と言えるかもしれませんが、今後激しくなる一方であろう敵軍の進撃に際して、防衛のための戦力が不足する可能性があることは、流石に見過ごせません。汚染兵器ともなれば、それなりの施設と知識がなければ作れないのは当然ですが―――」
 「―――その可能性があるのが、結界工房か」
 「はい、他にも諸々、あそこには先史文明期の遺産が残っている事もありますが、ともかく、汚染兵器などこれ以上量産されたら厄介極まりありません」
 
 ユライトは即刻対処すべきと断言した。

 「汚染兵器、か……」
 ババルン・メストは重たい口調で呟いた。
 教会の薫陶を受け続けているジェミナーの人間であれば、決して持ち出さないような大量破壊兵器。
 それを何の―――エナによる中和作用がある事も、無論理解しているのだろう―――躊躇いもなく撃ち放ってくるというのだから、やはり、あの異世界人は侮れない。
 いっそ、このガイアたるババルン・メスト自身よりも、よほど破壊の権化のようにすら思えてくる。
 艦隊を一撃で―――どころか、聖地の固い岩盤を焼け崩れた岩山へと変貌させてしまうというのだから、それをババルンが実践しようと思えば、ガイア本体が自ら出張らねば不可能と言えよう。
 
 無論、その程度の汚染兵器ではガイアは傷一つ付かない事は確信できる。

 そもそもガイアは純粋なエナの粒子の集合体。熱エネルギーだけで傷つける事など不可能なのだ。
 それ故に、このまま穴熊を決め込んで、復活まで時間を稼いでいても何も問題は無い。
 アマギリ・ナナダンがあの精神崩壊を起こした柾木剣士を完全に復活させた事には驚いたが、しかし今更異世界人が一人増えたところで、ガイアの戦力的優位に変わりは無い。
 こちらにはドール、完璧な先史文明の人造人間と、そして完全に修復された聖機神、なにより、ガイア自身があるのだから。
 完全に復活さえ出来れば、何に負けることもありえない。

 ―――しかし。

 何処か、このままアマギリ・ナナダンを放置しておく事を由としない思いがある事に、ババルンは気付いた。
 何故。
 何処まで行っても、ただの異世界人であるあの少年如きに、これほど頭を悩ますのか。
 女神の翼―――不可視の防御力場のせいか?
 しかし、確かにあの防御力は忌々しい限りだが、防ぐ度にアマギリ・ナナダンは消耗していく事は確実だったので、力押しでも何の問題も無く屠る事が出来るだろう。最終的な脅威には当たらない筈だ。

 では、何故。

 「―――汚染兵器か」

 白く染める、破壊の色。世界を塗りつぶす―――本来なら、ガイアにのみ許される、凄絶なる破壊。
 
 それを、汚染兵器は用意に”横取り”してしまうのだ。

 それが我慢ならぬと―――己が思考に、ガイアはたまらないおかしみを覚えた。
 嫉妬しているのだ。あの破壊の光景に。未だ思うままに身体を動かせぬ自身と比して、まるで自由に天空を翔けて、思うままに破壊を繰り返すあの兵器に。
 
 「よかろう。結界工房攻撃を許可する。―――いや、ユライト。貴様が自ら赴くが良い」

 「私が、ですか?」
 「ウム。―――ヤツも、己が手足を縛られる苦痛を、存分に味わうのが良い」
 「―――? ……了解しました」
 疑問を示す動作すら、機械的なものだった。ユライト・メストは、兄の言葉に頷いた。
 ババルンは言うがままに従う弟を満足そうに哂い―――そして、一つ悪戯めいた事を思いついた。
 手元の端末を操作して、遺跡内の格納庫の様子を映す。

 巨大な聖機人整備用のベッドの上に鎮座した、それは―――。

 「丁度いい。アレを使用しろ。異世界の龍が頼りにする大量破壊兵器―――それに比する威力を発揮するであろう。どう対処するのか、見ものではないか」








     ※ キャラが多すぎて割と収拾が付かないことになってきてます。
       もう締めの展開なので、全員集合的な流れになりますから削るに削れないし。

       ……まぁ、ようするに。ラピスさんの存在をすっかりと忘れていた訳なんですがね、ええ。

       



[14626] 53-2:結界工房・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/29 21:44


 ・Scene 53-2・




 「……上の次は、下か」

 「下、と言うかもう解りやすく、”穴”ですわね」
 ブリッジから続くテラスへと出た少女たちは、スワンが進路を向ける眼下に存在する巨大な縦穴を見て、唖然と言葉を漏らしていく。

 平原にぽっかりと、大型船舶が何艘も並べて沈めることが可能であろう程の、巨大な地下に伸びていく、大穴。
 その壁面は人工的な構造物で覆われており、牧歌的な風景の中に、そこだけ時代考証を無視した近未来的な光景を作り出していた。
 尤も、この地下構造体は遺跡が発端であるから、近未来と言うか遥か古代の遺物だったりするのだが。
 現代ジェミナーにおいて、この規模の設備を独力で作り上げる技術基盤は存在していない。
 地底深くまで届く、真っ黒い穴。
 その奥底には、先史文明期に培われてきたあらゆる技術が残されている―――と、言われている。
 少なくとも、先史文明期の遺跡の中で、この地下施設だけが、技術蓄積のために能動的に用意されて物であることは確からしい。
 他の遺跡は全て、運良く現代まで残っていて、それが更に幸運なことに稼動しているに過ぎないという状態であるから、その差は歴然であろう。

 結界工房。

 今はその名で呼ばれている。
 古代の遺物をサルベージして、リファインするしかしないのに、”工房”なんて名乗るのもどうなんだろうとは、どこぞの異世界人の弁である。

 「こういう下に伸ばす構造物は、そんなに珍しくないから、あんまりインパクトが無いなぁ」
 感心する少女たちの中で、一人凛音だけがつまらなそうに言った。
 「―――さすが、SFの国の人」
 「まぁ、人が作った巨大な施設ってのは見慣れてるからね」
 妙な感心の仕方をするユキネに、凛音も苦笑交じりに頷く。暗に、場の空気を冷やす詰まらない事を言わないようにと言いたいのだと気付いたからだ。
 「これ以上巨大となると……もう、余り想像がつきませんね」
 「GPの衛星基地とか見てみると、凄いよ? 星ひとつが丸ごと人工物だもの。地表構造物だと機動エレベーターとかも中々だし、地下に伸ばすとしたら……そうだねぇ、惑星核にまで穴を掘って、直接エネルギーを抽出する惑星プラントとか」
 「じいぴいって……ご実家の事じゃないよね?」
 「ウチは天然素材趣味みたいな所があるからねぇ。―――宇宙船も木造だし」
 「あ、姉ちゃんの船みたいなヤツですね」
 楽しそうに縦穴を覗き込んでいた剣士が、凛音たちの会話に口を挟む。
 凛音は、その姉ちゃんとやらが誰を指しているのかはあえて考えないようにしながら、そんな感じだとだけ頷いて肩を竦めた。
 「そんな訳で、同じく天然モノが好きな僕としては、天地岩のほうがよっぽど有り難味があるかなぁ。天然の一枚岩だよ、アレ」
 「あー、凄かったですね、アレ。―――そういえばあの岩、兄ちゃんと同じ名前なんですよ」
 「……天然、モノ?」
 何気ない剣士の言葉に、作為的な意味しか感じられない自分に泣きたくなった。


 「何、黄昏八兵衛みたいな顔してアンニュイに耽ってるんですか? 似合いませんよ」
 「黙れ社員一号。僕だってあんまり深く考えたく無いけど、実物見ちゃった以上考えないわけにはいかないんだよ畜生」
 
 最下層部を外界より隔てる隔絶結界の解除を確認し、内部へと誘導されながら降下したスワンを出迎えたのは、少女たちにとって見知った顔だった。
 「―――相変わらず、仲の宜しい事で結構ですわね、ワウもお兄様も」
 「と言うか、社員一号って何じゃ……?」
 「アマギリ重工業株式会社。―――社長と社員若干名」
 「どうせ株式は全部、フローラ女王が持っているとか言うオチなんでしょ」
 「夢の一戸建てとか思ったら、実家に尻尾を握られているような物か」
 今更気を使う関係でもあるまいと、周りの工房の聖機工達の目も気にせずに言いたい放題言い続ける少女たちの横で、剣士だけが一人、礼儀正しく胸で十字を切っていた。
 一歩間違えば自分がああやって弄られる立場だったのかなぁと、最近気付き始めているらしい。
 
 「―――そろそろ、宜しいでしょうか皆様方」
 
 広い空間には、足音も響く。
 大型船舶を収容可能なドッグの片隅で雑談の方向へと流れようとしていた少女たちの背後から、苦笑混じりの声が掛けられた。
 「お主……」
 「お父様!」
 ラシャラが反応するよりも早く、キャイアがそう叫んで踏み出していた。
 穏やかな顔をした白衣を纏った中年男性。深い笑みを湛えて、駆け込んできたキャイアを抱きとめている。
 「ナウア・フランか。久しいの」
 結界工房主幹研究員、そしてキャイアの実の父でも在るナウア・フランに、ラシャラは鷹揚に声を掛けた。
 互いの立場もあって、以前からそれなりの付き合いがあったのだ。ナウアはキャイアの肩に手を置いたまま、ラシャラにもクレイを送る。
 「真に。―――お久しぶりです、ラシャラ陛下」
 「陛下は止せ。生憎もう廃位されておるでの。―――今の名目上のシトレイユ王は、ホレ」
 背後で、こちらの会話を全く気にせずに(元)従者から手渡された資料を速読している男を指し示す。
 男は視線は資料の上に落としたままで、片眉をピクリと上げた。

 「ん? ―――ああ、そう言えば、僕か。シトレイユに関して全権を持ってるのは。王様扱いするのもどうかと思うけど」

 「え、そうだったんですか!?」
 少し前まで寝ていた関係上、少しカルチャーショック気味の剣士が、驚いて声を上げた。凛音は薄く笑う。
 「ハハハ、剣士殿が誰かと結婚する時に、引き出物として譲ってあげるよ」
 「何故コッチを見ておるのか……」
 意味深な目線に、ラシャラが頬を剥れさせる。
 「そんな二束三文の扱いをされてるって知ったら、住んでる人たち泣きますよ……」
 ワウアンリーが主のあんまりな物言いに、苦笑交じりに口を挟んだ。しかし、主は相変わらず全く微塵も動じなかったりする。
 「今も現在進行形で泣いてるだろうから、別に良いんじゃない」
 「うわ、笑えませんって、それは」
 「だから、泣いてるんだろ?」
 うげー、とこれでもかと言うほど癒そうな顔を浮かべるワウアンリーに、凛音は鼻を鳴らす。
 そのまま、手にした資料をワウアンリーの胸に押し付けた。

 「合格」

 「もうちょっと何かこう、甘い言葉とかないんでせうか?」
 一応久しぶりの再会なんだしと額に汗を垂らすワウアンリーに、凛音はしかし笑顔で首を横に振った。
 「手当て無しの長期出張なんて、社会人ならザラだしなぁ」
 「何処のブラック企業ですか! っていうか、お手当てつかないんですか!? 割と危険をかいくぐって単独で此処までやってきたのに!」
 「いやむしろ、半ば勝手行動みたいなものだから、無断欠勤扱いで減給かな……」
 「それ以前にあたし、今月のお給料ちゃんと振り込まれるんですよね? 雇い主死んだらしいですけど」
 隔絶結界の中で外界と隔離されていた割りに、ワウアンリーは外の事情に詳しかった。
 ”アマギリ・ナナダン”死亡の報を、既に聞き及んでいるらしい。

 「今更だけど、仕えている主人を死なして自分だけ生き残るって、凄い不名誉な烙印押されるよな?」
 「ええ、勿論。もうこの先絶対、聖機師は廃業確定ですよ。―――なんでハヴォニワ人って、皆あたしに厳しいんでしょうか」
 今更気付いたんですか、とジトめで問いかけるワウアンリーに、凛音は流石に、曖昧な顔で視線を逸らす。
 「生憎僕は、ホラ。ハヴォニワとは無縁の異世界人だから」
 「後で酷いですからね。突然唐突に理由も関係も縁も無く外部から抜擢された二代目の社長さん……」
 「上司の無茶を聞くのも仕事のうちだよ。―――つー訳でホラ、仕事しれ」
 渡された資料を抱えなおして不貞腐れるワウアンリーを、もう行けと手で追い払ってから、凛音はナウアたちのほうに向き直った。
 「アマギリ様とワウって、本当に仲良いですよね」
 「僕は仲良くしたいと常々思ってるんだけどね、こいつには中々伝わらないらしいよ」
 はー、と感心する剣士に、適当な言葉を返す。
 「何ていうんでしたっけそう言うの。ツンデレ?」
 「―――因みに、それはどっちの事を指してるんだい剣士殿」
 頬を引き攣らせる凛音に、しかし剣士は苦笑したまま答えなかった。後ろ足でラシャラの背後にまで退避している。凛音は肩を竦めて、剣士から視線を外した。
 一度下を見て、息を大きく吐く。

 その後は、些かの油断も無い顔がそこにはあった。

 「そういえば、直接お会いするのは初めてでしたか?」
  
 今初めて存在に気付きました、と言うような態度で、年長の人間に話しかける。
 「そうですね。ワウアンリーからも色々聞いていますが、―――勿論、ネットワーク越しには」
 凛音に声を掛けられたナウアは、周りの人間が目を丸くするくらいの気安さで応じた。
 「最近は忙しくってご無沙汰でしたねぇ」
 「結界を展開していましたからね。―――いえ、殿下ならば空間の狭間越しにでもアプローチできるのでしょうが」
 「理論上は可能だけど、生憎機材が無いから。それに、そこまでして見るべきデータも無いですし」
 「これは……いやはや、耳が痛い」
 肩を竦める凛音に、ナウアは苦笑いを浮かべる。
 その親しげな様子に、アウラが額に手を当てながら呻いた。

 「―――つまり、凛音。お前はナウア師とは知り合いだという事か?」
 
 「ああ、メッセ……って言っても若い子は知らんか。原始的な文章データのやり取りなら、暇な時にね」
 「アマギリ殿下は不定期に、結界工房のシステム内に侵入してきますからね。工房スタッフ総力を上げて迎撃を行うのですが―――そもそも、侵入されている事にすら気付かない有様でして」
 お恥ずかしい限りと頭をかくナウア。
 「まぁ、万年単位の技術格差だからね」
 「そこで自慢げになられても。―――”侵入”って、聞くからに犯罪ですわよね?」
 「証拠の残らない犯罪は、犯罪にはならないんだよ」
 「それ、思いっきり犯罪者の思考よ」
 リチアの言葉は容赦の欠片もなかった。凛音にも反省の欠片もなかったが。
 「それにしても、本当にお父様と凛音って知り合いだったりした訳ね」
 「世間は狭いと言うか……いや、人の縁など奇なる物と言うヤツか?」
 やれやれと首をふるキャイアとラシャラに、しかし凛音はあっさりと肩を竦めた。
 
 「いや、皆が思っているほど親しくは無いぞ」
 
 「そうなのですか?」
 「むしろ、敵対関係だな」
 マリアの言葉に、凛音は頷く。ナウアがその横で、苦笑いを浮かべた。
 「そうですな、概ね、その通りです」
 「お父様まで……」
 「考えてもみなよ、キャイアさん。僕とナウア師が親しかったなら、そもそもガイアが復活するなんてありえないだろ?」
 見も蓋も無い言葉だったがゆえに、誰もが言葉を濁した。

 「ま、お互い牽制し合いながら、相手の思惑を察しようとか無駄に月日を重ねた訳だね。そのお陰で、最終的にお互いが”コイツの事は信用できない”って事に落ち着いたんだけど」

 「殿下は我々にとっては全くのイレギュラー。そして殿下にとって我々は、暗くも無い背中を探ってくる厄介者といった扱いだったのでしょう」
 ナウアも、それに関しては恥じる必要が無いと確信しているが故に、淡々とした態度だった。その態度に、キャイアが驚いている。娘には見せる事がなかった、仕事をする上での態度だという事だろう。
 「実力無いくせに、うろちょろされると、流石にね。―――まぁ、お陰であの子を手元に置けたんだから、結果としてはイーブンってとこか」
 ワウアンリーが消えて言った通路の向こうを見やって、凛音は言った。そして、大きく息を吐いた後に、続ける。

 「遊んでいられた時間に、お互い少し遊びすぎたって事で―――そろそろ、遊んでいられない今の話をしようか」
 
 酷く面倒そうな口調で凛音が言うのと、赤色灯が点り警報が鳴り響いたのは、同時だった。






     ※ このオッサンは何で原作だと何もしなかった人なのかと言う……。
       まぁ、大人連中は基本的にそんなんばっかしでしたが。主人公全部乗せが基本でしたしね!



[14626] 53-3:結界工房・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/06/30 21:07


 ・Scene 53-3・



 「計ったようなタイミングで来たの、また」

 忌々しい限りと、ラシャラは移動用車両の中に後部座席に腰掛けながら呟く。
 円筒形の地下施設の内周状に張り巡らされた通路を瞬かせる赤色の光は、厭でも今が非常事態であると意識させる。
 余りにも広すぎる結界工房の地下施設―――それは最早、工房と言う枠を超えて、一つの大都市のような姿を赤い非常灯の元に晒していた。
 天上と通路を支える柱の向こうに見える、幾層にも折り重なった積層都市のような、その姿。
 「―――シェルターって所か」
 「お兄様?」 
 窓際の一角で一人周りの空気を気にせずに落ち着いた様子で施設内を嘗め回していた凛音の漏らした言葉に、隣の席を確保していたマリアが小首を傾げる。
 窓越しに反射したその愛らしい姿を苦笑交じりに見やりながら、凛音は妹の言葉に応じた。

 「亜空間フィールドを形成して地下都市そのものを外部から隔離、さらに時流を加速させて時間の流れからも離脱して、きっと自給自足、完全な内部循環体制も確立してるんだろうな。―――此処は、先史文明が残した研究施設なんかじゃなくて、文字通りの意味で、先史文明そのものの姿なんだ」

 「そのもの……と言うと?」
 良く解らないと首を捻る、ひとつ前の列の座席に座っていたリチアが振り返ってきたので、凛音が口を開こうとすると、背後の席に腰掛けていたアウラが先に言った。
 「ああ、だからつまり、シェルターなんだな。―――ガイアの脅威から、文明を完全な状態で保全するための」
 「そう。個人的には悪魔の手が届かない宇宙に逃げればとか思うんだけど、エナによって発達した文明だからって事だろうね、上には逃げられなかったんだろう」
 「だから、下と言うことですか」
 広大な蜘蛛の巣状に通路が張り巡らされているのがかろうじて解る、暗く深い縦穴を見下ろしながら、マリアが言葉を引き継ぐ。
 「と言うことは、工房には先史文明人が今も生き残っていたりするのか?」
 「此処暫くの一件で、私も教会の内部資料を参照したりしたけど、そういうのは聞いた事が無いわね。―――あ、でもユライト先生みたいな人が、他にも居るのかしら。先史文明では既に、人の精神の根幹を成す”人格”の物質への保存を成功させていたって聞くし」
 「それはつまり、こう……この都市の最下層にまで到達すると、幾つもの小さな結晶が硝子ケースの中に並んでいるような、一種不気味な光景が広がっているのでしょうか?」
 リチアの言葉に、マリアが嫌そうな顔で想像した。
 どうも、何れそれらが現代人に取り付いて復活を果たすとか言うB級ホラーと言うかSF染みた内容を想像してしまったらしい。
 
 「いやいやお嬢様方、この世界に暮らす人間は全て文字通り、”先史文明人”だぞ?」
 
 妹の突飛に走り始めた想像を止めようと、凛音が苦笑混じりに言う。
 「皆して忘れてるかも知らんけど、この世界で成立している国家は全て崩壊した先史文明の生き残りたちが、教会の指導を受けて復興したものだ。言っちゃうと、先史と言うか地続きの過去の歴史に過ぎないんだよな。絶頂期、衰退期、と来て、今が復興期とでも言えば、丁度良いのか。―――案外、この地下シェルターに退避していた”一部”の人間が、今の国家の王族と呼ばれる類の人間なのかもなぁ」
 「一部、と言うところで厭に含んだ感じだな。―――いや、言わんでも大体解るが」
 眉根を寄せるアウラに、凛音は肩を竦めて応じる。その横で、マリアが考えながら言った。
 「他に類を見ない巨大な地下施設―――それを作る技術力。そして資金力。出資できる人間は限られているし、いきなり全部が完成するはずもなく、入れる人も限られている。……となると」
 「まぁ、知識層が生き残ったのかもしれない、と思えばそう悪い事でも無いんだけどね」
 「アンタの言い方だと、何でもかんでも悪い事に聞こえるわよ……」
 やれやれといった口調で付け足す凛音の言葉に、リチアが嫌そうに言った。その横に座っていたキャイアも頷いている。
 
 「お詳しいですな、アマギリ殿下」

 移動用車両を運転していたナウア・フランが、苦笑混じりに言った。
 「生憎、お宅の機密情報を覗いた事は一度もありませんよ」
 「その代わり、貴方が侵入する度に、何処かの研究室で誰かが奇声を上げる羽目になっていましたからねぇ」
 「……お主、何を見たんじゃ」
 「一流のハッカーってのは世間様に害を及ぼさない人間の事を言うらしいよ。―――言うなれば、ちょっとしたエンターテイメントかな」
 ふざけた口調で言ってのける凛音に、ラシャラは呆れた口調で返す。
 「具体的には?」
 「端末に保存してあった”個人的な”データを―――個人的、な。”個人データ”じゃなくて―――少しね。減らしたり増やしたり。研究の場と言う干乾びた世界にひと時の潤いをってね、銀河アカデミーの創設の頃から伝わる、由緒正しいハッカーの手管なんだよ」
 「相変わらず嫌な由緒伝統なるものがあるの、銀河の果てには」
 しみじみと語られても、それが冗談かも判別付かないのが困りものだった。

 横で聞いていた剣士が、微妙な顔をしていた事には生憎誰も気付かない。
 彼からすれば、宇宙の果ての奇怪な風習も、この世界の何処かおかしい風習も、どっちもどっちの似たもの同士にしか思えなかったのだ。
 ―――更に第三者から言わせれば、彼自身の実家も、此処や星海の彼方と変わらぬ以上地帯である事も疑いようが無いのだが。

 「しかし殿下、先ほどの話に戻りますが、工房の機密情報ではないとあらば、何処からあれほど正確に?」
 
 「ん? ああ、ホラ。穴倉に引きこもってるお宅らと違って、こちとら星の海を西へ東へとか割とザラですから。病弱だってのに、一々駆りだすんだよなぁ……」
 扇子をもった偉い人の姿を思い浮かべながら、凛音は面倒くさそうに言った。
 「つまり、広い視点で見ればそう珍しくない訳ね、この世界の状況も」
 「直接体験するのはこれが初めてだけど、資料を捲れば幾らでも、ね。まぁ、”先史”と言ってもピンキリだったりするから、どれも並べて見れることでも無いんだけど。似て否なるってヤツなら、何度か見た覚えがある」
 「広い世界へ飛び出しても、所詮は人間。考える事は同じといった所かの」
 「中々含蓄のある事を仰る。―――ついでに言うと、この銀河に於ける”人類”と言われる種の起源は、皆等しく同じ文明から端を発していると言われているから、同じメンタリティを有しているのも当然、と言う言い方も出来るらしいよ」
 ラシャラの言葉に、学者の顔をして凛音は応じた。赤色灯に照らされる顔は実に楽しげであり、周りの人間の頬を引き攣らせるには余りある状況でもある。

 「―――……、一応確認しておくが」

 アウラが溜め息混じりに言った。口火を切るのは自分の担当らしいと、そろそろ無意識に板についてきたらしい。
 「何かな?」
 聞きたい事が解っているのだろうに、凛音は楽しげに聞き返すだけだ。
 会話の流れを楽しむ事こそが本懐であり、その内容は彼にとっては瑣末な事に過ぎない、と言うことだろう。
 「この計ったようなタイミングでの敵の襲撃―――襲撃、なのだよな、そもそも」
 「そりゃ、自然災害が起きているとは思えないしね」
 この辺の地盤は安定してるしと、凛音は鳴り響く警報に眉根を寄せながら返す。移動車両の窓をふさいでいると言うのに、煩くて適わなかった。
 「まぁ、襲撃以外に考えようが無いな、確かに。―――で、このタイミングは予め、計っていたということで言いのだな?」
 「もう少し一息ついた後に来るのかと思ってたんだけど、ね。―――連中も、案外そろそろ尻に火がついてきたのかもしれないね」
 「予測済み、ですか。―――ですが殿下、工房の防衛システムが探知した所によると、工房周辺、航続距離一日以内で到達できるような位置に存在するシトレイユの艦隊はありませんでしたが」
 口を挟んでくるナウアに、凛音は口元に手を当て考え込む。
 「隔絶結界―――時流を加速する事が可能なほどの強力な規模で亜空間フィールドを展開している影響で、周辺空域のエナの密度が下がる?」
 「―――良く見られますね、流石に」
 「副次作用なのかと思ったら、その顔だと防衛機能の一環なのか」
 サイドミラーに写ったナウアの苦い顔に、凛音はなるほどと頷いた。一人納得の態度を示す凛音に、リチアが首を捻って尋ねる。
 「どう言う事?」
 「いやね、壁を作って立て篭もった所で、上からつるべ撃ちにされたら防ぎようが無いからね。そう思ってたんだけど、報告から聞くに、どうやら工房の周囲にシトレイユ軍の姿は無いと来たものだから、何が有るのかと思ったら……」
 「亜法結界炉がまともに動かないほどエナが希薄化しておっては、近づきたくても近づけないか」
 「うん。最深部に降下してくる時に見たんだけど、内周に沿って対空砲らしきものが設置されてたろ? アレが何故か、亜法光弾の発射装置じゃなくて、ケミカルレーザーの発射口だったからさ、気になってたのさ」
 亜法を用いない防衛兵器であるのなら、エナが希薄化していても稼動させられる。多少威力が落ちていたとしても、敵はそれ以上に打撃力を失っているに違いないから、優位に変わりはない。

 「意地でも自分だけは生き残るってな……人間、生き足掻こうと決意したら強いからな」
 「是非お兄様も見習うべきでは?」
 「スマートな生き方がカッコイイと思う年頃なんだよ、生憎ね。―――まぁ、さて、話を戻すけど」
 「後でゆっくりお話しますからね」
 「―――話を、逸らすけど」
 必死で妹の視線を避けながら、凛音は無理やり続けた。窓に反射した生暖かい視線の群れが、何故だか悲しかった。
 「まぁ、当然スワンを工房の中に入れるためには結界を解くしかない。結界を解くとすれば、敵も近づく事が出来るようになる訳だ」
 「つまり、それで気付かれたのか?」
 「いや待って、スワンも索敵を厳戒にしていた筈でしょう? 周辺に敵影なんて一つもなかったじゃない」
 アウラの言葉を、リチアが否定する。
 「いえ、ですけどホラ。確か敵は好きな時に好きな場所へと飛んでこれるのでは?」
 それでハヴォニワもやられたわけだしとマリアが言うと、剣士が曖昧な顔をしていた。実行者であるが故に、思うところが色々とあるのだろう。
 「しかし、跳んでこれるから放置しておいた、とあらば尚更工房の結界が解除された事に気付けないのでは?」
 「―――つまり、その辺をどうやって謀ったのか、と言うことが今回の議題の訳ね」

 どうなんだ、と一斉に向けられる視線に、凛音は肩を竦めた。 

 「スワンってさ」
 「ウム」
 「シトレイユの船籍じゃない」
 「そうじゃな。妾の御召艦と言うヤツじゃからの」
 正式には王家王族御召艦であるが、現状シトレイユ王族はラシャラ以外居ないため、間違っていない。
 「まぁ、それだと当然、艦のメンテナンスはシトレイユのドックで行われるんだよな」
 「―――もしかして」
 マリアが何かに気付いたように呟いた。アウラも、嫌な予感を覚えて眉根を寄せる。
 「勿論、船の整備を、お召しになっていらっしゃる高貴なお方御自らなさる訳も無く」
 「何故妾を見る」
 勿論理解できているが、四方八方から掛かるプレッシャーから逃げるように、ラシャラは呟いた。
 
 「つまり、シトレイユで整備した船である以上、何か仕掛けをしておいて通信内容を傍受するなどババルンにはわけない事と言うことですわね」

 マリアが解りやすくはっきりと言い切ると、ラシャラが項垂れ、他のものたちは苦笑を浮かべた。
 「まぁ、ラシャラちゃんの御付の人たちも皆優秀は優秀だけどさ、艦内設備のフルメンテまでは、流石に出来ないだろうしね、ドック内での解体整備でバックゲートなんて設置されちゃってたら、気付きようが無いって」
 「ああ、なるほど。最近の通信でわざとらしくスワンの通信装置を使っていたのは……」
 「そう、向こうに傍受してもらうため」
 アウラの納得顔を、凛音は保障する。
 因みに、本当に秘匿したい情報の場合は、手製の亜空間振動通信機を用いて行っている。
 隔絶結界内に侵入したワウアンリーともリアルタイムで連絡を取り合えたのは、そのお陰だった。

 「因みに何かにつけてラピスさんとお喋りするようになったのも、その影響」
 「私、八割九分が雑談だったって聞いてるけど……」
 と言うか、口説こうとしていなかったかとリチアは鋭い視線を向けてきた。凛音は礼儀正しく何も答えずに先を続ける。
 「まぁともかく。ここいらでちょっと、オッサンに揺さぶりをかけてみようかって思ってね。この間の通信でわざとらしくエサを撒いてみたんだけど……」
 「けど、何? 何か嫌な含み方なんだけど」
 「お前がそういう顔をするときって、本当に嫌な経験しかした覚えが無いのだが」
 生徒会長執務室の時から変わらず。リチアとアウラは凛音と近しいが故に容赦が無かった。
 凛音も、最近は自分でもそう思うことが多かったので、苦笑混じりに言う。

 「エサで釣れたのか、釣り餌だと気付いていながらわざと乗ってきたのか。―――あのオッサンも油断なら無いから、ね」

 肩を竦めて凛音は吐き出す。。
 全員がその言葉を聞いて嫌そうな顔で頷いている間に、移動用車両は漸く、結界工房の管制室へと到着した。






     ※ こりゃ、200超えるねと言う事に最近気付いた。
       インターミッション的なのもそろそろ最後なので、ダラダラと話し続ける場面を増やしてるんですが、
      そのせいで無駄に伸びると言うか。
       まぁ、話数制限を初めから考えていないSSなんで、最後までこんな調子で行けるかと思います。



[14626] 53-4:結界工房・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/01 21:14


 ・Scene 53-4・




 凛音たちは移動用車両を降り、円周上の壁面一杯に大型モニターが張り巡らされた管制室内に踏み込んだ。

 「絵は出ないの?」
 施設内部の循環図なのだろうか、未だに幾何学的な曲線図を映し出している大型モニターもみやりながら、誰にともなく尋ねる。
 「―――システムにクラックかけられてますね。現在解除中です」
 「嫌がらせも堂に入ってきたなぁ、オイ。―――にしても姉さん、居ないと思ったらコッチに来てたのか」
 ワウアンリーの座る管制席を後ろから覗き込んでいたユキネが応じてきた事に、凛音は少しの驚きを覚えていた。
 「新入社員にだけ任せて置けないから」
 「え!? あたしの方が新人!?」
 「私、役員」
 「いや、むしろ姉さん株主だし」
 ついでに書類上の保証人だったりもする。
 研究機材を取り寄せるために、個人よりも法人として手続きをした方が早かったので立ち上げた会社だったりもするので、近場に居た適当な人間を集めて会社扱いとかしている適当なノリだった。
 「まぁ、一番新入社員って僕なんだけどな」
 「社長、死にましたからね」
 遺産は凛音が受け継いだと言う、ようするにグダグダな話である。
 
 「で、まだ外の絵は出せないの?」
 「正直、亜法関連の技術は工房よりガイアの方が数段上ですから。本気出しても手に負えません」
 周囲で端末にかじりついて、自身と同様にシステムの復旧を試みている管制官達を見回しながら、ワウアンリーはぼやく。
 「出力上げて強引にブチ破っちまえよ」
 「いやあの、殿下のご命令を果たすためにエネルギー回してますから、情報処理にこれ以上リソース掛けられないんですけど」
 「そういう時に”こんな事もあろうかと”って言えてこそ、一流の哲学……じゃないか、聖機工だろうに」
 「知りませんよ!」
 無茶苦茶言ってくれる現在進行形で上司の男に怒鳴り返しながらも、ワウアンリーは良く訓練された聖機工と呼ぶに相応しい滑らかな動作で、”こんな事もあろうかと”用意されていた予備動力の機動を開始し、中枢システムの処理速度を倍増させて行く。

 「銀河文明の蓄積技術を現地文明に譲渡。―――バレたら死刑だな、確実に」
 足元で鈍い音を立てながら稼動し始めた小型の反応炉の姿を思い浮かべて、凛音は半笑いだ。ユキネが言葉の意味を理解して眉根を寄せる。
 「死刑は……怖いね」
 「怖いからね、暫く実家には帰りたくないよ」
 ヘラヘラと笑いながらおどけるように言うと、ユキネは不機嫌そうに頬を膨らませた。
 「帰っても、きっとこっちが怖い事になるよ」
 「行くも地獄、引くも地獄ってヤツかね」
 「ははは、でも、お陰さまで今は助かってますけどねー」
 素早くコンソールに指を走らせながら、ワウアンリーは笑う。
 実際の所、亜法に頼らずに亜法機関並みの高出力が実現できる動力炉があるというのは、敵対勢力が同様の技術を使用していると言う現在の状況から言えば、助かっていた。
 「亜法の演算装置は、エネルギー流せば流すだけ処理能力が上がるとか言う反則極まるインチキ装置だからなぁ。オーバークロックで熱暴走とかの心配も、殆ど無いし」
 アホらしい限りだと、技術屋としての常識の観点から凛音は呻く。
 「まぁ、お陰さまでエナが無いと活用できませんがね」
 「―――使えてるよね、今」
 「ああ、回路を巡ってるエナの運動量を加速させているだけだから。直で動力として使ったら、ウンともスンとも言わないと思うよ」
 小首を傾げるユキネに、凛音は簡単に説明した。
 その後で、こういう発想をしてしまうから、簡単に高度文明の技術を開示しては拙いのだと肩を竦める。

 「死刑は嫌だから帰るのは”止める”と、いい加減断言できんものなのか?」
 
 作業片手間に雑談を進めていた三人の背後から、アウラの呆れ声が掛かった。
 「こればっかりは僕の意思ではどうにもならないからねぇ」
 チラと、遠くでナウアの周りを囲っているマリアとリチアの方へ視線を送りながら、凛音は小声で言った。
 どうやら二人は、ラピス、そしてフローラ達に連絡を取ろうとしているらしかった。
 「―――どうにも、ならないのか?」
 「これでも人間国家機密なんで」
 「この間、遂に人間止めたとか言ってませんでしたっけ?」
 「だからこその、国家機密なのさ」
 やれやれと、諦観交じりにソレを口にした後で、凛音は周りの人間を見回して、丁度良いかと頷いた。

 「そんな訳で、ここから先はオフレコだけど」

 「待て、聞きたくないぞ私は」
 アウラが被せるように言うが、凛音の言葉は止まらなかった。

 「何か、近いうちに強制帰国させられる気がする」

 「……マジ?」
 「冗談で、こんな嫌な事は言わない」
 端末に視線を置いたままのワウアンリーの言葉に、凛音は淡々と返す。
 「強制帰国」
 「うん」
 「―――なんで今頃? 凛君、こっちに来たのって五年位前でしょう? その、ご実家もソレは把握していた―――よね」
 ユキネの言葉は、戸惑っているように聞こえて、その実、冷静に核心を突いているものだった。
 さすが姉さん、頼りになると凛音は頷く。
 「うん。僕の上司はこれで情報処理に関しては銀河のトップを直走る人でね。あの人が知らない事なんてこの銀河の中に存在しないと言っても良い―――と、少なくとも僕はそう理解しているし、僕の周りの大人も大多数がそんな風に感じていた」
 「つまり、解っていて放置されていたと言う訳だよな?」
 「そんな所。―――まぁ、お上が何を考えているのか知らないけど、今まではそれで良かったみたいなんだよねぇ。一応最低限のプロテクトも掛かってたし、それにウチは、基本的には可愛かろうが可愛くなかろうが、とりあえず旅をさせろとか言う冒険心溢れる家風が持ち味だから」
 アウラの確認の言葉に、何処かを思い出して懐かしむような口調で、凛音は応じる。
 「それは……また、何と言うか」
 「ジェミナーにあっても驚かない、ヘンテコ国家ですねぇ」
 「銀河随一の戦闘民族の国家ですから」
 「何で胸で聖印切ってるんですか!?」
 慌てるワウアンリーを鼻で笑った後で、凛音は暗いモニターを何とはなしに眺めながら言う。
 「放置されていた。プロテクト付きで―――でも、先日その枷も解かれた。まぁ、前から限定的に解けかけてたんだけども。兎も角、今や僕は単独でこの宙域を粉砕して余りある過剰な力を有している訳で」

 「―――そういえば言っていたな、”修正パッチ”とやらが手に入ったと」
 天地岩で剣士を復活させてから、皆喜び合いながらスワン艦内に戻り、その後の予定を確認していた所で、凛音はおもむろにそう宣言していた事を、アウラは思い出した。

 ”修正パッチ”の回収に成功した。―――これで、勝てる。

 確かにそれが目的で剣士を目覚めさせた訳だが―――しかし、道すがら何かやり取りをしているようにも見えなかったので、”どうやって? ”と少女たちが尋ねたくなるのも当然だろう。
 しかし、凛音は額に青筋を浮かべて遠くを見上げるだけで、何も答えようとしない。
 何か非常に憤っている事は理解できるのだが、滅多に見せる態度では無いため妙な怖さも感じられて、誰もそれ以上深く突っ込めなかった。

 「まぁ、そう。お陰さまで本当に、ガイア吹き飛ばすくらいなら割と問題ない状態なんだけども―――ちょっとね」
 「解らんな、つまり何だ」
 言いたい事がさっぱり理解できないと眉根を寄せるアウラに、凛音は半笑いを浮かべた。

 「その過程で、ヤバイ機密に触れちゃったかも知れない」
 「ヤバイ……こういう言い方も何だが、お前よりも?」
 「うん」
 凛音はしみじみと頷く。

 皇家の樹の生える大地。
 地球と言う名の惑星。
 人とも神ともつかない神秘的な女性―――”砂沙美”なる、何でもとっても聞き覚えの在る名前らしい。

 「絶対、木端分家の子倅如きが知って良い無いようじゃないわ……」
 興味深そうに辺りの機材に手を伸ばしては、その度にキャイアに頭をはたかれている剣士を遠くに見ながら、凛音は言った。
 どうしてこんな事になってしまったかなぁと、ため息を吐くしかない状況だった。

 「そんな訳でさ、多分近いうちに諸々の説明と言うか口止め名目で、引き戻されると思うんだよね」

 「ああ、殿下ご自身の問題とは、関係ないんですね」
 「そういう事。下手に逆らって即刻処分とかは、流石に嫌だからさ」
 相変わらず視線を合わそうとしないワウアンリーに、凛音は殊更あっさりとした口調で応じる。モニターに反射して見えるワウアンリーの表情が、少し怖かった。
 「それで帰る、か。止め方が全く思い浮かばないのが、嫌だな」
 「スケールが大きすぎると言うか、スケールが把握し切れないと言うか……」
 アウラの言葉に、ユキネも頭を悩ませる。
 凛音の実家の事に関しては、色々と言葉の端々に聞いていたが、実際の所は良く解らない。
 位置から順序立てて説明があったことは無いので、明確な形がイメージできないのだった。
 
 「いざとなったら、宇宙船作って迎えにいきますってしか、言えませんねあたしは」
 
 ワウアンリーが場の空気を断ち切るようにそう言い切った。
 ある種情熱的とも取れる物言いに、アウラたちが反応しようとする前に、ワウアンリーは一気に端末を操作して敵対者の情報欺瞞を排除した。

 モニターが明滅し、外部カメラが動作復旧を果たす。

 「艦隊に囲まれているとしたら厄介だと思ったが……」
 アウラも、先ほどまでの会話は無かった事にするかのようにそう呟いてモニターを見た。
 「―――居ない、ね」
 見渡す限りの山がちの地形。岩肌がむき出しになって、些か寒々しさがある。
 「聖機神が三機並んでいると、シュリフォンの一件を思い出すねぇ」
 凛音も、流すように言他の者達の空気に追従した。

 岩肌がむき出しの地形を、三機の聖機人が編隊を組み飛行していた。
 
 他のカメラが写す景色を見ても、敵影は他に見受けられない。
 つまりは、敵は聖機人三機だけで攻めてきたのである。

 「―――確かに、似ているな。尤も……」

 映像を拡大されたモニターを見て、アウラが忌々しげに眉根を寄せる。

 「黒いのは、一機だけだが」






     ※ 嫁度の差なのかなぁ。



[14626] 53-5:結界工房・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/02 21:20


 ・Scene 53-5・



 「―――また、厄介な」

 接近する気もなく、結界工房から程近い位置を円周上に旋回しているだけの聖機人の映像を見て、凛音の漏らす言葉はそれだった。表情は苦々しい。
 「黒いのは……ユライトじゃな」
 「まぁ、メザイア・フランは虎の子だろうから、出せないだろうし」
 腕を組んで眉根を寄せるラシャラに、一つ頷く。
 「しかし、無手……」
 以前シュリフォンを襲撃した時のように、長身のライフル銃を装備している訳でもなく、手ぶらで飛行している姿はアウラには不気味に写ったようだ。

 「引き連れてるやつらの動きがどうも、前のユライトと揃いすぎてる気がするんだけど」
 「―――あ、ホントだ。これ、聖機師の擬似生態コアを用いた遠隔操作ですよ」
 ワウアンリーが端末に表示された三つ並び、しかもそれらがピタリと一致したグラフを見て断言した。
 「擬似生態コアと言うと……」
 「聖機人の無人遠隔運用を目的として考案されたんですけど―――と言うか、まぁ優秀な聖機師ってのはご存知の通り貴重ですから、何かにつけて誰かが思いつくネタなんですけど」
 知らない単語に首を捻るユキネに、ワウアンリーが語って聞かせる。
 「擬似生態コアって言うのはそのアイデアの中で、割と良い線行っていたモノです。聖機師の生態因子―――アストラルをコピーした特殊な機材を用いて生態亜法波を発生させて、亜法結界炉を起動させるって言うものなんですけど―――まぁ、機動までは出来るんですが、流石に出力上がらないんで、コストに見合わないって破棄された研究だったと思います」
 「まぁ、成功してたら今頃戦場では無人機が闊歩している訳だしなぁ」
 「ですです。―――でも一応機動状態にまでは持っていけるんで、無線接続して操作をトレースすれば運搬くらいは使える、って、見ての通りですね」
 「無駄な機材そろえてまで運搬するぐらいなら、普通に輸送艇を使うか」
 前方を進むユライトの機体の動きを完全にトレースしている追従する二機の聖機人。出力差故だろうか、同じ動きをしている筈なのに、何処か四肢が振り回されているような、弱々しい感じに見えてくる。

 「それにしても、そんな戦闘では役に立たない玩具で何をするつもりなのでしょうか?」
 「と言うか、本当にあの三機しか居ないの? ―――周りに隠れてるとか」
 いつの間にか傍に集まっていたマリアとリチアが次々に言う。因みにキャイアも剣士も、当たり前のようにラシャラの傍に居た。
 「ん~、亜法反応無し。ついでに熱探にも電探にも反応無しなんで、本当に居無いんじゃないですか?」
 周囲の地形図の三次元モデルを目を細めて睨みながら、ワウアンリーが言った。
 「ついでに、重力変動も連中の転位を確認して以来さっぱりだからな」
 「重力変動?」
 「宇宙船のワープとは違うけど、アレもホラ、突然空間に大質量が出現すれば、幾らかセンサーに反応が出るわけですよ」
 首を傾げるアウラに、凛音は肩を竦めた。
 「いや、私はその重力センサーとやらが何処に備わっているのか知りたいのだが」
 「企業秘密」 
 ようするに話す気は無い、と言うことである。追及の声が入る前に、ユキネが会話の方向を逸らした。
 「―――特許取る?」
 「むしろ僕らはパテントを支払う側だろうね」
 勝手につけられた機能だけど、と凛音は投げやりに言った。
 
 「なるほどな―――で、どうするんだ、アレ」
 
 語る気は無しと言う事を正確に理解したアウラは、気分を切り替えてモニターに映る三機の聖機人を指し示した。
 「僕に聞くの?」 
 「―――あの、対ガイア戦はお兄様が最高指揮官ですよね?」
 「ああ、そういえば」
 「国際会議でアレだけ好き勝手に要求しておいて、忘れるってどうなのよ……」
 呻くリチアに、どうでも良かったからとはとても言えそうになかった。
 因みに、スワンが指揮艦であり、少女たちが直属部隊と言う扱いだったりする。参加メンバーが高貴過ぎて、前線に出すわけにも行かないから―――等と集まった各国の思惑の隙間を付いて、こうして好き勝手あちこちへと飛び回っていられると言うのが実情だった。

 「順当にいくと、シュリフォンの雪辱戦って事になるんだけど―――って、ナウア師、何かありますか?」
 「いえ、工房は殿下の決定に従います。教会本庁より、既に殿下に全面協力するように、命が下っていますから」
 どうぞ、とナウアはあっさりと頷く。個人的な好みに関しては一切口にしない辺り、大人の対応だった。 
 そのまま口を閉じられてしまった手前、凛音は何となくキャイアの方へと視線を送ってしまう。キャイアの目が鋭くなった。
 「……何?」
 「いや、別に。―――キャイアさんの父親とは思えないくらいソツの無い対応だなとか思ってないから」
 「思ってるじゃないの!」
 自分でも思うところがあったのか、反論の言葉は勢いが足りなかった。単純に、身内の手前だったからかもしれないが。
 少し恥ずかしげなキャイアの態度を、一頻り笑った後で、凛音は全く欠片もやる気を示さずに宣言する。

 「んじゃ、出る? ―――メンバーはワウとお姫様方を除いて全員になるけど」

 「お姫様って……」
 「妾たちのことじゃろうな」
 マリアとラシャラは互いの顔を見合わせ頷きあう。そしてその後で、揃って顔を一方へと向けた。
 「何故私を見ながら言う。―――いや、別にその枠に含めて欲しい訳でもないが」
 年少組み二人から意味深な視線を向けられて、アウラが頬を引き攣らせた。肩書き上、ラシャラよりもよほど本物のお姫様だったりするのだが、惜しむらくは本人の立ち居振る舞いなのかもしれない。
 「まぁ、えーっと、アレだ。アウラさんは剣士殿と一緒に正面だから」
 「お前、私が王女だと言う事を忘れていただろう」
 「と言うか、アウラ様も忘れていらっしゃいましたよね?」
 ジト目で凛音を睨むアウラに、マリアが何気なく口を挟んだ。アウラは少し固まった後で、咳払いをして再び口を開く。礼儀正しく、誰もその間に関しては突っ込まなかった。
 
 「で、凛音。おまえ自身はどうするつもりだ?」

 言葉の意味はシンプルで、理解をたがえるはずも無い。
 故に、その返答には全員が注視せざるを得なかった。

 「―――なんか最近、姉ちゃんたちより過保護になってきていませんかね、アウラさんや」
 集中した少女たちの詰問の視線に耐え切れなくなって、凛音は半笑いで言った。
 「年上の自立した美人が好きなお兄様としては嬉しいのではないですか?」
 「……僕、キミにそれ言った事あったっけ?」
 「言われなくてもアンタの趣味くらい見てれば解るわよ」
 第三者であるキャイアの言葉が、妹の視線以上に厳しく感じる。早めに話を逸らすべきかなと凛音は判断した。

 「僕はヘタレなので指揮官先頭とか無理な人なんで」

 肩を竦めて、やる気の無い口調だった。
 「なんだ、本当に出ないのか」
 そんな空気がしていたがとアウラが目を丸くすると、ワウアンリーが端末を操作しながら面倒そうに口を挟んだ。
 「そりゃそうですよ。―――だってその人、いざとなればワープできますから、ワープ」
 「てめっ!? 余計なこと言うなよ!」
 従者から発せられた余計な言葉に、凛音は思わず声を荒げる。

 「余計な事。……つまり、後でこっそり跳んでくる予定だった、と」

 「あ」
 アウラの言葉に頬を引き攣らせるのも遅い、リチアが白い目をしていた。
 「アンタいい加減、自分が無茶すればどうにかなるとか言う発想止めなさいよ。見てて怖いから」
 「また吐血は勘弁じゃぞ。あの血が乾いた上着といったら、もう……」
 嫌な事を思い出したとラシャラも呻く。
 口々に続く少女たちの言葉に、凛音は気まずそうに視線を逸らして言う。
 「いや、ホラ。―――パッチ中てて機能の追加も出来た事だし、試運転には丁度良いかなーって、思わないでもない、んだけど……」
 「それで試運転とやらの最中に事故を起こした場合、その後どうするつもり何だお前」
 「そりゃあ……」

 「あの、俺が居るから平気、とかは止めてくださいね、アマギリ様」

 黙っていた剣士が、視線を感じて口を挟んだ。
 少女たちの視線を受けても変わらず泰然としている剣士に、内心をうかがわせない表情に改めて凛音は口を開く。
 「―――駄目かい?」
 「駄目です」
 一言だった。凛音もそれ以上は聞かなかった。
 「それじゃあ、仕方が無いね」
 「この期に及んでお前は……」
 リチアたちが聞いていなかった時の会話の内容を思い出しつつ、アウラは深くため息を吐く。
 「いやほら、僕はヘタレだから」
 「―――だったらせめて、格好付けるくらいはして下さいよ」
 肩を竦めておどける凛音に、ワウアンリーが視線も送らずに苦言を呈した。
 
 「……と言うか、キミたち。外のアレを、いい加減何とかしなくて良いのかね?」

 何処まで行ってもグダグダな方向へと走り始めてしまう何時もの彼等のやり取りに、遂に耐え切れなくなってナウアが口を挟んだ。当然の判断と言えるのだが、
 「ああ、まぁまともに打って出れば余裕で勝てちゃいますからね。―――それは向こうも理解してるでしょうから、ちょっとやる気でなくて」
 「それは―――つまり?」
 「いや、見るからに怪しいでしょう、アレは」
 意味が解らないと眉根を寄せるナウアに、凛音はモニターの向こうを見ながら言い切る。

 未だに、編隊を組んで飛行している三体の聖機人。
 そして、飛行しているだけで未だに近づいてこない。

 「何か解りそうか?」
 ただ一人出撃を命じなかったワウアンリーに、凛音は尋ねた。
 「とりあえず、雑談していて正解、とだけ」
 ワウアンリーは漸く凛音の方を振り返って、苦笑交じりに応じる。
 「―――正解、とは」
 意味は解らなくてもようするにその通りの意味なのだろうなと思いつつも、付き合い良くマリアは聞いた。
 「早い話が、これです」
 敵聖機人の静止画像を拡大し、その背部を映し出す。
 ユライトの黒い一機だけが尾が生えており、他の遠隔操作の二機はただ亜法結界炉が搭載されているだけの―――。
 「デカイな」
 「アレがつまり、手品の種と言う訳か? 随分と大型の結界炉だが……」
 凛音の端的な一言に、アウラも首を捻った。

 聖機人の背部には通常、腕部に搭載されているものと同サイズの亜法結界炉が二機搭載されている筈なのだが、今表示されている画像に映し出されている聖機人の背部には、大型の―――明らかに外付けだと思われる亜法結界炉が搭載されていた。

 「アレが、擬似生態コアと言うヤツでしょうか?」
 「いえ、違います。擬似生態コアなら、コア―――えっと、操縦シートの上に収まるサイズの筈ですから」
 だからアレは別物ですと、ワウアンリーは苦い顔でマリアの回答を否定した。

 「まさか、アレは……」

 また碌でもないものが起きたのかと諦め気分になりかかっていた少女たちの横で、驚愕の面持ちでナウアが口を開いた。
 「ご存知なのですか、お父様」
 シリアスな空気に顔を見合わせた後、代表してキャイアが尋ねる。
 ナウアは、それがあって欲しくないと何度か首を横に振った後で、酷く重い口調で呻いた。

 「あれは、”聖機神用の”亜法結界炉だ」






     ※ 原作で登場したギミックは可能な限り拾う体で。
       天地剣は流石に無理だったんですがねー。



[14626] 53-6:結界工房・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/03 20:58


 ・Scene 53-6・



 「聖機神用……む!?」

 聖機神用の亜法結界炉。
 端末の小型モニターに表示された静止画像。
 そこに映し出されている三機の聖機人の背部に備わった、大型の結界炉を指して、苦い顔でそう呼んだナウアの言葉の意味を凛音が詳しく問い質そうとしたその時、リアルタイムの映像に変化が訪れた。 

 「一機突っ込んでくるぞ!」

 アウラの表現は単純で明確だった。
 ユライト・メストが駆る黒い聖機人の背後にあった無人の二機のうちの一機が、方向を転換して飛行速度を加速、真っ直ぐに結界工房目指して接近を開始したのだ。
 「迎撃―――」
 そんな事をわざわざ言う必要もなく、工房の地下施設の上層域に展開されている自動迎撃システムは、既に稼動状態にある。
 工房内に一ミリでも機体を沈めようとしたのなら、施設外周に沿って配置されている迎撃レーザーの餌食になる事は間違いなかった。
 当然のことながら、元々は対ガイアに関しての防衛網として作成された迎撃システムであるから、ただの現代の聖機人一機を打ち落とすには過剰に過ぎる武装である。
 だが凛音は、この場の最上位者として形式どおりに”迎撃開始”と端的に告げることにすら躊躇いを覚えていた。

 相対している敵は、恐らく自分以上にこの結界工房の施設に関して詳しいに違いなかったのだ。
 何しろユライト・メストは元々は教会側の人間だし、そして彼を操っているガイアもまた、自身に対する防御で在るならばその威力を承知していて当然である。現世、ババルンとしての立場は聖機工でもあったから、尚更だろう。
 ならば、迎撃システムの堅牢さも当然理解している筈。

 「―――接近中の聖機人の亜法波増大! ……って、コレやばいんじゃ!?」

 一体何を考えていると凛音が思考の深みに嵌っていると、端末を操作するワウアンリーの切羽詰った声が聞こえた。
 「亜法波……増大?」
 「いや、待て。導火線の役割を持つ”人間の聖機師”が乗っていない無人機で、どうやってこれ以上出力上げるんだよ!?」
 モニターに表示された接近中の敵機の出力―――戦闘機動が取れそうなほどに増加したそれを見て、凛音は驚く。
 「擬似生体コアでアレが出来るんだったら、有人機いらないじゃないか。―――それとも、聖機神用の結界炉はそんなに増幅性に優れているのか?」
 「いや、そんなはずは無いですし、多分何か無茶な事をしているんだと思うんですけど―――またっ、爆発的に出力が!?」
 ワウアンリーも意味が解らないと首を捻るが、次の瞬間には目を疑っていた。
 一度出力を上げてから一定位置で安定していた敵機の出力が、再び跳ね上がったのだ。
 「―――ひょっとして、圧縮したエナを開放して無理やり底上げしているのか?」
 凛音が唖然と言葉を漏らすと、ワウアンリーも眉根を寄せた。
 「かも、知れません。―――無茶な事するなぁ。そんな突然突然に無理繰りブースト掛けてたら、ただでさえ聖機人とはマッチングの悪いあの結界炉じゃ……って、そうか!」
 何かに気付いたかのように声を上げるワウアンリー。
 「まずいですよ殿下、あれ―――……っ!!」
 「皆まで言わんでも良い! 迎撃中止!!」
 焦って振り返ってくるワウアンリーを遮って、凛音は咄嗟の判断でそう命令を下した。

 自動迎撃命令を撤回しろと。
 
 「凛音、一体―――?」
 「機体とマッチングの悪い―――つまり、機体側へのエネルギー供給が上手く行かずに内部で滞留していたエネルギーが膿のようになっている所に、無理やり更にエネルギーを加速させれば……」
 「説明してる場合じゃないですよ殿下! 迎撃システム、停止命令受け付けません!」
 アウラの疑問に推測を語り出す凛音を、ワウアンリーの厳しい声が遮る。
 「んだとっ!? つまり何か、カメラ潰すんじゃなくて、そっちが本命かよ!」
 「みたいです……ああもう、攻撃命令だけは聞いててくれたから気付かなかった―――っ!?」
 「気付けよそれくらい! お前、絶対給料下げるからな!!」
 「元々出来高払いの上、二年前から振り込み滞ってますよ!」

 「じゃれあってる所スマンが、結局どうなるんだ……っ!?」
 「余裕あるんだか慌ててるんだか、正直ちょっと解らないわよ?」
 リチアとアウラが揃って眉根を寄せる横で、マリアが何処から用意したのやら、ティーカップを口元に寄せて楚々とした態度で言った。。
 「つまり、余裕があるから慌ててるのでは?」
 「―――おぬしは落ち着きすぎじゃろう?」
 「いえ、ラシャラ様も同類ですが」
 「お姫様たちは居残り組みらしいから、きっと良いんだよ」
 大概従者勢も観戦ムードだったりする辺り、場の空気に救いが足りなかった。剣士が頬を引き攣らせて、遠巻きに唖然と状況を見守っていたナウアに視線を送る。
 「―――あの、俺出てきましょうか?」
 「私としてはそうしてもらいたいのだが……生憎、私に指揮権は無くて、なぁ」
 本来ならば対ガイアの中心の一角を占める筈だった結界工房主幹研究員の、それは何処か投げやりな言葉だった。

 「隔壁―――じゃ、間に合わないし、結界は今更展開できないし……」
 お手上げ、と本当に諸手を上げて端末の操作を投げ出したワウアンリーに、凛音は肩を竦めて応じる。

 「じゃ、出番か」

 「出番って、お前……」
 飄々としたその態度こそ、碌でもない展開への布石だろうと、アウラたちには既に身に染みていた。
 「そう言えば、装甲列車の時もそんな態度じゃったのお主」
 「もうハニーとは呼べないのが残念だけどねー」
 「呼ばんで良いわ」
 凛音の戯言に、ラシャラは嫌そうな顔で応じる。主に、周りの視線が嫌だった的な意味で。
 「それは残念……って、冗談は兎も角さ、状況的に僕がやるしかないでしょう?」
 「いや、それ以前に何が起こるんだ?」
 疑問符を浮かべるアウラに、凛音は一つ頷いて。

 「そりゃあ……」

 モニターの一角に映った防衛システムが、遂に起動した事に気付いた。
 充填されるエネルギー。
 解き放たれるレーザー光線は、音も無く工房施設の領域内に侵入した無人機を直撃し。

 凛音はおもむろに片腕を上げた。 

 モニターが真っ白に焼け付く。
 振動が地下施設を揺るがす。パラパラと、掃除では決して掃えない埃が天上から落ちる。
 だが、振動を感じた、それだけで目に見える被害は無い。
 白い光が天井を焼き尽くし衝撃波が管制室内の機材をなぎ倒しスタッフを蹴倒し、押しつぶし―――などと言うことは、一つも起こり得ない。 

 それは即ち―――。

 振動が収まり、白に染まったモニターも元の映像に戻ろうと―――しかし、殆どは白に変わってノイズが流れ続けるだけだった。
 先ほどの振動を引き起こした何かに、カメラはどうやら潰されたらしい。
 下層域に近いカメラが地上を映し出す映像が、それを確かに映し出していた。

 きっと、天へ向かって腕を掲げている少年の見上げる、その真上にあるのだろう。

 「女神の翼か!」

 丁度、中層域以降の施設を守るように広がり、覆いつくした、光り輝く三枚の翼が。

 上層部は施設の外周構造どころか固い岩盤までも破壊し、その直径を無理やり広げているかのような酷い有様が広がっていたが、平面的に広がった翼が守るその下、中層域から先には傷一つ付いていない。通常通りの結界工房の姿が存在していた。

 「これは、凄いですね。―――隔絶結界以上……いや、破壊と言う概念自体を消去している?」
 
 恐れすら覚えるかのように呟くナウア。
 初めて実際に―――モニター越しではあるが―――目撃するその光輝は、人の手によるものとは思えない高貴な力の発露に思えた。
 「ちょっと、アマギリ。それ―――いえ、アレ? えっと、平気なの?」
 しかし、その力が示した先にどんなものが待ち受けていたかを既に知っている少女たちにとってはそうそう感心ばかりをしていられない。モニターと凛音の間で視線を行ったり来たりさせているリチアの態度も、当然だろう。
 「―――お兄様?」
 黙って天井を見上げたままの凛音に、マリアも焦れたように問いかける。

 「うん」

 凛音は一つ頷いて、漸く掲げていて腕を下ろした。
 同時に、―――そこに因果関係を見つけるのは難しかったが―――当たり前のようにモニターに映し出されていた輝く翼が消える。音も無く、初めから無かったかのように。
 凛音は一身に受ける視線のどれ一つにも目を合わせる事無く、降ろした手のひらをじっと見つめながら呟く。

 「座標指定、出力制御共に問題なし。―――いけるね、うん。制御と言うか、段階的なリミッターを掛けられたようなものだけど、何時でもオーバースロットル状態よりはよっぽどマシだよ。」

 ―――ただ。

 フラと、体が傾いた。
 
 「ちょ、おい!?」
 「お兄様!」
 慌てて支えに来てくれたアウラとマリアに、凛音は苦笑を漏らす。
 「問題は、最小出力に絞っても、僕には手に余るって事かなぁ」
 「過保護にして正解だったな、アウラ」
 ラシャラは、吐血が無かっただけ幸運かもしれんと、安堵の息を漏らす。その言葉に、アウラは一瞬嫌そうな顔を浮かべつつも、厳しい視線を凛音に向けた。
 「―――無理して、我慢なんぞして無いだろうな?」
 「ああ、いや。本当に貧血みたいなものだから、平気みたい。突貫作業的にとは言え、各部のバイパスが正常に結ばれるようになってるから、殆ど身体には負担が無いんだ」
 「身体”には”ってところが、凄く不安なんだけど」
 「それはホラ、頭痛が痛いですってヤツ」
 「もう良いから黙って座っていろ、お前……」
 アウラは呆れた声で切り捨てて、ワウアンリーが立ち上がったオペレータ席に凛音の身体を押し込む。

 「それが出来れば楽なんだけど、―――まぁ、状況が、ホラ」
 凛音は肩を竦めて苦笑しながら、モニターを示す。
 地上近くのカメラは全て潰されているため、中層以下の低い位置からの映像しか入らないため、工房の外周から遠巻きに飛行している筈の敵聖機人の姿は見えなかった。
 「さっきのアレは……」
 「破壊された結界炉が爆発した、と言う解釈で良いんですよね? ―――それにしては、随分と大きな爆発でしたけど」
 「大きな、と単純に言って良いものか、アレ。―――凛音殿お得意の”バクダン”と同レベルの威力じゃぞ?」
 小首を捻るマリアの言葉に、ラシャラは反応弾の破壊の爪あとを思い出して眉根を寄せる。
 熱エネルギーによって焼け爛れた地表近くの光景は、溶けて崩れた瓦礫の山へと変わった聖地の姿と、確かに似ていた。
 「殿下がポンポンポンポン簡単に大量破壊兵器ばっかり使うから、敵も真似し出すんですよ」
 「うん、流石に少し反省した」
 ジト目で睨んでくる忠臣に、凛音も口をへの字に曲げて応じる。
 「これ、本当に帰ったら死刑なんじゃないかなぁ……」
 「帰ったら、と言う妄言は後で聞くとして、何がそれほど問題なのですか? お兄様がご自身の知識で好き勝手にやってきて居たのは、これまでも指して変わらなかったと思うのですが」
 今更罪状の一つや二つ増えても同じだろうと、ある意味バッサリとした割り切り方をしている妹に若干引きつつ、凛音は答える。
 
 「今、何が起こったか解る?」

 「……聖機神用の亜法結界炉とやらを暴走させて破壊兵器に転用したのだろう?」
 「精製するエネルギーがアホみたいにデカいですからね、オリジナルの結界炉は。―――で、ちょっと不安定にするとああなっちゃうから封印する事になったんですけど」
 アウラの返事に続いて、ワウアンリーも簡単な解説を入れる。凛音はご尤もと頷いた。
 「うん、つまりホラ、結界炉を暴走させて爆弾として使ったわけだね」
 「―――それは、妾が先に言ったじゃろうて」
 「うん、言った」
 ラシャラの言葉に、凛音は更に頷く。

 「―――結界炉は、爆破兵器として転用できる」

 緊張した面持ちのリチアの声に、誰もが言葉を失った。
 「そう。これまでには無かった発想だけど、確かにそれは可能なんだ。中規模以上の結界炉は大量破壊兵器として転用可能だ。出力を上げた後でワザと内部循環に”ダマ”を作って暴発を促せば、聖機人以上に安価で大威力の兵器が完成してしまう。推進装置でもつけちゃえば、もうミサイル兵器だね」
 「拙いですよね、殿下」
 「拙い」
 額を押さえて尋ねる従者に、凛音も即答した。

 「今の一件が他に知られれば、それを再現しようと考える輩は絶対出てくる。―――しかも今は戦争中で、敵は圧され気味で後が無い状態だ。そんな時に、安価で強力な新兵器でも出来たなら―――」

 「使うじゃろうな。―――ウム。時代の変革を促す龍たるお主の、面目躍如といった所か」
 「上手いこと言ってる場合じゃないでしょう! そんなの、許されるわけが無い!」
 やれやれと頷くラシャラを、リチアが怒鳴る。

 「そのような安易な考えを持たないように、教会と言う組織があったのですが……」
 「何? それを今更持ち出すのか。―――まぁ、確かに僕の過失だけどさ」
 苦虫を噛み潰したようなナウアの声に、凛音も刺々しい言葉を返した。悪くなりかける空気に、ワウアンリーが殊更軽い口調で割って入る。
 「大丈夫ですってナウア様。ウチの駄目亭主もこういう状況なら流石に真面目に働きますから」
 「―――色々と、突っ込みたいところはありますが、概ねその通りでしょう。ええ、お兄様も基本的には周りの苦労を弁える方ですので」
 「……なんで散々に言われてるんだ、僕」 
 自分で過失を認めておきながらも、酷い扱いを受ければへこむのもやむ無しともいえるが、生憎と誰も同情してくれなかった。
 「日頃の行いじゃろ」
 「と言うか、二撃目が怖いから、いい加減対策を立てないか?」

 空気を読まずに―――ある意味空気を呼んで先を促すアウラに、凛音は頭を掻きながら頷く。

 「そうね。―――まぁようするに、結界炉爆弾が役に立つ兵器だって思われちゃうと大変なんだよ。それなら、対策は簡単だ」

 凛音は解るでしょうと、周りを見回しながら言った。

 「現代ジェミナーの兵器だけで、無事アレを無力化してみましょう」

 予め対策が確立してしまっていれば、何も怖くは無いと―――事は、シンプルだった。



 ・Scene 53:End・






     ※ あんまり無敵モードに制約が無さ過ぎるとロボット必要無くなっちゃうのがねぇ。
  
       後、気付くともう二百話越えてるんですね。
       スレッドを分割するタイミングをかなり昔に逸しているので、締めまでこのまま進みます。



[14626] 54-1:姫さま凛々しく・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/04 21:14


 ・Scene 54-1・



 「それでは闇黒生徒会を開催したいと思います」

 場所を、外部カメラの映像を受信可能にしたスワンの会議室に移動した一向は、長机を囲んでモニター横目に、じっくりと会議の姿勢へと移っていた。
 上座―――と言うか、壁面の巨大モニターの真下には、当然のようにリチアが座り、席順もようするに、両サイドをアウラと凛音が固める何時もの体制だった。尚、アウラの隣に居る筈の少年が不在のため、礼儀正しく席が空いていたりする。
 ナウア・フランは結界工房の管制室から、通信越しでの参加となった。

 「議題は当然、現在直面中の危機である、仮称・結界炉爆弾に対処する方法について。―――尚、何処かの男性の反則能力は今回は使用禁止です」

 宜しいでしょうかと、片手で眼鏡を押し上げながらリチアは会議室に集った全員に確認の言葉を掛ける。
 すると。
 「―――キャイア?」
 ユキネ、剣士と並び末席に座していたキャイア・フランが挙手をしていた。リチアが手の仕草で発言を許可すると、キャイアは躊躇いがちに声を上げた。

 「とりあえず……なんですけど。―――こんなにのんびり話し合ってて、平気なんですか?」

 尤もすぎる意見に、リチアは視線をついと右へ逸らす。
 「そこのところどうなの、書記」
 「え、僕書記なの?」
 「アンタ、何時も会議の内容一字一句把握してるじゃない」
 初めて聞いた役職に目を丸くする凛音に、リチアは鼻を鳴らす。因みに実際の生徒会においては、議事録等の庶務に関しては下働きの学院職員が行う。
 「記憶してると言うかログ取ってるだけなんですけどね。対応機材無いから出力できませんし。―――にしても、書記だったのか。てっきり副会長辺りだと思ってた……」
 「いや、それは一応私だ。―――と言うか、そこなのか、疑問に思うのは」
 どうでもいい事をぼやく凛音の向かいから、アウラが口を挟む。嗜めるような苦笑を受けて、凛音は肩を竦めてキャイアの質問に答える事にした。
 「”俺とお前とどっちが上か”ってのは、世の中でも割と馬鹿にならない真理だからね。その判断を殴り合いでつける人種にはなりたくないけど。―――いや、今更遅いか。で、キャイアさんの質問の答えだけど……まぁ、見たまんまだからね」
 凛音はそう言って、モニターに視線を移した。

 再設置された監視カメラが映し出す、結界工房近くの岩肌の映像。
 二機のコクーンと、それから、一人の聖機師の姿があった。

 「完全に、持久戦だね」
 肩を竦めて言い切る凛音に、キャイアはでも、と続ける。
 「今のうちに、一気に攻めるとか……」
 「位置が悪い。僕らは穴の中に居て、そして敵は穴を見張っているだけで良い。どれだけ頑張って奇襲を掛けようとしても、出るのを見つかった瞬間に奇襲は失敗だよ」
 「よくよく状況を思い出せば、向こうは時間を稼いでいればそれで良いのだからな。こちらがこうして閉じこもらざるを得ない状況になるのも、計算づくなのか」
 「あのオッサンも、嫌がらせのやり方が一々ねちっこいよねぇ」
 真剣な顔のアウラに、凛音も苦い顔で吐き出す。

 ガイアは、ガイア本体が復活さえしてしまえば、それで全てが解決する。
 その過程に何があったところで、復活後に一々斟酌する必要は無い。

 「対してこちらは、時間制限アリ、要救助者アリ、ついでにリーダーはヘタレ」
 「オイ」
 思わず低い声で、どうでも良い部分に突っ込みを入れてしまった。しかし。
 「放っておくと、ユライトは見捨てろとか言い出しそうじゃしのぅ、このヘタレ」
 「完全勝利より確実な六分勝ちが座右の銘ですから、そのヘタレ」
 「まさにヘタレだね……」
 「―――なぁ、僕はそんなにキミ等に怒られるような事をしてたか?」
 頬を引き攣らせる凛音に、代表して口火を切ったラシャラが余裕たっぷりに応じる。
 「つまりは、ユライトを見捨てるのは無しじゃぞ」
 「目指せ完全勝利」
 小さな手持ちの旗でも振っていそうなノリで、ぞんざいな応援をしてくるユキネに、凛音はぶすくれた顔で返すしかなかった。

 「いや、自分から両手を縛っておいて完全勝利を目指せって言われてもなぁ……」

 「使うなと言っておいてなんだが、確かに女神の翼が使えないのが痛いな」
 「後、ワープが欲しいですよね、ワープ。アレ使えば一発で終わりますよ」
 ため息を吐くアウラに、ワウアンリーもぼやく。従者の乱雑な意見に、凛音も苦笑いを浮かべた。
 「確かにね。座標指定でユライトの後ろまで飛んで無力化。ついでに、あの爆弾付きもノシつけて聖地の真上にでも飛ばしてやれば、問題は一瞬で解決するんだけどさ。問題は質量だな。デカくなるとエネルギーの消費も大きくなる。―――ガイアを丸ごと転位させようなんて思ったら、一体どれだけ出力掛ければいいのやら」
 「殿下の吐血量が心配ですよね、実際。―――と言うわけで、それは却下です、却下」
 右から左に避けるように、ワウアンリーは自分の意見を自分で切り捨てる。むしろ、それは駄目だと周りに言い聞かせるためにわざわざ発言したかのような態度だった。
  
 「夜陰に乗じてこっそりとか……」
 「赤外線探知でもされるんじゃないか?」
 「横穴を掘って」
 「振動探知機くらい持ってきてるだろ。と言うか、何時間掛かるんだそれ」
 発言が一つ出るたびに、ズバっと反対意見が飛び出す。どれもこれも無理がありすぎて、いい加減手詰まり感が会議室に満ち始めていた。
 皆が押し黙る中で、ワウアンリーが凛音に真剣な目を向ける。
 
 「……アレ、使いますか?」
 
 「―――アレか」
 「どれじゃ?」
 意味が解らないと尋ねてくるラシャラに凛音は肩を竦めて言葉を返さなかった。
 視線を何処か遠くに置いたまま、ワウアンリーに質問する。
 「座標指定出来るのか?」
 「いえ。相変わらずマーカーの無いところでは使えませんけど」
 「駄目じゃん」
 「そこでアレですよ、”こんな事もあろうかと”ってヤツです。これ見てください。機動テストのために使ったマーカーの位置が……」
 手元の端末を操作して、簡易地形図を示すワウアンリー。
 「こりゃまた、都合が良いと言うか何と言うか。―――この距離なら、行けるか?」
 「ただ、相変わらず音はでかいですし、発生する亜法波も甚大ですから。速攻でばれるのは確実ですよ」
 恐らくは高速で思考を飛躍させているであろう主の手助けをするために、ワウアンリーは言葉を続ける。
 「まぁ、その辺はなぁ……何機ある?」
 「えーっとぉ……六、ああいえ、四かな、いえ、やっぱり五です」
 「六、だな。―――それじゃ、後のために残しておくとしても、五機は行けるか。……丁度じゃないか」
 「五って言ったのに……って言うか、あたし、外されてる?」
 「お前には他に仕事がある―――解るだろ?」
 「解りたくないですけど、あたしもサラリーマンですしねー」
 小声で、なるべく回りに聞こえないように。
 しょうがあるまいと、一応の納得をつけて主従は頷きあった。

 「―――それで、そろそろ説明が欲しいのですが?」

 放置しっ放しだった周りの視線が非常に痛々しい。
 「アレだな。お前本当にワウが一人居れば充分なんだな」
 何時だか惚気ていた通りかと呆れるアウラに続き、マリアも然りと頷く。
 「お久しぶりですのでいちゃつきたいと言う気持ちも理解して差し上げられない事も無いことも無いですが、―――少し、自重なさい」
 「お前にだけは言われたくないと思うぞ、マリアよ」
 「だまらっしゃい! ―――それで、お兄様?」
 微妙に頬を赤らめながらも兄に棘のような視線を送る事は止めなかった。
 凛音は、それは微妙に八つ当たりじゃないかなと思いつつも、肩を竦めて妹の言葉に応じる。
 
 「まぁ、早い話がアレだよ。ワープ」

 解りやすいSF用語の登場に、場は一瞬で静まり返った。
 言い切った凛音と、それに頷くワウアンリーの態度に。アウラがため息を吐いて口を開いた。
 「言って良いか」
 「うん、インチキ臭いけどさ」
 「―――解ってるならもうちょっとこう、なんだ?」
 「言葉選びなさいよ、たまには」
 「ああ、リチア様。至言ですね」
 言い繋いだリチアの言葉に、マリアが感嘆する。ついで、貴方に言っているのですよと凛音を半眼で睨みつける。
 「でも、本当にワープなんだよ。もうちょっと言うとしても、目には目をって感じか?」
 「目には……ああ、そういう意味か。そう言えば、お前が珍しく部下に怒鳴りつけていたな」
 「ハハ、あの時は見苦しいものを見せたね」
 アウラの納得の視線に、凛音は苦笑する。

 何時ぞやの晩―――ある意味、”終わって””始まった”その日。
 座った目つきで方々駆け回り、人を集めては怒鳴りつけ、そして蹴飛ばすように散らしていく。
 そんな姿をアウラは見るともなしに見ていた。

 「転送装置。教会施設に設置されていると言われているものだな」
 アウラの言葉に、マリアは目を丸くして頷いた。
 「それで、目には目を、ですか。―――ウチも、それで王都が焼かれましたからね」
 「それを言ったら、教会の本庁すら丸焼きよ? ―――でも、転位装置なんてモノ用意―――って、ああ、そうか。ここ、結界工房だものね」
 「あ、違いますリチア様」
 自分の言葉に自分で回答を得て納得したリチアを、ワウアンリーが否定する。その横で、凛音が薄く笑った。
 「一応確認してみたけど、工房に在る転位装置は、転位先指定用のマーカーも含めて、ガイアの復活が確認された段階で全ては帰されたらしいですよ」
 ね、とモニターの向こうで会議の様子を伺っていたナウアに視線を送る。

 『―――ええ。ガイアに工房施設を占拠させる訳にもいきませんでしたから』
 「なら、工房そのものを破壊すればよかったのに、やってることは隔絶結界を張って引きこもりじゃないか。―――正直、自分らだけ助かろうとか考えていると思われても、仕方ないでしょう」
 『工房の技術は、今後将来のためにも、欠かせないもので―――』
 「その将来が無くなるかも知れない瀬戸際が、今じゃないか。万が一の幸運で台風一過で生き残れたとして、その残った技術は誰が誰のために使うんだよ」
 

 「……喧嘩腰の男は放っておくとして、実際どうなんだ?」
 モニターと向き合って―――位置的に、挟まれる形になったリチアは泣きそうだったが―――言い争いを始めた凛音を放って、アウラはワウアンリーに問いかけた。
 「あの晩に教会から接収したものであっているよな」
 「あの晩、とは?」
 「聖地襲撃前夜です。通信封鎖が掛けられた晩に、殿下は大急ぎでハヴォニワ西部の教会施設を接収しましたから」
 そのお陰で、シトレイユ軍が通常侵攻してくると言う事態が発生したともいえるけどと、ワウアンリーはラシャラに答えた。
 「お兄様の伝言、首都に居る私たちには届かなかったんですよね」
 「と言うか、無線機器が軒並み使用不可能で、空中船に乗っていらっしゃるマリア様たちの位置が把握し切れませんでしたからね。―――で、ですね。最後の締めに使うために、接収したものを此処に運び込んで、整備してたんですよ。丁度起動実験もしようと思って、近場に転位先を指定するマーカーも埋めてあったり」
 「好都合と言えば好都合……か。とりあえずは、近づく手段は確保できた訳だし」
 「じゃあ後問題は……」
 
 「近づいた後で、どうするかじゃな」
 「押して駄目なら引いてみろ―――引いちゃ、駄目なのよね」
 「なんだリチア、そんなこそ泥の様に」
 「いやぁ、仕方無いんじゃないですか、この状況じゃ」
 「―――まだやってるの、父さんまで……」
 「外界から閉ざされた空間に閉じ込められ続けるのって、周りが思ってる割に、精神が疲弊しますからねー」 「まぁ、ストレス発散にでもなれば……余計なストレス、溜め込まなければ宜しいですけど」

 少女たちの会話は続く。
 当然の如く、凛音とナウアの愚かな言い争い―――責任の押し付け合いも。

 しかし気付いているだろうか。
 先行きの切欠を作り出した少女が、安堵の息を漏らしている事に。




 

     ※ モイ。
       どうも抜けがあるらしく、実際の所はコレが二百辺りでしょうか。
       まぁ、何にせよ。いよいよ佳境かなぁ。その割にはサブタイからしてアレですが。
       こころナビの方が好きだよ!



[14626] 54-2:姫さま凛々しく・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/05 21:52

 ・Scene 54-2・




 『それで、行儀悪く人前で喧嘩している間に全部決められていた、と』
 「いやぁ、どうしてもああいう”お前の存在こそが害悪”みたいな目で見られると気が収まらなくって」
 『そこで抑えきれずに相手と同レベルの対応を取っちゃう当たりが、貴方の器の小ささよねぇ』

 暗い部屋、深夜の狭い通信室のモニター越し。
 向かい合って苦笑交じりに語り合うその内容は、説教染みたものとも思えるし、さりとて、甘い響きが混じっている事は否定できない事実だった。
 「どうせみみっちさにしか定評が無い男ですよ、僕は」
 『そこで拗ねるから、何時まで経っても誰からも尻に敷かれ続けるのよ。―――尤も貴方の場合、それを望んで、ワザと情け無い態度を取っているのかもしれないけど』
 流し目を向けられ、背筋に何か妙な感覚が流れるのを感じつつも、凛音は得てして気楽な姿勢で肩を竦める。
 「黙秘します」
 『許可します』
 即答された言葉に、凛音は噴出してしまった。
 「……さすが、器が大きい事で」
 『今、年の功とか思ったでしょう?』
 今度は間違いなく、背筋に冷たいものが走った。
 「黙秘します」
 『却下……と言いたいところだけど、良いわ。何せ器の大きい女ですもの。それに私としては、どちらかと言うと別の事に興味があるし』
 フローラは、視線を逸らして冷や汗をたらすヘタレた男に嫣然とした笑みを向ける。
 「―――別の?」
 恐る恐るとした言葉に、フローラは楽しそうに微笑んで頷いた。

 『ええ。―――一体どうしてまた、貴方があの娘達の無茶に素直に許可を出したのか』

 「そんなに無茶だと思います?」
 『自己犠牲の精神は立派と言えば立派だけど、時と場所と立場を考えるべきだと思うわ』
 明らかに相手の出方を探るような質問に、しかし帰って来た答えは今ひとつ掴みかねるものだった。
 「でも、成功確率は高い方だと思いますよ」
 『”高い方”と言うだけで、貴方普通だったら問題にするでしょう?』
 「何かそう言う言われ方すると、自分が器の小さい男に思えてくるんですが」
 『小さいじゃない』
 フローラの言葉はにべも無かった。
 
 『転位装置を用いて背後を取って、特攻。ぶっつけ本番、片道切符で。―――こんな無茶をあの娘達だけでやらせることを許可するなんて、貴方の日頃の言動から考えて、ありえないでしょ?』
 
 転位装置。
 正式名称不明の、先史文明の遺跡の一つである。
 教会が発見し秘匿、複製して自分たちだけで有効活用している装置であり、そして現在はそれが仇となって、ガイアの侵略行為―――と言う名の時間稼ぎ―――のために有効活用されてしまっている状態だ。

  ”入り口”と”出口”を用意して、聖機人大の無機物、有機物問わず完全な形で、自在に転送することが出来る―――勿論、エナが充満している所で無いと使用不可能だが。
 尚、出口の方は正確な座標指定のために必要なだけで、無くても転位自体は可能らしい。勿論その場合は、指定エリアに性格に転位できるかは不明となるのだが。それに何より、転位地点にあった物体に”めり込む”危険性が発生してしまうので、矢張り出口も必要といえる。
 
 そして現在、”たまたま”結界工房の近くに動作テスト用の出口―――教会施設より装置を接収した凛音たちが言うところの、”マーカー”―――が設置されており、コレを用いれば、工房外周の平野に距離を取って居座っているユライト・メストの聖機人を奇襲できるのではないかと言うことで話が進んでいる。
 と言うか、ようするに凛音が口を挟む間もなく、勝手に話を進められてしまった。

 「まぁ、事実無茶が過ぎるんですけど、正直な所僕はこの件に関してはあんまりやる気が出ないんで、頑張ってくれる人が居るなら任せちゃいたい気分でもあるんですよね」
 何処かくたびれた口調で言う凛音の顔を、フローラは探るようにねめつける。
 『本気で言ってるの?』
 「何度か命を狙ってきた人を、命懸けで助けるのって、ねぇ」
 そればかりは事実であるから、フローラには追求する事は出来ない―――筈であったが。
 『その、何度か命を狙ってきたような人を救うために、あの娘達を死地に向かわせる気?』
 「―――いえ、それはホラ、成功確率は非常に高いですし」
 『今、目を逸らしたわよね?』
 「ハハハ、まさか」
 笑いながら、凛音は本気で視線を逸らした。

 此処に来て、フローラの不審は最高潮に達した。
 フローラぐらいにしか解らないだろうが、凛音の顔には確かに、”拙い事を聞かれた”と言う色が浮かんでいる。

 何を企んでいるのか。

 決まっている、碌でもない事だ。
 それはフローラとしては構わない。幾らか面白いことをしてくれるなら―――ついで言えば、自分をそれに巻き込んでくれるならば最高だ。いや、巻き込もうとしてくれないからこそ、探りたくなっているのだが。

 『そう、か』

 ”巻き込もうとしてくれない”。
 取っ掛かりさえ見つかれば、思考飛躍は早かった。血も繋がっていないのに本当に親子に見えてくる、と周りからウワサされるとおりに、凛音と同レベルでフローラはそれを行えるのだ。
 そう、凛音と同視点で。
 実の娘であるマリアが必死で足を縺れさせながらたどり着こうとしているその地点に、フローラは初めから立っていた。
 で、有れば彼の思惑を察するのは非常に容易い。

 『ブレてるようで、案外一貫してるわよね、貴方の生き方も』
 「は?」
 唐突な言葉に、凛音は目を丸くした。
 一貫性の在る生き方をしている等と、不審気な瞳が、突然肯定的なものに変わってしまえば、居心地の悪さが先に立つ。
 それに。
 「―――ここに来てからは、何だかだいぶ、流されて生きているように思えるんですが」
 かつて樹雷にあった時のような、一貫した強い執着心という物が―――忘れていたとは言え―――どうにも薄いように感じられる。
 『そんな事は無いでしょう。だって貴方、”女の子の前で格好付ける”って事だけには、常に抜かりが無いじゃない』
 「褒め言葉って受け取っても良いんですか、それ」
 顔をしかめる凛音に、フローラはしかし、隙の無い笑みで答えた。
 『解りやすく、別の女に色目使ってるんじゃないわよこのヘタレ、とでも言ってあげましょうか?』
 「丁重に御辞退申し上げます―――と言うか、この前男の甲斐性がどーのとか言ってませんでしたか?」
 意味も無く腰の前にあったコンソールパネルに手を付いて頭を下げながらも、一応と言う気分で凛音は尋ねる。
 『自分で言うのは駄目なのよ。男が下がるから』
 「僕には難易度が高すぎますよ、それは」

 『ああ、でも何も言わないで何でもしちゃうのも問題だと思うけど』

 「―――――――――」
 惚けたような視線も、だれた空気も、一瞬で掻き消えた。
 他の者たちがこの場に居たならば、それこそ背筋を冷やすような気分を味わう事になるであろう、一瞬で、この二人にはそういう空間を作れる才能があった。
 互い笑みを向け合い、そしてその実、その顔かたちは笑みに見えるはずも無い。
 
 「拙い、ですかね?」

 返答が自分の望む以外のものだったら許さないとでも言いそうな態度で、凛音は言った。
 フローラはその男のその顔こそが一番の好みだと言わんばかりの満面の笑みで、応じる。

 『どうかしら。わざわざこうして連絡を取ってくれたことは、一応評価してあげなくも無いけど―――そう言えば、良く考えたら貴方も誰にも言ってない訳じゃないのか』

 「あの子は本当に使えますよ。―――今更ですけど、本当にあの時は無理を聞いてくれて助かりました」
 『良いのよ、別に。貴方が欲しがらなくても、何れ私が引き抜いていたと思うし』
 先ほどの演技染みたやり方ではない、ただの目礼に過ぎないそれは、しかしフローラの満足する心の篭ったものだったらしい。気分良く受け入れてくれた。
 『でもあの子も、押すだけで引き止めることはしてくれないのがねぇ。―――貴方にとっては、それが良かったんでしょうけど』
 「ええ。求めていたのは何も言わなくても完璧にサポートしてくれる人材ですから」
 否定の言葉なんて一々聞く気が無いし、言わせる気も無かったと凛音は恥知らずにも言ってのける。
 『態度の大きさだけは一人前よね、貴方も。コソコソと隠れている時点でそれも台無しだけど』
 「どうせ、虚勢張って生きてるだけですからね、僕は。こうやってたまに、大人の意見も聞いてみないと、生きていくのも怖くて仕方が無いんですよ本当は」
 溜め息混じりの言葉には、矢張り微苦笑を浮かべながら。

 「―――反対しますか?」

 笑顔が消えた。何処からも。

 『されたら?』

 最早怒気に満ちているともいえた。

 「―――されても」

 空気の密度に、殺気が満ち始めていた。暫しの間。そして、唐突に空気の重石が取り除かれる。

 『ヘタレの癖に格好付けるわねぇ』

 そうして、漸く、笑顔が戻ってきたのだった。

 「初志貫徹、ってヤツかもしれません。―――今更ですけど、自分で言ったんですよね」

 凛音は深い笑みを湛えて、言う。

 「必ず殺すって。―――手段はもう手元にある。一々段取りを踏む暇は、もう終わりですね」
 『男の子らしく元気があるのは結構だけど―――あの娘達は良いの?』
 物騒な言葉に笑顔で返しながらも、迂闊な返答は許さないという態度がその言葉にはある。だが、凛音は気楽に肩を竦めるだけだった。
 
 「―――ホラ、剣士殿が居ますし」

 『ある意味、最高に説得力が在る言葉よね、ソレ』
 ああ、と素に戻って頷いてしまうくらいに、納得の出来る理由だった。
 「あの方が居れば、例えどんな状況だろうが確実且つ完璧に勝ちますからね。―――ぶっちゃけ、あの方一人を適当に特攻させたほうがよっぽど勝率高い気がするのも困りモノなんですけど……」
 『まぁ、今回はこの世界の人間だけで可能なやり方で、がコンセプトですもの。そこは仕方ないわよ』
 馬鹿馬鹿しい話だとため息を吐く凛音に、フローラも苦笑を禁じえなかった。
 『そういえば、結局の所、具体的にはどうするつもりなの?』
 その後で、思い出したかのように、ソレこそどうでも良いからついでにと言う気分で、フローラは尋ねる。
 元々”可能”といっている以上は”可能”なんだから、過程なんてどうでも良いと言う信頼感もあったのだが。
 凛音も、そういえばと、今更思いだした体で応じる。
 「ああ、爆弾ですか。押しても退いても駄目なら、潰してしまえば良いじゃない―――って事で、囲んで圧縮だそうです。ユライトの方は流石に失敗できないんで、剣士殿が一人で頑張るらしいですけど」
 『―――こう言っては何だけど、本当に力押しよね』
 「力押しで物事解決できるなら、ソレがシンプルで一番良いですよ。戦いは数と火力です」
 『そうね、貴方、爆発物好きだったものね』
 お陰でちょっとした問題が発生してしまった訳だがとは、フローラもこのタイミングでわざわざ言う事はしなかった。少しだけ微苦笑を浮かべて、それで終わりにする。

 『出来ると言うなら止めないわ。―――”有限実行”。最後までやりきりなさいな』

 通信モニターが、黒く落ちる。
 凛音は、暫くモニターを見つめたままで居た後、思い切り背もたれに身体を預けて、両腕を後ろ頭に組んで天井を見上げた。

 「有言実行、か。―――うん。やって見せるさ」

 それは、誰に対する宣言だったのか。
 

 そして、同時刻、何処か。

 「では、問答無用の一本勝負―――と、ぬ? 一人足りなくないか?」
 「声を掛けませんでしたが、何か問題でも?」
 「確かに、アイツは凛音の側だから、問題ない……か?」
 「あやつもアレで、結構な忠犬じゃからの。事が露見するよりマシじゃろ」
 「―――と言うか、本当にそんな風になるの? 流石にそこまでの無茶をしそうには思えないんだけど……」
 「違いますよ、あの方、その程度の事は無茶だと思っていないのです」
 「一人で充分、むしろ余計な邪魔入らないと言った所か。―――フン、此処まで来て、良い度胸じゃないか」
 「―――声が怖いぞ、お主」
 「前から思っていましたけど、一番あの方と親しいのって……」
 「生憎、黙秘するとしか答えられんぞ」
 「否定の言葉が無いのが問題なんだと思う」
 「そういう貴女も……」
 「お姉ちゃんだから」
 「何の説明にもなってませんよ、それ」
 「まぁ、何気に昔からじゃし―――と言うか、そろそろ始めんか? と言っても、妾は見届けに過ぎぬが」
 「別に参加しても宜しくてよ?」
 「未練じゃよ、それは」
 「一番若いのに、妙に達観してるわね……」
 「人間、得るものが多ければ、また失うものも小さくないと言った所じゃろうよ。―――さて、良いな?」

 「ええ」

 「文句なしの」

 「一発勝負」

 「異世界人から伝わる由緒正しい決着のつけ方……」


 「じゃーんけーん」


 「ぽんっ!」

 
 そして、夜が明ける。







     ※ モイ。USBがクラッシュしてデータが吹っ飛びました。
       前日にバックアップとって無かったらと思うと、久しぶりに本気で肝が冷えたぜ……。
       ラストも近いのに、勘弁して欲しいもんです、ホント。



[14626] 54-3:姫さま凛々しく・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/06 21:05


 ・Scene 54-3・




 「亜法結界炉最大出力。―――転位装置かっこかり、起動しまーす」

 結界工房地下施設内。
 聖機神のコクーンを固定する台座に似た、しかし独立して亜法結界炉と何か高度な技術によって作成されたらしき機材が固定されている装置の上に、稼動状態の聖機人が膝を付いて待機していた。
 装置は四機。一機に付き一体の聖機人が待機しており、その色はそれぞれ―――。
 「白、赤、緑、水色、黄色と……毎度思うけど、カラフルだよな」
 「まぁ、ホラ。元々ショービジネスが発展して出来たものですし。見た目わかりやすく、派手ってのが大切なんじゃないですか?」
 「個性の主張ってヤツかなぁ。―――そういえば、ウチの船も二つと同じデザインが無かったか」
 取り分け、”自分自身”こそが一番得意な形状の外装だろうなと、凛音は声に出さず苦笑した。
 「それより、座標固定も完了しましたし、後はスイッチ一つで本当に転位しちゃいますけど」
 何か言わないんですかと、ワウアンリーは隣に腰掛けてモニターに表示されたグラフを見るとも無く見ていた主に視線を送る。
 「と、言われてもねぇ……」
 
 装置内部の結界炉と、更に連結された結界工房の大出力結界炉が鈍い振動を響かせながら稼動しているのが解る。
 その莫大なエネルギーを以って、装置の上に待機している聖機人達を、中身ごと、一片の劣化すらなく、瞬時に指定の場所へと転位させるのだ。
 転位場所は、勿論。
 そこにたどり着けば決死の作戦に挑まねばならない事は確定していた。
 甘木凛音と言う人間であれば、そんな場所へと少女たちを送り込むのであれば、幾らでも言葉を書けるであろう事は当然だというのに―――しかし、何もしない。

 「まぁ、ラシャラちゃんがやってるみたいだし、良いんで無い?」
 凛音は、端末脇の外部との通信状況を示すインジゲーターが明滅している事実を示しながら、投げやりに言った。
 因みに、装置の運転を管理するために程近い場所に端末を設置して居座っている凛音たちと違い、ラシャラはマリアとともに、外の映像を確認する事が可能なスワン内部に残っている。
 彼女は今や王ではなく、ましてや聖機師でも無いただの少女であるため、出来る事は限られていた。
 待つ事。それ以外に何も無い。
 それ故に、立ち向かう彼らに言葉を送る役目を賜るとするならば、凛音のように無理やりハブられて居るような人間ではなく、ラシャラのような少女の方が相応しかろう。
 持って回った言い回しで、そんな風に凛音は語る。

 「―――本音は?」

 しかし、従者にとって見れば誤魔化しているのが直ぐにわかるような体たらくだった。
 半眼で睨みつけられて、凛音は観念したかのように視線を横に逸らして呟く。
 
 「―――その、怖いなぁと。色々とね」

 「何も言わないままで済ましたほうが、絶対後が怖いですよ」
 駄目だコイツとでも言いたげな態度で、ワウアンリーは大きくため息を吐いた。
 「嫌な事は後回しが僕の信条なんだよ」
 「割りと最低な事言ってますよ!」
 堂々と言ってのけた主に、ワウアンリーは大げさに突っ込む。それに凛音は肩を竦めて返しながら、装置の方を見ようともせずに、始動のスイッチを押した。
 「あ、ちょっと!」
 「そら、発進発進。―――後がつっかえてるんだからさ」
 前フリの無い突然の動作に慌てるワウアンリーを追い払うように凛音は言ってのけた。
 ワウアンリーは一瞬顔をしかめた後で、大きく息を吐いて傍にあったマイクを引っつかみ聖機人に搭乗しているであろう少女たちに声を掛ける。
 「―――ああ、もう。皆! 出るからね! ―――頑張って!」
 
 円形の装置の外周を走るように、エナの燐光が巻き起こり、オーロラーのようなカーテンを作り出していく。
 光のカーテンはその光度を増して行き、やがて中に鎮座している筈の聖機人の姿すら視認不可能なほどの規模に発展していく。

 「―――今更ですけど、この距離でアレを間近にしながら、亜法酔いが無いって凄いですよね」
 足元から発せられる、より凄まじくなった振動に冷や汗を垂らしながら、ワウアンリーはポツリと言った。
 「まぁ、僕の周囲ってオートで環境安定力場が作用しているらしいからねぇ。亜法振動の生理的に不快な部分は常時カットとかなんとか」
 「そういえば、殿下が亜法酔いになってる所って、見た事無いですね」
 「酔おうと思えば酔えるんだろうけど、酔う意味ないしなぁ。お酒とかと違うし」
 「いえ、酒に酔うのも出来れば控えて欲しいんですけど、従者的には」

 因みに、普通の航宙船なら、よほど小型で無い限り、必ずといって良いほど内部に張り巡らされている、極一般的な技術である。 
 凛音の生体強化―――と言うか、改造を行った人間は、皇家の樹との完全な同調と言う難しい課題はじっくりと取り組むとして、比較的簡易に施術可能な技術を先に設定したらしい。
 お陰で、機能不全の間ですら、当たり前のように起動していた。凛音の聖機人搭乗時の亜法波耐性が極端に高いのはこの力場のお陰である。修正パッチが当たった現在では、任意にカットできるようになっているのだが、この亜法文明の発達したジェミナーでは予想外に便利な機能であったため、コレまでどおり常駐起動していた。
 燃費の良さ―――内部循環による半永久的なもの―――を考えれば、正直な話、光鷹翼よりもよほど役に立っている。

 「便利で良いなぁ、宇宙技術」
 「未開惑星で商売するには都合の良い知識ではあるわな。―――ああ、因みに亜法振動の無効化技術ってのはこっちでも探せば出てくると思うんだけど」
 「そうなんですか?」
 そんな技術、あれば直ぐに広まっているだろうとワウアンリーは思うのだが、生憎今まで一度もそんな話は聞いた覚えが無い。
 若かりし頃は彼女自身も似たような事について考えた事があったが、資料集めの段階で理論的に不可能と記されていたため挫折している。
 先達にその件で話してみたら、聖機工なら誰でも一度は考える夢見事だと同士の笑みを向けられた。

 「でもホレ、近づくと頭が痛くなる装置なんてものを日常的に使用しようと思うなら、普通に対策を考えるだろ? ましてや、その技術のみで極限まで―――勿論、単一星系上において、と言う基準だけど―――発達した文明だったなら」
 「つまり、先史文明の遺跡を巡れば、亜法振動を無効にする技術が存在してもおかしくない?」
 それも、割り合い話に上る事なんだがとワウアンリーは言う。笑い話にもならない世迷言だと。
 「どうだかね。でもちょっとした宇宙技術を使えば簡単に対策で切るような問題なんだし? そう考えるとそういう技術オンリーの社会でソレが発達しない方がおかしい気がするんだけど―――と言うか、現行の亜法オンリーでも、力技でもいいなら案外どうとでもなりそうだけど」
 「―――因みに、具体的には?」
 興味津々と身を乗り出してくる従者に、しかし凛音は冷めた目で応じた。

 「言ったら捕まるから、言わない」

 「―――あ、やっぱり?」
 物騒な言葉に、ワウアンリーはも冷めた言葉で返した。驚きなど欠片も無い。
 「いやさ、聖機人から民政品に至るまで、亜法技術を管理しているのはご存知教会だろ? そんな連中に”聖機人の稼働時間を延長する画期的な手段を見つけました”何ていってみろよ。翌日には川に浮いてるって、絶対」
 「あー、つまり、教会が隠匿しているかも、と」
 またその展開かと若干疲れた態度を見せるワウアンリーに、凛音は肩を竦める。
 「と言うか、してたみたいだね。ナウア・フランとチャットしてた時に嫌がらせ交じりに突っついてみたんだけど、その辺の話になると言葉を濁して曖昧な表現になってたし」
 「っていうか、年長者を苛めるのは止めましょうよ……。ナウア師にはお立場もあるんですから」
 「僕もそのときに同レベルの追及を受けてるしなぁ。―――まぁ、その辺は良いとして。結局、便利になり過ぎないように技術レベルを抑えてるんだろうな。発達しすぎてえらい事になったらまずいし」

 「今みたいに?」

 「今みたいに。―――と言うか、先史文明の頃みたいに、なのかな」

 厭味混じりの従者の言葉に、凛音も苦笑気味に同意した。
 「でも、聖機神とかにそういう便利機能が付いていたってデータは無いですけど。―――その辺もまさか、発掘される度に一々隠匿されてるんですか?」
 「いや、まさか。聖機神の機能を考えれば、そういう便利装置は初めからついて無いって考えるほうが妥当でしょ」
 「えーっと、つまり?」
 「さっき自分で言ってたろ。聖機神てのはショービジネス用の舞台装置だって。制限時間でもつけておいたほうが、スリリングで盛り上がるじゃないか」
 「―――ああ」
 ワザと不便にしているのだという身も蓋も無い意見に、思わず素で頷いてしまう。
 「その辺りのシステムまでコピーしている聖機人が、同様に時間制限付きってのも当然ですか」
 「戦争の過激化も防げるし、な。―――お」
 やれやれとため息を吐いた後で、凛音は正面で展開されている光景に変化が訪れた事に気付いた。

 輝きが失せ、カーテンが解けるように消えていく。
 丸い円座のような装置の上には、聖機人の姿は無かった。

 「―――まぁ、剣士殿がいれば、平気だよな」
 「心配なら声を掛けておけば良かったじゃないですか」
 「どうせヘタレだよ、僕は」
 口を尖らせる従者に自虐の篭った言葉で応じながら、凛音はゆっくりと立ち上がった。
 端末から進み出ていく凛音に、背後から声がかかる。

 「本音は?」

 「―――決心が、鈍りそうじゃない」

 肩を竦めて、全く男らしくない事をのたまう主に、ワウアンリーは呆れ声を投げつけた。尖った口調で。
 「でも、あたしには言うんですね」
 「キミはそれが仕事」
 「やだなぁ、ブラック企業って」
 グテっとだらしなく突っ伏すワウアンリーを、凛音は鼻で笑う。
 「その割には、自分から入社を希望したじゃないか」
 「仕方ないじゃないですか。今更辞めたって、あたしを身請けしてくれる人なんてぜーったい何処にも居ませんし」
 「皆見る目が無いよな、こんな美人が安く雇えるってのに。能力的には不安があっても、目の保養にはぴったりじゃないか」
 「え? 能力じゃなくて容姿目当てだったの!?」
 「希望としては後十センチくらい背が高いと嬉しいね」
 「本気で言ってるよこの人……」
 じゃあ今度からヒールでも履きますと面倒そうに言いながら、ワウアンリーはだらしの無い姿勢のまま器用に端末を操作していく。

 すると、広い施設の片隅に、未使用の転位装置が搬入されてきた。
 同時に自動操縦の運搬車両が、コクーンを乗せて装置へと近づいていく。
 「一応確認ですけど、やっぱ行くんですよねー」
 冗談のような気軽さで、声音にしかし、本音の否定が見え隠れするワウアンリーの声。
 しかし凛音は振り返らずに、一つだけ息を吐いて応じた。
 「ソレを何も言われていないのに、ちゃんと理解してくれるからこそ、ワウアンリー。キミを選んだ価値が在った」
 珍しくも色気のある声に、一瞬頬を赤らめつつも、女の意地だという気分で尖った声を崩さなかった。
 「―――上手く使われているだけみたいで、あんまり嬉しくないですよ」
 「ソレは残念。伝わらない想いほど悲しいものは無いや」
 凛音は何時ものように肩を竦めて、ワウアンリーは何時ものように諦めの混じった溜め息を吐く。

 事、状況が此処に至っても、彼らは常に何時もどおりの姿勢を崩さない。

 「剣士達は外。アウラ様もリチア様もユキネさんもキャイアも皆―――、邪魔な人はもう、一人も居ない」
 「そう、そしてユライト・メストまで剣士殿たちの傍にいるんだから、ソレこそ本当に、もう邪魔者は居ない」
 唐突に発せられた従者の言葉に、凛音は深々と頷いて続ける。
 「復讐するは、我に有り―――いやはや、此処まで上手く状況が完成してくれるとは」
 「ババルン・メストも、案外その気があったんじゃないですかね」
 「かも知れないね。あのオッサンも何気に演出って物に拘ってるからなぁ」
 「―――って、本当にそうだと、ガイアもう、完全復活していません?」
 「してるんじゃない。―――まぁ、してようがしてまいが、此処まで着たらやる事は変わらないさ」
 そこまで言った所で、凛音は漸くワウアンリーのほうへと向き直った。

 「ガイアを倒す。―――二度目の聖地攻めだ」

 「転位装置、座標設定とっくの昔に終わってます。マーカーも、向こうにありますし」
 ワウアンリーは端的な言葉で主の言葉に同意した。

 そのために、一人主の元を離れて、今まで準備を続けてきたのだから。
 彼が彼自身の手でガイアを倒す。その目的のためだけに。効率性など度外視で。
 今のような状況―――ユライトの出現という好条件が発生しなかった場合は、凛音の転位装置以外の転位座標を別の場所にずらすつもりすらあった。

 「―――後で絶対怒られますよね、あたし」
 「今のうちに白旗の準備でもしておけよ。燃やされるだろうけど」
 「死ぬ時は絶対一緒ですからね」
 「生憎、タイミング的に君が先に死ぬのが確実だ」
 女性聖機師のように特別な戦闘衣が無い関係上、着の身着のままで聖機人に乗り込んでしまえば、それでもう済む問題である。
 それ故に、最後の最後までグダグダと会話を続けられる。
 装置の上にコクーンが固定され、結界炉が稼動し、エナが内部で加速し続ける間も。


 「面白そうな話をしていらっしゃいますね、お二方」


 そして何時もの如く、その余裕が裏目に出るのだ。






 
     ※ ギャルゲ的な意味で言えば、所謂、最終分岐イベントって所でしょうか。
       一番好感度の高いキャラが現れるのでしょうが、まぁ生憎、このSSはトゥルーエンドルート以外存在しないのである。


       思えば遠くへ来たものだっと……



[14626] 54-4:姫さま凛々しく・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/07 21:08


 ・Scene 54-4・



 「―――…………ワウ?」

 振り返った先、薄暗がりから静々と歩み寄ってきた小柄な少女の姿を確認して、凛音は乾いた声を漏らしていた。

 「あたしじゃないですよ!!」
 
 傍に居た従者は、ブンブンと大きく首を横に振る。

 「ええ、その通り。ワウアンリーの責ではありませんよ」
 少女は、普段着慣れない装いをしているせいだろうか、少しばかりぎこちない足取りで凛音たちに歩み寄ってきながら、言った。
 「何で……」
 「此処にいるか、ですか? それとも、貴女だけがハブられたか、ですか?」
 ワウアンリーの呟く言葉に、泰然とした笑みで少女は応じる。凛音は、少女の言葉に聞き捨てなら無い単語がある事に気付いた。
 「貴女……”だけ”?」
 凛音の言葉に、矢張り少女は微笑んで応える。

 「ええ、その通りです、お兄様。―――ワウは、お兄様に近過ぎますから」

 意味を理解するまでもなく、拙い、とその一言で思考が満たされた。
 「―――ワウ?」
 「だからあたしじゃないですって! 殿下がへちょいからじゃないんですか!?」
 汗を垂らしながら従者を呼ぶと、従者も従者で、背筋を総毛立たせながら返してくる。
 間抜けな主従のありようを見て、少女が一人、大きくため息を吐いた。

 「お二方共に問題ありです。隠し事がしたいのでしたらせめてもうちょっと解りづらくしてください!」
 
 「そこで、隠し事をするなと言われないだけ愛を感じるべきなのかなぁ?」
 「”お前の隠し事好きはもう諦めた”」
 「……アウラさんか」
 少女に見合わぬ超然とした口調に、凛音は呻くように漏らした。
 少女の背後に居るであろう人々の一端を、垣間見たのだ。チラと、意識しない動作で視線を今さっきまで聖機人が待機していた使用済みの転位装置の方に動かしてしまう。
 「今更そんな、”何故ばれた”みたいな顔されても困るのですが」
 「何時から皆、そんなに人を騙すのが上手くなったのさ」
 苦い顔で言う凛音に、少女はクスリと微笑んで言った。楽しそうに。
 「”アンタと長く一緒に居れば誰だって性格悪くなるわよ”」
 「ラピスさんと同じ事言ってますよ、先輩……」
 ここまで来ると、”凛君は迂闊すぎ”と言う言葉すら聞こえてきそうな雰囲気だった。
 少女は降参とばかりに項垂れる凛音を、してやったりと笑顔で見ながら、何気なく付け加える。

 「ところでお兄様。―――何故、こちらを見ようとしないのですか?」

 「ああ―――いや」
 明後日の方向を見ながら、凛音は頭を掻いた。
 嫌な現実に戻りたくないから、とはとても言えない空気である。と言うか、言った瞬間現実に戻らなければならないから。
 話を上手くごまかし―――無理に決まっていると自分でも思いつつも、それでも、最後の男のプライドというヤツを見せる気分で、凛音は口を開く。

 「いやね、妹が突然そんなはしたない格好をして出てきてしまうと、兄としては対応に困るんだよ」

 「はしたないって、ただの戦闘衣じゃないですか」
 妹と呼ばれた少女―――最早、書類上ですらそんな関係ではなくなってしまった、ハヴォニワの王女マリア・ナナダンは、自身の着ている上品な刺繍が誂えられた装束を見下ろしながら、兄の言葉に口を尖らせる。
 「今時そんな、身体のラインがはっきり出るスキンタイプの宇宙服なんて流行らないから」
 「ですから戦闘衣ですって」

 ジェミナーで極一般的に用いられる女性用の聖機師の戦闘衣。
 細身の―――むしろ、痩せ気味ともいえるような少女の肢体がはっきりと示される様な服装である。
 聖機人戦になる度に思う、何の意味がある服なのかと。 
 実は極薄であるからこそ亜法波の伝達が良くなるとか、意志力伝達系統に対する干渉力が増す亜法式が刻まれているのではないか等と、初めて見た当初は色々と研究してみたものだが、現実としては、何の意味も無いらしい。精々、通気性と保温性に優れているくらいである。
 そもそも、そんな薄手の衣装を纏うのは女性聖機師だけで、男性聖機師は私服の延長―――せいぜい、操縦系に干渉しないように引っかかりの少ない服装を着るだけである。
 調べてみると、衣装の考案者は異世界人。考えたやつを殴りたくなったのは、ある意味当然とも言える。
 何せ気が高ぶるような戦闘行為の終わった後に、一々同年代のグラマラスな女性たちの身体のラインを見せられるのだから、色々とたまらない。
 少なからず在る助平心よりも、勘弁してくれと言う気分の方が先に立つものだ。

 「で、なんでマリアはそんな格好をしているのさ」
 もう誤魔化すのは諦めたと言う体で、直球で凛音は尋ねる。
 「あ」
 しかし、その言葉に応じたのはマリアではなく傍に居たワウアンリーの方だった。
 「何?」
 「ああ―――いえ、その」
 ジロ、と視線を滑らせると、ワウアンリーは気まずい顔で視線を逸らす。凛音は嫌な予感を覚えた。
 つなぎ姿の彼女が、首もとのジッパーを降ろし始めたのだから、それも尚更だろう。
 「おい?……―――っ!?」
 いきなり何をしている、と言う言葉をいうまでもなく、その行動の意味は明白だった。
 だぼだぼのつなぎ姿の下。

 「―――あたしも、着てたりして」

 聖機工であり、尚且つ聖機師でもある彼女にとってはもう一つの正装でもある、聖機師の戦闘衣を纏っていたのだ。
 
 「お前……」
 何を考えているんだと、凛音が従者の格好の意味を考えていると、前に居たマリアが鼻を鳴らした。
 「矢張り、そう言う事でしたかワウアンリー」
 「……マリア様、何時からお気づきに?」
 主と同じようにうめき声を発するワウアンリーに、マリアは呆れ声で応じる。
 「貴女にお小遣いを与えているのは、一体何処の家だと思っているのですか?」
 「あー」
 ワウアンリーはグテっと目の前の端末に突っ伏し、濁点でも付けた方が合いそうな音を漏らした。

 「ちょっと待った。―――お前まさか、何か碌でもないこと考えてなかったろうな?」
 何故サポート役のワウアンリーがわざわざ戦闘衣を着込んでいたのか。そして、マリアも。
 辺りを見渡せば、コクーンは転位装置の台座に設置中の一機しかなく、そして他の転位装置は現在使用不可能。基本的に片道一回のみの使い捨ての機材であるから、これ以上聖機人は用意出来るはずが無い。
 であれば、あの機体に乗るのは凛音で確定しているから、彼女等が戦闘衣を纏っていても無駄だ。

 なにしろ、今現在搬入中の聖機人は、凛音用にカスタムメイドした特注品なのだから。

 「その特注品なんですけどね」
 恐る恐ると言う口調で、ワウアンリーが呟く。
 相変わらず、嫌な予感しかしなかったが、とりあえず頷いて先を促さない事には、どうしようもないのが現実だった。


 「―――実は、”複座”だったりして」


 「…………は?」
 聞き慣れない単語に、凛音は耳を疑う。
 「―――スマン、もう一度」
 「新型、複座ですから」
 「黙れ」
 聞きたくなかったと言う思いが素で出てしまった。
 「今自分でもう一度って言いましたよね!?」 
 「煩いよ! つーか複座ってなんだ!? 何で聖機人二人乗りなんだよ!! 発注どおりの仕事しろよ下請け!!」
 言葉の意味を理解して、凛音は大慌てで台座の上のコクーンの元へと走る。
 
 大きさは通常の聖機人のコクーンと同様。
 ただ、内部の素体の形状だけは大きく異なっていた。
 足が無い。変わりに、下半身はそのまま蛇の胴体のような蛇腹状の骨組みで構成され、ソレがとぐろを巻いてコクーンを構成する形状記憶装甲内に押し込められていた。
 そして、胸の前で組まれた腕にも、些か通常の機体とは違っている。
 肘から先に亜法結界炉を生やしている下椀部が、幾らか伸張、肥大化しており、手のひらの付け根、手首の位置から明らかに砲口と思しき形状が見て取れた。
 それ以外に胸部にも水晶状の亜法防御力場の精製器官が見て取れたし、詳しいものが見れば、少し後頭部が大きくなった頭部に関しても、センサー系統が強化されているのが解るだろう。
 壁を背にしているため確認する事はできないが、背部に背負われている亜法結界炉も、通常並列して二機搭載であるところを、機体形状に併せて縦に四連装と言う形式に変更されていた。
 無論のこと、下半身の最端部、尻尾の先端とも言うべき部位には、予備の亜法結界炉が搭載されている。
 
 凛音が形成する特殊な機影―――龍機人用に、特別に設計した機体。
 尤も、設計者が”人型ロボット”に浪漫を追い求めない凛音だったから、その形状はもう、骨格だけの現在を見ればただ稼動腕の付いただけの自在戦闘機とさして変わらなかった。 
 コクーンに包まれていなければ、恐らく、ソレが聖機人であると気付く人も少なかろう。

 そして、肝心の腹部。操縦席が設置されている透過装甲で覆われたコアの部分だが。

 「……本当に複座になってるぞ、オイ」

 呻く以外に、凛音に出来ることはなかった。
 縦に上下二席、座席が設置されていた。上の席に操縦桿が、下の席の周りにコンソールパネルが見て取れる。
 
 「えーとですね、背部四連装、更に両椀各一基、オマケに尾部先端にもう一基の結界炉七基体勢の出力制御の難しさと、ついでに増設した内蔵火器と強化した防御機構のお陰で、システム周りが本当に不安定なんですよ。―――もう、ならいっその事、火器と出力管制専門のオペレーターを用意した方が、安定するかなって」
 あはは、と背後から追いついてきたワウアンリーが、早口でまくし立てる。凛音は大きく息を吐いた。
 「微妙に言い訳がましいぞ。つーか、システム周りの亜法式は組んだやつ渡しておいただろうが」
 「エー、ソンナモノワタシミテナイデスヨー」
 「戻ったら絶対給料減らすわ、お前」
 凄い棒読みに、低い声で返していた。

 ―――すると。

 「あ、戻ってくる気あったんですね」

 何故だか、心底からの安堵と見て取れる笑みを、返されてしまった。

 ニコリと、相変わらず小柄だが美人である―――凛音個人の好みから言えば、髪を降ろしていてくれた方が尚嬉しいのだが。
 馬鹿な事を考えながら見惚れている間に、視線を外されてしまった。
 ワウアンリーは、矢張り隣に立っていたマリアの方へと振り向く。

 「あたしとしては言質が取れただけで充分ですから、後はマリア様にお任せしますね」
 「―――その潔さ、常から思っていたのですが、貴女が一番強敵な気がします」
 余りにも自分にとって都合のよすぎる申し出だったからだろう、マリアは同じ女として、酷く負けた気分になった。
 「ただの年の功ってヤツですよ―――って、自分で言うと悲しいなぁコレ」
 ワウアンリーは自分の言葉に頭を掻きながら、端末のある位置まで引き返していく。

 その後は、どっかりと椅子に腰掛けて端末のモニターでも眺める体勢に入ってしまい、コクーンの元に立ち尽くしている兄妹に関しては、我関せずの態度。

 「―――来るの?」

 馬鹿みたいな唐突な口調で、凛音は尋ねていた。

 「行きます」

 初めて見る戦装束姿の妹は、強い瞳で頷いてきた。
 そういえば、母親の血を引き継いで聖機師としての資格を有していたんだっけなと、今更ながらに凛音は思い出す。ついでに言えば、凛音の”機能”によって彼の周囲に居れば亜法振動波は完全に無害化されるから、一緒に乗ったところで何も問題は無い。


 ―――問題は、無い?


 「放っておくとフラフラと何処かへ跳んでいってしまいそうなお兄様には、私のような足手まといの―――”重石”が付いていた方が、気合が入るでしょう?」


 ただでさえしんどい思いをする事になるであろう場所に、わざわざ、さらにお荷物となるためについて行く。
 堂々と宣言して、それこそが必要だと訴えてくる。

 勝てないな、と凛音は思った。
 と言うよりも、この世界に来てから、一度として勝った記憶なんて無い事を思い出す。
 
 諦めて、それから破顔して。凛音は幼い少女に手を差し出した。

 「じゃあ、行こうか」

 マリアは差し出された手の平の上に、自身の小さな手を、そっと重ねる。

 「何処なりと」

 貴方と一緒ならば―――。



 ・Scene 54:End・





  

     ※ モイ。足手まといと言うが、なんの、精神コマンドは二人分である。
       特に凛音は気合が使えないから……。



[14626] 55-1:けれど輝く夜空のような・1
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/08 23:01

 ・Last scene 1・


 オーロラのカーテンが解かれた瞬間。

 龍機人のコアの中、縦に二列並んだ操縦席の下部、オペレーター席に座っていたマリアが見たものは、視界一面を覆いつくす白い光だった。
 透過装甲に次々と小型のウィンドウが開いていき、それら全ての外枠が非常事態を告げるレッドに染まっていた事も、一応は理解できたが―――それで、状況に対処できるかと言えば、”NO”と答えるより無いだろう。
 膨大な光、熱量を伴う高密度のエナの奔流である。
 数瞬間もなくそれは転位したばかりの龍機人へと届き、その機体を粒子の欠片も残さずに焼き尽くすだろう。

 即死は必至。

 だと言うのに、ちっとも死ぬ気がしなかったのは、現実感が喪失した光景だったと言う理由では決してなく、―――そう、背後に居てくれる筈の存在のお陰に違いなかった。

 「―――読まれてたな、やっぱ」

 操縦桿を握りながらも機体を動かす素振りも見せず、ただ一言呟いて、ため息を吐く。
 それだけで、迫り来る光の奔流が塞き止められるのだ。
 
 花の蕾が、綻ぶ様に。光り輝く三枚の花弁が龍の眼前に花開く。
 
 モニター越しではなく、直接ソレを視認するのはマリアには初めてだった。
 外部の様子を透かしてみせる透過装甲越しに、その光輝を目に焼き付ける。感嘆と、畏れと共に。

 美しい。
 しかし、現実に存在して良いものかと問われれば―――。

 「良いに、決まっている」

 降って沸いた思考を、振り払うように呟く。上部の操縦席から、不思議そうな声がかかる。
 「マリア?」
 「―――なんでもありませんよ、お兄様」
 わざわざ振り返り―――それを行っても何の問題も無いという絶対の安心感を持って―――マリアは凛音と視線を合わせて微笑んだ。
 「初陣でいきなりコレだからね。緊張しているんじゃないかと思ったけど」
 「いいえ。―――いいえ。背中にお兄様を感じていられれば、何を恐れる事もありません」
 
 だから、居てください。其処に在ってくださいと、声に出さずに想う。

 「何さ、楽しそうに」
 「楽しそうですか?」
 兄の言葉に首を傾げると、笑っていたよと、微苦笑を返されてしまった。
 思わず、頬を押さえてしまう。自分で解る筈も無い。マリアは小さく首を横に振って気分を切り替える事にした。
 「いえ、何でもありません。―――それよりお兄様。”読まれていた”とは?」
 「ん? ああ―――」
 言葉を返しながら、凛音の視線は透過装甲の向こう―――突然光量の落ちた外の景色へと向いた。

 焼け爛れ抉れた、天井と地面。高度な技術の蓄積のみが成せるであろう、地下巨大人工構造体。
 広いホール。神殿とも倉庫とも思わせる、”広い”と言うそれだけで人に畏敬を覚えさせるほどの広大な空間。
 その殆どは闇に染まり、外壁部近くにあるのであろう、亜法機関より伝わる振動音と、それが発するエナの燐光が、僅かに空間を照らすのみだ。
 
 一際巨大な装置。―――一際光り輝く場所に。

 「聖機神……」
 「鉄屑が、見違えるじゃないか」
 
 ひび割れ、腹を抉られ、足をもぎ取られて地に崩れ落ちていた筈の、先史文明の遺産。
 全ての聖機人の原型になった存在と言われているそれが、神と渾名されていた時代そのままの姿を、取り戻していた。

 「あの特徴的なデザインの腕、全部が連結した重力リングなんだろうなぁ」
 「みたい、ですね。両椀部を構成する全パーツが、それぞれ独立して結界炉を搭載しているみたいです」
 外と手元のモニターの間で目を行ったり来たりとさせながら、マリアは兄の言葉に応じた。
 「さっすが、対ガイア専用にレギュレーションを無視しまくっているだけあるね」
 「れぎゅれ……え?」
 耳慣れぬ言葉に戸惑う妹に、兄は皮肉気な口調で返す。
 「あの機体はさ、ショーマッチのために作られた他の聖機神と違って、世界を滅ぼす悪魔を滅ぼし返す、ただそれだけのために当時最高の技術を結集して作られた機体なんだ。そうであるなら、ルールに記されたショーマッチ用の機体と違って、その能力には何一つ制限が無いんだ。―――例えば、稼動限界が定められていない、とかね」
 「背部についている巨大な粒子加速器なんかも……」
 光源の元に佇む漆黒に染まった聖機人の背中に装備されている、巨大なリングと、その内部に循環している高密度のエナを示すモニターの情報に脅威を覚えて、マリアは言う。
 「あのデカい図体で高機動って感じかな。”お客様には見えない”ような加速で。中の人が耐えられるのかね」
 重力キャンセラーでも積んでいるのだろうかと、半ば呆れ口調で凛音は吐き捨てる。

 『耐えられる筈も無い。折角の稼動限界の破棄も、肉体の限界の壁は超えられなかったのだからな。―――ネイザイ・ワンはそれが原因で落ちたのだ』

 空間を満たす闇よりも尚、重苦しい気配を感じさせる、姿なき声。

 「これ、は―――」
 外部センサーをチェックしながら、マリアが震える声でその出所を探る。凛音は背後から妹の肩が震えるのを見て、眉根を寄せた。
 「だがアンタもその時に相打たれた。無様に血反吐を吐きながら稼動限界を迎えたんだろう?」
 『その通りだ。そして今や、肉体を失い他者の身体を移ろいゆく日々』
 笑みを浮かべているのだろう、あの厳つい顔で。いつか見たその男の顔を思い浮かべて、凛音は吐き捨てる。
 「今回が初めての転生だろうに、何を偉そうに」
 『そうだな……』
 喜悦に歪んでいた姿なき気配が、揺れた。

 戸惑いでもなく、恐れであるはずが無い。

 それは、怒り。

 『遂に二度目となるべきそれを前に―――貴様は、招かれざる客だ』

 怒りに、声を震わせた。
 
 「―――お兄様」
 会話に圧倒されて言葉を漏らす事を控えていたマリアが、縋るような声で兄に尋ねる。
 「あんな厳ついオッサンがさ、若い女の身体を狙ってたりした訳だよ。―――いや本当に、阻止できて良かった」
 「若い女って―――……まさかっ!」
 言葉の意味する所に気付き、マリアは聖機神の腹部―――其処にある、コントロールコアを凝視する。
 その奥には、現存する先史文明最後の人造人間が、操られた姿で在る筈だった。
 「そういう意味だと間に合ってよかったよな。―――身体乗っ取られた後だったら、剣士殿が何を思うか」
 『剣士―――柾木剣士か。異世界の聖機師の姿が無いな』
 対して驚いても居ない口調で、ガイアが口を挟む。
 完全防護されている筈の龍機人のコントロールコア内の会話を、一体どうやって聞き取っているかに些かの戦慄を覚えつつも、凛音は余裕の態度を崩さずに応じる。
 「いやだなぁ、宰相”陛下”。事態が此処まで進んでしまったのですから、もう、主役とヒロイン、そして敵役以外の配役なんて必要ないでしょう?」
 「あの、お兄様。メザイア先生が……」
 ヒロイン扱いされるのもどうかなぁと思って口を挟んでしまう妹に、兄は楽しそうに笑って返す。

 「あの人、もう扱い的には便利アイテムみたいなものだから。意識失わせて、操縦席に括りつけているだけだよ、きっと」
 『良く見る。―――あの愚かな倅とは、器が違う』
 喉を鳴らしたような哂いと共に言われた言葉に、凛音は瞬きした。
 「アンタが、あの倅の事を話題に出すなんてな」
 『無知であるが故の馬鹿踊り―――酒の肴にもならない物だったが、まぁ、復活を待つ間の無聊の慰め程度の役目は果たしていた。とんだつまらぬ喜劇の演者だったが、其処だけは、褒めてやっても良い』
 「報われないなぁ、彼も」
 「それ、お兄様だけには言われたくないと思いますよ……」
 前から思っていたのだが、実はこの二人気が合うんじゃないだろうかと、どうでも良い会話を繰り広げる兄と敵の首魁の関係を思い、マリアは額に汗を垂らしてしまった。
 いや、妙な気分になっている訳ではないと、マリアは大きく首を横に振って状況の整理に入る。

 結界工房から、聖地大地下深度、聖機神ガイアが立て篭もる遺跡の中に一直線に転位してきた。
 尚、転位座標の特定にはガイア側が散々使用してきた転位装置の発する座標を使用している。
 故に、都合よく敵の真正面に登場して―――そして、出会い頭の一発を放たれた。
 それを、女神の翼で防いで―――そして、遠くのには聖機神の姿が。
 巨大な盾を思わせる、ガイアのコアユニットを片手で突き出し龍機人に向けて構えている。あれから放たれる光線の一撃によって、こちらを撃ったのだろう。

 そして、凛音とマリアの会話にガイアが介入してきて―――しかし。

 「ガイアは、ババルン・メストは何処に……?」
 
 居ない。

 どれだけモニターと睨めっこしても、或いは装甲越しに周囲の様子に目を細めてみても、生体反応の欠片一つ見つからない。
 ガイアの聖機師、その憑依体ともいえるババルン・メストの姿は何処にもなかった。

 「居るだろ、目の前に」

 マリアの疑問に答えたのは、気楽な態度を崩さない兄の言葉だ。

 「目の、前……いえ、しかし。聖機神に乗っているのはメザイア先生なのですよね? まさか、こちらと同じ複座……!?」
 「まぁ、似たようなものかなぁ」
 予想外の事実の判明かと思い目を見開く妹に、凛音は微苦笑交じりに応じる。
 『ほぉ、良く見るな』
 ババルンのものとしか思えない、姿の見えない存在からの笑い声が被さった。
 「そりゃあね、”目”が良いのさ、僕は。―――お陰で昔から苦労してきたんだけど……」

 役に立つ時は役に立つ。

 背後から感じる凛音の気配が、いつの間にか隙の無い、引き締まったものへと変化していた事に、マリアは気付く。

 「さっき言っただろ? メザイア・フランは操縦席に括りつけられているだけだって。つまり、アレの機動は別の存在の意識で行われている。だが知っての通り、ババルン・メストは聖機師ではない。聖機神の操縦は出来ない。―――ならば、別の方法で、機体を操る方法を見つけ出せば……」

 『良く見る』

 地の底から轟くような、声。
 侮蔑と嘲笑、純粋な歓喜と共に。

 ぞわり、と。
 漆黒の聖機神が捧げ持つ、尚黒いガイアのコアユニットから滲み出るように、厳つい男の姿が。

 「―――ババルン・メスト……っ!?」

 「有機体を粒子変換して、機体と統合する、か。―――そうだな。エナの粒子変換を用いた転位装置の存在に気付いているんだから、完全にアストラルを保存したままでの自身の粒子かなんて、お前が気付かない筈が無い。元々お前は造られた存在なんだ。むしろ、粒子―――ただのデータとしての姿の方が、馴染みが良いのだろう」

 完全に化け物を見る目つきで、凛音ははっきりと言い切った。

 『ハッハッハッハッハッハ、そうだな。最早小さなコアクリスタルこそが私の本質だ。この強靭なる聖機神こそが私の身体だ! 弱く、そして脆い人間の身体になど、何の未練があろうか。最早私はガイアと完全なる合一を果たした! 昔年の如き失態を犯す事は無いぞ! 永遠の時間と、無限の力を以ってして、世界の全てを破壊してやろう!!』

 ババルンは、ガイアは吼える。狂相に染まった瞳で。

 「―――そう、かよっ!」
 「お兄様!?」
 凛音は躊躇う事無く龍機人の腕をババルンへと向け、トリガーを引き絞った。
 前腕部、手首の位置に備わった砲口から、結界炉と直結した超過速力で以って圧縮弾が解き放たれる。
 
 ガイアのコアユニットに佇み哂うババルンへ、弾丸は瞬時に到達し―――そして、想像していた通りの結果に、凛音は舌打した。

 「なに、あれは―――」
 
 おぞましいと言う他無い光景に、マリアは引き攣ったように声を漏らす。
 ぐにゃりと、弾丸が通り抜けた上半身が溶け落ちて、ついで、映像を逆再生するかのごとく、再びババルンの姿を再構築したのだ。

 『ハッハッハッハッハッハッハ、ハァーッハッハッハッハッハァァッ!!』

 一瞬見えた、千切れた胴体の内部は、しかし内臓も血も体液の一滴すら、見る事はかなわなかった。
 金属質のような、ケロイド状の―――それを、人間を構成する要素と呼ぶには、余りにも無理がある。
 そして、哂いながら身体の構成を崩して、再び、ガイアのコアユニットに溶け沈んでいく。

 「私、人間やめましたってヤツだな―――マリア、突っ込むぞ!」
 「え? ―――は、はいっ!」
 流れるような兄の言葉に、マリアは慌てて状況を理解した。
 
 撃って、撃ち返して。

 ―――そう、最早戦闘は始まっているのだから。

 「接近して装甲の隙間を狙う。関節ぶち抜いて動きを止めて、―――まずはメザイアを引っ張り上げる!」
 「畏まりました。亜法機関同期連結―――最大出力!」

 大蛇の如き尾で地を叩き、跳ねるように、跳ぶが如く、龍機人は空を泳ぐ。
 
 かくして、聖地での二度目の―――そして、最後の決戦が始まった。








     ※ ガイアさんのスーパーハイテンションの台詞を書くのは、毎回大変です。



[14626] 55-2:けれど輝く夜空のような・2
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/09 21:17


 ・Last scene 2・



 「これでっ!」
 「ラストですっ! 左腕第五重力リング破壊! お兄様!」
 「サイドから仕掛ける! 防御フィールド衝角形態!」

 接近と回避、そして攻撃を同速で行い、絡み合い、離れ、組み合い、撃ち、切り結ぶ。
 幾度と無く、光の届かぬ地下の遺跡構造物内で繰り広げられる龍機人と聖機神の激突は、一つの局面を迎えようとしていた。
 異世界人、柾木剣士がその常外の力を持って精製した圧縮弾を用いた射撃によって、聖機神の左腕を構成していた重力リングは達磨落しのように次々と破壊されていった。
 最早、腕としての機能を損失している。右腕に備えた巨大な盾を思わせるガイアのコアユニットは未だ健在だが、アレは振り回すには大きく、そして重きに過ぎるため、龍機人の機動力を用いれば回避するのは容易い。

 それ故に、凛音は今こそが好機と判断した。

 間を置いてしまえば、ガイアは有り余る膨大なエナを用いた超速の再生力を駆使して、漸く破壊した左腕を復活させてしまうかもしれない。
 いや、今尚時折鳴り響く、凛音たちを嘲笑わんばかりの高笑いから考えるに、確実に再生が可能なのだ。

 撃たれても治り、本体には傷一つつけられず。
 ガイアにとっては、未だに余裕があるのだ。身を犠牲にして様子を見る程度など、わけない。

 だがそれを解っていても―――解っているからこそ、凛音は動く。
 幾重にも重ねた曲線軌道で滑降しながら、一機に、聖機神の懐へと潜り込む。
 接触。機体そのものを弾丸と化した体当たりで、ガイアを広い空間の壁際まで押し込む。
 脇を締めるように振り絞った拳は、矢の如く。

 一閃。直撃。

 龍機人の鉛色の拳が、漆黒の聖機神の胎を抉る。
 腹部、コントロールコアを形成している透過装甲が、その形質を維持できずに液状化して噴出し、龍機人を、辺りを濡らす。
 龍機人はコントロールコアの中に抉りこんだ拳を、ゆっくりと開き―――そして、こんどはそっと、ゆっくりと握り締める。

 「―――どうだ?」
 「バイタル、安定しています。気を失っているだけ。―――怪我だって、必要経費です」
 「女の子の顔に傷をつけるかもしれないって思うと、ねぇ」
 「責任を取るのはお兄様ではなく剣士さんのお仕事でしょうから、気にする必要ありませんわ」
 背後に居る兄の微苦笑を、コンソールに表示されたモニター越しに伺いながら、マリアはすまし顔で言い切った。
 ゆっくりと、ガイアの胎からこぶしを引き抜き―――そして、其処に握られている存在を確認する。

 漆黒のドレスと、白い身体。時に凶相を浮かべ、時に無垢に変わる紅い瞳は閉ざされており、人形の如き印象を抱かせる。 

 メザイア・フラン。或いはドール。
 人造人間の少女は、凛音たちの手元へと引き寄せられる事となった。

 それを確認した後、ガイアが動き出す前に龍機神は一気に距離を取る。
 漆黒の闇、時たま施設内の機材が放つ燐光が照らす程度のものしかない、その広い空間の、尤も光届かぬ中心部へと。
 機体を低い位置へと付けながら、庇うように片手に持ったメザイアを胸元へと抱え込む。
 
 ガイアはと言えば―――未だ、壁際に埋まったまま、だらりと下げた右腕にコアユニットを下げ持つのみで、腹を割かれて力尽きているような錯覚すら覚える。

 『ック……ククッ……』

 苦痛に喘ぐ呻き声である筈が無い。
 カタカタと、聖機神を構成する金属製の外殻が、如何なる力を以ってしてか震えて打ち合わされる。
 それは、興奮と歓喜に全身をあわ立たせているようにも思えた。

 『クハッ、ハァッ、ハァァァァアアッハッハッハァァッッ!!』

 否、それは狂喜と呼ぶに相応しい。
 外部音声を拾うスピーカー越しに響く音を聞くだけで、亜法の振動波以上の、生理的嫌悪感を沸き立たせるものだった。
 「お兄様っ……」
 「下品な笑いをウチの妹に聞かせてんじゃ無いよ、全く」
 不安気な妹の声に被せるように、凛音は吐き捨てる。言葉どおりの意味で、苦痛を感じているらしい。

 『ハッハッハッハッハ、見事。全く以って見事ではないか!! 最早残滓ともいえる程度の低い文明に於いて、良くぞそこまでのものを作り上げたものだ! 今やその聖機人の力は聖機神にすら匹敵していると言えよう!!』
 「そりゃ、お褒めの言葉どうも。尤も、技術ってのは常に過去を追い越していくものだから、そんなの当然なんだけどね。―――だから引退して墓にもどれよ、先達」
 ゆらりと身を軋ませながらめり込んだ壁から這い出してくるガイアに、凛音は鼻を鳴らして返す。
 ガイアの狂喜の声は尚一層増していく。

 『何のまだ、まだまだまだまださっ! まだ足りぬ! まだ滅ぼしきれておらぬ! 異形にして新たなる聖機神よ! 我をなんと心得る!!』

 ガイアが、巨大なコアユニットを大げさな身振りで天に掲げる。
 「やはり、動く……っ!? でもどうやって? 聖機師は、此処に」
 マリアが、確保したばかりのメザイアに視線をやりながら、恐れおののく。
 「擬似生体コアだな」
 「擬似生体コアと言うと、あの、結界工房に現れた?」
 「うん。―――しかし、なるほどね。悪戯嫌がらせ用じゃなくて、このために用意しておいたのか」
 よっぽど最悪な嫌がらせだよと、凛音は眉根を寄せた。

 片腕をもがれ、最早右腕だけの聖機神。
 元々この聖機神は首が極端に短く、頭がそれを覆う外装もあってか、胴体に埋まったようにもみえてしまうため、天に掲げた巨大なガイアのコアユニットこそが、頭部に見える。

 それは、両手を持たず、長い首を擡げた異形の姿に見えた―――否。

 『我こそはガイア!! 最強にして唯一つとなるべき聖機神!! 異世界の龍よ! 貴様が聖機神たるならば、我は貴様を滅ぼそうぞ――――――全力で!!』

 ドクンと、空間が鳴動するのを、完全防護のコントロールコアの中で、凛音とマリアは感じていた。
 「―――これ、は」
 「何が……?」
 空間が歪む。透過装甲の視界越しに、薄暗い広い地下遺跡が、歪んでいた。
 「光の屈折が―――エナの収束効果か?」
 「―――っ、はい! 周囲空間のエナが、一点に……ガイアに向かって、これは!?」

 更に大きく、鳴動が。
 待機が震える、悲鳴を上げるように。

 そして、漆黒の闇の中よりも尚暗い、瘴気の如きそれが聖機神を包んでゆく。
 闇の波動に染まった、ガイアのエナ。
 ならば、大気を揺らすこの不快な振動こそが、ガイアを動かす歯車たる結界炉の示す威力そのものなのか。
 瘴気が、空間を撓め、見るものの平衡感覚を損なわせるような挙動と共に、地下遺跡を埋め尽くしていく。
 無論、遺跡の中心に佇む龍機人すら飲み込まんとする勢いで。

 「お兄様……?」
 「平気だよ。防御フィールド出力上げて」
 唾を飲み込みながら緊張した声で尋ねてくる妹に、凛音は殊更優しく聞こえるように意識して言葉を返す。
 実際、エナの循環による物理的な装甲の強化とは別に組み込んだ、着たい周辺を覆う多重層のエナの防御障壁のお陰で、他の機体の放出する波動は理論上完全にカットすることが可能だ。
 だからと言って、眼前に広がる光景の、生理的な嫌悪感が消える筈も無いが。
 「気分が悪いなら、モニターだけ見てるといい。現実を数値の変動と解釈すれば、少しは気が安らぐ」
 「―――お言葉ありがたく受け取りますが、お断りします」
 ツンと、声を尖らせて返してくる―――背中越しに、背筋を伸ばすのすら解る―――妹に、凛音は苦笑してしまう。
 「初陣がいきなりアレなんて、正直無茶が過ぎるんだから。あんまり無理するものじゃないよ」
 「初陣がいきなりアレで、無茶が過ぎるとしても、だからこそ目を逸らす訳には行きません」
 兄の言葉を繰り返しながら、マリアははっきりと言い切った。

 「初陣で、世界を滅ぼす悪神を討伐。その名誉は、今後王族として生きていくうえで、この上なく有効な戦果といえますもの。―――そんな大事な獲物を、見ずに済ますわけには行きませんわ」

 茶目っ気も含めたその言葉に、凛音は大げさに肩を竦める。
 「誰に似たのやら、気の強い事で。―――オマケにロマンチストに見えて、打算的に過ぎる」
 「私の家族は皆そういう部分が大きい人たちばかりですもの」
 仕方ありませんわと、愛らしい声。随分と余裕のある声を出せるようになってきたなと、マリアは内心安堵していた。手元に寄せたモニター越しに、兄が微苦笑しているのが、少し悔しかったが。

 『獲物か……』

 瘴気の中心で、血の様な赤が煌いた。
 おぞましいほどの寒気を覚えるその声に、しかしマリアは落ち着いて返す。
 「ええ、最早貴方は壊れた機械。―――ただ解体され、処理されるだけが運命です」
 「同感だね。塵は塵箱に、だ」
 凛音も妹の言葉に追従する。

 『クァアアッハッハッハ!! 我を壊れたとぬかすか、人間!! 全てに破壊を齎す、そのように我を作り上げたのは貴様等人間ではないか!! ―――我の存在を壊れているとぬかすとあらば、真に壊れていると断ぜられるべきは貴様等の方ではないか?』

 「狂った機械に相応しい、歪んだロジック。―――やっぱ壊れてるよ、お前」

 狂気による断罪にすら、最早凛音は意にかえさな。もとより、話し合いに来た訳ではないのだから。
 戯れごとに耳を貸す必要など、何処にも無い。

 『―――良くぞ言った』

 それ故に、地の底から響く怨嗟の声にも、気を改める必要も無く、自然な心構えで待ち構える事が出来た。

 闇が、一点に集う。
 広がりきった瘴気が再び、血の赤の元に集約し、歪んだ陰が実体を伴う悪鬼として顕現する。
 巨大な、後頭部に向かって鋭角的なラインを這わす頭部。
 一本の長い首から繋がる胴体に、腕を示す部分は無い。
 替わりに、きっとかつては背部の重力リングだった筈のパーツが、二つに分かたれねじれ歪んだ爪とも翼とも付かぬものへと変化していた。
 巨大で超重の上半身を支えるためか、足はどっしりとした肉厚の逆関節へと姿を変えて、鍵爪のような爪先を確りと床に食い込ませている。
 そして、全体的な重量バランスを整えるためか。
 後尾が巨大化、伸張して、大蛇の如き禍々しい尾へと変貌していた。

 「……龍」
 マリアがその姿を見て呟いた。
 「こりゃどうも、参ったね……」
 凛音も、やれやれとため息を吐いてしまう。

 脚の無い龍と、腕の無い龍。
 色は共に、くすんだ、暗い色に染まっている。
 まるで示し合わせたかのように、同属とすら思えるような、それは、向かい合い対立する、二対の異形の姿となった。

 「でもさ」
 「え?」
 龍機人に近い姿へと変貌したガイアの姿に、何か良くない予感を覚えていたマリアは、兄の余りにも気楽な声に戸惑いを覚えた。
 思わず、振り返って直接顔を見上げてしまう。

 兄は、微笑んでいた。

 「―――この機体が模しているものが、龍じゃないって、知ってた?」

 芝居がかった仕草で、手を広げ、我が身を晒すかのような態度で、まずは、眼下を睥睨する。

 「地には根を這わせ」

 次いで、天を見上げ。

 「空へと向かい枝を広げる」

 頭部―――牡鹿ごとく大きく広がった―――幹から分かれた、枝の如く。
 
 誇らしげに、胸に手を置いた。

 「果実は此処に」

 そして、ガイアを、滅びを齎す獣を睨みつける。

 「まだ幼き種子なれど、我は宇宙を駆ける大樹の化身ならば―――その力の前に、敗北などありえない! 破壊神ガイア! 精々我が力の前にひれ伏すが良い!!」

 吼える。その身に宿す、今や宿るそのものとなった自身の意思に掛けて。

 『よくぞ言った!! だがしかしっ!! 余計な荷物に手をふさがれ、滅びたる我を、どう滅するというのか!!』

 嘲笑うかのように装甲を震わせ、ガイアもまた、自らの存在を掛けて吼えた。

 「お兄様―――」

 マリアは思う。
 確かに龍機人には不利がある。
 片手に抱えた、救出したばかりのメザイア・フラン。
 庇いながら戦うとすれば―――無理な機動は、取れまい。
 ただでさえ機体サイズにたいした変更も無く複座にした関係上、龍機人のコントロールコアはもう一人人を入れるには、些か狭すぎた。

 『どうする!? ―――さぁどうするぅぅぅぅぅっっ!!』

 その事実を理解してか、ガイアは哂う。哂い、哂い、哂い続ける。

 そして凛音もまた―――。

 「決まってるさ」

 メザイアを抱えていない空いた片手を天に掲げて。


 ―――笑う。


 「こうするんだ」


 清浄なる赫躍が、漆黒の闇を払った。 






     ※ 弱点は背中の換気扇である。



[14626] 55-3:けれど輝く夜空のような・3
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/10 21:24

 ・Last scene 55-3・




 輝く三枚の光の翼が一瞬だけ大きく広がり、それが弧を描いて一点に集う。
 力の集約。ナノミクロン以下の小さな光球へと圧縮されたそれはしかし、地に太陽を抱いたが如き鮮烈な輝きを持ち、地底遺跡を照らしつくした。

 そして、地獄の底のような暗闇を割いて、極光が奔る。
 大地を割って天へと向かって伸びる茎の如く、それは光の御柱となって地下遺跡の天井を容易く裂いた。

 光鷹翼の攻撃的運用。

 力を一点に集約し、指向性を持って撃ち放つその威力は、天体クラスの攻撃衛星の最大出力すら凌いで余りある威力を有している。
 無論、大気圏内で使うには過剰に過ぎる威力であるから、此処で放たれたその一撃は最低出力のものに過ぎない。

 だが、威力は絶大だ。
 過剰な装飾もいらぬ、強力に過ぎたと表現するだけで充分な成果を示して見せた。

 「空が……」

 迸る極光が天へと消え去り、次の瞬間にマリアが目撃したものは―――青い空。
 掛かっていた厚い雲すら切り裂いて、地の底を太陽の光で照らし上げる。
 
 「威力は充分……充分すぎるな、ちょっと」

 全身に圧し掛かるような疲労感を覚えながら、凛音は自らの起こした結果をそう評した。
 かつて聖地と呼ばれていた巨大な卓状地、しかし今や爛れて崩れた瓦礫の山―――その固い岩盤すら苦も無く貫いて、天へと向かう真円を描く大穴をこの地下遺跡にまで結んでいた。

 「やっぱり下から上に撃たないと駄目だな」
 「―――と、言いますと?」
 結果著しくなかったテストの講評でもするかのごとき気安さで呟く凛音に、マリアは冷や汗交じりに尋ねる。
 「いやね、下手な射角で撃ったら、やっぱり地殻まで貫いちゃいそうで」
 失敗したら大災害の発生だよと、凛音は物騒な発言と共に肩を竦める。
 「ガイアよりよほど破壊神とでも呼ぶに相応しそうですわね、それは」
 「だろ? ―――と言うわけで」
 妹の呆れ声に気楽に返して、チラ、と視線を呆然と大穴を見上げているガイアに移す。
 
 ジェミナーに於ける最高の破壊者たる自身のお株を奪うようなその威容に、恐れでもなしているのだろうか。

 どの道、凛音にとっては良いチャンスに決まっている。
 片手に抱えたメザイア・フランの上に、被せるように天に掲げていたもう片手を重ねた。

 そして。

 『なに―――っ!?』

 「それでは、おさらば!!」

 驚愕するガイアを放ったまま、凛音は龍機人をぶち抜いた大穴へと飛翔させる。
 空高く、地の底から地上を目指すのだ。

 『待てっ!?』

 その機動力を生かして凄まじい速度で飛翔していく龍機人に追い縋るように、異形の姿に変貌したガイアもまた、地を蹴った。歪な様相の羽根を広げてのガイアの跳躍に、固い金属性の床板が、ガイア大きく抉れて拉げる。

 「―――速度はギリギリコッチが勝ってる……か?」
 「……どうでしょう? ガイア―――ババルン自身が、それほど優れた聖機師では無いというだけかもしれません。何にしても結界炉七基搭載は伊達ではないとも言えますか」
 次第に引き離されていくガイアを見下ろしながら、兄妹は確認するように言葉を交わす。
 「上へ出て―――何処かへ、隠しますか?」
 勿論、未だ意識を失ったままのメザイアの事である。
 「いや、まさか。意識不明の女性を戦闘領域に置き去りなんて、―――っとぉ!?」
 気障ったらしい言葉を妹に返そうとして、凛音は慌てて龍機人の身を逸らして壁際に寄せた。

 その刹那、地の底より迸る粒子砲。
 単純出力で言えば光鷹翼に勝る筈も無いのだが、聖機人の装甲を破壊するには充分な威力を秘めている。

 「しかも向こうは、―――弾切れの心配も、無し―――って、なぁぁらぁっ!?」
 
 射角をずらして連射されるガイアの破壊光線を、ひらりひらりと慣性を無視した動きで龍機人は避けていく。
 その最中、下方向、斜めの角度で撃ち上げられた一撃が、岩盤を抉った。
 何度と無く反応弾の威力に震わされ、次いで超常の一撃に抉られて、更にはガイアの砲撃である。
 重苦しい振動が、縦穴に鳴り響いた。
 「お、お兄様、これ―――崩れるんじゃ!?」
 いかな強固な岩盤と言えども、ましてや地表に近くなれば、爆破の衝撃も大きく、地盤も不安定だろう。
 パラパラと粉塵が舞い、それなりの大きさの岩石が壁を転がっているのが見えた。
 「―――へぇ、良い具合になってきたじゃないか」
 慌てる妹とは対照的に、凛音は何処か楽しそうな顔をしている。
 先頭民族としての血が騒いでいる―――等ということは欠片も無く、ようするに、何か悪戯を思いついた顔だ。
 
 「マリア、フィールドを尾部に集中!」
 
 再び壁際に龍機人の身を寄せ、凛音は前席のマリアに指示を出す。
 「え?」
 「早く!」
 「は、はい!!」
 戸惑う妹をコレでもかと急かして、龍機人の下半身に防御フィールドを集中させた。
 「お兄様、何を―――……」
 マリアには嫌な予感しかしなかった。
 接近してくるガイアに対して、こちらは空中で静止しているのだ。
 暗闇の底から迫る紅い二つの眼。光線の発射口は鋭い牙の並んだ顎を思わせ、赤熱化してさらにその威容を増していた。
 
 捕まれば、最後。
 本能的な危機感が湧き上がるのだが―――しかし、凛音は笑みを崩さない。

 「鬼さんこちら……」

 ゆらりと、龍機人の尾を揺する。振り子のように、先端をになるほど大きく。

 「地獄へ―――帰れ!!」

 怒轟。

 叫ぶ声の威力のままに、強固なフィールドに包まれた尾を、鈍い振動を続ける岩盤へとたたきつける。
 既に緩み、崩れ始めていたそれに、更なる一撃を加えれば―――答えは、明白。
 「崩れ、いや、崩し―――っ!?」
 ズ、ズと大地と大地が擦り合わさるような、本能的な恐怖を掻き抱かせるような音と共に、次第に、岩が、穴が、狭まってくる―――崩れ落ちてくる。

 「三十六系逃げるに如かずってな! 出力最大、突っ切るぞ」

 言いながら既に機体を閉じつつある穴の出口へと向けて龍機人を飛ばす。
 『待てっ! まぁてぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
 地の底に居るガイアもまた、凛音の成したことの意味を悟り、慌てて飛翔しようとするが―――。

 「そう簡単に逃がす訳無いだろ、バァ~~カ」

 聞くものに苛立ちと怒りしか呼び起こさない声音と共に、龍機人は天を見上げたまま、しかし両手首に備わった圧縮弾の砲口をガイアへと向けた。
 穴が狭くなれば必然、飛行エリアも狭まってくる。狙い打つのも容易かった。
 
 鉄と鉄がぶつかり合う。
 
 『グッ、グォオッ!? ヌグァッ!?』
 
 「剣士殿特製の圧縮弾の威力、とくと味わえってんだよっ!」
 口径に見合わぬ大質量を叩き込まれて、一瞬押し戻されるガイアに、凛音はオマケとばかりに壁に尾をたたきつけて岩石の雨を降らせる。
 巨大な岩を次々とその身にくらい、姿勢制御ままならずに地の其処に押し戻されていくガイア。
 凛音は知ったことかと鼻を鳴らして、悠々と崩れゆく岩盤をすり抜けて地上を目指した。
 「―――どっちが鬼何だか……」
 一々エグいやり方に、マリアは場も弁えずに呟いてしまった。
 正しいやり方であるのは解っているのだが、余りにも兄が楽しそうで、若干引き気味になる。

 妹がどうでもいい思考に囚われかかっている間に、遂に龍機人は聖地の岩盤を貫いて、地上へと上がる。
 緑溢れた二つの大地の亀裂の狭間に、かつて存在していた聖地であった場所。
 駄目押し気味に圧縮弾を連射して岩盤を砕き穴を塞ぎながら、凛音は周囲の様子を伺う。

 聖地襲撃―――その後の凛音たちによる人質となった学院生徒たちの救出作戦以降は、反応弾の一撃によって瓦礫の中に沈んだガイアの再発掘のためにシトレイユ軍に完全に制圧されていた場所である。

 だが、今は―――。

 「あの、お兄様?」
 「何も言わないでくれると嬉しいかなーと」
 声を引き攣らせる妹に、凛音もまた、眼下の光景を眺めながら、半笑いの言葉を返す。

 当然だが、シトレイユの軍団の姿は無かった。
 深い谷底に幾艘もの空中船が沈没しているのが見えていたから、初めは確かにいたのだろう。
 内何隻かは焼けて抉られたようにも見えている。恐らくそれらは、二度目の反応弾による空爆にやられたに違いない。
 だが、瓦礫の山より遠い―――即ち、聖地へと通ずる南北二つの関に近い位置に沈没している船であればあるほど、明らかに砲撃や聖機人の斬撃によってやられたのだろう事が見て取れる損傷がある。
 どの船も艦首を関に向けていたから、当然、シトレイユ軍の本営となった旧聖地の防衛のための戦闘行動を行ったのだろう。

 ならば現在、瓦礫の山の周辺を取り囲んでいるのは、艦隊を撃滅した何者かであるのかといえば―――。
 
 「なんで、一隻なんだよ。―――ああ、いや。居ても邪魔になるから、足の速い一隻で充分なんだけど……」
 
 シトレイユ方面の関のある位置を塞ぐように、一隻の船―――否、三つの岩塊を組み合わせた、特殊な形状をした宮殿が浮遊していた。
 
 「あれは……」
 
 マリアとしても、最早、笑うしかない。

 ハヴォニワが―――ナナダン王家が保有する空中宮殿オディール、現在の女王座乗艦であるその姿が、堂々と存在していたのだから。







     ※ 因みにあの換気扇はオーロラインテークファンって言う超カッコイイ名前が付いてたりします。

       さておき。最終決戦も、これで折り返しです。―――と書くと、つまり……と言うわけです。



[14626] 55-4:けれど輝く夜空のような・4
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/11 21:09


 ・Last scene 4・




 『はぁ~い、ダーリン♪ お・ま・た・せぇ~~~♪』

 外部スピーカー。ご丁寧に甲板―――上層庭園部の外縁に沿って増設された大型のスピーカー群から、旧聖地を囲む渓谷一体に、これでもかとばかりに響き渡るのを、凛音は透過装甲越しに聞いた。

 「……お兄様?」

 妹の声が引き攣り、揺れているのが解る。凛音自身、ダラダラと脂汗を流していた。
 それでも無意識で空気を呼んで、ガイアが叩き落された縦穴の直上から避ける位置へと機体を進めているのは、ある意味立派と言えなくも無い。

 「―――逃げようか? いや、逃げるべきかな。シュリフォン方面に離脱して、亡命を……」

 「通信、全周波帯に最大出力で流されてますけど。―――民生用の受信機にまで、届いていますわよ」
 「マジで逃げるぞチクショウ!」
 妹の刺々しい言葉に、凛音は何もかも投げ出すように叫ぶ。
 「と言うか、何故お母様が此処に? 進軍スケジュールでは、漸く国境線を越える筈だったのでは……」
 マリアは兄の情けない態度と実の母親の何時もの奇行に、深々と息を吐いた。

 『それは勿論、頑張って急いで来たからよぉ』

 ただの呟きに、何故か遠くオディールにいるはずのフローラが、艶やかな声で応じる。
 「なっ―――!?」
 「ガイアじゃあるまいし、なんでコッチの声が聞こえるんだよ!?」
 兄と妹は揃って目をむいた。
 当たり前だが、普通ならコントロールコア内の音声は、通信を同期させなければ聞こえる筈が無い。
 聖機人同士の近接戦闘中であれば、結界炉の共鳴現象により局地的に双方向で通信が開く事はあるが、現状とはまるで違う。
 『あら、あんな化け物と比べるなんて失礼ね。貴方たちが乗ってるその玩具、誰のお財布からお金を払って購入したと思ってるのかしら』
 失礼しちゃうわと、茶化した言葉に凛音とマリアは顔を見合わせた。
 「……キミと、同じ事言ってるぞ」
 「真に不本意ながら、実の親子ですので。―――と言うか、お母様はお兄様の担当でしょう、何とかしてください」
 「実の娘に指名されるってのも微妙な気分だよなぁ」
 半笑いで明後日の方向を見る凛音に、マリアは額に青筋を浮かべて答えた。
 「貴方達から揃って同じ香水の香りがしている事に気付いた時の私の方が、よほど微妙な気分です」
 「真に相すみません」
 『自重しま~す♪』
 「お母様は本当に自重しなさい!!」
 兄への説教に茶々を入れてきた母の声を、マリアは怒鳴りつける。
 この会話、全周波帯に流れているんだよなと思うと、凛音は泣きたい気分になるのだった。

 「まぁ、もう何でもいいですけど……とりあえず、何で毎度毎度の如く、ご自分で最前線に上がりますかね?」
 事前に要求したのはメザイアを保護するための足の速い船一隻だけだった筈なのに、地上に上がってみれば大型艦クラスのオディールが姿を晒しているのだから、凛音とて溜め息の一つは吐きたくなる。
 しかし、映像を通信を繋いだフローラの美貌は、笑顔から崩れる事は無かった。
 『あらだって、大事なダーリンが体を張って頑張っているのに、泥棒猫にばかり格好付けさせているわけには行かないもの』
 「誰が泥棒猫ですか! 誰が!!」
 マリアが顔を真っ赤にして突っ込む背後で、凛音は頬を引き攣らせる。
 「実の娘に酷い言い草だなぁ……」
 「あら、言わせているのは誰だかお気づき?」
 「ハイハイ僕です光栄ですよ―――って事で、とっととこの人回収していただけると」
 探る様なフローラの瞳から視線を逸らしながら、凛音は肩を竦めて龍機人の手に確保したままのメザイアを示した。

 『私に』

 何時の間にやら傍にやってきていた一機の聖機人が、手を差し出してきた。
 「ああ、助かる―――って、え?」
 『?』
 我が目を疑い瞬きをする凛音に、傍によってきた水色の聖機人は、器用に首を傾げてみせる。
 
 そう、水色の聖機人が。
 
 聖機人と言う兵器は、搭乗者の生態亜法波の波動によって、その形状、装甲色を変質させる特徴がある。
 即ち、聖機師それぞれに固有の色と形状を持った聖機人が形成されるのだ。

 「何故だろう。凄く見覚えのある機体が傍にあるんだけど。―――見間違いかな。それとも、目の錯覚?」
 「錯覚でしょう、お兄様。いえ、私にも見えていることからして、集団幻覚か何かかもしれません」
 遠い目で語る兄に、妹も乗っかって現実逃避していた。
 『酷い話だよね。―――急いできたのに』
 『むしろ、先回りしてたじゃない』
 「―――先回りって、何してんのさ、姉さん」
 聞き捨てなら無い言葉に、漸く凛音が現実を直視する行為を始めた。
 何故か目の前に居る、どうやら本物らしいユキネの聖機人に、メザイアを手渡しながら声を引き攣らせる。
 ユキネは、一方的に通信映像を開いてきて、そして機体と同様に、小首を傾げながら凛音の疑問に応じた。
 『泥棒猫ばかりに、任せてられないから?』
 「それはもういいですから! と言うか説明をなさい説明を! 余り時間も無いのですし!!」
 ガーと、猫の如く喚きたてるマリアに、しかしユキネはまったりとしたリズム応じた。
 『……体のラインがはっきり見える衣装って、たまに人を不幸にするよね』
 「誰の何処を見て言ってるんですか! 貴女は!!」
 因みにユキネの戦闘衣は、シックで控えめな色使いであるからこそ、逆に着ている人間のプロポーションのよさが引き立つものだった。
 マリアの視線に若干妬みが混じっているのは、気のせいだろう、いや、気のせいだと思わないと命が危ない。

 「―――姉さん、自分だけ転位装置の座標をオディールに変えたな?」
 凛音が苦い顔で尋ねると、ユキネはアルカイックな笑顔を浮かべるのみだった。
 そういえば、工房で一人でコソコソと動いていたなと、今更ながらに思い出す。
 「でも、飛行中のオディールどうやって座標を……」
 「お兄様。ワウアンリーが工房へ向かう途中に、オディールに立ち寄っています」
 マリアの言葉に、ユキネも頷く。
 『立ち寄ると言うか、強引に捕獲したんだけどね……荷物ごと』
 「荷物ごと、ね。―――あの無能従者め」
 『そうあまり責めてやりませぬな、殿下』
 事情が読めて苦い顔で吐き出す凛音に、穏やかな老人の声が口を挟んできた。
 「つーか家令長、居るなら止めろよ! 諸々を!」
 当たり前のようにフローラの脇に控えていた、一応部下の筈の老人に、凛音は思いっきり突っ込む。
 現実主義な老人は、老練な仕草で首を横に振った。
 
 『長いものには巻かれるもので御座いますれば』

 「アンタに期待した僕が馬鹿だったよ、畜生……」
 この老人、穏やかで確りとした見掛けに反して、自分の仕事と定めた領分以外の事に関しては、割りと大雑把な人間だった。
 ある意味、ナナダン王家に仕える人間たちに共通する性質だったりもするのだが、言い出せば薮蛇になるだけだ。
 凛音には項垂れる以外の行為は出来なかった。
 モニター越しに、見覚えのあるオペレーターの女性たちが揃って苦笑しているのが、心に痛かった。

 「と言うか、ユキネ! 貴女じゃんけんに負けておいて、抜け駆けじゃありませんこと!?」
 「いや、それ以前に姉さんが抜けて向こうは平気なのか……?」
 ”じゃんけん”とか”抜け駆け”とか、色々と不吉すぎる言葉は聞かなかった事にして、凛音は現実的な問題について尋ねる。

 順当に考えればもう終了しているころあいだが、ユキネは本来なら此処に居ない他の少女たちと共に、結界工房の周囲でにらみ合っていたユライトの聖機人に対して、奇襲攻撃を掛けているはずなのだった。
 ユライトには、剣士一人。
 無人のもう一機には、他の少女たちが総がかり。
 聖機神用の亜法結界炉の自爆攻撃に対して、圧縮による処理を敢行しようとしていたのだ。

 『大丈夫だよ、皆なら』
 「信頼感が溢れているようにも聞こえるけど、微妙に姉さんが言って良い言葉でも無いような……」
 「まぁ、現実問題、三人も居れば充分なのでしょうが……」
 きっぱりと言い切るユキネに、兄妹は揃って乾いた笑みを浮かべる。
 「四人から三人って、”絶対安心”が”多分大丈夫”になるくらい危険っちゃ危険なんだけども……無茶するねぇ、姉さん」
 『恋する乙女は、時に道理を覆すんだよ』
 「恋してたの!?」
 誰に、とはとてもじゃないが、怖すぎて聞けそうになかった。 

 そして、そんな暇も残っていなかったらしい。

 背後で、爆音が響く。
 振り返る必要すらなく、突然視界が逆光に被されば、何が起こったのかは理解できた。
 瓦礫の山を吹き飛ばして立ち上る、極光に、彼等の意識は自然と引き締まっていく。
 光が止んで、地の底から邪悪な龍の姿が這い出してくれば、最早待ったなし。

 「姉さん」
 『―――うんっ』

 ユキネはすぐさま頷いて、受け取ったメザイアを抱えてオディールへと退避していく。
 『あらあら、随分見た目が変わったのねぇ』
 フローラの言葉は相変わらず呑気に聞こえたが、口元を覆い隠す扇子を握った手に、血管が浮かび上がるほどの力が込められている事は、簡単に見て取れた。
 「……これ以上、前に出ないで下さいね」
 『―――駄目?』
 「駄目に決まっているでしょうが……っ!」
 愛らしく―――ある種の恐れを抱かせるような声で尋ねてくる母に、娘は断固とした口調で言い切る。
 『つまらないわねぇ……』
 「これを機に、待つ楽しみでも覚えてくださいよ」
 『待ちに待った機会が、今なのに、つれないこと』
 言いながらも、確りと後退を始めてくれる辺り、実に空気を読める女王だった。
 凛音は安堵の息を漏らしながら、一応とばかりにユキネにも声を掛けた。
 「姉さんも。―――戻ってこようとか考えなくて良いからね」
 『―――うん、後は、任せるよ』
 「任されました」
 信頼を込めた眼差しに、気楽に肩を竦めて返す。
 それで、充分だった。尤も、充分なのは凛音だけだったりするが。

 「戻ったら色々聞かせてもらいますからね、ユキネ」
 口を尖らせるマリアに、しかしユキネはにっこりと微笑んで応じる。
 『うん。ちゃんと聞いてね、凛君』
 「お兄様に何を聞かせるつもりなんですか、貴女は!!」
 「ハハッ……相変わらず凄いねぇ、姉さんは」
 余りにも日常の延長過ぎるそのやり取りに、凛音は噴出してしまった。そんな凛音を、ユキネは満足そうな顔で見ている。
 
 『お姉ちゃん、だから。―――気合入った?』
 
 「うん。断然ね、やる気が出てきたよ」
 
 ゆっくりと浮上してくる悪神ガイアと向かい合いながらも、凛音の顔からは笑みが消えなかった。
 どうとでもなりそうで―――真実、どうとでもなるんだろうなと、そう思う。
 ゆらりと、ガイアが首を擡げる。

 次の瞬間。

 二機の異形の聖機神は、蒼天の下、激突した。







    
     ※ 当初姉さん出てくる予定も無かったのですが、このままだと空気になりそうだったので登場をば。
       じゃあどうせならと、最後まで名前の出なかった家令長も。後一話から出てる通信席の皆さんもと、
      まぁ、ハヴォニワ勢全員集合って事で、ラストっぽくて良いかなー。
       
      



[14626] 55-5:けれど輝く夜空のような・5
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/12 21:05


 ・Last scene 5・



 高速で激突、離れ際に歪な形状の羽の中ほどを抉り取った感触があったのだが、離れて振り返った時には既に修復されていた。

 「強度が増しているか?」
 「ですね―――っ、それに、パワーも、スピードまでっ」
 
 コントロールコア内で言葉を交し合っている最中にも、ガイアの攻撃、そして龍機人の攻撃も続く。
 「向こうは喰らっても回復するってのに、コッチは一度喰らったらアウトって辺りが、もう良い感じに駄目だわ―――なっ、ぁぁあっ!!」
 苦い顔で歯を食いしばり、虚空に三枚の花びらを開く。
 途端、目前まで迫っていた光線は訳も無く弾けて散らされ、飛散する粒子を物ともせずに接近してくるガイアの姿が透過装甲越しに大写しになる。
 「よるんじゃねぇっての、この、トカゲがっ!!」
 両腕に仕込んだ圧縮弾で応射しながら、ガイアの圧力をたたき返す。
 『無駄、無駄無駄無駄無駄無駄だァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!』
 「知るかっての!」
 異世界人の亜法波を持って、超高密度に圧縮された圧縮弾の威力にすら物ともせず、ガイアは嘲笑の叫びを上げながら尚も高速で飛翔する龍機人に追い縋る。
 「―――これっ!? お兄様、速度、負けてきてます!!」
 マリアの悲鳴のような叫びをあげると、流石の凛音も眉間に深い皺を寄せざるを得なかった。
 「ヤロウ、加速性に力点置き始めやがったな!? 通りで、さっきからデカい顔が大写しになってるかと思えば……っ、なろ!」
 
 接近して殴り合い、離れれば撃ち合う。

 これほどの超速度で以って戦闘が展開されていれば、多少の速度差など余り意味の無い物になる。
 並んで速度を競う訳ではないのだから、相手が早いのならば、相手の速さに併せて戦い方を選べば良い訳だ。

 ―――だが。

 「ヤロウ、コッチの狙い悟ってやがるな?」
 「矢張り、先ほどから下を取られがちなのは……っ!」
 
 凛音たちは必勝を期す為に戦闘行為を限定しなければならない。
 光鷹翼の攻撃的運用による過剰な力は、確かにガイアを破壊して余りあるだろうが、それ故に、下手な射角で放てばジェミナーの大地―――どころか、その下、地殻すらも危険な事となるだろう。
 故に、なるべくなら真下から。
 最低でも相手よりも低い位置から上に向けて放たなければならない。
 
 「動きを止めようにも、ああも回復が早いとな……」
 「こちらも、火力自体は限界まで上げていますからね……」
 「殴り合いするにしたって、地面使っちゃいけないって段階でできる事限られる」

 ああ厄介だと、どうにも千日手の様相を呈してきた情況に、凛音は息を吐く。
 ついでに言えば、光鷹翼を使うたびに頭がふらついてくるのだから堪らない。

 『どうした異世界人よ! 威勢が衰えてきたではないか!?』
 「アンタみたいに朝早くからテンション高い年寄りと違って、夜型のインドア派なんだよコッチは!」
 「もう昼過ぎなんですからやる気出してくださいっ!」
 ガイアの頭部が開口し、放たれた粒子砲を光鷹翼を一瞬展開する事によって角度を逸らして避ける。
 そして距離を取り、一旦静止して再び向かい合う。
 『―――厄介なものだな、女神の翼と言う物は』
 「アンタみたいな紛い物で作り物の神と違って、本物の霊験あらたかな力だからな」
 『紛い物、―――紛い物、か。ックク。なるほど確かに、真に神を名乗るとあらば、神すらも殺して見せねば真なるとは言えぬか』
 ガイアは凛音の言葉に、首を擡げて空気を震わすような声を漏らす。
 『確かに我は人に造られし模造の神―――だがそれ故、我はその製造目的の達成に於いては、最早神の如く抜かりは無い』
 「―――……?」
 不吉な予感を感じさせる声に、凛音は眉根を寄せる。

 『我が滅ぼすは神。我が滅ぼすは世界。我が滅ぼすは―――造物主たる、人間よっ!!』

 ガッと、ガイアが突然体の向きを変える。
 思い切り龍機人に横面を晒して、何の意味があるのか。

 「お兄様っ、あの角度は!!」
 「―――っ!?」
 オペレーター席に座っていたマリアの悲鳴に、凛音はハンマーで頭を叩かれたような衝撃を受けた。

 角度。
 斜めに、渓谷の岩盤へと向かって。見上げるように首を持ち上げ。

 直線で、なぞれば。
 ガイアの光線は、苦も無く岩盤なんて撃ち貫くのだ―――!

 「ざけんなっ!!」

 ガイアの頭部ユニットが変形し、粒子が収束していくその間際に、凛音は龍機人を高速で突っ込ませる。
 横合いから殴りつけるにしても、粒子砲の発射には最早間に合わないだろう。
 ならば、とばかりにガイアの正面に堂々と機体を晒す。
 「お兄様―――っ!?」
 「平気、だぁぁああああっっ!!」
 妹の声に返すも早い、凛音は気合一声と共に、龍機人の正面に、自らの真の力を解放する。
 
 激突。膨大なエネルギーの波と、それを塞き止める光輝の翼。

 光鷹翼の力を持ってすれば、ガイアの放つ粒子の渦など止められぬ筈が無い。

 止められぬ筈が無い。
 
 如何ほどの圧力で圧し掛かられようとも。
 
 如何ほどの時を重ねようとも。

 「―――クソ親父がぁあっ!!」
 喉奥からこみ上げてくる鉄臭い液体を強引に嚥下して、凛音は罵るように吐き捨てた。
 『クァーッハッハッハッハ!! 素晴らしいな女神の翼!! 恐れ入るほどの力だ!! 平伏したくなって来るわ!! ―――だがその神の力も、何時まで持つかなぁ!?』
 ガイアの放つ粒子砲が―――否、ガイアの”放ち続ける”粒子砲が、何時果てる事無く、光鷹翼に降り注ぐ。
 「お兄様、このままだとっ……!」
 「ちょっと楽しくなくなってきたな、クソッ!」

 光鷹翼を展開したまま、機体の位置をずらしてしまえば避ける事は容易い。
 だがそれだと、龍機人は無事だろう。
 しかし、射線上―――曲がりくねった渓谷の先に居るであろう、オディールに座するフローラ達が死ぬ。
 避けられない。
 反射上に光鷹翼を展開し―――しかし、一度凌げても、ガイアだって放射を続けながら射線をずらしてくるだろう。
 それも不可能。
 直接、弾き返すとしたら。
 意味はあるまい。延々と続く粒子砲と同等の威力でしかないのだから、現状と何も変わらない。

 攻撃を―――角度が、拙い。

 「頭、使ってやがるな……っ!」
 
 解決策は単純だ、早いところフローラ達が渓谷を抜けて、何処なりと逃げてくれれば良いのだが、それは何時の事か。
 聖地へと続く渓谷は、それなりの距離があるのだ。今はまだ、道半ば。
 彼女等が脱出するまで防御し続けられれば―――だが、恐らくそれは。

 「ェッフ!?」
 「お兄様―――血がっ!?」
 空気が抜けるような音を漏らした兄に、思わず振り向いてしまったマリアが、悲鳴を上げる。
 凛音の口元から、うっすらと朱色の液体が滲んでいた。
 「平気だ―――っ!」
 「何処がですか! このままではっ!?」
 マリアは龍機人を守る無敵の防御壁が、兄自身の力によって出来ている事を確りと理解している。
 そしてその力は、兄の手には余るものだという事も。
 「一応、―――ああもうっ! この前よりは楽になってるんだけど、なぁっ……」
 「そんな事はどうでも良いですから、今は―――」
 軽口を叩こうとする兄に言葉を返そうとして、しかし、何を言うべきかが見つからなかった。
 避ける訳には行かないのだ。
 此処で龍機人が避ければ、母が死ぬ。ユキネも、当然。
 しかしこのままでは、兄が―――兄が。

 「どうすれば、どう―――っ」

 焦って取り乱しても、答えは何も見つからず、悪戯に焦燥ばかりが重なっていく。
 
 『ックッハッハッハッハッハァァッッ! どうしたっ! 何やら女神の翼が撓んでおるぞ! 絶対足る神の力が、何てザマだ!! ハッハッハ! ハァァーッハッハッハァ!!』

 「黙れってんだよ、クソがっ……!」
 使い続ければ使い続けるほど、光鷹翼は凛音の気力―――生命力を奪う。
 しかし、ガイアの粒子砲は、ガイア自身が膨大なエナの集合体であるからして、限界が無い。

 「くっそ……」

 漏らした言葉は、自分ですら弱音に聞こえて、凛音はくじけそうになった。
 こんな古典的なやり方に引っかかるなど、余りにも自分が間抜けすぎたのだ。

 「このまま突っ込んじまうか? いや、駄目だな。離れられて終りか。―――ああくそ、どうしたもんかなコレ……!!」

 

 
 『こうします!!』


 ―――厳。

 銅鑼の音の様に。
 全ての空気を塗り替えるように、沈痛な空気を払いつくすように。
 
 鮮烈な叫びと共に、その姿は現れた。

 白い姿。
 振り被った白刃は、その型しか有り得ないと言う鋭さで、一直線に振り下ろされる。

 『グォアアアァァアアァァァッ!!?』

 背後からの完全なる奇襲に、ガイア大地に、否、それを突き破って縦穴に再び叩き落された。

 粒子砲が止む。光鷹翼を閉じ、そしてその姿を見れば。

 「―――剣士殿!」
 『はい!』

 正しく、”本物”。
 直刀一本捧げもつ姿が、何と頼もしい事か。

 柾木剣士の白い聖機人が、其処には在った。

 「でも、何で……っ!?」

 マリアの疑問も尤もだ。
 剣士は今、結界工房に居た筈なのだから。
 ユキネのように回り全てを出し抜くような真似をするはずも―――理由も―――無いだろうに、この場所へ、このタイミングでの出現は、余りにも出来すぎていた。

 『あ、それなんですけど……』

 ウィンドウが開き聖機人のコントロールコアに居る剣士の映像が映る。
 何やら、腰の―――ポケットの辺りをごそごそとしていた。
 何かを取り出す。紙の切れ端だった。
 剣士は何かを理解したかのように、其処に、恐らくは書かれているのだろう文面を見て、一つ頷いてモニター越しに凛音たちを見る。

 そして。

 『こんなこともあろうかと―――だ、そうです』







      ※ ヒーローは 遅れた頃に やってくる

        字、余らず。



[14626] 55-6:けれど輝く夜空のような・6
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/13 20:54


 ・Last scene 6・




 「……こんなことも」
 「あろうかと、ねぇ?」

 明らかにカンペを身ながらの剣士の発言に、凛音とマリアは半笑いだった。
 『因みに他にも、”お前いい加減にしろ”、”自業自得じゃないの?”、”先立つ不幸をお許しください”、”まぁ、精々頑張るのじゃな”とか色々―――あ、後もう一つ、”ユキネ先輩、後でちょっと話があります”ってのが……』
 「それは本人に言ってくれ。―――と言うか、応援メッセージがラシャラちゃんの以外無いじゃないか!」
 「それこそキャイアさんが仰っている通り、自業自得なのでは?」
 妹の至極尤もな言葉に、凛音はちょっと涙が出そうになった。
 『皆、本当に心配そうにしてましたよ? それと同レベルで怒っていただけで……』
 念のためとばかりに、フォロー荷なら無いフォローを入れる剣士に、凛音は肩を竦めて応じる。
 「良いさ、怒られているうちが華って思うことにするから。―――で、向こうは本当に平気なの?」
 『勿論! 確りユライト先生を助け出せました!』
 「ユライト・メストは正直どうでも良いけど、皆が無事なら結構な事だね」
 『あ、その発言があったら、”言うと思った”って言うように言われてますけど』
 「言わなくて良いよ」

 剣士と凛音が会話をすると、何故か何時もの如く酷く待ったりとした空気が流れ出す。
 状況を読めといったほうが良いのか、それともその常と変わらぬ精神のありようを見習うべきなのか、やれやれと息を吐いてマリアは口を挟んだ。
 「もう言ってますけどね―――っ、お兄様!」
 「ん? ―――ああ、もうお目覚めか。老人の朝は早くて困る」
 マリアの鋭い声に、凛音もやれやれと視線を下に送る。
 
 瓦礫の山の中心に空いた大穴。その底から、凄まじい圧力を感じていた。
 圧力はやがて物理的な力となって大地を揺るがし始め、元より不安定となっていた聖地の岩盤を崩壊させていく。
 更に天頂には渦雲が集い雷鳴が轟き始めれば、最早天変地異とすら言えるような有様だった。
 圧倒的に暴力的な亜法波が、世界に満ちるエナを震わせ、それが結果として世界を乱しているのだ。

 「此処だけ見るとカタストロフって感じだけど」
 「地下に篭られたのは厄介ですね……。突っ込んで、引っ張り上げますか?」
 戯言をぼやく凛音に、マリアは冷静な表情で問いかける。
 「出てくるのを待つのが一番良いんだけど、奴さんコッチの思惑読んでるっぽいしなぁ。迂闊に地の利を失うような真似はしないだろうし……」
 凛音の必殺の一撃は、強力すぎて下へ向けては放てない。
 地下に篭られたガイアを相手にするならば、方法は限られていた。
 「では、やはり?」
 「突っ込むにしても、―――ぁあ、くそっ!」
 
 地下に篭り、其処への道は長い縦穴一つきり。
 
 ―――で、あるならば。

 間欠泉から熱湯が噴出すが如く―――否、そんな甘い状況ではない。
 穴そのものの怪と全く同じ規模の光の柱が、天を貫かんとばかりに立ち上る。
 『アマギリ様、これだと……っ!』
 そばに寄ってきた剣士も、緊張の声を漏らすほどの、ありえない光景。
 光の柱はふれるが最後、飛散する粒子の欠片に当たっただけでも容易く聖機人を行動不能に陥れるほどの威力を秘めており、そしてそれが、彼等の見ている前で、途切れる事無く、延々と天に向かって伸び続けている。

 天に向かって―――否。

 「―――傾いてる?」
 気付いたのと、声に出したのとどちらが先立ったろうか。
 光の柱、天頂へと伸び続ける破滅の光が、徐々に、徐々にその角度を斜めに傾け始めていた。
 おぞましい音と共に、大地を蒸発させていきながら、それは、凛音たち目掛けて、振り下ろされる神の刃の如く。
 「冗談きついな、オイ!?」
 「これ、迂闊に避けたら周りが酷いことになりませんか!?」
 『っていうか、空まで伸びても全然途切れる場所が見えませんよ、このビーム!!』
 例えば地の果てまで逃げようなどと考え出したら、ひょっとしたらこの惑星そのものを膾切りにしてしまうのではないかと、そう思えるほどの光景だった。
 何処まで逃げても、光の柱からは逃れられそうに無い。

 「避けて駄目なら……」

 判断は早かった。凛音は一度だけ大きく息を吐いて、葉を食い縛る。
 そして、龍機人の前に光鷹翼が花開いた。
 迫り来る光の柱に対して水平に構えられたそれは、その防御圏内に居る龍機人と剣士の聖機人を完全に守り切ったまま、光の柱を塞き止めた。
 「お兄様……っ」
 「このまま突っ込む。―――で、後は出たとこ勝負で……剣士殿! 期待してるよ!」
 少し咽た後に、凛音は滑りつく口内を煩わしく感じながら、剣士に軽い声を掛ける。
 『―――はいっ!』
 如かして剣士は、凛音が望むとおりの返事をくれた。

 合図も要らず、光の柱に向かい合うように光鷹翼を展開し、そして龍機人を最大速度で滑降させるのみである。
 その背後にはピタリと剣士の白い聖機人が付き添っている。
 「……なぁ、コッチ新型で、剣士殿は通常機なのに、なんで同じ速度出せるんだ?」
 スリップストリームか何かですかと言う気分で尋ねる凛音に、マリアも計器に示された数値を見ながら、冷や汗混じりに応じる。
 「剣士さんの亜法波による活性化で、ほぼこちらと同等の出力を得られているみたい、ですけど……」
 「ほぼ倍の出力差を覆せるとか、ホント樹雷の皇家はおっかないなぁ、オイ」
 お陰で、どう頑張っても勝てそうなのがありがたいけどと、凛音は微苦笑を浮かべた。
 
 「―――それで、お兄様。出たとこ勝負とはおっしゃいましたけど、一体どうするおつもりで……」
 「ん? ああ。また地中で追いかけっこってのもちょっとどうかと思うから、―――少し考えている事がある」
 
 ガイアの砲撃によって更に広がる事になった縦穴の中を、粒子の波を光鷹翼で押し流しながら進む最中、訪ねてきたマリアに、凛音は薄く笑って応じた。
 「考え、ですか」
 「うん。このタイミングで剣士殿が来たってのが、やっぱりね。―――あの人が特別だってことなんだろうと思うから」
 「思う、から……?」
 背後にぴったりと龍機人に追従してくる白い聖機人を見やりながら、マリアにはしかし、その答えは見えそうに無い。

 「見ての、お楽しみだ―――なっ、とっ、とっ、とぉぉぉぉぉっぉぉおっ!!?」
 『グゥォォォォオオオオオオオォオオオオッ!!』

 気付けば、縦穴を抜け、広い空間の有する地下遺跡へと―――ガイアの眼前へと、龍機人は躍り出ていた。
 飛翔する勢いそのままに、凛音はガイアを光鷹翼で床に押しつぶす。
 ガイアはそれに対して、粒子砲の圧力で以って対抗しようとするから―――結果、地下遺跡内の空間は膨大な熱量を持つエナの粒子の溢れる火の海のような有様へとなった。

 『相も変わらず凄まじい力よなぁ! 女神の翼よ!! だがこれからどうする! 我を地に押さえつけて! それでお前はどうする!? 撃てるか!? 撃てるのかぁぁぁぁぁぁ!!!!?』

 侮蔑の嘲笑がガイアから響く。
 地にたたきつけられても尚粒子砲の放出をやめず、冷静に状況を見極めて、持久戦になれば確実に勝利できると理解しているガイアは、その現実の無様な姿に反して酷く余裕だ。
 
 だが、唇から血を零す凛音とて、それは同様。

 「凄まじい、ね。お褒めの言葉ありがとう。―――だけど、一つ良い事を教えてやるよ」

 気力を振り絞り光鷹翼に力を送り込み続けながら、凛音は笑う。

 「世の中、上を見出せばきりが無い、ってな。―――ああ、そうさ。本当に嫌になるくらい、銀河には無敵が溢れている。僕なんかその中では、本当に末席の末席に過ぎない」
 「お兄様……?」

 自嘲するかのような言葉に、マリアは居住まい悪さを覚えて振り返った。
 だが兄は、相変わらず笑っていた。
 確実なる勝利は、既にその手にあるのだと、きっと確信していたから。

 「剣士殿!」

 振り向かず、叫ぶ。

 『はい!』

 応じる言葉に一つ頷き、そして、宣言した。


 「”こいつ”を圧縮しろ!!」


 『はい―――はいぃ!?』

 剣士は言われた言葉の意味を一瞬理解しかねて、目を丸くした。

 圧縮。

 亜法を用いたエナの収縮―――それに付随する、物質の凝縮行為の事を指す。
 基本的にエナを含む物質しか存在しないジェミナーにおいては、この亜法を用いれば圧縮できないものなど存在しない。無論、亜法を使用する術者によって、物質の質量に負けて圧縮失敗する事もあるだろうが。

 異世界人として高い亜法波を有する剣士ならば、ほぼこの世界にある物質で圧縮できないものなんて無い。

 それは良い。
 事実、瓦礫の山を目の前に積み上げられて、ひたすら弾丸の精製なども散々やらされていたし、ついでにユライトを救うためにも行っていたから。
 しかし、今この状況で、何を圧縮すれば良いのか。 

 ガイア?

 いや、圧縮しようにも、手が届かない。
 光鷹翼に遮られ、概念的に隔絶した場所に存在している関係上、亜法では干渉不可能だろう。
 
 ならば、龍機人を―――圧縮してどうしようと言うのか。その行為に意味は見出せなかった。

 この状況を解消するために、何を圧縮すれば―――何を以って、事態の打開とするか。
 必要なのは、今尚砲撃を続けるガイアに対する、反撃の一手。
 強固な装甲と、凄まじいまでの攻撃力を誇るガイアに対しての、絶対的な攻撃手段。
 盾は在る。
 あらゆる攻撃を防いでみせる、神の盾―――光鷹翼が。
 ならば、剣は。
 悪神ガイアを撃ち滅ぼすための、剣は、何処へ―――。

 『―――あった』

 答えは、目の前。
 気付いた時には剣士は手にしていた直刀を投げ捨てて、龍機人の傍に機体を寄せて、手を前突き出していた。
 目の前へと。目の前で光り輝く、光鷹翼へと。

 出来る出来ないとか、その時は思いつかなかった。
 予感とか、直感とかとも違う、確かな実感が其処にあったのだ。

 光鷹翼の光輝に、人では到底作り得ぬはずのそれを目前に、だが―――剣士は確信していた。

 伸ばした聖機人の手の先に存在する。存在しない巨大な力の流れ。
 此処より何処か遠く、より高い所、見えるはずも無い場所から流れ込んでくる力を。

 だからそれを。

 人間では御し得ないはずのそれを。

 『いっ、けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!』

 額から全身を巡り爪先を突き抜けるような、陶酔してしまいそうなほどの開放感が剣士を満たす。
 額が熱い。
 まるで熱を持ち光り輝いているかのように。
 
 だから、出来ると確信して―――目の前にある”それ”を、剣士は握り締めた。

 「なっ―――っ!?」
 「これは」
 『何だとぉぉぉっぉぉぉぉっぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!?』

 両腕で握り締めて、振り上げる。
 ただそれだけで、ガイアの放つ莫大なエナの放射が、まるで蝋燭のように掻き消えた。
 純白の聖機人の手に握られた、微塵の重さも感じさせないような、柔い印象すら抱かせる、収束された力場によって。

 
 翼のようであり、盾のようであり、光そのものにも見えて―――そして何より、剣以外ではありえなかった。


 砲撃は止んだ。
 邪魔な壁はもう無い。
 
 『雄雄雄雄おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!』

 叫ぶ声すら力に超えて、剣士は振りかざした力場の剣を振るい、ガイアの首を切り落とした。

 『グウウウゥッゥゥォォォォォオォォォォオオアァァアアアアアアアッッッ!!!??』

 物理的に地の底を鳴動させるような凄まじい悲鳴。断末魔と言うべきそれが、ガイアの頭部から響く。
 首と胴を分断されがガイアは、全ての力を失ったかのように、崩れ落ちて、動かなくなった。

 「―――やった、のですか?」

 刃を振り下ろしたままの姿勢で固まっている剣士の聖機人を、上から見下ろしながら、マリアがポツリと呟く。
 唖然、そうとしかいえない顔をしていた。凛音もきっと、同様だっただろう。

 「僕の翼じゃ、無い。―――柾木、剣士……」

 出しっぱなしにしていた”三枚の”光鷹翼を閉じて、それだけを、呟いた。
 微動だにしない剣士の聖機人の手には、最早力場の剣は存在しない。
 
 今の現象に、如何なる意味があったのか。今後如何なる影響を与えるのか―――しかし、凛音は其処から先を考える事を放棄した。
 
 「知らない方がいい事も、あるか……」
 「お兄様?」
 「―――いや、流石に疲れたかなって」
 不思議そうな目を向けてくるマリアに、口元を軽く拭いながら応じる。
 「剣士殿は、無事?」
 『あ、はい。大丈夫ですけど……うわっ!?』
 先ほどまでの気合の入った顔とは一転、ぼけっとした声を剣士は漏らした。
 「あら、劣化か」
 「あれほどの亜法波ですから、矢張り機体が耐え切れなかったのでは?」
 ガク、と膝から下が炭化して、白い聖機人は地に膝を付く事になった。
 見れば、両手も先端から劣化が始まり、背部の亜法結界炉は煙を噴出している。
 『なんか、駄目みたいです……』
 「いいさ、此処まで持ってくれたんだから、充分じゃない」
 余裕のありそうな態度こそ見せ掛けで、内心では”最低限”と言う言葉の意味を見せ付けられて頭を抱えていた。
 流石に長時間の光鷹翼の展開は身を削る事は変わらないようで、全身から虚脱感が沸き起こり、ついで、自己診断機能を走らせて見れば、機能の端々にまで損傷が及んでいる事がわかる。
 言ってみれば、細い川に無理やり大量の水を流し込んだ結果のような状況で、過度のエネルギーの放出が、体内の機能を酷く傷つける結果となった。

 「とは言え、コレで終わり……か?」

 凛音の呟きと、地下遺跡が鳴動を開始したのは、ほぼ同時である。
 遂に崩れるかと考えるのも一瞬、振動の発信源が理解できた瞬間、凛音の行動は素早かった。
 空中で静止させていた龍機人を、突っ込ませる。
 
 『クカッ……グァッ……グァァアアアァァァァッッ! 滅びぬ、まだまだ滅びぬ、滅ぼしたりぬゥゥゥゥゥゥウウッッ!!』
 
 胴体から離れたガイアの頭部が、不気味な鳴動を初め、そして叫んだ。

 『コイツ、まだっ……!』
 
 再び活動を始めたガイアに剣士も声を漏らす。

 「ガイアの内圧、上昇中……って、これは、まさか!?」
 「自爆かよ!」
 
 計器に示されたデータに引き攣った声を漏らすマリアに、凛音も怒鳴るように返す。

 自爆。
 膨大なエナの集合体であるガイアが、内側から崩壊させる―――と言うか、単純に全てをエネルギーに変換するつもりなのだろう。
 あの大量の砲撃に際しても、微塵もエナの減少が見えなかったガイアのコアである。
 想像を絶する密度のそれ全てが、破壊のエネルギーに変換されたとしたならば。

 「今のうちに破壊―――」
 「したら、爆発するだろ、多分!」
 
 マリアの言葉を一刀両断して、凛音は龍機人をガイアの頭部の下へと寄せた。

 『今更何を為そうと遅いわっ!! 我は新なる滅びを体現するものなれば、この世界全てを―――我自らと共に、跡形も無く消し飛ばしてやろう! クッ! ククッ!! クァァアアアアアッハッハッハァァッ!!』

 「お兄様、どうするおつもりで……」

 至近で聞いてしまった不気味な哂いに、流石に恐れをなし振り返ったマリアに、凛音は。

 ―――思いつく方法は幾らでもあった。

 ”無理”をすれば良い。それで何事も無く、鼻を鳴らして笑い飛ばせるような結末が訪れる。
 結末が。

 ―――でも、と思う。

 此処が結末とは思えなくて、まだ先が残っているから―――まだ先まで、ずっと此処に。


 ―――残っていたいと、思うならば。


 「まぁ、ホラ。此処まで来て、こんなオッサンの好きにさせるのは、癪だね」

 気楽に一つ、肩を竦めて。

 「剣士殿」

 「はい」
 
 生真面目な声に微苦笑を浮かべて、肩を竦めて気楽な言葉で返す。

 「―――色々と、言い訳は任せた。ああ、姉さんに押し付けても構わないけど」

 『は?』

 動けない聖機人の中で呆然とする剣士に一つ笑いかけて、凛音はマリアと向き合った。

 「―――途中まででも良いなら」

 「行きます」

 重なった瞳の色は澄んでいて、輝きは強いものだった。

 「そりゃ、有り難いね」

 即答してきた妹に頷き返して、それで。

 それで二人は何時の間にか、星の海の中に居た。

 漆黒の闇と、一面に煌く星々―――まだ、昼だというのに。

 「これは……」

  眼下で巨大に広がる、青い美しい宝玉すら、マリアには始めて見る光景だった。

 「一度、成層圏外に出た後の方が、次の跳躍がしやすいからね」

 兄の言葉に、マリアはこれから何が行われるのかを、正しく悟った。

 龍機人の目の前には、爆発寸前のガイアも存在しており、それ以外には、此処には何も無い。

 「此処ではいけませんの?」
 
 妹は問いかける。

 「此処じゃあ近すぎる」

 兄は首を横に振った。

 「他に方法は?」

 妹は問いかける。

 「勿論有る。探せばそれこそ、幾らでも。でも―――正直、コレが一番都合が良いと思うんだ」

 今後の事も思えばと、兄は微苦笑を浮かべた。

 「今後のため、ですか?」

 今時分がどんな顔を浮かべているのか、それだけを気にしながら妹は問いかける。

 「騙し騙しでやってきたけど、早晩行き詰るのは目に見えたからね。一度、精密検査を受ける時期だよ」

 兄は変わらず困った風に笑ったまま。
 良く見ればさっきから、首から上くらいしか、まともに動いていない。

 空間の跳躍に必要なエネルギーは、その距離と、転位対象の持つ質量が増すごとに飛躍的に上昇していく。
 星ひとつを容易に滅ぼせるほどの密度、質量を有したガイア。
 それを地の底から宇宙の片隅にまで飛翔させるには、如何ほどのエネルギーが必要となってくるのか。

 「星の向こう、銀河の彼方で―――」

 「うん、ちょっと療養してくるよ」

 「それならば―――」

 わたくしも。
 一緒に、一緒に行きたいのだと、きっと口にしなくても、お互いその言葉は理解していた。
 理解していて、しかし凛音は首を横に振る。


 「きっと何時かね、キミを星の海の果てに招待する事になるだろうとは思ってる。でもそれは、こんな塵掃除のついでの片手間でなんて時じゃないんだ。だから―――」


 それが別れの挨拶になろう事は、きっと口にしなくても、お互い確りと理解出来ていた。
 マリアは、言い出そうとした言葉を堪えて、乗り出しかけた身を正し、一度俯き、前髪を払うような勢いで顔を上げて、それから、―――それから、微笑んだ。


 「では、お兄様。星の果てより無事のご帰還を、マリアは心より、此処でお待ちしております」


 何時かのように、送り出す。


 「行ってきます―――まぁ、なるべく早く帰るよ」


 気障っぽく、余裕たっぷりに―――”帰る”とはっきり言えたのは、殆どこれが初めてみたいなものだったなと、今更ながらに気付いて。

 そのまま外へと転位しようとしていたのを、思いなおしてしまった。

 「―――っ、お兄様!?」

 突然、唐突に、目の前に浮遊する兄の姿に、マリアはオペレーター席で目を丸くする。
 その瞳の淵が、少しばかり赤らんでいる事に、凛音は気付いた。
 気付いてしまって―――喜びの年が沸きあがってきてしまうあたり、救いようが無いなと、笑う。
 
 「なん、ですか、もう……。早く御行きになったら宜しいじゃないですか……っ」

 自分の顔を見て突然暖かい笑みなど浮かべられてしまえば、戸惑うのも当たり前だ。
 動かす事も苦痛な手を、口を尖らせるマリアのそっと頬に寄せて。

 「忘れ物をしたとか、言えばいいのかな。―――こう言う時に言う台詞ってイマイチ解らないんだよね」

 何を―――。
 
 吐息の漏れる暇すら与えず、凛音はマリアに口付けた。

 一瞬のふれあい。そして、吐く息の流れに併せて、離れる。
 目を見開いたマリアが、唇の周りを可憐な手つきで撫で摩りながら、呟いた。

 「―――血の味のするキスなんて、生きている間にする事が有るなんて思いもしませんでした」

 「それはそれで、思い出深くなりそうで良いんじゃないかな」

 拭いきれなかった自身の血の跡を、マリアの唇にも見つけて、凛音は薄く笑って言う。
 マリアも、仕方ないなとばかりに微苦笑を浮かべた。

 「これが最後なんて、嫌ですし―――それに、殿方と口付けて、相手に押し付けるのではなく、自分が朱色の印を頂いてしまうなんて、とてもとても屈辱です」

 ですから、どうか。

 どうか、その恥辱を注ぐ機会を。

 どうか、お早く―――。

 伸ばされた手に、一度だけ指を絡めて―――押し出すように、放す。

 そして、凛音は一度短距離転位を行い、龍機人の外へと出た。


 『これは、これはどおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおお言うことだぁぁぁぁっ!!?』


 宇宙空間で声なき声で、無様に叫ぶガイアの前へと。

 「この静かで美しい光景を前にして、醜く喚いてんじゃないよ、オッサン」
 
 言いながら、振り返らずに片手を振って、背後にあった龍機人を、元の場所へと返す。
 機体は音も無く姿を消し―――背後に有ると感じられた温もりもまた、此処ではない場所へと消えた。

 『貴様、貴様カァァアアアアァァアッッ!!!』

 「そう、僕だよ。地べたを這いずり回ることしか出来ないお前に、こんな綺麗な世界を見せてやったんだから、むしろ感謝して欲しいね」

 ―――まぁ、尤も。

 ニヤリと笑んで、ガイアの表皮に手を置いた。

 『ナァアニィウォォォォオォォォォォォォォォォォ!?』

 「これで、見納めなんだけどな」

 そして再び、世界が変わる。

 そこは不定形で不安定で不思議で不確実な、ひとつところに留まることすらない、ましてやひとつところを定める事すら不可能な、そんな空間だった。

 『コ、コ、ハ……ッ!?』

 ガイアは知識に無い世界に放り出されて、戸惑い、呻いている。
 最早首だけ、頭だけ。それだけしか出来る事は無い、とも言えるが。

 「跳躍空間―――ワープ空間。単純に亜空間でも良いけど。長距離跳躍を行う時に、時間を短縮するための航路となる空間な訳だな。―――まぁ、僕としては七百年近く彷徨い続けたなじみの空間とも言えるんだけど……どうでも良いか」
 
 自分の言葉に自分で失笑を浮かべて、凛音はガイアを睨み付けた。

 「此処が、お前の終着点だ。ここなら回りの被害を気にする必要も無いし、何よりこの不安定な空間なら、お前の蓄えている莫大なエネルギーと、僕の光鷹翼の全力のエネルギーをぶつければ―――次元の一つや二つ、簡単に引き裂けるだろうよ」

 ガイアの添えた手のひらから、光り輝く三枚の翼を顕現させる。
 それは永遠とも思える大きさにまで拡大し、そして次の瞬間、手のひらの一点に収束した。

 「発生した次元の裂け目を潜り抜けて僕は樹雷の有る宇宙へと戻らせて貰う。―――散々面倒掛けてくれたんだから、ま、手間賃代わりにはなってもらうよ、聖機神ガイア」

 『ふざけるなァァァアアアアアアァァァアアアアアアアアアアッッッ!!! この我を! このガイアをっ!! 貴様!! 貴様はァァァアアアアアアァァアアッッ!!!』

 叫ぶガイア。しかし最早、どうすることも出来ない。この亜空間において、身動きする術を知らぬのだから―――だから。


 「だから、これでサヨウナラ」


 解き放たれた力の渦は、指向性を以ってガイアを打ち貫き、ガイアの内に篭る莫大なエネルギーと干渉して亜空間を満たした。


 『グァアァァァァアアァァァaaaaaaaaaaaaahhッッ!!』

 
 断末魔の叫びか。
 それとも、エネルギーの奔流が世界を揺らす騒音か。
 膨大に過ぎるエネルギーの炸裂に、それを支えきれなかった亜空間は不規則に脈動し、亀裂が走り、裂け、その先の漆黒の空間へと向かってあらゆる力を押し流していく。

 凛音すらも―――否、凛音こそを。

 宇宙とは、ひとつの次元とは人が理解しているよりもよほど、脆く不安定なものなのだ。
 例えばひとつところに莫大な力が集中してしまえば、張り詰めた絹糸が容易く切れてしまうが如く、次元もまた、裂ける。
 裂けた次元は元の姿を取り戻そうともがき、その力の収束点において、不安定となる要素を次元の向こうへと放出する。
 

 ―――かつて、七百年以上前。
 惑星樹雷に集中した神々の力を支えきれずに、次元が裂けた時のように。
 安定を求めた世界が、尤も排除しやすい―――それでいて、不確定に過ぎる要素を廃棄した時のように。


 今再び、世界は甘木凛音を次元の彼方へと追い遣った。


 その果てに辿りつく場所は何処か―――力の流れに逆らう事無くたゆたう視界の端、次元の裂け目の向こうに、凛音は見覚えの有る景色を見つけた。

 星を覆わんばかりの大樹。

 行きかう船は、木造の芸術品の如く。

 光り輝く翼を広げ―――彼の帰還を受け入れた。

 「帰還、ね……」

 いきなり派手な歓迎だなと、動かぬ身体で宇宙を漂いながら凛音は呟く。

 「悪いけど、帰るべき場所は、もう決めて有るんだ」


 ・All scene:End・




 >Next Epilogue



[14626] 最終回:異世界の龍機師物語
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/15 23:18
 ・Epilogue:異世界の龍機師物語・



 絢爛豪華な樹雷皇宮の敷地内に於いても、群を抜いて華美で豪奢な装いをしている城館が有る。
 
 住まうものたちにとっては、典雅、優美などと言う言葉で飾って欲しい所だろうが、その城館の廊下の中心を堂々と歩く凛音の内心においては、余りにも派手すぎて胃にもたれると言うのが本音だった。
 巨木を削り出して造られた円柱も、当代最高と言われる絵師が描いたと言われる天井の壁画も、壁を覆う精密な金糸で編まれた文様すらも、全てが調和に満ちて―――圧し掛かるような、重たさを覚える。

 所詮は、庶民上がりか。

 すれ違う度、端を歩いていくこの城館に勤める文官武官問わず、あらゆる者たちが頭を下げてくれているが、何の、凛音の主観においては、つい先日まで逆にその者たちに頭を下げねばならないような立場だった筈だ。
 無論、前は前、今は今と理解してはいるが、それでも落ち着かないのだから、最早仕方が無い。
 根本に於いて、凛音は此処で暮らす全てのものに対して畏敬の念を覚えており、自分が畏敬を向けられる側になってしまう日など、とても想像していなかったのだから。

 ―――とは言え、無理矢理が過ぎるだろうと文句を言いたくなるような、如かして最早変わることが不可能な、立場が有るのも事実だった。

 それ故に、堂々と。
 せめて見た目だけでも相応しく飾り立てた樹雷伝統の羽織姿で廊下を進む。
 首の辺りに感じる、銀糸を編みこんだ髪留めだけが、彼にとっては頼もしさを覚える感触だった。

 「居心地良かったんだな、向こうは……」

 半ば演技も入っていたが、立派に偉そうな立場をやり切っていたのだから。
 今の自分の内心のおたおたとした態度を見せてやりたいものだ。
 笑うだろうか。笑えないと、引き攣った声で返しそうだと、さして楽しくも無い思いつきに、軽く肩を竦める。

 そして廊下を歩ききって、目当ての人が待つ扉の前へと辿りついた。
 
 一際豪華で、威厳漂う観音開きの扉の前。
 門番役の闘士の敬礼に手を上げて返して、断りの一つも無く、当たり前のように取っ手を掴み、手で引く。

 「”天木”凛音、入ります」

 扉を開いて進んで、一段上がってまた進み。
 待ち構えていた女官たちに、今度は断りを入れて襖を開いてもらい―――漸く、待ち人の所まで辿りつく。

 「御当主―――?」

 巨大な一枚板の執務机の前に書類を溜め込んで、筆を走らせていた男に、声を掛ける。
 
 「ああ、すまないね凛音君。もう少しで片付くから―――」

 執務机から顔を上げたのは、一見しただけで穏やかな人となりが解りそうな、のんびりとした物腰の男。
 幼年学校の教師か、はたまた司書か書生暮らしでも似合っていそうな外見だったが、しかしその人物こそ、樹雷四皇家の一角、天木家の現当主に位置する男である。
 父親―――樹雷皇家きっての野心家と言えた先代とは似ても似つかないとは、彼を目にした誰もが言う事である。

 「それにしても、相変わらず硬いねぇ凛音君は。兄と呼んでくれて構わないと、何度も言っているのに」

 手にしていた筆方のデバイスを置いてウィンドウを消し、改めて凛音に向き直った天木家当主は、そんな風に言って微苦笑を浮かべた。
 凛音は礼を失するような態度を取らないように注意しながら、いいえ、と首を横に振った。
 「お言葉ありがたく在りますが、主家の頭領ともあろう方を、元は分家の末席程度に過ぎなかった僕が軽々しくも兄とお呼びするには、些か荷が勝ちすぎます」
 「ん? 分家と言えば、甘木の家はどうだったね? 療養のついでに、顔を出してきたんだろう?」
 仕方ないなと苦笑いを浮かべながら尋ねてくる天木家当主に、凛音も今度は微苦笑を浮かべた。
 「ええ、地球からの帰りに一度―――墓参りのついでに。兄姉の孫の世代の連中の肩を叩いて、ついでにその玄孫に年下扱いされたりと、まぁ散々でした。相変わらず、貧乏でしたしね」
 「墓参り―――ああ、そうか」
 一瞬だけ寂しげな顔を見せた凛音に、天木家当主は思い出したように頷く。
 
 「七百余年―――我等にとっては瞬きのような間に過ぎないけれど、市井に近い者達にとっては、余りにも長過ぎる時間か」

 「ええ。それこそ、二つ三つは世代を重ねる程度には」
 「私もかつて味わった事が有るよ―――いや、今尚味わっていると言えるのか。隣人が、目上の者たちが、気付けば居なくなっているのに、私だけが変わらない。―――皇家の樹のバックアップを受けた我等の生態強化と、市井のそれとでは余りにも差があり過ぎる」

 穏やかな外見からは想像もつかないだろうが、天木家当主のこの男は、樹雷でも数少ない第二世代皇家の樹のマスターとして、最強の一角に座するに足る力を有しているのだ。
 外見だけであれば明らかに格上に見える神木家の入り婿である現当主内海よりも、実はよほど強力な戦闘力の持ち主である。

 「とは言え、我等皇家の代替わりは、恐らくは遥か悠久の彼方の事だろう。次に天木の家が樹雷皇を輩出出来るのは、何時になる事やらね……」
 話も進み、どうでも良い雑談に混じって、天木家当主は諦観交じりにそんな事を口にした。
 「さて、少なくとも、子、孫の世代では難しいでしょうね。現皇陛下も最低でも数十万年は安泰でしょうし―――なんでしたら、反乱でも起こして譲位でも求めてみますか?」
 凛音も寂しくなる胸の袂を振り払うように、そんな軽口で返す。
 「君と私で第二世代が二人。なるほど、銀河の半分程度なら相手に出来そうだが―――流石に、相手が悪いのではないかな」
 茶目っ気を含めた笑みを浮かべて言った天木家党首に、凛音も苦笑交じりに頷く。
 「何せ、相手は”最低でも”第一世代が一本ですしね。―――現実を考えようものなら、裸足で逃げ出しますよ」
 「全く、恐ろしい話だよ」

 樹雷皇阿主沙からして、最強と名高い第一世代の樹のマスターであり、皇の二人の妻たちは両人ともに、特殊な能力を秘めた第二世代の皇家の樹のマスターだった。
 更に言うならば、現実に反乱でも起こそうものなら、少なくとも第二世代の樹を有する神木家とも事を構えねばならない事は確実だから、如何に無謀な行為であるかは、もう語る必要も無いだろう。

 「私にはとてもではないが、父上や君のように、あの方々と対立使用などと言う冒険は出来そうも無い」
 吐き出すように言った天木家党首の言葉に、凛音は眉根を寄せる。
 「先代様はともかく―――僕も、ですか?」
 「あの怖い神木家のお方から、七百年以上も逃げ続けたのだから、私に言わせれば立派なものだよ。君は。素晴らしい反骨精神だと思う」
 天木家当主はしみじみと言い切った。
 幼少期より父であり先代であった舟参の暴走に振り回されて、色々と気苦労を強いられてきた男らしい、実感の篭った物言いである。
 対して、凛音は苦笑気味だった。
 「逃げたくて逃げたと言うか、阿重霞様の誤射に巻き込まれて気付いたら転位してたと言うか……」
 「魎呼襲撃事件か。随分とまた、懐かしい話だね」
 「僕にとっては、軽く数年前程度の話ですから。と言っても、資料見ただけなんですが」

 現実に、七百年近くの逃亡期間のほぼ九割近くは亜空間を意識不明のまま漂っていただけなのだから、主観時間ではつい最近なのである。
 ついでに、その魎呼襲撃事件のときには既に、凛音は皇家の樹の移植手術を受けて深い眠りについていたため、現実には事件を体験していないのだ。
 お陰で、未だに七百余年のカルチャーギャップが抜け切っていなくて、事有る毎に苦労している。
 特に皇宮内の勢力図が、凛音が居た当時と比較して豹変と言うほどの様変わりをしている辺り、最早理解の他だった。

 「そういえば、行方不明の遙照殿や阿重霞殿達は、今頃どうしているのやら……」
 「砂沙美様も、おさな……お若いのに、阿重霞様と連れ添って旅立ちなさったんでしたっけ? 柾木の気風は初代から連綿と続く冒険家の気風ですから、今頃は因果地平の一つや二つ、飛び越えていても驚きませんが」
 何処か遠くを見るような目つきで、凛音は淡々と答える。
 凛音の顔を暫くじっと見ていた後で、天木家当主は何を思ったのか楽しそうに笑った。

 「ありそうな話しだねぇ。―――案外、隣近所に隠れ潜んでいても、あの方たちの事だからまるで驚かないけど」

 それで、一息ついた―――と言うことだろうか。
 一拍の間の後で、凛音は姿勢を正して問いかける。

 「それで、御当主。今回の呼び出しの用件は何なのでしょうか?」

 「うん。―――実はだね」

 天木家当主は、ゆっくりとひとつ頷く。
 凛音は、何故か嫌な予感を覚えた。
 穏やかなこの男が、わざわざためを作ってまで言う言葉だ。

 碌なものである筈が、無かった。

 そして誰が最初に言ったのか―――彼の嫌な予感は、当たるのだ。

 「君の、見合いが決まった」

 正確には、もうほぼ婚約かなと、申し訳無さそうに付け加えながら。

 「見合い、ですか」

 予想以上に碌でもない話になってきたなと、凛音は苦い顔で応じた。
 「そう言うのはてっきり、竜木様の領分だと思っていましたが」
 他国の国家要人と見合いして、縁戚外交を行うとすれば竜木家。都合のいい年齢の者が居なければ、わざわざ竜木家に養子として迎えられてまで、見合いを行う事も有るのだ。
 あって無いような役割分担だが、樹雷に於いてはまずは竜木の家に回されるような役目―――と、思えた。
 「ああ、確かにその解釈で間違っていないのだけど、ホラ。我が家は以前―――と言っても、もう七百年以上も前だが―――勝手に結んだ分家の婚約を、他国の勢力争いに利用されそうになった前科もあってね。そんな理由で、自由に縁談を纏めようにも、些か他家の者としては信用できないのだろう」
 「先代様の負の遺産、と言った所ですか」
 凛音の言葉に、天木家当主は困った風に微笑んだ。
 「余り父を責めないでやって欲しい。あの人も、お立場ゆえに気苦労を強いられてきたのだ。先々代の御方が短命で在らせられたのに加えて、同世代の皇族で父一人だけが、第二世代の樹と契約できなかったと言う劣等感もあった。―――それでも、尚武の樹雷に於いて、天木の当主として立ち、栄達を目指さねばならなかったのだから―――それはもう、搦め手を使うより他、無いではないか」
 「で、そのしわ寄せが御当主に、ですか」
 「君にも等しくだよ。―――我が弟よ」
 今この時ほど、現在の家名が疎ましく思う事は無かったなと凛音は思った。

 「親が遊び人だと、まぁ、子供は苦労するってことでしょうね」
 「何やら実感が篭っている言葉で詳細が気になる所だが……結局どうするね、見合いは」
 此処には居ない誰かの事を思いながら言った凛音の言葉を興味深げに頷いた後、天木家当主は尋ねた。
 凛音は少し考えを纏めるように天井の組み木の装飾を見上げる。
 そして、自分の心の中で納得する答えを纏めた後で、口を開いた。

 「昔誰かに言われた事が有るんですよ。僕らのような立場の人間にとって、”結婚は義務で、恋愛は自由”なんだそうです」

 「―――なるほど。中々に含蓄の有る言葉だ」
 「でしょう?」
 ほう、と頷く天木家当主に、凛音もしみじみと頷いて先を続ける。
 「そんな訳で、僕は自由に恋愛をするために、義務からの脱却を目指そうと思います。―――具体的には、一昨日きやがれクソババア。僕は逃げる―――そんなところですね」
 得意げに語られた凛音の答えに、天木家当主も大きな笑みを浮かべた。

 「ハハハ、なるほど、君らしい答えだ。―――うん、私も多少の心苦しさがあったから、是非とも応援してやりたい。推奨してやりたい所なんだが……うん、すまないね。実はもう、君の見合いの相手は呼んで有るんだ」

 君が今、クソババアと名指しした人物と一緒に。

 「―――何?」

 目を見開く凛音に、天木家当主は苦笑を浮かべて言う。

 「いやね、瀬戸殿曰く、君は絶対に屁理屈を捏ねて逃げ出そうとするだろうから、先にもう準備をしておこう、だそうな」
 
 「ちょっ―――冗談じゃないぞ! って、うわ、マジで転位できねぇ!?」

 思わず荒い動作で立ち上がって、空間転位のシステムを立ち上げたのだが、座標計算をしようとした瞬間にエラーが発生して、転位が不可能になっていた。
 どうやら広域に反転位障壁が張り巡らされているらしい。

 「”逃がす訳無いでしょう坊や”だそうだよ。ああ、因みにあともう幾許も無く、君の見合い相手やってくるから」
 
 諦めたら? と苦笑交じりに言う天木家当主には悪いが、凛音としては断固として御免な事態である。

 逃げねば。

 どうやって?
 
 自力で、足で―――今や完全に機能している第二世代の皇家の木に匹敵する自らの全力で―――駄目だ、追跡の手に勝てる気がしなかった。
 
 どうすれば良い?

 どうすれば、どうすれば……。

 そして。

 天木家当主の執務室へと続く襖が、スパンと景気の良い音を立てて開いた。


 
 「はぁ~い、ダーリン♪ お・ま・た・せぇ~~~♪」
 
 「どうも、でんか~。貴方のワウが来ましたよ~。あ、因みにちゃんとヒールは居てきたんですけど、この家土足厳禁らしいですから、もう脱いじゃいました」
 
 

 艶やかに―――わざわざ、樹雷の流儀に併せて着飾った二人の女性が、其処には在った。

 だが。

 「……ダーリン?」
 「あれ、居ない」

 目を丸くして室内を見渡してみても、肝心の凛音の姿が無い。
 驚愕の面持ちで、執務机に手を付いて立ち上がっている天木家当主以外に、その執務室に人の姿は無かった。

 彼女等の求めていた、甘木凛音の姿が、綺麗さっぱりと消えていた。

 「―――……逃げた?」

 「あのヘタレのことだから大いにありそうな話ですけど、残念、多分違います」
 頬を引き攣らせて言葉を漏らす某惑星某国女王の隣で、何時の間にか小型の端末を取り出していた少女が首を捻る。
 「エナの残粒子反応が室内に計測、次元連結面に極地異相場が発生と……何か、もう考える必要も無いぽいですよ、コレ」
 やられたなと、溜め息混じりに、珍しく化粧を施された顔を、感情豊かに変じる。

 「フフフ、なぁるほどぉ……」

 そんな少女の隣で、耳に入れば誰でも総毛立つような、空恐ろしい声を響かせる、絶世の美女が一人。

 「あのぉ、フローラ様?」

 半歩引き下がりながら、引き攣った声を漏らす少女と対照的に、美女は凄まじいプレッシャーを感じさせる笑顔を浮かべる。

 「そぉ言う事。そ・お・い・う・こ・と・なのねぇ? どぉりで皆、潔く引き下がってくれたと思ったら―――やってくれるじゃないの、小娘ども!」

 「……はぁ。折角美容院行って髪整えてきたのに―――うう、給料未払いが続いてて、懐寂しかったんだけどなぁ」

 戸惑い呆然と立ち尽くす天木家当主を尻目に、少女と美女は、来た道を足早に引替えしていく。

 此処へ来たかった訳じゃない。

 此処に居る誰かの傍に、居たいだけなのだから。


 だから―――。
 
 

 そうして。



 懐かしい、海の底とも錯覚するような空気を、肌に感じて。


 彼はゆっくりと瞼を開けた。


 月光の降り注ぐ、夜空。
 樹雷のものとは違うけど、確かに満ちる、瑞々しい木々の気配。
 
 足元の硬い感触は、罅割れた石畳―――広大な円形の、石柱に囲まれたその中心。周囲を崖に囲まれた、遺跡と言う他無い場所へ、彼は立っていた。

 一人で?


 ―――いいや、まさか。

 
 「お兄様っ!」

 誰よりも早く飛び込んできた少女を、抱きとめて―――ついでに、出会い頭の口付けなんかも交わしてしまい。

 「―――凛君!」

 「凛音! 良かった、成功したか……っ!」

 「アマギリ、なのよね……ぁあ」

 少し年上の少女たちの、安心したような、嬉しさを隠せない声を聞いて。

 「おうおう、また金持ちっぽい格好しておるの、従兄殿よ」
 
 「金持ちっぽいて……ラシャラ様、発言が最近貧乏臭いですよ」

 「仕方ないよキャイア。スワンを飛ばすのだって、タダじゃないんだから」

 「でも本当に、無事に召喚が成功して、何よりでした。―――星点座標から測定した上で星辰の配列に従った、最良の日取りでは在りましたけど、なにぶん前例の無いことでしたし……」

 顔を見合わせ笑い合いながら、歩み寄ってくる人たちに囲まれて。


 凛音は―――驚くより先に、唖然としていた。

 「ジェミナー?」
 「それ以外の、何処だと言うのです」
 首に腕を回したままの少女が、整った眉根を寄せて口を尖らせた。
 至近距離でその美貌と顔を見合わせて。
 「……何か、少し背が伸びてらっしゃる?」
 「もう四年ですよ、いってらっしゃいませと送り出してから。―――少しは成長します」
 なるほど、母親譲りに美しい肢体に育っているなと、抱きかかえた腰の細さに驚きつつ周りを見渡せば―――そろいも揃って、少女たちは、皆、美しく成長していた。
 「皆綺麗になったねぇ、とか、言っておいた方が良い?」
 「全く信用できないから止めたほうが良いわ」
 眼鏡をクイと上げながら、バッサリと切り捨てられる。
 「お前はしかし、全く変わっていないな」
 「ああ、僕はホラ、肉体年齢固定してるから。歳はとっても姿は変わらずってね。―――アウラさんも、流石にダークエルフだけあって、綺麗なままじゃないか」
 「これだけ女に囲まれておいて、それは刺されそうな言葉じゃぞ」
 ダークエルフの少女に戯れ気分に返すと、金糸の髪に紅いドレス姿の少女に、鼻で笑われた。その隣に立っている、精悍な顔つきの少年も、困った風に笑う。
 「言い訳、大変でしたよ?」
 「うん、大変だった……」
 「貴女の場合は自業自得でしょうがっ!」
 少年の尻馬に乗ってしみじみと言う雪色の女性に、凛音の肩にしがみついたままの少女が思いっきりツッコミを入れる。

 少年は、余りにも有り触れた日常らしいその光景にどうしようもないほどの喜びを覚えながら、辺りを見渡した。

 「で、結局どういう状況なのか―――おい、ワウ! ワウアンリー、説明!」

 姿の見えない、居ない筈が無かった少女を探して声を上げるのだが、しかしやはり、姿を表さない。

 「ワウだったら……」
 「ねぇ?」
 
 年長者の二人組みが、苦笑交じりに顔を見合わせている。
 凛音は、その姿に凄まじく嫌な予感を覚えた。
 自然と頬を引き攣らせた凛音の顎を持ち上げて、今や美女と呼ぶ方が正しいまでに美しく成長した妹が、無理やり視線を合わせてくる。

 「ワウアンリーでしたら」
 「……でしたら?」

 「お見合いです」
 
 「どうせそんな事だろうと思ったよ、畜生!」

 ニッコリきっぱりと言い切った少女に凛音は天を仰いで叫ぶしかなかった。

 「あ、勿論お母様も一緒に、今頃は樹雷で歯軋りしていらっしゃる事でしょうね」
 
 「あーあーハイハイ。クソババアめ、思いっきり謀ってくれやがったな!」

 少女を抱えたまま器用に片手で後ろ頭をかいて、凛音は喚いた。
 それから、完全に疲れた風体で、辺りを見渡す。

 先史文明の遺跡。足元を走る複雑な文様は、それそのものが結界式となっているのだろう。
 これほど精密で巨大な遺跡を以って、何を行うのか。

 ―――視界の片端に、余り好きではない人間の姿が見えた。
 今や先史文明最後の生き残りと言っても何の差し支えも無い、人造人間の姉妹。

 「あいつら、結局無事だったのか」

 「ええ、何の後遺症も無く―――この遺跡も、あの方と言うか、特にネイザイ殿が知っていらした場所ですし」
 
 話題にされている事に気付いたのだろう。
 何やら、”貸し一つ”とでも言いたげな視線を送ってきてくれたから、無性に腹が立った。
 
 「貸しなら、僕の方が多いよなぁ」
 
 「何の話ですか?」

 「いや、別に」

 至近で愛らしく小首を傾げる妹に、肩を竦めて返す。

 「―――つまりこれ、召喚な訳ね」

 「異世界人の召喚―――チキュウ、と言ったか? 剣士の故郷の……それ以外の場所から召喚を行うなんて、それこそ、先史文明の時代に我等ダークエルフ種を呼んで以来なんだが」

 ダークエルフの美女の言葉に、法衣を纏った女性も頷く。

 「召喚の遺跡も、ガイアに片っ端から破壊されてたみたいだものねぇ。―――此処を漸く見つけて修復して、―――星辰の縛りもあったし、一発勝負で成功してよかったわよ」

 「ワウアンリーさんが必死で星点座標を計算していらっしゃいましたものね」

 同じく法衣を纏った小柄な少女が、微笑ましげに言い添える。

 「……その割には、僕のワウの姿が見えないのが凄く気になるんだけど」

 「そりゃお前のワウからすれば、不確定要素が強すぎて容認できないやり方だったらしいからな」
 
 破棄されていた研究データ持ち出してきたんだしと、ダークエルフの女性が堂々とのたまう。

 つまりは、結構な無茶をしてくれたらしいと理解して、凛音は大げさに息を吐いた。

 「暫く会わない間に、そりゃまた随分挑戦的な性格になりましたね、皆」

 「お陰さまでな」

 「参考にした人間が居るから」

 次々と言葉を重ねられて、凛音は降参とばかりに苦笑を浮かべる。
 ついで、とばかりに首にしがみついた少女の手を解いて、ゆっくりと地面に下ろす。
 離れる間際に確りと髪を梳いていたりする辺り、そろそろ駄目人間になってきたなと自分でも思っていた。 

 少女は兄の行為に、つれないお方と楽しそうに笑った後で、さて、と悪戯っぽい仕草で指を立てる。


 「お兄様。貴方には今後の身の振り方を決めるための、幾つかの選択肢があります」


 「―――へぇ」

 何故か、漏れた言葉は棒読みで乾いた物だった。

 「”選択肢”なんてあったんだ」

 「ええ、ありますとも。―――勿論、”選ばない”を選択するなんてのたまった場合に、どういう結果が待ち受ける下などと、とても恐ろしくて言えませんが」

 兄の言葉に、然り然りと少女は頷く。
 そして、華のような微笑を浮かべて、言った。

 「例えばこのマリアに、夫と呼ばれてみるか、それとも父と呼ばれたいのか―――」

 少女は告げて、それから、隣の女性に視線を送る。

 「アンタのお陰で教会の内部組織はもうボロボロよ。幾晩徹夜しても仕事が一向に片付かないんだもの。―――教会の改革がしたいなら、私と一緒に、アンタがやりなさいな」
 
 視線を受けた法衣姿の女性は、早口で言い切った後で、更に隣に視線を送った。

 「―――ん? ああ、私もなのか。……そうだな、今更だが、―――なんだ? 父は例の件は結構本気にしていたぞ。―――我々の判断で、進めても構わないそうだ」

 困った風に―――照れ笑いを浮かべつつも、ダークエルフの女性も楽しそうに言った。


 さあ、どうする?


 ―――等と、女性たちに囲まれて迫られた所で、ヘタレの格好付けに応える言葉が見つかる事無く。
 一歩二歩とたじろいたところで、袖を引かれていることに気付き、視線を向けると。

 「―――お姉ちゃんと、する?」

 「いや、何をしろと?」

 雪色の髪の美しい女性の淡々とした言葉に、思わず素で突っ込んでいた。

 「ユキネといちゃついていないで、ちゃんとこちらを見なさいな?」

 少女の言葉は愛らしく、同時に逆らいがたくもあったから。
 
 数度、視線をあちこちに彷徨わせた後で、凛音は口の中に溜まった唾液を飲み乾して、答えた―――答えて、しまった。


 「―――いいよ、じゃあ。もう皆纏めて面倒見るから」

 
 口にした瞬間、この言葉は地雷にしかならないよなと自分でも思った。
 その結果として、殴られ叩かれ蹴り飛ばされて―――そうであるなら、どんなによかった事だろう。

 だが、身に染みて理解している通り、少女たちは、強かなのだ。

 「―――では、存分にお覚悟なさいな、お兄様」
 
 「ヘタレると思っていたが、存外頑張るじゃないか。―――その調子で、父上の説得も頼む」

 「アンタってさ、ホント、嫌がってる割には心底男性聖機師よね……」

 「―――じゃあ、お姉ちゃんね」

 それは了承の言葉と受け取って―――いや、受け取りたくなんて、無いのだけれど。主に、度胸が無いという意味で。

 情けなく項垂れる凛音の態度を端で見ていた金髪の少女が、これは貸しだとでも言いたげに、クックッと笑って助け舟を出してくれた。

 「おぬし等、四年ぶりの再会ではしゃぐ気持ちも解らいでも無いが―――少し落ち着け。先に言うべき言葉が、残っておるじゃろ?」

 ―――先に?

 皆が金髪の少女の方を見て、そして皆が同時に、理解した。

 だから、まずは少女たちが声をそろえた。



 「ようこそ、ジェミナーへ。異世界より参られた、龍機師殿! ――――――お帰りなさい!」



 少年は、大きく頷いて、そして。

 そして、万感の思いを込めて。


 「ただいま」






 異世界の龍機師物語・完







     ※ 読了多謝。
       次の更新で後書きを掲載して、連載的な意味でも終幕とさせていただきます。



[14626] 後書き
Name: 中西矢塚◆6eb79737 ID:9c4463c8
Date: 2010/07/15 21:09
 

 ・異世界の龍機師物語:あとがき・


 ・はじめに・

 えー、そんな訳で皆様、此処までお付き合いいただきありがとう御座いました。
 作者の中西矢塚です。
 異世界の龍機師物語。これにて完結と相成りまして、此処から先は毎度の如くの後書き無礼講状態で進行して見たいと思いますので、どうぞいま少しばかりのお付き合いを、宜しくお願いします。

 ―――まぁ、例によって缶ビールでも片手に気楽に流し読む感じが丁度良いかと。
 一応の注意としましては、ほぼ全ての部分に情け容赦なくネタバレ、裏事情等が絡むと思いますので、そういうのが苦手な方は引き返す事を推奨します。
 先に此処から読んでしまった方は……楽しみは、人それぞれなんで構わないのではないかと。
 
 何せひたすら長いSSですので、読み進める間にいい具合に忘れられると思いますので。

 それでは、後書きを開始します。 


 あ、念のため言っておきますが。
 この後書き、凄い長いです。あたまわるい長さです。
 スクロールバーを見て薄々感づいていると思いますが、読み込むにはそれなりの時間が必要になると思いますので、ご注意ください。
 まぁ、さらっと流すくらいが丁度いいんですけどねー。


 では今度こそ、開始。




 ・承前・

 もう覚えて無ぇ……っ!!
 何時だよ、と履歴を見ると去年の十二月の頭頃とか、随分昔の事で。
 曖昧な記憶ですが、書く前に決めていた事を書き出してみると、

  ・長く。ひたすら長く。話数の制限とか掛けずに
  ・女性キャラとにゃんにゃんする感じに
  ・大勢のキャラを同時に動かす
  ・出来ればロボット物
  ・原作のラストまで付き合いたい
  
 大体こんな感じだったと思います。
 で、確か初めは『魔装機神』か『ライブレード』辺りにしようかと悩んでたんですが、お陰さまでどっちも古いの何の。構想当時はDSに移植されるなんて話は毛ほども聞かれていない時期でしたし、流石に今からSFを引っ張り出してくる訳にもいかない。
 あと、ライブレードはローディングが長すぎて繰り返しプレイには向かない……っ!

 ―――と言うわけで、リアルタイムで異世界美少女ハーレム学園ロボットアニメが都合よくやってたりしたんで、元ネタに決まりました。


 ・アプローチ・

 前作(某ブレイク・トリガー)が突飛を極めた感があったので、感覚を正常に戻すために真っ当なものを作るべきだなと言う思いがありました。
 そんな訳なので、必然的に原作よりの展開でかつ、大胆な動きが無いものをと言う枠組みに。
 脳内キャッチコピーとしては、『究極にマンネリズム。読めばやってる何時ものヤツ』でした。
 途中絶対『もう飽きた』とか言う感想を入れてくる人もいるだろうなと思いつつ、今回はマンネリを貫こうと。
 原作が典型的なラブコメですし、そのテンプレートを自分のやり方でアプローチ、と言うのをひたすら繰り返し続けてみました。
 アクセス数を数えてみると、解りやすいくらい後半飽きられてるなぁと言う印象でしょうか。
 平均五千ちょい。最盛期で六千五百くらいで、締めの辺りは四千辺りを行ったり来たりだったと思います。
 もうちょっと長く続いてたら、平均が五千を割り込んでいたりしたんでしょうね。

 結果としては、突飛な方向へと走りたくなるのを抑えて抑えて……後半は大分はみ出ちゃってますよね。
 コレも一応理由が有るのですが、途中参加の某主人公氏が、余りにも無敵すぎて話しにならないと言う致命的な状況に嵌ってしまいまして、もう駄目だと。
 この辺はまぁ、後述。


 ・異世界の聖機師物語・
   
 所謂梶島作品で、しかも放映形態といいタイトルロゴといい、ぱっと見やる気が感じられないと言うか。
 30分作品を1時間の尺で演出すると言う、割りと画期的な事をやってないと言えない事も無い、ちょっと変わった作品。
 業界が冬の時代に突入しかかっていて、皆仕事に飢えているせいなのか、スタッフが微妙に豪華だったりするのも見所と言えば見所だと思います。―――殆どロボット出てこないけどな!!
 90年代のパイオニアのアニメを現代に作るとこんな感じだわなぁといった趣の、当時の作品が好きだった人間的には、実に安心感があって楽しめましたが、現代人にはどうなんでしょうね実際。
 ヒロインが片っ端からグラマー系とか、今時のセンスとはまた違うような感じがしますが。
 面白いんですが、まぁ、地味、と言うか……コテコテ過ぎて嫌いな人が多そうな。

 兎も角、原作終わってない(去年12月当時)けど、今回のヤツは長くがコンセプトだし、書いてる間に終わるだろうと見切りをつけて、筋書きを考える作業に入りました。


 ・構想段階・

 二次創作を始める前にまず考える事として、”何をするか”と”どうやって終わるか”とこの二つが有るわけですが、まずは前者、”何をするか”。

 何をするかと考えて、丁度最新の辺りを見ると、ガイアさんの荷電粒子砲が炸裂している回なんですよね。
 これを見て思った訳です。

 『光鷹翼で防げば良い』

 梶島作品だけに、お約束気味に。
 まぁ、天地三期のラスト辺りの、天地が生身で宇宙に出て光鷹翼開いてるシーン辺りを思い出したんでしょうが、ともかく、そんな感じを再現したくなりました。

 じゃあ、主人公は光鷹翼を使えるキャラクターで、尚且つガイアがビームを撃つ時に、ちゃんとその傍に居れる様な役回りを用意しないと―――と、後はひたすら逆算する作業だけ。
 
 甘木凛音君はこうして生まれました。

 で、主人公のバックボーンが決まれば、割合オチが付け易い。
 
 当時の放映辺りから、漸く原作のラストも見え始めていましたし、締めの展開が概ね見えてきましたから、これで、スタートです。


 ・奏楽のレギオス『2』・

 スタート前に、もう一つ。
 今回の裏テーマとも言うべきもの、と中盤で諸々在った時に、既に切ってしまった手札な訳ですが、一応こちらでも。
 長期戦、と言う形になりますので必然的に手癖が出てしまうだろう―――と言うよりも、手に乗ってくれない流れを長く続けるのは無理が有る。
 と言うわけで、一番手癖で書いていた物といえばコレだろうということで、裏テーマとして設定しました。
 2なので1と似た流れで、かつ1でやらなかった展開を。
 1でやらなかったといえば―――誰が思うにしても、『あの締めの展開はどうなの?』と言うヤツだろうと思いますので、じゃあ今回は、と。
 結果は見ての通りです。

 1と2で何故こうも結果が分かれたかといえば、矢張りヒロインの在り方でしょうか。
 多分、遠くから声を届けられる事が出来ても、傍に居てくれなければ本当に大切だと気付けないものなのでしょう。百度言葉を重ねるよりも、一度の触れ合いが大切だったりもするのです。
 例え無力でも、それが出来たか出来ないか。

 ―――後は、主人公の不真面目さが肝心でしょうか。おハル氏はワーカーホリック過ぎるからね!


 ・全212話・

 先にも書きましたけど、前作が『起』と『転』だけを繰り返して出来ているようなSSでしたので、今回はなるべく起承転結を確りやって行こうかと言うのが在りました。
 くどいとかダルいとか思われるだろうとは思いつつも、これまでは書かずに切り捨てていた部分を、可能な限り拾い上げてみよう、と言う感じに。
 
 ―――で、結果が200話オーバーと言う。

 テキストの容量だけ見ると、軽くラノベ10冊分くらいはありそうなものですが、取り留め無すぎる会話シーンを多々含んでいるため、その辺りを”余計なもの”と見立てて調整すると、大分短くなるとは思います。

 まぁでも、終わりまで書けて良かったです。
 流石に今回は余りの先の見えなさに、途中で心が折れそうになりましたし。
 一つの世界観を可能な限り長く書き続けるとか、果たして自分に出来るものかね、とか言う気軽な気分で始めてみたものですけど、いやはや、中々想像以上に大変でした。
 開始当初は一月分はあったストックが、最終的には五日分くらいしか残らない、みたいな事になってましたし。
 
 しかし、七ヶ月は……―――長いなぁ。

 あ、因みに。
 この原作のキモの一つでもある、『グラマラスな美女によるお色気イベント』と言う物は、アニメーションが合って初めて意味があると言う認識でしたので、SSにする際にはほぼカットとなりました。
 その分、空いた隙間をシリアス気味の話で埋めたと言う感じでしょうか。
 肌に食い込んだ下着の皺についてねちっこく解説を入れたり、豊かな胸に手を突っ込んだ感触を滔々と描写するのを真面目にやりきってみるかと言う初期案も、有るにはあったんですがね。

 ―――流石にこの規模の長編で、そんな思春期の学生の如きリビドーを維持し続ける体力は無さそうだなと、粛々と却下となりました。





 ・各話解説・

 212話、57節(閑話含む)。
 終わった後なので出来る、大きな分け方をすると、大体五つくらいに分けられますか。
 つまり、

   ・序編(1節~3節)
   ・プレ編(4節~30節)
   ・原作編(31節~37節)
   ・本編(38節~55節)
   ・終編(56節)

 こんな感じで。まぁ、本編ってのは良い言葉が見つからなかったのでテキトーですが。
 プレ編書いてた頃は、もうちょっと原作よりになるのかなぁと思ってたんですが、結果を見るともう、後半は大分独自路線を突き進む事になりました。
 締めだけは決めてあったので、どれだけ蛇行しようと、そこを目指して進めば良いと言う安心感はあるにはありましたけど、矢張り不安ではありましたね。

 それでは恒例の、各編解説を以下から。


 ・序編・

 出会って、名前を貰うまでの話。
 後半を読めば、それが樹選びの儀式に順ずる形になってるのがお分かりになるのではないかと思います。
 何時もの如く最序盤に当たるこのころは、主人公の性格が固まりきって居ない頃で、恐らく、もうちょっと原作主人公の剣士君のような素直な子にしたかったんだろうなぁと言うのが見て取れます。
 結果は言う必要が無いんですけどね!


 ・プレ編1:ハヴォニワ王宮・

 この原作、どう考えてもマイナーに過ぎるだろうと言う思いがあったので、何時も以上に丁寧に説明をしようとか考えてました。
 で、説明を交えつつお姫様とまったりセレブライフを繰り広げて主人公を馴染ませよう―――などと考えていたのでしょうが、どうしても上手く、マリア様が動いてくれない。
 そんな訳で早々に主人公の記憶喪失設定が怪しげな方向へと飛び、性格もそれに併せて変わり、ついでに他の原作キャラを早めに登場させて凌ごうと、ああいう形になりました。


 ・プレ編2:聖地学院・

 幾分動かしやすい方たちが増えて、後に続く形が見え始めてきたころでしょうか。
 この辺書いてる当時は、まだユライト先生の正体とか解らなかった頃ですので、結構ギリギリの綱渡りをしていたような記憶があります。
 そして、男キャラが少なすぎて話を回しにくいと気付き始めたのもこの頃。
 最終的に、アウラ様にその辺のポジションに入ってもらう事により安定してきたんですが。
 ―――お陰でアウラ様、ヒロイン的なイベントが減りましたけどねー。
 当初はマリア様とアウラ様でダブルヒロインだった筈なんだけどなぁ。何故リチア様が……。


 ・プレ編3:葬式・

 チェスしたり実家に帰ったりしつつ、メインはお葬式。
 原作編へと入る下準備的な流れです。
 原作ヒロインが本格的に登場したり、ボスキャラが登場したり、ついでに原作主人公の気配がしたりと、此処から本格的に物語が動き出す……って、葬式の時点で70話くらいになってる事にちょっと引いてたような。
 お陰で、聖地学院二年目をばっさりとカットする事になりました。
 二年目やってたら、終わるの何時になってたんだろうね……。
 あ、後ダグマイア様のフラグをコレでもかと張って有るのを見るに、当初締めの辺りでもうちょっと活躍する筈だったんでしょうね。


 ・原作編1(31~33)・

 剣士君が登場する辺り。
 このSSの形式上、一番盛り上がって然るべきなんでしょうが、何がどうって如何せんこの原作、マイナーすぎる。
 出てきても『誰?』とか思われがちな、今ひとつ盛り上がりきらない悲しい事態に。
 で、当初はなるべく原作どおりにやって剣士君の存在感を出そうと思ってたのですが、諸般の事情と言うか何と言うか。
 『声が大きいヤツが正しい』を地で行く様な、よく有る現象を発生させる悪手を打ってしまったようでしたので、展開の修正に追われることになりました。
 イベントの順番を入れ替えて早めに持ってきたり、幾つかのシナリオ放棄したり、この辺りで後半の流れが固まっちゃった感じでしょうか。
 丁度原作が完結しかかっていた時期でしたし、その辺余計に、無茶が効き易かったお陰でもあります。


 ・原作編2(34~36)・

 ラブコメ編。
 コレはコレで嫌いな人が居るだろうなぁと思いつつ、ここいらで入れておかないと、このSS途中で打ち切りになりそうだわと言う判断から、大慌てで突っ込む事に。
 書き始める前に『今回はキスシーンは必須。可能ならベッドシーンも』と言うのが念頭にあったので、まぁそんな感じ。
 描写がぼかし気味だったりするのは、やっぱり書いてて恥ずかしかったんだよチクショウ。
 いっそこの後のドロドロでグチャグチャしちゃってるエロス空間の方が、ノリノリで書けたりもしました。

 それにしても、リチア様のプッシュ感が凄い。
 元々アウラ様がヒロイン役の予定だった訳だから、逆転満塁ホームラン決めたもいい所なんですが―――しかし、本来後半に仕込まれるべきイベントが前倒しで入ってきたのだから、当然彼女のピークは此処で終了してしまい、後の出番が……っ!!


 ・原作編3(37)・

 原作終了のお知らせ。

 この後の展開がかなり走る事になるので、とにかくハイテンションラブコメに『見えるように』と言うのを意識しました。
 始まったと思ったらベッドシーンだったり、男二人で猥談になりかかったりコイバナしてみたりと、まぁやりたい放題―――と、お馬鹿系で終わるのかと思いきや、と言う状況で一気に別ベクトルに振り切ってみる。

 元々バカンスに行っている間に聖地侵略されるって言うアイデアは、『如何すれば競武大会を避けられるかなぁ』と言う解決手段を求めた上でのものだったりします。
 今更剣士君が走り回る所見たい人居ないべ、と身も蓋も無い思いもありましたし、リチア様のイベントも先にやってしまったので、競武大会のイベントを回しようが無い。

 ―――と言うわけで、ガイアさんが一足早く聖地へと先走る事になりました。

 思いっきり出番を奪われた山賊の皆様は真にご愁傷様としか……。
 後半に脱獄してメテオフォールを占拠、天地岩行きを邪魔する、とか言う構想もあるにはあったんだけどさー。
 このオリ主に対処させると、如何頑張ってもサーチアンドデストロイ以外の解決手段が無さそうだったので、それならもういっそ、出ないほうが幸せだわと―――どっちが残念だったんでしょうね、この場合。

 後、ダグマイア君のリストラが確定したのもこの頃ですね。


 ・本編1:ガイア・

 バカンス終わったらいきなりガイアかよ!!

 と言うツッコミを期待していたのですが、ありませんでした。どんだけマイナーなのさこの原作……。
 因みに『ガイア』と言うのは原作最終巻のサブタイトル。小ネタを自分で説明しなきゃいけないときほど、むなしいものは無いですよね。

 まぁ、さて。
 原作の流れに乗るには乗りつつも、此処から先は原作と乖離する場面もどんどん増える。
 その前段階としての状況整理編―――と、あとは人が多すぎて後々動かすのに苦労しそうだからと、ハヴォニワ勢にはお帰り頂いたりとかしてみたり。
 
 ワウアンリー女史の動かし易さに気付いたのはこの頃から。
 もうこの際だからプッシュしてしまえと、気付けばユキネさんよりも扱いが……。
 ユキネさんが、やっぱりあんまり喋ってくれなくて相方として如何にも扱いづらかったんですよね。


 ・本編2:俺たちに翼はない・

 サブタイの暴走が始まった記念すべき回。割りと当初の予定通りではあるのですが。
 何気に『そして僕は……』もプリズムで、アークな感じだったりします。

 で、まぁダグマイア様のイベント回。
 彼が仲間になる最大の理由は、オリ主に『お荷物』を背負わせる必要があったから。
 原作どおりにやると、チート原作主人公とチートオリ主と言う、『ガイア? 何それ美味しかった』としかならない絶望的な状況になる事は目に見えてましたので、ハンデは必要だろう、と。

 この段階で敵役はガイア一本に絞った方が、後の展開がスリムになると言う判断が働き、以降のメスト家の皆様の先行きが決定しました。
 ユライト先生は、本当にね……。

 
 ・本編3:聖地決戦編(40~43)・

 『このテンションは最終回が近い筈!』……と、皆が信じ始めていた頃。
 感想板を眺めながら、人間と言う生き物は矢張り、自分が自分が信じたいもの以外信じないんだなぁと、しみじみとした気分になったりならなかったり。
 まぁ、前述したとおりに一番書きたかった場面が遂にやってきた訳ですから、かなり書いてて入れ込んでいたのも事実ですし、最終回とか思われても仕方ないですよね。

 話としては『負ける話』。
 勝つのは最後の一回だけ、と言う大前提があるので、いかに凄まじい負け方をするか、と言う辺りから話を組み立てました。
 見た目的にも、ミサイルとビームが飛び交い死亡フラグを建てたと思ったら案の定血反吐を吐いて空中から投げ出されて、『ナイフのような物』による殺人未遂事件が発生しオッサン空気を読まないハイテンションで高笑い、学校が瓦礫の山と化し要塞が爆発して、ついでに止めの『かくばくだん』で聖地自体が木端微塵、とまぁやりたい放題。

 それと重要な事として、今後の展開のためにも剣士君が離脱。
 剣士君が居るとどんなピンチな状況でも毛ほどもピンチになってくれないので、仕方が無いのです。 
 割りと、ドラマ的な意味合いよりも、構造的なことを考えた上での離脱劇でした。
 後、人造人間二人が敵に回るんだから、どうせならもう一人増やして三人全員並べてみたいよね、と言うのもあったので。

 
 ・本編4:シュリフォン編・前編(45,46)・

 前回までがテンション高かったので、クールダウンさせるための話。
 このくらいのローテンションでこそ、異世界の聖機師物語だろうというのがあるので、肩透かしをくらうんじゃねーかって思うくらい、お気楽なムードに舵を切ってます。

 話的にはキャイアさんとダグマイア様はいい加減何とかしないとなぁと言う苦労が垣間見えたりするけど、それは瑣末ごとで本命はアウラ様。
 初期プロットからこのイベントは存在していたので、まぁなんか、当初の予定と違うポジションになってるけど、やりきってしまえとばかりに。
 で、このイベントをやるために余計なキャラ二名が退場。

 後は、ラシャラ様の動かし方を少し悩んでいた時期でもあります。
 どうしようか決めかねて如何とでも取れる立ち居地においておいたんですが、そろそろ終りも近いし決めない訳にもいけない。
 もういっその事ヒロイン化させちゃっても有りは有りだったんでしょうけど、まぁ、収拾が付かなくなりそうなので泣く泣くこの後の展開が確定しました。

 
 ・本編5:シュリフォン編・後編(47,48)・

 原作主人公を物理的にボコる回。

 俺TUEEEEEEEをやる最高のチャンスではある、あるけど……。

 当然ですが、これをオリ主にやらせるのは如何にも恣意的過ぎて駄目だろうと理性が働きましたので、結果としてあんな感じに。
 展開的にオリ主サイドが勝つのは目に見えてましたので、後は説得力を増すための材料をいかに投げ込むかに頭をひねってましたね。
 ダグマイア様が吹っ飛ばされたり剣士君が寝込んだりと、まぁ今後の展開のために四苦八苦、といった所。


 ・本編6:ハヴォニワ編(49,50)・

 『もう直ぐ終わるよ』とアピールするための回。
 全般通して終りが近いという空気を出す事に終始していました。幾つかの事柄にも一区切りが付いて、後は締めまで転がるだけ。
 
 そんな、流れ的に重要な場面で何故か新キャラが出ると言う誰得な事態に……。


 ・番外編:ダグマイア完結編・

 寝かせたまま忘れかけてた、と言うことでこの人の末路を提示しなきゃならなくなりました。
 末路自体はシトレイユに投げ込まれると言うかたちで初めから決まってたんですけど、今ひとつパンチが弱い。
 と言うか、シトレイユに投げ込んだら投げ込んだで、『なるほど、締めの辺りに出てくるんだな』と思われかねないキャラとしての不安さが存在する。

 ―――どうするか。

 結論としてああいうオチ―――文字通りのオチが付きました。
 毒を以って毒で制するとか、そういう言い方も出来るかもしれません。
 で、まぁダグマイア様一人だけにババ引かせるのも申し訳ない、と言うことでオリ主にもそれなりの屈辱を味わってもらおう、と言うことでエメラさんの締めの台詞が用意されました。


 ・本編7:天地無用・

 出てくる人たちが出てきた以上、このSSは終わる、と確定する決定的な回。
 初めは仰々しく闇黒空間で会話、とかも考えたんですけど結果としてあんな感じに。

 後は、仕込みっぱなしだった修正パッチのネタが遂にお披露目されたと言う記念すべき回でした。


 ・本編8:結界工房・

 前回で用意していたネタを全て吐き出しきってしまったので、まぁ、ぶっちゃけ燃え尽き症候群だった回。
 耳の痛い感想が来るだろうなと覚悟してましたけど、いざ目にすると矢張り心に痛い。
 グダグダですよね、流石に。キータッチの進まなさがもうどうしようもなかったです、このパートは。

 一応話のミソとしては、次の最終決戦に入るために必要な、余計な要素のそぎ落としに終始していた事でしょうか。
 ヒロインたちは此処で一旦退場。
 後はメインどころのみが残って、さぁ、次だ。と言う感じ。

 後は新型ですね。
 原作では『ワウ! この新型凄いよ!』と剣士君は仰るんですが、見てるこっちとしては『お前元々凄いじゃん』とか、『見た目全然代わって無くないか? 後、作画的な意味で全然凄(ry』と言う割りと残念な状態。
 大体アニメ原作の聖機人って、立体が拾いにくい曲線の集合体ですから、書く人によってプロポーションに凄い差が出てるんですよね。
 新型の回は妙にマッシブに見えたんですけど、果たしてアレは新型だからなのか、それとも作画のばらつきの一種なのかまるで判断がつきませんでした。
 でしたので、もう見た目根本から変えてしまえとこのSSではあんな感じに。
 ドラマ的な理由から、今回は最後までヒロインに傍に居て欲しかったので、複座仕様に変更。

 因みにもう一つの案としては、『スワンの動力部に居座って、スワンを皇家の船に見立てる』と言う物がありました。
 スワンの破損イベントが無かったから駄目でしたけど。


 ・終編(54,55)・

 まぁ、どうにかこうにか、締めの展開に漕ぎ着けて気合を入れなおしました。
 ラブってバトってラブってバトって、最後にちゅーしてお別れ、と。
 絵に描いたようなクライマックス展開だったのではないでしょうか。

 此処で終われる、後先を気にする必要も無いということでパワーのインフレもかなり極まっています。
 アクションはアトラクション性を第一に考えて、下から上、上から下、そこから凄い上へ。
 ロボットが新型だったりラスボスがZ○IDOに変身したと思ったらイデオンソード振り回したりと、最後だからと後先を考えたら絶対やれないネタを色々ぶち込んでみました。
 ぶっちゃけまともな戦闘シーンってこのSS片手で数えるくらいしかないですよね、終わった後に考えると。
 所謂『模擬戦』ってのが、実戦の緊迫感が台無しになりそうで嫌だなぁ、と避けて通ってたせいもあるんでしょうが、その辺もあって、最後は多めに尺を取ってひたすら戦闘してました。
 ―――途中呑気にラブコメが差し挟まれていた気もしますが、まぁ、仕様です仕様。

 後は剣士君の光鷹翼でしょうか。
 『原作のネタはなるべく拾う』と言う縛りを自分の中に設けてたので、当然ラストの光鷹翼も―――と言うことで、しかし原作みたいに唐突過ぎるのもどうかなぁと思ったので、あんな感じに。
 『オリ主の光鷹翼を圧縮して光鷹真剣(?)を練成する』とこれなら結構良い感じなんじゃないかなーと自画自賛だったんですが、書き上げる段階で、フツーに剣士君がチートパワーを発揮していた件。
 やっぱ剣士君は一人で突き抜けてないと剣士君じゃないですしねー。締めの展開のために、切った後はお役御免とばかりにリタイアしてしまう訳ですが。


 ・エピローグ・

 最後の最後で何気に新キャラ。
 演出的な意味では、読者が見覚えの無い人間が主人公と親しげに話していると言う場面を用意する事によって、『ああ、遠くへ居るんだな』と言う印象をよりいっそう表現している、と言った所でしょうか。
 
 で、お見合いネタが飛び出してきた時点でその後の展開はもうバレバレに―――と、思わせておいて二段オチ。そしてエンディング。
 多分個別ルートだとお見合いENDで、トゥルールートに限りこの展開になるんだと思います。

 ―――と言うか、当初は本当にお見合いにやってきたところで終り、と言うのを想定していたのですが、でもそれをやってしまうと他のキャラたちがラストに出れない。
 
 じゃあ、と言うことでああいう形に。

 原作を見た時から思っていたのですが、作品のジャンルとして『異世界召喚物』だと言うのに、まるでそのキーポイントを生かしているようには見えない。
 と言うか多分、召喚シーンとかあるべきものが存在しないから、この原作は一見さんお断り感を拠り一層強めてしまっているんじゃないかと言う気がします。

 なので、じゃあ最後のネタとして使用してみようかな、と。
 サブタイトルに相応しい感じになるし、中々良い仕上がりになったんじゃないかと思うんですが、さて。

 ちなみに人造人間二人のくだりは書き終わった後で書き足しました。忘れてたなんてとても言えない。
 某倅君に関しては、思い出したけど居ない方がらしいかと思ってそのまま居ないままで終わらせる事にしました。


 ・まとめ・

 ―――簡単な解説程度の事で既に長い。
 この後キャラ毎の紹介に入りますので、多分まだ此処四合目あたりだと思います。
 うん、すまない。この後書き八割思いつくままに書いてるから、ひたすら書けるだけ書き続ける予定なんだ。

 とまぁ、さておき。
 思い返すとやっぱり、色々迷走してたりもしますね。
 大枠自体は決めてあったんですけど、矢張りどうしても今回は容器自体が大きすぎる。
 段取り芝居を遵守しようと言うのもあったので、余計に伸びました。
 人が多い、会話が多い、話が逸れる、と何かもう毎回そんな感じで、しかも今回それを削ると言うのを放棄してますので、展開は牛歩の如く。
 思いついたネタ、やりたかったネタの殆どは消化できましたし、まぁ、良いかって感じで一つ。


 



 ・キャラ紹介・

 読んで字の如く、である。
 独断と偏見、その他諸々に満ちた、何ていうかまぁ、そういう感じの纏まりが無いものである。
 原作設定と違う、とか言われても、所謂一つの俺ルール。仕様です。


 ・アム・キリ/アマギリ・ナナダン/甘木凛音/雨契/天木凛音/ヘタレーノ・カッコツケ・

 名前多いね、と突っ込まずには居られないこのSSの主人公。まぁ、実質変更は二回くらいで、後はオマケですが。
 性格は軟派で軽薄。そしてヘタレ。
 割り合い刹那的な生き方をしていますが、逸れは一応理由があって、つまり『皇家の樹の真髄に迫る』と言う人生の最大目標を既に解決済みだから、と言う理由だったりします。
 もうやる事無いから、テキトーにぶらぶらしていただけと言う。
 幼い頃はかなり一途で融通の効かない性格だったのでしょうが、漂流事故に追い込まれて記憶喪失になってジェミナーに落着してからは、それなりに逞しく、またふてぶてしい感じに変化。
 記憶が無くても自身が持っている力についてある程度認識している節があり、それ故にいざとなれば何とかなる、むしろするくらいの気構えでその場その場で好き嫌いの程度の気分で暴れまわる事に。

 後は単純に、マスターの趣味に合わせた、と言うことなのでしょう。
 
 因みに端から見てると、結果は出す―――けど、危なっかしくて過程を見ていると心臓に悪い、と言う評価になるらしいです。
 まぁ、見てて面白いのは事実と、何となく長く付き合っていた女性たちとはそれ相応の関係を築く事に成功しました。
 原作主人公を差し置いてハーレム形成に手を掛けられた最大の理由は、唯偏に付き合いの長さ故、だと思います。
 ―――愛想尽かされなくて、良かったね。

 女性の趣味に関しては、『美人で年上、且つ自立心のある人』が好み、と自称していますが、ようするに『甘えさせてくれる人』が好きなだけである。
 逆説的に『甘えてくる人』は苦手で、コレに該当するマリアとリチアは実は……と言う。
 マリア様は見事に押し切り勝った感じですけど、リチア様に関しては本人が薄々感づいている通りに本当に距離を置かれている辺り、そろそろ校舎裏で殺傷沙汰も近いと思います。
 そんな訳で彼の一番の好みなのは無条件で甘えさせてくれるワウとアウラ様。フローラ様とユキネさんに関しては、甘えると後が怖そうと言う直感が働いて攻めあぐねているらしいです。

 設定的な処に関しては、もう本当に奏楽1の某氏の設定をこの原作に併せてブラッシュアップしただけ。
 機体が蛇だったりとか、もうね。
 細々とした解説は―――長くなるので、本編を参照してください。
 
 今回は傍観者ではなくちゃんと主役をやらせる、と言うのがあったので、まぁ何とかかんとか真ん中に立たせ続けさせる事に苦労しました。
 どうしても原作主人公に真ん中に立って欲しくなるんですよね、やっぱり、書いていると。
 剣士殿が途中でリタイア気味だったのも、その辺割り切るためと言うのもありましたかねー。


 基本的には、『負ける男』。
 話を俯瞰してみると、まともに勝ってるシーンが一つも無いという残念な主人公である。勝ってるように見えても大抵血を吐いてるとか、予想外の事態が発生したとかオチが付いて回りますからね。
 まぁ、主人公と言う生き物は、ラスボスに止めの一撃を与えるためだけに生れ落ちた様なところがあるので、むしろクライマックスまでまともに活躍できないこの状態こそ正しい気もします。
 スペック通りの性能を発揮できれば、きっとチート星人に相応しいチートパワーを発揮できたんでしょうが、本編中ではその機会は与えられず。
 エピローグで漸く本来の性能を発揮できるようになっている筈なのですが、生憎とその星はキミ以上にチートな連中が山ほど居るんだ、と言う事でやっぱり碌に力を発揮する場面は無い。

 何処まで行っても勝てない。それが彼なのです。

 尚、名前に関してですが、とりあえずやっぱり『樹雷人らしくDQNネームで合って然るべき』と言う思いが先に立ちましたので、こうなりました。
 初めは『輪廻』と言うそのまんまの書き方だったんですが、『いや、樹雷人なら当て字に違いない』と言う事で最終的に『凛音』となった訳です。
 因みに、甘木家一家に関しては、『ね』の字を『音』で当てた事から五兄弟に膨張する事に。
 『鈴音』って言うのは実は当初構想していた主人公用の当て字だったのですが、多分『すずね』って読まれて悲しい気分になるな、と言う判断からお蔵入り。ああいう扱いになりました。

 アマギリってのは其処からの派生。
 『名前っぽく無い外れた感じ』で良いかなと思ってつけたのですが、単独なら確かに響きも宜しいのですが、コレに敬称をつけ始めるとどうにもバランスが悪い。
 最後までどうにも納得がいかなかったので、結局皆、『お前』だったり『アンタ』だったり『お兄様』やら『従兄殿』やら『殿下』やら、極力敬称付きで本名呼ばせないように苦心する事になりました。

 まぁ本編終了後は、女の子に振り回されつつも悪乗りして世界征服を断行、剣士を主役に仕立て上げて悪の大魔王ゴッコでもやる事になるんじゃないかと思います。
 再三の樹雷からの帰還要請に関しては、見ないフリ、聞こえないフリ。


 ・マリア・ナナダン・

 このSSのメインヒロイン。 

 登場時は年齢一桁だったような気もしますが、背伸びして歯を食いしばりながらオリ主とラブコメを繰り広げる事に。
 彼女がヒロインに選ばれたのは、『このSSが奏楽2だから、お察しください』と言う見も蓋も無い理由以上のものは何も無く、そんな扱いをされれば上手く動いてくれる訳も無い。
 序盤はひたすらそれで苦労する事に……。
 お陰でたまに出てはオリ主とドンパチ繰り広げて去っていく人、と言うポジションで存在感を発揮してもらう人に成りました。
 で、ラストが待つ女だと奏楽1と変わらなくなってしまうので、最後まで必死で着いていく―――挙句、引っ張り寄せると言うアグレッシブな性格に成長。

 本編終了後は、オリ主のケツを蹴り飛ばしながら、子供をあやしつつ『ああいう駄目な大人になってはいけませんよ』と言い聞かせる毎日になるのではないかと。


 ・フローラ・ナナダン・

 このSSの真のヒロイン。

 劇中では最上級の扱いをされている訳ですが、理由は単純に松来未祐ヴォイスでドスの効いた声とか、何この愛らしい生き物と作者のツボに来たためである。
 他のヒロインたちは、まぁ流石に拙かろうと、劇中では濡れ場担当。エロスエロス。
 因みに描写が無いだけで登場初期から結構な頻度でまぐわってんじゃねーのとか想像してますがどうでしょうか。 
 オリ主も基本的に、誘われれば断らない駄目な人ですしねー。まぁ、ヘタレなんで自分からは絶対誘わないんですが。

 重要な要素としては、皇家の樹のマスターと言う役割を与えられている事でしょうか。
 冒頭からお互いが求め合っていると言う関係上、一貫して最後まで揺るがない。その辺が事ある毎に一々ブレる娘との対比みたいになってます。

 エンディングではオチ要員。
 当初予定でも、最後はああいう登場の仕方をすると言うのは変わらなかったのですが、更にもう一つイベントが追加されてしまったため、本当にオチになってしまったと言う。

 本編終了後は暫く(五百年くらい)樹雷でのんびりした後、オリ主を呼び寄せてオディールを改装した皇家の船で銀河中を飛び回るハネムーンへ、とか何とか。


 ・ユキネ・メア・

 このSSの影のヒロイン。

 皆大好きお姉ちゃん。
 原作的にも割りとガチの萌えキャラなので、まぁ扱いは慎重にやらないと酷い事に―――なりましたね、本当に。
 ハーレムもので主人公(この場合は凛音君)以外の男性キャラ(この場合は剣士君)が少しでも良い思いをすると言うのは矢張りご法度らしく、迂闊と言えば迂闊だったなぁ。
 世界観的には特におかしい事も無いんですけどね、と書いても仕方が無いことですが、あの辺りはやはり色々思うところが多いと言いますか。

 まぁ、さておき。

 このキャラの魅力は、本筋と関係なしに画面の端でチョコチョコと可愛らしくアニメーションで感情表現している事にこそあって、そうであるなら文章媒体になると中々魅力を出しづらいものがありました。
 そんな訳で、動かすのに四苦八苦。
 最終的には魔改造して美味しい所だけ持っていく人になりました。
 基本的に人が増えると台詞が減っていくタイプのキャラなので、活躍させる時はオリ主と一対一と言う場面が増える事になった―――ってのは、優遇されているといえば言えるのでしょうか。

 プレ編二年目が削られた関係で、活躍の機会が結構奪われました。
 二年目削除って決めた段階で、相方もワウに変更って確定させちゃったんで、余計に扱いが難しくなったと言うか……。
 後は、押し出すとなると洩れなくマリア様が付いてきてしまうので、イマイチ場を回しづらい。
 立場上マリアと凛音が居ると、後ろに下がっちゃうんですよね。

 何だかんだで、順を追うごとにオリ主に対する呼び方が当然のように変化して行き、そして誰もそのことに突っ込まないくらい自然に何時もの位置をキープするような素敵な立ち居地に落ち着く事になりました。

 本編終了後は、酒に酔った凛音に押し倒されたのをあっさり受け入れてしまい、翌日修羅場、みたいな感じで一つ。

 
 ・ワウアンリー・シュメ・

 このSSの裏のヒロイン。

 やったね大金星を地でいく人。
 リアクション要員がこの人しか居なかった関係で、あの場所この場面で洩れなく大活躍でした。
 居てくれるとマジ助かる。
 と言うか、ぶっちゃけこの人が居れば話が回ると言う凄まじい扱い易さが美味し過ぎます。

 そんな訳で、とりあえず的な意味で配置しておいた彼女は最終的に此処まで優遇される事になった訳です。
 まぁ、お互いが適当に流しているように見えて、実は確信犯的な付き合い、みたいなのが好きだったからと言うのもあるんですが。
 多分、明確な描写が無いだけで何度か寝てるんじゃないですかね。

 本編終了後は、本編と特に変わらず。
 一万年後くらいにも当たり前のように居て、『―――そういえば、お前なんで居るの?』とか突っ込まれて苦笑してる感じ。


 ・アウラ・シュリフォン・

 このSSの元祖ヒロイン。

 ヒロインにするつもりが、気が付くと親友ポジションをがっちりキープ。
 実に男気溢れるヒーローを演じてくれた様な気がします。
 原作の純真さは何処行ったよ、と突っ込まれそうなものですが、それこそこのオリ主を相手に純真な姿なんて見せてられない。
 剣士君は傍に居る人間をお姫様で居させてくれる抜群の安心感がありますけど、ヘタレーノにそんなものを期待するだけ無駄無駄無駄。
 自然、凛音の傍に長く居る事になったアウラは、逞しくならざるを得なかったわけです。
 まぁ、性別を超越した友情、と言うか、信頼関係ですよね、矢張り。
 ハーレム物には、無条件で主人公を信頼し協力してくれる親友が必要なのです。

 構想段階からシュリフォン編の流れは固まってましたので、逆に考えるとシュリフォンに到着するまでは好感度を上げきれない、と言う縛りも存在してしまう事に。
 その辺も親友化に拍車をかけた理由なのかなぁ。

 まぁ、イロゴトがゼロの関係が、突然ガラっと、って言うのがあのパートの狙いだったので、その辺りでは成功した様な気もします。

 因みに、一番最初の構想段階のエンディングだと、この人とマリアが一緒に樹雷に来て完結、とか言う感じだったんですよねぇ。
 エピローグまでの空白期の間に、主人公は皇家の樹(腹の中にある物とは別のもの)と契約して、その名前を奥拉(オーラ。転じてアウラ)とかつけてたとか、何とか。勿論腹の中の樹の名前は、真理阿である。
 二度と会えないと思って名前付けたら、本人合いに来ちゃったよ! ―――と言うオチだったらしいです。
 実際の本編よりももうちょっとシリアスだったんですかね、多分。

 本編終了後は、何となく周りと距離を置く事になりそうな感じも。
 多分、凛音が自分から『来てくれ』と言う言葉を言うまでは、延々連絡も無く疎遠のまま、と言うかたちになると思います。
 友情は不変なもの、と言う事で、『徒に傍に居る必要も無いか』と言う長命種ならではの発想があるのでしょう。だから、時々会う事があっても、その場その場で何時ものノリになるんだと思います。

 やんちゃになってきた子供たちを微笑ましく見守りながら、たまに外で大暴れしている男の様子を耳にしては、仕方ないなと苦笑している姿が、目に浮かぶ。


 ・リチア・ポ・チーナ・

 このSSの薄幸のヒロイン。

 当初の想定ではこの人が本編でのアウラ様の役回りに入る筈―――と、ようするに二人は逆の立ち居地になる筈だったんですが、蓋を開けてみるとこんな感じに。
 喧嘩するほど仲が良いを地でいく感じに、凛音君と学生恋愛をする訳です。
 問題は、二人の関係は学生恋愛の枠組みを出ないものと言うことであって、学生生活が終わると、突然危うい感じになってしまう―――と言うのは、本編の通り。

 多分、本編中では一番お互いの事を解っていない。
 でも、学生恋愛ってそんなものです。

 まぁ、周りが敏い連中ばかりだったので、バランス的に一人は本当に普通の女子の感性の持ち主が居ないと駄目だろう、と言う事でこういう見せ方になりました。
 一人だけタイミングがずれて置いてけぼりになってる感じが、逆に魅力―――だと、思う。多分。
 基本は弄られキャラで、見せ場が何か、諸般の事情で中盤に差し込まれちゃったお陰で、後半は扱いに困ってました。

 ―――原作でもそんな感じの扱いだったし、良いか!!

 本編終了後は、周りの後押しもあって、何となく結婚辺りまで漕ぎ着けそうな気もする。
 でも勢い余って専業主婦になっちゃったが最後、旦那は外で好き勝手に夜遊びを繰り返しており、哀れ家で一人で涙目な感じ。
 そこから覚醒が始まって再び外へ飛び出し旦那の首根っこを引っつかむ事に……なる、かなぁ?

 
 ・ラシャラ・アース・

 このSSの原作のヒロイン。

 『従兄殿』と言う呼ばせ方をさせたのが発明だなと自画自賛してるんですが、実際どんなもんでしょうね。
 近すぎず遠すぎず、多分凛音とは根っこの部分が似てたりもするのでしょう。
 向いてる方向性が同じ過ぎて、『これ、一緒に居る意味が無いな』と両者同意の上で別れる事に。
 先が見え過ぎる関係と言うのは面白みが無いのです。

 だから、お互いの事が理解できていないって言うのは、必ずしも悪い事ではないんだよ!

 多分本気で凛音とラシャラが組んだら無敵だったのでしょうが、矢張りどちらも自重知らずで周りを不幸にしかしないと言うのがネックだったのだと思います。
 周りを疎かに出来るほどに、二人は周囲の人間を見限っては居ないのです。

 つまるところ、ポジションとしては奏楽1のメインヒロインの彼女の立ち回り。
 本編終了後も、つまりは、同様。
 墓に行く前の最期の会話が、一番お互いが周りの事を気にせずに素直に話せる機会となるのでしょう。


 ・キャイア・フラン・

 このSSではない何処か別の場所で自称ヒロインとかそんな感じ。

 立ち居地上、凛音が深く介入する筈も無く、さりとて何もしないでじっとしていてくれる筈も無く、結局本編ではあんな感じ。
 原作同様、何となく自力で踏ん切りをつけたらしいです。 
 原作の描写を見る限り、無敵チートの剣士君とサシで戦って生き残れるレベルの超人の筈なんですが、多分私生活の駄目さ加減で損してると思う。

 その辺りのブレた感じが魅力―――なんでしょうが、残念ながらこのSSではヒロインではないため、端で見ててウザい人にしかなれませんでした。
 ダグマイア様がリストラ対象になってしまった関係もあって、消化不良な感じで終わる事になってしまったと言うのもあります。

 構想段階では、ガチでエメラと死合わせて見ようかとか言う案も合ったんですが、ヒロインでも無い連中が主役でもないキャラを取り合ってバトるシーン書いて誰が得するんだよ、と言う事で無しに。

 因みに凛音は嫌いなタイプらしいです―――と言うのは、本編で散々書きましたし、良いか。

 本編終了後は、ラシャラに振り回されながら逞しく生きるんだと思います。
 悪の大魔王状態の凛音と、それに悪乗りした正義の味方状態のラシャラの嬉々とした掛け合いの背後で、ため息を吐く役回り。


 ・ラピス・ラーズ・

 このSSのサブヒロイン。

 割りと凛音の好みのタイプに合致しているらしいですが、それを理解したうえで彼女にその気は微塵も存在しません。
 多分画面の外で、性懲りも無くアプローチを掛けては撃沈される凛音の図が繰り広げていたんだと思います。

 上手い事剣士君と幸せになってもらいたいものですが、どうなんでしょうねー。


 ・柾木剣士・

 ご存知原作の主人公。

 氏が先の名前の段階でお前もう隠しようも無く異世界人じゃねーか、むしろ回りも気づけよと原作を見ながら突っ込んだものですが、細かい事を気にしたら負け。
 もうこいつ一人で良かったね、を地で行く無敵の主人公なのだから。
 無敵のチートパワーをノーリスクで最初から最後まで全編通して振り回す、これを断行した原作スタッフは正直おかしいと思う(褒め言葉)。
 このSSでは描写を極力減らす事で、劣化させすぎず、さりとて活躍させすぎず、辺りのラインを狙ってました。
 お陰で後半は見てるか寝てるか操られてるかでしたが。

 本編終了後に関しては……原作の続編待ちかなぁ。あるのか知りませんけど。


 ・ダグマイア・メスト・

 この原作の真の主人公(自称)。

 親父が七十年代の最先端を走る悪役だから、彼は必然的に毎週やられに来る幹部怪人の役回りとなる訳で、まぁ大体そんな感じ。
 本人だけは勝てる確信があるのでしょうが、テレビで見ているお友達にとってはヒーローにやっつけられるためだけに存在しているのです。
 
 そんな訳で、一人空回りの悲しい感じを常に忘れないように心がけていました。

 覚醒した、と思われるイベントを終えた後でも、相変わらず何も変わっていないと言うのが、まぁ、この人らしいかなぁと。
 それでも序盤はもうちょっとイケそうな感じだったのは、単純に原作がまだ完結していなかったためだったりするのです。
 ラスト辺りにどういう立ち居地になるのか見守っている状態だったのですが―――結果のアレは、もうちょっと何とかならなかったのかな……。
 
 まぁ、重要な役回りも特に無いらしいと判明した事もあって、中途でリストラ確定。
 脇へ脇へと追いやられて途中でフェードアウト、と言う形に落ち着くことになりました。
 手下の山賊連中も男性聖機師連中も居なかったし、仕方が無かったかなぁ。

 原作、このSS共に主人公を目の仇にするのは相変わらず。
 凛音に対しては実は割りと勝ってたりするのですが、勝ちなれていないせいなのか、どうにも勝ったと言う感触が理解できなくてモヤモヤしているようです。

 本編終了後は、本当にぶつ切りにされた旧シトレイユの一角を押し付けられて苦労する毎日。
 何時まで経っても軌道に乗らない国家運営に頭を悩ませつつ、背後で労しげに見つめてくる視線が痛いと思わず物理的に遠ざけてしまうのが運の尽き。
 ますますトラブルが噴出する事になり手が空く日が無く、外で好き勝手に暴れている凛音たちに恨めしい視線を送る毎日。


 ・エメラ・

 苗字が無い国の人。
 一応主要キャラなんだからつけておいて欲しかったなぁと、地の文を書くたびに表現に困ってました。
 
 まぁ、全編通して怖い人で、原作と殆ど変わってないんじゃないでしょうか。
 出てくるとシリアスな空気に入らざるを得ないため、あんまり前へ前へ来る事は無かったですしね。

 凛音的には生き方自体は実に好みだけど、人間的に好きになれない人、と言った感じ。
 相容れない趣味を持ってしまっている以上、仕方が無いのです。

 本編終了後は、前述の通り主の言葉に従って閑職に回され―――たように見せかけて、見えないところで主をサポートするのは相変わらず。国が決定的な破滅を迎えないのは、彼女の神業的なカバーのお陰なのです。
 時たま凛音から胃薬が送られてきては、それを開封せずにゴミ箱に捨てるのが、お約束。


 ・メザイア・フラン/ドール・

 目立たなかった人。
 剣士君用のヒロインなので、まぁ、仕方ないですよね。
 ユライト先生と同様に、変身して姿かたちどころか声まで変わると言う、お前それで正体中てとか絶対無理だからと突っ込まずに入られないキャラクター。
 原作の『作ってる人たちだけが解ってる』度を上げることに貢献している人の一角を占めていると思います。

 そもそも本当に、あの変身能力はどうなっているんだ……っ!
 
 このSSでは、後半言及されてましたけどほぼ重要アイテム扱い。
 極力キャラ的な描写も減らして、目立たせないように気を使っていました。
 ラストシーンが既に決まっていたので、この人は入る隙間が無い、と言うか居ると邪魔になってしまうから、仕方ないんですよね。でも居ないと流れ的に話にならないので―――と言う事でこういう扱い。

 最強の聖機師―――にみせかけて、ダークフィールドにあっさりと吹っ飛ばされたりしているのを見るに、実はフクロにすれば結構簡単に倒せるのだろうかと言う疑問は尽きない。

 本編終了後は安玖深音ヴォイスで居て欲しいので、ドールのまま剣士の傍に居るということにしておこう。


 ・ユライト・メスト/ネイザイ・ワン・

 貴方何がしたいんですかと言う立ち居地の人。
 敵にはばれていない上にバックアップもあるのなら、幾らでもどうにでもやる事が出来るだろうに、何故あんな回りくどい手段を……。
 と言うわけで、このSSでは一貫性の無いその行動がイマイチ納得できなかったので、あんな扱いに。
 足を引っ張るだけ引っ張って退場―――と、扱い悪いなぁ。

 まぁ、上にも書きましたけどネイザイの正体がユライトでしたー! 何て反則も良い所だろうとずっこけてしまったので、活躍させる気力が沸かなくなったと言うのもあります。

 本編終了後も剣士サイドで図太く堂々と行き続けるんじゃないかなーと。


 ・ババルン・メスト/ガイア・

 ラスボス。―――と言うか、唯一まともな敵。
 
 オッサン楽しそうだけど何がしたかったんだ、と言うよりはむしろ、怪しげな発掘品のクリスタルを子供の体内(それも二人)に入れるこの人の父親が何がしたいのかが気になるところです。

 まぁ、さておき。

 七十年代風のステレオタイプの悪役なので、スケール感を出すのに非常に苦労しました。と言うか、出てるか?
 いっそギャグに見えるくらいハイテンションなのが丁度良いかと言う判断で、毎度毎度台詞のテンションを上げるのにカロリーを消費してくれた、本当に愉快なオッサンです。

 後は、ラスボスに相応しく戦闘力の底上げを図った結果、最終的にデスザウラーに変身した挙句、最後にはイデオンソードを振り回すようになったりと、でも書きながらやっぱり、機動兵器一機で世界滅亡とか無理だべという思いが抜けきらなかったと言うか。
 倒すべき敵がこの人しか居ないから、カマセっぽく扱う訳にもいきませんでしたしね。
 暴れるだけ暴れて最後は自爆と言うお約束な感じは、個人的には好きだったりします。

 因みに他のネタとしては、地下遺跡から発掘した大地を埋め尽くすほどのガイア”軍団”により世界蹂躙、それに対して光鷹翼無双を仕掛ける、とか言うのも有りました。

 本編終了後に復活するの?


 ・モルガ・

 苗字の無い国の人。遅れてきたヒロイン。
 
 原作からして大人の事情で登場したとか言う曰く尽きのキャラクターなものだから、このSSでも思いっきりイロモノの方向へ振り切ってもらっています。
 基本、ダグマイア様の話を終わらせるためだけに出てきたようなもので、後はリチアさんが流石に空気過ぎるからと、ちょっと会話シーンを入れ込んでみました、と言う感じ。
 結構気が合いそうな割に、凛音との会話シーンが殆ど無かった理由は、入れ過ぎるとその後の出番も期待されてしまいそうだったから。
 スポット参戦のキャラを目立たせすぎるのも、良くないのです。

 本編終了後は国へ帰った普通にお勤めしていた所で、甘木凛音の世界征服計画を知り、反抗勢力―――ようするに剣士側―――に参加。つまりは、原作で暴れてた感じになるかと。
 悪の女幹部でも良かったかしら、とは本人の談。


 ・シュリフォン王・

 貴重な男性キャラクターですが、名前がありません。
 だから地の文書くときに困るんだってばよ……。

 と言うわけで貴重な味方サイドの男性キャラとして凛音とは少し気の置けない会話とかもしてみたり。
 やっぱりハーレム物であっても、男だけの会話シーンとかは必要だと思います。
 とは言えスポット参戦のキャラには違いないので、シュリフォン編だけでフェードアウト。
 見えないところでシトレイユに侵攻したりと大活躍では有ったんだと思いますが、この人の出番を増やすくらいなら、女の子の出番増やすわと言う事で、結局ラストの辺りでは碌に描写がありませんでしたね。
 
 本編終了後は、国が広くなっただけに仕事が増えたなぁと相応の苦労を抱えながら、孫を抱いた幸せそうな娘の顔を見て、微妙な気分に陥る毎日。


 ・ナウア・フラン・

 進行方向的に出さない訳にも行かなかったんだよなぁと言う感じでちょっとだけ出演。
 説明回が当の昔に過ぎ去っていた関係上、殆ど活躍もしませんでしたね。
 
 原作的に言えば、この人がメザイアに対するフォローと言うかサポートを怠った事が、そもそもガイア復活の遠因とも言える気がします。
 人造人間だって解ってるんだから、命令系統に対するブロッキングくらい付けておきましょうよ、お父さん。
 普通の人間としての暮らしをさせたいのなら、尚更慎重を期して。

 因みに、この人も何気にプレ編二年目が削除されて割を食った人。
 ワウと二人で結界工房訪問イベントとかも、予定されていたんですよね。

 本編終了後に結界工房が残っているのか否か。それが問題だ。


 ・その他の人々・

 それなりに出番があった人たちは出尽くしたので、後は纏めて。

 四人娘は閑話で一応出たと言う形でしょうか。まぁ、剣士君用のヒロインですので、特にこのSSでは活躍も無く。
 誰か一人を拾って広げてみようかと言う案も有るにはあったんですが、これだけ登場人物が多い原作で、更にわざわざサブキャラ拾う必要も無かろうと、何もなくなりました。

 男性聖機師集団はまぁ、ほぼ出番なしですかね。
 展開が完全に原作どおりに進行していた場合は、クリフ君が凛音の丁稚としてダグマイアの側にスパイとして入り込むとかも考えていたんですが、なくなりました。
 
 セレス君は、下手に出番を作ると凛音がスーパー説教タイムを始めそうな気配がしたので、恋人共々出番削除。
 まだハヴォニワに居るのかな。

 ラシャラの御付の皆様方に関しても、まぁ、接触し様が無いと言うことで出番は殆ど無く。
 マーヤ様だけはちょろっと活躍していましたかね。しゃきっとしたお婆さんとか、ポジションが良いですよね。

 
 ・神々+あるふぁ・

 文字通り神様たち。凄く偉い。銀河さいきょークラスが一塊で存在します。
 その割には日本列島の片隅で庶民的な暮らしをしていますけど、でも神様は神様。迂闊に手を出すと怪我ではすみません。
 まぁ、コレの二次創作やる以上出さないのは詐欺だろうと言うノリで、ガッツリ出てきてます。
 とは言え活躍させすぎると速攻で『完』と言う形になりそうだったので、基本は見てるだけ。
 
 初期プロットだと、成層圏へと上がってガイアを破壊した凛音を迎えに来るのが、津名魅か龍皇辺りだった、と言う案もあったとか。
 多分速攻で迎えに来ないといけないほど、凛音が死に掛けていたんだと思います。
 後半は全編通してスワンの動力炉で寝たきり、もしくは車椅子状態になってたらしいからなぁ。

 因みに本編のエピローグまでの空白期間に、地球に於いて凛音は彼女等と対面しています。
 頭を抱えたり土下座をしたりと、色々と胃が痛い思いをしたそうな。人参は美味しかったです。


 ・樹雷・

 偉くて強い人たちの星。裏設定の宝庫。迂闊に手を出すと怪我するぜ!!

 詳しくは富士見ファンタジア文庫で発売中の小説、『真・天地無用! 魎皇鬼』を参照のこと。
 ぶっちゃけこのSSは『異世界の聖機師物語』と『真・天地無用! 魎皇鬼』のクロスオーバーですので。
 SS本編中で出てくる細々とした名前は、大体この中で出てきます。

 鬼姫様が凛音に霧封の種を与えたのは、『計画が持ち上がったタイミング』と『凛音の存在』そして『見計らったように霧封の実から種が取れた』事に何かの意味合いを感じたからだと思います。
 実際に理由があったのかといえば、本編で語られたとおり。
 親戚の子供の手助けをする感覚だったのかなぁ、魅月的には。

 因みに凛音は、この星の皇族の皆様に凄い尊崇の念を抱いていた―――筈だったのですが、エピローグでの発言を見ると、残念、現実の厳しさを理解して少年は大人になってしまったようです。
 某平田氏に同類を哀れむような目で見られて、頬を引き攣らせる事になったとか。

 尚、凛音が樹雷から時限の裂け目に落ちる事になった最大の理由は、本編で語られたとおり魎呼に挑発された阿重霞が龍皇(未調整)を暴走させて天樹の一部を抉った際に、それに巻き込まれたせいである。
 調整槽に入れられて意識も無く外界の状況もわからなかった筈なのだが、防衛本能でも働いたのか、光鷹翼の展開による防御を行ってしまい、『もう限界、ダメぽ』となった樹雷宙域の不安定な次元の修復作用により廃棄される事になりました。
 まぁ、頂神に天然物に養殖物とくれば、必然的に優先順位も決まってくるのでしょう。
 七百年も放置されてた理由は、平行世界にまで跳んじゃってたからかなぁ。ついでに、亜空間と言う拾い上げにくい場所に居たし。常に監視の目はあったらしいです。


 ・名前の無いオリキャラ達・

 当初の予定だと、名前の無いモブキャラを沢山出そうとして―――実際、序盤は結構出てたんですよね。
 ただやはり、キャラが出揃ってくるとモブなんて一々出してる隙間もなくなってきてしまい、終わってみると最後までそれなりに出られていたのは家令長だけでした。

 因みにこの家令長、情報部の上級職に付いている人であり、現職の長官とは対立状態にあるらしいです。
 起死回生的な意味もあってフローラの誘いに乗り、グループごと新しい王子の下に着いてみたのですが、結果はご覧の通り。
 見事に使いこなしてくれたアマギリ王子には、それなりに本気の忠誠を持つに至ったそうです。
 本編終了後は引退して余生静かに暮らすのがいいと思いますけど、中々どうして、楽をさせてもらえないようです。

 後はオペ子さん達でしょうか。
 背中の大きく開けたメイド服と言う、それ誰得なんだよと言う衣装を着込む、美人のお姉さん方である。
 後半戦に突入した瞬間に、旗艦となるべきオデットが爆破処分の憂き目にあってしまったため、その後に出番がありませんでした。
 本編終了後は―――と言うか本編中から変わらず、凛音の愛人さん一同。合理的な主従関係だと思います。多分、そのヒエラルキーの中では、ワウがトップなんでしょうが。


 ・リストラ組・

 所謂山賊の皆さん。

 世界規模の事件、と言う感じをちゃんと出したかったので、場末の山賊集団が幅を利かせるとか無いわ、と言う判断から出番と言うか存在が削られる事に。
 先に書いたとおり、出たとしても即デストロイされそうだったと言うのも有ります。

 コルディネ親分は一応台詞もありましたし、劇中どおりに濡れ場もあったっぽいです。
 ―――まぁ、とある凛音のレールガンに蜂の巣にされかかったんですが。

 娘のランのほうに関しては、もうすっぱり削除。
 コイツを敵側で原作どおりに活躍させると、敵側が酷くみみっちい集団になってしまいますので、仕方ないです。
 と言うか、マジでこんな小娘がラストまで幅を利かせ続けるとか、真面目にやる気あったのかと……いや、無いから良いのか。
 
 因みにSS本編では纏めて一網打尽にされた挙句、送られた収容所は情報部管轄。
 その後はお察しくださいという感じです。
 『思想教育』でも受けて、美人局でもやらされてそうなエグい空気が……。



 ・以上、まとめ・

 この時点で本編の五話分くらい使ってますけど、まだもうちょっとこの後書き続きます。
 しかしまぁ、やっぱりキャラが多い、多すぎますね。
 
 特に、マリアとユキネとリチアなんて、足して三で割ったキャラを一人用意すればそれで事足りそうなものなのに、まぁわざわざ被りそうな人たちを三人も並べて。
 その辺のアバウトに飽和してる感じが梶島作品の魅力ではあるんでしょうけど。

 其処にオリキャラ突っ込んでSS書こうって言うんだから、良いとこ無茶な話でしたが、無事完結して本当に良かったです。






 ・用語解説・

 劇中に登場した設定用語を片っ端から……なんて、流石に全部は覚えきれていないので、思い出したのを片っ端から雑多に書き連ねていきます。

 
 ・亜法・
  
 誤字。

 正確には『亞』法が正しい。
 全編通して間違ってますけど、ぶっちゃけ収拾がつきそうに無いので最後まで誤字のまま押し通しています。

 何時から間違えていたと言うか、書き始める前に辞書登録した段階から間違いが始まっていたと言う。
 
 原作的に言えば、世界観の根底にある理論と言うか設定と言うか。
 『圧縮』とか『重力リング』とか、芝居上重要な要素に限ってさらっと流されると言う、演出的にそれはどうなんだろうと言う事もしばし。
 つーか、序盤あれだけ尺が合ったんだから、後半のためにそういうのも説明しておこうよ……。
 索敵が動物の感覚頼りの割りに、通信はリアルタイムの映像の送受信が可能だったりする、謎テクノロジーです。
 因みにこのSSだと、キャラ的にコロは無いな、と言う事でレーダーっぽいものが実用化されています。一話から。


 ・聖機人・

 二種類あって、『剣士の機体』と『それ以外』と言うカテゴリーが存在します。
 ロボット物でライバル機が全く存在しないってのも、凄いっちゃあ凄いよねぇ。

 まぁ、冗談はさて置き。
 
 描写的にどう考えても戦闘可能時間が短すぎないですかとか、レールガンっぽいものが実用化されているのに要塞は岩石落としですかとか、まぁ、色々と。
 多分、コアロボットよりは強そうです。
 一応見た目で個性が分けられてるのですが、肝心の性能差はどうなのよと言うと、良く解らない。
 ぶっちゃけ、上に書いたとおり剣士以外の機体は皆平等にやられ役である。敵も味方も含めて。

 喫水内なら稼働時間無制限、喫水外に出た瞬間に稼動限界までゴッドスピード、とか言う設定の方が解りやすそうな感じですが。使い勝手が悪すぎに見えるんですよね、聖機人。

 このSSでは当初もっと、このロボットを大活躍させようとか思っていたのですが、如何せん話の流れにロボットを載せ難い。
 ついでに言うと戦闘シーンと言うのは創作カロリーを多く消費するため、余り高頻度に場面を用意する事も不可能。
 結果、後半に行くに従いピンポイントで局地戦と言う形になりました。

 主人公の機体は例によって、見た目が他とちょっと違うと言うか、原作主人公程ではないが少しだけスペシャル、と言う何時ものやり方を踏襲してああいうデザインに。
 仕掛けとして入れておいた『喫水外でも戦闘可能』と言う設定は、殆ど生かされませんでしたが。
 それ以上に光鷹翼がメインに座っちゃってたので、まぁ、仕方ないです。余り視点をブラす訳にも行かなかったですし。
 

 ・オデット・

 序盤に乗っていた船。
 見た目はフライングVモデルのギター。
 名前の由来は、スワンでオデットでオディールとくれば、特に説明も入らないと思います。
 因みにオディールは三つの岩塊を二等辺三角形に配置した感じで。
 
 初期の構想段階では、終盤のイメージに『あの岩の船を皇家の船に見立てる』と言うのがありましたので、必要になるかもしれないと用意されたものです。

 結果としてはラストへの流れが原作から大きくずれていったために、途中でBA☆KU☆HAされる事になりました。
 因みに、爆発の原因はババルンの側に押し付けたそうです。

 でも、初めからオディールも用意していたあたり、初めから爆破するつもりだったのかもなぁ。


 ・反応弾・

 かくばくだん。
 それ以外に言葉が見つからない、つまりそう言う物。
 凛音曰く、原始的で安上がりで破壊力の大きい兵器、だそうです。
 あれだけナノテクノロジーの発達している世界ですので、汚染兵器の大半は無効化されていると思うんですが、どうなんでしょうね?
 ヤバい物に頼りすぎるとろくな事にならない、って言う因果応報は必要かなと思って、ラストの方でちょこっとだけ危険性を指摘してみたりしました。
 
 まぁ、他にも機関銃とかミサイルとかジェットエンジンとか、やりたい放題だったわけですが。
 最後までイマイチ文明の発達具合が見えなかったなぁ。


 ・人造人間関連・

 唯でさえ過剰に用語が多いのに、これで『コアクリスタル』とか更に増やされてたまるか、と言う事で一貫してその単語だけは避けていました。
 梶島作品らしく、伏線に見える部分が実は裏設定の顔見せに過ぎないって言う状況が多々あるんだろうなぁと言う感触が当初から存在していたので、単独で完結するこのSSでは、外に広がる世界観の中での設定なんて知らん、と言う割り切った進め方をしていました。

 基本的には、『映像として出たものだけが原作』と言う解釈です。
 後は全部そこから独自の解釈を加えた俺設定。
 知ってる範囲のうら設定を逸脱することがあっても、時たま平然と無視させてもらったりもしていました。

 閑話休題。
 兎角、この人造人間と言う設定が困りモノで、『つまり、どういうことだってばよ……』とか言いたくて仕方が無い状況を生み出すわけです。

 洗脳とか変身とかワープとか人間にも移植可能だったりとか、もう、ね。


 ・機工人・

 コレがあると聖機人が不要になってしまうので、スポットでギャグ演出の時に出すくらいでやめて置きました。
 性能良すぎるよね、少し。火器の威力もぶっちゃけ聖機人より高かったりさ。
 SS内では魔改造によって更にパワーアップしています。ぶっちゃけ、スワン辺りよりも出力高い。
 聖機神と殴り合いできたんでねーと言うレベルですが、使わなかったのは多分凛音が空気を読んだからなのでしょう。

 原作的に言うと、序盤でワウの工房にこれ見よがしに置かれていたメカメカしい頭部は最終的に何処へ行ったんだと言う。―――アレか、聖機神の頭部にでもなったのか?


 ・聖衛師・

 いや、この設定原作でも生かされてなかったしさ……。
 そもそも『普通の』洗礼の描写すら無いのに、あのちょっとの場面だけで剣士が特別だと思えとか割と無理ゲー。
 因みに聖衛師は聖機人の修復すら出来るらしいです。
 エナって万能ですよね。―――と言うかホント、何で味方サイドに一人用意しておかなかったのか。
 剣士含めて全員前衛とか、無いよなぁ。
 乗艦がスワンだったせいで、支援砲撃とかのシーンも無かったし、だから最後皆、雁首そろえて見てるだけなんて事に……。


 ・動甲冑・

 機工人と並んで、使いようによっては便利すぎて聖機人の影が薄くなってしまいますから、無しで。
 瓦礫の山に埋もれる事になりました。


 ・喫水外/高地・

 ガイアは喫水外に押しやられるとどうなるんでしょうか。止まるの?

 ―――と言う、映像を見ていると常に思う疑問が最後まで解消されませんでしたので、余り後半は意識しないようになりました。
 
 と言うか、聖地での戦闘シーンが書かれちゃった段階で、序盤の港に着艦するシーンに突っ込みどころが発生しちゃったのがマズかったような。
 そして、何故危険物を喫水内に置いておいたのかという……。

 このSS的には、喫水とか飛び越えて『最後は宇宙』と決めていたので、まぁ、あんまり関係ない感じ。
 いや、龍機人の設定的に大いに関係がある筈なんですが、アレはまぁ、微妙に一発ネタ的なところがありますから、物語を牽引できる要素にはなりえないのです。

 高地での暮らしの描写、とかが無かったのも問題ですよねぇ。
 バカンスの回、高地でスローライフを楽しみましょうとかの演出にすればよかったのに。

 
 ・天地岩・

 後半に突如出現した不思議スポット。
 いや本当に、こんな馬鹿でかい物体があったらもっと栄えてると思うんだけど、何か描写的に隠れ里っぽい。
 ぶっちゃけた話、ユキネさんが萌え担当以外の仕事をしていない状態であんな場面を用意されても、どう受け止めていいのやら。
 
 そんな訳で、良く解らなかったのでこのSSでも『何か過そう』と言う曖昧な感じに留めておきました。
 つーか、『結界』ってなんなんだろうね……。
 亜法は何ができて何ができないのかと言う説明が無さ過ぎる関係で、何が凄くて何が凄くないのか、結局良く解らないと言うのが実に残念。

 ただまぁ、巨大な岩を圧縮して振り回す、って言うアイデアは実に浪漫でしたね。
 重力制御で軽くしてるのに振り回すと質量分の衝撃波が発生してるっぽい不思議とか、割りと突っ込みどころは多いんですけど、見た目で勝ちですよね、アレは。

 まぁ、残念な事にアレを振り回した戦果はダグマイア様をミンチにした以外に特に無く、どうせならガイアの表面を凹ます(正し、即行で修復)とか位はやって欲しかったものです。
 その後のビーム剣も良い演出でしたし。


 ・光鷹翼/皇家の樹・

 公式チート。

 原作だと最後にそれっぽいものが全部持ってきましたけど、アレは……。
 演出的には、天地一期のオマージュ的な意味なのかなぁと解釈していますが、実際どうなんでしょうね。
 てっきり、何時ものように、背中からバンバン羽出して、超重力で押しつぶすものだとばかり思ってましたけど、割りと意外でした。
 しかし、最近の若い子は光鷹翼知ってるんですかね……?
 あ、GXPがあるしギリギリ平気なのか?

 凛音の光鷹翼は三枚。
 つまり第二世代級のパワー……と言うか、第一世代の木から取れた種なんだから、第二世代の樹って解釈で良いんだろうか。
 まぁ、一枚じゃ少ないし五枚じゃ多すぎるって事で三枚と設定した程度のことなので、余り深く突っ込んだらいけない気もします。
 
 このSSでは『使うと血を吐く』無敵の盾と言う扱いに終始していますが、原作宇宙で活躍しようと思えば、コレぐらい当たり前に出来ないと生きていけない。むしろ、出来てもたまに死ぬ。

 尚、凛音は人間でありながら皇家の樹であるから、人間のマスターを選ぶ事が出来る。
 そして、『皇家の樹でありながら人間でもある』ので、実は皇家の樹と契約できる可能性も残されているのです。

 もう終わってしまった以上何の役にも立ちませんが、頑張れ凛音。夢の光鷹翼六枚体制を目指して。


 ・属性付加クリスタル・

 原作のラストでね、てっきりダグマイア様がコレの使用をやめると、途端に尻尾の無くなった惨めな機体が現れる、とか言う漢気溢れる演出があるのかと思ってたんですが、特にそんな事はありませんでした。

 ―――と言うか姿が変わるって言う設定なら、ちゃんと元の姿を画面に出そうぜ!!

 このSSでは序盤のギミックとして登場。
 コレの存在と言うか、ようするにワウを出すための取っ掛かりとしてコレが必要だっただけだったりします。
 そんな訳なので、後半自然とフェードアウト。
 戦闘シーンが少なかったですし、仕方ないですよね。ワウ涙目でしょうけど。

 初期の構想段階では、コレを使い続けていた関係で、聖地決戦の折、凛音の龍機人が『ガイアと誤認される』、それによって隙が発生した剣士が刺される―――と言うような流れも考えていたのですが、しまった、もうキャイア見ちゃってるじゃん、と言う事で無しに。

 
 ・俺☆チート・

 ラストで突如として出現した聖機人の遠隔操作とか聖機師の代用部品とか、ようするにアレはラストバトルのガイアをドール抜きで暴れさせるために必要だったから用意したと言う事だったりします。
 無線封鎖とかも、アレは聖地決戦でフローラに出てこられると話が終わっちゃうからと言う理由でしたかねぇ。
 後は凛音の空間跳躍でしょうか。
 あれ、演出的に面白いかなと思って出してみたんですけど、冷静に考えるとアレが自在に出来てしまえば全てが解決可能だなと気付いてしまい、慌てて機能不全に追い込むことに。
 ガイアをワープさせちゃえば、それで終了ですからね。
 最終的には重いと運ぶのが凄い大変と言う屁理屈をつけてごまかす事になりました。


 ・神様からのラブレター・

 別にラブは欠片も無いですけど、原作編開始時冒頭でモザイクが掛かっていた文面の内容です。

 
 『あー、テス、テス、マイクテス。……おや、もう聞こえてるのかい?
 話しには聞いていたけど本当に一発で受信してくれるなんて、中々良い感度をしてるじゃないか。
 まずは始めまして。あたしは銀河最高の哲学師、白眉鷲羽だ。気軽に、鷲羽ちゃん♪ ―――とでも呼んでおくれ。
 ま、アンタにとっては瀬戸殿のお友達だって言った方が早いかもしれないね。
 ああ、そうそう、そう言えばその瀬戸殿から伝言を預かってるんだ。いやいや、忘れるところだった。えーっと、何処置いたっけな……おっと、その前に。
 一応念のために確認しておくけど、あんたが稟音殿で間違ってないよね? 
 え? ―――覚えてない? 
 あー、平気平気。こっちではちゃんと解ってるから。うん、アンタは甘木家の五男坊、稟音殿で間違いないよ。
 それでなんだっけ? ―――おお、そうそう、瀬戸殿の伝言だったね。よし、じゃ聞かせるよ。ごほんっ!
 ”再会の日を楽しみにしているよ坊や”。
 ―――だ、そうだ。いやぁ、遠く離れても我が子を心配しているなんて、泣かせる親心じゃないか。
 え? 我が子でも無いし、ついでに放置されたまま百年以上経ってないかって? 
 ははは、それは違うさ稟音殿。正確にはアンタが樹雷を離れてからもう、七百年以上は過ぎている。放置していた理由は―――そうさな、帰ってきてからのお楽しみだ。
 何? 帰りたく、ない? 
 それはあたしが感知するところじゃないね。頑張って自力で瀬戸殿を説得しておくれ。
 ―――さて、あんまり無駄話で時間を食っても船穂と龍皇の負担になるだけだし、そろそろ本題に入ろうか。
 実はね、ウチの子を一人、そっちへ送ったのさ。
 とりあえず鍛えられるだけ鍛えてはおいたけど、何処まで出来るかはあの子次第さね。
 会うことがあったら、先達としてちょっと気にかけてやっておくれ。
 素直に育ちすぎて、ほいほい人の言う事を聞いちゃうような子に育っちゃったからねぇ……。ま、其処があの子の可愛いところなんだけど。
 おっと、話が逸れたね。そう言う訳なんで宜しく頼むよ、凛音殿。
 そのお礼代わりといっちゃあなんだけど、あの子にはあたしが作ったアンタの機能を安定化させる修正パッチと、瀬戸殿の仕掛けたロックを解除する解除コードを持たせておいたから。
 即席で悪いけど、これさえ入れておけば肉体に負担無く最低限の能力の行使が可能になる筈さ。―――必要だったら使っておくれ。
 あ、念のため忠告しておくけどね。
 二度と今の調整不良の状態で光鷹翼を展開しようなんて考えるんじゃないよ。
 アンタはまだ完全に皇家の樹になりきれていない、人と樹の間を揺らぐ非常に不安定な状態だ。人であろうとしても、人でありきれず、樹になろうとしても、樹とはなりきれない。
 そんな状態で樹の本質に近づこうとしてごらん。アンタのただでさえ壊れかけている人間としての部分が完全に壊れちまうさね。
 早い話が―――。』


 と言うような内容。
 ネタバレの宝庫と言うか、凛音の名前までモロバレだったりします。
 あと、蟹の人の本名が唯一出ているレアな場面。自称だけどな!


 ・以上、まとめ・

 ……解説と言うか、原作に対するツッコミが八割くらいに?
 まぁ、突っ込みたくなるほど楽しんで見ていると言うのが実情です。
 原作の設定解説が凝った世界観の割りに原作者の同人誌でしか行われないってのが、多分最大の問題だと思うんだよなぁ。
 何のためのOHPなのか。
 
 毎度の如く、執筆中はウィキペディア先生の元に行脚する毎日でした。

 





 ・没ネタ・

 本編で使わなかったネタに関して。
 ようするに、プレ編二年目とか、どうなのよという話。

 まぁ、長すぎると削除されたプレ編二年目な訳ですが、イベント的にはこんな感じです。

 ・ワウアンリーと結界工房訪問
 ・マリア強襲事件
 ・と思ったら起きたら隣にフローラ様寝てた
 ・ダグマイアと図上演習で勝負
 ・卒業記念武道大会

 重要なのは、一番最後の卒業記念武道大会でしょうか。
 プロットは以下の通り。


 文字通りに、卒業生が中心となって行われる聖機人による競い合い。
 凛音は生徒会において、『たまには男性聖機師にも日の目に当ててやるべきだ』と発言し、結果として男性聖機師のみによる大会も同時開催する事を決定する。
 しかし、男性聖機師の『ランク付け』は、後の国家運営にすら支障が出る大事だろうと反対意見が飛び出し、凛音はそれを回避するための手段として、『八百長』を提案する。
 即ち、成績優秀者によるシード枠を用意し、トーナメントを管理、果ては『勝って問題が無い人間』を用意する事により、事後の軋轢を最小限に食い止めるのだと。
 そして、じゃあ誰が『優勝者役』をやるのだと言うリチアの溜め息混じりの声に、凛音は自信を持って答えるのだ。

 ―――ダグマイア君、宜しく。

 当然、ダグマイアは『私にピエロになれという気か』と激怒。
 凛音は逆に、『大物気取りたいならピエロくらい演じて見せろよ』と挑発。
 売り言葉に買い言葉で、ダグマイアは役回りを了承するが、気がおさまるはずも無く、凛音に要求を突きつける。つまり、『お前も出ろ』と。
 断ったら腑抜けと断ぜられそうな、しかし了承するのも流れ的に難しい場面で、しかし凛音はあっさりと了承してダグマイアを拍子抜けさせる。
 会議終了後、『負けが付くが良いのか』と問うてくるアウラに、凛音は肩を竦めて返すのだ。
 
 ―――偉い人らしく、代理を立てるつもりだし。

 代理として大会に参加するのは、勿論従者ワウアンリー。
 ―――の筈だったのだが、そこへユキネが物言いをつける。
 曰く、『これが貴方にお仕えする最後の機会だから、私にやらせて欲しい』と。
 渋々と了承する凛音。
 大会当日が近づき、凛音打倒に燃えるダグマイアは、遂に彼が代理を立てるつもりだと知ってしまう。
 激怒するダグマイアが起こした短絡的な行動とは、即ち機体に細工をしてユキネに怪我を負わせてしまう事。
 卒業大会を優勝し、そして男性聖機師大会でも順調に勝ち進んでいたユキネは、ダグマイアの(と言うかエメラの)仕掛けた罠に嵌り、聖衛師でも直ぐには治しきれない重傷を負う事となる。
 ワウの調べにより機体に仕掛けられていた罠の存在を知り、凛音は激怒する。
 そして、決勝戦。
 訪れない対戦相手―――ユキネに、舞台の上で一人ほくそえむダグマイアの前に、属性付加クリスタルを外した凛音が現れる。
 竜の逆鱗の恐ろしきかな、圧倒的な恐怖を味わうダグマイアは、その晩、ベッドの上に蹲り合わぬ歯を噛み鳴らす。
 震えるダグマイア。そこへ、暗い顔をしたユライトが現れ、一つの指針を与える。
 ―――即ち、原作の開始の時だ。
 

 そんな感じで、ユキネさんがめっちゃヒロインしてる話だったのですが、残念お蔵入り。
 真面目にやってたら、多分あと二ヶ月は連載してたと思います。
 
 これらのイベントは、本編のそこかしこに再配分される事になりました。




 ・感想・

 沢山のご感想ありがとう御座いました。
 此処に直接の返答は避けていますが、全て目を通させていただいています。
 
 Arcadia様の感想板のシステムは、『人に読まれている』と自覚するためにも良いシステムだと思います。気が引き締まりますし。
 ただ、たまに感想板に書き込んで居る人たちが『その感想、人に読まれるんですよ?』と言うことが解っていないんじゃないかと思える事もあるのが玉に瑕ですが。
 
 基本的に私は感想を気にし過ぎるタイプですので、まぁ、連載中は常に心のどこかでビクビクしてる部分があって、気分が重たい。
 目だった荒地もそれほど存在せずに長丁場を切り抜けきれて、本当によかったなぁと、終わった今だからこそ安堵できている状況です。

 兎も角、長い間お付き合いいただき、真に感謝感謝です。
 此処に改めて御礼申し上げます。


 ・誤字とか脱字とか・

 アップする前に確認してる筈なのに出るんですよね、誤字って本当に。
 基本的なスタンスとして、『一度形を決めて世に出してしまったものは直せないのだ』と言う風に考えていますので、アップ後の修正と言うのは行っていません。自戒の意味も込めて。
 まぁ、そういう気分で注意力を保っていれば中々間違えない筈だ―――といえば、そんな事も無く。
 今後の創作活動においても、気をつけていきたい問題ではあります。

 ―――と言っても、余程まずいと感じた時ははこっそり直してたんですが。
 何気に最終話もさっき、チョコチョコと手直しを……。
 

 ・今後について・

 詰みゲー崩しかな、まず。
 とりあえず『おとぼく2』とか辺りから。あ、七月発売のソフトも多いんですよねー。

 冗談はさて置き、今後、ねぇ。

 恐らく二次創作でこの規模のものを書くのは、後にも先にもこれで最後だと思いますので、今後何か文章を書く場合は、またこれまでの延長上でありながら、一ひねり加えたものになるのではないかと思います。

 まぁ、しばらくは完全に読む側に戻って、まったりとした時間の使い方をしてみたいです。

 いや本当に、半年以上も書き続けていると、毎日書かないと落ち着かなくなるんですよね。
 常に頭の何処かでコレの展開を考え続ける日々が続きましたから、一旦リセットするためにも、暫くはお休みと言う感じでお願いします。



 ・総括・

 えー、此処までで、本編の八話分くらいあります。
 いや、もっとかな。元々は、『50文字×100行』と言うのが一話の最低基準だったので、まぁ、それだと14話分ですか。
 尤も、中盤以降はその1.5倍以上が最低基準になっていたような気もしますから、八話くらいで正しいですね。
 ラストの方はかなりインフレしてたしなぁ。最後の二話を足すと、ぶっちゃけ平時の十話分くらい行くし。
 
 まぁ、さておき。

 長々と続いてきましたこの後書きも、コレで終幕です。
 書き足りない事が沢山有るような気もしますが、直ぐには思いつかないのでコレで締めさせていただきます。
 
 七ヶ月。
 思えばいろいろと有りましたが、兎角、完結までいけたのは皆様にお読みいただけたお陰です。

 重ね重ねになりますが、本当にありがとう御座いました。

 ―――それでは、また。

 今回は、コレにて終了とさせていただきます。


 2010年7月14日 中西矢塚







      ※ お疲れ様でした! 


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