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[14793] 【習作】根暗男とハルケギニア【転生物、ゼロの使い魔】
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2011/05/14 23:14


ちょっとしたご注意、お願い

■本ssは、作者bbの想像ないし妄想によって書かれます。

■本作は『ゼロの使い魔』の世界へ主人公が転生するという内容となります。

■設定や魔法などは、出来るだけ原作に準拠するつもりではありますが、原作との齟齬や、作者による自分設定・解釈などが現れる場合もあります。
 その点にどうかご注意ください。

■作者bbはssを投稿するのが初めての経験です。おかしな点なども少なからず出て来るかと思いますが、出来れば笑って許していただければ幸いです。

■また、作者の文章力や構成力を上げてやろうと少しでも思われた方は、ご指摘やアドバイスをいただければと思います。
 作者の力量ゆえにきちんと反映されるとは限りませんが、参考にしたいと思っています。


それでは、どうかよろしくお願いします。









[14793] 根暗男の転生
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2010/05/02 13:17
 ゲルマニア。

 メイジ。

 平民。

 ガリア。

 トリステイン。




 それらのごく普通の単語が、前世で読んだ小説『ゼロの使い魔』にあったことに思い当たったのは、2年前のことだった。
 本や創作物に自分のいるこの世界のことが書かれている、というのはちょっとした恐怖だったが、自分は自分で、『彼』は『彼』だ。もう、一度死んだ彼ではなく、自分は生まれ変わったのだ。
 書物の内容がこの世界で起こることだとは限らないし、そんなに都合よく何もかもがうまくいくとは思えなかった。未来に起こることがわかっているというなら、今の自分は何だというのだ。ここにいる自分は確かに人間で、物語の人物なんかでは、ない。


 だから、この自分、ラルフ・フォン・マテウスは、以前の『彼』とは違う人間だ。


 そう、割り切ることにした。

「けどなあ」

 事実上、同一人物であるといっていい。








根暗男の転生








 『彼』であった頃の記憶を思い出したのは、ちょっとした事故で頭を強く打ったときだった。それからというもの、考えみるほどに俺と『彼』は同一人物だ。新しい人生を歩み始めて、違った環境で育って、なのにほぼ同じような人間になりつつある。

 マイナス思考、自己嫌悪、考えすぎ、無気力、消極主義。

 『彼』の欠点を、ほぼそのまま受け継いでしまっている。まだ3歳だというのに、既にそういう人間になりかけていたのだ。そして現在、5歳にしてほぼ完全にその性質を開花させつつある。

「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。


 このハルケギニアという世界には、『貴族』と『平民』というはっきりとした身分の区別がある。そんな中で俺は貴族として生まれた。これは非常に幸運なことだっと言えるだろう。ゲルマニアというメイジ――魔法を使える人間――の比率が小さい国にあって、親は子爵とはいえ貴族であるし、武功こそほとんど無いものの非常に優秀なメイジとしての血をこの体に残してくれている。
 父は『風』のトライアングル、母は『火』のスクウェアである。
 メイジにはクラスという概念がある。四つの属性『土』『水』『火』『風』をいくつかけあわせることが出来るのか、それがメイジとしての基本的な力を見る目安になる。一つならドット、二つならライン、三つならトライアングル―――と言った具合に。加えて、この世界で信仰を集める始祖が使ったという『虚無』という伝説の系統が存在する。
 トライアングルである父はかなり上位のメイジであるということになるのだが、この先も上に行こうという気概はないらしい。マテウス家領は『物語』の中にも出てきたツェルプストー領のすぐ傍にあり、おこぼれとも言える繁栄が自領にもあるため、現状に満足しているらしい。いざというときにはやれる人間、と思いたいが、そもそも『いざというとき』が来ないように生きる人間であるためか、そんな機会は無いように見える。
 そして母は火のスクウェア。天才的な『火』の才能を持ちながらも穏やかな性質で、メイジとしての功など、文字通り皆無である。もちろん戦場に立ったこともない。喧嘩すらしたことがないんじゃないのかと思う。スクウェアのメイジだと知っているのも、学生時代の友人か家族、一部の使用人くらいだという。父はあまり母を表に出したくないらしく、メイジとしての能力についてもあまり話が広まらないように手を回しているらしい。
 血だけは優秀だ。だが性格的にも、両親の消極的な性格が自分にも受け継がれているようで、嫌になってくる。穏やかで、愛情豊かな家庭であり、そういう意味ではすばらしい。だからその幸福を噛み締めていればいい、とも思う。

「坊ちゃま、まもなく夕食の時間でございます」
「あ、はい」

 文字の書き取り練習帳を閉じ、夕食へと向かった。家族は、暖かい。暖かいのはいいんだが、どうもな……。




「最近はどうなんだ、魔法のほうは?」

夕食の席では、毎日のように魔法のことを聞かれる。やはり貴族は魔法ができてなんぼなのである。

「順調ですよ、お父さん。今日も爺やに褒められました」

 実際、魔法の習得は順調に進んでいる。今年の5歳の誕生日に杖をもらい、その後三ヶ月もたたないうちにラインになった。年齢を考えればのびしろはありすぎるほどあるだろう。少なくとも、いつかは必ずトライアングルにはなれるだろう。両親の才能を見事に受け継いだらしく、『風』にも『火』にも高い適性がある。
 算学などはほとんど習う必要もないため、午前は文字や詩歌、午後は魔法の練習が主となっている。苦労しているのは詩歌と文字の書き取りのほうで、魔法は自分の興味もあって非常に順調に進んでいる。両親や教師は天才と誉めそやすが、まあ、これは血と興味の産物だ。
 魔法使いなんて、不意の拳銃一発でおしまいである。この世界にはちゃんとした拳銃なんてないけれど。そして作れるはずもないが。しかし、銃弾を防げるシールド系の魔法は絶対覚えようと思う。

「そうかそうか、さすがだなラルフは。私たちもラルフほど早くラインになったものは知らないしな、本当にすばらしい」
「そうねえ。私も早熟だなんてよく言われたけれど、ラルフはそれ以上ですものね」

 これである。何かと言えば早熟、天才、すばらしい。なんだかもう馬鹿らしくなってしまう。素晴らしい血を継いだ肉体に、年齢に見合わない精神。これで早熟だの天才だのと言われても、気分が悪い。

「まだまだですよ。それよりも父さん、勉強のほうなんですが、読み書きはもう終わっています。そろそろ勉強も減らしてもらいたいんですが」
「そうか。まあ、ラルフなら大丈夫だろうな。勉強を減らして、何をしたいんだね?」

 実際、読み書きは普通に出来る。ただ、字があまりうまく書けないだけで。子供の体と言うのは不便なもので、どうも字が崩れていけない。が、そんなことは時間が解決してくれるだろう。詩歌のほうは才能がないとはっきり感じる。時間の無駄と言うものだ。

「はい、何か武器の扱いを覚えてみたいです」
「ほお? どうしたんだ、急に」

 まあ、強くなりたい! といった衝動も少しくらいはないではない。しかし今は何より、

「体を動かしたいんです。勉強に魔法に、動かないことばかりで退屈なんです。遊ぶよりは、剣か何かをやってみたいので」
「なるほど。私も剣なら心得があるが……」

 思わず嘘でしょ、という言葉が口をつきそうになる。

「まあ、さすがに稽古をする時間もないだろうな。軍などでは剣術が主流だが、ラルフも剣を使いたいのか?」
「それが、よくわからないので。槍や剣、いろいろありますからね。何をやればいいか、一度誰かに聞いてみたいとは思っていたのですが」
「ふむ。考えておこう。ラルフも何か思いついたら言いなさい」

 一体何がいいのか。剣、は何か面白くない気がする。槍。面白そうではある。いっそ、棒。それとも、弓。長刀。短刀。ナイフ。銃。ハルケギニアにも、武器は色々ある。それとも、いっそ格闘技なんかでもいいかもしれない。
 魔法は大きな力ではあるが、メイジだからといっても平民よりも体力や戦闘力で劣れば負ける。斬られれば血も出る。斬られないための技術は必要だろう。

「いっそ、メイジ殺しのような高い技術を持つ傭兵を雇って、全部教えてもらうなんてのもいいですね。剣から槍、銃、ナイフまで」

 さすがにメイジ殺しはたとえが悪かったのか、父が嫌そうな顔になった。

「まあ、傭兵にいろいろと習うと言うのは面白いな。ラルフは軍人になりたいのか?」
「いえ、そういうわけではないですが……。いや、そうなのかもしれませんね。まだ、よくわかりませんが」

 軍人になりたい、とでも言っておいたほうが良かろう、こういう場合は。そのほうが話が早いと言うものだ。

「そうか。まあ、私のほうでも考えておくから、少しの間我慢していなさい。軍に行くなら、武の素養はあればあるほど良いからな」

 わかりました、と簡単に答える。天才児扱いは本当にやめて欲しい。なんだか空しくなってくる。だって、実力じゃないだろう、こんなのは。血統だ、血統。





 これから、どうするべきなのか。それが毎晩の課題である。昼間は文字の練習やら魔法の練習やらがあるため、一人でじっくり考える時間は、寝る前のこの時間しかない。

 『物語』どおりの事件が起きるなどという仮定は胸糞が悪いが、『物語』のとおりの物事が起き、今も起きているというなら、この知識だってバカにしたものではない。まず、物事が知識どおりであった場合を仮定して――つまり『最悪』を仮定して――方針を考えてみる。何も起きないなら、それでいいのだから。

 確か、主人公がトリステインの虚無に召喚される。それから、盗賊やなんかと戦い、アルビオンで紛争があり、彼らが大活躍をおさめる。その後何故かガリアが悪いということになり、ガリアの王が虚無で、だが彼も何か悲しい過去があるとかいった話があり、その後今度はロマリアが悪いということになり、ロマリアの教皇も虚無で、しかも何故か主人公たちも聖地奪回戦争に加わることになり、エルフが……。

 考えてみれば実に抜けの多い知識である。せいぜい『彼』が一度通して読んだ程度のものなのだ。しかもこちとら一度死んでいる。あの気分を味わえば、手慰みに読んだ薄っぺらい小説の内容なんて吹っ飛んでしまう。だというのに、今度はこの世界で生きていかねばならない。まさにジレンマという奴だ。何が起こるか、ではなく、何を最終的な目標にするのか、から始めた方が良いだろう。
 自分が幸福に生きるためには、ぶっちゃけた話『現状維持』であることが望ましい。時代が大きく動くなんてのは、迷惑なだけの話というものだ。そしてそれは、全ての貴族、多くの平民にとっても同じことだと思う。
 例えば、現状の『剣と魔法の世界』である日、戦車や戦闘機が使われる。ここまでは一応、『物語』で語られたことだ。まずここからおかしい。こんな中世世界でそんなものが出回ってたまるか。
 もっと最悪な形を考えれば、このハルケギニアと『向こう側の世界』とが繋がる。これだと、こちらの世界の秩序はあっという間に崩れ去ってしまうだろう。向こう側の世界も同様だ。つながった先に、ある日突如として魔法という力をもった人間が現れる。―――間違いなく、ろくなことにならないと言い切れる。
 この世界も、いずれは『彼』の世界のように科学技術は発展していくだろう。その証拠に、こちらでも銃は開発されている――何十年、何百年かかるかわからないが、この世界も、じっくりと発展してゆけばいい。

 なんにせよ、聖地奪回戦争なんてものはそもそも起きないことがもっとも望ましい。ロマリアやトリステインの『場違いな工芸品』だったか、科学兵器も全て無い方がいい。レコン・キスタなんてのは問題外もいいところだ。ハルケギニア中が巻き込まれてのエルフとのもめごとなんてのも御免だし、住むところがなくなるのも御免だ。要するに、あんな物語は綺麗さっぱりすべて御免だ。
 王権は確かに国家に光を照らし、その光に照らされて貴族は誇りと武力でもって領民を守り、領民は健やかに―――、これが一番いい。それでこそ平穏な一生が送れるというもの。
 しかし、これはゲルマニアの小貴族の子女ごときがどうこう出来る内容ではない。それなら、俺はいったい何をどうすればいいというのだ?
 わからないならば、とにかく自分の身を守ることだ。そのために必要なものは? 一言で言えば、力だ。戦力でも、魔法の力でも、財力でもいい。何らかの力を手に入れておくべきだ。自分の身と現在地を守り抜ける程度の力。


 例えば、戦力なら。

 よくある話だが、『あちらの世界』の武器を再現。――没。
 自分がアイデアを出し、職人やメイジを雇って10年くらい研究開発すれば、『あちらの世界』の拳銃に近いものくらいならきっと出来るだろう。だが、それを作ってどうなる。今度は自分がそれで狙われる番になる。そもそも時間がかかりすぎる。10年という見込みだって、かなり楽観的な推量である。人生をかける覚悟が必要だと思う。そもそもそんなものを作り出せば、この社会全体への劇薬となってしまう。混乱の種となるのは必定だし、ハルケギニア中のメイジから猛烈ににらまれることになるだろう。
 自分専用でという前提なら、一丁くらい回転式拳銃(リボルバー)のようなものがあればいいかもしれない。自分で作れればだが。銃の知識なんてほとんど無いし、多分無理だ。

 自分ひとりの個人戦力の増強。――まあ、これは必要ではある。
 自分個人に関して言えば、力はあればあるほどいい。魔法は当然のこと、武術なども修めて損はない。ただ、それで何ができるのかといえば、せいぜい戦場の華になる程度のこと。絶対に必要ではあるが、それだけでは何も出来ない。
 ただ、いざとなったら虚無やらガンダールヴやら、もしくはエルフといった連中を力で叩き伏せるくらいのことができると言うのが望ましい。難しいのだろうが、血統的には優秀なのだし、不可能だとは思わないほうがいいだろう。

 政治力。―――これは駄目だ。話にならない。
 そもそもこのゲルマニアで政治力をつけ、たとえ宰相や皇帝になったとしても問題は解決しない。何とかしなくてはならないのはトリステイン・アルビオン・ガリア・ロマリアであって、このゲルマニアではないのだ。政治力というなら、他所の国の政治力が必要なのだが……これはどう考えても不可能というものだろう。
 なにより、これが一番重要なことだが、俺はそんな立場に立つのは嫌だ。


 内政を地道に行い、『物語』の人物達と関わらず、自領にこもって何もしない。
 これは大いにありだ。一通りハルケギニア世界の混乱が治まるのを待ち、静かにすごす。仮にも貴族の家であり、嫡男でもある。基本的に何もしないでもいいはずなのだ。自領の内政に勤め、領民を守り領地の発展に尽くす。同時に財力など家の力を蓄える。金というのはいつの世にも通用する大きな力だ。エキュー金貨で取引がなされるこの世界では、インフレーションなどの危惧もそう大したものではないだろう。これが一番確実なようにも思う。よき領主として生涯を過ごせそうである。領民に慕われる領主という形なら、立場を守ることも容易だろう。平民を虐げるつもりはさらさらないが、せっかく貴族に生まれたのだ。その立場くらい守りたい。
 しかし、どうやって、という問題がある。はっきり言って俺は金を稼ぐことは下手だと思う。僅かな交易と農民からの税で成り立つ、このそう大きくもない領地で何をして金を生み出せばいいのか、さっぱりわからない。それに、こういったことには今ひとつ気が乗らない。俺は自分でこういった目標設定をするのが苦手なのだ。与えられた目標を適当にこなしていればいい、というのが一番楽で、面倒がない。




 やれやれ、どんな人生を歩めばいいのか何時まで経っても見えてこないのは、どうしたものなのか。




[14793] 夢のような日々
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2010/05/02 13:17
ここハルケギニアで生活をしていれば、『彼』だった記憶も徐々に薄れていく。人は日常に慣れるものだ。


あるときそれに気付いてから、約二年をかけて、『彼』だった頃の記憶の書き出しをある程度完成させた。
日々書き続けていたが、最近は書き足す内容も少なくなり、そろそろねた切れである。

最重要と思われる『物語』の流れ、登場する人物像。
エンジンの構造、拳銃の簡単な構造、政治体制、帳簿のつけ方、水洗便所の構造、など実用的なものから、かつて学んだあまり役に立ちそうもない遺伝子工学やら卒研の内容、好きだった歌やネタ、はては漫画やゲームのキャラ・技まで。某赤い弓兵の呪文を全部書き出せたことは我ながら驚きだった。

そんな中、特にロック・ソングを思い出せたのは良かった。なんせ該当するものがない。口ずさむだけでも結構気がまぎれるものだ。
クイーンやエアロスミスなどの洋楽なども思い出せるものは何でも書いた。


『俺の人生の半分は本に書いてある』ってか。夢を見ろ、夢を見続けろ―――ってな。妙にかっこいいサル顔のチビが ”Dream On” で歌っていた。
……もう、あのヴォーカルの名前も思い出せない。最後に見た写真はサルのミイラみたいだった。


今でも、毎日のように思う。
日々魔法やら運動やらをやっているが、ふと気付けば全部夢の中だった―――なんてことがあるんじゃないかと、恐ろしくなるのだ。












夢のような日々












7歳になった。


毎日毎日、魔法のお勉強である。自分の魔法の才能について、両親はただ喜ぶだけだったが、教師役の爺やはちょっと過剰な期待をしている。
練習中に脇で『なんせ5歳でラインとなったのだから、10歳になるころにはきっと……』といった独り言をつぶやいていた。
そりゃ教育役としては、俺が好成績を残すほどに自分に評価が返ってくるのだ。入れ込むのも当然かもしれない。

かつて父へ言った『傭兵などから武器の扱いを教えてもらう』という話も、父が爺やに相談した時点でぽしゃったらしい。彼がかつては魔法衛士として勤めた経験があることが理由である。どうしてそんな真似をされたのか最初は訝しく思ったものだが、考えてみれば当然といえば当然である。ゲルマニア人の上昇志向を舐めていたとしか言いようがない。

これに関してはいまさらどうしようもないし、改めて考えてみれば別に問題はない。槍やらなんやらと色々と使える武器を夢想したりもしたが、魔法衛士のスタイルはハルケギニア6000年の歴史の中で磨かれてきたものだ。新たに自分のスタイルを築き上げるなどという手間を考えれば、最善といえると思う。だから素直に簡単な剣の扱いを素直に習うこととした。だが、残念ながら剣のほうはあまり指導がない。


なんにせよ、爺やとしては俺をどうにかしてトライアングル、スクウェアとして成長させたいらしい。
クラスはメイジの単純な力をはかる目安である。彼としては『剣の腕を上げました』よりも『トライアングルに成長させました』のほうが周りからの受けがいいのだ。ゆえに、魔法中心の指導となる。




「うーむ……やはりまだトライアングルスペルは失敗してしまうようですな。
 もっと、もっと! 強い気持ちを込めて発動させなくてはなりません」

「わかった、やってみるよ……」

そんなわけで、今日も池に向かって発動しないトライアングルスペルを唱えさせられる。いまいちやる気が出ない。


自分としては、そこまでの魔法への思い入れはない。
もちろん魔法をうまく使いたいという欲求はあるし、将来に備えてより上のクラスを目指そうという気持ちはある。
ただ、魔法一本で磨き上げてもどうにもならない部分があるに違いない、という一種の諦めを持っているためか、いまひとつ伸びない。

自分の場合、杖を握るようになってからほどなくしてラインメイジとなった。これは本当に血筋が良かったのだと思う。
ただ、爺やが言うように、より強力な魔法を使いたいという『強い気持ち』が湧かない。ガンダールヴも確か心の震えが力となる云々といった話があったように、どうも『魔法』は、精神状態による部分が大きいらしい。対して自分は根性論は嫌いである。おかげでさっぱり成長しない。
……という風に考えているから余計ダメなのかもしれない。

使える魔法の種類は増えたし、多少とはいえ威力も上がった。詠唱も早くなった。
しかし、どうも3つの系統を足して、より強力な魔法を使いたいという気持ちが盛り上がらない。今でも魔法は使えているし、『彼』の基準で言えば相当な威力だと思う。
系統的には、もっとも相性がいいらしいのが今のところ『火』であり、これがまた気質的に合わない。焼き尽くしてやる! といった気持ちがあればいいのだろうが……無理なもんは無理、という気持ちになる。
同様に得意な『風』なら、もう少し気持ちを込められるような気もするのだが。自分の系統としては、こちらを伸ばした方が良いように思う。爺やは『火』を納めさせたいようだが……。
特に苦手な系統というわけでもないので、気質的に最も合っていそうな『水』なんかでもいい。



「……『爆炎』!」

自分なりに気持ちを入れて池に向かって杖を振るが、やはり発動しない。

「うん、ダメだねやっぱり」

「うーむ……」

個人的には、あと5,6年くらいは経って『そろそろトライアングルスペルくらい使えるようにならなくてはならない』といった焦りでも出てこなくては無理なように思う。そして、そういう風に自分で感じていることが余計に障害になっているだろう。なんせ、魔法は精神力だ。ということは、現時点でトライアングルなんかになれるはずがない。同時に、いずれなれる、とも感じているのだから、そう焦ることはないはずだ。

あの『タバサ』がスクウェアになったときの記述は覚えていないが、もしもクラスが上がることの条件として、『精神的に一皮剥ける』ことがあったとしたら、余計に無理だろう。なんせ『彼』だったころを合わせれば、両親とほとんど同年齢だ。今更、というものである。なんにせよ時間がかかる。それだけは自分で分かる。

そんなわけで、最近では新しく覚えるべきラインスペルもなく、爺やの教導は最初の内、こうして発動しないとわかりきっているトライアングルスペルを何度か唱えるのが定番となっている。無駄に疲れる。とにかく、自分で『当分は無理』と感じている以上、間違いなく当分無理なのだ。いい加減あきらめて頂きたい……といったことを言っても、この老メイジはなかなか聞いてくれない。


「……今日はここらへんにして、剣を振りたいんだけど?」

「……わかりました。それでは、広場のほうへ行きましょう……」

爺やは未練たらたらといった風である。

毎日のようにこの未練というか焦りというか、早く功績をあげたいという顔を見るのもちょっとした苦痛だ。
どうも自分には、この国の国民性が合わない。あまりやる気のない顔を見せるのも申し訳ないので、そっとため息をつくのだった。








「領内の仕事に連れて行って欲しい?」

夕食後、いつものように書斎にこもった父の部屋を訪ねた。かねてから頼んではいるのだが、了承がもらえなかった話である。

「はい。前にもお願いしましたが、ぜひ」

「駄目だ。確かに、ラインメイジという点は評価できるが、何度も言ったように幼すぎる。連れてはいけない」

はっきり一言の下に却下。


領内から父の下へあがってくる案件というのは、そのほとんどがちょっとしたもので、父が赴くことは少ない。大概のものは使いを出したり、私兵を派遣する程度で片付く問題ばかりだ。そんな中父が足を運ぶのは、そのほとんどがオーク鬼などへの対処である。メイジの少ないゲルマニアにあって、父はなんといってもトライアングルのメイジであり、やはり彼でなければならないというものはある、らしい。そして、父は自分の私兵のほかに傭兵などが見つかればそれも連れて行く。万全を期すということだ。

で、夕食の席で領内の仕事に出る、といった話が出たのを聞いたので改めて頼みに来た。

何年も見ているので、父の人となりや性格はわかる。一言で言えば、自分と似ている。領地にこもってろくに上を目指そうという気がないのも、自分が何も思い出さなかったらきっとそうしただろうという行動で、よく理解できる。
そして、駄目と言ったら駄目。行動指針というものは決まっていて、それに沿わないものは排除してしまう。
前はそこでまともに頼んだことで失敗した。ある程度自分の思うようにいく『パターン』にはまっていないとならないのだ。だから不確定要素が前線の一部に入るなど断固却下する。

「前は参加したいというようなことを言いましたが、今回は本当に連れて行って欲しいだけです。
 安全と判断されるまで離れた場所で見ているだけにしようと思います。ちょっと、父さんの仕事というものを知っておきたいだけですので」

そして、指針に沿わないともなんとも判断しづらい場合には、そのとき次第。
これで駄目なら、もー自分からは何と言っても駄目だろう。どういう条件なら連れて行ってくれるか聞くしかない。
……ほとんどついて行く意味がないような条件がつくだろうが。

ちらりと表情を伺うと、


ちち は まよって いる!

ううむ、などと呟いて机の上を視線が漂っている。

連れて行っても構わない、と思っている。しかし不測の事態というものはいつだって起こりうる。だから迷う、といったところか。
何かもう一押し欲しいところだ。もう少し迷うようならやっぱり却下。同じことを繰り返せばそのうち了解が取れるだろうが、今何かもう一言あれば押し切れそうだ。

「爺やについてきてもらって隣にいてもらうとか、そういったことでもいけませんか?」

「……うむ、いいだろう。……アルベールの傍を離れないことだぞ。それから私が十分と判断できる位置まで離れていること。
 この二つ、必ず守りなさい」

「分かりました。必ず」

最後の一押しが効いたようだ。ようやく、戦いの場というものの雰囲気を知ることが出来るらしい。

「今回の仕事は、オーク鬼の退治だ。どこからか迷い込んだらしい。報告では、2匹だけだ。
 森の中にいるようだが、わりあい人里近の近くをしばしばうろついているらしく、一日に一度は必ず見かけるらしい。
 2匹一緒に村へ下りてこようとしたところを、そこにいた者達で一度は追い払ったそうだが、毎日のように現れるそうだ。
 本気で村を襲いにきたら自分達だけでは対処できないかも知れないということで要請があった」

自力で追い払ったとは、なかなか大したものだ。

「明日にでも向かうつもりだったが……万全を期して2日後に向かう。おまえのいる場所は、その場で指示する。
 絶対に安全ということはないのだから、気を抜いてはいけない」

かなりしつこい諸注意を受けた後、開放された。明日向かうつもりが明後日、ということは雇える傭兵がいれば雇うということか?


……村の皆さん、ごめんなさい。願わくば明日の内に何も起こりませんように。








ファルツ村。

フォン・マテウス領内にある4つの村のうちの一つ。広々とした田園風景が広がっている。
幸いにして空いた一日にオーク鬼の襲撃はなかったようで、村では好意的に迎えられた。自分が与えた影響は1日の遅れと、見張りの何人かの村民が睡眠時間をつぶしたことだけで済んだようだ。良かった。

そして村はずれの畑に隣接する森の前には、朝から物々しい連中が構えている。

父の手勢15名、加えて傭兵5名。父、自分、アルベール爺や。メイジは父、自分、爺や、そして兵士の内2名と傭兵の内の2名で合計7名、だが自分とアルベールは加わらないため、戦力となるメイジは5名。
兵士や傭兵達は結構な武装をしている。全員が鎧に剣を腰に刺し、銃を携えている。

父が兵士と傭兵たちを率いているところからは下がった位置で、村の若者が数名、これまた銃を携え待機。
彼らは味方を撃つ危険があるため、自分達か村が襲われないかぎり撃つなと命令されている。恐らく彼らが、オーク鬼を一度追い払ったのだろう。
その更に後ろに俺と爺やという位置取りで、これは少々過剰戦力の上過保護に過ぎるのではないかとも思うが、実際のところどうなのか。

「ねえ、爺や。これくらいの人数を使うのは、普通のこと? 少なめ? 多め?」

「やや多めですな。ただ、それはオークどもが報告どおりの数であった場合です。
 それに2匹同時に討ち取らない限り、少なくとももう一匹いるのが見つかるまで森を探してまわって狩らねばなりません。
 ですので、妥当なところではないでしょうか」

「なるほど……」

山狩りのようなことをするかもしれないとなると、ちょっとした人数は必要だろう。


しかし、ここに来て一番驚いたのは、普段とはまったく動きが違う自分の父親の姿だった。
やるときはやる……んじゃないか、多分そうだと思いたい……くらいにしか考えていなかったが、ここに来てきびきびと立ち回って指示を出していた姿は、いつものやわらかい笑みを浮かべる父親ではなく、イメージの中の『軍人』の顔だ。軍に従事したことなどほとんどないらしいが、責任を持ってことに当たるとなるとこうも変わるものか。

いや、感心した。そして、自分と似ていると思った父がこうも頼もしいと、何か嬉しい。

「なんか、かっこいいな、父さん」

「アヒム様も、軍功などこそございませんが、優秀なメイジでございますからな。知っているものは知っているのですよ。
 家名も、二つ名も世に知られてはおりません。が、私ども家人や兵はみな、ともに戦う旦那様を尊敬しております」

ほお。そこまで言われるとは。なんとも誇らしいものだ。
そんな気持ちが顔に出たのか、爺やは俺の顔を見て少しばかり笑った。



太陽が高くなり昼が近くなった頃、動きがあった。

前方の兵士達が急に構えを取ったと思ったら、少ししてがさがさがさ、という音が森から近づいてくるのが分かる。
しばらく近づく音が聞こえていたが、そのうち姿が見える。

うん。ブタ亜人、まんま絵で見たとおりのオーク鬼だ。一匹しかいない。全身が見えた―――

「てェッ!」

ダダダアアアアン!!!

10発の弾丸が打ち込まれた。ううるっせえぇ! 
見るとオーク鬼が体中から血を噴き出している。うわあ。オーバーキルじゃないのか。

いや、倒れない?

と思ったときには、その体は縦に真っ二つになっていた。

はぁ!? ―――ああ、風の呪文。

「あー……エア・カッターか……」

一度銃で足を止めたところへ、かわされやすい、外れやすい縦の風の刃を叩き込んだわけだ。なるほど、合理的だ。
しかし、あの距離から縦に両断するとは。《風切り》という二つ名にはどこか優しいイメージがあったが、思った以上に凶悪。
二つ名からしてエア・カッター系を得意とするのだろうとは思っていたが、なかなかどうして、予想以上だ。

「あれが旦那様の実力というものでございますよ」

爺や鼻高々。
いや、うん。でもほんとすごいぞ。

メイジらしい傭兵が死体を確認している。この場で焼いてしまうつもりなのだろう。杖の先に『発火』の魔法が灯り、振り上げられたとき、森の奥からガサガサという音が再び聞こえた。

もう一匹か。駆けて来るらしい。野生生物ってほんと行動原理が分からん。あれだけの銃声を聞いたら普通隠れそうなものだが。
姿が見えた。猛烈な勢いで駆けて来る。

傭兵が振り向き、飛び退きながら『発火』を放ち、そのまま地に伏す。
火炎放射のような『発火』の火の散弾に、駆けて来たオーク鬼のスピードが緩み、そこへ再び銃の十字砲火。
全体の半数が発射、残りの半数が次の射撃に備えている。

あまり中っていないっぽい―――。

『ぶぎぃい!』

オーク鬼が棍棒らしきものを地面に伏せている傭兵へ振り上げる。と、

どかん、とオーク鬼が吹っ飛んだ。傭兵も吹っ飛ばないながらごろごろ転げる。

『ウィンド・ブレイク』―――。父の風の魔法だ。
オークが吹っ飛んだ先へ、追撃にもう一人の傭兵メイジから『ジャベリン』の氷の槍が飛ぶ。命中。四肢のどれからしきものが吹き飛んだ。

「頭を上げるな!」

誰かの叫び声、転がった傭兵が地面へ頭を下げる。

ダダダアアアアン!!!

再び集中砲火。耳が痛ぇ―――。 
オーク鬼はまだ生きているようだが、立ち上がれそうにはない。今度の銃撃はほとんどまともに食らったのだろう。


……お見事。

いや、うちの親父殿はいい仕事をする。あそこで『ウィンド・ブレイク』の突風で敵を吹き飛ばすというのは、パニクっていたら放てない。
自分だったら絶対無理。派手さはなかったが、戦闘者として優れている証のようなものだろう。正直見直した。尊敬する。

副官らしき人間に指示を出して、父がこちらへ歩いて来る。後ろでは兵達が3つに別れ、2組が森へと入っていく。

「お疲れ様です、お父さん」
「お疲れ様です、旦那様」

「うん、ご苦労、アルベール。ラルフ、どうだったね?」

「なんというか……ええと、尊敬しなおしました?」

見直しましたじゃさすがにまずい。

「どうして疑問系なんだね……。まあ、いい。これからどうする? 我々は夕方まで森を探索する予定だが」

「えー、ひとつお願いがあるのですが……」

「なんだ?」

「オーク鬼の死体を見ることは出来ますか?」

「ほう……いいだろう。ついてきなさい」

たいへん教育にはよろしくなさそうなのだが、あっさり了承されてしまった。
てくてくと父について歩く。

「戦う場の空気というものを知りたいということだったが、どうだね、知りたかったものは知ることが出来たか?」

「できれば、これからも今日のように見続けたいと思いました」

「構わないが、これからも私の指示に絶対に従うことが条件だ。連れてはいけない場合もある。
 そのあたりをきちんと守れるなら、これからも連れてくることはできる。……どうだ?」

「はい、必ず守ると誓います。始祖と杖にかけて」

……うえ。でかいな、オーク鬼……。離れていてあまり意識しなかったが、本当にでかい。質量的に自分の10倍くらいありそうだ。
エア・カッターの切れ味がすごい。居合いか何かで斬った切り口のような切り口。内臓がこぼれまくっている。
だが、別に気持ち悪いとは思わない。『彼』だったときの経験が生きたな。ヌードマウスとか。ウサギやなんかを解剖することも多かったし……。

「ここで焼いてしまうのですか?」

「そうだ」

「僕がやっても?」

実はこれが最大の目的だったりする。池にフレイム・ボールをブチかましても、さっぱり威力が分からん。
自分が一体どれくらいの力を持っているのか、はかっておきたい。

「……構わん」



ふう。レイピアを抜き、構える。よし。

「ウル・カーノ……」

まずは『発火』。杖の先から炎の散弾をオーク鬼の死骸へ吹き付ける。

ジュウウウウ。
肉が焼けるにおい、黒い煙が上がる。強烈なにおいだ。近寄りすぎたか、熱い。体中ににおいが染み付きそうだ。
炎の中の死体が、爆ぜながら動き出す。……『彼』もこうして焼かれたのだろうか?
『彼』の体も、こんな風に爆ぜ、収縮して動いたのだろうか? こんなにおいで燃えたのだろうか?

……二度の『発火』で死体はほとんど骨も残さず焼ききれた。

白くなった骨が燃えカスに混じって見える。『彼』の父や母は、火葬場で骨を拾ったのだろうか。
誰か、『彼』の死に涙した人はいたのだろうか。きっと少しは居てくれただろうな。

考えていたらボーッとしていた。
今更詮方ない。二度目の生を与えられた幸運に感謝しよう。

もう一体は離れた位置からラインスペルの『フレイム・ボール』で焼き尽くした。文字通り骨も残らない。


黒い煙が空に散っていくのをひとしきり眺めた後、すぐに『父』に挨拶をして『爺や』と馬車で帰途に着いた。






[14793] 夢のような日々2
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2010/05/02 13:17
彼は悩んでいた。
悩みとは、今年10歳になる彼の息子のことである。


年齢不相応な落ち着きを見せる息子は、変わり者といわれる我が家にあっても本当に変わっている。

10歳にも満たない歳でラインメイジである息子の才能には、手放しで喜んでいる。
軍人の真似事を始めて、剣も修めるようになった。それはいい。
ここ数年は自分の仕事についてくるようになり、最近ではちょっとした手伝いもさせている。
習った剣と魔法をきちんと使いこなして見せており、まだまだ荒削りとしか言いようがないが、まあ、中々のものだと思っている。
それもいい。

だが、最近屋敷の使用人から、息子の奇行が報告されるようになった。
誰も居ないところで、わけの分からないことを叫んだり、奇怪なことをしているというのである。
最初は『何をバカな』と笑っていたが、たびたび報告されるようになってはさすがに笑っていられず、自ら調べることにした。

風メイジである彼にとっては、息子が部屋に居るときの音を聞き取ることは、その気になれば比較的たやすい。
息子の部屋の近くで耳を澄ますと、確かに息子の部屋から、何やら何かを叩くような音と叫び声のようなものが聞こえる。
更に耳を澄ませば、どうも頭を振り乱して体を動かしながら机か何かを叩き、何やら叫んでいるようだ。

思わず青ざめた彼は、すぐに妻に相談した。このとき彼の頭にあったのは『狂った』という言葉である。
穏やかな妻は彼を諭し、もう少し様子を見るように言った。
落ち着いて考えてみれば、今まで奇行が報告されていた間も、自分達の前では息子は普段と変わらなかった。
彼はもう少し、息子の奇行を観察してみることにした。


数日にわたり息子の部屋の音を聞いた結果彼にわかったのは、息子の奇行の正体は『歌』だということだった。
息子の『歌』の種類は実にさまざまで、思わず気でも狂ったのかと疑うような激しいものから、彼でもどこかほろりと来るような切ないメロディのもの、町の酒場で歌われていそうな陽気で明るいものまで幅広く、そして、その全てが彼の知らないメロディだった。
詞はないらしく、わけの分からないことばとなっている。そういえば、息子は詩歌が苦手だったな、と思い出す。

……ひょっとして、作曲の才能でもあって、それをもてあましているのか。
しかし、息子は魔法や剣を真剣に学んでいるようである。そこで自分が口を出してよいものなのか。


迷ったが、まったく何もしないわけにもいかない。こういう時のために便利な、音を消す魔法があるではないか。
彼は相変わらず歌い続ける息子の部屋のドアをノックし、ピタリと静かになった部屋に向かって言った。

「歌うなら『サイレント』をかけろ」













夢のような日々2














―――どうして俺は『サイレント』をかけるという単純なことさえ今までしてこなかったんだろうか?
本気で死にたくなった。どうしてあのとき俺は ”犬の生活” を歌っていたんだろう。よりによって ”犬の生活” 。死んだほうがいいかもしれない。
いくら声変わりしてないからって ”犬の生活” 。せめて ”そこに、あなたが……” とかに出来なかったのか。なんだってワンワンワンとか言ってたんだろう。

父が単純に通りがかかっただけならいい。だが、恐らくそうではない。
きっと誰か使用人から俺が変な歌を歌っているとか、奇声を上げているとかの報告があって、その上でやってきたのだ。痛い。痛すぎる。死にたい。
まさか二度目の人生でも思春期の少年のような思いをするとは。ああもういっそ消えてなくなりたい。
もしかしたら、誰かに見られていたこともあるのかもしれない。もしそうだったら、本当に生きていけない気がする。


……忘れよう。忘れていないと死にたくなる。何かほかの事を考えるんだ。

何か他の事。

『これからどうしよう?』
例えば、最高に重要なそれ。考え始めて、もう何年も経った。だのに、いまだに答えが見つからないそれ。

他にも、例えば、自分の記憶。自分は『彼』の続きなのか? 『彼』の記憶を受け継いだだけのラルフなのか? わからない。

この世界は本当に本物なのか? 俺は本当に生きているのか? 俺が出会った人々は誰なのか?


既に死んだはずの男の記憶のおかげで、自分の生に実感が足りない。本当の意味では、誰とも出会った気がしない。
そこらで話している人だって、実はRPGで話しかけたら一定の返事をするように、決まりきった動作をしているだけなんじゃないのか?
そう、この世界全体が。すべてそんなごまかしで出来ているんじゃないのか?

……ふと気付くと、そんなことを考えてしまうことが増えた。余計死にたくなった。やめよう。


ああ、またヘドバン熱唱の報告のことを思い出してしまった。屋敷の人間にも会いたくない……。
明日はもう、教練やなんかは全力でサボって領内に出かけよう。心からそう誓って、布団をかぶることにした。
……布団の中でも、恥ずかしさで何度も身をよじった。







朝食の席での両親の目がなんだか生暖かかったような気がして、早々に屋敷を出た。
剣こそ持たないが、平民ルックである。最近は、両親の許可を得てこういう格好もするようになった。
領主の息子が一人でふらつくわけにも行かないし、子供の身で剣なんぞ持っていると注目される。というか剣杖なんかは論外だ。
子供らしくちょっとしたナイフと、一応予備のワンド? や杖は懐に持っている。お忍びと言う奴である。
ツェルプストー領の町からやって来た、マテウス家出入り商人の息子と言う設定で城下では通している。

両親や爺やは護衛をつれないことに反対したが、あまりに自分がしつこいので諦めた。
おかげで町に駐留する私兵の数が増え、以前よりも治安が良くなってきているらしい。領民の反応は上々である。
このことを父に言ったら、なんとも言いがたい苦笑を浮かべていた。


「おや、アルフ坊、また来たのか」

「うん、今日は夕方までに戻ればいいってさ。紅茶おねがい」

ここでの名前はアルフレッドだ。適当に考えたのだが、愛称で呼ばれるようになってからは本名と似ているおかげで実に楽になった。
『赤馬亭』。最近は月に二三度は訪れるようになり、店主のおっさんにも顔を覚えられている。

「ほいよ」

奥に引っ込んでいくおっさんの背中を見ながら、カウンターへ座り、本を開く。
『飛行魔法と他の魔法の併用について』。まあ、ぶっちゃけ魔道書だ。

このゲルマニアでは、金で領地を得ることが出来る。
要するに平民が貴族となれるわけだが、そうなると現金なもので、もとは平民だった貴族が、魔法の力を欲するようになる。
魔法の力とは『ブランド』なのだ。貴族の血が流れていると言う証であり、高貴でなかった家柄を高貴に見せる飾りと言うわけだ。
そういうわけで、メイジの血を入れる平民出身の貴族は多い。同様に、商売がうまく行っている商人たちにも同じ傾向がある。
妻にメイジを迎えたり、子供にメイジをあてがったり、まあ、色々ではあるが、ゲルマニアでは、平民のメイジと言うのは他国と比べ非常に多い。

「どうだい、魔法の勉強はうまくいってるかい」

そんなわけで、商人の息子がメイジでも別におかしくはないわけだ。ごく普通にこういった話がおっさんとの間に成立する。
ことん、とカップが置かれた。

「あんまり進まない。難しいね」

紅茶をすする。ずずずっとな。下品かもしれないけど、熱いのが好きなんだよ。

最近取り組んでいるのは飛行魔法『フライ』と他魔法の併用。はっきり言って難しい。
『フライ』で飛ぶのはいい。どこのドットメイジでも大抵は使えるのだ。だが、精密に、高速で、となると話が違う。その時点で恐ろしく難しい。
それと同時に他の魔法へ精神をさけと言われたら、もうそこでどうしたらいいのか分からん。
魔法少女のごとく思考を分割したり出来ればいいんだろうが、はっきり言ってそんなことは人間には不可能と言うものだ。俺の頭は一つだ。
しかし、目の前の魔道書には同時に二つを制御しろと書いてある。

どーしろと。


だが、普通はこれが出来たら天才、鬼才。一国に一人いるかどうかだ。
自分も魔法に勉強に『天才』などと家で言われているが、両親の優れた血を受け継いだことと、『彼』の記憶を取り戻してからは普通の子供とは頭と精神がまったく別物になっていることが理由であって、こういった本物のセンスが必要なものはやっぱり普通に難しい。
しかし、三次元的に回避し、敵は二次元的にしか回避できないこのスタイルは、放たれる魔法がどれほどしょぼくても、対メイジ戦において無敵に近い。
避けながら攻撃を放ち続ければ、そのうち勝てる。範囲魔法や竜騎士にはなすすべもない気がするが……。そのあたりは別のやり方を考えればいいことだ。

……だが、そもそもこんな、ただ自分を鍛え続けるだけでいいのか。


「ほんとにうまくいってねぇみたいだなあ」

頭を抱え込んでいるのをみて、おっさんが笑う。
ほんとだよ。父親には熱唱してるところに突っ込まれるし、多分の屋敷のメイドたちなんかにも聞かれてる。
もういいや、と言う気分になって本を閉じた。

「なにか面白い話はない? この辺、最近は何かあった?」

「そーだなー……。こないだは西のほうの店で傭兵団の強盗が出たけど、兵隊さんたちが来てくれたおかげで何も取られずに済んだって話だし。
 最近はあまり大したことはねぇな。何もないにこしたこたねえんだけどよ」

ここでもひょうたんから駒効果か。町の治安は確実に向上しているらしい。

「領主様が兵隊さんを置いてくだすってるからな。最近はほんとにありがたいよ。みんな言ってる」

「そっか。変わり者の領主様だってうわさだけど、そういうところはしっかりしてるんだね」

適当に相槌を打っておく。

「おうよ。最近は兵士の雇い入れも増えたし、傭兵たちも来て、酒場や宿屋も景気がいいしな。
 よそじゃ変わり者なんて言われてるかも知れねえけど、俺達にとっちゃありがてえ領主様よ」

資金的には我が家はそれなりに余裕がある。貴族の中では比較的質素なほうだし、何よりヴィンドボナで勢力争いをする連中とは完全に一線を引いている。
宮廷での政治資金なんてものが必要ない分、少しずつ領民達からの税が貯まっていく。
だからこれだけの兵士の配置が可能なのだ。領地は安全を保障され、領民は潤い、それだけ領主も潤う。正のスパイラル。
父もそのうち気付くだろう。そのうち街角の1ブロックごとに兵士が立つ日が来るかもしれない。


「そうだ。まあ、事件ってわけじゃないが、ちょっと変わったことがあったわ」

「へえ?」

「なんかな、この町に最近、ユニコーンが出るんだわ。っつーか、『いる』のかも知れん」

なんだ、それは。

「しょっちゅう現れるんだと。なんか気がついたらごく普通に通りをカポカポ歩いているらしい。で、捕まえようとしてもスルッと逃げちまうんだ。
 聞いた話をまとめてみると、ここんとこほとんど毎日だぜ」

「暴れたりしないの?」

「それがぜんぜん。気がついたら歩いてるし、スルッと逃げて姿をくらますっていうし、よくわからないよな。
 傭兵が捕まえようとしても、駄目だったんだと」

「ふうん……」

『聖獣』なんて言うが、ユニコーン自体は、それほど高級な幻獣と言うほどでもないだろう。
そも、野生のユニコーンなんて聞いたことがない。いるのかもしれないが、普通見かけるのは、生まれたときから人間の下で調教を受けているものばかりだ。
純潔の化身、穢れなき乙女しかその背に乗せぬ、なんていうが、王族が飼っていたりする時点で、もはや穢れきっている気がする。

「裸馬?」

「らしいぜ」

野生、と言う可能性もあるのか。
・・・捕まえてみたい。というより、見てみたい。乗ってみたい。触ってみたい。角って、多分生まれたときは生えてないんだよな?
背中に乗れるだろうか。魂は別として、一応この体は穢れなき身ではある。数年伸ばしている髪も、背中に届くくらいの長さになっている。
赤紫の髪の色とあいまって、一見女の子に見えなくもない……と思う。


後ろで縛っている髪をポニーテイルにしてみた。ついで、なるべく無垢な表情とやらをしてみる。
両手を前で組み、小首を傾げ、

「ねえ店長、俺って無垢な乙女に見える?」

「微妙だなぁ。見た感じは一見そう見えなくもないが……雰囲気がな、なんか違う。計算が入ってるぜ。それに、目つきが悪すぎる」

笑うな、おっさん。くそ、何がいけないって言うんだ?

「大体、どこにいるかもわからねえのに、乙女の振りをするも何もねえだろ。
 やめとけ、もしうまく騙せたら、今度は後が怖いじゃねえか。騙されたと気付いたらユニコーンも頭に来るだろうぜ。
 騙した相手が無垢じゃないどころか、男だったなんて。俺がユニコーンだったら怒り狂うね」

まあなあ。そりゃ俺でも頭に来るだろう。もし見つけたら、正攻法でいくしかない。そもそも出会う可能性が低いが。

「それもそうだね。それじゃ、ご馳走様」




「おお? どうしたアルフ坊主、町娘かおかみさんみたいな頭して。変な趣味でも目覚めたか」

魔道具店にはいった途端に笑われた。ポニーテイルのせいだ。

「いや、さっきふざけて結ったんだけど、案外快適で」

女みたいな長髪に憧れて伸ばしているのはいいのだが、結構うっとおしかったり邪魔になったり、頭を洗うのが大変だったりと色々と面倒なのだ。
ポニーテイルはなんというか、首筋がすっきりして、いい。なんかこう、襟が気持ちいい。
こういうところで笑われるのは平気なんだがな。歌はな……。

「この前注文した杖、そろそろ出来てるよね? 受け取ろうかと思って」

「おう。出来てるぜ、待ってな」

親父さんが奥から取ってきたのは、特注の杖。
木製、形は円柱、長さは2メイル15サント。要するに『棍』だ。磨き上げ、黒く染められている。

剣杖も大体使い慣れたし、それそろ新しいアイテムが欲しいと考えた結果だ。
間合いの長い、かつ武器になる杖、というのを追求し、この形になった。『ブレイド』を纏わせたとき、同じ魔法でも圧倒的有利を得られる。
丈夫さ・威力を考えて鉄棍にしようと思ったのだが、重さ・使い勝手で店の親父さんからとめられ、木製となっている。
なんでも重すぎて振り回されるし、鉄棒でまともにものを叩くと手がしびれるらしい。それでも、木の密度か結構な重さがある。
斬られてしまってはいけないので、どこかの土のスクウェアによって硬化やら固定化やらといった強化が施されている。これに結構な金と時間がかかった。

これに限らず、これまでにもいくつかの杖を試作したり注文したりした。おかげで部屋には杖のストックがざっと10以上はある。
まともに使える、使っているのはそのうち3つくらいだが。

「注文どおり、剣を受けても斬れないぜ。ブレイドはどうか分からんが、少なくとも俺のブレイドじゃ斬れなかった。
 どうだ、鉄にしなくてよかったろうが。結構重いだろ?」

「ん、そうだね。ありがとう。注文どおりだ」

「ほんと、ブレイドを槍にするってのはおもしれえもんを考えたもんだな、坊主。傭兵なんかにゃ流行るかも知れんぜ」

「いやいや、はやらせないでよ。特注した意味がなくなる。俺が買ったより安くなるじゃないか」

はやっちゃあ困るんだよ。こういうのは、あくまで自分だけのものだから有利になるのだ。
実際に見せて真似られるまでは、真似られたくない。『自分だけの技術』というのがあればいいのだが、それも未だないし。


「そういや、ギイのおっさんが言ってたけど、なんか最近ここらでユニコーンが出るんだって?」

「ああ、聞いたか。そうなんだよ、うちに来る傭兵の連中も何度か捕まえようとしたらしいんだが、スイーッと逃げちまうらしくてなあ。
 馬なんかとはスピードが違うし、とても逃げられたら追いつけねえし。そもそも美しい乙女じゃなきゃ乗せないなんていうしな。
 あいつらじゃあ駄目に決まってら」

「まあねー」

魔道具店に出入りするのは、うちで雇っているメイジの兵士か、傭兵連中くらいだ。いかつい顔を思い出すと笑ってしまう。

「俺じゃ駄目かな?」

さっきと同じポーズをとってみる。両手を胸で組んで、小首を傾げて。

「駄目だな」

即答かよ。何が駄目なんだ。

「なんかなぁ、女の子にも見えるんだが、冷徹そうだぜ。とっても乙女って感じじゃないな」

「そーですかい。んじゃーまた。杖、ありがとう」

「おーよ」

いつまで笑ってんだ、畜生。




「~ ~ ~♪」

なるべく小さな声で、周りには聞こえないように。新しい杖で地面を叩きながら歌う。
タッタラッタ タッタラッタラッタ。
天気はいいけど、『雨に唄えば』。

町外れの厩舎の近く、大きな木のそばまで歩いてきたが、ユニコーンは見つからなかった。まあ、そんなもんだろう。
大体、こういう『運が良ければ見つかる』みたいなので運が良かったことがない。

唄うだけ歌ったし。―――何?

背中を引っ張られて、振り向いたら上着の裾をくわえたユニコーンが。

「んなっ!!」

って、大声を出したら逃げてしまった。タカラッタカラッと、足音は軽いのにすごいスピードだ。あれは逃げられたら捕まえられないだろう。
離れたところからこちらを伺っている。逃げないのか?

トコトコと再び歩み寄ってきた。・・・うん、やっぱり綺麗な生き物だね。純白の馬体が高貴な印象。角は普通に硬そうだ。
近くで見ると角のねじれの隙間がちょっと汚れている。

「なによ?」

くいくいと裾を引かれる。これはひょっとしてあれか、歌を歌ってほしいのか。

「I'm si――ngin' in the rain――」

一小節唄ってみる。くいくい。『もっと』か。結構分かりやすい。うろおぼえなんだがな、この歌。

「~ ~ ~♪」

覚えていないところは適当に補う。歌いながら横目に様子を伺ってみる―――うん。それなりに満足しているようだ。
これなら、ちょっとぐらい触ってもよかろう。鼻面をなでてやる。別に嫌じゃなさそうだ。

「Da――ncin' in the rain――」

ちょっとタップダンス気味に横に回る。横腹をなでる。肌触りがいいね。さすが聖獣さま。
杖でリズムを取りながら『レビテーション』。
―――乗れた!

「――I'm dancin' ――and singin' in the rain――」

タップダンスのリズムでとんとんと馬体を指で軽く叩く。タッタラッタ タッタラッタラッタ。
一応歌はもう終わりだ。
背中にまたがるというよりは寝そべる感じになっている。
いきなり体を起こすと蹴落とされかねない。―――って振り向いた。やばい?


がぶー。がじがじ。

「い  た  た た  た 痛い痛い!」

噛まれました。下りる、下りるから勘弁して。肩、マジで痛いから!
ずりずりと下馬。

……あれ。目が怒りに燃えてますよ、ユニコーンさん。そんなにおこらないでも。
やっぱあれですか、男だからですか。それとも魂的に穢れてるからですか。
全速で『エア・シールド』を唱えてユニコーンさんと自分の間に風の障壁を作る。出来心で突き殺されたりしたら洒落にならん。

……フンッ、という感じでユニコーンは俺の脇を歩いていく。よかった、とりあえずあれで勘弁してもらえたらしい。
ほっと一息ついた瞬間、横腹にドゴン、という衝撃。風の障壁を一蹴りで破られた。呼吸が止まる。遠くなる意識の中、ユニコーンの目を見てなんとなくわかった。
―――ああ、これでやっと手打ちなんだ、と―――。






次に意識が戻ったときには、屋敷の部屋だった。気を失っているところを、町の巡回をしていた兵が見つけてくれたらしい。
『ユニコーンにまたがって蹴り飛ばされた』という説明には皆から呆れられることになった。
水のメイジが呼ばれたが、それでも内臓にダメージが残っていて、ちょっと動くだけで猛烈に痛む腹に三日間苦しんだ。

余談だが、この後何日か必死に研究を重ね、『サイレント』を応用した『部屋の音を外に漏らさない』魔法、『防音結界』とでも言うべき魔法の開発に成功した。


恥ずかしさというのは、結構人を必死にさせるものだ。





[14793] 夢のほころび
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2010/05/02 13:17
父の影響もあってか、風のメイジとしてやっていくことを内心決めた。

『火』の系統も『風』と同様に得意だが、『火』の魔法の本領とされる『破壊』や『焼き尽くす』といったイメージが、自分には合わないのだ。
こういう消極的な選択が自分らしいなと苦笑する。だが、今後を考えれば間違った選択ではないだろう。


『自分は風のメイジだ』という自覚を持って魔法の練習を始めると、しばらくしてどうも風のメイジらしく音に敏感になってきたのが自覚できた。

そして、夜、ベッドに入って静かな屋敷の物音に耳を澄ますのがちょっとした楽しみになった。
ふくろうの鳴き声、狼の遠吠えといった夜の物音が、耳を澄ますと以前よりはっきりと聞こえるのだ。
『彼』だった頃も今も、夜の葉擦れの音は、自分が一番好きな音。夜の森の葉の色は、自分が一番好きな色だ。
夜という時間には不思議な魅力がある。


が、問題もあった。数日に一度、両親がお盛んなのが聞こえて来るのだ。主に母の声が。最初の内は狼の遠吠えだなどと思っていたのだが、耳が良くなるにしたがってその出所がはっきりした。夫婦の寝室。ヒステリーでも、喧嘩でもない。……嬌声。
母はどうも大きな声が出てしまう人らしい。意外な一面だったが、どう対処したものか困る。最初から意識していなければいいのだが、一度聞こえてしまうと無視するのが難しいのだ。聞くまいと思うほどに意識がそちらへ向く。

世の風メイジの子供達はいったいどうしているのだろうか。疑問に思わざるを得ない。


そして、時にはあろうことか寝室以外からも嬌声が聞こえて来ることがあるのだ。屋敷の使用人たちである。
ふざけるなといいたいが、彼らだって人間だ。大人の度量で許してあげたい。


が、自分だって最近肉体的な成長が著しい。意味もなく高ぶってしまうことがあるのだ。あったなこんなこと……といった感じではあるが、正直困る。












夢のほころび












朝食後。

「ゆうべは おたのしみ でしたね」

言ってやった。言ってしまった。昨夜寝つきが悪くて寝覚めが悪く、イライラしていたのだ。

「な……」

父絶句。ふふん、俺の睡眠時間を削ってくれた礼だ。もういっぺん言ってやる。

「ゆうべは おたのしみ でしたね」

「あー、うん、その、すまない……」

どこでそんな言葉を、などとぶつぶつ呟いているが、知ったこっちゃないね。

「あーその、だな。ラルフ……」

「なんですか?」

言い過ぎたかしら。さすがにちょっと下世話過ぎたか。

「ちょっと話がある。ミンナ! ラルフに話がある、君も一緒に」

……しまった、やりすぎたか。性教育でもされちゃうのか?




「んな……」

半年後に弟か妹が出来る、だとお。お盛んなのは知っていたが、安定期か。今安定期だったのか。

「弟と妹、どっちがいい?」

母、ミンナがニコニコして聞いて来る。まあ、まだこの人はぎりぎり30前だし、高齢出産というほどでもないか。
穏やかでにこやか、かつ美人というこの上玉を父はなんとしても逃がしたくなかったらしく、母の魔法学校卒業と同時にひっさらうようにして結婚したらしい。中々抜け目がない。

んーしかし、弟、妹ねえ。弟のほうが気が楽でいいが・・・将来を考えれば妹だよな。弟が生まれても爵位継げないし。領地も分け与えるほどの規模ではない。この国で宮廷の法衣貴族というのも辛かろう。といって、領地で俺の下につくというのもなんだかかわいそうな気がする。といって荘園を与えるというのもあまりにあれだ。そこをいくと、妹ならどこかへ嫁いで終了だ。

「妹、ですかね。よくわかりませんが」

「水のメイジによれば、女の子の可能性が高いそうだぞ。よかったじゃないか」

おいおい、水のメイジはそんなことまで分かるのか。ちょっと怖いな。それともでまかせか?

「へえ……。母さん、お腹触っても?」

いいわよ、という返事に早速触れてみる。そういえば少し大きくなってるな。ぜんぜん気付かなかった・・・。
そして、触ってもさっぱり分からん。耳を当ててみる。
……うん、なにもわからん。水のメイジなら何か感じられるのかね?

「さっぱり分からない」

「うん、そうだな。だが、ちゃんと7ヶ月位したら生まれて来るんだぞ」

へえ。しかし、妹ねえ。『彼』だった頃は兄弟なんていなかったし、男女どちらが生まれるにせよ初めての経験だ。兄弟を持つというのは、どんなものなのか。10も歳が離れているし、自分の子供のような気持ちなんだろうか。

少しだけ、楽しみだ。そんなことを思いながら、朝のトレーニングへ出た。





俺が何をしようと、人は生まれて来るし、死んでいく。それはこの世界でもなんら変わりない。

それはけっして舞台のキャストのようなものではない、はずだ。
物語があり、そのなかの役割、そして演ずるべき性格が決まっていて、その通りに動く。それがキャストたち。
だが、生まれて来る赤ん坊は、決してそんなものではない。

『彼』のいた世界の、どこかの哲学者の言葉で、『人間は誰しも祝福されて生まれてこなければならない』といった内容のものがあった。その正確な文も内容も記憶から消え去ってしまっているが、その言葉だけはどこか大切なものとして覚えている。

そう、『彼』は、この言葉をとても大切にしていた。まだ若い学生であった頃、恋人が妊娠してしまい、中絶したのちに、後悔を重ねているときに友人からその言葉をきいた。

『だから、君達が祝福できないのなら、その子は生まれてきても幸せでなかったかもしれない。次があるのなら、そのときこそ誕生を祝福できるようにしておくがいい』

たしか、そんな言葉だ。20にもならないうちにそんな言葉を吐く、随分と変わり者の友人。そのあと、『彼』はその友人が紹介してくれた本をむさぼるように読んだ。その多くは記憶から抜け落ちてしまっているが、いくつかは未だに覚えている。
大切なことは、忘れてはいない。


俺の弟だか妹だかに生まれて来る子供は、きっと、祝福してやる。一人の人間として、そう、一片の翳りもなく、完璧に。その子は、物語のキャストなどではないのだから。





「―――ふっ」

ランニングとダッシュを終えて、棍を振る。身長・体重が増えたこともあり、最近剣杖でのやりあいでアルベールに負けることはなくなった。技量はともかく、速さで60越えた爺さんには負けん。

棒術は完全自己流。『彼』の記憶にも役に立ちそうなものはない。

回す・振る・前後を入れ替える・左から・右から・下から・袈裟・逆袈裟・突き・払い。

基本の動きをまずは体に染み付かせる。それがある程度済んだら、実際に手合わせの中でその動作を活かす。最後に、それを実戦で振るう。剣でもやったことだ。アルベールに錬金してもらった巨大鏡の前で型を確認する。いつかマテウス流棒術とでも名づけよう。

「どう? アルベール」

「うーん……いま一つといった感じですなあ……」

率直だな。だがわかる。これではアルベールにも勝てまい。

「まず、その棒は少し長すぎるのですよ。バランスが悪い。もう少し身長が伸びても、多分難しいでしょう」

そうそれよ。もともと槍の長さを意識していたため、棒として扱うには長すぎるのだ。もう20サントくらい短くてよかった。

「でもねえ。寸を詰めるにしても、『ブレイド』でも切れないんだよ、これ」

杖の契約を行った後店に預けて、返ってきたら無敵の硬さで硬化と固定化がかかっていた。使いにくいからと短くしようにも、俺どころか父さんや母さんの『ブレイド』でも切れないというありえない硬さ。どこのメイジが請け負ったのか知らんが、最強すぎる。手が出せないのだ。

「作り直すか……午後にでも出かけるよ」

「かしこまりました……また平民の服ですか?」

「そのつもり」

アルベールも最近はあまり文句を言わなくなってきたが、嫌な顔は相変わらず。こういうのはゲルマニア貴族としても破天荒な部類に入るんだろうか。他の貴族子女に会ったことがないから、よく分からない。

それにしてもまた杖の作り直しか。予備の棒(杖)はあるから、またもや『硬化』『固定化』の注文ということになる。どこの誰かは知らないが、ぜひ同じメイジに請け負ってもらいたいものだ。







午後。魔道具店へ足を伸ばす。

「よう、また来たな。どうした、杖は悪くなかったんだろう?」

「そうだったんだけどね……」

例の事情を話す。槍としての使い道を意識しすぎたために長すぎて単純な『棒』として使いにくいこと。そして、硬すぎて長さが調整できないこと。

「ふうん、また随分とうまく『硬化』がかかったと見えるな。スクウェアのブレイドで切れないってのはたいしたもんだ」

「そう、だからぜひともまた同じメイジに請け負ってもらいたいんだよね。一体誰があの杖請け負ったの?」

「ああ……あれはちょっとうちでは難しい注文だったから外注したんだったな。お願いしたのは確か、シュペー卿だったか」

シュペー卿? シュペー卿ってどこかで・・・あ。『物語』序盤の宝石駄剣の。

「シュペー卿! すごいじゃないか、シュペー卿!」

「おっ、おう、評判はいいぜ。どうした、そんなに興奮して」

なんだ、駄剣製作の鍛冶騎士ってわけじゃなかったのか。メイジとしての腕はいいとか、『硬化』『固定化』については最強とかか。それともよほど念入りに硬化や固定化を重ねがけしてくれたのか。なんにせよ認識がまったく変わったぞ。『物語』の先入観で完璧にやられていた。そうか、シュペー卿、いいじゃないか。シュペー卿最高。

「あー、いや、ぜひともそのシュペー卿にもう一度お願いしたいな。
 この前の杖の『硬化』と『固定化』の出来が最高に気に入ったからぜひともお願いしたい、って伝えられるなら伝えて。
 こんどはこれね。見た目は一緒だけど、前のより少し短くした」

「おう、確かに」

磨き上げた予備の棒杖を渡す。今度こそ普通に使いやすい長さだ。
杖を預けた後、やたらハイな気分で店を出た。


通りを歩きながら、考える。
そういえば、宝石だらけの剣だったか、あれは普通に考えれば儀礼用の剣だ。見たわけじゃないが、普通に考えればそうなる。間違ってもゴーレム相手に振るうためのものではない。『物語』のキャストたちはそれがわかっていなかっただけで、シュペー卿の腕はいいってことでもおかしくはない。

そう考えると、今回の驚きはあくまで俺自身の先入観から来たものだ。別に大したことではなかった、のか。

「―――なんだ」

まあ、いい。
たとえシュペー卿が名剣をたたき上げる腕利きだったからといって何だというのだ。別に何もいいことがあるわけではない。へんな期待をするから、へんな落ち込み方をすることになる。ばかばかしい。

―――まったくもって、馬鹿馬鹿しい―――。


と、ボケッとしていたら、人にぶつかってひっくり返った。
やれやれ。ちょっと考え込んで周りが見えなくなるのは悪い癖だ。立ち上がってほこりを払う。ぶつかった女はこちらを見もせずに行ってしまった。
くそ。子供だからといって、―――懐が軽い?


掏り。

一気に頭に血が上った。

「な、め、や、がっ、てぇぇぇええええ!!!」

杖を取り出し、女が行った方向へ走りながら『フライ』を唱え、空中に舞い上がる。見渡すがさっきの女はいない。どこだ? 最初の角で路地へ入ったか?
右の路地か、左の路地か。

くそ、迷う時間がもったいない。とりあえず右だ。そのまま『フライ』で細い路地へ入る。―――いた!

「まてやテメェエッ!」

『フライ』で追ってきた俺を見て、声に振り返った女が青ざめる。小走りでいたのが、本気で走って逃げだした。クソ、黙って追えばよかった。が、次の角はもう少し先だ。横道へ逃げる前に吹っ飛ばしてやる。メイジに追われて足だけで逃げられると思うなよ。ブッ殺す!

追う、もう少しで射程距離。追う。ルーンを唱える、―――喰らえ。

ゴウッ! 

風で女の後ろの樽やら木箱やらを吹き飛ばす。どれでもいい、あたれ!
女は飛んでいったものには何もあたらなかったが、転がってきた木箱にけつまづいて転んだ。

―――ク。まあ、大体計算どおりだ。後は、そうだな、ぺしゃんこになりやがれ。風の槌、『エア・ハンマー』を唱える。


「お願いします! お金はお返しします、どうか!」

なんか言ってやがる。やれやれ、どうしようかな。とりあえず着地。―――あれ? さっき、『フライ』使いながら『ウィンド・ブレイク』を使った?
『エア・ハンマー』も上から思い切り地面に叩きつけるつもりだったし。

まあそれはともかく。

「とりあえず、盗った金を返せ」

「はっ、ハイ!」

かわのサイフ を とりもどした!

掏り女は完全降伏。やっぱり、子供でもメイジは怖いよな。自分が持っていない強力な力を持っている人間だ。立場が逆だったら、やっぱり俺も怖いだろうと思う。
しかし、どうしてくれよう。なんか怒りが冷めてきてしまった。さっきまでは荼毘に付すところまでやってやるというくらいの勢いがあったのが。
普通に兵士に突き出すか。しかし、父さんは普段は公正だが、家族には結構甘い。晒し刑程度ですまなかったら後味が悪いな。兵士には匿名で突き出すか。
いや、匿名ってのは不可能だな。商人の息子アルフレッドとして……しかし『アルフレッド』は本来存在しない人間だ。誰だお前、なんてことになったら困る。

「あっ、あの、手持ちも全て差し上げます、どうか見逃してください!」

と、まあそうなるよなあ。デモネ、お金には困ってないのよ、僕。やっぱり魔法で一発殴って手打ちにするか。
目の前でDOGEZAスタイルでぺこぺこしている女をよく見てみる。ふむ、若奥様ぐらいの年齢か? まあまあ美人だね、位の顔立ち。ごく普通の女性だ。
あー、女が完全に平伏しているところへ魔法をぶち込むというのも、ちょっとなあ。立場的に切り捨て御免も可能とはいえ、死なれでもしたら面倒だ。
どうしよう。

「……えーとね、あんた、初犯? あまり手際がいいようには感じなかったけど。これで食ってるの?」

「はっ、初めて……っではないです、最近何度かやりました」

『初めて』といいかけたところで顔を顰めながら杖を持ち替えてみると、初犯ではなくなったようです。
うーん、なんとも『普通』な女だ。凡庸、低級という意味で。

「普段は何してるのよ、掏りをしなくちゃやってけないわけ?」

「あの……最近奉公していたお屋敷から暇を出されまして、それで」

はあ。まあ、全体の雰囲気から、屋敷の奉公人だったというのは嘘ではないだろう。うちで見たことはないから、領内の商人の家とかそのあたりか。
メイドには年齢的にもそろそろ厳しくなって、かといって使用人を取り仕切るほどの能力もないと。それで暇を出されて食うに困るってことは旦那もいないわけだ。
ずっと奉公人だったから、女郎になることも出来なかったわけね。このいかにも普通(凡庸)な女を見てると、なんだかリアルに想像できてしまう。

あー、ほんっとどうするかな。『現実』って奴は厳しい。
掏りをうちで雇う気にもなれん。といってこのまま放置するなら、一応捕まえた犯罪者を領内に解き放つことになる。突き出すのも、魔法で殴るのも後味が悪くてやる気がしない。頭に血が上ったからとはいえ、魔法で課題としていたことを一度はクリアできたし……。

「……今回は見逃す。金はいい。でも、一つ注文がある」

「ハイ! あ、ありがとうございます!」

「……あのな、すりやらの犯罪はやめろ。多分あんたには向いてない。普通の働き口を探せ。
 あまり行ったこともないんだろうが、あんたなら酒場なんかがお勧めだ。そういうところで新しい仕事を覚えろ。
 いいな、絶対だ。あんたの顔は覚えたから、もし次に見かけたら働き口を確認する」

「わ、わかりました。本当にありがとうございます!」

まあ、本当に酒場に勤めるようになったら、顔を見ることはないだろう。
これ以上はもう面倒だ。頭を地面にこすり付けんばかりにして礼を重ねている女に背を向けた。


……やれやれだ。現実って奴は面倒で、厳しいね。






などと思っていたのだが、この掏り女が、数週後には『赤馬亭』で紅茶を運んできて互いに驚愕することになる。ジルというらしい。
更には数ヶ月の後に男やもめだった『赤馬亭』店主の後妻におさまり再び驚愕することになった。


現実は厳しい、が、不思議なことや救いも、案外あるようだった。








[14793] 夢の終り、物語の目覚め(前)
Name: bb◆145d5e40 ID:5ca4e63a
Date: 2010/05/02 13:17
キュルケ・~(不明)~・ツェルプストー


【概略】
 火の色の髪、瞳、褐色の肌。長身、グラマラスな体型。ゲルマニアからの留学生※1。   『火』のトライアングルメイジ。二つ名『微熱』。ガリアからの留学生『雪風』のタバサとは、一年生の始めに決闘騒ぎを起こして以来親しい。ルイズ・ラ・ヴァリエールとは寮で部屋が隣同士。ルイズからはトリステイン・ゲルマニア国境をはさむ両家の関係※2から敵視されているが、本人はルイズを敵視してはいない。むしろ、やたらと突っかかる彼女をからかって楽しむ、かわいがるといった風に扱っている。


【能力】
 軍人の家系で、本人も強力なメイジ。詠唱が速いといった描写もあった。物語中ではあまり戦闘を描かれることは少ないが、戦力はトライアングルメイジとしても比較的上位に入ると思われる。実戦経験などの面ではやや乏しくうつるものの、戦略的には誤った判断を下すことは少なそうである。魔法は主に『ファイアー・ボール』、『フレイム・ボール』などを使用。


【性格】
 情熱的な性格? で、夜な夜な学院の生徒を自室に連れ込むなど、男遊びが盛ん。少しばかり良い男と見るとすぐに手を出す傾向がある。ルイズの使い魔、サイトがいいところを見せるとすぐに『ダーリン』などと呼び始めるなど※3。その後アルビオン・トリステイン間の戦争中、学院に残っている際にジャン・コルベール教諭の勇姿に惚れる。こちらは他の例と違い、一途に思いを寄せているようである。また、その後彼に対し家の財力で積極的に援助を行っている。
 面倒見が良いほうらしく、タバサ・ルイズ・サイトに対してはよく世話を焼くようなところがある。

 総じて、ゲルマニア女性の『らしさ』を良い方向へ強めたような性格であり、また陽性・善良なタイプ。




※1 ヴィンドボナ魔法学院で何か問題を起こし、中退の後にトリステイン魔法学院へ入学。
※2 両国間での戦争時は、国境をはさむ両家がぶつかり合う。またツェルプストー家の女性が、ラ・ヴァリエール家の男性を寝取ったり、婚約者を奪ったりといった過去があった。
※3 ただしこれは他の男子生徒との関係を切っているわけではないので、ルイズへのあてつけ、からかいといった側面もあったかもしれない。










夢の終わり・物語の目覚め











 以上のようなものが、極秘資料・ラルフの物語ノートの登場人物・『キュルケ』に関する情報である。主要な人物のひとりである割には、情報は少なめ。その理由は、このゲルマニアという国が始祖に連なる国ではないからだ。即ちこのハルケギニアで虚無と、虚無に関わるものたちから、最も遠い。

 何の因果かこの『物語』の登場人物たちと同年代に生まれてしまったようだが、はっきり言って俺はトリステイン魔法学院へは行きたくない。更に言えば、このまま普通にいけば行くこともない。ヴィンドボナの魔法学院に入学するのが妥当だろう。それどころか、今のところ父から魔法学院という言葉が出たことすらない。
 だが――それはなんとなく、気に入らないのである。
 実際、トリステインへ行きたいという気持ちもないわけではない。
 それは野次馬根性のようなものかも知れないし、自分には届かないと知っているはずの英雄願望のようなものかも知れない。
 しかし、なによりも。
 自分の知らないところでこの世界の趨勢が左右され、しかもそれを自分があらかじめ知っているというのが、気に入らない。かなり重要な事情をいくつか知っているからこそ、それが起これば確実に精神を揺すぶられる事になるだろう。ならば、手の届く範囲でそれが起こった方が都合がいい。自分が関わるかどうかは、その時選べばよい。何もしないということもできる。
 もちろん、何も起こりはしないという可能性だって十分にある。あるのだが、この足元のおぼつかない世界で、俺にとってあの『物語』はもう既にほぼ確実な未来として実在感を持ちつつある。

 ――同時に、ならばますます行きたくない、絶対に関わってなどやるものかと気持ちもむくむくと大きくなる――。

 そんな『物語』の主要な人物たちの中で一人だけ、俺がトリステインに行こうがヴィンドボナに行こうが、『物語』に関わろうが関わるまいが、どちらにせよ関係を切る事ができない人物が一人だけいる。それがこの『キュルケ』である。なにせお隣の領地だ。
 フォン・マテウス領内直轄地の治安管理や人手出しなど、父の仕事に手伝いで参加するようになってから気付いたことだが、結構ツェルプストー家からの依頼は多い。
 我がフォン・マテウス領はトリステインとは国境を接しないが、その国境からフォン・ツェルプストー領に守られるような形で国内側にある。事実上、というか父の代に至っては完全に守ってもらう形となっているため、ツェルプストー家には頭が上がない。そのため、ほとんどお使いのような形でツェルプストー領の用を片付けるようなことがあるのだ。この程度で済ませてもらえているだけ、ありがたいというものかもしれない。
 そこツェルプストー領でも、フォン・マテウスに近い場所なら何かあったときに出張るのはうちというわけだ。そんな風に、ツェルプストー家から依頼という名の指示が、しばしばあったりする。
 三代か四代前には血も入っているという。ツェルプストーという巨星に対し、こちらはいわば衛星貴族とでもいったところ。ひとことで言えば、ツェルプストー家が上、我が家が下ということである。この関係は将来的に自分と『キュルケ』およびその兄に対しても当てはまりかねない構図であり、こればかりは他人事では絶対にすまされない。即ち『キュルケ』に対しては、彼女がどこか他の貴族の下へ嫁ぐまで、彼女が上、俺が下となってしまう可能性があるのだ。


 近く、ツェルプストー伯の誕生日を祝うパーティーがあるのだという。
 先にあげたような背景があるため、この数日は特にテーブルマナーにうるさい食事をとっていた。おまけに平時の所作まで細かく指示される始末。とどめに王子様のようなシャツを仕立てられ、もう閉口ものである。王子様フリルのシャツで鏡に映った自分には、正直引いた。
 しかし、ツェルプストー家へ行くということは、あの『キュルケ』とも顔を合わす可能性がきわめて高い。遅かれ早かれそういう機会はあると思っていたが、案外遅かったというべきか。作法云々のことを考えれば、ある程度の年齢は必要なのだろう。母が身重であるため、今回は父と二人での訪問となる。
 これが、『物語』との、初めての接触だ。特別緊張することもないはずだが、ちょっとした感慨を抱いて父と馬車へ乗り込んだ。




 ツェルプストー『城』。うちのような要塞的な守りも出来る屋敷というわけではなく、文字通り“城”である。ごてごてとした外観は、砦という言葉のほうがイメージが近い。がたごとと馬車が門をくぐると、執事姿の男がお出迎え。細かく見てみれば、その執事の着ているものの品質からしてうちとは違う。金というものはあるところにはあるんだな、と思わずにはいられない。
 屋敷に入ったところでツェルプストー伯一家のお出迎えだった。伯爵夫妻、かなり歳の離れた長男らしき青年、そして『キュルケ』。
 おお、子爵! などとお約束を熱くやっているのを横目に、あまりやる気がなさそうに突っ立っている『キュルケ』を密かに観察する。

 話では1つ年上。だが、背では10サント以上違う。結構な長身の少女だ。
 褐色の肌、火のような赤毛に、赤い瞳。自分や父の髪の色からして赤紫だし、もういい加減慣れたが、このハルキゲニアでは実にカラフルな毛色、眼色であふれている。金髪が最も一般的だが、赤毛もそう珍しくはない。そして、地球人の赤毛のように、肌が弱くてそばかすだらけなんてこともない。本当に炎が燃え立つような色をしている。
 体型はノートに書かれていたようなグラマラスというほどのものではない。むしろ少女らしいつつましい凹凸だった。結構な身長があるが、ここからまだ伸びるのか。体型も今後変わっていくのだろう。
 しかし、まだ『可憐』という言葉が似合う年齢と容姿なのに、どこか大人の魅力のようなものを漂わせつつある。こういうのをロリータ、ニンフェットと言うのだろうか。未だ妖精のような可憐さを持ちながら、妖しい魅力で翻弄する。そんな雰囲気がある――。


「子爵の息子も大きくなったな。キュルケ、パーティーの間は、お前が一緒にいてあげるといい。子供には退屈なものだからな」

 観察していたら、伯爵が余計なことを言いだした。一つ年下だから、面倒を見てあげなさいってか。まあ、確かに明らかに向こうのほうが大きい。キュルケは確か面倒見の良い子だったはずだが、こちとら中身はとっくに30越えている。あれこれ構われても面倒である。
 それに多分、キュルケのようなタイプと自分は、きっと、合わない。それどころか彼女の興味を引かないだろう。こちらとしても、情熱的な性格で~なんていうのは、苦手だ。

「今日はどうかよろしくお願いします」

 と定型のご挨拶とともに彼女にも頭を下げ、その場を辞した。



 しかし、あれが『キュルケ』か。
 『物語』の主要な登場人物であるキュルケだが、その中で彼女は最も中心から遠い主要人物である。だから、彼女に対してのアクションはとりたてて考えてはいない。まあせいぜい、嫌われないようにしたい。うまく行けば、よき友人となって欲しい。その程度だ。

 これまで、俺には俺としての友達というものがいなかった。
 屋敷の使用人の子達などの相手をすることも少しはあったが、あまりの精神年齢の違いからついつい面倒を見る保護者と子供という構図になってしまい、親である使用人から恐縮されることしきりだった。同年代の友人というものはない。かといって大人は相手をしてくれない。平民や衛士たちは『ラルフ・フォン・マテウス』である自分にかしこまるし、たまに訪問がある貴族たちは子供の相手などしない。俺には、自分を隠さずに普通に口を利くことができ、普通に口を利いてくれる人間がいない。今のところ両親だけだ。

 貴族であるということは、立場に縛られるということだ。この五年でよくわかった。このゲルマニアにおいても、その事実ははっきりとしている。父などはそれを可能な限り避けているが、やはり本質的に貴族だ。そして、この自分もしかりなのである。
 平民に生まれればよかったとは思わないが、それでもその貴族らしい縛りが鬱陶しく感じることは多い。

 要するに、自分は寂しいのだと思う。

 『彼』の記憶を持ち、自分が誰なのかも今ひとつ納得できない。『彼』であったこと、そして『彼』であったときのことは、決して誰にも話さないと決めている。それはこの世界に生きる者たちに対する、そして何よりもこの世界に死んでいったすべての者たちに侮辱であると思う。
 自分のようなものは、決して他にいまい。いったいどれだけ奇跡的に頭の打ち所が悪ければ自分のような状態になるというのだ?
 だから、自分は、この世界で本当に一人きりなのだと、ときどき思う。
 家族はいる。自分を愛し、守り、育ててくれた。感謝しているし、尊敬もする。自分が歩く道先を整えてくれた使用人達もいる。だが、肩を並べて歩くような友人はいない。
 ――きょうだいが出来れば、そうなるだろうか? そうは、ならないような気がする。
 だから出来れば、『キュルケ』、彼女は、たとえ物語の人物だろうがそうでなかろうが、対等に、普通に話が出来る関係が作れたらと思っていた。




 しばらくして始まったパーティーはつつがなく進行した。
 伯爵が集まったみなに礼を言い、ワインを振舞う。会場の貴族達は思い思いの相手と会話を楽しむ。父はツェルプストー伯爵と話しこんでいた。
 伯爵ととりわけ仲がよいというわけではなく、会場に集まった他の貴族達と馴れ合いをするつもりがないだけだろう。かったるい馴れ合いなどは嫌いなのだ。
 伯爵位や侯爵位の貴族も参加しているが、自分より爵位が上だからと言って別におべんちゃらを使う必要もない。軽く挨拶だけしておけば、別ににらまれることもないだろう。
ツェルプストー伯爵だけは、知らない仲でもない、同時に親戚でもあるということで普通に話をしているだけだ。
 父の事は、どうもよくわかってしまう。自分のように後ろ向きな性格をしているというわけでもないようだが、どうもものの考え方が似ていると思う。


 対してこちらは、ぼおっとすることしきりだ。
 父の傍で一通り広間を見渡しても、自分と同年代の子供はいなかったし、誰かが相手をしてくれるということもあまりなさそうに思える。唯一の同年代である例のキュルケ嬢は最初のご挨拶で伯爵がなにやら言っていたが、別に声をかけて来るでもない。会場を見渡しても、どこにいるのかわからなかった。
 わざわざ探すのも面倒だ。そのまま一人でいることにした。そうしたら、今までまったく誰とも話もしないままとなってしまっている。バルコニーの脇、会場の隅に一人で移動して、誰も席についていないテーブルででムシャムシャと生ハムとはしばみ草をほおばる。生ハム・はしばみ草のコンビネーションは最強とはいえ、さすがに腹も膨れてきた。はっきり言って、退屈である。


 と、そんなところへ赤毛の少女が歩いて来るのが視界に入った。件のお嬢様だ。テーブルのそばまでやってきた彼女は、片手でその燃えるような髪をかきあげ、半目で見下ろしながら投げやりな調子で一言を放った。

「退屈なの?」

 うわあ……。という気持ちになる。
 向こうもさしてこちらに興味があるわけでもないのだろう。伯爵から言われていたから一応声をかけた、といったところか。
 自分はハルケギニアの人間らしくけっこう顔立ちは整っているほうだとは思うが、当たり前ながら一目で魅了するような『いい男』ではない。当然彼女の興味も湧かないわけだ。 自分の身長145サント。おそらくこの会場で一番小さい。160サントくらいもある彼女からしてみれば、年下の、幼い少年、としか映らないのだろう。
 精神年齢的には彼女の3倍以上になるのだがな。そんなところで比べても仕方がない。

「うん、まあね。こういう場はあまり慣れなくて。やっぱり、外で体を動かしてるほうが好きだよ」
「あら? そうなの、あたしも外に行きたいと思ってたのよ。一緒に行きましょ、『フライ』は使える?」

 突如変調して明るい調子になったキュルケは、返事も確認せずに踵を返し、バルコニーから飛び立つ。

「おいおい……」

 すばらしいマイペースぶりである。慌てて懐から予備の杖を取り出し、『フライ』を唱えてバルコニーから飛び出すが、視界にキュルケがいない。

「こっちよ!」

 後ろ上方から声。
 振り返って見れば、既に随分離れた場所を飛ぶキュルケの姿がある。風をコントロールしてそちらへ向かい始めると、すぐにキュルケは背を向けて進み始めた。
 追うが、なかなか追いつかない。向こうはかなり飛ばしていると見える。風メイジの自分が、全力を出しているわけではないとはいえ中々追いつけない。大したものだと思う。

「追いつけないの―――!?」

 ……なかなかナメたお嬢さんである。本気で追う。
 魔力を思い切り使い、風を集めて、スピードを上げる。
 一気に距離を縮めて―――あと少し―――。

「捕まえた」

 後ろから抱きしめてやる。うん、やわらかい。気持ちいい。手間かけさせやがって、これくらいは役得というものだ。

「…っちょ、ちょっと、恥ずかしいじゃない」
「え、うん、今放す。下に降りよう」

 ……しまった。変なフラグを立てることになったか? ちらりと横顔を見ると、ものすごい恥じらいの表情になっている。

 あれ。

 いかん。本気でかわいい。こっちまで少し顔が熱くなる。今、キュルケは人生で一番美しい時期だったりしないよな?
 可憐な少女から『女性』へと成長し始める時期に差し掛かりつつあり、同時に年相応の恥じらいとやんちゃ振りを発揮するこのキュルケは、ちょっと反則過ぎる気がする。
 ナボコフもびっくりのロリータぶりだ。ロ、リー、タ。わが肉のほむら。キュ、ル、ケ。

 ……アア、思考が拙い方向へ行っている。

 そのまま、二人して顔を赤くして下に降りることになった。





 少し熱くなった頬を冷ましながら話す。

「あたし、キュルケよ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。あなたの名前、なんていうんだっけ? そういえば、聞いてなかったわ」
「ラルフだよ。ラルフ・フォン・マテウス。お隣の領地の小貴族の家だよ。さっきは声をかけてくれてありがとう。本当に、何もすることがなくて退屈するところだったよ」

 ほんとにな。あのままじゃはしばみ草で腹を壊しそうだった。うまいことはうまいのだが……。苦味の強いサラダを延々と食べ続ければどうなるか、結果は見えている。

「ラルフね。あなた、風のメイジなの? すごい速さだったわ。あたし、結構本気で『フライ』を使ったのよ」
「そうだよ。火も結構得意だけどね。大体同じくらいで。でも、最近はやっぱり風のほうが得意かな?」
「へえ。あたし、火のラインよ。それにしても、すごいじゃない。あなたも『ライン』でしょう? 二つの系統を同じくらい得意にしてるなんて! きっと、ラルフのご両親は優秀なのね?」

 朗らかに聞いてくるキュルケ。両親ね……。才能(血)自体は優秀なんだとは思う、二人とも。しかし、貴族としてどうかといわれると若干疑問だ。

「立派……なんだと思うよ、たぶん」

 正直、貴族的な意味では立派じゃあなかろう。領民からすれば立派な領主様なのだが、戦場に立つツェルプストーの一族からすれば、とても立派とは言えない両親だ。自分は尊敬してるが。
 そんな俺の躊躇にすぐに気づいて、キュルケは軽くまゆを寄せた。

「どうしたの、その歯切れの悪い答えは?」

 俺は両親のことを説明してみた。
 クラス、血統的には優れているが、出世や金銭に非常に消極的で、戦場に立たない、一般的視点から見て、ゲルマニア貴族としてはとても『立派なかた』ではない父。
 そんな父に魔法学院卒業と同時に攫われるように結婚し、社交界にも出ずに満足している母。そして、もうじき生まれる下の子供。
 うちは、上昇志向の強いゲルマニア人においては、非常に珍しい貴族家庭である。
 話が進むにつれて、相づちを打つキュルケの顔は険しさが抜けていく。

「あっはっは! 変わってるのね、あなたのご両親って!」

 キュルケは、意外にも笑った。軍人として固まった頭をしている一族なら、蔑みの対象となることも考えたのだが、そうではなかったようだ。なんだか安心して、それからしばらくの間他愛のない日常や、今日のパーティに参加していた貴族たちの話が続いた。彼女とは案外、つまらない話でも結構話が合う。話す前に考えていた先入観は、本当に勘違いだったようだ。
 彼女はまだ無邪気なところを残す明るく朗らかな子供で、まだ、あの物語の『キュルケ』では、ない。面倒見がよく、優しく、男遊びが盛んで、いざとなれば烈火のごとく戦う『キュルケ』では、ないのか。それは、俺にとっては、とてもとても大きなことで。
 なんだか感動して、少しだけ目が潤んだ。

「……ねえ、キュルケ。良かったら、僕と友達になって欲しいんだけど」

 なるべく真剣であることが伝わるように、普段は見ないで話す相手の目を見つめて言う。捨てられた子犬のような気持ちで、断られるのが不安な気持ちを隠さずそのまま視線に乗せてみる。
 そんな打算を吹っ飛ばすように、キュルケはどきりとするような花咲く笑顔をこちらに向けた。

「あら、もう友達でしょう、あたしたち?」

 俺は、ハルケギニアに初めて友を得た。






[14793] 夢の終り、物語の目覚め(後)
Name: bb◆145d5e40 ID:1ea3af11
Date: 2010/05/02 13:17
頭上から緩やかなメロディが流れてくる。
『フライ』を唱え、出てきたところと思しきバルコニーを目指した。
バルコニーから覗く広間では、予想通り、紳士と貴婦人たちの華やかな舞踏。そろそろお開きだ。

「そろそろパーティも終わりね。ダンスには間に合わなかったけど、楽しかったわ」

横に追いついてきたキュルケが言う。

「ん……そうだね」

そろそろ終わりか。こんなに時間が経つのが惜しかったのは久しぶりだった。
窓の向こうで舞踏は続く。楽士たちは穏やかなメロディを紡いでいく。キュルケの横顔をちらりと覗いてみると、ちょうど目が合った。
なんとなく、同じことを考えていることがわかる。思わずふ、と小さな笑いが漏れた。
一応、こちらからがスマート、か。
精一杯の笑顔を作り、胸に軽く手を当て、一礼する。

「私と一曲踊っていただけませんか、フロイライン?」

キュルケは、少しばかり恥ずかしそうにしながらも『ええ、喜んで』と応え、差し出した手をとってくれた。



足場の無い空中で、手応えの無いステップを踏む。どうも難しいが、キュルケの方は安定してステップを踏んでいる。
一つ一つの動きがなかなか洗練されている。家柄による場慣れというものか、それともセンスの問題なのか。

「ねえ、ラルフ」

「うん?」

「遊びにいらっしゃいよ、今度。私も行くから」

顔を赤らめながら言うキュルケの表情が、やたらと可愛らしい。ああクソ、俺は今、絶対調子に乗ってる。乗ってるのはわかるのだが、どうにも止まらない。
ああ、ぜひ、と答えてキュルケに笑いかける。作った笑顔か、自然に浮かんだ笑顔か、もう自分でも分からない。

「遊びに来たら、私のハープを聴かせてあげるわ」

へえ、それは楽しみだ。そんな特技があったとはね。お転婆だけではないのか。
ホールから漏れるメロディは、変調してテンポアップ。慣れも手伝って、空中に刻むステップは次第に軽やかになっていく。
今夜の双月は重なって蒼い。月光に照らされた黒い森、灰色の城壁の上のダンスは、どこまでも幻想的に思えた。







夢の終り、物語の目覚め







「あー……何をやってんだか……」

昨夜のパーティについて、朝っぱらから絶賛後悔中である。何が『私と一曲踊っていただけませんかフロイライン』だ。死ね。恥ずかしすぎる。
何が『ああ、是非』だ。11歳のガキが気取ってどうする。せっかく友人ができたというのに、なんなの。何意識してるの。ほんと死ね。

「うあーうーがーあー……!! なーにを調子にのってんだ俺は!」

恥ずかしさと後悔のあまり奇声を上げてベッドをばんばん叩いてみる。ぼふっという感触とともに、最近ひどくなってきた成長痛で肘が痛んだ。
と、そこでドアがノックされ、名前が呼ばれる。

「どーぞー入ってー」

やる気の無い声でメイドを招き入れる。……手紙か。ひょっとして、いやひょっとしなくてもキュルケか。他に俺に手紙をくれる人間の心当たりなんぞない。
あちらへのお誘いか、もしくは遊びに来るという話かと、きちんとツェルプストーの赤い封蝋のされた手紙を開く。
果たして手紙はキュルケからのもので、内容は今度の虚無の曜日に遊びに来るというものだった。その日別段なにか予定があるでも無い。
ならばとペンを取り、歓迎の意を込めて返事をしたためる。手紙の返事を書いているだけのに、気分が昂揚しているのがわかる。
駄目だな、どうにも、浮き足立っているようだ。そう思って、ペンを放り出した。



少し冷静になって彼女のことを考えてみる。

キュルケはツェルプストーであり、ツェルプストーはゲルマニアでも随一の武人の一族だ。
しかるに、俺の両親が戦わない貴族であるというのはとちらかというと侮蔑の対象であるはず。
もしくは『守ってやっている』という意識で、どちらにせよやや見下す視線になるだろうと思われる。
それがないということは、キュルケにはまだ、ツェルプストーの一族としての強い自負や自覚がないのだろう。

物語としての『キュルケ』のほうの行動を思い出してみる。
アルビオン・トリステイン戦争ではトリステインの同盟軍であるゲルマニアも参戦した。
そんな中で彼女がトリステインの学院に残っていたのは、確か女性だから、だった。
彼女自身は参戦するつもりだったわけだが、まあ、このハルケギニアの戦争で前線に女をおくというのは、ちょっとありえないことだ。
いかに素晴らしい戦力であろうとも、もしも敗走して一般兵や傭兵に捕まりでもすれば徹底的に蹂躙されることになる、もちろん性的な意味で。
だから参戦できなかった。

そんなわけで、戦わずに学院に残っていると、同じく学院に残っていたコルベール教諭の意外な強さに彼に対する見方が180度変わって……というわけだったと思う。
つまり、当初はあまりよく思っていなかった。

うん、やはり、『キュルケ』は勇ましい女性であり、戦うことを渋るタイプに対し、いい目で見ない人物であるはずなのだ。
けらけら笑って『変わってるのね』なんていうのは彼女が彼女だからであり、キュルケが『キュルケ』ではないからなのだ。少なくとも今はまだ。
それは、俺にとってはとても大きなことだった。何もかもが『彼』の知っていた通りであるなどというのは、実に気持ちの悪いことだ。


ぱらぱらと『物語』や過去の知識の記されたノートをめくりながら考える。
きっちりと時期がわかっている出来事なんてのはほとんどないが、使い魔召喚の日にはルイズ・フランソワーズが平賀才人を召喚する。
『あんた誰?』が最初のセリフ。

これが目の前で繰り広げられる光景だったら、どうだろうか。
『彼』が一度か二度通して読んだ程度の小説に書かれていたとおりの出来事が起こり、そのとおりにルイズ・フランソワーズが喋る。
そんなのは、馬鹿馬鹿しいではないか。ルイズ・フランソワーズは、自由意志を持っているのか? まるで記号か人形のようではないか。

そういった意味で、彼女、キュルケが『彼』の知識を裏切ってくれたのは、俺にとってとても大きなことだった。
この世界は、『彼』の知識通りのものではないし、また、きっと変わってゆく。そう信じられるだけの何かが、初めてあらわれたような気がしたのだ。
俺は、誰かの書いた物語の一部ではない。『彼』の物語ではない。俺が生きているのは、これから生きて行くのは、他ならぬ『俺の』生なのだと。





キュルケへ返事を出したあとは、今日も今日とて魔法の練習。
五歳にしてラインとなったが、今は十一歳。もはや、俺はラインメイジとしてはほぼ完成している。才能の限界という感じはない。
トライアングルになれないのは、多分やる気と気持ちの問題である。アルベールも最近は俺の魔法の練習につかなくなった。
棒術の訓練に付き合った方がましだと判断したのだろう。
だが、一人でも、なんとなく日常の一部だった物を変えられず、相変わらず一日の半分近くを魔法の練習に当てている。
だいたい、これがなかったら他に何をしていいのか分からない。


まずは普通に『風』を重ねて『エア・ハンマー』を地面に叩きつけてみる。
強烈な風の槌がぶつかり、何度も放った『エア・ハンマー』で硬くなった地面を更に凹ませる。ラインの魔法としては、なかなかの威力だと思われる。
昔に比べればかなり上達した。
再び『風』を集め、今度は『火』を二つ重ねる。自在に操れる炎の塊を作る……ところで精神力の流れが途切れ、魔力が霧散する。
失敗。トライアングルスペルは未だ失敗続きだ。


精神力。強い気持ちとか、意志力とか、そういったものがあればいい、というのはなんとなく自分でも感じている。
だが、それは強い気持ちを持とう、なんて考えてやれるもんじゃない。きっと自分の中から湧き上がるものでなければならないのだ。
確固たる強い意志や気持ちを持つというのも、一つの能力だ。俺にはそれがないし、今のところそこまでこだわることもない。
一年前、二年前と比べれば次第に手応えは感じているし、ずっと練習を続けていれば、きっとトライアングルスペルくらい使えるようになるだろう。
以前はスペルが失敗する感触や、スペルに干渉する精神力が途切れて失敗した、などといったことはわからず、ただ失敗しているだけだったのだ。

あるいは時間をかけなくても、ひょっとすればだが、命の危機だとか、そういったものにでも追い込まれればそんな気持ちにでもなるかもしれない。
ならないかもしれないが。どちらかというと、自分では後者にベットする。まあ、考えても仕方のないことだ。そもそも俺はそんな状況に自分を置かない。

お前は死病で、一年後には死ぬと言われたって、『ああ、そうか』と思うだけだ。俺はそういう人間だ。


もう一度『風』。『フライ』を唱え、10メイルほど飛び上がる。そのままゆっくりと『フライ』をコントロール。
なるべく頭の中から『フライ』のコントロールを追い出す。意識的に風を操らず、半ば無意識的に。そのまま飛行を続けながら、『ウィンド・ブレイク』。
人が吹き飛ぶ位の突風が吹き起こる。少しばかり『フライ』の体勢を崩したかもしれない。

そのまま池の方に向かって『フライ』のスピードを上げながら、次のルーンを唱える。今度は『火』を重ね、ラインの『フレイム・ボール』。
棒杖の先に炎の球体が生まれ、それを池に向かって解き放つ。
炎の球体は狙いをたがわず水面に向かって飛び、……こちらは杖を振った拍子に大きく体勢を崩した。
くそ、落ちる。『レビテーション』で浮遊を……「レ、レビテーション!」……え?

声に視線を奪われた次の瞬間、ごしゃ、という嫌な感触が頭から伝わり、意識が飛んだ。





意識を取り戻すまでに、丸一日以上かかったらしい。
約10メイルの高さから、『フライ』の勢いもつけて地面に突っ込んだのだ。首の骨を折って死亡、と行かなかっただけ運が良かったという。
幸いにして、今回は前々世を思い出すといったことにはならなかった。

頭の傷はすでに水のメイジによる治療でふさがっている、母がかなり心配していた。
そんな話を、そばについていてくれたらしい父から聞いた。たしかに、首や肩が痛い以外はだいたい体に異常はない。

「『フライ』の失敗で落ちたと聞いたが?」

「あ、うん。そう……」

言いかけて気づく。俺は魔法の練習をしていたはずだ。ということは一人だったはず。誰が見ていた? 誰かいたのか? 
というか、どんな状況で落ちたのかよく覚えてない。

「あの、僕って誰が見つけてくれたんです? 一人で練習していたはずなんですが」

「ん? なんだ、『フライ』の練習をしていたのか。てっきり遊んでいたのかと思っていたが」

遊んでいた? めっちゃ魔法の練習してたんですけど。

「ツェルプストーのお嬢さんが血相変えて運び込んできたと聞いたぞ。なんだ、一緒に遊んでいたんじゃないのか?」

ツェルプストーのお嬢さんって、キュルケか。いつ来た。なんかどうも話が噛みあわん。伝言ゲーム状態だな。

「……彼女は?」

直接聞いた方が早い。

「泣きつかれて寝ていたから、隣の部屋で休ませたが……」

今はそこにいる、と顎で扉を示す。廊下にいるということか。

「ちょっと話を聞きたいんですが。僕自身、ちょっとどうやって落ちたのかよく分からない」

うん、と父は席を立ちながら、

「外すか?」

にやりと笑った。なんか誤解があるようだな。この年で逢引でもしてたと思ってるのか? まあいい、お願いします、と答えておく。
ときどきいるタイプで、父は理性的ではあるが、どうも勘が悪い。気の遣い方がおかしい時があるのだ。
なにやら父が勝手にニヤニヤしながら扉を開けると、そこに泣き顔のキュルケが立っていた。
『良く状況を覚えていないようだから、教えてあげてくれ』と言いながら父が出て行くと、おずおずと入ってくる。

「ラルフ、私、あの、遊びに来たら、ラルフが落ちるとこ見て、血だらけで、誰も見つからなくて。
 『レビテーション』が間に合わなかったから、ラルフだったら間に合ったのに、ラルフ運んで、私『治癒』使えないから」

落ち着け。泣くな。何を言ってるのかわからん。女の子はこれだから。少し笑いそうになる。

「ちょっと待って」

ぐすぐす泣いているキュルケを一旦止める。んー、要するに俺が『フライ』で落下するところを見て慌てて屋敷に運び込んだってところか?
それにしてもなぜいる。今日は虚無の曜日ではない。遊びに来ると言っていた日ではない……あれ? 
手紙を受け取ってからもう一日経ってしまっているから、ってそれでも虚無の曜日はまだだ。
……駄目だ、俺の頭も混乱してるな。状況がわからん。キュルケが落ち着くのを待って言葉を継ぐ。

「えーと、ごめんキュルケ。僕って、どうやって落ちた?」

「……え?……覚えてないの? 頭、大丈夫なの?」

頭大丈夫なのと来たもんだ。そのセリフにはものすごく突っ込みを入れてやりたいが、相手は真面目に心配そうな顔をしているので何も言えない。
ここは我慢だ。

「覚えてない。それに、キュルケは僕といっしょにいたっけ?」

「あ、えっとね、それは……」

キュルケの話によれば、昨日の午前中に僕の手紙を受け取ってすぐ、竜に乗ってうちへ来たのだという。
そして、使用人に尋ねたところ、俺が魔法の練習をしていると聞き、場所だけ確認して飛んできたらしい。

「それで見てたら、あなたが『フライ』を使いながら他の魔法を使ってるのを見て、びっくりしちゃって。
 そのまま見てたら、バランスを崩して落ちそうになったから……」

『レビテーション』を唱えたが間に合わなかった、とうつむく。


なんかだんだん思い出してきた。そう、最後はラインスペルを使って、使ったのは良いがバランスを大きく崩したのだ。
そして、レビテーションを使おうと思った瞬間に誰か、話からしてキュルケが『レビテーション』を唱えるのが聞こえ、驚いて気をそらした。
そしてキュルケの『レビテーション』は間に合わず、哀れラルフは頭から落っこちましたと。ゴシャッとな。
すごく嫌な感触がぶり返してきて、思わず右手を後頭部にやる。

……うん、まあある意味キュルケのせいだな。
キュルケは自分が間に合わなかったことを悔いているのだろうが、俺が自分で『レビテーション』を使っていれば間に合っていただろう。
『フライ』と他の魔法の併用の練習で落っこちかけるのは、最近の練習ではほぼ恒例のことだ。
当然失敗時のリカバリーは自分でやっているわけで、いつもなら『レビテーション』で軟着陸したあと、首を捻りながらもう一度『フライ』、となっていただろう。
しかし、こんなところでキュルケを責める気もない。俺がもう少し高く飛んでいればよかっただけの話だ。
あまり高いところを飛びすぎて屋敷の誰かに見られ、『フライ』と他の魔法を併用できることを知られるのも面倒だと、割と低い高さを飛ぶようにしていたのがいけなかった。
小さなリスクを避けるために無駄に大きななリスクを犯していたということだ。

結果、大きなリスクはみごと俺に返って来て、同時に小さい方も……って。

「ごめんなさい、わたしが……」
「あー、僕が『フライ』で飛びながら他の魔法を使ったこと、誰かに言った?」

五歳で杖を握り、ほとんど同時にラインとなって天才と騒がれた。
あれから六年が経ち、ずっと変わらずラインのままである俺のメイジとしての扱いは、今は『秀才』レベルに落ち着いている。
ここでまた飛行魔法と他の魔法を併用できるなんてことを知られると、またしても妙な期待が高まることになる。

「え? ……っと? 言ったかしら……?」

キュルケは首を傾げる。

「たぶん、言ってない……と思うわ」

しっかりしてくれ。ってまあ、慌てていたなら、何を言ったか憶えてないかもしれんな。
そう考えれば、そんな状態でうまく説明できたとは思えん。つまり、多分だが、誰にも伝わってはいない。

「悪いけど、それは誰にも言わないでくれないかな」

「どうして? すごいことでしょ?」

まあねー。
まぐれでつかんだ感触だったとはいえ、物にしつつあるのは俺の努力の成果だ。

「ええっと、なんて言ったらいいかな、そんなことができるって知られたら、また魔法の練習がうるさくなるから、かな」

「あー、そういうことかぁ。うん、わかった、秘密にするわ」

おお、あっさり納得した。

「私もね、最近魔法の練習が大変なの。今までは魔法で遊ぶくらいだったのに、もうすっっっごく厳しくなって。
 ラルフから手紙の返事が来たから、それで早く城を出たくって遊びに来たの」

まあ、俺に逢いたくて仕方がなかった、なんてのは期待してはいなかった。軍隊式の訓練がきつくて近所に逃げ出してきたか。

「ああ、なるほど。ツェルプストー家だと、うちよりも確実に厳しそうだね」

厳しそう、ではなく厳しいに違いない。
お気楽お転婆で、見るからに才能だけでラインになったような今のキュルケが、魔法学院に入学するまでにトライアングルとなり、高速詠唱を物にし、軍の戦い方と心構えを身につけるくらいには。考えてみるとツェルプストーすごいな。そして俺はキュルケに追い抜かれそうだ。

「そうなのよ。この前なんかね……」

ツェルプストー家の魔法訓練について語りだすキュルケ。
うん、聞けば聞くほど、マジでツェルプストーすげえ。杖の振り方一つで鞭が飛ぶって何よ。厳しすぎるだろ。俺なんて剣杖はともかく、杖術なんか我流だぞ。

「はあ……ほんとに厳しいな。俺なんて半分我流だよ? それに、魔法を放つときの杖の振り方まで指導されたことはないし」

つーかそんな型のようなものがあることさえ知らなかったよ。
「こんな感じ」とキュルケがワンドを取り出して振ってみせるが、なるほどどこか洗練された動きに見えなくもない。

「まあ、逃げ出してくるならうちはいつでも歓迎するよ」と、笑って言ってみるが、

「うん。でも、これからは少し真面目にやるわ」

そう言って、キュルケは初めて見る、少し硬い顔つきになった。

「うん? どうして」

「あのね、ラルフ、あなた、私が『レビテーション』を唱えなかったら、落ちなかったんじゃない?」

「……ああ、まあ、たぶん」

気づくか。確かに、少なくとも今は、彼女の魔法は俺より『遅い』。

「私が余計なことをしなければ、それか、私の魔法が間に合えば、落ちなかったのよね」

「いや、別にキュルケは何も悪くないよ。俺がもう少し高く飛んでれば良かったと思う。結果的に大したことはなかったわけだし」

というか、何も予期していない状態からとっさに魔法を唱えられた機転がすごいと思う。俺なら無理かも。

「大したことないことないわよ! あなた、ボールみたいに跳ねてって、血まみれだったのよ!? 
 今は治療が済んでるけど、すごい血まみれで、もう、こっちが死ぬかと思ったのよ!」

あなたは死にません。落ち着け、言葉が変になってる。

「だから、もう少し真面目に魔法の練習もするわ。水の魔法も、私には向いてないだろうけど、少しは覚える」

決然と拳を握るキュルケ。なにやら彼女の目に火が灯っているような錯覚を覚える。
そんなに魔法訓練に一生懸命になることもないと思う。たまには逃げ出しても良いと思う。

「あー、でも、遊びに来てくれたのは嬉しいからさ、魔法の練習を抜け出すなら、また遊びに来て欲しいな、僕は」

「あら、それはもちろん」

サラリと答えて笑顔になる。切り替えの早さがすごい。こっちがついていけなくなりそうだ。

「別に訓練に飽きた時じゃなくても、遊びに来るわ。あなたもよ、ラルフ」

あっさりと言われたその言葉に、ちょっとぽかんとしてしまう。
なんというか……彼女は、ほんとうに、とても魅力的だと思う。俺が密かに期待した言葉を、さらりと言ってのける。

「……うん、行くよ。ハープを聴かせてくれるんだろ?」

ハープを奏でるキュルケを想像して、きっと女神みたいに綺麗だろう、と思った。





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キュルケをなるべくキャラ崩壊を防ぎつつ魅力的に描くべく苦心惨憺しました。どうでしょう?

キュルケにとってはラルフ君は多少フラグを立てられたとはいえ、友達の一人です。
ラルフ君にとっては女神になりつつあるかも。




[14793] 新しい日常
Name: bb◆145d5e40 ID:1ea3af11
Date: 2010/05/02 13:17
 一年前にハープを奏でてみせるキュルケを見たときは、本気で女神みたいだと思った。『彼』の知識のノートにある、ギリシャの神話の中の光景。まるでその一幕が目の前に現出したかのような姿に見えた。

 それはたしかに素晴らしかったのだが、このキュルケという少女はそれだけではなかった。それで彼女のことがわかったと思うのは甘すぎた。

「ラルフ!」

 そして、今日もやってきた。小さな―――といっても俺よりは随分大きいが―――真っ赤なじゃじゃ馬が。







新しい日常







 ゲルマニアという国はもとは諸侯連合であっただけに、うちとツェルプストーのような関係がない限り、貴族たちの縦・横の結びつきは総じて弱い。が、別にそれは社交界のようなものがないということではない。
 で、最近ツェルプストー伯の娘としてちょこちょこそういう場に顔を出すようになったキュルケが、貴族子女たちの人気と羨望を集めるにはそう時間がかからなかった、らしい。
 らしいというのは、キュルケの話と最近の現状を鑑みて俺が総合的にそう判断したということなのだが、これはそう間違っていないと思う―――目の前のキュルケと、なんだか機嫌の悪そうな14,5歳くらいの少年を見る限り。最近よくあることだ。
 キュルケに惹かれた貴族子女がツェルプストー城にやってきて、遊びに行こうと言われて二人で竜に乗ったら、連れていかれた先には自分よりキュルケと仲の良さそうな貴族の少年がいる。これじゃ気分が悪いに決まっている。これでやってくるのがもっと年かさの若い貴族やなんかだったらいいのだが、今のところこうしてやってくるのは少し年上か同じ年頃の貴族子女ばかりだ。青年貴族のような人なら、遊びに行こうと言われてのこのこ着いて行くのではなく、自分でどこかへエスコートしようとするだろうしな……。
 彼らの年ではまだ、笑ってごまかすのもうまくない。「なんなんだよ、こいつは」という視線でこちらを見ているのがまるわかりである。

「はじめまして、マテウス子爵家のものでラルフ・フォン・マテウスと申します。キュルケ、こちらの方は?」

 で、せめて悪印象を抑えるべく、下手に出ることにしている。

「ベルゲングリューン伯爵家次期当主、ルドルフ・フランツ・フォン・ベルゲングリューンだ。よろしく」

 キュルケの紹介を待たず、ぶっきらぼうに少年が答えた。自分から次期当主と言い出すあたりに、自己顕示欲の強さを感じる。数年後にはがっちりとした肉付きになるであろう大きめの体躯、金色の髪と広い額の下で、意志の強さと頑固さ、あるいは短気さを感じさせる太い眉がしかめられている。立派な名前に見合った堅実そうな印象なのだが、戸惑いと不満を隠しきれていない。

「はい、こちらこそどうぞよろしくお願いします。……で?」

 キュルケに視線をやってみる。

「遊びに来たんじゃない」

 しれっと答える。あまり期待はしていなかったが、この状況を俺にどうしろというのだ。

「それでどうするつもりかを訊いてるんだけど?」

 こうして遣り取りをする間にも、割と親しげな俺とキュルケの口のききかたに、この場にいるもう一人の少年の機嫌がどんどん悪くなっていくのを感じる。

「一緒に遊びに行きましょ。今日は新しい地図もあるし」
「ちょっと待った」

 ごそごそと地図を取り出すキュルケを制する。

「ヘル・ベルゲングリューンがいるんだよ。そんなのに付き合わせるつもり?」

 キュルケの言う地図とは『宝の地図』のことである。一体どこで見つけてくるのか知らないが、大抵の場合うまい具合に森の洞窟やら無人の館やらが目的地になっていて探検することになる。運が良いと熊や狼と出くわして魔法で吹っ飛ばす事になる。そして、大抵の場合運がいい。当たり前だが宝物はまずない。「非常に運が悪い事に」一度だけちょっとした宝石箱が隠されているのを見つけたのだが、それだけだ。だが、キュルケを次なる探検に駆り立てるには十分だったらしい。最近は物騒な噂をネタに探検に出ることさえある。
 こんな危険な冒険ごっこに付き合わされてはたまらないだろう。面倒だから二人で行ってこいと言うこともできるのだが、もし本当に連れて行かれたら哀れすぎる。身を守るのにドットの魔法じゃ頼りない。

「だめなの? えーとじゃあ……」
「お茶にしよう、ちょうど僕の魔法の練習も一段落付いたところだから。ヘル、いかがでしょうか?」

 またぞろ平民の服に着替えて街に繰り出すなんて言い出されてはたまらないので、先回りして言う。うちに遊びに来たときに教えてしまったせいで、キュルケはそういう遊びの味をしめてしまった。あの頃は、キュルケがここまで手に余るとは思っていなかった。

「ああ、構わない」
「それでは用意するように伝えてきます。あちらのテーブルにでお待ちください」

 中庭の小さなテーブルを示して、使用人を探しに行くことにする。なんで俺がこんなサービスマンのような真似をしなきゃならんのだ……。

「彼もメイジなのか。どの系統を使うのかな?」
「『風』よ。かなりの腕よ?」

 だいぶ離れたが、むこうで話している二人の会話が気になってつい聞いてしまう。

「ほう、そうなのか。僕とどちらが上なのか競ってみたいものだな」
「よしなさいよ、『ライン』よ、ラルフは」

 ああ、一番いやな流れになりつつあるな……。
 なるべくさっさとその場を離れ、使用人が控えているところまで行くと、エリカというまだ幼いメイドが待機していた。この一年で新たに雇入れた子だ。

「エリカ、ティーセットと何かすぐに用意できるお菓子を出してくれないか、三人分」
「かしこまりました。お客様がいらっしゃっていたのですか? 今はビスケットくらいしかありませんが……」
「それでいいよ」

 二つ返事で準備を始めるエリカを壁に背をあずけてぼんやり眺めていると、視線に気づいたエリカがこちらを振り向く。

「どこにお持ちすれば良いか言っていただければ、そこでお待ちにならなくても……」
「いや、戻りたくないんだ」
「? ……ああ、キュルケ様ですか」

 察したらしく、苦笑するエリカ。正面から来訪せず、週に一度いきなり物々しい軍装の火竜で敷地に降り立つキュルケは、うちの使用人たちの間でも有名である。あまり俺に好意的でない連れが時々いることも。

「連れはベルゲングリューン伯爵家の次期当主だそうだ。ちょっとご機嫌斜めになってるから、頼むよ」
「かしこまりました」

 そういってエリカは良い笑顔になる。彼女の母親は以前うちでメイド長まで務めたメイドだそうで、教育が行き届いているのか幼いながらよくできた聡い子だ。
 そのまま暫く待っていると、かちゃかちゃと響いていたティーカップの音が止んだ。

「準備できました。参りましょう」
「ああ」

 エリカの先に立って、中庭へ向かって歩く。ついてきているのをふと振り返ってみたときに、エリカの耳飾りが普段と違っているのに気づいた。今までよりかなり意匠が凝ったものになっている。左右で双月と太陽のモチーフか? 前はかなりシンプルなデザインのものを使っていたはずだ。

「その耳飾りはいつもと違う?」
「あ、変えたんです。先日私の誕生日を使用人の皆さんで祝っていただいたときに頂戴しまして。わざわざ注文されたそうで、一点物なんだそうです」
「へえ、良かったじゃないか、よく似合ってる」
「ふふ、ありがとうございます」

 耳飾りね。アクセサリーの類はあまり良く知らないが、エリカのは随分と出来がいいものだ。エリカの母には皆世話になったという話だったから、皆で出しあって良いものを用意したのだろう。
 キュルケなら……太陽か炎をモチーフにするところか? 炎のモチーフというのは女性のアクセサリーとしてはあまり趣味が良い気がしない、そもそもキュルケはアクセサリーの類を身につけない。想像してみるが、似合いそうなものは思いつかなかった。




 中庭に近付くにつれ、ベルゲングリューンがヒートアップしているのが聞こえてきた。耳が良いというのは便利だが、聞きたくもないことを聞いてしまうという点では嫌なものだ。

「彼がどれだけ『風』を使えると言っても、ここのマテウス子爵はほとんど軍も持たないそうじゃないか。そんなところの育ちでは、実際の戦いではとても役に立つまい」

「うーん、兵は結構いるみたいよ? 実際、うちの領内の幻獣討伐なんかにはこちらで対応してもらうことも多いらしいし。あ、来たわ」

 かったるそうにキュルケが返事をしている。駄目だな、彼の方は俺が気に入らないばかりに、熱くなって本来の目的やなんかも外れつつあるようだ。誰が聞いているともしれないのに、この屋敷で父のことまで悪く言うとは……。俺は怒ってもいいと思う。
 何かテーブルゲームの類でも持ってくれば良かったかも。俺が適度に負けてやれば、彼も落ち着きを取り戻してくれるかもしれない。今からでもエリカに持ってこさせるか? と考えながら、挨拶をして席に着くと、眉をしかめたままのベルゲングリューンが話しかけてくる。

「君は風の『ライン』だそうだな?」
「はい、まだまだ未熟ではありますが。ヘル・ベルゲングリューンも風の使い手でいらっしゃいますか?」
「ふん、そうか。いや、僕が選ばれし系統は『土』だ」

 悔しそうに言う彼。相変わらずご機嫌斜めで今にも決闘をふっかけられそうだ。恐らくこの男はドットだし、それほど馬鹿なタイプではなさそうだから我慢してくれると信じたい。
 失礼します、と言いながらエリカが紅茶を注いで回る。

「あら、あなたのその耳飾り、きれいね」

 キュルケがエリカに目をつけた。これまた非常にまずい。

「ありがとうございます」
「それ、ゆずってくれないかしら」

 にこやかに答えたエリカの顔がこわばる。

「あの、申し訳ありません、これは大切なものでして……」
「譲って欲しいわ」
「本当に申し訳ありませんが……」
「欲しいわ」

 一方通行な会話を続けながら、キュルケは次第に笑みを深くしていく。エリカは本当によくやっていると思う。全く失礼のないように断っているが、それだけでは駄目なのだ。一度こうなるとキュルケは止まらないし、次には手が出かねない。
 欲しいと思ったものは、力づくでも何でも、とにかく手に入れる。そういう人間なのだと、この一年で十分に知った。

「ど・う・し・て・も?」

 さらにサディスティックな笑みを浮かべてキュルケが問う。最悪だ。たぶん、もう欲しいとかどうとかよりも、奪い取ること、困らせること自体が目的になりつつあるのだろう。エリカはもう答えることもできなくなっている。

「キュルケ、やめてやってくれ。彼女はうちのメイドだよ」

 あまり効果がないと知りつつも止めに入るが、さらに余計なことを言い出す奴がいた。

「構わないじゃないか、メイドのものだろう? 君が渡すように言ってやれば良いことだろう」

 黙れ豚野郎、と言いたいのをどうにか堪えるが、さっきからのあれこれでこちらも苛立っていて、つい口が余計に出た。

「ヘル、当家のものは当家のものです。あなたにどうこう口を出される言われはない」
「なに……」
「エリカ、もういい、下がって」
「は、はい、いえ、しかし」
「あら? あたしの用はまだ済んでないわ」
「君、それはどういう意味だ」

 なんだ、このぐちゃぐちゃな状況は。たった今始まったばかりの茶会だというのに、今までで一番空気が悪い。今までにもキュルケの連れに決闘をふっかけられたりすることはあったが、ここまでひどくはなかった。一度目を閉じて、深呼吸する。

「……エリカ、とにかく下がれ」
「は、はいっ! 失礼します!」

 思い切り睨みつける視線でエリカを下がらせた。エリカはぴょこんと頭を下げて走るようなスピードで去っていく。

「ちょっと、待ちなさ……」
「しばらく黙っていろキュルケ」
「なっ……」

 俺がここまでひどい言い方をすることはほとんど無いので、さすがのキュルケも俺の苛立ちがわかったらしく言葉を切った。すると今度は脇からベルゲングリューンが口を出す。

「君、さっきから随分と無礼な物言いだな?」

 そう、こいつだ。こいつが余計なことを言い出さなければまだなんとか片はつけられたと思う。だいたい、俺が止めていなければ、こいつはキュルケの宝探しに付き合わされていたのだ。どうせ嫉妬で決闘をふっかける口実でも探していたに違いない。ドットの分際で何も知らない癖につけ上がりやがって……。おまけに父のことまで悪く言っていた。無礼というならこちらの話で、さっさと消えろと言いたくなる。

「あなたにはうちのものに口を出される言われはありません。それだけですが、何か? 気に入らなければ、どうかお引き取りください」
「それだけではないぞ。フラウ・ツェルプストーに対しても随分と無礼な物言いだっったじゃないか。どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も……。彼女はその程度のことで名誉を害されたなどと思うほど小さな人間じゃない」

 キュルケの方に目を遣ると、「面白いことになってきた」という表情でにやにやしていた。それ見たことか、である。

「ま、別にあたしは気にはしないけど。せっかくだから、あなたたち、決闘でもしてはっきりさせちゃえば良いんじゃないかと思うわ」

 ひらひらと手を振るキュルケ。誰のせいでこうなったと思っている?

「望むところだ」

 そして即答するベルゲングリューン。はあ、結局こうなるわけだ。

「……わかったよ」

 なんでこうなるかな、毎回。俺は深々とため息を吐きだした。




 ……結果として、現在ベルゲングリューンは俺の『ウィンド・ブレイク』で10メイルくらい吹っ飛び、地べたに頭をぶつけて目をぐるぐる回している。

「ちゃんと連れ帰ってくれよ」

 一度も口をつけていなかったカップからぬるい紅茶をすすりながら、芝生に寝かせた彼をさして俺がそう言うと、置いていったらどうなるかしら? とキュルケは楽しそうに笑った。悪意のある笑いなのに、綺麗で腹立たしい。

「やめてくれ……」

 キュルケの連れが決闘をふっかけてきたのは、これでもう4人目で、そのたびにキュルケは楽しそうに観戦するのだ。どうかすると脇から火球を飛ばしてくることすらある。
 まあ、今までのは彼らがキュルケにいいところを見せようとした、いわば決闘もどきだった。ちゃんと『決闘だ!』という話になったのは、たぶん今回が初めてだっただろう。結果は今までと大した違いは無かったわけだが。所詮はガキの喧嘩である。

「うん、結構楽しめたわよ? 勝負にならないのはわかってたけど」
「わかってるなら煽らないでくれよ。結構疲れるんだ、ほんとうに」

 主に精神的に。人と対立するということは、疲れる。
 だいたい、キュルケのような才にあふれた例外を除けば、この年のメイジはほぼ全員がドットである。俺もまた例外であり、同年代に魔法で押し負けることはまずない。たいていの相手はあっという間に『ウィンド・ブレイク』で吹っ飛ぶことになる。
 先程のベルゲングリューンは土のメイジだ。強固な守りと重量のある攻撃力は、風のメイジに対して相性はいい。このあたりに彼は勝機を見ていたのだろうが、所詮はドットであり、俺が本気で風を操ればゴーレムや土壁くらいはどうとでもなるわけで。その結果として彼は地べたに転がっている。
 更にいえばクラス云々を別にしても、普段の俺の生活は、一人で魔法練習、衛士たちと武器の手合わせ、ときどき父の事務手伝い、息抜きに一人で町へ出て食事かお茶。基本的にこれだけで占められているのである。他の連中が同年代と遊んでいる間、ただ黙々と一人で魔法をぶっぱなしている、それが俺だ。魔法で負けるわけがない。

「エリカ、さっきのメイドだけどさ、あの耳飾りはあの子の誕生日に使用人たちが皆で金を出しあって贈ったものらしいんだ。ついさっき俺も聞いたばかりだったんだけど」
「……そっか。うーん、それは……うーん」

 なにやら考え込んでいる様子だが、キュルケが何を考えているのかは知らない。キュルケがああいう性質なのはもうわかっているし、それを変えようとも思わない。誰かを変えるというのは、本当に難しいことだと知っている。だからこれは、俺の言い訳のようなものだ。

「そもそも、キュルケにはあの耳飾りは似合わないと思うし」
「なあに、それ。どういう意味よ」
「そのままの意味」

 キュルケは不満そうにするが、実際そう思うんだから仕方ない。変に飾るよりも、そのままの方が彼女は美しい。
 この一年で、キュルケは身長が伸び、出る所も出てきて、さながら美の神のような完璧な肢体を手に入れつつある。そして、彼女自身も、自分の魅力というものに気づき始めている。男を誘惑するといったことはあまりしているように見えないが、自分の行動で周りの男がどういう反応をするのかということは十分に理解しているだろう。

「ねえラルフ」

 カップから目をあげると、キュルケは何か微妙な表情を浮かべていた。

「なに?」
「最近気づいたんだけど、ラルフってちょっとひとと変わってるわよね」
「そう?」

 こういうことを女性に言われると、少しどきりとするものだ。
 しかし、そんなに変わっているだろうか、と考える。ある意味、世界に一人しかいないレベルでものすごく変わってる、という自覚はあるが、それ以外の点では単なるネクラでしかない。あとは、精神的に同年代を見おろしている、とか。そんな程度のものだ。

「そうなのよ。あなたは変わってるわ」

 そっか、と俺は適当に相槌を打った。なんとなく、彼女のいう「変わってる」というのが、世間が父をさしていう「変わり者」のような意味でないのはわかった。だが、自分がどこか特別である、となどいうことを信じるつもりはない。
 自分が自分以外にとって価値あるものであるなどという考えは、捨てた方がいい。お前が思うほど、他者はお前を意識していない。お前がいてもいなくても、世界は変わらずに回っていく。お前は特別ではない。『彼』はいつも自分自身に対してそう考えていたし、俺だってそうだ。
 要するに、過剰な自信と自意識を持つなということだ。

「……ま、いっか。ね、ラルフ、あのメイドの子に謝っといて」
「俺が? キュルケがじゃなくって?」
「まあいーじゃないの、細かいことは」

 あっはっはー、と軽く笑って流される。俺がエリカに謝っても何の意味もない……のだが、この眩い笑顔に誤魔化されて、いつも大した文句は言えず仕舞いになってしまう。

「ああそれから、今度の虚無の曜日は教練がお休みだから、今日行けなかったところの探検に行くわよ」
「また? どうせ何も無いんだし、もっと他の……」
「今度のは違うのよ!」

 どうせ同じに決まっている。とかなんだかんだ言っても、結局付き合ってしまうのだが。洞窟や廃墟探検というのは、俺だって嫌いじゃないのだ。野獣なんかがいなければ。

「……信じてないわね? ほんとにいつもとは違うの。お宝探索じゃなくって、謎の屋敷を探索するのよ」

 キュルケは真面目な顔を作って言うが、こっちはあまりにもいつもと変わらない内容に思わず噴き出してしまった。

「ク、ハハッ。いつもと一緒じゃないか……。今までだって謎の屋敷は探検してるだろ。大型獣が住み着いてないだけ、洞窟なんかよりはいいけどさ」
「だーかぁら、こんどこそ違うんだってば!」

 すごく扱いにくいじゃじゃ馬だが、彼女はいつも俺に明るい何かをもたらしてくれる、そんな気がしてしまう。こんな日々が続くなら、もう何も考えたり悩んだりする必要はないんじゃないかと、ときどき考えてしまうくらいに。




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以下作者の愚痴です。だらだら書いたら長くなった。読まなくていい内容です。

 キュルケって、タバサと違って原作中で伏線を回収しきられていないので非常に扱いにくかったりします。

・作中ではわずかに仄めかされただけのヴィンドボナを退学になった「事件」って?
・使い魔がいない。つまり、ヴィンドボナを退学になるまでに使い魔召喚をしていない?
・公爵と結婚させられそうになった。つまり、跡継ぎではない。兄か弟がいる? 家族構成が謎。
・名前に入っている「アウグスタ」が激しく気になる。さすがに皇帝の一族ってことはないよね? 皇帝まだ戴冠してそんなにたってないらしいし。

 などなど。地雷だらけ。踏まないように頑張ろう。
 ゲルマニアという国も、ヴィンドボナも、原作中にほとんど出てこないからさっぱり想像がつかない。アルブレヒト三世の小物感を見るに、今後も原作の中心地になるとは思えないし。
 とりあえずキュルケは昔から欲しいものは何でも力づくで手に入れるわがまま娘だったらしいので、今回はキュルケの性質とラルフとの関係を書く閑話的な物になりました。ロマンチックばっかりじゃ、こっちが持たないよ。前回のだって、原作一巻のオマージュだし。次からは、らるふときゅるけのだいぼうけん的なものにする予定です。

 初期ラルフには作者の疑問と欠点を押し付けたキャラを考えていたのに、設定を作り肉付けをしたらなんかまるで別人に。ラルフという人間を外から見たときの描写が足りないのも感じるし、段々一人称で書くのが辛くなってきた……。



[14793] ラルフとキュルケの冒険(1)
Name: bb◆145d5e40 ID:1ea3af11
Date: 2010/05/02 13:17
 フォン・ツェルプストー領国境にある黒い森のほど近くにある村で、キュルケは通りがかった農夫を呼び止めた。

「ねえ、このあたりの森の中になんだか変な建物があるって聞いたんだけど、あなた、知らないかしら?」
「おお、キュルケ様でございますか? お美しくなられましたなあ。いや、ほんとに、女神さまのようにじゃございませんか」

 ありがたやありがたや、といった雰囲気の漂いだした初老の男を早めに制してラルフが質問を続けた。

「それで、このあたりに何か妙な建物があるっていう話を聞いたことはあるかな」
「こりゃ失礼しました。この森にですか……。聞いたことはございませんなあ。いや? 子供らが何か遊びで言っておったこともありましたが、ええ、まあ与太話で」
「そうか。ありがとう」

 礼を言って老人が立ち去るのを待ってから、ラルフは微妙な視線をキュルケに投げる。

「……その子どもの遊びの話を真に受けてやってきたとはさすがに言えないよね、キュルケ」

 この皮肉にはさすがのキュルケも冷や汗の垂れそうな強張った笑いで誤魔化すしかなかったが、すぐに、

「ま、まーいいじゃない! せっかく来たんだし! 行ってみましょう!」

 と気を取り直し、森に向けてずんずん歩き始める。一つ小さくため息をついて、ラルフも後を追った。








ラルフとキュルケの冒険








 近ごろのキュルケの探検のテーマは「噂の場所に行ってみよう」である。
 もともと、フォン・ツェルプストーもフォン・マテウスも治安は良い。代々国境を守る精強の伯爵軍が守るツェルプストー領と、そのツェルプストーと関係があり、小さな領地には見合わないほどの警邏兵を置いているマテウス領。どちらも内政的に安定しており、領地経営も順調。危険な幻獣などが現れても速やかに対処される。二つの領地はどちらも十分に管理されており、宝探しに行くようなおかしな場所というのは少ないのである。
 そのため、キュルケは宝探しという理由をあっさり放棄した。もともと彼女にとって「宝探し」は単なる言い訳で、要するに退屈なので冒険がしたいのだ。今度はちょっとしたうわさ話の真偽を確かめに行くというのが主になった。ラルフは最初のうちこそ面倒がったり引き止めたりしたが、今は黙ってついてくる。

「ここの森ってトリステインにつながってるだろ。あまり深入りしない方が良いんじゃない?」
「まあそういう風に言われてはいるけどね。気にしちゃ負けよ」

 何に負けるというのか分からないが、その一言でラルフは文句を言うのをやめた。もはや言うだけ無駄というものである。そんなことは初めからわかっていたのだ。
 獣道なのか人が通った道なのか分からない半端な道を二人は歩いていく。しかしすぐに道は途切れた。

「……終わってるな」
「終わってるわね」

 無論、道が、である。
 もともと人が入る道なのかすら微妙な道ではあったが、森の入口から数百メイルほど歩いたところで完全に途切れている。

「どうする?」
「そりゃ、進むわよ? どっちに、って問題はあるけど」

 そう言うと、キュルケは手馴れた様子で目印となりそうな枝を見繕って『着火』のスペルで燃やし始めた。ラルフもまた、地面に杖を垂直に立て、目を閉じて手を離す。杖が倒れた方向は、左。

「それじゃ、こっちだな」
「それでいいわ」

 実に適当なものだが、彼らの冒険はいつもこんな調子で進行していた。野獣などと出くわしてキュルケが満足するまで、この冒険は続くのだ。
 キュルケとラルフは交互に着火の呪文を唱え、下草を踏みしだきながら道なき道を進んで行く。この森は密林なような下草があるわけではない、だからそれなりに普通に歩けてしまう。それが良くない。どうにかしてキュルケが入り込めないような森にしなくてはならない――そんなことを半ば本気でぼんやりと考えていたラルフは、急に目の前が開けたことに驚いた。

「……あれ?」

 道から外れてそう歩かないうちに、再び道らしいところへ出た。しかも、左を見ればそう離れていないところで切れている。

「おかしいな、これ」

 道が続いている右は、大雑把に見てトリステインに向かう方角。しかしトリステインとの国境は何リーグあるか知れないが、とにかくずっと向こうである。そんなところまでこの道が通じているはずはない。ならば、この道は一体どこへ向かっているというのか?

「変ね。これは、怪しいわ」

 怪しいと言いつつ、キュルケの目は好奇心に燃え立っている。

「ま、行ってみようじゃない。たしかに変なことは変だ」

 ラルフも同意し、歩を進めはじめる。と、しかしラルフの足はすぐに止まった。

「どうしたのよ?」
「……何か獣の声が聞こえた気がした」

 森の探検など、どこから危険なものが現れるかしれない場合の接敵探知は、風のメイジであるラルフの役目だ。しばらくの間キュルケも声をひそめ、ラルフは耳を澄ましたが、結局それらしい音は聞き取れず、再び進み始める。
 新たにあらわれた道を行くにつれて、今度の道は明らかに人の歩いたものらしき雰囲気があることに二人は気付いた。それでいて、狩人の道とも違う。

「これは、いよいよ怪しいわ」
「そうだな」

 後ろから聞こえるキュルケの楽しげな声に、先を行くラルフもまた少し楽しげに首肯した。腰の重い性質ではあるが、ラルフも人並みの好奇心は持っている。道なき道を行くという不毛にも感じる道程ではなく、“少なくともこの先に何かあるらしい”というのは彼の気持ちを上向けていた。
 歩みを進めるごとに、次第に森は明るくなっていく。この先で森が切れているのだ。半リーグばかり歩いたかというところで、二人は森の中にぽっかりと空いた広場のような場所に出た。広場と言っても、5メイル四方程度の広さしかない。火竜で上空から下見した際には確認できなかったとしても仕方ないだろう。そして、その広場の向こうには明らかに人の手によって作られたと思しき土壁があった。

「これは……土のメイジが作ったものか。人が住んでいるのか?」

 平らなところに無理やり土を盛って作り上げた、人工の洞穴といった具合のものである。きちんとした建物の形を全くとってはいないが、窓や扉がいくつかあり、大きさ自体はかなりのものがある。ラルフ達の側からは向こう側が見えないが、少なくともこちら側の壁の幅は15メイル程度はあった。土の盛られた高さから、恐らく内部は半地下のような状態だろうと想像される。屋根の部分には雑草が茂っていて、作られてからそれなりの時間が経ったことをうかがわせた。

「誰が住んでるのか知らないけど 、随分隠れていたいみたいじゃない」

 誰にともなく挑発的な口調で言うキュルケの言葉が終わらないうちに、土壁に備え付けられた小さな扉が開き、一人の男が現れた。




 その男を見たとき、ラルフはすぐに嫌悪感を懐いた。
 一目見れば、その手に握った小さなワンドから男がメイジであると知れる。身を包むのは質素な平民風の衣服。そのなりだけ見れば、ごく普通の野に下ったメイジである。一言で言い表すならば、隠者。しかしそれらのものより、ラルフにはその顔つきが先に印象づいた。やつれているというわけではなく、別に疲れているようにも見えないのだが……、表情が、ではなく顔つきが、精根尽き果てた人間のような顔をしている。
“こんな人間がいるのか”
 不思議に思いながらも、その外見はどうにも嫌悪感をもよおす。
 その上男はこちらを排斥しようとするような剣呑な空気を漂わせており、一瞬の間ぼうっとした後にラルフは警戒心を最大にした。

「……なんですかあなたたちは? な、何をしに来たのですか」

 微妙にどもりながらも口調は丁寧だった。しかし声音は男がこちらにいい感情を持っていないという確信を深めさせる。ラルフはすでに構えていた杖を握り直し、いざという場合にはどの呪文で自分たちの身を守るかを頭の中で選択した。

「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。ここがどこの領地かはご存知よね? 
 ――それで、あなたは誰で、ここで何をしているのかしら」

 内心で殺気立ったラルフとは違い、キュルケは微塵も躊躇せずに堂々とツェルプストーの紋章を示して名乗り、誰何した。明らかに剣呑な空気を放っているメイジを前にしてのこの豪胆さは、さすがと言うべきなのか、それとも未熟さのゆえか。
 しかし、その一言は男の態度を一変させた。

「……ああ、ツェルプストー伯爵家のお方ですか? これは、まことに失礼を致しました。どうかご容赦をお願いいたします」

 未だあまり好意的ではないものの、敵意は完全に消えうせ、地に片膝をついて礼をする。あまりさまになっていない礼ではあったが、紛れもなく貴族が取る態度だった。杖を振り上げかねない態度から一転した男にキュルケは一瞬あっけに取られたが、再びさきほどの質問を繰り返す。

「……それはもういいわ。立ってちょうだい。
 ――それでもう一度聞くけど、あなたは誰で、ここで何をしてるの? こんなところにメイジが住んでいるなんてのは、うちの方でも知られてないと思うんだけど。それにあなた、ゲルマニアの人間ではないわね?」
「それは……その、申し訳ございません。見ての通り隠者のように暮らしておりますので。
 私は、元はガリアのものです。以前はガリアのアカデミーに務めていたのですが、今は名を捨てております」

 キュルケは『アカデミー』という言葉にいったん下火になっていた好奇心をおおいに煽られた。
 ハルケギニアの各国はそれぞれ王立の魔法研究機関(アカデミー)を持ち、そこでは6000年のうちに散逸した歴史や魔法の研究、新しいマジックアイテムの開発などが行われている。魔法大国と呼ばれるガリアのそれがキュルケの興味をひかないわけがない。

「アカデミー? へえ、あなた、ガリアで何かの研究をしていたわけ?」
「ええ、今はもうそれも止めてしまいましたが」

 にべもなく男は話を切ったが、その程度ではキュルケの好奇心は止まらないことをラルフは知っている。

「……あなたの名前は? 研究の内容は?」

 キュルケが次の質問をする前にラルフは口を挟んだ。
 この男は未だに名乗っていない。その顔を見れば、口には出していないもののはっきりと“帰ってほしい、早く”と書いてある。こんなところに暮らしているくらいなのだから人嫌いなのは想像がつくが、ラルフはこの男の肝心なことを話さずにいる態度が気になった。

「ああ、申し遅れました。わたくしはギヨームと申します。かつてはギヨーム・ド・ブラントームと名乗っておりました。ガリアでは、魔法生物の研究を」
「魔法生物ねえ。どんなものの研究だったのかしら」

 魔法生物。幻獣とも呼ばれるそれは、数多くの種類が存在する。人の身近には各国の魔法衛士隊が騎乗用に使役するドラゴン、グリフォン、ヒポグリフ、マンティコアが、野生にはサラマンダーやヒッポカンポスなどが、火竜山脈や海中などといった環境を問わずハルケギニアのあらゆる場所に生息している。

「キメラ、つまり合成獣です。様々な動物や幻獣の特徴を併せ持つ、新しい魔法生物を生み出すことを目的とした研究でした。こちらに来てからも少しばかり続けていたのですが、もうやめております」
「合成獣……?」

 キュルケはよく分からないという表情になる。
 それはラルフが『彼』と呼んでいる前世において「タバサの冒険」という外伝として語られた内容ではあるのだが、それほど熱心な読者ではなかった『彼』はその物語を知らなかった。当然ながらラルフもまたその知識を持たない。しかし「キメラ」と聞けば内容は自ずと知れた。

「つまり、グリフォンやマンティコアみたいなものを人工的に作り出す、ってことですか」
「ええ、まさしくその通りです。私の目指していたものはまさにそれだったのですがね。ガリアの研究所ではそれがきちんと認められませんでした。結局、実験体が暴走して研究所のある森もろともに閉鎖される自体になったと聞き及んでおります」

 ざまを見ろ、という思いがはっきりと見て取れる薄笑いを浮かべ、ギヨームと名乗った男は肯定する。おそらくは何かの確執があったのだろうが、その表情はさすがにキュルケの眉をもひそめさせた。

「ねえあなた、その研究をここでもやっていたって言ってたわね。どういうことをやっていたのか見てみたいんだけど、構わないわよね」

 もっともな要求である。そんなバイオハザードを起こすような研究を自領でやっていたというのでは不安にもなる。ラルフとは違いバイオハザードなどという概念をキュルケは持たないが、その危険性は十分に理解していた。

「構いませんが……もうほとんどの実験体は処分しております。ガリアで起こったことと同じことがここでも起こるという心配は御無用ですよ。中はちょっと散らかっておりますし……」
「それはこちらが判断することでしょう。心配無用だというなら、きちんと見せるものを見せて安心させてほしいな」

 渋る様子のギヨームをラルフは理屈で黙らせ、土の建物へ促した。




「すごいじゃない……」

 生活感のある部屋を抜けて研究室のような空間に案内され、二人が見せられたキメラの実験体は非常に完成度が高いものだった。
 何の変哲もないように見えて、足裏に備えた吸盤で壁面でも逆さまでも自在に走りまわるネズミ。ギヨームの説明によればコウモリのように音を聞きとって完全な闇の中でも行動できるという。
 大きめな目を細めた隼は、ふくろうの目と羽毛を持つ。夜目が利き闇夜を見通して空を飛ぶことができ、隼の速度を持ちながらふくろうの静かさで空を駆けるという。
 極めつけは鱗を持つイタチ。尾にサラマンダーのような火を灯し、小さいながらも炎のブレスを吐いてみせる。サラマンダーの頑丈な鱗を持ちながらも動きはイタチのそれで、敏捷性はまったく損なわれていない。
 二人が見せられた三体の小さなキメラは、いずれも別々の生物の特徴を併せ持ちながらもちぐはぐな印象を持たず、それぞれが一個の生物として完成していた。

「なんとも完成度が高いな……」

 さすがにラルフも感心してケージに入った実験体を眺める。

「どうしてガリアではこれが失敗したの?」

 キュルケが疑問を呈する。ラルフもこれは不思議に思った。

「私はこのキメラの開発をはじめに提唱した人間なのですがね、その内容というのは『それぞれの生物の長所を併せ持つ、よりよい魔法生物を生み出す』ということを目標としていたのです。
 しかし、ガリアのアカデミーではそれがきちんと理解されませんでした。とにかくたくさん合成して、より大きく、より強くと言った具合に随分適当なかたちで勝手に研究を進められましてね。そういったのが嫌で私はあそこを辞めたのですが、恐らくあの後そのまま研究を続け、竜の合成獣でも作って御せなくなったのではないかと思っています」

 二人の感嘆でギヨームは饒舌になったらしかった。先程までの“さっさと帰ってほしい”という表情はどこへやら、得意げな顔で持論を展開する。

「私の作るキメラにも欠点というか……足りない点はあります。いかに強力なキメラを作ろうとも、知能は元の獣のままです。また、作ったキメラを慣らし、御すのは別にやらなければならいというのも忘れてはならない。
 例えば、火竜をもとにキメラを作ったとすれば、火竜よりも強力なキメラを作ることができるかも知れない。しかし、そのキメラに言う事を聞かせるには、その強力なキメラをどうにかして力で御すことができなければならない」

 つまりそういうことです、とギヨームは締めた。

「ガリアではそういう理由で失敗した、と」
「おそらくは」

 ラルフは素直に感心していた。彼は基本的に「それはそれ、これはこれ」という区別をはっきりする人間であり、最初にギヨームに感じた嫌悪感とは全く別のものとして彼の研究を評価している。
 この男は自分の生み出すものの欠点を自分で把握しており、その分を守っている。理論は正しく、その実践も確かな結果を出している。それは賞賛に値することだ、というのがラルフの考えだった。

「なるほど。……すごいですね、あなたは」
「ありがとうございます。……まあ、この研究も今は完全に止めてしまいましたが」

 室内を見わたせば、なるほどケージの周囲をのぞき、室内のほとんどは埃をかぶってしまっていた。キメラの研究はすでに終えて長いことが伺える。
 キュルケはしばらくの間火を吐くサラマンダーもどきのイタチに見入っていたが、やがてこれらのキメラの本来の用途を思い出してたずねた。

「ねえ、そういえば最初に言ってた、グリフォンやマンティコアは作らないの? そういう合成獣を作って納めれば、うちのお父様はあなたのこと取り立ててくださると思うけど」

 その言葉にギヨームは少しばかり逡巡した様子だったが、やがて首を横に振る。

「私は今の生活が気に入っております。そういった道には興味がありません」
「そう、まあそれはあなたが選ぶことだから別に構わないけど。でももし……そうねえ、例えばお父様にキメラのグリフォンが欲しいと言われたらどうするの?」

 薄く笑いながらキュルケは意地の悪い質問をくり出した。普段から脇で見ているラルフは“ああ、またか”という微妙な気持ちで眺める。要するに、欲しくなったのだ、また。
 しかしギヨームはその言葉を額面通りに受け取ったようだった。苦笑いのようなものを浮かべて答える。

「ツェルプストー伯爵にですか……。もしそうなったら、従うしかありませんね。幸いキメラ・グリフォンは一頭おりますので、まずはそれを納めることになるでしょう」
「あら、グリフォンもいるの? ぜひ見てみたいわ!」

 興奮するキュルケとは違い、ラルフはおや、と思う。この男は世に出ることを嫌っているように見えたが、案外そうでもないらしい。本気で生涯隠者を決め込むつもりなら、伯爵から命令なんぞされたら行方をくらますだろう。むしろこの男は、「強く求められて」世に出たいのではないのか。そう考えると、何度も研究をやめたと強調するのも、賞賛され惜しまれることを期待したもののように感じる。
 そもそも始めから、ガリアのアカデミーに務めていたなどと言い出さなければ自分たちもそれほど気にかけなかった。アカデミーという場所は大抵の人の興味を惹くものだ。ただの流れ者の隠者だと思わせていれば、変わっているとは思いこそすれ、ここまで関わろうとしなかったはずだ。
 しかし同時にここまで辺鄙な場所に住まい、彼が人目を避けて生活をしていたのは確かなことである。立身出世に興味がないというのもあながち嘘とも思えない。してみると、惜しまれ、賞賛され、強く求められたいというのは彼の押し殺した本音といったところか。
 押し殺したはずの本音を漏らしてしまうのを無様とは思う。だがそれも人間というものだ。誰だって人の事は言えない。
 そのように結論し、ラルフはこれから見られるだろうグリフォンに期待しながら二人の後に続いた。




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 適当な登場人物としてガリアからの流れ者、キメラ研究の生き残りを捏造しています。サンプルの小キメラがしょぼい。もっとスゴそうなのを思いついたら入れ替えようと思います。





[14793] ラルフとキュルケの冒険(2)
Name: bb◆145d5e40 ID:1ea3af11
Date: 2010/05/02 13:04
らるふときゅるけのぼうけん 2







 ラルフたちが来た側とは建物を挟んで反対側に、その厩舎らしき構造物はあった。脇にはちょっとした泉が湧き出ており、どうやらこれがギヨームがこの場所を住処に選んだ理由らしい。
「けっこうな作りだな」とラルフは呟く。
 建物全体が一体となっていて、その一部が厩舎として埋め込まれている。雑ではあるが構造自体はきちんとしていて、それなりの力量のメイジでなければ作れないものだ。少なくとも土のライン以上、おそらくはトライアングル以上の使い手でなければここまでの建物を作ることはできまい。
 その厩舎に、キメラが一頭だけうずくまっている。

「小さいわね? 子ども?」
「違います、これで成体です。グリフォンのような姿をしていても、グリフォンではなくキメラなのです。獅子と風竜、鷲のキメラですが、基本的には元となった獅子の大きさなのです」

 グリフォンを模したキメラの大きさは、翼をのぞけば馬より一回り大きく感じる程度。騎乗用に使われるグリフォンと比べればやや小さい。
 しかし小さいとはいえ、やはりこのキメラ・グリフォンも高い領域で完成した生き物だった。鋭いくちばしを持つ頭部と、猛禽の爪は鷲のもの。みっちりと筋肉の詰まったばねのありそうな肉体は獅子のもの。そして体表を覆う鱗とみごとな翼は竜のものだった。全身を覆う鱗と翼の印象が強く、グリフォンというより新種の竜のように見える。ひとたび飛び立てば普通のグリフォンなどよりよほど速く飛びそうだ。

「まるで風竜の子どもね。でも、すごく速そう」
「実際、風竜並みに速いですよ。乗ってみますか?」
「いいの!?」

 ギヨームの言葉に、キュルケはぱぁっと顔を明るくする。

「構いません。このキメラだけはきちんと……いや、我流ですのであまりたいそうなことは言えませんが、それなりに訓練をして騎乗もできるようにしてあります」
「それじゃあ、ぜひお願いしたいわ」
「かしこまりました」

 キュルケは目をきらきらさせながらラルフへ向き直った。

「あたしが先でいい? それとも一緒に乗れるかしら?」
「一緒にならいいけど……。僕はいい。幻獣はあまり得意じゃないし」

 ラルフは幻獣や馬を操ることを苦手としている。マテウス家にあまり騎乗用の幻獣がいなかったことと、動物にあまり好かれないのが理由である。キュルケの操る火竜にともに騎乗することはあるが、一人ではたぶん乗れない。本人も苦手意識がある。

「残念ですが、一人ずつしか乗れないでしょう。力はあるのですが、やはり体が小さいので。二人乗り用の鞍などもありませんし」

 騎乗の道具を用意しながらギヨームが言う。体の小さなキメラ・グリフォンには普通の馬具を改造したらしきものが用意されていた。竜のように背にのんびり乗ることはできない。鞍や鐙がなければ振り落とされるだろう。

「そっか。それじゃ悪いけど、私だけね」

 別にいい、と答えてラルフは再びキメラに目をやった。キメラ・グリフォンは、騎乗用の装備を整えてさらに勇壮な姿となっている。

「準備ができました。行きましょう」

 手綱をとってギヨームがキメラを引き連れ、キュルケがそれに続く。キメラの後ろ姿を眺めながら、ラルフはこのギヨームという男が何を考えて日々を過ごしているのかを想像した。
 魔法生物の研究に関してはなかなか大したものがある。しかしそれを世に出すことなく、ひたすら一人で森の中で過ごす。生計は立つのだろうか? たまにはこのキメラに乗って人里へ出るのか。土のメイジならば需要はそれなりにあるし、金銭を得るにはそう困らないだろう。
 キュルケがグリフォンで遊んでいる間にいくつか訊いてみよう、と考えてから、ラルフは一つの事に思い当たる。
 ――そういえば、寂しくは、ないのか。
 割とすぐに思いつくべき疑問に、ラルフはふと内心で自嘲的に笑った。
 人間寂しい時だってあるに違いない。というか、ある。自分のような人間でさえあった。だが、だからといって何か行動するかというとそういうわけではないだろう。それはラルフも同じだった。
 キュルケがグリフォンにまたがり、キメラが竜の翼を広げて空へと舞い上がる。力強い翼を備えた幻獣は風竜の速度で空を駆け上り、小柄な体を利した半径の小さな旋回をした。キュルケは手綱を引いてぐんぐん上昇していく。ラルフからはもうよく見えないが、きっと小さな歓声を上げながら目を輝かせ、上だけを見て手綱をとっているだろう。手をかざし、細めた目にもその様子ははっきりと映る気がした。
 少し離れると、ラルフにはキュルケの輝きが目に痛いのだった。普段そばにいるときはそうでもないのだが、ひとたび距離をとって眺めると彼は自分とキュルケのありようの違いを意識することが多く、それが彼の心を落ち込ませる。
 一途に上を見て、強い輝きを放ちながら駆けのぼっていくキュルケ。離れていくのに、その輝きは増していく。それに対し、どこを見れば良いのかも分からず、どこへゆくべきかも分からず、振り返り振り返りしながらさまよう自分。ラルフの中でそんな対比ができあがっていて、彼はそれを思う度にみじめな気分になるのだった。

「そういえば……」

 ラルフが考えをやめ、ギヨームと何か話そうと考えかけたとき、先にギヨームが口を開いた。

「はい?」
「お嬢様は、今日はどうしてこちらへ?」
「ああ……いつものことですよ。その日の気分で城を抜け出して探検に出かけるんです。
 今日はなんだったかな……たしか、この森に不思議な屋敷があるとかいう噂を聞いていたから行ってみようとか、そんな感じで。ただの子供の噂か遊びの話だったようですけど、結果的にはその通りでしたね。大抵は何か野獣でも出てくるまで歩きまわることになるんですが」

 お嬢様、という言葉になにか違和感を感じたラルフだが、もっともな疑問であったため苦笑いで答える。

「それは……、大変なですな、はは」
「ええ、苦労してます」

 苦笑するギヨームに、ラルフもそう悪くない気持ちになった。

「ではお城でも把握されていないのですか? どこへ行ったかご心配されているとか」
「さあ……」

 わからない、と答えかけてラルフは違和感の原因に気づいた。ラルフはギヨームへの不信感と警戒から名乗らなかった。それに、普段はたいていキュルケがラルフの名前まで言ってしまうのだ。それが今日はなかった。そして、服装は森や廃墟を歩くためにそれなりのものを着ている。キュルケはそんなことは気にせずいつもの服装で出かけるが、ラルフはそうではない。
 つまり、自分がキュルケのおつきの従者だと思われているのだ、と気づいてラルフは思わず失笑しかけた。

「くっ。……いや、まあ、心配はされているのですけどね。半ばあきらめもあるんじゃないですか。一応僕もついていますし」

 ラルフはあえて否定せず、どうせツェルプストー家所属騎士の家の子どもだとでも思われているのだろう、という推論からそれらしい返事をすることにした。

「……? なるほど。というと、もう何か修めているのですね。その年で立派だ。剣術のようなものですか?」

 ギヨームはラルフの長い棒状の杖を少し珍しそうに見た。

「ええまあ。それほどのものではないんですが、一応は」

 ラルフは澄ました顔を作って受け答えを続ける。
 彼はまだ、それほどこのギヨームという男を信用しているわけではなかった。なんといっても最初の印象が悪い。研究者としての成果は賞賛に値するが、わざわざ名を明かす必要はないと考えていた。

「……今日のことなのですが、ツェルプストー伯爵の耳に入るようなことはあるのでしょうか? 私としてはなるべくご容赦願いたいのですが」

 これはラルフにはなんとも答えにくい。ラルフとしてはこのまま忘れても構わないつもりではあったが、キュルケがどうするかは予想がつかなかった。

「僕にはなんとも言えませんね。彼女次第です」

 そう言って見上げると、グリフォンは相変わらず上空で旋回していた。ひょっとすれば降りてくればキメラの一頭でももらって帰ると駄々をこねるかも知れない。

「そうですか……」

 ギヨームは少し不満げな顔になったが、それほど気にするでもない様子で話を続けた。

「――そういえば、幻獣が苦手で?」
「ええ、まあ。僕はあまり幻獣に騎乗するような機会も多くありませんでしたから」
「馬は?」
「まあ、不自由しない程度には」

 実際のところ馬もまったく得意ではないのだが、ラルフは多少の見栄をはった。
 幻獣はものによって違うが、基本的に馬のような騎乗動物は騎乗者の精神性のようなものに敏感である。騎乗者が自信のない手つきであったりすれば、それは馬にも伝播する。技術自体はそれほどまずいものではないのだが、ラルフはこの点で非常に悪い騎乗者だった。馬との折り合いが決定的に合わない。強者に従う幻獣には力で従えるという方法もあるが、これは本人にやる気が無い。

「……もう一頭、キメラのヒポグリフがいるのですが、乗ってみませんか?」

 結構です、とラルフが答える前にギヨームは言葉をついだ。

「ちょっと特別なものなのです。幻獣の騎乗が苦手だというかたにも、必ず乗りこなせると思います」
「……へえ」

 キメラのヒポグリフを見てみたいという気持ちはラルフにもあった。どうせ騎乗はうまくいかないだろうが、見るだけならという気分になる。

「まあ、少し見てみたいですね」
「たぶん気に入ると思いますよ。連れてまいります」

 そう言うと、少し表情を変えてギヨームは建物へ向かう。
 残ったラルフが見上げると、キュルケは上空でかなりアクロバティックな飛行を見せていた。急降下、急上昇に急旋回。マントを翻して曲芸を繰り返しながら、次第にこちらから離れていく。見たいような見たくないような、複雑な気分で《遠見》を使ってみれば、予想通りの眩しいほど晴れやかな笑顔が見えて、ラルフは顔をしかめた。
 そうしているうちにギヨームが戻った。連れてこられたヒポグリフを見て、ラルフは目を丸くする。

「キメラ? このヒポグリフが?」
「ええ」

 ギヨームはそう短く首肯したが、ラルフが驚くのも無理はなかった。連れてこられたヒポグリフは先ほどのキメラ・グリフォンとは違い、牝馬の体に鷲の上半身を持つ、ごく普通のヒポグリフにしか見えないのだ。小柄であるという点以外には、自然に生まれたものとの違いは感じられない。つまりそれだけ高い完成度をもつということでもあるのだが、

「……わざわざ本物そっくりなキメラを作ったということですか」
「まあ、そんなところです。どうぞ、乗ってみて下さい」
「いや……」

 馬装は済んでいて、あとは跨るだけという状態になっているが、ラルフはごくふつうに見えるヒポグリフに乗ろうとは思わなかった。
 しかし――くおん、と小さくヒポグリフが啼き、だらりと垂らされていた手綱を揺すぶってこちらへやり、更にそれをくわえて「さあ」と言わんばかりにラルフの方へ向き直るのを見て、彼は驚きで小さく声を上げた。

「いかがです?」
 真面目くさった表情でギヨームが問うが、ラルフは返事ができなかった。たった今ヒポグリフが見せた動きは、よく仕込まれているという次元を超えたものがある。仕込めば同じことをできる動物はいるだろうが、何かが違う――しいていうならば、もはや人間臭いというのに近かった。

「この……ヒポグリフは、このように、――なんというか、人間がどうして欲しいのか、どうすれば乗り手が気持ちよく騎乗できるかという――そうですね、気遣いのようなものまでできるのです」
「はあ……」

 なんとか説明しようとするギヨームもうまく言い表せない様子だった。ラルフは乗ってみたい気分になりかけたが、なんとなくキュルケがグリフォンを駆っているそばでは乗りたくない。空を仰ぐと、キュルケのグリフォンはかなり遠くを飛んでいた。

「乗ってみるか……」
「ええ、どうぞ」

 ラルフが近づき、手綱に手を伸ばすとヒポグリフはくわえていた手綱を手のひらへ乗せ、姿勢を低くして乗りやすいように構える。改めて驚き、鐙に足をかけながらラルフは質問した。

「この賢いのも、キメラだから? つまり、頭だけ別物だとか」
「そうですね……これに関しては――キメラだからというより――そう、魔法です」
「そんな魔法が?」

 知能を上げる魔法など到底ありえない。

「いろいろと複雑な方法なのです。――杖を預かりましょうか?」
「え? ああいや、結構です」

 馬ほどの大きさしかないヒポグリフの上では、ラルフの杖はなかなか邪魔な代物である。持ち方によっては翼に引っ掛けかねないが、彼は手放す気はなかった。それに、万が一落馬でもしたらたまらない。
 キュルケが戻るまで待ってから出るかどうかを少し迷ったが、それほど長いこと乗るつもりもなかったのでラルフはすぐに飛び立つことにして、キメラの背にまたがった。

「それじゃ、」

 言いかけて手綱を引こうとするだけで、キメラはバサリと翼を広げ、重心を低くして地を蹴る瞬間に備えた。

「すごすぎるだろ……」
「お楽しみを」

 ギヨームがそう言うと同時に、ヒポグリフは大きく羽ばたき、地を離れた。
 驚きさめやらぬままに、ラルフは手綱をとる。小柄な体に似合わず力強い羽ばたきでキメラは空へと舞い上がった。見渡せば、キュルケはまだかなり離れたところを舞っている。しばらくはなるべくキュルケを視界に入れたくなかったラルフは、一瞥して逆の方向へ進路をとった。
 ヒポグリフはラルフがわずかに手綱を操る気配を見せるだけで彼の意に従う。

「どうなってんだ、お前は……?」

 答えるはずがないとわかっていても、彼の口からは疑問の言葉が漏れる。ほとんど何もせずとも自分から乗り手との折り合いをつけ、手綱を操る前にその気配を察して要求を満たす。それだけでなく、背に乗ったラルフを気遣うようなそぶりさえあった。ここまで完璧すぎる騎乗獣としての働きなど、伝説とされる韻竜でも不可能に違いない。
 当たり前だがラルフの言葉にキメラは何も答えず、代わりにくおおおぉん……と声を上げてさらに力強く羽ばたいた。
 なめらかに景色が流れ、風がラルフの頬を打った。一瞬速度を落とし、ヒポグリフはちらりと背のラルフをうかがう。「大丈夫か?」という言葉をかけられたような気がして、ラルフは思わず「ああ、大丈夫だ」と口にした。
 もう一度くおおぉん、と啼き、ヒポグリフは全力で加速にかかった。ラルフは小さく《風》のルーンを唱え、追い風を呼ぶ。その風に乗り、さらにその追い風よりも速くヒポグリフは飛んだ。前方から再び強い風が顔を叩く。ラルフは基本に従ってぐっと足で馬体を挟み、体をやや前傾させた。
 景色が後方へすっ飛んでいく。全身で風を受け、風を切り裂いて空を駆ける。大気が圧力を増し、空が前方へ収束していく。

「……ははっ」

 気がつけばラルフは笑っていた。

「ははっ! 最高だ、お前!」

 硬い羽毛をなぜると、模造の幻獣は天に向かって長く啼いた。ラルフは知らないが……彼女の心もまた、空を駆け、乗り手の賞賛を受けて歓喜にうち震えていたのだった。




 急速に遠ざかっていく少年を見送り、ギヨームは小さく息をついた。
 ギヨーム・ド・ブラントーム――現在はただのギヨームだが――という男は、本来人嫌いな性質である。ちょっと二人の少年少女と話をしただけではあるが、彼の孤独な日常からすれば十分に喋りすぎであり、少し疲れを感じる。
 はじめは、ここまで色々としてやるつもりはなかった。
 まして、あのヒポグリフを出してやるつもりなど全くなかった。しかし、あの二人の子供の態度――快活そうな少女は子どもらしい純粋な好奇心と驚きで目をきらめかせ、大人びた少年は自分に対する警戒心を解かないながら、それとは別のものとして自分を高く評価していた――そんな二人を見て、つい気を良くしてしまった。
 彼は賞賛というものに飢えていた。
 ガリアの子爵家の三男に生まれ、親から受け継ぐ爵位などは望むべくもなく、貴族としての未来は明るいものではなかった。メイジとしての才もそれほど恵まれたものではない。それでも魔法学院時代には学業で優秀な成績を修めていたし、その後アカデミーに入った頃の彼は気鋭の若者だった。誰が認めなくとも、自分は優秀な人間なのだという自負があった。
 魔法大国ガリアのアカデミーは競争の厳しい場所でもある。どの部署もより多くの予算を得るべく努力しており、またそこで働くものにはより多くの努力を要求する。そんな中でも、生来の几帳面で勤勉な性質でギヨームは粛々と与えられた仕事をこなし、その脇でほそぼそと、しかしじっくりと自分の研究の構想を練り続けた。
 ギヨームが魔法学院時代から温めていた合成獣研究の草案とサンプルを上司に示したとき、その案は見事に採用された。しかし、その時からその研究は彼のものではなくなった。自分の目標としたものと要求されるものの違いに憤り、手を止めた時がケチのつき始め。次第に厄介者扱いされはじめ、彼の居場所はなくなっていった。彼がアカデミーを離れるときには、彼の研究の正しさを認めてくれるものはほとんどいなかった。彼に同情するものすら少数というありさまだった。
 数年後、合成獣研究は失敗し、研究所はファンガスの森ごと閉鎖となった。何があったのかは知らないが、どうせあのままふくらませた挙句に破綻したのだろう。ざまあみろと思ったが、後に元の仲間から自分の名前も責任者の一人として挙がっていることを知る。かくしてギヨームは国を捨てた。
 トリステインを経由し、ガリアからすれば仮想敵国とも言えるゲルマニアへやってきたのは、そんな祖国への復讐心があったからだ。しかし、彼はその気持ちを燃え立たせるにはもう疲れすぎていたし、――なにより情熱を失っていた。
 そんなものより、彼は認められたかった。賞賛を受けたかったのだ。
 今となってはそれも諦めているし、二度と表へ出ていくつもりはない。この森を終の住処にするという気持ちは、数年前から変わってはいない。さきほどは適当なことを言ってしまったが、彼は決して貴族や国家に仕えるつもりはなかった。
 ざわざわと風が森の木々を揺すぶる。見上げれば、竜の鱗を持つキメラの腹が見えた。




 一通り遊び終えたキュルケは実に満足しており、興奮冷めやらずといった様子でギヨームに賛辞を送った。

「ほんとうに素晴らしかったわ! あんなに面白い飛び方ができるなんて! それに、すごく速いし。こんな幻獣は初めて!」
「それならばよかった」

 実際、キメラ・グリフォンは素晴らしい性能の幻獣である。最も速く飛ぶ竜である風竜に迫る速度をもち、小柄で、ネコ科のしなやかさをもつ体は風竜にはない旋回性能を備えている。乗る楽しみという点ではグリフォン、風竜、どちらよりも二回りほどは上と言えるだろう。先ほどまでキュルケがやっていたようなアクロバティックな飛行というのは、どちらにも不可能である。
 名残惜しげにキメラを眺めるキュルケに、ギヨームは少しばかり気後れしながらも口を開いた。

「ミス……フラウ・ツェルプストー。私がここに住んでいることなのですが」
「なに? ……あ、そういえばラルフは?」

 キュルケはマイペースにギヨームの話を流した。

「お連れの方なら、今は私のヒポグリフに乗っておいでです。見えませんでしたか?」
「ああ……あれ、ラルフだったの。すごく遠かったから分からなかったわ。ちゃんと乗れてるのかしら? あの子ったら、何に乗っても下手くそなのよねえ」

 そんなに遠くへ行っただろうか、と見上げれば、ラルフのヒポグリフは確かにかなり離れたところを飛んでいた。キュルケが戻るのを見てか、こちらへ戻って来ている。

「大丈夫でしょう。そういう点では最高のヒポグリフだと思いますので」
「ふうん。それで?」

 鷹揚に促すキュルケに、決然とギヨームは言う。

「私がここで暮らしていることは、決してどなたへも伝えないでいただきたい。もちろん、ツェルプストー伯爵にもです。
 私は、もうここで一生を終えようと思っています。どうか、今日のことは忘れていただきたいのです」
「そう? 勿体無いと思うけど……まあ、かまわないわよ」

 あっさりと要望を飲んだキュルケは、だけど、と続け、

「だけど、あたしこの子が気に入っちゃったわ。どうにかしていただきたいわ」

 笑顔でそう言ってのけた。無論「どうにかしていただきたい」とは「私によこせ」の意味である。キュルケが普段からこういう態度を取っていることを知らないギヨームにも、十分に意味は伝わった。
 ギヨームは頭が痛くなった。無理に決まっている。大体、こんな明らかに自然には存在しないような幻獣を連れ帰ったら、かなりの騒ぎになるだろう。その出自も詮索されるに決まっている。

「それは無理です。そんなものを連れ帰ったら、私のことが漏れてしまう」
「ええー」

 キュルケ自身それくらいのことは分かっているのだが、だからといってその事情を考慮してやる必要は彼女にはない。

「じゃあ、ラルフが乗ってるって言うヒポグリフは? そっちもこの子みたいな感じなの?」
「あれは……」

 あのヒポグリフは、確かに普通のヒポグリフのような外見をしている。しかし、決して渡せない。

「あれも、お納めできません」
「そう……。じゃあ、『どうにかしてもらう』のはやめて、自分で『どうにかする』ことにするわ」

 そう言い、キュルケは嗜虐的な笑顔でマントの下の杖に手を伸ばした。
 あまりの横暴にギヨームは呆れながら、話の分かりそうな少年が飛んでいる方へちらりと目をやる。先ほどまでは点だったが、今はシルエットが分かる程度には近づいていた。

「言っとくけど、ラルフは私の味方よ」

 ギヨームの視線を追って、キュルケはにやっと笑った。ラルフはキュルケの横暴には完全に目をつぶる。それどころか、余計な被害を出さないために自分から手を貸すことも、たまにだがある。ギヨームがラルフに説得などを期待しているのなら、それは無理な相談というものだ。

「……そうですか」

 この少女はどうやらいつもこうらしい、ということにギヨームは今更気付いた。気付くのが遅すぎたとも言える。決して話さないと誓うなら、と考えていたが、そうも行きそうにない。
 一人でいてもこれほどの自身を持っているからには、この領主の娘は年の割にはかなりの力を持っているのだろう。恐らくは《ライン》。先ほどまではもう一人の少年の方が力があるのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。だが、争うのを見れば、あの少年も敵に回る。
 欲しいものを奪わせない。傷つけるわけにも行かない。二人のそれなりに力を持つと思われるメイジ。無事に返して、それでいて何も話させない。
 それができるという自信は、それほどではないがある。どこか投げやりな気分で、ギヨームは杖をとった。




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 どうしよう、キュルケが予想以上に悪い子になっちゃった。
 そしてスーパーローテンション設定の主人公がヒャッハー。
 自転車に乗れるようになって間もない小学生の頃、長い下り坂を駆け下りるときの、あの気持ち。それか、初めて原付やバイクに乗ったとき。あの瞬間に全身で受ける風は、どんな無感動な人間の心も震わせると思うんですがねー。もっとうまく書けないもんか。





[14793] ラルフとキュルケの冒険(3)
Name: bb◆145d5e40 ID:1ea3af11
Date: 2010/07/14 12:44
 キュルケが戻ったことに気づき、ラルフも急ぎ戻りつつあった。
 いつも通りなら、今頃キュルケはギヨームに向かって「この子、もらって帰るわ」とでも言い出しているところだ。それをギヨームが許すとは思えず、となるとキュルケは力づくでも奪い取りにかかる。さっさと戻って間に立たないと、ろくなことにはならない。初めてうまく乗れた幻獣に興奮して、ラルフは少し離れすぎていた。
 と、その向かう先で炎が膨らむ。それがもはや見慣れたキュルケの《ファイアー・ボール》であることにラルフはすぐに気づき、思わず声を上げた。

「ちょっ……くそ、急げ!」

 牽制か脅しであろう火球が放たれ、ギヨームと思われる人影の後ろで木がめらめらと燃え上がる。次の台詞は「今なら服を焦がすくらいで許してあげるわよ?」といったところだろう。

「なんでああなんだよ、ったく……」

 普通に考えれば領主の娘であるキュルケに対して杖を抜くというのは考えられないことだが、本来ならばギヨームの力量は彼女よりも上と見るのが妥当だろう。そんな相手に向かって遠慮なく杖を抜いてしまうというのは、やはり短慮に過ぎる。ラルフは嘆息して騎乗する幻獣を急がせた。
 そのラルフの視線の先で、ギヨームがこちらに向かって何ごとか叫ぶ。不思議に思った次の瞬間、ヒポグリフが突然急旋回した。

「なあっ!」

 振り落とされないよう、必死で手綱にしがみつく。なんとか落ちずにすんだが、ヒポグリフの進路は先ほどまでと全く逆の方向になった。振り返ると、キュルケの後ろに何かの影が近付くのがちらりと見えた。







らるふときゅるけのぼうけん 3







「ミレーヌ……? なんだか素敵な名前ね。それにずいぶん賢いみたい」

 反転して向こうへ引き返すキメラを横目に見送ってからキュルケが口を開いた。
 ギヨームには特に返すべき言葉はない。
 引き返してくるラルフを乗せたキメラに叫んだ言葉は、「時間を稼げ」という内容。目の前の少女さえ抑えてしまえば、もう一人は黙って言うことを聞くだろうというのがギヨームの考えだった。それまでは加勢に入られても邪魔だし、逃げられても困る。ミレーヌ……あのヒポグリフはきっとうまくやるだろう。
 で、とキュルケが目を細めて続けた。

「もう一度だけ聞くけど、おとなしくあたしの言うことを聞くってつもりは?」

 厳しい表情だ。時間を稼ぐということは、その間にここで何かするということ。つまり、領主の一族に歯向かうということだ。それはキュルケもわかっているだろう。ギヨームの後ろでは、彼女の脅しとともに放たれた炎で木が燃え落ちる、めきめきばらばらという音がする。
 当然ながらもはや引くつもりはない。懐に握った杖を取り出してみせながら、はっきりと言った。

「ありません。あなた方には、ここで起こったことは忘れて帰っていただく」

 ギヨームにはそれを可能とする手段がある。《制約》をはじめとする心を操る魔法だ。今では使い手の少ないこれらの魔法は、彼がガリアから国外へ逃れるのに大いに役立った。その節には身代わりを立てたり偽証をさせたりとさんざん使うことになり、好きでもなかったのに色々な使い方を覚えている。
 口にすれば死ぬぞと脅してもいいし、ここには大したものはなかったと思い込ませて帰してもいいだろう。そのあたりは椅子にでも縛り付けてから考えるつもりだった。

「い、や、よ」

 歯をむいて言うキュルケの表情は子供のそれだが、ぴしりと杖を構えた姿は堂に入っており、メイジのお手本のようだ。学究肌のギヨームにはそれほどわかるものではないが、まるで隙がない、ように見える。

「あたしって、すっごくわがままらしいから。何をする気か知らないけど、欲しいものは手に入れるし、笑って凱旋するわ」

 自覚はしているのか。そんなことを考えながらギヨームは杖を構え、少しゆっくりとルーンを唱える。キュルケもすぐに呪文を唱え、杖の先で炎が膨らんだ。




 なんとか落ちずにすんだラルフは、何度か手綱を操ってヒポグリフが完全に自分の言う事を聞かなくなったのを確認し、ほんの一瞬間だけ次の一手を考えた。
 あのときギヨームが叫んだ内容は風のメイジであるラルフにも聞こえなかったが、この幻獣には聞こえたらしい。何を言われたのかはわからないが、このキメラがあちらから離れるのは、ギヨームの意志。これは考えるまでもない。
 では、なぜ自分を遠ざけようとするのか。間違いなくキュルケに対し反抗するのだろう。あの場に来られては困るのだ。だが逃げ出されても困るはず。ということは、ここから《フライ》で戻ろうとしても森を出ようとしても、この幻獣が邪魔をする可能性が高い。
 ――ならば。
 しかし、ラルフが唱えかけた《ブレイド》のルーンは、キメラが突然大きく体を捩ったことで中断された。頭を殴られたのかと感じるほどの勢いで投げ出され、ラルフは宙を舞う。足元に何の保証もない浮遊感に一気に血の気が引くが、とっさに唱えた《フライ》で空中に踏みとどまった。だてに普段から《フライ》を唱えてはいない。
 向き直れば、滑るように突っ込んでくる幻獣の姿がある。慌てて風を操り、ラルフはその突進を回避した。
 ごう、という風を切る音とともに目の前を巨大な鷲の翼が吹き抜ける。
 ヒポグリフは行き過ぎたところでくるりと旋回して、再びこちらへ向かって来た。再びどうにか避ける。自分の五倍はありそうな大質量をやりすごすと、一瞬後にそれが連れてきた風が足場のない体をふらつかせた。

「くう……」

 小さなヒポグリフだと思ったが、いざ敵性を持ったそれに向きあえば、羽を広げて舞う巨体は圧倒的だ。とても脇を抜いていくというのは無理に思えてくる。
 どうするか?
 いかに自分が《フライ》を得意にし、《フライ》が幻獣の翼とは違って飛ぶ方向を限定されないとはいえ、空で幻獣を振り切ることは不可能だ。あまりにもトップスピードが違いすぎる。今はある程度余裕を持ってかわせるこの体当たりも、本気の加速で襲われればひとたまりもない。交通事故のごとく吹っ飛ばされるだろう。じわりとにじむ汗が背筋を冷たくする。脅しが通じるかも知れないと首筋に当てるつもりだった《ブレイド》が悔やまれた。もはや、やるかやられるかだ。
 ただ、どうやら手を抜いているらしい今ならばやりようがある。経験か知識か知らないが、目の前の幻獣はメイジが普通、飛行中に魔法を使えないことを知っているのだ。だからゆうゆうと自分を攻めている。
 切り札を使うのなら、最大の効果が得られるときにすべきだ。ラルフは腹を決めた。
 使うべき魔法が次々に選別される。エア・カッター。当たるかどうか。すれ違いざまにブレイド。無理。ストーム。効果が怪しい。フレイム・ボール。かわされる。エア・ハンマー。

「――ラナ・デル・ウィンデ」

 再び旋回して向かってくる偽の幻獣を見ながら、素早くルーンを唱える。体当たりでくる鼻先に真正面から空気の壁をぶつければ、吹っ飛ばされるのは向こうの方だ。
 大気が固まり槌となる。こちらへ突っ込んでくるヒポグリフを睨み、タイミングを測ってそれを解き放つ。
 狙いたがわず、ヒポグリフと空気の槌は正面から激突した。
 真正面から不可視の壁にぶちあたり、ごき、めき、という肉と骨が壊れる鈍い音が響く。まさしく撥ね飛ばされるという言葉通りの体でヒポグリフは吹き飛んだ。
 きれいなガラス窓に突っ込んだ小鳥は気を失ったりするが、ヒポグリフの質量で起こったそれはかなりの衝撃を生んだらしい。嫌な音が耳に残って後ろめたい思いがわきあがる。
 ――が。

“落ちない!?”

 完璧なカウンターで打ち込まれたはずの風の槌を耐え、ヒポグリフは未だ飛んでいた。多少吹き飛びはしたものの、すぐにバランスを取り直して翼を動かしている。間違いなくかなりのダメージを与えたはずだが、特に動きが鈍る様子もない。目には強固な意志を感じさせる強い光があり、未だ闘志が失われていないことがわかる。
 ばかな、と思いかけてやめる。そこまで自分の魔法を信じてどうする。骨の折れるような音がしたからといって、ヒポグリフの体のことを知っているわけではない。まして目の前にいるのは自分の知らない魔法と技術が生んだ埒外の生き物だ。痛みなど感じない、などということも十分ありえる。
 しかし、

“まずい、か?”

 あの異常な賢さだ。年経た幻獣はかなりの知能を持つというが、目の前のそれは人間並みといっていい。間違いなく次の魔法は警戒されてしまうだろう。そして、それを織り込んで向かってこられたら、ラルフは明らかに分が悪い。一撃必殺でなければならなかったし、《エア・ハンマー》はそのつもりで放った。しかし目の前の現実はどうだ。
 速度で圧倒的に負けている以上、地上に逃れることさえ難しい。
 キュルケの方はどうなっているのか。ラルフにはどこか、キュルケは大丈夫だろうという心理があった。あんな男にキュルケのような強烈な輝きをもつ魂が消されるはずがない、というどこか信仰にも似た思いがある。だが、杖を抜くにしても命を奪うとは限らない。キュルケの社会的な立場を考えればますますそうだ。ではもしもの場合、一体何をされるのか? もちろんその次には自分も同じような扱いをされる事は間違いない。
 じりじりとした気分でラルフは杖を握り直した。



 キュルケが放った火炎は、やや遅れて形作られた水の壁に受け止められた。

「あら……」

 水の魔法。
 粗雑とはいえしっかりと作られていた土の建物を見て相手を土のメイジだと踏んでいたキュルケは、意外な系統の魔法に驚いて一瞬表情を変えた。ギヨームは呪文を唱えつつ数歩の間合いを詰める。キュルケは表情を引き締め直し、慌てずルーンを唱え続けた。
 その腕に、ひたりと冷たく柔らかいなにかが絡みつく。

「うひぃっ!」

 首筋に冷たい水を垂らされたような声を上げて硬直してから、しまった、と思う。メイジの戦いは短時間で着き、一瞬の間が明暗を分ける。直後にギヨームから放たれた水のロープがキュルケの両手と口元を拘束した。
 ちらと視線をそちらにやれば、それがなんだったのかはすぐに分かった。
 スキュラ。
 タコのようにいくつもの足を持つ、水に棲む半人半獣の姿をした幻獣である。陸上では動きが鈍いが、後ろから忍び寄ったそれが伸ばした足がキュルケの意識をそらしたものだった。

「使い魔です。あなた方がやってきたことも教えてくれた」

 いくらかごたごたを経験はしたが、ギヨームは本来戦う者ではない。けして力負けをするわけではないが、軍の名家の娘は、彼にとっては十分に脅威となりえた。系統を知られていないということ、使い魔の存在を最初から隠し続けたこと。彼の普段の慎重さが生きていた。

「……っ! ……!」

 じたばたと体をよじるキュルケを見て、彼はさらに使い魔に手ぶりで拘束を指示して話しかけた。

「別に危害は加えません。息が上がって苦しくなる。おとなしく」

 詠唱させないために口は塞いでいるが、息もさせていないわけではない。だが暴れれば暴れるほど息が上がって苦しい。
 スキュラが再びキュルケに足を伸ばし、そして、いきなり火に巻かれた。

「な!?」

 炎に包まれたスキュラの絶叫が響き、その間に水のロープを鞭状の炎が断ち切っていく。息を荒らげながらもキュルケは再び杖を構えた。

「――完全、に、無力化するまで、手を休めてはならないし、――完全に勝機を奪われるまでは諦めてはならないと、いつも言われてるわ」

 戦う者というのは、色々と特別な技術を持っている。キュルケはもがいてみせながらルーンを文字で刻んでいた。時間こそ何倍もかかるが、声のない者にも魔法は使える。

「……少しは真面目にやった甲斐があったわね」

 火だるまになった使い魔が悲鳴を上げながら泉へと逃げてゆく。なぜキュルケが魔法を使えたのか分からず唖然とするギヨームを見てキュルケはふっと笑い、呪文を唱えた。はっとなったギヨームも慌てて詠唱に入る。
 再び炎と水が激突した。
 ギヨームはそこそこ力があるメイジだ。同じラインとはいえ、子供に負けるようなことはない。
 しかし、現実では彼は防戦一方となった。キュルケがあまりに次々と炎を放つので、水の壁を作って防ぐだけが精一杯なのだ。どんどん水の壁は削られていくので、そのたびに水の魔法で壁を繕う。
 こんな猛攻がいつまでも持つものではない。次々と続く詠唱には舌を巻くが、精神力にも限界というものがある。ギヨームは耐えた。

「っ……!」

 ひときわ大きな火球が放たれ、水の壁が爆発するように蒸発して消し飛ぶ。しかし、次は来なかった。

「……ちゃんと練習や学んだ成果が出るっていうのは、気分がいいわね」
「……」

 次が最後のあがきだろうとギヨームは思う。しかしキュルケの顔にはどこか余裕がある。

「今あたし、かなり調子がいいみたいよ?」

 それだけ言って彼女は再び詠唱に入った。目を細め、集中しているらしいのがわかる。ギヨームはもう一度本気で水壁を築くべく呪文を唱えた。
 ちりちりとした空気が満ち、溢れ出た魔力がキュルケの周囲に火の粉を散らす。
 火球が生み出され、キュルケの杖の先でその大きさを増して行く。先ほどと変わらぬ大きさか、それ以上まで炎は膨らんだ。
 まだ十分止められる。
 そう思いながらキュルケが振り上げた杖の先を追って目を上げて、

「あ……」

 絶句した。
 二つ。三つ。
 同じ大きさの火球がキュルケの後ろを漂っている。
 三つの火球がじゃれるように揺らめきながら彼女を取り巻いていた。圧倒的な熱量を伴ったそれに、ギヨームはもう自分が何をしようと、目の前の少女を止められないことを確信した。
 ――この娘は炎と魔法に愛されている。
 天才というものはいつだってそういうものなのだ。何もかもを覆してしまう。
 双方の杖が振り下ろされ、ギヨームの築いた水壁が火球に触れて炸裂するように消し飛ぶ。さらに自分に迫る炎を見ながら、ギヨームはどこか納得して目を閉じた。
 握った杖があっという間に燃え落ちる感触。瞼の裏が炎の色で真っ赤になり、全身が燃え上がるような熱に包まれる。立っていられない。
 そして、ぱちんと火が消えた。

「やりすぎちゃったかしら?」

 そんな声にギヨームが目を開ければ、キュルケがぽりぽりとこめかみを掻いていた。

「止めは、刺さないのですか」

 ギヨームはそう言った。火傷した手には燃えかすのようになった杖があるが、もう魔法を使うことができないだろう。

「ええ……? なんでそんな話になるのよ。あなた、死にたいの?」
「まあ……そんなところです」
「はあ? なによそれ、ワケがわからないわ。それより、ラルフがどうなってるか分からない?」
「……彼なら……しばらく経てば戻ってくるはず」

 見上げても、先ほど近くまで飛んできたあたりに姿はない。ミレーヌが捕らえてか、十分に時間を稼いでからか。どちらにせよ戻っては来るだろう。

「そう。ならいっか」

 少しだけキュルケは表情を緩め、「疲れた」と言いながら腰を下ろした。

「ねえ。なんでいきなり死にたいなんてことになるのよ」

 しばらくぼうっとしてから、キュルケはそんなことを聞いた。
 ギヨームはしばらく黙ったままだった。

「あなたは……いや。
 私には、もう、杖をとるべき理由がなかった。あなたがたのことだって、本当はどうでも良かった」
「なによそれ? 私が聞いてるのはそういうことじゃないんだけど」
「そのうち、わかる日も来るかも知れません」
「はあ……」

 釈然としない、という表情だ。どうでもいい、とは言いながらもギヨームの口からは言葉が勝手にこぼれた。

「例えば、あなたは何のために杖を取るのですか?」
「何のためにって……」

 赤い髪の少女は初めて迷うような表情を見せた。この年の、しかも少女にこんな質問をしても、考えたことがないというのが普通だろう。ギヨームは答えを待たずに続けた。

「はっきりとした何かのために杖を取るというのはいいものです。だがその何かをなくしてしまうと、もう一度杖をとるにはとても大きな力が要る」

 そう、とても大きな力が。それはどこから汲み出せばいいのだろうか。

「そんなものがなくとも、生きていくことはできます。でもね、それは、とても苦痛なんですよ」

 難しい顔になった赤い目の少女から、燃え尽きた杖へ目を落とす。

「私は――」

 ざざざ、と草を割る音が近づいてきた。



 炎の化身の如きキュルケの姿に一瞬足を止めて見入った。
 勝負の決まったところへ、ゆっくりと足を運ぶ。敏感な耳には、なにやら難しい話が聞こえてくる。

「――もう、『ただ生きる』のは飽きた」

 さらりと言われたその言葉を聞き、一瞬後にその意味を理解してラルフはぞわりと総毛立つような気がした。
 全力で駆け出しながら、ルーンを唱える。草を割って駆ける音にキュルケが振り向き、ギヨームも目を上げた。

「ラル……ちょっと!」

 言いかけたキュルケを押しのけて後ろにやり、ギヨームに杖を突きつける。杖には風の刃が絡み付いていた。夢中だったが、きちんと唱えられていたらしい。荒くなった息を整えながら、なんとか口を開いた。

「あんたも……大人なら、もう少し、綺麗に消えろ」

 ギヨームは一瞬ぽかんとしたような表情になったが、すぐにその意味を理解した様子で、

「――申し訳ない」

 消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にした。目を落とせば、手に持つ杖はほとんど燃え尽きている。かなり重いやけどを負った手は、治療をしなければ役には立たないだろう。ラルフは勇み足の自分に腹を立てながら、それで? と聞く。

「君のような子供にな……いや。
 ミレーヌ……あのヒポグリフは」
「死んだ、たぶん」

 あとから考えてみれば、ラルフが初めに放った《エア・ハンマー》は十分な効果があったのだ。翼こそ無事だったが、キメラの体のどこかにかなり致命的な一撃を与えていた事は間違いない。
 そして、その状態でヒポグリフは飛び続け、魔法をかわし爪を振るい、しばらくの間完璧にラルフを空中で封じ込め続けたのだった。目には使命感の光があった。電池が切れたかのように嘴から血をふいて落ちていくその時まで。
 はっきりとはわからないが、まず生きているとは考えづらい。

「――そう、ですか。ならば、よかった」

 ギヨームは心底ほっとした顔になった。そんな表情がさらにラルフを苛立たせる。

「なんだ、あれは、……人か?」
「……」

 あれとこれを組み合わせれば最高ではないか、といった思いつきは誰もがする。大抵の場合実現不可能であったり、実現したとしても大したメリットはなかったりするものだが、ギヨームがやったことは、どれもそういうことだ。竜の鱗と翼を持つグリフォン。そして、強力な幻獣や亜人の体を持つ人間。
 キメラとして人を合成するということができなかったため、彼はもうひとつの方法をとった。幻獣への脳移植である。
 この方法を使った場合、まずうまくいかないことが過去の例で分かっている。次第に人の意識が獣の意識と混濁していくのだ。だが、この場合それが好都合だった。意識が獣のそれとなっていっても、知っていることは忘れない。知恵が失われるわけでもない。人であった知識も経験も、騎乗用幻獣には何が求められるのかもすべて知っている。「使役するための幻獣」としては何も問題がないのだ。その上で徹底的に心を操る魔法をかけた。お前は人ではなくヒポグリフだ、私の命令に従え、と。
 ミレーヌを生んでもう数年。過去の例をひもとけば既に人としての意識は失われているはずだったが、それでもギヨームは毎日水の魔法をかけ続けた。もしも意識が戻ったら。それを考えるとやめられなかった。殺してしまうこともできず、意識が戻ることを恐れ、毎日の日課となった魔法は彼の精神を削り続けていた。

「まあ、そんなところです。知らない方が気分よくいられるもの。そういうものです」
「あっそ」

 ラルフは一刻も早くこの会話を終わらせたかった。幻獣を乗りこなせたと調子にのっていた先ほどの自分にどうしようも無い苛立ちを感じる。妙な勘違いをさせたこの男にも。実質は勘違いではなく、早とちりだが。

「じゃあもう死ね、あんた」

 それに、この男をこれ以上視界に入れていたくない。最悪な気分だった。

「――申し訳ない」
「え、ちょっと、待って!」

 その会話に、慌てた様子でキュルケが割り込んだ。

「……なに、キュルケ」

 剣呑な雰囲気はそのままに、ラルフは短く返す。

「えっと、その。……別に、今ここでじゃなくても。そうっ、お父様のところへ預けないと」
「嫌だね」

 なんとか答えたといった様子のキュルケだったが、ラルフはここでギヨームを見逃すつもりは欠片もない。手打ちにしても構わないだけの条件も十分すぎるほど揃っている。

「こいつはここで死なせると決めた」

 そういうわけだから、の一言とともにキュルケを後ろ向きにして思い切り突き飛ばす。振り向きざまに一突き。すぐに踵を返し、まだよろめいているキュルケを追い抜きながら手をぐいと引いた。後ろは見ない。

「ちょっ、え?」

 後ろでキュルケが振り返ろうとする気配に、ラルフはさらに強く手を引く。杖を持つ右手の指に濡れた感触を感じて、返り血だと気付く。それを黒いズボンでぬぐいながら、ラルフは可能な限り言わないことにしている言葉を、小さく呟いた。

「ああ、死にてえ」




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ラルフ12歳。風のラインメイジ。火の魔法もラインまで使える。140サント、チビガリ

キュルケ13歳、イヤな思い出と共におめでとうトライアングル。160サント、胸B。



[14793] 微妙な日常
Name: bb◆ad0bd836 ID:58ec18fa
Date: 2010/10/15 12:23
 この間の一件からキュルケとは疎遠になった。週に一度はやってきていたキュルケが、あれからもう三週間近くも顔を見せない。
 要するに引かれたんだろう。俺がツェルプストー城へ行くということはキュルケに誘われない限りなかったので、キュルケが来なくなれば必然的に疎遠になる。それだけのこと。
 ツェルプストー伯爵の方から別に連絡もないところを見ると、あの一件はキュルケの中だけで処理されようとしていると見える。どんな結論が出るやら、だ。
 何か気まずいものを抱えるようになった関係というのは、顔を合わせない時間が長いほどに微妙になる。俺はそういう相手を追うことはしないことにしている。大抵の場合は関係ごと消滅していく。何か縁があって再会しても、気まずさは時間によって薄く引き伸ばされ、もはや初対面の他人とさして変わらないものになっている。だからまあ、時間さえあれば、また普通の関係を築けるだろう。そして自分たち子供には時間がある。
 問題はない。
 だが、あの日の帰り、竜の背の上で肩を震わせていたキュルケの後ろ姿を思い出すと、どうしても鬱々とした気分になる。やってしまった以上仕方ないとはいえ、あれは俺が望んだ結果ではなかった。

 駆け足を緩め、歩き始める。汗を袖口で拭う。
 完璧に日課となった朝のトレーニング。目を上げれば、青い空。きっと今日はいい天気になるだろう。

「ああ」

 糞。今日も剣を振ろう。






微妙な日々






 わがマテウス家にも一応、親衛隊のようなものはある。通称、騎士隊。常備兵である彼らは、我が家にふさわしく規模も小さい。その数なんと10名。領内の警邏を行う兵とは違ってメイジの騎士のみで構成される彼らは、まあ俺の目から見れば精鋭といえる。
 人数が少ないのは、事実上ツェルプストーの親衛隊の分隊のようなものだから仕方ない。実際のところはちょこちょこツェルプストー領にまとめて出張(貸出し)したりするのが本業となっているので、こちらにいるときはあまり仕事がなかったりする。領内警邏の兵の取りまとめもそれほど負担になっているようには見えない。
 要するに彼らはヒマなのである。
 そんな彼らが平時に何をやっているのかというと、剣の稽古や魔法の練習などが主となる。とはいったものの、そんなのを毎日真剣にやっているわけがなかったりして、初めて俺が隊舎を覗いたときはなかなかだらけたものだった。
 だが今は、

「ハアッ!」
「ダッ!」

 気合の乗った声や木剣の打ち合う音がまわりでは聞こえている。当主の息子、つまり俺が見ているから、というのもあるだろうが、それよりも俺がここで剣を教わり始めたのが大きかったらしい。年の割にはなかなか、と彼らが評した俺自身が、彼らに刺激を与えたらしい。
 俺の前には、微笑をたたえた青年メイジが立っている。俺がここで剣を教わっている相手で、フェリクスという。ドットメイジながら隊の中でも一、二を争うという腕は、ひとえに剣才によるもの。どこぞの男爵家の出で、優れた剣才を生かして騎士になることにした、らしい。
 どうせ騎士になるなら、中央か、もっと有力な貴族家につけば良いものを、わざわざ我がマテウス家騎士隊にやってきたというモノ好きである。たぶん上昇志向が弱いのだろう。確かにうちは安全で安定している。そういう人間が集まりやすいのかも知れない。

「じゃ、来ていいよ。上段の攻めから始めようか」

 やわらかい声で金髪青年が言う。

「はい、お願いします」

 あいさつは基本だと思う。教えを乞う立場からすれば当然のことだとは思うが、なかなかフェリクスは慣れないらしく、毎回微妙な表情をする。

「じゃ、来い!」
「シッ!」

 大きく振りかぶって飛び込み、気合十分で正面からの斬り下ろし。余裕を持って受けられる。
 跳ね上がる剣を引き戻して手首で返し、脇へ踏み込んで胴を薙ぎにいく。綺麗に体ごとかわされた。
 引きつける後ろ足を流して向き直ったところへ、首を刈る一閃。
 両腕を使って剣で壁を作って受ける。が受けた体が反対側へ流れた。力も重さもフェリクスの方が上だ。崩れた体勢の首元へ突き込まれる。
 手を柄に戻し、突きを剣で後ろへ流しながら懐へ。胸のあたりを横薙ぎに。
 剣が二の腕に当たる前に勢いを緩めた。バス、と綿を巻いた木剣が当たって終わり。

「うん、良いんじゃないかな。いつも言ってるけど、やっぱりあまり受けない方がいいね。軽いもの。本気なら相手によっては吹っ飛ぶかもよ? かわすのが一番。あと最後は……まあ、理想を言えば首に行ったほうがいいな、メイルがあったら終わらない。これはとっさの癖ね」
「はい」

 素直に頷く。フェリクスのことは、剣に関してはちょっとした天才だと思っている。彼が型稽古のように一人で剣を振っているのを見ると、ときどきハッとするような剣閃がある。あれは、俺にはないものだ。それでいて、俺にもわかる理のある剣を振る。

「じゃ次。今度はこっちからで。上段から」
「ハイ!」

 剣はいい。振っている間は、余計なことを考えない。剣を振るときは、剣の事だけだ。どう攻めるか、どうやって受けるか、いかに流し、反撃に転じるか。それだけ。
 始めのうちは言われた通りに振るだけ、受けるだけだったのが、振り方、受け方を繰り返し、打ち合ううちに「何故そう受けるべきなのか」「何故こう振るべきなのか」が解ってくる。それを理解すれば、今度はいかに頭の中で思い描く理想的な振り方、受け方、反撃の仕方を実践できるかという点で面白い。
 思い描く剣を振るためには、より速く。より力強く。少しずつ体がそれに応えている。
 余裕ある表情で斬り込んでくるフェリクスの剣を、教えられたとおり必死に受け流した。


「ところで、最近はよく来ますね?」

 練習も一段落し、フェリクスとともに水場で汗を拭っていたとき、そんなことを言われた。確かに、少し前までは週に二三日はここへ来ない日があった。雨の日とか。このところは完全に通い詰めになっている。

「まあ確かに。剣は好きですし」
「フム」
「……」

 適当に答えたら、頷かれて話が終わった。
 なんなんだ。もう少し掘り下げるんじゃないのか。
 このフェリクスは、いまいちコミュニケーションの間合いがつかみにくい。非常にやわらかな雰囲気を持つ男なのだが、それでいて距離感が掴みにくい。言葉も互いに敬語と砕けた口調が入り交じった変なものになっている。
 最近はよく来ますね。……なんだろう、よく来る理由を話すところなんだろうか。ニュアンスとしてはそう感じるが、一応聞いてみる。

「あーその、邪魔、かな?」
「いやいや、そんなことはないよ」
「そっか」
「……」

 また会話が終わってしまった。というか自分で終わらせてしまった。なんとなく苦々しいものを感じながら黙りこむ。
「お先に」と背を向けるフェリクスを、そのまま見送った。



「ところでさ、最近、初めて人を斬ったんだ」
「グッ! ゲホゲホゲホッ!」

 『赤馬亭』で茶飲み話の切れた頃、なるべく軽い調子で切りだしてみると、主人は水が気管に入ったときのように咳き込んだ。期待通りの反応に少し笑いたくなる。フェリクスではこうは行かなかっただろう。

「ゲホッ……なんだ、そりゃ、物騒な。聞いてねえぞ?」
「まあ、言わなかったし。もう半月くらい前ね」

 ここでは相変わらず俺は『商人の息子アルフレッド』のままだ。ただ、俺の正体はとっくにばれている。もともと胡散臭いとは思われていただろうが、たまにキュルケを連れてくるようになってからはもう完璧にバレた。キュルケは目立ちすぎるのだ。平民の真似事をしても、ひと目で平民ではないとわかる。キュルケの正体から類推すれば、まあ『ラルフ・フォン・マテウス』に辿りつくのもすぐだ。

「手討ちにしたってことか?」
「そう」

 そんなわけで、あまり気にせずこんな話をするようになった。店主としても、四、五年にわたって週に二、三度は来店する常連客の扱いを変える気はないらしい。貴族としてやってきたならば別だろうが。
 この関係はなかなか気に入っている。

「そんな話あったっけなあ……」
「ああほら、ツェルプストーでの話だから」
「あー、なるほどな」

 キュルケとつるんであちこち遊びまわっているのも既知のことだ。あっさり話が通じるのは楽でいい。

「……ってことは、あの嬢ちゃんも一緒にか? なにか危ないことでもあったのか」
「あー……まあね。襲われたから。返り討ちにしたってところなんだけど」

 実際のところどうなんだろうか。襲われたといえるのは俺だけで、キュルケの方は自業自得といったほうがいいかも知れない。が、それを言うわけにもいかない。

「へえ。そりゃまた、命知らずな。メイジ二人に喧嘩売るたあバカなやつ」
「いや、相手もメイジだったの。ガリアから逃亡してきたって奴だった」
「はちあわせたのか」
「そんな感じ」

 ものすごく適当で自分に都合がいいような説明になっているが、まあ仕方ない。

「怪我とかはなかったんだろ、普通に来てたし。それで?」
「あー、うん。いや、あんまり実感ないよなーと思って」
「うん? ……ああ、そういう話か」

 店主はがしがしと頭を掻いた。
 そう。そういう話だ。あの時はギヨーム、それに恐らくは『元人間』の……ミレーヌだったか。合わせて二人? を殺している。だというのに、俺には取り立てて感傷がない。もうだいぶ時間も経ったが、あとからどうこう思うこともない。
 だが、店主の意見は案外あっさりしたものだった。

「別に珍しいことじゃないぜ。そういう奴も多い」
「へえ」

 『赤馬亭』はそれほどお上品な店ではない。昼は普通の客が多いが、夜は兵士や傭兵がメインの客層である。店主ギルもそれほど長くはないが傭兵の経験があるらしい。俺は別に傭兵ではないが、店主は傭兵の新入りのことを念頭に言っているらしかった。

「だいたい三種類だな。びびって震え上がるやつ、淡々としてるやつ、手柄に興奮するやつ」

 なるほど。俺は二番目で相違ない。

「ま、そんなもんじゃないのか? 慣れてくればみんなそうなるんだし、別にいいと思うぜ」

 そう言われればそうなのだ。ここは『彼』が暮らした日本ではなく、野盗や亜人の棲むハルケギニア。斬った張ったははるかに日常に近いものだ。あれほど切迫した状況になったことはないが、今までにも父や騎士隊とともにオーク鬼やコボルドを何頭か倒している。今更あちらの倫理に振り回されても仕方ない。当たり前のことだ。

「そっか。まあ、それならそれでいいや」
「気にしてたのか?」
「ん、気にしてたっていうか、気にしていない自分が気になったというか」
「よくわからんな」
「別にいいよわからなくて。ただそれだけ」

 やるだけの理由があり、やっていいだけの条件が十分揃っていれば、あとは勢いをつけるだけで人くらい殺せると思っていた。物心ついた時? から、この先この世界で生きていくなら人の一人や二人殺すくらいはあると予想していたし、いつか父のあとを継いで領主になったら、今度は領民の処罰なども俺の名のもとに行われる。一つ一つ気にしていたらきりがない。
 力を持つものにとって、他者の命というものは軽くなりがちだ。なるべくそうならないように気をつけてはいるつもりだが、魔法という力を持った自分もそうなっていると思う。
 それを振るえば、目の前の不快なものを除くことができるのだ。あとはどれだけ我慢できるかという問題だ。力というのはそういうものだ。結果、人が傷ついたり死んだりする。
 例えば――、修練を積んだ真の武人は、馬鹿にされたり、嫌がらせをされたりしてもけしてその武を無駄に振るうことはない、というような話があちらの世界にはあった。
 だが、思う。それは彼が相手をほんとうに『不愉快』だと思っていなかったからではないのか。もちろん、自分を抑え、堪えるといったこともできてこその真の武人なのだろうが、彼の忍耐の許容量をこえ、彼が怒りを抑えられなくなったとき、やはりその武は暴力となって相手を殺すだろう。
 ぼんやりと考え込んでいると、店主がこちらの顔を覗き込んでいた。

「やっぱり気にしてるんじゃねーか」

 確かに。同じことを考えすぎてもはやループしている。ならば捨て置いていくべきなのだ。


 家路を辿りながら考える。
 ギヨーム。
 あそこで死なせるべきだったのだろうか?
 今ひとつわからない。正しかったような気もするし、何か間違っていたかも知れない。
 個人的には、色々と『足りなかった』ような気がする。時間も、状況も。もっといい死なせ方があったし、そうしておけばもう少し気にしないで済んだろう。
 あのとき、ギヨームの言葉を聞きながら、俺はどこか納得していた。それは、前の生で俺が考えていたことによく似ていたからだ。

『杖をとる理由をなくせば、もう一度杖をとるには大きな力が要る』
『ただ生きるというのは、とても苦痛なんですよ』

 それは、大雑把に言って俺が考えていたことと同じだ。

『ただ生きるのには、もう飽きた』

 あの言葉で確信した。あれは、違う生き方を求める希望ではなく、現状への絶望の言葉だった。きっとギヨームは生きているのがもう嫌になっていた。
 だから焦ったのだ。キュルケに打ち倒されたあの男が、その場で自ら死を選ぶのではないかと直感的に思った。結局それは俺の早合点だったわけだが、ギヨームがあれだけの負傷を負っていなかったら、早合点ではなく本当になっていた可能性もあったと思う。
 だからといってあの時あの場で、しかもキュルケの前で、止めを刺す必要もなかった。

「――わからんな」

 まったく、ほんとうに、よくわからない。自分のことほどわからないものというのは、この世に無いんじゃないだろうか。




「ラルフ、近頃は何やら剣術の方に打ち込んでいるらしいが、魔法の方はどうなのだ」

 近頃は会話の少ない食卓(あくまで俺の主観で、俺以外の家族は割と普通に話している)で、ふと父がこちらへ話を向けた。

「魔法……魔法は、まー、そこそこに」

 微妙に歯切れが悪くなってしまう。「大きな変化はありませんね」とようやく付け加えた。
 父は柔軟な考えの持ち主だと思うが、やはりそこは貴族のお育ちだけあって、俺から見れば魔法に対するこだわりは強い。本人も魔法を誇りに思っているし、同時に俺にも求めているのがわかる。こちらへのゴリ押しこそないが、大体間違いはないだろう。

「ふーむ……」

 微妙なプレッシャーがかかる。勘弁して欲しい。手応えはそこそこある。だがそれは『このまま何年かやっていけば』という種類のものだ。今すぐトライアングルになれというのは無理というものだ。

「伸び悩んでいるのではないかな」
「いえ、……」

 どうも嫌な流れだ。家庭教師をつけようとでも言うのか。

「……手応えはなんとなくあります。このまま研鑽を積めば、という感じですが」
「ほー。なら、進んでいないというわけでもないのか。最近あまり見る機会がなかったからな」

 父はあっさり嬉しそうな顔になる。合間に、きゃあ、とか、だあー、とかいう間抜けな声が挟まっていた。妹クラーラ、一歳半。最近歩けるようになった。母はこちらに掛かりきりだし、父もほとんどこちらに目が行っていたのだろう。

「ただ、まだ少し時間はかかりそうな気がしています」
「うん。明日は少し、お前の魔法を見てみるかな」
「え」

 それはなんとなく嫌だ。見せられない理由もないが、なんとなく魔法の練習は人に見られるのが恥ずかしい。裏の森は俺の魔法の破壊痕でひどい状態になっている。

「なんだ、別に構わんだろう」
「は、いや、少し恥ずかしいので」
「気にするな」

 そう言われても、気になるものは気になった。


 かくして翌日、一人魔法をぶっぱなしている俺のところへ予告通りあらわれた父は、魔法をばらまかれて荒れた森を見てひどく呆れた顔をしたのだった。

「ひどいものだ」

 眉をひそめて開口一番に言われた。返す言葉がない。文字通りありとあらゆる使える魔法を使いまくった結果、地面は掘り返され変質し、そこを叩き潰され、木々は折れ、斬り飛ばされて燃やされ、池の水は減って荒れた粘土を晒している。一言で表現するなら、歴戦の決闘場の跡、だろうか。大体二年前くらいまでは静かな湖畔と言った風情だった。

「何をしていたのかは分かるが……。何をすべきなのかはどうも分かっていないようだ」

 一通り見渡した父はそんなことを言った。

「何をすべきか、ですか」
「そうだ。――闇雲に魔法を放つようなやり方をしなくてはならない時期はもう終えているはずだぞ。お前は風のメイジだろう。どんな風を吹かせるのか、風にいかなる軌跡を与えるのかを正しく思い描く、そういったことに苦心しているのかと思ったのだがな」

 そういったことも考えていないではないのだが、それを言っても始まるまい。黙って聞くことにする。

「つまりは、『どのようなメイジになるのか』だ。お前ならば、この先の貴族としてのあり方、でもいい。そういうものが、お前には足りないのではないのかね。実際に魔法を使うところも少し見ていたが、――お前の風は、どこへ向かって吹いているのかよく分からない」
「……」

 お前の風は、どこへ向かって吹いているのか、分からない。
 ――糞。そんなものは、俺にだって分からない。

「少し、考えてみることだ」




 また剣と魔法に打ち込むばかりの一週間が過ぎていった。
 まあなんともむなしい。領内は相変わらず平和なもので、魔獣の討伐なんかもない。起きる、魔法を放つ、食事をする、剣を振る、寝る。それが繰り返される。キュルケがいなくなるだけで、これほどに日常は味気ないものだったのかと思い知らされる。俺の日常には、何もない。
 そうだ、俺はまるで、『ただ生きている』。
 剣を振るう間はいい。だが。一人で魔法をいかに巧く放つかを考えていたとき。妹のおかげで最近はあまり直接の会話をしないで済む家族と食卓についているとき。あるいは、町へ出てカウンター越しに世間話をする、その会話のちょっとした合間に、思うのだ。
『俺は何をやっているのだ?』と。

「――おい、聞いてんのかい?」
「え? ああ、ごめん。ぼうっとしてた。なんだって?」
「だから、お前さんの予想が当たったなって。アルビオンで大きな政変があるとか、そんな話をしてたじゃねえか? 違ったか? ガリアだったか?」
「……え?」

 なにかかなり重要な話のような気がして俄然真剣に聞く気になった。

「おい、ほんとにぜんっぜん聞いてなかったな」
「ごめん。悪かった。もう一回話して」

 やや不機嫌な顔になった店主を拝んで許しを乞う。

「あー、簡単にいえばアルビオンで大きな粛清があったって話よ。それも王弟が粛清の対象だって話。前にお前さん言ってたろ、アルビオンだかガリアだかの王家で問題が起きるかもとかなんとか。それが当たったなと思ったんだよ」

 アルビオン、王弟、粛清。――とくれば、

「誰だっけ……モード大公?」
「おう、それだそれだ。よく覚えてるな、さすが貴族」

 いや貴族じゃないから、とお約束のネタを返しながら思い出す。
 モード大公、エルフの妾? 妻?、その娘がハーフエルフ、虚無。のちの女盗賊、なんとかオブ・サウスゴーダ。その父サウスゴーダ太守はモード大公と連座で失脚、おそらく処刑? 確かそんな流れだ。つらつらと記憶を漁る。帰ったらノートを読み返す必要がある。

 つまりは、色々なことが始まろうとしている。そしてこの俺は、いかなる態度を取るかも決まっていないのだった。






[14793] 風の剣士たち(前)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/02/06 04:10

 朝の澄んだ空気が、晴れ渡って流れる空と合わせて爽やかな気配を感じさせる。いい日だ――大きく深呼吸をしてから、傍らの少年――ラルフを見やり、自分の仕事を思い出してフェリクスは上がった気分をやや落ち着かせた。アルビオンへと渡る船、その甲板に二人はいた。

「このまま甲板に?」
「いや、船室に行こう。これからの予定を確認したい」

 すでに何度か話し合っていて確認するまでもないことなのだが、いつまでも甲板で突っ立っていても疲れるばかりだという点でフェリクスも同意だった。

「アルビオンがはっきり見えるまでは、意外と時間がかかりますからね。とはいえ、見逃す手はないですよ」
「そうだね。僕は初めてだよ、アルビオンは」
「なかなか大した景色ですよ。私も十年ぶりくらいですけどね」

 浮遊大陸アルビオンは、空の状態さえ良ければトリステインやゲルマニアからも遠見の魔法などで小さな影くらいは捉えられる。――が、一度も目にすることもないまま人生を終える者とて多くいるのだった。宙を漂う大地、空へ落ちる川が雲間に虹をかける幻想的な『白の国』の光景は、ハルケギニアの民ならば誰もが一度は見てみたいと認める絶景の一つである。
 船は出たばかりだが、すでに天空にはアルビオンの影が黒点として見え隠れしている。年若いものならば船首にへばりついて空を眺めていてもおかしくはないのだが――フェリクスもそんなことをした覚えがある――ラルフはやはりというべきか、踵を返す態度も冷めたものだった。
 フェリクスは船室へ向かいながら、沈黙を破るためにお約束といった感じでラルフに口を開いた。

「まずは宿、でしたね。明日以降も考えて、港町で泊まるところに目をつけておく、と」
「いや、」
「え?」

 今日は初日、上陸後は天空の断崖や流れ落ちる川、そういった港町から近くの名勝を順にめぐることになっている。宿を先に決めておこうというのも、ここまでの道程ですでに決めていたことだった。振り返り、固い表情でラルフは言った。

「シティオブサウスゴータへ行く。その話をこれからするんだ」









 風の剣士たち(上)









 この少年はどこかおかしい。
 フェリクスは常々思っていたが、あまり他の者の同意を得たことはなかった。
 そもそも同年代の子供といるところを、フェリクスは一度も見たことがない。それで親衛隊の隊舎や町の酒場に出入りしている。どう見ても普通でないのは間違いないのだ。
 剣を習いに来るときは礼儀正しく、真面目ではきはきとしている。自分の幼い頃の兄弟弟子たちのようにひたむきだ。そうでないときは無口で、どこか内省的に見える。ところが、他の者達に言わせれば、『よく冗談を言い、飄々とした性格』らしい。『年の割に大人びている』とも聞く。一部は同意できるが、結局どれが本当なのかさっぱりわからない。
 ここまでの道中でもそうだった。この少年貴族が口を開くときは、自分と他の人間では態度が全く違う。人前に出ると、まるで仮面でもかけ替えるかのようにぱっと明るくなるのだ。そうしているときは、ごく普通の少年に見える。ところが現在のように、周囲に人がおらず自分だけのときは、やけに世間ずれしたような雰囲気もある。

 実はここまでわけがわからない性格に見えるのは、ラルフが剣術に熱心でフェリクスに一目置いていることが一因である。フェリクスの前ではしばしば見せる素の表情、基本的に無口で内省的、というのが正解なのだが、フェリクスにそれがわかるはずもない。
 人は人との付き合いの中で大人にも子供にもなってゆく。通算すれば既に四十年近くを生きたラルフは既に大人だったが、同時にある意味子どもでもあった。少年として扱われ、そう扱われるように振る舞ってきたラルフは、『明るく利発な』子どもらしい振る舞いをごく自然に演じられる代わりに、自分でも気づかぬうちに精神的に退行してもいるのである。さらには前の生から持ち越した人間的な欠点も抱えており、ここに極めてアンバランスな人間が出来上がる。かくしてフェリクスの困惑は深まるばかりなのだが、ここへ来て突然の予定変更の申し出ときて、マイペースな彼ですらさすがに戸惑いを隠せなかった。

 シティオブサウスゴータといえば他国にも名の知れた都市だが、つい先日太守がモード公とともに反逆罪かなにかで投獄されたばかりではなかったか。どんな様子かはわからないが、治安面で不安があるかもしれない。滞在するに適した街であるとはあまり思えない。予定ではロンディニウムへ向かう際に竜籠で通過することになっていた。
 しかしフェリクスは船室で改めて向い合って座ったとき、ラルフを思い直させるのが難しいことをすぐに予感した。
 正面に座った少年の表情は相変わらず読めないが、意志の固さだけははっきりとうかがえる。思えば、船が港を離れるまで言い出さなかったのも、その後こうして向かい合うことも織り込み済みだったに違いない。従者が自分ひとりとされたのもラルフのたっての希望だという話だった。ここで自分が拒否したとしても、果たしてどれだけの効果があるのか。多少のあきらめを感じながら、フェリクスはそれでも自分の奇妙な職責に沿って口を開いた。

「サウスゴータといえば、つい最近太守が投獄されたとのことでしたよ。あまりおすすめできない場所だと思うのですが」
「わかってる」

 わかっているなら避ければいいでしょうが。そう言いたいところだったが、フェリクスは無駄なやりとりをしないことにした。単刀直入に聞く。

「なぜですか?」
「うん、……」

 実際のところ、ラルフには特に計画も何もないのだった。父を口説き落としてアルビオンへの観光名目の旅行を承諾させたのはいいが、別段なんの目算があるでもない。モード大公はすでにロンディウムで処刑されたはずだし、サウスゴーダ太守もしかり。彼らの娘たちに会ったところですべきこともないし、そもそもどこへ行けば彼女たちがいるのかも分かりはしない。ただ、変わり始める時代の、そして『物語』の空気を肌で感じておきたい。あわよくば人物たちをこの目で見ておきたい。
 一人旅を希望したが、いかに大人びていようと12歳の子供にそれが叶えられるわけもなく――しかし、普段見せないしつこさに渋々ながら、供を一人だけにすることが許された。これが今回のラルフのアルビオン旅行の真相である。きちんと説明できるような理由は存在しない。しかし、見ておかなければならないような気持ちがある。それだけだった。

「……今回に限っては、黙って従ってくれるとありがたいんだけどなあ」
「いやいや、せめて理由くらいは知っておきたいんですよ。やはり納得がいかないと、私としても」

 フェリクスは粘ってみたが、

「……フェリクスも、僕を見失って一人で帰るなんてのは嫌だろ?」

 そう言ったラルフはみごとに開き直った顔で、フェリクスは我慢し続けていたため息をこんどこそ吐いた。

「ハァ。わかりました」

 なんとなればこの場で引っ括って連れ帰ることだってできるが、そうなったら杖を取って抵抗するぞと言っているらしい。たとえ無理やり言うことをきかせても、隙をついて何かする気なのだろう。手がつけられない。
 なんだか面倒になって、フェリクスは気持ちを切り替えることにした。フェリクスは、自分の気持ちをコントロールすることには長けている。

「じゃあ、改めて予定を確認しましょうか。
 シティオブサウスゴータへ向かうなら、まずは馬車で移動ですね。竜籠を使うほどの距離ではないでしょう。それから?」

 フェリクスが話を飲むと、ラルフは意外そうな顔になった。

「ああ、ええと、しばらくサウスゴータに滞在したい。調べたいことがあるから、周辺をうろうろすることになるな。それを済ませたらロンディニウムへ行く」
「ロンディニウム以降は?」
「直帰」

 結局やるのはシティオブサウスゴータ周辺の探索だけ?
 モード公の残党狩りでもあるまいに、と思いながらも、大幅に単純化されたスケジュールを考えれば、状況次第ではあるが思ったよりも楽そうではあった。

「フム」
「いいかな?」
「わかりました」

 フェリクスはあっさりと自分の気分を切り替えることに成功した。彼はそういう事は本当に得意だった。ラルフは思った以上に話が早かったために間を外されて微妙な顔をしていたが。


 □


 浮遊大陸、白の国、始祖の王国、アルビオン。
 離れれば雲間にたゆたうアルビオンが幻想的なものを感じさせ、近づけば空へと落ちていく川が巨大な虹を大陸の底へかけている。しっとりとした雲と冷たい空気が荘厳さを増している。ラルフが感嘆のため息を吐き続けているのを見て、フェリクスは少しだけ安心するような気分だった。
 船が入港の準備を始めた頃、船室に戻ったラルフが窓から外を眺めたままふと口を開いた。

「フェリクスは、このままずっとうちに勤め続けるつもり?」
「そのつもりですよ?」
「ふうん」

 どういう意図の質問かはかりかねるが、フェリクスは素直に返事をした。
 フェリクスは弱小貴族の家に生まれたものとしては恵まれた立場にある。三男である彼は家督はもちろん継げなかったし、メイジとしてもたいした腕はない。『風』のメイジである彼には、市井に下ってやっていけるような秘薬を扱う水の術もなければ、《錬金》でやっていけるような土の術もない。同じなような立場から傭兵などに身をやつし、野垂れ死ぬメイジとて多くいるのだ。特にゲルマニアでは。

「このまま普通にいけば、俺が次の当主になるよな」
「ええ」
「俺に、どんな貴族であって欲しいと思う?」
「私が、ですか?」
「そう」

 この少年は、こんな話し方をするのだっただろうか。違和感はあるが、フェリクスはいつも通り思ったままに話すことにした。

「私が、どんな当主を望むかですね?
 ――そうですねえ。あれですね、戦はない方がいい。自領の安定を第一とするかたが望ましいですね。私はあまり勲功などには興味はないので、騎士として身辺をお守りすることを仕事としていたいので」
「まんま父さんだな」
「そうですね。理想的なかたです」

 お世辞のような感じではあるが、フェリクスは本気だった。
 フェリクスには図抜けた剣才があった。だからこそ貴族家の親衛騎士たる立場にある。しかしそれ以外に後ろ盾も保障も持たない彼は、最前線で剣を振るう気もあまりないのだ。それでは傭兵とそう変わらない。マテウス家は彼にとって非常に適した環境だったと言える。

「……なるほどね。ありがとう」
「ええ」

 ごごん、と船が震える。窓の外で港の人夫が綱を抱えて走るのが見えた。

「行こうか」

 そう言って立ち上がったラルフはいつも通りの曖昧な距離感に戻っていて、フェリクスは何か大事なものを見逃したような気がしたのだった。


 □ □


 シティオブサウスゴーダ。
 石造りの街といえばロンディニウムが有名だが、この街も大して変わらない。漆喰の壁がなく、煉瓦や石壁の建物が立ち並び、その街並みが異国情緒とでも言うべき雰囲気を漂わせている。アルビオンという国が観光で好まれる大きな理由だ。
 サウスゴーダで宿を取り、近くの村のことなどを調べればそう時間をかけずに『ウエストウッド村』は見つかった。ラルフが名前を思い出せていなかった村だったのだが、聞けばどうにか思い出す。翌日から早速向かい周辺を探索したのだが、それらしき人物も建物も見つけることができなかった。フェリクスに不審がられながら三日ほどかけたのち、ラルフは探索を諦めた。
 となると、あとは普通の観光である。
 サウスゴーダの町並みで結構な満足を得た二人は、石造りの街として知られるロンディニウムも「別にいいか」ということになり、明日には大陸の際にある他の名勝へ向かうことになっている。人数が少ないおかげでずいぶんと気ままな旅程だった。

 サウスゴーダ滞在の最終日は薄い霧に時々霧雨という生憎の天気だったが、それなりに二人は楽しみながら買い物を続けていた。
 だから、ラルフがそれを見つけたのは本当に偶然だった。
 フェリクスが少し細々した買い物や準備に離れた間、ラルフはヒマを弄びつつ街を行き交う人々をぼうっと眺めていた。朝から降ったり止んだりの霧雨で、町の人々はみなローブを被っている。そんな中、手をつないだ二人の人間のシルエットが目に止まったのだった。大きな方は若い女性。そして、そのローブの下にちらりと翠の髪が見えた、気がした。
 よくよく見れば小さい方も女性と思しきシルエット。見たところ姉妹といった感じで、二人はごく普通にかごを下げ、買い物の途中といったように見える。

(まさかな……。でも天気も天気だし、雨だからみんなローブ姿で紛れやすい、ありえないわけではない、のか?)

 大した手間ではないので、ラルフは何気なく二人の行く先へ回り、不自然でない程度に観察してみることにした。
 やはり、背の高い方は緑の髪。年頃の女性で、それほど良く見なくてもかなり整った顔立ちとわかる。小さいほうは自分とあまり背丈が変わらない上、俯きがちなので顔立ちまではわからない。が、すれ違ったときにわずかに覗いた髪は、確かに金色。

(まさか、本当に当たりか……)

 国中探せばいるかも知れないが、年齢、髪色の条件が完全に一致する他の姉妹というのがこの街にいる確率はかなり低いと思われる。呆然と二人の背を見送るが、ここで見失いたくはない。フェリクスは――説明のしようもないし、むしろいないほうがいいのだ。はぐれた場合に落ち合う場所も問題ない。どうしたものかと考えながら、ラルフは慣れない尾行を開始した。
 二人の後をついて行くと商店街を抜け、町並みは次第に下町風のそれへと変わる。

(町の外に向かってるのか。ますます当たり臭いな……。しかし、ストーカーみたいじゃないか、これじゃあ)

 そもそも「当たり」だった場合にどうするのかということを決めていないので、ただつけ回しているだけになっている。普通に話しかけてみてもいいが、本物なら強く警戒されそうだ。とはいえ、住居までのこのこ付いていくというのもありえない話だろう。

(もっと近くに行って、わざと見つかるようにつけるってのはアリかもしれん。本物だとしても、いきなりゴーレムけしかけるとかはないだろ。
 見つかって、どういうつもりか訊かれたら「お姉さん、あの子名前なんていうの?」とか。すれ違ったときちらっと顔が見えた、すごく可愛かった、とか少し恥ずかしそうに言えばいけるかも。うん、とりあえずそれで行ってみよーか)

 ストレートな言葉の使いどころを知っているという点で、頭が大人な人間はたちが悪かった。
 ラルフが汚い小細工を考えていると、前方の二人に変化があった。妙に顔を伏せ、こそこそとしている。

(うん? あー、騎士か……そんなこそこそしたら逆効果だろうに)

 行く先に、白い鎧の騎士がいた。単なる衛兵などではなく、軍杖を備えたいかにも騎士といった姿をしている。兜こそかぶっていないが全身を覆うプレートメイルが物々しい。
 ラルフが危惧した『逆効果』は見事に的中し、騎士が二人に目を止め、呼び止めてしまった。

「そこのお嬢さんがた!」

 ビクリと反応する二人。見ているラルフも思わず緊張する。

(捕まらん、よな? 捕まったら話が違う。ああでも、そうなるとは限らないに決まってる。何より俺が決めつけてどうする? よりによって俺が!)

 不自然でない程度には距離を開けているが、敏感なラルフの耳には彼らのやりとりが大体聞こえる。

「……です」
「そうか。それならばいいが……でいたので気になってな。妹さん共々よく顔を見せてくれ……」
「あの、妹は、顔に……がありまして、ちょっと……」
(おい。おいおいおい。本当にまずい流れなんじゃないのかこれは)

 むしろ自分のほうが顔を見られたくないそぶりでもしてろ。ローブで耳だけ隠して顔を見せるくらいできるだろ。下手な嘘をつくな……などとラルフは祈るが届くはずもない。案の定なにやら揉め始めた。

(これは……駄目だ)

 すでに騎士は姉のほうのローブのフードに手をかけようとしている。
 もし自分が手を出せば彼女たちが捕まらないというのなら、それもまた物語の一部か。馬鹿げた話だ。目の前の二人が捕らえられると自分にどんな不都合があるというのか。ないかもしれない。本物なのかどうかすらはっきり確認出来ていない。だが、それを止めるのは今しかできないのだ。今だけしか。自分にしか。
 カツン。

「女性に無理やり手を出すのは良くないです」

 とっさに出た言葉がそれか。何を言っているのやら。内心で自分を馬鹿にしながらも、ラルフは結局行動した。杖を抜き、剣の背で騎士の腕を上に払った。

「っなんだ、お前は! 剣など……杖。メイジか。子どもが調子にのって手を出すな」

 いきなり剣を抜いた少年相手に怒るのは当然の反応だが、騎士は一目でラルフの剣杖をメイジの杖と見抜いた。男臭いがっしりした顔をしている。年の頃は三十を超えたあたりか。脂の乗った年代だ。
 自分で自分が馬鹿らしくなりながらも、ラルフはそのまま行くことにした。つまり、勘違い紳士貴族少年を演じ続けることにした。このまま『レディの名誉を守るための決闘』でも挑んで適当にやっておけば、二人が逃れるには十分なはずだ。

「僕はあなたがこちらのレディに無理やり手をかけようとしているのを止めたのですよ。恥ずかしくないのですか? 自分の行いが」

 むしろ恥ずかしいのはこっちだ、と思いながらも、それが顔に出ないようにラルフは必死で表情を繕って騎士を睨んだ。

「何を馬鹿を言っているんだ貴様は。……おい、何を勝手に行こうとしている」
(止まるな!)

 内心の叫び虚しく、姉妹は立ち止まってしまった。

「行ってください、お姉さん! この僕が成敗おきます!」
「――ああくそ。お前はもういい……」

 アホらしさにラルフはもう破れかぶれ。騎士もいい加減頭に来たらしかった。
 礼を言うように軽く頭をさげると、姉は妹の手を引いて駈け出した。自分を相手にせず姉妹を追おうと走りだそうとした騎士に後ろから近寄り、ラルフは剣杖の柄を首の後へ叩きつける。照れといら立ちでもはや本気の一撃となったそれを、完全に目を離していたにも関わらず騎士は片腕で防いだ。予想を超えた反応。ラルフは内心で舌打ちしながら僅かに距離をとった。
 日々の稽古で、剣一本でも並の相手ならば叩き伏せる自信があった。どうやら相手はそれなり以上の腕だ。自分と同程度か、それとも自分より上か――不意打ちを防いだのだ、自分より上かもしれない。しかし、とにかくもう手を出してしまった以上は引き返せない。自分の剣を過信しすぎたかもしれない――頭をよぎる考えをどうにか圧し殺して、再び目の前の騎士を睨む――とそこで未だに視界の端に先程の姉妹が残っている……立ち止まり、こちらを見ている事に気づき、ラルフは思わず叫んだ。

「とっとと行けぇ! 何のためにやってると思ってんだ!」

 姉妹は慌てて走り出し、ようやく視界から消えた。これで、あと少しこの決闘もどきをやって時間を稼げばラルフも逃げられる。騎士は意外そうな顔になった。

「それが地か」

 答えず、自分を鼓舞するように短く《風》のルーンだけを唱え、ラルフは疾風となって騎士へ斬り込んだ。

「いいからひっくり返ってろ……よっ!」

 風に乗って懐へ高速で飛び込んだラルフはそこから奇をてらって変化し、回転するように背後へ回って剣杖の背で首を狙う。しかし白い騎士はこの一撃を落ち着いた対応で半歩動いて受け止めた。
 ニ合斬り結んで、ラルフは相手が自分よりも上の剣士だと確信した。フェリクスほどかけ離れている感じはしないが、明らかに勝てる手応えではない。膂力はもちろん、技量も上。さらにこちらに殺意がなく、相手が全身鎧というのが最悪だ。
 飛び下がりながら《風(ウインド)》を自分の体に受け、大きく距離を取る。剣の間合いから、魔法の間合いへ。時間はそれなりに稼いでいるはずだった。あとは《エア・ハンマー》あたりでぶっ飛ばして逃げればいい。

「面白い風の使い方をするな……。
 ――おいローレンス聞こえるか! こっちに来い! あと呼べるなら応援を呼べ!」
「なっ!」

 風の魔法《伝声》を使った声で仲間を呼んだ白い騎士に、ラルフは一気に青ざめた。名前からしておそらくは相棒か部下だろう。ただでさえ厄介な相手なのに、これ以上不利な状況になったら自分まで逃げ切れなくなるかもしれない。
 ラルフは踵を返し《フライ》を唱えて低空で全速離脱。町の外へと向かう。騎士は周囲を見渡して一瞬だけためらったものの、すぐに同じく《フライ》で後を追った。


 □


 《伝声》を使った独特の通る声が響いてきたとき、フェリクスは両替を終えたところだった。何かあったか、とちょうど振り返ったところに、白いプレートメイルの若い騎士がいた。

「な、なんだ? マーカスさん? こっちってどっちだよ?」

 騎士はなにやら動揺してきょろきょろしている。お仕事ごくろーさん、と新米臭い雰囲気の騎士の脇を通り抜けたところで、さっきまでいた場所にラルフがいないことに気付いた。

(まさか巻き込まれたりしてないよな……)

 フェリクスは急速に不安になる。なんだかんだで大した問題はなかったが、この街に来る前のラルフの態度は何かやらかしてもおかしくないもので、意味不明な周辺の村や森の探索と合わせ彼を不安にさせる要素としては十分すぎた。慌ててあたりを見渡すがやはり姿がない。騎士と同じくきょろきょろとしているうちに上から気配があり、はっとして振り返ると見事な大鷹が騎士に向かって舞い降りてきていた。

「ああ、オリヴァーが案内してくれるのか。あとは応援……って無理だな。行こう!」

 鷹が飛び立ち、若い騎士が駆け出す。

(呼んだ方の使い魔か……そうだ、使い魔)

 フェリクスの使い魔は小さなハヤブサだ。あまり戦力にはならないのだが、視覚共有においてはかなり便利な使い魔。視界を移して見ると、運良く見慣れた赤紫のしっぽ頭はすぐに見つかった、が。

(おいおい嘘だろ、なんで追われてるんだよ……!)

 しかも、よく見れば白い騎士のマントにはアルビオン王国の紋章があるではないか。つまり彼らは領主の兵などではなく、王国騎士ということになる。身元がバレた上で捕まった場合、洒落では済まない事態になりかねない。

(応援は無理とか言っていたな。なら、まずはあの新米くんに合流されるとまずい……のか?)

 状況がつかめないながら、フェリクスもラルフを先頭とした追跡に加わった。






[14793] 風の剣士たち(後)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/02/06 04:34
「しつっこいっ……!」

 サウスゴーダの街の壁を越えても、ラルフは白騎士を引き離せなかった。
 全速力、かなりのスピードなのだが、距離が開かない。《フライ》には特別に自信のある、風のライン上位レベルと自負する自分が引き離せないのだ。相手は風のトライアングルか、最悪他系統のスクエアクラスか。だとすると、このまま逃げ続ければ精神力の量においてジリ貧ということになる。相手が魔法においても予想以上の腕の持ち主であることにラルフはいよいよ真剣に焦りを感じ始めた。
 仕方なく、ラルフは切り札を切ることにした。さすがに相手も《フライ》で飛んでいる最中に魔法が飛んでくるとは思っていまい。

「ラナ・デル・ウィンデ」

 ろくに見もせずに《エア・ハンマー》を真後ろへ向かって解き放つ。果たして風の槌はみごとに白騎士に直撃した。カウンターの形で食らった騎士はきれいに吹き飛んで墜落、地面でバウンド。

「ハハハ、まあ、低空だし重装備だし、死にゃしないでしょ。あばよっと」

 戦果を確認して再び逃げに入る。と、すぐに後ろから何かが飛来する音が聞こえ。振り返れば、眼前にいくつもの氷の矢が迫っていた。

「うおおあっ!?」

 ほぼパニック状態に陥りながらもかわす、捌く、かわす。最後の一本はほぼまぐれでかわし、直撃コースの三本をどうにかやり過ごすと、目の前に白い鎧が迫り真上から軍杖が振り下ろされた。体重の乗った一撃がかろうじて受けた腕に伝わり、ラルフは地べたへと叩き落とされる。
 どうにか立ち上がったところへ、白騎士が着地。怒り心頭といった表情になっている。

「やってくれたなガキが。驚かされたぞ。ただでは済まさん」
「クソッ、こっちのセリフだ! 加減してやったのに、マジで死にかねない魔法使いやがって……!」

 ラルフも……簡単にいえば、キレていた。
 とはいえ、明らかに分が悪い。先程の氷の矢は初めて見る魔法だがおそらく《ウィンディ・アイシクル》だ。相手は風のトライアングルだろう。魔法も、剣も負けている。アドバンテージは《エア・ハンマー》のダメージだけ。それも見たところどこかの骨が折れたといった感じではない。全力で叩き込んでおけば、と後悔が湧き上がる。
 にらみ合いの中ふと、騎士が怒気を緩めて口を開いた。

「お前、何か知っているだろう」
「……あ?」
「さっきの女も、ああ、あっちは分かりやすかったが。どうせ何かのおたずね者と言ったところか? とにかく顔を見せられん、と。で、お前はなぜかそれを知っている。何故だ。ゲルマニア人のお前が」
「……」
「かばう理由もなさそうなもんだ。見たところ知り合いでもない。お前が一方的に知っている。初めは紳士気取りのバカガキなのかと思ったが、そんな奴にこれほどの腕があるものか。
 ――つまりだ。お前は怪しい。何かの調査か、工作か、それとも手引きでもしに来たか。さっきの女が誰なのかも含めて、きっちり吐いてもらう」

 実際のところまったくの外れとは言えないのだが、予想以上の容疑を向けられラルフは頭が痛くなった。

「……おい。深読みしすぎだ。こっちは旅行で来てるんだ。身分もれっきとした貴族だぞ」
「詰所で聞いてやる。お前がなんだろうと、先に手を出したのはお前だ。なんにせよただで済むと思うな」
「……あんた、怪我しても文句言うなよ」
「ガキが思い上がるな!」

 互いに熱くなり、ラルフは勝ち目の薄い戦いに挑むことになっていた。









 風の剣士たち(下)









 フェリクスはラルフを見失っていた。一時的に使い魔との視覚共有で見ることはできたが、使い魔を呼び戻して指示を出す暇もなかったし、こればかりはどうにもならない。方向的には町の外へと向かっているようだったので、単純に逃げに徹していたのだろう。まあ、あの少年は魔法の腕もやたらとたつし、何より異常なほどに《フライ》が上手いのでめったなことでは捕まるまいと思うのだが……。一体何をやらかしたのか。
 さすがに、市民を襲ったとか、盗みをしたとかそういうわけでもあるまいと思うのだが。単なる騎士とのいざこざであることを願う。そうでなかったら大問題だ。
 そもそも王国騎士がなぜここにいたのか? 新しい太守はまだ街に入ってはいないとのことだったが、守備の兵などはすでに着任していた。それに、彼らの追跡が結構しつこいことがフェリクスには気がかりだった。喧嘩レベルならもうとっくに諦めているところだ。何らかの疑いがラルフにかけられた可能性がある。王国騎士がこの街にいた理由と何らかの関わりがあるのだろう。

(となると、何か妙な疑いでもかけられそうになったか……。それだったら同情するな。まあ……とりあえずこの新米くんだけでも、こっそりのしておきますか)

 いまのところそれくらいしかできまい。合流を優先しても、フェリクスは護衛は出来ても相手を振り切ることはできない。ならば、ラルフがうまく騎士を振り切った後に合流するほうがいいだろう。あとを付けている騎士も町の外方向へ向かっているので、人通りが途切れたら適当にたたんでしまえばちょうどいい。
 前を行く全身鎧の若い白騎士は先程まではガシャガシャとやかましく走っていたが、今は《フライ》で低空飛行していた。大したスピードではなく、駆け足で十分に追えている。風のメイジではないのだろう。ドットとはいえ本職(風メイジ)のフェリクスがその気になれば、地上へ引きずり下ろすことは容易と思えた。
 とはいえ、動きから見たところ、王国騎士だけあってこの若い騎士もそれなりにできる。問題は使い魔がいることだ。顔を見られたくないのだが、使い魔は上空から先導しているので自分では手が出せない。
 フェリクスは追跡劇の最後尾を走りながら、再び自分の使い魔を呼んだ。


 □


 上位の使い手に未だ拮抗状態ながらも、ラルフは確実に追い詰められつつあった。
 近距離での剣の差しあいは確実に不利。逆に間違いなく自分が優っているのは《フライ》による空中戦だ。そこで上からの攻撃、同時に隙を見ての離脱を試みるのだが……、離脱しようとしてもほぼ同じ速度で追われ、空中で攻撃を仕掛けても器用に魔法を切り替えて防がれる。一進一退、距離を空ける程度は出来るのだが、明らかにこちらのほうが燃費が悪い。おまけに燃料の量はおそらく敵方のほうが上ときている。

(ある程度以上距離が開いたら、防がせることも出来なくなるだろうし。つまり一定以上離すことができない)

 ならばと攻めに出ても、爆撃のような上からの呪文もうまく防がれ、反撃の《ウィンディ・アイシクル》が恐ろしい。十分にかわせる距離なのだが、相手は矢の配置と僅かな時間差による空間の削り方とでもいったものが抜群にうまく、ややきわどい攻防になってしまう。

(さすがに連発はできないらしいけど、これで抜けたところに来てたら確実に食らってるぞ……そういえば昔、男のほうが三次元認識は得意だとかいう話があったような)

 現状、ラルフからの攻撃で最も効果的なのは直上からの攻撃だ。どうやら水系統もそれなりに使えるらしい相手だが、直上は水の防壁が使えないため、質量のない防壁である《エア・シールド》しか選択肢がない。しかし、ラインとトライアングルの差か、これが破れない。《フレイム・ボール》などの熱は伝わるはずなので体力くらいは奪っただろうだが、所詮その程度。

(全魔力を注ぎこんでも破れるかどうか怪しい。というか余力は向こうのほうが多い、つまり確実に破れない。これも駄目)

 全体にレベルが高く基本に忠実、かつ粘り強い。センスも判断力もある。穴のない、非常にやりにくい敵だった。おまけに環境においても不利。今は雨は止んでいるが、午前からの霧雨で空気も地面も濡れている。
 精神力においてはかなり豊富なラルフでも、まさにジリ貧というほかない。手を変え品を変えの魔法も十数回に及んだあたりで、もはやこのままでは確実に負けると認めざるを得なかった。
 数分に及んだ《フライ》を止め、地上で向き合う。

「色々と器用な事だったが。無理だ。諦めろ」

 騎士は優位を得たことで頭が冷めたらしく、無表情に冷たく言い放った。

「さてね。僕はあんたと違って、魔法、一度も食らってないんだけど。いや、防ぎすらしてないな。
 ――引けよ。もう、刃は返さない」

 強く睨みながら、最後の牽制。
 ラルフは、今回の旅では剣杖を使っていた。半ば趣味のようになっている杖の作成と蒐集で部屋中に転がっているうちの一つを持ってきている。片刃の片手剣そのものが杖としても機能するタイプで、当然だが日常の使用にはまったく向かないので決闘用というか、どちらかというと見栄えを重視したものだ。戦闘には便利なのだが、手加減というものが非常にしにくい。
 対する白騎士の持つ軍杖は、いわば鍔のある鉄の棒だ。《ブレイド》の魔法をかけることで初めて斬る能力を得るが、捕縛を目的とする際には相手を「叩きのめす」のに役に立つ。

「無理だと言っている」

 ここまでやっている以上当然だが騎士は引かない。そして《ブレイド》も使わない。

(とにかく剣と魔法の複合で制すしかない。ブレイドを使わないのはありがたいといえばありがたいけど……どこに来るかがわからない)

 相手が《ブレイド》を使えば危険度は格段に上がるが、目的が捕縛である以上、ある程度攻撃箇所が限定できるはずだった。相手の杖にも十分な固定化が施されているはずで、こちらの《ブレイド》で杖を斬り飛ばすというのも難しいだろう。

(どうする……っ来た!)

 ついに騎士が前に出て攻めに転じ、ラルフは必死の戦いを強いられる。


 □


 ラルフと追っていった騎士の姿は未だない。使い魔の視界でも、サウスゴーダの街を抜けたあたりまで確認しているが同様だ。

(あの子に走って追いつけるわけがないしね……。あの鷹もどんどん離れていくし、相当逃げたってことだ。
 !――人が切れた。やるか――)

 フェリクスは空の使い魔に向けてサインを送り、スカーフで即席の仮面を作って顔を隠した。目立たないように後方を飛んでいたハヤブサがすいと現れ、すでにかなり小さく見える前方の大鷹へと向かっていく。少し待って二羽が接触すると思われるタイミングを狙い、《フライ》を唱えるとフェリクスは一気に追跡中の白騎士へと接近した。

「なん……がっ!」

 振り返ろうとした騎士のこめかみへ剣杖の柄で一撃。有無をいわさず昏倒させ、脇腹へ容赦のない蹴りを入れて地面へと叩き落す。

(案外歯ごたえがなかったな。新米くんで良かった。新米かどうか知らないけど)

 上空では自分の使い魔と大鷹の使い魔がドッグファイト……というかこちらが一方的にやられて逃げまわっている。
 フェリクスが騎士を片付けたので、予定通り使い魔たちはこちらへと急降下してきた。地上すれすれを人間には出せない超高速で飛んでくる二羽に向け、まとめて《ウィンド・ブレイク》を放つ。予め知っていた一羽はバランスを崩しそうになりながらも突き抜けて急上昇し、もう一羽は風に乗りそこねて地面に触れ、路上をごろごろと転がってフェリクスの手の中に収まった。もがく鷹を適当に麻袋に放り込んで口を縛ると、騎士と合わせて路地裏へ放り込む。

「これでよしと。あとは合流か。見つけられるかなあ、かなり離れてると思うけど」

 もう戻ってくるのを待ったほうが効率がよさそうな気もするが、これも仕事だ。


 □


 ガキン、という音が響き三度目の鍔ぜり合い。

「いい加減、諦めたらどうだ……!」
「ハ、あんた、なんかに、負けんよ」

 騎士の剣をなんとか受け止め、相手のいら立ちを煽る。
 みずから不利と認めていた剣でのやりとりで、異常なほどにラルフは粘っていた。高い実力の相手のおかげか、心は熱く頭は冷めたような、かつてないほどの集中力を発揮しているのが自分でもわかる。

(押し切られる前に離れて、追撃より先に不意をついてこっちから斬り込む)

 全力で剣を押し返し、《風》を唱えて飛び退く。騎士が追いすがろうとする前に風向きを変え背に受けて地を蹴り突進。相手の剣とは反対側、下方に飛び込み足元へ斬りつける。

「ぐっ!」
(斬った!)

 深くはないが確実に斬りつけ、その隙を突いて上がった息を整えようと大きめに距離を取る。

「ハー……ハァ……」
(疲れがヤバい。けど今、確実に俺は強い)

 膂力、体力で勝る相手との本気の打ち合いは、限界を超えた疲労を生んでいる。普段ならフラフラになっているだろう。だが、今は行ける。先ほど突かれた左脇はかなり強烈なダメージだったが、集中のおかげか痛みも殆ど感じない。
 騎士はすぐに立て直しているが、狙いが良かったのか足元にためらいがわずかに感じられた。

(……今なら逃げられる、――いや《フライ》に足は関係ない。……今なら、――決めてやる)

 切れそうになる集中力を維持し、ラルフは覚悟を決めた。熱くなりながらも、目の前の敵を倒すという一点の計算だけは冷徹に行われ、最後の特攻に出る。
 詠唱。突進しながら《エア・カッター》を唱え、放つ。すでに唱えられていた《エア・シールド》で受けられる。スペルと剣の連続攻撃は読まれている。しかし更に飛び込みながら詠唱、《風》。背に風を受け急速に飛び込む、すでに相手は上から迎え撃つ構え。《風》を使った緩急と出入りは見せ過ぎた。しかし構わず渾身の斬り上げ。
 その速度はまさに神速だった。

「――ばっ!」

 剣杖が吹き飛び、どちゃ、と重い音。右腕の肘から先を失い、首への強烈すぎる峰打ちを受けて白騎士は前へ崩れ落ちた。
 バカな、と言いたかったのだろう。
 実際、凄まじい集中力を発揮してなお、ラルフは総合的な実力において騎士にかなりの部分で負けていた。勝利をもぎ取ったのはそんな実力の不利を覆す奥の手、いわば秘剣のようなものによってだ。
 ――秘剣。魔剣。
 魅力的な響きだ。剣の道を歩む者ならずとも、憧れるものは多い。単純に言葉としてあこがれを抱くのは、どちらかと言えば、むしろそちらのほうが多いかもしれない。
 しかし、当然ながら剣を取るものにとってもそれはとても魅力的なのだ。
 初心のものは、『簡単に強くなる方法』として。
 道半ばのものは、抜きん出るための自分だけの技として。
 道至りつつあるものは、自分の在った証たる技術として。
 頭を捻り、業を尽くし、奥の手を持たんとする。ラルフもまたその一人だった。

 ラルフが考案した『自分だけの剣』。それは抜刀術のように腰だめに構え、剣を体の後ろに隠した体勢からの単純な逆袈裟。
 しかし、当然ただの剣ではない。《操り》の魔法で、体幹、腕、剣を風によって《操り》加速。これにより剣閃は人間に繰り出せる限界を超えた速さを得て敵を斬る。これがラルフの自分なりの『秘剣』だった。
 魔法には、放てば終わりのものと、一度かければ一定の時間や条件が続く限り効果が持続するもの、そしてメイジが意識を解くまで効果が続くものがある。一つ目は一般的な攻撃魔法などがそれにあたり、二つ目には《固定化》や《ロック》などが、……そして三つ目には《操り》、《フライ》などがそれに当たる。
 そしてラルフは、この一つ目と三つ目を同時に行使することができる。これを活かす戦術を考えるうちに生み出された技だった。

 細かく見れば、自分の体への《操り》、それも本来の用途――人形遊びや離れたものを手元に寄せたり、本のページを捲ったり――を遥かに超える速度と力で、を行使。更にそれを維持したまま他の魔法を使用し、次の一撃を純粋な剣によるものと誤認させる。それを行った上で一足一刀の間合いを得ること。そこから、体の動きを完璧になぞる方向に《操り》を働かせる。かなり厳しい条件のもとに成り立つ一閃である。
 少しでも《操り》のベクトルが体の動きから外れてしまえば逆に剣筋を歪め、むしろ遅くしてしまいかねない。そのため、体の動きと魔法のイメージが常に同じで一定であるようにひたすら反復練習を積んだ。練習しながらラルフ自身、自分でも馬鹿なんじゃなかろうかと思うこともあったが、ここに見事結果は実ったのだった。

 しかし……。
 倒れ伏す先程までの好敵手を見下ろす。

(くそ、首、骨までいったなこれ……死ぬかもしれん。下手な《治癒》より腕だけ応急処置して、応援とやらに任せたほうがいいか……)

 峰打ちとはいえ、あまりにも速度と威力がありすぎた。
 相手の首に当たる直前で強引に刃を返したため吹っ飛んでしまった自分の剣杖を拾ってようやく周囲に気を向けると、どうやってこちらを見つけたのか、先ほどの姉妹がいる。

「あ……」

 視線を向けられた途端ビクリと緊張して、つないだ手に力が入ったのがわかる。姉の方はローブのフードを外しており、翠がかった長い髪と美しい顔をあらわにしていた。

「……ふう……」

 額に手を当てて落ち着きを少しだけ取り戻し、ラルフは二人に声をかけた。

「何やってんだ? さっさと行けよ。また捕まるぞ」

 想定以上の激戦、やり過ぎな相手のダメージに、当初の目的などもはやどうでもいい気分だ。半死人にしてしまった相手など見せたくない。
 と、妹……ラルフと同じくらいの背丈のほうが姉の手を振りほどくと、脇を駆け抜けて切り落とされた腕を拾い、倒れた騎士に手をかざした。その手の指輪が蒼い光を放つと、みるみるうちに切り落とされた右腕が治癒していく。

「は!? ……ああ……。
 なあ、首……首もだ。多分折れてる」

 驚きながらも、自分の知識からしてあり得ることだと納得してラルフは治療を頼んだ。妹は目をラルフに向けないまま小さく頷き、首もとへ手をかざす。すぐに首が座るように治癒が始まった。

「反則的なマジックアイテムだな……」

 これは水石と言うんだったか、とほっとしながら思う。首の方はおそらく水のスクウェアあたりでないと難しい治療だったろう。眼の前で見ると奇跡としか思えない。ひと通りの治療、再生が終わると妹は姉の斜め後ろの定位置に戻り、姉が口を開いた。

「あの、あなた、もしかして、父さまの……」
「え?」

 どうやら、自分たちに味方してくれる立場の人間だとでも思ったらしかった。

(あー、そうね。「また捕まる」なんて言ったら事情は察した上で助けた、って言ったようなもんだし、そう思われても仕方ないのか……。うわー変な誤解させた……)

 そもそも騎士に歯向かってまでかばい、その上であの激戦をやらかすのだ、そう思われてもおかしくはなかった。味方かもしれないと希望を持って、必死に後を追ってきたのかもしれない。

「いや……、関係ないです。ほんとに通りすがり」
「……そうでしたか……。良かったら、お名前を聞いても?」

 二人は否定されて見るからに落胆した様子だった。

(うわあ……)

 先程からのいつ応援が来るのかという焦りに加え、罪悪感まで湧き出してラルフはひどく居心地が悪い。名前を教えていいものかは迷ったが、家名を巻き込まなければ構わないだろうと考えた。

「……ラルフ。言葉でわかると思うけどゲルマニア人。早くここを離れなよ。来るかわからないけど応援を呼んでたし、僕ももう行くから」
「はい。その……さっきはありがとうございました」

 姉の方は年下の相手に向かって深々と翠の頭を下げた。育ちのよさがわかる。容姿と状況、フードを取ろうとしない妹にその指輪。もうどう見ても当初の目的のひとつだった人物たちなのだが、ラルフは焦りと罪悪感、自分の後始末をしてもらった居心地の悪さで今はどうでもいいという気分にしかなれなかった。

「一応聞くけど、あー、お名前は?」
「マチルダ……マチルダ・オブ・サウスゴータ。もうサウスゴータは名乗れませんが」

 これで確定。連れももう間違いない。ラルフは一応話を振った。

「そう。そっちは妹さん?」
「……。」

 連れ、自分と同じくらいの年頃の方へ目を向ける。フードの下に金色の細い髪と、硬い表情が見える。マチルダが答えを促した。

「ほら、テファ」
「ティファニア、です」

 なかなか気丈な様子で妹、ティファニアは名乗った。ラルフはやや意外な気もしたが、つい最近襲撃から命からがら逃れたばかりと考えればそんなものか、と納得する。

「さっきも言ったけど、早めにここを離れたほうがいい。あなた達の場合この街もだ。縁があったらまた。あとあの人の治療、ありがと。じゃ」

 ラルフは挨拶もそこそこに踵を返して《フライ》を唱え、フェリクスが町の外ではぐれた場合に落ち合う場所として指定していた場所へ向かって飛んだ。


 □


 雲が切れて明るくなり始めた空を駆けながら、ようやく戦いの熱から醒めたラルフは思う。

(うあー……結局、何もやってないのと同じだ)

 会ってみたいと思っていた二人を前にして、ろくに話もしていない。それほどいい印象を与えたとも言えないだろう。ただ、その追手らしき騎士とひたすら斬り合いをしただけ。

「あーくそ、何やってんだか」

 馬鹿馬鹿しい、どうでもいい、と口癖の言葉を繰り返す。せめて自分の治療ぐらい頼めばよかったと、今になってずきずきし始めた肋骨のあたりの痛みに思う。

(ああ、でも――)

 風は心地良い。熱くなっていた心と体から、気持よく熱が抜けていく。
 風はいいものだ。
 どこにでもあって、どこへでも行ける。そして、誰にも見えない。風が止むのは誰にも止められないし、誰も気付けない。風になりたい。誰からも見えなくなってしまいたい。何もかも置き去りに吹き抜けて、それだったら、きっと楽だ――。
 遠くに、見覚えのあるハヤブサが飛んでいるのが見えた。







[14793] 魔法と成長
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/02/07 05:41
 気に入っていた剣杖は《固定化》や《硬化》のかかっていたであろう鎧を斬ったせいで刃が完全にダメになっていた。こちらの剣にも同様の処理は施されていたのだが、こればかりは仕方がない……がやっぱり残念でならない。どうやら自分にはコレクターの素質があるらしい。相手が受けの剣で相性は良かったとはいえ、完全に実力で負けている相手を下せたのだ。本来これくらいで済んでよかったというところなのだろうが。
 アルビオンから逃げるように帰ることになり、フェリクスには厳重な口止めをしようとしたが、さすがにこれは不可能だった。不可解な探索行と合わせ報告され、父から大いに呆れられることとなった。
 ますます見放されつつあるかもしれないと思っていたのだが、昨日になって自分がトライアングルとして目覚めたことに気付いた。思っていたよりもだいぶ早い。しかしこのおかげで少しばかり父からの目が和らいだ気がした。数日後の13の誕生日にあわせ、家族でささやかなパーティのようなものも開いてもらうこととなっている。

 ラインとなったのがあまりに前なためにろくに覚えていなかったのだが、魔法的なクラスの成長とは不思議なものだ。精神力(使える魔法の弾数、いわばマジックポイント)の成長は、筋肉の成長や剣の腕と同じで日々くりかえすことでしか成長せず、実感も薄い。だが、ある日魔法を唱えようとしたらいつもとは明らかに違うレベルで「力が入る」感覚はなんともいえないものがある。自分の成長をはっきりと自覚できる。昨日までの自分とは違う。それは不思議な感覚としか言いようがない。ベッドで目覚めたら三年分くらい成長していて、筋力も身長も伸びていた、とかそんなものに近いかもしれない。
 何が言いたいかというと、魔法の制御が明らかに下手になった。「全力」が上がると、今までと同じ力加減ができない。感覚的に力を込めると、明らかに効果が跳ね上がっているのだ。そんなわけで、結局今まで通りではあるのだが、魔法の訓練をやっている。

 力の制御が主な目的なのだが……やはり今まで使えなかった魔法が使えるというのは面白く、どうしてもそちらに興味が行く。
 例えば『風』『風』『風』《ライトニング・クラウド》。超高速かつ高威力(対生物)だが、風の利点である「見えない」という部分を捨てているため、ものすごく使える魔法というわけでもない。だが、なんといっても派手さ、華がある。要するにかっこいい。
 『風』『火』『火』で《炎の舌》。自在に動く炎の蛇……いや、舌。魔法書にそんな魔法は載ってないのだが、例の《炎蛇》から(もちろんそんな魔法もない)連想して自分で作ってみた。詠唱はやたらと長く扱いも異常に難しく、それでいて動きはのろい……とはっきり言ってまったく使えない。
 ただ、なんといっても新しい魔法を使えるというのは面白いのだ。やるべき事は分かっているのだが、ついついその場の思いつきで色々と試してみたくなる。
 そうして炎をぐねぐねと操っていると後ろから「ほう」という声が聞こえた。
 父が立っていた。






 おやこのまほうひろば






「うん、まあお前もトライアングルまでなったわけだし、もう私ぐらいしか教えられんだろうと思ってな。今日は時間をとった。
 しかしもう自分で魔法を編み出すまでになっているとは知らなかったな。クラーラが生まれてから少し、お前を見ていな過ぎた。お前は昔から安心してみていられたから、私も気を抜きすぎていたようだ」

 一息つきにいつも休んでいるテーブルまで戻ると、父はそう言った。

「まー、お仕事があるのも、クラーラが手がかかっているのも分かってますから……あれはほんとに遊びで作った魔法ですし」

 妹は可愛いざかりだ。手がかかるというか、かけたくなる気持ちもわかる。済まなそうな顔をされるとこちらが恐縮する。妹に比べればあまり……かなりいい子どもではないのは確かだと思う。

「遊び? そんなに簡単に新しい魔法を作っているのか?」
「え? いやまあ、適当ですけど」

 新しい魔法を作るというのは、無茶苦茶に難しいものではない。起こしたい現象、それが発生するための条件にあった系統、現象のもととなる部分からのイメージ、それに必要なルーンの組み合わせ。帰納的に考えていけばできる。重要なのは理解と想像力。俺は現象の理解という点では他のものより一歩先んじているかもしれないが、やはり何よりも重要なのはイメージ、想像力だ。
 それに本当に難しいのは『使える』魔法を作ることだ。未だに自分が作った魔法で「コレは使える!」と言えるようなのはほとんどない。どれも微妙だ。ああ、《防音結界》があったか……。

「昔作ったのなら、少しは使えるかも、っていうのはありますよ」

 適当に《防音結界》を発生させる。とたんにシンと静まる空間。この呪文、実はラインスペルである。ただし固定型の魔法で、大きさや込めた魔力にもよるが頑張れば一時間程度維持される。魔力的な効率はあまりよくないが、意識を張り続ける必要がないので便利なのだ。ただし、杖や術者を中心としないので移動しながらは使えない。

「父さんはちょっとそのまま座っててください」

 杖を置いて席を立ち、『結界』を抜けると、ざわっと風の音がする。

「エリカー! お茶くれー!」

 叫んだ上で席に戻る。

「聞こえました?」
「いや……どういうことだ、《サイレント》のようなものか? ルーンは似ていたが」
「簡単にいえば、内と外の音を切り離す魔法ですね。今ここで話しているのも、あのへんまで行くと聞こえなくなります。多分密談に便利」

 あなたのお蔭でできた魔法です。とは言わなかった。

「ほお……これはすごいな。風のラインスペルで新しいものを作るとは」

 感心されました。
 まあ実際、二つのかけ合わせではできることが限られてしまうのだ。だからラインスペルというのは結構取り尽くされている。
 異世界の知識や科学知識というハルケギニアの常識にない視点を持つ俺も、ラインスペルでは大したものはできなかった。俺の頭が悪いという可能性も大いにあるのだろうが、基本的に攻撃的な属性である風や火のメイジであるというのも大きいと思う。創造性の高い土の魔法が絡められたらもっといろいろできそうだが、残念ながら土の魔法はもっとも苦手としている。

「この魔法を、杖や物を中心に発生させられたらもっといいんですけどね。《ロック》をかけた箱を持ち歩けるように」

 絶対座標でなく、相対座標に。そういう魔法は作れた試しがない。と思ったのだが、父は意外にあっさりと言った。

「ここまで出来ているのなら、できるのではないのか?」
「できます?」
「できると思うが……」
「お願いします、教えてください」

 この魔法の基本を伝え、それぞれのイメージの齟齬のすり合わせに苦労しつつも、二人して杖を振りルーンを並べ、それから三時間ほどで《防音結界》は移動可能な《遮音》の魔法へと進化を遂げた。これでいつでも俺は暗殺者になれるだろう。夫婦の寝室からもきっと声が漏れなくなるはずだ。すばらしい。


 □


「なかなか素晴らしい出来だな。家伝の魔法にでもするか」

 ひと通りまとめ終わり、二度目のお茶を飲みながら父はそんなことを言った。ひょっとするとマテウス家は音無しの暗殺者の一族になるかもしれない。

「いいですね……そうなったら光栄という感じですけど。理想を言うなら外の音は聞こえるという所までやりたいですね。あと限りなく悪用できそうなのであまり子供には教えたくない魔法ですよ、これ。
 そういえば、うちにはあるんですか? そういう家伝の魔法」
「あるな……私は使えないが。お前もどうかな。ミンナなら使えるだろうが」

 ツェルプストーから伝わった、火のトライアングル、スクウェアスペルがそれぞれ一つ。マテウス家の先祖が作った水のスクウェアスペルが二つあるらしい。

「水のスクウェアって……。誰も使えないじゃないですか。なんでそんなことに」
「うちは元々は水の家系だったのだぞ。まあ何度かツェルプストーの血も入っているし、だんだんバラバラになっていったらしいが」

 なんと。それは驚きだ……が、ぶっちゃけどうでもいいな。

「では、父さんの魔法は?」
「いくつかあることはあるが……」

 父は微妙な顔になった。微妙な魔法しか出来なかったといったところか。あさってのほうを見ながら「見てみたいなあ」などと言ってみる。

「う、む……まあいいだろう。ルーンはこうだ……」

 父はルーンを諳んじながらいくつかのスペルを書いてみせた。どれもオリジナルスペルとしてはかなり短い。先ほど完成した《遮音》と大して変わらない。

「短いですね」
「だいぶ研究したからな」と父は苦笑した。

 呪文、ルーンにはそれぞれ意味がある。オリジナルスペルを作る場合には、当たり前だがそのルーンも自分で組み合わせなければならない。これが意外と難しく、何かと冗長になりがちなのだ。無駄のない長さのスペルとするには、ルーンの働きをきちんと理解しなくてはならない。これはあちらで言うなら大学の専門教育レベル以上、つまりアカデミーレベルの知識が必要であり、本ばかりが情報源の俺は半ば勘というレベルでやっている。やはりどうも冗長なものしかできないのだが。
 今、父が書いたスペルはどれも十分な実用性を備えたレベルの短さだ。父にもルーン学の知識はそれほどあるわけではないはずなので、おそらくは実用のうちにこれらのスペルを研究し尽くしたのだろう。知識的に突き詰めていなくとも、実用と改良を重ねることでまとめていくことはできる。

「これは風と火のトライアングルスペルだ。私自身、多少の無駄はあると感じているが……どちらか半分ならラインでもできないことはない。まあ、実際にやって見せる。
 うん……そうだな、お前は剣術でもやるつもりで構えていなさい」
「半分? ……はあ、わかりました」

 とりあえず、立って父に向かって杖を構えてみた。すたすたと歩いて十メイルほど距離をとった父はステッキ位の長さの杖を抜く。

「では行くぞ」

 その言葉とともに父はこちらへと一気に間合いを詰めてくる。若干驚いたが、剣術のつもりというのに納得した。
 間合いが半分に縮まったところで、ゆらりと父の姿が揺らいだかと思うと、四メイルほど開けてもう一人、父の偏在があらわれた。

「うっそ!」

 そのまま二人から間合いを詰められ、偏在と合わせて同時に突きを入れられる。と、払おうとした杖が通り抜けた?

「まあ、こういう魔法だ」

 目の前に立っている二人の父はゆらゆらと姿が安定しない。偏在は……これは。

「実体がない?」
「そういうことだ」

 偏在が消え、父も何か焦点の合わないような状態から普通に戻る。

「実態は、偏在ではなく空気の鏡を作る魔法だな。それと合わせて、こちらの姿を捉えづらくする。実際、二つの魔法を組み合わせたものだ。どちらも元々は私の作ったスペルだが」

 空気の鏡……。そしてあの焦点のあわないような状態は。

「蜃気楼? そして陽炎?」
「理解が早いな……。そういう事だ。種が割れればなんということはないが」

 父はつまらなそうな顔をしているが、これは使い方次第ではかなり使えるのではなかろうか。組み合わせない個々の魔法としても、使いどころさえ合えばなかなかの効果を発揮しそうな気がする。
 ただ、蜃気楼は使いこなすのにとんでもないセンスを必要としそうな気もするが……。相手からの見え方を完全にコントロールする必要があるのだ。これは相当に難しいはず。

「だがな、陽炎の魔法は騎士や剣士相手などでは意外に役に立つのだ。間合いを掴みにくくできる。鏡の魔法もちょっとした幻影を見せるようなことができるから、まあ座興にも使えるしひょっとすれば戦いにも活かせるかもしれんし」

 なんとなく父から照れと恥ずかしさを隠すような雰囲気が漂う。それと何かの売り込みのような必死さが。

「クク、座興って。使えないでしょう。というか使ったらいけませんよね? ……いや、でもこれは結構実用性がある魔法ですね」

 こんな家伝、秘伝の魔法は基本的によそで見せるものではあるまい。

「うん、……そうだな。座興はないな」

 そう言いつつも少し嬉しそうだ。

「まあ鏡写しだと気づかれるとつまらん。そのあたりをうまくやらなければ使えん」
「なるほど」

 確かに偏在と思って驚き、仕掛けられている最中はまったく気付かなかった。陽炎によって幻影との区別がつかなかったも大きい。あの幻影はトライアングルスペルとして使って初めて効果があるのだろう。
 だが……。思わずにやついてしまう。

「しかし……父さん、《偏在》が使いたかったんでしょう」くくく、と笑いが漏れる。
「う、まあな。お前も風のメイジならわかるだろう」
「わかります」

 うんうん、と思わず頷く。
 色々と本などで《偏在》の不完全さや欠点も知っているが、それでもやはりあれは風の上級呪文としては強力極まりない魔法なのだ。格段に跳ね上がる殲滅力のみならず、撹乱からアリバイ作りまでできる。水のメイジならばやはり水のスクウェアスペル《フェイス・チェンジ》で美形に化けたり他人に変装したりといったことを考えるように、まあそれぞれ色々な理由で身につけたくなる魔法だ。

「あれも欠点はあるがな。喜劇のような馬鹿をやった者も見たことがある」

 思い出し笑いを浮かべた父が皮肉げな口調になった。

「へえ。どんなことが?」
「うん……うーん、まあ、お前ならいいか。
 私の学院生時代、人気の女教師がいてな。同級生が猛烈に求愛して、どうにかデートの約束を取り付けたんだ。それでいざ当日、私や悪友たちで後をつけたんだが……二人が歩いて行く先に、もう一人その女教師がいたわけだ、学院の同僚の教師と仲睦まじい様子の」
「うわあ……」

 その年でそれは女性不信になりそうだ。というか、この年でそんな話を聞いたら普通の子どもは女性不信になるかもしれん。

「同級生のほうはてんで気づいていなくてな。必死に別の方へ連れていこうとする女に『今日は僕のエスコートで』などと……くっく、もう隠れて見ている方は《サイレント》まで使ってゲラゲラ笑っていたが。
 いよいよとなったら偏在は男に見つかる前に消えて逃げて、奴はしばらくきょろきょろしていたが『本物』の方を見つけてしまって。あとは……痴話喧嘩だな」
「その人は、やっぱり名門の?」
「ああ。侯爵家の長男だった。そういうわけだから、お前はそういう心配は少ないだろうが」

 そんな保証をされても仕方ないが、要するにツバを付けられていたわけだ。……哀れだが聞いている分には笑ってしまう。

「痴話喧嘩の中で教師が……ああ、教師の方は二人とも気づいていなかったんだ。もっとも女のほうは分かっただろうが、男のほうがな。頭に来たらしく処分をするなどと言い出したあたりでこっちもぞろぞろ出ていって、結局あとで逆に女の方へ処分が下った。あれは傑作だったな」
「悪の魔女は倒され、大団円か。ハハ、確かに喜劇」

 メイジには偏在がどこで何をやっているのか分からず、記憶の共有も不可能だからそういう事が起こる。消えたことも分からない。指示を与えてあとは完全に自律行動なのだ。偏在はメイジの指示に従うし、思考はメイジ本人とほぼ同じロボットのようなものらしいので命令系統での問題は起こりにくいのだが、どうしてもアクシデント、想定外に対する弱さのようなものがある。

「まあそんなわけで《偏在》も万能ではないがな。便利なのは確かだ。お前が羨ましい。きっとスクウェアまで届くだろう」
「どうなんでしょーねえ……」

 ラインのときにあった「トライアングルにはいずれなれるだろう」といった漠然とした感覚がない。別に頭打ち、という感じでもないが。それを言ってみた。

「なにかきっかけがあれば、といったところか? ――まあ、お前はまだまだ若い。あんまり普通に話ができるものだから時々私も忘れそうになるが、幼いと言っていい。成長せざるを得ない場面というのも、この先必ずあるだろう。その時まで、努力を怠らないことだな」

 私など、ミンナに求愛するのを決心した日にトライアングルになった……などという判断しづらい話をされた。それはなにか違う気がする。

「きっかけ、成長せざるを得ない場面、ね……」

 そういうとき、というのは……。俺には未だないように思う。
 この前の騎士との斬り合いは少し違うだろう。あれは、なんというか追い込まれた偶然と一種の熱狂状態の産物だ。剣の腕は多少伸びたような気がするがそれもわからん。肋骨にひびでも入ったらしいのを見栄で黙っていたため、このところ剣を振れていないのだ。
 前世の『彼』であったときはどうだっただろうか? 
 ――考えるまでもない。彼はそういうシーンに出会わないように生きていた。最後まで何とも向き合わなかった。ああ、たぶん今の俺もそうだな……。諦めが先に立つのだ。騒がしい友達の姿が見えなくなったとたん、以前に戻りつつある。何よりも価値を見いだせない、誰よりも嫌いな自分に。

「お前は時々そういう顔をするな」

 はっとして見ると、父がこちらを観察するようにじっと見ていた。

「あまり自分を卑下しないことだ。そういう考え方は魔法の力も落としてしまう。分かっていると思うが、人としての力もだ。己を信じるというのは色々な場面で重要になる」

 ――自分ほど信じられないものがあるものか。
 俺と父はかなり価値観が似ているタイプだと思うが、決定的に違うのはここだと思う。この人は真の困難がやって来たとき、おそらく自分を信じて向かっていくことができる。俺は困難を避ける。立ち向かう力がないからだ。いや、立ち向かう事ができないと思っているから、ということになるのだろうが……。実際、例えばこの前の騎士との一戦だって、あれほどの実力を持つ騎士だと分かっていたのなら、あの二人に助け舟など出さなかったと断言できる。
 成長しなくてはならないような場面、そんなものによりによって自分が正面からぶち当たるくらいなら、別に成長なんてしなくてもいい。自分にそれができなかったらどうする。そういうのは、誰かもっと信頼できる人間に任せておけばいい。世の中それで回っていくのだ。――ああ畜生、これは、『彼』の考え方じゃないか。なんて事だ。

「もしそれが難しいと思うのなら、なにか依って立つものを持てばいいのではないか」

 俺が黙っていると、父はそう言い足した。ある意味もっともな話だ。
 やれやれだ。始祖様でも本気で信じてみようかしら。皮肉気味にそんなことを考えていると、思い出したように笑みを浮かべて、さらに父は言った。

「それは家族でも、友人たちでもいいだろう。家族はそう簡単にはなくさんが、友人は簡単に失うことがある。大切にした方がいい」

 うまい落とし所に誘導された。このところ姿を見せない友達とのことを心配してくれているのだろう。
 確かに、始祖よりは赤毛の女の子のほうがよっぽど魅力的に違いない。俺も、まずはそこから始めてみることにした。




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 目の前で錯覚するレベルの蜃気楼なんてねーよ。でもそこは魔法なんだよ。
「ほら、そこは魔法だし」
 これこそが真の魔法の言葉。






[14793] フォン・ツェルプストー嬢の観察
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/05/31 21:46
 ついに僕もトライアングルになりました。
 あと、次のダエグの曜日は僕の誕生日です。つきましては、ここはツェルプストーのお姫様としても、ぜひとも祝うべきだと愚考します。この前剣杖を一本ダメにしてしまったので、剣か杖がいいでしょう。
 良かったらその前にでも会いましょう。僕は竜に乗れないのでそちらから来てくれると嬉しい。

 愛を込めて ラルフ




「なにこれ……」


 フォン・マテウスから届いた手紙を放り出し、キュルケは思わず笑った。こんなふざけた手紙を男性から貰ったのは初めてだ。あの少年はいつも下ばかり向いてぶつぶつ文句を言っているくせに、たまにやたらと大胆になる。腰は重いがあれで意外と行動力自体はあるから、きっと今回はそのスイッチが入ったのだろう、とキュルケは想像して、また少し笑った。

 キュルケはここ三ヶ月ばかり、ずいぶんと大人しく過ごしていた。付き合いのいい相棒がいないので探検にも出なかったし、パーティなどに出ても新しく会った少年貴族を引っ掛けて来ることをしなかった。これは家族や周囲からは驚くべきこととして認識され、喜ばれたり心配されたりもした。本人はあまり気にせず、相変わらず家庭教師の授業をエスケープしてふらついたりもしていたのだが。


「それにしても、もう『トライアングル』かー。すぐ追いつかれたわねー……」


 少しばかり悔しい。

 トライアングルになってからは気を抜いていたため、キュルケはまた少し教練を真面目にやろうかしら、と彼女にしては珍しいことを考えた。

 ラルフにしてもキュルケにしても、12,3でトライアングルというのは、はっきり言って並ではない。同年代のメイジから頭二つは抜けていると言っていい。ラルフがそこまでになってしまうと、今までのように自分をめぐる争いをさせても、相手との力の差が開きすぎてしまってつまらない。苦戦したところなど見たことがないが、もう少し頑張ってみせてもいいのじゃないかと思うのだ――そんなことを考えながらキュルケは部屋を出た。

 ちょうどいいところにいた家庭教師に「出かけてまいりますわ」とさらりと言って杖を振り、『フライ』で城の外、厩舎へと向かう。後ろでなにやら叫んでいるような気がするが、そんなものは聞こえない。聞こえないったら聞こえないのだ。






フォン・ツェルプストー嬢の観察






 マテウス邸に降り立ち、迎えに騎乗獣を預けるとラルフがいつも魔法を練習している館の裏の林へと足を向ける。

 珍しくラルフは妹といた。
 ラルフは家族との関係がひどく薄いらしい。キュルケが覚えている限り、二度三度くらいしか一緒にいるのを見たことがない。父親のことは信頼しているようなことを言っていたが、その関係も普通の父子と言うよりまるで友人のようなものに見えた。母親などキュルケが一度挨拶したきりで、まったく話に上がらない。妹も生まれて暫くしてから一度見せてもらったきりだった。

 ラルフは切り株に腰を下ろして本を読み、妹、クラーラを片手で相手している。めったに見ない光景に、キュルケは足を止めてしばしそれを眺めてみることにした。


「にー、に!」

「はいはいにーにですね」


 ラルフは本からまったく視線を移動せずに手探りで妹の頭を見つけ、わしわしと撫でている。かなり適当だった。

 母親譲りの明るい栗色の髪をした妹は、キュルケが前に見たときはどうにか立てるだけだったのが、もう歩くことも喋ることもできるようになったらしかった。何か拾ったものをラルフに見せようとしているのだが、ラルフが本から目を上げないので必死にアピールしている。クラーラがラルフの後ろで縛っている髪を引っ張り始めて、ようやくラルフは顔を上げた。


「いて、痛え。痛いって。んー何? ああ、ドングリか」

「どんぐり?」

「うん、ドングリ」

「どんぐりー!」


 クラーラは叫びとともに拾ったらしいドングリを池に向かって投げた。


「何がしたいのお前……」


 キュルケはどうにか笑いをこらえた。
 ラルフは一旦本を閉じて杖を取り、高さ50サント程度の土ゴーレムを創りだした。クラーラの相手をさせるつもりなのだろう。のそりと小さなゴーレムが完成しかけたとき、勢い良く走りよったクラーラがゴーレムの顔面に張り手を食らわせた。


「ああっ」


 ラルフは土系統がひどく苦手なので、ドットスペルのゴーレム生成も大したものは作れない。崩れたゴーレムはそのまま土に戻ってしまった。きゃあー、とクラーラは声を上げて喜び、またすぐに他へ興味を移す。微妙に震えているラルフの後ろ頭を見て、キュルケは笑いを押し殺すのにだいぶ苦労した。


「こんにゃろう……てい」


 ラルフは立ち上がり、クラーラが他所を見ている隙になにやら魔法を使うとクラーラから見えない木陰に隠れた。クラーラはきょときょととあたりを見渡して、しばらくは不思議そうにしていたのだが、次第に不安そうな顔になり、終いには泣き出した……のだが、声が聞こえない。『サイレント』でも使ったのだろう。呆れてキュルケは歩み寄り、頭をはたいてやることにした。


「フフフ、ざまあ。って痛っ!」

「なにやってんのよあんたは。かわいそうでしょうが」

「うおっ! ってキュルケ! ああ、解くよすぐに。まあ見てろ」


 ラルフが魔法を解くと、クラーラははっとなって周囲を見渡し、姿を表したラルフにうわああん、と声を上げて飛びついた。


「よしよし。大丈夫だ、悪かったな。
 ――ふふ、今きっとクラーラには『ピンチの時に助けてくれた優しいお兄さま』ひいては『お兄さまはいい人』というイメージが刷り込まれたに違いない」


 少しは悪かったと思っているのだろうが、後半の発言が色々と台無しである。珍しく馬鹿な事を言うと思えばろくでもない。キュルケは半目になってラルフを睨んだ。


「もし本当にそうだとしても、今確実にあたしの中のラルフのイメージの『いい人』度合いは下がったわね……」

「ちっともいい人じゃないキュルケに言われてもねえ。――でもやっぱり、『サイレント』って怖いんだな。俺だけじゃなかったのか」

「あたしは結構いい人よ。――『サイレント』が怖いですって?」

「うん? ああ、まったくの無音だからな。初めて使ったときは、なんか不気味というか、怖いと思わなかったか? 空気の音がない、って」


 そういえば、と思い返してみると、キュルケにも少しばかり思い当たるところはあった。


「そう言われればそうかもね」

「な。――じゃ、庭に戻るか」


 そう言って、ラルフはクラーラを抱き上げた。


 □


 キュルケを迎えたラルフは、キュルケが乗ってきた幻獣――キメラ・グリフォン――を見て、本気で呆れた顔をした。


「図太いというかなんというか……いい根性してるな、ほんと」


 キュルケはあの森での一件の数日後、再び一人で「黒い森」を訪れてキメラ・グリフォンを自分の騎乗獣としてちゃっかり回収したのだった。その後無人となっていたギヨームの研究室のものは伯爵家へ接収された。性に合わない水の術だからなのか伯爵はそれほど興味を惹かれなかったようだが、内容は水メイジの家臣に預けられた。


「済んだことは取り返せないもの。でも、目の前にチャンスが転がっているのに、何もしないってのはありえないわ」


 それはキュルケの信条のようなものだ。多くのゲルマニア人にとっても同様だろう。キュルケのそれはゲルマニア人としても少しばかり苛烈で過剰ではあるが。


「はあ。よくわからん、俺には」


 しかし、ゲルマニア人らしさとでも言うべきハングリー精神に欠けるラルフには、今ひとつ通じない話だったらしい。理屈は分からないではないが、理解出来ないというのが表情にあらわれている。
 彼らしいといえばそうなのだが、キュルケからすればやはり今一つ物足りないという気持ちがある。


「反省すべき点は反省するわよ。でもそれとこれとは別」


 いつもの探検から相手のメイジの手打ちという後味の悪い結果。原因が自分だったこともあり、今回ばかりはキュルケも色々と考え込んだし、だからこそラルフとはしばらく連絡を取る事もせず自分のあり方や行動を見なおしたりもしたのだ。でもやっぱり欲しい物は欲しい。


「――なるほど」


 それはそれ、これはこれ、ってやつか、とラルフがつぶやく。


「あら、いい言葉ねそれ。あたしの座右の銘にでもしようかしら」

「やめときなよ、あまり人に好かれない人間になると思う」


 やいのやいの言いながら、二人はいつも使っているマテウス邸の庭園のテーブルにつく。キュルケにとっては久しぶりとなるテーブルだ。クラーラはメイドに連れられて館へと戻っていった。


「それにしても、ずいぶんふざけた手紙を送ってきたものね」


 キュルケが少し表情を固くしてみせてそう言うと、ラルフは急に不安げな表情になった。


「いや、まあ、なんだろ――」

「冗談よ。なかなか笑わせてもらったわ」


 すぐに否定してやると、ラルフはほっとしたような表情になった。


「少しふざけすぎたかって、送ったあとになって不安になってたんだよ」


 そう言ってラルフは苦笑して見せる。


「それにしても、ずいぶんあっさり出てきたな。貝みたいになってるかと思った」

「あたしがそんな事するわけないでしょ。だいたいいつも通りでいたわよ」

「それなら良かったんだけど。なんていうか……俺も後になって、良くない方法だったと思ったし」

「あなたにはあなたなりの考えがあったんでしょ。その辺はあまり考えないことにしたわ。だから別にいいわよ。あたしはあたしで考えたし」


 とりあえず、彼女はそう考えることにしたのだ。それを聞いてラルフは驚いたような。ほっとしたような表情になった。


「――そう」


 彼には彼の何かがあるのだろう。それが一体なんなのか分からず、今まで見たことのない表情に少し怖くもなった。けれど、いくら考えたところでわかるはずもない。ならば、自分を見つめ直し、反省することに時間をかけたほうが建設的。それがキュルケの考えだ。彼女らしい前向きな結論だった。
 もちろん、あれがなんだったのかいつかは知りたいと思う。でもあの時のラルフの切迫した表情を思い出すと聞く気がしない。せっかく遊びに来たのだ、もっと楽しいことを考えるべきだろう。そのうち自分から話すこともあるだろうし。


「でも、あのふざけた手紙のお陰で遊びに出る気になったわ。あなたもたまには遊び心を出すのね」

「おい、俺にも人並みの遊び心はある。……と思うよ? キュルケのせいで発揮できないだけで」


 それは驚き、とキュルケは思ったが、これは事実ではあった。ただキュルケの前ではほとんど見られないだけで。

 そういえば……、と彼女はちらりとラルフの顔を見た。けっこう端正な顔立ちをしている、と思う。だが、どうもぱっとしない。暗めの赤髪が与える印象のせいだけではない。だって、初めて会った日のラルフはこんな印象ではなかった。
 彼女から見て、このラルフ・フォン・マテウスという一つ年下の少年はどうにも不思議な存在である。

 まず自分以外には、まるでろくに友達というものがいない。いつ遊びに行っても、一人で魔法の訓練か、騎士相手の武器の訓練ばかりしている。そのせいなのか口数も少なく、話しかければきちんと返事は返ってくるが、自分からこれといった話はしない。そのくせ、平民の服を来て酒保へ繰り出すなどという自分でもしなかったようなことをする。街へ行けばもっと開放的なところを見せるのかと思えば、そうでもない。誰とでも一定の距離を置いている。

 そして、これが一番不思議な事なのであるが―――彼は自分に好意を懐いているようなのだ。友達としてだけではない。それほど強くはないが、異性としてもだ。

 キュルケは自分の女としての魅力には自信を持っている。それはこれまでに出会った男性たちの反応だけで十分に証明されている。そして、彼女はそういった自分に向けられる好意のようなものには敏感だった。ラルフが自分に好意を持っているらしい事には、彼との付き合いが始まってそう経たないうちからなんとなく気づいている。

 それならば、

『キュルケ、今度うちの領地に遊びに来ないかい?』そう言って、肩に手を回す。

『キュルケ、君は本当にきれいだな』そう言って見つめられる。

 こういった反応があるはずなのだ。

 これが彼女の知る普通の反応である。だが、ラルフは全くそういったそぶりを見せない。慎み深いと話に聞くトリステイン貴族でもここまで淡白ではないだろう。そもそもラルフは『慎み深いアプローチ』すらしてこない。引っ込み思案でアプローチできないというのとも違う。自分がフォン・マテウスに遊びに行かなければ、会うこともほとんどなくなりかねない。ラルフがフォン・ツェルプストー城に遊びに来たのも、初めのうちの数回だけなのだ。

 あまりの淡白さに彼の好意が自分に向いていると思ったのは間違いだったかと疑うこともあるのだが、自分の勘は間違いではないと告げている。これは、どういう事なのか。


「――どうした?」


 ラルフに問いかけられてキュルケははっとなった。


「ああ、えっと……」


 珍しく言いよどんでしまう。どう言えばいいのか分からない。ラルフも不思議そうな顔になった。


「……ラルフ。あなたってやっぱり変わってるわ。欲しいのに、欲しがらない。なんていうか、素直じゃないとかでもない。ホント変」


 考えた末に出てきたのはこんな言葉だった。ラルフは言葉に詰まったように黙りこむ。こういう所が理解出来ないのよね、とキュルケは思う。

 欲しいなら、手を伸ばせばいいじゃないの。

 彼女はそう思う。そりゃ何でもかんでも手を出すのはまずい。例えば、自分が本当に欲しいもの以外に手を出すと、失敗する。ろくでもない結果を招くこともある。相手が本当に大切にしているもの。そういうものに手を出せば、思わぬ怒りを買う。そういうものにはなるべく手を出さないほうがいい。彼女もそれくらいは経験から学んでいる。
 でも、自分が本当に欲しいものなら、命をかけて争ってでも手に入れようとするものじゃないか。恋は戦争だ。だのに、この少年はそれをしないのだ。


「……そう言われてもな。俺だってこんな風になりたかったわけじゃないし。わからない。自分のことってのは世の中で一番わからないね」

「ハァ。相変わらずよくわかんない事言う。まあいいわ」


 まあ実際、本当に『きみがほしい』とかこの少年から言われた日には驚愕で顎が外れるだろう。言われたってどうするか分からないしね。もう少し背が伸びないと。そんな感じで彼女はこの問答を打ち切った。


「じゃあ、今日はイカロスに乗せてあげるわ」


 かちゃんとカップを置くと立ち上がる。


「イカロス?」

「乗ってきたグリフォンもどきよ、そういう名前にしたの。なんだっけ、キメラ?」


 ラルフの顔が引きつって、浮かんでいたなんとなく暗い表情が消える。キュルケは楽しくなった。彼は本当に幻獣との相性が悪い。普段出かける時だって、キュルケがいなければ火竜にも乗れない。ただの乗馬すら怪しいレベルである。割とじゃじゃ馬なイカロスなど絶対に一人では制御できないだろう。


「いや、無理――」

「あたしと一緒なら大丈夫よ」

「ひとり乗りだろあれは!」

「あなた小さいから。あたしの前になら乗れるわ」


 手をさしだして促すと、ラルフは観念したように手を取り立ち上がる。
 ラルフは一つしか違わないのに、キュルケより頭一つ小さい。それに運動ばかりしているせいかやたらと細い。食べるものはしっかり食べているのに、平民の子供と大して変わらないくらいだ。


「あなた運動のしすぎで背が伸びないんじゃないの?」

「伸びるよ。どうせそのうち」


 確信したようなことを言う。こういうところもよく分からない。無頓着というかなんというか。普通ならもっと気にしそうなものなのだが。


「ま、小さいから乗せてあげられるんだし、ちょうどいいんだけどね」


 やっぱりキュルケは気にしないことにした。いろいろ考えるのも大切だろうが、楽しいことを考えるのが自分にとって良い結果を招き寄せる。彼女はそれを知っていた。


 □


 最近だいぶ大きくなった胸を後ろから押し付けてやっても、反応ゼロという物凄くつまらない結果にキュルケはひどく敗北感を感じていた。


「なんなのよ、あなた。もう少しなんとか反応したらどうなの」

「ああ!? 何が!」


 イカロスの背で、ラルフはひどくぶっきらぼうな返事を返した。とりあえず手綱を任してみたのだが、必死に手綱にしがみついているのが力の入り方でわかる。イカロスは風竜に近いほどの速さで飛ぶ。それでいて急旋回・急上昇もお手の物。それが当たり前な生き物なので、普通に飛んでいても躍動感がある。慣れないうちは結構なじゃじゃ馬だと思うだろう。
 そこそこ幻獣に乗り慣れていればそのうち慣れる。キュルケはかなりセンスのある方なので苦労はしなかった。今もラルフがどうしようもなくなったらすぐに代われるようにゆるく手綱に触っているだけで、別にどうということはない。それよりもこの反応だ。


「このあたしが後ろからこうしてくっついてるのに……」

「今さら乳の一つ二つどうでもいいわ! それよりっ、このっこいつ、おとなしく飛べ!」


 なんなのだろう、この屈辱感。そこらじゅうで女をこまし飽きたプレイボーイか、ラブラブな夫婦の夫に手を出したか。それとも壮年の枯れた男か。そんな経験はないが、まるでそんな人間を相手にしているようだ。


「ハァ。もういいわ。
 ――変に抑えるからいけないのよ。気持よく走らせてあげればいいの。ほら」


 キュルケが手綱を代わって活を入れると、イカロスは一気に空を駆け始める。なんとなくもぞもぞしていた動きをすっきりさせて、思い切り伸びやかに、まっすぐに飛ぶ。ほっとラルフの背から力が抜けたのがわかった。


「ふー……」

「ね、簡単でしょ?」

「それはない」


 馬鹿みたいに『フライ』が上手いのもあって、高速で飛ぶこと自体は別に怖くもなんともないのだろう、軽口にも普通に応えてくる。キュルケは手綱を操ってすいすいとイカロスを旋回させた。力が抜けたラルフがぐっと背中をもたれてこちらに体重を預けてくる。なんとなく必要以上にくっついてきているような気がする。キュルケは密かに笑った。


「ま、そういうことでいいわ」


 色々とよく分からないところはある。不満も多少ある。だが、なんだかんだで相棒としての相性は最高だ。彼がいるお陰で彼女の行動は今まで以上に活発になった。ときどき渋ることもあるが、基本的に彼は自分が誘えば黙ってついてきてくれる。そのあたりが彼なりの好意の表し方なのだろうか。


「――キュルケ」

「ん、なに?」


 あごの下でぽつりとラルフが口を開いて、キュルケは意識を前方から引き戻した。


「あー……と。そうだな。これからもよろしく」

「はあ?」


 変なタイミングで変なことを言い出す。何を今更である。


「キュルケはそう言うけどさ。普通はそうは行かないぜ。大事なことはきちんと口に出すべきなんだよ。本当ならまっすぐ顔見て」

「ふうん、そう? うーん、そうなのかもね」


 そういえば、こんな風に妙に説教臭いところもたまにある。まるで年上の人間であるかのような含蓄っぽいことを言うのだ。それで別に文句をつけてくるでもないので、なかなか悪くない説教である。


「あと胸を押し付けるならもっと効果的な状況とやり方を考えろよ」

「そうなの? というかあなた今寄りかかってるくせにそういう事言うの!?」

「まあいいじゃん」


 まあ、別にいいといえばいい。彼に好かれているというのは満更ではない――彼女は誰から好かれても満更ではないのだが、彼は少しだけ特別なのだった。




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キュルケ 騎乗B+






[14793] 移ろいゆく世界
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/05/23 20:13
 ガリアには新王が立つことになった。ジョゼフ一世。無能王、狂王などという二つ名は覚えているが、今のところそこまでの評判は聞こえてこない。

 これからガリア王室ではなにか色々とすれ違いによる悲劇があるはずだが、このあたりは俺もよく覚えていない。シャルル王子がなにか不正に関わっていたというのと、ジョゼフ一世の『無能』から来るコンプレックス。そして、どうにかしてシャルル王子を殺してしまったジョゼフ一世が狂い、ガリアに粛清の嵐が訪れる。俺が知っているのはこの程度だ。

 最終的にジョゼフ王が指輪か香炉に何か『読み取る虚無の魔法』を使えば、兄弟のすれ違いの原因を知って心が折れ心神喪失状態になる……のではなかったかと思うが、他国、大国の国王に大して俺がどうにか出来ることはない。連絡なんて取りようがないし、取れてもその情報を今指摘したところで意味が無い可能性が高い。

 ノートに書きためたことは時々読み返しているのだが、年々それらが細かい部分でぼやけていく。どうしてもっと細かく書かなかったのだろう。いや、その時は精一杯細かく書いたつもりだった。しかし今読んでも、ノートにあるのは人物たちの想いというのが伝わらない、事実? の羅列ばかりだ。ジョゼフ王やシャルル王子がどんな思いでいたのか、さっぱり分からない。

 日本語で書かれたノートの文章は、今ではぽつぽつ読めない字が出てくる。断言出来ない事柄につけた『?』マークはあちこちに散らばり、一体何を信じればいいのかわからなくなる。

 シャルル王子はいつ死ぬのだろうか。まだそんな話は聞かない。雪風のタバサはどこにもおらず、幸せなシャルロットだけがいるのだろう。彼女の母はまだ狂ってはおらず、きっと愛する娘を抱きしめ笑っているだろう。

 ……ジョゼフ王に関しては、どこか理解できるものもある。いや、ノートに書いてあるのは『コンプレックスに押し潰されシャルルを殺す』ということだけだから、これは単なる想像だ。

 だがわかる。それは俺にもあるものなのだ。彼はきっと、シャルル王子が眩しかった。愛憎入り交じったそれはコンプレックスという一言では到底表現しきれない。泣いたり笑ったりするために世界を焼き尽くすというのは弟を殺してしまったからだろう。そこはわからん。だが彼の逸脱の、最初の一歩目は想像できてしまうのだ。






移ろいゆく世界






 誰かがなにか行動すれば、それに応じて世界は表情を変えていく。それはごく当たり前のことだ。

 例えば賭けのようなものだ。コインの表が出るか、裏が出るか。たったそれだけで勝者は変わるし、それに応じてその後起きることも変わるだろう。別に賭けじゃなくてもいい。『赤馬亭』のおっさんがほんのちょっとばかりミスをして調理をしくじる。それがたまたま俺に当たって、腹の調子を崩す。そうすれば俺は帰るだけだ。余程ひどくても家には水のメイジがいる。俺に当たらなければ、誰か他の奴が調子を悪くする。だがそいつは貴族ではないので、中毒を起こせば死ぬかも知れない。そのせいで将来、彼の子孫の偉人が生まれなくなる。そういう話だ。なんとかいう現象? として名前があったような気がするが、いまいち思い出せない。

 どんな偶然や必然が働いたかはわからない。ともかく、わかるのは今回の原因が俺だということ。それだけはきっと間違いない。
 冬の休日。いつもどおり平民ぽく装って町へ出たら、そいつにいきなり、本当にばったり、出くわしたのだ。とりあえず引っつかんで路地裏に引きずり込んできた一人の女。目の前で緊張した表情を浮かべているのは―――マチルダ・オブ・サウスゴータ。


「――どういうこと? なんでここにいる?」

「え、ええと……」


 あまりにばったりと出会ったので相手も気が動転しているらしい。こちらも驚きから覚めると同時に慌てて引っ張ってきたのでろくに見ていなかった。とりあえず冷静さを取り戻そうと相手を観察する。

 目立たない粗末ななりをしているが、改めて見ると大した美人だ。そこらの女とは出が違うのがなんとなくわかる。以前会った時とは少し違う感じもするが、おそらく纏う雰囲気のせいだろう。あのときの切羽詰ったような表情ではなく、緊張感のある顔。身のこなしや立ち方もどこか変わった。あれから一年と少ししか経っていないが、既にただの元お嬢様ではないらしい。

 ひと通り眺め終わったときには、マチルダも落ち着きを取り戻していた。


「あの、失礼かとは思ったのですが、あの後あなたがどういった方だったのかを……その……調べて……」


 調べた。それでこの領にいるということは、俺の身分やなんかを調べて、ここの領主の息子だと知ってやって来たということか。ここにいる時点で分かってはいたが、やはり偶然なんかではない。

 彼女たちに明かしたのはゲルマニア人、ラルフという名前だけだ。ゲルマニアでは平民にもいる、そう珍しい名前じゃない。あとはせいぜい風のメイジというくらいか? アルビオンでは家の情報の手がかりになりそうなものは隠してから騎士の前に立ったのだ。貴族だという推論をしたとしても、一体どういう調べ方をしたら上級から下級まで無数にいるゲルマニア貴族の中から自分にたどり着くのか。

 まさか手当たり次第にこれこれこういう貴族子女を知りませんかとやったとは思わないが、どこかに自分の情報が漏れた可能性はある。それを考えて険しい顔になっていたらしく、マチルダの言葉はどんどん尻すぼみになった。


「……妹さんは」

「アルビオンにおいています……街は移しました。おとなしい子なので、こういう」

「あの娘」


 言いかける言葉をぶった切ってやると、マチルダはびくりと体をすくませた。見たところ二十歳近くに見えるのに、自分より小さな少年相手に案外臆病というかなんというか……。これが何年かすると正面突破も辞さない大胆不敵の盗賊になるというのだから驚きである。確かに身ごなしは少しそれっぽい感じもするが、まだまだ素人丸出しである。ほんとにそうなるのか? わからん。

 まあとにかく、あんまりびくびくされても困る。普通に話すことにする。


「――顔を出せない事情でもあるんでしょう。一人でおいておいて大丈夫なんですか」

「え……ええ、その、自分の身の回りのことはできるので、一人で隠れられるような住処を用意して」

「ふうん。まあそれはいいですけど」


 そう、別にそれはいい。むしろありがたい。問題は、


「じゃ、何しに来たんですか、あなたは」


 今ここにいるこの女だ。こいつとその妹は『物語』の主要な、それもかなり重要な人物だ。いや、例の『物語』はこの際どうでもいい。ただこの姉妹、特に妹の方は、確認したわけではないがエルフの血を持ち、虚無の系統を継ぐという『この世界にとっても』途轍もなく重要な人物なのだ。それが本当なら迂闊に関わりすぎるわけには行かない。特にここ、マテウス家の人間としての立場では。

 会うだけなら構わない。繋がりがあるくらいはいいだろう。だが家に来られたり、ここの領に住んだりされてはまずいのだ。こっちから接触するのはいいが寄って来られては困るという非常にアンフェアな考えだが、下手したら異端やらなんやらで家、家族まで巻き込まれる以上、ここは譲れない。

 この女は間違いなく自分を頼って来た。高位の土メイジなら食うにはそう困らないはずだから、アルビオンでは居場所や頼るものがない自分と、あわよくば妹を――いや土のメイジとは限らないのか? だがそれを言ったらこれの妹も虚無とは限らない、となる。くそ、混乱してきた。


「え、その――」


 こちらの冷たい態度に、言葉に詰まって視線を宙に彷徨わせるマチルダ。そんな様子を見ると、自分の頭の中の計算が馬鹿馬鹿しくなり、知らずため息が漏れた。
 ――ああこの人は本当に分かっていなかったのだ、と。打算や立場よりも善意を信じてやって来たのだ。

 いや……彼女の視点からすれば、そう間違ってはいないのかも知れない。まさか妹が虚無の使い手だなどとは夢にも思うまい。まあエルフというだけでも十分まずいのだが、そこは後ろ暗い事は分かっていて助けてくれたこの俺だ。なんとかなるかも、何とかしてくれるかもと思ってもそうおかしくはない。

 おかしくはない。だがぬるい。色々とぬるい。この調子だ、おそらくアルビオンでも付き合いのあった貴族家を頼ろうとしたのではないだろうか。当たり前だが断られまくったに違いない。年齢的には婚約だってしていたと考えるのが自然だ。破棄されただろうが。
 貴族専門の盗賊、だったか……それだってその辺が影響しているのだろう。憎さ百倍という奴だ。


「――ねえ、マチルダさん」

「……はい」


 さすがに返事は暗い。がりがりと頭を掻いて、なんと言ったものかを考える。


「少し話くらいはいいですから。ここだと寒いし、ちょっとお茶でも飲んでいきましょう」


 日の当たらない路地では、冬の空気が体にしみる。食事とお茶を奢るくらいは良いだろう、と財布を確かめながら彼女の手を引いた。


 □


 昼時だったこともあって赤馬亭はそれなりに盛況だった。家族と食事も取らずにふらふらしまくっているからこんな時間に来ることになる。店主夫婦はちらりとこちらへ目をやったが、忙しいらしく目で挨拶するだけだった。いつものカウンター席ではなく、隅のテーブルへ移動して腰をおろす。


「前に聞いたあなたのお名前でなんとなく事情は分かってるんですが」


 事情と現状を聞く前に、とりあえずそう切りだしておく。『あなたが割と後ろめたい立場であることは理解していますよ』という確認。どこまで話してくれるかは分からないが、多少の安心は必要だ。同時に一応、自分の身分と立場、あの時は旅行中で、なにか事情はありそうだとわかった上で助けたということも説明した。

 相手の話を聞いてみれば、大体想像通り――書きためた知識通りと言って良かった。モード公の直臣であったサウスゴータ家が、大公の家族をかくまったためにお取り潰し。その家族がエルフであの妹だという話は出てこなかったが、まあマチルダの態度から想像はつく。
 マチルダ自身は土のトライアングル、妹は魔法は才能がないということを聞いて、ようやく俺はこの相手を『ノートに書かれている通りのマチルダ・オブ・サウスゴータ、ハーフエルフで虚無のティファニア』として扱うことにした。真偽はもうどうでもいい。とにかくそう扱う。

 俺もだいぶ落ち着いたものだなあと感慨深くなる。四、五年前なら相当キてただろう。どこまでがお話でどこからが現実なんだ、とわけの分からない不安に襲われていたに違いない。


「――あの妹さんの話なんですけど」

「ええ」


 マチルダは本来なら、ただ家名と領地を潰されただけの元貴族だ。ただのメイジの平民として生きるのは難しくない。彼女たちがなにやら事情を抱えているというのはひとえに例の『妹』のせいだというのは分かりきっている。


「結構難しい事情を抱えてるんでしょう。個人的にはまあ、――何かしてあげたいような気持ちもあるんですけど」


 嘘だ。本当はさらさら無い。いずれ土くれのフーケになるマチルダ・サウスゴータと、虚無のティファニアとして扱うと決めた以上は、この姉妹と深い関わりを持たないことは俺の中で決定事項だ。

「こうして平民にまぎれていますけど、知ってるでしょうが僕は貴族だ。マテウス家の人間として、父や家族に迷惑を掛けるわけにはいかない」

「ええ。そう、ですよね」


 返事は早かった。分かってはいたのだろう。それでも誰かに頼りたかったのかも知れない。


「あなたは、土のトライアングルでしたか。有能な人だと思うし、本来ならどこでも欲しがられる人だと思いますけど」


 アルビオン以外では。そう、だから面倒なのだ。こちらで稼いで送金するとか往復するというのではかなり効率が悪いし、さすがにただの野良メイジとしては難しい。でもアルビオンではそううまくいかないだろう。


「僕は、ここではあなたに手を貸したりはできません」

「……はい」


 結局、それしか提示できるものはない。沈黙が降りる。マチルダがぐっと歯を噛み締めたのがわかった。周りのテーブルの喧騒がやかましい。どうも落ち着かずコツコツとテーブルを叩いていて、ふと思いついた。


「――そういえば、マジックアイテムとかは?」


 マチルダは目を丸くした。


「え、というと?」

「ほら、『フェイス・チェンジ』の魔法が常に着用者に働くようなマジックアイテムとか。探せばあるんじゃないですか」


 これは本当に思いつきだったのだが、相手の反応は激烈だった。掴みかからんばかりの勢いで話に食いつく。


「そ、そ、それはどこに!?」

「え、ああ……いや、わからないけど……」


 なんとなく言ったことだが、ひょっとするとこれは言うべきことではなかったのかも知れない。どうやって、という問題はあるが、彼女がそれを探して本当にそういうマジックアイテムを見つけて妹を保護したなら、『物語』は変わっていくだろうが……。


「――……別にいいのか」

「え?」

「いや」


 そう、別に構わんだろう。『物語』なぞ知ったことか。
 もし本当に『ゼロの使い魔』がこのハルケギニアを舞台に上演されるなら、きっとハッピーエンドが最後にやって来る。それならば過程などどうでもいいではないか。そうでないにせよ、基本的には俺の知ったことではないのだ。


「ええと、本の情報なんですがね。ガリアにはそういうものもあるという話を読んだことがあって」


 シャルロットの双子の妹がそれによって顔を変えていた。そしてどこかの修道院にいる。それだけは覚えている。そして月目のヴィンダールヴによって連れだされ、真の姿を取り戻してガリア女王シャルロットと成り代わる。そんな話だったはずだ。


「そう、ガリア、ガリアに……。えっと、お話とかではないんですね?」

「ええ。もしかしたら各国にあるのかも知れないけれど、僕は見たことがない。かなり上等なマジックアイテムなんだと思いますけど」


 結構な代物なのは間違いないだろう。『フェイス・チェンジ』は水のスクウェアスペルだ。それもある程度制限がある。それを常時、半永久的もしくは最低限年単位で働かせるというのだから凄まじい。

 あるならばガリアの王室か? あとはアカデミーとか。ガリアとは限らないのか。修道院というのだから、ロマリアだったかも知れない。だが、経緯から推察すればアルビオンでは王室に近いところでも存在しなかったのだろう。モード公がエルフの姿を隠すという判断もできない阿呆だったという可能性もないではないが……。

「貴族の私生児を厄介払いするための修道院などで、王族の血を引く子供なんかをそれとわからないようにするために使われることがある、という話です。もしかしたらロマリアだったかも」


 これでシャルロット王女に双子の妹など存在せず、顔を変えるマジックアイテムなどなければとんでもないガセ情報を掴ませていることになるのだが、すらすらと口から出てくる。


「ロマリア……」


 マチルダは露骨に嫌そうな顔をした。まあエルフを排斥する最大勢力なのだから無理もないが、顔に出すのはどうなのだろうな。


「さっきも言ったように、立場上僕はあなたのお手伝いはできません。まあ……なんだろう。応援はしています」


 思ってもいないことが口からぽろぽろ出てくる。少々自分が恐ろしい。


「ありがとうございます……」


 搾り出すように言うマチルダの声がひどく恨めしい。後ろめたさはさらに倍。何もしていないんだから気にしないでくれ、というのが精一杯だった。


 □


 ……とまあ、こんなことがあった。

 ぼんやりと隅のテーブルへ視線を投げているとこちらに声がかかる。


「なにを見てるのよ? 幽霊でもいるの」


 まあ最近はちょっとばかり人に見えないものが見えたりはするのだが、それは今は関係ない。あのクソいまいましい役立たずの使い魔はどうでもいい。……そうだ、使い魔を喚んだのだ俺は。今じゃ召喚しなければ良かったと思っているが、まあその話は後でいい。

 俺はちょっとね、と言って適当にキュルケをごまかした。


「魔法学院、かあ。あんたらも、そろそろちゃんと呼んだほうがいいかい?」


 今年、俺とキュルケはヴィンドボナの魔法学院に入学する。その話が出て、『赤馬亭』の店主も話に混ざってきた。ちゃんと呼んだほうがいいかというのは、貴族として扱うかどうかということだ。


「あまり気にしないでくれたほうがいいな」


 とはいえ、いつまでもこうして平民にまぎれて遊んでいるわけにもいかない。いずれは領民に会えばすぐに頭を下げられるようにならなければならないだろう。キュルケなどツェルプストー領では実際にそうだし、こういうのをあまりだらだらやるわけにもいかないのだ。


「そうかい。そんならそれでいいけどな」


 その辺は店主も分かっているらしく、少しばかりつまらなそうな顔になっていた。いつまでもこういう関係ではいられない。そもそも領民が全く俺の顔を知らないというのがかなり異常な話なのだ。

 再び隅のテーブルへ目を向ける。マチルダは本当にガリアに向かったのだろうか。そういう事を言っていたが、実際にそうなれば色々と話は変わってくるかも知れない。土くれのフーケなどという盗賊は生まれず、またティファニアはマジックアイテムで顔を変え、市井に混じってただの胸のでかい女としてごく普通に暮らす。となると虚無の使い手は揃わない。


「あたしは楽しいからいいけどね」

「だろーね」お前の基準はいつもそれだ。分からいでか。

「んん、まあ。学校行くってんなら、卒業するまでじゃねえかな」

「そーだね」


 実際には、そう甘くもないだろうという気はする。人の口に戸は立てられず、力あるものがそれを完全に隠すことは難しい。時間はかかるだろうが、いずれティファニアはどこかの勢力に目をつけられるだろう。ロマリアか、ガリアか。あるいはエルフか。それとも『平賀才人』か?

 使い魔が運命に導かれるというのが本当ならば、案外最後かもしれない。


「うーん、楽しみだわ。どんな殿方と会えるかしら」

「そーね」あまり気持ちが入ってないセリフだな。まるでそう言うのが義務のようだ。

「好きもんだなあ嬢ちゃんは」

「ふふん、恋の家系の女ですもの」


 だがさっきの仮定で行くなら、ティファニアはアルビオンで平賀才人を救わない。つまり彼は死ぬ。ルイズ・フランソワーズは新しい使い魔を喚ばなければならないが、互いにかなりの純愛だったしどうなるかは分からないところだ。召喚できなければルイズもその後の戦いで生き残れないだろう。となると、誰か他の人間が新たに虚無の力に目覚めることになり……。


「あなた聞いてるの?」

「聞いてるよ?」真面目には聞いてないけど。


 まあ、世界の行く末より今は目の前の自分の行く末のほうが大事かもしれない。とりとめのない思考をやめてキュルケを見るとかなり不満そうな顔になっていた。


「なんだ、ちゃんと受け答えはしてたろ」

「ちゃんと聞いてたのかしら」

「聞いてたさ」


 稚拙な嫉妬を煽るセリフまでばっちりと。どこまで本気なのかは分からないが、その程度は俺にだって分かる。恋の手管を知り尽くしているなどとはとても言えないが、ろくに男と付き合ったこともないキュルケがそれっぽいことをしても大して意味がない程度の知恵ははたらく。

 そう、と言ってキュルケは少し考えるようなそぶりを見せたが、どうせろくなことは考えていないだろう。


「あなたは楽しみじゃないの?」

「前も聞かなかった、それ? 一応、少しは楽しみにしてるって」


 必ずしもそうとは限らないが、普通は十五で魔法学院に入るのが一般的だ。キュルケの誘いと、多分だがうちとツェルプストーの親たちの頭越しの話で俺は一年早く入学することになった。自分たちはこの年で既にトライアングルまで伸びているので、間違ってはいないと思う。むしろキュルケにはやや遅いかも知れない。

 あくまで一般論だが、魔法の実力は十代半ばから後半が最も良く伸び、それ以降はあまり伸びない。とくにクラスの成長はなかなか見込めないと言われている。感情の力が大きく左右する魔法においては割と納得のいく話だ。だからこそ、その時期にあらためて魔法教育をする。

 ……とまあそういう建前ではあるが、現在では貴族としての交流や社交の予備段階、そして結婚相手探しというのが一番の目的だろう。特に女子には大きな部分だ。魔法学院での恋愛やパートーナーは尊重されることが多い。

 男子生徒、男の長子ならば先に挙げた今後の貴族としての交流を見越した社交の場、次男三男にとっては卒業後の進路選び……法衣貴族か軍か、やや遅いが騎士か。同時に女子と同じくパートーナー探しの場でもある。

 そこで俺の話だが、貴族の長子であり、同時に婚約者もいないという立場だ。同級生たちとの交流に関してはまあ適当でいいわけだが、パートーナーとなると少々微妙である。


「……どうなるのかねえ」


 何も考えてなさそうなキュルケの顔を見るとため息を吐きたくなる。分かっている。この女は俺が感じている以上に頭がいい。結構色んなことを考えているのだが、それがほとんど表に出てこないのでたちが悪い。


「なによう」

「ハァ……」


 口をとがらせるキュルケを見ていると本当にため息が出た。


「ちょっ、なぁに人の顔見てため息吐いてんのよ。失礼しちゃう」

「えー、いやまあ、うん。いい女だなあと思って」

「へえ? あなたの口からそんなことを聞くなんて。まるで心がこもってないけど」


 心はこもってるよ。実感という意味でな。

 俺が嫡男であるにも関わらず婚約だとかそういう話と無縁なのは、キュルケとの関係があるからだ。なんかそれなりにいい雰囲気っぽいし、そのままくっついちゃえばいいなー……という両親の目はなんとなく把握している。

 対してキュルケはあのツェルプストー家の人間だ。国内でも指折りの有力な貴族家だし、選択肢は多い。老公爵と結婚なんて話もあり得るわけで、政略的な方向に行くのもありだろう。恋多き家系なんて言うだけあってその辺は割と柔軟なようだが、一人娘を麾下の子爵家へ嫁に出すというのは伯爵家としては進んで取りたい選択肢ではない。

 となると判断は本人次第となってくるのだが、そこで本人というのがこのキュルケだ。何をするか分からない。何を選ぶか分からない。一度選んでも、いつ気が変わるかわからない。これが計算でやってるなら大した悪女だが、さすがにそうではなさそうなので(全く分かっていないとも思えないが)、まあ『いい女』とでも言うしか無い。考えてみると俺もずいぶん振り回されてるな……。


「――ハァ。まったくイイ女だよ」

「く、この……」

「まま、落ち着け」


 ヤレヤレと首を横に振って言ってやると、さすがに皮肉を含んでいると気付いたらしい。少し頭に来た様子のキュルケを店主が宥めた。

 皮肉の下に隠したが、本音でもある。魔法学院に入学したら彼女は多くの誘いを受けるだろう。自分より魅力的な貴族だっているに違いない。いや、いないほうがおかしい。キュルケにとっての自分がそれほど大きな比重を占めているとも思えないし、いつどこへふらりと離れていくか分からない相手に本気になって傷つきたくはない。

 そもそもトリステインのジャン・コルベールは? 何か大きな役割がなかったか? だがお前は彼女をトリステインへ行かせるつもりはなかったのではないか? どうにかしてあちらへ関わらないで済むようにしてやりたいと思っていたはずだ。命の危険などないに越したことはない。そうだ、そう思っていた。そんなふうに考えること自体十分入れ込んでいる証拠のようなものじゃあないか……。

 なんにせよ、魔法学院だってきちんと卒業出来たほうが良いには決まっている。


「ほら行くわよ」


 気づいたら払いまで済んでいて外へ連れ出された。余程グダグダ考え込んでいたらしい。


「何を言っても上の空。今日のあなたは一段とひどいわよ。ったくもう少し気張りなさいよ。あなたにとってもチャンスでしょう。本当に張り合いの無いったらないわ」


 半目で睨まれた上にがつんと頭に拳まで落とされた。何の話だ。……ああ魔法学院の恋愛の話か。そんな妙な発破をかけられてもな。


「人の気も知らないで……」

「知るわけないでしょ。ぐずぐず考えるくらいならもう少しいい男になりなさいよ」


 まあそりゃそうだ。これは言うべきじゃなかった。


「――背は伸びたぜ」

「あと十サントはないとあたしに追いつかないじゃないの」

「それはそのうち伸びるって。去年は頭ひとつ以上離れてたろ」

「そういうところは妙な自信があるのねえ」


 しみじみと変なものでも見るようにキュルケがこちらを眺める。頬に視線を感じながら、行こう、と促した。並んで歩きながら、ヴィンドボナの町並みや学院生活のことを考えてみる。そこをこうして歩くことを思い浮かべる。――うん。


「魔法学院、ね……」


 そう、一応楽しみにはしているのだ。いつも通りキュルケが一緒なのだから。


「なにか言った?」

「別に」


 ただそれは、口の中だけにとどめておいた。ふうん、だとか変なの、だとか言いながらこちらへ向けられる視線もいつも通りで心地良い。

 ああ、これからもこんな時間が続けばいいな、と――心からそう思った。




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 ようやくヴィンドボナ魔法学院へ。早く行かせたくてやや詰め込みすぎとか描写不足とか練り込み不足とかいろいろを感じつつもさっさとケリを付けることにしました。一人称での話と三人称での話を繰り返してますが、視点などに違和感が無いか少々不安だったりします。おかしかったら教えてください。特に三人称の方。
 そして早く使い魔出したり入学させたりさせたい作者。特に前々から考えてたラルフをいじめる使い魔を喚びたい。というわけで前振り。いよいよオリキャラ乱舞がはじまってしまうか……。一気に広がる人間関係、描ききれるかと不安を感じつつも所詮は習作、なんだってやってみるのさ。

 バタフライ・エフェクトという言葉が思い出せない主人公。前世は色んなことがぼやけてきた。約十年の生活、キュルケとの交流などを経てようやく自分の住むハルケギニアを現実として受け入れつつある。ただし分裂症気味になった精神はもはや戻らない。
 ドライな判断で才人やルイズが死んでも別に構わないとか思いながらも、どっかで主人公なんだから死なねえだろとかどうせハッピーエンドだろうとか甘いことを考えている。きっといつかそんな半端さを後悔することになる。
 あと、ラルフの認識ではジョゼフは「天才狂王」。嫉妬から弟を殺したことで心を壊した天才。兄弟のすれ違いの原因は正確には分からない。また、『記録』を使ったのは?マーク付きながらジョゼフだと思っている。






[14793] 決闘は、スポーツだ!(1)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/05/26 22:02
 ラルフとキュルケがヴィンドボナ魔法学院に入学してから、約一月。

 キュルケがその魅力を最大限活かして多くの生徒と交流を深める一方、ラルフは『魔法は結構すごいけど、ちょっと(頭が)おかしい奴』という評判を得ていた。


「くそ、またかよ」


 反射的に振り抜いた拳を下ろしてラルフは呻いた。ちょうど今日最後の授業が終わったところで、廊下にはまだ多くの生徒がいる。

 ひそひそと離れたところで交わされる噂話。トライアングルの風メイジの耳にはそれらがちゃんと聞こえている。視線をそちらへやるとささっと目を逸らされ、視界の端では頭の上で指をくるくる回すジェスチャーが見える。イライラするかといえばするのだが、理由は分かっているので無闇に腹をたてることもできない。


「ばっかねーあいつら。私はちゃんとここにいるのにー」


 耳元でけらけらと笑い声が響く。
 それもこれもこいつのせいなのだ――とラルフが睨みつけた先には、先ほど拳を振るった相手、身長十五サントほど、裸身の幼い少女の姿をした、妖精。

 そう、『妖精』である。小さな人型の背中に虫のような羽を生やした、いわゆる羽精(ピスキー、またはピクシー)。妖精は、ハルケギニアでは絶滅したとされる韻竜以上に伝説上の存在だ。おとぎ話の中にしか存在しない。

 トライアングルとなってから約一年が経った頃、ラルフは好奇心に負けて使い魔召喚を行った。それでやって来たのがこの羽精である。全く発音できない名前を名乗ったのでとりあえずイェッタという名前を与えたのだが……。


「黙ってろ。余計なことをするな。死なすぞ」

「ふっふーん。やってみなさい」


 関係は結構悪かった。そもそもこのイェッタ、かなり性格が悪い。召喚してすぐの頃、ラルフは妹のクラーラの相手をさせてみたことがあったのだが、それはもうひどい泣かせようだった。また、彼女のいたずらでラルフの長髪は切り落とされ、短くなった。

 召喚される前は森の中で人を迷わせたりしていたらしい。風の眷属を名乗り、風を操るだけでなく、幻を見せたり、心を覗いたり、あるいは操ったりと小規模ながら多彩で凶悪な力を持っているのだが、ラルフの指示にはいっさい従わずいたずら目的にしか使わないのでまったく役に立たない。むしろ害しかない。

 また、イェッタは普通の生き物ではなかった。先住の民やただの魔法生物とは隔絶した、二つの大きな特徴がある。

 まず、見えない。召喚者であるラルフ以外の者には見えないのだ。正確には認識できないというのが正しい。イェッタが人前で何かものを動かしたりしても、人の目にはラルフがやったように見えるらしい。これが現在、ラルフが周囲から頭がイカレた奴扱いされている主な原因である。「妖精さんが見える」などと言ってもより頭がおかしい奴扱いされるのは目に見えているので、キュルケくらいにしか説明していない。そのキュルケでさえ半信半疑というありさまである。

 そしてもう一つの特徴が、死なないこと。でこぴん一発で気絶し、ラルフが本気で殴るとばらばらになって霧散するくらいもろいのだが、しばらくすると何事もなかったかのように復活する。このため、使い魔の契約を解くことすらできない。感覚の共有などもできない。

 まさしく百害あって一利なしなのだが、ふらふらとどこかへ遊びに行って、いないことが多い。しかしやはり一応は使い魔であるらしく、ちゃんとラルフのところへ戻ってくる。そしてひとしきりちょっかいを掛けてまたどこかへ行く。このお陰で彼はいきなり誰もいない空間に向かって格闘したりする男となった。

 初めのうちはラルフもイェッタとまともな関係を結ぶべくコミュニケーションをとろうと努力したのだが、今ではほぼ諦めていた。死を恐れず理解せず、ただ遊び、いたずらで人を困らせるのが生きがい。人間とは価値観が違いすぎて話が通じない。これは絶対エルフよりひどいと彼は信じている。


「――部屋に戻ったらクッキーとお茶やるから。あと少しの間おとなしくしてろ」

「ほんと? じゃあちょっとだけ我慢したげようかな。さっすが私、最高の『つかいま』よねー」


 少々頭が弱いのであしらうのはそれなりに簡単なのが救いである。だからといって本当に従うとは限らないのだが。ラルフは深々と息を吐いて、寮の自分の部屋へと向かった。






きちがいらるふ






 キュルケは学院入学と共に『微熱』なる二つ名を名乗るようになった。二つ名というのは自然とそう呼ばれるようになったり、親や身分あるものから贈られたりといろいろあるが、彼女の場合は自らそう名乗った。キュルケの圧倒的な存在感に対して控えめと言っていい二つ名が女子生徒にはいい印象を与えるのか、意外に女友達も多い。入学前からそうだったように、男子生徒からはとにかくモテる。要するに人気者だ。

 対してラルフの敏感な耳に入ってくるひそひそ話のうちにしばしば含まれているのが『気狂いラルフ』である。さすがにこれは、人目や評価をあまり気にしないことにしている彼にとっても中々きついものがあった。

 本来、ラルフはそういった他人の評価を『気にする』タイプの人間である。それを、あえて気にしないことにしている。世の中誰も自分のことなんて気にしていない、とか、自分はそんな特別な人間ではない、などと自分に言い聞かせ、無視したり思考から追い出したりすることでそれらをシャットアウトするのだ。しかし、実際にここまで来るとそれは不可能だった。


「マジで二つ名が『気狂い』とかになったら、間違い無くお前のせいだな」


 テーブルの上であぐらをかき、クッキーを抱えてぽりぽりとほおばるイェッタに向かって愚痴を吐く。脇にはおもちゃの小さなティーカップ。イェッタのものだが、これが他人から見ればおもちゃのティーカップからお茶を飲む男に見えるらしいのだ。少々イカレてると思われるのも無理はない。

 きゃは、と笑うイェッタ。


「いいじゃない。私は楽しいよ?」

「俺は楽しくねえよ」とラルフは真面目に突っ込みを返して片肘をつく。


 学院生活というのは、当たり前だが他の学生といる時間が長い。ラルフは実家にいた頃は魔法の練習や読書など一人で過ごす時間が長かったので、イェッタの相手をすることによる奇行はそう目立たなかった。

 ところがここでは、自室にいる時以外はほとんど常に人目がある。だからイェッタがラルフの周囲でいたずらをする限り、ラルフの奇行(に見える)は避けようがない。羽精(ピスキー)がいたずらをするのは生きている限り当たり前のことらしいので、これも避けようがない。使い魔である限り、イェッタは唯一の話し相手であるラルフから離れない。イェッタは死なないので、ラルフが死なない限り離れない。

 どうしようもなかった。


「そんなに嫌なの?」

「一生気狂い呼ばわりだぞ。やってられるか」

「うん、ほんとに嫌そうねー」


 ラルフの顔をうかがい、にやにやと笑う。彼女は、大雑把だが人間の心が覗ける。彼が本当に嫌がっているのがわかったのだろう。この恐ろしく凶悪な力も、イェッタはほぼラルフにしか向けない。それもまた非常に嫌な話である。心を読まれるというのは、聖人でもないかぎり誰だって嫌なことだ。ラルフはぎりぎりと歯噛みする。


「……『悪戯妖精の呪い』とでも名付けよう。後世の人のために。迂闊に『契約(コントラクト)』しないように」

「うふふ、あはは!」イェッタは面白そうにテーブルの上をころころと転げて笑う。「気狂いの言うこと、信じてくれる人がいればいいね!」


 渋面のラルフは手元に転がってきたイェッタの頭を軽く指で弾いた。


「いたっ」

「どうすんだよほんと」そのままぴしぴしと弾きながら言う。「とんでもないすごい使い魔かと思ったらこれだもんな。害虫」

「ちょ、いた、いたい、痛いってば、やめなさいよー!」


 イェッタが涙目になったのを確認して、やれやれ、と満足してラルフは手を引っ込めた。イェッタはこの程度ではめげない。また、こうして戯れている間は悪さはしないので、暇つぶしの話し相手としてはそう悪くない。 ただし、他人からは普通に変なことをしているように見えるので、一人でいるときに限る。


「そうだ、何かすごいことすればいいじゃない!」すぐに起き上がり、バッと両手を広げてイェッタは言った。「どーん! って」

「ああ?」

「だーかーらぁ」わけがわからないと片眉をひそめたラルフに、イェッタは偉そうに胸をはって指を立て、教えるように言う。「みんなの前でなにかすごいことをやれば、イメージが変わるんじゃないの?」

「ふーん……」


 正しいといえば正しい。つまり、より強い印象で塗りつぶせという話だ。しかし、とラルフは考え込んだ。メイジとして印象を変えるというからには魔法で何かやって見せるというのが必要なのだが、これには問題がある。


「俺は風と火のメイジだぞ。基本的に戦う魔法しか使えん」


 風の魔法は速さと対人戦、索敵などに優れ、火の魔法は破壊力や広範囲攻撃、対軍戦に優れる。いずれも戦いに向いた系統である。逆に言えば、そればっかりだということでもある。そんな魔法ばかりを練習し、剣術の腕もある。おまけに、この年にして実戦まで経験している。ラルフはそこらの学生とは比較にならない戦力の持ち主だと言っていい。傭兵メイジや下っぱ騎士くらいは軽く吹っ飛ばせるだろう。

 確かにそういう『場』は、ある。ちょうどあつらえ向きに。しかし、そんな実力を見せびらかすようなのは、浅ましいようで恥ずかしい。あまり目立つのも嫌だ。ならば他の方法で――となると、全く思いつかなかった。


「戦えばいいじゃん?」


 あっさりと言ったイェッタに、思わず首を傾げる。


「何とだよ」

「そんなの私が知るわけないでしょ――あいたっ! もう!」


 お前に聞いたのが間違いだった、とラルフはでこぴんを飛ばし、何か他の方法は、と考え込む。

 自分が得意なのは風の魔法。特に『フライ』。次いで火の魔法。それから剣術。あと、趣味で杖の蒐集。主に刀剣系だが、他にも様々な杖を集め、それぞれ契約している。そのため杖の契約も得意。普通なら三日はかかる杖の契約を、わずか数時間で終える。実際には一本しか使わないので結局役に立たない無駄なスキルである。


「やっぱあれかあ。あまり見せたくないんだけどな」


 今なら風のスクウェアにも迫るだろう飛翔魔法『フライ』。また、いくつかの魔法を並列させて使えること。自分の持つ技術をおさらいして、結局ラルフがこれはと言えるのはこれらの技術だけだった。特に魔法の並列は対メイジにおけるラルフの切り札であり、不意を打てばどんなメイジでも倒せる必殺でもある。


「でもインパクトを取るならな……って。なんでこんな事考えてんだ俺」


 考え込んでいたのが、急速に冷める。これは割とよくあることで、ラルフは一瞬で冷静になる癖のようなものがあった。すると、そんな事でわざわざ自分のエースを切るなど馬鹿げていると思えてくる。


「なんでだっけ?」

「お前は黙ってろよ。はあ。どうでもいいやもう」


 すでに話のスタート地点を忘れたらしく、可愛らしく首を傾げるイェッタを放っておいて、ごろりとベッドに寝転がる。あまり人前に出たくないので、もう夕食以外で部屋の外に出る気はない。

 こんなのが、ラルフのここ最近の日常だった。――ひきこもりとも言う。


 □


 さて、ヴィンドボナ魔法学院では、新歓行事が終わった頃から流行りだしたものがある。

 何かと言うと――。


「諸君ッ! 決闘だァッ!」


 広場に響き渡る声。うおおー! やれやれー! と歓声を上げる生徒たち。
 そう、流行っているのは『決闘』である。


「面白いでしょ?」


 得意げな顔でキュルケが言う。まあな、とラルフは苦笑して応えた。授業の後久しぶりにキュルケと会って誘われ、ちょうどイェッタもいなかったので出てきたのだ。クラスが別になったし、寮は男女別棟。さらにラルフがひきこもりがちなので、このところ二人はあまり顔を合わせていなかった。

 キュルケが得意げな顔をするのには理由があって、この決闘ブームの端緒をつけたのが彼女だからである。
 ラルフからすれば信じられない思いなのだが、魔法学院の新入生たちときたら、ほんの僅かな流し目、ちょいと意味ありげな視線、目の前で足を組み替えた。たったそれだけで恋に堕ちるらしい。さらに理解出来ないことには、どっちが先にデートに誘うかで喧嘩になるらしい。
 そこで当の原因となったキュルケがどうしたかというと、『やめて! あたしのために争わないで!』とはならないわけで、彼女らしくおおいに決闘を煽った。一、二年前にラルフがやらされていたことの焼き直しである。

 それが数回に渡って行われるうちにギャラリーが増え、なにやら熱く戦う少年たちに黄色い声援を飛ばす少女たちが現れ――、ゲルマニア貴族たちは変な方向へ熱狂し、とうとう上級生まで巻き込んで一つの流行になった。

 ここ最近、このヴィンドボナ魔法学院ユミル広場では、別に何か賭けているわけでもないのに決闘が行われる。それも日に数回という頻度でだ。我こそはと思うものが名乗りを上げ、それに誰かが応える形で成り立つ『決闘』。貴族のある種神聖なものであるはずの戦いが、もはやスポーツと化している。男子生徒はスポーツ観戦のように楽しめるし、女子生徒はめぼしい男子生徒を見極め、応援する男の勝敗に一喜一憂。

 いつまでも続くものではない。ヴィンドボナ魔法学院の校風は自由であり、悪く言えば少々荒れ気味ではあるものの、誰かまともに負傷する者が出ようものなら即座に取り止めにされるだろう。しかし、今の段階では特に学院からの干渉はないらしかった。


「あれは――」

「ああクラウスね。うちのクラス。好きねえ彼も」


 最初に出てきたのは、同じ新入生。クラスは違うが、ラルフも男女別の授業で数度見たことがあって覚えていた。キュルケの言葉で名前を思い出す。クラウス・ガーブリエル・フォン・ヴォルケンシュタイン。ヴィンドボナ近郊の名門侯爵家の跡取りだ。くすんだグレーの髪に鋭いアイスブルーの瞳、 野生の狼のような印象の男で、かなりキツめの顔立ちをしている。拍手を浴びながら広場の中心に出てきた顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 手には自作か特注らしい銃剣。杖が『銃剣』だ。誰もそんなふざけたものは使っていない。学校内で平気でそれを杖として使い持ち歩いているのを見て、ラルフはこいつは奇人変人のたぐいだと確信した。しかし、このハルケギニアには現在、銃はあっても銃剣はない。クラウスは一つ時代を先取りしているのだ。時代を切り開くのはやはりああいう変人なのだろうなとラルフは妙に納得したのを覚えている。


「よく出るの?」

「ええ。強いわよー彼は。あたしやあなたと同じくらいに」

「へえ」


 既に確信したようにキュルケが言う。基本的に魔法で強さを測る彼女がそう言うということは、トライアングル級の力の持ち主ということになる。一年生にスクウェアはいないので最上位の使い手ということだ。携えた銃剣の腕によっては相当なものになるだろう。そして、見たところ腕はありそうだった。


「……ところであれ、大丈夫なのか。ぶっぱなしたりしないよな」


 銃剣術というのは基本的に槍術に近いが、大きな違いは引き金を引くのも一連の動作に含まれるということだ。銃というものに前世の情報から来る苦手意識を持っているラルフとしては不安になる。


「んー……? 別に禁止はされてないと思うけど。さすがに撃ったところは見たことないわね」


 腕を組んで少し考えてから、なんでもないようにキュルケは言った。実際、貴族にとって銃というのはそれほど脅威ではない。

 ハルケギニアの銃は、いわゆるマスケット銃である。単発、前装式でいちいち銃口から弾込めが必要だし、射程も短ければ精度も悪い、威力は低いといいところがない。ラルフのように『銃は危険』という思い込みでもなければ、弩と同じくらいな危険度の認識なのが当たり前だ。

 まあ、この決闘は遊びのようなものなので、本気で銃撃をするとはラルフも思わなかった。実際、クラウスの銃剣には剣先に革の鞘が付いたままになっている。剣を使う生徒もいるし、そのあたりは各自でちゃんと自重しているのだろう。


「……相手は上級生か」


 続いて名乗りを上げて出てきた相手を見て、おおっとどよめく観衆。キュルケも少し驚いたように声を上げた。


「ダールベルクの……ユーリウスじゃないの。三年生よ」


 長身でがっしりとした体躯、銀の短髪と浅黒い肌に男臭いがハンサムな顔立ち。まっすぐな性格がなんとなく透けて見え、好漢といった感じが漂う。周りに推されて仕方なく出てきたようで、あまり気が進まないというのが顔に出ていた。

 フォン・ダールベルクといえば土の名門で通っている、同じくヴィンドボナ近郊に領地を持つ侯爵家だ。初めて見たが、名前はラルフも聞いたことはある。家格的にはキュルケも同等なので、彼女は会ったこともあるのだろう。これは楽しみだというのがニヤリと上がった口の端にあらわれている。

 おざなりに二人に注意をすると立会い役が離れてコインを投げた。きぃん、と澄んだ音を立てて硬貨が落ちる。

 試合開始だ。


 □


 クラウスが速攻をかけて『フレイムボール』を放つと、ユーリウスは即座に土の壁で受け止めた。その直後に五体の鋼のゴーレムまで生成して自分の傍に置いている。最初からやる気はあまりなさそうに見えたのだが、確かに土の名門にふさわしく腕は確からしい。

 その間にユーリウスに向かって間合いを詰めていくクラウスに対し、二体を自分の護衛に、三体を迎撃に差し向ける。足を止めないままクラウスがゴーレムへ次々と『炎球』を放ち、ゴーレムが燃え落ちる。ユーリウスがクラウスと自分の間に再び三体のゴーレムを生成し、そこでクラウスは一度足を止めて一歩下がった。

 一瞬で行われた攻防におおお、と観衆がどよめく中、二人はなにやら会話を交わしている。


「やるねえ。あの上級生の人もトライアングルか?」

「有名よ彼は。それくらい知っときなさいよ」


 思わずつぶやいたラルフに、キュルケは呆れたような表情で返して、大臣の家じゃないの、と付け足した。


「――ああ、そういえば。あれが」


 人望のありそうなユーリウスと政治家の息子というイメージが結びつかず気付かなかったが、そういうので有名な上級生がいるのはラルフも知っていた。

 広場中央では再びクラウスが特攻をかけ、ユーリウスが凌ぐというのが繰り返されている。銃剣一本でクラウスがゴーレムの攻撃を流して囲みを抜けるのを見て、ラルフは思わず目を剥いた。


「ヤバいなあいつ。相当な腕じゃないか」

「そんなに?」

「そんなにってお前、三人がかりで襲いかかられて凌げるかよ。普通は無理」

「ふうん。あたしはあんな泥臭い戦い方はしないもの」


 確かに、火のトライアングルメイジにしてはクラウスの戦い方は泥臭い。しかし、こういう人の多い場所ではそれも仕方がないだろう。――などと考えているうちに、「見つけた!」という聞きたくなかった声が聞こえてラルフは顔をしかめた。


「帰る。疫病神が来た」

「例の妖精さんね」

 くくっと笑うキュルケ。一体どこまで本気で信じているのやら、と思っていると目の前に両手で耳をふさいだイェッタが飛んでくる。


「人がぐちゃぐちゃでうるさい!」


 いつもと違う様子で本当に嫌そうな顔をしたイェッタを見て、お、とラルフは思う。こういう人が密集している場所はイェッタにとって不快らしい。それならばしばらくここにいるのもいいかも知れない。


「……もうしばらくここにいるから、お前はどっか行ってろ」

「なんでこんなうるさいとこにいるのよ? 帰ろうよ。おやつー」


 イェッタはぱたぱたと小さな手足を振り回し、駄々っ子のように全身でごねる。


「決闘の見物だ。これやるから先帰ってろ」


 ラルフがポケットから妖精対策非常用ビスケットを取り出して投げ渡すと、小さな羽精はすぐにかぶりついた。キュルケの目にはきっと、自分で投げ上げたビスケットを口でキャッチするラルフの姿が映っているのだろう。ニヤニヤしながら眺めている。顔が熱くなるのを感じて、彼は本格的に使い魔を追い払いにかかった。


「決闘って? 戦うの?」

「俺は戦わねーよ。ほら行け」


 そら行けやれ行け、とせっつくとイェッタはふーんと言って羽を翻して去っていった。やれやれと一息ついたところでキュルケが不思議そうな顔をして口を開く。


「珍しいわね。もう済んだの?」

「人が多いところは苦手らしい。いいことを知った」

「へえー」


 そういえば、イェッタは教室などにも姿を見せない。つまらないからだろうとラルフは思っていたが、あの程度でも人が密集した空間は苦手だったのかもしれない。心を覗けるというのが逆に悪い方向に働くのだろうか。


「それにしても。あなたもやればいいじゃない?」

「あん? 何を」

「あれよ」


 キュルケが指したほうへ目を上げると、ちょうど決着が付いたらしい二人が手を取り合っている。ぱちぱちと拍手がなっていた。


「うーん……」


 昨日のイェッタとの話でも出たことだ。ラルフはあそこで活躍するだけの実力はあるだろう。しかし、彼にとってそういうのは、主義に反する。そういうのもありだと思いながらも、彼自身の妙な美意識がそれを許さない。気にしない気にしないと言いながら、何かと見栄っ張りなのだ。

 見栄っ張りだというなら実力を見せればいいのだが、むしろそれが恥ずかしいことだと彼には感じられる。元日本人らしく、彼にとって『恥』とは『名誉を汚す物』ではないのだ。このあたりが少々周囲の感覚からズレているところでもあった。普通のゲルマニア人なら、むしろこうして促されて決闘に出ないほうが誉れを汚すという意味で恥である。だがラルフは高い実力を持っていることを周囲に示すことのほうが恥と感じてしまう。


「やめとく。負けたくないし」


 というわけで、彼は適当にごまかした。自分が少しズレているという自覚もあるのでこういう言い方になる。


「ふうん」


 少し不満そうに目を細めたキュルケを見て、なんとなくラルフは言い訳を続ける。


「それにさあ。昔うちでふっ飛ばしたのが何人か上級生にいるんだ。相手してたらキリがないだろ。目立ちたくないの、俺は」

「そういえばいたわねそういうのも」


 そのほとんどは自分がけしかけたくせに、本当に忘れていたらしく驚いたように言うキュルケにラルフは呆れ返った。


「忘れるなよ。さすがに可哀想すぎるだろ」


 結構いるのだ。少なくともラルフが知っているだけで三人いる。そういう彼自身もあまり相手の顔と名前を覚えていないので、実際はもっといるかも知れない。それに今現在も、イェッタのいたずらがラルフの行動として認識されるせいで着々と彼の敵は増えているのだ。


「またやってみる? 私と付き合うならラルフ・フォン・マテウスを倒すのが条件だー、とか。いつでもできるわよ」

「やめて」


 楽しげな表情でなされた提案を、懇願するように却下。けらけらと笑うキュルケを見て、もし見えたらイェッタと気が合うのじゃなかろうかとラルフは苦笑した。


「ま、あなたもなんだか変な使い魔のおかげで大変そうだし。今は勘弁してあげる」

「そうしてくれると嬉しい。――ああもう次か。ほんとに何回もやってるんだな」


 急に静かになった広場に澄んだ音が響いて、再びわあっと歓声が上がる。この盛り上がりなら、しばらくは羽が伸ばせそうだった。




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 なにやら凄そうな使い魔イェッタ登場。行動原理はトリック・オア・トリート。でもお菓子を貰ってもいたずらします。
 読み返してみると割とかわいい感じになってしまった気がします。この三倍は嫌な性格にしようとしていたのに残念。まあこれからもっと主人公をいじめる役を果たしてもらおうと思います。冷静に考えれば既に結構追い詰めてる気もしますが。
 彼女は精神構造が根本的に普通の生き物と違うので、分かり合うことや協力しあうことは不可能です。そういう設定の人外ヒロインとか好きです。
 名前はファティマ一覧から適当にとったわけじゃなくて、たぶん筆者が小惑星の名前とかドイツの伝説とか知ってる知識人だからです。
 なお副題はGoogleかなんかのキャンペーンで見かけた「検索は、スポーツだ!」から。






[14793] 決闘は、スポーツだ!(2)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/05/29 15:31

「私、あの赤い娘きらい」


 夕食後、部屋で本を読んでいてふと目を上げたとき、綿を敷き詰めた籠の中で寝ていたイェッタが急に言った。


「――ああ?」


 ちょうど今日の決闘観戦の時のことを考えていたのがイェッタに読まれたと気づいて、ラルフは一気に不機嫌になる。赤い娘、というのはキュルケのことだ。目をこすりながら体を起こしたイェッタを睨みつけて、何が言いたい、と促す。


「ううん違った、赤い子は好き。私たちにちょっと似てるのよね。それにとっても優しいし」

「お前はもう少しバカを治してから喋れ。意味が分からん」

「あの赤い子といるときのあんたがきらいなの」


 イェッタはぴっとラルフを指さしてそう言った。


「だってあんた、あの娘がいるとすごくドロドロした気持ちになるじゃない。好きなくせに、変なの」

「……もういい。寝てろ」


 イェッタはあまり頭が良くないので、騙したりするのはわりと簡単だ。しかし、心が読める彼女には、特にこういった感情面では嘘をつくことは不可能である。そのためラルフはこういう反応しか出来なかった。しかしイェッタは聞かず、彼が聞きたくなかった言葉をはき出す。


「あの赤い子が他の人間の男と一緒にいたりするとすごいよね。なんでもないような顔しちゃって、あんたはあの娘がいると嘘ばっかり。気持ちと顔がぜんぜん違うの」


 キュルケは基本的に来る者拒まずの態度なので、大概の男子生徒からのデートの申し出は受けている。ときどきラルフもそれを見かけていたし、行き会ったこともある。見ても別に何もしなかったし、連れ立って歩く彼女たちに会えばごく普通に挨拶をしたりしていた。そういう時の心情を見透かされているのだ。


「ばらばらにされたくなきゃ黙ってろ」


 脅しの意味を込めて視線をかたわらの剣にちらりとやって言うが、イェッタはひるまない。


「ふふん。私はそんなの効かないもんね。あー今も、あんたの心はドロッドロよ」


 くらーい、きもちわるーい、と言うだけ言って、もそもそとまた籠の中に戻る。籠ごと窓の外にたたき出そうかと考えたが、気が変わってラルフは剣を片手に部屋を出ることにした。言われるまでもなく、今の精神状態はドロドロだ。このところさぼりがちな剣でも振って、気持ちを切り替えたほうが良さそうだった。






けんをとるせんゆう/決闘は、スポーツだ!(2)






 視線を床に落としたままばたんと勢い良く部屋を出ると、すぐそこに人が立っていてラルフはぎょっとした。相手も驚いたように向き直り、杖を構えて間合いを広げるように飛び下がったので慌てて剣を握る手に力を込める。


「……なんだこの部屋の奴か。なんか無駄にビビッちまった」


 苦笑しながらそう言って姿勢を崩したのは、灰色の髪をした長身の生徒だった。手に持った銃剣ですぐに誰か分かる。昼間の決闘で見た同じ新入生、クラウスである。たしかキュルケのクラス。改めて近くで見ると、本当に野性味ある雰囲気をしている。顔立ち自体は美形中の美形と言ってもいいのだが、峻険な顔つきは他の新入生と比べると同学年だというのが信じられない。むしろ貴族に見えないほどだ。


 おそらく先程の動きは、殺気立って部屋を出てきたラルフに反応したのだろう。馬鹿馬鹿しくなってラルフも緊張を解いた。


「あー、君は……ヴォルケンシュタイン?」

「クラウスでいい。お前は?」


 いきなりお前呼ばわりされたことには驚いたが、なんとなく相手の人柄を把握できた気がしてラルフは特に気にしないことにした。


「ラルフ・フォン・マテウス。……ラルフでいい」

「うんお前だな。噂の悪霊憑き」


 既に名前を知られていたのも驚きだが、いつの間にか肩書きが気狂いから悪霊憑きにランクアップしている。離れたところでひそひそと交わされる噂話にうんざりしていたのも事実だが、こうも直接言ってくるとは無礼なのか、よく分からない。少なくともありがたい話ではなかったが、ラルフは少々毒気を抜かれた。


「――一応聞くけど、なにそれ」

「なんか良くわからんが、訳の解らんことをするとか。あとこの辺がおかしいって話だな」


 そう言ってクラウスは周囲を手で指す。


「ん? この辺?」

「このフロアでは妙なことが起こるらしい。特にお前の部屋の近くで。なんか幽霊がいるって話だぜ? で、お前が憑かれてるとか」


 間違いなくイェッタの仕業である。彼女のいたずらは主にラルフのものとして認識されるが、彼が近くにいなければその限りではない。単純に自然現象などとして見られることもあるが、本当に幽霊の幻を見せたりもできるようなのでそちらかも知れない。

 頭に来た時にイェッタを部屋からたたき出したりしているのが原因だろう。それしか考えられない。「おばけだぞー!」などと言いながら通りがかった生徒に妙な幻を見せるイェッタを想像して、ラルフは頭を抱えたくなった。ありえる。


「ちっ……」

「なんだ心あたりがあるのか」


 思わず舌打ちしたラルフに、クラウスは面白そうに言う。


「いや、別にない」そう言って、出てくるんじゃねえぞと心の中で言いながらラルフは自室の扉に『ロック』をかけた。「で? あんたは何をやってんの」


 その質問に、クラウスは微妙に照れくさそうな顔をした。


「いや、幽霊出ねえかと思ってな」

「出ねえよ」


 思わず勢いで突っ込んでから、何をやってるんだ俺は、とラルフは急激に冷静になった。クラウスが本当に幽霊が出るのを見たいのだったら今日は『外れ』だ。イェッタが出てくることはもうないと思うが、別に自分には関係ない。まあ本気で張り込めばそのうち見れるかも知れない。退治などは不可能だが、できるものならやって欲しい。


「ま、頑張って」


 ひらりと手を振ってその場を後にするが、クラウスはラルフについてきた。


「剣の稽古か。付き合うぜ?」

「いや、――ん……まあいいか。じゃあ一つ頼む」

「おう」


 断りかけて昼間に見たクラウスの銃剣さばきを思い出し、ラルフは軽く手合わせを頼むことにした。彼の腕は恐らく自分よりも上だ。出来れば一人でやりたい気分だったが、そういう相手がいるなら付き合ってもらって損はない。「幽霊はいいのか」と聞こうかとも一瞬考えたが、この男がもともと幽霊など本気で信じていたとも思えなかった。


「剣……」


 かつかつと階段を並んで降りながら、ふと思い出したように、クラウスはラルフの手の剣を指さして言った。


「悪霊の宿った魔剣とか?」

「あるわけないだろ」


 ただの練習用の剣をさして言われた言葉にラルフは思わず苦笑する。だよな、とクラウスも笑った。


「まあマジで幽霊が出るとは思っちゃいなかったけどな。お前もどう見ても悪霊憑きには見えないし」

「そう見えると知って安心したよ」


 そこからは黙って階段を降りる。きしむ扉を開けて寮塔から出ると、すっと夜気が広がった。裏に回ってこういう時に使える場所へと移動する。


「さて、やるか?」


 獰猛な笑みを浮かべて銃剣の杖を掲げたクラウスに、ラルフはああやっぱりこいつはこういう男なのか、と納得しながらひきつりそうな半笑いで応えた。昼間の決闘の戦い方、さっきから横でうずうずしたような気配を出していたのと併せてなんとなく感じていたが、これはいわゆる戦闘狂というやつなのではないだろうか。初めて見る人種だが、相対してみるとかなり怖いものがある。

 こいつと打ち合うのかと思うと冷や汗が出るような気がしながらも、とりあえず平常心を取り戻し、剣に集中するためいつも通りの行動を心がける。


「――まあ待て。準備運動とストレッチからだ」

「む? なんだそりゃ」

「お前も付き合え。まずは――」


 □


 とにかく疾い。靭い。剣戟を重ねて得たクラウスの印象はそんな感じだった。一撃一撃が速く重く、先手先手を行く。あっという間に押し込まれてしまう。動作の起こりを隠したりする武道的な思考を取り入れた理屈重視のラルフの剣とも、天性の閃きで意の外から繰り出すフェリクスの剣とも違う。いわゆる実戦派というところだ。寸止めとはいえ獰猛に繰り出す突きの一つ一つが必殺の気配を漂わせており、ラルフはかなりの緊張感を持ってやり合うことになった。

 銃剣という武器は、基本的に間合いが一歩開いたときに銃口をこちらに向けさせてはならない筈だ。それを併せて考えると、本気で剣を振るいどうにか凌げたように見えるやりとりは、実は全て一本取られていることになる。しかも、それでもクラウスはそれなりに加減をしてくれているようだった。後半は一本取らせてくれた、というようなのが多かった。

「今日はこれで終わりにさせてくれ。……いや、強い。かなわないな。疲れた」


 体力的にはまだ十分余裕があるが、なんというかプレッシャーが強い。受けに回ってしまうため精神的に疲れるのだ。ラルフが音を上げて膝を折ると、クラウスもにっと笑って壁際へ移動してどかっと座り込んだ。


「お前も中々面白かったぜ。妙な感じだ。お上品な剣士とは少し違うな。これにも対応してたし」


 銃剣を軽く持ち上げてみせながらクラウスは言う。それを見て、そういえば本来なら『銃剣』という武器はハルケギニアの人間にとって未知の武器だったはずだなとラルフはようやく思い出した。


「それ、自分で考えて作ったのか?」

「そうだ。強そうだろ?」


 なんとも単純な回答にラルフは思わず笑いながら、まあな、と応える。


「しかし、強い。というか強すぎる。どうしたらそこまでなる?」

「あー? ああ俺のことか。まー色々遊んでたからな」


 破天荒な男だというのは分かるが、基本的に暇さえあれば剣を振っていたラルフから見ても、クラウスは凄腕といっていい。稽古をつけてもらっていたフェリクスのような天才型とも思えないのに、同年代がここまでの腕を持つのはなんとなく納得がいかない。遊んでいたでは済まないだろう。


「遊んでたで済むわけないだろ? 一体どんなことをしたんだ」

「色々だよ……傭兵とか」

「……は?」

「あー、まー、なんだ。むかし家を出て、傭兵とか色々な」


 目が点になったラルフに、クラウスは言いにくそうにごにょごにょと適当にごまかした。さすがに唖然とする。侯爵家を出奔して傭兵になるなど、型破りにもほどがある。色々、の方も聞きたいような聞きたくないような微妙な気がしてくる。まさか盗賊や殺し屋をやっていたとは言わないだろうが。


「――いや、そもそもお前、確か跡取りじゃなかったか? それが家を出た?」

「そーだよ。つーか聞くなよ。今じゃちょっと恥ずかしいんだよ」

「……はあん」


 クラウスの態度を見て、親に対する反発心から出奔――というより家出したというストーリーを頭の中で思い描き、ラルフはにやついた。別にそうとは限らないが、なんとなく大きくは外れていない気がする。


「おい笑うなよ。当時の俺は真剣だったの」

「ああうんわかるわかる。こう――あれだな、家族と連れ立って出かけたりするのが恥ずかしい。親や周りの大人が、嘘とか偽善ばかり並べるつまらない人間に見える。そういう時期ってあるよな」

「な、てめ、こっの」


 思ったよりも早く飛んできた拳を受け止めると、ぱしんと乾いたいい音がした。やっぱり当たりかとラルフは笑う。つまり、いわゆる第二次反抗期である。しかしクラウスのそれはずいぶんと強烈なものだったようだ。名家の息子が出奔して傭兵とは思い切ったものである。しかもすっかり染まってしまっている。態度といい言動といい、貴族というより傭兵といったほうがしっくり来るほどだ。


「まあ落ち着けよ。別に悪いなんて言ってないぜ」

「その薄笑いを止めてから言えよ」

「そう言われてもなあ」


 ニヤニヤ笑いが止まらない。クラウスはしばらく獣のように唸っていたが、諦めたらしく「だから学院なんて嫌だったんだ」と言ってすとんと手を下ろした。


「そうか? 楽しんでるみたいじゃないか。昼間も広場で暴れてるのを見た」

「ん? あああれか。見てたのか」

「途中までね。結局どうなったんだ?」


 見ごたえのある勝負ではあったのだが、イェッタに気を取られているうちに終わってしまっていた。結局ラルフはあの決闘の結果を見ていない。クラウスはふん、と息を吐くと別に面白くもなさそうに「勝った」と言った。


「大体、俺はあいつに負けたことはあんまりないんだ」

「へえ……何回もやってるのか」

「一応は小さい頃からの付き合いだな」


 そういえば二人ともわりと似たような出であったな、とラルフは思い出す。どちらも侯爵家の嫡男、領地も近かったはずだ。育ちの良さはずいぶんと違うようだが。そう思うとまた笑いが浮かんでくる。くくくと声が漏れて、今度こそばしんと頭を叩かれた。


「もういいだろ。お前は? なんで悪霊憑きとかいう話になってんだ」

「あー……」


 どうするか、とラルフは一瞬だけ考えたが、自分がこの荒っぽい同級生にすでに結構好感を持っていることを自覚して素直に話してみることにした。彼ならば、興味は示すだろうが端から頭がおかしいという話になりそうにはない。


「まあ、似たようなものがいることはいるんだよな――」


 □


「にわかには信じがたいな……」


 意外にクラウスは落ち着いた反応で話を聞いた。こういう冷めた判断をするあたり、さすがにただ荒っぽいだけの男ではないらしい。


「まあそうだろうさ。言っとくけど部屋とかは見せない。あれを見ると、自分でも他人の目にどう映るか分かってちょっとゾッとするからな」


 小人のために用意したようなティーセットや、綿が敷き詰められた空の籠。それを使う妖精は見えず、妖精がいると主張する人間がそれを使っているように見える。想像すると恐ろしいものがある。イェッタが居ないときに自分の部屋を見渡してみたときの正直な感想だった。


「ふうん。まあでも、お前の部屋のある階で変なことが多いのは本当らしいからな。なんかいるのは確かなんだろうな」


 そう言ってクラウスは「おお禍歌うたう麗しの乙女……」などと傭兵たちが歌いそうな妖精の歌を口ずさむ。


「それは川の妖精だろうが。悪戯ばかりする小さな羽精(ピスキー)とは違う」

「いや、あれもほとんど悪戯で船を沈めたりするじゃねーか。割と近いんじゃねえの」

「ん……ふむ。それもそうか」


 妖精といえば美の化身のように語られることが多いが、伝承などに現れる妖精はどれも割と残忍なところがある。気まぐれに人間を助けることもあるが、ほとんどいいがかりとしか思えないような理由で人間を殺したりもする。もともと人間の理屈が通じる相手ではない。


「まあ、俺はまたあのへんをうろうろしてみるかな。何か変なことがあったら信じてやるよ」クラウスはにやっと笑って「幽霊も出るかも知れないしな」と付け足す。

「ふん……すぐには信じないか。まあそんなもんだろうな。けど」ラルフはクラウスの顔を指さして言った。「お前はきっと信じるよ」

「ん? なんでだ」

「あー、最近あいつの好みみたいなのが多少分かってきたというか……。そろそろ半年くらい経つしな」


 イェッタは素直に生きる人間を……というか、素直に生きる心を好む。そして、好きなタイプには笑えるいたずらを。嫌いなタイプにはあまり手を出さないが、笑えない悪戯を仕掛ける。あくまで傾向の話だが。ついでに言えば、される側からすればどちらもそんなに笑えない。基本的に人間とは相容れないのだ。


「お前は男版キュルケというか、……いやあんまり似てないな。けど、まっすぐな感じがするからな。多分、好かれる。すぐに何かしてくるだろうよ」

「ほー。面白い話だな。ちなみにお前は? 仲が悪いらしいけど」

「両方。本来なら嫌いなタイプのはずだ。けど、あれでも一応俺の使い魔やってるからな。羽精は羽精なりに慕ってんだよ。気持ちはさっぱり理解出来ないけど、多分そう」


 それに、イェッタはラルフの心の動きを最優先するところがある。例えば彼女自身はキュルケのことは好きだが、キュルケといるときの彼の心がドロドロしているからキュルケも嫌い、と言った具合に。彼にはさっぱり理解できないが、イェッタは彼女なりに使い魔としての気持ちのようなものを持っているのだ。別に嬉しくはない。


「ふーん。てことは、はっはあ。あれか、お前は心がねじ曲がってるわけか」

「……そうだな、そういうことでいいよ」


 適当な答えにクラウスは「おーおーねじ曲がっちゃって」と囃すが、ラルフはそれを無視した。こんな態度がいよいよ根性がひん曲がってるという証明になってしまうが、別に否定するだけの要素もないし、その必要もない。


「……ところでツェルプストーの名前が出たけど、なんだ? お前ら仲いいのか?」

「え? ああ……」


 いきなり話がそちらにふられたため一瞬なぜその話になったのかわからなかったが、自分がキュルケの名前を出したことを思い出す。それに、クラウスはキュルケと同じクラスの生徒だ。


「……なんだろうな。隣の領地だから」


 ああ俺とユーリウスみたいなもんか、幼なじみだなとクラウスが納得したように言うのを聞いて、ラルフはなんとなく違和感を覚えた。自分たちはそんなに幼い頃からの付き合いではない。ならば何というべきなのだろうか。


「そう言うほど長くもないな。十の時に初めて会ったから、まだ四年前か。考えてみれば割と濃い四年間だったな……」


 毎週毎週つるんで出かけ、森、洞窟、廃屋敷の探検。それに連れてこられる決闘相手。あのガリアのアカデミーから流れてきたという男。キュルケとは関係ないが、アルビオンでは騎士とバチバチやりあったりもしている。妹も生まれた。


「ん? なんだお前、まだ十四なのか」少し驚いたふうにクラウスはラルフを見る。「そういや小さいよな」

「最近よく言われるなそれ……。キュルケが誘ってきたからね。一緒に入学することにした」

「ふーん。仲がいいのは結構だな」


 クラウスが適当そうな相槌を打つのを聞きながら、自分にとってキュルケとはなんだろうか、とふと先程の疑問をラルフは思い、ぼんやりと考え込んだ。

 少なくとも最初は友達だった。幼なじみというほど長い付き合いというわけではない。もちろん恋人などでもない。想い人というには気持ちが入っていない。というより、入らないように気を付けている。相棒というのがこれまでの関係を最も正しく言い表している気がするが、今は違う。やはり友達だろうか。ただの友達だというのにも違和感を感じてしまうのは、きっと自分がそれ以上の関係でありたいと思ってしまっているせいだろう。

 イェッタは彼女がいると自分の心がどろどろになると言った。それは、憧れだけでなく嫉妬の気持ちを含んでいるからだ。炎か太陽のように明るい彼女を見ていると、自分がそうではないことを思い知るからだ。


「――風呂入って寝るかあ」


 話が途切れ、少しの間降りた沈黙を破ってクラウスが言う。そうだな、と同意してラルフも立ち上がった。いやーいつでもじっくり風呂に入れるのが貴族のいいとこだよな、と実感のこもったセリフを口にするのが面白かったが、部屋に帰るとまたあのいまいましい妖精の顔を見るのかと思うと嫌になる。


「――そうだ、風呂から上がったら俺の部屋の前に来てみたらどうだ。イェッタをつまみ出しとく。まあ何かして来るかどうかはわからないけど。俺がやれと言っても絶対やらないからな、あいつ」

「ん? そうか、そんなら行ってみようかな……」


 それが、珍しく防音の魔法を切っていたラルフの耳に、ドアの外からぎゃあ、という悲鳴が聞こえる一時間前の事だった。さらに後から分かったことだが、クラウスは意外にも幽霊がダメらしかった。

 怖いなら見に来るなとも思うが、怪談が嫌いなものほど喜んで聞く。人間とは得てしてそういうものである。




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 さらにキャラクタ追加。銃剣使いクラウス。かなりの強キャラです。あと前回から登場したイェッタは、今後も基本的にこういう役割にのみ登場の予定。
 それにしても益体もない会話だらけで話があまり進んでなくね、という。次話で一気に今回の決闘シリーズは終了予定です。

 空行の入れ方に悩む……。多すぎるようなら減らします。





[14793] 決闘は、スポーツだ!(3)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/05/31 22:29
 ――なんでこんな事になっている? というのが正直なラルフの気持ちだった。

 このところはイェッタ避けの行動パターンを把握しつつあり、人前で妖精の害を撒き散らすことはなくなってきている。昨日の虚無の曜日には外でお互い偶然遭遇してひどい大げんかになり、意味不明な幻に隠して枝などを飛ばしてくる攻撃をかいくぐり跡形もなく吹き飛ばしてやったら『家出』と称して寝る時でも帰ってこなかった。お陰でラルフの調子は朝からうなぎ登りに上がっていた。

 それがなんで今は、女をかけて決闘なんてことになっているのか。目の前にいるのはクラウス・ガーブリエル・フォン・ヴォルケンシュタイン。ニ週間ほど前に知り合った元傭兵の学生。自分の全能力を発揮しても勝てるかどうか怪しいほどの超強敵である。これがジョークや遊びならいいのだが、相手の目は本気も本気といったところ。


「おい……、最後だけど、本当の本当に本気なのか? こんな」


 信じられないというか、信じたくないというか。しかしここまで来たら引けないのは頭では理解できている。予想通り返事はつれないものだった。


「くどいぜ?」


 いつも浮かべている挑戦的な笑みを消して緊張感を増した彼の表情は、びりびりと空気を緊張させる。まるで戦場の気配だ。いつになく気合の入った様子で離れたクラウスの様子に困惑しながらも、立会いがコインを投げる。それが落ちるまでに、ラルフは思考を戦うためのものに切り替えなければならなかった。俺が勝ったらあの女の体は好きにさせてもらうとまで言われては、さすがに負けるわけにもいかないのだ。

 キィン――と広場に澄んだ音が響き。
 決闘が始まった。






決闘は、スポーツだ!(3)






 クラウスとラルフは、いい距離感のある友人関係といえた。

 クラスも違うし、寮で互いの部屋を行き来するような仲の良さというわけでもない。ただ会えば挨拶はするし、軽く話もする。あとは夜に時々どちらかが訪ねて軽く打ち合いをして汗を流す。そんな適度な関係である。

 クラウスは相変わらず昼間は決闘遊びなどをしていたが、あれから一週間もするとブームもさすがに下火になってきていたし、彼自身もめぼしい相手は大体あたってしまったらしく以前ほど積極的には出なくなった。いわば人気選手であるクラウスがやらなくなると集まる人も減っていく。

 一方ラルフは相変わらず決闘見物は毎日のように行っていた。今まで見ていなかったので、物珍しさがある。人の熱気があるところにはうるさい羽虫も寄ってこない。クラウスはキュルケからラルフがトライアングルのメイジであることを聞いて、お前はやらないのか、とたずねたが、彼は首を横に降った。少し残念そうにはしたが、クラウスもそれを強制したりするようなことはしない。

 互いに尊重できる非常にいい友人関係だと言える。それがいきなり崩れたのが今日の午後だ。

 まず、話は授業の合間の休み時間、教室にキュルケの取り巻きの少女数人が駆けこんできたところから始まる。


「失礼、ラルフというのはあなたですよね?」


 そんな声がかけられたとき、ラルフはごく普通にクラスメイトたちと軽い雑談をしていたところだった。教室は彼にとって、羽精が起こす面倒からの安全圏である。なので、彼はなるべく人の輪に近いところにいることにしていた。決闘では誰が誰より強いとか、どこのクラスのあの娘がかわいいとか、あまり話が合うわけでもないので基本的には聞いているだけだが、それなりにこれまでのイメージの改善には役立つ。


「そうだけど……?」

「えっと、トライアングルの『風』の使い手だとか?」

「……キュルケに聞いたのか。そうだよ」


 認めると、なんだって、と周囲のクラスメイトがざわつく。基本的に彼はそのことは誰にも話していなかった。妙な嫉妬を買ったりするのは嫌だし、変に注目されれば目立つ。目立てば、悪霊だの頭がおかしいだのといった風評が余計に広がるかも知れない。隠してもいずれはばれるので、ただ「言わなかった」だけだ。話を振られることがないので、言う機会がなかったともいう。

 目の前の数人がよくキュルケと一緒にいる娘たちだというのは知っている。情報源はそこくらいだろう。彼の肯定を聞くと、彼女たちはぱっと顔を明るくした。


「そうだったんですか! 安心です、頑張ってください!」

「……は?」


「守ってあげてね!」「やっつけちゃって!」とかしましく言い立てる彼女たちに、わけがわからず困惑する。


「ええと、よく分からないんだけど。どういう事なのかな」


 彼女たちの話を聞けば、今日の放課後にクラウスと自分がキュルケをめぐって決闘することになっているらしい。なんだそれは、と思うが恐らく伝言ゲーム状態になっているのだろうとあたりをつけ、とりあえず最後まで話を聞いたが、やはり訳がわからない。

 クラウスは粗野な言動と態度のせいで、男子生徒にはそれなりに人気があるが、周囲の女子生徒には一部を除き受けがよくないことが多い。決闘などで顔を知られているので全体的には評判は悪くないようだが、とにかくこの女子生徒たちがラルフに発破をかけるのはそういうことだろう。

 授業の開始を告げる鐘がなり、キュルケのクラスの女子たちも三々五々帰っていく。クラウスとキュルケに話を聞かなくては、さっぱり話が見えない。しかし、既になにやら話が広まりつつあり、面倒なことになる予感はした。


 □


「ごめん。勝って。お願い」


 次の授業が終わって教室を訪れると、クラウスはすでに居なかった。キュルケはいたので話を聞こうとすれば、教室の隅に連れて行かれていきなりそんなことを済まなそうに言ってくるのでラルフは意外に思う。

 ここに来るまでは、クラウスとキュルケが共謀して自分を例の決闘に引っ張り出そうとしている、というのが最有力な予想だった。あとは本気でクラウスがキュルケに惚れて……というのも考えないではないが、そもそも彼女は自分のものでもないし、普通に交際を申しこめばいい。キュルケが例によって「私と付き合いたいならラルフを倒すことね」というのをやったというのもありえたが、それならばこの反応はないだろう。


「どういうことなの」

「ええっと……」ばつの悪そうな顔をしたキュルケが言い淀む。「あなたが負けたら私はあいつのものらしいのよ」

「らしいってなんだらしいって。自分のことだろ」


 周りでは生徒たちが「あれがマテウスだって」「トライアングル?」「悪霊が憑いてるって噂だけど」「なにそれこわい」「強いのか?」などと口々に言っているのが聞こえる。今までのささやかな悪評とは比べものにならない注目度である。


「えーとね。ちょっとまあ、なんだろ、勢いで言っちゃって」


 ひきつり気味の笑いでキュルケはラルフの顔色をうかがう。非常に珍しいことだった。


「何を」

「……えと、ラルフに勝ったら私はあなたのもの」

「――それだけ?」


 約束が違うとは思うが、キュルケならその程度は言いかねないとは思っていたので、それはいい。しかしそれだけなら彼女はこうもばつの悪そうな態度は見せないだろう。いつも通り開き直るはずだ。クラウスともそれなりに仲はいいはずだったので、ちょっとデートとか付き合うとかその程度で嫌がるとも思えない。


「う、……その、体だって好きにしていいって」

「アホか!」


 ビビるくらいなら言うな、という言葉を飲み込んで考えてラルフは納得した。

 クラウスは元傭兵だ。最終的には流れの傭兵だったと言っていたが、傭兵団などに所属したこともあったということなので、どんな経験をしていたかは多少は想像がつく。割のいい仕事の後にはそりゃ当然色町などに繰り出すわけで、娼婦の一人や二人買ったことがないとはとても思えない。というか絶対あるだろう。

 そんな奴に勢いで言った台詞の言葉尻をとらえられてしまい、経験のあるものなりの脅しか何かを受けて竦んでしまったらしい。クラウスのほうがどこまで本気かは分からないが、本当に手を出すくらいはやってもおかしくない男だ。


「うう……ごめん。ということで頑張って。前みたいに」


 手を合わせて微妙に軽く言うキュルケを呆れながら半目で睨む。


「はあ……お前あいつを甘く見すぎ」


 学年に三人しか居ないトライアングル、しかしラルフから見て自分やクラウスとキュルケでは、同じトライアングルでも怖さの桁が違う。だいたい、メイジはドットでもスクエアを倒せるのだ。相手は人間なのだから、魔法が一つでもまともに入ればどんな強力なメイジでも倒れる。クラスは強さの指標ではない。

 クラウスは実戦を通じてそのあたりを十分知っているはずであり、そしてそれを含めて非常に強い。自分と互角かそれ以上にだ。


「えっと、そうなの? 負けないわよね?」


 本格的に不安になってきたらしいキュルケが冷や汗を流すのを少々いい気味だとは思いながらも、一応ラルフは「勝てる」と言っておいた。


「そ、そう。お願い」

「でそのクラウスはどこ行ったんだ」


 少しはほっとしたらしいキュルケに尋ねると、「たぶん屋上」という言葉が返ってきて、すぐにラルフは教室を後にした。今日の授業が終わるまであと一時限しかない。

 クラウスがどういうつもりなのかというのと、どこまで本気でやる気なのかを確かめておこうと考えたのだ。ここまで周囲に話が広がると、やりませんというのも後味が悪い。しかしやめることができないわけではない。実際まだ決闘を申し込まれたわけではない。だからそのあたりは彼次第ということになる。

 ところが、屋上へ行っても彼は見つからなかった。そこでまた授業の鐘が鳴る。『フライ』でそのあたりを上から見渡しても見つからない。

 仕方なくラルフは自分の教室へ戻った。


 □


 そうして訪れた放課後。ラルフは授業が終わるとすぐに席を立ってクラウスを探しに行こうとしたが、当の相手は向こうからやってきて、さらに衆人環視のなか堂々と名乗りを上げて杖を突きつけた。


「ラルフ・フォン・マテウス。『微熱』のキュルケをかけ、『砲火』のクラウス・ガーブリエル・フォン・ヴォルケンシュタインが決闘を申し込む」


 さすがは侯爵家嫡子というべきなのか、普段からこういう態度でいれば評判も良くなるだろうにというみごとな礼を見せる。ふざけてんのかこいつ、と相当頭に来ながらもラルフは一応聞いた。


「いや、……どうしてもやらなきゃならないのか?」

「何を言う。臆したか?」


 聞いてはみたものの、そもそもこういう形できっちり申し込まれてしまうと逃げられない。だからこそ先に話をしておきたかったのだ。貴族の仮面をかぶったクラウスは何を考えているのかさっぱり分からない。とはいえ、こうなるともうどうしようもない。

 受けよう、とラルフが返すと周囲の生徒がどっと沸く。その隙にラルフは顔を寄せて小声で聞いた。


「どういうつもりだお前。というかさっきの休み時間どこ行ってた。本気でやるつもりなのか?」

「あー? お前なんで決闘するって話になったか聞いてないのか?」

「その暇がなかったんだよ!」


 片目をつぶって面倒くさそうにクラウスが言う。これだけ外堀を埋めておいて何も説明なしではたまらない。


「お前と俺と、どっちが強いかって話からだぜ? だからやるぜ、本気で。あとついでに最近ちょっとたまってるし。お前もやる気になるだろ」


 そう言ってニッといつもの挑戦的な笑みを浮かべる。

 このバカ本気だったのかとか、たまってるとか言うな気持ち悪い、とか色々と言いたいことはある。が、とにかく彼がすべて悪い方向に本気でやっているらしいことを感じ、ラルフは貞操をかけて戦うなどという馬鹿らしいもいいところの決闘を本気でやらなくてはならないことをようやく理解した。じつに馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのだが、クラウスは本気で戦わなければ勝てない相手なのだ。

 昼から噂が広がっていたのでユミル広場には久々に観客が溢れかえっていた。クラウスはここの決闘遊びのいわば人気選手であり、キュルケは学院のほとんどの生徒が知っているのだ。知られていないのは自分だけだ。

 ギャラリーの言っていることを聞いてみると「『微熱』のキュルケがこの決闘で勝った方のものになるらしい」というのがニ割くらい、「『砲火』のクラウスが女をめぐって決闘だって」、というのが三割くらい、あとは割と適当に、いつもの決闘遊びだと思って見物に来たものらしい。まあ決闘の経緯などを観客が皆知っているわけがないとは言え、みごとに自分が誰なのかは知らないらしかった。


(そういや二つ名もないしな……)


 ここでまともに戦うところを見せればまともな二つ名がもらえるのだろうか、などと半ば現実逃避ぎみのことを考えているうちに広場中央に着いてしまう。辺りを見渡すと人、人、人。その中心にキュルケを見つけるとちょうど目が合った。

 がんばってお願い、とジェスチャーで伝えてくる。てへっという擬音がつきそうな態度を見るに、もうだいたい立ち直っているらしい。それとも自分が負けるとは思わないのだろうか。もうなんだかやけになってラルフは軽く手を振ってやった。

 かくして広場に大音声が響き渡り、


「諸君! 決闘だ!」


 そしてコインが落ち、戦いが始まる。


 □


 クラウスが『炎球』を放つと同時に『エア・シールド』で受け止めながら後ろへ跳ぶ。そのまま間合いを広げようとしたが、相手はそれ以上の速さで追いすがり、次々と火球を放った。まさに猛攻というのが正しい。ラルフはひたすら風の盾に力を注ぎながらそれらを耐えることになり、初手の自分の失策を悔やんだ。

 何度か彼が戦うところを見て知っているが、とにかく前へ出る事にかけてはクラウスは凄まじいものがある。だから、基本的に受けに回ってはならないのだ。完全に詰められたら、スペルを唱える間もなく異常なほど高い白兵戦技術で終了、となってしまう。つまりこの状況はもう詰みかかっている。残り五メイルほどが最後の命綱。どうにかして彼の足を止めなければそのまま終わる。

 ラルフはいったん眼を閉じて、風の盾を維持しながらも意識しない状態を作り、ルーンを唱える。そして目を開き、再び下がりながら全力で炎の壁を築いた。ゴッという音とともに炎が二人の間を遮断する直前、既にすぐそこに迫っていたクラウスが目を見張るのが見えた。それはそうだろう、ノータイムで風の障壁が炎に替わったのだ。魔法の切り替わりが速過ぎる。同時に二つの魔法を使えなければこんな事はできない。そして、ラルフにはある程度だがそれができた。


(――くそ、やっぱり強い。というか強すぎ)


 どうにか一瞬だけ足を止めたが、すでに崖っぷち状態。『フライ』で翔んで上から爆撃と行きたいが、それは奥の手中の奥の手だ。さらに言えば、併用できる魔法には限りがある。炎の障壁を維持している今は、『フライ』は使えない。


(とにかく間合い、間合いだ)


 クラウスを距離的に突き放さなくては絶対に勝てない。この炎の壁はすぐに破られる。同じトライアングルとは言え、実力でも負けている気がするし、なにより火の魔法では本職の火のメイジには敵わない。口の中で唱えるのは『エア・ハンマー』。可能な限りの力を込めて巨大な風の槌を創りだす。クラウスが突破してきたらそれを放つ。

 が、クラウスは力でそれを破った。

 ドォン、と腹に響く砲撃のような音と共に炎の壁が文字通り消し飛ぶ。ほぼ同時に放ったラルフの『エア・ハンマー』は押し寄せる爆炎に相殺されかき消され、さらに遅れてやってきた余波がラルフの体を吹き飛ばした。


「ぐっ、あ」


 指向性を与えた爆発のような魔法。とんでもない威力だ。そういえば『砲火』なんて二つ名があったな、とごろごろと後方へ転がりながらラルフはようやく思い出した。今の魔法は、まっすぐ自分に向けられていたら死にかねない。恐らくクラウスは自分の頭の上を狙って放ったのだろう。その余波だけで人が吹き飛ぶのだ。そりゃ上級生の土のメイジを破れるわけだと思う。

 しかし、この状況は、ありだ。石畳で体じゅうを打ったが距離は開き、自分の手にはまだ杖がある。グラグラする頭をどうにか支えて立ち上がりながら『フライ』を唱え、ラルフは一気に空中へ舞い上がった。ここまで一方的に追い詰められては奥の手もくそもないだろう。

 飛行して攻めるなら、頭上から斬りかかるとか、落ちながら魔法を放つとかいうのがセオリー……というか、それ以外にすることは普通ない。しかしそのままぐんぐん空中を駆け上がるラルフを、身構えながらもわけがわからないという顔でクラウスは見た。その隙こそが彼の狙うもの。風のメイジに与えたその時間は致命的なものとなりうる。

 ラルフはそこから急降下。上から斬りかかられるのに備えた相手の頭上を通り越し、同時に『ライトニング・クラウド』を放った。急降下爆撃の要領で放たれた落雷のような一撃は、狙い通りクラウスの杖である銃剣の剣先へと落ちる。これで終わりだ。事前に何かしなければ、雷を躱すことなどできはしない。


「っがあっ!」


 苦痛の叫びを上げ、体を引きつらせたクラウスががくんと膝を付く。十分に加減はしているが、きわめて危険な魔法であるのは違いない。場合によっては心臓マッサージか? と思った瞬間、ぎらりとクラウスが上を見た。なんと未だに杖を落としていない。


「くっそ」


 しぶとすぎる。弱めたとは言え『ライトニング・クラウド』だぞ、お前どんだけヤりたいんだよ、殺しても死なないんじゃないのかこいつ、などと何か薄ら寒いものすら感じながらラルフは悪態をつく。

 しかも、この状況でさっきの大砲のような魔法に狙われたら鴨撃ちだ。自分なら躱せるとも思うが、確実とは言えない。ラルフが最も苦手とするのは、空中全てを巻き込むような広範囲の攻撃である。そして高位の火メイジには、それがある。

 電撃に痺れているうちに決着をつける、とラルフは再び急降下して斬りかかる。が、意外にしっかりした足取りでクラウスが立ち上がるのを見て目を見開いた。叩きつけられた杖をがっちりと銃剣の横腹で受け止めたクラウスは、そのまま銃床をラルフの側頭部に叩きつける。


「ぐ、」

「終わりだな?」


 揺れた視界が戻った時には胸元に銃剣が突き込まれ、ピタリと止められていた。完全に決着がついた形になっている。――認めないわけにはいかない。


「……負けだ」


 ラルフが杖を落とすとカラン、という音が静かになった広場に響き、一瞬後に拍手と大歓声が二人を包んだ。




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 せっかくヒロインが見守ってるのに負けるとかもうね……。クラウスがほんとにヤったかどうかとかは次回へ。

 命を取らない、相手に深手を負わせないという学院ルール決闘とはいえ、主人公が全力全開でクラウスに敵わず。クラウス超強い。トライアングル最上位、コルベール・メンヌヴィル級を想定した強さ設定となっています。名家の出で才能もあり、実戦経験を積みまくり、さらにしぶとさとしたたかさとクソ度胸がある。銃剣など新しい発想も。あれ、こっちのが主人公っぽい……? でもこのお話はラルフがグズグズするのを書くお話なので主人公ではないです。

 それにしてもここまでやっといて未だに主人公の二つ名が思い浮かばないってなんなんでしょう。もし良かったら、今回の決闘を見て周囲がそう呼ぶ的なのを教えてください。クラウスの砲撃っぽい魔法も名前なんてないよ。思い浮かばないよ。普通に『大砲(カノン)』とか? そんなんでいいんだろうかと。ネーミングセンスをあまり感じない……。






[14793] 傭兵の週末、週末の傭兵
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/06/03 20:13
「まけちゃった! まーけちゃった!」


 決闘の後に部屋に戻ったラルフのところへ現れたイェッタは俄然絶好調だった。くるくると主人の周りを飛び回りながら囃し立てる。ラルフはそれをひたすら無視していた。


「取られちゃった! また一人になっちゃった!」


 無言で払いのけようとしたラルフの手をひょいとかわし、けらけらと笑う。


「教えてあげる。あんたは一人でいるのが嫌だって思ってるくせに何もしないの。何もしたくないの。あはは、変なの」


 金色の髪をひるがえし、言葉の合間にはついっとラルフの視線を追って視界に入るように移動する。彼女の一挙手一投足が彼を苛立たせた。


「ほしいくせに、ほしくないの。ほんとにほしい物なんてないのよ。あんたがほんとにほしいのは、心の中に火がつくようなことだけ。だから私がいじめてあげてるんじゃない!」

「いらん世話だ。――待て、さっき『また一人』と言ったか?」

「だから何よ。あんたが一回休みになったことがあるってことくらい知ってるわ。人間のくせに変なやつ」

「なんだと……」


 イェッタの言う『一回休み』とは、すなわち死だ。ほんの少し引っかかって聞いてみただけなのに、今の自分のスタート地点まで知られていることにラルフは驚愕した。そんな彼をイェッタはにやにやと笑って見ていたが、あまり長くは黙っていられなかったらしくまた得意げにしゃべり始める。


「あんたは自分で自分が大嫌い。だから他の人がうらやましいんだわ。きれいな人は特にそう」

「……チ。いい加減さえずるのを止めろ」


 さっきから募るイライラは限界だ。なるべく見ないようにしていたイェッタを正面から睨みつけるが、彼女は「ふふん」の一言で済ましてしまう。


「変なやつー。ばかなやつー。火がつかないなんてあたりまえよ。あんたは、ほんとは自分で自分の心」

「黙れっつってんだろうがァ!」

「わ!」


 限界を迎えたそのとき、彼の心のなかに一気に火が点いた。爆発的に燃え広がったそれは溢れ出し、火の粉をはらむ熱風の奔流となって小さな妖精を飲み込んだ。






傭兵の週末、週末の傭兵






 ぼろ泣きのツェルプストーを放置し、女子寮塔を出て男子寮塔へ。ラルフは自分の部屋には上げないというようなことを言っていたが、この際だからまあいいだろうと適当に判断してクラウスは階段を登る。近頃学院七不思議などとして広まりつつある男子寮塔・魔の四階フロア。階段正面のラルフの部屋が目に入ったとき、急に魔力の風を感じてクラウスは足を止めた。


(……なんだ?)


 周囲に気を向けるが、どうやらこの気配は目的地からのものだ。


『黙れっつってんだろうがァ!』

「うお!」


 扉の向こうから聞こえてきたラルフの怒声に思わず小さく声を上げて身を竦める。さらにドゴンッと壁を打つような音が聞こえて、その後シンとフロアは静まり返った。扉の向こうからは、いまだ尋常ではないレベルの風の力を感じる。


(予想はしてたが荒れてんな……あれか、例の妖精とやらか?)


 おそらくそうだろうとは思うが、あの状態の相手にはさすがに近づきたくない。そういやツェルプストーが意外に短気だとか言ってたなと記憶を反芻し、たっぷり十分はその場で様子をうかがい、冷や汗の出るような気配が消えるのを待ってからクラウスは目的地の扉を叩いた。


「……お前か。どうした?」


 ドアを開けたラルフは自分の顔を見て少し驚いた様子だったが、平静に出迎えた。緑色の瞳はなんとなく光がないように見えるが、態度そのものはごく普通。こいつのひねくれ具合も大概だなとクラウスは思う。自分だったら確実に殴りかかっているところだ。一発くらいは殴られてやってもいいかくらいに思っていたので、さっき聞こえた荒れ具合からすれば拍子抜けする。


「いや、ちょっと話をな。中いいか?」


 室内をさして言うと、一瞬眼を閉じて何か考えたように見えたが、すぐに「入れ」と通された。

 大して物がない割には雑然とした部屋にはあちこちに剣やら杖やらが転がっている。全て杖だ。杖の契約というのも普通はそうそうできるものではないのだが、ラルフは全てに契約しているらしい。傭兵メイジなどで複数の杖を持つものは時々いるが、これは異常なレベルだ。結局一番手になじむものを使うはずなので、珍しいがあまり意味のない才能である。しかし最近は自分もあまり人のことは言えないかも知れないな、と貴族に戻ってからは武器集めが趣味になっているクラウスは内心苦笑する。

 キャビネットの上には子供の人形遊び用の玩具が色々と転がっている。おそらくあれが例の使い魔とやらのものだろう。


「あー、使い魔? は大丈夫なのか今は」


 クラウス自身も一度妙な幽霊のような幻を見せられているのだが、時間が経つとあれは本当にあったことなのかとなんとなく自信がなくなってくる。妖精とはそういうものなのだろうか。


「さっき潰したからな。半日くらいは出てこれないだろ」


 そのときだけぎらっと不穏なものを感じる目で返事が返ってきた。潰したとはまた物騒な……とは思ったがとりあえずふーんと納得しておく。どうやらこれは地雷だ。ラルフがあそこまで激情を表に出すのをクラウスは今まで知らなかった。目的に反する今は触れないほうが良い話題だろう。


「で、何?」


 クラウスに椅子を勧めるとラルフはベッドの方へかける。赤紫の前髪の間からのぞく緑色の視線はかなり暗い。


「や、悪かったと思ってな。ちゃんとした話は聞いてないんだろ。お前に頼みたいこともあるし」

「まだ何かあるのか? さすがに今日はなるべくほっといてほしいんだけど」

「悪いとは思うけどな、まあ聞いてくれよ」


 気分が悪いだろうことは十分に察しているので、なるべく下手下手に出ておいて、クラウスは昨日と今日の話をすることにした。


 □


 クラウス・ガーブリエル・フォン・ヴォルケンシュタインは、十二歳で侯爵家を出奔――というか家出をした。理由はまさに先日出会ったばかりのラルフに指摘されたとおりで、今では少々恥ずかしいものがある。あの頃の自分はガキだった、としか言いようがない。

 それから色々――ほんとうに色々とあったのだが、結局は家に戻り、嫡子としての義務を果たすべく、また今後爵位を継いだ際のために、主に社交性とかそういったもののためにヴィンドボナ魔法学院に入学させられて今にいたっている。

 魔法学院は彼にとっては退屈な場所だ。本当ならさっさと実家に帰りたいのだが、卒業するまでは長期休暇をのぞき帰ってくるなと言い含められている。うるさい幼なじみもいる。すべきことと分かってはいるが、学ぶよりも戦っていたい。そんなわけで、同じクラスのツェルプストーが始めた決闘遊びは格好の暇つぶしとなった。

 ラルフと出会ったのも、そんな暇つぶしの一環で悪霊が憑いているとか言う噂になんとなく肝試しのような気分で乗っかってみたときの話だった。不機嫌そうな顔をしたそいつは剣を使うようだったが、まだ体も小さいくせに普通に一線で通用するレベルを超えていて、貴族の子供にしては珍しく、相当できる。なにやら不思議な使い魔もいるようだ。面白い奴だと思った。

 そんな彼のことを幼なじみだというツェルプストーに話してみると、さらに色々と話が聞けた。驚いたことに風のトライアングルだったらしい。パーティなどで彼女に付いて来た少年貴族をすべて返り討ちにしているという話を聞いたときはなかなか笑わせてもらった。なにやら微妙に彼女に対して思うものがあるように見えたが、要するにそういう事らしい。

 それを言う彼女も、何か彼に対して微妙に思うところがあるらしい。その辺を少し聞いてみれば、要するに『物足りない』ということらしかった。なるほどと思う。あれは結構なひねくれ者だ。滅多なことではストレートに気持ちを表すことはしないだろう。そして物足りないと思っているということは、彼女も期待しているということでもある。さっさと普通にくっつけばいいじゃねえか馬鹿らしい……と思ったが、その辺はさすがに黙っておいた。それは野暮というものだ。

 さて、ラルフと出会ってから二週間ほど経った虚無の曜日――つまり昨日、クラウスはヴィンドボナの兵士や傭兵などが集まる場末の酒場でくだを巻いていた。


「つまらん。分かっちゃいるけどつまらん」

「ほんとに贅沢な野郎だな。命も賭けねえでいい、金はある、何が文句あんだよ」


 ヴィンドボナの人の入れ替わりは早い。以前の彼を知っているのは既にこの店主だけだった。つまらないつまらないと連呼するクラウスに彼はそんな文句を言った。


「いやだから、分かっちゃいるのさ」


 分かってはいるのだ。自分だって、傭兵時代にそんな事を言う奴がいたら全く同じことを思っただろう。しかしひとたび貴族の息子、学生としての生活を始めてみると、クラウスは自分がそれに満足しきれない人間であることに気付いたのだった。

 授業は真面目にやっている。試験でもそれなりにいい成績は取れるだろう。そこそこに同級生との付き合いもしている。しかし、物足りない。自分がなんでわけありの傭兵なんてやっていたのか、今さらながらよくわかった。

 つまり、自分には戦いを求める性向がある。どうしようもないなと自分でも思うが、どうにもそういうふうになっているらしい。


「じゃあ何かやってみるか?」


 そう言って、店主はある近隣領でのオーク狩りの話をした。このところ大量発生してあちこちの村で被害が出ており、首単位で少額ながら賞金が出る状態になっているということ。しかし傭兵団などは効率が悪いので避けているという。

 悪くない話である。別に金が欲しいわけではないが、うまくやれば小遣い稼ぎにもなる。来週末にでも行ってみようか。しかし、よく聞けばあちこちで散発的な被害が出ており、どこに現れるともわからないらしい。オーク鬼は亜人の中では極端に危険というわけではないとはいえ、油断していい存在ではない。さすがにクラウスも一人でやるのは危険かと思った。

 ならばユーリウスを連れだせばと思ったが、そもそもあいつは絶対嫌がる。無理やり連れ出すこともできるが、また妙な借りが出来るだけだ。ならば他に、というとラルフが浮かんだ。考えてみれば、なかなか適任である。魔法の腕も、剣の腕もある。何より索敵に有利な風メイジ。これはいけるかも知れない。そんなことを考えながらクラウスは夜遅くに寮へ戻った。

 翌日、クラウスは学院でまず顔を合わせたツェルプストーにどう思うかと軽く相談してみた。彼女は「面白そうね」というなんとなく予想できたことを言う。


「でも、ラルフはやらないんじゃないかしら」

「なんでだ?」


 聞いておいてなんだが、真面目な貴族の子女ならやらないだろう。ただそのあたりに関して彼は割と柔軟な考えを持っているように見えた。それなりにいい友人としての関係も出来ているし、頼めばどうにかなるんじゃないかとクラウスは思っていた。


「うーん。なんていうかあの子、そういうの喜ばないし」

「そりゃてめーのせいだろ」


 色々と二人でつるんで遊びまわっていたという話は聞いている。聞く限り、好き放題遊んでいるツェルプストーのお守りをラルフがしていたという感じである。

 彼女はそんな茶々に少しむっとした様子で言い返した。


「そんなことないわよ。あの子はもともと一人で静かにしてるのが好きなの」

「それをお前が思いっきり乱してたみたいに聞こえたけどな」

「だから違うって言ってるでしょ。なんていうか……あの子は静かにしてるのは好きだけど、連れだされたりするのも好きなの。あたしは喜ばれてるわよ」


 なんだそれは、一言で矛盾してるじゃねーかと突っ込むと彼女は少し難しい顔をしたが、結局返ってきたのは「とにかく実際そうなのよ」という身も蓋もない返事だった。


「つまりお前は特別扱いってことか。俺が言ってもあいつは乗らないって?」

「そうよ。ラルフが黙ってついて来るのはあたしが誘うから。多分あなたじゃダメね」


 なにやら得意げな彼女にクラウスは露骨な舌打ちで返したが、それがいけなかった。


「あたしはあまり気にしない方なんだけど、ほんと失礼よねえ……さっきからあなた、てめえだのお前だのと好き放題に言ってくれてるけど。あたしはあなたにそんなふうに呼ばれるような覚えはなくてよ」

「ぐ、そうか済まない」


 確かに、これはクラウスの悪癖だった。貴族らしい話し方だってできるのだが、どうもくすぐったい上に疲れるので、ついくだけ過ぎた態度と話し方をしてしまう。他の女子に比べればツェルプストーはかなりそのあたりが緩いようでこれまで普通に話ができていたが、とうとう我慢できなくなったらしい。

 しかしそこからのナメた台詞はいただけなかった。


「大体あなたがラルフのおまけになるんじゃない? ラルフがあなたの手伝いをするんじゃなくて、逆になるんじゃないの?」


 ラルフの実力はある程度知っている。剣では相当できるが、第一まだ体が出来ていないし、自分にはまだ及ばない。風のトライアングルだいうことだが、それを言うなら自分だってトライアングルのメイジだ。そもそも戦いにメイジのクラスなどそれほど関係ない。なにより、今回のような仕事では経験がものをいう。


「それはない」


 少々むっときてそう返すが、次に彼女が放った皮肉は彼の逆鱗に触れた。


「どうかしら。あなただって確かに強いけど、あたしにも届かないじゃない。あなたに足を引っ張られてラルフが怪我でもしないか、心配よねえ」


 クラウスは額に青筋が浮くのを自分で感じた。彼女が魔法を使うところを見たことはある。確かに純粋に魔法だけで見れば彼女は図抜けたものがあるが、いくらなんでもそれは物を知らなすぎるというものだ。前から少しだけ感じていたが、ツェルプストーは自分より魔法の力の劣るものを下に見る傾向がある。そんなので見下されてはたまらない。彼は自分の磨いてきた実力というものに強い自負があった。


「ざけんな。あいつはともかく、てめえなんぞ屁でもねえよ」

「あら、いやね。相変わらず下品な呼び方、失礼しちゃうわ」

「なんならこっちでふっ飛ばしてやろうか」


 こちらの言葉にさらにむっと来たらしい相手を、杖を軽く持ち上げて睨みつける。後は売り言葉に買い言葉だった。


「女性に決闘を申し込むなんて、どこまでも女の扱いが分かっていないのね」

「そんならラルフでも誰でもいいから連れてこい。ただし俺が勝ったらお前がなにか出せよ」


 結局そのまま互いに火のように熱くなって、あらあなたみたいな品のない人なら体でも要求するのかしらだとか、おうそれでいいぜなどと言い合って背を向けるまですぐだった。

 どっちが悪かったというのもよく分からない。なにかお互い人には言われたくない、どうにも気に入らない部分があったのだろう。

 少し頭が冷えてきてからラルフのことを考えて、これは悪いことをしたかなと思ったのだが、まあ一度やってみたかった相手だし、ちょうどいいだろう。あとで詫びればよかろうとクラウスは彼らしい大雑把な判断を下した。

 なんにせよ、彼が一つ決めたことがある。

 ――あのアマ、絶対泣かす。
 これである。


 □


「……聞けば聞くほど馬鹿らしいな」


 ひと通り昨日と今日の経緯を説明してやると、ラルフはどうにも苦々しい顔をした。当たり前だ。要するにこいつは巻き込まれただけなので、頭には来るだろう。おまけに決闘では自分に負かされるしいいところがない。しかしこういう顔がやけに似合うなとクラウスは変なところに感心した。


「うんまあ、そういうことでな。済まなかった」

「ふうん。――それで? あとはそのオーク狩りだっけ、仕事を手伝えって言いたいのか」

「あ、ああ。まあそうだ。報酬はちゃんと分けるぜ?」


 軽く言ってやるが、さすがに呆れる。ツェルプストーのことくらい聞きたいだろうに、根性曲がりもここまで来ると大したものだ。クラウスはとうとう根負けした。


「あと、ツェルプストーなら別に手を出したりはしてないからな。別にその気もない」

「……はあ? お前が?」


 眉を寄せてラルフが目を上げる。まるで信じていない顔だ。一体自分をなんだと思っているのだろうか、とクラウスは苦笑する。これでもまっとうな貴族になるつもりはあるのだ。嫌々とはいえ学院に通っているのだってそのためだ。父親は結構年だし、卒業後にはそう間をおかずに侯爵位を継ぐことになるだろう。迷惑をかけた自覚もあるし、久しぶりに会ったらめっきり老けこんでいた両親を見ては、これ以上不孝な事もそうそうできない。


「だいたい俺、一応結婚してるからな。子供もいるし」

「は?」


 ラルフが思い切りなんだそれは、という顔をしているのが小気味いい。
 そう、彼にはちゃんと正式な婚約者もいるし、傭兵時代に大恋愛の末くっついた平民の女もいる。その女に産ませた娘までいる。


「そういやお前、俺のこと一つしか違わないと思ってたな。なんでそういう勘違いしたのかわからんが」


 クラウスはもう十八だ。卒業するときには二十になる。はっきり言って魔法学院に入学するには遅すぎた。なぜそうなったかといえば簡単で、彼が本当に出奔したきり実家に帰らなかったからだ。彼の家出期間は丸五年にも及んだ。

 彼が家に戻らなかった理由は、最初はひたすら意地だった。帰りたくなかったかといえばそうではない。しかし下手に能力があったお陰で大抵のことは何とかなってしまい、色々としがらみも増えていつの間にか本当に帰れなくなっていた。たまに会っていたユーリウスには力づくで連れ戻そうとされたこともある。

 しかし、右も左もわからないところから始めて、自分の力で得たものは多かった。魔法の腕も伸びた。傭兵としては若いながらにだんだん名が売れ始めている。大切な女もできた。もう、このままでもいいかもしれない。あと何年かしたらどこかで傭兵団でも立ち上げて……などと考えていたときに子供ができて、連れ合いはクラウスに侯爵家に戻るよう勧めた。そろそろ自分の名前と立場を取り戻すようにと。親になることを意識すると、自分の両親とのこともこのままではいけないと思えた。

 私はどんな扱いをされても大丈夫だから、迷惑はかけないしあなたとの子供がいれば一人でもやっていける、などと今は妾として侯爵家に置いてきているそいつが健気に言ったり、自分とともに両親に必死に頭を下げたりという聞くも涙の話があったりするのだが、まあそういうのはわざわざ人に教えてやるようなことではない。

 色々と思い返してしまい、クラウスはふー、と溜息をつく。


「――だから別に、愛しのツェルプストーは心配しなくてもいいってことよ。とりあえず、お前らの面白い顔も見れて十分楽しめたしな」


 そう言って、未だにラルフがぽかんとしているのを見て笑った。


「いやあ見ものだったな。お前は下向いて何言っても聞かねえし。あっちはあっちで目があった瞬間逃げ出すし、部屋に行ったら泣き出すし。まあかわいいこと」

「――うるさいな。俺のことはいいよ」


 だんだん話が飲み込めてきたらしいラルフが、さすがにいら立ちを隠せずに言うのが面白い。


「そうかいそうかい」

「ハア。――それで? キュルケはどうしたって?」


 煽ってみるが、ラルフはすとんと肩の力を抜いた。こういう所は不思議なものだ。感情をスイッチでも切るように抑えこんでしまう。さきほど彼を切れさせていた妖精とやらはよほど人を怒らせるのが上手いと見える。


「いつも自分の盾になってた騎士様がやられてショックだったんじゃねーの。それとも俺が怖かったか。なんかぼろぼろ泣いてたけど、もうめんどくせーからほっといた。もともとそれが目的だったわけだし。あいつもちっとは堪えただろ」


 別に嫌がらないならやったかもしれないけどな、というのは言わぬが花だが。ラルフは呆れたような顔をする。


「お前……」

「んだよ、勝者が景品をどうしようが勝手だろうが。お前は負けたんだし、文句言ってんじゃねえ」


 巻き込んでおいて結構な暴論だとは思うが、戦って潰しておくとこういう時に微妙に反論しづらくなる。案の定ラルフは言葉に詰まった。


「……あー」

「それからさっきの話な。ツェルプストーの奴も連れてくぞ。あの女俺を舐め過ぎなんだよ。大して戦えもしないくせにちょっと魔法の才能があるからって調子に乗りやがって、オーク鬼の正面に立たせてもう一回泣かす」


 ツェルプストーは、大した実戦の経験もないだろうに、すでに魔法の力自体はクラウスをも上回っている。ツェルプストー家は軍家として有名だが、本人はあの性格だから魔法の修行をみっちり真剣にやって来たというわけでもないだろう。要するに天才なのだ。その辺も彼は気に入らなかった。武器に魔法にと工夫をこらし必死に力を磨いて生き抜いてきたクラウスとしては、ああいうのに舐められるのが一番腹がたつ。その怒りは未だに冷め切ってはいなかった。

 そしてツェルプストーを連れて行くなら、ラルフも確実についてくる。こっちは魔法の力自体は自分に一歩劣るが、領内の討伐などを手伝っていたこともあるということだし、実力はあるのでちゃんと戦力として数えられる。ツェルプストーだって魔力だけは馬鹿みたいにあるのだ、何かの役にくらい立つだろう。


「かわいそうに……」


 オーク鬼の正面に立たされるツェルプストーを想像したらしいラルフが苦笑する。


「お前のせいじゃねえのかあれ。甘くし過ぎなんだよ」

「親の仕事だそれは。それに人を変えるってのは難しいことだよ」

「分かったようなこと言ってんじゃねえ。いつもつるんでたんだろうが。お前がやればできたはずだぞ」


 軽く睨んで言うと、ラルフは逡巡するようだったがやがて頷いた。


「……そうだな。これからは気をつけてみる」

「そうしろ……って」


 調子に乗りすぎた、とここでようやくクラウスは自分がここへ来た当初の意図を思い出した。一応経緯を説明して、詫びた上で週末のことを頼もうと思っていたのに、いつの間にか偉そうに自分が説教までしている。あんまり相手が落ち着いているのでついそうなってしまった。これでは立場がまるで逆だ。


「いや、なんて言うかラルフお前」

「うん?」

「腹は立たないのか。結構迷惑かけたと思って詫びようと思ってたんだが。週末のことはともかく、今日はな。正直いきなり殴られてもおかしくないと思ったし」


 その言葉にラルフはなぜか驚いたような顔して、自分の手に目を落とした。思いつきもしなかったということだろうか。


「ん……まあ頭に来たといえば来たけど。もういい。冷めた」

「はあ。そりゃまた大したもんだな。燃え上がってもおかしくないだろうに」


 これだけやられても怒りがすっと冷静になるのだから驚きだ。クラウスなら確実に本気で怒っている。ふうっと天井を見上げて感慨深く言うが、返事はなかった。目を戻すとラルフは急に何か思いついたようにして考え込んでいる。


「本当に欲しいのは心に火をつけるようなもの、ね……」

「ん?」


 目を落としたままぽつりとラルフはなにか言った。


「……あんたは、ほんとは自分で自分の心に……蓋、かな。仮面か。とにかく自分で火が点かないようにしてるって言いたかったのか?」

「あー? 何言ってる? まさか何かいるのか?」


 例の使い的とやらが復活でもしてきたかと思って聞くがラルフは質問に答えず、まっすぐクラウスの目を見た。珍しく強い視線だった。


「クラウス、とりあえず稽古に付き合え」

「あ? ああ、いいけど……って待てよ」


 立ち上がるとラルフは立ててあった練習用の剣をざくっと引き抜き、鍵もかけずにさっさと出ていってしまうので、クラウスは慌てて後を追う。

 その後の稽古でのラルフは、なんというか持ち味が死んでいた。いつもの読みづらい工夫を凝らした剣筋ではなく、攻め気が強くやることなすこと見え見え。普段よりかなり速く重くなっているのだが、クラウスとしては十分対処できてしまう。

 しかし、なにか彼のいら立ちを込めたものであるように感じたので、適当なところで一本取らせてやった。するとラルフは、勝手に「終わり」と宣言し、剣を投げ出して女子寮塔の方へ行ってしまった。

 クラウスは首を振って苦笑し、それを見送った。




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 キュルケはラルフの影響で魔法に関しては本来よりも真面目に取り組んでおり(それでもサボったりしてた)、あくまで魔法のみで語るならすでに図抜けたレベルに達してつつあるという設定。今回はそれによる慢心を思い切り叩き潰された形。性格的にはだいぶ改善されてるのにねえ……。まあこれで叩けるところは叩き尽くしたので、あとは徐々に理想化していく気がします。でも都合いいばかりの女性を書くのもつまらないのでどうかな……。

 クラウスはクラウスで、ラルフとの関係について一方的にキュルケが迷惑だけかけていたような言い方をしたせいでイラつかせ、分かっちゃいながら失礼な物言いに終始して険悪な雰囲気を増してしまったという。そんなくだらない火種も、火メイジ二人にかかればあっという間にヒートアップ、大炎に!

 代理戦争で巻き込まれた主人公は哀れ敗北しながらも、負けた二人はそれぞれ成長しましたとさ――という、そんなストーリーでした。ちゃんと書けたかどうか。

 このところ一気に書けたのは多分まぐれ。次は少し時間がかかる気がします。
 また、今回で二十話になりました。超がつく遅筆の自分が二十話も書けたのは好悪問わず読んでくださる方のおかげです。この場で感謝を。ありがとうございます。



[14793] 狩りと情熱
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/06/08 22:10
 えっさほいさと歩いて来る豚鼻が十数匹。オーク鬼だ。身長は二メイルを超え、力は戦士五人に匹敵する。おまけに人間の子供が大好物という、非常に困った亜人である。ハルケギニア各所に生息し、数も多い。あちこちで被害を出す。

 行け、という合図に軽く頷いてラルフは『フライ』で一気に空中へ舞い上がり、オーク鬼たちの頭上へと高速で駆けた。ラルフの姿に気づいたオーク鬼が敵対のうなり声を上げ、地面から石を拾って投げつける。飛んで来るそれらを適当に飛びまわってかわしながら集団が散らばらないようにしておいて、ラルフはそろそろか、と少しオーク鬼の集団から距離を開けた。

 直後、ドゴォンッという爆音が響き、側面からクラウスの火砲のような魔法が叩き込まれる。オーク鬼の巨体がまとめて宙に吹き飛んでバタバタと倒れ、まだ無事なものは悲鳴を上げて逃げ始めた。


「ラナ・デル・ソーン・ニイド・ウィンデ」

「ウル・カーノ・イング・ソウイル」


 算を乱して散り散りに逃げようとするそれらに上から稲妻が降り注ぎ、後ろからは炎の連弾が襲いかかる。あっという間に殲滅は完了した。しゅうしゅうと煙を上げる死体に目をやって、クラウスが思い切り顔をしかめる。


「お前ら加減しろ! ちゃんと首もってかねえと金になんねえだろうが!」

「ええー?」


 どこがなんだったのかわからないほど黒焦げになったオーク鬼の死体を指さしてクラウスが怒鳴ると、キュルケが空中から降りてきたラルフを見て、だってねえ? と言わんばかりの表情をする。なんとなく気持ちは分かるので、ラルフもまあね、と頷いた。


「お金に困ってるわけでもないしねえ」

「あまり使わないから余ってるくらいだし」

「てめえら……ッ!」


 苦虫を噛み潰したようなクラウスの表情はあまり見られなさそうなもので、二人は顔を見合わせて笑った。






「狩り(ハンティング)」に行こう!






 ラルフとキュルケは、オーク鬼に遭遇するのは別に初めてではない。ラルフはたまに領内の討伐などに手伝いで参加していたし、キュルケはラルフとともに遊びまわっていたときに何度か出会っている。領地の治安が良いおかげで、数が多いことは一度もなかった。大概は遠距離にいるうちにラルフが耳で発見し、二人がかりでボコボコにしている。

 そんなわけで虚無の曜日、クラウスとの約束通りオーク狩りにやって来ても二人はそれなりに落ち着いて動けていた。

 数をこなさなければならない関係でペース配分が必要になり、ある程度はクラウスやラルフが『ブレイド』を唱えて突っ込むということも必要になる。クラウスは先日の宣言通りキュルケにそれをやらせ、涙目にさせたりもしていた。


「臭い。汚い。ああもう」

「お前ら火メイジのせいだろこれ。俺のせいじゃない」

「文句言ってんじゃねえよお前ら。適当な仕事しやがって」


 肉の焼ける匂いに閉口しながら『ブレイド』で首をはね、荷車へと放り込む。

 先ほどは非常に早い段階でラルフが敵を見つけたので、三人がかりで待ち伏せを行った。結果は見事に成功したわけだが、オーバーキルで消し炭になっているものも結構あり、習慣なのかそのあたりにうるさいクラウスは不機嫌そうである。


「そううるさく言うことないでしょ。もう載りきらないくらいじゃないの」


 キュルケが嫌そうに『レビテーション』で首を運びながら言う。実際、朝から始めた狩りで荷車はいっぱいになりかかっていた。なんせトライアングルが三人もいるのだ。奇襲でも受けなければミノタウロスだって難なく倒せるだろう。


「何いってんだてめえ。おかわりするに決まってんだろ。こんなうまく行ってる時にやっとかないでどうする」

「まだやるのか……」


 ヴィンドボナ近郊、アルペンハイム伯爵領内で、散発的に出ているというオーク鬼の被害。それなりに広い領内のどこでオーク狩りを行うかは、今日までに仏頂面抱えたキュルケを脇においてクラウスとああでもないこうでもないと話し合った。結果、現在いるとある村の近辺に落ち着いたのだが、これがはまり過ぎるほどはまっている。

 場所が良かっただけではない。風のメイジで聴覚に優れ、さらに普通の風メイジとは違い『フライ』で上空から『遠見』まで使えるラルフは、こういうときにきわめて高い性能を発揮する。発見、追跡、殲滅。これをすでに朝から四回繰り返していた。ここまで効率よく行うことはラルフ抜きでは不可能である。

 しかし、索敵のほとんどを担うことになった彼は、一番負担が大きかったりする。ここまでの働きはクラウスも予想していなかっただろうが、あまり頼られると精神力においてはかなりの多大を誇る彼でもさすがに疲れを感じることになる。


「もう昼過ぎたぞ。さすがに休みが欲しい」

「む、そうか」

「じゃあ休憩ね!」


 すかさずキュルケが言葉を滑りこませ、一行は村へと戻ることになった。学院で食堂に用意してもらった軽食も置いてきている。朝から動きっぱなしなのでさぞかし昼食はうまく感じることだろう。


 □


 村へ戻って屯していた兵士に荷車を引き渡すと、新金貨で三百ほどの礼金が支払われた。


「なるほど、本当に割は悪いな」

「確かに。改めて考えてみると、さすがにこれは少ないわね」


 軽い食事を終えたあと、支払われた額を確認してみたラルフは労働の割の悪さに眉をひそめた。ほんの少しは期待していたのだ。キュルケも少々不満そうに頷いている。

 オーク鬼を三十近く狩ってこれでは、傭兵などがやりたがらない仕事だというのも納得だ。これを頭で割れば一人あたり新金貨百枚。大当たりの最大効率でこれなら、そうでなかったら半分程度だったろう。自分たちはメイジだからいいが、戦闘に使う銃弾など消耗品の分まで計算すれば利益はもっと下がる。それだけやって手に入る金が剣一本買うにも不足する程度では、やりたがる人間は奇特としか言いようがない。

 下手をうてば怪我をすることもあるだろう。怪我をすればまた金がかかる。新金貨百というのは、そこそこましな水の秘薬を買えばパーになる程度の金額だ。戦うというのはとかく金がかかるものである。


「しょうがねーだろそういうもんなんだから。つーかてめーらはそれを言う資格はねえよ。お前らが適当な仕事してなきゃ二割か三割は多かった」

「まあそうなのかも知れないけど」


 一応、ラルフも万が一を考えて水の秘薬を持ってきている。治癒の魔法は得意とは言えないので、使うとなったらそれなりに量が必要だろう。ないよりはずっと安心出来るが、これを使ったら完全に足が出るというのはなかなか厳しい話である。


「せめてもうちょっと割がいいことをしたかったね」


 うんうんそーよそーよ、とキュルケが横で頷いているが、こちらはペナルティとして参加しているのだから仕方ない。しかし彼は一応、小遣い稼ぎみたいなものとして誘われたのだ。ちょっとしくじったらむしろ損をするというのでは、なんとなく騙されたような気にもなる。


「そりゃ、もっとちゃんとした仕事ならそれなりになるけどな。そんなんできねーだろ。領境の小競り合いにでも参加するってか? 無理だろどう考えても」


 別に国境でなくとも、ちょっとした小競り合い程度は国内の貴族間でもある。さすがにそんなところには手を出せない。ちょっと片手間にやるようなことではないし、立場的にもまずいものがある。


「……無理だな」

「それはないわね」


 やれやれと肩を落とす。


「水のメイジでもいればもっと安心感があるんだろうけど」


 この場で言っても詮無いことだが、ついぼやきが出る。水のメイジがいれば、秘薬などを無駄に使うことはないだろう。治療にも安心感がある。まあ、治療を受けるようなことにならないのが一番なのだが。


「それを言ったら土のメイジもだな。四系統揃えて」


 水のメイジが治療役なら、土のメイジは守りを担当するところだろうか。風のメイジと火のメイジが索敵と攻撃。それなりにバランスのとれた構成ではある。


「それだけいればちょっとした騎士団みたいね」

「騎士じゃあないからなあ。賞金稼ぎか傭兵みたいなもんじゃないの。『週末傭兵団』とか?」

「悪くない響きだな。響きだけは」


 クククとクラウスが笑う。さすがにその人数では、騎士団ならともかく、傭兵団というにはあまりに人数が少なすぎるだろう。傭兵団というのは小さくても三十人からいるのが普通だ。アンバランスな名称だったなと言った後で思い、ラルフも苦笑いした。


「ま、この辺じゃあまり大したことは起きないから、そこは仕方ねーな。あっても困る」


 帝都ヴィンドボナのすぐ近くで領境の紛争をやるような貴族はさすがにいない。このあたりで兵が求められる仕事は、半分がたは近郊の幻獣や野盗の討伐の助っ人、残りはヴィンドボナの貴族や商家の私兵といったところだろう。


「もうちょっと先に準備をしておけば違ったんじゃないの? あらかじめ領主の貴族に売り込みをしとくとか」

「というと?」


 キュルケの言葉にそうだな、と頷いてクラウスが続けた。


「要するに営業だ。あらかじめこの仕事をするから金をくれと領主に売り込んで話が付いてればもっと金は出たかもな」

「ああ……なるほどね」


 ツェルプストー領などではそれなりにあっただろうが、御用商人の紹介などで幾人かがやって来るだけだったマテウス領ではあまり馴染みのなかった話だった。しかし、それは本格的な傭兵団のやることだ。それもどちらかというと戦争屋のたぐいだろう。

 少し考え込んだ彼の横で、キュルケはぐっと伸びをした。


「んー。でも、久しぶりに思い切り魔法を使った気がするわ。それだけでも気は晴れるわね」

「ん……確かにそうかも」


 その点はラルフも同意だった。フォン・マテウスの家にいたときは、毎日毎日剣を振り魔法をぶっぱなす生活だった。それが魔法学院に来てからはむしろ引篭もりのような状態で、少々物足りないといえば物足りない。今のところ魔法実技の授業もないため、ますますそう感じていた。

 それを聞いてクラウスがなにか嬉しそうな顔をする。


「またやるか? どっかで討伐とか」

「どうやってだよ。足がないだろ」

「む……」


 このアルペンハイム伯爵領までは、学院の馬で早朝に出発して来た。周辺の移動もそれでやっている。今回はそれが可能な範囲だったからいいが、それ以外の場所へ赴くとなればきちんとした足が必要だ。帝都でグリフォンや竜などを借りればもっと金がかかる。収支は完全にマイナスだろう。そこまでする気はさすがに起きない。

 使い魔に竜でも使役する者がいれば話は違うだろうが、使い魔を持つのは自分だけで、おまけに何の役にも立たないと来ている。だいたい、騎乗できる使い魔を喚び出すというのも結構珍しい話なのだ。


「――そうだ、俺の家から連れてくるとかどうだ」


 クラウスの答えは膝を打つものだった。そういえば、この男にはそれが可能だ。ラルフやキュルケは領地が離れ過ぎているが、彼はかなり近くだ。手紙などで求めればよこしてもらうこともできるだろう。


「そういえばそれがあったわね」

「なるほどね。帝都で預けるとか、そういう形か」


 学院では使い魔以外の騎乗獣は飼えないので、必然そういう事になる。それなりに費用はかかるだろうが、そのあたりは彼がどうにかするつもりなのだろう。


「なんだ、考えてみりゃ案外何とかなりそうだな」

「そうね。面白そう」


 ノリの良い火のメイジたちはすっかりやる気になっている。まあ悪くないんじゃないかな、とラルフも思う。無駄に危険な場所へ足を向けることはしたくないが、この程度なら悪くはない。


「けど一応、万が一に備えて水のメイジは必須だぞ」

「まあそうだな。水のメイジなあ。お前ら心当たりあるか?」

「あたしの周りにもいるけど……さすがにちょっとこういうのは無理そうね。男の子たちは……」


 キュルケはラルフを見て、「なんていうか、まとまって動けないと思うし」と軽く息を吐いた。

 昔から彼女が連れてくる男はみんな、ラルフに喧嘩を売って吹き飛ばされるのが落ちだった。チームワークというものに期待できないのも仕方ないだろう。確かに、とラルフが内心で思っているとクラウスが「お前は?」と水を向ける。


「ん……一応いるけど。さすがにどうかな」


 ラルフは自分の知る水メイジを頭の中で思い返してみたが、すぐに「無いな」と思う。キュルケと同じ理由だ。さすがにここまでアクティブに動き回れそうな知り合いはいない。


「まあ、そう言わずに声だけでもかけてみろよ」

「それはいいけどね」


 そもそもそれほど親しくもない。とりあえず、あまり期待はするなよ、と言っておいた。


「――さて、今後のことはまた置いといて、もう一稼ぎ行くぜえ」


 やる気十分のクラウスが立ち上がる。やれやれとラルフは続いた。なかなかハードな一日になりそうだった。


 □


 昼過ぎからはそれほどオーク鬼は見つからなかったが、最終的な一日の成果は村で借りた馬や荷車などの礼などをしても一人百エキューを超えた。なんだかんだでそれなりに大金である。秘薬や武器などを買いこむにはやや心もとないが、ヴィンドボナで食事をする程度なら相当な贅沢を続けられる額だ。この金で今日は外食をしようという話で落ち着き、一行は一路ヴィンドボナへと向かい馬上の人となった。

 索敵に殲滅にと魔法を使い続けた結果精神力をほぼ使い果たし、ラルフはうとうとと半分眠ったような状態でキュルケにしがみついていた。駈足で行く馬上で上体ががっくんがっくん前後に揺すぶられているが、どうにも目が開かない。くすくすとキュルケが笑った。


「寝ちゃってるわこの子ったら。落っこちないかしら」

「疲れたんだろーよ。さすがに頼りすぎた。あんな事までできるとは思わなかったしな」


 隣からクラウスの声がする。少しは悪いと思っているのか、何か渋い顔をしているような声だ。ふわりと体が軽くなるのを感じる。何か魔法を使われたらしい。


「そういえば、初めて会った時からできてたわねアレ。今に比べると下手だったけど。あたしの目の前で落っこちて死にかけてたし」


 初めて会った次の日のことだ。あの頃はキュルケもまだ幼さがあったな、とラルフは思い出す。自分が怪我をしたことにただただ気が動転して、心配でぼろぼろ泣いていた。そういえば、この前の決闘の後にも似たような泣き顔をしていた。あの時の彼女は、いったい何を泣いたのだろうか。


「そうなのか? 大したもんだな。あんなことができるのは昔の記録に載ってるお偉い騎士くらいだと思ってたぜ」

「あたしとしてはあそこまでやってラルフがあんたに負けちゃったほうが驚きよ」

「そこは経験と気合いだ」


 得意げなクラウスの声に、ラルフはぼやけた意識がざりざりとするのを感じた。

 自分に勝る実力を持つ彼が妬ましい。キュルケとあれだけすったもんだの喧嘩をやらかしても、二人でなんの気兼ねなく話ができている彼が妬ましい。

 嫉妬は、心の最大の毒だ。胸の中で荊の棘を持つ蛇がのたうち、心臓を締め上げ悶えさせる。そのうえ嫉妬の対象が真っ直ぐな者であればあるほど、心底自分が嫌になるのだ。これほどいい人間に嫉妬している自分は、なんと卑しいのだと。

 簡単に人を憎めるものは幸せだとラルフは思う。彼の憎悪は自分自身にこそ向く。


「気合い? そんなもので魔法に耐えたわけ?」

「経験と気合い、だ。『ライトニング・クラウド』はまともに食らったことがある。アレに比べりゃ、あの時のは大したことがなかった。あとは動けないが杖だけは落とさないって振りをしてりゃ向こうから寄ってくる」


 どうして自分があの決闘の時に負けたのかをクラウスが語っているらしいことは分かるが、彼はもう何を言われているのかよく分からなかった。


「なんだ、引っ掛けたのね」

「引っかかるほうが悪ぃんだよ。だいたい本気でやってたら最初にふっ飛ばしてるぜ? そこら辺はお互い様だけどな」


 体がふわふわとし、頭はぐらぐらと夢と現の狭間を行ったり来たりする。彼らを二人だけにしたくなく、どうにか意識をつなげようとラルフは暖かい背中に精一杯しがみつこうとするが、腕にはろくに力が入らなかった。


「――それにしても気合いねえ。確かにラルフには足りないものね」

「本人も自覚はあるんじゃねえの。なんかそんな事言ってたし」

「へえ……。なんて?」

「む……なんだっけな。心に火が付かない? とか……」

「ふうん……そんなことを……『微熱』が火をつけてあげる必要が……」


 だんだんと、音も遠のいていく。


『あんたはほんとにほしいものなんてないのよ。ほしいのは……』


 ――やめろ。黙れ。

 ラルフは姿の見えないイェッタを追い払おうとするが、夢のなかの相手にはまったく手が届かない。そのうち、意識は完全に闇に落ちた。


 □


 ――そして。


「ねえラルフ。あなた、情熱はご存知かしら」


 目覚めた先にベッドの上でそんなセリフを投げかけられたのだった。



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 ああ妬ましい妬ましい。ぱるぱるぱる。
 きり良くしたつもりではあるんですが、なんだかずいぶん短くなってしまいました。もともと閑話的なものでもあったし、まあいいよね。
 週末傭兵団だの水のメイジだのと色々と風呂敷を広げつつ、キュルケとの関係をそろそろ書いていこうかなーというお話も導入です。前回はクラウスとイェッタだったので。なんか難しいので、時間がかかるかも。どこまで意図したとおりに書けるやら。

 ちなみに冒頭の二人の呪文は完全にてけとーです。一応雷や太陽などに対応しそうなそれっぽいルーンとかは混ぜてみたつもり。






[14793] あなたの胸に情熱の火を(1)
Name: bb◆145d5e40 ID:64cbef99
Date: 2011/06/16 22:30
「あら起きたのね」

 ラルフが目覚めると、すぐにそんな声がかけられた。目を上げると、すぐそこに白い薄手のナイトガウンを着たキュルケの姿がある。

 ――ここは? 今は何時で、なぜ寝ている。なぜ起きたらキュルケがいる。

 彼が未だぼんやりする頭をめぐらして見渡してみれば、きちんと整頓された室内が目に入った。机には読みかけの本、その隣にはてんこもりの化粧台。キュルケの部屋、ベッドの上だ。空気の感じと体内時計で大体夜だとわかる。

「なんで……って、ああ。寝てしまってたのか」

 言いかけてすぐ、彼は自分がオーク鬼狩りの帰りだったことを思い出した。キュルケの後ろに乗せてもらっていたはずだ。魔法の使い過ぎで精神力を切らし寝てしまったらしい。……なにかあまり良くない夢をみたような気がするが、それがなんだったのかは思い出せなかった。

「そういうこと」

「運んでくれたのか……ありがとう」

 別に構わないわ、と言って彼を見たキュルケの目はやけにしっとりと濡れて見えた。

「ねえラルフ。あなた、情熱はご存知かしら」

「う、何?」

 寝起きの頭は、精神力を消費しきったせいかさっぱり回らない。

 わけが分からず口にした言葉には答えず、キュルケは燃え立つような赤い髪をかきあげて一歩近づいた。異様なほどに美しい。馬鹿な、こういうところで動揺してしまうと醜態を晒すはめになるぞとラルフは内心で自分を叱咤する。しかし、目の前までやって来た極上の美女から漂う艶然とした空気で、吸い込んだ息が吐き出せなくなった。

「―――」

 その様子を見てキュルケはにこりと笑い、すっとベッドへ腰をおろして彼の手をとる。白い布を通して、健康的な褐色の腕や胸の肌が薄く透けて見えた。

「いきなりこんな風にお部屋にいれたりするのはいけないことよね」

「あ、ああそう、なのか?」

 当たり前だがいいことではない。少なくとも貞淑とは言えない。この国ではさほど重要視されることではないが、教会などからは悪しとされていることである。しかしこれをラルフは否定できなかった。

 まずい、とラルフは思う。完全に飲まれかかっている。何かおかしい。というか自分がおかしい。今の自分はおかしくなりかかっている。彼の指を一本一本なぞるようにキュルケの手が動き、背筋に電流が走るのをラルフは感じた。

「でも、あなたなら許してくれると思うわ」

 そうね。俺はその辺割と緩いからね。どうでもいいんだ教会とか。

 ――いやいや違うだろ、と完全に流されかかっている自分を俯瞰しているもう一人の自分が突っ込みを入れているのだが、なんだかもう本当にどうでもいいような気さえしてしまう。

「キュルケ――」

「ん」

 目を上げれば、吐く息の熱さを感じるほど近くに顔がある。視線が絡まって、ああ化粧をしているんだなとラルフはぼんやり思った。そんなもんしないほうがきれいだ、などと言ったせいか、彼女はあまりラルフの前では化粧をしない。だがこうしてたまに見ると破壊力が凄まじい。

 キュルケは妖しい微笑を浮かべている。相手が何を考えているのかわかる時、自分の思い通りに動いているときほど滑稽なものもない。彼は相手の思い通りに動いていることを自覚しながら、自分の手を握っている手を握り返して引き寄せ、言った。

「――『ザッハー伯爵夫人』はあまり好きじゃなかった」






あなたの胸に情熱の火を / 透明な風






「うぐ」

 キュルケがしまったという顔をするのを見て、ラルフはくつくつと笑った。

 先程から彼は微妙な既視感を覚えていたのだが、原因に思い当たったのだ。ザッハー伯爵夫人――正しくは『ザッハー伯爵夫人の奇妙な契約』(※1)というのは、ちょっと前にキュルケが熱心に読んでいた小説のタイトルである。 実はラルフも昔読んだことがあったりする。

 中身はもろに官能恋愛小説だが、示唆や思想に富む部分が多く、文学的にも名作と言っていい。ただ、いささか刺激的『すぎる』内容なのだ。先程までのやりとりはその小説の序盤。ザッハー伯爵と夫人が初めて出会ったとき、夫人がガウン姿で相手を誘惑するシーンのものだ。セリフもどこか似ている。

「読んでたのね。……もう、どうしてあたしが読んでる時に言わないのよ」

「……あれはさすがにちょっとなー」

 ばつの悪そうな顔をしたキュルケを放してやると、うううと唸って下を向く。褐色の耳が薄暗い部屋の中でもわかるほど赤くなっているのを見ると、さすがに彼女も恥ずかしかったらしい。

 ただラルフとしては、たかだか十五年しか生きていない少女にあそこまでいいように操られかけていたことの方が恥ずかしい。一分前の自分を思い返すと頭を抱えたくなってくる。それをどうにか押し殺し、彼はからかう口調を無理に作った。

「や、まあいいんだけどね。あの小説みたいなのにならなきゃ。それともああいう願望があったりするわけ?」

「く……違うわよ……」

 キュルケが恥ずかしそうにしているのは、件の小説が彼女をしても少々きわどすぎるものだったからだ。『ザッハー伯爵夫人』はふた昔ほど前のあるゲルマニア貴族の作品らしいのだが、鞭やら寝取られやら、とにかくエスカレートしていく倒錯した変態性がいろいろとひどい。

「――まあ、俺は『修道女の不運』(※2)のほうが好きだったけどね」

「悪趣味ね」

 ラルフが挙げたタイトルにキュルケが顔をしかめる。内容的には真逆に近いが、こちらも『ザッハー夫人』と同様に色々とひどいので有名な作品である。修道女が残酷に犯されたり殺されたりする。ガリアの侯爵の作品らしい。

「そっちこそ読んでるんじゃないか」

「読んではいないわよ。知ってるだけ」

「ふうん、まあいい。それで――」

 すっかり雰囲気がぶち壊しになってラルフは落ち着いたが、「何がしたかったんだ」と聞くのは少し考えなければならなかった。さきほどキュルケが再現しようとした例のシーンは、まさに二人が恋に落ちる場面でもあるのだ。つまり、目的は分かりきっている。それをわざわざ言わせようという気はなかった。

「どうしてまた、こんな事しようと思ったわけ」

 ラルフは自分のぼんやりした異性としての好意が相手に伝わってしまっていることは理解していた。キュルケがわざわざこんなことをする必要はないはずである。

「クラウスが言ってたのよ」

「クラウス?」

 この場に全く関係のなさそうなほかの人間の話が出てきたことに、ラルフはなんとなく眉をしかめてしまう。しかしそれをすぐに消し、黙して続きを促した。

「あなた『心に火が付かない』って言ってたそうね?」

「――それか」

 なんとなくそういうことではないかと予期していた。ほとんど独り言で言ったことをクラウスが覚えていたことも、それがキュルケに伝わったのも少々驚きというか、意外ではある。ただ、鋭い人間ならそのうち気づいてもおかしくはない。

 キュルケはそのまま言葉を継いだ。

「それを聞いてちょっと考えてみたらわかったのよ。あなたに足りないのはそれだわ。あたしは前からあなたはなにか変だと思ってたけど」

 ぐっと強い視線になって彼女は言う。

「あなたの心には火が付いていないのよ。つまり情熱よ。そう、情熱だわ。誰もがいつだって少しは持ってるそれを、あなたは全然持ってない。……違うかしら、本当に滅多に火が付かないだけかも知れないけど」

「……そうね。そうかも」

 ラルフはそれを認めることにした。

 イェッタに言われた時から、ラルフはそれを意識し続けている。

 自分が、全く、かけらも自分自身を愛せないのはなぜか。

 それはきっと、自分の中に『火』がないからだ。情熱でも欲望でも、言葉は何でもいい。とにかく、そういう強く自分を前へ推し進める何かが、自分の中には存在しない。あるいは、ひどく弱い。すぐに消えてしまう。だからだ。

 自分の行く先を自分で選ばない人間など、生きていても生きていないようなものだ。みずから一歩を踏み出すことをせず、近くにやって来る何かに対応するようにしか歩けない。ラルフは自分がそうであるがゆえに、そうでない人間に憧れる。そして、自分が情けなくなり、嫌になるのだ。

「でしょう。だから、あなたは恋をすべきよ。
 あなたはいつも欲しいものを欲しいって言わないじゃない。あたしが欲しいんでしょう。だったら、手を伸ばしなさい」

 キュルケは実直だった。まっすぐにラルフの目を見、直截な言葉を使う。

 彼女は色々と問題の多い娘だ。思い込みが激しいし、最近はそうでもないとは言えわがままや奔放さが少々過ぎる。案外素直でないところも多い。

 けれど、それ以上に母性的な女性でもある。彼が自分で自分を救えないことを知って、何かせずにはいられなかったのだろう。人の心の重要な部分に触れようとするとき、彼女は意識してかしないでか、自分の心のもっとも優しいところで接することができる。外見だけでなく、そういうところが人を惹きつけるのだろう。

「ん……」

 まっすぐな視線を受け止めきれず、ラルフは目を落とした。彼がキュルケに恋をしまいと思っていた理由は、単に自分が傷つきたくないという、ただそれだけの理由である。

 思い返すのは使い魔の妖精の言葉。

『火が付かないなんてあたりまえよ。あんたは自分で自分の心に――』

 あれから数日して、その続きをラルフは妖精に聞いた。「あんたの思ってるとおりよ」という返事を聞いて、彼はこれからどう生きるべきかなどを少し考え込んだ。彼の外面は、多くの部分が嘘と仮面でできている。ひねくれ者を嫌うはずのイェッタが自分に何を望んでいるのかはすぐにわかった。

 つまり――素直になれと言っているのだ。実にシンプル。簡単な答えである。

 それにどう応えるかも、考えてはいた。
 ラルフは目を上げ、燃えるように赤い瞳を正面から見つめた。

「――キュルケ。君のことが好きだよ。とても。人生のパートナーが君であったらいいなといつも思ってた。――きっと、初めて会った日から」

「――――え。……あらら? ……ええと、ずいぶん素直なのね?」

「そうなろうとは思ってる」

 キュルケは呆気に取られた顔をしていたが、気を取り直すとすぐににやりと笑う。

「ふうん。うん、とっても嬉しいわ。――でも、今はダメね」挑発的な調子で言うキュルケに「そう言うと思った」とラルフもふっと笑った。

 手を伸ばしても、それを相手に握り返してもらえるとは限らない。当たり前のことだ。

 キュルケはときどき、もっといい男になれ、などといった言い方をするが、要するに彼女が求めるものは簡単である。それなりに長い期間を彼女の近くで接してきた彼には、とっくに分かっている。つまりこう言っているのだ――『私を魅了しろ』と。

 これは簡単そうで、やけに難しい注文なのだ。男女問わず来る者拒まず的な態度のキュルケだが、ちゃんとした恋愛対象となると非常に厳しい。ツェルプストーの人間である彼女はいつでも恋を探している。しかし合格点は出ないのだ。自分という相棒が隣にいたせいなのだろうか、とふと考えて彼はすぐに否定した。自惚れは良くない。

「ま、がんばってみるよ」

 そうしてちょうだい、といういつもの調子に戻った声を聞いてなんとなく安心すると、ラルフはまた眠くなってきた。少しの間黙っていたが、ふわ、とあくびが出る。わわわわわとなかなか止まらない。

「――ァ。だめだ眠い……」

 精神力を使い果たすというのは、メイジにとっては相当疲れきっている状態だ。本当に限界まで行くと気を失って数日目が覚めないなどということもある。そこまで行かなくても頭は回らなくなるし、体はろくに動かない。回復するにはとにかく寝るのが一番だ。

「もう、今日は仕方ないからそのまま寝ちゃいなさいな」

 力の抜けた顔をしたキュルケにぽんと頭を突かれ、ベッドへ倒れこむ。そのまま瞼の上にかぶせられた手のひらの熱を感じながら、ラルフは眠気をこらえてふと口を開いた。眠くて仕方がない。しかし正直に、素直になってみようと思ったのだから、このまま少しくらい話をしてみたかった。

「心の『火』ね……。ほんと俺にはないものだよ……魔法もそう……多分もともとは火のメイジのほうが向いてたのに」

 ラルフの魔法の才能は、ほぼ両親のいいとこ取りだった。よって父以上に優れたメイジである母の系統、火にも高い才能がある。実際、魔法を学び始めた頃はどちらかというと風よりも火のほうが適正は高かっただろう。しかし、彼は風のメイジになった。

「ん、そうなの? ってああそうね、昔から『火』も得意だったわね。でもあなたは風のメイジじゃない」

 もちろん火の魔法は今でも得意だ。しかし、彼は基本的に風の魔法を使っている。一応火もトライアングルまで使える。あまり使わないのは風の魔法に比べるとかなり見劣りがするというのも理由だが、

「……風はいい。自由だし、透明で」

「あら、でも燃え上がる火があなたには必要なんじゃなくて?」

「そう、そうだ……でもねえ……」

 風にでもなってしまいたい。彼はいつもそう思っていた。

「透明で、誰にも見えなくなって。……見るだけだ。誰にも見つからない、誰にも害せない……どっかに吹き抜けて消えてしまって……」

 透明で、誰にも触れられない、気づかれない目玉だけの存在にでもなれたら。

「そんなんだったら、どんなに楽だろうなぁ……」

 それが彼の心の奥、もっとも深いところにある願望のようなものだった。つまり、消えてなくなってしまいたいというのとあまり変わらない。あまりにも寂しい考えだという自覚はあった。しかし、これも彼が『彼』であったころから変わらない部分である。

「――あなたはやっぱり恋をするべきなのよ。もっと、真剣にあたしに恋しなさい」

 ――ああ、これからはそうしよう。

 キュルケの言葉を聞いてそんなことを考えながら、ラルフは眠りについた。


 □


 翌朝キュルケの部屋から出るのを一部の女子生徒に見られていたらしく、再びラルフはちょっとした注目を浴びることとなった。眼を閉じて耳を澄ませば、クラウスとの三角関係だのなんだのといった噂がおしゃべりな女子生徒たちの間で言われているのが耳に入ってくる。クラウスはあの後それなりに周囲に対して経緯の説明などをして誤解を解くようにしていたようだが、やはりそれだけでは収まらないのが周りの噂というものである。

「何か、朝帰りが噂みたいだけど?」

「今度はあんたか。あんたまでそんな噂に乗ってくるとはね」

 今日何度目かになる質問に少々うんざりして嫌味を含めて返す。ラルフが顔を上げると、そこには暗い紫の髪をした少女が立っていた。少々冷たいというか暗いというか、そんな印象のあるクラスメイトである。

 クラウスとの決闘騒ぎは俄然ラルフの注目度を上げた。トライアングルの実力あるメイジだというのも一気に広まっている。彼自身は結局負けたのでさほど広まらないかと思っていたが、ほぼ無敵だったクラウスに一矢報いたのが印象に残ったらしく『雷火』だの『飛雷』だのという二つ名っぽいものも言われだしている。悪霊憑きだの気狂いだのといった話も残ってはいるものの、ほとんどなりを潜めた。

 今までとは違い、話しかけられることも増えた。彼は基本的に適当に流しているが、知り合いと呼べる程度の仲のものはぐっと増えている。しかし今話しかけてきた、ラウラ・ケッセルリンクは、唯一それ以前からまともな交流のあった生徒だった。

 いい加減うんざりだというのをはっきり含んだラルフの嫌味を、ラウラは鉄壁の無表情で受け流した。

「別にあんたのことはどうでもいいけど。他に聞くこともないから聞いてみただけ」

「じゃあ、どうでもいいことしかなかったってことでいいかな」

「つまんないわ」

「つまらなくていいよ」

 ふうん、とも、はあん、ともつかないため息のようなものを吐いてラウラはさっさと離れていく。愛想のかけらもない。そんなだからろくに友達もできないんだとラルフは内心で呆れた。いつもなにやらどよどよと暗い空気を漂わせているので、キュルケなどとは逆の意味でやや目立つ。態度も冷たくつっけんどんなのでろくに友達もいない。

 ラウラは、よく見れば美人と言っていい。しかしどうも美人には見えない。ほぼ黒に近い暗い紫の髪は、彼女が漂わす空気と相まって女性の華やかさというものを覆い隠している。視線はいつも暗い。琥珀色と薄い茶色という非常に分かりにくいものだが、実は左右で目の色が違う月目である。ほとんどの者は気づかないだろう。だが、月目というのは正対して見つめるとなにか不安定な気持ちを呼び起こす。それと分からない月目ならなおさらである。色々な要素が彼女の持つ本来の美しさというのを損なっていた。

 ラルフは彼女に対しては以前から好感というか、興味を持っていた。少し前にちょっと話をする機会を持ってからは、彼にしては珍しく割とよく話をしている。

「あ、ちょっと待ってくれないか」

 呼び止めると、変わらぬ無表情が振り返る。

「……なに」

「『治癒』は得意?」

「……別に。そこそこ。トライアングルのメイジ様のほうができるんじゃないの」

 ひがみ全開で返ってきたセリフに彼は思わず苦笑して「それはない」と応えた。実際、彼の水の魔法はドットレベルが精一杯だ。水のメイジに比べれば効果も効率も悪い。水のドットのラウラにも劣るのは確実である。

 昨日のオーク鬼狩りで出ていた水のメイジを誘おうという話を思い出して少し聞いてみただけだったが、まあこの調子では無理だろうと判断する。そもそも女子生徒向きの話ではない。キュルケは例外だ。

「ん、まあいいや。悪かった」

 ひらりと手を振るとラウラは少しばかり怪訝そうな顔をしたが、別に質問をするでもなくすぐに背を向けた。すたすたと席へ着く背をなんとなく眺めながら思わず呟く。

「……まるで他人に興味がないあたりも大したもんだよ」

 自分に似ているようで似ていない、彼女の分かりやすいひねくれぶりがラルフは好きだった。

 ラウラ・ケッセルリンクという女子生徒を彼が知ったのは、三週間ほど前のあるとき――広場での決闘遊びがまだ割と盛況だったときのことだ。観戦していたラルフの近くをラウラが通りがかったことがあった。そのとき、彼女はちらりと観衆と広場中央の決闘ごっこを見て、吐き捨てるようにこうのたまったのだった。

『みんな死ねばいいのに』

 思わず吹き出しかけたラルフだったが、そんなわけでとにかく印象だけは強かった。小さな声で言われた独り言だったが、優秀な風メイジの聴覚はそれを聞き逃さなかったのだ。それまでは普通のクラスメイトの女子とすら認識していなかったので、ラウラは彼に強烈な第一印象を残した。

 それからは時折会話したり話を聞いたりで知ったことだが、彼女は東部辺境、国境近くの子爵家長女であり、年の離れた弟がいるなど、ラルフとは似た部分も割合多かった。どうしたらああもひねくれるか知らないが、世の中みんな嫌いだというのだけは態度からすぐに分かる。

「おはよう。『治癒』がどうかしたのかい?」

 ラウラとすれ違って、やや太めの少年がやって来て声をかけてくる。オットー・フォン・ラングハイム。ここ一週間ほどで口を聞くようになった相手である。

「ん、ああ……おはよう。まあ、水のメイジをちょっと探してて」

「フラウ・ケッセルリンクではだめなのかい」

 オットーはラルフやラウラのような少々変わり者扱いされる相手にも割合普通に接する事のできる賢明な話相手だ。特にラウラとまともに会話を成り立たせるのは、ラルフのような年齢的余裕のようなものか、彼のような寛容さや落ち着きがなくてはならない。そういう意味では稀有の人間である。

 今日のラルフに向かっていい加減聞きあきた質問をしてこないあたりに彼の大人びた精神が垣間見える。お陰でラルフは少し気分を良くして返事ができた。

「あの調子じゃね。向いてないとも思うしな。君はたしか土のメイジだったよね? 確か土のメイジも探してたな。実際おすすめは出来ないんだけど」

「なんだいそれ?」

 と、バタンと扉が開き、禿頭の土の教師が教室へと入ってくる。

「着席! 着席しなさい!」

 がやがやとうるさかった教室が静かになって、生徒たちはそれそれペンを取る。ラルフはオットーへ「あとで話すよ」とだけ言って、自分もペンを用意した。




※1
『ザッハー伯爵夫人の奇妙な契約』
 ゲルマニアの貴族、ザッハー伯爵による半ば自伝的な小説。国内では文学的にもなかなか高く評価されている。が、いかんせんその内容の倒錯的な変態性もまた有名であり、やや敷居の高い作品である。鞭打ちや寝取られなどが頻出する。

※2
『或る貞淑な修道女の不運』
 ガリア貴族、マザン侯爵の作品。あまりにも残虐な強姦などの描写が延々と冗長に続き、小説としての評価は低い。しかし、貞淑な修道女がかたくなに押し隠している性の悦びを描く作品として、ごく一部の貴族からの評価は高いようである。




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 ラルフくん恋を決意するの巻。それにしても二つ名が決まんねえ……。なんかぱっとしないなと思わずにいられない。

 またも新キャラ、ラウラ・ケッセルリンク、オットー・ラングハイム追加です。オッドアイって、まともに見つめ合うと不安な気持ちになるよね。嘘だと思ったら二次じゃない写真とかじっと見てみるとなんとなくわかると思います。
 ISにいるキャラ名だと知って少し戸惑いましたがそのまま書いてみました。既存のキャラとかぶってイメージしづらいとかなら変えようかと思いますが……。




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