重く、切り裂く感覚が手に残る。
乱戦の中、神聖騎士メルクリウス・カリミナは必死に剣をふるっていた。前も横も汚らしいグールの群れがいる。傍らの馬車から、悲鳴のような声が聞こえてきた。
「メルクリウス様っ!」
教会の司祭、レディアの声だ。まだ子供のようなその声に、飛びかけていた意識が覚醒する。
「もう、限界かっ……、マーサ、わたしに構わず退避しろ!」
うろたえる馬車の御者に叫ぶと、わざと馬車から離れるように走りだした。それにつられるようにして腐った死体たちが追いかけてくる。伸ばされる腕を斬り払い、合間に後ろを振り返る。護衛対象である「教会」の司祭を乗せた馬車が走り去り、視界から消えたのを確認してから手に持つ聖別された剣に魔力を込めていく。それに呼応するように刀身が光りだした。剣に魔力が満ちたその時。
「走れ、光よ!」
大地を足で踏みしめ鋭く反転し、いままさにカギ爪を振りおろそうとした先頭のグールを逆袈裟に斬り上げた。その剣の軌跡は光の荒波となり、後方のグールの群れをも飲み込み浄化していく。
そして、光が拡散する。まばゆいばかりの光が薄れ、消えてゆくと目の前に何十体もいたはずのグールが一匹もいなくなっていた。すべて浄化され、塵となったのだ。
そのままがくりと膝が折れた。気高い、という表現が似合う整った顔に、疲労のあまり深い影が差している。
魔力を一気に放出した反動で体のあちこちが痛みだすが、麻痺している箇所などはない。つまり、動けないほど重傷は負っていない、ということだ。
息を整え、剣を杖にしてなんとか立ち上がった。つけ慣れているはずの軽量化の祝福がかかった鎧もいまは重く感じられる。
小柄なその体は二十代の前半だろうか。白く染められ、あちこちに魔力増幅用の輝石がつけられた皮鎧をまとったその姿は、たとえ見る者がいなくても凛とした雰囲気をあたりに漂わせている。
彼女の蒼い瞳に映る、荒涼とした沼地。その前でメルクリウスは考えた。教会の司教の巡礼中に起きた魔物の襲撃だ。とどまるべきか、それとも単独で送迎のためにこちらに向かっているはずの騎士団と合流するか。整った顔をうつむけ、あごに手を当てて考える。
「……行くか」
馬車の撤退を援護するためにしんがりについたことを考えれば、すぐに救援が来るとは考えにくい。ならば自力で運命を切り開くしかないだろう。それに、ただおびえて身をすくめているのはメルクリスの趣味に合わなかった。
剣を鞘におさめると、豊かな胸がたぷりと揺れた。そのまま、あとも見ずに歩きだす。
冷たい風が吹き抜けて、塵と化した生ける屍をさらってゆく。そこに、前触れもなく人影が現れる。
「これで分断はできたわ。あとは仕上げをするだけね」
そのつぶやきはだれにも聞こえることなく、風の中に溶け消えていく。
ほんの少し、違う世界。
魔法という名の奇跡が存在する世界。
その世界でも人は子を産み、育て、そして死んでいく。
だが、この世界には脅威が存在していた。奇跡を起こす魔力を過度に帯びた生物たち……、魔族だ。
数は少ないものの圧倒的な魔力により、人間を翻弄する存在たち。それらは2百年前の「大破壊」と呼ばれる災害から出没し始めた。
災害の混乱がひと段落ついたころ、彼らに対抗するために人々は結集し武装していった。だが、脅威が去ったわけではない。
そんな世界のお話である。
「はぁっ、はっ、はっ……」
もう一刻は駆けたであろうか、鍛えた身としてもこれ以上は無理だ。まして戦闘を挟んでいるとなれば。
あれから荒野に潜みつつ、味方との合流を目指していたが運悪くゴブリンの哨戒隊に見つかってしまったのだ。即座に一人を斬り倒し、そして逃走してきたがもう限界だ。身ほどもある岩の陰に身を隠し、息を整える。扱いやすいようまとめていた金色の髪がいつのまにかほどけ、そのいくつかが頬に当たり、汗のせいでベとりと張り付いている。
「まいた……か?」
淡い期待を胸に、そっと顔を出す。その瞬間、首に鋭い痛みを感じた。
「しまっ……」
魔族のゴブリンスカウトが使う毒を塗った吹き矢だ。自分のうかつさに歯噛みするが、みる見る力が抜けてゆく。
薄れゆく意識の中、群がってくる矮人たちを睨みつけながらメルクリウスは硬い地面に崩れ落ちた。
最悪の二日酔いより、まだ悪い目覚めというのはそう滅多に体験できるものではない。普通はそんな体験などしたくもないが。
眩暈と吐き気、引きつるような腕の痛み。そして微熱のように火照り、入らぬ力を感じながらゆっくりと目を開けた。
「お目覚め?」
そして、目の前の人影を睨みつける。
年は二十代前半、少し自分より年上だろうか。古風な礼服に身を包み、銀髪を肩を超えるほど伸ばし、釣り上がった目は猫の瞳のように金色に輝いていた。口元には笑みを浮かべ、殺風景な部屋の天井から延びた枷で両手をつながれ、立ったまま拘束された自分を見下ろしている。
絶世の美女である。ただ、頭の両側から伸びる角、そして蒼白を通り越した青い肌を持たなければ、だが。
「魔族……」
ぎり、とメルクリウスは歯噛みをした。そう、彼女たちが戦っている相手であり、神殿の不倶戴天の敵である種族、魔族がそこにいた。
「あら、怖い顔。上級魔族を直に見るのは初めて?」
「別に。ただその醜い角を視界に入れたくないだけだ」
そっけなく言い放ったが、魔族はこたえた様子もなく笑みを深くする。
「あら、つれないわね。『教会』の騎士さまはだれにでもそんな態度なのかしら」
「……!」
必死に動揺を抑え込もうとするが、気取られたようだ。ますます楽しげに銀髪の魔族は言葉を重ねる。
「メルクリウス・カリミナ。東部教会上級騎士として、魔族討伐に何度も参加。その身に宿す魔力を生かし魔法戦士として、トロルを十匹以上、ゴブリンは数え切れぬほど屠った栄光ある騎士、よね?」
なぶるように問いかけてくる魔族から、メルクリスは目をそらす。
「言う、必要はない」
そこまで調べが進んでいるなら、情報をこれ以上与えるわけにはいけない。自害すべく舌を噛み切ろうとしたとき。
「ふぅっ!?」
体に、電流が走った。同時にあごの力が抜け、噛む力がなくなっていく。
「お馬鹿さん。何もせずに放置していると思った? あなたには暗示をかけているわ。自殺できないようにね」
背筋に氷柱を差し込まれるような悪寒を感じつつも、メルクリウスは叫ぶ。
「殺せ!」
「あら、せっかくの騎士様なのに、あっさり殺したらつまらないじゃない。それに」
顎を細い指で撫でつつ、魔族は顔を覗き込んでくる。逃げることなど許さない、というがごとく。
「あなたにはわたしのモノになって、十分にその腕をふるってもらわないといけないしね」
「ふ、ふざけるなっ!」
反射的に罵声が口を飛び出した。ばかげている。教会に忠誠を誓いし自分に何を言うかと思えば。
「あら、ふざけてなどいないわ。大丈夫、いくら拒んでいたとしても涙を流して『仕えさせてください』と懇願するようにしてあげるから」
悪寒が止まらない。そういえば風の噂に聞いたことがあった。魔族は特に気に入った人間を堕落させ、自分の下僕に仕立て上げる、と。
「もちろん、薬なんて無粋なまねをせずに、ね」
指が、鎧の下地用にあつらえられた服を伝いながら下半身に降りていく。毒蛇が這うような嫌悪感に、金の髪を持つ女騎士の顔が引きつった。
くにっ。
「ひあっ!」
手が、鎧をはがされ無防備となった股間を覆うように当てられる。
「ふふ、敏感。楽しませて」
さわりさわりと、魔族の指が丘をまさぐっていく。薄い皮でできたその個所は指戯に答えるかのように、内にくるんだ肉を盛り上げる。
「ほぉら湿ってきた。ふふ、さすが騎士様。とても敏感」
「はっ、はっ、はぁぁぁぁぁっ……」
びりびりと痺れるような快感に、歯を食いしばってメルクリウスは耐える。おかしい。敵になぶられているのにこんなに感じるなんて。
「気持ちいいでしょう? だって、わたしはあなたたちの急所、全て知り尽くしているもの」
楽しげに笑いつつも、巧みに指が動いていく。そのたびに、メルクリウスの呼吸が荒くなっていく。
つぷり。
「ひぃっ!?」
「ふふ。処女じゃないんだ。残念。でも、後ろはまだみたいね」
いつの間にかこぼれるほど蜜をたたえた秘所は、呆れるほど簡単に体内に指の侵入を許してしまう。彼女の肉に包まれた指が、ねっとりと動き出した。
体が、強制的に発情していく。
ぼやける思考を必死でつなぎとめながら、修行時代に聞いたことを思い出す。魔族は人と比べ長い時を生きる分性技に長け、人を堕落させていくのだ、と。
聞いたときは鼻で笑い飛ばしたのだが、実際に自分が体験してみると悪夢以外のなにものでもない。こころは拒んでいるのに体は勝手に発情していくのだ。
「いい顔……、ここも、いじってあげる」
「くひぃっ!?」
いつの間にか二本に増えた指が、性器の天井側に集中する性感体をつまみあげる。硬くしこるそこを揉まれ、絶叫にも似た嬌声がメルクリウスの口から漏れる。
「ああ、あがっ、くはぁっ、うぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
まっ白い光が近付いてくる。そのまま、意識が飲みこまれようとしたとき。
ちゅぽっ。
「ああああっ!?」
快感を送り込んでいた指が引き抜かれていた。その分だけ胎内がじわりと熱くなってくる。
「これ以上は、んっ、わたしの僕になる、と宣言してからよ……、ちゅぶ」
指にまとわりついた蜜を舌でなぶりつつ、相変わらず笑みを含んだ声がかけられた。メルクリウスの意識が急速に冷めていく。そのままの勢いで魔族の顔を見上げ、殺意を込めて睨みつけた。
ぴしゃ。
魔族の頬に、熱い塊が当たった。唾だ。露骨な挑発だが魔族は何が嬉しいのか、ますます笑みを深くする。
「活きがいいわね。でも、それがどこまで続くかしら」
そのまま身をひるがえし、部屋から出て行った。あとに火照った体を持て余す人間を一人、残して。