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[15223] 【習作】焔と弓兵(TOA×Fate)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:83c3ebf3
Date: 2010/02/19 00:50
前書きらしきもの。


 2/7 チラシの裏から移動してきました。

 ネタのつもりでしたがたくさんの人に感想をいただけたのでそのまま調子に乗ってだかだか打ってみました。TOAとFateの組み合わせと言うイロモノです。一応クロスオーバーという品ですが、あまりFate成分ありません。主役は赤い弓兵さんではなくあくまでTOAの世界のキャラです。弓兵さんは思い切り物語のブラウニーかつ主人公の相棒です。FateとのクロスならもっとFate成分出せよ! というお方などにはあまりお勧めできません。TOAが主軸の話です。弓兵は相棒です。そして断言しますがアーチャーはTOA世界のキャラとカップリングは組みません。彼は主人公の相棒です! 悪しからず。
 そしてFate成分薄いなら何故クロスしたのか、と問われれば偽者と贋作者の主従関係を書いてみたら面白そうではないかと思ったが吉日だったんです。そんな感じで始りました作品です。初めはプロローグと01だけのネタ扱いにする予定だったんですが……というか、二日三日経って感想なかったらすぐ削除してしまおうと思っていたのですが、感想が入ってたんで話に続けてしまいました。ここまできたら完結までもって行きたいと思っています。そしてルクティア、アシュナタなどNL推奨派です。いわゆる処女作と言うものなので、どうぞ皆さんお手柔らかに。

 2/19追記、この話ではアーチャーはこの世界のパワーピラミッドの頂点に立っております。ですが、すわエミヤ無双か! といったらそうではありません。実は私は戦闘描写が苦手でとにかく戦闘シーン少ないです。むしろ全力で削ってる感じです。なのでせっかくのパワートップもあまり上手く生かしきれておりません。それでも良いというかたならどうぞ!
 





*そして注意。この作品にはとてもたくさん地雷成分があります。以下ネタバレですが言ってみるなら、



 外郭大地編。このTOAとFateという組み合わせ自体・BADエンドの主人公逆行(もどき)・答えを得た弓兵がサーヴァント、など。
 崩落編。いろいろあってさらに地雷が増加し、アクゼリュスからダーク成分が増します。むしろアクゼリュスからはダーク系という傾倒の作品になります。そして、もしかしたら、仲間厳し目というものに該当……するのかもしれません。厳し目にしているつもりは無いのですが、ダーク系になったらどうしてもそう見えてしまうようです。作者的にはパーティーキャラ大好きですけどね!

 つまり地雷のオンパレード作品です。さあこの地雷だらけの作品でどれだけの人がついてこれるか! 処女作から何でこんなにぶっ飛ばしているのか自分でも不思議ですが、気合だけは十分です。それでも良いという方、勇者の方はどうぞお読みください。



[15223] プロローグ
Name: 東西南北◆90e02aed ID:83c3ebf3
Date: 2010/01/07 02:13




 エルドランドで鳴り響いていた轟音が止まった。










 ふらりとたたらをふんで、ルークは足もとに剣を突き刺しなんとか踏みとどまる。ひざが折れてしまいそうだった。ぜいぜいと喉の奥が煩い。身体中ぼろぼろだ。唾を飲みこめば強い塩と鉄の味。
 気を抜けば簡単に倒れてしまいそうな状況で、それでも気力を振り絞って顔をあげた。視線の先には師と慕った人が倒れ付している。

 せんせい、と。

 ぼうとした口が慣れた言葉を紡ごうとしたのだけれど、それよりも先にかのひとは金色の光に解けて消えた。
色も、温度も、重さも、何も残らない。灰もなく、骨もなく、まるでレプリカのように消えていく。


 「オリジナル、でも……こういうこと、あるんだな」


 血を流しすぎたせいだろうか。もう何も考えられ無い。考えないまま、ポツリとこぼれたその疑問に返る声は無い。
 いつもなら聞こえてくるはずの、嫌みったらしそうな声の、むやみやたらに理論まみれで小難しくてよくわかりもしない、確定はできませんがだのおそらくだのではじまる説明が無い。
 その説明に感心したような、納得したような、それでいてトンチンカンな感想を放つ声がしない。
 その感想をさらに引っ掻き回して、これ以上無いくらいがっくりとくるような回答を出してくる明るい声がしない。
 その声を嗜めるような、訂正するような優しい声もしなければ、呆れたように、けれど楽しそうに笑う声も無い。

 ああ、どうしてこう嫌な予感しかないんだろう。のろのろと首を巡らせて、見つけた。後ろのほう。



 割れためがねと、赤い水たまり。


「ジェイド」


 視線をめぐらせる。
 動かない人形を握り締めたままピクリとも動かない小さな女の子。


「アニス」


 視線をめぐらせる。
 アニスのすぐそば。回復譜術をかけようとしていたのだろうか、必死に這っていったような血のあとと、随分遠くに折れた弓。


「ナタリア」


 視線をめぐらせる。
 地面につきたてた剣の柄を握り締めたまま動かない。起き上がろうとして爪が剥げるまで地面をかきむしったのだろうか、赤い筋が茶色の大地に伸びている。そうまでして立ち上がろうとしたのに、立ち上がれなかった金色の髪の。空色のひとみは、もう開かない。


「ガイ」


 視線をめぐらせる。
―――ミタクナイ
 赤い血だまりの中で動かない。
―――ミタクナイミタクナイミタクナイ
 焦る自分を落ち着かせてくれた、励ましてくれた、優しい声も。
 変わろうと必死にもがくように足をすすめる無様さを笑うでもなく馬鹿にするでもなく、それでも見守ってくれていた青い眼も。
―――ミタクナイミタクナイミタクナイミタクナイミタクナイっ!!
 もう二度ときくことも映すことも無いのだと嫌でもわかる量の赤色が、


「…………ティア」


 なんだよこれ。なんでだよ。なんでなんでなんでなんでなんでなんで。どうして。どうしてだ。どうして!

 うそつきめ。この陰険めがね。あんた、この戦争終わったらフォミクリー技術をどうだかするって言ってたくせに。アニスがいってたぞ。アンタはアンタなりにレプリカのことをどうにかしようとしてくれようとしたんじゃねえのかよ。

 うそつきめ。このちんちくりん。初代女性導師になるだとかいってたくせに。イオンがやりたかったこととか、遣り残したこととか、やれなかったこととか。やりきるんだっていってたじゃねえか。このまえダアトに帰ったとき、フローリアンと約束してただろ。一緒に隠れんぼするんだろ。勉強するんだろ。料理を教えてやるって言ってたじゃないか。お前の親父さんとおふくろさん、どうするんだよ。お前がいないとだめなんだ、って笑っていってたじゃねえか。

 うそつきめ。この説教魔人。せっかく、人がものすげえ頑張ってあの短気なヤツと約束させたんだぞ。ナタリアが悲しむからな、って。必ず帰ってくる、って。約束なんて嫌いだとか抜かしやがってたあいつと約束させたんだぞ。死んだからなんだ。ばかばかしい、あいつが俺とのはともかく、お前との約束を破るもんか。だってアッシュだぜ? すぐに閻魔大王だの地獄の門番だの、殴り倒してけちらかして気合で帰ってくるだろうが。なのになんで。お前がいなきゃ、どうしようもないだろ。あいつの頭ん中、六割占めてるお前がいなきゃ、どうすんだよ。

 うそつきめ。この女嫌いの女好き。花、見に来いっていったくせに。ペールが育てた花見にこい、って言ってたくせに。どうすんだよ。おまえがいないとこに、いけるはずないだろ。気合で生き残ったって、一人だけおめおめ生き残っていけるわけ無いだろ。どうすりゃいいんだよ。せっかく行く気だったのによ。しかも、お前こないだマルクトの貴族に戻ったばっかだろ。家を復興させたのに、またいきなり断絶かよ。おまえの姉さんが、メイドが、家族がみんなが命張って助けてくれたんだろ。それで、やっと復興させたんだろ。何やってんだよ。……ほんと、何やってんだよ、お前。

 うそつきめ。

 ―――ずっとみててくれるっていってたのに。

 なあ、まだ、おれ、生きてるよ。この戦いが終わったら、俺、死んじまうんだろうなって思ってた。それはわかってた。でも、俺、まさか、皆に、こんな風に置いてかれるなんて、思ってもなかったんだ。
 なのに何で。どうしてだ。どうして? どうしてこうなった? なにを間違えた? どこで間違えた?
 なあ皆。間違えてなんてなくて、あるべき形としてこうなったとでも言うのなら、俺はそれこそ世界を恨んでしまいそうだよ。

 自分達で悩んで、自分達で選んで、自分達で決断して手に入れた結果だというのに。まるで場違いな恨み言を言いそうになる自分を自覚して、唇をかみ締めた。力を入れすぎたのか血の味がにじんで、慌てて緩める。
 こんなときに自分で自分にダメージを与えられる余裕があるわけでもない。


「……ローレライ、を」


 解放しないと。
 つきたてた剣の柄を改めて握りなおす。これで最後だ。
 ありったけの力を振り絞って、超振動をおこす。地面に光が浮かび上がって、その光が紋を描く。鍵を回す。
 そうすれば辺りに地割れが走って―――大地が、崩落を始めた。


「…………あ」


 当たり前といえば当たり前だったのかもしれないけれど。
 そうすれば、倒れていた仲間達が落ちていった。自分だけがふわふわとゆっくりと下降していく紋に囚われたまま、他のみんなは奈落の底へと。それがどうしてだかひどく悲しくて、手を伸ばそうとして、剣を支えにしてようやっと立てていた体はあっと言う間にがくりと崩れた。

 それでも必死になって手を伸ばすのだけれど、伸ばした手はかすりもしない。届くことなく、暗い場所へと落ちていく。アニスもガイもナタリアもジェイドもティアも、みんな。

 苦しくて、悲しくて、痛くて、辛くて、もう眼を閉じてしまいたいと思って―――どさり、と。すぐとなりで聞こえた音に。首だけをどうにか回して、見えてきたのは目をさますような鮮やかな赤。
 泣きたくなった。


「アッシュ……?」


 もういやだ。何でこうなった。どうしてこうなった。

 一番初めに死ぬのだろうと思っていた。みんなの中で誰よりも先に行くのだろうと思っていた。レムの塔で、瘴気を中和してから。いつ死ぬかも解らない体になって、死にたく無いと強く思って、生きたいのだと強く願って、それでもこの中なら誰よりも早く死ぬのだろうと思っていた。
 なのにどうだ、結果はこれだ。真っ先に消えていくはずのヤツがこうして最後まで残ってる。これからももっと時間があるはずだった人たちが、よりにもよって、最後の最後で。
 こんなの、こんなの、こんなの、……こんなの。


「……ぜったいに、おかしい」


 おかしい。間違ってる。こんな結末、間違ってる。正しいはずが無い。皆が死んで、これから消えるはずの俺だけが生き残ってて、こんなの。


「……くしょう、くそ、……ちくしょォ!!」


 声を出すだけでも喉の奥が焼ける。それでも、それがどうしたといわんばかりに声をあげた。気を持たなければ簡単に擦れてしまう声を、世界に叩きつけるように振り絞る。
 星の記憶そのもの。そんなたいそうにで呼ばれるのなら、ちっぽけな人間一人の願いくらい、せめて聞くだけきいてみせろと声を枯らす。


「……ローレライッ!」





「―――ふん、ぴーぴーひよこがないとるかと思えば、なんだ小僧。随分と愉快な格好だ」




 不意に聞こえたのは、いつも脳裏に響いていたものとは違う。
 聞いたこともない、場違いのようなつまらなそうな低い声。
 ぞくりとする、だけじゃすまない。怖気が走る。紅い瞳だというならジェイドのものと同じだともいえるはずなのに、何かが違う。金縛りにあったかのように、体が動かなくなるほどの重圧。
 灰色の短髪と顎を覆うような髭。見た目よりも若そうではないかという印象もあるが、見た目以上に年をとっているのではないかという予感もある。言ってしまえば、訳が解らない存在だ。

 そうだ、きっと。彼という存在を、自分では認識することが精一杯で、理解なんてできるはずがない。


「やれやれ、開いた時間と世界がよほどふっとんでおったようだ。まるで御伽噺のようなせかいではないか」

「だれだよ、あんた」

「おまけに喋るひよっこは無礼者ときた。……まあ、表情と腹の中が一致しとるだけかわいいもんだ、ということにしておくか。おい、そこの赤ピヨコ」

「ぴよ?! ……くっそ、だれがひよこだよ!」

「ああ? 年も経験もなんもかんもがピヨっこな小僧などと、お前しかおらんだろうが。……わからんか? 髪型も含めて命名するに、まさにー……そうだな、赤ひよこ」


 だろう? などと首を傾げて言われても、どんな反応を返せばいいか。いや、もうここはいっそソウデスネとでも言ってしまえば丸く収まるのかもしれないが、そもそも確かに七歳といえばこの人から見れば十分ひよっこかもしれないななどとつい思ってしまったが、それでも従順に頷くなんて納得できない。


「だれがだ! 俺は、ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ。たとえ無知で未熟で大馬鹿で本当にどうしようもない阿呆で臆病者で偽者だろうがおまけに名前すら借り物だろうが、それでも俺は俺で、俺であるときめたんだ! 俺は、ルークだ。それ以外のなにものでもない!」

「ほう……?」


 にやりと細められた瞳に、ルークは思わずびくりと体を強張らせた。それでも視線だけは逸らさない。本当は逃げてしまいたかった。けれどこの場合は、もう身体中ズタボロで満足に動けなかったことが幸いしたのかもしれない。


「おもしろい。散々自分を卑下して自虐して自分で言ったくせちょっと落ち込みかけおって。そう言う趣味かと思ったが、目と意思だけは一人前でどうにもそうではないらしい。おもしろい、ははははは、面白いな小僧!」

「……っ、だから」

「『ルーク』」


 赤い目が。彼が知っている色とは違う。まるで、人のものではない様な、赤い目が。
 こちらの胸中を見透かすように、ぐいと覗き込んでくる。


「さきほどから、泣きそうな声で叫んでおったな。見たところだが共に何事かをなした仲間が皆死んだか。どうだ―――やりなおしたいとは、おもわんかね?」

「……な」

「過去にもどしてやろうかときいている」

「過去、に?」

「そうだ。今ある全てを捨て去る覚悟はおありかな?」


 押し寄せる重圧に世界のうねりに歯を食いしばりながら耐えて、必死に前を見て歩きながら選んで掴んだその結果も。今まで築いた思いも誓いも約束も信頼も、何もかもを無かったことにして。

 それでも、


「過去に戻ってやり直したいかときいているのだ」

「…………」


 過去。やり直し。なかったことにして?
 そうすれば。


 やれやれ、なあルーク、聞いていいか?
『な、なんだよっ』
 あのさあルークぅー……私も聞いていい? なんでこげるの?
『そりゃ、そのー……あー、あれだ、こう……一味工夫をと』
 そうですか、工夫ですか、工夫しようとして熱処理ですか……フルーツミックスで
『ぐぅっ……』
 ですが、なにか創意工夫をしようといろいろ挑戦することはとてもすばらしいことだと思いますわ!
『だ、だよな! だよな、何事もチャレンジは悪いことじゃないよな! さすがナタリア!』
 そうね、悪いことではないわね……この場合では発想の転換が少しいただけないけれど。ねえ、まさかとは思うけどルーク、熱処理しようとしたのはうっかり食材を落としてしまったから、なんてことは
『ぎくっ』
 ……ルーク? あー、今、ぎくっとか言わなかったか? 思い切り口で。
 ぎくって言ってたねー。思い切り口で。アニスちゃんにもばっちりきこえちゃったよぉー?
 そうですか、ぎくっ、ですか。そうですか……わかりやすいひとですね、あいかわらず
 ぎく? 効く? 菊? どこにありまして?
 ナタリアあのね、そうじゃなくて……



 また逢える?
 朝寝坊しただとか必死に準備して降りたら寝癖だとか呆れられたり笑われたり。
 危なっかしい料理の手つきを心配して、隣や後ろから教えてくれたり。
 空や海の蒼とか。森の緑とか。夕日の金色だとか花の白だとか。思わず呟いた言葉に、そうだねと笑いながら答えてくれる人たちと。

 また逢える?


「俺、は……」


 今までの全てをなかったことにして、そうすれば。
 やりなおせば、今度こそきっとこんな風にじゃなくて。

 きっと、もっと、たくさんの人が、皆が幸せで救われる―――そんな結末を、


「できません……」

「む?」

「なかったことになんて、できない……」

「なんだ、仲間にはもう逢いたくないのか?」

「そんなわけない!!」


 悲鳴のような声になる。声がかすれて泣き喚いているみたいだったかもしれないけれど、情けないだとかそんな余裕もなかった。あれだけ恐かった眼をこちらから合わせて、真っ向からあの赤い瞳を睨みつけて、それでも感情のせいか声の震えはどうにもならない。


「そんなわけない、会いたい、逢えるならまたみんなにあいたい! 決まってる、そんなの! 確かに何度も何かを決めてその選択でこの結果になった。でもそのたびにこんなはずなんじゃなかったってばかりの事だってあった。本当はもっとやれたはずのこともあったかもしれない。でもそれはぜんぶ、その時の俺達が俺達なりに必死になって考えて、選んで、それが最善だと信じて進んできたんだ! その結末は俺だけのものじゃない……仲間と、みんなで選んだものだから」

「だから、巻き戻せない? ふん、ここは一応誉めるべきか? しかしな、ルーク。その答えは、正しい。正しいが、情がない。理性だけの答えだ。気に食わん。気に食わん、気に食わんな。なんだ、お前も心が壊れた行き着く現象と同じ口か? 貴様にとっては仲間など、情を抱いても執着を持つほどではないと、」

「違う! ちがうちがうちがう! 俺は、俺はただ―――」


『お前も見にこいよ。陛下だって待ってるんだぜ。気楽に、ま、遊びにくるような感じでさ』
『うっは……うん、わかった。しかたないなぁー、解った。うんうんうん、このアニスちゃんに任せなさい!』
『やれやれ……悪い子ですねぇ、まったく』
『あなたは私のもう一人の大切な幼馴染でしてよ』
『……お願い。もう私に隠し事はしないで』


 たくさんの約束をした。言葉を交わした。大変だったけど、悲しい事だってたくさんあったけど、優しいことばかりなんかじゃ決してなかったけど、それでもきっとすごく楽しい旅だった。
 あの時感じた喜びも、怒りも、悲しみも、苦しさも幸福も――――胸をえぐった、あの現実の冷たさも。

 そんな記憶や、築いた信頼を。


「なかったことになんて、できない―――したくない……っ!」


 ティア。お前、俺には傲慢さが足りなくなってるって言ったよな。あれ、きっと違うよ。俺はこんなにも傲慢だ。
だって、そうだろう? 本当ならたすけられたはずの、助けられなかった人たちを救う方法を目の前に差し出されて―――それを受け取ることができないんだから。
 きっとそうするべきなんだって解ってても―――俺は、おれ自身だけの理由で、その方法を拒絶して。

 こんなの、傲慢以外の何物でもないんだから。


「く、くくくく……はははははははは! そうかそうか、心底欲して、同じだけ否定して、そして理性が否定する、か。なるほど、欲求が一で否定が二。ならば回答が否定になるのも道理といえば道理だな」

「なんで、笑って……っ、俺の答えがおかしいからですか!」

「はん、たわけ。そんなの『気に入ったから』にきまっとろうが。いいだろう」


 そう言って、彼は徐に片手を上げた。その手に握られているのは、きらめく輝き。世界中の光を集めて反射する世界を開く刃。刀身まで宝石で作られた剣で、どう考えても実用的ではなくて、威圧感など感じるまでもないはずのその剣に、ルークは背筋を凍らせた。
 圧倒的な、何かの流れ。


「実をいうとな、お前さんの叫びは正しいのだよ。『この世界』の結末は、こうなった。こうなった結末ができた時点で、すでにそういう『可能性』は生まれているのだ。ならば、たとえ同じ世界の時間軸を巻き戻した世界に貴様を送ったとしても、可能性の分岐としての『平行世界』は確として存在する。巻き戻しても、歴史を変えても――お前が今この場で辿っていたこの世界はなくならない。ただ、分かたれた分岐、可能性のひとつとしてお前を忘れて欠けさせたまま進んでゆくのだ」

「このせかい……? かのうせい? 何を、言って」

「まあ、小難しい理論はいい。つまりだな、小僧。いやルークか。気に入ったから、お前に一つ可能性の旅をプレゼントしてやろうと思ってな」

「?!」


 振り下ろされる宝石の刃。断絶する空間、空気が荒れ狂う。混乱が酷い己の喉からはもはや声すら出ない。


「これからお前が行く世界はお前がもと居た世界とは違う。舞台も、条件も、全てが同じ。ただ違うのは異世界からの『お前』と言う存在の有無のみ。その世界には既にその世界のお前もいる、仲間もいる」
「何もかもが同じだ。ただ、その世界に生きている人たち全ては真実の意味で『本当の』お前の世界の住人たちではないというだけのこと」
「自分の世界ではないよく似た違う世界で、本当は違う自分のものではない世界を―――こうなる可能性もあったのだと、せいぜい足掻いて掴めるように努力するんだな」


 ああそうだ、ものはついでだ。孤軍奮闘ずたずたになってそれでもかけていく姿も胸を打つがさすがに酷だともおもうので、相棒を一つつけてやろう。なに、磨り減りきったヤツではなくて一応答えは得ただとかほざいていたたわけのほうにしておいてやる。くく、まあ、この問答が縁といえなくもないだろうというか縁だということにしてやるさ。

 そんな、めちゃくちゃなことをと呟いた彼にひょいと脇に抱え上げられて。


「よーし、なげるぞ。舌かまないようにしておくように」

「っはぁ?!」

「いち、にーの、」

「あ、ああああああの! すみませんその前にあのあなた一体誰なん」

「さーん!」

「ええええええええええ?!」






 もうめちゃくちゃになって訳が解らなくなる寸前。



 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
 覚えきれ無いなら宝石翁とでも呼んでくれ。





――――――そんな声が、聞こえた気がした。









[15223] 01
Name: 東西南北◆90e02aed ID:e9af4524
Date: 2010/01/25 23:57















「答えは得た。大丈夫だよ、遠坂。オレも、これから頑張っていくから」





 目の前には泣き出しそうな少女。
 朝焼けがひどく綺麗だった。






 そうして、体は消えて座へと帰る―――はずだったのだが。
















 なんだかヨクワカランひとに投げ飛ばされて、目を覚ましたルークの視界に真っ先に入ってきたのは高い高い空の色だった。遠く高く澄んだ青。……よく似た色を、知っている。一度強く目を瞑って、うっすらと開けていただけの瞳をしっかりと開く。
 空よりも少し低めでぷかぷかと流れていく綿雲。頬に当たる草の感触。風が吹いて、草が揺れる。少しくすぐったいな、そう思って―――ああ、まだ自分が生きているのだと実感する。


「眼が覚めたか」

「うおっ?!」


 突然真横から聞こえた男の声に驚愕して飛び起きた。姿勢は低く屈めたまま、つい戦闘体勢をとってしまうのはもうこの一、二年で身についてしまった癖だろう。腰に手をあてて、そこに剣がないことに気づき顔色を変える。相手の様子を見て、逃げれるものならば逃げたほうがいいかと考えて……ルークは思いきり脱力した。
 なぜなら。


「ふむ、その反応からしてどうやら君は戦闘経験、それとどうやら長いたびの経験があるようだな。顔色から察するにいつもはそこに剣を刺していたか? しかし解せんな、鞘は身につけているくせにどうして君は剣をもってはいないのかね。そもそも腰の後ろに差していては横に差すより刃を抜く動作の遅れが……む、フィッシュ」


 翻る赤い外套、焼けたような肌と焼ききれてしまったかのような白髪、鷹のような鋭い目。黒い薄手の鎧のうえからでも鍛えられているとわかる体。研いだ刃の色のような瞳はわき目も振らずただ一心に―――川の中へと注がれていた。手には簡易なさお。
 つい先ほど釣れた魚をみてにやりと口元を弛めて、「ふむ、これは中々の大物だ」などといわれてしまっては警戒するのもばかばかしいというものだ。……いや、あまりのアンバランスさに逆に警戒をするべきなのかもしれないけれど。


「おい……ちょっとそこのひと。あんた、一体誰なん……」


 ―――孤軍奮闘ずたずたになってそれでもかけていく姿も胸を打つがさすがに酷だともおもうので、


「いや待てよ、もしかしてゼル……なんとかって人が言ってた相棒がどうだのってひとか?」

「…………やはりそうか。あの状況説明一切無しの独り言が説明だぜといわんばかりの問答無用ぶりはもしやと言うかまあ大体予想はついていたのだが、やはりそうだったかあのひとか……」

「え、問答無用って、どういう」



『ふむ、小僧。丁度いいじゃないかお前さんの大好きな人助けだ。ちょい面貸せ』
『は?』
『構成は……むう、面倒くさいな。聖杯はないがそのままクラスアーチャーで世界に……いやまてよ、あの世界には魔法じみたものはあっても魔術がないからな、ラインが……ここはいっそ受肉させるか。なんか丁度いい感じに肉体作れそうな元素があったなよしそれでいこう。受肉さえしとけばあとはまあ無駄にマナだけはやたらめったらそこら中に噴出され取るしそこまでカツカツもせんだろうよっしゃ決定逝ってこい』
『いや、あのこの声はもしや宝石お、うああああああぁぁぁ?!』



「…………………………、……詳しくは聞くな」

「あ? あ、ああ……」


 なにやら背中に哀愁が漂っていて遠い眼をしている。なんだろう、もう本当に訳がわからないのだが。ただ、あの遠坂の魔術の祖だけはあるだの傍若無人だだの凡人出身の英霊なんてこんなものか、だの。なんだか途中から激しく落ち込みだしている。
 どうしろというのだ。


「……あー、もしもーし」


 やり辛そうに声をかけられて、赤い男も正気に戻ったようだ。小さく苦笑したかと思えば、釣ざおをすぐかたわらにおいて、こちらに近付いてくる。
 こちらも姿勢を直して、近付いてくる男を観察……観察、


「いや、すまん。私としたことがいささか情緒不安定だったようだ。さて、おおよそお互いなんとなーく分かってはいると思うが、それより先に少し聞きたいことがあるがいいかね」

「…………」

「どうした? 私の髪にほこりでもかついているのか」

「あ、ああごめん、なんでもない。まあ、俺にわかることならなんでも」


 畜生、なんだこいつ。でけえよ! なんだよこいつの背! ジェイドよりでけえんじゃねえのかよ!
 実は結構気にしていたりする背の高さに、ルークの心中にひどく打ちひしがれた感が漂う。やはりこれはあれだろうか。ティアがいっていたとおりミルクか。ミルクを嫌いだといって飲まなかったからなのか! 小魚を骨ごと食うのを嫌がったからなのか! しょうがないじゃないか嫌いなんだからよ!
 本人としてはいたって真剣に考えているのだが、ここに彼の仲間がいたらきっと一刀両断にこういうだろう。じゃあ頑張って好き嫌いなくせば。至極尤もな回答かつルークにはとんでもない試練ではあるが。


「そうか。ではひとつ、この世界で一番有名な国はなんだ」

「は? いや、一番っつーか、国はキムラスカとマルクトの二つしかないな」

「……そうか。ではここは魔術、魔法というものはある世界なのかね」

「魔法じゃなくて、似たようなもんで譜術っつーのはある」

「ふむ。では、その譜術というものは誰もが知っている技術なのか」

「ああ……譜術を扱うには才能とかがあるらしいが、譜術、ってものは大人も子どももたいていのヤツは存在自体は知ってんぞ」

「それを君は使えるか?」

「いや、譜術じゃなくて超振動ってやつなら……いや、それ使うと俺の体がイカレちまうからもう使えないんだけど」

「ふむ……まあそれについては後で詳しく聞こう。とりあえず今はこれで最後だ。君は私と君を繋ぐラインの存在を感じ取ることはできるか?」

「ライン? って、なんだそ……あー、でもまてよ、そういえばなんつーか、こう……そうだな。アンタのほうからどことなーく第七音素がこっちにながれてきてるような……感じが……いや気のせいかも知れねーけど」

「そうだ。ラインは繋がっているのはわかるのだが、流れが逆流している。まあ確かにこの世界はむやみやたらにマナが濃いから困ると言う訳ではないのだが…流石に固有結界は無理そうだな……」

「なんだ。普通は違うのか」

「ああ、普通はマスターからこちらへ流れてくるのだが、まあ、こちらの話は詳しく話しても意味がないだろう。なんにせよ、ラインが繋がっているのだから私のマスターは君なのだろう」

「マスター……?」

「そうだ。いうなれば、私は君の従者といったところかな」


 やれやれ、やっと人使いの荒いマスターから解放されたと思えばまた従者か。そんなことをぼやきながら溜息を吐かれても。しかし、それでも従者ということばに。思い出されるのは金色の。
 ああ畜生、一々泣きそうになるなよ馬鹿野郎。頭を振って、気を保つ。
 気を取り直して文句を言うべきかとも考えるがしかし、もしかしたら、というよりはきっと、彼はただ単に自分の願いに巻き込まれただけなのだろうとおもえば自然文句をいう口も重くなるというもので。
 難しそうな顔をしているルークを見て、赤い男はとりなすように笑う。


「ああ、別に文句を言っているわけではないのだ。世界に使役されることに比べればまだまだ十分ましなのだから」


 ただ、『あの』宝石翁に気に入られでもしなければあのひとはこんなことなどしないだろうと思っていたから、その当事者こんなにも普通の人間であることに不思議に思ったのだ。一体彼のどこを、かのとんでもない気まぐれ翁は気に入ったのだろうか。


「さて、マスター。君は宝石翁に何を言われた」

「過去に戻ってやりなおしたいかと聞かれて、それを断ったら突然笑われて。そうしたら、可能性の旅に連れて行ってやる、と」

「ふむ……やり直したいとは、思わなかったのかね」

「思ったに決まってる! ……でも。皆と歩いた時間とか、言葉とか、約束とか。そういうのをはじめから無かったことにするのが、嫌だったんだ」


 臆病で、強欲で、我侭な身勝手で。やり直せるはずのチャンスを棒に振った。本当にどうしようもない、


「―――なるほど。いいだろう。君をマスターだと認めよう」

「え?」

「なんだ。その顔振りからするとまるで間違えてしまったのだという顔だな。胸を張れ、マスター。仲間と共に過ごした時間をなかった事にしたくないと。やり直しで、更により良い未来をつくれる可能性をまえにして、それでもなくしたくないと思えたほどの時間を共に過ごすことができた仲間がいると言うのなら―――君の仲間も君と同じ状況に立っても、君と同じ選択をしただろう。
 どんなに苦しい結末でも。どんなに悲しい結果になってしまったとしても。なくしたくないと、何を以っても喪いたくない時間を築くことができたのなら。君のその選択は、決して間違いなどではない」

「そんな、立派なもんじゃない。俺は……ただ、傲慢なだけだ……」


 皆が。ジェイドが、アニスが、ナタリアが、ガイが、ティアが。イエモンさんやタマラさんやキャシーさんやイオン、もっとずっとたくさんの人たちが。死ななくてもすんだかもしれない、そんな未来をつくれたかもしれなかったはずなのに。
 それを断って、そんな決断が正しいだなんてそんなことあるはずがないのに。


「そうか。だがな、マスター。たとえ君自身がそう思っても、私は君が選んだその選択はとても尊いものだと思っているよ」

「でも、俺はきっと、生きてる限りあの選択を後悔し続ける」

「そうだろうな……それは人として当然の心情だろう。それでも、それでも私は正しいと思うのだ」

「……わけわかんねぇ」


 何故か涙が止まらなくなって、眼を腕で覆った。ああ、瞼の熱が収まらない。喉が痛い。うれしいのだろうか。それともほっとしたのだろうか。間違えではないといわれて。絶対にとんでもない過ちを犯してしまったのだと自分で思っていたことを、当たり前のように肯定されて。


「お前、変なヤツだよ」

「なに、自覚はある」


 悔し紛れの言葉も、なんだかものすごくふてぶてしい笑みと共に返されてしまった。畜生、礼なんて絶対にいうもんか。
 心中で文句を言いまくりながら、涙が止まるまで泣き続けた。







 そしてしばらく。ようやっと落ち着いてきた頃合を見計らって、声をかけられた。


「さてマスター、そろそろ名前の交換と行かないか。私はエミヤ。英霊エミヤだ。ただの人間だったころはエミヤシロウ。ついこのあいだまではアーチャーと呼ばれていたな。先に言っておくが冗談ではないぞ。アーチャーはこれでもなかなか慣れ親しんだ名でね、結構気に入っているくらいだ。どれでも好きによぶがいい」

「じゃあ、アーチャー。俺はルーク・フォン……」


 未だに少し擦れそうになる声をどうにかこうにかして普通の声を出す。けれどいいかけて、ルークははっとした。そうだ、忘れていた。あの宝石翁というヤツがいってなかったか。この世界には。
 突然眉根を寄せて考え込んだ彼に、アーチャーは訝しげな顔をしている。


「どうした、マスター?」

「あー、いや。ごめん、そういえばこの世界にはこの世界の俺が居るんだ。だから、名前が被るから、この世界での俺自身の名前はなんか別のヤツ考えなきゃなんだけど……急には見つからなくて。なあ、なんかいい案ないか」

「む、急に言われてもな……元の名前の意味などないか?」

「『ルーク』で『聖なる焔の光』だよ」

「それはそれは……そうだな、髪の色合から銀朱というのもあるが、いささか世界にはあわんな。色は違うが炎にちなんでグレンはどうだ」

「グレン、ね……グレン、グレン……ああ、いいな。じゃあ、俺は今日からグレンだ。よろしく頼むぜ、相棒」


 なにやら嬉しそうに名前を呟いた後、主から差し出された手に少しアーチャーは少し驚いた顔をして、彼も彼でにやりと笑う。


「ああ、任せろマスター。……ところでグレン。君はこの世界で一体何をするつもりなのだね?」

「んー? そんなの、きまってるだろ?」


 後ろの世界を振り返ったルークをにならって、アーチャーも眼前に広がる世界を見遣った。そこにあるのは遠く続く空と山。近くでせせらぐ川の音。
 これから起きるはずの大激動も、まるで嘘のような平和な風景。

 それでも、起こるはずの大激動を。



「一人でも多くの人が、手に届く限り力の限りたくさんの人が死なないように、幸せになれるように。目指すは天下無敵のハッピーエンドだ―――無茶でも無理でも全力で駆け抜けるからな。頼んだぜ」

「なるほど、それはまた傲慢無謀この上ない目標だが……いいだろう、今の私には随分とタイミングのいい目標だ。全力で補助しよう」





 歯車は回りだす。
 その結末は天国か地獄かも定まらぬまま。



[15223] 02(改定)(エンゲーブ)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ae6e03c6
Date: 2010/01/25 23:59







 のんびりとした農村の砂利道。歩く影は二つ。

 道を歩く二人のうちの前を行く人物の一歩後ろにつき従うように歩いている男はアーチャーだ。常の黒い鎧と赤い外套ではやはり道行く人道行く人にすごい眼で見られてしまったため、黒を基本とした動きやすそうな上下に赤い外套に似た形のものを羽織っている。なんだかんだで、やはりあの配色はゆずれなかったようだ。
 ただでさえ高めの背と鋭い目つきに威圧感が漂っているというのに、両腰に差した白と黒の双剣と背に背負った弓が、更に只者ではない感を感じさせている。旅の途中なら立っているだけでも盗賊避けになりそうだが、こんなにも呑気そうな田舎ではいささか場違いのように感じないこともない。

 先を歩いている青年はグレン。どこか東洋風の青い上衣と黒のズボンに腰当(平たく言えばタクティカルリーダー)、髪の色よりも濃い赤色の、額に当てられた布の結び目は左側にたれるように降ろされている。    
 やっべえもしも髪切ったら同じ顔ってどうよ、ということで慌てて服を変え前髪を上げてみたらこれ服装違うだけでいや髪の長さも違うけど、ほぼアッシュじゃん! ということになり、髪を更に短くして目元が影になって隠れそうになるほどギリギリまで足掻いた結果がこれだった。
 それでも、似ているねと言われれば皆が納得してああ似ているねと返すだろうが、じゃあもしかして同じ人? と思うほどには似ていない、くらいにはなっている。上出来といえば上出来と言ったところだろう。声は、まあ……身長というか骨格が似てたら声って似るらしいですねHAHAHAHAHAで誤魔化すしかないだろう。多分。


「よかったのかね」

「なにが?」

「……チーグルの森により先にタタル渓谷に行けば、まだ間に合ったのではないか?」

「それは、ダメだ。やりたいことと、やるべきことと。混同したら、とうのあいつに怒られちまうだろ。……少なくとも、俺の世界のあいつならばっさり一刀両断に叱られちまうだろうさ」

「そうか」

「それに」


 歩く村の名はエンゲーブ。食料の村とも呼ばれるこの村は、大陸中にさまざまな農作物を輸出する農業の盛んな村だ。歩く道は舗装されてない土の道。すぐ傍らには畑、ブウサギの家畜小屋、近くの森から流れる小さな川からは灌漑用水も整備されていて、まさしくその名に相応しい有様だ。
 風に混じる緑の匂いに気持ちよくなってつい深呼吸をしたのだが、ふと、始めにここへ来た時の自分が言い放ってしまった言葉を思い出して苦く笑う。この世界の自分はまだ、あのころの自分のように無敵に傲慢で―――人の血の匂いもしらぬままの潔癖なのだろうか。


「この世界の『ティア』は俺の世界のあいつでもないんだ……こっちの世界の『ルーク』しだい、流れのままに任せるよ」

「了解した。これからやるべきことに変わりはないな?」

「ああ。俺はルークの理解者、友人……それにならなきゃだなー。うわー、自分とお友達って冷静に考えたらなんかこう……変な感じだ」

「ルークの中のヴァン・グランツの比重を少しでも崩す、か……マスター、君本気で言っているのか? 話に聞いただけでも、というか今の君を見ていても、君の中の比重をなんとなく感じることができるのだが……当時の君にとっては世界そのものだったんだろう?」

「……解ってるよ、なんてったって昔の自分だぜ? でも、可能不可能かはまだ解らないんだから、やれることはできるだけやっておかないと」


 記憶をなくす前のルークじゃなくて、今そこにいる自分を見てくれてたのは、バチカルの屋敷の中じゃあの人だけだったから。解らないことにはいつも丁寧に答えてくれたし、危ないことをすれば怒られて―――本当は、今だって尊敬しているくらいなのだ。たとえその優しさが裏のあるものだったのだとしても。
 誰よりも優しくて誰よりも強かった。誰よりも信じていた。彼の言葉を疑うということなどありえないほどに。あの当時の自分がどれだけ師匠に心酔していたかなんて、自分が一番分かっている。


「だがな、マスター。もう一度言うぞ。相手はもう何年も準備をしての計画的行動だ。それにたいして、こちらは相手が何を行うかはわかってはいるが、圧倒的にソレに対応する準備をする時間がない。しかも、その通りに世界が動くかも保証はない。いや、私たちの行動で既に道筋が変わっている可能性もある。ルークの理解者になる、これはそもそも成功するかどうかも解らないようなことで、その貴重な時間を削ってでもするべきことなのかね?」

「……アクゼリュスの住民の救出にはどちらにしろ組織的な後ろ盾がいる。最低限重症者の収監、輸送ができる車両もいる。ローレライ教団とキムラスカ王国が却下なら、必然的に協力を要請するのはマルクトだ。でも、突然皇帝に合わせてください協力してくださいなんていったって無理ってもんだろ? 俺がルークのときならまだ何とかなったかもしれないけど、今の俺は絶対に素性は明かせないときた。それなら、どうにか旅の仲間に混じって信頼を得て、ジェイドに紹介状か名刺をもらうくらいしとかないと」

「ふむ……まあ、いいだろう。確かに理屈は通るには通る。そういうことにしておこうか」

「……なんっかひっかかるいいかただよなー」

「ふん……この世界にいることになった理由のようなものだ、会いたいと思うのは当然か。似ているのに同じ、同じなのに違う。似てるとこばかり見つけてホームシックになってくれるなよ、グレン。この世界の者達と君の世界の者達の関係は一卵双生児のようなものだとでも思っておけ」

「ぬっぐ……」


 ばれていらっしゃる。
 グレンは思わず立ち止まってがりがりと頭をかくが、アーチャーは相変わらずしれっとしたままだ。


「どうした?」

「……、さっき少し村の一角が騒がしかっただろ。多分あの騒動はルークだ。俺はそろそろ頃合だと思うんだけど、エミヤはどう思う?」

「そうだな……少々急いているように感じんでもないが……害があるわけでもない。止めはせんよ」

「そうか、じゃあローズさんとこへ行こう」


 瞼を閉じれば今でもまざまざと思い出せる。振り返った先の血だまり、必ず皆で帰ろうと約束したはずの動かない仲間達。暗い場所へと落ちていくみんなにどれだけ必死になって手を伸ばしても届かなかったあの絶望に満ちた無力感。
 自分の世界の彼らは皆死んでしまったけれど、そうならない可能性を持つ世界の、そうならない可能性を持つ人たち。

 ―――たとえ、今から会う人たちの全てが俺を知らなくても。


 それでもいい。それでもいいんだ。生きて、話せて、笑っている彼らが見れればそれだけで。
 ああ、早く会いたい。










「そこの二人は食料泥棒なんかじゃないぜ」


 声をかければ、ローズ夫人の家の中に回りに集まっていた人たちの視線がこちらに向いた。そのまま歩いていけば自然に割れる人混み。家の中に入る。いかにも不機嫌だと顔に書いてある青年、探るような目つきの少女、そしてじっとこちらを観察している眼鏡の男。
 ――生きている。息をして、立って、温もりを持ってそこにいる。
 さっと視線を投げかけただけでもつい泣きそうになって、おいおいこれは流石にどうよと自分でも思うくらいで、グレンはなるべく自然の動作を装ってこの家の主のほうへと視線を向けた。


「最近この村で食料泥棒騒ぎが起こっていた。そうだったな?」

「ああ……でもどういうことだい、ぼうや。この二人が食料泥棒じゃないってのは」

「それは、こういうことです……ミュウ。ほら、でてきて説明してくれ」


 そう言って、彼は道具袋をことんと床に置く。すると次の瞬間道具袋が勝手にもそもそ動き出し、それを見ていた村人達の間から少し驚いた様な声が上がり、声をあげなかった人たちも目をまん丸にしたままその道具袋を見ていて―――ぴょこりと顔を出した青い生き物を見て、皆が皆ポカンとした。


「グレンさん、もうボクでてもいいんですの?」


 しゃ、しゃべったぁ?! ものすごいどよめきがおこるもグレンは気にした風もなく、あ、これコイツの持ってるこのリングの力なんですよ流石聖獣ですよね~とさり気無くこのちんちくりんが本物のチーグルだということをアピールし、まだ一生懸命道具袋から出ようとしている仔チーグルを摘み上げて床に置く。

 ありがとうですの~と機会さえあれば懐いてくるミュウの額に軽ーく指弾をいれて、そのままぐいっとローズ夫人や村の皆々様方のほうへと向ける。


「さ、キッチリきっかり説明しろ。言っとくけどな、どんな理由があれ泥棒は悪いことなんだから、しっかり説明してちゃんと謝るんだぞ」

「みゅううう……ごめんなさいですの! ボクがライガさんのおうちがある森を焼いちゃったから、ライガさんが怒って僕たちの森にやってきたですの。それで、ライガさんたちのご飯用意しなかったら僕たちを食べるって言われてたんですの……全部全部ボクのせいですの! ごめんなさいですのごめんなさいですのごめんなさいですの!」

「と、まあ、こういうわけで。件のライガクイーンとは拳を交えた熱い話し合いの末どうにか説得して丁重に他の森へと移ってもらったんで、これからはもうチーグルが原因の食料泥棒はないと思んだけど」


 ほらみろだから俺は泥棒じゃねえっつったんだよ! と気炎を上げてまくし立てようとするルークに、疑われるような行動をとったことを反省するようにと、ティアの冷たい声がかかっていた。うわあ。
 なんというか、こう、いやまああの当時の俺の言動は確かに目にあまるものがあったけど、傍からみてこんなに仲悪かったのか、俺とティアは。客観的意識って重要だよなぁとしみじみ考えながらも、よくぞ見捨てずにずっと見守っていてくれたものだと今更ながらに強く思う。だって、確かにこれはひどい。その挙句にあのアクゼリュスだ。それでも、ずっと、ずっと、約束どおり見続けて―――

 やばい。
 気を抜いたら号泣しそうだ。

 意識的に彼らの姿が視界に入らないように顔を逸らす。そうでもしなければ突然脈絡もなく泣き出した頭のねじが吹っ飛んでる人になってしまうから。


「はあ……そんな理由があったとはねぇ。それにしてもぼうや、拳を交えた熱い話し合いって……その、クイーンってのと戦ったのかい?」

「はい、まあ……俺じゃなくて、ほとんどは俺の相棒が、だったけど。俺は人並みですけど相棒は人外の強さでして。ほら、家に入らずあそこで突っ立ってる背の高いヤツいるでしょ。あいつです」

「待てマスター。人外扱いはないだろう人外扱いは」

「えぇ? だって本当に人外じゃん、お前」

「……グレン、今日の晩御飯はニンジン尽くしだ。舌鼓を打ちながら思う存分堪能するがいい」

「え? ……ええええええええええええ!!」


 爽やかだった。アーチャーの顔は何故か無駄に爽やかな笑顔だった。それはそれはもう楽しそうで爽やかな笑顔だった。爽やかすぎてなぜかこう背筋が冷たくなるくらい爽やかだった。ひでえ。
 鬼だ。アクマだ。鬼畜だ。ニンジン魔人だアカイアクマだ!


「ああ……そうだね、確かに一目見てかたぎじゃなさそうだね」

「ご夫人。人を見た目で判断するのはよろしくないぞ。まったく、これも人のことを散々言ったマスターのせいだな、よしよし安心したまえ残っても明日食べられるように加工しておくからな」

「ごめんなさい! イヤほんとごめんなさいマジでちょっとそれは勘弁してくださいエミヤさん! ねえちょっと!」

「そうか、嫌か、では仕方ないくりーみーな特濃牛乳オンリーとどっちが好みだ?」

「デッドオアデッド?!」


 ががーんと頭上に何か重たいものでも落ちてきたかのような勢いで頭を抱えてうんうん唸りだしていたグレンの耳に、おほん、となんだかわざとらしい咳払いの音が聞こえてやっと我に帰る。びくりと肩を揺らせて振り返れば、眼鏡を直す男の姿。
 やばい。
 役に立つよ導師の護衛におひとついかが大作戦がいきなりピンチに。ここはどうにかして汚名返上を、


「まったく、そんなにカルシウムをとろうとしないから背が伸びないと悩まざるを得んのではないのかね」


 しなければならないのだがちょっと今聞き捨てならない言葉が!


「おおおおま、何言ってんだよお前まだ伸び盛りなんだよもうちょっとすればのびるんだよまだ! ……っていうかちょっと待て、何でお前俺が背きにしてること……?」

「なに、私も昔は背の高さを気にするくらいには小柄だったクチでね……成長期がおそかったのか、18を過ぎたあたりくらいからやたらにのびて今ではこれだがな」

「なんだと?! ってことは、なんだまだ俺にも可能せ」

「牛乳も飲めぬ魚も嫌い野菜も苦手が多い、では希望も薄いのではないかね」

「ぐ、は……っ」


 アーチャーのじじつしてき! ずがーん、きゅうしょにあたった! こうかはばつぐんだ!
 さんざん色々な人からも言われ続けて自分でもわかってはいる事実であるが故に、大ダメージをくらってがっくりと床に膝をつく。ちらりと視線を向けてみればにやにやと満足そうに笑う赤い男。なんだそれ、ライガクイーン説得(という名の刃と牙の語り合いを)して一仕事やり遂げた直後よりも満足そうな顔しやがって、お前根っこから絶対いじめっ子だろ!
 くそう、月夜ばかりと思うなよ!


「ごほん、失礼。私はマルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です。最近頻発する食料泥棒のことについて今ローズ夫人から相談を受けていたのですが、大体の状況はわかりました。……わかりましたから、そろそろここらで見世物じみたコントもお止めになっては如何です?」

「あ、ああ……まあ、そう言うわけだからさ、食料泥棒騒動の全容は。被害請求は……ダアトにでもすれば受け入れてくれるんじゃないの? なんせチーグルはローレライ教団の聖獣だから」


「なんっ……」「そんな、恐れ多い!」「オイオイ兄ちゃん軽く言うなよ!」と、口々にまくし立てる村人に向かって肩をすくめてみせ、腕を組む。


「っつってもなぁ……それくらいはしねーと落とし前つけた気がしなくてなんだかすっきりしないお方がそこにいるみたいだしな……なあ導師サマ?」

「え……あ、導師イオン!」

「話はそこで聞かせていただきました。そこの方の仰るとおりです。チーグルは始祖ユリアとの縁が深いローレライ教団の聖獣、何かあればその力になるようにと伝えられています。この件はダアトが預かります、僕のほうからも教団に伝えておきますので、被害総額を算出されましたらどうかダアトのほうへ回してください」

「ですが……」

「チーグルに助力するのは始祖ユリアの遺言ですから……遠慮なさらないでください」


 小さく笑いながら歩いてくる少年の道筋が、人垣が自然に割れて出来ていく。フラッシュバックするのは彼の最期。熱い火口、背筋の冷たさ閉じられた瞳光って消える手の中の重み。――今ここで歩いている、気負いもなく、気取りもなく、近付いてくる少年の姿にまた泣きたくなる。


「このたびはチーグルの危機に助力をいただき、ローレライ教団導師として礼を申します」


 緑の瞳は真っ直ぐに相手の目を見て、穏やかな声ながらもしっかり芯が通ったような声。底なしの無邪気さをもった声とも冷たく凍えた声とも違う、これはイオンだけがつむげる抑揚だ。いつだって相手の目を見て話すところも変わっていない。何も変わらない。当たり前だ、違う世界でもやはり根っこは同じ人なのだから。


「僕はイオン。とは言っても、あなたは僕を知っていたようですが……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」


 真っ直ぐに目を見て話す緑の瞳を見返しながら、これから彼は笑いながら嘘をつく。散々嘘をつくのが下手だといわれても、辻褄合わせの嘘をつかねばこれから何もできないのだから細心の注意を払って偽りを紡ぐ。もう何度も整理した。これからおこること、これからやるべきことのために。
 そうして、ずっと、俺はこの世界でその嘘を真実として紡ぎ続けるのだ。


「緑の髪に緑の瞳、白の法衣に音叉の法杖……これだけそろってりゃわかるって、流石に。俺はグレン。姓はない。……ただのしがない旅人さ。導師のことは―――祭典だので遠目で見たことがあったからな」

「そうですか」


 一緒にチーグルの森へ行った彼によく似ている、同じだけれど違う人は、それでもやはり記憶そのままの笑顔で柔らかに笑う。


「グレン……いい名前ですね。世界を明るく照らすような優しい光を感じます」

「サンキュ。俺も、なかなか気に入ってるんだ」


 笑う。
 ちゃんと笑えていただろうか。

 この声が彼をルークと呼ぶことはもうない。この世界の人たちが彼をルークと呼ぶことはない。当たり前だ、彼らがルークと呼ぶべき存在はこの世界には別にいる。この世界のルークは『彼』で、自分は異邦人なのだ。
 ちゃんとわかっていたはずなのに、それでもやはりどこか少しだけ感じる寂しさ。


「グレンさん、と言ったかね。食料泥棒事件のお礼といっちゃぁなんだけど、今日はこの村の宿に泊ってってくれないかい? 宿代は無しでいいからさ」

「ああ、そりゃありがたい。よろしく頼むぜ」

「―――グレン」

「ん?」


 声だけかけて、振り返った先にいるアーチャーは何も言わない。ただじっとこちらをみていて、案じるような目をしているだけだ。
 大丈夫だよ、そのうち慣れるさ。
 唇だけを動かしてそういえば、やれやれと肩をすくめられた。







 ピースは揃いはじめている。ルークが外にでた時から歯車はもう回っている。

 ―――はじまれば、そこから先は転がるように運命は動き始めるのだろう。










[15223] 03
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ae6e03c6
Date: 2010/01/18 00:09


 とつぜんあらわれたソイツは、一人でさっさと話を進めて途中でいきなりコントをしだして―――時々妙に泣き出しそうな目をしながら話を終わらせた。あの陰険眼鏡マルクト大佐は顔は笑ってるけど目は笑わないままそいつを見てるし、しかもこっちにもそのままの顔でみやがるし、冷血女は警戒心バリバリにあいつを見てるし。

 めんどくせぇと思ったが、黙ってりゃあれこれ言いながらこっちの疑いも晴れるというならいちいち口出しすることもない。導師イオンだとか言う奴が行方不明だって聞いてたはずなのにそこに普通にいることだとか、問い詰めてやりたかったんだが冷血女にすげえ目で見られて止められたんで仕方無しに黙っておくことにした。
 まあ、面倒だがあの陰険眼鏡の前で墓穴を掘ったらあぶねぇのもわかってるしここは仕方なく大人しく……って、やっぱなっとくいかねええええええ!
 畜生めんどくせー、なんでこんなことになっちまってんだ! ヴァン師匠は導師を探すだとか言ってたんだぞ! 何で普通にマルクト軍とつるんでこんな田舎にいるんだよ! わけわかんねえよ! それより何よりわけわからねえってのが、


「まってくださいですの、ご主人様!」

「うっぜえええええ、もうお前マジでついてくんなブタザル!」

「みゅうううう……」


 コイツだ。あのグレンって怪しいのが帰ろうとして、その後ろを追いかけようとしたこのちんちくりんがこけかけて、ついうっかり近くにいたからちょっと足伸ばして支えてやっただけなのに。何を思ったのか突然こいつは俺のことをご主人様ご主人様言いながらまとわりついてくるようになったのだ。うぜえったらねえぜ。
 どう言おうとなんというおうとご主人様ご主人様いって離れようとしないこいつに辟易として、とりあえず宿(泥棒に間違えられた分の謝罪とかで俺たちもタダ扱い)でゆっくり話でもということで今に至る。


「ルーク、かわいそうでしょう。ミュウを虐めないで」

「ああ?!」

「まあまあ落ち着けおふたりさん。あとそう怒鳴り散らすなって」

「っつーか、お前が連れてきたんだろ?! 俺にペットを押し付けんなよ!」

「いや仕方ないだろう。説明をするためにつれてきたが、俺はあくまでそいつの保護者でな……そいつが本当のご主人様に会うまではめんどう見るって言って長老に預けられたんだが」

「じゃあまだ預かって他のやつにおしつけ……」

「ダメですの! 僕のご主人様はご主人様だけですの! ご主人様だけですの!」

「っていって、聞かないんだよなぁこれが。……もう勘弁してコイツのご主人様になってくれねえ?」

「いやだっつーの! めんどくせぇし、うざってーしよー」

「まーまーまー。あー、じゃあほら、旅は道連れ世は情け、ミュウのご主人様の座を引き受けたら俺らもついてくるよ? どうよ、今ならエミヤの飯付よ? すっげえラッキータイムだぜ。護衛料金まけときまっせ~、なんかアンタからは金持ちそうな匂いを感じるしな、到着後払いでOKだぜ?」


 こっちがいやでいやでたまらないという顔をしているのに、グレンという男はびくともしない。ただ気の抜けたようなへらへらした顔で指を立てて巫山戯たことを抜かしやがる。


「ざっけんな、俺はなぁ「ありがたいお言葉ですが、護衛の件は結構です」


 俺の言葉の途中でしゃしゃり出てきやがってコイツ! 睨みつけてやってもこいつもびくともしねえ。


「ありゃりゃ、警戒されてるようだな俺たちは」

「いいえ。……ただ、彼の護衛は私一人で十分ですから」

「ふうん……十分ねー」

「……何か?」

「いや……まず成りからして金持ちそうなそこの赤いのが護衛対象、なんかやたらに気を張ってるほうのあんたがそこの人の護衛。で、あんたは譜術師だろう? みたところロッドは持っていても剣は持っていない。と、言うことは後衛だ。ならば、前衛を担当しているのはそこの赤いのだ。……護衛対象を前線に出すってのは、いささか不思議だなぁと思ってなー。普通なら、あれだ。最低でも二人。前衛を担当する護衛と、万一に備えて対象の側に控えて前衛の補助をする後衛。これが基本だろ?」

「…………」


 オイオイオイオイ、何だこの険悪な雰囲気は。ティアのヤツの目つきもやべえけどグレンっつーヤツは何でそんなに楽しそうなんだおい! おかしいだろ! っつーか、さっきからみゅうみゅううぜえんだよこのブタザル!
 とりあえず頭から引っぺがして小さい赤いほうに思い切り放り投げた。がしっとナイスキャッチ。畜生、ぶつける気満々だったのに。


「あと、一応ミュウのことを長老から頼まれたし? まあそんな感じじゃないけど密猟者とかそう言うのに仔チーグルを売り飛ばすような人じゃないかを確かめたいってのもあるんだけど……」

「ああ?! 俺がそんなせこいまねするわけねーだろ!」

「……うん、まあ良くも悪くもそう言うのを知りなさそうだからな……でもちょっと暴力的なのが心配っつーか」

「確かに、それは否定できないわね」

「っせえなあ、んじゃこいつが俺以外のヤツに仕えるようにゴシュジンサマ探しでもすりゃいいじゃねえかよ!」

「嫌ですの、だめですの! ミュウのご主人様はご主人様しか嫌ですの!」

「……って、ミュウがなんでかやたらにお前になついてるからさぁ、俺も困ってるわけよ。確かに小動物を金の亡者に売り払うようなヤツには見えないけど、でもやっぱり少々性格がな、心配だからさ。っつーか、むしろ売るつもりは無くても騙されて盗まれそうだ。ちょっと二三日くらい見とかないと安心できないっての、わかるだろ?」

「……それは、納得できますが、ですが護衛の件はやはり私一人で十分です」

「オイちょっとまて。そこで納得できるってどういうことだコラ!」

「自分の今までの言動を踏まえて胸に手を当てて考えてみたら?」

「んだと!」

「やー、なんつーか、本当に……わけあり? 護衛とその対象にしては敬語もへったくれもないし、護衛がつくくらいの金持ちにしては護衛が一人ってあたりもやっぱりどー考えてもおかしいし。そうだなー、それにその髪と目の色」


 ぎくりと肩が強張る。思わず無意識のうちに自分の剣の位置を確認するように手が伸びて、空気が凍る。


「珍しいよなぁ、赤い髪と緑の瞳だって。聞いたことあるぜ、確かキムラスカの―――」


 グレンの声が途切れた。ふと気づけばティアの手に握られたナイフがグレンの喉下に当てられている。ほんの少しでもティアが力をこめれば、血が吹きだしてしまいそうな距離。噴出す赤を幻視して、ルークの顔色が悪くなる。


「お、おい!」

「……あなた、なんのつもり?」


 首筋に刃をつきたてられているというのにソイツはほけほけと笑っていたときと変わらない目をしている。口元はにやりと歪められて、額の布に隠れがちの緑のひとみは怯むことなくこちらを眺めている。ゆっくりと、俺たちを見やって―――ほんの一瞬だけ、なんだかひどく懐かしいものでも見るような目をしたように見えたのは、きっと気のせいなんだろう。
 だって、さっきから俺よりも近くであいつに刃を突きつけているティアは少しも揺るがず動きもしないんだから。








 わかってはいたが。わかってはいたが、彼女の融通の気かなさというか頑固さというか真面目さに、グレンは少し溜息をつきそうになった。そして、やはり懐かしく感じてしまう。本当は優しいくせに、兵であろうとして感情を押し殺し、強いて冷静に振舞う。一部の隙も無く、完璧であろうとする。
 そうあろうとする、いつも強がりな少女だった。グレンのよく知る彼女も。たとえそれが彼女の真面目さからであっても、ここまで必死になってルークを守ろうとしてくれているのが、ひどく嬉しい。あのころの自分は、そのまま表面だけしか見えずに彼女のことを誤解ばかりしていたものだが。
 そして、散々口であれこれ言いながらも、今首に刃をつきつけられている自分をどこか心配そうに見つめる彼も―――ああ、彼はやはりまだ人の血に濡れていないころの自分だ。
 できるのならば。……可能である限りは。たとえ無理だと知ってはいても、彼には人の血の匂いなど覚えて欲しくはないのだけれど。


「何のつもりかって? だから、言ってるだろ? 護衛の売込みだよ。キムラスカの王位の血統の証は赤い髪と翡翠の瞳。今のキムラスカでこの年齢であたるのはただひとり。そんな重要人物がなんと護衛が一人でマルクトに来てる。が、アンタらの関係を見ても予定を立てて計画的にこっちに来たようじゃない。なによりどう考えてもあんたらの間に主従関係が見て取れない。よくわからんが、不測の事態で仕方なしにバチカルへ帰国中、ってところか。どうだ、今までの俺の状況把握に何か間違いでもあるか?」

「……全部、あなたの推測に過ぎないことよ」

「んー、堅いな。まあ護衛としての心構えとしちゃ当然か。いや、むしろあんたの性格をかんがみるに……そうだな、アンタが無茶しようとしてそれに巻き込まれたのがそこの男、って図式か? なるほどね、あんた真面目そうだからそりゃあ必死になって家に帰そうとするよなー」

「うわ、すっげ、何で俺が巻き込まれたってわかるんだあんた」

「ルーク!」


 思わず感心したように頷いたルークにむかってティアのきびしい叱責がとぶ。彼も一瞬だけしまったという顔をして、しかしすぐにふてぶてしい顔になる。


「うっぜーな、事実は事実だろ」


 むしろふんと鼻でも鳴らしそうな勢いにティアのまとう雰囲気が一気に冷点を突破しそうになる。これはさすがにいかん、俺のせいで彼が彼女に見捨てられては何だか遣る瀬無いにも程がある! と危機感を感じたグレンはまあ待てとティアにむかって手の平をむけ、首から注意をそらすのは心臓が冷えるがルークに意識をむけた。


「ルーク、と呼んでもいいかな?」

「ああ、好きに呼べよ」

「そっか、じゃあルーク。突然ですが問題です。どうしてこのおっかない護衛さんは今こんなに必死になっているのでしょうか」

「は? しらねーっつーのんなもん」


 知る知らない以前に、シンキングタイムはゼロ秒。遠い目をする。そうだったな、このころの俺ってたしかにこうだったよな。わかってたけどこれ確かにひどいなぁ。つい思わず小さな声であんたも苦労するな、と呟いてしまった。
 一瞬だけティアからの殺気が緩まって、しかしすぐ慌てたようにもとに戻る。いや違うよ、油断させる為じゃなくてついうっかり本音が出ちゃっただけだよ。どうしよう、今のルークを見てたらなんだか俺が謝りたくなっちまう。


「よーしわかった、まずこっからだ。ルーク、お前剣を振るうとき考えないか? これが防がれたらこうしよう、これなら入る、こうきたら次はこう来るだろうから防がなきゃ、ってな。意識しなくても、自然に考えてるだろう」

「ん? ああ、まあ」

「それと同じだ。いいか、ルーク。人には理性がある。人には情報を整理し思考する脳がある。だから人は考えることができる。お前も人なんだ、せっかくだから獣みたいに直感だけで生きてくんじゃなくてちょっとは頭働かせて考えながら生きていこうぜ」

「……めんどくせーこと言うなぁ、お前」

「まあまあ……剣に関しては考えることができるなら、他にも応用は可能さ。ただ、剣以外のことに対して考えるということに慣れていないだけだろう。ということでまずは一つ。何故、いまこのおっかない護衛さんはこうまで必死なのか」

「しらねえ」


 ふたたびシンキングタイム0秒。自分のことながら途方にくれてしまいそうだ。


「考えようぜ、頼むから。いいか、じゃあヒントだすぞ。まずその一、ここはマルクト領である。二つ、ファブレ公爵はここでも有名である。三つ、お前の護衛は今のところひとりしかいない。四つ、俺の相棒はライガクイーンとやりあって殺さずに説得できるほどの腕前である……五つ、マルクトとキムラスカはいま険悪モードである。……なあ、なんとなーく勘でも嫌な予感がしねえか?」

「………………そうだな。なんか、嫌な感じがするな」

「うん、よしよし。ここでしらねえって返ってきたらどうしようかと思ったぞ。つまりだ、今のマルクトにとってキムラスカの王族が一人でのこのこ歩いてるってのは、とんでもなくおいしい状況だ。とっつかまえて人質にして少し強気に外交交渉すればもしかしたら戦争をせずとも領土が取れるかもしれない。それくらい、王族の直系の血を持つ男子ってのは重要だ。ほかに直系の男がいない今のキムラスカなら特にな。だから、まず第一にお前の身元は絶対にばれちゃいけない」

「へーえ」

「あのな、何だその他人事の返事は……まあそうすれば後に尾を引く緊張状態がつづいて互いに軍備増強し合ってあっと言う間に国庫を逼迫するだろうことがわかりきってるだろうから、手段としては思いついても実行するような馬鹿はいないだろうが。だが、そういう手段がある、と言う可能性があることが問題なんだ。他にも、もしかしたら先の戦争でファブレ公爵に殺された兵士の家族にお前がファブレ公爵の息子ですなんてばれてみろ。多分このエンゲーブにだっているはずだ。それはそれはようきなさった、お茶でも如何ですか~なんて事になるわけないのは、お前でもわかるだろ?」

「ああ……」

「さあ、ここで問題です。俺はルークはそこにいるおっかない人に巻き込まれたのではといいました。ルークはそうだといいました。もしもこれがマルクト貴族でしたら、すぐに近くの村にせよ町にせよに行き、実家に連絡をすれば後は待つだけで十分です。

 ですがルークはそうしません。先ほどあったマルクトの大佐に一言実家の名前を告げて連絡を取ってくれといえば言いだけだったのにそういいませんでした。と、いうことは、マルクトの貴族ではないということになります。むしろケセドニアにしろダアトにしろ、マルクトと険悪関係になっていない状態の身分のある人なら大佐に保護を頼んでいたでしょう。ですがルークは頼みませんでした。頼めない人間だとしたら?

 ということは、もしかしたらルークはキムラスカの人間ではないでしょうか。そういえばキムラスカの王族の血筋には特徴的な髪と目の色がでると聞きます。ですが、たまたま同じだっただけかもしれません。珍しいというだけあって、マルクト国民ですがたまたま偶然同じ色になったという可能性がないわけではありません。

 けれど先ほどルークは言いました、事実は事実だろ。護衛の人は真っ青です。ここからルークの言葉がきっかり事実であるということがわかります。

 さて問題です、不測の事態によって今の状況になり、だけどマルクトの軍には保護を求められないらしい、敵国の王族の特徴と同じ特徴を持つ金持ちそうな布の服を着たひとは誰でしょう」

「って、やべえじゃねえか!」

「そうだなぁ、やっとわかってくれたか……いいか、ルーク。もうあんまり何も考えずにほいほい口から言葉垂れ流しだったら苦労するぞ、たとえ王族じゃなくてもな。で、ここでなんでお前の護衛が真っ青になったかだ。ライガのクイーンを殺さずに説得した相手がお前の正体にあたりをつけて、護衛をしたいと言い出した。なんで、この姉ちゃんは真っ青になってると思う?」

「……強い護衛はありがたい、が……信用ができない?」

「ごめーとー! ……なんだよ、考えりゃ頭回るんじゃん。上出来上出来。そうだ、この場合信頼できる相手かどうかを見極めることが肝心だ。見極めてもいない状態で、相手に身元がばれた。もしもマルクト軍にでも情報流されたらたまったもんじゃないしな、だから困ってるんだよ、彼女は」

「ふーん……んじゃあ、雇えばいいじゃん」

「「………………」」


 グレンは頭を抱えた。ティアはもう殺気を放つのを諦めている。ナイフを喉もとから離しているのは、今から少しでも友好的に接して護衛うんぬんはともかく、この問答が終わった後にでもマルクトに情報を流さないように交渉しようと思っているのだろう。


「あー、ルーク? どうして俺を雇えばいいっておもったんだ? 言っただろ、信用できるかできないかを判断できないから彼女は困ってるんだぞ」

「ああ? んなの、このめんどくせぇブタザル心配してるお人よしだろ、お前。しかも長老との口約束だけでも律儀に守ろうとしてるようなヤツだ。だから誰かを裏切るなんてまねするようなやつじゃねえだろ」

「……いや、それだけじゃ、ほら。演技とか」

「それに、俺に説明するのに面倒くさがらずに俺にわかるまで教えてくれたしな。俺相手にそう言う人間、少ねーのくらいわかってるさ」


 だから、多分アンタ悪いやつじゃねーだろ勘だけど。っつーかやっぱお人好しの部類に入るんじゃねえの?
 がりがりと面倒くさそうに頭をかく姿とは裏腹の言葉に、ティアは少し驚いたような目をしていてグレンはポカンとしていた。の、だが。


「………………は、ははははは、ははははははは! そうか、そうか……俺が、お人好しか」


 突然、たまらないとでも言いたげに笑い出してとまらないグレンに、ルークがむすりと不機嫌そうな顔になっている。腕を組んで半眼になって睨みつけてきた。


「っんだよ、笑うなっつーの! 違うってのか?」

「ああ、違うな。お人好しってのは、導師イオンみたいなヤツのことを言うんだよ。俺はね、ルーク。傲慢なんだ。どうしようもなく傲慢だ。それだけじゃない。とんでもない馬鹿で、愚かで、」


 この手は既に血まみれだ。俺はね、ルーク。何も考えずに流されるままに行動してとんでもない人数の人を殺しちまったんだ。お人好しそうに見えるのだってきっと、贖罪を求めながら贖い方がわからず、がむしゃらに自分以外の誰かの為に生きることで許されたいと願ってるだけなんだよ。
 あのときからはそういう風に生きてきて、そう言う風にしかなれなかった。今でも時々夢に見る。崩壊させた一つの町を。助けられなかった人と、有無もなく殺してしまったたくさんの人。
 これから起こるはずの未来で、お前もこんな気持ちを持ちながら生きてゆくのだろうか。もちろん、俺と同じ思いをさせないためにここにいるし、同じ目に合わさせる気も微塵もないのだが。もしも俺の力が及ばずこの手が届かなければ、今俺が抱えるこの痛みと同じものを抱きながら、贖罪を求めて死ぬ為に生きて―――助からなくなってから、手遅れになってからやっと答えをみつけていくのだろうか。

 ……そんなこと、


「はは……いいだろう、ルーク。俺は、お前を認めよう」


 ―――そんなこと、させない。
 生きる為に生きて、自分を許して自分を誰かと一緒くたに幸せにする、俺とは違う形のルークになればいい。
 お前にアクゼリュスは潰させない。アクゼリュスを消滅させる為だけに生まれてきたのかと、そんな思いは抱かせない。お前は幸せになる為に生きて、生きたいと願うままに生きればいい。あんな思いをするのは俺一人で十分だ。
 幸い、これから何が起こるか大筋でわかってる俺という存在がいるのだから、どうにかなるかも知れないだろう? そうさ、目指すは誰もが幸せに笑っていられる天下無敵のハッピーエンドだ。


「考えるのが苦手なりに早速考えて、真正面から俺を見てそんな風に信用されちゃぁ流石にぐっとくるね。お前は、本当に、単純っつーか純粋っつーか……そうだな、昔の俺自身にそっくりだけど、きっと俺よりずっと真人間なんだろう。いいね、最高だ! 俺はお前がお前であることに祝福を捧げよう。お前の存在は俺が認めよう」


 オレ自身がお前を認めてやるよ。たとえ世界中から寄ってたかってその死を願われるとしても、俺だけはお前の生を願ってその幸せのために動いていこう。
 こんな俺をお人好しだといって信じてくれた、俺によく似た、けれど俺ではないお前を俺が認めよう。
 お前のほうこそお人好しだろう。とんでもなくひねくれてわかりづらくて表現のしかたが下手すぎるが。


「ルーク。聖なる焔の光。考えろ。考えるんだ。お前にできること、できないこと、すべきことしたいことを、これからのことを。考えて動け。なーに安心しろ、お前ならできる、俺はそう信じてる」

「……お前、何いってんのか訳わかんねえぞ」

「んだよー、そんなしかめっ面するなよルーク」

「いきなりご機嫌だなお前……」

「そりゃあな、ご機嫌にもなるってもんだ! エミヤ、晩飯(ハンバーグ、目玉焼き付き、グレンリクエスト)できたかー!! ルーク、お前にもエミヤの料理を食わせてやるよ、最高なんだぜあいつの料理。ちょっとまってな」


 突然ラリったかのようにご機嫌を発揮して宿の下へと走りながら降りていくグレンを見て、ルークはいささか困惑気味に隣に立つティアに問うた。


「……なあ、俺早まったかと思うか?」

「さあ……でも、よくは解らないけれど彼はあなたを気に入ったみたいだし、信用できるできないはまだ解らないけど、悪いようにはしないんじゃない?」

「……『お前ならできる、俺はそう信じてる』か。っは、わけわかんねえ変なヤツだなあいつ」


 そんな言葉を吐きながら、ルークは今自分の口元が少し緩んでいることを知らない。
 腕を組みながら今しがたグレンが降りていった先を見て、嬉しそうな目をして、緩む口元にも気づかずにポツリと繰り返す。


「変なヤツだ、ばっかじゃねーの」


 そんな素直ではない彼の姿を見て護衛の少女は呆れたように溜息を付いた。本当は嬉しくて仕方ない癖に言葉だけが裏腹で。これでは本当に幼い子どもと変わらない。隠しているつもりなのだろうが本人は余程嬉しかったらしく、つい先刻までうざいだのなんだの言っていた足元にまとわり着くチーグルをひょいと抱え上げ、その頭をぐしゃぐしゃに撫ぜている。
 嫌がらせのようにも見えるがチーグル本人は嬉しいらしく、みゅうみゅうなんだか楽しそうな声が聞こえた。
 彼は確か彼女よりも年上のはずだった。そのくせ、精神年齢はまるで十にも満たない子どものようで呆れることしきりだ。
 そんな事を思いながら、相槌を打つ必要もなさそうだったので彼の呟きにも何も言わず、ただ嬉しそうに笑う彼を見ていた。


「ほんと変なヤツだな、あいつ」



 夕焼けの斜陽が町を焼く。
 夜に沈む直前、のどかな田舎町の夕景はとても綺麗だった。







[15223] 04
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ae6e03c6
Date: 2010/01/25 23:59



 とんでもなく用意のいいアーチャーのおかげで、ハンバーグは一人に一つずつ用意されていた。目玉焼きは絶妙な半熟。完璧だ。そして嫌がらせのように添えられている花形に切り取られたニンジンに顔を青くさせたのが三人全員だったことに小さく笑いそうになるのを堪える。グレンが嫌いなのだからルークもにんじんが嫌いだろうとは思っていたが……まさか、あの真面目そうな少女までにんじんが苦手だったとは。中々の予想外だ。
 そして現在、三人の皿の上にのこるは花形のニンジン、固まる三人、流れる沈黙。そんなににんじんが嫌いか。


「さて、この私が手抜きなく完全完璧に作り上げた夕餉だ。食わず嫌いは許さん、諸君、しかと味わって食べたまえ」

「……エミヤの鬼アクマ。あの二人には花ひとつで何で俺にはてんこ盛りなんだ!」

「なに、マスターへの日ごろの感謝をこめてだね……誉めても何もでんぞ?」

「ほめねえよ!」


 熱く、それでいて微妙に半泣きでつっこみを入れる主の様子にアーチャーはそれはそれは楽しそうに声をあげて笑う。因みに声に出してはいないが、後の二人もグレンに心中で同意しているようだ。目元に手を当てクツクツと笑いを抑えながら、まるで親の敵のような目でニンジンを睨みつけているグレンの頭をぐりぐりと撫ぜる。
 いつもなら餓鬼扱いすんなよなー、とぶつくさ言うものなのだが、今は対ニンジン戦線でその余裕もないらしい。……いったいどれだけにんじんが嫌いなのだろうか。
 これは絶対にこの腕にかけて主のニンジン嫌いを矯正せねばなるまいと誓いつつ、彼はふと笑みを消し宿屋の窓から暗くなった夜の村の方を向く。


「さて、マスター。君が奮闘しつつニンジンと戦う姿を見るのも一興なのだが……気づいているかね?」

「ん? いや、何のことか……いやまてよ、次は……そっか。チーグルの森じゃなくなったから、今なのか。何人くらいだ」

「そうだな、具足の音をとるに……ざっと40前後か、まったくなめられたものだ」

「いや、結構用心深いと思うんだけど……頼めるか」

「どの程度だ」

「そうだなぁ、これ食い終わるくらいまで、ついでに戦力としては使える印象をもたせるくらいで。可能?」

「誰に向かって言っている?」

「……じゃ、いってらっしゃい」


 軽く手を振るだけの送る言葉に、アーチャーもにやりと笑って軽く手を振るだけで返す。出際に椅子にかけていた赤い外套を引っつかみ出て行く後姿は颯爽としていて、男ながらにルークも惚れ惚れするくらいだった。そして何より、あの、主従としての阿吽の呼吸をみせたグレンとエミヤ。
 それにあれだ、あのエミヤってヤツ。背中がちょっとヴァン師匠に似てねーか、格好いいなぁと思いながらも彼らが何の話をしていたのかが解らない。
 わからない、ので、早速聞いてみた。……別に、ニンジンと対決するのが嫌で拒絶反応をしているわけではない。


「なあグレン、あいつ、どこいったんだ?」

「ん? 多分だけどな、あの眼鏡大佐がお前らの正体にあたりをつけて、身柄確保しようと兵を引き連れてやって来たみたい。で、エミヤに足止め頼んだんだよ」

「ふーん、あの陰険眼鏡…………はあああ?!」











 がしゃがしゃと金属同士のこすれあう音が夜の村に響く。陸艦から降りた40名前後をつれて、彼らが昼の間にとまるといっていた宿屋に向かうその道の途中。
 馬車も通れぬくらいであろう道の間に、背の高い男が一人ぽつんと立っていた。
 空に月。雲はない。


「こんな田舎に物騒なことだな、マルクトの大佐殿」

「おや、気づかれていましたか」

「こんなに騒がしい気配を撒き散らしておいて、気づかぬとでも思ったか?」


 軍として隠密行軍の訓練も受けているマルクトの精鋭兵の行動を『騒がしい』と評した彼の言葉に、ジェイドは一つ感心したように溜息をついた。とんでもない耳をしているのか、それともあらかじめこう来ることが解っていて待ち構えて言ってみたのか。
 道を塞ぐ男の手には黒白の双剣。月明かりしかない夜の中でも目に鮮やかな赤い外套。


「……とりあえず、こちらとしてはあなたの主のほうには害意はありません。私たちが話があるのは貴方たちではないほうの二人組みでしてね。そこをどいていただけませんか」

「ふむ、それは困るな。実をいうと私の主はあの世間知らずを友人と定めてしまってね、そちらに向かうとあればなおのこと私はここを退けんのだよ」

「……随分と物好きなひとですねぇ」

「同感だ。反論はできんな。―――私には真似できないことだ。だが、だからこそ流石は我が主と言ったところか」


 男は静かに笑いながら、片腕を上げる。その切っ先を向けられた兵にかすかに同様が生まれる。放たれる殺気。それは、仮にも戦場に出ることを目的とした職業の軍兵が思わず後ずさりしたくなるほどの。


「ひっ……!」


 向けられる瞳は研がれた刃の色だ。鋭い鷹のような目つきのそれに標準を合わされて、先頭を進んでいた兵達にひるみが生じる。一度生まれた怯えはゆっくりと広がり、後ろのほうへと―――


「落ち着きなさい。あちらは一人、こちらは何人いると思っているんですか?」


 拡がってしまう直前、落ち着いた声がその雰囲気を鎮めてしまう。


「た、大佐!」

「圧倒的にこちらが有利です。浮き足立って指揮が乱れては、いくら訓練を受けた兵といえどもただの烏合の衆とかわりません……冷静になりなさい」

「……は! 失礼しました!」

「ふん……よく訓練された兵だ。優秀だな」


 アーチャーは槍を構えて戦意をあげだした兵を見て、あせるでもなく感心したような声を出す。そして場所を動くでもなく―――村の中でも特に道の狭い場所で陣取って動かない。
 それを見て男の意図を察し、ジェイドは眼鏡をかけなおす。その眼鏡の下で赤い瞳が細められたのに兵達は気づかなかった。もしかしたらこの月明かりだけの下でも、対峙しているあの男だけは気づいていたのかも知れないが。

 隘路は寡兵で大軍を防ぐ時によく使われる、有効かつ基本的な地形だ。兵法では基礎中の基礎だというだけあって、その基礎をしっかりと守る相手は下手に奇策を弄する勇将よりも手堅い。ましてや相手はライガの女王とぶつかり合って殺さずに収めたほどの相手だ。
 兵たちの手前余裕な表情を崩してはいないが、どうなるか解らない。

 これは簡単に行きそうにはない。面倒だと溜息を付きたくなって―――それと同時、楽しそうだと思う自分に内心辟易としそうになった。民家に囲まれたこんな村の中で威力の大きい譜術などぶっ放せるわけもない。
 ジェイドはコンタミネーションで槍を取り出し、その切っ先を驚いた様な顔をしている男に向ける。


「こちらも仕事なので……最後にもう一度言います、大人しく引いていただけませんか」

「なるほど、貴様はなかなか油断ならんといっていたマスターの言葉の意味が解った気がするな。天才の匂いがする……が、答えはノーだ」

「……怪我をしてから後悔しないでくださいよ」

「生憎だが私が受けた敗北は一度のみでね、二度目はない。永劫だ」


 その時の笑顔の鋭さに兵達は臆しそうになるが、それでも一向に彼だけは怯む様子もない上官の言葉を思い出し、兵達は気合を入れる。


「我が名はエミヤ、グレンの従者だ。主の命によりこの道は通さん。この身に刃を届ける自信があるものは、せいぜい臆せずかかってこい!」

「総員、戦闘配置。目標は対象の排除、可能なら捕縛……いきますよ!」

「おお!」













「どういうこと?!」


 フォークに突き刺さったニンジンを睨みつけながらサラリと答えたグレンの返答に、うっかり流しかけてその内容を理解した瞬間驚いて二人が立ち上がる。うわあ視線が、驚きの視線よりも疑惑に満ち満ちた冷たい視線がものすごく痛いぜ。


「あのさ、俺ちくってないからそう殺気立つなって。だって俺でも予想がついたことだろ、あのいかにも切れ者そうな、あの年で大佐やってる軍人だぜ。やつの目は欺けなかった、ってだけだろ? そうだなー、例えばルークが頭にタオルでも巻いて髪を隠して目元を包帯でぐーるぐるにして護衛のあんたがルークの手を引きでもしてればば、まあ怪しまれてもばれなかった……いやあの陰険眼鏡ならバレそうな気もするな。まあどっち道そんな格好じゃ魔物に襲われたとき対応できないから却下か……」

「何をのんきなことを……」

「そーだそーだ、人質にされるかもしれねーんだろ?!」

「いや、その必要はないと思うんだが……よし、二人ともそれがどうしてかわからなさそうだから、ここは一つ連想ゲームといこうか。落ち着けおふたりさん、まあとりあえず座れよ。大丈夫だいじょうぶ、エミヤはそう簡単には負けないって。しょうがねえからいざとなったらあんた等は俺が逃がすから、まあ待て。さてルーク、ふたたび考える練習だ」

「ああ?」


 っつーわけで、答え途中からわかってもアンタは先に答えないでくれよ? ティアがきびしい目で見てきた後、しばらく無言で目だけで攻防。やがてしぶしぶ頷き腰を下ろしたのを見届けてから、切りがよかったのか覚悟がついたのか、グレンはやっとニンジンを食べる。途端に嫌そうな顔をするのだが、吐きはしない。
 グレンが落ち着き払って座っているのと、ティアがしぶしぶながらも座ったのを見て、ルークも仕方なさそうに腰を下ろす。対してグレンは不機嫌そうにもぐもぐと租借しながら、指をぴんと立てた。


「まず一つ。ここにどうして導師イオンがいたか。二つ、あの導師はマルクト大佐の名前を呼んでいた。三つ、あの大佐はダアトにいるはずのローレライ教団の導師がこんな田舎にいたことに驚いても居なかった。さてルーク、ここから何か思いつくか?」

「んん? そうだな……あいつらは知り合い、っつーか……あんときの会話的になんかつるんでそーだったな」

「その通り。次に考えるのは、どうして導師イオンがマルクト軍の大佐と行動を共にして、ここにいるのか。もひとつヒントをいえば、軍の大佐が何の意味もなく軍服着て導師と一緒に旅行です、なんてありえないからそれはなにがしらの任務を帯びていることは予測される。ここまではOK?」

「まあ……旅行じゃあなさそうだったな」

「……じゃ、更にヒントな。中立であるダアトの導師をともなっての国から下された任務といえば予想がつくのは外交上の交渉ごとだ。今の状況なら大きく分けて二つ。ひとつは宣戦布告、もうひとつは修好か和平工作」

「宣戦って……そんなにやべぇのかマルクトとキムラスカは」

「うん、マジでやべーよ。国境とかもうピリピリしてやばいくらいだぞ。……で、それを踏まえ考えて、だ。今回はどっちだと思う、ルーク」

「そうだな……どっちかってーと……和平、か?」

「お? 意外だな、どうしてそう思った」

「いや、だってさ。あのイオンっつーやつが導師なんだろ。あいつ、戦争をとめようとはしそうだけどその逆には協力するの嫌がりそうじゃん」

「そう、そのとーり! うん、上出来上出来。俺もそう思うんだよな。で、和平工作だと仮定して。じゃあ、何でお前らをあのマルクト大佐が捕まえようとしてるのかは、あれだ。ルークを王族だと思ってのことなら多分お前の地位でとりなしてもらって、確実にキムラスカ国王へ和平の密書だの修好の親書だのを届けたいんだろうさ。だから捕獲と言うよりは保護だろうし、迎えが来るとは思っても丁重に来るだろうと思ってたんだが……鎧装備40人か。なあ、まさかとは思うけどお前らやばい方法で密入国やらかしたとかじゃないよな?」

「「………………」」


 本当は知っていることをさも知らないことのようにして、予測と推理により仮定しているようにみせるためにはその予想が百発百中であってはいけない。事実とは違うことを知っているくせにわざと誤予測を入れる、と言うのはひどく白々しい気がする。
 気がするが、しかし流石は自分をフェイカーだというアーチャーの言葉だ。
 今の自分を客観的に見て、起こる未来を知っている予言者などではなく、ただの切れ者にしか見えないから恐ろしい。


「……わあ、なんで否定してくれないのカナー。まあいいけど、つまりはそう言うことだろうということだ。ま、和平の使者ならキムラスカの王族だからってひどいこともしないと思うけど……ルークはどうしたい」

「へ?」

「あいつに協力してやるもよし、そんなんしったこっちゃねーって逃げるもよし。どっちでもいいぜ? お前は、どうしたいかだよ」

「俺、は……」


 考える。苦手ながらも、ルークは必死になって考える。どうしたほうがいいのか、なんてことはわかっている。和平工作に手を貸したほうがいい、戦争なんてものは起こらないほうがいい、それくらいは流石に知っている。けれど、今ここでグレンが和平工作だろうといったのは、あくまで推論でしかないのだ。
 なるほど、状況を見れば恐らくは和平工作なのだろう。だが、もしも万が一宣戦布告のほうだったら。
 いや、しかしあのイオンが戦争のために協力するようには見えないし。
 えんえんとぐるぐる回る思考にいい加減自分でイラついてきて、がりがりと頭をかく。


「……ったく、しゃーねー、協力! 協力する方向で!」

「おっしゃ、オッケー! じゃあそう言う方向で行こうか。んじゃルーク、悪いけどエミヤの弓取ってきてくれねぇか?」

「あぁ? めんどくせーな」

「……とか、言いながらとってきてくれるんだよなぁ、一応。どうよ、意外だろ」

「え? え、ええ、そうね……本当に意外だわ」


 ぶつくさ文句を言いながらも二階へとあがっていくルークの背を見てポカンとしていたティアに話を振ってみれば、随分と気の抜けたような声が返ってくる。
 和平交渉と仮定して協力しようといったことと、わざわざ頼まれたとおりに荷物を取りにいったことと。
 ティアがこんな顔をするくらい驚くようなことだったようだ。いやはや、まあわかるけどさ。昔のわがことながら何だか遠い目をしたくなってしまう。


「あいつは考え無しの馬鹿で猪突猛進で世間知らずで育ちがあれだからとんでもない天邪鬼だけど、根は素直でむしろ人懐っこいもんだぜ? 周りが面倒くさがらずに教えてやれば、ちゃんと考えだってする。アンタの中でのイメージがどんなのかはあえてきかねーけど、あいつはそんなに悪いやつじゃねーよ。……嫌ってくれるなよ?」

「……随分彼を買っているのね、あなたは」


 いやあんたにまで見捨てられてたら俺はここにはいなかったですから、ついフォローを。
 なんて、絶対に言えない。
 まあこの世界のルークがこの世界の彼女をどう思うのかは知らないけれど。ついついフォローを入れてしまいたくなるのは、彼にとってはいた仕方のないことだ。

 苦笑しながら肩をすくめていたら、二階から降りてくる足音がする。ルークが持っているのはグレンが頼んでいたものだ。


「グレン、弓ってこれだけか?」

「お、サンキュ。よっしゃじゃあエミヤんとこ……って待てーー! ルーク、お前ニンジン残してるじゃねえか!」

「……げ。い、いいだろ別に! それ以外は全部、」

「馬鹿、エミヤだぞ。ここでニンジンを残しなぞすれば、びっくりするくらい豪勢なニンジンフルコース一週間のたびへご招待だ! しかも連座制でみんなだ、死ぬわ!」

「うえええええええ?!」

「ルーク、食べなさい」

「うおぉ、連座制ってとこから急に他人事って顔つきが変わったな……こえぇ」

「この冷血女ぁ! 無理なもんはむりだっつーの、グレン代わりに食えよ!」

「断る! 俺もニンジンは苦手なんだ、お前が食え!」

「ルーク、食べなさい。私も彼も食べたのよ?」

「いーーーーやーーーーだーーーー! それならブタザルにでも食わせりゃいいだろが!」

「ばかやろうチーグルがにんじんなんて」

「ご主人様、わかりましたですの! ミュウがニンジンたべるですの!」

「「「……え」」」


 救世主、ご光臨。













 ギィン、と高い金属音が鳴り響いてくるくると空高く回転した剣が落ちて地面に突き刺さった。その剣のすぐ脇には倒れ伏した兵の姿。一人だけではない。そこにもここにもあそこにも、ごろごろとそこら中に倒れた人が転がっている。
 静かな夜の村。今、この場に立っているのは二人のみ。


「やれやれ、ライガクイーンを殺さず説得、といっていたので用心のつもりで多めに人手をつれてきたのですがね……これでもまだ足りませんでしたか」

「なんだ、やはり初めから私と戦り合うつもりだったのではないか、その言い方では。これしきの人数で捕らえられるとでも思われていたのかね? これはまったく甘く見られたものだ、わが主を捕らえたいと言うのなら、私を捕らえねば話にならんぞ。せいぜいこの三倍は持ってきてもらわなくてはな」

「言いますね。言うだけの実力はあるようですが、過信は身を滅ぼしますよ」

「なに、いらぬ心配だ。事実を事実として言葉にしたまでさ」


 アーチャーは手に握った双剣をひゅんと一度まわして握りなおす。その剣に血はついていない。


「四十人をすべて殺さず戦闘不能、ですか……なるほど、あなたの主が人外扱いするわけです」

「ふん、剣術だけに抑えられているとはいえ、私を相手に本業の譜術ではなく槍だけでここまで持っている貴様のほうこそ人外なのではないかね」

「それではまるで今でも全力ではないといっているようですが」

「こちらにも都合というのがあってね……それならそれなりの戦い方をするのみだ。貴様も夜の町中で大技をぶっ放せないのだから、おあいこというところだろう」

「こんなに目立つ腕の立つものが今まで噂にもならなかったとは……あなたが今までどこで何をしていたのか、気になりますねぇ」

「取るに足りん瑣末なことだ、喋るまでもない」

「そうですか……さて、これ以上時間がかかってはイオン様が心配して出てきてしまいますので贅沢はいえません、譜術を使わせてもらいますよ」

「おもしろい。この世界の魔術がどんなものか一度見おきたかったのだ」

「―――――――――雷雲よ、我が刃となりて敵を」




「またんかこらぁ! なんでこんな町中ででかい譜術使おうとしてんだ!」


 もう、いかにもこれが決着だといわんばかりの場面で急に聞こえた第三者の声に、二人の意識がそちらにそれる。ばっきんと壊れてがらがらとくずれる緊張感。一瞬、このまま術を放ってしまおうかとも思ったが今の人数では今度はあちらのほうが勝っている。
 ここは堪えて、ジェイドは大人しく槍を戻した。


「マスター、もういいのか」

「うん、大体方針は決まったかな……おい、そこの大佐!」

「これはこれは、ローズ夫人のお宅以来ですね。確かグレンと名乗っていましたか」

「おう……へへん、どーだ、エミヤは強ぇだろ」


 周りに積まれている動かないマルクト兵を見やってにやりとグレンが言えば、対するジェイドも(表面上は)笑いながら言う。


「そうですねぇ、貴方が人外扱いする理由を身をもって体験しましたね」

「うおおお、む、蒸し返すんじゃねえよ! 今度は何地獄にぶち込まれるか……ええい、とにかく! アンタは国民を守るための軍人だろう、なんでこんな風に兵を引き連れてきてんだ?」

「……先日、正体不明の第七音素の超振動がキムラスカ・ランバルディア王国王都方面から発生。マルクト帝国領土タタル渓谷附近にて収束しました。超振動の発生源が彼らなら、不正に国境を越え侵入してきたことになります。これがどういう意図で発生したのかを確認せねばなりません。先の行動は、何らかの敵対行動を目的としてのことに備えていただけのことですよ」

「…………マジで? 超振動で密入国? 下手したらミンチじゃん。あんたら一体何してたんだよ」

「俺は巻き込まれただけだっつーの!」

「……今回の件は私の第七音素とルークの第七音素が超振動を引き起こしただけです。キムラスカによるマルクトへの敵対行動ではありません」


 ジェイドは「そうですね」と少し考えていたようだが、ちらりとルークのほうを見た後「確かに敵対行動ならもう少し……」などと呟きながら頷く。
 言葉の後ろに消えていった無言になんだか馬鹿にされている気がして、ルークは目に見えて不機嫌そうになった。


「ではルーク、あなたのフルネームは?」

「ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐に失敗したルーク様だよ」

「ファブレ家……いや、誘拐? 穏やかではありませんね」

「へっ、知るかよ。お前らマルクトの連中が俺を誘拐したんだろが」

「……少なくとも私は知りません。先帝時代のことでしょうか」

「ふん、こっちだって知るか。おかげでガキの頃の記憶がなくなっちまったんだから」

「―――――――――記憶が、ない?」


 一瞬、あの陰険眼鏡がうろたえたように見えてルークは眉間に皺を寄せる。


「あんだよ」

「……いえ、気にしないでください。独り言です。それより」

「そーだ、それよりも。こっちからも聞きたいことがあるんだよな。よし、言えルーク」

「ああ? なんでだよ、お前こう言うの得意そうじゃん。おまえがやりゃいいんじゃねーの?」

「何事も経験だよけいけん。ほれ、こうバーンと啖呵切ったら気持ちいいぞ?」

「そうかぁ? あー、んじゃ、おい、そこの……えーと、名前……「ジェイドだぞ、ルーク」ああそうだ、ジェイド。アンタがイオンと一緒にいるのは、キムラスカに和平工作をするためか?」


 人の名前を思い出せずに後ろからぼそぼそとフォローをしてもらっている様子を見て、どこか馬鹿にしているように見ていたのがその一言で少し目を丸くする。
 そしてすぐに疲れたような溜息。


「……やれやれ、本人はともかく周りが油断ならないようですね。国家機密ですのでおいそれと口にはできません。が、言っておけば宣戦の布告ではないことだけは約束しましょう」

「そうか。なら、それが和平工作なら俺のほうからも伯父上にくちききしてやる」

「………………は?」


 あまりに意外な発言に、ジェイドが固まる。
 それを見て、ルークはなるほどと思った。流石だグレン、確かにコイツのこんな顔するのが見れるなら、面倒くさいがあれこれ考えるってのも悪くない。
 にやりと笑って腕を組みながら言い放つ。


「条件は一つだ。代わりに俺をバチカルまで送りやがれ」














ボツネタというかNGシーン。






その一



「なあグレン、さっきエミヤと何の話してたん」

「ふ、考えろ…考えるんだルーク。思考停止は忌むべきことだ! どうにかしてこのニンジンを…!」

「聞けよ! 人の話を!」

「ニンジンは…ニンジンだけはダメなんだ! 捨てるのは……いや捨てるのはダメだ、簀巻きの未来しか待っていない。むしろ今度こそニンジンフルコース一週間……っ?!」

「…真面目に食べることからはじようとは思わないの?」

「ええええええ、あんたやっぱ真面目だなぁ……ルーク、やるよ」

「ぬぉわ! いらねえよ馬鹿! 返すぞ!」

「あ、こら! 自分の分まで俺んとこ入れんじゃねえよ!」

「っへっへっへーん、なんのこ……あ、返すな!」

「…………はぁ」


 同レベル。ぎゃいぎゃい騒ぎながらのグレンとルークのやることの幼さに、ティアは溜息を付いた。






その二


「どうしたグレン、早いご到着だな。……ニンジンはちゃんと食べきったのかね?」

「う……モチロンサ」

「そうか、一週間努力するように」

「ちょっと待て、食ったよ?! ちゃんと食ったって、なあ!」

「はいですの! エミヤさんのお料理はとってもおいしかったですの~」

「あ、こらミュウおま」

「確定だな。安心するがいい、マスター特権で豪華(ニンジンずくめの)フルコースは君だけだ」

「待て。ミュウが食ったのは俺のじゃなくて……っ」

「どちらにしろ監督不届き行きだ。覚悟したまえ」

「エミヤの鬼アクマああああああ!」

「そうはしゃぐな」

「喜んでねえよ!」







[15223] 05(タルタロス)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ae6e03c6
Date: 2010/01/25 23:59



 海が見たいと泣いたことがある。ガイが読んでくれた絵本の中の海を見たいと泣いたのだ。
 ずうっと続く、果ての見えない世界を覆う広い海。閉じ込められていても見たくてたまらなくて、泣いて喚いて見たい連れてけと暴れたものだ。結局父からの許可が下りず、脱走にも失敗。
 塞ぎこんでいれば、ガイはわざわざ海まで行ってくんできた海水を持ってきてくれて。
 小さな海はそれでも塩辛くて、こんなものが外には自然に広がっているのかと憧れた。


『―――お前が成人したら………俺が、どこにでも連れて行ってやるから』


 ほんの一瞬だけ、言葉を途切れさせた約束の言葉。その声がどこか苦しそうだったことにあのころは気づかなかった。ただ、いつか外に拡がる世界を彼と二人で見に行くのだと喜んだ。
 閉じ込められた自分を見下ろすように飛んでゆく、窓から見える鳥よりも、もっとずっと遠くまで行ってやろうと思った。交わした約束を疑うわけもなく、その笑顔の影に気づくわけもなく―――ただいつか、と。それだけを信じていた。

 もう手の届かない、遠い世界の昔の話。






「グレン」


 呼ばれてはっとする。どうやらぼけーっとタルタロスの窓から海を眺めていたようだ。振り返れば、その瞬間ぴしりと軽く額を指で弾かれた。思わず目を閉じて、小さなうめき声を上げながら額を押さえる。ちらりと視線を上げれば、そこには苦笑する彼の従者がいた。


「なにすんだよ」

「なに、マスターが朝っぱらからたそがれているようだったのでね」


 からかうような響きでそう言った後、アーチャーはふと少しだけ迷うような素振をする。それに、グレンはおや? と思った。珍しい、あのアーチャーがほんの少しだけとは言え、ためらうような様子を溢すとは。彼はいつも迷いなくなすべきことを、そうあるべきだと決めたならばそれだけを見て、真っ直ぐに進む人だと思っていたから。
 首を傾げてまっていたら、ふうと小さく溜息交じりに尋ねられる。


「追憶の顔だな」


 彼の言葉に、グレンは目を見開く。やがて、エミヤには何でもお見通しか、と小さく笑った。


「……昔の約束をちょっと思い出してただけだよ」

「そうか」

「この世界のルークも、同じ約束をしてるのかな」

「さあな」

「……この世界のルークは、」


 あの約束を守れるのだろうか。彼を死なせず、自分も死なず。生きて、成人して、明日も明後日もその先もずっと。生きて。生きて、生きて、生きて、――彼女が、あの時祈りのように呟いた言葉のように。
 俺は、今度こそ守れるだろうか。生かせるだろうか。誰も死なせずに守りきれるだろうか。ルークもイオンも皆も。シェリダンの人たちもフリングス将軍も、皆みんな。全てを。
 これから起きるうねりの大きさを知っている。知っているからどうすれば良いかわかっている。知っているから、恐くなる。何かひとつでも忘れていて、しくじってしまえばまた喪ってしまうのではないかと。
 どれだけ手を伸ばしても届かない。この手から零れ落ちていく、あんな思いを、


「たわけ。天下無敵のハッピーエンド。それを実現させる為に、今ここにいるのだろう」


 はっと顔をあげようとしたが、突然頭へ降ってきた手にぐしゃりと撫ぜられる。エミヤの手はごつごつしていて大きくて……それでいて、とても温かい。まるで魔法の手の平だ。どんな困難にも真っ直ぐ正面からぶつかって、必死に足掻いてその壁を打ち壊して進んできた。そんな不器用でまぶしい生きかたが刻まれた手の平は、凝る不安をあっと言う間に溶かしてしまう。


「だいたい、一人では無理でも私もいる。言っただろう、マスター。君の従者は最強だ」

「……そうだったな」

「―――知っている歴史から少し外れて不安になる気持ちもわかる。だが、変える為にここにいるのだろう? それに、歴史の枝葉は変わっても大筋は変わらないはずだ。本当に変えたい大筋は何か。それを忘れるな」

「ああ、わかってる……サンキュ」

「なに、従者として当然のことを言ってみたまでのことさ」

「……従者として当然、か。なんかさ、前から思ってたんだけどエミヤの従者レベルってやたらに高くね? 実は昔執事してたこととかあるわけ?」

「…………詳しくは、聞くな」

「うお?!」


 遠い目ふたたび。その表情の乾き具合と今までの頼りになるアニキっぷりとの落差に思わずグレンは一歩後ずさる。アーチャーの目の乾燥具合が恐ろしい。なにやらぶつぶつと「あくまなんて赤いの一人で十分だ……」などと呟いている。
 はて、アカイアクマは彼自身ではないのだろうか。それとも彼以上にあくまっぷりを発揮する赤いひとがいるのだろうか。聞いてみたいが、恐かったのでやめておく。自身を最強だと言い放つヤツにこんな目をさせるような話など、恐ろしくて聞けやしない。
 仕方無しに何か話を変えようとして、


「そういえば……ルークたちは何してんだ?」

「ああ、いや…………氷河期に突入している」

「は?」


 返ってきた、ワケワカラン言葉に固まった。









 ビュオオオオオオオオオと。陸艦の上だというのにひどく寒いブリザードが吹き荒れている。発生源には二人の姿。
 一人は、あの傍若無人で世間知らずで何より傲慢この上ないお坊ちゃんでさえ「黙って立ってりゃ結構美人」と言うほど整った顔の少女だ。少し表情を緩めでもすればあっと言う間に色々なひとから声をかけられるようになるだろうに、ただいまの彼女の表情は絶対零度氷点下突破の無表情だ。はっきり言おう、顔が整っている分この無表情ぶりは、恐い。
 そして彼女に対峙するもう一人は、夕焼け色の長髪と緑の瞳、ものを買うには金を払うということさえも知らない箱庭育ちの世間知らずの青年だ。こちらも黙ってきりっとした顔をして様相を整えればそれなりに気品のある顔立ちをしているはずなのに、ひたすら不機嫌そうな顔をして腕組みをして少し目線の低い少女を睨みつけて、もはやこの状況ではふてぶてしさと子どもっぽさしか漂ってこない。

 本日快晴、雲もなし。タルタロスはただいま海沿いに東ルグニカ平原を南下中。異常なし。ただし所により局地的に大吹雪が通り過ぎるでしょう。視程100m未満、風速25m/s以上、A級ブリザードです、命が惜しいなら近付かない方がいいかもしれません。
 実況するならそんな感じだった。


「妹だと? お前がヴァン師匠の妹だぁ? ざっけんな、じゃあなんでお前あん時師匠を殺そうとしたんだ!」

「だから、前にも言ったでしょう。あなたに話しても仕方ないことだと思うし、理解できないと思うわ」

「ってめぇ、ひとのこと馬鹿にしやがって……っ!」

「私の故郷に関わることよ……貴方が知る必要もない」

「ああ? 故郷がどうだがしらねぇが、それで自分のアニキを殺そうとするなんざとんだ冷血女だなぁてめえ」

「………………」


 ビュオオオオオオオオオオオ。ブリザードはますます勢いを増しております。結論、見て見ぬ振りして回れ右、が一番賢い選択なのだろう。


「アーチャー、あれ何? ルークは確か昨日、朝一でイオンに行方不明だったことについて聞きに行くーって言ってたんじゃなかったけ」

「わからん……私が見たときには既にもうアレでな」

「……すみません、僕のせいです」

「うお? あ、イオン……じゃなかった、導師イオン、サマ。悪い、ルークの言い方が移っちまった……みたい、デス」

「いえ、そちらのほうが呼びやすいなら名前で結構ですよ、グレン殿」

「そっか……ああ、じゃあ俺のほうも呼び捨てでいいぜ、イオン」


 そんなグレンの言葉にイオンは少し驚いた様な顔をして、すぐにとても嬉しそうに笑う。
 ひどく懐かしい、ぶっちゃけオールドランド一癒し系の笑顔だと常々思っていた笑顔を久しぶりに見て、グレンは内心じーんとしていた。の、だが。


「驚きました。グレン、あなたはルークと同じことを言うのですね」

「うっぐぅ?!」


 一番触れて欲しくないところを何の悪意もなくのほほんと言われてしまって、思わずうろたえる。


「そ……そっか? は、はは。あー、いや、うん、あー、えっと……」

「導師イオン。先刻のことなのだが、私が来た時にはもう彼等二人はああでね……何があったのか説明してもらえるか?」


 ナイスフォローだ、エミヤ! 思わずイオンに見えないように背中で親指をぐっと突き立てる。それに対し彼は苦笑しながら軽く主の背を叩くだけで返し、二人のほうへ視線を向ける。
 その視線を追って、なんだか更に冷たいブリザードを散らしている二人を見つけてイオンは困ったような顔をした。


「僕が、余計なことを言ってしまったようなんです。ティアのフルネームを聞いたとき、ついヴァンの妹だと確認を取ってしまって」

「なるほど、そして小僧がそれに噛み付いてああなった、と。そういうことかね?」

「はい……まさかああなるとは思わず……すみません」

「い、いや……イオンがすまなく思う必要はないだろう。うん、お前のその反応は普通だよ。ただ、あの二人にのみはたまたまああなっただけで」


 いちいち大声出さないで、周りに迷惑でしょう。ああ? 周りのことなんざしったこっちゃねえっつーんだよ! 呆れた、あなたって本当に自分勝手なのね。っは、そう言うお前こそ冷血女だろうが! だいたいあんなすっげえひとを殺そうなんざてめえのほうこそ大馬鹿じゃねえか! ……あなたに兄の何が判ると言うの。てめえのほうこそ師匠の何がわかってるってんだ! 以下エンドレス。

 マルクトの兵隊さんたちも遠巻きに見て見なかったことにして通り過ぎていくようです。ブリザードは収まるところを知らない。

 何故だ。確かにこの頃はそれはもう仲が悪かったが流石にここまでは、と考えていたグレンははたと思いつく。
 そうか、チーグルの森の中のときは先に優先すべきことがあったからなんともなかったけど、今この状況ではとことん追求しなければルークの気がすまない、というわけか。あちゃあ。


「うーん、いつもは冷静な方まで熱くなってるなありゃ……エミヤ、あれ止められる?」

「そうだな。問答無用で後方から一撃を加え昏倒させれば可能だろうな。ただしそのやり方ゆえに女性ではなく一応小僧のほうにせねばなるまい。……起きた後、癇癪を起こしたやつを宥めるのをマスターがしてくれると言うのならやらんこともないが―――お勧めはできんな」

「…………そーだな」


 今すぐにではないだろうが、恐らくは今日明日のうちに来るはずのことを考えれば、ルークを昏倒させるのはあまり得策とはいえない。流れは覚えてはいても、何日の何時に何があったか、そこまでは流石に覚えてはいない。

 さてどうしようかと考えていた時、ふと廊下の扉が開き―――入ってきたジェイドをみて、グレンは頬が引きつるのを感じた。ヤバイ。それは直感だ。そんなグレンの心情をわかっているのかいないのか、この陸艦の総指揮官である男は部屋中にブリザードを撒き散らす二人を見ておや、と声をあげた後、


「おやおや、痴話喧嘩ですか?」


 ビュゴオオオオオオオ。カテゴリー5 、風速70(m/s換算)。本日未明、とある陸艦内にて世紀に未曾有の大型ハリケーンが突如生まれました。ふくむ、A級ブリザード。熱帯低気圧と吹雪がなんで一緒になってるの? なんて聞いてはいけない。要は、それくらい凄まじいというイメージなのだ。
 エマージェンシーエマージェンシー、オールレッド。死にたくなければここから逃げろ、アデュー。
 ああもう逃げ出したい。
 ジェイドの後ろから入ってきた小柄な少女など「はうー、大佐、何が……うわぁ」と引きつった顔をした後、そのまますばやい動きでこちらに近付きイオンの背を押してこの部屋から出て行こうとする。うん、いい判断だ。


「わ、どうしたんです、アニス?」

「いえいえいえ、なんかここにいたら面倒なことに巻き込まれそうですしー、ちゃちゃーっと他の部屋いっちゃいましょ。ね、イオン様! ハイ、いきましょーいきましょー!」

「え、あ……でもあの二人、止め」

「あんな災害に近付いちゃダメです! イオン様なんてあっと言う間にぐるんぐるんになっちゃいますよぅ。ここは大佐に任せとけば大丈夫です!」

「そうですね……確かにジェイドなら年長ですし、あの二人をうまくなだめることができるかもしれませんね」


 ああイオン、お前ら本当に同じなんだな。お前にかかれば誰も彼もがいい人になっちまうんだろうな。流石にアニスもその笑顔に罪悪感がわいたのか、あーだのうーだの唸っていたが、ふたたびちらりと絶賛災害中心地を見て決心したように笑顔を作る。
 そのとおりです大佐に任せればオールオッケでーす! などと言いながらなんとかイオンを連れて行く。導師イオン、その人の善良さはきっとオールドランド一。
 だとすれば、あの眼鏡の腹黒鬼畜毒舌引っ掻き回し属性もオールドランド一なのだろう。


「ど こ が、痴話喧嘩だ!! お前眼鏡の度があってねえんじゃねえの?」

「大佐、笑えない冗談は程ほどにしてください」

「おや、そう熱く反対されてはますますそう見えますが違うんですか?」

「ありえません」

「そうだ、お前もうもうろくしてんじゃねえのか」

「おや、こんなときには結託して……実は仲がいいんじゃないんですか?」


 ピシャアアアアアンゴロゴロゴロ。気のせい? 耳鳴り? 雷鳴が! 雷鳴がとどろいてるよ!
 もういかん、これはいかん。


「っんの、いいかげんに「ルーーーーク! 海見に行かないか海は広いぞ大きいぞすげえぜ青いしなさあ行こうやれ行こういざ行かんレッツゴー!」って何だ急におい……グレン? ひっぱんなって、おい! 首絞まって……ぐうう……」

「ジェイド、甲板に出させてもらうからな!」

「はいはい、ごゆっくり~」


 あいつ絶対いつか殴る。……多分無理だろうけど。
 誓うだけはタダだというわけでそれを固く心に誓い、グレンはルークを連れ出した。












 甲板に出ると磯の香り。ずっと遠くまで続く空と高く厚い雲。


「どーだ、ルーク。海だぞ、海! 広いだろー……て、お前まだ拗ねてんの?」

「拗ねてねえよ! っつーか、グレンが途中で邪魔したから、あの冷血女がなんでヴァン先生に襲い掛かったのか聞き損ねちまったじゃねえか!」

「あー、それは悪かった。スマン。な、このとーり。ゴメンな、ルーク」


 不機嫌全開で喚き散らすルークに対し、こちらはひたすら平謝り。反論も言い訳もせず謝りとおす。そうすれば、


「…………っち」

「本当に悪かったな、ルーク」

「……あー、もう、わかったよ、もういい!」


 ほらこの通り。コイツは基本ひねくれやだが、ひたすら謝ってるやつを更にその上から文句を言って虐めるのを楽しめるほど歪んでもいないのだ。ちょろいぜ。
 内心では某弓兵のようににやりと笑いつつ、話を切り替える。


「そっか、じゃあ見てみろよ海。ひっろいぜー」

「ふーん……夜に見る海とは、また違う感じがするんだな」

「ん? ルークは軟禁されてたって言ってたけど、夜の海なんて見たことあんのか?」

「バチカルから飛ばされたはじめに、タタル渓谷で見ただけだ。ちょろっとだけだったけど」

「―――――――――」


 唐突に思い出す。
 夜の渓谷。覗き込む少女。白い花。紺色の海。はじまりのばしょ。
 そうだ、多分俺も負けず劣らず喧嘩ばかりだった。


「……そうか。じゃあ、改めてじっくり見てどうよ、海」

「なんか変なにおいするんだな、海って。昔、ほんのちょっとだけの海水なら見たことあんだけどよー、そん時にはこんな匂いなんてあんまりしなかったと……いや、したっけ? あんま覚えてねーや」

「はは、なんだ、どうやって海水なんて見たんだ?」

「いや、うちにガイってヤツがいるんだけどさ。そいつが汲んできてくれたんだ。俺が家からでれねーからって」


 少しずつずれているとは言え、確かに重なっているところもある。その話を聞いたときに否応なく蘇る記憶に、時々泣きたくなる。ルークとの会話はこういうことがあるから注意しておかないといけないのだ。
 なんとか、この湿気た感情から自らを脱却せねばならない。さもなくばいつ表情が崩れて泣き出しそうな顔をしてしまうかわからなかったから。必死に頭を回していると、ふと背後に立った気配にきづいて振り返る。


「……? どうした、エミヤ……って、え、まさか……」

「グレン、警報機はまだなっていないがどうにも魔物が近付いているようだ」

「魔物ォ?! いや、どこにいるんだよ魔物なんて!」

「あちらの方向に、空を飛ぶ魔物……恐らくはグリフィンの大軍が見える」


 すっとんきょうにルークが叫んだ後、アーチャーが指差す方向を二人して見つめるが、見えるのはひたすら青い空。魔物の影など微塵も見えず、ルークはどこか疑わしそうだ。


「……見えるか?」

「いや全然。でも、エミヤがいるってんなら、いるんだろう。こいつ、目が半端ねーくらい良いからな。……なあルーク、悪いがちょっと大佐に伝言頼まれてくんねえか?」

「……うげ、あいつに伝言かよ」

「魔物の確認をレーダーで頼むんだよ。そっちのほうが確実だろ? 太陽の方向へ索敵してくれるよう頼んでくれればいいからさ」

「急いだほうが良い、なかなか速度が速い」

「っつーわけだ、ルーク。コイツ弓もできるから、俺はちょっとそこらの兵達に弓あったらもらえるように聞いてくる。頼まれてくれねーか?」

「ったく、へいへい頼まれてやるよ。まあ本当にいたとして、魔物に襲われるなんて俺もごめんだからな」

「ああ、ついでにイオンにあったら大佐の近くに居るように言っておいてくれ! 導師に怪我でもさせたら国際問題だからな!」


 走っていく後姿を見送って、魔物がいるはずの方向を向きグレンは厳しい顔をする。


「数は?」

「わからん。流石にこの距離ではな、雲と太陽の影や逆光に隠れて見えずらい。が、やはり大軍だろうな……いささか予想以上の数だが」

「……エミヤ」

「却下だ。魔術は使わん」

「でも!」

「私が宝具を投影すれば、グレン。君の体にガタがくる。却下だ」

「……っ」


 ギリギリと歯を食いしばりながら、今にも泣き出しそうな顔をする主に、それでもアーチャーは折れない。


「あと一度くらいなら、大丈夫だ」

「大丈夫ではない。私が干将と莫耶を投影したときのことを忘れたのか? アレは私の投影の中でも一番コストが低い宝具の投影だ。あれで、危なかったんだぞ?! 君の体は私から流れる第七音素で力技にどうにかこうにかぎりぎり保っているようなものだ。何の神秘もないただの刀剣ならともかく、宝具など投影してしまっては君の第七音素を奪って一気に君の体は乖離する!」 

「……っでも、ここで船員達に死なせるわけにはいかないだろう?!」

「却下だ」

「エミヤ!」

「……この距離からでも弓で射抜いていれば、敵も引くかもしれん。君は大佐と共に導師イオンとルークの護衛に当たっていろ」

「……こんの、石頭!」


 なんとも拙い罵倒の言葉を吐きながら駆けていく姿を見送ることもなく、アーチャーは弓を構える。矢を番え、その視線の先、的を見て精神を鋭く研ぎ澄ます。





「さて、誇り高きクイーンの娘よ。何人君の友達を射抜けばその進軍は止まるかな?」












追加コネタ。
グレンがルークを甲板へつれてった後、実は繰り広げられてたジェイドVSアーチャー。


「やれやれ、あれで王族、しかも次期国王に一番近いと言うのですから困ったものです。まあ、マルクト側からしてみれば願ったりかなったりなのかもしれませんがね」

「……それで大佐、一体何故私のほうを見る」

「いえ? そういえば聞いていませんでしたから。ティアは教団、ルークは王族。それは分かりましたが、そういえばごくごく自然に流されていた気がしたんですが、あなたとあなたの主の素性を聞いていないと、今しがた思いましてね」

「先にも行っただろう。瑣末なことだ、語るまでもない」

「いえいえー、そうは言っても聞いておかないと困るんですよ……あなたの主も、よく見れば赤い髪と緑の瞳をしていましたから」

「大して面白みも無いことだぞ」

「はい、面白みのないごく普通の話だったら願ったりですから」

「……眉唾ものの話だが……遠い遠い昔、キムラスカの血が混じっていたのではないかと伝えられている」

「…………大した話ではないですか」

「どこかだ。本番はここからだ……内容がな。はるか昔の大戦の折、指揮を執っていたキムラスカの王族直系の流れをくむ将校が、マルクトに攻め込み敗走した。敗残兵は追跡を逃れとある小さな村をまるで野党のようにおそい、まあ、なんだ……一人の村娘が不幸にも、と……まあ、そういうあまり表に出せない様な話だったかな。嘘かまことかは知らん。もう三百年ほどは昔の話だとかどうとか伝わっているが……」

「なるほど。キムラスカ側からすれば認められない話ですね」

「ああ。よりにもよって、王族の直系が、敗走して、敵とはいえ山賊のような行為を侵し、など。そもそもが真実かどうかも分からん。例えばキムラスカへ行って仕官して、はるか昔の王族ですなどといってみてもその血統の出自が汚点だらけではな、血統に拘るあの国では口封じに誅殺されるのがオチだ。マルクトへ仕官しようとしても今度は逆にその血統の正当性を謳われて戦争の理由にされてはたまらん、とな。力はあるのだが、不運な主なのだ」

「教団は? どうなんですか」

「スコア狂信者とは一緒に居たくもないそうだ」

「そうですか……まあ、では取りあえずはそう言う事にしておきましょうか。ですが一応言っておきますと、マルクトの皇帝はそのような理由で戦争を吹っ掛けるほど愚かではありませんよ」

「だろうな、貴様のようなものを従えているくらいなのだから……だが、皇帝は優秀でもその手足、議会が馬鹿では困るのでな、それを確かめなければ主を危険なところになど送れんさ」

「そうですか……その話が本当なら、ぜひともうちへ仕官してほしいくらいですね、二人セットで。あのお坊ちゃんに気に入られてキムラスカに取られては中々脅威だ」

「誉め言葉、と取っておこう。まあ安心したまえ、キムラスカは絶対に却下だ。しかしマルクトにしても、私がこの目でマルクト皇帝を見て、議会の様子を見てからではないと主を仕えさせるわけにはいかん。……グレンはあれでなかなか抜けているところがあるからな……」

「そうですか……ふふふふふふふ」

「そうなのだよ……ははははははは」


 ブリザード、ふたたび。
(アーチャーの話した内容はすべてその場でのでっち上げの嘘です。そして後のほうで名刺やら紹介状やらを貰いやすそうな理由を考えながら即興で嘘をつく。流石フェイカー)




[15223] 06
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ae6e03c6
Date: 2010/01/26 00:00




 なあ、魔術? ってやつ? 譜術とは違うんだろ、どんなのなんだ。

 問われた言葉に、魔術のない世界で理論を説明するより実際に見せたほうが早いと思ったのだ。見せようとしたのは、己の手に一番馴染む黒白の双剣。投影、開始(トレース・オン)。呟くと同時、手の中には慣れた重みがそこにあり、そして主は苦しみながら倒れた。

 とっさに解析の魔術を使えば、ぞっとするような結果がはじき出された。アーチャーが双剣の投影を行使した瞬間ラインの流れは正常に戻り、第七音素という魔力がこちらへと流れ込み―――そして逆流している抑えがなくなった瞬間、グレンの体を構成している第七音素がゆるゆると乖離し始めていた。

 大慌てでラインの逆流の感覚を思い出す。苦しむ主の心臓の上辺りに手をおき、魔力、いや第七音素を流し込もうとして―――脳裏に過ぎる映像に驚いて手を離す。数瞬呆然としていたが、しかしすぐに苦しむ主を見て我に帰りふたたび手を当て第七音素を送る。
 また、同時に見えてくる映像。それはまるで別の誰かの目から見る世界のような、


「ちっ、この世界の第七音素とやらは記憶だの形成だのに相性がよすぎるようだ。緊急事態だ、中を覗くことになるが―――許せよ、マスター」


 そうやって、アーチャーはグレンの生き筋を見てこれから起こることを知り、また同時にラインの混線により彼も従者の生き筋のおおよそを知ったのだ。











 人では見得ぬ距離の先、神秘こそ宿さぬがそれでも技術の粋を集めて作られた強弓をもって、弓ではありえない距離の先を射抜く。指を離せば、それは風を切って解き放たれる。


「一つ」


 弓に番えて、矢を放つ。放たれるころには、既にそれは『当たって』いる。


「二つ」


 迷いのない動作で次を番えて、流れるように放つ。


「三つ」


 番えて放つ。その繰り返し。当たり前のことを淡々とこなすような彼の動作が尋常でないことを知っているものは、今この甲板にはいない。知るのはただ狙い撃たれる標的と、彼の実力を知っている主のみ。


「四つ」


 たとえどれだけ離れていようと、彼の鷹の目からは逃げられない。


「…………五つ」


 櫛の歯が欠けていくようにポツリポツリと先頭集団の魔物が落ちていく。
 その様子を後方から見やって、リグレットはその柳眉をひそめた。


「……何だ、あれは」

「さあな。だが、先ほどから落とされているところから見て狙撃でもされているのかもしれんぞ」

「狙撃? ばかな、この距離だぞ。ラルゴ、お前はタルタロスとどれだけの距離があると思っている」

「でも、案外そうなんじゃない? 譜術にしては威力が小さすぎるし狙いが緻密すぎる。良くも悪くも大技だと周りを巻き込むようなもんだからね……ほら、また一匹落ちてくよ」


 シンクの言葉に視線を巡らせば、その通り、またグリフィンが落ちていく。全体の数からすれば落ちていくのは大海に落とされたワインの一滴のようなものだが、それでも無為に落ちていく姿を見て動揺が全くないわけでもない。いや、六神将ともなればうろたえるほどでもないが、魔物の後ろについている兵達が動揺するだろう。


「アリエッタ! 先ほどからグリフィンが落ちているが、何故かわかるか?」


 ラルゴ、と呼ばれた大柄な男が振り返って後方にいる小さな少女に尋ねるが、少女はびくりと一度肩を揺らしてひどく小さな声でぼそぼそと答える。


「解、らない……でも、さっきから…………みんな、痛いって」

「では、やはり狙撃か……?」

「だろう、な!」

「ラルゴ?!」


 びゅん、と風を切り飛んできたそれをラルゴは手でつかむ。それは鍛えていたからつかめたというよりも、戦の中で生き抜いてきた戦士の勘ゆえの奇跡だ。
 何の容赦もなく己の眉間を狙い撃ち抜かんとしたそれを握って、驚いているリグレットに放り投げる。彼女はそれをまじまじと見て、呻くように呟いた。


「矢だと……?!」

「ああ、正真正銘何の変哲もないただの矢だ。そのただの矢をあの距離から放ってこの精度、か……リグレット。マルクト軍にはとんでもない弓手が潜んでいたようだぞ」

「骨が折れるね。僕らも散開しといたほうがいいんじゃない?」

「……ラルゴとアリエッタは左翼へ回れ。私とシンクは右翼へ。アリエッタ、最前列の魔物たちはなるべく距離を空けて散開させておきなさい」

「はい、です」

「了解した」

「ま、妥当だろうね」


 それまで中心あたりに固まっていた指揮官がそれぞれ分散する。それを見やって舌打ちをする男がいたことなど知らぬまま、黒獅子と呼ばれる男は獰猛に笑う。


「なかなかどうして……楽しめそうじゃないか」

「ちっ、やはり指揮官ではなく魔物のほうを狙うべきだったか……ふん、がらにもなく私も焦っているということか? それもこれも、いざとなったら無茶を言い出しそうな君のせいだぞ―――グレン」






 けたたましい警告音と音素灯の明滅にルークはびくりと肩を揺らし、ティアは静かに顔をあげた。ジェイドはすっと目を細める。そして大股で壁に近付き、そこに取り付けられていた伝声管に向かって尋ねた。


「ブリッジ! どうした?」

『大佐、探索の結果東方より魔物の大群を確認! グリフィンとライガの大集団です! 総数は不明! 約五分後に接触します。師団長、主砲の一斉射撃の許可をお願いいたします』

「わかった、許可する。不測の事態においては前線の指揮は君に一任する。艦長、頼んだぞ」

『了解!』

「……さて、まさかとは思いましたが、あなたのいったとおりになったようです」

「オイオイ、マジで魔物がいたのかよ」


 げんなりと呟くルークに、ジェイドは残念ながら、と笑いながら頷く。


「まったく、レーダーよりも先に魔物に気づくとは、一体どんな感覚器官をしているのか……一度調べてみたいですねぇ」

「冗談も大概にしとけよ、大佐。そんなこと言ってるとアンタのほうが解析されちまうぞ」

「おや」

「グレン!」

「ちゃんと伝言しといてくれたんだな。サンキューな、ルーク。助かった」

「………………っ、へ! 伝言ぐらい餓鬼でもできるだろ。礼をいわれる筋合いもねえっつーの」

「んー? まあいいじゃねーか。サンキュ」

「……ふん」


 なんだか急に不機嫌そうに顔を顰めたかと思うと、ルークは足元にいたチーグルを掴みあげた。そのままぐしゃぐしゃとチーグルの頭をめたくたにしている。撫でるといってはいささか乱暴な動作だが、当のチーグルはやはり嬉しそうにみゅうみゅう鳴いている。
 思い切り不機嫌そうに寄せられた眉間、そのくせ少し緩められている口元。
 これは彼の癖なのだろうか、分かり易すぎである。


「なるほど、上手いものですね。参考にしますか」

「やめとけ、アンタにゃ無理だ」


 納得したようにしみじみ呟いた言葉にそっけなく返し、あたりを改めて確認する。
 ここにいるのはルーク、ジェイド、ティアだけだ。ルークはまだ仔チーグルをぐりぐりしながら微妙に喜んでるし、ジェイドは観察するようにこちらを見ている。因みにティアはルークのほうを見ていた。が、多分見ているのはルークではなくてミュウのほうなのだろう。
 難儀なものだ、ルークを視界に入れたくないにしても彼女の癒しのミュウは彼に大いに懐いているせいで、チーグルを見ようとすれば自然と彼まで目に入ってしまうのだから。


「居ねーみたいだけど、イオンは?」

「イオン様はアニスが探しに行ったわ」

「っけ、お前も探しに行きゃはえーんじゃねーの」

「………………」


 わあ、鮮やかなレッツスルー。寒い。この部屋急に温度下がってね?

 ああそうだ、この二人のことだからまだ冷戦は続いているんだろうなぁ。いい加減俺がどうにかしないと。
 と思いもするのだが、それはとりあえず全部が終わった後で、ということにして。まずは今の状況をどうにか切り抜けないと。


「ごほん、んん……あー、大佐? 聞いてもいいか」

「はい、なんですか」


 ブリザードが吹きすさびそうな雰囲気一歩手前の中で声を発するのは、それなりに勇気がいる。こちらは微妙に声が裏返りながらも頑張ってなんとかしようとしているというのに、対する男は飄々と顔だけは笑いながら返してくるのだから、もうこいつの面の皮の厚さを五ミリほどもらいたいものだ。


「今回の魔物に対して、現存兵力でこの陸艦を守れるか?」

「……そうですね、まあ、全力で努力はいたします、とだけ答えておきましょうか」


 眼鏡を直しながら答えたジェイドの言葉に、ルークが顔をあげ怪訝そうに眉根を寄せる。


「あ? なんでそんな弱気なんだよ。相手は魔物だろ?」

「……グリフィンは普通、単独行動をとる魔物なの。普段と違う行動の魔物は危険だわ」

「ああ?! おめーには聞いてねーっつ、いでぇ!」


 突然裏拳を額に炸裂されて、ルークは思わず額を押さえて仰け反る。そしてギンと睨んですぐに犯人に向かって吠えようとするのだが、


「……っの、グレ……」

「いまのは流石に見逃せないぞ、ルーク。今のはダメだ」


 分からなかったことを教えてくれた人に、その言い方は無いだろう。腕を組みながら、真っ直ぐに目をみてそう言ってくるグレンに、ルークはぐっと言葉に詰ってしまった。


「だ、だって、別に、教えてくれなんて……」

「む、そうか……そうか、しかたない。教えてくれなんていわれてないけど、俺はお前に結構たくさん教えてやりたかったこととかあったのになぁ……そうか、教えて欲しいなんて言われてなかったら教えないほうがいいのか、そうか……残念だな」

「ぐぬっ……いや、グレンは良いんだ!」

「そう、それだよそれ。なんで? 俺のときは結構素直に注意とか聞くのにさ、なんでお前……まあ別に誰とは言わないけどさ。ほかの人の注意はあんまり聞かないわけ?」

「……それは」

「それは?」


 それきり口をへの字にして黙りこくったルークを促すが、彼はそのまま口を開こうともしない。ルーク、と名前を呼べば、しぶしぶ口を開く。


「………は……を………ないからだ」

「は?」


 が、俯いている彼から聞こえる声はひどく小さくて、うまく聞き取れない。思わず聞き返せば、あげられた顔はやたらに怒っている。


「……っ、グレンは、俺のこと馬鹿にしないからだ、って言ったんだよ、畜生! 屋敷でもしらねーことを聞いただけでどいつもコイツも俺のこと馬鹿にした目で見やがって! わからねーことは何でも聞けっつっといて、なんだそりゃ! あのくそ教師ども、ふざけんなっつーんだ!」

「……ルーク」

「俺が気づいてないとでも思ってんのか?! 聞く気も失せるってんだよ! 前はもっと早く覚えてた前はもっと前はもっとって、あんな目をしながら教えられて覚える気になるわけあるか!」

「ルーク。分かったから、落ち着け」


 ぽんぽんと軽く背中を叩かれて宥められる。それに少しだけ落ち着いて、まるでただの餓鬼みたいに喚き散らしていたことに気づいてますます不機嫌な顔になる。ルークは舌打ちをしてそっぽを向いた。


「なるほど。お前の言い分は、分かった。分かったが……俺は、さっきの彼女の説明は、別に馬鹿にしてるようには聞こえなかったんだけどな」

「…………」

「まあ、意地になってることは分かる。でも、なにもあんな風に言わなくても良かっただろう? 例えば、ちょっとまえに馬鹿にしたみたいに説明されたことがあったとして、でもさっきのはそうじゃなかったんなら、あんな言い方はひどいと思うぞ」

「なんだよ。グレンも結局は俺を馬鹿にすんのか?」

「そうじゃない。いいか、ルーク。覚えといたほうがいい。さっきみたいな言い方ばかりしてると、お前を馬鹿にしようとしてない人でも途中で離れちまう。そうなったら、淋しいだろう?」

「俺は、別に淋しくなんて」

「ルーク。これは知らなくてもいい。知らないほうがいい。でも、覚えておけ―――ひとりぼっちに取り残されるのは、」


 とても寂しくて哀しいんだ。

 呟いたグレンの声は妙に静かで、ひどく透明で、どこか儚い。
 そっぽを向いていたのを振り返ればグレンの表情はまるで泣き笑いで、ルークはどんな反応を返せばいいのかわからない。


 「グレ……おわ!」


 とりあえず名前を呼ぼうとしたのだが、不意にのびてきたグレンの指がピシリとルークの額を軽く弾く。何をするんだと少し睨んでやれば、そこには小さく笑うグレンの姿。ルークにしてみればイオンと同レベルなくらいの、いつもの人の良さそうな笑顔だ。
 先ほどの泣き笑いなど幻想だったのかと思いそうになるくらいだった。


「まあ、俺はお前にそんな気持ちを味わって欲しくねーんだ……だから、気をつけてくれよな」

「……ったく、わーったよ、分かりました、気をつける。気をつけるよ……それでいーんだろ?」

「おう、上出来! っつーわけで、悪いな。ルークも今後から気をつけるって言ってるし、今回はこれで勘弁してくれねぇ?」

「え?」


 突然話を振られて、しかも謝られて、ティアは困惑したような声を出すが、やがて苦笑しながらかすかに首を振る。


「いいえ、私こそ今回はちょっと大人気なかったわ……こちらこそごめんなさい」

「ふむ、これにて一件落着……あ、そういやルークに「ありがとう」と「ごめんなさい」の大切さをまだ教えてなったか……むむ、これは時間をかけてじっくりするか。大事だからな」


 小声でブツブツ呟きながらグレンが一人でうんうんと頷いていると、


「ごほん」

「っは!」


 今まで忘れていた存在をようやく思い出した。


「やー、青春ですねぇ。友情、仲直り、若いうちは青春大いに結構ですが、今はとりあえず置いてくださいね? いま緊急事態なので」

「そーだな、ごめん……俺が聞きたかったのは、俺がエミヤに伸させた40人がもう使えるのかってことだ」

「……まあ、持ち場に着くことはできるでしょう」

「戦闘はまだ難しいってことだな?」

「……まあ、その分あなたのあの人外の従者の活躍を期待してるんですけどね」

「それなら、現在の戦力は70人前後ってことか。やっぱりいくらエミヤでも一人であの大軍は……」


 ふと窓に視線を向け、もう視認できる距離になってきた大軍をみて、グレンは数瞬迷う。


「……大佐、一つ案がある」

「ほう?」

「うまくいけば敵兵の七割、少なくともグリフィンとライガの前衛は壊滅状態にできるはずだ。まあ、代わりに俺がしばらく戦闘不能になっちまうんだがな」

「……どういう意味ですか」

「詳しくは企業秘密でな、いえないんだ。でも詮索をしないと約束をしてくれるなら、どうにかする。どうする?」

「……私達は何をすればいいと?」

「べつに、何もしなくていい……ただ、そこの伝声管かしてくれ。それと、その声を甲板のエミヤにつないでくれればいいだけだ」







「六十三………………六十四………………六十五……チイ、切りがないな」

「すみません、エミヤ殿」


 声をかけられて、振り返る。するとそこには若い一人のマルクト兵がしゃっちょこばって、緊張した面持ちで立っている。アーチャーは別に彼らの上官ではないし、そこまで緊張することもないだろうにと内心首を傾げた。……どうやらアーチャーは、目の前のマルクト兵がただたんに彼の武人っぷりに震えているということに気づいてはいないようだ。


「トニー二等兵です! グレン殿から連絡が着ております、どうか甲板の伝声管までお越し願いますか?」

「……グレンから、だと?」


 嫌な予感しかしない。いっそ無視してやろうかとも思ったが、そうすると今度は拡声器でも使って船体全体に響き渡るような声で一方的に命令されそうだ。
 思い切り不機嫌そうに舌打ちをする。番えていた矢を放ち六十六番目の結果も見ることもなく、そのまま踵を返す。伝声管にたどり着き、不機嫌全開の声でこたえた。


「……私だが」

『エミヤか。大佐から許可は貰った。……思い切りぶっ放せ』

「却下だ。と、そういっただろう、グレン。確かにそうすれば敵は一気に減るだろう。だが、」

『エミヤ……俺の願いを、お前は何だか知ってるだろう?』


 グレンの言葉に溜息をつく。がっくりと背を壁に預けてぐしゃりと髪に指を通す。そろそろ人でも視認できる距離になってきた。黒い点は青い空を覆い、不吉な予感を漂わせていた。


「…………もちろん知っている」

『このままだと確実に半分はこの戦闘で死傷する。そんなの嫌なんだ。俺は全部を守りたいんだよ』

「手の届く限り全力で、がついていたはずだろう。届きもしないものにまで手を伸ばしていては届くはずだったものにまで手が届かなくなるかもしれんのだぞ?」

『だから諦めろって? それこそ却下だ。エミヤ、俺はね。俺は、手を伸ばさずに届きもしないだなんて、思いたくないんだ。諦めたくない。俺は今度こそ守りたいんだ。全部、全部。ぜんぶを守りたいんだよ』

「……やったとしても、死傷者はきっとでるぞ」

『それでも減るかもしれないだろう?』

「しかし」

『……エミヤ。エンゲーブで40人を伸したのはお前だが、そう命じたのは確かに俺だ。だから、その責は俺が背負わなきゃならない。だから、』

「違うだろう、マスター。本当は、近いうちに陸艦自体を囮にして我々は最低少数人数で徒歩でバチカルを目指す、とあの子を通して六神将や大詠師に流す。そうすればタルタロスは六神将にはスルーされるはずだった……だから、戦闘不能にしてもいいと我々は断じたんだ。そうだろう?」

『いや、本当なら昨日のうちに提案して、今日そうするべきだったんだ……変えることを恐がって後手に回っちまった俺のせいだ。だから、どうにかするのは当然のことなんだよ。まあ、本当にどうにかするのはお前頼みなんだけど』

「しかし、それでは君の体が……!」

『エミヤ』


 伝声管から聞こえてきた静かな声。まだ、本当はたった七年しか生きていないはずの者が紡ぐ彼の名を呼ぶ声は、驚くほど静かだ。
 そしてその静けさに、続く言葉を容易に想像できてしまって、彼は観念して目を閉じた。


『命令だ―――敵を討て、『アーチャー』』

「……イエス、マスター」




――― I am the bone of my sword.(我が骨子は捩れ狂う)




「……死ぬなよ、マスター。死んだら殴るぞ」


 その手にあらわれる捩れた剣。それを矢として最適の骨子に改変し、番えた。


「―――“偽・螺旋剣”(カラド・ボルク)」


 真名を解放し放つ。そしてその刃は空気の元素と音素すらも切り裂くように進んで行く。それを見つめながら、彼は魔力がただ一点に集中するさまを強く念じる。
 右手を握り、その動きで弾ける爆弾をイメージする。イメージしろ。常よりも強く爆ぜるその様を。

 主の命を喰らって放たれた爆弾を、常のような威力ごときで収めるものか。




「――――――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)」




 爆音が海上を埋め尽くした。
















[15223] 07
Name: 東西南北◆90e02aed ID:fafce144
Date: 2010/03/15 23:51



 エミヤに繋がった後、グレンは手をひらひらとさせ、追い払うような仕草をしてみんなの退室を促した。

 これからあいつが何をしようとしてるかなんて想像がつかない。だからそれを会話から少しでも察そうとしていたらしいジェイドはすっと目を細めるが、まあ仕方ありませんねとか呟きながら出て行く。
 ティアの後ろについて出て行って、扉を閉めようとしたらジェイドに止められた。……って、おい! それ約束破りなんじゃねえのかよ! あいつは話をきかれたくねえから俺らを出そうとしたんじゃねえのかよ!
 微妙に開けられたままの扉の隙間につっこみを入れたかったのだが、なんだかヨクワカラン笑顔の圧力にぐっとたじろぐ。畜生、やっぱコイツムカつく。

 少しだけ開かれた扉の隙間から聞こえるグレンの声はぼそぼそとしていてひどく途切れ途切れだ。俺にはさっぱり意味が解らんが、この陰険眼鏡やもしかしたら冷血女も、俺よりは聞き取れているんだろうか。譜術師ってのは音素だの音だのに敏感で……耳がいい? みたいなことを昔ガイあたりから聞いた気がする。
 そんなことをつらつらと考えていたら、ふと、妙に静かで通りのいい、力強い声だけが完璧に聞き取れた。グレンは自分の従者の名前を呼び、少し間をとったあと、


「命令だ―――敵を討て、『アーチャー』」


 数秒の後、心臓が止まるかのような凄まじい爆音にタルタロス自体が揺らぐような衝撃が襲ってきた。
 驚いて窓の方向へと目を向ければ、前衛と中央がごっそり抜けて、左翼、右翼、後衛が申し訳程度に空に浮いている、そんな様子が見て取れた。


「オイオイオイ、一体なんだーっつーんだ?!」


 訳がわからず呆然とぼやくが、冷静そうに見える二人も案外同じような思いだったようだ。
 ルークはポカンと口をあけながら窓の外を見ていて―――どん、どん、と。不意に何かを叩くような音が室内から聞こえ、すごい勢いで嫌な予感が背筋を滑り降りた。

 閉じてもいないので、そのまま扉を思い切り殴り飛ばすような勢いで開け放つ。
 どうかしたかと口を開こうとしたのだが、ルークの目の前で壁に叩きつけられていたグレンの右手はずるずると壁伝いに力なく落ちて行き、そしてそのまま身体中から力が抜けてしまったかのように、グレンは倒れこんだ。


「……っ、おい?! グレン!!」










 一度感じたことのある感覚が襲ってくる。できればもう二度と味わいたくない感覚だったのだが、一度味わっていたおかげかあのときのようにすぐに倒れこむということだけはしなくて済んだ。それに、この感覚が来たということは彼が自分の願いを聞いてくれたということだ、と少しほっとする。
 ほっとして、小さく笑えたのもそこまでだ。

 グレンの体の急速に進む音素乖離という現象は、まずはじめにすべての感覚が遠くなるという症状が表れる。音素と元素の結合が普通の症状よりもよほど早く乖離し始め、それまで機能していたはずの体の機能がうまく回らなくなるせいだ。

 まず先に遠ざかるのは視界。ぼんやりと輪郭を見て取れなくなって、色ばかりがめちゃくちゃに混ざって、やがて何かに強く目を押し付けていたときのように世界中に青だの黒だのの影がかかってよく見えなくなってくる。目を閉じても目を開けていても同じ景色だなんて全く馬鹿げてる。必死になって何度も瞬きをするのだが、何の改善もされない。

 次に閉じていくのは聴覚だ。周り中の騒音が遠くなり、音の意味が理解できなくなる。音が鳴っていることは分かっても、その音が何を意味しているのかが理解する情報の伝達部分がイカレてしまったかのようになってしまうのだ。
 どんどんどんどん、煩い。何の音だ? 自分の内側から響く音だけがやたらに大きく響いて頭が痛い。中から規則的に響く……ああ、そうか、これはもしかして、自分の心臓の音、か? やけに鼓膜に響く。煩い。うるさい、うるさい、うるさい。ああ、これが心臓の音でないのならいっそ止めてしまうのに。

 そして最後になくなるのは触覚。そしてこれが一番困る。緩々ゆるゆると上から感覚が抜けていく。目を開けているのか閉じているのかの感覚が喪われて、歯を食いしばっていた感覚が抜けて、そして手の感覚が抜ける。やがて足の裏に感じる床の感触さえも分からなくなるのだ。
 これだけは何とか時間稼ぎをしなければと必死に残った感覚を総動員して手を握り、壁に叩きつける。壁に叩きつける―――壁に叩きつけているはずなのに、おそかったのか、触覚を喪った体には既に痛覚もない。壁に当たっている触感もない。解らない。いや、そもそも本当に腕を動かせているのか? 壁の冷たさも感じない。
 立っている感覚さえも覚束なくなって、足の裏に感じる床の感触はもはや疾うにない。それでも何とか立っていたのだがやがて体から力が抜ける。それでも壁に寄りかかって立っている、と思っていたのだがどうやらそうではなかったようだ。

 体中に力が入ってないことだけはなんとなく分かって、このざまでは恐らく思い切り倒れこんでいるのだろうと思う。もう、喉が動いて息をしている感覚すらもない。

 重力、が。その向きが変わった気がする。解らない。音?


「   !」


 音がする。何かが鳴っている。


「  !        !    ?!」


 視界が色を拾う。拾った情報を脳が処理してくれない。これは何色だっただろう。分からなくて、一生懸命考えようとするのだけれど思考がゆるゆると止まっていく。色がなくなる。ああ違う、目を閉じてしまったのか。いや、先刻までは目を開けれていたのか、そっちのほうがすごいな。
 音がする。

 なんだか必死そうな音だ。

 考えるでもなく、そんな言葉が思い浮かぶのだが―――その言葉の意味を思いだせずに、意識が遠ざかる。










「グレン?! おい、どうしたんだよ! グレン!!」


 何かが倒れたような音のあと、尋常ではない様子のルークの声が聞こえてきて我に帰ったジェイドとティアは慌てて室内へと入る。そうすれば、そこにいるのは死んだようにピクリとも動かない彼とその体を起こして必死に揺すっているルークの姿。


「ルーク、何があったのですか?」

「しらねえよ! 壁叩いてたと思ったら急にずるずる倒れこんじまったんだ、わけわかんねえよ!」

「私が回復譜術をかけて、」

「いや、それは必要ない」


 聞こえた声に三人ともが振り返ると、今倒れている当人の従者が丁度こちらに近付いてくるところだった。


「……どういうことですか?」

「回復譜術でどうこうなるものではないのだよ、『コレ』は」


 言いながらアーチャーはルークにグレンを床に寝かせるように指示し、傍らに膝をつき、心臓の上に手をおく。


「――――同調、開始(トレース・オン)」


 そんな言葉を彼が呟いたと同時に、グレンの体を一瞬燐光が包み―――ほんの一瞬だけ、ルークはグレンの体が透けたような気がして息を呑んだ。それを見ていたのはルークだけではない。ティアも驚いたように目を見張り、ジェイドはひどく厳しい目をする。


「ライン接続確認、流動確認完了。逆流開始…………ふう、なんとか間に合ったようだ」

「お、おい!」

「あんずるな、小僧。……グレンは死なん」

「でも……でもさっき、確かにコイツの体が!」

「なに、もともと音素乖離しやすい体質でね、我が主は。そのくせとんだ無茶をするのだから従者は苦労する。……まあ安心しろ、もう一度言うが死にはしない。一度乖離した音素をもう一度つなげることは流石にできんが、それ以上乖離するのを止めるだけは可能だからな……グレン限定だが」

「無茶、と言うのは先ほどの大爆撃ですか?」

「ああ、そうだ。もはや相棒として頼まれても主人として命令されても、二度と従うつもりはないがね」

「音素乖離、といいましたね。……それをあなたはどうやって」

「グレンが言ったのではないかね、大佐殿。詮索は却下だ」

「そうですか……では、私のコレは独り言なのですが。あなたは世界に満ちた第七音素を、どうしてか呼吸で取り込むだけで体を組成する第七音素に変換できて、これまたどうしてかそれを彼にそそげるようですが……あなたは、一体なにものです?」

「やれやれ、独り言だといったその口で何を言うかと思えば……私はエミヤ、グレンの従者だ。それ以上でもそれ以下でもなにものでもない」

「………………」


 空気がしんと冷え込む。ぬくもりのない赤い瞳を、アーチャーは灰色の瞳で真っ向から見返す。その表情は凪いでいる。やがてジェイドははあと溜息をつき、まあいいでしょうと呟きながら追求を打ち切った。そしてそのまま伝声管にむかう。


「ブリッジ、現在状況は!」

『原因不明の大爆発により敵前衛、中軍ほぼ壊滅、敵戦力六割減! 辛うじて左翼、右翼、が残るのみと後方へ控えていた後詰めが無傷なだけです……恐らくは先の爆発をこちらの攻撃と認識したようで、引いているようです!』

「そうか……残存兵力終結後、転進してくる可能性もある。対空砲火は常に準備しておくように。また完全に引くまではレーダーで常に敵位置を捕捉しておけ」

『はっ! 承知しました!』

「さて、ひとまずはどうにかなったようですが……また次があると厄介ですね」


 ふむ、とジェイドが顎に指をかけ何事かを考え込んでいると、大佐大佐大佐大佐~と、扉の向こうで聞き覚えのある声がした。


「大佐~、って、ああ! ここにいた! 大佐ぁー、なんなんですかあれ! どんだけすごい爆弾積んでるんですかこの陸艦! も、すっごいビックリしたんですけど?!」

「おやアニス。イオン様は見つけられましたか?」

「あったりまえですよぅ。ほらイオン様、入っちゃってください」

「ジェイド、先ほどの爆撃は一体……」

「いえ、アレはこちらの攻撃ではなく」


 と話を振るだけ振っておいて何も言わない。そのためジェイドの視線を追ってこちらを向くアニスとイオンに、アーチャーはしぶしぶ口を開く。


「ああ、確かにさっきのアレは私個人の戦闘技術だ」

「うげ、個人?! なんつー凶悪な」


 つい素が出てしまった後ですぐそこにルークがいることに気づき、アニスははっとして「きゃわーん、恐かったですぅ、ルーク様~」などと抱きついている。そして抱きつくというかむしろタックルするような感じでルークの横腹に飛びついたアニスの勢いに、ルークはぐおっ、といいながらバランスを崩している。
 なんともにぎやかなことだ。


「エミヤ殿、さきほどのは、貴方が? ……それと、グレンは気を失っているのですか? 一体……」

「ああ。確かに先ほどの爆発は私がやった。だが、それは残念ながら企業秘密でね、詳しくは言えんのだ。グレンのことなら心配するな、命に別状はない。それよりも、先に確認せねばならないことがあるのだが―――導師イオン」

「……なんでしょうか」

「襲ってきたものに、オラクル兵の格好をしていたものがいたのだが……何か心当たりは?」


 その言葉に納得が言ったように溜息を付いたのがジェイド、苦い顔をしたのがアニス、申し訳なさそうに目を伏せたのがイオンだ。
 ジェイドはやれやれといわんばかりに首を振って、眼鏡に指を当てている。


「……なるほど、オラクル兵ですか」

「イオン様、それってもしかして……」

「はい……恐らくはモースでしょう。モースは戦争が起きるのを望んでいますから。僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきました。だから、ルーク。貴方が聞いた誘拐というのも、恐らくはここからきているんだと思います」

「待ってください、導師イオン! それは何かの間違いです。大詠師モースがそんなことを望んでいるはずがありません! モース様はスコアの成就だけを祈っておられます」

「えぇー、ティアさんは大詠師派だったんですね。ショックですぅ……」


 思わず声を荒げて反論をしたティアの言葉を聞いて、アニスはがっかりしたような声をだす。するとティアは僅かにうろたえ、しかし首を振り、静かに答えた。


「私は中立よ。それに……誰かが戦争を起こそうとしていると言うのなら、それは兄よ」

「はぁ? お前、なに言ってんだよ」


 目を伏せて小さな声で紡がれた言葉に、モースって誰だ、後でグレンにでも聞くか? と一人わからなさそうに首を傾げていたルークのほうが今度は聞き捨てなら無いと反応する。やれやれこれはまた喧嘩が始まるか、長くなりそうだとアーチャーが溜息をつきそうになったとき、うめき声のようなものが聞こえてきて、慌てて主に視線を戻した。
 そして上半身を助け起こし、壁に背を預けて座らせる。そうすればしばらくして閉じられていた瞼が震え、ぼんやりと、まだ焦点が合ってなさそうな緑の瞳がゆっくりと開かれた。


「んんー、うわ……体に力はいんねぇやこれ」

「グレン! おい、もう大丈夫なのか?」


 心配そうに近寄ってくるルークに頷き、あたりの状況を把握しようとして、


「ほう、やっと起きたかのかね、マスター」


 ずごごごごごご、と、そんな擬音語が聞こえてきそうなオーラを背負ったアーチャーを見て固まる。


「あー…その、さっきは悪かったな、エミヤ。だからさ、頼むからさ、生還した主人に向かってその鷹の目で睨み殺さんばかりに視線を突き刺すの、やめてくれねぇ?」

「……全く、私のマスターはいつも無茶をする者ばかりだ」

「ごめんって」

「もう二度と聞けんぞ」

「ああ……そうせざるを得ん状況にならねーように、だろ」

「分かっているのならいい」

「……ああ。で、大佐、状況は?」

「敵兵力は六割減。オラクル兵は退却したようです」

「そうか…………」


 グレンは安心したように息をつき、しかしすぐに目を細めた。


「大佐、俺たちの位置は敵に知られてる。オラクル兵が再編成してもっと大勢力で襲ってきちゃ今度こそイオンを取り返されちまうかもしれない」

「そうだな。マスターの言うとおりだ……ここはいっそ、タルタロスにマルクト兵だけを残して私たちは最低少数人数で徒歩でキムラスカを目指した方がよかろう」

「おい、それって」

「ああ……タルタロスには囮になってもらう、と言っている」

「……っ、そんなの」

「……やむをえませんね」

「んだよ、ジェイドまでそんな事言うのかよ!」

「ルーク、イオンはこの和平交渉で絶対に必要な人なんだ……それに、戦争がはじまったらもっとたくさんの人が」

「…………っじゃあ、お前は何のためにそんなになってまでここの人間を助けたんだってんだよ! ろくろく顔もしらねえ人間ばっかだったくせに、お前さっき死にかけてたんじゃねえのかよ!」

「……それは、」


 グレンは驚いて目を丸くしてしまう。ルークが怒っているのは、グレンのためだ。命を懸けてまで助けたはずのものをあっさりと囮にするといって、それでは何のために命をかけたのかと怒っている。いや、本当はグレンたちがタルタロスを離れればオラクルの襲撃がないことを承知した上での発言なのだが、そんなこと言えるわけもなく。
 それにしても。それにしても、だ。こうまで違うものなのだろうか。本当に、この世界のルークは真人間だ。あのころの自分は、誰かのために怒るなんてことはできなかった。


「……俺は、傲慢だからな」

「っんなの、答えになってねえだろ!」


 怒ったルークが大股になってグレンへと近付き、その襟元を締め上げようとした瞬間。はっとしたような顔をして、窓の方向を見たアーチャーは焦ったような声をだした。


「―――いかん、ふせろ!」
『報告、大型の魔物が飛行急速接近中! その後ろにさらに数体続いています、迎撃できません! そちらに近付いています……師団長、お逃げください!!』


 伝声管からその声が届き終わる前に、マルクト軍が誇る陸艦タルタロスの一室の窓が凄まじい勢いでぶち破られた。がしゃあんという破壊音と、移動中の風が室内に吹き込んで空気の激流を生んで目を開けているのもつらいくらいだ。窓だけに限らずそれごと周りの外郭がぶち破られる。

 それでも必死に目を開ける。見える小さな影。その背を守るように立つ四足歩行の魔物。


「アリエッタの……お友達、たくさん、痛いって…………」


 うわぁ、嘘だと言ってくれ。なんでこんなにピンポイントで来るんだろう。こっちはまだまともに動けないというのに。なんだ、まさか魔物に育てられた故の野生の直感ってやつ? グレンはつい遠い目をしたくなる。


「絶対……………………絶っ対に、許さないんだからぁ…………!!」

「って、根暗ッタぁ?! アンタなにしてんのよ!」

「アリエッタ、根暗じゃないもん! アニスの馬鹿ぁ!」


 アリエッタの叫びに反応して、彼女の後ろに立っていたライガがアニスのほうへと迫る。狭い部屋の中で距離をとるなど出来るはずもなく、アーチャーが咄嗟に前に出てライガの爪を双剣で受け止めた。


「ちい、とにかくこの娘を外に放り投げろ!」

「エミヤ殿待ってください、彼女は!」

「ここに乗り込んできた飛行の魔物がついているはずだ、死にはせん! 早くやれ!」

「りょーかい! イオン様は下がっててください!」


 近くに居たジェイドとティアがイオンを庇うように前に出る。アリエッタへ一番近かったアニスが駆けていく様子を見て、ライガが動こうとするのをアーチャーがおし留める。不機嫌そうな唸り声が聞こえても、顔色一つ変えようともしない。なんせ彼はそのクイーンの怒りの咆哮を聞いたこともあるのだから。

 そうしてアニスがアリエッタを突き飛ばそうとした瞬間。


「だから一人でつっこむな、と言っただろう。アリエッタ」

「ふぇ?」


 突然アリエッタの後方へ降ってきた大柄な影がアリエッタを脇へと移動させ、そのまま止まれなかったアニスの腕を掴んで―――そのまま開けられた大穴から放り投げた。


「アニス!」

「っの、ヤローてめぇ……ぶっ殺ーす!!」


 あと根暗ッタあんたは絶対いっぺん泣かすぅぅぅぅぅ……と、なんとも怖いことを叫びながらアニスは落ちていった。


「さて」


 ラルゴの視線がこちらを向いた瞬間、グレンは咄嗟にルークをティアたちのほうへと突き飛ばしていた。幸いにも咄嗟にしてはちゃんと腕は動いてくれた。なんとか動ける、程度には回復しているようだが、確実に戦闘はまだきついだろう。
 いまでさえ、ただ一人を突き飛ばしただけで息が上がりかけているのだから。


「痛ったた……くそ、グレン!」


 ルークが叫ぶより先にジェイドは譜術を唱えようとするが、その完成を待つほど相手もお人好しではない。


「おおっと、大人しくしてもらおうか。動くなよ、マルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐。――いや、『死霊使い(ネクロマンサー)ジェイド』」


 どすん、とグレン首下に鎌が差し入れられる。まるでいつかの焼き直しだ。成長してないということだろうか、こんな状況だというのに小さく笑いそうになる。対して、彼以外の仲間達は余裕がない、厳しい表情をしている。
 伝声管からは魔物の襲撃の報告が飛び交っていて、甲板では戦闘が繰り広げられているようだ。


「『死霊使い(ネクロマンサー)ジェイド』……! あなたが……?」

「これはこれは……私も随分と有名になったものですね」

「戦乱の度に骸を漁るお前の噂、世界にあまねく轟いているようだな」

「あなたほどではありませんよ。オラクル騎士団六神将『黒獅子ラルゴ』」

「さあ、大人しく導師イオンを渡してもらおうか」

「イオン様を渡す訳にはいきませんね」

「おっと! この坊主の首、飛ばされたくなかったら動くなよ」

「チッ……マスター!」


 ライガと膠着状態を続けるアーチャーがうめき声に似た声をあげる。そんな彼に対して、口の端だけを釣り上げて笑ってみせる。大丈夫だ、それだけを唇の動きで伝えた。
 ラルゴはジェイドを要注意としてみていたから、こちらに意識を向けていない。けれどジェイドやティアやルークたちはこちらに意識を向けていたはずだから、彼の唇が動いて小さく笑っていたのには気づいているはずだ。


「死霊使いジェイド。お前を自由にすると色々と面倒なのでな」

「あなた一人で私を殺せるとでも?」

「お前の譜術を封じればな」


 そういって、ラルゴが懐から小さな箱のようなものを取り出す。それをジェイドに投げつけた一瞬、成功に気が緩んだその瞬間。今まさにジェイドに切りかかろうとする、グレンから完全に気がそがれた、その時。


「おっさん、人質取るなら相手を選んだほうがいいぜ」

「何?!」


 聞こえてきたふてぶてしい声に目をむいてグレンのほうを向く。そして驚きに目をむいた。いつの間にか彼の手には抜き身の剣が握られていたのだから。ラルゴは咄嗟に動けない。そしてグレンは真っ直ぐにラルゴの目を見ながら、刃を突き出した。


「ま、さか……こんな小僧……コンタミ、ネ……」

「ラルゴ!」


 ずぶり、と刃を引き抜き軽く振るうと、床にびちゃりと嫌な音を立てて赤い水滴が飛び散った。そしてすぐにラルゴから離れる。アリエッタの悲鳴に反応して、ライガがその巨体に似合わぬ俊敏な動作でラルゴへ近寄り、器用にその背に彼を乗せた。


「お友達も、ラルゴまで……」


 外見の幼さに似合わぬ苛烈な目で睨みつけて、アリエッタもライガの背に乗る。


「絶対、絶対、許さない、です……!」


 それだけをはき捨てて、ぶちあけた穴から外へと逃げていった。














本日のボツネタ



「あー…その、さっきは悪かったな、エミヤ。だからさ、頼むからさ、生還した主人に向かってその鷹の目で睨み殺さんばかりに視線を突き刺すの、やめてくれねぇ?」

「よーし分かった、よーく分かった、体の弱いマスターのためにこの従者が腕を奮って健康第一野菜と魚とそのたもろもろ完璧に計算した食事設計を……」

「マテ。それは待て! それ絶対俺の嫌いなものばっかりずくしの料理になるんだろうちょっとまて! ごめんなさいもう無茶言いませんお願いだからそれは待て!」

「にんじん、きのこ、ピーマン、カボチャ、タコ、イカ、サーモン……」

「ごめんなさああああああい! ちょ、本気で待てええええええええ! げほごほごほがふ!」

「ふん、調子の悪いふりをしようとしてもそうは行かんぞ。容赦はなしだ」

「いやほんとうにせきが出たんだよ!」

「それでは特濃ミルク一本のみとどっちがいいのだ」

「だからそのデッドオアデッドはもうやめろ、たのむから!」







[15223] 08(前編)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:fafce144
Date: 2010/03/25 00:56



 突き出された腕、握られた刃、噴き出した血だまり。


「さ……刺した……」


 呆然と目を見開くルークに気づいているはイオンとグレンだけだ。おびえたような目で見るルークを見て、グレンは曖昧な表情をしていた。他の者は気づいているのかいないのか、それとも気づいていて知らないふりをしているのだろうか。次になすべきことを話しながらそれぞれの役割を決めている。


「さて、我々もブリッジの応援に行きましょう」

「ですが大佐は封印術(アンチフォンスロット)で譜術を封じられたんじゃ……」

「ええ。コレを完全に解くには数ヶ月以上はかかるでしょうね。ですが全く使えないと言う訳ではありません。……しかし、私以外にもコンタミネーションができる人がいたとは……グレン、あなたは戦闘は可能ですか?」

「あー、期待させて悪いけど無理。触覚は残ってるから剣握れるし歩けるみたいだけど、思い切り腕を振るとかすばやい動きはまだ無理っぽいな。気配の察知もどうにもにぶい。明日の朝ならもう動かせそうだけど、しばらくは戦力に数えないでくれ」

「そうですか……」

「なら、導師イオンとグレンとついでに小僧の護衛は私に任せておけ。貴様はそこの彼女とブリッジの応援にいけばいい……なに、まだ戦っている兵はいるだろうから、前衛はあればうれしいだろうが差し迫って必要というまででもあるまい?」

「……っ、ちょっと待てよ! 護衛って何だよ、俺だって戦える!」

「いや、お前は俺とイオンと護衛されとけ」


 はっとしたように顔をあげて噛み付くルークをおし留めたのは、噛み付かれたアーチャーではなくグレンだった。


「なんでだよ! 俺だって、」

「お前は守られる側の王族で、それを抜きにしても一般市民だ。タルタロスの兵が全滅してて、どうしても前衛が必要ってわけでもない。……だから、わざわざお前がひとを殺す必要はない」


 殺す、と言う言葉にルークの肩がぎくりと強張る。


「お、俺は……」

「ルーク、いいか。必要と在れば殺す、組織の為に殺す、国のために殺す、命令があれば殺す。それは軍人のあり方だ。殺し殺される覚悟を持って、人は軍人になる。でも、お前は軍人じゃないんだから……ひとなんて殺せなくていい。だから、今回は大人しく守られとけ」

「俺は、」

「それになぁ、マルクトにとっちゃお前も重要な護衛対象なんだぜ? なんせキムラスカの王族だからな。怪我でもされれば困るのはマルクトだ。ただでさえ険悪なのに余計な火種なんて持ち込まなくていい。それで和平がうまくいかなかったら、それこそ冗談じゃないだろ。なあ、そうだろうが大佐」

「そうですねぇ……本音を言えば前衛も欲しいところですが、確かに困りますからね。どうしても必要と言うわけでもないなら、ここはグレンの言うとおりに護衛されておいたほうがいいでしょう。……戦場で戦力にならない戦力はむしろ害悪だ」

「んだとぉ?!」

「おいおい大佐、人の神経逆なでするような言い方に気をつけろって。それとルークも抑えろ。ここで大丈夫だなんていったら、タルタロスを奪おうとしている『人間』を殺すための戦場に出ることになるんだぞ」


  ルークの体が見てわかるくらいに強張った。震える手の平をぎりりと握り締めている。お荷物になりたくないという思いと、自分も戦えるという思いと、ひとを殺したくないという思いと。
 グレンとて、この手を血まみれに染めた今でもひとを殺すことに恐怖がないわけではない。でも、今より余程ひどかったあのころの恐怖を思い出して苦く笑った。


「俺は、例えばお前を臆病だと詰る人がいたとしても、人を殺したくないってその気持ちはとても尊いものだと思う。俺にはもうそんなことを思える資格はないんだけど、だからこそ尚更そう思う」

「……グレン」


 アクゼリュスでは、ただそこにいただけの何の罪のない人たちを。
 レムの塔では、行き場を喪ったレプリカの命をくらって障気を消した。
 旅の途中では山賊や野党に襲われそうになったら殺したし、立ちふさがるオラクル兵を殺したりもした。
 生きるために殺して、進む為に殺して、誰かの嘆きを思いながら立ちふさがるものを砕いて進んだ。それが例えどれだけ世界から正しいとされることであっても、誰かにとって大切な人を殺し続けてきたのだということには変わりない。
 殺して殺して随分殺してきた。はじめは覚悟も無いままに殺して、いつからか覚悟を決めてひとを殺した。
 今更嫌だなんて、俺はもう言えない。


「俺の手はもう血まみれだからさ。でも、お前はまだ人を殺していないだろう。だから、ルークには人を殺して欲しくない。コレは俺のエゴだな。戦場では甘っちょろい考えだって分かってる。殺されなきゃ殺される場所だ。どれだけ尊い考えでも、それは戦場では通じない。でも、それでも俺はお前に人を殺させたくないんだ。……だからさ、守られといてくれよ、頼むから」


 もう少し背が高かったら格好が付くんだけどな。そんなことを思いながら、ほとんどが同じ目線の頭をぐしゃぐしゃに撫ぜた。そして口をへの字に曲げて黙り込むルークに溜息をついて、こちらを眺めている軍人二人にもういけと手で合図をする。
 ちらりとこちらを見ながらもこれ以上時間を潰すわけにもいかないと思ったのか、頷きながら駆け出していく。


「ではイオン様、また後ほど」

「はい、あなたも気をつけてください、ジェイド」


 そしてジェイドに続いて部屋から出て行く直前、ティアは振り返って、黙り込んで俯いているルークのほうに視線を向けた。


「こんなことに巻き込んでしまったのは私の責任だわ。だから、私が必ずあなたを家まで送り届けます」

「………………」

「……だから、あなたはそこにいて。戦場は軍人が出る場所で―――殺す覚悟がなければ簡単に殺されることになるのは、真実だから」

「っ!」


 ルークは顔をあげてティアを睨みつけるが、やがてその瞳も力をなくし視線は床の上をさまよう。それを見送って、彼女は駆け出した。遠ざかる足音を聞きながらルークが力なくポツリと呟く。


「……どうして、そう当たり前みたいに殺すだなんて言えるんだ」

「当たり前、なんかじゃないとおもいます。ティアも好きで殺してるわけじゃない。……きっと、彼女は優しい人だから」

「そうだな、イオンの言うとおりだ。ただ、軍人になると決めたときから覚悟してたんだろう。もう覚悟を決めてしまっているから、お前のようにはいられないんだ」


 ルークの視界に入る、ラルゴからこぼれた赤い血だまり。さびた鉄のような匂いを感じて、吐きそうになる。バクバクと嫌な音を立てる心臓を服の上から握り、ルークは小さな声で尋ねるしかできない。


「……グレンは、ひとを殺すのは、恐くないのか?」


 いつかの夜営の時。ガイに今と同じように尋ねたことがあった。
 それに対する答えはあのときの彼とは少し違うけど、それでもグレンの心をそのまま表した言葉だ。


「……恐いさ。でも、俺は死にたくない。死にたくないんだ。生きていたい。ここにいたい。殺さずに止められるほど強くないから、殺してしまう。例え誰かを殺してしまっても、俺は生きていたいから」

「お、俺だって死にたいわけじゃない!」

「……そうだな。誰だってそうさ。でも、俺は欲張りだから。自分も、俺にとって大切な誰かも、何も喪いたくないから戦うんだ。……それが誰かの大切な人を奪うことになってしまっても」


 殺したくない、殺されたくない、死なせたくない。混ざる感情はどれも本当で、けれどどれもが何も損なわずに成立することは決してない。この中の何かを優先させれば生まれるのはどれかの犠牲。
 ぐずぐずと回り続ける思考はいつまでも結論を出してくれない。それでも必死になって苦手なりに考えていたら、ぬくもりの薄い冷酷とも取れる平坦な声が聞こえた。


「……小僧。考えるのは後でもできる。そんなことは今は捨て置け、グダグダ考えるな。マスター、ここは敵に位置を知られている。いい加減にここから移動するぞ」

「お、おい、エミヤ!」

「一つ言っておくぞ、小僧。私の主はコレで案外とんでもない夢見小僧だからそう言っているがな。お前は、自分の身が危なくなったら何の容赦も遠慮もせずに、敵を殺せ。相手が魔物であっても人間であっても人間によく似た何かであっても、だ」

「……っ」

「エミヤ!」

「―――後悔は、生きている限りいつでもできる。反省も、自己嫌悪もだ。だが、死んでしまってはもう何もできん」


 平坦なのに、どこかで揺れているような声だった。ルークははっとして顔をあげる。鋭い鷹の目と刃色の瞳。背の高いグレンの従者からはまるで見下ろされているようで、どうしようもなくルークの体は強張る。表情らしい表情は浮かんでいない。ただ無表情だ。
 なのに。それなのに、吐き出す言葉はどこか願いをこめた祈りのように聞こえた。


「生きている限り死にたくないと願うのは、生きているもの全てに平等に与えられた権利だ。例えそれが人間だろうが植物だろうが動物だろうが魔物だろうが偽者だろうが、誰にも何者にも妨げることも詰ることもできん。それでも互いにゆずれないものがあり誰かとぶつかり命を狙われてしまったとしたら、迷わず躊躇わず相手を殺してでも生き延びろ。……見知らぬ誰かの泣き顔を作ってでも、自分を大切にしてくれている人の泣き顔を作らぬように―――何が何でも、生き延びろ」

「エ、ミヤ……」

「忘れるな、小僧。命は自分だけのものではない。例えそれが自分自身のものであってもだ。殺したくない? 大いに結構。ただし己の命の危機には、どんなに恐ろしくても生き延びることから眼をそらすな」


 それだけを言い切ったあと、ルークの反応を見ることもなくアーチャーは彼の脇をすり抜け廊下へと一人進む。迷いのないしっかりとした足取り、真っ直ぐと前に向けられた視線。揺らぐことのない背中はとても大きくて、そしてどこか遠い。


「……ったく。悪いな、ルーク。アレでも一応エミヤなりの激励っつーか、そんなのなんだ。でも、たぶん……俺の願いよりも余程現実的なことなんだろう。流すんじゃなくて、受け止めてやってくれ」

「……行きましょう、ルーク」

「あ、ああ…………」


 こんなときでも穏やかな声音に促されて、のろのろと歩を進める。脳裏を駆け巡るのはグレンの願いとエミヤの呟き。
 分かっている。泣きたくなるほど大切にしてくれていると自分でも分かるようなグレンの言葉も、いっそ冷血なまでのエミヤ言葉も、どちらもルークのことを思ってのことなのだと。
 それでもまだ迷っている自分が情けなくて、小さく口元を歪めた。


「ちっくしょう……カッコワリい…」







ジェイドの放った下級譜術がライガルに当たり、仰け反ったそのライガルにマルクト兵が殺到し、彼らの背後に飛びかかろうとしたグリフィンの翼にティアのナイフが突き刺さる。そしてすぐに歌われる譜歌に目に見えて動きがにぶくなる魔物をジェイドの槍が貫く。
 初期の襲撃にくらべれば随分と減ったとは言え、まだまだ大量に魔物たちがいる。それを倒しながら、ジェイドは先ほどから感じる不可解さに眉をしかめた。


「おかしい……」


 思わず、と言った風にこぼれたジェイドの呟きをティアは拾い上げ、怪訝そうな顔をする。


「大佐、どうかしましたか」

「ティア、あなたは今まででオラクル兵の姿を見ましたか?」

「いいえ、そういわれると……アリエッタとラルゴしか見ていません」

「やはり。あの爆撃で士気が落ちたとしても、こうまでオラクル兵の姿が見えないとは……まさか」

「……大佐?」

「いや、しかし我々がここを離れてはブリッジが……これならルークはこちらに連れてきておいたほうがよかったかもしれませんね」


 溜息をつく。溜息をつきながらも、後方から飛びかかろうとしていたグリフィンの頭を振り返りもせずに突いて軽く眼鏡を直した。


「あの人外がついているならめったなことにはならないでしょうが……イオン様が心配です。とにかくこちらも早く片付けねばなりませんね」









「やられたぞ、グレン。囲まれている。魔物ではないな……コレは人間、オラクル兵の気配だ」

「うへえ、なんだよそれ。前後?」

「ああ……そうだな、敵兵力の厚いブリッジや甲板上層に魔物だけを投入する。万が一生き残りがいたとしても、『オラクル兵』の姿を確認していないのであればいくらでも逃げ切れる。だからそちらに主力を誘導しておいて、オラクル兵達はこっそりと後方から侵入、と。そういった感じだろう」

「……なるほど。てことは、エミヤ」

「ああ……オラクル兵の姿を目撃してしまった兵達は……皆殺しにされているだろうな」

「そんな!」

「目撃者を残していてはマルクトと教団との紛争になる……敵も軍人だ、甘さなど残してはいないだろう」


 思わず声をあげたルークに、アーチャーはいたって冷静にそれだけを返した。


「甲板に出たいところだが、そちらには魔物がいるのだろうな……まったく、またこの狭い場所で戦わねばならんとは……マスター?」

「ムリ。ラルゴのは不意打ちで辛うじてどうにかなったけど、まだ戦闘はムリ。一回受けたら腕しびれそう」

「やれやれ、難儀なことだ。では、包囲が完成される前に分断兵力を各個撃破するしかないな」

「どっちから行くんだ」

「まずは前方を突破する。導師イオンは任せたぞ、マスター。ある程度距離を空けて、しかし離れすぎない程度に追ってきてくれ。……おい、小僧」

「……あんだよ」

「これから私は『敵』という名の人間を殺しつくす。……よく見ておけよ、小なりとは言えそれが『戦場』という地獄だ」


 そう言って、彼は双剣を改めて握りなおし陸艦の狭い廊下をかけていく。そしていくらか走った後、徐にすぐ側の部屋へと押し入り―――悲鳴が聞こえた。金属同士がかち合う音。すぐにやむ。そしてその部屋からでて、その悲鳴を聞いて駆けつけたオラクル兵を片っ端から切り捨てていっていた。
 その様子を、少しはなれたところから物陰に隠れてルークたちは見ていた。


「……イオン。多分、見ないほうがいいぞ」

「いいえ…これは僕の無力が招いた結果です。……僕が、この景色を見ていなければ」


 剣戟の音。悲鳴、悲鳴。廊下に流れる水たまり。フォニム灯の反射で赤みがやけに濃く映る。剣戟、悲鳴、剣戟、悲鳴。剣戟の音。悲鳴。

 ――――――ああ、そうだ。剣は誰かを殺すための技術だった。

 単純に、鍛えるだとか趣味だとかそう言う意味のものも在るけれど。それでも、剣術は人を殺すための技術からはじまっているのだ。彼が夢中になって打ち込んでいたものは、誰かを殺すためを目的に鍛え上げられた技術だったのだ。
 そんな、当たり前のことを今更になって思い出す。
 吐き気がしそうになってそれでも視線はそらせない。本当はそらしてしまいたかった。見たくない。それでも、グレンもイオンまでもがじっと見つめているものから一人だけ視線をそらす、ということが嫌だった。自分がとんでもなく弱虫で情けない気がして、それだけはできなかった。
 奥歯をかみ締める。拳が震える。悲鳴ばかりが耳の奥に焼きつく。自分が殺している訳でもないのに、心臓がずきずきと嫌な音を立てながら鼓動する。

 悲鳴がやんだ。あたりを伺っていたらしいアーチャーが少しだけこちらに振り向いて片手を挙げる。それにグレンは手を上げることで返して、それを見たアーチャーはまた走っていった。


「よし、じゃあ行くぞ。イオン、ルーク」

「…はい」

「……ルーク、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

「っ、ああ、行くんだろ」


 走って、廊下に拡がる赤い水たまりを飛び越えることもできなくて踏み越えていく。パシャン、と普通の水音のように跳ねた音と、足もとで擦れながらもついてくる赤い靴裏の跡に更に気分が悪くなった。





[15223] 08(後編)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:fafce144
Date: 2010/03/25 00:57

 そしてやっとたどり着いた、後方の甲板へ繋がる扉をアーチャーは蹴り開ける。その瞬間放たれる銃撃と譜術を横とびに避けた。かなり無茶な避け方をしたというのに、姿勢を大きくは崩さないところはさすがと言ったところだろうか。そして次の銃撃が来る前に譜銃で狙いをつけていたリグレットのほうへと切り込んだ。


「チィッ」


 リグレットは舌打ちをして、後方へ飛び退りながら銃撃を放つ。咄嗟に撃ったはずのそのどれもが命中範囲だったことに、アーチャーは敵ながらに心中で賛辞を贈る。しかし彼はその全てを見切り、よけられない弾丸はその手に握った双剣で弾ききった。その、まさしく人外といっても遜色ない技術は六神将に驚嘆の表情と声を作らせた。


「なるほど、射撃の腕は一流だ」

「まさか防ぎきられるとはな。見たところマルクト兵でもなさそうだが……貴様、何者だ?」

「なに、『ただのしがない旅人』の従者、さ!」


 にやりと口元に笑みを浮かべながら話していたところにふたたび上級譜術が襲ってくる。それを避けて、その譜術を放ったほうへと視線を向けて呆れたような声をあげた。


「全く、人と話しているときに横槍を入れないで貰いたいものだね」

「っは、よく言うよ、思いっきり察知しといて」


 シンクが思い切り面倒くさそうに毒づく。


「アンタがここにいるってことは……なに、ここに来るまでのオラクル兵は全滅?」

「さあな。私を倒して自分で確認しに行ってはどうだ」

「なにそれ。いかにもまあムリだろう、って表情浮かべて言うとか性格悪いんじゃないの、あんた」

「なに、心配せずとも自覚はある」


 軽口を叩くような調子で返しているが、その様子に隙らしい隙もない。鋭く細められた鷹の目は、冷徹な眼差しで敵の動きを一分の隙もなく観察している。厄介な相手だ。リグレットの譜銃を握る手に知らず力がこもった。


「一つ聞こう。先の接近で、我々をあの距離から狙撃していたのは貴様か?」

「どうしてそのようなことを聞くのだね。私は今双剣を握っているだろう」

「さあな。弓兵だからといって双剣を使わない、ということもあるまい……強いて言えば、戦場を歩いてきてついた勘だ」

「コレだから女性の第六感というものは……根拠もなく真実をつくから、たちが悪い」


 はあと溜息をついたアーチャーの言葉を聞きとがめて、シンクは表情を歪めた。


「あの狙撃手が双剣使いでこの腕前? とんだ化けものじゃないか」

「なに、誉めても何も出んぞ」

「あんたやっぱ性格悪いね」

「なに、君には負けるさ」

「よく言う!」


 烈風のシンク、という二つ名に相応しい俊敏さで彼はアーチャーの懐に飛び込もうとするが、それを双剣でうまく防がれる。続く連撃にもキッチリと対応し、そしてリグレットの射線上にシンクの体が来るように配置する。そのたびリグレットは何とか狙いを変えていくのだが、まるでその動きを読んでいるかのように動かれては手が出せない。


「まったく、本当に化け物だな」

「いやいや、これでも私は能無しでね。手広く修練を積んだが、すべてにおいて二流な凡才なのだ。私からすれば、君たちのほうが余程才能がある。羨ましい限りだ」

「ほんと、あんた、よく、言う……よっ!」

「いや、本当にな。その若さでここまでやれる人物を見ては、いささか自分の才能のなさに悲しみを覚えるのだが……」

「巫山戯たことを!」

「いや、偽りではなく……」


 そんな風にして六神将二人に対して一人で有利に戦況を進めるアーチャーの言葉に、それでもグレンは微妙に本音が混じっていることを見て取った。が、優勢だとはいえ相手も相手だ。ここぞと言う時にはアーチャーの攻撃を何とか回避して、決着はつかない。
 彼はルークとイオンを少し後方においてこっそりアーチャーの様子を伺っていたが、やがて困ったようにぼそりと呟く。


「……ヤバイな。確か、アーチャーは包囲されてるって言ってたから……ほっとくと後ろから兵がやってくるはずか」


 こいつはいったんどこかに……いや、いっそ先刻の廊下にまで戻ってどこかの部屋にでも身を隠して、アーチャーの決着がつくまで待ったほうがいいかもしれない。そう思ったとき、何故かずうんと鈍い音が響きタルタロスの動きが止まる。


「なんだ?!」


 咄嗟に声を出してしまって、慌てて六神将のほうを向いたが、停止時の轟音のせいで声は届かなかったようだ。それにほっとしていたのだが、すぐにそんな場合ではない事に気づく。遠目に、リグレットが笑っているように見えたのだ。この状況で止まるとは、魔物の攻撃の一部が動力部分にでも当たったのかもしれない。
 止まった陸艦には侵入も難しくはない。もし近くに万一の為の予備兵力としてオラクル兵を配置していたとしたら、援軍が来る可能性がある。そう判断して、とにかく二人の下に戻ろうとして、背筋が凍った。
 何か祈りのような言葉を死んだオラクル兵に送っているイオンとは少し離れた場所。呆然と、倒れたオラクル兵の死体を眺めているルークのその背後。死んでいたと思っていたオラクル兵の腕がピクリと動き、ゆっくりと起き上がり、側に落ちていた剣を手が探り当て―――


「ルーク、後ろだ!」

「え……」


 咄嗟に振り返ったその動作分だけ体が動いて、振り下ろされた刃はルークの髪の先をかすっただけだった。だが、それだけだ。次の攻撃は避けられない。まさか死体だと思っていたものが動いているという状況に思考がついていかず、相手が剣を握っているというのにポカンと固まっている。
 しかしすぐにはっとして腰の剣を握るが、圧倒的に間に合わない。


「くそっ、たれえええええええ!」


 グレンは思い切り走りこみ、相手の剣の軌道の上に右手を突き出した。オラクル兵の刃が手の甲から肘にかけてまでをぱっくりと切り裂く。飛び散る赤にルークが目を見開いているのもそのまま、体を捻ってその勢いのままコンタミネーションで左手に掴んだ剣で、相手の肩から胴を切り裂いた。


「「―――――――――グレンッ!!」」


 イオンが駆け寄り、ルークが倒れ掛かるグレンを受け止めようとした瞬間、


「まともに反応もできねえなら剣なんざ捨てちまえ。この出来損ないが!」


 そんな声が聞こえてきて、ルークは突然頭の横を思い切り殴り飛ばされたような衝撃を受けた。勢いを殺せなかった体ごと壁にぶち当たり、そしてそのまま昏倒する。


「ルーク!」


 イオンはその突然現れた男に腕をつかまれ、ルークにもグレンにも駆け寄れない。後ろ手に捕らえられて身動きがままならなかったが、それでも後ろを確認しようとして、思わず、と言ったふうに声をあげた。


「あなたは―――」





 主の名前を悲鳴のような声で聞き取り、アーチャーは何事かがあったのだと察知する。突然厳しい顔をしてシンクとリグレットを力任せに後方へ吹きとばすように力任せに押しやる。そしてそのまま踵を返して駆けつけようとするのだが、その進行方向を上から降ってきた大柄な魔物にふさがれた。

 魔物の種族はライガ。聞いた覚えのあるおどおどとしていたはずの声は、ひどく怒っているように聞こえる。


「あなたたち、絶対、ゆるさない……です!」

「くそ、こんなときに! ……そこをどけ!」


 裂ぱくの気合と殺気を放てば一瞬アリエッタの体も硬直するが、それでも引く気もないらしい。ライガが襲い掛かりシンクもふたたび距離を詰め、アリエッタは譜術を唱えリグレットが譜銃を構える。それだけの手練を一人で相手にして、それでも互角以上に戦うその様に三人は内心戦慄する。だというのに、アーチャーの顔ははれない。


「くそ、マスター……!」







「まさか、鮮血のアッシュ……?」

「ほう? まさかこの名を導師も知っておられたとは、光栄だな」


 倒れこんだルークにむかって剣の切っ先を向けるアッシュに、イオンが驚いたように声をあげる。


「待ってください! 一体彼に何をするつもりなんですか?!」

「ふん、そんなの決まってるだろう? 殺すんだよ!」

「そんなこと―――っ」

「ソイツは、見過ごせねえんだよな」


 カチャリ、と首の背後に切っ先を突きつけられたことに気づいて、アッシュは不機嫌そうに鼻を鳴らす。目だけを向ければ、右腕から景気よく血を流しながらそれでも左手で剣を握りこちらに突きつけるグレンの姿。


「よう。イオンとルーク、はなしてくんね?」

「断る、と言ったら?」

「えー……ちょー困る」


 グレンは実際のところ血を流しすぎていっぱいいっぱいだったからこそのその反応だったのだが。その、なんともふざけた感じの答えにカチンときて、アッシュは首の後ろに突きつけられた剣を無視して勢いよく振り返り―――驚いて、少し固まる。


「お前……なんで笑ってやがる」

「はい?」

「……っんだ、その顔は! ふざけてんのか!」


 驚いた顔も一瞬で、あっと言う間に不機嫌全開の顔をするアッシュの言葉に自分の顔を触ってみようとするのだが、どうにも右手が動かない。仕方無しに彼へ突きつけていた剣を降ろして左手で触れる。そうすれば、自分では気づいていなかった、口元の緩み。

 ああ、だって、仕方ないじゃないか。
 生きてるんだって、頭では知っていても。

 もう一人のルーク・フォン・ファブレ。ナタリアとガイのもう一人の幼馴染。オリジナルルーク。あの世界の彼が居なければ、自分はいなかった。こいつがいなければ、ここにいるルークはいなかった。


「ああ……わりいな。もう会えない知り合いに似てて、つい、な」


 できるだけふてぶてしい笑みを心がけるのだが、うまくいっていたかどうか。そしてアッシュが怪訝そうに眉をひそめた時だった。綺麗な声が響いて聞こえたかと思ったら、アッシュの足ががくりと落ちる。その隙を見逃さずに読まれる譜術の詠唱。


「炸裂する力よ……エナジーブラスト!」

「っち!」


 下級譜術とは言え至近で炸裂されてはそれなりにダメージをくらう。咄嗟に避けて離れるが、イオンを離してしまった。ティアが駆け寄ってイオンを後ろへ庇うが、イオンに訴えられてすぐにグレンに駆け寄り右手に治癒譜術をかける。イオンはルークへと駆け寄っていた。

 そしてアッシュがあげた顔を見たジェイドは顔を強張らせた。


「やはり……あなたは―――」

「……これ以上長居は危険か」


 呟きながら、アッシュは止まっていた陸艦から飛び降りていく。柄にもなく動揺していたからか、動きがにぶいジェイドは追いかけることもしなかった。


「ジェイド」


 かけられた声に、はっとする。イオンの方を向けば、その腕にいるルークがいやでも目に入った。


「いえ、すみません……しかしイオン様が捕われるところだったとは。あの人外どのはどちらへ?」


 しかしその声に答えたのはイオンの声ではなく。


「って、あああああ! 忘れてた! 大佐、あっちで今エミヤが六神将と二人と交戦中なんだよ! 応援にいってやって!」


 そうして出てみれば、実際は二人どころではなかったのだが。しかも、不思議なことに一人増えている。金色の髪の青年だ。アーチャーがアリエッタとライガとシンクを相手取って戦っているが、その金髪の青年はリグレットと対峙している。
 とりあえず下級譜術を人外ごと敵へぶっ放し、話を聞く。


「これはどういうことですか?」

「知らん、ルークの知り合いらしい。グレンとルークのとこに行かせろとつい気合十分に叫んだら降ってきたのだ……おいところで大佐殿、貴様さっき私ごと譜術を放たなかったか?」

「いやですねえそんなことあるわけないじゃないですか……どうせ避けるだろうと思ってましたよ」

「貴様……」


 ブリザード。譜術も何もとなえていないのに、冷気が漂う雰囲気だった。因みにアーチャー、そんなことをいいながらも二人と一匹に対してまた互角以上に渡り合っている。そしてジェイドも口を動かしながら的確に譜術を放っている。相性が最悪なのか合うのか、どっちかと問われれば困るような感じだった。


「くそっ、リグレット! ここはいったん引いたほうがいいんじゃないの?!」

「ああ、そうだな……いったん、」

「リグレット教官?!」

「アリエッタ!」


 扉から後部甲板へ出てきた二人の声に、リグレットはわずかに動きを止めティアの名前を呟いた。そしてアリエッタは目に見えるくらい体を固めている。


「イオン、さま……」

「―――――――――引くぞ!」


 リグレットと知り合いらしいティアの言葉に一瞬動きを止めたガイの隙を逃さず、リグレットは甲板から飛び降りた。と、同時にシンクとアリエッタも飛び降りて、三人はそれぞれグリフィンの背に乗って飛んでいく。
 そして戦闘から解放されたアーチャーは、彼らの逃げ先も見ることもなく真っ先に自分の主のもとへと走っていく。


「アレで案外忠義者ですか。普段のやり取りから見れば面白くはありますが」







以下、NGにするべきかどうか悩んでる流れ。



「おい、マスター!」

「よー……もうマジやばかったんですけど……」

「怪我は! してないだろうな! 音素乖離しかけていたんだぞ、君は!」

「あー……直してもらったけどさ、これ、結構傷残って……」

「………………このタイミングは、アッシュだな?」

「へ? あ、いや違うよ? 俺今ルークじゃねーからね? あの、オラクル兵……」

「アッシュ……ふふふ、そうかアッシュめ……あのシンデレラ(灰まみれ)。次あったら殺……」

「したらだめだ! ダメなもんはダメだ! 泣くぞ、あいつも俺も!」

「なに、安心したまえ殺さずともおしおきくらい」

「頼むエミヤ、正気に戻れーーーー!」



[15223] 09
Name: 東西南北◆90e02aed ID:5afe5fb7
Date: 2010/01/28 12:06





 赤い。赤に染まっている。赤。誰が? だれだろう。解らない。倒れている。誰だか解らないのに、どうしてだか嫌な予感しかしない。赤。必死になって手を伸ばすけど、届かない。届かない。赤。あか……いや、あの色は。

―――血まみれの、


「ルーク!」


 呼ばれた声にはっと目を覚ました。喉の奥がヒューヒューと鳴っている。心臓の拍動がいやに早い。額にはいやな汗をかいているようで、舌打ちをして張りついた前髪をぐしゃりと握る。頭に声が響いていた時のような頭痛を堪えてちらりと視線を巡らせれば、そこには少しほっとしたような顔をしたティアがいた。


「よかった、うなされていたみたいだったから」

「ここは―――」

「タルタロスの中のベッドがある船室のひとつです。ルークが頭を強く打っていたようだったんで、ジェイドが用意してくれたんです」


 ひょこりと顔をのぞかせて補足するように説明するイオンの説明を聞いて、ああどうりでやたらに頭が痛いわけだと納得して―――思いだした。必死な顔をして駆け寄るグレン。突き出した右腕。相手の刃を思い切り受けて飛び散る赤色。


「グレン! おい、グレンはどこだ! あの馬鹿、俺を庇ってとんだ無茶しやがっ……おい、グレン?! あいつはどこにいる、めちゃくちゃ血ィ出てたんだ、まさか死んでねえだろうな……おい!」

「ルーク、落ち着いて」


 体を起こしなかば錯乱気味に周りを見渡したあと、今にも立ち上がり走って陸艦中を探しにでも行きそうなルークの必死ぶりだった。ティアは驚きながらもつとめて冷静な声をかけて落ち着けようとするのだが、馬鹿ヤロー落ち着けれるか血ィ出てたんだぞっ、とルークは落ち着く素振も見せない。
 むしろだんだんとはっきりと思い出してきたようで顔色が悪くさえなっている。まるで癇癪を起こした子どものようで手に負えない。


「ルーク、」

「あれ? もう起きてたのか」


 ティアの言葉の途中で聞こえた扉の開いた音と呑気そうな声。ルークの顔がすごい勢いでそちらを向く。しばらくポカンとしていたが、そんなルークに首を傾げながら近付いてくるグレンに特に怪我など無い事を見て取って、そこでようやくルークの表情が解けた。
 ほっとしたように口元が緩む。傲岸不遜で怖いもの知らずのお坊ちゃまにしては、ひどく似つかわしくない笑みだった。


「グレン……」

「どうした、泣きたいのか笑いたいのかわけわかんねえって顔だな」

「んな、泣いてねえよ!」

「えー。泣くくらいほっとしてくれたら嬉しかったのに。ち、友達甲斐のないやつめ」

「…………」

「……うん、ごめん、冗談だからさ、そんなに素で落ち込まないでくれよ」


 真に受けて本気で元気がなくなる様子を見て、グレンは慌ててルークの肩を叩く。


「しかしまあ、ありがとうなー、二人とも。ずっとルークを看ててもらって」

「気にしないでください。僕が、ルークが心配でついていただけですから」

「私は彼の護衛だから」

「俺もついててやりたかったんだけどさー、エミヤの説教が……長くて……」


 グレンはふっと遠い目をしてたそがれる。その目の乾き具合が凄まじい。彼の従者の性格を考えると声を荒げて怒鳴り散らすというより、徹頭徹尾理論的に一切の情状酌量もなく事実をくどくど言い含めるのではないだろうか。そんな説教は絶対に受けたくないなあとしみじみ思うルークだった。


「グレン、お前……腕は大丈夫なのか?」

「丈夫じょーぶダイジョーブだっつーの。ほら見てみろ、ちゃんとふさがってるだろ」


 ルークはグレンがひらひらと振る腕をがしりと掴んで改めてじっくり見て、やがて不機嫌そうに眉根を寄せた。


「……すんげーはっきり残るんだな、傷」

「んー、まあ、ちょっと前にアレだったから自己治癒能力も落ちててな。傷はしょうがないさ。でも俺男だし、そこまで機嫌悪そうな顔しなくても良いんだぞ?」

「でも、デカイ痕じゃねえかこれ」

「まあいいんじゃねーの。護衛の勲章よ」

「……なあ、グレン。右腕、本当になんでもないのか?」

「うん?」

「俺、今結構な力でお前の腕握ってんだけど」

「え」


 ルークの言葉に目を見張ったのはグレンだけではない。ティアもイオンも目を見張っている。みるみるうちに頬を引きつらせるグレンの腕からルークが手を離した。グレンが自分の右手を見てみれば、なるほど軽くルークの手のあとがつくくらいは強く握られていたようだ。


「……まいったな。バレねーだろうと思ってたんだが」

「どういうこと、ですか」

「まさか……」


 ぼやくようなグレンの言葉にイオンが聞き返し、ティアは少し青ざめている。ルークは先ほどから厳しい顔しかしていない。


「ああ。斬られ方をまずったみたいでな、どうも右腕に痛覚がない。……もしかしたら回復しきってなかった時に斬られたせいかもだけどな。一時的なものかずっと残るもんかはわかんねーんだが」

「そんな……!」

「しかしどうして分かったんだ、ルーク。今日はやたらにきれてるじゃねーか」

「はじめは自分でも気づいてないうちに強く握ってて、気づいた後もいつまで我慢してるつもりかってそのまま握ってて、それで何も言わなかったから、おかしいって」

「なるほど。そこまでは考え付かなかったな……まあ、安心しろ。俺は左利きだし剣は振れる。護衛に支障はないからさ」

「……っ、なんで、お前は……!」

「ん?」


 グレンのあまりにあっさりした言葉にルークは激昂しかけて、しかしその怒りもすぐに沈む。自分の膝の上に片腕を乗せ、その腕で頭を支えるようにがっくりと俯いた。


「グレンは、変だ。どう考えてもお前おかしいよ。大してよく知ってるわけでもねーのに。人を殺さなくていいとか、自分の腕出したりとか。なんで、そんなにまでして俺を護ろうとしてくれるんだ」

「さあなぁ。まあ、お前曰く俺はお人好しらしいから、しかたねえんじゃねーの? 俺はお前に死んで欲しくなかったからそう動いただけなんだし、だからつまりは俺は俺のために動いたってだけさ……だからさ、お前がそんなに思いつめたような顔をする必要もないんだ」

「…………」


 しばらくは誰もが黙っていた。遠く聞こえる駆動音に、タルタロスの動力が復旧していることが分かる。そんなことをぼんやりと思いながら、じっと何事かを考えていたルークがポツリと呟いた。


「前、言ったよな。俺にひとを殺させたくないって。でも、決めた。俺も覚悟を決めるよ、グレン。条件つきで、な」

「……じょうけん?」

「俺は人は殺さない。人間が出てきたらグレンの言うとおり大人しく護られとく。でも、もしもあの時みたいになって誰かが俺の代わりに斬られるような状況になったら、庇う誰かが斬られる前に俺が相手を殺す。俺の代わりに誰かが殺されかけるくらいなら、殺そうとしてくるやつは俺が殺す。……そう言う覚悟だけは、ここで決めておく」

「……殺すってことは、ひどく苦しいぞ。相手の未来を何もかも奪うってことだ。アリエッタが俺を見たときの目を見ただろう? あんな風に見られるかもしれないんだぞ。誰かに恨まれて憎まれることもきっとある」

「分かってる! 恐いし、嫌だけど……でも、決めたんだ。いざとなったら、俺も人を殺す。殺してでも生きる。責任も負う、恨まれだってするさ。俺の代わりに斬られるやつを見るなんて、一度きりで十分だ……っ」


 少しだけ声が震えていた。俯いているせいで見えないが、彼の緑の瞳はもしかしたら恐怖で潤んでいたのかもしれない。恐くて怖くてたまらないくせに、言葉を翻すつもりも無いのだろう。
 はあと一度だけ大きく溜息をつき、グレンはルークの頭をぐしゃぐしゃに撫ぜる。


「……分かった。まあ、覚悟『だけ』ならしといても損は無いかもな。いざと言う時の為に。要は、俺がそんないざって時を作らせないようにきっちり仕事こなせば良いんだから」

「すげー強気なこと言ってっけど、ほんとにできんのか?」

「なんだルーク、俺の腕を甘く見てんのか? いいぜ、今度何かあったときはしっかりと俺の剣の腕を見せてやるからな。見て驚くなよ?」


 先ほどまでの空気を払拭させるような明るい声音に、つられるようにルークも顔をあげた。いつものやたらに自信満々な顔には程遠いけれど、小さく笑う。


「またなんかあること前提かよ? 俺はもういい加減のんびりとバチカルまで帰りてーんだぜ」

「まあなぁ、それが一番だけど……あ、ルーク。そういえば聞いてないことがあるんだが」

「? なんだよ」

「礼だよ礼! ほら、助けてくれてありがとう、ってやつ。ルークの礼と謝罪ってなんかすっげえレアっぽいし、この機会逃すわけにゃいかねーだろ! ほら、どんどん礼言ってくれて良いんだぜ?」

「ヤダね。助けてくれたことには礼を言ってもいいけど、怪我をしてまで護ったこと、にたいしては言いたくねえな。へん、どうしても聞きたいならバチカルまで俺も無傷でお前も無傷のまま帰ったときだな。それができたら礼でも何でも言ってやるさ。できるかどうかわかんねーけど」

「ええええ。ルークけちだな公爵家の癖に。アニスにがっかりされるぞ」

「うっせー! お前に礼を言うくらいならお前のその傷治療したやつに礼言ったほうがまだマシだってんだ!」


 けっ、とそっぽを向いて言い捨ててやったというのに、何故かグレンはそこですごくいい笑顔をした。それはそれは楽しそうな笑顔で、笑顔なのに妙に感じる圧力にルークは無意識に引き気味になる。


「おい……なんだよ」

「あー、うん。それでもいいぜ。うん、むしろそっちのほうが歓迎だ。というわけで、どうぞ」

「は?」


 どうぞ、といいながらグレンが手の平を天井に向けながら指し示した先にいる人物をみて、ルークは一言うげ、と呻いて固まってしまう。この部屋にいるのは、グレン、ルーク、イオン、ティア。この中で治癒師というのはたった一人しかいない。ああそうだ、何で忘れていたんだろう。
 この艦内にどれだけ治癒師がいるか知らないが、最も身近な治癒師には誰がいたかということに!


「…………」

「…………」

「ほれ、どうした。礼を言うんじゃなかったのか?」

「ルーク? あの、グレンの傷は僕が頼んでティアに治療してもらったんです。彼の傷を治した治癒師というのは、ティアですよ」


 どこまでも人のいい導師は穏やかに笑いながら詳しく教えてくれ、面白いことになったと楽しそうに笑う男はただ固まってしまった二人を見ているだけだ。
 まるで先に動いたほうが負けだといわんばかりに、二人は見つめ合い―――いや、むしろ睨み合いと言ったほうがいいかもしれない―――ながら固まっている。ガンを飛ばす、と言うほどではないが不機嫌そうな緑の瞳と、表情らしい表情を浮かべず静かに見返すだけの青。
 両者互いに逸らしもせずにゆずらない。なんの我慢大会なのだろうか、これは。


「どうした、ルーク。男に二言は無いぞ」

「っくそ、……よ」

「よくやった、とか誉めて使わす、とかご苦労、とかはあまりにも上から目線だよなぁ」

「…………」


 なんで、これから言おうとする言葉を分かってしまうのだろうかこの男は。ルークは口をへの字にして、眉間にはものすごい皺を寄せている。
 だいたい、グレンやイオン、エミヤ……百歩ゆずってこのタルタロスのなかのマルクト兵に何とか言えたとしても、散々冷血女だのなんだの言ってきた相手に面と向かって礼を言う、というのはルークにとってはあまりにも難関だった。


「ルーク、ありがとうとごめんなさいはコミニケーションを図る上で習得必須科目だぞ! 考えるのと一緒だ、練習あるのみ! さあ!」

「……しょっぱなからレベル高すぎだろ、これ…」

「え、なんで。ほら、わざわざ家まで送ってくれるって言ってるところも含めて今のうちに礼言っとけばいいじゃん」

「俺はコイツのいざこざに巻き込まれてぶっ飛んできちまったんだからこいつが送るってのは当然だろが!」

「そうか、当然か。でもなあ、当然のことを当然のこととしてやるってのは案外難しいんだよな……お礼を言うとかな」

「ぐっ!」

「彼女は当然のことは当然として出来てるのにな……ルークはできるのかな?」

「……」

「感謝には礼を。犯してしまった過ちには謝罪を。生きていることに感謝を。これだけできてれば結構人生楽しめるぞ」

「何の宗教団体だよ……」


 そしてルークは『越王勾践が呉王夫差へ降伏を申し出た時、ポーカーフェイスができなかったらきっとこんな顔をしていたのであろう』という表情をして、喉の奥から言葉を振り絞るような途切れ途切れで、人生初のありがとうを言ったそうな。












「では、セントビナーで……」

「そうだな、タルタロスは……」


 扉の向こうで何事かを話している声が聞こえる。次の目的地のことだろうか。


「大佐、入るぞー。ルーク起きたぜ」

「おや、やっとお目覚めですか」


 室内にいたのは眼鏡をかけた長髪の男と白髪で背の高い男とルークが見慣れた金色の、


「よう。結構探したぜー、ルーク。どうやら屋敷から出てから大冒険みたいだな」

「……って、ガイ?! いつの間にここに……」

「はは、六神将とそこの兄さんが戦ってる時にね。やっと見つけたと思ったらお前ぶっ倒れてるし、あれこれ大変なことに巻き込まれてるみたいだな」

「いや、笑い事じゃねーって、マジで」


 見飽きるほど見ていたはずの笑顔が何だかやたら懐かしく感じられて、ルークは明るく笑う。そんな二人の様子を見て、ふむ、と小さく頷きながらジェイドは眼鏡をかけなおした。


「なるほど。二人の様子を見ますと、ガイはファブレ公爵邸の使用人、ということは真実と見ていいようですね」

「おいおいおい、信じてなかったってのかよジェイドの旦那」

「いえ、手の込んだオラクルのスパイかと思いまして」

「ガイは家の使用人で、俺の親友だ! 怪しいやつなんかじゃねーよ!」

「……そうらしいですね」

「マスター、次の行き先が決まったぞ。次に行くのはセントビナーだ。どうもこの大佐殿は何かあったときにはアニス・タトリンとそこで落ち合うようにしていたらしい」

「セントビナーか……なあ、その町ってここから一番近いのか?」

「ああ、ここから南東に向かえばすぐだぜ」


 グレンの疑問に人好きのする笑顔で答えたガイの言葉に、ジェイドはガイを観察するように見ていた。


「……ガイはキムラスカの人間にしてはマルクトの土地勘があるようですね」

「卓上旅行が趣味なんでな」


 サラリとした答えにそうですか、とこちらもサラリと流していたが……未来を知っているグレンは、ジェイドは本当に察しがいいよなぁと背筋が冷える思いだ。いかん、コイツにだけは注意しとか無いといつか俺が誰かバレる。
 まあせいぜいが二人目のレプリカルーク辺りでとどまるだろうが、用心するに越したことは無い。


「ってことはさ、オラクル兵の待ち伏せとか考えといたほうがいいんじゃないか。こっちも結構負傷者出たんだし、その人たちを降ろすのでも立ち寄るって考えられてるかもしれねえだろ」

「いえ、そう考えていたとしても、私たちがつくほうが早いでしょう。なんと言ってもこちらは陸艦ですからね。相手も魔物を使えば私達より早くいけるでしょうが、目的地が町ではおいそれと使えません。親書は幸いイオン様が持っていますし、オラクルに封鎖でもされそうになったら伝言を残してその前に立ち去るのみです」

「そうか……で、セントビナーからはどうするんだ? 負傷兵を降ろして、それで残るこの陸艦の兵力は。それでキムラスカまでいけるか」

「そうですね……」


 ジェイドの説明を簡単にすると、こうだ。重軽症者あわせて負傷者47名。死者26名。残存兵力は60前後と言ったところ。兵の厚さ自体が違うので、再度オラクル兵の襲撃があったら確実に押される。……やはり陸艦を囮に出すしかないらしい。
 エミヤがセントビナーにはマルクト基地があるのだから駐留軍くらいいるはずだ、暫定的にでも戦力補給してはどうかと聞いたが、それもダメのようだ。ただの任務ならともかく、ことはなんせ国家機密による作戦で、そう簡単に戦力を増員して、とはいかないとのこと。


「なんだよ、同じ国の軍だろ? 信用してねーってのか?」


 めんどくせー、とでも続きそうなうんざりとした彼の言葉に内心同意しつつも、グレンは最善を探しながら言葉を選ぶ。


「ルーク、国ってのはとにかくままならないもんなんだよ……しかし、そうすると大佐。囮は良いが、タルタロスの兵が全滅したら確実にこの陸艦敵の手に渡るだろ? これならもういっそ、セントビナーの基地にタルタロス収容して、俺たちだけで徒歩で進んで行ったほうが良いんじゃねえのか?」

「そうですね……セントビナーの基地責任者の方にそう依頼したほうがいいかもしれませんね」

「大佐殿、その基地の責任者とは?」

「ああ、偶然ですが、あなたの主と名前が同じです。グレン・マクガヴァンという方で……彼の父、老マグガヴァン元帥は、昔の私の上司に当たるお方です」

「ほう」


 ジェイド・カーティスのもと上司。その言葉を聞いた瞬間、エミヤの鷹の目がすっと細められたのが分かった。使えるな、と彼が小さく呟いたような気がした。それは彼と共にいることが多かったグレンにのみ分かるようなものだったが、勘のいいあの大佐にはばれてしまっただろうか。


「成程な。ではマスター、部屋に戻ろうか。大佐殿、セントビナーまであとどれくらいだ?」

「そうですねぇ、二日もあれば確実につくでしょう」

「そうか。では、それまではとりあえずこの陸艦で時間を潰せというわけだな……暴れまわったからか、流石の私もいささか疲れた。今日はひとまず眠らせてもらう」

「おう! んじゃな、ルーク。疲れってのは案外たまるもんだからな、お前も今日は早く寝ちまえよ!」

「おー」


 扉を開けて、廊下にでる。あたりに人の気配のないことを確認した後、グレンはアーチャーに最終確認するように小さな声で尋ねる。


「そろそろ別行動か、アーチャー」

「ああ……時間も切羽詰っていることだ、セントビナーからは別行動がよかろう。それにはまず老マグガヴァン元元帥から紹介状でも貰わねばならんのだが……なに、安心したまえ。マルクトからの協力は私がなんとしてでも取り付ける。君は、ルークをよく見ていろ」

「ああ……分かってる」


 グレンは静かに頷く。
 人気の無い廊下で、歩く靴音が妙に大きく響いて消えた。
















本日のNG。(ルークがちょっと急いで成長しすぎと言うことでカット)




 グレンが聞いて答えたジェイドの言葉が聞こえたルークは、ガイと再会の会話をグダグダとしていたが、ふと思いついき振りかえった。


「ん? ……なあグレン、それじゃあオラクル兵も集まってるんじゃないのか? 一番近い町ならそこで待ち伏せとか。怪我人を降ろすのとかあんだろ?」

「「「「「「……………………」」」」」」


 そのルークの言葉に固まる人、多数。ルークは一瞬自分がとんでもないことを言ってしまったのかと焦ったが、特に誰よりも驚愕の表情で自分を見つめるガイにジト目を送った。


「……んだよその目は、ガイ」

「ルークが……ルークが相手の行動を読もうとしている……?!」

「だあああああ、そんなに驚くことか?! ああ?!」

「うんうん、俺が言わなくても少しずつ考えるようになってきたんだなぁ……うわあマジで嬉しいんだけどエミヤ、俺涙ぐんでないよな?」

「グレンまでかよ、くそ!」

「そうだよ、そう言うふうに考えるんだよ、俺はお前がやればできる子だって信じてたよ……ルーク、俺は嬉しいぞ!」

「すごいですの、ご主人様、すごいですの!」

「だああああ、うっせえブタザル!」


 などと言いながらも、仔チーグルをつかまえてひたすらぐりぐり撫でくり回している。そしてやはり口元が少し緩んでいる。本当に、わかりやすい子どもだ。




NGその二(いい加減に料理ネタは、ということでカット)



「……はー、しかしそうなるともうすぐでエミヤの料理としばらくのおさらばってわけかー。うわ、俺贅沢になってねえかすっげえ心配なんだけど」

「何を言うマスター、私はそんなに高級食材を使って料理を作った覚えはないぞ」

「いや、高級じゃなくてもあの味ってのがさぁ……ずるいってーか」

「ふん、一仕事を終えたら思う存分食べさせてやるさ。そちらこそうっかり野党にでも殺されぬように気をつけておくんだぞ。私はまだ君の好き嫌い0作戦を遂行しておらんのだからな」

「……勘弁してくれ」




[15223] 10(セントビナー)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:0890089d
Date: 2010/01/28 12:07


「マスター」


 冷静な声に、水底から引き上げられるように意識が浮上する。見ていた夢の内容は、今日ははっきりとは覚えていない。ただ、どんな夢だったのかは分かっている。小さくうめき声を上げながら起き上がり、頭を振る。いやな汗をかいて、それを吸い込んだらしい服が気持ち悪い。


「セントビナーに到着するらしい」

「後二日はかかるんじゃなかったのか?」

「さあな。計算ミスか……それともかあの大佐殿なら敵を騙すならまず味方から、とでも嘯きそうだが」

「うーん……納得しちまうなぁ」


 乾いた笑いを溢しながら立ち上がり、顔を洗おうと部屋から出ようとしたときだった。グレン、と名前を呼ばれて立ち止まる。振り返れば、しかしそれ以上何も言おうとはせずじっとこちらを見て黙り込む己の従者の姿。訳がわからなくて、首を傾げる。そんな主に溜息をつきながら、アーチャーは苦笑交じりに忠告した。


「いや……くれぐれもルークにはばれないようにするんだぞ。さもなくば、君の願いを蹴飛ばしてでも自分も戦おうとするだろう」

「ああ、分かってるよ。はぁ……オラクル兵が襲ってこなかったら良いんだけどなぁ」

「グレン」

「んー?」

「君は……戦うには、いささか優しすぎるのではないのかね」


 優しい? 言われた言葉に笑いそうになって、首を振る。違うよ、と呟いた声は自分のものにしては静かなものだと自分でも思うくらいだった。優しさなんかじゃない、これはただの弱さだ。己の願いのために人を殺して、それでも命を奪った罪悪感に苛まされている。


「知ってるだろう、アーチャー。俺は自分勝手で傲慢なだけなんだって」


 どこか頑なな様子でそれだけを言い切り外に出て行く主の背を見送って、アーチャーは心中で呟いた。


 弱さと優しさはコインの裏表のように表裏一体なものなのだよ、マスター。







「さて、では私はセントビナーの責任者にタルタロスのことについて交渉しますので、皆さんは自由に……」

「まて、大佐殿。私も行かせて貰おう」

「……どういうことですか? 今回は私が一人で行って交渉するだけでことは済みます。わざわざ人外殿がついて来てまで私を護衛してくださるような荒事は、まず起きないでしょう。……何が目的で?」

「ふん、以前に言っただろう? 貴様のかつての上司ということはだ、首都に行かずしてマルクト皇帝の元手足の一部を、実際この目で見れるということだろう。こんな機会を棒に振るなど、私は主ほどのんきではないということだ」


 どきっぱり。なんだか主を大切にしているのか見下しているのか微妙に迷うような発言だ。声を低めることなくごくごく普通に言い切られた言葉に、なんとも言えない顔をしてルークはグレンのほうを向く。


「なあ、エミヤってお前の従者、だよな?」

「あー、まあそうだけどむしろ相棒っていうか……共犯者? 主としては立ててくれてるんだけどさ。だからそんなに目くじら立てるようなことでもないっつーか。でも、俺たちみたいな感じがいい、なんてガイに言うなよルーク。エミヤはなぁ、それはそれはもうくどくどとやることなすこと」

「私がどうと? マスター」

「いいえ! 何でもありません!」


 びしっ、と背筋を伸ばして元気よく返答をするグレンを見て、ルークはなんともいえない気持ちになる。主従。彼らは主従、グレンが主でエミヤが従者のはずなのに、関係が逆転しているように見えるのは気のせいなのだろうか。

 そして主に釘を刺し、アーチャーはふたたびジェイドと向き合っている。陸艦内にブリザードを呼び寄せる二人はいつものように食えない表情でなにやら話していて、別に会話に混じっているというわけでもないのに疲れることこの上ない。
 ……なんでこの陸艦内にはこうブリザードばかりがやたらめったら吹き荒れるのだろうか。戦艦タルタロスではなく戦艦ブリザードにでも改名してしまえばいいのに。


「はあ……なあ、ルーク。二人の事は置いておいて俺らだけでも町いかねえ?」

「でもなー。歩き回るってのもたりぃしよー」

「まーまーまーまー、ほら、見てみろって。この窓からセントビナーの名物が見れるぜ?」

「んー? って、うわ、でっけー……なんだあれ?」


 船室の窓から顔をのぞかせてみれば、町のどの建物よりも大きな大樹が、天を緑で覆わんばかりに空をめざして生えている。


「どれどれ……ああ、アレはソイルの木だな。セントビナーの象徴だよ。樹齢二千年って噂もあるくらいなんだぜ」


 ルークの思わずの呟きに答えたのはガイだった。その答えに、ルークはギョッとして目を見開いた。


「二千年!? マジかよ」

「噂だよ噂。でも色々面白い話も在るらしいけど……なあルーク、ここはもうアレをするしかねえだろ」

「アレ? あれって何だよ」

「っふ、何を言うんだルーク。決まってるだろう……でっかい木を見たら……登ってみなきゃってんだ!」

「「「は?」」」


 あまりにも、あまりにもそれこそそこの我がままお坊ちゃんより子どもらしい発言に、ティアやガイと言った常識人だけではなく、なんと当のルーク本人までもが目を丸くしている。マルクトの軍艦を見て和平の使者だと看破した切れ者にしてはあまりにも想像がつかない一面だ。
 特にルークにしてみたら、同じ年頃だが頼れる大人のように感じていたのだから尚更だった。


「高い山ほど昇りたい! 山じゃないけどな。よっしゃ、俺は行くぜ! ルークも来るか?」


 もう、うきうきして仕方ないといわんばかりの声だ。その楽しそうな声につられて、ルークもなんだか楽しくなってくる。屋敷では一人で木に登ったことはあったが、誰かと木登りで競争をするということをしたことはない。はじめこそポカンとしていたが、ルークの顔にはじわじわと嬉しそうな笑顔が浮かぶ。


「……よっしゃ、乗った! どっちが先に上まで上れるか競争するか?」

「おいおい……ルーク?」


 一応高いところから落ちて怪我でもされてはたまらないと、ガイは使用人として止めようとするのだが……今目の前でヒートアップする二人にはどうにも言葉では届かないようだ。


「ふっふっふっふ……ファブレ公爵の息子さんは木登りができますかな?」

「舐めんなよ? 庭の木なら俺はぜんぶ制覇したんだぜ! そーだ、どうだイオン、お前も来るか?」

「え」


 いままでいつものように穏やかそうな笑みを浮かべてみんなの会話を見ていたイオンだが、急に話を振られてキョトンとした目をしている。ルークの話に慌てたのはむしろ周りのほうだ。導師イオンが体の弱いことなど教団なら誰もが知っていることなのだから。ティアはどうにか思いとどまらせようとルークに声をかける。


「ちょっと待ちなさいルーク。導師イオンは狙われているのよ、わざわざ外に」

「だあああ、うっせーな! まだオラクル兵きてねえんだから大丈夫だろーが。それにお前いかにも体弱そうだし、木登りなんてしたことねーんだろ」

「え、あ、はい。そうですね、一度もないです」

「導師イオン、そのように答えては……」

「よっしゃ、じゃあお前もこい! 審判だ!」

「やっぱり……ルーク、どうしてそうなるの」

「む、確かにそうだな、審判もいるな。ついでに競争が終わった後お前も登るか? 俺とルークが二人がかりで引っ張りあげたりフォローしたら登れるだろ。……一番上までは難しいかもだけどなぁ」

「ちょっ……グレン、あなたまで?!」


 ティアの中の、落ち着いた常識人、年の割りに大人っぽい、どうにもそこが知れない不可思議な人物、というグレンのイメージが崩壊する。今そこのいるのは、すぐ隣でのりのりで木登りをしたがる赤い長髪男児と同レベルのお子様だ。


「だな。よし、けってー」

「そーそー、決定決定。んじゃイオン、ルーク……行くぞ!」

「え、あの……わ!」


 いい感じの笑顔で両脇をがしっと掴まれて、話についていけずにキョトンとしていたイオンは問答無用で連れて行かれる。呆然とする常識人二人の目の前で強制連行されるローレライ教団導師様。傍から見たら誘拐じみていた。
 正気に返ったのはガイのほうが早かったようだ。慌てて二人(と連行一人)の後を追いかけていく。それにティアもようやっと正気に返って、大慌てで走っていった。


「って、おい……ちょっと待てルーク!」

「ああ、もう、ちょっと待ちなさい!」


 二人三脚でもすればあっと言う間に優勝できるのではないかというくらい息ぴったりに走る二人と、二人に連れて行かれる自分と、なんだか必死そうに追いかけてくる二人と。賑やかで、慌しくて騒がしくて、なんだか楽しい。わくわくするような、そんな気持ちになったのはイオンは初めてだった。


「待てって言われて待つかってんだ、なあルーク!」

「おう、イオンは審判だかんな!」

「…………はい!」


 顔が緩む。いつしかイオンもひどく楽しそうな笑みを浮かべていた。






「位置について、よーい…………どん!」


 ガイとティアがイオンに追いついたときには、すでに二人の競争は始まっていた。少し緊張気味にスタートの合図を切ったイオンの声を皮切りに、二人はうおおおおおとやる気な声をあげながら木へと突撃していく。


「……っはー、はあ、くそ、遅かったかー」


 猿のように器用に木に登っていく二人を見つけて、息を切らせながら走ってきたガイはがりがりと頭をかく。そのガイから少し遅れて追いついたティアも息を切らせていたが、やはり教団員のさがか、息を整えてからイオンに話しかける。


「導師イオン、グレンは右腕が……」

「いえ、僕もそう聞いたんですけど……こんなのハンデだ、って言ったらルークが燃えてしまって……」

「もー……あの二人は……」


 ティアは疲れたように溜息をつき、しかし根が真面目なせいかすぐに心配になったらしく登る二人を見やった。進行状況は一進一退と言ったところか。ルークが優勢かと思えばすぐにグレンも追いつき、グレンが優勢かと思えばルークも追いつく。


「なんだ、無駄に白熱してるな……」

「何歳児……?」

「グレンもルークも楽しそうですね。それに、木登りがとても上手です」


 誉めるべきところなのだろうか、ここは。

 やるな、そっちこそ、なんの、まけるか。ぎゃあぎゃあ騒ぎながら登っていたせいで近くの子供たちが集まりだしている。そしてよく知りもしないが楽しくなってきたのだろう、応援までされている。
 人気者だねーとガイはぼやいているが、無性に他人のふりをしてきたくなったティアを誰が責められよう。


「しかし、タルタロスでの調子だとあっちの、展望台じみた一番大きいソイルの木に登るかと思ってたんだが……」

「はぁ……いくらなんでもあっちに登るほど考え無しではなかったようね、二人とも」

「あ、いえ、その……二人はそっちに登りたがってたんですけど、流石に僕が止めたんです。降りれなくなったら困りそうでしたから」

「「………………」」


 常識人二人はそろって無言を貫いた。これはイオンを連れて行ってもらえて正解だったのだろうか、と、つい本気で悩んでしまいそうなところだ。いや、狙われている導師イオンを外に出すというのは論外だという理性は残っているのだが、目の前でとても楽しそうにしている彼を見るともう帰りましょう、とはティアもどうにも言えないでいた。

 ああ、喚声が上がったと思ったら、応援している子ども達にグレンが手を振っている。そのまま登ろうとしたルークが卑怯者扱いされて怒ってる。そして下にいる子どもと喧嘩してる間にグレンが追い抜こうとして…………もう帰りたい。


「ルーク、グレン、頑張ってください! あと少しです!」


 ティアには何故なのかさっぱり分からなかったが、やはり導師イオンはとても楽しそうだった。
 そして白熱したデッドヒートを繰り広げ……ついに頂上へたどり着く!
 ―――二人同時に。なんてお約束な。


「おっしゃ。イオーン、どっちが早かった?!」

「俺だろイオン、グレンより俺のほうが一歩早かったよな!」

「なんだと? 俺だよな、イオン!」

「いや、俺だろ!」

「俺だね!」

「えっと……同時でした」

「「なにいいいいいい!」」


 至極真面目に見たとおりのことを言ったのだが、どうにも二人は納得がいかないようで抗議している。内容は遠慮することないだの結果は分かってるだの勝負に同点はないだの、俺のほうが早かったいや俺のほうが指一つ分早かっただの、どっちもどっちな言い合い。同時だったのは本当のことなので、イオンは困り果てていた。
 まさしく同レベル。間違いない、彼らの精神年齢は十歳以下だ。ティアに確定事項として精神年齢お子様と断定された二人は結論を出すべく、他の観戦者たちに話をふりだした。


「んー、じゃあ色男! どっちが早かった? 俺だろやっぱ!」

「なーに言ってんだ、ガイ、俺のほうが早かっただろ!」

「おいおいグレン……町中で大声で色男はよしてくれよ……」

「おーい? きいてんのかー?」


 かなりがっくり肩を落としつつも、そのままいじけていてはまた大声で色男呼ばわりされるのだろう。やれやれとぼやきながら「同点だー」と返しても不服な二人は納まらない。


「じゃあそこの響長! 結果は―――」

「同点よ! もういい加減に二人とも騒いでないで降りてきなさい!」

「「えーーー」」

「『えー』じゃないでしょう! 降りなさい!」

「だってよぉ、せっかく昇ったのに。それに高いとこって気持ちいいしよー、勿体ねーじゃん!」


 馬鹿と煙はなんとやら。ルークの発言には頭痛さえ感じてきて頭を抑えるしかない。


「どーだ、イオンも登るかー? ガイもさー。しかたねーからついでにお前も」


 お坊ちゃまは高い木の上で広々とした景色を見れてご満悦なのか、妙にご機嫌だ。今まで見たことないくらい無邪気な顔で笑っている。常なら絶対に呼びはしないだろうティアさえ、手を差し出すようにして呼ぶ気になっているのだから、本当に随分と上機嫌なのだろう。


「いや、俺は遠慮しとくよ」

「登るわけないでしょ……」

「えっと、」

「導師イオン。お願いですから登らないでください」

「そうだ、怪我したらどうするんだ?」

「……そうですね。僕も登るわけにはいけません、か。やっぱり」

「「…………」」


 なぜそこでかなり残念そうにするのか。一瞬迷っていたイオンを諌めれば彼があまりに寂しそうな顔をしたので、ガイとティアは同時に言葉に詰る。


「あれ、なんだよイオン。登りたくねぇのか?」

「いえ……僕は木登りに慣れていませんから、落ちては危険なので登れません」

「そーじゃなくてさ、登りたくはねーの?」

「それは……」


 グレンの言葉に困ったような顔をするイオンを見て、グレンは腕を組んで考えているようだ。が、やがて何を思ったのかふとソイルの気のほうをみて、にやりと笑った。そしてそのまますぐ隣の枝の上で景色を見回しているルークと何事か話している。
 ルークが頷いたのを見ると、先刻まであんなに降りたがらなかった二人はあっさり木から飛び降りた。普通なら足が痺れるか下手をすれば骨折するくらいの高所から飛び降りたというのに、やはり一応なりとも鍛えてはいるせいかすぐに彼らはイオンの方へとかけてくる。

 飛び降りた時に「すげー」と目を輝かせる子ども達に、鍛えてねーなら真似すんなよーとグレンは返しつつ、イオンの手を引いてどこぞへそのまま連れて行こうとする。
 そのまま抵抗するでもなく連れて行かれるイオンを見て、慌てたのはティアだ。


「ちょっと、今度はどこに行くつもりなの?」

「展望台! ソイル木には階段で昇れる展望台があったのが見えたんだってさ。それなら危なくねーしな、イオン、お前だって登れるぜ?」


 イオンの背を押し駆け足になっているルークの言葉に、イオンは目を輝かせた。


「本当ですか?!」

「おう! お前も本当は木とかに登ってみたかったんだろ?」

「はいっ! ありがとうございますルーク、グレン!」

「べっ、べつに礼言われるまでのことでもねえっつーの! なあグレン!」

「気にするなイオン、ルークは照れ屋なんだ」

「おい!」


 ぎゃいぎゃい楽しそうに喚きながら走っていくお子様二人(プラス一人)を見て、今度はイオン自身が行きたかったそうなので止めることができず、ティアはまた溜息をつく。なんだか溜息ばかりついている気がする。しかしその隣にいたガイはなにやら考え込んでいたようで、腕を組みながら顎に手を当て、なるほどね、と納得したように呟いていた。


「ルークがご機嫌になるわけだ……あいつにとっちゃ、屋敷の外でのはじめてのトモダチってやつか」

「え……」

「あいつから聞いてるだろ? ルークは記憶をなくした七年前からずっと屋敷に軟禁されてたからな。接するのはぜんぶ顔見知りの使用人たちばかり。そりゃああいつは俺を親友だって言ってくれるけど、俺も人目があるところではちゃんと使用人らしくしなきゃならなかったしなぁ……いつだって思い切り遠慮しないで騒げる、はじめての友達、ってな」

「…………」

「多分、イオン様が喜んでるのも似たようなものなんだろうな。いくらローレライ教団の導師だからって、まだ俺たちよりも年下の14歳の子どもだ。……だから嬉しそうな顔をしてたんだろう」


 ガイの考察を聞き、ティアは諦めたような息をつく。


「……怪我をしないのなら、息抜きも悪くはないわね」

「はは……さて、坊ちゃん達はまた高いところか。好きだねぇ、あいつも」




 高いところから見る景色は格別だが、展望台から見る景色は更に格別だった。ごちゃごちゃしていて狭そうに見える町並みと、町の城壁の向こうに広がるひろい平原。遠くに山、遮ることなく広がる青い空。


「どーだイオン、気持ちいいだろ!」

「はい! 本当にわくわくします」

「だなー、高いとこに来ただけなのになぁ」


 キョロキョロと町を見渡していたルークがセントビナーの基地から出てきた人影をみて、お、と声をあげる。


「グレン、ジェイドとエミヤが出てきたみたいだけど……そろそろ降りたほうが良いか?」

「んー? でもなあ、まだ来たばっかだし。これからは陸路で野宿とかばっかになるし、今日はここの宿に泊るだろうしさ、呼ばれるまでのんびりしときゃいいだろ」

「そうか……あーあ、今までずーっとたりぃだけの旅だったけど、でも今日は楽しかったなぁ木登り。一人でならいくらでもしてたんだけど」

「そりゃそうだよルーク。楽しもうとしなきゃ何でも楽しくなんてなんねーよ。どうせなら楽しんだもん勝ち、ってな 」

「へーえ。そういうもんか」

「そーそー。時にはこんなふうに息抜きでもしねーとな。……タルタロスとかで大変な目にあったり、恐いけどそれでも覚悟とかしたり……張り詰めてばっかだとさ、息が詰って苦しくなるだろ」


 グレンの言葉に、ルークがはっとしたようにグレンのほうを向く。


「ずーっと気を張ってると、疲れるだろ。キッチリするところはキッチリ締めて、それ以外は楽しむ! そうやってろよルーク。めんどくせーだとか思わないでさ、世界とか知ってみろ。わかんねえことは誰かに聞いてさ。知らないことを知るのって結構楽しいんだぜ?」

「知らないこと……でも俺、知らねえことなんてとんでもねー量くらいあるぞ」

「そりゃ始まりは誰だってそうさ。誰にだって知らないことだらけだよ、世界は。俺だってまだまだ知らねぇこととかわんさかある。でも、今日お前も一つ知っただろ? 木登り競争は案外楽しい、とか、セントビナーには展望台がある、とかさ。そんなのからはじめりゃ良いんだよ」

「……グレンってさ、餓鬼なのか大人なのかわかんねえよな」

「だーかーら、締めるときは締めて弛めるときは弛めてるだけだっつーの。説教じゃなくてアドバイスだよ。人生なんてどうせ一回、どうせなら楽しく愉快に生きたほうが得だろ?」


 くつくつ笑いながら、グレンは展望台に寝転がる。そのまま深呼吸して空を見て、しあわせそうに目を細めた。


「俺、この空の青さがすきなんだよなぁ」


 ルークもつられて空を見上げた。バチカルの屋敷から見上げていたときと代わり映えのない空の色。見慣れた青だ。と、そのとき不意にイオンもばたりと展望台の床の上に寝転がる。急に体調が悪くなったのかとルークはぎょっとしたが、けれどイオンもひどく嬉しそうに笑っていた。


「そうですね……この空の色、僕も好きです」


 おいおい。何が違うんだよそんなことあるわけねーだろと思いながらも、じゃあということでルーク自身も寝転がったのは一体どういう風の吹き回しだったのだろうか。いつもなら絶対に、服が汚れるだの馬っ鹿じゃねーの、で終わりだっただろうに。
 寝転がって、重なり合った緑の隙間からこぼれる光とその背景に拡がる大きな青を見る。


「そうだな……」


 不思議だった。それはいつも見慣れている色のはずだったのに。


「この空なら、俺も嫌いじゃないかもな」


 セントビナーの展望台では、今日も優しい風が吹いている。











本日のボツネタ。



「あーびっくりした。ったく、エミヤって耳いいんだよなぁ」

「目もいいっていってたよな。本当にあいつって何もんなんだよ」

「というか……俺も気になってたんだが、グレンって言ったか? やたらに旦那と仲悪そうにやりあってる只者じゃない感バリバリだが、あの兄さんって何歳なんだ」

「ん? あー……あれ。聞いたことねーや。エミヤって何歳なんだろう」

「うーん……ヴァン師匠よりもちょっと年下くらいか?」

「だよなぁ、二十後半~三十前半くらい、じゃないかな。多分」

「……兄さんは27歳よ」

「「ええええ?!」」

「おいおいルーク、なんでお前まで驚いてんだよ!」

「だ、だって……ええ?!」

「お、俺は遠目でチラッと見たことあるだけなんだが(嘘だけど)……27歳?! 髭か? 髭のせいなのか?」




(年齢ネタはもう感想で出てるしいいか、ということでボツ)








本日のボツ二
(締めはあっちのほうがいいということで続くはずのこういうかんじの話はカット)



「マスター、ガイから聞いたぞ。今日は大暴れだったようだな」

「げげ!」

「いくら私に『ルークにはばれないようにしろよ』と言われたからといっても……なかなか楽しんでいたそうだな。こちらはいろいろとあの大佐殿とやり合っていたというのに」

「あ、はははは……お疲れさんデース」

「ふむ。まあ老マグガヴァン元元帥の紹介状とついでにあの陰険眼鏡大佐殿の名刺も貰ったからな。マルクト皇帝陛下に謁見は可能だろう」

「わあ、本当にエミヤって仕事完璧だな」

「ああ……近くオラクルがこの町を閉鎖するようだ。君も私も明日には出ることになるだろうが、異存はないな?」

「ああ、頼んだぜエミヤ」

「了解した、頼まれよう。ところでマスター、君宛に老マグガヴァン元元帥から手紙を頂いているぞ」

「え。俺会いに言ってもないのにどうして……なになに、グレン君、次に来る時はぜひとも君も顔を見せるように、こんな傑物の主として君と話してみたい」


 それと決して彼とジェイドの坊やの二人だけを、私のところに寄越さないようにしてくれ。決してだ。頼む。
 手紙の最後の一文が妙に切実で、グレンは本日の老マグガヴァンの心労を思って涙が出そうだった。




[15223] 11(フーブラス川)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:0890089d
Date: 2010/03/31 10:36



 本日は快晴。久しぶりに宿屋でぐっすりと休眠をとったせいか、慣れない旅で蓄積されていた疲れも取れた。思い切り伸びをして、ベットから飛び起きる。ルークは出発する準備をしていたらしいジェイドに行き先を問う。


「なあジェイド、これからどこへ行くんだ?」

「……一応昨日言ったはずなんですがね。もうすぐセントビナーがオラクルに封鎖されるそうです。その前にこの町を出て第二合流地点、カイツールへと向かいます。カイツールに向かうにはここから南西に行けばいいのですが、橋が壊れていますのでフーブラス川を直接渡ることになるでしょう」

「あんだよ。直接渡れって、靴汚れたりズボンびしょびしょになったりすんのか? たりぃー……いつになったらバチカルに帰れるんだよ、ったく」

「元気出せよルーク。ローテルロー橋も落ちちまってるし、アクゼリュスへの道も災害で通行禁止。どっちにしろキムラスカに帰るにはカイツールにいかないとどうにもならないわけだし、そこに行く為にはフーブラス川を渡らないといけないんだ。それにこれは最短ルートなんだぞ?」

「へーへーへー、わかったよ。早く帰れるんなら少々のことは我慢しろってことか。しょーがねえな……って、何だよガイ。人の顔急に凝視して」

「…………ルークが、我慢を、納得……? ルーク、お前熱ないか?! 大丈夫か?!」

「オイ。そりゃどういう意味だよガイ」

「そのまんまの意味じゃないですか?」

「なんだとぉ?!」

「まーまーまー……スマン、俺が悪かったよルーク。なんだ、ルークもこの旅で成長してるってことだな。旦那様やナタリア姫が知れば喜ぶだろうぜ」


 お人好しそうな笑顔を浮かべて謝るガイにルークは不機嫌そうに鼻を鳴らし、腕を組んでそっぽを向く。


「ご主人様、すごいですの! せいちょうしてるですの!」

「うっぜえんだよ、お前はいちいち! ちったぁ黙ってろ!」

「みゅうううううー」


 思い切り耳を引っ張られて仔チーグルは痛がっているのかと思えば、なにやら嬉しそうだった。しばらく構ってもらえなかったから、構ってもらえれば何でもよかったのだろう。しかし耳を引っ張られて、傍から見れば虐められているとしかみえない状況で嬉しそうな声をあげている、という図を見るのは……シュールだ。
 ミュウの嬉しそうな様子を見て、いつかこの小動物が「ご主人様に蹴られて嬉しいですの~」とか言い出さないか、ガイは半ば本気で心配になる。
 しかし彼の主はそこまでで気が済んだようで、今までびょんびょんとひっぱって伸ばしていた耳からぱっと手を離す。そのままぼとりと床に落ちたチーグルには目もくれず、先に降りてるからな、と宣言して部屋から出て行ってしまう。


「まってくださいですの、ご主人様!」


 ふわふわと飛びながらついていく小動物の背を見やって、ガイは思わずと言う風にため息をついた。


「健気なもんだなぁ。チーグルは恩を忘れない、ってのは本当だったのか」








 ルークが降りてみれば、そこには一種異様な光景が広がっていた。


「よ、よう……グレン。何してんだ?」

「いやあ、ははは、自業自得と言うか」


 乾いた笑いを浮かべながら目の前に広げられた光景にげんなりとしている人間が一名。オレンジ。オレンジオレンジオレンジオレンジ、オレンジ一色の朝餉の風景。ルークの髪の色によく似た食材一色で作られたフルコースに絶句していると、宿屋の台所の奥から出てきたエミヤがああ、とルークに気づいたように声をかけてきた。


「小僧、安心しろ。そのにんじんフルコースはグレン専用だ。君たちの分の朝食はそちらに準備してある」

「あ、ああ、そりゃありがたいんだが……」

「さてマスター、私が腕によりをかけてニンジンの風味と味とその他もろもろを最大限引き出した、ニンジンのニンジンによるニンジンのための料理たちだ。一つも、一滴も、微塵も残さず! キッチリきっかりしっかりばっちり、食べきってくれたまえ」

「………………………………い、いただきます……」


 いまだかつて聞いたことのない様ないただきますだった。これから戦地に赴く兵が家族と別れを交わすような風景を幻視してしまったのは何故だろう? かたかたと小さく震えて涙ながらに朝食を食べる姿は、アレは間違いない、拷問だ。

 隣の机で食事をしているティアとイオンの方へ行き、声を潜めて尋ねる。


「なあ、アレどうなってんだよ。なんかエミヤめちゃくちゃ怒ってねえ?」

「……右腕の痛覚のことを言ってなかったそうよ」

「それを、僕たちとの会話で気づかれて、そんな話はきいてないぞマスター、ってエミヤ殿が言い出して……結果が……」

「ぐうっ! ニンジンの、ニンジンの匂いが……っ!」

「食べ残しは許さん。食え」


 命令形になっている。ことあるごとにおちょくっていたとは言え、それでも主として立てていたというのに。つまりこの度はそれほどの怒り具合だというわけだ。エミヤは、絶対、怒らせちゃいけない。ルークは深く心に刻み込む。
 おとなしく席に着き、こちらはとても普通の食材を使用して作られたものとは思えないほど、最高の味を引き出している朝食を食べるのだが。隣から味がーだの匂いがーだの食感があああだの、聞こえてきては気にしないほうがムリと言うもので。ちらりと隣を見る。グレンは死にかけだ。
 ルークは散々逡巡して、思い切り大きな溜息をついた後、突然ガタリと立ち上がった。突然立ち上がったルークをイオンとティアは不思議そうにみていたが、今はそれにどうこうする暇はない。

 覚悟だ、覚悟を決めるんだ、俺!


「あー、エミヤ」

「何だね」


 ぴしゃりとした、ティアのものよりも余程硬質で冷たい声が返ってきた。内心ではびくびくしつつも、ひたすら表面上は怯んでいないように見せかける。


「その、あー……グレン、の右腕は……俺を庇って、斬っちまったもんなんだ。だから」

「だから?」

「だから、その……えーっと、ああ、くそ! あんたが怒るのは」

「いや……違うぜ、ルーク」


 そのまま言葉を繋ごうとしたルークをとめたのは、とうのグレンだった。彼はニンジンを睨みつけながらいやそうな顔をしていたが、ふとルークのほうを向けば口角を釣り上げてにっと笑った。


「エミヤが怒ってるのはさ、そうなった原因とか無茶についてじゃなくて……そうなって起きた結果を俺が隠してたからなんだ。別にそんなに逼迫したもんじゃないから、って黙ってたのを、怒ってるんだよ」

「グレン……」

「ま、庇おうとしてくれたことは嬉しいよ。ありがとな、ルーク」

「…………」


 憮然とした顔のまま、舌打ちをして机に座る。そして朝食を再開しようとして……さっきからじーっと見られているのに気づいてイヤイヤそちらを向く。


「おい、なんだよ」

「え? あ、ごめんなさい。まさかあなたが誰かを庇おうとするなんて思ってもなかったから」

「っんだよ、くそ、お前もかよ!」

「ティア、ルークは優しい人ですよ」

「イオン! お前は変なこと言うな!」


 ぎゃあぎゃあ騒がしい机を見やって、アーチャーはちらりとグレンの方を向く。その視線に気づいたのか、グレンは口元だけで小さく笑いながら呟く。


「随分まともだろう?」

「君の教育はなかなか効果的だったということか」

「さあね。ただ、ヴァン師匠と比較されたら圧倒的にまけるだろうし……どうしたもんかねー」

「ふん。まあ、何もしないよりははるかにマシだったということだろう。せいぜいこれからも頑張りたまえ」

「へーいよ」


 そう言って、ふたたびニンジンとの激闘に励む。ひと口食べては青くなり嫌そうな顔をするのだが、それでも自分の非を実感しているのか、最後まで食べきるつもりのようだ。これならわざわざ見張る必要もない。アーチャーは台所の奥へ引っ込み、手に本のようなものを持って戻ってくる。
 そして彼はそのままグレンの横を通り過ぎた。


「グランツ響長」

「? はい」

「これは私が昨日書き溜めたレシピ集でね。野戦にしろ宿にしろ使えるものをなるべく検索して作っておいた。私はこれから主から離れねばならんのでな、グレンの偏食にはほとほと手を焼くだろうが……どうかよろしく頼む。ああ、それと。我がマスターがとんでもない馬鹿をやらかしてしまった時は、遠慮なく最後のページに乗っている『お仕置きレシピ』を活用してくれたまえ。皆で回し読みしてもらって構わん。おなじみニンジンフルコースと問題児専用きのこフルコースだ」

「はい、分かりました。ありがとうございます」

「ちょっと待てその会話ぁぁぁぁ! 待てってこらエミヤこのやろう!」

「お仕置きレシピ……ニンジン?! おいティア! それ絶対にガイに見せんなよ!?」

「容赦なくみんなで回し読みしてしまえ」

「お気遣い、感謝します」

「だから待てよその会話! ちくしょう!」


 グレンは大いに焦って立ち上がろうとするが、食事中に立ち上がるのは行儀が悪いぞ、終わってから立ちたまえ、とあっさりと押さえつけられる。そしてそのままどこかへ行ったかと思ったら、もう出発準備万全の態勢で戻ってきた。


「はあー……って、あれ? 何だよエミヤ、お前もうでるのか?」

「ああ。ではな、マスター。無茶をするなよ」

「はいはい、努力するよ。そっちこそ……頼んだぞ」


 口元を小さく弛めて片手を上げるだけで答えて、アーチャーはそのまま振り返ることなく出て行った。













 耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえる。そして時折混じる魔物の鳴き声。セントビナーから出発して数日、やっとフーブラス川までやってこれた。橋はやはり落ちていたようでやむなく流れの緩やかな川を渡る。


「ふーん。橋が流されたってわりには、大した川じゃないんだな」

「もう大分水が引いたんだろう。雨が降った後は川の水が茶色に濁って大変だろ?」

「だろ、って言われてもしらねーよ」

「……とと、そうだったな」


 ルークは七年前に記憶を喪っていて、それ以来もずっと屋敷に閉じ込められたままだ。雨が降った後の川などみたことがないのだから、ガイの言葉にうなずけるわけが無いの。ガイはルークのその境遇を思い出して表情を曇らせるが、すぐに雰囲気を和らげようと話を続ける。


「とにかくだ、川のに限らず水をなめてかかると大変なことになる。自然をなめるなよ?」

「お前、それをよく言うよな。海は恐い、ってさ……あーあー、やっぱ靴もズボンもびしょびしょだぜ」


 嫌そうな顔で足を見るルークに、こちらも対岸に渡りついたグレンが苦笑で答える。


「まーしょうがねえだろ。橋が落ちてるわ通行止めだわでここしか通れないんだからさ。復旧するのを待ってたら時間食うばっかだしな。……早く帰って母上様に顔見せてやんねーといけねーんだろ?」

「うっ……ったく。グレンが言うセリフに、俺っていっつもなんにも言い返せねんだよな…」

「はっはっはー、ルークはひねくれてるけど素直で分かりやすいからな」

「ちぇっ」

「はいはい、拗ねてないでいきますよー」

「拗ねてねえよ!」

「ルーク、大佐の言葉にいちいち反応するなって。遊ばれてるぞ、お前――――魔物だ!」


 視界の隅を横切った影に反応して、グレンがいち早く気づいて叫ぶ。目の前に現れたのは四足歩行の金色の獣。ライガ、とティアの声が聞こえて、ジェイドが冷静に後ろからの誰かの接近を知らせる。
 ライガ。振り返らなくても誰だか分かっているようなものだ。それでも確認のために振り返れば、そこにいるのはやはりぬいぐるみを持って、こちらを睨みつけてくる―――


「アリエッタ!」


 イオンが思わずと言った風に声をあげた。そのまま何かを言おうとしたイオンを手で遮る。


「グレン……?」

「妖獣のアリエッタ、だな……何しに来た?」

「アリエッタの友達、いっぱい、いっぱい……っラルゴまで大怪我して! 絶対に許さない、です!」

「おいおい、そりゃ逆恨みってもんだぜアリエッタ。そもそもあんたら六神将が勝手にタルタロスへ攻めて来たんだから、防衛として戦うのは当たり前のことだろう。こっちは命狙われるのは良いけどそっちを殺しちゃダメ、ってのはアンフェアだ。そもそも攻めるときに反抗されることを考えもしないで戦闘を仕掛けてきたのか? その覚悟も無く戦場にでるのが六神将か? ―――誇り高きクイーンの娘よ。お前は、そんなことも考えずに戦闘に友達を引きづり込んだのか?」

「!!」


 ひゅっと喉の奥に息を詰らせるような音を立てて、アリエッタは困惑したように沈黙する。その間隙に、ルークはグレンの言葉の意味が解らないようで小さく繰り返し呟いた。


「クイーンの、娘?」

「……恐らく、チーグルの森に居たという、ライガの女王でしょう。彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。そして魔物と会話できる力を買われてオラクルに入団した」

「え、じゃあもしかしてエミヤが殺さずに説得したってのは……」

「彼女の育ての親だったようね」


 なるほど、と納得する。どうりで六神将の味方として魔物がうじゃうじゃいたわけだ。彼女のすぐ隣にいるライガだけでも大きいが、あのライガはきっとアリエッタの兄弟なのだろう。ではその母は一体どれくらい大きいのか……考えるだけでぞっとする。
 そんな相手を殺さずに説得した、と言うのだからエミヤはまさしく人外だ。なんだか今更になってジェイドがひたすら人外連呼をしていた理由が分かった気がする。
 そしてルークの視線の先でアリエッタに口先で挑んでいるグレンを見やって―――ああ、なんだかエミヤっぽい喋り方だな、と思った。意図的にそうしているのだろうか。


「クイーンの娘よ。彼女は魔物とは言え誇り高く、野生として戦士としての覚悟は常にあったようだぞ」

「う……」

「クイーンの娘よ。君は彼女に育てられながらそのあり方を見ていなかったのか?」


 グレンは一歩一歩アリエッタに近付きながら言葉を発している。アリエッタは彼の言葉に呑まれているのか、それとも雰囲気に動けないのか、硬直したように止まったままだ。そうして、あと三歩も歩けばぶつかるという距離で立ち止まった。


「そして忘れたかなクイーンの娘よ。こちらも君たちの襲撃では何人か死傷者がでていてね……復讐権はこちらにもあるということを!」


 言い終わるや否や、グレンの左手には剣が握られていてアリエッタの首筋に突きつけられていた。


「!!」

「お、おい……グレン?!」

「アリエッタ! グレン、お願いです、やめてください!」


 体を固めるアリエッタと、やはり未だ目の前で人が死んでいくのに抵抗があるルークと、悲鳴のような制止の声でイオンが叫ぶ。しかしその声もグレンが右手を突き出して止めた。軍属である二人と、外の世界を知っているガイは黙ったまま事のなり行きを見守っている。
 彼女の兄弟であるライガが威嚇するように唸り声を上げるが、グレンはそれにも眉一つ動かさない。逆に剣を握る力を入れて黙らせる。温度の無い緑の瞳に見据えられて、アリエッタの目にじわりと涙が滲んできて―――それから、不意にグレンは彼女の首元から剣を退いた。


「分かったか? 殺すってことは、いつも殺されるってことを覚悟してから行わなきゃいけない」

「え……?」


 急にガラリと変わった口調と雰囲気に、戸惑ったような声をあげる。


「アリエッタ。アンタはもってる力が大きすぎだ。大きすぎる力を持ってるのに、その大きさを分かっていない。だから、力を振るうならちゃんと自分で考えなきゃいけないんだ。何も考えずに誰かに頼まれたから、言われたから、でほいほい言うことを聞いてたら、とんでもないたくさんの人を殺して―――とんでもないたくさんの人に殺したいと思われてしまうようになっちまうよ」

「…………」

「まあ、俺はアンタのことは知らねーからどうでもいいんだが……アリエッタ。アンタが人を殺したり、あんたが死んだりすると悲しむ人を一人知っててね」


 その言葉と、ちらりと向けられたグレンの視線の先をみる。心配そうにこちらを見ている、


「イオン、さま……」

「それに、ライガの女王も悲しむだろうなぁ。魔物なのに、本当に娘として大切にしてたみたいだし」

「ママ……」

「ああ、そういえばそろそろ弟や妹が生まれるらしいぞ。たまには休暇でもとって親に顔見せに帰ってやれよ?」

「…………」


 黙りこくったアリエッタをおいて、グレンはくるりと体の向きを変え、今度はイオンの方へと近付く。そしてアリエッタには聞こえないようにぼそぼそと言葉を落とす。


「イオン、今なら多分お前の言葉で退いてくれる。頼むぜ」


 その言葉に思わずグレンの顔を見上げて、そして頷きグレンの代わりに前へ出る。


「アリエッタ、見逃してください。あなたなら分かってくれますよね? 戦争を起こしてはいけないって」

「………………」

「アリエッタ、お願いです!」

「イオン様が、言うなら……退きます。でも……許したわけじゃない、です!」


 それだけを言って、グレンを睨みつけて―――けれど迷うように視線をさまよわせて、アリエッタはライガの背に乗った。そのまま駆けていく魔物の後姿を見送って、グレンははーっと大きく息をついた。肩を揉み解すように回して、思い切り伸びをしている。


「やれやれ、何とかうまくいったか」

「グレン、お前すげーじゃん! よくあんなぺらぺら喋れるな」

「おう、エミヤのまねするイメージしたらうまくいったけど、でもやっぱ疲れるわあいつの真似。あいつよくいつもあんな感じで喋れるなぁ」

「グレン、僕からも礼を言います。アリエッタを逃がしてくれてありがとうございます」

「どういたしまして。さて、戦ったほうがよかったか? 大佐」

「いえ……生かしておけば命が狙われるのは確かですが……殺そうとしても、イオン様も止めそうですしね。舌先三寸で帰っていただけたなら、最善でしょう」

「旦那の言い方は、なんと言うか……」

「ジェイドはいちいち嫌味なんだよっ!」

「まーまーまー、これが大佐の味なんだよ……多分」

「おやおや。こんなに寄ってたかって虐められては傷つきますねぇ」


 ……よく言うよ。
 そう思ったのは多分ルーク一人だけではないだろう。


「ま、それはともあれいい加減に進み……うおわぁ?!」


 グレンがみんなを促そうとした時、不意に地面が大きく揺れだした。それぞれ悲鳴を上げながら態勢を崩している。とりあえずすぐ近くに居たイオンとルークが転ばないように支えつつ、辺りを見回す。吹き出ている紫色の蒸気のようなもの。知っている。嫌になるほど知っている。
 それでも思い切りうろたえたような声を出す。


「オイオイ、このヤバイ色した蒸気みたいなのって、なんだよ?!」


 まったく、嘘をつくのが苦手だったのは確かなのに。いつの間に自分はこんなに当たり前みたいに嘘をつけるようになってしまったのだろうか。


「障気だわ……!!」

「いけません、障気は猛毒です!」

「おいイオン、猛毒って……吸い込んだら死んじまうのか?!」


 イオンの言葉にうろたえたように声をあげるルークに、落ち着いたティアの声が返ってくる。


「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫よ。とにかくここを逃げ……」

「あー、グランツ響長。今まできた道、地震で崩れてマス。ついでに障気がぐるっと囲んでやばいぜこれ」

「何でそんなに冷静なんだよグレンはーーー! おいおいおい、どーすんだよっ!」

「………………っ」


 ティアは杖を構え、意を決したように譜歌を歌い始めた。その行動の意図が読めずジェイドは怪訝そうな声をだす。


「譜歌を歌ってどうするつもりですか?」

「――――まってくださいジェイド、この譜歌はユリアの譜歌です!」


 譜歌を歌い終わった瞬間、正六角形の対角線を円で描いたような、雪の結晶のような紋を光が描く。そしてティアを中心として光が走る。まぶしさに目を閉じたあと、目を開ければ、そこには紫色の蒸気も何も無い。


「障気が、消えた……?」

「障気が持つ固定振動数と同じ振動をあたえたの。一時的な防御壁よ、長くは持たないわ」

「噂には聞いたことがあります。ユリアが残したと伝えられる七つの譜歌……。しかしアレは暗号が複雑で、読み取れたものがいなかったと……」

「詮索は後にしろよ大佐、さっさと逃げないとだ」

「……そうですね」

「行きましょう」


 イオンの声を合図に、みんなはフーブラス川から移動する。

 ――――さて、アリエッタにああいったならカイツールでは人が死ぬことはないだろうが。
 大爆発のことやルークのヴァンへの傾倒を少しでも削る為には、同調フォンスロットだけは開かせてはならない。そのためにはコーラル城でどう立ち回るべきか。この世界に来てからは、いつも何かと力を貸してくれていたエミヤは今ここにはいない。

 考えろ、考えろ、考えろ。何が最善なのかを。
 どうすればこの世界が変わるのかを。

 はたして未来は望みどおりに運べるか否か。




[15223] 12(カイツール)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:0890089d
Date: 2010/01/28 12:07



 フーブラス川を越えて更に数日。やっとのことで、国境線の町カイツールにたどり着く。その検問所を遠目に見やって、ティアがふと思い出したように溢す。


「アニス、無事だといいのだけど……」

「ん? ああ……そういやあいつ、結構な高さから落ちたよな」

「しかも走行中のタルタロスから、だぜ。俺なら三日は動けない自信あるなー」


 ティアの言葉にルークもグレンも心配するような声をあげるのだが、対してマルクトの大佐殿とローレライ教団の導師様は何の憂いもなく小さく笑いすら浮かべている。


「大丈夫だと思いますよ? アニスですからね」

「アニスですから。きっと無事でいてくれます」

「信用にしてもすごい言われようだな、その子……一体どんな子だよ」

「ははは、元気いっぱいの女の子ですよ~」

「はい、とても頼りになるんです」

「へ、へえ……しかし、そのアニスって子は一人でフーブラス川を渡ることになるんだろ? ここにいなかったら、ちょっと戻って様子を見るくらいは……」

「いえ、それは心配しなくていいでしょう。アニスですから」

「はい、アニスですからね」


 アニスと直接面識のないガイはつい思ってしまう。アニスって何者。イオンもそうだが、あのジェイドにここまで言い切られるほど信頼されている、ということを考えればきっと大丈夫なのだろう。しかしそれにしてもとんでもない言われようだ。想像する。元気いっぱいに剣か槍か薙刀か弓かもしくは拳で魔物を倒して進む、頼りになる女の子の図を。


「…………女ってこえぇ」

「ガイ? おい、お前なんで急に遠い目してんだよ」


 いやあ別にー、とガイは力の抜けた声でルークに返して、ふと目視できるようになった検問所をみておや、と目を丸くする。


「どうやら先客がいるようだな。このご時勢に国境を越えるなんてなんて物好きな……って、あー、なんか小さい女の子みたいだが、もしかして」

「あれってアニスじゃねーか?」

「え、やっぱアレが?」

「うーん、ピンクにツインテール、背中に人形。どこをどう見ても、ルークの言ったとおりタトリン奏長だろうな」

「そうね……彼女が背負ってる人形は、アニスの人形だわ」

「あんなに小さい子が……?!」

「……ガイ、お前どんな絵面想像してたんだ?」

「いやぁ……よくあんなに小さいのにフーブラス川を一人で渡れたな、と」

「ああ、まあ、そりゃたしかにそーだな」


 ついこの間渡りきったフーブラス川を思い出してルークは納得した。いくら流れが緩いとは言え大きな川だったのだ、水を吸い込んだ靴は重くなって、気を抜けば簡単に転げてしまう程度の流れの速さはあった。そんな川の中でも魔物は襲ってくるし、そんな中で一人であの川を進んだアニスは実は結構戦闘技能に秀でているのかもしれない。
 しかし。それにつけても不思議なのだが。


「アニス……タルタロスから落ちたんだよな」

「私達の目の前でね」

「で、俺らはセントビナーから徒歩だったけど、そこまではタルタロスで行ったんだよな」

「ええ」

「…………なんでアニスのほうが先にここにいるんだ……?」

「すまん、ルーク……これは流石に俺もわかんねぇ」


 心底不思議そうにぼやかれたルークの言葉に、こちらも心底わからなそうにグレンも答えた。それに対してジェイドとイオンは「まあアニスですからねー」「アニスですから」と、また同じことを笑いながら答えている。
 アニス、何者? ガイだけではなくルークもグレンもティアも、一斉にそう思わずにいられようか。
 そして声をかければ届く距離になって、後姿だけでも間違いなくアニスだと確認できる。マルクト兵となにやら問答しているようだ。少しはなれたところからでもその内容が聞こえてくる。


「証明書も旅券もなくしちゃたんですぅ。通してください、お願いしますぅ」

「残念ですが、お通しできません」


 甘えた声で『お願い』するアニスの言葉に、きっぱりと硬い声で拒絶するマルクト兵。やがてアニスは頭を抱えて「ふみゅ~」と可愛らしく言った後、くるりと体の向きを反転し、


「―――月夜ばかりと思うなよ」


 低い、ドスの聞いた声で平坦に呟いていた。思わず固まる一同だったが、この中では彼女の本性を一番知っているのだろう。導師イオンはくすりと小さく笑いさえして、やっと合流できた自身の導師守護役に声をかけた。


「アニス、ルークに聞こえちゃいますよ?」


 聞き覚えのある声に名前を呼ばれて、アニスは「ん?」と顔をあげた。その時の声も今までの不機嫌が混ざった低いものだったのだが、ポカンとした目をしてこちらを眺めている赤い髪の青年を見て取って、あっと言う間に笑顔を浮かべて声までも変えてしまう。
 「きゃわ~ん、アニスの王子様~」と可愛らしく作った声をあげて、大喜びしながらルークの腰辺りに抱きついて、皆が無言でアニスを見る中、そのアニスの落差にガイは頬を引きつらせながらこっそりあさっての方向を向いていた。


「……女って、こえー」


 ああそうだ、だから女性陣は絶対に怒らせたらいけないんだぜガイ。その呟きを聞きながらグレンは心中でぼやき、ぼんやりと蘇る思い出を眺めながらふっと小さく息を吐く。
 これからの流れを思い返す。何があるか、どう対応すべきか。あまりヴァンの注意を引くわけにはいかない。いや、逆か。不確定要素としてヴァンにわざと注意させて監視させ、マルクトで妙な動きをしているように見えるエミヤの隠れ蓑になったほうがいいか……?
 グレンが一人黙考している横で繋がる会話は、多少誤差はあるがいつか聞き覚えのあるものだ。


「ルーク様、ご無事で何よりでしたー! もう心配してました~」

「こっちも心配してたんだぜ? でもよくあの高さから落ちて無事だったな」

「はい、アニスちょっと恐かった……。……てへへ」

「ところでアニス、よく私達より先にここにこれましたね」

「大佐ぁ~、大佐はアニスちゃんのこと心配してくれてなかったんですか~?」

「いえいえいえ、アニスのことを信用してたからこそですよ?」


 眼鏡を直しながら語尾に音譜マークでもつきそうな語調で言い切られて、アニスは半眼になる。大佐って意地悪ですぅーとぼやいた後、カイツールまで戻っていた商人と一緒に行動していたのだと答えた。その道中の魔物に対する護衛としてフーブラス川まで馬車、川は流石に徒歩だったが、川を越えた後も乗り継ぎの馬車に同行していたとのこと。
 なるほど、それなら確かに先に着くこともあるだろうが……本当に行動力のある女の子だ。
 皆がなんとなく改めてアニスの行動力に感心していたが、ふと懸案事項を思い出したティアが困ったような顔をする。


「ところで、どうやって検問所を越えますか? 私もルークも旅券がありません」

「―――――ここで死ぬ奴にそんなものいらねえよ!」


 そんな声が聞こえてきた。
 皆がはっとしてその声の主を探そうとするのだが、それよりも先にどこか高いところからその影は飛び降りてきて、いまだ状況をつかめないルークを切りつけようとする。うだうだ考えるまでもなく、体が動く。


「ルーク、伏せろ!」


 ルークが吹きとばされる寸前で、二人の間にグレンが割り込む。伏せろといいながらも間に合いそうになかったので、ルークを思い切りひっつかんで後ろに突き飛ばしてしまったのだが。後ろのほうで「ぐお!」とか潰れたような声が聞こえてくるが……許せルーク、お前のためだ。
 ついでにすまん、エミヤ。俺、これから目立つわ。隠れ蓑になるからブラウニーよろしく。遠い空の下にいるであろう相棒に軽く謝りつつ、ちらりと視線を巡らせて周りの状況を確認する。
 アニスは何だかんだ言いながらも、正体不明の襲撃者が出てきた時点でイオンを護れるように彼の前へと出ている。ジェイドはすぐに動けるようにしているがこちらに手を出そうとはしていない。ガイとティアは助けるためとは言え、グレンに思い切り突き飛ばされてしまったルークに駆け寄っている。

 そして割って入ってきた人物の顔を見て、襲撃者のアッシュはちっと舌打ちをする勢いで顔を顰めた。


「またてめえか!」

「うっさい、お前教団の団服着ていきなり白昼堂々道なかで人を斬りつけるとか本気かよ? そんなにひとを殺したいならまずどこの所属か解らないように姿隠してから闇討ちするんだな、この直情径行!」

「んだと、この野郎!」


 力で押し合って、ぎいんと刃の音を立てて離れる。体の位置を入れ替えてアッシュの背がみんなに向くように注意して、これなら多分ルークにこいつの顔は見えないだろう。
 それにしても、自分の世界のアッシュもいつも短気な男だったが……どこの世界でも変わらないらしい。こんな風に言い合いできるとは思ってもみなかったので、また小さく笑いそうになるがそれは抑える。
 数秒の間に激しく何度か打ち合い、ふとアッシュがいっそう深く眉間にしわを寄せる。やれやれ、こいつにばれたということは、皆にもばれたか。せっかく「人ならともかく魔物の時は俺が出る!」と言い張るルークに従って大人しくイオンの護衛に回っていたというのに。


「てめえ……なんでお前が」

「べっつにー。使い手が世界にただ一人ってわけでもないだろ?」

「はぐらかすな!」

「アッシュ!」


 アッシュが苛々と怒鳴り散らしたと同時、アッシュの背後から叱責するような声が飛んだ。グレンの肩はぴくりと揺れるが、恐らくヴァンの登場に舌打ちしたアッシュにはばれてはいないだろう。「師匠!」とルークの嬉しそうな声と、「ヴァン!」と警戒するようなティアの声が聞こえる。その二人をすっと片手で抑えて、彼は一歩一歩こちらに近付いてくる。


「どういうことだ。私はお前にこんな命令を下した覚えは無い、退け!」

「ちっ!」


 大きく後ろに跳び退り、アッシュは渋々剣を納めてどこかへと消えていく。その姿を見てほっと息をつき、剣を消す。グレンのその動作を見てヴァンは驚いたように目を丸くするが、すぐに穏やかに笑う。穏やかに笑ってはいるけれど、目が笑っていない。それが分かるようになった自分を、ここでは誉めるべきだろうか。


「このたびは弟子を助けてくれたこと、私から礼を言う。貴公は?」

「あんたの弟子を気に入って一緒に旅してる、ただの護衛だよ。天下の謡将閣下に名乗るほど偉い名なんて、ないですよ」


 軽く流して、ルークのほうへと駆け寄る。突き飛ばした時にうっかり力を入れすぎたのか、微妙に頭を抑えながらじと目で見られる。


「グーレーンー」

「うわあ、ルーク。人がせっかく格好よーくヴァン謡将に対して名前を隠してみたというのに、いきなりチャラかよ」

「あん? なんでそんなことしてんだよ」

「っふ、覚えとけ。今から大事なことを言うぞ。男にしろ女にしろ、秘密が一つ二つあったほうが格好良いからに決まってるだろ!」

「………………」


 なんだか色んなほうこうから微妙な目でみられてる気がするけど気にしないことにした。だって本当のことなんて話せるわけがない。


「なあルーク、お前襲ってきたやつの顔見たか?」

「ん? いや……背中しかよく見えなかったけど。っつーかさ、グレン。お前の剣ってもしかして俺と同じ剣術、なのか?」

「あれ、ばれたか」

「ばれたか、じゃねーよ! 何で今まで言わなかったんだよ!」

「えー、だって言ったらルークは腕試しだの鍛錬だのって言って、チャンバラ挑まれそうだったしさ。木刀持ってないし、危ないだろ」

「ぐっ」


 言葉に詰まったということは自分ならそう言っていたかもと自分で納得してしまったということだ。むむむと眉間に皺を寄せるルークをみて、おお、流石に似てるなと思ったことは内緒だ。まあ似ていても目つきが違って雰囲気は大分違うのだが。


「まあ俺の剣のことはどうでもいいことさ。それよりも……そこで険悪な雰囲気出してるご兄妹どうにかしないと」

「え……って、おい! 何でお前師匠に武器抜いてんだよ!」

「……ティア、武器を納めなさい。お前は誤解しているのだ」

「誤解……?」

「頭を冷やせ。私の話を落ち着いて聞く気になったら宿まで来るといい」


 そう言って宿のほうへと歩いていく背中に、ルークは慌てて声をかける。そうだ、グレンも言っていたことだ、と思って。


「ヴァン師匠! あの……ガイに聞いたんだ。探しに来てくれて…………ありがとう」


 そのルークの礼を聞いて、ヴァンは小さく笑ったようだ。声が柔らかになる。


「苦労したようだな、ルーク。しかしよく頑張った。流石は我が弟子だ」

「へ……へへ!」


 嬉しそうに笑うルークと立ち去るヴァンをみて、グレンの胸中にはほろ苦い何かが広がる。ああ、そうだ。大好きだった。本当に尊敬していて、世界の誰より信頼していた。けれど、先ほどルークにかけたヴァンの柔らかい声の中には。
 ……今ではその声に何が潜んでいるのか、分かってしまうのが悲しい。

 呆然としているティアにイオンが話しかけている。ルークが何事かを言って、それに冷めた声でティアも返している。これから宿屋に話を聞きに行くのだろう。
 さて、ヴァンにはどの程度として自分が映ったのか。己の知らない、アルバート流を使う者。それだけでも興味を引くだろうが……過去を探られると厄介だ。なんせ、どれだけ探ろうとしても過去自体がないのだから。
 しかし、興味を引いて気をそらせるにはやはり都合はいいのだろうか。どれだけ悩んでもはっきりとした答えは出ない。頭を振る。

 そして嘘をついているわけではないが、随分と白々しいヴァンの話しの内容を聞いている間、グレンはカイツールの軍港のことについてずっと考えていたのだった。







 カイツールの軍港に入ると、港のほうから獣の鳴き声のような音が聞こえる。それと共に聞こえるのは―――ひどく小さな人の悲鳴。舌打ちをして、グレンは一気に走り出す。


「グレン? おい、どーしたんだ? ……行っちまった」

「魔物の鳴き声……」


 ティアが呟いたと同時、ふわりと大きな影がさす。思わず空を仰いだ彼らの目には飛行する魔物の姿。


「ん? アレって……根暗ッタのペットだよ」

「根暗ッタって……?」

「アリエッタ、六神将妖獣のアリエッタのこと!」

「ひぃっ! わ、わわわ分かったから、分かったから触るな、触らないでくれえええぇぇぇ!」


 説明ついでに物分りの悪いガイをアニスがぽかぽかと叩いているのだが、女性恐怖症のガイは奇声を上げて、震えながら動けないまま固まっている。


「これは……悲鳴?」

「おい、グレンが港のほうへ走って行ったってことは……」

「行きましょう!」


 大慌てで走り出すティアとルークを見送り、ジェイドは溜息を一つついて未だにぽかぽかとやられているガイを見る。そして人の悪そうな顔をして、


「ほらガイ、喜んでないで行きますよ」


 とだけ言い置いて二人を放って追いかけていく。喜んでるんじゃなくて嫌がってるんだー! と叫べば今度は不機嫌そうになるのはアニスだった。
 なあに、アニスちゃんじゃ不満ってことぉ?
 違う、アニスがどうこうじゃなくてというかとにかく離れてくれえええ!
 女好きだが女性恐怖症という男の悲鳴は、イオンがアニスをいさめるまでしばらくやむことがなかったそうだ。







 港に着けば、そこは何かが燃える匂いと血の匂いが充満していた。船のことごとくから煙が上がって、倒れた人たちがそこら中に転がっている。ただ、辛うじて聞こえるうめき声から生きているのだということは分かるが……それでもルークはむせるような血の匂いに気持ちが悪くなりそうだった。


「響長! 幸いここにいる人たちはまだ皆死んでない、治癒譜術を頼む!」

「分かったわ」


 聞こえた声に顔を向けると、血まみれになって気を失った人間を担いだグレンの姿。自分を見るルークの姿に気づいて、背負っていた人を壁に寄りかからせてティアに任せると小走りになってルークに近付いてくる。


「ルーク、大丈夫か。顔色が悪いぞ。……血の匂いがダメなら引いておいたほうがいい」

「……うっせ、だいじょぶだってーの…」


 返る声には覇気が無い。そんなルークに苦笑をこぼしつつ、グレンは彼の頭をぐしゃりと撫ぜる。


「そうか。なら、色男と大佐に止血を頼もう。俺は止血の仕方なんてあんまりしらねーし、怪我人をここに集めるだけだけど……お前も手伝ってくれるか? 服が少し血で汚れるかもだけどな」

「いくら俺でも人が死ぬかどうかで服を気にするわけ無いだろ……ここにつれてくれば良いんだな」

「ああ、頼んだぜ」


 ぽんと背中を叩かれる。そのままガイとジェイドに話をしている。イオンも手伝うといっているようだが、襲撃者がまだいるかもしれないならアニスと一緒にいたほうが良いと却下されていた。とりあえず近くに居る人に駆け寄り顔を覗き込む。息はある、まだ生きている。腕を肩に回して怪我人をガイのほうへと運んでいると、港の奥のほうから叱責するような声が聞こえた。


「アリエッタ、誰の許しを得てこのようなことをしている!」


 その声に、頭に血が昇った。血まみれで呻いている人たち。赤い血だまり。燃える匂い。ぜんぶが胸糞悪い。こんなわけわからねえことをしやがったヤツに一言でも文句を言ってやろうと、ルークは怪我人をガイに任せると港の奥のほうへと走り出す。


「お、おい! ルーク?!」

「アニス、僕はここに皆さんといます。ルークが無茶をしないように見てきてくれませんか?」

「え……あ、はい。分かりました! でもイオン様、くれぐれも皆から離れないでくださいね!」





 港の奥。停泊している船のどれからも煙が上がっている。
 そこにいるのは彼の師匠と、その部下だと言う少女だ。少女。あのフーブラス川で、大きすぎる力を持っていることを自分で理解していない、とグレンに評された少女だった。
 追いかけてきた軽い足音がルークに追いつき、そしてヴァンが剣を突きつけている先を見て大きな声をあげた。


「あーーー! やっぱり根暗ッタ! 人にメイワクかけちゃ駄目なんだよ!」

「アリエッタ、根暗じゃないもん! アニスのイジワルー!」

「ヴァン師匠! 何があったんだよ一体!」

「ルークか……アリエッタが、魔物に船を襲わせていた」


 ヴァンは剣を納める。が、それは見逃したと言う訳ではない。すぐにアリエッタをきびしく詰問する。


「アリエッタ、誰の命令でこのようなことをした」

「総長……ごめん、なさい……。……アッシュにどうしてもって、頼まれて」

「アッシュだと……?」


 ヴァンは驚き目を見張る。その一瞬の隙をついて、アリエッタは手を上げた。その手を掴むように大きなフレスベルグが彼女を引き上る。そして彼女がその背に登ったかと思えば、不意にルークの後方から他の魔物が急降下して、ルークを掴んで空に連れて行ってしまった。


「うおわ?! 放せ!」

「ルーク!」「ルーク様?!」


 怪我人をティアの側において、ふと何か羽音のようなはばたきが聞こえた気がして空を見上げた。青い魔物の背に乗った少女が、こちらを見ている。そして彼女の乗るフレスベルグの後ろに続く、魔物の足に捕まっているのは。
 グレンの背筋に氷塊が滑り落ちる。


「ルーク!」

「っの、やろ! 放せっつーの! うわぁ!」


 暴れようとして、しかし魔物に落とされかけてルークは慌てて大人しくなる。何だこれは。何だこれは。こんなこと、俺は知らない。こんな出来事、俺は知らない。油断していたのか、心のどこかで安心していたのか。あの時助けられなかった人たちを、今助けられていたから。
 行き先はきっとコーラル城。そしてきっとこれはアッシュの命令。ならばルークを連れて行ってなすことは一つ。
 完全同位体。レプリカとオリジナルの大爆発。コンタミネーション。ああ、これだけはどうあっても止めなければならないことだったのに。


「アリエッタ、今すぐルークを放せ」

「聞けません……。アッシュに、どうしても……って、お願いされたから」

「もう一度言うぞ。今すぐ、ルークを、放せ」

「ルークと、船を整備できる整備士さんはアリエッタが連れて行きます」

「……最終通告だ。今すぐルークを放せ」

「返して欲しければイオン様がコーラル城にこい、です!」

「アリエッタ!」


 激昂したグレンの声に振り返ることもなく、アリエッタはルークをつれ去ってしまう。


「ルーク!」

「ルーク?! クソ、待てっ!」

「これは困りましたね」


 ティアとガイとジェイドがそれぞれ何かを言っている。何を言っているのか考える暇など無い。
 考えろ、考えろ、考えろ。覚悟を決めろ。願うのは、天下無敵のハッピーエンド。それは今でも願っている。そうあってほしいと心の底から願っている。けれど。
 叶わなかった世界から、叶う夢の形を見たくてここにいる。全てを救いたかった。皆を護りたかった。手に届く限りの人たちを。けれど。

 俺の手の平はちっぽけで、小さくて、どれだけ必死になって手を伸ばしても、叶えたかった願いは簡単にすり抜けて零れ落ちていってしまうなら。


『届きもしないものにまで手を伸ばしていては、届くはずだったものにまで手が届かなくなるかもしれんのだぞ』


 だからつけるべきは優先順位。
 何よりも叶えたい願いの大筋は。

 『ルーク』が消えずにみんなの隣で生きること。続く明日を何の疑いもなく信じて生きていけること。当たり前のように未来を誰かと約束できるような、そんな世界を。

 俺の世界では叶わなかったけど、せめてそんな夢のような世界がどこかにはあるのだと。



 覚悟を決めろ。




「――――俺の願いに立ち塞がるなら」


 俺は、■を切り捨てでも押し通る。


「グレン……?」


 低い声でなされた静かな宣誓の言葉に、全てが聞き取れずとも不穏な響きを感じたのだろう、イオンが心細げにこちらを見ている。そんなイオンに顔を向ける。できるだけいつもの笑顔を心がけて笑いかける。


「ということでイオン、俺はすぐルーク追いかけるわ。ヴァン謡将に怪我人と舟の手配頼んでお前らもなるべく早く来い、って言っといて」

「グレン!」


 止めようとする言葉を置き去りにして、グレンはコーラル城へと駆けていく。




[15223] 13(コーラル城)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:0890089d
Date: 2010/01/30 00:09


――― other side in


「ジェイドの名刺とマクガヴァンのじーさんからの紹介状?」

「はっ。確認したところ、確かに本物のようです」

「そうか……今日はもう俺の仕事は終わってるよな、アスラン」

「……いえ、まだまだやらなければならない懸案事項はそれこそ…」

「なーに、『どうしても何がなんでも今日しなきゃならん事項』は、ない。そうだろう?」

「………………」


 真面目で実直な将軍が困ったような顔をして、はいともいいえともいえないような質問をする。そんな彼の反応をみて、マルクト皇帝ピオニー九世陛下はクツクツと笑った。ひらひらと手を振って、フリングス将軍をからかうような口調で話す。


「おいおい、お前相変わらず固いなぁ。毎度毎度真面目にそんなに困ったような顔をするな」

「……性分ですので」

「ああ、そうだな。まあ俺はお前のそう言うところも気に入ってるんだ。で、アスラン。俺が直接見てみよう。あの二人が俺に会わせようとする人間だ。ここにつれてきてくれ」

「はっ! 承知いたしました」


 そしてしばらく。フリングス将軍に連れられてこちらに歩いてくる彼に、ピオニーが彼に感じた第一印象は『刃』だった。
 彼は刃の色をしていた。髪も、瞳も、きっと魂の色合いさえも。
 戦うたびに折れて、砕かれて、ずたずたになって、それでもそのたびに打ち直して起き上がって血を吐きながら進んできた、そんな凡百の刃の中の輝き。
 彼は、刃だ。


「紹介状と名刺は読んだ。お前が二人が俺に紹介したいといっていた『エミヤ』か?」

「いや、一部訂正させていただこう。私が貴公に会ってみたかったのだ」

「ほう?」


 マルクトの皇帝に対しては尊大な態度だ。周りの臣下たちがざわめくのを、コツンと椅子を一つ指で叩くだけで納める。その力量に、顔には出さないがアーチャーは内心感心した。求心力というか、統率力というか、カリスマと言うか。
 なるほど、流石はあの食えない大佐殿の幼馴染であり主人であるというだけはある。


「それではエミヤ。聞かせてくれるかな? お前はどうして俺に会いたいと思ったのか」

「―――この世界の未来の為なのだよ、ピオニー陛下」

「なに?」

「マルクト皇帝ピオニー九世陛下、人払いを願いたい。これは貴方の腹心殿と元老元帥にも話していないことでね……私がこれから話すことを信じるも信じないも貴方の自由だ」






――― other side out








 うらぶれた城の前に立つ。城の中を吹きぬける風がどこか嘆き声のように聞こえた。廃墟じみた朽ちかけの城。もう長い間人が住むことがなかったはずなのに、どこか人の手が加えられているような印象を受ける城だ。
城壁に伸びる蔦はそれでもまだ辛うじて城を侵食しきってはいない。城の奥でざわめく気配がする。魔物もいるのだろう。
 息が切れてのどの奥が熱い。今すぐにでも城に入ってしまいたいのだが、この状況では駄目だ。ここまで駆け通しだったせいで体力が根こそぎ落ちている。しかし時間がない。あと一分だけ休んで、そのまま突撃してしまおう。深呼吸をして、目を閉じる。


「……もう少し上手く立ち回れてるつもりだったんだけど、なぁ…」

『落ち込んでいても何もできないわ。そうでしょう?』


 意図的に開いた記憶の扉から零れる声。いつか聞いたままの声に苦笑を返す。


「できることをやる、か。……でも、俺はどれだけ変えてこられたんだろうな」


 死人は確実に減っている。それは自信をもって言える。けれどたどる道筋は、続く歴史は何がどれだけ変わっているのだろうか。変えることができるのだろうか。この世界に生まれたものでもない存在に。


『あなた馬鹿?』

「卑屈反対、ってか。……しかしどーも窘められてる、というか叱られてる時の声のほうがはっきり思い出せるってのは……情けないような気が……」


 苦笑交じりに首を振る。
 なあティア、俺はお前が見ててくれないとすぐにへたれちまうみたいだぜ。本当にどうしようもないヤツだよな。俺がもっとずっと強ければ、お前も皆も、あの時死なないで済んだんだろうか。そんな、もうどうしようもできない過ぎたことをいちいち考えてしまうんだ。
 溜息を一つ、それだけで大切な約束を心の深いところにそっとしまいこんで鍵をかけた。柔らかな思い出を閉じる。感傷はこれまでだ。
 深呼吸をして目を開く。鼓動の速度は大分戻っていた。


「立ち塞がるなら、」


 切り捨ててでも。
 自分に再度言い聞かせるように呟いた後、彼は剣を握って城の中へと走っていく。







「……な~るほど。音素振動数まで同じとはねぇ。これは完璧な存在ですよ」

「そんなことはどうでもいいよ。やつらがここにくる前に、情報を消さなきゃいけないんだ」

「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにこのコーラル城を使わせなければよかったんですよ」

「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね。……そろそろこっちの馬鹿もめざめるんじゃないの?」

「良いんですよ。どうせこの話を聞かれても分かりはしないんですから。それにもうコイツの同調―――」


 影が降ってきた。その影はシンクを装置の下へと叩き落したかと思えばそのまま音もなくディストの真後ろに下りてきて、彼を問答無用で椅子から蹴落とした。ガタンと派手にいすが倒れる音がした次の瞬間、横倒しに倒れたディストの首下に刃を付き付けて床に押し伏せる。
 埃と砂が頬に当たって気持ち悪いが、ディストは喚くこともできずに引きつったような声をあげるしかできなかった。


「ひぃっ……」

「なんだ?!」

「六神将の死神ディストと烈風のシンクだな。答えろ。―――――同調フォンスロットはもう開いたのか」


 低い声だった。抑揚が無い。受身をとった体勢から持ち直したシンクがルークのほうへ動こうとすれば、ディストの首に突きつけられた刃が彼の首筋に少しだけ食い込み、彼は思わずごくりと唾を飲み込む。首筋に刃を突きつけられるというのは、それだけの動作でも首を突き破られてしまいそうな感覚だ。


「お前、なんで……」

「な、なんで貴方がそんなことを知って、」

「質問を許した覚えは無い。答えろ」


 ルークの同調フォンスロットは、もう開いたのか。

 呟く詰問は先ほどと同じもの。見えるのは何の感情も浮かんでいない、氷のような緑の瞳。ああ、この瞳に似た目をした何かを見たことがある。ディストは唐突にそう思って、けれど何に似ているのかが思い出せなかった。
 いくら待っても答えない二人に郷を煮やしたのか、グレンは首筋に突きつけていた刃を思い切りディストの首の真横につきたてる。タン、と軽い音の割りに軽がると石作りの床につきたてられた刃の切れ味に、一気に血の気の下がる音が聞こえた気がした。
 ゆっくりと床から引き抜き、再び刃先を押し当てる。今度は、それこそ唾でも飲めば簡単に喉が割けそうな場所を。


「次はないぞ、答えろ。…………同調フォンスロットを、開いたのか」

「ひ、開きましたよ、ええ開きました! それがアッシュとの交換条件だったのですからね!」

「ディスト、お前!」

「煩いですよ、いま殺されかかってるのは私なんですから! 私はやるべきことがあります、それを叶えるまでは死ぬわけには行かないんですよ!」

「―――――――――遅かった、のか……?」


 ふと、感情が揺れたような声がした気がして視線を突然の侵入者のほうへと向ける。今まで何の感情も映していなかった緑の瞳に、一瞬絶望が過ぎった気がした。しかしすぐに立ちなおしたようで、剣を握った左手に力がこもったのが分かる。
 グレンの瞳に湧き上がるのは気炎に満ちた激怒と憤怒。畜生、と呻いた後、ディストの襟元を掴んで持ち上げその後頭部を機器のほうへと押し付ける。がん、となんとも痛そうな音をたてて頭をぶつけられ、かわいそうに白髪の男は色んな意味で涙目だった。


「よくもやってくれたな……っ! 閉じろ! 今すぐあいつの同調フォンスロットを閉じろ、今すぐだ!」

「なん……」

「閉じろといっている! できないとは言わさん、できないというならここで死ね! 俺がこの手で殺してやる!」

「貴方は、何を言って……」

「閉じろといっているんだ!」


 閉じろ、と命令しているということは自分ではあのフォミクリーの機械を操れないということだ。そして閉じるまでは、いくら口で殺すといっても殺すことなどできないだろう。閉じろというなら閉じればいいのだ、別に『計画』には閉じられても支障はないのだから。そう言う打算を働かせて、ディストが殺されかかっているというのにシンクは何も手を出さないままにしていた。
 今のあいつはある意味無防備だ。何かひとつの事に必死になって、他の事にまで気配の全てが回っていない。今襲い掛かれば簡単に拳のひとつは入れられるだろう。けれど、何故、自分はそうしようとは思わないのか。


「あんた」

「っ?!」


 フォミクリーの機械に頭を押さえつけられているディストから視線をはずし、殺気のこもった視線がこちらに向けられる。シンクはその視線を仮面の奥から見返して、ついとフォミクリーの装置の上で眠っている『ルーク』へと意識を向ける。


「同調フォンスロット、って言ってたなら、知ってるんでだろ? あいつがなんなのか」

「ああ、知っている。知っているさ、誰よりもな。だからどうした」

「へえ。じゃあ、あんたは何でそんなに必死になってんの? 代替品だろ、アレは。いなくなった本物の隙間を埋める為だけの劣化品じゃないか!」

「違うな。オリジナルはオリジナル、レプリカはレプリカとしてあいつはあいつだ。劣化品? 馬鹿馬鹿しい、あいつはルークで、あいつもルークだ。それだけのことだろう」


 誰かと話していささか冷静さを取り戻したのか。ぐい、と冷静に首の後ろに刃をつきたてられて、仕方なさそうにディストは機械をいじりだす。指が動けば良いと足にでもつきたてられては叶わない。かたかたという操作盤を打つ音と、機械の駆動音。その手が変な動きをしないかを見つつ、グレンはシンクの方へと注意を向けた。


「誰かにとってはただの人形でもな。俺にとってはたった一つ、誰のかわりにもならない本物だ。俺にとっては叶わなかった夢の可能性そのもの」

「はっ……そのセリフをこの馬鹿のオリジナルが知ったらなんていうだろうね」

「さあな、知らねえよ。ただな、言わせて貰えば代替品として生まれたとして、なんでその通りに生きなきゃなんねぇんだ。生まれたからにはその生き方は自分のものだ、自分で選んで自分で決めればいい」

「言うね」

「事実だ。そうだ、シンク。俺の相棒が嫌って嫌って殺したいほど嫌って、それでもそいつの言葉の中で信じたひとつを教えてやろうか」


 贋作が本物に劣ると誰が決めた。
 偽物が本物にかなわない、なんて道理はない。

 その言葉に、シンクの目が大きく開かれる。


「代替品にすらなれなかった? 違うな、代替品ごときにされるんじゃなくて、何にでもなれる自由に立ったと思うべきだったんだよ、お前は。それとディスト、お前に忠告しといてやる」

「忠告? 貴方が? 私の何を知っていると、」

「ゲルダ・ネビリムをレプリカとして蘇らせたとして。一緒に過ごした記憶も、約束も、時間も持っていないその存在を、顔も声も姿も似ているだけのその人をまえにして、お前はお前を知らないそのひとを、本当に彼女の名前で呼べるのか」


 かたかたとリズミカルに動いていた指がぴくりと止まる。けれど止まった瞬間に首に感じる剣の切っ先に力が入った気がして、慌てて指を動かし始めた。グレンの言葉に驚いているのは、ディストもだがシンクもそうだ。彼の言葉はまるで二人が誰かを深く知っているような言い方だったのだから。
 しかし、二人は彼を知らない。顔を見たこともない。誰かさんによく似た珍しい髪の色なのだから、一度でも会えば記憶に残っているようなものだが、それでも彼を知らない。彼を知らないのに、彼に知られている。それはひどく不愉快で不可解だ。


「アンタ、何者?」

「この間抜けで単純で真っ直ぐなバカの友達だよ。……どうしたディスト、もう終わったのか」


 今まで動いていた指が止まって、グレンは刃先に意識を持っていって問いかける。ディストはええ、と答えた後、逡巡するように何事かを考えポツリと呟く。


「ですが……一度開いた同調フォンスロットは―――」

「知っている。それはこちらがどうにかする」

「……っ?! どうにかする? 馬鹿な、そんなことが」

「どうとでもなる。……また相棒には怒られそうだが。おいシンク、お前の懐に入ってる音譜盤よこせ」

「なんで知ってんのさ……というか、そう簡単に飲むと思う?」

「今はな。今はまだフォミクリーの技術的にコイツの協力が必要なんだろう?」

「……本当に、誰かみたいに嫌な奴だね、アンタは」


 吐き捨てるような、嫌そうな声でぼやいてシンクは音譜盤をグレンの方へと放り投げる。その音譜盤を受け取って、グレンは口元だけで笑ってディストを解放した。剣は消さないまま、機械の中で眠るルークの近くにまで跳ぶ。ルークがまだ起きていないのを確認して、そして切っ先を再び二人のほうへ向けて宣言する。


「行け。今回だけは業腹だが見逃してやる。今ならまだひとつだけ方法がないわけじゃないからな。俺のことは黒幕には喋るなよ。これ以上俺の願いの妨げになるのなら―――容赦はしない」


 緑の瞳の温度が再び凍る。この部屋にやって来たときと同じ無感情な声と表情。むりやり、何か、心を殺しているようにしか見えない。そうまでして、一体。


「アンタは、何がしたいんだ」


 ポツリと零れてしまったシンクの疑問に、グレンはなんともいえない顔をする。
 半分泣いているような、傲岸に笑っているような、それでもどこか迷っているような、揺れる表情を、一瞬だけ。


「俺は、俺自身のために俺の願いを叶えたいだけよ。……例え、誰かの願いを奪っても」


 それでもできればたくさんの人がより幸いになれる、そんな世界にしたいと今でも願っているけれど。
 シンクの仮面の奥の表情が怪訝そうなものになっているのが気配で分かる。妙に聡いのはイオンと一緒だろうか。全然似てないのに、やっぱある意味一卵性並に似ている。やれやれと首を振って、遠く聞こえる足音を示唆する。


「ほら、そろそろ来るみたいだぜ。見つかっていいのか?」

「ちっ……アリエッタは屋上に人質といる……ディスト、いくよ!」

「私に命令すんじゃありませんよ!」


 引いた二人をみてほっとする。どうしようもなく立ち塞がるなら切り捨てる、そう決めた。
 それでも、できるなら切り捨てることなく夢を叶えたいと願っている。欲張りなまでに手に届く限りたくさんの人を幸せにして。エミヤがいれば君は甘いと叱られるだろうか。それともそれでこそ私のマスターだと満足そうに笑うのだろうか。
 眠るルークをみて、防げなかった出来事に拳を握った。
 一度開いた同調フォンスロットは、閉じてしまっても完璧に開く前のようにはならない。ただの時間稼ぎだ。一度壊れた壁の間に薄い膜を張っているようなものにしかならない。ゆっくり、ゆっくり、水が膜を滲ませてゆくように音素は流れてゆくのだろう。


「俺が、絶対……どうにかするから」


 ひとつだけ。ひとつだけ、方法はあるのだ。
 ただ、きっと、ルークは怒ってイオンは泣いて、エミヤには叱られてしまだろう方法だったから、考えはしても実行だけはしないようにと思っていたことだったのだが……こうなってしまっては、仕方ない。
 なに、これでもなかなかしぶといほうなのだ、気合でこの激動が終わるくらいまでは何が何でも持たせてみせよう。
 聞こえる足音に目を閉じて剣を消す。腕を組んで、壁にもたれかかる。


「ルーク! ……っと、グレン?」


 誰より早く駆け込んできたルークの使用人にグレンは目を開け、ようと片手を上げて答えた。やや時間を置いて、ジェイドとティア、アニスとイオンもこちらにやってくる。彼らはまずルークが眠らされているだけだとグレンに説明されてほっとして、しかしすぐに何がしかの装置に不安そうな顔をする。
 その中でただ一人だけが顔色を変えていた。


「これは……!」

「大佐、何か知っているんですか?」

「いえ、確信が持てないかと……確信できたとしても……」


 アニスの質問に言葉を濁し、ただじっと眠り続けているルークを見て表情を曇らせる。その表情にティアは心配そうにルークとジェイドの顔を見比べた。


「……大佐、何か知っているんですか? ルークは……」

「ルークは寝てるだけだ、ってさっき言っただろグランツ響長。ダイジョーブだよ。それより大佐、俺機械の操作はさっぱりでさ……早いとこコイツをとめてくれねえ?」

「そうですね……すぐに止めます」


 かたかたとジェイドが操作盤をいじればヴオオオンと装置が駆動音を立て、その音に目を覚ましたらしいルークが瞼を震わせた。ルーク、ルーク、ルーク、ルーク様、と皆が口々に心配している中、今すぐどうこうなるわけではないと知っているだけ、グレンは冷静だった。
 装置が完全に起動停止され、ルークがうめき声を上げながら上半身を起こす。


「うぇ……なんなんだよ、ったく……ってなんじゃこりゃ?! 何だこの機械?!」

「大丈夫? どこか体におかしいところは無い?」

「俺が分かるか? 記憶をまたなんてことは……」

「ルーク様、大丈夫ですかぁ」


 口々に心配する仲間達の前でルークは一通り体を動かしているが、特段不審なところも見られない。がりがりと頭をかきながらぶっきらぼうに答えた。


「あー、別にどこも変じゃねえや……しっかし、あいつら俺に何するつもりだったんだ……?」

「その件だが、六神将の一人とやりあってな……妙な音譜盤を拾ったんだ。後でジェイドにでも調べてもらえば、やつ等が何しようとしてたかもちっとは分かるだろ」

「そっか…………んじゃとりあえず、ここどこだ?」

「ルーク、何も覚えてないのか?」

「あ? 確か、カイツールで……魔物に後ろから捕まって、そっからは……」

「そうじゃなくて。ここは、七年前誘拐されたお前が発見された場所なんだぞ」

「え……こんなボロそうなとこが?」

「ああ……何か思い出さないか?」


 キョロキョロと辺りを見回して、腕を組んでうーんと考えて、もう一度見回して―――きっぱりと言い切った。


「なんっっっにも、ない! ムリ、思い出せねー。っつーか、何で家の城にこんな機械あるんだ?」

「さあ……旦那は何かあてがあるみたいだが」

「え、まじ? おいジェイド、この機械なんなんだよ!」

「やれやれ……さきほども言った気がしますがね。確信が持てないことは言わない主義なんですよ」

「なんじゃそりゃ。ケチくせーな」

「結構ですよ。それよりもルークは見つかりましたが船の整備士達は一体どこにいるのか……」

「あ……そうだ忘れてた。シンクからの伝言でな、アリエッタは人質と一緒に屋上へいるらしいぞ」

「アリエッタ……」


 その名前に、ルークはやっと自分が何でこんなところへいるのかを思い出したらしい。思い出す、赤に染まった港と焔の匂い。かっと一気に頭に血を上らせて、憤怒の様子を思い切り表情に表す。


「グレン、屋上ってのはどっちだ!」

「うん? あっちの方向に真っ直ぐ進んでったら多分そうじゃないかな」

「よっしゃ、わかった。あんの魔物ヤロー、あいつ絶対一発ぶん殴ってやる!」

「あ、お手伝いいたしますよルーク様~」

「あ、こら待てルーク! 一応女の子なんだから殴ったら……!」

「ちょっと、あなたさっきまで捕まって……もう!」


 機械から飛び降りて気合十分にかけていくルークと、大義名分の下にタルタロスでの仕返しができると踏んだのだろう、落ちていくときの叫びを実行しようとアニスがノリノリでついていく。そしてルークの発言に慌てた様子のガイが必死になって追いかけて、捕まって何かをされていたはずなのに、それを無視してつっこんでいくルークに呆れたような声をあげてティアも走る。
 今まで機械を見て、難しい顔をしてじっと黙っていたイオンもその騒ぎにはっとして、「待ってください、アリエッタを傷つけないでください!」と声をあげながら追いかけていく。イオンと同じく厳しい顔をして機器を見ていたジェイドも、恐らくはみんなより少し離れたイオンの護衛なのだろう、気分を入れ替えたように溜息をついて追いかけていく。
 ……追いかけていこうとして、いつもなら真っ先にルークを追いかけていくだろうグレンが一人じっとそこで動く気配がないのを見やって、ジェイドはかすかに怪訝そうな表情をする。


「珍しいですね。あなたは行かないんですか?」

「……今行ったら、容赦なくアリエッタ殺す気になりそうだからやめとく。イオンが泣くの、嫌だし」

「……そうですか。ではあなたはここで待機しておいてください」

「ああ……あいつら頼んだぜ、大佐」

「子守は得意ではないのですが」


 肩をすくめて走っていったジェイドの足音が聞こえなくなったのを確認して、グレンはゆっくりとルークが眠っていた機械のそばから操作盤のほうへと歩いていった。じろりとにらみつけるようにその操作盤を見て、しばらくはそのままだったのだが……おもむろに左手を振りかぶる。コンタミネーションで出した剣を握り、思い切り振り下ろした。
 がしゃん、とガラスの割れるような音がして液晶画面が壊れ、もう一度剣を叩きつけると内部の機械と機械の配線だのが壊れて断ち切られ、ショートしたようにびりびりと小さな火花が上がる。そして最後の止めといわんばかりに思い切り深く剣を差し込んだ。
 バチン、と何かが途切れるような音。ここまで壊せば完全に操作不能だろう。

 思い切り舌打ちをして機械を蹴飛ばす。不機嫌そうな顔のまま、彼がその装置を壊し始めたときからそこにいた人物に向かって顔をあげた。


「お早いご到着ですね、ヴァン謡将」

「これは……気配を悟られておりましたか。私もまだまだですな」

「いえ、謡将閣下ほどのものなら殺そうとしても殺せぬ気配がこぼれるものです……ルークたちはアリエッタを追って屋上へと行きました。加勢に行かなくても宜しいのですか?」

「そうですね、私も早く行こうと思ってはいたのですが……あまりに貴公が必死になってその機械を壊していたもので、気になりまして―――その機械が何か、心当たりでも?」


 腹の探りあいだ。ひとの良さそうな笑顔に一瞬観察者の目が灯り、しかしそれに気づいた素振も見せずにこちらも笑って返してみせる。


「いいえ。ただ、このワケワカラン機械にルークが囚われていました。何かは解らないにしても、また同じことがあってはたまらないので。謡将閣下こそ、何か心当たりはありませんか?」

「いいえ……私にもわかりません」

「そうですか」


 不審な点は自分でも自画自賛したくなるほど溢してはいないと思う。いくらヴァンとはいえ、こちらの言葉が嘘かどうかはわかりかねるだろう。
 ヴァンの方から視線をそらす。つい今しがた壊した機械を見ながら、屋上のほうから聞こえてくる破壊音にふと苦笑を溢した。


「おいそぎになられたほうがいいですよ、謡将。いくら六神将といえども、アレだけの人数を一人で相手をするには骨が折れる。ましてや、その中には弱体化させられたとは言えネクロマンサーもいる。……導師イオンも必死に庇うでしょうが、彼は彼女を殺そうとするでしょう」

「そうですな……アレはいささかやりすぎた。彼なら相手が少女とは言え容赦はしますまい。では私は行きますが……貴行は?」

「……行きません。俺がここに残っているのも、行ってしまったらルークを攫ったアリエッタを殺してしまいそうな自分がいることを自覚しているからです。行かないほうがいいでしょう」

「そうですか……では、こちらで待っておられてください。すぐに皆も降りてくるでしょうから」

「はい。お心遣い、感謝します」


 頭を深く下げるでもなく、目礼だけに済ませる。それに特段怒りを表せるでもなく、彼は寛大な笑みを浮かべながら屋上の方へと歩いていく。
 その背を見送りながら、グレンは憂鬱そうに呟いた。


「あー……大佐に頼んでエミヤに鳩飛ばすか。いや、国境越えてたらもう出せないのか? ってことはまた言わないでするって事になるんだから……うわぁ、なんて言い訳しよう……いや、ケセドニアの領事館で大佐に頼んで……」



 ルークたちが帰ってくるまで、グレンはひたすらそのことについて頭を悩ませていた。





[15223] 14(ケセドニア)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:2074cce1
Date: 2010/01/30 00:09


「ややや……やめろぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおぉおぉ……!!」

「ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた」

「ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた」


 狭い馬車の中でガイが悲鳴を上げている。アニスが楽しそうにガイにぺたぺたと触っていて、ついでに何故かジェイドまで悪乗りしていた。どうやらあの機械の広間では発生しなかったガイの女性恐怖症のエピソードは、アリエッタ戦後の屋上で起こったらしい。特訓だ克服だとなんだかアニスはノリノリだ。狭い馬車の中では逃げ場もなく、ガイはそれはそれは顔を青くしながら涙目になっていた。
 ティアが一度やりすぎだと止めようとしたのだが、やはりというかなんというか、ジェイドの口八丁に言いくるめられて心配そうな顔をしながらも眺めているだけだし、ルークはルークで楽しそうに見ているだけだし、ここは僕が動かなければとでも思ったのだろう、イオンが声をかけようとしたときだった。


「なあイオン」

「え? あ、なんですかグレン」


 いやいや、別にイオンのガイ救出を妨げたわけではない。断じて。ああ、断じてだ。コーラル城から心ここにあらず、といった風に馬車の窓から空を眺めていたグレンが何を思ったのか話しかけてきたのだ。イオンはキョトンとした目をしながらグレンのほうを向く。その目を見て、グレンは自分の中に渦巻く激怒を思って苦く笑う。
 ああ、やっぱり駄目だ。放って置いたらきっとああなる。それでこいつが泣くのは、嫌なんだよなぁ。


「アリエッタとちゃんと話せたのか?」

「それは……」

「余計なお世話かもしんねーけどさ、いつか時間をとってちゃんと話したほうがいいと思うぜ。……もちろん知らないほうが幸せなこともあるさ。でも、知らなけりゃ進めないことだってあるんだ」

「そう、かもしれません」


 だんだんと小さくなる声でそれだけを呟き、イオンの視線は床に落ちた。


「……でも、僕は……きっと僕では、彼女に上手くことばを伝えられない、から」

「ばーか。そういうのは、一度ぶつかって失敗した時にでも言えっつーの」


 口元に苦笑を刻んで、すぐ隣にある緑の頭をぐりぐりと撫ぜる。導師という身分柄、こうも突然他人から頭をなでられることなど初めてのことだったのだろう。イオンは驚きに目をぱちくりとしていた。そんな、物分りの良い、生きた年月に似合わぬ聡明さを持った彼の目を真っ直ぐに覗き込む。そして一言一言、言い聞かせるように言い切った。


「考えなしはどうかと思うが、場合によっちゃ考えすぎると臆病になるぞ。今のお前が、今のお前の言葉で話せば良いんだよ。聞きたくないって言われても、なんどでも、分かるまで話せ。……分かり合えないまま、すれ違ったままで終わってしまうのは……見てるだけでも結構悲しいんだからな」

「……はい」

「まあ、それで、なんだ……キッチリぶつかって、あれだ、失敗したら……うーん……そうだなぁ、またこうやって頭撫でてもっかい頑張れ、って発破かけてやるから。相談にのるし、話くらいは聞くさ」

「……そう、ですか。ありがとうございます、グレン」


 すこし乱暴に撫でられる手の下で、普通なら無礼だと怒るところだろうに、やはりイオンは嬉しそうに笑う。


「グレンにかかるとまるで僕は子ども扱いなんですね」

「え、いいじゃん別に。だってお前一応俺より年下だろ?」

「はい……そうですね。ありがとうございます」

「はは、何で事実言っただけで礼言ってるんだよ、お前は。変なヤツだなぁ」

「変……ですか?」

「ああ」


 右手を馬車の窓枠において、そのまま頬杖にしているグレンの頬が柔らかに緩む。嬉しそうに、懐かしそうに、どこかまぶしそうな目でイオンを見て、親愛のこもった優しい声でもう一度だけ呟いた。


「やっぱ変なヤツだよ、お前は」


 変なヤツ扱いされたというのに、イオンはそれでも嬉しそうだった。そのまま言葉通りの意味ではないと分かっているからだ。
 そして今までぎゃあぎゃあと楽しそうに騒いでいるガイ達を見ていたティアは、小さく紡がれる二人の会話に妙な既視感を抱く。二人のほうを見やって、ぐりぐりと乱暴そうに頭を撫でられながらも嬉しそうな導師と、笑いながら彼の頭を撫でているグレンをみて、ああと納得した。

 夕日に染まるエンゲーブでの宿屋と、タルタロス。

 なるほど、どうやら彼と彼は似たもの同士だったらしい。妙に気が合う子どもっぽさも含めて。
 だからだろうか。彼がいつも妙にルークを理解しているように見えるのは。


「おいいいいいい、ルーク! ティア! グレンでもイオン様でも良いからもうだれでもいいからいい加減とめてくれえええええええ!」


 聞こえてきた悲鳴にティアとイオンがはっとする。大慌てで悪乗りをしすぎたジェイドとアニスをいさめる二人を見て、グレンとルークは楽しそうにしていた。












 ざわざわと騒がしい町並み。多くの人が行きかい、水気の少ない地面からは薄く砂埃が立ち上がる。白い日よけを屋根代わりにした露天からはたくさんの人が客を呼び寄せて、自分の店の品の良さを声高に宣伝していた。活気のある町。
 世界中の商品が集まる流通拠点、ケセドニア。ここからグランコクマに鳩を飛ばしてくれとジェイドに頼んで、一応エミヤ印の暗号文(日本語、ひらがな)で書いておいた手紙を渡し、本来ならもう少し肩の力を抜いていいはずのグレンはずーーーーんと沈んでいた。その理由は。


「おい、グレン……大丈夫か? おまえキャツベルトに乗った途端にぶっ倒れるとかよ、休んどいたほうがいいんじゃねぇ?」


 そう、理由はこれだ。キャツベルトに乗った途端、とんでもない頭痛に襲われ一気に意識を失いひっくり返ったのだ。原因には心当たりがあるし、恐らくはそうなるだろうと思っていたのだが……いや、そうなってくれなければ仮説が成り立たず困るところだったのだが、それでもタイミングが悪すぎた。よりにもよってキャツベルト! もう少し遅く来ると思っていたのに……最悪だった。
 試すだけで悪気はないのだとは知っているが、いい加減に一発どころか三発は殴ってやりたい気分だ。

 なんせ、キャツベルトに乗っている間には、同調フォンスロットと同じく絶対回避しなければならないヴァンの暗示があったはずなのだ。それこそこれからバチカルに帰るまでは四六時中ヴァンを見張ってルークにくっついて行動しようと思っていたのに。……一応、おきてからはなるべくルークの近くには居たのだが。

 しかしヴァンはダアトにアリエッタを引き渡すと言って去っていた。それはつまり、もう暗示をかけ終わっているということに他ならない。グレンは許されるならひたすら頭を抱えて地面をごろごろとのたうち回ってしまいたい気分だった。


「これか、これが修正か畜生。エミヤの言ったとおりだ、強敵過ぎるだろこれ。悪意の連鎖じゃなくて自分が変えたことによって起きる偶然のつながりで修正するってのがいやらしいんだよ。スコアかっつーの、畜生……っ!」


 暗い顔をしながらぶつぶつと喉の奥で呟くグレンを見て、今までどこかからかう様だったルークは一気に眉間にしわを寄せた。実はこれは彼なりに心配をするときの表情だったりする。タルタロスの時はそれこそ表情を作る余裕も無かったのだろうが、今は違う。それを知っている人間なら微笑ましく映るのだが、傍から見たら不機嫌そうにしか見えない。
 しかし、グレンはそんなルークを知っている。だからもう過ぎてしまったことは仕方ないと頭を切り替え、顔をあげて苦笑を溢す。


「いや……大丈夫だよ。うん。平気平気うん……」

「でもなぁ、なんつーか、平気そうな顔じゃねーっつーか」

「ははははは平気だよヘイキー」

「まあ、お前がそう言うんならいいけどよ」


 ルークは組んだ腕を後ろ頭に添えて、何度か口をあけては閉じて、微妙な顔をしていたのだが。やがて思い切り今までよりも不機嫌そうな顔をして、キッと半分睨みつけるような顔をしてぼそぼそと呟く。


「気分悪くなったらすぐ言うんだぞ」

「おぉ、なんだよ、心配してくれてんのか? はは、ありがとな、ルーク」

「うるせー! 町中で倒れられたら、は、運ぶのが面倒だってんだ! おらとっとと行くぞっ」

「えー、まあ待てよ。そんな焦らずもうちょっとこの町回ってみようぜ? なんせ流通拠点だ、珍しいものもあるかもしれないしさ」

「いーんだよ! お前とかイオンとか普通の顔して無理しそうだからさっさと用事終わらせるに限るだろ!」


 突然話に出されたイオンは解らなさそうに首を傾げる。


「え、僕もですか?」

「あ? だってお前からだ弱いんだろ。木登りもしたことねーとか言ってたし。徒歩の旅んときとかすぐ疲れてたし、こんな暑いとこじゃ体力食うだろ」

「ルーク……イオンを気にかけるなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃねーかお前……」

「グレン、お前さ。俺を鬼畜だとでも思ってねぇ?」

「いーや。そうだなぁ、お前目を見張るくらい不器用なだけで案外真っ直ぐで優しいやつだもんなぁ」


 にやり。グレンは人が悪そうに笑って、けれど声だけはやたらに嬉しそうに呟く。その言葉を聞いた瞬間ルークは一気に顔を引きつらせ、けれど顔を赤くしてしどろもどろになってしまった。


「どぁ、だだだ、誰が優しいってんだ! キモイこというなよな!」


 必死だった。ルークはなんだかとても必死に言い張っていた。口元のニヤニヤはおさまらないまま、グレンの目は生暖かい目になる。イオンは、彼らしく澄んだ緑の瞳を嬉しそうに緩ませていたが、二人の後ろでじーっとルークを見ているティアだのガイだのアニスだの、ほとんどがグレンと同じような目をしていた。


「分かりやすいなぁ……な、イオン」

「そうですね。僕もルークは優しいひとだと思いますよ」

「うるせーーーー!」


 坊ちゃんオーバードライヴ。ほめられることに慣れていないルークは大噴火を起こし、くるりと背を向け町の方へとずんずんと歩き出す。「なんだよー、本当のこと言ってみただけだろ」とか「お前誉められ下手だよなぁ」とか「おいおいいい加減に無視はやめてくれよ寂しいだろ」とか。色々聞こえてきたけどルークは振り返りもせずにスルーする。一生懸命ガイが宥めるようなことを言っているが、その返答もどこかぞんざいだ。
 それでもグレンは言っている言葉のわりには落ち込んではいないようで、むしろ上機嫌そうに見えた。そんな彼を疑問に思って、ティアが口を開く。


「随分上機嫌なのね。ルークは一度怒ったらなかなか機嫌が直らないんじゃないの?」

「うん? だいじょぶダイジョーブ。あれな、ちょっと緩んじゃう口元見られたくなくて振り返ってないだけだから」

「え。何でグレンってばそんなこと言い切れるわけ」

「ふっふっふ。それは秘密さ、タトリン奏長」

「えぇ~。ぶーぶーぶー、ケチ!」

「ま、嘘だと思うならあいつに声かけてみれば、響長。返答はぞんざいだろうけど声はそのまま嬉しそうなはずだから」

「ほほう、そうですか。では早速」

「マテ、大佐。アンタは駄目。本気でルーク怒らせるから却下。ここにいろ! イオン、確保だ! お前も軍服の裾でも握っとけ」

「え? あ、はい! 失礼します、ジェイド」

「…………」「…………」「…………」

「えっと……親子? カルガモ?」

「アニ~ス、笑えすぎて腹筋が痛くなるような冗談はよしてください。ね」

「(あ、やべ、つい素で言っちゃった)きゃわーん、大佐ぁ……えーっと、あれ? 目が……目がマジやばですって、は、はははは……冗談ですよぉ」

「ええ、分かってますよ? おやおや顔が真っ青ですねアニス、どうしたんですか? ふふふふふふ……」


 夏でも涼しくなりそうなオーラを撒き散らす背後をティアは溜息ひとつでスルーして、グレンの言っていたことを確かめようと少し歩を早める。会話に入るでもなく、ふとルークの左隣を並んで歩くように入る。それに首を傾げたのはルークの右隣を歩いていたガイで、どうしたんだと問う彼に後ろ、とだけ答えた。ガイは振り返り、納得したように頷く。


「え……あー、なるほど。どうしたんだ、あれ」

「さあ。いくらなんでも十代半ばのひとと親子扱いされるのは、流石に納得いかなかったんじゃないかしら」

「うーん。でも確かにアレは……カルガモ? おいルーク、ちょっと見てみろよ。なかなかお目にかかれるようなもんじゃないぜ」

「ああ?」


 振り向けば、ジェイドの蝉の羽のような青い軍服をイオンとグレンがそれぞれ右と左から掴んでいる。いつもの彼なら即座に放してくださいと一言でぴしゃりと納めたのだろうが、ちゃっかりイオンにも掴まれたせいでグレンへの発言がイオンへも行くということを慮って言えなかったのだろう。
 微妙な顔をして眼鏡を直していた。その両後ろにグレンとイオン、どこか顔色を悪くしたアニスがこそこそとイオンの背に隠れるようにして歩いていた。

 けけけと笑っているグレンが何事かをいい、それに対してジェイドは表情も変えずにサラリと答え、その返答にむっとした顔のグレンはしぶい顔をする。どうやら流石のグレンもまだジェイドには敵わないらしい。むしろ逆に何事かを言われてグレンは顔を引きつらせ、それをとりなすようにイオンが声をかけていて、同意を求められたらしいアニスは先ほどよりは顔色をよくしてイオンの言葉に頷いている。
 そして、やはりジェイドの軍服はつかまれたままだった。

 グレンも本当に体調も悪くなさそうだし、ここから見てもイオンの顔色も良いようだ。ふっと小さく笑うような柔らかな息が零れたのだが、ルーク自身はそれに気づかない。
 ガイとティアがちょっと目を見張るような表情をしたのにも気づかず、少しだけ歩く早さを落とし、へっと鼻で笑うような動作をしてふてぶてしい表情をする。


「なんだぁ、ジェイドのヤツ。見せもんみたいなことになって。へへん、ザマーミロ、ってか」

「おいルーク、旦那に聞かれたらどんな目に遭うか解らないようなことは言うなって」

「っへ、今のあいつには聞こえねーだろ、どーせ。しっかし……」


 キョロキョロと辺りを見回しずっと続く店を見て、感心半分呆れ半分の声をあげた。


「本っ当に、どうにもごちゃごちゃしてる町だなー」

「まあな、世界中から物が集まるって言われてるからな。マルクトからキムラスカへ輸出される農作物や薬草は、必ずケセドニアの領事館で監査を受けるんだよ。当然、キムラスカからマルクトへ輸出されるときも同じ手続きをしてるんだけどな」

「あなたが口にしているものの殆どは、こうしてバチカルへ流通しているのよ」

「へぇー。随分長いたびをしてきてるんだな」

「ま、それは俺達も同じだけどな」

「オイオイ、俺達は野菜かよ……っと!」


 不意にどんと前から人がぶつかってきて、ルークはそうではなかったが相手は女だったせいかよろめいていた。赤みの強い髪色の、海賊の帽子のようなものを被った女だ。咄嗟に腕をつかんで、転げそうになさそうだったのでさっさと放す。


「あらん、ごめんなさいね。前をよくみていなかったものでね」

「ちゃんと前くらい見れっての、ったく。俺みたいなのじゃなくて餓鬼にでもぶつかったらどーすんだ?」

「ああ、そうだね。気をつけるよ。じゃ……」

「待ちなさい」


 そのまま歩いていこうとしたその女の進行方向を、静かにティアが止める。


「……盗ったものを返しなさい」

「へ……あぁ?! 財布がねぇ!」


 ばたばたと自分の体を叩きまくりながら確認しているルークを見た後、ティアをみて女はつまらなそうに溜息をついた。


「はん……ぼんくらばかりじゃなかったか。ヨーク、後は任せた! ずらかるよウルシー!」


 そう言って、女は財布を近くに居た仲間に渡したのだが、その後は、もはや鮮やかというばかりだ。財布を持って逃げようとした男にもティアは慌てず騒がず、男の足もとにナイフを投げつけ男をこけさせ、すばやく近付きナイフを突きつける。逃げられなくなった男は大人しく財布を返し、ナイフがどけられると大慌てで逃げ出し仲間のもとへと走って行った。

 そして何故か民家の上に登って偉そうに自己紹介をしていたのだが、それを聞いてルークは思いきり悔しそうに憤慨していた。ティアが小さく笑いながら何事かをいい、ルークはむっとして口を噤んでいる。そして、不機嫌そうな顔をしながら、財布を受け取るときにティアにぼそりと何かを言っていた。
 グレンの場所からは辛うじてひどく小さく聞き取れただけなのだが、まさか。あれはまさか! しかし見てみればティアは呆気にとられた表情をしていて、ルークは口をへの字にして不機嫌そうなままで、その背後でガイは驚愕のあまり面白い顔をしていた。

 と、言うことはまさか幻聴ではなかったのだろうか。あのルークが「さんきゅ、」と言ったとは!

 いかん、宴だ! といわんばかりにジーンとしていたグレンの様子をみて、イオンには首を傾げられてアニスには変なものを見る目で見られたが……気にするものか! ついついジェイドの軍服から手を離して、両手で拳を握ってふるふると感動に打ちひしがれてしまう。


「随分と喜んでいますね」

「そりゃあ……あのルークがお礼言えるとか……喜ぶってもんだろ」

「そうですね、エンゲーブのときからだけでも随分と変わったものです。……彼がああなるのは、あなたの予定だったんですか?」

「はあ? 何言ってんだよ大佐。俺はただ単にコイツこのままじゃ苦労するだろうなーって思っておせっかい焼いただけだぜ。なんつーか、こう……弟っていたら、こんな感じなのかなーって思っちまったって言うかさー。もー微笑ましいよなー、ほんとさー」

「弟ねぇ」

「ん、何?」

「いえ別に」


 キョトンとした顔をして首を傾げて見せたが、内心は結構必死だった。隠せていると思うのだが、どうだろう。ヴァン師匠のときは『グレン』とあまり接したことの無い人間として隠し通せたのだと思うが、それなりに長い間旅をしているこっちのジェイドは隠せているかどうか。自分がルークだったころ、あの眼鏡は本当は嘘発見器ではないか、と思ったほどの観察眼で見通されていないことを心底祈るしかない。


「まあ、いいでしょう。しかしそろそろ領事館とアスター殿のところへ行くべきでは、イオン様」

「そうですね……そろそろいきましょうか」

「そっか。おーい、ルーク! そろそろ領事館とかへ行くんだとさ!」


 グレンが必死にジェイドに対して上っ面を取り繕っている間にルークたちは少し進んでいて、丁度店先で誰かと話していたようだった。因みにガイはまだ頭を抱えながら小声でぶつぶつ呟いていて、様子が尋常ではない。もっぱら話はティアがしていたようだったのだが……おいガイ、そんなに信じられないのか。
 まあ気持ちは分かるけどさ。


「おーう。おい、行くらしいぞ」

「へ? あ、うん……」


 いつもよりもいくらか気が抜けた、というか少し気を落としているような返事をしてティアも頷く。そしてそのままルークの後ろに歩いて、少しだけ俯いた。何かに謝るように目を閉じて、けれど目を開けたときにはいつもの彼女がいただけだった。




 領事館へ行き、そしてすぐにアスターのところへ行ってグレンがシンクから奪った音譜盤を解析してもらった。やはりその内容はあまりに膨大で、帰ってから読もうということになって。今度こそはと気合を入れたグレンはガイに任せず自分で持つことにした。
 そして確かあの方向からそろそろシンクが、と念入りに気配を探って、さあこい! と思っていたとき。


「危ない!」

「グレン!」

「は?」


 全くの予想外の方向、から。そして咄嗟にガイに庇われて―――思い切り目の前でガイがカースロットにかけられてしまったのだ。


「嘘だろおいいいいいいい!」

「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」



 船へと走りながらも流せるのであれば血の涙を流したい心境になって、グレンは一人土下座をしているつもりで、相棒に心中で語りかける。

 ごめん、エミヤ。俺やっぱり一人だとへたれかもしんない。

 しかし、バチカルだ。問題は、バチカルからなのだ。親善大使。あの任務と、英雄という言葉の甘さと―――始めて誰かに必要だといわれた喜びと。これからだ、ここからだけは、もう、しくじることはできない。何があっても。
 正直、世界の修正というのをなめていたのかもしれない。
 けれど、ここからなのだ。歴史が転げ落ちていくように回り始めるのは。
 奥歯を強くかむ。誰にも悟られぬように一人決意しながら、グレンは船へと乗り込んだ。










[15223] 15(キャツベルト)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:24c78129
Date: 2010/02/04 22:39


――― other side in


大広間。広い空間の中にただ一人だけ座って彼を待っていたピオニーは、響く足音に顔をあげた。そして入ってきた彼を見て、悪戯を練っている時のような顔をしてにやりと笑った。近付いてくる彼―――アーチャーに持っていた書類を渡しながら、これからの予定の確認をする。


「よお、エミヤ。頼まれてたことは大体ぜんぶ手配したぜ? 準備はできた。後はどれから実行するかだが……」

「ならば先に陸艦の手配を。ことを済ませば陸艦はそのまま次のあの町に行ってもらいたい。ダアトには……そうだな、私が直接行こう。途中でオラクル兵に襲われでもしたら目も当てられん。他は……まあおいおいで君の采配に任せよう。私がするよりは修正も効きにくいはずだ。お手並み拝見といこうか。それと、あの件のことだが」

「ああ……まあ、なんに使うかは分からんが、お前なら悪用もしないだろうしな。許そう。……後で基地の一番奥の部屋に行け。装置を組み立てたりで時間がかかるが、まあお前が言ってた日にまでは間に合うだろう」

「そうか。……くれぐれも、信用のできる人間でチームは編成してもらいたいのだが」

「わーかってるさ、安心しろ。俺はこれでもひとを見る目くらいはあるつもりでね。で、あいつ等も言ってたんだが……本当にあんなのでいいのか? もっとでっかいヤツのほうが……」

「いや、むしろアレでいってほしいのだ」

「それには何か意味が?」

「さてね、秘密だ」

「……おいおい、ここまで協力してるってのにまだ信用できないか、俺は」

「違う。むしろ逆だ。私もそれなりに王というものを見てきたが……その中でも君は素晴らしい王の部類に入るだろう。頭が固すぎるでもなく柔軟で、しかし無防備なわけではない。信頼できると言っていい」

「だったら……」

「だからこそ、なのだ」


 そういって、アーチャーは体の向きを変える。書類の礼を言うようにひらひらと手を振り、静かな言葉をポツリと落とす。


「好奇心は猫を殺す。知ってしまえば言い訳は効かないのだよ。既に王の身でさまざまなものを負っているだろう。ここからは、民の命を預かる王の義務の範囲ではない。……負う必要のないものまで負わずともいい」


 ではな、とそれだけを残して大広間から出て行った。




――― other side out






「も、ほんとスンマセン……気づけなくてスンマセン……」

「ぐ、グレン? あのな、大丈夫だって、な? 俺はほら、ぴんぴんしてるからさ」


 ずーん。キャツベルトに乗ったときから、グレンはずっとこの調子だった。ジェイドが音譜盤の解析を確認していた時もルークが一般常識を首を傾げながら聞いてきた時もアニスがティアを疑わしそうな目で見ていたときも
ルークが訳がわからんと喚きだした今まで。そういえば、普通ならここでルークが喚いていたら解説に入るだろう人間が一言も喋ってない様な……と見てみればこれだ。
 落ち込んでいる。それはもう見事に落ち込んでいる。部屋の隅っこのほうへ向かって膝を抱えて落ち込んでいる。


「書類も盗られちまうし……」

「い、一部だろ? 殆どはあったんだから……なあ旦那!」

「そうですね。盗られた情報が何かはわかりませんが、同位体研究の一部であるということだけは確かです」

「庇ってもらって怪我させちまうし……」

「怪我ぁ? いや、俺は怪我なんてしてないけど」

「…………」


 宥めるように笑うガイの顔が見れない。分かっていたのに、防げなかった。自分のバカさ加減に泣きたくなる。熱くなるまぶたを無視しようと俯いた。イメージは甲羅に閉じこもってしまった亀だ。
 そんなグレンの様子を見て、ルークの目が半眼になる。ガタリと無言で立ち上がった彼に周囲の視線が集中するが、それに気を配るでもない。そのまま何も言わずに背中を丸めるグレンの背後に立ち―――がつん、と思い切り背中に蹴りを入れた。


「ぐふぁ!」

「おい、ルーク?!」「ルーク!」「ルーク様?!」「おや」


 見ていた周りがギョッとしたような顔をしているが、蹴られた本人は結構痛かったのか背中を押さえてふるふる震えている。何度か深呼吸をして痛みを堪えたのだろう、グレンはすごい勢いでルークのほうへ振り返った。


「……っの、痛えっつーの! マジで痛いなおい! 何すんだルーク!」

「うっせぇ! もう過ぎちまったことにうだうだうだうだ言ってんじゃねえよ、うっとーしいな!」


 振り返ってくわっと主張すれば、がおうと吼え返された。え、誰これ。俺ってこんな顔して怒れたっけ。グレンがついそう思ってしまうくらいの表情だった。背後に虎でも見えてきそうなそのあまりの剣幕に、思わずグレンも顔が引きつる。


「ル、ルーク?」

「お前がぐじぐじしてんのは気に食わねえんだよ、俺が! 見てて苛苛するからやめろよ馬鹿!」

「おまえ言ってることめちゃくちゃ…」

「グレンは、いつも無駄に自信満々でへらへらしてりゃ良いんだ!」

「……なんじゃそりゃ」

「無駄に落ち着いてて、俺に知らねーこと馬鹿丁寧に教えて、妙に大人みたいなこと言うくせにそれでも時々は俺よりも餓鬼みたいに遊びまわって、イオンも巻き込んで、グレンはいつもそうしてりゃ良いんだ! いつまでも暗くなってんじゃねーよこのバーカ!」


 散々罵倒して少しは鬱憤が晴れたのか、ふんと顔を逸らして「外の空気を吸ってくる」といって部屋から出て行ってしまった。しばらくの間みんなと共にぽかーんとしていたグレンだったが、やがてくく、と小さく笑いはじめる。がりがりと頭をかきながら、声をあげて笑い始めた。


「ははは! ったく、本当に不器用なヤツだなぁ、ルークは」


 笑いながら立ち上がったグレンは、もういつものグレンだ。口元に緩い感じの笑みを浮かべてガイの肩を軽く叩き、「庇ってもらって助かったぜ」と言ってきたのでガイはああと頷く。本当はグレンとしてはもう今ここでカースロットを解いてもらいたかったのだが、まだカースロットが発動していない状況でそれを指摘してはジェイドあたりに怪しまれてしまう。
 やはりテオルの森でか、と溜息をつきそうになるがそれは綺麗に押さえ込む。船室から出る扉を開けて、みんなに向かって手をひらひらと振った。


「…………んじゃ、ちょっくら宥めに行ってくる」






 甲板に出る途中の廊下。腕組みをしながら睨みつけるように海と空を眺める赤い髪を見つけて、グレンは声をかけた。


「ルーク!」

「…………」

「やー、見つけた見つけた。さっきは悪かったな。確かにいつまでもぐずぐず落ち込んでても何にもなんねーよ。……ありがとな」

「…………ふん」

「しっかし、ルーク……お前慰め方が壊滅的に下手だなー。解るやつならいいけど、解らないヤツならただ罵倒されてるようにしか聞こえなかったぞ、さっきの」

「っへ。どーせグレンは俺が言わなくても解ってるんだろ」

「ん? まあな。ルークは不器用だって知ってるからなぁ」

「………………」


 礼を言うようにぽんぽんと背中を軽く叩くグレンをじろっと横目で見やって、すぐにそらす。視線は窓へ。窓越しに見える青い海。それをぼんやりと眺めながら、ルークはポツリと聞いてきた。


「……グレンはさ」

「ん?」

「グレンは、どうして俺のこと解ってくれるんだ?」

「どうした、急に」

「俺、俺のこと解ってくれるのってずっとヴァン師匠だけだと思ってた」


 その言葉に、ああそうだなとグレンは内心で頷いていた。
 そうだな。そう思ってた。世界で一人だけだと思ってた。でもな、ルーク。そうじゃないんだよ。そうじゃない。解ってくれるのは、一人だけじゃない。

 必死になって、がむしゃらになって、みっともないとこばかりでも見捨てずにずっと見ててくれた人。
 前に進めると信じて待ってくれていた人。
 もう一人の幼馴染だと言ってくれた人、落ち込んだときに背中を叩いて励ましてくれた人、いつも後手に回ってしまう旅の中で、それでも常に解決策を指し示してくれた人。
 いつもいつも優しいといってくれた人、また遊ぼうねと無邪気に笑っていた人、命を懸けて背中を押してくれた人達も。
 何人も何人もいる。俺にだってできたんだ。俺よりも随分マシなお前なら、きっともっとできるはずだ。解ってくれた人、解ろうとしてくれる人、生きていればこれからも何人だって増えていく。


「なあ、ルーク。世界ってさ、結構広いんだぜ」

「……知ってる、それくらい」

「そうだな。でもさ、本当に広いんだ。お前の世界は今までバチカルのあの屋敷の中だけだったから、ヴァン謡将しかいなかったんだよ。世界にはきっと、まだまだたくさんいるぜ? お前を解ってくれる人ってのはさ。お前が会ってないだけで、気づいていないだけで、きっといる」

「……そう言うもんなのか?」

「ああ、そーゆーもんだよ。でもな、ルーク。解ってほしい、だけじゃ駄目なんだよ。解ってほしいなら、相手のことをわかろうとしなければいけない。そう言う気持ちで相手と接して、相手も同じ気持ちになってくれてはじめて『解って』くれるんだ。理解しあう、ってのはそう言うのじゃないのかな」

「俺には難しすぎるっつーの……」

「ははは、まあお前って結構不器用だからなぁ」


 笑って、もう半分癖になっているようにぐりぐりと頭をなでる。エミヤに頭を撫でられて嬉しかったからか、どうやらその時から癖になってしまったようだ。


「でもさ、俺はお前のそういうお前らしいとこ、結構気に入ってるんだぜ。そりゃあ、ちょっとコミュニケーションレベルが低いところは努力するとして。……でも、本質的にはルークはルークのままでいいよ」

「……んだよ、それ。俺に変われって言ってるのか変わらなくていいって言ってんのか、わけわかんねえよ」

「んー……だからさー、円滑なコミュニケーションを結べるようになって欲しいけど、不器用な優しいルークのままでいて欲しいって言うかさー」

「だから……ん? なんだ、兵が走って……」

「報告いたします!」


 しばらく同じことの言い合いになりそうだったとき、がしゃがしゃと鎧が擦れる音がしてキムラスカの兵がこちらにやってきた。息を切らしながら臣下の礼をとり、早口でまくし立てる。


「ケセドニア方面から多数の魔物と……正体不明の譜業反応が!」


 その声が終わったと同時、グレンは窓にかじりつく。視認できる距離に見える点を確認し、舌打ちをすると同時にルークに口早に伝える。


「ルーク、この廊下は俺が防ぐ! お前はすぐみんなを呼んできてくれ!」

「解った! ……またへまして怪我すんじゃねーぞ、グレン!」

「はいはい解ってるよ! ……伝令兵、ここの兵力は?」

「は、連絡線ですのでさほどは……要人護衛とはいえせいぜいが20人くらいです」

「……ったく、そんなんであの魔物の量さばけねーだろ。ルークとイオンは俺たちが護るから、下手に出てくるなっていっとけ! 自分の身は自分で護れってな!」

「ですが、我々はキムラスカ兵で……!」

「だああああ、命が一番だっつーの! 俺らが告げ口しなきゃいーんだろーが、ぶっちゃけ足手まといだって言ってんだ! 俺これでも色々といっぱいいっぱいなんだよ! 助けてやれねーから自分の身は頼むから自分で護ってくれよ! 解ったらさっさと行け!」

「は、はい!」


 ばたばたと走っていく後姿を見やってほっと息を吐く。優先順位以下を、もう命をかけては護れない。やらなければならないことがあるから、それまでは何があっても死ねないのだ。それでも死んでほしくないと思ったら、自分の身は自分で護ってもらうまでだ。

 左手に剣を握る。前衛は魔物。とは言え狭い船の廊下は飛行の魔物には向かないので、恐らく後衛のオラクル兵が出てくるのだろう。しばらくすれば予想通り、雄たけびを上げながら突撃してくる人間を見て、グレンは苦々しく顔を歪める。


「悪いな、」


 一人。心臓部分を深く突く。次の一人は袈裟切りに、次の一人は顔面を鎧ごと。
 手際よく捌かれた仲間をみて、オラクル兵も流石に一瞬躊躇する。そんな彼らに、グレンは一言宣言した。


「切り捨てるぜ」


 イオンがいたら、きっと泣きそうだと評した表情で。







 しばらく廊下で奮戦していれば、背後から足音。加勢に放たれる譜術でいくぶん楽になる。血まみれの死体が並ぶところだというのにイオンとルークまできていたことにグレンは厳しい表情をしたのだが、タルタロスのときのようにいきなり船室の窓をぶち破って兵がなだれ込む、という可能性も考慮して、二人を連れてきたようだ。
 そういわれてしまっては、文句も言えない。


「ルーク、ムリすんなよ」

「……っ、平気だっつーの」

「青い顔して言えたセリフじゃねーが……まあいい。ここに来ないってことは、総大将は上だろう。とっとと終わらせるに限る」

「……でもー、どうしてオラクル兵が襲ってくるの?」


 軽く走りながら、ほとほと疲れたような声でアニスがぼやく。タルタロスにしろセントビナー封鎖にしろフーブラス川にカイツール、コーラル城。延々と続くオラクルとの追いかけっこにいい加減うんざりしているようだ。
 そのボヤキに少し考えて返したのはティアだった。


「海上で襲われたら逃げ場がないわ。もしかしたら、敵の狙いはそこだったのかも知れないわね」


 聞けば、なるほど、と納得してしまいそうな答えではあった。けれどそれをきっぱりと否定したのがジェイドだ。


「いえ……ただ無計画なだけでしょう」

「はれ? 大佐、何だかやたらにテンション低くないですか?」

「気のせいですよ。それこそ面倒なことになる前にブリッジに急ぎましょう」


 そうやってアニスの問いを軽く流しながら、ジェイドはこっそり一人でものすごく嫌そうに呟く。


「この一見計画性のありそうな、そのくせ、胡散臭い襲撃……。私の予感が的中しなければいいのですが……」


 魔物を蹴散らしながら船尾へ出て、辺りを見ても指揮官らしき人物は誰もいない。キョロキョロと辺りを見回していれば、突然ご機嫌な哄笑が空から聞こえてきた。
 一斉に空を見上げる。そこには、血色の悪そうな色素の薄い髪の男が空飛ぶいすに乗って大笑いしていた。はっきり言って、あまり関わり合いになりたくないタイプの人間だ。
 子どもがいたら視線を合わせちゃいけません、と親に言われるだろう感じのタイプ。怪しさが爆発だ。


「ハーッハッハッハッハッ! ハーッハッハッハッハッ! 野蛮な猿ども、とくと聞くがいい。美しき我が名を。我こそはオラクル六神将、薔薇の……」

「おや、洟垂れディストじゃないですか」

「薔薇! バ・ラ! 薔薇のディスト様だ!」

「死神ディストでしょ」

「だまらっしゃい! そんな二つ名、認めるかぁ! 薔薇だ、バラぁっ!」


 ジェイドの紹介と、アニスの訂正になんだか強気で抗議している。手足をじたばたさせてうっかり椅子から転げ落ちそうになって慌てて体勢を整えて……ああ、必死と言ってもいい。なんだか緊張感が微妙に抜けてしまって、ルークはどういうことだ、と軍人おっきいのとちっさいのに声をかけた。


「何だよ、知り合いか?」

「私は同じオラクル騎士団だから……。でも大佐は……?」

「そこの陰険ジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」


 アニス問いに、突然ディストの妙な動きが止まった。おもむろに足を組み椅子に腕を置き、やたらめったら自慢げにそう答えた。微妙に嬉しそうに答えてたのは気のせいか? なんて物好きな。
 そしてそれに対するジェイドの答えがと言うと、


「どこのジェイドですか? そんな物好きは」

「なんですって!?」

「ほらほら、怒るとまた鼻水がでますよ」

「キィーーーー! 出ませんよ!」


 二人でコントを繰り広げている様子……とうか一方的にジェイドがディストをいじくっている様子をみて、ルークは半眼になったり呆れたりだ。間違いない、ディスト。お前のほうが物好きだ。マゾか。


「あほらし……」

「こういうのを、おいてきぼりって言うんだな……」

「つーかさ、ディストの椅子って何で浮いてんの。とかは誰もつっこまないんだな」

「…………まぁいいでしょう。さあ、音譜盤のデータを出しなさい!」


 ガイと一緒に溜息をついた後ろでグレンのぼやくような言葉が聞こえた気がするが、まあそれはおいといて。流石にこのままでは埒が明かないと思ったのか、ディストはぜーはー深呼吸をしながら手を差し出した。
 とんでもなく偉そうな動作だが、なんと言うか……いろいろ今更だった。
 そんなディストにジェイドはごくごく普通に「これですか?」などといって見せる。それを見て、隙あり、とばかりに椅子が急降下してジェイドの手からデータを奪っていく。皆がしまった、と言う顔をしているからかディストはご満悦そうだったのだが。


「ハハハッ! 油断しましたねジェイド!」

「差し上げますよ。その書類の内容は、すべて覚えましたから」


 敵味方問わず、思わず一斉にジェイドのほうを見る。解っていたが、エミヤはエミヤで人外だがコイツも結構人外だ。


「! ムキーーーー!! 猿が私を小馬鹿にして! このスーパーウルトラゴージャスな技をくらって後悔するがいい!」

「あ、大佐。譜術でこの床一体を水浸しにしてくれね?」

「は? 何のつもりか知りませんが……荒れ狂う流れよ!」

「いでよ、カイザーディストR!」


 ディストの声に呼応するかのように降ってきた大型の譜業。ガイがちょっと目を輝かせたことは見なかったことにして、ルークたちは戦闘体勢を取る。
 そしてカイザーディストRが唸りを上げて突撃しようとした時!

 つるん、と。

 その後に続くのはガシャンガリガリガリガリばちばち……がががドカン! だった。音だけであらわすなら。
 まず、Rが突撃をしようとして、足の裏のローラーを回したのだが、ご丁寧にグレンの申し出どおりにこれでもかというくらい水浸しだった床の上でコントのようにすっ転んだのだ。そして不運なことに横倒しになった勢いでドリルが跳ね返り自分の装甲に思い切りダイビングし、あっと言う間に突き抜けた。さすがだ、カイザーディストR。ドリルの威力も最高級。矛盾の成り立ちは成立せず矛が勝ったらしい。皮肉すぎる。
 そしてばちばち、と怪しげな音を立てて小さな煙と放電をして、それを見たジェイドはいい笑顔で更に譜術をぶっ放し……結果は。

 海上に呼んだというのに耐水加工零といううっかりで見事芸術的に爆発しました。
 ついでにその爆破がディストを巻き込むように譜術をぶっぱなしていたのはジェイドだったりします。


「うわぁ……」「流石にカワイソー……」「えげつなー……」「…………まあ、こちらの被害は少ない方法だけど」「ディスト、大丈夫でしょうか……」


 後ろのぼやきもなんのその、ジェイドとグレンはこのときばかりはいい笑顔でお互いを称えていた。流石だぜ大佐、いい譜術だ。いいえ、あなたも面白い倒し方を考えてくれたものです。目で会話をしている。エミヤとジェイドの相性は最悪だったが、グレンとはそこまで最悪と言う訳ではないらしい。すくなくともディストの不憫な倒し方、と言う点については。
 因みにグレン的には切り捨てられるよりは良いだろ。立ち塞がるなら砕くまで! ということらしい。コーラル城のことは結構根に持っているようだ。

 一応イオンの心配にジェイドが答えていたのだが、その回答が「殺して死ぬような男ではありませんよ。ゴキブリ並みの生命力ですから」とのこと。本気でディストがかわいそうに見えてくるのは何故だろう。


「さて、私はブリッジを見てきます」

「俺も行こう。残りのみんなはルークとイオンのお守りを頼む」

「あれ? ガイってば、もしかして私たちが怖いのかな?」


 悪戯っ子なにんまりとした笑みを浮かべながら近寄ってくるアニスに、散々トラウマじみたものが積もっているのかガイは一気に顔色を悪くする。


「ち、ちがうぞ! 違うからなっ!」


 声がひっくり返ってるよ、というつっこみはしないのが慈悲というものだ。そのまま逃げていくガイを見送って、ルークはガリガリと頭をかいた。


「じゃ、カイツールみたいに怪我人いたらティアのとこへつれてけばいいのか?」

「ああ、とりあえずはそんな感じだろーよ。多分殆どはブリッジにいるだろうが、真面目なのが出てたらなぁ……俺はあっち行くからルークはそっち頼む」

「へーいへい。ったく……バチカルまであと少しだってのにハランバンジョーだぜ」


 面倒くさそうにぼやくルークだったが、ふと気づけばグレンがなにやら嬉しそうににやにやしているではないか。微妙に引き気味になる。


「おい……なんだよ」

「いや…誰かが言う前にちゃんと自分で考えることが板についてきたなーってな。嬉しくてさぁ」

「な、こ……この前と同じ状況だったら流石にわかるっつーの! 俺を馬鹿にすんじゃねえ!」

「いやー、昔の俺は普通に考え無しに誰かに何すれば良いんだ、って聞くだけだったからさー。それにくらべるとやっぱりルークはすごいよ。うん、それが嬉しいんだ」

「…馬鹿いってんじゃねえよ。俺もう行くからな!」


 三十六計逃げるに如かず。重度の照れ屋なルークは逃げるように走っていく。その後姿を見送ってクツクツと笑いながら、空を見上げた。
 セントビナーでも見上げた青い空。ずっと遠くに見える音譜帯。白い雲。


「バチカルまでもう少し、か……」


 本当に小声で呟かれた彼の言葉に微かに混じっていた憂鬱そうな響きは、誰にも届かず消えていく。




[15223] 16(バチカル)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:24c78129
Date: 2010/01/25 23:56



 赤ばかり。(嫌な色だ)
 皆が動かない。(皆ってだれだよ)
 駆け寄りたいのに動けない。(どうして動けないんだ)
 心に満ちているのは絶望。(こんな気持ち、俺は知らない)


―――砂嵐がひどくなる。ざあざあと嫌な耳鳴りが


 始まる崩落。(地面が割れる?)
 落ちていく。(どこへ?)
 どれだけ手を伸ばしても。(届かない? 何に?)


―――視界が。黒い滲みに侵食される。砂嵐はハウリング現象を起こしたように反響して頭が痛い。音が、聞こえなくなって


 喉の痛みを無視して叫ぶ。(泣いてるんだろうか)
 笑う赤い瞳。(恐い)
 振り下ろされる刃。(目が焼ける)


―――白い光に呑まれて消えた














 突然船室の扉が殴り飛ばすような勢いで開かれた。他愛もない話をしていた人たちが驚いた様な顔をしてその突然の闖入者に視線を向ける。そこには、どこか呆然とした風に突っ立っていた赤い髪の王族殿。
 バチカルにつくまでちょっと休んでる、と言ったグレンと同じく、グレンがいないなら昼寝でもしてると言い出して寝ていたはずなのに、一体どうしたのか。彼はどこかふらふらとした足取りで部屋の中へ入ってきた。


「ルーク、どうかしたの?」


 ふらふらとしながらも、なぜか真っ直ぐこちらに歩いてくるルークにティアは軽く首を傾げるが、彼は何も答えない。どうにも様子が変だ。いつもは傲慢なまでの輝きを宿している緑の瞳は茫漠としていて、どこか弱弱しい。顔色も悪いように見える。これは尋常ではない。ティアが怪訝そうに眉を寄せ、ガイが不審そうにルークの名を呼ぼうとした時。
 がしり、とティアの両肩をルークが掴む。え、と思わず目を丸くする彼女の顔を覗き込むようにルークは体をかがめ、そして突然がくんがくんと彼女の肩を前後に揺すりだしたのだ。

 突然の坊ちゃんご乱心に一同は目が点だ。


「ちょ、ルー、なに、やっ…………ああもう!」

「おいおいおいおいおいおいおい、ちょっと待てルーク! 何してんだお前?!」


 いかん、このままじゃコイツ殴られる! 真っ先に正気に戻ったガイはそんな確信のもと、大慌てでルークの肩に手を置いた。その瞬間、ルークは今まで散々脳味噌シェイクを食らわせていたティアのことなど放ってくるりと体の向きを変え、今度はガイの両頬に向かって手を伸ばし、


「…………痛た! おーい、ルーク? 何や……痛! おい!」


 みょーんと引っ張って伸ばし始めた。訳が解らない奇行だ。そして彼の奇行はこれだけではなかった。しばらく皆の無言の注目の中みょんみょんとガイの頬を引っ張っていたかと思えば、今度はジェイドのほうに近付き無言でぽすりと軽く一発拳を入れるし、イオンの方へと歩いていたルークの前に咄嗟に出たアニスはぐるぐる回されるし、全く以って訳が解らない。
 終始無言で奇行を行った彼はやがて満足したのかずるずると壁伝いにへたり込んだ。


「…………ゆめ?」


 ポツリと小さく呟かれた言葉を耳ざとく拾ったイオンが、少し考えこむ。そして一応止めようとするアニスに大丈夫ですよと笑いかけ、ひょこりと体を屈めてへたれ込んでいるルークと視線を合わせ、口を開いた。


「ルーク、どうしたんですか。嫌な夢でも見たんですか?」

「…あ?」


 イオンの言葉にルークの緑の目に光が灯る。やっと正気が戻ってきたらしいルークはキョトンとしていたが、あれ、と呟き辺りをくるりと見回して、なにやらポカンとした顔で、


「……俺、なんであんなことやったんだ?」


 などと、とんでもないことを仰った。冗談かと思ったが、真面目に本気らしい。自分がやったことを覚えているのに、本当にどうしてあんなことをやったのか自分でも解らないといった顔をしていた。
 どうしたと言うのだろう、ファブレ公爵の息子には別に夢遊病の気はなかったように思うのだが。そんなことを思いながらも、今はもういつものルークだということに少しほっとして、ガイは苦笑しながらぼやく。


「いや、それはむしろ俺らが聞きたいんだが」

「大丈夫ですかぁ、ルーク様ー」

「夢、と言っていましたね。何か変な夢でも?」


 ジェイドの言葉にルークはしばし考え込み、思い切り眉間にしわを寄せ、半分唸り声混じりに答えた。


「夢……そうだ、なんか嫌な夢見たんだ」

「嫌な夢……ですか?」

「ああ。っかしいな……妙にハッキリした夢だったのに、もう何にも思い出せねーや」


 本気で訳が解らなさそうにがりがりと頭をかいて、ルークは首を傾げる。




「……誰の夢を見てたんだっけ…?」













 船がバチカルの港に入る。ゴールドバーグとセシル少将の出迎えを受けて、それぞれが自己紹介をしていく段になってグレンはしまったと思った。
 マルクト皇帝の懐刀、ローレライ教団の導師、その守護役、大詠師直属の情報部旗下、そして坊ちゃんはこの国の王族。よくよく考えてみたら実はこいつら結構すごい顔ぶれだ。そのなかでぽつんとただの旅人です、とくればこれはもう……目立つじゃねえか! いやまてよ、一応ガイはまだマルクト貴族だって気づかれてないんだから大丈夫、か?
 もんもんと考え込み、一人だけ黙って自己紹介をしようとしないグレンをゴールドバーグが目に留め、その髪の色をみて怪訝そうに目を細めた。ああもう目ざといな、気付いてくれなければいいのに。


「……ルーク殿、そちらのお方は?」

「ああ、コイツか? 旅先であった俺のダチ」

「は……?」


 ルーク! それ答えになってないって! ついうっかりびしっとつっこみを入れたくなったが、キムラスカの首都バチカルで、何のバックも持たないただの旅人状態が、よりにもよってキムラスカの将軍二人の前でそんなマネをしたら確実に不敬罪に問われるだろう。
 こういうときはどうするんだっけ。ああ、大概は礼を取られる側だったからどうすれば良いかなんてよく分からん。しかたなしに、連絡線でみたキムラスカ兵の伝令の時の礼を思い出し片膝をつく。変な動きになっていないかとグレンは結構どきどきだったのだが、実はなかなか流麗な礼の動作だった。
 その流麗さに将軍は少し目を大きくするが、頭を俯きがちにたれているグレンは気づかない。


「私は旅先でルーク殿と会い、バチカルまでの護衛を頼まれた雇われの護衛です。わざわざ閣下のお耳に入れるほどのことではないと思い黙っておりましたが、私の名はグレンと申します。どうぞお見知りおきを」

「さようですか……失礼ですが、出身を聞いても……?」

「ご安心を。たしかによく似た目と髪の色ですが、偶然です。私はマルクトの生まれですので」


 探るように声をかけてくる将軍に小さく笑いを溢して、安心させるために相手の目を見て話した。ああしかしどうしようかエミヤ、俺お前とあってから相手の目を見て嘘をつけるようになっちまったよ。
 ジェイドあたりに見られたらにやにやした顔で笑われるだろうなぁ。人間日々進歩、頑張りやですねぇとか。ティアは、うーん……誉めるに誉められなくて困った顔でもしそうだ。アニスは面白がってガイは苦笑してナタリアだったら……逆に怒られそうだな。嘘がつけない王族って致命的なのに。良いことなのか悪いことなのか……まあナタリアみたいな生き方なら誠実って点では敵国だろうが信用はしてくれるだろうし、信用ってのが国には大事だからやぱナタリアの怒りもあながち間違いでは……いやでも嘘をつかない、じゃなくて嘘をつけない、っていうのはどうだろう。難しいな。
 心中で複雑な思いを抱きながらも出された彼の解答に、己が問いたかったことを察せられたと解ったのだろう。ゴールドバーグはグレンの目をしばし見て小さく頷き「そうですか」と言った後はそれ以上の追及は諦めてくれた。


「ではルーク様は私どもバチカル守備隊とご自宅へ……」

「待ってくれ! 俺はイオンから叔父上への取次ぎを頼まれたんだ。俺が城へ連れて行く!」

「ありがとうございます、心強いです」

「ルーク、見直したわ。あなたも自分の責任をきちんと理解しているのね」

「うぐ……うん、まあ……」


 イオンの礼とティアの言葉に、なんとも言えない声をあげるルークの心境をしっかり知っているグレンとしては、少し溜息をつきたい所だったのだが。まあ、ある意味仕方ないとも言える。ルークの頭の中にはヴァンを疑うということ自体が生まれないのだから。
 できることならアクゼリュスも降下でどうにかしたいのだが……どうしたものか。せめてエミヤがいれば魔術とやらの暗示の重ね掛けなどでどうにかできたかもしれないのだが、今はいないのだから仕方ない。……まあ、暗示の重ねがけという器用な真似などできない、とも言われそうだが。


「承知しました。ならば公爵家への使いをセシル少将に頼みましょう。セシル将軍、行ってくれるな?」

「了解です」

「……ではルーク。案内をお願いします」

「……おう、行くぞ。っつーかさ、グレン。もうあいつら行ったぞ。いつまでその姿勢してるつもりだ?」


 ルークの声にはっとする。相手は去ってしまったというのに、未だに片膝をついて礼をとる体勢だった。立ち上がって、ついていた膝の土を払う。


「いやぁ、とちっちゃやべえと思って緊張してな」

「ふーん……お前が緊張ねぇ」

「まて、ルーク。俺を何だと思ってる?」

「おっしゃ、行くか」

「おいこらルーク! 心なしかお前俺の扱いぞんざいになってねぇ?!」

「っはは! さーてな!」

「あ、まて!」

「あ、ルーク様! ……って、あーあ、行っちゃった」

「やれやれ、お二人はお元気ですねぇ」

「ルーク! 他のお客さんに迷惑ならないように……だめだ、聞こえてねーや」

「本当に子どもなんだから……」

「僕たちも行きましょう」


 賑やかな二人を追って、皆もおいおいで乗り込んだ。丁度人数に達したらしい天空客車の扉ががたんと閉まり、ガラガラと滑車の回る音がする。出だしは少し揺れはするが、登り始めればその揺れは少なくなって安定してきた。流石は風に吹かれても揺れないようにと職人たちが額をつき合わせて悩みながら設計した、といわれる客車なだけはある。
 不動の如く安定し出せば、いくら高いといっても下を見たくなるのは人のさがということで。客車はぐんぐん上にまで張られたロープを登り、そうすれば眼下に広がるのはバチカルの町並みだ。


「……すっごい町! 縦長だよぉ」

「チーグルの森の何倍もあるですの!」


 アニスとミュウが目を輝かせて町並みを眺めている。

 客車の高度が上がれば上がるほど見えてくる、バチカルの雄大さ。光の王都と呼ぶに相応しい大きな町だ。巨大な譜石が落下してできたクレーターにそって作られたため、その町自体の高度が恐ろしいほど高い。高く天に向かって建築されたその頂上には王城がそびえ立ち、そこに行くには昇降機を乗り継ぎせねばならないほどだった。
 高度が上がっていくごとに見える町並みは本当に大きい。それを見ながらも、しかしルークの表情はだんだんとしかめっ面になっていく。


「ちぇ、これがバチカルか……ちっとも帰ってきた気がしねえや」

「そうか……記憶を失ってから外には出てなかったっけな」

「大丈夫。覚えてなくてもこれから知っていけばいいのよ」

「僕もティアの言うとおりだと思いますよ、ルーク」

「これからねぇ……家に帰ったらまたどーせ軟禁生活再びー、ってのに」


 ルークがぼそっと呟いた言葉だったが、恐らくは真実だろう。ジェイド以外はおおむね表情を曇らせてしまったのを見て、慌ててグレンがフォローに入った。


「まーまーまー、拗ねんなって。じゃあさルーク、王城に行く前にちょっとバチカル回ってみねえか?」

「あー、そりゃ行きてーけどさ…………母上が心配してるかもしれねーし、今度かなぁ。さっさと顔見せとかないとなー。でも、その今度がいつになるか分かんねーのがしゃくだけど。あーあ、マジでたりぃ」

「そっか、それじゃあしょうがない……ってか、何気にルークって孝行息子?」

「だっからなんでそーなるんだよッ! 普通だろ!」

「いやいや、照れるな照れるな」

「照れてねーっつの!」


 ぎゃあぎゃあ言い合っているうちにルークは元気が出てきたようで、いつもの彼の調子を取り戻している。やがて客車の動きが止まった。ごうん、という駆動音の後にガシャリと扉が開く。高所だけあって風が強い。上層の方に掲げられた国旗は常に垂れ下がることなく風にはためいている。
 ルークは真っ先に客車から出て伸びをし、なんだかんだいいながらも感心したように町並みを見下ろしていた。びゅうと吹き上がる風に前髪が揺れ、その風の強さに目を細めた。


「分かってたけど、高いなー」

「はは、さすがバチカルってとこ……お? あいつらはもしかして」

「どうしたガイ……って、ああああ! あいつ、もが!」

「静かにしろってルーク。気付かれて無いなら、こっそり近付くまでだ。またスリでもしてるようならとっ捕まえりゃいいんだからよ」


 聞こえた言葉に振り向き、視線を追えばその先にいるのはケセドニアで出くわした三人組。漆黒の翼の三人がオラクル兵と会話していたところを目撃して、思わず声をあげてしまいそうになったルークの口を塞ぎながらひそひそとグレンが囁く。
 グレンの言葉にそりゃそうだな、と納得したルークの顔は悪党を捕まえなければという義務感よりも悪戯っこのような色のほうが強くて、生真面目なティアは眉をひそめているがガイあたりは笑っていた。


「……なるほど。ソイツはあたしらの得意分野だ」

「報酬は弾んでもらうでゲスよ」

「しかしコイツは一大仕事になりますね、ノワール様」

「えーっと……どこに忍び込むんでしたっけ、で、げす」

「まったく、あんたの頭はすっからかんなのかい? 明日、」

「「ノワール様!」」

「おやん?」


 子分二人分の必死そうな声に、今にも説明しだしそうだったノワールの口が止まる。もしかしなくても結構このひとも変なところでアバウトなのかもしれない。グレンはしみじみそう思った。
 対して漆黒の翼の後方辺りで屈んで話を伺っていたグレンとルークをみて、ノワール達の気配がぴんと張り詰める。ノワールがさっと子分二人に目を配るが、二人ともそろって小さく首を振るだけだ。一体どこから聞かれていたのか。それを問うために口を開こうとして、


「ち、ばれたか」

「なあグレン、お前少しは声真似くらいしろよ。ばればれだろ」

「でもあのねーちゃん言いそうだったぜ。それに声真似って言うならルークやってみろよ。あれ結構難しいんだから」

「ええ? えーっと……ゲス、ゲス、弾んでもらうでゲス、なんか違うな。じゃあえーっと、あー、あー、あー……俺たちは漆黒の翼のー……うわ、うまくいかねー」

「なあルーク、きもいぞ、その声」

「なんだとぉ?!」

「き、貴様等! こんなところで何やってんでゲスか!」

「ノワール様……俺の声って、きもいんでしょうか」

「バカなこと言いってんじゃないよ、ヨーク! あんた何真面目にショック受けてんだい!」


 なんだかシリアス雰囲気が馬鹿らしくなる感じの反応だった。
 お前ら何俺の真似してるんでゲス。えーっと真似してるんでゲス……どうだグレン。駄目だな、すぐ分かる。えー? 難しいなぁ。ノワール様正直におっしゃてくれても……。あんた地味にダメージ受けすぎだよ!
 カオスなコントじみたやり取りに、漆黒の翼と話をしていたオラクル兵は内心ほっとする。こんなバカ騒ぎをできるくらいなら、話は聞かれていないだろう。聞かれていたとすれば即座に後ろに控えているあのネクロマンサーにでも言って、自分達を捕まえようとするだろうから。


「で? あんたら、なーに企んでんだ? またスリでもしようってのか? ああ?!」


 声真似をあきらめたらしいルークに不機嫌そうにじろりと睨みつけられ、オラクル兵は慌てて顔を背ける。八つ当たりかよと小さく舌打ちをしたくなったが、その視線の先に小さな導師守護役に護られるようにしてこちらを伺っている導師の姿をみて、内心にやりとしながらここから逃げ出した。


「では頼んだぞ。 失礼いたします、導師イオン!」

「あ、コラお前っ! ったく、逃げ足はえーな。……おい、あんたら何やろうってんだ」

「はん、そんなこと言うわけないだろう。それにしても……」


 ルークを軽く流しながらノワールは個性的な歩きでイオンに近付こうとするのだが、一定の距離でアニスがその進行方向を塞ぐように立つ。その目つきは十年と少ししか生きていない少女にしては強いもので、ノワールは感心するのだがそれを表には出さない。あくまでもにやりと笑いながら、アニスの背後、ジェイドたちに護られるようにされる一人の少年を見る。


「その警戒よう、そちらのおぼっちゃまが導師イオン様かい」

「何の用ですか、おばさん!」

「……つるぺたのおチビは黙っといで」

「なんっ……!」

「楽しみにしといで、坊や達。行くよ!」

「へいっ!」


 憤慨して、ぶるぶると拳を震わせるアニスを無視して漆黒の翼の三人は去っていく。……っていうか、漆黒の翼って分かっててどうして捕まえないんだろう。あれか、ジェイドが捕まえられるのはあくまでもマルクト領内でだけってことか。平時ならともかく今みたいな状況、更にこれから和平の使者としていくって時に確かに敵国領で越権行為は危険だよなぁ。
 それに盗難は現行犯逮捕が原則だ。それで無いならば確実な物的証拠が必要だろうが、盗賊として名を馳せているなら盗品をいつまでも身近にもっているということは無いだろう。マルクトでの盗品をキムラスカにまで持ってきているとは思えない。下手を打って冤罪とでもなってしまっては目も当てられない。何だ、ジェイド。面倒くさいからだけで見逃してたわけじゃなかったのか。
 ふむふむと一人頷いていたグレンだったが、結局漆黒の翼が何をしたかったのかが分からずルークは首を傾げていた。


「何だぁ、あいつら。結局なにするつもりだったんだ?」

「なんなのあいつらぁー……サーカス団みたいな格好して!」


 その言葉の後、ぼそりと呟かれたアニスの黒い言葉にグレンは顔を引きつらせてしまうのだが、その言葉が聞こえていなかったのだろう。どこか記憶をさらうような声で、ガイは今思い出した、とでも言うように溢す。


「そっか、あいつらどことなくサーカス団の『暗闇の夢』に似てるな。昔、一度見たきりだから自信はないが……」

「えー、なんだよ! お前俺に内緒でサーカスなんて見に行ってたのかよ、ずっりー!」

「あ、ああ、悪い悪い……」


 聞き捨てなら無いと噛み付くルークを、ガイはどこか困っているような笑顔で宥める。それを特に気にするでもなく、ジェイドは考え込むような仕草で眼鏡を押し上げた。


「……彼らの言動、気になりますね。妙なことを企んでいそうですが」

「……そうですね。それにイオン様をきにしていたようです、どうかお気をつけて、イオン様」

「はい、わかりました」


 ティアとジェイドの忠告に頷きながら、イオンはルークに王城へ行くことを促した。










 城内には大詠師モースが居るかもしれない。もし彼が本当に戦争を起こしたがっているなら、面倒な髪と目の色を持つ俺は居ないほうがいい。そう言って、グレンは王城には入らず近くの壁に背を預けて待っていることにした。ルークは散々渋っていたが、今のお前なら大丈夫だよと背中をおしたらなんだかやる気になってくれたのが微笑ましかった。
 そろそろ出てくるころかな。そんなことを思いながら、ぼんやりと辺りを見回す。すぐ視界に飛び込むのはルークの家。ファブレ公爵邸が見えて、グレンは苦笑いを浮かべた。どうすればいいのだろう。本当は、まだ少し迷っている。なるべく王に近い人物にこの髪と目の色を見られたくはないのだが……うまくジェイドの後ろにでも隠れれるだろうか。彼も彼でこの色の厄介さを知っているだろうから、何も言わずとも上手く隠してくれるだろう。
 名目を護衛としたからには、それなりの金額が今日中にでも払われるそうだが……というか、ファブレ公爵邸に入るのを躊躇っている自分を見て、ルークがあんなに強く来い来い言うとは思わなかった。
 金のことなら約束は絶対に護る、お前のおかげで助かったって父上にも母上にも知らせる、今日中にちゃんと払うからそれ渡さなきゃだお前もこい! などといわれたときにはぽかんとしたものだが……本当に、ここのルークはわかり辛いけれどいいやつだ。

 右腕を軽く握って、開く。痛覚はいまだない。傷跡も残ったままだが、男なのだし嘆くでもない。触覚はあるし皮膚の冷点も温点もある。ただ痛覚のみが抜けているだけだし、そんなに気に病まなくてもいいものなのだが。

 溜息をついたとき、王城の扉が開いた。そっちの方向を向けば、そこに居るのはやはりというかルーク達だ。


「よ、待たせたな!」

「そーかぁ? 王と謁見するにしては案外早かったと思うが……なあルーク、まさか強引に謁見の間に入っちゃったり……」

「さーあ我が家だ、母上に顔見せなきゃなー」

「……強引に入っちゃったんだな。まあルークらしいというか……」

「ですが、おかげで僕らもピオニー陛下の親書を渡すことができました」

「うあああ、イオン、それ否定してねぇ。むしろ肯定してるじゃねーか!」

「しかたないでしょう、事実なんだから」

「まあ、さすがの身分と言ったところでしたね」

「お前らいちいちうっせーぞ!」


 自分でもいささか強引だとは思っていたのだろう、振り返ってがなった後、罰が悪そうな顔をしてずんずんと進んで行ってしまう。その背を見てグレンは小さく笑い、さっさと駆け寄ってその背を軽くぽんと叩く。


「ま、何はともあれ上手くいったんならオーライってところだろ。お疲れさん、よくやったなルーク」

「…………餓鬼扱いすんなってーの…」

「ええ? どこが餓鬼扱い何だよ。頑張ったやつを労うのって普通だろ?」

「ふん」


 何だかんだ言いつつ口ほど嫌そうな顔をするでもなく、ルークは家の前に立つ白光騎士団に近付く。そうすれば、ルークが声をかけるまでもなくすぐにこちらを見つけ、お帰りをお待ちしておりましたルーク様、と喜びの声をあげた。






[15223] 17
Name: 東西南北◆90e02aed ID:24c78129
Date: 2010/01/27 00:03





「父上! ただいま帰りました」


 玄関を入れば、ファブレ公爵とセシル将軍が出迎えに出てきた。グレンはそれをあらかじめ知っていたので、頭辺りは彼らにとって死角になるように注意し、こそこそとジェイドの後ろあたりに隠れた。どうやらジェイドだけではなくガイもその色の危険さを理解してくれているようで、さり気無く隠すのに協力してくれている。


「悪いな」

「いいさ。俺も戦争が起こらなきゃいいって思ってる一人だしな」


 ぼそぼそと会話を交わしている間、公爵はじっとルークを見ていたが、特に何かを言うではない。一度だけ瞬きをして、報告はセシル少将から受けた、無事で何よりだ、と言っただけだ。お帰りの言葉も無い。普段どおりだと受け止めているルークの心境を思って苦々しい気持ちにもなるが、公爵も公爵なりの苦悩があることを分かっているぶん、グレンは遣る瀬無かった。
 そして、こっそりと体の位置をずらしてさらなる死角へ入る。丁度いいタイミングで、公爵がガイのほうを向き声をかけてくる。


「ガイもご苦労だったな」

「……はっ!」

「使者の方々もご一緒か。お疲れでしょう、どうぞごゆるりと」

「ありがとうございます」


 イオンに目礼を返した後、再び公爵の目はルークに向く。
 しかし今度こそ、と心のどこかで期待するルークへの言葉はない。



「……ところでルーク、ヴァン謡将は?」

「え……師匠? ケセドニアで分かれたよ。後から船で来るって……」


 その言葉に公爵は傍らに控えていたセシル少将をちらりと見て、少将はそれだけで何を命じられたかが分かったようだ。


「ファブレ公爵、私は港に」

「うむ。ヴァンのことは任せた。私は登城する―――キミのおかげでルークが吹きとばされたのだったな」

「……ご迷惑をお掛けしました」


 玄関から出る途中、ティアの脇を通り過ぎようとした公爵は確認するように彼女に声をかけた。その言葉に、ティアは申し訳なさそうな声で謝罪した。彼はティアの方を見ないまま、更に続く質問をする。


「ヴァンの妹だと聞いているが」

「はい」

「ヴァンを暗殺するつもりだったと報告を受けているが、本当はヴァンと共謀していたのではあるまいな」

「……共謀? 意味が分かりませんが……」

「そうか。まあよかろう。行くぞ、セシル少将」


 それ以上はもう何も言わず、公爵は屋敷から出て行く。ルークは一瞬だけ表情を歪め、しかしすぐにいつものふてぶてしい顔に戻ってその背を見送り首を傾げた。


「なんか変だったな、旦那様」

「ヴァン師匠がどうかし……「ルーク!!」げぇ……」


 背後から聞こえた声にルークは嫌そうに呻き、恐る恐る振り返る。そこにはきらきらとまぶしい金色の髪の、


「ナタリア……」

「まあ、何ですのその態度は! 私がどんなに心配していたか!」


 駆け寄ってくる金髪の少女は、耳ざとくルークのうめき声を聞いていたらしく眉根を釣り上げてルークににじり寄ってくる。私、不機嫌ですと全力で主張する態度に微妙に及び腰になりながら、ルークは助けを求めるようにガイのほうを振り向いた。ガイー……と声なき訴えを聞いて、苦笑しながらフォローする。


「まあまあナタリア様……ルーク様は照れてるんですよ」

「ガイ!」

「へ」

「あなたもあなたですわ! ルークを捜しに行く前に、私のところへ寄るようにと伝えていたでしょう? どうして黙って一人で行ったのです!」


 標的変更。かつかつとにじりよられてガイの顔色が悪くなっている。なんだか女性恐怖症がアニスのおかげで磨きがかかっているように見えるのは気のせいか? というか、もしかしなくてもガイがのこのこ報告して捜しに行こうとしたなら、ナタリアは問答無用でルーク探索について行く気だったのかもしれない。
 ……確実にガイの首が飛ぶんじゃなかろうか。うん、そりゃ行けないって色んな意味で。
 ガイも一応ギリギリまで堪えていたようだが、あまりの近距離に一気に体が逃避行動を開始する。瞬きひとつの合間にばっとナタリアから離れて、近くの柱の影に隠れて怯えている。


「お、おおお俺みたいな使用人が、城にいけるわけないでしょう?!」

「あら、何故逃げるの」

「ご存知でしょう!」

「ルークが成人を迎えたら、お前は私の使用人にもなるのですよ? いい加減少しは慣れなさい」

「ムリです!」


 ガイ・セシル21歳、年下の女の子に詰め寄られて涙目です。うわぁ、頑張れ。
 他人事にグレンがそう思っていたらガイの壁がなくなって、ふとナタリアと目があう。条件反射、というか。グレンは思わずギクリと体を強張らせるのだが、ナタリアはそれには気づかない。ただ髪と目の色を見て、彼女の目が少し驚いたように丸くなった。


「ルーク……こちらの方は?」

「ああ、グレンっつーんだ。俺のダチ。ここまで護衛してくれたんだよ……あそーだ、ラムダス! おい、ラムダスいるか?」

「お呼びでしょうか、ルーク様」

「ああ、コイツさ、今までずーっと俺の護衛してくれてたんだ」


 一度言葉を切り、しばらく視線をさまよわせた後ルークはおもむろにグレンの右腕をとる。その腕に未だに残る深い傷跡をみてその後遺症を思い出し表情を歪め、しかしはっきりとそれを執事に見せて言い切った。


「こいつの腕、この傷は俺をかばったやつで……コイツがいたから俺も助かったって言いきれる。だから、礼はしっかりしてくれって父上や母上にも言っといてくれ」

「おい、ルーク。だからそんなにお前が……」

「うっせー軽くじゃ俺の気がすまねーんだよ! ラムダス!」

「かしこまりました。では、旦那様がお帰りになられたら直ちに申しておきます」

「ああ、頼むぜ」


 一礼して下がっていく執事にほっと息をついていれば、なんだか視線を感じてルークはいやいや振り返る。予想通りというかなんと言うか、そこにはじっとこちらを見つめるナタリアが。そしてその視線が、こう……熱いような気がしないでもないというかなんというか……いや、これはむしろグレンが喜ぶ時の感じの……


「ルーク……驚きましたわ。あなた、こちらに帰るまでに随分と成長なさっているようですわね」

「やっぱりお前もか! ったく、ティアもガイもなんでそう……だああ、畜生! わりーかよ?!」

「いいえ、とても喜ばしいと思いますわ……グレン、と仰られまして? ルークをここまで護衛してきてくれたこと、彼の婚約者として私からも深くお礼を申し上げます」


 婚約者、と言う言葉にぼんやりナタリアを見ていた何人かがぴくりと表情を動かす。イオンとジェイドは何かを考えるような素振をして少し視線を落とし、アニスは露骨に舌打ちでもしそうな表情で、ティアは特段表情に動きはない……一見は。
 ただ、なんとなーく、不機嫌というほどではないにしろ、なんとなーく、こう……いやよく解らないのだが、元ルークとしての贔屓目が入っているのかもしれないが。面白くなさそうな雰囲気に見えないこともない、かもしれない? 
 うーむ、分からん。フェイスコントロールできすぎだよこの16歳。ルーク、いろいろ頑張れ。
 この空気を分かっていなさそうなルークを心中で他人事に応援しつつ、相手は王族今俺庶民、と念じながら言葉遣いに気をつける。


「いえ、彼の友として当然のことをしたまでですよ。こちらこそ、ナタリア姫から礼を授かるとは恐悦至極にございます」

「あら。ふふ、声はなんだかルークと似ていますのに、態度はぜんぜん違うのですね。ルークが礼儀正しくなってるみたいで面白いですわ」

「…………………………」


 ナタリア。お前の天然は時々恐いよ。というか、天然で核心つくのはやめてくれないか。特にジェイドとかジェイドとかジェイドとかジェイドとかの前でそう言うことを言うのはやめてくれないかな本気でさぁ!!


「声は、背格好や体格、主に骨格のつくりが似ていたら似るそうですので……ははは、そういったところでしょう……ハハハハハハ」

「あー、俺とグレン? そんなに似てるか?」

「まあ自分の声を自分で聞くのとひとが聞くのとじゃ音が違うらしいからな……。似てるって言ってるなら似てるんだろ……世界には似た顔の人が三人いるっていうしな、声が似てる人は結構多いいんじゃないのか! うん、きっとそうだって! うんうん!」

「偶然ですか……随分気前の良い偶然の重なりですねぇ」

「うっせー大佐! それよりもですねナタリア姫! 何だかさっき公爵様がヴァン謡将がどうとか言ってたんですが、なにか分かりませんか?」


 いくら嘘をつけるようになったとしても、心構えの無い突発的事態にはまだまだ弱い。顔がこれ以上引きつる前に何とか話を変えようと、やや強引にファブレ公爵の話を振った。この話をナタリアが知っているのは先刻承知だ。思ったとおりナタリアはすぐに思いついた様子で、グレンからルークへ視線を戻す。


「お父様から聞いていらっしゃらないのですね。ルーク、あなたの今回の出奔はヴァン謡将が仕組んだものだと疑われているの」

「はあ?! なんじゃそりゃ!」

「それで私と共謀だと……」


 納得がいったように言葉を溢したティアを見てナタリアがふとティアの方を向き、すぐに厳しい表情をしてルークに詰め寄る。


「あら、そちらの方は……、ルーク! まさか使用人に手をつけたのではありませんわよね!」

「なっんでそーなるんだよ、お前の頭どーなってんだ?! コイツは家の使用人じゃねー、ヴァン師匠の妹だ! それよりもヴァン師匠はどうなっちまうんだ!」

「姫の話が本当なら、バチカルに到着次第捕らえられるでしょう」

「最悪処刑ってところじゃねーの?」

「はぅあ! イオン様、総長が大変ですよ!」

「そうですね。至急ダアトから抗議しましょう」

「ナタリア、師匠は関係ないんだ! だから伯父上にとりなしてくれよ、師匠を助けてくれ!」

「……分かりましたわ。ルークの頼みですもの」


 必死に言い募り頼み込むルークをみてナタリアは一度ふぅと溜息をつき、その代わりに、と言葉を切る。その言葉の続きが簡単に想像できてしまって、ルークはどこかげんなりしたような顔になってしまう。


「あの約束、早く思い出してくださいませね」

「ガキのころのプロポーズの言葉なんて覚えてねーっつーの……」

「記憶障害のことはわかってます。でも最初に思い出す言葉が、あの約束だと運命的でしょう?」


 ぎょっとした人約二名。どうやら親から決められた婚約と言う訳ではなく、記憶を失う前のルークからナタリアへプロポーズを送っていたらしい、ということに驚いたのだろうか。……まあ、確かに、今のルークから見てみればとてもではないが想像できないことではあるが。
 笑いながら紡がれるかなり積極的な言葉に流石にルークも照れていて、顔を赤くしていた。その後照れていることを誤魔化そうとしたのか、やけにぶっきらぼうにナタリアに返す。


「いーから、とっとと帰って伯父上に師匠のとりなしして来いよ!」

「もう……いじわるですわね。分かりましたわ。それと、ルーク。シュザンヌ様は無事だと鳩が届いても、ずっとあなたのことを心配しておられました。早くお顔を見せてさしあげて」

「わーぁってるよ、言われなくても。すぐ行くっつーの」


 ナタリアが出て行ったのを見送った後、ルークはくるりと体の向きを変え皆に振り向く。


「じゃあ適当に屋敷見てってくれ。俺ちょっと母上に顔見せてくる」


 いささか焦っているような早口で言い切り、ルークはそのままばたばたと走って行った。ナタリアにはぞんざいに答えていたが、実は内心で結構心配していたようだ。グレンはちらりとティアの方を向く。そうすればやはり申し訳なさそうな顔をして沈んでいるティアがいて、ふぅと小さく溜息をつく。


「グランツ響長。そんなに気になるんだったらあんたも奥方に謝ってきたらどうだ?」

「え……」

「あんた生真面目そうだしな。そうでもしなきゃ気がすまねーんじゃねーの?」

「そうね……そうさせて貰うわ」

「あ、ティア! 奥様の部屋はそこの応接室から右手の廊下に出て真っ直ぐ……やれやれ、聞こえてたかな?」

「走ってくあたりよっぽど責任感じてたんだろうなぁ……ほんとに真面目だねー、どーも。ま、迷子になったらそこら中にいる使用人にでも道聞くだろ」


 軽い感じで言いながらも、グレンは口元が緩みそうになるのを止められない。グレンの知っている彼女も、いつも彼の母親を気遣っていてくれていた。そんなことを思い返していると、顔は緩みそうになるのになんだか泣きそうになる。これはヤバイ。
 物珍しそうに屋敷に飾られている品を見て回っているアニスへ、少しはなれたところから説明しているガイに中庭までの道を聞く。本当は聞かなくても分かっているのだが、こういうことは一応面倒くさくてもやらなければ。ガイに礼をいい、グレンは一人で中庭に出た。









 ノックをすれば小さな応え。できるだけゆっくりと扉を開ける。


「母上、ただいま帰りました」

「……! ルーク……本当にルークなのね?」

「はい、母上」


 ベッドの上で体を起こしている母の近くにまで歩いて、顔がよく見えるようにベッド脇に膝をつく。ほっとしたように伸ばしてくるやせた手をとって、軽く握った。ひんやりとした、やせた指。大きくてごつごつした力づよい師匠の手とも、温かな友人の手とも違う、弱弱しいてのひら。
 けれど、ルークはこの手が決して嫌いではなかった。


「母は心配しておりました……おまえがまたよからぬ輩に攫われたのではないかと…」

「大丈夫だよ、ちゃんとこうして帰ってきたんだから」


 目の前の母が記憶の中よりもいくらかやせてしまっているような気がして、どうにかして安心させようとできるだけ優しく笑う。ルークは優しく笑うというのはなかなか苦手だと自覚しているのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。あまり干渉しようともしない父、過保護なまでに心配してくれる病弱な母。
 今回のことも、七年前の件を思い出さなかったわけがないのだ。ルークの無事を知らせる鳩が届いても、ずっと心配のし通しだったのだろう。
 ……父も、この母の半分くらい心配したり優しくしてくれればいいのに。なんて、埒の明かないことを考えても無意味だと知っている。笑う。けれど、シュザンヌはどこか表情がはれない。


「……母上?」

「ルーク、怪我などはしておりませんか?」

「ああ……大丈夫だよ。旅先で会った和平の使者とか、導師とか、あと友達になった護衛とかさ、鬼みたいに強いやつ等ばっかりなのにバチカルまで送ってもらったからな。それに母上だって知ってるだろ? 俺はオラクル騎士団総長のヴァン師匠の弟子なんだぜ?」

「……そうですね。怪我は無いのですね……安心しました」


 この様子では、魔物相手では思い切り前線に出てました、なんて知られたら絶対心配するな、と。流石にそれくらいは分かっていて、いかにも安全そうに言う。……本当は、エンゲーブでは泥棒間違いされるわフーブラス川を徒歩で渡るわコーラル城では六神将に攫われるわ散々だったのだが。
 再び強調して大丈夫だと言おうとしたのだが、不意にノックの音が響いてルークとシュザンヌは扉のほうを向く。どうぞ、とシュザンヌが言えば扉を開いて入ってきたのは、


「奥様、失礼します」

「……ティア?」

「ティア……ではあなたがヴァンの妹のティアさん?」

「はい」


 静かに頷きながら、ティアはシュザンヌの側にまでやってきて膝をつき頭をたれる。


「奥様、お許しください。私が場所柄も弁えずわが兄を討ち倒さんとしたため、ご子息を巻き込んでしまいました」

「そう……では今回のことは、ルークの命を狙ったよからぬ者の仕業ではなかったのですね」

「ローレライとユリアに誓って違うと断言します」

「あー、母上。コイツ無愛想だけど悪いやつじゃないんだ……多分。巻き込んだからって家まで送るって言ってさ、本当に送り届けてさ、俺今ここにいるし。あー……だから、えーっと……うん、今回は七年前みたいな、やべぇヤツじゃなかったんだよ」

「そう、ルークをここまで……ありがとう」


 真摯な少女の謝罪と、不器用ながらの息子の言葉にシュザンヌはやっとほっとして、小さく笑った。まさか、あの息子がこのようなことが言えるようになるとは。不器用なりに優しさを持っていたルークが拙くながらもそれを表現できるようになっていて、どうやら家に帰るまでの旅はそれなりに息子へ成長を促したようだ。
 本当に、七年前とは違い悪いことばかりではなかったらしい。表情が緩めば、すぐ側にいたルークもほっとしたような気配がする。ティアをもう一度よく見る。綺麗で真っ直ぐな青い目をした―――彼女の息子のように不器用で、けれどきっととても優しい少女だ。
 しかし、ならばどうして。


「……ティアさん、何があったかは私には分かりませんが、あなたも実の兄を討とうなどと考えるのはおやめなさい。血縁同士戦うのは、悲しいことです」

「お言葉……ありがたく承りました」

「ルーク。おまえが戻ってきてくれたんですもの、私は大丈夫。他の皆に顔を見せてきてらっしゃい」

「ああ、うん……じゃあ、失礼します、母上」

「失礼いたします、奥様」


 ファブレ夫妻の寝室の扉を後に出たティアが閉めた後、ルークは「あんま気にすんなよ」とティアに声をかけていた。何が、とティアが問えば、ルークは途端にしかめっ面をしてがりがりと頭をかきながらそっぽを向く。


「母上が倒れたのは、元から体が弱いだけだからな」

「……ありがとう」


 らしくないらしくないらしくないああ俺らしくないっつーの畜生! と散々心うちでは自分を罵倒しながら言った言葉に返ってきたのは、小さく笑いながら紡がれた礼で、ルークはなんだか妙に居た堪れない気持ちになる。
 畜生、やっぱり慣れないことはするもんじゃねえ。
 一人心中でぼやきながら彼女に何か言葉を返すでもなく、そのままずんずんと廊下を歩く。しばらくそのまま歩いていれば後ろから聞こえる軽い足音が少し小走りになったのを聞いて、小さく舌打ちをする。女性恐怖症の癖に女性に優しい天然軟派師から耳にタコができるくらいくどくどと言われたことがあるので、仕方なく歩調を緩めた。再び小さく笑うような気配がした気がするが、そんなの絶対幻覚だ。
 冷血女がそう一日に何度も笑ってたら明日は空から槍が降るに違いない。ああそうだ、ジェイドが礼儀正しく優しくなって、ガイの女性恐怖症が一気に治るくらいありえない。ああそうだ、ありえないありえない。

 そんなことをつらつらと思いながら、ふと廊下から中庭が見える窓をみて、そこでペールと話しているグレンの後ろ姿を見た。あの庭師とグレン。何を話しているのか想像もつかない。すぐ近くの中庭に続く扉を開けて、彼らに近付く。ペールにはグレンの背でルーク達の姿が見えないようだし、グレンは戦闘中でもないので気を張ってもいないのだろう、ルークの接近に近付いていない。
 そして、声をかけようとしたときだった。


「セレニアの花がすきなんです、俺」


 ひどく柔らかな声だった。愛しさをこめた優しい声。そのくせ、どこか泣き出しそうな。


「昼に閉じて夜に咲く。タタル渓谷に群生する景色が一番綺麗だ。夜になれば一面のセレニアが咲いて、記憶粒子がゆっくりと辺りを満たして、現実なのに夢の中にいるみたいでとても綺麗で」


 どんな表情をしているのかは、ここからでは解らない。ただ、いつか―――あのエンゲーブで見たときの様に、泣き出しそうな顔で笑ってる、そんな気がした。


「だから、俺は―――」

「……グレン?」


 その言葉の続きが聞きたくて、けれど何故か聞くのが恐く感じられて、ルークは思わず声を出していた。















 中庭に続く扉を開ける。円をかたどったような中庭の中心にはバチカルの紋章が描かれている、光が降り注ぐ中庭。見慣れた景色のはずなのに、やたらに懐かしくてグレンは困ったような顔をした。辺りを見回す。ああ、やっぱり。そんな想いがあふれ出す。中庭に植えられた花を世話する、老人の背中。


―――ペールが気合を入れて俺の屋敷の庭に花植えててな。ジェイドの旦那も感心するくらいなんだぜ? さすがはペール、ってところか……お前も今度見にこいよ


 耐え切れずに声をかけた。


「綺麗な花壇ですね」

「おや……これは、どなたでしょうか」

「ああすみません、自己紹介が遅れました。俺は今日帰ってきたルークに雇われてた護衛で、グレンと申します。本日はルークに屋敷に招かれまして、彼が奥方に顔を見せに入っている間好きにしていいといわれたのですが……周り中に高価なものがあるのに慣れていないもので、つい中庭に出てきてしまいました」

「そうですか。ルーク様を無事に送り届けていただきありがとうございます、とわしからも礼を言わせていただきます。わしはペールと申します、このファブレ公爵邸に雇われている庭師でございます」

「ペールさんですね。……はじめまして」


 久しぶり、の代わりに交わすはじめましてはもう何度目だろうか。手を差し出せば、泥のついた手袋を取って握手をしてくれる。今なら分かる、剣を握り続けていた固い手の平。遠い戦場を知っているのだろう消えかかった剣ダコは、老齢の乾いた皮膚にそれでも未だに形を残して刻まれている。知っていなければ気づかなかっただろう。だから、そのまま知らない、気づかなかったふりをする。
 ……その気になっていれば、嘘をつくなんて大分慣れた。


「それにしても、綺麗な花ですね。俺、あんまり花とか詳しくないんですが……でも、花の名前は知らなくても、この花壇すごく好きです」

「さようですか。そう仰っていただければこの老いぼれもまだまだ捨てたものではないということですな」


 柔らかに笑うペールに笑い返す。懐かしい声。結局彼がガイと一緒に出て行ってからは会っていなかったから、本当に久しぶりで。
 会いたかったよと言いたかった。ペールはすげえなって言いたかった。飽き飽きだって言ってたけど、本当は結構嫌いじゃなかったんだぜ、って言いたかった。花を見に行きたかったよ。ガイの自慢のペールの庭を見に行ってみたかった。

 ……目の前に居るのは彼ではない彼で、もう言えやしないことだけど。


「昔、」


 代わりのように今ここで懺悔する俺を、誰か叱ってくれないだろうか。


「昔、友達に……庭を見に来いって言われたことがあるんです」

「行かれたのですか?」


 小さく笑って首を振る。向ける顔がなくて、もう行けないんです。
 そう言って。それだけだ。後は何も言わない。ペールも詳しくは聞こうとしない。喧嘩でもなされたのですか、とも何も尋ねられなくて少しほっとして、けれど感じるどうしようもない罪悪感。
 皆なら。あの時間を共に過ごした皆なら。はっきりと違うと思える。だって共に過ごした時間がない、記憶が無い、交わした約束も築いた信頼も。あの時とは違うはっきりとした距離感でその違いを思い知れるのに、遠過ぎず近過ぎずだった人のほうが厄介だ。中途半端な距離感に、馬鹿みたいに懐かしさを感じてしまう。
 それとも、この懐かしさはペールだけだろうか? あの約束を交わした彼と自分とに馴染み深かったこのひとだからこそなのだろうか。だから守れなかった約束を思い出して、こんな気持ちになるのだろうか。
 解らない。ただ、これからもこういう人がいるとしたら厄介だ。何の覚悟も無ければついうっかり泣いてしまいそうで。


「グレン様は」

「はい?」

「グレン様は、何かお好きな花がございますか」

「……どうして、そんなことを」

「さて……そうですねぇ、わしの作った花壇を綺麗だといってくださって、ルーク様を無事に送り届けてくださったグレン様に、少し恩返しがしたいと思いましてな」

「好きな花……」

「はい。……何かございますか」


 そう言われても。
 知っている花なんて、好きだと言える花なんてひとつしかない。
 今でも鮮やかに思い出せる。光の少ない場所でも凜と咲く花の美しさを。


「セレニアの花がすきなんです、俺」


 白い花。始めて見たのは夜の渓谷。
 世界の外を見たとき足元一面に咲いていた。


「昼に閉じて夜に咲く。タタル渓谷に群生する景色が一番綺麗だ。夜になれば一面のセレニアが咲いて、記憶粒子がゆっくりと辺りを満たして、現実なのに夢の中にいるみたいでとても綺麗で」


 始まりと決意と―――愛しいひとと。
 俺にとっては色々な意味を持つ花だから。


「だから、俺は―――」

「グレン?」


 呼ばれて、はっとして振り返る。己のものと同じ緑の瞳にはどこか不安そうな色が見えて、すぐにいつものへらりとした笑みを浮かべる。よう、とルークに軽く手を上げて、もう普段どおりの自分の顔でペールに聞く。


「と、言うわけです。俺の好きな花、ここの花壇でも育ちますかね?」


 ルークに声をかけられるまでの表情がどんなものになっていたか自分では解らないが、精神状況的に普段とはかけ離れていたのではないかと、今更思う。けれどペールはやはりそのまま受け止めて、詳しくは聞かないままでいてくれた。


「むう……難しいですが、その分やり甲斐がありそうな花ですな。努力してみましょう……それはさておき、ご無事で何よりです、ルーク様」

「ああ、ペールも相変わらずそうだな。で、お前らさっきまで何の話してたんだ?」

「んー? ルークを護衛してくれたお礼に、俺の好きな花を育ててくれるってなー」

「なかなか難しい注文でしてな、今からどうしようかと考えているのです」

「へぇ……ペールにでも育て辛い花ってあるんだな」


 感心したような響きに、ペールも私もまだまだですからな、と穏やかに笑って答える。辺りを見回して、中庭に出ているのがグレンだけだと気づいたらしい。首を傾げるルークに苦笑を返して、ペールに別れを伝える。


「では、ペールさん。縁があったらまた後日。ルーク、お前が帰ってきたなら戻ろうぜ。皆は多分玄関とか応接室に居るんじゃないか? 俺はただ単に装飾品の由来とか聞いてても詰らなさそうだったから、ふらふら中庭に出てきただけなんだし」

「ふーん」

「……あなたも、夜のタタル渓谷に行ったことがあるの?」


 近くの廊下への扉の方へ歩いている最中に、なんだか咎めるような声が聞こえてちらりと振り返る。どうやら夜の渓谷は危険なのに、と注意せねばとでも思ったらしい。うん、だってきっとティアの頭の中ではグレンの精神年齢もルーク並みなのだろう、多分。分かっていたけれど本当に真面目だ。別に遊びに行ったわけでは無いのだが……下手すりゃ長くなりそうだ。
 こうなったらこのシャイボーイあんどシャイガールが、なんとなく以降の話題に掘り返しにくい感じに答えねばなるまい。


「そうだよ、昔―――女とね」


 にやりと口元にたちの悪い笑みを浮かべて言ってやった。嘘はついてない。ただ始まりのその時は雰囲気もへったくれもなかっただけで、それを言葉にしていないだけだ。そして言葉面だけを取れば微妙に自分たちとも当てはまるということに気づいたらしく、ティアは注意したくともできないような状況で、ルークはなんともいえない顔をしていた。
 そんな二人にクツクツと笑いをかみ殺しつつ、廊下への扉を開ける。


「ほら、そこでぼーっとすんなよ二人とも。ルーク、タトリン奏長をあんまりほっぽってると装飾品が一つ無くなってるかもしれないぜ?」

「あ? ひとつくらいなくなってもいいんじゃねーの? どーせ予備だのなんだの倉庫にでもあるんだろうし」

「……それ、絶対あの子の前で言っちゃだめだぞ」

「大丈夫じゃない? 流石にアニスも公爵家から、なんて……そもそも何かを盗もうなんて真似はしないわよ」

「……本当にそう思うか、響長。あのアニス・タトリンだぞ」

「「…………」」


 黙り込む二人に、ついにグレンは声をあげて笑った。






[15223] 18(バチカル廃工場)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:24c78129
Date: 2010/03/25 01:01



――― other side in




 話し声が聞こえる。身振り手振りで自分の持っている品物の説明をする男と、それに感心したように笑いながら頷く男女。上っ面だけはニコニコと笑う男が手を差し出して、頷いた女性が懐から財布を取り出し―――


「待ちたまえ」


 不意に聞こえた声に男は不機嫌そうに声のしたほうを向く。そして視線の先にいる、鷹のような鋭い目つきをした男と視線がカチあって、背筋を凍りつかせた。赤い外套を纏った背の高い男がゆっくり歩いてくる。ざくざくと土の砂利を踏むただの音が余計に恐怖をあおる。
 対して人の良さそうな一組の男女は、突然話に乱入してきたその赤い男を見てもキョトンとしているだけだ。


「いま引くなら何もしないが」

「な、何だぁお前……商売の邪魔……っ!」

「聞こえなかったか。今引くなら何もしない、といったのだ」

「……っ!!」


 別にすごまれているわけではない。ただ、表情らしい表情も無くそれだけを淡々と言い切られて、わけも分からぬ圧迫感に耐え切れられずに背を向けて逃げ出した。財布を手に持ったまま、あ、と声をかけ損ねて立ち尽くしている男女に赤い男は視線を向ける。


「……君たちがタトリン夫妻でよろしいかな?」




――― other side out







 なんだか目が飛び出るほどの金額を貰ってファブレ公爵邸から辞して、グレンが一人宿に入ってこれからのことを考えていたときだった。


「がっ……ぐ、あ」


 頭の内側からトンカチでめちゃくちゃに叩かれているかのような激しい痛み。何も考えるな。目を閉じて耳を塞ぎ情報を遮断する。余計な思考をするな。うめき声も上げずに自分自身に言い聞かせる。閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ、閉じろ……っ!
 どれくらい時間が経ったのだろう。気づけは痛みは引いていて、脂汗まみれになって荒い息をしている自分がいた。ほっとして、グレンはがくりと膝をつく。そのまま体も倒れてしまいそうだったのだが、そこは左手をついて何とか堪えた。大きく息を吸って、吐く。よろよろとベットに背を預けてへたれこむ。


「ルークは閉じてるけど、俺は開いてるからこっちに来るのか。でも、『同じ』でも『違う』俺は、お前のレプリカじゃない。お前とルークの間ほど完全なつながりはない。……まあ、予想通りだな。感覚共有されないのはありがたいが、痛みは何倍だよこれ? これはちょっと……きついなぁ」


 考えをまとめる為に、ぼそぼそと独り言を声に出す。


「キャツベルトの時で試してみて、もうルークには繋がらないって分かってるだろう? ……いや、俺に繋がりかけてたからまだ試そうとしてるのか? その度にこんなになるのは勘弁なんだが……頼むから何度も試さないでくれよ、鮮血のデコっぱちヤローめ」


 頭を振って、何とか起き上がろうとするのだがなかなか上手くいかない。これはヤバイ。せっかくイオンと同じ宿にしたのに、こうも体にガタが来てしまってはどうにもできない。やはり同調フォンスロットを開かれるのは鬼門でしかないようだ。特に今のグレンの体には負担が大きすぎるらしい。
 体が動かない。意識が遠ざかる。畜生、せめてイオンをダアトに返しておけばパッセージリングのダアト式封呪は……いや、ダアトではヴァンが連れ出してしまえるからむしろ逆に危険なのか。しかしイオンに砂漠越えやデオ峠を越えるなんてムリをさせるわけには……
 結論を出す前に、思考できるだけの意識が遠ざかる。畜生、それだけを小さく呟いてグレンは意識を失った。




* * *



 こんな夢を見たのは、ペールとあの庭であんな話をしていたせいだろう。


 夜の渓谷。記憶粒子。咲いたセレニア。歌が聞こえた。振り返り、驚く少女。少し大人びている?
 どうしてここに。
 綺麗な声が震えを押し殺して聞いてきた。
 それに答える低い声。
 ここからならホドが見渡せる。それに。


「……約束してたからな」


―――ああ、

 息を呑んだ少女の瞳から零れる一筋。頬を伝う。喜んでいるというにはあまりにも儚い涙だった。
 ゆっくりと歩み寄るその少女の後ろにいるのは、あの旅を共に歩んだ、

―――これは夢だ

 夜の渓谷に風が吹く。
 仲間がゆっくりと彼の方へと歩んでいく。青い軍服の男が一瞬だけ悲しそうな顔をして、

―――何かが少しずつでも違っていたら、俺の世界でも叶っていたかもしれない、可能性の分岐の夢だ

 記憶粒子が辺りを満たして幻想的な世界を作る。
 始まりと誓いと約束の帰結する場所で咲く白い花。
 セレニアの花畑。
 月下。少女の涙は止まらない。帰ってきたらしい彼は、少女を抱きしめない。



 夜の渓谷の夢を見た。



 それでもこの結末では『彼女』が救われない。『彼女』を愛した、約束を守れなかった『彼』も。そんなのは、嫌だ。嫌なんだ。今までずっと頑張ってきて、大切な人ばかりを失って、それでも信じて待ち続けたのだろう、やっと涙を流した彼女が。その涙があんなに悲しそうなものであるのは許せない。泣くなら幸せなときだけ泣けばいいのに。もう苦しまなければいいのに。悲しんでほしくない。
 それでも時間をかければ救われるのかもしれない。また笑えるのかもしれない。彼女ならきっと進んでいける。それくらい優しくて強い人だから。それでも。

 この世界のそうあるべき結末がこれだと言うのなら、それでも俺は全力を持ってこの結末を覆すまでだ。俺の世界のようには絶対にしない。それでも、この結末のようにもしない。絶対だ。全力を持って狂わせる。こんな結末、認めない。
 例え違う世界でも、彼女がしあわせに笑える世界でなければ、そんな世界は認めない。




―――彼女の隣にいるのは『焔』でいて欲しいと願うのは、彼女にずっと『焔』の行く末を見ていて欲しいと願うのは、他の誰もを近づけたくないと願ってしまうのは、……違う世界の『焔』である俺のわがままだろうか。








* * *





 体を揺すられて五感が戻る。夢を見ていた気がする。遠い夢の残滓。思い出せない。何かを強く願った気がする。きゃんきゃんとなんだか煩い。一度強く目を瞑り、ゆっくりと開けた。ツインテールの少女が必死な声でグレンの体を揺すっている。


「グーレーンー、ちょっと起きて! ってゆーか何でアンタ床で寝てんの。ベッド後ろにあるじゃん!」

「んー……タトリン奏長か」

「あ、起きた! 助けてグレン、町中捜してもイオン様がいないのっ!」

「なに……?」


 まだ少し平衡感覚がおかしい頭に手をおいて深呼吸をする。ちらりと窓から外を見れば青い空。意識が残る最後に見たのは夕焼けだったから……


「くそ、もう朝かよ……分かった奏長、俺も捜そう。何か情報は?」

「町を捜してたら、サーカス団みたいな人が、イオン様っぽい人と町の外へ向かったって……」

「サーカス団……漆黒の翼か。あの口ぶりだとオラクル兵から依頼されたんだろうな……とにかく町の外まででるぞ」

「だめだよぉ! 町を出てすぐのところでシンクが張ってて邪魔するんだもん!」

「……っ、くそ!」


 本当は、この町からどうすれば出られるかは知っている。今のうちに真っ先に廃工場へと行けばルーク達に会わずに町から出られるだろう。そしてイオンがダアトの陸艦に連れ去られるより先に取り返せるだろう。
 けれど確実にナタリアに目撃される。ナタリアからルークへと伝われば、確実にジェイドにも伝わる。そうすればバチカルに来たことがないはずの存在が、なぜ廃工場を抜ければ外に出られると知っていたのか、という話になってしまう。誰かに話を聞いたことにしても、昨日のほとんどはルーク達と共にいたのだ。流石に誤魔化しきれないだろう。


「……バチカルのことだ、ルークに町から出られる道がないか聞いてみよう」

「うん……そうだね。じゃ、行こ!」

「うお?!」


 がしりと手首を掴まれて引っ張られる。つんのめりそうになりながら、自分も走った。デジャヴ。息が止まりそうになる。


『はーいはいはいはい、ちゃーんとティアには黙っててあげるって。あー、そう言えばここっておいしいケーキのお店があるんだよねぇ~。……え、なになにいいの? やったぁ、さっすがルーク! じゃ、行こ!』

「………………、」


 同じ体温。―――――――でも、違う。違うんだ。心が違うと叫んでいるのに、それでも本当に時々重なってしまって少し苦しくなる。違うけれど同じ、双子のような存在。あの時、親愛や信頼を築いた相手はこの世界の人たちとは違うけれど、この世界の彼らはグレンを知らないけれど、……それでもグレンにとっては大切な存在には変わりない。
 引っ張られていて良かった。イオンを心配して真っ直ぐ前を見据える瞳は、後ろを振り向かないだろうから。大丈夫だよアニス、この世界のイオンは絶対に死なせない。……お前も、皆もだ。グレンは一瞬だけ泣き出しそうな笑顔を浮かべて、瞬きひとつの間にそれを奥へと引っ込める。


「タトリン奏長、体調は戻った。もー手を離してくれても大丈夫だぜ」

「はれ、そぉ?」


 そこで振り返ってきたアニスににやりと笑みを返す。その顔を見て確かにもう大丈夫だと判断したのだろう、アニスはあっさり手を離しさっきよりもスピードを上げていく。


「じゃあ突っ走るからね、遅れないでよ~!」

「そっちこそ! ははははは、このスピードについてこれるか?!」

「はぅあ?! なに本気で全力疾走してんのアンタ! すぐバテるじゃんそれじゃ!」


 賑やかに言い合いながら、いつかのように走っていく。

 ―――そして、ルーク達にあったころにはグレンは見事にばてていた。ルーク様~とルークに抱きついたアニスがイオンのことを説明している間、その後ずっと後ろで深呼吸をしているばかりだった。自分でも情けないとは思うが……しかし、本当にこの体はガタがきているようで、体力までいささか落ちている。
 強制的にフォンスロットに干渉されていることも関係あるだろうが、もしかしたらアーチャーと随分長いこと離れているのも関係あるのかもしれない。ラインは大丈夫でも距離があればいろいろと不都合ではあるのだろう。それでも、体のガタが音素が乖離するほどではないのがまだ幸いといったら幸いだが。

 話に耳を済ませてみれば、どうやらルークがイオンを取り返すと気炎をまいていて、ガイがバチカル廃工場のことを話している。ここからはグレンもよく知るとおりになってルークとアッシュがかち合うのだろう。止めるべきか? 自分に対する不安感は、それでも安心感を求めて英雄という言葉への依存をより高める結果になってしまうだろう。しかしどうやって……
 いや、それよりも先にナタリアはどうするべきか。バチカルに残して戦争に反対させたいが、モースのことを考えると難しい。戦争に反対するナタリアをルーク達が知らない間に処刑する、くらいは簡単にしてしまうかもしれない。連れて行ったほうがいいだろうか? しかし、それでは確実に戦争が起こる。
 一体どうすればいいのか。アーチャーはナタリアの出自を隠し続けたままでは危険だと言っていた。いつかひょんなことから外部に漏れて、下手すれば貴族の一部が王座欲しさ内乱を起こす可能性があると。ナタリアの王女としての自覚や覚悟、成長を促す為にもここの世界でも偽姫騒動は起こしておいたほうがいいと言っていたが……それでは本当に戦争になってしまう。

 起きるだろう戦争と、起こるかもしれないもっと悲惨な内乱と。

 どうすればいいのだろう。最善が解らない。いつもその場しのぎの善次しかできていないような気がする。それも、ちゃんと良手となっているかすらも解らないのだ。
 ぎゅっと握った拳を見つめていると、声をかけられて顔をあげる。そこには心配そうなルークの顔。


「グレン、なんかお前顔色悪い気がするけど……大丈夫か?」

「ああ……大丈夫だよ。で、ルーク。話は決まったのか」

「とにかくこの町を出るために旧市街にある工場跡へ行くんだと。そこからなら外に出られるらしいしな、イオンのことはそこで考えるってさ」


 ルークの言葉にそうかと頷き皆を促す。これから起こるだろうひと騒動に一人心中で嘆息しながら。







 そして、この世界のナタリアもナタリアだった。強かった。押しても引いてもびくともしなかった。これでは、なんとかバチカルにとどまって戦争をしようとする陛下をとめるストッパーになってもらう、なんて無理な話だ。
 アクゼリュスに行くのは誰でもできることですから、とか王女様には王女様にしかできない方法で国を助けた方が良いのでは、とか散々ない頭を振り絞って考えた説得もぜんぶパアだった。そしてやはりルークが脅されている。少しはなれたところでごにょごにょ話しているルークとナタリアを見て、ああもうこれ説得ムリだ、と観念した。
 まあモースの息がかかったバチカルに置いていくのはとても不安ではあるし、これはこれで仕方ないことかもしれない。……女性陣の仲が大層険悪なのが気になるが。
 ああそうだったな、初めはこんな感じだったんだよな、俺たちのときも。

 遠い目をする。どうやら思い出というのは知らず知らずのうちに美化されてしまうようだ。


「よろしくお願いしますわ」

「……ルーク。見損なったわ」

「う……うるせーな! とにかく親善大使は俺だ! 俺の言うことは絶対なんだよ、行くぞ!」


 ああ、頑張れルーク。ティアに冷たい目で見られて冷や汗をかいている彼にエールを送る。と、視線に気づいたのかルークが助けを求めるようにこちらを向いた。駄目だルーク、俺をそんな風に見てくれるな。いくら俺でも女性陣には太刀打ちできん。両手を交差してバッテンを作って無理だと伝えると、げんなりした顔になった。


「さあ、では早くここを抜けてしまいましょう!」


 一緒に行くことをルークに許してもらえたせいかご機嫌になったナタリアは元気よく宣言し、ずんずん先へと進んでしまう。その後ろに溜息をついたティア、さらに不機嫌そうなアニスが続き、恐る恐ると言った風に残りがついて歩きながら、ガイがこそこそとルークに近寄る。


「なぁ、ルーク。いいのか? このまま連れて行っちまっても」

「そうだぞ。これって下手したら王女様出奔、って取られるかもだぜ」

「しょーがねーだろ。ここでうだうだ言っててもどうにもなんねーんだし。大体ガイもグレンも止めきれなかったじゃねーか!」


 小声でこそこそぼやくガイに乗っかって同じくぼやいたグレンに、ルークは不機嫌そうな顔になって反論した。まあ確かにそれはそうだ。それはそうなのだが。そーっと前を向く。久しぶりにブリザードが舞っている。そう、話をしているでもなく雰囲気からブリザードが吹いている。主にアニスとナタリアの間で。うわぁ。


「いや、だってさ……俺マルクト生まれでも一般庶民だし、やっぱ王女様には逆らえねーしさ。ここはバチカル幼馴染たちが止めなきゃだろ?」

「無理だっつーの! 正義魔人モードのナタリア止められる奴なんざ見たことねーよ!」

「俺がナタリア様に敵うと思うか……?」

「…………ははは、無理そうだなー」


 グレンはナタリアの後姿を見て、乾いた笑いを浮かべた。常に真っ直ぐ前を向く。うつむくことを許さない。誇り高く王家に相応しい王女たろうと努力し、民を思って歩いていく。まだ若く未熟とは言え、それでもそうあろうとするナタリアは、彼女自身はまだ知らずともその出身に関わらず、王女に相応しい気概と志を持っている。
 が、いささか潔癖で頑固なところがあって、一度決めたらなかなか諦めないのだ。グレンとて知っている。もし今無理やり送り返しても、結局アクゼリュスへと出ようとするだろう。それなら初めから目の届く場所にいてもらった方が安全だろうし、……まあ、そもそも今のルークがナタリアを無理やり返せるわけもないのだが。


「お守り役は大変でしょうねぇ。同情します」

「アンタはお守りしないって口ぶりだな」


 からかうような口調で話しに入ってきたジェイドにガイが胡乱気な目を向けた。そうすればジェイドは声をあげて笑って、すぐに声を潜めてしれっと言う。


「はっはっは。……当然じゃないですか。謹んで辞退させていただきますよ」

「何をこそこそやっているんですの? 殿方ならこそこそせずに堂々となさい。それが紳士のたしなみではなくて?」

「おや。怒られてしまいました」


 はははと笑うジェイドに、男性陣残りの三人は一斉に半眼になる。そして同時に思った。コイツに押し付けられねーかな、と。


 どれだけ歩いただろう。途中ではナタリアから敬語を直せとガイが怒られたり、グレンには名前を呼べといったりしていたものだが。グレンとしてはそれだけは何とか回避したかったことなので「しかしなぁ、姫。うん、仕方ないから敬語は諦めるけど、ほら、一人だけいかにも質の良い服を着てるだろう」「これではどうやったって上流階級の人間だと分かっちまう。それならいっそ俺だけでも姫って呼んで、貴族の姫ってことにしといたほうがいいんじゃないのか」と舌先三寸で丸め込んだ。納得してくれたようでほっとしたものだ。
 ……何人かには怪しむような目で見られたが。

 前ではまだ出口ではないのかとぼやいているナタリアにルークとアニスが帰ればいいのに、とぼやいていて、それに対してナタリアが憤慨している。そして喧嘩しだす二人にティアが一言黙りなさい、と……なんだろうあの冷気。恐いよ。なんかルークとティアがブリザード巻き上げてた時も恐かったけど今のほうが何か恐いよ?! とにかくすごく不機嫌そうだ。
 巻き込まれた形のガイは遠い目をしている……頑張れガイ。俺は遠くから応援しているぞ。巻き込まれないようにして。


「……グレン。貴方はルークの側にいなくてもいいのですか?」

「じょーだん。今近くにいったらガイみたいになるだろ。……ルークが来いっていったら行くけどな」

「やれやれ、ガイも過保護でしたが貴方も貴方で過保護ですね」

「そーだよ、俺はルークを気に入ってるんでね。悪いか?」

「いいえ。ただ物好きだなとは思いますが」


 グレンと同じように皆から少しはなれた後ろを歩くジェイドに突っ慳貪に返すのだが、彼の言葉はどこまでが探りでどこまでが普通のぼやきなのか解りづらいから厄介だ。エミヤならきっとそれもはっきりと聞き分けられるのだろうが、グレンにはまだ荷が重い。溜息をついた。
 そして気は進まないが今のうちに聞いておこうと口を開く。


「大佐、あんたはイオンを取り返したらどうするつもりだ?」

「……と、言いますと?」

「連れて行くつもりなのかと聞いてるんだ」

「そうですね……イオン様がどうしたいかで決めれば良いのでは?」

「おいおい冗談だろ、大佐。そんなのあのお人好しの塊のイオンなら行きたがるに決まってるだろーが。アンタ分かってるよな? 陸路でアクゼリュスに行くにはどの道を行かなきゃならねーのか。……イオンに峠越えさせる気かよ」

「そうですね。ですが、再び攫われる可能性があるなら手元においておきたい、というのも本音です」

「……アクゼリュスだぞ。障気が吹き出てるようなところに、体の弱いイオンを黙ってつれてく気か?」

「……しかしアクゼリュス救出が終わるまでは、モースの力が強いダアトに返すのも憚られる。そうでしょう?」

「………………」


 グレンは黙り込む。本当に注意しなければいけないのはヴァンで、モースではないのだが……しかし、どちらにしても確かにダアトが危険だ、というのは的を得ている。いっそのこと、ザオ遺跡で保護した後はケセドニアで身を隠しておいたほうが良いのではとも思うのだが、六神将なら簡単に連れ去ってしまえるだろう。
 最終手段としてはいっそマルクトだ。グランコクマには今エミヤがいるはずだし、これ以上無いほど安全なのだが……マルクトに誰が連れて行くかと言う問題も残っている。アニスではモースに伝わってしまう。六神将の襲撃に備えるなら、確実に言い出しっぺの自分も同行せざるを得ないだろう。が、今グレンがルークの側を離れるのは得策ではない。
 それならやはり、アクゼリュスを降下させるにしてもパッセージリングを操作するにはダアト式封呪を解かなければならないのだからやはり連れて行ったほうが……しかし今のルークには暗示がある。降下など本当にできるのか? 降下するにはまず暗示を解いてからでなければ。その暗示を解くまでイオンはエミヤに任せて……しかし暗示をどうすれば解けるか、なんて知らないのだからどうにもできない。そうすれば後は耐久限界で崩落するだけだろう。どうすれば良い?
 思考が纏まらずグレンは舌打ちしながら頭を掻く。グレン自身が超振動が使えたら楽なのだ。超振動が使えたら、ダアト式封呪ごと扉をぶち壊して入れるし、力技で操作もできる。パッセージリングに何を書き込めばいいのかも分かっている。……そう、こんな体でさえなければ。


「これ以上無いものねだりをしてもしょうがない、か」

「……何がです?」

「べっつにー。ただな、大佐。俺はイオン連れて行くのに反対だからな」

「まあ、我々がここで何を言っても、結局はその時にならなければ分かりませんよ」

「よく言うよ。アンタ連れて行く気満々じゃないか……っと、どうしたルーク?」


 ふと、前を歩いていたルーク達がそろって足を止めていたことに気づき声をかけた。グレンの声にルークは顰め面をして振り返る。


「なあ、何か妙に油臭くねぇ?」

「ほんと、ひっどいよぅこの臭い!」

「……この工場が機能していたころの名残かな? それにしちゃぁ……」

「おい、嫌な予感がする……気をつけろよ!」


 本当は何があるかを分かっているのだが、それは言えない。ただの勘だということにするしかない。グレンが注意を促せば、耳を済ませていたティアが思ったとおりのことを言う。


「音が聞こえる……何か、いる?」

「まあ、何も聞こえませんわよ」

「いえ……いますね。魔物か?」

「上だ、姫!」

「危ない!」


 咄嗟にティアがナタリアを突き飛ばす。そして先刻までナタリアがいた位置に振ってきたのは大きな蜘蛛の魔物だ。べたべたとした油の塊を鎧のように着込んだ魔物で、とんでもない臭気に思わず誰もが顔を顰める。それでもとりあえず小手調べとルークとガイがつっこんで切りつけるが、泥のような油に剣が滑って奥まで届かない。二人の顔が歪む。


「おいおい何だこの魔物は!」

「こんなの見たことないぜ。中身は蜘蛛みたいだがな!」

「っへ、相手が油なら焼けばいいだろ。大佐!」

「分かりました」


 呪文詠唱に入ったジェイドを攻撃から護る為に前に出る。とは言っても、まともに剣をふるっても油で滑ってはどうしようもないのだが。それでも囮くらいにならなれる。降ってくる足を避けて懐にもぐりこむ。記憶通り、ところどころで油のよろいが剥げていた。そこを的確に狙って切り裂けば、一応痛覚はあるのかいっそう暴れてグレンを踏み潰さんと狙ってくる。
 二本足の同時攻撃を避けて、それ以上入り込むことはせず潔く引く。元から時間稼ぎなのだ、ダメージを与えるにはあの鎧をどうにかしてからでいい。ナタリアの弓の援護とアニスの譜術で無理せずに離脱する。


「……終りの安らぎを与えよ―――フレイムバースト!」


 まだほとんど封印術が解けていないせいか、グレンの記憶の中にあるジェイドの譜術にしては小さい。けれど、普通に考えればそれでも十分な威力の焔の譜術が炸裂する。魔物が耳障りな悲鳴を上げて暴れだし、油の鎧が剥がれ落ちた。
 チャンスだと思い前に出ようとしたグレンだが、突然膝からがくりと崩れ落ちそうになる。咄嗟に剣を床につきたてて堪えた。


「グレン!?」

「馬鹿野郎、ルーク! 俺に構わずさっさとそのきもい蜘蛛倒せ!」


 動揺するルークを叱咤して、床から剣を引き抜こうとするのだがそれも叶わない。再び剣に縋りつく。
 また頭痛が襲ってきたのだ。痛みは一瞬だが、鋭く脳髄を刺すように突き抜けて、痛みが引いた後も妙にめまいがして立つのが困難だった。舌打ちをする。今いる位置は陣で言えば中衛だ。前衛ほど敵に接近してはいないが、ぼーっと突っ立っているにはいささか危険な位置だった。
 ……アッシュが工場の外に着いたのだろうか。だからかもしれない。近付いただけでもこうなるとは、弊害としては流石に予想以上だ。断続的に続く痛みに歯を食いしばる。またいつ頭痛が来るともわからないなら、前衛として敵に斬りかかるのは自殺行為でしかない。

 ふらふらする足もとを叱咤して一気に後衛にまで下がった。近くで敵に矢を撃っていたナタリアが駆け寄ってくる。


「どうしたのですか、どこか怪我でも……」

「いや、持病がね。治癒譜術じゃ治らないんだ。少ししたら落ち着くから、敵さん倒すのに集中してくれていいよ。ごめんけど俺はこの戦闘抜けさせてもらうから」

「わかりました、ではここで大人しくしてくださいませ」

「ああ、そうだ姫。どうせならあいつの目とか狙える? 油の下も固くてルーク達もてこずってるみたいだけど、どんだけ固くても目まで堅い生物なんて見たことないからな」

「目……分かりましたわ。撃ち抜いて見せましょう」


 鮮やかに笑って断言し、すぐに構える。ぎりぎりと矢を引き絞る音。腕は微動だにせず狙いは揺るがず、ルークとガイの両方を一気に潰さんとしたのだろう、大きく足を振り上げて―――顔、らしき部分が丸見えになる。その隙を逃さずナタリアは矢を放つ。その矢は見事大蜘蛛の瞳を貫き、痛みにのた打ち回る魔物をみてアニスがにやりと笑った。


「あれ、お姫様なのに良い腕じゃん!」


 微妙にひねくれている賛辞にナタリアも小さく笑うだけで返し、隙をみてもうひとつの目も撃ち抜く。完全に視界を潰された魔物は、さらなる痛みに打ち震えてめちゃくちゃに暴れていた。


「ルーク、今だ! とどめ刺せ!」

「おお!」


 ティアの譜歌とアニスの譜術で動きが鈍くなっている大蜘蛛の脳天にルークの剣が突き刺さる。ルークはすぐに剣を抜き距離を取って魔物を見ていたが、びくん、と一度体を固くして、すぐに動かなくなった。やっと終わったらしい。
 そしてルークは剣を納めると、何よりもまずグレンのほうへとすっ飛んできた。


「グレン! おい、お前なんかどっか悪いんじゃねーだろうな!」

「はれ? あ、いや。俺? ここは普通初陣なのに結構活躍したっぽい姫とかに言葉を……」

「んなのは後だ!」

「……そーかい」


 ちらりとナタリアのほうを見る。むっとしているかと思えば、彼女も心配そうな目でこちらを見ていた。おお、なんだろうちょっと嬉しいかもしれない。


「ああ、大丈夫だよ。ちょっと偏頭痛もちでね」

「え……お前も突然頭痛とかきたりするのか?」

「まあなぁ。今まではこんなにひどくは無かったんだが。ま、それは置いといて。良い腕じゃないか、姫」

「いいえ、着いて行くと言ったからにはこれしきのこと出来なければ。それよりも……あの、ティア」

「何?」

「……ありがとう。先ほどは助かりましたわ。……貴方にもみんなにも迷惑をかけてしまいましたわね」

「……いいのよ」


 あ、なんだか軟化してる。そうだよこうだよ、こうでなくちゃ。小さく口元を緩めていると、ルークになんだか半眼で見られる。いや違うよ? そう言う意味でにやにや見てたんじゃないぞ? 俺にはちゃんと他に好きな娘がいるんだからな! ……なんて言えるわきゃねーだろ馬鹿野郎!


「さて、こんな油っくさいとこにいたらまた頭痛が来るぜ。さっさと出よう」

「おーい、皆! 非常口みたいなのがあった! ちょっときてくれ!」


 ガイの言葉の通りに皆が集まる。出口に近付く。そのたびにひどくなる頭痛。繋ごうとされるときほど酷くはないが、それでもこの感覚は知っている。間違いない、アッシュだ。彼自身の意図もなく、捩れきった本来ありえない関係と繋がりにグレンの体が反応しているのだ。同調フォンスロット。ルークは閉じている。グレンは開いたまま。その捩れがここであらわになっただけの事。


「……上等だ」


 そのほうが都合が良いと願ったのは自分自身だ。
 全ては自身の願いを叶える為に。







[15223] 19
Name: 東西南北◆90e02aed ID:24c78129
Date: 2010/03/25 01:02





 イオンを返せ、と。坂を走り降りながら剣を抜き、ルークはアッシュに切りかかる。
 グレンは無言でそのすぐ後ろへ続き、シンクと斬り結んだ。
 後ろのほうでガイがルークの名前を呼んでいる。


「おい、いい加減に前俺が言ったこと分かったかよ?」

「はん、何のことだかさっぱりだね!」

「そーかい。でも本当は、分かってても分かりたくないだけなんじゃねえの?」

「……黙れ!」


 シンクが感情的な声を上げ、頭痛と吐き気を堪えながら斬り結ぶグレンには少し荷が重くなる。それでもシンクの攻撃を捌き切り、距離を取った。シンクは一瞬の激昂のまま追撃しようとしたが、記憶の中よりもいくぶん動きが鈍いグレンに不審な目を向けている。しばらく無言で対峙するが、未だに無言で睨み付け合う赤毛よりも何をするべきかを知っていたようだ。


「アッシュ! 今はイオンが優先だ!」

「わかっている!」


 ぶっきらぼうに答えたアッシュは無言でルークに駆け寄ろうとする仲間達を見やって、その瞳がたった一人に向けられた。驚いた顔をするその人からすぐに視線をそらし、殺意を隠さずルークを睨み付ける。


「いいご身分だな、ちゃらちゃら女を引き連れやがって」


 それだけを吐き捨てて、アッシュはシンクと黒い陸艦と共に走り去ってしまう。
 それを呆然と見送っていた後、気分が悪くなったのかルークは蹲って口元を押さえていた。そんなルークにグレンは近付く。そして一度ぐしゃぐしゃと頭を撫でた後、その隣にしゃがみ込んで落ち着かせるように背中を叩いた。予想外の出来事に混乱して、不安そうな目でこちらを向いてくるルークに安心させるように笑いかける。


「な、言ったとおりだろ。世界にゃ似てる顔が三人、ってな。一人と会ったな、ビックリしたのか?」

「ああ……そう、だな」


 ルークはグレンの冗談めかした励ましの言葉に笑い返そうとしているのだが、どうにも上手くいっていない。心臓の辺りを服ごと握って震え続けるルークに、それでも笑いかける。再び立ち上がって、俯くルークの頭をぐしゃぐしゃなで続けた。
 特段何も言うでもなく、ルークはその手を甘受している。


「さて、イオンは連れてかれるし六神将に会った時点で囮作戦は失敗だし……どーする? これならいっぺんバチカルに帰って船を使ったほうがいいんじゃないか?」

「無駄ですわ」

「……なんで」


 ナタリアの言葉に質問を投げかけたのはルークで、ふらふらとしながら立ち上がった。もう大丈夫なのか、と目で問えば、ルークの口元が小さく歪む。大丈夫だと傲岸に笑い返したつもりらしいが、はっきり言って強がりにしか見えない。


「無駄、って事は港を封鎖でもしたか? 姫」

「ええ、お父様はマルクトを完全に信じてはいませんもの」

「なら、陸路を行ってイオン様を捜索しましょう。仮にイオン様が命を落とせば、今回の和平に影響が出る可能性がゼロではないわ」

「そうですよ! イオン様を捜してください! ついででもいいですから!」

「あなたが決めてください、ルーク。この中での責任者はあなたです。イオン様を捜しながら陸路を行くか、あるいはナタリアを陛下に引き渡して港の封鎖を解いてもらうというのも……」

「そんなの駄目ですわ! ルーク、分かっていますわね!」

「だー、うっせーなぁ! ちょっと黙れ!こっちゃまだ気分がわりーんだよ!」


 一度大きな溜息をつき、陸艦が去って行った方向を見る。雨の中だというのにそのまま濡れていた友人の姿を思い出して、ルークの表情が険しくなる。


「陸路! ナタリアを連れてかないと色々ヤバイし、イオンをあのくそったれどもから助けてやんなきゃなんねーし、それに、」


 ―――俺は英雄にならなきゃいけないんだから。

 俯いたルークが独り言のようにポツリと溢した言葉が聞こえたのは何人いただろう。それは、スコア通りに英雄になるためには確実に和平を進めなければいけないから、イオンを取り返さないと、ということに続くのだろうか。
 しかし違和感にグレンは怪訝な顔をする。英雄に『ならなければ』? なりたい、ではなく?
 英雄に、そう言ったときルークはグレンの右腕を見た気がした。解らない。浮ついた気分に占められていた自分のときとは違う、どこか強迫観念に襲われている目をした、義務感に駆られたようなルークの言葉の意味が。


「……ルーク?」

「陸艦の立ち去った方角から見ると、ここから東ですから……彼らはオアシスの方向へ行ったようです」

「私達もオアシスへ寄る予定でしたよね。ルーク様ぁ、追いかけてくれますよねっ!」

「ああ……」


 小声で呟かれたグレンのルークの名を呼ぶ声は、次々に進んで行く仲間のことばに埋もれて届かなかった。陸艦の去った方向をみて、こみ上げる気持ち悪さを堪えるような表情をしたルークを見る。
 ……ヴァンは、恐らく自分の時とは違う言い方でルークをあおったのだろう。こんなにもルークが切羽詰った顔をしているのだから、一体どんな言い方であおったのか解らない。まだ、英雄と言う言葉を嬉しそうに願うのならば不機嫌になられても説教しなければ、と思っていたのだが……この表情は何を意味している?
 深呼吸でもして落ち着いたのだろうか、いくぞ、とだけ行ってルークはさっさと歩みを進める。その背を見ながら仲間たちはアッシュのことについて小さく言い交わし、グレンは一人で黙考してついて行った。










 海沿いに街道を進んで数日、遠目に見える砂漠にルークが驚いた、と声をあげた。


「砂漠……へぇ、アレが砂漠か。本当に砂しかないんだな」

「げぇ……もう砂漠かよ」


 うんざりとした声をあげたのはグレンだ。見る景色全てがいちいち真新しいルークとは違って、グレンはそう感嘆の声をあげられそうにない。遠目に見える砂の丘。風が吹いて砂に刻まれた紋は遠目からでも見える。風が吹くたびに刻み方を変えるそれを、楽しく思って見ていれたのは砂漠に入っていつまでだったか。遠い日を思い出す。後少しでも近付けば、風に乗って小さな砂漠の欠片の粒か飛んでくるだろう。
 がりがりと頭をかいて、空を見上げる。黒い曇り空。


「ルーク、今日はここで夜営をしといたほうが良い」

「はぁ? なんで……まだ進めるだろ。早くイオンを、」

「砂漠はなぁ……雨が全然降らないんだ。もう本当にな、死ぬほど降らねぇ。でもこの空見ろ、丁度よく今日は降りそうだろ? なら、ここで夜営してついでに雨水から飲み水作っといたほうが良い。うん、絶対。これ絶対。じゃなきゃ死ぬ。喉の渇きで死ぬ。ヤバイって」

「……砂漠に行って、夜の間に溜めときゃいいんじゃねえか?」

「ルーク……いいか、覚えとけ。夜の砂漠の雨は……地獄だ……」

「は? あ、ああ……そうか」


 遠い目をして砂漠を地獄だ、と証するグレンの目の生気の無さに些か引き気味になったルークがカクカクと頷いた。が、グレンがどうしてそうまで言うのか理由が分からず首を傾げている。ここで教えてやれば簡単だが、それでは面白みがない。
 そこでグレンはいつものようににやりと笑ってルークに問題提起をする。


「そうなんだよ。じゃあルーク、久しぶりの連想ゲームだ。何で砂漠で夜の雨は地獄だ、って俺が言うと思う?」

「は? そんなこと急に言われても解るわきゃねーだろ」

「まーまーまー、全部言え、なんて言ってねえよ。取り合えずここから見てみろ、砂漠。何か一つ思いつかね?」

「全部砂で、草も木もなくて、ずっと砂で……ああ、雨が降ったら避けようが無くて直撃? でも雨避けくらい…」

「いや、当たってるぞルーク。砂漠じゃまともに雨をしのげないんだよ。砂漠の砂は粒子が細かくてさ、雨避け作ろうにもまともに布も張れねーんだ。結果直撃」

「うげぇ……」


 今まででも旅の途中で雨に降られたことはある。それでも簡単に雨除けを作ったり、雨をしのげそうな森に入ったりしていたのだ。ルークはまだ雨を避けることもできず直撃する下で眠ったことなどない。が、どうやらグレンには身に覚えがあるようで、その時のことを思い出しているのか本当に嫌そうな顔をしている。
 なんというか、乾いた目というか鮮度が落ちきった濁った魚の目というか、あまり楽しくなさそうな目だった。


「寒いし冷たいし体は冷えるしでも空に文句言っても止まねーし、そもそも寝れやしねぇ。雨に打たれてむしろ疲労は溜まるし、でも一日中起きてても次の日体が使いもんにならないし、頑張って寝るんだが……いや本当に砂漠の夜の雨はなぁ……」


 二度と経験したくないね、と言った後、グレンは更に溜息をつく。それだけじゃない、と言った後に続いた言葉に、ルークも今度こそ顔を引きつらせる。


「それにだ。昼と夜の温度はひでぇし、雨避けれないから火をたけないし、そしたら夜行性の魔物はうじゃうじゃ寄ってくるし、ホーリーボトル蒔いてもすぐに雨で流される。でもやっぱり身を隠すとこなんて無いし、おまけに砂漠は夜盗だの盗賊だのが多いからな。下手すりゃ集団で夜襲かけられたら相手もこっちも死に物狂いだ。何とかしのいでもまた来るんじゃないか、ってなかなか寝れやしねえ。で、朝起きて進もうにも体力限界、疲労は取れない、まともなもんじゃねぇ」

「なんなんだよそれ……砂しかねえのにそんなに厄介なのか」

「そーなんだよ。オアシス着いたら命生き返る気がするくらいひでぇんだぜ。だから、明日に備えて今日はここで休んどいたほうが良い。大佐、異論は?」

「いえ。貴方がそういわなければ私から言っていたでしょう。今日は明日に備えてしっかり休養しておいたほうがいいでしょうね」

「そうか……ま、グレンの言うとおりになったら勘弁だしな。今日はここまでにするぞ」

「よっし、決まりー。じゃあ雨しのげそうなのは……ねえな。今のうち簡単に雨避け作っとくか。ルーク、手伝ってくれ」

「へーいへい。ガイ! お前も手伝えよ!」

「ああ、解った! じゃあ女の子たちは料理を頼む」

「おや。私はすることがありませんね、では料理のほうを手伝いますか」

「待て大佐ーーー! アンタな、こっち手伝おうとはしねーのか!」

「私は肉体労働が苦手でしてね。最近は腰も痛くて……」


 嘘付けこの現役軍人鬼畜眼鏡。と、つい同じことを思ったルークとグレンだったが口に出すほど冒険家でもなかった。でも多分手伝ってもらったら手伝ってもらったで、その途中で色々といじられそうで嫌だ。しかし料理をさせるのも、嫌だ。何を入れるか解らない。グレンの記憶の中で奴が言っていた言葉が蘇る。


『勿論。命の危険の少ない人体実験なんて貴重でしょう? 有効利用しないと』


 命の危険が『ない』、とは言い切らない男なのだ、ジェイド・カーティスという奴は!
 どうする、とルークに目で訴えられて、しかしどうすればいいのかわからない。ガイを見てみる。旦那に料理はやめさせてくれと目で訴えられた。だから俺にどうしろというんだお前達。俺にだって無理なことはたくさん在るんだぞ。しかしジェイドの料理。それならナタリアの料理とどっちをくらべれば……いや待てよ。ナタリアの……料理?
 突然くわっとした顔でガイのほうを振り向いたグレンに、ガイとルークはビックリする。かなり切羽詰っている表情だ。


「色男。『女の子たち』に料理を頼んでいたよな。……それは、姫も、込みか?」

「え? ああ、うん。そうだが……」

「大佐! アンタ今すぐ胃薬作れ! 大至急だ! 先に飲む奴と後に飲む奴! むしろ麻酔と言うか鎮痛剤と言うか……明日歩ける程度になっとかんと話にならん!」

「「「は?」」」

「いや、これは俺の勘だがな! ああいう上流階級のお嬢様系はな、絶対的に……!」


 ちょっと待ってナタリア! 包丁、包丁を振り回さないで危ないから!
 ちょお、お姫様なにやってんの?! 危ない、危ないって!
 はあ! はあ! はああああ!
 ええええええ!?
 まな板がもったいないよぉー。
 包丁ってあんなによく切れたかしら……あ! ナタリア、鍋吹いてる!
 って言うか、それよりなんでこの状態でもう鍋吹いてんの! そっちのほうが驚きなんですけど!?
 ああ、ヒール、ヒール!
 ……鍋の焦げ付きはヒールでも治らないと思うわ。
 どーかんでーす。
 そうですわね。では鍋を使わず……。
 そのまま?!
 それは流石に無いで――ああ、焦げた!
 よく焼けましてよ
 焼 け す ぎ でしょ!
 で、でもティア、一応これ焦げたとこ取れば何とか……あ、中火が通ってない。何で?! ナタリアすごいよ、ある意味天才だよね! 本当に!
 そんなに言われても何も出ませんわよ
 …………誉めては…
 …………無いんだけどねぇ…




「「「「………………」」」」


 背後から聞こえる、なんだかすごい音に男性陣の背筋に汗が伝う。後ろは振り返っちゃ駄目だ。ガイとルークの目が一斉にこっちに向けられる。なんだか縋りつくような目をしていた。だから無理だって。俺にどうしろと! 引きつった笑顔を返す。二人の顔が絶望にまみれた。うん、気持ちは解るよ。でも多分アニスとティアがいるなら二人の作った料理は……無事だと信じたい。信じるしかない。
 でももしかしたらルークはナタリアの押しで愛の手料理を食べさせられるかもしれないけれど。とは言えない。そんな死刑宣告俺にはできない! 生きろ、ルーク……生きるんだ!


「ですがあの張り切りよう。ルークのためかもしれませんねぇ。我々はともかく、ルークはナタリアの料理を食べなければ彼女は止まらないんじゃないんでしょうか」

「なんだとぉ?! ふっ、ふざけんなよ!?」

「いえ、でも考えてみてください、ナタリアですよ? あり得そうでしょう」

「…………」


 大佐ああああ! 俺が言えなかった死刑宣告をこうもあっさり言うとはなんという鬼畜だ。それともこれがお前なりの優しさなのか、と思いたいがその笑顔は何だーーー!
 魂が口から出て行きかけているルークがふらりと倒れそうになるのを支える。しっかりしろ、寝てたら気絶してる間に口に入れられて本当に死ぬぞ。ガクガクとゆすってみれば、がしりと腕を捕まられる。必死だった。とにかく必死な目だった。今だけならヴァンよりも頼りにされている自信がある。それくらい必死な目だった。


「グレン……っ! 頼む、どうにかしてくれ!」

「解ってる、解ってるんだルーク……しかし、俺ではあの姫を止められねぇ。くそ、エミヤがいれば……」


 いや、居ても無理かもしれないが。なんたってあのナタリアだ。鍋の焦げつきをヒールで直そうとするナタリアだ。外はこんがり中は半生を地で行くナタリアだ。もちもちするはずのものがねっちゃねっちゃして、ぱりぱりするはずのものがぬっるぬるになって、ふっくらするはずのものがかちこちになるナタリアの料理の腕だ。
 ……いくら腕のいいエミヤでもあのフォローは出来ないだろう。しかしルーク、そんな捨てられる子犬みたいな目で俺を見るな! ああ、けれど俺の願いはルークが生きることなのだから…っ!(錯乱中)


「ルーク……お前は王族だからと俺が毒味係りを買う。……グランツ響長にレイズデッドを頼んでいてくれ……あとライフボトル十個くらい用意してくれ。十個だぞ、タトリン奏長がケチっても十個は用意しといてくれよ」

「え……今回はアニスでも流石にケチらないだろ。でもグレン、それじゃお前が!」

「おいおい、本気か?」

「止めてくれるな色男。漢グレン、友の命を生かすために散ってやろうじゃないか……っ!」

「いや散ったらだめだろう……。おい旦那。そこでニヤニヤしてる暇あったら、グレンの言った通りとりあえず薬作っといてくれよ。こっちは俺らがやっとくから」

「そうですねぇ。自分から胃を障気の渦へ叩き込むような気概に打たれて胃薬でも作っておきますか。まあ、明日になって砂漠越えの時に戦えなくなられては困るのはこちらですから」


 ひらひらと手を振ってジェイドは道具袋を漁りだす。どうやら本気で胃薬を作ってくれるようだ。ジェイドはジェイドで今一信用ならないのだが、それでも誰より冷静な現実主義者でもある。明日のことを考えても、変な薬は作らないだろう。何せこの道行きにはイオンの命と、ひいては和平の締結がかかっているのだから。
 雨除けを作りながらこっそりと後ろを見る。
 ……ティアとアニスも結構必死だった。頑張っていた。でもあまり後ろはみたくないなぁ。
 ごめん、エミヤ。自分の願いを叶えることもできずに先立つ不幸をお許しください。遠い相棒に別れを送る。さて、今のうちに遺言を考えておこうか。








「グレン、生きてるかー」

「なんとか……なんかたくさん懐かしいひとが綺麗なセレニアの花畑で手を振ってたけど……あれってどこの渓谷? うっかり嬉しくて走り出したくなっちゃったよ」

「駄目だーーー! バカ、それめちゃくちゃやべぇじゃねーか!」

「ルーク様の言ってる通りだって、グレンー。しっかりしてよ、イオン様も泣いちゃうから!」

「あー、いや、でも大丈夫だよルーク、奏長。今行ったら手を振ってた当のご本人に叱られるからいけない。まだやりたいこととかあるからな……ああでもどうしよう、あいつに馬鹿って言われるのも嫌いじゃない……」

「何いってんの?! 正気に戻って!」

「お前もディストみたいにマゾだったのか……?」

「ちっがああああう! ルーク、それは違う! 違うんだ! だって可愛いんだよ! 拗ねたみたいに言われちゃったらおかしいくらいどぎまぎしちゃうんだよ! 分かるこれ!?」

「わっかんね」

「ちくしょおおおおおお!!」


 さあさあと雨が降っている。簡単な雨避けを作ったとは言え、端に寄れば風に吹かれて雨に濡れてしまう。わりと中心と言う安全なポジションにおいてもらえているのは多分慈悲だろう。頑張って焦げを落とした鍋に雨水が溜まる音が聞こえる。大声をあげてばたばたと駄々をこねていたら頭の上に置かれていた、いかにも病人、と言うタオルが落ちかけて慌てて掴んだ。それを取って、体を起こす。
 ああ、眩暈が。これは頭痛の後遺症とかではないことは分かっているが。大声は出せていたけどまだダメージが体に蓄積しているのだろうか。どんな料理だよ。ふらぁと後ろに倒れかけたグレンを間一髪でガイが支える。


「大丈夫か? ほら、旦那の胃薬だとよ」

「ああ、さんきゅ。……で、姫は? 落ち込んでないか?」

「…………いや、その、落ち込まなかったらそれはそれで問題だと思うんだが」

「ええ? でもあの姫が落ち込んでるなんて似合わないじゃないか。元気出せって言っといてくれよ」

「あー……グレン、その励ましに逆に落ちこんでるぞ」

「え、マジ?」

「私、料理本当に苦手ですのね。本当にごめんなさい、グレン。まさかまずいだけならともかく、致死量にいたる毒扱いの料理を作ってしまうなんて……」

「ははははは、王家秘伝の必殺技ですね。いい腕です」

「……………………」

「大佐、これ以上ナタリアを落ち込ませないでください!」

「ありがとう、ティア……貴女は本当に優しいひとなのね。でも良いのです、彼の言うことは本当のことなのですから」

「で、でもこれから頑張れば……なんとか……」


 なるんじゃないのかしら、とは言えなかった。流石にティアも。料理という名の効果覿面な激毒を見てしまった後では。
 ちらりとティアが振り返れば、ティア、頑張って励ましてやって! といわんばかりにぐっと拳を握る、顔色が真っ青になったままのグレンがいた。でもできればもう一度チャレンジしようとは思わない方向で励ましてやって、と音律士のティアになら辛うじて聞き取れるくらいの声量で言ってきていた。とんでもない無茶振りだ。
 グレンが気づくまで彼の枕元にかじりついて離れようともしなかったルークは、今ではいつものふてぶてしさを取り戻していて、ぎゃあぎゃあ喚きながら未だに青い顔色のグレンを寝かしつけようとしている。傍から聞いていれば怒っているようにしか見えないのだが、多分彼なりの心配なのだろう、あれでも。
 その横でアニスはそのグレンとルークのやり取りをみて、あれ、案外これ……ライバルってもしかしてグレン? などと小声でぼやいている。ガイはそんなふうにでも誰かを気遣えるようになっているルークにジーンとしているようだった。あれではまるきり親ばかだ。
 長々と溜息をついて、ナタリアをみる。分かりやすく落ち込んでいて、まあ流石にあれでは落ち込みもするだろうが……何とかならないものか。

 そんな風に、それでも頑張ってナタリアについているティアを見てグレンはくすくす笑ってしまう。アニスとガイにもティアの応援に行くように言って、ルークを見る。不機嫌そうな顔をして、こちらを見ていた。今なら、少し近いとは言え雨音で皆には聞こえないだろう。


「なあルーク、聞いていいか」

「あんだよ?」

「なんで英雄に『なりたい』、じゃなくて『ならなきゃ』、なんだ?」

「――――……」


 ピクリ、とルークの眉が動いた。まだこのころは嘘がつけないお坊ちゃまの癖に、それでも必死に無表情を装うとしている。空気が冷える。それでも、これだけは言っておかなければならない。


「なあ、ルーク。英雄ってのはな、そいつの手は血まみれなんだ。英雄は、手さえ打っていればどうにかなっていたはずの事を打たずに、結局起きてしまった悲劇を誤魔化す為に為政者が祭り上げるスケープゴート。ろくでもないものなんだぜ」

「……違う。俺は、アクゼリュスに行ってるじゃねーか。それは、伯父上が手を打ってるってことだろ?」

「そうだな。それがスコアに読まれていなくてもお前が選ばれていたなら、手を打ってるっていえるだろう。でも、スコアに読まれてるから、って理由で打った手は打ってないのと同じだよ。自分の行動が何を起こしてどうなるかを考えずに、スコアだのユリア様だのに言われたとおりに流されてるのと同じなんだから」

「…………っ!」


 言われた言葉に伯父達だけでもなく自分のことも言われたように感じて激昂しかけて、それでも黙り込む。ここら辺は、ルークにしては驚くべき成長だろう。それだけをぼんやりと思いながら、グレンはルークを見ていた。不機嫌そうな顔を見ながらも、ここから離れて行こうとはしない。話を聞こうとしている。あの頃の自分なら間違いなく激昂して暴言を吐き、そのまま罪悪感もなく己の正しさを信じていただろうに。
 本当に、かつての自分を比べてみてもこの世界のルークは真人間だ。


「俺一人ならきっと駄目でも、アクゼリュスではヴァン師匠がついてる。なら、上手く行かないわけがないんだ」

「そうだな。一人でも無理なら二人でならできるかもしれない。でも、ヴァン謡将だって神じゃない。人間だ。二人だけで無理なら三人、三人で駄目なら四人。そう言うふうに信じられる人間を、もっとお前は持つべきなんじゃないか?」

「……っ、勝手なこと言うなよ! お前知ってるだろ! 俺は、ずっと屋敷に閉じ込められてたんだぞ!」


 ついに怒ったルークが大きな声を出し、グレンを睨みつける。その声に不穏なものを聞き取って、今までナタリアの方に向いていた意識がこちらに向けられた。慌ててこちらに来ようとするガイを手で止める。


「俺がいるだろう、ルーク」

「っ!」

「俺はお前が信頼するに足る人間には値しないか?」

「それは……でも、」


 ヴァンに誰にも言うなと言われたから。それもあるが、ルークはグレンにだけは言えない理由があった。何故英雄にならなければいけないのか。
 それを知ってしまえば、グレンはきっと気にしすぎだと笑うだろう。いい加減に怒るかもしれない。それでも、ルークにとってグレンが信頼できる、大切な友人だからこそ黙っておきたことがあったのだ。子どもの我侭だと大人はいうかもしれない。それでもこれだけは、と護りたいものがあるのだ。決めた思いがあるのだ。
 だからこそ、ルークはグレンには言わない。しかし、グレンはそんなルークの心境を知ることはできない。


「スコアに詠まれたと伯父上も父上も言っていた。だから、俺は英雄になる」

「英雄なんてのは言葉でかざった人殺しだ。絶対に碌なもんじゃない。注意しておいたほうが良いに決まってるんだ。そもそもだ、スコアに詠まれた? 可能性のひとつだよそんなのは。なら、あなたは死ぬと詠まれたとして、スコアが言うならと諦めるのか? ばかばかしいだろう、スコアは絶対なんかじゃない。人の願いで覆されるべき可能性のひとつだ」


 スコアを『そんなの』扱いしたグレンの言葉に、ティアやアニスなど教団員だけではなく、ジェイドまでもが驚いた顔をした。まあ確かに、今の彼らには爆弾発言だっただろう。それでもグレンは撤回させる気もなかったのだが。


「英雄が、全部人殺しだなんてわけじゃないだろう!? 戦争を回避させれば、俺は」

「誰も殺さないまま英雄になれる? それが胡散臭いってんだ。話が上手すぎるだろう。英雄は、そもそもがどうしようもなくとんでもない数の命を喰らってなるものだ。無血の英雄なんて御伽噺の世界にしかいないんだよ」

「じゃあ、俺がひとを殺さないままの英雄に初めてなればいいだけだろ!」


 怒りのまま立ち上がって、雨が降っているというのにここから離れようとする。それでも、グレンがルーク、とその名を呼べば立ち止まる。雨が降っている。土砂降りと言うほどではないが、それでもさあさあと降り続く。雨でぺたりとした前髪に隠れて、ルークの表情はよく見えない。
 ただ、どうしてグレンが自分のやろうとすることを否定するのかと、泣き出しそうな表情になっているようにも見える。


「お前は英雄なんて胡散臭いものにならなくて良いんだよ」

「……俺はっ!」

「ルーク。お前は、ただの一般人で良いんだ。ちょっと乱暴でちょっと我侭でそれでも本当は笑っちまうくらい真っ直ぐで優しくて不器用すぎて。そんな、ただの、ちょっと身分の高いだけのお坊ちゃんでいいだろう」


 とんだ暴言だ。とてもではないが王族の人間に吐いて許されるような言葉ではない。本当にとんでもない暴言なのに、なんだか同じ目線からぽんと放たれた言葉のようで、ヴァンにお前が必要なのだといわれた時みたいに嬉しくて、ルークは舌打ちをしたくなる。
 英雄になれといわれた。そのままで良いといわれた。
 ……嬉しいのはどちらだったのだろう?


「何度も言ってるだろう? 俺は、そういうお前のままのお前が結構嫌いじゃないんだぜ、ってな」

「でも、それじゃあ、駄目なんだ」


 雨音にかき消されるくらいの小さな声で、ルークは呟く。
 グレンの右腕に視線を投げかけながら。



「俺は―――英雄に、ならなきゃいけないんだから」



 それだけを呟いて、ルークはどこかへ走っていく。その背を見送るグレンの瞳はとても悲しそうだった。


「色男、ルークを頼む」

「え……あ、ああ」


 すぐに走り出そうとして、ぐいっと裾をつかまれてガイはつんのめりかける。どうしたと問えば、グレンは小さく笑いながら言う。


「悪いけどな、ルークに伝言頼めるか」

「……なにをだ?」

「明日の朝飯は俺とルークで共同作戦をはる。風邪引く前に戻って来い、ってな」

「ああ、わかったよ」


 意地っ張りの坊ちゃんには伝わるか伝わらないか微妙なところだが、多分伝わるのだろう。ルークと同レベルの意地っ張り具合の言葉に、ガイは笑いながら頷いた。















久しぶりの没ネタNGシーン。
お姫様のどたばたクッキング前ふり。



「あらティア。それはなんですの?」

「ああこれ、これはね」

「これはねー……セントビナーまでいたらしいグレンの従者さんが書き残して言ったといわれる、伝説のレシピ集なんですよぉー?」

「あ、アニス? ……それはちょっと違」

「まあ、伝説の? それは素晴らしいですわ、少し見せていただけて?」

「はあ……どうぞ」

「ほんとーにすごいんだよ、もうこれアニスちゃんとしてはタルタロスに乗ってる間にぜひとも料理について語り合ってみたかったって言うかぁー」

「あの、ナタリア? 読む方向逆……いえ、後ろのは普通のレシピじゃなくて……」

「まあ、これはすごいですわ! たった一種類の材料でこんなにフルコースを作れるなんて! さすが伝説のレシピ集! 素晴らしいですわ! 決めました、今日はこのフルコースを決めましょう!」

「ええ?! あの、それはちょっと……、ね、そっちじゃなくてせめてきのこの方、を……」

「あら、何故ですの」

「に、ニンジンは……その、残りが……少ないから……?」

「あはは、ティア必死~」

「そ、そんなことないわよ!?」




[15223] 20(砂漠のオアシス~ザオ遺跡)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:8d676ee3
Date: 2010/01/31 00:02



 砂漠を渡って、オアシスにたどり着く。陸艦がついた形跡はない。が、消えてしまっただけかもしれない。砂漠の砂丘は常に風に流されて、誰かが居た痕跡を雪よりも余程簡単にかき消してしまう。
 辺りを見回せば朽ちた都市の名残を残す残骸があちこちに倒れていて、その中心に大きな譜石が砂の中にざっくりと突き刺さっていて、その周りに水が湧き出ている。砂漠の中継地点。ここまで来るだけで砂まみれになってしまった服を払いながら、やっと人心地ついた気になってルークは辺りを見渡す。


「へーぇ。砂漠のど真ん中だっつーのに、ここだけは草だの木だの水だのがあるんだな」

「水があるのはあの巨大な譜石のせいですよ。あの譜石が落ちた衝撃で地下にあった水脈が湧き出てきたのです」

「大佐大佐ぁー、じゃあここに色々倒れてるのは何なんですか?」

「これは遥か昔に滅んだといわれている都市の名残……正確には都市の外れの跡、と言ったところですか」

「では、昔はこのあたりにも人が住んでいたということでしょうか」

「確証はありませんが、その昔この辺りは砂漠ではなかったようです。ただ、何らかの天変地異で砂漠になり、風化してしまったようですが……残骸から見てもなかなかの技術レベルです。そうなるまでは恐らくたくさんの人々がいたのでしょう」


 ルーク、アニス、ティアの疑問に次々に流れるように答えていく。立て板に水、と言わんばかりのその流暢さにガイは感心したように何度も頷く。


「へぇ、流石は旦那。何でも知ってるんだな」

「マルクト皇帝陛下の懐刀、ネクロマンサーの名は伊達ではない、ということですわね」

「いえいえ、すべて先ほどすれ違った商人に聞いただけの話ですよ」


 いつの間に。それまでさすがジェイドだと感心していたメンバー一同が思わず心中でつっこむ。本当に、油断も隙も無いやつだ。そんなジェイドをグレンはやっぱジェイドはジェイドだなぁ、と半ば感心してみていたのだが、このままここでのんびりしているわけにはいかない。


「おい、聞いてくれ。さっきそこらの商人に聞いたんだけどな、なんかでかくて黒い陸艦がここから東の方向へ進んでったらしい。ここから東って言ったら、ザオ遺跡だ。何しに行ったかは知らねえが、ザオ遺跡にいるんだろう」

「ザオ遺跡……なるほど。グレン、貴方はその遺跡の場所がわかりますか?」

「まかせろよ大佐。これでも俺結構いろいろ回ってるんだぜ? エミヤとばっちり行ったぜ、遺跡探検!」


 にやりと笑って大嘘をかます。エミヤとこの世界に来たのはこの物語が始まるほんの数日前だ。が、場所を知っているのは事実でもある。時間を確認し、記憶を掘り起こす。最短で砂漠で一泊、魔物だの夜盗だのに狙われまくったとして、二泊。本当に狙われないことを心底願う。
 まあ雨さえ降っていなければ魔物の心配はあまりしなくていいのだから、何とかなるだろう。


「水とかしっかり準備しとけよ! 結構距離もあるからな……あ、イオンを助けた後のことも考えて、砂漠用に日よけのフードのある上着とか買っといたほうがいいかも」

「なあグレン、それじゃあ人数分買っといたほうがいいんじゃねーの。自分だけあってもイオン着ねーだろ。絶対にアニスとかに渡そうとするぜ」

「ああ……だな。じゃあ人数分買っとくか。どうせ砂漠越えたらあんま使う機会無いからな、安もん……うーん、タトリン奏長。ルークについてってやって。こいつ安物の基準おかしそうだから」

「了解でーす」

「お前実は俺のこと馬鹿にしてないか?!」

「でもルーク、実際その服の生地高級って知ったの最近なんだろ」

「うぐ……っ?!」


 呻くルークにクツクツと笑って、旅費の入った財布をアニスのほうに渡す。財布までアニスに渡されて、ルークの方はまだブツブツ言っていたが「だってお前俺に似てるから買い食いしそうだし。ダメだ」といわれて無言を通した。でも微妙に嫌そうでもなかった。グレンに似てるとこがあるってどこだろう、と真剣に悩んでいるようで、なんというかここまで懐かれたら気分は兄貴だ。
 少しへらりとしてしまいそうになって、周りの目を感じてごほんと咳払いをする。まあ奏長が許す範囲のちょっと位の買い食いならいいぞ、と話を変えようとしてうっかり言ってしまって、完璧に親馬鹿認定されてしまった。違う、俺は多分ルークにとっては兄なんだ! 親じゃねえ!
 必死に主張したら生暖かい眼差しを喰らってしまった。何故だ。何故そんな目で俺を見る。散々疲れた思いをしながら、砂漠を出る。方向はここから東、ザオ遺跡だ。










 砂漠へ出て東へ進行中。日差しは相変わらず厳しい。けれどオアシスに行くまでの砂漠越えの辛さに比べれば格段に余裕があって、ルークは感心したように自分が被っているフードを掴む。


「へぇ。本当に違うんだな、こんなの着るだけでも。これならイオンも大丈夫か」

「さあなあ。六神将とかに無理させられてなかったら大丈夫だろうが……」


 グレンの脳裏にダアト式封呪をといて倒れるイオンの姿が思い浮かび、自然と表情が暗くなる。せっかくここまで封呪を解かせないようにしてきたのに。まだ解かされているとしたら体への負担はどれくらいになっているだろうか。せいぜいがこのザオ遺跡のみだろうが、それでもダアト式譜術の使用は医者に止められているくらいなのだ。
 首を振って、暗い気持ちを振りはらった。違う、ルークに俺と同じ思いをさせないために、イオンをあんな目に合わせないために、あの世界と違う未来にするために、俺は今動いているんだろう。ならばここで暗くなるより先にすることがあるだろう、グレン。自分自身に言い聞かせて、少し歩みを早くした。からりと明るい声をあげる。


「ま、どっちにしろ早く助けるに越したことはねえってな」

「ねぇグレン、遺跡ってまだぁー?」

「そうだなぁ……まだもうちょっとかな、タトリン奏長。イオンが心配なの分かるけど焦んなって」

「分かってますぅー。でも……」

「まあ、次からは簡単に攫われないようにな。いっそ同じ部屋に泊まれば? 流石に物音で起きるだろ、そうしたら」

「ダメ! それはダメ! そうなったらアニスちゃんの玉の輿計画がご破算になっちゃうでしょ!」

「だってイオンに限って問題なんて起こさないだろ」

「私のじゃなくてもイオン様の外聞が悪くなるからだめ!」

「え、それが本音? なんだ、タトリン奏長って結構真面目に導師守護役なんだな」

「…………ぐーれーんー?」


 どろどろした声で名前を低く呼ばれた。ギクリ、とグレンが肩を強張らせる間に何か仕返しを考えたのか、アニスはにっこりと可愛らしく笑って、


「今日の食事当番はアニスちゃんが請け負っちゃおう! それでニンジンフルコー」

「すっませんっしたーーー! 勘弁してください! すんません、本当にスンマセン! ごめんて!」

「ふーんだ、きのこフルコースにしてやろーっと」

「えええええええ! あ、いや、ちょっと待て! 確かきのこはルークも嫌いで……っ!」

「じゃあグレンだけ特別大サービスで別口で作ってあげる。感謝してね?」

「奏長! 頼むからそれはやめてくれって!」


 砂漠越え中だというのに元気なものだ。余計な体力を食うばかりで良いことなど何もないのに、ぎゃあぎゃあ言い合う二人を見てガイは小さく口元を弛める。


「やれやれ、ルークといたら兄貴みたいなのに、アニスといたらまるで弟だな」

「……そーだな」

「あらルーク、どうかしまして? 不機嫌そうですわよ」

「別に!」

「ふむ、自分にばかり構っていてくれた人が他人に取られたみたいで面白くない、と……こういったところですか」

「違うっつーの! 俺はただ、」


 そのまま言いかけて、ルークはふと口を噤んでしまう。不機嫌そうな顔をして、口をへの字に結んで開こうとしない。


「ただ……なに?」

「……お前らから見て、今のグレンって体調悪そうに見えるか?」

「「「「は?」」」」


 ティアの質問に何故かルークも質問で返して、しかしその内容に皆が目を丸くする。改めて少し前を行く彼の姿を見る。騒がしそうにアニスと言い合う姿を見ても、どこも悪そうには見えない。


「別に、特に変わったところは見えないと思うけれど……」

「元気なもんじゃないか?」

「……だよなぁ」

「……どうかしましたか?」

「いや、なんつーか……あいつ、本当は歩くたびに頭が痛くなってて、それを無理やり抑えてザオ遺跡に進んでるように感じるんだよ」


 前を見る。とても賑やかだ。


「……どこらへんでそう思ったんだ、ルーク」

「知るかよ! 勘だよ! なんかこう……あ、今グレン頭いたそう、って感じで分かるんだよ!」

「ふむ……では少し確かめてみましょうか。アニース」


 がっくりと肩を落としているグレンの隣で腕を組みながらふふんと笑っていたアニスだが、ジェイドが呼ぶ声に気づいてたたたと駆けてくる。どーしましたぁ? と尋ねてくるアニスにごにょごにょと耳打ちして、アニスは面白そうににんまりと笑うと、敬礼のポーズをして了解しましたーと返した。
 そしてすぐにグレンの隣に戻り、何事か話していたかと思えばそろーっと彼の後ろに回りむ。
 そして、いきなりグレンの膝の後ろを自分の膝で押したのだ。俗に言えば膝かっくん。いくら油断しているとは言え、鍛えている剣士であればふらつくだけで―――


「え? あれ? ぐ、グレン?!」


 笑って何をするんだよ、とアニスに返すだろうと誰もが思っていたのだ。だが、当のグレンはがくりと地面に膝をつき頭を抑えて呻いている。その表情はひどく苦しそうで、そこで初めて皆はルークの言葉が真実だったのだと理解した。真っ先にルークが正気に返りグレンのすぐ側にすっ飛んで行き、それを見て残りの仲間も慌てて駆け寄る。


「おい、グレン!?」

「ちょっと勘弁……アニスに入れ知恵したの誰だ? なんで分かったんだよ」

「アニスにこれを指示したのは私ですが、貴方の体調不良に気づいたのはルークですよ」

「ルークが……どうして分かったんだ?」

「知るか、っつーかやっぱ無理してたのかよ! なんか分かんねえけどそんな感じがしたんだ、勘だっつーの!」

「…勘? まさか……」

「……グレン?」

「いや、なんでもない。しかしばれたなら仕方ないな。ちょっと、頭がね……痛いんだ。歩いときゃ治ると思ってたら、どんどんひどくなる一方でな、困ったもんさ」


 ルークの言葉にふと険しい顔をした後、すぐにいつもの笑顔に戻る。そして茶化すように自分の現状を話すのだが、ジェイドだけはずっと何かを考え込むようにグレンのほうを見ていた。ああこれ確実に俺もレプリカだって思われたな。多分、三人目だとでも思ってるんだろう。この体調不良は劣化ゆえ、とか。ルークがどうして勘で体調に気づいたか、は同じ被検体のレプリカ同士だからか? とか。本当はグレンは異世界のルークで、すこし違うのだが。
 しかし、ルークが勘で気づくとは。ルークの同調フォンスロットを閉じたとは言え、完全ではない。対してこちらは全開状態で、意識的にしろ無意識的にしろオリジナルルークからの干渉を散々受けている身だ。元々が同じ存在だ、やはり近くだと何かしら伝わってしまうのだろうか。
 本音を言えばザオ遺跡、もっと細かく言えばアッシュに近付こうとするだけで頭の痛みは増していっているのだが、どうしたものか。


「なあグレン、きついなら今のうちでもオアシスに帰ったほうがいいんじゃないのか」

「いや、考えてみろよ色男。ここから一人でオアシスに帰る方が危険だろう。それに、ザオ遺跡まで半分はもう過ぎてるんだ。お前らを遺跡にまで連れてって、俺はその出入り口くらいで待機、って方がいいだろ?」

「それは……そうかもしれないが」

「無理すんなよ」

「……じゃ、お言葉に甘えさせてもらおうか。魔物が出てきたら俺戦わずに後ろ下がっとくからさ。上手く護ってくれよ?」


 深呼吸をして、立ち上がる。頭痛は一向に治まらず、少し眩暈。軽く頭を振る。東を向いて、目を細めた。
 そしてせっせと歩いてザオ遺跡にまでなんとかたどり着く。気分は最悪だ。グレンは自分でもかなり青い顔をしていることを自覚しているが、何とか無理やり一人で歩ききった。気を抜けば地面でのた打ち回ってしまいそうだ。頭の内側から打つ痛みと、外部から思い切り殴られているような痛み。
 まさかとは思うがアッシュさん。またか。また試しているのか。だからさ、繋がりかけてるのアンタのレプリカじゃなくて俺だから。でも俺はアンタのレプリカじゃないから繋がらないんだよ、どうやったって。繋がりかけるまでが限界で、繋がらねえんだよ絶対に。流石に痛みで死んじまうぜ、いい加減。
 もはや喋る気力もない。震えそうな指で何とか遺跡の入り口を指差し、へらりと笑うと、ついにルークが切れた。


「もうお前休め馬鹿っ! 動くな寝てろ休憩! 俺らがさっさとイオン取り返してくるからグレンここで休憩! そこの影入れさっさと寝ろ! 今すぐ寝ろさっさと寝ちまえこのやろおおおおおおお!」


 それでも大声を出したら頭に響く、と同じ頭痛持ちとして気を配ってくれたのか、声の音量は限りなく小さかったりした。ルークにこんな気遣いができるとはちょっと感動だ。ふらふらしながらも感動していると、動こうともしないグレンに痺れを切らしたのか、ルークがぐいぐい遺跡の柱の影の中に連れて行く。
 柱に背中を預けるようにしてずるずると座り込む。座り込んで、折り曲げた膝の上に肘を置いて頭を抑えた。やっと人心地ついた気がして大きく溜息を吐く。ルークに礼を言って、そうすれば思い切り感じるのはトゲトゲとした視線だ。


「…………」

「…………」

「……なにか言いたいことでもあるか、ルーク」

「二度とこんな無理すんなよ。次したら殴るからな!」

「えー……頭痛に襲われてるときに殴るとか鬼か、お前は」

「殴るからなっ」

「……わかったわかった、無理する前にちゃんと言う。それでいいだろ?」

「絶対だぞ!」

「ああ、絶対だ。約束するから。ほら、イオン助けに行ってやれ」


 ぐしゃぐしゃといつものように頭を撫でる。やはりルークは止めろとは言わない。ただじっとグレンの目をみて、ふいっと顔をそらす。すぐイオン取り返してくるからその間に魔物にやられてんじゃねーぞ、とぶっきらぼうに言って、ずんずん遺跡のほうへと歩いていってしまった。
 その背を見送りながら、残りの仲間達にひらひらと手を振る。


「じゃ、あの猪突猛進を頼んだぜ。誘拐されてた時の状況から見て、イオンと一緒にいるのは多分六神将だろう。気をつけてな」









 みんなを見送って、どれくらい眠っていたのだろうか。頭痛は引いている。と、言うことはアッシュは引いたのだろうか。ぱちりと目を開ければ空は夕焼け。遠くでキラキラ光る音譜帯が夕焼けの金色を反射していてすごく綺麗だ。ぼんやりと目を開けていたら、すぐ隣から穏やかな声がした。


「目が覚めましたか」

「……イオン」


 と、自分の声ではっとする。そこにいるのは、声の通りに穏やかな表情を浮かべる、人の良さそうな友人の姿。慌てて周囲を見回す。どうやら今日はここで野営をするようだ。
 はて、記憶の中では六神将を残して自分たちが出てきて、一刻も早くここから離れましょう、とせっせと離れていったと思ったのだが……記憶違いだったのだろうか。首を傾げていると、起きた事に気づいたのだろう、ルークがばたばたと走ってきた。


「グレン、目が覚めたのか!」

「ああ……今日はここで野営なのか?」

「おう。お前も疲れてそうだったし、イオンも……ダアト……なんたら? とかですっげえ顔色悪かったしな。無理に進むより、今日で一気に疲れとって明日その分進むって感じのほうがいい、ってジェイドが言ったんだ」

「グレンも目を覚まさないでぐっすり寝てましたからね」

「はは……いや、面目ない」

「なーにが面目ない、だよ。お前はちょっとくれー休んだほうがいいんだっつーの……ほれ」

「お? なんだこれ」

「さあな。疲れてる時飲むと良いんだとさ」

「ああ、ありがとう」


 礼を言えば、やはりルークはそっぽを向いてふんと言っただけだ。小さく笑って、イオンの方を向く。体は大丈夫かと聞けばもう大丈夫ですと帰ってきて、やはりチーグルの森とシュレーの丘でダアト式譜術を使わせなかったのが功を奏したようだ。
 ほっと息をつきかけて、しかしすぐにグレンは眉間に皺を寄せて立ち上がる。


「……グレン?」

「おい、どーした?」

「さっき、小さく金属音がした……アレは剣を下げてる音に似てると思ったんだが……そうか、遺跡は夜になれば盗賊達の格好の根城、って訳か」

「おいおいマジかよ」

「大佐!」


 少しはなれたところで地図を広げて日程計算していたらしいジェイドに声をかければ、彼も気づいていたようで口元だけで笑いながら眼鏡を直していた。全く、気づいてるなら早く言ってくれればいいものを。とりあえず一塊になるべきだ。上着についていた砂を払って立ち上がる。なるべく自然な動作でイオンとルークもついてきてほっとする。こういうとき、大慌てで動いてそこにいるということにこっちが気づいたと勘付かれてはいけないのだ。


「で、どうすんだ? とりあえずルークはイオンと居るとして」

「貴方はもう戦闘行為は可能なんですか?」

「爆睡したおかげで完璧さ」

「よろしい、ならどうとでもなるでしょう。相手は正規訓練を受けた兵ではありません。手練が六人も居れば30人くらいどうとでもなります」

「うわぁ、自信満々だな」

「いえいえ、貴方の人外従者ほどではありませんよ」


 そういわれると何もいえない。そして目の前の人外と、相棒の人外と。どちらもその自信が実力から来るものだと分かっているからなにも言えないのだ。


「ルーク、イオン、火元に居ろよ。近付かせないようにするが、万が一だが、まあありえないと思うが……」

「わーってるっつーの、グレン。そん時は俺がどうにかするって」

「すみません、僕は何もできないで……」

「ん? じゃあイオンは俺らの無事を祈っててくれよな。見てろよ、無傷で帰ってくるから」

「……はい」

「うっし。大佐、どういうわけ方?」

「北と東はガイ、ティア、ナタリアに。貴方は私と南と西を防いでもらいます。こっちは二人ですから、しっかりと前衛してくださいね」

「はいはい、ご期待に沿えるように努力しますよ、っと」


 コンタミネーションで取り出した刃を握って、視線を向ける。ジェイドの方を向けばもう既に譜術の詠唱に入っている。どうやら初撃はでかいヤツをお見舞いするようだ。


「唸れ烈風。大気の刃よ、切り刻め――――タービュランス!」


 突風が巻き起こる。まるで小さな砂嵐が生まれたようなその烈風に、賊の何人かが巻き込まれてもんどりうって倒れこんだ。思わぬ先制攻撃に盗賊たちはうろたえる。グレンはその隙を見逃さず、盗賊たちに襲い掛かった。





 その動きを見ている。よどみのない動作で敵を殺す動作を。迷いなく振り下ろされる刃のすぐ下で息絶える人間を。吐き気がするのを堪える。震えそうになる手を、腕を組んで押し殺す。見ていなければいけない。覚えていなければいけない。
 お前にひとを殺させたくないんだ。どこか泣き出しそうな笑顔でそう言った彼は、ひとを殺すのが恐いと言ったくせに、ルークを守るために身代わりになってその手を赤に染めている。
 また一人を切り捨てる。景気よく首から血を吐き出すその死体の返り血を浴びる前に、彼は次の標的に向かっていた。また一人。次、更に次。その動きは洗練されていると言っていい。ルークからしてみても理想的な体捌きだ。


「……ルーク、」

「いや、いい。見ておかないと」


 止めようとする声を振り払って見続ける。その動きを。ジェイドの譜術範囲から何とか逃れた一人をまた切り捨てた。鮮やかな手並みだ。そして再びジェイドの譜術。轟音、悲鳴。
 音が一瞬途切れて、その後は静寂。今まで動き続けていたグレンも動きを止めて、辺りを見回していた。どうやら終わったらしい。グレンはジェイドと何事かを話していて、笑顔でこちらを向いたグレンの表情が凍りついた。
 既視感。ふと、あの時兵が居た場所に顔を向けた。一体どういった偶然なのか、そこに一人だけ生きのびてこっそりと接近していた盗賊が居た。ぐるりと体の向きを変えて咄嗟にイオンを背後に庇う。一気に走ってくる賊との距離に、手を腰の剣に伸ばそうとして―――ふと、ルークの口に小さく笑みが浮かぶ。
 そして彼は剣を抜く動作を止めたかと思えば、あろう事か腕組みなどをしたのだ。
 偉そうに傲岸に笑う。ルーク、と驚きの声と叱責交じりの声とが聞こえても気にしないまま。

 そしてルークの体に切っ先が届く寸前で、横からの衝撃を受けて賊が吹っ飛んだ。どさり、と倒れたその人間の心臓の上に、ざくりと止めの一突き。それを行うグレンをじっと見ながら、しかし瞳に浮かぶ揺れを瞬きひとつの合間にかき消す。


「よう。やっぱ間に合ったな、グレン」

「ったく……信頼されてるってのはわかってるけど、肝が冷えるだろう?」

「へん、お前が俺にひとを殺させたくないって思ってるのは―――十分知ってるつもりなんだぜ」

「……まあな。甘いって言われても、やっぱりルークには人を殺させたくはないよ」

「間に合わないって思ったら、殺す覚悟はあったんだけどな」

「よく言うぜ。間に合うって確信して、途中から武装放棄すらしておいて」


 グレンは賊に突き立てた剣を抜いて、血を振り払うように横に薙ぐ。赤い水がぴっと地面に飛び散った。が、完全に血が飛んだわけではない。舌打ちをして適当な布で血をふき取る姿を見ながら、ルークはポツリと溢すように呟く。


「グレン」

「ん?」

「……さんきゅ」


 よく考えたら、ルークがグレンに礼を言ったのはこれが初めてだった。やはり嬉しいものは嬉しいもので、表情が緩んでしまうのはどうしようもない。


「ああ、どういたしまして」








[15223] 21(ケセドニア)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:8d676ee3
Date: 2010/03/25 01:04






 動けない。身動きが取れない。足元にまとわり着く何か。
 ずぶずぶと泥に沈みこむような感覚がして、必死になってここから逃れようとするのだけれど動けない。(ダメだ)
 どうして動けないんだろう。(見ちゃダメだ)
 足もとに視線を向ける。(やめろ)
 黒い塊が嫌なにおいを発して足元にまとわりついている。(知らなくていい!)

 なんだか分からず目を凝らして、その泥に向かって手を伸ばす。触れればねちゃりとした感触に顔を歪め、それでも確かめようと顔を近づける。その瞬間、ただの泥の塊だと思っていたものがガバリと動いた。驚いて引こうとする腕をとられる。ただの泥が生きている? 馬鹿な。泥にとられた腕がまるで人に掴まれているようで―――そう考えた時、ざあっと血の気が下がった気がした。泥。ただの泥の塊。……本当に?

 泥の塊がゆっくりと何かの形を作っていく。(見なくていい)
 ボタボタと落ちていく泥からも更に泥の塊ができて、それが次々に体にまとわりつく。(もう覚めろ)
 腕を掴む泥から目をそらせない。(やはり近すぎて混線してたのか)
 ゆっくりと泥が削げていき、人間のような形になった。(くそ、同調フォンスロットのせいだな)

 ぼたぼたと、人間で言えば目の部分の泥が剥がれ落ち、目鼻立ちが崩れかけたできの悪い泥人形の中から、濁った目がぎょろりとのぞいた。その瞳に浮かぶのは憎悪、怨嗟、悲憤、激怒。がぱ、と泥人形の口が開き、一音一音をゆっくりはっきりと発音する。


―――オ マ エ ノ セ イ ダ


「――――――っ!」


 悲鳴を上げたいのに声が出ない。喉がつぶれている。枯れていると言ってもいいだろう。声が出ない。誰にも助けを叫べない。そのまま、泥の中へ―――


『違う、それは俺の罪。だからお前は知らなくて良い』


 泥の海の中。
 一人きりでいたはずの夢の中で、誰かに背中を押された気がした。浮き上がる。悪夢からはじき出されていく。ほっとしていいはずなのに、それでもルークは必死に踏みとどまろうとする。待てよ。俺をここから弾き出したら、それじゃあお前は。……”お前”? 俺はお前を知っているのか?


『覚めれば忘れる。いいな、忘れるんだ』



―――――――――俺は誰の夢を見ていたんだろう?















 名前を呼ばれた気がして、目を開ける。視界がぼやけていて、これでは目を開けている意味がない。何度か瞬きをして、目を凝らす。ルーク、と名前を呼ばれた気がする。音がひどく遠い。頭が回らない。思い出せない。なにが思いだせないんだ? それすらも解らない。頭が回らない。ただ目の前にあるものを見る。
 青色が目の前にあった。きれいな色だ。まるで、あの時三人で寝転がって見上げたセントビナーの空の色に似た……いや、少し違う。もっと深い青色。


「……海の色だ」

「ルーク?」


 音が聞こえた。今度はさっきよりも近い。そして、その時になってルークはやっと気づく。今、自分を覗き込んでいるのは……現状認識完了。


「うおあああああ?!」


 すごい勢いで起き上がり、ずざざざざと砂埃を上げて後ずさった。起き抜けでまだ完全には頭が回っていない。パクパクと口を開くだけで何も言わない自分は自分でも間抜けだと思う顔をしていたのだが、そんなルークをみてティアはキョトンとしている。


「な、ななななんでお前っつーか何してんだよ?!」

「何って……寝坊して中々起きない誰かさんを起こしに来ただけなんだけど……」

「はあ?! んなの、ガイが起こしにくりゃ……」


 や、やめ、やめてくれナタリアァァァァ! それは、それは無理だあああ!
 ダメです、食べなさい、ガイ! 今度こそルークに私の手料理を……お待ちなさい!
 ナタリアも自分で味見すればいいのに。
 まあ彼女も王族ですからね。毒味役は使用人、ということですか。
 大佐ぁ、止めないんですか?
 いえ、見ている分には面白そうなんで。
 ……あの、止めなくても良いんでしょうか。どうしても嫌と言うなら、ぼ……
 イオン様、ダメですよ。いくらイオン様がお人好しでも、ガイの代わりに味見しましょうなんていったらダメですからね!
 ……やっぱりだめ、ですか。
 分かってるんですか?! アレは毒ですよ毒! 猛ど…
 あらアニス、面白いことを仰っておりますのね。
 はぅあ?! ナ、ナナナナタリア……?
 ええ、確かに過日貴方の料理の腕前は拝見させていただきました。だからこそ私の料理の難点も上手く見つけられるでしょうね……ではアニス!
 ごめんなさーーーーい!
 ああ、アニス! お待ちなさい! 味見を!
 無理ィ! ガイ助けてーー!
 うわあ、アニス、こっちに来るなああああ!
 ははははは、やー、皆さん元気ですねぇー。砂漠越え分の体力は残しておいてくださいよ。


「………………」

「説明は要るかしら」

「いらねー…」


 いつもなら起こしに来る友人がこれなかった理由は十分に分かった。十分すぎるほどに分かった。むしろもう一度惰眠を貪りたい気分になり、つい遠い目をしそうになる。起きたって知られたら味見無しでも食べさせられるんじゃなかろうか。が、そこでふと先ほど聞こえてきた声の中に聞いてない声があった気がして、辺りを見回す。やはりいない。


「……グレンはどこだよ」


 実はルーク並みに早起きが苦手なグレンは、いつもならルークと一緒にまとめて声をかけて起こされている。なので同じように近くで寝ぼけているのかと思えば、そうでもない。またこみ上げてくる欠伸をかみ殺しながらした質問に、ティアは遺跡の方を指差す。


「グレンなら遺跡探検、って言って早起きしながら潜って行ったわよ」

「ええ? 何だよそれ、それなら俺も起こして連れてってくれりゃあいいのに……」


 ぶちぶちと文句を言いながら、寝るときにかけていた毛布をばたばたと叩いた。結構な量の砂がでてきて、ルークはうへぇと思い切り嫌そうな顔をする。そして適当に畳んでいたところで、いつもならもっと丁寧にだのなんだのいう当人が何も言わないままな事に気づいて、ティアの方を見る。
 彼女はルークの顔をじっと見て、何かを言いたそうな癖に何も言わない。


「あんだよ。なんか俺に言いたいことでもあんのか?」

「いいえ…………ただ、あなた、昨日―――」

「ルーク!」


 何かを言いかけた彼女の言葉に被る元気の良い声。つられてそちらを見ればひらひらと手を振るグレンがいて、昨日頭痛で倒れかけていた陰など微塵もない。ルークが我知らず安堵の息を吐いていれば、片手に小さな袋を持ったグレンがご機嫌に近付いてくる。


「よ! やっと起きたか……しかしお前も結構寝るの好きだよなぁ」

「しゃーねーだろ? 屋敷にいたときなんてずっと寝てるしかなかったんだから……で、お前、その手に持ってるのってなんだ?」

「これか。やー、昨日盗賊団襲撃してきただろ? ならあいつ等のお宝どっかに隠してんじゃないかなーって思ってさ」

「え……まさかグレン、盗人の上前をはねるつもりかよ」

「ふ、これは正統な権利だゼ。俺らを襲ってきた慰謝料さ」

「えげつなー……」

「なんとでも言え。旅は物入りなんだよ。ところでルーク、少し顔色が悪そうだが……なんだ、夢見でも悪かったのか?」

「ああ? 夢って……んなの覚えてねえからわかんねえよ」

「そうか。じゃ、影でそう見えただけか……悪かったな。朝食は……うん、姫じゃなくて色男が作ったやつがあるから、そっち先に食っちまえよ。そしたら姫さんのはもう入らねぇって言い張っちまえ」

「だな、あんなの食っちまったら進めねえっつーの。そーすっか」

「こっそり食うんだぞー。他の奴らに味見させようと必死な今のうちに!」


 グレンの言葉がやたらに真剣なのは、実際にその身でその料理の強力さを味わったからだろうか。ルークも真面目に分かった、と頷き、こそこそと朝食が置かれたところへ行く。ナタリアはまだ頑張ってガイとアニスを追いかけている。……うん、本当に粘り強いお姫様だ。ルークの背を見送ってグレンはほっと息を吐き、それまで会話に入ってこなかったティアの方を向いて苦笑を溢す。


「グランツ響長……言っただろ。余計な事は聞くな、ってな」

「でも、昨日のルークのうなされ方は尋常じゃ無いわ」

「本人は覚えてないってんだ。思い出させねーほうがいいに決まってる」

「あなたが忘れさせた、の言い間違いじゃないかしら」


 昨夜の一番初めの不寝番はティアだった。不寝番を始めて大して時間も経たぬ間に、妙に魘されているグレンをおこし、適当に会話していたら不意にルークも魘されている声がして。その魘されようが酷くて、咄嗟にグレンがルークを起こそうと肩に手を置いた瞬間、彼は驚いたように手を離し、愕然とした顔で呟いたのだ。まさか、と。
 何がまさかなのか分からず、とにかくティアは固まっているグレンの代わりにルークを起こそうとしたのだが、何故か彼にそれを止められて。代わりに彼はルークの瞼を覆うように手の平を置いて、少しの間意識を集中させていたかと思えば突然舌打ちし、まるで暗示のような言葉を次々と言いはじめた。

『違う、それは俺の罪。だからお前は知らなくて良い』
『覚めれば忘れる。いいな、忘れるんだ』

 意味深すぎる言葉達ばかりで、勘繰るなというほうが無理な話だ。
 それにこの言いよう、これではまるで、彼はルークがどんな夢を見ていたか知っているようではないか。


「彼は貴方を知らなかったみたいだけど、貴方は彼を知っていたんじゃないの?」


 ティアは厳しい目をして、グレンを見る。グレンはそれでもいつもの表情を崩さない。さてねぇ、と気の抜けたような返答で、ティアの表情が更に冷えていく。再度問い詰めようとして、しかしこの時になって初めてグレンは表情から笑みを消し、酷く冷めた目でティアを見た。


「グランツ響長。アンタが自分の兄を殺そうとした理由を誰にも言いたくないように。俺にも、誰かに言いたくないことくらいあるんだ」

「……っ」


 それを言われては、ティアには何も言えない。その表情を見て、グレンは溜息一つですぐいつもの表情に戻り、肩をすくめる。


「ま、ルークに害意は全く無くてね。むしろ俺はアイツを守りたいんだが……そこら辺は信じてくれて良いぜ?」

「……そうね。少なくともそこだけは信じられるわね」


 その言葉にグレンは気を悪くした風もなくにやりとした。うん、上等上等と笑いさえする。そしてその笑顔は、いつの間にやら片手に劇物を持ったナタリアに追い詰められていたルークをみて、びしりと凍った。ルークーーーー! と叫んだグレンは、大慌てで彼のもとへと駆けていく。相変わらずの保護者ぶりに、ティアは呆れたようなため息を一つ溢す。
 そして、心から思ったことをポツリと一言呟いた。


「本当に親馬鹿ね……」











 砂漠を渡って、ケセドニアの宿に着く。そしてそこで繰り広げられているのは、ひたすらに冷たい言い合いだった。グレンとジェイド。両者一歩も譲らない。


「連れて行くべきです」

「反対だ!」

「イオン様も自ら行きたいと仰っているではないですか」

「アクゼリュスは障気の被害が大きくて、その救援に行ってるんだぞ?! 陸路を取っている分こっちもいくらか遅れている、これから強行軍にもなるだろう。そんな中に疲労が激しいイオンを連れてくってのか? ふざけるな、これからまだデオ峠まであるんだぞ! どれだけキツイ山道だと思ってやがる!」

「しかし六神将に再びイオン様が攫われては元も子もないでしょう。彼らの動きが解らないなら、イオン様も一緒に来ていただくほうが良い」

「それなら導師守護役のタトリン奏長だっているし、この領事館から兵を借りて護衛させればいいだろう! 俺は絶対に反対だ!」

「しかし六神将が直接来たら? 兵程度では防げませんよ」

「だから細心の注意を払って隠匿するんだろう……アンタは体が弱ってる時にイオンをのこのこ障気まみれのとこに行かせて障気障害(インテルナルオーガン )になれって言うのか?! ふざけんな!」

「障気は長時間大量に吸い込まなければ大丈夫だ、とティアも言っていましたが」

「それでも症状に出ないだけで体に影響はある! 俺やアンタみたいなヤツと一緒にするな。イオンはダアト式譜術とやらを使わされて体に負担がきてるんだろう? そんな状態でいったら……!」


 一人はあくまでも冷静に、もう一人は既に激昂している。二人の言い合いはずっとこの調子で平行線をたどり、そしてどちらもが引く気はないらしく終わりは見えない。触らぬ神になんとやら、と言わんばかりに皆はひたすら見ているだけで、ただ一人だけルークが顔を引きつらせていた。このままで行くなら、きっと。
 今まで言い合いをしていた二人がくるりと一斉にこっちを向き、ルークの表情は更に引きつった。


「ルーク!」

「決めてください。親善大使は貴方ですから」

「イオンを連れて行くか、行かないか。お前が決めるんだ」

「…………やっぱそーきたか」


 どっちを選んでも地獄のような気がする。グレンが不機嫌になるか、ジェイドが冷たく笑うか。どっちを選べと言うのだ、一体。いつもならこういう時ルークに助言を与えてくれるグレンは決断を迫る側で、ルークは途方にくれる。グレンをちらりと見る。眼が怖かった。ジェイドのほうを見る。……眼鏡の反射で眼が見えないのに、口元にはいつもの笑みが張りついているのが余計に恐かった。
 ……本当に、どちらを選べと言うのだ。
 逃げ出したいのを根性で堪え、すぐ傍で申し訳なさそうに二人の言い合いを見ていたイオンの方を向く。


「イオンは、やっぱ着いて来たいのか」

「はい。僕はピオニー陛下から親書を託されました……ですから、陛下にはアクゼリュスでのルーク達の活動を僕からも報告して、和平をしっかりとしたものにしたいんです」

「イオン! お前自分の体のこと分かってもが!」


 イオンに食ってかかりそうだったグレンの口をジェイドが塞ぎ、ついでにその身長差を利用して拘束している。グレンはまだもがもが言っているが、ジェイドはどこ吹く風と言った様子だ。その隙にルークなりにイオンの意思を確認しようとあれこれ言ってみる。
 

「一応こっちにはジェイドがいるんだろ。体力のねーお前がわざわざ行かなくても…」

「いえ、ローレライ教団の導師として、第三の中立組織からの見解として報告するんです。……ピオニー陛下に、というよりは僕の報告は議会に向けてのものと考えていただければ……」

「……そうか」


 ルークは溜息をつき、そろーっとグレンのほうを見る。そうすれば、ルークがどういう判断を下したのかが分かったらしく、グレンは肩をがっくりと落としながらも大人しくしていた。静かになったからかジェイドも拘束をはずす。


「イオンは、もうお前本当に……真面目って言うかお人好しって言うか実は言ったらきかないっつーか、本当に結構頑固で向こう見ずなとこあるよなぁ……」

「すみません……」

「でも引く気はないんだろ?」

「はい。よろしければ僕も連れて行ってもらえませんか?」

「よろしくないって俺は散々言ってるんだけど……」

「すみません」


 ものすごく不機嫌そうにぼやくグレンにイオンは申し訳なさそうな顔をするのだが、どうも彼も彼で引く気はないようだ。


「ほやほやした顔の癖に頑固なんだからよぉ……ルークも良いって言ってるんなら、俺がどうこう言うことじゃないな……本当はものすごく言いたいんだけどな…」

「すみません……」

「おいグレン、それくらいにしとけよ。俺が良いっていったんなら良いンだろ? ……まあ気持ちは分かるけどよ。おいイオン、デオ峠……だったか? へろへろになって進めなくなる前にさっさと言えよ」

「はい。すみません、迷惑は……」

「だあああ、この馬鹿が!」

「うわ?!」

「ちょっと!」


 突然の馬鹿発言と、イオンの頭をわしゃくしゃにしだしたルークにアニスが声をかけようとして、しかしそれはグレンに止められる。抗議の視線を受けるグレンはしかし平然としていて、むしろ楽しそうだ。まあ見とけって、と声に出さずに呟く。納得がいかない。納得がいかないながらも、グレンが何の意味もなくこういうことをするとも思えない。
 むしろ、彼はルークが何かをすれば、正すべきところはやんわりと直させようとするひとだ。不機嫌な顔のまま、アニスはとりあえず黙りこむ。その視線の先には頭をわしゃくしゃにされているローレライ教団導師イオン。導師守護役としては決して見過ごせるようなものではないのだが……
 ただ、なんとなく、その当事者のイオンが嫌がっているというよりも目をぱちくりさせていただけだったのが、なんだか印象的だった。


「迷惑かけないようにします、って我慢される方がうっとーしいんだっつーの!」

「え……」

「お前までグレンみたく無理してぶっ倒れやがったら、お前でも殴るからな! 無理する前にさっさと言えってんだ……分かったな、イオン!」

「はい……はい、ルーク! ありがとうございます!」

「ふん」


 ぱあああ、とでも効果音がつきそうな笑顔で礼を言われて、ルークはそっぽを向く。うむ、もうそろそろどういたしまして、と笑顔で返せるようになったらなぁと思うグレンだが、そんなルークはもうルークじゃない気がするし、今のルークにしてみればこれで十分なところだろうか。
 うんうんと何度も頷きながら、ちらりとすぐ隣にいるアニスを見やる。なんだか怒ってるんだか羨ましいんだかよく解らない感じの目をして、微妙な顔をしている。


「な、奏長。別に悪いことじゃなかっただろ?」

「まあ、そうだったけどぉー……イオン様に馬鹿はないんじゃないの、馬鹿は」

「しょうがないさ。ルークにとってはローレライ教団の導師イオンじゃなくて、一緒にセントビナーで展望台に登ったイオンなんだから。まあ、誰に対しても平等に横柄、って感じかな。照れ隠しだよ、照れ隠し」

「ふーん……でもイオン様本人があんなに嬉しそうにしてるなら、私に言えることなんて無いか。聞き流してあげますよぅ」

「OKOK。じゃ、ルーク。決まったんなら次はどーする? 今日はここで泊るのか、それとも遅れを取り戻す為にすぐ領事館に行って船の手配か」

「領事館。アクゼリュスもやべーんだろ。さっさと行ったほうがいい」


 ルークの発言に誰も反論するでもなく、皆でぞろぞろと領事館へと行く。が、その途中でグレンはルークに別行動を申し込んだ。理由を聞かれて一瞬困ったが、グレンは咄嗟にザオ遺跡で漁ってきたお宝の入った小袋を見せる。


「なかなか良い品があってな。どうせならしっかりとした目利きのできるアスターさんに、高額で買い取ってもらおうかと……」

「おまえさぁ、本当にえげつないよなぁ」

「なんとでも言え。じゃあすぐ行ってすぐ追いつくから、先行っててくれ」









 アスターのところへ行って、少々話し込んでしまった。これではもうマルクトの領事館での手続きは終わっているだろう。言い訳程度に考えていたのだが、一応ということでアスターに見せた小袋に入る程度だったお宝は、何故かとんでもない金額に化けてしまった。この紙束と金貨の量、本気でどうしようか。アニスにばれたら確実にたかられる。間違いない。道具袋に突っ込もうにも中々の重さで、本気で悩む。
 金はあっても困ることもないし、ありがたいのはありがたいのだが。……これから行く山道を思うと、本気で喜べないというのはきっと贅沢なのだろうが、本心だ。溜息を吐きつつ、とりあえず金貨の入った袋を道具袋にぶち込む。予想通りにずっしりと重くなった。
 急ぎ足で港に向かう。そうすれば丁度良い具合にルーク達が見えた。ガイがルークに肩を借りて歩いている。カースロットか、と心中で苦々しく呟く。本当ならあの時、自分がもっとしっかりしていればガイが喰らうはずも無かったものを。

 一度目を閉じて、深呼吸をする。もう過ぎてしまったことを悔いても仕方ない。ルークの名前を呼ぶ。そうすればすぐに気がついたように振り返り、軽く手を上げた。手を上げ返す。軽く小走りになって駆け寄れば、やはりガイの顔色が悪い。


「よう、色男の肩かついで一体どうしたんだ?」

「グレン? ああ、なんかカースロット? っていうやつにガイがかけられてるみたいでさ。術者と離れたほうが良いってんですぐ離れようとしてたんだけど……まあお前が戻ってきたならすぐに離れられるな」

「そうか、じゃあこっちに来てて正解だったな。すぐに出ようぜ」


 軽く笑いながらそう言うが、ちらりと見てみればやはりイオンの表情が少し沈んでいた。まあ、カースロットの内容を知っていればそうなるだろう。どうしようか。今のうちにカースロットは解呪できるなら解呪してしまったほうが良いのだが、これから行くのはデオ峠。イオンに負担はかけさせられない。
 これならアスターに会いに行った時に町を回ってシンクに接触をしておいたほうが良かっただろうか。ラルゴやリグレット以外なら、まだ上手く事を運べばどうにかなるかもしれないとは思っているのだが……説得するにもなかなか難しい。コーラル城であんな言葉を投げかけたのだから、シンクとディストはそれなりにこちらの事は気にしているだろうが……どうしたものか。
 色々考えても埒が明かない。
 それより何とかしなければいけないのが、ルークの暗示だ。最悪ルークを後方奇襲で意識を刈り取らせてから、ティアかナタリアにパッセージリングを操作してもらうしかないかもしれない。ヴァンはアクゼリュスは崩落させるつもりだから、おそらくまだパッセージリングに暗号は仕掛けられてないはずだ。しかしパッセージリングを操作するという事は……


「グレン」

「ん? ああ、なんだイオン」

「いえ、何だか表情が暗かったもので……どこか体調でも悪いんですか?」

「そっか……ちょっと色々考えててさ、なんでもないよ」

「……そうですか」

「ああ」


 港から船が出る。甲板の上でガイを心配するように集まった皆とガイが話している。笑顔になっているところを見ると、どうやらガイの体調も戻ったようだ。それをぼんやりと眺めながら、これから進む先を見つめる。デオ峠を抜ければ、そこは。

 ……グレンにとってもトラウマのような場所で、今から行くと考えても実は心臓が悲鳴を上げそうになる。それでもそれを冷静さで綺麗に覆い隠し、じっと海の先にあるはずのその場所に意識を向けた。


 鉱山の街、アクゼリュス。


 岐路はすぐそこまで迫っている。






[15223] 22(アクゼリュス)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:8d676ee3
Date: 2010/03/25 01:05




 デオ峠でイオンを背負って山道を歩いていた。



 イオンはやっぱりイオンで、どうやら無理をしていたらしくて顔色がすっげー悪くなってて、それに気づいたらつい問答無用で一発軽ーくイオンの頭をポカってやっちまった。なんか色んな奴等がすげー眼で見た気がするけど、知るもんか。俺は無理したら殴るって宣言してたんだからな。……まあ、流石に本気では殴らなかったけどよ。俺だってグレンならともかく、イオンを本気で殴るほど鬼じゃねえ。
 休憩だのなんだの言ってたけど、ちょっとの休憩でコイツの体力がすぐに回復するもんか。俺でもわかるっつーのに何でこいつらわかんねーんだよ! うざったくて、休憩なんてしねーって言ったらまた面倒くさい眼で見るんだから、堪ったもんじゃない。俺が無視してさっさとイオンを背負って山道を登りだすと途端に静かになって、全然ついてくる気配が無くて振り返ったらどいつもコイツもポカンとしてやがる。

 なんだよ。休憩してもすぐに疲れるに決まってんなら健康なやつが背負って行きゃー良いだけだろうに、なんであいつ等あんなにぼけっとした顔してんだ。グレンだけはすぐに明るい顔をして、疲れたら俺が代わるぜって言ってたけど、ジェイドとガイは何であんなにポカンとしてたんだか。お前らのほうが背もあるし体力もあるんなら、グレンよりも先に言えっつーの!
 それに俺はそん時はああ頼む、って言ったけど、そうさせる気はさらさら無かった。だって、また分かったんだ。なんだかよくしらねーけど、グレンも無理してるって。アクゼリュスに近付くたびに軽い頭痛がしてるって、なんとなくまた分かったんだ。それなのに相変わらず誰も気づいた様子もねえ。俺の勘違いかと思って見るんだが、確かに傍から見ても全然そんな気はしない。でも、なんでだろう。俺にはどうしてもグレンが無理してるようにしか感じないんだ。

 そんなことをあれこれ考えながら歩いていたら、やたらに高いところからリグレットだとか言う女が出てきやがった。どうにもティアを行かせたくないみたいであれこれ言って、そん時に出来損ない扱いされていらっとしたが、あんなとこに居られちゃ剣で届くわけもねえ。つーか出来損ないってなんだよ、出来損ないって。ムカッとしてたらジェイドは激怒するわイオンはなんか止めるわ、それを聞こうとしたらリグレットが降りてきて。でも人間相手のしかも女じゃいくらムカついてても斬りかかるには少し抵抗がある。それに俺は人間は殺せない。いや、自分からは殺さないと誓ったんだ。
 仕方ねーからイオンの側に居て、流れ弾が来ないように注意してみてたがそれだけじゃ気が治まらなくて、近くに投げるのに手ごろな木の棒でも無いかと見てた。ら、グレンがすごい勢いでリグレットに突っ込んでった。どこの誰が出来損ないだっつーんだ、あああ? と、ちょっとびっくりするくらいドスが利いた声で、恐かったけど、まあ、なんだ。うん、なんか少し嬉しかったかな。

 なんか殆どグレンのオンステージだった気がするが、ギリギリのところでグレンの斬りつけを回避して、リグレットは退却した。やるな、グレン。アイツのことだ、怒っていても女を斬るなんて出来なかったんだろう。でもそれでもすごい勢いの剣戟でリグレットは引いていった、と。こいつ、うちの白光騎士団に入らねえかな。そしたらいつでも会えるのに。
 そう思いかけて、すぐにそんなことを考えた自分を馬鹿だと思った。俺は、アクゼリュスで障気を消したらヴァン師匠と一緒にダアトに亡命するんだから。頭を振って、気分を入れ替える。そのついでに先刻のジェイドが激怒してた会話の内容を聞こうとしたんだが、どうも話が長くなるからって流された。畜生、アクゼリュスのことが終わったらみっちり聞いてやる、って思ったが、だから障気消したら俺はダアトに……まあいいや。流したんならそんなに大した話じゃないんだろう。


 そして、アクゼリュスに入って驚いた。人が居ない。本当に、人っ子一人居なかった。アクゼリュスの中に入っていって、病人が居たんだろうベットが並ぶ部屋に入ったら、机の上にメモみたいなのがあった。どうも報告書と言うか、俺たちあてのメモみたいなもので、ジェイドが言うにはマルクト軍の陸艦が救援に来たとか書いてやがったらしい。……オイ。待て。じゃあ何で俺が親善大使なんてのに任命されたんだよ! ジェイドに食って掛かったらヤツも訳が分からなさそうにしていて、話が解らない。
 訳が解らないじゃダメなのに。アクゼリュスに住んでいたやつを動かしたら戦争になるってヴァン師匠は言ってたんだ。それじゃダメだ。それじゃダメだってのに!


 いろいろ、頭ん中がぐるぐるしていたら―――――――――グレンが倒れた。





「グレン?! オイ、どうした……グレン!」

「待ちなさい! ルーク、そんなに揺らさないでください。倒れた理由が分かりません。とりあえずそこのベットを使わせてもらいましょう」


 ルークが駆け寄り意識の無いグレンを揺するのをジェイドが止める。冷静な声で、それだけで今のルークの気に障るのだが、言っている事は事実だ。ほとんどが同じ背丈で、肩を貸すようにして持ち上げてベッドに寝かせる。ジェイドはどうやら医学の知識があるみたいで、目を見たり脈を測ったりしてるみたいだ。


「……心拍数には異常は見られません。やや頻脈気味ですが、だからといって倒れるほどでもない……ただ意識を失っているだけのようです」

「……大丈夫なのか?」

「分かりません。ただ、ここで倒れたとなると……彼は障気と相性が悪かったという可能性もあります」

「相性が悪いって……まさか!」

「だからといって、すぐに障気障害にかかるわけでもないでしょうが……なんにせよ、早めに出したほうがいいでしょう。しかし先遣隊も居ないとなると……」


 ジェイドはまだ何かブツブツと言っているが、ルークはそんなことを聞いている状況ではなかった。英雄。英雄にならなければいけないのに。戦争を起こさせないで、英雄にならなければ。なのに、アクゼリュスの人々は移動してしまっている。どうすればいいか分からなくなってしまった時に、これだ。
 グレンが倒れた。しかも、障気のせいの可能性がある? では、障気に包まれたこんなところに居たらどうなるのだろう。体に良い訳が無い。そういえば最近体調が悪そうだった。ザオ砂漠でも。相性が悪くて、体力が低くなっているときに、こんなに障気が濃いところに居たら。
 こうしている間にも、グレンの体が壊れているかもしれないのなら。どうすればいい。いつも守ってもらってばかりだ。いつも庇われてばかり。助けてもらってばかり。こんな時くらい、力になりたいのに。どうすればいいのかが解らない。考えても考えても思いつかない。どうすれば、


――――超振動がある。お前の超振動で、障気を中和する。そうすれば戦争は起こらない。大丈夫だ、お前一人でするのではない、私も手伝う。自身を持て、ルーク。お前は、選ばれた。お前ならそれが出来るのだ。


「……俺、ヴァン師匠が居ないか奥のほうとか捜してくる!」

「ルーク! ちょっと待っ……行っちまった、くそ!」

「いえ、ルークの言ったとおりにしたほうが良いかもしれませんね。われわれはあまりにも状況がわからなさ過ぎる。ここで帰っても私も報告ができません。海路を行ったヴァン謡将は先に来ているはずですから……彼に聞けば何かわかるかもしれません」

「では私達も……」

「ええ。しかし、奥へ行けば障気が濃くなっている可能性もあります。気をつけて進みましょう。イオン様とアニスはここでグレンを看ていてもらえますか」

「……分かりました。僕が行っても足手まといでしょうから」

「了解でーす。二人の護衛は任せちゃってください!」


 アニスの言葉に頷き、皆もルークの後を追って走っていく。






 それはキャツベルトの船上での会話だ。




『お前は自分が誘拐されて、七年間も軟禁されていたことを疑問に思ったことがあるか』
 それは、父上たちが心配して。
『違う。世界でただ一人、単独で超振動を起こせるお前を、キムラスカで飼い殺しにするためだ』
 一人で起こせる? 今みたいに?
『そうだ。訓練をすれば自在に使える。それは戦争には有利に働くだろう。お前の父も、国王もそれを知っている。だからマルクトもお前を欲した』
 じゃあ、俺は兵器として軟禁されてたってのか?! まさか一生このまま……
『ナタリア王女と婚約しているのだから、軟禁場所が城に変わるだけだろう』
 そんなのはごめんだ! 確かに外は面倒が多いけど、ずっと家に閉じ込められて戦争になったら働けだなんて……嫌だ、先生! 俺、兵器になんてなりたくない。いや、なっちゃいけないんだ! 俺が兵器だって言うなら、いつか人殺しをさせられるってなら……グレンは、アイツは何のためにあの時……っ


 思い出されるのはタルタロス。

『人を殺したくないってその気持ちはとても尊いものだと思う。俺にはもうそんなことを思える資格はないんだけど、だからこそ尚更そう思う』
 これは自分のエゴだと笑って、それでもお前にひとを殺させたくないんだと言った人が居た。殺すのが恐いといいながら、殺されたくないと、殺させたくないと願って殺すと言っていた。
『後悔は、生きている限りいつでもできる。反省も、自己嫌悪もだ。だが、死んでしまってはもう何もできん』
 殺されそうになれば迷い無く殺せといった人も居た。どちらもが自分を心配しての言葉だと理解できたから何も言えなくて、迷ってばかりいた。あたりに満ちる血の匂いと悲鳴に、思考が出来なくて。呆然としていたら、死体だと思っていたオラクル兵が斬りかかろうとしているところだった。咄嗟に剣を抜こうとして―――エミヤの言葉と、泣きそうな顔で笑っていたグレンの言葉が脳裏を過ぎる。
 殺される前に殺せ。それでも俺はお前にひとを殺させたくないんだ。相反する二つの言葉に迷って動きが鈍くなり、気づけばどう考えても間に合わない状況で、ああやられるのかとぼんやりと思ったら。目に飛び込む鮮血。目の前で死んでいくオラクル兵。倒れるグレン。
 迷ったなんて、本当は嘘だ。ただ、人を殺したくなかっただけ。殺す覚悟が無かっただけだ。殺すのが恐くて、自分が殺されそうになってるってのに殺せなかった。俺は自分の弱さで殺されかけただけだったのに、それでもグレンはそんな俺を庇った。

 結局グレンの右腕は俺を守った代償に痛覚を失って。俺はそんな代償の下に人を殺さずに済んだのだ。俺はグレンの右腕の痛覚を食らって、この手を汚さずに済んでいる。
 だから、だからこそ、アイツの痛覚を奪ってまで守ったものなら、それこそ一生それを守り続けなきゃと思っていたのに。本当に、どうしようもなくなったら殺すと決めた。それでも、そんな時が来なければこのままずっと人は殺さないで居ようと決めたのだ。例え守られるだけの荷物だと思われても、それでも大人しく守られていようと。この手は己の意思で汚さない。
 だというのに、戦争の時に兵器として使うために飼われていたなんて。初めから人殺しの道具として飼われていたなんて、とんだ喜劇だ。


『ルーク?』
 師匠、俺、人を殺したくない。殺しちゃいけないんだ。グレン、グレンの右手は。俺がひとを殺せなかったせいで痛覚が無くなって。それでもグレンはお前にひとを殺させなくて良かったって笑ってて! だから、俺は、殺しちゃいけないんだ。アイツが痛覚を手放してまで守ってくれたものを、戦争なんかで捨てたくない。師匠、師匠、どうすればいい? 俺はどうすればグレンの願いを叶えてやれる?
『そうか……外ではじめての友達ができたのか。ならば、彼のためにも……英雄にならねばな』
 英雄?
『そうだ。ルーク、まずは戦争を回避させるのだ。その功を内外に知らしめる。そうなれば平和を守った英雄として、お前の地位は確立される。少なくとも理不尽な軟禁からは解放されるだろう』
 そうかな。師匠、本当にそうなれるかな。
『大丈夫だ。自信を持て。お前は選ばれたのだ。超振動と言う力がお前を英雄にしてくれる』
 英雄……俺が、英雄になれば……

―――アンタはもってる力が大きすぎだ。大きすぎる力を持ってるのに、その大きさを分かっていない。

 不意に脳裏に蘇ったのはフーブラス川でのグレンの言葉。その言葉が何故か不安を呼び覚まし、顔が暗くなっていたのだろう。彼の師匠はルークの肩に手を置いて、励ますように笑って言ってくれる。
『元気を出せ、ルーク。未来の英雄が暗い顔をしていては様にならないぞ』
 頷いた声は、ちゃんと元気の良い声になっていただろうか。


 次に過ぎるのはバチカルでの会話。


『そのスコアには続きがある『若者は力を災いとしキムラスカの武器となって』と。教団の上層部では、お前がルグニカ平野に戦争をもたらすと考えている』
 俺が戦争を? そんな馬鹿な……!

 有り得ないと思った。いくら師匠の言葉でも笑い飛ばそうと思ったぐらいだ。それでも、ユリアのスコアは今まで一度も外れたことが無いといわれて、笑えない。ああ、笑えない。俺は戦争を止めたいのに、俺が行くと戦争になるとスコアに詠まれているのだから。
 だからといって逃げることなど出来ない。アクゼリュスに行くからと師匠を牢屋から出してもらっているし、そもそも俺がここから逃げ出したらアクゼリュスの町がやばいということもある。自分ひとりが逃げ出すために町ひとつを見殺しにするなんて、そんなのは嫌だし、後味が悪すぎる。

『スコアにはこう詠まれている。お前がアクゼリュスの人々を引き連れて移動する。その結果、戦争が起こると。だからアクゼリュスから住民を動かさず、障気を失くせばいい』
 障気ってあの毒みたいなのだろ。どうやって……
『超振動がある。お前の超振動で、障気を中和する。そうすれば戦争は起こらない。大丈夫だ、お前一人でするのではない、私も手伝う。自信を持て、ルーク。お前は、選ばれた。お前ならそれが出来るのだ』
 超振動で中和……本当にできるかな。師匠、だって俺超振動を自分で起こせるかどうか、
『ルーク、私の話を聞いていなかったのか? お前一人でやるのでは無い。私もついている』
 師匠……
『私がついている。私も、力を貸そう。船の上でお前の超振動の暴走を納めてやったようにな』
 ……分かった。俺、やってみる。
『そうか。では、頑張らねばな、ルーク。お前の大切な友達が右腕を犠牲にしてまで守ってくれた目に見えないものを、戦争などで奪われぬようにするために』
 はい、師匠!
『良い返事だ。いいか、ルーク。この計画は直前まで誰にも言ってはならぬぞ。特にキムラスカの人間に知られれば、途中で妨害されてスコアどおりに事を進めさせようとするかもしれん。そうなってはお前をダアトへ亡命させられない。お前を兵器と言う役目から自由にしてやれんからな』
 ……グレンにも、言っちゃダメなのか。
『ああ、言わないほうがいいだろう。お前のことをそんなに大事にしてくれている友達だ。このままバチカルに居ては兵器にされるかもしれないなどと、余計な心配をかけぬほうが良い。あの子なら、お前のためにとんだ無茶をしそうだからな』
 そうだな。なあ師匠、アイツ、本当に俺のこと友達って思っててくれるんだ。変なヤツだよな。
『そんな顔をするな、ルーク。全てが終わったら私と共にダアトへ逃げて、ほとぼとりがさめたころにお前の状況を私から伝えてやる。そうしたらきっとお前のことを心配して会いに来てくれるだろう。今は未来を心配するより、先にやるべきことがある』
 うん。分かった。師匠、俺頑張るよ!





 英雄にならなきゃいけない。英雄にならなければ、俺は戦争の道具として飼い殺される。いつか兵器として敵を殺せと命令されるのだろう。そんなのはごめんだ。俺は絶対兵器にはならない。人を、殺さない。自分からは決して人を殺さないと決めたのだ。俺に殺させないために自分の手を赤く染めていくあいつが守ってくれたものを、そうまでして守り続けようとしてくれるものを、俺も守ると決めたのだ。
 アクゼリュスから人が動いてしまって、師匠の言うとおりにスコアどおりになってしまっているのかもしれないけれど。まだ間に合う。きっと、師匠に相談すればそれでも助けてくれるだろう。
 親善大使として英雄になれなくなったなら、それなら俺は俺にしかできない方法で町を救って英雄になるんだ。
 そうすれば、きっとグレンの体調もよくなる。もう兵器にならなくて済むんだって言える。お前が右腕をかけて守ってくれたものは、ちゃんと守り通すぜと胸を張って言えるだろう。いい加減に気にしすぎだとお前は笑うだろうか。重荷になりたかったんじゃないと怒るかもしれない。
 重荷なんかじゃない。これは俺が自分でそうしたいと願ったことだ。俺はお前が守ってくれたものを自分でも守ると自分自身に誓ったんだ。そのためには、まず。


「―――師匠に会って、アクゼリュスの障気を中和する!」


 たとえ俺一人では出来なくても、師匠が助けてくれるんだから。







 ぼんやりと目を開ける。頭痛が激しい。吐き気と眩暈。普段ならまだ平気なはずの障気が、喉の奥に絡まるようで気持ち悪かった。ごほごほと咳き込めば、名前を呼ばれた。なんだか切羽詰ったような声だった。のろのろと顔を動かせば、こちらを心配そうに見つめている二人。


「イオン、と……タトリン奏長?」

「眼が覚めたんですね! 良かった……」

「もー、心配したんだから! ……自分がどうなったか、覚えてる?」

「俺は……」


 アクゼリュスに入ってから、正直頭痛が酷くなった。確かにあの時も散々アッシュに奥に行くなって声を送られていたっけな。そのタイミングだったのだろう、ただでさえトラウマの土地に足を踏み入れて緊張していたのに、頭痛が激しくなりすぎて気を失ってしまった。
 額に手をおき、体を起こす。とめようとする声にやんわりと大丈夫だと返し、辺りを見回す。人っ子一人居ないという事はエミヤが予定通りに住民の移動をしてくれたのだろう。予定ではここで再会するはずだったのだが、さてどこに居るのだろうか。
 それにしても、さっき眠っている間に何かを見ていたような気がしたのだが、よく思いだせ―――


―――俺はどうすればグレンの願いを叶えてやれる?


 思い出す。眠っている間に同調フォンスロットを通じて流れ込んできた、ルークが今一番思いつめていたことを。どうして英雄にならなければといっていたのか、その記憶が。グレンの顔色が一気に青くなる。こうなるとは思っていなかった。こんなふうになるとは思ってはいなかったのだ。まさか自分をダシにしてヴァンがルークに障気を中和させるなんて。
 大切だからこそ言わなくて、大切だからこそその願いをかなえようとして、表われてきた優しさゆえにルークはヴァンの思惑通りに動いてしまう。違う。こんなことを願っていたんじゃない。こんなふうにルークを追い詰めたかったんじゃない。守りたかっただけ。俺には無理だったから、いつかは敗れてしまう願いでも、せめて今の間だけでも守りたかっただけなのに。


「?! ダメです、グレン! そんなに顔色を悪くして……動かないでください!」

「止めるな、イオン! 俺はルークのとこに行かなきゃ……早く止めなきゃ行けないんだ!」

「ちょ、アンタ何を言って……」

「行かせてくれ! 説明してる時間がない! 止めなきゃ……あいつが!」


 真っ青な顔色のまま起きあがろうとしてよろめくグレンを、イオンが咄嗟に押し留めた。それでもグレンは無理やり起き上がろうとして、アニスと二人がかりで止めようとするのだがそれでも彼は起き上がろうとする。グレンが何に焦っているのか、何を言っているのかは解らない。
 解らないが、ただ、とてつもなく不吉に感じられたのは何故だろう?
 イオンが戸惑ったようにアニスと視線を交わしていると、不意に聞きなれない声が扉のほうから聞こえた。いや、違う。聞きなれない声、ではない。知っている声だ。ただ、最近はあまり聞いていなかっただけの。


「やれやれ、これは一体どういった状況だ。また無理をしたのかね、マスター?」


 その声に三人は一斉に振り向く。背の高い男だ。赤い外套をまとって、偉そうに腕組みをしながら扉に寄りかかりこちらを眺めている。短い白髪に、刃色の瞳。そんなに離れていたわけではないのだが、ひどく懐かしい顔に、グレンは呆然と己の従者の名前を呟く。


「エミヤ……」

「久しぶりだな。仕事はキッチリこなしたぞ、マスター。住民は移動させた。タルタロスも一応この近くにおいている。ここまで操縦させた兵も移動を確認済みだ……が、どうしたんだ。予定よりも少し早い到着だったな」

「え、ちょっと待って。じゃあここの住民を移動させたのって……」

「エミヤ殿?」

「……っ、エミヤ!」


 アニスとイオンが戸惑ったような声で質問するよりも先に、グレンは切羽詰った声で己の従者の名前を呼んだ。グレンのその様子にアーチャーはいつもの皮肉げな表情を消し、真剣な表情になる。改めて、主の側に二人しか居ないことに気づいたらしい。彼の眼からして見ても結構懐いていたあのルークが、今グレンの側にいないという不自然さに思い当たって、一気に表情を険しくする。


「まさか……」

「エミヤ、今すぐ俺たちをルークの側まで連れて行け!」

「分かった。では失礼する、導師イオン」

「へ? うわ!」

「イオン様!? あんた何すん」

「君は私の背に掴まれ、タトリン奏長。なに、ごついトクナガだとでも思えば良い」

「ふぁ?」


 グレンを荷物持ちにしたかと思えばイオンを肩の上に抱えあげて、とりあえず止めようとしたらなんだか頓珍漢なことを言われた。だというのに、赤い男は思わず固まるアニスにしゃがんで背を向けている。どうした、早くしろ、などといわれても。おいこらなんで俺だけ荷物の持ち方なんだよとグレンがぶつぶつ言っているが、久しぶりに見た彼の従者は一向に気にするつもりもないようだ。ああ。これでこそグレンの従者。あまり会話をしなかったが、アニスはなんとなく納得してしまう。


「頼む、タトリン奏長! 今だけは話を聞かずに言うことを聞いてくれ!」


 グレンが必死に懇願してきて、訳が解らないながらもその言葉にこめられた感情が切羽詰っているのは分かって、あああああもう、とぼやきながら赤い男の首下に腕を回す。トクナガだったら台座があって楽なのに。しっかり捕まっていろと言った後、行くぞとにやりと笑って赤い男は走り出した。
 ――――両手に二人を抱え、背中に小娘一人背負ったまま、とんでもない、人外のスピードで。


「うきゃあああああああ?!」「うわあああああああ!」「エミ……もうちょ、静かに、ぐふ! 振動…!」


 荷物みたいに脇に抱えられているグレンが一番ダメージを喰らっているようだが、気にかける余裕はイオンにもアニスにもない。ただ、人間ジェットコースターから振り落とされないように必死になってしがみ付くだけだ。
 ああ、走るときの風切り音が耳元でしっかりと聞こえるなんて初めて。ってか、本当に人外じゃんこいつ!
 ジェイドが暇さえあれば人外だと評していた理由をアニスも身にもって知り、しかし声を出せば舌を噛みそうでぎゅっと黙り込む。ひたすらしがみ付きながら、後で絶対一発殴ると涙目になりながら誓うのだった。






 ルークを追って奥に入っていったジェイド達は、濃くなっていくだけの障気と、ルークが見つからないことに困惑していた。あらかた町は見終わった。と言う事は、これ以上奥というなら坑道しかないのだが……どの坑道に入って行ったのか、皆目見当がつかないのだ。


「クソ、ルークのヤツ……どこに行ったんだ?」

「迷子になってなければ良いんですがね。坑道というのは道が入り組んでいて、一度迷うとなかなか出られない。……それにしてもおかしい、先遣隊の姿が見えないというのは……どういうことだ?」

「大佐、それよりも今は先にルークを……」

「……そうですね。では手分けし」「きゃあああああぁぁぁぁぁ」「うわああああああ!」


 ジェイドが言いかけたところで、びゅおんとすごい勢いで何かが目の前をよぎっていった。巻き上がる風でふわりと皆の前髪が靡く。とんでもないスピードだ。辛うじて見えたのは赤。赤い、背の高い……男? ナタリアはわけがわから無さそうにキョトンとしていたが、残りの三人は思いあたるものがある。


「あの速さは……」

「えーっと、旦那?」

「人外ですね」

「なんのことですの?」


 何かを悟ったようにぼそりと呟く三人に、一人だけ解らないナタリアが眉をひそめる。そんな彼女に多分さっきのはグレンの従者のエミヤと言う者だと説明され、彼女の頭の中に浮かぶのは伝説のレシピ。
 まあ、先ほどの赤い風が。それならぜひとも料理についてご教授願いたいですわね。
 油断してついうっかりのんきなことを考えてしまった自分に気づき、はっとする。今はそんな場合ではない。ナタリアは慌てて頭を振って、エミヤの走っていった方向を見つめる。


「あれは……第14坑道?」


 何故彼がそんな場所を目指して走っていったのか、誰にも解らない。解らないが、どうして彼がここに居るのか。もしかしたらここの情報を知っているかもしれない。彼は、グランコクマに行くといっていたのだから。ジェイドはそう判断し、彼の後を追おうとして―――誰かがまた走ってくる音に振り返った。
 そして、驚く。


「おい! あの出来損ないとヴァンのヤローはどこにいる?!」

「鮮血のアッシュ……何故ここに?」


 剣を握って物凄い形相で怒鳴ってくる相手に、ジェイド達は咄嗟に戦闘体勢を取る。しかしアッシュはそんな彼らに気を向けるでもなく。何かを探っているようだ。目を凝らしながら、辺りを見回している。


「走りながらならいくらでも話してやる、それよりあの屑はどこだ! ヴァンのヤローはとんでもねえ事をあの馬鹿にさせるつもりなんだぞ!」








 坑道の奥にたどり着くと、無理やり破壊されたダアト式封呪の扉が見えた。イオンは驚いていたが、グレンとアーチャーは舌打ちをする。やはり超振動で無理やり入って行ったらしい。


「くそ、エミヤ!」

「わかっている!」


 走る。走るが、ここは中が螺旋階段のようになっていて、先ほどまでのようにはスピードが出ない。ぐるぐると降りて行く途中で―――パッセージリングに両手を翳すルークの姿が見えた。グレンの背筋が凍った。ルークは真剣な顔をして集中している。その彼をみて、ヴァンは口元を歪めて、


「ダメだ、ルーク!」


 さあ、力を解放するのだ―――『愚かなレプリカルーク』


 嘲りを含んだその声が発せられると同時、ルークの掌に集まっていた光が大きくなる。凄まじい衝動が世界を駆ける。明滅する光。ルークは突然のその自分の手の中の力の暴走に驚いているようだが、何も出来ない。
 そして、音叉の形をしたパッセージリングにひびが入ったような音を聞いた瞬間。グレンは決断を下す。


「エミヤ、降ろせ」

「何だねグレン、今は小僧を……、まさか!」

「止めるな、アーチャー」


 アーチャーはぎりりと歯を食いしばり、しかし大人しくグレンを降ろす。そしてアニスとイオンも降ろし、ルークの手の中の光が強くなるたびに生まれる衝撃波のようなものから庇うように背に隠す。イオンとアニスからはアーチャーの背に隠れて、ルーク達の姿が見えない。ただ、グレンが何かを思い切るように閉じていた瞼を開けたのは見えた。
 グレンは左手を音叉の形をした音機関に向けて、右手で左手を押さえていた。ぼう、とした光が彼の左掌に宿ったかと思えば、ルークの掌の中の光よりももっと鮮烈な輝きと衝撃が生まれる。何が何だか解らない。ただ、その光を見たら何だか恐くなって。咄嗟にイオンの前に出る。


「死ぬぞ、マスター」

「分かっていたのに止められなかった。ならばこれは俺の罪だ」

「……ルークは怒るだろうな」

「この崩落は俺の罪。二度目は自分の意思で背負う」


 彼らが何を話しているのか解らない。ただ、ルークの手の中の光が音叉にひびを入れた瞬間。強すぎるまぶしい光にアニスとイオンが目を閉じたと同時、その大きな音叉が崩れきるよりも早く、グレンの掌から放たれた光が欠片も残さず崩れかけたそれを吹きとばした。

 轟音。音が大きすぎて逆に静かになっているように感じる。耳が痛い。


「まさかお前まで超振動を使えるとはな……何者だ?」


 地震が起きて、崩落のはじまる中。驚いて辺りを見回すイオンとアニスは、はっとしてヴァンのほうを見る。すぐ隣でがくりとヘたれこんでいるルークに目も向けず、これまた後ろに倒れかけてアーチャーに支えられているグレンを見ながら冷笑を浮かべて聞いていた。
 答える気力もないのか、ひゅーひゅーと弱い呼吸をしているだけの主に代わり、射殺すような殺意を持ってアーチャーがヴァンを睨みつける。


「私の主で、貴様の敵だ」

「ふっ……そうか」

「畜生、間に合わなかったか!」


 聞こえてきた声に振り返り、ヴァンは驚いた様に目を見張る。


「アッシュ! 何故ここに居る、来るなと言ったはずだ!」

「……残念だったな。俺だけじゃない、あんたが助けようとしていた妹も連れてきてやったぜ!」


 アッシュのその言葉にヴァンは顔を歪め、指笛で鳥型の魔物を呼びつける。ヴァンはそれに飛び乗りながら、もう一体の魔物にアッシュを連れさせて空に舞い上がった。


「放せ! 俺もここで朽ちる!」

「イオンを救うつもりだったが、仕方ない。お前を失うわけにはいかぬ」


 アッシュは腕を掴んでいる魔物を殴っているが、魔物は彼を放そうとしない。ヴァンが一つ手を振り合図を送ると、そのままどこかへ高くアッシュを連れて行ってしまった。そしてやや遅れて、ジェイドたちが追いついてきた。はじまっている崩落と壊れたパッセージリングを満足そうに眺めているヴァンを見て、ティアの顔が泣き出しそうに歪む。


「兄さん! やっぱり裏切ったのね! この外殻大地を存続させるって言ってたじゃない!」

「……メシュティアリカ。お前にもいずれわかるはずだ。この世の仕組みの愚かさと醜さが。それを見届ける為にも……お前にだけは生きていて欲しい。お前には譜歌がある。それで……」

「兄さん!」


 悲鳴のような声で詰る妹に対してだけ、人間の感情を浮かべたヴァンの声が生き残る術を彼女に残す。それだけを言い残すと、彼は妹の叫びにも振り向かず魔物に乗って空へと消えていった。


「まずい、坑道が崩れます!」

「私の傍に……早く!」


 グレンを担いだアーチャーはすばやく主をティアの近くに横たわらせ、ルークを担いでこちらに走ってくるガイの援護に行く。イオンとアニスもティアの側に寄り、ジェイドとナタリアもティアの近くに駆けつけた。ティアの譜歌が周囲にバリアをはる。フーブラス川でも彼らを守ったユリアの譜歌は、ここでも彼らの命を繋ぐ役割を果たしたのだ。




 大地が崩落する。激しい揺れと共にアクゼリュス全体に亀裂が走り、地鳴りと共に崩れていく。高い空から、地獄のような地の底へと落ちていく。

 それはある少年の優しさゆえに。大切なものを守りたいと願うその心から、ついにこの世界も崩落をはじめてしまった。激動が始まる。この崩落は、その序章がはじまっただけに過ぎないのだから。




[15223] 23(魔界走行中のタルタロス船内)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:8d676ee3
Date: 2010/03/25 01:07




 目を覚ます。ここはどこだ。窓から見える空は紫。障気の空。ああ、あの青が見たい。


「気づいたか、マスター?」

「今はいつだ……」

「タルタロスの船室だ。グレン……自分の体のことは分かってるな」

「ああ……ルークは」

「甲板に居る」

「連れてってくれ」


 溜息をつきながら、エミヤはグレンを担いで甲板にまで出て行った。がちゃり、と甲板への扉を開けると一人だけそこで立ちすくんでいるルークがいた。
 ぼんやりと視線を向ける。甲板にいるのは一人きり。皆が居ないのなら、あの後か。情報源がアッシュだとしたら、壊したのはルークだということになっているはずだ。がたがたと震えながら自分の掌を見つめている。ああ、やはりこうなったのか。いくら少しずつ柔らかになったとは言え、いきなりこの状況に放り出されたら混乱するだろう。
 ルークは、優しい。俺と同じだなんて思えないくらい真人間で、けれど優しいからこそこの崩落に耐えられない。己の力のもたらす破壊に衝撃を受けているのは、他の誰より彼自身なのだから。


「……ルーク」


 擦れそうになる声でグレンが呼べば、ルークはびくりと肩を揺らす。小刻みに震えながら、怯えたような緑の瞳がこちらを向いた。


「俺は、俺はわるくねえ! 俺は、俺はただ……俺は!」

「ルーク……あんま、でかい声、出せねーんだ。こっち来てくれるか」


 小さな声は酷く弱い。ルークは恐る恐る寄ってきて―――その体が一瞬透けたのを遠目に見て、愕然とする。何もかもが吹き飛んで、嫌な予感しかしないのにそれを否定することが出来ない。走って駆け寄る。グレンの顔色は青い。


「グレン……?」

「お前は、悪くないよ。なんて、俺でも流石にいえないかな。でもな、ルーク。あえて言っておくか。悪いのは、お前じゃない。この崩落は、お前のせいじゃないんだ」


 ふらりと伸びてくる手を掴めば冷たい。体温が、無い。
 ルークは自分の血の気が引く音を聞いた気がした。


「グレ、ン……?」


 ああ、そうだな。本当は言わなきゃいけないのは違う言葉だったのだろう。ルークを見ながらぼんやりと思った。
 騙されてたからって、罪は消えない。仕方なかった、分からなかったんだってなんて理由にはならない。どうやったって、起こした事実からは逃げられない。お前はヴァン師匠に裏切られたんだ。そう言ってやらなければいけなかったのかもしれない。それでも、言えるわけが無い。言えるわけが無いのだ、自分だけは。だって、ルークが超振動を使ったのは。


「お前は、俺の願いをどうにかして守ろうとしてくれただけだろう?」


 ルークの眼が驚きに見開かれる。どうして知ってるんだ、言葉にはしなくともそう言っている。


「分かってたのに、防げなかった。どうにかしようって思ってたのに、結局何もできなかった。なら、これはお前を守れなかった俺の咎さ。俺の罪だ。……お前が背負わなくても良いよ」


 ほんとうに言わなきゃいけない言葉は別にある。
 なあルーク、お前結構酷いことしようとしてたんだぞ。俺と同じ事をしたなら、それは責任転嫁だ。仲間を責めて、嫌なことを他人に押し付けて、自分は悪くないんだって思いたくて、自分だけ綺麗なままでいたいって思っていたくて、誰かのせいにしようとした。本当に身勝手だ。でもな、ルーク。これは自分で認めなきゃいけないんだよ。自分にある、そういった汚い、身勝手なところを認めなきゃ、前に進めないんだ。
 そう言うべきだったんだろうか。でも、こんな目をしたルークに言えない俺はやっぱり馬鹿なんだろうなぁ。皆に置いてかれて、怯えた目をしたルークに言えるほど俺は強くなかったから。だって、このまま進んでしまえば、下手をすれば俺みたいなバカな考えを持つかもしれない。
 罪に押しつぶされそうになって、理由を必死に探して、障気を消して死ぬために生まれてきたのかとバカな考えをもたれては困るのだ。


「俺の存在がお前を追い詰めるだなんて、思ってもみなかったんだ……俺は、お前を守りたかっただけだったんだが……どうにも、上手くいかなくてな。悪いな、ルーク。俺がもっとしっかりしてれば良かったんだが」

「……違う」

「だからさ……アクゼリュスが崩落したのは、俺のせいなん……」

「違う!」


 ルークは冷たい手のひらを握り締めた。あんなに温かだったのに、嘘みたいだ。こんなに冷たい。嫌な予感しかしない。誰か助けて。なんだってするのに。この掌の温もりを取り戻せるなら、地獄にだって落ちていい。冷たくなっていくだけのグレンの手を、必死になって握り締めた。


「俺のせいだっ……俺のせいなんだ! だってグレンはいつも言ってくれてたじゃないか! 信用してくれって、話してくれって、いつも言っててくれたのに! いつも教えてくれてたのに! 守ってくれてたのに、俺は……俺が! 俺が……話してたら、こんな……俺の、せいで……」

「違う。お前のせいじゃない」

「だって! お前も見たんだろ?! 俺があの時、パッセージリングを……!」

「違う。お前こそ見ただろう、ルーク。……どの光が、あのパッセージリングを完全に砕いたのかを」

「光……まさか」

「そうだ。壊しかけたのはお前の超振動だが―――止めをさしたのは俺だよ」


 大きな音叉のような形。パッセージリング。崩れかけたとき、後ろから放たれた光が一瞬で焼きつくした。粉も音素も残らず掻き消えた。


「だから……本当の罪人は、俺なんだ……」

「グレン……?」

「アレは、俺のせいだ。悪いな。俺がぶっ倒れてたから、みんなの前でお前を庇えなかった……でも、だからってお前が苦しむことは無い。生きてくれ、ルーク。死にたく無いなら生きてくれ。生きて生きて生きのびて、幸せになって、かっこいいおじいちゃんになってくれよ。そんでもってな、『自分』にだけは負けるな。頑張れよ。お前なら大丈夫だろうから」

「グレン!」

「エミヤ、あとは頼ん……、」

「グレンっ!」


 グレンの意識がなくなる。掌から零れ落ちる。体温がない。光が明滅している。彼の体が時折透き通っていく。消えていく。その予感がはっきりとした事実になるのはきっとそう遠くない。半狂乱になって肩を揺するも、グレンは目を開けてくれない。


「グレン、グレン! おい……どうして、こんな!」

「――――あの光を使ったからだ」


 聞こえてきた声に顔を向ける。そこにあるのは刃色の瞳。責めるでもなく、慰めるでもない。圧倒的な理性をやどした瞳は、淡々と事実のみを話してくる。


「あの光を使うと、こうなると分かっていた。これ以上のラインの逆流は、私の体が乖離する。もう時間を止められない。これからは少しずつ零れていくだけだ。分かっていて使ったのはグレン自身の意思だ。だから小僧、お前がどうこう思う義理は無いのだぞ」

「義理って……そんなわけねえだろ! 俺が馬鹿だったから……俺があれを壊しかけたから、グレンは俺の代わりにそれを被ろうとして使ったんだろ?! 俺だってそれくらいわかる! なら、俺のせいじゃないか……っ俺のせいで、グレンは死ぬのか?! ふざけるな!」


 なんだっていい。なんだってくれてやる。どんなものでも犠牲にしよう。初めて一緒に木登りをして、空を見上げた親友を救ってくれるなら。なんだって差し出すのに。絶望に染まった瞳をするルークを見て、一瞬だけ、アーチャーは目を閉じる。が、やがて開いた瞳はやはり凪いでいた。
 その瞳のまま、アーチャーはルークを呼ぶ。のろのろと顔をあげれば、真剣な顔をした彼がそこに居た。


「グレンを、助けたいか」

「助かるのか!?」

「可能性があるというだけの話だ。ただし、下手をすれば片目が潰れて精神汚染が来るやもしれんし、最悪命すら落とす可能性もある。それでも成功するかどうかは分からんぞ」

「なんだって良い、可能性があるなら何だってする! 片目くらいくれてやる、俺を使ってどうにか出来るならやってくれ……グレンを生かせるなら、なんだっていい!」

「そうか……では、『ルーク』。お前と私の間に仮契約のラインを引く。お前がフォンスロットで取り込む第七音素を、私が魔術行使をするときにのみこちらに流れ込むようにする。そのための準備として、お前にこれから譜眼の処置と譜陣を刻み込むぞ。こちらの譜術とやらは技術の色が濃くて助かるが……私だからな。上手くいくかは半々だ。激痛もするだろう。それでもいいか」

「こいつが助かるならなんだって良いって言ってるだろ! 早くしてくれ」

「そうか。では、譜陣を刻む。歯を食いしばれ」


 アーチャーの手がぼうと光を放つ。その掌がルークの顔を覆いまるで顔面をつかまれるような格好になる。これでどうやって譜陣を刻むのかと思った瞬間、激痛が体中に走る。神経が、直接切り刻まれているように感じる。悲鳴が口の隙間から零れそうになって、それを意地でもかみ締める。溢さない。溢してなるものか。
 一番痛むのは左目だった。恐らく譜眼の処置も同時に行っているのだ。同時平行なのは痛む時間を少なくする為だろうか。それとも、痛みを大きくして己の犯した過ちを思い知れとでも思っているのだろうか。解らない。いたい。でも、これでグレンが生きる可能性が出てくるというなら軽いものだとも思う。
 神経と言う神経を直接ナイフでズタズタに切り裂かれていく痛みの後に、視神経を焼いて捻って粉微塵にするような衝撃が襲い掛かってくる。悲鳴は上げない。悲鳴は上げないが、奥歯を噛みすぎたのか血の味がした。歯が砕けたか、頬の内側を少し噛み切ってしまったのか。

 ルークが必死になって痛みに耐えている間、アーチャーは冷静に譜陣と譜眼の状況を見ていた。どうやら成功したようだ。やはりルークは第七音素と相性がいいらしい。ローレライの完全同位体で、更にレプリカだからだろうか。ほぼアーチャーの思惑通りの譜陣が刻めて、譜眼の効果も期待できる。手を頭から離せば、どさりとルークが甲板に倒れた。仰向けにして、心臓部分に掌を当てる。通すのは、魔術行使時のラインのみ。わざわざ契約破棄をするでもないし、この世界には聖杯もない。好き勝手できる便利さに少しだけ感謝し、ラインを通す。


「――同調、開始(トレース・オン)」


 あれこれ試行錯誤し、どうにかラインを繋いだ。試しに魔術を使おうとすればルークのほうから第七音素が集まってくるのが分かる。……下手にフォンスロットから取り込める量以上の第七音素をルークから搾り出したら、体を構成する第七音素を使用してしまうから気をつけなければならないが……この譜陣と譜眼の効果なら、その日一日ルークは使い物にならないくらい疲労するだろうが、三分くらいは固有結界も張れそうだ。そう、これだけの第七音素を取り込めるなら、きっとあれも投影できるだろう。
 ひとまずは完了か。そして、ルークの疲労を慮ることなく次に行ってしまうが……グレンを助けるためだ、恐らくルークもそうしろと言うだろう。思い浮かべるのは、遥か昔。己が人であったころに投影をした願いの形。


「投影、開始(トレース・オン)」


 創造の理念を鑑定し、
 基本となる骨子を想定し、
 構成された材質を複製し、
 製作に及ぶ技術を模倣し、
 成長に至る経験に共感し、
 蓄積された年月を再現する。

 こうであってほしいという願い、ただ人々の想いで鍛え上げられた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)を包む絶対防御。輝く鞘を投影する。……まだ、この鞘を投影できるとは思えなかった。もう投影できないものと思っていた。かつてを思いだした彼だからこそなのか、それでもこの鞘自体がまだ彼を覚えていてくれたのだろうか。
 今は考える時ではない。この世界での、この鞘の主は今エミヤだ。この世界に、彼女が居ない。これは彼女の宝具で、彼女が居なければ宝具の意味を成さない。けれど、この世界には彼女は居ないのだ。作り手であり、主は彼。例えそれが偽りのものであっても、この世界での主は彼なのだ。

 それゆえに、彼は世界に宣誓する。


「全て遠き理想郷。この世界にのみ、その所有権を一時わが主に譲る。全ての時間から我が主を切り離せ」


 ぼう、と輝く鞘はアーチャーの願いを聞き届けてくれたようで、そのままグレンの手の中に握られる。ほっとする。が、解析をして眉根を寄せた。この世界でのみ主とは言え、やはりこれは彼の宝具というわけではない。完璧にとはいかないようだ。


「なるほど。代償は眠り続けることか。眠り続けることで乖離していく第七音素を少なくし、その少ない乖離現象のみ時間から切り離せるといったところか……起こせば緩やかに乖離し始めるな。やれやれ、それでも眠れば死にはしないのだから……まあ、よしとしよう」


 マスターの願いが叶う頃に起こしてやるさ。小さくそう嘯き、ルークのほうを向く。譜陣を刻んですぐに全力で回されたため、意識が朦朧としているようだ。ぼうとした光が服の下から光っていて、異様な様相を浮かび上がらせている。何十にも重なり合って紋を描く大量の譜陣は体だけでなく顔の左半分までを侵食し、本来ならきれいな緑だった左目は髪の色とよく似た赤橙色になっていた。その赤橙色の瞳から、赤い血が流れていた。
 アーチャーは眉をひそめる。譜陣と譜眼は刻んで、効果は十分だがやはり負荷が大きいようだ。魔術行使をするたびに譜眼から血を流されるでは気分が悪い。これだけ譜眼に負荷が行っていると言うのなら、下手をすれば視力が落ちていく可能性もある。剣士にとって視力というのはかなり重要だ。やはり宝具投影などの魔術は使わないようにしていく方向でいたほうがいいだろう。

 魔術行使の名残が消えると、アーチャーのよく知っている雪の少女のように、ルークの体中に浮かんでいた譜陣も消えた。この調子では、アーチャーが魔術行使……恐らく宝具の投影をするたびに光って浮かび上がっては血の涙を流してしまうのだろう。そのたびに周りの人からすごい眼で見られてしまうかも知れないが、仕方が無いと諦めてもらうしかない。まあ、なるべくこちらもギリギリまでは魔術行使は控えるつもりではあるが。
 ぜいぜいと息が荒いながらも必死にこちらを向き、ルークはかすれる声で聞いてくる。


「グレン、は……?」

「ああ、大丈夫だ。眠り続けることになるが、今すぐ死ぬということは無い」

「じゃあ」

「だが命を繋いだだけだ。もう、グレンの体は治らない」

「そんな……」

「しかし、命は確かに繋いだ。マスターの体は、元から脆かった。それはお前のせいではない。今は助かった、それだけで十分だろう。ルーク、貴様のおかげだ」

「俺は……」

「今は眠れ。譜陣を刻んですぐにラインを通して聖剣の鞘を投影したのだ、ひどい負荷がかかっているだろう」


 懸命に起き上がってグレンの様子を見ようとするルークの額に手を置いて、ゆっくりと念じるように呟く。


「今は、眠れ」

「………………」


 ふ、とルークの体から力が抜けた。眠りの海に落ちた彼を見て、アーチャーは紫色の空を見上げる。やはりこうなってしまったか、と。こうならなければいいと思っていた。けれどこうなるのだろうと思ってもいた。と言う事は、自分は彼があの時言っていたとおりにしなければならないのだ。そうならなければいいと思っていたのだが、なってしまったのなら仕方ない。今出来ることをやるだけだ。


「しかしな、マスター。導師イオンは泣いて、きっとルークは怒るだろうよ」


 アーチャーのぼやきに答えるべき主はそれでも目覚めない。






* * *






 夢を見た。誰かが必死になって生きようとする夢だ。


 始まりは夜のタタル渓谷。なり行きの二人旅。バチカルへ。親善大使。アクゼリュス。たくさんの人たちを殺してしまった。償えるはずの無い罪だ。恐怖のあまりに誰かのせいにしたかった。似ている景色を知っている。けれどその時よりも何倍も酷い。皆に見放された。世界でひとりきり。
 そして知った自分という存在の歪さ。劣化複写人間。本当ならいなかったはずの存在。奪ってしまっていた場所。


 ユリアシティ。セレニアの花。ナイフを受け取る。髪を切った。
―――俺、変わりたい。……変わらなきゃいけないんだ
―――……そうね。見ているわ、あなたのこと。

 アラミス湧水洞。洞窟の中。待っていてくれていた。信じていてくれた。
―――俺にとっての本物はおまえだけってことさ。


 ダアトへ。一度失った信頼はすぐには取り戻せない。いろいろなことがあった。目の前のことをどうにかしようとして必死に走り回って、それでも次々に出てくる問題たち。それでも必死になって走り回った。少しずつ信頼もしてくれるようになった仲間たち。必死になって走っていく。


 地核の振動を止めようとシェリダンへ。六神将が襲ってくる。足止めをする人たちが。
―――時間がない! 早くせんかぁ!
―――あたしら年寄りのことより、やるべきことがあるでしょうっ!
―――こんな年寄りでも障害物にはなるわ。
―――仲間の失態は、仲間である俺たちが償う。

 雪の町。明日で最後の戦いだと信じて。
―――一緒に生き残って、キムラスカを良い国に致しましょう。
―――僕はイオンの変わりだけど、僕の変わりは誰もいない。


 終わったと思った。自分がどうしてここに居るのか分からなくなった。戦いは終わらなかったことに気づいて、みんなとまた世界を走り出す。本当はほっとしたのかもしれない。何か役目があればそのことだけを考えている間は余計な事は考えずにすんだから。けれど、本当の戦いの始まりはここからだったのだろう。


 セントビナー。死に際のフリングス将軍が教会で呟いた。
―――始祖ユリア……スコアを失った世界に、……彼女に……祝福を……。

 ザレッホ火山。間に合わなかった。イオンが死んだ。
―――今まで……ありがとう……。
―――イオン様……私のせいで……死んじゃった……!

 チーグルの森。初めてイオンと会った森だ。アニスとアリエッタの決闘。アリエッタを殺した。
―――ママ……みんな……ごめんね……。仇を討てなくて……。

 ダアト。障気中和の方法。レプリカ一万人を殺して障気を中和すれば、中和した者も死ぬ。一人の命か、世界か、なんて考えるまでもないのに。死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!
―――あなたは偽者ではありません! あなたは私のもう一人のおさななじみですわ。
―――石にしがみついてでも生きることを考えろよ!
―――そうですね。私は冷たいですから。……すみません。
―――もう……イオン様みたいに誰かが消えていくのは見たくない! こんなのイヤだよ! どうしてこんな思いしなきゃならないの? もう……嫌だよ……。
―――……ばか……。

 レムの塔。死を待つレプリカ。俺はこれからこの人たち一万人の命を喰らって世界を生かす。
―――我らは我らの屍で国を作る。
―――ルーク、やめて!
―――……みんな。俺に命を下さい。俺も……俺も消えるからっ!



 死ぬはずだったのが生きている。生きている理由ばかりを捜していた。そんなのじゃなくて、俺は生きていたいから生きるんだと思えるようになれた。けれどそう簡単に世界は回らない。
 その死が目の前に訪れているけれど、あっと言う間に俺を喰らうはずだったそれが、酷く緩慢になってきただけだった。ジェイドにばれた。一番隠して起きたかったはずのティアにまでばれた。本当に上手くいかない。みんなには内緒にしてくれるように頼む。本当に、心配ばかりかけてる。ゴメンな、ティア。


 アブソーブゲートへ。ラルゴがナタリアの実の父親だった。スコアに殺された妻と奪われた娘。
―――……いい腕だ……。メリル……大きくなったな……。

 ケセドニア。夜の海と月。世界は綺麗だ。とても綺麗だ。ままならない事だってたくさんあるけど、楽しいことだけじゃないけど、思い通りになることなんてすごく少なくて、それでも時々本当にきれいなこの世界が好きだった。
 みんなが居る、みんなと居られるこの世界が好きだった。きっと今が一番幸せなんだろう。
―――保つわ。明日も……明後日も明々後日も……ずっと……。
―――『今』が一番幸せなんかじゃないって……思えればいいのに。

 エルドラント。リグレットを殺した。シンクを殺した。アッシュと一騎打ち。
―――それだけが私の意思。ただそれだけ……よ……。
―――ヴァン……ローレライ、を……消滅…。
―――うるせぇ! 約束してやるからとっとと行け!



 終わった。やっと戦いが終わった。なのに。誰もいない。声がしない。動かない。どうして? どうして俺だけ残ってる。どうしてこうなった? 何が間違っていた?
 こんな結末、間違っている。叫んだ。世界の記憶。星の記憶。たいそうな名前で呼ばれるヤツだ。奇跡だって起こせるんだろう。それならみんなを返せと叫びたかった。叶わないことだと知っていた。ジェイドはそれを思い知ったと言っていた。誰にもかなえられないことなんだ。それでも一言言ってやりたかった。今すぐ俺の仲間を返せと叫びたかった。
 あらわれたのは、赤い目をしたきっと悪魔だ。恐いひとだと思った。宝石翁。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。吸血鬼の死徒。魔法使い。
 あまりにも甘い誘惑。もう一度やり直せると。今までをなかったことにして、もう一度。この結末を書き換えることが出来るのだと。言われて、手を伸ばしたいのに―――手が伸ばせない。なかったことになる。あの約束も、誓いも、交わした言葉も信頼も。なかったことにして、もう一度。
 手を伸ばせない。そうするべきだと分かっているのに! 無くしたくないのだと、無かったことにはできないと、心が悲鳴を上げている。もう一度と渇望して、なくす事は嫌だと子どものように泣いている。どっちも選べない。どっちも選びたい。答えはきっと出ない。

 赤い目をした魔法使いは高らかに笑い、そして。


『自分の世界ではないよく似た違う世界で、本当は違う自分のものではない世界を―――こうなる可能性もあったのだと、』


 可能性。可能性? 可能性というものがあるなら、どうか。
 俺が願うのは、ただ―――幸せに。彼女の隣に焔が生きて、そして俺にとって大切な人達が、皆笑える世界があるといい。
 そのためになら、俺はもう一度■■の■■……


 ぶつん、と景色が途切れる。意識が浮上していく。遠ざかる誰かの記憶。本当は、知っていた。起きるたびに忘れて、それでもきっとどこかに残っていた。苦しくてたまらないのに、いとしくて仕方ない。時々こちらを見て泣き出しそうに笑う。

 この記憶は、きっと。





* * *





 そのためになら、俺はもう一度■■■■■……


(ふざけるな……っ)


 そのためになら、俺はもう一度■■の■■を―――


「ふざけるな!」


 自分の叫びで目を覚ます。場所はタルタロスの船室。のろのろと起き上がり、周りを見る。落ちた衝撃であちこちに物が散乱していた。片付ける間もなかったのだから当たり前だが。そして、その一角。もうひとつのベッドに寝かされているグレンをみて、ルークは顔を歪めた。
 言いたい言葉はたくさんある。たくさんありすぎて、礼を言いたいのか怒りたいのか泣きたいのか笑いかけたいのか、よく解らない。グレンの眠るベッド脇。腕組みをして彼の傍にたたずむエミヤを見て、ルークは確認するように呟く。


「エミヤ」

「なんだね」

「グレンは、俺とは違う可能性の『ルーク』なんだな?」

「何?」


 すっと目を細めるエミヤの目を見返して、ルークは淡々と夢で見た、と答えた。その答え方に自分でも驚いた。まるで自分ではないようだ。こんなふうに感情を揺らすことなく声を出すことが出来たなんて、知らなかった。凪いでいる。タルタロスの甲板にいたときの自分の感情を思えば、有り得ないほど冷静な思考。
 ああ、多分。俺は知ってしまったから。これから起こるだろう事を、起きた結果どうなるかを、そして知らなかったら辿っていただろう結末を。知らなかった頃の俺にはもう戻れないんだろう。


「グレンは、誰よりも俺と近い、けれど圧倒的な別人だ。いや、違うか。グレンが友人になってくれた俺は、どうやったってグレンみたいな俺にはなれない」

「夢を見た、と言ったな。どのような形式で夢を見た?」

「他人の日記を読んでるみたいな感覚。でも、多分感情の揺らぎが強烈に残ってるところではその感情が感じられる。それくらいだ」

「なるほど……ではそれは同調フォンスロットではないな。ッチ、グレンが起きたら私が叱られるか。恐らくは私を媒介にしてお前とグレンが繋がってしまったのだろう。ただ、私というワンアクションを挟んでいたせいか自分としての記憶の流動は無かった、と。そんな感じだろうな」

「……エミヤ」

「なんだね」

「グレンは、本気であんな終わり方をしようとしてたのか」

「―――――…………」


 アーチャーは何も言わない。ただ、じっとルークの目を見返すだけだ。けれど、否定もしない。つまりはそう言うことなのだろう。


 そのためになら、俺はもう一度■■の■■を―――


「ふざけるな……っ!」


 そんなのは許せなかった。今までずっと頑張ってきて、頑張ってきた後も頑張って、ずっとずっと走り続けて、誰かを助けようとばかりして。全てを助けようとして、手を伸ばし続けて。バカな自分を見ていても見捨てないでずっと助けて守ってフォローして。……そうして散々苦労させられた相手にそれでも生きろといいやがって、そいつの罪を被って自分は死にかけて。ふざけるな。ふざけるな、一番幸せにならなきゃいけないのは、一番救われなきゃいけないのは、お前のほうだろうに。


「……エミヤ。俺に協力しろ」

「……なに?」


 そんなヤツが、全てが終わった後ののんびりとした世界にいないなんて、そんなのおかしい。
 頑張った人は報われて欲しい。全てが報われるなんてそう思わないけど。それでも、アレだけ頑張ったなら報われて欲しい。だってアイツは本当に必死になって走り続けてきたんだ。そう思うことは、おかしいのだろうか。


「グレンの願いは、俺が叶える」


 静かに言い切った。緑と赤橙色の瞳。そこでアーチャーは確信する。
 すまない、マスター。君は、あの頃の『ルーク』のままのこの世界の『ルーク』を守りたかったのだろう。けれど、変わってしまうようだ。いや、もう既に変わってしまったのか。一度知ってしまえばもう戻れない。一度色を変えた水はもう元の透明には戻れないのと同じように。


「ただひとつを除いて、グレンの願いは全部俺が叶える。そして、俺自身の願いも叶える」

「……お前の願いは?」

「さあな。言ってしまえば叶わない気がする。ゲン担ぎにでもその願いを叶えるまで決して口にしないでおこうか」


 小さくくつりと笑う。ああ、無邪気な子どもはもういない。捻くれていてもまっすぐで、あきれるくらい優しくて、何だかんだいいながら柔らかな心を持っていた、グレンが守ろうとしていた『ルーク』はもういない。これは、決意してしまった眼だ。
 自分の願いを叶えるためなら、立ち塞がる他者の願いを切り捨て進む。それに迷うことを己に許さぬ殉教者の目に似ている。
 ―――こんな目をするように、させてしまったのは。


「それに、エミヤだって俺の首に縄をつけときたいんだろう? なら、俺に協力しといたほうがいいと思うけど」

「……譜陣と譜眼の過多な重ね掛けが精神汚染ではなく感情障害で表れたということだな。擦れたか。いや、それとも擦れたふりをして心を押し殺したか? 七歳には確かにいろいろ衝撃が強かっただろうが、まさかこのように変わるとはな。グレンが起きたら私とて殺されそうだ……仲間はどうするのだ」

「置いていく」


 さらりと。当たり前のように吐き出された言葉に、アーチャーは目を閉じた。


「グレンは悲しむぞ」

「俺を先に怒らせたのはグレンだぜ」


 置いていく、と彼は再度静かに呟く。


「これから辿るはずだった未来を知っている。結ぶはずだった信頼も、築くはずだった信用も、交わすはずだった約束も、友愛も親愛も誓いも全てを置いていく。そうだな、それくらいを対価にしたら、等価交換とやらで俺の願いも叶ってくれないかな」


 くるはずだった未来があって、そうならなかった今がある。
 汚れるはずだった手は、血を吐くような想いで守られ続けて未だに潔癖だ。

 グレンの記憶を覗いて知った。人を殺すことを本当に怖れていた彼の心を。俺は今まで、ずっとそんな思いを俺の代わりに背負わせて。ずっとずっと背負わせて。アクゼリュスの崩落とういうものまで、二度も背負わせてしまったのだから。
 グレンが、あれは己の罪だと言い切った。ならばもう何を言っても翻さないのだろう。どれだけルークがあれは自分の罪だと言っても、グレンはそれでも止められなかったのだと、己の罪だと言って引かないのだろう。
 違うのに。あの崩落の罪人は俺なのに。大きすぎる力を分かっていないとアリエッタに言っていた言葉が引っかかっていたくせに、結局考えることを放棄して。いつも何かを考えていろと教えてくれたのに、師匠が言うのならと思考を停止させて。考えることもなく力を使った。

 そんなどうしようもない大馬鹿では、あれくらいの対価を払わねば願いも叶わぬだろう。


「来るはずだった未来は、そうだな。オリジナルにでも全部くれてやる」


 そうだ、それがいい。そうあるべき姿。レプリカがいなかったらそうであったはずの本当。全部全部被験者に返そう。俺の全部をくれてやる。だから。


「なあ、エミヤ。ひとつだけ、どうしても叶えたいんだ。グレンの願いは、ちゃんと叶える。一人でも多くの人が死なずに、たくさんの人が笑っていられるように、仲間の誰もが死なないように。その願いは、ちゃんと叶える。だから協力してくれないか」


 わざとだろうか、それとも偶々だろうか。ルークの口から零れる言葉は、グレンが一番強く想っていた願い以外だ。一番欲しいものは手に入らないけど、二番目以降はすべて手に入るよ。それを幸福と呼ぶか不幸と呼ぶか。けれど、ルークの言葉はグレンにとってはそう言われているのと同じ意味を持つ。
 ならば、グレンを主とするアーチャーとしては、こう答える以外にない。


「良いだろう。ただし、協力者だ。互いの利害の一致のための協力者」

「なるほど。俺がエミヤの裏をかいてもいいけど、エミヤが俺の裏をかくかもってことだな。まあ俺がエミヤの裏をかけるわけがないから、俺がいつも気を張ってないといけないんだろうけど」

「お前の願いはどうもグレンにとって見過ごせないもののようでね。……おまけに今のお前にしたのは私のせいでもある、私がどうにかせねばなるまい。だが、グレンの願いをかなえるというところでは完璧に協力しよう。どうだ、不服か?」

「いいんじゃないか。途中のがよくわからないけど、お前はグレンの従者で、俺の相棒ではないんだから。それで十分だよ」


 ゆるりと笑う。ルークでないルークの笑顔だ。心が完全に死んだわけではない。ただ、残されたほんの少しさえも押し殺している。それは願いのために全てを置いていくと決めたからだ。全く。グレン、懐かれすぎだぞ、これは。
 その表情の危うさに、アーチャーはこれからのことを考える。これは、ルークを一人にするわけには行かない。この表情を浮かべる人間は、えてして自分の命を勘定に数えないタイプが多い。嫌になるほど知っている。せめて仲間のうちから誰か一人を引っ張り込まねばなるまいが……全てを置いていく発言をしたルークは猛反発をするだろう。これ以上無くどうしようもないほどの理由をつけるとして……引っ張ってこれるのはあの一人だけだ。が、それは恐らく一番ルークも反発をするだろう人物で。
 どうしたものか、とアーチャーは一人溜息をはいた。タルタロスは暗い海を進んでいく。



 こうして岐路の先はあるべき道筋から逸れていった。彼は彼自身の願いを持ったが故に。








[15223] 24(ユリアシティ)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:8d676ee3
Date: 2010/03/14 23:42



 タルタロスにいる間はずっとグレンの傍にいた。食事はエミヤがとってきてくれた。どれだけ俺が第七音素を集めてみても、体を構成する第七音素にはできない。俺の第七音素をエミヤが受け取って、それをグレンに流せたらよかったのに。でも、俺とエミヤの間に繋がったラインは魔術行使にのみ使用されるラインだったから繋がったようなもので、それ以上を願うのは過ぎたことだ。
 眠っていても、生きている。それだけで今は十分だと思わなければいけないのだろう。


「眼帯を買わねばなるまいな」


 ポツリとエミヤが呟いた。言われて、そういえば自分の片目の色が明るい赤に変わってしまっているのだと思い出す。確かにこの色のオッドアイは自然には存在しない。目立つことこの上ない特徴ではあるし、さっさと隠すに越したことは無いだろう。
 そう言うのを考えると、今の状況は助かったのかもしれない。わざわざ部屋に足を運ぶのは俺に食事を持ってくるエミヤくらいで、他は誰も近寄らないんだから。……本当は、イオンはグレンの様子を見に来たいんだろうが俺がいるからとアニスやらジェイドあたりから止められてるんだろう。会わせてやりたいんだが、俺はいま先ほども言った譜眼の変化などによりあまり船内をうろつけない。その結果いつもこの部屋に閉じこもってばかりで、イオンがグレンに会いにこれない状況を作ってしまっている。

 エミヤは、考えようによっては今のグレンの状況をジェイドたちに見られずに済んでいるから御の字だ、と言ってくれてはいるが……多分フォローなのだろう。あの皮肉屋エミヤにまでフォローされるとは、俺も何だかんだ言っても師匠に裏切られたとかその他もろもろダメージをくらってたんだろうか。
 感情の起伏が、自分で妙なくらいに平坦になってしまって、よく解らない。未来を知って改変をする可能性を手に入れる対価に、感情をごっそり取られていったみたいだ。まあ構わない。それでグレンの願いを叶えることが出来るなら安いものだ。
 ……実際のところはエミヤが言うには『譜眼と譜陣の過多な重ねがけによる感情減退』らしいけど。素質がなければ精神汚染だといっていたが、素質があっても過ぎれば危険って訳だ。でも、そうでもしなきゃグレンが助からなかったっていってるんだからしょうがない。俺は別に困るでもなし、一向に構わない。

 それに、考えてみれば感情がなくなるならこのタイミングが一番良かったんだろうとも思う。グレンは眠ってるし、グレンの記憶の中ほどではなくて少しひとりになって頭を冷やせ、って言う程度だったけど、仲間は俺に呆れて不干渉だ。俺が少々変質してしまっても、今なら妙な探りは入れてこないだろう。


「……なあエミヤ、ユリアシティに着いたときはどうすればいい。皆に会うときにずっと片目瞑ってるなんて怪しすぎるぞ」

「そうだな……甲板でグレンと殴りあいをした事にして、包帯でも巻いておくか?」

「グレンヘロヘロだったじゃないか。つくなら……そうだな、俺が崩落をグレンのせいにしようとして、怒ったエミヤが教育的制裁を入れたってことにしたほうが……」

「自虐発言をサラリと普通に言えるようになってしまったか……偽悪ははがれた時に周りが辛い。装うなら決してばれないようにせねばなるまい。さて、ルーク。嘘をつき続けると言うことは得意かね?」

「俺だって嘘くらいつけるさ」

「一時つくのと、つき続けて何かを隠すというのは随分違うぞ。はっきり言って骨だ。そうしなくてもいいならしないほうがいい」

「……間抜けなルークは甲板ですっ転んで顔から手すりに突っ込みました。これでどうだ」

「妥当だな。では包帯を巻いておこう」





 ユリアシティに着いたらしい。いきなり左目に包帯を巻いていたから皆も少し驚いていたようだが、あまり詮索はされなかったので実はこっそりほっとしていた。ただイオンだけは何か言いたそうにしてたが……本当にお人好しだな、アイツも。
 タルタロスから降りる。皆はティアの促す声にしたがって奥へと進むが、俺は動かない。グレンを背負っているアーチャーの足が止まり、確認するように振り返ってきたので目で返す。肩をすくめて、その場に残った。一応協力者だから、万が一危なくなったら助けようとでも思ってくれてるんだろうか。
 俺たちが動こうとしないことに気づいて、ティアが振り返ってこちらに歩いてくる。なるほど、今なら分かるぜグレン。お前の言ってた通り、たしかにこいつは根っからの生真面目だ。


「……いつまでそうしているの? みんな市長の家に行ったわよ」

「ならお前も行けばいいだろう。俺はドッペルゲンガーに、あれこれ返してやらなきゃいけないんだから」

「……! ルーク、まさか……知って……?」


 恐らくアクゼリュスの坑道をアッシュ達と進んだ時にでも聞いたのだろう。ルークは動揺するティアに視線も向けずに背後に意識を向ける。感じないはずなのに感じる気配に、やはり記憶のとおりだと声をかけた。


「おい、そこにいるんだろう。出てきて下さいませんかね、元バチカル貴族の『オリジナルルーク』サマ」


 その言葉で確定する。彼が、自分が何かを知っているということに。ルークの言葉を聞いて、今までどこにいたのかアッシュが姿を現した。敵愾心も憎しみも殺意も隠そうとしていない。そんなアッシュを見て、ルークは凪いだ感情の下でぼんやりと考える。おかしいな。廃工場を出た後と、ザオ遺跡と。
 会うたびに気持ち悪かったのに、今では何も感じない。感情が本当に根こそぎなくなったのか、まだそこに回るほど心の余裕が回復していないのか。まあいい、そんなことは些事だ。ルークがこれからすることには何の影響も無いことに過ぎない。


「屑……てめぇ、知ってやがったのか」

「最近な。まあヴァン師匠にも言われたし、なんのこっちゃって思ってたけどいろいろあって分かったよ」


 言葉はまるで挑発しているようなものばかりなのに、その声は酷く淡々としている。瞳は冷えている。声は揺らがない。自分が誰かの複写人間だ、と知ってしまった人間にしては妙に冷静すぎる。何もない、温度の無い表情。いくらなんでも、これはおかしい。目の前に居るこれは、誰だ?
 アッシュとティアはルークの変容にここにいたって気づき、表情をきびしくする。アーチャーはただ静かにルークを見ているだけだった。


「オリジナルルーク。あんた、このまま皆と一緒に外殻大地へ行け」

「……何だと?」

「俺は俺で動くから、お前はあいつ等と一緒に動けって言ってんだ」

「ふざけんな! 屑が俺に命令する気か?」

「ふざけてねえよ。そうだな。俺はもうバチカルの屋敷に帰るつもりがないんだけど、そうなったら母上が心配してまた倒れるかもだろ。そうしたら流石に悪いから、お前が屋敷に帰ればいい。でも、屋敷に帰るにしてもお前はカイツールでアリエッタに命じて人を襲わせてるから、その分何かで覆い隠して帰らないと面倒くさいことになる。だから皆と一緒にヴァン師匠のことを止めて、大手を振って屋敷に帰る。どうだ、あるべきものはあるべき場所へ。一番理想的な帰還方法だろ」

「……ふざけるなっ! お前は、俺を、馬鹿にしてるのか?! 俺はお前に存在を食われたんだ! 過去も未来も奪われた……ここにいるのは燃えカスだ、今更のこのこ帰れるか! お前を憎んで、憎んで、ずっと憎んで生きてきた! それをあっさり返すだと……そんなんで許されるとでも思ってんのか!!」

「別に許して欲しいから返すって言ってる訳じゃない。ただ、俺は誰かの代わりなんてごめんなんだよ」


 あそこにいても、あの家の人たちにとっては俺はお前のマガイモノだ。そう言うふうに見てくる奴等の中に何で俺がわざわざいなきゃならないんだ。わざわざ針のむしろに座り続ける趣味は無い。はっきり言って嫌だ。だから、俺にはあの場所は要らない。俺から捨ててやる。
 オレは誰かの代替品なんていう存在理由なんて、要らない。いらないんだよ、オリジナルルーク。あの場所はお前の場所で、俺にはいらない。
 お前はお前で、俺は俺で、アイツはアイツなんだから。


「俺は、俺自身の意思でグレンの願いを叶えると決めた。俺のために俺の願いを叶えると決めた。とりあえずそれが優先事項で、それだけだ。むしろ身辺整理ってやつかな。いいんじゃないか、帰れば。俺はいらないって言ってるんだから。母上……いや、シュザンヌ様もファブレ公爵もきっと喜ぶぞ」

「いい加減にしろ! お前は、俺をどこまで愚弄すれば気が済むんだ! この劣化レプリカが!」


 ついに激怒したアッシュが剣を抜きルークに切りかかってくる。それを抜いた剣で防いだルークはやはり表情が浮かんでいない。感情を削がれた彼からは、ギリギリと剣で競り合っているというのに力んでいる様子も見れない。
 静かに観察する瞳しか浮かべることが出来なくなったルークは、淡々と言葉を呟くのみ。


「レプリカレプリカレプリカレプリカ……そんなに自分が本物だと叫ばないと、安心できないのか。それとも自分が保てないのか。弱いな、俺の被験者の癖に」

「黙れ! 屑の癖にべらべらべらべらと……喋りすぎなんだよ!」


 刃を合わせる。ルークは人と斬り結んだことは殆ど無い。いつもグレンに守られていたからだ。けれどもうグレンは守ってくれない。いや、違う。守られるだけでは願いを叶えることが出来ないと知った。ならば切り捨ててでも、先に進むまで。これからの道は、自分の身は自分で守らなければ。
 何があっても、進むと決めた。
 だからごめんな、グレン。ずっと守っててくれたのに。

 ―――自分の意思で、人を、斬るよ。


「!! ……ちっ」


 ざん、とアッシュの額の薄皮を一枚裂いて振り下ろされた刃には、微塵の迷いも無かった。咄嗟に引いていなければ、確実に脳天を割られていただろう。殺気は無い。ただ、やるべきこととして情もなく処理するように振り下ろされた刃だった。避けられたというのに、ルークには悔しがる様子も見えない。ほっとしているでもない。表情を変えない。見れば分かる、今の彼はどこかが確実に壊れている。


「はん、やるじゃねえかっ……タルタロスの時はまともに反応も出来なかったお坊ちゃんがよぉ!」

「殺したくないが殺されるわけにはいかない。お前が殺す気で来るなら、仕方ないから俺が先にお前を殺すまでだ」

「やれるもんならやってみろ!」


 再びかち合う剣と剣。その剣筋はだんだんと容赦というものが削げていく。当たれば確実に殺せるように。そんな殺し合いじみてきた剣戟だ。
 当たり前の作業のように、それこそジェイドのようになんの躊躇いもなく命を刈り取ろうとしたルークを見てティアが顔色を変える。今のルークのおかしさが、はっきりと分かってしまったのだろう。人を殺すのを怖れていた、甘すぎるくらい優しい、ただの子どもみたいな世間知らずのお坊ちゃんはどこにもいない。


「だいたいてめぇ、一人になって何をするつもりだ? 逃げ出すとでも言うのか、アクゼリュスを崩落させたことから! ふざけんな、人こそ死ななかったが、お前のせいでとんでもないことになったんだぞ!」

「ああそうだな、俺はアクゼリュスを崩落させた。罪は俺に在る、責は俺が背負う。―――俺以外の誰かに、この罪業は渡さない。俺の罪だ。だがな、オリジナルルーク。それで俺を責められるのは、……復讐権が存在するのは、帰る場所を有無なく俺に奪われたアクゼリュスの民だけだぜ。
 あの屋敷に帰ってこなかったのはお前の意思なら、復讐権はお前にない。違いが分かるか?」

「言葉遊びを……っ!」


 確かに落ち着いて考えさせようと一人にしていたが、その間に一体何があったのか。アクゼリュスの罪は自分だけのものだと、傲岸に言い放つ彼は一体誰だ。復讐されることを当然と言い放つ彼は誰だ。罪に怯えてすべてから目を背けていた子供は一体どこに行ってしまったのか。
 何かがおかしいと、これ以上やれば本気でどちらかが死ぬかもしれないと思い至って止めようとしたティアの耳に、今まで黙っていたアーチャーの呟きが聞こえた。


「アレでは殺戮人形だ……流石に気に入らん。止めるのは私の義務か。グランツ響長、マスターを頼むぞ」

「は?」


 ティアが聞き返すよりも先に、アーチャーは背負っていた主をぺいっとティアの方へ放り投げた。放っておけば頭から床にぶつけていたかもしれない。大慌てでグレンを支える。そして彼は何をしているのかと思えば、激しい剣戟を繰り返す二人の間に割って入って、黒白の双剣で二人の刃をあっさりと止めていた。
 アッシュは勝負に水を差されたのを怒っているのか闖入者を睨みつけていて、ルークの方はやはり感情らしい感情を浮かべず、ただどこか不思議そうな顔でアーチャーを見ている。


「そこまでだ、悪餓鬼ども。兄弟喧嘩にしては激しすぎだ。引きたまえ」

「誰が兄弟だ! だいたい、なんだてめぇ! 真剣勝負の間に割って入りやがって!」

「ふむ、貴様がアッシュか。私としてはいろいろ積もるものもあるのだが、流石に大人気ないので流してきたが……これ以上はた迷惑な殺し合いをやると言うなら、先に私がお相手しよう。ルーク、グレンは出来ればグランコクマに運びたい。早急に浮遊機関を手に入れる必要がある。それまでのグレンの保護とユリアロードの使用許可を、その旨市長に話してきてもらえないか」

「分かった」

「こら待て! てめえ、逃げるのか!」

「ああ。エミヤが止めてるのにこれ以上暴れる勇気は俺は無いからな、逃げさせてもらうよ」


 ルークはアーチャーの言葉にあっさりと頷き、剣を納める。そのままアッシュに背を向けスタスタと歩いてティアに近付き、グレンに肩を貸すようにして受け取り微妙に引きずっていく。ティアとしては、何故グランコクマに運びたいのかとか何故ユリアロードを知っているのかなどを問いたかったのだが、皮肉屋の煽る様な言葉に一触即発寸前に戦意が膨れ上がってる赤くて黒い二人をみて、止めるべきかどうか迷ってしまう。いや、止めるべきだとは分かってるのだが……はたして止められるか。
 怒りのボルデージが上がっていくアッシュと引き換えに、アーチャーはとてもいい感じに口元に笑みを浮かべている。ああ、間違いない。アレでは止めても両方聞かない。嫌な確信をしてしまうティアがまだそこに残っていたのに気づき、アーチャーは先に行っていろと手振りで示す。

 諦めて大人しく進むことにした。そうすればすぐにグレンを連れているルークに追いつく。どうやらグレンを引きずって歩いていたことに気づいたらしく、ルークはよろよろしながらも彼を肩に担いで歩いていた。その後ろ姿だけを見れば、何も変わっていないように見えるのだが。


「……ルーク」


 久しぶりに呼んだ気がする名前に振り返る緑の瞳は、やはり何の温度も宿していない。冷たくは無い、けれど温もりも無い。何の感情も持っていない眼だ。これはきっと、無関心の瞳だ。見ている事象に対して何も感じない、無感動の心。こんな目で見られて、何も感じないわけが無い。現にティアの心にざらざらとした苛立ち、不快なものが溜っていく。
 何かを言わなければと思ったのだが、何を言えばいいのか分からない。それに、何を言っても今のルークには届かないような気がした。結局、ティアはルークの視線から目をそらす。自分から彼を呼んでおいてこれは失礼かと思ったが、そうせざるを得なかった。


「今のあなた、変よ」


 声も、目も、言葉遣いすらも、何もかもが違う。
 ティアがなんとか呟いた事実指摘に、それでもルークは平然と答える。


「やっぱり変か。まあ、俺のことなんて些末なことだ。気にするな」


 返答はやはり静かなだけで何の感情もこもっていない。ただ、彼がグレンを肩に担ぎ直していた時。案外重いなぁこいつ、と。呟いた時だけは、どこか人間味のある声の響きに聞こえた気がした。












 ユリアシティに一時グレンを置いていく、というのは少し不安がある。この都市の存在は六神将でもリグレットが、そしてヴァン師匠自身が知っているのだから、下手に置いていったら俺たちがいない間に簡単に連れて行かれるかもしれない、と言う危惧があるからだ。エミヤがグレンの傍にいてくれたら安心だが、浮遊機関のあれこれはナタリアかエミヤがいないとどうにもならないだろう。
 とりあえずグレンを寝かせに入ったユリアシティの一室で、どうしたものかと悩んでいたらコテンパンにされて意識を失っているアッシュを担いだエミヤが帰ってきた。他にもベッドがあるというのに思い切り床に寝かせようとするんだから、俺の知らない場所でアッシュはエミヤの怒りを買ってたんだろうか。地味に嫌がらせだ。あれ、起きたら絶対からだの節々が痛いぞ。まあ別にいいけど。

 グレンならエミヤを止めるんだろうが、別に俺はグレンな訳でもないし。床で寝かせられているアッシュに毛布はかけるがベッドに運ぼうとはしないまま、困っていたことを話した。そうすれば、エミヤがどうにかできると言っていた。
 トウエイマジュツとか言うのでどうにかするから俺の譜陣が作動するが良いかと聞かれて、それでグレンの安全が保証できるならなんだって良いと答えれば、エミヤに溜息をつかれた。俺おかしいこと言ったっけ。

 エミヤの魔術が始まった瞬間、俺の身体中に刻まれた譜陣が光を放つ。左眼が痛んで、咄嗟に片手で抑える。が、投影はすぐに終わったようで、すぐに譜陣の光が消えて、エミヤは見たこともない小さな小刀を何本か手にしていた。
 血が滲む左目に手をおきながら、どうするのかと聞けばこうするのだと言って天井に一つ、グレンのベッドを囲むように四隅にひとつずつ、その小刀が投げられる。エミヤが何かの名前を呟いたように聞こえた。そうすれば、ぱきんと何か固いものが割れるみたいな音がして、五つの小刀が淡い光を放っている。
 訳がわからず首を傾げると、ナマクラの剣を投影(宝具、とか言うのじゃなかったら左目は痛まないみたいだ)して、徐にグレンのいる場所に振り下ろす。驚いた俺が声をかけるより先に、その剣は不可視の何かに弾かれた。エミヤはバリアーのようなものだ、と教えてくれた。なるほど、これならグレンは安心だ。

 じゃあ早速ユリアロードを使って外へ行こうと言うのだが、そこでエミヤはとんでもないことを言い出したのだ。


「グランツ響長を連れて行け」


 訳が解らないとはこのことだ。俺のタルタロスでの決意をエミヤは知っているはずなのに。


「……エミヤ、俺言ったよな。全部ここに置いていくって。聞いてただろ」

「分かっている。しかし、我等はこれからパッセージリングの操作をせねばならんだろう。リングの起動にはユリアの血族が必要だ」

「そんなの俺の超振動で操作盤を……」

「小僧、お前はスイッチも入ってない操作盤を動かしてどうにかなると思っているのか?」


 反論できません。電源の入ってない状態でいくら操作盤をいじってもどうにもならない、ということくらい俺でもわかる。しかし、納得いかない。それじゃあ対価にならないじゃないか。腕組みをしてじーっとエミヤを見続ける。そうすれば、無表情でこちらを眺め続けるのはやめてくれといわれた。あれ、やはり無表情だったのか。一応不機嫌そうな顔をしたつもりだったんだが。
 頑張って眉をよせる。そこに転がってるヤツみたいだぞと言われた。じゃあどうすれば良いんだよ。無視してアッシュの顔真似をしてエミヤを見続ける。アーチャーはやれやれと首を振り、俺を指差して苦笑する。


「あとだな。君のそのさっくりと削除されたコミュニケーション能力と感情のリハビリに、私以外の普通の人間を連れて行ったほうがいい。でなければ、誰かと交渉するということもまともにできん。交渉でおさまればそれでいいのだ。やたらめったら敵だらけでは余計な恨みを買って動きにくくなるからな」

「なら、ティアじゃなくてガイのほうが良くないか。アイツだって結構無表情じゃないか。イオンにカースロットを解いてもらってガイを連れて行けばいいだけだろ。……ついてきてくれるかは別として」

「剣士が三人になるだろう。回復が一人は欲しいところだと思うがね」

「グミあるだろ」

「それでも後衛が一人はほしいだろう。それにあちらのほうを考えてみろ。ガイがいなくなれば前衛が一人、後衛が四人。だぞ」

「アッシュと……アニスと、でもジェイドもアレで前衛も出来るだろ」

「あの大佐殿から譜術を取るほうが戦略的に下策だ。タトリン奏長は早いうちにダアトへ帰ろうとするだろう」

「なら、俺らはバチカルでの逃走経路確保とか地核振動の対策とか、モースに対してとか、そういう裏方を……」

「そもそもだ。私はユリアロードの存在は知っていても、使い方は知らん。知っているのはこのユリアシティの住民くらいだぞ」

「………………」


 なるほど。何も言えない。でもそれならテオドーロさんに聞けばいいだけなんじゃないだろうか。でもそう言ってもまた何やかやと理由をつけて振り出しに戻るだけの気がする。まあ確かに、ガイまで抜けさせたとして、アッシュがグレンのときと同じように一人で行動しようとしたら、アニスを残して前衛が壊滅状態になるだろう。同じく治癒師としてはナタリアがいるが、彼女はオリジナルルークの傍にいたほうが良い。
 確かにそれを考えたらティアしかいないのだろうが……


「……エミヤがいたら、治癒師とか要らないんじゃないのか」

「それは否定せん。が、万一ということもある……それに、」


 実はこれが一番ネックになっていることだが、とアーチャーは続ける。


「ルーク、お前は自分が超振動を使えることを知ってはいてもグレンのようには自分では制御できていない。お前も第七音素の制御訓練は受けておいたほうがいいだろう。パッセージリングをうっかりまた破壊しましたでは話しにならん。
 しかもだ、今回はグレンのときより制御は難しいぞ。刻まれた譜陣が容赦なく発動して、ちょっと力を込めただけでもとんでもない超振動になるだろうからな。パッセージリングをいじるにしても、制御が命だ。私がわかるのは魔術で、譜術は専門外でね。だとしたら、連れて行くのは第七音譜術士(セブンスフォニマー)のほうが良いということもある」


 もう諦める。ルークは両手を挙げて降参のポーズをするしかない。


「分かった。じゃあテオドーロさんにユリアロードの使い方聞いて、分からなかったらしょうがない、ついてきてもらおう。こないって言ったらそのままアッシュ達と一緒に行ってもらう。ダメだったら大人しく俺らは裏方専門。それでいいな」

「ああ、そうだな。それでいい。ではルーク、お前が聞いてきてくれ。私は聞いてもこの世界の機械の原理は分からなかったのだ」

「……そうなのか」

「そうなのだ、いきなり音素といわれてもな……私は呼吸で無意識に取り込んでいるようだが、魔術放出以外は操れんのだ。それと少々タトリン奏長に渡すものがあってね。お前が市長と話をしている間に渡してこようと思う」

「了解。じゃあ行ってくるよ」









 アニス・タトリンに両親からの手紙を渡した。タトリン夫妻をグランコクマに引き取って、孤児院の教師として来て働いてもらっているという内容だ。そう、実はアーチャーは、アニスがどれだけ両親の為に必死になって借金を返済していたか、導師守護役という名誉ある役目の裏側でどれだけ大変な思いをしていたか、それはどうしてなのかを容赦なく理論的にこれ以上無く正確に彼女の両親に話きり、証拠物件としてアニスがモースへと送った手紙までをも見せたりしたのだ。
 そして、モースが強硬手段をとる時の人質にされる可能性があるということと、実際問題被害を受けたタルタロスの状況を説明。もうこれ以上借金は絶対にしないとユリアに誓う、という条件でモースに肩代わりさせられていた借金をエミヤが返済、しかしその金の都合は実質マルクトだったので、ダアトの代わりにマルクトでせっせと働いてもらうという算段を立ててきた。
 それゆえ、モースのスパイとして働く必要なし、とその報告を兼ねて両親に手紙を書いてもらっていたのだ。
 読んだ瞬間彼女は顔色を悪くし、やがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。いままでどれだけの必死になって両親を守ってきたのか、そのために仕えるべき人を裏切らなくてはいけないという苦しさ、そして裏切っている人は本当にお人好しで、その苦しさはどれ程のものだっただろう。まだ彼女は十三歳の子どもなのだ。
 ……恐らく、タルタロスでグレンが無茶をしてでも船員達を死なせないようにとしていたのは、この目の前の少女の感じる罪悪感を少しでも少なくしようとした為だったのだろう。グレンが生きた記憶を見た。自分のせいだと泣いていた少女の悲鳴を知っている。

 アーチャーは声を殺して泣いている少女の頭を撫ぜた。どうにも乱暴にならないように気をつけたのだが、小さな頭をなでるのは久しぶりで調子がつかめない。


「今までよく頑張った。もう、両親のことは心配しなくていい。色々と手を打った。君の両親がこれ以上借金をすることもない。なんせユリアに誓ったのだからな。……もう、普通の導師守護役で良いのだぞ」

「どうして、知って……どうして、ここまで……助けてくれたの」

「企業秘密だ」


 口元だけでにやりと笑う。ただ一言、私のマスターはお人好しでね、とだけ呟く。それだけでいいだろう。このままではいつか君は導師イオンをモースに渡すことになり、その結果導師が死ぬかもしれなかったからだよ、などという必要もない。この世界ではIFになった可能性なのだから。


「グレンが?」

「そうだ。今は寝こけているが、いつか起きたらグレンの方に礼を言ってくれ。私は、マスターの言うとおりに動いただけなのでね。……これからは本当の導師守護役としてしっかり働いてくれ、アニス・タトリン奏長」

「うん……ありがとう」

「ふむ。礼ならマスターに言ってくれ、と言わなかったかな」

「起きたらちゃんと言うもん。でもエミヤにも言わせて。……本当に、ありがとう」

「そうか。では、どういたしましてと言っておこう」


 涙を滲ませながら、本当に嬉しそうに笑う顔。守護者として抑止の働くままに動くようになって、一体どれだけ時間が経ったのか。……自分がこんな笑顔を向けられる日が、また来るとは思ってもいなかった。不意に思い出す。朝焼けの中、泣きそうな顔をしながらこちらを見上げる一人の少女の姿を。

―――凜。こんなオレでも、まだ誰かの笑顔を守ることができるらしい。驚いたよ。本当に、世界と言うのは可能性に満ちている。



 アーチャーも笑う。それは皮肉が消えたほっとした笑顔で、まるで彼の方こそ救われたような笑顔だった。







[15223] 25
Name: 東西南北◆90e02aed ID:683d6e83
Date: 2010/03/25 01:08



 アニスに、導師イオンへ「ガイのカースロットを今のうちに解いておいてくれ」と伝言を頼んでユリアシティの中を行く。そろそろルークはテオドーロ市長と話が終わったころだろうか。市長がいるはずの部屋へ行く途中に、会いたくもない男と目が合ってしまった。おや、とそれでも一応笑顔を向けられて思い切り舌打ちをする。


「酷いですねぇ、眼が合った瞬間に舌打ちをするとは」

「貴様と私の間で和やかに笑顔を返せというのか? 冗談も過ぎる。丁重に辞退させていただこう」

「はっはっはっは、いやー、優秀な人材に嫌われるとは、悲しいものです」

「よく言う。お互い様だろう」


 ここにグレンがいればお前らいい加減にしろよな、とでもぼやいていただろうか。自分が感じているのが埒の無い感傷だと知っている。アーチャーは軽く頭を振ってその感傷を追いやった。


「こちらに何の用だ?」

「……ティアからルークの様子がおかしいと聞きました」

「気のせいではないのかね」

「感情が削げ落ちているようだと。……少し一人で落ち着かせようとしただけだったんですがね。貴方は、ルークに何をしたんですか」


 溜息をついて、説明する。どうせいつかは言わねばならないことだ。いや、いっそ下手に隠すより言ってしまったほうが良いだろう。ルークは彼らから離れようとしているが、グレンはルークが一人になることなど望んではいなかった。今の現状を知っていてもらったほうが、余計な齟齬も少なくなる。

 グレンを救命するにはそうするしかなかったこと、そのために譜陣と譜眼をありったけ刻み込んでその後も少々無茶をさせてオーバーロードさせてしまったこと。譜陣を刻むのは素養がなかったら精神汚染だが、素養があってもキャパシティ以上の第七音素を集めすぎたのだろう、弊害は感情障害として現れたこと。
 そしてその結果の感情減退。いや、むしろ九割九分九厘削がれたといったほうがいいだろう。
 ざくざくと要点だけをまとめられた話を聞いて、ジェイドが少し苛ただしげに眼鏡に触れる。


「感情の減退……譜陣を……いや、譜眼? なるほど、左目を隠していたのは…。まったく、人外殿は嫌がらせがお好きなようだ」

「処置をしたのは私だが、自分などどうなってもいいからグレンを助けろといったのは小僧だ。それに、技術というものは開発した側にではなく、使用者側にどう利用するかは委ねられる。それが技術というものだろう」

「ええそうですね、分かっていますよ。分かっていますが、嫌がらせだと言ってみただけです」

「なるほど、人間らしい感情だな」

「また嫌味ですか」

「そのようなつもりは決してないのだがね、大佐殿?」


 ニコリと笑って言われたセリフに、アーチャーもふっと笑って返す。表面上はにこやかだ。しかしここにルークかグレンでもいたら、きっとブリザードの発生を幻視していただろう。しばし睨み合っていたが、珍しいことにすぐに両者とも視線をそらす。
 そして相手の目を見ないまま交わされる会話は、これからのことに対する事実確認だ。


「ルークはこれからどうするつもりなんです」

「あの状態では君達と共にいても不協和音のもとになるだけだと私と二人で行くつもりだったそうだがね。超振動の制御はできるようにと、第七音譜術師のグランツ響長についてきてもらおうと思っている。
 パッセージリングが崩落したことにより恐らくだが他の外殻大地も崩落する危険性があるが、パッセージリングの作動にはユリアの子孫が必要だ。グランツ響長についてきてもらったのならそれはこっちでなんとかしよう。
 ……タルタロスを外殻大地に打ち上げる方法がある。タルタロスに音素活性化装置を取り付ければ、一度だけだがアクゼリュスのセフィロトを利用して外郭へ上がれる。貴様らはそれを利用して外殻大地へ行けばいい。とりあえず戦争を止めるように動いてくれると助かる。……それと、アッシュが今この町にいる。超振動を使えるあれを連れて行ったほうが、何かあったときも便利だろうよ」

「アッシュが? しかし、その情報をどこまで信じてもいいと?」

「私の主はとにかく無駄に勘がよくてね。あの髭は絶対きなくさいからと私に内偵を勧めるように申し付けていたのだ。実際にこの私が潜っていくつか探った内容だ、信用できないか?」

「いえ……ただ、何時から調べているのかは知れませんが、随分と腕の良い諜報員だと思っただけです」

「ああ、なんせ私は人外だそうだからな」


 話はこれで終わりだとアーチャーが去りかけて、それをとめる声がする。最後にひとつだけ聞かせてもらいたい、と言う言葉に、振り返らず立ち止まるだけでその続きを無言で促す。


「アクゼリュスで私たちがあの場所にたどりつく以前、……一体何があったんですか」

「……ルークがヴァンに騙されて、かけられた暗示でパッセージリングを崩壊させかけた。そしてルークにアクゼリュス崩落を負わせたくなかったマスターが無茶をして、壊れかけたパッセージリングに止めをさした。……それだけだ」

「なるほど。だからグレンのためにルークも無茶をしたというわけですね」

「あそこでグレンが死んではそれこそルークが壊れていただろうからな。……全く、私のマスターは誰も彼もが後先も考えず突っ走るのだから困り者だ」

「諌めるのが従者の仕事では?」

「できたら苦労はせん。それに……グレンに似たところは少なからず私にもあってな。私の言葉では止め切れんのだ」

「それにしてもパッセージリングを破壊、ですか……グレンは……もう一人の『レプリカルーク』ですね?」

「さてな、そういうことはマスターが起きたら直接本人に聞け。話して良いと思ったなら彼から話すだろう」

「なるほど、否定はしないと。分かりました、彼がおきたら直接聞きますよ」

「ではな、ネクロマンサー。世界中を走り回っていればいずれ会うだろう。それまでせいぜい馬車馬の如く働いておけ」








 アーチャーがテオドーロのいる部屋に行くともう既にルークは出て行った後だった。どうやらジェイドと話しているのを見て気をきかせたつもりだったのだろう。話を聞いてみると、やはりルークにもユリアロードの使い方はよく分からなかったらしい。ならば彼が向かうのはティア・グランツの家だろう。
 グレンから流れ込んできたいつかの記憶を頼りにユリアシティを進む。そしてそこで―――修羅場にあった。絶対零度が吹き荒れている。氷の渦が逆巻いている。いつか似た景色を見たことある。アレはタルタロスの中だっただろうか。その中心には一組の男女。二人の近くにいるアニスとナタリアは硬直している。

 それもそうだろう。少なくとも今まで仲間だと思っていたルークが、一人の少女の首筋に剣を突きつけているのだから。


「……もう一度、言ってくれるかしら」

「ティア・グランツ。アンタには、世界のために死んでもらう」


 ルークよ。言い方というものがあるだろう。本当にどうしようかこのコミュニケーション能力0。いや、むしろマイナス100か。何故剣を突きつける結果になったのだ。交渉ですらない、恐喝ではないか。しかもこれでは今ここで殺すと言っているようにも取れるのだが。
 アーチャーは遠い目をして回れ右をしたくなった。これでついてくるわけがない。いやむしろついてきて欲しくないからか、わざとか、そうかわざとなのか。しかも気のせいか正気を取り戻し始めた女性陣が一斉にすごい眼でルークを見ている。そりゃそうだ。

 女は怒らせたら恐いのだ、やめろ。やめるんだ小僧!

 叫びたかった。アーチャーの中のエミヤシロウが実際問題叫んでいる。しかし今声出したらやばい気がする。沈黙は金。故郷の言葉を思い出すが、しかしここで引くわけには行かない。己が認めた主のためにも、できるだけの手は打たねばならぬのだから。


「……小僧、結論から言うではない。説明をしろ。グレンもお前に何かを頼む時は丁寧に説明していただろう?」

「……俺がアクゼリュスを崩落させたことにより他の外殻大地に影響が出る。またパッセージリングの耐用年数自体が限界を迎えて、遠からず外郭の大地はひとつ残らず崩落する。それを防ぐ為にはパッセージリングを操作し外殻大地を降下させるしかない。しかしパッセージリングの起動にはユリアの血族が必要だ。
 そしてパッセージリングを起動させれば、その瞬間起動者にはパッセージリングから障気が体に流れ込む。よって、解呪者は極めて重度の障気障害にかかる可能性がある。しかし外殻大地を降ろさなければいずれ崩落し人々は皆死に絶える。止めることはできない。
 それゆえに、ティア・グランツ。アンタには、俺の願いを叶えるためについて来てもらう。そしていずれ死に至る病を負ってもらいたい、と言っている」


 恐るべしグレン効果、と言うべきか。無表情のまますらすらとルークの口からかなり詳しい宣告が流れている。そう、それは宣告だ。世界のために死んでくれという宣告。途中で口を挟ませぬ、有無を言わせぬまま一気に言いきってしまった。


「ちょ……っ、何訳分かんないこと言って……!」

「ルーク! 貴方は一体何を言っているのですか!」


 しかし、急にこんなことを言われて納得するわけがない。ルークの言葉も今の段階では荒唐無稽に過ぎるものだ。そもそもなぜそんなことをルークが知っているのかということもある。アニスとナタリアはとにかく緩やかな死刑宣告をされているティアをルークから庇おうとして声を荒げるが、次のルークの言葉にティアの顔色が一気に青くなる。


「なるほど、信用できないか。そうだな、今の状況なら仕方ないだろうな……ではこう言えば心当たりがあるか?  ヴァン・グランツは外殻大地の人間を効率よく殺しつくそうとしている」

「……っ!」


 声を詰らせ息を呑むティアを見て、ルークの目が細められる。観察するような目で数秒彼女を眺め、首に突きつけていた剣を鞘に納めた。


「心当たりがあるか。なら、話は早い。ユリアロードで待っている。覚悟が決まったら来い。決まらないなら、もう外殻大地に来ようとするな。断言しよう――――苦しいだけだ。行くぞ、エミヤ」

「お待ちなさい、ルーク!」


 言いたいだけ言って、用は済んだとばかりに家から出て行こうとするルークにナタリアが声をかけた。今のルークなら何のためらいもなくそのまま進んで行きそうだったものだが、意外なことに彼の歩みはぴたりと止まる。
 アーチャーもおや、と少し驚いた目でルークを見ていたのだが、腕を組んで少し何かを考えていたルークの脳内は、彼の予想の斜め上をいっていた。


「ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア。王女殿下の貴女に頼むのは気が引けるが、貴女が適任だろう。とある二人に伝言を頼みたい」

「なんか、やっぱ、喋り方……」

「ルー、ク……?」


 これ以上無いほどありえないものを見たといわんばかりの目でアニスとナタリアがルークを見ている。どこかで見たことのあるような、誰かに似ているような、けれど思い出せない。妙な違和感。ティアは先ほどの衝撃が覚めていないようで、一人でぐるぐると考え込んでいる。……まあ当然だろう。おそらくはルークが何を言っているかまでは聞こえていない。


「一人はガイラル……いや、ガイ・セシルに。賭けの続きはもうできない。すまないと。そしてもう一人は、このユリアシティのどこぞの医務室で寝こけている俺のドッペルゲンガーへ」

「どっぺる……えーっと、それって六神将のアッシュのこと?」

「ああ、そのアッシュだ。識別名称が無いと不便だから『ルーク』の名前は借りていく。時が来て、帳尻を合わせて辻褄合わせも終わった時、欲しいなら返す。だからそれまで辛抱しとけ『オリジナルルーク』、と伝えておいていただきたい」

「……っ! ルーク、あなたはまさか―――」

「そして貴女にも言っておかなければならないだろう、王女殿下。俺は七年前、誘拐の折に作られた『レプリカルーク』だ。貴女と約束をしたルークは俺ではない。貴女のルークは、アイツだ。だから会いに行ってやれ。医務室だ。多分アイツも喜ぶぞ」

「……っ、ではやはり……」


 ナタリアの表情が歪んだのはルークが自分の存在が偽りだと知ってしまったからなのか、それとも彼の変容が自分がレプリカだと知ってしまったからだとでも思ったのか―――アッシュが、約束をしたオリジナルルークがここにいると知ったからか。


「俺はいいから七年間存在を殺されたオリジナルルークにでもついててやってくれ。そんでもってバチカルにアッシュ引きずってでも連れ帰れよ。俺はもう帰らないから、そうでもしなければシュザンヌ様が倒れてしまわれるだろう」


 それだけを言い切り、ナタリアが固まったことにも気にせず出て行こうとして、思いとどまったようにルークは再度振り返った。その視線の先はティアでもナタリアでもなく何故かアニスで、急に目を向けられたアニスはびくりとする。喋り方だけではない、何の感情も見えない緑の瞳。冷たくも無い代わりに温もりも無い、無感動の瞳。
 おかしすぎるルークの変容に、それでも怯えも見せずに果敢に立ち向かう。


「な、何?」

「アニス・タトリン。あのお人好し……イオンをくれぐれも頼んだぞ」

「そん、なの……言われなくたって!」

「そうか。それなら安心だな」


 その時だけ、何の感情も表さなくなっていたルークの顔に、本当に少しだけほっとしたような表情が浮かんだように見えた。気がした、だけかもしれない。ルークはすぐに出て行ってしまったから解らない。アニスはぶんぶんと首を振り、固まっている二人をそっと見る。
 今まで固まっていたナタリアは、ぎゅっと手を握り締めたかと思えばティアの家から走って出て行った。ティアは相変わらず顔色の悪いまま何かを考え込んでいるようだ。どうしよう、声をかけたほうがいいのだろうか。アニスが困っていると、とっくに立ち去っていたとばかり思っていたアーチャーの声が聞こえる。


「グランツ響長。この家に音素(フォニム)学の本はあるかね」

「え……あ、はい。あると思いますが」

「そうか。ならば、それを借り受けたい。ルークには超振動の制御訓練をしてもらいたくてね。私は正直さっぱりなのだが……ルークには本だけでもあるだけで違うだろう。私はユリアロードの部屋の前にいるから、来たくないのであれば私に本を渡してくれ。覚悟が決まったのなら―――直接ルークに渡してやれ」


 ティアにそれだけを伝えて、出て行こうとしたアーチャーをアニスが呼び留める。


「エミヤっ!」

「……なんだね、タトリン奏長」

「……『レプリカルーク』って……なに? あいつ、どうしちゃったの?」


 まあ当然といえば当然の質問だ。この中で、恐らくルークがレプリカだと知らないのは仲間内でもアニスだけだろう。あれだけ間近にその変容を見てしまえば、いくらなんでもおかしいという事くらいは分かる。グレンのおかげでそれなりに柔らかくなっていたルークは、グレンの時ほど仲間達から見限られていたわけではないようだ。
 だからこそ、その分あの豹変ぶりが信じられないのだろう。実際はそうするしかなかったとは言え、自分が原因とも言えるアーチャーは無言に徹する。ただ一言、詳しくは大佐殿に聞いてくれとだけ言って去っていった。










 ルークは床に描かれた譜陣をぼんやりと見ていた。円だけの組み合わせで、よくぞこんな譜陣を描けたものだ。そんなことを思いながら、しかし『感心』という感情は無い。いや、もしかしたら感心していたのかもしれないが、感情を忘れてしまった今のルークにはそれが感心という感情だと解らない。ただ感想として思っただけだった。
 テオドーロ市長は、ユリアロードはユリアが作った音機関なので第七音素がどうのこうのといっていたが……はっきり言ってルークにはさっぱりだ。使用したら、確か陣が光るのだったか。音素を流し込むだけで転移の譜陣が発動し、そしてそれが開発されたのが2000年も前だと言うのだから、創世暦時代というのは本当にすごかったのだろう。

 腕を組んで、譜陣を囲む四方の柱のうちの一つに背を預けながら時間つぶしにあれこれ思考する。そんなルークの耳に、ご主人様ご主人様となんだか一生懸命な声が聞こえた。ぴょこぴょこ跳んでルークの視界のなかに入ろうとしている小動物を見て溜息をつく。がしりと頭を掴む。なんだかみゅうみゅう言っているが気にせずそのまま肩に乗せた。
 騒いだらすぐ落とすぞ。それだけを呟いたらさっそく嬉しそうに騒いでいる。有言実行、落としてやろうか。真剣に黙考していると、なんだかふわふわした感触がぐりぐりと頬に当たる。ちらりと見ると、ご主人様はやっぱりご主人様ですの~なんていいながら聖獣がすりすり懐いている。訳がわからん。


「ご機嫌だな」

「はいですの! ご主人さまは変わってもやっぱりご主人様ですの。とっても優しいですの。だからボクもすごくすごくすごーく嬉しいんですの!」

「……優しい?」


 ミュウの言葉に心底解らなさそうにルークは首を傾げる。苛立ちはしない。不思議にも思わない。やはり声は平坦だ。この聖獣は何を根拠にこんなことを言うのか。それがいくら思考しても分からなくて、確かわからなかった時はこの動作をするのだったと思い出しながらそれをなぞる。
 これから町へでることもあるなら、確かに今のままでは不便だ。そう言う意識はあるので、せめて取り繕うくらいには感情があるふりをできるようになっておかねば。そう思っての行動だった。けれど首を傾げる時、どんな表情をしていたのかまでは思い出せない。
 まだまだ難しいなと思いながら、それでも嬉しそうに懐いてくるチーグルに言葉の続きを促す。


「俺は今、感情の殆どをなくしてる状態なんだが。それでも優しいっていうのか」

「はいですの。ボクには分かるんですの。どれだけ色んなものを忘れても、ご主人様が気づいてなくても、それでもやっぱりご主人様は優しい人なんですの! ボクは分かるんですの! ボクはご主人様が大好きだからちゃーんとわかるんですの!」


 ご主人様は変わっちゃったけど、それでもどーしても変えられない優しいところが、まだまだたくさん残ってるんですの! 嬉しそうに懐く小動物の、頬にぐりぐり攻撃がますます加速する。特に何も感じない。そろそろ本気で落とそうかと頭は考えるのだが、不思議とそうする気にならなかった。いい加減痛いぞと呟くと今度は涙声になってごめんなさいですのーなんて言いながらますますぐりぐりしてくる。こいつ、人の話きいてねえ。
 溜息をついてチーグルを腕で拘束し、その頭をぐしゃぐしゃにする。それでもやっぱりミュウは嬉しそうな声をあげるだけだ。ぽいっと落としても、ころころと転がった後起き上がって足もとにじゃれ付いてくる。しばらく無言でそんな小動物を眺めていたが、ルークはしゃがみ込んでミュウと目を合わせた。大きな目でまっすぐ見つめてくるミュウの頭に手を伸ばし、ぐりぐりと撫でる。

 その時自分の表情が本当に微かに柔らかになっていたことに、ルーク自身は気づかない。


「変なヤツだなぁ、お前も」


 嬉しそうにみゅうみゅう鳴いている小動物に構っていると、ふと気配を感じて振り返った。いつからそこにいたのか、片手に本を持ったティアがそこにいた。ルークは全く気づかなかった。さすがは曲りなりにも現役兵士。ティアはティアで少し驚いた様な目をしていたのが、ルークと眼が合った瞬間にすっと兵士の顔になる。
 無言で差し出された本を受け取る。基礎的な音素学の本だ。どうやら言い忘れていたのをエミヤが言ってくれたらしい。悪いな、と言えばいいえ、とだけ返される。ぱらぱらと見て、すぐに道具袋の中に入れる。彼女は何も言わない。だから仕方なくルークの方から口を開く。


「覚悟を決めたのか」

「ええ」

「世界のために死に往く病を背負うというわけか」

「そうね。あなたが言っていることが本当なら、そう言うことになるんでしょうね」

「逃げても良いんじゃないのか。アクゼリュスを崩落させた人間の言葉など信用ならないと。モースへの第七譜石の報告があるにしても書類で事足りる。皆も納得するだろうさ」

「それはできないわ。本当だと確実に信じられなくても、嘘だとも言いきれない。もしも本当のことだとしたら、兄さんが恐ろしいことをしようとしていると言うのなら、それを止めるのは妹の私の役目だもの」

「……そんなに、自分の命を犠牲に喰らって生き残る他者の世界なんてのを守りたいのか」


 淡々としていたルークの声に、不意に苛立たしそうな色が混じる。


「ティア・グランツ。アンタもグレンと同じ人種か。自分ひとりより世界のたくさんの人が大事か?」

「……ルーク?」


 今まで平坦だった彼の声にはっきりとした波ができた。道具袋を握る手はぎゅっと強く握りしめられていて、こちらを見る緑の瞳にはあからさまな怒りが滲んでいる。彼が何に怒りを抱いているのかは分からない。ただ、どうやら覚悟ができたら来いと言っていた割には、覚悟をしたことに怒っているように感じられる。それとも覚悟などするはずが無いとでも思われていたのだろうか。だとしたら、ティアにとっては酷い侮辱だ。
 いくらなんでもこれでは理不尽だと、怒りをもって睨みつけてくる緑の瞳を彼女も睨み返す。緑と青がぶつかる。互いに全く引く気は無い睨み合いだった。


「バカな女だ、本当に。自分と世界とどっちが大事かなど決まっている。自分だ。世界など見殺しにしてしまえ、馬鹿馬鹿しい」

「馬鹿馬鹿しい、はどっちよ。そんなこと出来るわけないでしょう」

「そうか。俺はお前やグレンみたいになるほうが無理だがな。世界が俺を殺そうとするなら俺は世界を殺してでも俺が生きる道を捜す。捜して、実行する。俺は俺のやりたいようにしかしない」

「傲慢な答えね。それなら、あなたはどうして外殻大地を降下させようとしているの。世界を救おうとしているのではないの」

「言ったとおりだ。俺は傲慢だからな、俺のやりたいようにしかしない。世界が俺を殺そうとするのなら、俺は世界を殺す。そうじゃないなら、住む世界が無かったら困るからしょうがないから助けるだけだ。俺は俺のためにしか命を使わないし、俺は俺の願いのためにしか命を捨てない。
 ―――ああそうだ、俺は、義務感などで、世界のためになど死ぬものか! 俺は、」


 何かを言いかけて、ティアの後ろから入ってきたアーチャーを見つけてルークは言葉を切る。ルークはその姿を見た瞬間に正気に戻ったようで、それからはあっと言う間に表情が削げ落ちた。今まで見せていた烈火の怒りも瞬きひとつの合間に平坦になる。先ほどの感情の揺れが嘘のように、未だに見慣れぬ無感動な瞳に戻った。


「邪魔をしたかね。ルーク、グランツ響長」

「……いいえ」

「……別に」

「それなら結構。しかし小僧、少しは安心したぞ。感情が完全に無くなっているわけではないのだな」

「なにが安心だよ。残ってたのにしても『怒り』だろう。ろくでもない」

「そうかね。自分以外の誰かのために怒れる感情が残っているなら、上等だろう」

「曲解するな。どこぞの馬鹿と思考が似ていたのが気に食わなかっただけだ」

「せっかく剣を突きつけてまでしたのに、上手くいかなんだな。彼女の生真面目さを見誤った君の誤算だ」

「うるさい。これ以上余計なことをいうな、エミヤ」

「……その言いよう、やはりわざとか。ルーク、いくらなんでもあの気の配り方は……」

「……?」

「ティア・グランツ! さっさとユリアロードを起動させてくれ!」


 あれのどこをどう考えれば気を配っていたということになるのかがよく分からず、ティアは怪訝そうに眉をひそめる。そしてこれ以上余計なことを言われては堪らないとルークが少し声を荒げるのだが、それがそのままアーチャーの言ったことの肯定になっていた。
 覚悟が決まらないなら外殻大地にはもう来るな。それは時間稼ぎにしかならなくても、それでもギリギリまでユリアシティにでも閉じ込めてしまいたかったということなのだろう。ああでも言えばルークの言葉を断った生真面目な彼女が、そのまま普通に六神将の一人のアッシュについていくとも思えない。同行していなければ、それだけ時間ができる。その間に、どうにかして他のパッセージリング起動キーを探せればそれでよし。そうでなくても、障気障害を負う時間を、少しでも遅く短くしたかったのだろう。そして、恐らくだがルークがしようとしていることは。

 アーチャーの予想でしかないが、ルークが口ではどうこう言っていようがそれでも彼は結局グレンと根幹が一緒の人間なのだ。だということは、アーチャーにも少なからず似ているということで、おおよそでしかないが、それでも想像がついている。
 グレンが何をしようとしていたのかを知って、それを知ったルークが何を願っているのか。


「断言しよう、ルーク。お前の願いを聞けばグレンは怒り狂うぞ」

「……先に俺を怒らせたのはグレンのほうだ」


 アーチャーは溜息をつきながら、二人の後ろに立つ。床に描かれている譜陣が光を発し、彼らの体が移動した。




[15223] 26(アラミス湧水洞~)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:053dde73
Date: 2010/02/09 00:02




 アラミス湧水洞にでた。出た場所がいきなり水の中でブタザルなんかは驚いていたようだが、どうやら濡れはしないようだ。じーっと出てきた場所を見ていれば、ティアがなにやらセフィロトが吹き上がる力で弾かれるだの説明をしていたが、さっぱりだ。しかしコイツも生真面目と言うか、もういっそお人好しだな。ついさっきあの言い合いをした相手にご丁寧に説明とは。
 無言で足元にいる小動物に目を向ける。首を傾げている。どうやら解らないのは自分だけではないようだ。よし、と頷いていたら背後でエミヤのすごく疲れたような溜息が聞こえた。視線を向ければ、なんともいえない顔をしていたのは二人ともだった。エミヤからは、何故か乾いた笑顔で生暖かい視線を向けられる。


「仔チーグルが分からなかったからと安心するのも……どうかと思うのだがね」

「……一人ではないことは心強い、というのが『感情』ではなかったのか。エミヤ、前言ってたじゃないか」

「いや、まあ、そのだな……対象がチーグル……同レベルがチーグル……グランツ響長、助けてくれ」

「無理です」


 何故二人してまた溜息をついているんだ。訳が解らない。しばらく顎に手を当て考える。どこかで似たような情報があったはずだ。チーグルと同レベルだという単語。記憶を検索する。アレはいつだったか、日記を書いていた時か。セントビナーの宿? グレンがくつくつ楽しそうに笑っている。開いた日記を指差して怒っている俺を、ガイとイオンが宥めてる。ティアはミュウを誉めていた。ジェイドは失笑気味。俺はかっかと怒りながら喚いていた。


『ちょっとまて、それって俺がこのブタザルと―――』


 しばし考えていたが、やっと分かった。


「ああ、わかったぞエミヤ。俺はチーグルと同レベルかよ、だとか言って怒らなければいけなかったのか」

「ん? ああ、まあそうだが……ルーク?」

「でもさっきの場合は俺が自分で同レベルだと確認してたんだから、その場合は怒るのが適切なのか? それとも情けなさに顔をしかめているのが正しいのか? いや、罰が悪い顔というものをしたほうが適切か……エミヤ、何だその顔は。その表情はどういった感情のときに浮かべるものなんだ」

「いや、なんでもない。気にするな。……ルーク、私は確かに感情を学べといったが……そこまでキッチリきっかり外から計算ずくで入るのではなくてだな、外と触れて、自分の中に浮かんだ感情がなんであったのかを確認して覚えていけと言いたかったのだが……」

「そうは言っても、浮かぶものが何もないんだ。早めに振りだけでも出来ておいたほうが良いだろう。それなら外だけでも貼り付けておけば……」

「やめておけ、それでは不自然だ。勘のいい相手には感情と表情の乖離を気取られて無意味に警戒される。ただの無表情ならまだなんとでもなる。わざわざそこまで外から入ることもない」

「そうか。……リハビリと言うのもなかなか面倒くさいものなんだな」

「面倒くさいからといって、おろそかにするなよ小僧。続けることが一番重要なのだから」

「分かった、努力する」


 淡々と答えて、ルークはそのまま歩き出す。その背を見ながら溜息をつき、ちらりと横にいる少女に目を向けた。やはり驚いた様な顔をしていている。グランツ響長、と呼べば困惑した目を向けてきた。


「ルークの感情が減退状況なのは大佐殿から聞いたかね」

「はい……グレンを助けるために色々無茶をしたと後遺症だと聞きましたが」

「全く、わが主ながらとんだ無茶をしたものだ。本人なりに必死にルークを庇おうとしたようだが、巡り巡ってルークもグレンを助けようとしてこの結果だ。……グランツ響長。すまないが、ルークの感情のリハビリに付き合ってやって貰えないだろうか」

「それは……私にできる範囲でなら協力します。ですが、」

「私ではダメなのだ。それなりに取り繕っているが、私もこれで色々と破綻者でね。今のルークはまっさらな状態だ。下手に干渉して悪影響を及ぼしては、流石にグレンに申し訳がたたん。君とミュウに頼みきりというのも心苦しいが……よろしく頼む」

「……わかりました」


 話をしている間に少し離れてしまった距離を追う。するとどうしたのか、ルークは洞窟の前で立ち止まってじっと空を見ていた。つられて二人も空を見るが、特に変わった事は無い。特にアーチャーの視力は鷹の目で補正されている。その目で見ても異変など見当たらない。


「ルーク、空がどうかした?」

「いや……別に。青いなと思っただけだ」


 ティアが声をかけると、すぐにルークは興味がなくなったように視線を空からはずした。


「エミヤ、浮遊機関を手に入れるのが一番だったよな。なら、ダアト港からシェリダンへ向かおう」

「……ああ、そうだな。そうするが良いだろう」


 迷いない足取りで歩きだす。何の変わりもない。
 ただ、先ほど空を見上げていた表情は、どこか。


「ご主人様、どこか痛いんですの?」

「……急にどうした。別に怪我してるわけでもないんだが」

「でも、ご主人様……なんだか悲しそうな顔してるんですの」


 健気なチーグルの子どもの言葉に、ルークは一瞬だけ足を止める。しかしすぐにため息を吐きながら、とてとてと歩いてついてくるミュウの額に軽く指弾を入れた。みゅっ、と声をあげて目をパチパチとさせるその小動物を肩に担ぎ上げ、心配そうにするその背をぽんぽんと軽く叩く。


「―――気のせいだろう。俺は何も感じていない」


 その声はいつものように変わらぬままの、淡々としたものだった。






 ルークの感情減退というのは、恐らくだが心から零れる感情と自覚の間のラインが途切れているという状況なのだろう。感情がなくなったわけではない。いくら感情が生まれていても、自覚ができない。そして感情と自覚の間に回線が繋がっていない状況では、その心を揺らす感情ですらも本当に微細なものになる。ただでさえ感情というものが分からなくなっていて、そんな状況で微細な感情のゆれなど分かるわけもない。悪循環だ。
 それこそユリアロードでルークがあらわしたような、余程強い感情でなければおそらくは彼は感情を実感をできない。難しいものだ。
 アーチャーはそう思いながら、睨むように空を見つめるルークに声をかける。


「どうした、小僧。また空を見ているのか」

「エミヤか」


 空から視線を逸らさずに呟いた後、こちらを向くでもなく視線を手元の本に戻す。ダアトからシェリダンへ向かう船の上だ。その甲板。日の光の下で本を読むと目が悪くなるぞ、と注意しても聞きもしない。全く、ただでさえ片目を隠しているせいで視力が偏るかもしれないというのに。無言で移動し、わざとルークが影に入る位置に移動する。
 邪魔だ、と無表情で訴えられるのだが、こちらとて引く気は無い。


「船室の中でなら、眼帯をとっても構わんだろう。グランツ響長もお前の譜眼を承知済みだ。色違いなど気にはせん。両目で、船室で読め」

「却下だ」


 ルークはにべも無く言い捨てる。そしてアーチャーが魔術を使うたびに浮き出る譜陣を少しでも隠そうと、ダアト港で購入した服とともに手に入れた左眼の眼帯をちょいちょいと指差す。


「俺はこの眼帯を取ると自分では上手くつけられない」

「ああ……存外君は不器用だったからな。しかし、それなら彼女に」

「エミヤ。俺は、必要以上に彼女と馴れ合うつもりは無い。……言っただろう、俺は対価に全てを置いていくと。大体俺はアイツに死ねと言った人間だぞ。俺が近くに居れば嫌でもこれからのことを考えるだろう。せっかくミュウを置いてきて機嫌をとったのに、意味がないじゃないか」


 ルークも何も感じていない、と言う訳ではないのだ。自覚をしていないだけで、解らないだけで、本当に微かな感情はいつも彼の心で揺らいでいる。殆どの感情を忘れてなくして、それでも最期まで消えずに残っているものこそがルークの本質をあらわしているのだろうと思う。


「ほう。君にしてはまともな気遣いか」

「そんなものじゃない。効率だ。今から怯えられて体調でも崩されようなら体が持つか分からない。大陸降下を成功させるまでは何が何でも生きてもらわねば困るだろう。それに、死なれてはグレンの願いも叶わない」

「…………」


 ……の、だが、これだ。不器用でも不器用なりに、他人には決して解らないように気遣うくせに、しかしそれに自分ですらも気づいていない。本当に気まぐれのように意図的に気遣うにしても、このコミュニケーション能力0むしろマイナス100は、ぶっ飛んだ気遣い方をするのだからますます人にはわかるわけがなく。変われないままの本質を見ることができる人など、導師イオンやあの仔チーグルなど、ごくごく少数だろう。
 そしてきっとさっきの言葉も、自分の感情がわかないから、自分が何故そうしたのかを後付けで考えて、それらしい理由を思いついて納得しているのだ。『それらしい理由』など、今のルークの状況でまともなものなど思いつくわけもない。結果、自分で自分に気づくこともないまま過ぎていく。
 悪循環だ。悪循環過ぎる。グレンよ。この小僧相手で私はどうすればいいのだ。思わず先ほどのルークのように空を見上げる。頑張れ、とだけ爽やかに言い切って親指を立てる姿を幻視した。待て。お前まだ死んでないだろう馬鹿マスター。


「しかしだな……浮遊機関を借り受けてグランコクマにグレンを連れて行ったあとは、早急にパッセージリングの操作をせねばならん。超振動制御は早く覚えてもらわねばならんのだ。……本を読むだけでは解らないところがあるなら、さっさと聞くなり教えを乞うなりしてはどうだね」

「なあ、それだけど、チーグルって第七音素操れないのか。ユリアの縁者で、喋ってるし、火を噴いてるだろう」

「は? いやまさか、チーグルに弟子入り……? いや、待て流石にそれは待て小僧。シュールにも程がある!」

「ダメか」

「それはそうだろう! いや、まあアレが教えるのが上手いというなら何も言わん……言わんが、アレが果たして君に第七音素の制御を教えられるのか……? 否だ、絶対に否、彼女に素直に教わるほうが速い。大体何のためにグランツ響長を連れてきたと思っている、超振動の制御訓練を教わる為だっただろう!」

「何のためって、パッセージリングとユリアロードの起動の為……っと、痛いなエミヤ。何をするんだ」

「……教育的指導だ」


 突然ぽかりと頭を叩かれたというのに淡々と聞いてくるルークに深く溜息をつき、アーチャーは再び空を見上げる。ヘルプだグレン。手に負えん。とは言っても、今のルークにしたのは自分のせいだ。放り投げるわけにはいかない。ちらりとルークを横目で見る。
 そうすれば、別に真似をしていたわけでもないだろうが彼もアーチャーと同じく空を見上げていた。表情は特に変わりは無い。ただ、じっと空を見ている。
 ただ、その表情が、どこか。


「なあエミヤ」

「なんだね」

「俺さ、やっと最近になってなんとなく分かってきた。感情減退ってやつの代償」

「何?」

「それでも俺は、あの時になったら何度でも同じ選択をするんだと思う」


 感情は揺らがない。それでもはっきりと言い切り、ルークは空から視線を戻す。本を閉じて、じゃあちょっとコツでも聞いてくると言って去っていく背に声をかけた。呼ばれた名前に振り返るルークに、アーチャーは小さくだが苦く笑う。


「そうするしかなかったとは言え……君の感情を減退させてしまったのは、私だ。恨み言ならいくらでも受けるぞ」

「何言ってるんだよ、エミヤ。アレは俺が馬鹿だったからおきたことで、グレンは俺を庇おうとしてああなった……俺の感情減退は自業自得だ。お前に恨み言を言うのは筋違いだし―――」


 たとえ恨み言を言おうとしても、そもそも感情自体が今の俺には存在しない。

 それは違う。存在しない訳ではない。自覚できなくなっているだけだ。それでも彼にとっては全くの事実を言い切って、ルークは船室へと戻っていった。
 その背を見送る。よく似た背中を知っている。己よりも余程小さな背中の癖に、決して振り返ることなくまっすぐ前を見つめて歩く。迷いがないわけではない。無様なまでにいつも迷って、何度も何度も立ち止まろうとして振り返りそうになるのを、それでも歯を食いしばって拳を震わせ、立ち止まらずに歩いて進む。前へ、前へと。

 ―――何度も何度も後悔して、生きてる限りずっとあの選択を後悔し続ける。傲慢だって分かってる。身勝手だって百も承知だ。助けられるかもしれない人を見殺しにしたのと同じで。でも、それでも、俺は何度あの時に戻っても、この選択以外をしないんだろうな。

 いつか、溢すように苦く笑った主の姿を思い出す。


「全く……どれだけ別人になろうと結局根幹は同じだな、君たちは」









 ご主人様は空を見上げてる時悲しそうにしてるんですの。顔は変わらないけど、それでも悲しそうな顔してるんですの。ミュウの言葉にティアは首を傾げる。悲しそうな顔。思い出す。表情を何も変えずにただ空を見上げている姿を。確かに何か違和感があった。けれど、とてもではないがミュウが言っているように悲しそうな顔には見えなかった。気のせいじゃないのかしら、そう尋ねれば、それでもミュウは必死に首を振って訴えてくる。


「違うですの、悲しいんですの。ご主人様は、きっと何も感じないから悲しそうな顔をしてるんですの」

「――――ミュウ。余計なことを言うな」


 何も感じないから。その言葉に引っかかってふと考え込もうとしたティアのすぐ後ろで声がして、一人と一匹は慌てて船室の扉のほうを見る。そこにいるのはやはり無表情。……ながらも、どことなく不機嫌そう……というか、そうとは言い切れなくともどこか面白く無さそうな顔をしているように見える。
 ご主人様、とティアの腕の中で申し訳無さそうに小さく呟くミュウに溜息をつき、持っていた本で軽く小突く。それ以上は何もせず、そのまま歩いて彼女の横を通りすぎた。ごそごそと自分の道具袋の中に本を納め、左目の眼帯をほどく。現れたのは、髪の色と同じ赤橙色。明るい夕焼け色。右目の緑とあまりに違うその鮮やかな色彩に、ティアは我知らず息をつめる。
 ルークはそんな彼女に何を言うでもなく、しれっとしたまま眼帯をティアに―――否、その腕の中にいるミュウへと放り投げた。受け取ってきょとんと首を傾げるミュウに、ルークはぼそりと呟く。


「後で結びなおせ。チャラにしてやる」

「……は、はいですの! 頑張るですの!」

「ああ、せいぜい頑張れ。……ところでティア・グランツ。音素学の本で読んだが、音素を聞くという項目が解らない。音素は音を発しているもので、耳で聞こえるものなのか?」

「え? いいえ……そうね、この世界の音素を聞くというのは、耳で聞くというよりも全身のフォンスロットで感じる、そういう感覚でやったほうがいいと思うわ」

「全身のフォンスロットか……」


 なるほど、と納得したように呟いて、ルークは腕を組み背中を船室の壁に預けて目を閉じる。そして視界が閉ざされた時、聞き覚えのある、けれど何かが違うような声が記憶の底からふわりと浮かんだ。


『ただ目を閉じるんじゃないの。この世界に流れる音素を聞くのよ』
『……聞こえる訳ねえよ』
『耳で聞くんじゃないの。全身のフォンスロットで―――』


 ――――――ああ、だめだ。これは、グレンと『彼女』の記憶だ。俺が勝手に覗いていいものじゃない。

 ごん、と突然無言で背後の壁に頭を打ちつけたルークを見て、ティアとミュウが驚いている。


「……ルーク?」

「いや、なんでもない」


 がりがりと頭をかいた。それは既視感に似ている。いつかこのような風景を見たことがある、そう思った瞬間にふわりと湧き上がる、掠め見てしまった記憶の欠片。これは彼の、あの世界の二人だけの記憶なのだ。あの時はどうしようもなくて見てしまったが、それでも何度も何度も覗くようなまねはしたくなかった。
 一度深呼吸をして、頭を切り替える。音素を全身のフォンスロットで感じる……


「ルーク、そんなに焦らなくても……」
『焦らないでね。まだ特訓は―――』

「……っ!」

「ちょっと、ルーク?!」


 ごつーん、と。再び自分から壁を後頭部をぶつけることになってしまった。大慌てで打ちつけたせいか、力加減を誤ってしまったらしい。両手で後頭部を押さえて蹲る。地味に痛かった。生理的に涙が滲みそうになるくらいの痛さだった。
 もう、何やってるのよ、とぼやきながらこちらに近付く気配がする。煩い誰のせいだと言ってしまいたかったが、墓穴を掘るわけにはいかない。たんこぶでもできていないか見ようとしてくれたのだろうが、ルークとしてはあまりティアに近付きたくない訳で。仕方無しに適当に手で振り払って、二三歩よろよろ遠ざかり、その場で後頭部を抑えながら壁伝いにしゃがみ込む。


「……ルーク?」


 なんだかちょっとむっとしているような声が聞こえた気がするが、あまり気にしないでおこう。深呼吸を一つ、二つ。ああ、よし、ちょっと落ち着いてきた。ティア・グランツ、ちょっとお前黙っててくれるか。そう言おうとして、目を開けた。そして、それが三度目。


「はっ?! 痛っづ……!」


 ティアがこちらを覗き込むようにずいっと顔を近づけていたせいだ。これ以上も無く不機嫌そうに青い目は細められている。それにしても近付かれてるなんて気づかなかった。さすが現役兵士。しかし予想外のその距離に、感情云々は抜きにして、ルークの体は条件反射で後ろへ仰け反った、という訳だ。
 ついに今度はうめき声を抑えきれずに溢してしまう。


「だから、さっきからあなた何やってるの? ちょっと見せなさい」

「うるさ……誰のせいだと……っ」

「暴れないで! もう、見せなさい!」

「いい! 放っておけといってるんだ、離れろ!」

「みゅうううー、ご主人様も、ティアさんも、喧嘩しないでくださいですのー」

「あら、大丈夫よミュウ。これは喧嘩じゃないから。暴れてる怪我人を取り押さえてるだけだから」

「誰が怪我人だ、本人が平気だっと言って……おい、聞け!」

「ばか、同じところを三回も打って何言ってるのよ。もう、いい加減見せなさい! 暴れないで!」

「だから……っと!」

「きゃ?!」


 ぎゃあぎゃあ喚きながら暴れていると、不意に船が大きく揺れる。二人はバランスを崩して倒れるのだが、その倒れる方向が問題だった。とてとてとこちらに近付いていたミュウを思い切り潰してしまう方向だったのだ。咄嗟にルークはティアの腕を引いて体を捻り、倒れる方向を逸らせる。
 がたーんと受身もろくに取れず、四度目。ルークはいい加減意識がとびそうだった。顎の下辺りに彼女の頭があって動かしにくいが、それでもなんとかのろのろと首を回す。ご主人様ーと泣き出しそうな声が聞こえて、一生懸命額を叩いている元気そうなチーグル。どうやら潰してしまわずに済んだようだ。それにほっとしていたら、なにやら小さい声で名前を呼ばれる。
 先ほどの威勢のいい声はどこに言ったのだろう。というか、そういえば彼女はいつまで俺の上に乗っかってるつもりなのだろうか。


「あの……」

「なんだ」

「そろそろ、離してくれない、かしら……」

「なに?」


 改めて状況を見る。どうやら、倒れる時に引き寄せた勢いあまって抱きしめて倒れこむ形になってしまったらしい。ルークの腕がしっかりと彼女の腰辺りを抱え込む形になっていて、ああなるほど、だから先ほどからなかなかどこうとしなかったのか。なるほどなるほど道理で納得だ、しかしこれで今俺がいるポジションがガイだったらそれは面白いことになるのだろう。きっと悲鳴を上げて震えて挙句には気絶だな、うん間違いない間違いない。
 ルークは感情が波立たない故に冷静だが、それでもわりと冷静に錯乱していた。

 そして、間の悪いことに。


「ルーク、そろそろシェリダンに―――」

「………………」

「………………」

「失礼した。どうぞごゆっくり」

「待てエミヤァァァ!」

「ちょっと待ってください違います、違うんですっ!」


 この時にルークは『焦る』という感情の大部分を一気に思い出したそうな。













久々の没ネタ。
(ルークは淡々としたままの口調で想像してください)






「全身のフォンスロットか……だめだ、よく解らないな。……なあ、チーグルはユリアがローレライと契約する時に力を貸した、っていうんだろ。何かないのか、第七音素を操るコツみたいなの」

「あなたチーグルに聞くって……いえ、でも考えてみればユリアもチーグルに協力してもらったんだから、そんなにおかしいことではないのかしら」

「聞くだけ聞いてみても損は無いだろう。ミュウ、何かないか」

「みゅうう~ボクには解らないですの」

「じゃあお前の火を噴くときの感覚でも良いからさ、教えてくれよ」

「びゅーっとなってひゅーっと集まってぶわーって吹くんですの」

「ミュウ、それは説明になってない気がするのだけど……」

「そうか、分かった」

「……分かったの? ねぇ、今ので分かったの? 本当に?」

「よし、人体の最大のフォンスロットは目だから……目から火を噴くイメージか」

「………………」

「頑張ってですのご主人様!」

「目から火を噴くイメージ、目から火を噴くイメージ、目から……無理だ、できない」

「頑張ってくださいですのご主人様! ご主人様ならできるですの!」

「無理だ。いくらなんでも俺の目から火は出ない。というか、人間には無理だ」

「みゅうううう~」


 ついにティアは我慢できずに噴き出してしまった。








[15223] 27(シェリダン)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:20c4cb78
Date: 2010/03/25 01:09




 がたがたと、小さな歯車の連なりが大きな歯車を回している。機械仕掛けの町。職人の街、シェリダン。外殻大地の造船関係を一手に引き受ける音機関都市だ。譜業大国キムラスカの領土として世界中から優秀な技術者が集まり、世界でも最高の技術を誇る譜業の町として知られている。
 ……ガイがいたら、どんな状況であれ思わず大はしゃぎするんだろうな。確信の域に達する感想を思いながら、辺りを見回す。あちらこちらに悪戯のような機械仕掛けがあり、少し時間があるなら色々といじってみたいところだが。


「……小僧」

「分かってるさ、エミヤ。さっさと浮遊機関借りるんだろう」

「ああ。恐らくご老体方はあの集会場にいるだろう」


 心なしか咎めるような声でルークを呼び止めるエミヤに軽く手を振って返す。そしてエミヤが指差す建物を見上げた。町に入ってすぐの場所にある、大きな建物だ。入り口の上にはいかにもと言った風な時計のような機械仕掛けが設置されていて、その入り口の前もなにやらいじれば動き出しそうな機械仕掛け。間違いない、本当にここにガイがいたらアニスやミュウ並みに大はしゃぎして、大喜びでいじりだすんだろう。
 そんなことを思いながら、集会場へと足を踏み入れる。中心におかれた机の奥、元気な声をあげて飛行実験の成果を言い合う老人達に、アーチャーが声をかけた。


「失礼する。一別以来久方ぶりだな、ご老体。相変わらず元気なままで安心したぞ」

「む? ……お主は、エミヤか! ああ、ご注文どおりアルビオールは調整済みだぞい」

「そうか。それでは以前話を通したとおりに借り受けて構わないか?」

「ああ、持っていけ! と、言いたいところなんじゃが……」

「……何か問題でも?」


 威勢よくかかかと笑っていたイエモンが表情を曇らせたのを見て、アーチャーもすっと目を細める。確か、グレンの記憶の中では飛行実験中だった一号機がメジオラ高原に墜落していたはずだ。その時のことを思い出し駆動機関についてさり気無く注意しておいたから、飛行実験前に不備の可能性のある部分を改善しただの聞いて安心していたのだが……まさか墜落したのだろうか。
 深刻な顔をするアーチャーを見て、すぐにイエモンはそんな顔をするまでではないと手を振る。


「ああ、まてまてエミヤ。実はギンジの疲労が溜まっておっての。お主の頼みで二号機も完成間近、その操縦士としてノエルも訓練はさせとるが、あやつはまだもう少し訓練せねば心配なんじゃ」

「それもこれもイエモンがギンジの疲労を無視してせっつくから……」

「祖父としては失格じゃな、イエモン」

「ええい、煩いぞい! ごほん、ということでエミヤ、悪いがノエルの調整をもう少し待ってもらえんかの。今日を含めてあと二、三日で完璧に仕上げて見せるんじゃが」

「そうか……さて、専門家はこう言っているが。どうする、小僧」

「そうだな……」


 ルークは顎に手を当て黙考する。これから起きるはずのこと。順番をずらしても流れが妨げにならないことを考えて、よしと頷く。


「なら、その間にメジオラ高原のパッセージリングを起動させよう。何が何でもこの二日間で制御訓練は一通り終わらせる。最後の三日目で起動、制御。ああ、血中音素を測る装置を作ってもらっておいたほうが良いか。そんなものか、エミヤ?」

「そうだな、それが良かろう。では私はまず一人でメジオラ高原に先行して、君が来る前に少々露払いでもしておくかね。一匹でかい魔物がいたはずだからな、それを倒してから戻る。それまでルークを頼んだぞ、グランツ響長」

「はい。ですが、一人で魔物を……?」

「ティア・グランツ。心配するだけ無駄だぜ? なんせエミヤは人外だからな。それに、こいつはグレンの従者で、相棒だぞ。――――あいつの相棒なんだ、最強以外は俺が認めない」


 ルークは腕を組んだまま淡々とした声と無表情で、すがすがしいまでにきっぱりと言い切った。迷いもなく、確信を持っているような断言だ。その断言っぷりにしばし皆は絶句していたが、やがてアーチャーは額に手を当てくっくっくと笑い出し、ついには楽しそうに声をあげる。


「く、はははははははは! そうかそうか、私の主に相応しいかではないか、私こそがグレンの従者に相応しいかだと? ああそうか、そうだな、あの選択を選んだからこそ私は彼を主と認めた。今度は試されるのは私のほうか……良いだろう、ルーク。グレンの親友のお前に確信させてやろう」


 何がツボに入ったのかは解らないが、とにかく楽しそうな声だった。周りの皆が呆気にとられている中、ルークだけはやはり無表情だ。それでもどこか満足そうな声で、これからの予定を組み立てている。


「そうこなくっちゃな。じゃあこっちは宿の手配でもしておこう。帰るのはいつ位になる?」

「なに、魔物とは言えたかだかでかいトカゲが一匹と変わらん。今日中には帰る」

「そうか」

「お、おい! エミヤ?! お主、いくら腕が立つとはいえメジオラ高原に一人は……っ!」

「案ずるなご老体。私はグレンの従者だぞ」

「おやおや、案外熱いお兄さんだったんだねえ。いい笑顔だよ」


 さすがに焦って止めようとするイエモンに対して、タマラはのんびりと呑気に笑う。後ろでぼそりとエミヤには譜業機械の不良箇所をまた探して欲しかったんじゃが……とアストンが小さく呟いていたが、それはさらっと黙殺される。


「我が名はエミヤ。クラスはアーチャー、弓の騎士。焔の生き筋を魂に刻まれた主のサーヴァント。あのたわけの願いを叶える相棒なら、最強以外にありえまい」


 獰猛な笑顔で言い切って、アーチャーは赤い外套を翻し集会場から出て行った。







 そしてアーチャーがメジオラ高原へブレイドレックスを討伐しに行っている間に、二人と一匹は宿の手続きをする。グレンの記憶通りなら町のはずれで訓練をしていたが、今のルークには無理だ。ルークの体にはこれでもかと言わんばかりに譜陣が刻まれているからだ。常は効力を失い消えている譜陣だが、一たび第七音素を扱おうとしたならばフォンスロットを通る第七音素に反応し、譜陣は光を発して浮かび上がる。周り中から奇異な目で見られること受けあいで、そんな状況にわざわざ自分から行くわけがない。
 ルークはミュウに窓を開けるように言いつけて、青い空を見た。陽光のまぶしさに少しだけ目を細めて、すぐに空から視線をそらす。そして早速超振動の制御訓練を始めようと言おうとして……こちらをじっと見ているティアと窓ガラスの反射越しに視線が合い、口を噤んだ。


「……ルーク。あなたは私に何も教えてくれないのね」

「何を、とはなんだ。はっきり言ってくれなければ解らないんだが」

「とぼけないで。……メジオラ高原に、パッセージリングがある。――――どうしてそんなことをあなたが知っているの」


 なるほど。確かに不審といえば不審だ。何せルークはこの七年間、つまりは生まれてからずっと軟禁生活でまともに外も出たことがないお坊ちゃんなのだから。世間知らずも物知らずも標準装備、パッセージリングの場所を知っている、ということなど確かに考えてみればおかしいだろう。
 ましてやこれからパッセージリングを操作するなら、ティアは障気障害を患うわけで。自分の命を懸けることなのだ、知りたいと思うのも当然の事なのかもしれない。しかしだからといって本当のことなど言えるわけもない。実はグレンは未来の可能性の一つの俺で、いろいろあってこれからおきるその未来を知ったからです、などと。頭がいかれているとしか思えない。


「……タルタロスでエミヤから聞いたからだ」


 結局、答えは無難なものにしかならない。自分で言っておいてなんだが、どう考えても嘘はついていないが真実でもない答えだとしか思えない気がする。そしてティアもはぐらかされる気はさらさら無いようで、追求を緩めようとはしない。


「じゃあどうしてあの人はパッセージリングの場所なんて知っているの? パッセージリングの場所を知っている人なんて、ユリアシティでも教団内でもごく一部の人たちだけよ。そもそも、調べたとしてどうして調べていたのかしら」

「グレンは勘が良いらしくてな。ヴァン師匠と会った時も名前を知られないようにしてただろう。いつだか遠目に一度見た時から胡散臭いと思ってたようだ」

「そう。……でも、まるでこうなることが分かっていたように、しっかりと調べてるのね」

「なるほど、お前にしてみれば確かに疑わしいといったら疑わしいか。グレンが怪しいか? ならそれは的外れな疑いだ、あいつは俺を師匠の思惑から庇おうとして死にかけたんだからな。俺はアクゼリュスを崩落させた存在だし、万一ヴァンと繋がっていたら、と考えられるのは仕方ないとしよう。しかしグレンは疑うな。アイツを疑うことは俺が許さない」

「……そうは言ってもね、私はあなたほど彼のことを知っているわけではないわ」

「知らない? なら教えてやるよ、エミヤも言っていただろう。あいつは焔だ。誰かの為に命を燃やして誰かの為に光を落として自分の命を燃やし尽くす。燃え尽きた後には何も残さない、焔の光だ。
 あいつはな、世界に喰われるくせに世界を好きだと抜かすような大馬鹿で、自分の命よりも世界のほうが―――いや、その世界に生きる人たちが好きだったのか。どちらにせよ、優し過ぎて馬鹿を見る人間さ。……ティア・グランツ、ある意味お前と同じタイプの人間だよ。馬鹿馬鹿しくて涙が滲む」


 ルークの言葉はグレンを庇っているものだというのに苛だたしい色がはっきりと混じり、その口調はどこか吐き捨てるようだった。そしてまたユリアロードでの言い合いの時を蒸し返すように、ティアの決断を馬鹿馬鹿しいと切って捨てる。
 ティアは眉をひそめるが、ルークも流石に今更話を蒸し返すべきではないと思ったらしい。溜息と瞬きを一つ。その間に先ほどまで揺らいでいた怒りの感情は彼の心の奥に沈む。くるりと体を壁に預けてティアに向き合う。緑の片目はやはり凪いでいて、感情というものが見えなかった。


「グレンは、もう……あいつは疑うだけ馬鹿を見るだけだ。俺に関しては見ていただろう。ヴァン師匠はイオンを連れ去る用の魔物しか用意していなかった。その魔物もアッシュがいたからあいつを助けようと使っていたが、俺はそのまま放置されていた。つまりは、だ。俺はあの人にとってあの時の為だけに生かされていた捨て駒だったんだよ、ティア・グランツ。アンタがあの場に来てなかったら、あの譜歌が無ければ俺は今この場に生きていない。もっと長く利用するつもりなら、少なくとももう少しご丁寧に扱うと思うんだがな」


 卑下するでもなく、激昂するでもなく。淡々と、事実を事実として認識し話すその様子にティアの表情が曇る。ティアのその表情に、他人事ながらルークは溜息をつきたくなる。おいおい現役兵士。そんなに簡単に表情を変えてたらすぐにつけ込まれるぞお人好しめ。いくらなんでもあのマルクト大佐並にポーカーフェイスをしろとは言わないが、情報部なら頑張れよ。
 ……アンタ多分兵士には向かないぞこのお人好し。そうあるべきとして冷静な振りをしてるようだが、結局は情が強すぎるんだ。それでも兵士で居たいのかこのお人好しめ。
 そんなことを言えば恐らくまた分かりやすく不機嫌全開で睨まれるのだろう。そうありたいと願い憧れた人がリグレットだったからか。何も好き好んで誤解されやすいような言動を真似て、茨の道を進まなくても良いと思うのだが。人のこと馬鹿馬鹿言う前に自分を見直せというんだこの不器用な生き方一直線め。


「ルーク、何ぶつぶつ言ってるの? それじゃ聞こえないわよ」

「気にするな、本音を少々言ってみただけだ」

「…………」


 胡乱気な目で見られるが、しれっと知らんふりを押し通す。実は内心音律士だったティアに聞かれていたらどうしようかと思ったのだが、この様子なら聞こえてはいなかったようだ。


「情報はある。が、確信はあるがあまり誰彼に話すべきでないものも多い。知ってるだろうが俺はそういう取捨選択は苦手でね。状況になったら明かす。それ以上はエミヤか、でもエミヤも何も言わないだろうさ。グレンが起きたら直接アイツに聞け」


 喧嘩は止めてくださいですのー、とルークの足に一生懸命縋ってくる小動物を軽く掴んでぺいっと投げる。みゅうううう~と跳んでいく聖獣は見事ティアの両腕の中へ。


「ふうん。ナイスキャッチ」

「ルーク! ミュウを投げないで!」

「がなるなよ。ミュウが泣きそうだぞ」

「ご主人様もティアさんも、喧嘩は止めてくださいですのー」


 うるうるとした目でミュウに懇願されて、うっと声を詰らせてティアは困っていた。
 ちょろいな。
 表情が浮かべられたなら恐らくにやりと笑っていたであろうことを思いながら、ルークは声をかける。


「そろそろ超振動の制御訓練をする。気が散ったら危ないんだろう。そいつしっかり持っててくれ」

「私は納得しては……」

「じゃあ大人しくしといてくれ。必要になったら情報も明かす。言っておくが、それまでは俺もこれ以上言うつもりは無いからな」


 ざっくりと言い捨ててルークはティアに背を向けた。その背は頑なで、それ以上は何を聞いても答えはしないとの意思表示がよく見える。ティアも溜息を吐きつつ、もう何も言わない。そのかわり、抗議の視線だけはじっとその背に送り続けることにした。気づいているだろうにルークは特に何も言わない。ただ深呼吸しながら第七音素の存在を感じとっている。
 腕組みがほどける。自分の中に第七音素を集めるつもりなのだろう。そしてルークが深呼吸をしたと思ったら―――この部屋の中の第七音素が、普通ではない勢いでルークに集まりだした。


「……ルーク?」


 いくらなんでも素養あり、では説明のつかない量だった。そもそも知覚できるほどの音素の収束と言う事態がありえない。その音素の流れを敏感に感じ取ったのか、ミュウもティアの腕の中で体を固めている。よく見れば彼の体が服の下でぼんやりと光って、何十にも絡み合った譜陣が光を浮かべて浮き上がってきた。それは殆どが服に隠されてはっきりとは見えないでいたが、グローブからでた指の先にまで 光が絡み付いている。それが明滅したかと思えば、ルークは呻きながら左目を押さえてがくりと膝を崩した。
 慌てて駆け寄り顔を覗き込む。そして絶句してしまう。顔の左半分まで覆うように明滅する光の譜陣、その上に押さえつけられた手の平の下から、ゆっくりと赤い雫が流れていく。
 ぽたり、と雫が宿の床に弾けて、その音でティアも正気に返った。彼の肩に手を置き必死に呼びかける。


「ルーク!」

「うる、さ……喚くな」


 ぎりぎりと歯をかみ締めながら脂汗を流し、ルークも必死に制御しようとしているようだが彼の意思に関係なく譜陣は第七音素を取り込もうとしているようだった。術者の気の乱れは音素の暴走を簡単に許してしまうが、これはどうもそういった暴走ではなく譜陣自体に定められた効果なのだろう。
 エミヤの魔術に対応する為の特別製。ルークの体を構成する第七音素を消費してしまわないようにと、たとえオーバーロードしてしまっても体外の第七音素を引き寄せ集める。そう言う強制力を持った譜陣と譜眼だ。なるほど、制御が命とはこういうことか。ユリアシティでエミヤが深刻な顔をしてぼやいていたのを今更になって納得し、しかし譜陣の制御はどうにも上手くいかない。というか、この状況で制御して超振動を使うなど無茶振りだとしか思えない。

 譜眼が刻まれた左眼の痛みが酷い。喉の奥からは獣のうめき声のような音しか出ない。心配なのか足もとに小さい聖獣がしがみ付いてご主人様ご主人様と泣いている。煩い。集中できない、静かにしてくれ、と声に出すのも億劫だ。呼吸が浅くしかできないせいか、ひどく苦しい。視神経など焼ききれそうだ、この痛みは。もういっそこのまま目を抉り取ってしまいたい気分になってきて、しかしそれではエミヤの魔術行使に支障が出る。
 そう考えて必死に抑えつけるのだが、この痛みから逃れられるのならと左手がだんだんと瞼に爪を立てようとしているのが分かった。……エミヤの魔術行使のときは集めた第七音素がそのまますぐに流れていくのだが、今の現状では体内に溜まる一方だ。過ぎた音素収束は軽い精神汚染じみた幻惑を連れてくるのだろうか。

 ティアが何か言っている。解らない。左手を外そうとしているようだ。余計なことをする、俺は、この左眼さえなければ、この痛みから。左手に力が入っていくのが止まらない、そして、そのまま、眼帯ごと、爪を。


「――――……?」


 爪を、立てて抉ろうとする直前で何かが左手に触れる。重ねられている? 温かいと思った。何が触れているのだろう。思考の一瞬の空白に、凛とした声が聞こえる。


「落ち着いて、ルーク。私の声が聞こえる? 深呼吸をして。押さえ込むより、受け流すようにイメージしたほうが良いわ。音素が体を巡って、ゆっくりと流れていく。イメージできる?」


 左手に感じる温もりが、ぎりぎりで残されていたルークの理性に彼女の声を届けた。
 イメージ。ぐるぐると体内を血のように巡っていく。体温のように拡散していく。流れ込むものが放出される。イメージする。第七音素がフォンスロットというフォンスロットから入り込む。それを拡散、放出。体内には残らない。


「大丈夫だから、落ち着いて。そう、ゆっくりで良いから、力を抜いて」


 だんだんと左手から力が抜ける。左手がゆっくりと、慎重な手つきで外される。眼帯の下で震える瞼を開くと、麻痺していた痛覚が再び蘇る。フラッシュバックする鮮烈な痛みに顔が歪み、ぐらりと体が傾く。そのまま床に倒れこむかと思えば、間一髪でティアに支えられた。すぐに膝の上に頭を乗せて仰向けにされて、眼帯を外される。そしていまだに開かない左目に手を置かれた。触れられるだけでも痛みを訴える視神経に、呻きながらその手をどけようとするのだがそれはかなわない。
 じっとしていて、とティアが呟いたと同時にじわりと温かな感覚が左目を覆う。治癒譜術だろう。だんだんとおさまる痛みに呼吸が楽になる。言葉通りに大人しくしていて、やがて彼女の手が離れる。


「どう、まだ痛い?」

「いや……痛みは無い」


 震える瞼を押し開ける。痛みは無いが、突然の光に一度目を閉じて、もう一度両目を開ける。広がる視界。その片隅に引っかかる青色を求めて視線を巡らせる。
 開け放たれた窓から見える、青空。我知らず口元が緩む。ルークのその表情にティアの顔に驚きが浮かぶが、彼の視線はただ空に向けられていて彼女の表情には気づかない。


「助かったよ、ティア・グランツ。おかげでどうにか、まだこの両目で空を見ることができる」


 雲が動いて陽光が眼球に入る。流石にまぶしくなって、手の平をかかげた。日の光越しに赤く透ける手の平と、その隙間から見える明るい青。


「……ルークは、空が好きなの?」

「さあな」


 思い出す。優しい風が吹いていた場所。揺れる木陰越しに見上げた青。三人で笑っていた。


『そうだな……この空なら、俺も――――』


「俺はもう、いくら見上げても何も感じないからな」


 青い、と。そう思うだけで何も感じなくなっていた。あの時確かに感じた何かを思い出せなくなっていた。そのことに対して何も思わない自分。何も思えない、何も感じなくなってしまった自分の感情。その時になって初めて自分は感情減退というものの対価を思い知ったのだろう。


「まあ嫌いじゃなかったんだろうさ。いつかそう言っていた記憶ならある」

「……ルーク。あなた今、悲しそうな顔をしてるわ」

「そうか。俺は何も感じてないんだが」

「ミュウの言った通りね。確かに悲しそうよ」


 青い、と事実を確認するだけしかできなくなったとして。あの時、見上げた空を見て確かに笑っていた気持ちを思い出せなくなってしまったとして。きっと、感情があればティアの言うとおりに悲しいだとか寂しいだとか苦しいだとか思ったのだろう。今はもうそれすらも無くしてしまったけれど。
 大した事ではないと思っていた。感情など、消えてしまえば何も感じないのだから大した事ではないと思っていた。けれど何も感じないからこそ、これはそう、多分『苦しい』のだということがあることを知った。

 それでも。


「……何度でも繰り返す。あの時あの場所に戻ってしまえば、必ずあの選択を繰り返す」

「こんなに、悲しそうな顔をしているのに?」


 空に伸ばしていた手で拳握って、腕で目を覆うようにする。意識的に口元を歪める。笑う。


「グレンが―――――あいつが死ぬより、ずっと良い」

「……そう」


 譜陣の制御で余程疲れていたのだろう、うとうとしだしたルークはまるでいつかのように随分と素直でとっつきやすい印象を与える。だからだろうか、これはフェアではないと思いながらも聞いてしまったのは。


「あなたは何がしたいの?」

「……グレンの願いを叶えたいんだ」

「グレンの願いは何?」

「天下無敵のハッピーエンド。馬鹿馬鹿しいよな、叶うわけが無い夢を見て、苦しむのは自分だって分かってるくせに」


 それでも本気で願う馬鹿なんだぜ、グレンって。本当に俺には無理なことだよ、大馬鹿だ。
 ルークはぼやきながら目を閉じる。けれど彼は気づいていない。それでも、不可能だと思いながらも友人の願いをできる限り叶えようとしている自分も、結局はグレンのバカなところに憧れているのだと。どれだけ走ってもきっと叶いもしないだろう願いを、それでも大事に抱きながら走っていこうとしたその姿。どれだけ苦しいことばかりでも、それでも生きてきた道筋をまき戻したくないと叫んだその生き方。だからこそアーチャーもグレンを主に認めたのだろう。一人では無理でも相棒としてできうる限り助力しようと。
 なのに、それなのに、グレンが願うハッピーエンドには。
 それが許せなくてルークは願う。自分自身の願いを。そのためになら。


「―――――――を、グレンにやらせるくらいなら、俺が……」


 呟く言葉は不明瞭にぼやけてしまう。
 本格的に意識が遠くなり、ルークはそのまま眠りに落ちていった。






[15223] 28
Name: 東西南北◆90e02aed ID:20c4cb78
Date: 2010/03/25 01:11



――― introduction in



 メジオラ高原にたどり着いたアーチャーは、とにかく高い場所に登ることにした。別段以前の主だった少女のように、やたらに高いところが好きだからと言う訳ではない。彼が高所へと上るのは、純然とした戦略の為だ。周りに人の姿など無い。遠慮もなくひとっ跳びで高い場所に出て、荒れた高原をざっと見回す。
 聖杯が無いとは言え、彼はサーヴァントでクラスはアーチャーだ。スキルの鷹の目は伊達ではない。じっとメジオラ高原全体を観察する。見える魔物はイノシシ型、鳥型二種類、細いサボテンと太いサボテン。さほど種類が多いわけではない。
 はてさてあのデカブツトカゲはどこにいるのかと見回して、妙な気配を感じてそちらに目を向けた。ビンゴだ。背中にいくつもの剣を突き刺されながら、それでも元気よく闊歩している赤い魔物。


「まるで恐竜だな。凜がいたなら何がなんでもあちらにもって帰って新種の化石だと言い張って儲けようとでも考えそうだ」


 まあこの世界の生物は死ねば音譜帯という場所に還るらしいし、骨が残るか疑問なのだが。背負っていた弓を構えて矢を一気に三本ほど番える。標的はまだ狙われていることに気づいていない。狙いは脳、心臓、眼球。いくら鋼鉄の皮膚を誇っていても、どれかひとつは貫くだろう。……もちろん、三つともを全て射抜く気も十分にあるのだが。
 高原の、それも高所だけあって風が強い。彼我の距離はおおよそ一キロ前後。普通の弓兵の弓矢ならば標的に届かせるまでもなく風で飛ばされるだろう。しかし彼に限ってはそのような心配など皆無だ。何故なら彼はグレンの従者、最強の弓兵なのだから。神秘は宿らぬまでも精度のいい強弓がしなる。ぎりぎりと弦を引き絞ったまま、中る結果を手繰り寄せる。


「―――見えた」


 的中。中る。その未来をはっきりと視認して、手を離す。飛び出した矢はアーチャーの狙いを外さずその頑強な皮膚を貫き、深く深く突き刺さる。右目の眼球、眉間の間、そして心臓のあるだろう箇所。当たった瞬間にブレイドレックスはびくりと一度大きく痙攣し、そして己に何が起こったのかを知覚するまでもなく横倒しに斃れた。
 ずうんと土煙が上がり、ぴくりとも動かない。しばし眺めていたが、おそらくは死んでいるだろう。確認のために降りていく。そしてその死を確認して息をついたとき、ふとその背に刺さった一つの剣に引き寄せられた。何の神秘も無い剣群。そのうちの一本だけ、アーチャーの解析をもってしても解析できない妙な剣があった。切れ味が鋭いわけでもなく、神秘が内包されているわけでもない。禍々しい。音素を引き寄せる剣だ。
 死したブレイドレックスの背からそれを引き抜く。生きているような脈動を感じ、アーチャーはただ勘のみでそれの危険性を感じとった。


「……妙な気配だ。これは海にでも沈めて、誰の手にも渡らないようにしておいたほうが良いか」



――― introduction out







 手が届かない。手が届かない。何度も手を伸ばしているのに。叫んでいるのにこの声は音にならない。そんなので聞こえる訳も無い。気づかれもしない。俺は『あいつ』の目の前に居るのに。固定された意識体の位置から一歩も動けない。

 魔界の泥の海。どこか見覚えのある残骸。あいつは必死になって進もうとしている。それでも根を張ったように足が動かず、狂ったみたいに暴れている。目の前。沈みかけた板の上。死んだ男と、小さなこども。あいつは声を嗄らして叫んでる。届かない。ゆっくりと沈んでいく子ども。絶叫している。届かない。ただその視線を逸らすことだけはせず、愚直なまでにその沈む姿を見つめていた。必死になって手を伸ばしている。届かない。
 やっと足が呪縛から解きはなられたかのように動き、驚くよりも先にあいつは駆け出した。それと同時に完全に沈む子ども。子どもが助けを求めて手を伸ばし、その手が届くことなく魔界の泥の海へと沈んでいく。あいつの膝が崩れ落ちる。緑の両目に浮かぶのは絶望。絶望。絶望絶望絶望。

 震える両腕を見て拳を握り、地面に叩きつける寸前、その手をがしりと何かに掴まれる。涙が滲んだ目で腕をつかむものが何かを確認して―――表情が凍りつく。泥の人形。見覚えのある泥の人形。その形は、あの沈んだ子どもが必死になって助けを呼んでいた、彼の父親。腕だけではない、両足も反対の腕も囚われる。何人もの泥人形に。気づけばそこは崩落を免れたアクゼリュスの小さな大地ではなく、魔界の泥の只中だった。
 もがこうとして、異臭を放つ泥人形が呟く怨嗟の声に動きが止まる。

 オマエノ セイダ。ヨクモ。ヨクモ、ヨクモヨクモヨクモ。

 ―――ヨクモ、クリカエシタナ。(違う)

 ザイニンメ。(違う)
 トガビトメ。(違う!)
 ニドメハ オノレノイシデ ホウラクヲノゾンダナ。(違うんだ!)
 ユメノセカイデ トワニ クルシメ。(やめてくれ!)


 泥人形に引きずり込まれる。魔界の底へ。あいつは―――グレンは、悲しそうな、苦しそうな、泣き出しそうな自嘲を浮かべる。


『ああそうだ、俺は自分の意思で選択した。その責は、背負わなければ』


 ……逃げることなど、赦されない。

 最後にポツリとそう呟き目を閉じて、何の抵抗もしなくなった。ただそのまま、引きずり込まれる力に逆らうことなく沈んでいく。泥の底、怨嗟と憎悪が満ちる奈落の海へと沈んでいく。

 ザイニンメ。トガビトメ。オマエモワレラトトモニシズンデモラウ。



 違う。違う違う違う違う違う、そいつは何もしていない。グレンは、庇おうとしただけで。俺を、庇おうとしただけで。本当の罪人は。アクゼリュスを、崩落させたのは。引き金を引いたのは。何度も叫んでいるのに届かない。沈む親友はルークに気づかない。ただ紫色の世界を見上げて一度だけ目を開き、閉じる。
 赦しを請う言葉も口にせず、ただ怨嗟の声を聞きながら、それを当然と受け止めて魔界の底へ沈んでいく。

 何度も名前を呼んでいるのに。何度も手を伸ばしているのに。彼の目の前で何度も何度も繰り返す。沈んでいく。何度も何度も、声が嗄れるほど叫んでいるのに、それこそ気が狂うくらいに繰り返す。
 助けたいのに。
 伸ばした手は気づかれない。




 何度も何度も繰り返す、沈む親友の夢を見た―――










 獣のような咆哮をあげて飛び起きる。酷い汗だ。息が上がりきっている。ルークは震える両手で顔を覆った。

 ここは障気など無い世界だ。ここにあいつはいない。ああ、早く。早くしなければ。早くあの夢から覚めさせないと。あいつは馬鹿だから、やっぱり自分のせいだと思ってる。馬鹿だ。馬鹿だよ、お前は。早く。早く終わらせよう。早く。

 肩を揺すられる。大丈夫、ルーク、どうしたの。ご主人様。何か音がする。意味が理解できない。雑音を理解する必要は無い。早く。俺は早くこの茶番を終わらせなければ。早く。早く早く早く! がりがりと額に爪を立てて引掻けば、それを何かが止めようとする。邪魔だ。振り払う。ルーク、と。何かが鳴っている。額から流れていく雫に構わず立ち上がる。すぐ傍にあった剣を掴む。腕を引かれた。邪魔だ。振り払う。
 蹴破る勢いで扉を開け放つ。ルーク。先ほどから同じ音ばかりだ。留めるように腕を引かれて、もう何度目になるか分からない。振り払おうとして、その腕を逆方向から出てきた誰かに押し留められた。


「帰ってきてみたらいきなりこれかね。少しとは言え、思い出していた感情は怒りと焦りだったか。全く、落ち着きたまえ。グレンの何を視たのだ、小僧」


 音がする。何を言っているのか理解する必要は無い。邪魔をするなら切り捨てろ。ただ、その音の中で唯一聞き取れた誰かの名前。グレン。グレンは。アイツは。


「俺が。俺が、俺が……俺は――――俺の、せいで……っ!」


 早くしなければ。早く。早くこんな茶番を終わらせて、全てが終わった世界でアイツを起こさないと。早く。起こさない限り、眠ってる限り、馬鹿なグレンはずっとあの夢を見続けるんだろう。それでも今すぐ起こすわけにはいかない。起こしてしまえば突っ走るのは目に見えている。
 だから、せめて―――。


「俺が叶える。俺が叶える! グレンの願いも俺の願いも俺がこの手で叶えてみせる! 誰のどんなきれいな願いを切り捨ててもだ……邪魔をするな、そこをどけ!」


 アーチャーの手は思い切り振り払われて、ルークは剣を抜く。今の彼には何を言っても伝わらないだろう。驚いたティアが止めようとしているが、標的が彼女に代わるほうが危険だ。片手を挙げて押し留める。ですが、と納得がいかないようだが、彼女を斬ってしまえば一番苦しむのは今目の前で錯乱しているルーク自身だ。

 正気を彼方に飛ばしているルークは、人外、とは言え人の形をしているアーチャーに迷いなく剣を振り下ろす。タルタロスを降りた時にアッシュと戦りあったときの完全な理性による剣戟とは真逆だ。ただただ邪魔者を感情的に排除しようとする激情しか篭っていない。それでも中々の一撃だ。このような状況でもなければひとつ誉めてやりたいくらいの剣筋だった。
 それを腰に佩いた双剣を抜き放ち、防ぐ。確か今日はこの宿には一応他の宿泊客はいなかったはずだ。下手に外に出られるより、この中で戦りあったほうが良いだろう。そう断じて、廊下へ向かって適当な距離にルークを蹴飛ばす。
 体勢を整える前に接近する。しかしルークもぎらぎらとした目を上げ、唸り声を上げながら、体勢を整えるでもなくこちらに向かって突き進んでくる。あちらはそれこそ殺す気なのだろうが、こちらは殺すわけにはいかない。舌打ちをしつつ受け止める。火事場の馬鹿力のようなものだろう、打ち付ける一撃の重みは一々普段のルークのレベルからかけ離れている。

 全く、グレンよ。この馬鹿マスターめ、懐かれすぎだ。これでは本当に宗教の域だぞ。殉教者の目だ。この狂信ぶりではまるでモースだとか言う輩のスコア崇拝と似たようなものではないか。

 まだ人を殺したことが無いとは信じられない剣筋が吹き荒れる。しかし自覚は無いのだろうが、体がついていけていない。超振動の制御訓練をしていたというなら、恐らく彼の体の内側は今ぼろぼろの状態のはずだ。体中が悲鳴を上げているだろうに、それに気づかずこんなに全力で動いているのはまずい。
 実際に剣を握るルークの手の平は裂けていて、アーチャーが防ぐたびに柄から落ちた血が飛び散っていた。恐らくだがこの一撃を放つ間にも筋肉や筋が断絶しかかっているはずだ。疲労と無理やりの動作に圧迫された肺では、まともに呼吸もできていないのでは無いだろうか。
 それでもルークは倒れない。ぎらぎらとした目だけが殺意をこめてこちらを睨んでいる。


「邪魔を、するなあああっ!」


 まるで獣だ。本能のみで打ち込んでくる。しかしアーチャーはしっかりとその全てを防ぎきり、目はルークの体の状況を冷静に把握して、苦虫を噛んだ顔になる。疲れれば止まるだろうと、ありえもしない可能性を願っていては手遅れになってしまう。仕方ない。


「これ以上はお前の体がもたん。悪いが腕を一本折らせてもらうぞ!」


 言うや否や、ルークが振り下ろした剣を白剣で受け止め、剣を握るルークの左手に勢いよく黒剣の峰打ちを叩き込む。この体内の損傷状況では脳内麻薬でもでて痛覚が遮断されているのだろうか、ルークは特段大きな悲鳴も上げない。小さな唸り声をひとつ上げただけだった。しかし左手はだらりと垂れ下がり、剣も握れなくなりカランと軽い音を立てて床に転がる。
 これならもう大丈夫だろう。ほっとして、ティアにルークの回復を任せようとして―――彼女が鋭くルークの名前を呼んだのと、とんでもない第七音素の動きにはっとして振り返った。
 幽鬼のように立ち続けるルークの左腕は、折れているはずなのに真っ直ぐとこちらに向けて突き出されていた。その左手を支えるように右手が添えられている。収束する第七音素。譜眼を持っているわけでもないのに知覚できるその流れ。赤橙色の左目からは血の涙。ルークの左手に光が灯る。

 しくじった。脳を揺らして意識を刈りとるべきだった。今更悔いても遅い。


「やめろ、ルーク! 今お前の左手は折れているんだぞ?! ただでさえぼろぼろの体内組織に、音素もめちゃくちゃ、そんな状況でまともに超振動など……音素が暴走する!」

「うる、さい。邪魔をするなら、立ち塞がる、なら。殺してでも……砕いて進む!」


 ヒューヒューと、ルークの喉から零れる音は酷く弱弱しい。なのに、声だけは圧倒的な意思の強さをもっている。
 そして恐ろしいことに、今のルークはコレだけの状況で音素の暴走を起こすことなく超振動を制御していた。とんでもない量の第七音素を引き寄せ続けているのに、超振動の威力はぶれていない。集まり続ける音素を体内循環させて必要量だけ残して拡散させている。
 全く、どうやら自分が居ない間にティアはよくよく優秀に制御訓練をしてくれたらしい。
 この世界に存在するアーチャーの体を構成しているのは第七音素だ。第七音素で体を構成している限り、今の威力の超振動をくらってはひとたまりも無い。絶体絶命だ。
 だが、アーチャーはにやりと口元を吊り上げた。


「悪いなルーク。それでも私はグレンの従者だ。ああそうだ、君がグレンの相棒だと納得するただ一人は私なのだよ」


 飄々と呟き、アーチャーはルークに対して直線状に突き進む。狙ってくれと言わんばかりだ。常なら愚策と呼ぶべき動きだが、怪しいと思索を巡らせる暇もない。ルークは左手から超振動を放つ。その光が一直線にアーチャーに向かい、しかし彼は懐から取り出した何かでその光を受け止めた。数秒。それだけで、その何かは砕け散る。しかし数秒とは言え、超振動に耐えたそれはいかなるものか。
 謎は解けぬがアーチャーにとってはその数秒だけで十分で、手に入れて一日で砕けた魔剣を放り投げる。稼いだ数秒だけでルークに肉薄し、折れているという労わりもなく左手を掴み上に向ける。超振動で思い切り宿の天井に穴が開いた。後で直さねばと心中で呟きながら、超振動が途切れたころを見計らって後ろ手に拘束した。


「相手が悪かったな。君も知っているだろう、私は人外でね」

「離、せ!」

「断る」

「畜生、俺が、俺のせいなんだ! 俺が、俺が……俺のせいで、グレンは―――!」

「ふむ、今の状況では落ち着くことも無理か。グランツ響長、譜歌を。眠らせたほうが良い」


 ルークが超振動を使ったことに何故か一番驚いているらしいティアに声をかける。そうすればすぐに我に返り、畜生畜生畜生と狂ったように叫び続けるルークの状況を見て納得したらしい。すぐに紡がれる譜歌に暴れていたルークが大人しくなった。ルークの体中から力が抜けて、がくりと倒れこむ。その体を肩に担ぎ上げて、ついでに解析を行うが……その結果にアーチャーは思い切り表情を顰めた。
 明日一日は絶対安静だ。ベッドに縛り付けてでも動かすわけにはいかない。文句を言おうが何を言おうが絶対のこととして決め、ティアとミュウによくよく頼まなければならないだろう。
 柄だけを残して砕けた残骸を拾い、ルークをベッドに寝かせる。その時にずたずたになった手の平が見えて、流石にげんなりしてしまう。


「グランツ響長。すまないがルークを診てくれ。身体中に片っ端から治癒術をかけてくれないか。いろいろ見えないところにまでガタが来ているだろう。特に左眼、譜眼にはよくよく注意してくれ。下手をすれば視力低下を覚悟せねばならん」

「分かりました。あの、ルークは……」

「さあな。だが、これがあそこまで暴走するなら……いや、実際問題叫んでいた内容からすると、確実にグレン絡みだろう。グレンとルーク、この二人は誰より遠くて誰より近い。時折無意識が繋がるのだろうさ」

「……繋がる?」

「グレンを助けるために色々とやった時にね。私を媒介に精神感応というか……特殊な繋がりが出来てしまったのだよ」


 まあ同調フォンスロットだとか元が同一根源の別人の可能性だとかアーチャー媒介の魔術ラインだとか。そういう色々と説明しづらいところをぼやかすのだが、ティア的には恐らくその色々と、といってぼかしたところを聞きたいのだろう。それは分かるのだが、あくまで言うつもりはないとしれっとしているアーチャーの姿を見て諦めたらしい。ティアは溜息をついて、早速ルークを診る。
 ああ、手の平を見てしょっぱなから表情を険しくしているが……起きたらどんな小言を言われるのだろう。覚悟しておけ、小僧。……と、待てよ。仕方なしとは言え、確か私もこいつの左腕を思いきり折ってしまったな。


「では後は任せたぞグランツ響長。私は宿の主人に言ってルークが吹きとばした屋根の修理と……後はご老体たちに時間ができたらと呼ばれていてね、少々手伝ってこよう。もしかしたらそのままとっ捕まって缶詰になるやもしれんが……明日一日はルークは絶対安静だ。文句を言おうが無視してしっかりと見張っていてくれたまえ。嫌がったら縛り付けてでも絶対安静だと言い聞かせてくれ。ミュウ、君にも頼んだぞ」


 ティアが何かを言う前に早口に言い切り、では後は頼んだとアーチャーは出て行った。ちゃっかり逃げて行っただけとも言う。ミュウだけは張り切ってその背に向かって頑張りますのー、任せてくださいですのー、と使命感に燃えていたのだが。
 そんな健気なミュウの姿にティアは口元を緩め、頭を撫でる。両方の手の平の治療を終えた彼女は次に彼の左頬に伝っている血を拭い、左目に手を当てる。そうして破壊する為の第七音素ではなく、癒す為の第七音素がルークの体に降り注いだ。



* * *



『なんつーかさ、帰ってきたなーって感じるのは、グランコクマなんだよ。俺の生まれってグランコクマじゃないんだけどさ。噴水の音とか。鳥の鳴き声とか。飛んでく雲の形だとか……あとブウサギ?』
 何だよそれ。っつーかブウサギ? エンゲーブじゃなくて? ……しっかし、生まれ故郷でもないのに帰ってきたって。ちぇ、俺なんてバチカルに帰ってもそんな気になれなかったっていうのにさ。ずりーってのー。
『ははは、そりゃあまあ、仕方ないだろ。お前お屋敷にずっと軟禁されてたんだろ。でもほら、親善大使? この仕事が終わって、軟禁が終わったら―――きっと帰ってきたって思えるようになるって』
 そういうもんかねぇ。
『そういうもんだろ。グランツ響長もイオンも言ってただろ? コレから知ってきゃいーんだよ』


 いつの会話だろうか。確かバチカル廃工場を出て……ああ、英雄になんてならなくて良いといっていたグレンと少し言い合って、次の日に朝食を一緒に作っていたときだったか。いやあ俺もエミヤ任せでさぁ、料理微妙なんだけど……ま、二人いりゃどうにかなるだろうし、いくらなんでもポイズンにはなんねーだろ。最後の方はぼそりと小声で、そんなことをいいながら呑気に笑うグレンと一緒にああだこうだ言いながら作っていた。
 今まで色んなとこ回ってきたんだよな。そう言って旅の話を聞けば、ああと頷くグレンは懐かしむ時の目をして、一つ一つ思い出しながら話をしていた。


『で、ケテルブルクは雪の国でなー。信じられるか、あそこって春にでも雪が降るんだぜ。本当に雪が降らないなんて夏の間だけ。でもロニール雪山は雪が降らなくても溶けないままでさ。あ、っつーかルーク、お前って雪見たことあったっけ』
 ねえよ。バチカルって結構温暖な気候……なのかな。よくわかんねーけど、雪なんて見たことないぞ。
『だよなー。雪が降るって本当に寒いんだけどさー、でもすっげー楽しいんだぜ。雪合戦にスケートに雪合戦に雪合戦にあとかまくらとか雪合戦とか……』
 どんだけ雪合戦の比重がでけえんだよ! っつか、雪合戦って何。
『そりゃおまえ、こう……合戦って言ってんだから、真剣勝負のだな。雪を丸めて弾を作るだろ、で、それをいかに的確に相手にぶつけて戦闘不能にするかを競うんだ。雪球なんて当たっても冷たいだけだからさ、いかに自分は当たらず相手にあてて体温を奪い行動を遅くさせ思考回路を―――』
 待てよ。本気かよ。何だよそれ新手の軍事演習か。
『……ダヨナ。っかしーとは思ってたんだが……しかしあの国出身とはいえ、言ってたのがあいつだからやっぱちょっとおかしくねーかとは……』
 エミヤじゃねえの?
『ん? ああ……ちょっとそこで知り合ったやつにね。ま、そしたら色男にでも聞いたほうが良いかな雪合戦。俺の知識ちょっと違ってるっぽいし。あ、そしたらさ、いつか雪合戦しねーか? どうにかしてイオンも巻き込んでさー、標的は色男。三人がかりで狙い撃ち! ってな!』
 おいおい、ガイ虐めんなよ。
『で、ばたんきゅーしてる色男を見て親切な通りがかりの女の人が介抱してくれるんだぜ。でもあいつだろ、目を覚まして三秒でまた気絶確定だな!』
 うわあ、お前ひでーなおい。
『そんな楽しそうな顔して言ってても止めてる感じないですよー、ルークさーん』


 グレンはけたけた楽しそうに笑う。笑いながらも、手は止まらない。確かにガイほど上手い、と言う訳ではないがそれでもルークにくらべれば余程上等な手さばきだ。因みに作っているのはチャーハン。割と初心者でも大丈夫とエミヤのお墨付きの料理らしい。……俺は聞いたこともなかったが。グレンはエミヤのレシピを見て、時折うーむと唸りながらも指示をくれる。……その唸ってるあたりがちょっと怖いが、まあポイズンにはならないだろう。多分。
 しかしバチカルをでてからこちら、それなりに料理もしたんだが。一向に上手くいかない自分の料理レベルと、唸りながらもレシピどおりに作れるグレンのレベルになんとなく負けた感が漂うが、昔は俺もお前並だったんだぜ、精進あるのみ! だの言っていたので、いつか追いぬいてやるとひそかに決意しつつゆっくりと材料を切り刻む。
 しかしこれ……目に痛いな。くそう、たまねぎめ。毎度ながらなんて強敵なんだ。


『そんでもってベルケンド……は、あまりなあ。研究者ばっかだしむしろ医療施設の町? 特に言うでも無いな。同じ研究者だらけの町って言ったら、シェリダンの方が俺は好きかなぁ。すっげーんだぜ、町中仕掛けまみれ』
 ふぅん。どんな仕掛けがあるんだよ。
『えーっと、例えば大きな歯車があるだろ、そうしたら絶対どっかにスイッチがあるんだって。で、それを見つけてぽちっと押せばその歯車が回りだしてさ。他には機械仕掛けの人形がでてきたり歯車が回るだけだったり時計になったり風が吹き出したり火がぼおっと出てきたり床がびよよーんとか跳ねたり、後は……』
 いい。もういい。機械仕掛けねぇ……ガイが好きそうな町だなってのは、分かった。
『ああ、うん。確かに好きそうだなぁ。きっとさ、いやっほーいとか言いながら走っていくんだろうぜ』
 え。あのガイが?
『おう。あいつが、だよ。で、ダアトは、そうだなぁ……あっちもこっちも石碑だらけ』
 なんじゃそりゃ。
『初心者用の五大石碑巡りならすぐに終わるんだけどなー、めちゃくちゃあるんだよ。さすがローレライ教団の本拠地、ってかんじか』
 へー。俺は軟禁されてる間、殆どスコアになんて触れてないからよくわかんねーけど。やっぱでかいのか、ダアトって。
『そうだなぁ。まあそれなりにな』


 ダアトや教団、スコアの話になるとグレンの表情は少し曇りがちになる。ルークも昨日の言い合いを思い出して気まずくなるが、すぐにグレンは表情を和らげて苦笑を溢す。


『まあ、今の状況じゃスコアに頼る人がいるってのはしょうがないだろうさ。そうしなさい、って指針があったほうが楽だしな。でも、俺はそれが嫌だ。だから自分で考えて、自分で選んで、その結果は自分で背負う。そうしたい、ってのは俺の意思だ。あ、これ皆にはあまり言うなよ。結構ヤバイ思想らしいからさ』


 口の前に指を当てて内緒な、と苦笑するグレンの言葉にまたちくりと心が揺れるが、別にグレンもわざわざ蒸し返そうとしたわけではないのだろう。ただ、昨日のグレンの言葉の理由として説明したつもりだったのだと思う。なるほど、そう言う考えを持っていたなら、確かにキムラスカの政治のやり方にはあまりいい気はしないだろう。なんせ政治にがっつりとスコアがくい込んでいる国だ。
 ナタリアが王女として国を動かすようになったらまたちょっとは違う感じになるかな、そうしたらグレンもキムラスカに……って、そういえば俺ダアトに亡命するんじゃん。え、ちょっと待てそうしたらスコア嫌いそうなこいつに会えなかったりする?
 今になって思いついたその思考にがーんとショックを受けるルークは、ついついがつんと大きくまな板に包丁を打ち付けてしまった。うおう、と驚いた声をあげた後、どうしたかと聞いてくるグレンに慌ててなんでもないと返す。しかし親友に会えなくなるかもしれないという可能性は地味にダメージが大きかった。いや、でもグレンだし、どうして亡命したのかを手紙にでも書けば分かってくれるんじゃないかと……


『って、おいルーク。うんうん唸りながら何やってんだ。もう良いよそれくらいで。それ以上やったらたまねぎが摩り下ろしりんごみたいになっちまう。そんなのチャーハンのたまねぎじゃないぞ』
 ん? あれ、いつの間に。
『お前延々とたまねぎ切り刻んでたじゃねえか。ほれ、次はこれな』
 えー、どれ……っ?! にににににに、ににににに……
『こっちを細かくしてくれりゃ良かったのによー』
 にんじんんんんんんん!? 嫌だ、絶対にいやだ! 俺は認めねえ、こんなの入れるなよ!
『えー、でもこれエミヤのニンジン嫌いでも食えるぞ! ってメッセージが』
 嫌だああああああああ!
『うん、そうだな。エミヤの料理なら俺らでも食えるかもだけど、わざわざ料理レベル人並みの自分で作るのは危険か。はい却下却下ー。じゃあソーセージでも切っとくか?』


 笑いをかみ殺しながら食材を渡してくる。
 朝っぱらから騒がしいと、眠そうな目を擦りながら起きてきたアニスがグレンにさらに料理の指導をしていた。今度はイオンとも一緒に料理をしてみたいなあとグレンは笑っていて、イオン様に料理させるつもり? とか言って怒っていたアニスは、でも本人やりたいって言い出しそうー、となんとも言えない顔をしていた。俺の料理にガイは何だか感動していて、ジェイドはいつものように平然としていて、何故か……といかまあ理由はなんとなく分かりはするのだが、とてつもなく落ち込んでいるナタリアを、必死になってティアが慰めていた。



 楽しそうだな、と他人事のようにぼんやりと思う。
 楽しかった、と思い出すことなどもうできない。

 それでも、きっと楽しかったのだろう。
 あのころの自分にとっては、確かに。




『でもやっぱりもう一度いきたいのはセントビナーだな。なあルーク、今度機会があったらまた三人で展望台に登ろうぜ』




 これは、そんな、いつかの記憶。



* * *



 懐かしい夢を見ていた。目覚めてもはっきりと覚えている、いつか。何で急にこんな夢を見たんだろう。ぼんやりと目を開ける。いや、開けようとして、左眼が少し痛んだ。少し呻きながら左眼に手を当て、のそりと起き上がる。その拍子に、何かがころころと。


「……は?」


 見れば、腹の上から転がり落ちていったらしい物体は青い小さな小動物。おい、ご主人様の腹の上で寝こけるとはどういう了見だ。そう思いながらも、このまま寝てたらこいつ風邪引くなあとなんとなく思う。風邪を引かれたら厄介だ。チーグルの風邪っぴきに俺は優しくなんてできないのだから、全部ティア任せになってしまう。彼女なら大喜びで請け負いそうだが……動物に感染したウイルスが人に二次感染する可能性も捨てがたい。
 彼女には外殻大地のこれからのためにも生きても貰わなければならないのだから、体力の低下をもたらす体調不良の可能性は是非とも避けたい事象だ。
 だからだ、と思いながらチーグルを引っつかみ、布団の中に入れようとして体を動かすのだが、その時にまた身体中の筋肉が引きつりそうになって小さなうめき声が零れてしまう。一体何だと言うのだろう、なにやら体中が筋肉痛になったみたいに痛みを訴えている。はて、俺はいつの間にベッドで寝ることになったのだろうか。色々思い出そうとするが、よく思い出せない。のろのろと現状を把握しようと周りを見回して、固まる。

 自分が寝ているベッドのすぐ脇。何故すぐに気づかなかったかと思いたくなるこの現状。
 床に座り込みルークが寝ているベッドに頭を預けるようにして、ティアが寝ていた。よくぞそんな体勢で寝れるものだ、流石は現役兵士……? いや兵士だったらこの体勢で寝れるものなのか? 分からないが。あれ、よくよく見てみれば自分の右手首が彼女の右手に握られている。何故だ。というか、なんで俺は起きてすぐこれに気づかなかったのだろう。自分で自分が不思議だ。
 無言で観察。常の真っ直ぐとした意志の強そうな青い瞳は閉じられていて、すーすーと静かな寝息を立てている。寝てる姿だけを見れば年相応だ。そういえば初めっから、黙ってりゃ顔だけは美人、だとか日記にも書いていた気がする。あれこれ考えながらも分かっている、これは現実逃避だと。
 とりあえず右腕を引く。同じくティアの右手もついてきた。どうしろと言うのだ。しかし、寝る前に俺は何かやらかしたのだろうか。心配だとかそう言うのよりも、これはどうも容疑者確保傾向の意識があるような気がする。起こして聞いてやろうかとも思ったが、どうにも窓の外の色を見るとまだ夜明け近くだろう。何があってこの状態になっているのかは解らないが、流石にそれは悪い気がして躊躇ってしまう。

 この状態のまま寝ていては起きた時に体の節々が痛いことになっているだろう。とにかく隣のベッドにでも運ぶべきだろうか。いや、もしかしたら現役軍人なら大丈夫なのかもしれないが。しかしこのままと言うのもいただけない。だが何故か知らないが体の節々は痛むし、ティアを運ぶのも実は結構今の俺には重労働だしな……放っておくか、兵士なら大丈夫では、いやしかしこいつ女だしな。などと、かなり軍人に対しての偏見の入ったあれこれをつらつら思いながら、ルークは心底困惑しながら溜息をついた。


「……よく覚えてないが、一体何があったんだ。ついでにエミヤは帰ってないのか?」


 途方にくれたようなルークの言葉に答えるものは誰もいない。いまだしばらく、ルークは一人でぐるぐる考え込むことになりそうだ。







[15223] 29(シェリダン~メジオラ高原セフィロト)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:20c4cb78
Date: 2010/02/14 22:54


 幼い子どもにとっての世界は両親だ。全て彼らを通してでしか世界を知る方法がないということもあるが、幼い子どもというものは往々としてそう言うものだろう。両親を通して外を知り、少しずつ少しずつ世界の大きさを知っていく。そしてだんだんと外に広がる世界の大きさを知り、両親以外の世界、『自分達』とその他ではない、『自分』とその他という自己を確立しながら世界を知っていくのだ。

 さて、ここでルークについて考えてみよう。いくら体は十七歳とは言え記憶も精神も彼にあるのは七年分。知識量にしても生きてきた時間にしても、実際問題七歳児と変わりない。しかし彼が生まれて間もないころには既に体は十歳だ。ある程度自分ができていて、そろそろ物心がつく時期。いくら記憶喪失だからといっても、それでもルークが『帰ってきた』と思っていた屋敷の人間にとっては、あくまでも彼は十歳の少年だったのだ。何も考えずに両親に甘えるということなどできなかったのだろうし、周りが許しもしなかったはずだ。

 そもそも両親が両親だ。愛しているとはいえ病弱な為になかなか傍にいることもできない母親。体に障る、という理由でそう長く一緒にいられることも少なかっただろう。そしていつか来る未来を知っていて、愛することを怖れる父親。いつか失うと解っていて、それが決して外れることの無いユリアのスコアと言うもので、ましてやその死は国の繁栄の礎となるスコアだ。公人としての公爵と、私人としての父親と。どれだけの葛藤があったのだろうか。結果として、彼は息子を愛することを怖れた。愛して、失った後の長き時間を、後悔と苦しみに永劫に苛まされることを怖れたのだ。
 交わす言葉も最低限ならまともに目も合わせもしない父親。過保護なまでに溺愛しながらも体の弱さから接することの少ない母親。そんな両親。

 そんなルークにとって、両親の代わりに世界を現していたのがヴァンだ。傍から見ていてもわかる。ルークにとってのヴァンは、決してただの剣術の師ではなかった。おそらくはあの屋敷でたった一人だったのだ。七年前の自分ではなく、今ここにいる自分を自分としてみてくれた人物。早く思い出せ、などとは言わずに今の自分がそこにいることを許してくれた存在。本気で叱ったり誉めたりしてくれた、真っ直ぐに自分と相対してくれた唯一。ヴァンが元よりそう作り上げるつもりだったとは言え、彼が両親の代わりにルークの世界の中心だったのだ。
 ましてや彼は生まれてからずっと外を知らない軟禁生活を送っている。外を何も知ることのないこどもにとっては、より一層その比重は重い。

 その世界が彼を見捨てた。全ては偽りだったのだと、冷たい瞳で切り捨てた。それは彼にとってはどれだけの衝撃だったのか。世界に取り残された孤独感。そして己の力が犯した罪。利用されたのだと、ただそれだけのために向けられた笑顔だったのだと、思いたくなかっただけで心のどこかで理解していた。

 混乱が極まった彼が己は無実と喚きたくなるのも仕方ないといえば仕方ないかもしれない。ただ事実を確認するだけの問いかけも、その時の彼には己を責めているようにしか聞こえないだろう。だから仲間も少し落ち着けさせようと、何も言わずに彼を一人にさせたのだ。しかしそれが追い打ちだった。
 暗い空、広い甲板、一人きり。傍らにいるのはせいぜいが小動物一匹のみ。今まで誰より信頼していた存在に、もう要らないと切り捨てられた。世界にいらないと宣告されたのだ。何もかもから見捨てられ、何もかもからその存在を否定されているように感じただろう。

 そんなルークにとって、唯一つ残っていた希望がグレンだった。壊れて崩れた世界にひとつだけ最後まで残っていた希望が、彼にとっての最後の光だった。その比重は、世界に裏切られたからこそそれまでの世界全てを覆い隠すほどの狂信に近くなった。否、そうしなければ、縋りつかなければ自分を保っていられなかったのかもしれない。
 グレンの時は、何も残らなかった。何も残らなかったから、歯を食いしばりながらでもたった一人で立ち上がった。変わるのだと、自分の足で立ち上がった。己の決意で前へ進む決心をした。けれどルークにはひとつだけ残ってしまっていたから。そのひとつに縋り付いてしまったのだ。
 そしてそのたったひとつの希望は己を庇おうとして消えようとしている。最後の光が目の前で消えようとする時に、彼は何を犠牲にしてでも良いと叫んだ。そして感情の殆どを対価に残した命。知ってしまったこれから世界におきる可能性。グレンが何をしようとしていたのか、その未来も。そしてそれはルークには決して許容できないもので。

 少しずつ拡がりかけていた彼の世界は、あの時一度、完膚なきまでに粉々に砕けてしまった。代わりに継ぎ接ぎだらけに組み立てられたのはあまりに歪な心の形。

 出来上がったのは狂信者。残った希望をなくしたくないと、世界に抗う子どもが一人。その為になら何をなしても願いを叶えようとし、おそらくは己自身も対価のひとつとして投げ出すことに疑いも持たぬ殉教者。
 いつもやんわりと目隠しをしてくれていた存在はもう傍にいない。覆う全てが剥がれ落ちたまっさらな目で、これから築く血を直視してももはや止まることも無いのだろう。何故ならその歩みの停滞は彼の世界の完全崩壊を示すのだから。


「これから起きる状況には対策はしている。が、心は私にはどうにもならんぞ。―――それでも、君は君の願いをかなえるのだろうな、グレン」

「エミヤぁ、次はこれじゃ、この音機関の不良箇所を捜してはくれんか? ……む、どうかしたか」

「……」


 場所はシェリダンの集会所。時刻は朝方。宿屋の屋根を塞ぎ終わってふらりと来てみれば、やはり缶詰状態にされて。
 ……始まりはアルビオールの二機同時開発と言う無茶に、今まで請け負っていた譜業機械の修理ができないと困っているのを見てしまったことだ。そのため少しでも力になればと、解析魔術を使って譜業機械の不良箇所を片端から当ててしまったのがいけなかったのかもしれない。
 マシンドクターMr.エミヤ。曰くその耳は機械の声を聞き、曰くその目は機械の不良箇所を過たず発見し、その手腕から逃れられる不良はなし、とのこと。
 聞いたときには何の冗談だと思ったのだが、どうもシェリダンではそう言うことになっているらしい。私はそのような電波ではないと声を大にして叫びたかったのだが、解析魔術というものをしらない人々にとってはまさしくマシンドクターだったのだろう。良いじゃないですかかっこいいですよ、と某操縦士の兄妹に尊敬の眼差しとともに熱く語られ、もはや諦めた感じになっている。

 ほんの僅かな時間に空を見上げながらつらつらと真面目に考えていたのだが、わざわざ何も知らない人に向かって話すべきことでもない。軽く溜息をつき、振り返る。なにやらストーブらしき系列のものをえっちらおっちら運んでいるイエモンの手からそれを受け取り、しげしげと眺めながら軽く流すように呟く。


「いや、なんでもない。そうだな……あの一人と一匹に賭けるしかないと言ったところか」

「何の話じゃ。さっぱりじゃぞ」

「それはそうだご老体、こちらの話なのだから。ところで私はまだ帰れないのかね」

「なにおーう? ノエルの調整が終わったらすぐに行ってしまうんじゃろ。その間にしっかりと働いてもらわねばならんのじゃ、帰すわけなかろーが!」

「……ごめんなさいねぇお兄さん。イエモンは一度言い出すと聞かなくて……」

「タマラ! ひとを頑固者のように言うのはやめんか!」

「気にすることは無い、ご婦人。一度言い出したら聞かないというタイプには慣れている。ふむ……スイッチを入れてみてくださらぬか。ああ、ありがとう。やはり動力回路が動いていないようだ。右は正常に作動しているが、回路の左半分が動いていないな。途切れているといった感じだ」

「おやおや、じゃあやっぱり伝導体の一部がもう寿命なのかねぇ」

「お主ら、わしを無視するなぁ!」

「……イエモン、悪いことは言わん、そろそろ寝たらどうじゃ」


 喚く後ろから声がかかり、イエモンは振り返った。そこにいるのはシェリダンめ組の最後の一人。仮眠室からごそごそ出てきた昔なじみは、そのまま寝ぼけた欠伸をかみ殺しながら、至極当然のことを言う。


「エミヤもお前に付き合って徹夜ではないか、仮眠くらい取らせてやらんか。それにのう、かっかするのは健康に悪いぞ」

「アストン!」

「そうだねぇ、アストンの言うとおりだよ。いい加減にしないとまーたノエルちゃんがギンジが止めるのも聞かずに「いい加減に寝てよおじいちゃん、お客様に徹夜までさせてー!」とか心配して怒って来るよ?」

「むぐぅ」


 頑固一徹、シェリダンの職人気質の代表格、め組のイエモンとは言え流石に孫娘には甘い。むしろ、弱い。確かに、アルビオールの最終調整じゃー! とこのところ徹夜続きだった。大体終わったから明日からはもうちゃんと寝ると約束をしていたのにコレだ。確かにこのままでは怒りに怒った孫娘がやってきてしまう。まあ心配によるお怒りなので嬉しいかもしれないと思っているイエモンはかなりのジジ馬鹿なのだろうが。


「まあまあ、ご老体。明後日……いや、明日か。明日にはメジオラ高原のパッセージリングを操作するつもりだが、その時にぜひともパッセージリングを調べるために技術者に一人二人来て欲しくてね。なんせ創世暦時代の音機関だから扱いはデリケートにせねばならん、技術者の中でも腕の良い……」

「創世暦時代の音機関じゃとお?! いかん、こうしてはおれん、わしは早く寝るぞい! エミヤ、その技術者にはわしが行く! ミスなどしようも無いくらい今日から体調を整えておく、お主も明日に備えてもう寝るんじゃぞ!」


 どたどたばたん。騒がしい音を立ててイエモンは風のように去ってゆく。その様子をアーチャーは些か呆気にとられて眺めていたのだが、流石の付き合いというか、タマラとアストンはいつものことだと小さく笑いさえしていた。のんびりと笑うタマラが差し出すホットミルクをありがたく受け取る。ひと口飲んで、ほっと息を吐いた。


「ご老体も元気だな。良いことだが」

「いつまで経っても変わらないヤツでねぇ」

「はっはっはっ、まあそう来なくちゃイエモンじゃ無かろうて。しかしエミヤ、連れて行くのはイエモンで良いのか?」

「ああ、もちろん。元からめ組の誰か一人には来てもらおうと思っていたところでね。お二人も来たいならきっちりパッセージリングまでご案内するが?」

「私は遠慮しとくよ。イエモンが抜けたならアルビオールを見ておいた方がいいだろうしねぇ」

「そうじゃな。代わりに若いもんを一人二人連れてってくれんかの。わしらはイエモンの自慢話でも聞くことにするわい」

「承知した。では私もそろそろ宿に―――」


 不意に。何かが降ってきた。

『待て、今帰らないほうが絶対面白いことになる。ちょっと待て』と。

 セイバーでもあるまいに、何故か直感がそれを告げてきたのだ。理由は解らない。しかし面白いこと? 面白いこととは何だ。それにこの言いよう、誰にも聞こえぬ声としたら天(グレン)の声でも降ってきたのだろうか。眠っている間にラインを介して声を届けられるようになったとでも言うのか。有り得まい、魔術を知らぬ者にそのような芸当は不可能だ。
 一応、とんでもない頭痛を覚悟ならアーチャーの声をルークに通すことはできるだろうが、魔術ラインを起こさなければならないのだから一々ルークにダメージを与えることになってしまう。この世界でも一応魔術は適用できるが、この世界は徹底的に魔術に適正が無い。危険極まりないのだ、この世界に生きる者にとっての魔術と言うやつは。


「どうかしたのか、エミヤ」

「ああ、いや……」


 身に覚えの無い突発的な直感にアーチャーがあれこれ考えていれば、アストンが少し心配そうな顔をしてこちらを気にしている。さて、どうしたものか。うーむと考え込んで、ホットミルクをまたひと口。


「そうだな。小僧にはグランツ響長とミュウがついている、心配はいるまい。起きたらどうせまたここに来るのだし、仮眠室を借りてもいいかね」


 どうもルークを混乱の渦から救う協力者は、これにて現れることはなくなったようだ。









 そしてその後、結局アーチャーは起きてからも一日中シェリダンの集会場に缶詰にされていた。さらにあくる朝、後日ベルケンドい組がこちらにやってきた場合のことについて、その時に協力して欲しいのだとアーチャーがかなり頑張って説得していると、軽いノックの後集会場の扉が開く。
 見慣れた夕焼け色の髪。ざっと見ただけだが特に体の不調も見当たらない。どうやらティアはしっかりとルークを見て、ついでにアーチャーの頼みどおりしっかり休ませてくれたようだ。問題はあの時グレンの何を見たのかルークが覚えているかのだが……今の感じを見ると、どうも覚えていないらしい。少しほっとして、それでも一応彼に直接尋ねる。


「ルーク。調子はどうだ」

「ああ、一日ゆっくり休んだからもう快調だ。……昨日蹴り落とされて打ったとこ以外はな……」

「……蹴り落とされた?」

「あ、ああああああれは! あれはあなたが!」

「せっかく人が親切に節々が痛む体に鞭打って……」

「だって、起きたら! ビックリするでしょう!?」


 仕方ないだろう、どれだけ引いても右腕外れなかったんだから、とルークは言ってやりたかったのだが。俯けた顔を真っ赤にして、なんだかぶるぶる肩を震わせながらロッドを握り締めている彼女に今そんなことを言ったら、それこそ容赦なく殴られそうな気がして思いとどまる。
 あの時はどれだけ待ってもエミヤは帰ってこず、仕方ないと頑張って彼女をベットに上げて。ついでにミュウも拾って。さて俺は隣のベッドで二度寝でも、と思ったのだが、何故か彼女の手はルークの腕から外れず。理由は知らないが身体中にやたらに疲労が蓄積されていて、ベッドでの休息を訴えていた。
 だから、いくら兵士でも彼女も一応生物学上は年頃の少女なのだからと、それなりに気遣って同じ毛布を被ることは避けて隣で寝転がっている『だけ』にしたと言うのに。なかなか肌寒い朝なのに我慢して毛布も彼女に被せていたというのに!

 起きた時だ。彼女があまりにもポカーンと凝固していたので、やれやれと思いながらその時まで読んでいた音素学の本から視線を向けて、やっとおきたのか寝ぼすけ響長? と言ってみれば。


『―――……………、ッ!?!?!?!』

『ぐが!』


 何故か顔を一気に赤くしたかと思えば、声にならない声をあげながら思い切りベッドから蹴落とされたのだ。全く、訳が解らない。俺が何をやったと言うのだ。そもそもお前が俺の右手を放さなかったのが原因ではないか。こちらはそれなりに気を遣ってやったというのに何たる仕打ちだ。

 何故かひたすらばかを連呼されて、顔をあげようとすれば枕が頭に降ってきた。理不尽だ。床と枕に打たれた頭を抑えながらも自分の意見を主張し、ついでに寝る前に俺は何かしたのかと問うと、さらに何かを言いかけた彼女は不意に口を噤んで、覚えてないの、と聞いてきたのだ。何がだと聞けば、しばらくこちらの顔をじっと見て、かと思えば覚えて無いならいい、とだけ返して。結局それ以上は何も言わなくなった。
 体中に妙に疲労が溜まっていることや、やたらに左目の奥で痛みが疼いていることについて聞いても何も答えない。知っているのは明白なのに、覚えて無いなら思い出さないほうがいいだの言い出す始末だ。俺が情報公開を渋っていた当て付けかとも思ったが、そういう仕返しをするタイプでもないと思う。全く、本当に訳が解らない。

 無表情ながらもどこか不機嫌そうに腕を組んでその時のことを思い出すルークと、顔の赤みがなかなかひかずに気まずそうにするティアと。アーチャーにはどんな『面白いこと』が起こったのかは解らないが、とりあえずルークを宥めようと声をかける。


「まあ、なんだ。何があったかはあえて聞かんが……礼は言ったのかね、小僧」

「礼? なんでだ」

「何でも何も……お前は体内の内側の七割が軽度損傷、一割が重度損傷、左腕は折れて筋組織や筋も損傷過多、左目に至っては譜眼の負荷で眼球の水晶体、網膜、黄斑に軽度損傷、視神経には負荷甚大、毛様体には軽い凝固傾向が見られていたのだぞ。下手をすればというか何もしなければ確実に一気に視力低下だ」

「……なんだよそれ。何度聞いても答えもしないが、俺本当に寝る前何やってたんだよ」

「さてね。超振動の制御訓練で無茶でもしたのでは? さらに音素の流れはめちゃくちゃで君の体は第七音素の塊だ。乱れに乱れた音素組織では治癒術も中々効かなかっただろう。それでも左腕も一応治っているし、左眼も痛みはしても視力低下は無いのだろう。まったく、どれだけ苦労したか私は治癒師ではないので解りはせぬが……一人で治してくれたのはグランツ響長だぞ」

「なるほど、それは手間をかけさせたんだろうな。道理で熟睡だったわけだ。それじゃあ起きもしないか。世話になったみたいだな、ティア・グランツ。礼を言う。仕方ないから蹴落とされたことは流してやる―――待て、何故ロッドを振りかぶっている。ちょっと待て」

「仕方ないから……仕方ないから? なかなか治らなくて、どれだけ心配……起きたらしれっと……しかも隣に……『流してやる』?」


 地雷を踏んだな。恐らくは分かっていないながらも、ルークなりに何かを感じて微妙に顔を引きつらせている。恐怖の感情を思い出した、と言う訳ではないだろう。ただ単に体が覚えている条件反射か。助けを求める視線を綺麗にスルーして、遠い昔、人間だったころの記憶をぼんやりと思い出しながら二人を見るだけにする。
 声はかけない。経験則だ。あの目をした女性には近付かないが吉。


「何が言いたいんだ、待て、何を言っているおい、待て何だそのオーラは。兵士は感情のコントロールも必要だって言ってたのは誰なんだ! 今あんた絶対怒ってるだろう!」

「…………ええ、そうね。感情のまま動くなんて、兵士としてあるまじきことね。ごめんなさい」


 ルークの言葉にぴくりと表情を動かし、ティアは大きく溜息をつく。あれ、助かったのか。ルークもほっと息をつこうとして―――にこりと。ティアが笑った。そう、笑っているはずなのに。その笑顔を見て体が凍りついたのは何故なのだろう。


「…………」

「ほらルーク。私もう怒ってないでしょう? でもね、自分がやったことに対して全くなんとも思ってないあなたに、私は少し話があるの。よかったら表に出てくれないかしら」


 きれいな笑顔だった。とても魅力的な笑顔だ。そう、背後のオーラさえなければ。よかったら、と断っているが間違いない。出なければ、やられる。背筋に流れる冷や汗を感じながら、ルークは必死に唾を飲み込む。
 彼は思った。自分はまさかとんでもないパンドラの箱を開けたのでは。しかし感情を忘れたはずの体にこれほどの反射行動を起こさせるとは、もしや今俺は本能的に危機を感じているのか。恐るべし、ティア・グランツ。流石はヴァン師匠の妹だ。笑顔なのに迫力が尋常じゃない。


「……わ、分か、った…………」

「そう、じゃあ来て」


 かくかくと首振り人形のように頷くルークの腕をとってずるずると集会場から出て行く。すみませんエミヤさん、少しだけ時間を貰います。すぐに終わらせますので。ティアはあくまで笑顔だ。イロイロと記憶が錯綜し、うっかり人間だった頃の自分が出てきそうになるのを押し留め、アーチャーは全力を持って『アーチャー』の仮面を被り続ける。そうか、分かった。少々なら大丈夫だ、気にするな。顔が引きつっていないのが奇跡だ。
 今までの二人をぼんやりと眺めていため組の三人も、それぞれに最近の女子は強いのぉ、あの坊主も鈍いなわしが若かったころは、ただの痴話喧嘩だね、だのと。流石は人生経験豊富な方々だ、動じるまでも無いということか。ただ、先ほどまでいくらアーチャーが頼んでいても聞き入れようとはしなかったい組との協力について、特に頑迷だったイエモンの態度に少し軟化傾向が見えてきた。詳しい心境の変化は聞かないでおこう。
 ただ一つ。すまないルーク、君に救いの手は無いぞ。

 一般的な教育的指導のために引きずられていった彼にどうか幸あれ。











 メジオラ高原のダアト式封呪の扉を超振動でこじ開ける。パキン、とガラスの割れる時の音がして、がらがらと不思議な色の扉が崩れ落ちた。左眼の痛みに呻いて押さえつける。短い時間だけあってダメージは少ないようだが、ノーダメージだというわけでもない。血が滲んでいるわけではない。痛みだけだ。あまり覚えてはいないが、二日前に超振動を起こそうとして暴走させてしまったときにくらべれば余程マシだろう。それでも、この譜眼を突き刺すような痛みには慣れることは無い。
 エミヤに呼ばれて振り返ると、軽く頭に手を置かれた。急に何だ。つい固まったが、すぐに気づく。三秒ほど目を閉じていたかと思えば、何と言ったか、解析魔術? だとかいうので多分俺の体の調子をざっと見たのだろう。譜眼と譜陣の暴走状態の時に比べれば随分と負担は少なくなっていると教えてくれた。それでも譜眼の負担はだんとつで大きいようだが。

 しかし、いつの間に俺は超振動をここまで制御できるようになったのか。こう、超振動を起こそうとする時に体の中を流れていく血流と拡散していく熱をイメージする、なんてどこで知ったんだろう。知らない間に増えている知識と言うのは少し不気味だ。絶対にあの寝ている前にあったらしい何かに関係があるはずなのだが、ティアばかりかエミヤまで口を閉ざす始末だ。本当に何があったんだか。
 いくら思い出そうとしても、いつかの旅の夢を見ていたことしか思い出せない。


「ルーク、やっぱり左眼が痛むの?」

「いや、それほどでも無い。大丈夫だ。行こう」


 ひたすら考え込んでいたら心配そうにティアがやってきたのだが、軽く手を振って治癒術を断る。どうせここで治癒術をかけてもらっても意味は無い。パッセージリングを操作すれる時の方が超振動を遣う時間も長いはずで、もっと左目も痛くなるのだ。かけてもらうとしたらその後のほうが効率もいい。
 エミヤにはシェリダンからの技術者を見てもらって、先にティアと二人で入る。辺りを見回すが、魔物はいないようだ。エミヤに声をかけて、技術者が入ってきた瞬間、聞こえるのは元気な声。


「おおおおおおお、これが、これが創世暦時代の音機関か!」

「遥か彼方2000年もの昔、その時代に作られた音機関がこうして未だに命を持って動いておるとは……これぞかの時代の技術力の高さを垣間見る一幕ということじゃな。エミヤぁ!」

「却下だ。私達の目的はパッセージリングについての調査だ。それが終わってからなら何も言わん、先に奥に行くぞ」


 ええ、そんな、マシンドクター! お主には情が無いのかぁ! と、若い技術者とイエモンが二人がかりで拳を握って力説するのだが、エミヤは我関せずだ。さて行こうか、と俺たちに声をかけて、さっさと進んで行ってしまう。まだ何かを言おうとする二人に、エミヤはぼそりとそれは小さな声で呟く。


「そういえば確か、この奥にはここの音機関を整備するための、2000年前から稼動する機械人形がいたとの情報が……」

「いざ、往くぞぉぉぉぉぉおおおお!」「はいいいいいい!」


 風とともに去りぬ。あっと言う間に走って奥へ行ってしまったシェリダンの技術者魂には脱帽だ。全く、防衛プログラムが作動して襲われるかもとは思わんのかね、とぼやきながらエミヤは彼らを追っていく。そしてそのシェリダンの人たちに馴染んでいる感じのやり取りをみて、思わずぼやく。


「なんというか、元気だな。あのじいさん……イエモンさんだったっけ」

「あの年齢になっても元気なのは良いことよ」

「あと三十年は生きてそうだ」


 地核振動停止作戦。その時起こるはずの襲撃から、上手く彼らを守れたら。
 続く言葉を心中だけで呟き、後を追う。

 扉の向こうに行けば、昇降機を調べているらしい若い技術者とアーチャー、動く機械人形を食い入るように見ては調べてぶるぶると歓喜に打ち震えているイエモンがいた。こちらに気づいたアーチャーの表情を見てルークは大方のことを察する。歴史どおりなのだろう。それでも一応声をかける。


「その昇降機動きそうか?」

「いや。やはり、動力が死んでいるようだ。パッセージリングは恐らくはこの下で、見たところ階段も無い」

「そうか。じゃあちょっとどいてろ」

「ああ……っと、待て小僧。その構えは……いや、あまり聞きたくないが何をするつもりだ?」

「何って。決まってるだろう、下に行くならここを俺の超振動でぶち抜けば、」

「だから待て。どれだけの深さだと思っている。いくらなんでも……例えば降りて無事だとしても、登れなくなったら餓死だぞ!」

「そ、そうですよ! 創世暦時代の音機関ですよ! 壊すなんてそんなの勿体でしょう!」


 ずいとエミヤよりも前に出て必死になって止めてくる技術者は、やはりシェリダンの技術者らしく音機械の愛へ溢れていた。そんな彼にちらりと視線をやって、仕方ないと溜息をつく。
 さて、ではこれから俺が言う言葉にこの技術者は何を言うのだろうか。


「……エミヤは動力が死んでいる、と言ったな。じゃあ換えの動力をもってきて取り替えれば動くんだろう」

「はい。ですが、換えの動力―――まさか」

「あの機械人形は動いている。なら、動力が生きているんだろう。とれば使える」

「ま、待ってください! そんなの……」

「否定するなら代わりに成り得る案を出せ。パッセージリングは操作しなければならない。これは大前提だ。それにエミヤがあんたらを連れてきたのは、パッセージリングを調査させる為なんだぞ」

「ご主人様……一生懸命働いているのに、可哀想ですの」


 言葉につまる技術者の代わりに、小さな聖獣が悲しそうに訴える。大して親交の無い技術者にはそれこそざっくりと言葉を放っていたルークだったが、小さな聖獣にはほんの少しだけ態度を軟化させる。仕方ないだろう、他に方法がないんだ。そう言って軽くミュウの頭を撫でて、ちらりと技術者のほうを向く。若い技術者も代わりになる案を出すことができずに悲しそうに眉を下げていた。しかし、もう反対はしていない。

 それを納得だと受け取って、ルークは機械人形を調べているイエモンの方へ声をかける。


「聞こえていましたか、イエモンさん」

「ああ、まあアヤツがアレだけ大声で叫べばなぁ。しかし、惜しいのぉ……未だに動き続けている機械人形だというのに。この調子なら、まだまだ動くこともできるじゃろうが」

「そうですね。目的を持って、そのためだけに作られて、2000年をたった一人でそのためだけに動き続けてきました。もうすぐその目的も終わる。……眠らせてやる時期なのでしょう」

「そうか。そう思えば少しは未練も少なくなるか」

「動力はどこに?」

「いや、わしがとろう。見たところ攻撃でもせねば防衛機構は働かんようじゃ」


 そうポツリと言って、イエモンはしゃがみ込み機械人形の駆動部分に手を伸ばす。カチリ、と動力が外れた音がすると、今まで動いていた機械人形は動きを止めた。それを見てイエモンはしばらくそこに立っていたが、やがてその動力を持ってこちらの方へ歩いてくる。やはり年の功かその表情に特に変わりは無いように見える。ただ、いささか必要以上に冷静にも思えるが。
 若い技術者と話しながら動力を繋げている背を見ながら、ルークはここに来たときから一言も喋っていないティアの方をちらりと見る。これからのことを考えて、やはり緊張しているのだろう。はっきりとは言い切れないが、少し顔色が悪い。


「いいのか、ティア・グランツ。逃げるなら最後のチャンスだぞ」


 ルークの言葉に、ティアが表情を厳しくして彼を睨みつけてくる。が、静かに凪いでいる緑から視線をそらした。これからシェリダンの技術者にパッセージリングの起動キーについても調べてもらう予定だが、恐らくはユリアの血縁でしか解けない、ということを結論付けることになるだけだろう。
 ロッドを握り締り締めている。何も思っていないわけではないのだろうに、それでも彼女は静かにルークの言葉を否定する。


「前にも言ったでしょう? 兄さんを止めるのは、妹の私がするべきことだから」

「ああそうだな。なら、俺ももう一度言うぞ。俺はお前のその回答が気に入らない」

「……グレンの生きかたに似ているから?」

「そうだ。世界のために死ぬなど俺は絶対にごめんだ。俺は俺のためにしか、俺の願いのためにしか命は捨てない」

「そうね、そう思う人もいるでしょう。それでも、私はあなたのようにはなれないわ」


 話はいつも平行線。きっとこの話でどちらかが折れることはきっと無いのだろう。
 ティアの回答にぎりっと奥歯をかみ締め、ルークは彼女に背を向け一気に不機嫌な表情になった。いや、不機嫌だというだけでは齟齬が出る。これは不機嫌だというよりも、駄々をこねる時の子どもの表情に似ているだろうか。ままならない世界に、どうにもならない我侭を言っているようなものだ。


「そうか。俺は世界のために自分を、なんて考えをする人間は嫌いだよ」


 ルークははっきりと自覚する。怒り、苛立ち、焦り、そんな感情をまぜてぐちゃぐちゃにしたような、腹の底から灼熱が煮えくり返るようなこの感情は『嫌悪』だ。向かう先は誰に? 考えるまでも無い、彼女ではない。己へだ。嫌いだと、逃げろといっているくせに本当は知っている。逃げるはずが無いと知ったうえで言っているのだ。そんなことができるわけが無いと知っているうえでの言葉なのだから。
 しかし思い出す感情がろくでもないものばかりだと言うのは、全く人間らしいじゃないか。人間は壊すことの天才だ。助けて支えるよりも突き放して傷つけるほうが簡単で、これは笑える、どうやら人間もどきでもそう言うところは人間らしいようだ。

 人の世界は常に何かから奪ってでしか存在できない。命だけじゃない。何かを犠牲にしてでしか成り立てない。
 命をかけて、世界を救っても。その誰かの命を喰らって生き延びる世界に住む人々は、大半はその犠牲すら知らぬままに生きるのだ。その世界が、命が、生活が、誰かの犠牲の上に成り立っていることを知りもしないで、当たり前のように笑って暮らすのだ。ひとりと世界ならどちらが正しいかなど明らかだろう、そう言って、当たり前のように生きて、すぐにその犠牲になった人間のことも遠い記憶に整理して。
 そんな世界のために、顔も知らない誰かのために、命を捨てる。

 反吐が出る。ああ、反吐がでる。苛々と吐き捨てるような調子で言葉を放つ。


「大ッ嫌いだ、そんなやつ」


 ティアは何も言わなかった。ただ彼の背をみて静かに目を伏せて、そう、とだけ答えて何も言わない。
 それが何故か、ルークを一層のこと苛立たせた。








[15223] 30(メジオラ高原~ベルケンド)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ac258ae6
Date: 2010/03/25 01:12



 昇降機で降りていく。大きな音叉の形をした音機関。ルークは一度アクゼリュスで見た覚えのあるもの。パッセージリングだ。イエモンと、若い技術者がパッセージリングについてあれこれ調べている。まだ起動していないので操作盤から読み取れる情報はゼロ。
 いろいろと専門器具を使って調べているようだが、そこまで多くのことは解らなかったようで首を振る。どうやらやはり一度起動させなければ詳しい調査もできないらしい。仕方ない。どうしようもないのだから。

 ルークは血中音素の計測器をティアに渡して、腕につけるように指示する。


「イエモンさんたちが調べている譜石があるだろう。そこにユリアの血族が近付くだけでいい。ユリア式封呪が解除されていれば、それだけでパッセージリングは起動する。……起動する時に、障気に汚染された第七音素が身体中のフォンスロットから取り込まれることを代償にな」

「そう。近付くだけでいいのね?」

「……………………」


 ルークは苛立たしさを隠そうともせずに、ティアの確認に何も言わない。ただ、緑の瞳は一気に温度が下がるは眉間にシワが刻まれるは、腕を組んでそっぽを向くその姿は子どもっぽいのに随分と荒れている。
 ルークの代わりにアーチャーがティアの疑問に答え、改めて譜石に近付くように頼む。頷いて歩いていく背を見送り、その背を因縁でもつけるかのような勢いで睨みつけているルークに溜息をついた。


「随分と苛立っているな」

「そうだな。反吐がでる」

「馴れ合うつもりは無い、と言っていたのに随分と気を遣っているようだが」

「そんなつもりは無い」

「グランツ響長の体が心配かね」

「その問いに含みが無いなら肯定する。降下が完了するまでは生きてもらわなければ困るというのは事実だ。ただし、気に食わないとは思うが……俺にそれ以外の感情は無い」


 パッセージリングに近付くにつれて機嫌が急降下しておいてよく言う。
 やれやれと軽く頭をふり、操作盤を見つめる。パッセージリングの上に浮かぶ操作盤は、対角線上に配置された十個の円でできている。そのうちの五つの円には赤い縁取り。その操作盤全体に浮かぶ赤い警告の文字。
 どうやらヴァンの仕事も早かったらしい。いつから動いていたのかは知らないが、もう暗号処理を施し済みとは動きも随分と迅速だ。


「ルーク」

「解っている」


 アーチャーの声にぞんざいに返し、大きな音叉型の音機関を睨みつけた。
 パッセージリングの操作だ。両手をかかげて、意識を集中する。身体中の譜陣が熱を持って浮き上がるのが自分でも解った。左眼がずぐんと痛み、奥歯をかみ締めてその痛みに耐える。制御を乱してはならない。ルークは心を揺らさず、平常心を保つ。

 『ツリー降下、速度通常』の後に続けて、初めから第二ゲート(アブソーブゲート)降下と同時に起動、と命令しておく。
 グレンのときは第一ゲート(ラジエイトゲート)起動と同時に降下と命令したが、そうすれば危険になると分かっているのだ。いや、セフィロト同士を繋げる限り同じことになるのは目に見えているが、それでも操作盤から強引に命令変更するよりは安定した降下を期待できるはずだ。

 命令を刻み終わって、ほっとしたら膝から力が抜けた。熱が消えていく感覚の直後、一際強く痛んだ左目を押さえる。出力は弱くしそのくせ長く制御し続けるというのは、体中にはありったけの譜陣を、片目には譜眼を刻み込まれたルークにはなかなか重労働だった。
 気を抜けば簡単に体内の音素も刻まれた譜陣も暴走する。そんな状況で時間をかければそれだけ大きくなる痛みに耐え、気を張り続けるのは疲労も大きい。眼帯に少し血が滲んでいることを手の平に感じられた。黒なら目立たないから助かったな、と見当違いのことを思いながら息をつく。

 起動したパッセージリングについて、アーチャーの指示によりイエモンと若い技術者が真剣な目をしながら調査している。すぐに何か解るものなのだろうか。せめて障気を取り込む時にその量を少なくするように制御でもできれば少しは違うのだが。

 立ち上がろうとしたら、名前を呼ばれて肩に手を置かれた。顔を覗き込まれる。深い海の色をした青い瞳は心配そうにしていて、その瞳に苛立ちが募る。馬鹿が。お前は人の心配をしている場合かよ。馬鹿が。今くらい自分のことだけを考えていれば良いだろうに。
 ああ、苛苛する。


「大丈夫? 今治癒術を―――」

「いい、放っておけ」

「馬鹿なことを言わないで。……左目が痛むんでしょう?」

「馬鹿はどっちだ。お前のほうこそふらふらの癖に。そっちこそそこらへんで座り込んで休んでればいいだろう」

「私は大丈夫よ。それよりも、」

「うるさい、何がそれよりもだ! あんたこそ休んでろ!」


 ティアの肩を押し返そうとして、左眼が焼かれたような痛みが突き抜ける。うめき声は殺す。しかし表情は歪み、彼女の肩を押そうとした手に変に力がはいってしまったようだ。すぐに痛んだことがばれて、左目に彼女の手が伸びる。
 その手を振り払おうとして、後ろから急に延びてきたエミヤに腕を掴まれる。
 ふと、既視感を感じた。けれどそれがいつなのか思い出せない。


「邪魔をするな、エミヤ。ティア・グランツ、お前もいい加減……っ」

「落ち着け、ルーク。第七音譜術の行使は障気障害の人体に悪影響は無い」


 アーチャーのその言葉にティアは驚いたように目を丸くする。宥めるように言ったアーチャーの言葉の内容にも驚きだが、その言葉に苦虫を噛んだような顔をしながらも、動きを止めたルークにこそ驚いた。
 ティアのその表情にルークは思い切り不機嫌そうな顔をする。


「勘違いするなよ。アンタには、外殻大地を降下させきるまでは何が何でも生きて貰わなければならないだけだ」

「小僧……」

「エミヤ、また余計なことを言うなよ」


 溜息交じりのアーチャーが何かを言おうとする前に先に、ルークがきっぱりと言い切った。その言葉は恐らくユリアロードの時のことにかかっているのだろう。やれやれと嘆きたくなるというものだ。ここにグレンがいればきっと、笑いながらこいつは照れ屋でねと場を和ませていただろうに。
 ちらりとティアの方を見た。表情は普段どおりに見受けられる。が、普通に少し元気がなかった。
 待て。そんな馬鹿正直にその言葉を受け取るのか。ちょっと待て。確かに淡々とした口調で、あの表情で言われたのなら仕方ない……のか? 結構解りやすいと思うのだが。何てことだ。実はこの娘、人の心の機微と言うのに疎いのだろうか。

 グレンの記憶を思い出す。納得した。

 ……いや、まあ、言ってる本人自身がその自分に気づかずに、本気で自分がそう考えているのだと思い込んでいるらしいことのほうこそ、問題といえば問題なのだが。

 結論、どっちも不器用。

 果たしてその一言で片付けていいのか、は、深く考えないことにしよう。ヘルプだマスター、私に心のケアは不向きすぎる。手に負えん。ああこれがせめて微笑ましいね、と見守れるくらいのレベルだったら良かったのに。
 つい遠い目をするアーチャーに、ルークは考えていたらしいことをぼそりと呟く。


「……しかし、エミヤ。障気は第七音素と結合するんだろう」

「少し違う。汚染された音素を取り込んでしまって、それが汚染されているから上手く体外に放出できなくなって、それが蓄積されて起きる病気だ。汚染されていない第七音素をいくら体に取り込もうが、障気障害の進行を促進させるわけではない」

「取り込んだ障気が集めた第七音素にさらに結合することは、無いのか」

「問題ない。……というかだな、そもそもお前も『見た』のだろう? あの時も直後の戦闘では普通に治癒譜術を使っていたはずだ」

「あー……そうだった、か? なんだよ。紛らわしいな」

「小僧、お前はもう少し……いや、いい。それよりもだ、君の左眼は私の譜眼処置で色々と一杯一杯なのだ。すぐに治癒せねばダメージが溜まるだけで視力が落ちる。剣士の視力低下は致命的だとわかっているだろう。グランツ響長、頼む」


 アーチャーは掴んでいたルークの腕を離すが、もう暴れる気は無いようだ。大人しく眼帯を解いて目を診易いようにしている。そして左目に治癒譜術をかけてもらっている間に彼女の腕から血中音素計測器を奪い、その結果をみてまた不機嫌そうにしていた。
 いや、本当に解りやすいと思うのは私だけなのだろうか……?


「エミヤ」

「なんだね」

「アルビオールを手に入れたら、グレンをグランコクマに連れてく前にベルケンドに寄っておく。シェリダンからならついでの距離だ。この調子じゃ後一つ起動でもさせたらぶっ倒れる。薬は早いうちから貰っておいたほうが……おいエミヤ。なんだその目は」


 不愉快だぞ、と睨みつけてくるルークにいやなんでもないよ、とだけ返して流すことにした。心配しているのかね、など聞いたらまた同じ理由が帰ってくるだけだとわかっている。もう好きなようにしてくれと言ってしまいたい。こんなに解りやすいのに何故だ。なぜ当事者は解らないのだ。

 疲れた溜息を一つ。君達はここで休んでいろといい置いて、アーチャーはシェリダンの技術者達のほうへと歩いていった。


「ご老体、何か分かったか」

「むう……いや、これはなんというか……暗号がのう。何をやっても反応せんでは、流石に調べられん。わしらは音機関には自信があるが、第七音素の暗号はさっぱりじゃ。わざわざ連れてきてもらえたというのに、何もできずすまんのう」


 解ってはいたが、想像通りと言ったところか。まあこれだけの短時間で調べられるような音機関なら苦労はしないだろう。元から昇降機の動力のために連れてきたようなものだったのだから、目的は果たしている。


「そうか。いや、昇降機の動力を換えてくれたのだから、そこまで消沈せずともいい」

「パッセージリング……ああ、パッセージリング! このような大物音機関が目の前にあるというのに暗号で調べられんとは……惜しい、悔しい、悔しすぎるわい……っ!」

「分かりますイエモンさん、僕も同じです。創世暦時代の音機関、こんなにいかにも大物ですってヤツが目の前にあるのに何もできないなんて……!」

「そっちかね。ああ、ご老体。そういえばエレベーターの動力だが、ここでの作業は終わったので動力をまたエレベーターからとって機械人形に入れれば、」

「いざ! いざ帰らん! きっとノエルも準備もできておるはずじゃ、帰るぞエミヤ!」

「そうだな、起動が終わったパッセージリングの前でずっと時間を食うわけにもいかん。さて、帰ろうか」


 なかなか帰りそうになかったが、やはりちょろいな。心中でニヤリとしながら頷いた。









 ベルケンドの第一研究所。そこから深い深紅の髪をもった男が先頭に出てきて、その後ろに続いて出てきた金色の髪の女性が考え込むように呟いた。


「ヴァンはレプリカの情報を集めてどうするつもりなのでしょう」

「そりゃ、情報を集めてるんなら、やっぱりレプリカを作るんじゃないの?」


 答えたのは髪を両サイドで括っている、背中に人形を背負った幼い少女だ。ぞろぞろと研究所から出てきたのはアッシュ達一行だ。ヴァンの動向の手がかりになれば、と立ち寄ったベルケンドで手に入れた情報を皆がそれぞれ頭の中で洗いなおすが、何がしたいのかは結局はっきりとは分からなかった。
 とりあえず、今は立ち止まって今後の行動指針を立てている。


「スピノザのヤツを問い詰めて分かったのは、ヴァンがレプリカに関して何かをやろうとしていることだけか……レプリカについて調べるしかない。ワイヨン鏡窟へ行く」

「ワイヨン鏡窟……そうですね、ラーデシア大陸はキムラスカ領です。マルクトには手が出せない。ディストは元々マルクトの研究者ですから、フォミクリー技術を盗んで逃げ込むにはもってこいだ。何かしら研究結果が残っている可能性もある」

「……決まりだな。行くぞ」

「ぶー。行ったほうが良いんですか、イオン様」

「そうですね。ヴァンの意図を僕達も知っておいたほうが良いでしょうし、ついて行きましょう」

「――――俺は降りるぜ」


 ガイの静かな言葉に、ジェイド以外のみんなの表情に驚きが浮かぶ。しかし一番初めに平静を取り戻したのはアッシュだった。


「そうか。一応理由を聞いておこう。……どうしてだ、ガイ」

「ルークが心配なんだよ。あの馬鹿、俺に何も言わずにさっさっと行っちまって……あいつが何も言わずに一人で考え込むと、たいてい碌なことにならないんだ。一発、目を覚まさせてやらないとな」

「ガイってばお人好しィ~。……でもね、ガイは見てないから知らなかっただろうけど。ルーク、本当に変わっちゃってたよ。それでも行くの?」

「なら、尚更だ。……親友が感情もなんも分からなくなっちまってるってんなら、そう言うときこそ俺がついててやりたいんだよ」


 ユリアシティでのことを思い出しているのか、アニスが悲しそうな顔をする。今のルークの簡単な状態と、その理由は大体は皆ジェイドから聞いていた。グレンを助けるために無茶をしたと。体中に譜陣を刻んで、片目には譜眼を刻んで、余程の無茶らしい。それは、感情をほとんど忘れてなくしてしまうほどの。

 なぜ、あの時彼を一人にしてしまったのか。なぜ、あの時みんなの前に顔を出そうとしなかったあいつの様子を見に行こうとしなかったのか。顔を出しづらいのだろうと思っていた。しかし一度も出そうとしなかった、ということのおかしさに気づけなかった自分が悔しい。
 あの時はもっと落ち着いてから、何があったのかを聞けるようになってから、ただそう思っていただけだというのに。


「ガイ、貴方はルークの従者で親友ではありませんか。ここにいるルークも、あなたがかつて確かに傍にいた……彼こそあなたが仕えるべきはずだったルークではありませんの?」

「そうだな、こいつももう一人のルーク、だろうさ。それでも……俺が仕えるべきなのは、その賭けをしたのは―――こいつじゃない。あの不器用な馬鹿の方なんだよ」


 しかし、まさかあいつが覚えてるとは思わなかったんだがね。言葉の最後に小さくそう言って、ガイはとても小さく笑った。苦笑のように見えるのだがどこか嬉しそうで、けれど明るい笑顔だとは言い切れない。そんな笑顔だった。
 その笑顔を見たアニスはもう止めることをあきらめて、励ますように明るく笑う。


「はぁ……本当にガイってお人好しだよね。でも、まあ……そんなガイだったら、ルークもちょっとは心を開いてくれるんじゃないかな。頑張って。女の子に剣突きつけるなんて何考えてんだーって、思いっきりしかってやりなよ? ガイってばルークの育て親なんでしょぉー?」

「……ガイ。本当は僕もルークに会いに行きたいんですが……」

「はぅあ? イオン様、それはダメですよ?!」

「解ってますよ、アニス。だからガイ……僕の初めての友達を、どうかよろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ」

「……ガイ。迎えに行くのは自由だが、あいつが今どこにいるのか見当はついてるのか? 闇雲に捜すだけじゃ時間ばかり過ぎるだけだぞ」


 なんだか良い雰囲気で、今にも手を振って走り出そうとしていたガイの背に、一応とばかりにアッシュが声をかけたのだが。見事に手を振りかけたガイの動きが止まった。それはもうぴたり、と擬音語が見えそうなくらいの停止具合だ。
 どうやら決意して気ばかりが急いていたらしい。溜息をつきながら、特に何も言っていないジェイドをじろりと睨む。


「ジェイド。アンタならあのエミヤだとか言う人外から話を聞いたんじゃないのか」

「……そう言われましてもね」

「旦那、何でも良いんだ。何か言ってなかったか?」

「やれやれ……聞いたと言っても、彼らの行動については何も聞いていません。ただ、パッセージリングについて言及していましたから、おそらくはセフィロトを回っていれば会えるかもしれませんね。しかしセフィロトの位置が解らないのでは捜しようもない」

「セフィロトといえば、僕が知っている限りではアブソーブゲートとラジエイトゲート、そしてザオ遺跡と……確証はありませんが、六神将に攫われていた時に『タルタロスで上手く行けばシュレーの丘にも行けていた』とシンクが小声で言っていました。ですよね、アッシュ」

「ああ……そうだな、確かにシンクはそう言っていた。……ユリアロードを通ったとするなら、一番近い港はダアト港だ。そこから行くとしたら……」

「ケセドニア、知っている中ではザオ遺跡が一番近い、か。じゃあ俺はシュレーの丘のほうにでも行ってみるかな。悪いな、アッシュ」

「……フン。お前があいつを選ぶのは、わかってたさ」

「ヴァン謡将から聞きました、ってか? まあ―――もうそれだけって訳じゃないんだけどな」

「どういうことですの、ガイ」

「……何でもないよ。それじゃあな!」


 それだけを言い置いて、ガイは去っていく。その背を見送り、同じく小さくなる幼馴染の背を見送るアッシュにナタリアはそっと声をかけた。


「よろしかったの、ア……ルーク」

「その名で呼ぶな。あのレプリカが返すだとか抜かそうがほいほい受け取るつもりも無い。その名はもう俺の名前じゃないん―――」

「あ」


 カシュン、と。第一研究所の扉が開いた。聞こえた声に、そういえば扉の前でずっと陣取って話してしまっていたと、彼らは扉の前からどこうとして……その扉から出てきた人物を確認する。
 明るい赤色。夕焼け色の長髪。譜眼を隠しているのだろう、左目に眼帯。そして研究所からでたところでたむろっていた五人をみて思わず声をあげてしまったらしい人物は。


「おや」「はぁ?! なにそれ!」「お前は……っ」「どうして……」

「……ルークうわぁ?!」


 真っ先に現状を把握したイオンが大慌てでルークに駆け寄ろうとしたのだが、どうやら慌てすぎていたのだろう、何も無いところで転げかけた。
 それに思わず手を伸ばし支えて、そしてしっかりとイオンに服を握られたことに気づいた。ルークはしまった、と思った。とはいっても、いくらしくじったなと思いはしても、感情はそこまで波立たず無表情なままなのだが。
 しかしそんなルークを見ても、イオンは自分を助けてくれたルークを見て穏やかに笑う。


「ルーク、は……変わってしまったけれど、やはり変わってないんですね。優しいままです」

「お前な。こけかけてまず言うセリフがそれか、イオン。しかもミュウと同じようなこと言いやがって。……お前こそ相変わらずみたいだな」

「はい、すみません」


 人畜無害なイオンの笑顔にルークは内心溜息をつく。これだから、イオンには会わないようにしていたというのに。ルークの中ではグレンはとにかく比重が重い。それでも、イオンも大きいのを自覚している。何故なら、彼はルークと同じくレプリカだから、だとかいう理由ではない。
 友達なのだ。グレンとイオンと自分と。三人で展望台に登った。寝転がって、青い空を見上げて、手を伸ばした。三人で笑っていた、大切な記憶を共有する友達。あの時のあの場所を知る、もう一人。


「…………」


 もう支えた手を離すのだが、笑うイオンはルークの服を放そうとしない。それを、どうにも振り払えないでいる。放せ、と言ってみるのだが逃げるでしょう、と返されて何も言えない。ひたすら無表情で耐えるしかない。
 置いていく、と。全てを置いていく、と宣言したくせにこれだ。全く、意志薄弱で仕方ない。浮かべられるなら自嘲を浮かべたかったが、まだそんな複雑な感情は思い出せていない。イオンから視線を逸らすように周りの状況を見渡して―――ふと、違和感に眉をひそめる。
 イオン、ジェイド、アニス、ナタリア、アッシュ。

 ……一人足りない。


「ガイはいないのか?」

「って、ガ、ガイならアンタを捜すって―――あああああああ! 船、今船乗ろうとしてるんじゃ……っ!」

「そ、そうですわ! 早く追いかけて止めないと!」


 大慌てで走っていくアニスの背を見送り、そして妙に焦っているナタリアと相変わらず喰えない表情をしているジェイド、不機嫌全開のアッシュを見て、ルークは一人で首を傾げていた。







本日のNG
(そう言えばルークはアーチャーの生き様を知っているわけではないのでダメじゃん、とカット)

(ルークとアーチャー。ルークが許せない自己犠牲の基準)


「世界のために命を捨てる、という行動が許容できないか。それにしては私には何も言わないんだな」

「エミヤは自分で選んだんだろ。そう目指した理由はあったとしても、義務ではなかった。それ以外の道がありながら、それでも選んだのは自分自身。他にいくらでも歩けたはずの可能性の中で、己の意思により選択し、己の自由により決定した。
 ……その結末がどうなろうが、それが自身の意思なら結果がどうあれ俺は何も言わないさ。馬鹿にもしない。解ってたくせにめげもせず自分から破滅に向かって一直線するなんて変わってるなとは思うけど」

「ふむ。なかなか耳が痛いな」

「すごいとは思う。でも、そんな化け物みたいな生き方は俺にはできない。俺にはできないことをできるってことには本当にすごいと思う。俺はごめんだけど」

「なるほど。小僧が怒っている点は『義務により強制される己の意思』か、『全てにおいて己で選んだ自由意志』か、という差異か。確かに彼女の選択も自分が逃げれば世界は崩落、という逃げ場の無い義務のようなものが前提になっている。グレンの時の障気の中和も然り、か」


 アーチャーは自分の意思でその道を歩き、自分の意思でそれを貫き、自分の意思でそれを守りこれに至る選択をした。その先にある絶望も結末も―――得た答えも、いずれ遠からずそれを忘れてしまうことも。全て己の選択による帰結、彼自身の責任と結末だ。
 それ以外の道はあったはずなのに、それでもその道だけを突き進んだ。セイギノミカタになる。それだけのために走っていった。自分が幸せになるということから逃げ出して、見ないふりをして、他者の幸せだけを願って、ただそれだけのために駆けてきた。

 そう選んで、選択したのは自分自身。誰の強制でもない。何度も忠告されて、何度も止められて、自分を幸せに出来ない人間が誰かを幸せにはできるわけがない、と何度も言われていたのに。
 それでもこの道を選んだのは自分だった。伸ばされた手も振り払って一人で走ってきたのは自分自身。そうあらねばと自分勝手に思っていた己の意思だ。

 だから自分を恨んだ。憎んだ。後悔した。絶対に殺そうと。既に現象として存在してしまっている自分は消えないだろうが、八つ当たりだと承知していて、それでもその選択をした己を憎んだ。
 ―――結局、無様なことこの上ない醜態をさらして、それでも答えを得ることはできたのだが。


「世界に強制された選択を、己自身の意思で自分から決定したのだと思ってる。それで良いと思ってる。その思考回路が苛つくんだ」




[15223] 31
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ac258ae6
Date: 2010/03/25 01:13



 ベルケンドの第一研究所。その扉の前にたむろっている、どう考えても研究員ではないご一行。彼らの間に満ちる空気は形状し難いものだった。
 とにかく雰囲気が悪い、空気が重い。だがしかし、険悪だというには陰湿さも、張り詰めている感覚も足りない。ただひたすら居心地が悪い、そんな空気だ。
 大きく溜息をつき、とりあえずルークはイオンに服を掴む手を放すように頼む。放せばすぐにでも逃げていくと思っているのか、眉を下げる彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。逃げやしない、こっちもいくらかお前らに聞きたいことがあるからな。そう言えば渋々ながらも手を離してくれて、ルークは少しほっとした。


「さて、被験者とその愉快なご一行殿。お前らは何しにこんなとこへ来ているんだ。戦争回避の為に動けとエミヤに言われなかったのか」

「てめぇこそ何でこんなとこに居やがる、レプリカ! まさかお前、ヴァンと繋がってんじゃねえだろうな」

「オリジナルルーク。お前俺より頭劣化してんじゃないのか?」

「何だと?!」

「そんなことある訳が無いだろう。グレンが死に掛けてるのは、俺をあのひとから庇おうとしてだ。あのひとだろうが俺の願いの邪魔をするなら殺す。協力なんてするつもりは微塵も無い」


 表情を変えることもなく、あっさりとヴァンさえ殺すと言い切ったルークの発言に、皆一様に顔を強張らせた。特にアクゼリュスまでのヴァンへの信頼ぶりを知っている、アッシュ以外の皆の表情は固い。


「ルーク……」

「『邪魔をするなら』だ、イオン。別に自分から進んで、殺して済ませようとしているわけじゃない」


 守られるだけでは叶わない。その為にならこの手を赤に染めることももう厭わない。そう決めた。それでも、ルークの記憶にこびりついて消えない声がある。

―――ルークには人を殺して欲しくない
―――俺はお前に人を殺させたくないんだ

 その声を、その願いを、いつかルークはその手で切り捨てることになる。
 けれど、できるならギリギリまでその願いを守っていたい。たくさんの血を見るだろう。殺した数が多ければ悪で少なければ許されるなんてことは無い。事実は事実で、人を殺したことからは逃げられない。それでも、できる限り殺してしまう人が少なければ良いと思っている。

 そう思うことがただの自己満足だとしても、己の意思で破って砕いた約束の欠片を、これからも自分は後生大事に持っていくことになるのだろうとも解っている。世界が砕けたあのときに、ルークの心は修正不可能なまでにどこかが歪んでしまったのだ。きっと、これからもずっと、あの声から逃げることなどできはしない。
 人を殺してしまえばきっと記憶の中から聞こえる声が、キレイで優しいだけのあの願いが、ずっと己自身を苛むのだろう。
 それでも、その声の願いを裏切ることになってしまっても。


 願いのために、進むと決めた。


「立ち塞がるなら殺して進む。邪魔をするなら切り捨てる。壁になるなら砕いて進む。それが世界の何であっても、誰であっても、世界そのものでもだ。邪魔をしないなら何もしない。それでも、邪魔をするなら―――容赦はしない」

「……狂ってやがる」

「そうだな。で、それが何かお前にとって問題があるのか?」

「てめぇ!」


 剣を抜きそうになったアッシュを、町中での抜刀を留めるようにジェイドが止めていた。

 歪んでいる、狂っている、転がり落ちていくように壊れていく。だが、それがどうした。本当に叶えたい願いが叶うなら、そんなことは些事だ。世界のために破滅するのはごめん被るが、自分の願いのために命を懸けるのならそれこそ本望だ。
 この心は、あの時一度壊れてしまったのだから。

 一度目を閉じて、思考をカットする。今までの会話を情報に処理。益になる情報はなし。忘れたとしても問題は無い。記憶に留めるまでも無い。恐らく今の彼らではめぼしい情報は持っていないだろう。しかしさらに会話をして、グレンのときと今との情報の一致の確認をするべきだ。
 目を開けて、イオンを見た。心配している時の目だ。苦笑できればよかったのだが、感情は無い。表情もまだ上手く作れない。目を見て話すことくらいしかできなかった。


「解っただろう、イオン。今の俺には集団行動は無理だ。自覚はある。俺は狂ってる。不和ばかりを撒き散らすしかない」

「ルーク……」

「……別に、目に付くものを片端から殺すって言ってる訳じゃない。だから待て、そんなに悲しそうな顔をするのは勘弁してくれ。言ってるだろう、邪魔をするなら、だ。邪魔さえ入らなければ何もしない。……さて、というわけで確認するぞ。今お前らがここに居るって事は、」

「次の目的地はワイヨン鏡窟、といった所ではないのかね」


 ルークは些か強引に話の筋を変えようとして、その途中で聞こえてきた声の方向へ視線を巡らせる。背の高い、白髪の男がいた。
 当たり前のように話に入ってきた男の両脇には大きな袋。抱えられている袋はパンパンで、傍から見てもかなりの重量のようなのだが、アーチャーにとってはまだまだ余裕で軽い部類に入るらしい。相変わらずの人外だ。


「エミヤ、買出しは終わったのか?」

「無論だ。さて大佐殿。先ほどの話だが、私の推理は果たして正解なのかな」

「あなたたちの動向も私達は知りたいので、それと交換でなら言うのもやぶさかではありませんが……」

「動向も何も。言っただろう、我々の今の動く基準はパッセージリングの操作だ。アクゼリュスのパッセージリングが支えていた一帯の大地がそろそろ限界でな。放っておけば大地が崩落する。最近地震が頻発するだろう? アレがその証拠だ」

「……何を目的にして動いているんですか」

「私はマスターの願いの助力をしているに過ぎんのだがな。そうだな、あえて言うなら天下無敵のハッピーエンドを連れてくる為だそうだ」

「?」


 一同は訳が解らない、といった表情だ。その中で一人だけ、ルークはほんの一瞬アーチャーの影で苦虫を噛んだような顔をする。忌々しそうに「天下無敵のハッピーエンド、ねぇ」と低く呟くが、その声が酷く小声だったことと早口だったことで、誰の耳にも届かなかった。


「さて、ではこちらは言ったのだからそちらの番だぞ。ワイヨン鏡窟へ行くのだな?」


 それは、質問と言うよりは確認と言ったほうが良い問い方だ。ジェイドは眼鏡の奥で目を細めて、アーチャーの様子を観察する。しかしかの人外は、口元だけをにやりと釣り上げるだけで何も言わない。


「……解っているなら、わざわざこちらに情報を出して確認するまでも無いことなのでは?」

「そうはいかん。私の知っている情報とどれだけ齟齬が出ているのか、それとも出ていないのか。それは確認しておいて損は無いし、この手の確認は怠らないことにこそ価値があるのでね。それに探られて痛むような腹があるでもない。かまわんだろう、なあ小僧?」


 筋金入りの嘘吐き屋のくせに、いけしゃあしゃあとよく言うものだ。何が探られて痛む腹は無い、だ。信じるか信じないかは別として、と言う事ばかりの癖に。
 しみじみと思っているのに、無表情でしれっと頷く己も大概だと思う。大分毒されてきたのかもしれない。

 しかし先ほどの情報開示はミスリードの為のものではなく、敵対関係にはないとそれだけを提示する為のものなのか。しかしそれにしてはあっさり言ったものだ。今度は一体何を考えてるんだか、ルークにはさっぱり想像がつかない。


「しかし、あなたたちの言葉通りなら、どうしてあなた達はここに居ますの。この近くにセフィロトはありませんでしょう?」

「……………………………」


 突如アッシュ並に眉間に皺を寄せて不機嫌をあらわしたルークに、アーチャー以外は少し驚いているようだった。先ほどまでずっと無表情だった彼が表情らしい表情を表したのはこれが初めてだ。特にユリアシティでの感情が削げ落ちた人形のようだったルークを見ていたナタリアは驚いている。相変わらず人形じみてはいるが、今のルークは無表情が多いながらもあの時より余程人間らしかった。

 そしてそんなルークを見ながらアーチャーは少し遠い目をしている。全く、とぼやいた後でそれはだなと説明をしようとして、かしゅん、とみんなの背後で扉が開く音。
 再び言うが、彼らの今のたち位置は第一研究所の入り口を塞ぐようになっている。慌てて道を譲ろうとして、そして出てきた人物を見て皆が驚き、そして出てきた当人も驚いたように目を丸くしている。まるで焼き直しだ。


「ティア! あなた、どうしてこちらにいらして……」

「……それは、」

「ユリアシティで俺は言わなかったか、王女殿下。パッセージリングの起動にはユリアの血縁が必要だと。しかしパッセージリングの起動には」

「ルーク!」


 ナタリアの至極最もな質問に、ティアは言いよどんでいた。そんな彼女の代わりに淡々とルークが説明をしだすのだが、しかし彼女はそれを咄嗟に止めようとして咎める口調でルークの名を呼んだ。ルークはそんなティアをじろりと睨みつけて黙らせる。
 ここでも人のことか、と。
 反吐が出るな、心中でそう吐き捨てて、ルークはその苛立たしさを隠そうともしない表情であっさりと言ってしまう。


「起動キーとなったものには障気が大量に入り込んでな。結果、確実に障気障害をわずらう。すでに一つ起動させたから、そのための検査だ。……ティア・グランツ、薬は」

「……ええ、ちゃんと貰ったわ」

「次にいつここに来れるか分からない。そして起動するごとに障気は溜まり重症になっていく。その分も?」

「二段階に分けて貰っているから大丈夫よ」


 本当はシュウ医師は大いに渋って、パッセージリングを起動するごとにこちらに来て、その症状の段階に一番あった処方をしたほうが良いと言っていたのだが、ティアはそれを言わないでいた。
 しかしそのことを聞いても居ないくせにルークは知っていたのか、ティアを見る緑の瞳の温度はますます冷たくなる。それは不機嫌などと生易しいものではない。もはや殺意交じりの激怒だ。

 ルーク、と宥めるようにアーチャーが声をかけ、ルークは舌打ちをしながらティアから視線を逸らした。そしてルークが宣告した言葉に声を失っている元同行人たちを見やって、ティアに向かってぞんざいに声をかけた。


「先にアルビオールに戻る。五分だ。戻ってこなかったら置いていく」

「私は、」

「納得していない奴等がいるならそれを説得するのは自分の仕事だ。俺は知らない。行くぞ、エミ―――」

「ルークっ!」


 少しはなれたところから、切羽詰ったような声に名を呼ばれる。今度は何だとうんざりしながらルークはその声のほうを向いた。金色の髪。ガイだ。すごい勢いでこちらに走ってきていて、その後ろを追っているアニスは既にバテバテだった。
 ガイは港からの全力疾走だがアニスは往復の走り込みだ。無理も無いことなのかもしれない。

 現実逃避気味にそんなことを考えていると、すごい勢いで走りこんできたガイが大きく振りかぶった。こんの、大馬鹿野郎! と目が語っていた。間違いない、この一発だけは親友だろうが使用人だろうが、容赦なく振り下ろされるのだろう。


「ルークッッッッ!」


 遠慮なく振り下ろされた拳をさっと避ける。いくらガイの動きがルークより早くても、直線の動きなら避けられる。それに勢いがあまりすぎてガイは直線以上の動きができない状況だったのだ。それだけ重なっていればルークとて避けられた。
 結果、勢いあまってガイは転倒しかけたがそこは意地で持ち直していた。アーチャーは素晴らしいバランス感覚だな、とぼやいた後、にやりと笑ってルークの方を向く。


「小僧……五分だぞ。納得していない奴等がいるならそれを説得するのは自分の仕事、なのだろう?」

「エミヤ。それは嫌味か」

「ルーク、お前、何も言わないでどうして勝手に一人でいっちまったんだ!」

「さて、頑張りたまえ。自分の言葉には責任を持つべきだろうよ。それではな」


 軽くひらひらと手を振って去っていくアーチャーの背を半眼で見送って、先ほどから何度も名前を呼んで喚いているガイの方を向く。
 黙って聞いていれば言われる言葉は散々心配していたと、そういう事ばかりで。きっと感情というものがあったのなら苦笑いしたかったところだっただろう。本当に、大概にしてこのメンバーは何だかんだでお人好しばかりだ。


「ルーク、聞いてるのか?」

「聞いている。しかしお前こそ聞いていたのか? 伝言だったが言ったはずだな。俺はもう賭けはできないと」

「馬鹿野郎が。ルーク、賭けを持ちかけたのは俺だぞ。その俺を差し置いてお前のほうから先に逃げるなんてそうは問屋がおろさないからな。賭けは続行だ」

「それは無理だといっているんだ―――ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」


 その名を聞いて、ガイの目が大きく見開かれる。
 知って……? と小さな声が呆然と呟いた。


「最近知ったんだ。しかし賭けを止めるといっているのはそう言う理由じゃない」

「ルーク……」

「俺は、狂信者だ。そのためなら何もかもを切り捨てる。お前が剣を捧げるに値する人間にはもうなれない。……約束さえ切り捨てて、自分の為だけに進むしかできないんだ」


 いつか、お前が俺の剣を捧げるに値する主になったなら、その時は。
 お前が成人したら、俺がどこにでも連れてってやるから。

 いくつ約束をしたのだろう。
 いくつの約束を破ることになるのだろうか。

 胸は痛まない。悲しいとも、思えない。ガイはあんなに辛そうな顔をしているのに、何も感じない自分。辛そうな顔だ、と分かっているのに、それに対して何も感じていない自分。相手は自分が生まれてからずっと傍に居てくれた親友だというのに、それでも何も感じていない。それがルークには気持ち悪かった。
 本当に随分と壊れている。こんなのはもう、人間じゃない。


「じゃあな。復讐をどうしても諦められなかったら、殺すのは俺にしろ。俺も簡単には殺されるつもりは無いが―――復讐を諦める賭けを途中で終わらせたのは、俺なんだから」

「……待て、ルーク!」

「あの二人もお前の幼馴染だろう。多分これからいろいろ面倒くさいことに巻き込まれるだろうから、俺は良いからお前もあっちを頑張って支えてやれよ」

「ルーク!」


 くるりと体の向きを変えて歩き出す彼の名を、ガイは必死になって呼んだ。何かを言わなければと思うのに、上手く言葉の続きが出てこない。
 本当の名前を知られて動揺しているのか、それが理由ではなく彼自身の意思で切り捨てると言われたことなのか、それともよりにもよって彼自身からあの二人の傍に居てやれと言われてしまった事に対してか。

 刹那。ガイの脳裏に過ぎるのは、アクゼリュスまでに至る道。旅の風景。斬られて死ぬ人を見るたびに顔色を悪くしていた。強情っぱりの癖に人間相手には大人しく守られていた。その分魔物のときは俺が出るとグレンに噛み付いていて、グレンは困ったように笑いながら結局頷いていた。
 歩く道のりで空を見上げてあの雲の形は何に似ているだの、セントビナーでは子とものようにはしゃいでいたり、砂漠の流砂の細かさに驚いたり、海の磯の匂いに変な匂いだとぼやきながら、それでも目はずっと海を見ていたり。

 いつか自由になれたら。ケテルブルクにいってみたいと笑っていた。グレンとイオンと雪合戦をしたいのだと言っていた。ついでにガイも来るかと、笑っていた。あの時までは、確かにそんな記憶ばかりだったのに。

 ここでルークを止めなければ、彼はそんな何もかもを置き去りにして行く気がする。ガイにはそう思えて仕方なかった。けれど迷いなく一人で進んでいくその足をどうすれば止められるのか解らずに、ただガイはうめくような声でルークに尋ねる。


「お前は、何がしたいんだ……っ」

「何が、って」


 今まで築いた時間も誰かと交わした約束も切り捨てて、皆とは自分から距離を取る。伸ばされる手すら振り払って、一人きりだ。共に行動している人たちはいる。それでもルークは一人きりだ。一人で居ようとしている。傍に居るはずの人の手も借りずに、たった一人で何かをしようとしている。
 そうまでして何をしようとしているのか。何故一人で為そうとするのか。それが分からなくてガイは歯噛みする。

 その背を追いかけて一発殴って目を覚ませと言いたかったのに、ルークは止まらない、それが分かってしまってガイは何もできない。

 一人葛藤するガイに気づいているのか、いないのか。
 ルークは体を半分だけ捻って振り返り、ガイと視線を合わせた。

 揺らぐことの無い翡翠の瞳はただ淡々と世界を映し、抑揚の無い、聞きなれていたはずの声はまるで別人のようにガイの耳に届く。


「俺は、俺自身のために俺の願いを叶えたいだけだよ。……例え、誰かの願いをこの手で奪ってしまっても」


 馬鹿野郎、と小さく呻くガイの声を背に聞きながら、エミヤの行っていた動作を思い出しながらひらひらと手を振った。








 ルークがアルビオールに戻ってみれば、アーチャーはごそごそと買ったアイテムと食材(割合比率3:7)の整理をしていた。声をかければ、おやと目を丸くされ、早かったなと言われる始末だ。ちらりとルークの後ろを見やったアーチャーはその後ろに誰も居ないことに気づいてやれやれと頭を振る。


「ルーク。帰り道は同じなのだからせめてグランツ響長と一緒に帰ってこようとは思わなかったのかね」

「あんなにナタリアやイオンが必死になって止めてて、途中からアニスも混ざって必死に引きとめようとしてるは、アッシュも不機嫌そうな顔しながら心配してたしジェイドは何も言わなかったけどあいつもあいつで心配はしてたんじゃないかな。ふん、あの集中攻撃から逃げ出すダシになんぞなるつもりはない」

「お前は……そんなに彼女に逃げて欲しいのか?」

「わざわざ行動を共にするのが俺たちのほうじゃなくても良いだろうと言ってるんだ。俺はもう超振動の制御はあらかたできるようになった。もともとグレンの記憶を覗いて知識だけはあったんだ。実際にコツを掴んだらあとは大丈夫だ。あいつの制御訓練は要らない。このままあっちと一緒にパッセージリングを起動させていかせれば良い。それで俺らは裏方に回ればいいだろう」

「裏方ね。しかし裏方にまわるとやれることは少ないぞ。偽姫騒動はここで起こしておかねばならんから、あちらは時間を食うことになる」

「……ある程度は歴史通りになぞらえないと予想外の自体が起きる可能性がある、っていうんだろ。それが最善なら俺は何も言わない。お前が言うのなら、グレンの願いを叶えるのに一番適している方法なんだろ」

「あの姫には戦場を突っ切ってもらわねばならん。戦場が降下した際のことも考えて、セシル将軍とフリングス将軍に面識を持たせておかねばならんのでな。ピオニー陛下には既にセントビナー、エンゲーブの住民の避難を頼んではいるが……さて、理由も話せない状況で議会のお偉方は納得したのかね。戦争がはじまる前に領土放棄など、これから起こることを知りもせん人間にはただ臆病風に吹かれて逃げているようにしか見えんからな」

「でも崩落のことはエミヤが伝えてるんだろう?」

「ああ、崩落が起きることまでは伝えてある。しかしな、それを議会にどう伝える」


 アーチャー達がこれからおきることを知っている、というのは隠さなければならないことだ。だからピオニーもこうなるから避難させよう、ではなく、せいぜいがこうなる可能性があるから非難させたほうが良いのではないのか、までしか言えないし、それで議会があっさりと納得をする可能性も低い。

 何もせずにただ待っているだけで最善の結果を享受できる、というのは質が悪い。民が、少なくとも民を導く指導者が自分たちの意思で決定し、自分たちの意思でその選択を選ばなければ意味が無い。一方的に与えられる最善などスコアと同じだ。だからこそ自分たちの頭で考えてもらわねばならない。
 例えその結果が最善よりも遥かに悪い善次だとしても、それでも自分たちで選んだ結果にこそ意味がある。

 しかし、今の状況でセントビナーが崩落する危険性がありますでは議会が納得しない。せめて地盤沈下でも起きだしていたら納得するだろうが、そうしたら今度はそれがキムラスカの仕業ではとの疑心暗鬼が生じるだろう。救援を送ろうにも渋りだすのが目に見える。
 恐らくはセントビナー救出作戦はグレンの記憶どおりになる可能性がある。ならばきっとエンゲーブも似たようなことになるのだろう。せめてセントビナーの避難民がエンゲーブではなくそのままグランコクマ、もしくはケセドニアにまで避難できれば護衛人数もかなり減るのだが。

 アーチャーがつらつらそんなことを考えていると、ルークはうんざりしたようにぼやいた。


「色々と面倒くさいものなんだな」

「仕方あるまい、改変する側は直接歴史に介入して改変しては修正がくる。そうなるように仕向けて、そのお膳立てをして誘導して、それだけだ。いいかねルーク、この世界の異邦人である私はそれまでしかできない。それ以上をするなら、この世界に生きるこの世界の住人の手と、その意思で為さねばならないのだよ」

「これから起きることを知っている、圧倒的な一人のカリスマに救われる世界には意味が無い、だろ。それじゃあまたユリアとスコアの二の舞だ。一人ひとりこの世界に生きる人たちが、自分たちの意思で選んだ結果にこそ意味がある」

「そうだ。誰かのおかげでこうなりましたという意識は、何かがあればあっと言う間にそいつのせいでこんな目に、という意識に変わる。選んだのは自分だという意識がなければ意味が無い。……とはいっても、スコアという予言に浸ったこの世界では些か理想論だろうが」

「……だからグレンは『英雄』という言葉を嫌ってたんだな」

「英雄など生まれる必要も無い世界こそ最善だ。とはいっても、私とてそんな世界は見た事が無いが。……いや、もはや私だからこそ、そんな世界を見れることもないのか」

「……そんな世界に生きる人間は完璧すぎて、もう人間じゃない別の生物なんじゃないのか」


 自嘲していたアーチャーはそのルークの言葉に驚いて目を見張る。
 思い出すのはこの世界に来る以前のこと。恒久的な世界平和をきっぱりと否定した誰かの姿。
 ふっと口元が緩む。


「そうだな。最善が全て正しいわけではないし、正しいことが常に最善であるわけでもない。まさか小僧に教えられるとは、私もまだまだ未熟だな」


 終わらない人間の欲望。その代償を負わされるのはいつも何の力もない人々。泣いている人々がいる傍らで、強欲な誰かは生を謳歌し幸福に笑う。そしてまた別の強欲な誰かは、力ない誰かを己の持つ力で蹂躙し高々と哄笑を上げるのだ。不条理に満ちた世界。どうしようもない、人間というのは本当にどうしようもない存在だ。
 けれど、それでも全てが全部の人がそうだと言う訳ではない。
 そんな人間がいる一方で、それでもかのアーサー王や赤い魔術師、クランの猛犬、ギリシャの大英雄。彼女たちや彼らのような存在も確かに存在する。

 どうしようもないほど怒りを抱く愚かしい人と、眩しいほどに真っ直ぐで優しい人と。悪の中に善があり、善の中に悪がある矛盾だらけの人の世界で、それでも誰にも消せない輝きを持った人も確かにいる。それを忘れてはいけない。

 くつくつとアーチャーはご機嫌に笑い出して、ルークは胡散臭そうな目でアーチャーを見ているのだが、当の本人は気にした様子もなく笑っている。溜息をついた彼の耳に足音が聞こえた。ルークが振り返れば、そこには帰ってきたらしいティアの姿。
 その姿を認めて、一気にルークの機嫌が悪くなる。


「……本当に、呆れるほど責任感のある女だ。皆必死になって止めたんじゃないのか」

「それでも最後には皆分かってくれたわ」

「お前の頑なさに負けて、何も言わなくなっただけだろう」

「……これは私がしなければならないことなのよ」

「あーあーあー、はいはいそうですか。くそったれ、忌々しい。もうお前喋るな、座っとけ」


 流石にその言い方にはカチンと来たのだろう、表情を厳しくしたティアだったが、彼女が何かを言うより先にルークは立ち上がる。そのまますたすたとティアの横を通り過ぎて確認するようにアーチャーに声をかけた。


「エミヤ、ノエル呼んで来る。目的地はユリアシティ、その次がグランコクマだな」

「そうだ。恐らく駆動部にいるだろう」

「分かった」


 そしてそのまま出てくルークはティアの方を見ようともしない。アーチャーは頭痛を堪えて眉間に指を当て、何とかフォローをしようと頑張るのだが。


「……グランツ響長、あまり気にするな。アレもあれなりに、その、なんだ……気遣ってはいるのだ。判り辛いが」

「そうですか? ……そうですね。お気遣いありがとうございます」


 絶対に信じていない声音の返答だ。
 アーチャーはルークを無視してガイを連れてきてしまえばよかったと真剣に後悔しつつ、アルビオールの窓の中から空を見上げた。

 どこまでも広く澄み渡ったいつもの空は、今日も今日とて眩しいくらいに透き通っている。









[15223] 32(ユリアシティ)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:05491086
Date: 2010/03/14 23:44


 アルビオールがユリアシティにたどり着く。着陸が完了した時点で誰よりも先にシートベルトを外し、そしてハッチが開ききる前に真っ先に飛び降りて走っていく。アーチャーはそんなルークを呼びとめようとしたのだが、声をかける前に走り去っていた。
 下が土であれば、きっとすごい勢いで砂埃が立っていただろう。

 かんかんかんと金属と靴が打ち付けあうような足音を立てて、あっと言う間に見えなくなった忠犬の背中を見送る。アーチャーは溜息をついた。ノエルにすぐに帰ってくると声をかけて、すぐ隣でポカンとしながらルークの背を見送っていたティアに声をかける。


「……さて、グランツ響長。ルークの行き先は恐らくというかほぼ確実に、グレンが寝ている医務室だ。私は市長に話をつけてくるから、君はルークの様子を見てきてくれるかね」

「はい……」

「驚いたかね? ルークがあそこまでグレンに依存していることが」

「……いいえ。シェリダンでの彼の錯乱を知っていれば、ある意味妥当かと……」

「やれやれ、あの様子だと恐らく『アレ』の事を忘れているな。……グランツ響長。なるべく早くルークの様子を見に行ってもらえるか。理由はまあ……すぐに分かるだろうさ」


 乾いた声ではははと笑いアルビオールから降りるアーチャーの後ろに続いて下りる。途中で市長のいる部屋へと向かう彼と分かれてティアは医務室があるほうへ。ユリアシティ内の廊下を歩いていると、ティアさん~と廊下の奥からトテトテと走ってくる小さな青い小動物。つい表情が緩むティアだったが、よく見れば聖獣は半泣きの状態だった。
 首を傾げながらも、とりあえずミュウを抱き上げて廊下を歩く。どうしたの、と問えばミュウは半泣きの状態でティアに泣きついた。


「みゅうう、ご主人様がどこかのお部屋に入ろうとしたら、すごい音がして急に倒れちゃったんですの!」

「……ちょっと待って、倒れたの? ルークが?」


 はいですの、ボクどうすれば良いのかわからないですの。みゅうみゅう泣き出した聖獣の背を軽く撫でて、ティアも小走りになる。医務室に近付く。扉が開かれかけたたままだ。大急ぎでその扉の奥に入ろうとして―――ルークを見つけた扉の前で動きが止まった。
 倒れている。確かに、ルークは倒れているのだが。


「ルーク……あなた一体何やってるの?」

「不覚、だ」


 ルークは床に大の字になって倒れこみ、片手で顔を押さえて呻いている。
 忌々しそうに呻く彼の片手には何故か先が吸盤になっている矢。
 そして彼の額には、赤い丸い痕。
 吸盤矢に撃たれたのが余程苛立たしかったのか、ふるふると小刻みに震えている彼の手の中でめきょりと玩具の矢が折れる。

 倒れたと聞いて強張っていたティアの体から力が抜ける。むしろ抜けすぎて脱力して、何があったのか、その説明を待っている。そんな彼女の気配を感じ取ったのか、彼はぼそぼそと小声で呟く。


「結界、そうだエミヤが結界張ってたんだった……くそ、忘れてた。しかもその後にこれか。罠ですらない嫌がらせじゃないか」


 ルークがグレンの傍に駆け寄ろうとして、アーチャーの張った結界にぶつかった時のことだ。

 まず馬鹿正直にそれはもうガッツリと結界に顔面からぶつかり、その衝撃でよろよろと後ろへ蹈鞴を踏んだ。何とか踏みとどまって、ふと聞こえた風切音に顔をあげれば額にヒット。恐らくは結界に一定値以上の衝撃が感じられたら、近くの時計から飛び出すように細工をしていたのだろう。
 吸盤矢で怪我などしようはずも無いが、やたらに勢いだけはあった。むしろ矢というよりも打撲系の衝撃を与えることを目的としたかのような一撃だった。そんな一撃で額を勢いよくどつかれたのだ。余波で立ちくらみ、よろけた先、再び結界で頭を打った。泣き面に蜂とはこう言うときに言うのかもしれない。

 額と後頭部を襲った衝撃にルークの三半規管は白旗を揚げあえなく撃沈。現在に至る。

 因みに、ユリアロードについてテオドーロ市長に聞いてくる、と言っていたときについでにアーチャーに簡単なトラップでも仕掛けておいてくれと頼んだのはルークだ。
 結界に手を出したら作動する仕掛け。それ以上は無い。しかし、結界を壊せばさらにまた何かあるのではと思わせれれば上々。万が一ユリアシティの人が引っかかってしまったときのことも考えて、簡単なものしかできないと言っていたし、本当にその程度だったのだ。

 アーチャーにそれでも良いと、グレンに手を出すなと警告代わりにおちょくって、ついでにやる気を削げさせてしまえと言ったのはルークだった。当の本人は綺麗さっぱり記憶の彼方へと追いやって、すっかり忘れていたことであったのだが。


「顔からぶつかったの……?」

「…うるさい」


 とりあえずティアは吸盤矢のことはスルーして話てくれているのだが、その気遣いが逆にルークの居た堪れなさを強くする。
 だって間抜けだ。いくらなんでも間抜けすぎる。彼女は知らないだろうが、言いだしっぺはルーク自身。どうせならいつものように馬鹿ねとでも言われていたなら、八つ当たりに文句も言えたのに。既に八つ当たりのような思考をしていることを自覚しつつ、前髪をぐしゃりと握りつぶした。


「…………口の中を切ったり、舌を噛んだりはしてない? 大丈夫?」

「そこまで間抜けな訳が、……っ!」


 言葉の途中でルークの声が途切れる。大声をあげようとしたら痛んだ口の端に顔を歪めていた。じわりとにじむ赤を苛々と指で拭う。

 無言。気まずそうなルークはティアの方を見ようとはしない。
 無言。ティアは常のようにクールなまま、ルークをじっと見ている。
 無言。……だったのだが、仔チーグルはくりくりした目をぱちくりとさせて慌てたように騒ぎ出した。


「ご主人様、口が切れてるですの! 痛くないですの?」

「ちょっとお前黙れやああああああ!」

「みゅううううううう~」

「ルーク、ミュウに当たらないで!」

「ふん」


 近寄ってきたミュウの頭をぐりぐりといじくり回して、ついでに軽くデコピンをお見舞いしつつティアに投げつける。そんなルークを見て、ティアはふと妙な懐かしさを感じた。大きな声をあげながらミュウの頭をぐちゃぐちゃにすることも、ティアに怒られた後に鼻を鳴らしてそっぽを向くその動作も。
 もう随分と見ていなかった気がする仕草だ。

 頭を振りながら立ち上がったルークは、そのままティアから逃れるように視線を逸らして結界に近づく。不可視の壁を軽くノックして、未だに起きないグレンをじっと見ていた。
 やがてルークは大きな溜息をつき、結界に背を預けてそのままずるずるとベッド脇に座り込む。


「ったく、エミヤがお前を危険なまま置いてくわけがないっつーのに、なんであんなに焦ってたんだかなぁ」


 ルークの表情が柔らかくなる。
 口元が小さく緩んでいる。
 ティアは今のルークがそんな表情を浮かべられたことに驚いていた。果たして彼は今の自分の表情に気づいているのだろうか。


「人のこと散々寝ぼすけ扱いしといて、グレンの方こそそうじゃないか。人のこと言えねぇっつーの」


 本当にかすかに笑いながら、答えの返らない独り言をいつかのままの口調で呟いている。
 ルークのその表情に、ティアは見覚えがあった。一番最初にケセドニアに行った時。イオンとグレンと、その二人の体調が悪そうではなかったことを確認して、ほっとしたように小さく笑っていた。
 あの時と同じ表情だ。
 そんな表情を、感情のほとんどを忘れてしまった今でも浮かべられることに驚いて、けれどすぐになんとなく納得する。

 きっと、今の彼にとっては。


「顰め面のまま寝やがって。変な悪夢でも見てたら、夢をつなげてぶん殴るに行くからな」


 グレンの傍にいるときだけが、あの頃と同じ『ルーク』のままで居られる世界なのだ。


「……ルーク」


 気づけば彼の名前を呼んでいた。

 その声に反応して、ルークの意識がグレンからティアへ移る。
 途端に掻き消える彼の表情。今では見慣れてしまった無表情。なんだ、ティア・グランツ。先ほどまでは確かにあった穏やかな抑揚は跡形も無い。緑の瞳は凪いでいる。

 その変わりようが苛立たしい。そうだろうと思ってはいたが、これは本当に行きすぎだ。


「今のあなたは、酷く歪よ。自分をグレンに預けすぎてるわ」

「そうか。……そうだな。で、それがどうした」

「彼が起きたら、今のあなたを見て何て言うでしょうね」

「さあな。知ったことじゃないし、そもそも俺を先に怒らせたのはグレンのほうだ。あいつが俺をどう思おうが俺は俺のやりたいようにやるだけだし、それに」


 傲岸に言い切っていた途中で、ふとルークの言葉が途切れた。その途切れ方がまるで、これ以上言うのはまずいか、と思いとどまった時のような途切れ方で、しかしティアはそのまま流してやる気はさらさらなかった。


「…………それに?」

「……お前のその心配は成立しない。ああそうだ、グレンが起きる時は、全てが丸く収まってすっきりとした後なんだから」


 わらっている。笑うというより嗤うに近い。口元を歪ませて嗤っていた。

 嗤いながら紡がれたルークの言葉は予言染みた宣誓で、その声がじわじわと世界を侵して行くような錯覚さえ覚えた。この世界の誰もが信じるスコアさえも捻じ曲げて、己の願いを以って自分が望む未来を叶える。スコアの遵守を善と為すオールドラントの住人からしてみれば狂気と見なされるだろう、絶対的な強い意志。
 それはいつかの雨の日、グレンがルークに語った事に似て、けれども今のルークの言葉は何か根本的なものが違う。

 全てが丸く収まった後。もう無理をさせたいくないからと、そう言う意味だろうか。
 しかしそれにしては随分と不吉な予感がする言葉だった。

















「今までグレンの保護を請け負ってくれたことを感謝しよう、テオドーロ市長」

「いいえ、これくらいのことなら何でもありませんよ。しかしあなたの言うとおりでしたね。私たちは一切何もしていないのに、ずっと眠り続けて本当に生きているとは。一体どのような譜術を使ったのですか」

「ふむ。実は私の本業は魔術使いでね、詳しくは企業秘密なのだが」

「それはそれは」


 冗談だとでも思ったのだろう、テオドーロは小さく笑うがアーチャーはにやりと口元を釣り上げる。場所はユリアシティの会議室。議長が座する場所に腰掛けたテオドーロと、壁に背を預けながらそれを眺めるアーチャー。
 テオドーロは大量の書類を読みながらその書類をいくつか選別し、時々サインをしたりと仕事の片手間と言ったところだ。


「しかし惜しいですな、あなたの企業秘密を開示してもらえれば、その技術により一層多くの人々が助かるかもしれないのですが」

「それはお勧めしないと言っておこう。この技術は悪辣極まりなくてね、習得するにも行使するにも対象者にも行使者にも、どれだけ鍛えた手練になっても常に死の危険が付きまとう、物騒極まりないものなのだ。そして必ず対価を必要とする。なにより素質がなければその片鱗にも触れられん。そう言うものなのだ」

「そうですか。そういえばあのルークレプリカの彼も、感情を対価にしたと仰っていましたな」


 人形のような目をしていると思った。淡々と抑揚もなく喋り、その瞳には光が無い。ただひとつだけ、秘めたその願いのためだけに己の全てを捨てようとしている、狂気の宿った翡翠の瞳。
 レプリカだから、あの目をしているのではない。意思の無いレプリカドールでは決してできないだろう目だった。


「さて、それではグレンを連れて行かせてもらうが……未だにルークの言った言葉は信じられないのかね?」


 アーチャーの言葉にテオドーロははっと我に帰る。いつの間にやら書類を捌く手が戸止まっていた。らしくないと苦笑いしつつ、書類を見直す。書類に市長のサインを記して、彼にとっては純然たる絶対的な事実を単調に言い切る。


「セントビナーが崩落すると? そんなことはありえません。これから起こる二国の戦場はあの辺りになる。スコアにはそのような大事は詠まれていないのですから」

「なるほど、流石は監視者の町の長か。私にはペテン師の未来占いくらいにしか感じられないのだが、ここまで盲目的に信じられるのは驚嘆に値する」

「これは、エミヤ殿は外殻大地の住人とは思えない様な言葉ですね。スコアとは遵守する為にあるものでしょう」

「否。遵守せねば届かぬ未来など、それこそ占いと同等だ。占いごときに未来を決め付けられるなど、私は堪らんな。その結末が善にせよ悪にせよ、白紙の未来に己の意思で願いを刻むほうがよほどマシだ」

「ユリアは第六譜石の最後で外殻大地に未曾有の繁栄を詠んだ。最善の結果があると知っているのなら、その通りに進めて最善を享受するのが良いに決まっているではありませんか」

「―――未曾有の繁栄。それだけのためにアクゼリュスを、そしてかつてはホドをもスコアに記されたままに見殺しにしたのかね?」


 アーチャーのその言葉に、テオドーロのペン先がぴくりと一度だけ止まった。しかしすぐに動きを再開し、迷いの無い答えが会議室に朗々と響く。


「そうです。我々は、ユリアのスコアを守り外殻大地に繁栄を導く監視者なのですから」

「―――――――どういうこと、お祖父様」


 呆然とした声にテオドーロは目を見開き、書類から顔をあげる。会議室の入り口に立っている孫娘を見て、一度、ゆっくりと瞬きをする。そして顔を歪ませて歩み寄ってくるティアを落ち着かせるように、ゆっくりと尋ねる。


「ティア……いつからそこにいたのだ」

「私、そんなこと聞いてません!」

「これは秘預言(クローズドスコア)。ローレライ教団の詠師以上のものしか知らぬスコアだ」

「スコアで起きることを知っていたのなら、どうしてアクゼリュスの消滅を世界に知らせなかったの?」

「ティア、お前も知っているだろう? 何故、教団で死のスコアを詠むことが禁じられているのか。己の死のスコアを前にすると人は穏やかではいられないからだ」

「そんなの、あたりまえじゃない! 誰だって死にたくないに決まってるわ!」

「それでは駄目なのだ、ティア。我々は監視者だ。ユリアは七つのスコアでこのオールドラントの繁栄を詠んだ。その通りに歴史を動かさねば、来るべき繁栄も失われてしまう。我等はユリアのスコアを下に外殻大地を繁栄に導く為だけにある。ローレライ教団さえ、そのための道具にしか過ぎないのだ」

「……っ」


 ティアが祖父に詰め寄り絶句している間にルークはアーチャーの方へと近付き、二人には気づかれないようにぼそぼそと小声で会話を交わす。


「来たかルーク。私がそちらに行かねば痺れを切らして迎えに来るとは思っていたが……全く遅かったな。話をのばすこちらの身にもなって欲しいものだが」

「エミヤ、分かってて聞かせたのか? 別にわざわざこんな風に聞かせなくても……」

「あちら側は導師とともにある限り、いずれは歴史の流れで秘預言も知ることになる。しかし我々が連れまわす響長にはその機会がユリアシティでしかない。私たちがいくら言っても彼女にとってはそう簡単に信じることはできぬだろう。何せ情報源が『未来の記憶です』などとは言えないのだから。いずれ知らねばならぬことだ、なるべく早めに知っておいて損はあるまい」

「……市長にはどこまで伝えている?」

「外殻大地が崩落するとは言っている。が、消滅預言(ラストジャッジメントスコア)は教えてはいない。全く、つくづくピオニー陛下はこの世界にしては柔軟な人間だったのだな。これを教えるにはこの世界の指導者は些か心許ない」

「仕方ないだろう、スコアに従うことが善としてこの世界では当たり前なんだから」

「難儀な世界だ」


 アーチャーがふっと小さく息を吐いたと同時、今まで俯いていたティアの顔が上がる。テオドーロの顔をじっと見て、否定して欲しいと思いながらも答えを分かっているのだろう、ぎゅっと手を握り締めながら声の震えを押し殺そうとしている。


「……お祖父様は言ったわね。ホド消滅はマルクトもキムラスカも聞く耳を持たなかったって! アレは嘘なの!?」

「―――すまない、幼いお前に真実を告げられなかったのだ。しかしヴァンは真実を知っている」

「……っ、じゃあやっぱり兄さんは世界に復讐するつもりなんだわ。兄さん、言ってたもの。スコアに縛られた大地など消滅すればいいって!」

「ティア、ヴァンが世界を滅亡させようとしているというのはお前の誤解だ。確かにヴァンはホドのことでスコアを憎んでおった時期もあった。しかし今では監視者として立派に働いている」

「立派……? 今回のアクゼリュスの崩落では、人は死ななかった……でも、下手をしたら何万人もの人々が一瞬で死んでいた……その人たちを全て見殺しにしようとしたことが立派だったって、そう言うの、お祖父様!」

「ティア。エミヤ殿にも言ったことだが、ユリアは第六譜石でこう詠んでいる。ルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。我等はただその未来を叶えるためだけに今まで監視を続けてきたのだよ」

「テオドーロ・グランツ市長」


 静かに話に入ってきたのは、意外にもアーチャーではなくルークのほうだった。ルークはちらりとアーチャーの方を見るが、彼は任せるとでも言いたげに一度だけ頷き、己は傍観者に徹するつもりらしい、腕組みをしてこちらを眺めているだけだ。


「話に割り込みをすることを許して欲しい。しかし、俺がアクゼリュスのパッセージリングを破壊したことにより、もうまもなく南ルグニカ平原は確実に沈む。……スコアには、アクゼリュスだけではなく南ルグニカ平原ごと全てが沈むと詠まれていましたか?」

「まさか。カイツールはキムラスカがマルクトに進軍する為になくてはならない拠点です。沈むはずが無い」

「スコアに詠まれていないから、ですか」

「ええ。ユリアのスコアは今まで一度も外れたことが無いのですから」

「そうですか」


 ルークはちらりとアーチャーに視線を向ける。彼は特に表情を変えもせずに、ただルークを見ているだけだ。小さく口だけでいいのか、と問えば、好きにしたまえ、と僅かだけ口元が動いた。頷いて、記憶を浚う。


「ND2000、ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を、聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄へと導くだろう。

 ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街とともに消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。

 さて、監視者の長、テオドーロ市長。このスコアに既に狂いが生じているのがお分かりですか?」


 冷静に、これ以上無く冷静に己の消滅が詠まれていたスコアを読み上げてルークはテオドーロへと話を振る。そのことに驚いていたのはもちろんだが、テオドーロが、ティアも含めて驚いていたのはそれだけではない。


「ルーク、レプリカの……きみが……なぜ、秘預言を知っているのだね? いや、それよりも、狂い?」

「一つ。俺は七年前のND2011に作られたのだから、ND2000とはっきりと示されている『ローレライの力を継ぐ者』は、今はアッシュと呼ばれているオリジナルルークだ。しかし実際にアクゼリュスに行ったのは、そのレプリカである俺で、そもそもオリジナルルークはその時には既に『聖なる焔の光』と言う名を失っていた。
 二つ。アクゼリュスとともに消滅するはずだったアッシュは生きていて、実際に消滅させた俺も生きている。『ローレライの力を継ぐ若者』はスコアのままに消滅していない。
 三つ。……さて、これはどうして起きた齟齬か、その理由自体。お分かりですか?」

「……まさか」

「そうだ、ティア・グランツ。お前は気づいたようだな。テオドーロ市長、ユリアのスコアには俺が―――レプリカと言う存在が詠まれていないんですよ。人間の手によって作り出されたスコアに存在しないものが動くことによって、スコアは既に狂い始めている」

「スコアが……狂う? そんな馬鹿な!」


 初めてテオドーロが声を荒げて、椅子から立ち上がった。じっと、狂いの原因となったレプリカルークを睨みつける。長年監視者としてスコアの道筋を見守り続け、それがより多くの人々への幸福と永年の繁栄の為なのだと、たくさんの人を見殺しにしてきた。直接汚したわけではないにしても、既にテオドーロの手は数多の犠牲に血塗られている。

 この町に生まれて、そして指導者となったときから覚悟はできている。しかしそれはいずれ来るはずの未曾有の大繁栄のためだけであったはずなのだ。
 よりにもよってこんなにも後一歩と言うところで小さいながらも狂いが生じるとは、テオドーロにとっては許せるものではない。

 じっと己を睨みつける監視者の長をみても、ルークは変わらない無表情のままだ。感情をほとんど忘れてしまったせいだと聞いてはいても、いまのテオドーロには酷く腹立たしい。年老いた、とはいえ長年人々を率いてきた指導者の眼光が一層鋭くなる。
 しかしルークは怯むどころかゆっくりとテオドーロのほうへと歩いていく。


「スコアの狂いが許せませんか。俺を、殺したいですか? テオドーロ・グランツ市長」


 ルークの顔には表情が無い。緑の瞳にも感情は波立っていない。ただ淡々とした問いかけだった。否定の答えを欲しているのでは無い。だからと言って肯定が返ってきて欲しいと思っているわけでもないのだろう。ただ思い浮かんだから聞いてみただけなのだ。

 今のルークにとっては、誰かに殺意をもたれるということでさえその程度のことでしかないということだと。彼にとってはその他で構成される世界というのは、ただそれだけの価値しかないのだと、ただ己の死を問うことだけで示している。

 カツン、と。机に両手をつき立ち上がっていたテオドーロと一歩の距離にまで近付く。


「……良いですよ。殺しますか、その手で。見殺しではなく、実際に」

「ルーク!? 何を考えて……っ!」


 ルークはティアの非難の声を無視して腰に差していた剣を抜き、切っ先を己の喉下に突きたてて柄をテオドーロのほうに向ける。


「さあ、その手で肉を裂き命を絶つ感触をずっと覚えて、残りの人生を過ごす覚悟があるのなら」


 硬直して動けないテオドーロの手をとって、自分の首に突き立てさせた剣を握らせた。


「その手で殺しますか? 俺を。安心してください、俺はレプリカだ。死ねば流れ落ちた血すらも世界に乖離して、跡には何も残りはしないのだから」

「―――――……っ」

「お祖父様! ルークも、何をやってるの!」


 カタカタと握る剣を震わせながらも迷っている祖父を見て、ティアの顔が険しくなる。テオドーロは息をつめ、ぐっと柄を握る手に力をこめて、ルークをにらみつけた。ルークの瞳には揺らぎも無い。ただ観察するように、無機質な緑がテオドーロに向けられている。
 年下も年下の、しかもレプリカなのだから生まれてまだ七年の子どもに観察されるような瞳を送られて、腹が立たないわけが無い。頭にかっと血が昇る。

 そしてテオドーロは大きく後ろにその手を引いて―――思い切り、その剣を床にうち捨てた。
 からんからから……と、ユリアシティの金属の床と剣が打ちつけあう残響。

 無表情ながらも意外そうな目をするルークを睨みつけて、テオドーロは大きく深呼吸をする。そして重々しく、吐き捨てるように呟いた。


「嘗めないで頂きたいものですな。あなたを今ここで私が殺しても、一度狂った、と言う事実は消えない。それに私が手を下すまでも無い、ユリアのスコアは絶対です。どれだけねじれてもいずれはその流れの通りに歴史は進むでしょう」

「……どれだけ狂っても結局行きつく先は同じだと言うのなら、それこそアクゼリュスもホドも消滅を止めればよかったんだ。死に行くはずだった人が生き残ってもユリアのスコアは歪まないなら、生かす道を探せばよかったのに」

「違います。ここまで来たからこそ、多少のゆがみはものともしない。そう、私達はいつか小さな歪みが起きたとしても対処できるように、補正されるようにと、長年スコアのままに世界が回ることを監視してきたのですから」

「なるほど。ならばアクゼリュスを崩落させた『ローレライの力を継ぐ若者』は、いずれユリアのスコアに殺されると?」

「それが星の記憶と言うものです」


 重々しく頷くテオドーロをみて、ルークはくっと口元を釣り上げた。くつくつと小さく笑っていたと思えば、やがて声をあげて笑い出す。


「ははははは、なるほど、なるほど、なるほど。アクゼリュスを崩落させたのは俺だ。面白い、はたして俺が願いを叶えるのが先か、スコアが俺を食らうのが先か! どちらのタイムリミットが先に来るか、それまでの勝負と行ったところか!」

「……ルーク」

「俺が狂ったとでも思ったか、ティア・グランツ。安心しろ、俺はどうせもうあの時から狂っている。今更これ以上狂うものか。しかしテオドーロ市長、俺という不確定要素のため狂っている事象も確かにある。貴方はこれ以上外殻大地が崩落しないといったが、しかし俺は崩落すると確信している。一応教団の上層部たるあなたに許可を貰っておこうかと」

「……何の許可をですか」

「外殻大地が崩落を始めた場合の、パッセージリングの操作の許可です。崩落をする前に降下で死傷者が出るのを防ぐ為に」

「……ああ、杞憂に終わるでしょうが、構いませんよ」

「ありがとうございます。もしもオリジナルルーク達が外殻大地やパッセージリングについて聞きに来たら、そっちは俺が担当するからお前らはもっと他のことをどうにかしろ、と言っておいてください」

「承知しました」


 では、とルークがくるりと背を向けたときにはもうテオドーロはもう普段どおりの平静で、再び淡々と書類の仕分けをして判を突いたりサインをしたりしている。そして部屋から出る直前、ふと思い出したように振り返ってまるで試すかのように質問をした。


「テオドーロ市長。俺は常々疑問に思ってたんですが、どうしてユリアは第七譜石だけを真っ先に隠したんでしょうね」

「なに?」

「隠せばそれを巡って争いになることは分かっている。戦争だって起きるだろう。これからおきる可能性の高い未来の出来事だ。知れば知るだけアドバンテージになる。権力者の奪い合いだ。……そうなると分かっていて、なぜユリアは第七譜石を詠んですぐに隠してしまったのでしょうか」

「……私ごときに始祖ユリアのお考えなど、到底読み解くことはできません」

「そうですか。ではこういうことは考えたことはありませんか。高く高く空へ跳ねたボールほど、高い高い場所から地上に落ちてくると。そしてその落下の衝撃に耐え切れなかったボールは破裂する」

「……何が仰りたいのですか」

「いいえ。教団が死のスコアを詠まないのは、死を前にした人々では平静ではいられなくなるから―――自棄を起こしていらぬ騒乱を起こさぬため。あっていますか?」

「その通りです。しかし先ほどから……まさかとは思いますが、第七譜石の欠片でも知っているのですか」

「何も。俺は何も知りません。ただ、解らないからどうしてなのかとあれこれ考えていただけですよ」


 それではいずれまた命が続いていれば、と平然と口にしてルークは会議室から出て行った。彼らが出て行った後、テオドーロは大きく溜息をつき両手を組む。そして神よりも最も彼らが信じる聖女へと祈りを捧げた。
 始祖ユリアよ、今まで築いた血を無為の流血にせぬ為にも、どうかそのスコアに記された未曾有の繁栄を外殻大地に約束せん、と。







[15223] 33(上空飛行中アルビオール船内)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:05491086
Date: 2010/03/25 01:15


 ティアはアルビオールの船内を自室に向かって歩いていた。廊下を曲がる。すると、とある船室の扉に背を預け、胡坐をかきながら座り込んで本を読んでいるルークを発見した。因みに彼の膝の上ではすやすやと仔チーグルが呑気に寝こけていて、その寝顔がとても幸せそうで、ティアはうっかり違う世界にトリップしそうになったのだが、それを間一髪のところでなんとか堪える。
 いけないいけないとティアは首を振り、目を閉じて己が理想とする教官の姿を思いう浮かべて平静を装う。彼女のようになりたかった。彼女のような軍人になりたかった。軍人として在るなら、あの人のようにありたかった。理想の姿を思い浮かべる。

 クールダウン完了。

 深呼吸をして目を開く。

 ミュウは何だがむにゃむにゃ言いながらルークの膝に顔を摺り寄せていて、落ちかけそうになったその体を彼が拾い上げ膝に乗せなおしていた。寝相悪いなコイツとぼやいた彼は軽くミュウの頭を叩いて、落ちるなよとだけ呟いてまた本を読んでいる。
 ミュウは寝ぼけながらぱちぱちと何度か瞬きをして、丁度良い位置を捜してごそごそ動いてまたこくこくと眠りだした。その健気な聖獣の小さな手はルークのズボンをぎゅっと握っていて、その姿が、もう……


 ティアには最大の試練だ。


 ついつい数秒か、数十秒か、それともまさか数分なのか、時間間隔も分からなくなるほどぼんやりしていてのに気づいて少し落ち込む。
 兵士たるもの常に気を張っていなければならないだろうに、何か一つの物事に気をとられて僅かでも意識を飛ばしてしまうとは。しかしミュウが可愛いすぎるのもいけないのだ、きっと!


 一度溜息をついて、ルークに近付いた。

 ……それにしてもなぜ自室でもなくあえて廊下で、しかも椅子でもなくそのまま床に直接座って本を読んでいるのか。
 内心首を傾げて、しかしすぐに思い出す。彼が今陣取っている扉の奥に誰が眠っていたのかを。ユリアシティについた時にも評されていたが、本当に忠犬だ。けれどそれならどうしてわざわざ廊下に出ているのだろう。わざわざ廊下に出て床に直接座り込まなくても、枕元に椅子でも持ってきて本を読めば良いだろうに。

 ルーク。名前を呼ぶ。彼は顔を上げちらりと一度こちらに視線を寄越すが、すぐに本へと視線を戻していた。相も変わらず、ルークの世界は今日もグレンとイオンとその他で構成されているらしい。


「……何をしてるの?」

「見て分からないか。本を読んでいる」

「それは分かるわ。ただ、何故あなたがわざわざ廊下に座り込んでるのかを聞いてるの」

「別に。気分だ」

「そんなに心配なら、彼のベッド脇に椅子でも持ってきて座っていれば……」

「だから言ってるだろう、そんな気分じゃないんだ」


 ルークは無表情のまま淡々と返し、本のページをめくる。今まで彼がよく読んでいた、ティアの渡した音素学の本ではない。ベルケンドで買ったのだろうか。アクゼリュスまでのルークを思い出せば、時間を見つけてはこうして読書に励む彼を見ていると、何だか不思議な感じがする。
 それとも彼は表には出さなかっただけで、案外読書好きだったのだろうか。そういえば彼は結構好奇心旺盛だった。グレンという友人を得てからは、何か解らないことがあればよく次から次へと質問していた。

 グレンはそれにのんびりと答えていて、そして続く質問に彼自身も解らないことがあれば首を傾げて二人してああだこうだと推論をぶつけ、そして最終的には何故そうなったのかと言うような結論に達し、ティアとガイとアニスと途中からはイオンも混ざって、四人でよく苦笑しながらその二人を見ていたものだ。
 因みにバチカル以降はナタリアが二人の会話を聞いて大いに納得しさらに吹き飛んだ疑問や納得を口にして、それを面白がってアニスとジェイドが引っ掻き回してもいた。

 思い出すいつか。その時にはまだ目の前の彼もよく笑っていたのだが。


「……床に直接座り込んでたら、体が冷えるわよ」

「それしきのことで体調を崩すほど軟弱じゃない。いらない心配だ」

「そう……」


 何を意地になっているのか、てこでも動きそうに無い様子にティアは溜息をつく。ユリアシティで皆と別れ彼と旅に出るようになってから、溜息をつく回数が増えている気がするのはきっと気のせいではないだろう。
 かつかつと歩いて彼の前を通り、そしてルークの隣に無言で腰を降ろす。
 ルークはぴくりと眉を動かしたようだが、特に何も言わない。表情も変えていない。けれどどこか不機嫌そうだ。それをサラリと流して、ティアはアルビオールの窓から空を眺めた。雲に突入しているのか、空の抜けるような青はなかなか見れない。


「……ティア・グランツ。何してるんだ、お前は」

「何って、見て分からないかしら。ただ座ってるだけよ」

「それくらい分かる。お前こそさっき自分が聞いてたくせに、なんで床に直接座り込んでるんだ。体が冷えるって言ってたのはお前だろう。服も汚れるぞ」

「……服が汚れるといえば、汚れれば困るのはあなたのほうでしょう? 私は軍服だから良いけれど、あなたの服はいい素材を使ってるって、」

「話を逸らすな」


 今まで読んでいた本からついに視線を上げ、不機嫌なオーラを漂わせたルークの顔がティアの方を向く。ティアに向けられる片目の緑に浮かぶ色は、怒りと苛立ち。
 一番強く思い出している感情がそれのせいか、もはや彼の表情で見慣れてしまったのが無表情と怒りだとは、ともに旅をする仲間としては嘆くべきところなのだろうか。

 ルークを心配するアーチャーからも感情のリハビリを頼むと言われているが、ティアは正直彼の感情のリハビリにどれだけ自分が役に立っているか、よく分からないでいた。何とか会話をしようとしてもざくざくとぶつ切りの会話にしかならず、そして会話をしても彼を不機嫌にしかできない。
 向けられる表情はいつも怒り顔と無表情。緑の瞳に浮かぶのは、殺意交じりの苛立たしさと不機嫌そうな鋭い眼光。
 ……ミュウのほうが余程彼の感情を宥めながらの会話になっていると思う。しかしティアとて敵意ばかり向けられ続けて、何も思わないわけではないのだ。いい加減にこの調子だと彼女のほうにも苛立ちは募る。


「そうね。あえて言うなら気分かしら」

「……ふざけるなよ、おい」

「ふざけてないわ、あなたと同じでしょう」

「気分で体を冷やすのか。随分と兵士失格の思考回路をお持ちのようだなオラクル騎士団の響長様は」

「ええ、私は兵だから。これでも鍛えているから少々冷えたくらいで体調を崩すようなやわじゃないの。要らない心配よ」


 ティアの言い様に、ルークの眉間に一気に皺が寄る。ちっと舌打ちしながら、低い声で呟いた。


「さっきから俺の回答をそのまま使ってるだけじゃないか。いい加減苛苛する、やめろ」

「もう十分苛々してるじゃない」

「煩い。これはお前のせいだろう」

「……ええ、そうね」


 ティアはまた溜息をつく。
 感情を忘れた彼の心が分からない。何をどう感じるのかが分からない。何を思っているのかが分からない。何も解らない。試しに彼の言葉をそのままトレースして会話をしてみたのだが、彼がどんな気持ちだったのかもちっとも分からなかった。結果など、彼を不必要に苛立たせただけだ。
 当たり前といえば当たり前か。自分が言った言葉をそっくりそのまま返されて、これでは皮肉か嫌味にしかならない。気分を悪くさせるだけのことだ。

 ごめんなさい、と小さく呟けばまた小さな舌打ちが聞こえた。そんなにあっさり謝るくらいなら最初からするなとの言葉が耳に痛い。


「反省するならさっさとどこかに行け。女は男よりも体が冷えやすいんだろう。いい加減に冷えるぞ」

「……後もう少ししたら行くわ」

「今すぐに行け、と俺は言ってるんだが」

「そんなに変わらないでしょう」

「強情な女だな。いいか、障気障害というのは障気が体内に蓄積されることによって内臓器官を極端に弱める。肺が弱まれば呼吸をするのも重労働だろうし消化器官が弱まれば食欲も落ちる。諸器官や心臓が弱まれば新陳代謝の機能も落ちて体温も一気に下がる。今はまだそこまではっきりと症状が出ていなくても、いずれはそうなるんだぞ」

「……」


 ルークの容赦の無い言葉に、ティアは少し息を呑んで奥歯をかみ締めていた。震えそうになる体が許せないのか、ぎゅっと強く拳を握っている。しかし膝を抱えて蹲ろうとはしないのが彼女らしいといえば彼女らしいのか。
 特に情に揺れるでもなくそんなことを思いながら彼女を観察して、ルークは淡々と言葉を紡ぐ。


「体調を常に可能な限り最善に保っておくのはお前の義務だ。もう行け」

「……そうね。その気になったら、すぐにでも」

「………………、…………………………、……強情な上に意地っ張りか。俺にはお前が理解できない」

「それはお互い様でしょう」


 長い沈黙の後に吐き捨てるように言われた彼の言葉に、いい加減に落ち込みたくなる。彼女が平静を装って返せば、返るのは不機嫌そうな溜息だ。
 そして徐にルークは自分の膝の上で寝こけていたミュウをティアのほうに押し付けてきた。突然のルークの行動にティアはキョトンとする。が、彼はそんな彼女を無視して立ち上がり、ティアには一瞥もくれずすぐ後ろの扉を開いて船室へと入っていった。
 どうやら彼のほうが我慢の限界だったらしい。しかしこれで何とか椅子にでも座ってくれればそれでいい、体を冷やすことも無いだろう。

 そう思って沈む心に蓋をしようとして、ミュウの背をゆっくりと撫でた。すやすやと眠るその小動物の寝顔はとにかく幸せそうで、とにかく可愛くて、涙は決して出ないのだがなんだか泣きたくなる。そしてミュウを連れて自室へと戻ろうとした時、つい先ほどルークが入っていった船室の扉が乱暴に開いた。
 思わずその扉のほうを向き、しかし急に視界を覆った何かがふわりと降ってきて小さな悲鳴を上げてしまった。隣に彼がまた座り込んだ気配を感じると同時、今己の上に振ってきたものが何かに気づいてティアは困惑する。


「……毛布?」

「いくら言っても聞かないんだから、しょうがないだろ」


 全く、お前はつくづく理解不能な女だ。ルークは不機嫌全開でぼやきながら、ぱらぱらと本のページをめくって先ほどまで読んでいたはずの箇所を捜している。しばらくは薄手の毛布の端を握って呆然とし、しかしよく見ればルーク自身は毛布らしきものも持っていないことに気づく。
 慌ててルークに声をかけた。


「ちょっと待って。私に毛布をとってきてくれてるなら、どうして自分の分を……」

「仕方ないだろう、この船室に二枚しかなかったんだから。一枚はグレンにかけてるんだから、残りは一枚だ」

「それなら私なんかよりあなたが使うべきでしょう」

「煩い。俺が取ってきたんだからどうしようが俺の勝手だ。文句は聞かない」

「……なら、船室で椅子に座れば良いわ。私はあなたが床に直接座りさえしなければもう戻るから」

「それは却下だ。近くに居なければ落ち着かないが…………グレンが寝てる部屋には入りたくない」

「どうして」

「―――起こしたくなる」


 ルークの声は酷く小さくて、ティアが音律士ではなかったら聞き取れたかどうか。空気を裂き空を飛ぶ音にまぎれてしまいそうな小声で、ルークはぼそぼそと続けた。


「詳しい話は省く。グレンを生かすために俺は感情を対価にしたが、それでも完全に生き延びさせることはできなかった。俺の感情と、グレンが眠り続けることでやっと無理やり生かしてるようなものだ」


 起こせば即死ということは無い。起きれば今は止まっている残り時間がゆっくりと、けれど確実に零れていくだけで。それでも、今起こせばグレンは馬鹿だから確実に残り時間を無視してまた無茶をするだろう。ただでさえ少ない残り時間を容赦なしに自分の手で削っていく。
 そんなこと、ルークには許せない。だからこそ、今はまだグレンを絶対に起こせない。


「全部が終わるまで、あいつをおこしちゃダメなのに。それでもあんなしかめっ面ばっかしたまま寝てるの見たら、起こしたくなるんだよ。あいつ本気で馬鹿だから、どうせまた馬鹿な夢見てるんだ。俺には解る。どんな夢かまでは解らないけど、それでもろくでもないもんだってのは近付けば解る」

「『繋がってる』から?」

「ああ、そうだ。感覚と感覚が繋がって、時々同調する。完全には解らなくても、なんとなくの感じならわかる」


 ルークは苛々と呟いた。眠るグレンを見ると起こしたくてたまらなくなる。グレンがどんな夢を見ているのかは解らない。いや違う、知っている。グレンがどんな夢を見たのかを知っているのだ、自分は。知っているはずだ、と理屈もなく心が断言していて、なのにそれを忘れてしまっている。
 忘れてしまって覚えていなくて、解らないのに、起こさなければ、すぐに起こさなければと何かが囁いて起こしてしまいそうになるのだ。

 早くあんな夢から解放してやらないと。ふと思い浮かぶ言葉が分からない。苛苛する。『あんな夢』? どんな夢を見ていたか俺は知っていたなら、どうして忘れてしまっているのだろう。こんな言葉がどうして思い浮かぶんだろう。


「早く、あいつを―――から解放してやらないと。……ティア・グランツ」

「何?」

「…………、」

「……ルーク?」

「…………いや、なんでもない」


 一瞬。ティアに譜歌でも歌ってくれと頼もうとして、やめた。こんな時にどうして譜歌を頼もうとしたのか。ルークは自分がよく分からず眉間に皺を寄せる。全く、理解不能なヤツの傍にいたら自分自身の事まで理解不能になってしまう。

 溜息をつき、ルークは本の続きを読む。
 隣に座るティアが立ち去る気配はない。


「……あなたは、恐いとは思わないの?」


 ポツリと零れた声に、何が、などと聞くまでもない。ルークがユリアシティでテオドーロに言われたことを言っているのだろう。一度も外れたことのないユリアのスコア。それに己の死が詠まれているという事に、僅かな揺らぎも見せていないルークはきっと異質な存在に見えるのだろう。


「別に。誰かが必死になって守らなきゃ起こりもしない未来なんて、怖れるまでもない」


 本当に恐ろしいのは、変えようともがいても追いかけるように重なって、どうしても変えられない道筋を辿らされる、そう言う類のものだ。世界の修正。星の記憶。
 グレンの記憶で、ヴァンは未来が定められていることを知っていると言っていた。


「未来は自分で選べると信じてる、だったかな」

「え?」

「グレンが言ってたんだ。正直、今の世界を見てたらどいつもこいつもスコアスコアスコアスコアで雁字搦め、選べるものも選ぼうともしてないんじゃ意味も無いと思ったが―――それでも、グレンはそう信じてたんだ。こんな世界を信じるなんて俺には反吐が出る……が、グレンが信じた未来なら、俺も信じよう」


 恐怖に震えることではなく、進むことを選んだ。仲間と共に歩くことを選んだ。そこに立つことを選んだ。歩みを進めて戦うことを選んだ。誰かの為ではなく、己の意思で選んだ。
 己の意思でその場所に立ち、そして続く未来も人々が自身の意思で選べることを信じて、願っていた。

 眩しいと思う。かつては同じ存在だったとして、そうなれた可能性の一つだったとして、それでもルークは自分が彼のようになれるかなど、正直言って自信が無い。少しずつ迫り来る死に怯えて、それでも必死になって前を見て進み続けた。泣き出しそうになる臆病を隠して最後まで笑って嘘をつき続けていた。

 そんな風には、きっとなれない。

 すごいと思う。本当は恐かっただろうに、それでも歩みを止めなかったその心はとても強い。その強さは今のルークには少し眩しくて、その眩さに憧れる。
 そんなヤツが命を懸けて守った世界を、『彼』が信じた未来を、その言葉を、自分も信じたいと思った。


「未来は自分の意思で選ぶ。スコアに死を詠まれている? 上等だ、いっそ喧嘩を売る理由ができて清々するな」


 高ぶるでもなく激昂するでもなく、あくまで淡々と語るルークの言葉に、ティアは何も言わない。己の意思でスコアを覆す。ローレライ教団の人間としては止めるべき言葉だっただろうに、それでも黙ってルークの言葉を聞いていた。
 毛布を握って考え込んでいるティアを横目で見ながら、なんとなく声をかけた。


「怖いか? スコアから外れるということが。イオンはスコアを可能性の一つ、数ある選択肢のうちの一つとして考えて欲しいと願っていたが」

「……そう、ね。正直に言えば怖いわ。けれどあのあり方を知ってしまった以上、スコアに依存するのはもっと怖い……。それに、死を詠まれているならと唯々諾々と従ってしまうのは、おかしいと思う……」

「なるほど。ユリアシティ出身の人間にしては、賢明な思考だ」


 ルークは小さく、ほんの一瞬だけ笑う。ただ彼の声は淡々としたままで、ティアもルークの方を向いてはいなかったのでその表情を見ることはなかった。


「そうだな、そう言う考えをもてたなら、あんたにいいことを教えといてやる。ユリアは世界を愛していた。だからスコアを覆した未来を願って第七譜石を隠したんだ」

「……待って。どういうこと? その言い方……まさか、あなたは第七譜石がどこにあるか知ってるの?」

「さあ、どうだろうな」

「ルーク!」

「ユリアシティでもいくつかヒントは出してるだろう。さっきのもヒントだ。後は自分で考えろ」


 ひらひらと面倒くさそうに手を振って、今度こそルークは本に集中しだした。それでも納得がいかないティアがルークに言い縋ろうとして、しかしそれ以上騒いだらミュウがおきるぞ、と言う一言でぐっと口を噤む。

 そしてもはやティアのことなど忘れたかのように本を読み進めていたルークだったが、不意に肩に触れた感触にぴたりと動きを止めた。


「…………なんのつもりだ?」

「仕方ないでしょう。毛布はひとつしか無いし、あなたもここから動くつもりがないんだから」


 もってきた毛布の片側を肩にかけられて、二人で一枚の毛布を使っている状態だ。大きく溜息をつき、俺は要らないと言った筈だが、と主張してみても却下される。この生真面目な響長はどうやら持ってきた当人が寒い思いをして、己ひとりがぬくぬくとしていることがどうしても許せなかったらしい。
 しかたない。ルークは彼女の名前を呼んで、手を貸せと言った。怪訝な顔をする彼女の手を片手でぞんざいにとって、厚いグローブに覆われた手を見て、その時になって自分が言いたかったことがこれでは上手く伝わらないことに気づく。

 眉間に皺を寄せてぺいっと手を離せば、ルークが何をしたいのかわからないのだろう、ティアは少し首を傾げていた。手がダメなら仕方ない。
 そう言うわけで、ルークは手の甲をぴたりと彼女の頬に押し当てた。

 ティアはカキン、と凝固した後、我に返った瞬間上半身だけをすごい勢いでルークから離す。パクパクと口を開けては閉じて、声にならないといった様子だ。


「な、ななななな、な、何するの、いったい!?」

「いや、これで分かっただろう。俺は基礎体温が高いんだ。だから少々冷えても平気だ、と言おうとしたんだが……しかしお前、基礎体温低いな。本当にそっちこそ体を冷やすなよ。しかたない、もうちょっとこっち寄れ」

「は?」

「それ以上体を冷やして体調を崩されるわけにはいかない。もうちょっと肩が当たるくらいこっちに来い」


 なに、温石代わりだ気にするな。
 ルークはいつものように無表情のままで、淡々と言葉を放つ。しかしその内容にティアはついて行けずにフリーズしたままだ。いつもまでたっても動こうとしないティアにルークは内心首を傾げて、仕方ないとティアの腕をぐいと引き寄せる。

 そのままとん、と肩に当たる互いの肩の体温にやっぱり冷えてるじゃないかと溜息をつき、そして隣の顔を見ようとして―――ふと、彼女の顔が全体的に赤くなっていることに気づく。


「……? おい、顔が赤いぞ。やっぱり体調崩してるんじゃないのか。これから風邪などひかれては本気で洒落にならないん―――」

「本! そ、そういえばその本、何の本なの? 面白い?」

「は? いや、作者名がジェイド・バルフォアだったから買ってみただけで……研究や理論の書籍だ。面白いも何もないが……」

「ジェイド……まさか、大佐? でも大佐のファミリーネームは確か」

「ああ、バルフォア博士はその才能を買われて軍の名家、カーティス家に養子に行ったんだ。まえあいつ言ってただろ、ファミリーネームにはあまり馴染みが無いって。それよりお前、熱があ」

「たっ、大佐は本も出してたのね!」

「いやだから、」

「さすがはマルクト皇帝の懐刀、侮れないわ!」

「…………ああ、そうだな」


 なにやらすごく頑張って話を逸らしたがっているらしいティアの必死さを酌んで、ルークも何も言わないことにする。まああの調子なら体調を崩しているというわけでもないのだろう。
 ルークは本に意識を戻す。

 ページをめくる音がぱらりと響く。











 かしゅん、と扉が開き、近付く足音にノエルは軽く振り返る。


「エミヤさん。どうされたんですか、たしかルークさんに話があるって仰ってたんじゃないですか?」

「いや、なんというか。ところでノエル、グランコクマにまで少し速度を落としてくれないか」

「え? はい、わかりました。……ですが、良いんですか? 急ぎだと仰ってたんじゃ……」

「なに、今はそこまで火急必死と言うほどでもない。急いだほうがいいのはいいだろうが、それでも比較しても時間はあるほうだろう。頼めるか」

「わかりました。ですがどうされたんですか、急に」

「うむ。私も無粋な真似はしたくないのだよ」

「は……そうですか……? ああ、なるほど」


 重々しく頷いた後、大真面目に紡がれたアーチャーの言葉にノエルは何かに納得したように頷いて、小さく笑う。


「わかりました。急ぎ過ぎず、遅れ過ぎず、ですね」

「君が話がわかる相手で助かるよ。さて、ではグランコクマにつくまで、悪いが私の話し相手もついでに務めてもらえるかね」

「はい。操縦しながらでよければ喜んで」


 本当は、アーチャーはルークにグランコクマについてからの予定を話すつもりだったのだが、それはどうしても今すぐでなくてもいいだろう。せっかくあの二人が友好を深めているのだ、そんな時期にわざわざ行かなくともいい。


「しかし、あの二人は本当にどうにかならないものか……」

「そうですね、ルークさんって不器用そうですからね……」

「不器用だけで済むレベルかね、アレは」

「でもティアさんのこと結構気遣ってるじゃないですか。……結構遠まわしに、ですけど」

「うむ。傍から見ればそれなりに気遣っているのはわかるのだが……しかし、その気遣いを直接受ける身からしてみれば無表情だわ淡々としているわ時には怒り交じりの眼光だからな」

「ティアさん本人だと気づきづらい感じでしょうか」

「やはりわかり辛いのは確かだな……」


 わからぬは当人達ばかりなり。
 二人はそろって溜息をついた。



[15223] 34(グランコクマ)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:05491086
Date: 2010/02/24 23:50



 水の音がする。きれいな町だとルークは思った。海の上に浮かぶ水上の帝都、グランコクマ。
 空の青と海の青と町をめぐる水の青。白を基調とした壁の建物が多くその屋根も青色の系列で統一されていて、ぐるりと周りを見回すだけでも精密な譜術の活用で町中を水が巡っている。時折町中に設置された噴水の周りにはベンチが置かれその傍らには木々が埋められ、所々に緑が見られた。

 譜業技術で栄えたキムラスカ。譜術が盛んなマルクト。空に高くそびえるように荘厳で厳格な町並みを誇っていたバチカルと、そこに住む人を癒し落ち着かせるような町並みのグランコクマ。本当に、何から何まで対照的だ。
 小さく風が吹けば、どこか遠くで響く鳥の声と草木のざわめきを連れてくる。噴水の周りで遊ぶ子どもの声も、人々が談笑する声も。

 ―――そうだ、ここが。何度もあいつが言っていた。

 声に出さずに心中で一人呟く。


「ルーク?」


 町へ入った瞬間に足を止めて、辺りを見回すように視線を巡らせたルークに気づいて、ティアが振り返る。どうしたの、と問いかける声に何も答えず、ただルークはかみ締めるように一つ一つその音を口にする。


「……グランコクマ」


 彼がつぶやいたのは町の名前。確認するには今更な都市名で、彼が何を言いたいのかティアにはさっぱり解らない。ルーク、と問いかける少女から視線を逸らす。目に入る町並み。町中に流れる水が太陽の光を弾いて少し眩しい。
 目を細めたルークのその表情が酷く穏やかで、どこか嬉しそうで。ティアは少し驚いた顔をする。そんな彼女に気づくまでもなく、町並みを見渡しながらルークはポツリと小さく呟いた。


「――――グレンが一番好きな町、だ」


 ルークは微かに口元を緩めたまま呟き、目を閉じた。一瞬だけだった。小さく笑っていた彼の表情は次に瞳を開けた時、瞬きの合間に掻き消えてしまっていた。
 この町なら少しは馬鹿な夢見なくなればいいんだがな。ぼやくように呟かれた声はいつもの淡々としたものに戻っていって、ティアはついさっき自分が見たものがはたして現実だったのかと首を傾げたくなるくらいだ。


「ところでエミヤ、俺達は先触れも何も出して無いだろう、すぐに皇帝に謁見できるものなのか?」

「安心したまえ。ここに滞在していた間に、少々厨房あたりに出入りしたりしてね。兵の間にはそれなりに顔が売れているし、信用もある。それにシェリダンを立つ時にそろそろグランコクマに行くと鳩を飛ばしておいた。顔パス、までは行かずともそこまで時間がかかることもあるまい」


 アーチャの言葉にルークは感心する風に頷いて、そうか、それなら安心だな、流石エミヤだ、と言いかけて、アーチャーの方に振り返りかけた形でその動きがぴたりと止めた。それはもう面白いくらいぴたりと停止していて、どうかしたのかね、とにやりと笑うアーチャーにルークは少し怒り気味に言い募る。


「……待てエミヤ。その担ぎ方は何だ、グレンはお前のマスターなんだろうが小脇に荷物抱えとはどういうことだ? おい、血色悪くなってるんじゃないのか」

「む? では小僧、お前は私にグレンを横抱きにしろというのかね? それこそマスターは起きていれば泣いて嫌がると思うのだが」

「普通に肩に担げばいいだろ」

「それでは面白味が無いではないか」

「人を運ぶのに面白味なんていらないだろうが! もういい、俺が担ぐ!」

「お前が? いや待て小僧、無理だろう。体格が同じなのだからふらふらするに決まって……」

「無理じゃない、ユリアシティでも連れて行っただろう、貸せ!」


 無理やりアーチャーの腕からグレンを引ったくり、肩に担いで―――時々よろけながら歩き出す。その後姿がなんと言うか、間抜けというか、すごく頑張っているように見えるというか。


「あの、ルーク?」

「無理してない。さっさと行くぞ!」


 ティアの気遣うような声に振り返りざまにくわっと言い張り、ルークはずんずんと(よろよろと)進んでいく。……体格的に担いで歩くにはすこし距離に無理があるのでは、という至極当たり前の忠告もどうやら聞いている気配はないようだ。


「グランツ響長、諦めたまえ。グレンに関するときだけは『ルーク』に戻るのだ、てこでも引かん」

「……ですが、躓きでもしては危ないのでは」

「あやつがグレンを担いでいる時に蹴躓くとでも思うかね?」


 アーチャーの言葉に、ティアは大いに納得した。納得はしたのだが。


「…………」

「…………ふむ。またよろけたな」

「エミヤさん」

「なにかね」

「……あまりルークをからかわないでください」


 頑張ってグレンを担いでよろよろ進むルークの後姿を見ながらティアがぼやけば、アーチャーはやれやれと肩をすくめる。


「しかしだな、グランツ響長。今の小僧が感情を大きく揺らしやすいのはグレンに関する時だ。グレンに関するときだけは未だにはっきりと思い出していない感情ですらよく揺れる。感情を実感させるのに利用しない手はあるまい?」

「それは、」


 町並みを見つめていたときのルークの表情を思い出して、ティアは咄嗟に反論ができなくなる。


「……そう、でしょうけど…」

「これはまあ助言もどきでしかないのだがな、グランツ響長。今の小僧には思い出している感情が酷く偏り気味だ。無表情ばかりの相手と会話をしていては君も疲れよう。無表情の小僧と会話をするのが少し辛くなりだしたら、グレンの話題を出せば良いのだ」

「……はい」


 間違いない、一撃ではしゃぎだす。上手くいけば笑いもするだろう、そうやって何度も笑わせていればもう少しまともな感情も思い出すやもしれん。
 うむうむと頷きながら話す言葉にティアは気の抜けたような返答を返すだけだったのだが、ふと疑問に思ってアーチャーの名前を呼ぶ。どうしたのかね、とアーチャーは首を傾げていた。


「ですが、それならグレンの話をするのはエミヤさんのほうが良いのではないですか? 彼の話を私よりも知っているでしょう」


 ティアの質問にアーチャーは一瞬だけ目を見張り、しかしすぐにいつもの冷静な表情に戻る。けれど完璧にいつものとおりと言う訳ではなく、どこか苦笑交じりの表情だった。ちらりとルークを見やって、彼には絶対に聞こえない音量の声で、ティアには辛うじて聞き取れるだけの音量で、小さく答える。


「ああ……まあ、それはそうなのだがね。しかし―――私は、あまり彼の内面再生に関わらないほうが良いのだ」

「どうしてですか?」

「ルークの願いとグレンの願いでは、ただ一つだけ真っ向からぶつかり合うものがあってね。私は、グレンの従者だ。その時が来たならばルークの隣にはいない。グレンの願いを叶えるためだけに行動するだろう」


 そう言い切ったときのアーチャーの表情は、苦笑いだった。けれどその瞳に迷いは無い。その時が来れば彼はなんの躊躇いもなくグレンの側につく、そう目だけで語っていた。


「わかるかね? 私はルークを裏切るつもりは無い。敵対もしない。が、立ち回りによってはアレの思惑を防ぐ立場になることもあるだろう。いずれは離れねばならんのだ。……それを、小僧自身も知っている。
 しかしいくら承知済みだとはいえ、必要以上に親しくなれば小僧とて裏切られた感覚がするだろう。既に一度、手酷く裏切られているのだ。……そんな感覚を何度も味わうことも無い」

「……」

「ああ、勘違いしないでくれ。あくまでも謡将の野望を阻止する、と言う点ではルークとグレンの意思は一致している。それについては私も手抜きはせんさ。全力で叩き潰すまでだ。ただ、問題はその謡将についてのいざこざを終わらせた後というかな……まあ、いずれ君にも分かるだろう」


 話していて、ルークとの距離が少し開いてしまった。二人を呼ぶ声を聞いて、アーチャーは軽く片手をあげて声を返す。頷いた彼がまたよろよろと歩き出したのを見たあと、ティアの方を向く。


「グランツ響長。勝手なことだとはわかっている。それでもどうか、ルークを頼む」

「……分かりました」








 グランコクマの王宮の前にたどり着く。周り中を滝のような水の壁で覆われて、さすがは水上の帝都のその王宮だと誰もが納得するような荘厳さだ。その城の前で兵に何事か話している身なりの良い人物を見つけ、アーチャーは軽く声をかけた。
 その声に顔を上げ、その青年将校はアーチャーの顔を見て穏やかに笑い、今まで話していた兵に何事かを言付けてどこかへ行かせる。


「久方ぶりだな、フリングス将軍。しかしすまない、何か仕事中だったかね?」

「いいえ、報告を聞いていただけでしたので大丈夫です。エミヤ殿、お待ちしていました。そちらの方が手紙にかかれていたお連れの方々ですか?」

「そうだ、彼らが例の者達だ。ピオニー陛下に謁見の旨伝えてもらいたい」

「わかりました、ではすぐにでも―――」


 言いかけて、フリングスの目はアーチャーの後ろ、ぜいぜいと荒い息を吐きながら自分と同じ体格の人間を担いでいるらしいルークを確認し、その笑顔が微妙に変化する。ちらりとフリングスはアーチャーに視線を向けるが、彼はにやりと笑うだけで何も言わない。


「……いえ、私が陛下に謁見の申し込みをして準備を整えている間に、その、お連れの彼を医務室に寝かせておいたほうがよろしいでしょう。医務室の手配は私がしておきますので……エミヤ殿、それでよろしいですか?」

「ああ、了解した。それでいいか、ルーク」

「……任せる」


 もはや喋るのもいっぱいいっぱいといった感じだった。確かにユリアシティで運んだ距離と比べればとにかく遠距離だ、肩を貸して歩くならともかく担いで歩くには少しルークには無理がある。
 息は荒いし汗はだらだら流れているし歩くのはフラフラだしと、途中で我慢ならずにティアが手伝うというのも跳ね除けて、もはや意地になって一人で運んでいたのだ。それでも根性でこけたりしないのは流石といったところか。
 ティアも諦めて万が一でも躓きかけたらフォローできるような位置で待機しているのだが、どうもルーク的にはそれが面白くないらしい。恐らくだが身長にコンプレックスをもっていたらしいルークのことだ、こういうことに関しては些か意地になってしまうのだろう。


* * *


 グレンを医務室に運んだ後、ルークは少し顔を洗いたいといって部屋から出て行った。それは当たり前の流れで、だからアーチャーも疑問に思わなかった。医務室にティアとアーチャーを残したまま、ルークは迷いのない足取りで進む。
 何度か宮殿内の人間に道を聞き、たどり着いた部屋に入る。驚いた顔をして部外者は立ち入り厳禁だと言って入るのを留めようとする人間達に、己は当事者の完全同位体のルークレプリカだと宣言すれば彼らは何も言えなくなっていた。
 そして目当ての研究書の必要な部分だけをざっと読んで、その内容にぎりぎりと奥歯をかみ締める。いくつかの質問をそこにいる研究員にして、そしてその返答で彼は確信する。

 くそったれ。道理でグレンがふらふらになってたわけだ。しかし、いずれは確認しなければならない。また接触することを考えたら憂鬱になるが、やむをえない。けれど、確認をしたとして。
 ――それから、どうする?

 ぐしゃりと研究書を握り締めた後、こちらを伺うような顔をする研究員に困ったような笑顔を浮かべた。記憶の中のグレンを思い浮かべて、その表情を表面だけでもトレースする。複雑な表情だ、上手くいくか不安だったがどうにかなったのだろう、研究員は不審な顔はしていない。


「すみません、俺がここに来たことはエミヤには言わないでください。あいつ、俺には過保護だし」


 渋っていたが、最終的には頷いてくれた。ここで頷いたなら大丈夫だろう。この部屋にいるということは、ピオニー皇帝じきじきに信用できる研究員を任命した人物達のはずだ。
 医務室に戻る。遅かったなと問われるが、ルークは迷子になったのだと言っておいた。すぐの距離で迷子になるのかねとアーチャーは呆れ気味だったが、眉間に皺を寄せると苦笑された。
 丁度いいタイミングで現れたフリングス将軍に呼ばれて、先導する彼について行く。

 感情が無いと楽なこともある。
 嘘をつきやすい。何も、感じないのだから。


* * *




「よう、そいつか? 俺じきじきの仕官依頼を断ったエミヤがたった一人だけ仕えるご主人様ってのは」

「違います。俺はエミヤの協力者です」

「ほほう。じゃあなんだよまさか後ろの可愛い娘ちゃんのほうか? エミヤ……お前羨ましすぎるぞ!」

「……いえ、あの、私は……」


 くうううと本気で羨ましがっているようなピオニーは、ティアの言葉を聞いていない。
 ずるいぞ俺だって自由に動けるならきれいなお姉さんをマスター呼ばわりして忠誠を捧げるのも悪くないと思ってるんだ俺だってお前みたいにやってみたいよ全く、などと己の願望まるだしの独り言をブツブツと溢している。
 そんな皇帝にどう接すればいいのか分からない若輩者二人は行動停止状態だが、アーチャーはくっと笑った後、それはそれは禍々しい笑みを浮かべてピオニーを睨みつける。それはもう危険な目つきで、だ。


「……恐れ多くもマルクト皇帝ピオニー陛下。二枚と三枚、下ろされるならどちらが好みだ? それとも開きにしてしんぜようか。なに、ご希望通りに調理してやろう。味付けはどのようなものがご希望だ?」

「はーはっは、おいおいちょっとした冗談だろうそんなに怖い顔……うわぁストップ、笑顔で包丁出すのやめようぜエミヤ。あと俺人間だからな、魚扱いはやめてくれ……って言うか待てよ、俺皇帝だぞ。包丁こんなとこで出すとか危ないだろう」

「ふん、皇帝自ら人払いして下さったのだ、人目も無い。覚悟してもらおう。それともあれか、今すぐブウサギ部屋へ行ってそれはもう最高級のブウサギディナーを作ってもらう方が良いというなら分かった私がこの腕にかけてこれ以上無く舌鼓を打つような、」

「エミヤあああああ、俺が悪かった、俺が悪かった! ちょっと待てブウサギはやめて俺を殺せええええええええ!」

「とくにネフリーは毛並みも肉付きも最高級だ。陛下、貴公が絶望の涙を流しながらもついついおいしいと思ってしまうような調理ができるぞ」

「すみませんごめんなさい調子乗ってました勘弁してください」

「私の今の主はグレンだ。男だ。私はマスターを男か女かで判断するような戯けなどではない。君のような女性なら何でもOKな犯罪者と一緒にするな」

「待て! 俺だってなにも全て本気で言ったわけではないんだぞ、犯罪者扱いはやめろ」

「気をつけろ、グランツ響長。ルークか私の影に隠れておけ、危険だ」

「エミヤ、ちょっとまて本気で落ち込む……おい、そこの赤いのも本気で彼女を隠さないでくれ、傷つくだろ?」


 胡乱気な目をしながらもいつの間にやらティアを庇うように前に出ていたルークの行動に、ピオニーは地味にダメージを受けている。フリングスの「口は災いの元です、陛下」と言う言葉に止めを刺された気分だ。
 ここまですれば反撃の気も晴れたのか、アーチャーは投影で出していた包丁を消す。彼がはあああああと長々溜息を吐いた後、ここからは真面目な話だといえば、ピオニーは今までのおちゃらけた表情ではなく、すっと統治者の顔になった。
 その表情をみて、ルークもティアも頭を切り替えたようだ。王に対する表情に変わる。その効果を見ていたアーチャーは一人で「こういう顔ができるなら、いつもこの顔で居ればいいものを」と思いもするのだが、人間らしい王としては今のピオニーのような切り替えのできる人間の方が良いのかもしれない。


「本日は謁見をお許しいただきありがとうございます、マルクト皇帝ピオニー陛下。俺……いえ、私はキムラスカ・ランバルディア王国のファブレ公爵が子息、ルーク・フォン・ファブレ……厳密に言えばそのレプリカです。ですが、今現在アクゼリュスへと親善大使として派遣されたのは私です。どうか、そのことを納得していただいた上で話を聞いていただきたい」

「承知した。それではルーク。本日はどのようなご用件でここに参られたのか」

「はい。先日起こったアクゼリュスの崩落は、私の超振動によって引き起こされた人災です。ですが、恐れながらこの度はアクゼリュスに関する私が受けるべき罰を一時保留にし、マルクト領内を歩く許可を頂きたく参上いたしました」

「ほう?」


 ルークの言葉に、ピオニーは意外そうな声をあげた。ゆっくりと指を組み、アーチャーの方を見やる。これはお前の差し金か、と。しかしアーチャーは黙して口元を歪めるだけで、何も言わない。ただ小さく首を振り、ルークの好きにさせているようだと判断する。


「意外だな。俺はエミヤから、これからセントビナーが真っ先に崩落する、と、そこまでは聞いている。だからてっきり俺はお前がセントビナーのことについて何か願い出てくるのかと思っていたが……違うのか」

「はい。本来なら私もそうしたいところではありますが、セントビナーは崩落してもらわなければ困るのです」

「……なに?」

「ユリアのスコアを絶対視する者達に、スコアから外れる覚悟を。それを決意させる為にも、私たちが手を出すまでもなくセントビナーには崩落してもらわねばなりません。……もちろん、民を避難させてセントビナーの領地だけが崩落する、と言う形にすることが前提ですが」

「なるほど。確かに今のマルクトはキムラスカと教団双方から狙い打たれている状況だからな。教団内の流れを多少は変えておかねば骨も折れるだろう」

「失礼ですが陛下、ただいまセントビナー崩落の件についてどこまで動きなさっておられますか」

「ああ、それについてだが今は微妙なところだな。確かに地震が多いが、まだ地盤沈下として現状が出ていない。よって、俺が仮説として出した発言はまだ議会には通りづらいのが現状だ。何より、キムラスカがカイツールのほうに戦力を集中する動きがあってな。はっきりとした確信ではなく予兆では、議会も納得しない。動きもしないだろうよ。確かに兵の士気のことを考えても引くこともできんのも事実だ」

「そうですか……」


 これからの流れを改めて計算しているのだろう、十数秒ほどルークは考え込む。やがて考えがまとまったのか、顔をあげたルークは真っ直ぐにピオニーの目を見た。


「陛下。それではやはり、私たちにはマルクト領内を自由に通行できる許可を。セントビナーの救出には、地盤沈下など具体的な症状が出だした頃に来るでしょう一団にお任せしたほうがよろしいかと。おそらく王女殿下なら国の枠を越え、民の救出には自ら名乗り出るはずです。キムラスカの王族が直々に救出に向かう、となれば流石の議会も少しは緩和するでしょう」

「妥当だな。その流れならジェイドの師団も使えるようになるか。なるべくエンゲーブではなくグランコクマに受け入れるように準備はしているが、アクゼリュスの民も入れている……全てはさすがに無理だな。アスラン、ケセドニアのアスターにも協力申請の鳩を飛ばせ」

「はっ!」

「さて、セントビナーはそうするので良いとして。……しかし問題はルーク、お前のほうなんだ。実はな、俺とアスラン、ゼーゼマンのじーさんはそこのエミヤから教えてもらっているから多少は知ってるんだが、議会はアクゼリュスで何が起きたのかを知らない」

「崩落の大罪人に領内の自由な通行を許すのは難しい、むしろ処刑すべきとの声がなきにしもあらず、と言ったところですか?」 

「端的に言えばな」

「ならば、かの者の罪を許したわけではない、これから続く大地崩落を防ぐ為だけに一時保留にするだけだ、と仰れば良ろしいでしょう」

「何?」

「すべてが終わった時に改めてこちらに伺います。処罰はどうぞその時に」

「待て、お前は何を言っているのか分かっているのか?」

「起こした罪は、償わなければなりません。私は、これからは己の自由で、意思で、選択で、その責を負い、償いをしていこうと思っています。ですが、それは所詮自己満足だ。裁く権限はあくまでもマルクトに、私が殺し尽くしていたかもしれないアクゼリュスの民にある。今は一時預けるとしても、その罪は無くなってしまってはならない。
 陛下。その時が来れば議会においてどうか厳正且つ公平な処罰を願いたい」


 淡々と、揺らぐことなく言い切ったルークの様子をじっと見て、やがてピオニーはやれやれと首を振る。その様子が呆れているように見えるがどこか困っているようにも見えて、何かをしくじったのかとルークは慌てて思い返すが分からない。
 心中で大いに首を傾げるが、交渉の席で首など傾げるべきではないということくらいは分かっている。じっと返答を待っていると、ピオニーは苦笑いを浮かべながらルークに視線を戻した。


「お前さんは潔癖で、おまけに交渉ごとが下手だなルーク。いいか。ここは普通、大陸崩落を防ぐことを条件に罪の軽減を訴えるべきところだぞ。自分に害しかない条件を、人は容易く受け入れはしない。その資格が無いと、どれだけ自分で思っていてもだ。自分の利益をそれなりに提示した上でなければ、逆に交渉は上手くいかないものだぞ」

「は……ですが、」

「わかっている。だから、お前は潔癖だと言ったんだ。……しかしなぁ、いくら公平且つ厳正な処罰を、と望まれても、全てが終わった時にはお前は崩落を止めた大功とファブレ公爵の子息と言う肩書きがある。キムラスカと友好関係を築くためにも、処罰などは……」

「それなら気になされるまでもありません。私はレプリカです。れっきとしたキムラスカ王族のオリジナルルークはバチカルに返しますので、私は身分の無い人間もどきということになるでしょうから、それを公表してしまえば―――」

「待てルーク。それは聞き捨てならない。俺だけじゃない、そこのエミヤも、お嬢さんも怖い顔をしているぞ」

「……ですが、事実です。私を直接よく知っている人間と、知らない人間と。その中でも受け入れられる人と、受け入れられない人と。どちらの比率が圧倒的に多いかなど、簡単に想像がつくでしょう。集団になった民心は、常にはけ口を求める。
 これからスコアは狂い意味をなくす、その元凶になったレプリカ、ですよ? ラストジャッジメントスコアを知らない大勢は許すわけもない。
 ……あー、それとエミヤ。俺は何もレプリカすべてが人間もどきだ、と言っているわけじゃない。生きるために生きるならそれは人間だ。自分を確立させている存在は、もう人間だ。だからグレンも、あいつも人間だ。けどな、俺は少し違う。だから『もどき』なんだよ」


 前半をピオニーに、後半をアーチャーに向けて為されたルークの言葉に返るのは、とにかくとんでもなくドスの効いた低い男の声と、色々なものを押さえつけようとしているような少女の低い声だ。


「………………今は交渉の席だ、何も言わん。しかし、後でじっっっっくり話し合おうではないか。なあグランツ響長?」

「……………………………………そうですね」 


 おかしい、何か地雷を踏んだらしい。グレンのことについて怒っているのかと思って言ってみたのだが、アーチャーもティアも怒りの表情がおさまっていない。しくじったのか。グレンは人間だといえば少なくともアーチャーの怒りは収まるとルークは踏んでいたのだが、なぜかますます怒っていらっしゃる。
 黒いオーラと怒りマークを背後に感じながら、とりあえずルークはごほんと咳をする。落ち着け、まあ何とかなるだろう。それよりも今はこの場をどうにかするのが先決だ。

 何とか冷静になり、顔をあげる。ピオニー陛下は生暖かい眼差しだった。多分後ろですごいオーラを背負っている二人にこれから絞られるルークの今後を想像しているのだろう。どうしよう、挫けてしまいたくなってくる。


「……いろいろありましたが、もう一度願います、マルクト皇帝ピオニー陛下。願わくば、私のアクゼリュス崩落の罪を一時預けてもらえませんか。そしてマルクト領内を移動する許可を頂きたい」

「そうだな。大地の崩落を防ぐ為だ、という理由なら十分だろうし、俺が何も言わなくてもあいつらが言うだろうし、許可を出そう。ああ、しかし議会に実際に大地の崩落する様を見せたほうが通りがいいだろうから、正式に許可が下りるのはセントビナーが崩落しきってからだ。下手に暴れるなよ?」

「はい、寛大な処置に感謝いたしま「さて話も纏まったなら行こうではないか小僧」え、ちょ、「そうですね行きましょう」おい、お前もかよ!」


 アーチャーに首を、ティアには腕を、問答無用で掴まれてルークはずるずると退出する。一応必死になって御前での無礼申し訳ありませんでした、との言葉を何とかを残して連行されていった。その姿を見やってひらひらと手を振り、ピオニーは傍らに立つフリングスの名を呼ぶ。


「アスラン。お前はどう見る?」

「どう、とは?」

「決まってるだろう? 外交上は無問題だがその他ではいろいろと問題発言していた、あのルークに関してだよ」

「私にはわかりませんが……そうですね、どこか―――自分が定めた終着に向かってのみ、歩みを進めているような気がしました」

「だな、お前もそう見るか。あれの言いようでは、積極的ではないが酷く消極的な自殺志願者だ。死に方を決めてる感じか。ふん、全てが終わったらいくらでも処罰を、か? 嘘だな、あいつは全てが終わった時には死んでるつもりだ。だからあんなセリフがぽんぽん出るんだ」

「そう思っておいでなら、どうしてそれを指摘なさらなかったんですか?」

「あの嘘が俺に対して吐かれたものではなくて、その後ろに居たエミヤあたりにかけようとしていた嘘だったからだよ。しかし、まあ、あいつがそう簡単に嘘に引っかかる質かねぇ」


 気づいているとしたら。気づいた上で、知らないふりをしているとしたら。
 なるほど、ルークはエミヤの協力者らしいが、完全に最後まで協力者だと言う訳ではないらしい。エミヤの主人はあくまでも『グレン』という存在で、彼はその主の願いのために場を整えているのだろう。
 騙しあいだ。あのエミヤと騙しあいなんぞというとんでもないことをしなければ行けなくなったルークに同情しつつ、ピオニーは心から呟いた。


「まったく、俺の半分も生きてない餓鬼の癖して、あんな冷静に死に方を決めた目しやがって。エミヤやあの娘に説教されて、もうちっとまともになれたらいいんだがなぁ」











[15223] 35
Name: 東西南北◆90e02aed ID:9ece46a5
Date: 2010/03/14 23:45




 オレンジだ。オレンジオレンジオレンジオレンジ、オレンジ。フルコース。なんだろう妙なデジャヴが。ああそうだセントビナーだ。エミヤが一時グレンから離れて根回しをするために宿屋を出て行った日のことだったか。匂いが食感が味がぁと嘆きの声が再生される。
 睨み付ける。目の前のオレンジディナーを目で焼き殺さんばかりに睨みつける。突然発火能力が覚醒して燃え尽きないかな、これ。


「睨んでも夕食は減らんぞ。食え、小僧」

「エミヤ……これは何の嫌がらせだ」

「嫌がらせなどではない。先人として若輩者に教育的指導を施しているだけだよ」

「だから、それはもう悪かったと言っただろう」

「ふん、その場凌ぎの嘘ごときも私が見破れぬとでも思ったのか? ああそれとグランツ響長とミュウと私はきのこフルコースだ。君の救世主ミュウは私の最高傑作きのこ料理集で満腹だろうさ、せいぜい頑張って己で食べるのだな」

「………………」


 どれだけ細かに手を回してるんだよこの暇人め。がっくりと肩を落としつつ、ルークは椅子に座る。本日はグランコクマの宿屋に宿泊。一泊した後、明日出発とのこと。……本当はすぐにでも出てしまいたかったのに、アーチャーとティアの数時間に渡る怒涛の説教によりずるずると遅れてしまったのだ。

 ちらりと隣の食卓を見る。すごく幸せそうにきのこ料理ですの~なんていいながらもきゅもきゅ食べてる青い小動物発見。オイコラご主人様のピンチだぞ、助けやがれちくしょう。
 ルークは半眼になってミュウを睨んでみるも、これ以上睨み続けていればミュウをとにかく可愛がっているとある可愛いもの好きがミュウの代わりに睨み返してくるだろう。諦めてため息をつき、とりあえずフォークで手近にあったニンジン一つ目を突き刺す。

 ガッツリと一気に口に入れれば、その瞬間口の中に弾けるニンジンの風味。おい、普通ニンジン嫌いのヤツにニンジン食わせるならその食材の味を何かで誤魔化そうとするもんじゃないのかよ。それともお仕置きレシピだからこそこれなのか。エミヤの鬼アクマめ。

 眉間に皺を寄せまくりつつももぐもぐと超鈍足速度で食を進めるルークを見て、アーチャーはほうと感心したような顔をする。


「ふむ、やはり感情減退の副作用か。味覚はあっても好き嫌いがわからなくてはあまり効果はなし、といったところか?」

「……そうだな。でもなんか体が味を覚えてんのか、気を抜いたら吐きそうになるんだが」

「その淡々とした声でそう言われても信用できんのだがね」

「じゃあ俺にどうしろって言うんだよ、エミヤは」


 実際問題ルークは今すぐにでも口の中のニンジンをぺっと吐き出してしまいたい勢いなのだが、そんなことをすれば今度は食べ物を粗末にしたということでアーチャーの逆鱗に触れるだろう。感情は忘れてしまっても体の記憶が動かそうとする反射行動に必死に抗いながら食を進める。
 ごくごくと水を飲んでニンジンを流し込む。食べてもせいぜい苦味を感じるだけなのにどうしてこんなに疲労が溜まるのか。なかなかどうして、体の記憶と言うのも侮れない。

 本当にこれ急に燃え出したりしねえかなぁ。

 再びフォークにさしたニンジンを見てしみじみ現実逃避しつつ、ルークは逃げぬようにと己を見張っているアーチャーに声をかけた。


「なあ、そういえば言おう言おうとして忘れてたんだが、俺コンタミネーション使えるようになっとかねぇと困るんだよな」

「む? ああ、そうだな。いずれは鍵を取り込んでしまっても取り出せるようになっておかねばなるまい。しかし今すぐといわずとも……」

「エミヤ。俺がすぐに何かのコツをつかめるような要領のいい人間に見えるか?」

「……そうだな。練習は早くするに越したことは無いということか。では明日の朝までに私が投影で剣を作っておく。それをコンタミネーションで出し入れできるように練習しろ」

「わかった……って、おいエミヤ? どこに行くんだ」


 もぐもぐとしぶい顔をしながら食事を勧めていると、今までじーっとルークを見張っていたアーチャーが自室へ戻ろうとしていたのだ。見張るだけでアーチャー自身はまだ食べていないではないかと声をかけたのだが、なに、すぐに戻ってくるよとだけ呟いてそのまま戻っていった。

 そして言葉通りにすぐ戻ってきたアーチャーが握っているものに見覚えがあったルークは、どういうことだと怪訝な顔をする。


「エミヤ、それは確か……グレンの道具袋だろ? いや、俺の記憶が正しければその中に入っているのは……ザオ砂漠で盗賊たちのお宝を奪って売りさばいて手に入れた金が入ってたんじゃなかったか?」

「そうだ。だがまあ実はできるだけ金を稼いでおいてくれ、とマスターに言ったのは私でね。ルーク、私がこの国に依頼をして陛下はほとんどそれを実行してくれたのだが……一体どれだけ金がかかったと思う?」


 言われて、特に疑問に思うでもなく考える。エミヤの頼んだこと。
 アクゼリュスの民の受け入れ、タトリン夫妻の借金の肩代わり、シェリダンでの浮遊機関の金銭面備品面での援助、これから起きるだろうことではセントビナーの住人の移動、エンゲーブはきっと機能停滞するだろうし……

 考えていればなんとなくアーチャーの思考が分かった。確かに、今のマルクトにはいくら金があっても困ることは無いだろう。


「国家予算の十云分の一?」

「そうだ。どうも見たところグレンは上手い具合に稼いでいたらしい。使わせた金額にしてみればまだまだだろうが、それでも少しは返しておかねば流石に居心地も悪い」


 それより何より、せめてタトリン夫妻の借金分くらいは用意しておかねばな。遠い目をして乾いた笑いを溢すアーチャーの表情をみて、ルークはどれくらい借金をしていたのかと聞くのをやめにした。
 ぶつぶつと零れた言葉曰く、雪だるまだの悪徳金融だの詐欺だの、個人でアレだけ借金を増やす才能は驚嘆に値するだのよく耐えていたタトリン奏長、だの。聞いてはいけない。きっと聞かないほうがいいのだ、これは。

 まあ確かにタルタロスが襲われた根本原因となった夫妻の借金を何故マルクトが肩代わりすることに、と議会あたりに情報が流出して、せっつかれることになる前にチャラにしておいたほうがいいのは確かだ。


「へ、へえ。……そうだな、確かに借りは返しとかないと気分が悪いだろうが、でもエミヤの要請って全部(借金肩代わり以外は)未来的にはマルクトのためになることばかりだろ。それでも返すのか?」

「私の気分の問題だ」

「律儀なヤツだな」

「さて、ではこれ以上遅くならぬうちに渡して来よう。小僧、分かっているとは思うが……残すなよ?」


 分かっているからさっさと行け。ルークはしっしっと追い払うようにして手を振る。出て行くときにちゃっかりティアに見張りを頼みやがって、これでは本当に残すことができない。余計なことをと半眼になり扉を睨みつけるが、仕方がない。
 フルコースに向き合い、眉間の皺を険しくしつつも黙々とニンジンを食べる。


「まあ、確かに借りは返しとかないと気分が悪いか……」












「あー疲れた。今日も一日ご苦労様だ、俺ー。さーてただいま可愛い方のジェイド。ネフリーは怖い怖い赤いにーさんに会わなかったか? 心配したんだぞー?」


 ただいまマルクト帝国皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下は可愛いブウサギと休息のひと時をお過ごし中。デレデレと、それはもう絶対に国民には見せられないような緩い顔でブウサギに頬ずりをしていらっしゃる。ここにフリングス将軍がいれば頭が痛いというように黙して俯くのだろう。
 そしてご機嫌に一匹一匹の名前を呼んでは親ばか炸裂の発言を繰り返して、しかしふと何かに気づき部屋の隅に鋭い視線を送る。すっと目を細めて、疑問ではなく確信を持った声で低く声を出した。


「――――誰だ?」

「私だ」


 陰から出てきたのは、赤い外套を身にまとう赤い弓兵。何だエミヤか脅かすなよ、とピオニーは苦笑交じりに警戒を解き、そんな皇帝にアーチャーはどこか呆れた風だ。


「ピオニー陛下。信用してくれるのは嬉しいが、貴公は王だ。この場合はどれだけ信用のある者でも同国の人間ではないのだ、警戒をそこまで解くのは感心しない」

「前に言わなかったか? これでも俺は人物を見る目はあるつもりなんだぜ、ってな。エミヤ。あんたは常に理性で以って人を殺す。ある意味狂人よりも狂ってる人間でもなきゃそんなのは心が耐えられない。それでも狂わないあんたはなるほど人外だ。警戒はしておいて損は無い。……が、今の俺なら、別だ。俺がいなくなることで起きる被害とデメリットと、俺がいれば生まれるはずのメリットと。生き延びる命の数をあんたが考えないわけがないんだ、だからお前は今は俺を絶対に殺せない」


 だろう? と問われて、アーチャーはまた溜息をつく。せめてこの半分くらいの意思と思考を各国の指導者が持ってくれれば、もう少しこの世界もまともになるのだろうが。ぞんざいに頷き、片手に持っていた金貨や紙幣がぎっしりと詰っている袋を軽く放り投げる。
 ピオニーはそれを軽い気持ちで受け取って、思いのほかのその重量に肩が脱臼しそうになった。


「うお!? っと、とと……軽々投げたと思ったら、随分な重さだな。エミヤ、何だこれは?」

「何。今のマルクトの国庫は色々とあってすっからかんだろう? 私の主の名前で寄付してくれ。それはグレンも先刻承知済みのことだからな」

「……ったく、律儀なヤツだなぁお前さんは。そんなのじゃ色々と苦労するだろうに」

「私は私がしたいようにしているだけのことだ」

「そうか。まあ、これだけ寄付をされれば文句も出ないだろ。お望みどおり一室を用意する。そこにお前の主人を運んで結界でも何でも張って行け」

「ありがたい。恩に着る」

「対価にもならん対価だがなぁ」


 くく、と笑ったピオニーは袋の中を覗きこみ、その中にぎっしりと詰った金貨の量に驚きに目を見張る。思わずがばっと顔をあげてアーチャーを見るが、私の主は白だぞ、という一言に思い切り胡散臭そうな顔をした。何を言いたいのかは分かるが、事実なのだから仕方ない。


「……昔から一級品だけに囲まれて育っていたからな。食事然り宝石然り装飾然り服から日用雑貨に至るまで、だ。本人は食事以外には頓着していないが鑑定眼だけはやたらに利くのだよ、わが主は」

「どこを発掘したらこんな金になるようなお宝が出て来るんだよ……なあエミヤ、本当に俺のとこに仕官しないか? 主もまとめて高待遇だぞ」

「マスターが頷けば自動に私も配下になる。マスターに交渉したまえ」


 あっさりとした却下に、ピオニーはつれないねぇエミヤは、と割と本気でぼやく。肩をすくめるアーチャーにまあいいと流し、近くにあった椅子に座り本題に入った。


「……で、わざわざこれを渡しに来ただけじゃないんだろ? ……ルークが居ない時に話したいことか。どれだ?」

「どうも研究室に入られたようだ。陛下が選んだ研究員は確かに信用できるが、白い人間ほど嘘をつくときには分かりやすい。ルークも口止めをしたのだろうがね」

「あっちゃあ……一応こそこそやってたと思ったんだがな」

「私が入ってから稼動している研究はどれだと問えば簡単だ。一般兵には己がエミヤの主だ、と言う顔をすればいいのだから」

「あー、そうか。お前の関係者なら現状調査だって言われたら解らないか……ミスったな」


 がりがりと頭をかいて罰の悪そうな顔をするピオニーに、アーチャーは腕を組み小さく苦笑を返す。何、そこまで気にすることは無い。そういいながらも口から出るのは疲れたような溜息だった。


「記憶が混線しているのなら、いずれは辿りついた事なのだ。だが疑惑が確信になったのだろうな……暴走しなければいいが。やれやれ、これでは小僧が暴走する前に下準備を整えておいたほうが良いだろう。ピオニー陛下、外殻大地を降下させきるまでに時間を短縮したい」

「っはぁ? おいおいあの量だぞ! …………ああ、くそ、分かったわかった元はといえばこっちのミスだ。何とか急がせる。浮遊機関の2号機は、お前のコネでセントビナー救出に働くまでは協力してくれるそうだからな。近いうちに今までできた分だけでも例の場所へ運んでおく」

「すまない。これは本当に感謝しよう」

「……なあ、ここまで協力しておいて今更だが、本当にこんなに大量にどうするつもりだ? しかも対象があれで運ぶのもあんなとこだし、何の役に立つんだか俺にはさっぱりなんだが」

「それは言えないな。だが、この世界のためには必須なのだ。いずれ分かる、それまでどうにか堪えてくれ」

「……しかたないな。お前が秘密主義なのは今に始まったことでもない。信じよう」


 諦めた嘆息の後、ピオニーは机の隠し引き出しの中から書類を取り出しめくり始める。パラパラと確認して、計画の時間短縮にかかる手間にうへえと嫌そうに顔を顰めた。


「すまない……だが、ありがとう。主の分も私から礼を言おう」

「良いってことよ。お前がいなきゃもっと大変だったこととかもあっただろうさ……ああ、だがお前は気づいているか、エミヤ」

「何をだ」

「こういう話をしているときは、お前もルークと同じ目をしてるぞ」


 書類を見たまま顔を向けられることもなく言われた言葉に、アーチャーの顔が一瞬驚愕に彩られ、しかしすぐに平静の表情に戻る。何を言い出すかと思えば、とんだ戯言を。常の口調、常の抑揚、常の表情だ。
 ピオニーはそんなアーチャーをちらりと一瞥し、溜息をつき、書類に力なく額を埋めた。


「ったく、協力者でコレなら寝てるって言うお前の主も同じ穴の狢か? やってられん。ろくでもない結果だけは勘弁してくれよ、エミヤ」

「……そうだな。努力しよう」

「頼むぞ、本当に」


 小さく笑いながら答えたアーチャーに心底からの言葉をかけて、ピオニーは自室の窓から空を見上げた。












 コツンコツン。扉の奥から小さな音がして、寝る準備をしていたティアは少し首を傾げる。ノックにしては随分と弱い音だ。なんなのかと不審に思いながら小さく扉を開ける。誰もいない。おかしいと思いかけた時に、足もとから声がしてその謎も氷解する。
 ミュウだ。ミュウが扉をノックしていただけだったのだ。どうやら幽霊のおこした空耳の類ではなかったことに、ティアは内心かなりほっとする。そしてじっとこちらを見つめる聖獣に気持ちも柔らかになり、膝を折って視線を低くした。

 どうしたの、と尋ねる。そうすれば、ミュウはそれはそれは可愛らしい動作で今まで背中に隠していた何かを両手で持って、ティアの前に差し出してきた。


「―――――――――え?」


 その差し出されたものをみて、ティアは呆然とする。

 硬直したティアにミュウは首を傾げながら、それでも一生懸命にティアにそれを差し出している。


「ミュウ、これ、どこで……?」

「えっと……その……拾ったんですの!」

「拾った?」


 そんなことある訳がない。そんな訳がない。だって、これは、あの時。
 信じられない気持ちで見つめるしかできない。小さな聖獣が持っているものに手を伸ばそうとしないティアに、ミュウは困ったように小首を傾げて尋ねてくる。


「みゅううー。ティアさんティアさん、これ、ティアさんの大事なものじゃないんですの?」


 その言葉に、おおよそが想像できた。慌てて笑顔でそれを受け取る。もう手にすることは無いのだと思っていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それでも仕方ないと自分に言い聞かせて手放したものだ。大きなスターサファイアがはめ込まれたペンダント。

 震える手を伸ばして、落とさないように大切に大切に受け取る。母の形見を胸元に持ってきて強く握り締めていると、ミュウもほっとしたような顔をして嬉しそうに笑う。


「ティアさん良かったですの!」

「ええ、ありがとう、ミュウ」

「はいですの! ……えっと、じゃあ、ボクはもうお部屋に帰るですの!」

「ちょっと待って」


 なんだかそわそわして帰ろうとするミュウを捕まえて、抱き上げる。その目を覗き込めば、仔チーグルはみゅうううと困った声をあげながらキョロキョロと落ちかない様子だ。やっぱり。そう思って頭を撫でながら、ミュウの困惑をほどけるようにとティアは努めて柔らかく微笑む。


「あのねミュウ。ちょっとお願いがあるの。いいかしら?」





 ご主人様。扉の向こうから聞こえた声に、ルークは今まで読んでいた本を閉じて、ベッドから腰を上げた。落ち込んでいるような声色ではない。どうやら上手くやったようだ。ルークはほっとしながら、扉を開ける。


「よう、上手くあいつに渡し―――」


 ぶっつりとルークの声が途切れた。代わりに聞こえるのは、困惑している小さなこどものような高い声。ご主人様、あの、その。もごもごと言い切れず、しゅんとしていた。
 部屋の前に立っていたのは、その腕にミュウを抱き上げてこちらをじっと見てくる見慣れた少女。

 ルークは無表情。感情があればきっともう分かりやすいくらいに狼狽していただろうが、今のルークは無表情だ。感情減退に感謝するのは二度目だろうか。今ほど自分が無表情で助かったと思った事は無い。


「こんばんわ。まだ起きてたみたいで良かったわ、ルーク」

「こんな夜中に男の部屋に来るとはいただけないな、ティア・グランツ。いくらなんでも無警戒だ」

「それは今更ね。同じ部屋に泊まったことだってあるんだから」

「…………」


 そりゃそうだ。エンゲーブ、シェリダン、野営などなどその他多数。近くで寝起きしたことは何度もある。確かに今更だが、それをサラリと言うのはどうかと思う。おい、兵士でもお前女だろ。変なところでスコンと抜けている彼女に、ルークは他人事ながら心配になってきた。
 溜息をついて彼女の腕の中からミュウを引っこ抜き、ベッドに座る。小刻みに震えるミュウを膝の上に置き、ぽんぽんと軽く叩くとその震えもおさまった。それを確認して、ティアの方に視線を向けた。夜で表情はよく見えない。ただ、あの深い海の色をした瞳がじっとこちらを見つめていることだけは分かる。


「こんな時間になんの用だ? 体調管理も兵士の務め、なんだろう。明日に備えて寝る時間だぞ」

「気になることがあって聞きに来たのよ。ペンダントを拾ってきたってミュウが言ってたんだけど、嘘なんでしょう?」

「ペンダント? 何のことだ、知らないぞ俺は。拾ったって言うミュウに聞けばいいんじゃないか……おっと、もう寝てるな」


 聞けばいいんじゃないか、あたりの所でびくりと肩を強張らせていたミュウをぐっと布団に押し付けて、ふみゅう! という小さな悲鳴は聞かないふりをする。起こすのは悪いから明日にすればどうだ、しれっとした顔で淡々というルークに、ティアは少しむっとした気配を発していた。


「ミュウがね、ペンダントを私にさしだして聞いてきたのよ。これは大事なものじゃないのか、って」

「へぇ。なるほど。確かに大粒の宝石だしな、あの手の大きさの宝石がついてるペンダント、ってのは代々母から娘へ、さらにその娘へ、というのがセオリーだ」

「…………」

「飾り気の無いお前がわざわざつけてたことからしても想像はつくしな、だから大事なものだとでも言ってたんじゃないのか」

「そう……そうなのよね。たしかにこれは、私にとってとても大事なものよ。でも私はミュウに会ったときにはこれをもう手放していたのに、ミュウはどうしてこれが『私の』ものだって分かってたのかしら」

「……ん? ………ああ、そう言われれば……」


 やべぇ、しくったな。ついぽろりとそれを声に出してしまって、はっとした時にはもう遅い。やっぱり、と呟いたティアがカツカツとこちらに近付いてくる。
 おいおい、今まで部屋に入ろうとはしなかったくせにそれはどうよ。なんだ無防備とは言えそれなりに警戒心はあるんだなとか思って安心した俺のなけなしの親切心を返せ。因みにこれは切羽詰ったゆえの八つ当たりではない、断じて違う。
 現実逃逃避気味にルークがつらつらとそんなことを考えていると、すぐ近くで立ち止まる。すっと差し出された手に乗っているのは、旅の始まり、馬車代の代わりにと彼女が手放した宝石の嵌ったペンダント。


「これは、あなたが見つけてくれたんでしょう?」


 確信しているくせに何故いちいち尋ねてくるのだろう。断言が欲しいのか。ルークはティアから視線を逸らして、部屋の隅のほうを睨むように見続ける。目をあわせようともしない彼に、ティアは確認するように言葉を続けた。


「ケセドニアで馬車の御者に宝石の行方を聞いたとき、あなただけは私といっしょに聞いていたものね。グランコクマのライズさん。いつの間に捜したの?」

「知らないと言っているだろう、ティア・グランツ。お前の勘違いだ。ミュウが拾って、宝石と言ったら女で連想して、ミュウが知ってる女はお前だけで、たまたまだったんじゃないのか」

「惚けないで。そもそもこんな大きな宝石が嵌ってるペンダントを落とすわけがないじゃない」

「分からないぞ。何事にもうっかりしている人間と言うのもいるからな」

「ルーク!」

「俺はもう寝る。話は明日にしてくれ」


 のらくらと話を逸らそうとするルークにティアは苛立ち声を荒げるが、ルークは鼻から相手にするつもりは無い。とにかく時間を稼いで明日までに上手い言い訳を考えようとそればかり考えて、ベッドから立ち上がるとティアの背を押しずんずんと部屋の外へと押しやっていく。
 ルーク、と怒った声が再び名前を呼ぶが知ったことか。後残り二歩三歩を歩いて扉を閉めれば完了、というところで背を押していた手を振り払われ、ティアが無理やり振り返ってきた。苛立ちがこもった青い瞳を、感情のない緑の瞳は淡々と受け止める。

 そのとき、ふと青い瞳が何かに気づき困惑に揺れたのをみて、しまったと思った。とにかく誤魔化そうと彼女の背を押そうとして、しかしそれよりも先に勘づいてしまったらしい。


「ちょっと待って……ルーク、あなたあの銀細工どうしたの?」

「どうって、別に関係ないだろう。今日は気分で外してるだけだ」

「気分? そんな訳ないでしょう? だってあれは、」


 ザオ遺跡。グレンが盗賊のお宝の中からいいものだけを取ってきたのだと笑っていた。へぇ、と気の無さそうにその戦利品を見ながら、その中で唯一ルークが手に取ったもの。C・コア(キャパシティ・コア)のような円形と装飾の銀細工。その背面に古代イスパニア語で刻まれた祈りの言葉。
 じーっとそれを眺めていたルークを見て、グレンがお守り代わりにやるよ、と笑ってルークに渡していて、その銀細工が大いに気に入った彼はいつもそれを身に着けていたのだ。

 本当は首から提げる形のものだったのを、モンスターの攻撃を受けて割れたら嫌だと鎖をベルトに通して本体をズボンのポケットに入れていたくらい気に入って、肌身離さず、ずっと大切に持っていた。


「まさか、ルーク……あなた、私のペンダントの代わりにあの銀細工を」

「違う。気分だ。たまにはそう言う日もあるんだ、もういいだろう、さっさと寝―――」

「じゃあ今すぐ見せて」


 煩い、何故俺がお前の言うことを聞かなきゃいけないんだ。そう言おうとしたのに、真剣な目を見て何も言えなくなる。舌打ちをしてそっぽを向くと、どうして、と小さく声が聞こえた。答えないままでいると、ぐっと奥歯をかみ締めた彼女がそのまま部屋から走り出ようとする。
 そのまま放っておけば、彼女の性格からしてどうにかしてライズを探しあて、今度はそのペンダントを差し出してルークの銀細工を取り戻してきそうだ。というか、ティアなら絶対そうするだろう。

 仕方無しにその腕を掴んで引き止めた。そのまま壁際に追い詰めて、さて逃げないようにとここまでしたがこれからどうしようか、と困ってしまう。青い瞳が睨みつけるようにルークに向けられる。その目を見て、彼はしぶしぶティアに話す。


「仕方ないだろう。ペンダントは買ったものだから買い戻すなら十万ガルド寄越せといわれたんだ。そんな大金今は持ってないから、代わりにあの銀細工を質として渡したんだ。十万ガルドを揃えた時に渡して返してもらうことになっている。他人の手には売らないと契約もした。お前が気にすることじゃない」

「……でも、お金をそろえるのに時間がかかったら誰かに売られてしまうかもしれないでしょう?」

「売ったら地獄の果てまで追いかけて殺すと脅……じゃなかった、契約したからな。大丈夫だ」


 サラリと問題発言を言い掛けて、それを言い直すのだがあまり意味は無い。しかしルークにとっては大まじめな問題で、彼にとってそんなに大切なものを質にして戻ってきたのだと思うとティアは素直に喜べない。


「このペンダントを手放したのは、私があなたを巻き込んでしまったせいなのだから。あなたの大切なものを差し出して取り戻すのは……あなたがそこまでする必要なんて、」

「巻き込まれた側の俺が勝手に動いたんだ、別にお前が負い目を感じることもないだろう。くそ、面倒くさいな。こうなると思ったから適当に誤魔化そうと思ったのに……」

「誤魔化すって……そうしたら、私はあなたがしてくれたことにも気づかないで」

「別に俺がそれで良いと思っているならそれでいいだろう、お前があれこれ考えなくても」

「ルー……っ!」


 思わず大声で声を荒げようとしたティアの口を、ルークは咄嗟に片手で塞ぐ。彼女は失念しているようだが、今は夜なのだ。これ以上騒いでいては眠っているほかの客に迷惑がかかる。大声を出すな。そう言って周りを気にするような彼の様子に、ティアも今の時間を思い出したようだ。
 つりあがっていた眉が下がって、大人しくなる。


「……それにな、お前がどうこう思う責はない。俺にはまだまだ時間があるんだ。俺は必ず金をそろえてあれを取り返す。でも、お前は違うだろう。だから先に取り戻した。それだけだ」

「……―――――」


 ルークの言葉に一瞬だけ、ティアの体が強張る。それが掴んだ腕から伝わって、それでも真っ直ぐにこっちを見る瞳を見て、ルークの心にはいつもの苛立ちが募る。
 これからさらに酷くなるだろう激痛に、苦しみに、死へと向かう病気を背負うことに恐怖がないわけではない。それでも逃げようとしない。逃げるつもりは無いのだと雄弁に語る瞳に、彼の表情が一気に消える。
 無意識にティアの腕を掴む手に力がこもって、少女の顔が痛みに歪む。それにも気づかず、苛々と言葉を吐き出した。


「あのペンダントは、代々伝わってきたものではないか、と俺は言ったが。もしそうだというなら、そのペンダントは何度も代を重ね変わっていく主の誕生とその死を見届けてきたんだろう。喜びも苦しみも幸せも悲しみも。繰り返す始まりと終わりを、ずっと主と共に歩んできたんだろう」


 ならば、そのペンダントは最後までそうあるべきだ。
 そのペンダントには、お前を最期を記録する義務がある。
 それだけだ。そうだ、それだけなのに。この苛立ちは何だ。


「……ティア・グランツ。何を勘違いしているか知らないが、俺はお前のためにこんなことをしているわけじゃない。ただ、あるべきものはあるべき場所に。そうあるべきだと俺が勝手に思った形に戻しているだけだ。分かったら余計なことなど考えずに、」


 もうさっさと自分の部屋に帰れ。そう言おうとして、けれど最後まで言えなかった。


「ルーク、起きているのか? 明日以降の予定だが―――………………む?」


 いつの間にやら閉じられていた扉をガチャリと開けて入ってきたのは、食事の時にちょっと出てくるといって結局この時間になるまで帰ってこなかった赤い弓兵。扉を開けた瞬間に固まっている。なんだか似たようなことがいつかもあった気がする。
 ルークはどうしたんだと聞こうと思ったが、今の状況を客観的に見ればどう見えるかとはたと思い至ってさあっと青ざめた。

 現状を確認しよう。

1、今は夜。ついでに寝る準備をしていたからお互い普段の服よりも薄着。
2、ここは男部屋である。しかもアーチャーはつい先刻まで外出中だったのでルークの一人部屋状態である。
3、ルークはティアの腕を掴んで、壁際に追い詰めて、ついでに言えば声を出させないように口を手で塞いでいる状態。よくよく改めて考えれば結構顔の距離も近い、かもしれない?

 事実は全く持って違うのだが、これは、あれだ、もしかしなくとも傍から見れば。


「……すまない、部屋を間違えた。取り込み中ならば見なかったことにしようどうぞごゆっくり」

「って、やっぱまたそれかエミもが!」

「ちょっとルーク、大きい声だしたらダメよ周りに迷惑でしょう!」


 大慌てでティアを解放してアーチャーに怒鳴り散らそうとしたルークの口を今度は彼女が手で塞ぐ。
 オイコラマテ。お前今の状況わかってるのか。しかも背中から抱きつくようにして口を塞ぐなぞお前わざとか、わざとなのか? エミヤがどんなとんちき勘違いをしてるのか、分かってての行動かこれは!? いくらそんなつもりは無いとは言ってもこれは……畜生め、ヴァン師匠に言いつけて説教してもらうぞこら!
 むぐうと唸って、しかし上手く逃れることもできず―――動けば背中に意識が集中しそうになって動けまないのだ―――しかめっ面をしていればますますアーチャーの顔がにやりと笑って、ルークの感じる嫌な予感はますます深刻になっていく。


「そうかそうか。うむ、あとは若いお二人で……」

「もがもがーーーーー!」



 グランコクマの一角で、夜は今日も和やかに更けていく。




[15223] 36(ダアト~ザレッホ火山)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:9ece46a5
Date: 2010/03/14 23:45




「では予定通りは私はダアトを通ってザレッホ火山を目指す。万一導師イオンとナタリア殿下が捕まっていたらアッシュ達の助力をしてからそちらに向かう。ルーク達はアルビオールでザレッホ火山の噴火口から直接パッセージリングのある場所まで潜る。それでいいな?」

「んー」

「いいか小僧、たしかあの場所にはフィアブロンクといういかにも活火山に住まう炎と岩のドラゴンがいて、進もうとするなら戦闘になるだろう。やつの体はとにかく硬い。できるなら大佐殿の譜術で水属性の攻撃をするのが一番なのだがここはグランツ響長の……」

「あぁ」

「………、………、………前衛はお前一人になるだろうからくれぐれも気をつけろ。まかり間違っても戦闘で超振動を使おうとするなよ、体全体にかかる負荷は確かに少なくなったかもしれんが、譜眼にかかるダメージは大なり小なり蓄積され続けるのだ。すぐ後にパッセージリングの操作という仕事が残っているなら連続の使用は常々控えるべきものであって……」

「おお」

「………………聞け!」


 ごん、とアーチャーの拳がルークの頭に直撃する。今までずっと投影された剣をじっと睨み続けながら、いかにも聞いていない返事を返し続けていたルークは頭をさすりながらアーチャーの方を向く。
 痛いじゃないか、冷静に言われるルークの言葉に頭が痛いのはこっちだとアーチャーも言いたくなるのだが、そこはぐっと堪えて代わりに眉間辺りに指を置いている。


「コンタミネーションはそもそもあの人外大佐殿だからこそできる技術なのだ。グレンとて一度体が分解されかかるまでできなかったことだぞ。まあそもそも構成音素が全て第七音素であれば理論上はお前もできるだろうが……体を構成する第七音素と、異物を構成する第七音素の違いを感じとり再構成せねばならん。……そんなに一朝一夕でできるものでもあるまい」

「分かってるよ……でもこれぜんっぜん感じも分からないな。せめて理論だけでも知っといたら少しは違うのか? ……ジェイドの本を見かけたらまた捜しといたほうがいいか……」


 そしたらザレッホ火山のパッセージリングを操作した後、またベルケンドに寄るか。売ってなくても最悪ベルケンドの第一研究所、ヴァン師匠の私室にでも入れれば、難解のものではなくとも基本的なジェイドの研究書類は大抵そろってるはずだ。
 ヴァン師匠がいなかったら話は早いけど、もしもいたら厄介だな。ああ、でも待てよ、ベルケンドに行くならティアも一応またシュウ先生に診てもらったほうがいいのか。だとしたらエミヤをティアのほうにつけてさっさと行動してもらってアルビオールに追い立てれば……いや違うな、逆か。

 あの人をベルケンドに帰れなくしておけばいいのか。

 にやり、と口元が歪む。ルークに感情は無い。感情は無いのに、時々こうして反射的に勝手に顔が歪む。自覚と感情の回線は途切れているが、体は反射行動を思い出しかけているようだ。自覚のない感情に対して表情筋が動く。
 これは良いことなのか悪いことなのかはよく解らないが、これなら多少は交渉ごとにも能面のような状態で挑まなくてもいいだろう。少なくとも害は無い。

 ルークとしてはその認識だったのだが、彼のその表情を見ているアーチャーは渋い顔をしている。どうした、とルークが問えば、アーチャーは腕組みをしてなんともいえないため息を吐く。


「表情反射でその顔は……悪人面だぞ、小僧。もっと穏やかな表情はできんのか」

「知るかよ。表情筋の反射なんだ、自分がどんな顔してるかなんて分からないさ」


 肩をすくめて返して、窓の外を見る。そろそろダアトにつく頃だ。


「エミヤ。パッセージリングを操作した後、モースにちょっと用事がある。師匠に対して嫌がらせをしようと思うんだ。多分すぐにでもバチカルへ行こうとするだろうから、少し足止めをしておいてくれ」

「そうか、あの髭に嫌がらせをするなら私もやぶさかではないな。モースを足止めすればいいのだな? 善処しよう。しかし、あやつに何をさせるつもりだね」

「……なあエミヤ、俺の体の固有振動数はアッシュと同じで、第七音素と同じで、ローレライと同じだろ? しかも俺はレプリカだ。身体の構成音素自体も第七音素……これってさ、はったりに使いやすいと思わないか?」

「……また悪人顔になっているぞ……」


 頼むからグレンと同じ顔でその表情はやめてくれ。
 内心切実にそう思ってしまうアーチャーの従者心は協力者知らずだ。微妙な顔をして目で訴えるアーチャーの、その訴えたいことがわからずルークは首を傾げる。まあわざわざ声に出して訴えるほどではないなら、大した事ではないのだろう。
 ルークはそう思うことにして、アーチャーの遣る瀬無い目はさらっと流し話を続ける。


「ラストジャッジメントスコアの内容に少し触れるから、ティアを連れてアルビオールに帰ってくれたら助かる。後は俺がしとくからさ。頼めるか?」

「任せたまえ。しかし下手を打つなよ、小僧」

「分かってる。ダアトの後に少しベルケンドに寄って、その次は予定通り、だな」


 承知したとアーチャーが頷いたと同時、ノエルが館内放送で着陸の案内をしている。もうダアトについたのだろう。ルークは大人しく座席のほうへ向かおうとし、アーチャーは直にハッチのほうに向かう。


「小僧。ノエルにはハッチを空けた後すぐに発進して構わんと言っておいてくれ」

「……着陸の時には座席についてシートベルトを、って館内放送丸無視するんだな、エミヤは」

「これも時間短縮のためだ」

「帰ってきたときにノエルに怒られても知らないぜ」


 軽く手を振って走っていこうとするルークを、アーチャーが呼び止めた。なんだと振り返るルークに、アーチャーはじっと刃色の瞳を向ける。アーチャーのその目が、先ほどまでの協力者としてのものとは僅かに違うことにルークは気づく。すっと目を細めた彼に、グレンの従者は小さく呟いた。
 小僧、グランツ響長のペンダントを取り戻してやったようだな。それを聞いて、ルークの表情が苦虫を噛んだかのようなものになる。


「ああそうだよ、気まぐれだ」

「そうか。それならいいのだが……まさか小僧、身辺整理のつもりだった、とは言わんだろうね?」

「――――なんのことだ?」


 淡々と返すルークの表情は揺らがない。無表情だ。ああ、なるほど。ルークのその表情を見てアーチャーは納得する。どうやらルーク本人は嘘をつくのが以前よりは上手くなっているようだ。隠したいことについてはまだぼろが出るようだが、少なくとも隠さなければならないことに対しては取り繕うことはできていると見た。
 どうやらルークも己の感情の状態を上手い具合に利用し始めたようだ。無駄に順応能力も高い。


「戯け。言ったはずだな、ルーク。嘘を吐くのは慣れた人間には簡単だが、吐き続けるのにはそれなりの技術が必要なのだぞ?」

「へぇ。それなら俺はモースへのはったりの為にも今の内に練習しとかないとだな」

「…………」

「……じゃあな、エミヤ」


 互いに視線を逸らし、背を向けた。贋作者(フェイカー)からのありがたい言葉を受け取り、ルークは今度こそ踵を返して走っていく。
 アーチャーは今度こそその背を見送って、呟いた。


「嘘を吐き続けることができないなら、意味がないぞ。ルーク、私を騙せるか?」


 アルビオールが降下する。








 アーチャーはダアトに降りた後真っ先にオラクル本部に向かい、まず外郭に手をついた。オリジナルスペルを口の中だけで呟き、その構造を把握する。そして記憶との照合を確認。よし、と頷き侵入する。教会の中だけなら一般の民衆でも勝手に入って咎め立てはされない。

 目立つ赤い外套をこの時ばかりは脱ぎ、砂漠越えでもしそうな大きな外套を羽織る。フードを被って頭を隠し、いつでも双剣を抜けるようにする。そして廊下をずんずんと進んでいけば、オラクル本部の入り口を守る兵がこちらに気づく。
 自分で言うのもおかしなものだが、なかなかの不審人物っぷりだ。オラクル兵は警戒するように剣を握り誰何(すいか)の声をあげる。


「何者だ? ここは関係者以外立ち入り禁ぐが、ぐほ、うがぁ!?」


 鬼畜の三連撃。鳩尾に鎧ごと掌底、体が折れたところで顎にまた掌底、よろけた後頭部に双剣で峰打ち。流れるような動作で容赦の一文字もなく意識を刈り取り、ついでにずるずると柱の影に引っ張っていってぐるぐると紐で縛りつける。


「ふむ、あっけないものだ。まあこの世界にトランシーバーや通信機器がないのが一番ありがたいことだな。動きやすい」


 因みに鎧の間に紐を挟めて動こうとすると節々への締め付けが酷くなり、激痛がするように縛るのが味噌だ。頭部の兜を外して猿轡をかませることも忘れない。これならそれなりに時間稼ぎもできるはずだ。よし、と満足げに頷き、アーチャーは小走りになってオラクル本部の深くを進む。
 構造は把握したし、どこの部屋に囚われているのかも知っている。耳を済ませて兵の巡回の癖を探り、隙を見て通り抜ける。どうしてもダメそうだと後方奇襲をして意識を刈り取らせてもらったが、さすがはオラクル騎士団の本部だけあって兵の錬度がそこそこ高い。
 キッチリと己の領分を完璧にこなしている。と、いうことは他者の仕事領域に過干渉するような低脳はいないということで、大きな見回りでもない限りばれることも無いということだ。恐らく後三十分くらいなら持つだろう。ヴァンの教育様様だ。

 アーチャーは目当ての部屋の前にたどり着く。ガチャリと扉を開けば、驚いた顔のイオンとナタリアが予想通りにそこにいた。エミヤ殿。あなたは。状況がつかめずにぱちくりとする二人に、説明は後回しだと言ってついてきてもらう。


「エミヤ。一体どこへ行きますの?」

「君達を仲間たちのところへ送り届ける。……っと、動くな。兵がいるな……寝かしてこよう」

「寝か……?」


 どういう意味だと問うまでもない。次の瞬間には一つ瞬きをする間に、アーチャーは兵との距離を一気につめあっと言う間に伸してしまった。
 殺さずに、だ。ここはオラクル本部と言うだけあって、兵の錬度は一般兵に比べても質はいい。それを知っている分だけ、アーチャーの実力をはっきりと示していた。イオンはほっと息を吐いて完全に兵の意識が落ちていることを確認していたアーチャーに近付き、恐る恐る尋ねた。


「あの……エミヤ殿」

「何だね」

「迷いなく進んでいるようですが……エミヤ殿は、ここの構造に詳しいのですか?」

「ん? ああ、実は恥ずかしながらここに来るまでに迷ってしまってね。あっちこっち行ったものだから、詳しくなってしまったのだよ」

「そうだったんですか……確かに、ここは迷路のように入り組んでいますから」


 納得したように頷くイオンにアーチャーは全くだと頷きをかえし、遠くから聞こえた足音を敏感に拾い取ってすっと目を細めた。


「……おっと、静かに。足音だ……これは複数だな。チィ、見張りを伸したのが予想より早く見つかっ……? いや、どうやらお迎えのようだ」

「アッシュ!?」


 壁際に身を潜めていたアーチャーの言葉をきいて、ナタリアは廊下の奥を見て声をあげた。あちこちの扉を開けては締めて、何かを探しているような人たち。赤い髪。割と離れていたはずなのに、しっかりとそのナタリアの声を聞き取ったアッシュはばっと顔を上げ、そして彼女の姿を認めて走り寄る。


「無事かナタ「あ、ナタリアっ! と、イオン様ーーーーー! ご無事ですかぁ!?」ぐお!」


 アッシュは婚約者の無事な姿を見て、珍しくほっとしたような表情を浮かべて声をかけた。否、かけようとしたのだが。
 ナタリアの後ろにちょこんと立っていた導師の姿を見つけた瞬間にアニスが疾風と化す。イオンに向かって一直線に向かってきた暴走ツインテールはアッシュを思い切り突き飛ばし、彼は壁にすごい勢いでダイビングするはめになったのだ。

 アッシュ! とナタリアは大慌てで壁にひびを入れている彼に治癒術をかけようと駆け寄り、そしてアッシュは屑が……と呻きながらも動けない模様。ナタリアが怒ったようにアニスの名を呼ぶのだが、アニスはごめんついうっかり、としゅんとしている。
 ついうっかりであんなに力いっぱい突き飛ばすな、とアッシュは叫んでしまいたかった。しかし、ごめんねイオン様が心配だったの、と珍しくしおらしい様子に早速ナタリアはほだされている。


「言っておくけど、ナタリアのこともすっごい心配したんだからね!」

「アニス……」

「それに、アッシュもだよ。すごくナタリアのこと心配してたんだから、早く元気な顔見せてあげなきゃ」

「ぐっ?! この餓鬼、何を勝手なことを言ってやがる!」

「えー、だって本当のことじゃん。オラクル兵に連れてかれた直後のアッシュの焦りようっていったら。すぐに単身で突撃して行きそうな勢いだったんだから、宥めるのに苦労したよぉ、本当?」

「アッシュ……ごめんなさい、心配をお掛けしましたのね。ですがあの時にはああするしか……それに、あなたたちなら必ず助けに来てくれると思っていましたのよ」

「む……」


 ナタリアの信頼のこもった微笑み。アッシュはもごもごと口の中で何かを言おうとして、結局失敗している。ただ、もうこんな無茶はするなよナタリア。アッシュ……。
 早速バカップルモードに突入中のようだ。そして結局アッシュを思い切り突き飛ばしてしまったことがいつの間にやらうやむやになっていることを確認して、アニスは陰でにまりと笑う。ふ、この二人ちょろいな。

 二人の世界を形成しているあの二人には、しばらくは他の誰もがアウトオブ眼中だろう。そのまま放っておいて、アニスはイオンの両手を握る。上から下までざっと見て見えるところに怪我は無い事を確認し、しかし不安は隠せない声色のままイオンに尋ねた。


「イオン様ぁ、大丈夫でしたか? 乱暴にされたり、ダアト式譜術を使わされたりはしませんでした……?」

「はい、大丈夫ですよ。軟禁されましたが、乱暴には扱われませんでした。アニスも無事のようで……」

「私のことはいーんです! 私はイオン様の護衛なのに、イオン様は私達のこと庇ってオラクル兵に捕まっちゃうし……もー、こっちの身にもなってくださいよぉ!」

「すみません」


 アニスとイオン、アッシュとナタリア。そこはかとなく同じような内容を言っている気がするのは気のせいだろうか。ジェイドが眼鏡を直しながらいつもの笑みを浮かべて、色々と疲れたようなガイのボヤキが零れる。

「やー、皆さんお若いですねー」

「年齢不詳のあんたがよく言うよ……」

「ところで時間が差し迫っているのでは無いのかね? 無事を喜ぶのはそれからにしてはどうだ」

「……ん? って、おわあああ!? あんたエミヤの兄さんじゃねえか、いつの間に!?」

「ふむ。それはアレか、嫌味か? 私は初めから居たのだが」

「おや、人外殿はどうしてこちらへ」

「……小耳に導師とナタリア殿下が大詠師に囚われたと聞いたのでね。本来の目的のついでだ、少々寄り道をして手助けをしたまでのこと」

「なるほど、本当に耳が早い。……いったいどのような情報源をお持ちなのか、ぜひとも一度教えてもらいたいものですねぇ……」

「それはできないな、企業秘密だ」


 眼鏡をきらりと反射させるジェイドと、にやりと黙秘を貫くアーチャーと。放っておけばまたブリザードを撒き散らしそうな二人を抑えて、ガイが慌てたようにアーチャーに声をかけた。


「まて、ここにあんたが居るって事はルークもここに居るのか……?」

「残念ながら今回は違うな。彼らはここには来ていない。いずれ合流するが今の私は単独でね。ああそうだ、導師イオン。大詠師の現在の行方はお知りではないかな?」

「……モースの行方、ですか? すみません、僕は捕まってからモースとあっていないのでどこにいるかは」

「大詠師の行方を聞いて、どうなさるつもりですか」

「少し動きたいのだが、私たちが動いているあいだに少々ヴァンをダアトに引き留めてもらいたいのだ。モースに色々吹き込んで、ヴァンの行動を妨害しようかと思ったのだが……」

「……ん? でもエミヤは教団員じゃないでしょ、モース様に会えるの?」

「なに、どうとでもなる。現にいま私はこうしてここに忍び込めているのだからな」


 首を傾げて聞いてきたアニスの言葉に堂々と返せば、少し乾いた笑いが返って来た。


「そっか……そうだよね、エミヤって人外だったもんねぇ……」

「そっ、そうですよね、エミヤ殿はとても……えーっと、足も速いですし、モースの一人や二人に追いかけられても捕まりませんよね!」


 アニスとイオンの脳裏に蘇るのは、人間ジェットコースターエミヤの人外魔境の速度とコーナーリング、その恐怖。そうだ、彼は心配するほうが馬鹿らしくなってくるほどの人外なのだ。微妙に二人の顔が青くなって、両人ともに遠い目をしている。


「やれやれ……モースならバチカルに向かうと言っていましたよ。早いならもうダアト港へ向かっていて、遅くとも執務室で準備をしているくらいでしょう。ただし六神将のリグレットが見送りをすると言っていましたから、近くに彼女が居るかもしれませんがね」

「……大佐殿にしては素直に情報を渡してくれたものだな。何のつもりだ?」

「いいえ、ただあなたに借りを作ったままにしておくのは危険な気がしましてね。……イオン様とナタリアをここまで連れ出していたのは人外殿、あなたでしょう」

「これくらいで別に借りを取り立てようとは思わんのだが……まあ良いとしよう。キムラスカに出られた後では厄介だな。早速ここの執務室から捜してみよう。君たちはオラクル兵が起きる前にとにかくここから離れるんだな」

「……お待ちになって!」

「? 何かな、ナタリア殿下」

「ルークとティアは……無理をしていませんの?」


 おや、とアーチャーは少しだけ目を大きくする。振り返って、意外なことを聞いたとナタリアのほうを改めて見てみる。


「驚いたな、まさかナタリア殿下からそのようなことを聞くとは」

「……あなたは私をどう思っていらっしゃるのかしら?」

「いや、殿下にとっての『ルーク』はそこのアッシュだろう」

「そうですわね。私が約束をした『ルーク』は、ここにいる彼ですわ。ですが、私にとってはルークも七年間を過ごしたもう一人の幼馴染です。……心配をするくらい許されてもいいでしょう?」

「……それはぜひともあの戯けに直接言って欲しいものだ。……私もグランツ響長も、あれとはまだ出合って日は浅い。ルークが生まれて七年間をともに過ごした君たち幼馴染や、もしくはグレンだな。その言葉なら届くやもしれん」

「……どういうことですの?」

「ガイ、ナタリア殿下。次にルークにあったときはぜひとも一発殴ってあいつの目を覚まさせてやってくれ、ということだ。ではな大佐殿。熱くなりがちのこのご一行の引率をせいぜい頑張ってくれたまえよ」


 ひらりと手を振って、アーチャーは一息に跳躍する。あっと言う間に見えなくなった姿を追いながら、やはり人外ですね、と呟いたジェイドの声がポツリと響いた。





  




 ザレッホ火山の火口から降りて、ルークは辺りを見回した。そこらじゅうでゆらゆらと大気が揺らいでいる。周りに居る魔物も妙にごつごつした岩っぽい魔物ばかりだ。


「へえ。暑すぎて息苦しいって聞いてた割には、そうでもないんだな。息を吸うだけでも喉や肺が焼かれる位だって言ってたのに」

「……火山の感想なんて誰に聞いたの? 大方予想はつくけれど……グレンから?」

「ああ、暑すぎて暑すぎて正気がとんで、そんな暑いところで一人だけ涼しそうな顔してやがるなら三十代後半の男性軍……いや、なんでもない」


 話を聞いたときのことを思い出しているのか、ルークは楽しそうにくくっと小さく笑う。流石はアーチャーが言ったとおりのグレン効果と言った所か。
 しかし楽しそうなのは大いに結構なのだが、ティアとしては先ほどの言葉の内容が気になる……三十代後半の男性軍人が何だと言うのだろうか。


「でもその言い様、グレンはザレッホ火山に火口から入ったことがあるってことよね。……本当に、どんな旅をすればそんな機会があるのかしら」

「あいつの探検好きは知ってるだろう、ティア・グランツ。しかも相棒はあのエミヤだぜ。あいつが『エミヤ、俺ザレッホ火山の溶岩見てみたい!』だとか言えば一発で荷物抱えにされて、連れてきてくれるだろうよ」

「…………そうね」


 アクゼリュスにて、人を三人抱えながらすごい勢いで走り去っていた身体能力を思い出してティアも苦笑する。
 導師守護役曰く人間ジェットコースター。
 導師曰く乗り物酔いって人間にも適応できるのでしょうか、と。
 ……なんだか能力の使いどころを間違っているように思えるのは気のせいだろうか。


「さて、俺たちもさっさと行くか。ミュウ、お前は確かセフィロトの位置を感じることができるんだったな」

「はいですの! あっちの方向にあるのが分かるですの!」

「じゃあ迷ったら頼む。行くぞ、ティア・グランツ」


 ルークはミュウを道具袋の中に押し込んだ。肩に乗せるのもいいのだが、それでは突発的な戦闘になったときに少し危ないのだ。
 やるべきことをやる。今のルークには、先ほどまでの楽しそうな笑顔はもうない。見慣れてしまった無表情に戻っている。グレンに関する時の表情と、それ以外の時との落差にいつも本当に微かに動揺して、しかし彼女は兵士らしくそれを瞬きひとつで押さえ込む。

 迷ったら頼む、と言っていたわりには迷いなく進む足取りに疑問を感じながら、ええと頷いて彼女も彼の背を追っていく。

 そして何度か溶岩の満ち引きを見極めて、グネグネと曲がった道を進んでいると、突然巨大な火球が飛んできた。咄嗟にルークは引いて避けるが、当の火球はルークが避けた先で、轟音を上げながら火口の内壁を大きく抉っていた。凄まじい威力だ。


「住居不法侵入に怒り狂ってるのか。気持ちはまあ解らないでもないが……しかしヤバイな。あれ、とんでもなく固いぞ。俺の剣でダメージを食らわせられるかどうか……」

「……エミヤさんと合流するまで、戦闘は避けたほうが良いかもしれないわ」

「だろうな。あんな岩みたいな外皮じゃ物理防御が高いだろう。お前みたいな譜術士が鍵だろうが、はっきり言って俺は一人であいつの攻撃を引き付けて逃げて戦って、前衛一人でどうにかできるほど実力は無い」

「……随分冷静に無理だって言い切るのね」

「俺は人外じゃない無力な馬鹿者だ。馬鹿は馬鹿なりに己の実力を把握しておかないとな」


 それに、ルークはまだ死ねないのだ。何があっても、死ぬわけにはいかない。願いをかなえるまで死ぬわけにはいかない。生きなければならない。そして、それは彼女にも同じことが言える。外殻大地を降下させきるまで、彼女に死なれては困るのだから。
 だから、それがどうしても渡らざるを得ない危険な橋ならともかく、この様にまだどうにかできる可能性がある状況で、自爆突撃覚悟で進むわけにはいかないのだ。

 アーチャーが来るとしたら後どれくらいだろう。暑さとしても、グレンの記憶で見たときほどではない。ならば、少々待機時間が長くなってもグレンの時ほど体力も削れはしない。ならば……


「……っ、ルーク!」

「ん? って、うお!?」


 冷静に思考を巡らせていれば、ティアの鋭い声とミュウのご主人様、という悲鳴のような声。突然腕を引っ張られて、ティアの上に倒れこむ―――のだけは避けようと、両腕を何とか地面につき気合で回避する。そしてすぐ背後でドオンと言う大きな音。壁の崩落音。ばさばさと羽ばたく音と、重い何かがずしんと降り立つ地響き。
 ティアは緊張したような表情で、ミュウは小さく震えていた。振り返らずとも状況は把握できる。


「おい、何の嫌がらせだ、これは」


 すぐに体勢を整えて、腰の剣に手をかける。
 振り返った先では口から火を吐く焔と岩のドラゴンが、敵意もあらわにこちら側へとやってきていた。

 ごうごうと連続で吐き出される火球をやり過ごせば、ロッドを握ったティアが声をあげる。


「気をつけて、来るわ!」

「しかたない……前衛は引き受けた。防御と逃げでおとりを優先するからとにかく譜術を頼んだぞ!」


 簡単な戦略を伝え、ルークはフィアブロンクの間合いへと駆け込んでいく。














[15223] 37
Name: 東西南北◆90e02aed ID:d3608f8e
Date: 2010/03/14 23:45




 大きな巨体がずっと持ち上がり、すごい勢いで上から両足が叩きつけられる。その目測をはかり、ルークは力一杯に横っ飛びになって逃げた。ずうん、と重い地鳴りと砂埃。飛びのきざまに受身を取って、そしてまたすぐに距離を詰める。下手に離れればブレスによって消し炭になるのだ。近距離から足を避けるようにするのが一番安全だ。

 フィアブロンクにとっては、先ほどからちょこまかと動いては地味に攻撃してくる羽虫が気に入らないらしい。ブレスを吐いたり、火球を吐いたり、足で踏みつけようとするのだが上手くいっていない。いらいらとしていれば遠距離から譜術攻撃。ぐるぐると唸りその譜術を放つ術者を標的にしようとすれば、今度は比較的外皮が薄い場所を狙ってルークの剣が向けられる。

 唸り声を上げて、ドラゴンは羽ばたき滞空する。その状況から予測される攻撃は広範囲に対するブレスか、火球か。どちらにせよ回避行動に入ったほうが良い。


「そっちにもいくぞ、避けろよ!」


 一応声をかけて、ルークは目前に迫った火球を避けた。その逃走経路を予測したかのように吐き出される火球を何とか必死になって避ける。最後の一撃が毛先をかすってこげた匂いが鼻につき、顔を顰めた。
 それでも何とか避けきって、微かに気が緩んだのだろうか。ほんの一瞬の隙だったはずなのだが、間合いの目測を見誤った。はっとしたときにはもう遅い。後ろ足でたって、前足を構えている。あの巨体全体の体重をかけて交互に振り下ろされる攻撃を喰らってはひとたまりもない。


「ルーク!」

「この……くそったれ!」


 振り下ろされる攻撃を、何とか剣で防ぐ。しかし衝撃までは殺しきれない。巨大な岩が一つ勢いよく突っ込んでくるような衝撃で左腕が痺れた。さらにその上防御のために剣の峰に手を当てていた右腕まで痺れている。舌打ちをする暇もない。次に振り下ろされる攻撃を避けなければ。無理やり避けようとして、道具袋が慣性の法則でルークの動きから僅かに取り残された。


「しまっ……」


 ―――普通なら、別に考えるまでもないことだ。道具は道具、壊れても買いなおせば良い。しかし、ルークはそうするわけにはいかなかった。彼の道具袋のなかにはミュウがいる。

 咄嗟に体が動く。思い切り道具袋を後方に放り投げ、代わりにその場所にとどまることになったルークは全力で二撃目を受け止めた。なんとか止められた代わりに受けた凄まじい衝撃に、身体中の骨がみしみしと軋む。完全に両腕の骨と筋がいかれたようだ。剣を握ってもいられなくなってガシャンと取り落とす。耳鳴りと眩暈。視界が黒く染まって平衡感覚が狂っている。

 膝を突きそうになるのを堪えていれば、そんな悠長な時間を敵が放っておくわけもない。フィアブロンクの尾が迫る気配を感じて、右腕で庇う。が、剣で受けてあれだけの衝撃があるものを、腕一本で殺しきれるわけがない。
 踏みとどまることさえろくにできなかった状態のルークは、その衝撃をもろに受けて後方へと吹きとばされた。ルークはそのまま背後の大岩にぶち当たる。大岩にはいくつかのヒビがはいり、その衝撃を物語っている。

 普通なら意識がとぶであろう衝撃に、それでもルークは耐えていた。ぎりりと奥歯が砕けそうになるほどかみ締めて、気を抜けばすぐに飛んでしまうであろう意識をなんとか繋ぎとめる。左腕は動く。しかしまだ剣は握れない。右腕は却下。動く気配もない。
 痛覚が麻痺しているのか、体中が痛みすぎてもう痛みすら分からなくなっているのか。あんな勢いで吹きとばされたというのに、不思議なことに激痛に苛まされているという感覚は無い。ただ、視界が暗い。

 それでもフィアブロンクの殺気を感じる。動けない獲物をわざわざ追いかけて踏み潰す手間をかけるわけもない。恐らく次に来るのは火球だろう。
 ぶつけられた岩に体重をかける形で無理やり立つ状態を保っていたのだが、動かなければと一歩を踏み出す。その瞬間体中に灼熱が駆け巡り、息が止まった。痛覚は無い。一時的に痛覚は無いが、体へのダメージは凄まじいようだ。

 ぐらりと体が傾きそうになるのを、それでも踏みとどまらせた。斃れることを己自身に許さない。まだ願いを叶えていない。ならば倒れることなど許されない。


「立ち塞がるなら―――」


 しかしルークの決意など知ったことではないといわんばかりに、特大級の火球がルークのほうへと飛んできた。たとえ足がつぶれようが腕が飛ばされようが体が焼け爛れようが、ルークには死ぬつもりは無い。根性で生きのびてやる気は満々で、にやりと笑いながらその火球に向かって左手を伸ばす。


「砕いて進む」


 第七音素の奔流が渦を巻く。ルークの体中に光の譜陣が浮かび上がり、眼帯の下で赤橙色の譜眼が煌いた。そしてルークは左手に浮かぶ光をそのまま制御しきるまでもなく放つ。ぶつん、と何かが切れるような音がした。
 そして放たれた超振動は音すらも喰らい尽くして、全てを灰燼に帰する破壊の光がルークを狙った火球をあらかたかき消す。
 しかし全てではない。まだ残り一つ二つが残っている。けれどそれを消しきるだけの余力がない。痛覚は無くなっているはずなのに、その分身体中の痛覚が一箇所に集まったかのような痛みを訴える譜眼に、ルークは左目を押さえて呻く。

 悲鳴はあげない。地面に膝はつかない。必死にぎらぎらした眼光をフィアブロンクに向けて放ち、眼帯をむしりとり放り投げた。捨てられた眼帯は、たっぷりと吸った血の重みでべしゃりと嫌な音を立て地面に張りつく。

 そして顔をあげたルークがもう一度超振動を使おうとするのだが、間に合わない。迫り来る火球がルークを蹂躙する寸前、ルークの足もとに光の陣が浮かび上がる。そして瞬時に展開された不可視の壁。半円形上に形成されるそれには覚えがある。

 フォースフィールド。
 二番目のユリアの譜歌だ。

 魔界に落ちてなおその衝撃に耐え切ったユリアの譜歌。火球の一発や二発は軽く弾いた。フィアブロンクは苛立たしげに咆哮をあげ、次々に火球を吐き出してはぶつけてくる。それでも譜歌によって形成された結界はゆるぎない。
 これならしばらくは持つだろうが、しかしずっとは無理だ。それでも時間は稼げる。どうするべきか。もはや起きているだけでも奇跡的な状況で、ルークはそれでも思考する。


「ルーク!」


 ごおんごおんと結界に火球がぶつかる音を聞いていると、名前を呼ばれた。少しでも頭を動かせば視界はぐらぐら揺れるので、ルークはちらりと目を動かすだけにして、すぐに視線をドラゴンに戻す。


「丁度良い。ティア・グランツ、体は後で良いから先に左腕に治癒術をかけてくれ。折れても感覚があるならどうにかなるが、麻痺状態では超振動がまともに制御できない」

「何言ってるの、あなた自分の体がどうなってるか分かって―――」

「全体の治癒はアレを殺してからだ。俺は今剣を握れないから、超振動でどうにかするしかないだろう。早くしてくれ、フォースフィールドがいつまで持つか予想がつかない」

「でも……」


 ティアは厳しい顔をする。ルークは平然としているが、閉じられた譜眼から流れる血が止まっていないのだ。今も赤の雫が一筋、彼の頬を伝ってパタリと落ちる。

 恐らくはまともに制御もしないまま、取り込んだだけの第七音素をそのまま全力で放ったせいだろう。どれだけ譜眼で第七音素の収集率を上げていても、それを放つ体は普通の人間なのだ。許容オーバーの第七音素を無理やり超振動に変換して、制御もなしに放つなど無事ですむはずがない。これ以上譜眼に負荷をかける超振動の行使は止めるべきだと分かっているのに、ルークは退く気もないようだ。
 ティアは戦闘ができないなら退いて態勢を整えたほうが良いと言おうとしたが、フォースフィールドの範囲外に出た瞬間狙い撃ちされるであろうことに気づいて口を噤む。結界が火球をはじくたびにびりびりとした振動が伝わり、静かな緑の瞳が彼女を追い詰める。

 無言のままルークはひょいと左腕を差し出して、その腕を取ったティアは苦々しい思いで治療する。迅速に、けれど丁寧に。ルークが左腕の感覚を取り戻したのと、結界に限界が来たのがほぼ同時だった。
 ばきりと嫌な音を立てて不可視の結界にヒビがはいる。その様子を見ながら、ルークはまた左腕を掲げた。ぼうと彼の身体中の譜陣が浮き出て、左目から零れる血の量が少しだけ増える。ぱた、ぱた、ぱた、と断続的に零れ落ちていくその血の量にティアの表情が歪む。

 本当に微かに呻きながら、それでもルークは超振動の力をためている。

『……ろ』

 手の中の光の威力を上げていくたびに突き抜ける痛みは増えて、それでもその照準を火球を吐き続けているドラゴンへと向けた。

『……やめろ』

 そしてその光を放つ直前。不意に脳裏に響いた声に、ルークは思わず硬直する。


『やめろ。お前は、俺みたいに超振動で命を奪うな』


「グレン……?」


 呆然と名前を呟き、ルークの動揺がそのまま表れて手の平の中の光が弱くなる。しかしついに突き破ってきた火球に慌てて照準を変えて、超振動を放った。先ほど放ったものに比べれば一気に威力は落ちているが、それでも火球をかき消すくらいはわけは無い。
 全てを落としきったが、流石に限界だった。この後にまだパッセージリングの操作でもう一度超振動を使わなければならないのだ。だからこそ先刻の超振動で、フィアブロンクを倒しておかねばならなかったと言うのに。遅れてさらに疼きを訴える左目を押さえて、ふらりと後ろによろめく。


「畜生が……なんで邪魔をする、グレン」

「ルーク?」


 ティアに支えられながら、ルークは呻くように呟いた。その言葉の意味が判らず問うような声が聞こえるが、それは流してじっとフィアブロンクの動きを見る。先ほどから連続で火球を消された光を警戒しているのか、ドラゴンは唸り声を上げながら近付こうとしない。
 しかしいずれにせよこれ以上は持たない。ちらりと視線を巡らせる。結界内にこてんと放り投げられている道具袋がもこもこと動いていて、あの時思い切り放り投げてしまったがどうやらミュウにはダメージは無いようだ。


「ティア・グランツ。お前、ミュウを拾ってアルビオールまでいったん退け」

「……何言ってるの? ふざけないで」

「ふざけていない。忘れたのか。お前は外殻大地を降下させると決めたんだろう。なら生き残るのは義務だ、さっさと退け。俺は無理だ。色々ガタが来て動くのも一苦労だし、退く分の体力もない。しかしまだ死ねないしな、せいぜいエミヤが来るまで粘るとするさ……ほら、あいつもそろそろ動くみたいだぞ。火球が出されたら吹きとばしてやるから、さっさと行け」


 ドラゴンはぐるるるると唸り声を上げながらこちらを睨みつけ、ずしんずしんとこちらにゆっくりと歩いてくる。ルークは溜息をつきながら左手を掲げ、早く行けと促すのだがティアの表情は強張ったまま、退こうとしない。


「……譜陣も譜眼もいつまで制御できるか解らない。暴走状態になった時に第七音譜術士はあまり近くに居ないほうがいい。下手したら巻き込まれるぞ」

「…………」


 返答がないのでおい聞いてるのか、とルークが問えばティアからは聞いてるわよ、と返ってくる。それでは聞いているのに動かないのは己の意思なのか。つくづく甘い。人間もどきを一人見捨てることもできずに何が兵士だ。彼はそう思ったのだが、声に出すと煩いだろうと心中でぼやくだけにする。

 第七音素を収束させる。


―――超振動で命を


「そうもいかねぇんだよ、グレン」


―――俺みたいに


「……ごめんな」


 脳裏を過ぎる声に小さな呟きで謝り、一気に第七音素をを集めようとして、その瞬間にばさりという音が降ってきて、がしりと左腕を掴まれた。はっとして顔を上げる。いつの間にそこにいたのだろう。いつもの外套ではない、フードつきの外套。鋭い鷹のような瞳の中の刃色は呆れているような表情を映していて、眉間に寄る皺を揉み解すように指を置いている。


「ルーク……言わなかったか。グレンのときとは違うのだ、超振動は使うなと」

「エミヤさん!」

「……遅いんだよ」

「グランツ響長、ここは私が引き受けた。この馬鹿の治療を頼む」

「分かりました」

「おい、馬鹿って何だよ馬鹿って」

「馬鹿は馬鹿だ。小僧、何度超振動を使った?」

「…………仕方なかったんだよ」

「グランツ響長、この馬鹿は何度超振動を使ったのかね」

「二回です」


 ぶつぶつ小声で誤魔化そうとしていたのに、あっさりと答えたティアにルークは慌てて「おい!」と声を荒げるのだが、アーチャーの「……ほう、二回?」という怒り交じりの声にうぐっと声を詰らせた。


「なるほどなるほど、それでも先ほどの三回目では全開で一撃を放つつもりだったな? しかもその後はパッセージリングの操作もあるのに、だ」

「うぐぅ……」


 がしりとアーチャーは両腰に下げている双剣を引き抜き、その切っ先をフィアブロンクに向ける。鋭い眼光はルークではなくドラゴンに向けられていて、かのドラゴンは己の体躯よりも遥かに小さなその人間の形をした何かに、怯えたように一歩後ずさった。


「後でじっくりと左目について聞こう。その前に元凶退治だ。せいぜい休んでいたまえ」


 振り返りもせずにそう言って、アーチャーはドラゴンへと切りかかっていった。








 悲鳴を上げて、フィアブロンクがよろめいた。そのままふらりと傾いだ体は溶岩の中へ―――とは落ちずに、ずうんと音を立てて地面に横倒しになるだけだ。巨体が倒れた衝撃で軽い揺れを感じる。ふんと鼻で笑いながら、アーチャーは双剣を腰に戻す。
 ありえない。ありえないありえないと思っていたが、本当に人外だ。よりにもよってこいつまで殺さずに収めるとは。流石は人外。怒れるライガクイーンを殺さずに宥めて引越しさせた猛将。双剣使いの最強の弓兵だ。

 腰に剣を差した後、くるりとこちらに振り返ってかつかつと近寄ってくる。顔は、うっすらとした笑顔だ。怖い、怖すぎる。ルークは顔を引きつらせつつ下がってしまいたくなったのだが、ごくごく普通に治癒術をかけているティアに動かないで、と留められて脱走は失敗。

 大岩に背を預けて上体を起こしているルークのすぐ隣にどかりと胡坐をかいて座り込み、立てた片膝の上に肘をついた。アーチャーはそれはそれは鋭い目をギロリと向けて、そのくせに顔だけは笑顔で、ルークは正直気絶したふりをしたくなった。


「さて、ではじっくりと聞かせてもらおうか小僧」

「お手柔らかに頼む……」

「そうだな。ではまず一つ。小僧、お前の左眼は今どこまで壊れている?」

「………………」


 うわあ容赦ねえなコイツ。ルークは心中で呻いてぼやく。
 予想通りというか、アーチャーの言葉に驚いた表情をして顔を上げたティアはどういうことですかと問い詰め口調だ。しかし首を振ったアーチャーはルークを指差し、そいつの症状はそいつに聞いてくれと丸投げしてくる。オイ待てよ、コラ。

 ルーク。歌うときには凛として、常の声音は涼やかでよく通る、それが今だけは色々と湧き上がる感情を抑えているような低い声になっていた。黙り込んでいると、再び名前を呼ばれた。肩が勝手にびくりと跳ね上がる。治療の手は休めないままで青い海色の瞳にじっと見つめられて、ルークは舌打ちをした。

 この目はよく解らないけれど苦手だ。嘘も隠し事も上手く繕えなくなる。流石は情報部、新手の譜術か譜眼でも作っているのか。ダアトもなかなかやるじゃないか、馬鹿げた思考を頭の片隅で転がして、仕方無しに現状を説明する。


「俺の、譜眼と譜陣はエミヤの特別製だ。とにかく第七音素を収束させることのみに特化していて、それ以外の安全面もその他もろもろ度外視して第七音素を集めるようになっている。でも、俺の体はオリジナルとは多少劣化しているとはいえ人間と同レベルだ。集められる量と使用可能容量に隔たりがある」

「そうだな、例えて言うなら水風船だ。穴を開けた水風船。水が第七音素として、風船の殻が小僧の限界容量だと思ってくれ。少々の容量オーバーなら風船が膨らんでどうにかなるが、限界値を越えればあっと言う間に破裂する。そんなイメージだ。小僧がパッセージリングを操作する時が張力ギリギリの限界値、そう考えたら分かりやすいだろう。はっきり言おう、譜眼から取り込んだ第七音素で制御なしのまま全開状態で超振動を放つなど、これ以上なく粉微塵に破裂した風船と同義だ。
 さて、小僧。ここまで説明してやったのだ、早く左眼の現状に移れ」

「…………」


 嫌がらせだ嫌がらせだ、絶対にこれ嫌がらせだ。
 先ほどのアーチャーの言葉で嫌な予感でも抱いたのか、どういうことだと目で問う力が強くなっていらっしゃる。アーチャーはいつの間に拾っていたのか知らないが、ルークが放り投げていた眼帯を持ち上げて片手で軽く絞っていた。
 ばたばたと時間が経ったせいで黒く濁った血が滴り落ちて、どれだけのダメージが譜眼に蓄積されているのかを言葉にせずとも示して見せた。ティアの目がさらにつりあがる。仕方ないだろう他にやりようが無かったんだから!


「……日常生活、戦闘状況に支障は無い。大丈夫だ」

「そうか。支障は無いか。では支障は無い程度の障害はあるのだな」

「…………………………」

「ルーク、本当なの?」

「大した事じゃない。というか、何で分かったんだよ」

「戯け、解析は私の十八番だ。その蓄積ダメージで無障害などありえん。しかしそうだな、戦闘に支障が無いといったら視力低下でもなく視野狭化でないか……遠近も違うな、となると……ふむ、色彩障害かね?」

「色彩障害……?」

「エミヤ、分かってるならわざわざ俺に言わせなくてもいいじゃないか!」

「どのレベルまで進行しているかは私は医者でも無いしわからんのでね。お前に聞かねばなるまいよ」

「よくもまあいけしゃあしゃあと……っ」

「今はどういう状況なの?」

「…………っ、あああああ、もう、別に大した事は無い! 左眼で見る世界がモノクロになっただけだ。色がないだけで視界も視力もそのままだし、まだ黒の濃淡も認識できる、マシな方だろう!」


 大声で喚いて、ルークは立ち上がる。体が完全に治っているわけではないが、大分調子はいい。痛覚遮断の反動か、アーチャーが駆けつけた後になってだんだんと体中が痛みを訴えていたのだが、その痛みもほとんどない。やはりティアは治癒師としての腕は一流だ。
 こっそり感心しながら道具袋を引っつかみ、パッセージリングのあるほうへ歩いていくとはっとしたような彼女の声が聞こえる。


「ちょっと待って、まだちゃんと全部診てないわよ?」

「動けるようになったらそれでいい。こんなところで治療するならアルビオールの中で診てくれ。そっちのほうが魔物もいないから安全だ」

「でも、せめてもう少し左眼は……」

「いい。どうせすぐにパッセージリングを操作するんだ、少々は―――」

「否。小僧、左眼だけは常に良好状態を保っておけ。それ以上負荷がかかっては本気で失明しかねん」

「……大げさだな」

「お前は! 分かっているのか、感情減退に色彩障害だぞ!? これ以上あれこれ重くなろうものなら起きたグレンに私が殺される! とにかくそれ以上左目に負荷をかけないように、左眼だけは完璧に常に良好状態を保っておけ、分かったか!」

「……分かった。頼む」

「え? え、ええ……」


 くわっと力説するアーチャーの迫力に負けて、ルークは大人しくティアの治療を受ける。血が止まっていただけで痛んでいた左眼の疼きも順調に消えていく。その間中ずっとアーチャーは握った眼帯を見ながら血を落とさねば染み抜きだとぶつぶつ言っていたのだが、治療が終わった辺りでふらりとこちらに近付いてくる。
 そして頭の上にぽんと手を置かれて三秒ほど目を閉じていた。ふむ、と感心したように頷き、手を離す。どうやら彼の解析結果からしてみてもまだマシなほうなのだろう。


「よくやってくれたグランツ響長。まあ色彩障害についてはもう戻りはせんだろうが、これならパッセージリングの操作をしても、さらに左眼の状況が悪化するわけでもないだろう。操作を終えた後もぜひ頼む」

「はい、分かりました」

「……しかし随分と来るのが遅かったじゃないか、エミヤ。お前ならもっと早く来ると思ってたんだが」

「あのな。これでも苦労したんだぞ? あの横に大きい狂信者を捕獲して縄で縛り上げてとある倉庫へ押し込めたり、それを追ってきたオラクル兵と鬼ごっこをしたり、ここにくる時にはアレだ、こう、火をつけなければ道ができないところを、ここはむしろ道を作らずに渡った方が無粋な輩も近付かんだろうと小さな足場を飛んで渡って、火口からのルートもあのフィアブロンクが生きていれば手練でもなければ通れんしな、生かしておいたのはそのためだぞ?」

「ああ、そうか。それならダアトからのルートはミュウでもいなきゃ通れないし、火口からのこのルートはあいつを倒さなきゃ進めないのか。確かにそのほうが安全だ。じゃあ、エミヤが苦労……はあんまりして無かったっぽいけど、いやなんかそれもすげーむかつくけど、とにかく眠らせたあいつが起きない内に済ませようぜ」


 ひらひらと手を振って進んで行こうとするルークを、アーチャーが呼び止める。何だよ、と振り返って首を傾げる彼を見て、アーチャーは溜息交じりに呟いた。


「本当に左眼には気をつけるのだぞ。言っただろう、ダメージ負荷は蓄積され続けると。もう二度と治癒譜術を挟まない連続使用はするな。次こそ視力が一気になくなるやもしれん」

「そうか。まあ、せいぜい気をつけるさ」


 軽く流すだけのルークを見て、アーチャーは再び溜息をつく。その代わりのように深刻な顔をしているティアを見やって、苦笑した。


「と、言うことだ。あの馬鹿は自分には無頓着なのだよ。グランツ響長、無茶をしようものなら殴り倒してでも止めてやってくれ。特に左眼には気をつけろ。あの調子ではいざとなったらまた連続で超振動を使いかねん」

「彼は人の体のことになるとすごく気をつかうのに……どうして自分の体に対してはああなんでしょうか」

「さてね。ただ、名は体をあらわすと言うだろう。グレンといいルークといい、本当にその名の意味のとおりだ。どれだけ違う存在になろうと魂のあり方はそっくりで、いい加減に嫌になるな」


 聖なる焔の光。誰かのために命を燃やして、誰かの為に光を届けて、世界を照らして、後には何も残さず死んでいく。太く、短く、しかし鮮烈な軌跡を残す焔の灯火。
 名前の意味を聞いたとき特に考えるでもなく、炎という連想から名前を与えた。

 グレン。紅蓮。泥の中でも穢れなく咲く蓮の花。その紅の蓮華は古来より猛火の例えに使われる。いい名だと思ったのだ。焔の意味と、その花のあり方によく似ている気性の主だと思ったが故に。
 ……しかし。聖なる焔の光という名から解放されても、彼はやはり焔の名を背負って、焔のように生きていく。『ルーク』から解放される主にその名を与えたのは、アーチャーだ。

 なあ、マスター。
 君に与えなければ、良かったのだろうか。


 ―――焔という意味の名など。


 同じだよ。君も、あの馬鹿も、結局根本は同じだ。
 自分以外の何かの為に走って、絶対に止まらない。


「……グレンも、ルークも、傲慢で馬鹿だからな。周りがどれだけ心配しても止まりはせん。まあ、私も人に言えた義理は無いのだが。……グランツ響長、小僧を頼む」




 あのローレライもどきを世界に引き留めるなら、ユリアの子孫の彼女こそが適役だろうから。














[15223] 38(ダアト)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:d3608f8e
Date: 2010/03/25 01:17



――― introduction in


 コツコツコツと床を踏みしめる音がする。階段を昇り、教会の大扉を開けて廊下を進む。歩いている影は二人。先を歩いている男は後ろへついてくるように控えている女に一言だけを溢した。


「リグレット。どういうことだ」

「分かりません。ただ、閣下を連れてくるようにと。……そうでもせねばベルケンドヘ情報部の内偵調査も辞さないと急に言い出しまして」

「ほう……? 何を掴んだかは知れんが、あのスコア中毒者も私を怪しんでいるようだな。まあ今さらだとも言えるが、ずっと気づかぬよりはマシか」


 くつくつと笑うヴァンにリグレットはただ一言申し訳ありません、と目を伏せ謝罪するが構わないというように一度だけ手を軽く振る。あちらが握る手管は情報部、こちらはあくまで軍兵だ。
 情報部の人間が今まで一度もヴァンの挙動を探っていなかったとは思っていなかったが、怪しまれるような行動を取っていたわけでもなかった。それでも怪しまれたという点では再評価をしても良いかという気になっている。
 今までは、これだけ動いても誰もが目立って怪しむ素振を見せなかったダアトの情報軽視をあざ笑っていたものだ。

 使える人間は一人でも多いほうが良い。できればその情報部の人間を引き抜きたいものだ。ただし、使えるのなら、だ。こちらでは使えないなら、今後の憂いをなくす為にもいっそ殺してしまったほうが良いだろう。

 冷酷に思考を回しながら、一つの扉の前に立つ。軽くノックをすれば入れとの声がして、口面だけは慇懃に失礼いたします、と声をかけてはいる。今からバチカルにでも出る準備をしていたらしい。書類をあらかた片付け終えた様子の大詠師モースは今まで捺印を押していた書類を整え机の隅に置き、決裁済みの印に蓋をしてその書類の上に置いた。

 そして、はいってきたヴァンに向かって一瞥を向ける。その瞳をみてヴァンは些細な違和感を感じた。だが、それがどんな違和感なのかが解らない。気づかれない程度に目を細めて、こっそりと観察をしながら恭しく一礼した。


「オラクル騎士団総長ヴァン・グランツ。大詠師の緊急の招集により参上いたしました。どのようなご用件でしょうか?」

「ああ、待っていたぞヴァン・グランツ謡将。何、これから私が一つ聞くことに正直に答えてくれればいい」

「正直に、とは?」

「ヴァン・グランツ……いや、」


 ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。
 今では知る人間よりも知らない人間のほうが多いその名を、知るはずのない人間が口にする。驚きを簡単に表すような人間ではない。それでも一瞬だけモースの言葉に驚き、すぐに動こうとしたリグレットを視線の一瞥だけで止めた。
 何故、知っているのか。どうやら情報部を過小評価していたようだ。誰がその情報をモースに流したのか、それを吐かせなければ殺すわけにはいかない。


「……随分と懐かしい名です。大詠師モース、どこでその名を聞かれましたか」

「教えて欲しいか」

「ええ、できれば参考までに」

「ならば交換条件だ。ユリアの血族、ホドに住まうフェンデの末裔。……貴様に聞きたいことがある」

「どのようなことでしょうか?」

「ホドに隠された第七譜石。その内容を知っている、と聞いた。正直ガセだとしか思えぬが、貴様が真実知っているなら今すぐここで吐いてもらう」


 リグレットが譜銃を握る瞬間と、モースがコツンと机を叩く瞬間は同時だった。譜銃の照準がモースと扉に向かうと同時に扉がけり開けられて、オラクル内でもモース子飼いの情報部の兵が室内へとなだれ込む。囲まれたが、どうやらすぐに剣を向けられるわけでもないようだ。
 油断無く状況を探るリグレットに後ろの兵を任せて、ヴァンはじっとモースを見る。

 醜悪な瞳だ、と思っていた。スコアに踊らされスコアを疑うことも無く妄信し、それを守るためならいくら血を流しても厭わない。スコアは道具だ。それが真実であるというのに、道具に人間が支配され破滅に向かって直進している、その事実にも気づかない、気づこうともしない愚かな人間。だが。

 今、目の前に居るこれは誰だ?

 その瞳は暗い。陰鬱だと言ってもいい。自信にあふれ傲慢で、それでも真実世界と人の繁栄を願っていた、笑えるほど愚かな喜劇の主。ヴァンがそう仕立て上げていた操り人形がするような目ではない。


「これは、どういうことですかな? 大詠師モース」

「なに、今日ここに君を呼んでいることは教団中に知られているがね。まあそれでもただの保険だ。私はお前が殺そうとすれば簡単に殺されてしまうだろう。お前のやり手によってはもみ消されかねんからな、これだけの教団兵を用意した。私直属の情報部ばかりだ。それが今この場でことごとく殺されたとして―――そうすれば、いかにお前の地位と手腕といえども教団からは逃げ出してダアトからは追われる身となるだろう」

「これは異なことです。私がそのようなことをするとでもお思いですか」

「するだろう、お前なら。邪魔をする者なら殺して進む」


 人間など、どうせお前にとっては遠からず殺しつくす存在でしかないのだから。それだけは声にせず唇だけで呟くだけだったが、その動きだけで言葉を読み取ったヴァンははっきりと表情を険しくさせた。凍てついた眼光と、はっきりと撒き散らした殺気に情報部の人間たちが体を強張らせ一歩後ずさる。

 それでもなおモースは表情を変えず、ただ能面のような変わらぬ表情でヴァンを見ているだけだった。


「もう一度問うぞ、ヴァン。第七譜石はホドにあったのか。その内容を、貴様は知っているのか」

「なるほど……確認を問う形ですが、ホドにあったということは確信がおありのようだ。ベルケンドから無理やり召集されたことにも納得がいく」

「閣下、」

「ですが残念ですね大詠師。ホドが崩落した時には私はまだ幼かった。……第七譜石の位置も、その内容も、私は存じません」

「そうか……ではもう良い。私はバチカルへ行く。後は好きにしろ」

「お待ちください、大詠師。……私がホドの末裔だと、ましてや第七譜石がホドにあるなど一体誰におききになったのですか」

「貴様に言っても信じるまいよ」

「いえ、私の名を知っていたということは―――ともすれば、たどれば同郷の人間にたどり着けるかもしれぬではないですか。叶うのならば、同郷の人間と酒を飲み交わしたいと思うのが人の性でしょう」


 その言葉に、モースは口元を歪める。


「酒を飲み交わす、か。残念ながらそれはできんだろう」

「それは何故ですかな」

「知れたこと。私がそれを知ったのは、夢の中だからだ」

「夢……?」

「まさにユリアのお導きだな、まさか人の身を取ったローレライに夢の中で会うなど、スコアにも詠まれていなかったが」


 淡々と紡がれるモースの言葉が偽りであろうことは誰でも分かる。いくらなんでも夢の言葉を鵜呑みにしてこのようなことをする馬鹿などいない。それでもモース自身が夢だと言い張るなら、そうですかと納得し引くしかないのだ。彼はあくまでも大詠師。教団では導師に次ぐ地位にあるのだから。


「ではな、グランツ謡将。君にはユリアの祝福があることを願っている」



――― introduction out








 大詠師。その地位はローレライ教団においては導師に次ぐ地位とされているが、今のローレライ教団においては実質導師イオンよりもその影響力は強い。教団内部では実質的なナンバーワンだ。
 そのローレライ教団が誇る大詠師、モースは。
 今現在身体中を縄で縛られ猿轡を噛まされ床に転がった状態でもごもごと声にならない声をあげてじたばたと暴れている真っ最中だ。
 場所は、どこかのあまり使われていない物置だろう。窓は小さく採光の状況を考えていないようなつくりで薄暗く、そこら中に乱雑に物が置かれていてしかも床は埃っぽい。突然後ろから殴られたかと思えば、気づけばこの状況。モースは怒りもあらわにぎりぎりと、かまされている布を食いしばる。

 何たることだ。賊め、私を誰だと思っている。大詠師だぞ。私はローレライ教団大詠師だぞ! 私は一刻も早くキムラスカへと行かねばならぬというのに。スコアために。スコアの通りの世界にするためにキムラスカへと行って、戦争を起こさねばならないというのに!

 無理やり縄をほどこうとしても、余程きつく縛っているらしくこの忌々しい縄はびくともしない。喉の奥で呪詛の言葉を吐きながら苛々ともがいていると、不意に扉のほうから音がした。立て付けの悪い扉がぎいいと耳障りな響きを上げて開かれる。
 睨み付ける勢いで視線を向けて、しかし光を背負ってその扉から入ってきた人物を見たモースは少しだけ驚いた後、すぐに忌々しそうに顔を歪めた。もしもここで猿轡さえなければ死に損ないめ、とでも吐き捨てていたかもしれない。

 そんなモースをみた闖入者はにやりと口の端を釣り上げて、腰に差していた剣をモースの喉下につきたててから猿轡を外す。


「久方ぶりだ、大詠師。とはいっても、お前は俺に会いたくもなかっただろうが」

「貴様は……ええい忌々しい、ルークレプリカかっ!」

「ご名答。スコアにその存在を詠まれていないイレギュラー、スコアを狂わすレプリカ様さ」

「死に損ないおって……貴様さえあの時死んでいればスコアはここまで狂わなかったものを!」

「本気で言っているのかな、大詠師殿は。スコアはとっくに狂っているだろう。ヴァン・グランツが俺を作ってバチカルの屋敷へ俺を送ったその瞬間から」

「巫山戯たことを言いおって、それがどうした!? ユリアはスコアで繁栄を詠んだのだ! スコアの通りに生きれば繁栄が約束されているのだ! それを狂わせるだと!? 私は監視者だ、そのための大詠師だ、私はスコアを守りその通りに世界を回し人類を守り導く義務があるのだ! レプリカによって狂わされた? ふざけるな、貴様のような人間もどきに何ができる! 貴様がどれだけスコアを狂わせようと私が必ずスコアの通りに世界を回して未曾有の繁栄をこの地に築いてみせようぞ!」

「未曾有の繁栄、ねぇ……は、馬鹿馬鹿しいな」

「なんだと!?」

「大詠師。貴様は今まで一度も考えたことがないのか。今ある世界が読まれているのは第六譜石。では何故ユリアの詠んだ譜石は第七譜石までしかないのだろうか、とな」

「……愚問だな、そんなこと、永年の繁栄だからに決まっているだろう。終わり無い繁栄、だからこその未曾有の繁栄だ!」

「『それ以降世界は永遠に繁栄しましためでたしめでたし』と書かれてるとでも? っは、は、ははははは! これはお笑い種だ。本気でそんな馬鹿げた御伽噺のような、幸せなだけの世界が待っているとでも思っているのか、貴様は!」

「何がおかしい!」


 吠えるようなモースの言葉に、今まで天井を見上げながらけたけたと哄笑を上げていたルークは声を抑えてのどの奥で笑う。そしてそのまま馬鹿にしたように、縛られ床に転がる大詠師を見下しながら答えた。


「何が? ああ、ああ、そうだなお前にはわかるまい。全部だよ。お前の考えもお前の願いもお前の求める世界の姿もお前の信じるその存在も、これほど馬鹿馬鹿しいことは無い」

「貴様ぁぁ……っ!」

「大詠師よ。貴様は本気で信じているのか? なあ、本気であると思っているのか? 終わることのない永遠を。結末のない未曾有の繁栄を。本気で、そのような存在がありえると思っているのか?」

「何が言いたい!」

「よかろう。大詠師よ」


 いいことを教えてやろう。赤い髪の間から覗く緑の瞳が冷酷な色を宿してモースを見る。口元には笑みを浮かべているが、それは見るものに背筋をぞっとさせるような酷薄な笑顔だった。
 猿轡は外されているが両手両足を縛った縄はそのままだ。ルークはモースの傍で片膝をついて、その襟元をぐいと乱暴に持ち上げる。首周りが締め付けられてルークの拳がモースの喉下を圧迫する。顔を歪めながらも睨みつける瞳に嫌悪をずっと滲ませるモースを見て、ルークの口元がさらにつりあがる。


「第七譜石はホドにあった。ホドに脈々と受けつがれるユリアの血筋。八人の弟子の内の一つ、フレイル・アルバートがユリアと結ばれ作った家の名をフェンデ。かの家がユリアの血統と第七譜石を守り続けてきた。そして彼の弟、ヴァルター・シグムントはユリアと兄、その血族を守るためのカモフラージュとしてあえて主従を逆にしたフェンデが仕えるための家としてガルディオスという血筋を作った。
 わかるか、大詠師。あんたら教団が血眼になって捜している第七譜石は、あんたら自身が見捨てると選んだ決定により二度と手に届かない地核の底へと落ちている。おかしいと思わないのか、大詠師。ユリアはホドが消滅することを知っていたはずだ。なんせスコアを詠んだ張本人だぞ? その通りに世界が動くと知っていたなら、どうして第七譜石をいずれ崩落すると知っている己の故郷に隠したのだろうな?」

「何が……言いたい……っ」

「教団にもあるだろう。知りながら言わないこと。知ってしまっても隠して伝えないこと。伝えてはならないと定められている。それは、それを知ってしまうと平静で入られなくなった人間が暴走して、更なる騒乱を起こすことを防ぐ為に、と定められているのだろう?」


 ルークの言葉など聞く意味は無い。聞く価値もない。馬鹿馬鹿しい話だ。そう思っているモースの頭の片隅で、それでも警鐘が鳴り続けている。

 これ以上聞くな(いや、聞かなければならない)
 無視すればいい(それでも知らなければならない)
 話をするな(第七譜石を、ユリアの願いを)

 モースの意思を無視して相反する声が脳裏に響く。ぎりりと奥歯をかみ締めるモースの様子を見て、ルークはゆっくりと一音一音聞き取りやすいようにゆっくりと呟いた。


「ホドにあった、フェンデ家代々の秘密の場所に眠る第七譜石。それを、消滅預言(ラストジャッジメントスコア)と言う」

「何を……馬鹿な! 出鱈目を言うな、そのようなことがあるわけがない! ありえん、有り得んのだ! そのような馬鹿なことがあるわけがないっっっ!」

「キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。そのスコアの続きはこうだ。
『そして、やがてそれがオールドラントの死滅を招くことになる。
 ND2019 キムラスカ・ランバルディアの陣営はルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し要塞の都市を囲む。やがて半月を要してこれを陥落させたキムラスカ軍は玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄たけびを上げるだろう。
 ND2020 要塞の街はうずたかく死体が積まれ、死臭と疫病に包まれる。ここで発生した病は新たな毒を生み、人々はことごとく死に至るだろう。これこそがマルクトの最期なり。以後数十年に渡り栄光に包まれるキムラスカではあるが、マルクトの病は勢いを増し、やがて一人の男によって国内に持ち込まれるであろう』」

「ふざけ、ふざけるな! 馬鹿なことを言うな、ユリアが詠んだのは繁栄のスコアだ! そのようなことが詠まれているはずがない!」

「『―――斯くしてオールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう』」

「戯言をいうな、人間もどきがスコアを愚弄するか、ふざけるな!」

「『これがオールドラントの最期である』」

「そのような戯言を私が信じるとでも思ったか!」

「ならば問おう。大詠師。戦乱の発端となると知って尚、なぜユリアは第七譜石を隠したのか。死のスコアを読むことは教団では禁じられている。それと同じなんだよ。消滅するという未来を詠まれたスコアを知った人間は平静ではいられない。だからかくしていた。第七譜石には世界の消滅が詠まれている」

「……っ、巫山戯たことをいうなああああっ! ぐ、があ!」

「煩い男だ。それ以上大声で喚くな、うっとおしい」


 容赦なく腹を蹴り上げられて、モースはげほごほと咳き込みながら床に頬をつける。荒事になれていない体には些か強烈な衝撃だった。唾を床に吐き散らかす無様をさらしながら、それでも眼光だけは鋭く、狂気に染めた瞳でルークを睨みつける。


「……ぐ、お前がなぜ、第七譜石を知っている。出鱈目を言うな、お前が勝手に出任せを言っているだけだろう!」

「やれやれ……モース。俺は誰のレプリカだと思っている」

「なんだと……?」

「ローレライの力を継ぐもの。固有振動数が第七音素、ローレライと同じオリジナルルーク、その完全同位体だ。そして俺の体の組成音素はレプリカであるが故にある意味オリジナルルークよりもローレライに近い。……モース、いいことを教えてやろうか。俺はね、ローレライとコンタクトを取れるんだよ。
 かつて始祖ユリアはローレライとの契約により世界を生かす為にスコアを詠んだ。そして俺はレプリカと言う存在により存在自体の近似値で同調し―――アクゼリュスを崩落させた時に世界の終末を知った」

「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な! 馬鹿なことを言うな!」

「もう一度言おう、大詠師。第七譜石には世界の終わりが詠まれている。ラストジャッジメントスコア。スコアの結末は永年の繁栄ではない。世界の生が息絶える未来だ」

「ふざけ……ふざけるな! ふざけるなよ、人間もどきがユリアのスコアを知るなど有り得んのだ!」

「ユリアは世界を愛していた。だから消滅のスコアを詠んだ時に、その結末を覆すことを願って譜石を隠した。しかるべき時にその譜石を発表し、スコアから人々が脱却するその時を願って。それがまあ世界は皮肉なものだな。覆すべきスコアを妄信し安穏と従うことを善とする人々。
 ふん、今のままではいくら真実を知った人間が動こうとも末端までその心が行き届かない。ならばいずれは不満が暴発しスコアへの回帰が始まるだけだろうよ。そして回避しようがスコアの通りに動こうとする人間によって、結局はこの世界は終わる」

「馬鹿、な……」

「それにしても面白いものだな、大詠師。歴史は繰り返すというが……お前はつくづくユリアを裏切る血縁だ」

「……どういうことだ」

「どういうもなにもそのままだ。大詠師、知らぬようなら教えてやろう。お前は始祖ユリアの下に集いし八人の弟子、そのうちの裏切りの一人、フランシス・ダアトのその末裔だ」


 驚きに目を見開き絶句するモースの表情を見ながら、ルークは冷静にモースの表情を観察する。嘘が苦手な人間でも、さもそうであるかのように嘘をつくコツがある。必ず真実とまぜて話すこと。そして話す真実は衝撃的であれば衝撃的であるほどいい。
 一瞬の思考の停滞。その間隙を縫うようにして嘘の情報を流し込み、その嘘を真実として認識させてしまうのだ。


「ユリアを裏切ったダアトは己の行いに恐怖を覚え、罪悪感に苛まれ自殺した。それを見ていたダアトの息子は父の罪業を償わんとしてスコアの遵守を誓い、人々にスコアを守ることこそが善だと伝え代々の子ども達にもユリアのスコアを守ることを残して死んだ。
 そしてその血族は己の祖が行った裏切りを償い続けようと、ただスコアの遵守のみを願いスコアの通りに世界が動くことを願い世界を監視し、時には直接手を出して世界をスコアどおりに動かし続けてきた。
 滑稽なものだな。第七譜石を知らぬがゆえの喜劇だ。祖の償いをしようと東奔西走し、それが結局はユリアの願いの裏切りになっているのだから。
 お前は両親から言われなかったか? この世界のユリアのスコアは絶対の真実、疑うことも無く信じ遵守することこそが正しいあり方、お前はそのために生まれてきたのだからと」

「なぜ、それを……!」

「言っただろう。俺はローレライの近似体の……そうだな、お前風にいうなら人間もどきだぞ」


 大嘘だ。ただ、大詠師になるといわれずとも生誕のスコアで「この子はいずれ教団の要職につくだろう」と言われただろう両親が子どもにかける言葉などたかが知れている。しかしこれで完全に信じてしまったのだろう。
 モースの表情には絶望が溢れ、今まで信じてきたものを真っ向から否定されて顔には生気が無い。
 上々だ。上手くいくかどうか正直可能性は半々だと思っていたが、後は最後に毒を流し込めば彼はルークの思惑通りに動いてくれるだろう。


「大詠師。お前には、死ぬまで道化を演じ続けてもらう」


 貴様は今後の己の一切をユリアの真の願いに捧げて、ユリアの願いのため死ね。
 続けてルークが言った言葉にも、モースはもはや逆らわない。そんな気力すら起きないのだろうか。



「――――私に何をしろと言うのだ……」


 ああ、始祖ユリア。あなたの真実の願いを裏切り続けてきた人間に、それでも償い贖う道が残されているとするのなら。

 ルークが淡々と呟く言葉にじっと耳を傾け、そのすべてを話し終えたとき、モースは一度だけ静かに頷いた。






[15223] 39(ルグニカ平原の川を北上中)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:e79eb17c
Date: 2010/03/25 01:19





――― introduction in



 ベルケンド。ティアはシュウ先生に薬を処方してもらっている。必要も無いと思ったが、一応アーチャーは第一研究所の前でヴァンが帰ってこないかの監視だ。そしてルークは当初の目的どおりにヴァンの私室へ行きめぼしい本を数冊抜き取り部屋を出る。
 そしてそのまま向かう先は出口ではない。病室でもない。研究室。ヴァンの研究に力を貸した物理学者を前にして、ルークはただ一つの結果を尋ねた。

 そうすればその物理学者……スピノザは驚いた目をして、一瞬哀れむような目をして、しかし彼の言葉に首を傾げた。

 それはそうだろう。スピノザにとっては考えるまでもないことで、そもそもそのような可能性など考えるわけも無いのだから。ルークはもう一度尋ねる。求める回答は可能か不可能か。ただそれだけだ。


「そのような状況がまず起こりえぬと思うが……ふむ、おまえが仮定した条件が成り立てば、そのようなことになるのかもしれん」

「そうか。可能不可能でいえば、不可能だとは言い切れない、ということで良いんだな?」

「そうじゃな。絶対に不可能だ、とはいえんだろう。だが、そもそもその前提条件がそろうことが……いや、まさか、」

「それは杞憂だ。そうほいほい完全同位体が作れるような事故が起きると思うのか」

「あ、ああ……そう、じゃったな」


 今になって、目の前に居るのが自分が作り出したレプリカだという意識が働いたらしい。今更になって気まずそうに目を逸らす老人にこれ以上かかずらうつもりもない。下手に長居すれば怪しまれてしまう。いや、あの嘘吐き屋なら既に何もかもを知った上で泳がせているだけなのかもしれないけれど。


「邪魔をした」


 挨拶はしないままそこからでていく。回答を思い返す。そのような条件がおきるのならば。ならば条件をそろえれば良いだけだ。


「接触する前に……構成音素を……なら……を…くべき……いや、先に……」



――― introduction out





「ルーク!」

「おっと」


 ルークがアルビオールへ戻りとある一室へ入ると、部屋の隅で蹲っていたフードを被った子どもがすごい勢いでタックルしてきた。よろめく程軟弱ではないが、それでもかなりの勢いだ。顔を隠せと教育を散々受けてきたせいなのだろうか、子どもは世界から顔を隠すようにフードを深く被っている。

 何度かここでなら顔を隠さずともいいのだと言ってみたのだが、それでもまだ慣れていないらしく怯えてフードを被ってしまうのだ。慣れるまで好きにさせたほうがいい、そう判断してのことだったのだが……まあ、ある意味助かったとも言えるかもしれない。
 なんせ、このアルビオール内にはルークとアーチャー意外にも乗組員が二人いるのだから。……因みにモースからこの子どもを奪って連れて帰ってきた時にはついつい「拾った」発言をして、犬猫じゃないでしょうとティアにはしこたま怒られたが。

 しかしこんな子ども相手にどのような態度をとれば良いのか分からずに、ルークは無表情ながら困惑する。ぽんぽんと背を軽く叩き落ち着かせようとするのだが上手くいかない。


「どうしたフローリアン。ミュウに虐められたか?」

「ご主人様、違うですの! ミュウはフローリアンさんを虐めたりしないですの!」

「はいはい分かってるよ……ったく、言ってみただけだ。……フローリアン?」

「……ルークがいないの、やだ。僕を置いてかないで」

「ベルケンドに用事があっただけだ。すぐに戻ってきただろう」

「一人ぼっちはやだ!」

「ミュウもノエルもいただろう? それに俺が帰ってくる前にエミヤもティア・グランツも帰って……」

「ルーク、いないの、嫌だ!」

「待て、何故半泣きになってるんだお前は」

「うううぅぅぅ……」

「ご主人様、フローリアンさん泣きそうですの!」

「見たら分かる、というか待て泣くな何で泣く!? その顔で泣きそうな顔するな頼むから!」


 ルークはパニック状態だ。ここはただ一言大丈夫だよ、一人ぼっちになんてもうならないよと言うだけで良かったのだ。しかしルークはそれに気づかずあたふたとして、とにかくうろたえながらえぐえぐ半泣き状態の彼の頭をフードの上からぐしぐしと撫ぜることしかできない。
 ルークは助けを求めて周りを見るが、フローリアンに割り当てられたこの部屋に他に誰かがいるわけでもない。ティアやアーチャーは他の場所で休んでいるのだろう。

 いや、まあ、確かに、ルークとミュウには懐いていたがその他の人間には怯えていたフローリアンの傍にいては逆に悪いから、と気遣っていたのは分かるが。まあ確かにあんなにごついおにーさんが近くに居たら緊張して怖がるフローリアンも簡単に想像できるけれども。

 ヘルプだエミヤ、俺に子守の技能はない!(むしろ子守られる側です)


「大丈夫だ、俺がちゃんとお前の仲間に……いや、家族に会わせてやるから」

「か、ぞく?」

「ああそうだ。お前は三番目だろう? まだ六番目と七番目がいるんだ。生まれた順番で言えばフローリアン、お前がアニキなんだから、ほら、そんなに泣いてちゃ格好がつかないだろう」

「僕に弟がいるの……?」

「ああ、そうだ。生きてるって聞いたらきっと末っ子は泣いて喜ぶぞ?」

「家族……弟……」


 かみ締めるように呟いた後、フローリアンは嬉しそうに笑って顔を上げた。フードに隠れがちの緑の瞳をきらきら輝かせて、無邪気に笑う。


「ルーク、本当? 僕に家族がいるの? 僕、お兄ちゃん?」

「ああ本当だ。俺は両方知っててね。一人はほえほえしてるし一人は拗ねてツンツンだし、アニキのお前がしっかりしないとダメだぞ、きっと」

「わかった、じゃあ強くなる為にてっとり早くしゅぎょーしなきゃ! 強そうな人強そうな人……あ、怖いおじちゃーん!」

「怖いって……いや、ちょっとまてフローリアン! おま、顔見られたら……!」


 ルークがはっとして正気に戻ったときには、すでにフローリアンは室内から走って出て行った後だった。大慌てでフローリアンの後を追う。
 どこにいる? しかしこう先刻から嫌な予感がひしひしと。とにかく人がいそうな場所。

 ルークはとにかく走って操舵室へと飛び込んだ。そうすれば、やはりというかなんというか。


「……おじちゃん……だと?」

「うん! なんか怖そうだし、すごく強そうだし! しゅぎょーのしかた教えて! 僕お兄ちゃんだから弟たちを守れないと!」


 力いっぱい頷かれて、アーチャーは地味にダメージを喰らっている。無邪気は武器だ。これ以上も無く。ずうううんとでも擬音語が聞こえてきそうなオーラを発している。
 そんなアーチャーに声をかけるかと思えば、ティアは驚きに目を見開いていて固まっていた。どうやらフローリアンはここに来るまで走っていて、フードが落ちていたらしい。とてもよく見慣れた緑の髪と、緑の瞳。とある知り合いに瓜二つのその顔を見て固まっているティアを発見し、ルークは遠い目をしたくなった。

 誰のフォローもなく沈みつづけるアーチャーをみて不憫に思ったのか、ノエルが慌てたように振り返って必死に宥めようとする。


「え、エミヤさん落ち着いてください大丈夫ですよ十分若くみえますから!」

「ノエルまってお願い前向いて操縦して、谷にぶつかるから! エミヤさんも大丈夫ですか?」

「ねえおじちゃん……あれ? どうしたの、おなか痛いの?」


 ノエルの声に我に帰ったティアが大慌てで前を向かせて、アーチャーに声をかけた。そしてアーチャが反応する前にさらに突き刺さるフローリアンの無邪気な声。蓄積され続けるダメージに彼はますます肩を落としてがっくりきていた。


「フローリアンは精神年齢は二歳だからな……確かにその年齢の子どもから見ればなるほど私のこの肉体年齢を考えるともう既におじちゃんでも文句は言えなくも無いというかそれでもやはりおじちゃんといわれるのはそれなりにダメージがでかいというかというかそのなんだあれだこれはもうかなりダメージがでかいわまじで遠坂駄目かもしれん。すまないセイバー、心折れそうになる俺をどうか許してくれ……」

「ねえノエル。私の気のせいだったらいいのだけれど……エミヤさん性格変わってないかしら」

「えーっと、エミヤさんも順調に人外ですけどそれでも人間ですから落ち込む時だってあるんですよ! ……多分」

「心は硝子なのだ……」

「「何の話ですか?」」

「おじちゃん、元気出して!」

「………………」


 カオスでした。そしてフローリアンは最後の止めを放ちなさっておりました。合掌、回れ右をしようとしたルークの服の裾をがしりとつかみ、アーチャーはふっふっふっふと不気味な笑顔を浮かべながらうな垂れていた状況から立ち上がる。

 はっきり言おう、不気味すぎる。


「ルーク……」

「な、なんだよ」

「お前には私は何歳くらいに見えるのだ……?」

「年齢不詳じゃないかあんたは。でも、そうだな、あえて言うならヴァン師匠の実年齢と同じくらい……?」

「そうか。それではやはり二歳児にはおじさんか。ああそうだ、そういえば俺も切嗣をじーさんと呼んでいたな。まさに業だ、因果は巡る、世界はそう言う風にできているのかなるほどそうか……」

「おじ……もご!」

「フローリアン、ちょっと待て。ちょっと待ってくれ頼むから! なあフローリアン、お前が兄弟を助けたいと思うならまずは勉強だ! 勉強するんだ。あいつらは組織のなかの人間だからな、組織と地位というものがあるなかでの立ち回りを知っておいた方が単純に腕力鍛えるよりも効果的だし、何よりお前は多分そっちのほうが向いてるぞ」


 首を傾げて見上げてくるフローリアンに、ルークは何度も頷き力説する。とにかく話を逸らさねば。うーんと考え込んでいたらしいフローリアンがそっかあ、と納得したように頷いたのを見てほっとして口を塞いでいた手を離した。
 次の町に寄った時にでもフローリアンが好きそうな本でも何でも買っておいたほうが良いかもしれない。そんなことを考えながら、ルークはアーチャーの方を指差しフローリアンに言い聞かせた。


「それとな、フローリアン。人は代名詞じゃなくてちゃんと名前で呼んでやれ。あの赤いのはエミヤだ。で、そっちのヤツがティア・グランツ。操縦してる人がノエル。覚えたか?」

「名前……そっかぁ、そうだよね。僕もルークに名前貰ってすごくうれしかったもん、名前で呼ばれたほうが嬉しいよね! えっと、エミヤ。元気出して!」

「ああ……ありがとうよ、フローリアン。そうだな、まあ実際問題そう見えても仕方ないものだ、受け入れなければならないことだろう」


 しかしできればせめてお兄さんまでがよかったな。その発言はどうよ、全然受け入れれてないじゃん、とは言わないのが慈悲だろう。溜息をついた後、簡単にノエルとティアに声をかけて、それからアーチャーはルークを一瞥。いかにも元気のない表情でルークは少し引きそうになるが、アーチャーは途中でそれはそれは質の悪そうな笑顔を浮かべた。

 おいまて。八つ当たりか? 何をしようとしてるんだお前は!

 フローリアンに声をかけて、何事かを尋ねている。読み書きのことを尋ねられたフローリアンはキョトンとした後首を振る。まあ確かにモースがレプリカ相手にそこまでの教育を施すとはあまり考えられない。
 頷いたアーチャはいきなりフローリアンを肩に担ぎ上げた。いわゆる肩車だ。フローリアンはあっと言う間に大はしゃぎして喜んで、嬉しそうにアーチャーの短い白髪を軽く叩いている。そしてルークに後は任せたといって操舵室から出て行った。

 何を任せたなのか。内心首を傾げていたルークは、しかしすぐにその意味を察する。


「ルーク。……フローリアンと言ったわね、あの子は」

「ああ」

「どういうこと?」

「…………」


 ダアトから連れてきた、性格こそ全く違うが導師イオンと瓜二つの顔の子ども。ルークは溜息をつき、くるりと回れ右をする。ティアの名前を呼ぶ声に軽く振り返り、すっと目を細めた。


「ついて来い。ダアトの重要機密だ。お前はオラクル騎士団の一員で監視者の長の孫娘だ。聞く権利もあるだろうが……いくら協力者とはいえ、民間人のノエルには俺の一存では聞かせられない」


 狙われでもしたらイエモンさんに申し訳が立たないだろう。そう呟いて、ルークも操舵室から出て行った。その後ろを追いかける靴音を聞いて、ルークはこれからどこまで話したものかと考える。もともと考えごとをすることはあまり得意ではない。
 めんどくさいことになったと思いながら、再び疲れたような溜息をついた。

 ―――それでも、フローリアンをあの場所から連れ出したことにはこれっぽっちの後悔も無かったのだが。








 アルビオール内の一室に入る。椅子に座る気分でもなかったのでそのまま壁に背を預けて、室内に入ったティアを見た。窓から降り注ぐ四角に切り取られた陽光は彼女までは届かず、彼女の足もとまでで途切れている。少し暗いが、表情は見えないというほどではない。
 ただ、静かな海色の青い瞳が、問いかけるようにじっとこちらを見つめていた。


「さて、何が聞きたいティア・グランツ」

「フローリアン、は……イオン様のご兄弟なの?」

「お前はイオンに兄弟がいるという話を聞いたことがあるか?」

「それが無かったから驚いているんでしょう」


 ティアの言葉をまともに聞くこともなく、ルークは先ほどから同じことを考えていた。レプリカイオンのことについて。果たしてこの情報の絶対的な隠匿によりなにか状況が好転するか。

 歴史を変えることと、歴史に変動なく起きてもらわねばならないことと、そのバランスを崩す可能性のある必要以上の歴史改変を防ぐこと。これを念頭に、アーチャーもグレンもルークも歴史を変えずに済む部分はそのまま歴史の流れに沿って進める予定だった。
 ルークならグレンのときほど酷い修正がかからないとは言っても、それでも不安要素はひとつでも多く減らしておくべきだ。それゆえの情報非開示だったのだが……はてさて、この情報の黙秘はこれから起こることに何かしら余波を及ぼすか?

 組んだ腕を軽く指で叩く。無意識がリズムを取っている間も回り続ける思考。ルークはそのまましばらく考え込んでいたが、やがて小さく息を吐いて目を開けた。

 思考の答えは、否。ダアトにとっては機密事項で一般民衆に伝える情報ならば確かに伝える時期を選ぶが、ティアに対して時期を選らばなければならないような情報でもない。


「お前が想像した可能性の内の、お前が否定して欲しかったほうの答えだよ」

「じゃあ、まさかイオン様の……!」

「正確にはイオンの仲間、だな。全てで七度作られたイオンレプリカ。フローリアンはその三番目。シンクは六番目、今の導師イオンも――――七番目だ」

「………………」


 絶句している。フローリアンがイオンのレプリカだということはなんとなく想像はついていても、今まであっていたイオンもレプリカだということは想像していなかったようだ。

 ルークはグレンの記憶を思い返す。能力はオリジナルと変わらないが、体力が劣化していてダアト式封呪を解けばそれだけ体調を悪くしていたイオンの姿。この世界ではイオンにダアト式封呪をザオ遺跡のひとつしか解かせていないから、あんな姿を見なくてもいい。
 来るはずだった流れの中で、それでも確かに変わっていることはいくつもある。ルークはそれに本気でほっとした。

 しかしティアを見て彼の心情は急転直下する。変わっていることはある。変えられないこともある。

 たとえ最終的に彼女の体から障気を除去したとして、それでもその時まで蝕まれていた内臓へのダメージまではゼロには戻せない。治癒術で治るならそれでいいが、治らなければやはり本来の寿命よりは随分と早く刻限が来てしまう。
 障気障害。全く持って嫌な病気だと、ルークは苛々と奥歯をかみ締める。これ以上ティアの体の中の障気濃度を濃くするなら、その時間はとにかく短くしなければならない。障気障害は治りましたがダメージ負荷でダメでした、では洒落にもならないのだから。

 残りのセフィロトはシュレーの丘、ザオ遺跡、ロニール雪山、タタル渓谷、アブソーブゲートとラジエイトゲート。セントビナーの崩落が起きた後はシュレーの丘へ行かなければならないが、しかしそうすると障気の濃度を三つ分抱えた状態で戦場を突っ切らなければ行けないかもしれない。
 はっきり言ってしまえば、その時には既にティアは重病人状態だ。グレンのときはまだ一つ分だけだったが、そのような状態で、しかも徒歩であの危険な戦場を突っ切らせるなど正気の沙汰ではない。

 しかし彼女は酷く頑固だから、何を言ってもついてきそうだ。いっそのこと一服盛って、寝こけている間にフローリアンとミュウをアルビオールに残して行動したほうが良いかもしれない。そうだ、ならばこちらはエンゲーブの住民移動に協力したほうが良いだろう。書置きにでもフローリアンの顔を他の人間に見られないようにするために、と書いておけばいい。
 そうだ、それがいい。……後が凄まじく怖ろしいが。

 ノエルも操縦があるのだからずっとフローリアンについていれるわけではないし、それに何よりエンゲーブの住民はイオンの顔を知っているのだ。フローリアンがずっと大人しく一室に閉じこもっていれるかはなはだ疑問だし、そもそもアルビオールに乗せるのは女、老人、子どもなのだ。探検をしたがった子供がうっかりフローリアンを見つけてイオンと顔が同じだということで大騒ぎ、という状況はごめん被りたい。

 そして戦場を突っ切るのを終わらせた後にでも、フローリアンはケテルブルクのネフリー知事の所へ一時預けておいたほうが良いだろう。彼女はジェイドの妹だし、なによりレプリカのことも知っている。協力もしてくれるはずだ。

 となると、戦場あれこれの時には一度イオンと接触しなければならない。家族に合わせてやると言ったのだから、それをする前にケテルブルクへ預けてしまえばフローリアンとの約束を破ってしまうことになる。ああ、それとシンクだ。何が何でも地核へ落ちる前にふん捕まえて引きずってでもフローリアンにあわせてやらないと。

 約束破りはしたくない。


「オリジナルとレプリカのイオンが入れ替わったのが二年前。どうだ、ティア・グランツ。お前は今までイオンに騙されていたと、教団員としてはそう思うか?」

「……そんなわけないでしょう。例えイオン様がレプリカでも、私が直接会って話したイオン様は今のイオン様だけよ。オリジナルの導師には面識も無いし、イオン様はイオン様だわ」

「なるほど。しかしただスコアを信じ続けているだけの教団員やスコアを盲信している奴等は、お前と同じ答えを言えるか」

「…………それは」

「……やはり今のダアトにフローリアンを預けるのはダメだな。ある程度イオンの地盤が固まってからじゃないと」


 となると、やっぱり一人より二人、二人より三人か。三兄弟で頑張ってもらわないといけないなら、やっぱりあの子の協力も必要か……フローリアンも連れて行ったほうが良いか? そのほうが実際信じられるだろうし、しかしなぁ、モンスターが半端なく鬱陶しい奴等ばかりだしな……

 ブツブツと小声でこれからの予定を組み立てているルークに、ティアの声がかかる。名前を呼ばれて顔を上げると、こちらをじっと見つめる瞳とあった。なんだよ、とルークが問えば、ティアは何かを言いかけて、やがてやっぱりいいわとだけ答えて首を振った。
 その返答に、ルークは眉をひそめる。


「なんだ。そう言われると逆に気になるんだが」

「今までの経験から、あなたが答えるわけが無いと思ってのことよ」

「わからないぞ、聞くだけならタダだ」

「……そうね。じゃあ、あなたがそう言うなら言わせて貰うけれど。ルーク。どうしてあなたは今までも、今回も、簡単に知れるはずの無いことを知ってるのかしら」

「……む」


 パッセージリングの位置、己がレプリカだったということ、崩落の秘預言(クローズドスコア)、導師イオンのレプリカという、教団でも恐らく数人しか知らないであろう最重要機密。そして恐らくは、教団員が長年血眼になって探し続けている第七譜石の内容さえ。
 ティアの視線の先には、常の無表情が崩れて少し困ったような顔をしているルークがいた。自分から言い出しておいてまさしく上手く言えないことで、もごもごと口の中で小声が絡まって結局上手く音になっていない。

 口を開きかけて、すぐに閉じて眉間に皺を寄せている。ガリガリと頭をかいて唸っているルークを見て、ティアは溜息をついた。


「言えないでしょう? もう無理には聞かな……」

「俺は、これから起こる未来の可能性の中で一番起こりやすい道筋を、いくつか知っているだけだ」


 まさか答えらしきものが返ってくるとは思っていなかったので、ティアは目を丸くした。そんなティアの表情をみたルークはますます不機嫌そうになるが、それでもあちこちに視線を飛ばしながら質問に対する回答を捜している。
 そして再びぼそぼそとした小さな呟きが零れた。


「グレンが、知っていた。その可能性の未来を、エミヤを介してラインが繋がったことで俺は知った。スコアを又聞きしたみたいなものだ。そうなる可能性が高い未来。全てではないし、それが最善だとは限らない」


 起こってもらわなければ上手く回らない悪手もある。
 これから起こる可能性の高い戦争の事を言ってしまえば、それをルークとアーチャーは起こることを見逃そうとしていると知れば、ティアは一体どんな顔をするのだろう。


「既にいくつか知っている可能性と狂っていることもある。だから、俺の知っている全てを開示はできない。全てを開示すれば、それ以外の可能性が生まれるはずだった未来を殺すことと同じだからだ」

「それは……第七譜石に書いてある未来……?」

「違う、といえるし、そうだともいえる。恐らく一部は含まれているだろうが、しかしどちらかで断言することはできない」

「じゃあ、ルークは……やっぱり第七譜石を知っているのね?」

「………ああ、知っている」


 ルークが答えれば、ティアもそう、と一言返しただけで終わる。てっきり内容を聞かれると思っていたので、ルークは拍子抜けをした。その内心が無意識でも表情にうっすらとでも表れていたのか、ティアは苦笑気味だ。


「今はダメでも、いつか時期が来れば教えてくれるんでしょう」

「……そのつもりだが」

「なら、良いわ。言わずに黙っていることに意味があるなら、それ以上を無理に聞き出そうとはしないから」

「随分と聞きわけが良いんだな」

「気にならないわけではないわ……それに、ここで私が無理やり聞こうとしてもどうせ口を割らないつもりでしょう?」

「…………」


 ルークが黙り込むと同時に、艦内放送が流れる。どうやらもうすぐで目的地につくらしい。その放送を聴いて、ティアはふと首を傾げるようにしてルークに尋ねてきた。


「でもルーク、目的地ってどこへ向かっているつもり? アルビオールでわざわざ川を上っていくなんて」

「ああ……エミヤがここに引越しさせたって言ってたからな」

「引越し、って……まさか」

「これから起こることについてな。ライガクイーンとその娘にちょっと用事があるんだよ」


 モースに話を聞けば現在アリエッタは母親に会うために有給を使って休暇中だそうだ。フーブラス川でのグレンの言葉に何か思うところでもあったのだろうか。考えても分からないが、とにかくアリエッタをこちらに引きずり込めばなかなか手段の幅が広がることには間違いない。
 魔物と会話、使役できる能力。グレンとアーチャーのおかげで、この世界はライガクイーンを殺さずに済んだ。アーチャーがいるのならそれを媒介にライガクイーン経由でアリエッタも説得できるかもしれない、というかその説得が大きな目的のひとつだ。

 さてフローリアンを一応連れて行くべきか否か。考えながら、ルークは部屋から出て行った。



[15223] 40(キノコロード)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:54ba0a9c
Date: 2010/03/25 01:21




「エミヤ、エミヤ、僕こんなところ来るのはじめて! ねえ、あっちのほうとか見に行ってみてもいい?」

「待て、フローリアン。このようなそこら中にキノコの胞子だらけかつ魔物がうじゃうじゃ居るの森の中で元気がいいのは大変豪胆だが、少し待て。待ちなさい。お前は戦闘の術を持たないのだから、私やルーク、グランツ響長の後ろにひいておけ」

「えー」

「えーではない! まて、せめていざと言う時の為にホーリーボトルをいくつか持っておけと……大人しくしろ、フローリアン!」

「みてみてエミヤ、あの花みたいなの動いてるよ! うじゃうじゃ頭から触手が……イソギンチャクって海じゃなくてもいるんだね!」

「メデュサローパーだあれは! 魔物だぞエネミーモンスターだぞ待たんかフローリ……ちいっ!」


 ニコニコ笑いながら魔物に突進していくフローリアンを見て舌打ちし、アーチャーは目にも留まらぬ早業で背から弓を取り出し放つ。魔物がフローリアンに触れる前に、神業のごとき神速で矢が三本ほど突き刺さる。
 びくんと痙攣した魔物に止めと言わんばかりに黒の剣が突き刺さり、左右に両断された魔物はそこで完全に息絶える。その様をキョトンとしてみていたフローリアンだったが、溜息をつきながら彼の背後からでてきて、地面に突き刺さっていた剣を引き抜いたアーチャーを見てキラキラした目をして走り寄る。


「フローリアン。良いか、これはピクニックではないのだ。魔物も出るのだから君もうお!?」

「エミヤすごい、エミヤすごい! なんかひゅんって飛んできてびゅんって真っ二つ! すごいすごい!」


 後ろから腰にタックルを喰らってアーチャーは面食らっている。助けた相手に向けられる瞳は感謝の代わりに不審、憎悪、憤怒、嫌悪、そんな感情ばかりだった。生前ではそれこそこのような容貌になる前に、数度だけ向けられたことがあったかないか。そんな笑顔にアーチャーは眉尻を下げて困惑している。


「……フローリアン、放してくれないかね。これでは動きづらいのだが」

「エミヤ、僕にもさっきの……えーっと、ユミ? それ教えて! ベンキョーもするけど、やっぱり僕強くなりたい!」

「そんなに一朝一夕でできるものではないのだが……」

「じゃあこれからずーっと練習するから! 教えてよぉー」


 ヘルプだマスターもしくはタトリン奏長。私に二歳児の子守は無理だ。
 わりと本気で空を見上げて助けを請う。当たり前だがそうほいほいと助けが降ってくる訳もなく。ねえねえねえねえと先ほどから執拗にねだられて、アーチャーは降参だと両手を挙げる。

 分かった分かった、勉強の合間ならみてやろう。ほんとうに? ああ本当だ。やったぁー!

 大はしゃぎしていたフローリアンだが、かんかんとアルビオールの階段から降りてくる足音を聞き取ってピクンと耳を反応させた。そのままばっと勢いよく振り返り、隣を歩くティアとなにやら淡々と言い合いをしているらしい様子のルークを見つけて標的変更。そのままだっと走り出す。


「魔物がいるなら治癒師(ヒーラー)が一人はいたほうが良いに決まってるでしょう? 何かあったらどうするの」

「だから、お前の体には障気が溜まっているんだぞ。エミヤもいるし、万一などない。パッセージリングの操作は無いんだから大人しくアルビオールで待機……ぐはあ!?」


 そしてルークが階段を下りて地面に足をつけた瞬間、すごい勢いでボディタックルをされた。ティアとにらみ合いをしながら会話をしていたせいもあるが、全く殺気のないフローリアンの突撃を察せなかった。
 いい感じにボディに入った衝撃にルークはごほごほと軽く咳き込んで、そして自分の腹の辺りにある見覚えのある緑の頭を見、とりあえずその頭にぽんぽんと手を置いてみた。


「フローリアン?」

「ルーク、ルーク、聞いて! あのね、エミヤが勉強の間ならしゅぎょーつけてくれるって!」

「え……修行ってまさか剣か? お前にはあんまりそう言うのはやって欲しくないんだが……」

「けん? 違うよ、なんかねー、ひゅひゅって遠くからたおすやつ。ユミ……えーっと、弓だっけ?」

「そうか、弓か……でもなぁ、そりゃあ護身位できたほうがいいのは確かだけど。……なあフローリアン、今の間は俺たちが守ってやるから、やっぱり先に勉強したほうが良いんじゃないのか」

「えええー。だから勉強の間にするだけにしようって言ってるのにー」


 口を尖らせてむっとする顔をする子どもの頭を撫でながら、ルークは弱ったような声でフローリアンの名を呼んだ。戦える力とは、守るためにしろ戦う為にしろ、何かを殺す可能性をその手に持つということだ。


「だって守られるだけなんて、嫌だもん。僕はお兄ちゃんなんだから、いつかあったら、弟たちをちゃんと守れるようになりたいんだ」

「……そう、か」


 ルークとて、ただ守られるだけと言うのがどれだけ焦れったいかを知っている。彼と同じレプリカのシンクはあれだけ戦えるのだから、恐らく体力的にイオンほど劣化している様子が見られないフローリアンの様子を見れば、いくらか鍛えればそれなりに戦えるようにもなるのだろう。
 それでも、これがただのエゴだとしても『フローリアン』と、その名を与えられた彼が戦う力を手に入れることがルークは嫌だった。

 渋い顔をし続けるルークだが、フローリアンはニコニコと彼の服の裾を引っ張って全く持って気にしていない風だ。


「それにね、弟……イオンは導師で、シンクは六神将なんでしょ? なら僕はね、いつかオラクル騎士団の主席総長になってやるんだ! だから強くならないと!」

「主席……待て、それは待て! いいか、それは軍人になるということだぞ!? 戦争になれば真っ先に人を殺して、そう言う職業で……っ!」

「ルーク。僕ね、家族も守りたいけどルークも守りたいんだ。僕を助けてくれた人だから。助けたいけど、僕は弱いから、守られるばっかりで、それでも主席総長になれるくらい強くなれればルークも守れるでしょ?」

「何を言って……フローリアン!」

「……へへ、ルークは優しいね。僕ね、ずっと助けて欲しかった。誰かに助けて欲しかった。連れてって欲しかった。でも、僕はレプリカだからどこにも行けないんだって思ってた。それでも、連れて出しくれた人がいた。それがルークだよ」


 ルークの本気の怒鳴り声にも、フローリアンは嬉しそうに笑う。その笑顔を、果たして無邪気、と評していいものかどうか。ニコニコと笑う、フローリアンの笑顔は変わらない。
 ただ、なんとなく。


「だからね、僕はルークが大切なんだ。すっごくすっごく大切なんだ。だからね、ルーク。僕はルークがいなくなったら泣いちゃうよ?」


 なんとなく、オリジナルイオンに一番似ているのはきっとシンクでもイオンでもなく、今目の前に居るこのフローリアンなのだろうと、なんとなく思った。オリジナルのイオンとなど、ルークは一度も会ったことなどないのに。
 表情は、きっと傍から見れば無邪気そのもの。演技でもなんでもなくこれは彼の素の表情だろう。しかし、ルークはその無邪気さの中に微かに宿る何かの片鱗を感じとっていた。これはとんだ番狂わせだ。まさかこんなダークホースがいたとは思いもしなかった。


「俺がいなくなったら、泣くのか」

「うん、すごく泣く。わんわん泣いて悲しむよ。ルークはイオンとも友達でしょ? なら、きっとイオンも泣いちゃうよ。僕の弟虐めたらダメだからね!」

「そうだな。イオンを泣かせるのは嫌だな」

「そーそー。だから、」


 ずっとそんな目をしてたら、心配になってエミヤに相談しちゃうよ。

 小さく囁くような声で溢された言葉に、それこそルークは驚きに目を見張る。思わず一歩下がってみれば、それでもやはりニコニコ無邪気に笑うフローリアンの姿。
 ルークはそれに本気で戦慄した。この無邪気は、素だ。そのくせさっきの子どもに似つかわぬ低いあの声も、素だ。もしかしたら自分はとんでもないヤツに気に入られてしまったのでは無いだろうか。無言で固まるルークにニコリとそれはもうお子様らしい笑顔を向けて、フローリアンはアーチャーのほうへと走っていく。

 その背を見ながらルークの思考はぐるぐるに回っていた。ティアのいぶかるような声に反応する余裕もない。ひたすら頭の中には何故の連呼だ。

 ありえないありえないありえない。何だアレは。そもそも何故フローリアンがあんなに頭が回るのだろう。モースに教育されたはずだがそれは必要最低限の知識だったはずだ。それが何故? 文字の読み書きもできないはずで、早速教わった自分の名前を書けたと嬉しそうに見せに来ていたくらいだったはずだ。
 それが何故ああもこちらを見透かしている。今までの無邪気な子どもは演技だというのか。いや、そんなはずが無い。たとえ俺が気づけなかったとしても、流石にあの嘘吐き屋なら気づくはずだ。どうしてだ。例えば演技だったとして、どうしてそのような演技をしなければならなかったのかと考えていて、途中ではっとした。

 思い出す。一番初めにあったときの、怯えてこちらを探るような視線を。


「そう、か……あいつを閉じ込めて生かしていたのは、モースだったか……」


 薄暗い狭い部屋だった。地下牢のような部屋だった。その場所に閉じ込められていたフローリアンが会う人間は、常に一人。時間も短いだろう。そして、その相手は己を蔑み見下し道具としか思っていないような人間で。だから、フローリアンはいつも考えていたのだろう。
 その短い時間で相手を観察し、何を思っているのか、何を望んでいるのか―――どうすればモースの反感を買わずに少しでも長く自分が生かされるのか。無力で、無邪気で、まるで怖るるに足りぬ幼い子ども。オリジナルイオンのように気の抜けない相手でもなく切れ者でもない、取るに足らない知能の低いレプリカ。それを無意識に被っていたとしたら?

 そして、ここに来るまでの間でこちらを観察し、無力な自分を被る必要性がないのだと生存の無意識が判断したのだとしたら。


「くそ、後悔するつもりは無いがとんでもない下手を打った気がする……」

「ルーク?」

「……なんでもない。いくぞ」


 頭をガリガリとかくとルークはぶっきらぼうにそれだけを言って、ずんずんと歩いていく。そしてアーチャーに向かって修行修行を連呼し、「ではまず筋力トレーニングや精神統一からだな」と言われ頬を膨らませているフローリアンを見て、大きな溜息をついた。










 ぺろぺろと頬を嘗めてくる舌は猫のようにざらざらしている。それが少し擽ったくて、少女はくすくすと小さく笑った。抱きしめて首元を軽くかくように撫でる。まだ薄い白色の産毛に覆われた首元を撫でるその手が気持ち良いのか、彼女の弟はぐるぐると気持ち良さそうに喉を鳴らす。
 母親に背中を預けて弟の世話をしていれば、ずっと末っ子をかまっているのが気に食わないのか、弟よりも少しだけ先に生まれた妹がずるいとでも言いたげにぐりぐりと額を彼女の肩に摺り寄せてくる。彼女は破顔して片手を妹に伸ばしかけ、そしてねぐらの入り口付近に感じた複数の気配を敏感に感じ取り鋭い視線を向けた。

 兄弟たちを後ろに庇うように前に出る。そのアリエッタの気配に気づいたのか、彼女とともにいてくれる大きなライガの兄弟も小さなこどもたちを守るように前に出てきてくれた。クイーンが一声鳴けば、今まで近くで遊んでいた兄弟たちがさっと集まってクイーンの背後に隠れる。

 森の女王が娘の向いている方向へ視線を向けたと同時だった。


「やれやれ。久方ぶり、と言ったところかねライガクイーン」


 現れたのは白髪で背の高い男。鋭い鷹の目、刃の瞳。黒い上下に赤い外套を纏い、その両腰に剣を下げた男をアリエッタは知っている。


「……あなたは!」

「ふむ? やはり娘も帰省中だったか。君は確かアリエッタ、と言ったかな」

「何をしに来た、ですか……アリエッタのお友達だけじゃなくて、兄弟まで……っ!?」

「何故そうなる。チーグルの森からこの森へ移るように頼んだのは私とマスターなのだ、その後の様子を見に来るのはひとつの義務だろう? アフターケアだ。ところでクイーンよ、これは手土産だ。生まれたばかりの子どもを抱えては満足に狩りもやり辛かろう」


 そう言って、ゆっくりと近付いてくるアーチャーが軽く放り投げたのはキノコロードから少し外れた森に住むイノシシ型の魔物だ。それもかなり大型の。アリエッタはポカンとしながらも、慌てて表情を険しくしてじっとアーチャーの方を見る。すぐに気を許すなどできない。
 ぎゅっと両手を握って警戒するアリエッタだが、彼女にとっては意外なことに先に警戒を解いたのはライガクイーンのほうだった。軽く頭を下げてアリエッタの背中に額を当てる。

 ふぇ? と困惑気味の声を上げながらアリエッタは振り返る。首を傾げれば、静かな目をしたライガクイーンがそこにいた。


「ママ? え……大丈夫……? なんで……」

「どうやらエミヤは上手いことクイーンの信頼を勝ち取ってたみたいだな」

「……っ、あなたはルーク! ……です、か?」

「まて。お前俺を誘拐したこともあっただろう。何故に疑問形なんだ」

「顔は同じだけど、何か違うです。雰囲気も。あと眼帯も……それに、えーと……ぼろぼろです」

「………………………………いろいろあったんだ……」


 アリエッタの首を傾げての言葉に、ルークは遠い目をして答えた。

 ぼろぼろなのはルークだけではない。このねぐらの中には入ってきてはいないが、微妙にティアもぼろぼろだった。ルークよりは余程小奇麗ではあったのだが。

 どうやらアーチャーはザレッホ火山でのルークの無茶に大層お冠りだったらしく、また時々抜けたことがあったとしてその時にも同じように無茶をされては堪らないから、と。実戦経験を積むいい機会だからと、自身はフローリアンの護衛に専念するのでモンスターは自分達だけでどうにかしろと放り出されたのだ。
 出てくるモンスターは自分達の技量だけではなかなか倒せない困難な奴等ばかりで、それはもう聞くも涙語るも涙の艱難辛苦の道のりだったのだ。

 ……本当に危なくなった時だけはアーチャーもモンスターを狙撃してくれていたが、なにやら狙撃救助の優先順位はティアのほうが上だった。ルークへの援護はなぜか常に一足遅く、モンスターの一撃を必死になって受けたり結局喰らったり。
 アーチャーに向かって抗議をすれば、それはもうお前もジェイドの同類だなと言いたくなる量の皮肉とともに、お前の修行不足だとばっさりと切り捨てられた。チクショウめ。ザレッホ火山でのことをそんなに怒ってるのかよ。仕様がないじゃないか、ああするしかなかったんだから!

 因みにルークがずたぼろになりつつも自分には的確に援護が来るのがティアの公平精神を刺激したらしい。彼が抗議をしていた時に援護のような言葉が発せられ、ルークは内心でそうだもっと言ってやれ! と応援していたのだが。
 パッセージリングだの障気障害だの治癒師の重要性だの前衛と後衛の違いだの獅子の子落としだの、最終的には納得はしていないはずなのに何故かいい感じに言いくるめられていた。オイ。

 おかげで戦闘経験がどうとか言うのはよく解らないが、とにかく防御と逃げ足の自信だけは無駄についたルークだった。今ならあのフィアブロンクと戦っても、もっとまともに逃げ回れる自信がある。


「お水、いるですか?」

「……一杯頼む」


 ついでに外にいるフローリアンとティアの分も受け取って渡しに行こうとすると、にやりと笑っていたアーチャーと目があった。……このやろう、ムカつくな。と、内心が目つきにも表れていた。ルークの目つきは不機嫌そうな半眼だ。


「なんだよ」

「いや……どれ、外の二人には私から渡して置こう。君はそこのアリエッタと上手いこと交渉をしておいてくれ。……フローリアンを呼ぶときになったら呼べ。いいな?」


 後半部分は小声で囁く調子のアーチャーの言葉に、ルークは頷く。

 アーチャーが去って言った後、ルークは改めてアリエッタに向かい合う。アリエッタはアーチャーが持ってきた魔物を兄弟たちのほうへ持っていき、それに食いついている様子を小さく笑いながら見ていたのだが視線を向けられたことに気づいたらしい。
 こちらの方へ振り返り、険悪な雰囲気は薄れたが警戒は完全にはといていない。


「何しに来た……ですか」

「アリエッタ、単刀直入に言おう。ヴァン師匠から離れてこちらにつけ」

「できません」


 ルークの言葉に多少は驚いた顔をしたが、間髪を入れずきっぱりと返す。髪の色によく似た赤い瞳に迷いは無い。


「アリエッタの大切な場所、ヴァン総長が復活してくれるって約束してくれたもん! 生まれた街も、家族も、ちゃんともう一度合わせてくれるって約束したもん!」

「復活ね……それは、レプリカで、か? それはまやかしだ。レプリカは本当の家族では無いし、その代わりでもない。一個人、別の存在にしかなれない。代わりになんてなれない」

「そんなことない! ルークだってアッシュの代わりに作られたんでしょう!?」

「ああそうだ。それが俺が作られた理由だが……だが、別に俺がその通りのためだけに存在する必要性も無いだろう。というか、俺は感じないね。俺は俺だ。俺は俺が叶えたい願いを叶えるし、俺は俺だけのためにしか死なない。代わりに生きるのもごめんだし、代わりに死ぬのもごめんだ。レプリカだからってオリジナル様や製作者様の言いなりになるつもりも無い」


 俺は、俺のやりたいようにしかしない。
 ルークは傲岸不遜に言い切って、ポカンとしているアリエッタをちらりと見る。レプリカがそんな風に言うとは思いもしなかったのだろう、少し動揺しているようだ。


「アリエッタ。お前は考えたこと無いのか? 自分が作った存在が、本当に自分の思い通りのままでいてくれるかなど。はっきり言うぞ。レプリカで作った人間は人形じゃない。あくまでも人間のレプリカだ。はじめは赤ん坊のようにまっさらでも、学習もするし理性も持つし自我も芽生えるし自分だけという個を持っている」


 作った後のレプリカがどんな反応をするか、それはその個々のレプリカ自身にしか解らない。製作者の願いを自分の存在意義として従うか。そんなことを知ったことじゃないと自分自身を見つけるか。作られた存在ということに絶望して世界を呪うか、もしくは自分を作った人間を憎悪して殺そうとするかもしれない。
 統計的にこういう行動をするレプリカが多い、と傾向を見つけることは出来るだろう。それでも、人間のレプリカは厄介だ。自我と理性と感情、それだけは科学でも計算でも数式のように完全に明らかな、定まった解答を導き出すことはできない。


「でも、でも……っ! もう一度……もう一度会えるって……ヴァン総長、は……」

「ありえない。死んだ人間は蘇らない。会うことも喋ることも触れることも出来ない。思い出すしかできない。それすらも段々と遠くなり消えていく。そう言う風にできているんだよ。世界も、人間の記憶も」


 死者はよみがえらない。時間を撒き戻せない限り。しかし。

『なかったことになんて、できない―――したくない……っ!』

 たとえできたとしても、どれだけ心の底から願っても、撒き戻してはならないのだ。
 だって、無かったことになる。誰かと歩いた道が、誰かと過ごした時間が、交わした言葉が、誓いが、約束が。向けた笑顔も向けられた笑顔も、喜びも怒りも哀しみも楽しかったことも。旅の中で形作られていった信頼も友愛も親愛も。

 撒き戻せば全てがなかったことになる。今まで歩いたその道を完全に否定することになるのだ。


「……死んだら終わりだから。だから、生きてる時間が大切なんだろう。陳腐で使い古した表現だが、それが大多数の人の変わらない意見だからこそ、陳腐で使い古したほどに人に使われるんだ。もう一度言うぞ。死者は蘇らない。時間は撒き戻せないし、撒き戻してはならない。レプリカも、死んだ人間の代わりになどなれない」

「……それでも……っ!」


 死者は蘇らない。会えない。どれだけ誰かに言い聞かされても、ならばはいそうですか、と納得できるなら苦労はしないのだ。人間の厄介さはここにある。例え理性がその言い分に納得したとしても、感情が納得してくれないことなどはごまんとある。
 死ねば会えない。では諦めましょう、と納得できるならそもそもフォミクリーという技術は誕生しなかった。会えなくなって、それでも会いたいと願ったからこその技術だ。死んだ人にもう一度会いたい、そう願うのはもはや人の性だともいえる。

 震える握られた拳にアリエッタの願いの強さを見て取って、ルークは溜息をつく。


「はあ……それじゃあ仕方ないな。……エミヤ!」


 ライガクイーンのねぐらの出入り口付近で待機しているはずの彼を呼べば、すぐに近付いてくる足音。アリエッタは俯いている。だから、アーチャーの後ろについてきている『彼』の顔をまだ認識していない。
 アーチャーの後ろからクイーンのねぐらに入り、キョロキョロと辺りを興味深そうに見回している。あまりにも注意力散漫で、転ばないようにとティアがやんわりと注意しているがあまり効果は無い。早速転びかけて、後ろに控えていたティアに支えられてニコニコと礼を言っていた。

 そして彼―――フローリアンは、ルークに気づいて無邪気に走り寄る。


「ルーク! ねえねえねえ、あのお姉ちゃんの後ろにいる大きな魔物さんって何? すっごくふわふわしてそうだし、なんかちっちゃいのもいっぱいいるよ! ねえ、遊んじゃダメ?」

「……え?」


 その声に。響いた声が酷く聞きなれたもので、その実根本的に違うその声音を敏感に聞き取って、アリエッタは俯いていた顔を上げた。目を見開く。ルークに走り寄る緑色の髪と瞳の少年。
 アリエッタはよく似たひとを、知っていた。けれどその人は今目の前に居る少年のように、無邪気に笑うことなど一度もなかった。自分よりも年下のはずだったけれど、それでもいつも大人のように柔らかく笑う人だったはずだ。

 その人の名前を、アリエッタの唇が勝手に呟く。けれどその形に動いた唇が声を出すことはなく、ただ呆然としてその少年を見ていた。


「フローリアン、ちょっと待てな。あのお姉ちゃんが遊んで良いって言ってくれたら多分遊んでくれるから」

「え、本当?」

「まさか……」

「ねえお姉ちゃん、あの後ろの大きなねこさん、いっしょに遊んでいい? ねえねえねえ、遊んじゃダメ?」

「イオン様、の……レプ、リカ?」

「え? お姉ちゃん、僕の弟達のこと知ってるの? あれ、それともオリジナル? えっとね、僕はね、フローリアンっていうんだ!」


 ルークがね、付けてくれたんだよ。いい名前でしょ。

 本当に嬉しそうに無邪気に笑うフローリアンと名乗ったイオンによく似た少年は、アリエッタの思わず、と言った呟きを否定することもなくにこりと笑って首を傾げた。そしてとてとてとアリエッタに近付き彼女の服の裾を握り、ねえねえ、とねだる様に尋ねてくる。


「お姉ちゃんの名前はなに?」
『――――アリエッタ』


 名前を呼んでくれたはずの声と同じ声で、同じ抑揚で、けれどどうしようもなく違う声が、無邪気な声が、柔らかく笑いながら名前を聞いてくる。
 擦れそうになる声で途切れ途切れにアリエッタ、と名乗ると、ぱあっと嬉しそうに笑って両手を握ってぶんぶんと上下に振ってきた。その動作にアリエッタがキョトンとしていると、やはり嬉しそうな顔のままフローリアンは笑っている。


「アリエッタ、アリエッタ、アリエッタ! えへへ、僕自分で名前聞いた友達ってはじめて! ねえアリエッタ。僕、後ろの魔物さんといっしょに遊んでもいい? ダメ?」

「え? あ、えっと……」


 困ったように振り返ってライガクイーンの瞳を見る。クイーンはちらりとフローリアンの様子を見て、仕方ないと言いたげに寝そべって尾を一度だけ揺らした。その様子を見て「良いみたい、です」と答えれば、それはもう嬉しそうに「やったー!」と喜びの声を上げて仔ライガのほうへと突撃していった。

 まさか許可がでるとは思っていなかったのか。流石に危険だと思ったのかティアがフローリアンにやめるように声をかけようとして、それをルークが止めていた。
 代わりにフローリアンへ仔ライガは生まれたばかりのはずだから優しくして落とさないように、と声をかけている。分かってると元気よく返した彼は、そのまま飛びつくのではなく一応立ち止まった。

 そしてこちらをキョトンと見ている小さな獣に恐る恐る手を伸ばす。触ろうとして、びくんと体を強張らせたライガにフローリアンもおっかなびっくり、といった風だ。しばらくじーっとお互い見つめ合って、もう一度手を伸ばす。そしてじっとして、ライガのこどもがそっと匂いをかぐように鼻を寄せる。
 くんくんとした後額を擦るようにして触れてきたライガに、フローリアンは破顔して抱き上げた。


「ルークルーク、見てみて! すっごい、すっごいふわふわー!」

「ああ、良かったな」

「僕魔物のお友達ってはじめてー! お名前は?」


 当たり前だがライガと言葉が通じるわけがない。ぐるぐると喉の奥で鳴いているだけで、意思の疎通はできていない。それでも構わないのか、ミュウを呼べば済む話でもご機嫌な彼は気づかないまま、にこにことライガの子どもを抱きしめもふもふとその手触りを楽しんでいる。

 そんなフローリアンをみて、呆然としたアリエッタの瞳がルークに向けられた。対して彼は分かったか、といわんばかりの顔つきだ。アリエッタはそれにかっとして声を荒げそうになって、しかしすぐに沈静する。出す声は振り絞るような小さな声だ。


「どういう、こと……ですか?」

「それはどこにかかってるどういうこと、かな。導師イオンのレプリカを作ったのは、モースとお前の総長だぞ」

「ヴァン総長が!? そんな……フェレス島じゃそんなことしてなかった! それにそんな話、アリエッタには、総長も、イオン様も、一度も……っ!」

「アリエッタ。取引だ。ヴァンからこっちにつけ、とは言わない。ただ、しばらくこちらに手を貸せ」

「なんで……どうして、アリエッタが、ルークに力を貸さなきゃいけない、です!」

「イオンにあわせてやる」

「っ!」


 その答えに驚いたのはアリエッタだけではなかったが、ティアは驚きの表情はしても話に割り込むようなことはしなかった。ちらりと見た先のアーチャーの表情が酷く冷静で、もとからそのつもりだったのだろうと判断したからだ。それに、ルークがイオンの立場を悪くするようなことをするわけが無い。


「これ以上俺が詳しく話すわけにはいかないだろう。後は本人に聞け。ただし、言っておくぞ。知らないほうが良いだろう真実は世界には存在する。知らないままでいたほうが幸せな事実もある。……それでも、知らなければ進めない道なんてしょっちゅうだ。アリエッタ、イオンに話を聞くつもりはあるか?」


 ルークの言葉にアリエッタは息を呑み、押し寄せる嫌な予感を無理やり押さえつける。そして不安と恐怖に顔を歪めながらも、俯かずにじっとルークの目を見てポツリと溢した。


「イオン様、は……アリエッタに、今度はちゃんと話してくれる……?」

「ああ。コーラル城の馬車の帰りにそんな感じのこと話してたからな。お前とゆっくり話す時間さえ取れれば、お前がそれを望むなら、イオンはちゃんと全部話してくれるさ」

「…………総長の邪魔のお手伝いは、やらない、です」

「なら俺らの動きをあっちにこぼさないことを条件だ。主な仕事はイオンに会うまではフローリアンの護衛、そして万が一戦争がはじまった場合の、住民移動の手助けだ。飛行系の魔物で視界を確保させてくれればそれで良い。下手に魔物で人を運ぼうとしたら住民がパニックになるかもしれないからな……戦争で人がたくさん死ぬのはイオンが一番哀しむことだ。これは手伝ってくれるか?」

「……戦争は、アリエッタも嫌いです。イオン様も、止めようとしてました……避難のときなら、アリエッタのお友達に、手伝ってもらう、です」

「それじゃあ契約成立だな」


 ルークはずかずかとアリエッタに近付き手を差し出す。その手を不思議そうに見つめる様子に小さく溜息をついて、握手だよ、と呟いた。驚いて顔をあげ、おずおずと差し出す少女の手を握りもう一度声に出して宣誓する。


「それじゃあこれからお前をイオンに会わせるまでは休戦だ。フローリアンの護衛頼んだぜ、元導師守護役(フォンマスターガーディアン)?」

「……あの子はイオン様と違うです。でも……わかった、です」


 握った手を強く握り返し、桃色の髪の少女は顔を上げた。








[15223] 41(セントビナー~シュレーの丘)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:86d35bc4
Date: 2010/03/14 23:46


――― introduction in


「失礼いたします、インゴベルト国王陛下」

「入れ」


 ぎい、と軋むような扉の音。入ってきたのは見慣れた姿。恰幅の良い体格、白と紫の法衣。


「……?」


 それはよくよく見慣れた人物のはずなのに、なぜか違和感が付きまとう。表情が違うのだ。常の悠然として自信に溢れた大詠師としての誇りが見受けられないし、彼の瞳に浮かぶ色は陰鬱としている。
 暗い、奈落のそこを覗き込んでいるような瞳に、キムラスカ・ランバルディア王国の国王、インゴベルト六世陛下は眉根を寄せ戸惑うようにその人物の名前を呼ぶ。


「来ていたのか、モース」

「はい。この度はナタリア殿下の偽姫嫌疑の報告に参りました」

「……っ!」


 モースの言葉に、息を呑んだインゴベルトの顔色が悪くなる。机に肘を突き組んだ指の上に額を乗せるようにして俯き、静かに小さく聞こう、とだけ答えた。


「殿下の乳母が証言したことですが、やはり今のナタリア殿下は亡き王妃様におつかえしていた使用人、シルヴィアの娘メリルで確実のようです。本物のナタリア殿下は死産、しかし王妃様は心が弱っておいででした。そこで乳母は数日早く生まれていた自分の孫と取り替えた、と」

「それはもう聞いた! 何度も言わずともいい、確たる証拠がつかめたからここに来たのではないのか!」

「……はい。乳母が証言した場所から、嬰児の遺骨が見つかりました。掘り返しにはゴールドバーグ将軍とその旗下の兵もついておりました。虚偽無しは彼にお尋ねください。……インゴベルト陛下、そしてこれが、その場所から出てきた遺骨です」

「―――――――――」


 こつん、と机の上に何かが置かれる。その音にびくんと大げさなまでに肩を揺らして、酷く緩慢な動作でインゴベルトは顔を上げた。
 小さな、白い、脆そうな。酷く小さな、人の頭の骨がある。よりにもよって頭蓋骨だ。普段なら恐ろしいと目を逸らしていたかもしれないそれに、インゴベルトは震える手を伸ばした。その手が届いて欲しいのか、届かないで欲しいのか。

 無言でその様子を見ていたモースはその骨を丁寧に持ち上げて、カツカツとインゴベルトのすぐ横に近付いたかと思えば、その手の上に持っていた遺骨を置いた。インゴベルトの体の震えがひどくなる。
 おお、と、呻いているのか嘆いているのか、もしくはその両方か。一気に老け込んでしまったかのように、インゴベルトの覇気がなくなる。とても大切なものを胸に抱くように、かたかたと震える体でその遺骨を抱きしめた。


「では、ナタリアは……あの子は……」


 王政を司る為政者の長として人前で涙を流しはしないが、ここに一人きりだったのなら泣いていたのかもしれない。それくらい酷く体が震えていて、声もかすれていた。


「インゴベルト六世陛下。あなたの実の娘ではありません」

「そのような、そのようなこと……ああ……」

「陛下、ご決断を」

「しかし……しかし、あの子はずっと、この十八年間……っ!」

「スコアには、マルクトとの戦争が詠まれています」


 以前のように威勢よくその正当を訴えるのでもなく、以前のようにその先の繁栄を謳うのではなく、ただ聞くだけでも陰鬱になりそうな声で、モースは事実だけをゆっくりと言う。それ以上は何もしない。何をどうするべきです、とは言わない。
 大詠師がそう言っているのだから。キムラスカは代々スコアを政治に深く取り入れてきたのだから。その逃げ道さえなくすようにして、淡々とした言葉が続く。


「王女殿下をどうするのか。陛下、ご決断を」

「――――――……」


 ナタリア、と。血の繋がらない娘の名前を、インゴベルトは声にならない声で呼んだ。



――― introduction out




『高い山ほど昇りたい、よっしゃあルーク、目指すはソイルの木だ! ……ふっ、あの高さ、お前はついてこれるか?』

『ばっか、グレン……お前俺の木登りレベルしらねえな? てめえのほうこそついてきやがれ!』

『ええ!? あの、グレン、ルークも……えーっと、あ! あの、二人とも……あっちの木にしたほうが良いんじゃないでしょうか』

『『えええええ』』

『あんなに高いのに昇ったら、登るは良いけど降りられなくなってしまいます』

『んだよー、イオン。俺らがそんな仔猫みたいなポカやらかすと思ってんの?』

『そーだそーだ、グレンの言うとおりだ。俺らに限ってそんな馬鹿なことするわけねえだろ!』

『だ、だってほら、高すぎると審判するのも難しいじゃないですか。高すぎて太陽で目がくらんでどっちが先だったのか、公平な審判ができなかったら嫌じゃないですか』

『『むむ』』


 降りれなくなるかも、というところでは大いに不服そうな顔をした赤い髪の二人組は、しかし勝負事の審判に対しては難色を示した。二人はちらりと遠目に見える木を見上げる。確かにあの高さだと、下から見上げてどちらが先に昇りきったか、の審判をするのは難しそうだった。

 はっきりとした差ができて勝負がついたときなら良いが、微妙な差で本当は勝っていたのに負けた、となると悔しすぎる、という思考だろう。
 うーむと二人してイオンの言葉に唸っていると、少し後方から二人の名を呼ぶ声がした。ぎくりと肩を強張らせて、グレンとルークは目を見合わせる。仕方ないな、ああ仕方ない。
 一番高い木に登れないのは無念だが、このままでは追いかけてきている保護者二人にイオンを連れ出したことをしこたま怒られてしまいそうだ、と目だけで会話をする二人は意思疎通をしていたのか、否か。

 二人は急かすようにイオンにスタートの合図をきらせようとする。スタートの合図? と首を傾げたイオンにルークは、スタートの合図ってったらあれだよあれ! と言うのだが生憎イオンは導師の仕事に対しては詰め込まれているのだが、俗事についてはまだとんでもなく疎いのだ。困っていると、グレンが口早に教えてくれる。
 それに頷き、もう一度口の中だけで繰り返す。
 小さく笑う。自分が木に登るわけでもないのに、イオンはなんだか楽しくてわくわくしていたのだ。


『んじゃイオン、合図よろしく!』

『あ、はい!』


 ふと、教団にある導師の私室の窓から見下ろしていた中庭の風景を思い出す。オラクル兵の訓練風景。競争しようとする二人。いつでもスタートをしようとする体勢を整えて、審判らしき人物が手を上げていて、何かを言いながら手を振り下ろす。あの時、彼が言っていた合図はこんな言葉だったのだろうか?


『位置について、よーい…………どん!』


 緊張気味の合図の言葉に、弾かれたように走り出した二人の後姿。
 優しい風が吹いていた。
 青い空と、陽だまりの記憶。



「どうかしたのか、イオン?」


 いつか二人が昇っていた木を見ていたイオンは、後ろから聞こえた声に振り向いた。金色の髪と、この空と同じ明るい青色の瞳。イオンは苦笑して首を振る。視線を再び木に戻した。


「いえ、以前ここに来たことを思い出していただけです」

「………………ああ。そう言えばグレンとルークと、二人して木登り競争なんてものやってたんだっけ」

「はい。僕は審判で、スタートの合図を切って……」

「で、そのあとお前も来いってルーク達に言われて、結局ソイルの木の展望台に昇ったんだよな」

「展望台に寝転がって、空を見たんです。青くて、高くて、つい三人揃って空に手を伸ばして……」

「……そうか」


 いつかの笑っていた赤い髪の彼を思い出して、ガイの顔にも悲しそうな笑顔が浮かぶ。もうすぐこのセントビナーは沈む。魔界へと落ちる。そしてホドのように魔界の泥の中へと沈んでいくのだろう。だからこその感傷だろうか。


「やれやれ……ったく、今ごろあのぼっちゃんは何をしてるんだろうかねぇ。あいつの性格なら絶対に、セントビナーが沈むのを黙ってみてるわけが無いと思ってたんだが……」


 結局来なかったみたいだな。落胆の溜息を吐くガイに、イオンは首を振る。なんだ、と問うような目をするガイを見て、にこりと笑ったイオンはソイルの木へと視線を向けた。
 高い場所では風が吹いているのだろう、小さく木の葉が揺れて囀っている。


「……グレンが言ってたんです。いつかまた、もう一度三人で展望台に昇ろう、って」

「……」

「ルークが、覚えてないわけがないんです。だから、きっと、ルークがここに居ないのはセントビナーを助けるためなんだと思います。大丈夫ですよ。アクゼリュスみたいにあっと言う間に落ちてなくなる、と言う風にはならない。ルークがどうにかしようとしてくれているはずです」

「……そうだな。あいつが……ルークがこの町を見捨てるわけがないよなぁ」

「ジェイドが、ルーク達はパッセージリングを操作していると言っていました……外殻大地を浮上させているパッセージリングを操作しているなら、きっと……」


 呟くようなイオンの言葉にガイはもう一度強く頷いて、いつかお子様じみた二人が登っていた木を眺める。なんだか感傷的な空気が流れる中、たそがれている二人に後方から元気な声がかかった。


「あ、イオン様ー、それとガイ! こっちの住民はもう避難完了しましたー! そっちはどうー?」

「アニス。ええ、大丈夫です。こちらも大体は終わったようですから」

「そーですか……。ねえガイ、じゃあもうそろそろ私達もさっさと逃げたほうが良いんじゃない? 危ないんでしょ?」

「ああ、そうしたいのは山々なんだが……んー、こっちはあらかた終わってるようだがまだあっちの一角に人が残ってる、かな? ……ちょっと見てくるよ。アニスはイオンを連れて旦那のところにでも―――っ! なんだ!?」


 突然の地鳴り。激しい揺れに、かなり鍛えこんでいるはずのガイでさえよろめいてしまうほどだった。バランスを崩して倒れそうになるイオンを必死に支えながら、アニスは焦ったように辺りを見回した。


「ちょ、ちょっとこれって……うわああ、マジやばなんじゃないですかぁ?」

「長い……嫌な予感がするな」


 ガイが言い終わったと同時だった。ずん、と一際大きな揺れと何かが崩れるような音。揺れは先ほどよりも小さくなったが、ずずずずずと地面の揺れは収まることなく続き、よりにもよってまだ人が少し残っていた気配のあった一角のほうが静かに地面へと沈み始めていた。
 いまガイたちが居る方の揺れは小さくなったが、落ちていくほうはゆれが酷くなっているようだ。大慌てで裂け目まで走っていけば、そこから見えるのは立つことだけに必死になって動くこともままならない取り残された人たちの姿。


「ああ! マグガヴァンのおじーちゃんたちが残ってる!」

「くそ!」

「ガイ、落ち着いてください! 僕たちが飛び降りても何もなりません、ここで何かできる方法を探さないと……ジェイド!」


 ガイ達から少し遅れてこちらに走り寄っていた男にイオンが声をかける。ジェイドは裂け目から酷くゆっくりと落ちていく大地に残された住民を見て、小さく息を吐き眼鏡をかけなおした。


「ふむ、思ったよりも多く残されていますね。ティアが居れば譜歌で、と思ったかもしれませんが、彼女が居ても全員を守るのは難しかったか……何か他に方法を考えましょう」

「ジェイド坊や、わしらのことは気にするな! それよりも町の皆を頼むぞーっ!」

「くそっ、なんとかならねえのか!」

「大佐、空を飛べるような譜術など知っておられませんの?」

「そんな譜術を知っているなら、既に試していますよ。そもそもそんなに便利な譜術があれば、研究者という研究者がこぞって研究して、誰もが知って誰もが使えるように理論を組み立てなおしていたでしょうがね」


 ジェイドの溜息交じりの言葉にキムラスカの王族二名はぐっと奥歯を噛む。無力感に苛まされていた時、しかしナタリアの言葉に何かを思いついたのか、ガイがそういえば、と声を上げた。みなの視線が一斉にガイのほうへ向く。
 何か案があるのですか、と問うてくるジェイドに頷き、聞いた話なんだが、と前置きをして話し出す。


「教団が発掘したって言う、大昔の浮力機関を使ってシェリダンで飛行実験をしているという話を聞いたことがある」

「それなら僕も聞いたことがあります。確かキムラスカと技術協力するという話に了承印を押したはず……飛行実験はもう始まって、そろそろ完成間近でもおかしくないはずです」

「それが本当なら、こっちにはキムラスカの王族が居るんだ。交渉して貸してもらえれば何とかなるかもしれない」

「でもでも……大佐、間に合うんですか? アクゼリュスの時みたいにばーって一気に落ちてっては無いみたいだけど、急に落ちていったら」

「それは、現時点ではそうならないことを願うしかないですが……」


 ジェイドの言葉に一瞬迷うも、それでも何もしないよりもましだ、とアッシュが言おうとした時だった。ふと、頭上にかかる大きな影の存在に気づく。皆が一様にはっとして空を見上げれば、大きな飛行機械が頭上を横切るところだった。
 その黒い機体は危なげもなく揺れているはずの大地に着陸し、取り残されている町の住民たちに向かってその機体に乗るようにと声を張り上げている。機体から下りた階段で残されていた人たちを収容し、離陸したその機体はそのままセントビナーの町のはずれへ。


「ちょ、何あれ!?」

「アルビオール、ですか……?」

「さっき俺が話してたヤツだよ」

「うっは、なんてタイミングのいい」


 まさか先刻まで話していた浮遊機関の実物が、こんなにもいいタイミングで現れるとは思っていなかった。様子を見るのと話を聞こうと皆が機体に近付けば、町の外れの辺りで着地したその機械から一人の青年が出て、こちらに向かって走り寄ってくる。


「皆さんがエミヤさんの言っていたご一行様達ですか? おいらはギンジ。エミヤさんの頼みを受けて、あなたたちに協力するようにとのことです」









 続く地震が終わったのを感じて、腕組みをしていたルークは目を開けた。ちらりと横に控える協力者を見る。アーチャーはルークの視線に一つ頷き、確信しているような口調で推測を話す。


「セントビナーがひとまずは落ちきったようだ。今はディバイディングラインだとかいうものの力場でなんとか保っている状態だろうな」

「分かった」


 ルークは後ろを振り向く。そうすれば、控えていたティアが了解したといわんばかりに真っ直ぐにパッセージリングに進んでいった。その後姿を見てそれはもう黒いオーラを放出しているルークに、アーチャーは明後日の方向を向きながら溜息をついた。


「ルークよ」

「なんだ」

「……いい加減にごくごく普通の一般的な心配の仕方を覚えてはどうかね」

「心配? はっ、誰が誰を心配しているって言うんだ、エミヤは」


 淡々と紡がれたルークの言葉に、アーチャーはもう疲れたと言わんばかりに額に手を当てる。毎度毎度ティアがパッセージリングを起動させるたびに不機嫌になっておいて、何故これなのか。ルークの背後からでは彼の表情を見ることはできないが、それはもう剣呑な表情をしているのだろう。
 ほらそこだ、手をぎりぎりと握り締めて握りこぶしを作っておいて今更何を。いっそそう言ってしまいたかったが、そうすればまた何故そんな結論に? というルークのぶっ飛び理論が待っているのだ。全く、本当に手のかかる協力者だ。アーチャーは心中で再び大きな溜息をつく。

 そんな会話をしていれば、パッセージリングが起動する。歩いていく前に、ふとルークは確認するようにアーチャーに声をかける。


「ここの文字盤はまだ書き込まなくても良いんだよな?」

「ああ、セントビナーが沈むことを防ぐだけでいい。今ここのパッセージリングでルグニカ平原ごと大地を降下させては、降下した戦場に残された軍人たちはそのまま降りた大地で戦争を始めるだろう。大きな混乱と問答無用に対峙しなければならない停戦理由に、戦場の降下はうまく使える。
 戦争真っ只中に戦場が崩落、戦場との連絡不通、大陸の降下、というのが軍上層に戦争停止をさせる理由には一番分かりやすいだろう。初めから落ちていた戦場で戦争をするのと、今まで戦争していた戦場が突然降下するのとでは意味が違う」

「キムラスカは本当にそんなことでも起きないと、戦争を止めようとはしないのか……」

「愚問だな。約束された繁栄の為に今の今まで散々手を汚してきた連中も居るのだぞ。モースが筆頭だというだけで、それと同じ考えを持つ輩などいくらでも居る」

「……そうだな。まあモースもまだ上手いこと道化を演じてくれてるだろうさ」

「……ふむ。私の知らないうちにモースに何か仕込んだのかね?」

「別に。対立中同士に手を組ませるには、共通の敵を作ればいいだけのことだろ」


 ルークのその言いようにおおよその概要は分かったのだろう、アーチャーは少しだけ目を見開き、やがて天を仰いで嘆息する。


「それはそれは……小僧、お前も既に立派な悪人だぞ」

「煩い、なんとでも言え」


 そこで会話の区切りとして、ルークはパッセージリングに向かって歩いていく。両手を掲げて、超振動を起こし操作盤の円の周りに刻まれた赤い暗号文を削り取る。時間にして三十秒あるかないかだ。
 いつものように文字を刻まなかった分だけ負担も少ない。


「よし、これでいいだろう。ルーク、次はどこに行く予定だ」

「……ルグニカ平原の状況を見て決める」

「そうか。ではグランツ響長、ルークの左目を……グランツ響長?」


 アーチャーの訝しむような声にティアははっとして慌てて答えているが、アーチャーとルークと、二人の視線は緩むことがない。ティアはもう一度なんでもないと答えてすぐにルークの左目に手を当てようとするのだが、その腕をルークに掴まれる。
 掴んだ手袋越しの体温が以前よりもまた冷たくなっている気がして、ルークの眉間にはさらに皺が寄った。


「……おい、体調が悪くなったのならすぐに言え。黙って無理されるのは迷惑だ。……あんたには外殻大地を全て降ろしきるまで死なれては困るんだからな」

「……大丈夫よ。なんでもないわ」

「身体状況の過信は兵にあるまじき行動だぞ?」

「……っ、少し立ちくらみがしただけよ。薬も飲んでるから痛みもないわ。大丈夫、それよりも左目を診せてちょうだい。一応治癒術をかけておいたほうが良いでしょうから」


 あくまでも毅然としてそう言うティアに、ルークの怒りのボルデージが急上昇する。それはもう一気に上昇してあっと言う間に天井を突き抜けてメーターオーバーを記録するくらいの、それくらいの勢いで上昇していた。
 彼女のこういうところが嫌いだ。だってグレンによく似ている。自分のことは二の次にして自分以外の誰かの事ばかり。もっと自分のことを考えればいいのにといくらこっちが思っても、あっさりと無視をする。世界のために自分を犠牲に世界のために命を捨てる。顔も知らない大勢のために死ぬのを仕方ないと許容するのだ。

 ああいらいらする、イライラする、苛々する!

 ルークの目つきがそれはそれは剣呑になって、おそらく音がしていたならブッツン、と何かがぶち切れた音がしていただろう。


「…………え」「おお」


 そしてルークがとった行動にティアは硬直しアーチャーは感心したような声を上げた。
 ルークは何をしたのか。それは。


「ちょ、っと、な、ななななにしてるのよルーク!」

「何をとはなんだ。横抱きにしてるだけだろう」

「ちょっ……ええええ!?」


 俗に言えばお姫様抱っこと言うやつだ。ここにアニスでも居れば、こやつ素でやりおった! だのと大いに笑顔ではやし立てていたことだろう。

 因みにティアは絶賛混乱中。助けを求めて視線をめぐらせ視線だけでアーチャーにヘルプを求めるが、なぜか彼は彼で親指をぐっと立てて、良い感じににやりとした笑顔でこちらを眺めていた。ダメだ、きっと彼に助けを求めても意味がない。ティアは自分の孤立無援をひしひしと感じ途方にくれたくなった。
 そのままルークはシュレーの丘から出ようとする。ティアも必死になってもがこうとするのだが、落ちるぞといわれて少し怯む。しかしだからと言ってこのまま大人しくしているなどできようはずもない。だっていくらなんでも恥ずかしすぎる。


「ちょっと! いい加減にして、あなた何のつもりなの!?」

「シュウ先生は痛み止めや発作を抑える薬を出してくれたみたいだが、治療薬は無かったはずだな。ならばあんたの内臓器官には俺の譜眼と同じくダメージが散々蓄積されているはずだ。今まで感じなかった眩暈を感じたならそれなりに疲れてるんだろう。これ以上の疲労蓄積だけでもなるべく回避するべきだ、これからもパッセージリングは起動しなきゃならないんだからな……おい、大人しくしろ」

「いいわよ降ろして! 疲労って、これじゃあ余計に疲れるだけだわ……」

「なに? なんでそうなる」

「何でって……ああもう、だいたい何でよりにもよって、よ、横抱きなのよ!」

「仕方ないだろう。俺はエミヤみたいに人一人を小脇に荷物担ぎなんてできないし、肩に担ぐにしても背負うにしてもそしたらお前、胸が当たるぞ。俺は役得だが、お前それ嫌だろ?」

「む!? ちょ、っと……なん……あ、あなたは今感情減退で……っ!」

「感情はほとんど忘れた。だがな、勘違いするなよ、生存に必要な三大欲求はあるんだぞ。好き嫌いは分からなくなったが食欲はあるし、睡眠欲もあるし、蓄積経験年齢は七歳でも肉体年齢は十七歳なんだから性欲も残ってるんだろうさ」

「る、る、ルーク? 何言って……」

「ああそうだ、ついでにこの機会だから言っておくが、お前もうちょっと異性に対して警戒心を持ったらどうだ。俺はそう言う感情を持っていないが、薄くでもそう言う欲ぐらいはあるはずだ。お前も感情も何もない欲のはけ口にされたくないだろう。いい加減あの無防備はどうかと思うぞ」

「……………………」


 どうやら実は純情な……というかかなり奥手のティアにはなかなか過激な発言に含まれたらしい。固まっている。ああ大人しくなって運ぶのが楽になったかな、と呑気に思っているルークの腕の中でそれはもう見事に彫像と化している。
 色々と脳内がルークの発言についていけてないのかもしれない。

 アーチャーは「ふっ、二人とも若いな」「ツンデレか」「むしろクーデレ?」「ほお、よく素面でそんなことを言えたな小僧」「いや違うか、感情減退どうこうよりも、自身にそのつもりがないからこそ逆にあけっぴろげで言えるのか?」「ちい、無自覚め」と小声でぶつぶつ呟きながら、せっせと寄ってくる魔物たちに遠距離狙撃を繰り返しまくっていた。

 魔物に襲われれば流石にルークもティアを降ろして戦闘体勢に入っていただろう。見事にブラウニーに徹している。こんな時にそんな風に援護しないで下さいとティアなら怒って言っていただろうが。


 そろそろシュレーの丘のセフィロトから出る頃合だ。それはもう平然として歩くルークに対して、赤くなって固まっていたティアが意識を取り戻して小刻みに震えだすまであと五秒。そしてロッドをぐっと握り締めるまであと八秒。




―――『何か』が盛大に爆発するまで、あと十秒をきっている。






[15223] 42(ケセドニア)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:aadcdddf
Date: 2010/03/14 23:48



 セントビナーが崩落した。その一報を聞いた瞬間、ユリアシティの市長テオドーロの表情がいっきにそげ落ちた。馬鹿な。小さく呟いてもう一度聞きなおしたのだが、セントビナーの崩落はどうも誤報でもなんでもなく事実であるらしい。その日一日は、もう仕事と言う仕事が手につかなかった。

 続いて流れてくる情報。そのどれもが全てセントビナーの崩落を示しているもので、テオドーロの脳裏に蘇るのはいつかの声だ。


―――俺がアクゼリュスのパッセージリングを破壊したことにより、もうまもなく南ルグニカ平原は確実に沈む。
―――レプリカと言う存在が詠まれていないんですよ。スコアは既に狂い始めている。
―――外殻大地が崩落を始めた場合の、パッセージリングの操作の許可です。崩落をする前に降下で死傷者が出るのを防ぐ為に。


「そんなはずはない……ユリアのスコアが狂うなど、そのようなことがあるはずが無い! それでは、一体、我らはこの二千年間、何のために……っ!」

「市長、技術局の観測の結果です。パッセージリングにかかっている負荷状況を考えますと、やはり南ルグニカ平原が崩落することは確実と。このままでいけばルグニカ平原全体を含んだ崩落と、最悪その崩落によりパッセージリングにかかる負荷の連鎖による外殻大地全体の崩落の可能性すらありうるとの結果が……」


 若い市長補佐の言葉に、テオドーロは力任せに机に拳を叩きつけた。どん、と鈍い音が広い会議室に大きく響く。手元の書類を見ながら報告していた補佐は、はっと驚いた様子で顔を上げた。テオドーロはその顔を歪め、ぎりぎりと奥歯をかみ締め唸っている。馬鹿な。小声のうめき声の後、信じられんと首を振って、もう一度机に拳を叩きつける。


「馬鹿な! 馬鹿な、そのようなこと……これから起こる戦争は、ルグニカ平原の上で行われるはずなのだ。アクゼリュス以外の崩落などユリアのスコアに詠まれてなどいない!」

「ですが! 研究者自身も信じられずに何度も何度も計算して計測しなおしてこうなったと申しているのです! 結果がでてしまっているのです! ユリアのスコアは……もう、狂っているのではないですか―――市長」

「なんという、ことだ……」


 スコアが狂っている。いつか言われた言葉でも、そんなことはありえないと否定した現象だったはずだ。それなのに、己の補佐としてとても有能に今まで支えてきてくれていた補佐官の口から零れた言葉に、テオドーロは打ちのめされていた。


「ホドを見殺し、アクゼリュスの住民の犠牲すらも致仕方なしと見殺しにしようとした……その結果が、これか。始祖ユリア……一体、私はどうすればよかったのでしょうか」

「テオドーロ市長……」


 一気に十は老け込んでしまったかのように生気が無い。がくりと力なく肩を落とすテオドーロに、補佐は何も言えなくなってしまった。しばらく無言で時が流れる。そしてしばらくして、慌てたような駆け足が聞こえ、会議室の中に入ってきた男がいた。
 その男は焦ったように市長、と声をかけながら入ってきたのだが、なぜか妙に力の無いテオドーロの様子を見て咄嗟に口をつぐむ。困ったような視線を向けられて、代わりに補佐官が話を聞いた。一つ頷き、男に退出するように促し補佐官は改めてテオドーロに向き合う。


「……市長。その、今ユリアシティに、セフィロトやパッセージリングについて聞きたいと申している者たちが来ております。マルクトとキムラスカとダアトの主要人物の集まりでなんとも豪華なメンバーなのですが……いかがいたしましょうか」

「主要人物? そのような者達が何故この都市の存在を知って……いや、もしや以前ここに来たことのあるものたちか?」

「はい。マルクトの懐刀にキムラスカの王女殿下、導師イオンに六神将の……」

「まて。六神将? それは……赤い髪の男か?」

「は? あ、はい……特務師団長のアッシュというものが……」

「…………」


 オリジナルルーク。あの時見逃した、スコアの通りに進めば死ぬはずだった『ローレライの力を継ぐ者』だ。その男がここに来ているという。スコアが、決定的に、狂い始めたその始まりの元凶が! スコアが狂った本来の元凶はルークレプリカだそうだが、そもそもその存在がなければ死んでいたオリジナルルークだ。

 ならば。

 あの男を殺せば。


『隠せばそれを巡って争いになることは分かっている。……そうなると分かっていて、なぜユリアは第七譜石を詠んですぐに隠してしまったのでしょうか』


 ユリアの、スコア通りに―――


『教団が死のスコアを詠まないのは、』


「…………まさか」

「市長?」

「まさか! いや、そのようなはずが無い。ユリアは……第七譜石は……!」


 唐突に思いついた嫌な考えを、テオドーロは必死になって振り払おうとする。けれど、一度考えれば後から後から疑問が湧いて止まらなくなるのだ。何故ユリアは騒乱の元となると知って第七譜石を隠したのか。何故、星の記憶を詠んだスコアが第七譜石までしか残されていないのか。

 ……何故、ユリアの子孫であるヴァン・グランツはスコアを狂わせるルークレプリカを作ったのか?


『高く高く空へ跳ねたボールほど、高い高い場所から地上に落ちてくると』


「ま……さ、か……」


 テオドーロ市長? と問うような声も今の彼には聞こえていない。

 二千年間。先達の監視者達もただそれだけを願って世界を見てきた。訪れるはずの繁栄を。未曾有の大繁栄を。切り捨ててしまう命がでることを知っていた。それでもより多くの人々が笑っていられるはずだった未来のために、終わることなき繁栄だと信じて。

 その心は機械となり、その行動は歯車となり、その目はただ現実を映すだけのレンズとなり、スコアに死を詠まれていた者たちの嘆きを、防げていたかもしれない悲しみを知らせぬままに見殺しにし続けてきたのだ。
 テオドーロとて監視者の長になったときには覚悟をした。心を殺して歯車の一部になることを受け入れ、そして先達のように監視者としてあるべき姿として世界を監視してきたのだ。初めのころは理解していても感情が受け入れられずに吐いたこともあった。
 それでも人間は慣れることができる生物なのだ。何年もその勤めを重ねていくごとに心は鈍化して、そして眉一つ動かすことなく人の命を人柱として見捨てることもできるようになった。嘆きの声と恨みの瞳も簡単に忘却できるようになっていた。

 けれど、その行動全てが。先達の願い続けてきた守り続けてきたものは。


『そしてその落下の衝撃に耐え切れなかったボールは』


―――そうだとしたら、とんだ喜劇だ。


「……アッシュは、いるのだったな」


 酷く掠れた声だった。テオドーロのその声に補佐官は不審げに眉根を寄せる。セントビナーが落ちたと聞いてから一睡もしていない市長を知っていたため、どこか案じるような目だった。それでももう一度確認するように尋ねるテオドーロに、はい、と小さく頷く。


「ルーク、は…いるかね?」


 テオドーロがついついルークレプリカ、といいそうになったのを何とか堪えて尋ねれば、返ってきたのは否の答え。当たり前か。今の状況でここにくるわけが無い。彼はこの起きる状況を見通していたのだ。どうやって知ったのか、それとも全て状況を分析して観察して組み立てた予測だったのかは、本人に聞かなければ解らない。
 それでもあのレプリカルークは、スコアなど既に導になりはしないと、崩落は起きるのだと主張して起きた後の行動に対する教団の許可まで求めていた。この現状はほぼ確信していた状況なのだろう。ならばそうせざるを得ない状況にでもならなければここに戻りはしないだろう。

 確認をしたかった。嘘だと思いたかった。馬鹿な考えをしていると思いたかった。
 しかし、何を知っているのか何を考えているのか、よく解らないかのレプリカの言葉が全て真実だとしたら。今までの彼の言葉は的中している。ヴァンの動きは監視者としてのものではない。


『もしもオリジナルルーク達が外殻大地やパッセージリングについて聞きに来たら、』


「……アッシュ達に会おう。すぐにここに来るように伝えてくれ」

「ですが、市長? お顔色が悪いです。体調が優れないなら今すぐではなくてもよろしいのでは無いでしょうか」

「そうはいかん。それに自分の体は自分が一番分かっているつもりだ。……大丈夫だ、連れてきてくれ」

「…………承知しました」


 ありありと納得していないような、心配している声だった。一礼をして、副官はゆっくりと歩いて出て行く。その背を見送って、テオドーロは酷く疲れた、覇気の無いため息をついた。力なく肩を落としたまま、ゆっくりと天井を仰いぐ。


「申し訳ありません、代々の監視者の長よ。先達の長達よ。私はこれからあなたたちがずっと守り続けてきたものをどぶに捨てようとしております。……これから私は最後の監視者として、スコアから外れる行動をとるでしょう」


 今まで当たり前だと信じていたものを捨てる事になる。迷った時にはいつも答えを指し示して、信じていればよかっただけの導は頼れない。スコアから外れるというのは、そう言うことだ。
 スコアから外れるなど、テオドーロとて考えるだけでも恐ろしい。外れぬように、遵守することこそが善だと生まれた時からずっと信じて、そしてきっとこれからも信じ続けていくのだろうとつい数分前まで思っていたことなのだから。

 それでも、世界はユリアのスコアから外れなければならない場面に出会ってしまったのだろう。


「始祖ユリア……スコアから外れるこの世界にも、どうかあなたの祝福を―――」


 老人の震える小さな声が、静かな会議室の中でポツリと響いた。









 ケセドニアに降りる。活気のある町並みはいつかここに来たときのままで、それでも国際情勢のせいか、どこか浮き足立っているような雰囲気だ。空元気のような張り声が辺りで飛び交い、交わされる笑顔も少し薄暗い。

 そんな流通の拠点都市を歩く人影が二つ。アーチャーとルークだ。二人とも、あちこちキョロキョロ何かを探すようにしている。


「エミヤ、見つかったか?」

「いや、今のところ見当たらないな。ふむ……この都市に今は居ないのか、はたまた昼間は潜っているのか……」

「ってことは、接触を持つにはやっぱり酒場か」

「ああ、あの酒場の店主がノワールとの知り合いだというのは既に確認済みだ」


 アーチャーの頷きに、ルークは内心フローリアンを連れてこなくて正解だったな、と安堵した。……ただでさえちょっと油断ならないのだから、裏との繋がり方だの、酒場の雰囲気だの、あまり覚えさせたくは無い。今ごろアルビオールの船内で何をしているのだろうか。
 アリエッタが上手くフローリアンの相手をしてくれていたらいいのだが。


「しかし、意外だったな」

「何が?」

「グランツ響長だよ。疲労も溜まっていたようだし、どうやってアルビオールに残していくか考えていたのだが……よく残して来れたな。彼女ならお前に付いてきそうだと思ったのだが」

「そんなの簡単だ。ミュウに『怖い夢を見て昼寝ができないから一緒に昼寝してくれ』って涙ながらにあいつに頼め、そう言っただけだ。お前にしかできないから頼むぞってミュウに言ったら、大喜びでうまいこと引き留めてくれたぞ」

「ほう、策士め」

「パッセージリングを起動させるような状況じゃないんだ。付いてこなくても良い時にまで付いてきて体力を消耗するなど、馬鹿のすることだ。……と、俺が正面から言って納得するような奴なら、こんな遠まわしな手段は使わなかったさ」

「ふむ、まあ彼女も彼女で生真面目だからな。……外殻大地を崩落させようとしているのが己の実の兄なのだ、じっとしてはおれんのだろう」

「ふうん」


 感心無さそうに流して、ルークは酒場の前にたどり着いた。一応キムラスカの血統を示す赤い髪は、引っかぶった外套のフードの中に隠している。片手で扉を押し開ける。酒場に入れば、この日の高い時刻ではまだ人はそうは居ない。
 カウンターに座る。すると酒場の主人は顔を隠してはいるがフードに隠れていないルークの顔をみて若いと判断したのだろう、彼の後ろに控えるようにたつアーチャーの向かって眉根を下げてぼやいてくる。


「お客さん、ここは酒場ですぜ。あんたみたいな未成年の兄さんがくるとこじゃない……ほら、そこの赤い兄さんも止めなせえよ」

「まあそう言うな主人。酒なら私が飲もう。お勧めのを一つ頼む」

「……まあ、あんたらがそれで良いってんなら良いンですけどねぇ。どうぞ」

「ありがたい」


 そしてしばらく当たり障りの無い会話をしている二人をじーっと見ているだけだったルークだが、ふと思い出したように主人がこちらを向いた。そして首を傾げて笑顔で尋ねてくる。


「しかし、飲めもしないのに、しかもこんな時間から酒場になんて来るもんじゃないぜ兄さん。一体何しにここに来たんだい」

「ああ、ちょっとひとを捜していてね。なあ主人、ノワールと言う女を知らないか?」

「――――ノワール? ……さーて、俺は聞いたことは」

「仕事を頼みたいんだ。主人、漆黒の翼と連絡を取りたい」

「……おいおい兄さん、漆黒の翼って言えば盗賊だろう? そんなやつらと知り合いになれるような機会なんてしがない酒場の主人に回ってくるもんかい」


 はっはっはと軽く笑いながら流したかに見えた。が、宿屋の主人はグラスに水を入れて、それをルークの前に置くふりをして小さく呟く。


「あんたらこっちの人間かい?」

「いや、どちらかと言えばやんごとなき身分って側の人間だな。しかし手段を選んじゃいられないんだ。赤い髪の男が仕事の話を持ってきていると言ってくれれば良い。多分仕事を受けてくれるだろうから」

「残念だが、今あの姉さんはここにはいねえよ。少しでてるんだ」

「そうか。いつ頃戻る?」

「さあ。あの人たちはいつも気ままだからな」

「そうか……」


 少し考え込んでいたルークはやがて仕方ないな、と呟き道具袋の中をあさって日記帳を取り出した。そのページの内の一枚を千切って、いくつかの箇条書きをする。それを小さく折りたたみ、宿屋の主人の前に置いた。


「それをノワールに渡してくれ」

「……おいおい、渡されてもな。これであのねえさんがこの仕事を蹴ったらどうするんだよ、あんたに伝えられないじゃないか」

「いや、実は漆黒の翼に俺の……双子と言うか血縁者というか、まあ、親戚? が仕事を頼んでいてな。うん、俺の依頼分の金額はそいつにまとめて請求して良いって頼んである。あいつ潔癖だから、自分が助かったなら文句ぶちぶち言いながら払ってくれるさ」

「おいおいおいおい、そんなの本当がどうか……」

「あいつとんでもねえ金持ちだからさ。大丈夫だいじょうぶ、主人、あんたはそれをノワールに渡してくれるだけで良いんだ。しかもそれ、俺の名前で俺の筆跡でしかもばっちりフルネームだからな、あのでこっパチならそのメモと引き換えに金を出すさ。……漆黒の翼とはっきりとつながってることを示すメモだ。そう動かざるを得ないだろうよ」


 くっくっくと人の悪そうな笑みを浮かべるルークを見て、主人は心底からそのメモの内容を知りたくなったが、同時に知ってしまうと厄介そうだといち早く気づく。知らぬが仏だ。とにかくこの若者はノワールと知り合いのようだし、ついでにどうやら上客のようだし、まあ一応渡すだけ渡してしまおう。そう決めて、溜息を付いたあとメモをポケットに入れる。


「はあ……じゃあ確かに渡しておく。しかし蹴られても保証はできないし、伝えることもできないからな? それは了承しておいてくれ」

「渡してくれるならそれで十分だ。さて、それじゃあ頼んだぜ」


 アーチャーが飲んだ分の代金をカウンターに置き酒場から出る。外に出れば、太陽を反射する砂の照り返しで一瞬目がくらむ。ルークは片手を掲げて目を細めた。どうした、と後ろから問う声が聞こえたがなんでもないと返す。


「……さて、エミヤ。アスターさんに一応エンゲーブの住民の受け入れについて先に言っておいたほうがいいかな。でも確かグレンが前来たときに一人でアスターさんにあってるんだ。盗賊のねぐらからかっぱらったお宝を捌くためだったのかも知れないけど、もしかしたら……」

「ふむ。そうだな、短く終わらせると決めてはいたが偽姫騒動は起こすと初めから決めていたからな。そうすればほぼ確実に戦争は起きる。その時のためにもう既に話を通しているかもしれんが……一応我等からも言っておいたほうがいいだろう」

「じゃあアスターさんのところへ言って話をして、そうしたらもうアルビオールで次だ」

「次の目的地はどちらにするのだね」

「そろそろシェリダンに地核の振動周波数をはかる装置を……」

「ふむ。しかし今回は以前のようについでにベルケンドヘ、とは行けないぞ? 恐らくだがヴァンが戻っている可能性が高い」

「………………ちっ、じゃあエンゲーブ」


 舌打ちをしおった。本当に、なんと分かりやすいのだろう。これで自覚が無いと言うのだから、とんでもない。もう何度思ったのか知れない感想を心中で吐きつつ、アーチャーは溜息を一つ。


「……了解した」





* * *




 ミュウの背中を撫でてベッドに座っていると、こんこん、とノックの音。どうぞ、声をかけるとひょこりと顔を現したのは無邪気な顔をしたフローリアンだ。今いい? 尋ねてきた問いに大丈夫よ、そうティアが答えればぱあっと嬉しそうな顔をして部屋に入ってくる。その後ろについてアリエッタも一緒に入ってくる。

 フーブラス川では倒した魔物たちの仇と狙われ、カイツールではルークを誘拐した六神将の一人。キノコロードからこちら、はじめこそ仲良くなどできなくて警戒されているようなものだったが、今ではもう大分慣れている。どうやら人見知りは激しいが案外順応性は低いわけではないようだ。
 シュレーの丘から帰ってきたときなど、ティアの顔色を見て少し困惑したように首を傾げ、体調が悪い、ですか? と心配してきたくらいだ。不思議な関係になってしまったとしみじみ思いながら、ティアは二人に優しく笑いかけた。


「どうしたの?」

「ねえねえ、ティア! これ、この本何かいてるか分かる?」

「本? 本なら……」

「文字なら読めたもん。でも、言葉の意味が難しすぎて……アリエッタにも、よく、わからないです」


 ぎゅうっと人形を抱きしめて、拗ねたようにアリエッタがぼやく。その様子に首を傾げる。わからない、とは。彼女もちゃんと読み書きはできるのだから、まさか絵本の言葉がわからないとは無いだろう。一体どんな本なのか。受け取って、とりあえずその本を開く。
 開いた瞬間に何これ、と思った。本文のあちこちに線が引かれて走り書きが残っている。所々ではページの角が折られていた。そして文章の余白に書き込まれている文字には見覚えがある。なんとも個性的な筆跡で、読みづらいことこの上ないその筆跡の持ち主は。


「……フローリアン、これどうしたの?」

「うー……だって、ルークが僕と遊んでくれないでその本をずっと読んでるんだもん! 今ならルークいないし……」

「……人の部屋に勝手に入ったの?」

「だってぇ! ルーク独り言ぶつぶつ言いながら頭搔いてさぁ、その本ばっかり読むんだよ、つまんない! だから、僕のことほっぽって読むほど面白い本なのかなぁって」

「面白いって……これ、多分研究書よ? 私はよく分からないけれど、この内容は随分と難解だし……」


 恐らくルークがぶつぶつ独り言を言っていたというのは、この研究書に書かれている言葉の意味が分からないから唸っていただけなのだろう。そしてこの文のあちこちに書かれたメモ書きは、恐らく自分にも分かるように改めて文章を噛み砕いたものだ。筆跡により文字が酷く読み辛いが、そのわりには書かれている内容は、線を引いてある先のものよりも随分とわかりやすい文章になっている。

 なんだか意外なものを発見した気分だ。感情を忘れてしまう前の彼なら、間違いなく理解しようとする前にわけわかんね、めんどくせー、で放り投げてしまっていただろうに。

 何の気なしに、背表紙を見る。書かれた名前に少し驚いた。著者名ジェイド・バルフォア。もしかしたらこれはあの時彼が読んでいた本なのだろうか?


「研究書ぉ? ね、ティア。何の研究書なの?」

「え? ええ、ちょっと待ってね。えっと―――」


 表紙を改めてみた。そっけない文字で淡々と印刷されている表題は、普通ならその筋の研究者にしか解らないような専門用語だ。けれど、その題名の中の単語をティアは知っている。


「……フォミクリー技術における、起こりうる問題点について」


 フォミクリー? と尋ねてくるフローリアンに対して、アリエッタはぴくりと小さく反応していた。
 その様子をみて、ティアは首を振ることで答えた。レプリカを作る技術のことよ、とはフローリアンにはっきりと言いたくなかったし、それに本に書かれている内容はどれもこれも専門用語だらけで、彼女にもよくわからないのだ。
 ただ、妙に嫌な予感がする。

 ユリアシティ。グレンをグランコクマに連れて行く前。


『……お前のその心配は成立しない。ああそうだ、グレンが起きる時は、』


 ―――全てが丸く収まってすっきりとした後なんだから。

 どうしてか歪に笑っていた彼の表情を思い出し、ティアは困惑した。改めて中を見てみれば、どうも全てのページに彼のメモ書きが残っているわけではないらしい。どうやらその本の中の一項目に対してだけ、そしてそれに派生する形で時々他の項目に飛ぶようにしてメモ書きがされている。
 その中の、一番彼が読み込んでいるらしい項目。ティアには馴染み無い単語。その単語が何を言っているのかは理解できない。それでも、彼女の表情がふと翳る。

 嫌な予感がした。なぜそう感じたのかは本当にわからない。ゆっくりと文字を指でなぞりながら、その本の項目を声に出す。


「“完全同位体同士に起こり得る大爆発(ビックバン)理論”……?」









久しぶりの没ネタ。




 そんな町中を、アビスレンジャーのお面を被って歩く子どもが一人。その子どもは至るものに興味深々で、少年の保護者らしき青年はともすれば喜んで屋台に突っ込みそうな勢いの子どもの手を握って歩き、もう何度も何度も引き留めている。
 兄弟だろうか? 道行く人々はこんな情勢だというのについその子どもと青年を見て頬をほころばせていた。


「うわああああ、人がいっぱいだー! ねえルークルーク、あっち行ってみてもいい?」

「ダメだ。フローリアン、少し落ち着け」

「あれ何? ねえあれは? ねえねえねえねえ!」

「アリエッタ。今すぐフローリアンをアルビオールへ……」

「えええええ、やーだー! なんでだよ、ルークの馬鹿ー!」

「フローリアン、嫌がってるから……ダメ、です」

「ったく……あ、こら! フローリアン、またお前どこ行こうとしてるんだ! あとほらお面斜めになってるぞ」

「うー……ねえルーク、これとっちゃダメ? 暑いよ」

「だーめーだ。誰かにお前の顔見られちゃ困るんだから」

「……でもルーク、何かすっごい人に見られてる感じがするんだけど」

「そりゃお前が散々騒ぐからだろう。少し大人しくしろ」

「ちぇー」


 いや違う。多分違う。視線が寄ってくるのは多分そのせいだけじゃない。後ろから二人を見ていたアーチャーとティアは内心同じく突っ込みを入れていた。

 ぷくっと頬を膨らませて、フローリアンはお面を被りなおす。


(話進まなくなるのでフローリアンはアリエッタとティアとアルビオールでお留守番に変更)



[15223] 43(エンゲーブ)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/25 01:22




 テオドーロから伝えられたルークからの伝言を聞いて、はいそうですかと何も考えずに従うことはできない。嘘は付いていないだろう。それでも、誰かの伝聞を何も考えずにはいはいと了承してその通りに動くなどできない。事は一つの街の存亡に関わるのだ。
 シュレーの丘へ行き、一応本当にパッセージリングが起動しているかどうか確認するべきだとのアッシュの主張を否定しなかったのはそれゆえだ。本当に起動しているのを確認したら、以降はルークの行動を全面に信頼し外殻大地降下はあっちに任せてこちらは和平の為に動く。

 ガイあたりはルークのことが信用できないのか、と少しお怒り気味だったが、アレはほとんど八つ当たりだ。ジェイド・カーティスはそう考えて、溜息をつきながら眼鏡を直す。


「落ち着きなさい、ガイ。例えばルークがパッセージリングを起動させたとしても、グランツ謡将もパッセージリングを操作できるのです。……ルーク達が操作した後に起動をまた停止させられていてはことがことでしょう」


 ルークがいれば即座に否と答えていただろう。
 パッセージリングの起動とユリア式封呪。その両方を解くにはユリアの血縁の遺伝情報が必要で、そしてパッセージリングを起動させれば解呪者に障気が流れ込む。再度封呪する時も然りだ。
 ただでさえヴァンの体もギリギリで、そのような状況でいくら効果的とは言え再び封呪をかけられるものか。ルークか、エミヤか、グレンか。誰かが居ればそう答えていただろうが、今その事実を知っている人間はここにはいない。

 よって、ジェイドの話す可能性を否定できなくなったガイは大人しくなり、俯いて小さく舌打ちをする。イオンが気遣うようにガイの名を呼び、ガイは少し苦笑気味で謝っていた。因みにアッシュには謝っていない。
 ナタリアは何かを言いかけて、しかし小さくため息をついてアッシュの傍に立っていた。アッシュは何もいわない。本当に、アッシュも健気なものだ。アッシュもナタリアも、ガイがホドのガイラルディア伯爵家の遺児だということを知ってしまったからこそ何も言わないのだろう。言えないのかもしれないが。

 二人がそんな負い目を持ってしまっているのに気づいているのだろう、ガイは何も言わずにそっぽを向くアッシュに一瞬だけ申し訳無さそうに眉根を下げて、それでも簡単に長年の蟠りが解けるわけもない、こちらも気まずそうに顔を背けている。

 全く、ルーク。あなたもとんでもない爆弾を放置したまま好き勝手動いてくれるものですね。

 ジェイドは心中でごちて、アニスが困った顔で空気を和らげようとあれこれ言っている。それに便乗するような形で適当に言葉を繋げ、さて、と彼らにそろそろシュレーの丘へと向かおうと提言しようとした時だ。


「あの、ジェイド・カーティス様はどちらのお方でしょうか」

「それは私ですが……失礼ですが、どちら様で?」

「ああ、あなたが。私はユリアシティでテオドーロ市長の補佐をしているものです。この手紙をジェイド様へと預かっております。どうぞ」

「手紙……? 一体誰からのものですか」


 封筒を裏返して表にして、どこにも差出人の名前がない。当然といえば当然の問いに、手紙を渡してきた市長の補佐は困った顔をして首を振る。


「すみません、何も言わずに渡すようにとだけ言われておりますので……内容をお読みになれば誰からの手紙かはお分かりになると思います」

「そうですか。分かりました」


 受け取りポケットに入れるジェイドの様子に、イオンが首を傾げて読まないのですか、と聞いてくるがジェイドは肩をすくめた。アルビオールで移動中にでも読みますよ、今は時間がもったいないので。その言葉に皆は納得したらしい。
 其れでは一刻も早くシュレーの丘へ。促すナタリアの声に皆も頷き、アルビオールの停泊している港へと一同は歩いていく。その最後尾を歩きながら、ジェイドはこっそりと封筒を改めてみた。

 封筒は薄い。手紙は恐らく一枚二枚。読もうと思えばすぐにでも読めるだろう。それでもすぐに読もうとしなかったのは、この手紙の送り主に大体の当りをつけていたからだ。何のヒントもない封筒。宛名も差出人の名前もない手紙。
 こんな無礼千万のものをネクロマンサーに送りつけるようなやつなどそうそういない。

 恐らくはルークかあの人外殿か。

 差出人はなんとなく予想はつくのだが、内容がどんなものか想像がつかない。それでもしも秘密裏な内容だったとして、それを顔に出してしまってはと流したのだ。ポーカーフェイスには自信があるが、あの二人は何を言ってくるか想像が付かない。念には念を入れておくに越したことは無いだろう。


 そしてアルビオールの中で一人手紙を見て、ジェイドは大きく溜息をついて天井を見上げるはめに陥った。





 シュレーの丘へ入る。パッセージリングに浮かぶ文字。ルグニカ平原全体を支えているという文章に、ガイが驚愕の声をあげ、アニスが頭を抱えて唸りナタリアは焦ったようにエンゲーブの民の避難を提案した。否が返るわけもない。皆で慌てて外殻大地に戻る。
 そしてエンゲーブへと向かう途中。ルグニカ平原を通り過ぎようとした一行の目の前に現れたのは、キムラスカとマルクトによる戦争の光景だった。





 マルクトの軍艦の周りには騎兵が並び、突撃を繰り出している。キムラスカの歩兵とマルクトの騎兵がぶつかり合う。
 歩兵と騎兵のぶつかりあいでは、圧倒的に騎兵が有利だ。歩兵は取り囲むようにして騎兵を押し包もうとしているが、人間以上の突進力をもった騎兵を押し包み包囲しようとするならそれなりの人の壁がいる。押し包む前に一点突破をしようと騎兵部隊の隊長が声を荒げていた。

 一点突破。それを狙っていたマルクトの騎兵隊長は、ふと遠目に歩兵部隊の後方で準備している長槍の兵装を見つけた。パイク兵だ。このまま突撃をして敵にダメージを与えても、パイク兵の槍衾に思いきり狙い打たれる。あちらに被害を与えても、こちらもそれなりに被害を被るだろう。騎兵隊長は舌打ちをした。
 状況を整理しようと後方を見れば、こちらの後詰の歩兵も到着しだしている。どうやら、戦線の維持はできたようだ。騎兵隊長はほっとして、一時撤退こそが上策と転進の命を出そうと大きく息を吸う。

 その時、キムラスカの赤い軍艦の譜業砲撃が狙いを定めた。ぎちぎちと砲の方向が調節され、エネルギーが収束する。ぼうと紫色の音素の光が浮かび上がり、何発もの砲撃が放たれる。狙いは過たずマルクトの後詰の歩兵部隊へ。そして、己の軍兵の一部を巻き込んでしまう形になるが、マルクトの大多数の騎兵すらも巻き込んでの砲撃攻撃だった。

 馬鹿な。自軍すらも巻き込むキムラスカ軍の砲撃に、マルクトの騎兵隊長のうめき声は軽くかき消される。そして、それが彼の最後の言葉だった。

 押し包むように降ってくる砲撃。轟音、絶叫、血の匂い。絨毯爆撃でキムラスカは自軍側にも多少被害が生まれたが、マルクトの被害はさらに甚大だ。前衛の騎兵部隊の被害は特に悲惨だ。総員撤退の命を受け後退する。しかしそれを狙い打つようにキムラスカの歩兵部隊が追撃をかける。
 被害を受けた最前線を助けようと、マルクトの後詰の無事な歩兵部隊が前線にまで出て行く。抜剣。あたり一面で剣戟の音が鳴り響く。

 キムラスカの軍艦は先ほどの譜術砲撃で余過のエネルギーは使い切ってしまったのだろう、お返しだとマルクト軍艦に乗っている譜術士十数人が力を合わせて放つ大きな譜術攻撃に対して、譜術障壁を張れていない。凄まじい譜術の爆撃に、軍艦の装甲の一部は剥がれ落ちて進行方向は無理やりにそらされる。
 その結果、進行するはずだった針路上に重なる自艦を避けようとキムラスカの軍艦部隊に一瞬の混乱が生まれる。その隙を見逃そうとはせずに、マルクト軍の反撃と起死回生の攻撃が始まった。

 凄まじいまでの譜術攻撃に、キムラスカの最前衛の軍艦は既に満身創痍だ。黙して目を閉じていた艦長は、ギリリと奥歯をかみ締める。口の中で一言だけ家族の名前を呟いて、捨て身の突撃を命じた。一瞬目を見張る乗り組員達。逃げたいものは逃げろという艦長に首を振る。

 軍艦と軍艦がぶつかり合った。キムラスカの軍用艦が放つ譜業の攻撃をマルクトの譜術士たちがはった障壁が跳ね返す。その譜術障壁を打ち砕かんと、喰らう譜術攻撃をものともせずに突進するキムラスカの軍艦。ついにキムラスカの突進力がマルクトの譜術障壁を打ち破り、その先鋭がマルクトの軍艦の横腹に突き刺さった。


 爆音。悲鳴。焼けた匂いが戦場全体に充満していた。



 その風景を空を往くアルビオールから見下ろして、ナタリアが呻くようにして掠れた声を振り絞る。


「どうして……! どうして戦いが始まっているのです!?」

「これはまずいですね。場所が場所です、下手をすれば両軍が全滅する」


 戦争が始まっていたことに呆然とするみなの中でも、常に冷静なジェイドのままの落ち着いた言葉に、みなの頭も何とか冷えていく。そして今戦場になっている場所はどこなのか、それに気づいたアニスが真っ青になって口元を押さえた。


「はうあ! そういえばここルグニカ平原だ……下にはもうセフィロトツリーがないから……」

「これが……ヴァンの狙っていたことだってのか!」


 かつての同郷の者が企てる大量殺戮に、ガイの表情が歪む。ぎりりと拳を握って奥歯をかみ締めるガイの横で、アッシュが低い声で呟く。


「あの野郎は外殻の人間を消滅させようとしていた。あいつが、スコアでルグニカ平原で起きる戦争を知っていたとしたら……」

「なるほど。シュレーの丘のツリーをなくし、戦場の両軍を崩落させれば手っ取り早い。効率のいい殺し方ですね」

「ったく、冗談じゃねえ。理由があってもなくてもあのヴァンの野郎がやろうとしてることなんざむちゃくちゃだ! おい、早く戦争をとめるぞ!」

「そうですわね……戦場がここなら、キムラスカの本陣はカイツールでしょう。私が本陣へ行って停戦させます!」


 今すぐにでもカイツールへ行くのだと気負うキムラスカの王族二人に、何とか無理やり落ち着こうとして深呼吸を繰り返していたガイが少し待て、とつとめて冷静を装った声を上げる。


「しかしそれならエンゲーブも危険だ。あそこは食料の町だし、補給の重要拠点として考えられるはず……戦争なら真っ先に狙われるだろう。セントビナーを放棄して丸裸になっている食料庫を、戦争の敵軍が見逃すはずがない」

「崩落前に攻め滅ぼされる可能性がある、ということですね」


 目を閉じて、沈痛な声でイオンが呟く。その言葉に周りの皆が一瞬俯き、しかしすぐに顔を上げる。そうならないためには、どうするべきなのか。落ち込む暇があるなら、何ができるかを考えなければ。しかし誰かが何かを考える前に、ジェイドが真っ先に案を出した。


「……では、二手に分かれましょう。私はエンゲーブに向かいます。マルクト軍属の人間が一人いなければ話にならない。ナタリアとアッシュ、アニスとイオン様、それにガイ。あなたたちはカイツールへ行って停戦を呼びかけてください」

「……! おいおい、ジェイドの旦那、一人でエンゲーブへ行くってのか? それならせめて俺たちの中からもう一人……」

「今は戦争中で村の中もピリピリしているでしょう。キムラスカに関係のある人間があまりこないほうがいい。ガイ、貴方はマルクトの伯爵家の出身だとしても、今はファブレ公爵家の使用人ですよ?」

「それは……」

「それに、イオン様もダアトの最高権力者です。停戦組に入れておいたほうがいいでしょう」


 ジェイドの言葉に声を詰らせるガイに、ジェイドはふっと小さく笑い眼鏡を直す。ポケットに両手を入れて、いつもの飄々とした声音で言葉を紡いだ。


「なに、心配されるまでもありません。これでもマルクト皇帝の懐刀といわれる男です。それなりに死線をくぐってきているし、軍を率いた経験もあります」

「本当に、てめえ一人に任せて大丈夫なんだな?」

「ご安心を、そう簡単にくたばりません。……ギンジ! まずカイツールへ行ってください。そこでナタリアたちを降ろします。その後はエンゲーブへ……皆さんも、それでよろしいですね?」


 ジェイドの言葉に是非もなく、彼らは頷いた。
 誘導されていると、自覚もないままに。








 ジェイドはエンゲーブで降りて、ローズ夫人に話を通そうと彼女の家へ行く。そうすれば、予想通りの人間がそこにいた。


「これはこれは大佐殿。お一人かね?」

「あなたが言いますか人外殿。思い切り私に一人で来いと指定しておいて」

「それは語弊があるな。貴様に手紙を書いていたのはルークだろう」

「ルークの手紙の内容を貴方が知らないわけもないでしょう」


 肩をすくめて返すジェイドは辺りを見回す。そして、疑問に思ったことを尋ねてみた。


「ところで、ルークとティアはどちらにいるんですか」

「……気にするな。隣の部屋で痴話喧嘩中だ」

「……………、………それはそれは。感情減退のリハビリも順調なようで」


 一瞬の間の後、からかうように呟いたジェイドの言葉にアーチャーはふっと口元を歪める。そして隣の部屋から聞こえる喧嘩の声を聞き、あさっての方向を向き少し肩を落とした。


「これで双方自覚がないのだぞ。私の苦労を察してくれ」

「ご愁傷様です。ですが、ルークの感情減退は貴方にも責任があるのでしょう? せいぜい頑張ってください、人外殿」

「……時間もないことだしな。エンゲーブの住民の避難については先に私から話しておこう」







 エンゲーブの村長、ローズ夫人宅その一角にて。先ほど……そう、ゆうに三十分ほど前から両者一歩も引かない言い合いが繰り広げられている。時折心配になった夫人がこっそり扉の間から二人の様子を覗くのだが、わりと顔が近い位置なのに二人の目と目の間には火花が散り、もう駄目だと諦めた。覗き見をする趣味もない。ローズ夫人は大人しく扉を閉めて自分のやるべきことをするために家から出て行く。
 彼女も暇ではないのだ。夫や息子、兄弟をのこしてアル……なんとかに乗り込むのを拒否する女達や、家族とはなれるのを怖がる子どもを説得して廻らなければならないのだから。


「……今度ここに帰ってくる時には、いい加減話が纏まってると良いんだけどねぇ」


 小さくぼやきながら、ローズ夫人は村人の説得に回っていった。


「お前は馬鹿か! 何でここにいるんだ、アルビオールに残れと言っただろう!」

「あなたこそ何を言ってるの? 戦場を民間人を連れて移動するつもりなんでしょう。なら、一人でも護衛の数が多いほうが良いに決まってるわ」


 平行線をたどり続ける議論は何度目か解らないやり取りを繰り返している。残れ、できない、その繰り返し。ルークの一日総舌打ち回数の最高記録を更新し、それは順調に現在進行形で絶賛更新中。
 彼の眉間には皺が寄って、これで服を変えて髪を上げればそれこそオリジナルにそっくりな表情だ。いや、下手したら不機嫌なアッシュよりもさらに鋭い眼光をしていたかもしれない。そんなとんでもなく柄の悪い表情のまま、苛々とティアを睨みつけながらルークは言葉を吐き捨てる。


「ああそうだろうよ、一人でも護衛が多いほうが助かるのは事実だ。しかしお前が護衛できるか? 障気障害で体はズタボロ、そんな状態で長い行軍についてきて万一出会った兵士と戦って、民間人を守れると?」

「……私は軍人よ、民間人を守る義務がある。いざとなったら、」

「民間人を助けるためにその身を挺して庇うとでも?」


 ティアの言葉をルークは鼻で笑う。その声に込められた感情はどこか小馬鹿にしている響きを宿していて、彼女の表情が険しくなる。そしてティアが何かを言う前に、ルークがすっと目を細めた。とても冷ややかな緑の瞳だ。その瞳の色に、彼女の声は喉の奥に引っ込んでしまう。
 ルークの凍てついた緑の瞳は、先ほどまでのあからさまな不機嫌さを表していた表情に比べて酷くわかり辛い。けれど気づいてしまえば何倍も萎縮してしまうような、冷え切った色を湛えていた。


「いいか、お前は軍人の義務より先に外殻大地降下の為にも生き延びる義務があるんだぞ。お前は、万一のときは民間人を盾にしてでも生き延びなければならない。より大勢の命を助けるために、だ。お前はそれを選んだのだから、その選択を最後まで選び続けなければならない。
 ……世界のために自分の命を賭ける覚悟はできているだろうが、はたしてお前に世界のために命を見殺す覚悟はできているか?」

「それは……」

「目の前で、助けを求める民間人を見捨ててでも己の命を優先させる覚悟はあるのか」

「……そうしたくないから、アリエッタから飛行系の魔物を借りるように手配したんでしょう?」

「確立を減らす努力はしたさ。それでも確実とはいえない。万が一と言う場合もある。いい加減、お前は今からでも遅くないからアルビオールに乗って……」

「却下よ。私が乗るくらいなら、一人でも多くのこの村の人たちを乗せたほうが良いわ」

「だから、お前の体の状況を……畜生、どうして自分の体のことを自分でわかってないんだ! 自己管理は兵士の義務だろう!」


 激昂したルークはティアの腕を無遠慮に掴んだ。驚いたティアが腕を引こうとするのだが、それでも彼は掴んだ腕を離さない。ぐっと力を入れて、跡が残るようなその力加減にティアの表情が歪む。それに気づかぬままルークはティアの腕を掴み続けて、苛々と吐き出す。


「ほらみろ、また体温が低くなっている。障気が体内に溜まって臓器の機能が落ちてきてるんだ。これは軽度の症状じゃない、もう重度の症状だ。そんな状況で戦場を突っ切るなど馬鹿げている! いくら治癒師といえども付いてくるのを許容するわけにはいかない。さっさとアルビオールに乗って、」

「るー、く…………腕、」


 離して、と堪えるような小さなその言葉でルークは我に返り、はっとして慌てて手を離す。痛みに無理やり耐えて歪んでいた表情がほっとしたように戻り、まだ少しじんじんと痛みを訴える手首に軽く手を当てていた。その様子を見て流石に罰が悪くなったか、今までのルークの勢いが少し弱まった。
 もごもごと口の中で何かを呟いた後、そっぽを向いて腕を組んでいる。

 くそう、頑固者め。こうなったら本当に食事に睡眠薬でも一服盛って、寝てる間にさっさと出発させるしかないか。……ミュウに戦争の殺し合いをみせるのも気が引けるし、やはりミュウを置いていけば少しは機嫌も取れるか? うん、あとフローリアンに何とか頼んで……よし、やはりここは一服……


「待ちなさい、ルーク。あなた何言ってるの」

「……ん?」

「睡眠薬って……ミュウを置いてかれても誤魔化される気は無いわよ」

「…………………………」


 ルークは無言でしくじった、と顔を顰めた。頭の中だけで考えていたと思ったが、どうやら小声でぼそぼそ喋っていたらしい。これしきで動揺しすぎだくそったれ。自分自身を罵りながらガシガシと頭をかく。
 ルークのトンデモ発言を聞いていたティアの表情は、それはそれは険しい。なにせ食事に睡眠薬でも混ぜるかな、発言だ。

 ……もう、こいつ絶対に引かないな。

 ルークは大きく溜息を吐いた。指で米噛み当りをとんとんと叩く。戦力状況を再確認。人間代表人外と、ばっちりしっかり分類人外と。人外二人がいるのと、視界確保のためにアリエッタからグリフィンを数匹借り受けている。その背に乗ってアーチャーが上空から索敵すればおおよそキロ単位で探索できるだろうし、住民もアルビオール一号機と二号機の二機に分けて乗れるのだからグレンのときよりも女子ども老人は少ないはず。進軍速度は遅いだろうが、いくらかマシだろう。

 ……万が一のいざ、ということでもあればカイツールでアリエッタがやったように、グリフィンに命じて問答無用でティアを戦場から離脱させることもできる。
 これ以上引く気のない者を相手取って言い合いするよりもさっさとエンゲーブから住人を移動させたほうが良いか。


 そう思うことにして、ルークは渋々分かった、と呟いた。








 ティアとの壮絶なる口論の結果をアーチャーに報告しようとしてルークが扉を開けた先。ルークはなんだか久しぶりに見る感じがする眼鏡の男を発見した。ジェイド・カーティス。呟くような彼の声に、おや、とこちらを向いた男は胡散臭そうに笑う。


「お久しぶりですね、ルーク、ティア。それで? いい加減に付いていく付いてくるなの痴話喧嘩は終わったんですか」

「大佐! 私たちはそのような関係ではありません!」

「そうだ、どこが痴話喧嘩だ、どこが。その単語が成立する為の関係性に齟齬がある。一度辞書を引いて言葉から勉強しなおしたらどうだ、ネクロマンサー」


 ジェイドのからかう言葉にティアはいつかのように全力否定。ルークはルークであの時とは違い淡々と否定。さらに言うなら、ルークの否定はかなり皮肉気になっている。ちらりとアーチャーの方を向く。
 アーチャーは頭が痛いとでも言いたげに眉間を指で揉んでいた。


「……これはこれは、ルークにしては随分と小難しい言い回しですが……人外殿、あなたの影響ですか?」

「分かって言ってるだろう貴様。全く、濡れ衣甚だしい」


 ああしかしこのようなルークを見たら、マスターに何といって叱られるかたまったものではない。アーチャーの地味に切実な嘆きを聞き流して、ルークはジェイドに現状をどこまで把握しているのかを聞く。それにジェイドは大方のことはそこの人外殿から聞きました、とだけ返して改めてルークを見る。


「ところでルーク、一つ聞いてもいいですかね」

「……程度による」

「なに大したことではありません。……何故、ここで私と接触しようと思ったのですか」

「…………」


 ルークは無言だ。ただ、観察するような目になっている。そんな目をするようになったルークをジェイドが見たのはこれが初めてで、その姿はどこか、今は眠っているもう一人の旅の仲間の姿にダブって見える。言葉に出して本人に聞いてはいないが、それでも硬くなるばかりの確信。
 少し固い顔をするジェイドをみて、ルークは別に、と小さく息をついた。


「そんなに大した事じゃないさ。ただ、ちょっとアンタに確認したいことがあってな」

「確認、ですか」

「……まあそれは追々話す。それよりもアルビオールの二号機はもちろんここにいるんだろう? なら、まだ乗り切れてない女や子ども、あと足手まといになりそうな老人や病気がちのものを中心に運んでくれるようにギンジさんに頼んでくれ」


 ルークがアーチャーの方をちらりと見て、誤魔化すように話を逸らした。アーチャーはアーチャーでそんなルークの動きを知っていて何も口を挟まなかった。ただ面白そうにルークを見ているだけだ。
 そこでジェイドは初めて、ルークとアーチャーが完璧に力を合わせているわけではないらしいと思い至る。協力はしているのだろう。ただ、最終的な目的地が違う者同士の協力で、ルークはアーチャーに聞かれたくない思惑を持っていて、アーチャーはアーチャーでそれを妨害はしようとはしていないが……どうやらこの様子だとこちらも影でそれなりに手を打っているのだろう。

 こんな人外相手にあれこれやっても無駄だと思いますがねえ。

 ルークの勝ち目のなさを大きく見て、ジェイドはしみじみそう思った。何をするつもりなのかは解らない。しかし、良い機会だ。少なくともここからケセドニアへ住民を避難させるまではともに行動するのだから、その間にできる限り状況を把握しておくに越したことは無い。
 そのためにもここはルークの機嫌を取っておいたほうがいいだろうと判断して、ルークの話に乗る。いくつか言葉を交わし、ではギンジに伝えてきますとローズ夫人の家から出て行く。

 出て行く直前、後方でティアの声がした。どうやらもう一機アルビオールが増えたことをローズ夫人に伝えてくると言っている様だ。輸送できる人数が増えたのなら、それだけ引き離される家族の数も少なくなる。早く移動したほうがいいのだから、ローズ夫人の説得もしやすくなるだろう条件は早めに知らせておいて確かに損はない。
 頷くルークの声がして、そしてルークはこれからのことをアーチャーと話している。

 扉が閉まって数歩分。呼び止められてジェイドは振り返った。
 振り返った先のティアの表情をみて、彼は少し目を細める。どうやらこそこそ水面下で動こうとしているのは二人だけではなかったらしい。


「大佐。今すぐに、では無いんですが……少しお聞きしたいことがあるんです」

「聞きたい事とは……わざわざこうして言いに来たということは、あの二人には気づかれないように知りたい、という訳ですか?」

「……はい」


 三人だ。とんだパーティーだ。三人が三人とも相手に知られないように、気づかれないようにと動こうとしている。その中でもアーチャーはルークに、ルークはアーチャーに対して警戒をしているようだが……さて、彼らはこの少女に対して警戒をしているのだろうか。


「……私にわかることなら答えますが、私も全知全能ではない。お答えできない可能性もありますよ?」

「いえ、大佐の研究理論についてですから」

「研究理論?」

「はい。では、私はローズ夫人に報告しなければ行けませんので、また後ほど」


 一礼して去っていく少女の姿を見ながら、首を傾げる。研究理論と言っても、ジェイドが研究して理論だてた仮説も研究して結果からまとめた理論も、それこそ掃いて捨てるほどある。まあ記憶力には自信があるので、話を聞いてからすみません忘れました、という間抜けな自体には陥らないだろう。
 陥らないだろうが……


「……やれやれ、虫の知らせですかねぇ。こういう嫌な予感ほどよく当たる。外れて欲しいものですが」


 ざらざらとした嫌な予感が胸を過ぎる。
 溜息をついて、ジェイドはアルビオールのほうへと歩いていった。















以下追加小ネタ。
(ティアとジェイドがいなくなった後でのルークとアーチャーの会話)



「なあエミヤ、そもそもエンゲーブの住人達って移動させなきゃいけないのか」

「む……まあ確かにあの時は崩落すれば助からないと思っていたからな。大地を降下させられる方法も成功するかが分からなかったからこそ移動をさせた、という流れだったか」

「でも俺たちは外殻大地を降下させることができるって知ってるだろう?」

「……エンゲーブの住人を村に残して大人しく降伏して、か? やめたほうがいいだろう」

「なんでだよ。戦場を渡るよりもよほど安全じゃないか」

「占領統治下の兵は精神的にも正常ではないことが多い。占領先の民は全て己よりも格下だという優越感にかられ、そもそも戦争に出ている自体でいくらか精神的に高揚している。平常心で戦場に出て敵を殺せるものか。そのような兵が大挙して押し寄せるのだぞ。スコアには『近隣の村を蹂躙』して『マルクト帝国を滅ぼし繁栄する』と詠まれた軍だ。はたして占領した村に対して友好且つ寛大な処置を行うであろうかね」

「……でも。そうだ、国同士で捕虜に対する扱いとか占領地への配慮とか住民の保護とか、そう言うのってナントカ条約で決められてるんじゃないのか? それに、占領後の統治の為にも民のご機嫌はとっておきたいと思うだろう?」

「どうかな。記憶を見ているなら知っているだろう? あのフリングス将軍でさえ、完全に兵を抑えておくのは難しかった。まあ確かにあの時は、戦場が突然降下して浮き足立っていたという理由もあるが……キムラスカで彼以上に兵卒の意識を清廉に保ち、しっかり統率できる将軍、そして総大将はいるかね? はっきりと言ってしまおうか、占領後の村に女性やこどもが居るのはたいそう危険だ」

「…………でも、軍は民間人を守るためのものだって、あいつも言ってたぞ。いくら敵国だからって……。そうだ、それなら女や子ども、老人だけでも全部ケセドニアに運んで、それ以外のやつらは大人しく降伏すればいいじゃないか」

「剣や銃火器、譜業兵器を持たずとも反抗しようと思えば反抗できる。ましてや占領した後進軍していた時に背後で反乱を起こされでもしては目も当てられん。残っているのが男だけなら、それこそ徹底的な締め付けをあえて行い……いや、推測で話すのはよしておこう。この世界の人間があちらと同じくそこまでするかどうかは、その時にならねば分かりもせん」

「敵国の占領統治下の村に住民を残すのはいろんな意味で危険、っていうことなんだな?」

「同盟中においても、精神的に立場が対等ではない状態での同盟軍基地の間借りでも問題が頻発するものだ。戦争真っ最中の占領統治下など倫理もクソ喰らえ状態の兵の巣窟だ、危険――」

「分かったよ、もういい。住民移動はする。……ろくでもないな、戦争なんて」

「……そうだな。有意義な戦争などありはしない。戦争など、とことんろくでもないものばかりだ」

「ったく、気分わりぃ……」







[15223] 44(戦争イベント始まり )
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/25 01:23



 セシル将軍、と凛とした声が兵を連れていた女性にかけられた。その声は聞き覚えのあるもので、まさか、と思いながらセシル将軍は顔を声のした方へ向ける。そこにいた金色の髪の女性に目を見開き、引き連れていた兵に向かって先に進んでいるように命令し、女性―――ナタリアのほうへと近付いてくる。


「ナタリア殿下……生きておいででしたか!」

「そうです。私も、親善大使に命ぜられたルークも生きています。キムラスカが宣戦布告をしたのは私とルークをマルクトが亡き者にしたとの誤解から。もはや戦う理由はありません、今すぐ兵を退かせなさい」

「お言葉ですが、ナタリア殿下。私の一存ではできかねます。今作戦の総大将はアルマンダイン大将閣下ですので」


 ならばアルマンダイン伯爵に取次ぎを、と命じるナタリアに、セシル将軍は静かに首を振る。アルマンダインは大詠師モースと会談するためにケセドニアへ行ったとの言葉に、表情を険しくするのはアッシュだ。動いているのがモースだというところにきな臭さを感じながら、不機嫌な顔のままセシル将軍に尋ねる。


「ケセドニアだと? おい、何故戦争中に総大将が戦場を離れる」

「今作戦は大詠師モースより仇討ちとお認めいただき、大義を得ます。そのための手続きです」

「はぁ!? 冗談でしょっ!?」


 セシル将軍の言葉に一番反応をしたのは今まで黙って話を聞いていたアニスだった。皆の視線が集中するなか、不機嫌そうな顔をしたアニスがそれはもうおどろおどろしいオーラを背負いながら半眼になって吐き捨てる。


「そーゆー……えーっと、戦闘正当ナントカってイオン様だけが決定できるはずじゃん。モースのヤツ、マジむかつく!」

「それは形式上のことですから。ですが、やはりモースはそう来ましたか……」


 ダアトを離れるべきでなかったかと悔やむイオンに、アニスはダアトがヴァンの勢力下であることを訴える。戦場の崩落という危険は、ヴァンがシュレーの丘のパッセージリングを操作してしまったからこそ起きた事態だ。
 六神将に力ずくで来られてセフィロトの封印を解放させられるのはなんとしても避けるべきことで、それを力説するアニスにイオンは力なく頷く。それでももっと、どうにかできるやりようがあったのではないかと思っているのだろう。イオンの表情は晴れないままだった。


「……教団内部の手続きは、わが軍の関知するところではありません。とにかくアルマンダイン伯爵がお戻りにならなければ、停戦について言及することはできかねます」

「ちぃっ、そんなこと言ってる場合じゃねんだ! いずれ戦場はアクゼリュスのように消滅しちまうんだぞ!」

「消滅……? マルクト軍がそのような兵器を持ち出しているということですか」

「違いますわ! 違いますけど、とにかく危険なのです……セシル将軍!」

「……申し訳ありません、ナタリア殿下。あなたがそこまで必死になられているのなら、それほどの重大事項なのでしょう。ですが、残念ながら私には兵を退かせる権限は無いのです」

「ではアルマンダイン伯爵に私が直接会いに行きます」

「何を仰いますか。戦時下の海路は危険です。海上では逃げ場がありません。殿下を船にお乗せするわけには参りません」

「しかし!」


 ナタリアが抗議の声を上げた時、丁度同時にキムラスカの伝令兵がセシル将軍のほうへと駆けてくる。膝を折った兵から準備完了の報告を受け、セシル将軍も頷く。立ち上がった兵が敬礼し、町の外へと去っていく。その姿を見送り、改めてナタリアに向かいセシル将軍はきっぱりと言った。


「では、兵を待たせておりますのでこれにて御前を失礼させていただきます。殿下のことはカイツール港に伝令いたしますので、本国からの迎えをお待ちください。それでは」


 立ち去ろうとするセシル将軍に、気をつけて、とガイが声をかける。それに少し驚きながらも礼を返し、セシル将軍は兵達のもとへと去っていった。
 その背を悔しそうに見送り黙考していたのは数秒ほど。顔を上げたナタリアは決意を込めた瞳で周りの仲間に宣言する。


「……カイツールへ連れて行かれては何もできなくなりますわ。陸路でケセドニアへ向かいましょう!」

「ケセドニアへ向かうなら、それしか方法は無いでしょうね」

「はぅあ!? 危ないですよイオン様! 戦場を突っ切ることになるし……ちょ、アッシュ! アンタは何か言わないわけ?」

「……ナタリアが行くならば俺はナタリアを守るだけだ」

「アッシュ……」

「くおらあ、こんのバカップル! いまはそんなに見詰め合ってる場合じゃないでしょーが!」

「アニス、落ち着いてください。深呼吸をしましょう。今のような状況でこそ、冷静にならなければ……ね?」


 がおおおと喚くアニスを手馴れた様子でイオンは宥めている。すーはーすーはーと深呼吸を繰り返して冷静になったことにした。そしてアニスが顔を上げれば「大丈夫だ、お前は必ず俺が守る」「アッシュ……」というバカップル再び。
 いつもならお熱いですねえなどとからかうところだが、とにかく今は虫の居所が悪かった。モースが話題に出てきていたし、導師であるイオンをおざなりにしているところがどうにも気に食わないのだ。いろいろピキーンと来たアニスが黒い笑顔を浮かべかけたところで、イオンは困った顔をしてガイへと助けを求めた。
 ガイは黒いオーラを撒き散らし笑い出したアニスにこええええとドン引きだ。
 ああだめだここは僕が頑張らないと。コンマ三秒で決意をし、イオンはぐっとアニスの両手を握り締める。


「ほえ……イオン様?」

「アニス。確かに戦場を横切るのは危険ですが、それでもアルマンダイン伯爵には会えます。僕がアルマンダイン伯爵の目の前ではっきりと戦闘正当証明は発布しないと宣言すれば、停戦の助力にもなるかもしれません」

「でも、戦場の真っ只中のルグニカ平原を陸路でなんて……」

「それにナタリアの生存を知ればそもそもの正当を証明することなど何もないんです。意味のない戦争なんて誰も望んでいない……僕は、戦争を止めたい。だから、よろしくお願いします、アニス!」

「ううう……イオン様に頼まれちゃったら仕方ないですよぅ、もう……」


 がっくりと肩を落とすアニスにイオンは嬉しそうにありがとうございます! と笑顔を向けていて、しかしアニスはしかめっ面のままあれこれ諸注意を述べている。それに一々頷きながらもイオンの顔は終始笑顔で、アニスも途中から溜息をついていた。
 どうにかしてくれと目で訴えられたガイは仕方ないとでも言いたげに肩をすくめて声をかける。


「やれやれ、イオンと言いナタリアと言い、強情なやつ等ばかりだな。でも本当に気をつけてくれよ二人とも。ここで二人が命を落としたら元も子もないんだからな?」

「はい、よろしくお願いします」「あーもー、こうなったらやってやりますよー」「ですが、あなたも無茶をなさらないでください」「ナタリア……」

「「「……………………」」」


 一部のお方がたにはガイの注意が聞こえていなかった模様です。

 もうこのバカップルは手に負えんわ。私たちがしっかりしないとね。ああそうだなアニス。目だけで会話をする苦労人二人。守る守る言ってるけど、一番いいのはそれこそ兵を上手くやり過ごして戦わずにケセドニアへと行くことなのだが。そこらへんは分かってるんだろうか、あの二人は。


「えっと……い、行きましょう!」


 一人だけなんとか間を保たせようとしているイオンの頑張りが目にしみる。ナタリアは多分アッシュが死ぬ気で守るんだろうから、私がイオン様を守らないと。アニスは心中強くそう思い、決意を新たに頷いた。


* * *



 耳元で風切り音がする。高度が高くなれば高くなるほどひやりとした空気が体を包む。ばさばさと羽が体の脇で上下する。グリフィンに乗ったアーチャーは鷹の目で辺りを見回した。
 ふと見つけた赤と銀の鎧。いくつかの兵団が陣を形成し、南下してくるマルクト軍に対応できるように布陣している。そのキムラスカの重層な兵力の厚みを見て、アーチャーは嘆息した。


「ちっ、当たり前だが街道沿いはおおよそ兵に抑えられているな。と、なれば行軍するのは自然と舗装整備された道ではなく平原、草原あたりになるか。いや、いっそ森を進むか? 荒地や砂漠でないだけマシだと思うとして、しかし移動する住民たちが納得するかどうか……」


 一人ごちて辺りを大きく見回し、大体の布陣状況を把握する。その形を頭に叩き込んで、グリフィンを降下させた。今まで人が豆粒大だった高度から急降下、地面にぶつからない程度に速度を落としつつグリフィンの背から飛び降りる。


「エミヤ、様子は?」

「やはり馬鹿正直に街道沿いに南下しては狙い撃ちだな。兵の南下に対応して街道沿いはほとんどキムラスカも防備を固めている。ここは山と森に沿って南西に進み、川沿いに南下するのが良いのではないかと愚考するが」

「そうですね、それがいいでしょうが……問題は、森を進行するときですね。鍛えた兵でも森を通る進軍速度は遅くなる。ましてや我々が護衛するのは民間人です。ほとんど成人男性だとは言え、行軍訓練を受けているわけではない。遅れる人が少なからずでるでしょうし、その場合も見捨てるわけには行きません。些か不安ですね」

「……森を抜けるといっても、山沿いに川に出るまでだろう? その後は川沿いに平原を南下するんだから、そんなに時間もかかるわけでもないんじゃないのか」

「ルグニカ平原の中央を通る川沿いには小さな森林や背の高い草原が多いのよ」

「しかし、森に潜めば余計なキムラスカ兵との衝突は避けられるやもしれん。逆に言えば川沿いの森にキムラスカ兵が伏せていてはこちらも大混乱に陥るのだが……」

「何言ってるんだエミヤ。そんな時のためにお前がいるんだろう」

「待て、ルーク。私が持っているのは『鷹の目』だ、透視眼などではないのだぞ」

「……アリエッタにウルフ系の魔物も借り受けておくべきだったな」


 チッと舌打ちをするルークを見てジェイドは眼鏡を直し、そのレンズの下で目を細めた。


「……それより私はあなたたちが六神将のアリエッタとつながりを持っているらしい話について聞きたいのですがね……ええ、グリフィンを借り受けて人外殿が当たり前のように乗り回していたあたりなどを、特に」

「……そうか。そういえばそうだな、普通は気になるか」


 どうしようかエミヤ、とルークは薄い表情ながら困った顔をしている。話すのは良いとしても果たしてどこまでを話すべきか。相手がジェイドでなければここまでルークも警戒しないのだが、何せ相手は見通す人だ。簡単な説明だけであれこれ余分なものまで見透かされやしないかと、気が気ではない。
 確かに相手がジェイドではルークにもなかなか荷が重いかもしれない。ここは私が出るべきか、とアーチャーは思考し腕を組む。


「ふむ……まあ簡単に話すとだ。六神将でこちらに取り込めそうなのは今のところ二人。お子様組みならどうにかならないかと思ってね。特にアリエッタは導師イオンに執着していることは明白だったからな、導師イオンとじっくり対話する機会をやる代わりに、今だけは休戦協定を結んでいる。実際にそれが同盟に変わるか時間限定のものになるかは導師次第なのだがね」

「……どうしてあなたはアリエッタがイオン様に執着しているのを知っているのかをじっくり聞きたいところですが、それはともかく。イオン様はご承知のことですか?」

「何、タルタロスで三人同時とやりあった時にイオン様イオン様煩かったのでね(大嘘)。アリエッタとの対話は……マスターがフーブラス川を進んだあたりで導師イオンに意見具申していたと。そうだな、ルーク」

「あ? あ、ああ……うん、ゆっくり話せって言ってたし、イオンもそうですねって考えてたみたいだった。なあ、もうこれくらいでいいか。いい加減エンゲーブの住民の避難経路をある程度絞らないと」

「……ふう。後の気になるところは野営の時にでもじっっっっくり聞かせていただきましょうか」


 眼鏡が光を反射して光っている。その絵がやたらに怖かった。



 結果的には、やはり街道沿いは避けて森の中をゆっくりと進むことになった。後方はマルクトの一個小隊が守ってくれているので気をつけるべきは前と左右だ。前と左右はアーチャーがその視力を生かし上空からグリフィンで監視。
 そして万が一森にキムラスカ兵が伏せていた場合に備えてルークとジェイドが前方の護衛に回っている。ティアはフォースフィールドがあるので避難している住民に混ざってもらっている。その中で転げて立てなくなってしまった人に治癒術をかけたり、側面から強襲された場合は時間を稼ぐのが役目だが……ぶっちゃけアーチャーがいればほぼ側面強襲など喰らうわけもない。
 しかし万が一の時の為だ! とのルークの主張と、エンゲーブの住民のより一層確実な護衛のためにティアが折れた形だった。いつでも譜歌を紡げるように気を張る辺り、ルークに言わせればかなり生真面目だと評価を受けただろう。

 森を通行中に伏兵を受ければジェイドが思い切り空に向かって譜術を放ち、それを合図にアーチャーが降下。前衛で伏兵を後方に向かわないようにせき止める二人に合流してくる、という流れだ。
 まあそれなりに取り繕えてはいる。あのルークがよくぞここまでそれなりに嘘をつけるようになったものだ。半分感心しながら、ジェイドはちらりと後方の空を見上げた。赤い外套が遠目にはためいていて、いくら人外といえどもあの上空飛行中の風の音でこちらの声など拾えまい。


「それで、ルーク。こうまでして二人になった、あなたが聞きたかったこととはなんですか」

「……あんたにはお見通しか。まあどうせエミヤも分かってるんだろうけど」

「お寒い協力関係ですねえ」

「グレンに関しては完全一致、いや最終的には正反対だが……ふん、どうせあいつはグレンの意思を曲げようとはしない。あいつらは満足するだろうが俺はそれが許せないから、こうしてこそこそしてるわけだが……まあヴァン師匠の動きを妨害することに関してはだけは、完全に一致してるんだ。あいつが動けばそれなりに俺も動ける。協力関係って言っても俺とエミヤの協力はそんなもんだから……考えてみればそれなりに十分なもんさ」


 ふんと鼻を鳴らして、喋りながらも周囲の警戒を怠らない。森のざわめきの奥に具足の音がしないか神経を張っている様子を見て、ジェイドはふと疑問に思ったことを聞いてみる。


「ルーク、あなたはもう人間を殺せるんですか?」

「……盗賊も、エミヤがいれば襲ってこないんだ」

「まあオーラからして襲ったらただじゃすまなさそうな武人っぷりですからね」

「ああ……だからまだ人を直接殺したことは無い。けど、必要とあらばやるべきことはやる。俺は死ぬわけにはいかない。覚悟なら、疾うに決めている」

「本当に大丈夫ですか? いざその時になって手を止めてしまえば殺されるのは自分ですよ」

「くどい。言っておくがな、俺はグレンほどお優しくは無いんだ。俺がやりたいことを成す前に、俺を殺そうとする輩まで助ける慈悲をもてるほど強くもない」


 淡々と語られる言葉に偽りは無いように見える。平然としていて迷いは無い。しかしその平静さが逆に無理をしているようにも見える。ジェイドの方からは彼の瞳は眼帯に隠されていて見えない。俯くことなく真っ直ぐ前を向いてこんなことを話すようになってしまった、今のこのルークを見れば、グレンは一体どのような顔をするのだろうか。


「それで、聞きたいこと、だったな。なあ大佐、あんた封印術(アンチフォンスロット)を喰らってるんだよな。それってさ、一時的にだけその状態にするとか、そう言う風にできないか」

「封印術? 一体何をするつもりですか」

「ティア・グランツの体に障気が溜まっている。これはしっかりと調べてみないと解らないんだが、恐らく一度ごとに体内に入り込む障気の量が妙に多い。メジオラ高原での計測値が異常だったんだ。ダアト式封呪を無理やり破って入っているせいかそれとも別の要因か……進行速度が速すぎる。薬を飲んでいるはずなのにめまいがしたのが証拠だ。あれじゃあ全部解呪仕切るまでもたない」


 苛々とぼやく彼の言葉に、ジェイドは「やー、若いですねぇ」と呟いてしまいたくなるがそれは堪えた。一度エンゲーブで言ってみれば、思い切り真面目な顔をして「俺は確かに生まれた時間は七歳児だが、脳神経や肉体年齢的に『子ども』の枠には入りかねるぞ」と言われたのだ。

 ポカンとした顔を見て調子にのったのか、「まあアンタから見れば俺は十分若造だろうな三十路のおっさん」と言ってきた糞餓鬼には笑顔で教育を施してやったが。全く、今のルークを見ればグレンはきっと嘆くだろう。嘆いて変貌の理由を己の従者だと決め付けて大いに怒り狂うだろう。
 ルークが、ルークが誰かさんみたいに擦れちまったこの馬鹿エミヤあああ! と嘆きながら木刀を奮う姿が思い浮かぶ。そうだそうだもっとやれ。かの人外が困った顔をして甘んじて殴られている姿を思い浮かべて心中笑う。

 しかしそんな思惑と表情を全く表に出すことはなく、考え込むように顎に指を当てルークの言葉の意味を検討する。


「障気? 人外殿の話ではユリア式封呪を解いてパッセージリングを起動させるときに、彼女の体の中に障気が流れ込むんでしたね。なるほど……」

「障気に汚染された第七音素を取り込むフォンスロット自体を解呪時に閉じれば、取り込む障気を少しでも減らせるんじゃないのか」

「それは……そうですね、理論上はそうなります。フォンスロットを全て閉じれば、障気に汚染された第七音素自体が体内に入れなくなるのですから。しかし、封印術を一つ作るには、国家予算の一割弱かかるんですよ? それに、その時々に応じて一時的にだけ閉じるというのは……」

「完全に閉じきることは無理でも、せめて収集率を下げてもそれなりに効果は現れるか?」

「……何もしないよりはマシ、と言ったくらいでしょうが。しかし完全に閉じきることは出来ずとも収束率を落とすだけでも確かに違うでしょう。ですが、どちらにしても身体中のフォンスロットを『一つ残らず』調整しなければなりません。それはそれで骨ですよ」

「そうか。正直アンタのお墨付きが欲しかっただけだ。シェリダンの技術者達に数回使える分の封印術もどきを作れるように依頼したんだ。持続効果は数分弱、使用回数三・四回くらいのヤツをな」


 そろそろ出来たころだろうか。いや、まだかかるかな。ザオ遺跡には間に合わないだろう。
 まずケセドニアに付いたらモースについて行くだろうイオンを途中でフローリアンとアリエッタにあわせて、その次にケセドニアを降下させた後シェリダンへ寄って地核計測装置とともに引き取って、ついでにどうにかしてベルケンドヘ行って薬を貰いなおして、その後はフローリアンをネフリーさんにでも預けて、その後は……
 ルークがあれこれ考えていると、待ってください、とジェイドの少し硬い声が聞こえた。珍しい、あのマルクトの懐刀がこうもあからさまに硬い声を出すとは。不思議に思って視線を向ければ、声と同じく些か顔が固い。


「……封印術もどき? もどきとは言えそうそう簡単に作れるものでは……そもそも費用が凄まじいでしょう。頼んだからと言って早々簡単にはいかないのでは」

「ああ……どうやらグレンがタルタロスで封印術の使い終わった装置を拾ってたみたいでな。それをもとにして作ってもらってるんだ」

「いつの間に……いえ、そうではなく。資金は? 国家予算の一割弱ですよ?」

「エミヤがとにかく頑張ってマシンドクターしてその封印術の使いきったやつを解析して、ついでに封印術みたいに持続性を持たせる必要もないしな。それで大分費用は抑えれるみたいだったぜ」


 実をいうとメジオラ高原で見つけた創世暦時代の自律式譜業人形(しかもまだ動いてます)を、どこぞ好事家に売り飛ばせば絶対に国家予算一割弱になるとルークは言ったのだ。しかしイエモンたちがどんな値段を付けられても売らないと言いはり、何故かシェリダンの職人総出でオークションが開催されて、その売り上げ金額もそのままごっそりその装置の製作費用になっている。
 そこそこ費用はかかっているが、国家予算レベルの凄まじいものではなかった。ついでにあの機械人形の生きているデータベースにはそれなりに創世暦時代の技術情報が残っていて、それを応用すれば十分に元が取れるくらいのお宝の山、だったらしい。

 凄まじい顔でトンデモ金額を言い放ち機械人形を競り落としたイエモンの表情を思い浮かべて、ルークは乾いた笑いを浮かべる。借金していた。アレは絶対に借金をしていた。しかし渋い顔をしていたノエルとギンジも、データーベースを見ると途端に爽やかな笑顔で「先行投資よねおじいちゃん」「そうだなじいちゃんオイラも金だそうか?」と言い放っていたのだから、やはり職人にとって技術情報と言うのは重要だということだろうか。


「もどきとはいえ、持続性も無いとは言え、そう簡単に作られてはたまったものではないのですが……」

「元になる機械自体があったからこその格安価格だとさ。あの機械自体を作るにはやっぱり国家予算クラスの値段が必要らしいし、あんたが心配してるような量産はできない」

「とはいえ、シェリダンの技術力も侮れないということですか……やれやれ。我が軍も封印術即時解除装置(アンチ・アンチフォンスロット)とやらでも研究しますかねぇ?」

「そんなことしなくても……フォミクリー装置って、操作によっては同調フォンスロットってのが開けるんだろ? それでいけば身体中のフォンスロットを弄って戻せるんじゃないのか」

「いいえ、普通の状態のフォンスロットを開くのと、封印術をくらった状態のフォンスロットを開くのでは違いがあるんですよ。そうですね……雁字搦めに閉じられた箱の蓋を開けるのと、南京錠つきの錆びついた蓋を開けるくらいの違いがありますかね」


 さらに言えば、フォンスロットの部分部分で解除キーが違うときている。フォミクリー装置で解こうとしても時間がかかりすぎて、色々と動かなければいけないジェイドにとっては現実的ではない。そもそもジェイドだからこそ時間をかけながらも自力で解いているが、普通なら解除できないからこその最高峰の対人兵器なのだ。値段的に量産は出来ないシロモノだが。
 ルークはジェイドの説明にも感心無さそうにへえと頷き、しかしなあと首を傾げる。


「封印術ってフォンスロットを閉じるもの、だったよな。相手を封じるんじゃなくて、自分のフォンスロットを全部解放して譜術出力を上げたほうが効果的なんじゃないのか?」

「ルーク……何を言っているんですか。確かに封印術の理論を反転応用すれば可能です」

「なら……」

「可能だとしても。いいですか、そもそも全身のフォンスロットの全力解放など正気の沙汰ではない。確かに譜術を放つ出力も肉体的な筋力もスピードも段違いになって凄まじい兵ができるでしょうが……確実にスプラッタですよ?
 人間の肉体は脳が潜在意識的に全力を出せないように制御しています。それを解放するようなものです。動きについて行けずに筋組織はズタボロ、爆発的エネルギーを補う為にも身体中のフォンスロットと肺、心臓はオーバーヒート。人体の中でも最大のフォンスロットである両目からはどくどく景気良く血が吹き出る可能性も否定できません。もしかしたら体内の血管と言う血管は破裂して血まみれ状態、下手したら身体中からは血の汗を、両目からはだらだら血の涙を流しながら戦う人間などドン引きでしょう」

「…………」


 ザレッホ火山で片目からどくどく血を流しながら戦っていた自分がいるだけに素直に頷けなかったが、まあ傍から見たらホラー映画だよなあと思い無言で頷く。たしかにどくどく両目から血を流して戦う人間はちょっと正気ではないようにみえるだろう。
 次からは気をつけよう、さもなくばまたエミヤに怒られるし。ルークはうんうんと一人納得したように頷きながら、前を向く。ジェイドのほうは向かないようにする。


「じゃあ、最後に聞くことだが。イオン、は……体調崩してないか?」


 その言葉にジェイドは一瞬目を見開く。ルークを見るが、常のように依然として真っ直ぐと前を向いたままこちらを見ようともしていない。歩みにはよどみも無い。


「――――――ええ。ダアト式譜術を使う機会も巡っていませんし、旅の途中で時折休憩を挟んでいましたし、これからはアルビオールがあります。イオン様の体調も悪化することは無いでしょう」

「他のやつらは」

「アニスも私もナタリアも皆健康です。ガイが一人だけいつも不機嫌そうな顔をしてあなたのことを心配しているようですがね。彼のようにあからさまではありませんが、イオン様も心配しておいでですし、アニスやナタリアも心中では心配をしているのでしょう。ああ、もちろん私もそれなりに心配しているのですよ? ええはいそれなりに」

「……最後の一言だけが妙に胡散臭いぞ」

「おや。傷つきますねぇ」

「誰かの体調が悪いだの、妙に最近誰かの動きが鈍いだの、そう言うのは無いんだな?」

「……?」


 ジェイドはその言葉に何かが引っかかり、ふと眉をひそめる。ええ、と答えるが、直感が警鐘を鳴らしていた。本当にそうか。最近妙に誰かが眉間に皺を寄せるようになった回数が増えていなかったか?

 ジェイドが少し考え込んでいる間に、ルークも思考をめぐらせる。どうやらまだはっきりと形になって表れてはいないのだろうが、時間の問題だ。今度ベルケンドヘ行った時にでもスピノザに会わなければ。恐らくは頼んでいた検査の結果がでているはずだ。そして、ルークの予想が正しければ。

 ぎりりと奥歯を噛みそうになって、そうすればジェイドに気づかれると思いすんでのところで思いとどまる。まだだ。まだ、間に合う。グレンがルークの同調フォンスロットを閉じたせいでルークがクリアしなければならない条件は厳しくなっているが、それでもどうやら不可能と言う訳では無さそうだ。めどが立った。

 ルークは深呼吸をして、少し歩みが遅くなっていたジェイドのほうを振り向く。


「俺が聞きたかったことは大体そんな感じだ。もういい。後は周りの気配を探ることに集中しようぜ、大佐」

「……そうですね」


 ルークの言葉に、ジェイドが頷く。
 エンゲーブの住民避難はまだ始まったばかりだ。




[15223] 45(戦争イベント・一日目終わり)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/22 00:04


――― introduction in


 がさりと音を立ててあらわれたのは十字を模した面覆い。白と銀を基調にした兵装。


「オラクル兵……?」


 どうしてこんなところに。小さく呟くような声を上げて困惑するジェイドの脳は、すぐに一つの可能性を浮かび上がらせる。まさか。イオンがいない現在のダアトでの一番の権力者が、まさかこのような強硬手段に出るとは。
 いや、イオンを取り返すためにタルタロスを六神将で襲わせた人間だ。このようなことが当然起こりうると考えておかなくてはならなかったというのに。ジェイドは眼鏡の腹を指で押し上げて、音になっているかどうかの小さな声でポツリと落とす。


「まさかモースが戦闘正当証明を発布したと言うのか……? 確かそのような発布はイオン様しか出来ないと聞いていたが……やれやれ、随分と横暴な大詠師様だ」

「何だ貴様等! こんな森の中をどうして歩いている?」

「怪しい奴等だ……む? おい、そこの男はマルクト軍服をきているな。マルクト軍か」


 殺気だっている兵を見て、ルークは一人、恐らくはここにいる誰とも違うことを考えていた。ここにどうしてオラクル兵がいるのかは、恐らくはモースの差し金だろう。だが、ジェイドやアッシュ達は知らないが、モースはルークの傀儡になっているのだ。そして第七譜石の内容を知っているのだから、この行動は恐らく。


「待て。俺たちは民間人を移送しているだけだ」

「民間人だと? だが民間人の隊列に敵兵も潜んでいるとスコアが詠まれている……殲滅しろ!」

「おお!」


 なるほど、とルークは理解した。消滅預言を世界に発表するわけには行かない。この世界はスコアに酷く依存していて、消滅が詠まれているならその消滅どおりに世界を回そうとする人間も居るし、その消滅など嘘っぱちだと考え、キムラスカとマルクトが戦争をしてキムラスカが勝利すれば繁栄が訪れるのだと考える人間も多くいるだろう。そしてそこまでスコアに狂信していなくとも、破滅を詠まれた世界で穏やかに過ごせるような人間など居ない。

 逃れられぬ不安は騒乱を呼び、恐怖に狂った人たちは争いを始め、そうなったとしても世界は終わってしまう。

 だから、消滅預言は世界に発表は出来ない。いずれは発表するにしても、それなりに時間が経った後でなければ余計な混乱を招く。そして為政者たちが世界をスコアから外そうとする理由を知らないまま、その未来にスコア復活派に与しそうなあらかたの主義者達をモースはこの戦場に放り込んだのだろう。

 恐らくは、スコアを絶対と信じて疑わぬ人間が説得で納得するかどうかを、かつての自分自身で誰よりも理解しているが故に。未来の禍根はここで絶つ。それともこれもモースなりの慈悲なのだろうか? 
 スコアから逃れなければならない世界で乱を起こし、破滅に向かうスコアを信じて世を乱してしまう存在へとなってしまう前に。己の信じるものが喜劇の舞台装置だと気づいてしまう前に。スコアを信望していた人間がスコアを失ったときの気持ちなど、ルークには解らない。だがモースはその絶望を己の身をもって知っているであろうから。

 ……まあ、所詮どう取り繕うともやっている行動は悪どいことには変わりないのだが。


「来るべき未曾有の大繁栄のために……!」


 抜剣した兵達が叫ぶ言葉に、ルークは誰にも知られぬようにうっそりと笑う。ああ、馬鹿馬鹿しい。喜劇だ、この世界は。腰の剣に手を伸ばす。


 迷うべからず、一瞬の迷いと躊躇いは致死となる。
 己の成すべきことを成せ。


 森の中に剣戟の音が木霊するまであと数秒。



――― introduction out











「ナタリア!」

「…………っ」


 彼女の目の前には剣を振り上げたマルクト兵の姿。アッシュに鋭く名前を呼ばれる。分かっている。分かっていたつもりだった。それでも、どうしても、殺せなかった。無益な殺し合いを止める為にこの道を往っているはずなのに、もうこれで今日は何度目だろう。
 母親を呼びながら死んで逝った、ナタリアたちが殺した若いマルクト兵の声がよみがえり、彼女はどうしても目の前のマルクト兵を殺せなかった。

 弓を持つ手に力がこもる。しかしその剣が振り下ろされるよりも先に二人の間に割り込む影があった。長い深紅の髪が翻る。容赦なく鎧ごと切り裂く。
 ばたばたと地面に赤が散る。ガシャン、と音を立ててマルクト兵は両膝をついた。ただ、最後の力を振り絞り剣の切っ先をアッシュの後ろで表情を歪めて立つナタリアに向ける。


「敵に情けをかけたか……? そんなことじゃ、生き残れないぞ」


 それだけを呟き、最期に小さな声で誰かの名前を呼んで謝り、マルクト兵は事切れた。鎧と地面がぶつかり乾いた音を立てて倒れる。
 その死にざまを無言で見ながら、アッシュは剣についた血を払い納める。静かな声でナタリアの名前を呼ぶ。その声にナタリアは目を伏せ、弱弱しい声を振り絞る。


「……ごめんなさい。私……止めをさせませんでしたわ」

「仕方ない。誰も好きで人を殺したりはしない。だが、ここは……」

「ええ、分かっています。いえ、分かっていたつもりでした。……私は、もっと現実を知らなくてはなりませんわね」

「……お前は王女だ、普通なら前線に出る機会などない。このような戦場で殺し合いが出来ないことを恥に思うことは無い」

「いいえ、それでも戦争を命じるのは国の王です。……お父様の娘として、私は、知らなければ。この苦しみを、もう二度と繰り返してはしまわぬように」

「ナタリア……」

「アッシュ、先ほどはすみませんでした。でも……助けてくれて、ありがとう」


 戦上の中心で愛を叫んではいませんが、相も変わらず馬鹿ップル。それが少しはなれたところから二人を見ていたアニスの感想だった。
 まあ戦闘の後のシリアス成分から無駄にいちゃいちゃしているわけではない様なので、アニスも怒る気にはならなかったが。マルクト兵を殺せなかったナタリアが心配だが、アッシュとあの調子ならどうにかなるだろう。
 ここは、戦場なのだから。殺すことに躊躇すれば殺されるだけだ。

 アニスはトクナガを小さくし背中に乗せる。ふうと溜息を付けば、声をかけられて振り向く。アニスは大丈夫か? と尋ねてきたガイに、少女は苦笑を返した。


「ねえガイ、私は子どもでもティアと同じダアトの兵士だよ? それに、導師守護役なの。覚悟なんてできてるよ」


 そうだ、あの時に。モースの呪縛から逃れられたあの時に。命を懸けても助け守るべき人を今まで騙し、裏切っていた。その必要がなくなったあの瞬間に、今まで守れなかった分も含めて必ず守ると決めたのだ。
 俯かずに真っ直ぐ前を向いて話す少女の言葉に、ガイは溜息をつく。


「そうか……アニスは強いなぁ」

「えへへ~、そっりゃあ弱っこい人じゃ導師守護役なんて出来ませんから~。イオン様、怪我は無いですよね?」

「ええ、大丈夫です。ところで皆さん、もう日が暮れかけています。色々あって疲れているようですし、もう今日はここで休みませんか?」

「そうだなぁ。予定分は進めているし、そうするか……アッシュ、ナタリア! 今日はここで野営しようと思うんだが、どうだ?」

「分かった。ナタリア、今日はここで休むぞ」

「……はい」


 それぞれめいめいに座り込んでいると、誰かの気配が近づくのが分かった。まず真っ先に気づいたのがガイとアッシュで、腰の剣をいつでも抜けるようにして立ち上がる。少し遅れてアニスとナタリアも気づき、いつでも動けるようにする。


「誰かいますの!?」

「どうか剣を抜かないでください。戦うつもりはありません、私です」


 緊張を隠せていないナタリアの誰何の声に、静かで落ち着きを持った声が返ってきた。
 暗闇から現れたのはマルクトの青い軍服を着たフリングス将軍だ。思わぬ人物の登場に、ナタリアたちの目は驚きに見開かれる。


「はぅあ~、フリングス将軍? どーしてここにいるの?」

「そうだぜ将軍。ここら一体はキムラスカ軍が陣を敷いてるんだぞ」

「部下が皆さんの姿を発見して、私に報告してくれたのです」

「……将軍位にあるものが自ら偵察に来るとは考えられんが……まさかナタリアを直接狙いに来たつもりじゃないだろうな」

「アッシュ! フリングス将軍はそのような方ではありませんわ!」

「いいえ、ナタリア殿下。彼の心配も最もです。戦場ではあらゆる可能性を考えなければ生き残れません。……しかし、どうか誤解しないでください。私はあなたたちに危害を加える為にきたわけではありません。偵察でもない、ただこの戦場を去っていただきたいのです。
 あなた方はキムラスカ陣営の方ですから、このままでは我々はあなた方を殺さなければなりません。私達も、セントビナーを助けてくれたお方たちに剣を向けるのは……」


 フリングス将軍は苦悩するように目を閉じて溜息を吐く。その表情と言い分に、アッシュもやっと肩から力を抜いた。確かにナタリアを直接狙いに来るなら、後ろにいくらか兵を控えさせておくだろう。その様子もなく、キムラスカ軍がひしめくこの中に本当に単身で乗り込んできたのは、きっと己に害意がないことをこちらにはっきりと示す為だ。


「フリングス将軍、あんたの言いたいことは分かった。しかしこちらも退くわけにはいかない」

「ええ、私たちはこの戦いを終わらせる為に、ケセドニアへ向かっているのです。例え危険でも引き返すことはできませんわ」

「それは無茶です! これから戦いはますます激しくなる。私は部下にあなた方だけを攻撃しないようにとは言えません」

「うう……そりゃ将軍の言うこともわかりますけどぉ……でもやっぱり私達も退けません。あ、だからって戦いたいわけじゃないですよ?」


 皆の言葉を聞き、フリングス将軍は困った顔をしてイオンの方を向く。キムラスカの王族だけではなく導師イオンまでもが戦場を横断することに参加しているのは驚愕ものだが、イオンは真っ直ぐにフリングス将軍の目を見返し、首を振る。どうやら彼も彼で退く気は無いようだ。
 フリングス将軍は目を閉じて空を仰ぐ。一つ息をついた後は小さく苦笑を溢しわかりました、と声を上げる。


「事情を知るものには、皆さんを攻撃しないように通達してみます。ですが……戦いになってしまっても、兵達を恨まないでやってください」

「そうか……そりゃありがたい。悪いな、フリングス将軍」

「いいえ。私にはこれくらいしかできませんが、どうぞお気をつけて」


 一礼した後去っていくフリングス将軍の背を見送り、ナタリアは大きく溜息を吐いた。


「私たちのために危険を冒してまで来てくださったのに、申し訳ありませんわ……」

「このまま戦争が長引けば、外殻大地の崩落で戦場にいる人間は全滅する。俺達は退く訳にはいかない、だからケセドニアまで行こうとしているんだ。このままでいれば、あの将軍も死ぬことになる。お前はお前にしか出来ないことをするために。そうだろう、ナタリア」

「アッシュ……ええ、そうですわね。父の愚行をお諌めするのは、娘である私が成すべきことですから。ですが、明日からもマルクトの方とは争いたくはありませんわ……」

「そうだな。わざわざ来てくれたフリングス将軍の為にも、慎重に行動するように気をつけようぜ、皆」


 ガイの言葉に皆は一様に頷き、腰を下ろした。





* * *


 そろそろ夕刻も近い。平原を移動するのならもう少し進んでもいいが、夜の森の中の行軍は民間人には些か危険だ。これ以上暗くなる前にそろそろ野営を挟むべきだろうか。しかし予想以上に行軍に手間取っている。このままでは予定よりも行軍日程が一日二日延びるかもしれない。
 食料配給を考えなくてはならないが、少なくしては移動する住民の間で不満が生じるだろう。ただでさえ民間人の移動ということで疲れないように荷物を少なくしているのだ、食料もぎりぎり分しか持っていない。

 どうしたものかと考えながら上空から進む針路を見張っていたアーチャーは、ふと眼下の森で鳥が一斉に飛び立ったのを見た。一気に顔を強張らせる。野生の獣と鳥は気配に敏感だ。集団行動をする兵の動きにいち早く気づき、行動することが多い。

 まさか伏兵か?

 アーチャーがそう思った瞬間、上空へとぶっ放される譜術を確認した。ジェイドとルークがいる場所を確認し、アーチャーはすごい勢いでグリフィンを下降させる。


「移動を停止しろ! グランツ響長、前方で戦闘を確認した! 兵を溢さぬようにするが万が一もある、フォースフィールドをいつでも張れるように準備してくれ!」


 声が届くだろう位置から早口に告げれば、ティアはすぐに頷き住民達に一箇所に集まるようにと呼びかける。
 それを見届けることもなく、アーチャーはルーク達の下へと急いだ。








 声が聞こえる。周りであがる悲鳴を突き破って、ルークの脳裏で木霊する。


―――人を殺したくないってその気持ちは、とても尊いものだと


 剣を迷いなく振り下ろす。躊躇いは致死毒だ。魔物とは少し違う手にかかる重さは、人の肉を立つ感触。剣戟の音の後に響く悲鳴と赤い飛沫が上がる。緋色がかかる頬を拭いもせずに、ルークは次の敵に目を向ける。


―――俺はお前に人を


「死ねぇ!」


 仲間を殺された兵が怒りに染まった声を上げて飛び掛ってくる。振り下ろされる剣を受けて、弾き返す。戦場で感情を乱すなど自滅に向かって走るだけだ。大振りになっているその攻撃をルークがやすやすと受けるはずも無い。
 受け流して、大振りの後の隙を狙って剣を握る腕を切る。悲鳴を上げて剣を落としたその直後に、喉を一突き。鎧の隙間から血しぶきが上がってまた汚れた。


「…………すまない」


 ルークの口から謝罪が零れる。それは本当に申し訳なさそうな声で、苦悩が滲んでいた声で、しかし彼の謝罪は今目の前で、彼の手により命の灯火を絶たれて目から光を失う兵士に対してではない。


―――……だからさ、守られといてくれよ、頼むから


 ごめん。

 ごめん、ごめんな、グレン。
 でも、守られるだけじゃだめなんだ。戦わないと叶わない。戦って争って奪って、勝ち取らなければ俺の願いは叶わない。だから。だけど。ごめん、ごめんな。お前の左腕を犠牲にしてまで、今までずっと守ってきた願いだったのにな。

 ルークの謝罪は親友の願いを己の手で砕いてしまったことで、巣食う苦悩はいつかは確かに必ず守ると誓った願いを違えてしまった事に対してだ。
 人を斬るたびにルークの顔は少しだけ歪み、けれどその悔恨は殺している人間に対しては一片も向けられていなかった。人間を殺しているのに、その人間に対して何も感じない。それをルーク自身も自覚していた。自覚しているのに、何も感じられない。

 迷うな。握る剣を振り下ろせ。戦場においては刹那の迷いも致死となる。

 新たな屍を築く直前、ルークが手を下すまでもなく相手は死んだ。オラクル兵の面覆いを貫き額につきたてられた矢。振り向かなくても誰が来たか分かった。


「ルーク!」

「遅いぞエミヤ。敵はオラクル兵一個小隊40名前後だ。位置を他の奴等に広められたら厄介だ、一人も逃すな、よ! チッ、そっちに何人か行ったぞ大佐!」

「大地の咆哮、其は怒れる大地の爪牙……」


 地面に光が走り窪んだ地面に足をとられた兵が動きを阻害され、驚いているとごうと岩が盛り上がりオラクル兵は吹きとばされた。背中から地面に転げ落ちて息を詰めていれば、不意に自分の上に影がかかる。
 オラクル兵は面覆いの奥で目を細めながら開いた。落ちかける夕日の逆行になって良く見えない。眼鏡のレンズが光を反射させて、表情がよく分からない人間がこちらを覗きこんでいる。その手には槍。すっと後ろに手を引かれて、そして。


「待ってくれ……俺、俺は! 死っ、死にたく、ない……っ!」

「聞けない相談です」


 ずん、と振り下ろされる。ジェイドがついた箇所は眉間だ。怖れも痛みも一瞬で断絶して死んだだろう。殺した兵と仲が良かったのだろうか。後ろで咆哮を上げながら起き上がり、飛び掛ってこようとした兵に振り向きざまに心臓を一突き。
 まだいくらか生きている気配を感じ取って、口の中だけで譜術の詠唱をとなえる。

 ―――炸裂する力よ。


「きさまぁ、よくも……っ!」

「エナジーブラスト」


 静かにとなえるだけでいい。圧縮された譜術の光が炸裂し、その譜術はただでさえ重症だった幾人かのオラクル兵の、残りの命を容赦なく刈り取った。ジェイドが辺りを見回せば、ルークとその協力者が残りのオラクル兵を斬り捨てているところだった。
 ジェイドが援護の譜術をとなえて放つ。たまらず仰け反るオラクル兵に、止めを刺す。被験者とは違う、今の夕焼けの空に溶けそうな明るいオレンジ色の髪が流れて、その太刀筋が、後姿が、いつかの砂漠の遺跡の中で盗賊を斬り捨てていた誰かと重なる。


「……感傷ですね、らしくもない」


 一人ごちて譜術を放つ。戦闘は背後に控えているはずのエンゲーブの住民に被害が及ぶことなく終了を迎えた。

 時刻も時刻で、そろそろ夕日も完全に沈む。もう今日はこれ以上の行軍は無理だろう。野営しようとのアーチャーの提案はもっともなもので、これにはジェイドもルークも否はない。しかし問題は行軍速度だ。
 ルークは剣についていた血を払って腰に差す。エンゲーブの住民達に今日はここまでだと伝える為に後方へと歩きながら、ルークは二人に尋ねてきた。


「今はどのあたりだ?」

「まだ全工程の半分にも満たないですね」

「やはり森の中の行軍は速度が落ちるな。しかもオラクル兵がこれから先もちょくちょく伏せているなら、慎重に進むためにもさらに落ちる。ふむ、食料が持つかどうかも一つ不安材料足りえるが」

「……いざとなったら食えそうな魔物を狩って凌ぐしかないだろう。最終手段だけど」

「そうですね。しかし、そのような状況になったら流石に住民にも不満が出るでしょう。好き勝手動き出す人が出てきては厄介です。そうならないように慎重に、ですが迅速に進まなければ」


 話していれば、住民たちが息を潜めて待機していた場所にまでたどり着いた。三人を心配するティアに全員無傷だということと、襲ってきたのはオラクル兵で恐らくはモースの差し金だということを伝えて、ルークは住民達に今日はここまでだと宣言した。めいめいで野営の準備をする住人に混じって、後方を守ってくれていたマルクトの一個小隊兵も野営の準備を手伝っている。


「さて、では私は野営のための食事の準備でもしてこよう。なに、無駄などひとつも無い野営料理はお手の物だ。任せておけ」

「ああ、頼んだぜ」


 アーチャーに任せればまだ食料事情も少しはマシだろう。……ほんの僅かな時間稼ぎにしかならないだろう事は分かってはいたが。
 これからの進軍にも不安は残るが一息をついていると、ルーク達に向かって一人の村人が近寄ってくる。その村人がこれから何を尋ねるか。ルークはグレンの記憶を持っているが故に、知っていた。小さく溜息を吐き、目を伏せる。
 すぐ隣にいたティアはルークが急に溜息を吐いたことに不思議そうな顔をしていた。


「あの……そちらの軍人さんはタルタロスに乗っていたそうですね」

「確かにタルタロスの指揮をしていましたが、何かありましたか」

「乗組員にマルコと言う兵士はおりませんでしたか?」

「マルコ……確か彼は大佐の副官でしたよね? ですが……」

「…………ええ」


 ふっと暗い表情をするティアに頷き、ジェイドは静かに目を閉じた。死者26名。その戦死者名簿の中に記されていた者達の名前に、彼の副官たるマルコの名前もあった。
 彼がオラクル兵の潜入を死に際に伝声管でブリッジに伝えたおかげで、それだけの被害ですんだのだ。ジェイドとティアがグレンたちの後方を襲おうとしていたオラクル兵を片付けて駆けつけた時には、既に事切れていた。
 その場の三人の表情に気づかないのか、副官ですか、とマルコの知り合いらしき村人は嬉しそうに声を上げた。


「マルコは私の自慢の息子なんです! そうですか、副官か……そんな出世を。かかあも聞けば喜ぶでしょう! それで、あいつは今どうしてますでしょうか。この戦争で前線に出兵させられた、何てこともやはりあるんでしょうか……?」

「――――お父様にはお気の毒ですが、息子さんは敵の襲撃を受け戦死なさいました」

「え?」


 嬉しそうに笑って、そして息子を心配する父親の顔が凍りつく。嘘でしょう? とかすれる声で尋ねてくる彼の目を、笑いもせずにジェイドは真正面から見返している。そこでジェイドの言葉が現実のものだと理解したようだ、いつですか、と尋ねる声はやはり嗄れかけている。


「いつ……一体いつなんですか!? この間、タルタロスがエンゲーブに来た時は、あいつも元気で……そうだ、今度、大切な人を連れて帰ってくると! かかあも遠くない未来で娘ができるのかって、俺も楽しみに……」

「それは残念です。息子さんが戦死なさったのは、エンゲーブを出た直後です。導師を狙う不逞の輩に襲われ、名誉の戦死を遂げられました」

「………………っ! そう、でしたか。マルコは、導師イオンをお守りして……」


 村人はよろりと一歩よろめきながら、俯いた。拳を握り締めて遠い日の記憶を浚っているのだろう、一瞬口元に淡い笑みが浮かび、そしてすぐに悲痛な表情にかき消される。


「マルコは……あいつは生まれた時、ローレライ教団の預言士(スコアラー)様に言われたんです。この子はいずれ高貴な方のお力になるって。だから軍人になるように、言われて……っ。馬鹿野郎が、いくら立派なことをしても、親よりも先に死んじまうとは……!」


 ぎりぎりと唇を噛み切らんばかりにかみ締める村人は、しばらくして顔を上げた。恐らくは急に息子が死んだことで動揺しているのと、今戦場を横切っている不安と、色々な感情がごちゃ混ぜになっているのだろう。


「息子は戦死を遂げても、指揮官は無事なんですね。仕方のないことだとは思います。思いますが!」


 睨み付けるような勢いで、ジェイドの顔を見る。そんな、息子をスコアに殺された父親をジェイドは常の冷静な表情で接している。


「でも納得がいきませんや! 俺の息子を……マルコを返してください!! かかあになんといえば良いんですか!」

「残念ですが……」

「ぐっ……く、うう……くそぅ、馬鹿息子が……っ!!」


 がっくりと肩を落として去っていく村人をジェイドとティアは無言で見送っていた。けれど途中でルークが一つお聞きしてもいいですか、と彼を呼び止める。ティアが咎めるような声でルークを呼ぶが、彼はそれを無視した。涙が滲んだ顔をした村人が振り向く。生気の無い表情をしていた。
 その村人を真っ直ぐに見る緑の瞳には温度がない。ただ冷酷な色を宿して、村人を観察していた。


「スコアラーは死のスコアだけは詠まない。スコアの結果、死が訪れるとしても。そんな馬鹿げた決まりのせいで、アンタの息子は死んだ。つまりはスコアに殺されたも同然だ。でも、もしも。その結果死ぬことになると詠まれていれば、アンタは息子を軍になど入れなかったのか?」

「そりゃあ当たり前でしょう! 誰が好き好んで……!」

「スコアラーに軍人になれと言われていても?」

「それはっ……、」


 当たり前でしょう、と再び叫びそうになった声がぐっと村人の喉の奥で詰る。それをみてルークは溜息をつきそうになった。スコアに逆らう、ということに対する感情は、概ね外殻大地の人間にとってはこういうレベルのことなのだろう。
 スコアは判断材料の一つとして、比較的スコアを狂信しているわけではない気風のマルクト領内でもこれなのだ。キムラスカあたりになると、もっと酷い状況かもしれない。これから起こさねばならない事象を知っている者として些か不安になるが、それでもこの世界は変わらねばならないのだ。

 真実を知る少数の為政者たちが決定を放つだけではなく、民の一人ひとりが少しずつ納得して、自らそうあろう、そうするべきだと思えなくてはスコアの呪縛からは逃れられない。


「恨むのはマルコの指揮官だったそこの軍人か? 否だ、こいつはあの時自分の指揮兵を一人でも多く救おうと自ら最前線に立って戦っていた。封印術をくらった直後でだ。ならば恨むのはスコアか? それも否だ、そもそもスコアとは絶対に起きる未来ではなく可能性の一つ、手段の一つ、見えているだけの枝分かれの未来のひとつでしかない」


 傷口に塩を塗りたくるような発言をしながら、一歩一歩、ルークはゆっくりと村人のほうへと歩みを進める。村人は呆然としながら、近付くルークを見ている。夕焼け色の前髪の奥に見え隠れする緑の瞳は冷酷なままなのに苛烈なきらめきを宿していて、思わず背筋に冷や汗が流れた
 彼が近付くたびに後ずさりしたくなって、けれどここで退いてはだめだと何かが村人の脳裏で囁いていた。


「何も疑問を抱くこともなく、遵守することこそ善として、ただ従ったのはあんた自身だ」

「ルーク、やめなさい」

「スコアを守って得られた幸せがあって、スコアを守って受けた苦しみと悲しみがあるのなら、スコアを守ることを選んだのは人間なのだからそれを受け入れるのが人間の責任だろう? 守って起きる繁栄も、守れば起きる滅びの道も。守って起きる、生と死もだ」

「ルーク!」


 息子の死を宣告された村人にとっては、傷口の上にさらに刃物をつきたてられているようなものだっただろう。がたがた震えて拳を握り、喘ぐように口を開け閉めしながら言葉が出ない様子だった。
 そんな状態を見てこれ以上追い込むなとティアがルークの腕を引くのだが、彼はそれを簡単に振り払ってただ村人の目を凍てついた緑の瞳で見ていた。


「それでも途中でそれはおかしいと気づいたなら、起きる未来を回避しようと努力して、スコアから離れるのも人間自身の選択によりだ。さあ、あんたはスコアに息子を殺されたも同然だが、息子を殺す未来を遵守したのもあんた自身だ。
 生誕のスコアを聞いていなければ、軍人にならなかったかもしれない。これからあんたはどんな風に生きていくんだろうな。やはり変わらず天気を詠んで一日を詠んで夕食を何にするかも詠んでもらいたいと思うのか?」

「…………スコア、は……スコアを……」


 マルコの父親だという村人は、弱弱しい言葉を溢して力なく首を振る。感情がせめぎあって回答がでないらしい。
 しかし、まだ迷う分だけマシかもしれない。それでもスコアを守ることを選ぼうとする住民とているだろう。この世界の先行きはそれはもう不安だが―――それでも、完全にお先真っ暗と言う訳ではない。

 ルークは小さく溜息をつき村人に背を向ける。


「あなたがどんな風にこれからスコアに接するのか、接したいのか。また機会があったら後日聞かせていただきたい」


 それだけを捨て置いてどこぞへ歩いていくルークにどこへ行くのかとジェイドが尋ねれば、少し辺りを警戒してくるとだけ返ってきた。が、ルーク自身は気づいていないだろう心の動きにジェイドは気づいていた。やれやれと思いながら、ルークの言葉を受けて真っ青になっていた村人を案じていたティアに声をかける。


「ティア、ルークについていてくれませんか。その方は私が見ておきます」

「ですが、大佐……」

「……彼も初めて人を殺して、動揺していないように見えてそれなりに動揺しているんですよ。いや、感情減退と言っていたなら、動揺できなかった、何も感じなかったことに動揺しているのかもしれませんが」


 何かに謝りながらも冷静に、的確に命を刈っていた姿を思い浮かべる。迷いもなく振り下ろされる刃は容赦もない剣筋を作っていた。そしてあまりにも冷静に次の敵を見据える瞳を見たジェイドの直感だが、彼が謝っていたのは殺していた兵ではなく。


「今のルークは些か危うい。少し見張っておいてください」





[15223] 45.5(幕間)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/25 01:24



『……俺が初めて人を殺したのは、俺自身が馬鹿だったせいでだ』

 グレンが? 馬鹿? なんか想像つかねーんだけど。

『ああ……本当に馬鹿だったんだぜ、俺。マジで考えなしで、自分がした行動で次に何が起きるかとか、そういうのを全っ然考えないまま感情だけで動いてさ。……でもまあ今でもちゃんと考えれてるのか、って言われたらちょっとうーんって迷う感じだけど』


 川の近くで野営をした時だった。どうしてそんな話になったのかは覚えていない。川の傍に座り込んで、ポツリポツリと昔話のように自分のことを話し出したグレンの声を聞いていた。手慰みに小さな石を拾っては川に投げ込む。
 ぱしゃん。水が跳ねる音は一度きり。


『ルーク。お前はお前だけど、お前は俺にすっげえ似てるからさ』


 ぱしゃんぱしゃんぱしゃん。跳ねる水音が複数。どんどん遠ざかり、やがてちゃぽんと小さな音を立てて途切れる。器用なものだ。少し羨ましくなって、ルークはむうと唇を尖らせた。
 グレンの投げる石は何度か川の上を跳ねて飛んでいくのだが、ルークの投げる石はそのままざぶんと川の中に落ちるだけだった。不思議だった。投げ方が違うのか石の選び方が違うのかそれとも俺は川に嫌われているのだろうか。

 そんな間抜けなことを考えながら、グレンの話を聞いていた。


『俺はお前で、夢の続きを見たいんだ』


 コツとかねえのかよ。半分拗ねているようなお子様炸裂で尋ねてみれば、それでも馬鹿にするでもなくつくつ小さく笑いながら投げ方を教えてくれる。
 言われた通りに、手首と投げ方に気をつけて川に向かって石を投げる。

 石が水の上を跳ねる音が続いて、よっしゃあと思わず立ち上がって喜んでいた。はしゃぐルークをみて、グレンもやったじゃん、と楽しそうに笑っていた。


『お前に人を殺させたくないってずっと言ってるのは、俺がそう思ってるからだよ』


 辛気臭い顔をしていた親友が笑ったのを見て、ルークは少しほっとした。
 グレンがどんな思いでそんなことを言っていたのか、分かってもいなかった頃。





* * *



 彼が立ち去っていった方向へと行けば、程なくして立ち止まっていたルークを見つける。ティアは声をかけようとして、ふと彼が立っている足元に何があるのか気づき、肩を強張らせた。
 剣を握ったまま息絶えている、血まみれのオラクル兵だ。四十名ほどいるだろうか、あちこちの地面に引きずった赤黒い跡が見えることから、わざわざ一箇所に死体を集めでもしたのだろう。
 彼はその死骸の小さな山をただじっと見下ろしている。

 固まってしまった彼女の視線の先で、ルークは屈みこみ一番手前にいた男の鎧を剥いで、胸鎧の内側を覗き込んで手元の帳面に何事か書き込んでいる。


「……?」


 よくよく見れば、積まれた死体は皆一度胸鎧を一度剥いで適当に戻されているようだった。彼の行動で考えられるのは胸鎧の内側に刻まれた所属師団と氏名をメモに取っていることだが、彼はそうして何をするつもりなのだろうか。

 ルークの名前を呼べば、彼はようやっと後ろに立っていたティアに気づいたようだ。一瞬だけ動きが止まったが、そのままごそごそと手元の帳面になにやら書き込んでいる。書き終わったのか、ペンと帳面を道具袋の中に突っ込んで、それからやっと振り返った。
 緑の瞳に感情らしい感情は浮かんでいない。ザクザクと方向を変えて歩いていく。……場所を変えようということなのだろう。確かに、すぐ傍であんなに死体が積まれているような場所で話を続けるのも、少し気まずい。

 ルークの後についていく。その間は無言だった。ある程度歩いたところで、ルークがくるりとティアの方を向いた。


「何をしている、こんなところで。散歩だったら感心しないな。ここは戦場だぞ」

「あなたの様子が少し気になって……ルークこそ、さっきは何を?」

「ただの自己満足でしかない」

「……ルーク」


 静かに名前を呼ぶティアの様子に、ルークは舌打ちをした。こういう声をしている時、彼女は絶対に引きはしないと分かっている。
 全く、本当に強情な女だ。心中でそうぼやき、ルークが冷えた緑でじろりと睨めつけてみても、ティアはこちらを真っ直ぐに射る青い瞳を逸らそうとはしない。


「…………明日この道を住民が進むなら死体を見えなくしておいたほうがいいだろう。それにこの戦争が終わった後で戦死者名簿を作るなら、名前を控えておいたほうがいいかと思っただけだ」


 ルークの言葉にティアは驚く。戦死者名簿。ならば彼はわざわざダアトに自分が殺した兵の名を報告する為だけに名前を控えていたのか。危険なことをする。それとも匿名で名簿作成の手助けとして送るのだろうか。……何のために?
 分かるのは、ただ彼が随分と割に合わないことをしているということだけだ。彼が自己満足だといっていた理由は分かったが、では何故ただの自己満足だと分かりきっているようなことをしているのか。問いかけるティアの視線の先で、ルークはがりがりと頭をかく。


「……生死不明のままだったら待ち続けるひとがいるかもしれないだろう。一年二年ならまだしも、それでもずっと待つひとがいるかもしれない。なら、はっきりと死亡記録を残しておいたほうが前に進みやすいはずだ」

「…………」

「わかっている。俺はこれから殺す人間全てをそうはできない。今日はたまたまオラクル兵と会ったのが野営直前だったから出来たことだ。これから戦場で遭遇することがあっても、そのまま骸はさらして朽ちていく兵の名は知らないまま殺して去るんだろうさ。――――ただの甘ったれた感傷だと切り捨てても良いんだぞ」


 自分の言葉にゆっくりと瞬きをしたティアを見てすぐに顔を逸らし、ルークは口元を歪める。どこか自嘲しているような笑みで、そして何の意味も無い非効率的なことを行っているということを心底から自覚していて、そんな自分自身を馬鹿にしているような声だった。
 けれど、そんな彼をティアは馬鹿にすることは出来なかった。確かに、非効率なことだと、感傷に過ぎないことだとは思う。けれどその行動を無意味だと馬鹿にはできないと思ったし、そうしたくもなかった。ティアは目を伏せて、ただ正直に思ったことを小さく呟いた。


「……あなたは、剣の腕はともかく戦うにはきっと不向きな人間なんでしょうね。少し繊細すぎるんじゃないかしら」

「繊細? 馬鹿言え、そんなことあるものか。俺ほど兵に向いている人間はいないぞ」


 なんせ人間をどれだけ殺しても何も感じもしないんだからな。
 くつりと溢れる自嘲の笑みをかみ殺すように呟かれた言葉は、けれどどうしてかティアには泣き出しそうな声に聞こえた。あんなに怖がってたくせになと小さく言いながら、彼は己の左手のグローブに付いた血のりを擦っている。


「そこそこ狂いかけの自覚はあったが、まさかここまでイカレているとは思ってなかったが。どうやら俺は顔も知らない人間を殺して何も思わないくせに、グレンの願いを切り捨てたことに対してのほうが比重が重いらしい。申し訳ないと思う気持ちも、ああ、たぶんアレは悲しいという気持ちも、全部グレンにしか向かない。いくら人間を殺しても頭に浮かぶのは敵の残りはあと何人、だとかいう情報だけだ」


 タルタロスの中で、人を殺すことにひどく怯えていたルークをティアは覚えている。そんな彼に向かってお前にひとを殺させたくないよと言っていた人が居たことも覚えている。
 きれいなだけで、優しいだけで、非現実的な甘ったれた願いでしかないはずだった。それでもとても心のこもった願いだと思っていた。

 そんな彼がついに人を殺してしまったのだと今更になって思い知って、ティアは何だか無性に物悲しくなる。人を殺しても何も感じない、と呟く彼を見ていられなくて落とした視線の先で、彼の手が小さく震えていることに気づいた。
 どうしようか迷ったのは僅かで、ティアはゆっくり歩いてルークとの距離を詰める。

 震える彼の手をとって、両手で包むようにして握ればルークは驚いた様な顔をしてティアを見返した。珍しいことに振り払おうとはしていない。
 驚いた時の表情はあの頃と変わらない。そんなことをぼんやりと考えながら彼の目を真っ直ぐに見返して、小さなこどもを宥めるようにゆっくりと尋ねる。


「震えてるわね」

「……肌寒いからな」

「悲しいのかしら」

「そんな感情はまだ思い出してない」

「それとも怖い?」

「だから、俺はそんな感情―――」


 言いかけて、ルークは口を噤んだ。どうしてだか自分でも解らないまま止まらない手の震えを宥めるように握られた、その両手がひどく冷たい。障気障害のせいだ。ひどく体温が下がっている。いつか、アルビオールの船室の前で触れたときよりも随分と体温が低くなっている。
 それが苛立たしかった。喚いてしまいたい。いい加減にしろと暴れてしまいたくなる。ざらりとしたものが心の底を撫ぜて気分が悪い。そして、こんな風にはっきりと残り時間が少なくなっていることを感じてしまうことが、ひどく。


「…俺、は……」


 これと似た感情を、オラクル兵を殺したあの時にも感じていた。


「怖くて、悲しかった……のか?」


 真っ直ぐに目を見て、どこか泣き出しそうに笑って、人を殺させたくないよと言ってくれた親友の願いを壊してしまったことが悲しかった。どれだけの思いで、それを願ってくれていたのかを知ってしまったから。本当に、血を吐くような思いでルークの代わりにその手を赤に染めて、人を殺した夜は悪夢に魘されて、それでもずっと願い続けてくれていたことをこの手で砕いたことが苦しかった。
 そしてあんなに怖かったはずなのに、人を殺して何人も殺して、それでも何も感じなくなっていた自分が怖かった。

 ルーク自身では気づけぬままの、奥底深くの揺れが感情の杯を満たす。自覚の回線が途切れている彼自身は気づけない。それでも確かに揺れた感情が一筋、ルークの頬を伝って落ちて、ティアの手の上で弾ける。
 乾けばすぐに分からなくなるような、その一滴の彼の揺れをティアは確かに見た。手袋越しに確かに感じた。呆然とするルーク自身はきっと気づいていないのだろう、だからこんなに不安そうな目をしているのだ。

 ティアは小さく笑い、ルークの目を見てゆっくりと話す。


「大丈夫」

「……何が」

「人を殺すことに何も感じられなくなった自分に、悲しさや恐怖を感じられるなら大丈夫よ。あなたは自分で好き勝手に人を殺してしまうような、本当に狂ってしまった人にはならないわ」


 何を根拠にそんなことを。出鱈目言うな。

 頭の中に浮かんだ言葉はそのまま声となることはなかった。そうだったら良いと思ってしまったのだ。
 立ち塞がるなら何であろうと砕いても進むと決めている。それでも無関係の人間を巻き添えにして、平然としていられるほど狂いきってしまいたくなどなかった。こんなことを思ってしまうなど、覚悟の足りない甘い考えなのだろうか。

 人を殺しても何も感じられない自分が怖い。手段の一つとして当たり前のように相手を殺すことを考えに含んで、そのとおりに行動に移しそうで、いつかそうなってしまうのではないかと思えば自分自身が怖かった。


「なあ、ティア・グランツ。もしも俺が本当に馬鹿なことをしそうになったら、その時はお前が止めてくれるか」


 特に何も考えないまま、ルークは気づけばそう呟いていた。己の言葉に彼は少し驚いたが、改めて考えてみるとそれはとてもいい考えのように思える。うんと頷きながら、珍しくキョトンとしている彼女に向かって改めて声に出す。


「そうだな、あのロッドでガツンと一発また頭をぶん殴って止めてくれれば良い。ああ、お前のおっかなさなら確実に俺も止まれる。たぶん」

「……………………ルーク、時々思うのだけれど、あなた私に喧嘩を売ってるの?」

「なんでそうなる」

「だいたいあの時、あれはあなたが……その、よ、横……っ、ああもう!」


 今まで掴んでいた手をぺいっと離して、ティアはそっぽを向く。髪の分け目の向き的に顔はルークのいる方向からはあまり見れないが、どうもその頬に色がついているようで彼は首を傾げた。おい、こっち向け。そう言ってみたのだがティアはそっぽを向いたままだ。
 仕方ない、とルークは彼女の腕を掴んでぐいっと無理やりこちらを向かせる。突然の狼藉に彼女は抗議の声を上げかけたが、ルークが彼女の顔を覗き込むために屈みこむと怯んだように口を閉じた。


「……どうした? 少し顔色が赤いぞ」

「ほ、放っておいてちょうだ……ちょっと、ルーク!」


 無遠慮に額に手を当てられてティアは慌てた声を上げるが、ルークはマイペースなままうーんと考え込み、そして。


「熱は無いか。いや、しかしお前の体温は今低くなってるから、これじゃ分からないな。夜の森は冷えるし、頼むから風邪なんて引いてくれるなよ。オラクル兵が伏せてるならお前のフォースフィールドはなかなか重要なんだ、声が出ません譜歌も歌えませんじゃあ実は結構心許ない」

「……………………」

「だから、何故俺を睨む」


 ティアは心底解らないといった風に尋ねてくるルークから目を逸らし、未だに額に手を当てたままの無遠慮さには心中で散々非難を浴びせてみる。しかし実際の彼女の口はひどくぎこちなく動き、お決まりのセリフを吐くしかできない。




「……知らないわよ、ばか」




 遠くで小さく風が吹き、森の木々がざわめいた。





[15223] 46(カイツール√・二日目)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/25 00:54






 戦争を止める為に先を急ぐ。戦場を移動する二日目の朝。慎重に進んでいるつもりでも、そもそもが戦場の横断自体が無謀なのだ。どうしようもなく兵と出会い、そして殺されるわけにはいかないがために争いになる。皇帝陛下万歳、と叫びながら斬りかかってくるマルクト兵を弓で射抜き、そして事切れる直前のマルクト兵の言葉にナタリアは悲しげに唇を噛んだ。


『卑怯なり、キムラスカどもめ。アクゼリュスを滅ぼしておきながら……我が帝国に踏み入り我らの故郷を……踏み荒らすとは……!』
『恨む……俺達は貴様たちを恨むぞ……っ!』


 こうして、国のために―――いや、王族のために、その決定に、罪のない人々が亡くなっていく。己の国の王を、為政者を信じて命を懸けてその命を守ろうとする。この戦争がスコアに振り回されたものだとは知らずに。
 そして、そのスコアに振り回され最大の愚行を犯してしまったのはナタリアの父、インゴベルトその人なのだ。落ち込んでいる場合ではない。立ち止まってなどいられない。父が犯した愚行なら、それを諌め止めることが出来るのはきっと己だけだろうし、またそうすることが娘の王女たる彼女の責務だろう。

 分かっている。分かっていても、それでも遣る瀬無い思いになってしまうのはどうしようもならない。


「……私達の暮らしは、彼らの流血によって支えられているのでしょうか」

「……城やバチカルの中にいるだけでは、知ることの出来ないことがある。真実を知るためには、自分の足で自分の目で確かめる。どれだけ苦しいことでもそれが現実なら、俺達は知らなきゃならない。今のお前の様にだ、ナタリア」

「アッシュ……」

「支配階級の人間は命じるだけで直接前線を知らない者ばかりだ。最終的な決定権は王だが、そんな貴族どもや議会が今のキムラスカで戦争の決定権を持っている。キムラスカは、あの時から何も変わっちゃいない」


 剣を納め、ナタリアから視線を逸らして遠くを見る。その横顔がいつかの記憶に重なり、その時の約束と誓いを思い出してさらに悲しくなる。あの時の約束と誓いを果たすために、ずっと動いてきたはずだった。孤児院を作り、医療施設を開放し、港の開拓事業で職をなくしていた国民を雇ったり。
 意味がなかったことだとは思わない。本当にかすかなことでしかなかったとしても、それでも確かに救えた人はいたはずで、民の笑顔と時折聞こえた感謝の声が意味のなかったものだとは思わない。それでも、足りなかったのだ。

 決意も、王女たる存在が何をなすべきことだったのか、それを考えることも。アクゼリュスに直接赴き苦しんでいる人々をその手で助けることは他の誰かでも出来ることで、本当に成すべきことだったのは。
 間違った道に進もうとする父王を己の言葉と声で諌めて止めることこそが、王女たる娘として存在している彼女が成すべきことだったのだ。

 ――――気づいたことに関して今更だとは思う。けれど、今更でも、それでも気づけたのなら、気づけなかったことよりは何倍もいいはずだ。同じ過ちは決して犯さない。己の過ちが引き起こしたこの悲劇を忘れない。二度と、同じ間違いをしてしまわぬように。


「だが、変わらないことを嘆くくらいなら、声を上げるべきだ。変わらねばならないと分かっているなら、変わるべきだと声を上げるべきだったんだ。ナタリア。声を上げるものがいないなら、俺たちが声を上げるしかない。俺たちが声を上げればいい。この現実を見て、気づいたことがあるのなら、それを声にして知ろうともしない者達に伝えなければならない」

「……そうですわね。それが、次期為政者として在る者の義務で、責務……。己の決定により死ぬものがいることを、その選択が何を民に失わせるのかを、王こそが誰よりも理解していなくてはならないのですね」

「今の伯父上……キムラスカの王をとめられるのは、お前だけだ」

「ええ、落ち込んで立ち止まっている暇などありません……行きましょう」

「アッシュ、ナタリア!」


 アニスの声がして、二人はそちらを向く。戦闘が終了した時点でこうも兵と遭遇するのは問題があると、二人で先の様子を見に行ったのだ。ぱたぱたと走り寄ってきて、二人が無事なのを確かめたアニスはほっとしたように息をつき、しかしすぐに険しい表情をした。


「向こうの様子を探ってるガイから伝言。キムラスカとマルクトの両軍が逼迫した状況で、あと一時間もしないうちに多分ぶつかり合うって。そうなったらきっと軍服を着ていない民間人だとしても危ないだろう、だって。どうする? ガイは時間がかかるようになっても少し回り道したほうが良いって言ってるけど……」

「これ以上時間をくうのは、正直得策じゃないな。しかし……」

「ええ、いくらマルクト軍の方とこれ以上遭遇して殺しあうことはできませんわ。戦っている時間を進む時間に当てていれば移動距離もそう変わりませんわ。ここは慎重に回り道をして進みましょう」

「りょーかい! じゃあガイに知らせてくるね」


 アニスが走って行ってまもなく、ガイを連れて帰ってくる。予想される激突地点から、大きく左に迂回する形を取って進んだ。皆言葉少なだ。ただ気配を探るようにしてあたりに気を配っている。

 迂回する決断が功を奏したのか、そう決めた時から今まで、危うい時はあったが何とかやり過ごし戦闘にはならなかった。慎重に進む。ふと、ガイとアッシュの耳に具足の音が届いた。ぴくりと緊張する二人をみて、アニスとナタリアも体を強張らせる。

 恐らくはあの小高い丘の向こう側にマルクト兵かキムラスカ兵がいるのだろう。勢力圏的にはまだキムラスカ側だが、迂回作戦を展開しているマルクト軍だという可能性も捨てきれない。そしてあの丘を抜ければ平地が続いていて、こちらは隠れられるような場所も無い。
 そろそろ夕刻になるかならないか、と言ったあたり。もう少し歩くにしても、よりによって最後の最後でこのような展開になるとは本当に上手く行かないものだ。一様に息を詰める。

 どうか、どうかキムラスカでありますように。しかし丘から出てきたのは青い軍服だった。


「……マルクト兵の方、ですね」


 イオンの苦しそうな声がぽつんと落ちる。そしてあちら側もこちらに気づいたらしい。剣を向けて警戒するように誰何の声を上げ、それにナタリアより先にイオンが名乗り出ようとして―――ふと、何かに気づいたらしいマルクト兵が剣の柄から手を離す。
 一様に皆の表情に困惑が浮かぶ。そんな彼らの困惑を分かっているだろうに、かのマルクト兵はやはり間違い無い、と呟き静かに一礼した。


「そこにおわしますのは導師イオン様とキムラスカ王女、ナタリア殿下ですね? フリングス将軍から聞いております。キムラスカ陣営に停戦を呼びかけに向かっていると」

「……! 俺たちを知っているのか?」

「フリングス将軍から話は承っております。ここはどうぞお通りください」

「ありがとうございます!」

「……話を聞いてたからとはいえ、随分すんなり通してくれるんだな」

「ちょ、ガイ! せっかく通してくれるって言ってるんだから、余計なこと言わないようにしようよ!」


 マルクト兵の言葉にぱあっと笑顔を浮かべるナタリアとは裏腹に探るような表情をするガイを、アニスが慌ててたしなめる。しかしアッシュも同じ考えだったようで、その視線は疑惑半分と言った様子だ。そんな一行の様子にマルクト兵は苦笑したのか軽く首を振り、簡潔に答えた。


「私の故郷はセントビナーです。……その節は、両親と家族を助けていただき助かりました」

「……そうか、セントビナーの……」


 そこで二人の疑惑も氷解した。ほっとして剣から手を離し安心したように笑う。


「その礼と言う訳ではありませんが、せめてもの恩返しだと思ってくだされば結構です」

「いや、こちらこそ疑ってすまなかったな。じゃあ遠慮なく通らせてもらうぜ?」

「はい。どうかご無事……」「いたぞ!」「マルクト兵だ!」「敵だ、殺せ!」


 突然の怒号にはっとしたのは誰もが同じだった。いち早く気づいたマルクト兵が弾かれたように後方の味方たちの下へ向かう―――向かおうとして、丘の奥から突然現れたオラクル兵とキムラスカ兵に袈裟切りに斬り捨てられ、血を流して倒れ伏した。

 うめき声を上げながら何とか顔を上げようとするマルクト兵に、キムラスカ兵は剣を振り上げる。そしてそれを振り下ろそうとするのを見た瞬間、ナタリアの体は勝手に動き出していた。後方から必死になって呼び止める声がするが、動く体は止まらない。


「死ねえ、マルクトめが!」

「おやめなさい!」


 体を双方の間に割り込ませ、凛とした声で戦場にはっきりと宣言する。


「私はナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア! キムラスカ兵よ、剣を納めなさい!」


 突然の闖入者がこの場にはそぐわない女性だったことと、そしてその女性が名乗った名にキムラスカ兵が動揺する。構わず殺せと喚くオラクル兵を腕をがしりと握り無理やり押し留め、振り上げていた剣を下ろした兵の困惑気味の声が零れ聞こえてきた。


「ナタリア殿下? まさか! 殿下はアクゼリュスでマルクトの謀略により亡くなられたと……」

「それは誤報だったのです。私たちは父を止める為に今ケセドニアへと向かっているところ……私の謀殺などというありもしない理由で戦争など起こしてはなりません。剣を納めなさい!」

「……しかし、」


 どうも迷っている様子をみて、ガイは腰の剣から手を離して倒れているマルクト兵へと駆けつけた。それを助けるように、イオンに何かあればすぐに駆けつけられるように気配を向けながら、アニスもガイの手助けをするようにマルクト兵の側に寄る。
 てきぱきと応急処置を施すガイに接触しないように気をつけて、アニスはグミや薬、包帯を渡す。アッシュはすぐに抜剣できる体勢を崩さず険しい顔をしてキムラスカ兵の様子を伺っていた。

 ナタリアは今にも剣を振り上げて下ろしてきそうなオラクル兵に真正面から顔を向けて、マルクト兵を背に守り一歩も引こうとはしていない。
 そんな一行の様子に、オラクル兵は苛立たしげに声を荒げた。


「ええい、見ろ、こやつらマルクトとつるんでいるだろう! 大方偽者だ、斬り捨てろ!」

「だが……祭典の時に遠目から見た殿下に、この方はよく似ていらっしゃるのだ!」

「ならば! 何故、キムラスカの姫がマルクト兵を助けているのだ! 偽者であろう、殿下の名を騙る偽者など斬り捨ててしまえ!」


 迷うキムラスカ兵に向かって、押さえつけられていた腕を振り払ったオラクル兵が声を大にしてけしかけている。それに対してイオンが前に出て、普段の彼からしてみれば随分と裂帛の気合を込めた厳しい声でオラクル兵を呼び止めた。


「やめなさい! この方は確かにナタリア殿下です、剣を引きなさい!」

「残念ですが導師イオン、われらは大詠師派なのです! 戦争の継続が必要なのです、どいてください、あなたの命も保障は出来かねますぞ……殿下だと騙るあなたもだ! さあ、殺すのだ! 貴様がやらぬのならば俺が殺す、そこをどけ!」

「……待て。導師イオンを殺すだと? どういうことだ、貴様正気か? ましてやナタリア殿下までだと!? いい加減にしろ、ナタリア殿下は民にも慕われる我らが誇れる王女殿下だぞ。殿下をどうして我らがこの手で殺さなくてはならないのだ!」

「だから偽者だろうといっているだろう!」

「愚弄するな! 我らがキムラスカ兵がナタリア殿下を見間違うものか!! 退け、無礼者!」


 吐き捨てて、ナタリアとイオンに向かい剣を向けようとしていたオラクル兵を大きく突き倒す。しりもちをついて倒れこむオラクル兵には一瞥も向けずに、キムラスカ兵は手に持っていた槍の柄を地面につき、軍式の敬礼を向ける。


「此度は失礼をいたしました、ナタリア殿下。ご無事の様子を……心から、喜び申し上げます。よくぞ、ご無事で……」

「信じて、くれるのですか?」

「信じるも何も……先ほどはお恥ずかしいながら、些か動揺しておりました。遠目から一度お伺いしただけですが、我らが王女の姿を見間違うはずがありません。……殿下、先ほどマルクト兵を庇っておられたようでしたが、なぜかお聞きしてもよろしい―――」


 かみ締めるようにして呟かれた言葉に、ナタリアの胸に温かなものがこみ上げてくる。その温かな感情を嬉しく思っていると、ふとキムラスカ兵の背後で影が揺れる。目を見開き、それが何かを考える前にナタリアは悲鳴に似た声を上げた。


「だめです、やめなさい!」


 金属がぶつかり何かを断つ音がした。


「――――……が、あ……?」


 がしゃん、とキムラスカ兵の足が崩れる。ばたばたと地面に落ちる赤い水。斬りつけた剣の先からそれを滴らせて、キムラスカ兵を背後から斬りつけたオラクル兵はふんと鼻を鳴らす。倒れこんだキムラスカ兵を足で踏みつけて、まだかすかに息をして槍を握り締める彼の背に再び振りかぶる。

 アッシュが舌打ちをして飛びかかろうとする。ナタリアも弓を番えようとするが、はっきりと間に合わない。ガイが、イオンが、アニスが悔しそうに顔を歪めていた。めいめいにやめろと口にするが、この場ではそんな言葉は無力でしかなかった。


「やめてっ!」


 赤が吹き上がり、一拍遅れてアッシュの剣がオラクル兵へと襲い掛かる。それを間一髪で防ぎ、しかしアッシュの力量を見てすぐにオラクル兵は距離を取ろうとする。そう簡単に離してなるものかとアッシュは距離を詰めて、一息に腕を斬りつける。


「……っ、やってくれたじゃねえか、てめえ! 覚悟しやがれ!」


 オラクル兵が悲鳴を上げて剣を取り落とし、アッシュは止めを刺そうと剣を振おろす。オラクル兵が咄嗟に後ろへ退いたせいか、斬りが甘い。即死のつもりで振り下ろしたのだが、未だに往生際悪く生にしがみ付いている。再び舌打ちをして、今度こそ止めを刺そうと近寄る。
 オラクル兵はもう既に剣も握れず、恐らく視界もかすんでいるのだろう。すぐ側にある剣を取ることも出来ずに、のろのろとその手は地面の上をはっていた。

 アッシュが剣を振り上げ、ちょうどそのタイミングで丘の向こうからキムラスカ兵が現れた。


「隊長、マルクトの陣を制圧……隊長!?」


 驚愕し、どこか呆然とした声だった。それだけでもあの隊長らしきキムラスカ兵がどれだけ部下に慕われていたか分かる。その声に気をとられたアッシュに対して、オラクル兵はここぞとばかりに声を張り上げた。


「こやつらは民間人のふりをしたマルクトの協力者だ! キムラスカの隊長もこやつ等にやられた!」

「なん……、巫山戯たことをぬかすな! お前が斬り殺したんだろうが!」

「見ろ、マルクト兵を助けようとしているだろう。奴等は敵だ!」

「待ちなさい、違うのです! 私たちは……」

「キムラスカ兵よ、仇を討て!」


 そこまでがオラクル兵の限界だったようだ。強く憎悪をたきつけるような言葉をキムラスカ兵の中に残して、ゴボリと大きく血の塊を吐きぐたりと地面に倒れ伏す。ぴくりとも動かなくなったオラクル兵を見て、アッシュは三度目の舌打ちしたくなった。
 これでここにあったことを証言できる人間がいなくなってしまった。ガイとアニスがマルクト兵を介抱していて、キムラスカ兵は死んでいて、そしてそのキムラスカ兵と一緒にいたオラクル兵は今ここでアッシュに剣を突き付けられていたのだ。

 この状況を見てどのようなことが起きたのかをミスリードさせるのは酷く簡単だし、何よりミスリードさせた本人に訂正させようにも既に死んでいるのではどうにもならない。死人に口無しだ。

 考えたくも無いが、もしかしたら先ほど血を吐いたオラクル兵は自ら舌を噛み切ったのかもしれない。どうせあのままでいても長くはなかったような体だったのだ。より一層状況に真実味を持たせるためだとしたら、とんだ捨て身の策だ。


「隊長……ああああああ、貴様らぁあああああ!!!! 奴等を討てええええ!」

「話を……くっ、どうしてこのようなことに……っ!」

「諦めろナタリア、くるぞ!」







 赤が吹き上がる。ドクドクと吹き上がり、それがナタリアの顔にかかった。ずるりと倒れてくるその体を受け止めて、呆然としていたナタリアはすぐにはっとして悲鳴を上げる。


「どうして……どうして私を庇いなさったのです!」


 襲い掛かってきたキムラスカ兵のあらかたを倒しきって、流石に多勢に無勢で怪我をしていた仲間の治療をしていたときだった。どうやら斬られて気絶していたが死んでいたわけではなかったのだろう、突如起き上がった兵が休んでいた一行に襲い掛かってきたのだ。
 突然の事態に動けなかった人たちの中で、ただ一人動いた人間がいた。彼女の側で寝かされ、介抱されていたマルクト兵だった。


「お許しください、ナタリア殿下。このキムラスカ兵は……友軍の、仇なのです。一人残らず誰かに奪われるのは我慢ならない。一人でも、この手で……」


 とっさにナタリアを突き飛ばし、彼女が受けるはずだった刃をその身に受け、そして己の握る刃で生きていたキムラスカ兵を貫いたのだ。己を刺したマルクト兵を見た後でキムラスカ兵は血を吐きながら、怨嗟の声を吐きアッシュ達を射抜かんばかりの眼光で睨みつける。


「なにが、敵ではない、だ……っ! やはりマルクトと通じていたのだろう、そこのマルクト兵は命を懸けて貴様を助けたな! 隊長を殺したのも貴様達だったんだろう! 許さん、許さんぞ!」

「違います、僕達は彼を殺してなどいないのです」

「ふん、信じ、られ、……る、か……。キムラスカ…… ンバ ディ に、繁……栄、あれ――――――」


 最後にそれを呟き、キムラスカ兵は事切れた。彼の言葉は皆の心の中に苦味を残すが、それよりも今彼女たちにとって重要事態なのはマルクト兵についてだ。内臓まで達する傷は深く、そして何とか塞いだとはいえ先ほども大きな傷を受けていたのだ。


「キムラスカの……方々 に、お頼みするのは……気が、引け……ぐ、ぁ……」

「喋っては駄目です! 今治しますから、それまでどうか喋らないで!」


 ナタリアは必死になって平静を保ち回復譜術をかけるのだが、一日の間に度重なるダメージを受けて第七譜術では恐らく癒しきれない。もう手遅れだ。いくら傷をふさいでも流れた血は戻らないし、この状況ではもうかなりの血を流した後だ。


「どうか、家族に……ありがとう、と……妻と、息子に……愛していると」

「それはあなた自身が、あなたの口から伝えなければ意味のないことでしょう!? お願いですから、どうか……」

「ナタリア殿、下。もうしわけ、ありませ……どうか、両国……和平……息子が、幸せに、暮らせる、平和な……」

「分かりました、ナタリアが、このキムラスカ王女ナタリアが、必ずお父様を説得してこの戦争を終わらせます! そしてあなたの子供が戦争に巻き込まれないような関係を築いてみせます! だから、どうか……っ!」

「あ りが……ござい、ま……――――」

「………………ッ!」


 マルクト兵が動かなくなる。それでも治癒譜術をかけ続けるナタリアの手を、アッシュが止めた。涙の滲んだ顔を上げれば、静かに首を振られる。


「アッシュ!」

「この中で治癒師はお前だけなんだ、ナタリア。……力を使いすぎてお前が倒れればこの行軍自体が立ち行かなくなる」

「分かっています、頭では分かっているのです! けれど……」

「ナタリア……」

「私は……この道で、どれだけの人を救えて、どれだけの人を殺しているのでしょうか……」


 力なく俯き擦れる声で呟くナタリアの背中に、泣き出しそうな顔をしたアニスがぎゅっと抱きつく。イオンは悲しそうな顔をして、ガイは悔しそうに顔を歪めていた。アッシュも奥歯をかみ締めながら、ナタリアの手を握っていた。


「それでも進まなきゃだよ。戦争を止めるために。ねえ、あのマルクト兵の人も言ってたじゃん。戦争を止めてって。そのために今動いてるんでしょう?」

「そうですね。彼は貴女なら二つの国の関係を平和にしてくれると信じて、願いを託したんです。僕が無力なせいで……オラクル兵にもあのようなことをさせてしまいましたが……及ばずながらお力添えします。必ず和平を結ばせましょう」

「助けられなかったことは悔しいし悲しいが……だからこそ、最期の彼の願いをかなえなきゃいけないんじゃないのか。違うかい?」

「……ナタリア。何も感じず人を殺すよりも、悩みながらでもそう言う風に考えるのは悪いことじゃないだろう。それでも、今それを考えたところで到底結論などでないだろう。でたとしても歪んだものになる。今のお前は自分に否定的だからな、歪んだ結論しか出ない。
 この戦争を終わらせて、落ち着いて考えられるようになった時にゆっくりと時間をかけて自分の答えを見つければ良い。……だが、今は……」

「……そう、ですね。今は、成すべきことを成さなければ。ここで立ち止まっていては、今まで殺めて進んできた分の人の命も意味がないものになるのですから。分かっては、いるのです。ですが……」


 堪えきれず、ナタリアは握ったアッシュの手を額に当てて、静かに涙を溢した。


「ごめんなさい、ほんの少しだけ……あと少しだけ、許してください……」

「……どうせ時間的にも今日はここで野営だ。泣くだけ泣いて、明日動けるようになっていれば良い」

「ありがとう……」


 やりきれない思いが込められた雫が一つ、ナタリアの頬を伝って落ちた。



* * *


 マルクト兵の家族に渡せる遺品になるものをと、彼の遺体を改めていた時だった。ガイは彼が首にかけていたものを見つけてふと既視感に襲われる。なんだろう。血が着かないようにとそっと取り外せば、何故そう思ったのかを理解してああと小さく呻いた。
 キャパシティ・コアに似た装飾品。『彼』が持っていたのはとても繊細な銀細工だったが、これはきれいな色石で作られたものだ。色も形も違うのに、なぜかそれが思い浮かんだ。

 ガイがぎゅっと目を瞑ってそれを握り締めていたら、彼の様子を少し離れていたところから見ていておかしいと思ったのだろう、イオンがこちらに近付いてくる。どうかしたんですか、そう問いかける彼にいや、と苦笑を返してその手に握っていたものを彼の手の平に乗せた。


「さっきのマルクト兵の……家族に渡す遺品は無いかと思ってね。そうしたら、彼がそれを首から提げてて」

「これは、守護を願うシンボルマークの一種……お守り石ですか?」

「だろう、な。戦場に出る家族へ、その無事の帰還を願って送るものだよ」

「……ルークの持っていた銀細工にどこか似てますね」

「イオンもやっぱりそう思うか」

「はい。ルークの持っていたものは旅の中の無事を願うものでしたが、込められた願う思いはきっと同じでしょう」


 病気をしませんように。怪我をしませんように。苦しい目に遭いませんように。どうか、帰って来れますように。そういう願いを込めて家族や恋人、もしくは親しい友へと送るものだ。この手のシンボルマークには、裏に送り主の願いを刻んであることが多い。
 なんとなしに裏返して、そこに刻まれた拙い文字と丁寧な文字に、イオンは眉をハの字に下げた。


―――おとうさんが けが しませんよう に
―――貴方が無事に私達のもとへ帰って来れますように


「…………」

「遺体を持って帰るなんて無理なら、せめて。それはちゃんと、家族の下へ返してやらないとな」

「そう、ですね。……ガイ」

「……ん?」

「戦争を、止めないといけませんね」

「ああ、そうだな」


 決意を強くするイオンの言葉にガイは力強く頷き、そしてそろそろナタリアたちの元へ向かおうと足を踏み出しかけた時だ。近付く気配に気がつき、ガイはイオンを庇うように腰の剣に手をかける。


「誰だ!」

「……どうか落ち着いてください。私です」


 その声にガイの目が驚きに見開かれた。


「あなたは……」


 目を付けられないようにしている為火をたけないが、それでも回りにホーリーボトルを撒いて就寝の準備をしているときだった。


「ふう! イオン様、準備できまし……ってぇ! あ、あれ? イオン様!?」


 一仕事終えた、と満足げな一息を着いていたアニスの声が悲鳴染みたものになる。大慌てできょろきょろと辺りを見回し、一人でフラフラ歩かないでくださいってあんなに言ったのにイイイイイ! と些かお冠の様子だ。今にも走って捜しに行こうとしている少女に溜息をつき、アッシュは先ほど歩いていった方向を指で指す。


「導師ならあっちだ。恐らくだがガイの様子を見に行ったんだろう」

「あ、アッシュありが……って待てええええい! アッシュ、あんた気づいてたんなら止めてよ!」

「ガイが近くに居るなら大丈夫だろう」

「そ・れ・で・も! もー、『だろう』で楽観視してるのはすっごい危険でしょーが! 常に『かもしれない』って思っとかなきゃ駄目なの! イオン様がうっかり途中でマルクト兵に出会ってたらどうするの!」

「…………」


 三十メートルも離れてない距離なのだが。しかもその方向には六神将のアッシュ並に気配を察知できるガイも居るのだ。よほどのことでもない限り危険ではないと思うのだが……それでも仕事に目覚めた導師守護役は終始おかんむりの様子で、仕方無しに軽く頷く。
 今度からは気をつけようと頷くアッシュによしと頷きを返し、イオンにも注意を言わねばとその方向へと歩き出そうとした時だった。帰ってくるガイとイオンをみてほっと息を吐き、そしてその背についてくる見知った影を見て目を丸くする。


「ガイ、イオン様! それと、たしかキムラスカの……」

「セシル少将であります。ナタリア殿下は居られますか?」

「セシル将軍! ……どうしてここに」

「……やはり居られましたか。部下から、ナタリア殿下らしき人物を見たと報告がありました。まさかと思ってきてみたのですが……」

「……言ったはずですわ。この戦いをやめさせるためにも、アルマンダインに会うのです」


 きっぱりとしたその言葉に、セシル将軍は思わずと言った風に声を上げた。


「無茶です! 今ならまだ我が軍の勢力圏内です。どうかカイツールへとお戻りください、この戦場は殿下には危険すぎます」

「できません。私たちは引き返すつもりは無いですし、もう引き返せないのです。ここまで来るのためにこの手で奪った命を無駄になどできません。それに、託された願いもあるのです」

「それに、このまま戦争を続けていてはこの戦場にいる皆が死んじゃうんですよー」

「我が軍は負けません、ですから殿下……」

「違うのです、セシル将軍。戦争に負けて全滅すると言っているのでは無いのです。この戦場自体が危険で、このままではキムラスカ軍もマルクト軍も双方消滅してしまいますわ。そのような事態が迫っていると知っていて、引き返すなどできません」

「殿下……私の立場もお考えください」


 凜として言い切るナタリアに、セシル将軍ははっきりと困っている声を出す。彼女の立場を思えば確かに申し訳ないとも思うが、だからと言ってナタリアも引けないのだ。この戦争を起こしたのはナタリアの父で、ナタリアはその娘だ。この戦争を止めるべき責任がある、ナタリアはそう考えているが故に止まれないし、止まるわけにはいかない。


「……セシル将軍、貴女には申し訳ないと思っています。ですが、アルマンダインに停戦を呼びかけ、父をお諌めすることこそ私の使命なのです。どうか、もう止めないで下さい」


 平和を、と願いながら死んだ人がいる。死んでしまう父として、息子が戦争に出る必要のない平和をと、それが出来ると信じてナタリアに願って死んでしまった人だ。彼はマルクトの人間で、それでも迫る刃からナタリアを庇ってくれた人だった。
 何を言っても引く気は無いと判ったのか、セシル将軍はふうと溜息を吐きながら、殿下にはかないませんねと呟き苦笑交じりに首を振る。


「……分かりました。ではせめて、護衛を付けさせてください。それだけはお願いいたします」

「……分かりましたわ。その厚意はありがたく頂戴いたします」

「ただ、あんまり大所帯だと逆に目立ちかねないぜ」

「はい、了解しました。明日以降、我が軍の一個小隊を皆さんの背後につけます。どうかお気をつけて……」




 ケセドニアまで、あと二日。







[15223] 47(エンゲーブ√・三日目)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:118e7dd0
Date: 2010/03/27 00:11




――― introduction in



「どうすればよかったというんですか」


 その問いに対する答えを持っていない。恐らくは、誰もが持っていないのだ。ただ、それでもこれが己なりの答えだと、そう言えるものを求めて人は毎日を足掻いている。ジェイドは眼鏡を軽く直しながら、ただ誰に話すでもなく呆然と自分自身に問いかけている風な村人の話を聞いていた。


「スコアを守ったからかかあと会えた。スコアを守ったからこそあの家族が出来た。マルコが生まれたのだってスコアのおかげだ。スコアを守らなかったら、あいつとは―――会えなかった。マルコだって、今度家に連れてくるといっていた人に会えたのは軍に入ったからこそで……守らなかったら、そんなもしもなんて、仮定……」


 苦悩する村人は頭をかかえて、ついに膝から力が抜けたように崩れ落ちた。彼の頬を伝う雫がぱたぱたと地面に濃い色のしみを作ってゆく。


「けれど、それでも! もしも、何かの拍子にスコアを知れたなら! こんな未来の為に読まれたスコアだと知ることが出来たなら! 俺も、かかあも、マルコも」


 ごつんと額を地面に擦り当てて、村人は地面に爪を立てている。下手をすれば爪がはがれるのではないか、というくらい力が入っていて見ているだけでも痛々しい。しかし、それでも注意しても彼は聞き入れはしないのだろう。爪の間に入る土も気にせず地面をかいている。


「けれど、もしもさっきの男が俺に何も言わなければ、俺はきっと、鬱屈とするだろうけれど何の疑問を持つこともなくスコアを信じて……いつものように、頼っていたんでしょう。ああ、そんな、自分が……情けない…………っ!」


 がり、と地面に赤黒い跡が出来る。止めるべきだったのかもしれない。けれど今は何を言っても無駄だろう。あと五分しても今の調子であれば力ずくでも止めよう。そう決めて、ジェイドは静かに嘆く村人の背を見守っていた。
 ぼろぼろと大粒の涙を流して、噛み砕かんばかりの力を込めて歯を食いしばり、村人はかすれる声でスコアに殺された己の息子の名前を呼ぶ。


「……マルコ……っ」



――― introduction out




 二日目は大禍なく過ぎていった。ただ、やはり戦闘を知らない一般人の森林の中の行軍は酷く鈍足で、予定していた四日の行軍よりも一日二日ほど過ぎてしまいそうだった。そして今日は三日目の朝。その日の空は雲ひとつもない晴天で、高い場所――そうだ、あのシェリダンのロケット塔に登りでもすれば、きっとずっと遠くの空まで見ることができるのだろう。


「…………」


 右目を掌で覆い、赤橙色の左眼だけで空を見る。モノクロの世界。濃淡の在る灰色と白と黒。
 名前を呼ぶ声がした。ぞんざいに声を返し、ルークは眼帯を結びなおす。これでよし、と立ち上がって振り返った瞬間にするりと足もとに眼帯が落ちる。

 ……喧嘩売ってんのかテメー。

 眼帯相手に声に出して毒づくほどお天気な頭のつくりはしていないが、心中ぼやいてしまうのはもうしょうがない。しかし、いい加減に眼帯ぐらい自分で結べるようになっていないと不便なことこの上ない。寝ているときに引っ掛けて外れたから結びなおしてくれ、なんてエミヤに頼むのは嫌だしジェイド相手には論外だし、ここにはミュウもいない。

 かといって、ティアに頼むのも気が引ける。小言の嵐が待っているだろうことは簡単に想像がつく。どうしたものか、これはいっそエンゲーブの住民の誰かに頼むべきかとも思うが、どうも初日の夜のマルコの父親とのやり取りをいくらか聞かれていたようで、住民を護衛している四人の内のルークに対する風当たりだけが妙に違っていた。
 スコアをただ遵守することを否定して、さらには息子を殺されたばかりの住民の傷口に、さらに刃をつきたてるような物言いだったのだ。小さな村ならば住民同士の繋がりは強いだろうし、ルークの言葉は外郭大地の人間には爆弾発言だったろうとの自覚はあったので、特に何を思うでもない。

 ただ、そんなに声を張り上げたつもりはなかったのだが、どうやら夜の森は想像以上に静かで、よくよく声が通るものなのだなと思っただけだった。

 足もとに落ちている眼帯を拾い、再チャレンジしようと試みるがどうも上手くいかない。だんだんと眉間によるしわは深くなり、さすがの感情なしのルークも苛苛としてきた時だった。こうなったら硬結びしてやろうかと本気で考え始めていたとき、名前を呼ぶ声が近づいていることに気づく。


「ルーク、もう出発するって大佐もエミヤさんも……あなた何やってるの?」

「…………眼帯を結びなおしているんだ」


 くそうエミヤめ、どうせならボタンバンドの眼帯にしてくれればよかったのに。いつか言ってみた苦情に返ってきたのは、まさか君がそこまで不器用だとは思ってなかったのだよ、と言う一言だけだった。
 畜生め。不器用で悪かったな。


「私が―――」

「いい。これくらい自分でも出来る」

「…………」

「こらそこ。疑わしそうな目で見るな」

「別にそんなつもりで見てるわけじゃ……」

「目が口よりも雄弁だぞ」


 じろっと睨みながらも手を止めずにごそごそと頭の後ろで結ぼうとするのだが、やはり上手くいかない。もともとルークは紐を結ぶという動作が苦手なのだ。どうにもいつも縦結びになって上手く行かない。靴紐くらいならどうとでも誤魔化せるが、なんせ眼帯だ。
 人の目線の位置にあるもので、それがしっかり縦結びになっているのはどうにも避けておきたい。エミヤやジェイドに何をいわれるかたまったものでもない。

 なんとかほどけないように結べたと思ったら縦結び。ほどく。結びなおす。こんどこそ。また縦結び。ほどく。こんどこそ。横に結べた、と思ったら、少し緩い。このままではオラクル兵との戦闘のときにほどけてしまうかもしれない。ぎゅっと引っ張って固く結ぶ。そうしたらなぜか縦結びになった。何の仕打ちだ畜生ローレライめ!(やつあたり)
 再びほどく、こんどこそ、以下エンドレス。


 くすり、と小さく零れた音にルークはピクンと反応した。

 いっそ才能にも見えるほどの結びの下手さ加減に、ついにティアが笑い出したのだ。この野郎笑いやがったなと恨めしげに見てくるルークにティアは謝り、そしていい加減に時間もないからと代わりに眼帯を結ぶ役を買って出る。
 たしかにこのままでは延々と同じことの繰り返しになりそうだ。彼としてはとても不服だったが、これでは仕方がない。大人しく眼帯を彼女の手に渡し、ちょうど近くにあった倒木を椅子代わりにして座る。

 ティアは手早くルークの眼帯を結びながら、ふと一瞬だけ視線を揺らし口を開きかけ、しかしすぐに思いとどまったように口を閉じた。何かを問いたげなその様子を気配だけで察して、ルークが振り返る。


「なんだ」

「……何が?」

「お前、さっき俺に何か言いかけてなかったか」

「………………いいえ、気のせいじゃないかしら」


 ティアは流すように答えて、不審気に眉間に皺を寄せたルークに前を向かせた。そのまま眼帯を結びきって、ルークが何事かを言う前に先に戻っていると逃げるように立ち去る。その背を見送るルークは常の小言がなかったことに違和感を感じながらも、まあたまにはそう言う日もあるかと思うことにして、歩き出した。

 ルークは知らない。昨日彼とアーチャーの目を盗んで、ティアとジェイドの間でやり取りされた会話の内容を。


『完全同位体同士の大爆発理論……ルークが、それを調べていたんですか? まさか……』

『コンタミネーション現象の一種です。確かに私が理論を組み立てましたが、本来なら完全同位体を作れないフォミクリーの性質上、理論だけで机上の空論この上ないもののうちの一つ』

『つまり―――いえ、確証の無い話はやめましょう。……この住民移動が終われば、私はまずアッシュをベルケンドヘ連れて行き彼の血中音素について調べます。一番確実なのはルークの血中音素を測ることですが……それでは彼に勘付かれてしまう』

『……もしも何かの拍子にルークが血中音素を測るような機会があれば、』

『彼はレプリカだ。体を構成する第七音素以外の音素が混ざっていたのなら、それは―――』


 ジェイド・カーティスのあの言いようで、ティアは確信していた。嫌な予感はしていたが、やはり“大爆発”というものはろくでもない現象なのだろう。そしてレプリカとオリジナル、どちらか、もしくは双方に何かしら害がある現象なのだ。


『どのような現象かを説明するにしても、まず始まっているのか始まっていないのかを確認してからにさせてもらえませんか。いえ、ただ後回しにして逃げているだけだとしても……あまり口にも出したくない』


 ティアのロッドを握る手に力がこもる。


『一度始まってしまえば、収束するまで終わらない』





 嫌な予感ばかりが降り積もっていく。






* * *


 橋を渡る前に、問題が発生した。橋と街道が繋がっていて、その街道を挟むようにして森が広がっていたのだ。そして橋を渡った後の道にも脇に森が広がっている。伏兵がいたら厄介だ、というか、確実に橋を渡った向こう側の森にはオラクル兵の伏兵が居るだろう。それを確信していたルークとアーチャーは大いに困ってしまった。
 まず先行させるにしてもどちらの森を先行させるのかという問題にぶち当たる。出来るなら進行方向の橋の向こうの森を調べておきたいのだが、こちら側の街道迎いの森も危険だ。

 街道の迎い側の森には伏兵がいるかどうかはわからない。居ないのかも知れないが、いるかもしれない。可能性だけは否定できない。もしも住民が橋を渡ろうとしている時に側面を強襲されるのでは目も当てられない惨状になるだろう。

 できれば迎側の森も、橋の向こうの森も、両方調べておきたかった。あれこれ話した結果、恐らくほぼ確実にオラクル兵が伏せているだろう森への先行はアーチャーとジェイドが、伏兵が伏せている可能性が無きにしも非ず、の迎側の森をルークが先行することになった。
 ティアはアーチャーがジェイドと共に先行することになったため、空中からの状況がわからなくなった分、住民の防御は絶対に必要だと強固に主張したルークの言葉に反論し切れなかった形だ。



 そしてルークが森に入って徒歩十分。早歩きで進んでいることから、おおよそ一キロいくかいかないかの距離だろうか。こちらは進行方向ではなく、あくまで進行中の側面奇襲を憂慮しての配置なのだ。ここであともう二十分ほど待ち、何もなければそのまま引き返して伏せられたオラクル兵と戦っているだろうジェイドとアーチャーの援護に向かう。

 目を閉じて腕を組み、じっと時間が過ぎるのを待つ。


「…………?」


 じりじりするような思いでしばらく待っていると、ふとルークの耳に遠くで一斉に鳥が飛び立った音がした。ばさばさと羽音がして、鳥はルークの頭上を越えて一直線に背後へ。鳥の飛んできた方向と、その量に彼は顔を顰める。

―――鳥、立つ者は伏なり。獣、おどろく者は伏なり、といってな。覚えておくと良い、獣が飛び出すことは奇襲行動を行うものの存在を示唆し、鳥が一斉に飛び立つのは伏兵の存在を示していることがある。全ていつもそのとおりに行くとは思えんが、知っておいて損は無いだろう。


「……さすがだなエミヤ。さっそくお言葉通りだぜ」


 ぼやいて、ルークは近くの木の上に登る。視界は高くなったが、森の木々に邪魔されて様子は見えない。

 さて、でてくるのはどこの所属だろう。マルクト兵ならエンゲーブの住民避難を訴えれば戦闘にはなら無いだろうが、問題はキムラスカとオラクル兵だ。出来るだけ少人数の部隊編成であることを願いながら、じっと気配を殺して前方に意識を向ける。

 でてきたのは、白と銀。


「オラクル兵かよ……」


 呻いて、覚悟を決める。腰の剣を抜き放ち、タイミングを計る。相手は一個小隊分の人数がいて、個人個人でならば負けない自信もあるが、今のルークでは一人であれだけの多人数を捌くには些か荷が重い。
 問答無用の奇襲しかない。会話で引き伸ばすにしても、モースが送り込んだスコア狂信者ならばどうにもならないだろう。数人が過ぎた後で、わざと敵の中央に踊りこむ。頭上から突然振り下ろされた刃に、オラクル兵は悲鳴を上げることもなく倒れた。

 舞う赤。それはルークの髪の色か、それとも吹き出した血の色なのか。

 突然のことに動きを止めたオラクル兵に肉薄し、ルークは躊躇いもなく刃をめぐらせた。数人が一息の間に命をうしない、そしてようやっと理性が戻ったオラクル兵の声が鋭く響く。


「奇襲だ!!」

「構え!」

「気をつけろ! 手練―――ぐああああ!」


 混乱から立ち直ったとしても、まだ完全に兵団としての多勢に無勢を生かしきる前に指揮系統をめちゃくちゃにする。とりあえず大きな声を上げている統率者らしきものから順次斬っていけば、やはり混乱から抜けるのは難儀なようだ。

 あと、三十人近く。


「悪いな、」


 ここで死ぬわけにはいかない。ギリりと奥歯をかみ締めながら、さらに一振り。
 新しい赤が吹き上がる。


「――――切り捨てるぜ」


 ルークはまるで誰かに謝る様な言葉を吐き、そして刃を無慈悲に奮う。







 剣戟の音が途切れた。あちらこちらに傷を負い、赤く染めたルークは息を切らして自分の喉下に突き出された剣を見下ろしていた。


「やってくれる……やってくれたな、貴様! 小隊が壊滅だと!? われらはこれからマルクトの背後に回ろうと言うところで」

「はっ、お互い様、だ……ふん、オラクル兵にしておくにはもったいない腕だ」


 一人だけ、オラクル兵の中に手練が混じっていた。それでも、良い勝負になったとしてもルークが一対一なら負けなかった相手だが、さすがに四十人近くを一人で相手取っているとちゅうでそのような人間と相対するには分が悪い。
 剣を取り落としてはいないが構えられない。喉下には相手の切っ先がある。


「まさか一人でオラクル兵に立ち向かうとはな……マルクトの人間か?」

「そんなことを聞いてどうする」

「いや……ただ、どうしてこのような無茶をするのか気になってな」

「…………」


 つい先ほどはまで殺しあっていたというのに、この会話だ。やり辛いことこの上ない。オラクル兵にもこのような人間がいるということが、だ。ルークはすぐに後方へ跳び下がれるように準備はしているが、相手もそれなりの腕で隙が無い。妙な動きをしようものならすぐに喉に当てている剣が動くだろう。
 気を張り詰めていると、その手練のオラクル兵の後ろからぎゃんぎゃんと喚くような声が聞こえた。


「何をごちゃごちゃはなしている?! 貴様、さっさとそやつを殺さんか!」

「……隊長、この者の剣技は惜しい。どうか―――」

「戯けが! 我らはスコアの成就の為だけに存在しておるのだぞ! 我が小隊はマルクトの背後をついてスコア成就に貢献するつもりであった……その邪魔をした男を生かしておけるか!」

「しかし隊長!」

「くどい、殺せ!」


 二人の言い合いにルークはおや、と思った。一番後ろでがたがた震えてこちらに剣を向けようともしなかった男が隊長だったらしい。特に放っておいても害は無いかと放置していたのだが、まずかったか。
 しかし、いかにも無能そうな男だ。これならルークが真っ先に斬った声を張り上げていたオラクル兵のほうが隊長らしかったが……彼は補佐官だったのだろうか。


「どけえ! 貴様が殺さぬなら、私が殺す!」


 剣戟の嵐の中には入ってこれなかったくせに、抵抗も満足にできない相手になら思う存分刃を下ろせるらしい。腐ってやがる。こちらに近付いてきたら唾を吐きかけてやるつもりが満載で、ルークは酷くさめた気持ちでその近づく足音を聞いていた。


「お待ちください、隊長。こやつは手練です。私が刃を引いた瞬間に体勢を整えるでしょうし、隊長が近付きすぎれば私が殺すよりも先に隊長を殺しているかもしれません」


 その言葉に、無能な隊長がぎくりと体を強張らせて動きを止めた。その様子を見て、手練のオラクル兵は溜息を一つ。そしてルークに対しては全く持って油断なく相対している。本当に、オラクル兵にしておくにはもったいない人間だった。


「……お前は何故、我等に奇襲をしかけてきたのだ?」

「……住民を避難させていて、このままだと兵の動きと住民の移動が重なっていた。殺させるわけにはいかないからな」

「馬鹿な、我らはスコアを守り民を守り世界を繁栄に導く者だ。力ない民を殺すなど……!」

「マルクトの国民でもか?」

「マルクトだろうがキムラスカだろうがダアトだろうが、民は民だ! 兵は民を守るために武器を持つのであって、殺しあうのは兵と兵だ! 一般人を手にかけるものか!」

「――――ならば、それがキムラスカ兵に蹂躙されるとスコアに詠まれた村の民であっても、か?」

「な、に……?」


 ルークの言葉に衝撃を受けたようにオラクル兵の精神に虚無が生まれ、ルークはその隙を逃さずさっと後ろに飛びのこうとして、出来なかった。すぐに精神を立て直す器量もある。本当に厄介な相手だ、ルークは心中でごちる。後ろでオラクル兵の隊長らしき男がぎゃあぎゃあ喚いているが、手練の兵は追撃をして来ようとはしていない。
 じっと、こちらを見ている。面覆いのせいで顔は見えないが、ルークの言葉の真偽を確かめるようにこちらを眺めているのだろうと思う。


「とある秘預言の一文に、キムラスカ・ランバルディアの陣営はルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し、とある。そこの隊長は知ってたんだろう? モースにじきじきに教えてもらったか?」


 ルークの言葉にオラクル兵は驚愕し、しかし後ろを振り返りルークから視線を逸らすような愚は冒さない。ただ、何故お前が知っている、という隊長の言葉で確信を抱いたのだろう。刃を握る手に小刻みな震えが走るが、それでも刃は下ろされなかった。


「そのスコアを知って、お前は、その民を逃がしたのか」

「そのまま放っておけばろくでもないことになると知っていて、放置できるかよ。気分悪りぃ」

「……逃がした村人はどこの住人だ」

「……エンゲーブ」

「…………!」


 ルークの言葉に、なぜかオラクル兵の動揺が一段と酷くなる。ルークが眉をひそめていると、いい加減に焦れてきたのか隊長が大声で喚きだした。


「殺せ! そいつをころせ! なぜ貴様のような得体の知れないものが、秘預言を知っている!? 我等とてこの戦争に出るときに特別にモース様にお教えいただいたものだというのに……秘預言を一介の教団員が知ることでも重罪ものを、一般人が知ろうとは!」

「隊長……」

「そいつを殺せ!」

「……できません」

「何を言っている! さっさと殺せ!」

「できません!」


 激しい拒絶に、隊長は顔を怒りに赤黒く染めて、そしてルークは不審な思いで目の前のオラクル兵を見ている。オラクル兵は首を振り、呻くように小声で悲鳴を上げていた。


「エンゲーブ……エンゲーブには、隊長、エンゲーブには私の親友と、恋人がいるのです!」

「殺せ……ソイツは! ユリアのスコアを狂わせようとしている男だぞ!」

「ですが! できません、この者がエンゲーブの住民を避難させていると言うのなら、私にはこの者を殺せません……!」

「貴様、それでもユリアのスコアを遵守する教団を守るオラクル兵の言葉か!」

「しかし、隊長!」

「殺せ!」

「無理です、できませ……」

「そうか。ならばお前が死ね」


 ひやりとした冷えた声に、オラクル兵がはっとして振り返ろうとした瞬間に、ルークが叫ぶ。


「―――――――――やめろ!」


 ルークがオラクル兵を突き飛ばすよりも先に、喚きながらこちらに近付いていたオラクル兵の隊長は剣を振り下ろした。至近距離だった。狙いは過たずルークに剣を突きつけていたオラクル兵の背中から胸を裂くように。

 先ほどルークが作り上げていた赤い噴水が吹き上がる。ばたばたとルークの頬にその赤が張り付き、オラクル兵の体がルークのほうへと倒れこんでくる。こんな状況だというのにルークは一瞬だけ我を忘れた。

 どくり、心臓が波打つ。
 フラッシュバック。


 赤い血しぶき。
 頬にかかる熱。
 こちらに倒れこむ誰か。


「ふん、敵を殺せぬとは軍律違反も甚だしい。ましてやユリアのスコアを狂わせるような男を見逃すなど……当然の罰だ」


 呆然とするルークを見て好機だと思ったのか、オラクル兵の隊長はにやりと笑い剣を振り上げて、そして躊躇いもなく力任せに振り下ろした。


「貴様もだ。世界の繁栄のために、スコアを狂わす要因は一つ残らずここで死ねぇ!」


 この後に途切れる命を確信し、オラクル兵の隊長は剣を振り下ろす。その刃がルークの脳天を勝ち割る直前、で止まった。何!? と驚きの声を上げる。其れはそうだろう。ルークは己の右手のみで剣を受け止めていた。
 否、違う。ルークが右手を上げて剣を止めるような動作をして、それを隊長が馬鹿なことをと笑いながらそのまま右手ごと斬り捨てようとしていた瞬間だった。彼の右手に触れた剣が、途中からぼきりと折れたのだ。


「何だ……っ!?」


 ルークの右手の平に光が灯っている。その光に触れた瞬間に、剣はまるで物質の結合がほどかれたようにへし折れたのだ。彼がゆらりと立ち上がる。左手には辛うじて剣が握られている。だらんと下げられていた左腕に力がこもり、ぎゅっと握りしめた瞬間、ルークが顔を上げた。
 その表情を見た瞬間、オラクル兵の隊長はひいっと恐怖に顔を引きつらせる。憤怒、憎悪、殺意。止むことの無い黒い感情が吹き荒れていて、一歩、ルークが足を踏み出すと腰をぬかして地面にしりもちをつく。


「な、な、な……何だ、貴様はぁっ!?」

「輪廻転生すら許さない」


 一歩一歩ゆっくりと歩みを進め、そして逃げようとするオラクル兵の隊長に近付いたルークは問答無用でその顔面を掴みあげた。


「貴様は魂すらも分解されて塵になれ」


 ルークの手の平に灯る光が強くなる。
 そしてやめろやめろやめろと喚く男の顔を冷酷に見下ろして、


「―――屑が」


 掴んでいた手のひらに力を込めた。









 エンゲーブの住人たちが橋を渡りきって、ティアと村人が先行していたアーチャーとジェイドに合流する直前のことだ。
 いつまで経ってもこちらと合流してこないルークをティアが内心で結構心配していれば、住民達の間でざわめきが過ぎる。ざわめきは後方から。恐らくは、やっとルークが合流できたのだろう。そう思ってほっとして、ルークならすぐに前方のアーチャーたちに合流しようとここを通るだろうと待っていた。しかしいくら待っても通らない。

 どうしたのかと不審に思っていると、慌てたような声で住民の一人が血相を変えてティアを呼びに来る。あの人たちを止めてください、と。

 嫌な予感がして走って後方へ向かえば、血まみれになったルークが村人の一人に掴みかかられているところだった。


「てめえ! マルス……マルスに何をしやがった!」

「俺はなにもしていない。こいつのこれは、こいつの隊長に斬られた傷だ」

「馬鹿をいうな、仲間同士が殺し合うもんか! こいつはなぁ、俺の妹の……ニーナの恋人なんだよ! オラクルんなかでも剣の腕も確かで、そんなにほいほい誰かに斬られるようなやつじゃねえんだ! お前のその身体中の切傷、それは全部こいつに付けられたんじゃねえのか! お前だろう、お前がマルスをこんなにしたんだろうが!! ええ!?」

「だから、俺は何もしていない」

「待ちなさい! 何があったの!?」


 ティアが声をかけるとすぐに村人はルークの首元から手を離し、ティアに縋りつくような声を上げた。


「治癒師(ヒーラー)の嬢ちゃん、頼む、このオラクル兵を助けてくれ! 俺の親友なんだよ! 頼む、来月には妹と……ニーナと結婚するんだ! 頼む、助けてくれ!」


 村人の一人の必死の懇願に、ティアは彼らの足もとで寝かされているオラクル兵を見た。かなり傷が深いが、もともと鍛えていたせいか、まだかすかに息がある。住民の内の何人かが必死に包帯を使い止血しているが、傷が深すぎて間に合っていない。
 ティアはすぐにオラクル兵の近くにひざまずき、治癒術をかける。緑の光が傷を治していくが、かなりの深手だった。はたしてもつかどうか、これは本人の生命力しだいと言ったところだ。

 何があったのだとルークに目で問えば、ルークはゆっくりと瞬きをして酷く冷静に呟く。


「森にオラクルの伏兵がいた。戦いになって、色々あって、そいつがオラクルの隊長に斬られた。まだ生きてて、エンゲーブに親友がいるから話したいっていわれて、連れてきたんだ。重くて引きずってきちまった途中で気を失ったけど」

「こんな怪我人を引きずってくるんじゃねえよ! もっと、ちゃんと、」

「俺の怪我は全部こいつにやられたんだぞ」

「だからって、ひきずるこたぁねえだろうが! 最低だぞ、アンタ!」

「違う、最後まで聞け。俺の体もかなり満身創痍なんだよ。そんな状態で自分よりも身長が高い鎧つきの人間を担げるもんか。それでも連れてくるなら引きずるしかないだろう」

「……それは……」

「連れてきただけありがたいと思え」

「……ってめえ、やっぱりてめえが……!」

「だから違うと……もういい。そう思いたいならそう思っておけ。別にいい」


 ルークは軽く手を振りそれだけを言うと、ざくざくとそのまま前方へと向かおうとする。


「ちょと待ちなさい、ルーク! あなたの怪我も治してから……」

「いい。グミでも齧りながら進んでいく。そいつの治療を気合入れてやっとけ」


 そうじゃないと色々煩そうだ。辛うじて音律士であるティアに聞き取れるくらいの声量で、ルークがぼやいた。その言葉を聞きティアは眉をひそめるも、今ここで問い詰めてはルークも村人達の感情を逆なでするようなことしか言わないだろう。むしろわざとそのような言葉を選んでいるようにも見えて、ティアは困惑する。
 あらかたの治癒を終えて、後は普通の応急処置でも大丈夫という段階になって、村人は拝み倒さんばかりの勢いでティアに感謝をしてくるが、しかし予断は許さずもうこれが治癒師に出来るギリギリで、これからは本人の生命力しだいだというと村人はぎりぎりと拳を握り締めた。

 そして深手のオラクル兵の手を握り、語りかけ始める。なあ、ニーナが待ってるんだぜ。今年には結婚するってお前言ってただろ。おい、いくらお前でも俺の妹泣かしたら承知しねえからな。なあおい、死ぬんじゃねえぞ、おおばかやろう。

 震える声で語りかける村人の言葉を聞きながら、怪我をろくに治療もせずにふらふらと歩いていっていたルークの背を追う。さほど走るでもなく、ルークを見つけた。しかし、近くの木に背を預けるようにして地べたに座り込んでいて、ティアは一気に頭に血が上る。


「ルーク!」

「…………ィア、…グ…ンツ?」
 
「ばか! 怪我してふらふらの状態で人をずっと引きずってまで連れてきて……治癒師の前で何やせ我慢してるのよ……っ!」

「うる、さ……いな。静かに、してくれ」


 ルークの声が酷く弱弱しいもので、その言葉で我に返ったティアはついつい大声になっていた自分を恥じた。軍人ならば感情は律するべし。そんな基礎を忘れてどうするのだと自分に言い聞かせ、彼の体中に刻まれた大小さまざまな傷を片っ端から癒していく。
 深いものは無いが、とにかく数が多く、その分だけ出血も多い。彼がフラフラになっているのも、このあたりが理由だろう。


「あなたが、もっとちゃんと普通に怪我をなおさせてくれたなら、こんなに言わないわ」

「平気だと思ってたんだ。なのに、こっちに戻ってきて、お前の顔みたらなぜか急に気が抜けた」

「……はい?」

「お前のせいだぞ」

「待ちなさい。あの、本当に意味が分からないんだけど……」

「知るか。俺だって訳がわからん」


 言い合いながらも、ティアの手は止まらない。てきぱきと治癒していく様子を見て、なるほど確かにこいつは優秀な治癒師(ヒーラー)だなと改めてルークは感心する。治った右手で軽く左目に触れると、かすかに痛みが走る。
 顔を顰めていると、すぐにティアにばれて低い声で名前を呼ばれた。ぎくりと肩を強張らせると、彼女は顔を近付かせて、間近で青の瞳がルークを睨みつけてくる。


「超振動を、使ったの?」

「馬鹿を言うな、使ってない。エミヤに散々パッセージリング意外では使うなと言われただろう」

「……本当に?」

「…………少し、使いかけたが……ギリギリで思いとどまったぞ」

「でも左眼は見せなさい」

「……好きにしろ」


 ルークの言葉通りに、ティアは彼の眼帯をほどく。表れた、彼の夕焼け色の髪と同じ赤い瞳はもう見慣れた。彼女が手を伸ばすと閉じられて、その瞼に手を置く様にして治癒術をかける。たしかに、損傷具合は酷くなく、彼が言うとおりに実際に超振動を放つほど使ったわけではないのだろう。
 一通り治癒術をかけ終わって、改めて彼の体をざっと見る。かけ忘れた場所がないかを捜していたら、ポツリとルークが彼女を呼んだ。どうしたのかと顔を上げれば、ルークは俯いていて顔を上げようとしていない。

 首を傾げて名前を呼び返そうとすれば、ルークの手が縋るようにティアの片腕を掴んで来た。ティアは驚き目を見張るが、ルークは俯いたままだ。


「なあ。俺、狂いそうになったら俺を止めてくれって、言ったよな」

「そう、ね。……確かにそう言ってたわね」

「ロッドで、なんて生ぬるい。なあ、もしも本当に狂いそうになったら、殺してでも止めてくれるか」

「……何を、言っているのよ」

「俺、今日、そうするしかないからとかやむを得ずとか、そう言うのじゃなくて……」


 私怨で人間を殺そうとしたんだ。ルークのその言葉にティアは驚く。腕を握る手が強くなるが、それを気にしていられないほど弱弱しく泣き出しそうな声に聞こえた。実際の彼の声は酷く乾いている。それでも、ティアにはそう聞こえた。俯いているから、彼の表情は分からない。
 声のままに泣き出しそうなのか、苦しそうなのか悲しそうなのか、それともまだ表情を上手く作れず無表情のままなのか。


「なあ、もしも俺がいつか狂って、人を殺しても笑ってる様になっちまったら」




―――その時は、おまえが俺を殺してくれる?



 ルークの言葉に、ティアの肩が小さく震えた。
 嫌な予感ばかりが、音もないまま彼女の心に降り積もる。




[15223] 48(戦争イベント・両ルート最終日)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:fd0c1b53
Date: 2010/03/28 00:08



 オラクル兵を消し飛ばそうとしたときだ。
 掴んでいた手のひらに力を込めて、あと一秒もせず魂すらも消し尽くそうとした時だった。


『――――大丈夫よ。あなたは自分で』


「……っ!」


 つい最近聞いた声が脳裏に蘇り、ルークは寸前で我に帰る。咄嗟に手を離した。呆然とする。オラクル兵の隊長が無様な声を上げて逃げていこうとして、反射的に思考が回る。ここで逃せば、場所が知られる。生かして逃すのは得策ではない。
 二度目の死神の鎌は完全なる理性の下に振り下ろされた。未だに慣れない肉を断つときに手にかかる重み、血の匂いと断末魔。

 ぐらりとした。
 眩暈が酷くなる。


「………………俺、は」


 がたがたと手が震えだす。左手から剣がからりと落ちた。震える両手を見下ろす。緑の瞳に怯えが宿り、ルークの表情が歪む。
 先ほどの自分の激情を思い出す。至近で人が斬られると言うことがいつかの記憶に重なり、どうしても許せなかった。赦せなかったのだ。殺したいと、湧きあがる感情のままに人には過ぎた力を放とうとした。この力は、使いようによっては確かに何かを殺せる力でも、それでも命を奪うためにこの手にあるのではないはずなのに。


「防衛ですらない、人殺しじゃないか」


 憎悪で超振動を使い人を殺そうとした。何のためらいもなく、だ。今までは枷になってくれていたはずの殺さずの誓い、グレンの願いのひとつは自分で切り捨てた。枷も縛りもなくなったルークは、これからは己の意思と心で自戒を保たなくてはならない。


「俺は」


 大丈夫だと、彼女は言った。
 それでも確かに簡単に人の命を奪おうとするようになってしまっている自分がいる。


「……俺、は」


 あの声が蘇らずに感情のまま超振動を放っていれば―――きっと満足していたのだろう自分がいることを理解して、ルークは震える手で拳を握る。人を一人殺しておいて満足げに笑う自分を容易に想像できて、膝が崩れそうになるのを必死に堪える。

 感情が無いが故にルークは危うい。人を殺しても呵責が無いと言うのは、酷く不安定だ。一歩を踏み外してしまえば、簡単に人を殺す方法を手段の一つとして躊躇いもなく選ぶのだろう。そして奪った命に対して何も思うことなく、淡々と流してしまうのだ。そんな自分の可能性を改めて思い知り、ルークは必死になって自分が最も信頼する親友の名を呼ぶ。


「グレン、グレン、グレン……俺、俺は」


 優しいくせに不器用だと、意地っ張りなくせに結局優しいのだと、からかうようにルークをそう評して、そんなルークが嫌いではないと笑っていた親友の笑顔を思い出す。

 狂いたくない。狂いたくない、狂いたくない、狂ってしまった自分を、グレンに見せるわけにはいかない。だってグレンは馬鹿だから、馬鹿なくせにいつも要らない苦労ばかり背負い込んで、狂ってしまったルークを見ればきっといらぬ後悔と悔恨を終身背負い続けてしまうのだ。

 狂ってしまうなら、いっそ。


『それとも怖い?』


 ああ、怖い。怖いよ。いつか人を殺しても笑って流せるような人間になってしまいそうで、そんな自分が怖くてたまらない。そんな自分を見れば嘆き苦しむだろうグレンを思うとやりきれない。つい先日の記憶、手を包んでいた温もりを思い出しながら、ルークは唇を小さく動かす。
 その唇から零れた名前は一人の少女の名前で、けれど声は小さすぎて音にならなかった。
 もう一度、どこか縋るように名前を呼び、そして口元を歪めてポツリと落とす。


「これ以上イカレちまったら、その時は」


 凛とした、青い瞳を思い浮かべる。
 生真面目で意志の強い瞳だ。


「……お前は俺を殺してくれる?」


 強がりの上手いお前なら、常に兵の模範たろうとするその沈着さで、狂った俺を心揺らさずその手で止めてくれるだろうか。




* * *





 噴水。町中を流れる水音。水上の帝都■■■■■■。風の囁き。飛んでゆく雲は途切れ途切れ。誰かと笑う誰か。後姿を遠目に見て、目をこらす。見たことがある気がする。あの二人を知っている? どうしてだろう。知らないのに、知っている気がした。声がする。歌をねだった彼に、隣に座る少女が何事かを言っている。

 風が吹く。

 一瞬だけ、その二人の横顔が見えた気がした。


「……?」


 見えているはずなのに、その姿が見えない。■くなった■色の髪と、■の瞳。その青年の隣で笑う、■い瞳と■色の長い髪の少女。二人が話しているということは分かる。分かっているのだから、二人の声を聞いているはずなのにその声を記憶できない。音が記憶できない。色が記憶できない。二人の姿を認識できない。わからない。

 ただ、二人が何かを話していることだけは分かった。何の話をしているのか。近付こうとして、何かに腕を強く引かれた。振り返り、目を見開く。二人に近付こうとする己を止めようとしたその人物を見て、彼の表情は険しくなる。

 彼自身の赤い髪よりも明るい色の長髪。眼帯に片方が隠された翡翠の緑。


「――――やめておけ」

「てめえは……っ」

「勝手にあれこれ覗いていいもんじゃない」


 俺も、お前も、所詮はこの世界では部外者でしかないんだから。自分とよく似た顔を持つ彼は、静かに呟き瞼を伏せた。これ以上あの二人を見ないように、とでも思っているのだろう。
 ……訳が解らない。


「しかしまさかお前が『ここ』に来るとはな。俺とお前なら分かるが……いや、完全に開きはしなくても、引っかかりあって一応繋がってはいる。だからこそ、か」


 訳が解らない。


「検査結果を見るまでも無いということだな。くそ、時間がない」


 ここはどこだ。アレは誰だ。


「……まあいい。とにかくこれは覚めれば忘れろ。ここは、あの世界の二人だけの記憶だ。俺たちが覗き込んで勝手に覚えてていいもんじゃない」


 お前は何を言っている。


「夢を見たことは覚えていても、何の夢かは忘れてしまう。オリジナルルーク。こっちは俺が全部丸く納めてやるから忘れとけ」

「てめえ……」

「■■■の記憶は■■■だけのものだ。俺はあの時覗いてしまったが……だからと言って、お前も良いんじゃねえかとは言えないな」

「てめえは何を知っている……?」

「覚めれば忘れる」


 彼の言葉は宛ら呪縛のように。


「いいな、忘れるんだ」











「――――――っんの、レプリカぁ!」

「うわあ、何!?」


 ギョッとした声が聞こえて、アッシュはゆっくりと瞬きをした。辺りを見回せば、見慣れた野宿の景色。こちらを見ながらなにか危ないものでも見るような目つきのアニスに、アッシュは眉間に皺を寄せる。


「何をじろじろ見てやがる」

「いやじろじろって。っていうかぁー、突然叫んで飛び起きるとかさー。アッシュってば、いったいどんな夢みてたの、もー……起こそうとしたら急に奇声を上げるんだもん。あー、ちょービックリしたぁ、ほんとに……」

「奇声だと?」

「そうそう。パプリカ……あー、いやでもアッシュだしレプリカって言ったのかな。何アッシュ、ナタリアじゃなくてルークの夢でも見てたわけ?」

「夢……?」


 からかう口調のアニスの言葉に、普段なら機嫌悪そうに眉間に皺を寄せるものを、アッシュはふと難しい顔になり考え込む。ゆめをみていた。それは、はっきりと覚えている。何かを見ていた。誰かを見ていた。覚えているのに、思い出せない。
 眉間にとんでもない量の皺を寄せ真剣に考え出したアッシュを見て、アニスはおや? と怪訝な表情をする。てっきり何を言ってやがる! と怒鳴り散らすと思っていたのだが、苛苛してはいるようだがすぐ近くで自分をうかがっているアニスのことも気にしていない。
 ……アニスの存在を綺麗さっぱり脳内からはじき出しでもしているのだろうか。こやつ。本気で脳内構成ナタリアと国とヴァンとルークしかないのではないだろうか。


「雲と、空と……風? いや、水?」

「うは。なんていうか、そういうとこ、アッシュってばルークに似てるよね」

「なんだと? オイコラ、なんてこと言ってやがるテメぇ。俺をあんな」

「あんな屑と一緒にするな、って? はぁ……ルークもなんかぶっ飛んじゃったけど、アッシュが言うほど屑じゃないと思うけどねー」


 そう言って、パンパンと膝をたたいてアニスは立ち上がる。そろそろ日が昇る時刻だ。もうケセドニアまで目と鼻の先、出来るならばもうこれ以上どこの兵とも争いをしたくない一行は、視界が確保できるようになればいつでも出れるようにと準備をしていた。
 朝食をとればすぐにでも出る準備を皆していて、本日の朝食当番だったアニスはアッシュを呼びに来ていたのだが……珍しく寝過ごしているらしいアッシュを起こそうとしてあの状況になったのだ。ガイの前でルークの名前を出せば途端に誰かさんと誰かさんが険悪になるものだから、アニスがルークの名を出すのはイオンやジェイドの前でだけか、もしくはこういうときくらいしかない。

 ちらりと横目でアッシュを見れば、いかにも不機嫌そうな表情で嫌そうな顔をしている。


「なんかぁ、ルークも時々飛び起きて……そのくせ夢見てたことは覚えてたのに、なんの夢見てたっけー、なんて素で言ってたことが何回かあったし。実はアッシュとルークって似てないけど似てるんじゃないの?」

「なんだと……」

「あーもー、ちょっと思ったこと言ってみただけじゃん、そんな怖い顔しなでよー……あーあ、眉間のしわが消えなくなるとナタリアに振られるよ?」

「双牙斬!」

「はぅあ、マジ切れ!?」


 あーもう、アッシュってば冗談通じないんだから月夜ばかりと……もごもご、ニンジン料理楽しみにしといてよね! あ、それと朝食できてるからさっさと食べろよコノヤロー。今からでもタコをトッピングに……
 ぶつぶつぼやき微妙に途中で黒い言葉を吐きつつ、アニスは去っていく。その背を見送り、アッシュはふんと鼻を鳴らしこれからの進行方向を見据える。
 夢を見ていた。それは覚えいているが、内容を綺麗さっぱり忘れてしまった。妙に印象深い夢の気がしたのだが……しかし、忘れてしまったのなら覚える必要がなかったということなのだろう。

 気分を入れ替える。ほかの事に気をとられていては、戦場を突っ切るという無茶をしているさなかでは簡単に命取りになってしまう。恐らくは今日中にでも着くだろう。

 ケセドニアまで、あとわずか。



* * *


 行軍は遅れに遅れていた。一日分の誤差。まだこれだけですんでいるだけで助かっているにはいるのだが、しかし食料の問題がそうはいかない。既に五日目の朝の時分で、四日分の食料は尽きている。
 五日目の昼。ケセドニアまであとわずか、目と鼻の先、そこまで行ければどうにでもなる。しかし昼の分はもう無い。いくらアーチャーが無駄などない節約料理を行ったとしても、ずっと歩き通しの男ばかりの行軍では食料の節約もあったものではない。それでもここまでも足せたのはアーチャーの野営料理の腕故だが、そんなことは知ったことではないという住民の反発は強くなっていた。


「いい加減にしろ! もうくたくたで食事もでない、これでもまだ歩けってのか!」

「お前たちが残っても投降しても危険だというから着いてきたんだぞ! ちゃんとしてくれなきゃ困るじゃないか!」

「森の中を歩いているから速度が遅い? なら、森の中を歩かなきゃいいだろう! 街道を歩けばもっと早くいけたんじゃないのか!」

「そうだそうだ、食事が出ないならせめて休憩だけでも入れやがれ!」


 口々に言い募り、すごい剣幕でこちらに詰め寄る住民に対してルークは渋い顔をする。


「それはできない。いいか、俺たちは散々ここに伏せいているオラクル兵を斬り捨ててきて、いい加減に音信普通になった部隊に対する捜索班が出ているはずだ。ゆっくりとしていたらそいつらに追いつかれる可能性があるし、それに近くで街道沿いにキムラスカ軍とマルクト軍が対峙している。わざわざのこのこ戦場のど真ん中を横断するなど正気の沙汰では無いし、そんな死にたがりな行動などできない。俺はまだ死にたくない」

「しかし俺たちもいい加減にくたくたなんだ! 休憩を……!」

「だから、せめてここからあと一時間も歩いたらすぐにでも休憩を入れる。しかし今は場所が悪すぎる。離れるべきだ」

「だが……」

「くどい。五人十人のわがままで、他の何十何百もの人間を危険にさらすわけにはいかない。一時間後に、少し長めに休憩は取る。それまで辛抱しろ」


 ルークは駄々をこねる子どもに何度も言い聞かせる心境で、いい加減にうんざりしていた。今日の起き抜けに先行するにしては顔色が悪すぎるとアーチャーに言われ、無理やり役目を代わられたのだ。視力が良すぎるほど良いアーチャーに比べれば確かに精度は落ちるが、それでもできないことは無いし、それに既に危険地域は大方抜けている。

 あと注意するのは、キムラスカとマルクトのぶつかり合いによって生まれた敗残兵がこちらの森に飛び込んでくるかどうかで、それならまだ視力が必須と言う訳ではない。そう言うわけでアーチャーの代わりに空から戦況を眺めていて、しかし長時間空にいると風に当たり続けることと上空の温度に体が冷えては体力を消耗する。

 人外アーチャーとは違い、ルークの能力カテゴリはばっちり人並みなのだ。体力がない状態で体温も低下していては、するはずのないミスを犯してしまうかもしれない。そのため、時折地上に降りては五分ほど小休憩を挟みまた空へと昇っていたのだが、降りた時期が悪く鬱憤が溜まっていた住民達の抗議を受ける羽目になってしまった。


「だがそう言うおまえ自身はちょくちょく休憩してんじゃねえのか」

「そうだ、しかも歩きもしないでずっと魔物の背に乗ってるだろう」

「ひとには厳しく自分に甘くだなんざ反吐が出るな!」


 ごうごうと巻き起こる非難に、これではルークでなくともうんざりするだろう。そこまで言うならお前が魔物の背に乗って空の旅をして来いと言いそうになって、それをルークはすんでのところで押さえ込む。馬鹿なことを言ってはならない。魔物は人間に対して決して慣れない。
 ただアリエッタのお願いを聞いてこちらの言い分を聞き入れてくれているだけで、それでも魔物だから己よりも上位の強者にしか基本的に従わないのだ。村人を背に乗せればそれこそ弱者が己を踏むなどふざけるなと大暴れするだろう。余計なことは言わないが吉だ。


「一時間に五分の休憩はグリフィンの背に乗り空中から戦況把握する為の必須休憩だ。飼いならされた騎兵様の魔物意外は、手綱を付けられることを嫌がる。野生出身の魔物なら尚更が。よって、命綱も付けられない。そんな状況で上空に上るには休憩が必要だ。だから取っている」

「しかし、昨日までの……あの背の高い強面の兄ちゃんは休憩なんて取ってなかったぞ!」

「俺をあんな人外の体力レベルと一緒にするな」

「じゃあ何で今日はお前が魔物の背に乗ってるんだ!」

「先行では大方オラクル兵と斬りあう。今朝方、俺が起きたときの顔色がやたらに悪かったから心配したエミヤが交代だと言い張ったんだ。……空中視察で大方危険水準以上の場所は渡りきったからな」

「危険じゃないなら休憩くらい……」

「とんでもなく危険な場所はなんとか過ぎたが、それでも戦場に近い場所を通っているだけ危険は常にある。ここまでくればもう大丈夫など、慢心だ。痛い目を見ることになる」


 ルークはいい加減に苛苛していた。既に地上に降りてから十分、ずっと捕まっている。そしてその間立ち止まり続けているのだ。これがまだ歩きながらならここまで苛立ちはしないのだが、ルークがすたすた歩いていこうとすればこれ見よがしに座り込んで勝手に休もうとするのだ。
 いや、ブチブチ文句を言いながらそのあいだだけでも休んでしまおうという、こちらに言いがかりをつけている一部の策略なのかもしれないが。

 ……今まで先行では散々殺し合いをしてきたが、後方の住民達には危険も特にないままここまできてしまった。変な安心感を持たせすぎたのかもしれない。積もる不満と、それでもどうにかしてくれるだろうという全く持ってありがたくない変な期待とが重なってしまったが故の弊害だ。
 何かあってもこいつがどうにかしてくれる、などとんでもない他力本願だ。何かが起こってしまう前に、自分達で動こうとしてくれなくてはこちらとて守りきれるわけもないのに。


「いい加減にしてくれ。もう十分近く話し込んで足が止まっている。これ以上は他のやつ等と離れすぎる。ただでさえ綱渡りの住民移動が前後に分かれるなど馬鹿のすることだ。それに俺には守りのすべは無い。譜歌を歌えるのはあいつだけなんだから、離れるのは危険だ。もう行くぞ」

「ああ? 危険だって分かりきってるのに移動してくれって言ってきたのはそっちだろ?」

「そうだそうだ、お前らの生活費は俺らの金からでてるんだろうが。なら、危なくなったら俺らを命はって守るのがお前の仕事だろう!」

「…あんたら勘違いしてるようだから言うが、俺はマルクトの軍人じゃないぞ。というか、軍服着てないだろう」

「そりゃ分かってるさ! だが、あんたは初めからずっと教団の軍人の姉ちゃんと一緒にいたな。ならあんたも教団の人間なんだろう? 教団の金は俺たちの寄付でまかなってるんだ、払ってる分の金分働けってんだ!」

「………………」


 さて、ここで俺はダアトの人間でも教団の人間気もないというのは簡単だが。では、じゃあお前はまさかキムラスカの人間なのかと悟られてはもっと面倒になりそうだ。そもそも、たしかにローレライ教団の財源は信者達からの寄付だが、それはあくまでも寄付で義務の納税ではない。
 それでも金を納めているのは信者達の自由なのだから、金を払ってやってるんだからいざとなったら命をかけても守れなどと少し違うのではないだろうか。それとも、義務でもなく己の意思で払っているという意思があるからこその物言いなのか。

 どちらにしろ、教団ともマルクトとも関係のない、むしろキムラスカのしかも王室関係者であるルークにはまるで意味のない言いがかりでしかない。しかも随分と低レベルの言いがかりだ。

 痛みを訴える頭を抑えて溜息を吐けば、いかにも呆れているという動作に反抗心がむくむくとわきあがってきたのか、ここで駄々を捏ねている住人達が一層騒ぎ立てる。


「……ここで騒ぎを起こしていては下手をすればキムラスカ兵に見つかるぞ。静かにしろ」

「何言ってんだ! こんなとこまでキムラスカ兵なんか来るもんか!」

「そうだそうだ、お前たちが来ないって言ったから森の中なんてわざわざ悪路を通ってるんだろう!」

「違う。街道や平原をぞろぞろ歩くよりは兵の目に付かないから、だ。見つからないとは言っていないし、危険がないとも言った覚えは無い」

「言葉遊びをしてるわけじゃねえんだよ!」

「だから―――」


 ふと、ルークの感覚が何かを捕らえた。それはほとんど勘と言ってもいいもので、咄嗟にルークは目の前に居た何人かをまとめて突き飛ばす。時分よりもいくらかがたいのいい大の大人だが、戦闘をするために鍛えているルークの突き飛ばしはなかなか威力が大きかったようで、悲鳴を上げながら後ろの何人かを巻き添えにして転げる。
 何をするんだと怒り狂って声を上げる前に、ルークの鋭い声が響いた。


「他のヤツラも伏せろ!」


 その言葉が終わったか終わらないかの時間差で、ごう、と一箇所からすごい勢いで炎が噴出された。ルークが突き飛ばしたおかげで被害は少なかったが、何が何やらわからないまま炎に撒かれたものが一人二人いて、悲鳴を上げて地面をのた打ち回っている。
 周りの住民の一部が大慌てで地面の砂を書けたり服をばたばた打ち付けて火を消そうとしているが、譜術をまぜた特殊な譜業兵器から出された炎はなかなかしぶとく消えずらい。

 やがて肉の焼ける匂いが充満し、村人の悲鳴は一層酷くなる。


「がああああああああああ、あああああ! …………っ! が、アアアアアアア!」

「おい!」「何だ!」「どうなってんだよ!?」「ひいいい!」


 めいめいに騒ぎ酷い混乱状態の村人達を見て、舌打ちをする。一番近いティアを呼ぶべきだろうか? いや、ここに兵がいるということは、もしかしたらあちらのほうにもいくらか兵が行っているかもしれない。可能性は低いが、ないとは言い切れない。そしてあちらにはここにいる住民の何倍もの人間がいるのだ、そこを離れさせるわけにはいかない。
 ならばとグリフィンにアーチャーを連れてきてくれるようにと念じる。ミュウから借り受けたソーサラーリングのおかげで、ぎりぎり意思の疎通はできるようになっている。一声上げてグリフィンが飛んでいくのを見送るまでもなく、今にも蜘蛛の子を散らすように走り逃げそうな住民達を一喝する。


「騒ぐな、喚くな、死にたくなければ大人しくしろ!」


 逃げ惑う住民に刃を下ろそうとしていたキムラスカ兵に剣を向けて、思い切り奮う。ずぐん、と嫌な音がしてその兵の首と胴体が離れてとんだ。同じくすばやい動作で二人ほどを斬り捨てる。……余計な殺しだ。ここで住民たちが駄々を捏ねて騒がなければ殺さずにすんでいたかもしれないものを。
 キムラスカ兵の血を頭から浴びながら、じろりと住民を睨みつければひいっと息を飲む住人たち。バケモノ、ヒトゴロシ。音もなく動いた唇に、知ったことじゃないと吐き捨てる。


「怪我人を背負ってさっさとあいつらのところへ合流しろ」


 命をかけて守れといった。今の状況で守れというのは、つまりは守るために襲ってきた相手を殺してでも自分を守れということだろうに、それを理解もせずに言っていたのか。
 何が人殺しだ。あちらは殺すのはよくてこちらは駄目だとでも言いたいのか。それでもルークにはまだ叶えるまで死ねない願いがあるのだ。それを叶えるまでなら、顔を知らない誰かの泣き顔をどれだけ築いても死ぬわけにはいかない。

 ふと、どこかで似た物言いを思い出す。タルタロス。グレンとその従者の言葉にずっと迷い、そして決意をしたときのことを思い出してなんとなく、遠いな、と思った。あの頃に比べると、随分と遠い場所にまで来てしまった気がする。

 今までここまで悲惨な殺し合いを見たことのなかった住民達の思考回路は、もしかしたらいつかのルークの思考に似ていないこともないかもしれない。

 いつかのルークも、目の前で殺されていく人間を見るのは気分が悪かった。ルークの代わりにひとを殺したグレンやアーチャーをバケモノ、ヒトゴロシだとは思いはしなかった部分だけは村人達とは違っているだろうが。


「いつまでほうけている……さっさと動け、死にたいのか!」


 ルークの本気の怒声に、住民達は顔を恐怖に歪めて逃げていく。それでも同じ村の住人同士という繋がりはある分、何とか炎に撒かれていた住民を連れて行っているだけマシなのかもしれない。しかし。

 十中八九、あの二人はもう無理だろう。生き残ったとしても全身に酷い火傷の跡が残り、そして何かしら障害が残るかもしれない。自業自得といえば自業自得だったかもしれないが、それでもルークが住民の喉下にそれこそ剣を突きつけてさっさと歩けとでも脅しかけるまでしていれば―――


「いや、そこまですれば逆に反抗が酷くなっていただけか……」


 最後の一日だったというのに、本当に上手く行かない。せっかく今まで被害を0にしていたというのに。本当に最後の最後でドジを踏む。溜息と後悔は一瞬、後は戦場には不要だ。意識を研ぎ澄ませて、剣を握る。
 ごう、と再び襲ってきた炎を飛んで避け、その炎の出所に一瞬で近付き譜業機械を背負っていたキムラスカ兵を一刀の下に斬り伏せた。

 そしてそのキムラスカ兵が背負っていた火炎装置を上空に蹴り上げて、近くで倒れていたキムラスカ兵の剣を引っつかんでその装置に投げつける。

 がきん、とぶつかり合う音の後剣は機械を突き刺し、低めの上空で小規模な爆音が鳴り響いた。


「何事だ!?」


 がしゃんがしゃんと具足の音を響かせてキムラスカ兵が集まってくる。集まってくる方向的に、やはりティアたちが進んでいるはずの方向からも着ていることを確認して彼女を呼ばずに正解だったとほっとした。
 しかし、空中から見下ろした時に近くに兵の姿は見えなかったのだが、ほんの十分二十分の間にどうも戦況と言うのはなかなか大胆に変わるものらしい。油断をしていたつもりは無いが、それでもやはり慣れのようなものがでてきてしまっていたのだろうか。

 剣を握りなおし、一気に駆ける。一刀ごとに兵を斬り捨て死を撒き散らすそのさまは美しくも凄惨だ。吹き上がる赫、それを作り出す刃と翻る朱。

 オリジナルのような髪の色をするルークが大勢を相手取って孤軍奮闘していると、ルークを狙っていたキムラスカ兵が一気に四人ほど、突然倒れこむ。その後頭部に矢が突き刺さっていて、その角度から上空からの援護だと把握し一瞬だけ空を仰ぐ。
 やはりそこにいたのは想像通りだ。


「戯けが小僧、無事か!?」

「おせーんだよ、ったく」


 この状況でルークの名を出さないでいてくれたことに地味に感謝しつつ、ひらりとグリフィンの背から飛び降りてきたアーチャーと背中合わせになって一つ息を吐く。


「悪るいな、馬鹿やった。どうせ四日五日だからって住民の反感をそのままにしてた俺のミスだ」

「いや、私もいくら誰かに反感を持っていたからと言っても、まさか住民がこんな馬鹿をやるとは思ってもいなかったからな……」

「スコアをちょっと突っついただけで住民の反応はコレか。面倒くさいもんだ」

「中毒ではなくとも依存度はそれなりだ。世界全体が、だ。難儀なものさ」

「……ところでエミヤ、これ何人くらい居る?」

「一個中隊……三小隊は無いな、二小隊ほどか。約六十名前後……ふん、編成から見るにマルクトの右翼を狙ってこっそり移動していたのだろうよ。私達は森を川沿いに、こやつ等は森を平原沿いに、と言ったところか」

「……最後の最後で、運が悪い」

「気配もなく突然かち合わせよりはマシだろう」

「そうだな」


 アーチャーが双剣を握り締め気配を鋭くするのを感じて、ルークも改めて頭を切り替える。生き残る為の道に迷うな。一瞬の躊躇いも、命取りとなる。キムラスカ兵はこちらを警戒し剣をつきつけながらも、突然入ってきたアーチャーのいでたちにただならぬものを感じているのだろう、撤退の動きも見せている。
 さて、今の現状で撤退を見逃すのは吉か凶か。恐らくはあと一日でケセドニアには着くだろうが……いや、見逃したい、など甘えに過ぎない。この状況を招いていしまったのは慣れからでた油断からだ。


「私が四十人ほどを請け負う。そちらも二十人ほどはどうにかしてくれ」

「了解。頼りにしてるぜ、あいつの最強の相棒さんよ」

「いわれるまでもない」


 突然戦場に乱入してきた赤い外套の男は、先ほどのルークよりもさらに絶望的な死を撒き散らしていく。
 緑の豊かな森の一角が赤に染まるまで、それほど時間はかからなかった。






 ケセドニアまで、あとわずか。




[15223] 49(ケセドニア)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:fbc4d679
Date: 2010/04/04 11:26




 暗い場所だった。日の光はあまり入らない。『昼』と『夜』というものが外にはあるらしい。『昼』には『タイヨウ』が『空』という天井の向こうに広がる世界に昇っていて、光に溢れているそうだ。
 暗い部屋の隅で膝を抱えて蹲る『彼』は、それを知識だけで知っていた。いや、本当は一度だけこの目で見ているはずだった。ただ、その時はとにかく生きることに必死で……自分でも何をしていたのかよく覚えていない。

 記憶の始まりは歩いて、歩いて、歩いて、歩いていたこと。

 生まれたかとおもえば必要ないと廃棄され、仲間たちが悲鳴を上げることもなく溶けて消えていく中で、彼は生き延びた。だから歩いた。どうしてそうだったのかは解らない。どう動いてどう逃れたのかは解らない。ただ気づけば熱い場所ではなく冷たい森の中にいて、夜になれば凶暴性を増す魔物に怯えて世界をさまよった。

 知識は無い。ただ本能のみで歩き続けて、自分以外の生きている『人間』に出会った。驚いた顔をして、しかしにやりと笑ったその表情の意味を、彼はまだよくわかっていなかった。そもそも言葉の意味を理解していなかったんだから仕方ないといえば仕方ないかもしれない。


『ほう……これは拾い物だ。ダアト式封呪を七番目ほど使えずとも第七音素の素養はある。ふん、ここまで生き意地があれば何かに使えるかもしれんな』


 人ではなく、ものを見る目だと今なら分かる。冷たい目の色をした瞳が上から見下ろして、腕を掴まれる。連れて行かれたのは暗い部屋。


『ヴァンも私がまさかこのような予備を持っているとは思うまい』


 それからどれだけの時間が流れたのか分からない。
 ずっと暗い場所だった。誰も来ない。彼意外は誰もいない場所。時折気まぐれのようにモースがやってくるだけで、食事さえ扉の小窓から差し入れられるだけだった。人とあったことがなかった。

 だから、その時は本当にびっくりしたのだ。





「こんなところに居たのか」


 扉を蹴破って入ってきたのは鮮やかな赤色。片目を黒い眼帯で覆い、もう片側から覗く瞳の色は緑色。
 この部屋は閉じ込められた人間が逃げ出さないようにと、採光のための窓すらなかった。だからよく分からなかったのだが、どうやら時刻は夕刻だったようで、目の前に立つ存在の髪の色と似た色の光が世界に満ちている。

 太陽も夜も昼も夕焼けも、彼は何も知らなかった。
 しかし見たのがはじめてだったからこそ、その色が記憶に焼きつく。


「ロー、レライ?」


 気づけば唇から言葉が零れて、彼は自分自身の言葉に首を捻る。
 ろーれらい? 『ろーれらい』ってなんなんだろう。モースが何かを言っていた時に聞いた気がする。けれど、考えて思い出さなければ解らないような単語が、どうして勝手に口から零れたのか。分からず、けれどやはり視線も逸らせず。じっと己のほうを見つめてくる瞳に、ルークは小さく頭を振る。


「ローレライか。確かに体の構成音素的には同じかもしれないが、俺はそいつじゃない。俺は、ルークレプリカ」

「レプリカ……ぼくと、同じ……」

「そうだ、俺もレプリカだ。識別名称が無いと不便だから、そのまま名前を借りている。俺はルークと呼んでくれ、フローリアン」

「ふろ……?」

「……ああそうか、分かるわけがないか。お前の名前だ、フローリアン」

「……フローリ、アン……? なまえ……」


 彼―――フローリアンは、この時の燃え立つような世界の赤を忘れない。
 呆然と呟くフローリアンにそうだと頷き手を差し出し、暗いだけの狭い場所から大きな外の世界へ連れて行ってくれたルークの、その言葉と共に。


「お前は今日からフローリアンだ。ほら、さっさとここからでるぞ」

「――――」


 その言葉が始まりで、彼は三番目のレプリカイオンからフローリアンという自分自身になれたのだ。
 差し出された手をとる。握った手は剣ダコでごつごつしていて案外大きくて、そして温かい。手を引かれるままついていけば、拡がる外の世界は大きく、空は手に届かないほど遠い。

 今まで狭いくらい部屋の中しか知らないフローリアンには全てが未知で、怯えて足を止めそうになる彼の手を引き、ルークは一度振り返り、そしてすぐに前を向く。


「ようこそ、世界へ。フローリアン」







「『残酷で理不尽で生きる人間は醜悪ばかりの、それでもどうしようもなく時折優しく美しい、この世界へ』」


 ポツリと溢した。その声の調子はいつもの無邪気なものよりも酷く大人びていて、どこか記憶の中の誰かの声に似ている。その言葉を落とした少年のすぐとなりに座っていた少女は驚き、ぎゅっと人形を抱きしめる力を強くしてうかがうように少年の名前を呼ぶ。


「……フローリアン? どうしたん、です……か?」

「ルークが言ってたんだ。僕をモースのところから連れて行ってくれたとき、すっごい小声で」

「ルーク、が……」

「うん。聞こえてないと思ってたのかなぁ、ルークってちょっと間抜けなところあるよね」


 場所はアルビオールの船内の一室。イオンと同じ顔の人間がエンゲーブの住民の前に顔を出すのは色々と問題があるとルークによくよく言い含められて、フローリアンは大人しく船室の一室に閉じこもっている。
 ミュウはエンゲーブの子ども達に大人気で、ともすれば探検だとあちこちに言ってしまいそうな子どもの相手をして、上手いことフローリアンと接触しないように気を引いてくれていた。ルークにフローリアンのことを頼むぞ、と何度も念を押されていたからか気合が入っていて、子どもにもみくちゃにされても健気に相手をしている。

 ミュウは子どもの相手、ノエルは操縦とそのほかにもいろいろとすることがあったため、彼の護衛と船室に閉じこもりきりの話し相手としてアリエッタがそこに居た。彼女の兄弟の魔物も誰彼と人を襲うほど無節操ではなく、今は大人しく室内で床に寝そべっている。

 フローリアンは、そんなアリエッタのライガに無邪気に抱きつく。仔ライガほどふわふわの毛むくじゃらではないが毛並みは綺麗で、手触りもいい。ぐりぐり額をこすりつけてその手触りを堪能しながら、フローリアンはくすくす笑いながら言葉を紡ぐ。


「たぶん……じゃなくて、コレは僕が勝手にそう思ってるだけなんだけどね? ルークってさ。たぶん、世界が好きじゃないんだよ」


 世界を残酷で理不尽だと、生きる人間は醜悪だと、そう吐き捨てた時の彼の声に込められた黒い感情をフローリアンは知っている。けれどその後の言葉がルークの本質だ。
 彼は世界の美しさを知っている。フローリアンがいまだ知らない世界の残酷さを、理不尽を、醜悪さを知って―――けれど優しい世界を知ってしまったルークは、世界を嫌いになれない。
 どれだけ痛めつけられても、詰られても、理不尽でどうしようもなくていい加減にしろと叫んでしまいたくなっても。彼に残ってしまった温かないつかの陽だまりの記憶が、彼自身の優しさを縛り付けて世界を嫌いにさせてくれないのだ。

 アルビオールの船室の窓から空を見て、話してくれたことがある。セントビナーの展望台から空を見たと言っていた。フローリアンの兄弟であるイオンと、名前しか知らないルークの親友だというグレンと、三人で展望台から空を見たと。

 当たり前に手は届かなかったけれどすごく遠くて、なのに近く見えて、でもやっぱり高かったな、と。
 本当に微かに口元に笑みを浮かべて空の青を見上げていたルークの表情を、フローリアンは知っている。


「でもね、僕は結構好きなんだ、この世界。だってルークに会えたし、エミヤにもティアにもノエルにもミュウにも会えたし、アリエッタにも会えたんだもん。それに、きっと、これから家族にも会える。ルークがあの場所から連れてきてくれたから、いっぱい怖かったり寒かったりしたけど、全部帳消し!」


 生まれた次にはもう要らないと火山に廃棄が決定されていた。それでも彼は無邪気に笑ってこの世界が好きだよと言い、俯くアリエッタに向かって問いの言葉を投げかける。


「ねえ、アリエッタは?」

「………………」

「アリエッタはこの世界、好き?」


 フローリアンの言葉に、アリエッタの瞳が揺れる。
 蘇るのは、自分をイオンと会わせてくれたヴァンの言葉だ。

 ……美しい街だったと言っていた。彼女自身は覚えていない。赤ん坊の頃だったのだ。知っているのは既に廃墟になった寂しい残骸ばかりが残る町の風景だけ。それでも、かつてはきれいな町だったのだろうとは思う。ヴァンの言葉のとおりに、きれいな町並みの活気のある島だったのだろう。
 町をもう一度蘇らせてくれると、約束した。彼女の本当の両親も町も復活させてくれると、確かに約束をした。昔のイオンもそんなヴァンに協力していて、……今のイオンは変わってしまったけれど。

 けれど、その復活は今ある世界をすべて否定してひっくり返してからではないと叶わないものなのだということはぼんやりと分かっていた。
 理不尽に故郷を奪われた。ホドの崩落の影響でフェレス島は滅びて、そのホドの崩落はスコアのために世界が見殺しにしたからだと、難しいことは知らなくてもそれだけはヴァンも昔のイオンも教えてくれた。

 答えなど決まっている。こんな世界。こんな世界、


「アリエッタ、は―――」


 口を開いて、けれど続く言葉が出なかった。口を閉じる。答えられない自分が信じられなかった。何故、どうして。すぐに思いつく。この世界は残酷だ。理不尽で冷たくて、ルークの言うとおりに醜悪なのだろう。

 けれど。

 それでも、この世界でなければアリエッタはイオンとは会えなかったかもしれない。

 ヴァンにも、リグレットにも、ラルゴにも、シンクにも、ディストやアッシュに会うこともなく―――もしも世界がもう少し優しくて、暖かくて、正しくて清らかであったなら、今ここに居るフローリアンにも会うことはなかったのかもしれない。
 強く美しい育ての親にも、つい最近生まれた可愛い兄妹たちにも、今となりに居てくれる魔物の兄弟たちにも会えなかったかもしれないのだ。

 この世界であったから失ってしまったものがあり、この世界であったからこそ会えた人がいる。この世界でなければずっと残って居ただろう温かなものが確かにある代わりに、この世界でなければ届かなかったであろうものも確かに存在する。

 それがどうしたと、それでもはっきりとこの世界を、故郷を見殺しにしたこの世界を否定することが……アリエッタには、できなかった。


「ねえ、アリエッタ……アリエッタは、この世界がすき?」


 無邪気な幼い子どもの声に、ふと深みが増す。

 まるでアリエッタがよく知る『彼』のようだ。アリエッタは息をのみフローリアンの顔を見る。フローリアンは静かに笑って、見守るように彼女を見ていた。その様子までまるでそっくりで、アリエッタは泣き出しそうになる。本当に、本当に記憶の中の彼とそっくりで。
 けれど、違う。違うのだ。顔も同じ、声も同じ、瞳の色も髪の色も背の高さも手のひらの暖かさもきっと同じだ。それでも、違う。見た目は本当に同じで、そっくりで、違うところを捜しても見つからないくらいそっくりで、それでも、どうしても、違うのだ。

 彼はフローリアンで、『彼』ではない。どれだけ見た目が同じでも、レプリカはオリジナルにはなれない、代わりにはならない、人として存在している限り自分としてでしか存在できない。どれだけそっくりに見た目を似せても、どれだけそっくりに構成されても、同じいつかを再生させることなど出来ない。

 そうだ、本当は、心のどこかで知っていた。分かっていた。兄弟達は何も言わずに傍にいてくれた。不安に気づかなかったことにして、知らないふりをした。違和感に確信を持ってしまえば、生きていく勇気がなかったから。

――――どれだけそっくりでも、オリジナルとレプリカだから違いが分かるというのではなくて。

 ただ、彼女にとってはそれが『彼』だからこそで。


「……ケセドニアで、………………イオン様、に、会ったら……」


 ルークが言っていた。ケセドニアにイオンが来ると。その時にあわせてやると。ゆっくりと話をさせてくれると、彼自身から話を聞けと、そう言っていた。
 ……『彼』は、そこで本当のことをすべて話してくれるだろうか。

 きっと、『彼』は。


「その後で、答えます……それじゃ、だめ、ですか?」

「うーん……いいよ! アリエッタが、ちゃんと答えてくれるならちょっとくらい遅くなってもいいや」


 フローリアンは先ほどまでの表情などまるで嘘のように、にっこりと無邪気に笑う。それは記憶の中の彼とはまるで違う表情で、やはり似ているくせに全く違う存在なのだと改めて思う。
 今見せている無邪気な表情と、誰かに似ているとても大人びたその表情と。本当の彼はどちらなのだろうか。


「フローリアン、は……何を知ってる、ですか?」

「えーっと、それはね」


 アルビオールに船内放送がかかる。もうすぐでケセドニアに着くといっていて、それをBGMに、くすくすと笑うフローリアンは自分の唇の前に指を置いて、内緒話をするかのように静かに小さく言葉を紡ぐ。


「アリエッタの『イオン』にとっては、アリエッタがすごく大切な人だってことしか知らないよ」





* * *




 意識がふっと浮き上がるような感覚がした。黒い世界が震えて、うっすらと瞼を開ける。どこかで息を呑むような音がして、マルス、と名前を呼ばれた。ぼんやりと視界を巡らせれば、そこに居るのは己の親友の姿だ。状況がつかめないが、辛うじて残っていた記憶を探りああと合点がいく。
 小さく笑い、こちらを泣き出しそうな目で見てくる親友に軽口を叩く。


「よう。どうやら私は死に損なったようだな。頑丈なものだ」

「っんの、大馬鹿野郎が……散々人を心配させやがって!」

「大声でがなるな。傷にさわるだろう?」

「うっせえ! こっちがどんだけ心配したと……てめえどんだけニーナがお前にベタぼれか知ってんだろうが、俺の妹を嫁かず後家にするつもりか!?」

「ははは……すまない。心配をかけた」


 なだめるために軽く親友の膝を叩くのだが、なにやら親友は今にも泣き出しそうなのを堪えているようで、低い声を出しながら唸っている。それだけ心配をかけていたということはやはりかなり危篤状態だったようだ。
 マルスはゆっくりと辺りを見回す。質素な一室……一室? よく考えれば自分が寝ているのはベッドの上だった。おかしい。彼の記憶は戦場真っ只中だったはずなのだが、どうしたのだろう。


「ここはどこだ?」

「そっか、お前ずっと起きずに寝てたもんな……ここはケセドニアのマルクト領側の宿屋だよ。感謝しろよてめえ、俺がずっとルグニカ平野から担いで来たんだからな」

「なに? ルグニカ平野は戦場―――」


 疑問の声を上げようとした瞬間、全てが鮮明に蘇る。咄嗟に飛び起きそうになり、そして傷む傷口にうめき声が零れた。慌てたマルスの親友が彼をベッドに寝かせつけた。


「赤い、髪の……炎の髪の剣士が居なかったか。彼はどこだ。私は、彼に……っ!」

「だあああ、まて、落ち着けって! お前の言う赤い髪のヤツなら、たぶんまだこの町に居る。そんなに話があるんなら後で俺が呼んできてやるから少し待てよ!」


 彼の親友は今にも現状を把握するために飛び起きて駆け回りそうなマルスを慌てて押し留め、立ち上がるんじゃないぞと何度も念を押して部屋から出て行った。その背を力なく見送り、ガクリと身体中の力を抜きベッドに背を預ける。


『―――――――――やめろ!』


 ……あの声がなければ、死んでいた。否、あの場所にあの青年が居なければ死んでいた。

 あの時。隊長から斬りかかられたあの時、青年が咄嗟に上げた声に反応して、本当に微かながらに隊長の剣筋から体を逸らせることが出来た。それでも深くは斬られてしまったが、即死しなかったのはあの声のおかげだ。
 そして、今生きているということは。彼は恐らく虫の息で助かる見込みも薄かった自分の願いを、移動しているエンゲーブの住民の中にいるだろう親友に、最期になるかもしれないのなら一目会っておきたい、と言った願いを聞き入れてくれたのだろう。

 あの場所から避難民のところまでどれだけ距離があったのかは解らない。それでも気を失ってしまった彼を、あの青年は途中で放り投げることなく律儀に連れて行って、しかも治療までしてくれたらしい。


「深くはなかったが、彼もかなり傷を受けていたはずだ……それでも、見捨てずに助けてくれたのか」


 マルスは小さく笑った。あの時、友軍に向けられた容赦のない斬撃を見て戦慄したことも本当だ。けれども、剣を突きつけた時に真っ向からこちらを睨みつけた、あの濁りのない真っ直ぐな翡翠の瞳に怒りに染まった剣先がふと押しとどめられたのも事実だ。
 スコアに危険を詠まれた住民の避難をさせるため。彼は人を守るために剣を握り振っていた。


「……それに比べて、私は―――」


 戦争を調停する為でもなく、どちらかに加担しさらに戦争を加速させる。そのような政治のために剣を握りたかったわけではない。
 ただ、日々のスコアを守り、そして皆が平穏に穏やかに笑って暮らせるようにと、ユリアが愛し導いてくれた今の世界を守ることが出来たらと、それだけを願って剣を習い教団へ入ったというのに。

 のろのろと片腕を上げて額の上に置き、ため息を吐く。

 その時ガチャリと部屋の扉が開いて、顔を向けた。そうすれば、そこに居たのは想像通りの赤い髪の青年、ではなく。マルスは怪訝な顔をする。どこかで見たことのある顔だ。
 どこだったかと考えて、ふと思い出す。


「あなたは、エンゲーブの……」

「はじめまして、ニーナちゃんと同級生だったマルコの父です」

「マルコ……ああ、ご本人には会ったことがありませんが、名前が一文字違いだと、彼女から名前は聞いています。頭がよくてクラスのリーダーで、世話好きだったと……」

「……はい」

「ご子息も貴方も、この住民移動に参加されていたんですか? お怪我は……」

「―――――――――マルコは、死にました」


 擦れるような声で、それでもはっきりと呟いた村人の言葉に、マルスは息を呑む。まさか、と呻くマルスに首を振り、村人は移動のせいではありません、と小さく答えた。


「導師を狙ってきた不逞のやからから彼をお守りするために、死んだそうです。マルコ、マルコは……マルコはっ! 昔、スコアラーに詠んでもらったんです! いつか高貴な方の力になれるだろうから、軍に入るようにと」

「それでは……」

「そうです! マルコは……息子は、スコアに殺されたようなもんです!」


 村人は両手でギリギリと拳を握り、震える声で吠える。隠し切れない憤りが声から気配からそこら中に溢れていて、マルスはそうですか、と静かに頷く。


「私は教団のオラクル兵です……私を殺しに来ましたか?」

「……いいえ。いいえ! ただ、俺は……スコアを守るための軍にいるあなたに、オラクル兵である貴方に聞きたいことがあったんです」

「聞きたいこと?」

「……スコアを守ったからこそ手に入れることが出来た幸福があったとして。そのまま守り続ければ不幸が来ると、知ったなら。出会えたはずの人と出会えなくなるかもしれなくとも、出会えたなら誰よりも愛したかもしれない人との可能性を奪っても―――」


―――軍に入って、任務先で出会ったんだ。助けてもらったよ。スコアを守ったおかげで会えたんだ。ユリア様のお導きだね。今度家にも連れてくるよ。母さん、ご馳走作ってくれる? おい親父、あんたはせめて髭くらいは剃っといてくれよな。


「……スコア、から……外れることは、罪でしょうか。それが死に往く定めを詠まれたスコアだと、知ってしまったら、そこから外れて生きる道を探すことは……罪なのでしょうか」

「―――――――――」


 つい先日のように思える息子の言葉を思い出しながら、村人はその疑問を喉から搾り出す。その疑問に黙然として目を閉じていたが、やがてマルスは瞳を開けた。


「“スコアとは、人を支配する為のものではなく、人が正しい未知を進むための道具に過ぎません”」

「!!」

「これは、改革派である導師イオンのお言葉です。いつか……大詠師モースとスコアに対して意見を交換していた時にそう呟いていたのを確かに聞きました。スコアは……幸せに、幸福に、正しく生きていけるようにと、そのための道具であるはずなのです。ですが、その道具のために命を失うなど……本末転倒だと、私は思います」

「ですが……ならば! なぜ、そう教えてくれなかったのですか! スコアラーは、軍に入ればマルコが死ななかったことを教えてくれなかった!」

「導師イオンのお言葉は、まだ新しい派閥の考えだからです。教団内部の事情なので守秘義務があるので上手く言えませんが……今までずっと教団の仲にあった考え方は、保守的で、死のスコアを詠むことを禁じてきたものです。そしてその遵守こそを善とする。導師のお考えは、まだ新しくその意思を受け取るものは少ない。
 ……ですが、そうですね。彼はこのようなことが起こり得ると考えたからこそ、スコアに振り回されるだけの今を憂いておられたのかもしれません」

「導師イオン……あの方が……マルコが、守った、あの方は……そうですか」

「…私も、ニーナの出会えたのはスコアに詠まれ軍に入ったからこそですが……」


 マルコと似ている状況に、村人の顔が上がる。その顔をみて、マルスは力強く笑った。


「例えば、軍に入ればいずれ死ぬと詠まれていたとして、私は軍に入らなかったとする。そうすれば、確かにニーナにはスコア通りに出会えないかもしれません……けれど、必ず私は彼女に出会う。世界中から必ず探し出して、私は愛する人に出会います」

「……随分と、情熱的な言葉ですね」


 村人の声は震えていた。からかう言葉にしようとして、震えを殺せず嗚咽が混じる。ボタボタと涙が流れ、それを隠すように両手で目を覆った。そんな村人に手を伸ばせないもどかしさを感じながらも、迷いもなく彼は言い切った。


「だから、貴方は間違えてなど居ない。大切な人が死ぬと分かれば、そうさせたくないと願うのは人として当然だ。守り続ければ手に入るはずのものが亡くなってしまうとして、それでも……生きているのなら―――」

「そう、ですね。そうだ。そうだったんだ……もっと、早く、知ることが出来たなら……良かった……」


 二人の間にしばし無言が満ちる。と、突如響くノックの音。まるで見計らったかのようなタイミングだと思い扉を向けば、扉が開いた状態のままで、扉に背を預けてこちらを見ている赤い髪の青年が居た。


「この世界では随分と刺激的な話をしているな。扉くらい閉めておいたほうがいいぞ。保守的な人間のほうが多いからな」


 まさしくタイミングをはかられていたらしい。扉を閉めて、ルークはマルスの枕元へと近寄ってくる。いったいつから聞いていたのか問いたかったが、赤い髪の青年……村人が、ルークさん、と呟いていたからおそらくはルークという青年は、肩をすくめた。


「仕方ないだろう。立ち聞きするつもりはなかったんだが……タイミング的に入りずらかったんだ。で、マルスと言ったか。アンタ、これからどうするつもりだ? 俺はアンタを助けはしたが、オラクルにとっちゃ戦場逃亡と同じだろう。隊長が部下を斬り殺そうとした、なんて証拠もないでは信じるものか」

「そうだな、私も進退を考えねばなるまいが……それよりも君に礼を言わねばと、」

「礼か……そんなのはいらない。忘れたのか、俺はアンタの仲間を散々斬り殺してるんだぞ」

「しかし、私を助けてくれただろう」


 穏やかな目をして、ありがとうと呟くマルスに、ルークは呆れた顔を隠そうともしない。


「あんたお人好しだろう」

「君ほどではないと思うのだが」

「どこがだ。ったく……おい、マルス。あんたは先刻の話を聞く限りは信用できると見た……命を助けたことに少しでも恩を感じてるなら、少し頼まれてくれないか」


 ルークが話すいくつかの言葉に、マルスは驚いた顔をしながらも頷く。それによしと返して、じゃあ頼むぜと言い置き部屋から出て行こうとした。そして、ふと振り返る。涙は落ち着いたらしい村人の、息子をスコアに殺された男に振り返る。
 あの時はただひたすらに混乱していて、絶望していて、何かに憤りをぶつけでもしなければ立っても居られなかったように見えたのだが……今では、憔悴しているがそれでもあの時とは違う目をしていた。

 ルークは扉のノブに手をかけたまま、静かに尋ねる。


「……あのときの問いの答えを聞こうか、マルコさんの親父さん。あんたはこれからスコアとどう接して生きていくつもりだ?」

「急に、今までの全てを変えるなどできやしませんや。……ですが」


 ふと、村人は宿屋の窓から空を見上げた。少し雲がかかっているが、今はまだ晴れている。そんな空を見上げて、小さく小さく、本当に小さく笑って答えた。


「この天気は、明日は雨が降るだろうから傘を準備しておかないと、とか。そういう、小さいことから自分で考えて―――いつかは、スコアに頼らなくても生きていけるようになりたいと……思ってますさ」

「……そうか」


 ルークはふっと息を吐く。笑ってはいなかったが、それでもどこかほっとしたような顔だった。


「じゃあ、俺は少し用事があるので失礼しよう……マルス、また後でな」

「ああ、分かった……ルーク殿、今度はエンゲーブの住民分だ。もう一度言っておく……助けてくれて、ありがとう」

「……なんでお前がエンゲーブの……まあ、いい。アンタみたいなお人好しに何言ったって無駄だろう」


 軽く手を振り、ルークは部屋から出て行く。町の住人に聞いたが、まだキムラスカとマルクトの国境付近で一騒動は起こっていなかったらしい。と、いうことは、偽姫騒動はこれから起こるのだろう。少しこちらの日程が遅かったのが気になったのだが……あちらもあちらで予想外に遅れていたのだろうか。
 まあなんにせよ、偽姫騒動が起きればイオンがモースについてダアトへと帰国するはずだ。ダアトに帰られると、六神将の目をくぐって連れ出しフローリアンと会わせるのは骨が折れる。今のルークにはモースはどうとでもなるし、インゴベルト陛下の状況も少し知っておきたい。

 つらつらと考えながら、状況を把握でそうな宿屋の屋根に上る。ぎらぎらと暑い日差しに辟易としながら、酒場の前辺りを監視し始め……ふと、空を見上げた。


「しかしありがとう、か……まさかエンゲーブの住人よりもオラクル兵に言われるとはな」


 世界は分からないな。
 小さく呟いた言葉が、太陽を弾く砂漠の町に溶けていった。








[15223] 50
Name: 東西南北◆90e02aed ID:0e5c4fb6
Date: 2010/04/12 00:02



「ルーク」

「イオンが離れた。そろそろ行く……エミヤ、頼んだぞ」

「……承知した。そのままアルビオールに連れて行けばよいのだな?」

「ああ」


 モースについて行くイオンがアッシュ達から離れたのを見て、後方から奇襲する。砂漠越えの上着のフードを目深に被り、突然のことに目をパチクリとするイオンに心の中で謝りつつ、アーチャーが肩に担いで連れて行く。ルークはモースの相手だ。
 凄まじい勢いでイオンはどこぞへと連れて行かれる。砂漠の町並みがすごい勢いで流れてゆき、普通なら解らないところでイオンはふと既視感を抱く。

 この速さ、この揺れ、そしてこのコーナーリング。妙に既視感が……ああ、これは。


「まさか、エミヤ殿……ですか?」

「…………………………黙秘権を行使させていただこう」

「やっぱりそうですか。お久しぶりです」

「今の私は怪しい誘拐犯Aだ。導師誘拐の実行犯に心当たりなどないように思ってくれ。導師イオン、君に会いたいという人たちがいる。用件が済めば確かに送り届けるから、それまでどうか付き合ってくれたまえ」

「はい、分かりました」

「……導師イオン。誘拐犯の私が言うのもアレだが、もう少し、こう……誘拐犯に挨拶をするのではなくて、もっと人を疑うとかだな……」

「エミヤ殿は、グレンの信頼できる相棒で、従者殿なんでしょう?」

「む……」

「僕があなたを疑う必要がないと判断するには、それで十分ですよ」


 穏やかな声で、けれどきっぱりと断言され、アーチャーはふっと小さくため息を吐いた。肩に担いでいる状態でイオンの表情は見えないが、きっと笑っているのだろう。ルークといい、イオンといい、グレンはよくよく信頼関係を築いていたらしい。
 もうここまでくれば追手も来ることは無いだろうと少しだけ走る速度を緩めて、イオンを軽く担ぎなおす。


「……今の私は誘拐犯Aだ。その信用は成立しない」

「そうですね。じゃあ、誘拐犯のはずなのに僕を心配する部分で人となりをみた、とうことにしておいてくれませんか?」

「……ふむ、喋ると舌を噛むぞ導師イオン。そろそろ静かに誘拐されておいてくれ」

「分かりました」


 誘拐犯と被害者にしては、なんとものんびりとしたやり取りだった。










 艦内の廊下は靴音が良く響く。その足音を耳ざとく聞き取り、そしてその歩幅の感覚から歩いているのが誰なのかをキッチリ聞き取り、フローリアンは首を傾げた。ひとつは、分かる。今まであった中で一番背が高くて、歩幅の大きい人だ。

 けれど、もう一つが誰か分からない。

 ルークよりも小さくて、ティアと同じくらい……? いや、でも確かティアの歩き方は軍人独特で、なんとなくこの歩き方は違う気がする。ノエルとも違う。誰なんだろう。今までが今までだった分、足音で誰が来たのかを測るのは特技の域なはずなのだが。
 うーんと彼が考えこんでいればノックの音。大抵は扉を開ける前に誰かを分かっているのだが……いや、一応この扉をノックしているのはアーチャーであろうとフローリアンも当たりをつけているのだが、それとは他に誰か知らない人が要るというのはなんだか新鮮だった。

 返事をして、扉を開ける。さあ誰がいるのかな、フローリアンがわくわくしながら扉を開ければ。


「お帰り、エミ……ん?」

「え」


 扉を開いたフローリアンと、その顔を見たアーチャーの少し後ろに立っていたイオンの視線が合って、両者共に固まる。数秒、両者共に無言。しかし次の瞬間にはフローリアンは満面の笑みを浮かべ、未だに混乱するイオンにガバリと抱きついた。


「うわあ!?」

「あはははは、弟、弟、弟だ! エミヤエミヤ、見て見て! 僕おにーちゃんなんだぞー!」

「エミヤ殿、あの、これは一体どういう……」

「それは本人が言うだろうさ。ほら、ちゃんと自己紹介したまえ」

「わかってるよう! イオン、はじめましてこんにちわ! 僕はね、フローリアンって言うんだ。生まれた順番は三番目。君のお兄ちゃんだよ」

「フローリ、アン……?」

「そ、フローリアンが僕の名前。……会いたかったよ、イオン」


 抱きついているだけだった手が動き、イオンの背を軽くぽんぽんと叩くように撫でる。それはまるで混乱するだけのイオンを宥めるような動作で、訳もなく落ち着いて、イオンはなんだか妙に泣きたくなった。恐る恐る両手を伸ばし、ぎゅっとその背に手を回す。


「生きて……た、ん、ですか?」

「うん」

「イオンレプリカは……僕の、仲間たちは……みんな、僕意外、皆……殺、されて……死んで、しまったものだと……っ!」


 よかった、と呻くようにイオンは呟き、ついに涙を溢してフローリアンを縋りつくように抱きしめる。


「ありがとう。ありがとう、生きていてくれて、ありがとう……フローリアン。僕、僕は……あなたに会えて、とても嬉しい」

「お礼を言いたいのはこっちだよ、イオン……」


 生きていてくれてありがとう。
 何度も何度も涙を流しながら呟くイオンの言葉が、フローリアンにとってはどれだけ嬉しい言葉であったのか、きっとイオン自身は知らないのだろう。いままでほけほけ笑うだけだったフローリアンの表情も泣き出しそうな笑顔が浮かぶ。

 フローリアンは、消えていく仲間達を見ていた。自我もないままザレッホ火山の火口へと、生きたまま突き落とされて溶けて消えていく仲間達を見ていた。その中から自分だけ逃げ出して、生き延びた。
 ……いや、ルークの言葉が真実ならもう一人、あの時同じ火口から逃げ出した弟がいるはずなのだが―――それでも、死んでいく仲間を見捨てて逃げ出して、自分だけが助かったのだと。
 ずっと、心のどこかでそう考えていた。
 だからこれも仕方のないことなのだとモースに監禁され、いつまた殺されるのではないかと怯えては彼の考えを必死になって測り、毎日を暗くて狭い場所で生きていた。

 ああ、泣きながら自分が生きていてくれたことを喜んでくれる人がいることの、なんと幸福なことか!


「でも、フローリアン……あなたは、今までどこに……?」

「モースにね、ちょっと閉じ込められてたんだ」

「……っ、そんな……」

「あはははは、そんな顔しないでよイオン。確かに暗くて狭くて寂しかったけど、ルークが出してくれて今ここにいるし。イオンにもあえて―――もう、一人じゃないから寂しくないよ」


 なんだかまた泣きそうになった顔をするイオンの頭をよしよしと撫でる。おお、これって僕今すごくお兄ちゃんっぽくないかとフローリアンが自画自賛していると、逆に頭を撫でられていろいろとこみ上げるものがあったのか、イオンはますます泣く寸前の顔になった。
 はれ? と、フローリアンは固まりおろおろと辺りを見回す。弟を上手く慰められないお兄ちゃんなんて格好悪いではないか。

 助けを求めてアーチャーの方をみれば、彼はやれやれと肩をすくめこちらにゆっくりと近付き、二人の背を軽く叩く。


「そら、落ち着きたまえ導師イオン。君が悲しそうな顔をするたびにフローリアンがどうしようかとうろたえているぞ」

「あ、エミヤ! 僕お兄ちゃんなんだからかっこ悪いこと言わないで!」

「フローリアン。自分は兄だからと張り切る気持ちがあるのも分かるが、君は君なのだ。君のままの君をイオンに見せるべきではないかね」

「そんな! 僕のかっこ良くて頼りがいのあるお兄ちゃんなイメージ作り計画が!」


 なんですか、それ。辛うじてイオンはついそう呟いてしまいそうになるのを堪える。どうやらフローリアンはそれはもう『お兄ちゃん』という言葉に憧れと言うか、理想と言うか、とにかくキラキラしたものを感じているらしい。
 フローリアンはどこまでも真剣な顔をしていて、アーチャーは苦笑するべきなのか皮肉に笑うべきなのか迷い、結局疲れたような溜め息を吐くことで落ち着いてしまった。


「……君もな、土台無理な話を、そう本気に真面目に叫ぶのはやめないか」

「『くーる』ってのが格好いいかなぁとか……」

「君が? クール? ふむ、よもや『ルーク』に語感が似ているだけで目指しているわけではあるまいな。きちんと辞書を引いてきちんと意味を調べたのかね?」

「イオン~、エミヤが虐めるううう!」

「え、あ、えっと……エミヤ殿、フローリアンは生まれてまだ二年なんです。優しくしてあげてください」

「そーだそーだ!」

「ふむ、やはりどちらかと言えば生まれた順番はとにかく導師イオンのほうがいかにも兄らしい―――」

「えええええええ、やーだー、僕がお兄ちゃんなの!」

「クールな人間は駄々など捏ねんぞ」

「エミヤの意地悪!」


 ぷーと頬を膨らませて愚痴るフローリアンと、その言葉をしれっと流すアーチャーと、その二人を見てイオンはつい小さく笑いを溢す。その声を耳ざとく聞き取ったフローリアンはアーチャーの方を半眼で見て、ほら笑われちゃったじゃないかと文句を言い、抱きついていた手を離し場を仕切りなおすように背筋を伸ばす。
 フローリアンはごほんと一つ咳払いして、手を差し出した。


「僕がここにいることを喜んでくれてありがとう、イオン。僕はフローリアン。これからもよろしく!」

「……こちらこそ。僕に会いたいと思ってくれてありがとう、フローリアン」


 七人作られた。レプリカの中で一人だけ役目を与えられて、廃棄を免れた。憎まれても何も言えないというのに、そんな一人だけ恵まれていた仲間を恨むでもなく会いたかったと言ってくれた。そのことが本当に嬉しくて、イオンは無邪気に笑うフローリアンを眩しいものを見るような気持ちで見つめ、その手を握る。
 嬉しいのに、嬉しすぎて泣いてしまいそうだ。人が涙を流すのは、悲しい時や辛い時ばかりだと思っていた。涙など、知識だけの存在だったのに。


「これからよろしくおねがいします、『兄さん』」

「……! へへ、うん、よろしく!」



* * *


 フローリアンとイオンとの会話が一段落ついたころを見計らって、アーチャーはイオンをさらに連れて行く。もう一人あってほしい人がいるのだと言われてイオンは首を傾げていたが、すぐに誰を指しているのかを理解したフローリアンは心構えだけはさせたほうがいいだろうと、待っている人の名を告げる。
 そうすればイオンは目を見開き驚いていたが、自分を落ち着けるように何度か深呼吸し、神妙に頷く。いつかは、ちゃんと話さなければと思っていました。そう言って機会を与えてくれたということに対してイオンは礼をいい、上げたその顔には覚悟が見えた。

 そんなイオンが心配で、フローリアンは途中までイオンについて行く。やがて着いた扉の向こう、この部屋にアリエッタがいるのだと言われたとき、イオンの体は一瞬強張った。気遣わしげに顔を覗き込むフローリアンに大丈夫だと言うのだが、イオンの笑顔は少しぎこちなくなっている。


「イオン」


 フローリアンは気づけば名前を呼んでいて、今まさに扉をノックしようとしていたイオンは頭の上に疑問符を浮かべてこちらを見ている。本当に、気づけば呼んでいたので、何を言うつもりだったのか、フローリアンは自分自身でよくわかっていない。


「えっと……がんばれ」


 結局口から出たのは、ありふれた励ましの言葉一言だけだ。
 けれどその言葉に、イオンは柔らかく笑って頷いた。

 扉の向こうに行ったイオンを見送りしばしの無言の後、フローリアンはふと傍らに立つアーチャーに視線を向ける。その視線に気づいたアーチャーはどうかしたのかとフローリアンの方を見返して、フローリアンは視線をそらし、じばらくしてから、意を決したように再びアーチャーの瞳を見つめる。


「エミヤ、一つ聞いてもいい?」

「なんだね」

「……嘘をつくのは、やっぱり、悪いことなのかな」


 フローリアンの言葉に、アーチャーはすっと目を細めた。何のつもりでこのようなことを聞いているのか考えてみるが、よく分からない。わからないが、このタイミングで聞いてくると言うことは、この部屋の中の二人に関することについてなのだろう。
 さて、どう答えるべきかと心中で唸りながら、「そうだな……」と口は勝手に動いている。


「一概に、一思いにはっきりと答えることなどできんだろう。誰かにとっての真実は誰かにとっては偽りでしかなく、誰かのにとっては偽りでもそれが真実だと信じている人もいる。偽りに救われる者もいれば、真実に苦しみ傷つく者も確かにいる。逆もまた然り」

「ふぅん……」

「……それでも、どれだけ柔らかな優しさから差し出された嘘でも、知って傷つくことになったとしても真実を知るべきだと言う人もいれば、そのまま覆い隠してしまった方が良いと言う人もいる。……嘘にもそう言う種類のものはある。一概に良し悪しは私では言えんな」


 一旦そこで言葉を切って、アーチャーはフローリアンのほうを向く。フローリアンはじっとこちらを見続けていて、常に前面に出ているいつもの無邪気さは鳴りを潜めている。どちらもが本質で、どちらもがありのままの彼だ。


「悪いこと、だけじゃない……?」

「ただし、忘れるな。それがどのような想いで成されたものであれ―――君が今から成そうとする類の嘘をつくならば、その嘘をついたと言う事実を、後生大事に背負い続けなければならないと言うことを」

「―――――」


 アーチャーの言葉に、フローリアンの瞳に動揺が浮かぶ。


「忘れるな、フローリアン。その場しのぎに『嘘をつく』ことはそんなに難しいことではない。しかし、何かのために『嘘をつき続ける』のは中々難しいぞ」

「……エミヤが言うなら、そうなんだろうね。でも、……僕がこれから吐く言葉は僕の勝手な嘘だけど、誰も知らないだけできっと真実だ」


 せめて、これ以上。世界を大嫌いになってしまっても、世界を恨んでしまわないように。
 フローリアンはノックも無しに、イオンが入っていった扉を音もなく押し開けた。



* * *


 イオンが扉を開けて入れば、寝そべるライガの横腹に背中を預けるようにして座り込んでいたアリエッタが顔を上げた。少女の顔が一瞬だけ強張り、小さく笑顔を浮かべる。その表情を見て、イオンは遣る瀬無い気持ちになった。
 ああ、無理をしているんだろう。イオンはなんとなくそう思い、悲しくなる。


「アリエッタ」

「……こうして、会うのは……久しぶり、ですね。…………イオン様」


 違う。久しぶり、ではない。初めてだ。ここにいる『イオン』と、アリエッタがこうしてゆっくりと話をするということは。なんと言えばいいのだろう。どういえばいいのだろう。どのように言葉を紡げば、己の言葉が彼女に伝わるのか。イオンは必死になって考えるが、上手い言葉は見つからない。
 出来るだけ傷つけたくは無いが、真実を話すと言うならば彼女を傷つけずになど不可能だろう。きっと苦しむ。泣いて、哀しむ。きっとそれが嫌で、オリジナルのイオンは彼女に何も言わなかったのだ。それを、レプリカの自分が狂わせていいものなのだろうか。

 ……けれど、このままで良い訳がないと言うのも、わかっている。今ここにいる『イオン』は、アリエッタの『導師イオン』ではないのだから。

 イオンは一度目を閉じて深呼吸し、緑の瞳で真っ直ぐにアリエッタを見る。心細そうに人形を抱きしめているアリエッタの姿に一瞬迷うが、このままではきっと誰の為にもならない。イオンも、アリエッタも、オリジナルのイオンも、誰もすくわれない。


「アリエッタ。僕は、あなたに……ずっと、話さなければいけないことがあったんです」


 知らなければいいこともあると思っていた。知らないままのほうがきっと幸せだと思っていた。けれど、このままじゃいけないよと言ってくれた人がいた。上手く言葉を伝えられないと臆病なことをいう自分に、大丈夫だよと、がんばれと頭を撫でてくれた友人がいた。
 きっと心のどこかで誰かにそう言ってもらえるのを、ずっと待っていたのだ。このままではいけない。それくらい、嫌になるほど分かっているのに動き出せなかった。

 背中を押してくれた人がいて、機会を与えてくれた人がいて、がんばれといってくれた人がいた。

 逃げるつもりは、もう、ない。聞きたくないと言われても何度でもわかってくれるまで話すつもりで臨む。しかしイオンが何かを言う前にイオン様は、とアリエッタのほうから言葉を発した。俯きがちの少女の声は酷く小さくて、うっかり気を抜けばすぐに聞き逃してしまう。
 イオンは一音も聞き逃さないように耳を澄ませる。


「フローリアンに、もう、会った……ですか?」

「はい……アリエッタは、フローリアンにどこまで話を聞いているんですか」

「何も、きいてない……です。フローリアンが、イオン様のレプリカの一人だってことしか、聞いてないです。イオン様から、話して、貰おうって……」


 ポツリポツリと溢すように言葉を紡ぐアリエッタは、ここで覚悟を決めたように顔を上げた。じっと、イオンの緑の瞳を見る。真っ直ぐなその視線に、イオンも逸らそうとはしない。


「フローリアンは。……イオン様にとって、何、ですか」


 ああ、きっと、この言葉は、彼女なりにずっと考えていたことなのだろう。
 こちらにとっても、一つの流れとして答えやすい問いだ。


「……彼は、僕にとって家族で、仲間で―――兄弟です。生まれた順番で言えば、僕は弟に当たるんでしょう。アリエッタ……僕は、フローリアンと同じイオンのレプリカ。七番目のレプリカイオンです」

「―――――――――」

「僕は、あなたのイオンではないんです。僕は」

「イオン様が、……イオン様が、変わっちゃった、のは……二年前、から、……その時から、もう……変わってた……ですか?」

「……そうです。あなたを導師守護役から解任したのは、僕にはあなたとの記憶がなかったからだったんです」

「…………………………」


 イオンの言葉に黙りこむアリエッタを、彼はただ静かに見ていた。そして、ふと感じた違和感が口からついて出る。


「思ってたより落ち着いてますね、アリエッタ」

「……フローリアンが、居たから……イオン様が、すり替わってたなんて思わなかったけど……変わっちゃったことには、気づいてたから」


 イオンが『変わった』ことには、気づいていた。それはちょうどアリエッタの代わりにアニスが導師守護役に任命された時からで、だからアニスのせいだと恨めしく思いもした。

 イオン様は、アリエッタのことが嫌いになっちゃったの?
 どうしてアリエッタが導師守護役を解任されたの?
 どうしてどうしてどうしてどうして!
 アニスが。アニスが、アリエッタのイオン様をとっちゃった……アニス、アニス、アニスが!


「…………ずっと、考えないように、してた、だけで……」


 誰かのせいにしたかった。何かのせいにして、かすかに感じた違和感に気づかない振りをした。だって、もしも、その違和感に気づいてしまったら。知ってしまえば、疑問が生まれる。


「……あなたは、イオン様だけど……アリエッタの、イオン様じゃ、ない…です」

「……そう、ですね」

「でも……でも、でも、それなら! あなたが、アリエッタのイオン様じゃないなら……アリエッタのイオン様は、どこに、いるですか?」

「……アリエッタ、」

「どうして、イオン様は……変わることをアリエッタに教えてくれなかったですか。何も言わずに、アリエッタの前からいなくなっちゃったですか。まるで……これじゃあ、まるで……っ!」


 考えたくなかった、気づきたくなかった、違和感など感じなかったふりをした理由は。


「……オリジナルの、導師イオンは―――今から二年前に、もう既に……」


 病で死んでいます。

 イオンの言葉が、しばらくはアリエッタの頭に届かなかった。予感はあったし、最悪の場合も想像は出来ていたし、むしろ『彼』がアリエッタに何も言わずにこんなことをしていたのなら『そう』なのだろうとは思っていた。
 それでも、そうかもしれないとは思っていたとしても、割り切れるかどうかなど別問題だ。


「うそ……」

「……………………」

「うそ、嘘……うそ、です。『イオン』……が、アリエッタ、を、驚かそうとしてる……だけ、です、ね?」

「二年前に僕達が作られたのは、導師であるオリジナルイオンが己の死期を悟ったからです。スコアに詠まれた最後の導師。その死を隠すために、僕達が……」

「嘘です! 嘘、嘘、嘘……お願い、……嘘、」

「……アリエッタ」

「嘘、うそうそうそうそ……っ!」




「――――――いいや、全部本当のことだよ」




 突然聞こえた静かな……イオンに良く似た、けれど違う声に、イオンとアリエッタは驚いて扉のほうを向く。後ろ手に扉を閉め、ゆっくりと歩いてくる、イオンとは違うもう一人のレプリカイオン。


「……フローリアン?」


 呆然と呟くイオンに、フローリアンは静かに笑う。それは、ついさっきまで見ていたはずの『くーるなお兄ちゃん』になりたがっていた、幼い無邪気な顔からは想像がつかないような表情だ。フローリアンはゆっくりと歩いてきて、アリエッタのすぐ前にまで来た。
 しかし、膝を折り目線を合わせるようなことはしない。ただ立ったまま、じっとアリエッタの顔をみて、呟くように声を出した。


「オリジナルイオンは、二年前に死んでるよ」

「やだ、嫌です……アリエッタ、聞きたくない!」

「病気だった。病気で死ぬのだとスコアにも詠まれていて、けれどその後の導師が誰かなんて詠まれてなくて、だからオリジナルイオンはモースとヴァンに協力して、僕たちを作ったんだ」

「嘘です! うそ……聞きたくない、です!」

「……フローリアン! 今はまだ、これ以上は……」


 耳を塞ぎ目を閉じていやいやと頭を振るアリエッタを案じて、イオンが諌めるように言う。恐らくはもう少し時間をかけてゆっくりと説得をするつもりだったのだ。確かに、アリエッタにとっての『イオン』は世界だったから、それを失うと言うことにこんなに急に受け入れることはできないだろう。
 そうするべきと思っても、しかしフローリアンは首を振る。諌めるように再び名前を呼ばれて、しかしフローリアンは少し目を伏せてごめんね、と心の中だけで呟いた。

 謝ったのは、アリエッタとイオンと、両方に対してだ。
 彼女を案じるがゆえに嘘をつく。
 それが許されることなのか、許されないことなのか。偽りを知り崩れそうになる少女がいることを知っていても真実を話すべきだと決心し、そして話したイオンの心を裏切ることになっているのか否か、フローリアンには判断できない。

 優しいイオンと泣いているアリエッタに心中で再び謝り、部屋の前で交わしたアーチャーの言葉を思い出しながらフローリアンは声に出す。


「アリエッタ。僕はね、オリジナルイオンの死に際を見ちゃったんだ」

「う、そ……」

「……僕が、モースに閉じ込められていたのは知ってるでしょう? まだあの頃は廃棄が決定される前で、本当に閉じ込められてる感じじゃなくて、ちょっとした軟禁状態だったんだ。だから、逃げ出そうとして、部屋から抜け出て―――迷いこんだ部屋に、病が重くなって今にも死にそうなオリジナルイオンがいた」


 嘘だ。そのような当時のフローリアンに、自我があるはずがない。あったとしてもそれはまだ酷く幼くて、一人脱走を企てようと出来るほどのものではない。そして、軟禁だとか生ぬるいような方法で閉じ込められたことなどない。監禁だ。狭く暗い逃げることの叶わない牢獄のような部屋に、ずっと閉じ込められていた。
 しかし生まれた順番的に当時のことについてなど知るはずもないイオンはフローリアンの嘘を見抜けず息を飲み、アリエッタはさらに激しく頭を振った。


「うそ……うそ! イオン様は、イオン様は死んでなんかない!」

「すごく弱ってて、意識も無くて、息は細かった。痩せてて、小さかった」


 嘘だ。そんなオリジナルなど知らない。モースが言うには、一度だけ会ったことがあるらしい。生まれたばかりで自我もろくろくない時で、まともに覚えてもいないが。それでも、その当時はまだオリジナルイオンもそれなりに元気だった頃のはずだ。
 そしてすぐに譜術的才能の劣化が見つかり研究所に閉じ込められていたのだから、痩せて弱ったオリジナルイオンなど一目たりとも見ていない。


「やだ、やだ、やだやだやだ! 聞きたくない、お願い、だから……っ!」

「――――目を覚まして、僕のほうを見て」


 嘘だ。フローリアンは、オリジナルイオンに会いなどしなかった。


「……アリエッタの名前を、呼んでたよ」


 けれど、憶測でしかなくとも、これだけは真実。

 確信を持って言える。もしもオリジナルイオンが一人病に死に往く時に、意識があったなら。
 最期に呼んだのは、きっと。


「え……?」

「謝ってた。でも、アリエッタはきっと泣いちゃうからこうするしかなかったんだって、オリジナルイオンの方こそ泣きそうになりながら謝ってた。それとも、泣いてたのかな。何度も何度も謝ってたよ」

「……イオン、様……」

「最期まで呼んでたのは、アリエッタの名前だった」

「………………っ!!」

「アリエッタが、アリエッタのイオンをすごく大切に思ってたのと同じくらいに、オリジナルイオンもアリエッタのことが大切で、だから何も言えなかったんだ」


 ついに堪えきれずに、アリエッタの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。何度も何度もしゃくりあげながら『イオン』を呼び涙を溢す。フローリアンはアリエッタの傍にしゃがみ込んで片手を握り、そしてイオンを呼ぶ。
 呼ばれたイオンは大人しくフローリアンに呼ばれるままアリエッタの傍に近づき、そしてフローリアンと同じようにアリエッタの片手を握る。そうすると泣き止むばかりかますます涙は零れる一方だ。けれど二人とも何も言わずに少女の手を握っていた。

 そうしてわんわんと泣き出した少女を眺めながら、フローリアンはずっと心中で謝っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。許してほしいとは言わない。嘘をついたと言う事実は、これから先ずっと後生大事に抱えて墓場まで持っていく覚悟はできている。それでも今この時だけは、声に出さずにでも謝らせて欲しかった。

 ごめんね、アリエッタ。ごめんなさい、オリジナルイオン。ごめん、イオン。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 俯いていると、ふと、アリエッタと握っていないほうの手に温もり。驚いてフローリアンが顔を上げれば、イオンがもう片方の手を握ってくれていた。ぱちくりと目を瞬かせるフローリアンにイオンは柔らかく笑って、握る手にぎゅっと力を込める。
 イオンは笑うだけで何も言わない。けれどその何もかもを許してくれそうな表情に、フローリアンまで泣きたくなる。


「フローリアン、アリエッタ。大丈夫ですよ、僕達は一人じゃない。一人じゃないから、今は泣いてもきっとまた立ち上がって歩いていける。大丈夫。だから、今は、思い切り泣いても良いんです」

「イオン様、イオン様、イオン様……!」

「……僕は、泣いてなんかないよ」

「そうですか? ……そうですね、でも、僕は今フローリアンも泣いてるみたいに見えたから」


 イオンの言葉に、フローリアンが握る手に力がこもる。アリエッタはそれどころではなくて気づいていないだろうが、イオンは気づいているだろう。けれど彼は何も言わずに、ただ優しくフローリアンの手を握ってくれていた。
 許しが欲しいわけではない。例え嘘でもきっと真実で、偽りによって成された言葉に真実の意味では偽りは無いと信じている。けれど嘘をついたと言う事実はこれからもフローリアンの心のどこかで引っかかって、彼はそれを背負っていくことになるのだろう。

 それなのに、イオンの手の温もりに許されているような気になる自分が悔しくて情けなくて―――その温もりが、本当に少しだけ嬉しかった。

 ごめんなさい。

 心中で最後にもう一度だけ呟いて、フローリアンは二人の手を握りしめた。




[15223] 51(シェリダン)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ea1440a2
Date: 2010/04/30 01:47




 まずはイオンに地核の振動に対する創生暦時代の禁書の捜索を頼み、モースの元へと返した。……それはそれはとんでもないフローリアンの大反抗にあったが、それでも気合でやりきった。外殻大地のことについてはこちらで請け負うことと、パッセージリングの耐用限界と暴走についてジェイドにも伝えておいたから、アッシュ達は戦争の停戦の呼びかけとベルケンド方面での地核の振動についてのことで動いてくれるはずだ。
 バチカルでは漆黒の翼辺りに頼んでいることもあるし、わざわざルーク自身が助けに行くまでもない。モースには能動的に動いてギンジを人質に、ということにはならないだろうから……いや、モースの動きが鈍くなるとその下の第二、第三のスコア狂信者が動きだすだけか。

 ルークにとってのモースは、スコア狂信者達の頭であるからこそ価値がある。

 ある程度スコアスコア煩く言っておくようにモースに言い含めると、彼はそれはそれは自虐的かつ皮肉げな笑みを浮かべて了解した。その表情に何かを思うでもない。もとより彼我の関係は思いやり合うような感情を持っているわけでもない。
 モースが教団内のスコア狂信者の武力派を大掃除するために、起こした戦争自体を利用したように、ルークもモースの地位と実権を利用して彼を『スコア信望者の頭』に仕立て上げているのだから。必要な情報を交換するだけで、それ以上は言葉をかわすこともない。



 そして今。ケセドニアの地盤沈下を確認しザオ遺跡でパッセージリングの操作した後、地核振動周波数の測定器を受け取るためにシェリダンへと向かっている。




* * *



 町に行くにしても、必要なものを受け取るだけだ。すぐに終わるからと一人でアルビオールから降りたルークは一人寄り道もせずに真っ直ぐにシェリダンの集会場へ行く。いつものように集まっている元気な老人三人はあらわれたルークを見て嬉しそうに笑い、そして視線は彼の背後に行く。
 出てくる言葉はエミヤはおらんのか、だ。なんというかもう本当にマシンドクターはこのシェリダンではモテモテらしい。ただの便利屋なだけかもしれないが。


「とりあえず必要なものを受け取りに来ただけだから、エミヤはアルビオールで留守番中だ」


 ルークがそう言えば、なにやらシェリダンめ組みのご一同は一斉にがっくりしている。なんて正直なんだ。思うと同時に、アーチャーをアルビオールに残してきて正解だったとルークは心から思った。万が一でもアーチャーを連れてきていれば、こちらとていろいろと彼らに物を頼む身だ、あれこれ言われてエミヤを一日ほど拘束されていたかもしれない。
 こちらも時間が惜しいもので、はっきり言ってそれは避けて通りたい事態だ。


「振動周波数の測定器と……頼んでいた封印術もどきはもう出来ているか?」

「うむ、測定器のほうはもうとっくに出来ておるわい! じゃが……」

「まだ出来ていないなんて冗談は聞きたくないぞ」

「……お前さん、なにそんなにマジな顔になっとるんじゃ」

「何を言うんだイエモンさん。俺はいつでも大真面目だ」

「いやそういう『マジ』じゃなくてじゃのぉ」

「……坊やも随分必死だけど、この封印術もどき。何に使うつもりなんだい?」


 些か腰が引けているイエモンの横で、小さな四角い箱型のものを弄るタマラが問いかける。その問いに答えず、ルークは目をぱちくりとさせた後何だ出来てるんじゃないかと手を伸ばすのだが、その手は軽く避けられた。
 むっとして目を眇めれば、タマラは溜息をついて腕をくむ。


「あのねえ、あたしら技術者はね。知っておかなきゃいけないんだよ。自分たちが作った技術がどう使われているか、ね」

「アルビオールも、使いようによれば最新鋭の破壊兵器や戦略兵器に早代わりできるものじゃしのぉ」

「……ましてや、一時的なものにしろ数回使える封印術もどきじゃ。本来の封印術と同じく量産は出来んものじゃが……危険物には変わりない。まあ、お前さんたちなら妙な使い方はせんと思うが」


 タマラもアストンもイエモンもルークやアーチャーを信用していて、それでも技術者としてのけじめとして問うている。なるほどこれが技術者か、とルークは感心する。
 これが、新たな技術を作り出すと言う人間の覚悟だ。作り出した技術を何に使われるか、それを留めるすべのない、生み出したものとしての覚悟。引かないならこちらが折れてしまうほうが早い。ルークはしぶしぶながら内容を話した。


「…………パッセージリングの起動時に、起動者の体はフォンスロットを通して障気が流れ込む。だから封印術に目をつけた。時間限定でいいから回数制にしてくれと頼んだのはそのためだ」

「障気じゃと!? いや、まさか……そうか、そういえばあの時あの嬢ちゃんも顔色が急に悪く……」

「なんだいイエモン、心当たりがあるのかい?」

「……なるほど、エミヤがパッセージリングの……うむ……」

「こりゃ、イエモン! 自分だけ納得するではない!」

「アストン、タマラ。恐らくじゃが、ルークの言っていることに嘘は無いじゃろうて」


 そう言って、イエモンはひょいとタマラの掌中からできたての封印術もどきを手に取って、ぽいっとルークのほうに放った。それを受け取りまじまじと見ていると、使い方は普通の封印術と変わらんが分かるか、と問われて頷く。
 咎めるように名前を呼んでくる仲間二人に心配ないとだけ返して、イエモンは眉毛に隠れた目で、ルークの緑の瞳をじっと見つめた。


「……ルーク。アレからそれなりにパッセージリングを回っているのじゃろう……実際のところ、あの嬢ちゃんの体の調子はどうなんじゃ」

「さあな。この後はベルケンドに行く予定だが、そこでまた検査してみないとわからないが……もうそこそこ危険域なんじゃないのかな」

「……その封印術があれば、少しは障気も防げるんかの?」

「確認は取った。完全とはいえなくとも、何もないよりはよほどマシなくらいにはなるはずだ」

「それならいいぞい。存分に使いおれ」

「……礼を言う」


 封印術もどきを懐にしまいながら、扉を出かけた途中で、ふとルークは振り返る。しばし迷った素振をした後、しかし確実にする為には、と小さく呟き顔を上げた。


「……すまないが、イエモンさん。あんた達に、これは俺個人で頼みたいことがある」




* * *



 アーチャーは一人アルビオールの甲板の上に出ていた。軽く唇に指を当て、息を吹き込む。高い指笛の音が鳴り響き、まもなく羽音が降りてくる。アーチャーの目の前に降り立ち頭をたれるグリフィンの前に、手紙が入っている筒を置く。


「グランコクマのピオニー陛下に渡してくれ」


 グリフィンは一声鳴き声をあげて、手紙が入っている筒を脚で掴み空へ舞い上がる。飛んで行くその背を見送り、アーチャーはふと後方を振り返った。周りを見回しながら、おっかなびっくり、と言った風にアルビオールの甲板の上に登ってきたのは緑の髪の子どもだ。
 おそるおそる、落ちないようにゆっくりと歩いてくる少年へとアーチャーは声をかけた。


「どうした、フローリアン」

「……ルークが、ベルケンドに行った後は僕をケテルブルクに預けるって」

「なるほど。それで膨れているのか?」

「膨れてないもん!」


 そう主張しているフローリアンは、ただいま現在進行形で頬を膨らませてアーチャーを睨んでいる。しかしながらここでそう指摘してはなにやら子どもを虐めているように見えるだろうと、アーチャーも多少は自制を働かせて何も言わないでいた。
 とりあえずよしよしと宥めるように頭を撫でる。フローリアンは頬を膨らませたまま、ルークがひとりで行ってしまったシェリダンの町並みを遠目から見ている。


「ねえ、エミヤ」

「なんだね」

「いつになったら泣き止んでくれるのかな。アリエッタも、――――ルークも」


 アーチャーは驚いてフローリアンを見下ろす。フローリアンは背伸びをしてシェリダンの町並みを見ていたが、溜息をついて甲板の上に座り込んだ。膝を抱えるようにして座り込んだフローリアンは驚いた気配を感じたのか、自分を見ているアーチャーを見返した。
 いつもクールなアーチャーの驚いた顔が見れて満足したのか、フローリアンはしししといたずらが成功した子ども宛らに笑う。


「ははは、エミヤ驚いてるー」

「いや……よく見ているな。そう思えたか」

「はじめはわからなかったよ。でも、涙流してなくても泣いてるときがあるんだって、イオンが教えてくれたから。それに、ルークが大切ならルークをよく見てろって僕に言ったのは、エミヤじゃん」


 それはそうだ。そうなのだが、まさかここまでだとは正直思っていなかったのだ。ふむとアーチャーは感心した声を出ししげしげとフローリアンを見る。カンサツは得意だよ、と笑っていたフローリアンは、しかしふと表情を曇らせた。


「ルークはケセドニアから帰ってきたときから、ずっと泣いてる。アリエッタが泣いてる理由はわかるよ。分かるから、僕には何も出来ない。傍にいてあげるくらいしかできない。でも、ルークには本当に何も出来ないんだ。どうして泣いてるのか分からないから」


 結局僕には分かってても分からなくても、何もできない。
 フローリアンは抱えた膝に額を乗せて、しょんぼりとした声をだす。


「ねえエミヤ。泣いてるって分かってるのに、何もできないのは悔しいね」

「……そうだな」


 海辺の潮風がアルビオールの甲板の上に吹きつける。少し強めのその風が甲板の上に立つ二人の髪を少しだけ揺らした。アーチャーは目を細め、ゆっくりと瞬きをする。


「己の無力を思い知るのは、悔しいものだ」




* * *


 
 ルークがアルビオールに帰ってくれば、いつもの操縦席にノエルの姿がない。機体の整備をしているのだろうか。自分が出た時間と今の時間を比べて、そこまで待つこともないだろうと適当な席に座る。前面のガラス張りになっている船頭からは遠くシェリダンの町並みと海が見える。海の青と空の青は交わることなく一線を画し、波音が押し寄せては引き返す。
 ふと、その波音がルークの記憶の琴線を刺激する。

 青い空と海、流れる雲、声、合間に聞こえる波音。


『んー……だって海ってさ、なんか良くね? 俺結構好きなんだよなぁ』


 ご機嫌そうな声で、海風にあたりながら紡がれたのんびりとした鼻歌。

 いつかのメロディーが口から零れる。ほんの数回聞いただけの、朧気な記憶をもとに口ずさむメロディーはあやふやで、時折ぴたりと止まってはルークも唸りながら音程を思い返す。
 何度か音程を換えつつ口ずさみ、結局たぶんこれ外れてるんだろうなぁと思いながらも仕方無しにそのまま進む。そもそもが音程の元となったグレンの鼻歌自体が、俺音痴だからやっぱ少し外れてるなあとぼやかれていたシロモノだったのだ。
 グレンでそうならルークはどうかなど、推して図るべし。


『聞いたことない? はは、そりゃそうだろ。だってこれ俺もエミヤに聞いてはじめて知ったんだぜ』


 だからルークは元の歌を知らないまま、ただグレンの鼻歌のみで知っているその歌を口ずさむ。
 歌詞をひとつも知らない、時折キーが低くなったメロディーだけ。


―――題名なぁ、えーっと……水辺の歌……じゃ、ないか。確か……ああそうだ。確か、


「きれいなメロディーね」

「うおぉ!?」


 座り込んでいた座席から落ちかけながら、ルークは後方を向く。砂色の髪と青い瞳。そこにいたのがアーチャーではなかったことにほっとして―――声からしてアーチャーではないと分かってもいいものだが、かなり焦っていたルークはそれに気づかなかったのだ―――彼は珍しくぱちくりと目を瞬かせて驚きをあらわにしていた表情をすっと納めて顰め面をする。
 譜歌の歌い手であり音律士でもあるティアにところどころ音を外している自分の鼻歌を聞かれたのだ。気分が良い訳が無い。


「お前な、人を驚かすな」

「……驚かせるつもりはなかったんだけど」

「アリエッタについていてくれと言わなかったか?」

「眠ったわ」


 アリエッタは育ちが育ちのせいか、睡眠時の他者の気配に敏感だ。深い眠りに落ちている時ほど、馴染みの無い気配が近付いてくれば目を覚まし反射的に距離を取る。……泣いてばかりでろくろく眠れていなかったのだ、今くらいしっかり寝かしておいたほうが良いだろう。
 ティアの判断も悪くない。悪くないが……目覚めたときに一人きりにしておくのは如何なものかとも思う。頃合を見計らって気配を殺すことが上手いアーチャーに様子を見てもらうか、それとも敵意皆無なフローリアンをつけておくか。

 うん、そうだ、フローリアンを付けておこうそうしようと決めて、はたと思いとどまる。そういえば、フローリアンといいアーチャーといいノエルといい、一体どこに行ってしまったのか。すぐに戻ると言いおいてシェリダンへと行ったのだから、それなりにフラフラ出歩かないでほしいものだ。

 仕方無しに探してこようとルークは立ち上がり、そのまま操縦室から出て行こうとする。そんなルークをティアが呼び止めた。特に感情が映っていない瞳が静かに向けられ、ティアは確認するようにルークへ声をかける。


「この次は確かベルケンドヘ寄るのよね?」

「……お前の体への障気の侵食が計算上よりもいくらか早いからな。まだ、死なれちゃ困るんだ」

「…………あなたも一度検査してもらったほうがいいんじゃない?」

「何?」

「左眼。いい加減にちゃんとした検査をしたほうがいいはずでしょう、と言ってるの」

「馬鹿も休み休み言え。そこそこガタは来ているが、視力は喪失していない。必要ない」

「それでも、あなたは自分の左目にかかってる負荷を理解するべきだわ。検査して数値化すれば、少しは無茶をする気も治まる……そうなってくれたら嬉しいんだけど」


 無茶だと、お前にだけは言われたくないな。ルークはティアにそう言ってやろうかとも思ったが、つい最近自制が効かずに思い切り全開で超振動をぶっ放そうとしたことがあった分だけ言い辛い。
 むすりと黙り込むが、以前頼んでいた検査結果を確認しにいくにはそう言う名目でもあったほうがいいかと考え直す。戦場横断中にあった件で見るまでも無いと思っていたが、何事も確認はしておいたほうがいい。そうだ、ルークのやろうとすることを考えれば慎重に慎重を重ねて無駄と言うことは無いのだから。

 ティアに背を向けたまま回していた思考でその答えに行きつき、ルークは大きく溜息を吐く。そしてちらりと横目だけでティアを見て、すぐに前を向く。


「分かった。受ければ良いんだろう、受ければ」


 ルークがそういえば、まさかこうも簡単に彼が受けるというとは思っていなかったのか、ティアはキョトンとした顔をしている。そう言う表情をしていれば、兵として己を律している彼女も年相応だ。ふんと鼻を鳴らして出て行こうとするルークを、咄嗟にティアが呼び止める。
 まだ何かあるのかとルークは振り返るのだが、ティアもティアでルークが検査を受けることを許容したなら特に呼び止める用件もなく、そのくせ何故か呼び止めてしまっていたので取り繕った表情の下では大いに焦っていた。
 必死になって回した彼女の頭が出した回答が、


「さっ……さっきの、歌、タイトルはなんて曲、なの?」


 話に脈絡もへったくれもないぶっ飛んだ話題だった。
 ルークも「は?」と突然の話題展開について行けないようで眉間に皺を寄せていて、その表情にティアは気まずい思いをするが一応気になっていたことでもある。


「……そんなの聞いてどうするんだ」

「今まで聞いたことない曲だから、ちょっと気になっただけよ。メロディーもきれいだと思ったし」


 なんとなくルークの目は見れないまま、ティアは早口に言葉を紡いだ。そうすればルークはなぜか罰の悪い顔になり、ティア以上に気まずいと言いたげな表情をした。ティアが不思議に思っているとルークはがしがしと乱暴に頭をかいて、あさっての方向を向いたままぼそぼそと溢す。


「……ど、……よ」

「え?」


 もごもごとなんとも不明瞭な声で、いくらティアが音律士とはいえ聞こえない音だった。思わず聞き返せば、ルークは一層乱暴に頭を掻く。あー畜生うぜえ、と、言葉のわりにはどこか嘆くように呟いた後、観念したように腕組みをしたままティアのほうへ振り返る。


「メロディーがどうとか言ってるが、俺結構音痴なんだぞ。あんまりさっきのメロディー真に受けるなよ」

「……そうなの? そこまで外れてるようには思えなかったけど……」

「又聞きの又聞きだし、聴いたグレンの鼻歌も大分あやふやだ。絶対にいくつか低くなってるだろうさ。原曲を聞きたいならエミヤに聞け。グレンもあいつから聞いたって言ってたからな」

「……………」

「なんだ、ティア・グランツ。その顔は」

「べつに…なんでもないわ」


 彼の話はおおよそ確実に半分以上はグレンで出来ている。
 おまけに、ルークはグレンが関わる話をする時だけは他者に対してもいつかのような表情を少しだけ垣間見せる。悲しそうな顔も苦しそうな顔も優しそうな顔も、果ては嬉しそうな顔ですら。
 彼の世界はグレンでできていて彼の心はグレンを中心にして回っていて、何をなすにも何を言うにもグレングレングレングレンと……そんなルークの言動がいい加減に目に余ってきて、さすがのティアも小さな苛立ちを感じるようになってきた。


「……じゃあ、機会があったらエミヤさんに原曲を聞くから。題名、知ってるなら教えてくれないかしら」


 しかしここで苦言を呈して不機嫌になったルークにじゃあやはり検査も受けない、といわれるのも困る。ティアは小さく頭を振り、溜息ひとつでかすかな苛立ちを吐き出した。
 そして誤魔化しに紡がれた言葉にルークはすぐに答えようとして、一瞬だけふと口を噤む。しかし次にはすぐに口を開き、その題名を呟く。


「……『ローレライ』」


 この世界からしてみればあまりにも有名なものを題にしている。荘厳で絢爛と言うよりは澄んでいるが素朴なイメージのわくメロディーには似つかわしくない気がする。そしてなにより、そんな表題にしているくらいならもっと周知の有名な歌になっていてもおかしくないと思ったのだが……現実はこの通りだ。
 エミヤ、という出自不明年齢不詳のグレンの従者がグレンに聞かせるまで、ティアもルークも知らなかった。
 不思議なこともあるものだとティアがぼんやりと考えていると、ついでの捕捉とばかりにルークがうろ覚えの知識で解説している。


「水辺で歌う魔物だか精霊だか……まあ、きれいな声で歌うそういうヤツの歌だとさ。歌詞は知らないけどな」

「……タイトルとあってない気がするのは、気のせいなのかしら」

「さあな。良いんじゃないのか、別に。精霊もローレライも御伽噺みたいなもんだろ、ってグレンは言ってたぞ」

「…………………………そう」

「だから何だその顔は。いいたいことがあるならはっきりと言え」


 甘かった。半分なんてものではない。ルークの頭の中はもはや九割九分九厘グレンしかいないのだろう。いっそすがすがしいくらいだが、なんともいえない表情になってしまうティアを誰が責められようか。


「ねえルーク、一つ聞いても良い?」

「話によるが一応聞いておこう。なんだ」

「あなたにとってグレンは何」

「……なんだ、何を言うかと思えばそんなことか」


 ティアの疑問を聞いてルークは拍子抜けしたようだ。くっと小さく笑いすらして、迷いなど何もないといわんばかりに、ただ一言。


「世界だ」


 それはそれは自信満々にきっぱりと言い切ったその発言に、ティアは頭痛を堪えるような動作をする。聞きようによっては危険極まりない発言とも取れる。経験蓄積年齢七歳児の彼にはそんな気は無いと知っているはずなのだが、こんな勢いではついつい邪推したくもなるというものだ。
 ガイ、あなた一体どこでルークの育て方を間違えたの。恐らくはガイ本人が聞いたら俺デスカ!? と自分を指差しぼーぜんとするだろうことを心中しみじみとぼやき、ティアは溜息を吐いた。




[15223] 謝罪文(色々と諦めました)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:7cc2adf3
Date: 2010/04/30 01:50

 土下座します。ソードマスター宣言させてください。

 ぶっちゃけもはや二次創作する時間がとれません。自分の好きなことを学んでいるので苦痛は無いのですがむしろ楽しくリア充な日々を送っているのですが、課題の量が鬼畜です。専攻によってばらつきがありますが、うちの学校ではこのGWにも課題・レポートが六つくらい出ててます。

 三年間、まともに二次創作する余裕は無いです。バイトもあるし、というかまあ多忙なのは分かってたんでだからこそ四月までに終わらせたかったんですが……。下手したらこのまま更新停止しそうなので、もう色々とすっ飛ばします。書きたいところだけ書く、というかもはやあらすじ語り? 整合性はかなぐり捨ててフラグ回収も出来るかどうかもわからぬまま、場面場面でぶっ飛びぶっ飛びになると思います。むり。バイト入れなきゃ学費も家賃も生活費も払えなくなるし削れないし授業料は自腹だからサボるのは嫌だし時間無いし連載は無理。甘く見てたぜガッコー。忙しいんだね学生って……世の中の学生さんはすごいですよ。尊敬です。

 一応、ここでざっくり削られたエピソードは時間の合間に気力があったらコツコツ書き連ねてあっちに補足で乗せていこうかなぁとおもいますが……気力、あるんだろうか。週六バイトで平均四~五時間睡眠で空き時間と休みはほぼ寝溜め・レポートです。長期休暇も現場の実践研修があるので無理です。……うう、三年間、がんばる。

 ああ、ナタリアと陛下とか、ネフリーさんとルークの話とか、ベルケンドでヴァンとルークの会話とかそこにエミヤもまぜてみたかったしとか、アリエッタの立ち直りとかそのあとのアニスとのからみとか、ルクティアイベントネタとかルーク時代のグレンとその世界のティアの中学生日記は二人ネタとか、結構色々書いてみたいなあと思ってたことはあったんだけどなぁ……イオンとアニスとかガイとアッシュとかマルクトに馴染んでたアーチャーとかシュザンヌとルークとか折角出したローレライネタとか! ……削ります、ええ確実に。

 次がいきなり地核振動停止作戦だったりアブソーブゲートだったらすみません。でも最悪そんな感じになるかもです。漫画版もここまで大幅ビックリ仰天カットはないよいくらなんでもこれじゃあ話が繋がらないYO! という状況になるかも……

 せめて地核振動停止作戦とアブソーブゲートと障気中和はの三つは……書きたいと思ってます。


 感想返信はまた後日します。本当にすみません。特に文字ぴったんさん。あんなにがんばれと応援絵を描いてくださったのに申し訳ありません。そして毎回感想を下さったかたがた。ソードマスター宣言なんて言う情けない宣言をしてしまいまして申し訳ありません。もう見捨ててくださって結構です、いっそ見捨ててください……そして感想までは書き込まなくても毎回見てくださったかたがた。本当にすみません、申し訳ない。

 せめて上で上げた三つのシーンはこれでもかとかきまくろうと思います。

 本当に申し訳ありません。





[15223] 52(地核作戦タルタロス)
Name: 東西南北◆90e02aed ID:ecc05918
Date: 2010/06/18 00:39
(前提状況設定)
 色々あって平和条約締結後、地核作戦。シェリダンにはキムラスカ兵とアリエッタの魔物を護衛に配備。シェリダン港のほうにリグレット、ヴァンとラルゴが終結。オラクル兵団は精鋭から更にえり抜きの千名前後。

 地核作戦前に、ルークが自分の眼帯をとんとんと指で叩いてアーチャーに指示。「ここでやっかいなの(六神将達)を無力化しておけ」

 アーチャーは不機嫌そうにルークを見て舌打ち。「ここでかね? 雪山で行えばいいものを、わざわざ襲撃を起させると? やれやれ……何を企んでいるのやら」

 ルーク達、一時的にアッシュ一行にパーティーイン。歴史通りに港にてヴァンたち出現。アーチャーしんがり。戦闘的に不安は無いが、点ではなく面での戦闘を考えた時の取り溢しを出さない様にするのが難儀。(面倒くささのイメージは、三国無双の工作兵を通すなミッションの苛っと感をイメージしてみてください)

* *




「……ふむ。ルークの言う通りにするのは気が進まんが……」


 致し方なし、とアーチャーが一瞬だけ目を伏せた。


(―――――――――)


 アーチャの唇が、微かに動く。それは決して音にならない何かを紡ぎ、世界は何も変わりないのにどうしてか――遥か遠い場所で、ガチンと歯車がかみ合った音が響いた、ように感じられた。
 その気配を感じたか否か。オラクル兵団の数人が、見えない何かに弾かれたように一斉に飛び掛る。それを援護する譜術攻撃、さらに遠距離からリグレットの射撃、近接するラルゴの薙ぎ払い。それらを捌いて引いたところにヴァンが詰めていて、どうにか避けきる。避けるついでに剣を振るったのだが、そのような攻撃がヴァンに届くわけがない。逆にアーチャーを狙って刃を伸ばしあわやと言うところだった。さすがはオラクル騎士団総長、と言ったところか。その剣技を目の当たりにし、今まで数度、剣戟を捌きながら何かを呟いていたアーチャーがぼやく。


「羨ましいものだな。私は凡才でね、才能の一欠けらでもこの身に在ればと、かつてどれ程切望したことか」

「なるほど、実践のみで鍛え上げた刃か。道理で無骨で――頑強なわけだ」

「無骨、か。くく、誉め言葉として受け取って置こう」

「一応尋ねておこう。その実力、非常に惜しい。我らが同士になる気は無いか」

「結構だ。手のかかるマスターは一人で十分でね」

「そうか。では……覚悟はいいだろうな?」

「さて」
(―So as I pray,)


 譜歌と譜術を操るヴァンとリグレットが、ふと眉をひそめる。音にならない声が紡ぐ旋律。世界は何も変わらないのに、何かが塗り替えられていく嫌な予感。
 その予感をはっきりと形付ける、アーチャーの口の端に刻まれる笑み。


「……何に対する覚悟を言っているのやら」
(――“Unlimited Blade Works”)


 炎が走る。
 赤い弓兵の心象風景が、現実世界を侵食した。


「なん……っ!?」


 戦闘中だというのに、歴戦の戦士たちのことごとくが咄嗟に目を瞑っていた。それは本能の動きで、人間である以上誰もが抗えない。すぐに我に帰った者から目を開けるのだが、順次言葉を失う。
 見たことのない景色が広がっていた。町並みと海が消えている。建物は全てが形を無くしていた。
 世界は赤。空は曇天、雪の代わりに舞う火の粉。歯車がぎちぎちと唸りを上げて回っている。爛れた鉄の臭いと、あたり一面に墓標のように突き立てられた、剣、剣、剣、剣、剣……!
 そこは錬鉄の丘であり、廃棄場であり、焼け果てた剣の荒野だった。

「これは……!」

「驚くことは無い。コレは所詮君たちの言うレプリカだ。ことごとくが偽者で、オリジナルを模倣した二番煎じでしかない。……そうだろう? ルークをただの出来損ないだと蔑む貴様らが、コレを怖れる道理がどこにある」


 この世界でただ一人、眠る刃達の王は軽い調子で嘯き、双剣を振るう。オラクル兵を斬り捨てた折に付着していた血の雫が赤い大地に弧を描いた。アーチャーが剣を握ったままの片腕で空を指せば、世界に埋まっていた刃の群れが目を覚ます。彼の指揮に従い空へ起き上がり、その切っ先のこと如くを神託の騎士団へと向けた。
 この世界は、持って三分。それ以上はルークの体に負荷がかかり過ぎるし、世界の修正を考えればもっと少なくしたほうがいいかもしれない。それでも十分だ。命を賭して新世を願う改革者達へ、鋭い鷹の目が向けられる。


「……死合うとしようか。四肢のうち三つは殺(そ)ぐぞ――精々泣き喚かぬよう自制しろ」

「……リグレット、ラルゴ! 兵を散開させろ、来るぞ!」


 刃の弾膜が、世界を――




* * *



「―――――っが、あ、あ、ぐ……が、ァ―――ッ!!」


 同刻、タルタロス船内にて。一人の青年が部屋の片隅で絶叫を上げていた。部屋の鍵は閉めている。ブリッジから一番遠い部屋。客室ですらない物置に近い部屋だ。誰も、彼がこんな場所で一人のた打ち回っているなど想像もしていないだろう。ルークは両目をかきむしる。譜眼とそうでないのとの区別はもはやない。ただ人体で最大のフォンスロットを有する眼球という器官自体が悲鳴を上げている。眼球が膨張するように熱を訴え、そしてルークの爪が瞼を裂く。額と瞼の傷は浅くとも血がよく流れる。大量の赤た船床に飛び散った。


「―――――――――っ! ―――ッッッ! ――――――!!」


 譜眼だけではない。体中に刻まれた布陣が光を帯びて浮き上がる。それは常の白い光ではなく、赤い光を帯びていた。限界容量異常の第七音素(セブンスフォニム)を取り込み、体の音素バランスを崩すほどの勢いで第七音素が見えないラインを通って流れていくのだ。オーバーロードと言い表すだけでは足りない。発光する譜陣は焼け付くような痛みを伴い、そして実際に皮膚の深皮層を傷めつける。
 ルークは体の内側から焼き尽くされるような痛みに苛まれ、悲鳴を上げて暴れる。めちゃくちゃに振り回す腕が船壁に当たるが、壁がダメージを受ける前に限界のルークの体の方が傷ついていた。壁に腕がぶつかる程度の衝撃で、ルークの腕がぱっくりと割れて、赤が一層ルークの体を染め上げる。すでに痛覚すらないのか、彼の狂乱も悲鳴も止まない。


「っぎ、ガ、あ、あ、あ、あ、あああああァァァァァ!!」


 こうなることを予想して、剣を身につけていなかったのは道理だろう。もしも傍らに刃などあろうものなら、ルークはこの苦しみから逃れようと己の喉に切っ先をつき立てていたかもしれない。いや、それとも、たとえ剣があったとしても自刃するという発想自体が浮かばなかっただろうか。獣よりも獣らしい咆哮を上げて、ルークはめちゃくちゃに暴れていた。彼が何かに体をぶつけるたび、部屋中に赤い雫が零れ落ちる。
 ついに耐え切れずにふらついてしまったのが先か、それとも床じゅうに散った血に滑ってしまったのか。ルークはバランスを崩し床に這い蹲った。ぐるぐると魔獣の唸り声に似た音が彼の喉の奥から零れ、床をかきむしる爪から嫌な音がする。

『ご主人様、どうしたですの? 痛いですの? ご主人様!』
『ルーク!?』

 侵入者の存在を知らせようとして異変に気づいたのだろう。扉の向こうで騒ぐ音も、今のルークには届かない。扉を叩く音にも、ついに押し破られても空間に乱入してきた存在にも意識が向かない。彼はただひたすらに自分の内側にのみ意識が向いている。第七音素。第七音素、第七音素、第七音素、第七音素。第七音素が、足りない。
 一目でただ事ではないと分かる。ティアは彼の名を厳しい語調で呼び、ルークの肩を掴む。譜陣の熱と、強く握っただけで壊れた彼の体皮細胞の感触を感じて息を呑んだ。思わず手を引き、手のひらに付着したどろりとした感触に呆然とする。すぐに我に帰り顔色を青くしたティアが、ルークへ手を伸ばし治癒譜術をかけようとした。

 その第七音素にだけ、ルークが反応する。

 瞬き一つの間すらない。今まで蹲っていたルークが、かっと目を見開いたかと思えばティアの片腕を掴み――更には彼女の喉をも握り締めた。ミュウが悲鳴を上げて、驚いたティアもルークを止めようとその腕を掴む。しかし強く握るだけで裂ける彼の皮膚に、咄嗟に手を放してしまう。ますます喉をねじ上げる力は増していき、ティアは声も出せず顔を歪めてルークを見ていた。
 その全てを認識することなく、ルークは第七音素を求めて、ティアと言う第七譜術士(セブンスフォニマー)を媒介に今以上の第七音素を集めようとして、


『俺、結構好きだよ』


 行動全てが停止する。
 脳裏に響く、ルーク自身の声によく似た誰か。誰か? 違う、この声は。


『お前の譜歌が、さ』


 “彼”の視線で、“彼”の世界の記憶が再生される。
 驚いた表情を浮かべる海色の瞳が、一瞬揺らいだ。伏せられた瞼が微かに震え、俯き加減になったせいで前髪が彼女の表情を遮る。彼女が次に何を言うのか、知っている。想像するなど簡単だ。彼女には散々言われてきて、その度にその言葉に込められた意味は様々だった。震えと一緒に感情を押し殺した声で、小さく、短く。その答えを聞いて、“彼”は。


『……■■■、』


 名前を呼んだ。閉じ込めた想いの代わりに、その名を呼んだ。彼女の強がりが壊れてしまわぬようにと、“彼”が笑いかける。呼ばれた彼女の輪郭と目の前の何かの輪郭が被り、ルークの瞳が焦点を結んだ。目の前に居るこれは。今掴んでいる、握っているものは。

 ――俺は、今、何をしている?

 ルークが正気に戻り己の手を引き剥がすのと、第七音その収束が止まるのは丁度同時だった。アーチャーの固有結界の展開が終わったのだろう。流動は止まり、譜陣は光を失い、ルークの身体中から力が抜ける。意識が遠くなり、ルークはティアの方へと倒れかけた。今まで首を絞められていた彼女も一緒に膝から崩れ落ちる。
 ティアは咳き込みながら、ルークの顔を覗き込んだ。彼は気を失っている。体中は血まみれで、特に瞼はズタズタだ。ティアは表情を険しくするが、傍らで泣いているチーグルの頭を撫でてどうにか宥め、治癒術を彼にかけていく。


* * *


 目を覚ましてまず、ルークはティアの首にある痣に気づいた。感情と言うものを無くしてしまっても、自分がやったことを覚えていれば無感動でいられるはずもない。自分が何をやったかを鮮明に思い返し、眉根が勝手に下がってしまう。勝手に顔の表情筋が動く、程度の感情まではどうにか回復していたようだ。
 そんな引け目を抱えた状態のせいか、ティアの追求を逃れることができなかった。ルークは渋々ながら、アーチャーと己の間に第七音素を流動させるラインがあることを大雑把に話す。魔術と言うものをざっくり削った説明なので上手く話せなかったが、概要程度は何とか伝わったらしい。目に見えないまま存在するつながり、と言うものにティアは半信半疑と言ったところだ。
 その後、一人でどうにかしようとしていたことに対してこんこんと説教を受けながら、肩を借りて甲板へと動く。途中で、剣戟に似た音が聞こえた。甲板辺りから響くその音に、ティアへ先に行くように促す。はじめは即座に却下された。
 しかし、侵入者が六神将ならば回復役が一人でも多いほうがいいこと、一人で歩くのは確かに辛いが、どうしても歩けないというほどでもないこと。自分はゆっくり歩いていくから、さっさと侵入者を片付けてまた戻ってきてくれればいいと、そう主張すればティアも渋々ながら納得したようだった。甲板へと急ごうとする。ルークはその背に声をかけた。
 振り返る彼女に、ルークは努めて普段の表情を装う。彼女の首にかけられた宝石とともに、なんとも無機質な小さな箱状のもの。それを指差し、言葉を続ける。


「障気対策用のそれ(封印術(アンチフォンスロット)、貸してくれ」

「? いいけど、どうして」

「シェリダンのじーさんたちから貰った追加装置があってな。それを組みながら歩く。歩くたびに頭痛がするのはたまらないが、ちょっとは気もまぎれるだろ」

「……ルーク、辛いなら」

「いーから。ほら、さっさと寄越せよ」


 引く気がない、横柄な態度だ。このままここで言い合いをしていても、時間の浪費にしかならない。そう判断し、ティアは簡易に使えるように作り直された封印術を彼に渡す。そしてくれぐれも無茶をしないように注意し、甲板へと走っていった。その背を見送り、ルークは手の中のものを見る。
 小さな、立方体の機器。それに懐から取り出した追加装置をはめ込む。しばらく封印術を眺めていたルークは口元を歪めた。


「……わざわざアーチャーと離れて、固有結界を使わせたんだ。今以外に条件クリアはありえないな」


 それはどこか己に言い聞かせているような声だった。ルークは一度だけ目を閉じる。そしてもう一度目を開けたときには―――もう躊躇いも何もない。もとよりそれ以外に道が無いなら、考えるまでもない。
 一歩を踏み出すごとに訴える頭痛を無視して、ルークも甲板へと駆けていく。

* * *


「ぐっ?! ……お、ま……レプ、」


 ごぼり、とアッシュが血を吐いた。ルークが彼の腹を突いた剣を抜けば、甲板に倒れ付す。広がる緋色の水たまり。


「え……」


 呆然とした声は、誰のものであったのか。


「――アッシュ!」


 悲鳴のような声。金色の髪の幼馴染が、泣き出しそうな顔をして駆けてくる。治癒術をかけようとしている。それをとめるでもなく、ルークは見ていた。ただ、冷めた目でその景色を見ている。


「ルーク、お前っ……何やってんだよ!」


 怒りなのか、苛立ちなのか、困惑なのか。感情の揺れ幅が大きすぎてよく解らない。肩を強く掴まれて、顔を上げれば空色の瞳が睨みつけてくる。その空色を見返しながら、ルークはぶっきらぼうに答えを返す。


「何を? やって? 決まってる。必要だったから、必要なことをしただけだ」

「ルーク!」

 クリアすべき条件は二つだった。グレンとアッシュが大爆発を起す前に、本来おこるはずだったアッシュとルーク間で大爆発を起すために必要な手順。

 一つ、アッシュからグレンへと流れ込んだ以上の人体構成音素を、ルークが取り込むこと。
 二つ、それ以降グレンへと流れ込む余裕がないほど、アッシュとルーク間の同調フォンスロットを開ききること。
 そして、二つの中で共通前提条件は一つ。不穏な気配を嗅ぎ取れば妨害するであろうアーチャーと離れること。

 前提条件のために、シェリダンの襲撃を起させた。一つ目の条件をクリアするために、わざわざアーチャーに固有結界を使わせた。自分自身の構成音素さえ削る勢いで第七音素を失えば、足りない音素を補完しようと完全同位体同士の見えない絆が勝手に同調フォンスロットを繋ぎやすくしてくれる。しかしそれでも完全でない。
 だからこそ使ったのは、回数限定をつけた一時的な封印術装置。障気対策と言うのは建前でしかない。封印術とは、体中のフォンスロットを閉じる対人兵器だ。ルークがシェリダンで依頼していたのは、その効果を瞬間的にでも逆転させるもの。ほんの一時だけ、身体中のフォンスロット全てを解放状態にする。身体中のフォンスロットだ。つまり、同調フォンスロットも自然と開いているということになる。
 一時的に繋げた同調フォンスロットを維持するためには、実際に同調フォンスロットを通して莫大な量の音素流出を起したほうがいい。だから、ルークはアッシュを刺したのだ。グレンの記憶で知っている。大爆発の起こる条件が何か、最期の一押しがどのような出来事だったのかと言うことを。

 すっと視線を巡らせれば、少し遠くでこちらをじっと見る赤い瞳と目が合った。ジェイドが酷く小さな声で呟く。身体構成音素の流出現象。隣でその言葉を聞いたティアが顔を青ざめさせていた。その様子に、ルークは眉をひそめる。ジェイドにばれるのは致し方ないとして……どうして、ティアがそこで顔色を青ざめさせている?
 どうやら自分では気づかぬ内にミスをしていたようだ。ルークは舌打ちをして、問答無用でガイを蹴り飛ばす。即座に後ろへ飛んで距離を置き、つい先刻までシンクが落ちようとしていた甲板のへりにつく。蹴飛ばされて咳き込んでいたガイと、先刻のガイのように甲板の内側に問答無用で蹴飛ばされたシンクへ駆け寄っていたイオンが、同時に声を上げた。


「ルーク!」

「……シンク。お前に会いたがってるやつがケテルブルクにいる。死にたがるのはそいつに会ってからにしてやれ」


 言いながら、ルークは封印術に付け加えていた追加装置を外す。これで、普通の封印術と同じ使用方法しかできない。それをティアの足もとへと投げ捨てる。まだロニール雪山とアブソーブゲートがあるのだ。ルークが必要としていた時期はもう終わったのだし、後は建前どおり、吸う障気を少なくする為に彼女が使えばいい。
 ちらりとアッシュのほうを確認する。息をしているのを確認してほっとしていると、今までずっと黙っていた声がぽつんと聞こえた。


「あんた、何がしたかったのさ……」


 イオンの声によく似ていて、けれど違う。シンクのl声に、ルークは口元を歪める。


「簡単なことだ。あいつに死なれちゃ困る。けど、ここで死にかけてもらわないともっと困る」


 だから、刺した。考えてみればこれ以上無く単純明快なことでしかない。そんなルークの返答に、聞いていた仲間たちは絶句している。シンクはなるほど、と頷いたあと、くっと嗤いを浮かべた。


「僕よりイカレてるよ、あんた」

「なんだ? 今更知ったのか」


 ルークはシンクの嘲笑に動じることなく、むしろシンクをからかう口調で答えを返す。そして一歩足を後ろに落し、その段になってやっと我に帰ったアニスやガイ、イオン、ティアがルークの名を呼んだ。
 グレンを生かすために必要な条件は、もう一つある。それは、誰よりも先にローレライの鍵を手に入れること。鍵だ。剣でもない、宝珠でもない。ローレライの鍵、そのもの。そのためには。
 ルークは名前を叫ぶ人たちにじゃあなと軽く手を振り、躊躇いもなく地核へと跳び込む。


「ルークッッッ!!」


 絶叫を遠く聞きながら、地核へと沈んでいく。まあ今は驚いても、アーチャー辺りから死にはしないと聞くだろう。いや待てよ、アーチャーが知らぬ存ぜぬで通せば帰ったら怒られるのは必定か。それは嫌だなあとぼんやりと思いながら、落ちて、落ちて、ずっと墜ちて。光が漂い圧迫感が増す世界の中で、ルークはこの世界のどこかに居る誰かに声をかけた。


「ローレライ。ユリアの願いは、俺が叶えてやる」


 無音の世界に音がする。


「だから、交換条件だ。ローレライの鍵を、今この場で俺に渡せ」


 体が地核に溶けていく。早くローレライを引きずり出さねば自分が先に死んでしまう。分かっているのに、急がなければという気になれない。地核という、地獄に一番近い天国だからだろうか。体中にかかる圧力や負荷はとんでもないのに、周りが光で満ちて暖かいというのは何の皮肉だろう。


「……ローレライ」


 赤い光が、星の中心から吹き上がってきた。


『我が半身よ。誠に、そなたがユリアの願いを……私の見た預言を、覆そうと言うのなら―――』






* * *

返信する、余裕が、ないです。でも感想はよんでます。皆さん…ほんとうにすみません。あとイロイロと…ありがとうございます。弓とヴァンのくだりはもっと描写を入れたかったです。で、アッシュを指したのはルークがコンタミで急に出してぐさっと! って描写も入れたかったです。そのほか色々ありますが、もう…むり。しかし今回は描写少ないわ会話分多いわで散々だな。次はアブソーブゲート…? 無理だったらレムの塔へいくかもしれません。整合性? なにそれおいしいの状態です。次は…半年以内には更新できたらいいですね……




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