「ここが笹鳴町か……」
そう呟いた言葉は誰に向けた訳ではない。ただ、己自身に言い聞かせるように確認しただけだ。
ここは笹鳴町。都心からやや離れたところに位置し、それなりに町は栄え、それなりの人が住む、よくある平凡な町だ。
行き交う人々や車、町の喧騒、どこを取ってもおかしな点は見当たらない。
ただ一つ、あることを除いては――。
留学先の倫敦から久し振りに故郷へと帰る際に、笹鳴町という町に関する妙な噂を聞いた。
そのどれもが、霊安室から脱走した死体や、夜の町を徘徊する吸血鬼など、どれも眉唾物の他愛もない噂だ。
しかも、どの噂も実際に被害が出たという話しは聞かなかったので、別に放置しておいても問題はなかった。
だが、それでも一つだけ気になることがあった。
それは、それらの噂があまりにも多すぎるということだ。
一つや二つ、三つや四つならまだわかる。それぐらいの噂、どんな街にだって幾つかあってもおかしくはない。
だが、笹鳴町の妙な噂は一つや二つどころか、両手では数え切れない程あるのだ。
この町には何かある。そう考えても不思議ではない。
勿論、思い過ごしということも十分に考えられる。だが、一度気になってしまったことは自分の目で確認しなければ、気が済まない性分なのだ。
幸いにも、笹鳴町は空港から故郷である冬木市へのほぼ通り道と言って言い場所に位置する。寄り道ついでに笹鳴町へ寄って行ったとしても、大した時間も取らないだろう。
何もなかったならなかったで、いい土産話になるかもしれない。
そんなごく軽い気持ちで衛宮士郎は笹鳴町を調査することにしたのであった。
◇
とある昼下がりの午後。ここは笹鳴町の丘の上にそびえるお屋敷。つい最近までは人が住んでさえいなかったのだが、今はどこぞの令嬢とそのお手伝いたちが住んでいるといないとか。
その噂の令嬢たちは屋敷のバルコニーで優雅なティータイムを過ごしていた。
お茶会の参加メンバーは噂の令嬢こと、あらゆる異形のものどもの頂点に君臨する怪物の王女である『姫』と、その従者のフランドル。そして、ひょんなことからその姫に仕えることとなった中学生の日和見日朗だ。
もっともフランドルと日朗はお茶を飲むと言うより、姫に付き添って傍らに立っているだけなのだが。
「魔術師?」
日和見日朗は会話の中で唐突に出てきた、魔術師という聞きなれない単語に首を傾げた。
彼はある事情によって半不死身となり、普通の人間とは一線を画する存在なのだが、その中身はその辺の中学生となんら変わらない。よって魔術師なんて言われてもいまいちピンとこない。
「そう、魔術師だ。令裡の話しによれば、この町に魔術師が潜入しているらしい」
カップをソーサーに戻した姫は冷静な声で言った。すると視線の先に蝙蝠が集まりだし、徐々に人型を象っていく。その人型は黒いセーラー服を纏った少女――嘉村令裡となる。
「ええ。魔術師の詳しい目的は不明ですが、この子たちの情報は確かですわ」
まあ、その後は撒かれてしまったようですが、と言いながら、令裡は腕からブラ下がる蝙蝠を指であやし始めた。
吸血鬼である彼女は、蝙蝠との意思の疎通が可能なのだ。
「ふふん。優秀な霊脈もなく、魔術師が好みそうな物もないこの町に、奴が来る目的など一つしかなかろう」
まったく困ったものだ、と付け足しているが欠片も困っているようには見えない。
優雅な仕草で紅茶に口をつける。
「姫さま、もしくは私といったところでしょうね」
自分が狙われているかもしれないと自分自身で言っておきながら、楽しげに微笑むことが出来るのは強者の余裕故だろうか。
「……ね、ねえ。魔術師なんてホントにいるの?」
先ほどから二人の会話に全くついていけない日朗が、たまらず質問をする。
「今更何を言っているんだヒロ。お前は今まで、様々な怪物どもを見てきただろう」
呆れたような表情で姫は日朗の方に目をやる。
「で、でも、魔術師って聞くと怪物というより、人間ってイメージがあるんだけど……」
例えば童話に出てくるような魔女。大きな釜で怪しい液体を似ている老婆。
魔術師というより魔女だが、彼にとってその二つの違いに大差はない。
とにかくこれが、彼の思い浮かべる魔術師のイメージなのだ。
そんな日朗の言葉を聞き、姫の眉間にしわがよる。
「先ほどから何を言っているんだ、ヒロ。魔術師は人間に決まっているだろう」
「まあ、姫さま。オモテの世界で生きていたヒロがそのようなことを知る由もありませんわ」
「それもそうだな。フランドル、紅茶のお代わりを」
「ふが」
フランドルと呼ばれたメイド服の少女は、ティーポットに入った紅茶をカップに注ぐ。
実はこの妙に小さなメイドの正体は王族付きの人造人間だったりするのだが、その話しはまた別の機会にするとしよう。
すっかり思考が停止していた少年が、そろそろ再起動する頃だ。
「……ええええええええっ!?」
最近おなじみになりつつある絶叫がお屋敷に木霊した。
魔術師。それは探求者。
分野、種別を問わず、魔術という学問を修めようとする者。
科学が未来に進むための学問とすれば、魔術は過去に遡る学問である。
故に彼らは現代社会とは相容れない存在であり、その身を隠しながら魔術を研鑽していく。
その在り方は異形の怪物たちと似通っている部分もあるが、両者が積極的に関わるということは殆どない。
「その魔術師が何で姫や令裡さんを狙うの? お互いに干渉をしないようにしていみたいだけど」
落ち着きを取り戻し、魔術師についての説明を受けた日朗がある疑問を口にする。
話しによれば一種の不干渉を貫いている魔術師が姫たちを狙う理由がわからないのだ。
「我々が魔術師と関わらないのは不干渉のルールがあるからではない。単にこちらが魔術師と関わらないようにしているからだ」
「そうなの?」
「ああ。奴らは利己的な人間でな。吸血鬼なんかよりも信用がならないと言われているぐらいだ。まあ、その吸血鬼が魔術師だっていう場合もあるのだがな」
姫はその秀麗な眉を僅かに顰める。
彼女と長いこと接している者ならばわかるが、これは珍しいことだ。
基本的に物事に対し動じにくい性格をしており、例え不測の事態が起きようとも表情を殆ど変えることのない姫が眉を顰めたのだから。
それだけ魔術師という者に対し、良くないイメージを持っているということなのだろう。
怪物と魔術師、両者が関わり合うことがないというのは正確に言えば語弊がある。
なぜなら、魔術師の方は別に怪物と関わりを持つことには、何の抵抗もないのだから。
神秘の研究が本分である魔術師にとって怪物は、十分に興味深い研究対象足りえる。だが、魔術師ににとっての研究は被験者の生命など関係のないように扱うというものだ。
魔術師が一般的な倫理など持ち合わせている筈もなく、研究のためならばいとも簡単に被験者の命散らす。生かしていたというなのら、それはただ単に生かしておかなければならない理由があったというだけなのだろう。
そんな相手にのこのこと近づく愚か者はいる筈もない。例え向こうから近づいてきても、決して信用をしてはいけない。
笑顔で近づいて背後から刺す、彼らにとってそんなことは呼吸をするかの如く、何ら造作もないことなのだから。
それが魔術師なのだ。
「あら、姫さま。その信用のならない吸血鬼がいるというのに随分ですわね。それと、あんな紛い物を吸血鬼とは呼ばないで頂きたいですわ」
心外ですわ、と令裡が言う。
語調から察するに、まるで信用のならないものの代名詞として例えられたことよりも、姫がその後に続けた言葉に気分を害したようだ。
これも、いつもは飄々とした令裡にしては珍しい様子である。
「ふふん。それはすまなかった。だが、あくまで一般的に言われていることを話したまでだ。他意はないから気にするな」
姫はそう言いながらも悪びれた様子も見せない。
そして、一度紅茶に口をつけ、言葉を続ける。
「話しが逸れたな、ヒロ。つまり、こちらからは魔術師に対し不干渉だが、理由さえあれば魔術師はこちらを狙うこともあるということだ。刺客ということは考えにくいが、王族に吸血鬼なんて、奴らからしたら垂涎ものの研究対象だろうな」
「じゃ、じゃあ、早くこの町に潜入した魔術師の対策を立てないと!」
はっとしたように日朗が叫ぶ。
だが、姫は余裕の表情を崩さない。
「おそらく今は無駄だ。魔術の存在をひたすらに隠蔽する魔術師は昼間に行動をすることはない。魔術師を見つけるなら、それは――――」
姫は町の方へと鋭い目を向ける。
それはこの町のどこかに潜むという魔術師を睨むかのように。
決して逃がしはしないとでも言うかのように。
件の魔術師に宣誓するかのように。
「――――夜だ」
物語の序幕を告げるかのように凛とした声が響く。
続け
怪物王女において魔術師という単語自体は出ているのですが、キャラクターとしては出てないことで思い立ったクロスです。
自分は単行本派なので、もう出てるよという場合はご容赦ください。
結構見切り発車なので、更新は亀の歩みになるかと思います。
そもそもこのクロスに需要があるかどうかも謎ですが。