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[15544] [習作]チート憑依主人公にオブラートを巻いてみた[なのは世界?→なのは世界?]
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2011/05/31 15:10
 ディティールの書き込みでチート主人公の臭みをどれだけ隠せるかと言う意図の実験作です。
 テンプレチート主人公がテンプレ通りに色々します。
 なお、オブラートは仕様ですのであしからず。

05/31
 地震→GWのコンボはきつすぎました……と言うわけで、ずいぶん長らく時間が空きましたが、その5を投下します。
 内容的には4.5ですかね。
 この後に追加するか、6にするかはまだはっきりしていません。

 ……長くなりすぎるので内容を主人公と三人の関係性に絞っていたのですけど、話しの流れがけっこう唐突だったかも。
 けっこう初めのほうから、ロックが美由希さんを気にする描写を入れていた心算だったんですが、見直してみるとあんまり無かった(をい)
 

02/15
 風邪引いて三日寝込んだり、その後疲れが抜けなくて以降の仕事時間以外は大半を寝て過ごしてたりと、結構酷い状況ですが生きてます。
 生存報告代わりにオブラートの没案を載せてみましたが、続かないので読む方はその前提でどうぞ。

01/24
 ようやっと年末年始の状況から解放されたので更新……。
 某エルミナージュの『清姫』をロックとすずかが手に入れたら、多分、二人で日がな一日、ぼんやりうっとりと眺めてると思います。

09/27
 『俺、今日でここやめるから、ばいばーい』
 ……等と言うふざけた言葉を残して本当に音信不通になりやがった無責任男のお陰で大変な二ヶ月でした。
 ただでさえ、ギリギリっぽい人数で廻してたのに……。
 ただでさえ、接客業にとって八月は忙しい時期なのに……。
 その上、余計な仕事まで入っていたのに……。
 その上、九月半ばになって流石に落ち着いてきたんで、じゃあ順に連休(二日だけだけど……)入れるかって話になったのに、俺だけピンポイントに急な仕事が入って連休潰れるし……。
 他の人の連休の皺寄せだけ喰らって連休無しってどういうことよ!?
 まぁ、来月辺りに連休入るかもだけどさ……。
 つーか、前の連休も似たような流れで潰れた記憶があるよ。
 もう半年くらい連休ないよ、中跳びで週二日休みだった事はあったけどさ。
 ……すいません、愚痴です。

07/28
 移動場面終了と言うことで上げててみる。
 次回はその後のつなぎの状況説明を交えてそのまま初日の海水浴へ……。
 なので、3にするか、一日終わるまで2のままで行くか悩み中。
 まぁ、何も変わることはないといえばそうなのですが……。
 

07/20
 夕焼けの中のアリサは、実は昔飼っていたうちのワンコのイメージ。
 栗毛と言うか赤毛と言うか、そんな感じの色だったんですが、夕焼けに映えてとっても綺麗だったのです。
 まぁ、19の髪の色だ……でもいいですが(をい)。

06/23
 間奏その二を投稿。

06/18
 第二話完結。
 今年三度目(?)の風邪を引いたんですが、仕事が忙しくて到底休めないお陰で長引く長引く……。
 仕事行ってる時以外体力温存でずっと横になってたんですが、流れて行く時間に非常な虚しさを感じますね。

05/30
 後更新一回で第二話終了予定。
 やっぱりロック君が好きだと自覚するなのはと、マゾヒスティックな喜びに目覚めるロック君の巻でした。
 あー、後、今仕事が忙しいんで、多分水曜までレス出来ないと思います。

05/11
 VS士郎終了。
 もしかしたら、あの後にもう少しだけ付け加えるかも。
 当初は、ロックのゴキブリ殺法(蝦蟇剣法でも可)をき坐からの居合いで迎撃する士郎と言った内容にする予定だったのですが、ケンイチにそんな戦いがあったなぁ……と思い出してしまったので、こんな内容に落ち着きました。

05/06
 地獄のGWもついに終了……と言うことで切りの良いところまで上げておきまする。
 つーか、今日も午後から半日仕事で、次の休みは来週後半。
 既に半月休みなしで、それが更に現在進行形なんですがorz
 とりあえず、家に食事と着替えと風呂と寝る為だけに帰るシフトからは解放されたので、来週の半ばには後編を投下したいなー。
 久しぶりの休みなんだからどっか出かけたいしね(泣)

04/14
 ……結局、水曜日まで掛かってしまいました。
 アニメ版の美由希はゲームよりブラコン、恭也共々父親の生存の影響で若干子供っぽいとの事なのですが、こんな感じでいいのだろうか?
 恭也にしても、KYOUYAになりかけている気がする。

04/07
 用事が入ったので、とりあえず完成している所までを更新。
 今週中に後半を追加できるはず。

04/01
 軽くなったので本文修正……しようと思ったら冒頭が削れていたので、とりあえず適当にでっち上げる。

 なのはのターン……のはずなのですが、どうやらすずかとなのはが一緒にいるとどうやってもなのはフルボッコになると判明。
 翠屋が紅茶が弱いと判じたのは、恭也が紅茶を注文した時の台詞から。
 アレを読んで、私は「ああ、この店では紅茶は注文できんな」と思いました。
 まぁ、実際のところはライターに紅茶知識が欠けていただけでしょうが……。
 紅茶についてのアドバイスに、ほんとーに誰でも思いつくようなことしか言ってませんが、その辺りは書き手の限界なので勘弁してください。
 ただ、この時期はまだ水出しアイスティーはそんなポピュラーじゃなかったはずなので、その辺りに感心したと考えればそんなに無理もないのかな?



[15544] 二周目はじめました
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 00:57

 目を覚ます。
 こぽり、口元から気泡が上がった。
 紗掛かった、揺らぐ視界と、手足の付かぬ浮遊感……。

『水の、中?』

 定まらぬ意識の中で、そんな事を思う。
 全身を覆う暖かな感触。
 ぬるま湯のようなそれはしかし、肺を、気管を満たしても噎せも窒息もせず、与えるのはただ気怠くも暖かな穏やかさだけ……。
 或いは、母の子宮の内にたゆたう赤子とはこの様な状態なのかもしれない――そんな穏やかさに包まれながら、なぜそうしたのか俺は、我知らず伸ばしていた。

 右手を、前へ……。

 眼前に砕け揺らめく、煌めきの中へと。
 なにが不満だったと言うわけでもない。
 そもそも不満を不満と認識できるほど、その時の俺の意識ははっきりしていなかっただろう。
 ただ、ただ、そこは暖かく気怠くて、日溜まりで微睡んでいるような穏やかさだけが辺りを包み込んでいて、けれどそれでも、右手は、前へ……。
 手が伸びる、体が伸び上がる。
 おそらく視線の先にあるのだろう、光源に向かって。

『……それ以上、手を延ばしてはいけない』

 そんな言葉が俺の頭に届いたのは、その時のことだった。
 声ではなく、言葉。
 耳に届く音ではなく、頭の中に届いたそれに、延ばした指がひたり止まった。

『延ばしてはいけない、今はまだ』

 目指した水面のその向こう側、輝きの前に影が差す。
 こぽり、我知らず開いていた口元から、多くの気泡が漏出てた。
 恐らくは『言葉』の主のものだろう、水面に投げかけられた影の形シルエットに、目を大きく見開く。

『ふむ、貴方の目には、私はそのように映るのだね?』

 男女とか、そういう声質の差は感じられない、しかし、穏やかで理性的な個性を感じるその言葉の主は、落ちた影を見る限り、人ではあり得ない姿をしていた。

『驚かせてすまない。
 それから、今の私が、貴方には嫌悪を催しかねない姿に映っていることも認識した。
 ……それらを理解した上でお願いする。
 どうか、今は私を信じて、周囲に身を委ねて目を閉じてはくれまいか?』

 真摯な『言葉』でそう語りかけてくる彼の姿を、なんと評すればいいのだろうか?
 揺らめく水面に映った影であることを割り引いたとしても、その姿は異形で、人の常識から言えば怪異と呼ぶ他無いものだった。
 水に揺らめくイソギンチャク。
 影から想像される姿を何かに準えさせれば、おそらく大多数からはそういった答えがあがるだろう。
 童話が好きな人間ならば、ムーミン谷に生息する怪生物ニョロニョロを、ゲーム好きな人間ならば、ファンタジーRPGに登場するモンスターローパーを連想したかもしれない。
 加えてSF好きでもあった俺が、その影の形と理知的な言葉からもっとも強く連想したものは、スペースオペラの金字塔、ドク・スミスの一連の傑作シリーズに登場する、リゲル星系第四惑星人の姿だった。
 恐らくは、だからだろう。
 俺は素直に目を閉じ、力を抜いて気怠るさに身を委ねる。

『なるほど……では私のことは是非トレゴンシーと呼んでもらいたいな。
 実の所を言えば、私の名前は今の貴方には知覚できるものではないのだ』

 そして、再びの眠りに落ち行く俺の、胡乱な頭に届いた最後の『言葉』は、かすかな笑いを含んでいた。

.
.
.
.

 それから、どれだけの時が経ったのかはわからない。
 次に気づいた時、俺は自室のテーブルの前に腰を下ろしていた。
 実家から離れた大学生の一人暮らし、六畳一間に台所、風呂トイレ、ベランダ付きの1K。
 壁面の大半に書架が、残る僅かにパソコンデスクその他が詰め込まれた狭い部屋の中、丸い卓袱台を挟んだ俺の対面に、『彼』なのだろう存在が佇んでいる。

『おはよう、という挨拶は些か不適当かな……』

 無数の触手が生えたドラム缶のような体――先の、それを連想させた影とは異なり、完全にリゲル星系第四惑星人そのものの姿をした彼は、お辞儀のつもりなのだろう、ふらと体を前後に揺らし、こんな言葉を投げかけてきた。

『まずは自己紹介から始めようか。
 私の名はトレゴンシー。
 即席の偽名ですまないが、私の種の言語はどうやら貴方達には認識し難い概念で出来上がっているらしい』

 後で知った事だが、どうやら彼がトレゴンシーそのものの姿をしているのも、名前と同じ様な理由であるようだ。
 人類とは違う『層』に存在する彼らの種族の存在を、俺たちは、三次元空間に投げかけられた影のような断片でしか理解できない――無理に知覚しようとすると精神的ダメージを受けるらしい――為、俺に施した処置を利用して、リゲル第四惑星人の姿でマスキングしたそうだ。
 ならば、トレゴンシーと同じ第二段階レンズマンのパレイン人ナドレックの方が近いんじゃないかと尋ねると、存在としては高位次元に移行した後のアリシア人の方が近いし、個人的にトレゴンシーの存在が好ましいからなのだとか……とまぁ、それは余談だが、この後、長く友人として付き合う事になるトレゴンシーは、そう言って俺に腕輪――当然、プラチナイリジウム合金製のアレである――を填めた触手を卓袱台の上に差し出した。

「あ、ああ……俺は眞鍋六郎(まなべ・ろくろう)。
 身内にはロックと呼ばれる事が多いかな。
 名前は好きに呼んでくれてかまわない」

 俺は、そんな奇妙な現在に些か怯みながらも、伸ばされた触手に慌てて両手を伸ばす。
 焦り、押し抱くように両手で掴んでしまった彼の『手』は、厚いなめし革に、みっちりと張りつめた筋肉が詰まった様な、しかし、内に芯となる骨を持たない奇妙な握り心地で、あるいは、大王イカ辺りの触腕から滑りをとったらこのようになるだろうか……俺はそんな感想を抱いた。

「よろしく、では貴方の事はロックと呼ばせてもらうよ。
 まず最初に、私にはロックに謝らなければならないことが幾つかある」

 半ば虚脱、残りの半ばも現実逃避気味。
 友好的な地球外生命体とのファーストコンタクト――それも、偽装とは言えリアル『リゲル星系第四惑星人トレゴンシー』だ!――と言うSF者なら垂涎の状況にあって、しかし、現状に適応できず境遇を楽しめずにいた軟弱者オレは、ここでようやく我に返った
 抱え込んだままの触手を離して、姿勢を正す。

「一つ目は、私達の種族の事情に巻き込み、貴方をこのような困った状況に追い込んでしまったこと……それを私達の種族の治安を司る者達を代表して謝罪する」

 おそらく、人類が彼に奇怪を感じる程度には、彼から見た人も異形なのだろう――解放された触手をすかさず素早く引き戻しつつ、トレゴンシーはそう告げた。
 そして、こう続ける。

「そして、二つ目、私達には、ロックを元の世界に帰してあげることができない」

 ……それからの彼の説明を、簡単にまとめると、こんな感じになる。

 彼らの領域で何らかの事故が発生して、俺たちの世界に穴が開き、そこに落ちた俺を、穴を修復しにきたトレゴンシーが、すかさずキャッチ。
 彼らの住んでいる(?)領域は、物質的な実在には意味がなく、レンズマン風に表現すると、第三等級以上の知性?を持たない者には存在すらできない領域であるらしく、落ちた直後から存在の拡散→消滅の過程を辿っていた俺の修復を開始した。
 彼らがこの領域に適応してからもう随分長い時が経っている上に、他種族を巻き込むような事故もほとんどあり得ないような低確率であった為に専用の修復装置など存在せず、その際俺に、彼らの種族の標準装備である『融合型時空航行船』とでも言うべきナノマシンインプラント的な物を移植している。
 ちなみに、今の前後の記憶がないのも、それを今まで全く奇妙に感じなかったのも、存在の拡散と修復の影響で、トレゴンシーがこちらと対話できたり、妙にSFに詳しい発言をしているのは、その際に得たデータから作ったデバイスを介しているからであるらしい。
 融合型時空航行船に関しては、幾つかの種族で共通して使用されている汎用デバイスなので、副作用的な事は考えなくても良いとのこと。
 尤も、寿命が延びたり能力の向上がみられたりするのは正規の作用で、きっちり修練を積めば第三等級の知性に到達できるそうなのだけれど、なんだかなー。
 でもって、暗中模索の修復作業やらなにやら行っている内に、私の故郷では四百年ほど時間が過ぎてしまいましたとさ……。
 時空航行船の名前から判る通り、俺たちの世界よりよりマクロなこの界を経由すれば、平行世界移動及びそれによる疑似的な時間移動が可能である為、俺が落ちた前後の俺の住んでいた世界に近似する世界に移動する事は可能なのだそうだけれど、そこが、『この空域に落ちた俺がいる世界』である可能性は、無限大/無限大×無限大×無限大位の確率らしく、永遠に探し続けても見つからない可能性が高いそうだ。
 もちろん、簡単に見つかる可能性も無くはないので、数回ならば試しても良いとのことだけれど、可能性としてはほぼゼロ、期待しない方がいい。
 事故で穴が開いて、その場所が特定できたのなら事故の影響の軌跡みたいのを辿って特定できないのかと尋ねると、こちらの世界の存在は見かけ上一つに収斂されるので、特定できるのは四百年後の俺の故郷だけらしい。
 ……なんだか、ぜんぜん簡単ではなくなってしまったが、俺の現状はこんな所だそうで、俺の元居た場所には帰れず、そうじゃない所に戻るにせよ、戸籍など――換金可能な貴金属などは簡単に用意できるそうだ――が存在しないし、データをいじる手段もない。
 そして、そう言ったモノが曖昧な時代、世界で生きるには俺は余りに、なんだ、その、インドア派で、ね。
 素直に修練を積んで彼らの世界に生きるのも、ちょっと遠慮したいし……八方塞がりな状況に俺が頭を抱えていると、トレゴンシーは心底すまなそうにこう言った。

『……リスクが大きいのであまり勧めたくはないが、ロックの身に何もなかった状態に近似した状況にする手段がないわけではない』

「本当かっ!」

 ちゃぶ台を蹴倒す勢いで詰め寄る俺に……

『あ、ああ……』

……驚いたのだろうトレゴンシーは、多数の触手に奇妙な舞いを踊らせながら、そう答えた。

『今のロックは、物理的な実在を持たない、情報体だ。
 通常、物理次元に入る時は情報を物質化して肉体を再構築するが、それを行わず、他の世界に存在する相似存在と同調・融合させる事は技術的には可能だ』

 そう締めた言葉が俺の脳に染み込むのを待ってから、トレゴンシーは体を一歩後ろに下げた。
 そして、こう続ける。

『ただし、言った通りにリスクもある。
 まず第一に、融合の失敗――近似する個体とは言え、完全に同一のモノではない為、融合時に混乱が生じ、精神に異常を来す可能性は十分に存在する。
 実際にあったケースの一つでは、狂気に捕らわれ分裂した自我が、互いを消去しあった結果、物理的にも情報的にも存在が消失したそうだ。
 ……これを回避するためには、対象ができるだけ若い、誤差の少ない状態で同調し、ゆっくり時間をかけて融合していくことが必要になるが、ここで第二のリスクが発生する』

 言葉を切って一拍、二拍……理解を待つように間をおくと、トレゴンシーは困ったように息を吐いた。

『同調、融合することで、ロックの存在のポテンシャルが増加してしまう。
 貴方は、他者より世界にとって重い存在となり、世界に及ぼす作用、返る反作用は大きくなる。
 これにより、融合が進む程、現状はロックのソレとは離れ、融合失敗のリスクが増加するのだ。
 安全に融合するために必要とされる時間は、胎児の時点で同調を始めても3年、以降歳を重ねるにつれて長くなり、十代後半では10年を越えるだろう。
 幼い時期に始めれば、不測の事態に遭遇する可能性が増し、幼さ故に対応できずに命を落とす可能性が増す。
 歳を重ねた後に始めれば、融合の失敗によるリスクが格段に上昇する。
 そしてどちらにしても、ロックは貴方の家族・友人達とは全く同じ形では再会できない』

 それでもいいのか、と問いかけたトレゴンシーに、俺ははいと答えた。
 未練がましく三回ほど俺が消失した直後の時系列の世界を観測して、それから……。

.
.
.
.

 そしてそれから、八年の時が経過した。
 完全に俺が俺になってから、五年……同じ親の元、同じ眞鍋六郎、ロックとして生まれ出た俺は、彼の言った通り、かつての俺とは似ても似付かない者になっていた。
 それはそうだろう。
 幼児の段階で、大学生と同等の知能を持ち、更に『融合型時空航行船』の機能で能力が底上げされているのだ。
 その上、及ぼされた周囲の変化は、存在のポテンシャルとやらの増加に伴い、良い方にも悪い方にも増幅される。
 これで同じになったら、奇跡だろう。
 そんな中俺は、案外巧くやってきたのではないかと思う。
 不測の事態に備えて体を鍛え――ナノマシンのお陰か成長が凄い早いのが面白く、今では半ば趣味と化している――ながらかつての友人たちともそれなり以上に友好的な関係を築き、親との折り合いもかなり良い。
 けれど……おそらくはやりすぎてしまったのだろう。

「転勤することになったんだ」

 人生万事塞翁が馬、俺は今、その言葉を強く噛みしめている。

「新しい事業所の、責任者に抜擢されたんだ。
 成功すれば長く、失敗するにしても数年はあっちに住むことになるから、家族で引っ越して、向こうに家を建てようかと思ってる」

 給料もあがるしね……そう、母に微笑みかける父の姿に、俺は唖然、口を開いた。
 父親が、出来すぎな息子の姿に発憤し、前世以上に頑張って働いていたのは知っている。
 けれど、まさかそれでこれ程状況が変わるとは……。

「それで、転勤先はどこなの?」

「○○県海鳴市……なんでも、ウチの会社の得意先の、創業者一族が住んでいるらしいよ」

 こうして俺は、この転勤をきっかけに幾つもの世界を渡り歩く大冒険をする羽目になるのだけれど、その時の俺は、当然そんな事は知らなかった。



[15544] 転校しました(その1)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/09/27 19:08
 本日、何度目なのか、既に数えるのを止めた敵の攻撃をヒョイと受け止め、外野にパス回し――

「すげぇッ!」

「すっごーいっ!」

 とか異口同音にどよめいている自陣の少年少女達とか

「ローーーックッ!!
 ちょっとアンタ、もっとまじめにやりなさいよ!!!!」

「オイお前ら、転校生になめられてんぞッ!」

 とか叫んでいる敵陣の少年少女達とか

 ――真剣にドッチボールに興じる新しいクラスメイト達に内心肩をすくめると、卓袱台に広げたスポーツ医学のテクストとノートとに視線を落とした。

『しかし、小学生って奴は無駄に元気だねー』

 転勤を告げられてから早三ヶ月、転校してからもう一月の時が経った。
 今俺は、転校先の学校――私立聖祥大学付属小学校。海鳴市にある、かなり学力も学費もお高い、以前の自分は全く縁のなかった名門レベルの進学校だ――で体育の授業を受けている。
 正直、家のローン組んだばかりなのに、子供を私立校に通わせて大丈夫なんだろうか?と思わなくもなかったけれど、子供に言われて既に申し込んだ転入試験を取りやめるわけもなし、わざと落ちるのも悪いしで、素直にまじめに試験を受けた。
 まぁ、せっかく頑張って築いてきた人間関係がチャラになって微妙に消沈していたとか、ハイソな私立なら極端に悪い奴もいないだろうから、少し間を置いた人間関係も築きやすいんではないかと言う枯れた打算もなくはなかったのだけれど……と、芋蔓式にここ一ヶ月を思い返し、俺は卓袱台に本を置いて溜息を吐く。
 高々一時間足らずの授業時間がまだ半分も終わっていないのに、数えるのが面倒になる程――いや、数えようと思えば簡単に数えられる、十六回、だ――の集中攻撃を受け、未だに敵陣の男子連中に転校生と呼ばれている現状が如実に示す通り、俺はそのハイソな学校にあって、クラスの男子の大半に絶賛ハブられ中であった。

「……はぁ」

 その事実に再び重い息を吐き出し、俺はその元凶の一端を担う二人と、オマケの一人へと順繰りに視線を向ける。

「あっ……」

 敵陣に目を向けると、発端であるカチューシャをつけた長髪の少女が、目敏く気付いてはにかむと小さく手を振り、それに僅かに遅れて、種火に油をぶちまけたツーサイドアップの金髪少女が『あによ!』とこちらを睨みを返した。
 そんな二人にやれやれと肩を竦めて、竦めたその肩越しにちらり自陣を振り返ると、何を思ってか、先程から俺の背後に陣取り続けている――そのお陰で律儀に毎回ボールを受け止める羽目に陥っているのだが――二人のツレのツーテールの少女が『にはは…』とこちらに小動物的な笑みを向けてくる。
 それぞれタイプの違う、しかし、魅力的な容姿を持つ三人の少女……今俺は、クラスメイトの全員に彼女らのコミュニティに属していると目されており、故に、自意識の発達するデリケートな時期の少年達に敵視されていた。
 異性に興味を持ち始める年頃だが、プライドやら羞恥やらに邪魔されてそれをまっすぐ表に出せない少年達にとって、ぽっと出の転校生が、クラス女子の中では最上に分類される三人に混じっている事が許せないのだろう。

『……つーか、お前らが過剰反応しなければ、こんな事にはならなかったんだけどなー』

 自分の特性を棚上げして大人気なくそんな事を考えると、俺は三度ため息を吐き出した。

『まぁ、結局は俺のせいなんだけどさ』

 存在のポテンシャルの増加――融合によって俺に起きたその変化がなければ、こんな状況にはならなかっただろう。
 
『……と言うか、それ以前にあの内気な少女が、発端となる行動を起こしたかすら怪しいよな』

 自然、下がっていた頭を上げると、俺は視線は動かさず目の端だけで――意外と勘が鋭い彼女はそうしないと間違いなく気付くからなのだが――カチューシャを付けた少女の姿を眺めた。
 彼女の名は月村すずか、転勤時に父が言っていた『お得意先の創業者一族』のご令嬢である。
 転校当初、積み重ねた努力を盤面ごと覆される経験を経た俺は、人間関係の構築に疲れを感じていた。
 それは、せっかく繋ぎ紡いだ縁が、一刀両断に断ち切られたという事もある。
 だが、それ以上に今まで積み重ねた努力が半端なく重いものだったからだ。
 世界に対する重さの上昇――トレゴンシーが『存在のポテンシャルの上昇』を評した言葉を、本当の意味で理解できたとは思っていない。
 けれど、それがもたらす表面的な変化ならば、この五年で嫌と言う位思い知っていた。
 一言で言えば、それはカリスマの強化となるだろう。
 俺が放つ言葉の一言一言、行動の一挙手一投足が周囲に与える印象が、良くも悪くも格段に強まっているのだ。
 そして、そもそも、人の言動の影響と言うモノは、受け手の自我が未熟であるほど強まる物である。
 もし、受け手の素養とか一切関係なく強い印象を与えるその言動の受け手が、確固とした自我や価値基準を持たず、なにかと極端な行動に走りかねない幼子達であれば……。
 わけのわからないきっかけでエキセントリックな行動に走る幼い友人達の、火消しに奔走された日々は俺にこう思わせた。
 ここは『引っくり返された』ではなく、『せっかくリセットされたのだから……』と考えて、新しいクラスメイトとは一線を引いて過ごした方が精神衛生上良いのではなかろうか?

「……あの、眞鍋君?」

 そう思いつき、実践していた俺に、彼女が話しかけてきたのは、転校してから一週間ほどが過ぎたある日の事だった。
 転校当初のわずらわしさを何とか乗り越えて、クラスメイト達から『悪い奴ではないが面白みにかける』と言う評価をもぎ取った俺に、何ですずかが話しかけてきたのか、正確なところは判らない。
 ただどうやら、彼女は、俺が『クラスメイトを遠ざけよう』としている事に気付いており、そんな俺に何らかのシンパシーを感じていたようだ。
 以後数日、すずかが何やかやと接触を試み、俺がのらりくらり遠ざけるという日々が続くと、今度はそれを見たクラスの男子連中が騒ぎ始める。
 何しろ彼らは、男女意識が芽生えつつあるお年頃、色々悪目立ちする東京から来た転校生とクラスでひそかな人気を持つ癒し系お嬢様が頻繁に接触しているともなれば、もう行動は一つしかなかった。
 密かにすずかを思っているらしい数人を中心とした男子が、二人の関係を囃し立て始め、そこに腹を立てたすずかの親友――先の、金髪ツーサイドアップ。こちらも大企業の社長令嬢、アリサ・バニングス――が乱入する。
 何とか事を穏便に済ませようと努力したものの、それも今まで皆と距離を置こうとしていた事が裏目に出て失敗に終わり……転校して二十日目を数える頃、俺はクラスの男子から『男子でありながら生意気なアリサのグループとつるんで歩く裏切りもの』として認知されていた。
 こうなってしまうともうどうしようもない。
 心配したはずが裏目に出てしまったすずかは責任を感じて事あるごとに誘いに来るし、それをのらりくらりかわそうとするとアリサが怒り出すし、二人の親友であるオマケの+1――こちらは背景的には極普通の小学生、高町なのは――はなんだかんだ言って一番頑固で手強いし、といつの間にか四人で歩くのが普通になってしまっていた。
 まぁ、なんだかんだでクラスメイトの大半とは程々に距離が開けられたし、つるんで歩くのは学内だけ、今後、性意識が発達するにつれて、男女合同のコミュニティは維持するのが難しくなっていくから自然にフェードアウトできそうだし、彼女ら三人は年齢と比してやたらしっかりしているので、他の同級生と比べれば気の置けない付き合いができると、考えてみれば悪い事ばかりでもないのだけれど……等と、すずかを目の端で眺めながらつらつら考えていると、こちらの外野陣に翻弄されていた敵陣から聞き覚えのある叫びが上がった。

「このッ!」

 体操着で包んだしなやかな肢体と、躍動する長い金髪――の印象とは裏腹に『がー』と歯を剥き出したアリサが、放たれたボール目掛けて躍り出る。
 年を考えれば見事と言っていい身こなしでボールの軌道に滑り込んだ彼女は、横から引っ手繰るようにしてそれを止めると、片手ですずかに投げ渡しながら、こちらを睨みつけた。
 そして、指差す。

「すずか! あの馬鹿に目に物見せてやりなさい!」

「え、ええっ!?」

 突然、それも片手で荒く放られたボールを危なげなく受け取りながら、すずかは目を丸くして驚きの声を上げる。
 俺は『ハァ?』と首を傾げて、アリサとすずかとを交互に見比べ、同様、アリサと俺を見比べていたすずかと目が合った。
 こちらに視線を据えたすずかを上から下まで順繰り眺め、もう一度首を傾げる。

『……なんで、すずかなんだ?』

 この時期の子供の身体能力は、余程の事情でもなければ、体格に比例する物だ。
 対してすずかは、身こなしを見るに運動神経は悪くないようだが体格は細身で幾分小柄、幾度か触れたことがある――別に、エロい意味ではない――その体も、歳相応の柔らかさを備えている。
 である以上、クラスの体格が良い男子より威力の高い球を放る事など不可能なはずなのだが……。

『まさか、俺がすずかに気があるから手加減するだろうとか、そう言った事を考えてるわけではなかろうな?』

 俺の個人的な判断基準を言わせて貰えば、ハイティーンに至っていない者は男でも女でもない『子供』で、正直恋愛の対象外なのだが、そう言った勘違いをさせるような行動を自分は知らずに取っていたのだろうか?
 ……半ば本気で困惑してアリサに視線をやった俺に、少女は指していた指で首を掻き切る仕草、にやりと笑って見せる。
 それに一瞬送れて、静まり返っていた敵陣から、男子達の異口同音の歓声が上がった。

「そうかっ、俺たちにはまだ月村が居たっ!」

「月村ならっ!」

 この年頃の男子としてその発言はどうなのかと思わなくもないが、どうやらすずかはそれだけの実力者であるらしい。

『周囲の月村コールを受けておろおろしている彼女を見るに、とてもそうは思えないんだが……』

 むうとすずかの事を眺める事しばし、彼女は意を決したように息を飲み込むと、両手でボールを構えた。
 上がっていた月村コールが一斉に引き、俺とすずかの周囲から――俺の方は元からだけど――潮が引くようにクラスメイト達が離れていく。
 月村の傍らに、アリサ。
 俺の背後に、なのは。

『……ありえん』

 有り得ん状況を引き起こす最大要因がこういう事を考えるのもなんだが、有り得ん。
 そんな、まるで漫画のようなシチュエーションで、俺とすずかは正対する。

「……ロック君、行くよッ!」

 そして、半ば棒立ちで戸惑う俺に、すずかは堂の入ったフォームで手にしたボールを振りかぶった。
 ぶおん、轟音、放たれたボールが空を破る。

『ちょ、ちょっとマテ!』

 その迫る球威に俺は、両の目を見開いた。
 おおよそそれは、小学生の投げるような球ではなかった……と言うか、物理的におかしい。
 彼女の体重と体格、このグランドのコンディションと、靴、投げるフォーム。
 どう考えてもアレは、投げられない――仮に彼女が、吸血鬼であるとか、サイボーグであったとしても。
 世の中には物理法則と言うモノがあり、体重やらフォームやらで球に乗せられる威力の上限が決まっているのだ。
 いや、と言うかその前に、この球はこの姿勢では……。

「ハァッ!」

 だから俺は気合一閃、だらり下げていた腕を、跳ね上げた。
 ボールのスピードと回転を読んで、斜め下からの打撃をベクトル合成……ボールを真上に搗ち上げる。
 見えないほど高く上がるそれに、ほうと息を吐き、俺はボールを受け止めるべく、両腕を前に差し出した。

「……地面にバウンドしなければセーフだったよな?」

 その問いに、周囲は一瞬静まり返り、そして、怒号!

「うおーーーーーッ!!」

 その瞬間、俺達四人を除いたクラスの心が一つになった。

「月村の、月村の球を止めたッ!!!」

「すっげー、レイザーみてぇ!!」

 特に男子連中の高ぶりは凄く、もう一年ほどで長い連載休止に入る漫画の敵役の名前を叫んでいたりする。

『しかしこの昂ぶりって、本当に俺だけのせいなのか?』

 もしや、あの二人は天然のカリスマか何かを持っているんではあるまいな――俺は、さし伸ばした手の中に綺麗に落ちてきたボールを捕ると、敵陣の二人を見やった。
 何かやたらとショックを受けた様子のアリサと、こちらの視線ににっこり笑って腰を低く、正面から受け止める構えを取るすずか……。
 俺は、赤く痺れる右腕を宙に振りながら、内心、流石にコレはパスできないよな、とか思っていた。

『……と言うか、何で先生も止めないんだろう』

 月村コールに変わり、転校生コールが鳴り響くコートの中、俺はボールを指の上でくるくる回してみる。

「うお、やっぱりレイザーだ!」

『ああ、そう言えばあのキャラもやってたな、コレ……』

 単なる場繋ぎのつもりだった行動が演出に見えたらしく、コート内は更にヒートアップ。
 俺は、ここはバレーのアタックでも決めるべきなのだろうかと内心頭を抱えた。

『……しかし、どうしよう』

 さっきのすずかのアレは、間違いなく異常だ。
 物理法則的に、人体工学的に有り得ない威力……そして、俺はそれを可能とする『力』を知っている。

『気、あるいは、サイオニクスって奴か、居る所には居るモンなんだな、天才ってのは……』

 大学時代、俺の友人に怪しい実践空手の道場に通っていた男が居た。
 コレは彼の経験談だが、ある日師範が、『気』の実演をしてくれたらしい。

『コレが人間の思い込みの力です』

 軽く押されたはずの手に、友人は耐えることができず、よろけて後ろに数メートルたたらを踏んだという。
 今までは眉唾に思っていた話だが、今となってはそうとも言い切れない。
 トレゴンシーの話と、目の前に居るすずかの存在が、何よりも強く、その可能性を示していた。

『しかし、どーしよー』

 そして俺は、クラスメイト達の目の前ではボールを思わせぶりに動かしながら、卓袱台の前に座り込む。
 一応、そこらの最上級生に負けない程度には体を鍛えては居るが、それは小学生レベルでの話だ。

『俺、期待されてもあんな威力のボールは投げられないし』

 すずかの様な物理法則を歪める力を――トレゴンシーの口ぶりを考えるに、そのうち出来るようになる可能性は大なのだが――持っているわけでもなく、体に融合した時空航行船にもそう言った機能はない。
 こう、ナノマシンと聞くとサイボーグ的なフィジカルな強化を連想しがちだけど、これはどちらかと言うと、精神――脳や神経系統――の機能を強化する物である事が、今までの経験でわかっていた。
 肉体の再生能力とかも上がってるし、その影響か肉体的な鍛錬の成果も出るまでも異常に早いけれど、どちらかといえば、肉体を統括する機能の方がメインなのだろう。
 今の俺は、体力的には普通の枠を超えないが、その気になれば左右の手で同時に、全く別の作風の細密画の模写を、高速で描画することができる。
 ……それも、一度見ただけの絵を、だ。
 だから今も、こうして時間加速した脳内仮想空間で寛ぎながら、現実ではグランドでボールを操ったりできるわけで……。
 とにかく、時空航行船には身体能力の強化的な機能は殆どない、ついでに言うと、時空の扉を開いたりといった機能も、今のところは存在しないようだ。
 トレゴンシーのむしろアリシア人に近いとか、その気になれば第三等級の知性云々と言う発言を考えるに、そういった能力は基本自前で、俺に注入されたらしいアレは、それをサポートする物なんではないかと思う。
 何と言うべきか、フネはフネでも舟、手漕ぎボート的な?
 脳内に仮想空間を展開してそこで情報を色々扱えたり、凄まじい計算能力があったり、肉体を統御したりといった機能は、多分あの物理的な存在が全く意味を成さない空間で自己の存在を保ったり、自在に移動する時に必要となる莫大な情報処理を行ったりする為にあるのだろう。

『例えれば、脳内仮想空間が船体で、その他機能がオールか?』

 まぁ、それはそれとして、気合入っているすずかには悪いが、俺にはあんな物理を超越するような力はなかった。
 一応、凄い身体操作能力で、リミッター切ったり、機械的に肉体の出せる最高のスペックを出したりはできるが、未だレンズマン的な精神能力に目覚めていない俺には、体重を超える威力は引き出せない。
 つまり、俺がすずかを満足させる為には、パワーで突き上げるのではなく、汚い大人的なテクニックで主導権を握るしかないというわけだ。

「なのは、悪いもう真後ろに立たないで……そう、もうちょっと下がってもらえるか」

 ふむ、と俺はボールを構え、なのはを下がらせると助走の為と見せかけて大きく距離をとる。
 要は、相手にボールをきちんと掴ませず、中途半端な保持であれば、弾ける回転をボールに持たせる事だ。
 野球でボールが落ちるとかホップするとか言うのは、基本的には目の錯覚である。
 ボールの回転が空気を捉えて、通常のそれより重力に逆らった軌跡を取るか、その逆か。
 つまり、より大きな錯覚を起こす為にはある程度の距離が居るし、余り大きすぎると気付いて修正される。
 必要なのは距離とボールのスピード、回転、それに、最大限の威力を乗せつつ、投射のタイミングをずらす、小細工。

『……イメージは出来た』

 卓袱台から立ち上がり、随分久しぶりに肉体を完全制御フルコントロール
 血を、肉を、腱を、骨を、肉体の全てをボールを投げるという動作に収斂させる。
 それですら、先のすずかの一撃に篭った純粋な『力』パワーは及ばない、その自覚に苦笑しながら、自らの肉体を優美とすら言える動きで助走させ、そして……。

「ハァァァァッ!」

 ……大人気なく、子供らしく、全力でそれを解き放った。
 轟と放たれた一撃の速さはすずかのそれには及ばず、しかし、その球音はそれをも凌ぐ。
 すずかの黒い瞳に赤い瞬き、その口元には笑み、捕った…と思ったのかもしれないがその捕球位置では僅かに低い。
 引き伸ばされる一瞬の中、目が合った。
 にやり、こちらも音速で笑い返す。
 アイコンタクト――捕れるモンなら捕ってみろ/うん、捕って見せるよ、ロック君。
 繊手、すずかの細くたおやかな指を、ホップしたボールが擦り抜け、条理を超えた速度で、それを捕らえようと指が蠢く。
 轟然たる回転がすずかの指を焼く、しなやかな指がボールを絡め捕る。
 そして、つつ…と、すずかの指から赤い糸が零れ落ちた。
 ボールは彼女の手に、しかし……。

「いたた、爪、割れちゃった」

 奇妙にとろりとした、赤い輝きを宿した瞳で、すずかは己が指をぺろりとなめた。



[15544] 転校しました(その2)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 00:59

「あー、完全に割れちゃってるね。
 ……ちょっと染みるよ」

「…ッ!」

 爪の割れた何本かの指を微温湯で洗い、水気を良く拭き取ってから消毒液を塗る。
 後は爪の固定と表面の保護だけど、流石に爪の保護材なんかあるかどうかは判らないし、勝手に漁るのもアレだ。
 瞬着とかで止める手もあるけど、そっちも生憎持ってない。
 確かめてみると、ボールを掴んだ指先の皮膚も大分痛んでいたので、そちらに軟膏を塗った後で指先全体に薄手のガーゼを巻き、割と厳重にテーピングして止めた。

「引っ張られて割れが進行することがあるから、小まめに爪を切るか鑢で削って、出来るだけ指先には力を入れないようにしたほうがいい。
 後、中に黴菌が入ると爪の病気になる事があるから、消毒も忘れずにね」

 俺はそう言うと、目の前で椅子に腰掛けている少女を見上げる。
 時間は未だ体育の授業中――どちらかでも残っていると生徒たちの収拾が付かないとの先生の判断で、俺は怪我したすずかの保健室へのエスコート役を仰せつかっていた。

『……まぁ、養護の先生は午後まで外出中だったわけなんだが』

 それで、怪我させた相手をそのまま放っておくのも寝覚めが悪いし、一度グランドに戻るのも級友達の盛り上がり的に怖いしで、適当に処置したのだけれど――今の俺たちの状態って、構図的に結構やばくはないだろうか?
 体操着&ブルマ姿の小学生(美少女)の前に屈みこんでいる等、仮に俺が転生前なら通報間違い無しの姿だろう。
 そんな不純な事を考えながらも治療を終えると、すずかはテープの巻かれた指を妙に気だるげな表情で眺め、微笑んだ。

「うん、ありがとう、ロック君。
 ……手当て、上手いんだね」

「昔から、暴走しがちな仲間の尻拭いばかりしていたからね……」

 思わずそうため息をついてから、自分の言葉に気付き、俺はすずかから視線を逸らす。

「あー、ごめん。
 女の子に言う言葉じゃなかった」

 すずかは、謝罪の言葉に一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐにクスクスと笑い始めた。

「……ふふふっ、そんなに気にしないでもいいよ。
 そっか、わたし今日、ロック君にお尻を拭いてもらったんだ」

「あ、いや、すずかに怪我させたの俺だし……」

 何がツボに嵌ったのかコロコロと笑い続けるすずかに、俺は『どちらかといえば蒔いた種を刈り取っただけ』と答える。

「……今度は収穫されちゃった」

 すると、彼女は今度はそう言って、耐えかねたように腹を抱えた。

「あー、すずか、一体どうしたんだ?」

 全くワケがわからない――俺は憮然とした表情を作ると、立ち上がって少女を見下ろす。

「あー、うん、なんだか、ね、私、ちょっと酔っ払ってるかも?」

 そういわれて見れば、確かに顔色が赤いようなのだけれど、俺の知る限り彼女は、朝、俺たち四人が揃ってからはなにも摂取していない。
 強いて摂ったと言えば、さっき舐めてた彼女自身の血ぐらいだ。

「……なにをまさか。
 今日すずかが摂ったモノと言えば、さっき舐めてた自分の指くらいだろ?
 もし仮にすずかが吸血鬼だったとしても、流石に自分の血と汗じゃ酔わないんじゃないかね?」

 眉を潜めてそう言いながら一歩近づくと、『ごめん』と断りその顔を覗き込む。
 やはり赤い……熱に浮かされているのかもと俺は、そっとその額に掌を当てた。
 熱い。

「うーん、やっぱり少し、熱があるみたいだね?
 そのせいかな、少し横になって休んだ方がいいと思うよ。
 その間に俺、先生を探してくるから……」

 そう言って離れようとする俺の、掌をすずかのそれが押さえた。
 元々高い子供の体温、それが、傷と熱とで更に、赤い。
 すずかは逆にひんやりと冷たく感じているのだろうか?

「今日のロック君は、お喋りで優しいね?」

 気持ちよさそうに目を細めて、少女はそう呟いた。

「弱ってる時は、たいていそんな風に感じるものだよ。
 ちょっとした優しさが嬉しかったり、ちょっとした行き違いが心細かったり……ほら、手を離して、ベッドに入らなきゃ。
 なんなら、俺が抱えて運ぼうか?」

 最後は冗談めかせてそう問いかけると、すずかは俺の手から手を放してうんと頷く。

「……じゃあ、お願い」

 そうしてすずかは、今まで座っていた長椅子に寝そべった。
 抱き上げやすいように膝を僅かに持ち上げた彼女に、やれやれと肩をすくめる。

『コレはアレか、お姫様抱っこって奴か?』

 仕方なく俺は手近なベッドへ向かうと、寝せやすいように掛け布団を捲った。
 少女の傍らに戻りながら、思う。

『今のすずかは、本当にどこかおかしい』

 酔っ払ったと言われれば、確かにそれが一番適当な表現なのだけれど――そんな事を思いながら彼女の傍に寄り、その体の下に腕を差し入れると、近づいた顔にふーとすずかの吐息が掛かった。

「どう、お酒臭い?」

 どこか甘やかな香り、さわやかな、決してアルコールの物ではないそれに、俺はうっと眉を吊り上げる。

「すずか!」

 流石に耐えかねてそう叫ぶと、すずかはくすくすと笑ってから瞼を閉じた。

「……ごめんなさい」

 そう言って、俺に体重を預けるすずかを抱き上げて、ベッドへと運ぶ。

「……本当に、今のすずかはおかしいぞ。
 大方、朝から体調が悪かったのに、授業で無茶したってところだろうけど……」

 いや、無茶をしたではなく、させた、か。
 主に、俺とアリサとが……

「……ごめんな。
 本当なら俺かアリサかなのはが気付かなきゃならなかったのに……」

 ……そして、アリサを煽ったのは俺に起きた変異だろうから、結局は俺のせいになる。
 自分を世界の中心と考えるのはおこがましいけれど、強い影響力を持っているらしい自分に、目を背けて知らぬふりをするのは無責任だ。
 それに結局、最後の最後で彼女達に混じる事を是としたのは自分だから、その分俺は彼女達を守らなければならない。

「ううん、ぜんぜんそんな事ないよ。
 謝らなきゃならないのは本当はわたしの方だし……それに、楽しかったんだ」

 ベッドの上に横たえて、布団をかけてやると、すずかは目を瞑ったままそう言った。

「……あのね、ロック君、わたし、今日初めて学校の体育で本気を出したんだよ。
 ううん、もしかしたら本当に産まれて初めてだったのかも。
 ロック君の投げたボール、本当に凄かった。
 ねぇ、ロック君……全力で全力の何かを受け止めるって、気持ちが良い事なんだね」

 そう言って、すずかは言葉を切ると、はぁと大きな息を吐いた。

「今度はロック君が、本当に本気で本気の、私のボールを受け止めて、ね……」

 そのまますやと眠りに付くすずかの顔をしばらく見守って、俺はその頭を軽く撫でた。
 全力を出すのは気持ちが良い。
 それは、全力を受けてくれる人が居ればこそ、全力で応えてくれる人が居ればこそ。

『今日のロック君はお喋りで優しいね、か……』

 饒舌になっていた自分の、理由に気付いて俺は、微かに顔をしかめた。

『寂しかったんだな、俺は……』

 二十歳も過ぎになって、こんな小さな子に、逆に受け止めなきゃならない立場の自分が……。
 そして、この娘はその寂しさに共感していたのか――俺は、そんな事を思って、すずかの頭をもう一度撫でる。

「今度か、うん、次は必ず」

 眠る少女にそう言い残して立ち上がり、保健室を後にした。
 閉まる扉を背に、思う。

『……けど俺って、すずかの本当に本気で本気のボール、受け止められるのか?』

 すずかの爪が完全になるまで、おそらくは数週間……。
 俺は特訓の算段を頭の中で立てながら、担任のいる筈のグラウンドへ向けて歩いていった。




[15544] 転校しました(その3)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 01:01

 聖祥大付属小の屋上は、小学校にしては珍しく、生徒達に解放されている。
 地代が高く、屋上に施設を作らざるを得ない大都市圏はともかく、海鳴のような地方都市なら、フェンスがあっても閉鎖されているのが普通なのだけれど――俺は、そんなつまらない事を考えながら、屋上へと続く重い鉄扉を押し開けた。
 今は昼休み……だが、それはまだ始まったばかりで、授業が早く終わった幾つかの教室を除けば、生徒達が荷物の中から弁当箱を取り出したか、取り出していないかと言ったタイミング。
 当然屋上も閑散としたもので、お目当ての二人を除けばまだ誰もいないようだった。
 俺は、分厚い鉄扉を音もなく閉じると、三人の――いや、今や四人のだ――指定席に座る少女達に、死角側から音も無く忍び寄る。

「はぁ……。
 すずかも調子が悪いなら、悪いって言ってくれれば良かったのに……」

 そして、暗い顔でボヤいている二人の背後で、こう口を開いた。

「……二人とも、何も言わずに置いてくなんて酷いぞ」

 ひゃぁ!とかきゃぁ!とか異句同音、二重重なる可愛らしい声……。
 答えを待たずに回り込み、何時もの場所に座った俺に、二人の少女は相当に驚いたようだった。
 なのはは、驚きに取り落としかけた弁当箱をなんとか捕まえてその小さな胸をなでおろし、アリサは一瞬、ムッとしてこちらを睨んだが、すぐバツが悪そうに視線を逸らす。

「え、あれ? ロック君、今日は教室で食べるんじゃなかったの?」

 そして、困ったような笑みを浮かべながらなのははそう尋ねた。
 まぁ、二人がそう考えるのも当然だろう。
 今まで四人、行動を共にしてきたのは、すずかと特に(←ここ重要)アリサが半強制的に誘ってきたからで、彼女達が働きかけてきた理由はと言えば、余計な世話を焼いて転校生を孤立させてしまったと言う罪悪感が主だ。
 ドッジの一件で、転校生・眞鍋六郎が不沈の女帝・月村すずかに土をつけた英雄として男子に祭り上げられた――頭が痛い話だが、本当にそうなってしまった。しかも、レイザーなる渾名付きで、だ――以上、彼女達には俺を誘う理由が無い。
 ……いや、むしろ彼女達の性格から言って、俺がまた孤立しないように距離を置こうと考えるだろう。
 そしてそもそも、今まで無理につき合わされていた男子が、今更自分達と行動を共にするとは考えにくい。
 そんな自分の考察に眩暈を感じながら――こう、普通の小学二年生つったら、もっと本能で生きてるもんだろ?――俺は屋上に弁当を置くと、大げさに肩を竦めて見せた。

「いや、実を言えば騒がしいのが苦手でさ。
 二人に託けて、先約があるからって断ってきた」

 騒がしいのが苦手と言うのは嘘ではない。
 幾人かに昼食に誘われ、その所属グループ間で取り合いに成り掛けたところで、約束があるからと抜け出てきたのも本当の話だ。
 尤も、本当の本当はと言えば……

「……あーそれから、二人とも、すずかの事は余り気にしないほうがいいぞ。
 別に調子が悪かったとか、そういうことじゃないみたいだからさ」

 ……二人にこの一言を告げる為だったのだが。
 すずかが熱を出した原因の大部分は俺にあるのだし、この程度のアフターケアはしても良いだろう。
 実を言えば、俺は子供の面倒を見るのはそれほど嫌いではないのだ――面倒くさいし、疲れるが。
 そもそも、本当に嫌いなら、あんな生活を五年も続けられない。
 そんな事を考えた俺に、まず返ってきたのは、一瞬の沈黙だった。

『今日のロック君は、お喋りで優しいね?』

 先のすずかの言葉でも判るとおり、こちらに来てからの俺は、余り社交的な人間ではない。
 だから驚いたのだろう――二人は目を見開いて沈黙すると、直後、対照的な反応を見せた。

「なによそれっ!
 ロック! アンタだって当事者の癖して、なにしれっと弁当開いてんのよ!」

 そう叫んだアリサは、おそらく自分と同じ当事者がすずかを気にしていないように見えるのが腹立たしいのだろう。
 感情的な面はあれど、基本そこらの中学生よりか大人な考え方をする彼女にしては余りに理不尽な物言いだが、これは、俺に対する怒りと言うより、すずかに対する罪悪感が形を変えて現れたものだと考えるべきだ。

『……まぁ、体育の授業中、俺に感じていた憤りがまだ燻っていた可能性も否めないが』

 対するもう一人なのはは、一瞬きょとんとした後、頭に染み込んだ言葉の内容に笑みを浮かべ……かけたのだが、アリサの怒気に機先を制され、すぐその表情に困惑の色を混ぜた。

「まぁまぁ、アリサちゃん……」

 そう言って、アリサを宥めるのは常ならすずかの役割で、なのはは本来、見た目に似合わぬ強硬派なのだけれど、どうやら今回は例外らしい。
 親友を抑えながらこちらをチラチラ見ている辺り、アリサのテンパり具合を理解した上で、こちらのフォローを期待しているようだけど、先のドッチボールも含め、何故彼女はそんなに俺を信頼しているのだろうか?

「ドッチの方は、すずかに楽しかったって礼を言われたからな……。
 迎えに来た侍女の人ともちょっと話をしたけど、特に体調が悪かったわけでもないみたいだし。
 なのに気にして暗くしてたら、今度はすずかの方が気に病むだろ?」

 そんな事を考えながら答えると、アリサはむぅと口をつぐんだ。
 二人は、あの対決以来、まだすずかと一度も話していない。
 迎えに来た侍女の人――なんだろうか? 気のせいかもしれないけれど、重心とか体重とかが色々変な感じだった――と話をしたのも、状況を説明についていった俺だけ……そして、嘘だと決め付けるのは簡単だけれど、目の前の苛烈な少女の性格は、それをするには公正に過ぎた。

『……餓鬼の頃くらい、もっと本能で生きてもいいと思うんだがなー』

 やはり、この人目を引く少女達には、すずか同様の特別な何かがあるのかもしれない。
 たとえば、主人公補正とか――苦笑の上にため息混じり、俺は下らない事を考えながらこう言葉を続けた。

「はしゃぎ過ぎて熱出しただけみたいだし、一寝入りすればケロッと治るよ。
 なんなら、帰りにすずかの見舞いにでも行ってみるか?
 ……多分、その頃にはもう、普段のすずかに戻ってると思うぞ」

 ……と言うか、戻っていてもらわないと困る。

『この二人の前で、さっきみたいに甘えられたら、一体どんな事になるか……』

 因みに、発熱の方は余り心配していない。
 侍女の人が同じ様なことを言っていた事もあるし、発熱の理由にもある程度の見当が付いていた。

『全力出したのは産まれて初めてかも……って言っていたからな』

 超能力の類がどう言う原理で成り立っているのかはわからないが、すずかの様子やら俺の肉体に訪れた変化やらを考えるに、人間の神経ネットワーク――特に大脳――に密接な関わりがある可能性は高い。
 故に、初めて全力で『力』を使った彼女の、それに強い負荷が掛かったのではないかと言う推測が成り立つのだ。
 まぁ実際の所は不明だが、俺も似たような経緯で何度か熱を出したので、それなりの信憑性はあるだろうと考えている。

『所謂「知恵熱」って奴だな……本来の原因は違うらしいけど』

 俺の場合の回復速度は、ナノマシンインプラント的なものが関係しているかもしれないので、一寝入りで治るか否かは微妙な所だが、幼い頃から――今も十分幼いが――すずかを知っている侍女の人が、『見舞いに来ても大丈夫、学校が終わる頃には落ち着いていると思う』と言っていたので、その辺り大差はないだろう。

「お見舞いか……けど、熱出したその日の放課後に行ったら、迷惑じゃないかな?」

 俺の提案に、なのははすぐに興味を示した……が、家人や本人の容態への悪影響を考えて言葉を濁す。
 因みに、もう一人の方はやり込められた形になるのが悔しいのか黙ったままだが、その目と耳の動きは、俺の提案に対する興味を如実に示していた。

「いや、侍女の人がお見舞いに来ても大丈夫だって言ってたから、問題ないと思うよ」

 だからそう告げられた言葉に、二人の顔はパッと輝く。
 直後、習い事を思い出したアリサが一瞬その表情を翳らせたが、何か算段をつけたのか直ぐにそれも元通り……今日の帰り、三人ですずかの見舞いに行くと言う事で、話がついた。
 この二人の事だから、このまま帰せば明日朝すずかに会うまでは責任を感じ続けるだろうし、すずかの事だから、明日の朝、心配そうに待っている二人に遭遇したら、自分のせいでと気に病むだろう。
 だが、こうして元気に見舞いに行けば八方が丸く収まると言うものだ。

「あ、ロック君。
 ……そう言えば放課後四人でなにかするのって、今日が初めてだよね?」

 そんな事を考えて微かに頬を緩めた俺に、なのはがそう笑いかける。

「……そーいえばそうよね。
 ロックったら未だに引越しの後始末だの何だのと言い張って、授業が終わったらあっと言う間に逃げてっちゃうから。
 ま、今日はそもそもロックが言い出した事だし、逃がすつもりもなければ逃げようもないけど」

 そして、その言葉を聴いたアリサも、俺に意味ありげな笑顔を向けてきた。

「流石に今日は逃げないよ。
 ……そもそも、すずかに怪我させたのは俺だしな」

 すずか関連の色々もある。
 流石に今日は付き合うつもりだったのだが、アリサのあの何か企んでるっぽいニヤニヤ笑いを見ていると、逃げたい気持ちが溢れてくるのはなぜだろう。
 心中溜息を吐きながら、俺は視線をニヤニヤ笑うアリサから、ニコニコとこちらを眺めているなのはへと移した。
 これから彼女達にどう接するのか?――その結論はまだ出ていないけれど、折角の機会だから、前から気になっていた事を尋ねてみようと思う。

「そう言えばなのは、何で今日のドッチの時に、ずっと俺の後ろに居たんだ?」

 今までの体育の授業では、俺は良くも無く悪くも無く程度を演出していた。
 そんな奴が、それもクラスの男子の集中攻撃を受けていたのにも拘らず、なのははずっとその後ろにいた。
 それに、それ以前からも彼女は変な『信頼感』みたいな物を俺に向けていた気がする。
 そんな疑問をこめた問いかけに、なのはは少しだけ困ったように首を傾げた。

「え、あ、うん。
 ……ロック君の後ろが、一番安全な気がしたから、かな?」

 なのはが、訥々と頭の奥からひっぱり出してきたような言葉に、俺は思わずハァ?と口を開く。
 彼女の親友なら判るかと視線を向けると、こいつ私の親友達に何したんだ的な目で見るアリサと視線が合った。
 二人顔を見合わせて互いの疑問を確認、ほぼ同時、なのはの方を向く。
 俺とアリサ、二つの視線に注視され、なのはは、にゃははと困ったような笑顔を浮かべた。

「え、ええと……ほら、前にアリサちゃんが、『あいつ絶対手抜きしてる』って言ってたし……それにロック君、どこと無くお父さんや、お兄ちゃん達に似ているから」

 更に言葉を連ねるなのはに、アリサと二人再び顔を見合わせて、困惑……。

「……あのね、なのは?
 一体こいつのどこが士郎さんや恭也さんに似てるって言うのよ」

 人の顔を指差して、微妙に失礼な事を言うアリサに、しかし俺は首を縦に振る。
 実を言えば、俺は日本人にしては彫が深めで体格もかなり良く、子供の今はまだそうでもないけれど、前世で中校生になった頃には、もうかなり厳つい見た目をしていた。
 悪相と言うわけではないのだけれど、何と言うか、軍人系?
 著名人だと、HPLとか嶋田久作――加藤保憲の人だ――にちょっと似てるって言われた事がある。
 そんなわけで、同一のDNAを持ち、更に体を鍛えている今生では、前世より厳つくなるのがほぼ確定……眞鍋家の長男にロックと言う愛称前提で六郎などと言う名前をつけたSF好きな両親には悪いが、聖先生が俺の絵を書いたら、たぶんロックやクーガーではなく、リュウ・ハントやヤマキ長官、或いは、ナガト帝辺りの系統になると思う。
 ……いや、一番似ているのは、名も無き兵士達の誰かだと思うけどね、こう変なゴーグルつけて短く刈り上げた金髪が逆立ってたりする。

『あーけど、リアル超人ロック化の可能性を秘めている現状、ウチの両親はかなりの慧眼だったのかもしれん』

 ……とまぁそれはそれとして、俺は未だなのはの父や兄と会った事はないが、彼女の顔立ちを見るにその人達が俺に似ているとはとても思えない。

「え、あ、うん、その顔とかはあんまり似てないけど」

 そして、案の定…と言うか、なのはは二人の視線から逃れるように俯きそう答えると、俺の顔色を気にするようにちらちらとこちらを見ながらこう続けた。

「その、なんとなく雰囲気とかが似てるの。
 姿勢とか、歩き方とか、色々が……お父さんやお兄ちゃんだけじゃなくて、お姉ちゃんとか美沙斗おばさんとかも似てるから、たぶんロック君も強いんだろうなって」

 なるほど、なのはの信頼はそこから来る物か……俺はそう独り納得すると、再びなのはに向かって口を開く。

「……とすると、なのはのご家族は何か武術でもやっていらっしゃる?」

 なのはの家族の立ち振る舞いが俺に似ているということはつまり、肉体がバランス良く鍛えられ、重心や姿勢がしっかりしているという事だろう。
 となれば、候補に上がるのは水泳や体操などの全身運動、武術、日本舞踊等だが、なのはの運動神経が切れている事や、強いと言う評価に繋がる事を考えると、普通の運動や舞踊だとは考えにくい。
 故に、高町家が武術――それも、剣術等に専門化する以前の――を伝承している可能性はかなり高いと考えられた。

「……あ、うん」

 興味を覚えて尋ねると、なのはは驚き半分、意外さ半分といった表情でそう頷く。

「御神流って言うんだって。
 このくらいの大きさの短い木刀を二本つ、こうか……」

「古武術ッ、それも小太刀二刀流ッ!?」

 そして、身振り手振りを交え説明を始めたなのはの言葉を、俺は遮るようにそう口走った。

「ひゃ、あ、う、うん。
 た、確かそう言ってた」

 驚き、半泣きでそう答えるなのはと……

「ちょっと、ロック!
 アンタいきなりそんな大きな声を出したら驚くでしょう!」

……眉を吊り上げてそう怒鳴り返すアリサ。
 俺は、そんな二人を半ば無視して、ぱくり、大きく口をあける。

『これは、何と言うか……』

 俺は、体を鍛えている。
 存在の強化により舞い込んで来る可能性のある色々を、上手に受け流して行くその為に……。
 幸い俺は、付加された機能のお陰でどんなトレーナーよりはるかに詳しく自分の肉体を管理する事ができたし、どう体を使えば最も効率よく力を発揮できるのかを理解することも出来た。
 だから俺は、筋肉の発達を偏らせる事になるスポーツの類はあえて習わず、より高度な肉体活用法の実践をメインに地味な運動を――いや、マルチタスクで読書しながら進めたりとかできるから、全く辛くは無かったのだけれど――繰り返す事で、今や普通の子供ではありえないレベルの運動能力を持つに至っている。
 けれど、そうやって体を鍛える事ができても、一人ではどうする事もできない事があった。
 それは、技術と経験。
 最少の動きで最大の力を、肉体と言う機械の発揮できる最大のポテンシャルを引き出す事は、独りでもできる。
 けれど、対人の駆け引きや、攻撃・防御の技法、そう言った物を習得するのは独りでは難しいのだ。
 自分の身にコレだけ大きな底上げがされている以上、絶対に出来ないとは言わないし、言えないが、やはり既存のそれを下敷きにした方が早く、洗練されたものを作る事が出来る。
 ただ、空手や柔道、剣道といった一つの方向に突き詰めたスポーツでは、身体バランスを崩し確立した肉体運用法を損なう可能性があった為、今まではあえて習わずに近場に何か総合格闘技、或いは、古武術の道場が無いかと探すに留めていた、のだけれど……。

『御誂え向きだけど、コレは本当に偶然なのか?』

 それぞれの手に一振りの小太刀を振るう小太刀二刀流と、高度に統御されバランスが取れた肉体を持つその使い手達――それは正に理想的で、だからこそ腑に落ちない。
 転校して、遠ざけようとして、けれど向こうから付いて来た少女達の、一人は異能者であるらしく、別の一人は古武術を伝承する家系の娘……出来の悪い漫画かアニメのような状況に、俺は唖然とするほかなかった。
 なにかがずれた様な違和感、まるで、物語の中に迷い込んだような……。

『……考え過ぎだ、よな』

 そんな奇妙な感慨に取り付かれ、開いていた目と口を閉じると、俺ははぁと息を吐いてから二人に頭を下げた。

「……いや、二人とも悪かった」

 良く判らない変化が自分に訪れているのは確かだが、それに囚われ疑心暗鬼になるのはよくない。
 そして、幸運は幸運として受け止め、この偶然を生かすべきだろう――そう考え、続けてなのはに問いかける。

「それからなのは、頼みがあるんだけど……その、一度御神流の修行を見学させてもらえないか、お父さんに聞いてもらえないかな?」

「あ、うん、別にいいけど……」

 戸惑った顔で答えるなのはに、もう一度礼を告げて頭を下げる。
 そんな俺の姿に、アリサは当惑や怒りを超えて心配に至ってしまった、そんな視線を寄越した。

「……ねぇ、ロック。アンタ今日は本当に変よ?
 すずかじゃないけど、熱でもあるんじゃないの?
 ……と言うか、何時ものあの無口は一体どこに行ったのよ?」

 そんな、歯に衣着せず尋ねるその仕草、言い草に、何故か爽快さを感じ、苦笑……。

「……あ、いや、実はこれが俺の素。
 本当言えば、今までの方が装っていたんだ」

 素直にそう教える俺に、聞いたアリサはつまらなさそうにふーんと鼻で答えた。

「ま、何時もみたいに片手間で相手されるよりはずっと良いけどね」

 そして、そっぽを向きながらそう付け加える。
 少女の言葉に、ん…と眉を潜めた俺に、重い溜息を一つ。

「まさか、気付かれてないとでも思っていたの?
 まぁ、ちゃんと話は聞いてたし、こっちも見てたみたいだけどさ、けど、アンタこっちに集中してなかったでしょ?」

 確かにこの数ヶ月、ずっと自分の部屋で勉強したり、本を読んだりしながら、学校生活を送っていたけれど、まさかそれが見抜かれていた?

「え、そうなの?」

 傍らでそう驚くなのはを見るに、どうやらコレはこちらのミスとかではなく、単にアリサが聡いのだろうが……。

『……こいつら、どんだけハイスペックなんだよ?』

 フッと、飲み込んでいた息を鼻から抜くと、俺は笑った。
 すずかといい、アリサといい――なのははちょっと微妙だが――人生二周目で、その上強化改造されてしまっている自分を内心気にしていたのが馬鹿馬鹿しく感じられてくる位のトンデモ揃いだ。

「まさかばれてたとはね。
 今まで見抜かれたことはなかったんだが……」

 ずいぶん久しぶりに感じる愉快にくっくっと喉奥で笑いながら、俺は殆ど忘れかけていた弁当箱を開けた。

「ま、今後は出来るだけそう言う事はしないようにするよ。
 ……少なくとも、三人の前では」

 そう言いながら箸を取った俺に、なのはは目をぱちくりさせながら釣られて自分も箸を取り、アリサはつまらなさげに装いながらも口元を僅かに綻ばせて、自分のサンドイッチへと手を伸ばす。
 久しぶりにながらではなく食べた母さんの弁当は、思っていたよりもずっと美味かった。



[15544] 転校しました(その4)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 01:02

 食事を終えてから、午後の一時間は瞬く間に終わった。
 三人の前では、できる限りこちらに集中する――そう言った手前、直後の授業で仮想空間に篭るのは気が引けたし、どんなに意識を分割し、知覚を引き伸ばせたって、仮想空間を使わなければできる事はそう多くない。
 単に、退屈な時間が引き延ばされるだけだ。
 仕方ないので、午後の一限は現実に仮想像を投影する訓練に費やしたのだがコレがなかなかに難しく、熱中している間にいつの間にか時間が経ってしまっていた。
 実の所、かつての自室を模した脳内仮想空間は、トレゴンシーが俺との対話の為に設えてくれた物をそのまま流用しているだけで、その機能を完全に把握できているわけではない。
 一応、俺の持っていた/手に入れた脳内情報を書籍、映像データ、音楽等の形で自由に閲覧したり、おそらくは、失われたデータを補うときに収集したモノなのだろうが、かつてあの部屋にあったあらゆるモノを再現できたり、部屋のパソコンからインターネット――最後のログは最後の記憶の一年後で更新されない――に接続できたり、それらのデータを自在に検索・編集できたりと、主に脳内情報のコントロールに使える事は判っているのだが、それ以上はどう扱っていいものやら全く見当も付いていない状態だ。
 また、強化されても尚、成長の為多くの時間を寝て過ごさなければならない幼児の体や両親による移動範囲の制限等から、覚醒当初脳内空間に入り浸った挙句、いつのまにか、こちらとあちらで同時に存在できるようになっていた為、こちらで肉体を完全に制御しながら、向こう側の情報を取り出す試みなどは中途で放棄していたのだが、今後出来るようになったほうが良い技術である事は間違いない。
 そんなこんなで、授業を受けつつ修練を続ける事四十五分と、三十分。
 私立で掃除などは業者が行う聖祥では、授業終了後僅かな間をおいてHR、放課となる。
 HRが終わり、集まる男子に月村の所に見舞いに行くからと謝ってから、先に教室を出ていた二人と校門で合流……目の前に止まったリムジンにハァと口を開いた。
 官公庁街でも、都心部でもない極普通の地方都市で、トヨタセンチュリー後期型リムジン――ショーファードリブンを前提として製作された、おそらく日本で唯一の高級車――と、その前に立つ眼鏡をかけた白髪の紳士なんてものを目の当たりにしたら、経済的には極普通の小市民でしかない俺としては、流石に目を剥かずに入られない。

「ふふん、普通に行ったら、すずかの顔見てとんぼ返りになるからね、お父さんに頼んで車を出してもらったの」

 驚いたと言うか、呆れたと言うか……とにかく、予想外の出来事に馬鹿面晒している俺に、アリサは薄い胸を張る。

「こんにちは高町様、そして、初めまして眞鍋様……。
 私、バニングス家で運転手を勤めております鮫島と申します。
 お噂は、アリサお嬢様よりかねがねお伺いしております」

 そんな主の傍ら頭を下げる鮫島さんに、俺は慌てて頭を下げ返した。

「始めまして、アリサ……バニングスさんの級友の眞鍋です。
 突然の事ですいませんが、今日はよろしくお願いします」

「これはこれはご丁寧に……」

 そんな俺の姿に、鮫島さんはいかにも好々爺といった風に目を細めると、今度はアリサへと顔を向ける。

「アリサお嬢様、お見舞い用の花束は後席に用意してございます。
 それから、先生から『今日は一時間ほど遅れる』との御伝言が……」

 初老の紳士のそんな言葉に、アリサとなのはは素直に喜んでいるようだけれど、真相はこの人が手を回してくれたんだろう――と、そんな事を思いながら三人の姿を眺めていると、鮫島さんは少女二人に気付かれぬようこちらに目配せウインク
 余りに男前ダンディなその立ち振舞いに感嘆……しつつも俺は、二人に気付かれぬようそれを面には出さず、ただ鮫島さんに『話す気はありませんよ』と言う意を込めた目礼を返した。
 微かに笑みを浮かべて頷いてみせた老紳士に、はぁとこっそり溜息を吐く。

『うわっ、かっこえぇ……』

 住む世界が違うとでも言うのだろうか?
 月村家の侍女を見た時にも思った事だけど、居るところには居るんだねぇ――そんな事を思いながらぼおっとしていると、鮫島さんは今度はなのはに視線を向けた。

「高町様、お母様よりお見舞いの品を預かっております。
 クーラーボックスに入れてありますので、月村家に到着した後でお渡しいたします」

「ありがとうございます、鮫島さん」

 そして、なのはに告げられたその言葉に、アリサはこちらを見てにんまりと笑う。

『……俺だけ手ぶらって事かよ。
 陰湿な奴め』

 なのはにだけ話通してお見舞いの品確保させたわけかと、今度こそ大っぴらに溜息を吐くと、鮫島さんは続けてこちらに顔を向けた。

「それから、眞鍋様の見舞いの品は、僭越ながらこの鮫島が代わりに選ばせていただきました。
 アリサ様のものと一緒に後席に置いてありますので、どうかお持ちください」

 は?と驚く俺と、してやったりとほくそえむアリサ。

「すいません、レシートか領収書かを渡していただければ、後で必ずお返ししますから……」

 ……正直、穴があったら入りたいと言うか、今すぐにでも仮想空間に引き篭もりたい気分だった。
 邪推が過ぎたと言うか、小学生に引っ掛けられた自分に内心頭抱えながら鮫島さんにそう頭を下げると、老紳士はこちらに向かってにっこりと笑って見せる。

「いえいえそれはかまいませんよ。
 それよりも、これからもアリサお嬢様をよろしくお願いします。
 どうやらアリサお嬢様は、倒し甲斐のあるライバルの出現にとても喜んでおいでのようですから」

「鮫島ッ!」

 鮫島さんの笑みを含んだ言葉に、アリサは顔を朱に染めてそう叫んだ。
 先に言っていた『お噂はかねがね』と言う言葉は、どうやら真実だったようだ……が、俺アリサにそんなライバル視されるようなことをしたっけ?

『まぁ、存在ポテンシャル増加のせいで、ちょっとした事が重なって響いてるとか、そう言う事なんだろうが』

 それはそれとして、このまま説得したとして、鮫島さんはレシートを渡してくれそうになかった。
 だから今度、アリサと鮫島さんに何かお礼の品を送ろうと、そう心に決めて二人に交互、頭を下げる。

「ありがとうございます、鮫島さん。
 今回はお言葉に甘えさせていただきます。
 それからアリサ、気を使ってくれてありがとうな?」

 まじめな所、あの時に話を振っても、極普通の一般家庭の子供に見舞いの品を都合できるはずもない。
 だから、これは彼女なりの気遣いなのだろう――自分のお楽しみの要素もあれども、だ。
 俺がそう頭を下げると、鮫島さんはただ目を細め、アリサは一瞬キョトンとしてから紅潮していた頬を更に赤く染めて、目を白黒させる。

「はははは、流石、アリサお嬢様の新しいライバルは、なかなか一筋縄でいきそうにありませんな」

 笑う鮫島さんに促され、俺たち三人はリムジンの後席に……。

『アリサが助手席の裏はわかるとして、どうして俺が真ん中なんだ?』

 これでは二人が話しづらいだろうにと思いつつも、荷物を渡さないと座れないとの言葉に従ってうーと唸るアリサの隣に腰掛けた。
 アリサ用のお見舞いの品は掌に少し余る位の大きさの缶――持ち上げた時の音を考えるに、紅茶葉か何かだろうと思われる。
 なのはの見舞いの品は、御両親のお仕事――ケーキ屋兼軽食喫茶を経営しているらしい――や鮫島さんの言葉を考えるにたぶんケーキだろうから、これでお茶会でもしろと、そう言う事だろうか?
 因みに俺のそれは見舞いの定番、大きさと内容を見るに、数千円クラスの花束だった
 確かに小学生が親に言って、ポンと出してもらえる額ではない。
 そんなわけで、花束を抱えて二人の真ん中、動くに動けず、盛んに話しかけてくるなのはと突っ込み要員(寸鉄装備)アリサの相手をする事十数分……到着した月村家は、校舎一棟ほどの大きさを持つ三階建ての洋館だった。

「では、一時間ほどしたらまた寄らせていただきます」

 そう言って運転席に座る鮫島さんに、なのはと二人、ありがとうございますと頭を下げて、それから館へ向き直って今日何度目かの、唖然……。
 恐らくは近年の、国内の建築家による物だろう。
 複数様式が混在するごった煮建築の――しかし、趣味良く調和の取れた――洋館とそれを囲む広大な庭を、俺は二・三度見渡した。

「……ははは、ここ、初めてみるとそうなるよねぇ」

 こう言った面では一番普通に近い感性を持つなのはが、そう言いながら隣で頬を掻く……が、ここでいつまでも呆けているには残された時間は余りに短い。

「なのは、ロック……時間もあんまり無いし先に行くわよ」

「あ、ちょっとアリサちゃん待って」

 焦れたのか、先に行くと歩き出したアリサと慌てそれを追ったなのはとに『はは…』と苦笑を浮かべてから、俺は二人の背に続いた。
 敷地に入って暫し歩いて、着いたのは玄関の両開きの大扉と、そして、こんな建物についていると逆に奇妙にシュールに見える、極普通の一般家庭向けインターフォン。

「どちら様でしょうか?」

 アリサが迷いなく――彼女らにとっては何度も来た事がある親友の家だから当たり前なのだけれど――そのボタンを押すと、直ぐにスピーカーから女性の声が返った。
 チャイムの音が聞こえないのは、余程防音設備がしっかりしているのか、それとも物理的にその場所が遠いのか?
 安っぽいスピーカーから聞こえる歪んだ女性の声に、アリサはマイクへと背を伸ばした。

「バニングスです、すずかのお見舞いに来ました」

 そして、受け答えをする事、二・三言……直ぐに扉は開かれ、俺たちを出迎えてくれたのはノエルさんと言うらしい学校であった侍女の人と、すずかに良く似た二十そこそこの女性だった。

「いらっしゃい、アリサちゃん、なのはちゃん、それからそっちの初めての子はロック君ね?
 初めまして、すずかの姉の忍です」

「いらっしゃいませ、アリサお嬢様、なのはお嬢様、ロック様。
 私は月村家でメイドを勤めております、ノエル・エーアリヒカイトと申します」

 すずかに良く似た容姿の、しかし性格はあまり似ていないのだろうラフな格好をした女性がそう言って笑うと、その傍らでエプロンドレスを着た女性が薄く微笑んで頭を下げる。

「初めまして、月村……すずかさんの級友の眞鍋六郎です。
 今日はすずかさんのお見舞いに来ました……その、妹さんに怪我させてすいません」

 それに答えて二人が挨拶を交わした後、一人新参の俺が頭を下げると、忍さんは気にする事はないというように白い歯を見せた。

「そんなことは気にしないでいいわよ。
 体育の授業だったんだし、それに、すずかもどちらかといえば喜んでいるみたいだしね。
 さっき帰って来て、すずかの様子を見に行った時なんか、あの子ロック君に手当てしてもらった指先眺めてニヤニヤしてたんだから……」

「はい、すずかお嬢様を家にお迎えに上がった時も、ロック君のボールは凄いんだよと笑っておいででした」

 こちらに興味深げな視線を投げかけながら、すずかの恥ずかしい姿を赤裸々に語るその姉と使用人……。

「……す、すずかが?」

「ニ、ニヤニヤ……?」

 そして、想像できぬ現実に愕然と顔を見合わせて、同時にこちらへ振り向いたその親友が二人……計八つの視線を受けて、俺は苦笑するほかなかった。

「いや、なんか期待されているような事も、危惧されているような事も、何にもなかったですよ?
 ただ……そうですね、例えば全力でボールを投げた時に、真正面から全力でそれを受け止めてくれるような友人は案外得がたい、多分そういう事だと思います。
 まぁ、俺がすずかの本気で本気のボールを受け止められるかどうかはちょっと微妙なんですけどね」

 反応速度や動作の正確性はともかく、問題は体をボールに追従できる速度で動かせるかだよなぁ――数週間先に待ち受ける難題を思い出しそう呟いた俺の、目の前の女性達の反応は大きく二つに分かれた。

「……なによそれ?
 わけ解んないわよ!」

 はぐらかされたと思い腹を立てるアリサと、同じく意味が理解出来ずに首を捻るなのは。

「……そう。
 なるほどね、すずかがはしゃぐのもわかるわ」

 そう言って目を伏せた忍さんと、その隣、こちらを注視しながら無言、佇むノエルさん。
 この二人は多分、俺の言葉の意味を理解できたのだと思うけれど……なにやらその動きが硬い。
 それになぜだか、二人の視線に警戒の感情いろが覗いている、そんな気がした。

『順当に考えて、すずかの『力』を知っているから、なんだろうな。
 まぁ、家族が知っているのは当たり前の話だけれど……』

 すずかの特異性を知っているなら、それに並び立てる俺が異常である事を認識できる。
 また、そんな人間が、偶然すずかの前に現れる確率がいかに低いのかも……。

『……ってまてよ、これってもしかして俺、勘違いされているの、か?』

 見た通り資産家の月村家だ。
 まだ小さなすずかに取り入り、何らかのちょっかいをかけようとする人間が居ないとも限らないし、彼女らが俺に警戒を抱くのは、ある意味では当然と言っていい。

『まぁ、幾らなんでも穿ちすぎだとは思うけどさ』

 しかし、そんなちょっとした疑惑がどう大きく転がるのか判らないのが俺の現状だ。
 幸い、今の俺の思考速度は異常なレベルで、身体操作もほぼ完全だから、表情心拍その他に変化はないし、何かを気取られる程多くの時間も経っていない。

『どうせ探られて困る腹も無いし、この場は気付かなかった振りでやり過ごそう』

 だから俺は、そんな思考は面に出さずに、先の苦笑のままアリサにこう告げた。

「……あのな、アリサ。
 すずかが体育の授業で手加減してたの知ってたか?」

「……え?」

「……す、すずかちゃんって、アレでもまだ手加減してたの?」

 ……どうやらすずかは、常日頃から超人プレイを連発していたらしい。
 かなり本気で驚いている二人に、ああと頷き言葉を続けた。

「本気で投げたら怪我人続出だから、アレでも結構セーブしてるんだよ、すずかの奴は……。
 だからアイツは、遠慮会釈なく本気でぶっ込んでも良い相手の出現に喜んだ――そういう話だ」

 すずかは気遣いをする性質たちだから、さぞや窮屈だっただろう。
 場合によっては、転校当初の俺と同様に、他人を避けるようになっていた可能性もある。

『ああ、もしかするとだからなのかな、俺に何度も声をかけてきたのは……』

 壁を作り、他人を避けていた自分もあの二人に助けられたのだから…とか、すずかなら考えそうだ。
 なるほどそれはすずからしいと、そんな事を思って俺は、我知らずに笑みを零す。

「……だったら始めっからそう言えばいいじゃない。
 前から思ってた事だけど、アンタ回りくどいのよ」

「あ、アリサちゃん、今日はお見舞いに来てるんだから……」

 そんな俺にアリサが突っ込み、そんなアリサをなのはがなだめる。

「……回りくどくて悪いな、アレが偽らざる俺の感想だよ」

 そして――どうやらアレは、自分にとっても結構大事な出来事になっていたようだ――微妙に不機嫌、俺がアリサにそう返すと、そんな三人を見下ろしてクスリと笑う、そんな気配があった。
 アリサと二人、期せずして同時に見上げたその先で、二人の大人が俺達を見下ろし笑っている。

「二人とも、ずいぶん仲が良いのね。
 ……これはすずかに発破をかけなきゃならないかしら?」

 どうやら計画通り――いやそれ以上に巧く――事が運んだようだけれど、だからと内心喜ぶ事は、到底俺にはできなかった。
 アリサとのやり取りの中で彼女達を安心させた物……それは恐らく、会話の中で零れた俺の素の感情で、それはつまり、俺が小学生と同レベルでやり合っていたと言う事になる。

『……まぁ、悪い事じゃない、んだがな』

 少なくとも、仮想空間に引き篭もって片手間で相手をするよりは――けれど、自己認識が二十歳を超えている以上、感じる半ば自嘲染みた気恥ずかしさは避け得ないモノだ。
 だから、俺は『はは…』と困り笑いを浮かべ、その傍らでアリサはぬぅと顔を紅潮させる。
 そしてなのはは、そんな俺達を『抑えなきゃ、でもどうしたら』と、潤滑油すずか不在時の人間関係に焦りを浮かべていた。
 知らず見れば幼い三角関係にも見えなくもない――そんな微笑ましい(?)光景ではあるがその内実は全く異なる上に、なにより、習い事を控えているアリサには余り時間が残されていない。

『仮にこんな下らない事で時間を食って、肝心の見舞いができなかったなんて事になったら……』

 そもそも、もし鮫島さんの気遣いがなければ、既に顔見てとんぼ返りコースに入っていた所だ。
 それは余りに馬鹿らし過ぎたし、折角の心遣いを無にするのも心苦しい。

「あー、いい加減アリサの方は時間も押してきてますし、からかうのはまた今度にしてもらえませんか?」

 だから俺は、更に何事か言葉を連ねかけた忍さんに、手のひらを見せてそう告げた。
 怪我させて見舞いに来た人間の行いにしては不調法が過ぎるが、状況的に仕方ないと開き直る事にする。

「あ、そうか、アリサちゃんは今日習い事があるんだ。
 引き止めたようでごめんなさい、それに、忙しいのにわざわざありがとうね」

「いえ、元々この馬鹿の責任せいですから……」

 あっと口に手を当て謝罪する忍さんにアリサが挑発的な言葉を返すが、そこは大人の余裕で聞き流し、俺たちは早速、すずかの部屋に向かうことになった。
 なのはとアリサからの見舞いの品を持って、お茶の準備に向かったノエルさんと分かれて四人、忍さんの先導で広い洋館を歩いていく。
 外から見た時も大きな館だと思ったけれど、中を歩いてみればその印象よりも更に広く……しかし、そのくせ人気が全くないのに少しばかり首を傾げる。
 その代わりと言うか、多数の猫達が我が物顔でうろついているので寂しげな印象はないものの、これだけ広大で、尚且つ多くの猫がうろつく館を、ノエルさんは一人で切り盛りしていたりするのだろうか?

「どうロック君、我が家の感想は?」

 うろついている猫達も、傍若無人に見えてちゃんと躾られているらしく、館に爪砥ぎや粗相の跡などは一切見られない――歩きながら興味深げに眺めていると、忍さんにそう尋ねられた。

「えっと、そうですね、人気がないわりに猫気が多いな……と。
 これだけの館を少人数で切り盛りするのはそれだけでも相当難しいだろうにと、感心していました」

 隠す事もないので正直な感想を答えると、それになのはとアリサが続く。

「そうそう、すずかちゃんのところは猫屋敷だよねぇ」

「私も初めてこれを見た時はびっくりしたわ」

 正直ピントがずれている様な気もしないでもないけれど、この館を歩いた小学生が館の管理状況に感心するなんて事は殆どありえないと思うので、空気を読んで何も言わない事にした。
 そんな俺たちを見下ろして忍さんはクスリと笑う。

「誉めてくれてありがとう、ノエルが聞いたら喜ぶわ。
 本当のところを言うと、良く使っている場所以外の掃除は、週一で業者に任せているんだけどね」

 そして、疑問に答える忍さんの言葉に、俺は大きく目を見開いた。

「……もしかして、この屋敷の維持管理って、ノエルさんが一人でやっているんですか?」

「いいえ、私付きのノエルと、すずか付きのファリン……それから、父さんと母さんにもそれぞれ専属が付いているけれど、仕事であまり帰ってこないから、ノエルとファリンの二人で廻している形になるわね」

 忍さんの言葉にまさかと尋ねてみた言葉は半分当たり、半分外れと言った状況で、俺は今度こそ感心して大きく口を開く。

「……さっきの言葉はノエルさんとファリンさんに直接言う事にします」

 そんなやり取りを続けて居る間に、どうやら俺たちはすずかの部屋の前に辿り着いたようだった。
 ええ、そうしてちょうだい――忍さんはそう言いながら足を止め、最寄の扉に歩み寄る。

「すずか! なのはちゃんたちがお見舞いに来ているわよ!」

「はーい、お姉ちゃん」

 ノックに続いて掛けられた声に、部屋の中から元気そうなすずかの声が返る。
 とてとてと駆け寄る音に扉の開く音……部屋から顔を出したすずかの姿に、なのはとアリサがほっと息を吐いた。

「すずかちゃん、熱出して倒れたって言うから心配したよ」

「ごめんね、すずか……。
 体調悪いのに気付けなくて」

 忍さんを押しのけるように駆け寄る二人に、猫柄パジャマを着たすずかは満面、笑顔を浮かべて首を横に振る。

「ううん、ぜんぜんそんなのじゃないの。
 ……こっちこそ、心配かけてごめんね」

 手を取り合って喜ぶ親友達に割り込むのも気が引けて、忍さんの傍らそんな三人を眺めていると、肩をちょいちょいと指でつつかれた。
 見上げると忍さんが、『手に持っている花束を渡しに行け』と目線で俺に告げている。
 もうちょっと待っても……と目線で答えるがそれは却下され、『俺はなぜ初対面の人とこんなにアイコンタクトが通じているのだろう』そんなつまらない事をつらつら考えながら三人に歩み寄った。

「元気そうで安心したよ、すずか。
 これ、お見舞い」

 横から割り込むのも気が引けたけど、流石に頭越しには花は渡せない。
 アリサ達の横に並んで、花束を差し出すと、すずかの目が大きく見開かれた。

「ろ…」

 そう言って、絶句。
 すずかの顔が瞬く間に朱に染まる。

「ロ、ロロロロロロロロロ、ロック、君?」

「あ、ああ……すまん、来ちゃ不味かったか?」

 余りの動顛ぶりに花束を抱えなおしてそう尋ねると、すずかは凄いスピードで部屋に駆け込んだ。
 バタン、体重にそぐわぬ強力ごうりきで閉じられた扉の、戸板と金具とが軋みをあげる。

「そ、そんなこと絶対にないよ!
 その、来てくれてると思ってなかったから、本当に嬉しい。
 けど、今までちょっと寝ていたから、その……ふぁ、ファリン!
 お願い、着替えを、いや、まずロック君たちを」

 扉の向こう、慌てて叫ぶすずかに俺は思わず苦笑を漏らした。
 あー、昼間の一件で男女の別を意識し始めたんだなーとか、そんな慌てるほど乱れてないのにとか、思いながらせめてもの情けで扉に背を向けると――この色男!――そう雄弁に語る視線と俺の視線が交わる。
 視線の主しのぶさんは、そうして一歩、前に出ると、鍵の掛かった扉に向かって大きく声を張り上げた。

「すずか、ロック君たちは私がサンルームに案内するから、ゆっくり着替えてからいらっしゃい。
 ただ、アリサちゃんはこれから習い事があるそうだから、なるべく急いでね?」

 微妙に難しいことを言う姉に、扉の向こうですずかが情けない声を上げるが、忍さんは優雅にそれを無視、そのまま『こっちよ』と歩き出す。

「じゃ、じゃあすずかちゃん、待ってるから!」

「すずか、ロックになにされたか知らないけど、嫌だったら嫌とちゃんと言わなきゃ駄目よ!」

 したのではなく、されたのだし、してしまった事がすずかの混乱の源だったりするのだが……俺は、最後に扉に手を当てて、その向こう側に静かに語りかけた。

「……すずか。
 昼間の事、すずかの事だから気にするなって言っても無理だと思うけど、少なくとも俺は気にしてないし、これから似たようなことがあれば何度でも同じようにすると思う。
 それだけ覚えておいてくれ……」

 流石に、あんな酩酊したような状態になる事は滅多にないだろうし、なられたら困るけれど、でもまぁ友達の本気を本気で相手にするのは吝かじゃないし、起きたことの後始末は俺の日常と言っても良い。
 扉の向こうで、すずかが息をのむ、そんな気配――三人を自然に友達と認識している自分に、多少の気恥ずかしさを感じながらも、俺は扉から手を放した。

「……本当、に?」

 そうして、振り返った俺の背に、部屋の中から震えた声が掛かる。

「本当に、いいの?
 わたし、ロック君に、迷惑かけても?」

 ひたり、今度はすずかが扉に身を預けでもしたのだろう。
 震え、たどたどしく紡がれるその声が、近い……。

「それを当然だと思わなけりゃ、それで良いさ。
 友達ってのは、多少の迷惑なら笑って受け止めてくれる人間の事を言うんだよ」

 なにをそんなに脅えているのだろう?
 そう思いながら、俺は背中越し、扉越しにそう答えた。
 初めての男友達だからか、或いは、昼間のアレでホルモンのバランスでも狂ってるのか?
 ――まぁそのどちらにせよ、不安に囚われた子供の頭を、よしよしと撫でてやるのは、身近な大人の義務だった。

「……ロック君、ありがとう」

「ああ、ごめんなさいよりそっちのほうが良いな、個人的に。
 じゃ、サンルームで……」

 そう言って扉を離れ、少し離れた場所で止まっていた三人に追いつく。
 俺たちの会話が聞こえていたらしい忍さんのニヤニヤ笑いを軽く受け流し、なにを話していたのか尋ねる二人に当たり障りなく答えてと答えながら、サンルームへ。
 すずかがパジャマ姿を恥ずかしがる事前提で、最初から妹をからかう算段だったのだろう。
 多数の猫達が思い思いに寛いでいるその部屋には、長テーブルと五脚のイスとが設えられ、ノエルさんがささやかなお茶会の準備を万端整えて待っていた。



[15544] 転校しました(その5)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 01:04
註:今回のお話には、小野不由美先生の小説、『屍鬼』の重要なネタばれが含まれております。
  自己責任の上でお読みください。




 楕円の長テーブル、こちら側には見舞いに着た三人、向こう側には忍さんと、空席が一つすずかのいす
 促されるまま席に着いた俺達に、ノエルさんがカートに用意されていた紅茶を振舞う。
 目の前に並ぶ四客のカップと、大皿に盛られたクッキー――瞬く間に整ったお茶会の準備に、少女達の顔に怪訝の色が浮かんだ。
 ……ここですずかを待つのではなかったのか?
 二人の顔に覗くそんな疑問を読み取って、忍さんがどこか悲しげな、苦笑めいた笑みを浮かべる。

「多分、すずかは軽くシャワーを浴びてくると思うから……」

 忍さんはそう言いながら、アリサの顔へと視線を向けた。

「皆には悪いけれど、後十五分位は時間が掛かると思うわ。
 それでなんだけど、アリサちゃん、どれ位時間があるのかしら?」

 そうして問いかける忍さんに、アリサが形良い眉を僅かに顰める。

「あ、えーと」

 大人びてはいても、やはり子供――或いは、それだけ鮫島さんを信頼していると言う事か?
 すっかり時間を忘れていたようで慌てて鞄に手を伸ばしたアリサに、俺は微かに息を吐いた。

「迎えに来るまでに、後四十分って所ですね」

 鮫島さんが一時間ほどしたらと言い置いてから、既に十八分と四十二秒が経過している。
 俺の言葉に、アリサは一瞬手を止めるも、そのまま鞄から携帯を取り出して時刻を確認……忍さんに『はい』と一度頷いた。

「だったら、なのはちゃんからのお見舞いの品は、すずかが戻ってきてからでも良さそうね。
 ロック君も、その花束はノエルに渡しておいてもらえるかしら、後で、すずかの部屋に活けさせるから。
 ……ノエル?」

「はい、かしこまりました。
 ロック様、花束をこちらに……」

 そして、花束と大きな紙箱とを載せたカートを押して、ノエルさんがサンルームから歩き去る。
 その姿にはやはりどこか違和感があって、黙って彼女の背を見送った。

「あら、ロック君はウチのノエルに興味があるのかしら?」

 そう、面白そうに尋ねかける忍さんに、俺は頷く。

「ええ、侍女なんていうブルジョアな存在には、とんと縁がない生活を送っていましたので……。
 鮫島さんを見たときにも思いましたが、居るところには居るものなんですね」

 見世物扱いされるお二人には悪いですけど――そう言葉を閉じた俺に、忍さんは『ははは』と乾いた笑みを浮かべた。
 年相応の照れでも期待したのだろうかと、そんな事を思いながら手元の紅茶を口に運ぶ。
 微かに香るサロメチール臭と豊かな渋み……セイロン産、恐らくはディンブラだろうか?
 目を細めて香りを楽しみ、舌全体で紅茶を味わうと、俺はふぅと息を吐き出した。

「これだけの館の維持管理に加えて、紅茶の入れ方もポイントを抑えていますし、正直感心しきりです」

 唖然、目を丸くしてこちらを見ているなのはとアリサに、何か可笑しな事でも言ったかと首を傾げると、二人はぶんぶんと首を横に振る。

「あ、アンタがそんなに紅茶好きだとは知らなかったわ」

 何か失礼な事でも考えていたのか、誤魔化す様にそう呟いたアリサに、俺は苦笑いを返した。
 前世で既に、そう言った言葉は言われなれている。

「……まぁ、そう言うのが似合わない見た目をしているのは認めるよ。
 ウチは祖母が紅茶好きだった関係で、母方の親戚一同、ほぼ全員が紅茶党なんだ」

 因みに、『ならばなにが似合うんだ』という問いに対して、『こう、薄暗いバーのカウンターでバーボン辺りを呷っていそうな……』と言われて『俺はどこのハードボイルド探偵だ!』と喚いたのは今となっては良い思い出だ。

『今度は山小屋で巨大なマグにコーヒー入れて飲んでそうとか言われなければいいんだが』

 無駄な筋肉を付ける心算は毛頭無い……のだが、それでも着実に進行しつつあるマッチョ化にそんな懸念を思い浮かべていると、いち早く立ち直った忍さんがこう口を開く。

「……へぇ、そうなんだ。
 ウチのすずかも紅茶党だから、きっと喜ぶわね。
 ああそうそう、次のお茶会に参考にさせてもらうけど、どこの紅茶が好きなのかしら?」

 そう問いかける忍さんに、俺は『ええと…』と頷いた。

「そうですね、祁門キームンとか雲南ユンナンの金芽茶とか……最近だと、ネパールも良い感じですね。
 まぁ、最近の中国モノは偽物が横行してたり、安全面で不安だったりしますし、ネパールはネパールで政情不安だから、小規模な取引だと検問が大変なんだそうですけど。
 なんでも、麻薬の密輸を疑われて、ナイフでざっくりやられちゃうらしいですよ」

 そう言って、袋をナイフで突き刺すジェスチャーをしてみせると、忍さんの顔が微妙な笑いを形作る。

「……キーマンはともかく、ネパールとかユンナンってどこの紅茶よ」

「……私なんて、ダージリンとアッサムくらいしかわからないよ」

 そして傍ら、話についていけないでいるお嬢様&喫茶店の娘に、俺ははっと気が付き口を押さえた。

「……悪い。
 今まで、紅茶の話ができる友達なんていなかったからな」

 前世ではともかく……口には出さずにそう呟くと、蚊帳の外の二人に頭を下げる。
 どうやら久しぶりの同年代しのぶさん――一旦子供に戻ってしまったせいか、どうにもあれ以降歳を取った気がしていない――との会話で、少々テンションが上がっていたようだ。

『よく考えたら、こんなに長く体の中に居るのも久しぶりだしな』

 今日の自分は転校前と比べても感情表現が激しい自覚があるが、仮想空間内をメインに、外界の情報をワンクッションおいて受け取っている時よりも、こうして体だけを操っている時の方が生理反応の影響が大きいというのは、考えられる話である。

『状況に応じたオンオフの使い分けか――今後は考慮する必要が有りそうかな』

 一方、そう頭を下げた俺に、二人は非常に微妙な表情を浮かべた。

「え、あ、別にそんな事ないよ」

「……アンタといい、すずかといい、今日は変わった面を良く見る日よね」

 謝る必要は無いとなのはは首を振るが、今の心境をより誠実に示しているのは歯に衣着せぬアリサの一言だろう。
 尤も、なのはの謝る必要はないという言葉も紛れも無く本音だろうし、アリサもだから謝って当然だとは考えてはいないだろうが……。

「……それだけ、あの一件が大きかったって事だろうな」

「そう、それよ!
 ……アンタ、すずかに一体なにしたのよ!」

 そう他人事の様に嘯いた俺に、再びアリサが噛み付く。

「さっきも言ったとおり、俺は手当てをしただけだ」

 なのはもそれに興味があるのか、積極的にはアリサを止めず、忍さんも静観する構え……だが俺は、本当にそれしかすずかにしていないし、それにあの一件を無断で吹聴するような悪趣味も持ってはいなかった。

「それ以上が知りたかったら、すずかに聞くか、話して良いという許可を貰うかしてくれ」

 だからとアリサにそう答え、納得できぬアリサが更に問い詰める。
 それを俺が更にかわして……と時が過ぎ、やがて俺の耳に、はしたなくもパタパタと廊下をかける音が伝わってきた。

「ほら、だからすずかが来たぞ」

 目を三角にしたアリサにそう告げて、俺が廊下に視線を向けると、同時、明らかに体格やフォームに見合わぬ猛速で、サンルームに飛び込む白い影……。

「お、お待たせッ!」

 異様なその勢いに慌て逃げ散る猫達の真ん中、湯上りらしく未だ乾ききっていない髪を揺らしながら、すずかがはぁはぁと荒い息を吐いた。

『……汗臭いのが嫌だったんじゃないのか?』

 そんな疑問を感じながらも、俺はひょいと手を伸ばすと席を立ち、手にした紅茶をすずかに渡す。

「あ、ありがとうロック君」

 見慣れた聖祥のそれとは違う、しかし、良く似た印象の白いワンピースを着た少女は、そう言ってぬるまった紅茶を一口含むと、次いで何かに思い至ったようにその顔を真紅に染めた。

「……も、もしかしてこれって、ロック君の?」

「あたしのよ!」

 手にしたティーカップを眺めて俯いてしまったすずかに苦笑……説明しようと口を開いた俺の、背中をアリサは強くどやしつける。

「……って言うか、何でアンタは他人の紅茶を勝手に渡すのよ!?」

 未だ手付かず、すっかり冷めていたとは言え、目の前のカップを奪い取られたアリサの言葉に、俺は尤もだと頷くとこう口を開いた。

「いや、程なくノエルさんたちが二杯目を持ってくるだろうし、どうせ飲まれないならと思ってね。
 ……だけど確かに、何も言わずに取ったのは無作法だった、謝るよ、ごめん」

 普段、押せ押せで行く癖に、すっと引かれるとその場で蹈鞴を踏んで戸惑ってしまうようなところが、アリサにはある。
 だからこそ、すずかのような引っ込み思案の少女が押さえ役として機能するわけだけど――俺が素直に謝ると案の定、アリサは『わかれば良いのよわかれば……』とその語気を弱めた。

「……アリサちゃん、ごめんね。
 それに、時間は大丈夫なの?」

 そして、彼女の都合を考えて駆けつけたのだろうすずかの問いに、アリサは完全に頬を緩める。

「ええ、今日は先生が遅れてくるから、迎えが来るまでまだもうしばらくは時間が有るわ」

 ゆっくり、いそいで。
 姉が言った言葉の、妹はその前半を無視したのだろう。
 シャンプーの香りが強く漂う、まだ乾ききっていない髪を気にしながら、すずかはなのはと言葉を交わすと、姉に促されるままその隣の席に着いた。
 俺とアリサも自分の席へと戻り、サンルームに設えられたお茶会の席が埋まる。

「……それで、結局すずかは、コイツになにをされたのよ?」

 そして一瞬の間を置き、アリサがそうぶっちゃけた。
 いくらなんでもいきなりそれは無い――俺と、似たようなことを考えたのだろう二人が絶句する中、すずかは一瞬沈黙し、それから……。

「え、えへへへへ……」

 指先に巻かれたテーピングを眺め、実に幸せそうに頬を緩めた。
 恐らくすずかにとってそれは、約束を形にしたようなものなのだろう。
 だから、それを眺めて嬉しいと思うのは理解できなくもないし、そうしてくれた方がこちらも嬉しくはある……のだけれど、そう言った反応を示されると、何も無いと知っている俺自身でさえ、本当に何かがあったのではと思えてくる。

「……内緒」

 はにかんでそう答えると、まるで特大の宝石の付いた指輪でも見せびらかすようにテーピングを眺めるすずかの姿に、俺は思わず片手で自分の頭を抱えた。

『……本当に何もやってないよな、俺?』

 意中の男性に婚約指輪でも貰った乙女のような、そんな桃色の雰囲気で指先を眺めるすずかの姿に、アリサとなのはの冷たい視線が俺に集中するが、完全で十全な筈の記憶の中にそんな心当たりは欠片も無い。

「あー、ごめんなさい、今、すずかは相当お馬鹿になってると思うから」

「えー、それは酷いよお姉ちゃん」

 そんな三人の姿に苦笑、頬を掻きながらそう告げた忍さんに、すずかはいつに無く甘えた声でそう抗議した。

「あー、疑って本当にごめん」

「は、はははははは……」

 けれど、そんなすずかの姿は何よりも如実に、忍さんの言葉が真実だと示していて……謝る二人に、俺は微妙に引きつった笑顔で『……いや、いい』と首を横に振る。

「……みんなも酷いよぉ」

 やはり、全力で能力を使った反動でホルモンのバランスでも崩れているのだろうか?
 忍さんの口ぶりを考えるに、彼女にはすずかの変調の理由が理解できている様だが……。
 そんな事を思っていると、話を逸らそうとしてか、忍さんはすずかにこう尋ねた。

「そう言えばすずか、そのテーピングはそのままなのね?」

 シャワーを浴びたのにも拘らず、綺麗にテーピングされたままの指先に皆が視線を向けると、すずかは少しだけ我に返ったようで、常に近い表情でうんと頷く。

「解いて巻き直すと時間が掛かっちゃうからアリサちゃんに悪いし、それに指はロック君に綺麗にしてもらったから――だから、手袋を嵌めてシャワーを浴びたんだ。
 どうせ、爪が割れているから一人では上手に体を洗えないしね」

 だからファリンに甘えちゃった……そう言葉を閉じてほぅと吐息、こちらを見てにっこりと笑うすずかに
ふと、昔読んだ小説の一幕を思い出す。

『あれは確か……』

 指に蒔いた包帯を宝物みたいに見せびらかして、日暮れた街をハンターと共にはしゃいで歩く吸血鬼。
 連想……その末路を思い出して顔をしかめた俺を、話を変えたいのだろうアリサが目ざとく見つけて食いついた。

「ロック、どうかしたの?
 なんか変な顔しているけど」

 そういうアリサも、すずかの異次元惚気――状況的に適切ではないけれど、それ以外に適当な表現が見当たらない――に疲れた表情をしているのだけれど、紳士的にそこには触れずに『いや』とただ首を振った。

「……別に、なんでもないよ」

「なんでもないって事ないでしょ?」

 気付くと、すずかも含めた全員がこちらを見ていて、そんなに判りやすく表情を変えていたのかと、俺は内心頭を抱える。

「いや、すずかを見ていて前に読んだ小説を思い出しただけだよ」

 それは、自分が生まれた少し後に出版されて、後に漫画にもアニメにもなったホラー小説の大著だった。
 すずかの姿にソレを連想した事がとても不吉に思えて……そう言葉を濁した俺に、すずかが悲しそうな表情を向ける。

「あははは、余り良い内容じゃないんだ」

「面白いんだけどね、悲劇だし……」

 そう答える俺に、アリサと忍さんは逆に興味を惹かれたような表情を作った。

「どんな小説?」

 尋ねる忍さんに、俺はちょっとだけすずかをみて口篭ったけれど、下手に隠すより良いかと思い口を開く。

「小野不由美のね、屍鬼って小説なんだ」

「四季? 季節の?」

 尋ねるアリサに、首を横に振る。

「いや、屍の鬼かばねのおにで、屍鬼、ホラーだよ。
 スティーブン・キングの『呪われた町』へのオマージュだって、あとがきに書いてあったな」

 スティーブン・キングでピンと来たのか、忍さんが俺の言葉にあーと困った表情を作った。

「で、それはどんな話なのよ?」

「屍鬼――まぁ、ぶっちゃけた話吸血鬼なんだけど、屍鬼が未だ土葬の習慣が残る陸の孤島みたいな集落にやってくる話。
 人と殆ど変わらないメンタリティを持っているけれど人ではなく、人の中に隠れ潜まなければならない屍鬼達は、自分達が人ではない事を隠さないですむ、自分達だけのコミュニティを作ろうとして、集落の住人達を殺して仲間に変えて行くんだ」

 吸血鬼、その単語ですずかの表情が明らかに引きつる。
 けれど、それに気付いたのは俺の顔を見ていなかった俺自身くらいだったのだろう。

「……もしかして、殺されちゃう役なの?」

 そう尋ねるなのはに、俺はああと頷いた。
 先を促すアリサの視線に、仕方なく口を開く。

「外場村――その集落――を囲みこんだ屍鬼たちの計画が大詰めを迎えた頃、村に祭りの日がやって来るんだ。
 そんな日に、屍鬼の存在にいち早く気付いたハンターの一人、けれど、今では血を吸われて逆らえなくなってしまっている村で唯一の医者、尾崎の医院に彼の血を吸った屍鬼がやって来る」

 そして、浅はかで、それが故に屍鬼たちのリーダーに愛されていた屍鬼の女性は、尾崎に騙されて祭りに出かけるのだ。
 自分と噂になるのは拙いのではないか――そう渋っていた女性に尾崎が施した偽装、『小芋に手を滑らせて、親指の付け根を切ってしまった』様に巻いた包帯を、特大の宝石でも付けた指輪の様に見せびらかしながら。
 そして、死ぬ。
 彼女は自らの愚かしさの代償を支払い、それをきっかけに屍鬼達の計画は崩壊した。
 僅かな生き残りを除き村にいた屍鬼達は殺され、同時に村人達が逃げ去った村も大火事で死に絶える。

「その人は、愛した男の人に、騙されて殺されちゃったんだ?」

 そう語り終えるや否や確信したように尋ねてきたすずかに、俺は微かに目を伏せた。

「愛していたのかは判らないけれど、彼女が尾崎に惹かれていたのは間違いないと思う。
 ……けれど、けれども、あの時の尾崎にも、あれ以外のやりようは無かっただろうね」

 なにしろ、突然物陰から殴られて、殴られ続けて、死に体の状態で掴んだ糸の様にか細い逆転のチャンスである。
 尾崎にはそれを掴むしかなかったし、そうしようとする狂気染みた意思も持っていた。

「ねぇ、もしロック君が、その尾崎さんの立場だったら、どうしたと思う?」

 そんな事を考えていた俺に、すずかがそう問いかける。
 
「そうだね、屍鬼の物語で、尾崎の立場に立たされていたら……戦う他、無かっただろうね」

 問いの意味が理解できず、しかし、俺の口から漏れたのは、そんな言葉だった。
 俺の言葉に、すずかが脅えたように小さくなる。

『……異能を持つ自分を、それ故の変調に襲われている今を、屍鬼のそれと重ねたのだろうか?』

 そう思って俺は、固く、小さな種の様に固く身を縮めたすずかに、穏やかに微笑んで見せた。

「屍鬼は、元より村人全てを殺すつもりでいたし、殺されて屍鬼として起き上がるのは数人に一人。
 仮に屍鬼として起き上がれたとしても、待っているのは人間より遥かに不自由で、潤いにかけた生活だ。
 屍鬼の物語で、それも、尾崎として在るのなら、その時点でもう、戦うか逃げるかしか選択肢が無いよ。
 そして、守りたいものがあるなら戦いを選ぶしかない。
 別の物語で、別の出会い方をしたのなら、別の結末を迎えることもあると思うけどね」

 物語の屍鬼は不幸な結末を迎えたけれど、けれどそれは決してすずかではない――そして、そんな思いを込めた言葉は、どうやら彼女が身を縮込めた固い殻の中に届いたようだった。

「……別の出会い方?」

 童女の様に――実際童女だけれど時々忘れそうになる――尋ね返すすずかに、俺はああと笑顔で頷き返す。

「異種との出会いの物語が、常に不幸で終わるわけではないよ。
 たとえばドラッケンフェルズの主人公の一人、吸血鬼のジュヌビエーヴ・デュドネは、同じく主人公の一人である後の恋人、劇作家のデトレフ・ジールックと、彼が人として死ぬまで添い遂げているし、屍鬼の物語の世界だって、もし出会った個体が血を吸った相手が死なないように配慮しているなら俺は黙っているのも吝かじゃない。
 屍鬼の場合、血を吸った相手に暗示をかける能力があるから気軽には与えられないけれど、相手が気持ちのいい人間で無意味にそんな事をしないと判れば、定期的に血を提供してもいいだろうさ」

「人間って……屍鬼は人間じゃないよ?」

 返る答えにすこしだけ口元を綻ばせたすずかに、俺はオーバーに肩を竦めて見せた。

「同じ、サル目ヒト科ヒト属だよ、場合によってはホモサピエンスには分類されないかもしれないけどな。
 大体、そんなのリゲル星系第四惑星人と比べれば誤差の範囲だし、そのリゲル星系第四惑星人だって人間には違いない」

 トレゴンシーを思い出しながらそう告げた言葉には、どうやら自分が思っていた以上に実感が篭っていたらしい。
 すずかはぷっと吹き出してうつむき、ありがとうと呟いた。

「なによその、リゲル星系第四惑星人って……」

「……本当、なんなんだろうね、アリサちゃん」

 そして、二人の世界――いやな表現だが――に入り込めず、しかし、空気を読んで黙っていたアリサとなのはが、微妙に気恥ずかしげな表情で聞こえよがしにそう言葉を交わす。

「あ、え……」

「あら、もう終わり?」

 二人の言葉に我に返ったのか、すずかは俯いて頬を染め、その傍らに座る姉は楽しそうに口を開いた。

「しかし、姉の前で妹を口説くなんて、なかなかの度胸よね、ロック君」

 俺を、と言うより朱を通り越して真紅に頬を染めたすずかをからかう心積もりなのだろう。
 そう言葉を振った忍さんに、俺はにっこりと笑い返した。

「ははは、確かにそう取れなくもない会話だったのは認めますけどね。
 確かに貴方の妹さんはそうしたくなるほど魅力的ではありますけど、あいにく俺は古風な人間なもので、養う能力も無いのに女性を口説いたりなんてとてもとてもできません」

 かわされてあきらめたのか、或いは、魅力的と言う言葉を聴いて妹がへにゃと蕩けるのを見て満足したのだろうか?

「……まぁ確かに、古風は古風クラシカルよね。
 リゲル第四惑星人なんて言葉トレゴンシーがそらで出てくるんだから」

 自分でももう、すずかを口説いているのか追及をかわしているのか良く判らなくなってきた言葉を聴いて、忍さんはその口元に苦笑いを浮かべる。

「ドク・スミスのレンズマンか……確かに、ウォーゼルやトレゴンシー、ナドレックみたいな『人間』と比べれば、吸血鬼とホモサピエンスの違いなんて、誤差みたいな物よね」

 そして、そんな事を呟いた忍さんが何故か、俺には自分の言葉を強く噛締めているように感じられた。



[15544] 転校しました(その6)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/09/27 19:07
 それから程なくして、エーアリヒカイト姉妹この場に到着……アリサからの紅茶と、なのはからのシュークリームとが振舞われ、お茶会の本番に入った。
 一同、あの話題を振るとすずかが蕩けて会話にならなくなる事を学習したので、その後は追及されることもなく、また、親友三人の語らいを邪魔する気も無い俺は一歩引いて聞き役に徹する。

『アリサが俺に突っかかり始めると、なのはが入り辛くて大変そうだしな』

 このグループでの本来のなだめ役はすずかで、だから俺とアリサが話し始めるとなのはが会話からあぶれてしまうのだ。
 かといって、現状のすずかに俺が話しかければ彼女の幸せスイッチが入ってしまう――これが一過性らしいのはまことに喜ばしい限りだ――し、なのはとは特に話の種が無い。
 忍さんはといえば、椅子の配置的にお喋りする三人を挟んでしまうのでこれもまた無理だ。
 結局、個別には受け入れられていても、未だ俺はこのグループにとっては異物だと言うことなのだろう。
 納まりのいい位置が見当たらず、時折合いの手を入れるくらいで聞き役に廻る羽目になる。

『まぁ、寂しいとかそういうことはないのだけれど……』

 この三人の話題は意外に硬く、だから付いていけなくなったり感想に困ったりといった事は無いのだけれど、でもまぁ年相応とは言えないにせよ小学生のそれではあるわけで、積極的に話に斬り込んで行こうとか、そういうことは考えられない。
 それで手持ち無沙汰なのも確かで、手元のお茶も茶菓子も、もう殆ど食べ終わってしまっていた。

「ロック様、紅茶のお代わりをお注ぎいたしますか?」

 そんな俺に、カートの脇から歩み寄ったノエルさんが、そう声をかける。

「お願いできますか?」

「かしこまりました」

 ノエルさんはそう言って頭を下げるとカート脇のファリンさんに目配せ。
 ファリンさんは巾着型のコゼーポットカバーから白磁のポットを取り出すと、底と手を持ってこちらに歩み寄った。
 短髪できりっとした印象のノエルさんとは異なり、ファリン・アーリヒカイト嬢その妹は、その身に長く伸ばした髪と、柔らかな印象とを纏っている。

「失礼しますねー」

 まだ見習いだと言う彼女は、それにしては伸びやかな所作で微笑むと、底に当てていた手をふたに添え、注ぎ口の先をカップに近づけた。
 因みに、イラストなどで時々見かける、高い所からポットの紅茶をカップに注ぐインド式の注ぎ方は、実はパフォーマンス以上の意味は無いらしい。
 向こうさんでは、ああやって店頭で紅茶を注ぐ事で、客寄せをするのだそうだけれど……そんな事を考えながら笑顔で紅茶を注ぐファリンさんを眺めていた俺は、ふと、少し前に忍さんとした会話を思い出した。

『……さっきの言葉はノエルさんとファリンさんに直接言う事にします』

 そうは言ったものの切り出す機会が無く黙っていたけれど、傍らにノエルさんとファリンさんが揃っている今こそが絶好のチャンスなのではないだろうか?

「入りましたよー」

 笑いかけるファリンさんにありがとうございますと笑い返すと、俺はそう言えば……と言葉を連ねた。

「……ここを、ノエルさんとファリンさんは実質二人で管理していると忍さんから伺いました。
 入れて頂いた紅茶もとても美味しいですし、正直、お二人の仕事振りにはとても感銘を受けています。
 俺なんかが言っても励みにはならないかもしれませんが、これからも、お仕事頑張ってください」

「いえ、ありがとうございます。
 そう言っていただけると励みになります」

 そんな俺の言葉に、ノエルさんはその顔にふわりとやさしい笑みを浮かべて深くお辞儀をし、ファリンさんは……。

「はっ、はいッ!」

 褒められたのが余程嬉しかったのだろう。
 ポット片手に直立不動、そのまま何故か、ポットを持った手を敬礼の形に動かし……。

「あわっ!」

 ……ポットの重さ、そして、中から僅かに溢れたお茶に驚き、そのバランスを崩した。
 だがその目の前の俺も、そんな彼女の姿を黙って眺めていたわけではない。
 ファリンさんの手が、何故かポットを忘れたかのような動きを見せた時点で、この身は既に臨戦態勢に入り、バランスを決定的に崩したその瞬間には既に動き出していた。
 とは言え、他の同年代と比べ抜きん出た力を持っている俺も、まだ小学生――体格・体重差の大きいファリンさんを、それも座った状態から動いて受け止めるのは、正直難しい。
 条理を超えた干渉力を持つすずかならともかく、制御以外は子供に毛が生えた程度の自分では、彼我の重心の動きを考慮した細心な肉体操作抜きに、彼女とポットの中身の両方を受け止める事は不可能だ。
 俺は、体重移動を利用してファリンさんの背後に滑り込むと、姿勢を立て直しながら倒れる少女の体に手を伸ばす。
 そして……

『……ッ!?』

 ……布越しにその体に触れた瞬間、俺の目が大きく見開かれた。

『……人間の体じゃ、ない?』

 そう感じた瞬間に、声を出さなかった自分を褒めてやりたい。
 重心がおかしい――ノエルさんの動きにそんな違和を感じていた俺は、どうやら正しかったようだ。
 それどころか、筋肉の付き方やその動き、皮膚に伝わる微細な振動など、僅かな間触れただけで判る様な他人との相違が、彼女の体には幾つも存在する。

『サイボーグ?
 姉妹で?
 家系――遺伝病?』

 明らかなオーバーテクノロジーの産物と、それから想定される彼女達の事情とが、つかの間意識を埋め尽くし……そして俺は、それを強く振り払った。

『……いや、今問題なのはそれじゃない!』

 普通の人間を受け止める事を前提に組み立てたこの動作では、構造の違う彼女は支えきれず、また、今から動作を修正するには圧倒的に時間が足りない。
 俺は、最悪、自分がクッションになる覚悟で年若い侍女の体を受け止め、その衝撃を支えきれずに揺らぐ足でどうにか踏ん張ろう――

「ありがとうございます、ロック様。
 私一人では間に合わないところでした」

 ――とした瞬間、横から差し伸べられた強い手が、片手でファリンさんを、もう片方の手でティーポットを、それぞれ支え止めてくれた。
 俺は、ほっとしながら姿勢を立て直すと、抱きかかえる形になった少女の顔を覗き込む。
 常に露出している部分だけに、偽装に力を入れている――いや、それ以前に顔筋の動きが変だと異様な表情になったりするか――のか、ファリンさんはとても自然な驚きの表情を浮かべていた。
 その皮膚は、毛穴や産毛といったディティールまで完璧で、ここだけ見ると作り物だとは全く思えない。

「ファリンさんは大丈夫ですか?」

 そんな事を考えながら問いかけると、失敗が恥ずかしいのか、或いは、抱きとめられた事に照れているのか、その顔を朱に染めたファリンさんは、あうあうとその口を動かした。
 そして次の瞬間、俺の腕を逃れてピンと立ち上がり、ペコペコと大きく何度も頭を下げる。

「す、すいません、ありがとうございますロック様!」

「ファリン、何時も言っていることですが、もっと落ち着いて動きなさい」

 そんな妹をすぐさまノエルさんが諌め、それから姉妹並んで、俺にもう一度礼を告げた。

「いや、誰も火傷しなかったみたいで良かったよ」

 苦笑しながらそう答えると、興味津々、俺達を眺めていた忍さんが、こちらに向かいこんな軽口を叩く。

「……今度はファリン?
 ずいぶん手が早いわね、ロック君」

 この女性は普段からこうなのか?
 一時間にも満たぬ付き合いしかない自分には判断できないけれど、なんとなく、自分の楽しみと言うより、すずかに俺を意識させようとしてわざわざそういう事を言っている気がする。
 確証はない。
 ただ、なのはやアリサが忍さんに向ける視線や、彼女の言葉の端々にそれとない違和を感じるのだ。

「まぁ、それだけが取り柄ですからね」

 だが、それにどんな意味があるのだろうと、俺は今になって疑問を感じる。
 思いつく理由といえば、先に自身が言っていた通りに、晩生な妹に発破をかける事――自分に言い訳して現状に安住しないように、感情駄々漏らしな今の内にもう誤魔化し様がないくらいにそれを周囲に触れ回らせて背水の陣を引かせる――位だが、そんなことを真剣にやる必要性がどこにあるのだろう?

「なのはやアリサ、忍さんやノエルさんが危ない目にあった時も、近くに居たなら誰よりも迅速にお助けいたしますので、乞う御期待ってところですか」

 笑顔で軽口を叩きながらも、こちらの受け答えを観察し続けている忍さんに、俺は笑いながらそう返す。

「これはこれは、ずいぶんと大きく出たわね」

 すると彼女は、ニヤニヤとわざとらしい嫌な笑みを浮かべて、俺と傍らのファリンさんとを比べ見た。

「まぁ、ノエルより速い時点で、言うだけの事はあるのだけれど……良かったわね、ファリン。
 貴方の新しい御主人様候補筆頭は、ずいぶん優しい方のようよ?」

 そんな姉の言葉で幸せスイッチが入ったのか、お馬鹿なすずかはへにゃんと両手を赤らめた頬に当て、槍玉に挙げられたファリンさんはファリンさんで、目を白黒させながらペコペコと俺に向かって頭を下げる。
 因みに、なのはとアリサはもうあきらめムードで、二人こそこそ、何がしかお話しているようだった。

「あ、え、ふ、不束者ですが、よ、よろしくお願いします、ロック様!」

 正直、現状にアリサが突っ込んでくれる事を期待していたのけれど……真っ赤な顔で、まるでこれから自分に嫁ぐかのような事を口走るファリンさんに、俺はあーと自分の額に手を当てる。

『……大体、俺がファリンさんの新しいご主人様候補筆頭ってどういう事だ?
 すずか付きの侍女だから、仮に俺とすずかが結婚したら俺とすずか付きの侍女になるって事か?』

 正直、どういう状況なのかがさっぱりわからなかった。
 ファリンさんの年齢は、俺が見たところでは十代半ばから後半といったところ……最低でも中学は出ている筈だし、昨日今日に月村家で働き始めたわけでもないようだからから十六は超えているとして、俺とすずかが最速で結婚したとしても、その時の彼女は二十の半ば近い歳になる。
 ファリンさんのような美人であれば周りが放ってはおかないだろうし、既に月村家の侍女を結婚退職していても全くおかしくない年齢なのだが……。

『……って、あ、そうか。
 彼女がサイボーグなのだとしたら……』

 その体の維持には月村かそれと同等の技術を持つ組織のバックアップが必要になるわけで、彼女はどうやっても月村から離れられない事になる。

『なんだかいやな話だよな、それ……』

 投下した資本やら技術やらを考えれば当然の事だし、彼女自身もそれで納得している様子だけれど……俺はむぅと、ファリンさんを眺めて眉を潜めた。

「……ファリンさん、アレは忍さんの冗談ですから、間に受けないでくださいよ」

 錯乱する少女をそう宥めながらちらり視線を向けると、いつの間にやら忍さんの側まで移動していたノエルさんが、彼女に何か耳打ちしている。
 何がしかを聞いた忍さんは一瞬だけ表情を引き締めると、直ぐに表情を笑顔に戻してこちらを流し見……そして、期せず二つの視線は絡まり、離れた。

「そうそう、ファリンは美人なんだから、こんなジャイアンもどきには勿体無いって」

 しかし、何を言うでもなく彼女は再び傍観者へと戻り、代わりにアリサがそんな茶々を入れてくる。

「じゃ、じゃいあんモドキ……」

 恐らく、俺と同じ性格をしたジャイアンでも連想したのだろう――アリサの言葉に噴出しかけて、なのはが慌てて口を噤んだ。
 太ってはいないが体格は良く、団子鼻では無いけれど顔つきが四角い俺の見た目には、確かにジャイアンに通じる部分が無いわけではない。

『……別に、遠慮なく笑って良いんだがな』

 正直な所を言えば、なのはとすずかの二人は年齢と対して良い子過ぎるように感じていた。
 アリサほど傍若無人になられても困るが、彼女達はもう少し羽目を外してもいいと思うのだが……。

『いや、今のすずかにこれ以上羽目を外されたら、それはそれで問題かな』

 そんな事を考えながら、こちらに恐々視線を送るなのはに、気にするなと笑って首を横に振る。

「……ジャイアンもどきは酷いよ、アリサちゃん。
 ロック君は……」

 そこですずかが弁護に入り、何故かその後ろでそうだそうだと激しく頷くファリンさん。

「はいはい、すずかがロックを好きなのは良く判ったから、そんなに力説しない」

 流石にもう慣れたのか、アリサがそう受け流してその言葉にすずかが赤面し……大人三人が離脱して、場の会話の主導権は、小学生三人(+オマケの一名)へと移った。

「しかし、すずかもなんでこんな『きれいなジャイアン』の事を好きになったかな?」

 自分を槍玉に挙げた恋愛ネタがメインなだけに多少気恥ずかしくはあるが、彼我の(精神)年齢差が大きいので居た堪れなさよりは微笑ましさの情が先に来る。

「だって、ロック君は強くて優しくて――それに、どこか恭也さんに似ているし」

「すずかまでそんな事言うわけ?
 恭也さんとアレと、一体どこが似てるってのよ」

 本来なら赤くなって黙ってしまうだろうネタ元の片割れすずかが酩酊状態である事や、ついにアリサが惚気の受け流し方を覚えた事等もあって、四人の会話ガールズトークは盛り上がり、かしましい響きが夕暮れ時のサンルームを満たしていった。

『しかし、すずかまでそう言い出すとは、そんなに俺となのはの兄さんって似てるのかね?』

 外見が似ていない事でも皆の意見は一致しているわけだから、それなり以上に行動が似ているのだろうけれど――そんな事を思いながら、その恋人だというすずかの姉を見ると、同じくこちらを見た忍さんと再び視線が交わる。
 目と目を合わせて、何故か二人同時に苦笑……俺達は示し合わせたように年少組へと視線を戻した。
 なるほど確かに、俺はその恭也さんと言う人と行動パターンが似ているらしい。
 忍さんの挙動にそんな事を思いながら、俺はすずかに視線を向けた。

『すると俺は、すずかにとっての白馬の王子様ってところか』

 姉の恋人を見て――自分を受け止めてくれる人は現れるのだろうか――そう羨んでいた異能者すずかの、所属するクラスに突然やってきた東京からの転校生……。
 他人を避けるその姿が昔の自分に似ているからと声をかけてみれば、その人は密かに憧れていた姉の恋人にどこか似た雰囲気を持ち、しかも、自分と並び立てるだけの『力』を秘めていた――情報をまとめ、俺は『そらどこの少女漫画やねん』と独り自分に突っ込みを入れる。

『ま、舞台が小学校ではなくて、転校生が「きれいなジャイアン」じゃなければ、だけどな……』

 そんな事を思いながら俺は四人の姿を眺め――

『できるだけきれいなままでいてやりたいよな……』

 ――ふと、そんな風に思った。

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 そして、短い時は瞬く間に過ぎ去り、このささやかなお茶会にも終わりの時が訪れる。

「アリサお嬢様、お迎えの方がいらっしゃっています」

 時を告げるノエルさんの言葉に、アリサが頷き、なのはと俺も席を立つ。

「みんな今日はわざわざ来てくれてありがとう。
 とっても楽しかった」

 一同無言で館を歩き、着いた鮫島さんの車の前で笑うすずかに三人で別れを告げて、そして……。

「あー、悪いんだけど、すずかの怪我の件でちょっとだけ聞きたい事があるから、ロック君にはまだ残っていてもらえないかな?」

 思い出したかのように、忍さんがそんなことを言ったのは、ちょうどその時だった。

「あ、ノエルに送らせるから、帰りの足の方は心配しなくても良いわよ。
 ……なんなら、なのはちゃんも残る?
 私がロック君と話している間、すずかと二人で待っていてもらう事になるけれど……」

 こう言う時に、なのはがアリサを独り帰す選択をするとは考えにくい。
 明らかにそれを前提に問いかけている忍さんの、その言葉の含みに気付いたのか、鮫島さんが微かにその表情を鋭く変えるが、立場上口出しはできずただ俺の方に視線を送った。

『……どこをそんなに気に入ってくれたのか判らないけれど、ありがたい事だ』

 だからと、俺は微かな笑顔を浮かべて、鮫島さんに頷いてみせる。

「わかりました……けどその前に、家に電話を入れさせてもらえますか?
 俺、携帯持っていないので……」

「ではロック様、こちらをお使いください」

 すかさず差し出すノエルさんに軽く頭を下げて、俺は借りた携帯で電話をかけた。

「はい、眞鍋です
 ……あらロック、どうしたの?」

 どうやら、まだ夕食の準備を始めていなかったらしい。
 間を置かずに電話に出た母親に、クラスメイトの月村さんの家にお見舞いに来ていること、少し遅くなるかもしれないが夕飯までには帰ることの二点を告げると、携帯を借りているからと直ぐに電話を切った。

「あたし達が居ないからって、すずかに変な事したら承知しないからね!」

 最後にそんな捨て台詞を残し――それに対するすずかのリアクションを見て、思わず三人、顔を見合わせてしまったが――館を去ったアリサのリムジンを見送ると、俺たちは先のサンルームへ戻った。
 紅茶のお変わりを淹れに行く侍女二人とは途中で別れ、サンルームへと着いた月村姉妹と俺は、それぞれ先の自席へ歩き、テーブルを挟んで正対する。

「……まず始めになんだけど、ロック君、私達に何か聞きたい事があるんじゃないかしら?」

 そして、席に着くや否や、忍さんは笑顔でそんな言葉を放った。
 なにかを言い含められたのか?
 そんな姉の傍らで、すずかはその身を硬く縮込め、その手を膝上で強く握り締めている。

「……質問が曖昧で、何について言ってるのかよく判りませんが、とりあえず俺には、女性の秘密を詮索するような悪趣味は無いですよ」

 多分、すずかは俺が彼女達の真実、或いはその一端を知って離れて行く可能性を恐れているのだろうけれど、正直俺にとってはそんなことはどうでもよかった。
 そりゃあ、こちらを騙して食い物にしようとしているのならともかく、そうでなければ、月村一族が超能力者の血族であろうと、エーアリヒカイト姉妹がサイボーグであろうと、俺とすずかが友達である事には全く関係がない。
 だから正直、俺はそう言った事を詮索するつもりはあまりなかった。
 厄介事に遭い易く、複数の思考を平行して高速で行える体質柄、常に周囲の状況を切り刻み分析する嫌な癖は染み付いてはいたけれど、それはあくまで状況把握の為で無意味にそれ以上踏み込むつもりはない。

「……じゃあ、言い方を変えるわね。
 今後の為に是非教えて欲しいのだけれど、どうしてノエルとファリンの秘密に気が付いたのかしら?」

 同時にそれは、単に他人の秘密まで抱え込みたくないと言うヘタレた心根の表れでもあったのだけれど、どうやら忍さんの方は、是が非にも俺を秘密に巻き込みたいらしい。
 一歩踏み込んだ問いかけに、俺ははぁ…と溜息を吐いた。

「……主に、重心ですかね。
 彼女達の体、大体人間と同じ位置で釣り合うようには作られているみたいですけど、各部のバランスは違うみたいで、それが動きに現れていましたよ。
 後は、さっきファリンさんに触れた時、筋肉の付き方とかその動き方とかが微妙におかしかったり、中から変な振動が伝わってきたりしたので……」

 仕方なく率直に答えると、不度は忍さんが溜息を吐く。

「今までにもばれた事は何度かあるけれど、初日で見破られたのはこれが初めてよ」

 確かにそれはそうだろう。
 複数の明確な違いがあるとは言え、その各々は微細な上に、彼女達の仕事着は露出の少ない長袖のエプロンドレスなのだ。
 俺がそれに気付けたのは、与えられた特殊能力に加え、それを生かすべく続けていた人体構造についての学習成果があったからで、触れた瞬間に感触から筋肉の付き方とその動き、奥から伝わる微細な振動等を感じ取り、得られた情報を分別、分析できる人間なんて、素の状態なら一人もいないのではないだろうか?

「一応確認しておきますけど、ノエルさんとファリンさんはサイボーグ、で良いんですよね?」

 そんな事を考えながら尋ねた俺に、忍さんは首を横に振った。

「……いいえ、彼女達は自動人形オートマータよ。
 うちの一族に伝えられてきた、ね」

 オートマタ――主に十八世紀前後に作られた西洋からくり人形を示す言葉である。
 主にバネや水圧等を動力として動き、中には人と見紛うばかりの物もあったそうだけれど……。

「……いや、幾らなんでもそれは無理があるのでは」

 漫画じゃないんだし――そう顔の前で手を振る俺に、忍さんは残念だけどときっぱり首を横に振った。

「信じられないだろうとは思うけど、本当の話よ。
 今では失われた技術が使われているけれど……」

 失われた技術の一つや二つで話が済むのなら、世の技術者達が苦労はしない。
 そもそも、技術が進めば進むほど、それを支えるのに大きく厚い基盤が必要になるのだから、こんなオーバーテクノロジーを一族単位の組織で保持隠蔽するなんて土台不可能なのだ。
 それこそ、魔法と見まがうばかりの超技術の産物か、この世界の外側に大きな産業基盤でも持ちあわせていない限り、そんな事はありえない。

「ノエル達は、親戚の家の蔵に転がっていた物を譲り受けて、私がレストアしたものなの」

 ……ありえない筈なのだけれど、そういう忍さんと相槌を打つすずかの表情は完全に真剣な物で、嘘を言っているような気配は全く感じられなかった。

『……少なくとも、彼女達はそう信じてるって事か。
 しかし、どれだけコストをかけたのかはわからないけれど、現代の技術でレストア可能とは……』

 例えば、自動人形を覆う皮膚一枚とっても、一財産どころではない巨益を生み出せそうな技術なのに、月村家の経営する企業はと言えば、技術力に定評はあっても極普通の大手工業機器メーカーだ。
 或いは本当に、民生に利用されている科学技術など氷山の一角などと言うSF少年漫画か陰謀論めいた現実でも世の陰には潜んでいるのだろうか?
 そう頭を悩ませる俺に、忍さんはクスリと笑みを漏らした。

「流石に驚いた?」

「……ええ、正直驚きました」

 今の俺の感情を正確に評するならば、驚くと言うよりは呆れるに近いのだろうけれど……。

「けどその割には、なんて言うか、月村さんの家の経営する企業って普通ですよね?」

 意を決して尋ねてみると、忍さんは苦笑してこう答えた。

「出る杭は打たれるって言うでしょう?
 ウチの両親を含む一族主流派の方針で、そう言った技術は出来るだけ小出しにする事にしているのよ。
 ……これからが本題なんだけど、ウチの一族には杭を打たれる理由が沢山あるからね」

 忍さんがそう言うと、すずかが小さく固まらせていた身を更に小さく縮ませる。

「もしかしてそれは、すずかの持っている、その、超能力…?の関係ですか?」

 それが見てられなくて、俺はそう口を開いた。
 既にある程度の事は感づいていて、それでも付き合いを続けている。
 そう言う意味で告げた言葉に、目の前の姉妹は何故か予想以上に激しい反応を見せた。
 忍さんは険しい目で妹を見下ろし、すずかは驚いた顔で姉を見上ると、激しくその首を横に振る。

『……ああ、そうか、この言い方だと勘違いするよな。
 だとすると、二人は身体能力以外にも何らかの異能を持ってることになるけれど』

 姉妹のやり取りにそう気付き、俺は慌ててこう口を挟んだ。

「あ、言い方が悪かったみたいですいません。
 超能力ってのは、すずかの身体能力のことです」

 その特異性に気付いていなかったのか、俺の言葉にキョトンとする二人に、今日のドッチボールの時の出来事を説明する。

「そういうわけで、あの時のボールは、すずかの体重と体格とあのフォームじゃ、どんなに力が強くても投げられないんです」

 理路整然、説明を終えた俺に、しかし、忍さんとすずかは三信七疑くらいの視線を向けた。
 月村姉妹の反応を見るに、自分達の『力』が肉体の強さに依存するものではないと言う考え方自体が彼女達の一族にとっては目新しいものだったのだろう。

「確かに一族には、たまに手も触れずに物を動かす力を持つ人が生まれたりするけれど……けれどそれって、本当に確かな事なの?」

 その上、その提唱者が何の権威もない子供の俺では、三割でも信じてもらえれば上等だ。
 妄言と斬っては捨てずに疑問を言葉にして返した忍さんに、だからとはっきり頷いてみせる。

「ええ、手加減した状態であのボールが投げられる位ですから、例えば動かせるギリギリの重さのものを床に置いて、押した時に足裏に掛かる力と押す物に掛かっている力とを計測すれば、理論値と実測値とに一目でわかるほどの顕著な差が出ると思いますよ」

 そう言い切った俺の言葉は、具体的な検証法の例示も有って、それなりには受け入れられたようだった。

「なるほど、確かに一族が持つ特殊な肉体能力の全てを完全に器質的なモノとして見るよりは、そう言った『力』が影で働いていると考えた方がまだ理解しやすいかもしれないわね」

 ある程度納得できたのかそんな事を呟く忍さんと、理解できたのかできないのかぼーっと俺の顔を眺めているすずか。

『とりあえず、すずかの緊張は解けたみたいでよかった』

 そんな事を考えながら二人の姿を眺めていた俺に、忍さんは再び口を開いた

「……話を戻すわね。
 今では日本に根付いているけれど、月村は元々、欧州に端を発する特殊な力を持つ一族の末裔なの。
 一族は、その能力のカテゴリによって幾つかの分派に分かれるのだけれど、それらを総して『夜の一族』と名乗っているわ」

 そして、再開された説明に、俺は再び眉を潜めた。
 夜の一族、カテゴリごとの分派、杭を打たれる理由が沢山ある――それらの言葉が連想させるホラー小説の主役達と、先のお茶会で自分が語った小説の内容、そして、その時の彼女達の反応を思い出す。

『……バイロン卿曰く、『事実は小説よりも奇なり』だそうだけれど、まさかね』

 そして、そんな俺の姿に、忍さんは苦笑しながらこう言葉を連ねた。

「私たち月村は、日本に根付いた夜の一族の内、吸血種と称される血統の有力家系の一つなの。
 ……だから、ロック君が屍鬼の話を持ち出した時には本当に驚いたわ」

 まさかの『まさか』に俺は絶句し、その表情を見たすずかの顔が再び強張る。
 それは他意の無い、単なる驚きだったのだけれど、情緒不安定な今の彼女の目には、どうやらそうは映らなかったようだ。
 一方、その姉はその表情の理由を正確に汲み取ったようで、苦笑したままにこう口を開く。

「……流石に、混乱させちゃったかしら?」

 そして、投げかけられたそんな問いかけに、俺は笑って肩を竦めた。

「ええ、少し。
 犬神統か金蚕辺りの憑き物筋、或いは山人を祖とする、なんて話は出てくるかもしれないと思っていたんですが、まさかそっちの方面に行くとは思いもよりませんでしたよ。
 ……とすると、月村の祖は、スラブ辺りの呪術師の家系って事になるんですかね?」

 単に驚いただけで、それ自体はどうと言う事は無いと言う様に、軽く。

「さあ、どうなのかしらね?
 一族がいつどこに現れたのかなんて記録は、今はもうほとんど残っていないみたい。
 ただ、かなり昔から存在した事と、その源流が欧州にあると言う事は確かなようよ」

 どうやらその気遣いは功を奏したようで、律儀に答える姉の隣で、すずかはほうと胸を撫で下ろした。
 本当はいちいち対処する必要は無いのかもしれないけれど、目の前で、小さな子供が暗い顔をしているのを黙って見ているなんて言うのはどうにも極まりが悪い。

「それで、具体的にはどんな感じなんですか?
 流れる水を渡れないとか、陽光に弱いとかそう言ったことは無いみたいですけれど」

 内心ほっとしつつそう尋ねた俺に、忍さんは指折り数えつつ説明を始めた。

「そうね、まず陽光に関しては夜型になりやすい傾向がある程度で、特に弱いという事は無いわ。
 次に、これは結構個体差が激しいのだけれど、概ね血の濃さに応じて、肉体的に強くなったり、特殊な能力に目覚めたりと言った事があるわね。
 後は、常人よりも消化吸収効率が悪いらしくて、定期的に動脈血を摂取して補う事が望ましい。
 血を飲まなくても生きていけるけど、成長障害がおきたり、病気に掛かりやすくなったりするみたい。
 ……あ、それから別に血を吸われても感染したりはしないわよ。
 夜の一族の血を輸血する事で、一時的に治癒力が上がったりと言った事はあるみたいだけれどね。
 そんなわけで、ウチの一族では自分達は何らかの原因で発生した遺伝子障害が定着したホモサピエンスの亜種と言う考え方が主流になっているかな」

「……なるほど、じゃあ特に問題となるような要素はありませんね。
 まぁ、存在を知らしめたり、能力をひけらかしたりしたら感情的な軋轢は避けられないでしょうけど」

 そう結論付けた俺に、忍さんは溜息を着く。

「ええ、その感情的な軋轢が一番怖いから、こうして隠しているのだけれどね。
 それで……」

 そう言って、忍さんは俺の目を見つめた。
 いつの間にやら戻ってきていたらしいノエルさんとファリンさんとが、俺の後ろに立つ。

「……こちらから教えておいてこういう事を言うのも悪いんだけど、ロック君に選んでもらわなければならないことがあるの。
 誓いを立て、私たちの一族と友誼を結んでそのまま共に歩いていくか、それとも、私たちの一族に関わる全て――ノエル達の正体からこっちの事ね――を忘れるか。
 誓いを立てる場合は、ウチの一族の誰か――今回の場合はすずかになるわけだけれど――と、義兄妹でも夫婦でもいいけれど、その契りを交わした上で、一族の上の方に縁者として話を通す事になるわね。
 忘れる事を選んだ場合は、私たちの一族の『能力』を使って、ロック君の記憶を封印します。
 ……特に関係のない第三者に知られた場合は、問答せずに記憶を封印しているけれど、今までは特に問題無かったみたいだから、後遺症なんかは考えなくてもいいと思うわ」

 どうする?――そう言って真正面から俺を見つめる忍さんに、すずかは泣きそうな顔で俯き、膝の上でぎゅっと拳を強く握った。
 すずかのことは嫌いではないので、その縁者にならないかと言う誘いには異存は無い。

「一つだけ、聞いてもいいですか?」

「なにかしら?」

 だからそう尋ねたのは、単なる疑問からだった。

「なぜ、すずかと知り合ってからまだ一月しか経っていない、忍さんに至っては会うのが今日で初めての、それも未だ八歳の俺にこんな事を言い出すんですか?」

「……もしロック君がただの八歳児だったら、迷わずノエルの正体に関する記憶を消していたわよ」

 そんな回答に苦笑を浮かべた俺を、忍さんは凄い目付きで見据えながらこう言葉を続ける。

「何でまだ一ヶ月でそんな提案ができるのかについては――実は、すずかが貴方を強く気にしている事を知った時点で、一通りの調査をさせていたからなの」

 そう、告げられた内容は、すずかにとっても初耳だったようだ。
 えっと、目を見開いて姉を見上げる妹に、忍さんは困り笑いで頬を掻く。

「調査、ですか?
 ……どうして俺を?」

 そして、そう問いかけた俺に、しばらくの間困ったように目を閉じていたけれど、ややあって忍さんは大きな溜息を吐き出した。

「夜の一族は、一般的に肉体的、精神的な成熟が普通の人間よりも早いのだけれど、一族の女子には特に、その、ある程度性的な成熟が進むと厄介な習性が生まれるの」

 言い難そうに、言葉を切り切り選びつつそう告げた忍さんに、その隣のすずかの顔が真紅に染まった。

「……つまり、今のすずかはその習性が現れた状態なわけですね?」

 頭を抱えつつそう尋ねると、忍さんは気恥ずかしそうにうんと頷く。

「この習性は……その、ほぼ三十日周期で定期的に訪れるものなのだけど、心理的な要素が強いのか、気になっている男の子が居たりすると、症状が現れやすくなったり、激しくなったりするのよ」

 ほぼ三十日、口篭っている所を見るに生理周期か。
 クラスメイトの女子と一緒に性教育を受けているような、そんな情景に思わずうーと唸ると、俺が説明の内容をほぼ正確に理解している事が感じ取れたのか、すずかはあぁと声を漏らして両手で顔を抑えた。
 そのままいやいやと、幼児の様に首を振る。

「それで、その……そのままなし崩し的にくっついちゃう事もあるって言うか、結構多いらしいから、それで……」

「変な奴だったら困るから調べさせた、と?」

 言葉を引き継ぎそう尋ねると、忍さんは悪びれもせずにええと頷いた。
 流石に恥ずかしかったのか、その顔は僅かに朱に染まっていたが……。

「それで、調査の結果、思想・背景的な問題はなく、また、実地に会って話をして、少なくともすずかを気遣っている事と、事情を理解できるだけ頭を持っているとわかったから、選択させる事にした?」

 重ねて尋ねると、その答えもイエス――俺はふむんと頷くと、苦笑いを浮かべた。

「では――といっても、答えは判りきっている気がしますが」

「判りきっていても、それをロック君の口から聴く事に意味があるから」

 にこり、そう答える忍さんにはぁと息を吐く。

「……でしょうね。
 残念ながら、あなた方の正体に関わる記憶を全て封印すると、忘れたくない記憶ことまで封じられてしまいそうなので、そちらは選択できません」

 俺の言葉の最初に、すずかはうつむき拳を握り締めたが、途中で顔を上げてえっと呟き、その目を丸く見開いた。

「……何で最後の最後だけ、そう捻くれた事を言うかな?」

 そう言って溜息を吐く忍さんに、俺は憮然、口を開いた。
 正直、そんなこっぱずかしい誓いを面と向かって宣言できるほど、俺は達観していない。

「……これからの事を考えると、この位の意地悪はしても許されると思うんです」

 そう言ってすずかの方を見ると、こう続けた。

「……でも、忍さんが俺の事を信用してこの話を切り出してくれたのも確かですから、代わりに一つ、昔話をさせてもらいます」

 多分忍さんは、俺が信用にたらない人物だと思ったら、妹に恨まれても無理やり記憶を封じていただろう――だから俺は、意外な言葉に驚く月村姉妹に、こう言葉を連ねる。

「これは、まだ両親にも話していない事ですが……」

 俺はそう前置きして、姉妹が聞く姿勢を取るを待った。
 そして、居を正した二人にこう話始める。

「昔――その形容が適当かは良く判りませんが――とにかく昔、俺が一人出歩いていた時に突然足元が崩れて、それで出来た大きな穴に落ち込んだ事があります。
 悪いことにそこは余り人の通らない所でしたから、それには誰も気付かず……だから場合によって俺はそこで死ぬか、そこまではいかなくとも、相当酷い目にあっていたかもしれません」

 流石に、トレゴンシーとの出会いを逐一話す心算はなかった。
 世界の外側とか、高次空間とか……彼女達以上に荒唐無稽で、彼女達の様な物証を持たない俺の物語を、そのまま言っても理解してもらえるとは思えない。

「結論から言えば、俺は直ぐに助けあげられました。
 ……そこに穴が開く事を知って、様子を見に来てくれた人がいたからです」

 だから、嘘は言わずに本当は暈し、俺は出来事の外側だけを選ぶようにして話を続けた。

「崩れる前に、そこがこれから崩れる事を知って様子を見に来た?」

 そう尋ねる忍さんにええと頷く。

「そうですね、あの人は普通の人には解らない事が解る人でしたから……。
 それからあの人は、助け上げた俺を見て『お前は今後、トラブル塗れの一生を送る事になるだろうから、せめて体位は鍛えておかないとあっさり死にかねない』と言って、色々な事を教えてくれました。
 それで俺は、あの人が与えてくれた物を元に鍛錬を初めて、今の自分に至る……まぁ、ただそれだけの、つまらない話です」

 そう語り終えた俺に、忍さんはこう尋ねた。

「その『あの人』の名前とかを、聞いてもかまわないかしら?」

「本名は俺も知りません。
 逢ったのはただの一回だけですし、自分のことはトレゴンシーと呼んでくれと言っていましたから。
 理知的で、ドラム缶みたいな胴体に、妙に細長い手足を持った人でした」

 信頼に応える目的で話したのか、単に話して楽になってしまいたかったのかは自分でも良く判らない。
 その内容にしても、彼女達にとっては『そんなこと言われても……』と言いたいようなモノだろう。
 けれども、ああやって誓いの言葉を流してしまった――いや、『頭の中が桃色になっている今のすずかの前でそんな事誓えるか!』と言う極まっとうな判断はともかく――以上、その代わりの『特別』を何か、すずかにあげてもいいんじゃないかと、その時の俺は思ったのだ。

「すずか、これはこの場にいる人だけの秘密だから、誰にも話さないでくれよ?」

「うん!」

 そうして力強く応えるすずかの笑顔に、俺もうんと頷き笑い返す。 

 ……そしてその数日後、俺は、『会社で月村重工社長、月村征二氏の突然の訪問を受けた』と言う父親に、色々と問いただされる羽目に陥るのだが、それはまた別の話である、畜生……。




[15544] ~間奏~ 高町家家族会議
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/09/27 19:05
 自称『ごく普通の小学二年生』高町なのはにとって、眞鍋六郎と言う名の転校生は『近くにいるとほっとしてちょっとだけ嬉しい』そんな不思議な男の子だ。
 なぜそう感じるのかは彼女自身はっきりとは判っていないけれど、そんな風に感じ始めたのは、六郎が(仕方なく)三人と行動を共にするようになり、なのはが『なんだかロック君、ちょっとだけお兄ちゃんに似てるなー』とか思い始めたその頃なので、漠然とその影響なんじゃないかなとか考えている。
 実際、彼女の父親と兄姉は、特殊な身体操作術を伝承するとある武術宗家の数少ない生き残りにして継承者達であり、極普通の御家庭にいるには頼もしすぎるくらい頼りになる人達だったりするので、その印象が投影されている六郎と共にある状況に、なのはが安心感を覚えるのは当然と言えば当然の話……なのだけれども、そんな小学生離れした自己判断能力を持つ彼女にとっても

『――なんでロック君と一緒だと嬉しいんだろう?』

 ――この疑問は解決の糸口さえ全く見つからない難問であり、だからなのははここ数週間ずっと、その疑問を心の片隅に巣食わせ続けていた。
 そう言ったわけで、ここ数週間のなのはの行動は、微妙に迷走気味である。
 例えば、この奇妙なドキドキを彼女の姉、高町美由希の部屋で読んだ少女漫画――血の繋がらない義兄に義妹が懸想する、美由紀愛読の甘ーいラブロマンスだ――に重ね……

『もしかして、私もお姉ちゃんと同じようにお兄ちゃんの事が好きなのかな?
 だからお兄ちゃんに似たロック君の傍にいると嬉しいのかも……』

 ……と、兄、高町恭也の事をじっと観察して見たり、それを見咎めてどうしたのか聞いてきた姉に正直に全てを話したら、何故か興奮した面持ちで母、高町桃子の所に走っていってしまったり、姉の奇行にどうしたんだろうと悩みを増やしながらも観察を続けて、

『やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだよね』

 と結論付けたりと、小さななのはは、この喉奥に刺さった小骨のような問題にその心を悩ませていた。
 因みに、彼女のドキドキの本当の理由はと言えば、家庭の事情で『家族に迷惑をかけない良い子』の殻から出られなくなってしまった彼女の無意識が、抑圧されていた『家族とベタベタしたい欲求』の捌け口として父や兄と印象が重なる六郎を選んだ、所謂代償行為だったりするのだが、そんな大人でも自覚できにくいような事を未だ小学生の彼女が認識できるはずもなく、なのはの日々は更なる迷走を重ねる事になる。
 本来ならば、問題があれば一直線に押し通ろうとするのが『なのは流』であり、そういう意味で彼女は眞鍋六郎とともっと仲良くしてその奇妙な感情の原因を突き止めようとするのが自然なのだが、なまじ家族の印象を投影してしまっているだけに、どこか彼に対して遠慮してしまう事や、六郎が彼女達と1歩引いた付き合いをしようとしていた事、そして、六郎の加入でグループのバランスが崩れた所に先の遠慮が重なって、六郎が三人に絡み始めると――正確には、アリサが六郎に絡んでいく事が主なのだが――なのはは微妙に入りづらくて他の三人を遠巻きに眺める事になってしまう事などから、未だにそれは果たせていない。

『ロック君ともっと仲良くしたいなー』

 六郎はなのはのクラスメイトだ。
 大切な家族に迷惑をかけてはいけないけれど、クラスメイトならずっと近くに居ても良いし、一緒に遊んだって構わないのだ。
 勿論彼女の現状はそれができているとはとても言えない状況なのだけれど、それでも学校では、彼は何時も近くにいて、それがなんとなく嬉しい。

『もっと、できれば学校の外でも、ロック君と一緒に遊びたい』

 けれども、どうやってそれ以上近づけばいいのかが解らなくて、最近なのははニコニコと笑いながら六郎を眺めている事が増えた。
 六郎の特徴は、まずクラスで一番背が高い、そして、体つきもがっしりしている。
 それを見てなのはは、大柄で筋肉質な父、高町士郎を思い出す。

『大きくなったらお父さんみたいになるのかな?』

 そう考えると、それがなんとなく嬉しいのが最近のなのはだ。
 顔つきは厳つくて長方形――それに、子供特有のまだくっきりしていない目鼻口が重なって、どこか間の抜けた印象がある。
 よく見ると、鼻筋や眼元、口元の形は結構整っていて、将来は案外良い顔――決して美形にはならないだろうが――になるかもしれないと思わせる物は持っているけれど、どちらかと言えば童顔気味の美形ぞろいの高町家の住人にはあまり似ていなかった。
 ここはマイナスポイント、ちょっと悲しい。
 なのはの周辺には男女問わず美形が多いので、実は彼女、結構面食い気味なのだ。
 けれども、六郎の眼元は結構優しい感じで、半歩離れた何時もの立ち居地で目元を緩めながら三人を眺めている姿が、どこか兄の恭也を思い起こさせるので、そこは相殺とする。
 思えばなのはの兄も、沢山の友人達に囲まれながら、常に心をその半歩外に置いている様な所があった。
 そうして、いざその友人達に何かあった時には、誰よりも早く対応して彼らの盾となるのである。
 そう言った雰囲気が、六郎の印象を高町恭也に大きく近付けていた。
 これは大きなプラスポイント……等と、ちょっと前に兄に対してしたように、六郎を眺めて嬉しい探しをするのである。
 そうして眺めてみると、六郎はなのはが思っていた以上に優しい男の子だった。
 クラスの面々とは半歩距離を持ち、特に男子連中にははっきり敵意を向けられていると言うのに、誰かが困っていたり、事故に遭いそうになったりした時にはさり気無くその近くにいて、それが手に負えなさそうな時にはいつの間にかその手助けをしていたりする。
 頭が良くて、力が強くて、運動神経も多分良くて、自分を敵視している人達の手助けを迷いなくできる。

『ロック君って、本当に凄いなー』

 だから最近のなのはは、たいていそんな風に思いながら、六郎を見つめている。
 でも、六郎を誘うのはすずかで、良く話をするのはアリサで、そのおまけなのが彼女で、だからか最近、なのはの胸がちょっとだけ痛い。
 けれどもなのはにはそれをどうしていいのかわからなくて……あのドッチボールの授業があったのは、そんな時のことだった。
 なのはは、体育の授業が総じて苦手だったけれど、その中でも一番を上げるとするなら、多分このドッチボールだろう。
 体が小さくて力が弱く、運動神経も良くないなのはは、たいてい真っ先に狙われて後は外野でボーっとしている羽目になるこの授業が余り好きではなかった。
 その上、今日はすずかやアリサと組が離れている。
 普通なら憂鬱になる状況だけれど、その日に限っては例外で、なのははその時、嬉しくてニコニコしながらコートの中に立っていた。

『……アリサちゃん達とは離れちゃったけど、ロック君とは一緒でよかった』

 クラスの中では孤立している六郎に近づくのは、こうなるとなのはだけである。
 ならば、何時もとは違って、ロック君とお話しする機会もきっとあるはず――そんな少女の思いは、六郎に対する思わぬ集中攻撃から成される事はなかったのだけれど、けれども体を張って自分を守ってくれている彼の姿を眺めているのは、なのはにとってとても嬉しい事だった。
 けれどそんな楽しい時間も、すずかと六郎の一騎打ちから、彼女の負傷による二人の離脱によって終わりを告げて、その後は……。

『ロック君、このまま離れて行っちゃうのかな?』

 すずかに勝った事で、男子に受け入れられた六郎に沈み、

『すずかちゃん、ロック君のことが好きなのかな?』

 親友の見せた父に対する母や、兄に対する姉のようなその態度に小さな胸を軋ませ……。

「あの、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、お願いがあるの!」

 だからなのはにとって、その日のお昼休みに受けた六郎からのお願いは、とても大切な物となった。
 このまま六郎が、男子のグループに移っていけば、すずかやアリサはともかく、自分とは縁が切れてしまうかもしれない。
 そう、それは六郎から彼女への、最初にして最後のお願いになるのかもしれなかったから、なのはは結構必死だったのだ。
 その上悪い事に、それから数日、兄が月村家に出かけたり、父がその親友に請われてオブザーバーとして出向いたりと食事時に家族が揃わず、頼み事が延び延びになっていた為に、なのははもう、かなり煮詰まっている。

「私のクラスメイトの子が、お父さん達の修行を見学させてもらいたいって……」

 そして、ある日の夕食時、かつてないほど真剣な娘のお願いを受けた父、高町士郎がはじめに見せた反応は、困惑であった。
 彼らの修める御神流は、要人の警護・暗殺と言う背反する目的の為に練られてきた表裏一体、忍術交じりの言わば邪剣の類である。
 取り回しがよく隠し易く、より早く反応し手数多く取りまわせるその小太刀二刀術は、平和で武器の取り扱いが制限されている日本の現在にも――いや、むしろだからこそ――よく馴染み、未だに戦闘技術としての有用性をかけらも失っていないと言う、他人様に教えるには剣呑極まりない代物なのだ。
 愛娘の稀な、それも生まれて初めてといっても良い位に真剣なお願いである。
 士郎としてはどうにか受けてやりたいところだが、他人様の子に人殺しの技――警護の技でもあるが、早く多くを無力化するという意味でそれは同じことである――を仕込むのは、正直憚られた。

「……うーん。
 けれど、お父さん達がやっているのは普通の剣道じゃないから、だからそうだね、赤星君にお願いしてその子を見学に連れて行ってもらうと言うのはどうかな?」

 だから士郎は、その許可を出す代わりに、北辰一刀流を能くする学生剣道界の雄、恭也の友人でなのはも良く知る赤星勇吾の名を上げる。
 しかし、普段はとても物分りのいい愛娘は、そんな父の提案に素直にうんとは頷かなかった。

「けど、ロック君は古武術が、小太刀二刀流が良いって……」

 そう言って食い下がるなのはに、士郎はふむと顎に手を当てる。
 古武術だから、小太刀二刀流だからそれが良い――小学生にしてはずいぶん変わった趣味だけれど、確か、数年前まで連載していた漫画に、そんな使い手がいたはずだからその影響なのかもしれない。

『そう言えばあれも、忍者紛いの剣客だったか』

 そんな事を思いつつ、『けれども……』と重ね断ろうとした士郎の、続きの言葉が発せられる事は終になかった。

「あ、父さん、あたし見学に賛成!」

 言い掛けた士郎に先んじて、美由希が何故か、笑顔でその手を上げたのだ。

「父さん、俺も美由希に賛成だ」

 そして、普通ならば妹を止めるだろう恭也迄もが、妹に続いて賛意を表明する。

「いや、だからと言ってだな……」

 むぅと眉をしかめて、敵に廻った子供達に苦言を呈しかけた士郎は、しかし、こちらを見る恭也の顔に開きかけた口をつぐんだ。
 何に浮かれているのか緩んだ笑顔の美由希とは異なり、恭也の顔は真剣そのものである。

「恭也、なにか知ってるのか?」

「ああ、ロック君――眞鍋六郎くん――の事は、忍から話を聞いている。
 新しく、月村の縁者になった子だ」

 だから…と、そう尋ねた士郎に恭也は頷き、そして続けた説明に、何故か美由希が素っ頓狂な叫びを上げた。

「えーっ!
 きょ、恭ちゃんそれ本当?
 じゃ、じゃあロック君って、すずかちゃんの婚約者なの!?」

 なぜか焦ってそう叫ぶ美由希と、姉の言葉にショックを受けた様子で、えっ…とその小さな目と口とを大きく広げるなのは。

「美由希、なのは、声が大きい」

 そんな妹達を、恭也は冷静に嗜めると、こう説明を続けた。

「そもそも縁者と言うのは、その人を月村の身内として扱うと言うだけの話で、それが即結婚とかそう言う事を現している訳じゃないぞ。
 だから例えば、同性の親友を縁者として迎え入れた例もあるそうだ。
 大体、俺だって初めから忍の婚約者として縁者に迎え入れられたわけじゃない」

「何だ、だったらまだなのはにもチャンスはあるんだー」

 その説明を聞いて美由希は露骨に安堵した様子を見せ、説明を完全に理解できたわけではないなのはも、姉の様子にどうやら二人が結婚するような事はないらしいと、小さな胸をなでおろす。
 そして士郎は、そんな二人の様子に――

『なのはももう、男の子が気になる歳になったのか』

 ――そんな事を考えてその口元を緩めつつ、しかし、心までは緩めずに、同じく真面目な表情のままの恭也に、こう尋ねかけた。

「……しかし、そうするとその真鍋君も?」

 なのはの前で月村家の秘密について話す訳にもいかず、結果抽象的になった士郎の問いかけに、恭也は再び『ああ』と頷く。

「全て話したと、それ以前に、向こうでもある程度感づいていたようだと、そう聞いている。
 どうやら、彼はなのは達よりもずっと大人びた子供のようだよ。
 忍も、自分達と同年代を相手にしていると考えたほうがいいといっていた」

 そして恭也は、恋人が寝物語に話した内容を思い出しながら、こう続けた。

「どうだろう、父さん。
 見学を許すと言っても、だから一足飛びに弟子入りすると決まった訳じゃないし、仮に弟子入りさせるにしても、真鍋君の年齢を考えれば夕方の修練に参加するくらいがせいぜいで、深夜や早朝の修行にはどう考えても参加はしないし、させられない。
 だったら、とりあえず見学を許可して、一度会って話してみるのもいいんじゃないかな?」

 確かに、断りを入れるにしても、面と向かってちゃんと話をしたほうが角は立たないというもの。
 頑なに拒絶するよりは余程理に適った息子の提案に、士郎はフムンと、感心したように軽く頷く。
 この場の趨勢は、それで決した。

「……なるほど、確かにそうだな。
 じゃあ、いつでもいいから、そうだね、夜の六時くらいに家に来るように、その子には伝えてもらえるかな?」

「ぃやったぁ!」

 ややあってそう口を開いた士郎に、なのはは思わずガッツポーズ。

「やったね、なのは!」

 そんななのはに両手を出して、美由希が妹を寿ぎ、

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 なのはも美由希の言葉に答えて、姉妹手を叩いて喜び合う。

「あ、じゃあなのは、見学の日にはロック君を夕食にご招待するから、それも忘れずに伝えておいてね?」

 そして、喜び合う娘二人に、今まで黙っていた母が初めてそう口を挟んだ。
 桃子は、高町家の営む洋菓子屋兼軽食喫茶、翠屋の味の全てを統括する一家の大黒柱だが、反面、夫と子供達の伝える武術関連の事柄には一切手を触れてはいない。
 だから、なのはのお願いがその関連とわかった時点で一切の口出しを止めていたけれど、その心情的には娘達の味方だったようだ。

「けれど、なのはの作った最初のボーイフレンドか……。
 どんな子なのかちょっと楽しみね?」

 楽しそうに微笑みながら、そんな言葉を漏らす桃子に、美由希はうんうんと何度も頷く。

「ね、ね、なのは。
 そのロック君って、どんな子なの?」

 それから美由希は、なのはにそんな風に尋ねるけれど、母がボーイフレンドと口に出した直後、既に妹の顔から笑顔は消えていた。

「……ロック君はクラスメイトでお友達だけど、そんなボーイフレンドとかじゃないよ。
 だって、ロック君のことが好きなのはすずかちゃんだし……」

 きっと彼女は、今自分がどんな表情を浮かべているのか気付いていないのだろう。

「それに、ロック君、そんなにかっこよくないしね。
 アリサちゃんなんて、『すずかったら、なんでまたあんなきれいなジャイアンを好きになったのかしら?』って、何時も言ってるし」

 そう言いながら、にゃははと笑って見せたなのはの、その口元は寂しげで、上げた笑い声にも常日頃の明るさは全く含まれていない。
 そんな彼女の姿に、桃子はあらと口元に手を当て、美由希は何がしかを決意したように拳を握り締める。
 恭也は、裏の事情と己が恋人が月一で見せる狂態とを知るだけに、はははとその口元に乾いた笑みを浮かべ、そして、士郎は……。

『確かに、そのロック君とやらとは一度会っておくべきだな』

 士郎はなのはの歪んだ笑顔を眺めて、そんな風に思った。
 話を聞いている限りにおいては、なのはが勝手にすずかに遠慮しているだけで、六郎が二股をかけていたとか、そう言った事は全くないようである。
 けれど……けれども士郎は、

『なにせ、可愛い愛娘むすめにこんな顔をさせた色男だ。
 一度会ってちゃんと『お話』するくらいは許されるだろう?』

 それが、娘可愛さから来る理不尽な思考だと解っていても、そう考える自分を止める事ができないでいた。



[15544] 弟子になりました(その1)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/04/01 01:07
「……あ、ロック君、あの話だけど、お父さんはいつでもいいから六時ごろに家に来てくれって。
 それから、お母さんがその日は夕食にご招待しますって言ってたよ」

 珍しく、満面の笑みを浮かべたなのはが俺に話しかけてきたのは、父さんから詰問を受けた日の翌日、あのドッチボールの日から一週間が過ぎた、昼休みの出来事だった。

「ありがとう、じゃあご両親には『明日、早速伺わせて貰います』と伝えて貰えるかな?
 ……そう言えば、なのはの家ってどこら辺だっけ?」

 本当なら今日の放課後にでも出かけたい所なのだけれど、夕食の招待を受けるとなると、流石に親に事後承諾と言う訳には行かない。
 携帯を持っていないから学校から連絡とは行かないし、仮に持っていたとしても両親は共働きだ。
 俺が連絡すれば仕事中か、或いは、短い休憩時間中の両親の手を、煩わせる事になる。
 幸い、『見学に行くかもしれない』事は既に伝えてあるし、その時親は特に反対はしていなかったから、今日の夕食時にでも両親に一言告げれば、話はそれで済むだろう。
 だからと返したそんな答えに、ツインテールの少女は実に嬉しそうな笑顔でうんと頷いた。

「あ、じゃあ明日は、なのはが家に案内するよ。
 いったん家に帰って準備して、そうだね、五時に翠屋って判るかな?」

 確かに六時では、学校から直行するには早すぎる。
 一旦帰るとなれば準備も要るし、五時ならまあ妥当な時間だろう。

「ああ、話に聞いてた喫茶店だね。
 うん、判ると思う」

 何が嬉しいのか終始笑顔を崩さぬなのはにそう答えると、彼女は実に可愛らしく小首を傾げて、うんと頷いた。

「じゃあ、五時に翠屋で……」

「了解、翠屋に五時だね」

 そう約束を交わすと、なのはは自分の胸を抱くようにしてその目を細め、へへへと嬉しそうに、照れくさそうに微笑む。

『……そう言えば、昼前からそわそわしていたけど、なにか放課後に良いことでもあるのかね?』

 まるで意中の男性とデートの約束でも取り付けたような、そんな浮かれた姿を見せる今のなのはだが、まさか俺との待ち合わせがそんなに嬉しいとは思えない。
 そもそも、あの日からの数日でなのはともずいぶん会話を交わすようになったし、三人と遊びに行く待ち合わせの約束も、既に一二度かわしていたけれど、なのはが今日のような姿を見せた事は一度も無かった。
 なんだか、とても簡単なものが盲点に入っている気がして、俺は首を横に捻る。

「……えーと、何のお話なのかな?」

 ちょっとすねたような口調で、すずかがそう問いかけてきたのは、丁度その時の事だった。
 あの日から、すずかはちょっとだけ自分に素直になったようで、前よりよく笑い、よく拗ねる。
 また、あの日の出来事もそれほど恥ずかしくは思っていないようで、誰かにその事を話題に上げられたりすると、幸せそうに少し目を細めて指先を眺め、何も言わずにはにかむのが常だった。

『それとアリサのせいで、もう殆どクラス公認カップル扱いされているわけなんだが……』

 苦笑しながら二人に向き直ると、そのアリサが、思い出したようにこう口を開く。

「ああ、そう言えば前にそんな話してたっけね。
 なのはのお父さんに弟子入りするとかって……」

「まだそうすると決まったわけではないけどね。
 ほら、すずかは俺が鍛えてるって話、知ってるだろ?
 その一環だよ」

 苦笑のままアリサの言葉に頷いて、俺は二人にそう言葉を続けた。
 それを聞いたすずかは『ああ、そうかぁ』と頷き、そんなすずかを眺めてアリサは、俺に意味ありげな視線を向ける。

「へー、アンタって体鍛えてたんだ。
 まぁ、あのすずかに怪我させるくらいだから、当たり前か……」

 ここ数日で流石に諦めたのか、すずか関連で食って掛かる事はなくなったのだけれど、その代わり、最近アリサは、俺にすずかを意識させるような言動を好んで取るようになった。
 一見傍若無人に見えて、観察力があり友達思いな彼女だから、すずかが一方的に俺を好いている今の状況が気に入らないのだろう。
 その理屈はわかるし、そんなアリサは嫌いではないのだけれど、変態ペドではない俺には、今のすずかに異性愛的な感情を抱くことはできそうになかった。

『……できればあと八年、せめて五年は待って欲しい所なんだけどな』

 けれど、異性としてではなければすずかの事は好きだし、同時に責任の様な物も感じている。
 もし、その頃までに彼女が俺を嫌いになったり、もっと好きな他の男が現れたりする事がなければ、すずかを受け入れる事もやぶさかではないのだが……そう考えた俺の胸が、ぎしり、痛んだ。

『俺と言う異物が、すずかが本来得るはずの輝かしい何かを、奪ってしまったのではないだろうか?』

 あの日、すずかが抱く好意を態度で示すようになってから、俺は時々そんな風に考える。
 それから、大人の自分が、子供の中に混じってズルをしている事に対する罪悪感を、前よりも強く感じるようになった。
 だから多分、それから逃げる為なのだろう。
 俺は彼女達と友達になってからも『鍛錬』を優先する生活を変えてはいない。
 放課後、三人に付き合うことは増えているけれど、それで空けた分は他の時間に廻したり、鍛錬の密度を上げたりして補ってきた。
 自分はただ与えられた能力の上に胡坐をかいているだけではないのだと、それですずかたちの好意を不当に得ているわけではないのだと、そう自分に言い聞かせる為の浅ましい努力を……。

「……って言うか、もしかしてそれで何時も帰りが早かったの?
 だったらそうと、早く言いなさいよ。
 そういう事だと知ってたら、無理に誘ったりなんかしなかったのに……」

 俺の秘密主義に不満タラタラ文句を言いながらも、感じているらしいバツの悪さを隠しきれていないアリサの姿に、俺は俯いて目を瞑る。

「色々秘密にしてたのは、悪かったと思ってるよ。
 反省してる」

 そして、抱く罪悪感を苦笑の下に押し込めると、再び目を開いてそう答えた。

「ふーん、じゃあ一つ聞くけど、ロック、なんでアンタは体を鍛えているの?」

 そう問い返すアリサに、今度こそ本当の苦笑を浮かべて、俺はすずかへと視線を向ける。

「それは秘密だ、約束だから……な、すずか?」

 そう言ってすずかに話を振ると、彼女は俺の中身が普通の少年であれば一発で惚れていたかも知れないと思わせるほどに、綺麗で幸せそうな微笑を返した。

「あ……うん!
 その、もしアリサちゃんがどうしてもって言うのなら、話してもいいけど」

 尤も、中身が二十歳過ぎの俺がその表情に感じたのは、今日一番の罪悪感だったのだけれど……。
 そして、そんなすずかの笑顔に、俺同様圧倒されたのだろう。

「………」

 なのははただ目を丸くして、無言で息を呑み、

「あーはいはいはい、ご馳走様」

 アリサは派手に『お腹一杯』のボディランゲージを演じてみせた。
 あざとい仕草ですずかの顔を赤く染める事に成功すると、アリサは直ぐに姿勢と表情とを戻す。

「……じゃあ、明日はなのはとロックは駄目ね。
 折角、私もすずかも習い事がお休みの日なのに……」

 そうして呟いたその言葉にあっ…と気付いて、俺は頭を掻いた。
 自主的なトレーニングを行っているだけの自分とは違って、アリサとすずかの二人はそう簡単には休めない多くの習い事を抱えている。

「あー悪い、忘れてた。
 俺の方は別に急いでないから、何なら明後日以降にでも予定を移すか?」

 だから俺は、黙ったままのなのはを、ごめん、片手で拝むと、続けて残る二人にそう言って頭を下げた。

『つーか、そんな事も忘れていたなんて、俺は馬鹿か?』

 俺自身はともかく、二人の数少ないフリーな一日になのはを掻っ攫って行くのは、流石に気が引ける。
 だからと問いかけた言葉に、しかし、すずかはうんとは言わなかった。

「え、あ、それは悪いよ。
 確か、士郎さんとの待ち合わせは六時だったよね?
 なら、少し早めに集まって、ロック君がなのはちゃんの家に行くまでの間、翠屋でお茶しない?」

 そして、その代わりに提案した言葉に、アリサがうんと頷く。

「あ、それはいいわね。
 じゃあ、集合は翠屋に四時半ってのはどう?」

「俺はかまわないよ」

 事が早く進むに越した事はないし、それに、先日食べた翠屋特製シュークリームは確かに美味しかった。
 反対する理由も無くそう頷くと、それからたっぷり二拍ほど遅れて、なのはが重い口を開く。

「……あ、うん、判った。
 翠屋に四時半だね」

 先の浮かれた様子とは一変、なのはは、なにか酷く疲れたような表情でそう答えた。
 彼女の様子を怪訝に思い、俺は何某か声をかけ……ようとしたのだが、それより先に、すずかが『あっ』と思い出したような声を上げる。

「……そうだった。
 ロック君、お父さんが今度、ロック君と御両親を夕食に御招待したいって……」

 そして伝えられたその内容に、俺は思わず大きな溜息を吐いた。

「ああ、その話は昨夜父さんに聞いたよ。
 お陰で、『お前、月村さんの娘達に一体何をしたんだ!』……って、締め上げられた」

 突然、重要な取り引き先でもある大会社の社長が、一営業所の責任者のところにアポ無しでやってきて、『ウチの娘達が貴方の息子さんをとても気に入っていて、親しくお付き合いさせてもらっている。今後は息子さんに色々と迷惑をかけることになるかもしれないがよろしく』なんて言い出したら、そりゃあ驚く。
 仲の良いクラスメイトとその姉だと言ってもなかなか信用してもらえず、昨晩は随分難儀したものだ。

「その、ごめんね、ロック君」

 そんな感情が面に表れたのだろう――すずかは、しゅんとした面持ちで俺に頭を下げる。

『……相手の子にも秘密があって、双方親には内密で話が進んでいたとか、そんなレアな可能性までは頭が回らなかったんだろうなぁ』

 普通、小学生同士の、それも殆ど婚約と言っていい内容に親が全く絡まないとは考えにくい。
 だからすずかのお父さんは、『子供達がお付き合いしている』程度の認識はウチの親も持っていると思ったのだろう。
 まぁ、すずかのお父さんがそう考えるのも、知らない内に娘達が一族に引き込んでいた男に、一度会って見定めたいと言う気持ちも理解できるから責める心算は無いのだけれど……。

「………」

「へー、アンタとすずかって、もうそこまで話が進んでたんだ?」

 そんな言葉に振り返ると、すずかの爆弾発言に思考停止状態らしいなのはと、興味津々といった風ににやり、口元を歪めたアリサとが、俺の視界に入って来る。
 俺は、そんな二人の姿に大きな溜息を吐くと、主にアリサに向かってこう口を開いた。

「何を誤解してるのか知らないけど、あれからすずかと俺の間に何かがあったってわけじゃないぞ。
 なんつーか、これは月村一族の風習とかに関わる話だからさ」

「一族の風習……って、一体アンタは何をしたのよ?」

 普通ならば一笑に付す所だろうが、すずかの家が歴史ある富豪だけに否定しきれないのだろう。
 俺から出てきた予想外の言葉に、アリサはその形良い眉を強く潜める。

「……ロック君は何もしてないよ、何かをしたのは私達の方だから、ね、ロック君?」

 そんなアリサにすずかがそう答え、そうして振られた言葉に俺は『ああ』と頷いた。
 これ以上、変な噂が流れるのは望ましくないし、彼女らに嘘を吐きたくもない。

「あまり詳しい事はいえないんだけど……」

 だからそう前置きをすると、俺は二人に明かせるギリギリの『真実』を話し始めた。
 その歳とは不釣合いに聡明な彼女達は、話して良い事と悪い事をちゃんとわきまえている。
 また、俺が二人を信用してそれを話したことも、ちゃんと汲み取ってくれるだろう。

「月村は親族と連帯して一門を作っているんだけど、忍さんが何でか俺をそこの行事に推薦してね。
 門外不出の内容が関わってるとかで、その前に俺を受け入れるか否かの評定がある上に、忍さんが親を通さずこっそり推薦したせいで情報の行き違いとかがあったらしくて、今結構ドタバタしてるんだわ」

 そう信じて話した言葉に、アリサとなのはは困惑したようにその口を噤んだ。
 流石の彼女達も実際にはまだ八歳の子供でしかないから、一門だの、評定だの、聴きなれぬ言葉の羅列に戸惑っているのかもしれない。
 珍しくも覗いた彼女らの歳相応の姿に、俺は微かに口元を緩め……そして、気付いた。

「……なぁ、なのは、体の調子でも悪いのか?
 顔色、あんまり良くないぞ、保健室に行くなら送っていくけど?」

 先の浮かれようから一転、浮かない顔をしていたなのはの、顔色があまり良くない。

「……あ、ううん、なんでもないよ」

 自覚が無いのだろうか――そう尋ねる俺に、なのはは困ったような表情でそう答えた。
 冴えない顔色と、困ったような、戸惑ったような、そんな泣きそうにも見える、彼女の表情……。

「だったら、いいんだけどね」

 全般的に冴えない色を現す彼女の顔の中で、けれども何故か、その目だけは強い意志をたたえていて、だから俺はそれ以上の追求を諦める。
 ああ言う目をしている時のなのはは、絶対に一歩も引かない。
 まだ短い付き合いの俺だけれど、そのくらいのことはわかっていた。
 ならば、不調の彼女を追及して疲れさせるより、この場は引いてフォローに廻る方がいいだろう。

「……そうそう、話を戻すけど、見学の事、ありがとう。
 俺も何かあったら手伝うから、困った事とかあったら遠慮なく言ってくれよ?」

 そう思って俺は、問い詰める代わりにもう一度、なのはに礼を言うことにした。
 色々と遠慮しがちななのはだけれど、こう言っておけば、少しは頼ってくれるかもしれない。
 そう考えて告げた言葉に、なのはは何故か驚き、えっ!と声を上げた。
 なにか、悩み事でも考えていた所だったのだろうか?
 なのはは見開いた目でこちらを凝視すると、二、三度目を瞬かせてからはぁと大きく息を吐く。

「……あ、うん、けど、ロック君、すずかちゃんの家の事で忙しいんでしょう?
 それなのに、迷惑をかけられないし……」

 そして、前もって用意しておいた言い訳でも話すように、すらすらとそんな事を言うなのはの姿に、今度は俺が大きな溜息を吐いた。
 すずかの時も思った事だが、この娘達はどうしてこうも遠慮が過ぎるのだろう?
 俺は顔の前に掌を向けてなのはが喋るのを止めると、そのまま手を伸ばして驚き顔の少女の頭を、ガシガシと撫で回す。

「……いいか、なのは、これは、すずかにも言った事だけど、俺は『多少の迷惑なら笑って受け入れてくれる』のが友達なんだと思う。
 なのはは俺を友達だと思ってないのか?」

 一気に何かを畳み掛ける時は、まずは意外な行動で相手を思考停止させる、これが鉄則だ。
 ついでに言えば、今は昼休みで、なんだかんだで結構時間が過ぎてしまったが、まだ誰も弁当箱を開いていない。
 血糖値も下がって思考も鈍っている頃だから、勢いで押し込むには丁度良かった。

「そんな……」

 我に返って何か遠まわしに言いかけたなのはを、撫でる力を強めて止めると、俺は屈み、少女と視線を合わせて、力強く選択肢を提示する。

「俺は友達、ハイかイイエか?」

「は、ハイ、でも……」

 唖然、眺める二人の前で、一旦弱めた力を再び強める、俺。
 自分でも、殆ど虐めっ子の所業ジャイアニズムぜんかいだと思うが、律儀で頑固なこの娘の場合、多分、力で押して既成事実を作るのが一番手っ取り早い。

「よし、ハイだな。
 じゃあ遠慮は無しだ。
 アリサ、すずか、聞いてたな?
 『俺となのはは、俺が定義するところの友達同士』そして『だからなのはは、友人には遠慮しない』だ。
 ……証人になってくれ」

 そう言いいながら少女の頭から手を離すが、なのはは余りの展開については行けず、『え?え?』と周囲を見回すばかりだった。

「……あ、う、うん」

 そして、問いかける俺の勢いに押され、同じく状況についていけないでいたすずかが、うんと頷く。
 その隣でアリサが呆れた顔をしているが、それには気付かなかった事にして、俺はくしゃくしゃになったなのはの髪を指で軽く撫で付けた。

「あのな、すずかもそうだけど、なのははちょっと遠慮しすぎだ。
 アリサくらい傍若無人になれとは言わないが、お前達はまだまだ子供なんだから、大人には盛大に迷惑かけときゃいいんだ。
 いいか、大人に迷惑掛けられるのは子供の特権、子供の迷惑を受け止めるのは大人の義務だ。
 だから、困った事があればちゃんと俺に言え。
 そりゃあ金も無ければ権力も無いが、お前等三人背負って家に連れて帰る位の力と、一緒に悩んで知恵を貸せる程度の知識と頭は持っている」

 そう言って、何とか見られる程度に整えた頭から手を放すと、赤い顔をして目の端に涙を溜めたなのはが唖然、俺の顔を見上げていた。
 少し力を入れすぎたかもしれない――そう思って頭を掻くと、横合いから近づいてきたアリサが、いきなり俺の足に蹴りを入れる。

「……今のは、さっきの悪口となのはを泣かせた分ね」

 予想外の一撃だった割に殆ど痛みが無い所を見るに、彼女は本気では怒っていないようだった。
 俺は顔に苦笑を浮かべると、傍らの少女を振り返る。

「ああ、それは悪かったと思ってる」

 馴れない事をして自分が痛かったのだろう。
 軽く足を振っているアリサにそう謝ると、彼女はバツが悪そうに顔を赤らめてぷいとそっぽを向いた。
 そして、何かを思い出したようにこちらを向くと、今まで見た事が無いくらい不機嫌そうな表情で、俺を睨んでこう続ける。

「それから、ロック……。
 なのはやすずかが遠慮し過ぎだって意見にはあたしも全面的に賛成するけれど、それ以外のアンタの言葉、同級生に言う台詞じゃないわよ」

 しかし、そう告げる言葉は震え一つも無い平静そのものの声音で、だからこそそれは、アリサの抱く強い感情を思わせた。
 けれど、その内容が判らない。
 アリサが俺に奉った渾名ではないけれど、彼女には旧き良き時代の餓鬼大将的な気質があると思う。
 傍若無人で横暴で、けれど、身内は体を張って守る、そんな気風を確かに彼女は持っていた。
 勿論アリサはパッと見の印象ほど横暴ではなく、どちらかと言えば繊細な精神と、高い観察力を持っているけれど――とまぁそれは余談だが、だから彼女が、俺がなのはにした事を怒るのはわかる。
 やろうとしている事に気付いていたにせよ、途中で止めなかったのが不思議なくらいだ。
 けれど何故、アリサは今になってそんなに怒っているのだろう?
 まるで先のなのはの鏡映しに、目を丸くして少女の姿を眺める事数秒……。

「そういやそうだったな」

 しかし、結局答えは判らず、俺はそう、アリサに答えるとも無く呟く。

「……そう」

 俺の直ぐ目の前で、こちらから視線を逸らしたアリサが、同じようにそう呟いたその声が、やけに強く耳に残った。




[15544] 弟子になりました(その2)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/09/27 19:04
 地方の名店――そう聞いてはいたし、それに見合う味を持っている事も先日確認していた翠屋だけれど、夕刻と言う時間帯もあってか、その盛況ぶりには想像を大きく上回る物があった。
 席を埋め尽くす女性達――主に、制服姿の女学生と買い物帰りの主婦達だ――に気後れしながら、俺は邪魔になるバッグを抱えて喫茶店に踏み込み、先についているだろう女性陣を探……ふと傍らの席に視線を落として、微かな溜息を吐く。

『ここは、駄目っぽいな』

 忍さんの行きつけで、尚且つ現在ではウェイトレスのチーフ的な立場を勤めていると聞き、内心期待していたのだけれど、この分だと回避した方が良さそうだ。

『……問題は、どうやって断るかだよな』

 何しろ彼女達は自分の趣味を知っている……と、噂をすれば、影。

「あ、ロック君!
 こっちこっち!」

 掛けられた声に振り向けば、そこには笑顔で手を振るすずかと、仏頂面でこちらを睨むアリサの二人。
 俺は、二人に手を振ると座るテラスの丸テーブルへと歩み寄る。

「ああ、こんにちは、すずか、アリサ。
 なのははご両親に会いに?」

 彼女達のテーブルには四客の椅子に主が二人。
 アリサたち三人は途中家による俺と分かれて翠屋に直行した筈だから、たぶんなのはは両親のところに顔を出しているのだろう。

「ええ、中で桃子さん達とお話してるわ。
 直ぐ戻って来ると思うけど……」

 そう思って尋ねた言葉に、昨日の昼から不機嫌なままのアリサが、顰め面でそう答えた。
 そんな彼女に、内心『律儀だな…』とか思いつつ、すずかの促すままに空いた席に腰掛ける。

『戻って来たのかな?』

 そして、同時こちらに近づく大小二組の足音に気付き、俺はそちらへと振り返った。
 向けた視線の先には、こちらが振り返ったことに気付き、ツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら大きく手を上げる少女と、その傍らを歩く、少女に良く似た風貌の二十そこそこと思しき女性……。

「いらっしゃい、ロック君」

「貴方が眞鍋君よね、始めまして」

 なのはの姉の高町美由希は高校一年生だと聞いている。
 また今の――平日の四時代前半――時間帯は、高校生が家業の手伝いに入るには聊か早い時間でもあった。
 だから、今さっき仕事に入ったばかりと言う雰囲気ではないこの女性は、消去法で彼女の母親と言う事になる、のだが……。

「こんにちは、なのは、それから、始めまして……ええと、桃子さん?」

 椅子から立ち上がり二人に向かってそう頭を下げると、俺は内心眉を潜めた。
 高町家の長男は高校三年生、しかも、結婚前には一人前のパティシエとして身を立てていたそうだから、なのはの母の年齢はどう少なく見積もっても四十は超えている。
 なのに、今目の前で微笑む女性は、高校卒業後すぐ結婚し、十代の内に子を産んだ俺の母親以上……それこそ、下手をすれば十代と見紛うほどの若々しさを保っていた。

「なのはの、お母さんですよね?」

 ……とは言え、流石に高校一年生を名乗るには薹が立ち過ぎていたし、その顔かたちを見るになのはとの血縁関係も疑うべくもない。
 一瞬迷って高町桃子の情報を脳内検索し、それでも確証が持てずにそう尋ねた俺に、目の前の女性は笑顔のままに『ええ』と頷く。

「では改めて、始めまして、眞鍋六郎です。
 今日はお招きいただいてありがとうございます。
 ……これは、母からです。
 あ、家で渡した方が良かったですかね?」

 そんな桃子さんの姿に苦笑気味の笑顔を浮かべると、そう言いながら頭を下げた。
 そして、まだ八歳の子供が流暢にそう告げる姿は、俺の見た目がきれいなジャイアンである事もあって、どう好意的に表現しても珍妙なものだっただろう。
 しかし、これも年の功か?

「あらあら、ご丁寧に。
 いいえ、この場で渡してもらって大丈夫よ。
 私が夕食を作りに家に帰る時、一緒に持ち帰るから……。
 あ、それからみんな、ここの払いは私が持つから、好きなものを頼んで良いわよ」

 桃子さんはその顔に苦笑の欠片すら滲ませずにっこりと笑うと、そんな太っ腹な言葉を口に出す。
 少女達にとっては何時もの事なのか、すずかとアリサは慣れた様子で桃子さんに礼を告げたが、昔も今も金と言う言葉には余り縁のない俺だ。

「いや、ただでさえ夕食に招待されているのに、流石にそれは……」

 親に小遣いを貰ってきている事もあり、慌てそう手を振ったのだが、桃子さんは笑顔のままにきっぱりと首を横に振る。

「それくらい大丈夫よ、それとも、この店がその程度で傾くように見える?」

 そう言って彼女が示した翠屋の店内は盛況そのもので、確かにこれが常態であれば、子供の二・三人位は物ともしないだろう。

「いいえ、そうは見えませんけど……」

 けれどもと付け加えようとした俺に割って入るようにして、桃子さんは更に続けた。

「でしょう?
 それに、『大人に迷惑掛けられるのは子供の特権』だったかしら?」

 そう、昨日の発言を引用する桃子さんに、俺は思わずその娘へと視線を向ける。
 あわあわと、口元を掌で押さえて助けを探すなのはに溜息を吐くと、視界の隅にニヤニヤと笑うアリサの姿が映った。
 確かに、ここで俺が頑なに拒絶すれば、昨日二人に言った言葉が嘘になる。

「判りました。
 では遠慮なくご好意に甘えさせてもらいます」

 電車やバスに子供料金で乗っている時のような、何時まで経っても慣れない居た堪れなさを感じながらそう答えると、何故かなのはがほっと胸をなでおろすのが見えた。

『別に、話したことで何かを言う積もりは無いんだがな……』

 昨日の一件で、理不尽なイメージでももたれたのだろうかと思いながら、俺はなのはが席に着くのを待って自分も腰掛ける。
 そして、伝票を構えた桃子さんに、馴れた調子で注文し始めた三人を横目に、一人メニューを流し見ていると……。

「ええと、ロック君は紅茶でいいのかな?」

 ……どうやら自分の注文は終えたらしいすずかが、そんな風に声をかけてきた。
 そう言えばそんな問題もあったか――そう思い出したけれど、俺はこんな時、咄嗟に気の利いた言葉を返せる程頭の回転は速くない。
 知覚加速を使えば、最大主観時間で三十分位迄先延ばしにできるけれど、既にすずかから離れない『契約』を結んだ上に、こちらは高町家の伝える武術を教えて欲しいと頼んでいる立場だ。

「あー、いや、珈琲にしておくよ。
 ……ブレンドを、ホットでお願いします」

 どう考えてもこの店とは長い付き合いになるだろうし、ならば駄目なら駄目とさっさと言っておいた方が傷は小さくて済むというものだろう。

『なにせ、大人に我侭言えるのは子供の特権だしな』

 そう答えた俺に、案の定…と言うか、三人は怪訝な表情を浮かべ、桃子さんも笑顔のまま首を捻った。

「珈琲?
 ロック君は紅茶が好きだって聞いてたんだけど……」

 昨日の言葉と言い、飲み物の嗜好と言い……どう言った理由なのかは不明だが、なのはは彼女の知る俺についての情報の多くを家族に提供しているらしい。

『まぁ、思いつく理由も幾つかあるけどな』

 例えば、父親が『弟子として容れるか否かの参考にするから……』と尋ねれば、なのはは素直にそれを話すだろう。
 なのは(に限った話ではないが)は聡い子で、その性質は、騙すとか、はぐらかすとか、そう言った事には向いていない。
 だから、もしそう問われたら、彼女は素直に自分の思っている事を話すのが一番良いと判断すると思う。
 特に俺には、なのはは家族に近しい性質を感じ、信頼を抱いているようだから、それは尚更だ。

「ええ、珈琲も好きですけど、どちらかと言えば紅茶の方が好みですね。
 ただ、このお店は多分、珈琲の方が美味しいんじゃないかと思ったので……」

 ならば下手な誤魔化しは逆効果だろうと、俺は僅かなオブラートで包んだだけの、率直な答えを返した。
 紅茶>珈琲、翠屋の珈琲≧翠屋の紅茶。
 遠回しにここの紅茶には期待できないと言われ、流石の桃子さんもその顔に苦笑を浮かべる。

「……できればどうしてそう思ったのか教えてもらってもいいかしら?
 正直、翠屋は珈琲やケーキと比べて紅茶が弱いみたいだから、今後の参考させてもらいたいの。
 忌憚無い意見を言ってもらえると助かるわ」

 しかし、気分を害した様子は微塵も見せず、すかさずそんな問いを返す当たり、桃子さんの向上心もたいした物だと思うけど……俺に言える程度の事なら、調べればすぐにでも判ることなのではないだろうか?

「忍さんとか、結構紅茶好きだったと思うんですけど、アドバイスを貰ったりはしないんですか?」

 そんな事を思いつつそう尋ねると、桃子さんは困った様子でこう口を開いた。

「ええ、あの子も紅茶は好きみたいなんだけど、それほど拘りは無いみたいで、あんまり具体的に意見をくれないのよ」

 確かに、忍さんはその辺りの事はノエル――契約をした際、ファリン共々呼び捨てにするよう頼まれた――に任せきりのようだし、如何に人間的とは言え、オートマタに自発的にそう言ったアドバイスを行えと言うのは酷な話かもしれない。

「……少し辛辣な意見になるかもしれませんけど、かまいませんか?」

「ええ、ドンと来いよ!」

 ならば忌憚無い意見を……とそう告げると、桃子さんは若々しい笑顔で自分の胸を叩く。

「では遠慮なく」

 俺は桃子さんへ椅子ごと向き直ると、言うべき内容を頭の中でざっとまとめた。
 そして、一度ふぅと息を吐き、こう口を開く。

「これは、あくまでも俺個人の話ですが、俺は拘りが無さそうな店では紅茶を注文しない事にしています。
 ファーストフードにも豆から引いた物を飲ませてくれる店のある珈琲と違って、紅茶は喫茶店を名乗っている店に『午後の紅茶業務用パック』を出されたりするので……。
 それで、俺がこの店の紅茶に拘りが――いえ、拘りの有り無し以前に、そもそも紅茶に対する知識に乏しいと断じた理由ですが、この席を探している時に見た、紅茶とその付属品です。
 カップサービスのホットの紅茶に、ガムシロップとレモンの絞り汁が付属していました」

「ちょっと、それどこがおかしいのよ?」

 俺の言葉が意外だったのだろう。
 思わずと言った風に口を挟んだアリサに、俺は肩越しにこう答えた。

「レモンってのは、基本的に紅茶に合わないものなんだよ。
 だから、紅茶専門店でメニューにレモンティーを載せている所はあまりない。
 輪切りのレモンならまだしも、客にレモンの絞り汁を出している時点で、その店の人間は紅茶に対する知識に乏しいと判断するには十分だ」

 そして、再度桃子さんへと向き直ると、更に言葉を連ねる。

「前読んだイギリスの絵本にも、『そんな紅茶の味もわからないアメリカ人の真似なんかできるか』って台詞がありましたが、レモンティーと言うのは安い茶葉の粗をレモンの強い風味で誤魔化して飲むもので、レモンの皮に含まれる成分や、果汁の強い酸性等は紅茶の成分にかなり致命的な作用をもたらします。
 その辺りは、レモンに限らず他のフレーバーティにも多かれ少なかれある事なので、要はバランスなんですけど、絞った果汁を紅茶に注ぐようなやり方ではバランスもへったくれも無いんです。
 だから、レモンを入れて出た雑味を消す為に更にレモン果汁を増量して、紅茶を飲んでいるのか紅茶風味のレモネード飲んでいるのか判らないような、本末転倒な状況になったりします。
 まぁ、要は美味しければ良い訳ですから、紅茶風味のレモネードが悪いとは言いませんけど、それで紅茶が好きだとか言われると、ちょっと首を傾げてしまいますよね。
 そもそも貴方は、ちゃんとした紅茶の味を知らないのではないですか?って……」

 紅茶風味のレモネードに心当たりでもあるのか、話を聞いて苦笑を浮かべた桃子さんに、俺は一息にそう言い終えるとふぅと一度息を吐いた。

『……あー、置いてきぼりにしちゃったかな?』

 言葉を切って、周囲に注意を振り向けると、既に話についてきているのは桃子さん一人。
 元から大した興味も無かったのだろうアリサはそっぽを向いてボーっとしているし、すずかは単純に言葉の勢いに圧倒されたのか、話した内容を反芻し、飲み込もうとしているようだった。
 そして、昨日から良く判らない反応を見せていたなのはは、そもそも紅茶の知識に乏しい為前提すら理解できていないようで、感心したように、驚いたように大きく見開いた目で俺を見つめている。

『かなり熱が入っちゃったからな……』

 前世からの趣味である紅茶関連のあれこれだけど、子供になって火元に近寄りにくくなった事や、この手の事柄を語り合える友人がいなくなった関係から、今の俺は前世よりも更に、この種の話題を振られた時に興奮しやすくなっているようだ。
 だからと、目を瞑って一呼吸、俺は熱くなっていた脳を冷却する。

「……話を戻しますが、この店は紅茶を淹れている所が見えませんし、提供もカップですからどのように紅茶を淹れているのかを判断する材料はありません。
 ただ、メニューの項目がホットとアイスの二種類、ミルクやレモンが付属品扱いなので、茶葉或いはティーパックは一種類、或いは、アイスとホットの二種類と考えるのが自然です」

 見た感じ、桃子さんはかなり真摯にこの翠屋に取り組んでいる。
 だからもしかしたら、紅茶も茶葉から入れているかもしれないし、ゴールデンルールを守っているのかもしれない。
 けれども、けれどもだ。

「さっきも言ったとおり、レモン果汁を提供するやり方から見て、紅茶へのこだわりや知識が余り無いのは明白……だとすれば、ミルクも市販のポーションでしょうし、付属品に合わせて濃さが違うとか、そういうことも考えにくい。
 値段をあわせて考えても、良くてどこでも買える茶葉を、ルールの表面だけなぞった淹れ方で出される程度でしょうし、正直、これだけ悲観的な材料がそろっていれば、頼む気もなくなります」

 自分の家で入れたお茶より明らかに不味そうな物を、態々頼んで飲む気にはなれない――そうきっぱり言い切った俺に、桃子さんはハァと大きく息を吐く。

「……まさか、レモン果汁とメニューだけでそこまで見切られるとは思わなかったわ」

 話を聞くと、紅茶は茶葉をポットで淹れているけど、ミルク(市販のミルクポーション)もレモンもストレートも全て同じ茶葉で同じ淹れ方をしているそうだ。

「まぁ、値段も手ごろですし、茶葉から淹れているなら大したものだと思いますけどね。
 俺みたいな紅茶狂いはそうはいないでしょうし、普通に喫茶店で出す分には申し分ないと思いますよ。
 ただ……」

 多分、なのはの父、高町士郎は珈琲好きなのだろう。

「珈琲との落差が大きすぎる?」

「はい、メニューを見た限りでも、紅茶と珈琲の落差が大きすぎますよね?
 これだと、紅茶が弱くなるのは当たり前だと思いますよ」

 多分、こんな事には遠の昔に気付いていたのだろう。
 そもそも、自分でも紅茶が弱いと言っていたのだし……。
 それでもそのままだったのは、純粋に紅茶方面に強い人材がいなかったためか?

「ねぇ、ロック君。
 もしロック君が私の立場で、紅茶を梃入れするならどうする?」

 そう尋ねる桃子さんに、俺は難しい顔で首を捻った。

「……真面目な話、作り話とは違って、簡単なコツやらなにやらで劇的に味が変わる事はありません。
 正攻法で、味に見合うだけの時間と手間とお金をかけるしかないと思います」

 よく創作で、安いティーパックを驚くほど美味しく淹れるキャラクターがいるが、アレは嘘だ。
 どんな人間が淹れても、茶葉の質は変わらないし、ちゃんとルールを守って淹れれば、ある程度までは確実に茶葉の能力を引き出すことができる。
 様々な人間の長年の努力が積み重なって産まれたゴールデンルールを、一人の人間のカンや発想で大きく上回れるなんて、そんな馬鹿な話はありはしないのだ。
 だから、それ以上の向上を望むのなら、質を上げるか、手間を増やすしか法は無い。

「ですから、コストをある程度抑えてと言うのなら、茶葉の種類と淹れる手間を増やすしかないですね。
 アイス、ホットのストレート&レモン、ミルクティーで茶葉の種類を変えて、淹れ方もそれに併せる。
 後は、有名産地は須らく個性と値段が強気なので、用途に併せたマイナな、飲み易い産地の茶葉を使えば、コストを抑えつつグレードをあげられますけど、そうなると仕入れの手間が増えるのが問題ですよね」

 例えば、ジャワティーストレートが何故ジャワなのかと言えば、ジャワ産紅茶だからジャワなのだ……多分。
 アレは、茶葉を増やして余計なものを混ぜず、紅茶の味そのもので勝負する清涼飲料水を開発する時に、値段が高い有名産地の茶葉だとペイできないとなったから、産地としては無名で値段の安いジャワ島の紅茶を選んだのだろう。
 そう言ったマイナな産地のお茶は知らない人には敷居が高いが、店で出す分には拘りを演出できる。
 茶葉の名を二種類乗せて、ミルクティー向けです、ストレート向けですなどと記載しておけば、変わった感があるのではないだろうか?

「あぁ、そうだ。
 アイスティーなら、いっそ水出しにしてみるのも手かもしれませんね。
 すっきりした夏向けの、素人さんにも飲み易い味になりますし、淹れるのにかなり時間は掛かるけれど室温で放置していれば勝手に出てくれますから、手間もそうは掛かりません。
 これから暑くなってくる時期ですから、すっきりと澄んだ味の水出しアイスティーは如何?とかなら梃入れになるかも?」

 それから、ふと思いついたアイスティーの梃入れ策を口に出して……俺は、『ああ、またやってしまったのだな』と気付いた。
 こほんと、一つ咳払いをして苦笑い。

「まぁ、誰にでも考え付くようなことですし、実行するにも色々と試行錯誤は必要でしょうから、たいした参考にはならなかったかもしれませんが、いま思いつくといったらこの位ですね」

 桃子さんにそう告げると、彼女は笑って首を横に振る。

「そんなことない、とても参考になったわ。
 特に水出しの方はすぐにでも試せそうだし、もし、商品になるようなら、何かお礼をさせてもらうわね」

「いえ、別にかまいませんよ。
 それに、これからはこちらの方こそお世話になるわけですし」

 単なるリップサービスか、或いは本当にそう思っているのか?
 そう頭を下げる桃子さんにいえいえと手を振ると、彼女は身を屈めたままじっと俺の顔を見た。

「ねぇ、ロック君」

「……なんですか?」

 目の前で笑顔を浮かべた桃子さんに少し動揺……頭を引いてそう答えると、彼女は視線を合わせたままこう続ける。

「貴方、なのはと一緒に翠屋を継ぐ気、無い?」

「はぁ?」

 思いもかけないその言葉に、俺はあんぐりと口を開いてそう答えた。

「恥ずかしい事を言うようなんだけど、恭也も美由希も――なのはの兄姉なんだけど――翠屋を継ぐつもりは無いみたいなのよね。
 幸い、なのはは乗り気みたいだから、もう少ししたらお菓子作りや料理を仕込もうと思っているのだけど、紅茶関係の強化の為にも、ロック君が飲み物関係を分担してくれるとありがたいなーなんて」

 冗談なのだろう、笑顔でそんな事をのたまう桃子さんに、俺はばくり、落ちていた顎を上げるとハァと大きな溜息を吐いた。

「……それとも、家のなのはじゃ御不満かしら?」

 ……ただでさえ、厄介な状況なのだ、これ以上まぜっかえさないで欲しい。

「いや、娘さんは聡明で可愛らしい、心根もまっすぐな良い娘だと思いますよ。
 将来は得がたい伴侶になるでしょうし、別に不満があると言う訳ではありませんけど、それ以前にそういう冗談は感心しませんね。
 大体、今日日そう言うのは、なのはの気持ちの方が重要なんだと思いますけど……。
 折角綺麗な娘さんなのに、俺みたいなジャイアンモドキと変な噂を立てられたら、なのはが可愛そうですよ」

 そんな思いを込めて力説すると、桃子さんは文字通りの慈母の笑みを浮かべて、俺の傍らを指差した。

「そう?
 家の娘うちのこは満更でもないみたいだけれど?」

「え?」

 そういわれて桃子さんの指を追えば、その先には赤い顔をして両手で顔を押さえているなのは。
 押さえた手の下が緩んでいるのは僅かに覗く口元を見れば明らかで、どうやら彼女は一連の発言を不快には思っていないらしい。

『まさか……、まさか、なのはまで本当に俺が好き、なのか?』

 ジェンガの如く不安定に積み上がっていく厄介事の山に、俺は内心泣きそうになった。
 すずかの様な特殊な事情でもあるのならともかく、何で俺みたいなモテない暦三十年のジャイアン亜種になのはまでホイホイ引っかかるのだ。

『……いや、理由は大体想像がついたけどさ』

 一昨日と昨日の間のなのはの変貌振りと、今日の桃子さんの俺への対応を見るに、一昨日の晩、父親に俺の事を頼み込む娘の姿を見た母親が、何か勘違いしてなのはを炊きつけたのだろう。
 恋に恋する年頃――と言うにはちと幼いが――の少女が、炊きつけられて好意と恋慕を取り違え、盛り上がってしまう可能性は十分に考えられた。

『間を置いたら納まってくれる……と嬉しいんだけどな』

 そんな都合の良い事を考えながら、表情を何とか取り繕っていた俺の、耳に微かな呟きが届く。

「なんで……」

 そんな言葉に視線を向けると、重い雰囲気で頭を抱えているアリサに気付いた。

『それは多分、桃子さんのせいだ』

 しかし流石に、面と向かってそんな事は言えずに、俺はアリサに同情の視線を投げる……と、はっと気付いてすぐに振り向く。

「なんで、なのはまで……」

 視界の外でそう嘆く、アリサの気持ちは痛いほどに良く判った。
 出来るのならアリサと一緒に、並んで頭を抱えていたい――それどころか、愚痴を言い合いながら自棄酒にでも耽りたい――気分だが、今の俺にはそんな贅沢は許されていない。

『……すずか、は?』

 なにせ、この硝子の心臓は筋金入り小市民、それも前世から引き継いだ中古品なのだ。
 もし、自分がすずかとなのはの友情を壊すきっかけになったりしたら、俺は一生後悔クラスの心的外傷を抱え込む自信がある。

「………」

 だからと、己に許される最速で沈黙を続けるすずかへ視線を向ける……と、目の前には驚きのまま表情を凍りつかせた少女の姿があった。
 そして……

「だ…」

 ……そして、俺の視線を受けた少女の、顔に張り付いた氷が砕け散る。
 すずかは、椅子どころかテーブル迄蹴倒しそうな勢いで椅子から飛び出すと、無駄に優秀な身体能力を駆使して、瞬時俺の体に抱きついた。

「駄目ッ、いくらなのはちゃんでも、ロックくんは駄目ッ!」

 正直、痛い――いや、思いの強さがではなく、物理的に…である。 
 余程慌てているのだろう、人外の怪力を駆使して体を締め上げる少女に、しかし俺が何も言わなかったのは、その痛み以上に押し付けられた体の震えが、心を揺さぶっていたからだ。
 甘さを際立てる為、敢えて一摘みの塩を用いる様に、一摘みの希望もまた、大きな絶望を更に際立てる。
 嫉妬も、怒りも、途中に感じるはずの全ての情を吹き飛ばし……まず始めに失う事を恐れたすずかの、頭に俺は、そっと手をやった。
 胸元に顔を押し付ける少女の頭を、とんとんと、幼子をあやす様に軽く叩いてやる。

「桃子さん、さっきの質問にまじめに答えると、俺にはやりたい事とやらなきゃならない事が山積みになっているので、今はとてもそんな事は考えられません。
 ……例えばもし十年後、なのはが同じ事を言うのなら、また別の答えもあるのかもしれませんが」

 世にも珍しい、小学生の修羅場を驚き眺める他の客に、俺は軽く頭を下げると、桃子さんにそう告げた。
 そして、こう付け加える。

「……今のすずかはかなり不安定なので、この種の話題はここまでにしてもらえますか?」

「……ええ。
 すずかちゃん、ごめんなさいね。

 そんな俺の言葉にそう答えると、桃子さんは俺に抱きついたままのすずかの背中を優しく撫でた。

「大丈夫よ、ロック君はどこにも行かないから、ね?」

 流石に三児を育てた母親は違うと言う事か?
 桃子さんの掌に、次第に落ち着きを取り戻していく様子のすずかに、ほっと胸をなでおろす。

「……なのは」

 それから俺は、今度はなのはへと視線を向けた。
 彼女の性格からして、すずかの反応に責任を感じている事は間違いない。

「なのは、大丈夫か?」

 案の定、青い顔ですずかを眺めているなのはにそう声をかけると、俺はこう続けた。

「悪いな、その、すずかは家庭の事情やらなにやらがあって、今はちょっと箍が外れているんだ。
 もう少ししたら落ち着いてくると思うから、今は余り気にしないでやってくれ、な?
 ほら、なのはが気に病んでいたら、すずかも悪い事をしたと思うだろ?」

 このくらいの年頃なら、まだ親のスキンシップが必要だし、有効だ。
 本当なら桃子さんがぎゅっと抱きしめてやるのが一番なのだろうけれど、流石にこの状況のすずかを放り出しては動けない。

「ちょっとなのは、本当に顔色が悪いわよ?」

 なのはの表情に気付いたのか、慌てそちらに歩きながら任せろと言うように目線を向けたアリサに、俺は無言で目礼を返すと、すずかの事をあやし続けた。

 



[15544] 弟子になりました(その3)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/09/27 18:55
 着痩せする、絞り込まれた細身の体躯に童顔気味の甘いマスク。
 始めて見る高町恭也なのはの兄の姿は、似ているどころか自分と正反対の要素を固めて作られたかのように見えた。

「……しかし、忍やなのはには似ている似ていると何度も言われたんだが、実際に会って見ると、余り似ている気はしないな」

 どうやら、彼も俺を見て同じような感想を抱いたらしい――恭也さんの言葉に、俺も頷く。

「立ち振る舞いやスタンスが似ていると言われても、そう言うのは自分ではわかりませんからね」

 そして、そう相槌を打つ俺に、先を行く恭也さんはその口元に微笑を浮かべたようだった。

「……全くだ」

 言葉少なにそう答え、そして、思い出したように足を止めると、振り返ってこう続ける。

「そう言えば、ロック君。
 今日はかあさんやなのはが迷惑をかけたようで、すまないな」

 桃子さんの掌が効いたのか、あの後程なくしてすずかは自分を取り戻し、アリサの尽力もあって、その頃にはなのはも平静を取り戻していたようだけれど、けれども俺達は、もうそのままお茶会を始められるような雰囲気では無くなっていた。
 それでも数分は、飲み物片手に卓を囲んでいたけれど、まず現状の空気に責任を感じたすずかが、『今日は帰る』と言い出し、それにアリサが同行を申し出、なのはが更にそれに続いて、結局、三人は揃って月村邸へ……正直、今の二人の仲立ちをアリサ一人に任せるのは心苦しかったのだけれど、事の元凶が同行すれば色々とギスギスしてしまうだろうし、俺には士郎さんたちとの約束がある。
 そんなわけで俺達は、元々、後から合流予定だった忍さんと恭也さん、ノエルの三人に連絡を取って早めに翠屋に来てもらい、三人は忍さん達の引率で月村邸へ、俺は恭也さんの引率で高町家へ、それぞれ向かうことになったのだ。

『ごめんね、ロック君。
 わたしのせいで……』

 そう言うすずかの頭をグリグリやってから忍さんに預け、ノエルにすずかの様子を言付けてから無言でアリサに頭を下げて、任せろと言うように頷いてから首を掻っ切る仕草をしたアリサに少しだけ笑って、最後になのはの頭をポンポンと二・三度叩く。

『それじゃ、なのは以外はまた明日……なのはは、夕食の時にまた』

 そうして五人を見送った俺は、恭也さんの案内で翠屋を離れ、そして、先の会話へと至る。
 騒ぎを起こした全員が身内、しかも、その内容がアレだ。

「いえ、別に恭也さんが謝るほどの事じゃないですよ。
 ……これは俺の自業自得と言うか、そういう面もありますし」

 恭也さんが罪悪感を抱くのも理解できるけれど、俺の方はアレを自分のせいだと認識している。

「……自業自得?
 まさか、本当にすずかちゃんとなのはに、二股かけていたとでも言うのか?」

 だから…と告げた言葉にそう問い返す恭也さんに、俺は苦笑し首を横に振る。

「流石にそれはありませんがね、でも二人の箍を緩めたのはそもそも俺ですから。
 ……もっと子供らしく、わがままであれ、と」

 そう言って俺は、大きく息を吐いた。
 もっとわがままでいい、迷惑をかけていい、俺は気にしないし、受け止めてやる。
 そう繰り返して、結局受け止められなかったのだから、酷い話だ。

「知ってますか、恭也さん?
 感情を抑える事が常態になっていると、一旦それが解き放たれた時にどう折合いをつけて良いか、判らなくなるものなんです。
 感情と付き合う術を学ばずに、ずっと閉じ込めているから、それを持て余して暴れさせてしまう。
 俺達位の年頃は、本来もっとよく笑い、泣き、怒り、喜ぶべき時期で、良い子すぎるあの子達のあり方は、子供としては歪に過ぎる。
 だから俺は、あの子達にもっと子供らしくあって欲しかったし、あの子達がそれで不安定になっても、ちゃんと受け止められる……そのつもりだったんですがね。
 流石にあの状況は想定外でした」

 俺が原因で、しかも、その根が重過ぎるから片方を優先するしかない状況……。
 なのはも多分、相当傷付いているだろうに、俺は一言二言声をかけることしかできなかった。
 今にして思えば、桃子さんまですずかに付きっ切りにさせてしまったのも大きな失態だ。
 もっと巧いやりようは幾らでもあったのに、そう出来る力を与えられていたはずなのに、結局二人を傷つける事しかできなかった自分に、ふつふつと怒りが湧いてくる。

「だから、アレは俺の自業自得なんです。
 怒られる事はあれ、謝られる理由はありません」

 だから俺はそう言って……ふと気付くと、驚愕の眼差しで俺を眺める恭也さん。

『ああ、そう言えば今の俺は、小学生だったっけ』

 普段つるんでいる三人はあんなに大人びていて、恭也さんも、忍さんも、桃子さんも、自分を子ども扱いせずに対等に話してくれるので、そんな基本的な事を忘れかけていた。

「すいません、愚痴っちゃったみたいで……」

 だが、今更それを糊塗しても余り意味はない。
 そう言って頭を下げると、恭也さんは頭を上げた俺の目をじっと覗き込んだ。
 そのままに二秒、三秒……怪訝に首を傾げる俺にふっと息を吐き、恭也さんはこう口を開いた。

「確かに君の言う通りに歪、なのだろうな、なのはは……。
 昔、両親が翠屋を創めたばかりの頃、父さんが大怪我をして病院に入院する事になったことがある。
 創めたばかりの店に、父さんの世話、リハビリの手伝い……母さんも、俺も、美由希も、それぞれに忙しくて、なのはにはずいぶん寂しい思いをさせた。
 それからだよ、なのはが『良い子』になったのは。
 ……多分、子供心に迷惑はかけられないと思ったんだろうな」

 何を思ったのか?
 なのはの過去を淡々と語る恭也さんに、まず今まで胸に痞えていたなにかがすとんと落ちる。
 あのドッヂボールの日、俺の後ろで嬉しそうに笑っていたなのはの、その笑顔の理由が漸く判った。

「まてよ、それじゃあ……」

 そして、その次の瞬間、俺の胃の腑に落ちた理解が、ずっしりと重い後悔へと姿を変える。
 なのはは、俺に親兄姉の姿を投影していた。
 父親、兄姉のような雰囲気を持つ、しかし、父親や兄姉のように遠慮しなくていいクラスメイト。
 小さな頃に寂しい思いをしたなのはが、俺に懐いたのは当然だし、そんな俺が体を張って庇ってくれたあのドッヂボールは、彼女にとって嬉しい時間だったのだろう。
 しかし、もしそんななのはが、俺と実の両親とが、自分が悪い子だったが為におかしくなった親友に付きっ切りになった姿を目撃したら?
 これはあくまでも推論だ。
 けれど……けれども、本当にそうだったとしたら、俺は彼女にどれほどの傷をつけたのだろうか?

「……?
 ロック君、どうかしたのか?」

 思えばすずかもそうだ。
 持ち上げて、落とされて、まだ八歳の彼女はどんなに不安だっただろう。
 居ない筈の自分がここに居た為に、すずかとなのはを、その友情を傷つけ、アリサに迷惑をかけ……。

「……これは推測ですけど、もしかしたらなのはは、さっきの事で俺たちが思っていた以上に傷ついていたのかもしれません」

 けれど、今は罪悪感に浸るより先に、できる事をしておかなければならない。
 だからそう口を開いた俺に、恭也さんは怪訝に眉を潜めた。

.
.
.
.

 流石に月村邸とは比べるべくも無いが、高町邸もまた一般家庭を超えた規模を持つ邸宅の類である。
 三兄妹それぞれと夫婦に個室を与えても尚、二つ、三つは部屋が余りそうな大きさを持つ家屋に、小なりとは言え道場、それらを併せたのと同じか若干広い位の面積を持つ庭には池まで設えられていた。

「……」

 当初の予定より幾分早いとは言え、約束の時間までそう長くははない。
 上がって靴を履きなおすのも面倒だと、恭也さんと二人縁側に腰掛けた俺は、目の前に立ち並ぶ盆栽棚を見るとは無しに眺めながら、眉間に皺を寄せていた。

『ありえる話だ』

 俺の説明に恭也さんもそう頷き、今の内にできる事をと二人知恵を寄せ合いはしたものの、こんな入り組んだ状況を上手に纏め上げられるようなフォローなど、そうそう思いつくものではない。
 とりあえず忍さんと桃子さんとに連絡を取り、なのはの現状に対する推測を伝えて幾つかお願いはしたけれど、男二人顔つき合わせて浮かぶ策などその程度……後できる事と言えば、殆ど丸投げのような状態で、何もできぬ自分に不甲斐なさを感じつつ何か無いかと悩む事ぐらいだ。
 そうして眉間に皺を寄せてからどれ位経ったのか?

「……少し待っていてくれ」

 同じく無言、傍らに座っていた恭也さんがそう言って立ち上がる。

『何か思いついた……わけじゃなさそうだけど』

 靴を脱いで家に上がった恭也さんを見送ってから、途方にくれて天を仰ぐと、今度は俯いてハァと溜息。
 考えることは一つ、出る答えも一つ。

『女にモテた例なんか、一度もなかったからなぁ』

 子供の頃はジャイアンモドキで、大人になった後は厳つい大男で、女性の友人ですら前世の一生合わせても両手に足りる数しかいなかった俺だ。
 あの年頃の少女が何を言われてどんな事を考えるかなんて想像もつかないし、騒動の内容や存在の重さの影響を考えても、自分では何もせず高町家の面々に丸投げするのが一番賢い選択だと思われる。
 桃子さんにスキンシップを密にするようにお願いしておいたし、後は食事時になのはを会話の中心に据えるよう画策すれば、彼女の欲求不満も徐々に解消されていく事だろう。
 なのはの性格から言っても、諍いの原因が直接動くよりは余程気が楽なはずだった。
 後は、自分が自身で動けないストレスを飲み下せばいい。
 幸い俺の身体操作能力は人間の限界を超えた位置にあるので、心労で胃を悪くしたり、体調が悪くなったりと言った事はないし、外面を誤魔化す事は意識すれば簡単にできた。
 そう結論付けて、俺は再び、ハァと重い溜息を一つ。
 今近くにあの三人は居ない、恭也さんには悪いけれど、しばらく自室に篭る事にしようか?

「……またせたな」

 戻ってきた恭也さんにそう声を掛けられたのは、丁度俺がそんな事を考えた、その瞬間だった。
 並列思考のお陰で、恭也さんの接近に気付かなかったなんて事はなかったけれど、帰ってきたタイミングがタイミングだけに微妙な間の悪さは残る。

「ロック君、これを」

 苦笑を浮かべて振り返ると、運動着に着替えた恭也さんが、俺に紙袋を差し出していた。

「これは?」

「俺が以前に使っていた運動着だ。
 昨日母さんが掘り出してきてな、まだそれほど使っていない物だし、洗濯もしてある」

 一応、自前の運動着も用意してきたのだけれど、折角準備してくれた物を無にするのも悪い。
 ありがとうございますと受け取ると、恭也さんは道場を示して中で着替えるよう告げた。

「準備運動代わりに、軽く体を動かさないか? 
 下手の考え、休むに似たると言う。
 君が眉間に皺を寄せていたら、なのはがなおさら落ち込むだろうし、練習に集中出来ないようでも困る。
 ……こう言う時は、体を動かすのが一番だ」

「……そうかも、しれませんね」

 動けない状況で、動くべきではないのに動きたいというのは、俺のわがままでしかない。
 それでなのはを落ち込ませたりしたら、本当に恥の上塗りだ。
 ならば、ここで体を動かして発散させるのもいいかもしれない

「それから、ロック君」

 だからと、持ってきた鞄と紙袋を手に、庭に下りた俺の背に向かって、恭也さんは言った。

「なのはの事を気に掛けてくれるのは嬉しい……が、こう言っては難だが、俺の目には君がなのは以上に歪に見える。
 会ったばかりの俺がこういう事を言うのはおかしいのかも知れないが、ロック、君はもう少し、自分の事を考えて行動した方が良いのではないかな?」

 振り返った俺にそう告げて、恭也さんは何かを思い出したかの様な、自嘲じみた微笑を口元に浮かべる。

「なるほど、俺とロックは似ているのかもしれないな。
 思えば俺も、妹に同じような事を言われたよ、何度も……」

 そう言って黙り込む、恭也さんに軽く頭を下げて俺は道場に向かった。
 これもまた、存在の重さの影響か、或いは、外見と内面の乖離がもたらす過剰評価か?

『……俺位、自分の事しか考えてない奴はいないと思いますけどね』

 投げかけられた言葉に幻痛すら感じて、俺は気付かれぬよう自分の心臓の上に手を当てた。
 自分は、罪悪感のから逃げる事しか考えていない。
 他人を気にかけているのも、体を鍛えているのも、勉強をするのも、全ては逃避と、それから自分に二度目の人生を与えてくれたトレゴンシーへの感謝の念からだ。

『だから、これほどの能力を与えられた自分の視野は、こんなにも狭く、その行動は間違いばかりを積み重ねている』

 ……俺は、背を追う視線から逃れるように道場へ上がりこむと神棚に向かって一礼、手早く服を着替えてはぁと息を吐いた。
 それこそ、自分の世界に閉じこもって現実との間に一線を引けば、今よりはましな行動が取れるのかもしれないけれど、それは自分を評価してくれた忍さん達や、なによりこんな俺を無理やりこちらに引っ張り出して友達になってくれた、すずかたち三人に対する裏切り行為でしかないだろう。
 だからと暫しの間そこで自己整調――もう一度大きく息を吐くと、軽く頬を二・三度叩いて道場を出た。
 小走りに縁側まで戻り、無言、恭也さんと並ぶと、二人示し合わせたように柔軟を始める。

「……なんだか、不思議な動きだな」

 そして、傍らで舞踊とも、所謂太極拳の套路ともつかぬ動きを始めた俺に、恭也さんはそう口を開いた。
 普通なら使われない物も含め、全身の筋肉を連動させた動きを動作の基本とする俺だから、伸ばさなければならない筋肉もまた、普通よりも多い。

「よく言われます」

 そんな理由から、柔軟及び準備体操を素早く的確に行う為に考えたのが、今行っている内養功系武術の套路と柔軟・準備体操との融合体あいのこだ。
 鍛えていない――否、相応に鍛えた程度の――人間には柔軟や準備の域を超えた負荷を与える内容だけれど、行うのが年齢を考えれば規格外といって良い筋力と、補助付きの高すぎる制御能力とを備えるこの肉体であれば鍛錬前の柔軟兼準備運動に丁度良い。
 ゆるりと初めて、徐々に早く。
 複雑な舞踊めいた流れで体を動かし続ける俺を、恭也さんは柔軟を続けつつも眺めていたが、その動作に興味でも湧いたのか、一通り関節を伸ばすと真似て体を動かし始めた。

「……これは、思いのほか難しいし、きついな」

 そうは言っているが、俺みたいな補助も無いのに、初見で不恰好ながらもこの動きを模倣できている時点で、恭也さんの身体能力と運動神経は驚嘆に値する。

「馴れればそうでもないですよ。
 あ、そこ、右手はもうちょっとこういう感じで……」

 俺は、恭也さんの前に移動してすこしスピード緩めると、正確な動作を意識しながらそう言った。

「しかし、これではどちらが弟子入りするのかわからないな」

 そんな苦笑いを浮かべつ、指示を出すたびに徐々に動きを早く、滑らかにして行く恭也さんと套路を続ける事、暫し……。

「ただいまっ!
 恭也ちゃん……」

 俺達の耳にそんな声が届いたのは、恭也さんの動きの速さが準備の域を超え、本格的な運動に入りかけた頃の事だった。

「……って、なにやってるの?」

 そう言って庭に入ってきた彼女が、なのはの姉の高町美由希なのだろう。
 優しげな顔つきに、大きな眼鏡、襟元で纏めて三つ編みにした長髪を背中側に垂らした制服姿の少女は、鞄を提げたまま怪訝な顔でこちらを眺めていた。

「……美由希、初対面の人を前に、その言葉はないだろう」

 そして、俺達を眺め怪訝な表情を作った少女に、恭也さんは動きを止めて大きな溜息を吐く。

「ロック、この馬鹿が妹の美由希だ。
 色々と迷惑をかけるかもしれんが、よろしく頼む」

 恭也さんは苦笑しながら美由希さんの傍らに移動すると、そう言ってぽんぽんとその頭を叩いて見せた。
 その表情には、言葉とは裏腹の深い愛情が見て取れたし、なすがままの妹も、兄の言葉には不満があれどもその行動には不満どころか喜びを感じている様子……。

『なるほど、なのはが家族に遠慮するのが判る気がする』

 以前なのはに聞いた話からすると、彼女の両親は目の前の兄姉以上の親密さを持っているはずだ。
 目の前の兄妹の、熱愛中の恋人同士のような親密さに内心苦笑しながら、俺はこう声をかける

「美由希さん、始めまして。
 なのはのクラスメイトで、眞鍋六郎と言います」

 そう言って頭を下げると、美由希さんはぽーっと兄を見上げていた視線を漸くこちらへと向けた。

「……あ、ごめんなさいね。
 そうか、君がロック君か。
 始めまして、私は高町美由希、なのはのお姉ちゃんよ」

 かけられた言葉に彼女はにっこりと微笑むと、そう返しながら俺の頭上から爪先までを、値踏みするように眺めた。
 そして、あんまり似てないとか、なのはって思ったよりとか、そう言った呟きを思わず漏らし――それは傍らの恭也さんや目の前に居る俺の耳にきっちり届いていたりしたのだけれど、女性に恥をかかせるのもなんなので、ただ苦笑するに留めることにする。

「……美由希、父さんは?」

 そんな俺の姿に、恭也さんは目礼で謝罪の意を示すと咳払いを一つしてから妹にそう尋ねた。

「あ、うん。
 私は恭ちゃんたちが先に家に向かったって聞いて、すぐ追いかけてきたから……。
 戻る時はかーさんと一緒だろうから、多分もうちょっと掛かると思うよ」

 恭也さんの言葉に、美由希さんは自分のしている事に気付いて一瞬固まると、誤魔化す様に笑いながらそう答える。

「ところで恭ちゃん、ロック君と何をしてたの?」

 それからそう付け加えた美由希さんに、俺達は男二人顔を見合わせてほぼ同時に笑みを零した。
 当惑する美由希さんの表情と、教えを乞いに来た小学生が、乞われる立場の高校生に物事を教えていると言うこの状況……。

「柔軟兼準備運動、ですね」

「ああ、ロックに教えてもらってな」

 そう親しげに言葉を交わす俺達に、美由希さんの顔が更に当惑の色を深めた。

「そうだ美由希、お前も早く着替えてくるといい。
 この運動は、なかなか勉強になる」

 そんな彼女に堪え切れない様に笑いを漏らすと、恭也さんは続けて妹にそう告げる。
 こうして、一人の生徒を増やした準備運動教室は、彼らの父親がこの場に到着して、娘とほぼ同様の言葉を口にするまで続いた。
 



[15544] 弟子になりました(その4?)
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/06/02 11:34
「……さて、眞鍋君。
 まず始めに、君に話して置かなければならないことがある。
 御神流の歴史と、特徴についてだ」

 一通りの挨拶を済ませ道場に上がった俺に、なのはの父、高町士郎はまずそう話し始めた。
 道場奥、神前の右斜め前に正座で座る士郎さんと、その傍らに控える恭也さん。
 そして、その対面には俺と、美由希さん。

『士郎さんが師範で、恭也さんが師範代、美由希さんと俺がその弟子と言う配置か』

 並べれば一目瞭然、血縁と看破出来るほど顔立ちが似通った士郎さんと恭也さんだけれど、実はそれ以外の外見は余り似ていない。
 中背で細身、引き締った体躯の息子と比べ、父は息子より殆ど頭一つ高い長身とそれに見合った肩幅を持ち、肉厚のその体躯ときたら服の内から押し上げる筋肉ではちきれんほどだ。
 勿論、武術家の士郎さんだけにボディビルダーのような見せる為の筋肉など欠片も無いのだけれど、二人並べばその体格差もまた一目瞭然……なるほど、翠屋で恭也さんと挨拶を交わした時、ぽつり『体格が良いな』と漏らしていたが、常日頃からこの偉丈夫と並んでいれば、細身の自分に劣等感も抱くだろう。
 二人を眺めてそんな感想を抱く俺を、視線鋭く見下ろしながら士郎さんは説明を始めた。
 元々、御神一門は忍の一族だったのだが、暗殺者対策の為に時の主の傍に侍っていた御神の頭領が功績を挙げ、表に出ざるを得ない状況に陥った――一説によれば御神一門を自派に囲い込む為の策謀だったとか――為、侍として表働きを勤める本家の御神、忍として今まで通りの影働きを勤める分家の不破に分かれたのだと言う。
 ただし、守る観点、攻める観点共に互いの役に立つ為に、伝える技術が分派する事は無く、御神、不破共に同じ技術を継承しているとの事……。

「これまでの説明で判ったと思うが、御神流は真っ当な武道の類には含まれない。
 小太刀二刀術を謳ってはいるが、同時に二刀を振るう事は余り無く、片手で小太刀を振るいながら空いたもう一方の手で飛針と呼ばれる御神流独自の投げ短刀や、鋼糸と呼ばれる糸の先端に小さな錘をつけたもの、或いは、もう一本の小太刀と、状況に応じて使い分ける事になる。
 だが眞鍋君、君はまだ幼いし、私も君と言う人間の事を良く知らないから、危険な技法を――飛針や鋼糸と言った危険な道具を扱う術全てを含めてだが――教える事はできない」

 そして士郎さんは、現状教えられる範囲と、それらの技法が、柔剣道や空手と言った現代のスポーツ武道には全く対応していない事などを懇切丁寧に説明してから、こう俺に問いかけた。

「眞鍋くん、君はそれでも御神流を学びたいのかな?」

「はい」

 その問いに、俺は迷い無くそう返す。
 学びたいのは殺人の技法ではなく、そう言った脅威に晒された時にどう動くべきなのか――ルールに縛られない対人戦のノウハウと、その経験だ。
 正直言えば、単純に『上手に肉体と言う機械を動かす』だけなら、俺には誰かに師事する必要は無い。
 名作漫画『サイボーグ009』には、義体の制御を助け行動を最適化する補助電子頭脳なる機械が登場するが、ぶっちゃけ俺は、生身の肉体に対応したそれを埋め込まれたサイボーグのようなものだ。
 誰より詳細に自己の肉体を把握する制御能力と、得られた情報を蓄積し、それを元に状況に応じた最適解を瞬時に算出する情報処理能力――貰い物の能力を自慢しているようで恐縮だが、それら超人的な能力を与える補助脳が全身に融け込んでいる俺は、普通の人間とは比較にならない速度で経験の蓄積と最適化を行い、また、その結果を常に十全に発揮する、そんな能力を与えられている。
 そんな存在が物心ついた頃から五年、自己にとって最適な鍛錬を追及してきたのだのだから、今の俺の肉体能力は同年代の子供と比べ抜きん出ているし、自己把握能力、制御能力に至ってはちょっとした化け物と言っても良い領域にあった。
 ただ、それが通用するのはレギュレーションで分けられた個人競技だけで、ルールも無く、千差万別の対手――それも、単数とは限らない――が存在する状況ではそれだけで勝ち向けるとは限らない。
 高校野球のとある試合で全打席敬遠された大打者が居るように、突出したただの個人など封殺する手段は幾らでもあるのだし、それに、すずかのような超常の力でも持っているのなら兎も角、肉体的にはただの小学生の俺など、何でもありの戦闘状態で、ある程度の訓練を受けた大人の二・三人に囲まれればあっさり殺される事請け合いだ。
 ……正直、そんな状況を想定している自分の思考に若干の違和感を感じなくもないのだけれど、特筆すべき事と言えば毎日行っているトレーニング程度と言う極普通の小学生生活を送っていて、夜の一族に遭遇する可能性と、複数の暴漢に遭遇する可能性、どちらが高いかなど考えるまでもない。
 その上、そんなトラブル誘引体質の俺が常日頃連んでいるのが『あの』三人娘なのだから、なのはと歩いていてロリコンに襲われるとか、アリサと歩いていて身代金目当ての暴漢に襲われるとか、すずかと歩いていてヴァンパイアハンターに襲われるとか、その程度の事態は想定内に置くべきなのだ。
 できれば、そう言った男の本懐は、こう、もっと熱血気質な少年漫画の主人公辺りに任せておきたいところなのだけれど、考えてみれば偶然異世界に飛ばされて特殊能力手に入れて生還した俺なんかも、十分ファンタジー小説(SFならサイエンスフィクションではなく、少し不思議の方だろう)の主人公のような経歴を持っているわけで……。
 探偵小説の主人公に最も必要とされる物は、推理力では無く、事件に遭遇する血まみれの才だと言う。
 冒険小説の主人公も、ファンタジーのそれも、きっと同じだろう。
 自分と言う存在を輝かせる舞台に、飛び込む才があって初めて、彼らは主人公足り得るのだ。

『……ハァ』

 だがそんな才能なんか、現実リアルじゃ正直要らないんだが――俺は内心溜息を吐くと、逸れた思考を本筋へと戻す。

「……こういう言い方はなんですが、俺は『競技としての格闘技』には興味はありませんし、『強くなりたい』わけでもありません。
 それに、良く知らない子供に、危険な技を教えられないと言うのは当然の配慮だと思います」

 そしてそう言葉を続けた俺に、士郎さんは微かに眉を潜めた。

「では、眞鍋君は何故、御神流に入門したいと考えたのかな?」

「……生き延びる為です」

 問いかけられた当然の言葉に、一瞬だけ迷ってから正直に答える。

「生き延びる?」

 この平和な日本で、ごくごく平穏な家庭に生まれて、生き延びる為に武術を習おう等と言う人間が、一体どれだけ居るのだろうか?
 予想外の答えに怪訝な色を深める士郎さんに、俺は苦笑して頷いた。

「昔、俺に体の動かし方の基礎を教えてくれた人が言ったんです。
 お前はこれからトラブル塗れの人生を送る事になるから、せめて体くらいは鍛えておかないとあっさり死ぬ事になると……」

「……それで、眞鍋君はその人の言葉を信じていると?」

 答えた言葉に、それが真実だと受け取ったような、しかし、どこか納得言っていないような、そんな揺れる表情で士郎さんが尋ねる。

「正直、始めは半信半疑でしたけど、今実際に、トラブル塗れの人生を送っていますしね。
 ……例えば、目の前に吸血鬼が自動人形オートマタのお供を連れて現れても、今度はこう来たかで済ませられる程度には……」

 尤も、それも今まではスラップスティックな日常の域に留まっていたのだけれど――そう思い返して溜息を吐くと、士郎さんの傍らで恭也さんが苦笑いを浮かべているのが見えた。
 忍さんの婚約者としては俺の言葉に思うところもあるのだろうけれど、夜の一族と知り合ってしまった事の意味は、おそらくこちらの方が格段に重い。

「それから……これは忍さんにもお話ししたことですが、今までの経験則から言って、俺の周りに起きるトラブルは、関わる世界が広く大きくなるほどに重いものになる傾向があります。
 ですから、俺が吸血鬼の娘すずかや、グループ企業を統括する大富豪の娘アリサと知り合ってしまった現在、以前のような些細な物ではすまないトラブルが舞い込んでくる可能性は否定できません。
 御家族の安全を考えるなら、弟子入りを断り、俺からなのはを引き離すのが一番だと思います」

 今までのところ、起きるトラブルは学園ラブコメレベルに留まっていたのだが、今後はそれに留まらない可能性があるからだ。
 そして、現実では学園ラブコメレベルのトラブルでも、人はあっさり死ぬ。
 俺の今までの人生で、周囲にまだ人死にが出ていないのは、一重にトレゴンシーのくれた能力と忠告とのお陰だった。
 そして、そのフォローに疲れ果てたからこそ、転校後は余り深くは他人に関わらない事を決心……した筈なのだけれど、何で俺は、気付いたら危険人物とばかり仲良くなっているのだろう。
 なにせ、こちらに来て友達になった面子が、大富豪の娘、忍者一族の末娘、ヴァンパイアの娘とその御付きのガイノイド――尤も、彼女は俺を主人あるじの一人と認識しているけれど――なのだ。
 後は、サイボーグと魔法使いと超能力者と宇宙人と未来人辺りがいれば、たいていの学園ファンタジーは網羅できると言う、嫌な意味で豪華すぎるメンバーである。

『……あー、考えてみれば、俺ってサイボーグで未来人で超能力者(予定)だったっけ?』

 それに、宇宙・異次元人枠も既にトレゴンシーがいるから、後はなのはかアリサの所に子供向けアニメ的な使い魔の小動物でも現れるか、夜の一族の流れで魔法使いでも現れれば完璧か?
 現実逃避気味な思考の結末に軽く頭を抱え溜息を吐くと、俺は再び士郎さんへと視線を向けた。
 そうして答えを待つ俺に、士郎さんはフムンと一つ頷く。

「……なるほど、眞鍋君がその人を信頼している事と、自分と身の回りの人間を護る為に技術を欲している事は解った。
 その意思は御神流の理念にも通じる、弟子入りを拒む理由はないな。
 ……恭也、お前はどう思う?」

「俺には異存はないよ、父さん。
 自分を蔑ろにしがちな所は気になるけれど、少なくとも彼は、なのは達の事を大切に考えている。
 仮に何かあったとしても、全力で護ってくれるだろう」

 俺の言葉を信用していないのか、その程度どうにでもなると考えているのか?
 或いは、クラスメイトである以上関わりは断てないのだから、鍛えて護らせた方が得だと踏んだのか?
 師範格二人は、二言三言言葉を交わすと、頷いてこちらへ視線を向けた。

「真鍋六郎君、君の弟子入りを認める」

 そう告げる士郎さんに、俺はありがとうございますと頭を下げる。

「御神の剣は、人を護る為の剣……しかし、それは裏返せば、人の傷付け方を良く知ると言う事でもある。 その事を忘れず、安易に力を振るう事がないように……」

「はい」

 そして、続け語られる訓辞にもう一度頭を下げると、士郎さんは恭也さんに美由希さんの指導を任せる旨を伝えて立ち上がり、そのままこちらへと歩み寄った。
 木刀を手に素振りを始める恭也さん、美由希さんを横目に、俺は士郎さんの言葉を待つ。

「さて、真鍋君。
 早速指導を……と言いたいところなんだが、その前に確かめなければならないことがある」

「なんでしょうか?」

 促されるまま立ち上がり、向き合った俺に、士郎さんは一振りの竹刀を手渡した。
 長さ二尺程の小太刀を模したそれは、しかし、持つ体が大柄ではあれ、いまだ十にも満たない子供のものであれば、むしろ、過去に授業で手にした通常の竹刀よりも長いように感じられる。
 その柄も、いまだ成長しきっていない自分の指には聊か太く……だから俺は、与えられた小太刀を両手で掴むと、過去見た動画を参考に正眼に構えた。
 それを見届けた士郎さんは、自分も竹刀の二振りを手に取ると、無構えにだらりと下げる。

「一応、何からどう教えようと言うのは、恭也と美由希を教えた経験からある程度目星をつけていたんだが、何分、普通の小学生に物を教えるつもりだったからね。
 だから、さっき見せてもらったあの『套路』は本当に予想外だった――恭也も、随分小さい時からみっちり仕込んでいたつもりだったんだが、正直、あんなものを見せつけられると指導者として自信を無くすよ」

 そう言って苦笑を浮かべると俺の目を真正面から見据えた。

「そこでだ、今の眞鍋君がどこまで考えられて、どこまで動けるのか、それを見せて欲しい」

 打ち込んで来い――そう言う事なのだろう。
 そのまま口を噤んだ士郎さんを、俺は上から下までざっと眺める。
 構えは両足を肩幅に広げ、膝に僅かな遊びを作った自然体。
 俺に正対し、両手に小太刀をだらんと下げたそれは、所謂無構えと言う物なのだろう。
 様々な形に移行するに向くが、しかし、自ら動き出すには不向き――そんな構えに護衛を主目的に置く御神流を重ね合わせれば、その守りの堅さは自明の理だ。
 眼前に城壁の如く聳え立つ、あの御神の剣士を打ち据える事は、たとえこの身が大人でも容易な事ではないだろう。
 それを如何に成すか、創意工夫せよ。
 八歳児に課すには余りに過酷なその試練に、俺は微かな奇妙を感じながらも思考を巡らせる。
 まず、元より大人と子供なのだから当たり前だが、彼我の体格差は絶望的なレベルにあった。
 間合いの長さリーチ腕力パワー耐久力スタミナ、etc.etc...だから、戦闘で重要な能力の多くの面で、俺は士郎さんの足元にも及ばない。
 また、戦闘の技術や経験等もまた、御神流を納めた剣士とただの小学生では比べるべくもなかった。
 こちらが上回っていると思われる点は、ただの二つ。
 まずは、思考と反応の速度。
 そして、身体操作能力だ。
 これら二つの点では、仮に御神流の技法に非A訓練や北斗神拳奥義天竜呼吸法が含まれていたとしても、後天的な強化措置がなされた俺の方に大きな優位があるだろう。

『むしろこっちが非A人みたいなもんだしな……まぁ、精神面を除いては、だけ。
 オマケに補助脳的な物もついてるし、それを使いこなせれば超能力的事もできるそうだし』

 因みに、非A人とは新興宗教や疑似科学に良く引っかかる事で有名だったSF界の巨匠、故A・E・ヴァン・ヴォークトが疑似科学スレスレの理論を題材に書いた、非Aシリーズと呼ばれる有名SFに登場する肉体と精神を高度に統御する訓練を受けた人々の総称で、その物語の主人公は更に補助脳なる人工頭脳を体に備えているのだけれど――等と、非A人ならざる俺は高度な能力を横に逸れた思考で無駄使いして、ハァと大きく息を吐いた。
 どう理屈を捏ね回したところで、事実は変わらないし、別に勝利を求められているわけでも、それが必要な状況でもない。
 相手がこちらを試している現状、あちらからの攻撃は考えなくても良いし、ならばこちらに必要な事は自分の肉体を最大限に生かすだけ……そしてそれは、俺に与えられた能力の最も得意とする所だった。

『ならば迷う事はない……か』

 自分の能力と現在の条件を最大限に生かして、相手が最も受け難いだろう一撃を叩き込む。

『……では、どうする』

 体格から来る間合いリーチの差は絶望的だ。
 あちらが一歩で移動できる幅にこちらは二歩掛かり、あちらの剣はこちらの剣より遥か遠くに届く。
 まずはそれを潜り抜けなければ、士郎さんに攻撃を当てる事はままならない。

『竹刀を投げるか?』

 より間合いの広い槍術使い等と立ち会う際に、脇差を投げて隙を作ると言うのは、実は結構一般的な事だったらしく、一部の武術には未だに刀を投げる技法が現存すると聞く。
 そして、攻撃として成立するように『小太刀』を投げる事は不可能ではないし、自身の反応速度や瞬発力を考えれば士郎さんが竹刀を払い落とすか避けるかしている隙に組み付く事も不可能ではない……だろうが、その先が続くかどうかにはかなりの疑問があった。
 まだ八歳児の俺には、決定的に攻撃力が足りない。
 『小太刀』での攻撃なら兎も角、素手では士郎さんに大したダメージは与えられないだろうし、そもそも御神流には、無手での体術もきっちり含まれていた。
 である以上、不意の一撃で一定以上のダメージを与えられない時点で、武器を捨てる選択肢は取り難い。

『そもそも、俺の攻撃できる範囲で素手で痛打を与えられそうな所ったら、金的ぐらいだしなー。
 それ以外には体格的に届かな……ん、届かない?』

 ふと気付いて、考える。

『大丈夫だ、できる』

 一瞬に満たぬ僅かな間、部屋に戻ってシミュレート……出来ると確信して俺は、手にした小太刀を構えなおした。
 そして次の瞬間、板間の道場の床を目掛けてふらり、倒れこむ。

「!」

 士郎さんが驚く、その表情の変化をスローモーションで捉えながら、俺は遅々として動かない体を全速力で動かし、体が叩きつけられる前に上げた足で床を強く蹴った。
 そして同時、両手に掴んでいた竹刀を逆手に持ち替え、背の真ん中に逆さに挿す。
 床の上を這うような、そんな極端すぎる前傾姿勢――俺は、普通あり得ぬほどの地面の間際を、士郎さん目掛けて跳ぶように、滑るように駆けた。

『行けるッ!』

 そう、体の大きさが不利に働くのは、何も俺に限った話ではない。
 大きすぎる体格と、小さすぎる標的、そして、小太刀と言う得物の組み合わせには、士郎さんの取り得る剣筋もまた、大きな制限を受けるのだ。

『ならば、俺の身体制御力を生かして、その影響を最大限に引き出してやれば……』

 意表を突いた一撃と、不利を埋め合わせる為の方策、これならばその二つを両立できる。
 大柄とは言え子供の体、体重は軽く、比して俺の筋力は高い……床の間際で地を蹴る事数回、俺は水面を這うアメンボの様に、士郎さんの足元へと滑り寄った。

「……ッ!」

 その顔に驚愕を浮かべつつも小太刀を振るう士郎さんの、その動きの起こりから攻撃の取り得る範囲を見切って獣の様に四足それぞれで地を蹴り姿勢・軌道を制御……次いで横跳びに転がる事で背後に廻りこむと、同時俺は背の小太刀を逆手で抜き打つ。

「……!」

 声も漏らせぬ程の一瞬に、迸る無言の気合。
 自らの背を、上着を、その摩擦で傷つけながらも竹刀は鞘走り、放たれた踵狙いの必勝は、しかし、ついに士郎さんの体に届く事はなかった。
 どうやら相手もまた、こちらの動きから自分の攻撃が届かないと判断したらしい。
 小太刀の振りを無理やり捻じ曲げ、その反動をも利用して姿勢を変えると思い切り良く跳んだのだ。
 寸での所で剣尖をかわした代償に、士郎さんの姿勢は崩れきっていたが、こちらもまた無理な動きをした為、姿勢を立て直すまでは追撃出来ない。
 そして、俺が姿勢を立て直したその時には、相手もまた立ち上がり、先の無構えを取っていた。
 仁王立ち、怒りか、笑いか、内に秘めた感情モノに強く歯が噛締められ、結果士郎さんの口元が釣りあがる。

「……父さんが、本気で逃げを打った?」

 何時しか自分達の鍛錬を止め、こちらを眺めていた恭也さんが、呆然とそんな呟きを漏らした。
 俺の視線の先で、巨大な猛獣の弦月型の口元がぴくぴくと震えている。
 怒りか、笑いか、どちらともつかぬ、威嚇する肉食獣のような表情を身構えながら眺める事幾許か?

「……士郎さん?」

 俺は、未だその表情を崩さぬ剣士の喉奥から、漏れ始めたくつくつと言う音に困惑の情を浮かべた。
 その音から察するに、さっきから士郎さんが浮かべていたあの表情は、どうやら笑みの類だったらしい。

「……父さん?」

 喉奥から湧き出る笑声とは裏腹、俺は――いや、俺たち三人――は、目の前の巨漢の内で、何かこわいものが身を起こす、そんな奇妙な予感に襲われていた。

「……いや」

 喉奥で押し殺した笑みを飲み込んだ士郎さんが、思わずと言った風に呟く。

「いやはや、ただの八歳が、全くの我流でここまでやるか……。
 天才――陳腐な言葉だが、正直それ以外の形容が浮かばないな。
 これ程の才を御神流に染め上げるのが楽しみでもあり、残念でもあり……」

 そこで一旦言葉を切ると、目の前に立つ人の形をした猛獣は猛禽のような視線で俺の目を射抜いた。

「……或いは、君と言う才能は、御神流をあっさり食い散らかしてその先に進んでいってしまうのかもしれないな。
 それがまた、楽しみでもあり、恐ろしくもある……が、君を弟子として迎えるものとして、こうやられっぱなしでは格好がつかない。
 ……眞鍋君、今から君に、才能と言う言葉だけでは辿り着けない領域を見せてあげよう」

 守りの為の無構えから、攻めの為の構えへ……大柄な体がゆらりゆらめくと、するり、知覚の外側から滑り込むように間合い深くへと踏み込む。

『無拍子!』

 動作には、起こりと言う物がある。
 その体が動き出す時の前兆動作を様々な技法で誤魔化し、落差や錯覚、意識の誘導、それらを駆使して相手の知覚を阻害する『見えない』攻撃、それが無拍子だ。
 気付いた瞬間身を投げるようにして、何とかその一撃は回避できたが、人類の限界を超えて加速されているだろう俺の知覚・反応を持ってしても、それはまさに間一髪……!
 立て直した瞬間には既に向き直り、再の一撃を踏み出していた士郎さんの一撃に、どうにか竹刀を差し入れるのが俺の精一杯だった。
 だが、そうしたところで、それを受けきるには、絶望的に膂力が足りない、体重が足りない。
 だから、両手で掴んだ竹刀を飛ばされぬよう、僅かでも後方に飛ぼうと、足に力を込めた瞬間、こちらに向かって飛ぶ小太刀の一撃の、軌道が蛇行する蛇の様にぬるり捩れた。

『馬鹿なッ、無拍子に、更に無拍子を重ねるだとッ!』

 自分のような、加速・強化された知覚を持つ者でなければそれは、防御を透過する一撃としか認識できなかっただろう。
 俺を驚愕させたその一撃は、攻撃を捕らえさせない無拍子に、捕らえた相手の意識を掻い潜る無拍子を重ねる事で、初動を読ませず防御を擦り抜けると言う、正に二重重ねの無拍子撃ちだった。
 だが、俺も伊達には改造されていない。
 何とかその一撃に竹刀をあわせて振り下ろし、同時俺は体を後方に……跳ばそうと足を踏み切ったその瞬間、何故かそれを受け止めた手に衝撃は殆どなく、護ったはず胸部に衝撃を受ける。

『打点を、空間を隔ててずらしたッ!』

 その認識の直後、心臓撃ちに加わった衝撃が体内を揺らした。

「ロック君ッ!」

 呼吸が崩れ、力が抜ける。
 どこか遠くで響く、美由紀さんの叫び声が聞こえた。
 跳ぼうと踏ん張っていた足が、ずるり、スリップダウン。

「無拍子からの虎切をかわし、貫の一撃を受けるか……」

 そして、急速に速度を取り戻し、また狭まって行く世界の中で、俺が最後に認識したのは士郎さんのそんな言葉だった。





[15544] 弟子になりました(その5)
Name: 十八◆4922f455 ID:7c350e2f
Date: 2010/06/18 11:46
 士郎さんの最後の攻撃――御神流では徹と呼ばれている一種の浸透勁――に内蔵を揺らされた俺が、気絶してから再び目を覚ますには五分と掛からなかった。
 美由希さんは『小さな子供に何てことを……』と怒っていたけれど、士郎さんはきれいに気絶し後に残さないようちゃんと手加減をしてくれている。
 尤もそれは、竹刀を無視して手に衝撃を伝えるどころか、更に腕、肩を介して体内に綺麗に勁を通しつつ、その威力に絶妙の加減を加えるだけの余裕が士郎さんには有ったということで……。
 年齢差を考えれば当然の実力差、しかし、過剰に強化された肉体を持つ身としては多少の――なんなのだろうな、これは。
 罪悪感のようであり、無力感のようであり、しかし、喜ばしい様でもあり、そんな割り切れない感情を抱きながら俺は、士郎さんに食って掛かる美由希さんに割って入った。
 自分が傷を負っていない事や、ちゃんと手加減されていた事を説明して、美由希さんに矛を収めてもらって、それから更に先の立会いの検討を行って、それで漸く普通の『練習』に入る。
 因みに、さっきの立会いの士郎さんの感想はと言えば、初見で美由希さん――彼女は、意識加速への入りがまだ甘いらしい――相手なら確実にアキレス腱を両断できていただろうとの事だった。
 たとえ初見でも、恭也さんなら七三、士郎さん相手ならほぼ十零でかわせるだろうし、一度かわしたなら(美由希さん以外には)二度は通じないだろうとも……。
 と言うのも、俺の動きは、最適な動作を念じすぎる余りに一徹で行動が読みやすいらしい。
 一応、その可能性も考えて、四足でとか、転がってとか、重力加速度を利用してとか、無理にならないレベルで奇抜な動きを取り入れていたつもりなのだけれど、そう言った小手先の技では士郎さんの目はくらませられなかったと言う事か。

「君は生まれつき、反応速度が極端に高い人間のようだが」

 そう前置きをして、士郎さんは言った。

「幾ら人間が早いと言っても、野獣や弾丸には届かない。
 だから、一つに全てを注ぎ込むそのあり方は、同等の意識の速さを持つ人間には返って読み易い」

 先の、『才能だけでは届かない領域』と言うのは、それを受けての言葉だったらしい。

「だが、最初の『縮地』は良かったな。
 予備動作が大きすぎるのが難だが、あれは美由希レベルの剣士になら先んじる事ができるだろう」

 纏めれば、才能に胡坐を掻き過ぎ、パラメータ上げに汲々として、技の鍛錬を怠っていたと言う事になるが、それは当初からの予定に沿う物だ。
 適切な師匠が見つかるまでは極力自分に色をつけず、土台の構築のみに専心する。
 そして、今俺の目の前には、期待した最高を上回る能力を持つ師が存在した。

「よろしくお願いします」

 だから俺はそう頭を下げ、修行に入った……のだが、基本的な立ち方、動き方を教わるその1歩目で、予想外の躓きを経験する。

「いや、そこはそうではなくてだな」

 と言うのも、俺の高すぎる情報処理能力と身体制御能力が、得られた動きを無意識に今の自分に相応しい形に調整していってしまう事多々起こったからだ。
 その立ち方にどういう意味があるのかとか、どう言った流れに繋がるのかと言った詳細な情報を把握すれば、そう言った事は殆どなくなるのだが、単純に真似て続けるだけでは、気付いたら動きが別の形に変化していたなんてことも少なくはない。
 自分の能力を制御できていないと言うか、恒に最善を念じて試行錯誤を繰り返していた結果がこういった反射となって現れているようだ。
 俺に、教えた動作を無意識に改良してしまうと言う『癖』を発見した士郎さんは、最初は戸惑い、次に怒り、最後にはそれが俺の有り様なのだと理解して諦め、構え一つ、動き一つを教える事に意味や用法などを実演して見せながら教えてくれるようになった。
 普通は反復させながら矯正し、その意義を徐々に伝えつつ癖を取っていく物なのだろうが、なまじ動き自体は一見すればほぼ完全に再現できる上、無数に現れる癖の一つ一つが一面から見れば改良と言ってよい物だから、士郎さんももう、『コイツはそういう生き物なのだ』と割り切ったらしい。
 結果、俺への指導は普通のそれとは異なり、教える構えの一つ一つについてディスカッションを交えながら進めるような形になり、最後には別の修練をしていた筈の恭也さんたちまで巻き込んで、一種の検討会の様相を呈するようになった。
 その結果、三つ程の技法が有用な技として御神流に受け入れられたのは、喜んで良いのやら悲しんで良いのやら、正直判断に迷う所だが、とにかく俺は、突き抜けすぎて普通には扱えない天才として御神流の武術家三人に認識されたようである。

「全く、美由希とは正反対のタイプだな……尤も、単純に比較するには突き抜けすぎているが」

 そうコメントした恭也さんのなんとも言えない呆れた様な表情と、その隣でもう笑うしかないと言った表情を浮かべていた美由希さんとが、三人の俺に対する評価を端的に現していた。

「……手間を取らせてすいません。
 多分、御神流の術理に対する情報が溜まってくれば、変な癖は出ないようになると思うのですが……」

「いや、別に手間と言うわけではないな。
 そもそも君は物覚えが途方もなく良いし、それに、このやり方は俺達にとっても良い勉強になる。
 ただ君は、普通の人間とは物事の憶え方が違うというだけだ」

 俺みたいな面倒なのを前にそう言って笑う士郎さんは、途方も無く根気強くて、人の良い指導者だろう。
 たった一日にして既に頭が上がらないような気分になって、俺はもう一度

「今日はありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします」

 そう頭を下げた。
 そうして今日の修練は終わりとなり、四人会話を交わしたりしながら整理運動を行っていると、道場に入り口からおずおずと、見覚えのあるツインテールが顔を出す。

「あ、あの、お疲れ様、なの」

 人数分のコップと、お茶のボトルの入った袋とを小さな体に抱えるように持って、なのはは緊張したような表情でそう口を開いた。

「お、なのは、気が聞くな」

 首に巻いたタオルで汗を拭きつつ声をかける士郎さんに、なのはがちょっとだけ困ったような表情を浮かべる。

「ふふふっ……なるほどねー」

 そんな少女の表情に何か気付いたのか、美由希さんは意味ありげな視線を俺となのはとに向けると、止めるまもなく妹の下へ駆け寄った。

『まぁ、美由希さんからすれば人事じゃないのだろうけど……』

 どうやら美由希さんは相当重度なブラコンらしくて、兄の恋人しのぶさんに未だにどこか割り切れない感情を抱いているらしい。
 そんな彼女にとって、妹が忍さんの妹と男をめぐって微妙な関係に陥っている現状は、決して人事とは言えないのだろう。

『姉妹揃って好きになった人を持って行かれるなんて癪じゃない……か』

 士郎さんの一撃で気絶した俺が目を覚ましたのは美由希さんの膝の上で、その時彼女は他の二人を説教していた。
 その時に聞こえてしまった呟きを思い出し……俺は、用意していたタオルで顔をぬぐう。
 なのはと一緒にお茶の準備を整えている美由希さんをその隙間から眺めて、俺はこっそり溜息をついた。

『……全く、姉妹揃って難儀な相手に引っかかったもんだよ』

 先走って、またなのはを沈み込ませたりだけはしないでくれよと、タオル越しに頭を抱える。
 翠屋での一件は既に伝えてあるけれど、でも、『だからこそ今発破をかけるのではないか?』。
 俺は、恭也さんと美由希さんとの関係性に、そんな危惧を抱いていた。

『会ってまだ一日足らずだけどさ、あの女性が、恭也さんに好きだと告白できたとは到底思えないからなぁ』

 そう言った意味でも、美由希さんとなのはとは似た者同士なのだろう。
 自分を絡め取る柵を、周囲との関係性をぶった切って、自分はその人が好きなのだと主張出来るほどの押しの強さが、彼女たちには感じられないのだ。
 自分を卑下している…とまで言えば言い過ぎだろうが、なのはにはこう、無意識に半歩引いているような所がある。
 それでいて、譲れない一線に差し掛かれば一転、強硬派に切り替わるのだから、彼女は良い意味でも悪い意味で日本人らしいというべきだろうか?

『象っぽいと言うか、普段はのほほんとしているけれど、一旦怒ったり恐慌状態に陥ったりしたらその強大な能力で目の前にあるもの全てを踏み潰しつつ爆走するんだよな』

 出来れば、踏み潰されたくはないのだけれど、今横から干渉できるほどの話術を自分は持っていない。

「疲れたかい?」

 ふうと、壁に背を預けると士郎さんがそう尋ねかけ、俺は顔に苦笑を浮かべた。

「ええ、どちらかと言えば気疲れですけど……」

「まぁ、アレでは気疲れもするだろうな。
 他人の言うとおりに体を動かすのは初めてだったのか?」

 答えた言葉に、恭也さんがそう尋ねかけ、そうして男三人、先の練習に関するディスカッションを始める。
 その話題の大半は俺が今までにどんな鍛錬を積んできたかだったけれど、感情ではなく、主にトレーニングにおける技術的、知識的な内容に焦点を置いた会話は、もしかしたらこちらに越してきてから一番心休まる時間だったかも知れないと、そう思えるほどに楽しい物だった。

「はい、恭ちゃん、父さん。
 お茶をどうぞ」

「あの、ロック君もお疲れ様、です」

 尤もそれも、何がしかを話していたなのはと美由希さんとが、それぞれ両手にお茶を持ってやってくるまでの短い間だったのだけれど……。
 美由希さんは、お茶を受け取る二人に何がしかを耳打ち、こちらにごめんねと軽く謝ると、なのはが持って来た荷物の所へ引っ張って行く。
 そして、そこで自分のお茶を汲むと、なのはの保護者三人、ちらちらとこちらを気にしながら話し始めた。
 なのはに謝る機会でも与えようということだろうか?

「ありがとう」

 俺は、内心溜息を吐きながらおずおずと差し出されたお茶を受け取ると、見下ろされていては話し辛いだろうと背を壁に這わせすると腰を下ろす。

「あ」

 そんな俺に、なのはは一瞬、思い切ったように歯を噛締めたが、すぐに神妙な顔で傍らに腰を下ろした。
 その距離が、何時もと比べて近いのは気のせいか、或いは美由紀さんの差し金なのか?
 少女に余計な危惧を抱かせないよう、再び手拭で顔をぬぐいながら溜息を吐くと、俺はこう口を開く。

「……仲直りできた?」

 厳密に言えばアレは喧嘩ではない。
 秘密を隠し続けなければならなかったすずかの、歪みが噴出した一種のヒステリー――感情を抑え続けていた良い子すずかが、抑えきれない強い感情おもいと折り合いを付けられなかった、その結果だ。

『……それがなのはに向くのは想定外だったけどな』

 すずかのガス抜きは、少しずつでもちゃんと出来ていると思っていた。
 ……いや、実際に出来ていたのだろう。
 出来ていたから、それを失う事が強いストレスとなって、抜けきっていないガスを一気に噴出させたのだろうから。

『結局のところは、俺が彼女達を甘く見ていたって事なんだろうな』

 アレは二人を子供だと決め付け、敬意を払っている心算でもどこかで巧くコントロールできると思っていた俺の、驕りの結果だ。

『尤も、だからすずか達を子ども扱いしないかって言ったらまた別の話だけどな』

 何しろ彼女達は、大人として扱うには余りに幼い。
 そんな事を考えながら様子を窺うと、なのはは麦茶の入った硝子のコップを口に運びながら、かすかにうんと頷いた。

「アリサちゃんが怒り出すまでずっと、すずかちゃんと交互にごめんなさい……って頭を下げてた。
 それから怒るアリサちゃんを見て、すずかちゃんと二人なんだか吹き出しちゃって」

 アリサちゃんに悪い事をしたと笑みを浮かべる少女の、しかしその顔色は翳りを帯びて、未だ強い罪悪感を抱いているのは明白……そしてそれはきっとすずかも同じことなのだろうと、俺はなのはから僅かに視線を逸らしてそっと溜息を吐く。

「……そうか、良かったよ」

 結局のところ、俺と言う異物が居なければすずかたち三人の歯車は軋む事無く噛み合い、廻るのだ。

『世界に対して重くなる――それを負担と言い換えれば……』

 或いは、世界に対して重くなった自分は、運命と言う名の歯車に挟まった石ころの様な物なのかもしれない。
 ならば、遭遇するトラブルとは、小石を砕こうとする歯車の力か――ふとそんな事を思って、『俺はまた現実から目を逸らしているな』と、苦笑を浮かべた。
 正直、なのはに何と言っていいのかがさっぱり判らない。
 なのはの心に溜まった澱がすずかのそれの様に形あるものであれば対処もしやすいのだけれど、そうではないかと推測されるモノはもっと曖昧模糊とした不安の類だ。
 だから、すずかの時の様に良くも悪くも特効的に作用する処方箋は存在しないし、それにこれは辛い状況を言い訳に良い子すぎるなのはの上に胡坐を掻いてしまった彼女の家族が、少しずつ少しずつ、晴らしていかなければならないものなのではないだろうかとも思う。
 それに……。

『正直、プレティーンにすら至ってない子供相手に恋人ごっこをするのもね』

 ……と言うか、それ以前にそんな事になったら、チートならざる自前の心をあっと言う間にストレスと罪悪感とで擦り切らせる自信が俺にはあった。
 だからすずかが好きだとも、なのはが好きだともいえないし、そういう意味ではあの二人を欠片ほども思っていない。
 かと言って、他人ひとの秘密を勝手に明かす事もできないので、あの時すずかがあんな強い反応を見せた理由をなのはに話す訳にもいかないのだ。
 何もいえない、けれど、何かを言わなければならない。
 それに加えて、何を言うにしても、なのはに困った表情を見せるわけには行かない。
 その上に、だんまりを続けるのも状況的に余りよくない。

「……そう言えばなのは、士郎さん達を説得してくれてありがとうな?」

 そんな現状に困り果て、俺はお茶を濁すようにそう微笑みかけた。
 実際、もう一度礼を言わなければと思っていた所でもあるし、会話のきっかけくらいにはなるだろう。

「美由希さんから聞いたよ。
 最初は断ろうとした士郎さんに、なのはが食い下がってくれたって……」

「……けど、あれはおにいちゃん達が味方してくれたからで……」

 自分でも聊か唐突だと思ったその話題転換に、なのはは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに我に返って顔の前で手を振った。

「いや、もしなのはが真剣に頼んでくれなかったら、二人とも味方をしてはくれなかったよ。
 いつもは余りお願いをしない妹が珍しく真剣に頼んでいたからって、美由希さんと恭也さんが言ってた。
 それから士郎さんも、内容は兎も角、珍しく娘に頼みごとをされて嬉しかったって……」

 恐らく、妹の事を俺にアピールしようとしていたのだろう。
 休憩中に美由希さんが振ってきた話とその時の二人のコメントを伝えると、なのはは照れくさそうに、困ったように、はははと人差し指で頬を掻く。

「いつもいつもじゃ問題だけど、家族や友達……大切な人たちに頼られるのは、嬉しい事だよ」

 苦し紛れに出した言葉だったけれど、考えてみればこれも遠慮がちななのはのガス抜きに丁度言いと言えば丁度良い。
 だからと連ねた言葉を、なのはは反芻するように目を閉じて、それからうんと一つ頷いた。

「なのはのお願いだから美由紀さんも恭也さんも真剣に力添えしてくれたし、士郎さんも最終的には折れてくれたんだ。
 だから、なのはありがとう」

 そんななのはに、もう一度礼を告げて言葉を終えると、少女は真面目な顔をこちらに向ける。

「……うん。
 じゃあなのはも、ロック君、ありがとう」

「え?」

 そういわれた瞬間、胃の腑の奥で重い痛みを感じたような気がした。
 勿論、幻痛だ。
 俺の身体制御能力は完璧に近く、心理的な影響が肉体に現れる事は全く有り得ない。
 ただ、そう言った痛みの記憶がある為に、『そんな気がする事がある』、ただそれだけだ。

「ロック君って、いつもみんなの事を気に掛けてくれているよね?
 いつも見守っていてくれて、助けてくれてありがとう。
 それから……頼ってくれてありがとう」

 幼いが故の純真さでこちらをまっすぐ見つめるなのはの顔に、俺は歯を噛締める衝動を必死に抑える。
 記憶の中から『普通に笑っている場面』のそれを取り出し、首から上に再現した。
 罪悪感で、心がバラバラに解けて、散り散りに飛ばされてしまいそうな、そんな気がする。

「ああ」

 何とか作った笑顔で、俺はそう頷いた。
 騙している、歪めている、ずるしている――自分が、真っ当な存在ではないと言う、引け目。
 例えば、トレーニングにのめり込む事、例えば、過去の再現に注力する事、例えば、目に入った誰かを助ける事――それらは全て、小心な自分が罪悪感から逃げる為の行為でしかない。
 俺は、自分の事しか考えていない。
 俺は、多分、この世界と向き合っていない。

『……俺は、そんな褒められたような人間じゃない』

 強い感情を抱く時、無意識に手を握り締めたり、歯を噛締めたり、叫んだり、泣いたり、そう言った行為を行うのは、強い身体感覚を楔として、暴れる感情を繋ぎとめようとする行為なのかもしれない。
 現状それが出来ず、押さえも無く暴れまわる罪悪感に苛まれながら、俺はそんな事を思った。
 本当の事を言えば、情動の大半は脳内物質の強い影響下にあるので、分泌物をコントロールすれば随分楽になるのだけれど、それは余程の緊急事態を除いてはやってはいけない事だと感じている。
 完璧な統御で身に着けた仮面の下、そんな事を考えている俺に、なのはは微かな笑顔を浮かべた。

「うん、嬉しかったんだ、あの時。
 ロック君にお願いされて……」

 独り言の様に続けるなのはの笑顔は、とても晴れやかとは言えないものだったけれど、けれども無理しているような雰囲気も全然無くて――そんな笑顔が見られるのならば、俺は罪悪感の一つや二つ、笑って飲み下せると思う。
 ふと、胸の奥のしこりが緩んだ気がして、

「そうか」

 俺は軽く息を吐くと、そう呟いた。

.
.
.
.

 それから特筆すべき事は余りなかった。
 士郎さんは、夕食までこのまま休んでいるように言い置いて道場を離れ、美由希さんと恭也さんは、なのはに気を使ったのか少し離れた所で二人、今日の練習の検討か何かを続けている。
 そんな中で、俺はなのはを傍らに手にした麦茶で時折口を湿していた。
 そして、ぽつりぽつりと、思い出したように時々会話を交わす。
 なのはには多分、俺に聞きたい事が沢山あるのだろう。
 けれどもやはり、彼女はすずかには引け目を感じているようで、その言葉は、行動は、消極的なものが主となる。
 対する俺の側には、なのはに問いかけたい事は何も――否、ない事はないのだけれど、それらは直接問いかけてはいけない類の疑問ばかりだ。
 考えてみれば、今まで俺となのはのあいだには常にすずかとアリサが居て、だから、すずかに関わる話題が禁じ手に等しい現状では会話の話題すら見つけにくい。
 それに……。

『……美由希さん、そんな風に見られてたら、普通の会話だってしにくいですよ』

 だから俺は、いつしか視界の隅で、頑張れ!頑張れ!…と、一人盛り上がり奇妙な舞を踊っている美由希さんと、その傍らで頭を抱える恭也さんとを眺めつつ、高町夫妻が夕食に呼びに来るまでの間なのはと、ぼおっと麦茶をすすっていたのだ。
 その後、夫妻と共に先に食堂に向かったなのはと別れて、恭也さんの部屋で男二人、軽く汗を拭い着替えを済ませて、美由希さんが着替え終わるのを待って、三人で食堂へと向かう。
 一番奥の上座の席に士郎さん、空けてあるその右隣の椅子が桃子さんの席だろうか?
 その隣に恭也さんと美由希さんが座ると、士郎さんは空いた自分の左隣、なのはの椅子の隣席を身振りで示した。

「ロック君はなのはの隣の席ね」

 ハンバーグだとか、から揚げだとか、小さな男の子が好きそうな料理が所狭しと並んだ食卓に、更なる料理を詰め込んでいた桃子さんの言葉を聞いて、俺は皆に一礼……。

「じゃ、お邪魔するよ、なのは」

 大きなクッションを乗せた大人用の椅子にちょこんとすわるなのはの、その隣に空いた席を引くと、お隣さんに軽く一礼してから腰掛けた。
 小二とは言え体格が大きい俺は、素の大人用の椅子でもなんとかテーブルに着けるだけの背丈があるが、それでも、クッションの上に座ったなのはと目線は同程度の高さ。
 なのはは、普段は頭一つ――とまでは行かないにせよ半分は――違う相手と目線が合うのが目新しいらしく、目をぱちくりしながら、席に着く俺の顔を眺めていた。
 ……幼いなのはの『好き』が、所謂『男女の情』なのかはわからないけれど、俺を意識している事は見れば見るほど間違いない様に思える。

「どうした、なのは?
 ……やっぱり汗臭いか?」

 なにが楽しいのか?
 未だ厳ついとすら言い切れない中途半端な子供顔を、きょときょとと横目で眺め続けるなのはの視線に、俺は居心地の悪さを感じてそう言うと、自分の袖に鼻を埋めて見せた。

「え、あ、ううん、全然そんなことないよ!」

「だったらいいんだけど。
 ……悪いな、なのは」

 そう言って笑うと、なのはは真っ赤な顔をしてぶんぶんと首を横に振る。
 小さな子供がそうしている姿はとても可愛らしくて、なのはを弄っていると不謹慎だけれど楽しい……けれど、自意識が二十歳を越えているだけに、俺は面白みを超える自己嫌悪を感じていた。
 自分は子供好きであって断じて幼女性愛者ペドフィリアではないし、実際、目の前の彼女にも保護欲は感じても愛欲や性欲類は全く感じない。
 そういった意味では公明正大、仮に冥官に浄玻璃鏡の前に引き出されたとしても、胸張ってNO!と言える俺だけれど、それでも、なのはが『男性』として自分を意識していると考えると、なにやら自分がそう言った性犯罪者の同類に成ったような、そんな居た堪れなさを感じるのだ。

『……大人が子供を騙しているって図式は、変わんないわけだしな』

 大人一同が微笑ましげな顔で見つめる中、俺が苦笑いを浮かべながらそんな事を考えていると、なのはは赤い顔でちょっとだけ俯いて、ぼそぼそと口の中で呟く。

「それに、なのははお父さんやお兄ちゃん達が練習しているのを見るのも、嫌いじゃないし……」

 だから、汗臭いのにも慣れている、或いは、嫌いじゃない――なのはの表情からすると、後者だろうか?

『俺みたいな奴だと、汗臭いだけなんだが……』

 高町家の三剣士は、流す汗まで美しい類のスポーツマンな美形揃いだから、それを小さな頃から見ていればそんな事もあるのだろう。
 事実、正中線が定まったあの三人の動きは、機能最優先の自分のそれとは違い、傍から見ている限りでは流麗に見えるのだ。

『実際立ち会っている時は、死神相手にリールでも踊ってる気分だけどな……』

 それも、メコン・デルタ辺りメタル・バンドがアレンジした超速弾きのプログレハードメタル版を、奏者イングヴェイ・マルムスティーン辺りで……。
 そんな事を考えて渋面を浮かべた俺が、自分の発言をいぶかしんでいる様に見えたのだろう。

「あ、う、嘘じゃないよ、本当だよ!」

 嫌じゃないのを実証するように、両手を握って身を乗り出してくるなのはに、俺は苦笑したまま押し留めるように両掌を見せた。

「あぁ、別になのはの言葉を疑っているわけじゃない」

 そもそも、この娘は人に取り入る為に自分を偽れる程賢くはない。
 どっちかと言えば単純一途な、良い意味でのお馬鹿さんだ。

「ただ、ちょっと士郎さんと立ち会った時の事を思い出してね」

「立ち、合う?」

 だからと、笑いながら返した言葉に、なのはは人差し指を頬に当てて天井に視線を逸らした。
 精神年齢も学習能力も共に高いなのはだけれど、流石に『立会い』などと言う特殊な用語は知らなかったようである。

「ああ、試合……ええと、士郎さんと戦った時の事をね」

 ここに、とても大人びたアリサや、俺や忍さんと同じく書淫の毛があるすずかがいれば、大人相手と同じ感覚で話してもどちらかには通じるのだけれど、なのは一人相手だとそれでは少し難しいようだった。

「ええーっ、ロック君、本当にお父さんと戦ったの?」

 どこまで平易に話せばいいのか勝手が解らず、結果、かなりぶっちゃけた表現をした俺に、なのはは目を大きく見開いてそう叫ぶ。

「………」

 そして、娘の突然放った大声に、丁度自席を引いていた桃子さんが自分の夫を怪訝な表情で見下ろし、妻の視線の下、士郎さんは困ったように腕を組んだ。

「眞鍋君は既に他流の武術を学んでいた様に見えたから、どの程度動けるのかを確かめたくてね」

 そうして重々しく頷く士郎さんに、恭也さんもまた真面目な顔で頷き返す。

「ああ、アレは凄かった。
 一歩間違えれば、父さんでも避け切れなかっただろうな」

「ははは、お姉ちゃんが相手してたら、間違いなく一本取られてたよ」

 そんな二人に、美由希さんが妹そっくりの仕草で――実際には逆なのだろうけど――頬を掻き、俺の向かいの席に着いた桃子さんは娘そっくりのしぐさで目を丸く見開いた。

「……それは、凄いわね」

 夫や子供たちの力量を、彼女も良く理解しているのだろう。
 控えめなコメントとは裏腹、桃子さんは大層驚いた様子だ。

「まぁ、初見で、奇襲でしたからね。
 アレは、二度目は通じ難い類の詐術でしたし、今度戦ったら成す術もなく負けると思いますよ。
 実際、一撃をかわされた後はどうしようもありませんでしたし……」

 だが、こちらとしてはこの夕食の場の中心になのはを持って行きたいわけで、このまま俺の話題が続いてしまっては困る。
 そう思いって掛け値無しの事実を述べると、恭也さんはやれやれと溜息を吐いた。

「父さん相手にそれが出来る時点で凄いんだ。
 ロックが御神流の技を把握したら、正直、俺でも勝つのは難しいだろうな。
 少なくとも、読み合いと反応速度では全く勝てる気がしない」

「……恭ちゃんでも勝つのが難しいんだから、私なんて今でも負けかねないよねぇ」

 そして、兄の言葉に追従するように、参った参ったと肩をすくめた美由希さんに、俺は大きな溜息を吐いた。

「技量も膂力も間合いも持久力も、全部二周りも三周りも違うんですから、普通にやったら俺に負けるわけがないじゃないですか」

「……ロックの攻撃が意識の隙間に滑り込まなければ、そうだろうな」

 確かに、反応速度の速さと人体の知識、計算能力は大きな俺の強みだ。
 それを駆使して俺は、相手の瞬きの前兆を見てから、始まる間に動き出したり、筋肉の動きから相手の動きを予想して動いたりと、所謂『無拍子』に近い動きを肉体能力によるゴリ押しで行う事が出来る。
 だが、それは自分が敵より圧倒的に速い事が前提の話で、後天的に強化されている俺のそれに伍する……と迄は行かなくとも、近いレベルで反応できる恭也さん達相手では決定打にはなりえなかった。
 仮に、読み合いで勝利できたとしても、そのアドバンテージを能力差を埋める所まで拡大する事が出来ないのである。

「恭也さん達なら、充分に間合いの差を埋める前に見て取ってあわせられるじゃないですか?」

「……父さんや、俺ならな。
 美由希には、まだ無理だ。
 それにな、ロック……俺は『ロックが御神流の技を把握したら』といった筈だぞ?
 御神流の底は、一年や二年で把握できる程浅くはないし、今の俺達のアドバンテージは、その殆どが体格差による物だ。
 君は体格に恵まれているようだから、今後どんどん差は詰まってくるだろうな」

 尤も、自分もここで足踏みを続ける積もりは毛頭ないが――恭也さんはそう付け加えて、にやり、笑って見せた。

「まさか、ここまでとは思わなかったが、どうやら眞鍋君の存在は、恭也や美由希にとっても良い刺激になったようだな。
 ……全く、なのは様々だ」

 そして、そんな弟子三人の姿を楽しげに眺めていた士郎さんが、そう言ってなのはへと目を細める。

「ふぇえ!?
 な、なんでなのはなの?」

 感心半分、理解できなくて思考停止しているのがもう半分――そんな表情でぼおっと俺の横顔を眺めていたなのはが、いきなり水を向けられ奇声を上げると、周囲をきょときょとと見渡した。

「……そりゃあそうだろう。
 ウチとロックを繋いでくれたのはなのはだからな」

「母さんだって嬉しいわよ。
 恭也や美由希は遠慮しちゃってあんまり友達を連れてきたりしなかったから、腕の揮い甲斐が無くて……。
 実は、子供の友達にこうして料理を振舞うのって、ちょっと憧れていたのよね。
 アリサちゃんやすずかちゃんは、女の子だからあんまりものは食べないでしょう?
 だから、なのはがボーイフレンドをつれてきてくれて、とっても嬉しいわ」

 目の前に、八人掛けの長テーブルを埋める料理の数々があるだけに、桃子さんの言葉には実に説得力が溢れている。

「……そ、そうなんだ」

 ニコニコと、多すぎる料理を示しながら告げる母親に、なのはは少しばかり頬を引きつらせながらそう答えた。
 流石は母親、自分に自信が無さ過ぎる末娘の為に、ここまで力を入れた仕込を――してくれたんだよな?
 あくまでもニコニコと、目の前にいる二人の小学生を見比べている桃子さんに、俺は何故か寒気のような物を感じた。

『……勿論これは、娘の為の仕込み、なんだよな』

 目の前に並べられた多量の料理を眺めながら、俺はそんな事を考える。
 確かに俺は体格も良く、見た目もジャイアン系だが漫画的な大食漢フードファイターではなかった。
 そりゃあ、内蔵機能も調節できるから、消化器系をブーストすれば多量に物を食べられない事もないけれど、しかし、俺はどの程度物を食べる事を期待されているのだろうか?
 気になって恭也さんや士郎さんに視線を向けると、二人とも桃子さんの表情と目の前に並べられた食べ物の量とに若干引き気味の様子だった。
 更に付け加えるに、ちらりちらりと、かすかに期待するような視線をこちらに向けている所を見るに、この料理は明らかに男二人の許容量を遥かに超えている。

『だが俺にどうしろと?』

 御神流の弟子になった以上、これからも高町家で馳走になる機会は少なくないと思われる。
 場合によっては、合宿などもあるかもしれない。
 資金力的にここまで箍が外れる事はそうないだろうとは言え、それら全てに大御馳走咬まされては、こちらの身が持たないのは必定だ。
 桃子さんには悪いけど、ここは適当な所でギブアップさせてもらうべき……。

「だからロック君も、遠慮せずに一杯食べてね?」

 ……と、桃子さんが告げたのは、心中論を結んだその瞬間で、だから俺はどこか逃げ道を塞がれた様なそんな心持で表情を引き締めた。

「あー、はい、その件に関しては善処させていただきます」

 そして、思わずそんな玉虫色の回答を示した俺に、美由希さんがクスリと笑みを漏らす。

「……なにそれ、ロック君」

 コロコロと笑みを漏らす美由希さんの姿は可愛らしく、正直かなり好みな顔立ちなのだけれど、今の吾身は小学生にしてその妹の思われ人、更に付け加えるなら、彼女には解り易い思い人もいた。

『……人生ままならないものだよな』

 まぁ、元のままの自分だったとしても、高1の少女は口説くには聊か幼すぎる上に、そもそも全く接点がないのだから縁がなかったのだと諦めるほかあるまい。
 現状からの逃避気味にそんな事を考えていると、このまま雑談をしていても埒が明かないと考えたのか、士郎さんが一同を一度見渡して、手元のビールを手に取った。

「じゃあ、そろそろ始めようか。
 なのはの初めてのボーイフレンドと、御神流の新たな門下生との出会いを祝って……眞鍋君、何か一言あるかい?」

「では、突然のお願いを快く受け入れてくださった士郎さんと、恭也さん、美由紀さん。
 それから、わざわざこんな歓迎会を開いてくださった桃子さん。
 そして誰よりも、皆さんとの縁を繋いでくれたなのはに、心からの感謝を!」

 そう言って俺もグラスを手に持つと、士郎さんが一つ頷きグラスを掲げる。

「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱ~い!」

 そして、続き重なったその唱和は五者五様、揃ったとは言えず、しかも、一人の少女のそれが抜けていた。

「なのは、乾杯!」

 だから俺はそう言って、何を戸惑ったのか中途半端に掲げられて止まったなのはのグラスに、かちり、自分のグラスを触れ合わす。

「えっ、あっ、うん。
 かんぱい」

 そうされて漸く再起動、なのははおずおずといった風に触れ合わせたグラスを口に運んだ。
 自分が場の中心である事に、やはりこの子はあまり慣れていないのだろう。
 或いは、自分が何もしていない――それどころか、すずかの一件やっかいごとしか起こしていない――ように感じているのかもしれない。

「……けど、なんでなのはに?」

 照れたように、疑うようにそう尋ねるなのはに、俺は苦笑を浮かべて一同を振り返った。

「さっきも言ったろう?
 なのはがいなければ、俺はここにはいなかったんだ。
 今ここにいるみんなは、なのはを中心にして繋がっているんだよ」

 その言葉は詭弁の類ではあるが、決して嘘ではない。
 少なくともこの場の皆は、なのはが大切だという思いで、心配だという思いで繋がっていた。
 そう、俺みたいな出会ったから半年も経っていない子供の言葉を、真剣に検討して応えてくれるくらいに、高町家の一同はなのはが大好きなのだ。

「そうだぞ、なのは。
 なにを遠慮しているのか知らないが、今日の主役はなのはと眞鍋君の二人だ」

 士郎さんが、そう言ってなのはのグラスに自分のそれを触れ合わせる。

「そうだな、主役なのに乾杯しないのはいただけない」

 続いて、恭也さんの言葉――そして、かちりかちりと、硝子の触れ合う音が続いた。
 桃子さんが、恭也さんが、美由希さんが、口々にグラスを差し出し、身を乗り出し、自席を離れて、なのはに乾杯を求める。

「か、かんぱい!」

 そんな状況に何を思ったのか?
 なのはは大きく目を見開いて、一同の乾杯を受けると、一瞬目を閉じ、大きく息を吐いて、それから手にしたグラスのジュースを、一息に飲み干した。


 こうして始まったパーティは終始和やかに、賑やかに進み、俺は高町家の一同に弟子兼なのはの友人として受け入れられた――のは良いのが、この一件に何を思ったのか、以降俺は、俺限定で遠慮と言う言葉をかなぐり捨てたなのはと、それに触発されたすずかの大攻勢を受け続けることになる。
 どんな淑女協定を結んだのか、それで二人の仲が拗れる様子がないのが救いと言えば救いなのだけれど……どうしてこうなった!?



[15544] ~間奏~ アリサ・バニングスの憂鬱な春
Name: 十八◆4922f455 ID:7c350e2f
Date: 2010/06/30 02:44


 アリサ・バニングスの眞鍋六郎への第一印象はパッとしない奴で、それはすぐにいけ好かない奴へと変化した。
 少女が六郎を、『パッとしない』と判じた理由は単純にその見た目からで、両親共に美形、自分も希に見る美少女であり、友人二人とその家族もそれに順ずると言う豪華な人物関係を持つ彼女にとって、将来的には兎も角、現時点ではジャイアン系の六郎はパッとしない男としか評し様が――否、むしろ六郎が本当にジャイアン的な外見を持っていたら、その第一印象はもう少しまともだった事だろう。
 未だ完成には遠く、また、ジャイアンやブタゴリラといった少年漫画の悪役達程の特徴を持たない六郎の容貌は、よくも悪くも印象が薄く、彼女には『パッとしない』としか評し様が無かったのだ。
 加えて、アリサには転校生の所に群がるなど考えもつかないような、高いプライドを持っている。
 そんな訳で、当初、六郎に関わろう等と言う気持ちは欠片も抱いていなかったアリサが、何故なにゆえ即座に、彼に向ける印象を『いけ好かない』へと悪化シフトさせたのかと言えば、その理由は簡単、単純に六郎が、『昔のアリサじぶんに良く似ていた』からだ。

『クラスメイトを見下している』

 なのはとすずかと友達になる前の、孤高の女帝を気取っていたアリサとは異なり、六郎は珍しい転校生に群がるクラスメイト達をを人当たり良くあしらってはいたのだけれど、元同業者である少女の目には、少年が周囲を対等と看做していない事は一目瞭然で……だからアリサにとって、六郎は正直、ムカつく奴だった。
 そう、かつてのアリサと今の六郎とは、一枚のトランプの表と裏ほどに良く似ている。
 同じ紙に印刷された別の絵柄の登場は、かつての自分を後悔している少女を苛立たせるには十二分な存在だったのだ。
 勿論、かつての反動か公正に過ぎる所がある今のアリサには、その感情が自己嫌悪の八つ当たりである事も良く解っていたのだけれど、そんな論理でその感情を消してしまえる程特異な精神を、彼女は持ち合わせていない。
 同時に彼女は、その嫌悪を周囲に撒き散らすほど恥知らずでもなかったので、『どうせただのクラスメイト、積極的に係わり合いになる事は無いのだから、嫌悪と苛立ちを胸の内に留める事で十分だろう』と考えていた。

 ――そう、アリサの親友の一人であるすずかが、六郎に興味を持つまでは……。

 正直、あの時アリサはすずかを止めたかった。
 彼女自身のストレスの事もあるし、それ以上にあんな奴に関わったって、碌な事がない、そんな気もしていた。
 けれども、そもそも止めたい理由からして彼女が抱いたただの印象でしかなかったし、大事な親友達すずかとなのはに根拠も無い悪口を吹聴する事もはばかられる。
 また、二人が自分の殻を打ち破ってくれた事を思うと、

『もしかしたら、アイツも……』

 そして、

『アタシにも同じ事ができるのでは……』

 そんな風に思う気持ちも確かにあって、それでアリサは、うすうす気付いていながらもこの厄介事に足を踏み入れてしまったのだ。
 止めたくてもそれができず、半ば目を瞑ったような状態にいた彼女の前で、丁重に――どちらかと言えば慇懃無礼と言うべきだろうか?――やんわりとすずかを受け流す六郎と、そんな六郎にどんどん踏み込んでいこうとするすずか。
 彼女が再び目を開いた時には、二人は既に周りに囃し立てられるような立ち居地にいて……その状況と、そうなるまで気付けなかった自分とにキレた彼女が短絡的に全面介入したことで、事態は泥沼へと沈みこんでいった。
 全てが予想外の最悪へと転がっていったその悪夢のような騒動の中で、アリサにとって唯一助かったと言える――だからこそ、余計に腹が立つのだが――事が、この騒動のもう一人の当事者である六郎の動きだろうか?
 すずかの働きかけにも全くの無反応だったことから、巻き起こった騒動もまた無視するか、或いは、こんな状況に陥らせた彼女達に対する報復的な処置を行うだろうと予想された六郎だったが、意外にも彼は取り巻く状況が悪くなり始めた当初から、精力的にすずかとアリサのフォローに動いていた。
 もしあの時の六郎の努力が無ければ、怒りのままに荒れ狂った――無論、文字通りの意味ではないが――上に、元々男子連中から憧憬交じりに『生意気と』評されていたアリサのクラスにおける立場が『現状維持』で済むはずも無い。
 尤も、六郎がその奇跡的な結果を導き出す為に『自身を悪者にした』辺りが、アリサにとってはまた腹立たしい所で、ある夜自室で、

『アンタはアタシが自分の尻拭いもできない女だと思ってるの!』

等と枕相手に一汗流してしまった事実は、少なくともあの男には絶対に知られたくない少女の恥ずかしい秘密であった。
 そして、その事後、冷静さを取り戻したアリサが考えるに、そもそも六郎は、クラスメイトを見下している上に、元々周囲に距離を取り、独りでいる事を好んでいる様子だったから、自分が排斥される分にはそれほど苦にはならないのだろう。
 その上で六郎は、すずかとアリサがクラスからハブにされるだろう自分から離れて行く事を狙ったのだろうが、生憎と二人の少女が抱える矜持はそう安いものではない。
 そんな訳でアリサは、あの男に対する強い罪悪感に囚われていたすずかと二人協力し、六郎を無理やり自分達のグループに引きずりこむ事で少年の思惑を文字通り引っくり返し、それで僅かに溜飲を下げた……訳なのだが、それが彼女を底なし沼へと叩き込む最後の一押しとなったのは、人を呪わばなんとやらとでも評すべきか?
 兎も角そう言ったわけで、アリサにとっても六郎にとっても、真に悩み多い、凍土が溶けた泥濘のような春が始まったのだ。

『……』

 校内限定――それも主に、昼食と授業中の自由班行動のみ――とは言え、行動を共にしていれば、気付く事は多い。
 まずアリサが気付いた事は、かつての自分とそれに似ていると思っていた少年との、意外な違いの数々だった。
 第一に、六郎は周囲の人間クラスメイトを極自然に格下と見なしており、アリサたちを含めたその一人一人には無関心を貫いているけれど、同時に、彼らを見下しているわけではないらしいという事。
 何と言えばいいのだろうか、すずかが自分の優れた身体能力に逆に引け目を感じているように、六郎は自分が優れていると言う事実を理由に、自分を周囲の人間より下においている節がある。
 今にして思えば、すずかは六郎の抱えるその逆理的なコンプレックスと、恐らくはそれを理由に周囲と距離を置いている点にあれほど強く反応したのだろう。
 孤高を気取っているかと思えば、自分に向けられたありとあらゆる悪罵――因みに、その大半はアリサによるもので、六郎と敵対しているはずの男子連中は、彼女のそれが余りに苛烈な為か手出しそのものを控えている――を当然のものと受け入れ、尊大かと思いきや、彼が積極的に取る行動の大半は集団クラスへの奉仕者としてのソレだ。
 周囲を無視しているようで全てを注視しており、唯一自発的に取る行動が、自分との関係性を問わぬ周囲の人間達への無差別なフォロー――そんな、気付いたのが責任ある立場の大人であれば、なんらかの精神的疾患を疑うだろう六郎の異常行動は、今の所唯一それに気付いているアリサの劣等感を痛く刺激した。
 自分の優れた能力、外観に驕って好き放題振舞っていた自分を恥じているアリサが、根は等質――と彼女は思っている――で、結果が正反対の男と出会ってしまったのだ。
 それに加えて、先の騒動とその顛末もあり――

『見下されているどころか眼中にすら入れられていないアタシの存在を、アイツの中に刻み込んでやる』

 ――彼女がそう思うに至ったのも、まぁ、当然といえば当然の話ではある。
 そうして、始まったストレスフルな日々の中、アリサがふとしたきっかけですずかにあっさりと目標を達成されてしまったのは、一方的に喧嘩ループする日常に、夜も更けてから枕相手に反省会を行うのがすっかり日課になってしまった、その頃の出来事であった。

「……はぁ」

 自室のベッドの上、ぺたり座り込んだアリサは、枕を抱きしめて溜息を吐く。
 その後もあれよあれよと言う間に事態は進み、気付けば二人の親友は六郎にベタ惚れだし、アイツにはそれに応える気は今の所――アタシたち三人を妹か娘の様に思ってるようだから――なさそうだし、そのせいで二人のアピールには段々遠慮が無くなって行くし、そんな二人を押さえている内にアイツと悪友と言うか、そんな感じで仲良くなってきてしまったし、それでも結局、アイツはアタシを完全に対等の存在とは見ていないようだし……と、アリサの小さな胸に宿る心配事は多く、しかも増えて行く一方だ。
 このまま北京ダックの如くに心配事を詰め込まれていったら、それだけで体が膨れ上がってしまうのではないか?
 それこそ、年齢を考えれば極めて明晰な思考を持つアリサが、思わずそんな下らない事を考えて己がなだらかな体を上から見下ろし、それが何時も通りである事に安堵の溜息を吐いてしまう程の疲れを、彼女はこの現状に感じている。

『とにかくアレよ、全ての元凶はアイツ、アイツがはっきりすればこの泥沼も終わるのよ』

 抱きしめた大きな枕に顎を乗せ体重を預けながら、アリサは目を瞑った。
 六郎が、すずかもなのはも、彼女達と同じ意味では全く好きではないのは、仕方がない。
 現状でどちらかを選べと強制すれば、六郎は間違いなくすずかを、それも一瞬の遅滞もなく選ぶのだろうが、流石にそんな『理性と周辺状況から消去法で選びました』的な答えでは、選ばれたすずかも、選ばれなかったなのはも、あの日必死に落ち込む二人を持ち上げ、淑女協定を結ばせた自分も可哀相と言うものだ。
 だが、今のままでは何も状況は進まない。
 アリサの見るところ、今のままの二人では六郎に異性を意識させる事など夢のまた夢の状態だった。
 そもそも、自分達を妹か娘の様に思っている人間に盛んに甘えて見せた所で、その印象を補強してしまうのが、関の山――その上、相手が二人の思いを理解した上で受け流しているのだから、尚更である。
 正直な所、すずかとなのはのどちらかが六郎を口説き落とす可能性より、そのせいで交友が深まりつつある自分達が、そのままなんとなく付き合い始める可能性のほうが余程高いのではないかとすら、アリサは考えていた。

『……ま、お互い、そんな積もりは毛頭無いけどさ』

 そもそも、最近ではアリサとの悪友的な付き合いに一抹の安らぎを感じているらしい六郎が、無駄に二人の間の距離を詰めてくることはありえないだろうし、彼女自身にも対等ではない恋愛をする心積もり等は全くない。

『とにかく、アイツとは一方的に寄りかかるような関係では駄目なのよ』

 少なくとも、現状の六郎は、自分に並び立ち、共に歩ける者以外をそういう視線で見ることはないだろう。
 無駄に保護者意識が強すぎる六郎は、それ以外の人間を無意識に『保護対象』にカテゴライズしてしまう。

『……けどこうなると、すずかは兎も角なのはは本当に望み薄よね』

 すずかと六郎の場合は、運動能力的な面で拮抗するものがあるから、まだスポーツ等を通してそう言った関係に移って行く可能性はあるが、現状のなのはは、六郎に一方的に甘えるだけの存在だ。
 その上彼女には、六郎を『異性』としてみているすずかとは異なり、『気兼ねなく甘えられる人間』としての彼に懐いている節もある。

『とにかく、あの三人が当てにならない以上、アタシが何とかしないと……』

 まずは、アタシ達三人が対等な友人同士だと六郎に認めさせる事だと、アリサは枕を抱く腕に力込めた。

『そうしないと、アタシはアイツの友達だと胸張ってはいえない』

 アリサは、腕の中の枕を全身を使って背後に投げ捨てると、自分の両頬を軽く平手で叩いて、サイドテーブルに置かれた幾束かの書類に手を伸ばす。
 丁度良い事に、機会はあるのだ。
 まだ少し先ではあるけれど、その間の時間は準備に費やせばいい。
 例えば、旅行中に着る服とか水着とか水着とか水着とか、そう言ったものに……そんな風に思ってアリサは、夕食後、執事に渡された三部の書類を手に取った。

『どうやら今年の夏休みは、少し余裕が持てそうなんだ。
 折角だから、何時もお世話になっている高町さん達とその御家族を、ウチの別荘に御招待しようかと思っている。
 行き先については鮫島に簡単に纏めてもらったから、なのはちゃんやすずかちゃん、それから六郎君だったかな?
 お友達にそれを渡して、予定を聞いてもらえないか?』

 夕食時、珍しく共に食事を取る事ができた父親からの提案を思い出し、アリサはその口元に微笑を浮かべる。
 悩みを抱えて泥濘を駆け抜ける、そんな憂鬱に満ちた春は、気付けば既に終わっていた。
 もう季節は夏、梅雨を過ぎてぬかるみ続けた泥沼も、きっと乾き始める。
 そしてアリサは、

『今年の夏は楽しくなりそうだ』

 理由も無くそんな風に思うと、書類を放り出してベッドに身を投げたのだった。

 



[15544] みんなで旅行に行きました (その1)
Name: 十八◆4922f455 ID:7c350e2f
Date: 2010/07/23 16:15

 夕刻、真夏のこの時期この時間、訪れる者もないだろう硝子張りのサンルーム。

「……来たわね」

 手紙の指示通り足を踏み入れた俺の、耳にそんな悪友の声が届いた。

「ああ、しかし、一人で呼び出すなんて一体何の用なんだ?」

 投げかけられた言葉にそう応えると、目を伏せ、強い逆光に手を翳しながらその源を視線で辿る。

「すずかやなのはじゃあるまいし、別に愛の告白と言うわけでもないんだろう?」

 続け、冗談めかせて問いかける俺の、視線の先に佇む友人アリサは豪奢な朱金あけがね色を帯びていた。
 僅かに湿った金髪と、陽焼けて朱を帯びた白い肌、未だ女性的とは言いかねるなだらかな起伏を覆う、白い、ノースリーブのサマードレス――彼女の帯びる色彩の全てが、硝子の壁と、夕立の残滓とに散乱ちらされた夕光に映えて、少女の姿はまるで燃える光でも纏っているかのよう。
 その上、それを纏うのが、内から溢れんばかりの生命力かがやきを具えたアリサなのだ。
 彼女の属する人種の中でも希少といって良いその生来の色彩と相俟って、纏う色光は陽性の印象を帯びる。

『……綺麗だな』

 生粋の日本人が纏えば翳を伴うであろう色光を、傲然と従えたその姿に、俺は素直にそんな事を思った。
 自然と周囲の耳目を集め、従えるような魅力カリスマを、アリサは持っている。
 そして、そんな彼女と平々凡々たる自分が、対等な友人として付合っているのだから奇妙な物だと、俺は自分の辿った数奇な人生とアリサとの出会いとに少しばかりの感謝の念を覚えた。
 尤も、そんな彼女の姿は輝度的に眩し過ぎたので、そんな事を考えたのは目を逸らし光を避け移動しながらだったから、無言、こちらを眺めていたアリサは、逆に翳を纏っていただろう俺の姿からそれらを読み取れはしなかったのだろうけれど。

「……悪かったわよ。
 けど、誰にも気付かれずに話せる場所がここしか思いつかなくて……」

 そうして、アリサと並んで背を壁に預けた俺を、彼女はバツの悪そうな顔で見上げた。
 一見熱そうなガラスの壁は、先の夕立のお陰かひんやり涼を帯び、西日のそれを足しても背もたれとしては及第点――昼間、隙を見て空調でも動かしたのか思いの他涼しいその空間で、俺は隣に並んだアリサを見下ろし、首を横に振る。

「いや、かまわないよ。
 大事な話なんだろ?」

 俺達が二人だけで会う事は……実は結構多いのだけれど、その状況の大半は、『俺があの二人すずかとなのはの件でアリサに相談に乗ってもらう』と言うものだ。
 アリサの用件で合うこともたまにはあるけれど、そう言った場合彼女は、なのはとすずかの前で堂々とそれを宣言するのが常で、こうやって隠れて会いたいなどと言われたのはコレが始めてである。
 だからと、そう答えた俺に、アリサは困ったように自分の顎に手を当てた。

「ごめん、それアタシ自身にも、良く解らない。
 ただアタシは、そう、納得したいのよ」

 そう、珍しくも歯切れの悪い言葉を放つアリサに俺は首を傾げると、しかし、すぐに苦笑を浮かべてそんな事は無いと口を開く。

「まぁ、いつかアリサには何か言われるだろうと思っていたからな。
 何を聞きたいのかは知らないけれど、まぁ、俺に答えられる範囲でなら正直に答えるよ」

 恋は盲目――そんな名言もあるが、現実の『眞鍋六郎』を最も良く知る人間は、間違いなくこのアリサだ。
 重ねた対話も一番深く、また、友人の為か時折俺を観察している節もある。
 何時か何かを問われるだろう……そんな予想は、ずいぶん前から持っていた。
 だから

「それで、何から聞きたいんだ?」

 そう続けた俺に、アリサは一瞬戸惑ったように目を伏せると、すぐ顔を上げてこう口を開く。

「じゃあ……ロック、アンタ一体、何にそんな怯えてるの?」

.
.
.
.

 眞鍋六郎オレの目覚めは早い。
 その理由には、トレーニングの都合や小学生と言う立場故の就寝時間の早さといった事情もあるが、大半は時空航行船デバイスにより、必要睡眠時間が大幅に減少している事実に因るモノだ。
 また、同機能の影響で夢を見る事もなくなったけれど、与えられた能力を思えばその程度は些細な対価と言うべきだろう。
 尤もそれは、少しばかり寂しい事ではあるけれど――とまぁ、それはそれとして、そんな訳で俺の朝は早く、早朝五時には起き出してジャージに着替え、自宅の庭で体操を始める。
 始めはゆっくり、徐々にペースを上げつつ、三十分ほどを時間を費やすと、続けてランニング。
 以前は一人、限界を見ながら適当に走っていたけれど……

「おはようございます」

「おはよう、相変わらず早いな」

 ……士郎さんたちも同じ時間帯にランニングをしている事を知ってからは、適当なタイミングでそちらに合流。
 そのまま、御神流の朝稽古に参加する事にしている。
 それから、飲み物を差し入れに来たなのはとちょっとだけ話したり、時に、高町家で朝食をご馳走になったりしてから、家まで走り、身支度を整えて学校へと向かうのだ。
 これがオレの平日の朝の日課で、日祝は朝稽古の後そのまま延長して鍛錬を続けたり、高町家のお出かけに同行させられたり、朝稽古中に月村姉妹の襲来を受けて恭也さんもろともそのまま月村家――時によっては本家――に連行されたり、朝稽古が終わった頃には何故か高町家に三人娘が揃っていて、そのまま付き合いを強制されたり……と、こちらにほぼ拒否権が無い事を除いてはまちまちに日を過ごす。
 いや、両親と一緒に出かける予定がある場合等では流石に拒否するのだけれど、そう言う時でも何故か三人娘の誰か一人は同行するようになっているし……。

『まぁ、その理由は明らかなんだけどな……』

 あれから梅雨が過ぎ、夏になり、一学期の終業式も終わって、夏休み。
 両親共働きな事もあって、日の半分以上を高町家で過ごすような状況になっているその元凶はといえば、高町夫妻の異様な程の社交性の高さだ。
 社会的地位の高い富豪のバニングス家、加えて、夜の一族と言う秘密を抱える月村家……現在は歌手として本格的な活動を始めた為に高町家を離れているが少し前までは高町家に下宿していたという、フィアッセさんの生家、イギリス上流階級のクリステラ家――なんと、一度だけ会った事があるその父親、アルバートさんは上院議員だそうだ――に、同じく下宿していたが現在は親元に帰ったと言う蓮飛嬢の生家、中国の武術家の家系鳳家。
 オマケに、高町家の近所に住む恭也さんと美由希さんの妹分、城島晶さんと、恭也さんの友人の赤星勇吾さん、オレの両親の普通の御家庭三家族……これだけの人間の信頼を勝ち取り、高町家を中心とした家族ぐるみの関係を構築してしまうあの夫婦の人誑しっぷりをなんと評すべきだろうか?
 とにかくウチの両親は瞬く間に高町夫妻に篭絡され、月村、バニングス共々、子供達の監督で協力し合うという協約のようなものに参加することになってしまったのだけれど……。

「けど……」

 ……けれども、それにウチが参加したのは極最近の事だ。
 確かに、アリサやすずか、なのはを伴って出かけたこともあるけれど、それは極僅か――それも、近場に限られており、だから、既に三日後に迫っているバニングス家から招待は、小市民的な金銭感覚が染み付いた眞鍋家一同にとって聊か重い物となっている。

『四泊五日で海辺の別荘に御招待……か』

 別荘には温泉完備で、近場には海水浴場、少し足を伸ばせば少々寂れてはいるが温泉地もあるそうなので、気分転換にそちらへ繰り出すのも良いだろう。
 釣りを趣味とするアリサの父親が買った別荘らしく近辺には良い漁場が複数あり、天候によっては自家用クルーザーで海釣りに……なんて予定もあるそうだ。
 各自の予定もあるので現地集合、現地解散――とは言え、大半は共に移動するの――だが、別荘滞在中の食費はバニングス家が持つと言う。

「ウチの両親までお世話になってしまって、本当に良かったのかね?」

 組太刀の最中、ふとそんな事を呟いた俺に、

「……なに、デヴィッドが良いと言っているんだ」

 悩みの元凶しろうさんはそう答えながらも一瞬の遅滞もなく、手にした竹刀を振り下ろした。
 手順どおりの、しかし、それと知っていても際どいレベルの斬撃……俺は、その一撃に下がる事無く右前に踏み込みながら、左の小太刀を相手のそれの鍔元へと叩きつける。

『斬り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込みてみよ そこが極楽』

 そんな有名な一句もあるが、そも小太刀は通常の刀と比して短く、軽く、間合いも威力も一段劣る武器だ。
 故に、引いて受けては力負けするし、間合いの優位を敵に奪われたままである。
 それを片手で扱う二刀流であれば尚の事――故に、御神流の組太刀には、相手の一撃を踏み込んで受け、死に体になった敵を残る一刀で斬るものが多く含まれていた。
 そして、今俺と士郎さんが打ち合っているものも、その一つ……。
 踏み込みと同時、脇構えに近い形で引いていた右竹刀を半瞬と擱かず逆袈裟に斬り上げると、士郎さんは脇腹の手前で止まった竹刀にうんと頷き

「六郎君が気にする事は無いさ」

 そう続けてから、俺の頭をポンと軽く竹刀で叩いた。

「ただ、修行中に他の事を考えるのは感心しないな」

 ここ暫くは、悪癖の矯正の為に動作のみに集中して修行していたのだけれど、それに成功した為か、或いは、御神流の術理に習熟した結果か、ここの所奇妙な修正癖は殆ど現れないようになっている。
 その結果手隙になった無駄に早い思考速度と並列思考の特技とが、他所事に思考を流した――と言うのはただの言い訳か。
 体にしみこませるという意味では有効ではあるけれど、組太刀は流れの決まったルーチンワークだ。
 今まで、仮想空間で別の事を行いながら練習をこなすのが普通になっていた事もあり、それを片手間の作業と感じてしまったのだろう。

「……すいません」

 ……とは言え、今まで癖の矯正に廻っていた部分が余剰な思考となって現れただけで、手自体は全く抜いていないのだけれど、それでもそれが不真面目な行為であったことは間違いない。
 だからと頭を下げた俺に、士郎さんは困ったような笑みを浮かべると手にした竹刀を正眼に構えた。

「じゃあ、次で最後だ」

 その声が終わるや否や、無言、俺は二刀を構えて対手へと斬り込む。
 踏み込んで右斬、受ける敵へと踏み込んで左斬、しながら右を帯に挿して持ち替え、連撃をかわし体を崩した相手に右抜刀、続けて左斬……。
 ……いや、自分でもおかしい事をしている自覚はあるが、これが御神流なのだから仕方ない。
 そも、二刀を扱う以上、自らの手を斬らぬ様片方の動きに他方の太刀筋が限定されるのは必定。
 それを補う為に、乱戦などを除けば小太刀を前に差し出し盾代わりに防御を担わせ、もう一方の手に構えた刀を、小太刀で作った隙に撃ち込む攻撃にと、それぞれ特化させて扱うのが二刀流の常道の一つだ。
 そこを敢えて二刀での連撃に拘り、制限される太刀筋は納刀及び居合いで補うなど、普通考えても出来る事ではない。
 御神流の場合、本来二刀は手段の一つに過ぎぬ、飛針、鋼糸、体術、小太刀などを組み合わせた『忍術』であったが為に生まれた発想なのだろうが……。

『こうなると、抜く手を見せぬどころか気付いた時には納刀が済んでいる夢想林崎流の剣士とか、大元帥明王の霊威を召喚してテレポート染みた移動を行う拳士とか、鬼骨のチャクラを廻して変身する人獣辺りが現れても不思議はないな』

 いや、身近に獣人が一人いるし、最後は既に仮定の域には留まってはいないか――と、そんな他所事は面に出さず、俺は目まぐるしく体を入れ替え、腕を振るい、小太刀を鞘に見立てた帯に挿し、引き抜き、双手六連の斬撃を撃ち終えた。
 
「良し、止め……。
 基本的な動きとその組み合わせは、一通り形になったみたいだな」

 ……のだが、組太刀と言えども全力、撃ち込んだ六斬の尽くを、目の前の師は往なしてにやり、笑みを浮かべる。
 その当然といえば当然の結果に、俺は微かに肩を落としてはぁと息を吐いた。
 御神流を用いている上に、組太刀だから相手はその攻撃の流れを事前に知っており、加えて、俺の体はまだ幼い。
 むしろ、受け太刀を崩せると考えるほうがおかしい状況ではあったが、それでも流石に、体を崩した小芝居を交えながら全撃滑らかにかわされたりすると、多少は気落ちする物があるのだ。
 まぁ、士郎さんもそういう性格オレのプライドを把握した上で負けん気を引き出そうとしているのだろうけれど……と、苦笑し軽く関節を廻した俺の、背の向こうからぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
 同時、苦笑を浮かべた士郎さんの視線を追うと、道場の入り口に三人の少女の姿が覗いている。
 その真ん中で笑顔を浮かべ、凄い凄いと手を叩くすずかと、右隣で頭を抱えて溜息を吐くアリサ、左隣で複雑そうな顔を浮かべているなのは……。

「三人とも、今日は早いんだな?」

 一応まだ練習中だが、その指導者は御神に関わらぬ末娘には駄々甘な士郎さんだ。
 俺は、困り顔の士郎さんに一応目線で確認アイコンタクト――振り返って三人に尋ねると、すずかはにっこり笑ってうんと頷く。

「うん、旅行の買い物に行くのと、その前に皆で、夏休みの宿題を進めちゃおうかと思って……」

 かつての引っ込み思案が嘘の様な笑顔。
 断られるなど全く考えていないだろうその提案に、俺はああと頷きこう続けた。

「じゃあ、練習が終わったら一旦家に帰って荷物を取ってくるから、それまで三人で進めておいてもらえるか?」

 本当ならば、友人として一言苦言を呈さなければならないところなのだろうけれど、なまじその背景を知っているせいか、どうしても俺はすずかを甘やかし気味になってしまう。

「……それから、練習しているのは俺だけじゃないんだから、終わるまではそう言う事は控えてくれると有難い」

 我ながら甘いと溜息を吐き、しかし、そう続けた俺に、すずかは余り気にしていなさそうな笑顔でごめんなさいと答えた。

「……」

 そんな彼女に、これは幾らなんでもと眉を潜めると、その隣で渋面を浮べ、なにやらジェスチャーをこちらに送っているアリサの姿に気付く。

『あー、そういえばそろそろそんな時期か……』

 どうやら、今日のすずかは月一の『幸せスイッチ』が入ってしまっているらしい。
 アリサに――大変だったな――そう目礼を送ってから振り返ると、一通りの事情を知っている士郎さんは、こちらが頭を下げる前にこう口を開いた。

「ふむ、では丁度キリが良い所だし、今日の練習はここまでにするか」

「はい、ありがとうございました」

 士郎さんにそう頭を下げてから、神前に一礼、俺は三人へと駆け寄る。

「三人ともおはよう」

 そして、靴を履きながらそう声をかけると、待ちきれないというようにすずかが腕に抱きついてきた。
 腕に当たる微かなふくらみと、一月前と比べて明らかに高くなっている目線……。

「おはよう、ロック君」

 少女は俺を見上げてそう答えると、胴着の袖に頬を擦り付ける。
 元より、人と比して成熟が早いらしい夜の一族のすずかだけれど、自分の血脈に対する嫌悪感やら、そこから来る血液摂取量の少なさ等から、その成長の度合いはなのはやアリサと変わらないものだった――のだけれど、ドッヂ以降の意識変革や、時折俺が血の提供をしている事等が影響したのか、この二月程で顕著な成長を見せるようになっていた。
 同様に血液の摂取を控えていたすずかの叔母、綺堂さくらさんも、自分の存在を受け入れてくれる恋人を得て急成長したそうだから、彼女らの種族にとってそれは特別異常な事ではないのだろうけれど……。

「すずか、汗臭いから離れなよ。
 これから出かけるんだろう?」

 俺はすずかにそう告げると、幸せそうな顔で、すんすんと匂いを嗅いでいた少女をやんわり引き剥がそうとした。
 月に一度入る『幸せスイッチ(俺命名)』だけれど、一族内で身も蓋もなく発情期と呼ばれているだけの事はあり、この時期のすずかはスキンシップ過剰になるし、男の体臭等を嗅ぐと安らぎのような物を覚えたりするらしい。

『……しかし、こうなると、真面目に貞操の危機かも知れんな』

 今はまだ、性的には未成熟に近いからいいけれど、今後そちらの意識に芽生えてくれば――俺は、夜の血族の身体能力で腕をがっちり捕まえて放さないすずかに、内心溜息を吐いた。

『今度、一度さくらさんか征二さんに相談してみないと……』

 すずかの発情期に、成熟齢の低下、加えて、俺の成長も時空航行船の影響で早まっている。
 俺が正気の状態であれば、自分の意思で勃起を抑えて最悪の事態を避ける事が出来るけれど、夜の一族の中には、物語の吸血鬼同様、精神干渉系の能力を持つ者がかなり多いようなのだ。
 実際、彼女の姉の忍さんも、邪視の能力で精神に干渉し、人の記憶をブロックする事が出来るそうだし、すずかが無自覚なまま同種の能力に目覚め、尚且つ発情期を迎えたら……。

「あー、手を放してくれないと、着替えに戻れないだろ?
 だから、な?」

 今、腕を放そうとしないすずかから、少女に押し倒される未来を想起し、俺は思わず渋面を浮かべた。

「すずか、はしたないわよ」

 そこにアリサがそう助けの声を入れ、なのはもおずおずとそれに続く。

「う、うん、ロック君も困ってるし……」

 流石に、友人三人がかりでは幸せ回路も押し負けるらしく、すずかは僅かに唇を尖らせて俺の襟元から顔を上げた。

『………』

 拗ねた様な視線で俺を見上げて渋面に気付き、それで腕を外すと困惑の表情で周囲を見渡すが、今この場においてはすずかの味方は誰もいない。
 すずかは、何故か最後になのはの方をジッと見ると、ごめんなさいと言って手を放した。

「じゃあ改めて、三人ともおはよう。
 とりあえず着替えて荷物取ってくるから、それまで三人で宿題、進めておいてくれないか」

 すずかから離れて三人へと向き直り、俺はもう一度挨拶を投げるとそう続ける。

「ええ、そう言えばあんた、宿題はどのくらい残ってるの?」

 すると、すかさずすずかの手を掴んだアリサが、友人の思考を宿題へと振り向けようというのかそう尋ねてきた。

「読書感想文と絵日記、それから自由研究かな……。
 課題図書はきつねのかみさまにした」

「……って、もう終わってるようなものじゃない」

 俺が頷いてそう答えると、アリサがちょっとビックリしたようにそう声を上げる。

「へぇ……早いね」

「後に残すの嫌だからな。
 ……終わったドリルも持ってくるか?」

 悪友の気遣いが功を奏したのか?
 僅かに醒めた様子でそんな風に呟くすずかに、俺がそう答えるとアリサがいいえと首を横に振る。

「べつにいいわ。
 特に難しいわけでもないしね」

 そう答えて、それからふと付け加える。

「……ただ、読書感想文がね。
 ちょっと簡単すぎて……」

 今年の低学年向き読書感想文課題図書は、きつねのかみさま、このはのおかねつかえます、しゅくだいの三作。
 どれも絵本で、大人びたアリサや図書館で本を読み漁るすずかには少し易し過ぎる内容だろう。
 その上、アリサには生真面目な所があるから、きっと他愛もない内容の絵本に真正面から突き進んで玉砕しているのだろうな――俺は癇癪を起こすアリサの姿を想像して、くすり、笑みを漏らした。

「なに、別にコンクールで賞取ろうって訳じゃないんだから、課題図書にはちょっと触れるだけで良いんじゃないか?」

 そして、そんな表情の変化に微かに眉を潜めた少女の姿に、慌ててそう口を開く。

「因みに俺は、きつねのかみさまを種に、好きな小説の話とか交えて好き勝手に書かせてもらうつもり。
 『送り雛は瑠璃色の』と、それだけだとアレだから、志賀直哉の『小僧の神様』と、川端康成の『死面デスマスク』なんかにも触れて……」

「なんか、タイトルだけだとどう繋がるのかちっとも想像がつかないんだけど……」

 小僧の神様は兎も角……と、呆れ顔のアリサに、俺は続けた。

「ああ、小僧の神様ときつねのかみさまの類似点を、送り雛は瑠璃色のに出てきた言葉で膨らませてね」

 きつねのかみさまになった少女と、小僧の神様になった貴族院の男。

「死面は、送り雛のその台詞の中に出て来るんだよ。

『川端康成の短編に死面デスマスクというのがある。
 その昔、少し付き合っていた女が死に、その通夜に行った男が、すごい形相をして横たわる女の死に顔を見て、〝これはあんまり〟と、彼女の家族が目を話した隙に顔をさすって治してやった。
 すると、返って来た女の両親がそれを見て泣き伏し――死んでなお、あんなに苦しそうに歪んでいた娘の顔が、貴方を前にして、こんなに安らぎました――と言うんだ。
 ただ、そう、ただそれだけの話なのだけど、僕は本当の魔法なんてそんなもんじゃないかって、そんな気がするんだ』

 ――とね」

 ちょっとしたタイミングと気まぐれで、人は『かみさま』になる事がある。
 きっと誰の人生にも、誰かのかみさまになる魔法の瞬間チャンスは訪れるものなのだろう……と。

「まぁ、読んで評価する先生は困るかもしれないし、同じようにやれとは言わないけれど、賞とか狙わないならこう言ったやり方もあるって事だよ」

 俺がそう言って言葉を締めると、アリサは渋面を作って俯き、そして、すぐに顔を上げてこう言った。

「言ってる事は解るし参考にさせてもらうけど……何でこう、アンタが例に挙げる本って、不気味なのばっかりなの?
 前の屍鬼もそうだったけどさ」

 確かに、きつねのかみさまの読書感想文で、通夜に女の顔を治してやる話を引くのは、余り普通とはいえないだろう。

「あー、いや、多分偶然だと思うけど……」

 或いは、一度死に損なって人生をやり直しているその影響で、俺の精神が死とか、そう言ったものを想起しやすくなっているのかもしれないが――後半は口にせずそう言葉を濁すと、今まで黙って聞いていたすずかが、ふとこう口を開いた。

「けど、わたしそれ判る気がするな」

「……え?」

 不気味な本ばかりを引いてくるのが?
 突然のすずかの言葉に驚くアリサとなのはに、夜の一族と言う背景を知るからこそ驚いた俺――集中する六つの視線の先で、少女は薄布の下に存在を主張し始めたその胸を、前に大きく張り出す。

「だって、私はロック君に魔法をかけてもらったもの」

 そして、さらりそう告げたすずかの顔には陰りなく、子供らしい満面の笑みが浮かんでいた。



[15544] みんなで旅行に行きました(その2)
Name: 十八◆4922f455 ID:7c350e2f
Date: 2010/07/28 14:23
 夏休みと言う時候柄、朝のサービスエリアは家族連れで込み合っていた。
 保護者達の予定の摺り合わせで旅行の日取りは盆からずれているのだが、それでも尚の人の数の多さに、俺は長時間の移動に軋む体を伸ばしながら大きく息を吐く。

『これが帰省ラッシュの只中なら、相当キツイ事になっていただろうな』

 周囲から集まる奇異の視線にもう一つ息を吐きながら、そんな事を考えた。
 まぁ、俺たちに人目が集まるのは仕方ない。
 先導する車が、いかにもといった金髪の紳士が後席に座る老執事のリムジンで、それに、メイド服の姉妹が運転する、後席に四人の子供を乗せたバン、二組の良く似た若い美男美女の乗るセダン、プロレスラー染みた巨漢が狭そうに運転する、三人の若い女性の乗るセダンと続くのだから、集団としての統一性の無さでこれに勝る者達はそう多くはあるまい。
 因みに、車両とその乗員は、先頭から鮫島さんとデヴィッドさん――残念ながら、奥様は同行できなくなったそうだ――、アーリヒカイト姉妹と俺たち小学生組、高町夫妻と同兄妹、ウチの両親と、休みが取れない月村夫妻の代役で来た綺堂さくらさん、忍さんの順だ。
 何でまた父さんの車にさくらさんと忍さんが乗っているのかといえば、例の夜の一族との絡みで両親に聞きたいことがあるからだそうで……。
 行き成り突っ込んだ話はしないだろうから、驚いて事故……なんて事はないだろうけれど、ウチの両親がまた変な勘違いをしなければ良いのだけれど。
 そう思って両親を探してみると、父さんはデヴィッドさんと士郎さん、母さんは桃子さんとさくらさんと、それぞれ何か話をしているようだった。
 見た感じ平静なようだし、こちらを探しているとか言う事もなさそうだ――俺は安心して一息吐くと、もう一度父さんと母さんの姿を眺めてみた。
 西欧人らしく体格が良いデヴィッドさんと、美丈夫と言う言葉がしっくり来る士郎さん。
 そんな二人に囲まれて、普通の親ならならみすぼらしく見えるのだろうけれど、それで終わらないのがウチの父さんだ。
 なんと、身長二m、体重百k超――これが伝奇小説ならば、分厚い筋肉の上に薄く脂肪の鎧を纏ったとか描写されるであろうプロレスラー的な体格の持ち主の癖に、その中身は根っからの文系だと言うのだから世の中はわからない。
 体格と言い、顔の輪郭と言い、俺の体の遺伝子の90%は父方から来た物だとはかつての友人の言だが、それで残りの10%は何だと言われれば顔の中の目鼻口。
 薄暗いバーでバーボンでも呷っているのが似合いそうな――そう同じ友人が評したとおり、俺の顔は厳つくキツ目の目鼻立ちをしているのだが、父さんの場合は同じ厳つい顔立ちでも目鼻立ちの印象が正反対。
 何と言えばいいのだろう?
 俺が憤怒尊なら、父さんは如来系?
 基本的には似通っているのだけれど、俺と違って柔らかい、余裕の感じられる顔立ちをしているのだ、ウチの父様は。

「しかし、すばらしい体格だね。
 何かスポーツでも?」

「ああ、よく聞かれるんですが特には……強いて言うなら、運動不足解消にブルーワーカーを少々、かな。
 後は、息子に教えてもらった体操を、毎朝やっている位で……」

「ハハハ、あの全く簡単だって奴かい。
 本当に効くとは驚きだな!」

 因みに、父さんが中学生の頃、親戚の人が買って直ぐ飽きたというブルーワーカーを譲り受け、それ以来運動不足解消の為に使用しているというのは本当の話だ……と言うか、前世の父がそれ以外の運動をしている所を、俺は見た事が無い。
 それであの体格を維持していたのだから、ブルーワーカー恐るべし、と言うべきか?
 そんな訳で、西欧人でスポーツマンのデヴィッドさん、御神の剣士の士郎さんと並んでも遜色ない印象の強さを持っているのがウチの父さんで、結論を言えば三人並んでいると非常に目立つ。
 次いで、母さんへと目を向けると、こちらは桃子さんやさくらさんとなにやらお話中……。
 俺のDNAの残り10%でわかるとおり、母さんはどちらかと言えばきつめの顔立ちで、ついでに言えば結構小柄な方だ。
 前世の俺が成長しきっても父さんより小さかったのは、多分そのせいだろう――いや、十分すぎるほど背は高かったから、別に惜しいとは思わなかったけれど。
 なので、ハーフで帰国子女だという赤毛のさくらさん(高)、中背と言うには微妙に高めな桃子さんと並んでいると、大人の間に一人子供が混じっているような塩梅あんばいだ。

「しかし、ロック君は良い子で羨ましいですね。
 元々ウチの家系は遺伝的に子が出来にくいらしくて、私も早く子供が欲しいのですけど、なかなかあの人も思い切ってくれなくて……」

「自慢の息子ですから――ただ、なんでも自分一人でできちゃうから、手が掛からな過ぎてちょっとだけ寂しいですけどね」

「ふふふ、贅沢な悩みですね」

 母さんは、年齢的にさくらさんより一つか二つ上位で同年代……なので話が結構合うらしく、会話のメインはさくらさんと母さんで、そこに桃子さんが時々合いの手を入れたりしているようだった。

『しかし、こうしてみるとデヴィッドさんも士郎さんも、桃子さんもみんな若いな……』

 外見から年齢が掴みにくい西欧人のデヴィッドさんは兎も角、高町夫妻と早く結婚し直ぐ子供が生まれたウチの両親とではどう考えても一世代違うはずなのに、外見的にほぼ同年代に見えると言うのは一体どういう魔術を使っているのやら?
 そんな保護者連中だけを見た感じだと、大学のスポーツサークル辺りで知り合った友人達がそれぞれ家族を連れて旅行中といった風情なのだけれど、その傍らにはこの暑い最中にぴっちりとスーツを着込んだ鮫島さんや、エプロンドレスに身を固めたアーリヒカイト姉妹が控えているのだから、状況は混迷している。
 その上、美由希さんと忍さんは恭也さんをはさんでなにやら奇妙な雰囲気をかもし出しているし……。

「何ボーっとしてるのよ、ロック?
 置いてくわよ」

「ああ、悪い、アリサ」

 俺は俺で、三人のタイプの異なる美少女に囲まれた、ジャイアン系こくいってん
 車両から乗員まで、人目につくのが定められているようなそんな集団の中、俺はもう一度息を吐くと、ジュースを買いに歩き出した三人の少女を追って自分も歩き始める。
 なにせ、この面子ででかける旅行だ。
 ただではすまないだろうことは、はじめから予想できている。

『救いは、すずかの発情期が終わってるって事くらいか……』

 我に返って恥ずかしいのか、発情期の後三日程のすずかは何時にもまして大人しいのが常だが、それにある意味告白ともいえる『魔法をかけてもらった』発言が重なった為か、ここ数日の彼女は照れてしまって俺とまともに顔も合わせられないような有様だった。
 正直、部屋は異なるとは言え皆と御泊りなこの状況下で、すずかが発情期に陥る可能性がゼロと言うのは喜ばしいが、そのせいで彼女が旅を楽しめないというのはいただけないし、これが何らかの騒動の原因となる可能性も否めない。

『一度アリサと相談して、なんとかしないとな……』

 俺は、すっかり頼りきりになっている少女の背を視線で追うと、大きく溜息を吐いた。

.
.
.
.

 それからサービスエリアで水分補給・トイレなどを済ませ、再び車に揺られる事二時間。

「そろそろ目的地のようですよ」

 掛けられたファリンさんの言葉に俺が意識を外に振り向けると、海辺の崖をなぞる様に走る道の先に、リアス式海岸を埋めるように広がる街の姿が見えた。

「あ、ファリンさん。
 二人はもう少し眠らせてあげた方がいいと思うので、もう少し声は小さくお願いできますか?」

 ……とは言え、道の感じと街迄の距離を考えると、車でもまだ少しは時間がかかりそうで、だから俺は、両腕を枕に寝息を漏らす二人を起こさぬようにと、小声でファリンさんにそう伝える。

「は、はい!
 も、申し訳ありません、御主……いえ、ロック様」

 因みに、ファリンさんはどうやら前に忍さんが言った与太をまだ信じているようで、未だに俺に『ご主人様』と呼びかけそうになることがある。
 敬語もロックの様も要らないと何度も要っているのだけれど、どうやらその辺りはオートマタの自我を構成するプログラムの根幹となる部分に関わっているらしくて、すげなく拒否された。

『これも、フランケンシュタイン・コンプレックスって奴かね?』

 従属する事を根幹として自我を構成しているから、主を裏切ろうとか、そう言う事を考える事すらないし、もし仮にバグが生じてそう言った思考に至っても、その時には自己を保てなくなり自我が崩壊するらしい。
 まぁ、セキュリティ的な意味では正しい発想なのだろうけれど、歳経た器物すらも魂を結び、子供はアトムやドラえもん、その後継達を友として育つこの日本に生まれ育った俺には、どうにも馴染みにくい考え方だ。
 まぁ、それで形式の違う人工知能を持つ暴走し、主の殺害に至った事があるといわれれば、そういうものかと納得しないわけにも行かないのだけれど……。
 以前、初めて会ったノエルさんに、敬語は要らない、そういう意味でロックで良いですよと告げた直後の彼女の返答を思い出し……俺は微かに息を吐くと、もう一人、ファリンさんの言葉に顔を上げた少女の方へと視線を向けた。
 元々夜型になりやすい夜の一族の、しかも、今正に成長期で睡眠が必要な時期にあるすずかと、最近は、朝早い事が多いとは言え、旅行にはしゃぎ、昨晩は余り眠れなかったらしいなのは……。

「もう一息だな、アリサ」

 眠る二人に遠慮して、一人向かいの席に腰掛けている少女へと、俺は苦笑以外の何物でもないだろう笑みを浮かべた。
 思えば、自分の登場で一番割を食っただろうアリサに、俺は頼りきりになっている。
 だからこそ何か礼をしたいし、できるだけの事はしてやりたいと思うのだけれど、俺がアリサに何かをするとその分すずかやなのはに気を使ってやれと返すのが彼女の常だ。

「まぁ別に、アタシは読む本があったから良いけどね」

 俺の言葉にそう答え、ぷいと顔を逸らした少女の手には一冊の本ペーパーバック
 そう言ってアリサが再び視線を落としたその本は、三日前、皆で買い物に行った際に寄った本屋で偶然見つけた、『送り雛は瑠璃色の』だった。
 感想を問うたすずかに、安易に面白いよと答えたのは俺だが、中高生がターゲットであろうこの本は、当の中高生向けとしてもかなり難しいマニアックな面を持ち、更には文章がパラグラフで寸断され、ただ順に読んでいけば良いというわけではない分岐付き小説ゲームブックである。
 まだ一桁の少女に難しい内容の、しかも、文章が連続していない上に数値管理が必要な特殊な形式の物語ゲームブックを、アリサはポケット辞書を片手に悪戦苦闘しながら読んでいた。

『……アンタに読めて、アタシには無理なんて悔しいじゃない』

 そんな彼女の姿に、タイトルを見つけ直ぐそれを手に取ったすずかに続き、自分もと手を伸ばしたアリサの言葉を思い出し、俺は微かな笑みを漏らす。
 
「……解んない所があったら、素直に聞けよな」

 彼女の手にした物語は、ゲームブックの中でもかなり特殊な形態を持つものの一つだ。
 ただ、物語を読むとか、ゲーム的に進めて行くのではなく、話の中に出てくる情報の欠片をある程度頭の中で租借し、纏めなければなければ楽しむのは難しい。
 一種の推理小説とでも言えばいいのだろうか?
 断片的に与えられている情報を継ぎ合わせて自分の頭の中に物語を構築する、それはそんな物語だ。
 正解はない。
 指針だけは主人公の親友が与えてくれるけど、読み手の心の中に作られた物語だけが、その人にとっての正解と言うのが、この本のスタンスだ。
 だから、今のアリサには難しすぎるだろうと思う反面、俺が干渉する事でアリサ自身の物語が崩れてしまいそうなそんな不安もある。

「余計なお世話よ、このくらい一人で読めるわ」

 そんな少女の姿勢が好ましくも寂しくもあり、俺はそうかと頷いて微かな笑みを浮かべた。

「大体、アンタだって素直に人を頼ったりしないくせに……」

 そして、そう続けられた彼女の言葉に、思わず眉を潜める。

「ん、そんな事ないだろ?
 ……俺、結構みんなに迷惑を開けてるし、特に、すずかやなのはの事では、アリサに頼りきりだぞ」

 そう答えるとアリサは初めて本から顔を上げてこちらの顔をジッと見た。

「かもしれないわね」

 少女の返す答えは何かを仄めかして、だから俺は本気で首を傾げる。
 アリサは、そんな俺の目をまっすぐ見返すと、しかし、直ぐに俯きはぁと息を吐いた。

「あのさ、アンタ」

 そうして再び顔を上げ、アリサが何某かを伝えようとその口を開いた時、俺の右肩からうん、とも、うにゅ、ともつかぬ、奇妙な声が漏れ出でた。
 どうやら、声を控えてくれと頼んだ当の俺たちが、寝た子を起こしてしまったらしい。

「……あ、え、あ、ロック君ごめんなさい」

 俺の右腕に、縋るようにして身を預けていたすずかが、眠そうに目をこすり、自分の姿勢に気付いて顔を赤らめて身を離す。

「あ、おはよう……ロック君」

 その物音に気付いたのかなのはもまた目を覚まし……こちらは眠そうに身を起こすと、『ごめんなさい、重くなかった』と少しだけ困ったような顔で頭を下げた。
 そしてアリサはその口を噤んで、言葉の続きを胸に飲み込む。

「……なんだか、アリサ様とロック様って、とても仲が良いですよね」

 そんな彼女の姿にほっとした様な、惜しかった様なそんな心持でシートに身を預けると、助手席でこちらを眺めていたファリンさんが、ふとそんな言葉を口にした。

「え、アリサちゃんまでまさかっ!」

 その言葉を耳にしたすずかが、慌てて俺にしがみ付き、同時、二つの大きな溜息が漏れる。

「そんなはずないでしょ」
「そんなわけないだろよ」

 期せず、続く言葉も異口同音に重なり、俺はアリサと二人顔を見合わせて、乾いた笑いを浮かべた。

「確かに仲は悪くないし、こっちに来てから一番の友達だとは思ってるけど、別にそういう感情はないな」

「ええ、友達としてなら兎も角、こんなのを恋人にする程、悪趣味じゃないわ」

 続けて二人、交互に否定の言葉を口にするが、結局すずかは車を降りるまでの間、掴んだ俺の体を離すことはなかった。



[15544] みんなで旅行に行きました(その3)
Name: 十八◆4922f455 ID:3b74f613
Date: 2010/09/27 18:44
 それから程なくして到着したバニングス家の別荘は、三階建ての、コンクリと鉄と硝子から成る豪邸だった。
 まぁ、海鳴のバニングス邸――月村邸同様の三階建ての洋館なのだが、何か近年、海鳴の金持ちの間で洋館を建てるのが流行ったりしたのだろうか?――と比べれば常識の範疇にある建物なのだが、海外映画に出てきそうな広大な海辺の別荘が、小市民でしかない真鍋家の面々の貧弱な精神に与えるインパクトは結構強い。
 親子三人あっけに取られてから別荘内の案内と個々の部屋――なんと、子供一人一人に個室が行き渡った!――への振り分けがあり、それから荷物の整理やらの雑務を済ませて、先発していたバニングス家使用人部隊の用意した昼食をご馳走になり、それから初日の午後は、せっかくの海なのだからと海水浴に繰り出す事になった。
 帰りにどこか寄るかもしれないとの事で、水着で出向いても問題無い距離にある海水浴場まで鞄片手で皆で歩いて、たどり着いた海辺の更衣室で水着へと着替える。

「……しかし、遅いな」

「女性の着替えはそういうものだ」

 残る面子の到着を待ちつつそんな事を呟いた俺に、恭也さんがしたり顔でそう頷いた。
 まぁ確かに、妹二人に恋人、姉的な存在に、妹分と、俺より遥かに多くの女性に囲まれて生きて来た恭也さんである。
 その説得力ある意見に俺はそうですかと息を吐き、そして周囲を眺めた。
 海水浴に来たのは移動時のメンバー、引く事の鮫島さん。
 今この場に集まってきているのは男性陣全員で、女性はまだ一人も更衣室から出てきていない、のだけれど……。

『………』

 俺は、周囲からの視線に少しばかり溜息を吐いた。
 何と言えば良いのか、この場にいる面子は全員脱いだら凄いんです的な体の持ち主な上に、内三人はかなりの美形でもある。
 ウチの父さんにしても、美形ではないけれど醜男ではないし、包容力のあるというか、どこかほっとするような顔をしているから、巨大な体躯を持っていても威圧感は余り無く、だから、女性陣がいなくともこの面子は相当に人目を引いた。
 夏休みとは言え平日だから、それほど混んではいないこの浜辺だが、いろんな意味で人目を引くこの集団には、かなり多くの――主に、子供を連れたお母様方の――視線が集まってくる。

「……とは言え、これは少し遅すぎるな。
 待っている間に、少し体を動かしておくか?」

 そう言った視線を自然に受け流している辺り、皆大物と言うか、何と言うか……。
 とにかく、士郎さんのその一言で全員適当に広がると、『何時もの様に』体を伸ばし始めた。

「ん?
 蔵人クロードは、士郎の実家とは関係ないんじゃなかったのか?」

 そして、自分以外の四人が一様に同じ動きを取る様に、デヴィッドさんがそう言って動きを止める。

「ああ、いえ、これは息子が教えてくれた健康体操なんですが……」

 それに、蔵人ちちがそう答え、士郎さんがそれを引き継ぐように頷いた。

「始めはちょっと試してみるだけのつもりだったんだが、思いの外具合が良くてね。
 しかし、蔵人は本当に何もスポーツはしてなかったのかい?
 正直、この運動は、かなり体を動かしていないと相当きついと思うんだが」

「ははは、息子が軽々とこなしている動きが自分に出来ないなんて癪じゃないですか。
 まぁ、ちゃんとこなせる様になるまでには一年以上かかりましたけどね」

 おかげで前より体が動くようになった――そう締める父さんに、デヴィッドさんはほうと頷く。
 そして、当然の帰結と言うべきか?
 あの体操に興味を示したデヴィッドさんに、指導する事十分余……。

「……なにやってるのよ、父さん」

 漸く着替えを終えた女性陣がこちらにやって来たのは、デヴィッドさんが簡易版の動きを一通りなぞれるようになった頃の事だった。
 背後から届いたどこかあきれた風なアリサの声に、ふと周囲を見れば『子供に運動を教えてもらう、見た目スポーツマン風の白人男性(美形)』と言う奇妙に、先の比ではない視線が集まっている。

「ああ、準備運動がてら、六郎君に体操を教えてもらっていたんだが、これがなかなか難しくてね」

 しかし、そんな周囲は全く気にせず、デヴィッドさんは娘に笑ってそう返した。
 やはり、日本在住の西欧人で、オマケに美形でグループ企業の所有者ともなると、集まる視線に耐性が出来るものなのだろうか?
 そんな事を思いながら振り向くと、まず女性陣の先頭に立つアリサとなのはとが視界に入った。
 当然水着姿の二人の、その後ろですずかは二人の肩に手を置き、隠れるように体を縮こめていた……のだが、ここ数ヶ月彼女の体は、親友二人と比べ顕著な成長を見せており、だから、その柔らかな丸みを帯び始めた肩だとかが壁の陰から覗いている。
 因みに、そんな年少組を覗く残りの女性陣は、まだ少し先を喋りながら歩いており、だからすずかは、この聊か頼りない遮蔽に篭らざるを得なかったようだ。

『……しかし、なんというか、その、完全に芽生えてる感じだよな、すずかは』

 親友二人の後ろで、すずかはこちらの視線に明らかな羞恥をのぞかせながら、俺の胸元から腹筋辺りへちらちらと視線を向けている。
 一般に男と比べ女性のほうが成長が早いとはよく言われる事だし、夜の一族の成熟齢は普通の人間より低いとの話も聞いているけれど、八歳でこれは流石に早熟過ぎるのではなかろうか?

『まぁ、発情期なんて物がある以上、嫌でも気にするようになるんだろうけどさ』

 二人の影でこちらをチラ見するすずかの姿に苦笑……俺は、恥ずかしがる少女から視線を僅かに外すと、残りの二人へ目を向けた。
 身を隠そうとするすずかの前、親友と比べ聊か羞恥に欠ける様子で水着を誇示するなのはのそれは、幾つかの飾りフリルがついた、いかにも子供用といった風な可愛らしいワンピース。

『やっぱ、普通の子供ならこの位の反応だよな』

 黄色の布地に花柄の模様は、自身なのはの名を意識したものか?
 三人の中で最も幼い印象を持つ彼女に、その可愛らしい水着はとても良く似合っていた。
 対し、その隣で腕を組み、憮然と佇むアリサが身を包む青に白線の入った水着は、流石に学校指定ではないものの飾り気のない競泳用である。
 かつて自分が事故にあったあの頃は、人肌を布地の機能と縫製技術の進歩とが追い抜いた結果、競泳用水着の布地面積が増えて行く傾向にあったが、その十年以上前の昔である今の水着は未だその段階には至らず、だからアリサが身を包むソレも、見た目大人しいデザインではあれども四肢の可動性を重視したその鋭いカットにはなかなかきわどい物がある。

『まぁ、凹凸の無い小学生が着ていても微笑ましいだけだけどな……』

 恐らく、アリサは二人の親友すずかとなのはの事を考えてこの水着を買ったのだろうけれど、活発な彼女の性格キャラクターを考えれば確かにこの選択もありだ。

『しかし、アリサもこれは、幾らなんでも二人に気を使いすぎだと思うんだがな』

 本来華やかで伸びやかな彼女が、自分を閉じ込めているその様に、ふむん、俺は微かに息を吐く。

「や、三人ともずいぶん遅かったな」

 そんな事を思いながら三人に口を開くと、アリサが後ろのすずかを軽く肘で突付いた。

「ああ、すずかがちょっと、ね。
 ……ほら、前に出なさいよ」

 そう言って横に避けたアリサに……流石にすずかはよろけたりはしなかったものの、羽織っていたタオルを体を隠すように抱きしめ、こちらから目を逸らす。

「へぇ、すずかはビキニか。
 うん、三人とも良く似合ってる」

 姿を現したすずかが身に着けた水着は、布地も多めでリボンも付いてはいるが、ホルターネックのれっきとしたビキニタイプ。
 しかも、その色も透けやすい白と、彼女ならずとも大人しい性格であれば着て人前に出るのに度胸が要りそうな、そんなデザインだった。

『そう言えば、水着買いに行った時って、すずかは発情期だったっけ』

 三人の対比を考えるに、これも恐らくアリサの仕込みだろう。
 確かに、この三ヶ月(!!)程でめっきり女らしくなった今のすずかになら、この種の水着も着こなせるし、子供らしい可愛さを前面に押し出したなのはとの棲み分けも完璧だ。
 問題は、アリサが一人で割を食う事だけれど、まぁ、彼女の場合誰か好きな男がいるわけでもないから、許容できる程度の事なのかも知れない。
 照れて顔の赤みを増したすずかと、人懐こい子犬の様に喜ぶなのは、そして、俺が自分を気にしているのが気に食わないらしく、ぷいと横を向いたアリサ。
 そんな何時も通りとも言える三者三様の姿を前に、俺は――そう言えばまだ転校して半年も経っていないんだよなぁ――ふとそんな事を考えて、僅かに空を仰いだ。
 それから背後の男性陣を振り返ると、何故か口元に苦笑を浮かべていたデヴィッドさんが、俺達に向かってこう口を開く。

「特別予定があるわけでもないし、四人で遊んで来るといい」

 そして、そう告げたデヴィッドさんに、周囲の男性陣も一様に頷いた。

「合流場所はここだ。
 必ず誰かが居るようにするから、何かあったら無理はせず直ぐに呼びに来るんだよ」

 友人の言を引き継いだ士郎さんがそう続け、既に設置されているパラソルと敷布、その上に置かれたクーラーボックスとを俺に示すと、さっさと行けと言う様に視線で促す。
 正直言えば、このまま男性陣と一緒に、こう、ここの所不足気味な男同士の付き合い的な事をしたい所なのだけれど、どうやらこの場に、そんな俺の意見に同意してくれそうな人は一人もいないようだった。

『………』

 それどころか、なにやら複雑そうな視線で自分を眺めている一同に、微かに眉を潜めると、四人にはいと答えて振り返る。

「そういうことらしいけど、これからどうする?」

 そして、漸く追いついた残りの女性陣に一礼を残し、四人連立って波打ち際まで歩くと、三人娘にそう尋ねかけた。

「どうする……って、折角海水浴場に来たんだから、まずは泳ぐべきなんじゃない?」

 問いかけにアリサはそう答えたが、四人一緒にただ泳ぐと言うのも芸がない。

「いや、泳ぐだけなら四人纏まってる意味無いし、ただ水遊びってのも味気ないだろ?
 それほど人は多くないから競争も出来なくはないけど、そうなると結果は見えてるし、それに、な……」

 そう言って俺は、すずかの胸元に、ちらりと視線を向けた。
 めっきり女性らしい体つきになった――そう評しはしたけれど、それはあくまでも年齢と比較しての話である。
 どちらかと言えば大人向けなすずかの水着は、彼女の体格と比べ微妙に大きめに見えるし、もし、無理なくビキニを着こなせる程度の胸はあるけれど、しっかり保持できるほどの大きさをまだ持たない彼女が、その全力を用いて俺と競争したりしたら……。

「………」

 流石にタオルを海に漬ける訳にも行かず、パラソルの下においてきたすずかが両腕で胸を隠して俯くと、アリサもああと息を吐いた。

「確かに、それはそうかもね」

 あのドッヂボール以来、俺との対決では自重を捨てたすずかである。
 仮に競泳などと言うことになれば、俺とすずかの超人バトルが始まるふたりのせかいになることは必定であるし、そんな極限状況下では、耐久性と言う言葉には縁のないビキニが、この種の水着になれていない上、必要条件は満たしていても十分条件を満たしているとは言いがたい主の体からズレ落ちたりする可能性も決して少なくはない。

「すると、激しい運動はダメね。
 ……何も思いつかないし、とりあえず海に入ってから考えない?」

「……そうだな。
 なのはとすずかはなにかやりたい事とかあるか?」

 二人に尋ねるも首を横に振り、結局俺達はそのまま水遊びをする事になった。
 真っ先に海へ駆け込んだすずかが、そのまま沖にどんどん進んで首から下を水の下に隠してしまったり、そんなすずかをアリサとなのはが追いかけ、少女三人ジャレ合いながら泳いでいるのを、流石に参加するわけにも行かず、何かあったらいつでも助けに入れる態勢で眺めていたら、標的を変えたアリサとなのはにお前も参加しろと詰め寄られたり、そんな二人から沖に逃げ、主になのはの泳力の関係で追いあぐねている二人に、余興でシンクロの真似事をして見せたり、そんな事をしていたら、何時の間にか海中を回りこんで来ていたすずかにつかまってしまったり、それで海から上がって適当に砂遊びをしたりと、まぁ、肉体年齢とし相応に色々やって……その内になのはが喉の渇きを訴えたので、水分補給に一旦合流地点に帰る事になる。

「あ、おかえり、皆」

 そうして戻った俺達に、パラソルの下で大きく手を振ったのは、高町家の長女なのはのあねの美由希さんだった。
 その精神構造や機械の体から、てっきり、エーアリヒカイト姉妹が留守居役かと思っていたのだけれど、何故美由希さんが、それも一人でここに座っているのだろう?

「ただいま!お姉ちゃん」

 そう、微かに首を捻った俺の目の前、一歩前に駆け出たなのはが、そう言って大きく体を伸ばし、全身で手を振り返す。

「なのは、おかえりー」

 そんななのはに、美由希さんは手にしていた文庫本を傍らに置くと、自分も立ち上がってもう一度手を振り替えした。
 秘めた力と積み重ねた運動量を窺わせないしなやかな曲線ラインを備える肢体からだを、シンプルな水着ワンピースで包んだ少女みゆきさんの、その見事と言うほか無い動きを、俺は眺めてほうと軽く息を吐く。

『美由希さんといい、夫妻の若さといい……この家族って本当に普通の人間なんだろうか?』

 その外見と身体能力とを知れば、世界中の女性アスリートに白い目で見られるだろう姉弟子の姿に、そんな事を思いながらなのはの後を追うと、ぺしり、俺の脚を傍らを歩くアリサのそれが蹴った。
 美由希さんに鼻を伸ばすなと言う事だろうか?

「……なぁ、アリサ」

 アリサを見下ろしそう声をかけると、少女は不機嫌そうな顔つきで『あによ?』とこちらを睨み返した。
 そんな彼女の表情に、ギリギリと腕にかかる力が増して、だから俺はもうはぁと一度息を吐き出した。
 三人の中で、一番俺と仲がいいのは誰がどう見てもアリサで、だからすずかはファリンさんの発言以降、彼女に対して過剰な警戒を見せている。
 この辺りでも手に入るだろう水着を買い求めずに、勇気を振り絞ってビキニの水着を着用したのも、水着姿を恥ずかしがっていたのにも拘らず、先の追いかけっこで二人を囮にして俺に忍び寄ったのも多分その影響だ。
 だから……

「いや、蹴るのは別にいいんだが、あのタイミングだとどう見てもおまえさんがヤキモチ焼いたように映るだろうが……」

 アリサにそういう行動を取られると、すずかのリアクションあいが痛い。
 その、物理的に……。
 蹴られた瞬間すがり付き、アリサに視線を向けると同時に腕を締め上げ始めた『緑色の目の怪物すずか』の強力に、俺は痛いやらむず痒いやら恐ろしいやらで顔に苦笑を浮かべるほか無かった。

「あー、すずか。
 アリサにそんなつもりは無いから、だから離してはもらえないか?」

 怯える子供を拒む訳にも――いや、能力差的に痛みを与えず振りほどく事はそもそも不可能なのだけれど――行かず、ぎゅうぎゅうと腕を締め上げる少女に宥める様そう声をかけると、すずかは顔を腕に擦り付けるようにして首を振りながら、しかし、腕に込めた力は僅かに緩める。

『……全く、だんだん深みに嵌ってるよな』

 そんなすずかの姿を苦笑のままに見下ろして、ふとそんな事を思った。
 長年の悩みの崩壊カタルシスに加え、初潮、発情期、早すぎる二次性徴の突然の開始と、彼女が不安定になるのも、その結果依存の度を深めるのも十分理解は出来るが、この状態を放置するのが良い事とはとても考えられない。

『忍さんは、暫くすれば落ち着くなんて軽く言ってたけどさ……』

 雨降って、地固まる――と言う諺はこの場合的外れかもしれないけれど、ぬかるみに首まで嵌っていた人間は、地が固まったその後どうなるのだろうか?
 そして、人を引きずりこんで満ち足りていたそのぬかるみは……。
 理性で現状のまま維持しても、互いに余り良い事はないと理解しているのに、抜本的な対策を採る覚悟が定まらないのは、俺が人にも自分にも甘いだけの、弱い人間だからか、或いは、無意識の内に自分が、彼女に拘束される事を望んでいるのか?
 尤も……

「すーずーかー!
 ちゃんと目ー覚ましなさい!
 幾らなんでも今日のアンタはちょっとおかしすぎるわよ!

 ……それで大事な親友が腐り果てるより前に、コイツが引き戻すのだろうが。

「それからロック!
 アンタもそうすずかを甘やかさない!」

 不仲になる可能性を恐れず、友人の為に本気で感情をぶつけるアリサの姿に、俺は眩しい物を感じて頬を緩めた。
 直情、子供らしい癇癪――そう切って捨てるのは簡単だが、こう言った良い意味での子供らしさの発露は、悪い意味で大人らしい自分にはなかなか真似出来るものではない。

「ローック!
 あんたなに笑ってんのよ!
 ……すずかもそんなに怯えたら、私があなたを苛めてるみたいじゃない」

 そんな俺をアリサがそう怒鳴りつけ、すずかが抱きしめた腕に力を込めた。
 周囲の海水浴客が何事かとこちらを眺め、なんだ喧嘩かと目を背ける。

「ア…」

 そんな中、姉の元から慌て駆け戻ってきたなのはが、何事かその口を開いた……のだが、元より運動神経が切れてるとの定評を持つ彼女の事、馴れぬ砂地に裸足、加えて三人に気を取られた状態で更に何かをしようと欲張れば、その結果など火を見るより明らかだ。

「…あぇ」

 三人を宥めようと口を開いたのだろう少女の、口から情けない呻きが漏れる。
 そして同時、俺とすずかの繋がれぬ腕が、示し合わせたかのように前に差し出された。

「え?」

 アリサがなのはの足音に驚き振り返り、

「いぁあ!」

 何とも名状し難き叫びと共に、砂に足を取られたなのはがアリサの胸に飛び込み、

「なっ!のっ!」

 不自然な態勢でそれを受け止めたアリサは、当然なのはに続いて姿勢を崩して、そして……。

「……間一髪」

 俺がアリサを掴んでそう息を吐くと、

「だね……」

 同時なのはを捉えたすずかも、僅かに醒めた様子でほっと息を吐いた。
 慌てて求め、捕まえ支え、支える手を安堵で掴んで、それで四人、互いに互いの手を取り身を寄せ合う形となる。
 
「こう言うのも両手に花って言うのかしらね?」

 そこに、妹を追い歩いてきた美由希さんがくすり笑ってそう感想を述べた。
 そして、その言葉にアリサが眉を吊り上げ、すずかは顔を赤らめ、なのはの顔に僅かに不満そうな表情が浮ぶ。
 その三様の反応と共にアリサとすずかの指が緩んで、だから俺は、すかさず絡む腕から己が身を抜いた。
 ここ暫くのすずかとなのはで前世と比べて随分スキンシップ馴れはしたものの、健全な成人男子の精神を持つ自分は、未だに年端も行かぬ少女とベタベタする行為自体への根強い忌避感を持っている。
 殊に、三人の内二人がこちらに明らかな好意を持ち、更にその二人の片割れが将来的に己が婚約者になる可能性が高いと来ればそれは尚更だ。

「あっ、逃げた」

 そんな俺の動きにいち早く反応し、どこか呆れたような表情かおでそう呟いた姉弟子の姿に、根深い疲れを感じはぁと息を吐く。

「……美由希さん、変に煽るのはやめてください」

 彼女がなのはを唆すのは今に始まった話ではないのだけれど、正直こう言う時には控えて貰いたい所だ。
 すずかとなのはのみならず、何故かアリサまでこちらに不満げな表情かおを見せる中、俺は非難の視線を姉弟子へ向ける……と、向けた視界の片隅に、こちらへ進み出るアリサの姿が映る。

『……?』

 不機嫌そうに眉を顰めたアリサがつかつかと――と評すには距離も無ければ足場も砂地、オマケに彼女は裸足なのだが――歩み寄り、目鼻先の距離で此方を睨め上げる。

「……どうしたんだ、アリサ?」

 またしても、美由希さんへの嫉妬を連想させるタイミングではあるが、アリサの性格的に考えてそれは有り得ない。
 とすれば、先に俺の足を蹴った事にも何か此方の気付いていない意図があるのかもしれない……のだが、よもや目の前に繰り広げられる腐ったラブコメ的三角関係の数々に切れて、無理やりすずかと俺をくっつけようとか決断したわけではあるまいな?
 実際、現在いまのすずかは、アリサ参戦疑惑のプレッシャーで発情期が終わったのにもかかわらず暴走気味なわけで、巧く突付けば旅行中に実力行使に出る可能性もなくはない、が……。

『いや、それはないか』

 ほんの一瞬、一瞬だけ俺はそんな埒もない事を考えたが、まっすぐとこちらの目を射る少女の瞳に宿る感情いろを思えば、それが邪推である事は火を見るより明らかだ。
 では、アリサは何を見、何を考えたのか?
 俺は、目の前で止まった少女の目を正面から見返した。
 彼女に対して恥じ入る所は何も――あー、すずかとなのはへの対応しか――ないし、友の視線から目をそらす様な無様を見せたくはないと言う見得もある。

「………」

 見返す視線を受け止めたアリサは、一瞬目を伏せ息を吐くと、更に1歩、こちらに向けて足を踏み出した。
 こちらの頬でも張るつもりだろうかと、眉を潜めて彼女を怒らせる心当たりを探す俺に、アリサはすっと手を伸ばし……そして、魂消るような悲鳴が二つ、真夏の砂浜に響き渡った。

「すずか、なのは、悪いけど少し黙ってて!」

 俺の腰に両手を廻したアリサは、背後の二人にそう声をかけると、正面から強く抱き竦める。
 震えるほど腕に力を込めて、全身を押し付けるようにして……。

「アリサ?」

 ……とは言え、こちらは人外の領域に半ば足を踏み出した『男』で、アリサは多少運動神経が良い程度の年端も行かぬ『少女』だ。
 だから彼女の渾身は、俺にとっては多少力を込めれば普通に受け止められる程度の負荷でしかない。

「いや、なら…力尽くで、振り…、解いたら?」

 困惑して問いかけた俺を上気した顔で見上げ、アリサはそう簡潔に答えた。
 そんな彼女の姿は正直訳がわからなくて、その努力は肉体的には全くの無駄で、けれどもだから、その姿に俺の胸は強く痛んだ。
 直情だが聡明で、視野狭窄の気はあるが観察力に富むアリサが、人目憚らずこんな奇行に走った理由が、何かあるはずなのに、それが全く見当も付かない。
 自分を力尽く振りほどけ――彼女はそう言うが、流石にここまで力を入れられると、こちらも相応の力でもぎ離すか、或いは、何らかの刺激で力を緩めさせるかしか法はない。
 しかし、アリサに痛みは与えたくないし、痛みを与えず力を緩めさせるには、その、アレだ。
 セクハラのようなと言うか、そのものの行為をしなければならない。
 正直な所を言えば、このままアリサが力尽きるまで待っていたい所なのだが……そう考えて、俺はおやと気が付く。

『何で無理やり引き剥がす事を前提に考えているんだ?』

 アリサの言葉の前提は、『いやなら』だ。
 ならば逆に、嫌ではない事を表明すればそのままで居ても良い事になる。
 だがそうすると、当然この密着状態をしばらく続ける事になるわけで……。
 周囲から突き刺さる興味深々眺める野次馬達(含・美由希師姉)の視線と、すずかの何かを押し殺したようなソレ、そして、なのはがこちらに向ける困惑した表情――俺は、強く頭をかきむしると、それからすっと、両手をアリサの体へと伸ばす。
 一瞬寸前で指を止め、それから息を飲み込んでアリサの脇腹に指を這わせた。

「ひゃっ!」

 想定外の行動だったのか?
 可愛い叫びと共に背筋を震わせ反り返った少女の体と、空いた自分のソレとの間の空隙に、俺は素早く両腕を通し、出来るだけ優しく、素早く、アリサの腕を振り解く。
 しゃがみ込んでしまった少女から即座に一歩飛びのくと、ハァと大きく緊張の息を吐き出した。

「別に、ちょっと気恥ずかしいくらいで嫌ってわけじゃないけどな……これで良いんだろ、アリサ?」

 それから、驚きの余りに涙目で見上げるアリサの姿を、『ちょっとだけ可愛いな』等と微妙に不謹慎な感想を抱きつつ見下ろして、にやり、苦味交じりではあったが一応笑みを浮かべて見せる。

「……で、何でこんな事をやったんだよ?」

 そう言いながら足を踏み出し、蹲るアリサに手を伸ばす。

…………ッ!!

 そして、異口同音再び重なる、二つの魂消る少女の叫び。
 ……手を伸ばし近づいた俺への返答は、全身のバネを使い伸び上がる無言の右拳だった。



[15544] みんなで旅行に行きました(その4)
Name: 十八◆18a3f1e1 ID:eef10650
Date: 2011/01/24 23:40


 湯に身を委ねて、はーと息を吐く。
 そして思った。
 例えば、ビックリして反射的に殴りかかってきた少女の、拳を甘んじて受けるのは優しさだろうか、或いは、驕りなのだろうか……と。
 結果から言えば、俺はアリサの拳をあっさりかわして、かわされた少女の機嫌は悪くなった。

『……いや、元から良くは無かったから、戻らなかったと言うべきかね?』

 アリサはそう言った子供扱いを嫌がると思ったからなのだが、先の振りほどきから続けての二連敗。
 尤も、俺に女性の気持ちなど判った例は、前世から数えても皆無なのだけれど……。
 その後は、コーラ片手に不機嫌そうに、海の家のチープなヤキソバを頬張るアリサを三人でなだめて、いつの間にやら美由希さんと交代していた高町夫妻に断ってから少し遠くにある岩場までの散策。
 因みに、美由希さんがあの時荷物の番をしていたのも、高町夫妻が娘と入れ替わっていたのも、実は職務に忠実すぎるエーアリヒカイト姉妹を遊びに連れ出す為だったらしい。
 まぁ、今回の旅行は『限りなく人間に近い存在を』を目指した作品の一つであるのにもかかわらず情緒に乏しい――尤もそれは、表面を飾り立てる形だけのソレを付け加えなかったからでもあるのだが――エーアリヒカイト姉妹に、閉じた世界の外の、それもハレの場での経験を積ませる格好の機会だ。
 裏の事情を知る美由希さんとしては、はいと頷かざるを得なかったのだろう。

『しかし、忍さんとエーアリヒカイト姉妹の引率か……。
 恭也さんも大変だよな』

 その上更に、美由希さんまで合流したのだから、どう控えめに見ても、周囲の向ける恭也さんへの視線が居心地の良いものだったとは思えない。
 そう考えると、本来色恋にはまだ遠い年齢にある俺の気苦労は、彼と比べればまだ楽な方だろうか?

『……俺とすずかの発育が早いお陰で、下の子達を引率する年上二人に見てもらえるしな』

 アリサは見るからに不機嫌だし、なのはのソレは兄貴分に懐いた少女の、範疇を大きく超える事は無い。
 すずかだけは、まぁどうにも見紛いようは無いけれど、もう前からの事だから既に諦めも付いていた。
 それに、自分でも甘いとは思うのだが、そもそもがスキンシップに飢えているあの二人すずかとなのはに厳しい事を言うのは、正直気が引けるのだ。
 先のくっつかれる事自体は嫌じゃない発言で、すずかとなのはが更にべったりになってしまった件については、自分が巻いた種であるから甘受しよう。

『とりあえず、アリサが不機嫌なお陰で、まだ余り露骨ではないし……』

 因みに、なんであの二人すずかとなのはが不機嫌そうな友人を放り出し、遠慮気味とは言え俺にべったりしているのかと言えば、皆で宥めたその過程で、彼女の渋面が単なる怒りによる物ではなく、何か思考を巡らしているその余波でもある事に気付いたからだ。
 白黒付かない事が気持ち悪くて、結論が出るまでとことん煮詰めてしまうアリサだから、どうするにせよいま少し時間を置いたほうが良い。
 実は、俺たちが次の行動に、余りアクティブではない磯の散策を選んだのも、彼女に考える時間を持ってもらおうという気遣いからだったりする。
 尤も、基本万能なアリサが、何度も何度も潮に足を滑らせていた所を見るに、余計な気遣いだったようだけれど……。

『……俺、今日一日でどんだけアリサを捕まえただろ?』

 今までの人生での全部を二倍したよりも多いその回数と、される度に深くなって行く少女の眉間の縦皺を思い返して、俺は湯の中に体を伸ばした。
 そのまま、そこで夕方までの時間を潰した俺たちは、皆と合流、着替えて、鮫島さんの調達してきたいすゞのJOURNEYマイクロバスに乗り込んで、一路温泉地へ……。
 今夜の夕飯は、宴会+入浴のみオプションのある老舗旅館で摂るとの事で、今俺たちは、こうして宴会前の温泉に身を浸している。
 こうして、右を見てもマッチョ、左を見てもマッチョなスポーツマン軍団で乗り込んだ大温泉浴場(男湯)は、結構な広さを持つ岩風呂だったのだけれど……それでも、乗り込むと同時に数少ない他の入浴客がそそくさと出て行ったのが、少しばかり印象的だった。

『……まぁ、明らかに只者じゃない美形マッチョメン達がぞろぞろ連立って入ってきたら、普通は気味悪く思うわな』

 士郎さんはその全身に、どう見ても堅気じゃなさげな数多の傷が残ってるし、父親ほどではないにせよ恭也さんもそれに順ずるし、デヴィットさんからはなんかオーラ出てるし、うちの父さんも父さんで、中華風の甲冑着せて乾漆像にしたら、八部衆立像辺りにこっそり混じってても違和感なさげな外見だし……。

『前世だったら多分、俺も逃げてただろうな……』

 そんな光景が、今や一服の癒しとなっている現状に、俺は苦笑してハァと息を吐く。
 それより今の問題はアリサだ。
 彼女は未だ悩み続けているし、すずかは『それが、俺に対する恋情が芽生えたからではないか?』との疑いを捨てきれずにいる。
 今日から四晩、解放的な旅の空で同じ屋根の下、それぞれの個室に泊まらなければならない現状を考えると、この疑惑が長引けば、煮詰り焦げ付いたすずかの手によって、俺に貞操の危機が訪れる可能性も決して低くはないのだ。
 因みに、まだ十歳に満たぬ年齢の少女がンな事するかと言う突っ込みに関しては――その、なんだ、夜の一族の発情期と言うのは、別に比喩でもなんでもない、事実を端的に表現したものなので……。
 例えば、ノエルさんやファリンさんと言った夜の一族のガイノイドは、その、パートナーのいない一族の若者の発散を助けて、厄介な事態を避ける為のセクサロイドでもあるし、俺も実は、以前、所用で先触れなしに彼女の部屋を尋ねた際に、扉越しに自分の名を呼ぶすずかの怪しい声を聞いて慄いた経験があったりする。

『……あの家、造りが良い割に防音は甘いからなぁ』

 尤もそれは、猫用の通用口が設えられた扉が多いからなのだが……と、俺は目の前の現実から逸れかけたがる視点を閑話休題げんじつへとひきもどし、思考の焦点をアリサに向けた。
 とにかく、俺は精通前だし勃起もある程度は自分の意思で制御できる。
 だから決定的な過ちが起こり得ないのが救いだが、出来れば彼女には、これ以上すずかを刺激するような言動は慎んでいただきたい。
 そうなると、アリサには早めに立ち直ってもらわねばならなくなるのだが、悩みの題材的に俺が関わるのは不可、残りの二人ももこの件に関しては全く役に立たないだろう事は想像に難くなかった。
 となれば残るのは……。

『デヴィッドさんか……』

 俺は、湯に浸かり鼻歌を歌っているデヴィッドさんをちらと見上げると、意を決してその傍へ歩み寄る。

「デヴィッドさん、少し相談があるのですが……」

 真面目、と言うか、恐らくは真剣に困った表情でそう離しかけただろう俺の姿に……

「なんだい、うちのアリサの事なら、まだ君の嫁にやる気は無いが……?」

 気分良さ気なアリサの父親は、鼻歌交じりにそんな微妙なジョーク?を返した。
 冗談とは言え――嫌…だからこそ、か?――なんと反して良いものやらさっぱりわからず……結果俺は、自分の口元に有るか無しかの笑みを貼り付ける。

「……まぁ、アリサの事には違いないんですが、少しお願いしたいことが……」

 そしてそう尋ねると、デヴィッドさんはフムン、一度頷いた。

「ならそれを聞く前に、こちらも一つ、キミに質問をしても構わないかな?」

 そんなこちらの問いには答えず、逆に質問を返した彼に、俺は仕方なくこう口を開く。

「はぁ、それは構いませんが……」

 今、彼の機嫌を損ねるのは得策ではない……が、何でもと断言するには、今の自分の状態と人間関係は聊か以上に入り組んでいる。
 故に煮え切らない返事しか返せない俺の、目をデヴィットさんの青いそれが射抜いた。

「では聞くが、六郎くんは、ウチのアリサ――いや、三人――の事をどう思っていて、どうしたいのかな?」

 そうして投げかけられたのは、恐らくは父親としての心配――なるほど確かに、傍から見ても、内実も、眞鍋六郎と言う少年は碌な人間じゃない。
 昼の出来事も、当然デヴィッドさんの耳には届いているのだろうし、彼が不審を抱くのも当然だ。
 直接直球で尋ねた辺り、割りに評価は下がっていないようだが、それもどちらかと言えば、鮫島さんや娘の知見に対する信頼が、なのだろう……そう考えて、軽く目を伏せる。

「……そうですね」

 そも俺は、そんなに弁舌の立つ方ではないし、三人への対応は今までも明確に変えていたつもりだ。
 その事には、士郎さん達もちゃんと気付いているだろうし、仮に嘘を付いてこの場だけを取り繕えた所で大した意味は無い。
 また、それ以前に、どう答えれば彼が納得するのも全くわからないのだ。

『ここは、馬鹿正直に行かせて貰うとしよう』

「まず、アリサのことですが、俺は彼女を一番の親友だと思っています。
 義理堅くて信頼が置け、歯に衣着せずに言いたい事を言い合える、得難い友人です」

 そう決めて、俺はまずアリサに対する素直な感情を、率直に告げた。
 それが、美辞麗句の積み重ねになってしまうのは、彼女の美点であり欠点でもある直情性を、自分が好ましく思っている以上仕方が無い。

「それから、すずかとなのはの二人は友達で、可愛い妹分。
 ……二人とも大切な友達だと思っていますけど、ああまで剥き出しの好意を向けられると、どうしても保護欲が先にたってしまいますし、逆に、腹を割って話せないことなんかも増えていきますから……」

 会話内容に気を引かれたのか、父さんや高町親子もこちらに耳を欹てているようだが、俺は構わずそう言葉を連ねた。

「それからどうしたい…ですが、素直な願望を言うのなら、アリサとはこのまま、何でも遠慮なく言い合える関係でいられたらと思っています。
 すずかとなのはは……」

 そして、そう続けて口篭る。
 すずかにしても、なのはにしても、その事情は軽々と口に出して良いものではない。
 俺は、ちらりと高町親子に視線を向けると、はぁと息を吐き出して口を開いた。

「すずかとなのはについては、各家庭の御事情も絡んでいますから、ここで詳しくは話せません……が、なのはは、俺を異性として認識していますけど、意識しているわけでは無いと考えています。
 知識の中の恋愛と、それ以外の感情を結び付けて混同しているのではないかと……。
 だから多分、これから徐々に落ち着いてくるし、異性に対するが発達するにつれて距離も開いていくのではないだろうかと思います。
 そうして丁度良い距離を見つけて、最終的には仲の良い友人としての立場に落ち着くのが理想ですね」

 心情的に、今のあの子なのはを拒むような事はしたくありませんし――そう続けて俺は目を伏せた。
 正直、これから先は、口にする事に相当な勇気のいる内容である。

「すずかは、俺を異性……いえ、多分、自分の『つがい』だと考えています。
 詳しく話せることではありませんが、俺は幾つか、すずかに対する責任を負っていますし、月村の一族にも既に身内として認知されています。
 だからもし、彼女が今の感情を抱いたまま成長したのなら、時を待って自分の責任を果たすことになるでしょう」

 すずかに対する責任を果たす――つまりは、彼女と結婚する。
 もしあの子があのまま歪な形に固定されてしまうのならば、もはやそうするしか方は無かった。
 尤も、今の所は……と注釈はつくが、向ける感情の種類はどうであれ好き合っている訳ではあるし、割れ鍋に綴じ蓋と言うか、俺達がくっつけば互いに好都合である事も確かである。
 すずかにとって、『吸血鬼』の自分がコンプレックスを感じずに正面から張り合える人間は貴重だろうし、俺としても、何かしらの騒動が起きた際の回避能力の高い夜の一族のすずかなら、普通の人間と比べて幾分安心して付き合えるだろう。
 また、人より寿命が長いだろう自分にとって、吸血種もまた、幾分ではあるが普通人より寿命が長いという点もありがたい事実だった。
 その上、特殊な血族である月村には、俺の特異性を打ち明けても気にせず受け入れてくれる土壌もある――正直、至れり尽くせりとはこの事だろう。
 現状、難があるとすれば、捨てきれぬ『利害関係でする婚姻』に対する違和感だが、それは多分、時間が解決してくれる。

「……ですから、もし将来的に、なのはが俺に異性としての『好意』を持ったとしたら、どこかで一線を引く必要があるでしょうね」

 そう言葉を締め、高町親子に無言、頭を下げると、デヴィッドさんは困ったような表情で、がりがりと頭をかいた。
 そうして一度重い息を吐き、真顔で俺を見てこう口を開く。

「……何と言うか、本当に君はねこびた嫌な餓鬼だな」

 そんな、歯に絹を着せぬ率直な言葉を放たれ、しかし、それにそれ程大きな悪印象を受けない。
 頭を掻くその仕草も妙に嵌っていて、仮にこの情景をそのまま銀幕の一場に嵌めこんだとしたら、多数の女性客から熱い視線を受けるのは間違い無しだ。
 そんな所がやはり親子だなと、俺はそんな父親の姿に娘のそれを重ね合わせて、口元に苦笑を浮かべる。

「ええ、自分でもそう思います。
 そんな俺を何かと気にかけてくれる人が多いのが、いつも不思議で……」

 そうして投げ返した答えに、デヴィッドさんもまた苦笑を返すと、それからフムン、一つ頷いた。

「何故多くの大人が君を気にかけるのか、その理由が知りたいかい?」

 それに続けられた問いかけに、俺は迷わずはいと頷く。

「教えていただけるのであれば、是非……」

 それは、かねてから気になっていた事の一つだった。

『どう考えても可愛くない子供だろうの俺の事を、なんで高町夫妻や鮫島さんがこんなに気にかけてくれるのか?』

 そうされる度、本来受け取れないはずのものを騙し取っているような、なんとも居た堪れない罪悪感を抱く小心者の俺としては、それはぜひとも知りたい内容である。
 そんな俺の真情を見て取ったのか、返る言葉に口元に漏れた情を消し、アリサの父親は再び真面目な表情を作った。

「……それは、君が真剣だからだよ」

 真剣?――そう首を傾げる俺に、対する彼は重々しく頷く。

「君の言動や物事の捉え方は、常に上から目線で子供らしくないもないが、同時に自分の利益ではなく、他人を慮ってどうするのが尤も理想的かを真剣に希求している……そう強く感じさせるものがある。
 自分の大切な物のために真剣に取り組んでいる子供を嫌うのは、そう簡単なことではないさ」

 なるほど、その理屈は理解できない事もない。
 俺は徹頭徹尾自分の利益――主に自身の精神的な平穏――の為に行動しているつもりなのだが、傍から見れば始終他人の為に頭を悩ませているように見えなくもないだろう。
 だがソレは、俺と言う気味悪い存在に対するカウンターウェイトには聊か軽いように感じられるし、それにそれは、あー、積極的な善人は嫌われると言うか、そう言った負の評価にも繋がりやすい内容にも思えるのだが……?
 微妙に納得しきれていない俺に、デヴィッドさんは一端言葉を切ると、こちらの目を覗き込むようにして再び言葉を連ね始めた。

「そして、それ以上に危ういと感じる。
 ……すずかちゃんにも似たようなところがあったが、君のは彼女のソレの比ではないな。
 私はさっき、六郎くんにどう思っていてどうしたいのかと尋ねたね?」

「はい」

 青く、強い視線を受け止めて俺がたじろぐと、デヴィッドさんは開いた空隙を倍詰めてこう断ずる。

「だが気付いているかい。
 君はまだその問いに答えていない。
 六郎くんが答えたのは、君がどうするのが最も正しいと考えているのか、だ」

 君は、感情で答えていない、そうデヴィッドさんは言った。
 まるで殉教者の様に、自分のそれを押し込めて、只管に周囲に贖い続けているように見える。
 そして、そんな子供が、自分の子供達と絡んでいる時にだけ、ちゃんとした感情を見せるのだから堪らない……と。

「……はい?」

 なんだか、大変参考になる意見を拝聴していたはずが、最後の最後で変な方向にずれた様に思えて……俺が首を傾げると、デヴィッドさんは一転、笑みを含んだ顔でこう言った。

「ああ、こう言うのを何と言うのかな、確か、以前小耳に挟んだことが……ああ、思い出した。
 所謂ギャップ萌えと言う奴だよ、六郎くん」

 鹿爪らしく腕を組み、そう言ってから格好よくウィンクを投げたデヴィッドさんに、俺は脱力して温泉に沈んだ。
 そう言えば、親父三人衆はマイクロバスの中でビールを手にしていた記憶がある。
 風呂前には軽く一杯なら大丈夫等とのたまわっていたが、どうやら温泉の熱で脳までアルコールが回っていたようだ。
 そう結論付けて、鼻から下を湯の中に沈めたまま、ぶくぶくと溜息を吐き出すと、デヴィッドさんは秀麗なその顔を真面目な表情に戻しつつこう口を開いた。

「まぁ、なんだ。
 何を悩んでいるのかは知らんが、人生そう真面目に考えすぎるものじゃあない。
 俺達が君を気に掛ける理由なんて、実際、そんな他愛もない事ばかりだよ。
 そして、そう言った一見なんでもない事の積み重ねが、結局は一番大切なのさ」

 そう、静かに告げると口元に微笑を浮かべる。
 カリスマ――そう評すのが一番正しいのだろう。
 目の前で笑うアリサの父親を、内側から眩く染める輝くような人間力と、それを裏付けているだろう経た人生の厚みとに、純粋な生存年数ではそう劣らないはずの俺は、圧倒されて湯の中に完全に身を沈めた。

『……やはり本物は違うと言う事か』

 俺みたいな後付の才能を持つ作り物の天才とは土台モノが違うのだろう。
 アリサも、その父親も……そんな事を思いながら顔を出すと、微笑んでいたデヴィッドさんの口元が、ニヤリ、更に釣り上がる。

「だから六郎くんも、素直にその思いの丈を語ればいいのだよ。
 例えばウチのアリサが可愛いとか、ウチのアリサが可愛いとか、ウチのアリサが可愛いとか……」

 そしてぶくぶくと、脱力した俺の頭がまた湯の中に沈んだ。

「そうだぞ、六郎くん。
 キミはウチのなのはの可愛さについて、遠慮なく語っても良いんだ」

 ざぶざぶと湯を蹴立て、こちらに近づく士郎さんの言葉に、この酔っ払い共め!、俺は湯の中、がばり、泡を吐く。
 アルコールが回っているのか、或いは、からかっているのか、それとも、こちらを気に掛けモノを言っているのか?
 声音などからその判別が全くつかないあたり、今のこの二人は非常に性質が悪い。
 そう、湯の中でどう答えるべきかと思考を巡らしていると、更に一つ、俺は酔っ払い二人以外にもこちらを見つめる強い視線があることに気付いた。
 ちらり、目の端でそちらの方を探ると、そこには不機嫌そうな顔でこちらを注視する恭也さんの姿がある。

『恭也さん、貴方まで……!』

 水中に身を沈めたまま、俺は内心頭を抱えると、ごぼり、特大級の嘆息を漏らす。
 そう言えばこの人は、基本的にはどこか悟った様な所のある人格者なのだが、唯一、戦闘能力の無い身内に関しては過保護と言うか、ダダ甘と言うか、とにかくそう言う困った悪癖を抱えているお人でもあった。
 そう、特になのはとか、なのはとか、なのはとか……。
 多分、父親の負傷で、家族を護らねばと言う強い意識を若すぎる年齢で抱いたその歪みだと思うのだけれど、未だに恨みを残す組織があると言う暗殺剣術の継承者が、そんな自分の心の一番柔らかい部分を露骨に晒してしまっていていいのだろうか?

『……これは、本気で参ったな』

 そんな風に逃げそうになる心を直面する事態に合わせ、俺はそんな風に呟いた。
 音にならない言葉が気泡として緩慢に立ち上っていくのを、呆然と眺める。
 とにかく、アリサの事をお願いするには、この問いかけに答える必要があるようだ……が、下手な答えを返すと恭也さん達の反応が怖い。
 その上、これからの言葉には、先ほど語ったの三人への評価が重なるのだから大変だ。

『えぇい、ままよッ!』

 だがこれは、悩んだ所で正しい答えが見つかるような問題でもない。
 俺は、迷いを吹っ切るように立ち上がり、先と同様、直球の言葉を吐き出した。

「アリサの事はとても綺麗な娘だと思います。
 外見もさる事ながら、立ち振る舞いや言動にも華やかさがありますし、将来は凄い美人になるでしょうね。
 なのはにはアリサのような華やかさはありませんが、顔立ちは整っていて、どこか小動物的な可愛らしさがありますね。
 きっと将来は、沢山の人に愛される翠屋の看板娘になりますよ。
 それからすずかは……」

 俺は、そこまでを一気に話して、一端言葉を区切る。
 なにせ、発情期が始まって以来のすずかの印象は、あー、その、えー、何と言うか、多分にアレな色彩を帯びていて、黒薔薇と言うか、ベラドンナと言うか、将来は惚れた男を鐘の中に追い詰め、諸共に燃え尽きた清姫のような、破滅型の匂い立つ美女になりそうですねなどとは、とても言えよう筈もない。
 どう言うべきかを僅かに迷って、俺はハァと溜息を吐いた。

「すずかも、アリサと同じくらい綺麗な娘ですが、華やかな彼女とは違って陰りを帯びた印象があります。
 その理由を知る身としては、あの娘のもっと屈託の無い笑顔が見られるようになればいい、そう願わずにいられませんし、その為の努力を惜しむつもりもありません。
 ただ、一つ気がかりなのは、本当なら、良い友人達に恵まれたすずかが、ゆっくりでも着実に克服していった筈の『問題』の根が、俺と言う人間の出現で反って深くなってしまった――そう考えられる節がある事です」

 アリサやなのはに手を引かれ、少しずつ恐々と、しかし、着実に開いて行ったのだろうすずかの世界が、俺への執着で逆に『閉じて』しまったのではないだろうか?
 口元に自嘲を浮かべつつ、そんな危惧を溜息と共に吐き出す。

「かといって、流石に、頑張って友達増やせとか、自分以外の男にも目を向けろとかは言えませんから……」

 今のすずかの精神状態を考えるに、特に後者はかなりの地雷だ。
 まぁ、あの娘の『爆発』がリアル清姫辺りなら笑って受け入れてやれない事もない――想像して微妙に魅力を感じる辺り、すずかを笑えない――が、もし、それが周囲の人間に向かったりしたら、それこそ永く後悔を抱える事になる。

「まぁ、アリサと計って、あちこち連れ廻す程度が関の山でしょうかね。
 ……求めてくれるのは嬉しいですが、全く、すずかは男の趣味が最悪で困りますよ」

 そう言って笑いかけると、デヴィッドさんと士郎さんは何故か複雑そうな顔でこちらを見返した。

「そうでもないんじゃないかね?
 それだけ自分を大切にしてる人なら、好きになってもおかしくないと思うが……」

 フォローのつもりなのか、微妙な顔のままにそう告げた士郎さんに向かって、俺は首を横に振る。

「嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い……ソレは理由として弱い気がしますけどね」

 まぁ、すずかなら三千世界の鴉を殺す方が似合いそうですが――そう都々逸を諳んじながら、俺は軽く頭を掻いた。
 お赤飯迎えたばかりの少女に、遊女の都々逸を当てるのは正直不似合いだとも思うのだけれど、すずかの場合はコレがぴたり、嵌ってしまうのだから怖い。

「大体、あの娘が俺を気にし始めた頃は、かなり冷たくあしらい続けていましたし」

 とは言えアレは、冷たくあしらわれ続けた結果ではなく、そんな奴に対する意地とか、鬱屈とか、そう言うのがドッヂボールの一件や、その後の軟化した態度等で裏返った為なのだろうけれど……と、コレも一種のギャップ萌えなのだろうか?
 確かに転校からこっちの俺の言動を分析すれば、クーデレの一種にカテゴライズ出来なくもなかろうが、俺みたいなジャイアンモドキがソレをやったとて、鬱陶しい以外の何物でもなかろうに――そんな事を思いつつ、苦笑しながら息を吐く。
 そうして、そんなやり取りに何か気に入らない点でもあったのだろうか?

『あー、女の子の喩えで遊女の都々逸を引いたのは、ちょっと拙かったかね?』

 困った顔を並べる親馬鹿二人に、俺はすいませんとばかりに軽く頭を下げると、その片割れデヴィッドさんの正面へと向き直る。
 脱線もあり、幾らなんでも、そろそろ長湯が過ぎる時間だ。
 特に、既にアルコールを摂取していた父さん達にとっては……。

「それで、そろそろ相談に乗ってもらいたいのですけど……」

 入浴後は宴会――保護者連はソコでも確実に酒を飲むから、今日の内に相談する機会は、今しか残っていない。
 明日以降にしても、俺べったりの二人を考えれば、隠れコンタクトを取る機会がそうそうあるとも思えなかった。
 そんな焦燥が面に表れたか、デヴィッドさんはああと頷くと、俺に続きを促す。

「ええと、今日のアリサのことなんですが……」

 話題の変化に、場を離れようとする士郎さんに、構わないと身振りで示して、俺は昼間の出来事の説明を始めた。
 車での移動中から、自分の何かをアリサが気にしていたという事、浜辺で、それに関する何かを悟ったらしいと言う事、けれど、それをしっかりとした形にする事が出来ず、彼女が悩んでいると言う事……。
 一通りを説明して、デヴィッドさんに頭を下げる。

「俺が言う事じゃないですが、それとなくアリサの相談に乗ってあげてはもらえませんか?
 アイツ、根が直感的な癖に、変に論理的な思考に拘る癖があるから、多分、それで思考の迷宮に嵌ってるんだと思うんです。
 アリサなら、なにか切欠があれば、直ぐに答えを出せるだろうと思うから、ほんの少し、何か、思考の方向を変える何かがあれば、それで……」

 そこまで話して――なにその父親の前で、俺はこんな事を力説してるんだ?――そう気付く。
 こほんと一つ、わざとらしい咳払い、それから、ハァと息を吐いて一礼……デヴィッドさんから視線を逸らし、俺はこう言葉を締めた。

「……折角の旅行なのに、アリサがああだとみんなギクシャクしてしまいますからね。
 その元凶としては、早くアイツに立ち直ってもらわなければ困るんです……」

 そんな自分の言動が、微妙にクーデレっぽいなと気付いたのは、目の前にいるアリサの父親が、どこか笑みを堪えたような、微妙な視線をこちらに向けつつ頷いた、その時だった。








[15544] みんなで旅行に行きました(その5)
Name: 十八◆18a3f1e1 ID:272071a7
Date: 2012/02/06 14:52
 それから直ぐに、いい加減長すぎる位の時間になっていた風呂を出たで男性陣一同は、鮫島さんが用意したらしい浴衣に着替えて、宴会場へと向かった。
 珍しくと言うか、俺の相談で時間を食い過ぎていたためだろう。
 女性陣が席に着いていた為、夕食は概ね男女別に分かれる事になった……のだけれど、主に男女の人数差その他の問題で、俺を含めた小学生陣にファリンさんを加えた五人は、男女枠を離れて一纏めにされてしまった。

「しかし、まさかファリンさんまでとはね……こんな奴のどこが良いのかしら?」

 女子風呂でも何らかのお話がされたのか、苛つくアリサの刺々しさが相当緩んで、軽口を叩けるまで回復していたのは救いだが、おかげで鋭さを増した舌鋒でこちらに切り込んでくるのはどうしたものか?

「アリサのほうが、ずっと男前ハンサムなのにな」

 俺は鼻で笑ってそう切り返すと、ファリンさんが鍋を装ってくれた小皿を、ありがとうと受け取った。
 まぁ、ファリンさんの甲斐甲斐しさを見れば、色々と突っ込みたくなるのも理解できなくはないのだけれど、彼女の場合、その行動理由は主に自動人形としての存在理由レーゾン・デートルと、すずか関連でご主人様認定されている二点で、別に俺に対して特別な感情を抱いているわけではない。

『しかし、時々こっちをジッと見ているのはなんでなんだろうな。
 妙に熱っぽい顔している事があるし……』

 ……いや、思い返してみると微妙に自信が薄れるのだが、ファリンさんのアレに恋愛要素は絡んでいないだろうと言うのは、ラノベやアニメの主人公の如く、鈍感だから気付いてないとか、見てない振りをしているとか、希望的観測の類ではなく、色々検証した上での結論だった。
 何と言うか、彼女は俺自身を見ているのではなくて、その仕草とかそういうのを観察しているのである。
 しかも彼女は、それを自分の動作プログラムに反映させているらしく、ここ数ヶ月で格段に洗練されたファリンさんの動きは、最近では『ファリンのドジが少なくなった』と、月村邸で評判になる程だ。

『しかし、ファリンさん……俺の仕草なんか覚えてどうする心算なんだ?
 すずかは理由を知ってるっぽいけど、俺には教えてくれないし』

 確かに、俺の身体動作は常人と比べ非常識な程に洗練されているのだろうが、それはあくまでもこの体に合わせたモノであって、彼女のような女性――それも、バランスその他が人間とは微妙に異なるオートマータ――の体とはマッチングが今一つ。
 その辺りを最適化しようかと、以前、そう彼女に提案した事もあるのだけれど、それはやんわり断られている。
 因みに、この話が何故か忍さんに伝わり、俺はノエルさんの身体制御プログラムのアップデートに協力することになるのだが……とまぁ、それは別の話として、オートマタの彼女は、基本的に食事を必要とはしない。
 偽装の為に食事をする機能は付いているが、彼女はそれもそこそこに、上達した身体制御で子供四人組の世話を焼き捲くり、その空いた時間は大体こちらをじっと観察しているのだ。

「はぁ、全くアンタって奴は……」

 そんなファリンさんの奇行は俺とすずかにとってはもう今更な話で、だから自然に受け流して食事を続けていたのだけれど、そんな内情を良くは知らない残りの二人にとっては当然そうではない。
 今までも、俺達揃って月村家で御馳走になるとか、そう言った機会は有ったのだけれど、そう言った場合彼女は、給仕として動き回っているか少し離れた場所に立っているかの二択になるから、幸か不幸か、今までのアリサとなのはには、ファリンさんの奇行に気付く機会がなかった。
 その結果、アリサはまさかファリンまでと警戒し、自分に自信がないなのはは戸惑い、それを何時も通りと受け入れているすずかだけが平常営業で一人勝ち状態……。
 そんな様に何かを連想してふと視線を向けると、その先には未来の妻とそのメイドとに甲斐甲斐しくお世話されている兄弟子と、それに割り込めずにいる姉弟子の姿が見える。

『……ああ、何かに似ていると思えばアレか』

 尤も、ノエルさんの場合、普通に恭也さんに好意を抱いているので全く同じ状況と言うわけでもないのだが――以前、彼女の調整を手伝った際に耳に挟んだ話を思い出し、俺は微かな苦笑を漏らした。
 確かあの時、忍さんは驚愕の事実に続け、こんな内容の言葉を後に続けている。

『オートマタは主に従属するが、自我や感情をちゃんと持っている。
 だから、ファリンには一つの個性として相対し、出来る事なら恭也のようにまとめて受け止めてやって欲しい』

 言葉を装い耳障りは悪くないが、実質妹の婚約者といえる人間に二股を推奨しているその言葉に――恭也さんほどの甲斐性はありませんから――そう俺は逃げた。
 そして、その答えに二人は、恭也さんが如何に甲斐性無しのニブチンかについて、惚気とも愚痴とも付かぬ言葉を口々に吐き出し始め、それで場は流れてしまったわけだけれど、彼女達にとって今の関係が幸せであることと、妹達の幸せを願っている事の二つは間違いないだろうと思う。

『……ただ、ちょっと型破りすぎるよな』

 尤も、あの三人は誰を一人採っても普通とは言いがたい人達だから、その組み合わせが歪な形になるのは仕方がないことなのかもしれないのだけれど――そんな風に考えて溜息を吐いた。
 あの四人の姿を見ると、正直一人蚊帳の外の美由希さんが哀れに思えてならない。
 そしてそれが、なんだかんだで俺がなのはに甘い理由の一つでもあるのだろう。

『突き放したほうが後が楽だって、解ってはいるんだがなぁ……』

 つらつら思いつつ四人の姿を眺めていると、視線に気付いた美由紀さんが無言で両手の人差し指を立てた。
 両手を頭に当てて角を作ると、続けて俺の傍ら――恐らく、こっちをみている暇があったら、なのは達を構ってやれというのだろう――を指差す。
 そんな彼女の姿が可愛らしく、妹がそんなジェスチャーを送っているのに気付かない恭也さんが腹立たしく、そして、気付かれない彼女の姿が哀れに思えて……俺は、苦笑を作って息を吐いた。
 あちらを立てればこちらが立たず、二兎を追うものは一兎を得ず。
 恭也さんを責めるのは筋違いだし、そもそも宙ぶらりんを維持している今の俺は本当に酷い奴で、だから彼を非難する資格など欠片もありはしなかった。

『……芯は確りしてるし、可愛い人なんだけどな。
 料理は下手だけど、克服しようと頑張ってるみたいだし……』

 困ったような、怒ったような顔で俺を見る美由希さんに苦笑したまま一礼し、それから皆に視線を戻すと目を三角にしたアリサと視線が交わる。

「あんたねぇッ!」

 怒髪天を突くとは良く言うが、纏う覇気を受け一回り位膨らんだ感のある元々ボリュームたっぷりだった金髪を更に振り回し、アリサはこう叫んだ。

「この期に及んで、美由希さんにまで手ェ延ばす心算なの!」

 そして、その言葉を聴いた俺と、ハラハラしつつこちらを見守っていた美由紀さんがずっこけたのは、ほぼ同時のことだった。

「……あのなぁ。
 そりゃあ、美由希さんは美人だし、性格可愛いし、趣味も合うけどさ、年齢差考えろよ。
 例えばお前が年少さんの幼稚園児相手に恋愛するか?
 それにそもそも俺は、誰かを引っ掛ける心算で交流を持った事なんか、この生涯に一度も無い」

 転生からこっち、フラグ体質になっている事は認めるが、それも転生の影響であってこちらの意思ではないし、そもそも転校からこっち、俺は引き篭もりを目指していたのだ。
 それを引きずり出したのは彼女ら三人で、だから、その点に関して何かを言われる筋合いは全く無い。

「その割には雰囲気がおかしいんだけど……」

 そう白い目でこちらを見たアリサの、しゃくる顎先をみれば照れた様子の美由希さん。
 特に大きな声で言った心算は無かったのだが、どうやら美人の件は彼女の耳にも届いていたらしい。

「あの人は……その、今ちょっと弱ってるだけだ。
 それに、アリサと違って美人とか言われなれてないんだから、照れるのは仕方ない」

 そして、美由希さんの苦しい恋愛事情を、もう一方の当事者達の前で赤裸々に語るわけにもいかず、そう言葉を濁した俺の視界の片隅に、がっくりと肩を落とす姉弟子の姿が映った。
 どうせ私なんかとか、落ち込んでいる姿は可愛らしいのだけれど、今この時だけは紛らわしい行動を止めて欲しい……それから、恭也さん、妹大事はわかりますが、何も解っていないのに慰めようとしないでください。
 大事な妹さんの傷口に、思いっきり塩を擦り込んでますよ?
 あちらを気にする俺に、刺々しい視線を向けるアリサと歯を剥きだしにせんばかりの彼女を必死に宥めるすずかとなのは……そんなカオスに保護者連が立ち上がり、だから俺は、最後に一言こう告げた。

「……アリサには悪いけど、中途半端に見えすぎると辛いなって事だよ」

 彼女にばかり負担を掛けてすまないけれど、後で美由希さん達の恋愛事情も説明したほうがいいかもしれない。

『……まぁ、気付いているのかもしれないけどな』

 正面から見据えて口にした言葉に、アリサの全身から力が抜けた。
 多分、聡明な彼女は気付いたのだろう。
 恭也さんと忍さん、ノエルさんに対する美由希さん。
 六郎ロックとすずか、ファリンさんに対するなのは。
 友達の為に切り込む勇気を持っていたアリサと、傍観者でしかない俺――そんな対比に目を逸らし、溜息を吐いた俺の姿に、アリサは俯いてこう告げる。

「……ロック、アタシあんたのナニがこんなに苛立ってたのか、解った気がする」

 けれど、その続きが形になることはなく、四人は父さん達に引き離された。
 自然、一団は完全に男女の組に分かれ……その元凶である俺は、当然、酔ったお父さんズに取り囲まれる事になる。

「いや、まさかロック君がウチの美由希の事をそんなに気に入っていたとはなぁ」

 微妙に上機嫌な士郎さんに赤ら顔で肩をバシバシ叩かれたり、

「まぁ、君くらいの歳の子供は年上に憧れる物だからね。
 私にも覚えがあるよ」

 何か共感したようなデヴィッドさんに肩を抱かれたり、

「いやロック君なら……しかし、歳の差が」

 どうやら妹に浮いた話がまったく無いことを懸念しているらしい恭也さん――それはアンタのせいだ――が、珍しく脈がありそうな妹の姿に腕組んで苦悩していたり、

「………」

 珍しくも無言で独りかぱかぱ酒盃を空け続けている父さんがいたりと、色んな意味で酔っ払い率が高い、正直カオスな状況だ。
 そして、そんな彼らに絡まれながら元凶のもう片割れに神経を向ければ、あちらはあちらで凄い事になっている。

 ……じー。

「あ、あの、なのは?」

 自分の姉を横目で羨ましそうに見ているなのはと、それに居辛そうにしている美由希さん。

「……正直、ロック君は恭也以上の難物かもしれないわね」

「お嬢様たちの御好意にはきちんとお気づきになられているようですから、なにか、好きだとアピールする以外の手段が必要なのではないかと……」

「お姉ちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
 ロック君が、年上の人が好きなことは前から解ってた事だし、それに、皆の中では、私が一番最初に大人になるから」

 ……等と、なにやら四人で作戦会議を開いている月村家。
 そして、残りのアリサはといえば、ウチの母さんと桃子さん、桜さんの一行の保護者一同(女性)とお話中――最初はお説教中だったのだけれど、彼女が素直に非を認めたのですぐに終わり、今では母さんを中心に俺の過去話に花を咲かせていた。
 どうやら何かが解ったと言う彼女の言葉は本当らしく、肩の力の抜けた自然体で三人と会話を交わすアリサは、しかし、会話の内容が俺の過去であったり、恋話の類であったりする辺り、まだ完全な何時も通りとは言いがたい。
 多分アイツは、自分の中に見つけたソレをちゃんとした形にしようと必要そうな情報を取り込んでいるのだと思うけれど、見た目俺への恋愛感情を自覚した様に見えなくもないのが困りものだ。
 現にウチの母さんらは、完全にそう勘違いして微笑ましい目で彼女を眺めている。

『……って言うか桜さん、“鈍感でフラグ体質な男の落し方”って、貴方の旦那も恭也さんの同類ですか?』

 酒でも入ったのか、上気した顔で一席ぶち始めた桜さんとソレを囲む他の三人を、俺は目の端で観察しながらため息を吐いた。
 そして思う。

『そりゃあ、性質が悪いって自覚は有るけどさ、俺は鬼畜でも鈍感でもないぞ……』

 自分で言うのもなんだけれど、俺は決して察しが悪いわけではない。
 そりゃあ、ファリンさんの奇行とか、今回の旅行におけるアリサのアレコレとか、分からないことだって多いけれど、ちゃんと周囲の人間には目を向けて、みんなで楽しくやって行ける様気を配っている心算だし、実際それは結構上手く行っていると思う。
 色々取りざたされている女性関係にしたって、アリサは親友、すずかは……あー、婚約者的な存在?、なのはは妹と、きっちり区別付けて、そのラインを崩さないようにしていた。

『……にもかかわらず、どうしてこう言う事になるかな?』

 結局その日の夕食は、そんな自問と、そこから俺を引き剥がそうとするお父さん連合との攻防に終始して終わった。



[15544] チートくさいキャラシート
Name: 十八◆4922f455 ID:6d3a8db7
Date: 2010/01/27 10:27
○眞鍋六郎/まなべ・ろくろう/ロック、レイザー/W1996.06/27生、男、主人公
能力値 筋力(B) 敏捷(B) 耐久(B) 知覚(B) 知力(B) 意思(B)
特徴スキル
 ☆存在力*(C)     所持者の存在密度が変動している。
             幸運、不運を問わず、あらゆる遭遇判定時の発生率と、
             対人判定時の成功度/失敗度(成功率ではない!)がスキルランクに応じて増減する。
             それ以外の適用はマスター判断。
 ☆魔力(C)       リンカーコアを所持。初期魔力A前後。このキャラの場合、B。
 ☆未成熟*(B)     肉体的成熟に達していない。Bランクであれば、十歳前後の児童。
             スキル習得の必要経験点が減少し、一部の特殊スキルを習得できる。
             肉体、交渉などの判定時に状況とランクに応じた判定値変動が発生する。
 ☆転生(-)       前世のスキル・記憶を所持。
 ☆融合型デバイス(ex)  時空航行船。幾つかの特殊スキルの習得条件になる他、以下の特殊能力を備える
  肉体統御(A)     高度な肉体統御システム。
             幾つか特徴技能を修得できる他、加齢等によるスキル習得制限等をランクに応じて緩和する。
             また、肉体に関わるあらゆる判定に、スキルランク-2のボーナス。
             専門スキルのスキルなし判定時にもスキルランク-4のボーナスを加算できる。
  記憶力*(ex)     記憶能力に関係するスキル。
             あらゆるスキル習得時の必要経験点や、記憶が関係する判定にランクに応じた変動がある。
             exランクは限界超過の意なので、キャラにより能力が異なるが、この場合は、完全記憶能力。
             究極的な記憶力と、完璧な記憶検索能力を備えるが、デバイスの機能である為、
             高度な技能行使にはデバイス操作判定が必要。更に、瞬間的行使は多重判定扱いとなる。
  計算能力(ex)     そろばん上級から内蔵コンピューターまで、計算、情報処理に特化した知的能力を持つ。
             スキル無しでは判定不能な高度な計算を行う事が出来、計算、情報処理等関連スキル判定時、
             該当能力値に変わり、計算能力スキルランク或いは該当能力+1を使う事ができる。
             exランクは、単純に限界突破の意なので、モノによって能力が異なるが、
             この場合は、理論上存在する物も含むあらゆるコンピューターを凌駕する超計算能力。
             上位次元や無限を対象とする場合を除き、あらゆる計算、情報処理判定に瞬時に絶対成功する。
             ただし、デバイスの機能なので、高度な技能行使にはデバイス技能判定が必要。
             更に、瞬間的行使は多重判定扱いとなる。
特殊スキル
 ☆究極の中庸(A)    高度にバランスの取れた肉体。このスキルの習得には関連した特徴スキルが必要。
             肉体系技能スキル習得時の必要経験点がランクに応じて減少し、
             肉体判定時にスキルランク-2のボーナス。
             専門スキルのスキル無し判定時にも-4のボーナスを加算できる。
             また、逆腕使用等の状況によるペナルティがランクに応じて減少する。
             ただし、肉体系能力値、関連スキルをこの技能ランク-1迄しか成長させる事ができず、
             技能所持者は肉体系能力値を全て同ランクにそろえなければならない。
             この制限を破った場合、このスキルは消滅する。
 ☆知覚加速(B)     知覚時間の引き延ばし技術。このスキルの習得には関連する特徴/特殊スキルが必要。
             1基準時間に対し、スキル成功値に応じた行動回数の増加が発生する。
             ただし、このスキルによって、行動の最低必要時間を減少させる事は出来ない。
 ☆並列処理(B)     このスキルの習得には関連する特徴/特殊スキルが必要。
             多重判定時のペナルティをランクに応じて軽減する。
 ☆内蔵デバイス操作(F) 多くの機能を使いこなせていない。
             それどころか、使用者保護の為のロックが掛けられている。


○月村・すずか/つきむら・-/すずか/不明/女
能力値 筋力(B) 敏捷(B) 耐久(B) 知覚(A) 知力(B) 意思(C)
特徴スキル
 ☆未成熟(B)      肉体的成熟に達していない。Bランクであれば、十歳前後の児童。
             スキル習得時の必要経験点が減少し、一部の特殊スキルを習得できる。
             肉体、交渉などの判定時に状況とランクに応じた判定値変動が発生する。
 ☆容貌*(B)      スキル無し値はD。所属コミュニティの標準的な価値基準に基づき、
             C以上ならば魅力的な、E以下ならば醜悪な容姿を持つ。
             外観が影響する判定の際、状況、ランクに応じて判定値が変動する。
 ☆■■■■■■■(A)  吸血鬼の血族。幾つかの特殊スキルの習得条件になる他、以下の特殊能力を備える。
  肉体能力増強(B)   肉体系能力値のランク上限を外し、同成長時の必要経験点がスキルランクに応じて減少する。
             また、肉体系能力を用いる判定時、能力値にランクに応じたボーナスが付く。
             ただし、肉体系能力値をD以下にすることが出来ない。
  肉体統御(C)     高度な肉体統御機能。
             幾つか特徴技能を修得できる他、加齢等によるスキル習得制限等をランクに応じて緩和する。
             また、肉体に関わるあらゆる判定に、スキルランク-2のボーナス。
             専門スキルのスキルなし判定時にもスキルランク-4のボーナスを加算できる。
  再生能力(B)     肉体を自動修復する機能。回復、毒抵抗などの判定にランクに応じたボーナスが付く。
  超能力/魔(A)     キャラクターのパーソナリティに対応した特殊能力を構築する。
             能力の習得、使用は■■■■■■■■スキルに依存し、
             この能力は特殊能力使用判定時の判定用能力値として使用される。
 ☆財力*(B)      金銭的な環境。調達や、交渉などの判定の際、状況、ランクに応じて判定値が変動する。
特殊スキル
 ☆優等生(D)      学習に関する能力に優れる。通常、専門スキル習得時、ランクに応じて必要経験値が減少し、
             所属コミュニティ内における能力、通常スキル或いは習得済み専門スキル判定に、
             ランクに応じたボーナスが付く。
 ☆■■■■■■■■(G) 吸血鬼としての血を疎んでいる為、スキルは最低値に留まっている。


○アリサ・バニングス/-・-/アリサ/不明/女
能力値 筋力(C) 敏捷(B) 耐久(C) 知覚(B) 知力(A) 意思(B)
特徴スキル
 ☆未成熟(B)      肉体的成熟に達していない。Bランクであれば、十歳前後の児童。
             スキル習得時の必要経験点が減少し、一部の特殊スキルを習得できる。
             肉体、交渉などの判定時に状況とランクに応じた判定値変動が発生する。
 ☆容貌*(B)      スキル無し値はD。所属コミュニティの標準的な価値基準に基づき、
             C以上ならば魅力的な、E以下ならば醜悪な容姿を持つ。
             外観が影響する判定の際、状況、ランクに応じて判定値が変動する。
 ☆財力*(A)      金銭的な環境。調達や、交渉などの判定の際、状況、ランクに応じて判定値が変動する。
特殊スキル
 ☆優等生(C)      学習に関する能力に優れる。通常、専門スキル習得時、ランクに応じて必要経験値が減少し、
             所属コミュニティ内における能力、通常スキル或いは習得済み専門スキル判定に、
             ランクに応じたボーナスが付く。


○高町なのは/たかまち・-/なのは/w1997.03.15生/女
能力値 筋力(E) 敏捷(E) 耐久(D) 知覚(B) 知力(A) 意思(A)
特徴スキル
 ☆魔力(A)       リンカーコアを所持。初期魔力AAA前後。このキャラの場合AAA+。
 ☆未成熟(B)      肉体的成熟に達していない。Bランクであれば、十歳前後の児童。
             スキル習得時の必要経験点が減少し、一部の特殊スキルを習得できる。
             肉体、交渉などの判定時に状況とランクに応じた成功率変動が発生する。
 ☆容貌*(C)      スキル無し値はD。所属コミュニティの標準的な価値基準に基づき、
             C以上ならば魅力的な、E以下ならば醜悪な容姿を持つ。
             外観が影響する判定の際、ランクに応じて判定値が変動する。
特殊スキル
 ☆数学センス*(B)   計算、情報処理等に適性を持つ。関連スキル習得時の必要経験点がランクに応じて変動し、
             同判定時にランクに応じた修正が付く。


○■■■■■■■■■■/■■■■■■■■■■/トレゴンシー/換算不可能/男性人格?
能力値 筋力(ex) 敏捷(ex) 耐久(ex) 知覚(ex) 知力(ex) 意思(ex)
特徴スキル
 ☆第三等級知性(ex)   物理次元のあらゆる現象を知覚、統御できるレベルの超知性。
             故に、物理次元ではあらゆるスキル、能力が意味を無くす。
 ☆存在力(ex)      物理次元にあり続けるには重過ぎる程の存在力。
             世界線上の重力レンズ。
             長く居続けると、世界構造に歪みを生ずる。



註:ランクはexABCDEFGHの八段階。
ランク/能力値    /スキル値
(ex) /限界超過(キャラクター設定により同じexランクでも変化)
 A /非常に高い  /権威である
 B /高い     /十分な経験をつんでいる
 C /優れている  /専門である
 D /普通     /納めている
 E /劣っている  /専門的に学んでいる
 F /低い     /一応の知識(技術)がある
 G /非常に低い  /最低限
(H) 該当能力無し(絶対失敗)
  exは限界超過(通常では到達できない)、Hは該当能力無し(体がない存在の筋力など、完全失敗)
  能力値、あるいは能力扱い特徴/特殊スキル(末尾に*)の平均値(スキル無し値)はD、
  特徴、特殊、専門スキルのスキル無し値はH、一般スキルはGとする。



[15544] 生存報告に没ネタを乗せて(オブラートを巻いて)みた。
Name: 十八◆4922f455 ID:eef10650
Date: 2011/02/18 15:57
 シューと軽い音を立て、両開きの硝子扉が開く。
 反射的にそれを潜った先は、羽振りの良い企業の、自社ビルのロビーと言った風情。

『はて、何故自分はこんな所に?』

 俺はそんな風に考えながら、その中を見渡し――あぁ、コレは夢だ――と思った。
 周囲の壁面全ては、採光の全く考えられていない、白塗りの壁……。
 そこには、自分が入って来たたはずの両開きの自動ドアすらそこには見当たらず、そして、目の前にある受付ブースで立ち上がり、笑顔で頭を下げた案内嬢は、俺の良く知る女神様であった。
 整った顔立ちの、優しげな童顔と、それを縁取る栗色の長い髪。
 豊穣の女神もかくやと言う豊かな胸部と、ダイエットと言う言葉とは無縁に思えるくびれたウェスト。
 案内嬢と言うより、キャビン・アテンダントかバスガイドを思わせる紺色の制服は、体格と比べ聊か小さめで、それが着用者の殺人的なスタイルを更に際立たせている。

『……朝比奈さん(大)だ。
 笑顔の朝比奈さん(大)が、キツキツなスッチーコスプレで、こちらを手招いてる』

 コレが夢でなくてなんであろうか?
 そう現状を把握した俺の行動は素早かった。
 大股でロビーを横切り、そして……ここから暫しの出来事を大げさに脚色して語れば、一幕の喜劇として成り立つかもしれないが、それはこの出来事の本筋から外れるし、なにより俺は自分の黒歴史を赤裸々に語れる程強靭な意思を備えてはいない為、割愛させていただく。

「あ、あのー、わ、私がお望みでしたら後でお渡ししますので、い、今はま、まず、説明を聞いていただけませんかぁ」

 とにかくそんな訳で、それから数分後の俺は、朝比奈さん(大)ピチピチ制服装備と言う桃源郷仕様の女神様(涙目)の下で、絡め摂られた腕に関節を極められた痛みと、当たる魅惑の双丘とを感じながら、ただコクコクと頷いていたのだ。
 腕から消えて行く柔らかな感触の名残りを惜しみつつ、俺は促されるまま、いつの間にやらその形状を変えていた、元受付ブース、現無駄に気取ったデザインの長テーブルの、彼女の対面に作り付けられた椅子に腰掛けた。
 そうして、至近距離に座る美女とその美しい声に惚けて何度も言葉を聞き逃し、その意味を掴み損ねながら、長い長い説明を受けたのだが、コレを逐一説明しても、単に読者諸兄が察しが悪い俺に苛つくだけだと思われるので、再びの省略……。

「つまりはここは、フロイトの言う所の集合的無意識の中って事でいいのか?
 規模が想定よりずいぶん大きいし、寧ろ、SF的な解釈をした場合のアザトースと言うか、ヨグ・ソトースに近い気もしないでもないが……」

 或いは、イデア的に言う所の全て共通の投影元と言うか、型月的に言う所の根源と言うか、EVAの人類補完後の赤い海が、時間も空間も飲み込んで平行世界方向に無限に広がったものと言うか……女神様のご託宣によると、どうやら俺はそう言ったものの中に居るらしい。
 現世の俺の器が何らかの理由で機能停止して、本来そこから溢れた魂的なものは、存在を維持できなくて端から崩壊しつつこの領域に落ち込み、吸収されて消える筈なのに、何らかの理由で自我を保ったまま落ち込んできた、と……。

「はい、非常に珍しい事ではありますけど、ここは無限数の世界に存在する、無限数の存在を内包する所ですからね。
 本来は、一つの宇宙に一人現れるか、現れないかといった確率ですけれど、それに無限数の無限乗を掛けるこちら側では、とてもありふれた出来事になります」

 ソレがこの世界のあり方ですと、そう言葉を締めた女神様――この無限の領域に居残っている先住民の方々が、後輩達の面倒を見るのがめんどくさくなってでっち上げた案内役(外観や性格は、俺の中の好ましい案内役のイメージから組みあげたものらしい)――に、俺はふぅと安堵の息を吐く。

『……良かった。
 俺が死んだのが、消失を見たばかりで本当に良かった』

 古臭いSFなんかが無駄に好きな俺だ。
 極最近の彼女の印象が強くなければ、古いSF的なカンテラ人間とか、イソギンチャクめいた異形の怪物とか、無貌の愉快犯的神格とか、或いは不死の超人的超能力者とかが案内人になっていたことは想像に難くない。
 実際、作者がこのプロローグをざっと書いた状態で自主没した理由が、ハルヒの全巻がどっか奥に入っているようで見つからなかった事であったり、こうしてなんとなく手直しした理由が、年末年始忙しくて買っただけで放置していた消失を見たからだったり、別世界の同一可能性存在の案内役がアレだったりするわけだから、目の前に降臨された女神様が俺にとって格別の幸運である事は疑いようもなかった。
 そう、誰だって、メトロン星人的演出で卓袱台を挟んでドラム缶型異星人と会談するより、魅力的な女性との、その抜群のプロポーションを鑑賞しながらのお喋りの方が嬉しいに決まっている……。

「そういう訳で、今の貴方の取りうる選択は、こんな感じになるわけですがぁ」

 ……と、どうやら魅惑のメロンちゃんに心を奪われ、また彼女の言葉を聴き落としていたらしい。
 そんな訳で、可愛らしく眉を潜めて、仕方ないですねと溜息を吐く女神様の、艶やかな口元に集中する事暫し。

「つまり、選択肢はここに残って勉強するか、どこかの世界に行くか、或いは大人しく消えるかの三つな訳ですか?」

 まず、三つ目については、説明の要はないと思う。
 普通に死ぬ、いや、根源に還るといったほうが正しいか、僕は既に、死んでいるそうだから……。
 次に一つ目、あらゆる世界のあらゆる物が存在し、その情報を引き出せるこの場所と、肉体の枷から解き放たれ、無限の情報集積体に寄生する形で存在する今の自分なら、どこまでもどこまで学習して自分の存在を高めて行くことが可能である。
 今はまだ、目の前の女神様の機能に頼って明瞭な自我を保っている状態だが、学習し、この世界に適応すれば、全能神が如く気まぐれに世界を作って壊したり、あらゆる世界のあらゆる物事を体験したりといった事も可能だ。

「尤も、ある程度行った所でココと完全な同化を果たして、別の形ではありますが、普通に死んだ時と同じように、世界の一部に還るのが普通ですけどね」

 敢えて、中途半端な状況に自分を留めて長く存在しているモノ――さっき例に挙げた無貌の愉快犯的神格みたいな奴だ――もいなくはないし、そう言った中途半端な存在達が集まって、右も左もわからない新入りに場をかき乱される事を恐れて目の前の女神様を作り出した機構を作り出したそうなのだけれど、ソレはまぁ余談である。
 つまり、ここで大人しく修行して神様的存在になって、その能力を持って飽きるまで楽しむか、更なる修行を重ねて最終解脱を果たすか、或いはその両方か?
 そして、二つ目が生き返る?

「はい、そのまま生き返るとか、生まれ変わってやり直すとか、何かオプション付きでとか、設定ありの世界へとか、お望みがあれば色々と出来ますけど……」

 ここは世界の全ての全てが同時に存在し、それら全てを改竄可能な場所な訳で、だから、任意の世界に自分と言う意識を収める器を作ることも出来れば、その器を自在に設定する事も出来る。
 つまり、元いた世界(正確に言えば、その相似存在?)に帰る事も、特殊能力付きで帰って無双する事も、何か好きな物語の世界に行って好き放題するなり、物語を追体験するなりも、全部可能なのだそうだ。
 試しに、無茶な設定の世界とかは創ったら変になるのではと言った質問を投げると、

「ああ、それでしたら物語の裏方、或いは、よりマクロかミクロな系で辻褄を合わせますので、問題は出ないんですよ」

 判りやすい例だと、『ハルヒ』、或いは、『星雲雀すたーらーく本社一号店』ですね――そう言って女神様はふんわりと笑った。
 つまりあれだ、スラップスティックな世界を形作る為、倦怠に取り付かれた自覚のない超越存在がいたり、魔法世界を成り立たせる為に、どこか世界の果てで超技術の産物である惑星サイズの宇宙外食産業の本社一号店が、せっせと魔法元素を作り出し続けていたりといったことがあるわけか?

「ただ、『設定の外側』は、貴方の『認識』や『現実』、『常識』、或いは、論理的な逆算等に基いて無理のない状態に設定されますから、物語の開始前に移動した場合は、必ずしも原型の物語と同一の世界になるとは限りません。
 また、貴方の存在は物語の外側に異物として存在しますから、その影響で歪んでいく事も考えられますし……」

 尤も、物語の整合性を取る為に強制力の設定を作る事も可能だとかで、その辺りは余り気にしなくてもいいらしいが……と、一通りをまとめて俺は、さてどうするかと頭を捻った。
 ここは、俺のサポートの為の領域らしいので、修行を選択すれば、ここで暫くの間女神様(或いは、それ以外の俺の指定した教師役)とマンツーマンでのハチミツ授業と言う事に相成る。
 最初の、私がお望みでしたら云々と言う彼女の発言はそこに掛かって来るのだろうけれど、命令に絶対服従な『僕の妄想した理想の朝比奈さん』と言うのは、その、事実として突きつけられると自分の黒歴史以外の何者でもない。
 まぁ、もっと厳格な師匠タイプのキャラととっかえるとか、色々手法はあるけれど、ただ只管条件を満たすまで勉強、或いは、呼び出した状況なんか(つまるところは、自分の妄想)で欲望を満たすと言うのは、ねぇ。

『それ、ぶっちゃけ、自慰行為ですよね、無駄に高度で壮大な……』

 こうして目の前にある女神様を愛でるだけなら兎も角、それ以上を色々しようとすると、正直、理性が邪魔すると思います。
 仮に踏み切れたとしても、賢者モードのやっちまった感が酷い事になりそうだし。
 そうすると、消えるは論外だから、生き返るか生まれ変わる、他の世界に行く――その辺りが候補に入る訳だけれど……。

『元の世界に還る、或いは生まれ変わるというのも、なぁ……』

 なにしろ、世界は灰色、この先真っ黒になりそうな気配大だ。
 今の俺の職場にしたって、このまま暢気に65才まで働けるなんて可能性は皆無だし、その後に貯蓄で豊かな老後なんてのは可能性からしてありえないと断言できる。
 両親や妹、家族の事が気にならないと言えば嘘になるが、説明を聞いた限りでは帰る世界は元居た世界の相似存在であって、生きていた世界そのものではなく……そうである以上、俺は帰ることにあまり大きな意味を見出せなかった。
 そうすると、その辺りをちょろっと弄った世界に行く、或いは転生するのが無難なんだが、それも少しばかり惜しい気がしないでもない。
 何しろ、普通なら手に入らない特殊能力やら何やらを手に入れるチャンスなのだから。
 しかし、下手に特殊能力やら大金やらを持って普通な世界に行ったりしたら、それこそ罪悪感とかやっちまった感が酷い気がする。
 なにしろ、スタンドアロンなゲームでチートやバグ技使ったりする時ですら罪悪感を感じたりするのだ、この蚤の心臓は……。
 だったら、気にならないくらい遠い世界と言うことで、チート能力を手に入れて、剣と魔法の世界やらSFやらの世界にも興味はあるけれど、なにしろ俺は、生まれも育ちもこのHENTAIの国日本。
 特に魔法系の世界だと、文化レベル的に色々と困った事になりそうだとも思う。
 なにせ、快適な水洗トイレの研究で、原型にウンコの模型を何百回も落として跳ね返りを実験してるなんてこの国くらいだろうし……となると、残るは伝奇SForファンタジー系か?
 例えば、大破壊の発生しないデビルサマナー系女神転生世界でひっそり特殊能力を持って生きる――例えば、チート女神アサヒナと契約しているサマナーである――とか、設定担当のアシスタントが止めてすっかり巻末が寂しくなったと噂のネギまの世界で、特殊能力を持つ一般人として生きるとか、JOJO世界でレクエイム級のチートスタンド持ちだとかで。
 コレならいけそうだが、筋書きのわかった物語の世界と言うのも味気ないな、折角だから……。

「じゃあ、俺の常識から判断して、『現代日本に順ずる、或いは、それを超える文化』と、『SF、魔法的要素、或いはその両方が存在する世界』の、『以降最低百年は、平和で豊かな時代が続く地域』に、『今の俺の意識と知識を保持した状態』で、『現在のそれに順ずるか超える社会的地位と職業、貯金などの社会基盤を持った状態に移動するか、中流以上の家庭に新しく生まれ変わる』ようにしてください。
 ただし、その世界は『私の知る物語の世界ではない』こと――この条件の範囲内で、ランダムでお願いします」

「ランダムで、ですかぁ?」

 不思議そうに首を捻る女神様に、俺はドヤ顔で頷くと、更にこう付け加えた。

「それから、肉体は基本的に今のものと同じで構いませんが、行った先の人間の平均能力やら、治安状況やら、魔法や超能力等の付加要素による、所謂事故死などを避けたいので、様々な状況に対応する為の高い学習能力と、適応能力が欲しいです」

 例えば、SF的な豊かで芳醇な時代に移動したとして、その世界の人類全てが宇宙空間に適応した超人類とかで、無重力に対応した代謝系やら真空中を平気で動き回れる能力やらを持っていたりしたら、行った先でそのまま窒息死したりする可能性があるわけだし、所謂『光学異性体』で構成された生物で構成された世界で物が食べられなくて餓死したり、体力が半端なくて握手した途端手を握りつぶされたり、通りすがりのキチガイ異能者とかに殺されたりされると正直困るし、行った先の地位を最低維持できるレベルまでは高速で学習できないと職を失ったり、入れ替わりを疑われたりする事になる。

「幅広い範囲の学習能力と環境適応能力、できれば、その度合いを調節できる事が望ましい、ですか……判りました。
 該当する要素を備えた世界に、該当した能力、社会背景を持つ器を作成、そこに今現在の貴方を封入すればいいわけですね。
 なるほど、お客様のご要望は確かに承りました」

 女神様は俺の要望をそう要約すると、にっこり笑って立ち上がる。

「それでは、良い旅路トリップをお楽しみくださいませ」

 ガイドは、『貴方の』朝比奈みくるでした――そう、丁寧に頭を下げると、こちらをご覧ください、そう言うバスガイドの様に片手を上げた。

.
.
.
.

 ……そして、俺は目を覚ます。

『変な夢だったな』

 まずはそう思って、違和感に気付いた。
 妙に薄い、しかし濃い夜闇、背をちくちくと刺す……これは、多分草葉の先だろうか?
 身を切る冷気、夜と夜露もあってかなりの寒さだが、どこかその寒さが遠い、今までより寒さに強い自分を感じる。

『なんだ、何があったんだ?』

 そう思って俺は起き上がり、森の中の草原に眠っている自分を発見した。
 着ている服は上等な――恐らくはゴアテックか何かの防水生地で作られた――万越え確実だろう野外仕様の、多分子供服。
 それに包まれた自分の体のバランスも、また、発達途上な、子供のモノのように思えた。

『……ああ、そういうことか』

 そう言えば、転生か、今現在の社会的状態同等以上の範囲内と指定したわけだから、その中間も当然在り得るだ――そう気付いて俺は苦笑、直ぐに身を起こした。

『そうじゃなければ、ホビットとか、幼体固定の種族がメインの世界なのかもな……。
 こんな体でも普通に動かせるのは、適応力とか学習能力のおかげかな?』

 ……と、動き出した頭を巡らせて周囲を見渡す。
 周囲に道や明かり等は見えない、わかる範囲では、だが、大型の動物が動く気配もないようだ。
 指定した適応力の為か、夜目が利くのはありがたいが、こんな状態でどうしろと?
 体の状態はいい、良すぎるくらいだし、腹も減ってはいない……捨てられた訳でなければ、その内親が探しに来るだろうし、俺の時と同等かそれ以上の社会基盤を持っている以上、捨てられた可能性はないと思っていい。

『服装から考えるに、連休にキャンプにでも出向いて、途中で逸れるか何かしたのか?』

 昔から、何かに気を取られると周りが見えなくなる性格をしていたから、迷子は結構慣れっこだった。
 だからか、運動能力はそれほどないけれど、長距離歩行や自転車移動は平均以上だったと思う。
 おかげで物怖じせずひょこひょこ歩き回って、ドツボに嵌る事も多かったのだけれど……。

『けど、なんでこんな状況……ああ、物語ベースの世界だった場合の、物語とのかかわりとか、開始期間とかの指定はしてなかったっけ』

 俺が想定した系統の世界とかなら、こう言った場所で物語が始まったり、それに関わったりするのはまぁ判る。
 奇妙に回転の早い頭で、ありうる状況を想定しつつ、俺は周囲を見回した。
 適応・学習するには情報が必要で、その切欠として物語或いはその背景となる事物の一端に触れる事は避けられない。
 もし想定が正しければ、近くに何かがあるはずだし、そうでなくても、何らかのランドマークが見つかる可能性はある。
 俺は、近くに落ちていた尖った石を手に取ると、肩の辺りの樹皮に印を入れつつ歩き始めた。

『しかし、与えられた能力の内容の説明も無しかよ
 ……適応能力とか学習能力なら、単に底上げされてるだけって可能性もあるが』

 左右の脚力差で円を描いてしまわぬようにと、妙に夜目の効く目で印を確認しつつそんな風に考えると、ふと、目の端に小さな画像が浮んだ。

『朝比奈さん?』

 視界の端に浮き上がる、ぴっちりした制服の第一ボタンを外した朝比奈さん(大)のデフォルメアニメ絵……。
 足を止めてそこに意識を向けると、ミニサイズの女神様はぬるぬると――ディズニーのフルアニメを超える動きで――視界の中央まで歩き、ぺこり、一度頭を下げると片手を上げた。
 上げた手の上、小さな白いウィンドウが開き、幾つかの項目が表示される。


〇貴方に付与された能力について
〇貴方の持つ社会的背景について
〇貴方の、朝比奈みくるについて


 三番目の項目に全力で惹かれようとする意思を、俺は全身全霊を込めて何とか捻じ伏せ、まず二番目に意識を向けた。

『さっきの感じからすると、コレで反応すると思うんだが……』

 ……そう考えた俺はどうやら正しかったようで、どこからか指示棒を取り出した“仮称・みくるちゃん”の動きにあわせるように白いウィンドウが大きく広がる。
 いつの間にか鼻眼鏡をかけ白衣を纏っていたみくるちゃんが、黒板を指し示す漫画か何かにでてくる教師の様な、そんなオーバーアクションでウィンドウを指し示すと、そこにはどうやら俺のものらしいプロフィールが記されていた。
 名前は、前世と同じ出水京一いずみきょういち、ただし、産まれたのは前世より8年遅く、俺が死んだ年の六年前にあたる2004年の現在、八歳になる。
 それに、愛称が前世の『キョウ』ではなくて、『キョン』になっているのは、一体何の冗談なのだろう?
 両親は前世と同じ、妹が居るのも同じだが、年齢が下がって現在三歳。
 どうやら、涼宮ハルヒにおけるキョンとキョンの妹の年齢差に合わせて修正されているようである。
 こうなると、身近にハルヒや長門や小泉が居るのではないかと穿ちたくなるが、流石にソレはないようで、俺の友人達は前世とほぼ同じ……なのだが、住んでいる場所は全く異なり、どうやら海鳴と言う海辺の都市であるらしい。
 また、現在俺が通っているらしい通っている小学校も私立聖祥小学校と、極普通の公立校に通っていた前世とでは位置も規模も全く異なるのだけれど、商店街、駅、公共施設等と言った大きなランドマークを除いた海鳴市の構造と友人宅の位置関係は、驚くほどに前世で住んでいた街と似通っている。

『多分、元になった物語で未設定な部分に、生前の俺が育った街のデータを移植したんだろうが……』

 そんな風に考えながら、俺は表示された項目を一つずつ確認して行った。
 とりあえず、基本的な所は前世の俺と同じだが、今と繋げる為にか前世より遥かに早熟で、前世では中学位から始めた図書館通い――そこが妙にハヤカワ系の品揃えが良い所で、それで古い世代のSFに嵌ったわけだが――が既に始まっていると言う。
 そのおかげで、前世では全く面識のない図書館常連の同級生クラスメイト、月村すずかと多少の親交があるが、向こうの方が引っ込み思案なお陰で、時折本について話すとか、クラスで男女組のペアや班を作る時に良く組むとかその程度の交流で、友人とか幼馴染とか、そう言った肩書きを貼り付けるほど仲が良いわけでもない。
 尤も、そもそも月村さんは極端な引っ込み思案で、クラス女子でもまともな交流を持っているのはアリサ・バニングスさんと高町なのはさん位と言う有様だから、当然、男子でまともな交流を持っているのは俺くらいだったりするのだが……。
 そんなわけで、自由班での学習では自動的に組になるバニングスさんや高町さんとも交流があり、しかもその三人ともが、将来超有望なすごぶる付きの美少女だったりするので、それだけでも俺は前世より、遥かに恵まれている。

『……図書館仲間の美少女とか、ソレ一体どう言うラノベ主人公だよ』

 まぁ、今の俺はラノベより欲望に忠実な二次創作SS主人公の様な立場に居る訳だから、ソレもおかしくはないのかもしれないが、注釈によると、キョンも含めてこれらの変化は全て補正ゼロの、純粋なバタフライエフェクトの産物であるらしい。
 海鳴在住と私立進学は意図的な操作らしいが、キョンの渾名は、父親の異動先の変更により叔母の家との距離が近くなった結果――叔母の娘、二歳年上の従姉の名が匡子きょうこで紛らわしかったのだ――だし、妹の生まれが遅くなったのも、父の仕事が前世より忙しくなった余波、月村さんは元々図書館常連な聖祥小学校の生徒で、俺の変化を誤魔化す為もあって設定した図書館通いの低年齢化の結果、縁があったのだという。

『しかし、月村さんが元から聖祥の生徒って事は、主人公に近しいか、その事件に関わる存在って事だろ?』

 最初は、長門すずか、涼宮アリサに小泉なのは、加えて『貴方の』朝比奈みくるとキョンとで、SOS団でも設立しろと言うのか等と邪推してしまったが、この注釈を見るに、月村さんはどちらかと言えば原作側の人物だ。
 そうすると、仲良し三人組全てがそうだと考えるべきで、このクラスには彼女ら以外目立つ面子がいない事を重ね合わせれば、彼女らの誰か或いは、別のクラスの誰かが主人公なのだろうか?

『アリサの纏っている覇気あたり、確かにソレっぽいけど、彼女の場合あんまり主人公って感じでもないよなあ……』

 すると、クラスのあまり目立たない男子の誰かがなにか変な裏設定を持っていて、そこにツンデレヒロインアリサが絡んでと言った王道的展開なのだろうか?
 ラノベ的ヘタレ主人公に彼女らが靡く様など余り考えたくはないが――どうやら読んだ知識は自然に関連記憶を引き出すものらしく、俺は完全に月村達の級友しりあいとしての思考でそんな風に思いながら、自分の経歴に関する記述を完全に読み終えた。

『キャンプ中、夜中に目を覚まして散歩に出かけ、迷子になる、か……。
 親は朝まで目覚めないようだから、まだしばらく時間の余裕はあるな。
 急いで誰かを探すか、或いは、テントまで帰るか』

 知っている物語は面白くない――そんな風に考えていたせいか、項目の中にこの世界のベースになっただろう物語(ここまで無理な改変をしている以上、そう言い切ってしまっても問題ないだろう)の情報はほのめかし程度しか存在しないようだ。
 だから、今の状況がどういうものだろうとかの推測は出来ても、どうすればいいのかを判断できない。

『……それ以前に、現在位置もわからないけどな』

 俺は苦笑を浮かべると、最初に戻った項目の一番上を選んだ。
 次に現れた二項目のうちの一つ目を選ぶと、表示された文章は俺にとってはかなり意外な内容だった。

微細機械ナノマシンの群体が俺の脳神経系に擬態している?」

 どうやら俺の脳味噌と神経は生物なまものではない作り物で、ソレが生身の脳の機能を模倣エミュレートしている物らしい。
 ソレは現在、普通の人間に毛が生えた程度の機能しか持たないが、勉強すればするほど、運動すればするほどその機能を最適化し、能力を伸ばし、どこまでもどこまでも成長して行くものなのだそうだ。
 人間の寿命ではほぼ不可能な事だが、鍛錬を続ける事により最終的には、その微細機械ナノマシン一つ一つ――正確にはナノとは異なる単位系の存在で、通常想定されるそれらより、遥かに霊妙なモノで構成されているそうだが――がスパコン以上の能力を発揮するようになるとか……。

『……しかも、霊妙って、普通機械とかに使う表現じゃないぞ』

 多分、素粒子Z0とか、字祷子アザトースとか、そう言ったよりファンタジックなモノで構成されているって事なんだろうが、コレでは微小機械と言うより微小奇怪だ。

『そもそも、そこまで上限値を取らんでも良かろうに……』

 俺は頭を抱えつつ、能力項目の二番目、適応力を選択……こんどこそ脱力して地面に両手を突いた。

「採取したデータを基に自己を最適化、肉体を自在に変化させる事が出来るだと!?」

 正直コレは、適応力の範疇に納まる能力ではない。
 自己進化を繰り返す最強の戦闘生物のガイバーのアプトムが如き己の有様に、リアルで頭を抱えると、二つの項目を読み終えたためか、自動的に新たな注釈が開いた。
 それによると、1、2の能力を統合した結果、全身の細胞が生物に擬態した微小奇怪の群体と化しているそうで、取り込むのも変化後の姿も生物に限らないとか、材料分解して微小奇怪増やして道具とかも自在に生産可能とか、なにそのアプトムとEATMANと銃夢LastOrderの猫ガリイを足して神秘のスパイスをぶっ掛けたような有様はと考えると、それを訂正するかのように更なる注釈が示される。

『時間や空間より霊妙な素材で構成されているので、最終的に分解したり取り込んだり操作したり出来るものは、物質的な実在には限定されません……だとぅ』

 それではまるで、故・石川賢先生の代表作の一つ、虚無戦史の空間支配能力者ではないか――そんな感想に反応してか、『概ねその解釈は正しい』と言う様な内容が表示された。
 学習能力同様、現時点では重いリミッターがかかっているので、イカモノ食べまくったり――初期の取り込み口は口腔に限定されている――人間以上の力を出そうと頑張り続けたりしなければ、人間から逸脱した能力を発揮するようにはならないようだが……。
 俺が一つ溜息を吐いてから、両手と頭についた汚れを払って立ち上がると、目の前でぺこり、みくるちゃんが頭を下げる。
 そうして、上げた頭のその形良い唇から吹き出しが現れ、その中に新たな文字列が浮んだ。

『おそらく、今の貴方は何故ここまで過剰な能力を持っているのかと言う疑問をお持ちでしょう』

 そうして表示された一連の謝罪を読むに――俺の常識で――この過剰な能力の原因はどうやら、条件の中に入れたその言葉だったらしい。
 どんな世界を想定しているのか?
 『俺の常識』を知るべく、読了済み、視聴済みの物語の世界から条件に当てはまる物をリストアップしたところ、出るわ出るわ、溢れる非常識の数々……それらに適応、学習できる能力を設定した結果、オレはこうなってしまったらしい。
 良く考えてみればソレはそうで、例えばかの有名な『嗚呼、マントの中の宇宙……』とか、『余りの美しさに月が援護射撃』とか超絶美形が織り成す超変態時空、菊池超伝奇の魔界都市シリーズですら、新宿区外の治安が良い地方都市とかであれば、既知である事を除き、俺の指定全てに当て嵌まってしまう。
 それ以外にも、ラノベには超越者キャラなんて履いて捨てるほど居るし、逆に現実世界であっても、日本以外の地域であれば『現代日本に順ずる、或いは、それを超える文化』を持つと言う条件に抵触してしまうだろう。
 何しろその元が、日本人オレの常識なのだから……。
 意外な盲点と言うか、恐らくは舞い上がって見落としていたのだろう巨大すぎる落とし穴に、俺は重すぎる息を吐いた。
 女神様に能力設定を委ねて良かった――心底からそう思う。
 舞い上がって自分の能力をノリノリで設定していたりしたら、定番のUBWや王の財宝と言ったレベルの児戯――なんでもありの創作時空で、惑星霊程度が最強の名を縦にする型月世界の神秘等、児戯以外のなんであろうか?――を以って、中国人吸血鬼『美姫』とか虚空牙とか時天空とか、そう言ったクラスの存在と対峙する苦境に陥っていた可能性があったのだ。
 対して今の俺は、例のあの空間の一部を固めて人に擬態させたモノに幾多の制限を化し、その解除手段と能力発現を学習能力、適応能力と言う容に纏めたような存在らしいので、能力解放状態であれば防御力だけは無限大以上。
 全能性で自分を上回る存在の改変力によるもの以外に、本質的に害する手段は存在しないらしい。
 尤も、現行ではリミッターにより、前世の俺の情報を元に生老死を再現する状態に抑えられているので、自動車に撥ねられれば普通に死ぬし、百五十年も生きれば年老いて死ぬのだけれど、一応、一時的に擬態を止める事は出来るようなので、問答無用で即死させられない限り、死ぬ可能性は考えなくても良い。

『……まぁ、擬態を解除しても機能掌握範囲は変わらないから、本当に死なず、痛みを感じないだけだみたいだがな。
 とりあえずは格闘技とかを習って、蟹と亀とイナゴの佃煮とか、硬い甲殻を持つ生き物は早めに喰っといた方がいいかな』

 大規模な変形を可能とするまでにどれだけの悪食と修練が必要になるかは見当も付かないが、すずか達三人みじかなものたちが巻き込まれる可能性がある現状、備えと修練を怠るべきではなかった。
 そう考えられる程度には、『キョン』は彼女らに情を移していたし、それに、不死身の自分が逃げたせいで少女らが傷を負ったなどと聞いたら、俺の硝子の心臓ハートは、それこそ憤死級のダメージを受けかねない。
 
「まぁ、まだバトル物と決まったわけでもないんだがな……」
 
 俺は、そう一人ごちると、持ったままだった石を使って周囲の木の樹皮や草葉を適当に採った。
 少し顔を顰めてから、それを重ねて口に入れ、奥歯で噛締める。
 削り取るのに使った石に付いていたのか、或いは、樹皮に付いていた塵の類か、虫の屍骸か、糞か?
 なんとも判別の付かぬ乾いたものが口の中で砂利付いたが、構わず唾でふやかし、噛み切り、砕き、潰し、半ば無理やり飲み下した。
 これも、適応力の影響なのか、思ったよりもずいぶん簡単に飲み込めたそれに、半ば涙目になりながらも周囲に手を伸ばす。

「……ここまでして、オールドタイプの魔法少女モノだったりしたら笑えないよな」

 そんな事を呟きながら、不味過ぎる夜食を再び口にしつつ、俺は、ウィンドウに表示された第三の選択を選んだ。
 選択した途端ソレは消え、同時、まっすぐこちらに向き直ったみくるちゃんの唇から、あの女神様の声が発せられる。

「私を御所望と言うことですので、キョンくんの記憶領域に、私のデータを添付しました。
 口頭のパスワードでみくるちゃん生成モードを起動すると、一度だけ私を生成する事が出来ます。
 選べる状態は、貴方の年齢の一才年上、高校生、大人の三種類、生成された時点で世界情報が改変され、背景情報が設定されますので、食費や戸籍その他の心配する必要はありません。
 また、生成された私は向こう側での記憶を持たず、キョン君の趣味に合わせて、貴方には友人+上司程度の忠誠心しか持っていません。
 常識的なお願いでしたら快く聞いてくれると思いますが、それ以上を求めるならちゃんと口説いてくださいね」

 え?……と、驚く俺を見て・・、女神様はにっこり笑って言葉を連ねる。

「それから、生成されたみくるちゃんには、裏人格として私が内蔵されています。
 どうしても口裏を合わせたい時や、色々と自分を抑えきれない場合は、こちらをどうぞ。
 ただし、みくるちゃんは基本的には私が表に居る間を記憶してはいませんが、同じハードを使用している都合上、若干のイメージが残留する場合があります。
 私の起動には口頭のパスワードを聞かせる必要がありますので、無茶は禁物です。
 まぁ、お望みでしたら、初めから私ベースで起動させる事も出来ますが……」

 そんな風に続けてから、彼女は思い出したようにこう続けた。

「それから私は、みくるちゃんを生成しなくても、貴方の意識内に仮想存在として存在できます。
 キョン君の能力制御のお手伝いや効率のいい能力解放のなど、色々とお役に立てると思いますよ」

 そんな苦行みたいな事をしなくても、ね――自分の口元に指を当て、そう可愛らしく微笑んで見せた彼女の姿に、え、とか、あ、とか間抜けな音を漏らし続けていた俺は、今度こそ本当に絶句したのだった。



 チート憑依主人公をオブラートに巻いてみたの没バージョンその1です。
 主人公キョンもどき、デバイス朝比奈さん(大)、文章キョンの一人称風と言う、今書いているのより大きなオブラートを使う予定だったのですが手持ちのハルヒが見つからなくて、キョン風がぽしゃる→自分流でとりあえず書いてみる→やっぱり納得がいかないで没に……。
 消失を見直してなんとなく存在を思い出したんで、微妙に手直ししてみたんですが、やっぱりどこか気に入らんのですよね、コレ……。
 続きは書かないと思うので簡単なプロットを書いておくと、この話は基本なのは&朝比奈さんがヒロインで、直後、とらハ3冒頭の合宿中の高町一家武術家三人組(お父さん同行なのでスケジュール勘違いは無し)に遭遇→とらハ3期(キョンもどきはなのはと久遠ルート、恭也は裏で月村家ルート)→中間期(アリサ暴行未遂)→無印(キョンもどき、こっそりアリシアを捕食&プレシア生存)→A's(キョンもどきが怪獣に変身して闇の書の闇を喰い散らかす。その凄惨な光景を見てなのはが吐いたりする。おまけに終わった後で自分を壊してくれといったリイン1もパックン。直後修復なった夜天の書を吐き出す)→空白期(闇の書捕食でなのは達と気まずくなった&時空管理局にマークされた為、治したアリシアをプレシアの元で吐き出して逃げ出そうとするが、なんでかプレシアとアリシアを連れて逃避行する羽目になる)……と言うプロットでした。
 なお、みくるちゃん生成は、リイン1捕食後にユニゾンデバイスとしての実体化で、ソレまでは脳内サポーターとして声だけ参戦です。
 また、他の没案(プロットしか書いてない)には、現在アニメ放送中のISネタとMMOトリップネタのブツがありました。
 ISネタはオリ主モノ、ヒロイン束さん、テーマは物語の強制力、ジェニーの肖像と大きなたまねぎの下でと宇宙英雄物語のオマージュ入った叙情SF系暗黒ヘイト純愛物語と言う誰得な内容でしたが、苦しい世界の壁をはさんだ遠距離――それもコレも強制力の働いた結果なのではないかと言う悩み交じりの――恋愛乗り越えて漸く触れ合った二人、しかし、『ここからが本当の地獄だ』な上に、原作に対する愛が無さ過ぎる物語構成(そもそも、ISで束さんヒロインと言う選択自体が、物語のプロットから逆算したものだった)に耐え切れなくなって廃棄……。
 MMOネタはまだネタを使うかもしれないので、ここには書きません。


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