未知との遭遇(宇宙人編)から一夜明けた翌日。
多少のぎこちなさこそあったものの、それでも俺達はごく普通な日常的学校生活を送ることができていた。
結局、フェイトの件は尻切れトンボの形で不完全燃焼に終わってしまったため、俺だけでなく高町、さらにはアリサやすずかちゃんも思うところがあったようで、日中は普段に比べてやや口数が少なかったように思う。
それでも、放課後となると普段のテンションにまで回復したのは、みんな頭の切り替えが上手だということの裏返しなのかもしれないな。
「それで?」
「ぬ?」
帰り道。今日は諸事情により四人で徒歩帰宅と相成っている。
いつもならアリサかすずかちゃんの御迎えさんがいらっしゃるんだが、本日アリサの家は両親の都合で車、運転手共に不在、すずかちゃんの方も、なんでも忍さんの知人さんがいらっしゃってるとのことで、そのお迎えに行ってるんだとか。
もしやあの髭紳士様かと思って訪ねてみたら、残念ながらあのおっさん、今はどこぞの南米に知人の考古学者と旅行に行ってるんだとのこと。……あのおっさんの知人ってのがどんな人なのか、興味は尽きない。
しかしながら、忍さんの知人様も気になるところ。なにせ月村家と縁があると言うだけで、将来もしかしたら俺も御挨拶に伺わねばならないかもしれんからな!
………なんでかな。自分で言ってて、こう〝俺は将来大統領になる!〟と宣言するのと同じレベルで胸が痛いのは。
閑話休題。
そんなわけで、珍しく四人そろって帰宅と言う光景の中、俺の右隣に何気なく陣取っていたアリサの奴が唐突に俺へ投げつけてきた言葉のボールは、そんな主語も述語もないただの疑問形の単語だった。
「〝ぬ?〟じゃないわよ。一体どうするつもりなの、アンタ」
「いや、だから主語と述語を用いた正しい日本語を使えよ。何を聞いてるんだかさっぱりだぞ」
「そんなのフェイトの事に決まってるでしょ! アンタわかってるの? もしリンディさん達にフェイトの事が知られたら、下手するとあの子捕まっちゃうかもしれないのよ!?」
「あー……うん。そーだったな」
「そーだったな、って……まさか何にも考えてなかったの!?」
事実その通りなんだが、素直に答えるのはただのバカなので「ふ……そんなわけないだろ?」とカッコつけて答えてみた。
「んな見え見えの嘘に騙されるかっ!」スパーン!
「痛ってーな! 言い掛かりで人ブッ叩くと碌な大人になんねぇぞこのバーバリアン!」
「っ……ほ、ほほ~う? どうやらアンタは、その碌でもない大人になった私を見る前に、この世を去りたいようね?」
「させるか! 高町バリアー!」
「うにゃっ?! ちょ、なんでわたしをひっぱ――――わーー! アリサちゃん待って待って! わたし越しにほんだくんを攻撃するのは、間違いなくわたしが被害を受け≪スパァーン!≫うにゃぁッ!?」
「あの、三人とも落ち着いて……」
怒り心頭となった金髪夜叉猿の攻撃を一通り高町バリアーで凌ぎ切った俺は、間違いなく褒められていいと思う。無論、その後に高町の奴から怒りのぽかぽか攻撃を受けたのだが、大した事は無かったので割愛。
一通り暴れて落ち着いたのか、暴れた所為でぐしゃぐしゃになった髪をすずかちゃんが櫛で撫でつけてくれている間、アリサはひとまず体裁を取って咳払いすると、改めて口を開いた。
「とにかくね、私達はアルフさんと約束したんだから、どうにかしてフェイトを助けないといけないの。あんた、そのこときちんと理解してるワケ?」
「んなもん言われなくてもわかっとるがな」
「だったら―――!」
「じゃぁ聞くが、今、俺達に何が出来るんだ」
「うっ……」
「俺達の中で魔法を使えるのは高町だけなんだぞ。対してあっちはフェイトも含めてあのおっかない母ちゃん含めりゃ二人、下手したらあのねーちゃんまで加わって三人が魔法使いだ。どう考えたって、戦力的に俺達が不利だろうがよ」
「それは……そうだけどっ!」
汚いとは思うが、しかし現状整理のためにも正論をぶちまけてみると、アリサはそれ以上何も云えずに口ごもってしまった。
アリサの言いたいことも分かるが、一方で俺が言ったことも事実だ。ソレを無視してどうにかできるほど状況は生易しいモノではないし、そして子供の駄々で事態が好転するほど、俺達は万能じゃない。
大切なのは、俺達に何ができて、何が出来ないのか。そして、その中でどうすれば目的を為し得るのか。それを把握することだ。
「ま、だからって何もしないわけじゃねぇよ。フェイトを助けたいってのは俺も同じだし、高町なんか尚更だろ」
「ふぇ!?」
「誤魔化しても無駄だぞ。お前、ユーノが説得しなかったら学校サボってフェイト探そうとしたらしいじゃねぇか」
「なんですって!?」
「なのはちゃん……?」
「ま、待って! ていうか、なんでほんだくんがその事知ってるの!?」
「くっくっく……ユーノがいつまでも電話を使えない小動物だと思うなよ……!」
「はっ、しまった! そう言えばこの間、ユーノ君に緊急時の連絡手段でうちの電話の使い方をおしえたんだった!」
「な、なのはちゃん……そのリアクションはさすがに……」
高町のバカなリアクションはともかくとして、ユーノには昨日の内に俺の携帯番号を知らせてある。
俺は普段、学校に行く時はめんどくさいから持ち歩いていない携帯電話だが、最近通り魔事件が発生していることもあってか今朝、母上に凄まじい政治的圧力をかけられたせいで珍しく携帯している。そこに、一時限目が始まる直前になって、ユーノから電話が来たのだ。
内容は先の会話からわかるように、高町の奴が学校サボってでもフェイトを探しに行こうとしかねないか監視しておいてほしいとのこと。
まぁ、結果的にそういうことにはならなかったから良かったものの、もし本気でそんな真似をしていたら、本田時彦君はその持ちうる情報網全てを駆使して高町捕獲作戦を発動する所存でありました。誠に残念です。
「まぁ、なのはの先走り未遂については後でみっちり問い詰めるとして……」
「うにゃっ!? ま、まってアリサちゃん、わたしべつにそんなつもりじゃ!」
「そうだな。そんなことよりフェイトだ」
「そうね。そんなことよりフェイトよね」
「う……うわーん! すずかちゃん、ほんだくんとアリサちゃんがいぢめるーッ!」
「あ、あはは。よしよし、大丈夫だよなのはちゃん。二人ともちょっとからかってるだけだから。……たぶん」
いつもいつもフォローすみません我が女神。
そしてそこは自信を持ってくださいお願いします。地味に凹むんです……ッ!
「まったく。それで、ホントにどうするつもりなのよ? あの後フェイトがどうなったかわからない以上、こっちから迂闊に動くのはバカのすることよ?」
「そうだよね……下手に探し回ったら、リンディさん達に気付かれちゃうかもしれないし」
「しかも、気付かれたら間違いなく、フェイトちゃん逮捕されちゃうの……」
改めて問題点を列挙すると、俺達子供勢ではどうにもできそうにない無力感がひしひしと感じさせられるような問題ばかりだった。
特に、リンディさん達にフェイトの事が見つかるのはヤバい。
昨日話を聞いた限りじゃ、フェイトがやってる事はあの人達からしてみれば間違いなく〝違法行為〟だ。しかるに、俺達の世界の常識を照らし合わせてみても、違法行為は逮捕! 逮捕です!
……けど、誰だって友達が犯罪者扱いされたら嫌なモンは嫌なのである。これは、俺だけじゃなくみんなも同じ考えだし、せめて捕まるにしても、フェイトにだって情状酌量の余地がある、って説得してからにしたいのが俺達の中での結論だった。
それを踏まえて、昨日は咄嗟の機転で俺達がプレシアのおばさんに追われて謎の城から逃げてきた、とフェイトの事は伏せて口裏を合わせる事が出来たが、いつまで隠し通せるかはわからない。何より、次にジュエルシードが発動して、クロちー達が回収作業をしているところにフェイトがやって来ようものなら、その時点であぼーんだ。
一番良いのは、ジュエルシードが発動してもアイツが来ないでどこかに隠れてくれている事なんだが……まぁ、あの鬼ババ様のことだ。体を引きずらせてでも探しに行かせるだろうしな。
……うん?
探しに〝行かせる〟……?
「あ」
「なによ、時彦。急にバカみたいな声出して」
心底バカにした白い目で俺を睨みつけてくるアリサに、軽く怒りの波動に目覚めそうになるがぐっと我慢。それよりも、今まさにこの天才的な脳裏にティンと来た妙案を提示することこそが大切だ。
「バカは余計だバカ。それよか、ちょっと確認したいんだが、アイツを助ける上で大切なのは、ようはアイツが悪者じゃないって思ってもらう事だよな?」
「うっさい唐変朴。だから、さっきからそう言ってんじゃない」
「昨日、クロノくんが“その質と規模がどうであれ、遺失物強奪及び管理外世界での魔法行使は重い刑罰を処せられることになる”って言ってたし……」
「それが本当なら、できればフェイトちゃんが捕まらないようにしないといけないね」
すずかちゃんが締めてくれたように、フェイトがクロちー達に捕まるのが何よりもマズイ。
実際、今まで俺達とジュエルシードをめぐった争奪戦を繰り広げてきたという前科があるし、しかも、よりにもよってその前科がある時点でアウトなのだ。某車盗みゲームで言えば、ゲームスタートの時点で☆四つというデンジャラスな状態である。外に出るだけでポリに軍隊に戦車にヘリのフルコースに追い回されるというステキ仕様なんだから泣けてくるな。
だが、別にこの状態が王手/チェックメイトというわけではない。大事なのは、逃げ切る事でもなければその勢力と真正面から闘う事でもなく――――たまった☆を早くゼロにすることなのだから。
「いや、逆にフェイトをさっさととっ捕まえよう」
「ふぇ!?」
「……どういうこと?」
「本田君……?」
俺のぶっ飛び発言に、三者三様の反応を示しながら三人が同時に問いかけてくる。
高町は意味がわからないといった、心底驚いた顔で。
アリサは胡散臭そうな、それでいて〝やっぱり何か考えてたんじゃない〟と言いたげなのがありありとわかる顔で。
そしてすずかちゃんは、何かを期待すると同時に、何故かとても不安げな顔で。
そんな三人の顔を順繰りに見回すと、俺は一度咳払いをして自信満々な笑みを浮かべると、わざと声を一オクターブ程下げて言った。
「私に良い考えがある」
勿論、気分は某正義の味方の総司令官であった事は、言うまでもない。
俺はすずかちゃんが好きだ!
月村すずか。
その名は俺にとって天上の調べに等しい神々しさを持ち、そして同時にその名は、俺がこの世界で一目惚れした少女の名前でもある。
佇まいは凛として涼やかで、物腰は天使の如く柔らかく、発する声はさながらハープの音色。微笑みを見るだけで荒みきった心は癒され、その可憐な口で俺の名を呼んでくれようものならば、天にも昇る歓喜に包まれる。
すなわち女神だ。超女神だ。ハラショーッ!
出会いこそ不幸から始まったが、今となっては日々仲良しグループに勘定してもらえるほどに親しくなり、つい先日にはお泊り会もした。ここまで来て〝仲が悪い〟などということはまずないだろう。
よほどの例外で、実は今までのは全て演技だったとかあるが、すずかちゃんはそんな悪質極まりないビッチではない。それは友人であるアリサも高町も勿論だし、そもそも俺のクラスにそんな姑息な事を思いつくどころか、〝友人を貶める〟という発想が出来る人間がいないのだ。こればっかりは、俺の命と誇りと恋心を賭けてでも断言できる。
平和ボケしてるとか間が抜けたヤツらが多い、と他クラスでは散々言われているが、俺個人は今のクラスの皆を大いに気に入っているし、なによりもそんな悪評を気にもしない悪友達とクラスメイトが大好きだ。
……時々妙に団結して俺ばかりを攻撃対象にするのは、一種の愛情表現だと思いたい。
そして、そんなクラスの一員であり、他クラスからは三大美少女組と呼ばれているうちの一人であるすずかちゃんが、俺は群を抜いて好きなのである。それこそ、この命をかけてでも助けたい、と願うほどに!
…………さて、突然何故俺がこんな事を話しだしたのかというとだな。
「あ、あの本田君?」
「は、はひ……っ!!!」
俺の目の前に鎮座ましましておられますは、菫色の毛並みが美しい、スレンダーな子猫が御一匹。たしか、すずかちゃんの家にもいたコラットとかいう種類の猫に似ている。ただ、あちらよりもちょっとふっくらしてて、どちらかというとシャルトリューの風格も併せ持った合いの子のような雰囲気だ。
しかし、ちょこんとソファーに腰掛け、首をかしげて俺を見つめるその瞳は、すずかちゃんの瞳そのもの。青みがかった瑪瑙のような宝石がふるふると揺れ、その小さな宝石の中に、驚愕故に声を絞り出す事も忘れた間抜けな小僧が独り、映っている。
「えと、すごく顔真っ赤だけど……」
「大丈夫ッ! 本田時彦が誇る百八の特技の一、顔面赤化です!」
「そ、そうなんだ」
菫の子猫様は、そういってちりん、と首の鈴を鳴らして小首をかしげて見せた。
……そう、今この瞬間俺と会話をしているのは、目の前の子猫様なのである。
さらに言うならば、子猫になったすずかちゃんだったりする。
つまり、こうだ。
猫=すずかちゃん。
すずかちゃん=女神。
すなわち、猫=すずかちゃん=女神。
……うん、イイッ! すっごく、イイッッ!
もうあれだね、ただでさえ女神なすずかちゃんが、動物界最強の癒し生物と謳われている猫に変化した事で天界すらも征服する勢いで神々しくなられておる。
そんなすずかちゃんverぬこに見惚れている俺の傍らでは……、
「ちょっと時彦、なんでアンタだけ人間のままなのよ! こんなの不公平だわ!」
「うにゃ、うにゃぁああああ!? わた、わたし、わたし猫さんになってるーーー!?!」
立派にキャバリアなんちゃらとかいう子犬と化したアリサと、マンチカンの子猫と化した高町が混乱と共に悲鳴を挙げていた。
場所はとある街外れの港、その資材置き場。そのとある一画で、俺達は事件を〝引き起こして〟いた。
あの後―――つまりフェイト捕獲作戦の説明を行った後、俺達はその作戦を実行するためにも高町の魔法探知機としての機能をフル活用して街中を練り歩いた。
みんながこの日一日フリーだったのが幸いだったと言える。
おかげで門限だけを気にすれば問題はなく、思う存分ジュエルシードの捜索に取りかかる事が出来た。
結果、三時間と少しの時間がかかったが、海鳴港と海鳴駅の間にある資材置き場でついに未活性化状態のジュエルシードを見つけることができた。……できたんだが。
「もう、なのはが悪いのよ! 封印する前に油断なんてするから!」
「はぅ……ごめんなさい」
「ま、まぁまぁアリサちゃん。なのはちゃんだって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったんだもの、仕方ないよ」
「すずかは甘いっ! だいたい、封印してないジュエルシードを持ったら、少なくとも無意識レベルの願い事でも勝手に叶えちゃうって特性は、前々からわかってたことじゃないの!」
「にゃ、にゃはは」
「笑って誤魔化そうとしても無駄よ。この件が片付いたら、じーっくり説教してあげるんだから!」
「ふ、ふぇええ~ん」
既にこの時点で説教が始まっているんじゃないか、と突っ込みを入れるのは野暮なんだろうな。
てなわけで、縮こまった茶とらの猫に御立派な犬様が説教をかますという、何故か和みを通り越してシュール極まりない状況ができあがっていた。
まぁ、早い話がアリサver犬が説明してくれたように、簡単に話せば以下のようになる。
資材置き場でジュエルシード発見
↓
高町がうっかり手掴み。
↓
変身合間に、ふと先程街中で見かけた立派なベンガル猫について談義
↓
動物になってみたいよね~。そうだね~。にこにこ。
↓
気が付いたら俺を除いてみんな動物に←今ここ。
こんな感じである。
何故俺だけが影響を受けずにいたのか、とか。
なんでさっさと封印しなかったんだ、とか。
そもそも何故いきなり猫談義したんだ俺ら、とか。
突っ込みどころはもう素晴らしいくらいに随所にちりばめられているんだが、そんなことはどうでもいい。
「あ、あの月村さん」
「え、なぁに、本田君?」
「…………抱いても、いいですか?」
「え!?」
じーっと、正座して目の前に猫座りされておられる月村すずかverぬこ様を見つめる。
毛並みは暁に染まった日光を弾き、そのシルキーな菫色の毛は長く、同時にしっとりとした光沢感を出していていかにも高級そうである。
円らな瞳はまるで珠玉の宝石の如く、暁の中においてそれはさながら神殿に眠る秘宝か何かのようだった。
そんな全身国宝級の可愛らしさを誇るすずかちゃんverぬこ。それを目の前にして、一度でいいから抱き抱えたいと思わない人間がいようか! 否いまいっ!!
今や俺のハートは震えるぞビート!
情熱は燃え尽きるまでにヒート!
あぁ、抱きしめたい! その夜の滴のような毛並みをもふもふと堪能しながら抱きしめたい……ッッ!
そんな、ともすれば血涙を流しても可笑しくないレベルの俺の欲求が実を結んだのだろうか。唐突すぎる俺のお願いを聞いてびっくりしていたすずかちゃんverぬこは、きょろきょろと左右を見渡し、そのあとそっと俺を窺うように見ると、よぅーく耳を澄ましてやっと聞こえるかどうかという声量で、言った。
「えと……いい、よ?」
「ま、マジですか……ッ」
「う、うん。あ、でも、えと、優しく……してね?」
本田時彦、享年(肉体年齢)9歳であった。
死んだ。俺この後死んだ。
今まで生きててよかったよ。オウブラヴォー。マイライフイズビューティホー!
ほんっっっとに、生きててよかった……!
仮に、俺の人生が今この瞬間のためだけに遭ったと言われても、俺は納得できるね。
思えば理不尽な転生に始まって、今年は行ってから尽きることなく降りかかって来るトラブルの雨に悩まされたものだが……しかし、この瞬間のためにそれら試練があったのだと思うと、へへ……なんだ、かわいいもんじゃねぇか、って思えてきてしまう。いやぁ、人生って実に不思議/現金だなぁ!
「そ、それじゃ……」
「は、はい」
そして遂に、俺は覚悟を決めてそっと、そーっと、その小さな体を抱き上げた。
すずかちゃんverぬこの大きさは、まだ子供である俺の腕の中にすっぽり収まる程に小さい。
赤ちゃんを抱きかかえるくらいの慎重さと繊細さで抱き抱えた感想は、まず、暖かいということだった。
それはきっと、大好きな人(今は猫だが)を抱きかかえていると言う興奮と、その存在への愛しさからくる熱なんだと思う。
……あぁ、ダメだな。つい、マイラバーのことを思い出してしまった。
寒い日や大雨の日、そして決まって夕暮れになると、アイツはいつも俺の膝の上に乗っかって来る癖があった。
どんなに邪魔だの重いだのどけだの文句を言おうと、頑として退こうとしなかったっけ。逆にそんなことをすると、手当たり次第に噛みついてくるという逆襲にあったものだ。
結局、最終的には俺が折れてしまってそのまま抱き抱えたまま寝こけてしまう事が多かった。ほんと、今思い返すと良い思い出だけどさ。
「本田君?」
「え、あ、ごめん、痛かった!?」
「ううん、それは全然大丈夫だけど……その、なんだか悲しそうな顔してたから。大丈夫?」
「……俺が?」
ちりん、と。何故かその首についている首輪の鈴を鳴らして、すずかちゃんverぬこが振り仰いで俺を見る。同時に投げかけられた疑問に、俺は知らずその質問を心の中で反芻していた。
俺としてはちょっとばかし感傷に浸っていただけなんだが、もしかしたら本心では本当に悲しいのかもしれない。
正直、前世のマイラバーとの暮らしが恋しくないと言えば、嘘になる。
今思い返してもあの人生に後悔はないし、むしろ騒がしくて厄介事もそれなりにあったが、それ以上に楽しくて幸せな毎日だったと思う。そんな生活を突然打ち切られてこの世界に転生した悔しさと言うのは、今でも俺の心の奥底で未練として残っているのかもしれない。
けど、だからといって今のこの世界が嫌いじゃないのは、ご存じの通り。
何より、俺が今大好きなすずかちゃんが目の前にいる。しかも猫に化けてしまったとはいえ、そんな大好きな人をこの手の内に抱きかかえているのだ。これで幸せでないと言うのなら、そいつは色んな意味で終わってる。
そもそも、生涯を通して心の底から好きになれる人に出会えるかどうかというのは、ほんのわずかな確率と運による。そして今、俺はその宝くじを見事に引き当てている確信がある。
誰しも、宝くじが当たって嬉しくない奴はいないだろ? つまりはそういうこと。
だから俺は、こちらを見上げる菫色の毛並みが美しい子猫様の頭をそっと左手で撫でると、極々自然に笑いかけた。
「そんな事あるわけないよ。むしろ幸せいっぱい過ぎてこの瞬間が終わるのが怖いくらいさ!」
「もう、またそうやってお世辞で誤魔化すんだから」
「……神様、どうして俺の本心はこう、ことごとく冗談として受け取られるんでしょうね」
「え? 何か言った、本田君?」
「幸せすぎて嬉しいなー、って言ったのさ!」
幸せなのは本心です。小首を傾げてこちらを振り仰ぐすずかちゃんverぬこってばめっちゃラブリーなんですもの!
こんなレアというか普通だったら一生遭遇する事の叶わないシチュエーションにいるのに幸せじゃないとか、俺には理解できないね。
ただし、そんな幸せな時間はいつまでも続かないのが世の常。
しばらくこの胸の中に納まったなまら暖かいぬこのぬくもりに癒されていたら、突然ケツに鋭い痛みが走って飛び上がらんばかりに驚いた。
「ぃいッてぇっ!?」
「ちょっと、いつまで私達の事無視してるつもり?」
振り返ると、そこにはグルルルと威嚇しながら俺を睨み上げる子犬が一匹。いうまでもなくアリサver犬である。
つーか貴様か、今俺のケツを噛んだのは!?
その隣では、同じくアリサと同じ体勢で座っている高町ver猫がいた。見上げるその表情に、若干羨まし気なものを感じるのは俺の気のせいだろうか。
「別に無視なんてしてないだろ」
「おもいっきり二人の世界に入ってたくせに何言ってんのよ」
「ふははは! それは否定しない!」
「……はぁ。なのは、ちゃっちゃと元に戻してくれる? この馬鹿早くしばきたおしたいから」
「う、うん」
ぐっ……このヤロウ。これ見よがしに溜息吐きやがって。しかも理由がアレすぎるだろオイ。なんでピンポイントに俺なんだ。
だが、事態はここから予想外の方向へとぶっ飛び始めていた。
アリサにせかされ、猫となった高町が焦ったように「レイジングハート、セットアップ!」と声高々に宣言する。
本来ならば、即座に高町の全身を淡い光が包み、次の瞬間にはちょっと魔法少女と言うには武装的すぎる、しかし間違いなく男の子なら恥ずかし過ぎて悶絶する事必死な衣装に瞬間着替えするのだが……。
「………あれ?」
「………なんも起こらんぞ?」
「ちょっとなのは。遊んでる場合じゃないのよ? 早く変身してコレ治してってば」
「う、うんわかってるよ。でも、あれ? れ、レイジングハート、セットアップ!」
アリサの呆れたような視線と、俺の懐疑的な視線にさらされながら、再び祈るように声高く宣言する高町。ちなみに、器用な事にその手には丸い宝石であるレイジングハート様を握っていた。
……なんで様付けかって?
みなまでいうな、察しろ。
しかし、高町の声は虚しくも資材置き場へと静かに溶け消えていくだけだった。俺達の見慣れたいつもの変身は起きず、ましてや光の本流など欠片も見当たらない。
相も変わらず高町は猫のままで、そして俺達の視線はさらにその温度を下げていくだけだった。
「……あのー、タカマチサン?」
「……はい、なんでしょう」
「もしやとはおもうんですがね」
「…………はい」
嫌な予感をひしひしと感じながら、俺は恐る恐る、見るからに意気消沈とばかりにシュンと項垂れている高町ver猫様に問いかける。
……すでに返事が生返事と言うか、力がないと言うか、つまり死んでいるところには敢えて目をつぶろう。おかげで不安感がましましに倍プッシュどころの話じゃないのは、きっと気のせいだと思いたい。
あぁそうさ、きっと俺の―――俺達の勘違いなんだ!
ったくよー、こんな状況で焦らせるなんて、高町の奴も随分と高度なギャグができるようになったじゃねぇかHAHAHA!
見ろよ、隣のアリサなんて犬だってことを忘れさせるくらいに顔を青くしてるぜ! いやー、毛色が金色の犬が顔を青ざめさせるなんてまた器用だよなー!
そんな葛藤を心の中でキリが無い程繰り返し、俺は遂にその質問を投げかけた。無論、心の奥底では、冗談であってくれ、頼む、次には「ごめんね、ちょっとしたドッキリだったの♪」と言ってくれッ……あ、いやでもそうすると今すずかちゃんを抱きかかえるのも終わるのかそれはちょっと勿体ないなあと五分……いや十分、いやいや後一時間はもっと堪能したいダメだそれじゃすずかちゃんが困っちまうやっぱり早いとここの状況をなんとかしたほうがいいよねだから高町お願いだからッ、お願いだから首を横に振ってください頼みますからッ!!
「まさか……変身、できないとか?」
「…………………はい」
「ちょ、えぇえええええええ!?」
……しかし、俺のそんな熱き思いは、無常なる現実という壁の前に脆くも打ち砕かれるのであった。
ちなみに、声を挙げて驚いているのは、言うまでもないだろうがアリサである。あ、そのまましおしおと地面にへたり込んだ。
俺も心境はアリサとまったく同じなんだが、しかしそうするには今俺の腕の中で固まってしまっている子猫様のことがあるので、安易に地面にへたり込むわけにもいかない。
見れば、俺が抱き抱えているすずかちゃんは、まるで石像にでもなったかのように固まっていた。ぴきーんと尻尾を縦に伸ばし、石像か彫刻か何かのように硬直したまま、相変わらず項垂れて今にも穴に埋まりそうな程意気消沈としている高町を見つめている。
さて、そんな風に冷静に状況を観察している俺だが、内心は物凄い焦りまくってたりする。
そりゃそうだろ。だってこれじゃ、そもそもフェイト捕獲作戦が予定の前提段階で崩壊してしまうんだもの。いやそれ以前に、動物化したまま元に戻せない&次元震を引き起こす可能性が無きにしも非ずなままジュエルシードを放置という凄まじくヤバい状況なのでは!?
そう思い至り、俺は今さらながら事が重大極まりない事態に陥っている事に気が付いた。俗に言う地球の危機というヤツである。冗談抜きに。
本来であれば、未発動のジュエルシードを確保、それを餌にしてフェイトをおびき寄せ、可能ならば高町が説得。不可能であれば、当初の予定通り俺達で一芝居打った後に力づくでも捕獲するつもりだった。
しかし、それはあくまで、フェイトと互角に戦える高町という戦力がいたら、の話である。まさか猫に化けてしまう事態など予測できなかったのは言うまでもなく、さらには変身(俺達からしてみれば、十分魔女っ娘の変身である)が出来ないなんて想定外もいいところだ。
もしこんなところをフェイトに狙われでもしたら……!
「高町、落ち込むのは後だ! とにかく対策を考えないと!」
「で、でもわたし、レイジングハート無しでジュエルシードの封印なんてむりだよう!」
「ぐっ……そ、そうだユーノ! アイツと念話とかいうテレパシーできるんだろ? そんでもって、アイツに来てもらって封印してもらえば!」
「それもダメ! ユーノ君、まだ本調子じゃないし、それに封印魔法使うのってすごい魔力が必要なの。だから……」
「くそ、参ったな……」
そう言えば、あの宇宙船の中でユーノがそんなような事を言っていた気がする。
高町の奴は平気な顔して封印魔法を使っているように見えるけど、実は大の大人一人が死ぬ気でやってようやく成功するくらいの大魔法だとかなんとか。
それもランクが云々って話のところで聞いたもんだから、いまいちよく覚えてないんだが。
……そういえば、あいつってばこっちだと魔力との相性が悪いとかなんとかで全力を出せないとか言ってたな。それも関係してるのかもしれん。
ともあれ、現状俺達に打つ手なしと言うのはよくわかった。よくわかったが故に、ちょっと俺もパニックになりそう。
「そもそも、なんでなのはは変身できないのよ? まずはその原因がわからないといけないじゃない」
「にゃっ! えと、なんでだろう……レイジングハート、わかる?」
≪At the stage of the enrollee collation in the setup, the failure of collation and the irregular use by non-enrollee were detected.
Perhaps, it is thought that the possibility of the influence by the jewel seed is the highest though the cause is uncertain≫
「……登録者照合の失敗?」
「ふぇ? あの、レイジングハート、それって……」
「今のなのはちゃんじゃ、登録者として認められない、ってこと?」
≪……Yes, Miss Tsukimura≫
「マジかぃ」
「……固有登録も考えもの、ってワケね」
立ち直りの早いアリサの質問は、逆にブーメランとなってアリサにダメージを与える答えしかよこさなかった。
ていうか、そうか高町の杖って使用者登録みたいなのがあったんだっけ……。
しかし、ここにきて完全に王手がかかってしまった。
唯一フェイトに対抗できる戦力の高町は変身できない。
それはつまり、フェイトが来たらなすすべなくジュエルシードを持っていかれるばかりか、当初の作戦であったフェイトの捕獲もままならないということ。
確かに生ジュエルシードを(ようは未封印のやつ)を確保して、それを餌にフェイトをおびき出そうと言う作戦そのものに無茶があったのは認める。だが、だからと言ってまさか俺を除いて全員が動物化した挙句、高町の奴が変身できなくなるなんて誰が想像できたと言うのだろう。やっぱり物事の計画を立てるときは、ありえないと思えるような事でも予測の範囲内に入れて―――――あれ?
「ちょっと待てよ」
「何よバカヒコ。くだらない冗談言うつもりだったらガブッと行くわよ?」
「いや、真面目な話、なんで俺だけ動物になってないんだ?」
「……そういえば」
「うにゃ、なんでだろ?」
そう、そこがおかしい。
なんで俺を除いたみんなが動物になっていて、俺だけ人間のままなのか。
普通に―――つまり俺達が今まで経験してきた上で考えるならば、ジュエルシードが発動した時その近くにいたすずかちゃんやアリサが影響を受けたならば、同じく近くにいた俺も影響を受けていてもおかしくないはずだ。
それがなんの影響もないと言うのは、単純に考えれば、高町が俺を動物に例える事ができなかったとか、俺にしかない、なんらかの理由があるってことだろう。
……俺にしか、ない?
そのフレーズに、ティンときた。
「なに、時彦。アンタ心当たりでもあるの?」
「へ? あ、何が?」
「何がじゃないわよ。今、変な顔したでしょ。何か気付いた事でもあるワケ?」
ぐっ、なんて目敏いヤツだ……!
決して表情に出しているつもりはなかったと言うのに、それを見とがめるとは……いや、むしろ犬だけに嗅覚が並はずれてると言った方が良いのか。
どちらにしても、ここで“例の事〟を知られるのは滅茶苦茶マズイ。何より、この場には関係の深いすずかちゃんもいるんだ。絶対に言うわけにはいかん!
「いや、もし俺が変化しなかったのが、高町が俺を動物に例えたらどんな動物か想像できなかった、って話だったらすげぇ間抜けだなぁ、っておもっただけだよ。まさかそんなアホな理由――――」
「にゃっ、そ、そういえば……私、本田君だけ動物さんに例えたらなんだろう、って考えて何も思い浮かばないような……?」
「――――ってホントなのかよッ!?」
大慌てで誤魔化した話が、まさかドンピシャで的を得ていたとは。これぞまさに嘘から出た真というやつだろう。
ともあれ、これでなんとか誤魔化す事は出来た。すずかちゃんに〝女体化〟の事がばれずに済んだのは僥倖と言って良い。
……実のところ、今回未発動のジュエルシードを回収する事にこだわってたのは、その〝女体化〟をどうにかする腹積もりもあったからなんだよな。結局高町の所為でそれはおじゃんになったわけだが。
当初の予定では、未発動のジュエルシードを俺が確保。しかる後に〝男に戻りたい〟と念じて発動し、無事に俺は男に戻り、高町かフェイトでもいい。どちらかに発動したジュエルシードを封印してもらうつもりだった。
無論、封印後にまた女に戻るかもしれないが、それでも何もしないよりははるかにマシってもんだ。なまじ、ジュエルシードによる呪いが原因と分かっているだけに、他に解決手段がなんも思いつかないのだから仕方ないだろ。
ただまぁ、人間欲に目がくらむと碌な事がないと言うか……実際に、そんな余計な事を考えた所為でこんな窮地に陥ってしまったわけで。世の中実によく出来てるよな、うん。
と、ともかく反省は後!
まずはこの状況をどうにかしないと――――!
そう思い、憎たらしい事に呑気極まりなくぷかぷか浮かんでやがるジュエルシードへと手を伸ばした、その時だった。
「―――アリサ、避けろ!」
背筋が痺れるような直感に従って、俺はアリサに指示を投げっぱなしにしてその場から全力で飛び退いた。
動物化はしていなくとも、本能だけは動物的な勘を持つようになっていたのか。どちらにしても、我ながらよくも動けたもんだと褒めてやっていいほどの俊敏さだった。
あまりにも俊敏過ぎて、着地に失敗した揚句に情けなくも地面を転がる羽目となったがな。
無論、腕の中に抱えていたすずかちゃんを潰さぬよう、全身を丸めて身を呈し守ったのは言うまでもない。
「す―――月村さん、大丈夫!?」
「う、うん。ちょっと苦しかったけど」
「そか。よかったぁ……」
慌てて身を起して腕の中のすずかちゃんを見ると、抱きとめている腕越しに震えているのが伝わってきたが、怪我はないようだ。
これで怪我してようものなら俺は本気で自殺するレベルである。
とりあえずすずかちゃんが無事な事に安心した俺は「そうだ、アリサの奴!」とアリサの姿を探す。
だが、俺の心配は杞憂でしかなかったようで、見れば先程立っていた位置から俺の反対側の方へと飛び退いていた。しかも、犬特有の瞬発力を発揮して俺の倍以上の距離を離れている。それでいてちゃっかりと高町ver猫の首を咥えているあたりさすがと言えよう。
どんな状況でも瞬時に反応して見せたり、自分のおかれた状況を素直に受け入れて、それに順応する適応力は小学生のレベルを超えてるんだよな、アイツ。そう言った意味では、間違いなくアイツも天才に分類される人間なのかもしれない。
……問題は、だ。
みんなの無事を確認した俺は、改めて先程俺達の立っていた場所へと顔を戻した。
そこには、ついさっきまで立っていた俺達に代わって、ロケット弾か何かを撃ちこまれたような小さなクレーターが出来上がっている。
幸いな事に、その〝何らかの攻撃〟はジュエルシードには当たらなかったようだが、それでももう少し奥の方へとずれていたら、間違いなくジュエルシードに直撃していたはずだ。それとも、わざと俺達を狙って―――!?
「あ、ありがとう、アリサちゃん」
「礼なんていいわよ。それより、今のは……!」
「なのはちゃん、アリサちゃん!」
「ッ―――アリサぁあああ! 奪り返せぇええッ!」
「え――――?」
黒い疾風が、逆巻いた。
俺の叫びは遅く、そして、ジュエルシードが消え去った。それを呆然と見送ってしまったと言って、アリサを責めることはできない。今のは、どうあっても俺達では反応できるものではなかったからだ。
まるで小さな竜巻のようにジュエルシードを鷲掴みにしたその疾風は、即座にその場から跳んで反対側の廃材コンテナへと飛び移る。
ジュエルシードを世撮りされた、と歯噛みしても、もはや後の祭りだ。
そもそも考えが足りなさすぎた。
ジュエルシードを狙っている、という事実を利用したのは良い。実際、こうしてその目論見は成功している。
だが、狙っている、ということはつまり、言い換えれば俺達がソレを持っているならば、ヤツは間違いなくソレを奪いに来るという事。
先の一撃は、ターゲットを囲む邪魔ものを排除するためのものだった。
ジュエルシードを壊すためでも、狙いが逸れたわけでもない。ただの〝威嚇攻撃〟でしかなかったわけだ!
そして狙い通りに俺達がどいた瞬間、まるでトンビが油揚げを掻っ攫っていくようにかすめ取る。
ムカつくくらいにシンプルで、そして鮮やかな手口だ。さっすが、黒い死神を真似るだけはある。
風が収まり、俺達はその風の残滓を追いかけてコンテナの下へとやって来る。
夕暮れの太陽は、既にその半身を海岸線の向こうへと沈ませ、空には紺碧色の絨毯が絨毯を広げるようにして茜色の天蓋を塗りつぶしている。
そして、うっすらと輝く白い月の下、そいつの黒い衣装は何よりも映えているように俺には見えた。
手に握る、高町の杖とは対極とも言える黒い斧。
ひときわ強く吹きつけた一陣の風になびいて舞い上がる、黒いマント。
そして、それら黒の中で鮮烈な存在感を放つ、金で編みあげたシルクのような髪と、こちらを見下ろす赤い双眸。
そいつは一度、手に持っていたジュエルシードをギュッと握りしめると、おもむろに空高くへと放り投げる。
「バルディッシュ、グレイヴフォーム」
≪Yes,sir≫
短い宣言とともに、その右手に持つ戦斧が形を変えた。
刃の部分を前方に展開、さらにその付け根に羽のような付属パーツを増築し、各部から金色の光が吹き荒れる。
その場にいた俺達の内、誰も声を出す事が出来ずにその成り行きを見守っていた。
やがて、金色の奔流を身にまとった黒い斧だったモノは、主の言葉にしたがってその力を解放する。
「ジュエルシード、封印」
≪Sealing≫
雷と表現することすら生温い、黄金の光芒が空を引き裂き、ジュエルシードに直撃する。
俺は慌ててすずかちゃんを抱え込んだままその場に伏せ、襲い来る衝撃波に備えた。
ちらりと横に視線を投げれば、高町とアリサも同じく身を伏せている。
もう何度も経験したことだが、ジュエルシードを封印する時は決まって衝撃波が発生する。ぼんやり突っ立っていたら、西部劇のタンブル・ウィードよろしくゴロゴロと転がる羽目になることは、身を以て経験済みだったりする。
爆音。
続いて予想通りの衝撃波が駆け抜け、俺は口を開けて吹っ飛ばされないようにその場にしがみ付いた。
衝撃波を伴った突風は長く続かない。目を焼くような激しい光が収まった頃には突風も止み、それを確認した俺は砂埃で汚れた服をはたきながら立ちあがる。
≪Captured≫
再び顔をあげてみれば、ちょうど輝きを失ったジュエルシードが、黒い斧の目玉のような部分へと吸い込まれていく所だった。
……まったく、実に鮮やかな手並みだよ。イヤほんと感服するね。
俺達からジュエルシードを奪い、封印するまでの過程に一切の無駄がない。無暗に触った挙句暴発させたどこかの誰かさんとは大違いだな。
だがな、世の中手並みが手並みが良くて無駄がなくても、容量が悪けりゃいくらでも転けるんだぜ?
「よう―――――フェイト。せっかく会ったのに、挨拶も無しにバイバイか?」
「……」
「こっち見ろって。シカトされたら俺泣くぞ?」
傍から見れば、歳を考えても実に痛い事極まりないコスプレをしているようにしか見えないそいつ――――フェイトは、本当に渋々といった様子で再びこちらに振り向いた。
あぶねぇあぶねぇ……もしあのままシカトされてたら、もうその時点で計画はおじゃんだ。そしたら冗談抜きで俺泣いてたぞ、二重の意味で。
しかしまぁ、そんな女々しい未来はどうにか回避できた。できれば、このまま俺的に男らしい結果で終わらせたいもんだな。
「いいから降りてこいよ。ちょっとくらい、話してってもいいだろ?」
「……」
こくりと、言葉は無かったものの首肯を返してくれたからには、あちらにも話を聞くつもりはあるらしい。
俺達を見下ろしていたフェイトは、手に持っていた斧を高町の持っているレイジングハートのように小さな〝待機モード〟と呼ばれる状態に戻すと、それまで立っていた場所から跳び下りた。
そしてそのまま俺の方へと歩いてくると、そのルビーのように綺麗な双眸で俺を見つめる。
その表情は、今まで俺が見た事がないくらいのっぺりとしたものだった。
剥製の仮面をそのまま被っているような、なんの色も感情も感じられない、無色透明な表情。
……いや、俺は過去に何度か、この表情を見た事がある。
髪の色も、性格も違うけど、全く同じ表情をしていたヤツの事を、俺は知っている。
その理由が何故か、なんていちいち考えるまでもない。全く同じ表情をするからには、その裏にある理由もまた、似通ったものだからだ。
だが、今はその無表情さが有難かった。そう―――〝今の状況〟においては、とてつもなく、有難い。
「俺の事、わかるか?」
「…………え?」
ここにきて初めて、フェイトは俺の〝意味不明〟な質問に目を丸くした。
それでいい。その反応で、正しいんだ。
〝フェイトをおびき寄せる〟という一つ目の目的は果たした。
ここからは、二つ目の目的を果たすために、俺達のアドリブ力が重要となって来る。
なに、敵をだますには味方から、って諺があるんだ。ちょっとばかし騙すくらい、大目に見てもらおうじゃねぇの。
そんな身勝手な事を考えながら、俺はフェイトに向かって不敵に笑いかける。
さぁて、ここからが正念場だ――――――!
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いぶりすのちらうら
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はい、というわけで次回に続きます。もぉおおうしわけございませんっっっっっっ!!!
当初は一話にまとめる予定だったのですが、予想以上にプロットが長くなってしまい、結果わけることとなってしまいました。
ここからアルフのフラグをどう回収するか頭の痛いところではありますが、ラストのプロットが出来ているのは幸いであります。
さて、俺すずフェイト編も終盤です。このままフェイト編解決まで頑張っていきたいです。
こんな作品ではございますが、今後とも今しばらくお付き合いくだされば、この上ない喜びでございます。
それでは、また次の更新で。