9月1日。
俺は真新しい制服と使い古された履き物を身に纏い、白亜の大型建造物の中をフェイトと共に担任の後ろについて歩いていた。
古い履き物なのは何故かって? これはスリッパだよスリッパ。
ちょっとおっちょこちょいな俺は初日から上履きを忘れてしまったのだ。
笑うな糞バール。 壁に叩きつけてカチ割るぞコノヤロウ。
「それじゃあ先生はクラスのお友達にいくつかの伝達事項があるから、それが終わるまでちょっと廊下で待っててね?」
「「はい」」
先生はそう言い残してこれから俺たちが学ぶことになる教室へと入っていった。
本来転入生は人数調整の問題から別々のクラスに配属されるらしいのだが、『知り合いがいる教室に入れた方がより早くクラスに溶け込めるだろう』という学校側の思いやりによって、俺たちは2人ともなのは達と同じクラスに転入することとなったのだ。
「サニーは最近どんな風に生活してたの? また石探し?」
「いや、ここ最近はユーノから貰った次元航行論の本を読んでた」
「あ、もしかしてそれ、ローランって人の書いた本だったりする?」
「おお、良く知ってるな。 お前もそれで勉強したことがあるのか?」
「うん。 昔リニスに丸暗記させられたことがあるんだ」
フェイトはそう言って昔を懐かしむように優しく笑った。
「そっか。 でもあれ、すっげえわかりやすく書かれてるよな」
「そうだよね。 書かれたのはもう数百年以上昔になるけど、それでも次元空間の事に関してはこれを超える名著は無いって言われてるんだって」
「確かに。 ユーノもそう言ってたわ」
この本はアースラなどの大型船の次元航行技術だけではなく、個人での次元転送についても非常に詳しく、かつわかりやすく書かれている。
著者のローラン教授は時空間物理学の第一人者だったのだが、とある次元空間を渡る術を持つロストロギアを発見、研究を重ねることによって、今まで謎とされてきた次元空間そのものに画期的な仮定を導入した。
それは縦横高さという3次元に、もう一つマクロな第4の軸を導入するというものであった。
アイデア自体は昔からあったのかも知れないが、それを様々な科学的事実から数式できちんと表現される理論まで持っていったのは間違いなくこの人である。
その本が出版されるまでの時空間移動は、ブラックボックスになっている次元航行機能を持ったロストロギアの内部機関を移し替えるという博打的なものだった。
当然老朽化していても直す方法など誰にもわからず、その機関の暴走によって起こったおぞましい事故は数知れないそうだ。
そんな終わりの知れないロシアンルーレットのような時空間旅行は、彼の理論を元に作成された機械によって、ようやく安全かつ確実なものとなった。
こうしてミッドチルダを中心とする次元世界は、より広い範囲まで観測が進み発展していったのだという。
ユーノが言うには『彼がいなければ今ような管理局や世界間交流は存在しなかっただろうけど、そもそもそれが無ければ世界が丸ごと消滅するような大規模次元災害ももっと少なかったはず。 これは科学技術や魔法と言ったものは使用する人間によっていかようにでもなると言う1つの例だよ』との事。
流石は遺跡発掘の第一人者。 言葉の重みが違いますね。
また、この本にはその次元航行理論の魔法式への応用についても詳しく書かれており、今の俺の目標はそれを元にして転送魔法やゲート魔法を『同一世界内限定』から『他次元世界』へも転送できるように発展させることである。
しかしその為には複雑なテンソル計算を含む多重線形代数を学ばなくてはならず、なかなかに骨の折れる作業になることが予想される。
ま、楽しいから良いんだけどね。
「そういえば前にバールを借りたことがあったよね?」
「お、おお。 そういやそんなこともあったな」
またいきなりだな。
なんだ? もしかして今の短いやり取りから魔法を使えることがバレたのか?
いやいや、別に魔法を使えなくてもこの手の研究者はいっぱい居るらしいから普通に大丈夫だろ。
「あの時いくつか気になったんだけど、私達魔導師って魔法を使う時は自分のリンカーコアを通した魔力素を制御してるのは知ってる?」
「ああ、それは前に一度ユーノから聞いたことがある。 なんでも魔導師と魔力素の相性問題からそういう風に、自分で生み出した物しか使えないようになってるって仮説があるらしいな。 お前の電気変換資質もそこら辺から来てるとか何とか」
リンカーコアの性質の1つには、大気中に存在する数種類の魔力素を個人個人に適した物を選別しそれらを励起状態にするというものがある。
そしてその為に使用される触媒もまた魔力素の一種であり、リンカーコアにはその触媒となる魔力素を備蓄する機能も備わっているそうだ。
高ランク魔導師と呼ばれる人達は一般にこの魔力素を励起状態にする働きが非常に活発で、かつ触媒の備蓄可能量も大きいのだという。
そしてフェイトの持っているレアスキルの一種、電気変換資質などは、そうして集束させた魔力素を高い効率で電気エネルギーに変換することが出来る一方で、炎熱系や氷結系魔法がほとんど使えなくなる等といったデメリットが存在する。
これはそれぞれの自然現象を起こす為には魔力素の組み合わせが重要であり、そこにこそ個人の資質に大きく依存するものがあるからだろう、とのこと。
ちなみに『魔力光の色は個人の集束させやすい魔力素の組み合わせや割合によってついている』という説が現在の学会では主流だとか。
個人的には魔力光の色が変えられるなら今すぐにでも変えたいので、とっとと研究成果を出してくれと切に願っている。
「うん。 私もそれで間違いは無いと思ってたんだけどね、バールを借りた時もしかしたらこの考えは少し違うんじゃないかって思ったんだ」
「それはまたどうして?」
「さっきも言ったように、魔道師は通常自分のリンカーコアを通した魔力素しか上手く制御できない。 これは例えデバイスを使ったとしても変わらない事実で、魔法の教科書にもこのことは基本事項として書かれている。 もちろんなのはのスターライトブレイカーのように他人の魔力素を再利用できる人もいるけど、それは凄く特殊な例だから」
「らしいな。 デバイスはあくまで魔法の補助をする道具に過ぎず、魔力量自体が増したりはしないんだっけ?」
以前ユーノに色々解説されたとき、何かそんなようなことを言っていた気がする。
やたら長くてくどくどしかったから半分ぐらい忘れたけど、確かカートリッジシステムとかいうのを使えばまた話は違うとかなんとか。
「そう。 でもね、バールは明らかにそういった物を超越してるんだ」
「え? そうなの?」
「バールは大気中の雑多な魔力素を、術者のリンカーコアを通すこともなく使用者にとって最も適している形と割合へ変換、そして集束させている。 それも異常な程の速度と効率で」
おいおいおい。
なんか、ちょっとこの流れは危なくないか?
「これはつまり、術者に魔力切れの心配は一切なく、しかも本来有り得ないような大規模魔法を連続して発動できることを示してる。 そんなデバイス、私は今まで聞いたことが無い」
俺もねえよ。
「だからそれは十中八九ロストロギアなんだと思う。 サニーはそれ、一体何処で手に入れたの?」
「アメリカで拾った」
「それは嘘だよね? それともう一つ。 今言ったような理由からバールさえあればリンカーコアが無くても魔法を使える可能性がある。 もしかしてサニー、君は魔法を使えるの?」
俺のことを疑っているのか、問い詰めてくるフェイトの視線は非常に鋭かった。
あわわわわ、どうしよう?
何て答えれば誤魔化せるんだ?
俺は左手に居るバールに無言の視線で助けを求めたが、残念ながら彼は沈黙で応えてくれた。
ったく、肝心な時に使えないデバイスだぜ。
「――なんてね?」
「……え?」
俺がここはもう腹を括るしかないと覚悟を決めたタイミングで、フェイトは顔を緩めた。
「今のはちょっと気になっただけで、本気で聞き出そうとは思ってないよ。 言いたくないことを無理に聞き出すつもりもないし」
「はは、あはは、やだなぁフェイトさん。 俺、何も悪いことなんてしてないのにちょっと怖かったっすよ、今の」
すみません。
本当は魔法が使えるし、しかも大きな前科があります。
「あははっ、ゴメンゴメン。 でもそうやって考えてみると、なのはの持っているレイジングハートだってかなり異常だよね」
「そうなのか?」
「うん。 あのインテリジェントデバイスだって、バール同様AIにしてはかなり人間くさいし、なのはを一月も経たずにあれだけ鍛え上げたのも彼女なんでしょ?」
「ああ。 魔力素操作の基本的な部分はユーノが教えたらしいけど、それ以外の戦闘訓練とかは全部あのデバイスがやったって言ってた」
「普通インテリジェントデバイスはね、契約者を的確にサポートしてくれることはあっても、戦闘技術を教えたりは出来ないんだ。 そこまで高度なAIを組み込めるほどのリソースは、技術的な問題によって取れないはずだから」
「ふーん」
ユーノはどっかで発掘して貰ったって言ってたし、もしかしたらレイジングハートもロストロギアの一種なのかもな。
ああ、今ので思い出した。
そういや前に一度聞こうと思ってたことがあったんだ。
「ところでさ、もしかしてバールってフェイトのバルディッシュより凄かったりすんの?」
前にコイツが対抗意識を燃やしてた時、結局不完全燃焼に終わったのがよほど悔しかったのかちょっと拗ねてたんだよな。
ここで本人から評価を聞いてそれをネタにまたいじってやろう。
良い評価だったら機嫌が良くなるからそれはそれで良し、悪い評価だったら面白い反応が見られるから尚良し。
どっちに転んでも俺にとって損は無い。
「インテリジェントデバイスっていうのは術者との相性があるから性能が良ければそれでいいってわけじゃないけれど、バールの性能自体は間違いなく私のバルディッシュより上だよ。 ちょっと悔しいけどね」
「だってさ。 よかったなバール」
「当然だ。 なぜなら私は――」
「ところでフェイト、バールとレイジングハートだったらどっちが上なの?」
俺はまた始まったバールのインテリ自慢を邪魔するため更にフェイトに尋ねた。
金球のくせにはしゃいじゃってまあ。
「うーん、私はレイジングハートは使ったこと無いから何とも言えないかな」
「ならば私から語ろう。 レイジングハートはそもそも――」
「それじゃあ2人とも、教室に入ってきて下さい」
「「はい」」
それじゃあ新しいお友達を作りに行くとしますか。
「さて皆さん、今学期から新しいお友達が二人、このクラスにやってきます。 二人とも海外からの留学生さんです。 それではまずはハラオウンさん、こちらに来て自己紹介をお願いします」
「あの、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンといいます。 よろしくお願いします」
パチパチパチパチパチパチパチパチ
『キャー!すっごいかわいい!』『お人形さんみたい!』『ホント! 髪も長くてきれい!』『うんうん! あの髪触ってみたくない?』『触ってみたーい!』『わたしもー!』
パチパチパチパチパチパチパチパチ
『なあなあ、あいつドッジとかサッカーとか出来んのかな?』『昼にでも誘ってみれば良いじゃん』『やっべ、俺今赤い実はじけたかも』『マジか。 すげーじゃんタカシ。 それが噂の一目ぼれって奴か』
パチパチパチパチパチパチパチパチ
フェイトは周りからの鳴りやまない拍手と容赦のない視線を受け、顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。
「じゃあ次はサンドバック君、お願いします」
「皆さんはじめまして。 自分はダンベル・サンドバックと言います。 好きな食べ物はタンパク質で、座右の銘は『生涯現役』、休日は庭先で個性的なブランコをして過ごしています。 皆さんの筋トレのお役に立てたら嬉しいです、ってそんな訳あるかっ!」
俺は履いていたスリッパの片方を手に取り、それを床に思いっきりたたきつけた。
「誰がサンドバックやねん! サンドバックちゃうわ、サンバックや! そんな殴られて喜ぶような名前付いとったら今頃顔面腫れまくってア○パンマンになっとるっちゅーねん! そんな名前教えたジ○ムおじさん、今すぐここに連れて来いやぁ!」
そして以前会った関西弁の女の子のことを思い出しながら、有り得ない名前を紹介してくれた担任に向かって突っ込みを入れた。
『アハハハハハッ!』『こいつおもしれーぞ!』『お前お笑いとか好きだから気があうんじゃねー?』『かもなー』
『何かちょっと怖くない?』『短気なんじゃないの?』『忍耐力のない男ってやーねー』『ホントホント、周りの男子と一緒ねー』
今のノリ突っ込みは男子にはおおむね受けたみたいだが、女子にとっては周りの男子と同じで我慢が出来ない子に映ったようだった。
「ご、ごめんなさいね、ちょっとこちらの手違いがあったみたいで……」
「手違いって言うより間違いですね」
「あ、そうだ、なら黒板に名前を書いて貰ってもいい? それを元に書類を訂正しておきますので、今日のところはそれで、ね?」
「はぁ、まあそれでいいっす」
そう言って頭を下げる担任に俺はどこか納得いかないものを感じつつも、原因はきっと彼女には無いと思い直し黒板に名前を書いた。
"Sunny Sunvac"
うん、やっぱり何処にも『ド』が入るような要素は無いな。
「というわけで改めて自己紹介をさせてもらいます。 はじめまして、黒板を見てくれればわかる通りサニー・サンバックと言います。 転入そうそう皆さんにフルボッコにされるのではないかとヒヤッとしましたが、とりあえずよろしくお願いします」
パチパチパチパチパチパチパチパチ
『いいぜー』『よろしくなー』『まあ顔は悪くはないんじゃない?』『でも口が悪いからマイナスでしょ』
パチパチパチパチパチパチパチパチ
フェイトの時より拍手は小さかったものの、男子には好意的にとらえられたようなのでこのファーストコンタクトは概ね成功だと言えよう。
そんなことを思っていると、先ほどから不思議そうな顔をして前の方に座っていた男子がいきなり手を上げた。
「あら、どうしたの御手洗君?」
「先生、あの名前ってスンニーって読むんじゃないんですか?」
『おい、また御手洗の奴が変なこと言いだしたぞ』『ハハハ、あいつはアホなんだからそんぐらい許してやれよ』
「はいそこ、笑わない! 御手洗君、この間の授業でも教えたけれどS・U・Nでサンって読むのよ? ちゃんと復習しましょうね?」
「はーい」
俺は今のやり取りから脳内で御手洗君=なのは(♂)という等式を仮定した。
「じゃあそろそろ授業を始めるから二人とも席に座ってちょうだい。 二人の席は……ハラオウンさんは高町さんの隣、サンバック君は御手洗君の隣です。 とりあえず今日のところは教科書類は隣の人に見せて貰って下さい」
「「はい」」
「フェイトちゃん、さっきの自己紹介よかったよ!」
「ありがとうなのは。 でも少し恥ずかしかったかな」
フェイトは席に座って早速なのはとおしゃべりを始めた。
さて、俺も自分の席に向かいますか。
「おっすスニー。 よろしくな!」
わーあったまいー。
「おう、よろしく。 ちなみにスニーじゃなくてサニーな。 ところでお前、下の名前は?」
「サトシ。 字は賢いって意味の『さとい』からとって『聡』って書くんだ。 カッケーだろ?」
「そうだな。 そういえば英語には名前をよりカッコ良くする為にミドルネームとしてアルファベットを名前の真ん中に入れることがあるんだ。 有名な例だとワンピースに出てくる主人公とかだな。 モンキー・ルフィーよりはモンキー・D・ルフィーのほうがかっこよくないか?」
「おおすげー、確かにそっちのほうがカッチョいーな。 とっとこハム太郎のハムとかもそうなのか?」
「いやそれは違う。 でもカッコイイのは理解できただろ? だからお前にもミドルネームを付けてやる」
「マジで!?」
「御手洗 W.C.聡ってのはどうだ?」
「おお、すげーっ! ところでW.C.ってどういう意味?」
「Wild Cardの略だ」
Water Closetの略である。
「意味はわかんねーけどかっけー! よし、じゃあお礼に俺もなんかあだ名を考えてやるよ。 スン、スン、寸止まり、五寸釘、一寸先は光の世界――」
一寸先は光の世界って、お前は死ぬ間際のネロ少年か。
このままだと俺はとんでもないニックネームが付けられそうなのでもう一度訂正することにした。
「一応言っておくとサンだからな」
「そうだ、いいこと思いついた! サンからとってサニーってのはどうだ?」
「さっきから出てたとんでもないのに比べればまた随分とマシなものが出てきたな」
「へっへー。 俺のセンスも悪くねえだろ?」
「そうだね」
というか本名やがな。
「はいそこまで。 仲良くなるのはいいけど今は授業中だから静かにしましょうね?」
「ごめんなさーい」「すいませんでした」
こうして俺は学校生活で初めての男友達を手に入れた。 と思う。
友達百人出来るかな? 出来ればいいなぁ。
さて、一限の授業が終わって休み時間になった。
「ねえ向こうの学校ってどんな感じ?」
「私、その、学校には……」
フェイトは教室の隅の方で授業中ずっとそわそわしていたクラスメイト達によって質問攻めにあっている。
「すげー急な転入だよね、なんで?」
「え、と、その、いろいろあって……」
『日本語上手だね! 何処で覚えたの?』『前に住んでた家ってどんなとこ?』『下の毛ってやっぱり金色なんですか?』
「えと、その、あの」
「はいはーい! 転入初日の留学生をそんなにわやくちゃにしないの」
それを見かねたアリサがクラスメイトを止めに入った。
やっぱこいつはクラスでも番長的立場の人間なんだな。
周りを仕切ってても全然違和感がない。
「アリサ……」
「それと質問は順番に。 フェイト困ってるでしょ?」
フェイトはアリサに助け出されてホッとした表情を見せた。
その表情を見たアリサはそのまま場を仕切ることにしたようだ。
なのはやすずかはその様子を見て、自分たちが手を差し伸べる必要はないと判断したのかこちらを見て笑っている。
「はい! じゃあ俺の質問から!」
クラスメイトの一人が元気よく手を上げた。
「はい、良いわよ」
「向こうの学校ってどんな感じ?」
「えと、私は普通の学校には通っていなかったんだ。 家庭教師と言うか、そんな感じの人に教わってて」
ああ、前に言ってたリニスの事か。
たしかプレシアの使い魔の山猫だったっけ。
バルディッシュを作ったのはその人(?)だって話だから、相当頭が良かったのは間違いないだろう。
「へえ、そうなんだ」
『はいはい! 次わたし!』『はい! 次は俺だって』『さっきは男子だったんだから次は女子よ!』『今日のパンツの色はー?』
「待って! 待ってー! ってそこ! どさくさに紛れてとんでもない質問をしない!」
「おいやめろ。 服に跡がついちゃったじゃねえか」
俺は蹴られてついた靴の跡をはたきながらそう言った。
「それはあんたが悪いからよ。 友達同士でもセクハラは成立するんだからね? というか、あんたも転入生なのになんで質問攻めにあってないのよ?」
「俺は質問を紙に書いて渡してくれれば昼休みに纏めて答えるって言っておいたからな」
「なるほど。 それは上手いやり方ね。 でもそれ、あたしは聞いてないんだけど?」
「おまえは今更俺に何か質問があるのか?」
「……それもそうだけど、なんか癪だわ」
お前は一体何様のつもりなんだ。
「それよりいいのか?」
「何が?」
「フェイト、またわたわたになってるぞ」
「あ」
『じゃあさじゃあさ、前住んでたところってどんなところだったの?』『今何処に住んでるの?』『お父さんは何してる人なの?』『特技は?』『趣味は?』『習い事は?』
「あ、あの、その、えと、だから……キュゥ」
「ちょ、ちょっとフェイト!? 大丈夫!?」
フェイトは人いきれで倒れてしまった。
俺もそうだったけど、やっぱり友達の数が少ないと人に囲まれるといっぱいいっぱいになるんだよな。
頑張れフェイト。 人生って経験値がかなり大事だぞ。
さて、午前中の授業も残すところ後1つとなった。
初めこそ記憶にない授業と言うことで真面目に聞いていたのだが、小学校の算数なんて退屈にも程がある。
暇つぶしに今日の朝フェイトが言っていたバールの凄さについて真面目に考察でもしてみるか。
しかしどうやって考察をするべきか。
ああそうだ、確かバールにインストールされている転移・転送系魔法の1つに身代わり魔法ってのがあったな。
これに関してフェルミ推定でも使ってみるか。
あれは『転移対象に対し閾値以上のエネルギー反応を検出した場合、魔力素を用いて対象に含まれる全ての素粒子をプランク時間程度で別の場所へとコピーする』という不確定性原理も真っ青な代物だったはずだ。
正直原理はさっぱりわからないが、とりあえず身体を構成する全ての素粒子を同時に何処かへコピー&ペーストするって考えで良いはずだ。 多分。
さて、まず人間の細胞数は約6×10の13乗、細胞一つあたりの原子の数は10の14乗程度だという。
仮に身体を構成する分子が全てH2Oだとして同位体の存在を無視すると、水素は1個の陽子と1個の電子、酸素は8個の陽子と8個の中性子、そして8個の電子でできていて、陽子と中性子がどちらも3個のクォークからでできてると単純に仮定するとH2Oに含まれるフェルミ粒子は64個か。
とすると人間の身体を構成する素粒子の数は大体10の29乗というオーダーになる。
これに服やバール本体、さらに水以外の分子等も含めて考えれば、実際のオーダーはさらに数桁は大きくなるだろう。
とにかく、以上の事からこの魔法を使用する為には最低でもプランク時間、すなわち5×10のマイナス44乗秒程度で10の29乗個の魔力素の超精密な並列処理をデバイスがしなくてはならないことになる。
わかりやすく数字に直すとこうだ。
『バールは最低でも0.000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 05秒で100,000,000,000,000,000,000,000,000,000個の魔力素を自在に制御することができる』
なるほど。 確かに無茶苦茶だな。
ペタコンとか事業仕分けってレベルじゃねえよ。
そりゃバール一つで星を買える訳だ。
でも星っていくらぐらいするんだ?
そんなことを思っているとバールの表面に30円という文字が浮かびあがってきた。
やっすぅー。
「――はい、じゃあサニー君」
「はい?」
「最終的にお釣りはいくらになりますか?」
マジかよ、いきなり当てられちまった。
『いくら?』ってことは金額を聞かれてるのか。
小学校3年の問題なら億とか兆って額はまずないだろう。
「そうっすね、大体300円ぐらいじゃないですか?」
「300円を持って買い物に行ったのになんでまるまる残ってるのよ」
後の方の席にいるアリサから突っ込みがはいった。
「それはあれだ、まだまだ世の中は優しい人が多くてだな、泣いて困っている子供が居たから周りの大人が助けてやったんだよ。 いやぁいい話だなぁ」
「サニー君」
「はい」
「先生はそういった人情話は嫌いじゃありません」
「ありがとうございます。 一瞬ジンバブエ的インフレ説とどっちを採用しようか迷ったんですけど、こちらにして正解でしたね」
「いいえ、残念ながら不正解です」
ですよねー。
「答えは先程と同様――このように式を立てて計算すると30円となります。 サンバック君、授業中はちゃんと先生の話を聞いてくださいね?」
「はい、すいませんでした」
そう言って着席したはいいものの、俺は先程知ってしまった恐るべき事実に興奮を抑えきれず、自分の左手首に鎮座ましましているオーパーツに向かって小声で話しかけてしまった。
「なあバール」
「なんだ?」
「お前って実は凄かったんだな」
「ふん。 今更気付いたのか?」
「まあな。 でも本当に俺なんかのデバイスでよかったのか?」
「何を当たり前のことを聞いているんだ。 私のマスターに相応しいのは現在お前しかいない。 あの娘の場合はマスターが頼むから特別に一部の演算を請け負ってやっただけに過ぎない」
「なに、お前フェイトの事嫌いなの?」
「……いや、そうでもない。 頼まれたならもう一度ぐらいは使わせてやってもいい」
「ツンデレかよ。 どっちにしろ態度がでか過ぎて二度と使って貰えないだろうけどな」
「いいから授業に集中しろよ、300円」
「うっせーよ、30円」
でも俺はコイツのそんなところも気に入っている。
だって主に絶対服従なんてそんなのつまんないじゃん。
そして昼休みになり、俺は休み時間中に貰った質問に回答を記入することにした。
Q.『出身はどこですか?』
A.『本国です』
Q.『日本語お上手ですね。 何処で覚えたんですか?』
A.『ベッドの上で覚えました。 ある意味睡眠学習という奴ですね。 もしよかったら今度一緒に勉強しませんか?』
Q.『日本に来て一番驚いたことは何ですか?』
A.『男女平等という名の女尊男卑が普通にまかり通っていることですかね』
Q.『好きな言葉はなんですか?』
A.『友情は人を強くする』
Q.『野球とサッカー、どっちが好きですか? やっぱり野球ですよね?』
A.『残念ながらサッカーです。 キャッチボールは結構好きなんですが野球そのものにはさほど興味が無いです』
Q.『趣味はなんですか?』
A.『サッカーと読書と……いや、今はそれだけだけです』
Q.『特技はなんですか?』
A.『FT-IRを用いた結晶構造中の水素の原子座標特定です。 X線構造解析ではEDSの特性上ボロンより軽い元素の位置を特定するのは難しいのですが、このFT-IRと呼ばれる赤外分光を利用した――』
でもみんな案外普通の質問ばっかりだなぁ。
もっとこう、奇抜な質問はないのだろうか?
Q.『なんで『U』は『あ』って発音すんの?』
A.『WC、それは俺に聞くことじゃねえ。 先生に聞いてこい』
こういうのは論外である。
まあ小学生程度の年齢ならこれが普通か。
などと思いながら質問を片づけていると、最後に1つ凄い物を発見してしまった。
Q.『拙者の名前はシュバイン・ダークフィールドと申す。 貴殿に尋ねたいことはただ一つ。 それは貴殿の前世についてだ。 もしや前世で貴殿は太陽の戦士『サン・オブ・ザ・レッド』として名を馳せてはいなかっただろうか? もしこの名前に聞き覚えがあれば是非とも拙者に教えてほしい。 アルハザードによって引き起こされる災厄から無垢なる魂を守るため、共に立ち上がろうではないか!』
これはっ……!
こういうのを待ってたんだよ俺はっ!
A.『いかにも、私は前世で太陽の名を冠する王家の末裔であった。 だが私は志半ばで倒れ、幾万回もの月の満ち欠けを経てこの世界へと転生を果たしたのだ。 シュバイン氏の名前はこの世に並ぶものなき天衣無縫の戦士として私も聞き及んでいる。 さあ世界を救うときが来たのだ! 剣を掲げよ! 鬨の声を上げよ! そして愚かな民に神威の光を!』
うん、こんな感じでいいかな。
でもよりにもよってシュバインって、一体彼は何を思ってそんな名前を付けたんだろうか。
俺はただそれだけが気になった。
*参考文献 クロウン独和辞典 第四版
Schwein(独):豚、酢豚
こうして全ての質問に答えを記入し終えた俺は、教卓の上にそれらの紙を置いて皆に呼びかけた。
「じゃあ貰った質問用紙はここに置いておくんで、他に質問がある人は俺のところに後で直接聞きにきてください」
その発言の直後、教卓には多くのクラスメイトが集まってくれた。
ああよかった、誰も見に来なかったら淋しくて死んでしまうところだった。
「みんな無関心じゃなくてよかったじゃない」
「あん? なんだ、誰かと思ったらバニングスさん家のアリサちゃんか。 脳が沸騰しちゃいそうな感じのソプラノボイスだったせいで一瞬アルハザードからの精神攻撃かと思ったぜ」
「よくわかんないけど、とりあえずまたあんたを蹴り飛ばしてもいい?」
「まあまあ。 そんな冗談はちょっと脇に置いといて」
「それは手元に置いときなさいよ」
「絞まってる絞まってる」
「絞めてんのよ」
その後、絞殺の危機から解放された俺は引っ張られて伸びたネクタイを直しながらアリサに1つ質問をした。
「なあ、シュバインって豚は何処のどいつだ?」
「シュバイン? そんな奴あたしは知らないわ。 このクラスで外国の血が混じってそうなのは私とフェイトとあんたぐらいよ」
「そうなのか? さっき質問に答えを書いているときシュバイン・ダークフィールドという妄想戦士を見つけてな。 面白かったから『シュバちゃん、俺と友達になろうぜ!』って返信をしたんだ」
「ダークフィールドねぇ……もしかして黒野のことじゃない?」
「クロノ? えっ、いつの間にあいつはこのクラスに転入してきたんだ?」
妹が心配で転入するなんてかなりハイレベルのシスコンだろ。
しかもあいつ14歳だったよな?
うっわーその歳でロリコンとかマジないわー。 犯罪だわー。
「あんたのいう『クロノ』は知らないけど、あたしの知っている『黒野』はアレよ」
「アレ?」
そう言ってアリサが指さす方向を見ると、そこには本当は怪我など微塵も無いはずの左腕に白い包帯を巻きつけている少年の姿があった。
「そなたがサン・オブ・ザ・レッド殿か。 拙者はシュバイン・ダークフィールド。 仮世での名は黒野祐介と申す」
「そ、そっすか。 かっこいい名前っすね」
その自己紹介を聞いた俺は思わずアリサの耳元で呟いた。
「やっべ、俺ちょっと早まったわ」
「今更じゃない。 頑張ってね~」
「あ、ちょ、おい! こんな微妙な空気の中に俺を一人残して行くな!」
しかし俺の叫びも空しく、アリサはフェイト達をつれて屋上へと昼食を食べに行ってしまった。
「さあさ、レッド殿。 我々もこちらで談笑をしようではないか」
「あ、はい」
俺はこのとき始めて『友達は選ぶもの』という言葉の意味を心から理解した。
うん、まあ意外と面白かったからこれはこれでよかったのかもしんないけどさ。
でもこの痛さはいつかちゃんと矯正してあげようと思う。
そうしないとこの黒豚君、いつの日か突然窓から飛び降りそうだしなぁ。 だって俺ならそうするもん。