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[16642] 【習作】金髪のジークフリート    Dies irae 〜Acta est fabula〜二次
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/08/08 13:35
一話から重大なネタバレあり

オリ主転生憑依

びっくりするくらい最強

独自解釈有り、独自展開有り、御都合主義大あり

ドラマCD無しなので少々矛盾等有るかと存じますが適宜誤魔化します。平にご容赦を。

!お知らせ



!注意
 

騎士団編は時系列順では無く基本的に番号順に投下しております。
 そのため多少分かりにくくなっているかも知れません。
 混乱した際は下記を参照してみて下さい。
ルサルカ>>>ジークフリート>>>(一話)>>>ラインハルト
>>>トリファ>>>ザミエル>>>(笑)>>>リザ
>>>ベイ>>>シュライバー>>>マキナ>>>(二話、三話、四話)>>>ベアトリス
 特にベアトリス編はそのまま四話の続きとなっています


注意事項
 原作未プレイの方に優しく出来ておりません
 原作が十八禁ソフトである以上、最低でも全編十五歳以上推奨となります

!履歴
2010/02/19  くらい、連載開始
2010/02/20  二話、三話投稿
2010/02/21  四話投稿、一章完
2010/02/22  神父投稿
2010/02/23  ベイ投稿
2010/02/24  忠犬投稿
2010/02/25  マッキー更新
2010/02/25  白本入手
2010/02/27  魔女投稿
2010/02/28  飼主投稿
2010/03/01  YETZIRAH
2010/03/02  BRIAH
2010/03/03  男娘投稿
2010/03/04  愚弟投稿
2010/03/05  兄弟投稿
2010/03/08  愛犬投稿
2010/04/01  愛姪投稿
2010/07/11  苦心して投稿
2010/07/17  歳食って投稿
2010/07/25  想像して投稿
2010/08/01  落着して投稿
2010/08/08  茹だって投稿



[16642] Die Morgendämmerung_1
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/21 20:56



「それにしても、解せんな。君は他の者と違って少々諦観的な面がある故に、未知に興味を持つとは思って居なかったのだが」

 1944年11月20日明朝、某所。

「自らを死んだと言う事にしてまでそれを求めるからには、それなりの理由と言う物があるのではないだろうか。それを知りたい、と言うのは一種人情であるとも言えるだろう」

 思い返してみれば充実した人生だったと思う。

「何故、それを知っているのか。聞いても良いかな」

 だから、ここいらで諦めも付くと言う物だ。

「神ならざる、とはこの場においては嫌味に過ぎないかも知れないが、それでも神ならざるこの身には知らぬ事もあるのだよ。で、あってもそれが既知で無いと言う事にはならぬのだが」

 良い加減に覚悟を決めて歯を食い縛って向き合おう、この幻想と。

「……そんな事もあるか。これは久しく忘れていた、あぁこれが予想外と言うのか。既知には違いない、違いないが今のこの心情、ゆめゆめ忘れぬよう心掛けよう。お見事、非凡ならざる常人の身で私にこの様な感動を齎したものはそうは居ない。喜びたまえ、君の望みを叶えよう。


 悲劇の助演者、報われぬ原光ウルリヒト・ブランゲーネ。


君が"到達する事は決して無い"だろう」

 自分が死んだ翌朝、こうして悪魔との契約を結んだ。



 2010年某日、日本。
 私はここ数年の例にも漏れず、学ばず、腐っていた。
 社会に出る事も出来ず、志した学問の道には至らず、だからと言ってニートを気取れるほど開き直っても居ない。

 才能が足りない、実力が足りない、努力が足りない。
 言い訳にもなっていない自責や自嘲は長じてからの習慣であり、幼少期は出来の良い兄同様、恐れを知らぬ傍若無人とも天衣無縫とも言える性向をしていた事から、もしかすると十分な才能も有って未来に希望も有ったのかも知れないが、零落著しい今になっては矢張り言い訳にもならないだろう。

 二月の空気は未だ冷たく、コートも纏わない寒々しい格好はまだまだ軽挙で有ったかも知れない。乾いた風が妙に突き刺さり、薄いのか厚いのかよく分からない面の皮に痛痒すら感じる。
 近所、と言うには少々遠いコンビニは真夜中の暗い道中もあって不安を煽り、自分の道行きすら暗示している様にさえ思われる。ネガティブな思考は矢張り自嘲と違わず重大な悪癖である自覚は有るが、自覚があるからこそ改善され得ぬ悪癖足るのでは無いか。

 やはり下らない自虐、反省。
 それにしても、この詰まらない内省も、この暗澹たる道も、このところずっと


 全てが既知感に満たされているのはどう言ったわけか。


 影響されやすい性格なのは否定しない。
 先頃クリアしたゲームは既知感が一つのテーマだったのだから、それに影響されたのは十分に考慮されうるだろう。

 コンビニに入って漫画を軽く立ち読みするが、ただの一つも例外無く以前に見た様な、既に知っている内容で有ったため、流し読みもそこそこに熱いコーヒーだけ買って帰る事にする。
 財布を見ると顔を除かせる一枚の福沢諭吉、小銭の一枚も無くコンビニに来るのに小銭を足して来るのも忘れるかと思わず自嘲。

「すみません、大きいのしか無くて」

 とわざとらしく済まなさそうな顔をして見せて一万円札を出すが、内心ではそれを崩す事が少々悲しい。
 さようなら一万円札、缶コーヒーは俺が飲み干す。

「あぁ、済みません、五千円無くて小さくなってしまいますけど良いですか」

 とこちらもまた先の私と同じ様に済まなさそうな顔をして千円を数える店員の男性、「全然良いですよ」と軽く答えながら、と言う事はコイツも今内心では一万円なんかコンビニで出しやがってメンドくせえ、なんて考えてるのかなと邪推してしまった。
 なんて嫌な奴だよ自分。

「ではこちら大きい方、一、二、三、四、五、六、七、八、九千円と、880円になり……あぁっとゴメンなさい」

 そう言いながら店員は、私が札を直しながら小銭を貰うのにもたついたためか一枚の百円を取り落としてしまった。明らかに落としたのは私であるのに謝るのはどう言う事だろうか。どこでもそうなんだが、徹底された無個性なマニュアルに感心すら覚えながら百円を拾う。

「大丈夫ですか」

「あぁ、大-ー

 既知感

--大丈夫です、失礼。……ああ、失礼ついでに一つ、貴方とは前にも一度こうした事がありませんでしたか?」

 もちろん、彼には怪訝な表情と間の抜けた音を返されたのみであった。


 この既知感は一体どう言う事なのか。
 あまりにも非現実的な程に強く、だからこそ、実はこの世界は彼の世界で自分の知らないところで何者かが永劫と戦っているのでは無いか、等とあり得ない事すら考えてしまう。

 あるいは-----------------------------------。

 やはりあり得ない、思わず誰も居ないのに大袈裟に苦笑いを漏らしてしまった。 
 しかし、目の前に濃厚な死の気配を纏った車、案の定トラックが迫って来ている事すら、既知で有るのは異常に過ぎる。
 自らの死が揺るぎないと言う事さえ、既に知っていた、のも。
 もっとも、今死ぬと言うのであるなら、それはそう言う事なのだろう、と。死に特別な恐怖は無かったためか、心残りが無い訳では無いものの受け容れ難い訳では無かった。
 死の前兆であったと思えばこの既知感も悪くない。



 そうして甘受した死の先が、1905年のドイツで有ったのはどう言う皮肉だろうか。恐らく居るで有ろう神に、やってくれるじゃ無いか、と悪態を付いても私は悪く無いだろう。
 彼の教えはどうにも肌に合わなかったが。


 彼の日までの道程に関して細に入り思い返そうとは思わない。思えないが正しいか、前世より遥かに出来る兄を持った私はまた腐るところだったのだが幸か不幸か、今生はおよそ既知の範疇で有ったために人生の道行きで努力する事は無かった。
 どうやら前世よりも遥かに頭が良い気がするし、背丈は高く、見事な金髪と深い青の瞳は、このドイツにあっても偉く人気を博すと思いたい。
 苦労は前世の比では無かったが、予め答えを知っている問題など大した問題でも無いだろう。
 予定通りに小さな出版社を立ち上げ、予定通りに見るべきところの無い雑誌を刊行し、予定通りに余暇をこの輝かしき第二の生に使い込んだ。


 彼の日、アーネンエルベに向かったのは如何にも予定調和的だったと言えるかも知れない。
 民俗学、人類学に興味が有ったし、悪名高いナチスドイツが聖槍を有しシャンバラや不死の妙薬を血眼になって探していたと言うゴシップが真実で有るかなど興味は尽きなかった。
 実地検証が出来るなんて俺は世界でもっとも恵まれて居るのかも知れない。

「取材目的の見学ぅ? この御時世にお気楽な事ね、新聞屋さん?」

 赤い髪が特徴的な思わず惹き込まれそうな美人さんが胡散臭い者を見る様な目で俺を見た。確かにあまり好ましい行為では無かったか、かと言って直接戦果に貢献出来るか甚だ疑問なアーネンエルベの人間に言われたくも無かったが。
 余りと言えば余りな態度で有るが本職の受付嬢では無く、たまたま受付の近くに居たと言うだけで代役を引き受けてくれているらしいのだから仕方無い、のかも知れない。

「まだ戦争は始まっていないじゃ無いか、暇な内は何してても良い様な仕事でね。少しくらい良いだろう?」

「はぁ、まぁ良いけどね。見られて困る様なモンもそうそう有る訳でも無いし。でも監視は付けさせて貰うわよ? ハイエナを野放しにしておく程、気楽にはなれないのよ、どこかの誰かさんと違って」

「ははは、キッツイなお姉さん。そう言うのも嫌いじゃ無いけど。ところで貴女とは以前どこかで会った事が無いかな?」

 さも面倒事である、と言う表情を隠しもせず許可証を発行する彼女に俺なりのスマイルと誘いを掛けて見たが、返答はひたすらに冷たい視線だったので黙る。
 古今東西、女性は恐ろしい者で有るらしい。そろそろ六十年近くに渡る人生でまた一つ大事な事を学んだ私は許可証を受け取り、彼女の指示に従って監視役サマに会いに行く。

 暇そうな奴が居るから、とまたずいぶん適当な案内でそこまで勝手に行け、とはそれで良いのかアーネンエルベ。
 あの女性が極端なだけであると思い直し、確かにだらしなく背もたれに寄りかかり文庫本片手に惚けている様に見える、いかにも暇そうな奴を見かけたので話し掛けた。


 彼がゆっくりと振り向く。


「取材の申し込み? その監視? なんだって俺がそんな事」


 見間違える訳も無い。


「アンナの奴、面倒な事は他人に押し付けやがって」


 あれと同じ顔、同じ声。


「あんた、どうしたんだ? 顔色が悪いみたいだけど」


 そもそも、俺をこの世界に読んだのは"あれ"に違いないんだから。


「あぁ……失礼。名前を、聞いても良いかな?」


 この邂逅もあるいは必然、既知であると。


「ライヒハート……ロートス・ライヒハートだ。あんたは?」


 あぁ、これは来世じゃ無い、転生でも無い。正確を期するならばここはパラレルワールド。
 何もかも既知であるのも当然の事。
 ここは既知世界なんだから。


 それから少しして宣伝省にカール・クラフトなる怪人物が就いた、と言う噂を聞いた。


 後の1944年11月19日。
 兄が死に、ライヒハートが死に、民族浄化をそれと無く邪魔をしながら俺は決意をしていた。

 そも生前、死の間際『あるいは彼の世界から本来交わる筈の無いこの観測世界に既知が流れ出したのでは無いか。』と考えたのでは無かったか。

 まるでどこかから持って来たかの様に。
 で、あるならば俺と言う存在が生まれた原因は自明の理。レゾンデートルに掛けてあれに付き合うのも良いだろう。
 前世よりの渇望だってある、十四歳の少年の様に自分の渇望が創造されたらなんて考え、当時は下らないと卑下したそれもこの既知世界では現実化するだろう。
 ヴァルハラに囚われた兄も放って置けない、友達の誼だ、ライヒハートだって助けてやりたい。

 だから、その日俺は新聞の刊行ペースが落ちた理由を問いに来たSS隊員を"説得"し自分は死んだ事にした。焼けた無縁仏でもあればこの戦争の時代でバレる事は無い、なにより俺が今日死ぬ事は既知なんだから。


 晴れて二度死んだ俺は彼のトリックスターと取引すべく一路ヴェヴェルスブルク城に向かった。ベルリンから実に400km以上の道程、仮にここに奴が居なければ大変面倒な思いをしなければならない。

「聖槍十三騎士団と言えばヴェヴェルスブルク城だよな……。居るんだろ? ヘルメス・トリスメギストス」

 本音を言えばあれがどこに居るのかなんて俺は知らない。探しても見つかる類いのものでも無いだろう、だからそれらしい所に行けば待ってるんじゃ無いか、そう思ったのだ。

 --入り給え、登城を許可しよう。

 そんな声がした気がして俺は城の正門を潜った。


 元から有った古城を改修して黒円卓の本拠地に仕立て上げられたヴェヴェルスブルクは今の主の権威を示してか、壁の一枚、建材のひと欠片さえ畏ろしく威圧感が有る。 
 そんな物に囲まれて、更に威圧感を齎す、恐怖さえ齎す黒円卓、その十三番目の席にそれは鎮座して居た。

「神の居城、と言うにはちと粗末なんじゃないか? ヘルメス・トリスメギストス」

 そんな強がりを見せながらゆっくり反時計回りに近付いて行く。

「正直に言うと、驚いているのだよジークフリート君。君はご両親から頂いたその名に反して恐れと言うものを知る賢しい少年。君への評価はそんなものに過ぎなかった」

 ゆっくり近付きながらその席に辿り着くと「見込み違いだな、俺は今も自分が怖いよ。なにやってんだ俺」と吐き捨て席に着いた。

「確かに、見込み違いは間違い無いようだ、恐れを知る者がその席に着く事は叶うまい。知っていて座れるならなおの事」

 それを聞くと自分の座った椅子の背もたれを見てさも驚いたと言う顔をして見せて言った。

「おや、あんたらのボスの席じゃないか、ヒムラーだっけライニちゃんだっけ。座り心地は悪くないけど霰のルーンがブサイクだな、書き直して置くべきだ」

 じゃ無いと俺みたいな奴が勘違いして座るかも知れないだろう。そう言って挑発した、ここまでは予定通り。

「ああ、書き直して置くとしよう。済まなかったね」


「さて、早々で誠に済まないがこの無骨な城では出す茶の一杯も無い。他の団員も今は席を外していてね。用件を伺おう」

 俺と奴以外誰も居ない円卓を見回して奴はせっつく。自分で人払いしたんだろうに良く言うぜ、口に出す程でも無いが思わず毒づく。だがここからが正念場だろう、心なし居住まいを正して肝を据える。ここまで来たらどうせもう引き返せ無いんだから。

「エイヴィヒカイトがね、欲しい」

 奴の顔を見ながら言った。あいも変わらず表情の読めない奴だが、やはりその表情が揺れる事は無い。第一の席に座った時もわざとらしく驚いたような顔をして見せた様に思われた、程度だ。
 ライヒハートのそこそこ豊かな表情が懐かしい。無愛想で有ったがその実、そう言った表現を惜しむ人間では無かったと思う。そこいらは刹那を愛するアーネンエルベの人間らしいとも言えるのだろうか。

「はいそうですか、と言えるほど簡単なものでも無いのだがね。しかし君が真に欲しいと言うならば私としてもやぶさかでは無い、差し上げよう。だが」

「タダで、とは行かないか?」

「然り、君は私の古い名を知っているようだ。ならば古くからの原則に従い等価交換をすべきかと私は判断する」

 茶番だ。奴は俺が既知感に塗れているのを既に知っている筈。こちらから言わせて貰えば相手の溜めに溜めた貸りを徴発して居るのだ。俺がどう言う者なのか、全てを知っている筈のお前が等価交換等と言い始めるならば、

「未知の結末を見せよう、座の主よ。あんたの自滅因子に従って」

 それでもこいつは少し嬉しそうにして見せた気がするだけだった。 



[16642] Die Morgendämmerung_2
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/26 15:02



 別段メルクリウスと契約した事を後悔した訳じゃ無い。
 どうせなら叶えたい願いだってあったし、どうしても諦められない業だってあった、そもそもに修羅道の世界なんて絶対ゴメンだ。
 だからエイヴィヒカイトを駆る才能が俺に無かった事も、今お前を吹き飛ばしたくて仕方無くてもそんな詰まらない事は後悔の対象にはなら無い。

「試して見たって良いわよ? 絶対に無理だと思うけど、活動じゃあね」

 そう言うといつもと変わらずに彼女は余裕を見せた。確かに未だ永劫破壊を得て日が浅いとは言え活動位階を脱しない半人前の俺では彼女を傷付けるのは無理だろう。

「ベルリン侵攻も近い、早く形成位には届かせたいんだが」

 で無いと赤軍兵は愚か、友軍や無辜の民まで手当たり次第に殺してまわりかねない。複合魔術の毒に呑まれ癒えない血の飢えは余りにも狂おしい。
 外は既に来るべき侵略の日に住民達も戦々恐々としておりほんの僅かな混乱でも有っと言う間にモラルハザードが起きてしまうだろう、あるいはもう起きているかも知れないが。

「だから我慢して無いでやっちゃいなさいってば。あなた、今更人殺しは悪い事だーとか、俺は悪い事したく無いんだーとか、言っちゃう程甘ちゃんな訳じゃ無いでしょ?」

「確かに俺は必要ならホロコーストだって厭わない人間、のつもりだけどね。"俺はお前らとは違う"って方針だから極力殺さないよ」

 で無いと大義名分が立たないだろう?

「何考えてるのか、あえて聞かないわ。だけどあんまり私に面倒掛けないで欲しいんだけど?」

 思えば彼女は初対面以降ずっと俺に面倒事を押し付けられている様な気がする。魔女の定めだろうか、こう見えて案外面倒見の良いやつだからしばしば割を食っている姿を見掛ける。

「まぁ、これからも助けてくれアンナ・マリーア。これも欠乏のルーンを担う人間の宿業なんだよ、多分」

 まだ殺戮に手を染めた事は無いが、たまに止まらなくなった時、彼女が居れば何とかなる。そう言った理由で俺は彼女と良く会って居た。

「ルサルカって呼びなさいよ良い加減、まぁ良いわ。昔馴染みと言うには少し若いけど、そのよしみだしね、面倒見て上げるわよブランゲーネちゃん」

 損な奴だ。


 彼の日からライヒハートとは思ったよりも意気迎合してそれなりに仲良く友人付き合いが出来た、とは言え単なるサボリ仲間と言った風合いで、この御時世では早々許される事でも無かったため自分の性分には合わない程自重を求められた付き合いでは会ったが、この時代での顔見知りとしては十二分に仲の良い友で有ったと言える筈だ。

 それだけに彼が死ぬと分かっている彼の出征を見送る事しか出来なかったのは痛恨の極みだった。
 死ぬなよ、じゃああんたも元気でな、そんな他愛無い最後で有ったが内心は忸怩たる、あるいは腹の底が煮え繰り返りそうな思いを顔に出さずに済んだのは僥倖で有っただろう。

 とかく、その時の繋がりでルサルカとは顔馴染みで有った。既に知っていた顔とは違う、匂い立つ様な程良く熟した花のかんばせが、俺の顔を見る度に何か嫌なモノを見たと言わんばかりに歪む様は中々の見物で有ったが。黎明を越えた後も俺が聖遺物を得た後も付き合いを維持してくれているのは彼女が人情豊か、と言うか人間臭いからだろうか。
 ただ単に俺の器を見切って居るだけかも知れないが。


 さて、ルサルカはなんとも得体の知れない本を読み始めたので俺も活動の訓練を始める事にする。至急、形成に至り聖遺物の舵取りを行う必要があるこの時に魂を消耗するのはあまり賢しい行いでは無いだろうが、どうやら事象展開型と思しきこの聖遺物は出来る事の拡張性が非常に高いので訓練は欠かせ無いだろう。

 もちろん、下手をすると件の飢えが襲うわけで、暴走対策にもっぱらルサルカを頼んでいる。こいつが居たならば一発で俺を止められるだろうからだ。
 大抵は不思議と燃費の良い自分の魂の存在が一役買って安定した活動の行使が可能になってはいるが。

「Assiah-- 活動」

 この言霊に意味は無い、無い筈なのだが聖遺物のその特性上イメージをしやすくなるので言い始めたところ忘れ去った十四歳ソウルが震え出した結果、霊性が向上してしまったと言う経緯があった。
 どうせ後々形成Yetzirahとか創造Briahとか言うんだからここで慣れてしまえと言う実益と言い訳を兼ねた気持ちも無いでは無い。

 あとこう言う癖付けて置かないと後々活動位階の存在を忘れそうだ。

 おおよそ小細工が済んだところで実験開始。

「ルサルカたん大好きー!!」

 ここでルサルカを見る、反応無し。あんまりにもあんまりな台詞に凍りついて居るだけかも知れないので念のために確認をする。

「なんか聞こえた?」

 今度は霊性を乗せてそう言葉を発したが彼女は美人のクセに可愛らしく小首を傾げて目を見開いて

「何か言ったの?」

と問うばかりで有った。
 成功。
 再び霊性を乗せて今度は言葉を発さずに音だけで礼を伝える、何れにせよ霊的な音でなければ、遮音結界とも言うべきモノを周囲に張り巡らせた今のルサルカには届かない筈だからだ。
 邪魔をするな、とだけ言って再び本の虫になってしまった彼女には今は本当に何の音も聞こえて居ないだろう。あまり細かい操作に自信は無いのでその程度でしか無いが。

 聖遺物、智泉の号砲。
 わざわざ戦車撃破王ルーデルの愛機からちょろまかして来たユンカースJu87、通称スツーカに搭載されていた悪魔のサイレンはその出自に恥じず他者に恐慌を与える音を出す、と言う特性を持っていた。

 今やっている事は恐慌を与える、を拡大解釈して寧ろ音が聞こえない事で恐慌を与えたり、どこからともなく声が聞こえてくる事で恐慌を与えたり、と言った所だ。
 その気になれば凄まじい轟音で物体を爆発四散させる事だって出来る筈なのだが、残念ながら何れも創造位階にあると思しきルサルカには大した痛痒にも成らないだろう。まだまだ宴会芸の枠を超えないものに過ぎ無い。

 今の俺に出来る事は精々「アンナアンナアンナぁぁぁあああん、くんかくんかもふもふもふもふ」と(聞こえないところで)嫌がらせをするくらいだ、聞かれたら枯らされる、色んな意味で。
 地獄耳も真っ青なこの能力を得て本当に良かった。



 そこそこ平和な俺の活動時代は僅か半年にも届かず終わる事になった。
 ベルリンの戦い、既に知っている歴史上ではそう銘打たれている筈のこの事件、戦災は死者数でも陵辱された人間の数でもその地獄の姿を物語っていた筈だ。

 幸か不幸か、正式な黒円卓メンバーでは無かった俺はスワスチカを開かなくても良いが代わりに邪魔だけはするな、とヴィッテンブルグ少佐より釘を刺されベルリンの街に放逐された。

 仕事でも戦場を渡り歩いていたのも有って慣れる事は無いにせよ今さら地獄の一つや二つ、歩く死者たる我が身にはどうと言う事は無いものの、いざ目の前で消え行かんとする命を無感傷に放置するのは、そう簡単な事では無い。
 周囲では悲鳴轟々、銃火の音、砲火の音が絶えない。
 そしていくつか聞いて回った魔人どもの哄笑と断末魔は聴くに耐えなかった。
 だからこそ死者の最後を看取る。
 ひたすらもう救われぬ死者を看取って行った。
 敵も味方も老若男女関係無く、英雄の様に生きて、そんな風に死んだモノばかり選んで居たと思う。

 そして彼らを食らう。
 食らう度に魂魄の髄に流れ込むその魂が刻んだ生死の歴史が今の俺の在り様を厳しく糾すが、止まっても居られない。
 噎せ返る様な死の香りに、聖遺物に呑まれつつあった俺は魂すら半ば歓喜して人々を食らっている。自制はまだ利いていると脳髄では判断しているが心は殆ど殺人鬼だ。
 今、銃撃でも受けようものなら間違いなくピンと張った細い糸の様な理性は容易に千切れ飛び、嬉々として殺戮を始めるだろう。しかしその一方で未だ活動位階の、総量が二桁にも及ばぬ霊的装甲では砲撃は耐えられない。無反動砲でも当たれば木っ端微塵とは言わずともスプラッタ死体位は出来上がるだろう。

 だから一所に留まり誰かの目に付く訳にも行かない。
 看取り、食らい、逃げて、また食らう。
 俺は人間なんてとっくに辞めてるのに、無力な人間と変わらず戦闘終了区域と思われる場所を渡り歩き、ひたすら逃げ惑っていた。


 「助けて……」

 そんな声が聞こえて来たのは聖遺物の特性上、俺が常人を遥かに超えた聴力を持っているからに違いない。あるいはそんなモノが無くても、この地獄では聞こえたかも知れないが普通ならば間違い無く銃声に掻き消された様な小さな声はしかし間違い無く俺の耳に届いた。
 まだ生きる力を感じさせる声は致命傷を負って居ないらしい事を示している。

「待ってろ、今助ける」

 殺しに酔っていた俺は冷や水を浴びせられた様に醒めて、すぐさま音源に向かって駆け出した。
 か細い声と、地面に横たわるその姿から決して喜ばしくは無い事態を想起したが幸いにも幼くは無いが大人とも言えないその少女には一見して致命傷を負っていない様に見受けられる。

「大丈夫か? すぐ助ける」

 この地獄が始まってより助けられたヒトは彼女が最初だと心の底から喜んで泣きそうにながら、地獄より助け上げようと手を差し出そうとした。

「ありがとう」

 と言う小さな声が醜悪な槍衾に覆い尽くされるまでは。

「ああん? 活きの良いガキが二人居ると思って来て見りゃジーク、てめえかよ。ったく無駄足踏んだぜ、って事はこっちのメスはてめえの獲物か、済まねえついやっちまった」

 いつの間にか白に染まる、闇の寵児とも言うべき獣の牙がそこに立って俺を嗤っていた。束の間、幻視した邪悪の樹は既に消え去っている一方でそれに貫かれたモノは消え去る事も出来ず無惨な屍骸を晒している。
 間違い無く今の俺は血を浴びた真っ赤な顔に成って茫然としているだろう。心が何も考えられて居ない、と言う事を考えている状態で脳髄だけがガツンガツンと内側から殴られる様な熱に襲われていた。

 譲ったつもりなのか、下手人に肉の器を奪われしかし彼には食われず行き場を無くした魂が、もはや助かるどころか死に顔さえ定かでは無いその少女が、ほぼ無意識的に死を啜る俺に流れ込んで来て彼女の歴史、ひいては死の間際の感謝とも恨みとも知れぬ感情にすら触れて、
 意識が白熱した。
 魂喰いはこんなにも狂ってる、一片の疑問の差し挟む事の出来ない悪魔の所業だ。なのによくもお前はそんな無感傷に殺して貪って楽しそうな顔をして、

「エーレンブルグ、おまえ」

 だから教えてやらなければならないだろう、魂の価値を。この地獄に落ち損なった哀れな悪魔共を、自らの醜悪な有様すら棚上げして怒り狂う程に傲慢なこの魔人が。
 義憤に燃える英雄となるために。

「ああん? なんだ怒ったか、怒っちまったか、済まねえな仔犬ちゃん。テメェの沸点はよく分からねえわ、成り損ないがよぉ」

 成り損ないに成り損ない等と呼ばれる筋合いは無いとか、てめえのその薄汚い喋りはイライラするんだよとか、狂犬病の犬もどきが誰に向かって仔犬ちゃんだ八つ裂きにするぞとか、そんな事はどうでも良いが。

「黙れよ二号ちゃん、正直手前の姉ちゃん犯して焼くような典型的に愛に飢えたシスコンのマザコンに理解されるとか、流石に俺でも無いわ」

 お前なんかと一緒にするな、吸血鬼。

「ジーク……テメェ、ブッ殺すぞ。あぁダメだわ、ブッ殺してバラして埋めてやるよクソがぁああぁ!!」

「こっちのセリフだ、シスコン野郎ッ!!」

 この義憤は誰にも汚させない。


 義憤が鍵だったか、心の何処でも無い、魂に触れんばかりの無意識の領域で一つの邂逅を見た。その聖遺物そのものを象徴する高次の魂は無く、その主体は感じられない。
 しかし言葉では言い表しようも無いただ識る事のみ出来る"それ"との邂逅は間違い無く俺に一つの問を投げ掛けた。
 もちろんだとも、必ずこの世界は終わらせて見せる。たとえ--そうたとえ刺し違えてでも。


『Yetzirah--形成』


 聖遺物との対話など当に済んでいた筈なのだ。才能が無いなどただの欺瞞、それこそ魔人錬成された時には既に形成位階に到達していたのかも知れない。
 これまで現れなかったのは純粋にそこが戦場で無かったため、俺に戦場に立つ覚悟が無かったため。ならばこれより、常在戦場の覚悟を決めよう、この第三の生は勝つまで永劫と戦い続ける為にあるのだから。


「Des Knaben Wunderhorn 奇しき調べ、響き渡れ」
 

 戦争を始めよう、号砲を鳴らせ。


そして、何も起きない。
正確にはエーレンブルグの方は形成によって五体からクリフォトが生い茂り、しかし俺の方では何も起こらなかった。

「ああ?」

 エーレンブルグは如何にも拍子抜けしたと言わんばかりの表情だ、恐らくハッタリで祝詞を言ったとでも思ったか、人器融合型を期待していたのかも知れない。
 が間も無く躾の行き届いて居ない狂笑を浮かべ剰え笑い声を上げ始めた。

「か、はっ、はーっはっは、ひゃははははは、テメェブチ切れて形成出しやがったんだから人器融合型(お仲間)かと思わせておいて、実は事象展開型(インテリ)ですってか? 笑わせやがるクソが、下らねえ。おいジーク、テメェまさかここから巻き返しがあるなんて思って無えわな!?」

 戦士の勘か、腐っても狂犬か、見極めは早く若干のブレこそあれ警戒は瞬時に帰ってきた。
 あの油断した一瞬に仕留められれば良かったのだろうが、それ程の威力は俺の魂の数もあって攻撃力に優れた人器融合型なら兎も角、事象展開型では出せないだろう。もちろん、エーレンブルグも其処は織り込み済みに違いない。
 どだい、情報屋と戦争屋ではぶつかり合いなど無理な話しと言うものだろう。

「ああ、だから逃げる」

 で有れば、三十六計逃げるにしかず。わざわざ殴り合いに付き合う必要も無い。

「ハァ? テメェ逃がすとでも、あぁいや、そいつが狙いか。 マレウスもそうだがテメェら(事象展開型)はやり方が惰弱だなぁおい?」

 あぁそう思っておくが良い、お前がそう思って居る間こそ俺の勝ちにとって都合が良いんだから、だからこそ挑発に乗るつもりも無い。

「知らんな、悪いが俺は逃げるぞ」

 そう言って一歩下がる、次の瞬間には逃げ出せる態勢を取りしかしエーレンブルグもまた追う姿勢を取り、


 爆発した。


 ほんの先まで立っていた廃墟の地面ではかつてドラクル公が突き立てた様なキリングフィールドを再現するが如く一面覆い尽くさんばかりの槍杭が突き立てられ、元の面影などどこにも残っていない。
 ただし現象を克明に記すなら、僅かに残った廃材は全て俺の離脱の際に生じた強烈な衝撃波に吹き飛ばされたために面影など残っていなかった、と言うべきだろう。戦火に晒され火が廻りつつあった瓦礫は炎諸共吹き飛ばされ一瞬で鎮火されている。

「チィ、面倒臭え!!」

 出来損ないの散弾の如く爆ぜた瓦礫や木切れは狂犬の視界を奪い、完全に予想を上回られた事による驚愕の声を出させた。
 加えて直後、遥か上空から風を切る様なサイレン音が聞こえて来た。その不気味な風斬音は大戦当初空爆に不慣れで合った者達の恐慌を誘ったと言う悪魔のサイレンであり、

「この音……スツーカか!!」

 上古の昔、その妙なる調べで城壁を砕いたと謳われるジェリコのラッパの再臨、で、あれば"音に気付いて"回避を始めた所で間に合う訳も無いし、音遣いの攻撃が音より遅い訳もない。
 先程の比にもならぬ爆発。
 音の壁を突き破り、亜音速でその場を離れた俺とは違い一瞬その場に釘付けにされたヴィルヘルムにはこの急降下爆撃を避けられる由も無い。瞬時に一ダースは降り注いだ戦艦さえも撃沈し得る一発千ポンドの炎の雨はソニックブームすら引き連れ彼を覆い尽くす。

 咄嗟に前に出て避ける、と言う曲芸じみた発想からか間一髪で直撃を交わし俺を追い始めるヴエーレンブルグだったが彼我の間には既にかなりの距離が開き、とうに薔薇の杭の射程ギリギリの距離は稼いでいた。

「舐めやがって、これでも食らってミンチに成りやがれチビ犬がぁぁぁ!!」

 一波で収まる筈も無くいつ止むとも知れぬ炎を掻い潜りながら、そんな事に構ってなど居られないとばかりに奮い立つ串刺し公は凄まじい勢いで走り抜け、合わせて放たれた薔薇の杭が視界を埋め尽くさんばかりに飛び来る。なかば破れ気触れに放った様にすら見受けられるそれは、しかしその物量のために幾つかが直撃のコースを取っていた。あまりにも多過ぎるそれらを軽率にかわせば今度は周囲の他の杭に襲われるだろう。僅かコンマ数秒の間にこの様な詰め将棋を組み立てる手際は戦争屋と呼ばれるに相応しいものであった。
 が、無論、無抵抗に受ける訳には行かない。

 「撃てぇ!!」

 同時、掌中の引き金を引き絞る様なイメージで差し向けた腕から放たれる仮想の機関砲、それによる弾幕は多くは槍衾を砕きそして少なからず杭の主に牙を剥いた。

「なんだとぉ!?」

 騎士団員からすれば豆鉄砲とは言わずとも小さな鉛玉の範疇に過ぎないとは言え、7.92mmの霊弾は聖遺物として呪詛を受けた機関砲、その砲口から飛び交う数は秒間60発の縛りを大幅に超えている。
 必然、そこから齎さられる厚い弾幕はしばしば獣に例えられるエーレンブルグをして回避を許されず猛進の途上から弾き飛ばした。猛進していたからこそ、と言う一面が無いでは無いが上から降り注いだ炎から、砲撃は上からしか来ない等と多寡を括ったが何よりも悪かろうと言うもの。

「クソったれ!! やりやがったな、何が事象展開型だボケが。特殊発現だと? てめえの面には似合わねえんだよジークフリートォ!!」

 漸くその異常性に気付いたか、まるで騙された被害者みたいな事を言って罵倒を浴びせるエーレンブルグ。
 彼の言う通り、どうやらこの"笛"は特殊発現型に限り無く近い様だ。さながら武装具現をするかの様に爆弾を降らせ、しかしこの身を爆撃機と化し弾丸を放たせる人器融合型にも見える。
 実態は間違い無く事象展開型であるが、対峙する側から見るのであれば特殊発現型と思って対向するのがもっとも組し易いだろう。

 事象展開型は一筋縄では行かない、そこを見失って居たエーレンブルグは既に命運が尽きていた、と言っても過言では無い。予想しないカウンターに吹き飛ばされ体勢を崩した所に二千ポンドでも降り注ごうものなら如何に既に創造位階にあるエーレンブルグでも大打撃は避けられなかった筈だからだ。しかし、

「いってえ」

 俺は機関砲で砕いた薔薇の杭の破片を浴びて痛みにもがいて居た。戦場に立った事があっても矢面に立った事の無い俺に死に至る様な痛みを受けて平気な顔をして居られる訳も無く、まして魂を削られ、吸い上げられ、毒に満たされる、そんな痛苦は如何な経験があっても慣れる事は無いだろう。

 ここで追撃など出来る訳が無い。俺は戦士じゃない、兵士でも勇者でもない俺に痛みを無視して戦い続ける事は出来ない。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、熱くて辛くて痛くて堪ら無い。
 痛がっている場合かと、今すぐあのもどきに炎と硝煙を浴びせてやれと心は語るが、かつて経験した事の無い様な苦痛はまさに魂が悶え苦しむ毒だった。

「あぁん? あぁ、あーあーあー。なるほどそう言う事か」

 何故、致命の炎が降り注がれ自らを焼かなかったか理解出来無いとばかりに首を傾げ、俺を睨み付けて居たエーレンブルグは一人合点が言ったとばかりにコクコクと頷き、直後、嘲笑い始めた。

「ハッ!! ぎゃははははは、まさかテメェ今まで痛い目にあった事が無えのかよ、ジークフリートォ。なんでそんな坊ちゃんが戦場に立ってんだ、あぁ!? 今すぐ家に帰ってお部屋にでも籠もってろ仔犬ちゃん、お帰りはあちらってなァ!! オラァ!!」

 瞬時に間合いを詰め、茨に覆われた毒手で一撃必殺を狙うエーレンブルグを俺は痛みに霞む目で捉えていた。
 痛くて何もしたく無い。 
 だが


 だが死の苦悩に比してどうと言うものでも無いじゃないか……。


「うるさいんだよ、野良犬がっ!!」

 瞬く間に目と鼻の先まで差し迫った薔薇杭に、間一髪、合わせてクロスカウンターの様な形で常識外れの高射砲が放たれる。

「がぁああぁ!!」

 本来地上で戦車同然に設置されて放たれるべき凶悪な大口径の霊弾をStuka(急降下爆撃)で放つ、と言う狂気の沙汰。これを前にしては装甲の差も問題にならずまるで紙切れの様にエーレンブルグは吹き飛ばされ、瓦礫の山にその身を沈めた。
 反面こちらも無傷とは言えず置き土産と言わんばかりに左腕は杭によって穿孔され、半身が破片に覆われている。思わず舌打ちして幾つかの破片を抜き捨て、瓦礫の山に向かって高射砲と耳をつんざく轟音の声を打ち込み始める。

「痛え、畜生マジで痛え、痛えッ!! 来いよエーレンブルグ、どうって事無いんだろ? 生きてるんだろ? 何回でも吹き飛ばしてやるから掛かって来いよ、まだまだ洗って無い犬の匂いがするんだよ!!」

 死の苦悩がどうのと格好付けても痛いモノは痛い、戦争童貞の俺が吸魂の槍に貫かれるなど噴き出したアドレナリンとエイヴィヒカイトの力が無ければ泣き叫んで居る所だ。 
 霊性を持って打ち込まれた轟音の罵声に応えるかの様に瓦礫の山は火山の様に猛毒の杭を伴って噴火する。
 吹き飛ばされた瓦礫を抜けて、急造の塚から土埃を伴い所々風通しの良い銃痕から血を噴き出させて這い上がって来たエーレンブルグのその姿は、何か得体の知れない鬼気とでも言うべきものを纏っていて、知らず俺は脊椎に氷を詰められたかの様な緊張を感じた。

「あぁ、済まねえな。……正直舐めてたわジークフリート。悪い悪い、だから、本気で行くぞクソガキ」

 ……創造、か。
 これは不味い、今は夜だから成り立ての俺に二重の夜は絶対の死地だから


 「かつて何処かで--


 これは何としてでも阻止し無いと


「ジークぅ、ここなのー? ボーッとしてると置いて行っちゃうぞー」

 しかして魔女の、あまりにも場違いに聞こえるセリフが致命的に水を注した。
 エーレンブルグも鬼気を乱され、詠唱も中断してしまった様だ。彼も成り立てとは言えずとも熟達の聖遺物遣いとは言えない、と言う事が功を奏したか。渇望を磨き上げた魂の力で呼び覚ます複合魔術の奥義とも言える創造は並大抵の集中では成し得ないだろう。

「あれー、ベイも一緒だったの? 探して損しちゃった。はぁ、とにかくここは離れましょう、私疲れちゃったし」

 彼女のそのセリフに毒気を抜かれた様な顔をしてまずエーレンブルグが形成を解いた。いや、そこには打算が多分に含まれているだろうか、彼の触れれば刺さる様な性格からして彼女と良い関係性をこの時期に確たるものとしているとは考えられ無い。一つ間違えれば一対二となるリスクと、まだ何も始まって居ないのに此処で正当な団員を倒し黒円卓を欠けさせる訳には行かないと言う傲慢、その両面。これが正解だろう。

「もう良いのか」

 読み切っているだろうとは言え不利な俺は当然、それで一切の警戒を解く事も出来ず問いかける。

「白けたわ、テメェ自分の女くらい首輪掛けとけやクソったれ」

 そう言ってエーレンブルグは背を向けた、また何処かで誰か殺しに行くんだろう。俺の目の届かない所で有れば勝手にすれば良いと思う。
 ちょっとー誰が誰の女ですってー、等とつまらない事で盛り上がるルサルカを傍目に漸く俺は肩の力を抜く事が出来た、正直エーレンブルグの姿が"見えなく"なるまで安心は出来ないが奴の性格上、白けたと言っておいて騙し討ちは無いだろう。
 未だ銃火が飛び交い砲火が爆ぜて戦火に喘ぐ第二の故国の深紅い空を見上げた。
 先ずは、形成。


 どうでも良いが、こんな女に首輪を掛けるほど俺はかっ飛んだ趣味はしていない。


「随分と良いタイミングだったじゃないか、魔女殿?」

 比較的安全そうな区域に移動しながら話す。
 後ろからは未だ銃声と爆音が聞こえるが幸いルサルカにも俺にもそんな音は届いていない。

「なによ、折角助けてあげたのにお礼も言わないなんて紳士の行いとは言えないんじゃない?」

 この言い方を察するに矢張り覗き見られていた様だ、別に見られて困る事など無いが何かあらぬ嫌疑が掛かって居るのか、純粋に心配して居たのか。そのくせ、半ば暴走していた俺を放置する辺りに矛盾も感じる、200年そこそこの長生きさんでは頭の中も一枚岩では居られないんだろうが。

「まぁ感謝してるよ、お陰で形成も出来たし悪い発作も収まった」

 わざとズレた感謝を示して見たがルサルカは意にも介していない様だ。

「感謝してよね、あんなにベイのテンション上げちゃってさ。もう少し粘れなかったら邪魔する間も無く殺されてたんだから」

 悪い悪い、等と微塵も反省して居なさそうなセリフで軽く請け合いながら思う。一体こいつはどう言うつもりだろう。
 何故助けるのか、助ける割に暴走の危機に際して放置はする辺り純粋に俺の意向を尊重するつもりでもあるまい。であるからと言って教育的愛の鞭を気取っているつもりでも無いだろう。
 そんな軽い疑念に気が付いたか、ルサルカはため息を一つついて

「あんたね、ベイとシュライバーに目を付けられてるのよ」

 といまさらの様なネタばらしをした。
 なるほど、目を付けられる様な心当たりならいくらでもある。特にあの二人はラインハルトのシンパだから、俺がラインハルトを恐れていない事が気に食わないんだろう。
 流石にもう一回ブサイクハガル発言をする積もりも度胸も無いが。

 目を付けられていると言うのは本来聞きたかった何故俺をわざわざ助けたかの理由にはなっていないが、こうも真っ向から忠告されると今更聞きなおす気にはなれない。黎明以前の知り合いがもう俺しか居ないから、とか冗談でも言われたら背中が痒くなって死ぬ。思わずメルクリウスが居るじゃ無いかなどとバラしてしまっても驚かない。

「なるほどね、シュライバーに目を付けられてるのはお互い様だと思うけど、まぁ気を付けるとするよ」

 あそこで俺と対峙したのがシュライバーだったとしても助けに入ったんだろうか、もしあれを説得出来るつもりで居るんならそれは重大な死因にしかなり得ないからやめとけ。ライヒハートのよしみで、忠告しておいた。恐らく彼女に忠告するのは61年後の展開次第ではこれが最後だろう、すなわち61年間忠告する程の会話をする事も無いかも知れないと言う事だ。

「はあ、覚えとくわ。忠告どうも」

 まともに取り合ってもいないらしく、既に俺の方を見てもいないルサルカのすらりと伸びた背を見ながら61年後の展開に思いを馳せた。
 あの美人が61年後にはロリババアか……。
 振り向いて睨まれた、これが女の勘か。



[16642] Die Morgendämmerung_3
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/21 20:59


  既知の通り、滞り無くヴェルトールの現界が始まり俺が奴を訪ねた"紛い物"では無いヴェヴェルスブルク城が見え始めた。
 そのおぞましい威容が真に現界すれば音に聴くルルイエにも匹敵し得るだろう、あんなものが常人の視界に収まる筈も無い、次の瞬間には発狂による精神的自殺が蔓延し兼ね無い。

 以降、黒円卓の連中に付き従う訳でも無し、出来ればこんな恐ろしい光景からはそうそうに逃げ出して仕舞いたいのだが、その前にやりたい事をやっておく為に俺はキルヒアイゼンと会っていた。
 敗戦の赤い空、浮かぶ死者の城、そして炎に囲まれそこに佇む金糸の髪が映える彼女は舞台にも恵まれ、ヴァルキュリアの名に恥じぬ美しさを持っていると言って良い。

「なんの、用でしょうか。ウルリヒト」

 碧い目を眇めて放たれる視線は下らない事を言って私を煩わせるならば覚悟しておけ、とでも言わんばかりの槍の様な視線。発せらる殺気はいつしか、誰ぞに十点満点で五点などと言わせしめたとは断じて思えないものだ。

 我が槍を恐れるならばこの炎を越える事許さぬ、とは本来的には彼女のセリフでは無い筈だが成る程、今彼女が言えば戯曲からの引用とは思えない様な生きた台詞となるだろう。

「キルヒアイゼン、これからどうするつもりなんだ?」

 あらかじめ用意していた言葉などこの程度、に過ぎない。世界的な有名戯曲の主役にも迫る、天然の戦乙女に投げ掛けるにはあまりにも不躾な台詞であったかも知れない。所詮、恐怖劇に紛れ込んだ憐れなエキストラ等この程度だ。
 が、十分な効果はあったか。勝利の戦乙女は口を噤み、返すべき言葉を選び兼ねている様だ。

「どうするつもり、とは一体どう言う事でしょう」

 結局、返答はそんな物だった。
 それも当然か、直情的な彼女にこの時点で結論を出せるとは思えない。今は彼女にとって未だ葛藤の時であるべきだろう、心理カウンセラーでも劇作家でも無い俺にさえそれ位は判断出来る。
 が、それでは困るんだよ。貴女にはこれから先、冷静に物事を判断して頂きたい、この既知を打ち破るために。

「家族も死に、部下達に助かる未来もそう多くも無い、敗北者には慈悲無き死が贈られるのは世の常ってなもんだ。何よりもアンタとはとうに生きる時間が違う。この後、それらの犠牲者は自らの遺骸を次の時代への礎としたとも取れるだろうが、たった一人この戦争に取り残されて永劫戦い続ける幽鬼に成り果てた貴女は、一体なんのつもりで黄金を望むんだ?」

 だから彼女に捧げる言葉は、いつかの既知で狩の魔王が投げ掛けた言葉に似て、しかしどこか呪いじみてさえ居た。

「貴方に……何が分かるって言うんですか」

 やはり返答はまだまだ陳腐なもの、だがその目はあらぬ方を見ている。この至高天を見ているのか、あるいは在りし日々を見ているのか、当事者成らざる俺には分からない。分からないがきっと彼女は唯一残された同僚の事を思っているだろう、俺にだってそれだけは断言出来るつもりだ。だから彼女の出す答えは既知に依らずとも推察出来るが、既知の補強があってさらに盤石、この既知は揺るがない物に成るだろう。

「分かるとも、一応、俺もアンタ同様、通って来た道にはペンペン草も生え残ってない。女とか坊主みたいに過去を慈しむ様な不毛な性格して無いんでね、俺は前に進むしか無かったんだが。優秀なキルヒアイゼン卿ならどんな答えをお出しになるのか、興味があったんだよ」

 だからこの諧謔は照れ隠しだとか、そんな麗しいものじゃなく、ただの逃避。既知を殺すために既知を利用する俺への諧謔か。
 しかしそれは傍目からは嘲弄にしか映るまい、言ってしまってからようやく気付いた。
 キルヒアイゼンは大きく肩を震わせている。

「貴方みたいな人に……不毛だとか、優秀だとか」

 当然、黄金でも聖者でも汚す様な穢らわしい既知の呪いを浴びて真っ当な人間は黙って居られないだろう。敵対するつもりなど無かった俺にとって、これは間違い無く計算違い。要するに生まれる前から既知に浸かっていた俺はその毒の臭いがどれ程に忌わしいか理解出来て居なかった、と言う事か。

「言われたくありません!! よりにもよって貴方に、貴方にだけは言われたく無い」


 形成、白銀に輝く雷剣の切っ先が俺へと向けられた。


 白騎士を除けば黒円卓最速に迫る彼女の剣をして、たかだか爆撃機が捉えられない理由など無い。まして飛行機に雷が落ちた、等と恐ろしい事態は想定したくも無い。
 故に俺がまだ生きているのは単なる偶然、では無く、彼女が加減をしているためか。

「どうしたんですか? 鳴り物入りで私達の仲間になった癖に口ほどにもありませんね」

 剣を握った方が落ち着く様なブレードジャンキーなのか、それともアドレナリン漬けになっている方が頭が回る天性の熱血派なのか。キルヒアイゼンは先ほどの激情も忘れたかの様に微笑みすら浮かべて切り掛かってくる。反面、俺の方は一片の余裕さえも無く、たまに大音響を浴びせて逃げ続けるのが精一杯。しかもその怪音波は多くは一瞥にも値しないと言わんばかりに雷剣に引き裂かれていた、驚くべき事に超音速の剣に払われているのか。轟音に込められた霊性こそがこの攻撃の炸薬だが音ごと霊剣に切り払われては敵わない、これは今、音の速度を超えられない俺には不可避の閃きだ。

「鳴り物入り?」

 だからただ単に問い返す事にさえ、多くの時間と必死の回避の後になる。口を開いたのと同時に襲い掛かった右から左に奔った剣閃は、危うく舌を二枚に捌く所だったがこれも、これまでに増して極薄の紙一重で躱し切れた。

「あの水銀に『予想だにしない事に、我々は新たな同志を得た』なんて言われて、鳴り物入りでないとでも? 貴方を特に警戒していなかった人物なんて当の黄金位のものですよ」

 なるほど、客観的な話だけ聞けば何かおどろおどろしい新たな化物現る、と言ったところにさえ聞こえる。
 実際には単に、既に知っていた、と言うだけの話なのだがそれを知らない者には俺はさぞかし危険人物に見えるだろう。

 話しながらも雷剣の冴えは鈍る事を知らず、払えば腹が捌かれんとし、袈裟懸けに振るえば耳に刻まれた空気の悲鳴が聞こえ、突けば首の薄皮一枚裂いて止まる。それを全て誘導していると言う絶技、この程度の速度でそう見えると言う事は彼女の技量の高さを示しているだろう。その底を測るなど今の俺には無理だ、雷霆を知るには未だ高さが足りない。

 しかし、まぁ、空を斬る鉄の鳥が雷の源となる雷雲すら切り裂けぬ理由にはならないか。

 突如、一帯に怪音波が響き渡った。一昔前では鵺の様な怪物の声と言われていても不思議の無い、真に恐慌を誘う音、先の様な骨まで揺さぶる様な単純な大きな音とは違い脳を直接揺さぶる様な本当の意味での怪音波。そんな異音がしかも大音響で、指向性を持って叩き付けられては斬った貼ったの問題ではなくなる。

 流石に慣れていない音に驚いたか、脳を揺さぶられる様な感覚に吐き気を催したか、剣舞を止めるキルヒアイゼンに言う。

「……随分な名調子じゃないか、乙女殿。特に『当の黄金位のものですよ』の所なんて最高だったね、ユーゲントでは学芸会かなんかで演劇も教えるのか?」

 音を止めて返答を待つ。
 しかし返答は無い。俺の軽口には付き合わないぞ、と言う事か、異音に惑わされ手を止めた姿勢のままじっと俺を睨んでいる。

「で? どうするかは決まったか、わんちゃん。痛い所突かれてキャンキャン吠えるのは結構だが、いつ迄も子どもみたいに八つ当たりして無いでそろそろ大人の返答を聞かせてくれよ。キルヒアイゼン卿?」

 彼女はそうですね、とだけ言って答え始めた。


「War es so schmählich, 私が犯した罪は」

 その答えはこの闘争が始まってすぐに予測したものに違いなく、それそのものは既知に過ぎないがそれでも戦場の炎に美しく映える。

「ihm innig vertraut-trotzt'ich deinem Gebot. 心からの信頼において あなたの命に反した事」

 答えと言うにはどこかズレていて、しかし彼女の決意と渇望が冗長な解説よりもずっと雄弁に語っている。思うに、元来彼女が部下であるのはただ一人のためでしか無いし、彼女の上司であって良いのはただ一人のみなのかも知れない。

「Wohl taugte dir nicht die tör'ge Maid, 私は愚かで あなたのお役に立てなかった」

 だからきっと俺が彼女のために出来る事は五十年後、鍍金の毒に侵されるのを阻む事くらいだったのだろう。彼女はきっとどんな事を言われたって同じ結論に達しただろうから。

「Auf dein Gebot entbrenne ein Feuer; だからあなたの炎で包んでほしい」

 それだけ水銀の毒が強いのか、報われぬ者の既知などその程度のものに過ぎないのか。果たして俺に彼女を救い、未知に至る事など出来るのだろうか。

「Wer meines Speeres Spitze furchtet, durchschreite das feuer nie! 我が槍を恐れるならば この炎を越すこと許さぬ」

 だからと言って縮こまって居る事も出来ないだろう、あの日俺は恐れを知らぬ英雄に成りたいと心の底から思ったのだから。だからこの炎だって雷だって越えて見せる。

「Briah-- 創造」

 まだ俺は人外の化物としても三流どころで、彼女の雷にとっては役不足も良い所だ。この暗黒の世界で居て戦場を照らすこの輝きはむしろ爆撃機も導くためのもの。

「Donner Totentanz 雷速剣舞」

 だが負けたくない、たかが雷に負けたくない。魂に抱く智泉の号砲、ギャルの角笛は彼女の父と同様の戦果を上げた者の宝物。であればこそ、その娘には負けられない。

「Walküre 戦姫変生」


 どうか、勝ち戦の祝砲となってほしい。

 その身を雷電に変えてこちらを見つめる彼女はしかし動かない。喉元へ向けられたその雷剣の切っ先さえ全く動かないのは恐ろしい限りだが、速く、触れず、力も強い彼女が後の先を狙う必要も無い筈だ。とすれば、今俺を殺すつもりなど無いと言う事か。

「下らない、逆ギレして一年年下の形成君に必殺技出しちまうほど大人気無い事しといて、でも殺る気はありませんってか。まるっきりナイフ取り出した途端デカい顔し始める路地裏のチンピラじゃないか」

 どうも最近思考と言動が一致していない気がするが、本心から外れた事は言っていない。ただの死にたがりにさえ聞こえるし、精々負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだろうが、気に食わないものは気に食わない。一体どう言うつもりなんだ。

「貴方だって似たようなものじゃないですか、覚えたての形成自慢したくて早速手近な所に喧嘩売りに来たってところでしょう? 気持ちは分からないでも無いですけど、そう言うところ

 --本当に面倒な人ですねっ!!」


 そして雷が落ちる。
 古の人々には神の怒りとさえ解釈させた大自然の猛威がそのまま襲い掛かれば精々が落ちたり浮かび上がったりするだけのプロペラ機など木の葉よりも頼りない物だろう。
 先刻とは比較にも成らぬ神速の斬撃は殆んど目にも止まらない、踏み込みすら追い切れない。下はゼロから、上はマッハ440程まで比喩でもなんでも無く純粋に雷速に迫る剣士が居たとして、その緩急に満ちた攻め手を追い切れる生き物など居るだろうか?
 これは位階差とかそう言う問題でさえ無い、同一位階の凄腕の同胞の半分以上を圧倒する速度は、だからこそ俺に追い切れる筈も無い。
 いまだ落とされていないのは実物の雷同様狙いが甘いとか、圧倒的な雷速に慣れていないとか、そんな生易しい理由では無い。

 手加減されている。
 見えないものは見えないと割り切って全て勘任せの回避に切り換えて以降、瞬く間におよそ百数十合余り、その全てにおいて致命傷はおろか直撃を免れ得る程に人間を辞めた覚え等無い。ましてこの展開は俺にとってだけは未知。
 だから死なない筈が無いのに、ギリギリで交わし切れる様に、余裕など与えない様に、決して死なない様に、最小限で最大限の手心を加えられている。
 だからこそ、気に食わない。

「キルヒアイゼンッ!! てめえチビの癖して巫山戯んな、加減だぁ? そう言うのはもっと人間辞めた連中がやる事だろうが。お前みたいな人間辞められない奴がやったって、デジャブるだけなんだよッ!!」

 爆ぜる。

「なっ!?」

 何の事は無い、ただの自爆。
 焼き払う事のみ求められた焼夷弾の再現、その周囲の酸素を喰らい尽くしてなお燃え尽きぬ炎が、俺本人の体から噴き出した。

「なにカマトト振ってんだ、知ってるんだろ、炎は溜まった静電気を発散するらしいじゃねえか。だったら、俺が燃えてりゃ静電気は落ちて来ないんだよなぁ!!」

 命を賭けるには考えられないほどイカれた理論、まともな人間であれば、まともな思考を持っていれば、こんな理屈で自分の足場を爆弾に変え火の海にしてしまおうとは考えない。その結果として今、俺は間違い無く炎上して居た。

 自分の炎は自らを傷付けない?
 そんな程度の炎がこの神鳴を焼き払う事など出来まい、だから今俺を焼く炎は俺の再生力に比してプラス、少しずつとは言え自らを傷付ける激痛の剣。

「そんな巫山戯た屁理屈で、私を止められると思わないで下さいッ!!」

 当然、たかだか燃えている程度で半透過されているとは言え霊的にも質量を持った戦姫の剣が止まる事などあり得ない。 
 見事なまでに先程と同じく、振るわれた事を感じるかさえ危ういほど鋭い太刀筋で剣が振るわれた。
 ああ、流石ヴァルキュリア。お前ならこの程度の炎に左右される事なんか無いと思っていた、弱くする事も、もちろん、強くする事も無いだろうと。

「上等っ!!」

 先程まで俺であれば辛うじて避けられる程度の、辛うじて死ぬ程度だった雷剣は、激痛の剣、我が身を焼く炎に削られ大きいとは言えぬまでも威力を減じていた。
 たとえ受けても辛うじて死なない程度には。

 その事に咄嗟に気付いて剣を"引こうとした"キルヒアイゼンだったが既に左腕の肉と骨に食い込み始めた剣ごと俺は特攻を掛ける。
 即ち、体当たり。
 炎上している爆撃機が雷雲のど真ん中に突っ込む、などまず見られない様な事態だが、結果は予想が出来る。眼と鼻の先で撒き散らされた熱と炎と風は雷を巻き込んででも雲を吹き飛ばすだろう。

「くぅっ!? 馬鹿ですか、貴方は。カミカゼをするなら極東でしょう、終戦間際のドイツでする事じゃ有りませんよ!!」

 少なからずは。
 燃料が足りなくても、爆薬が足りなくてもそんな馬鹿な事は成功しない。だから今の俺には足りないのだ、魂も、位階も、そしてきっと他の何かも。

  流石に踏ん張っていられず派手に吹っ飛ばされたキルヒアイゼンだったが致命傷には至らない火傷を負った程度、浅手とは言えないまでも深手とも言えないだろう。片膝こそついているが、その瞳に苦痛の色は窺え無い。
 大して俺は片腕が千切れかかり、その腕も切断面が焦げ掛かって居た。全身など見るにも値しない疑い様も無いダメージ、完全に再生するには時間が掛かるだろう。

「気に入らねえんだよ、お前。何が言いたいんだ? 俺だけには言われたく無いってなんだよ」

 彼女はその言葉を小気味良く鼻で笑い鸚鵡返しに返した。

「貴方だって、何が言いたいんですか? 水銀の真似事をして人様を誘導して悦に浸っているだけですか?」

 まさか、それで切って再び形の良い鼻を鳴らす。向けられた碧い双眸はきらきらと輝いて内に宿す強い意思を表している様な気がした。

「どうしてこの人は私が悩んでいる事が分かるんだろう、どうしてこの人は私に答えを聞こうとするんだろう。考えたら簡単に分かる事ですよね、貴方は、

 --貴方は私と同じなんでしょう。だったら分かって当たり前、貴方はきっと私と同じ悩みを抱いて貴方に誘導された私と同じ答えを得たんだ」

 彼女は立ち上がる、バチバチ、バチバチ、と爆ぜる稲妻が喧しい。

「戦場を照らしたい、同胞が道を見失わないように。なんてお笑い種、その私が同胞に照らされてたら元も子も無いじゃないですか!! 巫山戯るなはこっちのセリフです。人の誇りを傷付けておいて、巫山戯るなッ!!」

 雷霆が奔る、例によってぎりぎり躱せる程度の攻撃には何の殺意も篭っていない、純粋な激情だけがそこにあった。

「仰る通りですよ。私にはもうあの人しか居ない、だったら私はあの人のために黄金を願います。さぁ、これからどうするんですか、ウルリヒト・ブランゲーネ。私は殺しますよ、貴方じゃない、私が、首領を、殺します」


 強い鼓動を感じた。
 心臓が、では無い。魂が大きく鼓動した。
 これまでにバラバラに叩かれ音を発していた二つの太鼓が一つに纏まり始めた時の様に、増幅された強い一つの鼓動が意識を揺らし始めた。


 殺す必要が?
 あるだろう、はっきり言って馬鹿は死ななきゃ治らない。
 でも俺じゃ無くて、お前が?


 さらに幾条も駆ける雷霆は、やはり躱す事の出来ない物では無かった。躱そうとさえしたならば。
 空気を焼き、切り裂き、轟音を上げながら奔る雷撃を見つめながら俺は考えていた。


 あいつは俺が殺したい、俺が殺さなきゃ意味が無い。それを、


「貴方か、私か、願いを叶えられるのはどちらかだけでしょう?」

 すっかり避けると思い込んでるのかキルヒアイゼンが意気揚々と語り掛けて来る。そんな事は無いのに、俺が奴を殺せば結果的にその他の有象無象なんか後から付いて来るのに。


 お前は邪魔しようって言うのか、ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン?


「--Ach nein! Ich ließ mich nicht ……  (やめろ! 決して私の……)」


 俺の中にある何かが膨れ上がる様に莫大な熱とともに堅固な殻を突き破ろうとして、


「なかなか面白い話をしているでは無いか、ハインツよ」


 また深く深く眠りについた。



[16642] Die Morgendämmerung_4
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/13 18:32




「なかなか面白い話をしているでは無いか、ハインツよ」


 何の前触れも無く黄金が顕現した。
 現れるのは声が聞こえたのと同時、ならば予見出来る筈も無いが、だからこそ、俺はこんなモノがこんなに近くに現れるまで気付く事が出来なかったのか、と不安にさえなる。
 実際には気付ける筈も無いだろう、今の黄金は幽霊みたいに幽世と現世を行き交っている状態なのでは無かろうか。だとすれば認識し易いものでも無いし、そも此奴がその気になれば次の瞬間には月に立って居たって何の不思議も無い。

 だがそんな事は関係無い、そんな事が本の些事に見える程にこれは尋常じゃ無い。ここに降りたのは恐らく本来の奴に比しても遥かに小さい筈だが、後に現存する団員で最強と謳われる筈の目の前のキルヒアイゼンの何百万倍も脅威だ。現にキルヒアイゼンの雷撃は間に割って入る事になった黄金に触れる事も無く、まるで無かった事にされたかの様に霧散している。

「ラインハルト……」

 自分から俺の名前を呼んでおいて、ようやく気が付いたかの様にその場全体を睥睨していた目をこちらへ向け、ここで初めて目が合った。


「ふむ、赤銅か。目の色が変わる程にとは良く言ったものだ、青い瞳を赤く染める程の渇望があったか。まずは讃えよう、こうも早く渇望への足掛かりを得るとは思っていなかったぞ」


「首領閣下、どうしてここに」

 予測もしないモノの出現に驚き惚けていたキルヒアイゼンがそこでようやくハッとなって跪き、頭を垂れ呟いた。質問とも独り言とも取れない微妙な音量は、しかし音に優れた俺とそもそもに人智を超えている獣には届いている。


「なに、ここで卿を失っては折角の儀式を損ねよう、この門出に空席一つとなれば不恰好だ。かと言ってハインツをここで失っても興が削がれる、となればここいらで手打ちとするが良かろう。少々気になる話も聞けたのでな」


 キルヒアイゼンを見据えていた黄金の双眸が再び此方に戻され、ふむ、と言う発言とも間をとっただけとも取れる声に成り切らない音が聞こえてきた。こんな音はこの男には珍しいかも知れない。


「先の話からして、ヴァルキュリアとお前は同志足る間柄の様だが、正気かハインツよ? 我が同胞の内、お前だけは確実に正気であると思っていたのだが」


 はん、と知らず息が漏れた。はっきり嘲笑と言って良いだろう、こんな分かり易い挑発などするつもりは無かったのだが、何故か自分が抑えられない。

「まるで自分達が正気じゃないと言わんばかりだ、自覚あったのかよラインハルト?」


「元より、あの道化に目を付けられる様な者どもは正気と言える様な存在ではあるまい。悪魔と取り引きをするなど真っ当な人間のみがやる事だ、正気で無いものに必要は無い。お前がカールを訪れた事自体が予想外だった、と言うカールの言もその傍証だ」


 悪魔に魅入られる様な奴は最初から正気じゃないと、堂々と言った。堂に入り過ぎで返す言葉も紡げないほど。自分は既に正気では無いと言っているその目がほんの僅かにも揺れないのが不気味ですらあった。


「しかし先の話から推し量るに、お前は誰かを我が城より救い出さねばならない、とでも言いたいかに聞こえた。故に、正気かハインツ、お前がヴァルハラを否定するとは思っていなかった。お前は英雄に成りたいと願いカールに会ったのでは無かったのか?」


「……黙れよラインハルト」


「至極、残念だ。私はお前さえ納得するのであればヴァルハラに招待しても構わないと思っていたのだぞ? なに、今からでも遅くは無い。私と共に来るが良いハインツよ」


「黙れッ!! 墓土塗れの救世主気取りが偉そうに人様の願いを嗤うなぁああぁぁっ!!」

 怒った、腹が立った、幾らでも言い方はある。要するに鎮まっていたモノが激発した。脳の髄まで強熱されて白く感じる、目は熱に狂い視野が狭い、腸が煮え繰り返ると言うが頼りなくさえ感じられる腹腔は今にも破裂しそうだ。耳鳴りまで聞こえる。キルヒアイゼン戦で受けたダメージ、決して軽くなど無いそれらすらもほんの一欠片だって気もならない。そして何よりも白熱した理性は気炎を上げて俺の全身全霊の炎を獣に叩き付けさせた。激しい怒りを受けて高められ、未だ赤いのが不思議なほど熱い炎は燃やし尽くせ無い者など何処にも無いかに思われる程。


「まだ温いな、ハインツよ。風呂焚きはお前の役割だった筈だが勘が鈍ったか?」


 が、届かない。その黄金の髪を焦がす事さえ叶わない。 


「ところで、カールから面白い話を聞いた事がある」


 涼し気でさえある余裕の表情を崩さぬまま矢継早に降り注ぐ炎を受け続けるラインハルト。毛髪一筋さえ揺るがない様は最早、炎の方が自分から避けているのでは無いかと疑うほど。


「生まれつきのレギオン、その様な者が私の側近くに居ると言うのだ。正直、驚いたよハインツ。今はまだ混ざり切らず、しかし分かたれぬ二重の魂を扱い切れず燻っているそうだが」


 何を言っているのか分からない。目の前のこいつが何を言っているのか全く理解出来ない、がとにかくこれ以上聞いては行けない予感がしたから。黙れラインハルト、その余裕の表情を泥に塗れさせてやる、と激しく燃え上がる炎はなおも収まる所を知らない。こんなに熱い炎が、術者の制御すら離れて自身すら焦がす炎が、燻っている筈が無いのに。


「であれば、手を貸してやらねばなるまい。お前の聖遺物は少々手の掛かる形を取っている様であるからして、手づから射抜いてくれよう」


  黄金の獣にはこの程度の炎は一顧だに値しないとでも言うのか、その手を躊躇わせる事さえ出来なくて、必中必死、黄金に輝ける運命の神槍の威容を"その向こう"に見た。


「旧交の誼だ、受け取れ、これを持って我が同志の証としよう」


 形すら成していない槍はしかし見事に直線を描き、さながら主神の槍さえ思わせる程に確実な軌道を持ってして自らを貫くだろうと、既知でさえ無い必然が既にそこにあった。
 であれば半神はおろか半人にも満たぬこの身に躱せる由も無し、偽物では無い、本物のジークフリートならば聖剣を持ってしてこの槍を退けただろうかとだけ思う。
 人外集団黒円卓を象徴する最も畏るべき槍は肉の器の中心、この胸を狙い誤またず貫き聖痕を穿ち背中まで突き通した。
 暗転--。


 愛されざる光、悪魔の名を冠す彼の獣が成した事はその実、言葉で語るならばそう大した事では無い。
 小さな杯に大きな槍を突き立て、中の微温湯を熱湯と冷水に分けた。
 しかし、容れ物を壊せば中の魂は散華して消えてしまうだろう。そも、どうやって槍を突き立て微温湯を分かつのか。
 マクスウェルの悪魔。
 こんな物が在り得るなら恐らく成し得るであろう、と言う幻想の域を逸脱しない神の様な業。
 誰にも成し得ない神域の業をしかし悪魔と呼ばれる獣はやって除けた。


「あ、ああ、……あ、ああぁあぁぁああぁっ!!」


 蘇る、そう貴方は蘇る。
 そう歌ったのは誰であったか、誰でも構わないじゃ無いか。
 殺したい助けたい、壊したい直したい、愛したい憎みたい、それは幻想これは現実、それは現実これは幻想、しかし今や幻想とは現実であり現実は幻想でしかあり得ない。
 矛盾、対向、鬩ぎ合い。
 均衡平衡同一化が崩されたから二つは別人でしか在り得ないがそも二重として生まれた俺達はどこまで言っても同一でしか在り得ない、在り得ないからどこまで言っても私はまた死後に還る、永劫に回帰する。
 ならば俺はどこまで行っても最期の時まで二つで、だからこそ俺達は互いにただ一つ永劫に同じ存在。
 俺達は再生する、復活する、転生する--審判のアルカナ。 


 膨脹、起きた現象を一言で現すならそうなる。魂の規模、僅か十三、このベルリン侵攻で得た魂は奇しくも彼等の数と同じであったが、当人のそれを含めて十四、十五に過ぎぬ筈のそれが数百、数千と膨れ上がって行く様に見える。既にあった傷の全てが瞬時に再生し、まるで失った血を埋めるかの様に、破裂した血管が血を噴き出すかの様に炎が噴き出した。
 その肉体から噴き出し、纏われる深紅の炎は黙示録に語られる第一のラッパ、その妙なる調べから齎されるそれをさえ思わせる。例示による表現としては大袈裟に過ぎるかも知れないが、この手にある炎は一瞬前のそれより遥かに研ぎ澄まされ、より熱く、より強く燃え上がって行く。


「あああぁぁああぁぁーーっ!!」


 喉も破けよ、とはがりに高く叫ばれた鬨の声は黄金の総軍に響き渡れと願い上げられる開戦の号砲だった。
 赤銅の瞳で黄金の瞳を射抜くと同時、千年の休火山がようやく目覚めの時を迎えるかの様に、炎を撒き散らしながら駆け出した。目障りな黄金を焼き尽くさんとする赤く輝く炎は仇に到達するまでの僅かな時間にもなお膨張を続けていく。
 さらに早く、空を裂けとばかりに音を超え千々に裂かれた風を置き去りにして駆け抜け肉薄、 紛れも無く急降下爆撃の再現として持てる全ての炎を拳ごと投下した。
 理性すらも伴わない暴走に近しいその速度と破壊力は戦艦はおろか、小規模の要塞であれば成す術も無く根こそぎ吹き飛ばされるのでは無いかとさえ感じられる。


「見事だ、さぞ良い湯が沸くぞハインツ。これより先の地獄には相応しかろう」


 しかし、要塞如きと張り合う程度では総軍を一身に背負う黄金を焼き尽くす等、夢のまた夢か。
 だが、触れる事すら叶わない訳では無かった。
 炎が届いた、拳が当たっていると言う点では間違い無く届いている。動かなかったのだから当然ではある、獣はその場から一歩も動いていない。だが燃え盛る炎がその白い肌を舐めているのは間違い無く届いた、と言って良いだろう。先の様に炎が自ら避ける様な事にはなっていない。


「うおおぉぉおおッ!!」


 それは苦痛に泣き叫んでいるのか、あるいは歓喜の雄叫びか。いずれにせよ時に迎合し、時に相反する魂の声と、同時に対話をする聖遺物の暴走により理性を焼き切られていた俺に判別する術など無い。ただ一途なまでに魂を焦がす激情に身を任せ、炎を滾らせていた。
 音の世界を一周り飛び越えた世界で灼熱が奔る。瞬時、圧縮された炎が解放され黄金に熱を吹き付けた。
 一瞬足りとも、一刹那足りとも止まる事は無く、異なる世界から座を通り、この世に生を得ると同時に重なった醜悪な混種の魂は、その輝きを失う事など知らない、と言わんばかりに互いから汲み上げ、無限とも思われる継続性を実現している。


 瞬きの間、この手にある煉獄が幾十と叩き付けられる間にも百、二百と世界よ燃え落ちろとばかりに数多の炎雨が浴びせらている。であれば、その咆哮は角笛の音か、超音速で迫り放つ空の悲鳴がそれなのか。智泉の号砲、ギャラルホルン、終末の到来を告げる角笛の真名を持つ聖遺物を与えた水銀の王の思惑に知らず背筋を凍らせた。
 見ればラインハルトは口許を綻ばせている、同じ事を考えているのでは無いだろうか。
 その笑いに怒り狂った魂の奥底でああ、そうだとも。お前のその下らない世界を終わらせるまで、焼いて吹き飛ばして焦がし尽くしてやる。そんな悲鳴とも雄叫びとも取れぬ咆哮が聞こえた気がした。


「二重の魂、人格の二重性と言うよりは主体の崩壊と言う形で現れるか。どちらが、誰である、と言うのでは無く、そのどちらもが同時にお前であるらしい。ならばお前のそれも紛れも無くレギオン。これに気付かぬとは我が不徳を嘆くばかりだよハインツ。済まなかった、卿は我がレギオンの一員として相応しい」 


 余計なお世話だ、今のお前に何を言われたって嬉しくもなんとも無い。
 二重の声が合致して、今度こそ全てを焼き払えと総身の願いが込められた終末の炎が噴き出し始める。暴走状態だからこそ、別物である筈の魂が同じ願いで熱く燃えているからこそ扱える炎、それだけで創造位階の能力と言っても良いだろう。仮に冷静なままこれをやれば瞬く間に炎に同化し、無差別に周囲を焼き払う炎の化身と成り果てるだろう程の熱量が渦巻いている。しかし今その全てはたった一人の男に向けられているのだ。


「ここで放ってやればこの世界を焼き尽くすまで止まらんだろう。良いぞハインツ、だがまだまだそんな物では無かろう、卿の渇望、全て私の愛で受け止めてくれる。ゆえ、気にする事は無い。燃やし尽くせ」


 だが、男はその炎を意に介する事も無く浴び続ける。まるで夏場に煽られた風を受けて涼む様に、こんなものは大した熱では無いと言いたげに。そしてそれを視認する度、炎は更に熱を増す。既にその温度は深紅に輝く恒星の表面に伍する程に熱く昇り詰め、足元の地面をぐずぐずと赤熱させ、溶かし始めている。だか獣もそれでも足元など見る事は無く、浮かぶ様にその場に立ち続け、それは飛ぶ様に駆け抜け、産まれたばかりの溶岩を踏み躙っている。
 赤く染まった水面を踏みしめ、赤く染まった空を駆け、赤く染まった炎を全身に纏い昇り続けるその姿は黄金の獣をしてさえ、無意識の内にそれを想起させた。


「暁、赤銅の暁とでも言うつもりか」


 獣が漏らした言葉は感嘆のそれだっただろうか。神の悪戯、水銀の手筈か、それとも黄金に迫り水銀を倒すと言う執念か、あるいはその両方か、そこに齎された物は間違い無く赤銅に輝く暁を思わせた。
 原初の光ーウルリヒトー、暁を見ればそう言う表現も出来るかも知れない。
 その間にも彼は昇り続け、膨脹を続けている。霊的な質量の増加はどこまでも止まる事が無いかに見え、とうとうその末路を見る者に予測させ始めた。

「ウルリヒト、待って、やめてください。このまま……このまま、大きく成り続ければ」

 触れば破裂しそうな暁に手を出す事も出来ず、見る事しか出来ていない戦姫が焦燥にも似た独白を漏らした。このまま、無限に膨れ上がる事など有り得るだろうか、もしも無限では無いとしても、もしも無限であったとしても、いつかは


「ふむ、爆ぜるか?」


 何時かは爆ぜるのでは無いか。
 恒星でさえ膨らみ過ぎれば崩壊し、大爆発と共にその長かった一生を終えると言うのに、俺はいつまで広がり続けられるのだろうか。
 獣の声を聞いてキルヒアイゼンが少しだけ表情を歪め、獣も同様、僅かにその表情を歪めた。後者はその先を見たいと言う期待に違いない、であれば前者はその逆なのだろうか。
 いずれにせよ、もはや彼等の思惑に関わらずこの炎上は止まる事はないし、生半可な手では止める事も出来ず巻き込まれて焼き尽くされるだけだろう。


 獣と暁の戯れ合いはまるで恐ろしい冬が来たかの様で、まさに角笛の音が響き渡るその日まで続くかに思われた。
 暁はもはや全て燃やし尽くさねば止まる事など出来ないし、獣はそんな彼を見て間違い無く楽しんでいる。


「閣下、申し訳有りません。刻限が迫っております」


 だからここで邪魔が入るのは必定であったと言えるだろうか、無機質な幼子の声が降り荒ぶ炎の豪雨にも掻き消される事無く不思議とはっきり聞こえてきた。しかしその声を発した者の姿は見えない、まるでそこに居るかの様に話しているのにだ。  


「イザークか。惜しいな、ハインツが何処まで行くか興味深くあったのだが。とは言えそれで後は知らぬと言う訳にも行くまい、儀式の妨げとなっても面白く無い。刻限も近い、となると早々にここで卿を打ち倒して退散するべきか。済まんがハインツよ、続きはシャンバラで聞こう」


 さらばだ、そう言い残してこれより先、六十年は放てぬであろう最大の炎を全ていともたやすくその手で散らし、俺の意識を奪った。何をされたかも見えないそれは神業と言って良い速度、あるいはキルヒアイゼンよりも早かったかも知れない。
 まだ、何をされたのかも分からないか、と未だオーバーラップする相互の魂両方が自嘲混じりに呟いたのを感じ取って俺はまた暗転した。


 それ以降、二つの魂が背反する事は無くなった。俺たちは同じ者なのだから当然だし、二つで一つなのだからまた当然と言えるかも知れない。胸の中央に穿たれた聖痕だけが二重の魂の存在を物語る事になった。



 硬い床面と激しい揺れの不快感に眼を醒ますと幌付きトラックの中だった、特に縛られている様子も無く、どうやら誰かに乗せられたらしいと言う事しか分からない。状況とタイミングから鑑みるに国外に逃亡している最中か。
 時刻はまだ夜なのか、外は暗くかなり冷え込んでいる。安っぽいランプの明かりだけがその場に暖かさを提供し得るものだった。
 頭痛と猛烈な吐き気を感じる、これが事の後遺症なのか病み上がりに劣悪な環境に置かれたための車酔いの様なものかは分からない、胸の疼きの様な痛痒が夢を見ている訳では無いと言う事を語り掛けてくる。

「キルヒアイゼン……か?」

 あの場で俺を助ける様な人物など一人しか思い浮かばない。ルサルカや神父、ブレンナーと言う事も考えるが、ラインハルトとドンパチやっていた所に助けに来る程肝の太い連中では無いだろう。

「失敬、私だ」

 どこに向けるとも知れない問いに答えた声はそのいずれとも違う恐らくこの時もっとも聞きたく無かった声だった。
 思わず飛び上がり、対面する。キルヒアイゼンがほんの気持ちの様に掛けられた毛布を抱き込んでいる横で、影法師がそこに座っていた。キルヒアイゼンも良くもまあ眠っていられるな、と思い、直後思い直した。気付かせていないか眠らせているのか、どちらかだろう。

「君も大変だね、ジークフリート君。獣殿は言うに及ばず、クリストフ、ベイ、マキナ卿、ザミエル卿、バビロン、シュライバー卿、団員の内実に五分の三を明白に敵に回している。味方を敵に回すと言う事に掛けて君に及ぶ者はそうは居まい」

 メルクリウス、全ての元凶がそこに居て白々しくもそう言った。

「ラインハルトと、マキナ卿にも俺の事を教えたな。どう言うつもりだ」

 先日のマキナ卿の訪問は恐らくそう言う事だろう、あれで自分と同じ境遇の人間に同情する事の多い人だ。黙って居られなかったんじゃないだろうか、みすみすドジ踏んだのは俺だが。

「君の新たな一歩を願って、と言えば信じて頂けるかな」

 またもしらを切る、あり得ないとは言わない。事実、ラインハルトとの対峙は一段俺を飛び越えさせたと言える。ならばマキナ卿とのそれもまた俺を飛び越えさせるのだろうか、彼が殺しに掛かって来たならば瞬時に幕を引かれると思うのだが。
 だが何か違う気がする、何かは分からないが目の前の男がそんな生易しい者では無いと言う確信。それだけが強烈な違和感を引き起こしていた。

「まぁ……良いだろう。それで、俺はこれで良いんだな?」

 考えても分かる気がしない水銀の思惑を一先ず棚上げする。すっかりこの世界の人間に毒されている様だ、危険な傾向、注意しよう。

 確認はこの先の方針として重要なもの。この返答次第では61年後まで何も出来なくなる、契約をした手前、あまり既知を破壊し、未知への道筋を見失うわけにも行かないのだから。
 もちろん、この男がここまでに俺が行った布石を邪魔な物だと思えば簡単に取り除いてしまえる筈、究極的には盤面を返す事さえ出来るのだ、何が出来ても不思議は無い。しかしそれをした様に見えない以上、恐らく俺の行動を確認した上で手を出す必要が無いと判断した筈。だからこれは単なる確認に過ぎない。

 俺は脚本家にはなれないに違いないので策謀とかで展開をどうこう出来るとは思って居ない。こんな分かり切った事をメルクリウスが気付いても居ないとは考え難いので、奴の筋書きでは俺が何をしたところで大勢には影響が無い様に出来て居るのだろう。
 ならば俺のしたい事をすれば良い、ただひたすらに悲劇を避け続ければ良いだろう。
 違うか?

「構わんよ、それもまた未知に至る助けと成ろう。ならば、私が手を出すまでも無く君は私の望み通りに動く事になる。君の既知はそう働いているのだ、疑い様も無い」

 ここまでで俺の既知がどう言ったモノなのかは知っている。要するに既に知っている未来で有ればその様になる、と言ったレール敷きだ。
 これに従えばまず間違い無くメルクリウスを廃し、望みも叶えられるが悲しいかな、この渇望は満たされないだろう。そもそもにレールありきのグランギニョルは当のメルクリウスさえ望んでいないため、契約上も勧められた事でも無いと言う問題がある。
 あまりに許容出来ない悲劇が起きそうな時に盤を引っくり返しに掛かる程度しか使えないだろう。

「そうかい、なら自由にさせて貰うよ。さて……用事が済んだらとっとと降りろよ、つか何で乗ってるんだお前」

 と言うか早く降りて欲しい、何かと言うと純粋に不快なのだ。既知感、既知感、既知感が溢れて死んだ時の事を思い出す、そもそもにこいつに心配される覚えなど無いのだ。俺は既知の感染者、この世界の自滅因子、それを理解し許容しているからこその厳正な審判者。
 こいつが心配するのは次の瞬間に自分が殺されるのでは無いかと言う事であるべきだ。

「お気に召さなかったかね。済まない、君の好き嫌いは少々分かり辛くてね。降りろと言うならばそうしよう、ただ、去り際にその目を見て置きたかった、それだけの事だよ」

 目?

「あの日の凍りつく様な青い目は悲しいかな、内なる炎に焼き尽くされた様だが、揺蕩う炎はあの日の水面と変わらず殺意に満ちている。その様な目は獣殿すら簡単には私に見せない、稀有な物だよ、誇って良い」

 マゾが、とてもじゃないが着いていけない。
 それではまたいずれ、と最後まで嫌味ったらしい口調で空気に溶ける様に消えて行く影法師を睨み付けるながら違いを新たにする。
 結構だよ、これからも変わらず貴方のお望み通りに事を進めましょう。
 メルクリウスは俺が殺す、必ず殺す。


『起きろキルヒアイゼン、貴様弛んでいるぞッ』

 と適当臭いセリフをザミエルボイスで展開すると「ひょえええ!? 申し訳ありません、ヴィッテンブルグ少佐殿っ!!」と乙女にあるまじき悲鳴を上げてキルヒアイゼンは飛び起きた。流石に軍卒、寝起きは悪く無い様だが物の見事に鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしている。

「くっくっくっ」

 先日のお喋りの意趣返しとしては悪く無いか、口が軽い人間はかくして誅されるのだと言う良い見本になるだろう。

「へっ? あれ? 居ない、って少佐はグラズヘイムに行った筈じゃ。あ、ウルリヒトっ、もしかして貴方よりによって一番やっては行けない事を!!」

 ここまでで間の抜けた寝起き顏から喜怒哀楽の喜以外の全てを見せたキルヒアイゼンの百面相を肴に笑う。

「聞いてるんですか、って言うかいつまで笑ってるんですか!!」


「で、答えは出たんだろ? お前もジークフリートを演るんじゃないのか、だったら俺と駄弁ってちゃダメだろ?」

 一頻り笑ってやった後、ようやく落ち着いたので少し真面目な話をする。俺の顔はまだ笑いに歪んでいる筈、ジャパニーズスマイルにも近いかも知れない。あれは見慣れないものだと侮蔑的に見えるらしいが、この場では大丈夫だろう。

「構いませんよ、今日明日どうこうって訳でも有りませんし。そもそも、貴方、少佐の事お姉ちゃんだのなんだのって呼んだりして。見捨てるつもりの人だったらそんな呼び方しませんよね、普通、命懸けてまでそんな親し気に呼べませんよ」

 はぁ、と溜息を吐きながらやれやれと言わんばかりにじっとりとした視線でこちらを見遣るキルヒアイゼンの目に懐疑とかそう言う意思は感じられない。当然、全面的な信頼を得たとは思えないが、ある程度は勝ち得た様だ、いやこの場合は負け得たと言うべきか。

「いや、余裕が有ればに過ぎ無いよ。筋書きの上では放っておいても特に問題無いんだが唯一不安要素なのがお前だったんだよ、キルヒアイゼン」

 実際には、そんな事は無い。事より先に死ぬであろうこいつは放って置いても、放って置いた方が展開が予測し易く、既知のままに終焉を迎えられただろう。だからこんな余計なお節介をするのはただの自己満足、殺されかかるのも当然だったかも知れない、誰だって自己満足に付き合わされるのは気持ち悪くて腹が立つものだ。

 「そうですか、まぁ私は私で勝手にしますから貴方は貴方で勝手にやって下さい」

 だからこのはいはい皆まで言わなくとも分かってますよ、みたいな生暖かい視線を向けられる覚えなど無いのだが。無いのだが、何かそう言う反応が腑に落ちる様な自然なものに見えて「覚えてろ」などと訳の分からないセリフが口を吐いて出た。キルヒアイゼンはにやにやと笑っていてほんの少しだけ腹が立った。

「黙れよキルヒアイゼン」

 今の俺は小さな子どもみたいにむすっとして膨れているのかも知れない。

「ふふっ、ベアトリスで良いですよハインツ君」

 だからと言って、こんな事を言われて反省出来るほど大人にも成れない。
 しかも"ハインツ君"に無駄にアクセントを置いてそう呼ばれるのは非常に不本意だ。やめてほしい。

「ああ、そうかよベアトリス」

 だから、そっぽを向いてくすくすと彼女が笑っているのを傍目に幌の外を見るくらいしか無いのだ。
 東の空に太陽が昇り始めていた。



[16642] L∴D∴O_III.Christof Lohengrin
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/22 12:13


「察するに、貴方も私と同じではありませんか? ジークフリート君。自分が気にいらない、自分を変えたい、自分では無い誰かになりたい」

 水銀の王をして邪な聖者と言わせしめる自己欺瞞の塊が毒を吐いた。
 穢らわしい、こいつと話していると自分までが毒に塗れて邪に堕ちて行く様な気分になる。

「おや、失礼。ですがね、私は感動すら覚えているのですよ、他ならぬ貴方が私と同じ望みを持っておられる。はじめて私は互いを理解し合える友を得た、そう思ってさえ居るのです」

 何度も言うようだが、俺はお前と友人なんざごめんだ。傷の舐め合いがしたいんなら余所当たってくれ。
 お前なんかと同じ望みだとか言われたく無い、お前なんかと理解し合いたく無い。

「辛辣ですね、そんなにも私は貴方に取って受け入れ難い存在でしょうか。私は逆に、貴方を受け入れたいとそう思っているのに」

 気色悪い、そんなセリフはブレンナーかキルヒアイゼン辺りから聞きたいね。お前が言ってもトイレの心配が一つ増えるだけだ。

 ヴァレリアン・トリファとの会話は何時だって終始してそんな具合いに俺が一方的に罵り続けると言った物であった。もっとも暖簾に腕押し、糠に釘、口汚く罵る俺に対して神父は何がおかしいのか微笑んでいるつもりなのか薄ら笑いを続けて、堪える様子も無い。
 傍から見れば俺が一方的に苛々として当り散らしているだけの、顔の似ても似つかぬ仲の悪い兄弟の様な光景なのだろうか。
 気持ち悪い。


 まだ黄金聖餐杯では無い、ヴァレリアン・トリファは俺と言う幕下が黒円卓の面々に知れ渡って後、メルクリウスを除外すればアンナ・マリーアさえ差し置いて最初に話し掛けて来た人間だ。

「初めましてウルリヒト卿。ヴァレリアン・トリファと申します、よろしく」

 冴えない男の顔に既製品の微笑を貼りつけて、そんな教科書にもそのまま載せられそうな簡潔な自己紹介は、俺が一人になったタイミングを見計らって成されたらしい。
 右手が差し出されており、握手を要求されているのだ、とは分かった。

「卿、じゃ無い、列席されてないんだから。俺の事はジークフリートとでも呼べば良い、トリファ神父殿」

 そもそも、ウルリヒト卿と言う呼び方そのものが俺に取って痛烈な皮肉なのだ。正統な黒円卓として序列されたかったと言う訳では無いが、そもそもに序列など叶わなかったであろう俺に向かって騎士に序列されたものの様にウルリヒト卿と呼ぶ。これが皮肉で無くて何なのだと言うのだ。
 そのためか、どうしてもその手を取る気は湧かなかった。

 それ以降、トリファは何時だって俺に対して表面上好意的に、しかもどちらかと言えばむしろ積極的に接して来る。これがどこにも取り繕った様な気配を感じられないのが異常であった。
 やはり此奴は信用出来ない、俺は認識を新たにして何時かの既知の様に、毎日別人として話す様な心算で居る事にしていた。


 そんなある日の事だ。
 例によって活動の訓練と、それに伴う猛烈な食欲、それらに苦しんでいると突然奴がやって来た。

「弱っている所を狙って来たか、相変わらず、ご苦労な事だ」

 すぐさまある程度の余裕は取り繕ったが、部屋の家具、扉、窓、一切の例外無くカタカタカタカタと聞こえない音で音を立てずに震えている。異様な光景は否応も無く暴走寸前である事を予期させ、いま、神父が妙な真似をした途端に全ての音が彼を八つ裂きにすべく飛び交う事だろう。

「心外ですねぇ、私は貴方を心より案じて馳せ参じたと言うのに。大体、今の貴方であれば弱っている方が危険でしょう」

 その言には一理ある。聖遺物を扱い切れず持て余している状態である今の俺は弱っている状態の方が暴走の危険が高い。大抵は発狂して終わりだろうが悪ければ後先考えない自爆の様な力の散布が始まるだろう。そう言う意味では弱っている方が危険だ、危険だが弱っている方が組し易い話し易いと考えているであろう人間が、聞かれてもいないのに身の安全の心配の話を始める事そのものが胡散臭いのだ。

「いや、参りましたね。貴方はどうやらよほど私の事がお嫌いらしい」

 他人の心を読める人間の事が好きになれる人間なんて稀だろうに、それを分かっていてわざとらしくもそう言う神父を俺は軽く睨み付ける。

「お前、いきなり往来で男に丸裸にされて嬉しいか?」

 もし仮に心が読まれても平気な者が居るとすれば、それは公に開帳しても構わない程度には美しい無垢な子どものそれだけだろう、大人の心はそこいらの肥溜めより余程汚い。だからこそ恐らく多くの人間は、心が読み取られるのを忌避する、他人に自分の汚物ブチまけられて、感激です、お友達になって下さい、なんて気色悪い変態が居たら吹き飛ばしてやりたくなる。

「ああ、そこを勘違いして居られたのか。ご心配無く、私に貴方は読めない、貴方は特別だ。草木がラジオの様に、人間が本の様に感じられると良く私の例えに用いられるが、その例えに貴方を当て嵌めれば貴方は殆どの文字が重なって見える。時間を掛ければ或いは読めるかも知れないが、すぐには無理だ」

 重なる、ね。要するにダブってるんだろう、「あ」の上から「ん」を重ねて仕舞えば相当に読み難い。一語、二語ならまだしも本の内容の殆どがその調子であれば何が書かれているのか良く分からなくなるだろう。
 しかし、ならば

「同じ文字が重なっていれば楽に読める訳か、俺の場合は例えば、渇望か」

 そう言うと見るからに驚いた、と言った顔を巧妙に作り上げ微笑んだ。こいつに掛かると全てが嘘臭く見える、と言うのはもはや芸術の域にあるかも知れない。
 嘘臭い、こいつの事はよく分からない、どこまで行っても他人、毎日別人、そう言った認識を回答として持っているにも関わらず、事実初対面である俺だからこそ問題無く対応出来る。
 が、他の人間、特に自分が狂っている事にも気付いていない様な筋金入りの狂人ならば成す術も無く致命的な所まで踏み込まれるだろう。

「そう、何故か貴方の渇望だけは良く見える。もう一つ見えるものもあるが……」

「メルクリウスを殺したい、か? 大した事じゃ無いだろう、黒円卓の人間には良くある」

 ここは機先を制す、何を言うかは予測出来ていたのだからどうと言う事は無い。読めない、と言う言葉を丸呑みにする事は出来ないが、それが本当だと仮定するならば此奴に対応するのは随分楽になるだろう。

「ところでトリファ神父、あんたとは--前にもこうして話した事が無かったかな」

 意図的に心を手放す、汝の欲する所をなせ、とは誰の言葉だったか。

「はぁ? ははは、まるで双首領閣下の様な事を仰る。お二方には既に申し上げましたが、私に貴方方の既知は理解出来ませんねぇ」

 少々見え透いたカマを掛けて確かめたがその返答は惚けている訳では無さそうで、メルクリウスが重要な情報に鍵を掛けたので無ければ恐らくは本当に読めていないのだろう。
 他の所ならいざ知らず、事の真相を読み取られた場合は最悪、ここで始末すべきだったかも知れない。ひとまず安心する。

「ああ、いや、大した事じゃ無い。極論、あんたは知っていても知らなくても構わないからな」

 ただ、少々目障りになるかも知れないだけ。

「はぁ、まぁ良いでしょう。ところでそろそろ、お聞かせ願っても宜しいでしょうか」

 ここからが本題だとばかりに狂信の神父が目を細めた。そんな真面目な表情一つ取ってもなお嘘臭い。だが、続く言葉はそんな既知と懐疑の噓臭さを不思議と感じさせなかった。

「貴方が私を嫌うのは、同属嫌悪でしょうか、同じ願いを抱くからこそ相容れ無い。違いますか?」

 真面目な表情のまま、汚れた神父は人様の夢を同属嫌悪だの同じ願いだのと自らの穢れで汚した。

「……お得意のマインドリーディングで読み取れば良いじゃないか。懺悔要らずの便利な神父様?」

 別に怒っちゃ居ない。そんなに綺麗な夢でも無い、此奴の気持ちも分からないじゃない、だから怒る程の説得力を俺は持ち合わせて居ないだろう。しかし、それで喜べるかと言えば当然話は別、皮肉の一つ二つも許されてしかるべきでは無いだろうか。

「前にも申し上げたと思いますが、読めませんよ、貴方の心は読めません。いや、恐ろしくて読みたくも無い、見開き一頁目から神を殺すと著者の狂的な怨念で埋め尽くされて居る様な本など読めますか? 自分が毒されてはかなわない。読むのが骨であればそんな本、読む気も湧きませんよ」

 そう言って心無しか体を震わせた、終始漂っていた噓臭さは消え失せて以来帰って来て居ない。

「故に私の憶測はちらと見れば解る貴方の歪み果てた渇望と、首領閣下に向けられたコンプレックスのみに基づいております。しかし、その僅かな情報から、そして私自身の願望混じりの主観からですが、察するに……

 ……察するに、貴方も私と同じではありませんか? ジークフリート君。自分が気にいらない、自分を変えたい、自分では無い誰かになりたい」



 要するに此奴と友人などこっちから願い下げだ、と言う事だ。



[16642] L∴D∴O_IV.Kaziklu Bey
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/23 11:26


 夜遅くに何かをする、と言うのはこの御時世あまり多くない。暗い中だと歩いてるだけで特高警察宜しくお国の為に熱心なSS隊員に質問責めにされた挙句、場合によっては謂われの無い罪を着せられて鉄格子と石造りの冷たい部屋にプチ引越しさせられたり、運が最高に良ければ天国行きのチケットまでくれるのだ。

 これがエーレンブルグやシュライバー少佐ならば、何故か翌日殉職者の名簿に名前が増えるだけだろうが生憎、今の所転居の予定も無い博愛主義者の俺としては矢張り夜中に歩かないに越した事は無い、と言う事になる。
 だからその日、俺が月見散歩と洒落込んで居たのは偶然、ルサルカに付き合わされて居たからに過ぎない。
 しかもあいつは一人で帰った。

「よお、ジークフリート、お前も晩飯漁りに来てんのか?」

 だからこうして出来れば死ぬまで会話したく無いエーレンブルグと鉢合わせに成ったのは俺の不運だろう。不運の筈、ルサルカの嫌がらせとかでは無い。
 エーレンブルグは態々確認するまでも無い程に分かり易い娼婦を片手に抱き、もう片手には安酒を持って意外にも上機嫌そうだった。
 運が良い事に世渡り上手の頭の良い女だったか、この吸血鬼に買われる事が何よりの不運なのだが。

「あー、エーレンブルグ中尉殿。私はこれより明日の訓練の為に十分な休養を取るべく、帰還の最中で有りまして……」

 嫌な予感がしたので慌てて逃げようとするが時既に遅し、

「まぁまぁまぁ待てよ、食って飲んで遊ぶのも休養の内じゃねえか、なぁ?」

 捕まってしまった。
 話し掛けられた女はそうね、等と言いながら笑っている。お前何時もそうね、って言って笑ってるんじゃねえか?
 結局、断り切れず半ば拉致の様に連れ去られてしまった。


 酒場、とは言っても時期が時期だ。当然、呑んだからと言ってどんちゃん騒ぎを起こす訳にも行かず、陰鬱に粛々と酒と別れる事の出来ない惨めな連中がクダを巻いているのが殆ど。問題を起こしているものなど一人も居ない、と言うか居た所ですぐ様駆け付けた憂国の志士が連れて行ってしまうだろう。

 故にこそ、仄明るい僅かな証明だけが点けられた場末の酒場に華やかさ等は縁遠い、筈だが、そんな中でこのテーブルだけは異彩を放っていた。
 肌も白、髪も白、赤い目だけが強い印象を与えるアルビノのエーレンブルグは一方で吸血鬼に喩えられる程の美男子でもある。
 何故か道中、彼が引っ掛けて増えたもう一人も含めて、今この席に座っている女達も同様に簡単には見られない程度には美人だ。
 良い男の下にこそ良い女は集まるのだろうか、先天的、イケメン的格差をまざまざと見せられた気分だ。

「どうした、ジークフリート。もっと呑めや、奢りだっつってんだからよぉ」

 エーレンブルグは何故か益々上機嫌に成って行く。こう言う奴が意味も無く上機嫌なのは良く有りそうなものなので差程気にする事も無いんだろうが、何とも嫌な予感がして堪らない。

「あー、って言うか美味いか? 酒」

 はっきり言ってちっとも美味く無い、結構嫌いじゃ無かったので呑んでも美味く感じられないのは少々悲しいのだが、エーレンブルグは美味いのだろうか。もし美味いのなら是非秘訣を知りたい。

「なにつまんねえ事言ってんだ、こう言うのは雰囲気で呑むんだよ、雰囲気ィ。超人化で美味く感じられねえだのなんだの小理屈使ってるから不味いんだよ、分かるか?」

 雰囲気ィ。の所で傍らの女性を抱き寄せて大仰な口調で言い放つエーレンブルグの秘訣は何とも脳味噌に筋肉が詰まったようなセリフだった。
 むしろ雰囲気で呑むとかそんな繊細な観念で何時も呑んでいたのか、彼は胃袋に入りさえすればそれで良いんじゃないかと思っていた。

「さすがは中尉殿。言ってる事は良く分からないけど兎に角凄い気合で何とかしろと、あー、あー、そぉいっ!!」

 掛け声とともに気合いを入れるとビクッと隣の女性が跳ねたのを肩で感じる、と言うか近いよ、ちょっと離れて欲しい。
 突然の奇行に流石のエーレンブルグも目を丸くして驚いている様で心中に若干の満足感が溢れるのを感じた。
 ここで縮こまって遠慮すると何をしたのか意味が分からなくなって仕舞うので手近にあったワインボトルをラッパ呑みしつつ、うん、美味いと一言漏らした。
 美味い、久しぶりと言う程でも無いがこうしてアルコールが全身に行き渡る感覚がまた味わえたとなると感無量だ。体の火照りも気持ち良い。

「くっ、ぎゃはははははっ!! おう、てめえ分かってんじゃねーかジークフリート。やっぱよぉ、酒は盛り上がりながら呑まねえと美味くねえ。その点、てめえは合格だ……と、言いてえ所だが、おい今てめえ何やった」

 突然弾ける様に笑い始めたエーレンブルグだがしかし、再び突然真面目な顔をして尋ねて来た。真面目な顔でも片腕を女性の肩に掛けたままでは締まらないだろうに、こいつはそう言う所結構無頓着だ。

「いや、気合いで呑める様に。無酸素で大丈夫とかよく分からん事出来るんなら敢えて無酸素でダメな様にも出来る的な? いや、兎に角気合いで酔える様に気合いで呑んで気合いで酔ったと言うかあれ気合いじゃ無くて雰囲気だっけ?」

 懇切丁寧に今やった事を説明するとエーレンブルグは何とも複雑な表情をしていた。何と言うか呆れ返った様な見たく無い物を見てしまった、と言うか。
 がっかりだ、御高説痛み入って自己犠牲精神の下に新たな試練に挑戦し打ち勝ったと言うのに当の彼自身がこの調子では感動し損では無いか。
 だから脳味噌筋肉だと言うのだ、血肉を入れ換える前に脳味噌入れ換えるべきだ。
 ぐるぐるぐるぐる、と愉快に痛快に回る廻る世界を見て気持ち良くなりながら笑っていると

「こりゃダメだわ、完全に酔ってやがる」

 と言う言葉が聞こえて来た。

「酔ってない、失礼な。こんなにも素面なのに酔ってる訳が無いじゃ無いか、ところでエーレンブルグ、なんで増えてるの? あれか? 株分け? 暗黒樹だけに、無節操にバラ撒いてるし増えてもおかしくないか」

 増殖しているエーレンブルグとえへえへあはあはと笑っていると、隣で妙に近い女の息遣いとエーレンブルグの溜息が同時に鳴るのが分かった。
 酔っていても音は判別出来るのか。


帰り道、と言ってもこいつが何処に帰るのか知らないが帰り道。既に空は白んで、エーレンブルグが引っ掛けた女性は何時の間にか何処かに消えて居た中、何故か二人で帰り道の短い間に酔い覚ましの散歩と洒落込んでいた。

「で、てめえ何やったんだよ。気合いとかつまらねえのは無しだ、気合いで酔えりゃ苦労は無え」

 今更になって聞き直して来たエーレンブルグはいつもの躾の行き届いていないガラの悪い笑みの中に少しの真面目さを含んでいた。雰囲気で呑むとか地味に格好良い事言って置いてやっぱりアルコールのあの味わいが恋しいんだろうか。気持ちは分からないでも無い、と言うかあの味恋しさに大自爆してしまった以上何も言えない。

「いや、要するに超人だって言うからには内分泌とかも実は掌握出来るんじゃ無いかと言う発想だけなんだがな。無酸素活動も要するにそう言う所スピリチュアルな何かで誤魔化すだろ? じゃあ酒に酔わないってのも何か誤魔化せるんじゃねえかな、とか」

 要するに気合いだった。雰囲気で理解すれば何とか成る。
 あまりにも気合いを入れ過ぎてアルコール分を全て素通りさせてしまったのが唯一の敗因だ。ジークフリートと成ってからは凄まじいザルだったので全く無頓着であった。

「てめえ、そんな小理屈捏ね回した位でそれを押し通す奴がどんだけいると思ってんだ」

 だからエーレンブルグにそんな事を聞かれても「頭の固そうなキルヒアイゼンなんかならまだしもあんたなら出来るだろ、多分」と言ってやるしか出来ない。と言うか本当に小理屈だから誰が出来るとか誰なら出来ないとかも分からない。

「上等だ、覚えてろガキが。今度呑み比べに付き合ってやるからよォ、負けたらお前が奢れよ、おい!!」

 付き合うのは俺の方なんじゃないか、とか両者絶対に潰れない呑み比べに何の意味が有るんだ、とかは聞かない約束なんだろうか。取り敢えず負けても良い様に店を一つ潰す位のつもりで居よう。


「よお、ところで」

 これまでに無く真面目な顔をして俺を見た。
 空はいよいよ白み黎明もそろそろ終わり、間も無く東の空に暁が輝くだろう。
 陽に背を向ける吸血鬼であると自認するこいつはもうすぐ何処かへ消えるんだろう。だから多分これが今日最後の会話となる。

「てめえ、メルクリウスと話す時あの人の椅子に座ったってのは本当かよ?」

 ああ、それが聞きたかったのか。ようやく今日誘われた理由が分かった、あまりにも都合良く俺が酔った為に今聞くしか無くなった、と言った所か。
 確かに、こいつに取って自らの主君に何の恐怖も感じていない俺は容認し難いかも知れない。俺にとっては恐怖を感じる理由こそが無いのだが、こいつや他の者に取っては違うだろう。
 だからこそ俺を黒円卓として、仲間として認められないと言う人間は多いだろう。
 そもそも剣(エイヴィヒカイト)を受けていても叙勲(番号付)はされていない半端者なので受け容れられ無いのは一向に構わ無いんだが。

「まぁ、一番近かったからね」

 と、ここまで分かっていても俺の返答としてはこんなものが関の山だろう。大体、正直に答えても怒りを誘いそうだし、だからと言って嘘を付く理由も無い。

「なんでそんな事知ってるんだ? もしかしてメルクリウスが顔真っ赤にしてルーン書き直してたか?」

 これは後に聞いた話だが、あのルーンはメルクリウスが直々に書いた物なのかも知れないと言う噂を聞いた、特に根拠は無いのだが。
 確かにオリジナルの、と言うか史実上の聖槍十三騎士団が椅子の背に各々のルーンを書く覚えは無いかも知れない。
 メルクリウス小物説は常にまことしやかに語り継がれる都市伝説の様なものだと思っているのだが、その真偽や如何に。

「ああ、それは良いんだがよォ。……いや、良いわ。月の無い夜も月の有る夜にも気を付けるんだなジークフリート」

 何か言いた気に、しかし妙な警告だけ残してエーレンブルグは朝露に消えた。



 少し後、酒を買っていると酒を呑む前に「そぉい」と気合いを入れる妙な客の噂を聞いた。
 世の中には変な人もいるもんですね、とだけ言っておいた。



[16642] L∴D∴O_V.Walkure
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/24 11:57


「それで、この後はどうするんですか? ハインツ君。ベイやクリストフとは随分仲悪いみたいですし、ルサルカと仲良さそうでも辛いものがあると思うんですけど」

 ガタガタと時に激しく揺れるトラックの荷台、金髪の戦乙女は生意気にもハインツ君などと呼びながら小首を傾げた。
 そもそも、俺は君の上司より十も歳上なんだぞ、分かってるのか?

「……えっ?」

 ……えっ?

「なんで『……えっ?』だよ、知らなかったのかよ」

「だってほら、私と同い年くらいに見えますし」

「どれだけ童顔だよ俺、ラインハルトと一つしか変わんねえのに、お前はまだ二十一歳じゃねえか」

 確かにエイヴィヒカイトを得て全盛期の体を取り戻せる様な賦活によって、まぁざっと二十後半の頃の肉体を取り戻す程度には若返っているがこんなものは気休めだ。と言うか十代で止まっている人間に比べられるものでは到底無い。
 日本人は童顔に見えるらしいが関係有るだろうか、この身もどうやら三代遡ってもアーリア人らしいので血は混じって居ない筈なのだが。

「あー、ま、いっか。ハインツ君はハインツ君ですし」

 つつと幌の天井に向かって視線を泳がせながら結局ベアトリスは自分一人で納得してしまった、名前の呼び方は保留、と言うよりどうやら確定らしい。年長者に向かって何たる不敬な態度、許せん。

「お前今度ヴィッテンブルグ少佐に会ったらエレオノーレお姉ちゃん略してエッちゃん強制な」

 前にこう呼んだ時はいたくお気に召されたのか随分と大袈裟で熱烈な御礼を受け取り切れないほど下さった。
 ちょっと熱烈過ぎて全身が黒焦げになる程度のほんの軽いかすり傷を負ってしまったが、人間辞めてたからどうって事は無かったのが幸い。
 女医さん(ルサルカ)の機嫌次第では危なかったかも知れないが。

「嫌ですよそんな新手の集団自決、あの人の事だから絶対有無を言わさず十字砲火ですよ!!」

 一息に顔を青褪めさせながら大焦りで詰め寄るベアトリス。中々器用な表情だ、多感な時期をユーゲントやら戦場やらで過ごした彼女がどうしてこんなに表情豊かに真っ直ぐ(?)育ったのかは大いに謎だが、人格破綻者溢れる黒円卓では実に稀有な存在であろう。

「大丈夫、まだ一回も殺されてない」

 殺す気でヤられたら瞬く間に消し炭だろうから殺す気は無い筈なのだ、だから運が良ければ生き延びる。
 生きてたらどうって事無い。

「良かったですね!! ここでそんな報告が出来て!!」



 ぷるぷるとチワワ見たいに震えながら『わんわんお、わんわんお』などと言って猛然と吠える小器用なベアトリスを、まるで彼女の兄に成った様な心持ちで暖かく見守っていると、ようやく落ち着いたのかふう、と深呼吸一つして尋ねて来た。

「それで、本題が聞けてません」  

「ん? ああ、これからどうするかって話か。実は不殺のつもりだから戦場に立ってもあまり意味無いんだよな、だからしばらくは前の仕事の続きをするつもりだ。休みも半年そこいらならちょっとした長期休暇ってなもんだろう?」

 取り合えず嘘偽り無い話をする。
 殺しをせずに強くなるのは少々難しいが、強くならないで済まされる訳では無いので、訓練的な意味で己を強く出来るのならば遅かれ早かれ連中と合流すべきだろうかと言う迷いはあるのだが、その一方で当面一人で考え事をしたいと言う気持ちもあっての事。人外らしくしても良い、人間らしくしても良いとなるととりあえず人間らしくしようと思う。

「まぁそれは良いですけど貴方、首領を殺すつもりなんですよね? 良いんですか、そんな調子で」

 ああ、そこを勘違いしていたのかこの直情馬鹿娘は。

「首領は首領でもメルクリウスをな、ラインハルトはどうだって良い」

 馬鹿娘に反応して少し膨れっ面、メルクリウスに反応して納得顏、どうだって良いに反応して呆れ顏になった。

「貴方ほんとうに、何と言うか、捻くれてますね。素直じゃないと言うか天邪鬼と言うか面倒臭いと言うか」

  大きめの溜息を吐きながら首を横に振るベアトリスはまるで本当は言いたい事はこんなもんじゃ無いけど今日はこの辺にしといてやる、とばかりにじっと睨み付けて来た。何故か彼女には睨まれてばかり居る気がする、不思議だ。

「ツツツ、ツンデレとちゃうわ」

 棒読み。

「ツンデレ? 聞き慣れない言葉ですけど、なんだかこう、内より噴き上がって来るものがありますね。これが--殺意?」

 小さな諧謔がとんでも無いものを目覚めさせてしまったらしい。やはりこいつはツンデレだったんだろうか、怖い、表情が全く変わってないのが更に怖い。最近こんな女にしか会ってない、女運悪いのだろうか。

「始めツンツン後デレデレだとか、派生系として人前ではツンとして二人だけならデレるとか心中はデレデレなんだが気恥ずかしくて本人の前ではツンとしてしまうとか、専門家じゃ無いから分からんがそう言った複雑な女性心理を言語化したものらしい」

 怖いので適当に教えておく。何気に第二の革命を起こしてしまった気がするが良いんだろうか、良いよな。大した事じゃ無いし。

「それでハインツ君はツンデレなんですか? 確かにそう言った所もありますね、面倒臭いですし」

 ようやく表情が切り替わったベアトリスが何か半目のイヤラしい視線で見て来る、コロコロと変わる表情はもしかしたら第二の人生以降最も豊かな人物の一人かも知れない、ルサルカはなんか違うと思うし。
 とかく、この嫌味ったらしいと言うよりイヤラしい目付きとしばしば繰り返される面倒臭いと言う謗りが良い加減気になって来た。
 どう言うつもりだ、とか以前にどう言う意味なのかが分からない。

「そろそろ気になって来たんだが、俺の何が面倒臭いんだよ」

「ふふふ、だってハインツ君、私に色目使ってません?」

 だからベアトリスのこのセリフには心底驚いた。目はイヤラしいまま、新たに浮かべた微笑みもイヤラしい。
 唯一の救いは顔が僅かに紅潮している事か、今のこの女に可愛気と言うものがあったと言う事を証明出来る唯一の物だろう。

「な!? ば!! い、色目なんか使ってねえ。と言うか処女に言われたかねえ!!」

 おかしい、狼狽えるな俺。
 使ってないもんは使ってないんだから仕方無いだろう、無意識の内にとか言われたら否定できないが、否定出来ないが昔の事なんだし今更どうこうなんて無い筈、無い、うん無い。

「昔? 会った覚え無いんですけど昔からわたしの事を? ちょっと感激だなあ、ハインツ君にもそう言う甘酸っぱい所あったんですね」

 甘酸っぱい所って何だ。
 なんでこの娘に二回りは年の違う男を言葉で嬲れる様なメンタリティが備わっているんだろう。
 お貴族様の娘がユーゲントからAHS首席と来ると華々しい道程だがその調子だと愛だの恋だのなんざ無かった筈、それなのにこの擦れ方はやっぱり黎明から今までに何やらあったのだろうか。

「なんだか少女に幻想持ってるオジサンになってきましたね、本当に面倒臭い。そんなに気になるんなら自分で確かめてやろうとかそんな風には考えないんですか?」

 少女に幻想とかオジサンとか面倒臭いとか、辛辣な事を言われて結構ショックだったんだろうか。意外に繊細だったらしい心が悲鳴を上げている為か、幻聴にも似た勘違いを誘うようなセリフが聞こえて来た。
 と言うか国外逃亡中のオンボロトラックの荷台で誘われてもその、なんだ?
 困る。

「これこれベアトリス君、そう言う事は時と場所を選んで言うんだよ」

 確かに少女に、と言うよりベアトリス・キルヒアイゼンに幻想を抱いていたかも知れない。前世の事もあるし、ライヒハートに出会ってよりそれと無く団員メンバーは黎明以前に確認していた。
 確かめるとかそう言う目的もある、仕事と実益を兼ねた活動だったが、まだ幼い少女の面影を残した彼女はもっとこうビリビリと輝ける乙女だったから、そう言ったファーストインプレッションも有ってベアトリス・キルヒアイゼンはこう言う娘だ、と言う固定観念に囚われて居たかも知れない。

 ん、今何か可笑しな表現があったか。

 それはそれとして確かになんらかの幻想を抱いていた様だが、こんな小娘になんでこんなこっ酷いからかわれ方せねばならんのだ、と言う魂の叫びは誰にも邪魔させない。
 なんでこいつにこんなからかわれているのだ、畜生。
 無意味なモノローグを垂れ流している俺を尻目にベアトリスは頬の紅潮も失わないまま、俺を見ている。
 流れる様な、しかしちょっと癖の付いた金の髪、透き通る様な碧い瞳は霹靂を齎す青天のつもりか。ああ、かつてはこんな美少女とペアルックだったんだぜ俺、と誰に話すでも無く無意味な自慢と我が下から離れた青い、今は赤茶けた瞳を嘆く。

「いえいえ、お気になさらず。私も思う所が有りますし、ハインツ君みたいなマトモっぽくて格好良い男の方なら良いかな、なんて」

 そう言って艶っぽい笑みを浮かべた少女に俺は……。



「お前とは絶対行かねー、五十年経ったら忘れてやる。それまでは行かねーかんな!!」

 拗ねる。

「そんな子どもみたいに、ちょっとからかっただけじゃ無いですか」

 ベアトリスはそう言いながらまるで呆れたみたいな、なんとも言えない苦笑を浮かべている。馬鹿にしてるんだろうか。

「知らねーし、行かねーし、覚えてろよ」

 国境をようやく越えて、ベアトリスもここで足を変えるためか、ここまで運んでくれたトラックは何処かへ走り去って行った。
 よく知らないがベアトリスの知り合いらしい、退役軍人とかオデッサとかその辺だろうか。既に時間は正午を越えて、太陽はきらきらと輝いている。
 そんな中で喧嘩別れにもなっていない様な下らない有りがちな風景。
 でもこれが今生の別れには成らないと誓ってみせるから、

「では、また会いましょうね、ハインツ君」

 青天の中で再会を約束するだけ、湿っぼくもならない。このからっと乾いた空気の様にドライに。
 ああ、雷でも落ちれば笑ってやるのに、と。

「必ず、また会うさ。お前はヴァルキュリアで、俺はジークフリートなんだから」

 別れ際の彼女の笑顔は陽に映えてとても場に相応しい良い笑顔だった。



「ところで、いつからなんですか?」

 去り際ににこにこと直前までの、こう、美しい別れの風景を演出した美しい笑顔を崩さぬまま尋ねて来た。怖い。

「……ああん?」

「いつから私の事好きだったんですか?」

 半身のまま、首だけで振り向いて彼女を見ると例のにやにや笑いが浮かんでいる様に見える。その頬はまた紅が差して居るのだろうか、少しだけそうだったら良いと思う。

「……前世からだよボケ」

 だからか思わず本当の事を言ってしまった。
 本当の事がクサイってかなりイタく無いだろうか、堪らなく気恥ずかしい。彼女の赤に染まりつつある顔が眩しくて見れない。

「な、な、なっ、なんてクサイセリフ真顔で言ってるんですかっ!! あ、ちょっと聞いてるんですか? それ言ったもん勝ちで逃げるセリフじゃ無いですよ、待てーっ!!」

 しばらく弄られっぱなしだったので、ちょっとした意趣返しのつもりだったが随分胸がスカっとした。
 ざまぁみろ。
 でもこれ真顔で返されたら自殺モノだったな。  



[16642] L∴D∴O_VII.Goetz von Berlichingen
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/25 08:05


 カインとは言葉が通じない、櫻井であった頃は理解出来たのだろうが、屍兵と化しブレンナーが手綱を握っている今はそうは行かないだろう。メルクリウスも似た様なものだし、イザークにはどんな顔して話せば良いか分からない。
 だからか、同じ様に寡黙なマキナとも大した会話になる訳が無いだろうと、そう思っていたが、しかしベルリン侵攻の前に彼と話す機会が何度かあった。

 その日も俺は活動の訓練、と言うかなかば趣味と化した音弄りをしていた。
 気合いを入れて集中していれば生きた音楽プレーヤーに成れるこの活動は楽し過ぎる。
 ルサルカの前で歌詞を落として地上の星を流して見たりと言う(地味で陰湿な)嫌がらせは未だ続行中だった。
 さりげに音楽業界に革命を齎しているかも知れないが大丈夫だろうか。

 その日も監査役をルサルカに頼んで居た筈だがどう言った訳か代わりにマキナがやって来たのだ。

「器用なものだな」

 と言って俺の対面から少し外して椅子に座った彼はやはりいつもと変わらず何を考えているのか分からなかった。"彼"はもう少し取っ付き易かった記憶が有るんだが。

「ルサルカはどうしたんでしょう、あー……」

「マキナで構わん、マレウスは体調が悪いので病欠するそうだ」

 つまり彼が行きたいと言うので急激に体調が悪い事になった、と言う訳か。案外あれで肝が細いので本当に体調が悪くなったのかも知れないが。

「ではマキナ、代わりに貴方が?」

「そう言う事だ」

 やはり即答、何時もの様に下らないモノローグを入れる暇も無い間髪入れない返答は俺を戸惑わせるのに過分なほどだ。

「見ていたって詰まら無いと思いますがね」

 と言いながらEinherjar Nigredoを流し始める。
 どんな状況でも嫌がらせは忘れない俺カッコ良い、と言いたい所だが正直聞きたい気分になったと言うのが正しい所。今の状況にこれ以上相応しい曲もあるまい。

「それだ」

「--ッ!?」

 突然、良く分からない事を言い出した彼に死ぬ程驚いて思いっきりビックンと反応してしまう。こう言うのは辞めて欲しい、俺怖くてホラー映画とか見れないんだから。

「ななな、何がでしょう」

「その曲だ、聞き慣れぬ調べを奏でるとヴァルキュリアがザミエルに話しているのを耳に挟んだ事がある。しかも幾つか種類も有る様だ、その曲、どこから持って来た?」

  著作権管理代行ですか? と、言う訳では無いだろう。マキナ卿が代行なんてしたら著作権侵害の歴史に幕を引かれてしまう、翌朝にはあらゆる著作権が厳守される大いなる冬が来るに違いない。この話が抹消される、怖過ぎる。

 要するに何処にも無い音楽を何処から持って来たのか、と言う事だろう。特別、言い訳が必要な訳でも嘘をつく意味が有る訳でも無い、無いのだから「頭の中からです」なんて嘘でも本当でも無い玉虫色の回答で良い筈なのだが。
 今の彼にはそう言う回答を許さない気配があった。何故、そんな事を聞きたいのか、とかそんな無粋な事は言わない。余人ならいざ知らず、他ならぬマキナ卿がそれを問うなら理由は一つしか無い。
 ただの勘に過ぎない筈だが、伊達に勘だけで永劫停止の渇望、最低でもマッハ1000を捌き切った訳では無いと言う事か。
 あるいは、同族(死に損ない)の臭いには鈍感で居られなかったか。
 メルクリウスに何か吹き込まれたか。

「前世から、って言ったら信じます?」

 俺はいつもどおりに正直に答えた。
 彼はそうか、と独りごちたのみで何も言わずただ黙っていた。


 ……大人しくパルツィヴァルでも垂れ流しておくべきだったか。
 それとキルヒアイゼンには後々口が軽い事の報いを受けて貰いたい。



 そのマキナが今目の前に居る。
 事が起こる直前、彼と俺が話すのはこれが最後になるかも知れない。彼自身もそれは分かっているんだろう。
 恐らく聞きたい事が何かは解っている。兵隊向けの新聞を発行していた俺は職業柄前線に立って居た者に少々詳しい、加えて俺は英雄好きでそこそこ通っていた。
 だから、その事をどこからか知った彼は聞きたいのだろう、俺を知っているか? 俺は誰なんだ? と。

「お前は、お前が誰か知っているか」

 しかし投げ掛けられた問いはその事に関係が有りそうでやはり関係の無い事であった。
 メルクリウスはどうやら俺が転生している、と言う事をマキナに漏らしたらしい、何を考えているのだろう。

「俺は俺として連続はしています。だけど俺はジークフリートですよ、今はジークフリート」

 そう言ったがマキナ卿の表情は揺るがない。
 パルツィヴァルが演奏され始めた愛おしき我が部屋にて、向き合う二人の男は僅かな剣呑さととんでも無い緊張感を持ち合わせていた。
 流石にいつもの様に巫山戯られない、次の瞬間には幕を引かれて仕舞いそうだ、怖い。

「それで良いのか? 貴様には貴様の主体があっただろう、それを失い、あるいは明け渡してまでして既に死した生に何を望む?」

 確かにマキナ卿には理解出来ないだろう。連続して己を維持しているのに、過去世は所詮過去、今世はどうしても現実であるとして割り切るのは中々に難しい。
 嫌でも過去を引き摺ってしまうものだ、なんとなれば普通は過去の様に、ないしは過去より良き人生を送ろうとする。
 特に一回だけの特別な終わりが欲しかったと言う様な豪傑には、既知に従って自ら踊るなど狂人の行いにさえ見えるだろう。
 しかし、

「確かに、自分の生に疑問は感じます。死ぬ前には未練が無かったのでただ単に自然であっただけですよ、死人に意思なんて要りませんしね。でもそんな中で時間があるならば、自らの渇望を叶える事に邁進するのは不思議では無いでしょう」

 少し行動と発言が違う部分もあるが概ねそのまま、事実を語る。
 ただ単に自然であっただけ、と言うのはこうあるのが自然であっただろう、と言う事なのだが、態々説明する必要はあるまい。
 そして死んだ後である今ははっきりと未練がある。

「それが貴様に取っての死後だと?」

 マキナの表情には何ら変化が無い様に見える、この程度で揺らぐとも思えないが余りにも反応が薄いと彼にとって気に食わない事を言ってるんじゃ無いだろうかと言う恐怖が沸沸と湧き上がるって来る。
 仮に彼が激発して、その心の赴くままに俺に拳を向ければ俺は何をする事も出来ず、瞬く間に幕を引かれてしまうだろう。

「矛盾しているな、ジークフリート。ならば今の貴様はなんだ、劇毒の剣を執り偽りの生に縋り、なお自然であった、渇望の追求など余暇の遊戯に過ぎん、など言い訳にもならんだろう」

 彼の糾弾はもっともなもので確かに俺は矛盾している様に見えた。こう言った誤謬は間違い無く彼の嫌うものであるだろうと思う。
 しかし何事にも例外はあるのだ。
 例えば死んでも修羅道の世界に取り込まれ、戦奴とされる場合ならば例え生き汚くとも生き延びて修羅道の終焉を願うだろう、あるいは

「アホな神様気取りが幅を利かせてる永劫の既知世界で大人しく死ね、と? 冗談じゃ無い、俺はね、この既知の根源を殺してから死にたいんです」

 そう、俺はメルクリウスを殺したい。
 ここからは推測の域を出ないが、メルクリウスが生きている限り恐らく俺は死なないだろう、死んだとしてそれで真実の意味の終わりを迎えられない。
 世界法則の外から引き摺られてこの世界に堕ちたのならば、ここに落ちる前の"私"は半ばこの法則の外にあるだろう。ならば"私を含んだ俺"はその全てがゲットーに囚われているのでは無いのでは無いだろうか。
 "私"だけが死ぬ直前のあの日に回帰し、また転生するのでは?
 もしかして"俺"は失われ、再び"私から始まる俺"として再生するのでは無いか、永劫に回帰するのでは?

 ただ単純に永劫回帰するだけならば此処までは気にしないだろう、無理なら無理と折れて"次の俺"に丸投げする。
 だが、途中から始まるのであれば、その可能性が僅かでもあるのならば生易しい死に方は出来ない、したくない。
 既に知っている俺だからこそ、メルクリウスは放置出来ない。

「貴様は……知っているのか」

 そしてこんな質問には答える気も湧かない、下らない、陳腐だ、前にも聞かれた事がある。


 マキナはそこから一言も喋っていない。
 考え込んでいる訳では無いだろう、何をどう質問すべきか迷っているのだ。しかし沈黙は長くは無く、短くも無い様などうとでも取れる時間で打ち破られた。

「英雄が好きなのだな」

 部屋を見回して言った。
 自他共に認める英雄マニアで通っている俺の部屋は古今東西選ばず、しかし仕事柄格別、大戦中に活躍したドイツの英雄が多い。
 これは先のスツーカのサイレンを個人で所持していた事も一つだろう。物品での蒐集ならばラインハルトにも劣らない、ここに無いのは精々英雄本人とラインハルトに絡むものくらいだ。

「この中に俺は居るか?」

 自分はここに列席する程の男だったか、お前は自分も蒐集したのか、そして

「居ましたけど、今は隠していますね」

 自分が誰なのか知っているか、三重の質問。当然茶化す事は自分で許さず、三重、加えて知っているが敢えて伏せている、と言う意図の四重の回答をする。
 そこには酷い既知感があったがしかし、泣き言めいた過去への妄執では無くはっきりと単なる確認に過ぎないと言わんばかりの変わる事の無い表情が、純粋に尊敬を誘った。
 本物はかくも俺とは違うらしい、俺ならもっと無様な聞き方をしたに違いないだろう。

「どんな、男だった?」

 だから、自分の在り方の根幹にも触れるこの質問には一切の嘘偽り無い気持ちで

「貴方、死んだくらいで人間変わるとか甘っちょろい事考えてるならもう一回死んで来た方が良いですよ」

 と言ってやった。
 また、彼はそうか、と独りごちたのみで何も言わずただ黙っていた。


「こうやってお話するのもこれが最後になるかも知れませんね」

 別れ際。
 現時点では分かるべくも無い事だが、既知の通りであれば帝都のスワスチカを開いた後、マキナは獣の城に取り込まれ、次に現界するのは極東のシャンバラのスワスチカが最低三、四つ開いてから。
 既に戦争は佳境に差し掛かっている、と言ったタイミングだ。
 のんびりと座して話す暇などあるまい。

「次は戦場か。良いだろう、覚えておけジークフリート」

 鬼気迫るとはこの事か、唐突に膨れ上がり一斉に牙を向き始めた強烈な気配に冷や汗を流した。
 気当たりだけでこれだ、拳圧など測りたくも無い、気を失うんじゃ無いか。
 肝力とか肝の太さとか、そう言うのだけはラインハルト並だと思っていた自負が破れそうになる。

「……なんでしょうか」

 詰まった息で答えられるのはこれが限界。
 この状態で戦闘開始、となれば真実手も足も出ないだろう。
 出来たとして断末魔の叫びを一点集中させる事くらい。それがマンドレイクの叫びとなるだろうか、恐らく微塵の脅威にもなるまい。 

「貴様は俺が終わらせてやる」

 同郷の死は自ら看取る、と英雄だった男は言った。
 俺と言う存在を結局認められ無かったか、あるいは情けのつもりなのか。
 そんな事も説明せずに、ではな、と最後まで寡黙を貫き通そうとする男の背中に向かって小さな言葉で

「Auf Wiedersehen , Kamerad」

 別れの言葉を送った。
 最後くらい格好付けたかった俺に、聞こえて居たのかマキナも辛うじて聞き取れる位の音量で背を向けたまま別れを返してくれた。
 同じセリフでもマキナの方が格好良かったのは、やはり男は背中で語る方が良いと言う事なのか。

 取り合えず、61年後にあったらまず逃げよう。



[16642] L∴D∴O_VIII.Melleus Maleficarum
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/27 12:15


 間違い無くベルリンの人間で一番にライヒハートの訃報を知った人間の一人になったであろう俺が、まず最初に向かったのはやはりアンナの所だった。

「まぁ遅かれ早かれ誰だって死ぬんだし? あいつは早かった、私たちはあいつより遅かった、それだけの事じゃない?」

 そう言ってこいつらしくも無くあっさりとした死生観を語り、ドライに片付けようとするアンナの表情はいまいち読み切れない。
 だがそうそう素直な哀悼の意は読み取れず、まるで何とも思っていないかの様に見て取れた。
 何とも思わない筈は無い、と思っていたのだが今はそんなものなのか或いは読み切らせないのか、やはり齢200はそうそう浅いものでも無いらしい。

「……ところで、貴方こそ大丈夫なの? 大っぴらじゃ無いにせよ、随分と危ない橋渡ってるみたいじゃない。色々と不思議なんだけど、貴方そんな事する人だっけ?」

 色々と不思議、などとよく分からない事を言う魔女の瞳はこちらを測って居る様な油断無い動きを見せている。
 1940年辺りから随分と警戒されている様でこう言った視線を良く向けられていた。
 どうせ測られて困る様な何かを持っている訳では無いので彼女の前では基本的に本音でしか話して居ないのだが。

「ん、何の事だろう。ちょっと多過ぎて分からないな」

 個人的な意見から言わせて貰えばこうしてルサルカと会っている事すらも危ない橋なのだが。
 吸血鬼とか白い少女とか半人半魔とかに目を付けられたら一大事だ。

「偽造身分証、劣等を次から次へと逃がして回っているみたいじゃ無い? 私はわざわざ全滅させるのも面倒臭いから別に構わないけど、ゲシュタポはそうは思わないでしょう?」

 その事か。 

「いや、何と言うかね、決まり事の様な気がして……要するに、俺は前はこんな事をしていたんじゃなかったっけ? そんな既知感に従ってるだけだよ」

 空気が凍り付いた様な気がする。
 石と木で出来た建物の中はもとより寒々としたものだがそれに輪を掛けて、いや、そんな物では無い圧倒的な違和感を引き連れた寒気。
 本能が逃げろと叫び出す様な目に見えぬ恐慌を齎すナニカ、これが食人影か。

「なんで、あんたまでそんな事を言い出すの? ジーク、私分っかんないの。あんたまで感じる様な既知感ってなに」

 ぞわぞわと自分の影が蠢動する様な不快感は、周囲の全ての影の蠢動に感染したためか、あるいは既に自分が抑え込まれているために起こるものか。
 ちらと余所見をするとそこにあった影にずらりと並んだ牙を幻視した。
 全く、無辜の民草にこんな剣呑な魔道とは随分と警戒されたもんだ。

「さて、俺にとっちゃ産まれる前から慣れ親しんだものだから。他の人はなんて言ってたんだ?」

 なんでこんなに恐がられ無ければならないのかが納得行かない。
 忙しかった中、ライヒハートの訃報を受け取ってすぐに飛ぶ様にして彼女に会いに来たため、もしかすると余り長くもして居ない金髪が跳ね上がり獅子の鬣の様になっているかも知れないがその辺りだろうか。
 彼女に獅子は今は辞めて置いた方が良かったかも知れない。

「知らないわよ、あんた達の言ってる事なんて分かんないわ。既知って何よ、バカにして、どうせ私には分かんないわよ」

 アンナはすっかり拗ねている様に見える、ぎちぎちと周囲の影の牙が打ち鳴らされている様な状況では拗ねられても困ると言うか怖いので勘弁して頂きたいのだが。
 だが、実際問題として彼女に教えても意味があるとは思えないしそれで歴史が変わられても困ると言う実際的な問題がある。やはり誤魔化すしかないだろう。

「その達ってのがどう言う面々かは聞かないが、そいつらは良く分かって無いんじゃないかな。だってこう、ぼうっとして何も考えてない時に無感情な気分になるのに理由ってあるか?  そんなもんだろ」

  嘘を吐かない、と言うのは苦労するものだ。高々この程度で苦労するのだから俺は人形繰りには向いていないのだろう。

「そう、そうかも知れないわね。あーあっ、馬鹿らし、聞いたって教えてくれないんだもん」

 ようやく諦めてくれたのか、アンナは疲れた様な溜息を一つ吐いて天を仰いだ。
 それで彼女から漂っていた嫌な空気は掻き消えた。
 彼女がこちらに視線を戻した時には既にいつもの彼女の顔に戻っていたと言って良いだろう、その目以外は。

「でも、もう一つだけ聞いても良いかしら」

 魔女の瞳がきらりと輝いた。

「なんであんたはこの状況で平気で居られるの? なんであんたがそんな目してられるのよ。そんなんじゃまるで……」

 ぎちぎち、ぎちぎちと周囲の影が牙を打ち鳴らして立ち上がり始めた。
 泥水の海から盛り上がる様に溢れ出す人食いの影。
 それにしても目、とはどう言う事かいまいち分からない。まるで、まるでなんだと言うのだろう、化物だとでも言うつもりか。
 失礼な話だ、こんなにも人間辞めてないのに。

「だからさ、前にも言った事無かったか? 既に知っていればどうって事無い」

 魔女の瞳は怪しく光り続け、周囲の影はまるで獲物に食い付いても良いと許可を待つ調教された猛獣の類いの様に、落ち着き無く蠢き続けている。

「Yetzirah-- 形成

 だからね、私が教えて欲しいのはどうしてあんたがそんな事を知っているかって事なの」

 車輪、鎖、針、鳥籠、親指締め、著名なものから無名のもの、どう言った用途に使うのか分からないものまで展示品の様に拷問具がずらりと姿を現し始める。
 格別、目立って居る背後の異様な気配はおそらく鋼鉄の処女のものか。
 返答次第では碌な事にならないだろう、第二の人生初のBAD ENDコース。 
 ここで彼女をこんなにも本気にさせてしまったのはあまり得策とは言えなかったかも知れない。
 が、時期も迫っている、そろそろ渡りを付けるには良い時期だろうか。

「カール・クラフトにラブコールを伝えて欲しい。1944年11月20日、少々込み入った話がしたい、貴方のアポトーシスより。とな」

 魔女はまたしも読み切れない様な表情をした。カール・クラフトを知っている事にか貴方のアポトーシスと言う言葉にか、どちらに反応しているかの判別は出来ないが聞きたい事は分かる。
 あんなクソったれニートに会って何を話すつもりか、に他ならない。
 拷問機が、影が今にも食い付かんとしてゆらゆらと揺れる中で俺は間違い無く薄く笑った。

「何、ちょっとお世話になったお礼をしたいだけだって。だから機嫌直してくれよ、アンナ」



「はぁー……あんたねぇ、機嫌直してくれ、なんて言い方してる時点で馬鹿にしてるわよね」

 時間が止まったかと思われる程、たっぷり十分は睨み合った末にようやくアンナは形成を解いた、海に還って行くかの様に引いていく食人影が気色悪い。
 良い加減シリアスな空気に嫌気が刺したか、俺が我慢出来なくなって「ぽっ、アンナたん可愛い」と言ったのが原因か。

「そうか? いや、悪かった。でも機嫌直してくれ」

 言い方で馬鹿にしてるとはちょっと過敏に成り過ぎではなかろうか、面倒臭え。
 美人だから何してもとりあえず許すけど。

「そう言うのは言葉だけじゃ無くて誠意を見せるもんじゃ無い?」

 これはやはり俺が何を考えているか教えろと言う事なのか、あるいは既知とは一体何なのか教えろ、と言う事なのか。
 前者か、彼女は既知に関して俺から聞く事を諦めている様に思える。
 前者後者に関わらず話す内容が同じになってしまうので、どちらでも構わないんだが。
 誤魔化すしか無いし。

「……デートでもしろってか。そんな、私まだ心の準備が」

 それを聞いたアンナはあからさまに顔を顰めてざっと引いた。
 ひでえ、少し傷付いた。
 顔を赤らめるとかそんな事も無し、純粋に引いたらしい。

「うわっ、きもっ。……まぁあんたがデートしたいって言うならそれでも構わないわよ」

 本当に酷くないだろうか。
 美人にデートのお誘いしてOK出たと思えば打ち消して余りあるが、これが『うわっ、きもっ。鏡見てから出直して来いっつーの』とかだったら一、二ヶ月は引き篭もってしまっていただろう。
 なんとも温情を掛けられただけの様な気がしないでも無いが、一先ずこれで良しとしようか。
 どうせこいつと話す機会ならまだ有るんだし。



[16642] L∴D∴O_IX.Samiel Zentaur
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/02/28 11:39


「おや、エッちゃん少佐も一服ですか」

 煙草を吸っているとヴィッテンブルグ少佐がやって来て隣に立った。
 俺の片手には火の点いた一服の煙草。民間のデスクワーク主体の仕事では誰も止める者も居らず、知らぬ間に煙草を嗜む様になって居た。
 と言っても隣の女傑の様な筋金入りのヘビースモーカーでも無く、やめようと思えば何時でも辞められる、と言うかプチ禁煙の繰り返し過ぎで禁煙期間の方が長いとかそんな感じであったが。
 しかもエイヴィヒカイトを得たこの身には中毒性すら失って本当にただのヤニになっている。
 今俺はたまたまそんな気分だったから吸っていたが、この人の場合は何で吸うんだろう。
 まさか人形師よろしく煙草でルーンを刻んでいる訳でもあるまい、と言うか煙草の火種一つで国取りしかねない彼女がそんな小道具に頼るとは思えない。

「ジークフリート、貴様、良い度胸だ。一度焼き尽くされ掛けて置きながら、なお私を侮るのは貴様しか居ない」

 肺一杯に吸い込んだ一息に煙を吐き出す、湿気かかった安物の煙は実はあまり意味を成しているとは思わない。深呼吸の繰り返しを強要すると言うだけでも気分を落ち着かせる役には立つ筈だが、誰もその程度の効果を求めて毒の煙は吸わないだろう。

「そんな奴は全員死んだから、ですか。剣呑剣呑、もうちょっとお淑やかにした方が良いと思いますよ。男はみんなそう言う願望持ってますから、なんだかんだで我が家でもそう言う考えが一般的でしたし」

 ヴィッテンブルグ少佐も隣で煙を吐き出す、男の俺が吐いた煙はこんなにも臭そうなのに彼女が同じ事をやると何故こんなにも映えるんだろうか、格の違い?

「……下らん」

 今日は随分と大人しい日らしい、ああ女の子の……
 焼き殺されそうになった気がするので思考中断、確かに不適当だった、色んな意味で。
 煙を肺に溜める、行き渡った所で吐き出す。その音が同時に出される。軽やかな微風が舞う青い空、一点の曇りも無い白い雲を背景にして紫煙が漂うが程無くして風に流され消え失せた。

「いやぁ、エッちゃん少佐のそこで下らないと断じる潔さは嫌いじゃ有りませんけどね。たとえばラインハルトなんかもあれでお貴族様の淑女に猛烈にアタック掛けてるんですよね」

 なんでそこまでしたのか、その時ラインハルトが何を考えていたのかは未だに分からない。
 が、当時のラインハルトは余り軍属バリバリの魔王と呼ばれる様な女性は遠慮したかったと言う事だろうか。
 なんだかんだでメルクリウスに会うまでは自分を常識人だと断じていた様だし。

「貴様もか、ジークフリート。……私の忠を侮辱するな、地金に焼き戻してくれようか」

 なんだかんだで爆発寸前のヴィッテンブルグ少佐はかなりイライラしていらっしゃるのか、とんでも無いドボンをしている。
 ブレンナー辺りに突っつかれ過ぎて知覚過敏なのだろうか、おいたわしや。

「いや、小生はまだ少佐殿のチューがどうのとは申しておりませんが」

「……貴様が何を言いたいか、など皆まで聞くまでも無い。軟弱者めが、愛だの恋だの、そう言ったものに繋げて考えねば他人が理解出来んのだろう」

 忠でも理解は出来ますが少佐を理解するなら愛だの恋だのが一番容易ですよ、とはとてもでは無いが言えない。
 後ろに不動明王の如き炎を背負っている彼女に言える奴が居たらそいつは人間じゃなくて大淫婦か何かだろう。
 と言うか今確実に誤魔化されたと思う。

「まぁ確かに俺は男と女が揃えばやる事は一つしか無いとか思ってる恋愛至上主義者ですがね」

 プラトニック?
 シュライバー少佐に向かって言って来いよ、帰って来てから評価してやる。

「退廃的で反吐が出るな、貴様の妄想は若造の戯言に過ぎん」

 生娘に言われたくねえ。
 と言うか

「俺エッちゃんより十も歳上なんですけど」

 暫し沈黙。
 忘れてたな。

「実年齢がどうのと言った話では無い、貴様は甘えているのだ。その気に食わん顔に魅せられた女は皆そうだったのだろう、だがそんな者共は総じて屑の淫売だ。私と一緒にするな」

 忘れてた癖に実年齢どうのと言われても、これ即答なら格好良かったんだが。
 どうせ言う事は変わらなかっただろうから構わないのだが。

「なるほど、つまりこう言う事ですか。キュートで安く無い女であるエッちゃんはより良い女に成るべく日々ストイックに生きて女っ振りを上げている、と」

「なぜそうなる」

 むしろなんでそうならないのかが分からない。
 恋愛回路オーバーロードして焼き切れてるんじゃ無えか?

「それで良いんじゃ無いですか、ラインハルトも昔『婚前交渉する様な女とは』云々とか大した迷言ほざいたらしいし」

「慧眼だ」

 即答、でもちょっとくらい嬉しそうにしたら良いと思う。
 二人してほぼ同時に一本目を吸い終える。が、間髪入れず二本目を取り出すヴィッテンブルグ少佐。
 中々のヘビースモーカーっぷりに驚いた、この人ラインハルトが煙草吸う女嫌いとか言ったら煙草止めるんだろうか。
 ぼうっと見ていると睨み付けられた、無言の催促、と言うか督促を感じる。
 多分「なんだ、もう吸わんのか」とかじゃ無くて「まだ話は終わっていないぞ」って感じだと思う。
 もう帰りたい。

「ところで、どう言った御用件でしょう」

 色々と堪らなくなって質問してしまう。
 この人が隣で煙草吸ってて、のんびり恋愛談義出来るほどまったり出来る奴が居たらきっとそいつは人間じゃ無くて大淫婦か何かだ。
 質問された少佐はと言えば淡々と煙草を消耗し続けている。思い切り良く吐き出されたそれが何故か溜息を吐かれた様にさえ聞こえ、まだ何も言われてないのに恐縮してしまった。

「……貴様、キルヒアイゼンに余計なちょっかいを出して居るそうだな」

 なんじゃそりゃ?

「いえ、まだ何もしておりませんが、一体」

  質問の意図が全く分からないので何とも答えようが無い、情報の出所自体はキルヒアイゼン本人かあるいはブレンナーだと思われるが、これは後で意図を問い質すべきかも知れない。

「まだ……と言う事はこれから先、そう言った予定がある、そう取って構わんな」

 ヴィッテンブルグ少佐は何故かひたすらに言質を取ろうとしていて、流石の俺にもこれはヤバイかなと思わせる。
 しかし生半可な嘘を吐いた所で零コンマ何秒の世界で看破され、後にはこんがりバターが残るだけと言った事態は想像に難くない。
 結局、本音で話すしか無い。どうせバレたから困ると言った様な事はしないつもりなのだ、言ってしまったって構わない。

「まぁ、確かにありますが、それがなにか?」

 本当に何だと言うのだろうか、はっきり言って本当にキルヒアイゼンにはまだ特に何もした覚えが無いのでこんな尋問紛いの事される覚えは無い。
 無いったら無いのだ。

「……表へ出ろ」

 なのに何故……何故なんだ。



 本当に表、と言うより周囲に何も無い所まで連れ出され俺はヴィッテンブルグ少佐と向かい合って立っていた。

「そのー、ヴィッテンブルグ少佐殿、話がちっとも見えないんですがどうしてこんな公開処刑の様相を呈してるんでしょう」

 と言うかこの人マジなんだろうか。この人がマジじゃ無い時とか知らないけど、こんな良く分からない理由で切り捨て御免とか、そんな理不尽な人じゃ無いと思っていた。
 俺が一体キルヒアイゼンに何をしたと言うのだ。

「どうしたジークフリート、いつもの様に巫山戯た名で私を呼ぶが良い。死に行く部下の最期だ、あるがままの姿を看取ってくれてやる」

 そう言ってエッちゃん少佐は三本目の煙草をポイ捨てした。
 これこれ、環境への配慮は忘れては行けませんよ。喫煙者のエチケットでしょう。などとは言える訳も無く黙って見なかった事にする。
 取り合えず直々に許可貰ったから今からは遠慮無くエッちゃん少佐と呼ばせて頂こう、今すぐ呼べなくなるかも知れないし。
  さてこの一触即発、絶体絶命の状況。
 ハンサムなジークフリート君は突如として打開のアイディアを思いつくだろうか。
 恥も外聞も無く泣いて土下座すれば呆れ果てて許してくれる……かも知れない。無様な姿を私に晒すな屑が、とか言いつつ焼却されそうだが。
 ああ、現実は非情だ。なんだかどうにもならない匂いが、

「最期に一つだけ……よろしいでしょうか」

 こうなったら誰かが助けてくれる事を祈って時間稼ぎするしかあるまい。
 見え透いた時間稼ぎだと最悪、ヒャアもう我慢出来ねえ、ゼロだ。と言った事に成りかね無いので出来るだけ穏便にそれとなく自然に、だ。

「言ってみろ、聞くだけ聞いてやる」

 実は聞いても貰えずに殺されるなんてあるかなー、と思っていたが少し安心した。

「……キルヒアイゼンとこの件にどう関係が?」

 まぁ質問なんかこれしか無い訳で、何故キルヒアイゼンにちょっかいを掛ける予定がある。はい、死刑。みたいな剣呑な事態になって居るのかを知らずに焼かれるのは御免だ。
 案外ギャグ補正とか何とかよく分からないもので生き延びるかも知れないが、そんなものに頼る様な奴は最初からジャンルが違うだろう。と言うかギャグでも死ぬ様な目に会いたくない。
 幸い、助けも間に合った様だしまだ生存率が低いままだが子持ちでも美人と一緒に死ねるなら納得が行く様な気が。

「知らんとは言わせん、貴様--」

「知らないわよ」

 事の次第に気付いてか泡を食って大慌てで走って来たらしいブレンナーが肩で息をしながらそこに立っていた。
 彼女がここに来ると言う事はやっぱりブレンナー何か吹き込む、エッちゃん少佐大激怒、俺殺され掛ける。と言う流れに違いない、さすが悪女、伊達や酔狂で経験豊富な訳では無い。
 やっぱりブレンナーと心中は無いか。

「彼は知らないわよ、と言うか自覚してないんじゃないかしら。察しの悪い人じゃ無いみたいだから解ってたらもう少し違う対応をしている筈よ」

「そんな訳があるか、惚けているのだろう。こいつは全部解っていて知らん振りをする、そう言う類いの人間だ」

「それは確かにそうかも知れないわね、でもそう言う人の方が自分の事に疎いって事もあるんじゃ無いかしら」

 あーだこーだ、あーでもない、こーでもない。 



 結局ブレンナーの必死なんだかどうなのかよく分からない説得で、エッちゃん少佐は

「この件は保留にしておいてやる、だが貴様すこしでも下らん真似をしてみろ。その捻じ曲がった根性を私なりの教育(愛)で骨肉の髄から鋳直してくれる」

 と『今日の所はこんなもんで勘弁してやる』と言う趣旨の、一山幾らのチンピラが言えばただの遠吠えで済む、彼女が言えば死の宣告にも似たそれだけ残して颯爽と帰って行った。
 幸い俺は一命を取り留めた。
 怪我一つ無くても九は死ぬ、あの方はそう言うお方だ。マジ怖い。

「で、何吹き込んだんだブレンナー」

 取り合えず落ち着いた俺たちは紅茶を淹れて落ち着きを取り戻しながら相対して居た、煙草は辞めておいた。当分吸う気にならない。
 取り合えず確認と一緒にしっかり釘を刺して置かねばならない、次は無いと思うし、と言うか死ぬ。

「失礼ね、あなたも悪いのよ? どうとでも取れる様な態度ばかり取って」

 馬鹿な、俺は何時でもきっぱりしている。ノーと言えるアーリア人、聞かれた事には正直に答えるし嘘は吐かないのだ。

「そうかしら? だったら、私の事は好き?」

 おい、フラグ立てて無えよ。
 撫でポにすらも未だ届かぬ活動位階だと言うのにオリ主的魅力が何時の間にか創造される見るポを体得した恋愛特異点なのかよ。
 しかも相手は子持ち、さすがはイケメン、罪な男。

「うん、嫌いですな」

「そんな所をきっぱりしている必要は無いんだけれど……」

 俺のきっぱりした態度にブレンナーは変わらず微笑みながらも額に青筋を浮かべて居る様に見える。
 本当の事を言ったのに怒られても困る。
 例えばここでブレンナーがヴィクトリアンメイドに扮して巧みに煽情的に胸部の豊かな収穫を堪能したくなる様な緊縛を受けた状態で「今夜もいけないリザを躾て下さい、ご主人様」等と上げ膳据え膳状態でも絶対に俺は手を出さんぞ。

「……あなたの特異極まる変態性癖に関して私がどうこう言う気は無いけれど、……だったらベアトリスの事は好きかしら?」

 派手に脱線していたと思っていたらここで帰って来た。またキルヒアイゼンだ、なんだかみんなキルヒアイゼン好きだな。
 ところで青筋立てるのは辞めて欲しい、怖いから。

「……さぁ?」

「きっぱりしなさいな」

 怒られた。
 前世ではベアたん萌え、屑はブッコロス等と口走っていたが前世は前世、今世は今世。あまり関係無いだろう。
 ライヒハートに会った後辺りから確認して回った黎明メンバー達の中でもローティーンのキルヒアイゼンはとても可愛らしかったが、良い歳したオッさんが中学生年代の少女にベアたん萌え等とほざいていたら、周囲が比較的そう言った事に寛大で居てくれる立場、時代であったとは言え流石に警察呼ばれる。
 ロリコン容疑でラインハルトの世話になるなんて事態になったら恥ずかしくてエイヴィヒカイト使えない。
 となるとそれも関係無いとして、では今はどうだろう。
 エッちゃん少佐にわんわんお、わんわんおと尻尾を振りながら追随するキルヒアイゼン。話掛けると何でこいつがこんな所に居るんだ、とばかりに冷たい目で見て来るキルヒアイゼン。キルヒアイゼンキルヒアイゼンキルヒアイゼン。

「さぁ?」

「……ある意味エレオノーレより酷いわね」

 何を、あんな万年処女と一緒にしないで欲しい。

「じゃあ嫌いなの?」

 うん?

「うーん、嫌いでは無いかな」

 と言うか嫌いに成る要素が無い。

「じゃあ好きなんでしょう」

 確かに嫌いじゃ無いんだから好きなんだとかそんな理屈で行けば好きなんだろう。
 うん。

「好きなのね?」

 うん?

「待て、誘導尋問だ!!」

 再審理を請求する!!

「はぁ、なんて面倒臭い人……」

 ブレンナーは頭痛を覚えているかの様に頭を抑え溜息を一つ。憐れむ様な馬鹿にする様な目で俺を見ている。何が面倒臭いと言うんだろう、そう言うのはエッちゃん少佐に言ってやって欲しい。

「ここははっきり言わせて貰うわ、あなた、あの子に良い格好しようとしてるでしょう」

「はぁ?」

 良い格好などと言うならばそもそも万人が見ても格好良く有りたい、これ男児の本懐では無かろうか。別にキルヒアイゼンに限った事では無い、割と嫌いなブレンナーにだって格好良いと言われて悪い気はしない。あまり意識した事は無いが余程の屑でも無い限りは、自分に取っても万人に取っても格好悪い自分は善しとしないだろう。

「と言うかそもそもにそんな事しなくても俺格好良いし」

 何度も言うがイケメンに生まれて来たのだ。
 エーレンブルグだとかライヒハートだとかと並べば見劣りするだろうが、それでも血は争えない、金髪碧眼長身の良い男。
 客観的に見て問題無く格好良い。

「……はぁ~~」

 と非常に大袈裟な溜息を吐いたブレンナーは最早全人類の半分の敵を見る様な目で俺を睨んでいる。
 ごめんなさい、子持ち女にも無自覚にフラグ立てちゃう恋愛創造位階でごめんなさい。

「私が悪かったわ、言い直す。あなた、あの子に色目使ってるでしょう」

「はぁ?」

 色目、流し目だとか秋波だとか、要するに自分が特定の異性に気がある事を示すアピールの事で、俺が? キルヒアイゼンに? 色目。
 つまり俺がこれを使ってると言う仮定が事実ならば俺は傍目にも分かる程にキルヒアイゼンに対して好き好きーっとやって居ると、そう言う事か?

「ばっ!! な、な訳がっ、使って無え!! 知らねえ!!」

「はぁ、使ってるんじゃ無い、好きなんでしょ。可愛い子だしね、ダメだとは言わないわ」

 ブレンナーは聞いちゃいない。と言うか聞いては居るんだろうが内容はどうでも良いらしい。あからさまに溜息を吐きながらまるで説教を始めんばかりの雰囲気、妙に堂に入った様は伊達に尼僧志望では無いと言う事なのだろうか。何かがズレている気がするが。

「ただねえ、エレオノーレがあれで大事にしてるから、嫉妬するのよ」

 そりゃああの人はお気に入りの部下に要らん虫が付いたら即時燻蒸消毒だろう、ザミエルの名に相応しく狩り尽くされ根元から断たれるに違いない、男の根元的な意味で。

「だから使ってねえ!! 俺はキルヒアイゼンの事は何とも思っちゃいねえ!!」

「ふーん、そうですかそうですか。……私もあなたの事、面倒臭い人だなと思ってたんで構いませんけど」

 え? なんでここに。

「少佐に表に出ろなんて言われて連れて行かれるあなたを見て、私はどうでも良かったんですけど助けて上げないと可哀想かなーって思ったからリザさんに話に行ったんです。その様子を見ると無事だったみたいですね、残念です」

 心配して様子を見に来てみると例のセリフが聞こえて来たと言う事か、しかも悪い事にそこだけ聞いたんじゃ無いだろうか。
 なんと言うラブコメ、冗談みたいだ。
 カツカツと足音を立てて去るキルヒアイゼン、来たばかりじゃ無いか茶でも飲んで行けよ。

「あ、あ、あー……」

「ま、まぁ後でフォローしといて上げるから、あまり気にし過ぎるのも良く無いわよ?」

 何をどうフォローすると言うのだろう。
 よく分からない、よく分からないが巫山戯ずには要られない気分。

「むしろ俺をフォローし(慰め)てくれないか?」

「上げ膳据え膳状態でも絶対に手を出さないんでしょ?」

 言いましたねそんな事、拗ねるなよ。



[16642] L∴D∴O_X.Rot Spinne
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/01 10:50


 ここ最近、妙に気配を感じる。
 はたと気付いて振り向くと誰も居ない。
 あまりに華麗な隠行は何も起きて居なくとも嫌な連想をさせる。暗殺か、はたまた

「いやいや、そんな訳が無い。ははは」

 そう、そんな出来損ないのオカルトがこの世に存在する訳が無い。
 自分が一番オカルトじゃ無いかとか、オカルト集団に紛れて今更何言ってんだ、とかそんな問題では無い。
 無い物は無いのだ。
 だが、

「橋上の戦いの時のラインハルトってあれ、あれ……状態で出てる事に?」

 本編中、鋼橋の上で初めて蓮がラインハルトと対峙するシーン、それがあれならやっぱりあれが実在すると言う事に。
 無い無い。
 あれはラインハルトだから出来る事でそこいらの劣等には出来ない、恨みを買って生きて来たつもりなど無いので間違い無くそんな筈は無い。
 よし、大丈夫。
 大丈夫大丈夫大丈夫。

「……ジーク?」

「ひっ!!」

 大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせていると突然アンナに話し掛けられて色んな物を垂れ流しそうになりながら縮み上がったが、紙一重で踏み留まる。
 アンナは何か世にも珍しい物を見たかの様な目をしていたが、その表情は俺の反応を見てか見る見る暗く曇って行った。

「失礼ね、ジーク。麗らかな女性に向かってまるで妖怪変化でも見たような反応、なんなのよ?」

「あ、あっ、いや、あはは、何でも無いんだ。何でも、あはははは」

 目が据わり始めたアンナを見て大汗掻きながら何でも無い風を装う。
 いや、何を装うと言うのか、何でも無いんだから何でも無いと言うのに、最近の俺はおかしい。

「そうなの、何だか見事に顔色が青いから心配して上げたんですけど余計なお世話だったみたいね。じゃ、私は誰かさんと違って忙しいから」

「あぁーいやいや、待てアンナ」 

 アンナは今にも何処かへ行ってしまいそうで、俺は何かに駆られる様に彼女を停める。
 何かって何だ。
 何にも無いのに、何かなんてある筈が無いんだ。

「はぁ、なんなのよ? 手短にお願いねって言うかルサルカって呼びなさいよ」

 そう言ってハエの様にうるさい奴ね、と言わんばかりの蛇蝎を見る様な目でこちらを睨め付けているルサルカはあまり機嫌が宜しくないらしい。
 
「あああ、あの、な。その、俺の後ろに誰か居ないかな」

「はぁ?」

 あぁ、出来ればこれだけで分かって欲しい。分からなくても良いんだが。
 事細かに存在しもし無い奴への恐怖をつまびらかにするのは、この科学信仰の厚い社会に逆行している様で非常に気が引けるのだ。

「いや、どう言う訳か、視線が、そう、最近ずっと正体不明の視線に追い回されてるんだよ」

 しかもこいつは凄腕だ。
 今の俺が本気で気配と言うか音を手繰れば永劫未発見の渇望でも無い限り捕捉出来る、などと自負して居たが、この気配の主の何と凄まじい事。
 その呼気一つ取っても風の音に紛れ消されて殆ど聞こえず、聞いた時には既にそこに居ない。
 こいつが消音機構を仕込んだ毒苦無でも持っていれば俺などとうに死骸を晒しているだろう。
 まるで殺意が感じられない事が真に恐ろ、いや恐ろしく無い、恐ろしく無いぞ。

「だからその視線の正体が知りたいって? ふーん……、ねえ、貴方まさか」

 俺のここ数日の切羽詰って深刻な悩みを聞いたルサルカは突如として満面の笑みを浮かべた。
 数年来の付き合いだがこれ程に良い笑顔は見た事が無い、それ程の、花も恥らい萎んでしまう程の笑顔がなぜコンナニモ、オゾマシイノカ。

「な、なんだろう」

 その凶悪な怖気に何故か俺は汗を一筋流した。
 季節は冬、寒いに決まってるのに今更に寒さを強く感じた
 ルサルカの笑顔が怖い。

「怖いの? 幽れーー

「わああぁぁああぁぁっ!!」

 咄嗟に耳を指で塞いで叫んだ。
 非論理的だ。
 世界最高のオカルトに触れた俺の前にもうオカルトなんて有り得ない、そんなオカルト、オカルトと認められない。
 実在しないものが実在するなんて訳の分からない事があり得て堪るか。

「きゃっ、もう急に叫ばないでよね。でも、まさかあのジークフリートがねー。そんなにダメの? 幽れーー

「うわああぁぁああぁぁ!! !! 言うな、出たらどうするんだ、あああ嘘だ幻だプラズマだ食人影だ」

 なんだよ、幽れって幽れじゃ分かんねえよ畜生。
 分かんねえとか怖えよ、畜生。
 幽霊怖い。 



「別にだめなんかじゃないぞ? ちょっと、苦手なだけだ」

 誰にだって苦手な事の一つや2つあるだろう。
 俺にとっての苦手な事がたまたまそれだっただけの事なのだ、何の不思議も無い。
 強いて理由を上げるとすれば俺が一度黄泉を越えて来た事が上げられるだろう。
 要するに既に死んでいる筈の俺がこうしてここに立っているならば、それだって実在し得る。
 存在する様な理屈は知らないのに、あり得ると言う事が恐ろしい。

「それを指してだめだ、と言うと思うんだけど……食人影がアレ以下の扱いなのは納得が行かないわ」

「いや、こんなのは理屈じゃ無いだろ」

 いや、別に魔術的な理屈で作られているなら平気なのだ。
 これがエイヴィヒカイトを得る前ならまだしも既に獲得し魔道の徒となっている今では、魔道の屍体など再び殺して墓場に送り返してやれば良い程度のものに過ぎない。
 これが殺せないものだったらダメなのだ、あとホラー映画的な演出過多なイベント。
 これさえ無ければ何も問題無い。

「あぁそーですか、あんたの事ホントよく分かんないわ。それで、視線の主ねえ。まぁ……居るわよ」

 まぁ、の所で視線を俺の後方へぼんやりと向けたルサルカの見ている物を辿る勇気が出ない。
 もしそこに何も居なかったら、あるいは何か居たら、いやそもそも都市伝説のメリーさんは振り向いたら死ぬ、と言ったものでは無かったか。
 それが、しかしルサルカには見えているらしい。

「なん……だと?」

 実像を持った霊体なのか、心音はおろか呼吸音すら聞こえない。
 そんなものが後ろに居るのか、本当に?

「と言うかあんなのに怯えないでよね、情けないったら。あんたに言いたい事があるみたいだから、聞いて上げればどっか消えると思うわよ」

 言いたい事だと?

「そ、それは一緒に逝こうとか成仏させてくれとか」

 死んでもごめんだ、ああいや死にたく無い。

「さぁね、自分で考えなさい。ただ、そうね、もう少し機嫌良さそうにしてれば早く解決するかもよ」

 そう言って青褪めた俺の顔を見てくすり、と笑ったルサルカは俺を置いてどこかへ行ってしまった。
 俺の機嫌の良さがどう関係有るんだよちくしょう。

 取り合えずその日から頑張って機嫌良く振舞った。
 腐っても魔女の託宣、蔑ろにすれば大変な事になり兼ねない。



 そうしたある日の事であった。

「……少………し……………か、ウルリヒト…」

「ひっ!?」

 怒りの日来たれり。
 しかも少子化?
 ごめんなさい子孫残さずに死んでごめんなさい、ってかそんなの自由恋愛の範疇だろうよ祟るなよそんな事で。
 心底魂消て振り返ると死人の様に青褪めた顔をした男がひっくり返っていた。

「ひいいぃぃ!?」

 などと叫びながら縮み上がる様は何処か小物臭い。
 ん?

「あんた、だれ」 

 だれだっけ?



「オッホン、では改めまして。私の名前はシュピーネ、聖槍十三騎士団黒円卓第十位ロート・シュピーネ。以後、お見知りおきを、ウルリヒト卿」

「だから卿じゃねえって」

「ひい!! 申し訳ありません、ウルリヒト殿」

 そしてこの独特の名乗りを聞いて思い出した。
 あぁ、こいつが彼の有名な形成(笑)か、と。
 なんで有名だったかを忘れてしまったが、恐らくはこのラインハルトでは絶対に出来ぬだろうほどの、世界最高レベルの隱行技術にあるのでは無いか。
 全てにおいて頂点にあると言って良いラインハルトだが、こと隠れると言う行為に関してはどうしてもあの圧倒的な存在感が仇となる。
 同じ藪にでも蜘蛛が隠れている場合と獅子が隠れている場合では発見し易さに大きな隔たりがあるだろう。
 技術だけの問題では無い、その魂さえも隠行に掛けるだけの覚悟。その一点においてこいつはラインハルトさえ凌駕し得るのだ。
 恐らくその渇望は永劫未発見、汎用迷彩により存在認識の領域でさえ、その存在を識られなければ戦う事無く勝利を手に出来ると言うものに違いない。
 シュピーネ、たとえ創造位階であっても油断の許さぬ形成位階を一笑に伏し、その名を博しただけの事はある。
 先の小物臭さは自分が大した物では無いと油断させ、さらに無抵抗である事をアピールする策か、敵を欺くにはまず味方からを地で行くとは恐ろしい男だ。

「それで、そのロート・シュピーネさんが何の御用かな」

 内心の警戒を隠し切れずに発言してしまう。
 感情を取り繕い損なうのは久し振りだ。
 ああ、面白い。こうでなければ本気の出し甲斐が無い。やはり取り繕い損ない笑みが漏れる。

「ひい!? い、いえ、私の用では無くクリストフ・ローエングリン猊下のご依頼なのです。なんでも『後日正式に、丁重に謝りたいので日取りを確認したい』との事で」

「謝る、なんかしたのか? とりあえず何時でも、なんなら今からでも構わないと伝えて欲しい」

「ハイィ畏まりました」

 そう言って素早く消え去ったシュピーネを追い切る事はやはり出来なかった、あの速度でこの静音性、いや、もはや絶音性と言うべきか、は怖るべきモノだ。
 ヴィッテンブルグ少佐のドキドキ軍事調練コース地獄の三丁目巡り編をキルヒアイゼンと超えたばかりだと言うのに、俺もまだまだ修行が足りないらしい。
 今からでもソナーの練習をしよう。



[16642] L∴D∴O_XI.Babylon Magdalena
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/02 11:50



 昨夜も例によって遊んだり活動したり酒飲んだりで疲れ切った挙げ句、泥の様に眠った。
 そのためか最近は寝坊気味で。元々朝強い方でも無いため悪いと朝食を摂る機を失する。
 ブランチはおろか覚醒即昼食なんて事も多い。
 だから今日も半覚醒のままベッドの中で、朝飯は食べたいけどメイドさんに起こされたくらいでは俺はそう素直に目を覚さんぞ、などと見えないものと戦っていたのだ。
 頭から枕を被って太陽の攻撃を巧みに捌いた俺は、目蓋を優しく撫でる二度寝の誘惑に抗おうとして居なかった。
 寝ていたい、とにかく寝ていたい、起きたくない。睡魔の毒に冒された思考でメイドさんとか訳わかんない事言っている以上、我が愛しき脳髄は睡眠を求めているのだ。
 と言うか、メイドさんって何だ寝惚け過ぎだろ。

「起きて下さい、ご主人様」

 だって一体何だこの現実は、こんなものは現実と認められない。
 とうとう体を揺すり始めると言う強硬手段に出た謎のメイドは恐らく起きるまでは諦めるつもりなど無いだろう、それどころか延々エスカレートしていく恐れすらある、それくらいの気迫は伝わって来ていた。
 このまま放っておけばナニをされるか分からない、少しの期待と僅かな恐怖、そんなものに駆られて起きたくなる。
 だがここで同時に不安も覚えるのだ。嫌な予感、虫の報せ、ここで起きてしまえば俺は何か大切なものを失うんじゃ無いか、と。

「はやく起きないと×××するわよ、ジークフリート」

 しかしそんな色んな意味で危険な事を言われては飛び起きるしか無い。
 それはここではやっちゃ行けません。

「分かった!! 分かったから勘弁してくれブレンナー」

 声で誰かはすぐ分かったのだ。
 ただ状況が有り得なかった、なにゆえブレンナーがヴィクトリアンメイドで優雅な朝を演出しているのだ。
 何かの既知感を覚える、前にもこんな事があったから感じた既知感では無い、こんな事が起こる様な状況を知っていると言う正しく既知感、デジャブとは違う。
 違和感と変換しても構わない、がそれが何かを掴む事は出来なかった。

「おはようございます、ご主人様」

「一体全体なんのつもりなんだ」

 改めて周囲を見てみると何故か天蓋付きのベッドで寝かされ、部屋の中は絢爛豪華な調度で埋め尽くされている。
 まるで富豪や貴族の住まう部屋だ。
 手間を掛け過ぎだ、たかが悪戯で普通ここまでするだろうか。信じられないと言う思いを禁じ得ない。

「なにを言ってらっしゃるんでしょうか、ご主人様。しっかりして下さいな」

 さっさと着替えて朝食が出来ているから食べに来いと言う事を伝えると颯爽と立ち去るブレンナー。
 後に残された俺は未だ現実に脳が追い付いて居ないままだった。

 着替えを探しても何故か装飾過多の、と言うか華美に過ぎる衣服しか見付からない。当然と言うか何と言うか断じて俺の趣味では無いそれらは矢張り貴族的なそれだ。
 仕方無く泣く泣く着替えて鏡の前に服に着られて居る様な少年を披露すると、大きくため息が出た。
 なんだこれは。
 取り合えず、あのメイドコスプレ女の誘導に従わないと何も分からず永劫不本意な事になりそうだ。
 指示された通りに朝の糧を得るべく廊下に出るとそう歩きもしないうちに小さな影にぶつかった。

「きゃあっ!!」

 影の主は、紅く長い髪と頭頂からピンと跳ねたアホ毛がチャーミングな小柄な少女。

「アンナ?」

 それはかつて何処かの既知で見覚えのある魔女の姿だった。
 彼女らしい紅いドレスを身に纏っているがちんまい体のせいでドレスに着られて居る様な感じが否めない。
 貧相な体のまま胸元と背中が大きく開いたドレスを着たってコスプレにしか見えないのだ。
 慣れても居ない様な体躯でヒールを履いているために足首を捻ってしまったらしい、顔は意外と、意外と? 平気そうに見えたが。

「初見で気付かれた? しかも良い加減ルサルカって呼びなさいよ。いや、まぁ何も変わらないか」

 彼女が何事か呟いている様だが何故か聞き取れ無い、聞き取れ無いなんて異常じゃないか?
 そうだ、何かが足りない。
 肌身離さず首に掛けていたお守りが無い様な不安感、いつもより世界が狭く感じる違和感。

「あらぁ、ごめんあそばせ、ウルリヒト卿。昨夜は良く眠れまして?」

 そうやって俺を呼ぶアンナに凄まじい違和感を覚えた、何故俺は自分がウルリヒト卿と呼ばれたく無いと感じたのだろう。
 変だ、おかしい、この現象、既にどこかで知った覚えがあると感じる。
 どうにもぱっとしない俺の顔を見てアンナが堪え切れないと言った風に笑った。

「まさか寝惚けていらっしゃいますの? 貴方の婚約者のアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンですわ」

 ーーーーあぁ、夢か。
 はっきりと思考誘導された、と感じて漸く思い出した。
 "ルサルカ"の魔道にそんなものがあった筈だ。
 幸か不幸か転生の影響か、術に半分掛かり切っていないらしい。
 多分今はジークフリートは完全に掛かっている状態だが、ーーーはあまり掛かっていないと言う事だろうか。
 それが分かっていれば十分だ、どうやらこの夢の中の"ウルリヒト卿"が知っている事になっている設定は自力で参照出来るらしい。

 近年めきめきと力を付け始め、有力な名家となった我が一族。
 しかし大した功績を残す訳でも無く志し半ばで折れた私を、家族は広さと豪奢度合いだけは一流の辺境の屋敷に封じた。
 ブレンナーはその時に自ら着いて来た専属のメイド、アンナは実質的な勘当と言う不名誉を誤魔化す為のお飾り。
 なんだ、このありがちな設定は。
 素晴らしい既知感を催す我が身空に思わず苦笑を漏らした、どっから持って来たんだアンナ。

「いや、何か酷い既知感を覚えて居てな。失礼した、お手を」

 紳士的に、を意識しながらアンナの小さな手を取り立ち上がらせる。
 素では無いが、教育は厳しかったためそれらしい真似と言った程度であれば差程難しくも無かった。
 ただし背中が痒くて堪らなくなったり腹が立ってくると言う問題があるために出来るだけやりたくは無い、大体俺は紳士ってガラじゃないだろう。

「全くですわ、レディにぶつかっておいて謝りもせずにぼんやりとなさるなんて」

 手を取り立ち上がったアンナはぷりぷりと怒って抗議する。
 アンナも朝食はまだ、と言う事なので二人連れ立って食堂へ向かった。
 これ相手が素面だって知ってたら俺なら恥ずかしくてとてもじゃ無いが出来ないな、憐れアンナ。

 取り合えず、この茶番劇に乗ってやろう。
 何を企んでいるのか良くは知らないが下手打って藪を突いて蛇を出すのも思わしく無い。
 

「おはようございます、ご主人様。それからシュヴェーゲリン様」

 食堂へ付くとどう言う訳か途端に目付きの悪くなったブレンナーに怯えながら席に付く。
 シュヴェーゲリン様、にいやにアクセントが置かれているが仲が悪い設定なのだろうか。
 アンナはちゃっかり俺の隣に座って笑い掛けて来て、不自然なほど嬉しそうに見える。

「配膳を終えたら下がって良いわよ」

 ところがキッとブレンナーを睨むとそんな事を言った、随分キツい言い方。どう言う訳か分からないのだがやはり仲が悪いらしい。
 それもかなり。
 言い付けられたブレンナーは表面こそ笑顔のままで背中に鬼を背負って去って行く。
 黙って行った事がむしろ怖い。

「わたくし、あのひと苦手ですわ」

 何と言う修羅場の予兆。
 しかも止まらない激しい嫌な予感は、恐らくこんなものでは済まされないと言う事か。
 やる事が悪辣過ぎる。

「ああ、何故かな」

 とりあえず設定の確認。
 まず間違い無く悪夢を見せに来ている以上、回避など不可能だろうが出来るだけ傷は軽くしておきたい。

「目が怪しいんですもの。あのひと、婚約者であるわたくしを差し置いて貴方を……」

 と良い所で止めて上目遣いに見つめて来る。
 役者にも程がある。
 と言うか何でそんな設定なのか。
 昼メロとかそんなレベルで既知感特盛じゃ無いか、もうちょっとシナリオ考えろよ作者(魔女殿)。
 どうせこの後の展開なんて読むまでも無い。
 ブレンナーが『せめて今夜一晩だけでも想いを遂げさせて下さいまし』とか言って来た所にそうは行くかと突入して来たアンナと激しく修羅場る。
 鮮血の結末、俺死ぬ。
 なんだこの夢。

「その話はここまでにしよう」

 などと適当言って朝食もそこそこに逃げ出す。
 朝食も不味かった。夢である事を考えるとブレンナーが作ったわけでは無くアンナの想像で補完されたものだろう。
 これがアンナの美食観なのか、得体の知れない薬物みたいな味がする。
 こいつこれで将来蓮にバレンタインのチョコを作ったりとか考えるのか、死ぬだろ、ご愁傷様。
 いや、今にも死にそうなのは間違い無く俺であるが。

 やたらと広い庭に出て太陽、ただし何故か異様に黄色いそれを見上げてたっぷり数秒にも渡る溜息を吐いた。
 なんでこんな盛大な嫌がらせを受けているのか。
 特に視界の端に見えている様な見えていない様な、見なかった事にしたくて堪らない様なそれを目に留めてしまった辺りからもう憂鬱で堪らない。
 一瞬なんでキルヒアイゼンまで居るんだよ、と思えば明らかに様子がおかしい。と言うよりおかしすぎて相手にしたくない。
 流れる金髪ポニーを振りながら駆け寄って来るキルヒアイゼン、に見える何か。

「わんっ!! わんっ!!」

 飛び掛かって来られた。

「あぁーそうだね、わんわん」

 なんだかとてもうんざりしながら戯れ付いて来るに任せる事にする。

「わんわんっ!!」

 可愛いんだけどさぁ。

「流石にそりゃ無いだろ、ヴァルトラウテ」

 ヴァルトラウテ、兄の一家から譲り受けた畏れ多くも戦乙女の次女の名前を戴く我が家の忠犬、めす。
 犬らしい。
 どう見ても犬耳カチューシャと何処から生えてるのか分かる様な分からない様な犬尻尾を付けたただの軍服コスプレ女だが、……どうやら犬らしい。
 あぁ、可愛いなぁ。確かに可愛い。
 全犬派諸兄のあらゆる妄念を満たし得る素晴らしいポテンシャルをこのヴァルトラウテは持っていると断言しよう。いや、飼主馬鹿とかでなくて。
 でもダメだろ、色んな意味で、危な過ぎるだろこれ。

「お座り」

「わん」

 したっ、と言う擬音が聞こえてくるほど素早く座るヴァルトラウテ。
 あああー。
 この殺伐とした悪夢の中に一筋の清涼剤が。

「お手」

「わん」

「伏せ」

「わふん」

 完璧に躾けられている、見事だ。
 さぞ優秀な調教師が付いたに違いない。
 ん? 調教師?
 脳裏に走った怖気を伴う冷気に既知感にも似た違和感を覚えながらとりあえず

「ちん◯ん」

「わ、わふぅ……」

 一丁前にほっぺ赤らめてんじゃ無えよ犬畜生がぁぁああぁぁ……。
 とりあえず紅くなった頬を人差し指で突っつきながら先ほど考えていた事を思い出す。
 そうだ、調教師だ。随分腕の良さそうな調教師だが誰だろう、このキルヒアイゼンを調教するとしたら誰だろうか。
 キルヒアイゼンでは無いか、今はヴァルトラウテだ。
 絶望的な悪寒が奔り全脊髄の瞬時凍結を感じた、もし仮に犬キルヒアイゼンを躾ける人物が存在するとしたら、彼女の飼い主たるザミエル卿その人しか居ないのでは無いか?

 ちょっとなんて恐ろしい事をするんだアンナ!?

 そのまま構っていると恐らく、いや間違い無く襲来したであろう魔王の気配を、しかし既にそこに感じ始めたので恐れ慄いて、弾かれる様に脱兎の如くされど音も無く逃げ出した。
 置いて行かれたヴァルトラウテが泣いていた気がするが、騙される訳には行かない。
 これはアンナが見せる夢なのだから、あのヴァルトラウテはアンナの生み出した悪辣な虚構に過ぎないのだ、見た目に惹かれてふらふらと付いて行けば狩りの魔王が待っているに違いない。
 ぎりぎりセーフであったらしい。
 アウトなら多分『ほう、ジークフリート、貴様犬が好みであったか畜生めが。良いだろう、ならば犬は犬らしく良く躾けてくれる』とか言って炎の洗礼を受けている。
 酷過ぎる、この悪夢は何が何でもBAD ENDなのでは無いか。

「ご主人様? こんなところにいらしたんですね」

 ぐるぐると誰にも会わない事を祈って隠れたり逃げたりを繰り返していると、とうとうよりによってブレンナーが現れ捕まってしまった。
 やばいエロい目でこちらを見ながら静かに素早く近付いて来るブレンナー、大体確かに泣き黒子って鉄板だと思うが既知に過ぎる。
 あろうことかそのままくっ付いてきて俺を見上げる様な形で上目遣いに視線を送り始めた。豊作な胸部が当ててんのよ状態で悩ましい事この上ない、あからさまな誘惑はここで手を出せば死亡と言う事なのか、なんなのか。
 取り合えず肩口を掴んで離そうとするが、既に脇、の部分の布地をロックされていて万力込めても離れない。
 あまりに強い力は恐らく本来のブレンナーのそれでは無く恐らく世界の、この夢の世界の支援を受けているからか。
 アンナの奴強硬策に出やがった、何が何でも俺に悪夢を見せるつもりか。

「ご主人様……近頃、シュヴェーゲリン様は隠しもせず私を目の敵にして居る様に思います」

 そう言う設定だから当然だろう、とは言えないのが辛いところ。
 身に覚えの無い修羅場はこんなにも恐ろしいものであったか。

「私はご主人様と一緒に居たい、ただそれだけなのにね」

 それで当初の勘当息子におまけの専属メイドと言う構図が生まれたのか、シナリオ安い。
 現実逃避を始めた頭の片隅ではやたらふかふかと押し付けられる双球だとか、大腿に擦り付けられる太股とかを意識しているがここまで切羽詰って入れば反応する事も出来ない。
 シナリオは安かろうとも俺はそんな安くない。

「ご主人さ……いいえ、ジークフリート。私、もう限界なのよ」

 だがどうやら設定的にはもうとっくに修羅場フラグが立っていて、いまさら手遅れだったらしい。
 なんて恐ろしい仕組みだ、逃げて回ってももう遅いと言う事か。
 もう嫌だ、俺は何も考えないぞ。
 以下ダイジェスト。

「だから二人で逃げましょう、何もかも捨てて」

「へえ、……貴方たちやっぱりそう言う関係だったのね。ふふふ、あら可笑しい……あはははは

 この私をバカにして、絶対に許さないわ殺してやる。そんなに二人で居たいなら居させてあげる、あの世でねえぇーーっ!!」

「良い子ぶりっこの化けの皮が剥がれたわね、それが貴方の本性ってわけ? 大した女優さんね、シュヴェーゲリン様?

 貴方を殺したいのは私だって同じよ、この泥棒猫っ!!」

「わんわんっ!!」

 いやお前は参加しなくて良いから。
 かくして一人の男が露と消えた。



「ぎゃああぁぁああぁぁっ!?」

 夢か。
 いや、当然夢でない筈無いのだが。
 取り合えずあの後は生きたまま首一つで世界一周させられた、誰ととは言わん、もっとも強かった女だ。

 今はとにかくアンナにどう言うつもりでこんな重大な利敵行為を犯したのか問い質さねばなるまい、と冷や汗でべっとりと張り付いた服に身を切る様な寒さを感じながら考えた。

「ど、どうしたのジークフリート?」

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

「ブ、ブレンナー?」

 何故か起きてもメイドコスプレをしたブレンナーがそこに居て、俺と目を合わせた途端に凄絶としか言い様の無い微笑みを浮かべた。
 何も知らぬ者ならば聖母の微笑みと称するであろう穏やかな表情。
 しかしその実は狂した復讐者が仇を皆殺しにした後に血に濡れたまま漏らす嗤いであった。

「何か悪い夢でも見たんですか、ご主人様?」

 それはまるでまだ夢は終わって居ないぞと語っている様にすら見えて、目に見える形で現れた恐怖が全神経に恐慌をきたしはじめた。
 あ、もうダメ。
 だからホラー駄目って言ってるじゃ無いですか。
 耐えられなくなった俺はぷちりと自ら電源を落とす様に気を失った。
 今日もまた昼食からですね。



 これは後日アンナに聞いた真相と言うか何と言うかだが、裏ではこう言う会話があったらしい。

「酷いと思うでしょう? いくら私でも女のプライド全否定されたら黙って居られないわ」

 先日の『嫌いですな』発言を実は根に持っていたブレンナーはアンナに話を持ち掛けた。
 要約すれば最近あいつ調子乗ってるからシメようぜ。

「へえ、そう言えばあいつ、結構怖がりなのよねー、懲らしめるのは案外簡単だわよ」

 アンナも何故か乗り気で一にも二にも無く、この話に飛び付いたそうだ。
 そして始まる大淫婦と魔女のサバト。
 練り上げられて行く女の恐ろしさを効率良く知らしめるためのシナリオ。
 安っぽさはハマり切っていれば関係無いと思っていたらしいが、俺が掛かりが悪いのに気付いて急遽強引な展開にしたらしい。
 つまり傷は浅く済んだ、と言う訳か。
 戦乙女の友情出演に関してもトラップで、あれだけ否定していたのに彼女を優遇するようなら容赦はしないつもりであったらしい。
 まさかエッちゃん追加するつもりだったのでは。
 いや、やめよう。
 瓢箪から駒、嘘から誠。
 何が起こるか分からない。

 要するに女は怖いって事で

「だからお前は無いってんだブレンナー」

 こうして俺は日本人の美徳、思っては居ても当人の前では決して口に出さない、を思い出したのであった。



[16642] L∴D∴O_XII.Hrozvitnir
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/03 11:27



 エッちゃんの粛清事件、悪夢、幽霊騒ぎ、様々なトラブルに擦り切れつつあった俺はある日、何をするでも無く自棄酒をやっていた。
 エーレンブルグ事件から泥酔事件を繰り返す事、数回。
 翌日キルヒアイゼンが烈火の如く怒っていたり、ルサルカに縛られて磔にされたり、エーレンブルグが爆笑していたり色んな事があったが、とうとう肝機能を掌握したのだ。
 ちょっと飲み過ぎたって問題無い。
 そんな風に油断しまくっていると何とシュライバーがやって来て捕捉されてしまった。

「やっ、こんばんは、お兄さん」

 エーレンブルグにでも聞いて来たのだろうか。
 酒をかっ喰らって居た所にやって来て、不気味なくらいにこにこと笑いながら席向かいに座ったシュライバーが、その笑顔の裏で何を考えているのやら推し量る事は全く出来なかった。

「あー、酌でもしてくれんのか? 何を話すにしても出来れば素面の時にお願いしたいんだが」

 まだ酔ってはいない自信があるが顔は赤くなっているかも知れない、こんな状態でこの凶獣と相対して機嫌を損ねない自信は全く無い。 

「あぁ、気を遣わなくても平気だよ。酔っ払い相手に真剣になっちゃうほど子どもじゃないし」

 良く言うよ、人格破綻者集団黒円卓随一のキれた野郎が。神父並に信用ならない。
 とは言ってもあんまり強情に断って大変な事になっても叶わないし、ここは俺が大人になってだな、折れておこう、怖いし。

「お酒呑めるんだよね、美味しいの?」

 呑めないの?
 色々と無茶な設定を押し通している様なシュライバーはこの手の小器用な、と言うか一発ものの宴会芸が出来ない筈無いと思っていたんだが。

「いや、美味いよ。努力の末に手にした宴会芸だからね」

 凄惨な日々を超えて来たのだ、呑めないわけが無いし、美味くも無い物を呑む由も無い。

「へえ、呑めるもんなんだね。頭の良いお兄さんみたいな人なら出来るのかな」

「いや、俺もそんな細かい理屈で考えてるわけじゃ無いぞ。要するに、酔わない様に邪魔をする聖遺物を乾坤一擲、気合いで黙らせてアルコールを通す様にしただけだし」

 なんとか中尉殿はどうやらまだ出来ない様だが、無事に呑める様にどれほど掛かるやら。
 くくく、酒に呑まれて苦しむのは私だけでは無いぞ。

「ふぅん、じゃあぼくにも出来るのかな」

 そう言ってグラスを取りに行ったシュライバーの小さな背中を見て聞こえない様に溜息を吐いた。
 今すぐ試そうと言うのだろう、出来れば俺の居ないところ誰も居ないところでやって欲しいものだが悲しいかな、それは俺の細い肝では叶わない勇者の行いだろう。
 彼ならきっと成功するだろう、そこは問題無いのだが逆に、上手く行き過ぎて酔っ払ったシュライバー少佐の相手をする自身は無い。
 彼のグラスに注がれていく赤ワインの芳香がいやに血生臭い。

「えーっと、確か、あー、あー、そぉいっ!!  だったよね」

 思わず噴き出しそうになってグラスをテーブルに置いた、カツンと際どい音を立ててワインが少し零れそうになる。
 流行らせるなエーレンブルグ。
 一息に並々と注がれたワインを飲み干すシュライバー、それを戦々恐々と見守る俺。

「ああ、たったこれだけなんだ。安心したよ、お兄さんは結構頭が良いと思ってたんだよね」

 無事と言うか何と言うか成功させて僅かに顔を紅潮させたシュライバーが笑った。少々飲み過ぎた様だが問題も無さそうで、流石に大隊長閣下だと言ったところ。
 しかし今のところ一度も、にこにこと微塵も笑顔を歪めない様はあのシュライバーだ、と言う事もあって実に空恐ろしい。
 何もなければいつだって機嫌が良く見えるシュライバーだが、逆に言えばそれはつまり何時おかしくなるか全く分からないと言う事だ。
 タイマー表示の付いてない時限爆弾と同等の恐怖だ。いつ爆発するか分からないし、一時間後に爆発する場合も一秒後に爆発する場合も感じる恐怖はほぼ同等。
 未知への恐怖、ゼノフォビアと既知の未来で誰かは表したのだったか。

「そうでも無いかな、多少物覚えが良いのは事実らしいが頭の良さは人並じゃねえかな」

 半ば酔いながらもそうやって感じている事をおくびにも出さずに対応出来る俺は凄いと思う。
 ただ何時まで続けられるから分からないから早く終わって欲しい。

「じゃあさ、あの人の席に座ったのもバカだからなのかな」

 にこにこと、事ここに至ってなお笑顔が歪まない。

「……そうだな、お前兄弟……は居ないだろうから、例えば母親の席に座る時、何が怖い?」

 こいつの前で母親の話は危険だろうか、大丈夫であって欲しい、酔っ払いの話に真剣ににならないと言ってたし。

「えっ?」

 ようやくシュライバーの表情が変わった、とは言え、そこにあるのはこいつは何を言ってるんだろうと言った顔か。
 真性ラインハルトシンパのこいつにはラインハルトと他の人間を同じレベルで扱う例え話は理解し難いかも知れない。

「……たとえそいつが怒るとめちゃくちゃ怖い奴でも、椅子に座ったって怒らないって分かってるんなら怖くないだろう、それと同じ事だよ。俺はラインハルトが怒り出すのは少し怖いがラインハルトの席に座るのは怖くない、怒ったら怖いってのはそいつが怒るのが怖いんであって、そいつ自身は怖くない」

「それだけかい?」

 他に何が有るんだろう、あの場ではメルクリウスに対する挑発と言う意図もあったがそれを聞きたい訳では無いだろう。
 そう言う意図で俺は肩を竦めて、テーブルのワインを干した。

「だから俺は向かいだからってヴィッテンブルグ少佐の席には座らなかっただろうね、あの人は俺が座ったら怒ると思うから」

 貴様、良くもこの様な下衆の匂いを私の席に付けてくれたな。許さん、公開処刑だ、安心しろ消し炭も残さぬ様にこの世から焼き消してやる、とここまで想像に難く無い。怖い、死ぬ。

「は、ははは」

 やっぱり地雷を踏んだだろうか。

「ははははは、あははははは、そうだよ母さんは怒るけどあの人は怒らないんだ。ぼくは悪くない、悪いのは母さんであの人はいつだって正しいんだ、あは、アハハハハハッ!!」

 あ、やっぱり怒られたんだ。
 逃げた方が良いかな。
 エッちゃん少佐辺りが止めてくれたら良いんだけど、自業自得だ、精々逃げ惑うが良い、とか言って見捨てられそうだ。

「あーあー、少し落ち着いてくれよ。頼むから」

 これで落ち着いてくれなかったら逃げよう、恥も外聞も無く命あってのモノダネだ。でないと本当に何が起こったかも分からない間に瞬殺される。

「ん? あーあー、ごめんごめん。ちょっとうるさかったよね」

 そう言う問題では無いのだが、分かってくれないだろうか、分かってくれないだろうな。
 ほんの僅かな時間で凄まじく渇いた喉を潤そうとグラスに手を伸ばし、口に運ぶと何も流れ落ちて来ない。先程干したために空になっていたのを忘れていた。

「あぁ、お代わりかい? はい、どうぞ」

 と妙に手馴れた様子でサービス良く酌をしてくれる。
 おいおい、俺あのシュライバー少佐に酌させてるよ。明日、ってか次の瞬間死ぬんじゃねえか?
 でも半分理性が回ってない俺は有り難うと言いながら有り難く少佐殿の酒を頂戴する。安酒なのに妙に美味く感じつつも、どうしても血とか精液とか、と言うか髑髏の盃をイメージしてしまうのは何故だろう。これが雰囲気で呑むと言うやつだろうか。

「いやぁ、気に入ったよ、ジーク。君は思ってたよりずっとオカしいんだ、あはは、君みたいな人と一緒にあの人の下に居られたら楽しくなるんだろうね」

 --何がお気に召したのか、いまいち理解出来ないんだがどうやら随分と気に入られたらしい。

「残念だが俺はラインハルトには……」

「分かっているさ、君がそう言う人だって言う事はね」

 ああ、

「いやぁ、残念だなぁー、あの人の臣下でも無いならどうだって良っかなんて思ったのに、酔っ払いに真剣になっちゃいけないんだよね」

 つまり、それは酔っ払って無ければ俺は死んでたって事で

「そうそう、酔っ払ってる今なら話は別なんだけど、

 酔っ払ってない時に会ったらどうなっちゃうか分からないから気を付けてね、お兄さん」

 嵐の様に来て嵐の様に去っていくシュライバーを見てしかし俺は安堵の溜息を吐いた。
 たとえまた来ると分かっていても台風が過ぎ去れば皆安堵するだろう、出来ればもう二度と来ないで欲しいが。
 やっぱり、最初に逃げておくべきだっただろうか。
 注がれたばかりの酒を呑み干しながら懊悩した。



[16642] L∴D∴O_null.Urlicht Brangane
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/04 10:58



 ジークフリートが慌しく私に会いに来た時、彼は直前まで仕事をしていたのか余程慌てて居たのか、手入れの行き届いていない黄金の髪がボサボサに跳ね上がっていて、まるで獅子の鬣の様だった。
 男の癖して私並みに綺麗な白い肌には薄ら汗が浮かび、いつもはどこかつまらなさそうな色を帯びた目が、何かに不安を感じている迷子の子どもみたいに落ち着きが無いのが可笑しかった。

「ライヒハートが死んだ」

 そう言ったジークフリートはまるでそうなるべくしてそうなった、と言わんばかりに揺るぎ無くてあまり悲しんでいる様には見えない。
 無二の親友とは言えぬまでも気の置けない知己と言った風体の二人は、何時だってぼんやりと何処でも無い所を眺めてつまらない事を話して居たり、二人で居るのに何も話さなかったりと傍目からは珍妙極まりない関係であったが、少なくともこのジークフリートに取ってあいつはかけがえない存在だっただろうに。

「まぁ遅かれ早かれ誰だって死ぬんだし? あいつは早かった、私たちはあいつより遅かった、それだけの事じゃない?」

 そう言った自分は何を考えていただろうか、こと死に対してこんな物言いは自分らしく無い、それだけは良く良く理解して居た。
 きっとジークフリートもそう思っただろう、私らしく無いと。
 そんな想いから何故か逃げたくて私は慌てて話題を反らした。
 ところで今カチンと来たのはなんでかしら、まるで年のことを言われた時みたいな。

「……ところで、貴方こそ大丈夫なの? 大っぴらじゃ無いにせよ、随分と危ない橋渡ってるみたいじゃない。色々と不思議なんだけど、貴方そんな事する人だっけ?」

 本当に色々と不思議だ。
 一体何を考えているのやら。
 こいつは日頃は流れに身を任せる様に飄々と生きている、そんな風にしか見えないし見せない癖に、近頃はまるで突き動かされているかの様に命を賭けている。

「ん、何の事だろう。ちょっと多過ぎて分からないな」

 しかも心当たりが多過ぎて分からないらしい。
 一体何をしているのやら。
 まさか私とこうして会うのが危ない橋だ、なんて言うつもりじゃないでしょうね。

「偽造身分証、劣等を次から次へと逃がして回っているみたいじゃ無い? 私はわざわざ全滅させるのも面倒臭いから別に構わないけど、ゲシュタポはそうは思わないでしょう?」

 別に劣等だからどうこうとはいまさら言わない。
 こいつは下手なアーリア人より余程アーリア人らしい姿をしている癖に、この選民思想の只中にあって人種の違いも分からない様な男なのだ。
 だが、だからと言って顔も知らぬ他人のために命を賭ける様な人物でも無いし、もしそうするとしても偽造身分証なんて方法は考えないだろう。
 むしろどうやって国境を大っぴらに大人数で闊歩するか考える方だ。
 私はこれで中々こいつを良く理解していると思うから多分間違いないだろう。

「いや、何と言うかね、決まり事の様な気がして……要するに、俺は前はこんな事をしていたんじゃなかったっけ? そんな既知感に従ってるだけだよ」

 それなのに、こいつはそんな事を言うから私は思わず影を起こしてしまった。
 もしかしたら私はあいつに見せてみたかった非日常を今、こいつに見せてその代償としているのかも知れない。

「なんで、あんたまでそんな事を言い出すの? ジーク、私分っかんないの。あんたまで感じる様な既知感ってなに」

 既知感。水銀と黄金が度々口に出すそれ、それを何故この日常が口に出すのかが分からない。
 突如として激変した環境に敏感に反応したか、きょろきょろと油断無く周囲を見回す様はまるで小動物のそれだ。
 一目見て私はそれに安心したと言って良いだろう、こいつは既知感を語る事を除けば兄にその才の多くを奪われた小市民に過ぎないのだ、と。
 ーー油断無くですって?
 突如として脊髄を通って脳の深部へ噴き上がる違和感に私は目を細める。

「さて、俺にとっちゃ産まれる前から慣れ親しんだものだから。他の人はなんて言ってたんだ?」

 何事も無かったかの様に話し始めたジークフリートが良く解らなくなり始めた。
 影、影、影。
 人喰いの影の海のただ中、浮き島よりも心許ないその一点に立つジークフリートはしかし取るに足らないものを見る様な目で食人影を眺めて居る。
 そんな態度を取れる様な生き物が本当にただの小動物なのだろうか、食人影の脅威について自信を持っていただけに尚更分からなくなる。
 先ほどまではジークフリートと言う星の大きさも距離も明るさも速さも、簡単に測れたのに今は良く解らない。見失ってしまった。

「知らないわよ、あんた達の言ってる事なんて分かんないわ。既知って何よ、バカにして、どうせ私には分かんないわよ」

 そうよ、そんなあんたなんて知らない。
 叫びは言葉にならない。
 何が起こっているのか分からない、分からない事が腹立たしくて悔しい。
 どうしてあんたみたいな退屈に追い越されなきゃなんないのよ、あんた自分は何の変哲も無いただのジークフリートだって言ってたじゃないの、と、だがそんな事は悔しくて言えないし言いたく無い。

「その達ってのがどう言う面々かは聞かないが、そいつらは良く分かって無いんじゃないかな。だってこう、ぼうっとして何も考えてない時に無感情な気分になるのに理由ってあるか?  そんなもんだろ」

 誤魔化された、直観的にそう感じた。
 信じられない、嘘吐きでは無いと思っていたがこの後に及んでこの魔女を謀ろうと言うのだ。
 いや、魔女だからこそ、なのか。
 出会った当初から魔女殿と良く口走っていた男の顔を見る。
 以前と何も変わらない……様に見える唇の左端を吊り上げた品の無い、しかしそのどこか超然として見える不敵な微笑みは、そも最初から既に私が魔女である事など知っていたから改めて恐る必要など無い、と語って居るのでは無いだろうか。
 馬鹿馬鹿しい、既知の何と詰まらない事か。

「そう、そうかも知れないわね。あーあっ、馬鹿らし、聞いたって教えてくれないんだもん」

 天を仰ぐ、屋内に居たのは不運だった。これではあの天上に輝く星どもが見えないでは無いか。
 だけど、だからこそ見る事も叶わない星が妬ましくて

「でも、もう一つだけ聞いても良いかしら」

 男を見る。
 もしかしたら黎明から今まで正面切って目を合わせた事が無かったかも知れない。
 獅子の鬣の様に跳ねた金髪、凍てつく水面の様な青い瞳、血色の良い唇の端から犬歯の覗く様な育ちの悪そうな表情さえ無ければ、間違い無く絶世の美丈夫とも言えるその顔が何よりも気に食わない。
 どうしてジークフリート・ハインツはこんな顔をしているのよ。

「なんであんたはこの状況で平気で居られるの? なんであんたがそんな目してられるのよ。そんなんじゃまるで……」

 まるで……。
 その先を口に出せば何か認めたく無いものを沢山認めてしまう気がして、言えなかった。
 ただ訳も分からず精一杯、彼を脅し付ける。
 お願いだから怯えて、腰抜かして、涙流して謝って欲しい。

「だからさ、前にも言った事無かったか? 既に知っていればどうって事無い」

 でもこいつは魔女の技能を既に知っていると言い、

「Yetzirah-- 形成

 だからね、私が教えて欲しいのはどうしてあんたがそんな事を知っているかって事なの」

 水銀の毒、その真髄を見てなお揺るがなかった。
 それは既に知っているから?

 影に、拷問器具に、非日常に囲まれて嗤うジークフリートはあいつが愛した刹那のものでは有り得ない。
 それどころか、何処にでも居る様な一山幾らの存在ですら有り得なかった。
 取るに足らない退屈に過ぎないと思って居た泥塗れのそいつの目は、今はまるで息を潜め身を隠す狼のそれ。今にも私に飛び付き食い殺さんとしている様にさえ見える。
 血は争えないと言う事か、こいつは本気になれば十点とは言わずとも八点、九点の領域には立てる筈なのに手を抜いて三点、四点を取っていたのだ。
 私は今の今まで自分でテストの点数を落として見せる様な奴が居るとは思って居なかった。
 いや、そう言う事もあるだろうとは思っていたがこいつがそんなものだとは考えもしなかった、考えたくなかった、だから今の今まで見損なっていた。

 こいつは泥に沈んだ地星だと思っていたのに、本当はそんな風に様に見えるだけの、地平線の先にある天星だったなんて。

 それに気付いてしまえば私はもうアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンでは居られない。
 こいつの足を引っ張る泥水(ルサルカ)でありたい。
 だって、今の今まで走って後ろを付いて来てると思ってた奴が実は走って見せてるだけでゆっくり歩いてたなんて許せない。
 何よりも私は認められないのだ、こいつが何も知らぬ振りをしてあいつと友人ぶっていたなんて。

 その直後に茶化して口説かれて仕舞ったのには流石に呆れたが。
 こいつはそんな所まで揺るがないらしい。



 そしてあの日、ジークフリートは人間を辞めて私達の仲間になった。



[16642] L∴D∴O_ I & null.Heydrich
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/05 11:09


「覚えてるかラインハルト」

 何年か振りにラインハルトと会ってまず最初にした事は因縁への宣戦布告。

「いつかの夜、言ったよな。夢は見ているうちが華だ、小さなモノではそれを手にした途端にその輝きを失う。反面、大きければ大きいほどそれを追う人間に力を与えるが……」

 過去への決別。


「それを手にしたものは時に破滅する、ニーベルングの指環、ラインの黄金。そんな事を言っていたのだったな」


 旧秩序の崩壊。

「お前はそれを求め始めた、お前は必ず破滅する。だから俺もジークフリートをやってやる、てめえらの恐怖劇(グランギニョル)は俺の為の英雄譚(サーガ)だ」

 だとしたらこれもこいつのハガルの呪いなのか。


「見事な熱演だ、ハインツ。お前もようやく本気を出すのだ、それ位で無いと興が乗らん」





 自分の第二の名を知った時は溜息が出た物だった。
 前世同様、また優秀な兄に悩まされねばならないのか、と。
 しかも相手は歴史に名だたる"第三帝国の最も危険な男"だ。
 前の兄は精々が近所の奥様方に話題にされる程度、国家を一つ背負って立つ様な人間とは次元が違う。
 とは言え、それなりに努力する価値は有るだろうか。
 何せ今の自分には前世分プラスと言う貯金があらかじめ有るのだから、あるいは英雄になる、誰も届かず誰も並び得ない唯一となる、と言う願いが叶えられるかも知れない。
 その時はまだそう思っていた。

 自分がどこで折れたのか、良く覚えていない。
 手慰みに習ったトランペットでは兄のヴァイオリンに追従する事も出来なかった時か、フェンシングの試合で大差の下に惨敗した時か。

 それとも兄が史実の通りに"金髪のジークフリート"と呼ばれ始めた時か。

 努力はそれなりにしたと言って良い、生半可な努力など兄に並ぶ優秀な産まれには何の負荷にも財にも成りはしなかったが、"それ"を確認出来る程度まで粘ったのは間違い無く努力だと思う。
 だが、それで底が見えた。
 前世であれば、何か一つに打ち込んでいればあるいは世界をも取るに足るであろう優秀な天賦の才。前世分の補正も加えるならば間違い無く神童や麒麟児の領域にある。
 が、その程度。
 その程度では兄の底を測る事など叶わなかった。
 いや、何をやっても兄の底を測れないと言う事を知ったのだ。
 それで、折れた。



 ある日、兄と下らない話をする機会を得た。たまにしか無いが、それでもままある兄弟の語り合う情景。
 傍目には顔の良く似た兄弟が仲睦まじく語り合う様な姿。


「お前はこれより以降、どう生きるつもりだ」


 こいつの言い方はいちいち芝居掛かって居て癇に障る。これが弟に向かって掛ける言葉だろうか、いや、近世以前であればこんなものだったのだろうか。
 いずれにせよ、これより以降どう生きるつもりだ、等と哲学的にさえ聞こえる言い方など必要無いだろう。
 将来の夢はなんですか、とか就職どうすんの、で良いのだ、馬鹿らしい。
 こんな質問ではその意図が掴めないだろう。

「意味分かんねぇよ、もっと将来の夢とかなんとかあるだろ」

 それなのに自分から将来の夢に焦点を当てた様な答えを返したのは、それを聞いて欲しいと心の何処か、この魂の何処かで考えていたからか。


「そうか、済まない。ならば言い直そう、お前には将来の夢などと美しくも愚かしいものがあるか。聞かせてくれまいか」

 美しく、愚かしいと極大の蔑みを掛けた兄の表情はやはり何時もと変わらず、余裕とそして飢餓の様な色が見られる青い眼光が爛々と輝いていた。

「昔はな、俺にもあった」


「諦めたか?」


 そう聞いた兄には少しだけ意外だ、と言う音が含まれている様に感じた。
 果たして諦めたのだろうか、折れたのは事実だ、だが諦めると言うのとは何かが違う気がする。この魂が叫ぶのだ、俺はまだ諦めては居ないと。
 ならばまだ諦めては居ないのだろう。ただ、折れただけ。

「夢は良い、見ている間だけは華々しい未来を自分に約束してくれる。でも簡単に手に入れられる様なものは大した事が無い、手に入れた途端にただのゴミになる」

 手近な物ならば幾つか手にして見たのだ、だが手中にあるそれを見ると落胆を禁じ得ない。
 詰まらない、こんなものが欲しかった訳じゃない。直前まで光り輝いていたそれがまるで石ころに見える。
 そんな事が何度かあると欲しいと思った物、その全てが卑近にある様に見える。


「ほう、そうか。容易く手に入るものなどつまらんと言うのは然り、お前の言葉の通りだろう。だがお前がその様に感じていたとは意外だな、まるで……」


 まるで自分の様だ、と言おうとしたか。未だ自らの特異性に自覚的で無い兄は口を噤んだ。
 こいつは本気を出していない、こいつ自身がそれに気付いていない、いや、気付かない振りをしている。
 だがあえて気付かせるまい、こいつが人界で生きる権利を奪う必要なんか無い。俺相手に本気など出すまでも無い、と言う無自覚な態度には殺意すら覚えるが……。
 
「だから大きいものじゃ無いといけない、絶対に手に入らないくらいに。そんなものが俺にもあった、んだがね」

 それはあまりにも遠い。
 前世の縛りなのか、俺には兄と言う存在を超えられない。そんな呪いが掛けられている様にさえ思える。
 そして近付けば近付く程、自分の背にある翼では届かないと言う事を強く印象付けられるのだ。この翼では何時か溶け落ちてしまうだろう、と。
 兄は黙って聞いて居た、続きを促しているのだろう、こいつに取っても同意出来る話であったかのかは良く分からない。

「それを求めてるうちは良い。強い憧れ、魂の渇望は信じられないくらい力をくれる、だがそれはきっと修羅道だ。近付けば近付く程その身を焼くだろう、ましてそんな大きいものを手にしたら」

 そう、憧れに邁進した事もあるのだ。
 だが遥か前に自分より早いものが有っては自分は到達出来ない、産まれた順番の差がゼノンのパラドックスさえ引き起こしているのかと思える。
 自分がそれにどれだけ必死に追い縋っても、一人で勝手に引き摺り回され、皮は剥がれ肉は落ち骨が削られても届かない。
 いや、届いたとしてもこの命と引き換えになるだろう。
 そんな有様を幻視しては、

「時に所有者を破滅させる、ニーベルングの指環だ。いや、お前に言うならラインの黄金がより相応しいか。……結局、俺はそれが怖くて折れたんだ」

 折れるしかない。


「折れた、か。ならばどうする、飢えた狼が牙の痕跡を臼歯と偽り、鋭かった爪を削りひた隠し、羊となって生きるつもりか」


 そして、それでも立つ事の叶わない我が渇望、その遥か高みは隣に誰も居ない唯一無二の一点の、あるいは最早点すらも無い世界。
  そんな所に立ってまで、爪や牙を突き立てるには狭過ぎる世界で、翼を広げるには狭過ぎる世界で、究極の唯一に立とうとする様な生き物など、なろうとしなくて良い。

「飢えていれば良いだろう、それで満足出来ない奴なんか呪われた怪物だ。そんなものは最初から生まれて来ちゃいけないものだったんだよ」

 言い過ぎだろうか。
 だがこいつに向かって言うのなら、これこそが最も兄弟愛に満ちた忌憚無い忠言だっただろう。
 生まれながらにして俺の渇望を体現しているこいつが羨ましくて仕方無かった、そんな事に気付いてもいないこいつが憎らしくて堪らなかった。
 それでも何処かで俺はこいつを誇りに思っていたのかも知れない、でなければ忠告なんてする筈が無い。
 俺の兄貴は世界で一番凄いんだぞってか?

 要するに、予感はしていたのだ。
 単なる歴史上の偉人、ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒはこれ程までに尋常で無いものであったか。
 いくらなんでも圧倒的過ぎやし無いか、と。



 だからこそ、今ラインハルトの前に立っている。
 こいつは人間の屑だが、旧交の誼だ。
 地獄へ直走って居るなら止めてやるくらい構わない。
 癒えぬ病に苦しみ悶えて居るなら息の根を止めてやるくらい構わない。
 呪われた怪物に成り果てるならば英雄の様にぶつかり合って始末を付けてやったって構わない。
 因縁浅からぬ仲だ、止まらなくなって仕舞ったのなら止めてやる。

「生まれて来ちゃいけないものが産まれてしまった、なら誰かが退治しなければならないだろう。そもそも、尋常ならざる怪物を倒すのは英雄の仕事だ」

 思えば報われぬ原光など巫山戯た名前を付けたものだ、愛されざる光と揃って光だとでも言いたいのか。
 欠乏のルーンは破壊のルーンの次に位置する、ハガルが9ならニィドは10。
 ブランゲーネはトリスタンとイゾルデの登場人物、俺はどうやらトリスタンの仇を討つクルヴェナールになる資格すら無いらしい。
 奴の皮肉にも、こいつと比べられるのも、もううんざりだ。

「聖槍十三騎士団黒円卓序列外ジークフリート・ハインツ・ハイドリヒ=ウルリヒト・ブランゲーネ」

 だから、この名にかけて

「黄金にかける願いはただ一つだ。絶対に兄(てめえ)を越えてやる」

 お前を助け/殺してやるよ、クソ兄貴。


「良いだろう、何時でもかかってくるが良い。ハインツ、我が弟」




[16642] L∴D∴O小話、椅子破壊活動
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/01 11:02


  『椅子』

 ヴァレリアン・トリファはその日、折り悪しく双首領と同席して居た。
 常日頃から機嫌良く見える超然とした態度の黄金の獣は、トリファの目から見ればどうにも今日は何処か機嫌が悪そうで肝が冷える事この上無い。
 反面、水銀の王は逆にさぞ機嫌がよろしそうに窺える事が更に肝を冷やす。
 ダブルで二乗オトク、トリファの元々太くも無い肝臓は恐怖と言うか不安と言うかその両方で自家中毒を起こし掛かっていた。


「して、カールよ。そろそろ聞かせて貰えぬか、なぜハインツを黒円卓に加えた? あれの能力如何は今更問わん、熱意も認める、だが我が同志足る狂気が無かろう」


 確かに疑問であった、彼は人間が本の様に感じられる凄腕サイコメトラー・ヴァレリアン・トリファから見ても案外そこいらに居そうな人物に過ぎない。
 ちょっと一頁目がニートコロスニートコロスと五月蝿くて、ちょっと文字がダブりまくってるだけだ。
 表層はいつも常識的な人物である、多少他人に掛ける思いに自覚が無い様だが。

「親愛なる獣殿、私だけでは無く、やはり貴方も誤解して居られたらしい。あれは雌伏の時を待っていただけだ、自らを最も高め得る機会、彼が彼の渇望を満たし得る舞台、ただそれを求め雌伏していた」

 (と言うか双首領閣下にここまで言わせるとかどんだけですか)
 多分に贔屓目が入っている様だが、そもこの二人に贔屓目で見られる事が尋常で無い。


「ほう、私だけでは無く卿でさえ見誤るか。自分は折れた等としおらしい事を言っていたあれを見て、飢えた狼が羊を目指し始めたかと嘲笑ったものだが」


 だが嘲笑われていたらしい。
 分からない、ウルリヒト卿と黄金の獣、この二人の関係性が余りにも良く分からない。
 仲が良いのか悪いのか。
 本人達は自分達は仲が良いと言っているが、そんな風には決して見えない。

「折れたなど自己欺瞞に過ぎんよ。折れて羊に成る様な男に貴方の席に着き、破壊のルーンを侮る事は叶わぬ」

 ここで水銀は言葉を切り、ちらと神父に目を遣った。にやり、と音さえ聞こえて来そうなその視線に色々と一杯一杯であったトリファは滝の様な冷や汗を流し始める。

(あわわわわ、エラい事を聞いて仕舞いました。なんと恐ろしい事をなさるのだウルリヒト卿。こんな事がザミエル卿やシュライバー卿に知れたら)


「主の不在に乗じて玉座を乗っ取るか、面白い」


 くくく、ふはは、そんな嬉しそうな笑い声に、半ば諦観の域にさえ達し歪み切った笑顔で釣られて笑うトリファの脳は割とヤバい感じにキマって来ていた。


 その後、金銀の仲良し2人組が盛り上がっているのを尻目に首尾良く逃亡を成功させたトリファはいつもの笑顔を貼り付けた能面を青褪めた死面(パッリダモルス)させて一人歩く。
 もはや後ろに小柄な人物が一人居ても全く気付かない程度にはテンパっていた。

「不味い事を聞いて仕舞いました、まさか副首領閣下はこの事を言って回るお積もりでは。あああ、ウルリヒト卿唯一の友人として何とかお助けして差し上げたい所ですが」

「なにしたんだい?」

「首領閣下の椅子に着き、ハガルを侮ったと聞いておりますが」

「へぇー……」

「ってシシシ、シュライバー卿!? 何時からそこにいらしたのですか?」

「不味い所、からかな」

「全部ではありませんかっ!! あああ、お許し下さいウルリヒト卿。……シュライバー卿、どうかこの話は聞かなかった事にーー」

「あはは、出来る訳が無いじゃ無いか。こんな面白そうな事、ベイにも教えて上げなくちゃね、きっと喜んでくれるだろうなぁー」

 後が怖くなるほど上機嫌なシュライバーはにこにこと笑いスキップしながら去って行った、止める暇も無いし何と鼻歌まで歌っている。
 トリファの顔は最早死面はおろか腐り始めたトバルカインでさえ驚きの青さと引き攣り具合だ。
 せめてザミエル卿には知れない様に立ち回らねば、下手をすればウルリヒト卿の激怒で私の首が危うい。そう考えたトリファは慌てふためきながら走り始めた。

 それでもキルヒアイゼン卿なら、キルヒアイゼン卿ならなんとかしてくれる。そんな小さな希望を胸に抱いて。


「……と、言う訳なのです。出来ればザミエル卿には知られぬ様、それとなくフォローしては頂けませんか、私の身の安全のためにも」

「はぁ、……ふふふ、それは良い事を聞きました」

「はっ?」

「ところで話は変わるんですけどトリファ神父。この間ウルリヒトがヴィッテンブルグ少佐に私刑を加えられそうになってたから助けて上げた事があったんです」

「はぁ……」

「後で無事かなーなんて思って様子見に行ったらリザさんに向かって『俺はキルヒアイゼンの事は何とも思っちゃいねえ』なんて叫んでるんですよ、非道いと思いませんか?」

「はぁ……」

「だから、私言い付けちゃおうと思うんです」

「……はっ?」

「貴重な情報、ありがとうございました。口の軽い神父様」

 春の日射しの様に暖かな満面の笑みを浮かべながら巫山戯て敬礼までするキルヒアイゼンと、どこかしら凍り付いて人生の冬がとうとう始まったと言わんばかりのトリファが良く対比になっている。
 あまりと言えばあまりな結果に唖然として言葉も上げられないトリファ。
 非常に上機嫌になって鼻歌まで歌いながら去って行くキルヒアイゼン卿。

(ウルリヒト卿、これは自業自得ですよ)

 結果として自分がバラして回った事は棚上げして、一人の神父が一人の男の未来のために涙した。
 彼の水銀に掛けられた呪いは近しい者から死んで行く、結局彼が何をしたとて見える罠を踏みに行く様な行為にしか成り得なかったのだ。
 しかしその涙は邪な聖者と渾名されるとは思えないほど、美しいものだった……かも知れない。




「計画通り」


「どうかしたか、カールよ」


「いや、ジークフリート君は面白い男だと思ってね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  『活動(笑)』

 名前すら忘れられた者は息を顰めていた。
 むしろ自分の事は忘れてくれ、とさえ言わんばかりに縮こまり物陰から物陰に渡り歩く様に、より矮小に、より小物らしく。
 日頃より常在戦場の戒めをし、危険が自分に気付かぬ様に気配を殺して生きるソレは今、何時もより更にその存在を小さく押し込めていた。
 なぜならば

「ベイベイベーイ、ベイ中尉殿ーっ!!」

 彼が恐れて止まない本物の化物の一人、シュライバー卿があまりにも上機嫌に美しい笑顔を無料で一般公開しながら走っていたからだ。
 その光景を見たソレがおっ魂削たショックで心臓が三日ほど休暇を請求する程に上機嫌、当然棄却したが何度もこんな事が有っては堪らない。

「んだぁ? シュライバー、今からやろうってのか? いいぜぇ、今日こそブッチめてその綺麗な顔を肥溜めにブチ込んでやらぁっ、ヒィーヤッハァッー!!」

「やらないよ?」

「あ、そう。んでなんだぁ? 随分ゴキゲンじゃねえか、ジークフリートにでも可愛がって貰ったかぁ?」

「そのお兄さんの事なんだけどね、さっきクリストフから聞いちゃったんだ。彼、ハイドリヒ卿の椅子に座ってハガルのルーンを馬鹿にしたんだって」

 ひいいぃぃっ、とソレは誰にも何にも聞こえない様な極小の音で悲鳴を上げ、図らずも自身の主と同じ様な事を考えていた。

(あわわわわ、エラい事を聞いて仕舞いました。なんと恐ろしい事をなさったのですかウルリヒト卿。こんな事がザミエル卿に知れたら)

  しかし時既に遅し、ソレの主は半人半魔の魔王の飼い犬に言い付けてしまっている。
 後の修羅場は最早半ばまで確定されてしまっていた。

「んだとぉ、あいつァどんだけ調子こいてんだオラァ!!」

「ぼくに言わないでよ。で、許せないよねぇ」

「あぁ、許せねえなぁー」

 どこぞの真っ赤な暁も真っ青になるほどに凄まじい勢いでヒートアップする二人を見て、これ以上に過敏性の胃腸を虐待されては堪らぬとソレはやはり気配も無く何処かへ去った。


 存在すら忘れられた者は息を顰めていた。
 むしろ自分の事は忘れてくれ、とさえ言わんばかりに縮こまり物陰から物陰に渡り歩く様に、より矮小に、より小物らしく。
 日頃より常在戦場の戒めをし、危険が自分に気付かぬ様に気配を殺して生きるソレは今、何時もより更にその存在を小さく押し込めていた。
 なぜならば

「少佐、少佐ーっ!!」

 彼が恐れて止まない本物の化物の一人、ザミエル卿の忠犬、キルヒアイゼン卿があまりにも上機嫌に美しい笑顔を無料で一般公開しながら走っていたからだ。
 犬耳犬尻尾の幻まで見たソレが心癒された衝撃で脳髄が三日ほど休暇を請求する程に上機嫌、当然棄却したが何度もこんな事が有っては堪らない。

「なんだ、キルヒアイゼン。随分と元気では無いか、少々扱きが足ら無かった様だな。よかろう、ならば特別に追補を施してやる、来いっ!!」

「そんな事より聞いて下さいよ、少佐」

「そんな事よりとは貴様、訓練を何だと心得るかッ!! あのジークフリートでさえ常にそこそこの訓練を自らに課し、日々鋭く研ぎ澄まして居るのだぞ!!」

「えっ、少佐にそこそこって言われる自己鍛錬って……。そのウルリヒトですけど、彼、首領閣下の椅子に座ってハガルのルーンを馬鹿にしたんですって」

 ひいいぃぃっ、とソレは誰にも何にも聞こえない様な極小の音で悲鳴を上げ、図らずも戦雷の乙女と同じ様な事を考えていた。

(あわわわわ、あのザミエル卿にそこそこと評される自己鍛錬とは、どれほどに恐ろしい自虐行為でしょう……)

 しかしその実彼に取っては大した事は無く、少々日々窶れて行っているに過ぎないのだがそんな事は魔王や戦乙女の知った事では無い。
 後の修羅場は最早半ばまで確定されてしまっていた。

「ほう、やはり見所のある根性をしているな、あの男、やはり常時活動などと言う重石では物足りぬらしい」

「ですよねー、って、えっ?」

「ジークフリートを呼んで来いキルヒアイゼン、貴様共々私が直々に鍛え直してやる」

 どこぞの真っ赤な暁も真っ青になるほどに凄まじい勢いで真っ青になるキルヒアイゼン卿を見て、これ以上に過敏性の胃腸を虐待されては堪らぬとソレはやはり気配も無く何処かへ去った。


「あああぁぁ、丁度良い所に来ましたね、シュピーネ。実は折り入って頼みがあるのです」

 折角ソレが必死扱いてまで命を賭したデス隠行をようやく看破したのはソレの主だった。
 ソレの名はシュピーネ、誉れ高き聖槍十三騎士団黒円卓第十位ロート・シュピーネ。
 そしてソレの主は後に黄金聖餐杯となるヴァレリアン・トリファ。

「どう言った御用件でしょうか、猊下」

「わたくし、本日ウルリヒト卿にとても悪い事をしてしまいまして」

「ひいいぃぃっ」

 恐ろしい光景を二度も連続して目に焼き付けられてしまったシュピーネは最早名前に対して条件反射の如くに恐れ入ってしまった。
 ウルリヒト卿怖い。

「どうかしましたか?」

「いいい、いえ、お気になさらず。それで私に頼みたい事とは」

「後日正式に、丁重に謝りたいので日取りを確認して頂きたいのです、直接伺うのは恐ろしくて」

 上司と上司の板挟み、そんなものをシュピーネは感じた、胃腸がキリキリと痛む。
 上司でも部下でも無いジークフリートを上司と例えている事そのものが彼の謙虚な体質を表していると言える。
 しかし結局の所、彼は崇敬する神父の頼みを断れなかった。


 シュピーネは自身の主に頼まれた通りに会談の日取りを尋ねるべく、ジークフリートの様子を窺っていた。
 シュピーネに取って野心家宰相の如くに獣の玉座を乗っ取り『ブサイクハガルだな』などと水銀の王に直接言ったり、筋金入りの軍属主義に凝り固まったザミエル卿にすら厳しいと言われる程の訓練を自己に課したりする様な危険人物は、出来れば見たくも無い程に恐ろしいのだ。
 だが見なければならない。
 しかと、その恐ろしい人物の機嫌を損ねぬ様に彼の上機嫌な瞬間を見て、見て、見抜かねば成らない。

 しかし当のジークフリートはシュピーネが見れば見る程に機嫌が悪くなって行く様に見えた。
 黄金の切れ長の眉が顰められ、日々眉間の皺が深く多くなって行く。
 飢えた狼の様な青く澄んだ瞳は常に油断無く周囲を窺い、まるでシュピーネと言う憐れな獲物を探している様にさえ思われた。

「何故このわたくしがこの様な目に、いや、おかしい。何故わたくしがウルリヒト卿を恐れねば成らないと言うのです、あの方は未だ活動位階、対して私は形成位階、まさしく格が違う。恐る由などありません」

 活動(笑)
 六十年の後、この油断こそが彼の命を奪うのだが彼は気付かない。同じ事を幾億も繰り返したとて気付かない。
 だからこその発奮であった。

「……少々よろしいでしょうか、ウルリヒト卿」

 その声がまるで蚊が無く様な声なのは彼が見るからに危険なものには強く出られない賢明な性状をしていたからに他ならない。
 かくしてソレの悲劇は一先ず幕を閉じた。



[16642] L∴D∴O?_VI.Zonnenkind
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/07/11 11:22



 少し贅沢をしてビジネスクラスで乗っていても柔らかい筈の旅客機の席は狭くて何より腰が痛くなって来る。大柄な体格が災いして居るのだろうが妙に座りが悪い。
 あまりにも退屈で、無聊を紛らわすべく頼んだコーヒーは既に二桁に届いているし、読む本なんて用意していなかったから読むものも無い。
 撮り溜めた写真は搭乗する直前に全て処分したし、そもそも航空機内で取り出してなんだかんだするには少しショッキングな内容だと思う。
 特に意味も無いのにカリカリとしていて、隣に座る頭の禿げ上がった男性に随分怯えられている様だし、今、こうしてコーヒーを届けてくれた添乗員も心無し顔色が悪い様に思われる。

「お客様、お加減がよろしく無いのでしょうか。なにか御座いましたらお申し付け下さい」

 どうやら臨界点を超えてしまったらしい。
 それはそうか、なにしろ獣面の金髪赤眼が苛々と落ち着き無くしていれば普通は何だこいつは、となるだろう。
 ああ、しかし、落ち着かないのも当然か。
 何しろ──九十年振りの日本だ。
 こうして話し掛けられたのも何かの縁だろうから、俺の最初の母国語はこのお嬢さんに聴かせてやっても良い。

「いや、失礼。なにしろ、こうして日本語を使うのも日本に行くのも、殆んど二世紀跨いでの事になる、今は夜も眠れない想いなんだ」

 はぁ? 等と迂闊に漏らした添乗員の女性の顔が何だか可笑しくて、とうとう堪え切れずに笑ってしまった。
 そう、実に195年越しの帰郷となるのだ。
 2010年から1905年へ、そして1905年から1995年への。



 入国審査の際に少々厳つい顔立ちのお兄さんに挟まれて手間取ってしまったが、ほどなくして無事に通る事が出来た。
 本当に武器弾薬はおろか寸鉄一つ身に付けずにやって来たので、偽造パスポートに気付かれ無い限りは決して問題にはならない筈だ。
 その偽造パスポートを取ってもそれなりに歴史のある連中が設えたもの、今更ここでアラが出る事は無かった。
 あったらどうしようとは思ったが。

 目的地までは電車で向かう事にする。
 元日本人とは言えど土地鑑のあるわけも無く、五十年間殆んど使うことも無く、されど定期的に扶助機関から搾り上げた資金はそこそこ潤沢だったが、タクシーの運転手と喋り合いながらのんびりと座っているよりは、一人で自前の足を使いたかったと言うのが大きい。
 若干、乗り換え順が分からずに往生したが。

 目的地は都市部にある訳では無かったので少々面倒だったが柔らかくも無いが固いとも言い切れぬ電車の座席に着いて、ふらふらと時間を掛けて複雑な感傷に浸っている中では時間はそう長いものでは無かったらしい。
 幾度かの乗り換えを経ながら、やたらとせせこましくて細々とした割に海が無ければ360°どこを見ても山がある不思議な日本の風景を眺めていると、そう間もなく目的地の名を告げる車掌のアナウンスが聞こえてきた。
 妙なもので、俺にとっては俺の感傷など美女と過ごす五分には及ぶべくも無い筈なのだが、何故か恐らくはその五分と同等以上の速度で時間が過ぎ去ったらしい。

『次は諏訪原〜、諏訪原。お降りの方はお忘れものの無いよう……』

 運命の日の十一年前、本来であればこの諏訪原に来る意味など無かった筈なのだがあの女が妙に男受けが良いから仕方無いのか。
 惚れた、等と言うつもりなどは一切無いがその一方でどうしても脳裏に惚れた弱み等と考えるのは俺が悪いのか、それとも他の何かが悪いのか。
 ただ、この名状し難い思いやその他諸々、取り敢えず得体の知れぬ熱の根源は直接あの女に拳とともに送る事で解消しようと思う。



 駅前を抜けると太陽がちょうど頭上から光を浴びせてきて、金色の前髪がきらきらと照り返すのに思わず目を細めた。
 出来るだけ日陰を選んで歩いているとその街並みはやはりどことなく既知感をもたらすものであった。
 歩いた事も無い筈なのに生まれる既知がまた感傷を強くする。
 そう言えば前に自分が生まれ育った街もこの様なこれと言って見るべき所の無い地方の街であったか、間違い無くこの諏訪原よりは人気の少ない町だった筈だが。

 ……………。

「教会ってどこだろう」

 道を知らないんだった。

 活動の範囲内で誰か知った声でも捉えられれば何処に居るのか分かるので聞きに行くなども出来るのだが、どうやら教会では誰も喋っていないらしい。
 所詮、音を操る音を聞くと言った方面にしか利かないので静かな所を探るのには全く向かないのだがブレンナー辺り喋らないのだろうか。
 喋らないだろうな、あのブレンナーが神父と二人で大した用事も無いのにぺらぺらと喋っている姿が思い浮かばない。

 平日の日中なのが悪いのか街に行く人々が少なく、無人の町の中で自分が何かに一人だけ取り残された様にさえ感じる。
 実際には、声はそこかしこから聞こえて来るのだが。
 しかしそうやって漸く見付けたお婆さんなんかに何気なく話し掛けても、見るからに外国人の偉丈夫に怯えてかもはや腰が引けてしまっていて会話にならない。

 それでどうせなら複数人に纏めて尋ねた方が効率がよろしかろうかと判断し、近くで一番人が多いらしい公園、にくっついている児童公園に向かう事にした。
 きっと保護者が何人かいるだろう。

 陽光の射し込む公園で幾人かの子ども達が仲良く遊んでいる光景を見て、なぜか眩いものを見た様な気持ちになって目を細めてしまった。
 残念ながら大人の数は少なく、その内の二〜三人は警戒するような目でこちらを見ている。
 その姿勢は日本人の国民的な排他性を差し引いても正しいものかも知れない、間違い無く俺は"違うもの"なのだから。

 しかし、それでは困るんだよな。などと自嘲的に笑いながら大人達の方へ向かおうとすると、ふと児童公園の隅の方、ちょうど公園の木立ちとの境の辺りのベンチに一人の少女が腰掛けて居るのが目に入った。
 きらきらと光る銀の髪は自分の金の髪と好対照で、水色の様な灰色の様な淡い色のパーカーと白っぽいスカートを履いたまだ幼年の少女。
 自分と同じように眩しそうな目で楽しそうに遊んでいる子ども達を見ている姿に何故か既知感の様なものを覚えて、引き寄せられる様に彼女の方へ歩き始めた。

 少女はまだ俺には気付いていないらしくずっと子ども達を見ている。
 この年頃であれば普通は耐えられないほど一緒に輪に入って遊びたかろうに、まるで自分はその場に相応しく無いとでも思っているかの様な眩し気な瞳が妙に気に食わない。
 直前までの自分の心情を鑑みれば同属嫌悪とも感じられるが、それよりはむしろこの子が満たされていないのが許せないと言う様な妙な気分。

「一緒に遊ばないのか?」

 まるで糾弾する様な言い方になってしまったのは失敗だった、どんな心理作用が働いたのやらよく分からないが自然にそうなったのには参った。
 一瞬寂しそうな目をして見せて、ゆっくりと俺に目線を合わせた少女の顔には困惑の様なものがあった。

「……おじさん、だれ?」

 その可愛らしい、今はまだ可愛らしくていつかは綺麗になるのか、未来永劫俺には可愛らしくしか見えないのか分からないが、贔屓目無しに整い尽くした花のかんばせに心地良い既知感を覚えて、自分の意思ではどうにもならず頬が緩むのを感じた。
 傍目からは顔が綻んだ、と表する様な姿で見えただろう。
 何故か体の中心の、その奥底から湧き出る衝動──父性愛とでも言えば良いのか、に逆らえなくて

「ジークフリート・ハインツ・ハイドリヒ。君の叔父さんだよ。玲愛」

 至極あっさりと、自らの正体を白状してしまった。

 本当であればこの子にこんな事言うつもりなど無かったにも関わらずだ。



「よく分からないけど、叔父さんは私のおじいちゃんの遠い従兄弟? みたいな人なんだね」

 全然違うけど、まぁ一親等の隔たりを遠いと評するならそうだね。

「じゃあ叔父さんは私の叔父さんで良いの?」

 そう言って小首を傾げて、パッチリとした目を上目遣いに青に黒を帯びた紫っぽい瞳で見上げる玲愛。

「玲愛がそれが良いのなら何でも構わないよ。玲愛がお父さんになって欲しいって言うならお父さんになってあげるしお兄さんになって欲しいならお兄さんになってあげよう。流石にお姉さんやお母さんは許して欲しいけど」

 と言うか何だかこの子が望むならなんだってしてあげたい気分だ。
 今ならラインハルトだって叩き潰せるくらいに不思議な活力に浮き足だって力に満ちた様な気分。

「じゃあ妹で」

 だが、妹になるのは無理だ。
 その発想は無かった。

「妹か、そうか。難しいな、妹が欲しいのなら幾らでも作れるんだけど」

 問題は母親だよな、場合によっては玲愛にお母さんだよと紹介する事になる訳で。
 ……ブレンナー?
 いや、ないない。

「じゃあ叔父さんは今日は何しに来たの?」

 しかし激しく懊悩して思索する俺を余所にあっさりと話題を切り替えて尋ねて来た玲愛にずるっと座っていたベンチを滑ってしまった。

「妹はどうでも良いんだ……」

「叔父さんにお姉ちゃんって呼ばれるのはちょっと」

 想像して見る。
 玲愛よりも小さい俺が女装して、玲愛お姉ちゃん、なんて。
 あぁいや、六歳くらいの頃当時なら有りだったかもね。

 俺がやっても怪物の顕現にしかならないな、仮に第三者が居れば間違いなく警察とか自衛隊に通報するだろう。

「まぁ、俺もそれは……。今日は玲愛に会いに来たんだよ」

 本能的に玲愛の機嫌を取りにかかった俺は間違いなく色々と手遅れだろうと心の中の冷静な部分で感じる。
 ああ、ダメだ。
 多分、傍観者として今の俺を見たならば瞬時にこいつはダメだ、と判断するであろう姿。

「お世辞は要らないよ」

 こんなつまらない小さな言葉一つで胸が痛む。
 こう、グサッて具合に胸に突き刺さるのが良くわかって憂鬱でさえある。
 武器も言葉も同じ様に人を傷付けるんだよ、玲愛。

「……まぁ、軽く用事があってね。今となってはどうでも良い気がするんだが、やっぱり義理とかあるから何もしません、じゃダメかなと思ってね」

 ベアトリス?
 ああ、そんな奴も居ましたね。
 なんか会いたくないなー、って思ってたし良いんじゃないか。

「チョコレート?」

 一人しようもない回想と反省に浸っていると玲愛が予想だにしない反応を持って来た。
 義理から来たのだろうか、義理から連想される言葉がそれしか無かったのか良く分からないが、玲愛は疑問に答えて欲したがる少女そのままに上目遣いで俺を見ている。

「食べたい? ちょっと買ってこようか、十万円位までなら……」

 あまりなんの義理なのか、用事とは何なのかを聞かれたくなくてチョコレートに焦点を当てに行く。
 俺が玲愛くらいの年頃はチョコレートだとか飴玉だとかが大好きだった、玲愛が好きかは知らないが甘いものを美味しいね等と言いながら食べるのも悪くないだろう。
 なにか桁がおかしかった気がするがその程度なら構わないか、十万のチョコレートって何だよ食べた事無いよ。

「充満?」

 発音が妙なのだが、充満と言っていないか?
 なんで義理は分からなくて充満は分かるんだ。
 いや義理にしても分からないフリ、と言うよりは電波でも受信した反応だったのか。

「チョコレートで充満したらちょっと大変そうだ。鼻血が出るから気を付けないとね」

「じゃあ叔父さんは私に会いに来たんじゃないんだね」

 何故充満なのかよく分からないままに、それらしい事を言って話を合わせてみたらまたしも唐突に話を戻された。
 あまりにトリッキーなコース取りに追従し切れない。
 これは不味い、大人のプライドにも似た心の奥底にある何か譲れないものが揺さぶられる様な焦燥が生まれて胸の内で騒ぎ立てた。
 何と言うか良いかっこしたがりの本能が喚き立てるのだ。

「さっきから俺の中では玲愛に会いに来た事になってるんだけど」

 どうやら俺には女性をたらし込む才能は無いらしいと言うのは身に沁みて思い知っている。
 ただこの程度の陳腐なセリフでも言わずにはおれないのだ、何もせずに浮気性で通っていたラインハルトには負けたくないし。
 英雄色を好む、と言うし構わないだろう。うん、許せベアトリス。

「さっきまでは違ったんでしょ?」

 だからこそ、

「さぁ、昔の事は忘れたな」

 昔の事は忘れた、そんなものより大事なのは今こうして目の前に居る玲愛だろう。

「大人って汚い」

 俺の言った事をその場凌ぎの御為ごかしだと感じたのか玲愛の冷たい視線と冷たい声色が堪らない。
 なんで自虐的になった直後に被虐的な快感の意味を知らなければならんのだ、何やってるんだおれ。

「玲愛には俺が死ぬまでは綺麗な子どものまま居て欲しいね」

 この子は割と長じても大きな変化の無い子だと思うが。

「女の子に夢見過ぎだよ」

 しかし俺の幻想を破壊すべく放たれた凄まじい既知感を覚えるその言葉は五十年ほど前に誰かに言われた様な気がして、一気に力が抜けた。
 もっとも、これまでもどれだけ力が入っていたかは甚だ疑問だが。
 玲愛に名乗って以来ずっと弛緩し切っていて、後ろから何者かに襲われれば何も出来ずに倒されるであろうほどに緊張出来ていない。

 今はまだ大丈夫だが、これからもずっとこの調子では困るかも知れない。反省せねば。

「……そんな言い方、誰に教わったんだ」

 ベアトリスか、ブレンナーか、ルサルカかしか分からないのだが。
 ベアトリスが玲愛にそんな事をわざわざ教えるとは思えないし。

「夢見過ぎだよ」

 やっぱりブレンナーか。

「ブレンナー潰す」

 聞こえない様に呟いたつもりが予想外に大きな声になった様で、それを聞いた玲愛はただでさえ大きな目を更に見開いて

「リザを知ってるの?」

 と尋ねた。

 おめめがくりくり可愛い。

 ……なんだ今の幼児語。

「教会を探してたからね」

 実はまだどこか分かっていない。
 まともに運営して居る教会であればそろそろ鐘の音が聞こえて来てもおかしくない気がするが聞こえて来ない。
 いや、まず第一に鐘がなっていても聞こえていなかっただけなのかも知れないが。
 鐘の様な遠くまで響く様な物音が聞こえないと評するのは少なくとも五十年振りだ、何と言う事だ。

「やっぱり私に会いに来たんじゃないんだね」

 ショックです落ち込んでいますと聞こえる声音を隠しもせずに、そう言って何故か今にも泣き出しそうな目をして見せて顔を伏せる玲愛。
 演技だと分かり切っているのに大焦りして慌てて

「玲愛に会うために教会を探してたんだよ」

 と答える俺。

 ダメ過ぎる構図だ。
 ベアトリスやルサルカが見れば確実に呆れ果てて物も言えぬと肩を竦めて溜息を吐くだろう。
 何故かベアトリスがそうして居る態度が脳裏に描けなかったが。

「リザじゃなくて?」

 目元が潤んで少し紅潮した顔を僅かに上げて上目遣いに恨めし気に睨み付けてくる。
 確かに死ぬほど可愛いが、てめえ手に目薬隠し持ってるのが見え見えなんだよ、と言うか目薬常備してるのかよ怖いよ。

「ブレンナーはどうでも良い」

「じゃあどうでも良くない女が居るんだね」

「……女ってこんな小さくても勘が良いのな」

 聞こえない様に独り言で呟く。
 それはどうでも良くないが出来れば玲愛には突っつかないで貰いたい所にも違いない。
 浮気を詰られる男の気持ちとはこんな感じなのだろうか、複数人の女との関係を維持出来る人間を嫌でも尊敬してしまう。
 そう言えばラインハルトは浮気公認状態だった様な……。
 今非常に悔しくなった。

「そうだね、少なくとも玲愛がどうでも良いとは口が裂けても言えないな」

「私は叔父さんの事どうでも良いかな」

「んがぐッ……………!!」

「うそ、冗談」

 この子は何故に齢一桁にしてかくも悪女なのか、本当に恐ろしくなる。
 このままブレンナーに教育を任せて良いのだろうか、俺とて教育に王道など無いと信じているのもあって誰かを、ましてかけがえの無い姪っ子を立派に育てて見せますなどとは口が裂けても言えないが。
 ブレンナーよりマシでは?
 こう言う手合こそが俗にウザい父親などと言って世間一般の年頃の娘達に蛇蝎の如くに忌み嫌われ排斥される典型なのだろう、そう自覚していても尚、悪女に任せて悪女を育てさせるよりは良いのではと考えてしまう。

 どうだろう?

「叔父さんウザいね」

「はぅあっ!!」

「私、リザの事は嫌いじゃないよ。だから大丈夫、叔父さん私は立派な悪女になります」

「ダメだって!! なったらダメ!!」



 退屈な感傷に浸っている時の時間の足の速さなど、やはり美女との楽しい一時とは比ぶるべくも無かったらしい。
 気がつけば西日が寂寥を感じさせる様な色味を帯びて五時を差そうとする時計の白かった文字盤を赤く染め上げ始めていた。
 楽しそうに遊んでいた子ども達も見守っていた親に連れられてか、夕食が出来上がったのでわざわざ公園まで呼びに来たらしい親に連れられてか、あるいは一人でか、想い思いに帰途に着き始める。
 そんな中でその事に気付いた俺と玲愛は自然に口を閉じてしまい、軽い静寂が黄昏の公園に訪れた。

 寂寥感の原風景とも言って良い様な光景、日本人の多くがこの光景に満たされた空虚と静寂を知っていると思う。
 玲愛がこれをどう感じているかは知らないが、少なくとも俺はこの公園をこれから先忘れる事は無いだろう。

「……そろそろ帰る時間だけど」

 こう言う口にこそ出さないがお互いの中にこの刹那を終わらせたくない気持ちが強い時、言いたくない事を言うのはきっと大人の役目だろうが帰りたくない、と思ったままで大人のセリフを言葉にするのは実に勇気がいった。
 やはり俺はまだまだ子どもなのか、誰でもこう思うのか。
 ただ純粋に、時が止まれば良いのに、と思ってしまった事が悔しい。

「うん」

 さきほどまで柔らかに微笑んでいた愛しい花が頭を垂れて萎んでしまうのを見るとどうしても胸が痛む。

「ブレンナーが心配するかも」

 俺はブレンナーの事なんざどうだって良いし、玲愛だって多分少しくらい心配させておけば良いと思っているのだろうが、そう言う問題でも無いだろう。

「うん」

 玲愛の今にも消え入りそうな小さな声が、人が居なくなって余り時間が経っていないために未だ揺れるブランコの軋む音に掻き消されてしまいそうで、この子にこんな声を出させた奴を叩き潰してやりたくなる。
 ただの自殺だが。

「そろそろ帰ろうか」

 自分が泣かせるのは良いんだよ、と頭の中だけでも最低男になりきって見ると何故か死にたくなった。
 プレイボーイってのは凄い生き物なんだな、と橙に焼け付く夕陽にしみじみと思う。

「今日は帰りたくないの」

 突然、玉の涙を散らしながら夕陽と紅潮に仄紅く色付いた白い肌に怒りとも嘆きとも取れぬ表情を張り付けて、澄んだ声を張り上げる玲愛。
 手元にある目薬が可愛……可愛いけど、どうして寸劇が始まるんだろう。

「ああ、今晩は寝かせないよ」

 公園に誰も居なくて本当に良かった、とりあえず合わせるにしても他のセリフが出て来なかったのだ。
 危うく通報されてお巡りさんのお世話になるところだった、幸いドイツ時代と違って俺が捕まってもラインハルトのお世話になる事は無いが、気不味い事には変わりない。
 と言うより最初からしてちょっと君の年頃には早過ぎるだろう、どう言う事だよ。

「やだ……叔父さんのロリコン」

 更に頬を赤らめてちらと目を合わせてから伏せるように逸らすように傍らの地面を見る玲愛。
 取り合えずなぜこんなにも百面相が板についているのか非常に気になる、将来は絶対女優として食っていけるよ玲愛。

「さぁ帰ろうか」

「……うん」

 実のところロリコンって言われて少し傷付いたんだが、そんな言葉教えたの誰だ。
 本当にブレンナーなんだろうな。
 叔父さんは許しませんよ。





[16642] Durst_1.eins
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/07/11 11:53



 老齢、と言うにはまだ若い、壮年の紳士が幾人かの男達を世にもつまらないものを見るかの様に睥睨している。
 上等な──絹だろう、燕尾服を麻で作るものは居ない──衣装に身を包んだ男の、その視線は、いかにも生来の乱暴な気性ゆえに食い詰めて、生来の乱暴な気性を活かした職種に就く男達にはとても容認し得るものでは無かった。
 彼の、そして彼らの目の前に紙切れが山と積まれて居なければ、だが。

「これで足りるだろうか。なに、紙幣が信用出来ぬならば金などの現物で支払っても構わん」

 正気か、と、燕尾服の男の言葉に、目の前の金に目をギラつかせた男たちも一瞬、耳を疑った。
 男たちは賞金稼ぎだ。
 傭兵、と言えば聞こえが良い。何でも屋と言えばそうだろう。
 要するに金の為ならば殺しでも厭わぬ人種。
 明日には人目の少ない、薄汚い路地の裏で生ゴミに変わり果て、荼毘に伏すだけの燃料すら惜しまれ、荒野に捨てられてもおかしく無い身。
 それに対して即金で、あるいは現物で、莫大な報酬を掲示するのは、誠意だとか仁義だとか、そんな麗しいものでは無く、ただの間抜けだと言って過言では無い。
 相手を見誤れば持ち逃げされるに決まっているのだから。
 故に、

「あんた正気か?」

 そう簡単には信用出来ない。
 だからと言って、山と積まれた金を強奪する事も叶わない。

 燕尾服の男は丸腰同前。
 サーベルらしき刀剣を差して居るし、どうやらそれが飾りで無い事は、男が剣士と呼ばれるに相応しい腕前であるらしい事は、武道の武の字も知らずただ暴力のみに身を任せて来た男たちにも分かる。
 だがそんな事は男たちには、注して目を向けるに値するべき情報では無い。

 男たちの手元には十二分な"火力"があったからだ。拳銃でも自動小銃でも、小機関銃や対戦車砲まである。
 あくまで幻想では無い現実に生きる男たちは、歌劇やお伽話の如く頼りないほどに細い剣の一本で、銃器で武装した人間をばったばったと切り倒す、などとは信じられないからでもある。
 今、この交渉の場にはほんの五人ほどしか居ないが、呼べば聞こえる様な距離で彼らの仲間たちがまだ十名ほど控えているのだ。
 男たちがその気になればすぐにでも燕尾服の男は身体中に空いた新しい廃液口から煙と赤い液体を噴き出す事になる、それだけの自負とさえ言っても良いほどの自信があった。

 であるならば男たちの警戒の理由、その主眼は燕尾服の男の正気、である。
 もし狂気に浸っているのならば、彼が持ち掛けた儲け話ごとお帰り頂く事になる。
 もちろんあの世に、だが。
 それだけ男たちが狂人の持ち掛ける話に、文字通り、ある種の狂的な危険を見ていると言う事だ。
 狂人の言う作戦が常人に実現出来る由も無いと言う事でもあるし、血と、硝煙と、狂気の渦巻く世界にあって頭のイカレた人間には関わるな、と言う不文律に従っていると言う事でもある。

 逆を言えば、燕尾服の男が未だ正気を保っているならば、それだけ旨味のある話でもあると男たちは考える。
 それが正気の沙汰ならば、それはまだ男たちの領域だ。
 燕尾服の男の持ち掛ける"作戦"が多少無茶であろうと、自分たちで何とかしてやれば良いのだから。

「正気だと思うがね、なに、たかが男一人、罠に嵌めて殺すだけだ。油断の出来ない相手であるとは言え、いつもの君らであればお安い御用では無いかね?」

 それも臆病風に吹かれて居なければだが、と付け加えて燕尾服の男はくつくつと薄く笑った。

 その様子からして、決して男たちを信用していると言う訳では無いのだろう。
 となれば莫大な報酬の訳は、燕尾服の男が、彼の男を殺す事にそれだけの価値を感じている、と言う事だろうか。

 直観的に、男たちはこれが私怨の類いである、と理解した。
 そして燕尾服の男が、明日はどうなっているか甚だ怪しいとは言え、今日の所は未だ正気でいるらしい、と言う事も。

 この時点で男たちは自分達が騙されている可能性を捨てている。
 仮に騙すつもりなら魔窟にも等しい男たちの寝ぐらに単身乗り込んで現金を大量に積む等と言う、狼に山羊を狩らせるために羊の肉をくれてやる様な事はしないだろう、と言う判断。
 そんな事をする人間が居れば間違い無く狂人だろう、と。
 もし狂人なのであれば先の直観と矛盾している、男たちはこれまで自分達を生存せしめて来た直観の方を信じた。

 男たちが黙考を始めると、それを敏感に察してか燕尾服の男も表情を抑え、押し黙る。

 先ほどから男たちを代表して交渉に望んでいる一人が、燕尾服の男から受け取った薄茶けた写真を見た。
 正面からでは無く、どうやら離れたところから隠れて撮影されたらしき写真は、どう見ても被写体本人の了承を得てのものでは無いだろう。
 男たちにはあまり見慣れぬ、しかしこの辺りであればどこにでもある様な荒廃した街並みを歩く男の姿がそこに写されていた。
 短く切られているにも関わらず跳ね上がった黄金の髪と、薄暗い赤に染まった瞳が目立つ長身の男だ。
 写真は遠くから望遠で撮られたのだろう、男は写真に対して明後日の方を向いているし、撮られた範囲に対して男の割合が小さかった。
 燕尾服の男からはその名も聞かされている。
 男たちの間でも良く知られた、飛び切りの賞金首の名だった。

「この時代遅れの金髪ナチ公を、奴ら言う所のヴァルハラ送りにしてやれ、と、ただそれだけで良いんだな?」

 字面こそ修辞と皮肉に満ちているがいずれにせよ殺せば良い、と言う事で、それは男たちにとっては、まさしく朝飯前の簡単な仕事だ。
 彼らが受けた注文は、殊に念入りに、肉片さえ残すな、と言う事だったが、それも目の前にある莫大な報酬の前では大した違いは無い。
 豚の屠殺業者が莫大な金と引き換えに牛の屠殺を依頼される、その程度の差だ。牛刀など買えば良い。

「ヴァルハラ送りでは困るのだがな。可能ならば魂さえも遺すな、と言う事だよ」

 そう言うと燕尾服の男は、今度はクッと軽く鼻で笑った。
 男たちにはそれが何なのか知る由も無かったが、どうやら何か皮肉でも利かせた様であった。

 男たちは無言でお互いの顔を見合わせる。
 顔色だけで全員の意思の確認は終わる、そも、その場で乗り気で無い者など居なかった。

「まぁ確かに、お安い御用だよ。……その話、乗るぜ、フォーゲルヴァイデさんよ」

 燕尾服の男が藪を突いて蛇を出さねば良いがな、などと呟いたが、美味しい儲けばなしに沸く男たちの耳に届く事は無かった。



───────────────────────────────────────────────────



 陽の昇り始めた東の空を眠気で腫れぼったい目蓋を指先で揉み解しながら朝の支度を始める。

 ヒビの入った今にも割れそうな鏡を見ると良い加減見慣れた顔がそこに合った。
 煌めく金色の髪は酷い癖っ毛で寝起きなどは特に逆立って居る事が多い、今朝も例に漏れず逆立ち獅子の如き様相を呈していた。貴重な水を使って念入りに梳かし付ける。

 自慢では無いが整っていると言って良いだろう顔は、ライヒハートなんかと並ぶとそうそう映えるものでは無かったが、それでも十分に女子の目を惹いていたと思う。
 あまり持て囃された覚えは無いのが不思議だ。目付きが悪いのだろうか。
 身長はおよそ180cmほど、詳しくは覚えていない。三代遡ってもアーリア人を標榜していたSS隊員達の中にあっても、突出はしていないもののそう引けを取る事は無かったのだから十分に背の高い方だろうか。

 そんな見慣れた自分の姿の中で一つだけ見慣れないものが、この赤黒く染まった赤銅の瞳だ。
 渇望に近付き本質に近付いたためか、前世の黒と今世の青がよく分からない具合に混ざったか、それとも獣に迫らんとする執念のためなのか。
 赤眼と言うものは一般的にもあまり気持ちの良いものだとは思われていない様だが、実際に自分の目が赤く染まってしまうと何とも苦々しい思いが抑えられない。

「はぁ、やめやめ、馬鹿らしい」

 毎朝の様にこんな事を考えていれば馬鹿らしくもなるだろう。
 ここまでは半ば習慣と化した日々の通例であった、別にこれが無いと一日が始まった気がしない、と言うほどでも無いが。

 今朝の朝食は極めて簡単なもので済ませる事にする、すなわち乾パンとコーヒーとザワークラウト。
 ちゃっちゃと水を沸かしながらコーヒーメーカーをセットして淹れる、キャベツと乾パンは鞄の中だ。
 巨大なクラックが上階から下階に向けて走る壁に持たれ掛かる様に置かれている棚、更にその上に置かれた鞄から餌を取り出して食卓、と言うのもおこがましいボロテーブルに並べる。
 食べる、不味い。
 慌てて淹れておいたコーヒーで流し込んで一息吐く。
 先日この酢キャベツを買い溜めして置いたのは果たして正解だったのだろうか、酢味と合わないからか、あまり美味く無い。
 俺がキャベツ嫌いなだけだろうか、誰だ人様に向かってキャベツ野郎などと言った奴は。ドイツ人みんながウサギのごとくキャベツ齧ってると思ったら大間違いだ。
 やはり味噌にしておくべきだった。魂の半分は日本人で、日本人の魂は味噌だ。乾パンに付けたって多分美味い。
 結局インスタントコーヒーメーカーだけが我が身に唯一残された心の友であった。
 しかしそれに関しても、しばしば安っぽい苦味につい砂糖の甘みが欲しくなるのに、そんな気の利いたものは用意できないと言うジレンマを抱えている。
 基本的には酒も呑めないクセに不味いものはしっかりと不味いと感じる、全くもって不便な体だ。
 食える味さえしていれば多少汚れていようと、それこそ毒物でも問題無く食えるのが幸いなのか不幸なのか。
 メルクリウスはこの辺りもなんとかするべきだったんじゃ無いだろうか、霞食ってりゃ生きていられるとか。
 極端な期間で無ければ食わなくとも生きていけるのだから不味いものは食べられなくても構わないのに……、それならそれで諦めもつくと言う物だ。

 闘争の場を探してか、それとも兵士向けの雑誌など書いていた時期の名残か。
 近頃はあぶく銭を使い潰しては戦場に赴くというダメな生活が続いている。
 仮に戦闘に巻き込まれても逃げれば悠々と逃げ切れられる様な状態で、戦闘など殆どしていないから、日々心の赴くままにカメラのシャッターを切り、適当なところでネガを売ったり、フィルム代にも成らないと涙を呑んだり、ほんの気紛れでボランティアに協力したり、お礼だと言って貰った、温かいが美味くも無いスープに涙を呑んだり。
 やはり碌な生活はしていない、これが生きる死者の宿業か。
 あまりにも充実からかけ離れた生活を振り返るとやはり、あの時別れたベアトリスに着いて行くべきだったかと後悔する事もある。
 ブレンナーや、さりげなく多才なシュピーネを除けば、例外なく生活無能力なあの連中に日々の食い扶持が賄えるとは思えないので、多分オデッサだかなんだかに寄生してタダ飯をかっ食らっているに違い無いのだ。
 悔しい。
 日頃はこんな事はいちいち気にも留めないが、味覚的に飢えてきたためか、タダで他人が作った美味い食い物が食べたくてたまらない。
 
 ……当分、そんな機会は無さそうだが。
 孤独な身空を嘆くも、自らの少々、他人好きしないらしい性格が災いして、今すぐ"温かな食卓"だの"賑やかな食卓"だのを得るのは不可能だろう。
 情けない。

 まだ眠気が覚め切らないのか、うっすらと涙の滲む目に手を当てて温めながら、カメラと鞄だけ持って今にも崩れそうな準戦闘区域の寝ぐらを出ると、まずは"聞き耳を立てて"今すぐにドンパチやらかす気配は無いと確認だけして歩き始めた。
 やはり闘争の場を求めて居る訳では無いと思う。
 強くならなければ、と言う危機感はあるがエイヴィヒカイトは努力すればどうこう、と言うよりは時が来たならばどうこう、と言う成長の仕方が大半だと思う。
 だから未だ騎士団最弱級である事にも、あまり焦りはなかった。

 もちろん、魂の絶対量が絶対的な戦力差足り得るのは分かっている、既知にあるシュライバーを思えば疑いようも無いだろう。
 潤沢に過ぎる魂を全て渇望の運用と損壊した肉体の再生のみに費やす常軌を逸した行為。
 防御を捨てて再生に回すなんぞどんだけマゾなんだ。痛くないのだろうか。
 伊達にあのドS愚兄のペットに自ら進んで志願したわけではないらしい。

 幸か不幸か、俺の場合はこのエイヴィヒカイトを扱うにあたって、極端に燃費が良い魂を所持しているらしくその維持に悩んでいる訳では無い。
 であるならばわざわざ戦場に赴き手を煩わしてまでそこいらの雑魂を蒐集する気にはなれない。

 智泉の号砲特有の難点もある。
 妙に霊的装甲が薄いのだ。
 どうにも航空機の宿命なのかなんなのか、確かに二桁に乗ったばかりの極少数の魂では殆んど防御力が得られないのも頷ける話ではあるのだが。
 恐らく、俺では例え創造位階、加えて十八万、それだけの数を揃えたとしてもヴィッテンブルグ少佐より遥かに劣る硬度しか得られないのでは無いか。
 元より、偽槍を顔面で受けるなど冗談でも真似したくは無いが。

 いずれにせよ弱装甲が定め付けられた以上、速度を向上させるしか無いと思えど、形成位階のこの身では幾ら血反吐をブチまけて粉骨砕身しようとも精々が音の倍速、三倍速が限度。
 
 ならば道は一つしかないのだが──

 唐突に吹いた砂混じりの乾いた風を浴びて、ふと我に帰ると大きく溜息を付く。
 目下、数年来の悩み。

 自分はこのまま自らの渇望に目覚めて良いのだろうか。

 そんな感情の源泉がどこにあるのかも分からない不安感。
 まるで行き先の分からぬ船にでも乗せられている様な気分だ。
 なまじ船──エイヴィヒカイトの術理──が強固なために恐らくは必ず何処かに辿り着くであろう事が、また逆に不安感を煽る。

 創造位階にはまだ、到達していない。

 この到達は、メルクリウスの言った到達に値するのだろうか。



 今日は何をしようかと考え歩く道すがら、奇妙な噂を聞いた。
 付近の住民区がここ数日で突如としてゴーストタウン化したらしい、今そこに残っているのは何時から居たかも定かで無い荒くれどもだけだとか。
 ここから歩いて何時間も掛からない、との事で話してくれたものは次はこの一帯かも知れない、と不安気であった。
 妙に気になる。
 ゴーストタウンそのものは別に珍しくもなんとも無い、が"突如として"と言われると多少気になるのが、元、が付くとは言え、人間の性と言うものでは無いだろうか。
 幸い、興味本位で地雷原を嗅ぎ回ったとしてもちょっとやそっとの危険では危険足り得ぬ以上、そこに介在するキナ臭さは無視出来る。

 いかにも胡散臭い、と言う感覚はあるが身近な危険に対して疎くなっているが故か、その先にあるのが甘い花蜜なのか、それとも醜悪なハエトリソウなのか判別が付かない。
 運命の導きだ、などとでも言われれば信じてしまいそうだし、罠だ、と言われたその通りだろうと思う。
 全くもって痒いところは痒いままの"魔人"様だ。こう言った詰まらない点では人間であった頃とさほど変わらないか、劣るかと言った事が多い。
 吸血鬼同様、余計な燃料が増えている分、退化していると言っても良いのでは無いだろうか。

 「……様子見に行くぐらい、構わないか」

 考えた末に、呟いた。
 危険、ではあるがどうもそれが致命的になるとは思えない。
 ならば恐らくベイやシュピーネが手をこまねいて俺を待っている、と言う訳でも無いのだろう。
 とすれば、そこに居るのは普通に人間のみ、と言う事である。
 生身の人間に狙われる様な覚えは無いし、油断でもしない限りはまた無傷で帰って来れるだろう。

 俺はその状況を舐め切った上で、問題無いと断じた。
 いずれにせよ退屈な五十年を前にして、こうも面白そうな話を聞いて黙っていると言った選択肢など頭の片隅にも無かったのだが。



[16642] Durst_2.zwei
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/07/17 11:10


 ゴーストタウン、とは良く言ったもので、特に戦火の下にあるそう言った無人の廃墟は大抵少なくない数の死者が出ていて、それで住人が減った。
 と言うパターンが殆んどだ。
 そしてそう言う街であれば、何となく、あのスワスチカに似た異質な空気が漂っているものであり、目には見えないものの、何らかのの無念を残した魂がそこらを浮遊しているものだ、が。

「なにもない、か?」

 砂塵に塗れて黄色く染まった瓦礫の街を見れば普通の人間は何も無いと断じるだろう。
 何よりも、その街──街、と呼ぶのもおこがましいほどみすぼらしく、そして荒廃し過ぎているが──には、住人の生死を問わず、ほとんど人気が無いのだ。
 これだけ閑散として居ると多くの集団での生活に慣れた真っ当な人間は、逆になにも無い事への違和感や畏れを感じるだろう。

 他の黒円卓団員に唯一勝ると胸を張って言える人外の超聴覚では、多くは無いがしっかりと人の気配も感じ取れる。
 感じ取れるのだが、そう言った人々は要するに真っ当な人間では無いから、ここに居られると言う事に違いない。
 ここは盗賊や強盗団、脛に傷を持った連中が身を隠すにはもってこいで、いかにもご都合的で分かり易過ぎる格好の条件だ。
 怪し過ぎる、と言うデメリットを除けば、この区画は人間を相手にする犯罪者が寝ぐらにするには現在理想的なロケーションと言えるかも知れない。

 要するに、今この辺りには泥棒か人殺しかその両方か、そんなのしか居ない、と言う事で。
 人が居ないからこんな連中が集まったんでは無く、たとえば大物の武装集団なんかが現れたので一人また一人と住民が逃げ出した。
 と言ったところでは無いだろうか。

「あまり面白くない結論だが、エーレンブルグやルサルカが皆殺しにしたから、と言うオチよりはマシか」

 ルサルカならまだしもエーレンブルグだったら、あわやあわやと言う間に今頃には殺し合いにまで発展していたかも知れない。
 次があれば生き残る自信も、殺さない自信も流石に無い。
 それを思えば幸いだった。

 それにしても、もう少し何かある、と思っていたのだが……。
 少なくとも大通りの道路を半分ほど歩いた限りでは絶望的に何も無い、半分歩いて無いなら、もう半分を歩いても無い、と言う事だと思われる。
 あまり仲良く出来そうも無い現在の住人たちに妙な因縁を付けられても面倒だ、ここはもう諦めて、もう少し見て回ったら引き返すとしよう。

 そう思って見通しの良い大通りの交差点、恐らく街の中心部に当たるであろうポイントを渡ろうとした瞬間に、

 風切り音が聴こえて来た。

 空気が悲鳴を上げる独特の音は幾度と無く我が身で刻んだ事もある、紛れも無い、音の壁を突き破った際に生じる衝撃波のもの。
 本来、超音速で物体が飛来した場合、殆んどこの空気の悲鳴を聞き取る事は叶わない。
 ただし、それは音の観測者が、常人と比して"可聴域"が飛び抜けている場合を除く。

 およそ600メートル。

 それは音と聴覚を司る聖遺物を抱くジークフリート・ハインツの"耳"であり、全ての音を掌握し得る"可聴域"。
 つまり、その領域内。形成の能力の範囲内で発生した音は発生した瞬間にその正確な位置まで瞬時に把握出来ると言う事。
 なのだが、そもそもに油断し切って弛緩していた意識下では何故そんな音が聴こえて来たのかすら、咄嗟には理解出来ず。

 ──銃弾、銃身の長い、例えばライフルにより放たれたもの。

「狙撃か!?」

 音を聴いてここまで理解するのに、数刹那。
 その僅かな空白の数刹那が被弾するまでに十二分な時間、約0.5秒を稼ぎ切った。
 必死で首を捻るが、躱し切れず、大口径のライフル弾が側頭部を良い具合に掠める。
 小さなハンマーで殴打されたような強い痛みを伴う衝撃が瞬く間に頭部に浸透した。
 更に悪い事にどうやら当たりどころが大当たりだった様で脳震盪を誘発したらしい。未だ戦闘態勢に入り切らず白紙に近い意識が吹き飛び掛ける。

 何が起こっているのか理解も出来ずに落ちるのは不味い、と言う本能的な危機感でも維持し切れないような不意を討つ衝撃から意識を繋ぎ止めたのは、皮肉にもそこに更に浴びせかけられた追撃だった。

 ボシュ、と間の抜けた音と共に次から次に発射されるロケット弾の飛来する音が揺らぐ意識の狭間で聞こえる。
 対戦車砲だろう、安価で量産が利く代わりに真っ直ぐに進むだけ、と性能は高くは無いがしかしそれでも人間に向かって打ち込む様な威力の兵器では無い。
 それが多くは無いとは言え、数発。
 大抵の生物は生焼けに焼けた上に、不細工な挽肉になっている筈だ。

 少なくともマトモな人間を狙うならば、ここまでする必要は無い。
 つまり最初から黒円卓の"魔人"を斃さんとした集中砲火。
 これがエーレンブルグなら無傷で立っていただろう。あれはこの程度でダメージを受けるほど生半可な守りをしていない。
 しかし俺には──少ない魂、薄い装甲に悩む俺には到底無傷でなど耐え切れる由も無い。

 閃光に伴う熱、僅かに遅れて悲惨する衝撃波と重い金属の破片。

 その全てがダメージに換算される様な、五体が八つ裂きに引き裂かれるかと思うほどの衝撃を全身に浴びて、その場から数メートル吹き飛ばされた。
 全く同時だと思われる程に息の合った砲撃だったが、どうやら微妙にズレていたらしい。そんな詰まらない事を、どこか他人事の様に考える。
 それほど余裕がある、と言うよりはどうしようもなく余裕が無いために、命の危険を機敏に察した脳髄が加速状態に入った、と言う事なのだろう。

 ろくに受け身も取れず無様に砂と石の上を転げるが、辛うじて未だ五体満足であるらしい事は確認出来た。
 ──大丈夫、問題無い。ベアトリスの時は片腕が捥ぎ取られる所だったのだ、それに比べて何とこの痛みの軽い事か。

「……嘘だろ、まだ人間の形が残ってやがる」

 自己診断と自己暗示の中、容易に復帰は出来ず今にも消し飛ばんとする意識の片隅でサイレン音と共にそんな声が聞こえた。
 地面に俯せに叩き伏せられた、一瞬でボロボロになった体を、起こそうとするが予期せぬダメージに思うように動いてくれない。
 それでも膝を付いたままではあるが、上体を起こす事には成功した。

 見回すと瓦礫の隙間、崩れかけた建物の窓、扉、あちらこちらから、いかにも食い詰め者のまともな職ではまともな食事にありつけない様な荒々しい外見の男たちが姿を現し、そこに立っていた。

「……化物」

 と言う声が異口同音に聞こえてくる。
 随分と念入りな殺害方法を選択したものだと思っていたが、こちらの耐久力に関して知識が不足していたのだろうか。
 敵が殺し合いの場に立っていて、未だ俺が化物であると認識したばかり、である事に違和感を覚える。

 どうやら敵は最低でも5〜6人、人気のある音の発生源の数からして十数人は居る、加えて数百メートル以上離れた所に狙撃手が一人。
 どうやら近付いて来たらしいが、それだけ離れた位置から狙撃を成功させるとは随分大した腕だ、もしかしたら軍隊上がりなのかも知れない。
 狙撃直後にすぐさま潜伏場所を変えるセオリー通りの慎重な行動も、教導官でも居れば花丸を付けられるのだろうが。
 隠れ場所を変えるなら、もう少し静かにしているべきだっただろう、軍靴が砂を踏みしめる音、ただそれだけであるが、その現在位置はほぼ確認出来た。

 悪く思うなよ。

「……消し飛べ」

 生身の人間を狙うならば精度は数メートル以内もあれば十分、狙撃手の位置を確認した瞬間にその場を爆撃した。

 ドン、と腹に衝撃が伝わる。

 たった一撃とは言え、千ポンド級の爆撃。
 決して少なくない数の瓦礫や砂と共に埃に染められて黒ずんだ火柱が上がる。
 巻き込まれた人間はひとたまりも無いだろう。

 遅れて轟音が一帯に鳴り響くが、距離が離れているために、鼓膜を叩く音は爆発音と言うには弱過ぎて何処か彼岸の出来事の様ですらある。

 これで狙撃手は落とした。恐らく他にはもう居ないだろう。
 音を聞いてから対応するのが少々困難なライフル弾は、しかし俺の薄い守りでは無視するには危険だ。
 有無を言わさず抹殺では、あんまりだとは思うがこれから尋問も含めた戦闘の中で捨て置けるほど俺は強い訳でも無い。

「……お前たち、傭兵だな」

 当面のの安全を確保してふらつく足でゆっくりと立ち上がると、有無も言わさず齎された仲間の死に愕然として呆けている男たちに声を掛けた。
 こいつらには何が起こったか殆んど理解出来ていないだろう。
 だが俺が何かをした、と言う一点だけならば本能的な危機感を持った生き物には必ず理解出来るはず。
 先制攻撃を意識して緊張していた時ならばいざ知らず、魔法じみた大火力の攻撃を見てなおそれを意識しないで居られる様な動物などほぼ居ない。

「俺と言う個人を狙い撃ちにした上で、しかも確実に殺すために雇われたはずだ」

 狙撃、砲撃。
 二段構えの殺意からしてこいつらは盗賊では無いだろう。ここまでやれば貴重品の類いは大方お釈迦になっている。殺してしまっては身代金目当ての人質にも出来ない。
 賞金稼ぎだとして、ここまで念入りに攻撃する事は普通無いだろう。
 一応、とは言え黒円卓に所属している以上、もしかしたら自分でも知らない間に、生死問わずの一級賞金首にされているのかも知れない。
 しかし殆んどの賞金首は本人であるかも判別出来ないほどに死体を損壊しては意味が無いだろう、こう言うのは証拠として首級が必要だと思う。

 ならばこいつらは傭兵、なのだろう。
 何者かに雇われ、殺し方を指定された。
 いや、もしかしたらここまでしないと死なないぞ、とでも言ったのかも知れない。

 だが一つ疑問が残る。
 何故こいつらは俺の耐久力の詳細を知らないのか。
 もちろん、そんな事まで正確に知っているのは団員の中でも恐らくベアトリスとエーレンブルグのみであり、俺自身がどこまで固いのかなど知る由も無いのは当然。
 だが、こいつらの雇い主が黒円卓の実態を知っていて、それでいて殺そうとするなら、高々対戦車砲を浴びせかけた程度で死なない事は当然予測しているはずだ。
 なにせ、殆んどの団員は戦車や爆撃機と対抗してなお無傷で切り抜けるのだから。
 にも関わらず、俺が人外であると知っているらしい、この武装集団が、しかし俺が死ななかったことに驚くのには首を傾げざるを得ない。
 むしろ死にかけたことに驚くのが妥当では無いか?

「正直に言えば、血祭りに上げられる仲間が少なくなると思え、……一体、誰に雇われた? 一体誰がそこまで拘泥して俺を狙う?」

 そしてそいつは一体なにを考えて、正確で無い情報をこいつらに与え、にも関わらず俺を襲わせたのか。
 まるで俺に死なれては困るかの様な。

「あ、ああ、……俺らの太っ腹なスポンサーなら」

 怯えているのか、そこに何か良く理解出来ない感情が混じるものの、紛れもない恐怖で震える男がゆっくりと俺を指差す。
 恐怖に歪んでいる筈がそれが弱々しい笑みに摩り替えられ始めたのを見て、何故笑うのか、何故俺を指差すのか、と疑問に思う間も無く、


 ────あんたの後ろに居るぜ。


 全身の血液が氾濫するような恐慌と焦燥に駆られて振り返らんとした、その瞬間に、背の中心から一息に刺し貫かれた。
 焼け火箸を突き込まれる様な、否、氷の柱を差し込まれた様な、

「あ、がっ……」

 鳩尾から飛び出している刃はサーベルだとかそう言った細い刃物の類いであり、されどフェンシングで使われる様なものよりは幅広の堅固な構造の剣。
 恐らく決してそこいらで一山幾ら、と言った代物ではあるまい。美術的な観念から見ても名剣と謳われるに相応しいものでは無かろうか、言うまでも無い事だが、実戦的にも然り、である。

「ふむ、岩や鋼よりは硬いな。だがこの程度であれば切れる。しかしもっとも切りやすかろうこの男でこれでは、あの女は切れぬ、か」

 ご丁寧に体幹に突き立ったままの剣を捻って傷を抉った上で、抜き去られた。
 失血と激痛で気が狂いそうになる、並の人間であれば即死級のダメージである筈だが、どうやらこの程度では痛みを感じる程度のダメージでしか無いらしい。
 しかし、良し悪しで言えば悪いと断言出来る、エーレンブルグの杭が刺さった時と比べたくなる程度には痛いかも知れない。
 毒も塗られていたのだろう、温感、冷感も含め殆んどの感覚が薄れつつある指先に痺れを感じる。
 その何れもが辛うじて致命的では無い程度に致命的だ。もう二、三急所を刺し貫かれると流石に死ぬかも知れない。

「お、まえ……」

 失血によって霞む視界の中、よりによって背中の中心──最も忌々しい古傷を抉ってくれた怨敵を見ると、そこには予想もして居なかった顔があった。
 いや、どこかで予想はしていたはずだ。だが、どうせこいつには何も出来ないと、舐めていたと思う。
 胃にでも穴が開いたか、口を開くと途端に喉から血液が溢れ出して足下を更に赤く染めた。
 やってくれるじゃないか、クソったれ。

「ん? ああ、お初にお目に掛かる。ハイドリヒ卿、私の名前は」

 こいつがベアトリスを追い続けているならば、当然こいつの標的には俺も加えられていただろうに。

「フォーゲル、ヴァイデ……」

 まだ俺が人間であった頃、ベアトリスの顔を確認するならばもののついでだ、と写真ではこいつの顔を見ているのだ。
 写真のそれとも、既知のそれとも今のこいつとは容貌が異なるが、目立つほどの差異は年齢によるもののみ。
 三つの顔のいずれも、直観的にではあるが同一人物であると判断出来る。
 いや、俺に因縁のある様な人間の中で、この砂と暑さの地に居てなお、燕尾服を着ているようなサーベルの男など一人しか思い付かないから、と言われればそれまでだが。

「いかにも、アルフレート・デア・フォーゲルヴァイデと申す。何処かでお会いしたことがあったかな」

 ああ、前世で何度かな。




[16642] Durst_3.drei
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/07/25 12:04


 喉元を過ぎ去ってしまえば、痛みはさほど酷くは無かった。
 エーレンブルグの血杭などとは比ぶるべくも無い、まして奇しくも同じく五体の中心を刺し貫いた聖槍を言わんや。
 この程度の痛みであれば死に至る事は無い、と自分に言い聞かせて平静を取り戻すことが出来るほどでしか無い。

 とは言え体幹を血管や筋肉を傷つけ回りながら異物に蹂躙された上、捻り抜かれると言う衝撃はとてもでは無いが慣れることの出来る様なものでは無い。
 乙女になった気分だ。
 激痛にも似た吐き気をともなう不快感に苛まれつつ、男を睨み付けていると、そいつは綺麗に切り整えられた髭を撫でながら、ふむ、と嘆息した。 

「まだ口を利くだけの余裕があるとは、やはり常世の技で貴様らを屠るなど夢のまた夢……か」

 それを聞いて疑念が確信に変わった。

「まさかとは思ったが……、本当に、試し斬りだったのか」

 あえて控えめにしか俺の耐久性を伝えない事で、連中に俺を殺させないなどと七面倒な事をしたのはそのためか。
 ただ、鍛え上げた自らの剣が蛇の鱗を剥ぎ取り得るか知るために、恐らく莫大な金と、そして惨死すること必至の凄まじいリスクを支払う。
 とてもでは無いが、同じ事をする気にはならない。
 直前の砲撃まででとてもではないが殺せない、と判断すれば黙って逃げ出せば良い、試しに斬ってそれで死ねばそれもまた良し。
 だが、こんな風に殺し切れなかったらどうするつもりなのか。

「いかにも、驚くほどの事でもあるまい。狼も斃せぬものに獅子は斬れぬ。ならばまず狼が斬れるか、斬って確かめるのが兵法では無いかね?」

 いかにも、などと言いながら整った髭を撫で付ける姿は余裕に満ちていて、とても愚者の行いとしか思えない博打を仕掛けた人間のそれとは思えない。
 もしかしたら、これでどうにもならない様なら最初からあの女もどうにもならない、と運命論染みた諦念の下に動いたのか。
 それとも他にまだ何か勝算があったのか。

 斬れるかどうか確かめるために斬る、それだけのために確実に自らを殺せる化物に喧嘩を売るかと問われたなら、俺は決して軽々しく首肯出来ない。
 事実として、五体満足であるかは疑わしいものの斬る対象である俺はまだ生きているのだ。
 三度刺されたならば死ぬ、とは言ったが実際に三度刺されて殺されるまでに俺が何も出来ないなんて今のところはあり得ない。
 それだけの時間があれば俺は悠々と周囲数百メートルを無人の荒野に変えられるのだから。

 エイヴィヒカイトの使い手は、エイヴィヒカイトの使い手にしか殺せない。

 その本質はそこにあったのだろう、と俺は思う。
 催眠術如きで無効化されるような霊的装甲なんぞに篤い信を置いている間抜けなど、黒円卓の中でも出来損ないの俺くらいのものだ。
 そもそもに、こうしてちょっと人より丈夫で死に難いくらいで"あのメルクリウス"が不死などと言う訳が無い。
 大抵の場合、殺される前に殺してしまえると言う事なのだろう。こうして不意を打たれて傷を追っても即死でさえ無いならば、とどめを刺される前に反撃出来る。
 そして、よほど油断でもしていない限りは、エイヴィヒカイトの使い手を即死させられる様な攻撃などそうありはしない。

 とは言え、如何に装甲が薄かろうと如何に敵を甘く見て油断していようとも、まさか聖遺物でも無い剣で抜かれるとは思ってもみなかったが。
 これでも鉄塊よりは硬いのだ、砲撃を凌いだ時点で敵方に自分の防御を抜く手段など無いと判断したが、今にして思えば舐め過ぎて居たか。

 他のメンバーに先だって双頭鷲の洗礼を受けた、と言う訳だ。

「あの女の事で……恨みを買ったか、とも思ったんだが」

 こいつの顔を見て最初に思い浮かべることと言ったらそれだった。
 他人から見てもケンカを機に互いを認め合うようになった、と言うレベルでしか無い筈だし俺自身そこから大きく逸脱して"あれ"と親交を深めたとは思っていない。
 だが、五十年、六十年と一人の女にコロシたいほどイカレちまってる筋金入りのストーカー野郎の思考回路がどう働くかなぞ想像も付かない。
 そんな風には見えないが、自分の女に付き纏うやつは皆殺しだ、くらいに思っていたとしても俺は驚かない。

「あぁ、そちらも無関係とは言わぬ。だがどちらにせよ私は貴様を獲物に選び、貴様を刺し貫いただろう。新参な上、ろくに戦場を潜り抜けていない貴様がもっとも斬り易かろうことには変わらんからな」

 まぁ考え過ぎだった様だが。
 とりあえず斬れるかどうかしか頭に無かったのか。
 偉業を成し遂げる者は周囲が見えていないと思えるほどに強い集中力を見せることがある、とそう言うことだろう。
 特に自称"生身の人間の常世の技"で、少なくとも斬鉄は可能としているらしい卓絶した剣士の集中力は叙述するまでも無い。

「……それで、どうするつもりだ? 今からでもやり合えば……間違い無くお前は死ぬが」

 鮮血に染まった唾液を吐き捨てながら、フォーゲルヴァイデに切れ切れの言葉で尋ねる。
 その質問は見逃してやらんでも無い、と言う意図を殊更に強調して顕著にするものだったかも知れない。
 だが幸いにしてフォーゲルヴァイデは気付いた様子が無かった。
 あまりあからさまに逃がして妙な疑いを持たれては困る。

 もともと、今こいつに死なれては後の1995年、どうなるかが分らなくなるため、出来るならば殺したくは無いのだ。
 そもそも刺された事など気にしていない。何年も経って古びた胸の風穴を、安物の耳掻きで掃除された程度、気にもならない。
 強いて言うなら授業料と言うことで瞑目してやらんでも無い。
 いつでも殺せるのだから今殺す必要は無い、と言う事でもあるが。

「そら、そこいらに金に目の眩んだ亡者どもが居るだろう、貴様に殉じるには絶好の人材では無いか?」

 顎で指すのを見れば各々手に武器を執り、仲間を読んで来たのか頭数だけは増えた男たちがゆっくりと近付いて来た。
 なるほど、こいつらを捨て駒にして自分は逃げる、つもりなのだろう。
 たかが十数人、いや二十数人。皆殺しにして逃げるものを追うなどそう難しいものでも無いのだが。

「ふむ、私とて他の団員が相手ならば逃げられるとは思わんよ。強い弱い以前にまず奴らは軍人だ、この期に及んで躊躇などあり得ず、故に最速で彼らを皆殺しにして私を追うだろう」

 それは確かにそうだ。 どうやら疑惑的な俺の視線に気付いてか、補足を始めたフォーゲルヴァイデの仮説に首肯する。
 それどころかこれがエーレンブルグならば余人はとっくに挽き肉にされていて、このフォーゲルヴァイデを半殺しにした上でようやく会話が始まるだろう。
 俺の様に口の方が先に来るものなど、典型的な口先が武器と言うあの神父か、こいつと旧知であるベアトリスくらいのものだろう。

「だが貴様は違うだろう。見よ、殺すまでも無い相手だ。本当に殺すのかね?」

 フォーゲルヴァイデに促されて連中を見る。
 どうやら大型火器はもう殆ど残っていないのだろう、各々の手にあるのは精々がアサルトライフルであり俺を殺すには至らないだろう。
 幾つか対戦車砲──ああ、クソったれ。やっぱりRPG-7(Panzerfaust)だ──もある様だが。
 彼らの残存火力の八割がこの傷口にでも集中しない限りは決して死ねないだろう。そしてそれを座して待つなどと言う事もありえない。

 ならば、果たして俺は殺すだろうか。
 もちろん意趣返しに半殺しくらいにはしてやるつもりだが、どう言うわけか瞬殺はあまり美しくない……と感じる。

 軍人じゃなかったんだから仕方無い、とでも言い訳をしようか。
 認めよう。確かに皆殺しは躊躇うし、だからこそ追い切れない。
 こいつは装甲最薄とは言え黒円卓を斬ったのだ、不可能を可能にしたと言い換えても良いと思う。ならばこんな甘ったれの俺から逃げ切るのに可不可を論ずる段階でも無いだろう。

「フォーゲルヴァイデさんよ、もう良いのかい?」

 俺が黙っていると当然何も話す事など無いフォーゲルヴァイデも口を開く事は無い。
 それで話は終わったと思ったのだろう、男たちがおずおずと話し掛けてくる。
 その姿には自分達が殺し切れなかった存在を容易に打倒した熟達の剣士への畏怖も見えるが、何より極上の獲物を前にして、しかし一息に食いつく度胸は無いのか恐る恐るついばむ魚の様な姿だ。
 今の俺は、こいつらには迂闊に触れば噛み付く程度の金づるにしか見えて居ないのだろう。

「構わん。あとは手筈通り、魂さえもこの世に遺すな。ヴァルハラ送りでは困るからな」 

 そう言いながら数歩下がるフォーゲルヴァイデに思わず笑ってしまった。
 なんの冗談なのやら知らないが、確かにヴァルハラ送りでは少々困る。

「へへ、ざまあねえな。ハイドリヒさんよ」

 男達がやはり及び腰で挑発する。
 俺をその名で呼ぶとはえらく良い度胸をしている。
 ざまあないのは否定出来ないので、わざわざムキになる事も無いが。

 何も答えないでいるとパン、とくぐもった破裂音が聞こえたと同時、脇腹に鈍痛が走った。
 どうやら腰だめに抱えた小銃で撃たれたらしい。
 その程度では到底死にはしないのだが、男たちは暫く待っても反撃が来ないのを見て安心したらしく、にやにやとあまり造形美に恵まれているとは言い難い下品な笑みを浮かべ始めた。

 どうやら既に勝利、いや先の黄金時代を確信しているらしい。

 哀れな事だ。


「まぁ所詮、"偽物のジークフリート"じゃこんなもんか」


 ────。


「なん……だ、それ?」

 その時、胸中に、怒涛の様に去来したものは言葉になど出来ない。
 ただでさえ激痛と血液の喪失で、回転の鈍った脳で、しかしそんなものは微塵も関わりなく、ただただ喜怒哀楽、そのいずれとも分からぬ激情で安易な発語を阻害されていた。
 言語野に筋肉があるとすれば、それが極度の緊張で攣ったかの様に、思うように動かない感覚に苛立ちすら覚える。

「知らねえか? こっちの業界じゃ有名な話なんだがよ、てめえは偽物だってな」

 男たちの中の一人が、にやにやと何か理解したくも無いような薄汚い感情で弛緩した顔を向けて嬉しそうに語る。
 なにが嬉しいのか、分からない。
 なんでこいつらは、この状況で笑っていられるんだろう。

「愚か者が、わざわざ眠れる獅子の尾を踏み付ける様な真似をしおって」

 そう言ってフォーゲルヴァイデは踵を返した。
 賢明な判断であるが実に小賢しい、前の宣言通り逃げるのだろう。
 今はどうなのかは知らないが、双頭鷲において実質上の局長にのし上がる能力は、こう言った危機管理にも端を発するのだろう。

 眠れる獅子、とは何の事やら、誤認も甚だしいが。

 あまり似合わぬ急ぎ足で去るフォーゲルヴァイデを男たちは黙って見送る。
 金は前払いだったのか、もう顧客には用は無いと言う事だろう。連中もわざわざ引き留める事は無く黙って見送った。

「それ……は、あれか? ラインハルトの奴が本物で、だから俺は、偽物だって、……偽物のジークフリートだってか?」

 今さら、聞きなおすまでも無いが。
 確認、いや、自己弁護の機会くらい与えてやっても構わない。
 あまり期待はしていないし、心中を偽りなく露わにするならば、是非とも後々俺が気負わずに済む様な事を言って欲しいものだが。

「ほかになんかあんのかよ」

 本当に、哀れな事だ。

「……舐めるなよ、劣等共」

 返答と態度如何に拠っては炎と衝撃によって吹き飛ばすに留めたと言うのに。
 恐らく、この世でもっとも壮絶で絶対的な死に方の一つを身を以って知る事になるのだから。

「黄金だの、偽物だの、お前ら如きが語るな」

 返す返すも心底憎らしい。
 なにが金髪のジークフリートだ。
 あいつは俺が英雄コンプレックスでさえある事を知ってたのに黙ってそう呼ばせていた節がある。
 その癖、他人の呼称には一切興味が無いみたいな面しやがって。

「それは俺の道なんだよ、誰であろうと割って入るのは許さない」

 それが許せない。
 お前が、そしてお前の黒円卓が我が物顔で奪い去って行った英雄化の代償を、その魂にまで永劫に刻み込んでやろう。

 死んで帰って来る英雄こそが最良の英雄なのだ。
 すなわち英雄は生まれながらにして、その死を望まれていると言う事。
 如何なる功績、如何なる大業も後に残るのは肥大化して手に負えなくなった化物なのだ。

 だからこそ、お前たちは必ず死ぬ。そう神に宿命付けられている。

「邪魔なんだよお前ら、一人残らず燃え尽きて死ね」

 無限に膨張して赤銅に染まった巨星の様にいつかは爆ぜ、特異点と化して終末に呑み込まれるのだ。

 それが宿命──水銀毒による既知感なのだから、いっそ俺が手ずからお前らが突き進んで踏み荒らしたその道を黒く塗り潰そう。
 この退屈で満ちた既知感が恐怖に染まるほど、俺が知る限り最悪の絶望(かつぼう)で塗り潰してやる。
 英雄化の渇望とはすなわち、如何なる存在も壮絶な最期を遂げる英雄と成し得る渇望。

「特にお前はなぁ、ラインハルト!!」

 認めてやるよ。
 お前は、素晴らしい英雄だ。
 どうせ英雄にはなれない俺と違って紛う方無き英雄だ。
 だからこそお前たちは目障りで、何より邪魔だ。
 だから死ね。

 いっそ全ての英雄が灰も遺さず燃え尽きてしまえば良い。


「"Wie lieblich sind deine Wohnungen,Herr Zebaoth! "《総軍の主よ! 貴方の座すところは如何に愛されているだろうか》」

 歪んでしまった。

「"Meine Seele verlanget und sehnet sich nach den Vorhöfen des Herrn; " 《我が魂は渇望し憧れる、貴方の前庭で》」

 呪わしいばかりの祝詞と共に自らの内に沈み、冷え切った心の奥底で最初に覚えたのは後悔だ。
 なぜ、こんなにも歪んでしまったのか。

「"mein Leib und Seele freuen sich in dem lebendigen Gott. " 《今も生きる貴方の御前で、我が肉体と精神は歓喜する》」

 考えるまでも無い、一度"諦めて"しまったからだろう。

「"Wohl denen,die in deinem Hause wohnen, " 《幸いなるかな、貴方の城に住まうものは》」

 諦めたなどと物分かりの良い事を言って抑え込んで蓋をして封じた。
 つもりになって、その奥底ではあいつさえ居なければ、と考えていたのだ。

「"die loben dich immerdar. " 《貴方を常に讃え祀るものは》」

 なんて青臭くて懦弱で、救いようが無いのだろうか。
 赤面ものだ。この思いもこの歌も、気恥ずかしくてラインハルトには聞かせる気にもならない。

「"Briah"《創造》──」

 この渇望は、この詠唱はあまりにも無慈悲に雄弁に俺があの男の不出来な弟であったと言う事を証言している。

「"Fimbulvetr Gjallarhorn"《旧世界・終末喚起》」

 唯一誇れるのはこの呪いに銘打たれた水銀の抹殺、その誓いのみ。
 終末の日はまだか、こんな猛毒に満ち溢れた世界は早く終わらせよう。 


 恐らくは最高の精度で、しかし最悪の歪みを持って至った創造。
 だがベルリン陥落のあの日の、形成の際の例に拠ってか視覚的には如何様なる変化も起こさなかった。
 発せられる覇道特有の永続効果も非常に弱く、赤子ですら殺し得ないだろう。
 求道の渇望を、不完全な創造で無理矢理外へ向け覇道と見せかけているためか。
 しかし、周囲に立っている人間たちは否が応にも気付かされているはずだ。

 まるで小舟が大渦にでも吸い寄せられるかの様に、まるで非常に低い気圧の部屋に吸い寄せられるかの様に。
 蟻地獄の様に途轍も無い引力が、蟻同然に自分たちを捕食者の下に引き寄せていると。

 通常、一個の人体がこれ程の引力の発生源になってしまえば、瞬く間に地殻にめり込んでしまうだろう。
 しかし、その異法則の源泉が求道の渇望であるためか外界には差程大きな影響は及ぼしていない。
 発現した力も求道の枠を逸脱していない以上、本来であれば覇道の如きルールの漏出など起こり得ないのだ。

 胸の傷、フォーゲルヴァイデに突き抜かれた傷では無く、肉の器を通じて魂にしかと遺るあの神槍の軌跡、忌々しい聖痕がじくじくと、ぎりぎりと疼く。

 つまりそう言う事なのだろう。
 穿たれた魂の外殻から内より膨れ上がる渇望が溢れ出している、そんな状態。
 覇道と求道の間に空いた大穴に足を突っ込んだ挙句、覇道側に傾いたまま足が抜けなくなった様な。

 無様にもほどがある。

 これは本来の俺の渇望では無い。
 シュライバーと似ているかも知れない、あれは自らの渇望が理解出来ていないために、ああ言う形になった様だが。
 俺の場合は本来のそれとは違う、歪んでズレた渇望を強く自覚したために中途半端に目覚めてしまった、と言う事だろう。

 だが、皮肉な事にそんな"偽物のジークフリート"に相応しい偽物の創造でも、破壊力は申し分無い。

「逃げないのか?」

 一人の魔人の更なる高みへの到達を目前にした上、他の覇道に比して極端に弱いと言えど、世界の浸食すら目にしている男たちの表情は恐怖に歪んでいる。
 逃げる事も許されないとでも思っているのだろうが勘違いだ、逃げるのを追うほど、こいつらに執着などしていない。
 正直、この顔を見ては殺す気も萎えると言うものだ。
 霊長としての理性的なパーソナリティの危機に至るほど、濃密な殺人欲求に浸っていたのもすっかり冷め切ってしまっている。

「……なに?」

 故に逃げ切れたならば見逃そう、もっとも生き残れる可能性などゼロに等しいのだが。

「逃げても構わないぞ、お前たちの運次第では五体満足で生き残ることもあるかも知れない」

 せっかく、新しい世界を教えてくれたのだから、やはり蓋をして見ないままでは、抑えられない。

 幸い、この周辺には人が居ないから、少しばかり派手にしても騒音被害が大きい程度だろう。

「ほら、10数えてやるから必死に逃げろよ、人間。その間に逃げおおせたらそのまま見逃してやるよ」

 ダメなら死ね、と言ってやる前に、言葉になっていない悲鳴と共に数名が逃げ出した。

「10……9……」

 一瞬、迷ったものたちもカウントが始まったと同時に我先にと逃げ出す。

「8……7……」

 逃げたところで、到底逃げ切れるとは思えないが。

「6……5……」

 フィンブルヴェト・ギャラルホルンとは嫌な名前を付けたものだ。
 その能力はやはり炎雨。
 子どもの思い付きに過ぎない、自らが天より降らせる炎が全て核のそれであれば、超新星のそれであれば……あるいは"この世の終わり"であれば。

「……ふぅ。やっぱり待てねえ、0だ」

 数えもせず、機銃による射撃を行う。
 逃げる者たちの位置の特定など行ってもいない、ただランダムに選んだ十数の点を狙った。
 一発辺りほんの数百グラムだ、それらの弾丸、全ての重心を、 "特異点に変えた"

 精々概要の、その触り程度しか分からない理論であるが、この時代ではまだ提唱もされていない未知の理論によって無限の重力をもった特異点は事象の地平面に覆われた。
 誕生とほぼ同時、保有する熱量を全て放出し、蒸発する極小の黒い天体。
 人類が用意し得る兵器としてはもっとも凶悪なものの一つが、"たった一つの魂の渇望"によって産み出された。

 降り注ぐ幾つかの小さな欠片は、自らの内から生まれる力によって押し潰され光も通さぬ黒い外殻に覆われ、地上に着弾すると同時、蒸発する。

 爆発。

 いや、爆発など生温い。筆舌に尽くし難いほどの破壊が起きた。
 世界最後の日もかくや、と言うほどの絶望的な嵐が吹き荒ぶ。

 五感の殆んどは瞬時に停止した。
 凄烈な死の予感に時間が拡張されて行くのを感じる。
 たとえこの災厄を、必ず無傷で切り抜けられる事を魂で分かっていようとも、未だ生存本能を失わない肉体が必死で命の危険を訴え叫ぶのだ。

 音を司る俺をしても音など一切聞こえない。
 人間の耳の形に囚われている脆弱な音の受容器など瞬時に壊れてしまうだろう。智泉の号砲によって拡張された聴覚も遮断してしまった。
 "情報"すら何処かに葬り去る破壊の前で知覚など無価値だ。

 終末を預言したものはこの光景を見ただろうか?
  その一つ一つでは1kgにも満たぬ僅かな質量、その殆んどがそのまま熱量に変換されて起きた爆発は一帯を地獄に変えた。
 いや、天国と言っても良いかも知れない、なにせ今この場には光と熱と風しか存在しないのだ。
 熱線、衝撃波、その全てが形をもった殆んどの存在を瞬時に灰に帰す死そのものであったが。

 極限の環境に置かれ、僅かに引き伸ばされた時間感覚の中で少し後悔する。
 これでも抑え込んで手加減したつもりなのだが。
 予想を遥かに超えて消耗した力に対する破壊が大きかった。

 魂の運用効率の極端に良い俺は継続戦闘能力のみに着眼したならばシュライバーに伍し得ると自負していたが、それだけの効率を全て破壊に向けるとこうなるらしい。

 次にやるならばもう少し爆破の規模を抑えないと行けないな、と何処か傍観者の様な心持ちで、思った。



 どれだけ時間が経ったか良く分からない。
 後悔だの忘我だの内罰だのに苛まれて内向きになって縮こまって居たが、一通り八つ当たりしてようやく落ち着いた頃には時間の感覚など狂ってしまっていた。

 幾つかあった小さな傷はとうに癒えて胸に空いた聖痕も既に塞がっていたが、創造に目覚めた際に平癒されたか時間経過によるものか分からない。
 どうやら位階そのものは既に創造まで駆け上がっていて、回復速度による時間の計測もやや煩雑になっていて判断出来ない。

 砲撃の影響か、みずから発した爆撃の影響か時計は壊れている、精密機械が耐えられる様な環境では無かったので当然かも知れない。

 見渡して視界に収まる限り、殆ど全域は粉塵に覆われていてどれだけの範囲を破壊したかは見て知る事は叶わない。
 曖昧ながら撃ったときの感覚では、周囲3kmほどはクレーターがいくつも空いた更地になっている筈だが。

 果たしてフォーゲルヴァイデは逃げ切る事が出来ただろうか。
 別に死んでしまっても構わない、と言う程度の心積もりで焼き払ったが、本当に死んでしまっていては後が少し面倒になるかも知れない。

 空まで砂と埃で黄色く染まって、極端に見通しの悪くなっている状態では周囲を見回したところで人影を確認する事などとても出来ない。
 歩く音が聞こえて来ない以上、こちらの手の届く範囲には居ないか死んでいるかのどちらかだが。
 何となく死んでいないだろう、と思う。

 あれは1995年まで死なない、そう言う風に定められているのだ。

 だからその日会う事があれば殺そう、念入りに殺し潰して二度と回帰しない様に。

「……到達する事は決して無い、ってのはこの事だったのか?」

 既知感と共にメルクリウスの言葉が蘇る。
 宿業、なのだろう。
 奴に掛けられた言葉の中で、もっとも呪いらしい呪いの言葉は間違いなくこれだ。

 "到達する事は決してない"

 それは英雄に、か。結末に、か。
 とにかく到達出来ないのが俺の定めらしいが。

 たかが創造にさえ、到達出来ないと言うのには首を傾げざるを得ない。
 創造など座に至るまでの偉大な、広い道にあって途中にある小さな段差に過ぎない筈であり、それを超えるための障害など微塵にも気にならない。
 そう思っていたのだが、何か思い違いをしていたのだろうか。

 深呼吸をするのに合わせて創造を解くと、中々晴れる事が無かった黄色の粉塵のみに形づくられた濃霧が少しずつ晴れていく。
 物理的に影響があるほどの引力を巻き起こしていたのだ、潮汐力の渦でも巻き起こして居たか。
 外は晴れ渡っているのだろう、霧と雲の間からほの温かい陽光が差し込むのが見えてまた憂鬱になった。



[16642] Durst_4.vier
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/08/01 11:50



 あれから数年後、なにもすることが無いので酒浸りになっていると、何故かエーレンブルグと出くわした。
 よお、待ってたぜ。などと言って店の一番目立つ安っぽい合成皮革のソファー席に横柄に腰掛けて、記憶にある通り綺麗どころを両手に抱える様は流石エーレンブルグと言ったところ。
 テーブルの上に乗る空の酒瓶が一つも無いので、恐らく待っていたとは言っても一時間も経っていないだろう。

 あえて照明を弱くして薄暗くされた酒場にはそぐわない音楽が流されている。
 上流社会のものが見れば軽く眉を顰めるような、薄汚れたテーブルや所々タバコの灰が落ちて焼け縮れている古椅子がまた脱力を誘う。
 これくらい陰気なのが丁度良いのだ、と言い訳をしているが実は何よりも懐が心許ない。

 エーレンブルグが掛ける席の、テーブルを挟んで向かいの椅子に座ると丈夫そうには見えない木製のそれがギシギシと悲鳴を上げた。
 そろそろ壊れるんじゃないか。殴打用の凶器に使われたり、体重計が先にギブアップしそうな巨漢に急造の柱として使われたりと散々な歴史を辿って居る哀れな椅子だ。いつその役目を終えても可笑しくない。

「相変らず元気そうでクソったれな限りだなぁオイ、ジークフリートォ?」

 こっちのセリフだとは声に出さず胸の内だけで呟く。
 僅かな期待と共に暗い中、僅かな照明でもはっきり見える白皙の顔をじっくり見れば残念な事にやはり元気どころか体力が有り余っていて堪らない、と言わんばかりの表情である。
 戦中はもう少し擦れた顔をしていた様な……いや、いつでもこんな顔をしていた気がする。

「元気そうに見えるか?」

 呆れた、とかげんなりした、とかよりは目の前の眩しい生き物に当てられて体力を奪われた様な嫌な気分になりながら尋ねる。
 少なくとも前に鏡を見た時は、とてもでは無いが元気そうな顔はしていなかった筈だ。

「見えるね」

 にも関わらず、金属製のコップに酒──赤ワインだろうか、吸血鬼的な思考から言って──を煽ると、元気に見えると断言するエーレンブルグはどう言うわけか順調にご機嫌が上向きになっている様だ。
 何か良い事でもあったのだろうか。

「目が腐ったんなら取り替えて来るのをオススメするぞ、シュライバーならどうすりゃ良いか教えてくれるだろ」

 いずれにせよ仲間内からさえもケダモノ呼ばわりを受ける野生のもののご機嫌伺いなどお断りだ。
 見るからにぞんざいに応対してやると、ビールを注文する。

「んだぁ? 辛気臭えなクソが、なんかあったか?」

 流石にシュライバーを引き合いに出されては上機嫌で居られなかったか、エーレンブルグは漸くこの数年間何があったか聞こうとし始めた。
 気を使うのが遅過ぎる、わざとなのだろうが。

「さあ」

 ゴト、と重い音を立てて栓の開けられただけのビール瓶が目の前のテーブルに置かれた。
 軽く乾いた喉と口腔を潤すと、小さくは無い溜息が一つ漏れ出る。

「まず俺がここに居ると分かった事に驚いたんだが、シュピーネか? いつもの勘か?」

「勘だ、と言いてえところだが、今回は両方だな。この辺に居るんじゃねえかっつったらシュピーネの野郎が見つけて来た」

 まぁ半年も一所に居れば、あのシュピーネならば容易に見つけられるか。
 諜報、隠身、その圧倒的な技術によって背後に忍び寄られる恐怖は今をもってなお記憶に新しい。
 あの男は敵の後背を突いてさえ居れば生涯不敗を貫けるだろう。もちろん防御を抜けるか否か、と言う問題はあるが。

「……そう言えば、そのシュピーネに偽造戸籍を用意するように頼みたいんだが」

「そりゃてめえのか?」

「株式投資すりゃ簡単に儲かると気付いた」

 身分証明と銀行口座だけでも構わないかも知れないが、小回りが利きそうにない。
 どうせなら根本で一つ作っておいた方が良いだろう。

「金なんざオデッサだかその辺の連中しめ上げりゃ出てくるだろ、……多分だがよお」

 そんなに甘いものなのか?
 今、聖槍十三騎士団の回転資金がどれほど掛かっているかは知らないが。
 世界をまたにかけて飛び回る奴がルサルカ、エーレンブルグ、シュピーネの三人。
 ぷーの金髪女が一人、最低限以上儲けられるはずも無い修道女(?)と似非神父。
 シュピーネは兎も角として金を食うだけの生き物が五人も居て、大っぴらに活動出来ない地下組織が金を出すだろうか。

「財布預かってんのブレンナーじゃないのか? そのうち泣くぞ」

 泣かしとけあんなアマァ、と言ってラッパ飲みに酒をかっ喰らうエーレンブルグを目を細めて見る。
 可哀想に、ブレンナーはまちがいなく未だに出来損なった常識人をやって居るので、いかにも中間管理職的な苦しみを味わっているに違いない。
 もっともその苦しみは殆んどがクソ神父に転嫁されるので、俺としてもあまり気にするつもりは無いのだが。

「まぁ連中の方からは元手を頂く」

 頂けるなら。
 泣かれたら……諦めよう。

「シュピーネにゃ言っとくくらい言っといてやるがよ、二週間もすりゃ新国民が誕生してんじゃねえか?」

「そいつは重畳」

 そう言って再びビールを胃に送り込んだ。
 大きく息を吐く。ビールを飲むとため息が出るのは本能なのだろうか。
 気分が鬱々としていようと、逆に機嫌が上がり切っていようと一定のテンションで半強制的に発動されるので便利ではあるのだが。

「で、何の用なんだ?」

 そろそろ本題に移りたい。
 ただでさえこいつとはピーチクパーチクと下らない会話で盛り上がる事も、またお互い話したい事も無いので出来るならば早急に嫌な事は済ませてしまって気持ち良く別れたい。

「用らしい用って訳でも無えんだがよ。……あれからちったぁ強くなったかよ、子犬ちゃん」

 と言う事は神父の言いつけに従って、などと言う訳では無いらしい。
 もちろんあのクソ神父がどこまで俺の反応を読んでどう言った言伝をエーレンブルグに託しているか、など想像もしたくないため、残念ながら真偽の程を確かめる術は無いのだが。

「さあ、自分で判断する自分の強弱なんざアテにならんと思わないか」

 真っ正直に答える気も無いため、惚けた振りをしてはぐらかす。

「ハッ!! そりゃそうだろうがよ、俺らに限っちゃ何かあんだろ? 数字にも出来るし、段階にも出来る」

「まぁそうか」

 不本意ながら三十程に増えた事に加え、0.5段階成長しているがそれを聞きたいのだろうか。
 ここまでの会話からは、終戦から今まで怠慢せずに精進して切磋琢磨に励んでいたかを確認する様な意図しか読み取れない。
 お前はいつ俺の武道の師匠になったのか。

「何年か前によォ、爆発事故があったの知ってるか? ツングースカの再来だのなんだのって、喧しかったんだがよ」

 パッとしない顔をしていたのだろう。エーレンブルグは少し話を変えた。
 本題の続き、なのだろう。
 話の方向性がストレートに今現在の俺の強さに向いて来ている。

「ああ、そう言う事もあったな」

 恐らくあの時に腹いせで爆撃した事だろう。
 後から聞くと辺りやはり3kmほどは不毛の焼け野原になっていたらしい。一撃の範囲はおよそ数百m巻き込むか否かの筈であるため、最低でも2〜30発は爆撃した事になる。
 ツングースカ爆発事故はたった一発で周辺60kmを薙ぎ倒したのに対し、俺の時は周辺3kmを50発近くで焼き払ったに過ぎない以上、過剰評価に過ぎるのだが。

「ありゃお前だ」

 断言した。
 全くもって驚くべき勘だ、嗅覚が優れているとかそう言う次元では無い気がする。

「少なくとも俺の聖遺物じゃ、とてもじゃ無いがあれは無理だな」

 例えば周囲3kmを火の海にするのは難しくは無いが、周囲3kmに"吹き飛ばされた"と言われるほどの破壊を起こすのは智泉の号砲では不可能だ。
 火力よりは攻撃範囲に偏重していて、限られた空間のみに大火力を生み出すことに関してヴィッテンブルグ少佐に遥か遠く及ばない。
 この聖遺物に関して火力不足だとは思わないのだが、贅沢を言うならば範囲より防御が欲しかった。

「だから創造だ、てめえ使えるようになったんだろ? そうとしか考えられねえ。だとしたら、クリストフの野郎じゃねえが自分の仲間が何出来るのか位は知っとかねえとなぁ?」

「仲間じゃ無いだろう、利害の一致した同類」

「同類……ね。ま、てめえがそう言うのは分かってたこった」

 ワインの瓶を引っ掴んだエーレンブルグは喇叭呑みに安酒を飲み干すと、薄い木板のテーブルに重厚な音を立ててガラス瓶の底を叩き付けた。

「……だったら此処で殺りあって無理矢理使わせるってのもあるんだぜ」

 血の気の多い事だ。
 動きの不穏な同志の戦力調査を名目に、温い戦場に対するフラストレーションを解消しに来たのが真相だろう。

 瓶が割れていない辺りまだ頭は冷えているらしいが。

 ここで割ったらあんまり格好付かないからな。
 すっかり蚊帳の外に出されてしまっているエーレンブルグに侍る女二人は少し怯えた様子で不安げにこっちを見ている。なに怒らせてんだ、と言う詰問の色が無ければ、少しは守ってやろうと言う気にもなったのだが。
 もっともここでどんな気分になろうとも、今は殺し合いをするつもりは無いし、 可能な限りそれを避けたいとも思っているのだが。

 ベルリン市街戦の際は複数の要素が幸いして形成のみでも優位に死合を運べたが、ここで殺り合えばエーレンブルグとて出し惜しみをするとは思えない。
 もしかしたら戦闘開始即詠唱なんて汚い事もやるかも知れない、疑うまでも無い事だがこいつならやる。
 ならば必然、幾ら俺が上手くやろうとも使わざるを得なくなり、否が応でもあの出来損ないの渇望と向き合わなくては成らなくなるのだ。
 弱音になるが未だに立ち直って居ないので、今度もまた自己嫌悪とかそう言った益体無い感情に囚われて数年酒浸りになる事を考えると、出来ればあの創造は使いたくなかった。

「見れば死ぬ渇望かも知れないぞ、瞬間的に発動、周囲を焼き尽くすのみの覇道。ありそうだろう?」

 そんな愉快な渇望にこの先お目に掛かる事は恐らく無いに違いないが、通常数分に渡って展開する創造を、ただ一瞬のみに燃やし尽くせばどれほどの出力になるだろう。
 たかが最大二千ポンド級までの質量の、燃やし尽くされる一瞬を任意に連続的に作り出すだけのこの渇望よりは頭を使う余地が大いにありそうだ。

「あぁかもな。だが違え。てめえ、パーっと一花咲かせてそれで満足出来るタマかよ。てめえのはもっと救い様がねえ、あの世見て来たみてえな渇望だ」

 徹頭徹尾、首尾一貫、微塵にも褒めているようには聞こえないが。

「……褒めてるつもりか?」

 白粉を塗ったように白い不健康にも見える表情には、俺がここに来てこいつの顔を眺めている間はずっと、口角を吊り上げた笑いを浮かべている。
 殆んど表情がそれで固定されていて、大袈裟な素振りでつまらないと伝えたり嬉しいと伝えたり、ぺらぺらと良く回る口ほどに雄弁で結構なことだが。
 救い様がねえ、などと言いながらも何が嬉しいのか、にやにやにやにやと常に凶笑とでも言うべき無言の笑みを浮かべる様は、こいつにとっての"獲物の抵抗"を楽しむ姿にそっくりだ。

 これがもう少し気持ちの良い男ならば、好敵手の成長を喜ぶ姿になるのだろうが、こいつの場合はそうとしか言いようが無い。
 キモイ。だから顔でしかもてないのだ、哀れなやつ。

「褒めてんだ、素直に喜べや」

 ラインハルトには美しくないだのと語られていたエーレンブルグの渇望だが、エーレンブルグ自身は自らの渇望に通常以上に強いプライドを持っている筈だ。
 でなければ吸精月光に加えて自らの吸血鬼化まで引き起こす筈が無い。 

「……創造にはまだ至っていない」

 つまりはこいつが他人の渇望を、たとえ揶揄し尽くした上でとは言え褒めると言う事はそう軽いものでは無いだろう。
 そこまで言うなら仕方がないから、これくらいは答えてやろうと言う気持ちになった。
 とは言え詳細になにがあったかを語って嘲笑われては耐えられそうにない、間髪入れず殺し合いに発展する自信がある。
 小出しに本質には触れられぬように、となるのだが。

「あぁ?」

「あれは所謂、創造と形成の間の余技、ってやつだ。求道と覇道の間でも構わんが」

 ヴィッテンブルグ少佐はどうやって無限に広がる爆心を実現せしめたのだろう。
 傍目に見ても自己のコントロールに長けた人であるので、渇望をズラしたり全開の創造に対して渇望を小出しにする、くらいは至極あっさりとやってのけそうだが。

「てめえ、またどっちか分かんねえのか。聖遺物もどっちか分かんねえ、渇望もどっちか分かんねえ。メンドくせえ野郎だなぁオイ?」

 そう言えば、形成に至った際は事象展開か人器融合かでギリギリまで引っ掻き回したのだったか。
 あんな博打まぎれの奇術もどきなど再び仕掛けようものなら瞬く間にミイラに変えられるだろうが。

「全くだ」

 俺だって出来れば武装具現の覇道が良かった。
 ノートゥング辺りは無いのかと腐れ水銀に尋ねた時
『そんなものは無い。仮にあったとして君には合わんよ、やめておきたまえ』
などと言われた時はどれほど惨たらしく殺してやろうかと考えたほどだ。
 この智泉の号砲がまたこの上なく自分の思うままに動いてくれるのがまた腹立たしい。

「……で、なんなんだよ」

 そしてこいつはこいつで他人の渇望が気になって仕方無いらしい。

「マジでめんどくせえな、てめえ」

 ハエの様にうるさい奴だ、潰したくなる。
 話せば話すほどに鬱憤が溜まると言うのに話したところで分かり合える事はないかも知れない、少なくとも今のところ説得出来そうな気配は無い。
 骨折り損の草臥れ儲けとはこの事だ。
 現時点で殺し合ったとて勝算に欠けるが、少しくらい積もる破壊衝動を満たしてやっても構わないのでは無いか。
 決して人口密度の低くないこの町で、俺の渇望がどれほどの悲劇を巻き起こすか予想に難くないが。

「いや、俺は良いんだぜ? ここでドンパチやらかしてよお、無理矢理にでもてめえの殺る気を引き摺り出してやる方が好みだ。保有戦力の把握だとか言ってよお、馴れ合うのはつまんねえからなぁ?」

 やはりエーレンブルグの望むところであるのが最大のネックか。
 少々痛い思いをさせてやったところで本質のところでマゾっぽいこいつでは喜ばせる結果にしかならないかも知れない。
 なんだろう、黒円卓にはこんなのしか居ないのだろうか。どいつもこいつも罵っても喜ぶわ、殴って焼いて吹き飛ばして潰しても喜ぶわで手に負えないのが堪らなくフラストレーションだ、イライラする。
 それもこれも全部あの蛇野郎のせいだ。

「……教えてやる義理は無いし、また逃げれば良いだけだ。お前は俺を追い切れない」

 形成の間は、だが。
 流石に創造を使われて、目の前に針の山を生み出されては追い縋るエーレンブルグを牽制しながら逃げ切るのは不可能だ。
 覇道が羨ましい、永続効果に加えてその領域の中であればどこにでも杭を生み出せるなど喉から手が出るほど欲しい能力だ。
 自分の形成は棚に上げているが。

「ああ、そうかよ。だったら試してみるか? どっちが先にへばるか、鬼ごっこと行こうや」

 余裕ぶって鬼ごっこ等と話している一方で、こいつは両隣の女の肩に腕を掛けたまま動く気配は無い。
 一見、油断している様にも隙だらけにも見えるが、百戦錬磨にして動物的な直感を兼ね備えるエーレンブルグが向かい合っている相手に出し抜かれると言う事はありえない。
 こちらの不意打ちが通じる状況では無く、そして俺が動いた瞬間に詠唱を始めるつもりだろう。
 エーレンブルグの渇望がどれだけの範囲を飲み込むのかは不明だが、100mや200mと言う事は無い筈だ。ここで逃げ切れる、と踏んで逃げ出すには死相がハッキリし過ぎている。

「……」

 動けない。
 先に薔薇の夜を展開されては一気に不利になるだろう、創造状態のこいつに形成では流石に短期決戦は見込めない。
 そして魂の絶対量が少ない以上、他のものに比べても俺は不利なのだ。
 総数が少なくとも消耗も少ないため自ら消費する分にはなんら枷にはならないが、恐らく定量を吸い上げるであろう吸精月光では"少ない"事がそのまま危険になる。
 下手に動いて奴に詠唱を始めさせたくは無い、だが、一方で自分は創造を使いたくない。

「……」

 この駆け引きを楽しんでいるのか、俺の心変わりを待っている訳でも無い筈のエーレンブルグも同様に動かない。

「チッ」

 このままではいつまでも埒が空かないだろう、こいつは獲物を得るためなら一週間でも何も食わないで伏せていられる奴だ。
 太陽が出るまで待てば気が削がれて有耶無耶に出来るかも知れないが、こいつは別に太陽の下を歩けば灰になるだとか言う問題を抱えている訳では無い。
 その気になれば太陽も薔薇の夜で覆い隠せる、日の出を待たずにこいつに詠唱を始められても不利になる。
 こうなりゃヤケだ、何が起こったかも分からないくらい一瞬で叩きのめしてやる。


「Wie lieblich sind deine Wohnungen,Herr Zebaoth! "総軍の主よ! 貴方の座すところは如何に愛されているだろうか"」


「ハッ!!」

 当然の帰結としてエーレンブルグも詠唱を始める。
 例によって俺の情報を知らない分、エーレンブルグは不利なのだ。もしかしたら本当に創造即爆発の一撃型の渇望であれば流石のエーレンブルグもただでは済まない。
 ここで座して見て瞬殺の憂き目に会う様な愚を犯す様な戦闘音痴が黒円卓の戦闘屋を名乗れる訳が無いのだ。


「Wo war ich schon einmal und war so selig "かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか"」


 漏れ溢れ出す異様な気配にエーレンブルグに侍っていた女も、酒場の客達も言い知れぬ恐怖に駆られてか逃げ出すべきかと腰を浮かすが。

 もう遅い、今からでは逃げ切れん。


「Yetzirah── "形成"」


 刹那、視界によぎる放電混じりの青い斬線が深く自己に埋没し始めた意思を復帰させた。

 斬、と爽快にさえ感じられる良い音を立てて薄くは無い木板のテーブルが足ごと真っ二つに叩き割られる。

 恐慌寸前まで脅威に満ちて弾けそうなほど張り詰めていた酒場の空気が、さきほどまでとはまるで別種の空気によって静まり返った。
 静かな事では殆んど変化が無いが、凍結にも似た緊張が場を支配する。
 見事に、そして完全に気を散らされた。

「そこまで」

 耳に懐かしい鈴を転がすような声とともに、俺のそれと同じく見事な金髪が、その腰の辺りで急な動きに翻弄されてふわりと棚引いたのが目に焼き付いた。
 視線を上げて確認するまでも無い。
 俺とエーレンブルグに割って入れる様な人間など黒円卓にしか居らず、そしていま黒円卓には一人しか剣士は居ない。 
 
「ベアトリスか」

「ヴァルキュリア……」

 戦乙女がいつの間にかそこに立っていた。
 相変わらず驚異的な身のこなしの素早さだ、俺がその接近に気付くが速いか、既に戦雷の聖剣は形成されていた。
 
「今こんなところでやり合っても仕方無いでしょう。それとも貴方たち頭に血が昇りすぎてバカになっちゃってるんですか? 斬って吊るして無駄な血の気ヌいてあげましょうか?」

 百年ぶりくらいに顔を見た気がすると言うのに互いの再会を喜び合うとか久闊とか叙する時間は、俺がエーレンブルグと交わしたそれより更に毒気があって素っ気無い。
 案外お冠らしい。
 血の気が多いのはお互い様だと思うのだが。

「ああ? 男二人侍らせて豪気なこって」

 ピキリと、破滅的な音を立てて空気が凍り付いた気がした。
 ベアトリスが凍り付いたためか、それともベアトリスは凍り付いた様に見えるだけで、その実内から凄まじい名状し難いものを流出させていて、それで周囲の空気が凍り付いたのか。
 とりあえず嫁入り前の娘が額に井桁を浮かべるのは自重すべきだと忠言すべきだろうか。

 エーレンブルグの蛮勇も過ぎる。
 こいつならもしかしてヴィッテンブルグ少佐の前でも同じ事を言えるかも知れない。
 吸血鬼だけに棺桶が恋しいのだろうか。
 こいつはどうも自分で自分の棺桶を用意するのが好きなところがこいつにはある気がする。
 しかも本人がそれと自覚していないために、周りからは幸せそうとか悩みとかなさそうとか酷評を受けているのだ。
 自殺するのは結構だが出来れば一人でやって他人を巻き込まないで欲しい。

「……マニアック過ぎるだろ」

 大体からしてそっちに繋がるのがおかしい。
 斬って吊るしてってどう言う……、いやダメだ、こいつと同じ思考に立って堕落したく無い。
 こいつと同レベルなのはシュライバーで十分だ。 

「まぁやるんならこいつにしとけや、タマってんだ多分」

 そう言いながらエーレンブルグは自分の両隣に居る、目まぐるしい事態の変遷にどう反応して良いか考えあぐねて未だ固まっている女たちを見て、そのあと俺を見た。
 その余裕ぶった歪んだ笑みに優越感が見て取れる。
 ちょっとカチンと来た、お前純血アーリア人以外は食えない癖になに調子乗ってるわけ?

「あのですね」

「あえて否定はしないがやめてくれないか、自分はモテるけどこいつはモテないからみたいな言い方」

 確かにモテないがエーレンブルグとて他人に向かって胸を張れるほどでは無い筈だ。特に百のモブより一の本命が大事だとか考えている筈のこいつの場合は。

「まぁ良かったじゃねえか、ヴァルキュリアが抜いてくれるってよ」

 それは魅力的だが今は良くない。
 本当に斬られそうな状況で何故そんなにも悠々としているのだろう、既に勝てる勝てないの問題じゃ無くなってると思うのだが。

「……ちょっと、二人とも表へ出なさい」

「どうして俺まで!?」

 不当判決だ、再審を請求する。

「外でたぁまた豪気な。ま、ジークフリートが嫌だっつーんなら俺が一人ででも……!?」


「War es so schmählich, "私が犯した罪は"」


「おいベアトリス、お前キレたら出て来た意味分かんねえだろ!!」

「ヒャハハハッ!! これで三人同時ってか? 悪くねえなァ!!」 

「お前これが狙いでわざと怒らせたのかよ!? 殺すぞ!!」

「さっさと表出ろーッ!!」

 戦雷の聖剣を振り回して暴れるベアトリスをなんとか宥めすかして、結局誰も勝ち得ないにも関わらず平和的に解決し得る呑み比べに落ち着けることに成功した俺は諸方面から讃えられても良いと思う。




[16642] Durst_5.funf
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/08/08 13:33


 なんだかんだで三人揃ってテンション高くなって次から次に呑みに呑んだが、とりあえずここまでは良いだろう。
 あの一触即発の状態からこんなにも平和的に有耶無耶に出来たのは素晴らしい功績だ、俺が黒円卓に入ってから初にして最大級の快挙の筈。

「うえっ、全くどれだけ呑ますんですか。こんなか弱い女の子泥酔させるとか重罪ですよ、逮捕しちゃいますよ」

「ハッ、化け物がお巡りの狗っころ如きに怯えるとかどんな笑い話だ、喜劇にもなりゃしねえ。大体あんな安酒で泥酔たぁ可愛いもんだなぁ? ヴァルキュリア、なんなら"優しく"介抱してやろうか?」

「まだやる気ですか貴方、本当に切り落としますよッ!? ……うう、吐きそう」

「ざまあねえなぁヴァルキュリア、呑み過ぎぐらいでグロッキーやってる魔人なんざ味噌ッ粕のテメエぐれえのもんだ、なぁジークフリート?」

「俺に振るなよ、と言うか君たちもう少し遠慮しようね、他人ん家なんだからさ」


 だがまさかそれが原因で三人揃って持ち合わせを全額呑み尽くして、このクソ狭いアパートにコイツら泊める羽目になろうとは。
 それもこれも諏訪原からここまで往復ギリギリしか持って来なかった癖して、この店で一番高いやつ持って来いとか抜かしたどっかの女のせいだ。
 いくら安そうな店だからって一番高い奴がビールと同額な訳ないだろ、バカ。
 あと明日から居辛くなるから頼むから静かにして欲しい。そんな高いアパートじゃないんだよ、壁薄いんだよ。

「あとベアトリス、泥酔してるんじゃなくて胃容量超えてるだけだろ、吐くんなら然るべきところでやれよ」

 俺とエーレンブルグがほろ酔いで良い気分になっているのを傍目に、貴方たち器用な真似しますね、などと言いながら素面だったのを知っている。

「ちゃんと酔ってますっ!! ほら顔紅いでしょ!?」

 ずい、と俺の方に顔を突き出して紅潮した顔を見せつけて来るベアトリス。
 だが俺とエーレンブルグが如何にも慣れてますと言った感じにほろ酔い気分で楽しんでいるのを傍目に、ウンウン唸りながら自分もアルコール耐性を落とそうとして中々出来なかったのを知っている。

 負けず嫌いなのでそう言っているだけなのは間違いない。
 それで退くに退けず呑み過ぎた、と実にこの女らしい顛末であった。
 もしかしたら少しくらいはアルコールが効いたのかも知れないが、少なくともその程度で吐くだの泥酔だのと言い始める様な軟弱な女でも無いだろう。

 そのうち機会を見て、その自爆癖は治した方が良いと忠告しておこう、どうやら次世代に感染する類いのものらしいし。

「そりゃこのクソ暑いのにたらふく腹に詰め込んで、吐きそうとかほざいてりゃ顔も紅くなるわなァ」

「うるッさいですね、と言うかそんなに詰め込んでません。お酒とチーズだけじゃないですか!」

 十分だと思うんだが。
 再び言い争いを始めた二人を尻目に少し煙草を吸ってくる、とだけ言ってその場を辞した。



 アパートのすぐ近くにある小さな公園のベンチ、ここならばあいつらの騒ぐ声も聞こえないだろう場所でズボンのポケットから煙草を出す。
 今日のは新しい湿気ていない煙草だ。
 最近はヘビースモーカーと言うほどでも無いが日に数本は消費しているため、比較的新しいものが常に手元にあった。
 やはりかさっと音のする様な乾いた葉っぱを定期的に消費していると以前の様な古くなったものはとてもでは無いが吸えない。
 以前ヴィッテンブルグ少佐に、良くそんなものが口に入れられると詰られた事が有るが、今ならばその通りで御座いますと答えられるだろう。
 正直、味に関して語れるほど詳しい訳でも無いのが残念なところだ。
 手持ち無沙汰を無為な一服と言う形で使い潰す手段の一つとしてたまに煙草を選ぶことがある、と言った程度であったつもりだが、こうもその機会が増えると少し考え直す必要があるだろうか。
 もう少し建設的な何か趣味にでも目覚めた方が良いのかも知れない。

「またそんな美味しくなさそうな顔ですぱすぱと」

 紫煙が立ち昇り始めて十分もしない内に、呆れ顔のベアトリスに話し掛けられる。
 大方エーレンブルグと二人で顔を突っつき合わせているのに耐えられなくなったのだろう、そこで殺し合いに発展しない分こいつは冷静なのか、俺が喧嘩っ早いだけなのか。
 美味くなさそうな顔で吸っている、と言われても実際にあまり美味いと思っているわけでは無いのだが。
 ぼんやり、ゆらゆらと上がる煙を見ていると、美味く無いのなら何故吸っているのだ愚か者が、と俺を叱咤する声が聞こえた気がした。

「それは少佐も余り変わらないだろ」

 むしろあの人が『ムムム、この葉は香ばしいようで居て若々しい、苦いようで天上の甘露、まさにこれは現代に生まれし幻の銘葉ッ!!』とか百面相しながら言ってたら、子どもはもちろん大の男も泣きながら裸足で逃げ出すぞ。
 仏頂面で吸ってるんだか咥えてるだけなんだか良く分からない姿がヤバイくらいサマになっているので、それはそれで良いと思うが。
 だからと言って傍から少佐は良くて、お前は似合わないからダメだと言われてもすんなりとは納得出来ない。

「いえ、あの人はあれで美味しいと思ってる顔をしているつもり……なんだと思いますよ?」

「お前ですらそう答えるような恐ろしい顔をしながら煙を燻らせる御仁に、吸うならもっと美味そうな顔をしろ、なんて言われたら流石に困るだろ?」

 ブレンナーの次にヴィッテンブルグ少佐を理解していると言って良いだろうベアトリスですら自信が無くなるほどなのだ、第三者が見ても間違いなく美味いと思っている、などとは判断出来ないだろう。
 そんな顔でもっと美味そうな顔をしろって、納得が行かないだろう。
 そしてこいつはそんな少佐を見逃しているのだ、そんなヘタレに唯々諾々とは従ってやれんなぁ。

「でも言われたら、はいそうします、って答えるんでしょう?」

「そりゃな、だって怖いし」

 だって他になんて言えば良いのだ、では小生、未熟故にその御尊顔を参考にさせて頂きます。とでも言おうものなら確実に黒円卓のツェンタウア(半人半魔)が一人増えるぞ。
 ヴィッテンブルグ少佐に口答えする時はすなわち半ばにせよ死を覚悟した時だけなのだ、腹決めてないのに立ち向かって行ったって後々一生分の後悔を一度にすることになるのだから。

 すぱー、とわざとらしく音を立てて煙を吐く。
 もう数十年吸い続けてサマにならないのは重々承知しているので、そろそろ開き直る時期だろうか。
 俺もヴィッテンブルグ少佐みたいに格好良くふかしたかった。

 沈黙。

 特に話したい事があって来た訳では無いのだろう。
 エーレンブルグから逃げて来ただけであろうからして、それも当然ではあるが色々と痛い静寂だ。
 そもそもに以前の別れ際からこの再会は辛過ぎる、実にいたたまれない。

「そういやぁ、お前の元カレにあったぜ」

 だから真面目な話題に逃げるのは俺の悪い所だろうか、それでも茶化さずにはいられないのが俺の悪い所なのだろうか。

 あれが元カレなのかは知らないが、あれも良くもまぁ五十年以上もストーキングする気になったものだ。
 俺が言うのもなんだが、他人の金で高い酒を笊の様に呑んだ挙句に胃容量の限界に達して吐きそうなダメ女だぞ。

「はぁ? なんですか突然」

 あからさまに首を傾げるベアトリス。
 やはり元カレって訳でも無いのか、哀れなり。
 まぁ十六歳かそこいらでユーゲントを卒業して、ヴィッテンブルグ少佐の元に配属してそう間も無く黎明に至るわけだ。
 ユーゲント時代がどれだけなのかは知らないが、生まれてからそこに所属するまでの期間は多くとも十数年、愛だの恋だの語るには少々幼い。

 もしかしたらフォーゲルヴァイデ坊やの初恋だったのだろうか、うわぁ……。

「いや、俺の女に手を出すな、とか言ってデッカイ釘刺された。死ぬとこだった」

 ちょっと五寸釘どころか三尺はあろうかと言う代物だったが。

「あの、ぜんぜん話が見えないんですけど」

 そりゃあ見えないだろう、俺も生物学的には疑いようもない真人間にしてやられたなんて恥ずかしくて公言出来ない。
 言うけど。

「あのヒゲにハンカチ噛み千切らせたいから付き合おう、愛してるベアトリス」

 冷静になって考えてみれば俺もフォーゲルヴァイデの事をとやかく言える立場じゃないな。

 なにせ「前世からだよ、ボケ」だからして、ああ本当に何であんな事言ったんだろうな俺は。

「そそそ、そんな勢い丸出しで突然プロポーズされてもお断りしますっ!!」

「……うん、まぁ分かってたけどね。うん……」

 やっぱり昔のアレはあまり真面目には受け取られてなかったようだ。
 まぁ真面目に考えられても少し困るが。
 しかし困ります、では無くお断りしますと返って来たのが寂寥感を誘う。
 なんだよ、迷う素振りも無しかよ。

 ぽつりと、ともすれば聞き逃してしまいかねない小さな音を立てて煙草の灰が地面に落ちると、末期の輝きとばかりに赤銅に輝いて儚く燃え尽きた。

 ……虚しい。

「まぁね、ちょっとお前の元カレのヒゲに背中刺されて死に掛けたんだよ。剣上手いのは知ってたけど斬鉄剣って技術として実在したんだな」

 物理的に、とか幻想の領域では存在するのは分かっていた。この女の聖剣などまさしく斬鉄剣だろう、鉄どころか魂まで斬るが。
 一方で鋼で出来た剣が対戦車砲の直撃にも耐え得る様な物体の塊を貫き通す様な技術、となると実在はしないだろう、と思っていた。
 やはりあれも幻想の領域なのだろうか、ルサルカの例もあるしあの団体、実は魔法など使えても可笑しくない。魔法のような剣技であったのか、魔法による補助があったのかは定かでは無いが。

「……もしかして、ハインツ君?」

 ようやく頭に引っ掛かるものでもあったかベアトリスは眉を顰めて怪訝な顔を隠しもせずに俺の顔を覗き込んだ。

 そろそろフィルターにまで火が達しそうな煙草を、カッコ付けて目の前に持って来ると掌から炎を発する。
 あの時の様な恒星の表面に伍する熱量には少し足りないが、ちんけな葉っぱを焼き尽くすには十二分の熱。

 じゅ、と水の蒸発するような音とともに燃え尽きた吸殻が、僅かな煙を引き連れて空気の揺らぎに消えて行った。

「いかにも、アルフレート・デア・フォーゲルヴァイデと申す。だってさ。悪いけど次に戦場であった時は問答無用で焼き潰すからそのつもりで」



「アルフレート、ですか。元気でしたか?」

 知らなかった、と言う事は無いだろうと思う。
 それが事実であるとは思いたくなかったのだろうか、それとも改めて事実であると確認してしまうと衝撃を隠せないと言う事だろうか。
 ほんの数分ほど、あまり短くは無いが長くも無い間、ベアトリスは瞑目して何か物思いに耽っていたようであったが、ふと目を開けるとまるで世間話をするかの様に尋ねてきた。

 元気でしたか、と聞かれても困るのだが。

 元気で無い人間がわざわざ他人を刺しに砂漠地帯の戦地まで来るだろうか、家で寝てろって話だろ。

「俺はあんまり」

「あ・な・た・の事は聞いてませんっ!!」

 そうだね、随分久しぶりになるのにちっとも聞いて来ないし。
 君はもう少し俺の事を気に掛けてくれても良いと思う。

「はぁ、まぁ良いです。元気で無い人間が黒円卓に喧嘩売って生き延びる筈ありませんし。まだ生きてるんでしょう? なんで見逃したのかは分かりませんけど」

 小首を傾げて幾つかの疑問を口にするベアトリスだが、その碧い瞳に詮索の色は見て取れ無かった。
 これがシュピーネや神父ならば険悪にならない程度には根掘り葉掘り聞いてくるし、ルサルカやエーレンブルグならば殺し合いになっても構わないくらいの積もりで詮索するところだが。

 こいつにも言いたくない事があるのだろう、程度の考えでこんなに怪しい事を聞かないでおこうと思える気持ちの良い人格はそれはありがたいものだ。
 だからこそこうして世間話程度に話せるのだが、そう言った預けた背中を顧みないところが命取りである以上は何とも手放しでは有難がれない複雑な気持ちになる。

「いや、適当に吹き飛ばしたから分からんぞ。俺の勘では生きているが」

 何しろ逃げ切ったかどうか確認する前に爆撃を開始したのだ。
 最初の数発から後の数十発まで若干の時間差があったが、それでも最終的には直径3kmが焼け野原だ。
 最悪でもギリギリ生身である筈のあの男が果たして生き延びたか、など俺に知れる筈も無い。

「……やっぱり、あの爆発事故はハインツ君だったんですね」

 やっぱり、と不穏当な冠詞を添えた上で溜息を吐かれた。
 溜息を吐かれるような事だろうか、これでエーレンブルグがまた一人でヒートアップするだろうとなれば、その気持ちは嫌と言うほど理解出来るが。
 神父も盛り上がりそうだ、と気付いて更に嫌な気分になった。向こう何十年か会う予定が無いにも関わらず、自分の事であれが喜びそうと思うだけでこの不快感。
 流石は変態神父、ついうっかり殺してしまいそうなほど頼もしい。

「それ、そっちじゃ定説になってるのか?」

 なんともはや、年末に気合いを入れて大掃除をした直後のピカピカの台所で、件の黒い悪魔を発見してしまった様な堪らない気分で尋ねる。
 誰だこんな事を言い触らしたやつは。
 場合によってはそれなりの対応をしてやらんと。 

「貴方いつもふらふらとしてるから、あれだこれだと手広くやってるシュピーネじゃ流石に現在地は追い切れないそうですけど、少なくとも足取りくらいは簡単に掴めるみたいですよ?」

 隠しているわけでは無いので当然だろう。
 それでも一人で、それも片手間で調べを付けるのは至難なのは間違いないが。
 と言うかシュピーネは何をやっているんだろう、そもそも何をやっているのか掴ませないのが奴の最大の仕事と言って良いと思うが。
 不気味だ、油断するとさっくり後ろから不意打ちで寝首を掻かれ兼ねない恐怖がある。

「あの事故があった時にハインツ君がその辺りに居たのは間違いない、まるで戦略兵器で爆撃された様な有様なのに、周辺の国家は動いた形跡が無い。とあればそれを為したのは我々の同胞であると考えるのがもっとも自然。だそうです、アレも大したものですね」

 あ、あぁ、シュピーネが言って回ったの。そうか、なら仕方無いね。
 うん、俺あれと殺り合うの嫌だし。

「……まぁ良かったです」

「はぁ!?」

 うんうん、と独りごちた上で目からナニかが零れ落ちない様に夜空を見上げて和んでいると、予想だにしないセリフが耳に飛び込んで来て思わず飛び上がった。

 何こいつ、まさか心配してたとか言わないだろうな。

「元気そうで。ハインツ君がこんなところで死んじゃったら私肩身狭いですし」

 ……やはりそんな美しい情動があったわけでは無いか。俺も心配しちゃいなかった以上、当然相互してこいつも俺を心配するわけが無いとは思っていたが。

「『私、黒円卓唯一の常識人ですから』とか言ったらぶっ飛ばす」

 俺ですら身についた常識を失って久しいのにこいつが常識人なわけが無い。
 と言うか常識人が戦場の光になりたいと言ってマッハ440でぶっ飛ばすぜーって発想になるだろうか、普通。

「えっ?」

「いや、えっ、もへったくれもねーって。マジで言ってるのかお前は」

 なにカマトトぶってんだ。
 似合わないとは言わんが歳考えて欲しい、君もそろそろオバサンと呼ばれる年頃なんだから。

 ……流石に言わないでおこうか。

「いや、うん……お前も元気そうでなにより。お前はなにかと先走りそうで、たまに心配で堪らなくなる」

 本心からそう言うとベアトリスは物凄く微妙な顔をした。
 なんだろう、お前が言うなとでも言いたいのか。これで俺は"あれ"の暗殺を三度は思い留まったと言う素晴らしい功績を持つ我慢の人なんだぞ。

「だったら見ていてくれたら良いじゃないですか、私も引っ込んでるのはもう退屈で退屈で」

 退屈なら日記くらい続けろ、とか料理くらい手伝ってやれよ生活無能力者とか言いたい事は幾らでもあるのだが。

「それはつまり俺に毎日あの神父やブレンナーと顔突っつき合わせろと、そう言う事か? いやー、ほんとベアトリスさんは鬼畜だなー」

「きち……!? 嫁入り前の女の子に言うセリフですか、それ?」

 女の子……ねえ。

「そのオンナノコサマがこの色気のあるシーンで爆破事件の犯人はお前だ、とか恐怖の幽霊蜘蛛の話してるようでは」

 特に幽霊蜘蛛の話はやめておくべきだ。爆破事件の話も萎えるし。
 それにしても本当にこいつとはそう言う空気にならない。
 まぁこれはこれで楽しいし別に気にしちゃ居ないが。

「……まぁ良いです。……とにかく心配だったとか空々しいこと言うくらいなら、ふらふらと放浪するのは辞めてシャンバラで待機なさい」

 シャンバラ待機が黒円卓の騎士として正しいのか、代行とやらがおよそそうしている以上それが正しいのか。
 あれがどれほどの期間、諏訪原に座していてどれほどの期間、外地に飛んでいたのかは不明だが。
 エーレンブルグとルサルカはそんなもの守る気配も無さそうだし、シュピーネもたまに帰投する程度だろうに、なぜ俺はこいつに指図されるのだろう。
 俺は俺なりに唐突に振って湧いた第二の人生の自由な世界を謳歌しているのだが。
 ベアトリスはベアトリスなりに中間管理職的な苦しみを味わっているのだろうか。

「まぁ、……五十年経ったらね」

 その日になれば、守ってやらねばなるまいと思う。
 こいつが死のうがまだ見ぬ三代目トバルカインが死のうが、あるいは生き延びようが、大筋にはなんの影響も無いのだが。
 計算を狂わせる位にはなるだろう、予想を狂わせる位にはなるだろう。
 まして既知の破壊が出来るとあれば、それを躊躇う理由など無い。

「またそれですか……」

 前座とは言え、観衆に徹するつもりなどは微塵も無いことだし、リハーサルにはなるだろう。



 深夜ももう過ぎ去って、まさしく草木も眠る丑三つ時に俺たちは何をするでも無く南の空に輝く月を見ていた。
 あぁ全くもってこの女には月は似合わないのだが、それでも話す事は取り留めも無い世間話がようやっと。
 口下手なつもりは無いが自分から話す方でも無く、だからこそ何がどうと言うほどでも無い沈黙がしばしば続く。
 なぜだか知らないがその沈黙がいたたまれなくなって口を開いても長続きはしない。
 お見合いかクソったれ、と悪態を吐くがどうやら取り乱しているのは俺だけらしい。

 流石にいつまでも立っていると気疲れするのか、ベアトリスは俺の座っていたベンチの右半分を占領していた。
 先ほどから何も気にならないと言わんばかりの泰然自若とした態度で膝に手を乗せて月と、時折上がる紫煙を眺めている。

「なぁおい」

 もう随分な回数になる静寂とそれによる緊張感への敗北を喫し、罰ゲームを科せられた様な心持ちで声を掛ける。

「はい、なんでしょう」

 相変わらず返事が軽い。 

「帰んないの?」

「私にベイと同じ部屋で居ろ、と? いやですよ襲われそうです」

 まぁそりゃ確かに。
 こいつだって流石にあれの横で惰眠を貪るような愚かで無防備な女の子してる訳もなし、襲われたところでどうなると言う事も無いのだろうが、逆に言えば襲われたら襲われたなりに撃退するだろう。
 ともすれば、また一触即発の危機だ。現存する騎士団の中では一、二を争うベアトリスとエーレンブルグが例え戯れ合いの様なものでも戦闘を始めれば本当に街が一つ地図から消え兼ねない。

 その危険を犯す愚を思えば、少しばかり肌寒い夜風に晒されて月下美人気取っているほうがマシだと言う事だろうか。

「俺だって襲わないと言う保障は無いんだが」

 少なくとも、こうして隣に座っている肉体的にはまだ若いと言える大の男が、どこぞの野獣とは違ってお前は安全牌だと扱われるのは納得が行かない。
 街中とは言え夜の公園だし、シチュエーション的には如何にも色々と持て余して血迷った輩が一夜の凶行に身を滅ぼす、典型的な情景だろう。

 いかに自制心に定評のある俺と言えども突如として被った羊の皮を脱ぎ捨てて、ぎゃおーと襲い掛かったとして何の不思議も無い。
 
「ふぅん? そうですか?」

 が、事実上の襲撃発言にもこの余裕。
 男として見切られて居るのだろうか、お前はヘタレの甲斐性なしだと言われている様で……なんだろう、不思議と申し訳無くなる。

 加えて仮にそこに一人の男の安っぽいプライドとでも言うべきものを蔑ろにする意図があったとしても、信用だか信頼だかに根差していると思しき安堵感を示されては大人しく引き下がるを得ない。
 そして悲しいかな、野獣でも悪魔でも水銀でも無い心優しい俺にその信頼を裏切る事は出来ないのだ。
 ああ、なんて心優しいんだろう俺。

「チッ」

 結局、洒落だろうが冗談だろうが大人しくしているしか無くなった。
 ブレンナーやルサルカ相手なら掛け合い如きで遅れを取ることは無い、と自負しているがどうしてコイツにはこんなに手玉に取られるのだろうか。

「はぁ、参った。とりあえずなんか話してくれよ、色々と折れそうだ」

 今ここで心とかそう言う折れてはいけないものが、ポキリと静寂に響き渡るのを感じて果たして俺は俺のままで居られるだろうか。いや無理だ。
 それにしてもヴィッテンブルグ少佐に似たのか切った貼ったと惚れた腫れたには極端に強い奴だ。ネタにされたり揶揄されるのには弱い癖に。

 しかし「んー、そう……ですね」とわざわざ口に出して考え込んでいる素振りを見せるベアトリスには、慌てた様子は見られない。
 最初から何か言いたい事があったのだろうか。こいつだけずっとシリアスだったのかも知れない。
 もしかしてこの沈黙に堪え切れずギャグ時空を作り出そうと尽力していた俺の努力は全て空回りだったのか。

 一息に脱力してしまった。

「なんでも良いよ、聞きたい事あるんなら大抵は答えてやるし」

 こいつに聞かれて知りません存じませんとシラを切り通すつもりも余り無い。
 無分別に情報をばら撒いてもどうせ俺にとって都合の良い側の陣営にしか付かないであろうこいつならば、後々に不都合となる事はあっても致命的にはなり辛いだろうし。
 疑問、疑惑、疑念。そう言ったものがあるのならばここで払拭しておいた方がむしろ良い具合に回りそうだとも思う。

「……実はですね、聞いちゃいました」

 散々悩んだ末に漸くそう言って切り出したベアトリスが、何か笑い話を聞いたと言おうとしているのでは無い事は明らかだった。

「何をだよ」

 よりによってその話題か、とも思わなくも無いが、こいつらにとっては聞かずには居られない話題だろうか。
 これがシュピーネならば本人の努力もあって誰も気にしない、と言う事もあるのだろうが俺ではそうも行かないかも知れない。

「……ベイともちょっと話したんですよ。そりゃ出し渋りたくも無くなるわな、ですって。私もハインツ君があの黄金にどう言う想いで居るのか分かってるから、詮索はしませんけど」

 万に一つ、いや、億だとか兆に一つの可能性として、ベアトリスがエーレンブルグからそれとなく聞いて見てくれ、とでも言われた可能性を考慮してしまった。

 ありえないな、怖気が走る。奴が誰かに気を使うなんて事があればそれは間違いなく天変地異の前触れだ。

 『黄金に対してどう言う想い』だとかそう言うレベルでも触れられたく無い話題なのだが。

 "Wie lieblich sind deine Wohnungen,Herr Zebaoth! "《総軍の主よ! 貴方の座すところは如何に愛されているだろうか》

 やはり余人が聞けば思わず引いてしまう様な歌だろうか。
 確かに俺の中に僅かに残された常識的な感性でも、少々醜いとさえ思えるほど、あの黄金に対する劣等感が詰まっているように聞こえるが。

 逆に言えば、いかにも今の俺を表すのに相応しいと言う事だろう。
 腐れて歪んで、なによりどうしようも無いほど錆び付いた英雄願望の死にたがりにはお似合いだ。

「それが本当の創造、じゃ無いなら、だったらハインツ君の本当って何なんですか?」

 本当、とは要するに本当の創造と言う事なのだろう。
 思ったよりエーレンブルグから詳細を聞き取っていたようだ。
 エーレンブルグもエーレンブルグで、根掘り葉掘り聞いてきたのを上手くはぐらかし続けていたつもりだったが、要点がどこにあるのかはしかと見破られていた様だ。

 本当の渇望など英雄化に決まっているし、それが引き起こす世界の変革──否、自らの変生か──も一つしかありえないが。
 それを見る前から分かっていた、と言えるのは既知を持つ水銀と黄金と、場合によっては黒鉄の三人くらいのものか。

「……さぁな。でも俺がこの先、俺の本当とやらを見出す機会があればその時に分かるだろ」

 果たしてそんな日が来るのか、来るとしてそれはいつなのか。それがどんなものなのかも、自分が何をすれば良いのかも、想像だに出来ないが。

「そんなもの、どこにあるのかね」




[16642] 巻末注、あるいは言い訳【度の軽重問わずネタバレ注意】
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/07/17 11:08
!黎明編
 全体的に黒円卓の連中が何処に居たのか、何をして居たのか分からないため情景描写が甘くなっています
 特にベルリン侵攻では誰が、どのスワスチカを受け持ったか。どの段階で城が出たか、そんな事が全く分からないので時間の流れが凄い遅くなったりしてると思います
  あとベアトリスが止まらない



※ウルリヒト=ブランゲーネ
 ウルリヒトはそのまま原初の光、
 ブランゲーネはトリスタンとイゾルデに登場するスーパーなんだかドジなんだか良く分かんないメイド
 悲劇を回避しようと頑張るが結局、主イゾルデはトリスタンの後を追って死んでしまう報われない人
 
 欠乏のルーン、審判のアルカナ、聖槍十三騎士団黒円卓序列外、報われぬ原光ウルリヒト=ブランゲーネって感じ。序列外の所は補欠でも落ちこぼれでも

※アンナの奴
 言うまでも無くルサルカの事
 彼自身はボンキュッボンのド美人ルサルカに気付かなかった

※あれと同じ顔、同じ声
 どう見ても練炭で先割れボイスです
 本当にありがとうございました
 実はロートスと練炭はあまり似てないよとか言われたら爆発する

※ヒムラーだっけライニちゃんだっけ
 ブサイクハガル発言も含めて言わせたかっただけ系、
 よく分からないけど正しくはヒトラーの席なのかな


※損な奴
 もちろんルサルカだって慈善事業でやってる訳じゃない
 彼は基本的にお人好し属性である事を強調したかった

※ルサルカたん大好き
 彼はベア派、俺はマリィ派、正田卿は螢派?
 彼と俺も、俺と正田卿も所詮相容れぬサダメか

※ルーデル機からちょろまかし
 一介の新聞記者にしちゃやり過ぎな気もするが
 其処は諸方面の権力を活用して
 実際にルーデル機にサイレンが乗ってたかはちょっと分からない

※悪魔のサイレン
 本当にジェリコのラッパとか呼ばれた大仰なサイレン、Ju87の主脚部分にちょこんと小さなプロペラがあったら、それ
 これの独特の音が空爆に不慣れな兵士を恐れさせたそうな
 とてもでは無いけど人間に持たせる様な形状じゃない

※智泉の号砲
 Mímisbrunnr Waldhorn ミーミスブルン・ヴァルトホルン
 ミーミルの泉の角笛、ヘイムダルの神器ギャラルホルンの事
 未知の空爆に対する恐怖を核とした聖遺物
 他は若人の憧れ、未来に追加される(ルーデル閣下への)畏怖などなんじゃ無いかな

※アンナアンナアンナ略
アンナ!アンナ!アンナ!アンナぁぁあああわぁああああああああああああああああああああああん!!! 
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!アンナアンナアンナぁああぁわぁああああ!!! 
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん 
んはぁっ!アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンたんの紅色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!! 
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!! 
先輩√のアンナたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!! 
ドラマCD決まって良かったねアンナたん!あぁあああああ!かわいい!アンナたん!かわいい!あっああぁああ! 
サントラも発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!! 
ぐあああああああああああ!!!エロゲなんて現実じゃない!!!!あ…ドラマCDもCGもよく考えたら… 
ア ン ナ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!! 
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!スワスチカぁああああ!! 
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のアンナちゃんが僕を見てる? 
表紙絵のアンナちゃんが僕を見てるぞ!アンナちゃんが僕を見てるぞ!イベントCGのアンナちゃんが僕を見てるぞ!! 
エロゲのアンナちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ! 
いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはアンナちゃんがいる!!やったよマリィ!!ひとりでできるもん!!! 
あ、ルサルカBADのアンナちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!! 
あっあんああっああんあベア様ぁあ!!ザ、ザミエル!!リザぁああああああ!!!シュライバーぁあああ!! 
ううっうぅうう!!俺の想いよアンナへ届け!!スワスチカinシャンバラのアンナへ届け! 

※Des Knaben Wunderhorn 奇しき調べ、響き渡れ
 最初で最後の祝詞と成りつつある
 時よ止まれ、とかここに神の子顕現せり、的に使わせたかったが設定上二度と必要無い
 原訳は「少年の不思議な角笛」
 ラインハルトのTuba Miram 妙なる調べ、総軍に響き渡り、と掛けている、こちらは原訳は奇しきラッパの調べ

※事象展開型(インテリ)
 紆余曲折合って明らか武装具現型のサイレンを事象展開型にせざるを得なかったと言う
 能力は音の聞こえる範囲へのスツーカの再現
 体中心だろうが空中心だろうがスツーカと言う兵器が起こした現象を再現する、と言うもの
 強過ぎじゃね? と言われたらルーデル閣下の聖遺物が弱い訳が無い、と答えます。



※十点満点で五点
 ドラマCD、Die Morgendämmerungでルサルカが言っていたセリフ、別に十点満点と言う訳でも無く配点が一桁だっただけだったのかも知れない
 なおシュライバー9点 ザミエル、ベイ7点らしい。その後の反応を見るに獣殿は20点くらいだろうかw
 ルサルカの自己評点が気に成る所
 ジークフリート君は6点くらい

※憐れなエキストラ
 上記より自虐出来る性能はしてないんだが、彼は生前の自虐癖が未だに治ってない、と言うアピール

※もっと人間辞めた連中
 マキナ卿みたいな人間臭さが残った人物が手加減しても温情見え見えで腹が立つと言っている様です
 ベイみたいなエゴイズムありきで手加減されまくりでも気にならないみたいです

※自分の炎は自らを傷付けない
 後から気付いたけど服燃えない理由が無い
 霊性の炎は服とか物質的なものは焼けません、と言う事で一つ
 アホタルとかザミエル卿とかがBriah!! 服ぱーん、いやーんって展開が無い理由はこれしかない!!



※赤銅
 黄金、水銀、と来たから赤銅。彼の執念が成し遂げた類似
 蓮も目変わるんだから良いだろうよ、仕方無いなぁ、と言う会話が脳内であった

※英雄に成りたい
 ラインハルト以下多くの黒円卓メンバーにバレている彼の渇望
 多分メルクリウスがブサイクハガル発言の仕返しにバラした

※ヴァルハラに招待しても
 ヴァルハラ住人=英雄じゃね? だから来いよ
 とっくに死んで腐りきった蛆まみれの頭でこいつ(渇望)を測るな、ブッ殺すぞォォオオオ――ッ! 
 って会話、ベアトリスが後ろでお前が言うなよって突っ込んでいます

※マクスウェルの悪魔
 作中でやったマリィNTR拉致監禁より凄い気がするけど
『獣殿だから何でも出来るんだよボケが』
 って思ったら気軽に黄金錬成(ゴルデネエイワズ)してくれた。さすが

※醜悪な混種の魂
 ダブルアップとか並行励起とか共鳴とか座から汲み上げてるとか、そんな理屈で凄え燃費良い
 シュライバー少佐がアフターバーナー積んだ超音速戦闘機ならジークフリート君はスーパーカブ、エコ。

※マキナ卿にも俺の事を教えたな
※お姉ちゃんだの何だの
 詳細は騎士団編参照、編集の都合上順序が逆転した
 マキナ卿も彼が転生している事は知っている
 
ザミエル卿の事はギャグ補正時限定でエレオノーレお姉ちゃん少佐、略してエッちゃん少佐と呼んでいる。

※レール敷き
 既知の結果を引き寄せる、と言う既知、明日宝クジが当たると既に知っていれば明日は宝クジを当てさせられる
 前世の記憶があって始めて意味のあるもの、自分には何の関係も無い
 要するにバタフライ効果の否定で、あとはそうなる様に動くんだから当然そうなりますと言う話

※皆まで言わずとも分かってますよ
 彼はツンデレ、ベア好きだし
 因みにこの時点では彼は玲愛ルートを考えています
 まぁ一番丸く収まるので当然ですね




!騎士団編
 ドラマCD発売の話で消し飛んだ双頭鷲編を補うため急遽作られた一話完結と言うかワンシーン完結の章
 内部的にL∴D∴O編とL☆D☆O編に分かれている……かも知れない

騎士団編は時系列順では無く基本的に番号順に投下しております。
 そのため多少分かりにくくなっているかも知れません。
 混乱した際は下記を参照してみて下さい。
ルサルカ>>>ジークフリート>>>(一話)>>>ラインハルト
>>>トリファ>>>ザミエル>>>(笑)>>>リザ
>>>ベイ>>>シュライバー>>>マキナ>>>(二話、三話、四話)>>>ベアトリス
 特にベアトリス編はそのまま四話の続きとなっています
 


III.Christof Lohengrin
※トイレの心配
 アッー!!
 一番下品なのはジークフリート説


IV.Kaziklu Bey
※そぉいっ
 そぉいっ
 単なる嫌がらせ。脳筋だと思ってたベイに雰囲気で呑めとかそれっぽい事言われてムカついたのかも知れない
 作者の中ではジークは既に酔っていた、ジャガーネタだと気付いたのは書いた後だった

※愉快に痛快に
 指がッ……勝手にッ……止まらないッ
 色々危ないのでさっさと打ち切った

※内分泌とか
 出来るよね? 多分
 公式に出来なかったとしても展開上関係無い
 たとえそうであったとしても構わない

※そぉい
 そぉい
 笑わなければ気合いは入る。確かに入る、笑わなければ
 ラインハルト、リザ、ベイは原作中でもお酒を召して居られるシーンが有るので、白×白コンビの間できっとこんなエピソードがあったんでしょうw


V.Walkure
※十も年上なんだぞ
 ベアトリスは1923年7月生まれ、現在はどう見積もっても1945年の五月初頭
 一話よりジークフリートは1905年生まれ、ザミエル卿は1915年生まれ

※イヤラしい目
 人様をからかう人間のする嫌味ったらしい目
 思えばこれがどうしても性的な意味に見えてこんな展開に
 ベアトリスはこの話の汚れ役かも知れない。アホタルが居ないからw

※色目
 もちろん、黒から青、青から赤に変わる信号機じみた目の事じゃ無い
 さすが転生オリ主、無意識でもフラグ立ては忘れないぜ

※甘酸っぱい所
 夕焼けの屋上で仲良く罵り合いごっことか、夕焼けの公園で仲良く罵り合いごっことか、
 あれ? どっかで見たな?

※俺は……。
 なーんてね、こんな事で本気になってなんて恥ずかしい人、きゃー
 え、あ、あ
 冗談に決まってるじゃないですか
 うぉー、てんめぇええぇぇっ
 で、脳内補完すると良いと思う


VII.Goetz von Berlichingen
※さりげに音楽業界に革命を
 第一の革命、前話ツンデレにて第二の革命

※器用なものだな
 マキナ卿も認める小器用活動
 ザミエル卿の凶悪な中間の余技を除けば最強の活動かも知れない

※真実の意味で
 神のゲットーに囚われた時点で無限ループ要員
 既知世界以降の記憶は吹っ飛んでいるから分からないがもう何億回も繰り返したかも知れない
 しかし始まる時はまた座を通って零れ落ちた所から

 ちょっと難しくてこじつけている部分があるので、死んだら一話からまたか。と思って下さい。

※Auf Wiedersehn , Kamerad
 このセリフの格好良さに痺れた人は俺だけじゃ無い筈
 俺でも言ったら格好良いんじゃね?
 と思ったけどマキナ卿に貫禄負けした恥ずかしい一幕


VIII.Melleus Maleficarum
 特に何も無し

IX.Samiel Zentaur
※エッちゃん少佐
 エレオノーレお姉ちゃん少佐
 恐らくジークフリートが黒円卓メンバーに贈る最強最悪の厭がらせ

※婚前交渉する様な女とは結婚出来ない
 史実上のラインハルトがぶちかました迷言
 海軍時代にお偉いさんの娘に手を出したら責任取れって言われたでござるってな状態の時に言ったらしい

※バレたから困る事
 黄金に掛ける願いの矯正の事
 三話参照のこと
 結局意味が無かったのでバレたら困る事など無かった

※撫でポ
 寧ろ見る嫌です、モテてません

※ご主人様
 虚世界・妄想変生


X.Rot Spinne
 なんもなし


XI.Babylon Magdalena
※ヴィクトリアンメイド
 少し前まであったメイドブームに挑戦的であったメイド原理主義者達が掲げる教義だったような
 リザはフレンチよりこっちが似合うだろう、と言うだけの話でもある
 原作中でもリザ、エリー、ベアトリスはメイド服着るくらい頑張って欲しかった。燃えゲーだから仕方無いのか。

※ヴァルトラウテ
 ベアトリスのミドルネームはヴァルトルート

※ち◯ちん
 聞くが卿ら、女の子にしか見えない犬が居たら試さずに済ませられるか?
 否、断じて否
 冷静に考えたら設定上、少佐がちん◯ん躾けた事にな(メモはそこで途切れている

※犬は犬らしく
 後で気付いたけど
 深読みしたら交際認可にも見えなくも無い
 業の深い願望が夢の中のモノローグにまで顔を見せたのか

※まさかエッちゃん追加
 未知過ぎて頭がパンクした
 人間の限界に踏み込んだ気がした
 書ける訳が無い


XII.Hrozvitnir
※何がお気に召したのか
 ラインハルトはキレないだろう、って思った位で獣殿の席に座っちまえる様なキレたおつむ
 と言うか主にキレたおつむに同属意識を持たれた


null.Urlicht Brangane
※十点とは言わずとも
 限界値はおよそ九点、現時点で四点、三話時点で六点






!ネタバレ注意










I.&null.Heydrich
※金髪のジークフリート
 ラインハルトの海軍時代の尊称
 拙作のタイトル、ハマり役だと思う。google検索候補第一位になってしまい公開羞恥プレイ状態に。
 兄に"ジークフリート"を奪われた彼の気持ちはどうだっただろうか。

※ジークフリート・ハインツ・ハイドリヒ
 実在の人物。ラインハルト・ハイドリヒの一つ年下の弟。
 調べてもほぼどう言った人物なのか知ることは出来ない。
 獣殿を兄に持った彼は何を思って生きただろうと想像した時にこのお話が生まれました。


解放済み注
※ブサイクハガル
 貴方自分のお兄ちゃん怖いですか?
 俺は怖くない、だって俺あいつがあぶぶとか言いながらオムツ穿いてた頃から知ってるんだぜ?
 って事です、そもそも全く怖くなかった

※主人公強過ぎね?
 獣殿の弟が弱い訳が無いじゃないか!!

※団員に恐れられる理由
 顔はラインハルトとかなりよく似ている。
 ちょっと背が低くて行儀の悪い表情と存在感の大小が主な違い。
 しかもルサルカ化物検定で実質シュライバー級、そりゃ怖いです。

※立ち位置
 黒円卓の弟とか、門番とか、見張り番とか色々あるけど。
 格好良い呼び方が思い浮かばな、いや、特に無いのもハインツらしいな、と

※エッちゃん少佐
 正しくはエレオノーレお義姉ちゃん少佐の略だった。
 言われて嬉しいんだから怒る訳が無い。





!Doppeladler 双頭鷲編

改め

!Durst
 渇望と訳して良いと思う、渇望編

 噛ませ犬としては双頭鷲ってちょうど良いよね

 まぁ大体の展開はこれで良いかな

 双頭鷲一体どんな攻撃してくるんだ?

 ドラマCD発売決定! やっt……11年前の話だと?

 再考の余地有るな

 暗黒時代開始、双頭鷲が予想を遥かに超えて動かし難かったのが敗因

「ここはお願い中尉で、いやいや、頼り過ぎだろ」→ → →「じゃあ雑魚出す?」→ → →「あー、アルフレートは動くね」→ → →「でもこいつら弱過ぎね、ハインツ大人げなくね」→ → →「やっぱり中尉に……でも頼り過ぎだし」

 以下無限ループ

 悟りの境地←今たぶんココ


!一話
 特に無いと思う

!二話
※600メートル
 音の聞こえる範囲、の詳細。
 この領域内が形成の領域。
 同じく事象展開のルサルカにも領域がある筈だが作中では触れられていなかったと思う。まさか無限遠では無いだろうし……。

※アルフレートの剣
 名剣とかそんなレベルでは無い全盛期ベアトリスの戦雷の聖剣と打ち合える以上、生半可な代物ではない筈。
 このあたりのディテールは語られないけど気になるところですね。



[16642] 小話IF 和洋折衷
Name: 宿紙上座◆c7668c1d ID:767d7c12
Date: 2010/03/08 11:53

 注意。
 怒りと悲しみと勢いに任せて書いたIF短編です。
 本編とは何の関わりもありません。何の伏線も有りません。色々と矛盾あるかも知れません。
 そんなもん読みたくねーよと言う方は早急にUターンを推奨いたします。





────────────────────────────────







「ああ、ハインツ君。お茶なら私が淹れて差し上げますよ?」

 ある日の昼下がり、何の気まぐれかベアトリスが自発的にお茶汲みを買って出た。

 日本に帰ってからは日本人の魂を呼び覚ますため、そしてコーヒー紅茶のステインに染まり切った味覚を破壊するため、俺は専ら緑茶を好んで飲んでいる。
 その趣味が高じて値段も価値もそこそこの茶器──すなわち急須と湯呑みであるが──まで揃え、暇になればこれを嗜むのが日々の日課となりつつあった。

 特にベアトリスが湯呑みと共に食器棚から取り出して来た急須は偶然、焼き物屋で運命の出会いを果たし、一目惚れに惚れ込んで購入したお気に入りの品。

 たかだか五桁の品物であるが、その時はたまたま持ち合わせが少なく多いに悩んだものだ。
 その時のエピソードはベアトリスも隣に居たために知っている。
 良家の娘だったにも関わらず茶器への拘り、そこに介在する究極への追求が理解出来ないらしいベアトリスは隣で呆れて果てて居た様だが。

「なんの風の吹き回しだ、日頃は大抵お任せって態度取ってる癖に」

 急須と湯呑み、そして茶漉しと茶葉を入れた缶。順番に取り出して来て卓上に並べて行くベアトリスに言った。

 炊事に掃除、およそ問題無く殆んどの物事をそつなくこなす優秀なスーパーエリート、ベアトリスはブレる事は無い。
 ブレる事は無いがそれだけに嗜好の段階には弱い、侘び寂びが全く理解出来ないらしいのだ。

 美味しいものが作れない、美味しいものが淹れられない。
 ダメージジーンズの良さも分からないし、障子に穴が空けば直ぐに張り替えようとするし、先日に至ってはミロのヴィーナスを扱き下ろしていた。
 ああ、確かにお前の方が美人かも知れませんね。

 それがあって何時もは俺が食事の支度をしていたし、茶を淹れるのも多くは俺だ。
 ベアトリスはハインツ君の方が美味しく出来るんだからハインツ君がやって下さいよ、とやる気が無い。
 別に掃除洗濯とメイドじみた事は一通りやって貰っていたのでそれは全然構わない、炊事にしても全くやらない訳でも無いのだし。

 だがその腕前で茶を淹れて出されるのだけは我慢ならず、先日ざっと百煎ほど淹れさせて遂に美味い茶の何たるかを教えるのに成功した。
 これがまた難物で、美味い茶の何たるかが理解出来たから、美味い茶を淹れられるとはならないのが一筋縄で行かない所だろうか。

 もっとも淹れるのに関しては俺とて美味く淹れられていると大言壮語するには程遠いため、ある程度は仕方なかろうが。
 気は長く持って二人で研鑽を続けて行けば良いのだ。
 そう言う訳でベアトリスが茶を淹れてくれると言うのは、そう悪い話でも無い。

「いえいえ大した事ではありません。日頃は色々と美味しいものをご馳走になっていますし、たまにはペイしないとダメな女になっちゃいますから」

  ペイなどと帰化国語に届いているか怪しい英語紛いの言葉を使って苦笑を見せるベアトリス。
 どうせペイしてくれるなら茶以外の何かが良いんだが、まぁ口には出すまい。
 自発的にそれをするから意味があるとも言える、流石元日本人だけに侘び寂びは分かっている様だ。

 かぽーん、と鹿威しの音が響く。

 純和風庭園、などと訳の分からぬ言葉を用いるのは好かないのだが、要するに日本固有の庭を目前にしながらでは金髪の美女は少々目立ち過ぎるが、まあそれも日常的ならば悪くない。

 以前には着物を着せようと頭を下げて頼み、嫌がられたのでせめて浴衣、浴衣だけでもと食い下がってとうとう着せたと言う事件もあったが、面倒臭いと言うのでそれっきりになってしまった。
 偉く嫌がられてしまったので俺もそれ以来諦めてこのミスマッチを楽しむ事にしている。

 どうせミスマッチは自分も変わらないのだから。

「まぁたまには良いだろう。ありがとうベアトリス、任せる」

 と言ってやるとたおやかに微笑んで湯を沸かしに台所に向かう。

 我ながら良く教育したものだ。
 前世から惚れていた女性に大和撫子観を熱く語りそれを押し付けんとするドイツ男など、一般女性からして見れば塵に等しい存在だろう。
 にも関わらずはいはいと笑って聞いて、気が向けばそれを実践して行くベアトリスは実に良く出来たやつだ。
 
 これはひとえに教育的愛のムチはおろか、気に食わなければすぐに激しい調教のムチを振るったエッちゃんのお陰とも言える。
 感謝しております、お義姉さま。

 しゅんしゅんと湯気の噴き出る音が聞こえると程無くして薬缶を持ってベアトリスが部屋に帰って来た。
 畳敷の和室、薬缶、金髪美少女。
 やはり芸術はシュールレアリスムか。

 お揃いの湯呑みに白湯を注いで軽く冷ましている間に、急須に嵌めた茶漉しに茶葉を一匙、二匙と加えて行くベアトリス。

 ブラウスに裾の短いデニムのジャケット、ぎりぎり膝上までの丈のブラウンのスカートに黒タイツと、誰かの好みをそのまま写したかの様な服装は彼女にもこの和室にも似合っているとは言い難かった。
 いや、美人は何を着ても似合うのだが、そう言う事では無く。

 要するに俺とても服や場に大差無く────

「はい、入りましたよ」

 ことり、と音を立てて置かれた湯呑みに意識を取り戻した。
 さほど熱くも無いだろうとは分かっていたがついつい癖で息を吹きかけ、冷まそうとした後に恐る恐る啜る。
 苦い。

「どうですか、美味しく出来ましたか?」

 苦いけど、確かに美味しい。

「ああ、とても」

「そうですか、良かった。ちょっと出し過ぎたかなー、なんて思ってたんですよね」

 ……ちょっと待て、今のは素直過ぎた、ありえない。
 と言うか気のせいだと思ったら本当に苦かったのか、中々に優秀な誘導尋問だ。
 もう一度、今度は思い切って口腔に満たす。
 苦い。

「前言撤回、苦い」

「ちょっと!?」

「苦いけどおかわり」

「……ハインツ君? ツンデレも、そこそこに、しておいた方が、長生き出来ると、思うんですよね?」



 無事に飲み終えて片付け始めるを眺めながら余韻に浸る。

「ベアトリス」

 可哀想だから声をかけてやる。
 折角淹れてくれたのに先の反応は酷過ぎるだろう、ニブくは決して無い心は重々理解していた。
 大体、美女の汲んでくれた茶ほど美味いものは無い、であるならばこの安い意地如き叩き売っても構わない。

「良かったらまた淹れてくれ」

 だから素直に言ってやる。
 短い付き合いでも無いベアトリスは恐らく言わなくても理解して居ただろうが、言わないよりは言った方が良いに違いない。 

「え、えぇっ!? いきなり何言って、ってあわわ」

 がちゃん。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………えへっ」

 先述の通り、この急須は惚れ込んで惚れ込んで、なけなしの金を投入して買った特別お気に入りの品だ。
 割れるのは構わない、仕方無い、形有るモノは遅かれ早かれ何時か壊れると言うのは今更確認するまでも無い。
 ただこの行き場の無い怒りを、咄嗟に媚びて誤魔化そうとする犬根性が染み付いた女に向けてはならないのならば私はどうすれば良いだろうか。

 大丈夫、ちょっとくらい激しくたってこいつは壊れやしない。



「ああ、今日はとても良い気分だ」

 あの星との間に邪魔するモノの何も無いこんな晴れた日なら

「なんだって越えられる気がする」

 だってそれが俺の渇望の顕現だから

「Briah── 創造」



「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい!! いくらなんでも洒落にならないと言うか、本編でもまだ出てない必殺技をここで公開は如何なものかと言うか!!」

「うるせえ、黙って俺の愛を受け止めろっ!! ちくしょう」




 後日、ベアトリスはお詫びと称して新しいティーポットを買って来た。
 残念ながら急須では無くティーポット。
 価格も多分、丸一桁下がっているように見えるが価格が重要なわけでは無いし、わざわざそこに拘泥はすまい。

 恐らくこいつなりに良いと思うものを選んで来たのだろう、ティーポットと急須の差が分かって居なかったのは誤算であったが、そう言うミスマッチも悪く無い。
 ただし

「次買ってくるならもっと高くて丈夫そうなのにしろ、出来るだけ長く使ってたいからな」

 それでも壊れる時は壊れるんだろうが、それでも叶うならば何時までも使っていたい。

「へっ? ハインツ君が素直にそんな事言うだなんて、今日は雪なんですかね」

 虚をつかれてか僅かに朱の差した顔をにやり、と嫌な笑みに変えて言われた。

「…………てめえ」

 こいつの言う通りだ、意地を張るのもほどほどにしよう。




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