その地には、元々、許という街があった。
河南郡、すなわち中華帝国の要たる中原に位置する許は、しかし人口は万に満たず、申し訳程度の城壁に囲まれただけの小さな街に過ぎなかった。
そんなありふれた小都市が、一躍、中華にその名を知られるようになったのは、先の洛陽の大乱以後のことである。
後漢の帝都は、建国以来、洛陽から動くことはなかったが、董卓、そして朝廷の高官たちが引き起こした先の大乱により、洛陽は炎上、そこに住んでいた多くの民が都から焼け出されることになった。
その数、数十万。董卓打倒に集った諸侯も、これだけの数の難民を領地に受け入れることは出来ず、また遠征軍を長期に渡って維持してきた彼らに、洛陽を再建するほどの財政的余裕があるはずもなかった。結果、諸侯は洛陽の難民を半ばうち捨てて帰国の途につかざるを得なかったのである。
住むところを失い、食べる物もなく、明日を生きる術を見つけることも出来ない。洛陽の住民は呆然と立ちすくむしかなかった。もし、この状況がずっと続いていたならば、洛陽とその周辺では、戦時に優るとも劣らぬ凄惨な光景が展開されることになっていたであろう。事実、一部では難民同士の小競り合いがすでに頻発しており、賊徒と化して他領へ流れる者もかなりの数、出ていたのである。
数十万の棄民が押し寄せれば、千や万の守備兵で止められるはずもない。阻む者がなくなれば、難民は賊徒に変じ、中原の城や街を押しつぶす海嘯となっていたであろう。
だが、幸いにも、そんな地獄絵図が現実になることはなかった。一人の人物が、地獄の現出に待ったをかけたからである。
姓を曹、名を操、字を孟徳。
反董卓連合の発起人にして、朝廷の高官による一連の陰謀を粉微塵にしてのけた若き英才。
曹操は陳留の大富豪である衛弘の全面的な協力の下、許の街を大拡張し、食料を山と積んだ上で洛陽の難民を許へと誘ったのである。
住むところを失った人々が、この誘いを拒む理由がどこにあろう。数十万とも言われていた難民は、そのほとんどが許への移住を望み、受け入れられた。
当時、衛弘の財――つまりは曹操の金蔵は、先の董卓の乱の軍備と、その後の許拡張、難民の誘引と続く一連の行動によって、ほとんど底をついたと言われている。
一時的に庫を空にした曹操は、その代償として数えれば百万にも達しようかという難民の、絶大な支持を得ることになった。彼らは許の民となり、さらに漢帝を奉戴した曹操が、皇帝を迎えて、街の名を許昌と改めて後も、漢ではなく曹操を支持する態度をかえることはなく、後の三国争乱において、曹魏陣営を支える巨大な柱となるのである。
青州黄巾党を傘下に加えたことが、魏武の強の魁であるとするならば。
洛陽の難民を許昌へと迎えたことは、曹魏の世の礎を開いたと言えるだろう。
この許昌建設に加え、青州黄巾党の討伐、呂布、張超との兌州争奪戦、陶謙領徐州への侵攻といった大規模な軍事行動のことごとくを成功させた曹操は、いまや衰亡した漢朝に並ぶ者とてない実力者として、一日ごと、一刻ごとにその影響力を増大させていた。
この状況に危機感を抱く者は朝廷の内外に少なくなかったが、朝廷内の反曹操派は、先の張超の乱鎮圧後、曹操麾下の荀彧によって一掃されており、その声が大きなものになることはなかったのである。
ただ、その処罰された者たちの中に、三公の最後の一人、司空張温が含まれていた。このことが、朝廷にもたらした影響は軽視できるものではなかった。
現帝劉協が即位した際、三公の座に就いたのは太尉董卓、司徒王允、そして司空張温。
うち続く混乱によって、董卓と王允の後任はいまだ定められておらず、最後の三公であった張温が処罰された今、朝廷を主導する高官は不在となった。
無論、新たな三公の選任は幾度も提議されたのだが、現状、その任に耐え得るだけの能力と識見を持つ人材はごくごく限られており、そしてその中でも雄なる候補は朝廷の存在を脅かすと目されている人物であったことから、結局、新たな三公が任命されることはなかったのである。これまでは。
だが、徐州戦の勝利後、停滞していた朝廷の人事は思わぬ形で刷新されることになる。
それは皇帝自身が群臣に示した新たな形。すなわち三公の廃止と、それに代わる丞相職の復活であった。
それは単純に言ってしまえば、三公に分散されていた権限を一つに束ね、丞相に委ねるということで、文字通りの意味で人臣の最高位として丞相という職を復活させることをさす。
そして皇帝がその職に任命した人物こそ、曹孟徳だったのである。
皇帝自身の口から出た人事とはいえ、影でそれを画策した人物がいることは誰の目にも明らかであった。
廷臣の中には、憤激のあまり冠を投げ捨てる者が多数おり、一時、朝廷は騒然とした空気に包まれる。
しかし、曹操の武威と影響力はもはや一介の廷臣のそれを大きく越えていた。智勇双び備えた配下を数多く抱え、強大な兵力と巨大な武勲を有し、民衆の人望を一身に集める曹操に対し、正面から異を唱えることが出来る廷臣はいなかった。
また漢に叛旗を翻した偽帝の勢力が淮南を席巻し、中原に及ぼうとしている今、その脅威に対抗できる者もまた曹操しかいないであろうことは誰の目にも明らかであったのだ。
かくて漢の丞相曹孟徳が誕生する。
ほんの数年前まで、宦官の子と侮られ、私兵すら持ち得なかった一介の廷臣が、今や丞相となって朝廷を主導し、天下に臨もうとしている。鴻が羽ばたくにも似たその飛躍がいつまで続くのか、そしてどこまで続くのか。それを見通せる者は、誰一人としていなかったのである。ただ、本人を除いては……
◆◆◆
許昌の中心部にほど近い豪壮な邸宅。
関羽が曹操から与えられたその屋敷の一室で、俺は許昌の現況を関羽の口から聞いていた。
淮南での死戦によって傷ついた身体は全快にはほど遠く、俺は寝台に横になりながら、何かに急かされるように、次から次へと言葉を紡いでいく関羽の様子を、半ば呆気にとられて見やっていた。
関羽の手元には、曹純と許緒が見舞いに持ってきてくれた林檎が握られており、先刻から壮絶な音と共に皮を剥かれていた。ざしゅ、とか、ぐしゃ、とか。どう考えても皮を剥いている音ではない音が響く都度、俺はなにやら居たたまれない気分になっていった。
食べ物を粗末にしているという実感ゆえ。もちろんそれもあったが、それ以上に関羽の様子を見ていると、数日前に目覚めた時の状況を思い浮かべてしまうのである。
――いや、つまり関羽に抱きしめられて、その胸で窒息しそうになった時のことを。あの軟らかさと心地良さと良い匂いを、どうやって忘れろというのだろう。
肩と脚の怪我? 戦の疲労? そんなものは一瞬で空の彼方まで吹き飛びましたとも、ええ。
ついでに、はっと正気づいて己の行動を認識した後、顔を真っ赤にして慌てふためく関雲長の可愛らしさといったら、黄河の氾濫並の破壊力で、俺の心の堤防は一瞬で破却されてしまったのである。
いつの間にか頬がにやけてしまっていたらしい。目ざとくそれに気付いた関羽が、口元に険をあらわしつつ口を開く。
「な、何をにやにやと笑っているのだ、一刀」
「あ、いや、別に何でもございませ――ではない、なんでもないですよ、雲長殿」
敬語を口にしようとして、俺は慌てて言いなおす。「雲長殿」などという慣れない言い回しに舌がもつれそうになるが、これは関羽たっての希望なので従わざるを得ない。
関羽曰く「もう同格の将軍なのだから、要らざる遠慮は不要」とのこと。
確かに俺は玄徳様に長史に任じられ、太史慈が意識を失った後は半ば強引に高家堰砦の将として指揮を執った。劉家軍の将になったと言って、あながち間違いではないだろう。もっとも、だからといって中華に名を知られた美髪公と同格になったなどとは決して思っていないが。
まあ、関羽の言うところは互いへの言葉遣いや態度を、僚将のものに改めるくらいの意味だと思ったので、頷くことにしたのである。
が、正直、今は違和感だらけだ。関羽自身も「一刀」と俺に呼びかける際の違和感を拭えずにいるのが傍目にも明らかだった。多分、趙雲に準じているのだろうが、別に呼び方は今までどおり「北郷殿」でも構わないと思うのだがなあ。
まあ、時が経てばどちらも慣れていくのだろうけれど。
そんなことを考えていると、関羽は「ならば良いが」などとぶつぶつ言いつつ、果肉を削ぐ作業に戻っていく――残念ながら誤字ではない。
そのうち、ギャグ漫画みたいに芯だけ残った林檎を食べないといけなくなるのだろうか。そんないやーな予感を振り払いつつ、俺は関羽や曹純から聞いたことを反芻する。
それは高家堰砦において、俺が意識を失った後の経過であった。
◆◆
結果から言えば、高家堰砦は守られた。
迫り来る李豊の刃は、予期せぬ高順の行動によって防ぎとめられ、湖面を焼いた火計と、駆けつけた曹操軍――曹純、曹仁、曹洪らの奮戦によって、仲軍は砦への攻撃を諦めざるを得なくなり、内城にいた陳羣と孫乾、そして広陵から逃れた人たちは無事に曹操軍に保護されたという。
いや、伝聞形式で記す必要はなかった。目覚めた当日、その話を聞いて息をきらせて駆けつけた陳羣と孫乾に、俺は深甚な感謝を示されたのだから。
一番の気がかりが去り、俺は心底ほっとして、安堵の息を吐いたのである。
もちろん、それ以外にも気がかりはあった。玄徳様たちは無事に長江へ逃げられたのか。太史慈と廖化は。俺をかばったという高順は。関羽と一緒にいたはずの張飛と趙雲はどこへ行ったのか。
そんな矢継ぎ早の質問に、関羽と曹純はかわるがわる答えてくれた。
まず、玄徳様たちは、どうやら無事に長江へ逃げられたらしい。何故「どうやら」「らしい」などという言葉がつくかというと、江都の県令である趙昱が害され、代わりに立った窄融なる人物が仲に従ったため、そのあたりの詳細が掴めなくなってしまったのである。
ただ長江に浮かぶ多数の軍船は多くの人々に目撃されており、その船団が長江を遡っていく光景は誰に隠しようもない。この情報は、後に江都から脱出してきた者が淮河を渡って来たことで確報となり、玄徳様と劉家軍は荊州へ逃れたことが明らかとなったのである。
一方、太史慈と廖化の行方に関しては、はかばかしい成果を得られなかった。少なくとも曹操軍の陣門に二人が姿をあらわすことはなく、おそらくは南の方向――江南か、あるいは玄徳様の後を慕って荊州へと逃げ延びたものと思われた。月毛がいるから、袁術に捕まる心配はいらないが、太史慈の体調だけが気がかりであった。
高順に関しては、なおも複雑な話となる。
俺自身はまったく覚えていないのだが、許緒と曹純によって討ち取られる寸前だった高順は、俺が身を挺してかばったためにあやうく戦死を免れたという。
その際、あやうく俺を刺しそうになった曹純が思わず俺の名を口にしたことで、高順は俺と曹純が知己であることを知ったらしい。そして、高順は曹純に対し、自分たちと戦うつもりがあるか否かを問いかけてきたのだそうだ。
本来であれば、頷く必要もない言葉である。だが、高順の短い言葉の中に、主である呂布と、仲との関わりに思うところがあることを悟った曹純は、あえてそれ以上高順らと戦うことを避け、城外への離脱を見逃すことにした。
無論、あえて戦えば、飛将軍と陥陣営、この二人とまともにぶつかり合わねばならないということを鑑みた上での決断であった。策略である可能性は無論あったのだが、高順の直ぐな眼差しを見た曹純は、その可能性は極めて低いと瞬時に判断したらしい。
事実、城外に出た呂布らは曹操軍との対決を避けるように南へと逃れ、結局、そのまま一矢も交えることなく退却していったのである。
しかし、この呂布と高順の一連の行動は、明らかに仲への異志を感じさせるもので、南へ逃れた彼女らに対し、仲帝袁術がどのような態度をとったかはいまだ明らかになっていなかった。
そして張飛と趙雲に関してだが、これは関羽の進退とも関わりあう。
「結論から言えば、二人はもうここにはいない。一刀が守った牙門旗をもって桃香様の下へと赴いた」
関羽はそう言って、曹操との間に交わした約束を口にした。
今回の劉家軍の行動が、皇帝に逆らうものではないことを釈明するため、関羽が許昌に赴くこと。そしてそれが嘘偽りでないことを示すために漢の旗の下で戦うこと。言葉こそ違え、それは関羽が曹操の麾下につくことを意味する。俺は瞬時にそのことに思い到り、愕然とした。
関羽がその決断に到った理由の中に、俺の存在があったことが明らかだったからだ。関羽は一言もそんなことは言わなかったが、今回の戦の経緯を振り返れば、その程度のことは俺にも理解できた。
関羽の玄徳様への忠節、玄徳様の関羽への親愛。二人の互いへの気持ちの深さを、一端なりと知る身であってみれば、その二人を引き裂く原因となった我が身を責めずにはいられない。
だが、そんな俺のひきつった顔を見て、関羽はむしろ穏やかに笑ってこう言ったのである。
「別に一刀のためにやったわけではない。自分のために、などと思う必要はないぞ。それに――」
関羽の視線に含まれる感謝と信頼。真っ向からそれを受け止め、俺は知らず顔を赤らめていた。それは目覚めたばかりの俺を胸にかき抱いた時の関羽の顔とそっくりだったからである。
「飛将軍率いる精鋭を寡勢にて退け。偽帝の大軍から孤軍よく砦を守り、ついに陳太守らを守り抜いた。陶太守の亡骸は彭城にて盛大に弔われることになっている。それもこれも、すべては桃香様の牙門旗の下で戦い抜いた子義と一刀、そして兵たちの勲だ。そのことを桃香様と私が、どれだけ誇りに思っていることか……」
一瞬、関羽の声が震えたように聞こえたのは、俺の気のせいではなかったであろう。
「たとえ今回の私の決断に、おぬしのことが含まれていたとしても。そのために一時、桃香様と離れることになったのだとしても。この決断に悔いなど欠片もない。むしろ、逆の決断を下した時こそ、私は千載に残る悔いを避け得なかっただろうよ」
そこまで言った後、関羽は少し慌てた様子で「無論、今のは例え話だが」ともごもごと呟き、俺は反応に困って俯くしかなかったのである。
◆◆
以来、数日。
俺は関羽に与えられた屋敷で傷を癒す日々を送っていた。
呂布に射抜かれた肩の傷と、李豊の剣で刺された太腿の傷はもちろん、それ以外にも俺の全身には到るところに傷があった。
それらの傷にくわえて、あの攻防戦から今日に到るまで、意識を失っていた俺は物を食べることもできず、身体の衰えは隠せるものではなかったのだ。
今は日に三度の医者の手当てを受けつつ、消耗し、萎縮してしまった胃が食事を摂れるよう四苦八苦している最中であった。
こういう時は胃に優しく、水分も摂れる果物が良いというのはわかっている。わかっているのだが、はたしてほとんど芯だけになった林檎は果物と呼べるのだろうか?
「……まあ、あれだ。誰にでも得手不得手はあるってことで、うん」
俺はしゃくしゃくと林檎、というか林檎の果肉を削ぎとったものを食べつつ、笑いをおさえることが出来ずにいた。うむ、関羽は実に期待を裏切らない人だ。まさか実際にこんな芯だけ林檎を目にする日が来ようとは。
当の本人は「ちょ、ちょっと待っていてくれッ」の一言を残して何処かに消えてしまった。まさかとは思うが、市にでも行ったのだろうか。いや、これで十分美味いのだが、と思いつつ、俺は皿の上に並べられたものを食べていく。関羽が目の前にいれば、あざとくて食べたり出来なかったが、本人がいない以上、別に気にする必要もないだろう。
そうして、俺が皿の上のものをほとんど平らげた頃。
屋敷で働く侍女の一人から、俺への来客が告げられた。
関羽ならばともかく、今の俺に会いに来る人はごくごく限られている。まして男とくれば思い当たるのは曹純か孫乾だけだ。そして、告げられた名前は、予想に違わず曹純のものであった。当然のように俺は曹純を案内してくれるように頼んだのだが、侍女に案内されて室内に入ってきたのは、曹純一人ではなかった。
そして。
曹純に続いて入ってきた人物に目を向けた瞬間、俺は全身を硬直させて凍りつく。
それも仕方ないことだろう、と俺は半ば呆然としながら考える。訪れた人の顔を知らなかったわけではない。むしろ知っていたからこそ、言葉が出てこなかったのである。
――なんで、ここに丞相がいるんだ、と。
「あら、自己紹介が必要かしら。一度は顔を合わせたことがあると記憶しているのだけれど」
黄金色の髪をかきあげつつ、その少女はかすかに目を細めて俺をみやる。
別に威迫されているわけでもないのに、言葉が詰まりそうになったのは、その身に纏う覇気に、俺が勝手に気圧されたからなのだろう。
俺は慌てて寝台に横たえていた身体を起き上がらせる。全身に鋭い痛みがはしるが、今は無視。
「いえ、必要ございません。お久しゅうございます、曹将ぐ――い、いえ、丞相閣下」
思わず将軍と呼びそうになり、慌てて訂正する。丞相への敬称は閣下で良かっただろうかなどと不安になりながら。
曹操はそんな俺の様子を皮肉っぽい笑みを湛えながら見ていたが、すぐにそれにも飽きたのだろう。あっさりとした口調で俺の動きを制してきた。
「そのままで結構よ。今日、ここに来たのは漢の丞相としてではなく、一人の娘として、我が母の恩人に礼を言うため。病状の恩人に朝臣としての礼を強いるつもりはないわ」
「は、はい」
とはいえ、はいそうですかと言って寝台に横になれるほど図太くない俺は、寝台の上で不器用にかしこまりながら、さて何を言えば良いのかと途方に暮れる。
曹操が口にした恩という言葉は、徐州襲撃の際、俺が結果として曹家一行を救ったことを指しているのだろう。しかし、あれも元はといえば身内の不始末によって起きたこと。恩を売れるような行為ではないだろうと思うのだ。
そんな俺の戸惑いを察したか、曹操の後ろに控えていた曹純が曹操に向かって口を開く。
「華琳様、突然のお越しに北郷殿も戸惑われておられる様子です。丞相のお出でとあれば、それも無理からぬこと。早めに用件を済ませるべきと考えますが」
「そうね、子和。恩人殿の様子を見るに、確かにその方が良いようね――流琉、支度を」
「は、はいッ」
そう言って曹操が視線を向けたのは、傍らで控えていた女の子であった。見たところ、張飛とさしてかわらぬ背格好で、澄んだ双眸が印象的な子である。
侍女なのか、とはじめは思ったのだが、考えてみれば曹操の傍らに侍る者がただの侍女であるとは思えない。許緒だって、あんなちっこい女の子だしなあ、と俺は内心で戦々恐々としつつ、その少女を見やった。
すると、何故か相手も俺の方をまじまじと見つめていた。必然的にぶつかる二つの視線。照れたように頬を赤らめるこの子が、実はあの勇名な悪来典韋だったとしても驚くまい、と心密かに決意する俺であった。
――実は本当にそうだった、と知って俺がひっくりかえるのは、このすぐ後のことである。
◆◆
典韋の手になる菓子を口にした途端、濃厚でいながら、決してしつこくない甘みに俺は思わず賛嘆の言葉をもらす。
「これはすごい。めちゃくちゃ美味いですね」
疲労した心身にほどよい甘みが染み渡っていくのが体感できる。
許昌で目を覚ましてまだ数日。戦で萎えた身体は全快にはほど遠く、食事もあまり口に出来ていなかった俺だが、この菓子ならばいくらでも口に出来そうな気がした。
「当然よ、流琉は私が認めた料理人でもあるのだもの」
言いつつ、曹操も目の前の菓子をつまんで頬張る。かすかに綻ぶその顔は、今や天下にその名を知られた曹孟徳とは信じられないほど穏やかなものであった。
俺や、主である曹操からの率直な賛辞を受け、典韋は嬉しそうににこにこと笑いながら、いそいそと給仕に精を出す。あらかじめ用意でもしてきたのか、卓の上には次々と新しい菓子や料理が並び、俺はそのすべてを舌鼓をうって堪能させてもらった。
いつのまにやら、俺は丞相閣下を前にしていることも忘れ、無心に眼前の食事に集中していた。並べられた料理は、肉を避け、野菜や果物を主として作られており、内容自体は、ここ数日の食事と似ていると思われたが、その味は、屋敷の料理人には申し訳ないがくらべものにならないと言って良い。
量自体は多くなかったため、間もなく卓上の皿は全て空になる。満足の息を吐き出し、俺は典韋に礼を述べた。深々と頭を下げながら。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。お口にあったようで、嬉しいです」
皿を見れば、一目瞭然である事実を口にしながら、典韋は嬉しそうに笑う。
曹操が認めたと口にするだけあって、典韋の料理の腕は、長年、その道で生きてきた熟練者に優るとも劣らぬ。そんなことを考えつつ、久方ぶりの満腹感に幸せを感じていた俺は、曹操が典韋を連れてこの部屋を訪れた真意に、ようやく思い至った気がした。