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[18444] ショート・オブ・ザ・レギオス
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:bc487448
Date: 2015/12/16 21:43

警告。

この作品は鋼殻のレギオスの二次制作です。
ギャグの作品が殆どです。
短編あるいは数話の短い話です。
超設定と超展開が盛り沢山です。
原作キャラに魔改造が施されています。
原作とは違った内容でレイフォンが不幸になります。
ネタを思いついた時のみ更新されます。
復活の時とは何の関係もありません。

以上の内容をよくご確認の上、苦手なようでしたらお引き換えしください。


更新記録
2010年4月28日 超槍殻都市グレンダンを投稿
2010年5月12日 超槍殻都市グレンダン2を投稿
2010年6月2日 超槍殻都市グレンダン3を投稿
2010年6月16日 超槍殻都市グレンダン4を投稿
2010年6月30日 超槍殻都市グレンダン5を投稿
2010年8月18日 血まみれのレイフォンを投稿
2010年11月3日 超堕落都市グレンダンを投稿
2010年12月29日 B B Rを投稿
2011年2月7日 死闘 ヴァン・アレン・デイ 前編を投稿
2011年2月14日 死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編を投稿
2011年5月11日 超放浪バスの車内から 前編を投稿
2011年5月18日 超放浪バスの車内から 後編を投稿
2011年11月16日 プレリュード・超学園都市 前編を投稿
2011年11月23日 プレリュード・超学園都市 後編を投稿
2011年12月28日 生命体X レイフォン・アルセイフ1と2を投稿
2012年2月13日 真・ヴァン・アレン・デイの死闘を投稿
2012年5月23日 超学園都市マイアスを投稿
2012年8月15日 鋼の交通都市を投稿
2012年10月24日 張学園都市マイアス2を投稿
2012年11月14日 ショート・オブ・ショートを投稿
2013年4月3日 生命体X レイフォン・アルセイフ3を投稿
2013年4月10日 ヨルテムにてを投稿
2013年6月26日 超学園都市ツェルニを投稿
2013年12月31日 隊長は天剣授受者を投稿
2014年3月12日 超学園都市ツェルニ2を投稿
2014年4月16日 張学園都市マイアス3を投稿
2015年12月16日 体調は天剣授受者 その8を投稿
 



[18444] 超槍殻都市グレンダン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:bc487448
Date: 2010/12/29 19:43


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 今年十五歳になる彼の実力は、上の下。
 個人の戦闘能力としては上々で、組織の一員としては非常に使い勝手がよい。
 超至近距離の戦闘もそつなくこなすし、長距離からの支援攻撃もそこそこ出来る。
 何処で覚えたか不明だが、鋼糸を使った幼生体の虐殺なんて事まで出来るのだ。
 だが、その真価を発揮するのはやはり刀を使った接近戦。
 サイハーデンの名を僅か十二歳で受け継いだその実力は、驚愕することはないが賞賛されていた。
 だが、一部隊の指揮官としてはまだ経験不足もあり未知数だ。
 それでも、汚染獣との遭遇確率が極めて高いグレンダンという都市において、その実力は遺憾なく発揮されている。
 流石に老性体に一人で挑めとか言ったら瞬殺されるだろうけれど、雄性体一期までなら一人でも十分に戦える実力を持っているのだ。
 そんなレイフォン・サイハーデンは孤児院の運営資金を稼ぐために今日も戦っていた。
 そう。戦っていたのだ。

「あれ?」

 戦っていたのだが、気が付けば周りから仲間の姿が消えていた。
 これはたまにあることなので気にしてはいけない。
 何故たまにあるかと聞かれると、それは簡単。

「また、念威端子が故障したかな?」

 そう。レイフォンに張り付いているはずの念威端子は、一年の間に二度ほど故障してその役目を果たさなくなるのだ。
 始めの時はおおいに慌てた物だが、いい加減に五度目ともなるとなれるのが人の常。
 何時もならグレンダンの方に走れば事足りる。
 レイフォンが慣れたと同じだけ、仲間の方も慣れているのだ。
 おそらく彼らもグレンダンの方に移動してレイフォンを待ってくれているはずだ。
 戦闘も終演に向かいつつあることだし、みんなグレンダンの側でレイフォンを待っているに違いない。
 その結論に達したレイフォンが踵を返そうとしたのだが。
 今日は少しだけ様子がおかしかった。

「! あ、あれは!」

 今日の汚染獣は大盤振る舞いだった。
 幼生体五千。
 雄性体一期三十八。
 雄性体二期十九。
 雄性体三期八。
 雄性体四期三。
 雄性体五期二。
 そして止めとばかりに、老性体一期が三。
 念押しとばかりに、老性体二期以降が三。
 はっきり言って、グレンダン以外の都市だったら瞬殺されている戦力だ。
 だが、そこはそれ。
 天剣授受者九人が出撃して、老性体を始末に掛かっている。
 もちろんレイフォンだって頑張って戦っているのだが、所詮一般武芸者と天剣授受者では天地の実力差がある。
 それは問題無い。
 老性体の全てが駆逐され、ついでに雄性体五期と四期も始末された戦場で、残りはそれほど多くない。
 そう。問題なのは、柄の長さが三メルトル。その柄の先に一メルトルの直径の頭を持った、目標をたたきつぶすことだけに特化した白銀に耀くハンマーの形をした錬金鋼。
 それを持つ小柄と言って良い身体を視界に納めてしまった事の方だ。
 別段身体が大きければ武芸者として優秀という訳ではない。小柄だと言って無能だという訳でもない。
 問題なのはその身体に宿る剄脈の総量だ。
 だから小柄なのは問題無い。
 ヴォルフシュテインと背中に書かれた、汚染物質遮断スーツに比べたら、何の問題も無いのだ。

「リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール」

 その人物の名を、震える唇が紡ぐ。
 戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見た者には、死が待っている。
 戦場伝説としてそう語られているのだ。
 実際に殺された人と会ったことはないし、その同僚とも遭遇したことはない。
 だが、往々にして戦場伝説とは何らかの真実を含んでいる物だ。
 それを認識しているからこそ、レイフォンは慎重に後ずさる。
 決してヴォルフシュテイン卿から視線をそらせてはいけないのだ。
 汚染獣の襲撃を背中から受けることがあったとしても、それを見ずに撃退しなければならないのだ。
 視線を外した瞬間、死んでしまうから。
 目の前で、巨大なハンマーを使い雄性体の三期らしいやつの頭を景気よく潰している天剣授受者に比べたら、他の汚染獣なんて雑魚でしかないから。
 そして慎重に間合いを計ること一分。
 やっと安全圏に脱出できたと思えたのだが。

「!! ひっぃぃ!」

 いきなり今まで感じたことのない悪寒から逃げるために、大地へとその身を投げ出す。
 直後、轟音を立てて何かが上空を通過したような気がする。
 巻き上げられた土煙から判断しても、おそらく間違いない。
 驚愕のために心臓がダッシュをしているが、何とか生き延びる事が出来た事に安堵している内に、辺り一面を席巻していた土煙が晴れて行く。
 恐る恐ると頭を上げてみると、二本の足らしき物があった。
 付近に他の武芸者がいなかった事は確認済み。
 自分の足がそこに立っているなどと言う事もない。
 汚染獣がこんな足をしているはずはない。
 残る確率は一つだけ。

「あれ? 君って誰?」

 同年代くらいの少女の声がかけられた。
 今まさに、必殺の攻撃をしてきたにもかかわらず、その声はどことなく良い運動をした満足感に満ちているような気がする。
 きっと気のせいではない。
 そして声をかけてきた人物とは、もちろんリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールその人である。
 ここで名前を覚えられるのはあまり好ましくないと、そんな気がしてならない。
 レイフォンのこの手の直感は外れたことがないのだ。

「あ、あの。少々迷子になってしまった間抜けな武芸者で御座います」
「へえ。そうなんだ」

 どうやら、さほどの興味を引かずに済んだようだ。
 ゆっくりと立ち上がり、慎重に間合いを取りつつグレンダン目がけでダッシュするタイミングを見計らう。
 関わっては駄目なのだ。
 サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスと同じくらいに危険な天剣授受者。
 そう言う認識がグレンダン武芸者の中で確立している。
 だが!

「どっこん♪」
「ひぃぃぃ!」

 いきなりだった。
 何の前触れもなく間合いの計り合いも無しに、いきなり巨大なハンマーがレイフォンの頭頂部へと振り下ろされたのだ。
 辺りを支配する轟音と衝撃波。
 当然、渾身の力を振り絞って回避したのだが、はっきりと寿命が縮んでしまった。
 具体的に言うと三年二ヶ月くらい。

「う、うふふふふふふふふ」

 何故か楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
 バイザー越しで視線を確認できないのは、良いことなのか悪いことなのか。
 取り敢えず抗議をしておきたいところではある。

「い、いきなり何を?」
「うふふふふふ。なんだか、避ける仕草が可愛かったから、つい」

 とても物騒なことをおっしゃるヴォルフシュテイン卿。
 表情は見えないはずなのに、舌なめずりをするところを容易に想像できてしまったりする。
 兎に角、抗議も終わったので逃げようとしたのだが。

「ねえ君」
「は、はい?」

 逃げるタイミングを逸してしまったようだ。
 これ以上ないくらいにやばい予感が、全身にみなぎってきてしまうくらいに、危険極まりない。

「そこに雑魚が一匹残っているから始末しておいてね♪」
「ざ、雑魚ですか?」

 雑魚と言うからには幼生体の生き残りとか、せいぜいが雄性体の一期くらいだろうと判断する。
 雄性体は雑魚では済まされないのだが、天剣授受者にとっては間違いなく雑魚だ。
 まあ、それくらいの危険でこの場を逃れられるのならば、収支は著しく黒字だと判断した。

「かまいませんよ」
「じゃあよろしくね」

 そう言うと、旋剄を使って戦場から離脱するヴォルフシュテイン卿。
 そして、振り返り理解した。
 天剣授受者とははっきりと化け物の集団なのだと。

「ど、何処が雑魚なんだ?」

 その複眼でレイフォンをにらみ据えているのは、雄性体の二期にしか見えない巨大な汚染獣。
 はっきり言ってレイフォンの許容量をオーバーしている。

「お、落ち着くんだ。僕がここで戦っていることは念威繰者が確認しているはずだ」

 レイフォンの側にあるはずの端子は故障しているが、グレンダンには天剣授受者の中で良識派と呼ばれるキュアンティス卿がいる。
 彼女ならば少々距離のあるグレンダンからでも、ここを探知していてくれるはずだ。
 そうなれば応援が来るのも時間の問題。
 仲間が駆けつけてくれるまで持ちこたえることが出来れば、はっきり言って勝ち戦だ。
 だが!

「へえ。彼がそうなのですか?」
「ええ。避ける姿がとっても可愛いの」

 背後からそんな声がした。
 恐る恐る振り返ると。
 口の部分に何か細工が施されているらしい遮断スーツを着た長身の男性と、先ほど立ち去ったはずのヴォルフシュテイン卿がいらっしゃるような気がする。
 脳内で高速検索。
 結論はすぐに出た。
 いや。一目見る前からおおよそ見当は付いていたのだ。

「クォルラフィン卿?」
「やあ。面白い武芸者がいるって言うのでね、老性体と遊んだ帰りに寄ってみたんだよ」

 老性体と遊べるという神経がまず信じられないが、実際に遊び感覚だったのだろう。
 熱狂的戦闘愛好家であるクォルラフィン卿ならば、十分にあり得る。

「さあ。君の力を僕にも見せてくれ給え。大丈夫だよ。きっと死にかければ未知なる力に目覚めるから」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 天剣授受者が後見人だと思えば、これ以上ないくらいに心強いのだが、この場にいる二人ならばきっと死ぬまで手を出さないだろう。
 そう言う核心がある。

「ほら。前見ないと危ないわよ?」
「どわぁぁぁぁん!」

 天剣授受者二人に気を取られていて反応が遅れたが、雄性体二期の攻撃がレイフォンを襲う。
 それを紙一重で避けつつ、とっさに刀を振り攻撃を打ち込む。
 精神的な動揺とは別に、身体はきっちりと仕事をこなし、有効打をこつこつと送り込む。
 幼生体くらいならば今の一連の攻撃で仕留められただろうが、残念なことに相手は雄性体二期。
 与えた程度の攻撃でどうにかなる訳ではない。

「成る程。なかなか良い動きですね」
「でしょうでしょう?」

 なんだか後ろの二人は喜んでいるが、レイフォンはそれどころではない。
 普段使わない頭を必死に使って、生き残る道を探す。
 天剣中でもっとも危険な二人が居る以上、仲間が来ることは殆ど考えられない。
 誰だって自分の命が惜しいのだ。
 グレンダンに向かって逃走するというのもおそらく無理だ。
 水鏡渡りは旋剄を超える超高速移動だが、相手は天剣授受者だ。
 間違いなく途中で追いつかれる。
 追いつかれたらおそらく命はない。
 残る選択肢はただ一つ。
 目の前のやつを何とかする。
 はっきり言ってレイフォンの実力を超えているのだが、やるしかないのだ。

「ええい! こうなればやけだ!」

 戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見たら死ぬ。
 その本当の意味はもしかしたら、今レイフォンが遭遇している状況なのではないかと思うのだが、もはや逃げることは出来ないのだ。
 ならば全力を持って戦い、生きて帰るしかない。

「僕には死ねない理由があるんだ! お前なんかに殺されてたまるか!」
「そうだ! その意気込みで僕とも殺し合おう!」
「ああ素敵! やっぱり君ってとっても素敵!」

 外野がうるさいが、目の前の敵に集中し始めたレイフォンにはもう関係がない。
 そして刀争が始まる。
 
 
 
 戦いは三日三晩続いた。
 そして驚いたことに、レイフォンは生き残ることが出来た。
 しかも、ほぼ単独で雄性体二期を始末することが出来た。
 奇跡の勝利だと断言できる。

「はあ」

 グレンダンから仲間がやってきて、戦い終わり精根尽き果てたレイフォンを回収してくれた。
 そうでなければのたれ死んでいただろう。
 回収された時には既に眠っていたようだし。
 天剣授受者二人は、終わる頃には飽きていたのか姿が消えていたそうだ。
 グレンダンに辿り着いてもなお、二日二晩眠り続けていたそうだ。
 身体が動くようになるまでに、更に五日ほどかかった。
 そんなこんなで、やく十日ぶりに家に帰り着くことが出来た。
 再び帰ることが出来たことに、誰かに向かって感謝したいくらいだ。
 その感謝の念と共に、孤児院の扉を開けて。

「ただいま?」

 玄関の扉を開けて、踏み出しかけた足が空中で急停止。
 目の前にある物がなんなのか、映像を脳内で処理する。
 何かの団子のように見える。
 まだら模様というか、脈絡のない色使いをしている。

「ああ! 兄ちゃんだ」
「お帰り兄ちゃん」

 弟と妹の声がするところを見ると、目の前の物体の構成物質には人間が混ざっているようだ。
 だが、なんだかおかしい。
 何時もなら目の前の構成要因の一部になっているのは、レイフォン自身のはずだ。
 一番下にしかれて瀕死の状態で助け出されるのが、戦い終わって帰って来たレイフォンを迎える儀式のはずだ。
 外から見ると、なんだか壮絶な儀式ではあるが、それでも生きて帰ったことを実感できる。

「誰?」

 問題なのは、レイフォンではない誰かが儀式の犠牲者になっていると言う事だ。
 細く白い手が助けを求めるように、パタパタと動いているような気がする。
 犠牲者は女性らしい。
 ここを訪れる女性のリストを作る。
 だが、そのリストの中に目の前で動いている手の持ち主はいない。
 何故かと問われるのならば、その手は間違いなく武芸者の物だからだ。
 しっかりと鍛えられて、掌が硬くなっているし、剄の輝きも見える。
 そこまで考えてから、間違いに気がついた。

「その前に助けないと」

 思わず詮索することを優先してしまって、助けるという最も早くやらなければならないことを怠ってしまったのだ。
 普段ならやらない間違いなのだが、なぜだか助けてはいけないような気がするのだ。
 きっと気のせいだけれど。

「ほらどいて。こら! 僕に抱きつくんじゃないの」

 標的をレイフォンに移そうとする子供達を捌きつつ、順繰りにどけて行く。
 そして思う。

「悪夢だ」

 大勢の子供の下から現れたのは、ややくすんだ金髪を持った同年代の少女。
 右目に眼帯をしていることも確認した。
 子供達に押しつぶされかけて皺だらけになっているが、とても仕立ての良さそうな服を着て剣帯に錬金鋼をいくつか差している。
 間違いなく武芸者だ。
 しかも良く知っている。
 そして、こんなところにいていい人でないことも間違いない。
 再び子供達の下敷きにして、全力でグレンダンから逃げ出すべきかも知れないと思ったが。

「いやぁ。助かったわ。有り難うレイフォン」

 朗らかに笑いつつ何故か名前を呼ばれた。
 まあ、それは当然かも知れない。
 雄性体二期とやり合って勝ったのだ。
 その功績は評価されているだろうし、そうなれば名前が分からない訳無いのだ。
 報奨金を放棄してでも名無しの武芸者で通したかったのだが、生憎と周りがそれを許してくれなかったのだ。
 人身御供というか生け贄というか。

「い、いえ。ご無事で何よりですヴォ」

 いきなり唇に人差し指が当てられた。
 もちろんレイフォンの唇にだ。
 そして、すぐ目の前に眼帯と左目が現れた。
 超接近戦がお望みの様だ。

「リーリン・マーフェスよ? もう忘れたのレイフォン?」

 とても親しそうな口調でそう言うのだ。
 つまりは、秘密にしろと言うことなのだろう。
 有名人なので無駄だと思うのだが、従わないという選択肢を選んだ場合、天剣授受者と戦わなければならない。
 勝てるはずのない戦いに挑むという精神構造は、レイフォンの中にはないのだ。

「う、うん。ちょっと忘れていたかも知れない」

 取り敢えず従う方向で話を進める。
 ただ問題なのは、何故こんなところにいるかと言う事だ。
 ここはレイフォンの家と言える孤児院で、ヴォルフシュテイン卿が興味を持ちそうな物は無い。
 レイフォンを除いて。

「ま、さか」
「うふふふふふ」

 どうやら最悪の予測が当たっているようで、にこやかに笑うヴォルフシュテイン卿。
 その視線は激しい熱とあふれる湿気に満たされ、じっとりとレイフォンを見つめている。
 恋する視線だったとしたら非常に迷惑な話だが、明らかに違う。
 言うなれば、獲物をいたぶって楽しむ猫の視線かも知れない。
 今の状況に比べたのならば、王家の人間に恋されるという迷惑の方が、まだましかも知れない。
 レイフォンがそんなことを考えている間に、ヴォルフシュテイン卿の右手が剣帯に伸びているのだ。
 天剣は持ってきていないようだが、例え素手でも一般武芸者を瞬殺することくらい訳ないのが天剣授受者だ。
 なので、レイフォンのとれる行動はただ一つ。
 ゆっくりと後ずさる。
 逃げるという選択肢も存在していないのだが、それでも後ずさってしまう。
 一秒でも長く生きるために。
 そして、ふと、後ろに何か気配を感じた。

「い?」

 振り向いてみた。
 それが寿命を縮めることだと知っていたのだが、それでも確認してみたかったのだ。
 あまりにも良く知っている気配だったから。

「レイフォン」

 何故か刀を復元した父であるデルクがいるのだ。
 非常に攻撃的な剄をみなぎらせて。
 技的には逆捻子か鎌首だろう事が予測できるが、今の体制で避けきる自信は全く無い。

「リーリン殿に言い寄って関係を結んだそうだな」
「い?」
「いかにリーリン殿がお許しになろうと、私はお前を許さん! 今この場で成敗してくれる!」

 どういう理由でそんな事になったのか甚だ疑問ではあるが、それでも弁明一つせずに殺されたのでは溜まったものでは無い。
 それ以前に、ヴォルフシュテイン卿を押し倒すなどと言う行為が出来るほど、レイフォン・サイハーデンは優秀な武芸者ではないはずだ。
 更に基本的な事実として、レイフォンの様になると近所の男の子が言えば、それはつまり、自分に好意を持ってくれている女の子を、合意の上でも押し倒せないヘタレになるという意味だ。
 そんなヘタレのレイフォンが、天剣授受者で王家の人間に迫り関係を結ぶ。
 それはこの世が終わるまでに一度起これば多い程度の確率でしかないのだと言う事を、デルクにはきっちりと知っておいてほしかった。
 そんな抗議の意志を込めて、レイフォンも刀を復元しようとして。

「じょっきん♪」
「ひぃぃぃぃん」

 突如首筋に感じた寒気から逃げるために、思い切ってデルクに抱きつく様に前に飛び出す。
 頭の上で金属同士がこすれる音が聞こえたような気がするし、髪の毛が何本か切られたような気もするが、取り敢えずまだ生きている。
 そして、恐る恐ると上を見上げて。

「鋏?」

 全長二メルトルになろうかという、巨大と呼ぶにはあまりにも大きな鋏が、視線の先で停止している。
 もちろんその鋏の取っ手を持っているのは、先ほど子供達の下敷きになり助けを求めていた、白くて細い手だ。

「うふふふふふふふふふ」

 何故か非常に楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
 今にもよだれを垂らさんばかりに、お喜びになられている。

「リーリン殿?」
「どうせ切るんだったら自分でやった方が気持ちいいですから」

 デルクの問いにそう答えているところを見ると、やはり目的はレイフォンの命だったようだ。
 あまりにも大きな問題を前に、レイフォンの思考は急停止。
 やはり、ここには帰らずにグレンダンを逃げ出すべきだったかも知れないと思わなくも無いが、既に遅い。

「まあ、さっきのは冗談ですよ。私が関係を結ぶとしたらそれなりの人ですから」
「そ、そうでしたか。いや。そうとは知らず見苦しいところをお見せいたしましたな」

 レイフォンを抜きにして会話が弾んでいる。
 取り敢えず子供達の方を見ると、何故か楽しそうに笑っている。
 拍手しているのもいたりする。
 きっと何かのコントだと思ったのだ。
 命がけだけれど。

「それで本題なんですけれど」

 突然、後ろにしゃがんで視線を合わせるヴォルフシュテイン卿。
 レイフォンの命を狙う以外に、何か用事があるようだ。

「何でしょうか?」
「天剣授受者に挑んでみない?」
「挑みません」

 即答である。
 武芸者ならば誰でも一度は目指す天剣授受者の座。
 それに届かないことが分かったとしても、それでも諦めきれずに鍛錬を続けるのが普通である。
 だが、レイフォンは少し違う。
 生まれ持った才能だろうが、剄の動きをその目で捉えることが出来るのだ。
 だから、一度見た技の殆どをかなりの確率で会得することが出来る。
 千人衝や咆剄殺も威力には天地の開きがあるが、それでも再現できるのだ。
 鋼糸だけはかなり苦労したが、それでも何とか幼生体くらいになら使えるレベルになっている。
 千体を超えるような事態には当然対応できないけれど。
 その剄の流れを見ることが出来るという能力のために、実力差を誰よりも正確に知ることが出来るのだ。
 そしてそれは諦めにつながってしまった。

「何故だレイフォン? お前ならば挑戦するに不足はあるまい?」
「有るよ!」

 認識がずれているのか、それともレイフォンの事を過大評価しているのか、デルクがなにやら残念そうにそう言うのだ。
 と、ここで子供達が大勢こちらを見ていることに気が付く。
 レイフォンが天剣授受者になるところを想像しているようで、みんなの瞳がキラキラと輝いている。
 非常に迷惑な期待だと言わざる終えない。

「二人ともこっち!」

 ヴォルフシュテイン卿とデルクの手を引き、併設されている道場へと引っ張る。
 これ以上は一般人に聞かせることは拙いと判断したのだ。
 子供達の喜ぶ姿をこれ以上見たくないという、レイフォンの事情もあるけれど。

「あのですね。僕はそれなりには優秀な武芸者です」

 道場に到着して扉を閉めて、二人が座るのを待ってから話を始める。
 当然誰も覗いてない事を常に確認しつつだ。

「平均的なグレンダンの武芸者の剄量を百とすると、父さんの最盛期でおおよそ百八十から二百」

 物心ついた時に既に引退していたデルクだが、聞いた話や今の状況から推測するとこの程度の数値になる。
 それを踏まえた上で、話を続ける。

「それで、僕の剄量が今のところ二百程度」

 これは恐らく、客観的にも正しいはずだ。
 よく一緒の隊になる武芸者の意見も聞いたところで、多分間違いない。

「それで、ヴォルフシュテイン卿を始めとする天剣授受者なんだけれど、おおよそ一万から一万二千」

 これも恐らくかなり正確な数字のはずだ。
 目の前のヴォルフシュテイン卿から感じる剄量も、おおよそこの範囲に落ち着くのだ。

「つまり、僕は五十倍くらいの剄量がないと天剣にはなれないんですよ」

 五倍だったら将来的には勝てるかも知れないし、三倍だったら今でも何とか互角には戦えるはずだ。
 だが、五十倍以上となると話は全く違うのだ。
 雄性体二期を雑魚と呼ぶような化け物に挑んで、怪我をするような真似は出来ないのだ。

「へえ。そうなんだ」
「う、うむ。そうであったのか」

 二人からは、ややずれた反応しか返ってこない。
 もしかしなくても、過大評価していたのだろう。
 非常に迷惑な話だ。
 特に、何時も一緒にいるデルクがきちんと評価してくれていなかったことに、少々では済まない驚きを覚えてしまっていた。

「剄量だけが問題なんだ」
「い、いや。それはまあ、技量だけならそこそこの自信はありますけれど、絶対的に剄量がたりませんよ」

 ヴォルフシュテイン卿が、なにやらにやりと笑ったような気がしたのだが、気のせいであって欲しい。
 そもそも、武芸者の本質とは剄脈だ。
 武芸者とは呼吸する剄脈と言えるほどなのだ。
 その剄脈が小さいと言う事は、それだけで武芸者として失格と言う事になると言えるほどに、重要なのだ。
 それを理解していないとは思えないのだが、なんだか非常に怖い。

「う、うむ。技量だけならば天剣になれたのか。だが、剄量が足らなければ意味はないな」

 デルクの方はきっちりと理解してくれたようだ。
 かなり嬉しい。

「成る程ね。うんうん」

 なにやら納得しているヴォルフシュテイン卿がかなり怖いが、取り敢えず理解してくれたようでこちらも嬉しい。
 このままの勢いで、天剣授受者に挑むという話を終わりにさせるために、一気にたたみ込む。

「そのような訳で、天剣に挑むなんて論外です」

 これで、ただの武芸者に戻ることが出来る。
 そう思ったのだが。

「別になる必要なんか無いのよ? 挑むだけで」
「絶対に嫌です」

 ヴォルフシュテイン卿とかクォルラフィン卿なんかに挑んで、毎日命の危機に陥っていてはやっていられない。
 いや。ヴォルフシュテイン卿とかなら、なんの脈絡も無しに襲ってきそうで怖いのだが、それでも、他の天剣授受者と戦わずに済むだけで、かなりましだ。

「ええええ! 避ける姿がこれ以上ないくらいに可愛いのに?」
「止めて下さい!」

 これは非常に拙いかも知れない。
 レイフォンの危機感知本能とも呼べる場所が、今までに聞いたことの無いほど大きな警報を鳴らしている。
 鳴っているだけできっと無駄だけれど。

「うんうん。天剣に挑むくらいの武芸者なら、レイフォンに可愛く避けられるくらいの実力が必要よね」
「どんな実力ですか!」

 なにやら非常に怖いことになりつつあることだけは、間違いない。
 解決することも回避することも出来ないけれど。

「うんうん。第一選考基準に加えておくわね」
「お願いですから止めて下さい」

 相手はユートノール家の一人娘だ。
 天剣授受者に挑戦する条件に、本当にレイフォン絡みの項目を追加しかねない。
 と言うよりも、本気だ。

「じゃあ、今日はこれで帰りますね」
「二度と来ないで頂けると嬉しいんですけれど」
「あら? 私をあんなに燃え上がらせたのにそんなことを言うのは、この口かしら?」

 何時の間にか復元されていたおろし金の角が口の中に押し込まれていた。
 これはかなり不味い。

「と、とんでも御座いません! 何時如何なる時でも我が孤児院はヴォルフシュテイン卿のご来訪を心よりお待ちしております!」

 デルクが平身低頭している。
 残念ながら、今を生き延びる手立ては他にない。
 非常に残念ではあるが。

「でしょうでしょう?」

 とても嬉しそうにおろし金を待機状態に戻したヴォルフシュテイン卿が、道場を去っていった。
 後に残るのは脱力したデルクと、これからの人生に恐怖を覚えているレイフォンだけだった。
 
 
 
  後書きに変えて。

 はい。復活以外のレギオス作品です。
 事の発端は、レイフォンがリーリンに茨の鞭で打たれなければどうなっただろうという疑問からでした。
 結局打たれてしまいそうですけれどね。
 正直こんなのを書いている暇があったら、復活を書けと思うんですが、なんだか微妙にノリノリで書いてしまいました。
 おかげで執筆計画に一週間から十日の遅れが。
 ちなみに超槍殻都市グレンダンは、二話か三話の構成の予定です。
 次の更新がいつになるか分からないのが問題ではありますが。
 



[18444] 超槍殻都市グレンダン2
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:51013a3f
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 今年十五歳になる彼の実力は、上の下。
 個人の戦闘能力としては上々で、組織の一員としては非常に使い勝手がよい。
 超至近距離の戦闘もそつなくこなすし、長距離からの支援攻撃もそこそこ出来る。
 何処で覚えたか不明だが、鋼糸を使った幼生体の虐殺なんて事まで出来るのだ。
 だが、その真価を発揮するのはやはり刀を使った接近戦。
 サイハーデンの名を僅か十二歳で受け継いだその実力は、驚愕することはないが賞賛されていた。
 と言っていられたのは二週間ほど前までの話だ。
 少々前の出来事だが、雄性体二期をほぼ一人で殲滅した事により、かなり優秀な武芸者として周りに認識されている。
 そのときの報奨金は何故かかなりの金額だったのだが、ただいま現在その理由を直感的に認識してしまう事態に陥っていた。

「糞餓鬼! 糞避けるな! 糞当たれ! 糞忌々しい! 糞すばしっこい! 糞面倒くさい! 超ウザイ! 糞死ね!」
「どわ! およ! のび! ほげ! まち! どび! ひょ! しゅ! ひょ!」

 そう。今のレイフォン・サイハーデンは猛烈に危険な状態に置かれているのだ。
 天下の往来だというのに、ブレイクオープンリボルバー二丁を持った派手な格好の女性に、延々と撃たれ続けているのだ。
 当然ではあるのだが、それを延々と回避し続けている状況だ。
 そして、レイフォン相手にこんな地獄の攻めを行っているのは、言わずと知れた天剣授受者。
 バーメリン・スワッティス・ノルネその人である。
 スワッティス卿が現れた直後、周りにいた人達が悲鳴を上げつつ高速で避難。
 近くにあった家や商店は完全防御の態勢を確保。
 当然レイフォンも一緒に逃げたかったのだが、ある一定以上スワッティス卿から離れる事が出来なかった。
 後一歩でも前に進めば、惨殺されるという変な確信があったのだ。
 この手の直感が外れた事は殆ど無い。
 そして、おそらく今回も当たっているのだろう事が予測できた。
 スワッティス卿が放った剄弾が、レイフォンが逃げるのを諦めた少し先でいきなり消滅しているのだ。
 こんな事が出来る人間を一人だけ知っているだけに、何とか生き残るためにスワッティス卿の隙をうかがわなければならない。
 もし、いきなり天剣を使われていたのならば、会敵必殺で消滅していただろうが、幸か不幸か彼女が使っているのは対人用の小型拳銃だ。
 小型拳銃と言っても、その威力は当たればレイフォンを殺す事が出来るという代物だ。
 それが一秒間に六発という連射速度で延々と撃たれ続けている状況でも、何とか生きていられる事にこそ驚くべきなのかも知れない。
 とてもレイフォン本人にそんな実感はないけれど。
 だが、転機は唐突に訪れた。

「超ウザイ! 一発で決める!」

 何を思ったのか、小型拳銃二丁を放り出すスワッティス卿。
 放り出したはずだと言うのに綺麗な動きを見せて、何本も身体に巻き付けて有る鎖に、待機状態になってぶら下がる錬金鋼。
 そして次の瞬間、悪夢が顕現した。
 白銀に耀き上下に砲口が並んだそれは。

「天剣」

 天剣授受者の膨大な剄量を受けても、壊れる事のない究極の錬金鋼。
 すでにチャージは完璧な様で、砲口に剄のきらめきが見えたりしている。
 ここは町中である。
 外苑部が近いとは言え、まだまだ人の住む地区があるこんな場所で天剣を使ったりすれば、大惨事間違い無しだ。
 それ以前に、レイフォンは消滅しているけれど。
 この事態を何とかしなければならないのだが、あいにくと時間がなさ過ぎる。
 銃使いの特色として、チャージしておけばいつでも撃てるし、剄を全て活剄に回す事も出来るのだ。
 どう考えても全力の天剣授受者から逃げるなどと言う事は無理だ。
 もしかしたら、剄の収束率を限界まで上げているのかも知れない。
 レイフォンが今立っている場所の両脇一メルトルだけを綺麗に消し飛ばす様に。
 これなら町の被害は限定的な物になるし、レイフォンを綺麗に殺す事も出来る。
 完璧な狙撃と言えない事はない。
 どうがんばってもレイフォンは死ぬけれど。
 だが、更に驚愕の事態が訪れた。
 なにやら耳障りな音がスワッティス卿の首もとからしたかと思うと、いきなり天剣が消失。
 待機状態になっただけだろうけれど、後数秒は生きていられそうだ。

「糞時間切れか。糞運の良い奴め! 糞今度は殺してやる。糞覚悟しておけ!」

 そう言うといきなりスワッティス卿の姿が消えた。
 何がどうしたかはさっぱり分からないが、とりあえず生き残る事が出来た様で嬉しい。
 服の袖や裾がボロボロに焼き切れていたり、剄弾がかすったためにあちこちから軽く出血をしているが、まだ十分に生きていると言える状況に、一安心する。
 普通の銃使いならば、銃口に注意を払っておきさえすれば、攻撃を避ける事は難しくない。
 銃弾は真っ直ぐしか飛ばないし、発射のタイミングを見計らって射線上から逃げればそれで良いだけなのだ。
 だがスワッティス卿は流石に違った。
 銃弾が曲がったのだ。
 かすった傷は全て曲がる銃弾の軌道を読み間違えた物だし、中にはレイフォンを追尾してくるという反則の攻撃まであった。
 今生きていられる事が不思議な戦闘だったのだ。
 そして時間切れといった事も含めて、色々疑問があるから試しに聞いてみる事にする。

「サーヴォレイド卿。その辺にいらっしゃったら返事して頂きたいのですが?」

 レイフォンの周りを未だに囲っているのは、間違いなくサーヴォレイド卿の鋼糸だ。
 スワッティス卿の剄弾を無効化したり、レイフォンが気が付かない内に周囲を囲ったりと言う事が、その辺の武芸者に出来るはずはないのだ。
 そうなると必然的に答えはたった一つ。
 天剣最強と唄われる、偏執的数字愛好家たるリンテンス・サーヴォレイド・ハーデンだ。
 自室から外の汚染獣を虐殺できると言われているから、この付近にいるかどうか分からないが、聞くだけで命を狙われる事はないだろうという計算もあった。
 だが、それは甘い予測だった様だ。

「ひぃっ!」

 突如として、スワッティス卿の攻撃の比ではない寒気を感じて、全力で上半身をのけぞらせる。
 顎の少し前を何かが通過した様に感じるよりも早く、腹筋を使って強引に下半身を跳ね上げる。
 身体がほぼ水平になった状態で鋼鉄錬金鋼を復元して、それを路面に突き立て強引に身体の向きを変える。
 更に足の裏から衝剄を放った反動で、空中で姿勢を制御。
 大きく刀を振って更にひねりを加えつつ、掌から衝剄を放ち上空へと身体を押し上げる。
 端から見ていると空中浮遊をしながら、変な踊りを踊っている様に見えるかも知れないが、実は全て鋼糸による攻撃を避けているのだ。
 スワッティス卿の攻撃に比べて、遙かに変化に富んでいるために直前まで攻撃を予測できないという、恐るべき鋼糸からの死を回避し続ける。
 これははっきり言ってレイフォンの限界を超えた動きだった。
 鋼糸から放たれる衝剄で身体のあちこちから出血しているのだが、それでもまだ致命傷や運動能力を減衰させる負傷はしていない。
 奇跡的と言うよりははっきり言って奇跡だ。
 二度目はおそらく無い。
 だが、その恐るべき攻撃も突如として終わった。

「はあはあはあはあ」

 乱れていた剄息を整えつつ、次に何が起こるか分からない今日を少しだけ呪ってみた。
 正確を期すならば、戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見てからこちら、こんな日が来る事だけは予測していた。
 だが、一日の内に天剣二人から襲われるなどと言う事は、流石に予想外だ。
 空前にして絶後であってほしいと心から願う。
 そうでなければ本当に死んでしまうからだ。

「?」

 突如として、視界の端に人影らしい物が見えた。
 路面上に立っている訳ではないようで、その足の下を日差しが素通りしている。
 こんな事が平然と出来る人をレイフォンは一人しか知らない。
 正確を期すならば、やらせられる人と言うべきだろうが。
 そして視線を上げてみる。
 見えたのは足が二本。
 白くて短い靴下と茶色の革靴を装備している。
 恐る恐る更に上を見てみると、クリーム色のスカートが風にたなびき薄桃色の三角の布が見えるような気がする。

「大胆な覗きね。いやん」

 感情の起伏が感じられない声が、レイフォンを批難するように響いた。
 見られている事を全く気にしていないように見下ろしているのは女性だ。
 それは良い。これで男だったら間違いなくショック死しているから。
 だが、問題は見下ろしている女性だ。
 天剣最強を唄われるリンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。の妹さん。リディア・ハーデン。推定三十三歳。
 念威繰者としてはそれなりの実力を持ち、何度か彼女のサポートの元戦った事がある。
 その念威によるサポートは平均的で、レイフォンとしても安心して戦えるのだが、彼女に関して言えばもう一つ重要な要素があるのだ。
 それは覗き趣味があると言う事。
 巨大な望遠鏡をどこからとも無く調達してきて、それを使ってあちこちに覗き行為を行っているのだ。
 その被害にレイフォン自身が合った事も、一度や二度ではない。
 出来れば会いたくない人だ。
 会ってしまっているけれど。

(ああ。なんだか疲れたな。このまま死ねたらさぞかし楽だろうな。いっそのこと貝になってしまったりとか? いや。眼球になってその辺転がっていたらもしかしたら幸せになれるかも)

 今日という日に、全身全霊を使いきってしまったレイフォンは全ての力が抜けてしまい、その場にへたり込み、胎児のように身体を丸めて永遠の眠りにつこうとした。
 だが、世の中はレイフォンにそんな幸せを用意してくれていないようだ。

「さっさとおきなさい」

 感情のないその声と共に、容赦なく蹴られた。
 何故かスパイク付きの革靴で。

「ぐえ! わ、分かりました起きますから蹴らないで」

 このままでは、鋼糸による攻撃を何とか生き抜いたにもかかわらず、念威繰者に蹴り殺されるという不本意極まりない死に方が待っていそうだったので、全身の疲労を活剄で何とかごまかしつつ起き上がる。
 そして路面に降り立ったリディアを見る。
 明らかに三十を超えているはずなのに、二十代中盤にしか見えない外見をした女性だ。
 無表情にこちらを見下ろしているが、これは念威繰者の特色である無表情が原因で他意はないのだと判断する。

「兄から伝言です」
「はあ」
「普通の武芸者なら千の破片になっているところだが、わずかに四十八カ所の怪我でしのいだのは評価に値する。億千万の戦場を生き抜くには足らない物もあるが褒めてやる」

 あのサーヴォレイド卿から褒められたのだ。これは喜んでも良いのかも知れない。
 全然嬉しくないのはきっと気のせいだろうと判断する。

「聞きたい事があったようですが?」
「・・・。ああ。あります」

 何故サーヴォレイド卿に声をかけたのか、一瞬思い出せなかったが何とか記憶の糸をたぐり寄せる。
 そして、答えを聞いて絶望するかも知れないと言う懸念が頭をもたげてきた。

「前回の雄性体の報酬ですが」
「はあ」

 聞く前に答えてくれるようだ。
 その親切心が心に痛い。

「あれは死亡保険金の前払いです」
「・・・・・・・」

 聞かなければ良かったと思い、今度こそ眼球になるために身体を丸める。
 蹴られても起きないぞと心に誓いつつ。

「などと言う事はありません」
「・・・・? はい?」
「あれはミンス・ユートノールから貴方への心ばかりのお礼だそうです」
「ミンス・ユートノールって?」

 記憶に間違いが無ければ、ヴォルフシュテイン卿の叔父に当たる人だ。
 何でそんな王家の人から礼をされなければならないのかと思い、更に絶望の淵にたたき落とされそうになった。
 王家の人から何かもらう事など会ってはならないのだ。
 きっとその見返りに命をよこせと言われるから。

「貴方のおかげで安心して眠れるようになったと」
「・・・・・。なるほど」

 一瞬の思考の後理解してしまった。
 叔父である人からしても、ヴォルフシュテイン卿は恐ろしいのだ。
 いつ襲撃されるか分からないという恐怖に震えなくて済むと、そう言う事なのだろうと推測してしまう。
 普通に考えてありそうな話だ。

「さあ。もう夕方です。家へと帰りなさい」

 リディアが手をさしのべてくれた。
 今日も何とか家へ帰る事が出来る。
 その一心でリディアの手を掴んで、ようやっと立ち上がった。

「今週の天剣授受者による襲撃は無い予定です」
「・・・・・。今週?」

 今の一連の話を総合すると、来週にはまた天剣の襲撃があると言う事になってしまう。
 それは命の危険がこれからも続く事を意味しているように思えてしまうのだが。

「安心してください。サヴァリスさんが貴方を殺す権利を取得しています。彼の事ですからもっと強くなってからでなければ、行動を起こさないでしょう」

 つまりそれは、この襲撃は天剣による鍛錬と言えない事もないのかも知れない。と言う事かも知れない。
 もし生き残る事が出来れば、猛烈に腕が上がる事は間違いない。
 生き残れるとは思えないけれど。

「時間はそれぞれ一分間。天剣の使用は禁止。それによって剄量も制限を受けています」

 スワッティス卿がいきなり攻撃を止めたのもその辺に原因があるのだろう。
 そうでなければ本格的に死んでいたはずだし。
 だが、レイフォンの精神は限界を超えてしまった。
 これからも続く地獄の戦場に心が折れてしまったのだ。
 ゆっくりと暗くなる視界の中、リディアの唇が歪むのを認識してしまった。
 きっとこの事態を心から楽しんでいるのだと。そう確信させるゆがみ方だった。
 
 
 
 レイフォンは死ななかった!
 心が完全に折れて砕けていたにもかかわらず、その身体は順調に回復してしまったのだ。
 とは言え、天剣二人の連続攻撃は凄まじい疲労をレイフォンの身体に残した。
 結局のところ入院一週間だった。
 その間、武芸者になれなかった医師や看護師から握手を求められた。
 準天剣級の実力者だと誤解されているようだ。
 同じく入院中の武芸者からも羨望の眼差しで見られたが、見舞いに来た武芸者からは哀れみの視線で見られた。
 事情を知れば羨望の眼差しを送れる人間など、そうそうはいないだろう。
 デルクを始めとする家族が見舞いに来てくれた。
 これは嬉しかった。
 傷つき疲れ果てた心が癒された。
 砕け散ったと思ったのだが、そうでもなかったのかも知れない。
 そして、ヴォルフシュテイン卿とクォルラフィン卿も、見舞いという大義名分の襲撃に来てくれた。
 これは全然嬉しくないけれど。
 そして、とうとう退院の日だ。
 この建物を出た次の瞬間に天剣の襲撃があるかも知れない。
 エアリフォス卿やヴァルモン卿が襲ってきたら、今のレイフォンに逃げるだけの体力はない。
 だが、事態は最悪を更に超えて突き進む。
 病院の玄関を出て十五メルトル。
 そこに一人の武芸者が佇んでいる。
 同年代と思われる黒髪の少女だ。
 整った顔立ちと育ちの良さを伺える佇まい、そして何よりも仕立ての良さそうな服装。
 これはもしかしたら、また王家の人間の襲撃かも知れない。
 関わっては駄目だ。
 ヴォルフシュテイン卿とはやや違う感じの嫌な予感がレイフォンに警告を発する。
 今回も無意味だろうけれど。
 そして、実はもう一度入院するという選択肢も既に無いのだ。
 ヒシヒシと感じるのだ。リディアの気配を。
 戻ったが最後、是非とも忘れたい暗黒の歴史を誰かに告げられてしまうかも知れない。
 それは避けたい。
 消去法で前方の少女を撃破して家に逃げ帰る道を選択する。
 出来るという保証は何処にもないけれど。

「念のために確認いたしますが」
「レイフォン・サイハーデンです」

 聞かれることが分かっていたので、先に答えておく。
 機先を制することこそ重要なのだ。
 そして、レイフォンの予測通りの反応が向こうに現れた。
 その愛らしいとさえ言える顔が花のような笑顔に包まれたのだ。
 美少女と呼んで問題無い人の笑顔を、レイフォンに生み出す事が出来たのだ。
 本当なら喜ぶべき事柄なのだろうが、とてもそんな気分にはなれない。
 そして一歩こちらに近付く。
 右手は既に剣帯に伸びている。
 問答無用で襲ってこないだけましなのかも知れない。
 スワッティス卿とかサーヴォレイド卿とか見たいに、いきなりでは心臓に悪いのだ。

「申し遅れましたが、わたくしクラリーベル・ロンスマイアと申します」
「!」

 若干引く。
 いや。思いっきり引いてグレンダンを逃げ出したいくらいだ。
 よりによって、ロンスマイア家の後継者に襲撃されているのだ。
 ヴォルフシュテイン卿の従兄弟だという話は聞いているから、どっちが先にレイフォンを殺せるかとか言う賭をしているのかも知れない。
 有りそうで怖い。
 だが、レイフォンのそんな憶測など知らぬげに事態は進む。
 機先を制したのは最初の一瞬だけ。
 既に相手のペースになってしまっている。

「突然で申し訳ありませんが」
「は、はい?」

 死んで下さいと言われることを覚悟する。
 死ぬ気はないけれど。

「一手立ち会って頂けますか?」
「・・・? は?」

 一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
 ヴォルフシュテイン卿の背中を見てからこちら、襲ってきたのはもはや化け物としか言いようのない天剣授受者だけ。
 手加減してくれているので何とか生きているけれど、クォルラフィン卿は何時か殺すと宣言しているのだ。
 王家の人間なら、先にレイフォンを殺して手柄にしようとか言い出すだろうと思っていた。
 だというのにこの展開。
 少々では済まない驚きを覚えたのだが。

「幸いにして、すぐそこに病院が有りますから、即死しなければどうと言う事はありませんし」
「・・・・・・・・・・・・・。は?」
「ですから、わたくしの攻撃で貴男が即死しなければそれで良いのです」

 認識が間違っているようだ。
 いや。合っていたというべきかも知れない。
 やはり殺すつもりで襲ってきているのだ。
 そして、既にクラリーベルは間合いのすぐ外。
 もはや死にものぐるいの一撃を放ち、生き残る以外の方法はない。

「準備はよろしいですわね?」
「全然良くないですよぉぉ」

 こちらの都合を聞いてくれていることに、少々感謝してしまう。
 天剣授受者にはない心遣いだ。
 全然嬉しくないけれど。
 そんな事を考えたのも一瞬。
 クラリーベルが動く。
 その動きに無駄はなく流れるような足運びから、風を微かに揺るがせて上体が捻られる。
 だが、ここでおかしなことに気が付いた。
 遅いのだ。
 動き事態は美しく洗練されているのに、その速度はあまりにも遅く、まるでスローモーションのように遅いのだ。
 だが、異常はそれだけではなかった。
 レイフォンの動きも遅い。
 クラリーベルに合わせて抜き打ちを放ったのだが、足運び腕の動き刀の復元から斬撃に至るまで、全てがどうしようもなく遅い。
 身体を支える活剄を総動員しているはずなのに、イライラするほどに遅い。
 その割に今まで感じたこともないほど、技の切れが良いのだ。
 そのギャップに戸惑うのも束の間。
 足を踏み出しつつの抜き打ちは速度以外には、レイフォンが思った通りに発動している。
 勝ちを確信しているクラリーベルの顔を見ることも出来れば、その腕の斬線もきちんと見える。
 だからレイフォンはその斬線にぴたりと合わせて刀のハバキ元をそっと押し当てる。
 そのまま繊細且つ最速でもって切っ先まで使って腕を切り裂く。
 何の抵抗も感じなかった。
 刀は滑るように腕の中を通り抜け、速度を保ったまま右上へと流れる。
 どうしようもなく遅く感じるが、それでもクラリーベルに比べると速かったようだ。
 そこで時間が元に戻った。
 棘々の付いた護拳を持った、紅玉錬金鋼製の短めの剣に引っ張られ、右前腕半分が飛んで行くところを視界に納めてしまった。

「うわ!」

 思わず、反射的にそれが地面に落ちないようにスライディングキャッチする。
 細かい描写は省くが、少々では済まない動揺を覚えてしまった。
 人間を切った事が初めてという訳ではない。
 汚染獣戦へ出る前の試合で、何度となく人間相手に戦い斬撃を放ってきた。
 勝つ度に血を流してきたのだ。
 当然だが、負ける時にはレイフォン自身が激痛に見舞われ血を流した。
 だが、思わず落ちそうになった腕をキャッチするなんてことは初めてだった。
 何でそんな事をしようと思ったのか非常に疑問だが、やってしまった以上仕方がない。
 そして恐る恐るクラリーベルの方を見る。
 王家の人間の腕を飛ばしてしまったのだ。
 絞首刑くらいは覚悟しなければならない。

「あ。ああああああ」

 だが、そこに見えたのは全く別種の表情。
 切り飛ばされた腕の断面を見つめる、潤んで熱を帯びた視線。
 荒くなった呼吸と上気した頬。
 そしてその唇から漏れる、うっとりとした溜息にも似た吐息。
 これはもしかしたら。

「な、何をやっているんですか!」

 事ここにいたってやっと、表の騒動に気が付いた病院のスタッフが駆けつけてきた。
 全然嬉しくないけれど。
 それを認識したレイフォンは、どうした物かと考えたが、当然何か良いアイデアなど浮かばない。
 結局のところ成り行きに任せる事にした。

「ク、クラリーベル様」

 駆けつけてきた中の一人がクラリーベルの事を知っていたのか、驚愕と共に恋する乙女モードの少女を見る。
 もしかしたら、傷害罪でやっぱり逮捕されて絞首刑かも知れない。
 いや。その方がましな人生かも知れない。
 だが、事態は少々違う方向へと進む。

「は、速く手当を!」
「そうです。今なら完璧にくっつきますから」

 ここは戦闘の多いグレンダンだ。
 クラリーベルも言っていた通りに、即死しなければ元通りになる確率は極めて高い。
 恐ろしく運が悪くて、剄脈に異常が出てしまえば少々違ってくるが。

「そうですわね」

 夢心地といった感じのクラリーベルがレイフォンを見る。
 その視線は、自分を傷付けた男を見る物では断じてない。
 どんな角度から見ても、恋い焦がれる少女が思い人を見つめる視線だ。
 これは拙い。
 ヴォルフシュテイン卿以上に拙いかも知れない。
 もう遅いけれど。

「私の腕を治すのは仕方が御座いませんわね」

 おかしな事をおっしゃるクラリーベル様。
 これ以上は常人が踏み込んではいけないのだと、本能が理解している。
 もう遅いけれど。

「この切断面。痛みはおろか出血さえ全くありません」
「え?」

 言われて慌てて周りを見てみる。
 確かに血痕が飛び散った後は、全く無い。
 恐る恐る手に持った腕へも視線を向けてみる。
 血色の良い肌をそのままに、こちらも出血の痕跡はない。
 それどころか、今まで見た事の無いほど凄まじい切断面を見せている事に、やっと気が付いた。
 向こうの切り口と合わせてみたら、そのままくっついてしまいそうな程だ。

「ですが、あちらは真空の冷凍保存で永遠にこの瞬間を留めておいて下さいませ」

 なにやらとんでもない事をおっしゃるクラリーベル様。
 驚いたのは病院関係者も一緒だったようだ。
 一歩二歩と引いている。
 レイフォンなんか三歩は引いている。

「ああ! これほどの斬撃を放てるなんてレイフォン様。貴男は最高に素敵ですわ! リーリンが襲ってしまうのも頷けますわ」

 絶望的な事態がやってきた。
 これを回避する事は至難の業だが、何とか自分の腕を冷凍保存して記念品にするなどという変態的行為からは、遠ざからなければならない。

「そ、そんな事言っている場合じゃないですよ! ほ、ほら。これをピッタリとくっつけないと!」

 かなり慌てて、持っていた腕を本体にくっつける。
 これを機にヴォルフシュテイン卿やクォルラフィン卿が、本格的に襲撃してきては生きていられないから。

「そ、そうですクラリーベル様。今なら完璧にくっつくのですからそのようなお戯れは」

 病院のスタッフも同じ意見のようだ。
 医療従事者としての本分なのだろうけれど。

「そんな事をする必要はありません。腕などまた生えてくるのですから」
「来ませんって!」

 どうしてこう王家の人間と言うのは非常識な人達ばかりなのだろうと考えつつも、必死に腕を本体に押しつける。
 そして違和感を感じた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 なんだか変だ。
 猛烈に変だ。

「仕方が御座いませんわね。これ以上皆様をお騒がせするのはわたくしの良しとするところでは有りません」

 渋々とだが、腕をくっつける事に同意してくれたようだ。
 これはこれで良いのだが、なんだか猛烈な違和感を感じる。

「ああ! それにしても先ほどの一撃! まさに見事の一言に尽きますわ」
「そ、それはどうも」

 違和感をそのままに、レイフォンは取り敢えず会話を続ける。
 剣を持ったままの腕を抱きしめて身もだえしているクラリーベル様を見て思う。

「危ないですから仕舞った方がよろしいのでは?」
「? ああ。そうですわね」

 剣を持ったままでは、流石に治療は出来ない。
 なので、クラリーベル様は基礎状態にした紅玉錬金鋼を剣帯へと納められた。
 そう。一度握ったらちょっとやそっとでは手から離れないはずの、護拳の付いた小振りな剣を何の問題も無く、剣帯に仕舞ったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 レイフォンの背中を冷たい汗が下がって行く。
 幼生体一万に匹敵するその集団を認識している最中、周り中の人間がその異常さに気が付いたようだ。
 そう。クラリーベル様は右手で錬金鋼を扱っていらっしゃるのだ。
 もしかしたら、完璧にくっついてしまっているのかも知れない。
 そうとしか思えないほど、何の違和感もない動きだった。
 そしてレイフォンは気が付いていたのだ。
 先ほど感じた違和感の正体とは、切り落としたはずの腕から脈動を感じた事だった。

「・・。もしやレイフォン様?」
「あ、あう」
「これほどの使い手でいらっしゃったとは」

 普通に考えたのならば、一度切り離した腕や足は、きちんとした医療機関でないと治せないはずだ。
 だというのに。

「ああ! なんて素敵なんでしょうか? これほどの体験が出来るなんて! 神なぞという滅んだ存在にはとうてい出来ない事ですわ!」

 何か勘違いしているようで、猛烈に嬉しそうだ。
 レイフォンにしてみれば、死に神に溺愛されているとしか思えないが。

「と、兎に角雑菌が入っているかも知れませんから、検査の方を」
「・・・・・。無粋ですわね」

 好意というか、常識的な事を言った医師らしい青年に向かって、クラリーベル様の殺意の視線が突き刺さる。
 その視線に恐れおののいた青年だが、それでも躊躇したのは一瞬の事。

「私は医師です。治療するためならば無粋の一つや二つはいたします」
「・・・・。詰まりませんわね」

 非常に不本意そうだったクラリーベル様だったが、何か思いついたのか一瞬でその表情が明るい物に変わった。
 そして、レイフォンの方を見る。
 その視線は期待に満ちあふれ、直視出来ないほどの輝きを放っている。
 と言うか、直視したくない。

「さあ。レイフォン様」

 そう言いつつ腕を差し出すクラリーベル様。
 思わずその手を見つめてしまう。
 何の問題も無いようにしか見えない。

「もう一度切り落として下さいませ」
「・・? は?」

 今この人はなんと言ったのだろうか?
 そう思うまもなく、事態は更に突き進む。

「いえ。これは失礼の極みですわね」

 手を戻して、剣帯に伸ばす。
 これはつまりあれだ。

「私を殺す覚悟で参って下さいませ。いえ。むしろこの場で斬り殺して下さいませ」

 恋という熱病にうなされた少女の視線で、自分の死を願うクラリーベル様。
 ヴォルフシュテイン卿以上に拙いと感じたのは、間違いではなかったのだ。
 だが、考える時間はない。
 既にクラリーベル様はやる気満々。
 殺さなければ殺される事が確定している。
 そしてサイハーデンの目的は、生き残る事。
 ならば方法はただ一つ。

「サイハーデン逃走術最終奥義!」

 ゆっくりと抜き打ちの構えを取る。
 誤字ではないのだよ! 誤字ではな!

「逆水鏡渡り!」

 期待に胸ときめかせるクラリーベル様の表情が、急激に遠のきつつ呆気に取られる。
 背中に迫った壁の気配を、速度をそのままに跳躍して回避。
 空中で姿勢を制御。
 更に水鏡渡りを発動してクラリーベル様から遠ざかる。
 そう。逆水鏡渡りとは、敵に向いたまま全速力でその場を逃げ出すための秘奥なのだ。
 障害物を見ないで避けつつ、旋剄を超える超高速移動をする。
 これがどれほど恐ろしいかは想像に難くない。
 レイフォンだってこんな物騒な技は使いたくないのだ。
 だが、使わなければならない。
 一時の逃げで全てが上手く収まるとは思えないが、いや。事態が悪くなる事は理解しているが、それでも逃げてしまうのだ。
 三十六計逃げるにしかずと言うし。
 きっと間違っていないのだと信じる。
 正しいとも思えないけれど。
 それでも逃げる。
 そして絶望していた。
 グレンダン王家とは、変態や変質者の集団なのだと。
 そんな人達が支配する都市に住まなければならないのだと。
 それを認識してしまったから。
 
 
 
 後書きに代えて。

 はい。超槍殻都市グレンダンの二話目です。
 ぜろぜろわん様。ヨシヲ様。蜃気様。水城様。外剛様。K・U様。武芸者様。
 そのほか名を知らぬ読者の皆様、お待たせしました。
 ご期待に添える作品になったかどうか非常に疑問ですが、ここに二話目をお送りいたします。
 って! 何やってるんだ俺! 復活の時の執筆スケジュールが予定が締め切りが!
 こんな事をしているとギャグ作家として定着してしまいそうだ。
 更に、二話から三話で終わるはずのこのシリーズ、最低四話かかってしまう事が判明。
 これ以上予定を狂わせてどうするんだか?



[18444] 超槍殻都市グレンダン3
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:7f76877d
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 だが、今の状態はそんな些細な事柄とは全く無縁だ。
 クラリーベル様の精神攻撃で瀕死の重傷を負ってしまったが、その傷が急速に癒されているのを感じている。
 家と呼べる孤児院に帰ってきて、弟や妹たちの下敷きになっている今この瞬間、レイフォンは幸せなのだ。
 別段、息も出来ないほどの猛烈な重量で押さえつけられている事に快感を覚えている訳ではない。
 子供特有の高い体温を全身に感じる事が出来ている今が、幸せなのだ。
 これのためになら、ヴォルフシュテイン卿やクォルラフィン卿の攻撃も、何とか回避して生き延びる事が出来る。
 それ程までにレイフォンにとって幸せと、生きている事を実感させてくれる儀式なのだ。
 断じて虐められて喜んでいる訳ではない。
 だが、そろそろ本格的に死にそうなほど息が苦しくなってきているのも事実。
 何時もなら誰か年長組が止めに入ってくれるのだが、残念な事に今日は全員が参加しているのだ。
 退院したレイフォンを迎えるために、総出で歓迎してくれているのだ。
 いつも以上に幸せと息苦しさを感じている状況のまま、死ぬ事が出来たのならば楽かも知れないと思わない事はない。
 ミンス・ユートノールからの礼金で当分孤児院は困らないし、それも良いかもしれないと思っていたのだが。

「レイフォン?」

 心配げな父の声が聞こえた辺りで、上に乗っていた子供達が徐々にしかし確実に数を減らして行く。
 これは少しだけ寂しいかも知れない。
 取り敢えず生きている事をデルクに伝えるために、手をパタパタと動かしておく。
 ほぼ全員がレイフォンの上からどいたのはそれから一分ほど経ってからだった。
 やはり少し寂しい気がする。

「ただいま父さん」
「う、うむ。相変わらずボロボロだな」
「うん。でもまだ生きているよ」

 どう言って良いか分からないといった感じのデルクが、へたり込んでいるレイフォンを心配気に見下ろしている。
 それはいつも通りでかまわないのだが、危険な存在が近くにいる事も一緒に感じてしまっていた。
 殺剄を使っているらしいのだが、スワッティス卿やサーヴォレイド卿との戦闘は、レイフォンの中の何かを間違いなく変えていた。
 その変化につられるように、その存在を感じてしまっていたのだ。
 だが、何時ものように一触即発的な気配と言った物は感じない。
 騒がれるのが面倒だから隠れていると言った感じだ。
 なので、割と冷静に聞く事が出来た。

「お客さん?」
「う、うむ。お前に客なのだが、道場の方が良かろうと思う」

 危険ではないが、少々面倒な客のようだという理解は出来た。
 こうなればレイフォンにとれる行動はただ一つ。

「ほらみんな。夕飯の準備をする。宿題は終わったの? お風呂とトイレの掃除の手を抜いちゃ駄目じゃないか」

 等々と、家事の指示を飛ばしつつ弟や妹たちを散らせて行く。
 そして、おおかたいなくなったところで道場へと移動する。
 もちろん、着いてくる子がいない事を確認しつつなのは当然だ。
 ヴォルフシュテイン卿のように正面から来る事がなかった以上、話は内密な物であるかも知れないから。
 そして、道場の扉を閉めて、デルクの側に人がいる事を確認して、最終的に絶望した。

「ノイエラン卿」

 今日もまた天剣授受者の襲撃を受けてしまった。
 長い白髪と真っ白な髭で覆われた顔と、表情が読みにくい細い瞳をした老人。
 天剣授受者の中で良識派と呼ばれ、女王の安全装置と武芸者から頼られている、ティグリス・ノイエラン・ロンスマイアその人だ。
 天剣の襲撃自体は、最近の恒例行事と言えない事もないのだが、今回だけは事情が違う。
 理由はもちろん、クラリーベル様の祖父であるという一点においてだ。
 孫娘の腕を切り飛ばされた祖父が、平和的な目的でレイフォンの元にやってくる。
 そんな事態を想像出来るほど、レイフォンは平穏無事な生活を送っていない。
 特にここ最近は。

「まずは座るが良い。小僧」

 威圧感バリバリの声でそう命じられた以上、従わない訳には行かない。
 問答無用で消滅させられないだけましだと判断したいところだが、もしかしたらそちらの方が遙かに幸せに近いかも知れない。
 そして、レイフォンが座るよりも早くノイエラン卿が口火を切ってしまった。

「聞いた話なのだが、おぬしクラリーベルを傷物にしたそうじゃな?」
「き、傷物ですか?」

 中腰で一瞬止まった後に、きっちりと座ってから考える。
 傷物というと、まあ、確かに傷物にしたと言えない事はない。
 事態は理解していないだろうが、恐らくノイエラン卿が言った意味でない事を理解しているデルクは、やや落ち着いた表情でレイフォンを見ているような気がする。
 内心ハラハラしているのだろうが、それでもまだ落ち着いていてくれているようだ。

「えっと、恐らく意味が違うと思うのですが」
「どう違うというのだ?」

 威圧感が二割ほど増したような気がする。
 ここで選択である。
 腕を切り落としたと正直に伝えるのがまず一つ目。
 貞操絡みの傷物という線で話を進めるのが二つ目。
 三つ目として逃げる。
 どれが最も安全かと考えてみたのだが、どれもあまり結果が変わらないような気がする。
 ならば、正直に話した方がまだましだと判断した。

「先ほど退院したばかりの病院で」
「ぬん! 病院でだと! その年ですでにコスプレか!」
「お、おちついてください」

 なにやら思春期真っ盛りな少年のように、変に興奮なさるノイエラン卿。
 その外見で今の反応は少々怖いので止めて欲しいところだ。

「建物の外へ出たところでですね」
「ま、まさか! 青姦などと言うのか!!」
「話の途中ですから、お願いですから落ち着いて下さい」

 どうも、外見通りの人物ではないようだ。
 いや。やはり王家の人間だと納得するべきなのだろうか?

「クラリーベル様に襲撃されまして」
「! ま、まさか貴様! おなごに!」
「・・・・・・。お茶でもいかがでしょうか?」
「うむ。頂こう」

 ここまで来れば話は見えてくる。
 ノイエラン卿はそう言う話に持って行きたいのだと。
 理由は今のところ分からない。
 分からないが、レイフォンとしてはあまりありがたくないのも確かだ。
 クラリーベル様は確かに美少女だが、性格と立場にかなりの問題が有りすぎるから、あまり関わりになりたくない。
 道場に用意してあるお茶のセットを使い、手早くしかし確実に緑茶を淹れる。
 それをノイエラン卿の前に置いてから話を再開する。

「それでですが、立ち会いを求められまして」
「何じゃつまらん。立ち会ってお主が勝っただけか」

 出されたお茶をすすりつつ、実につまらなそうにそうおっしゃるノイエラン卿。
 実に外見通りの穏やかな空気になっている。
 非常に嬉しいと言って良いのだろうか? あるいはこの先に恐るべき罠が待ち受けていると恐怖した方が良いのだろうか?

「はい。抜き打ちの勝負となりまして」
「? お主がここに居ると言う事は、クラリーベルは負けたと言う事じゃな?」
「そうなります」

 切り落としたはずの腕が、その場でくっついたとか言う話をしたら、間違いなく一戦覚悟しなければならないので、絶対に話す事は出来ない。
 なので結果だけを伝える。

「なんじゃ。傷物にされたと聞いて安心しておったのじゃがな」
「何処をどう取れば安心できるのですか?」

 孫娘が貞操的な意味で傷物にされて、安心するという祖父の考え方が理解出来ない。
 と言うか理解したくないと勘が告げている。

「クラリーベルは昔から少々困った性癖を持っていてな」
「はあ」

 確かにあれは困った性癖だ。
 断じて少々と呼べる範囲で収まっていないけれど。

「じゃからな。やっと男と縁を結ぶ事が出来たと喜んでおったのじゃが」
「後継者の問題が有りますからね」

 王族である以上、後継者を作る事は義務となっている。
 グレンダン王家で言えば、王家同士、あるいは天剣授受者と婚姻する事が定められている。
 もちろんレイフォンはどちらでもない。

「クラリーベル様との婚姻など、僕には出来ないはずですが?」
「問題無かろう? クラリーベルが負けたとならば、しかもお主に目立った傷はないとならば、それは圧勝だったのだろう?」
「い、いえ。抜き打ちですから勝つにしても負けるにしても一撃で勝負は付きますから」
「まあ、どちらにせよ勝ったのならばお主の実力は相当な物という証拠じゃ」

 どうやら、結果だけを伝えてもあまり事態は変わらないようだ。
 思い切ってあそこで負けて再入院の方が、まだましな結果だったかも知れないと、今頃気が付いた。
 もう少し頭を使う事を覚えた方が良いのかも知れないと思うが、すでに事は起こってしまっているので無駄だ。

「ならば、手頃な天剣が居ない以上お主でもかまわんじゃろうて」
「いえいえ。独身の天剣授受者で男性もいますから」
「問題有る連中ばかりじゃがな」

 そう言われてみて思い返すまでもなく、現在の天剣授受者は性格に問題のある人間ばかりだ。
 サーヴォレイド卿を筆頭にクォルラフィン卿にヴォルフシュテイン卿にスワッティス卿と、若い天剣授受者はおおむね性格に問題が有る。
 唯一許容出来るのは、エアリフォス卿くらいな物だろうか?
 女性だからクラリーベル様の結婚相手にはなれない事が、玉に瑕かも知れない。

「そこへ行くとお主は剄量は兎も角として、技量だけならば天剣級じゃ」
「剄量が少ない以上あまり意味はないと思いますが」
「謙遜をするで無い小僧。そもそも、剄量を問題にするのならばクラリーベルの方が遙かに・・・・・・。なに?」

 ノイエラン卿が何かに思い至ったようで、話の途中で考え込んだ。
 そしてレイフォンは気が付いてしまった。
 明らかにクラリーベル様の方が剄量が多かったと。
 なのに、勝ってしまったのだと。
 これは、天剣に挑まないための口実であるところの、剄量の不足を使えなくなるかも知れないと言う事に他ならない。

「お主。お主の剄量を二百とする場合、クラリーベルはおおよそ六百五十前後じゃろう?」
「そ、そのようですね」

 グレンダンの一般的武芸者を百とした場合、レイフォンは二百ほどでクラリーベル様はおおよそ六百五十から七百だろう。
 それはおそらく間違いのない事実のはずだが、今日体験したこととは明らかに矛盾してしまう。
 圧倒的とは言わないが、かなりの実力差でレイフォンが負けなければおかしい。
 確かに、三倍程度の剄量ならば負けない戦いが出来るとは思うが、思うのだが。

「あうあう。飯はまだかのぉじいさんや?」

 取り敢えずぼけて誤魔化してみる事にしたが。

「愚か者が!」
「この知れ者め!」
「ぐべら」
「それはボケの方向が違う!」
「儂がやってこそのボケじゃろうが!」

 二人から渾身の突っ込みを貰ってしまった。
 物理的な突っ込みと共にレイフォンを打ちのめしつつも、その瞳からは好奇心の色が消えていない。
 折角身体を張ったボケだったのだが、残念な事に意味をなさなかったようだ。
 だが、事態は更に爆走する。
 何処かで聴いたメロディーが道場に響く。
 それが、少女向けアニメの主題歌である事を認識。
 何故知っているのかと問われれば簡単で、小さな妹たちと一緒に見ているからだ。
 かなり強制的な視聴で、戦闘による批難などで放送時間が変わったとしても、毎回女の子に取り囲まれて見ているのだ。
 聞き間違えるはずはない。
 そして、そんなメロディーが何処から流れているのかと探って行き、そして恐怖におののいた。
 そもそもここには三人しかいない。
 デルクもレイフォンも携帯端末など持っていない。
 ならば残る人物はただ一人。
 おもむろに、威厳に満ちた表情と動作でノイエラン卿が懐に手を伸ばし、つまみ出したのはパステルピンクの携帯端末。
 なにやら猫を図案化したシールが一個、蓋の中央付近に貼ってあったりしている。
 滅茶苦茶少女趣味な携帯端末だ。

「はいはい」

 それを取り出したノイエラン卿は、今までの厳かさなど何処へ行ったのか、非常に機嫌良く通話を開始。
 相手は誰だろうかとか思っていると、すぐにその疑問は解決した。

「おお! クララか。怪我をしたと聞いたが平気か? ・・・・・。なに? これから修行に行くので暫く家には戻らない? 待つのだクララよ。いくら何でも腕はまだ着いておらんだろうに? ・・・・・・! な、なに? 切られたけれど治療も無しにくっついたじゃと!」

 ここで、ノイエラン卿の視線がレイフォンを捉える。
 今までの好々爺と言った雰囲気は一変し、そこには不動の天剣と呼ばれた、最強の武芸者の迫力が宿っていた。
 そして、それは脇で話を聞いていたデルクの視線も同じなのだ。
 これはやばいかも知れない。
 やばいなんて生やさしい状況ではないかも知れない。
 二人の視線の意味はたった一つ。
 試してみたい。

「あ、あう」

 ノイエラン卿が通話を終えて携帯端末を懐にしまう。
 その動作に全く隙はなく、何時でも攻撃を撃ち放てる状態である事が伺える。
 そして、デルクも剣帯に手を伸ばしているのだ。
 これはかなり危険な状況だと認識する。
 相変わらず、認識しているだけで何も変わらないけれど。

「小僧。よもやここまでの使い手だったとはな」
「レイフォン。私など遠の昔に追い越していたのだな」

 二人とも目の色が違う。
 あえて言うならば、戦ってみたい。
 徐々にしかし確実に、二人との間合いが狭まって行く。
 二対一では勝ち目がない。
 そもそも、ノイエラン卿と戦うだけで生き残る確率は極めて低いのだ。
 だが、事態は急変を迎える。

「ティグリス様。ここは師である私にお譲り下さいませんか?」
「ぬん? まあ良かろうて。お前が鍛え上げた者の真価を問う権利は有ろう」

 短い会話で話が付いたのか、ノイエラン卿がやや後退して、デルクが一歩前へと出る。
 そして、問答無用で抜き打ちの構えを取るデルク。

「と、父さん」
「さあレイフォン! お前の実力を私に見せてみろ!」

 第一線を引退したとは言え、熟達の武芸者だ。
 その身のこなしには無駄が無く、剄の走りも十分である。
 まさに一撃必殺の構えだ。
 少しずつ後ずさりながら逃げられないかと考える。
 デルクとレイフォンの安全も確保できればこれ以上ないくらいによいことなので、必死に頭を使い一つだけ思い付けた。

「え、えっと。病院の側の方が良いんじゃ?」
「愚か者が! 道場を出てすぐ目の前が病院だ」
「ああ。そう言えばそうだったね」

 怪我をする事が日常茶飯事である以上、病院の側に道場を作る事がグレンダンでは普通に行われている。
 それはここも同じだ。
 クラリーベル様の認識と行動も、これが根底にあったのだろう事が分かる。
 全然尊敬とかは出来ないけれど。
 そして、もうデルクは間合いのすぐ外。
 レイフォンも心を決めなければならない。
 あの時と同じ心境にはなれないかも知れないが、それでも全力の一撃を打ち込まなければ、デルクは納得してくれないだろう。
 潔い生き方など習った事はないが、今は全力を尽くすのみ。

「私を殺すつもりでかかって来るがよい!」

 クラリーベル様と同じようなことを言うデルクだが、その迫力は桁外れに巨大だ。
 そして、デルクが軸足を前に踏み出す。
 それに合わせるようにレイフォンも一歩踏み出す。
 復元の光を伴った斬撃が、双方の左腰付近から迸り、お互いの腕を切り裂こうと疾走する。
 そして原因は不明だが、かなりの余裕を持ってレイフォンの斬撃がデルクの腕に到着し、前腕半分を切り飛ばす。

「おお!」
「なんと!」

 ノイエラン卿とデルクが感嘆の叫びを上げるのを聞きながら、再びレイフォンは思わず半分ほどになった前腕を捕まえるためにダイブしてしまっていた。
 だがふと思う。
 クラリーベル様の時には時間が間延びして感じられたはずだが、今はそれがなかった。
 それは何でだろうとか考えているのは、いくら同意の上だったとは言え、養父の腕を切り落としてしまったと言う、精神的な重圧からの逃避に他ならない。
 腕を拾ってしまったのもクラリーベル様との一戦から時間が経っていないためで、別段変な趣味に目覚めたという訳ではないのだ。

「見事だレイフォン」
「あっぱれだ小僧」

 大人二人はなんだか納得したようで、微笑みつつレイフォンを見ているのだが、そんな事は後からだっていくらでも出来るのだ。
 兎に角、腕を何とかしなければならない。

「と、兎に角これを速くくっつけに」
「そうだな。奇跡の技を見たい物だ」
「そうじゃな。早う元通りにして見せい」

 あんな事がしょっちゅう出来るはず無いと思うのだが、取り敢えず腕を本体にくっつける。
 だが、くっつけた直後駄目だと言う事は分かった。

「駄目だよ父さん。脈動を感じない! 速くくっつけに行かないと!」

 慌てているのだ。
 確率的には低いが、万が一にでも剄脈異常なんかが起こったら、レイフォンは自分を許せない。
 だからデルクを急かせて向かい側の医者の元へと向かおうとした。

「落ち着くのだレイフォン。これほどの斬撃ならば剄脈異常など起こらぬ」
「そうじゃ小僧。これほど見事な切断面ならば、異常など起こらぬ」

 落ち着き払っている二人には悪いのだが、ここ最近あり得ない事が立て続けに怒っているだけに、レイフォンの焦りは収まらない。

「と、兎に角医者に」

 慌てて道場を出ようとしたのだが、それは無駄な行動だった。
 なぜならば。

「成る程。これは見事な切り口ですね。私も長い間ここで医者をやってますが、これほどのは見た事がありませんよ」

 後方からそんな声が聞こえてきたからだ。
 振り返ってみるまでもなく、事態は理解出来てしまった。
 かかりつけの医師が道場に上がり込み、傷の手当てをしているのだ。
 いつからいたか全く気が付かなかった。
 ノイエラン卿の気配には気が付いたのだが、人間とは不思議な生き物だ。
 もしかしたら、老年にさしかかった人だから、武芸者以上に気配を消す心得があるのかも知れないと疑ってしまうくらいだ。

「そうでしょう。私もこれほどのは見た事がない」
「儂の長い人生でも五指に入る切り口じゃな」

 老人三人は酷く喜んでいる。
 呆然としているレイフォンを置いてけぼりにして。

「ならばこそ、クラリーベルが敗れるのも無理は無いじゃろうて」

 ゆっくりと立ち上がるノイエラン卿。
 その全身に剄がみなぎり、制御に失敗している訳でもないのに、陽炎のように空気を揺らめかせている。
 退院直後に一戦して、帰宅直後に二戦するという、つい一月前までは考えられなかった事態に陥ってしまっている。

「お主の強さの秘密、それは瞬発力じゃ」

 ゆっくりとした動作だが全く隙を見せないノイエラン卿が、白金錬金鋼の長弓を復元。
 何時も通り天剣ではないようだが、レイフォンに死をもたらすには十分すぎるはずだ。
 ゆっくりと剄を練り上げつつ、レイフォン本人でさえ理解していない、強さの秘密を語り出すノイエラン卿。

「百分の四秒程度のごく短い時間だけ、貴様の剄脈は爆発的な力を発揮する」

 そんな事が出来る人間がこの世にいるとは思えないが、レイフォン自身がそれだと言う事が全く信じられない。
 出来れば誰かに代わって欲しいとさえ思えるが、無くなったら最後死んでしまうかも知れないので、このままの方が良いのかも知れない

「その短い時間の爆発力で全てを決しているのじゃ」
「そ、それだと、スワッティス卿とかサーヴォレイド卿とか」

 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様の場合には、今の説明で何とか辻褄が合うが、先週の襲撃を生き延びる事が出来た理由にはならない。
 双方一分という時間襲われ続けたのだ。

「感嘆じゃ。短い爆発を繰り返しておったのじゃな」
「な、なるほど」
「そのせいで剄脈の疲労が大きかったんじゃろうな。入院はそれが原因じゃ」

 納得している場合ではない。
 目の前には、レイフォンの強さの秘密を解き明かした最大級の危険人物がいるのだ。
 逃げるために、道場の扉の方へと後ずさる。

「安心せい。他の天剣と同じように、一分間じゃからな」

 そう言いつつ発動しているのは、どう見ても迷霞。
 スワッティス卿のように、最終的には点の攻撃ではない。
 サーヴォレイド卿のような線でもない。
 面の攻撃である。
 これは避けるのが非常に難しいと思うのだが、ノイエラン卿に何か言っても聞いてくれそうもない。

「そら行くぞ小僧!」
「ま、まって!」
「問答無用!」

 いきなり道場内で発動する迷霞。
 逃げるために扉の方に移動していたレイフォンだが、慌てて全力で横に飛んで面の攻撃を回避。
 扉を含めた直径二メルトルの壁が粉砕される。
 これは好都合かも知れない。
 逃げ道が増える。

「ふはははははは! 踊れ踊れ小僧!」
「どわわわわわわわ!」

 と思ったのも束の間。
 連続で繰り出される迷霞があっという間に道場を瓦礫の山に変えてしまった。

「ま、待って下さい! 孤児院が!」
「安心せい! お主が逃げる方向に気をつければそれでよいのじゃ!」
「無茶言わないで下さいよ!」
「ほれほれ! 恐れおののけ! 逃げ惑え!」
「のわぁぁぁ!」
「貴様にはもう安息の地など無いのだ! 怯えて眠るが良い!」
「と、父さんならきっと分かってくれるはず!」

 デルクが武芸者モードというか戦いたい人間になってしまったら、間違いなくレイフォンに安心して眠る場所は無くなってしまうが、きっと分かってくれると信じている。
 うん。信じたい。

「どうしたどうした!」
「ひぃぃぃん」
「この儂の首を取ってみぃ!」
「無理です!」

 何処から取り出したか不明だが、錬金鋼をとっかえひっかえ面の攻撃を繰り出し続けるノイエラン卿。
 剄の制御が完璧だったら冷却期間を考えずに攻撃が続けられる。
 非常に上手い方法だが、レイフォンにとっては最悪の先方だ。

「儂の首を取る事が出来たのならば、貴様に天剣ノイエランをくれてやろう!」
「いりません。他の天剣に本気で殺されます!」
「ならば、ロンスマイア家はどうじゃ? 明日から王族になれるぞ!」
「絶対にいりません!」
「クラリーベルはどうじゃ? これならば何の不足もあるまい!」
「一番いりません!」
「お、おのれ小僧! クララをいらんというか!」

 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
 いきなり今までとは違う銀色に耀く錬金鋼が復元された。
 おおよそ都市を一つ壊滅させるだけの威力の剄が注ぎ込まれる。
 間違いなく、レイフォンを殺す気だ。

『お待ちなさいティグリスさん』
「! その声はデルボネか」

 あわやという一瞬。
 いきなり蝶のような念威端子から声が掛かり、動きを止めるノイエラン卿。
 もっと速く止めてくれればいいのにと思ってしまうのは贅沢だろうか?

『いくら何でもそれはいけませんよ』
「ぬ、ぬん? そうじゃな。儂とした事が大人げない」

 そう言うと、天剣が待機状態へと戻された。
 代わりに白金錬金鋼の長弓が復元しているが。
 そしておもむろに着ている服を脱ぐ。
 その下から現れたのは、三十本以上の錬金鋼。
 次から次へと攻撃を撃ち出す準備に他ならない。

「良かろうて。貴様がクラリーベルと結婚させて下さいと言うまで攻撃し続けてくれよう」
「そ、それはルール違反では?」
「・・・・・。ふむ。サヴァリスは兎も角としてリーリンに顔向け出来んのは、少々心苦しいな」

 納得してくれたようだが、攻撃態勢は全く変わらない。
 と言うか、錬金鋼が赤熱化しているような気がする。
 今までの三倍の剄が注ぎ込まれているのかも知れない。
 はっきり言ってよほど必死になっても大けが間違い無しだ。

「さあ再開しようぞ! 安心せい! 今週は儂とリヴァースじゃ」
「イージナス卿ですか?」
「じゃから二分でも良かろう」
「お願いですから止めて下さい!」

 防御専門のイージナス卿ならば、襲いかかってくる確率は極めて低い。
 つまり、ノイエラン卿から何とか逃げられれば来週まで生きていられる。
 俄然やる気が出てきた。
 非常に珍しい事だ。

「どわ!」

 とは言え、天剣授受者相手に楽な戦いなど有るはずもない。
 結局命を削るような逃げ方をする羽目になった。
 その最中、レイフォンは疑問に思った。
 ノイエラン卿からいつまで経っても電子音が聞こえないのだ。
 それを聞こうにも、そんな余裕はレイフォンにはない。
 本気になるまでは、それなりに会話を交わすことが出来ていたのだが、そんな状態は遠の昔に終了している。
 結局精根尽き果てた頃になって、キュアンティス卿から制止の声が掛かるまで面の攻撃を放ち続けられた。

『タイマーのセットをお忘れですねティグリスさん』
「おお? そう言えばそうじゃったかも知れんのぉ」
「そ、そう言うボケ方は止めて下さい。他の人も真似しますから」
「あうあう。クララよ。飯はまだかのぉ」
「それも止めて下さい!」

 まさかこれも計算ずくなのかも知れないとも思うが、確かめても無駄な事は分かっている。
 それなので抗議を送ってみる事にした。
 キュアンティス卿に向かって。

「分かっていたのならば止めて下さいよぉぉ!」
『あらあら。天剣の皆さんが貴男に襲いかかるのをずっと見てきたのですが、私にも武の力がありましたら襲いたくなるほど見事な逃げ方でしたので』
「お願いですから止めて下さい」
『ウフフフフ♪ 残念ですわね。とても可愛らしくていらっしゃるのに』

 王家と天剣授受者に関わってしまったがために、レイフォンの日常は波瀾万丈になってしまった。
 道場の再建資金はノイエラン卿が出してくれるそうだが、しばらくは鍛錬を他でやらなければならないようだ。
 そして気が付いたのだが、デルクの目が危険なのだ。
 間違いなく、レイフォンと戦いさらなる高見へと上ろうとしている武芸者の目になっている。
 本当に怯えて眠る事しか出来そうにない現実に、絶望が更に深くなった。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。超槍殻都市グレンダン3をお送りいたしました。
 百人目様。外剛様。ギギナ様。ヨシヲ様。愚者の戯言様。K・U様。武芸者様。諫早長十郎様。お待たせしました。
 そのほか名も知らぬ読者の皆様も、お楽しみいただければ嬉しいです。
 それと、1と2の誤字やおかしな所を修正しました。愚者の戯言様。ご指摘ありがとう御座いました。
 ごらんの通り、今回難産でした。何が難産かと言えば、予定の半分しか書けていないのにこの量。
 更にギャグが少ないし、中途半端なシリアスがあるし、女の子が出てきていない。とどめとばかりにおじいさんとおばあさんが大活躍をしている。
 でも、ここを通らないと次につなげることが出来ないのもまた事実。
 一服入れると言う事でお見逃しください。
 ちなみに、予定が狂ってしまったので、五話くらいになると思います。
 泥縄になってきているかも知れない。



[18444] 超槍殻都市グレンダン4
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:eee05dd9
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 つい三ヶ月前までは普通の武門の継承者であり、普通の武芸者だった。
 時々やってくる汚染獣と戦い、そうでない時には門下生に指導を行うと言う、継承者としては普通の人生を送っていた。
 だが今は、明らかに普通ではない生活を送っている。
 何しろ毎週毎週、入院していない時は毎週天剣授受者の襲撃を受けているのだ。
 こんな生活を送っているのはグレンダンでただ一人。
 そして、天剣授受者なんて人類外知的生命体が居るのはグレンダンだけ。
 いや。天剣授受者に知性があるか疑問ではあるのだが、それは考えるだけ無駄なので無視しておく。
 そうなると恐らくでは有るのだが、人類全体でただ一人レイフォンだけがこの地獄を生きているのだ。
 それ以外にも、天剣授受者になろうとする武芸者に襲撃されたり、時々養父に襲われたりと心休まる暇が無い日々が続いていた。
 だがしかし! 今目の前にある危機に比べればその全てはどうと言う事はない。
 実戦経験が豊富なためだろうが、今なら雄性体二期をたったの一日で倒すことも出来るほどに、腕が上がっている。
 ヴォルフシュテイン卿の背中を見た時には三日かかったのにだ。
 それだけの実力を付けたとしても、何にもならない事態という物があるのだ。
 例えば、サイハーデンの道場で鉢合わせして、レイフォンの目の前で睨み合っている美少女二人から逃げるというような。

「「うふふふふふ」」

 二人とも異口同音にお笑いになられていらっしゃる。
 二重敬語を使うくらいにレイフォンは恐れおののいているのだ。
 当然だが、睨み合っているのはリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール卿と、クラリーベル・ロンスマイア様だ。
 グレンダン屈指の美少女と言えない事もない二人が睨み合っているのは、実はレイフォン絡みの問題なのだ。

「何故貴女がここに居るの?」
「レイフォン様にお会いいたしたく参りましたの」

 表面上穏やかに話し合っているように見える二人だが、実はかなり雰囲気が違う。
 ヴォルフシュテイン卿は挑戦者のように、余裕のない笑みを浮かべているのに対し、クラリーベル様は明らかに勝者の余裕を持った笑みを浮かべていらっしゃるのだ。
 実は一週間前の話なのだが、レイフォンはクラリーベル様に完敗してしまっているのだ。
 生きていられるだけ増しだと言えるくらいに完璧な敗北だった。
 事の発端はいきなり孤児院に現れたクラリーベル様の台詞から始まった。
 何処かに修行に行っていたという話だったが、それが終わったのだという事は分かったので、戦闘態勢を取るレイフォンにかけられた台詞とは。

「あの時は失礼いたしました。ただ一時の快楽のために我を見失ったわたくしはおろかでした」

 深々と頭を下げられてしまった。
 まあ、これは問題無いだろう。
 いくら同意の上とは言え、ロンスマイア家の跡取りを殺してしまったのならば、今以上の地獄は覚悟しなければならない。
 どう少なく見積もっても、凶暴化したノイエラン卿が襲ってくる事は間違いなかったので、何の問題も無い。
 だが。

「これから先、何度も何度も切り刻んで頂けるというのに、一度の快楽に身を滅ぼしかけたわたくしの目を覚まさせるためにお逃げになったレイフォン様のお気持ち、しかと受け止めさせて頂きました」

 こう続いたのはどう評価したらよいのか、未だにレイフォンは分からない。
 分からないが、その結果が今の危機を招いてしまった事だけは間違いない。

「あのねクララ。弱いくせに出しゃばると死ぬわよ?」
「理解しておりますわ。そして、レイフォン様に殺される事こそがわたくしの望みですもの」
「へえ。力量はわきまえているんだ? いつぞやレイフォンに瞬殺されかけたって聞いたけれど」
「はい。あの時は右腕を切り落として頂きました」
「なっ! み、右腕を切り落としてもらえた?」

 頬を染めてもじもじと身をくねらせつつ、あの時の事を事細かに説明なさるクラリーベル様。
 それを聞いているヴォルフシュテイン卿の表情が怒りに染まって行く。
 いや。台詞の一部に妙な言い回しが入っていたような気がするのだが、きっと気にしてはいけないのだろうと必死に現実逃避気味に他の事を考える。
 とりあえずクラリーベル様の腕を切り落としたことが発端となり、色々と面倒になったとあまり逃避にならない逃避をしてみる。
 あの事件がなければ、デルクがあちら側に逝く事はなかったのだと思うのだが、既に後の祭りである。
 そんなレイフォンの事などお構いなし気味に話は全て終わったようだ。

「ああ! 弱いという罪に下された罰なのですわ」
「っち! 強すぎるっていやねぇ」

 罪に対する罰と言いつつ、何故か非常に嬉しそうなクラリーベル様と、不機嫌がますます大きくなるヴォルフシュテイン卿。
 非常に危険だという事は分かっているのだが、毎回の事だが回避する事は出来ない。
 出来ないが、それでも何とかしなければならない。
 ノイエラン卿に破壊された道場は新築されたのだが、またすぐに壊される訳には行かないのだ。

「あ、あのぉぉ? っひぃ」

 決死の思いで二人の対立の間に入ったのだが、一睨みで沈黙させられてしまった。
 これはきっと女同士の戦いだから、当事者であろうともレイフォンには関係ないと言う事だろう。
 関係ないついでに、別なところでやって欲しいと思うのは駄目な人間の証拠だろうか?

「その時のわたくしの謝罪とお礼の意味を込めまして、先週お菓子を持参いたしましたの」
「お菓子で釣ろうというの? まさか? 死ぬほど不味いお菓子を食べさせて復讐を?」
「それは有りませんわ。リーリンだって食べたじゃありませんか」
「ああ。あれは確かに美味しかったわね」

 確かに、クラリーベル様の持ってきたお菓子は美味しかった。
 かなりの量があったので当然の成り行きとしてみんなで食べた。
 孤児院の他の子達にも好評だった。
 だが、いや。だからこそレイフォンは敗北を喫してしまったのだ。

「でもその中にレイフォン様用の一品がありまして」
「まさか毒入り?」
「いえいえ。しびれ薬を入れただけですのよ」

 そうなのだ。
 全て食べたはずなのに、何故かどこからとも無く現れた最後の一個。
 それをクラリーベル様が自らレイフォンに食べさせて下さったのだ。
 もちろん、あーんをしつつ。
 弟や妹が一杯居るところでやられたので死ぬほど恥ずかしかったのだが、断るという選択肢はなかった。
 謝罪と礼という建前もそうだが、弟や妹たちが興味津々とレイフォンを見つめていたからだ。
 ここで断ったら教育上悪い影響が出るかも知れない。
 そう判断したからこそ必死の思いで食べたのだが、それこそがクラリーベル様の来訪目的だったのだ。
 しびれ薬が効くまで僅かに五分。
 体調に違和感を覚えたレイフォンは道場へと移動してしまった。
 道場ならばいざという時、スイッチ一つで医者がすぐに来てくれるから安全だと思ったのだ。
 クラリーベル様も一緒に来てくれるというので更に安心していたのだが。

「活剄が使えないので効果時間は三時間ほどでしたか」

 活剄を使って代謝を促進すれば、それ程長い時間身体が動かないなどと言う事はなかったのだが、しびれていては剄を練る事も出来なかったのだ。

「その間レイフォン様はわたくしだけの物でしたの」

 頬を染めて恥じらうクラリーベル様と、ぐぬぬぬぬと唸るヴォルフシュテイン卿。
 恥じらう場所が違うと思うのだが、きっとクラリーベル様にとってはまさに恥じらうべき場所なのだろうし、唸っているヴォルフシュテイン卿も、まさに唸るべき場所なのだろう。
 レイフォンには理解出来ないけれど、きっとそうなのだろう。

「ああ! レイフォン様を膝枕した感覚と言ったら」
「ひ、膝枕ぁぁ?」
「はい。その時に髪の毛を撫でさせて頂きました」
「な、撫でたぁぁぁ?」

 段々ヴォルフシュテイン卿が怖い事になってきている。
 具体的には、巨大な鋏を握りしめてレイフォンを見ているとか。
 何時も通りに天剣を持ってきていないのだが、いくら瞬発力があってもヴォルフシュテイン卿には勝てないのだ。
 勝てるかも知れないけれど勝てないのだ。たぶん。

「そうそう。耳掃除もいたしましたの」
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!」
「そしてこれですわ」

 そう言って、懐から小さなお守りを取り出すクラリーベル様。
 それは別段豪華な物でもなければ、珍しい物でもない。
 中に何が入っているかおおよそ分かっているレイフォンからしてみれば、その辺に捨てても良い程度の代物だ。
 いや。是非とも捨ててほしい一品だ。

「これ、レイフォン様のおひげが入っていますのよ」
「な、なにぃぃぃ」

 膝枕されている時に、頬に生えていた一本をクラリーベル様に抜かれてしまったのだ。
 あれは少々痛かったような気がする。

「っく! しくじったわ! クララに先を越されるなんて!」

 なにやら激昂しておられるヴォルフシュテイン卿。
 その身体から漏れる剄だけで道場が大きく揺れている。
 また再建までの時間が掛かるかと覚悟を決めたレイフォンだったが、事態はそんな生やさしい方向へは進まない。
 ニヤリとクラリーベル様がお笑いになられたのだ。
 再び二重敬語になるくらいに、レイフォンは恐れおののいているのだ。

「そしてレイフォン様はわたくしの子供を身ごもられておいでなのですわ」
「「っな!!」」

 思わず硬直して鋏を落とされるヴォルフシュテイン卿と、あまりにも予想外の展開に腰を抜かしてしまうレイフォン。
 いや。しびれている間に何かあったとか言う訳ではないのだ。
 いやいや。何かあったとしてもレイフォンが妊娠するなどと言う事はあり得ないのだ。
 あり得ないなんてあり得ないとは言え、男は妊娠するように出来ていないのだ。
 これはいくら何でもクラリーベル様の冗談だろうと言う事で、ヴォルフシュテイン卿も落ち着きを取り戻して下さると思っていたのだが。

「しくじったわ! もっと早くレイフォンをプチって殺しておけば。そしてその首を剥製にして寝室に飾っておけば、わたくしだけのレイフォンにする事が出来たのに」
「うふふふふふふ。残念でしたわねリーリン」

 レイフォンは理解していた。
 この二人が間違いなく血族だと。
 方向性が違うだけで思想としては非常に似ているのは、きっと血がつながっているからだと思いたい。
 いや。妊娠云々は冗談だから遊んでいるのだと信じて。

「レイフォン様がしびれている時間の殆どを、膝枕をしつつその頬を突いておりましたの」
「ほ、頬を突いていたですって?」
「はい。あれだけ突いたのですから、間違いなく妊娠しておいでになりますわ」

 得意そうに胸を張るクラリーベル様と、取り落とした鋏を拾い上げてレイフォンの首を狙っているようなヴォルフシュテイン卿。
 金属をこすり合わせる音が、まるでレイフォンへの弔意を表しているように思えてならない。
 あり得ない事だとは思うのだが、もしかしたら本当にレイフォンが妊娠しているのだと信じ込んでいるのかも知れない。
 こちらはあり得ないなんてあり得ないが通用するだけ増しなのだろうか?

「あ、あのぉぉ」
「なんですの?」
「なによ?」

 二人の視線がレイフォンに突き刺さる。
 どういう視線かと言う事の微細は省略させて頂くが、非常に怖い事だけは間違いない。
 だが、ここで負けてしまっては身の破滅なのでありったけの勇気を奮い起こして言葉を続ける。
 もしかしたら、この悪足掻きこそが身の破滅につながるかも知れないけれど、それは考えないようにして突き進む。

「僕は妊娠していませんよ?」
「「っな!!」」

 異口同音に同じ表情で驚くお二人。
 だが次の瞬間、差が現れてきた。
 勝ち誇ったようなヴォルフシュテイン卿と、全く信じられないと驚愕に支配されるクラリーベル様。
 そんな二人の視線が、レイフォンから離れて真っ向から激突する。
 視線に威力という物があるのならば、明らかにヴォルフシュテイン卿が有利だ。

「おほほほほほ! 貴女の悪辣な罠なんてその程度の物なのね。レイフォンを妊娠させることも出来ないなんて無様ね!」
「そんな事は御座いませんわ! これは陰謀ですわ! 謀略ですわ! いいえ。罠に違いありません!」

 動揺著しいクラリーベル様だったが、何か思いつかれたのか一気に落ち着きを取り戻された。
 どうでも良いが、二人とも男が妊娠できると信じているようだ。

「わたくしたちにとっかえひっかえ妊娠させられたのでは、身が持たないと計算されたレイフォン様の罠ですわ。わたくしたちを争わせて漁夫の利を得る作戦ですわ」

 なにやら我が儘を通そうとする子供のような事をおっしゃるクラリーベル様だったが、ヴォルフシュテイン卿の視線が厳しさを増してしまった。

「あり得るわね。レイフォンは結構逃げるのが上手いから」
「そうでしょう」
「あ、あのぉぉぉぉ」

 納得して話が先に進もうとするので、必死の思いで現実というか常識をお教えする事にした。
 本来、全く不要な行為だと思うのだが、気のせいであって欲しいところだ。

「そもそも、男は妊娠出来ないんですよ」
「「っな!!」」

 再びお二人で硬直なさった。
 本当に男が妊娠すると思っていたようだ。
 流石王族と言って良いのだろうか?

「そ、そんな! そんな事あり得ないわ!」
「そうですわ! 男の方が妊娠出来ないのならば、どうやって人間は増えてきたというのですか?」
「・・・・・・」

 どういう教育を受けてきたのだろうかという疑問は、持ってはいけないのだろうか?
 もしかしたら、武芸者としてだけ育てられたとか?
 ことグレンダンの王族だけに、あると言えてしまう今日この頃が、少々恐ろしい。

「お、落ち着いて下さいリーリン!」
「ど、どうやって落ちつけって言うのよ?」
「思い出してみて下さいませ。レイフォン様にはお父様はおいでですがお母様はいらっしゃいませんわ!」
「っは! そう言えばそうだったわね! 危うく引っかかるところだったわ!」
「い、いやいや」

 当然、レイフォンの事を知っているのは良いのだが、その情報の受け取り方が中途半端のようだ。
 これはしっかりと認識して理解して納得してもらわなければならない。

「僕を産んでくれた人は女性ですよ」
「「っな!!」」

 再び衝撃に見舞われる少女二人。
 話が進まないので強引に進める事にした。

「僕の母親は、放浪バスの火災事故で死んでいるんですよ」
「放浪バスの火災事故って言ったら」
「十五年前グレンダンの側でいきなり出火してしまったという、あれですわよね?」
「そうです。あれに母親と一緒に乗っていたのですよ」

 助かったのはレイフォンを含めて僅かに三人。
 乗客のデーターも失われてしまったために、レイフォンの親が何という人で何処の都市の出身か分からなくなってしまったのだ。
 別段それはどうでも良い事だ。
 結果的にグレンダンでデルクに引き取られてここが家になったのだし。
 いや。あれがなければ他の都市でもう少し増しな人生を送れていたのだろうか? 疑問は尽きないところではあるが目の前の問題を片付けなければならない。

「じゃ、じゃあ、本当に子供を産めないの?」
「産めません。子供を産むという能力を持っているのは女性だけです」
「分かりましたわ! 今度こそ分かりましたわ!!」

 何故かいきなり拳を突き上げるクラリーベル様。
 やっと男が子供を産めないと言う事を理解してくれたようだ。
 かなり嬉しい。

「まだ時が来ていないのですわね!」
「時って何よ?」
「雌性体の時期でないと駄目なのですわ!」
「おお! 流石クララ。これなら全ての辻褄が合うわ!」
「合いませんから! と言うよりも汚染獣と一緒にしないで下さい!」

 どうやら違ったようだ。
 流石に汚染獣との戦闘が多いグレンダンの王家と言うべきか、それとも非常識さを嘆くべきだろうか?
 あるいは、いつの間にか王族相手にも突っ込めるようになってしまった、レイフォンの適応能力が凄いと評価すべきだろうか?

「おかしいわ! 絶対におかしいわ! だって父様がおっしゃっていたもの!」
「何を言ったのですか?」

 ヴォルフシュテイン卿の父親と言えば、ヘルダー・ユートノールである。
 この前多額の報奨金をレイフォンに用意してくれた、ミンス・ユートノールの兄に当たる人だ。
 詳しくは知らないが、常識的な政策を行う人だと聞いている。

「自分が腹を痛めて産んだって」
「・・・・・・・・・・・・・。何時ですか?」

 これこそ冗談だろうと思って聞いてみた。
 だが、これで冗談でなかったら猛烈に酷い打撃を受ける事になってしまう。
 それなので、最大限の警戒態勢をとって返事を待つ。

「ヴォルフシュテインの授与式の後の宴会で」
「かなり酔われておいででしたね」
「そうなのよ。良く分かるわね」
「それはもう」

 十二歳の時に天剣授受者となったヴォルフシュテイン卿の、祝いの席はさぞかし豪華だっただろうと思う。
 そして、嬉しくて嬉しくて限度以上にお酒を飲んでしまったヘルダー。
 それは十分に予測出来るし納得も出来る。
 酒の上の冗談だったのだろう事が予測出来る。
 それを信じ込んでしまったのがヴォルフシュテイン卿の悲劇と言うべきだろうか?

「そう言えば、ヘルダー小父様がおっしゃっていましたわね」
「そうよ。私が腹を痛めて産んだ子供だが、まさか若くして天剣を授けられるほどになるとは思わなかった。これ以上に嬉しい事はないって」
「普段、お酒を召し上がっても酔わない方ですが、よほど嬉しかったのですわね」

 あまりにも嬉しくて言ってしまった言葉を信じて、娘が突っ走っていると知ったらどんなに嘆くだろうと想像してしまう。
 いくら王家の人間とは言え、かなり可哀想である。

「メイファー様はどうおっしゃっていらっしゃったのですか?」
「母様?」

 当然だが、ヘルダーの結婚相手として天剣授受者か王族が選ばれるのだ。
 そして、先代のクォルラフィン卿がお輿入れなされた訳だ。
 当時のメイファー・クォルラフィン・シュタッドは、庶民派の天剣、天剣最強の常識派、善良な武芸者などと呼ばれていた物だ。
 現在のクォルラフィン卿とは偉い違いである。
 だが天剣としては珍しく、結婚と出産を契機に引退し天剣を返上した。
 非常に惜しまれつつだったのは言うまでもない。
 最近では子育てが一段落したからか、現役に復帰しつつある。
 時々汚染獣戦で短弓を使っているメイファーを見るのだ。
 その連射性を優先しつつ天剣時代を彷彿とさせる威力の支援は、前線で戦う武芸者の心強い味方となっている。
 レイフォンも一度ならず助けられた経験があるほどだ。
 だがふと思う。
 良識と常識に富んだメイファー・シュタッドが育てたリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール卿が、こうも非常識になってしまったのは何故だろうと。
 もしかして、王家に入った事で何か化学反応的に変わってしまったのだろうか?
 もしかしたら、名字が変わったせいで性格も変わってしまったとか?

「母様も安心していたわね。酔って父様を押し倒して事に及んだ夜に出来たのが私だったとかで」
「それは有名な話ですわね」

 メイファーが酔ってヘルダーを押し倒したまでは本当だろうが、その先はきっと冗談なのだ。
 そうに違いないと思うのだが、もしかしたら王家の人間は男が子供を産めるのかも知れない。

「い、いやいやいやいや」

 全力で今の想像を否定する。
 いくら変人と変質者と変態しかいない王家とは言え、流石にこれは行きすぎだ。

「でも、どっちの言っている事が本当なんだろう?」
「そうですわね。ここははっきりして頂かないと困りますわね」

 少女二人は半信半疑のようだ。
 この疑問のついでに、レイフォンの事を忘れてくれると嬉しいのだが、当然そうはいかないだろう。
 忘れられなくても、常識を一つ身に付ける事は非常によい事だから、全面的に応援してしまう。

「父様に聞いてみるしかないわね」
「そうですわね。本人に聞くのが一番ですもの」

 どうやら、今日のところは生き延びる事が出来るようだ。
 ほっと一息つける。

「ああでも、父様は今頃執務で家には居ないわね」
「それでしたら、小母様に尋ねるしかありませんわね」
「そうよね。これから確かめに行きましょうか」
「そういたしましょう」

 どうやら話がまとまったようだ。
 今週は老性体がやってきたお陰なのか天剣の襲撃もなかったし、デルクの襲撃は昨日有ったばかりだ。
 今夜は安心して眠れるかも知れない。

「はい?」

 何故か、両腕をお二人に拘束されてしまった。
 抵抗する暇があればこそ、ズルズルと引きずられて行く。

「さあ! 母様に確認しに行くわよ!」
「共に参りましょう! 未知なる知識の海へ!」

 どんな虐めなのだろう? あるいは羞恥プレイなのだろう? いや。これは明らかに拷問である。
 母が語る娘のための性教育講座に、強制参加させられようとしている事実は、思春期の少年にとって最大最強の驚異と言える。
 いや。事態はそれ以上に深刻かも知れない。
 例えば、例えばだが。
 万が一、いや。億分の一の確率で、何かの間違いが起こったとする。
 そして最終的に、実戦研修なんて事になったとする。
 メイファー・ユートノールと関係を持ってしまい、ヴォルフシュテイン卿の弟か妹の父親になる。
 間違いなくヘルダーになぶり殺しにされてしまう。
 違う方向に進んだとして。
 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様と関係を持ってしまった場合。
 実の子供になぶり殺しにされる自分を想像してしまうのは、レイフォンの中の何かが間違っているのだろうか?
 強引に他の確率を探す。
 女王はまだ独身だ。
 アルシェイラとの間に子供をもうける。
 何故か木乃伊になって転がっている自分を想像出来てしまうのは、レイフォンの気のせいだろうか?
 結果的に全ての確率が危険であり、命の危機に直結しているような気がする。
 これは全力で逃げなければならない。

「あ、あのぉぉぉぉ」
「なに?」
「どうなさいました?」

 現実逃避をしている間に、道場から出て町中を引きずられている事に気が付いた。
 周り中から好奇と哀れみの視線がやってくる。
 最近では、レイフォンが酷い目に合うのが日常茶飯事となっているのだが、王族で美少女に引きずられるというのは初めての事態だ。
 危険もなさそうだとなれば、好奇心を抑えられる人は殆どいない。
 それは分かるのだが、是非とも助けて欲しいのだ。
 ここから先は踏み入ってはいけない世界なのだ。

「せ、せめて僕抜きで知識の探求に」
「それはだめよ」
「そうですわ」

 あっさりと却下されてしまった。
 表面上は違っても二人は血族だと言う事だろう。

「もし、レイフォンの言う事が間違いだったら」
「わたくし達の子供を産んで頂かなければなりませんから」

 これは深刻を通り越して滑稽かも知れない。
 とてもレイフォン自身は笑えないけれど。
 そして、グレンダンの外苑部にあるサイハーデン道場から王族が住む中央付近に向かって、レイフォンは引きずられて行くのだ。
 二度と帰る事が出来ないかも知れない道のりだ。
 
 
 
 ミンス・ユートノールは武芸者である。
 ついでにではあるのだが、一応王族でもある。
 どうでも良い事柄ではないのだが、対汚染獣戦の際は五十人からの部隊を率いる隊長でもある。
 一武芸者としての実力はレイフォンよりも下なのだが、指揮官としては現在かなり高い評価を得ている。
 幸か不幸か一緒に歩く人身御供を指揮下に置いた事はないが、噂は十分すぎるほど聞いているし、その実力もこれでもかと言うほど承知している。
 特にこの三ヶ月はレイフォンの話を聞かない日はないほどだ。
 毎日のように姪が、延々とレイフォンの事を喋っているのを聞いているだけで、おおよそ理解出来ようという物だ。
 姪自身が気が付いているかどうか怪しいところも含めて。
 だが、ミンスよりも強力なはずのレイフォンだが、今日という日には他からの助けがなければ大変な事になっていただろう。
 特にヘルダーやミンスの助けがなければ。
 闇に支配されたグレンダンを外苑部へと向かって歩くレイフォンは、まさに危機一髪のところを救出されたのだ。
 あれは恐ろしい光景だった。
 虫の知らせというか何というか、残業をしようとしたミンスだったが何かに呼ばれたかのようにユートノールの邸宅へと戻ってみた。
 なにやら奥が騒がしいのでそちらに向かい見た光景とは、まさにこの世の地獄と呼ぶに相応しかった。
 そう。何故か寝室にお茶とお菓子が用意されていて、大量の栄養剤が小さな冷蔵庫に冷やされつつ、うつろな瞳をして口から何か物理学で証明できない物が覗いているレイフォンの周りで、メイファーとリーリンとクラリーベルが談笑していたのだ。
 内容はそれはもう凄まじい物だった。
 あわやの大惨事だった。
 メイファーの様子から推察すると、あと五分ミンスの帰宅が遅れていたのならば、レイフォンはとても人には言えない経験をする羽目になっていただろう。
 そして、二度と家に帰る事は出来なかったかも知れない。
 何故そんな事になったのかを聞いて目の前が真っ暗になった。
 事の発端はミンスの兄と義理の姉の発言と言えない事はないし、もっと言えば王家の大人達全員の責任だとも言える。
 特にリーリンの母であるメイファーの責任が大きい。
 常識派として知られたメイファーだったが、ヘルダーを押し倒して出来ちゃった結婚した頃まではまだ普通の女性だった。
 だが、朱に交われば赤くなると言うのか、アルシェイラの影響をもろに受けてしまったようで、その性格は今のリーリンの原型で落ち着いてしまった。
 いや。正確を期すならば、リーリン-アルシェイラ+その他少々=メイファーとなるだろうか。
 誠に不思議極まりないが、これもグレンダン王家の現実なのだ。
 そしてミンスは決意をした。

「有り難う御座いました」

 もうすぐ家という所まで来たところで、レイフォンがぽつりと礼を述べた。
 本来礼を述べられるような事はしていないし、どちらかというと謝らなければならないと思うのだが、レイフォンにとっては礼を言いたくなる心境である事も理解している。
 だからミンスは行動しなければならない。

「これを読め」

 小さく折りたたんだ紙片をレイフォンに渡す。
 まだデルボネに知られる訳には行かないので、こんな厄介な方法で意思疎通を図らなければならない。
 暗闇におおわれているとは言え、レイフォンほどの実力者ならば問題なく字を読む事が出来るはずだし、この瞬間が最も危険が少ないという判断もあった。

「こ、これは」
「っし!」

 叫びそうになるレイフォンの口元を押さえて黙らせる。
 計画自体はずいぶん前からあったのだ。
 だが、それを実行に移すための前提条件がそろわなかった。
 そんな立ち往生の状態だったが、今回の問題は明らかに前提条件をクリアーしてしまっている。
 天剣授受者である以上に特殊な能力を持つリーリンだが、アルシェイラならばそれ程の問題も無く計画は遂行出来るだろう。
 と言うか遂行したい。

「あ、あの」
「礼なら要らん。そもそもが家の問題だ」

 王家の女性陣はそろいもそろって変人ばかりだ。
 男性陣に変人が居ないかと問われると、居るのだが、それでもまだ女性陣よりは増しだと判断する。
 だからこそ、この計画を思いついて色々と練り上げてきたのだ。
 断じてミンス自身がリーリンに夜襲をかけられる事が恐ろしいとか、そう言う事が根底にある訳ではないのだ。恐らく。

「お前のする準備はたいしたことはないはずだ。取り敢えず生き延びていろよ」
「はい。生き延びる事がこれほど素晴らしいだなんて、始めて知りました」

 なんだかとんでもない事を要っているような気がするが、ここ三ヶ月の事を思うとそれも当然なのだろうと思う。
 そして更に考える。
 実行段階に移った計画を確実に成功させるために必要な駒はどれが良いだろうかと。
 だが、考えるまでもなかった。
 全てはこの計画のために用意されているのではないかと思えるほど、都合の良い事ばかりが起こっている。
 これはこれで少々怖い気もするのだが、千載一遇の機会を逃す事は出来ない。
 ここで勝負をするためにレイフォンの無事を祈る。
 もし、丁寧に頭を下げて家へと帰っていった少年が死んでしまったら、全ては水泡に喫してしまうのだ。
 この一点のみが計画にとって最も危ないところだが、それでもやや楽観視している。
 何しろ、無目的で今まで生き延びる事が出来たのだ。
 明確な目標があり、期限が定められた今なら、きっと生き延びてくれると信じている。
 闇に覆われたグレンダンを、おそらく制裁が待っているだろう我が家に向かって歩き出す。
 メイファーの考えが分かるだけに、この後の状況もおおよそ予測できてしまうのだ。
 もしかしたらレイフォンよりも先にミンスが死んでしまうかも知れないが、それでも計画は進行するように手配は終わっているのだ。
 だが、ミンス自身も出来れば死にたくないのだ。
 ここはヘルダーに仲裁を頼もうと、携帯端末を懐から取り出しつつ、恐怖の館へと歩み続ける。
 先はまだまだ長い。
 
 
 
 後書きに代えて。
 超槍殻都市グレンダンの四話目をお送りいたしました。
 わっち様。ぜろぜろわん様。百人目様。ギギナ様。からから様。風花様。武芸者様。
 そして、名を知らぬ読者の皆様お待たせしました。
 わっち様、風花様誤字のご指摘ありがとう御座いました。修正しました。
 相変わらず同音異字には弱いですね。
 
 さてさて。
 ここまでぶっ飛んだキャラを出して良い物かどうか迷ったのですが、このシリーズにとって絶対に外せないイベントだったのも事実。
 と言う事で、リーリンとクラリーベルには非常識を極めてもらいました。
 そして、やっとの事でミンス登場。
 実は原作以上にこの人は重要なのです。
 何を企んでいるのか、おおよそ予測出来ていると思いますが次回の更新まで内緒です。
 そして、次回の更新でこのシリーズは終了します。(予定)
 最後の最後にレイフォンには俺が用意出来る最大最悪最狂の結末を用意しました。
 それを見た皆さんはきっとレイフォンの絶望の深さに涙するでしょう。
 では次回、超槍殻都市グレンダン5でお会いしましょう。



[18444] 超槍殻都市グレンダン5
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:eee05dd9
Date: 2010/12/29 19:45


 アルシェイラ・アルモニスは女王である。
 グレンダン最狂の武芸者でもある。
 恐らくでは有るのだが、人類最強の武芸者でもある。
 本来この能力は借り物で、目的を果たすために便宜的にアルシェイラが使っているだけに過ぎないが、今はそんな物関係ない。
 王宮の一番高い場所にある部屋、そのベランダに設置された全長二メルトルに及ぶ望遠鏡を前にしては、そんな些細な出来事はどうでも良いのだ。

「これ何に使うのよ?」

 遠くを見る事などアルシェイラにとっては造作もない事だ。
 活剄を軽く使えば三百キルメルトル先の都市でさえ、かなり鮮明に捉える事が出来る以上、望遠鏡などと言う不便な道具を使う必要は何処にもない。
 だが、目の前にいる小柄な女性は不適に微笑む。

「うふふふふふ。それは覗きとは言わないわ」
「何処が違うって言うのよ?」

 滅茶苦茶小柄なリンテンスの妹に向かって、上からの目線で問いかける。
 念威繰者としては平均的な実力しか持たないとは言え、こんな大がかりな道具を使わなければならないと言う事はないはずだが、何故かこのリディアは好んで望遠鏡を使うのだ。
 しかも特注で作らせてまで。

「覗いてみれば分かる。覗かなければ分からない」

 無表情のままそう言われたので、何となくそれに従ってみる。
 望遠鏡は既に微調整が終わっている。
 しっかりとはっきりとサイハーデンの道場が建つ辺りへ向けられている。
 途中に有った背の高い建物は、全て綺麗になくなっているのだが、これは天剣授受者とレイフォンの戦闘の影響であって断じてアルシェイラに責任は無い。
 と言う事で、腰をかがめて接眼レンズに顔をくっつける。

「おお!」

 何故か覗いた瞬間に視界に飛び込んできたのは、入浴中のレイフォンの姿。
 そしてその膝の上で微睡む、長い髪の幼女。
 不自由な視界の中で繰り広げられるのは、まさに日常の一コマであり絶好の覗きスポットだ。
 これは間違いなくリディアが狙ってやったのだ。
 だが、アルシェイラの関心はもはやそんなところにはない。

「こ、これはいいわね」
「うふふふふ。覗くという背徳艦が溜まらないわ」

 気が付かされたのだ。
 活剄で視力を強化して対象物を見る事は、単に見る事の延長でしかない。
 だが、望遠鏡を覗いている今この瞬間は、間違いなく覗きなのだ。
 リディアが覗けば分かると言った意味を正確に理解した。

「ああ。そんなにこすっては駄目よ」
「うふふふふ。足の指の間をこするだけで、ああも快感を与えるなんて」
「レイフォン! なんて恐ろしいやつ。リーリンとクラリーベルが躍起になって襲うのも分かるわ」
「うふふふふふ。もうあの二人もレイフォン無しでは生きられないわね」
「あの子もそうよ。お兄ちゃん無しでは居られない身体になってしまったわ」
「うふふふふ。貴女ももう覗き無しでは居られないわ」

 隣に据えられた望遠鏡でリディアと覗きをしつつ、アルシェイラは思うのだ。
 何故もっと早く興味を持たなかったのだろうと。
 下らない執務に忙殺されて、いつ来るか分からないその時を待つだけの人生だった。
 今から思えばつまらない事だらけだったのだ。
 だが、その人生がこうも彩り豊になったなんて!
 その幸福を味わいつつ更に覗きを続ける。

「あの陛下。ヘルダーとミンスから是非とも陛下の裁可が頂きたいと書類が回ってきていますが」

 いきなりカナリスのそんな声が聞こえて、現実に戻されてしまった。
 正直かなり腹立たしい。
 メイファーとリーリンとクラリーベルにボコられて入院しているはずだが、きっちり仕事をしているところは賞賛に値するかも知れないが、今はただただ苛立たしい。

「貴女の方でやっておいてよ。私今忙しいの」
「そう申されずに、ユートノール家からの嘆願書ですので」
「っち! 貸しなさい」

 気配だけでカナリスから書類を受け取る。
 かなりの厚さのそれをろくに見もせずに最後のページにサインだけする。

「これで良いでしょ?」
「はい。失礼しました」

 そう言うとカナリスはそれ以上ここにとどまる事をせずに、退出して行く。
 その足音を聞きながらも、視線はレイフォンの入浴シーンから離れない。
 これはよい物を見られた。
 アルシェイラはその時、確かに人生で最良の時間を過ごしていた。
 だが、その至福の時間は儚く消費されてしまったのだ。

「なに、これ?」

 存分に覗きを堪能した直後、執務机に向かったアルシェイラを待っていたのは、全く持って信じられない内容の書類だった。
 何故か既に女王のサインまでしてある。
 表題に書かれているのは、ヴォルフシュテイン返上とリーリン・ユートノールの留学について。
 猛烈な勢いで内容を確認する。
 要約するとこうだ。
1.リーリンはヴォルフシュテインを返上する。
2.リーリン・ユートノールをグレンダンから他の都市へ留学させる。
3.ヴォルフシュテインはメイファー・ユートノールに試験後に授与する。
 リーリンが留学するための手続きが一揃えの書類で終わっているという、極めて効率的な内容だ。

「だ、誰よこんな物にサインなんかしたのわ!」
「陛下ですが?」
「わ、わたし!」

 冷静にカナリスに突っ込まれ理解した。
 これは謀略なのだと。
 もしかしたらリディアも敵に回っているかも知れない。
 覗きに夢中になっている時に書類を持ってくれば、かなりの確率でアルシェイラは読まずにサインをしてしまう。
 それがユートノールからの物となれば、更に不用心になってしまうのは事実。

「まさか望遠鏡を持ち込んで良いという許可が下りたところから、この陰謀は始まっていたなんて。驚きだわ」

 リディアがそう言うのが聞こえた。
 どうやらリディアはこちら側の人間だったようだが、それでもアルシェイラの周りに敵が多い事は理解出来る。
 サインはしてあるが何とか反論してみる。
 人はこれを悪足掻きというかも知れないが、アルシェイラにとっては重要な事なのだ。

「リーリンを留学させるって、ここでだって勉強くらい出来るでしょう?」
「一般常識を取得するためには、一度グレンダンから出た方が確実ですし、そもそも天剣授受者が非常識の集団だと知られたらかなり拙いかと」
「そ、それはそうかもしれないわね」

 いくら強ければ良いという基準で選んだ天剣授受者とは言え、一般常識が全く無いのでは話にならない。
 特にリーリンは王族である。
 つい最近まで子供は父親が産むと思っていたなどと知られたら、それはそれはかなりのスキャンダルになる。
 出来れば秘密裏に処理したい問題ではある。

「留学って何処に送るのよ? 知っている人がいないところに送ったら問題でしょう?」
「ツェルニがよいでしょう。サヴァリスの弟が在籍していますから」

 打てば響くというのだろうか?
 カナリスの返答は全て予想された内容に対応するように、全くよどみがない。
 いや。ほぼ間違いなく予測されているのだろう。

「デルボネは何をやっていたの? こうもあっけなく反逆を許すなんて」
「情報の伝達や意見交換の全てが、紙に手書きの文字を書いて進められた計画です。いくらデルボネでもそうそう簡単には把握出来ないでしょう」
「ぐぬぬぬぬぬ」

 悔しくて涙がこぼれてきた。
 だが、全てはもう決してしまっている。
 ならばせめてもう少し面白い事になるように、小細工を労するだけだ。
 だが、そんな余裕を今日のカナリスは与えてくれなかった。

「ついでではありますが、レイフォンも留学させてはどうかとミンスから提案が来ています」
「レイフォン? あれこそここにいた方が面白いじゃない?」

 レイフォンこそ天剣授受者を相手にしていれば、見る見るうちに実力が伸びて行くはずだ。
 そうなればかなり面白い事になる。

「ですが。私もこの間襲ったのですが」
「うんうん」
「どうも最近天剣の技と動きを見切ってきたようで、前ほど面白くなくなってきています」
「・・・・。ええい! サイハーデンの継承者は化け物か!」

 化け物揃いの天剣授受者の動きを見切って、面白味のない戦いに持ち込んだ。
 いくら剄量を制限しているとは言え、その技量だけでもその辺の武芸者は足元にも及ばないというのに、動きや技を見切って来ているというのだ。
 しかもたったの三ヶ月少々でだ。
 これはアルシェイラでも驚きに値する出来事だ。

「ですので、他の都市の武芸者と戦わせてみたらと」
「圧勝でしょう? 天剣相手に戦っていたんだから」
「新しい技を覚えてくる事が予測出来ますし、もしかしたらそれ以上の面白い事になるかも知れないとミンスが」
「ミンスねぇ」

 つい先ほど騙されたばかりなので少々疑り深くなっている。
 だが、リーリンと一緒に留学させる事が出来れば、それはそれは面白い事になりそうだ。
 リーリンの腕が鈍る事もなさそうだし。

「いいわ。そっちで許可出しておいて」
「かしこまりました」
「うふふふふふ。天剣級の武芸者が一人増えているかもね」

 リーリンが一緒ならばあり得る。
 天剣という錬金鋼は十二本しかないが、授受者の予備は多いに越した事はない。
 少々気分が良くなった。
 
 
 
 レイフォン・サイハーデンは焦っていた。
 今日という日はレイフォンにとって最も大切な一日なのだ。
 そして、もう残り時間も無いというので、目的地に向かって活剄を使いつつ走っていたのだが。

「鍛錬の厳しさ、汚染獣の恐怖から逃れたくはないか?」

 いきなり変なお面を被った集団に取り囲まれている自分を発見。
 その数実に二十。
 全員が異口同音に同じタイミングで言葉を話すという、かなり高度な技を見せてくれたが全く嬉しくない。
 高度な技を使える事と、つい先ほどまで全く気配を感じなかった事から推測してかなり腕の立つ武芸者である確率が高い。
 これ自体は別段驚く必要はない。天剣授受者なら誰でもやれる事だから。
 それ以上に何か何時ものグレンダンではないような気がしてならない。
 何か空気が違うような気がして、素早く辺りを見回しつつも、お面集団から注意をそらせる事はしない。
 何時襲われるか分からないからだ。
 だが、お面集団からは襲ってくる気配を感じないし、何か言いたげにしているのは気のせいではないだろう。
 平和的な用事ならば多少付き合っても良いのだが、今日という日は拙かった。
 何度でも言うが、時間が無いのだ。
 家を出た瞬間から色々とあったために、限界ギリギリの状況なのでレイフォンが取るべき手段はたった一つ。

「ええい! 邪魔をするな!」

 珍しく激昂して身体が勝手に動く。
 剣帯から予備の錬金鋼を引き抜き、銀色の鋼糸を復元。
 周り中に陣を引きそれを上空に向かって打ち上げる事で、全方位への攻撃を可能とする。
 本来ならば十秒程度の準備時間が掛かるはずなのだが、今日は異常に集中力が高まっているせいか三秒で完成。
 あっけなく全員に命中したが、当然急所を外している。

「え?」

 だが、急所を外したはずだというのに、全員が溶けるように始めからいなかったかのように消えてしまっていた。
 それと同時にグレンダンではないという変な感覚も元通りに戻った。
 一体何だったんだろうと考えたのは実に一秒。
 兎に角時間が無いのだ。
 と言う訳で鋼糸を基礎状態に戻して、更に活剄を強化して疾走する事二十秒。

「覚悟しろ!」
「弟弟子の仇!」

 道をふさぐように展開していた武芸者五人に高速で接近しつつ、手加減した焔切りと鎌首を浴びせかけて撃破。
 更にくないを飛ばして牽制をしつつ、接近して刃鎧を叩き込み無力化。
 この間僅かに三秒。
 何時もならもう少し相手に優しい方法で攻撃するのだが、なんと言っても時間が無いのだ。
 今はもうそれしか考えられない。
 目的地に着くためだけに、持てる技量と技と剄を注ぎ込む。
 出し惜しみしている余裕はないのだ。
 もう少しで目的地に到着できると思った、まさにその瞬間。

「もらった!」
「っちぃぃ!」

 突如脇道から飛び出してきたルッケンスの武芸者に、カウンター気味の肘打ちを叩き込む。
 突っ込んできた速度はかなり凄まじかったので、身体が流されたがそれに逆らわずに四分の一回転。
 体制を低くしつつ更に身体を回転させ、足払いをかけ低空へと押しやる。
 相手がまだ空中にいる間に瞬発力を最大限使って、上半身を襲撃者の上に持ち上げる。
 ノイエラン卿に指摘されてからこちら、瞬発力を意識する事によって身体捌きと技の切れがいっそう鋭くなったのだ。
 鳩尾に拳を押し当てそのまま地面に向かって付き出す。
 拳を当てた衝撃のすぐ後に路面に衝突したために、受け身や防御が非常に困難な状況を作る。

「ぐわ!」

 悲鳴を上げてのたうつのをそのままに、旋剄を使って一気に距離を開ける。
 周りから拍手が聞こえるが、今日は無視するしかない。
 何故かおひねりも飛んできたが、今は見なかったことにする。
 ぐずぐずしていられないのだ。
 そう。今日は留学のための試験日。
 あと十五分で試験が始まってしまう。
 問題は家を出た次の瞬間から襲ってきていた。
 次から次とルッケンスの武芸者に襲われるのだ。
 これは間違いなくレイフォンをグレンダンから出さないために、クォルラフィン卿が用意した罠に違いない。
 いきなり本人が出てこないのは、足掻くレイフォンを見て喜んでいるか、あるいは自分が戦うに足る人物か見極めているのかのどちらかだろう。
 途中で関係なさげな、お面集団が何か訴えかけていたような気もするが、試験を受けるための貴い犠牲となってもらうしか無かった。
 まあ、そんな訳の分からない連中も居たが、おおよそ襲ってきたのはルッケンスの武芸者達だった。
 となれば、試験会場が見えたと同時に認識出来る、銀髪でにやけた笑いを浮かべた長身の男性が居ても、何ら驚く事はない。
 驚かないが、絶望的ではある。

「やあレイフォン。思ったよりも速かったね。最後に戦ったやつ、ガハルドは結構腕の立つ武芸者なんだけれどね」

 不敵に笑いつつ構えを取るクォルラフィン卿。
 どうあっても通してくれないようだ。

「さあレイフォン。ここを通りたければ僕を殺してからにするんだね」

 倒してではなく殺してと言う辺りに、クォルラフィン卿の人となりを感じられるかも知れない。
 全然嬉しくないけれど。

「僕には時間が無いんですよ!」
「喋っている間に時間切れになってしまうよ? 僕はそれでも良いけれどね」

 本当の意味で問答無用の世界だ。
 仕方が無く、レイフォンも刀を復元する。
 クォルラフィン卿の表情から笑みが消えた。
 これはマジだ。
 だが、戦って勝てる相手でもない。
 ならばやる事は一つ。
 サイハーデン刀争術 失影。
 殺剄を行いつつ凝縮した気配を複数撃ち出して相手を混乱させ、高速で接近して倒すという技的には難易度の高い物だ。
 だが、日がさんさんと降り注ぎ開けた場所で煙幕無しでやっても、何の意味もない技だ。
 それでも、もう一つを合わせる事によって、何とかこの危機を乗り越えようとしているのだ。

「子供だましを!」

 当然のことだが激昂したクォルラフィン卿が一瞬でレイフォンの前に現れ、その拳が顔面を捉える。
 その攻撃に容赦はなく、普通に考えて即死出来る威力だった。
 そして、レイフォンの身体が散り散りにかき消える。

「お、おや?」

 さしものクォルラフィン卿も一瞬動きが止まる。
 その脇をレイフォン本体が水鏡渡りで通過!
 千人衝で創り出した分身を悟らせないための失影だったのだ。
 目的はクォルラフィン卿の脇を通り過ぎること。
 正面から千人衝の勝負になったら、剄量で圧倒されるので小細工を労したのだ。
 これは本来、ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されることを回避するため、さんざん磨いてきた技だ。
 こんなところで役に立つとは思わなかったが、つかえる物は何でも使うのがサイハーデンのやり方だ。

「・・・・。成る程。千人衝と合わせる事で分身を最大限有効利用したという訳ですか。くくくくくく。これは良いですね」

 なにやら怖い笑みを浮かべつつレイフォンの方に振り向くクォルラフィン卿。
 既に試験会場の建物には入っているのだが、そんな理屈が通用するとは思えない。
 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されて、父親になってしまったら最後。
 王族と結婚しなければならない→天剣授受者にならなければならない→クォルラフィン卿に殺される。
 と言う図式が即座に出来上がってしまうと思って、散々この技を磨いてきたのだ。
 だが、結局あまり結果に変わりがないのかも知れない。
 これはこれで拙いかも知れない。

「僕を出し抜いたのですから対等ですね。さあ本気で殺し合いましょう」
「試験の後にして下さい! と言うか僕が死んでからやって下さい」

 意味不明な事を言いつつ試験会場に逃げ込む。
 いくら何でも一般人が大勢いるところで狼藉を働く事はないだろうと思ったのだが。

「うふふふふふふふ。サヴァリスさんを出し抜くなんて流石レイフォンね」
「う、うわ」

 ヴォルフシュテイン卿がいらっしゃった。
 予測しておくべき事柄だったのだが、すっかり失念していた。
 と言うか、はっきり言ってレイフォンの許容量の限界を超えていたのだ。
 これが他の日だったならばまた違ったのだろうが、試験という難敵を前にして色々起こったせいで、すっかり忘れていたのだ。
 何時も通り右目の眼帯とくすんだ金髪を後ろで束ねた姿だが、その姿に非常な違和感を感じていた。
 その違和感の正体について色々と考えたいところだが、生憎と時間が無いのだ。
 そう、既に試験開始五分前。
 今から何かやっている暇はないのだ。
 なので慎重に間合いを計りつつ、空いている机へと進む。
 決してヴォルフシュテイン卿の側によっては駄目なのだ。
 公衆の面前で押し倒されることはないと思うのだが、念を入れておくに越したことはないのだ。
 だが、席に付いた次の瞬間、そのヴォルフシュテイン卿が隣に着席なさった。
 これはあってはならない事態だが、既にレイフォンがどうこうできる問題ではなくなってしまっている。
 いや。始めからそうだったかも知れない。

「それでは試験を始めます。ああ。保護者の方は外で待っていて下さい」
「はい?」

 試験管の視線が、レイフォンのすぐ後ろを見ていた。
 振り返れば当然クォルラフィン卿が非常ににこやかに佇んでおられた。
 もちろん、レイフォンが逃げないために見張っているのだ。
 そして、軽く手を挙げて了解の意志を伝えると、殺剄を展開して教室の後ろの壁により掛かる。
 本格的に試験が終わったらレイフォンを殺しに来るつもりのようだ。
 合格する前に、待っているのはやはり地獄かも知れない。
 ここに来るまでに散々戦ったので、いい加減体力と剄量を消耗してしまっているが、そんなご託はきっと通じないだろう。
 無事に留学できる確率が極めて低くなったような気がするが、それでも試験の手を抜く訳にはいかないのだ。
 
 
 
 留学するための試験が終了してからこちら、色々と大変だった。
 サヴァリスに追いかけ回されたレイフォンが、週に二回ほど入院したり、老性体がやってきたら来たで、レイフォンの打たれ弱さを嘆いたサヴァリスが大暴れしたりと。
 別段レイフォンが打たれ弱い訳ではないのだ。
 ついでではあるのだが、何故かバーメリンも一緒になってレイフォンを襲っていた。
 何でも獲物を取り逃がしたままでは気分が悪いとか、新しい銃を作ったので、試し打ちの的が欲しいとか色々と理由をつけて、まるでサヴァリスと競争するかのようにレイフォンを襲っていた。
 当然ではあるのだが、リーリンとクラリーベルも散々レイフォンを追いかけ回していた。
 とは言え、レイフォンを押し倒そうとしたクラリーベルがリーリンに潰されたり、レイフォンを押し倒そうとしたリーリンが急な腹痛で入院したりと、本当に色々あった。
 折角押し倒したと思ったら、千人衝の分身だったりもした。
 そして始まるレイフォン追跡劇。
 リーリンにクララにバーメリン、それとサヴァリスがグレンダン中を探し回り、結局見付からなかったという異常事態に発展。
 未だにミンスはおろか、デルボネでさえレイフォンがどこに隠れていたか分からないという異常さ。
 もしかしたら、すでに天剣授受者よりも技量が高いのかも知れないと疑ってしまうほどだ。
 まあ、そのせいで色々と狙われることが多くなったのではあるが。
 それでも何とか生き延びることに成功したレイフォンの実力は、すでに天剣級とグレンダンでは認識されてしまっているほどだ。
 とは言え、そこには膨大な剄量という実力差が存在しているのも事実。
 いくら天剣を使わないとは言え、天剣授受者の攻撃に耐えられる事の方が異常なのだ。
 リヴァースから金剛剄やカルヴァーンから刃鎧を盗んだレイフォンだからこそ、生きてこの日を迎える事が出来たのだとミンスは信じている。
 同じく留学する事が決定していたリーリンだが、何でも三つ指で突いてお出迎え(誤字ではない)とか言って一週間前に出発してしまっている。
 サヴァリスが最後までレイフォンを引き留めようと色々画策したようだが、戦闘以外ではあまりにもその頭は悪すぎた。
 最終的に腕ずくで止めようとしたサヴァリスだが、通りすがりの美少女武芸者によって粉砕されて現在入院中だ。
 あれを美少女と呼んで良いのか非常に疑問だし、そもそも天剣授受者を入院させるような化け物が、グレンダンには一匹しかいない以上正体はバレバレだが、まあ、あまり突っ込んではいけないのだろう。
 そして結局のところ、ミンスの視線の先をレイフォンが乗った放浪バスがゆっくりと歩き去って行く。
 バスの中でレイフォンは、家族と別れて故郷を離れる事に涙を流しているのだろうか? 
 あるいは、天剣授受者や養父の攻撃を受けずに済むと、心の底から笑っているのだろうか?
 どちらも容易に想像出来るだけに結論は出ない。
 だが、これで一息付ける。

「ああレイフォン様。来年には私も参りますから、どうかリーリンに殺されたりしないで下さいませ」
「にゅにゅ?」
「出来れば、押し倒されることもありませんように」
「にゅ?」

 隣でクラリーベルが情熱的にそうささやいているが、まあ、あまり気にしなくて良いだろう。
 レイフォンの妹を一人捕まえてその胸に抱きしめているが、見送りに来ているデルク達が側にいるから問題はあるまいと判断する。
 だが、ミンスの胸の内にあるのはかなりの量の不安だ。
 アルシェイラはその時になったら全ての準備が整っていると常に言っている。
 その台詞に乗っかる形でリーリンはグレンダンを出る事が出来たのだ。
 だがそれは、ただやる気のないアルシェイラの言い逃れだと思っていたのだが、残念な事に今はかなり真剣に不安なのだ。
 全ての事柄がこの時のために用意されていたような感覚を受ける。
 これはもしかしたら、レイフォンがグレンダンに連れ戻されるのが定めだから、何処に行っても良いと言う事かも知れない。

「まさかな」

 リーリンを迎えにグレンダンがツェルニに行くというのならば分かるが、レイフォンは安全なはずだ。
 彼は定めとは何の関係もない人間だから。

「ああレイフォン様。どうか技を錆び付かせないで下さいませ」
「にゅ?」
「ああん、前言撤回ですわ! 技の錆落としに私を使って下さいませ」
「ぐにゅにゅ」
「ああんレイフォン様! そんなに激しくしたら壊れてしまいますわ!」
「ぐぐぐぐにゅ!」

 隣では内容を知りたくはないけれど、おおよそ理解してしまえるクラリーベルの妄想が炸裂している。
 ミンスの謀略を総動員してもこれだけはどうしようもない。
 先に旅立ったリーリンは大丈夫だが、後から追う事になるクラリーベルは明らかにレイフォンにとって危険だ。
 まあ、それ以前に問題が有るのだが。

「クララよ」
「ああん♪ はい? 何でしょうミンス?」

 一瞬で通常モードに復帰するクラリーベル。
 切り替えの速さは流石というべきかも知れない。
 だが、今はそれどころではないのだ。

「それどうするんだ?」
「はい?」

 クラリーベルの胸付近を指さす。
 正確にはその胸に抱かれている、強く抱きしめられすぎて目を回してしまっているレイフォンの妹を。

「・・・。あ」
「取り敢えず貸せ」

 強引に女の子を奪い取り、介抱を始めつつミンスは思う。
 どうか定めに関係ない少年に明るい未来が訪れるようにと。
 そう。レイフォンが目指したのは光と希望にあふれた学園都市マイアス。
 この事実を知っているのはミンスとカナリスだけだ。
 もしかしたらデルボネも知っているかも知れないが、今のところ何か行動を起こす気配はない。
 これは計画が順調だと言って良いのだろうかと、疑問になってしまう展開だ。
 本来の計画通りならば、全ては情報が間違って伝わった事故として処理される。
 準備は滞りなく終了しているので、後は適当な時期に発覚させればそれで良い。
 マイアスを選んだ理由だが、過去かなりさかのぼってみてもツェルニとの戦争経験が無く、学園都市だけに汚染獣との戦闘も記録されていない平和な都市だからだ。
 ずいぶん前からリーリンを留学させようと画策していたからこそ、この選択が出来たのだ。
 瓢箪から駒ということわざが適用されるかどうか分からないが、兎に角これでレイフォンは安全だ。
 マイアスでどうか平穏に人生を送って欲しいと思う。
 卒業して帰ってくるかどうかは分からないが、それはレイフォンが選ぶことの出来る未来なのだから、きっと本人が納得しているに違いない。
 ならば、地獄に帰るにしても、今よりは遙かに安らかな気持ちでいられるだろう。

「達者で暮らせよ」

 既に見えなくなったバスの方を振り返り、ミンスはそう独りごちた。
 かなり深刻になりつつある不安を何とか押し殺しつつ。

「ところでクララよ」
「何でしょう?」
「にゅ?」

 どうやら目を回していた幼女も意識を取り戻したようなので、少しだけ気になっていることを話題に乗せてみることにした。
 もちろんレイフォン絡みの問題だ。

「気が付いていると思うか?」
「レイフォン様ですからね」
「にゅ?」

 訳が分からないと首をかしげる幼女は兎も角として、クラリーベルはきっちりとミンスの言いたいことを理解しているようだ。
 留学を決めるための試験会場に、リーリンはスカートを履いて出かけていた。
 今までそんな事が無かったはずの少女が、始めてスカートを履いたのだ。
 これははっきりと驚きの真実と言えるかも知れない。
 まあ、外から見ているとおおよそ分かっていたのだが、リーリン本人が気が付いたと見てまず間違いない。
 そして、リーリンが出発する時にも、やはりスカートを履いていた。
 当然レイフォンは見送り強制参加だった。
 出発間際に何か期待していたようだったが、そんな事を察することは鈍感なレイフォンには無理。
 なので、三つ指で突いてお出迎えとか言う単語が出てきたのだとも、言えるかも知れない。
 まあ、会う事が有るとしてもずいぶん先の話だから、今から気にしても仕方が無いのだが。

「とりあえずおまえは家に帰るよな?」
「にゅ!」

 幼女を抱きかかえたままなのに気が付いたミンスは、デルク達のいる方向へと歩み出す。
 ロリコン疑惑を心配している訳ではないが、それでも、あんまり長い間やっていると問題かも知れないと思ったから。
 特にミンスに対して、早く結婚しろと迫っている侍従長とかが騒ぎ出したら目も当てられない。
 そんな事を考えつつ、もう一度だけ振り返り、レイフォンの明るい未来と穏やかな生活を願う。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。ようやっとの思いで超槍殻都市グレンダン完結です。
 百人目様。K・U様。諫早長十郎様。ヒロ♪様。武芸者様。
 そのほか名を知らぬ読者の皆様。この作品はいかがでしたか? お気に召して頂けると嬉しいです。

 さてさて。
 皆様ここまでお読みになった後で、脳裏にどんな映像が浮かんでいるでしょうか?
 そもそもの発端はリーリンが茨の鞭でレイフォンを打たなければ、どうなっていただろうかという疑問からでした。
 ですが次に浮かんだ映像が、愛と剄の有りっ丈を乗せた錬金鋼を振りかざし、雑魚武芸者を蹴散らしつつレイフォンに向かって突進するリーリンの姿でした。
 全てはこのシーンを形にするために考えられたストーリーでした。
 これを実現するための前提条件として。
1.二人とも武芸者である。
2.同じ都市出身である(当然グレンダン)。
3.何かの理由で違う都市に住んでいる。
 と言う事になりました。
 しかし、グレンダンを絡ませるとなると、戦争を殆どしないという性質が問題です。
 そこでやはり学園都市に留学。
 ツェルニにレイフォンを送ったら、どう頑張っても老性体戦でデットエンド。
 しかもレイフォンを強くする事は出来ない。
 ならばリーリンを強くと言うか天剣にしてしまえばいい。
 ちょうどヴォルフシュテインが空いているので、リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールの誕生。
 この時点でメイファー・シュタッド事件は起こってはならない。
 ならばヘルダーと普通に結婚させればいい。と言う訳でメイファーは天剣授受者に決定。
 次に、リーリンがグレンダンを出るために何か理由を作らなければなりませんでした。
 ここはやはり一般常識の欠如が手っ取り早い。
 一人ではあまり幅が作れないのでクラリーベルも参加。
 これで良いと思っていました。
 本来三話構成だったのもここまでの計算からでした。
 ですが、レイフォンが進んでグレンダンを離れるためには、もっと決定的な理由が必要である事に気が付きました。
 そこで三話で老人に出場願った訳です。
 安心して眠れる場所を奪われたレイフォンは、もはやグレンダンから逃げ出すしかなかった訳です。
 まあ、他にもいくつか計算違いがありましたが、そんな訳で五話になってしまいました。
 
 ちなみに、この後超学園都市とかも考えたのですが、テンションを維持出来る自信がありません。
 中途半端にシリアスになってしまう事が予測されますので、書くとしてもかなり時間が空く事でしょう。
 まあ、グレンダンから舞台が移ってしまうと言うのもあるんですけれど。
 それでは、この次は恐らくグレンダンとは関係のない話になると思われます。
 と言うか、遅れに遅れている復活の時を何とかしなければなりません。
 などと言いつつ次回の更新でまたお会いいたしましょう。



[18444] 血まみれのレイフォン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:5d223ed1
Date: 2010/12/29 19:45


 タイトルに嘘、偽りが混じっているかも知れません。ご注意ください。
 
 
 
 元天剣授受者レイフォン・アルセイフは、実はかなり怯えていた。
 理由を問われたのならば簡単で、これから戦わなければならないからだ。
 相手が汚染獣だったのならば、別段恐れる事も怯える事も無く、全力で戦う事が出来る。
 だが、これから戦う相手は非常に残念な事に汚染獣ではない。
 学園都市ツェルニの誇る十七有る小隊の内の一つ、第十六小隊だ。
 とある事情で天剣を返上して留学してきたレイフォンだったが、元から武芸科に入学はしていた。
 そして小隊対抗戦というのがある事も、すでに知っていた。
 だが、入学して一月とたたない内にまさかその試合で戦う事になろうとは、全くこれっぽっちも夢にも思わなかった。

「う、うわ」

 視線の先にある試合会場は、猛烈な晴天に恵まれている。
 娯楽が少ない学園都市という性質もあるのだろうが、観客席はびっしりと埋まり相当の人達が立ったまま見ている。
 そしてそこから立ち上る熱気。
 全ての現象が人生が狂ったあの時と同じだ。
 どうしてもあの時を思い出してしまう。
 呆然としている間に体調が悪化。
 貧血か目眩に似た症状を覚えた。
 既に試合直前で、今からどうにか出来る状況ではない。
 なので少しでも身体を休ませるために、よろよろと日陰に避難して、手頃な石の上に座り込む。
 溜息に似た息を吐き出しつつみぞおちの付近をさする。
 そして何よりも、キリキリと胃が痛み、更に吐き気がする。
 これはもう末期状態だと判断する。
 だが、ここで引き返すという選択肢は存在していないのだ。

「何をやっているレイフォン! お前ほどの実力者がそんな情けない顔をするな!!」

 ツェルニを救いたくて自らの小隊を設立した、熱血武芸者であるニーナ・アントーク隊長が、レイフォンが逃げると言う事を許してくれないのだ。
 ニーナの真っ直ぐな心は理解出来るし、正直に羨ましいと思う。
 だが、レイフォンにだって事情という物があるのだ。
 それを理解して欲しいとも思う。

「何辛気くさい顔しているんだよ? ニーナを寄せ付けない実力があるんだったら第十六小隊なんか瞬殺だろう」

 もう一人、こちらは何を考えているか分からない狙撃手のシャーニッド・エリプトンが気楽を装いつつ話しかけてきた。
 シャーニッドもニーナとはやや違うようだが、ツェルニを救いたいと心に誓っている節があり、レイフォンが推奨する訓練メニューを、愚痴を言いつつもこなす姿に共感を持つ事もある。
 だがやはり、レイフォンの事情という物にはあまり関心がないようだ。
 心配げな言葉とは裏腹に、せっせと観客席に向かって愛想を振りまいている。
 アイドルグループだったらこれで問題無いのだが、生憎とこれから行われるのは試合なのだ。
 キリキリと胃が痛む。

「さっさと終わらせて帰りますよ。特に用事はありませんが面倒ごとは嫌いです」

 無気力を装ってそう言うのは、第十七小隊の念威繰者フェリ・ロスだ。
 レイフォンとはやや違った意味で、自分の持って生まれた才能と能力に疑問を持ち、無気力を装いつつも限界まで手を抜いているという反抗期真っ盛りの少女だ。
 何処でどうやって知ったか非常に不明だが、グレンダン時代のレイフォンの事を知っている陰険眼鏡こと、カリアン・ロスの妹だ。
 カリアンとしてはツェルニの鉱山があと一つしかない以上、手に入った物を最大限有効活用すると決めて、実の妹にまで恨まれても戦力を充実させているのだろうが、もしかしたらと思うのだ。
 カリアンの性格をフェリも受け継いで仕舞っているのではないかと。
 あまりにも恐ろしい想像に、更に胃がキリキリと痛む。
 そしてとうとう両小隊の紹介が終わり、試合が始まろうとしている。
 既にキリキリというレベルを超えて激痛が走る胃を押さえつつ、レイフォンはよろよろと立ち上がる。
 ツェルニに留学した事を後悔しているが、既に選択は終わり後は進む事しかできない。
 日がさんさんと降り注ぐ試合会場へと進み出る。
 なぜか今までの人生が猛烈な速度で思い出されているような気がする。
 これが噂に聞く走馬燈かも知れないと思っている間にも、事態はどんどんと進んで仕舞う。

「アイドルグループだったら人気投票で決まったんだろうけれどな、生憎とこれは試合なんだ」
「実力でも負けないつもりです」

 第十六小隊長とニーナが握手を交わしているが、それはどう見ても宣戦布告の応酬である。
 あるいは既に威嚇や牽制の撃ち合いかも知れない。
 非常に胃に悪い。

「打ち合わせ通りにやるぞ!」

 何時にもまして熱血しているニーナの一声で、配置につこうとしたレイフォンだったが。
 激痛という表現でさえ生ぬるい痛みを腹部に感じ、酷く息が苦しい。
 その場に座り込んで何とか息を整えるが、どうしても整わない。

「ごほごほ」
「何をしているレイフォン! すぐに試合は始まるんだぞ!」

 咳き込みつつしゃがんだレイフォンを心配するよりも先に、試合の行く末を考えるニーナ。
 だが、今のレイフォンにその期待あるいは要請に答える力はない。
 猛烈な何かが喉を駆け上ってくるのを感じて、とっさに口元を手で覆う。

「ごぼ」
「な!!」

 激痛を伴って喉をせり上がってきた液体を吐き出す。
 錆びた鉄の味と赤い色が見えた。
 これは間違いなく吐血だ。この一年で二度目だから間違いない。

『おおっと! 試合開始前に第十七小隊アルセイフ選手が血を吐いたぁぁぁぁ!』

 司会進行役の絶叫が響く。
 これもあの時と同じだ。
 全てがあの時と同じに進んでいる。
 視界がゆっくりと暗く沈んで行くのを感じつつ、やはりカリアンに小隊入りを迫られた時に断れば良かったと後悔した。
 とても怖かったので出来ない相談だけれど。

「お、おいレイフォン!」
「どうしたんだレイフォン」
「何をしているのですか貴男は?」

 ここまで話が進展してから心配げな声をかけてくれる三人。
 正直もっと早くそう言う行動を取ってくれれば良かったと思うのだが、全てはもう終わっているのだ。

『もしやこれは試合開始前の第十六小隊の攻撃か! いや違う! フェリ・ロス親衛隊による毒殺未遂だ!!』

 相変わらず絶好調の司会進行役が喋っているが、間違った事を言っているのは何とか止めなくてはならない。
 なので死力を尽くして上体を起こし、放送用念威端子に向かって手招きをする。

『おおっと! アルセイフ選手最後の力を振り絞っての遺言かぁぁぁぁ!!』

 なぜか更にヒートアップする司会者。
 と言うか死ぬ事が確定している。
 レイフォンの意識が飛んでしまう前に、あちこちに迷惑をかける前に、これを見ている全ての人に事実を伝えなければならない。
 その一心で近付いてきた念威端子に向かって声を出す。

「あのですね」
「なんだレイフォン! 本当に毒殺未遂なのか!」
「だったら男として本望だな!」
「不愉快です! さっさと犯人を抹殺しましょう」

 なぜか三人ともレイフォンが毒殺されかけていると判断しているようだ。
 フェリ・ロス親衛隊という物が本当にあるのは知っているし、観客席の一部を占領している事も理解しているが、そんな連中とは全く違う話なのだ。

「胃潰瘍です」
「? いかいよう? ってなんだ?」
「しらねぇのかニーナ。胃に傷が出来て出血するって病気だぞ」
「ストレスで起こると言われていますね。薬を飲み続ける事で症状は緩和されるそうですが」

 唯我独尊とは言わないが、自分の意見を押し通すニーナには関係ない病気かも知れない。
 非常に羨ましい。
 そして知識として知っているだけの残り二人にも、恐らく関係のない病気だ。
 もの凄く羨ましい。
 そう。実はレイフォン、対人戦闘が非常に苦手なのだ。
 別段戦えないと言うことではないのだが、技量的には何の問題も無いのだが、精神的に非常に苦手なのだ。
 しかも今回は、相手が複数で手加減をしなければならない。
 更に試合自体には勝たなければならないというプレッシャー。
 そして青い空と満員の観客席。
 全てがあの時と同じだったために、約一年ぶりに吐血するほど胃潰瘍が悪化してしまったのだ。

『これは驚きだぁぁぁぁ! 第十七小隊のルーキーはとんだチキン野郎だったぁぁぁぁ!!』

 絶好調の上に更に絶好調を重ねた司会者の声が聞こえるが、レイフォンの精神は既に限界を超えていた。
 急速に視界が暗くなり姿勢を維持出来ない。
 地面の冷たさを心地よく感じながら、ニーナに伝えるべき事を伝える。

「ああ。済みません僕はもう戦えません」
「まだ始まっていないだろう!!」

 ニーナの突っ込みを聞きつつ意識を手放した。
 
 
 
 事の発端は何だったのだろうかと、覚醒しつつある意識の中でレイフォンは考える。
 直接的な切っ掛けとなったのは、当然ガハルドとの天剣争奪戦だった。
 孤児だったレイフォンは、天剣になった事でより多くのお金を稼げる事に気が付いた。
 そう。闇の賭試合に出場して受け取った賞金をあちこちの孤児院に寄付していたのだ。
 ところが約一年前、その事をネタにガハルドに脅されたのだ。
 天剣争奪戦で負けなければ、闇の賭試合の事をばらすと。
 だが、天剣である事が重要な収入源であったレイフォンに、その要求を受けるという選択肢は存在しなかった。
 ならばとれる手段はただ一つ。
 争奪戦の最中にガハルドを殺す事。
 失敗は許されない。
 まかり間違って腕を切り落としただけで、ガハルドが生きていたのならば、レイフォンの未来は全て消失してしまう。
 普通に勝っただけでもやはり賭試合の事が公表されて、レイフォンの貴重な収入源は断たれてしまう。
 そうやって緊張の末に迎えた天剣争奪戦。
 色々考えて寝不足だった上に、ストレスが積み重なって生まれてこの方経験した事がないほどに体調が悪かった。
 それはもう、誰の目から見ても明らかなほどに体調が悪かった。
 だが、出場を辞退するという選択肢も存在していない。
 そんな事をすればガハルドがどう出るか分からなかったからだ。
 だが、全てはレイフォンの思惑を打ち砕いて進んでしまった。
 ある意味において、ガハルドの思惑をも全く無視して自体は進んでしまったのかも知れない。

『おおっと! 試合開始前にヴォルフシュテイン卿が吐血をしたぁぁぁ! これは試合開始前にガハルドが仕掛けた罠かぁぁぁ!!』

 司会進行役というのは、何処でも同じような反応をする生き物のようだ。
 試合前に攻撃なんかしたら、その時点で負けてしまうと言うのに、その場の勢いで延々と喋り倒すのが仕事のように感じる。
 いや。実際にその通りなのだろう。
 司会者だし。
 だが、レイフォンが体調不良で不戦敗となるかと思われた試合だったが、突如としてサヴァリスが出場。
 ガハルドをボコってしまった。
 その負傷はレイフォンの比ではなく、長期間の入院を余儀なくされたと聞いた。
 だがレイフォンは親切にガハルドの退院を待ってはいなかった。
 取り敢えずこれ以上の揉め事を回避するために、アルシェイラに天剣を返上したのだ。
 闇の賭試合で戦って金を稼ぐというのは、非常に魅力的ではあったのだが、残念な事に対人戦においてレイフォンは致命的に神経質になってしまっていた。
 相手に重傷を負わせないようにしつつも、巨大な破壊力を持った技を使わなければならない。
 その精神的な緊張を苦痛だと感じるのは、そもそもの始めからだったのだが、それが限界を超えてしまっていたのだ。
 元天剣授受者として稼ぐという選択肢も、レイフォンの小心さ故に諦めざるおえなくなってしまったのだ。
 と言う事できっぱりと闇の賭試合からも足を洗った。
 次の日にはアルシェイラから苦情が来たけれど。
 なぜ賭試合に出場する事を、止めた事に対して苦情を言いに来たのか聞いたところ、完璧に制御された破壊力をこよなく愛していたとかいないとか。
 と言うか、天剣授受者全員がお忍びで会場に来ていたと聞かされた時には、おおいに衝撃を受けてしまった。
 どのくらい衝撃だったかと聞かれたのならば、リーリンが王族で天剣授受者だったと言われたくらいに衝撃的だった。
 だがそれで納得した。
 レイフォンが倒れた直後にサヴァリスが試合会場に出てきた理由とか。
 だが、流石に無罪放免と言う事にはならなかった。
 別段闇の賭試合に出ていた事が罪という訳では無い。
 対人戦において、無駄に弱くなった事に対して、女王や天剣授受者から酷く怒られたのだ。
 と言う事でレイフォンは学園都市に留学する事になった。
 なぜかと問われれば簡単。
 学園都市の特色として、汚染獣戦を体験することなく、武芸大会という対人戦を念頭に置いた、小隊という物が編成されている。
 その対抗戦に出る事で、対人戦闘の苦手さを克服しろと言う事なのだ。
 だが、これだけならば別段留学する必要はなかったのだ。
 そう。問題はサヴァリスだった。
 天剣授受者でなくなったレイフォンと闇の賭試合で戦おうと、怒濤のような要求がやってきたのだ。
 サヴァリス相手に戦えば対人戦闘の苦手も克服出来るだろうと言う事だったが、手加減する必要がないという一点においてレイフォンにとってはあまり意味はなかった。
 そう。学園都市に留学すれば、徹底的に手加減して戦わなければならないという事態にも、慣れる事が出来ると判断されたのだ。
 そして当然だが、敗北は許されない。
 戦いの勝敗はサヴァリスの弟、ゴルネオによって即座にグレンダンに知らせが行く。
 無様な真似をしたのならば、リーリンの胸がアルシェイラによって揉まれるという屈辱的な仕打ちが待っているのだ。
 別にリーリンの胸が誰かに揉まれて困るという訳ではない。
 いや。アルシェイラに揉まれるのならば、どうと言う事はないのではあるのだが、多分どうと言う事はないはずなのだが、何故かレイフォンは頑張ってしまっているのだ。
 そして今回の小隊対抗戦がやってきて、レイフォンは今入院中。
 間違いなくリーリンの胸は近々揉まれる事になる。
 非常にストレスがたまってもう一度吐血しそうだ。
 そう考えつつもレイフォンは本格的に覚醒した。
 
 
 
 なぜか目が覚めてから更に顔色が悪くなったレイフォンを見下ろしつつ、メイシェンはおずおずと持ってきた物を差し出した。
 ツェルニのセルニウム鉱山はあと一つしかない。
 だからこそ、グレンダンで天才と言われている武芸者であるレイフォンが戦っている。
 それは分かるのだが、それでもメイシェンは納得出来ていない。
 普通に練習した後もレイフォンは非常に疲れているように見える。
 戦う事が好きではないはずなのに、ツェルニの事情で小隊員にさせられているレイフォンに、同情や哀れみに似た感情を抱いてしまっている。
 本人に言う事は出来ないけれど、それでもメイシェンは行動し続けている。
 今回だって、吐血して入院したレイフォンのために牛乳を使った、胃に優しいお菓子を持ってきたのだ。

「あ、あの、これ、牛乳のゼリーです。食べて下さい」
「・・・・。有り難うメイシェン」

 少しだけ血色が良くなったけれど、原因不明の涙を流しているレイフォンに向かって、小さなカップに入ったピンク色のゼリーを渡す。
 甘い物があまり得意ではないというレイフォンのために、グラニュー糖を控えめにしている特製ゼリーだ。
 ミィフィやナルキそれにメイシェン本人用の物とは、明らかにレシピが違っていてその分手間が掛かるのだが、それでもレイフォンが喜んでくれるのならば、それで良いと思うのだ。
 この心の動きを世間的にどう言うかは十分に知っているのだが、認めてしまったら二度とレイフォンの前に立てないような気がしているので、全力で誤魔化しているのだ。

「身体大丈夫?」
「うん。何とか生きているよ」

 穏やかな空気を何時までも味わっていたいが、相手は病人だ。
 適当なところで切り上げなければならない。
 後ろ髪を引かれるような気持ちで、病室を出たところで驚愕に打ちのめされた。

「あ、あう」

 病室の扉の両脇に背中を預けた、ミィフィとナルキがいるのは良いだろう。
 だが、反対の壁際に仁王立ちしているニーナとフェリは少々予想外だ。
 予想外と言うよりは、全く考えてもいなかった。
 二人から流れ出る空気が少々怖いし。

「レイフォンは起きたのだな」
「そのようですね」

 必死に足腰に力を入れて、二人の圧力に耐える。
 おもわずナルキの腕にしがみついてしまっているけれど、必死に耐えるのだ。
 本当はナルキの後ろに隠れたいのだが、乙女の意地としてそれはしてはいけないような気がする。

「何を差し入れたんだ?」
「あ、あう」

 二人の視線が、なんだか段々強烈になってきているような気がする。
 腰砕けの状態になりながらも、必死にレイフォンに渡したゼリーの事について思い出す。
 基本的には牛乳と寒天、それにグラニュー糖を混ぜて冷やして固めた物だ。
 アクセントに苺を少々入れているが、それは本質とは何ら関係がない。
 と、ここまでを何とか説明する。

「何で牛乳なんだ? もっと他に必要な物があるだろう」
「出血したのだから、鉄分が必要なのでは?」

 少々二人には牛乳の有用性が理解出来ていないようだ。
 胃の悪い人にはとても重要なのだが、もしかしたら二人は胃が痛くなった事がないのかも知れない。
 なので出来るだけ分かりやすいように牛乳の偉大さについて二人に語る。
 とは言え、こう言う行為は非常に苦手なので、メイシェン的には決死の覚悟だ。

「牛乳のタンパク質が胃酸と反応して、胃の内側に薄い膜を作るんです」
「膜を作ると何か良い事があるのか?」
「タンパク質で出来た膜は胃酸を阻んで胃の内壁を保護してくれるんです」
「そうなのですか? だから兄は何時も牛乳を飲んでいるのですね」

 フェリの一言でおもわず同情してしまった。
 腹黒陰険眼鏡の変態だと陰口を叩かれつつ、生徒会長を務めるカリアンもきっと胃が痛くて仕方が無いのだろうと。
 とは言え、牛乳ゼリーを持って行くという選択肢はない。
 レイフォンの事で精一杯だし、カリアンならば他に持ってきてくれる人もいるだろうと思うから。

「成る程な。ゼリーなどと言う物を作った事はないのだが」
「それはかなり高度な技術を必要とする物なのでしょうか?」
「い、いえ。お菓子作りの入門書にも書いてありますから、手順さえ間違わなければ誰にでも作れると思います」

 実際にメイシェンは失敗した事がない。
 寒天が十分でなくて少し緩くなってしまった事はあるが、食べられないほどの物が出来た事はない。

「成る程な。胃潰瘍とやらには牛乳が良いのか」
「驚きの真実です」

 なにやら二人から猛烈なやる気を感じてしまう。
 そのやる気というかプレッシャーのせいで、メイシェンはとうとうナルキの後ろに隠れてしまった。
 これから毎日、レイフォンのところには牛乳ゼリーが届けられるかも知れないが、それはレイフォンにとって悪い事ではないはずだ。
 もう少し二人が感情を抑えてくれさえすれば。
 逆に、メイシェンにとっては少々問題ではあるが。

「レイフォンによろしく伝えておいてくれ」
「明日来ると伝えておいて下さい」

 そう言うと二人は争うように廊下を歩き、視界から消えていった。
 ナルキの背中越しにそれを確認したメイシェンは、おもわずその場に座り込んでしまった。
 既に決壊してしまった涙と限界まで使われた忍耐力では、とうてい立っている事が出来なかったのだ。

「大丈夫かメイ?」
「う、うん」

 そう返事をした物の、とうてい大丈夫という状況ではない。
 はっきり言って今夜の食事を作る気力は残っていない。
 ミィフィが作る事は奇跡を期待するような物だから、ナルキに頑張ってもらうしかないところだ。

「それにしても、明日レイとんは地獄だね」
「ああ。生きて明日の夕日を見る事は出来ないかも知れない」

 物騒な事を言う二人に、かなり疑問がわいた。
 明日何かある訳ではないはずなのだが、もしかしたらメイシェンの記憶違いかも知れない。

「明日あの二人がゼリーを持ってくるでしょう?」
「料理とは無縁みたいだから必殺になるかも知れない」

 なんだか二人は変な事を考えているようだ。
 ゼリーはそれ程難しくない。
 単純なだけに奥深いけれど、誰が作ってもそれなりの物が出来るのだ。
 これで失敗するなどと言う事は考えられない。

「大げさだね二人とも。失敗しないよ普通は」

 普通に考えて失敗などしない。
 わざと不味い物を作る事は出来るだろうが、それは明らかな悪意があってこそ出来る芸当なのだ。
 ニーナとフェリの様子を見る限りにおいて、二人がレイフォンに好意を持っている事はあっても、悪意を持っていると言う事はおおよそ考えられない。

「だと良いんだけれどね」
「ああ。普通に事が運べば良いんだけれどな」

 どうも二人はいらない心配をしているようだ。
 メイシェンにとってはそちらの方が遙かに驚きだった。
 
 
 だが次の日。
 退院間近だったレイフォンのところに二人の少女が現れた。
 そして、なにやら赤くて黒くて堅い物体と、蛍光イエローの流体を見舞いにと差し出した。
 そして、親切や好意で持ってきてくれた物を断る事が出来るレイフォンではない。
 強引にその場で口の中に放り込んだのが運の尽き。
 試合直前の吐血などとは次元の違う量の血を吐き出して、入院期間がかなり延長された。
 そしてメイシェンは二人に料理を教える事を決意した。
 その努力が報われる事はないのかも知れないが、決死の覚悟で努力することを誓った。
 
 
 
 ここは地の果てグレンダン。
 武芸者の天国。汚染獣の地獄。
 そのグレンダンが誇る天剣授受者の一人、サヴァリスはルッケンスの門弟に作らせた書類を携えて、女王の元を訪れていた。
 目的はただ一つ。
 レイフォンと手加減抜きの戦いをするため。
 折角ガハルドを半殺しにしてレイフォンを助けてやったというのに、その恩を返すどころか逃げるようにグレンダンを出て行ってしまった、無情な元同僚と戦うために色々と手を尽くして状況を整えたのだ。
 そしてとうとうアルシェイラの前にやってきたサヴァリスは、恭しく書類を差し出した。

「何これ?」
「僕が留学するための書類です。許可頂けるのでしたら即座に出発したいと思いますが」

 そうは言うが、そんなにすぐに許可が下りるとは思っていない。
 レイフォンがグレンダンを出る時にも、色々と異論が出たのだ。
 天剣授受者として問題を持っていないサヴァリスならば、更にいろんなところから苦情が来るのは間違いない。
 だが、他に天剣は十人もいるのだ。
 サヴァリス一人いなくなったって、別段問題はない。
 老性体がわんさと湧いてくると言うのなら話は違うが、そもそも個体数が少なく年に一・二回しかやってこないのだ。
 と言う訳でアルシェイラの許可が下りれば何とか出来ると思っていたのだ。

「レイフォンが言っていなかった?」
「僕と戦っても対人戦闘の苦手は克服出来ない」
「良かったわ。貴男の頭でもちゃんと覚えていられたのね」

 極度の戦闘愛好家ではあるが、サヴァリス自身それ程頭が悪い訳ではない。
 レイフォンよりはかなり良いと自負している。
 戦い以外で使うのが面倒なだけだ。

「レイフォンの中では、天剣授受者は老性体とカテゴライズされていると思うんだけれど?」
「それはそうでしょう。老性二期くらいだったら僕らの方が強いですからね」

 そのくらいの実力がなければ天剣授受者にはなれないのだ。
 むしろ最低ラインと言った方が良いだろう。
 そこへ行くとレイフォンは明らかに老性三期よりもかなり強い。
 ならばもう戦うしかないではないか。

「この書類ってさ」
「はい?」

 もしかしたら期待通りにアルシェイラの許可が下りるかと期待しつつ、次の言葉を待つ。
 小さな溜息と共に、紡がれた言葉は。

「誰に作ってもらったの?」
「門弟にそう言うのに詳しいのがいまして」
「成る程ね。道理で立派な訳ね」

 隠しても仕方が無いので、正直に包み隠さずに話す。
 むしろサヴァリスの仕掛けた罠に気が付いてくれる事を期待しつつ、アルシェイラの表情を伺う。

「サインだけあんたがしたのよね?」
「当然ですね。名前を書くぐらい僕にだって出来ますから」

 引っかかった。
 会心の笑みを浮かべたいのを我慢しつつ、大きな溜息をついたアルシェイラを見る。

「折角書いた名前が間違っているって、どう言う事?」
「おや? それは困りましたね」

 実は全然困っていないのだが、出来るだけ途方に暮れた表情を作る。
 この表情を作る事こそが、今回の最も難しいところだった。
 何時もニヤケているだけだったので、表情の作り方など知らなかったのだ。

「これはやはり留学して、ちゃんと自分の名前を書けるようにならないとぉぉぉぉ! ごぼ」

 突如として腹筋に何かが当たった。
 その何かは容易にサヴァリスの腹筋を貫通し、ねじ込まれ最後に抉られた。
 そして口から大量の血を吐き出して、その場に崩れ落ちる。
 視界の先にあるのは、当然と言えば当然なアルシェイラの拳。

「下らない事にだけ頭を使うんじゃない!!」

 激昂したアルシェイラの足が持ち上がり、容赦なく倒れ込んだサヴァリスの頭を踏みつける。
 折角用意した罠だったが、アルシェイラには通用しなかったようだと認識しつつ、次はどんな方法でレイフォンを追いかけようかと考えるサヴァリスは、激痛に耐えつつも入学試験という難関があることを思い出していた。
 それは別に問題無いかとすぐに結論を出す。
 レイフォンでさえ合格することが出来たのだ。サヴァリスに出来ないと言う事はないだろうと思う。
 ならば、来年までに留学許可を取ればいいと前向きな思考に切り替えつつ、とりあえず限界を超えた痛みのために意識を飛ばしてしまった。
 
 だがサヴァリスは知らない!
 学園都市には入学年齢に制限があるという真実を! 
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。ショートオブの2作目です。
 今回もレイフォンには地獄を見てもらいました。
 ついでではありますが、サヴァリスにも少々痛い目にあってもらいました。懲りてないですけれどね。
 ちなみにこの作品、続編はおそらく書かないと思いますので、期待などしないでいただけると嬉しいです。
 もう一つちなみに。本当は赤毛猫の一日をこちらに上げる予定だったのですが、復活設定を多くつぎ込んでしまったためにあちらへ移動してもらいました。
 
 ここまで書いて思うんですが、俺はサヴァリスが結構好きなのかも知れないですね。
 サヴァリス主役の話でも考えようかな?



[18444] 超堕落都市グレンダン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00

 念のために言うのだが、グレンダン女王アルシェイラの仕事は、おおよそ戦闘とは関係のない物が殆どだ。
 例えば公共事業の企画書に目を通したり、福祉関連の補助金制度に関する報告書に目を通したり、おおよそ書類と雑務と会議と打ち合わせで執務の時間が過ぎ去って行くと考えて良い。
 そんなアルシェイラだから、昼食の時間も立派な会議の席となることが多かったのだが、それは最近純粋な昼食の時間となってきていた。
 いや。正確には純粋ではない。
 何時か来るその時のために生きてきたアルシェイラだったのだが、定めと執務に塗りつぶされた人生に鮮やかな彩りが加わったのだ。
 今日も今日とて、カナリスに仕事の大半を押しつけて三時間の昼食を確保したアルシェイラは、王宮の最上階に取り付けた巨大な望遠鏡で、グレンダン中を覗いて回っていたのだ。
 若いカップルが湧水樹の森の中に仲良く入って行くところとか、やたらに周りを気にしつつ主婦しかいない家へと入って行く営業マンとか、かなり危ない物を見てにやけた時間は、しかしやはり唐突に奪われてしまった。
 当然では有るのだが、一緒に覗き趣味を満足させていたリディアも、突然やって来たカナリスの報告を聞く羽目になった。
 ある意味、リディアが原因の一部と言える事態に対する報告だったために、アルシェイラもカナリスも部屋から出て行くようには言わなかったのだ。

「天剣共がだれている?」

 カナリスから発せられた単語をそのまま繰り返す。
 二秒ほどの思考の後、笑い飛ばすことにした。
 何しろ天剣授受者だ。
 グレンダンの誇る人外の変態共だ。
 通常型都市ならば瞬殺出来るほどの、異常者集団だ。
 サヴァリスのような、戦っていないと人格が破綻するという戦闘狂さえいるのだ。
 そんな天剣授受者がだれている。
 そんな事はあり得ないはずなのだが、だが、万が一にでも有ってしまったらそれに対応する必要がアルシェイラにはあるのだ。

「はい。特にサヴァリスが酷いです」
「・・・・? なんだって?」

 だれている天剣の筆頭が、あの、あのサヴァリスだというのだ。
 老性体を遊び相手にしか思っていない、友達が強かったら誠心誠意戦って殺して喜んでいる、天剣最凶のサヴァリスがだれる。
 これは本気で気を引き締めて掛からなければ、とても痛い目に合うことがはっきりした。
 なので、気合いを入れ直してカナリスからの報告を聞く。

「先日老性体と戦って帰ってきたのですが」
「老成二期とか言う奴だったわね」

 アルシェイラ的にはどれでも大して違わない雑魚だが、それでも通常都市だったら滅んでいた程度の戦力だったという認識くらいはある。
 まあ、サヴァリスのことだから相変わらず、遊び半分で戦いに出たことは間違いないが。

「力押ししかしてこない老性体なんかと戦ってもつまらないと」
「・・・・・。ああ?」

 カナリスから出た言葉を脳内で処理。
 そもそも汚染獣が戦うと言う事は、その大質量と巨体を生かした筋力、更に生命力や体力を総動員して戦うと言う事のはずだ。
 老性体の戦い方はむしろ汚染獣としては非常に納得の行く物に思える。
 これで小技を連発していたら、そちらの方が遙かに異常だ。

「レイフォンのように、精緻を極める技や磨き抜かれた意志力、何よりも生きる事への執着心から来る必死さ、そう言う物が全く無いので戦ってもつまらないと」

 ここまで来てアルシェイラも理解した。
 サヴァリスはもっと洗練された相手と戦いたいのだと。
 汚染獣のような勢いだけで戦う獣など、もはや相手にすることが馬鹿らしいのだと。
 もっと言えば、生きようと必死に足掻いている敵を倒すことに快感を覚えているのだと。
 それは極めてサヴァリスらしいと言えるのだが、断じてだれているという訳ではない。

「だれているというのとは、少し違うと思うんだけれど?」

 当然疑問を持ったアルシェイラは、きっちりとカナリスに問いただす。
 カナリスが言葉を間違って使っているというのならば、それはそれで良いのだが、もし万が一にでも本来の意味で使っているのだとしたら、非常に厄介な問題となる。

「老性体なんかと戦ってもつまらないので、他の人に回して下さいと」
「・・・・・・・・・・・・・」

 確かにだれている。
 これは由々しき問題だ。
 天剣授受者が戦闘を放棄する。
 これ以上の異常事態など想像も付かないほど、どうしようもないくらいに異常事態だ。

「一体どうしたというのかしらね?」

 隣で、黙々と巨大な弁当箱の制圧に掛かっているリディアに問いただしてみる。
 ある意味引き金を引いたのはアルシェイラだが、覗き趣味という禁断の箱を開かせたのはリディアなのだ。
 彼女にも責任の一端はあると思うのだ。

「・・・・。やっと分かったわ」
「何がよ?」

 更に黙々と食事をし続けていたリディアだが、五分ほどしてやっと口を食べる以外の目的に使うことにしたようだ。
 そして、出てきたのは想像を絶する事実をアルシェイラに突きつける言葉だった。

「私達は、天剣授受者がレイフォンで遊んでいると思っていたわ」
「ええ。その認識に間違いはないはずよ」

 そう。遊びだったのだ。
 いくらデルボネの探査を逃れる逃走術を身につけているとは言え、それだけで生き長らえる事が出来るほど天剣授受者は甘くない。
 天剣共が本気だったら、いくら通常の錬金鋼を使っていたとしても一分という時間を生き長らえる事は出来ないのだ。

「でも事実は違った」
「どう違ったのよ?」

 リディアがどんな道筋で何を思いついたのかさっぱり分からない。
 だが、次に出てくる言葉こそが今の事態を説明することが出来る、究極の答えだと言うことは分かった。

「天剣授受者が、レイフォンに遊んでもらっていた」
「・・・・・・・・・・・」

 本日二度目の絶句に叩き落とされてしまった。
 あの、あの天剣授受者共が、ただの武芸者でしかないレイフォンに遊んでもらっていたというのだ。
 これはどうあっても否定しなければならない。
 そうでなければ、折角集めた変態共の真価が問われてしまうから。

「ああ。そうだったのですね」

 何故か、アルシェイラよりも速くカナリスが言葉を零した。
 だが、それは今までとは全く違う空気を纏っていることに、強制的に気が付かされた。
 そう。溜息にも似た息遣いで言葉が口から零れ落ちたのだ。
 それはもう、恋する乙女が思い人を思ってその名を呼ぶような。

「私はレイフォンに弄ばれていたのですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 本日三度目の絶句は、過去最大の長さと重さを持ってしまっていた。
 クララと同じような性癖を持っているとは思っていたのだが、はっきりと同類なのかも知れないと思えてきてしまった。

「レイフォンを鍛えて、私よりも強くして、そして無残に斬り殺されることを、私は願っているのですね」

 この辺、クララで慣れているので、さほどの衝撃は受けないで済んでいるようだと、人ごとのように考えるアルシェイラの脇では、相変わらずリディアが巨大弁当箱を殲滅させようという戦いを続けている。
 この状態に、非常な違和感を覚えた。

「って、ちょっと待った」

 異常事態がもう一つ身近で起こっていることにも気が付く。
 さっきからリディアは巨大弁当箱を抱えるようにして、黙々と食事を続けている。
 だが、昼食は既に終了しているはずなのだ。
 一緒に覗きをする時には、一緒に昼食を摂ることにしているので、既に終わっていなければならないはずなのだ。
 だと言うのに、リディアはいまだに食べ続けている。
 十歳程度の子供と同じ体格しか持たないはずの、グレンダンではそれ程優秀とは言えない念威繰者が。
 これも異常な光景に違いない。

「本当、世の中はままならないわねぇ」

 そう口にしたアルシェイラは溜息をつく。
 天剣共がだれてしまっている現実を改善する方策は、今のところ一つしかないのだが、それを実行するためには相当の無理が必要なのだ。
 事前情報通りにレイフォンがツェルニに居るのだったら、リーリンを迎えに行くついでにかっさらってくれば良かったのだが、生憎とマイアスという学園都市に留学してしまっている。
 これも世の中の不条理と言えるのだろうと思うと、世界全てに対する怒りがふつふつと沸き上がってくる。
 グレンダンを巻き込んで自爆したくなるほどに。
 そして唐突に思い出した。
 最近ティグリスの姿を見ていないことを。
 デルボネを呼んで確認させたところ、サイハーデンの道場にいることが判明。
 即座に望遠鏡を使って、アルシェイラの目で確認してみる。
 当然のようにいた。
 日の当たる庭先に座り込み、デルクと並んで日光浴の最中だ。
 そしてそのすぐ側にいるのは、何時ぞやの幼女。
 必死に二人の服を引っ張っている姿に不信感を募らせた。
 デルボネに命じて盗聴開始。

「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」

 必死になって二人の服の袖を引っ張って、自分に注意を向けさせようとしている幼女。
 その大きな瞳には、既に涙が一杯に溜まり、決壊間近だ。

「おお! 相変わらずめんこいのぉぉ」
「はは。誠に可愛らしいですな」

 その必死のアピールが功を奏したのか、二人の視線が幼女を捉えた。
 いや。捉えていない。
 視線は向けられているが、焦点が全く合っていない。
 一瞬喜びに溢れた幼女だったが、すぐに二人の状況に気が付いたようで、再びその瞳を涙で一杯にした。

「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」

 ティグリスの髭を引っ張り、デルクの指を引っ張り、ティグリスに渾身の拳を叩き込み、デルクに全力の蹴りを打ち込み、更に二人に向かって連打を浴びせ続ける。
 だが、いかんせん歯も生え揃っていないような子供の攻撃など、歳を重ねた武芸者に通用するはずもなかった。

「おぉおぉおぉ。ほんにめんこいのぉぉ」
「ははは。誠に可愛らしい限りですな」

 頭に蜘蛛の巣が張っても気が付きそうにないほど、二人の武芸者はゆるみきっている。
 とうとう盛大に泣きながら母屋へと助けを呼びに行く幼女を眺めつつ、アルシェイラは思うのだ。

「老いたなティグ爺」

 人生において最も重要な、生きる目的を見失った老人が二人。
 アルシェイラは思わず溜息と共にサイハーデンの道場付近を、消し飛ばしてしまおうかと本気で考えてしまった。
 天剣が一本無くなるが、リーリンが帰ってくればそれを埋めることは出来るのだ。
 老いてしまった武芸者など、必要ない。

「うふふふふ。こんな時にこそお兄ちゃんが必要なのに、いないなんて罪作りな奴」

 リディアのそんな他人事な台詞が聞こえなければ、きっと実行してしまっていただろう。
 そしてやっとの事で、レイフォンがいなくなったことの意味を知ることが出来た。
 天剣共から、生き甲斐の一部が失われたのだと。
 このままではいけない。
 老性体ごときにやられるのならまだしも、呆けて使い物にならないとなったら、折角集めた変態集団が台無しだ。
 やはりグレンダンをそそのかして、マイアスに戦争を仕掛けようかという、恐ろしい計画がこの時アルシェイラの中に生まれた。
 普通にやれば、学園都市ごときが勝てるはずはない。
 泣きを入れてきたのならば、レイフォンと引き替えに鉱山の一つでもくれてやればいいのだ。
 レイフォンの犠牲で誰も彼もが幸せになれる。
 そうなれば実行有るのみだ。
 決意を固めたアルシェイラは、グレンダンを呼び出すことにした。
 
 
 
 お忘れかも知れないが、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは天剣授受者である。
 更に熱狂的な戦闘愛好家であり、戦闘狂の異名を持って人から恐れられる武芸者でもある。
 そんなサヴァリスの今日の獲物は、幼生体。
 何を勘違いしたのか、グレンダンが幼生体の大群落に突っ込んでしまったのだ。
 その数実に三万以上。
 グレンダンの歴史上万を超える幼生体に取り囲まれたことは珍しくないが、三万となると空前の事態ではある。
 絶後かどうかは全く分からないが。
 と言う事で、一対多数が得意なリンテンスと制圧能力があるバーメリン。
 ついでに先日の老性体戦で不満の溜まっていたサヴァリスが出撃して、片端から幼生体を虐殺して回っているのだが、当然のこと退屈で仕方が無い。
 弱いくせに数だけ居る物だから、非常なストレスが溜まる。
 これならばレイフォンと遊んでいた方が遙かにましなのだが、生憎と学園都市に逃げて行ってしまっているので戦いたくても戦えない。

「やれやれ。世はなべて事も無しですかねぇ」
「幾星霜を語ろうが貴様とは平行線だと思っていたが、三兆分の一グラムル程度の共感を得た」

 念威端子越しのリンテンスの声も、非常につまらなそうである。
 天剣抜きとは言え、また本気ではなかったとは言え、リンテンスやサヴァリスの攻撃を、軽傷を負っただけで乗り越えたレイフォンの強さに比べたら、幼生体などいくらいても全く楽しくない。
 あの必死に逃げ惑う姿と生への猛烈な執着。
 何よりもあの技の切れと剄の流れ。
 数を頼みとして襲ってくるだけの幼生体と比べるべくも無い。

「糞ウザ! 糞飽きた!」

 バーメリンの方も二時間近くガトリングガンを使い続けて、いい加減飽きてきたようだ。
 徐々に剄弾の命中率が下がってきているし、傍目から見ても覇気が無くなってきている。
 これは非常に危険な状態だ。
 どのくらい危険かというと。

「うわぁぁぁん!」「わっわっわっわっわわわわ」「ひぃぃぃんん」

 味方であるはずのグレンダン武芸者に、誤射という形で剄弾が降り注ぐくらいに危険だ。
 その誤射が、誤射で済ますことが出来ないほどの量になってきている。
 具体的には、三割り程度の剄弾がグレンダン武芸者に向かっている。
 二門合わせて、毎分八千発の三割だ。
 死者が出ていないのが不思議なくらいに、猛烈な砲撃がグレンダン武芸者を襲っているのだ。
 だが、それを見てサヴァリスはひらめいてしまった。

「これは使えるかも知れませんね」
「無理だな」

 サヴァリスの発言に瞬時に応じたリンテンスの声を聞き、同じ事を考えているらしいことが分かった。
 そう。レイフォンがいないのならば、それに代わることが出来る武芸者を作り上げればいいのだ。
 だが、当然問題もある。
 いや。問題だらけだ。

「やはりそうですよねぇ」

 レイフォン・サイハーデンという武芸者は、剄量は兎も角として、その技量だけなら天剣授受者にかなり近付いていたのだ。
 それだけ凄まじい人材は、いくらグレンダンだとは言えそうそう転がっている訳ではないのだ。
 となれば、やるだけ無駄だという確率も出てくるのだが。

「まあ、大義名分くらいはありますからね」
「そうだな。何億秒という暇な時間を潰すためにも使えるか」

 そして驚いた。
 あのリンテンスと意見の一致を見たのだ。
 三兆分の一程度の一致だとしても、今までにはなかったしこれからあるかどうか分からない。
 ならば、物は試しである。
 幼生体のついでに銃撃されて逃げ惑っている武芸者達に向けて、サヴァリスは取り敢えず衝剄を放ってみた。
 当然、違う戦域ではリンテンスの鋼糸が幼生体と一緒に武芸者を切り刻んでいるだろう。
 これはこれで少々楽しい。
 弱い者虐めは、サヴァリスの好みではないのだが、もしかしたら掘り出し物が出てくるかも知れない。
 ならばやる価値は十分にあると思うのだ。

「お、おや?」

 そして気が付いた。
 幼生体を虐殺して回るよりも、誤射に見せかけてグレンダン武芸者を狙い撃つ方が遙かに楽しいと。
 思わぬ収穫である。
 
 
 こうして、後の世に天剣の狂乱と呼ばれる虐め行為がそこここの戦場で見られた。
 だが、だがである。
 結局レイフォンほど面白い相手を見つけることが出来なかったために、天剣達が興味を無くして一時の狂乱で終わってしまったのは、恐らく武芸者にとってもグレンダンにとっても良いことだったのだ。



[18444] B B R その一
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 全てを憎むことも出来ず、何かを壊す事も出来なかった僕は、ただひたすらに斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。
 どれだけ斬っても狂気は去らず。
 どれほど戦っても悲しみは癒えず。
 主無き刀はあまりにも軽く。
 ただただ、胸の内に虚しさだけが募るばかりで。
 それでも、僕には他に出来ることがないから。
 斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って・・・・・・。
 そして僕はここを出て行くことにした。
 もしかしたら、こんな僕でも必要としてくれる人がいるかも知れないから。
 もしかしたら、刀の主となるべき人に出会えるかも知れないから。
 それは最後に残された希望なのだろうと、そう思うことでやっと自分を維持していたんだと、今はそう思う。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 教室二個分ほどの広さを持った訓練室の中は静まりかえっていた。
 他の小隊が訓練する気配と音が、強固に作られた壁を通り抜けて第十七小隊に割り当てられたここに届いているが、それでも静寂に支配されていたと言って良いだろう。
 その気になれば自らの鼓動だけではなく、耳の血管を通る血液の音さえ聞こえるだろうというほどに、訓練室の中は静まりかえっていた。
 僅か五秒前まで、自らの音に気が付くこともなく、他の小隊員の気配と音さえ気にならないほどだったが、今現実に起こっていることが信じられず、強引に静寂を破るために大きく息を吸い込み、音という形でそれを吐き出した。

「もう一度言ってもらえるか?」

 第十七小隊長を勤めるニーナ・アントークは、静寂を破るために放った声がしかし、思っていたよりも遙かに小さかったことにやり場のない憤りを覚えてしまっていた。
 そして静寂の創造主であり、最小構成人数を満たすべくスカウトしたはずの少年へと、殺意さえこもった視線を突き刺しつつ念のために訪ねる。
 あってはならない事態のはずだったからだ。
 だが、目の前の少年は小揺るぎ一つせずに静寂の中に佇み、世界を揺るがせるほどの音の連なりを解き放ったのだ。
 ニーナよりも格段に大きな声と言う訳ではなく、それどころか僅かに小さいというのにもかかわらず。

「お断りします」

 再び世界が揺らめいた。
 ツェルニ武芸科に在籍する者ならば、誰でもあこがれるはずの小隊員の座を路傍の小石ほどにも興味がないと言わんばかりの気軽さで、しかし断固とした決意と信念を持って断ってのけたのだ。
 ニーナの世界が大きく揺すぶられ、激震に見舞われた大地に立つことが出来ずに、大きくよろめいて倒れそうになる。
 だが、それを持ち前の精神力を総動員して何とか転倒だけは免れる。
 新入生の中から小隊員をスカウトすべく、武芸科生徒を睨み据えるほどの勢いで見渡している時に起こった乱闘騒ぎ。
 他の都市での揉め事を持ち込んではいけないという校則を無視したその行いに、混乱する新入生の人混みをかき分けて上級生が介入しようとしたまさにその瞬間、目の前にいる一見気の弱そうな一般教養科の生徒が、同時に二人を盛大に投げ飛ばしてその場を納めてしまったのだ。
 通常考えるならば、一般人が武芸者を押さえると言う事はほぼ不可能だ。
 それがどれだけ非力な武芸者だろうと、剄を使ったが最後一般人の手には負えないのだ。
 そして、一般教養科に在籍する生徒が武芸者であるはずがなかった。
 だが、入学式が中止になったあと少しして、生徒会長に呼ばれたニーナはある意味非常識な話を聞いた。
 件の武芸者二人を投げ飛ばしたのは、一般教養科を受験した武芸者だったと。
 本来武芸者とは、天から授かった剄脈という器官を使って、外敵から都市に住む人々を守る存在だ。
 武芸者と生まれたからには、能力の及ぶ範囲で都市とそこに住む人達のために戦うべきなのだ。
 これでレイフォンが非力でどうしようもないなら兎も角として、入学式で見た限りでは明らかな実力を持っている。
 一般教養科に入ろうとした経緯は知らないが、それは許されるべき事柄ではないのだ。
 そしてさらに、小隊員に任命したにもかかわらず、それを断ると言い切る。
 ある意味、今日だけでニーナの常識と世界はボロボロの状態だ。
 だが、ここで立ち止まる訳にはいかないのだ。
 小隊を設立することが目的ではないが、それでも最短ルートだと確信しているから。

「これは生徒会長も了承している決定事項だ。辞退は許されん」

 だが言いつつもニーナには不安があった。
 カリアンからレイフォンの事を紹介されたが、それはただレイフォンが武芸科に転科したという程度の紹介だった。
 話の流れから、カリアンの承認が得られていると言う事は間違いないが、それでももしかしたらもっと違う意味だったのではないかと、ほんの微かに疑ってしまっているのだ。
 レイフォンの反応は、ニーナの不安をあおり立てるのに十分だったし。

「どうぞご自由に」
「な、なに?」

 そんな心の隅の葛藤を見透かしたかのように、冷静沈着に返事をするレイフォン。
 だが、その内容はあまりにも異常で理解出来なかった。
 自由にしろと言うのだから、承諾したという意味かも知れないが、どう見てもレイフォンからそう言う雰囲気は伝わってこない。
 ならば本人に聞いてみるのが最も手っ取り早いと判断した。

「どういう意味だ?」
「ですからね。そちらはそちらの都合があるでしょうから、僕にかまわずにやって下さい」

 こちらの都合を理解しているらしいことは理解出来たが、かまわずにやってくれと言うのは少々理解出来ない。
 始めからかなり厳しかった視線が、何時の間にか殺意がこもっていた視線が、人を視線で殺せるレベルへと変化を遂げていた。

「僕は小隊入りを了承していません。本人に関係ないところで話が進んだのでしたら、僕には関係のない話です」

 確かに、レイフォン本人の意見や希望を聞いたという事実はない。
 だが、武芸者である以上は当然の成り行きなのだ。
 そう思っているからこそフェリに連れられてここまで来たはずだ。

「言ったはずだ! 辞退は許されんと!」
「ええ。ですからご自由にどうぞ」
「・・・・。どういう意味だ?」
「幽霊隊員」

 あっさりと言ってのけた少年を見る。
 冗談を言っているつもりはないようだ。
 部活ならば幽霊部員がいてもおかしくはないが、こと小隊において幽霊隊員などという存在は、今まで確認されていないはずだ。
 だがしかし、その未確認生物が目の前に出現しようとしている。
 しかもニーナの小隊からだ。
 これは断じてあってはならない。
 心に殺意を秘めたニーナの手が、凶器を求めて剣帯へと伸びる。
 この男をこの部屋から出してはいけないと、そう決意したのだ。
 そんな事をしたら、小隊制度そのものが崩壊してしまう。

「では失礼します」

 決意を固めたニーナのことなどお構いなしに、少年が踵を返す。
 その背中は全く無防備で隙だらけだ。
 一撃で決めると決意したニーナが、錬金鋼を引き抜こうとしたその手を誰かが押さえる。
 その手の大きさからシャーニッドであることが瞬時に分かった。
 怒りと憤りを込めた視線で、何時も飄々としている一つ年上の部下を見る。

「素手の一年生を後ろから襲って殺めるつもりか?」
「!!」

 何時も飄々としているその顔は、この瞬間だけは厳しく引き締まり、ニーナを見下ろしていた。
 そしてやっと気が付いた。
 レイフォンを隊員に出来なくても、第十七小隊が設立出来ないだけだが、もしニーナが彼を殺してしまえば、それはツェルニ武芸科最大の汚点となる。
 あろう事か小隊長が殺人を犯したのだ。
 武芸者に対する信頼を裏切り、尽力してくれたカリアンの恩を仇で返す行為だ。
 間違いなくニーナ自身、次の放浪バスに乗せられて、志半ばでツェルニを去ることになる。
 そこまで考えが至った瞬間、全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。
 本当に紙一重で破局は回避されたのだ。
 もしほんの少しだけシャーニッドの行動が遅かったら、それだけでニーナと武芸科生徒は終わっていた。
 この一事だけで、シャーニッドの真価を知る事が出来た。
 だが、だからと言ってこのまま引き下がることなど出来はしない。
 自らの小隊を立ち上げてまで、ツェルニを守ると固く誓ったその思いまで否定されたようで、ここで大人しくしていることが出来そうもない。

「追いかける」
「・・・・・・。錬金鋼は置いて行けよ」
「・・・・・・・・・・・・・・。分かった」

 シャーニッドの心配ももっともだと判断する部分と、もっとニーナを信じて欲しいという部分がせめぎ合い、数秒という時間を無駄にしてしまったが、錬金鋼を渡して既に閉まってから時間の経っている扉へと突っ込む。
 当然の成り行きだろうが、シャーニッドも付いてきている。
 素手で殴り合いを始めようとしたら止めるつもりなのだろうと思うが、そこまで喧嘩っ速いとは思っていないので、非常に心外だ。
 そんな複雑な心境と共に蹴破るほどの勢いで廊下に飛び出したニーナだったが、驚愕のために再び世界が壊れてしまった。
 見た事ある巨漢の頭突きで床にしゃがみ込んで痛みをこらえているレイフォンが見える。
 様な気がする。

「ぐぐぐぐわぁぁぁ」
「も、もうしわけありません!!」

 頭に手をやり必死に痛みをこらえるレイフォンを見て、一度上げた頭をもう一度高速で叩きつける巨漢。
 その威力に恐れをなしたのか、尻餅をつくように追撃を避けるレイフォン。
 猛烈に意味不明だ。
 もしかしたら、頭突きを放った巨漢はレイフォンに恨みがあるのかも知れない。
 うん。きっとそうに違いない。
 他の都市の揉め事を持ち込んではいけないという校則があるが、なにやら双方必死の形相なので関わりにならない方が良いに違いない。
 普段なら決して出さない結論に達したニーナは、一歩後ずさる。
 シャーニッドなど既に半分逃げ腰だ。

「重ね重ねの狼藉! この罪、万死に値します!!」
「死ななくて良いですから!」

 外野が動揺している間に、本人達はきちんと話を進めているようで、巨漢の頭がもう一度持ち上がり更なる高速で振り下ろされた。
 その一撃は空気を振るわせ、衝撃波だけで床を粉砕するほどの威力だった。
 そしてそのままの姿勢で、完全停止。
 二秒。三秒。四秒が経つ。

「頭を上げて下さいゴルネオさん」
「いえ! この頭を貴方様に切り落として頂くまでは、決して上げません!!」

 何かおかしい。
 ゴルネオと言えば、武芸科の五年生で、第五小隊長を勤める男で、誇り高い武芸者のはずだ。
 なのに、頭を切り落とせとレイフォンに言っている。
 恨みを晴らすためにレイフォンに頭突きを放っているはずなのにだ。
 全く意味不明だ。
 ニーナが途方に暮れていると、よろよろと立ち上がるレイフォンがゆっくりとゴルネオに迫る。
 その手には武器を持っておらず、しかし一挙手一投足が全て必殺の一撃を放っている。
 目の前の巨漢の首が飛ぶところを幻視してしまった。

「落ち着いて下さい。僕は貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
「し、しかし!」
「はあ。・・・・。ではこうしましょう」

 どうあっても自分の首を落とせと要求するゴルネオと、それを何とか回避しようとするレイフォンの掛け合いだ。
 立場が逆だったら何の問題も無いのだが、全てにおいて全く意味不明だ。

「今夜の食事をおごって下さい」
「夕食ですか?」
「ええ。それで恨みっこ無しと言う事で」
「そ、それはあまりにも軽すぎます!!」

 生殺与奪の権利を持っている人間が、軽い罰則で済まそうとしているにもかかわらず、裁かれる人間が厳罰を要求するというかなり珍しい光景のような気がするが、根が真面目なゴルネオだからこれはこれでありかも知れない。
 罪を犯してしまったのならば、ニーナもきっと同じように行動するだろうし。

「では」
「はい」
「三日分の夕食でどうでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・。謹んでお受けいたします!!」

 これ以上は相手に対して失礼である。
 と言う事で渋々とゴルネオが軽い罰を受け入れた。
 裁かれる人間が渋々と軽い罰を受けるというのも考え物だが、きっと二人の間ではそれで良いのだろうと考えることにした。
 異常な光景が続いていたが、ようやっと頭を上げたゴルネオがレイフォンを見る。
 まだ幾分表情が硬いが、それでも数秒前までの危険極まりない空気は去ったようで少しだけ胸をなで下ろす。

「ツェルニ。どこかで聞いたと思っていたら」
「は! 自分が在学している学園都市であります!!」

 いや。何時もと違って言葉遣いが非常にぎこちない。
 しかも、五年生であるはずのゴルネオが一年生であるはずのレイフォンに向かって、非常に堅苦しい言葉を使っているのだ。
 これもある意味異常事態だとは思うのだが、つい先ほどまでの物に比べると遙かに現実的だ。
 異常事態に現実的かどうかという判断基準が存在していることを初めて認識したニーナは、新たな世界へと踏み出せたような気分になってしまった。
 思わず感動さえ覚える展開である。

「剄が充実していますね」
「は! ですがまだまだヴォルフシュテイン卿の足元にも及びません!!」
「元。ですよ。それはもう返上しました」
「いえ! 自分にとってヴォルフシュテイン卿は何時までもヴォルフシュテイン卿ですから」
「・・・・。強情ですね」
「恐縮です!!」

 そうだ。
 今日は帰りに粉末のスポーツドリンクを買って帰ろう。
 そろそろ切れる時期だし、確か安売りがあったはずだ。
 そんな現実逃避気味の思考で遊んでいると、レイフォンの視線がゴルネオを捉えていることに気が付いた。
 その顔をマジマジと見詰めている。
 いや。正確にはその頭の上に乗っている赤毛な生き物を!

「zzzzzzzz」

 今ニーナの目の前で起こっていた一連の怪事件などお構いなしに、それどころか衝撃波だけで床を破壊するほどの頭突きさえ気が付かずに、なにやら弛みきった笑顔と共に眠り続けている。
 これ以上の異常事態など想像もしていなかったニーナにとって、第五小隊副隊長のシャンテの行動は、あまりにも異常に過ぎた。
 そして気が付いた。
 赤毛で未知の生物が頭にくっついていたせいで、その銀髪を認識することが出来ずに、ゴルネオであると暫く気が付かなかったのだと。
 そろそろ機関清掃の仕事に行った方が良いかもしれない。
 昨日は食べ損ねた鶏肉のサンドイッチを絶対に確保してやると、心に誓いつつも更に事態は進展してしまう。
 ニーナの更なる現実逃避を無視して、当人達は話を進めてしまっている。

「よく寝ていますね」
「は、はぁ。こいつの特殊技能です」

 特殊技能などと言う生やさしいものでは無いと思うのだが、ゴルネオが言う以上きっとそれが正しいのだろうと思う。
 断じて認める訳にはいかないが。

「それで。後ろにいるのは第十七小隊ですよね?」
「はい。勧誘されました」
「・・・・・・・・・・・・・。受けられたのですか?」
「断りました」

 二人の視線と注意がいきなりこちらにやってきたことで、現実逃避による現実逃避から目覚めることが出来た。
 ここで何とか踏ん張ってレイフォンを勧誘しなければならないことも思い出せた。
 犯罪を犯すつもりはないが、小隊の設立を諦めるつもりもないのだ。
 呼吸を整えて一歩前へと踏み出す。

「それは何よりでした」
「はい。集団戦は苦手ですし、なにより今の僕が戦えばきっと災いを」

 聞き捨てならないゴルネオの言葉に続いて発せられたレイフォンの台詞が、いきなり途切れる。
 そして、緊迫した空気が戻ってきてしまった。
 張り詰めるゴルネオと気まずそうに視線をそらせるレイフォン。
 二人の間に何かあったことは理解した。
 それがかなり根が深い物であることも。
 もしかしたら、他人が踏み込んではいけない問題かも知れないことも。
 だが、それでもニーナに後退の二文字はない。

「改めて頼むレイフォン! どうか小隊に入ってくれ!」

 廊下の真ん中で、その場の空気をぶち壊すために大きな声で懇願する。
 介入してはいけないかも知れないが、この気まずい沈黙をぶち壊すのはかまわないはずだ。
 だからこそ、心の底からの大声で懇願するのだ。
 その行為が何とか空気を弛ませることに成功したようで、二人から安堵の息が漏れるのが分かった。
 これでこちらのペースに持ち込めば何とか小隊を立ち上げる事が出来る。
 そう思っていた。

「四年半ぶりですね」
「は!! ツェルニへ旅立つ前に後見人をして頂いたのが最後ですので」
「人のことは言えませんが、サヴァリスさんは弟さんがいることを覚えているのでしょうか?」
「恐らく忘れているのだと思います」
「困りましたね」
「それでこそ兄ですから」

 話が違う方向へと進んでしまった。
 何とかこちらにもう一度注意を向けさせなければ、再びニーナはこの世界から取り残されてしまう。
 それ程の恐怖と共に立ちすくんだのも一瞬。

「そうそう」
「はい」
「ここでは貴方の方が上位者なのですから、呼び捨てでお願いします」
「そ、そのようなこと出来ようはずありません!!」

 再び固まり出すゴルネオ。
 それに少々困ったような表情をするレイフォン。
 全く持って意味不明だ。
 この二人の過去に何が有ったのか、一度じっくり問い詰めたいような気がするのだが、兎に角今は何とかレイフォンとのコミュニケーションを取らなければならない。

「レ、レイフォン」

 そう呼びかけるが、視線がこちらを捉える様子がない。
 ツェルニが誇る十七有る小隊の一つ、まだ正式に結成していないとは言え、その小隊長が懇願しているにもかかわらず、路傍に転がっている小石ほどにも注意を払っていないように見えるレイフォンに、再び怒りが沸き上がってくる。
 拳を握りしめたところで、シャーニッドの手が肩におかれた。
 シャーニッドの心配が現実の物になると言う事がかなり屈辱なのだが、それでやっと冷静さを少しだけ取り戻すことが出来た。

「レイフォン。どうか第十七小隊に入ってくれ」
「断ったはずですよ」
「そうだ。ヴォルフシュテイン卿を入れたところで」
「元です」
「・・・・。ア、ア、アルセイフ様を」
「せめてレイフォン君くらいにして下さい」
「レ、レレレレレ」
「・・・・・・・。取り敢えず話を進めましょう」

 どうやら相当困った事態があるようだ。
 その恐るべき片鱗を垣間見たような気がするが、今それを考えるべき時ではない。

「先ほど言いましたが、僕は集団戦が苦手です」
「私達が合わせる」
「そもそも、僕に小隊に入るつもりはありません」
「そこを曲げて頼む!」

 ゴルネオの物ほど破壊的ではないが、全力で頭を下げて懇願する。
 そのまま色よい返事がもらえるまで姿勢を維持する覚悟だったのだが。

「お断りしています」

 いともあっさりと断られてしまった。
 話が平行線になっていることには気が付いているが、それでも諦めるという選択肢はない。
 いや。ここまで来ると意地だ。
 なんとしてもレイフォンを小隊に入れなければならないと、何処か頑なに思い詰めてしまっているのが自分でも分かるのだが、それを改めると言う事が出来ないのだ。

「金が必要ならば何とかしよう。働けと言うのならば馬車馬のように働こう。この身体が欲しいのならば好きにすればいい。だからどうか頼む!」

 ニーナの有りっ丈だったのだが、それがレイフォンに届いたかどうかは全く別問題だ。
 頭を下げたまま叫んで、五秒、十秒と経過する。
 あまりのリアクションのなさに、不審に思い頭を上げて周りを見てみると。

「・・・・・・・・・・・・・・・・。何処へ行った?」

 とおのレイフォンがいなかったからに他ならない。
 それはもう、この世界にそんな人物はいないと言わんばかりに、綺麗さっぱり完璧にかき消えていたのだ。

「ヴォルフシュテイン卿ならば、断りの、台詞の次の瞬間には移動された」

 ニーナ一世一大の大博打だったはずが、独り相撲に終わってしまっていたようだ。
 非常に冷たい風が身も心も冷やして行く。
 そして熱を奪われた身体に残ったのは、ただの疲労感。
 骨折り損のくたびれもうけという奴だ。

「旦那さ」
「なんだエリプトン?」
「あの新人と親しいのか?」
「・・・・・。いや。兄を通じて知っているだけだ」

 あれだけのことをやっておいて、それ程親しい訳ではないというゴルネオに非常な不信感が芽生えたが、それを追求する精神力を今のニーナは持ち合わせていなかった。
 それが幸運だったのか不運だったのか、それを知る術は今この場にいる誰の手にもない。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 超絶的な美少女に連れ去られたかと思っていたら、一時間程度で帰ってきているという変態的行為をした少年を目の前にして、ミィフィはしげしげと眺める。
 それはもうこれ以上ないくらいに真剣に、穴が空いてしまいそうな程の勢いと情熱を持ってして、レイフォンという変質者へ向かって興味の全てを注ぎ込む。
 本日執り行われた入学式だったが、武芸科生徒二人の乱闘という突発事態のために中止が決定してしまった。
 その乱闘に巻き込まれた幼なじみを助けたのが、実はこの変態的な行動を取った変質者なのだ。
 焦げ茶色の髪と深い紫色の瞳をした、ややぼうっとした感じのする同世代の少年に見えないこともない、極々普通の武芸者だ。
 だが、武芸者でありながら一般教養科へと入学してのけるという非常識さを持ち、更にミィフィが是非ともお友達になりたい超絶美少女をあっさりと振ってきたと言う、二つの前科を持っているのだ。
 どれほどの犯罪を繰り返してきたか解ったものでは無い。
 もしかしたら、故郷に奥さんと子供が一杯いるかも知れないし、最悪の場合、実は女の子でしたなどと言う落ちさえ覚悟しなければならないのだ。

「あ、あのミィフィさん」
「ああ? 私のことはミィちゃんと呼べと言ったろうレイとんよぉ?」
「い、いや。それ決定ですか」
「嫌なのか? 嫌なんだな! そうかそうか別の名前で呼んで欲しいのか!!」

 何故か独りでにヒートアップしてしまう自分を認識しつつ、それを止める方法などミィフィの手の中にはないのだ。
 だからこそのミィフィなのだし、だからこそのナルキである。
 今も隣の席に座って拳を固めていらっしゃる。
 そろそろ止めないと鉄拳制裁が来るのは分かっているのだが、それでも突っ走ってしまうのがミィフィクオリティーなのだ。

「え、えっと。レイとんでお願いします」
「なんだ。分かってるじゃないか」

 すぐに暴走するミィフィだが、沈静化するのもまた速いのだ。
 と言う事で冷めたお茶をすする。
 入学式のお礼がしたいと、引っ込み思案で人見知りの激しいメイシェンのたっての頼みで、レイフォンを待ち伏せして成り行きとして喫茶店に到着した。
 そこでギリギリ間に合ったランチメニューを頼み、これから色々と聞き出そうとした時にミス・ツェルニとして知らぬ者はないフェリに誘拐された。
 これはフェリ・ロス親衛隊の襲撃を受けて明日には葬式かと思っていたら、一時間ほどしてノコノコと居座り続けていた喫茶店の前を通過しようとした。
 当然そんなことは許せるはずもなく、強引に二次会に参加してもらったのだ。
 現在は夕食を取るために串焼きの店になだれ込んでいるところだ。
 別にこれがレイフォンでなければこれほどの強引な手は使わなかった。
 もう少し時間をかけてネチネチと調べ上げるという楽しみがあったからだ。
 だが、目の前で困っている変態は別だ。

「だいたい小隊員にならないってどういうことよ?」
「そうだぞ。小隊員とはエリートのことだ。それを抜きにしても武芸科に転科したらなっても問題無かっただろう」

 そう。何故それ程早く帰ってきたのか気になって問い詰めたところ、別に隠すことでもないと平然と小隊入りを拒否したことを白状した。
 これはかなり疑問だ。
 武芸者を続けるのならば、小隊員になっても問題無いと思うし、武芸以外の何かを探しに来たために、転科を断ったというのならば筋が通る。
 今やっている事は、非常に中途半端なのだ。

「武芸科に転科したのは、奨学金のランクが上がると言われたので」
「・・・・・。なに?」
「・・・・・。ああ?」

 大人しいメイシェン以外の二人が声を上げて、レイフォンの発言の真意を考える。
 直訳すると、金のために転科したと言う事になってしまう。
 それは、目の前にいるレイフォン・アルセイフという少年とは少しイメージが違うように思えるのだ。
 何かもっと、重い決断なりやむにやまれぬ選択なりの方がしっくり来る。
 その最大の理由というのが、同い年くらいに見えるのにその纏う空気が明らかに違うと言う事だ。
 浮ついたところが無く、何かこう、酷く重い何かが身体の中に宿っているというか。
 もしかしたら、見た目以上の年齢なのではないかと思えるほど、子供っぽくないのだ。

「お金のために転科したんですか?」
「そうです」

 先に声を出した二人が硬直してしまっている間に、何故か衝撃が少なかったメイシェンが質問して、それを平然と肯定している。
 別に武芸を神聖視しろと言うつもりはない。
 だが、ここまで割り切られると少々疑問が湧いてくるのもまた事実だ。
 その疑問に答えるためだろうが、レイフォンが更に言葉を続ける。

「僕が孤児だったのは言いましたよね?」
「はい。凄く苦労したと」
「その苦労から出た結論がありまして」
「はい」
「人生は金だ」

 メイシェンとレイフォンの会話を整理しつつ、自分なりに解釈してみる。
 レイフォンは孤児だ。
 そしてグレンダンは汚染獣との戦闘が多く、福祉関連の予算がかなり乏しいという。
 貧窮した生活を強いられていたのは想像出来る。
 裕福ではないにせよ、貧しくもなかったミィフィには想像することが困難だが、その貧しさを糧に武芸の技を磨き、強くなったというのは想像が出来る。
 そしてその結果、何年生きたか知らないが、レイフォンは人生は金だという結論に達したとしても、何ら不思議はない。
 不思議はないのだが。

「お金くれると言われたら、小隊員になるの?」
「それはどうでしょうか? 機関掃除もしたいのであまりきつい訓練はしたくないかと」
「い、いや。普通は逆の方向で考えないか?」
「訓練してお金がもらえるのでしたら、やっても良いのかもしれませんね?」

 狼狽えるナルキの突っ込みも真面目に受けて、考えつつレイフォンが呟く。
 名誉や誇りは全く興味なく、ただ金のために訓練に励むレイフォン。
 それはそれで違和感がないような気がする。
 そして、想像の翼はもう少し先へと飛んで行ってしまい。

「競りにかけられないかな?」
「・・・・・。それは少し嫌ですね」

 小隊にスカウトするために、各小隊長がレイフォンに高値を付けて行く光景。
 実際に有ったら是非見てみたいと思ってしまうほどに、非常に興味と好奇心を引かれる。
 だが、取り敢えず突っ込むのが先だ。

「少しかい! と言う以前に何のためにそんなにお金を稼ぐのよ?」
「老後の蓄えに」
「それはもっと歳を取ってからやって問題無いでしょう!!」

 思わず全力の突っ込みを放ってみたが、レイフォンは小揺るぎ一つしていない。
 なにやらとんでもない変質者のようだ。
 確かに強いのだろうけれど、それを支える土台が著しく普通とは違うのだ。
 これはこれで、ある意味レイフォンらしいと思わなくもない。

「と言うところで納得してもらえませんか?」

 突如として、メイシェンに向かって改まってそう言うレイフォン。
 いきなりの展開で戸惑うメイシェンだったが、実はミィフィは更に混乱していた。
 レイフォンは正確にはメイシェンを見ていないのだ。
 その黒くて長い髪。右耳の側に視線を注いでいる。
 よくよく注意してそこを見て、始めて気が付いた。
 花びらのような何かが一枚、髪の影に隠れるようにして潜んでいたのだ。
 恐らく念威端子だ。
 誰かが今までの会話を盗聴しているという事実に気が付き、慌てて周りを見渡す。

「ここにはいないですよ。恐らく練武館の訓練室では無いでしょうか?」

 いつから気が付いていたのか非常に疑問だが、この念威端子の持ち主がフェリであるらしいことは理解出来た。
 恐らく、ミィフィと同じようにレイフォンのやっていることに疑問を持ったので、盗聴をしてでも調べようとしていたのだろう。
 今までの会話は半分ほど、フェリに聞かせるためだったのかも知れないが、もしかしたら二度喋るのが面倒だったので利用しただけかも知れない。

『納得は出来ませんが、理解は出来ました』
「それは何よりです」

 突如耳元で人の話し声がしたメイシェンが少々慌てているが、事態はそれどころではないのだ。
 今の会話が小隊員に漏れていたと言う事、それ自体が非常な危険をはらんでいる。
 お金にならないから小隊員にはならない、などと言うことが公になれば、闇討ちという最悪の事態にさえなりかねないのだ。
 いくら強いとは言え限界はあるのだから、これから先夜道には気をつけなければならない。

「隊長さんに伝えておいて頂けますか?」
『そんなつもりはありません。これは私の個人的な興味ですから』

 念威端子越しの会話で、少し安心する。
 フェリの個人的な興味ならば、襲われる危険性は極めて小さくなるだろう。
 知り合ったばかりなのに、葬式を出す羽目になるのは出来れば避けて通りたい。

「伝えて頂いても問題無いですが」

 そんなミィフィの思考など知らぬげに、知らせても良いとレイフォンは言う。
 もしかしたら、相当もの凄い実力を持っているための余裕かも知れない。

『面倒ごとはごめんです』
「それには同意します」

 最終的には、もらえる報酬と面倒ごとのバランスだと言うことだろう。
 小隊に入るならば、もっと金を出せと。

『隊長は貴方の要求に沿った金額を用意すると言っていました』
「へえ。それは損しましたね」
『実感がこもっていませんね』
「ええ。老後のための貯蓄なので急いでいませんから」

 老後の貯蓄というのは本当のようだ。
 十代中盤から老後のために溜め込むという精神構造は、かなり信じられない物ではあるのだが、ギリギリ理解の範囲内に収まっている。
 とは言え、それも程度という物があるのだろう。
 武芸科に転科するのは了承したが、小隊入りは拒否した辺りに境界線があるらしいことが分かった。

「ところでミス・ロス」
『・・・・・・・。もしかして私のことですか?』
「そうです」
『フェリで結構です』
「フェリちゃん? フェリタン? フェリッチ? フェリフェリ? フェリチン?」
『死にますか?』

 突如始まったレイフォンの愛称候補に、何か念威端子が光り輝いている。
 これは噂に聞いた念威爆雷という奴かも知れない。
 間近で見てしまったメイシェンが怯えてしまっている。
 何時でも泣き出しそうな瞳が、涙で一杯だ。
 かなり危険だ。

「冗談ですよ。それでフェリさん」
『何でしょうか?』
「会長の方にも伝えておいて頂きたいのですが?」
『お断りします』

 そう言うと、そそくさと離れて行く念威端子。
 ロス兄妹の仲が悪いという話は、どうやら本当のようだ。
 そして端子を見送ったレイフォンの注意がこちらに戻ってくる。
 小隊絡みの話題は、ここでお終いだという無言の宣言だと判断したので、その線に乗っ取って話を進めることにした。

「ああ。フェリ先輩とお友達になりたかった」
「また機会がありますよ」

 慰めを言われたが、とうていこの損失感から立ち直ることは出来ない。
 溜息一つ付いて、取り敢えず傷心を奥底に潜めることに成功した。
 ならば次にやることと言えば、興味の赴くままに質問することだ。

「それにしてもレイとんってさ」
「はい。何でしょうか?」
「牙が小さいよね」
「? 普通だと思いますけれど」

 武芸者とは何か?
 剄脈のある人間のことだ。
 剄脈とは何か?
 他の人間の血をエネルギーに変える器官のことだ。
 普通の状態でも、それなり以上には強力なのが武芸者だが、吸血行為をした後にこそその真価が発揮される。
 幼なじみの武芸者であるナルキでさえ、吸血した後はもう人間とは思えない膂力を発揮するのだ。
 軽々と十メイル以上跳躍したり、鉄筋コンクリートの壁を指先一つで破壊して見せたりと、それはもうとんでもない生き物に変化してしまうのだ。
 そして、吸血行為のために有るのが犬歯が変化した牙。
 別段、牙の大きさが武芸者の優秀さと関係ある訳ではないのだが、それでも大きいに越したことはないと思うのだ。
 実際、ナルキの牙は常に唇を割って出ている。
 普通の食事をする時に邪魔になるほどではないが、ミィフィが知っている武芸者の中では比較的大きい。
 それに比べてレイフォンは、外見からでは武芸者だとは分からないほど小さいのだ。
 だが、油断してはいけない。
 もしかしたら、いたしてしまう時だけニョッキリと伸びてくるのかも知れない。
 それはそれで少々怖い。
 ぼんやりしている外見とは裏腹に、今までのミィフィの常識をぶち壊してくれている変質者だ。
 どんな事があっても不思議ではない。

「そもそも、牙は効率よく皮膚を破るための道具ですから」
「自分の身体なのに道具かい!」
「大きさはあまり大きくない方が使い勝手が良いですよ」

 突っ込みを見事にスルーされてしまった。
 やはり単なる変質者ではないようだ。
 変態的な変質者に違いない。

「今とても酷いことが決定されたような気がしましたが?」
「気のせいだから気にしないで」

 やたらに勘が鋭いのも困った物だ。
 そしてふと不思議に思う。
 メイシェンだ
 引っ込み思案で人見知りが激しく、怯える小動物であるはずのメイシェンが、何故かレイフォン相手には普通に話せているのだ。
 これはやはり異常事態だ。
 そしてもう一つ。
 レイフォンの喋り方が非常に丁寧であることも、かなり特出すべき現象に違いない。
 これは、全力を挙げて吊し上げてネチネチと調べる必要がありそうだ。
 そう決意したミィフィは、最後に残った茄子の串焼きを確保して夕食会を終えることにした。




[18444] B B R その二
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 生徒会長であるカリアンは、少々困っていた。
 何に困っていたのかと問われるのならば、それはもちろんレイフォンの事だ。
 あちこちからの情報をかき集めたところ、第十七小隊には入らなかったらしいことが判明。
 転科自体には応じてくれたので、そこから先のことを何も話していなかったのはカリアンの落ち度と言って良いだろう。
 確かに、レイフォン一人いれば武芸大会はほぼ確実に勝てる。
 それは分かっているのではあるのだが、ならばついでに小隊に入ってくれても良いではないかと考えるのは、少々傲慢なのだろうか?
 そう言えば、武芸長であるヴァンゼが、何故かレイフォンを強引に転科させる事に強硬に反対していた。
 最終的にはカリアンが押し切ったのだが、今までにない勢いでヴァンゼが反対したのは非常に印象に残っている。
 印象に残っていると言えば、五年前。
 カリアンがツェルニに来る途中で立ち寄ったグレンダン。
 武芸の本場として名高いかの都市は、カリアンが滞在していた短い時間の間にも、いくつもの試合が執り行われていた。
 その中で最も大々的に宣伝され、最も大きな会場で開かれ、グレンダン中の注目の的となっていたのが、天剣争奪戦と呼ばれる一試合だった。
 そこで見た光景を忘れることは、カリアンには出来ない。
 まさに脂ののりきった年頃の巨漢の武芸者を相手に、その身体に不釣り合いな巨大な刀を持った少年が立ち向かい、瞬く間に勝ってしまったのだ。
 試合時間の短さは、観客にとって殆ど意味はなかった。
 熱狂的な拍手と歓声が、その少年、レイフォンへと送られた。
 彼は既に相当の人気を獲得しているようだった。

「?」

 そこでカリアンは、あまりにも凄まじい違和感に襲われた。
 五年前には感じなかった違和感だ。
 だが、その違和感の正体が皆目分からない。
 分からない物をそのままにしておくことはよろしくないので、徹底的に検証するために、よくよく思い出してみる。
 闘技場の中央に立ち、巨大な刀を担ぐようにして対戦相手を待つレイフォン。
 全く問題無い。
 そして、巨大な戦斧を持って現れる対戦相手の表情には、緊張と何よりも興奮があった。
 その姿は、憧れのアイドルと握手出来ることを喜ぶ、若者のようにも見えた。

「・・・・・・・」

 ここが違和感だ。
 何故憧れのアイドルと握手出来る若者のような表情を、対戦相手は浮かべていたのだろうか?
 そして、何故あれほどの人気をレイフォンはすでに獲得していたのだろうか?
 違和感の正体に気が付いたカリアンの中には、更なる疑問の荒波が押し寄せてきていた。
 だが、この疑問についての答えを出すことは、当面カリアンには出来ない。
 グレンダンに調査の依頼を出してその答えが返ってくるのを待たなければならないのだ。
 それだけの時間はない。
 なぜならば、元天剣授受者であるレイフォンが、もうすぐここにやってくるからだ。
 レイフォンには色々と聞きたいことがあるし、交渉しなければならないこともある。
 過去の疑問について頭と時間を費やしている余裕はないのだ。
 取り敢えずの整理を付けたところで、時間通りに生徒会長室の扉がノックされ、レイフォン本人がやってきた。
 その姿は何時も通りで全く緊張していないし、何よりもこの部屋からの威圧感を感じていないようだ。
 予想していた人物像と余りにも違いすぎる反面、奨学金の話をした途端に転科に応じたという資料通りの反応もしているのだ。
 だが、その予測に使った資料についても、かなり色々と問題がある。
 複数のルートを通して調べたのだが、内容が微妙に一致しないのだ。
 いや。微妙と言うには明らかに大きすぎる誤差も含まれている。
 これを放置しておく事は出来ないのだが、追加調査の報告はまだ来ていない。
 放浪バスも寄りつかないグレンダンという都市が、全ての元凶となっているのだ。
 そんな事情を含めて、色々と謎が深まってしまっているが、それも今からの話し合いで解決するだろう。

「済まないね忙しいところ」
「いえ。機関清掃がない日を選んで頂いたようですし」

 既に戦闘は始まっている。
 錬金鋼や剄は飛び交わないが、意志と意地と言葉による戦いが始まっているのだ。
 一瞬たりとも気を緩めることは出来ない。

「まず始めに聞きたいことがあるのだよ」
「小隊に入らなかったことですね」
「そう。そこが分からなくてね。いや。私もその辺のことをきちんと話さなかったのは悪いと思っているのだけれどね」

 協力を得なければならないのだ。
 ならば、出来るだけ情報を開示し状況を理解してもらわなければならないのだ。
 だと言うのに、カリアンは手を抜いてしまった。
 これは明らかな落ち度であり、まず始めに責任者が責任を取らなければならないのだ。

「僕は小隊には入りませんよ」
「そこを曲げて頼めないかね?」
「駄目です」

 即座に拒絶の意志を明らかにされた。
 これほどはっきりと言われることは予想していなかったので、若干引いてしまった。
 だが、ここで折れてしまってはいけない。
 ツェルニに残されたセルニウム鉱山はあと一つ。
 次の武芸大会には是が非でも勝たなければならないのだ。
 この危機的状況の中飛び込んできたのが、グレンダンの元天剣授受者レイフォン・アルセイフだ。
 これこそ天の恵み。
 九死に一生。
 飛びつかないなどと言う選択肢は存在していないのだ。
 そして、レイフォンを最大限有効に使うために小隊に入れることが最も有効だと判断した。
 だが。

「僕が直接戦うのは犯則と言うよりは、犯罪行為です」
「犯罪かね?」
「ええ。アマチュアの試合にプロが出場するなんて物じゃありません」

 確かにそうだとは思う。
 武芸の本場と言われるグレンダンで、最強の十二人に数えられたレイフォンだ。
 赤ん坊の喧嘩にプロの格闘家が割って入るような物だろう。
 確かに犯罪的ではある。
 だが、それでも。

「僕が武芸科に転科したのは、奨学金もありますけれどツェルニが無くなっては困ると思ったのも事実です」
「ならば」

 言葉を差し挟もうとしたが、レイフォンの手が上がりカリアンを制止する。
 そして、思いもよらなかったことを平然と言ってのけた。

「僕がツェルニ武芸者を強くしますよ」
「? 良く分からないのだが」
「つまりですね。僕が教官をやって目的を達成するというのです」

 一般的には、上達するためには腕の良い人間の元で修行することの方が効率がよいとされている。
 それは武芸も同じだろう。
 ならば、レイフォンが教官になるという提案は、ツェルニ武芸者にとって喜ばしいことだと思うのだが。

「そのためには、強いと言う事を知らしめる必要があると思うのだが」

 自分よりも弱いかも知れない人間の下で学ぶなどと言うことは、とうていツェルニ武芸者に出来るはずはない。
 グレンダンだったら必要はなかった。
 天剣授受者と言うだけで、誰もがレイフォンの下で学ぶことを望んだだろうから。
 当然ツェルニは違う。
 グレンダン出身のゴルネオは例外中の例外だ。

「ええ。ですから、デモンストレーションは必要でしょう」
「誰かと戦うのかね?」
「ええ。小隊員全員と」

 絶句する。
 小隊員全員と言えば、どう少なく見積もっても百名はいる。
 その全員と戦って勝つと言っているようにしか見えない。
 そしてそれはきっと間違いないのだろう。
 だが、負けた小隊員の誇りはボロボロになってしまう。
 それはそれで困ったことになる。

「ですから、僕は武芸科にいても良いですが、小隊に入ってはいけないのです」

 話が進んでしまったが、やっと理解出来た。
 レイフォンほどの実力者が第十七小隊に入ったなら、そこには不要な感情が表れてしまう。
 嫉妬や羨望、ねたみやそねみ。
 そんな不の感情が、勧誘したニーナとそれを後押ししたカリアンに向けられるだろう。
 それはツェルニの運営上良くないことではある。
 それは納得できたので、少々違う方向から話を持って行く事にした。

「彼らの誇りにも配慮して欲しいのだけれどね」
「必要有りません」

 一刀両断だった。
 それがレイフォンの生きてきた世界だと言うことは理解しているが、それでも色々と問題が有る。

「実力のない武芸者が誇りを持つこと自体間違いです」
「・・・・・・・・」

 交渉の余地がなかった。
 カリアンがどうにか出来る世界ではないのだ。
 実力のない人間はただひたすらにないがしろにされる。
 それが武芸者の世界なのだと理解させられた。
 普段穏和な空気を纏っているレイフォンが、凄まじく鋭くなっているのを理解してしまったから。
 それはもしかしたら、グレンダンという地獄を生きてきて会得した物に由来しているのかも知れない。
 弱い者から死んで行く戦場で生き残るためには、強くならなければならない。
 そのために不必要な物は全て切り捨てなければならないと。

「わかったよ。恐らく君の言う通りなのだろうね」

 言外に納得していないと言っているのだが、恐らくこの程度で揺らぐことはないだろうと思っていたのだが、その通り小揺るぎもしなかった。
 小さく溜息をつき、小隊員をなぶり者にするための準備、その日程などの話し合いに突入した。
 とても気が重いが、やらなければならないのだ。

「それとですが」
「なんだい?」

 一通りの話が終わったところで、レイフォンの待とう空気が和らいだような気がして、一瞬油断してしまった。
 それが間違いだった。

「覚悟のない人を戦場に駆り出すのはどうかと思いますよ」
「・・・・・。フェリのことだね」
「ええ」

 レイフォンは理解していないようだ。
 武芸者の世界をカリアンが理解していなかったように、レイフォンは一般都市という物を理解していないのだ。
 グレンダンのように、年中汚染獣と戦っているような都市ならば、生きるために武芸者や念威繰者は戦うことを前提に育つ。
 だが、一般都市でそれを実行出来ているところなど殆ど無いだろう。
 サントブルグもしかり。
 カリアンが自らの目で見た訳ではないが、フェリも一度実戦を経験したために、自分のあり方に疑問を持ってしまったのだ。

「覚悟を持って出撃した武芸者でも、実戦を経験したために心の傷を持ってしまう者は多いです」
「フェリは既に持ってしまっているのだよ」

 その傷を癒すためにもツェルニに留学しているのだが、現状その目的が達成されているとはとても言えない。
 と言うよりは、はっきり言って悪化していると言っても良いくらいだ。
 原因は当然カリアンが無理矢理転科させたからに他ならず。

「・・・・・。一回死んでみますか?」

 とても凄まじい笑顔で提案された。
 当然の反応だが、今のレイフォンならばカリアンなんぞ本当に殺しかねない。
 だが、ここで死んで良いという訳ではないのだ。
 ツェルニの危機を遠ざけて、無事にサントブルグへと帰らなければならない。

「ツェルニの危機が去ったら私は手を引くとここに約束しよう」
「破ったら、サントブルグごと滅ぼしますよ」

 逃げても追うと宣言しているレイフォンの目は、完璧に本気だった。
 だが、カリアンとしてもフェリをこのままにしておくつもりはないのだ。
 心の傷を抱えたままサントブルグへと帰ったのでは、フェリの人生は暗い物になってしまう。
 それも理解しているからこそ、全力で同意した。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 二時間近くに及ぶカリアンとの戦いを終えたレイフォンは、少々の疲労を引きずって帰路につこうとしていた。
 既にツェルニの空は日が傾き、闇が都市を支配下に置こうと侵略を続けているところだ。
 帰路を急ぐ者達や、これから遊びに行こうとする若者達で、それなり以上に道は混んでいるが、レイフォンはこれからの予定を全く持っていなかった。
 そんな一日の終わりを告げる世界はしかし、騒動によってしか報いる術はないと声高に主張しているようだった。

「シャァァァァァァ」
「う、うわ!」

 いきなりだった。
 間合いの計り合いも宣戦布告もなく、突如としてレイフォンの横から紅玉錬金鋼の槍が飛び出してきたのだ。
 赤毛で小柄な生き物も一緒だ。
 威嚇とも景気づけとも付かない叫びを上げつつ、槍の連続攻撃がレイフォンを襲う。
 寸前まで殺気や気配は感じなかった。
 これだけで十分にレイフォンを驚かせて、一瞬だけ動きが鈍くなった。
 そして、ここは大通りのど真ん中だ。
 周り中に人がいるので回避行動は非常な制限を受ける。
 下手な方向に避けたら非常に傍迷惑なことになる。
 と言う事で、動揺を強引に沈めたレイフォンは、最小限の動きで槍の攻撃を回避しつつ、どうしても危険な物は金剛剄で弾いて避難が完了するのを待つ。
 何が起こっているのかはレイフォンを含めて誰にも分からないのだろうが、危険だと言う事だけはきっちり分かっているようで、悲鳴を上げつつ四方八方に逃げて行く人達を確認する。
 転んだ人はいるようだが、大怪我をした人はいないようだ。
 一安心だ。

「シャァァァァァ」

 レイフォンがそんな安心をしている間にも、赤毛な生き物に変化が起こっていた。
 活剄の密度が徐々に上がっているようで、その攻撃は激しさを増して行く。
 グレンダンの武芸者でも経験が浅ければ、既にかなりの深手を負っているかも知れない。
 とは言え、攻撃自体は激しいのだが、単調になりやすく大振りな物も多い。
 これでは、熟達した武芸者相手にはただのかもだ。
 そしてなにより、剄の制御に何か問題を抱えているようで、動きに鋭さや切れがない。
 そんな攻撃が命中するようでは天剣授受者にはなれないのだ。
 初檄は危険だったが、それを乗り切ってしまった今はかなり余裕が有る。

「はいはい。よく頑張りましたね」

 隙を突いて槍の間合いの内側に入り込み、赤毛な生き物の頭を撫でてあげた。
 当然のことではあるのだが、更に激昂してしまった。
 だが、槍の間合いの内側に入り込んだレイフォンに対して、有効な攻撃を放つことは出来ないようで、必死に距離を離そうとしているようだがそれを許すことなど無いのだ。
 後退を埋めるために前進しつつ質問を放つ。

「ところで、ゴルネオさんの頭にいた人ですよね?」
「そうだ。シャンテだ!!」

 やっと赤毛の生き物の名前が分かった。
 これはかなりの前進だと言えるだろう。
 だが、思い返してみればゴルネオがシャンテという名前を言っていたような気がする。
 すっかり忘れていた。
 サイドステップを踏んだシャンテに合わせて、レイフォンも軽く移動する。

「ゴルを苦しめるお前は敵だ」
「僕がゴルネオさんを苦しめているんですか?」
「そうだ。だからここで殺す!!」

 はて。
 レイフォンが、ゴルネオを苦しめているだろうかと考える。
 夕食三回分をたかったのは、経済的に苦しめていると言えないことはない。
 だが、それで命を狙われるというのはかなり割に合わない。
 他に何か原因があるだろうかと考える。
 グレンダンでのことが、ゴルネオを苦しめているというのはあるだろうが、彼に責任がある訳ではないしレイフォンにはどうしようもないことだ。
 今ひとつシャンテの行動原理が理解出来ない。

「困りましたね」
「困ってないで死ね!!」

 活剄だけならさほど問題はないだろうが、化錬剄まで使いそうな勢いで攻撃をしてくるシャンテを認識。
 ここでそんなことをされたら被害甚大だ。
 何とか被害が出ないところに誘導しなければならない。
 思考する事二秒。
 レイフォンから距離を離して取り敢えず逃げることにした。

「あああ! 逃げないで死ね!!」
「死ぬのは嫌なので逃げます」

 シャンテをあまり引き離さないように注意しつつ、外苑部へ向かってビルの上を飛ぶ。
 飛びながらも考える。
 ゴルネオは何についてそれ程苦しんでいるのだろうかと。
 さっぱり思い浮かばない。
 しかし、一途な感じのするシャンテが町中でレイフォンを攻撃してきたのだから、それなり以上の理由があるのは間違いない。
 勘違いという確率も十分に考慮に入れる必要があると、外苑部に到着した辺りで思いついた。
 これは、何とか穏便に済ませてゴルネオからきちんと説明してもらわなければならない。
 方針が決まったので、レイフォンは外苑部を延々と走り続けることにした。
 疲れてシャンテが動けなくなるまでの辛抱だ。
 そう決意した矢先、シャンテから声が掛かった。

「臆病者! 待て!」
「はい」
「う、うわ!」

 逃げている最中に待てと言われたので、空中で衝剄を前方に放つ反動を使って急停止。
 その脇を高速で突き進んで行くシャンテ。
 待てと言っておきながら追い越すとは、少々失礼な人だと思いつつも、新たな進路を探すレイフォン。

「逃げている時に待てと言われて待つ人間がいるか!!」
「ここに一人はいますよ」

 自分で待てと言っておいてこの態度は少々頂けないが、それもまあ仕方が無い。
 実際に待つ人間などそうそういるものでは無いのだから。

「ええい! 待ってないで死ねよ!」
「それは嫌ですねぇ」

 そう言いつつ活剄を動員してシャンテの脇を高速で通過。
 当然、そんな事になるとは思っていないんで反応が決定的に遅れるシャンテ。

「シャァァァァァア!!」

 今までにない猛々しい声を上げてレイフォンの追跡を再開する。
 だが、一度落とした活剄を再び上げるのに苦労しているようだ。
 これなら楽勝だ。
 多めに見積もっても三日有れば十分だろうと計算している。
 剄量が多いシャンテだが、その制御が甘すぎるのが今回は巧妙となっているのは非常な皮肉だろう。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 だが計算が狂った。
 三日ほどかかると思っていたのだが、事態はあまりにも急激に変化してしまった。
 外苑部を回ること三時間半。
 高速移動するために、かなり外苑部のぎりぎりを走っていたのだが、そのコースの前方やや横に何かがあることを発見。
 前ここを通った時にはなかったので、活剄を動員してそれが何かを確かめてみる。
 メイシェン・トリンデンだ。
 野外用の携帯ガスコンロが台の上に乗せられている。
 その上には巨大な鍋らしき物が乗っている。
 更に活剄を動員して嗅覚も強化。
 トマトと鶏肉の煮える匂いがした。
 芋とにんじんと少量のニンニクも一緒に煮られているようだ。
 とても良い匂いだ。
 いや。猛烈に良い匂いだ。
 思わず腹の虫がなった。
 考えてみれば今日は昼食を摂ったきりで、空腹を覚えない方がおかしい時間ではある。
 だが問題はやはりシャンテだ。
 一撃で撃退することは出来るのだが、それをやってしまったらゴルネオに悪いような気がするのだ。
 認識してしまった空腹とシャンテという敵を前に、更に戦いが続くかと思ったのだが。

「?」

 後方からなにやら猛獣の唸り声のような物が聞こえて来た。
 シャンテの鬨の声ではない。
 もっと低くくぐもった、まさに唸り声と呼ぶのに相応しい音だった。
 慎重にコースを維持しつつ振り返ると、メイシェンの方を注視しているシャンテが見えた。
 どうやら彼女も空腹であるようだ。
 ならば話は簡単だ。
 徐々に速度を落としつつ外苑部を回る。
 シャンテもそれに合わせるように、距離を詰めることなく速度を落とす。
 一周してメイシェンの前に来る頃には、普通に走っているのと変わらない速度となっていた。
 空腹には勝てないようだ。

「ご飯にしませんか?」
「お前の指図は受けない!」
「でも、お腹すきましたよね?」
「・・・・・。シャンテの勝手だ!」

 どうやらレイフォンの言う事は絶対に聞かないと決めているようだ。
 これは少々問題かも知れない。
 だが、答えまでの沈黙が迷いを表している。
 だからレイフォンは、メイシェンが料理をしている前で完全に足を止めた。
 急制動をかけてしまったら、埃が鍋の中に入ってしまうかも知れないと思い、慎重の上にも慎重を重ねて停止したのだ。
 それはシャンテも同じだったようで、よだれを垂らさんばかりの勢いでメイシェンの前で止まる。
 と言うか、レイフォンの事など眼中にない様子だ。
 となれば当然。

「捕まえたぞシャンテ!」
「にゃっ!!」

 満を持して待ち構えていたゴルネオに囚われてしまった。
 なにやら粘着質の細い糸で絡め取られ、食欲と驚きと興奮と、その他色々な物がないまぜになった表情で、暴れるシャンテだったが当然そんな物でどうにかなる罠ではない。
 そもそも、こんなところでメイシェンが料理をしていることから疑わなければならないのだが、そこまで頭が回らなかったようだ。
 野生動物並の本能を持っているのに、あっさりと罠に掛かってしまうシャンテの将来に、かなり深刻な懸念を抱いてしまったが、それも後で考えることにした。

「こんばんはメイシェン」
「こんばんはレイとん」

 取り敢えず挨拶をする。
 そして、メイシェンの後ろにナルキとミィフィがいることを確認。
 経緯を推測するとこうなる。
 ミィフィかナルキがレイフォンが襲われているところを目撃。
 その特色溢れる外見から、保護者であるゴルネオに話を持って行った。
 野生動物を捕らえるには罠だと判断したゴルネオ主導の元、メイシェンが料理をして捕獲と相成った。
 非常に分かりやすい経緯と結末だ。

「重ね重ねのご無礼、もはやこの罪、死のみで償え」
「いやいや。死ななくて良いですから」

 どうもゴルネオは何か勘違いしているようだと、やっと気が付いた。
 恐らく、グレンダンの出来事を自分の責任だと感じているのだろうと思う。
 偶然ツェルニにレイフォンが来たことで、その罪の意識に明確な方向性が出来てしまったのだろう。
 これを何とかしなければ、ツェルニでの安息が無くなってしまう。

「昨日も言いましたけれど、僕はゴルネオさんに危害を加えるつもりはありませんし、あのことで攻めるつもりもありませんよ」
「し、しかし」
「貴方には関係のないところで起こった事です。気にするなとは言いませんけれど、罪の意識にさいなまれる必要もありません」

 こんなことを言ってもゴルネオが納得するとは思えないが、言わなければならないとも思っている。
 それよりも何よりも。

「取り敢えず食事にしませんか?」
「し、しかし」
「お腹すきませんか?」
「・・・・・・・・・・・・。すきました」

 やっとの事で自体が動いた。
 皿に盛りつけられるトマトシチューは、食欲をそそるという以上に凄まじい魔力を秘めていた。
 それはもう、これを食べなければいけないと思えるほどに凄まじい破壊力だったのだ。

「お、美味しそうですね」
「はい。急いで作ったので余り自信がありませんが」
「そんな事ありませんとも。久しぶりに人間らしい食事が出来る」

 考えてみれば、最近レイフォンは自分の作った物しか食べていない。
 それは実際問題あまり美味しくなかったのだ。
 誰か他の人と一緒に食べるのも、ずいぶんと久しぶりな気がするし、何よりも空腹を抱えているのだ。
 これで美味しくないなどと言う事はないと、期待に胸弾ませてスプーンを手に取った。
 そこでふと人間らしくない生き物のことを思い出した。
 粘着質の糸から何とか逃げだそうともがきつつ、シチューの皿に殺意のこもった視線を向けているシャンテだった。
 ここでレイフォンが食べたのならば、今日の鬼ごっこなどお遊戯にしか見えないほどの、凄まじい死闘が始まることだろう。

「ゴルネオさん」
「・・・・・・。致し方有りません」

 渋々といった感じで、シャンテを拘束している糸を切断するゴルネオ。
 その次の瞬間、レイフォンでさえ捉えきれない速度でシャンテが移動。

「ひゃっ!!」

 メイシェンの悲鳴が響いた時には、一杯目の皿が空になっていた。
 かなり熱かったはずのシチューをどうやってそれ程の速度で食べたのか分からない。
 と言うか、普通ならば確実に口の中を火傷している。

「凄いですね」
「・・・・・・・・・・・・・・。はい」

 ゴルネオでさえ驚いているのだ。
 レイフォンを含めた四人が驚かないなどと言うことはない。
 呆然と見詰めている間に、鍋の中のシチューが猛烈な勢いで減って行く。
 油断していたら食べ損ねてしまうことに、やっと気が付いた。

「急がないと!」
「そ、そうだ! 私達も戦わないと!!」

 レイフォンの声で現実に復帰したミィフィが、ブキを手に戦場へと踏み行った。
 はっきり言って、武芸者でもないのに凄まじい速度だった。
 もしかしたらナルキなら追い越せるかも知れないと言うくらいに、凄まじい速度だった。

「シャァァァァ」
「にゃぁぁぁぁぁ」

 何故かシャンテと張り合って鬨の声を上げつつ、シチューを掻き込むミィフィ。
 こちらも野性に返ってしまっているようだ。
 ここはもう人間が戦える場所ではなくなっているのかも知れない。
 そこで再び時間が止まってしまったようで、気が付けばシチューが殆ど無くなっていた。

「これは恐ろしい」

 食べ物の恨みは恐ろしいと言うが、目の前で展開されている食事はあまりにも恐ろしかった。
 と言うか、結局一杯しか食べられなかった。

「シャンテ」
「にゃ?」

 満足そうに毛繕いをしそうな赤毛猫の襟首を、ゴルネオが引っ掴む。
 流石に食べている時は怖すぎて近づけなかったようだ。
 気持ちは十分に理解出来るし、共感も出来る。

「諸々の罰として、一週間のお菓子お預けだ」
「にゃっ!!」

 その言葉があまりにも衝撃だったのか、いきなり動きが止まるシャンテ。
 唐突というか、急激な変化に、四人で動きが止まってしまう。
 だが、これは同情することは出来ない。
 食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
 だが、それで納得出来ない人間もいる訳で。

「うわぁぁぁぁぁぁん」

 動きを再開したシャンテが何を思ったのか、ゴルネオを蹴った反動で脱出し、泣きながらメイシェンに抱きつく。
 小柄なメイシェンだが、それでもシャンテよりは身長がある。
 と言う事で、抱き留める格好となった。

「ひゃ? あう? きゅ?」

 あまりの突然の事態に完全に混乱してしまうメイシェン。
 そして、レイフォンが何かするよりも早く。

「ゴルが虐めるぅぅぅぅ」

 なんだか非常に納得の行かない展開になりつつある。
 それは見ているナルキも同じようで、視線が少々厳しい。

「シャンテ。いい加減にするんだ」

 見かねたゴルネオが首根っこを改めて引っ掴み、強引に持ち上げる。
 ついでに持ち上がるメイシェン。
 痛がっていないところを見ると、それなりに気を遣って抱きついているようではある。
 芸が細かいというべきかどうか、少し迷うところだ。

「ゴルが! ゴルがシャンテを餓死させようとするぅぅぅ」

 お前はお菓子だけ食べて生きていたのかという突っ込みをしたいところだが、肯定の返答があったら怖いので素通りすることにした。
 まあ、つい今し方シチューを食べていたから、違うと思うのだが。
 そして、空中でじたばたと可愛らしく暴れているメイシェンの表情が、やや苦しげになってきていることに気が付いた。
 痛くはないのだろうが、やはり苦しいようではある。
 ナルキと目配せを交わす。
 レイフォンがシャンテの脇の下に指先を這わせる。

「っにゃ!!」

 これは溜まらず、メイシェンを拘束している力が抜けた。
 その隙を見逃すことなく、ナルキがメイシェンを奪還。
 軽くなったシャンテを更に持ち上げるゴルネオ。
 全ては瞬き一つする間に起こった。
 暴れるシャンテだったが、ゴルネオに首根っこを持たれていてはどうすることも出来ないようだ。
 これで一息つくことが出来る。

「重ね重ねの」
「死ななくて良いですからね」
「申し訳ありません」

 さてと呼吸を整える。
 流石に異常事態の連続で、レイフォンにもかなりのダメージが蓄積していたようだ。
 物理的な戦闘には無茶苦茶強いのだが、精神的な攻撃には極めて弱いのは天剣時代から全く変わっていない。
 未熟さを再確認しつつ、気になっていたことを訪ねることにした。

「何かあったのですか?」

 昨日のことは兎も角として、今日のゴルネオは非常におかしかった。
 レイフォンに失礼なことをしたら、即座に首が飛ぶと確信しているような雰囲気がある。
 そんなつもりはないと言っているレイフォンの言葉が届かないほどには、追い詰められているようなのだ。

「実は昨夜、兄から手紙が参りまして」
「サヴァリスさんからですか?」

 天剣最凶を唄われ、バトルジャンキーとか戦闘狂とか、熱狂的戦闘愛好家とか言われている人物だ。
 何かゴルネオに言って来ても何ら不思議はないと思う反面、弟がいることを忘れている節のあるサヴァリスが何かするとは思えないという予測もある。

「ヴォルフシュテイン卿に何かあったら、天剣授受者になるまで鍛えてやると」
「・・・・・・。無茶な」

 天剣授受者とは人外中の人外だ。
 異常者中の異常者だ。
 なろうと思ってなれるものでは無い。
 だからこそ十二人天剣がそろったことなど殆ど無く、席が埋まったことこそが異常事態なのだと言える。
 そして何よりも、サヴァリス自身が言っていたのだ。
 天剣授受者になる人間は、そうなるように生まれてきたのだと。
 何処に生まれようと年齢がいくつだろうと関係ない。
 なるべき人間がなるのが天剣授受者なのだと。
 それを確信しているサヴァリスがゴルネオを鍛えると言う事は、それはつまり、合法的な虐めであり虐殺なのだ。
 ならば必要以上のゴルネオの慎重さも理解出来ようという物だ。

「まったく。サヴァリスさんには僕から手紙を出しておきますから、普通に接して下さい」
「し、しかし」

 サヴァリスのことが無くても、最終的にはやはり遠慮があるのだろう。
 それはある程度理解出来る。
 出来るのだが。

「僕はもうヴォルフシュテインではありませんし、グレンダンに帰るつもりもありませんから」
「そう言われましても」

 この辺強情というか頑固なのは理解しているので、少しずつ慣れていってもらうしかない。
 五年生が一年生に頭を下げ続けるのは、あまりにも異常で帰って目立ってしまうのだ。
 それはそれで平穏な生活が遠ざかってしまう。
 そう。例えばお腹が一杯になったので好奇心を満足させたいと、とても興味津々な瞳でこちらを見ている茶髪ツインテールの少女とか。
 視線は感じていたのだが、今はもうとんでもなく凄まじい圧力を感じている。
 恐る恐ると振り返る。
 それはもう、老性六期なんかと戦う方が遙かに楽だと思えるほどの、凄まじい緊張感と共にだ。

「レイとん」
「あ、あう」

 思わずメイシェンの様なことを口走りつつ、少しずつ後ずさる。
 逃げても何も変わらないと言う事は分かっているが、それでも腰が引けてしまうのだ。

「済まないが。ヴォルフシュテイン卿については」
「貴方のその呼び方と、僕に対する態度が全ての元凶だと思うのですが」
「う、うを!!」

 今まで気が付かなかったのか、衝撃と驚愕に打ちひしがれるゴルネオ。
 まあ、グレンダン出身者ならば当然だし、ゴルネオは更に極端になってしまうのは間違いない。
 そして、ゴルネオの衝撃と驚愕の弾みにシャンテが零れ落ちる。
 だが、今のところレイフォンに襲いかかるという選択肢は持っていないようだ。
 これだけはありがたい。

「色々あったんですよグレンダンで」

 何とか詳しいことを話さずに済ませたいのだ。
 本格的にツェルニでの生活に支障が出てしまう。

「ふむ。まあ今は良いけどね」
「・・・・。今だけですか?」
「だって、同級生の正体とか色々と気になるじゃない」
「別に隠すほどのことは・・・・・。沢山ありますねぇ」

 知られたくない過去と話したくない過去で、レイフォンの右に出る人間は殆どいない。
 あまり自慢にならないことではあるのだが、まあ、これもレイフォンという人間の一部なので仕方が無い。
 だが、さしあたってもう一つ確認しなければならないことがあるのだ。

「ゴルネオさん」
「聞かないで頂きたい」
「シャンテさんって」
「お願いですヴォルフシュテイン卿」

 ゴルネオと仲が良いことから、どう考えても昨日今日の付き合いではないはずだ。
 ならば明らかに二年生以上。
 そうなるとシャンテの年齢は二十歳に近いはずだというのに。

「五歳児並ですね」
「出生に色々とありまして」

 生まれた艦橋のせいで子供っぽい人と言うのは割と知っているが、野性的だというのは始めて出会った。
 出来ればきっちり聞いてこれからの対策を立てておきたいのだが、強引に聞くのはゴルネオとの関係が悪化しかねない。
 それはあまり好ましくないことなので、この場は引き下がることにした。
 それに、カリアンと戦ったりシャンテと鬼ごっこをしたりと、いい加減疲れているのも事実だ。

「取り敢えず今日は帰って寝ましょうか」
「はい」

 ゴルネオがシャンテを持ち上げ、ヨルテムからの三人組も帰宅するための準備を始めた。
 鍋やコンロなどは当然レイフォンが持って行くことになったが、あまり食べられなかったとは言えシチューの代金として考えれば、ずいぶんと割安なので問題無い。
 だが思う。
 明日からの生活はどうか平穏であって欲しいと。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ミィフィの朝はたいがいにおいて遅い。
 夜遅くまで遊んでいるという訳ではないのだが、何しろ朝食を作ってくれる人が近くにいるために、ギリギリまで寝ていられるのだ。
 これで早起きをする人間がいるならば、是非とも会ってみたいと思っている。
 そして、ギリギリまで寝ていたせいで朝食を全力で食べた後に、三人そろって全力疾走で校舎に向かうというのが、入学三日目にして既に確定した朝の風景となっていた。
 当然、運動が決定的に苦手なメイシェンに全力疾走など出来るはずもなく、ナルキが抱えるようにして走る。
 だが、今日は少し事情が違っていた。
 信じられないほど清々しい笑顔と共に、それは現れた。

「皆さんおはよう御座います。良い朝ですね」

 朗らかに笑いつつ、ミィフィ達に併走するのは正体不明の武芸者こと、レイフォン・アルセイフその人だ。
 ヴォルフシュテインなどと言う偉そうな称号だか爵位だか地位だかを持っていたらしい人物だ。
 とてもそうは見えないが、ゴルネオ・ルッケンスというツェルニで知らぬ者のいない、超有名人があれだけ平伏しているのだから、相当に凄い人物に違いないとミィフィは睨んでいる。
 睨んでいるからと言って、何か出来る訳ではないのが記者の悲しい性だ。
 流石にグレンダンに行って調べるという事は出来ないし、何か犯罪をでっち上げて尋問するという事も出来ない。
 全くこの世はままならないと思っていると、何時の間にか話が進んでしまっていた。

「お昼ですか?」
「はい。昨日のシチューはあまり食べられなかったと思ったので」
「猫が二匹で食べ散らかしたからな」

 武芸者で大食らいのナルキの視線が少しきつい。
 美味しく食べて欲しいと思っているメイシェンの視線も、当然のごとくきつい。
 比較的平静を装っているレイフォンのも、心なしか厳しい気がしている。
 ミィフィ最大の危機かも知れない。
 全員の視線がミィフィに集中していたのは、だが数秒と続かなかった。
 事態は常に流動的であり、生産的な会話は続けられるべきだからだ。

「では、ご厚意に甘えさせて頂きます」
「はい。助けて頂いたお礼もきちんと済んでいませんでしたから」
「そんな事を気になさっていたのですか? あれは当然のことをしたまでのことで、それ程気になさることはありませんよ」
「いえ。とても怖かったのを助けて頂きましたから」

 ナルキに抱えられながらでなく、何処か落ち着いた場所での会話ならば、きっと絵になったのだろうと思うのだが、どう見ても丁寧な喋り方と周りの雰囲気が一致しない。
 メイシェンの抱える巨大弁当箱の中身は、恐らくレイフォンの分も含めた豪華絢爛な昼食なのだろう。
 当然のように、ぎりぎりまで寝ていたミィフィが、その内容を知っている訳がないのだ。
 だが、その期待の昼食も遅刻という恐怖の大王の前に、激しく揺れてしまっている。
 もしかしたら、みんなごちゃ混ぜになってしまうかも知れないが、それでも速度を落とすという選択肢はない。
 今は一刻も早く教室に到着して、遅刻という地獄を回避しなければならないのだ。
 だが、ナルキやレイフォンと違い一般人であるミィフィの持久力はそろそろ限界だ。
 さっきから喋っていないのは、その余裕がないからに他ならない。
 いい加減息が上がり足がもつれてきている。

「少々失礼」
「のわ!!」

 これ以上走ることが出来ないと思われたまさにその瞬間、いきなりレイフォンの小脇に抱えられるミィフィ。
 そして、それを認識したナルキが走る速度を上げる。
 一般人という足かせが無くなったために、移動速度が跳ね上がったのだ。
 両脇に結んだ髪が、何か別な生き物のように暴れ、耳元で自分の呼吸音を凌駕する風切り音が唸りを上げる。
 これはかなり怖い。
 だが、光明を見いだしていた。
 毎朝レイフォンに抱えて運んでもらえば、もっとゆっくりと朝ご飯が食べられると。
 こっそりとほくそ笑んだのも一瞬。

「念のために言っておきますが」
「なんだねレイとん?」

 走るという運動から解放されたので、喋る余裕が出てきたミィフィが、やや苦しいがレイフォンに向かって顔を向ける。
 にこやかな微笑みと共に。

「明日からは早起きして下さいね」
「のわ!!」

 見透かされているなんてものでは無い。
 もはや心を読んでいるとしか思えないその突っ込みに、思わず視線をそらせてしまう。

「やはりそう言う魂胆でしたか」

 呟いた次の瞬間。
 目の前に迫った壁が、垂直に移動。
 3メルトルくらいはあるそれのてっぺんを、あっさりと通過。
 悲鳴を上げるまもなく着地。

「レイとん。それは反則だ」

 壁を飛び越えることが出来なかったナルキが、門を潜って運動場に侵入した。
 そしてやっとの事で、心臓が猛ダッシュを開始。
 そして気が付いた。
 ナルキよりもレイフォンが優れた武芸者であることは、当然理解していたのだが、実はもっと恐ろしいことがあるのだ。

「毎朝レイとんに抱えられて登校すると、徐々にこう言うことが多くなると言う訳か」
「理解して頂けたようで嬉しいです」

 やはりにこやかに微笑みつつ、ミィフィを降ろすレイフォン。
 一瞬足腰に力が入らずに、ふらつくが乙女と記者の意地を見せて姿勢を立て直す。
 だが、その意地を総動員しても野望は潰えてしまっているのだ。
 寮を出た次の瞬間から、ビルの上を飛んで登校するなどと言うスリリングすぎる展開は、流石に遠慮したい。

「出来る限り早起きを心がけます」
「よろしいでしょう」

 目覚まし時計の止め方が分からないからと言って、持っていた刀で一刀両断にしそうなキャラのくせに、どうやらかなり規則正しい生活を続けているようだ。
 武芸者としてはそちらの方が良いのだろうが、ミィフィ的には融通の利かない人間は、あまり好ましくない。
 賄賂とかを送って、こっそり特ダネをゲット出来る確率が減ってしまうから。

「今、とても危険なことを考えましたね」
「のわ!! わ、私の心を読んだのか!!」
「いえいえ。普通に分かりますとも」

 どうやら、思っていたよりもレイフォンは明晰な頭脳を持っているようだ。
 もしかしたら、ただ単に勘が鋭いだけかも知れないけれど。

「それで、結局小隊には入らないのか?」
「ええ。やはり面倒ごとは出来るだけ避けて通りたい物ですから」
「勧誘されて断った方が、遙かに面倒だと思うのだが」
「まあ、その辺は一時的な物でしょうから、大丈夫でしょう」

 メイシェンを降ろしたナルキとそんな会話をしつつ、校舎の方へと歩き出すレイフォン。
 やはりただ者ではないことだけがはっきりと分かった。




[18444] B B R その三
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 機関部で夜間の清掃作業をしていたニーナだったが、突如としてその日常が非日常となってしまっていた。
 別段何か事件があったとか言う訳ではない。
 脚の無い空飛ぶ汚染獣に出くわしたという訳でもなければ、金色に耀く雄山羊に蹂躙されたというわけでもない。
 いや。ある意味では事件に巻き込まれたと言えるかも知れない。
 通常通りに清掃作業をしていたニーナの横を、やたらと効率よく的確に、そして何よりも迅速にモップがけしている人物が通ったのだ。
 思わずそのフォームに見とれたのは、しかしほんの一瞬。
 それが小隊にスカウトしようとした少年であることに気が付いてしまったがために、ニーナの平穏は遙か彼方へと飛んで行ってしまったのだ。

「レイフォン?」
「こんばんはアントーク先輩。良い夜ですね」

 平穏が何処かへ飛んで行ってしまったニーナと違い、相手方のレイフォンは何時も通りに平穏無事な人生を送っているようだ。
 よろしくない朝や夜があるとは、全く思っていなさそうなその表情に少々苛立ちを感じる。
 いや。彼の人生などと言う物を詳しく知っているわけではないので、今の状態が平穏無事と呼べるか疑問ではあるが、茫洋とした表情と雰囲気は練武館でニーナに対した時のそれと全く同じだ。

「先輩もここで働いていたのですね」
「あ、ああ。ここは給金が良いからな。私のような金のない人間にはもってこいの場所だ」

 何とか動揺が外に出ないように苦労しつつ、レイフォンに対応する。
 小隊長となるならば、弱みを他人に見せてはいけない、などと言うつもりはないが、それでも何故か動揺している姿を見られたくなかった。
 やせ我慢なので、いつまで続くか分からないけれど、それでも始めてしまった以上、限界までやるのだ。

「それはご苦労様です」
「ああ。お前もやはり金が無いのか?」

 機関部清掃の仕事があるために、小隊員になることを拒否したのかとも思ったのだが、それはあまりにも本末転倒であるようにニーナには思える。
 ならばきっと、ニーナと同じように金が無いためにここで働いているのだろうという結論に達するのは、それ程無理のない想像だ。
 だが、現実はあまりにも非常識だった。

「はい。老後の蓄えのために」
「・・・・・・・?」

 明らかに動揺してしまった。
 そしてレイフォンをしげしげと眺める。
 勧誘の際のように、殺意を込めた視線ではない。
 むしろ珍獣を観察するような視線だっただろう。
 どう見ても少年にしか見えないレイフォンが、老後の蓄えのためにきつい仕事をする。
 ある意味ニーナの常識を打ち壊すレイフォンならば、ありな思考かも知れないと思いつつも、それでも疑問は山積している。
 疑問が山積しているという表現が正しいかどうか、それは全くどうでもいい話だが、それでもかなり深刻にレイフォンに視線を向ける。

「やはり異常に取られるのですね」
「ああ。私達が老人と呼べる年齢に達するまでには、最低限五十年は掛かるはずだからな」

 六十中盤になれば、何とか老人と呼べる外見を得られるはずだ。
 外見だけで判断して良いことではないだろうが、それでも目の前の少年が口にするには、かなり問題のある話ではある。

「同級生にもそう言われましたけれど、最終的には僕という個人の抱える問題ですので、あまりお気になさらない方がよろしいかと」
「そ、そうだな」

 金を稼ぐ目的など、人それぞれでかまいはしない。
 それが通常考えるとおかしな理由だったとしても、それを攻撃して良いというわけではないのだ。
 と思う。

「それはそれとしてだが」
「はい」

 ここでこの話題に終始してしまってはいけない。
 ニーナにとって隊員を一人確保出来るかどうかは、もはやかなりの重要度を持った課題になっているのだ。
 何しろ明日は既に対抗戦。
 このままレイフォンを迎えることが出来なければ、不戦敗という不名誉な負け方をしなければならない。
 それは断じて認められないのだ。
 認められないのだが、あまり熱くなってしまってもいけない。
 ここにはシャーニッドがいないからだ。
 つまりそれは止める人間がいないと言う事で、最悪暴力沙汰を起こしたニーナが退学処分となる危険性さえ有る。

「やはり入隊してはもらえないだろうか?」
「残念ながら」

 全くとりつく島がない。
 ニコニコと微笑みつつ、軽く手を休めている少年は、こちらの状況をしっかりと把握しているはずなのに、それに答えると言う事をするつもりがないようだ。
 老後のために金を今から稼ぐという精神構造の持ち主ならば、もしかしたら金で釣れるかも知れないとも考えたが。

「小隊に入ると色々と面倒なので、お金を積まれても入りませんよ?」
「・・・・・。駄目か」

 既に、何処かでそう言う話題が出た後だったようだ。
 これでは話のインパクトとしても不十分だ。
 ならば他に何か無いかと考える。
 だが、考えがまとまるよりも早くレイフォンの方から話を振られてしまった。

「目的は何ですか?」
「目的?」
「はい。小隊を立ち上げた、その目的です」

 言われて思い返すまでもない。
 小隊を立ち上げた目的とは、それはつまり。

「このツェルニを守るためだ」

 胸を張り堂々と言い放つ。
 ツェルニを守る、そのためにニーナは行動しているのだ。
 思い返されるのは前回の武芸大会。
 連戦連敗だった。
 特に最後の相手は恐ろしく狡猾で、こちらの防御の隙は突かれる、逆に攻撃は全て防がれると、まるで手も足も出ずに敗北してしまった。
 その時の悔しさこそが、今のニーナの原動力となっているのだ。

「なるほど。でしたら小隊を立ち上げるのは手段の一つですね」
「・・・・。そうなるな」

 確かに目的はツェルニを守ることだ。
 厳密に言えば武芸大会で勝利すると言う事なのだが、手段として考えた場合、自分の小隊を立ち上げるのが最も有効であるという結論にも達している。

「詳しくは分かりませんが、他の小隊に入ってそこで力を振るうというのは駄目なのですか?」
「・・・・。駄目だというわけではないのだが」

 駄目だというわけではない。
 だが、それでもニーナの気持ち的に自分の小隊を立ち上げて、出来る限りの努力をしたいというのがあったのだ。
 我が儘だと言われたら返す言葉がないけれど、それでもニーナはそう思っているのだ。

「なるほど。でしたら、最終的にツェルニを守ることが出来るのならば、あまり手段にこだわるべきではないと思いますが」
「それは、そうだとはおもうが」

 旗色が悪い。
 何故かレイフォンは、非常に落ち着いている。
 そして、ニーナ自身自分の小隊を立ち上げると言う事が、相当あちこちに無理を強いたという認識もある。
 最終的にカリアンが同意してくれなければ、いくらニーナが作りたいと言ってもそれはかなわなかっただろう。
 だが、ここまで無理をしておきながら、隊員がそろいませんでしたでは立つ瀬がないのだ。

「しかしだな」
「どうしても必要だというのならば、僕にこだわらずに他の方を勧誘されてはいかがですか?」
「う、うむぅ」

 ニーナは三年生だ。
 シャーニッドのような事情のある武芸者でなければ、なかなか年下の隊長に付いてくれるという物好きはいない。
 とは言え、三年生以下から選抜と言っても、そう言う将来有望な人材は既に確保されているのが基本。
 正規小隊員は七名までだが、二軍というか予備戦力というか候補は、どの小隊も抱えている。
 唯一の例外が第十七小隊だ。
 何しろついこの間結成されたばかりで、予備隊員など確保する余裕はなかったのだ。
 それを認識しているからこそ、入学式で必死になってめぼしい人材を捜していたのだ。
 そこで見つけたのが、目の前にいるレイフォンだったのだが。

「それも難しいですか」
「そうなんだ。だからレイフォン。頼む!」

 ここでもう一度、誠心誠意頭を下げる。
 臨時隊員という名目ででも、対抗戦の結果が無様な敗北でもかまわない。
 何とか正式に設立させたいのだ。
 その思いで頼み込んだのだが。

「僕は駄目ですよ」

 やはりあっさりと断られた。
 何か理由があるのか、それともただ単にゴルネオあたりに遠慮しているのか。
 それは分からないけれど、取り敢えずこれ以上話すことはないとばかりに、モップを再び動かし始めてしまった。
 ニーナも溜息をついて清掃作業へと戻る。
 流石にこれ以上は強引に過ぎる。
 だが、事態はあまり悠長にしていられない。
 今年の武芸大会で負ければ、ツェルニは穏やかな滅びへと向かってしまうのだ。
 それを何とか阻止したいと思っているニーナだが、そんな思いが突如として崩壊する。
 いきなり床が無くなったのだ。

「な、なに!!」

 実際には、床が無くなったわけではない。
 いきなり落ち込んだのだ。
 物理の法則に従って自由落下をする床が、足元に迫る。
 いや。慣性の法則とか色々絡み合ってニーナが床に追いつきつつあるのだ。
 何とか着地することに成功するが、体制は大きく崩れていた。

「どわ!!」

 更に、床が斜めにずれて行く。
 その急激な移動に全く追いつくことが出来ず、奈落の底へと落ちかけたニーナの、とっさに伸ばした手が誰かに捕まれた。

「しっかりして下さい」
「す、すまない」

 当然ここに居るのはレイフォンだけだ。
 あちこちから物の壊れる音と悲鳴が聞こえてくるが、振り子よろしく振り回されているニーナにどうこうすることは出来ない。
 こんなことは初めてだ。
 長い間ツェルニは汚染獣との戦闘や、突発的な事故などは起こさなかった。
 油断していたと言われればそれまでだが、だからと言ってこの事態に納得出来ているわけではない。

「な、なにが!」
「都震ですね」

 近くにあった手摺りにニーナを引っかけたレイフォンが、目の届く範囲内で他に助けが必要な人間がいるか確認している。
 とてつもなく余裕で冷静だ。
 一体どんな非常事態を経験したらこれほど落ち着いていられるのか、それが是非とも知りたいところだ。
 ニーナのそんな考えなどお構いなしに、都震の説明を始めてしまう。

「地盤の弱いところを歩いたりすると、たまに都市が揺れるのですけれど・・・・・」

 途中で言葉を切ったレイフォンの視線が、始めて驚きの表情を浮かべる。
 まだ揺れている身体を何とか手摺りで固定し、見ているだろう方向に視線を向けると、ニーナにとっては良く知る存在がいた。
 微かな金色に耀く童女だ。
 五歳くらいの外見を持ち、その髪は踵に届くほど長く、何時も大きな瞳に好奇心を満たしている、この都市の意識である電子精霊ツェルニ。
 だが、今は明らかに様子がおかしい。
 怖い物が足元にあるように、恐る恐ると下の方を見詰め続けている。
 その身体を小さく縮こまらせて、とても怯えていることだけがはっきりと分かった。

「最悪だ」

 小さな呟きがすぐ側で聞こえた。
 そちらを見ると、やはりレイフォンがツェルニを凝視している。
 何が起こっているかいまいち理解出来ていないと思うのだが、それでも今やらなければならないことだけははっきりしている。

「私は行く! 緊急事態だ。非常招集が掛かるかも知れないからな」

 まだ正式に結成していないとは言え、ニーナは小隊長なのだ。
 ならば武芸者としての力が、ツェルニのためになるはずだと考えたのだが、レイフォンの声はそんな物を木っ端みじんにするだけの力があった。

「ええ。緊急事態というか非常事態です」
「それは分かっている!」

 いまだに斜めになった床は復旧していない。
 ならば、相当深く足が地面に囚われたと判断して間違いない。
 この危機を脱するために、いくらでも武芸者の力は必要だろうと言う事はきっちり理解していたのだが。

「貴女は全く分かっていません」
「何がだ!」
「汚染獣が来ます」
「な、なに?」

 汚染された大地に適応した捕食者。
 レギオスに住む人々を脅かす外敵。
 それが来たとレイフォンが言う。

「馬鹿な!! レギオスは汚染獣を避けて行動しているはずだ!」
「それは地上の物だけです。それも完璧じゃない」

 ツェルニが汚染獣と遭遇しなかったのは単なる偶然ではない。
 電子精霊が細心の注意を払っていたからだ。
 だと言うのに、その恐るべき汚染獣と遭遇してしまったのだ。
 レイフォンの話を信じるならば。
 あまりのことに一瞬動きが止まってしまった。

「早くシェルターに避難しないと」

 続いた言葉に我に返る。
 シェルターに避難しろと言うのだ。
 ツェルニ武芸者の中でエリートであるはずの、ニーナに向かって。
 いや。エリートかどうかなど問題ではない。
 都市に住む武芸者に向かって逃げろと言うのだ。

「ふざけるな!!」

 憤りのままに叫ぶ。
 都市を守るために存在する武芸者が、いざその危機が来た時に逃げろと言われたのだ。
 これ以上の屈辱はない。

「お前は! 私に逃げろと言うのか! ツェルニを守るために日々鍛錬している私に向かって!!」
「あ、あのぉ」

 何故か、いきなりおどおどし出すレイフォンに向かって、軽蔑の一瞥を投げたニーナは、やっとの事で揺れが収まった壁の出っ張りを、活剄を使って強化した筋力に物を言わせて上って行く。
 もはやレイフォンを小隊員にしようとは思わない。
 いや。そんな事を考えていた自分に吐き気を覚えてさえいた。
 戦うべき時に戦わずに逃げろなどと言う、卑怯な男を部下にしようとしていたのだと。

「そんな事が出来るか!!」

 守ってみせる。
 ツェルニとそこに住む人達をこの手で。
 そう決意したニーナは、更に活剄を動員して地上を目指す。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ある意味都震には慣れていた。
 数年前までヨルテムは地盤の悪いところを延々と歩き続け、しょっちゅう都震が襲いかかってきていたのだ。
 そのお陰でヨルテムの建物と人は、非常に揺れに強くなってしまった。
 運動が苦手なメイシェンでさえ、揺れる床面に身体を合わせて持っていた飲み物を殆ど溢さないほどだ。
 当然ミィフィだってそのくらいは出来るのだが。

「で・・・・。何で私ばっかりこんな目に」

 ダイエットのために運動をしている最中だった。
 お風呂上がりで身体が温まっている時に、柔軟運動をしていたのだ。
 床に片方のつま先で立ち、もう片方の足を出来るだけ高く上げるという、高等技術を要する柔軟運動だった。
 その高等技術を体得したミィフィだったからこそ、いきなりの揺れに全く対応出来ずに見事に転んで舌を噛んでしまったのだ。

「・・・・。いや。お前だけじゃないから安心しろ」

 声の方向を見ると、ナルキが、頭を下にした海老ぞりになって苦悶の表情を浮かべている。
 何かの筋トレの最中だったのか、その頭の側には鉄アレーが転がっている。
 直撃されて平気な武芸者という生き物に、少々驚きを覚えたのも一瞬。
 真っ先に心配の声を上げるはずの人物が、ずっと沈黙を保っているのだ。
 何が起こったのかと視線を向けてみると、メイシェンの表情がこわばっていることに気が付いた。

「メイッチ?」

 恐る恐る声をかけてみる。
 小動物チックなメイシェンは、危機感知能力が非常に高い時がある。
 いや。正確に言うならば危険極まりない時にきちんと危険を予測出来るのだ。
 入学式で武芸者同士の争いに巻き込まれかけたが、あれは近くにレイフォンという助けてくれる人がいたから、それ程危険だとは思わなかったのだと思える。
 だが今は違う。
 何に怯えているのか全く本人にも分からないようだが、危険極まりないことが迫っていることだけは間違いない。
 そのメイシェンのことを理解しているナルキが、痛みをこらえつつ立ち上がる。
 都震が起こって僅かに二分。

「私は出かけてくる」

 鉄アレーの一撃から完全復活したナルキが、武芸科の制服に着替えて厳しい顔つきで扉へと向かう。
 ナルキもメイシェンの怯え方が尋常でないことに気が付いているのだ。
 もちろんミィフィものんびりとしているわけにはいかない。
 とっさにサバイバルキットを取り出し、寝間着姿のまま怯え続けているメイシェンを着替えさせる。
 ついでにミィフィも着替えて、それが終わった瞬間、訓練以外では聞いたことのない警報を耳が捉えてしまった。

「あ、あう」
「ほら! ぼうっとしていない! ナルキの準備が終わるまでにシェルターに行っていないと」

 恐怖のために身動き出来ないメイシェンを引きずるようにして、所定のシェルターへと移動する。
 武芸者とは、一般人の血を吸うことによって、その力を発揮する生き物のことである。
 そして今、レギオスに住む人達にとって最大の脅威が迫っているのだ。
 ならば一般人が出来ることは二つだけ。
 武芸者に自らの血を与えて戦力を強化し、そしてシェルターで戦いが終わるのを心配しながら待つこと。
 もし、ここがヨルテムだったら、それ程心配せずに済んだのだろうと思う。
 交通の要であり、外貨がふんだんにあるヨルテムならば、武芸者の質と量も半端ではない。
 ちょっとやそっとの汚染獣に負けることはないだろうし、恐らくナルキが戦いに出ることもないはずだ。
 だが、ここはツェルニ。
 学生による学生の都市。
 熟練の武芸者など一人として存在せず、それどころか実戦経験がある者がいるかどうかさえ疑問だ。
 そんな戦力が極めて低い都市が汚染獣と遭遇する。
 そして間違いなくナルキも戦場に出る。
 もしかしたら、考えることさえ恐ろしいが、あり得ないとは思うのだが、二度とここに帰ってこないかも知れない。
 それを認識した瞬間、ミィフィの体と心と魂が凍えた。
 何時も一緒だった。
 身近にいることが当たり前の人間が、ある日を堺に二度と帰ってこない。
 実際にそうなると決まったわけでもないのに、それでもミィフィは筆舌に尽くしがたい寒気を感じてしまった。
 そして思う。
 もしかしたら、ナルキが帰ってきた時にミィフィとメイシェンがここにいないかも知れないと。
 絶望するナルキの姿を容易に想像出来る。
 未熟な自分を憎悪するかも知れない。
 もしかしたら二人を守ることが出来なかったことで、自責の念に駆られて壊れて行くかも知れない。
 混雑する道を歩きながら、ミィフィは唐突に理解した。
 武芸者が身近な者の血を好んで吸うのは、それが気安い関係だからではない。
 親しい物の血を自らの中に取り込むことによって、力を得ると同時に、絶対に守るという誓いを立てるのだ。
 そして、絶対に帰ると心に決めて戦場に行くのだ。
 血を与える側も、すぐ側にいる誰かに帰ってきてもらうために、自らの一部と共に武芸者を戦場へと送り出すのだ。
 一人では生きられない人間が生み出した、それは最も神聖なシステムだと。
 だが、ナルキのためにミィフィが出来ることは多くない。
 武芸者が吸血行為をして力を発揮すると言うが、それにも実は相性という物があり、ナルキとミィフィのそれは極めて良くないのだ。
 逆にメイシェンとナルキの相性は非常に良く、その実力を最大限発揮することが出来ると聞いた。
 ならば、今のミィフィに出来ることはただ一つだけだ。
 メイシェンを無事にシェルターに避難させて、ナルキと逢わせる。
 そのためにもシェルターを目指す。
 きっとナルキが待っているから。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 警報が鳴ってからしばらくは機関部での救助作業に精を出していたレイフォンだったが、それが一段落したので寮の方向へと歩き出した。
 汚染獣が接近しているが、やって来るのは恐らく幼生体。
 熟練した武芸者がいれば、それ程恐れる必要のある敵ではない。
 グレンダンでは、幼生体三千くらいに攻められても警報が鳴ると言う事がなかったほどだ。
 はっきり言って雑魚でしかない。
 なのに、何故かニーナは必死というか決死の形相で、シェルターに避難しろと言うレイフォンの台詞に激怒してしまった。
 全く理解出来ないのではあるが、別段やることが変わるわけではないので、寮の側までやって来ていたのだ。
 いくら学園都市とは言え、これくらいは余裕で撃退出来ると確信しての行動だ。

「おや? フェリさんではありませんか。このようなところでどうなされたのですか?」
「!!」

 その途中で、手持ちぶさたというかなにやら迷いの見えるフェリを発見した。
 念威繰者として優秀であると思うのだが、もしかしたらシェルターに避難するために移動していて、迷子になってしまったのかも知れないと声をかけてみた。
 だが、声をかけられた方のフェリは、一瞬身体が跳ね上がるほど驚いて、こちらに批難の視線を投げてくる。
 何かおかしい。
 そして気が付いた。
 思わず殺剄を使っていたという事実に。
 別段やましいことがあったからと言うわけではない。
 ただ、警報が鳴っていて戦場に立っていないという事に慣れていないため、手持ちぶさたで発動してしまっていたに過ぎないというのに、それはもう猛烈な批難の視線でレイフォンを見るのだ。
 思わず臑を蹴られないように、若干距離を取ってしまうくらいには、凄まじく批難の色が濃い視線だ。
 これは全力で話を誤魔化さなければならない。

「あの? 迷子になってしまったのですか?」
「・・・・・・。そんなわけ有りません」
「? でしたら、早めに避難された方がよろしいかと」

 レイフォンのような前線で斬った張ったをやる武芸者ではないのだ。
 念威繰者とは後方で情報支援をやることが本来の役目で、いざという時のために後方に控えているか、あるいはシェルターで待機しているかが正しい配置のはずだ。
 どうも、何かがおかしいと言う事に気が付いた。
 レイフォンの常識が一切通用しないような、そんな猛烈な違和感を感じる。

「武芸科生徒で小隊員の私が避難しても、シェルターに入れてもらえません」
「? 何故入れてもらえないのですか?」
「戦うことが義務だからです」
「義務ですか?」

 武芸者とは、都市に住む人達のために外敵と戦うための存在だ。
 汚染獣が来たとなれば、前線へ出て自らの命を省みずに戦うのは、当然と言えば当然なのだが。
 フェリの言う事をそのまま理解してしまうと、子供達だけで戦わなければならないと言う事になるような気がする。
 これはきちんと確認しておく必要がある。

「専門家がいるでしょう?」

 いくら学園都市とは言え、対汚染獣戦専門の武芸者集団くらいはいるはずだ。
 そうでなければ都市の防衛がままならない。
 もちろん、武芸大会などに参加することはもってのほかだが、生存の危機が迫っている現状では動員しないという選択肢の方がない。

「・・・・・・・・。いません」
「なにがでしょうか?」
「汚染獣戦専門の武芸者集団がです」

 フェリの言っていることを理解するのに、かなりの時間が掛かった。
 それはつまり、熟練した武芸者が全く存在しないと言う事に他ならない。
 レイフォンを除いて。
 そんな事など考えられないのだが、フェリの表情や雰囲気を見る限りにおいて、嘘を言っているという確率は極めて少ない。

「えっと。熟練の技術者とかは」
「ツェルニには機関部と医療課に二十名程度いるだけです」
「建築科や養殖科とか、武芸科とか」
「いません」

 恐るべき事実を突きつけられたレイフォンが凍り付く。
 大人の姿を見かけなかったとは思っていたのだが、まさか本当に殆どいないとは夢にも思わなかった。
 これは大いなる驚きであり非常識だ。
 学園都市だからと言って、これはいくら何でも酷すぎる。
 そして理解出来た。
 何故あれほどニーナが怖い顔をしていたのかと言う事と、避難しろという台詞に過剰に反応したのかを。
 これから戦場に出ると覚悟を決めていたからこそ、人の話を聞かずに激昂してしまったのだと。

「成る程。これは一大事ですねぇ」

 グレンダンだったら、幼生体くらい全く問題無く排除出来ていたのだが、今レイフォンがいるのはツェルニだ。
 まだギャップを完全に理解しているわけではないようだ。

「貴方は何をしているのですか?」
「僕ですか? 取り敢えずすることがないので夜の散歩を」

 避難するという精神構造をレイフォンは持っていない。
 子供の頃はあったはずなのだが、戦場に出るようになってからもはやシェルターにいると返って不安になってくるのだ。

「どれだけ心臓に毛が生えているのですか?」
「五本程度だと言われています」

 実際に数えたわけではないのだが、グレンダン時代にそう言われていたのは事実だ。
 ちなみに天剣授受者の中で、一番多いと判断されたのはサヴァリスで三十八本。
 そして一番少なかったのは、当然リバースで零本。
 レイフォンは小心な武芸者と評価されていたようだと、今頃改めて認識してしまった。

「・・・・・・」

 呆れた空気がフェリから流れてきているが、気にしてはいけないのだ。
 それよりも気にしなければならないのは、もっと別な人間だ。
 何故か一般人であるにもかかわらず、シェルターを抜け出している二人の少女が、活剄を動員していた視界に飛び込んできた。
 別段、レイフォンと同じように散歩を楽しんでいるという雰囲気ではない。
 その内の一人は、こんな緊急事態に外に出るという選択肢を思いつける人物ではない。
 もう一人は違うかも知れないが、どうしてもシェルターを抜け出したいのだったら一人でやるだろうと思う。
 ならば、何か深い理由があっての行動だろうと判断出来るのだ。

「お二人ともどうかなさいましたか?」

 声が届く辺りまで接近したところで、こちらから声をかけてみた。
 その声に、あからさまに驚きと安堵の表情を二人が浮かべるのが分かった。
 どうやらレイフォンを捜していたようだ。

「レイとん!」
「どうしたのですか?」

 早足で近付いてきた二人の表情は、明らかに必死だった。
 いや。シェルターを出るという選択をしたこと自体に、非常な覚悟と決断があったのだろうことは、メイシェンが一緒だという事実から推測出来る。
 そして、それが汚染獣絡みであることもおおよそ理解出来てしまった。

「お願いです。助けて下さい」

 何時も泣き出しそうなメイシェンの瞳だが、今この瞬間は既に前が見えない程の涙が溢れている。
 そして、メイシェンを引っ張ってきたはずのミィフィも、実は殆ど同じなのだ。
 気が強いとは言わないが、普段割と強気に出ることが多いミィフィが、今にも泣き出しそうな視線でレイフォンを見ている。
 いや。今にも泣き出しそうな視線で縋り付いてきていると言った方が、遙かにしっくり来る表現だ。

「ナッキが死んじゃうよ。レイフォン助けて」

 何時ものように愛称ではなく、本来の名で呼ばれた。
 本格的にミィフィも追い詰められているのだという事が分かる。
 フェリの言う事が本当ならば、間違いなくナルキは前線に送り出される。
 そして、ゴルネオから予測されるツェルニの戦力では必ず死んでしまう。
 それを認識しているからこそミィフィはメイシェンを伴って、グレンダンで戦闘経験があると思われるレイフォンを捜していたのだろう。
 ほんの僅かでも良いから、ナルキが生きて返ってくる確率を上げるために。
 きっと、親しい人が目の前からいきなりいなくなることを想像して、メイシェンと共に恐怖のあまりじっとしていられなくなったのだ。
 もしかしたら、レイフォンは既に前線に出ているのかも知れないのに、それでも寮のある方向を目指してシェルターから出てきてしまったのだ。
 本来なら許されることのない行動だが、それでも何もしないではいられなかった恐怖。
 褒められた行動ではない。
 だが、この二人のお陰でレイフォンは理解することが出来た。
 ずっと昔に持っていたはずの、今のレイフォンの根幹をなしている気持ちを、何時の間にか見失っていたのだと。
 そう。武芸者であることは当然だとしても、レイフォンには戦う理由と生きるべき目的があった。
 孤児だった。
 頼れる者は養父と兄弟姉妹。
 そして自分の才能と努力とが生み出した力だけ。
 だからこそレイフォンは少しでも強くなるために、血を吐くような努力を続け、戦場に出て戦い、そして生きて帰って来た。
 兄弟姉妹のために、レイフォンがほんの少しでも力になれるのならばと。
 そうやっている内に天剣授受者という、グレンダン最強武芸者の称号を得るまでになった。
 それでも、レイフォンの根幹は何も変わらなかった。
 あの一件があるまでは。
 そしてその衝撃で、レイフォンは自らの根幹を見失ってしまった。
 だからこそ狂気に取り付かれ、悲しみは癒えることなく、暴走とも取れる行動を続けてしまっていたのだと。

「愚か者め」

 小さく呟く。
 自らの愚かさと未熟さを痛感したから。
 足元がおぼつかない状態で戦っても、間違いなく世界に災いをもたらすだけだった。
 だからグレンダンを出て戦わない自分が存在して良いのかを、ツェルニで確かめようとした。
 だが、それは全て間違いだったのだ。
 これほど愚かだったことが分かっただけで、レイフォンはツェルニに来た意味があった。
 そしてフェリに向き直る。
 彼女の事情は知らないが、今だけは協力してもらわなければならない。
 それを察したのだろうフェリの顔は、普段の無表情とは打って変わって、猛烈な不機嫌を表している。

「その二人のために、私に戦えと言うのですね」
「言いませんよ」

 そう。レイフォンが戦う理由はミィフィやメイシェンのためではない。
 それだけは胸を張って言い切ることが出来る。
 いかに愚かだろうとも、レイフォン・アルセイフはそう言う生き方しかできないのだ。
 いや。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフはそう言う生き方しかできないのだ。

「僕のためです」
「レイフォンさんのためですか?」
「はい」

 意表を突かれたという表情で固まるフェリが見える。
 後ろではミィフィとメイシェンがことの成り行きを、必死に見守る気配がある。
 それを全て認識しつつ、レイフォンはフェリに向かって言い放つ。

「僕は、貴方がここで変わって行く姿を見守りたいのです」
「意味不明です」
「そうですね。貴方がここに来た理由は分かりませんが、それと向き合って、悩んで考えて、そして結論を出して、結果を得る。その過程と可能性を僕は見守りたいのです」

 そうだ。
 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは、孤児だった。
 頼ることが出来るのは同じ孤児院に住んでいた家族と、出て行った兄弟姉妹だけ。
 そして、多くの家族が院を出て行った先で、レイフォンを頼ってくれた。
 懸命に生きて、そしてグレンダンという世界で変わっていった。
 良い方向に変わる人達ばかりではなかったが、それでも、レイフォンにとっては十分だった。
 もう二度と逢うことが出来ない人も多いが、それでも十分だった。

「いえ。僕はここに住む人達が学園都市という世界で生きて、そして変わって行き、卒業して行く姿を見守りたいのです」

 遠いところに来たが、無駄だったなどとは思わない。
 持っていた答えをもう一度得ることが出来たのだ。
 これ以上に嬉しいことはない。

「だから、汚染獣ごときに滅ぼされては困るのですよ。僕の願いを叶えるために」
「・・・・。傲慢で我が儘で意味不明な上に、大風呂敷で更に理性的ではありませんね」
「それが僕。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフです」

 あえて天剣時代のミドルネームを名乗る。
 それが相応しいと思うから。

「・・・・・・・・・・・・。ここで断ったらどうしますか?」
「どうもしません。それが貴方の答えならば是非もない」

 フェリに協力してもらえたら、その方が嬉しいのには違いないが、無理強いするつもりはない。
 そもそもがレイフォンの我が儘なのだ。
 ならば、レイフォンの我が儘を通すために他の人に負担を強いることは本意ではない。

「・・・・・・。報酬を要求します」
「僕に出来ることでしたら、何なりと」
「では、今は忙しそうですから、後で請求しますが、利子は高いですよ?」
「是非もありません」

 レイフォンが出来ることならば、出来る限りフェリに恩を返したいと思っている。
 それに嘘偽りはないのだが、単独で挑むには少々荷が重いかも知れないことは十分に理解していた。

「何をしたらいいですか?」
「汚染獣の母体の探索。そこまでの進行ルートの捜査」
「現在来ている個体の情報は要らないのですか?」
「それは実際に自分の目で確認します」
「分かりました」

 そう言うとフェリの手が剣帯に伸び、重晶錬金鋼を復元。
 大量の念威端子が空中に放たれた。

「それと」
「はい」
「生徒会長と話をしたいのですが」
「・・・・・・・・・・・・・・。非常に不本意です」
「そう仰らずに」

 兄妹仲が悪いことは、おおよそ理解しているつもりだったのだが、それはまだ認識が甘かったようだ。
 出来ればこちらも何とかしたいが、今は取り敢えず汚染獣だ。
 そう決意したレイフォンは、カリアンと少々の交渉を持つために、少しだけ気合いを入れた。
 交渉ごとは苦手なのだ。




[18444] B B R その四
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:01
 
 想像しうる限りにおいて、最上の美少女であるフェリの美しさが、その念威を使うことで更に増したのを呆然と眺めつつ、ミィフィはレイフォンという変態的変質者の評価を改めていた。
 ツェルニ全生徒が変わって行く姿を見守りたいと、本気で思っているらしいことがはっきりと伝わってくる。
 六万人いる全生徒を見守るなどと言うことが、普通の人間に出来るわけがない。
 そうなれば、それが出来る人間は超絶的な変態的変質者に違いない。
 言葉としては少々おかしい気がするが、本質的には何ら変わらない。
 更に、メイシェンが怯えている現状を、たった一人で変えられると思っているようだ。
 シェルターでのメイシェンの怯え様は、尋常ではなかった。
 激しく震え、今にも舌を噛み切ってしまいそうな程に取り乱していたのだ。
 今までに経験したことのないメイシェンの姿を見て、ミィフィは覚悟した。
 ナルキが帰ってこないか、待っている二人がいなくなるか、それともツェルニが滅ぶかの未来しかないのだと。
 だが、そんな未来しかないと分かっていても、じっとそれを受け入れるために待っているなどと言う事は出来なかった。
 そこで思い出したのがレイフォンだ。
 第五小隊長のゴルネオが、あれだけの敬意を表していたのだ。
 きっとツェルニの誰よりも強いに違いない。
 ほんの少しで良いのだ。
 出来れば誰にも死んで欲しくないけれど、ナルキが助かるのだったらミィフィは誰とでも取引をしただろう。
 万が一それが、ツェルニ全武芸者の命と引き替えだったとしても、恐らく迷って苦しんだだろうが、最終的にはその提案を受け入れた。
 それだけの決心と覚悟と共に捜しだしたレイフォンだったが、ことは予想を遙かに超えて意味不明な方向に進んでしまった。
 自分を愚か者と言った次の瞬間、レイフォンの纏う空気が変わった。
 いや。今までその質量だけでその場に居座っていた、巨大な岩の固まりが、一瞬のうちに足場を固めて深く大地に根付いたような、そんな大質量の定着を感じた。
 もはや目の前にいるのは、子供っぽくないなどと言う生半可な生き物ではない。
 放浪バスに乗って、始めてヨルテムを外から見た。
 そして多くの都市を経由してツェルニに来た。
 今のレイフォンを表現するのならば、まさにしっかりと大地に根付いた自律型移動都市だ。
 もはや何人もその巨体を動かすことが出来ない。
 移動しないのならば、レギオスとはいわないかも知れないが、それは本質とは何の関わりもない。

「出ました」
「有り難う御座います」

 そして気が付いた。
 メイシェンのおびえが止まっている。
 ほんの一分前までの怯え方が嘘のように、今は完全に平静を取り戻して、それでもハラハラとことの成り行きを見守っているのだ。
 レイフォンの参戦が決まっただけでだ。

「こんばんは生徒会長。良い夜ですね」
『やあレイフォン君。私はあまり夜を楽しんでいないのだがね』
「それは残念ですね」

 本当に、心の底から残念がっているようなレイフォンと、忙しいさなかに突然呼び出されて少々苛ついているらしいカリアンが対照的だ。
 そして何時か聞いてみたい。
 レイフォンにとって良くない朝や夜があるのかを。

「いくつかお尋ねしたいと思いまして」
『手短に頼むよ』
「では一つ目。ツェルニに熟練した武芸者はいますか?」
『答えは、いない』
「二つ目です。今の戦力で撃退出来ますか?」
『答えは、否だ』
「三つ目です。戦端は開かれましたか?」
『否だ。いや。待ってくれ。・・・・。たった今剄羅砲による攻撃が始まった」
「成る程」

 納得したのか、大きく頷くレイフォン。
 何故か非常に自信たっぷりだ。

「では提案です」
『何かね?』
「僕も参戦します」
『・・・・。それは助かるよ』

 一瞬以上沈黙があったのは、きっと色々な感情が複雑に絡み合ってしまったからだろう。
 何となくだが、その気持ちは分かる。

「ですがいくつか条件というか、お願いがあります」
『私に出来ることならば』
「一つ目。都市外戦装備一式を前線の後方支援所の一つに用意して下さい」
『中央付近が良いかね?』
「いえ。出来るだけ隅の方で」
『分かった。錬金鋼の用意もしておこう』
「それは自前のが有りますから必要有りません」

 その一言で、フェリやメイシェンも含めて、全員の視線がレイフォンを捉える。
 ここにはいないカリアンの表情が強ばるのも、おおよそ予測出来るという物だ。
 新入生が錬金鋼を持ち込むこと自体はかまわないが、それは保管所に預けなければならない決まりになっている。
 問題なのは、カリアンがレイフォン所有の錬金鋼の存在を知らなかったと言う事だ。
 恐らくそれは、今現在保管庫にないと言う事。

『何処にあるのかね?』
「僕の部屋に。密輸しました」

 平然とそう言うレイフォンは、もしかしたらかなり大物なのかも知れない。
 いや。大物らしいことは既に分かっていたが、ミィフィの想像を遙かに超えて大物なのかも知れない。

『緊急事態だ。その辺は大目に見よう』
「有り難う御座います。それで二つ目なのですが」
『何かね?』
「フェリさんに協力を頼んだ際に、報酬とその利子を約束してしまいました。全額とはいいませんが援助して頂きたいのですが」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・。私のポケットマネーからだそう』
「感謝します」

 凄まじい長さの沈黙が、カリアンの葛藤を物語っている。
 そしてそれが間違いでないことは、ミィフィが向けた視線の先で、フェリがニヤリと笑ったことから明らかだ。
 あまりに怖いので、全力で記憶から消去。
 そして話はここまでだと言わんばかりに、ゆっくりと膝を曲げるレイフォン。

「ま、待ってレイフォン!」
「どわ!」

 ちょうど跳躍しようとした瞬間に声をかけてしまったようで、前につんのめるレイフォン。
 心なしか冷たげな視線がレイフォンからやって来るが、悪いのはミィフィではない。
 血もろくに吸わずに戦場に出ようとするレイフォンが悪いのだ。
 と言う事でリボンを解き、ブラウスのボタンを二つ外す。
 更に首を右に限界まで向けて、レイフォンから見て右側からかみつけるようにする。
 ついでに渾身の力を振り絞って、瞼を閉じて外界の映像を遮断する。

「さ、さあ! 私の血を吸ってバリンバリンの全開で汚染獣を倒してくるのだ!!」

 実はかなり恥ずかしい。
 ナルキに血を吸われたことはあったのだが、男性武芸者は初めてだ。
 乙女的に非常に緊張してしまうし、非常に恥ずかしいために、心拍数と血圧が非常に上がってしまっている。
 隣でメイシェンがあうあうと言っているところを見ると、端から見ても相当恥ずかしいことになっているに違いない。
 もしかしたら、牙がかすっただけで大量出血してしまうかも知れないほどに、血圧と心拍数が上がっているこの状況は、間違いなくミィフィの人生で最も恥ずかしい瞬間だ。
 だが、万全の状態ではないにせよ、吸血していない武芸者を戦場に送り出すわけにはいかないのだ。
 そしてメイシェンは既にナルキに血を分けてしまっている。
 フェリは念威繰者なので、始めから除外しなければならない。
 となれば、もうミィフィしかいないではないか!
 恥を忍んで、決死の覚悟で、首筋に男性の口付けを許そうというのだ。
 これで平然としていられる乙女がいたら、是非とも会ってみたいというものだ。
 その覚悟と共に待つ事2秒、3秒、4秒、5秒。

「・・・・・・・・・・・・。は、早くして欲しいかなぁぁ?」

 限界はもうすぐそこまで来ている。
 全身が心臓になったかのように脈打ち、体温は既にタンパク質が凝固するところを超えているはずだ。
 もうすぐ乙女的にも生物的にも限界なのだ。
 早くレイフォンが行動してくれないと、非常に困ることになるのだ。
 そして、レイフォンが動く気配があった!

「っく!」

 思わず悲鳴になりきらない声が口の端っこから漏れてしまったが、これくらいはご容赦願いたい。
 そして、すぐ側に呼吸による風の流れを感じられる。
 普段は全くそんなこと無いのだが、こう言う時だけ何故かきっちりと感じられてしまう。
 そして、布がこすれる音と共に。

「え?」

 いきなりブラウスのボタンがはめられた。
 全く身体に触れることなく、それは完璧な制御下に行われた作業だった。
 とても人間業とは思えないほど、完璧だった。
 その完璧さからだろうが、恐る恐ると瞼を開けてみると、なんと目の前にレイフォンがいた。
 いや。それは当然のことなのだが、微かに微笑んでいることとか、迷いが見えるところとかがよそうと全く違う。
 あり得ないと思うのだが、乙女の首筋に口付け出来るからとにやけているところとか、あるいは逆に使命感に燃えているとかだったら話はまだ分かるのだが、微笑まれるという状況は全く予想外だ。

「こちらで頂きますね」

 気が付けばリボンも既に結び終わっていた。
 全く気が付かなかった。
 そして、リボンから手を離したレイフォンが跪き、そっとミィフィの左腕を取る。
 考えてみれば、わざわざ首筋を差し出さなくても良かったのだが、物の勢いというかノリというか何というか、思わずやってしまったのだ。
 そして、血管を探すために微かに左手首の皮膚がこすられた。
 とうとうというか、やっとというか、レイフォンの顔が手首に近づき、その吐息が完璧に感じられてしまった。

「あ、あう」

 思わずそんな悲鳴が零れたが、お構いなしに暖かくて柔らかい感触を、手首の皮膚が捉える。
 次の瞬間、小さく鋭い痛みが走った。
 噛まれたのだとそう思ったが、すぐにそれどころではなくなってしまった。
 ミィフィ・ロッテンが吸われた。
 口腔の中にとどまることなくそのまま嚥下され、集団を形成しつつ筋肉により胃へと運ばれて行くミィフィ。
 そしてそれはやって来た。

「あ、ああああああ」

 武芸者の身体の中にある、その世界に放り込まれた。
 そしてミィフィが拡散して混ざり合い、吸収されて行く。
 だが、薄まることなく消えることもなく、その世界と同化して行く。
 世界が脈動すると共にミィフィも躍動し、一体感がますます激しくなって行く。
 そして認識した。
 この世界の広さを。
 ツェルニでミィフィが住んでいる部屋の大きさを、ナルキの中にある世界だとするのならば、今いる場所はツェルニそのもの。
 そのあまりにも巨大な世界に吸収され同化され、それでも薄まることなく存在し続けるミィフィの鼓動が、更に加速して行く。
 そして、ミィフィはミィフィを見下ろしていた。
 弛みきった表情で涎を垂らしつつ、何事か譫言を呟く無様な少女を。

「ミィフィさん」
「ああう。もっと」

 ミィフィが呼びかけているにもかかわらず、更に譫言を言い続けるミィフィ。
 頬を軽く叩いているというのに、その表情は弛んだままで、全く人の話を聞かないことに少し腹が立っても良さそうなのだが、とても穏やかな気持ちでゆっくりと覚醒するのを待つことが出来た。
 そこでやっと違和感を覚えた。
 何故ミィフィはミィフィを見下ろしているのだろうかと。

「え?」

 驚いた表情をするミィフィ。
 その身体をそっと抱き留めているミィフィ。
 いや。レイフォン。

「しっかりして下さい」

 軽く揺すられている自分を見下ろすという、かなり珍しい体験を味わう余裕は、残念なことにミィフィにはない。
 力の入らない足腰に無理矢理力を入れて、何とか立ち上がろうとするが当然上手く行かない。
 ミィフィが上着を脱いで、いや、レイフォンが上着を脱いでミィフィにかけてくれた。
 人肌の暖かさが感じられたことで、やっと自分とレイフォンの境界線を引くことが出来た。
 だが、それもまだまだ不十分で、気を緩めてしまうと何時の間にかレイフォンからの視線になってしまう。
 ナルキに血を吸われた時には、こんなことにはならなかったし、こんなに気持ちいいなんて聞いたことはない。
 もし、吸われる度にこんなに気持ちよくなってしまうのだったら、とても大変なことになってしまうのは容易に想像出来る。
 レイフォンに依存してしまうとか、禁断症状が出てしまうとか。

「い、今のは何というか、これは何!」

 そんな状況だから、詰問する声にも全く力が入らない。
 自分の胸に手を当ててみたら、先ほどの鼓動をそのまま表して心臓が全力疾走中だ。
 何が起こっているかさっぱり分からない。

「共感ですよ」
「う、うそよ! ナッキに吸われてもこうはならなかった」

 相性云々ではない。
 ナルキとメイシェンの相性が良いのは分かっているし、吸われた後こんな状況になったなんてことはない。
 何かの間違いのような気さえしてきているのだが、レイフォンは冷静だった。

「ええ。僕が非常に共感を呼びやすい体質なんですよ」

 そう言いつつ、やや膝を曲げる。
 万全の状態ではないにせよ、これから戦いに行くことが分かる。
 境界線を引いていて尚、レイフォンがなにやら笑い出しそうなのが分かった。
 とても嬉しくて楽しくて、そしておかしいのだ。
 そして感謝の気持ちも伝わってくる。
 境界線を緩めれば、それがどんな内容かまで分かるのだが、今それをする勇気なんぞは無い。
 依存症になってしまいそうだから。

「では行きますね」
「お、おう。汚染獣なんて蹴散らしてしまえ」

 出撃しようとするレイフォンが声をかけてきたので、力の入らない声で何とか応じる。
 だが理解していた。
 ナルキの剄脈などとは比べものにならないほど大きな世界を持っているのならば、ミィフィの血が無くても十分に戦えた。
 必要ではなかったから吸わなかったのだと、この時になって理解したが、既に遅い。
 先に言ってくれればいいのにとも思うのだが、ミィフィの行動がレイフォンからその選択肢を奪ってしまったのだろう事は、容易に想像できてしまう。
 自分自身の軽はずみな行動が恨めしい。

「そうそう」
「なんだよ?」

 何とか声を出しているが、そろそろ限界だ。
 いや。ここで気を失ってしまえばレイフォンの中のミィフィに引っ張られて、人知を越えた戦いを特等席で観戦することになるだろうし、それ以前にこの快感の虜となって抜け出せなくなってしまうかも知れない。
 断じて気を失うわけにはいかないのだ。
 かなり難しいけれど。

「不用意に僕との共感を進めてしまうと、暫く道を歩くのが怖くなりますから、出来るだけ境界線をしっかりと維持して下さいね」
「無理です」

 無理である。
 今も猛烈な勢いでレイフォンに引っ張られているような気がするのだ。
 僅かな気のゆるみ一つで、終わってしまうというギリギリの緊張感を楽しむ心境には、とてもでは無いがなれない。

「成る程。では、出来るだけ早めに終わらせてきますね」

 そう言った次の瞬間、レイフォンの姿がかき消えた。
 無論、高速移動したのだと言う事は理解しているが、全く納得出来ないほど何の音も衝撃波も無くいなくなってしまったのだ。
 もはや妖術の類かと疑いたくなるほどだ。
 試しに、本当にただの好奇心でレイフォンに意識を向けてみた。
 一瞬何が起こっているのか分からなかった。
 建物が猛烈な勢いで迫ってくるのだ。
 更に恐ろしいことに、猛烈な勢いで迫ってくるはずの建物が、何故か目の前から避けてくれているのだ。
 そして何よりも恐ろしいのは、ミィフィ自身が感じている時間の感覚と、レイフォンのそれに猛烈な差があると言う事だ。
 本来のミィフィの心臓が一度鼓動するだけの時間に、体感時間で20秒以上経過している。
 三十倍近い速度で思考していて尚、建物が猛烈な速度でミィフィに迫ってきて、そして避けて行く。
 道を歩くことが怖くなるといった、レイフォンの言葉の意味が骨身にしみて理解出来た。
 とてもでは無いが、人間が出せる速度ではないし、耐えられる光景でもない。
 その恐怖体験から、やっとの思いで自分の身体に意識を戻す。

「はあ」

 武芸者が凄まじいとは思っていたが、まさかこれほどだとは思いもよらなかった。
 いや。これはきっとレイフォンだけなのだろうと思うのだが、それでも恐ろしい体験だった。
 溜息をついて一息ついて辺りを見回してみる。
 シェルターから抜け出してしまったために、これからどうすればよいかさっぱり分からないのだ。
 レイフォンのあれを知ってしまった以上、汚染獣は大丈夫だと思うのだが、それでも念のために安全を確保しておきたかったのだが、その思考の最中、なにやら金属板を激しく打ち鳴らすような音が聞こえて、そちらを見てしまった。

「レイフォンさんの、自主規制、自主規制、差別用語、差別用語、差別用語、放送禁止用語、差別用語野郎! お前なんか自主規制、自主規制、放送禁止用語、放送禁止用語、差別用語してやる!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 何かの排気ダクトらしい巨大な筒に向かって、蹴りを放ちつつ暴言を絶叫するフェリが見えるような気がする。
 きっと気のせいだとは思うのだが、あまりにもはっきりと聞こえているので、もしかしたら何かの呪いに掛かっているのかも知れない。
 そもそも、若い女の子が叫んで良い言葉は一つもなかったと思うのだ。
 きっとミィフィの耳に何かの呪いがかかっているに違いない。
 きっとそうだ。

「胸がむかついた時にこの穴に向かって叫ぶとすっきりするのです。やりますか?」

 どうやら間違いでもなければ呪いでもなかったようだ。
 本当にフェリが叫んでいたのだと理解したミィフィだが、当然、では一緒にという気分にはなれない。
 何しろ。

『あ、あのぉぉぉ』
「なんでしょうか?」
『聞こえているのですが?』
「当然です。接続したままですから」

 そう。レイフォンに筒抜けなのだ。
 いや。そのために叫んでいたと言って良いかも知れない。
 冷や汗が背中を流れるのを感じつつ、ふと思い出してもいた。
 もう一カ所つないでいると言う事を。

『フェリ』
「何でしょうか?」
『こちらにも聞こえていたのだけれど』
「はい。接続したままでしたから」

 カリアンの方にも聞こえていたようだ。
 聞かせるために接続を解除しなかったのだと言う事は、つまり。

「本当にそうなればいいのに」

 心の底から、今言ったことが実際に起こればいいとフェリが思っていると言うことで、聞いていた男二人は間違いなく生きた心地がしないだろう。
 思わず同情してしまう。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 機関部でレイフォンに啖呵を切ったニーナだったが、しかし現実は恐るべき厳しさで彼女の前に立ちはだかっていた。
 キチキチといやらしい音を立てて噛み合わされる歯と、不格好な胴体。
 そして巨大な体躯と不釣り合いなほど小さな頭と足。
 全てが異常で異様な汚染獣はしかし、一個体の強靱さと生命力の強さを抜きにしても、数が多すぎた。
 剄羅砲の攻撃から既に十五分が経つ。
 地に落ちた汚染獣達に向かい突撃したのは、そのすぐ後だったから、まだそれ程時間は経っていないはずだ。
 その証拠にニーナ自身が倒せた汚染獣の数は、せいぜいが五体。
 それも支援攻撃を散々受けたあげくに、連撃に次ぐ連撃を打ち込んでの結果だ。
 担当戦域の全員が死力を尽くして戦っているというのに、確かに汚染獣の死骸はあちこちに転がっているというのに、全体の数からすればそれは微々たる損害でしかない。
 記録映像でしか見た事がないが、津波もかくやと思えるほどの汚染獣が、外苑部に積み重なって砲撃で向こう側へと崩れている。
 こちら側へ来ないだけましだと思いたいが、冷静な部分が絶望を覚えていた。
 このまま行けば、確実にその暴力的な数に飲み込まれてしまう。
 ペース配分や戦力の維持などと言う戯れ言は、今のツェルニ武芸者には全く無理な話なのだ。
 今、死なないために全力で戦わなければならない。
 戦闘開始直後に、カリアンから二十分ほど経てば対汚染獣殲滅最終作戦が発動されると、そう聞かされてはいるのだが、それを信じることが出来ない。
 そんな都合の良いものがあるのならば、始めから投入しているだろうし、そろそろカリアンが約束した時間は過ぎようとしているのだ。
 まだあと一時間程度なら持ちこたえられるだろうが、その後は絶望しかない。
 決して諦めないという意志とは別の、冷たい計算が出来る部分がそうささやいているのだ。
 そして、それは現実となりつつある。
 いくら活剄で疲労を誤魔化しているとは言え、それにも当然限界がある。
 そして、その限界が緩慢な動作で、しかし確実に近付いているのだ。
 だが、変化は唐突に現れた。

「!!」

 突如として戦場が凍り付いた。
 その暴力的な数で押し寄せてきていた、死と破壊そのものの結晶であったはずの汚染獣さえ凍り付いた。
 いや。迎撃している武芸者はおろか、世界そのものが凍り付いたような錯覚を覚える。
 呼吸することもままなら無いニーナは、やっとの事で首を動かして、この世界の創造主を確認した。
 それは一人の武芸者だった。
 茶色の髪と深い紫色の瞳。
 中肉中背でありながら、無駄なく鍛えられたその身体。
 そして右手で軽く持っているのは、白金錬金鋼よりも深い銀色に耀く一振りの刀。
 刀身だけで1、2メルトルを越えるそれの峰を右肩と鍔元を握る右手で支えている。
 ヘルメットを首の後ろに引っかけた真っ赤な都市外戦装備に身を固めて、無人の野を行くかのように全く無防備に進むそれは。

「レ、レイフォン?」

 つい先ほど機関部で会ったばかりの、それは下級生にして正体不明の武芸者。
 戦わずに逃げろとニーナに勧めた、唾棄すべき存在。
 だがそれが本当にレイフォンであり、武芸者であり、そして人間であるかニーナには自信がない。
 身の回りに纏うのは、完璧に制御されていて尚激しく猛る剄。
 霧のように身体から流れ出て、戦場全体、いや、世界全体を包み込もうとしているその剄だけで、ニーナは死を覚悟してしまうほどに凄まじい。
 微かな音も立てずに歩いているはずなのに、空気を揺るがせる存在感。
 全てが武芸者という頸木から外れている。
 そしてその人外の何かが、ゆっくりと刀を持ち上げた。
 それは全く気楽な動作だった。
 友達とキャッチボールをするよりも更に気軽な動作で、振り抜かれる刀。
 その一撃だけで、連撃に次ぐ連撃で何とか倒せていた汚染獣が、三体まとめて輪切りにされ瞬時に絶命した。
 ニーナ自身が戦っていなかったら、きっとその甲殻が異常な堅さを持っているなどとは思えなかっただろう。
 だが、現実は更に凄まじい展開を見せて行く。
 死と破壊の結晶であった汚染獣はしかし、今はただ狩られるのを待つばかりの哀れな生け贄でしか無くなっていた。
 いや。生け贄でさえない。
 それは掃除されるのを待つ、ただの不要品の群れ。
 キチキチと歯を鳴らして威嚇しているはずだが、その音はあまりにも弱く命乞いとさえ聞こえる。
 だが、そんな状況など知らぬげに人外の何かが柄頭を左手で持ち、ハーレイが机の上を片付ける程度の力み方で、大きく一振りする。
 そこから放たれた不可視の斬撃を受けた十数体の汚染獣達が、瞬時に両断されてただの残骸となった。
 更に左手だけで掲げられた、巨大な刀が銀色の光を発した。
 天剣技・万斬剄。
 無数としか表現出来ない小さな斬剄が、回転しつつ積み重なっている汚染獣へと迫る。
 到達した瞬間、その甲殻を削り切り取り粉砕し、肉を抉り内蔵を破壊する。
 消火活動に使うような高圧放水にも似たその攻撃は、途切れることなく放ち続けられ、みるみる破壊と殺戮を大量に生産して行く。
 それは何かの間違いのようであり、同時に、ニーナ達の弱さが間違いのようでもあった。
 そしてその人外の何かが、一人の武芸者を捉えた。

「こんばんはナルキ。良い夜ですね」
「れ、れいとん」

 その何かは、ニーナのすぐ側で、都市警の使う打棒で善戦していた褐色で長身の武芸者に声をかけた。
 それは、戦場にあるまじき気軽な声であり、そして何よりもこの状況で良い夜だとうそぶいている。
 だが、攻撃の手は一切緩めずに放ち続けられ、見る見るうちに汚染獣で出来た山が削られて行く。

「一つ聞いて良いかレイとん?」
「はい。あまり時間が無いので手短に」
「ああ。良くない夜とか朝とかがあるのか?」

 何時か聞きたかった。
 あれがレイフォンだとするのならば、何時かは聞いて確かめたかった。
 ナルキと呼ばれた褐色の武芸者は、その質問をニーナに成り代わりやってくれたのだ。
 賞賛すべきか、はたまた戦闘中に気がゆるんでいると苛立つべきか。
 いや。あまりの出来事に現実感が無くなっているだけだろうと思い、ほんのわずかにニーナ自身の事を棚に上げて同情してしまった。

「そうですね。試験の前日などは良くない夜を味わいましたか」
「・・・・・。頭も使おうな」
「もちろんですとも。そのために学園都市に来たのですから。おっと」
「ど、どうした?」

 突然、話の途中で驚いたように汚染獣の方を見るレイフォンらしき生き物。
 それに釣られてニーナも見た。
 まだ身体を動かすことが辛いのだが、そんな自分に鞭打って視線を動かして、そして後悔した。
 津波か雪崩を思わせる勢いで迫っていた汚染獣が、目の届く範囲内で完全に駆逐されていたのだ。
 虐殺開始、いや、清掃開始からわずか20秒ほどの間にだ。

「的が無くなってしまいました」
「的って」

 絶句するナルキを尻目に、悠然と刀を右肩に担ぎ直した怪生物が、何時の間にか止まっていた歩みを再開させた。
 あれだけのことを成し遂げたというのに、全く何も感じていないかのように。
 体力も時間も何も消費していないかのように、やはり無人の野を行くがごとき無防備で悠然とした歩みを。

「・・・・・・・・」

 その姿が見えなくなってから、やっと膝を地面に突くことが出来た。
 いや。絶望の果てに力尽きた。
 レイフォンが以前言っていた、集団戦は苦手だという台詞。
 あれは最大限の謙遜の末だったのだ。
 彼にとって集団戦とは苦手というような次元ではない。
 必要がない物、あるいは足手まといな物なのだ。
 もしかしたら、集団の一部として戦うという発想自体が、今のレイフォンにはないかも知れない。
 そして十七小隊に入れることが出来ないことも、やはり理解してしまっていた。
 確かにレイフォンを入れた瞬間、第十七小隊は最強になるだろう。
 だが、それは集団としての戦力ではないのだ。
 それを理解してしまったために、ニーナは大地に膝を突き絶望してしまったのだ。
 今は何も考えずに眠りたい。
 だがその願いも叶わない。
 小隊長であるニーナには、事後処理という仕事がきっちりと待っているのだから。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ゴルネオにとって汚染獣戦の経験は、これが二回目だった。
 前回は雄性体一期、それも一体だけが相手だった。
 散々打撃を打ち込み、やっとの思いで倒した記憶があるが、恐ろしいと思ったことはなかった。
 それは後見人としてレイフォンがいてくれたからだ。
 そして、留学祝いと称するサヴァリスのしごきに耐えていたからだ。
 その二つがあったからこそ、雄性体一期に対して臆することなく戦えたのだ。
 だが、今回ははっきりと違った。
 相手は幼生体。
 個体の戦力からしたらたいしたことはない。
 ツェルニにも十分以上に戦える人材はいるのだが、残念なことに千を越える数相手では分が悪い。
 しかも今回、レイフォンの助けは受けられない。
 いや。もしここでレイフォンの助けを受けてしまったら、それはツェルニ武芸者の敗北となるのだ。
 戦わせてはいけないのだ。
 立つべき大地を失ったレイフォンを。
 だが、それでも分かっていた。
 レイフォンが戦わなければ、ツェルニは今日滅びの時を迎えるのだと。
 だが、それでも、戦わないという選択肢は存在していない。
 ある程度以上の幼生体を倒すことが出来たのならば、武芸者だけを食って満足して出て行くかも知れない。
 千体の腹を満たすためには、ツェルニ武芸者の数は少なすぎる。
 一体でも多くの幼生体を倒し、一般人への被害を可能な限り押さえる。
 自らの死と引き替えに出来るのは、ただそれだけだ。
 だからゴルネオは、ペース配分を怠らないように、指揮下の戦力にも注意を払いつつ、確実に一体ずつ倒して行くのだ。
 だが、戦闘開始直後にカリアンから告げられた情報で、それが恐らく無駄なあがきであることも理解していた。
 汚染獣殲滅の最終作戦を実行する。
 そんなことが出来る戦力は、ツェルニにはただ一人しかいない。
 そして、戦場が凍り付くほどの存在感と共に、それが表れた。

「あ、ああああ」

 もはや単なる障害物となりはてた幼生体を駆逐しつつ、ゆっくりと歩いてくる真っ赤な都市外戦装備。
 そしてその身体とは不釣り合いに巨大な、深い銀色に耀く刀。
 何よりも見間違えることのない天剣技。
 散歩の途中の並木道を眺めるほどの気楽さで、幼生体に視線を向ける少年の姿がかすむ。
 頬を熱い液体が流れて行くのを止めることが出来ない。

「ヴォルフシュテイン卿」
「? こんばんはゴルネオさん。何を泣いているのですか?」

 呟きを聞き取ったらしいレイフォンがこちらを向く。
 戦闘中に敵から視線を外すなど、本来有ってはならない事態であるはずだが、レイフォンにはそんな常識は通用しない。
 カリアンから情報を聞かされた時に、ツェルニ武芸者の敗北を覚悟したゴルネオだったが、それは間違いだったのだ。
 しっかりと足を踏みしめ、一歩一歩ツェルニを揺るがせるほど確かな足取りで歩く、元天剣授受者はかつてゴルネオが知っていたそのままの姿だった。

「貴方が、再び立たれたことが嬉しいのです」
「大げさですねぇ」

 苦笑しつつも万斬剄は止めることがない。
 横薙の瀑布に少しでも触れた幼生体は、甲殻を削られ抉られ、そして穿たれた傷口に更に斬剄が打ち込まれ、瞬きする間に残骸へと変わり果てる。
 その破壊力に呆然としている武芸者は多いが、本来この技はこんな生やさしいものでは無い。
 幼生体とは比較にならないほど強靱な甲殻を持つ老性体、その防御を打ち砕くためにレイフォンが独自に編み出した技なのだ。
 ほんの数分で都市を滅ぼすことさえ出来る破壊力を持ち、リンテンスでさえその攻撃を完璧に防ぐことが出来ない多様性を誇る。
 唯一リヴァースの金剛剄だけが万斬剄を防ぎきることが出来る、恐るべき技なのだ。
 その天剣技を惜しげもなく、ツェルニ武芸者へと見せつけつつ戦場を移動するレイフォン。
 遙か高見にいる武芸者が、その姿を未熟者に見せているのだ。
 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは、何も変わっていない。
 それが嬉しいのだ。

「ここのを少し残して良いですか?」
「母体ですね?」
「はい。少々時間がかかりますので」
「お任せ下さい。この命に代えて全て殲滅してご覧に入れます」
「いや。だから死ななくて良いんですよ」

 更に深くなる苦笑と共に、レイフォンの移動は続く。
 この戦いに参加している全ての武芸者に、遙か高見があることを知らしめるために。
 そして、そこに至った最強の武芸者がツェルニに居ることを知らしめるために。

「シャンテ!」
「お、おう!」

 これで奮起しなければ、それはもはや生きている意味はない。
 相棒を肩に乗せたゴルネオは、レイフォンが母体を倒してくるまでの時間を計算しつつ、目の前に残された幼生体を駆逐するために、剄を練り上げつつ部下に指示を飛ばした。
 もはやこの戦いに敗北はない。
 ならば、完璧に勝ってこそレイフォンの恩に報いることが出来る。
 その決意と共に、レイフォンのあまりの異常さに恐れをなしたシャンテを励ましつつ、残された幼生体へと突撃を開始した。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ツェルニ武芸長であるヴァンゼは、言い様のない高揚感と共にその光景を見詰めていた。
 共に死力を尽くして戦っている第一小隊や、ヴァンゼの指揮下に組み込まれた武芸者が呆然としているさなか、ただ一人その暴力と呼ぶにはあまりにも凄まじく洗練された技に見入ってしまっていた。
 みるみる幼生体が駆逐されて行く、その悪夢のような光景を作りだしている、今年の新入生を。
 左手に持った長大な刀を幼生体に向け、そこから高圧放水をしているようにしか見えないが、その威力は絶大だ。
 ヴァンゼが知る武芸者でこんなことが出来る人物はただ一人。

「レイフォン様」
「? ! もしかしてヴァンゼさんですか?」
「お久しぶりで御座います」

 深々と頭を下げる。
 入学式の一件以来、挨拶に行くことさえ無かった無礼を働いたが、その謝罪も含めて深々と頭を下げる。
 その下げた頭にレイフォンの視線を感じる。
 若干、視線が厳しい物に変わったような気がする。
 いや。むしろ今死んでしまった方が楽なのではないかと思えるような、そんな寒気を覚える視線になっているような気がする。
 そして、自らが着ている真っ赤な都市外戦装備を指さしつつ、厳しいままの視線がヴァンゼを捉え続ける。

「・・・・・。これは貴方の差し金ですか?」
「はいぃ! レイフォン様にはやはりそれが必要かと思いまして」

 声が裏返ってしまっているのを自覚しつつ、冷や汗で濡れた背中に色々な視線が突き刺さるのを感じていた。
 いきなり下手に出ているヴァンゼに驚いているというのもあるだろうし、真っ赤な都市外戦装備なんて物を用意したことに、何かしら感じているというのもあるだろう。
 だが、そんな物は全て後回しだ。
 平身低頭してでも、この危機を抜けなければならない。
 例え自分を捨てて、顔の横で手をすりあわせて謝り倒そうと、これ以上ないくらいにこびへつらおうとも、目の前の武芸者を怒らせてはいけないのだ。

「まあ、今だけは時間が無いので生かしておきましょう」
「い、いまだけでありますか?」
「ええ。カリアンさんのこととか、色々」

 あまり外から見たら分からないが、相当怒っているようだ。
 当然と言えば当然だ。
 ゴルネオに次いでレイフォンの事を詳しく知っているはずのヴァンゼが、カリアンを止めなかったのだ。
 ゴルネオではないが、その罪万死に値してしまうかも知れない。
 時間が有ったら、誤り倒したいところだが、今はそうはいかない。
 都市外戦装備を着用していると言う事は、これから外での戦闘を計画していると言う事で、あまり時間が無いと本人も言っているのだし。

「では、残敵をよろしくお願いします」
「か、かしこまりました」

 徹底的に下手に出る以外に、生き残る術はない。
 こうなることは分かっていたのだが、残念なことにツェルニの存亡をかけた戦いに望んでいるカリアンに、ヴァンゼの言葉は通じなかったのだ。
 全く持って惜しむらくは優秀だが腹黒な友人の存在だ。
 カリアンがもう少し大人でなければ、こんな事態にはならなかったのにと、そんな埒もない事を考えていられたのはしかし、僅かに3秒だけだった。
 何時の間にかレイフォンの姿が消えていたのだ。
 全く移動した気配を感じなかったが、きっとエアフィルターを越えて雌性体を倒しに行ったのだろう。
 後数時間は生きられるかも知れないと言う希望が湧いてきた。

「隊長」
「あ? ああ。残敵の掃討戦に移行する。数が少ないからと言って気を抜くなよ」

 権威も威厳も何もなくなってしまったヴァンゼだが、取り敢えず配下の武芸者は指示に従ってくれているようだ。
 とてもありがたい。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 エアフィルターを抜ける時は、何時も粘り着くような感覚を覚える。
 そしてその感覚がなくなった時には、既に世界を滅ぼした汚染物質が充満する、死の世界へと出ているのだ。
 生身で出れば、ほんの数分で肺が腐って死ぬしかない恐るべき世界へと。
 グレンダン時代に着ていた物と外見的にはよく似ているが、機能的には数段劣るとは言え都市外戦装備は極めてありがたい。
 さっきは久しぶりに見たので思わず怖いことを言ってしまったが、実はヴァンゼには割と感謝しているのだ。
 八年ほど前に別れた武芸者であることがすぐに分かるというのは、かなりどうかと思うのだが、それも全ては雌性体を何とかしてからの話だ。

『母体の位置を確定しました。そのまま三キルメル進んだ地点。地下十二メルトルです』

 その声と共に、バイザーに位置情報が表示される。
 幼生体は殆ど駆逐してしまったから、あまり時間はないのだが、まあ何とかなるだろうと少し楽観的に考えてみる。
 万斬剄で大地を抉り、その威力で雌性体を殲滅しても良いのだが、敵ときちんと向き合って戦うことをずっとしてきたために、見えない相手と戦うことはやや不安なのだ。
 と言う事で、幼生体が出てきた穴の一つに飛び込んでフェリの念威端子の、先導のままに進む。
 念威繰者のサポートがあるために、真昼と変わらない光景がバイザーの内側に表示されているために、全く問題無く進むことが出来る。

『そこの角を曲がったら一直線です』
「有り難う御座います」

 礼を言いつつ剄を練る。
 レイフォン側には今のところ時間制限がないが、ツェルニの戦闘状況を見るとあまりのんびりしていられない。
 ゴルネオとヴァンゼがやたらに奮起して、想像を超えた速度で幼生体を駆逐しているのだ。
 ゴルネオは兎も角として、ヴァンゼに少しきつく当たりすぎたようだと、やや反省する。

「頑張りすぎですね。あの二人は」

 とは言え、危険なほどではない。
 フェリの指示通りに角を曲がった次の瞬間、幼生体を生み出して瀕死の状態となった雌性体の巨体が視界に飛び込んできた。
 だが、死んでいるわけではない。
 汚染物質を必死に吸収して、自らも生きようと足掻いているのだ。

「初めまして。こんばんは」

 取り敢えず何時もの調子で挨拶をする。
 だが、心の中はかなりやるせない思いで一杯だ。

「貴方の子供達はもうすぐ殲滅されます」

 生存をかけた戦いに、卑怯も邪道も存在しない。
 有るのは生きるか死ぬか、ただそれだけ。

「命を繋ぐという行為に、僕達と貴方達では違いはないのでしょうね」

 そっと刀を雌性体に向ける。
 慎重に、錬金鋼を破壊しないように練り上げた剄を注ぎ込む。

「ですが、僕はそれでも多くの人が変わって行く、その可能性を見守りたいのです」

 技を発動する。
 その膨大な剄に危機感を感じたのか、仲間を呼ぼうとする雌性体。
 だが遅い。
 天剣技・斬爆剄。
 紙のように薄くでは無く、糸のように極限まで細く圧縮した斬剄を放つ。
 あっさりと雌性体の甲殻を切り裂き、肉に食い込み身体の奥深くまで達した。
 予定の距離だけ進んだ圧縮した斬剄が突如として、衝剄のように爆発的な衝撃波を放つ。
 そして内部からの圧力で雌性体が瞬時に絶命。

『汚染獣の殲滅を確認しました』
「分かりました。これから帰還します」

 子供達を生み出し、それを送り出した母体を殺してしまったことに、何時もよりも強い罪悪感を感じつつも、その感情を押し殺して帰還を宣言する。
 そしてふと思い出す。
 ヴォルフシュテインとゴルネオに呼ばれたというのに、それを不快だとは思わなかった。
 それはつまり、レイフォン自身がヴォルフシュテインであることを認めていると言う事だ。
 フェリ相手に自分で言っていた事もそうだったが、長年連れ添った称号とは、結局縁が切れないらしいと言う事をレイフォンはやっと納得出来た。




[18444] B B R その五
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:01
 
 汚染獣との戦闘が終了した次の朝。
 ナルキはあの時のことを思い返して、とても恐ろしい生き物がすぐ側で欠伸をしていることに気が付いていた。
 いくら武芸者とは言え、戦闘込みの徹夜明けでは流石に眠いのだ。
 当然ナルキも欠伸をかみ殺しつつ、戦闘の事後処理に向かうところだ。
 メイシェンとミィフィも炊き出しなどの力仕事以外の諸々に付き合わせているのだが、こちらはこちらでやはりなにやら眠そうだ。
 まあ、汚染獣との戦闘が頻繁に有るわけではないので、緊張したり興奮したりして上手く眠れなかったのだろうとも思う。
 だが、もしかしたら、隣を歩く怪生物は違うのかも知れない。

「・・・・・・・・」

 違うはずなのだが、いや。何故か盛大に欠伸をしているのだが、もしかしたら非常に眠いのかも知れない。
 だが、あの時の猛烈な存在感と途方もない破壊力を発揮した怪生物ならば、あの程度のことで疲労などするはずはないという変な先入観が出来上がっているというのに。

「眠そうですねレイとん」
「はい。久々の戦闘だったので少々羽目を外してしまったようです」

 羽目を外すという発言自体に、異常な物を感じているのはナルキだけのようだ。
 メイシェンはなにやら微笑んでいるし、ミィフィはなにやら考え込んでいるというかもっと深く悩んでいるように見える。
 ちらちらとレイフォンの方を見ているから、汚染獣戦絡みの問題で悩んでいるのだろうと思うのだが。

「聞いて良いかレイとん?」
「何でしょう? 試験以外のことでしたら」
「い、いや。武芸者としてなんだが」

 レイフォンが武芸者としてナルキよりも優秀だと言う事は、ミィフィを抱えて壁を飛び越えた辺りで気が付いていた。
 だが、昨晩のあれはもはやそんな生やさしいものでは無い。
 本当に人間なのか疑ってしまうほど、汚染獣を駆逐して行くレイフォンの姿は凄まじかった。

「そうですねぇ。僕はグレンダンで最強の称号を授けられていました」
「・・・・・。成る程」

 グレンダン最強と言われて納得出来る。
 槍殻都市グレンダンと言えば、武芸が盛んで有名な都市だ。
 何でも王家から特殊な錬金鋼を授けられた、文字通り最強の武芸者がいるという話は聞いたことがある。
 その最強の称号を持っているというのならば、納得出来るという物だ。
 だが、それだと都市を出られた理由が分からなくなってしまう。
 何処の都市だって、優秀な武芸者は喉から手が出るほど欲しいに決まっているのだ。
 いくらグレンダンだからと言って、最強の称号を持つ武芸者をおいそれと都市外に出すわけがない。

「少々個人的な問題で戦えなくなりまして」
「そ、そうなのか」

 そのナルキの疑問は当然なので、先回りしたレイフォンがきっちりと答えてくれた。
 最強の武芸者を都市外に放出するという、個人的な事情というのにもかなり好奇心を引かれるが、それは恐らくとても辛い出来事だろうからとあえて聞かないことにした。

「そ、そんな凄い人をレイとんなんて呼んで良いのか、少し疑問になってきたのですが」

 思わず中途半端な敬語になってしまう。
 ここはやはりゴルネオに習ってヴォルフシュテイン卿と呼ぶべきかも知れないと思ったのだが。

「レイとんで良いですよ。正直そう呼ばれる方が気楽で良いですから」
「そ、そうですか」

 まだ敬語が抜け切れていない。
 と言うか、段々ぎこちなくなってきている気がする。
 そんなナルキとは対照的に、メイシェンはなにやら小動物チック全開で、レイフォンに懐いてしまっているような気がする。
 いや。むしろおじいさんに懐く孫と言った感じだろうか?

「だけどさ。レイとん」
「はい?」

 ここでやっと、今まで黙って悩んでいたミィフィが声を出した。
 その雰囲気に何時もの軽さはなく、決死の覚悟さえ伺えた。

「何で汚染獣と戦う時に、あんなに・・・」
「悲しそうでしたか? それとも苦しそうでしたか?」

 言葉を詰まらせたミィフィに変わって、レイフォンが口を開いた。
 そこには何か悟りを開いたような、そんな静かな余裕が有るような無いような。

「どっちかって言うと・・・・。やりきれない」
「そうですね。僕は汚染獣と戦う時にやりきれないという思いを抱いていますね」

 肯定するレイフォンの声が、僅かに沈んでいるのに気が付いた。
 そして、ミィフィがレイフォンに血を分けた時の話を思い出していた。
 人よりも遙かに激しい共感現象が起こったと。
 つまり、ミィフィはあれを見ていたと言うことになる。
 武芸者でさえ恐ろしくて悪夢を見てしまいそうな、あの光景を最も近くで臨場感抜群の環境で。
 平然と一緒に歩いていられるのは、もしかしたら現実感がないのかも知れないが、もっと他の理由があるのかも知れない。
 だが、ミィフィの次の言葉はそんな生やさしい予測を全く無視する内容だった。

「雌性体を攻撃する時なんか、泣きそうだったじゃない」
「!!」

 普通、汚染獣を倒す時にそんなことを考えたりはしない。
 生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
 だからこそ、それこそ必死で戦って生き残るというのに、レイフォンは泣きそうだったというのだ。
 それが強者の余裕なのかと思ったが、やや違うらしいと言うことにも気が付いていた。

「牛や鳥を食べて平然としている僕が言えたことではありませんが、生きるために必死になっているのは汚染獣も一緒なのではないかと、何時の頃からか考えるようになりまして」
「それは」

 そんな事考えたことがなかった。
 人類の敵だから戦って勝つ。
 それ以上のことを考えている余裕など、今の人類にはない。
 やはり、強者の余裕なのかも知れないと思ったが。

「間違っていることは十分に理解しているのですが、それでも考えてしまっているのですよ」

 さっきミィフィはレイフォンが泣きそうだったと表現した。
 そして今目の前にいるレイフォンは、確かに泣きそうに見える。
 表面的には笑っているようにも見えるが、それはナルキから見て明らかに表層一枚だけの事だ。
 その内側でどんな思いが渦巻いているか、それを知る事はとうてい出来ない。

「それでも、僕はツェルニが無くなってもらっては困るのです。ですから戦う以外の方法もない」

 優先順位が決まっているのだと理解した。
 だから全ての感情に封をして戦うのだと。
 そう言う事をやってのけているのが、レイフォンなのだと言う事に気が付き、そしてナルキももらい泣きしそうになってしまった。
 どれほど辛いか分からないが、酷く悲しい気分になったのだ。

「まあ、そのお陰で私達が生きているんだから、文句を言うのは贅沢なんだろうけれど」

 流石にここまで話が来てしまうと、ミィフィも少々居心地悪そうだ。
 メイシェンは当然のように涙目になっているし。

「まあ、それは僕個人の問題ですので、あまりお気になさらない方がよろしいかと」
「そういわれて、はいそうですかとは行かないだろう」

 普段ならそれで通すナルキだが、流石に今回は少々困ってしまう。
 そして、少しだけ、いや、かなり疑問に思ってしまった。
 話を変えるという大義名分の元、強引に疑問を表明してみる事にした。

「なあレイとん」
「何でしょうか?」

 今までの会話がなかったかのように、にこやかに返事をするレイフォンは、全く何時も通りだ。
 なんだか少し腹が立った。
 だが、今問題にしなければならないのはもっと別の問題だ。

「いくつなんだ?」
「はい?」
「年齢だ。年齢!」

 始めから少々違和感があった。
 明らかにレイフォンの言動や立ち居振る舞い、そして何よりもメイシェンの行動。
 全てが同世代の少年のものでは無い。
 やや暗い雰囲気を吹き飛ばすために、炊き出しなどを行うエリアに差し掛かる前に、全力でもって質問をする。

「十五歳です」
「嘘だ!」

 絶対に嘘だ。
 たった十五年しか生きていないで、汚染獣戦でそんなことを考えられるようになるとはとうてい思えない。
 いや。グレンダンの武芸者はみんなそんな風に考えるのかも知れないが、それでもまだまだ疑問はある。

「何処をどう探しても僕は十五歳なのですが」
「意味深な発言だな」

 思わずナルキは詰め寄る。
 犯罪行為というわけではないようだが、違法行為は見逃せないのだ。
 そして、記者根性と好奇心の塊であるミィフィも、いつも以上にレイフォンに詰め寄る姿勢を見せている。
 唯一メイシェンだけは、ハラハラドキドキと成り行きを見守っているようだ。

「実は」
「「実は?」」
「ここだけの話なのですが」
「「うんうん」」
「僕には重大な秘密が有りまして」
「「「なになに?」」」

 とうとうメイシェンまで参加して、レイフォンに詰め寄る。
 そして、語られた内容に三人そろって絶叫を放ってしまった。
 あり得ないと。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 汚染獣戦の後片付けがもうすぐ始まるというのに、力仕事担当の武芸者達を従えたカリアンは、目の前にいる巨漢二人に猛烈に厳しい視線を向けていた。
 当然視線が厳しくなる原因とはレイフォン絡みの問題である。
 レイフォンが強いことは知っていた。
 グレンダンで天剣授受者なんかやっていた以上、弱いなどと言うことは全く考えていなかったのだが。
 実際弱くなかった。
 いや。強すぎたために今視線が厳しくなってしまっているのだ。

「説明してもらえるかね?」

 何故もっと早くレイフォンが参戦してくれなかったのか。
 いや。流石にあんな凄まじいことを始めにされたのでは、他の武芸者の立つ瀬がないというのは分かるのだ。
 だが、あれだけのことが出来ると言う事を知っていれば、それなりの対応が出来たのもまた事実なのだ。
 一言言ってくれれば良かったと、そう思うカリアンの視線が二人を捉え続ける。

「ヴォルフシュテイン卿は、戦うべきではないと思っていた」
「馬鹿な! 武芸者ならば戦うことこそが本分だろう!」

 何故か苦しそうに言葉を発したゴルネオに、真っ先に食ってかかったのは当然のようにニーナだった。
 レイフォンを小隊に入れるように薦めたカリアンとしても、この反応は予測出来ていた。
 だが同時に、何か事情があるらしいことも理解していた。
 そうでなければ、ゴルネオがこうも苦しそうにしているはずはない。
 そしてもっと分からないのが、親友と呼ぶか悪友と呼ぶか微妙なところのあるヴァンゼだ。
 レイフォンが入学する前からなにやら動き回って、専用の都市外戦装備などを用意していたのだ。
 それに、レイフォンを転科させる時になにやら非常に抵抗していたのも覚えている。
 今から考えると知っているとしか思えない。
 だが、今問題なのはやはりゴルネオとニーナのやりとりだ。

「足元の定まらないあの方を戦わせれば、ツェルニが滅ぶ危険性があった」
「馬鹿な! 何故都市に住む者が都市を滅ぼすというのだ!」

 先輩だと言うことを全く無視しているというか、考える余裕がないニーナが荒れているが、実はカリアンも同じ心境だ。
 都市によって生かされている人間が、その都市を滅ぼすなどと言うことは考えられない。
 だが、ゴルネオが発した言葉は想像を絶する物だった。

「三年ほど前、俺の兄弟子がヴォルフシュテイン卿のご家族を虐殺した」
「!!」

 その声を聞いた物が息を飲む音を、何処か他人事のように聞きながら、ふと思い返す。
 レイフォンはフェリのことをかなり気にかけていた。
 少年特有の感情にまかせて、フェリに好意を持っているからだと思っていたのだが、もしかしたら違ったのかも知れない。
 レイフォンはカリアンとフェリが憎しみ会うことを避けたかったのかも知れない。
 だからこそ、サントブルグに追ってきて都市ごと滅ぼすとまで脅したのだ。
 今ならば、そう考えることも出来る。

「その後、あの方は戦う理由を見失い、戦うことしかできなくなった。矛盾しているように聞こえるかも知れないが、あの方には戦い以外の物が残っていなかったのだ」

 どれほどの絶望と共に戦ったのか、それは想像することさえ出来ない。
 絶望と共に戦っていたからこそ、そこには常に暴走という危険が潜んでいたのだろう。
 グレンダンだったらその危険は大きいが、対応出来ないと言うほどではない。
 何しろ天剣授受者は後十一人いたのだ。
 被害は大きかっただろうが、レイフォンを止めることも出来ただろう。
 だが、ツェルニは違う。
 彼が暴走してしまったら、それを止めることが出来る人間がいないのだ。
 ならば、戦いの場に彼を引き出さないことこそが最善の選択だった。
 だが、それでも、汚染獣をツェルニ武芸者は排除することが出来なかった。
 危険な賭だったのだと言う事が、やっとカリアンにも分かった。
 冷たい汗が背中を流れるのを感じつつ、話の続きに耳を傾ける。

「俺は直接その姿を見てはいないが、汚染獣を相手に戦うあの方の姿は凄まじく、そして恐ろしかったと」

 誰から聞いたかは言わないが、伝えた人物は自分の感じたままをゴルネオに伝えたのだろう。
 だが、ここで疑問が出てくる。
 そんな危険な賭であったレイフォンの参戦を見て、ゴルネオは歓喜の涙を流していたのだ。
 常識的に考えて、反応は全く逆のはずだ。

「ヴォルフシュテイン卿を戦わせると言う事は、傷つき疲れ果てたあの方を戦場に出さなければならない、弱い我々ツェルニ武芸者の敗北と同義だった」

 傷ついた人間を戦わせなければならないと言う事は、それは都市運営に関わる者の敗北である。
 武芸者だけではなく、カリアンの敗北でもあったのだ。

「だが、あの方は再び戦う理由を得ることが出来た。それが嬉しかったのだ」

 ゴルネオにとって、兄弟子の行いでレイフォンを苦しめたという負い目が有ったのだろうことは、容易に想像が出来る。
 だからこそ、色々と考えたりレイフォンに平身低頭したりしていたのだ。

「俺にはとうてい真似出来ない。ヴォルフシュテイン卿は犯人であるはずのガハルドさんをなぶり殺しにすることも出来た」

 ガハルドというのが、レイフォンの家族を虐殺した兄弟子であることは、言われなくても分かる。
 憎むべき相手でも、もしかしたら許せたのかも知れない。
 あるいは、耐えることが出来たのかも知れない。

「最終的には司法の手にゆだねられて、都市外強制追放と言う事になったが、ヴォルフシュテイン卿が自ら手を下しても誰も文句を言わなかっただろう」

 グレンダンの守護者の家族を虐殺した犯人と、その被害を受けたレイフォン。
 感情的にガハルドを私刑にしても何らおかしくはなかった。
 グレンダンでの法律がどうなっているか分からないが、それでも情状酌量の余地はあるだろう。

「分かりますか会長? 我々は紙一重で、自分の努力ではなく運のおかげで、負けずに済んだのです」
「う、うむ」

 ゴルネオの視線が痛い。
 レイフォンを利用することだけを考えていたカリアンだが、彼が都市を出た背景を調べた時に疑問を持つべきだったのだ。
 集めた情報が全て違う内容であったと言う事に疑問を持って考えるべきだったのだ。

「私は間違っていたのか」

 話し合う機会はいくらでもあった。
 だが、それを半ば放棄して、現状を変えることにだけ注意が行ってしまっていたのは事実だ。
 カリアンらしくないという以上に、組織の長として失格であるという烙印を押されても何ら不思議はない。

「我々は運が良かった。ヴォルフシュテイン卿はこれから先、良い教官としてここに居て下さるだろう」

 そう言うゴルネオの言葉で、少しだけ胸をなで下ろすことが出来た。
 見捨てられているわけではないのだと。
 だが、それと同時に凄まじい違和感を感じる。
 グレンダンの天剣争奪戦の光景以上に、凄まじい違和感だ。

「で、では、あの錬金鋼は何なのですか?」

 カリアンのその違和感を無視して、ニーナがなにやら少し見当違いの方向で質問をしている。
 確かに気にはなっていた。
 カリアンの記憶にある姿では、レイフォンは身体に不釣り合いなほど巨大な刀を持っていた。
 だが、昨日の汚染獣戦でも、やはり身体に不釣り合いなほど巨大な刀を持っていたのだ。
 あの刀については非常に気になる事は事実だ。
 気になることではあるのだが、今この場でなくても何ら問題無い。
 話が進んでしまっているので、もう戻せないだろうが。

「あれは、純銀錬金鋼と呼ばれている」
「シルバーダイト?」

 なにやら強そうな名前が付いた錬金鋼の様だ。
 それはこの場に居合わせた全員の感想だった様で、小さなどよめきが辺りを支配した。
 そのどよめきが静まるのを待って、ゴルネオが口を開き。

「曰く。真の汚染獣を四つに切り裂いたとか」
「おお!」
「曰く。汚染獣の王からヴォルフシュテイン卿が授かったとか」
「おおお!!」
「曰く。この世界を作り上げた神の骨、その欠片が姿を変えた物だとか」
「おおおお!!!」

 ゴルネオの言う曰く話に、その場にいる全員が驚きと納得の声を上げる。
 真の汚染獣を四つに切り裂いたとなれば、それは猛烈な破壊力を秘めた錬金鋼と言う事になる。
 汚染獣の王からレイフォンが授かったとなれば、今世界を席巻している汚染獣は、王の意志に反しているから殲滅するために、レイフォンに送られたと言う事になる。
 世界を作り上げた神の骨の欠片となれば、真面目に神話級の破壊力を秘めていると言う事になる。
 どれをとっても凄まじく、窮地に陥ったツェルニを救う、まさに救世主が持つに相応しい錬金鋼だ。

「そ、それで、どれが本当なんだね?」

 勢い、カリアンも身を乗り出して真実を訪ねる。
 辻褄が合わないので、どれか一つが本当で他が嘘と言う事になるが、それでも十分に凄い。

「うむ。全部嘘だ」
「どわ!」

 思わせぶりなゴルネオのうなずきの後、語られた内容に、その場にいた全員が前のめりに倒れ込んだ。
 カリアンなんか、地面に向かって全力ダイブをかましてしまったほどだ。
 ずれた眼鏡を直しつつ、ただでさえ巨漢であるゴルネオを下から睨み付ける。
 当然だが、それに動じた様子は全く無い。
 非常に悔しい。

「あれは少々特殊ではあるのだが、通常の錬金鋼であることに違いはない。ツェルニでも作ることが出来る」
「無意味な引っ張りだったわけだね?」
「問題は、そんな根も葉もない与太話が信じられるほど、ヴォルフシュテイン卿はグレンダン市民から、絶大な信頼を得ていたと言う事だ」

 まあそうなのだろうと思う。
 与太話が信じられるほどには、レイフォンが信頼されていたのだと言う事は理解出来る。
 その絶大な信頼をねたんで、彼の代わりになろうとしたのがガハルドで、最終的にレイフォンの家族を虐殺するという、本末転倒な行動を取ってしまったのだと言う事が、今の一言で分かった。
 もしかしたら、ガハルドこそレイフォンによって人生を狂わされた犠牲者なのかも知れない。
 そして、レイフォンがそう思ってしまったからグレンダンを出たのかも知れない。
 いや。これはきっと深読みのしすぎだ。
 是非とも間違いであって欲しいと願うほどに、深読みのしすぎなのだろう。

「そこまでは良いだろう」

 体勢を立て直して、視線をヴァンゼに向ける。
 ゴルネオから聞くべき事はまだある様な気はするのだが、取り敢えず精神的な再建が終了するまで、ゴルネオには関わらない様にしたいのだ。

「君もレイフォン君の事を知っていたね」
「ああ。俺の恩人だ」
「恩人?」

 レイフォンは今年の新入生だ。
 カリアンの様にグレンダンに立ち寄ったりしなければ、ヴァンゼとの接点は無いように思える。
 視線で続きを促す。

「十年前のことだが」
「・・・・・・・・・・・・」

 いきなり飛び出した単語に、再建途中の精神が再び粉砕されてしまったようだ。
 非常に嫌な予感がするのも、きっと気のせいではない。

「グレンダンで食糧危機が起こったそうだが」
「養殖プラントで伝染病が流行りました」

 ヴァンゼの説明を、ゴルネオが補強する。
 是非ともこの先は聞きたくない。
 そんなカリアンのことなどお構いなしに、頷いたヴァンゼが続きを口にしてしまう。

「口減らしというのかな? 百人の子供と共に俺の都市に来てな」

 十年前と言えば、レイフォンはまだ五歳のはずだ。
 五歳の子供が百人の子供を連れて、都市間を移動するというのは、かなりシュールな光景に違いない。
 ついでに言えば、ヴァンゼだって十歳くらいのはずだ。

「自分は優秀な武芸者です。雇って下さい。報酬はこの子供達の生活費でいかがでしょうと」

 話がおかしい。
 絶対におかしい。

「それを聞いた有力武芸者の一人が、レイフォン様に勝負を挑んでな」
「無謀な」

 レイフォン様とヴァンゼが言ったことには突っ込まない。
 一々突っ込んでいたら話が進まないからだ。
 そして、無謀だと言ったゴルネオにも突っ込まない。
 天剣授受者の実力など、グレンダン以外では知る者がいない以上、誰かが腕試しをしなければならないのだし、実際にそうなったと言うだけの話だ。

「ああ。開始3秒で錬金鋼を復元させることも出来ずに敗北した」
「ヴォルフシュテイン卿はその辺容赦ないですからね」

 武芸に関しては、極めて冷徹というか、割り切った考えのようだ。
 五歳の子供に瞬殺されてしまった武芸者というのも、かなり問題だが、やはり突っ込まない。

「最終的に、三百人の子供を養う代わりに、家はレイフォン様を二年間雇うことになった」
「それで、一時期ヴォルフシュテイン卿のお姿を見なかったのですね」
「結果的に、俺の都市の武芸者は、質的に異常なほど向上した」

 二人だけで話が進んでいるような気がする。
 これは少々心外という物だ。
 取り敢えず、レイフォン絡みのことには突っ込まずに、八年ほど経っているはずのヴァンゼを何故すぐに認識出来たのか、そちらを突っ込むことにした。

「ああ。俺は昔から老け顔でな」

 そう言いつつ、パスケースを取り出すヴァンゼ。
 その中から写真を一枚撮りだして、カリアンに渡してくれたのだが。

「・・・・。確かに君だね」

 今よりも少し小柄に見えるヴァンゼが、やや照れた表情でレイフォンと共に映っている。
 やや照れて嬉しそうにしているが、それでもこの厳つい顔は明らかに今のヴァンゼのままだ。
 いや。この頃から厳つい顔だったのだと言うべきだろうし、これならばレイフォンがすぐに分かっても何ら問題はない。
 そして思うのだ。
 この時期はまだレイフォンの方が背が高かったようだと。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 いや。今のは無し。見なかったことにしよう。
 絶対に間違いだから。

「何故か俺は特に目をかけて頂いてな。あの時の特訓があるからこそ今の俺があるのだ」

 懐かしむように語るヴァンゼ。
 そして、色々と脳内で処理しているために、全く動けないカリアンが持ったままだった写真が突如ニーナによって奪われた。
 見てはいけないその一枚をだ。

「・・・・・・・・・・・・・・。聞いてよろしいでしょうか武芸長?」
「ああ。良いぞ」

 余裕綽々で答えるヴァンゼ。
 対するニーナは、汚染獣戦以上に、恐ろしい物を見てしまったように震えている。
 その心境は理解出来る。

「武芸長が若いのは良いでしょう」
「俺にも子供の時代はあったさ」

 しみじみと言うヴァンゼ。
 どんな子供時代を送ったのか、是非とも知りたいと思う。
 だが、ニーナが聞きたいことはそこではないのだ。

「それは良いとして」
「うむ」
「何故レイフォンは、今と同じ外見なのでしょうか?」

 とうとうニーナが最悪を詰めた箱の蓋を開けてしまった。
 いや。壺だっただろうか?
 そして、ニーナの台詞を理解した武芸者達が、慌てて集まってきて写真を覗く。
 真っ赤な戦闘衣を着込んで、巨大な刀を手に持ったレイフォンと、道着を着込んだ若いヴァンゼが映る、恐怖の写真を。
 あり得ないのだ。
 十年も前の写真であるはずなのに、レイフォンは今と全く変わらない姿をしているなどと言う事は。
 何かのトリックや合成写真だったらいいのだが、恐らく違う。
 十年前にヴァンゼと会って彼を指導したという以上、今目の前にある写真は本物なのだ。
 本物なら、それを説明しなければならないと何処かで判断したカリアンは、倉庫の奥から知識を引っ張り出してみた。

「強大な剄脈がある武芸者は、その莫大な活剄によって成長速度を遅くできるという話を聞いたが」

 成長速度を遅くしているのならば、武芸科生徒で何とか押し通す事が出来るかも知れない。
 三十歳くらいまでならば、なんとか誤魔化せるという期待の元、当たっていてくれという願いと共に訪ねてみた。

「その話は本当だが」

 今にも死んでしまいそうなカリアンの台詞に、ゴルネオが視線をそらしつつ答える。
 何故ここで視線をそらせるのか、皆目見当が付かない。
 そして、やはりヴァンゼも視線を明後日の方向へと向けている。
 これは、もしかしたら。

「レイフォン君の、本当の年齢というのは、いくつなのかね?」

 以前話した時に、レイフォンが武芸大会に参加するのは、犯罪行為だと言っていた。
 それは、実力差から来る物だとカリアンは思っていたのだが、もしかしたら違うのかも知れない。
 例えば既に三十を超えているとか。
 流石に三十を超えてしまっていたら、学生と言うには問題が出てきてしまい、とうてい誤魔化せない。

「公式に、グレンダンでは、ヴォルフシュテイン卿は、十五歳だ」

 何故か一言ずつ切ってゴルネオが言う。
 何故かとても嫌な予感がしてならない。

「非公式には?」

 恐る恐ると、武芸科の誰かが口を開いた。
 知っては駄目だという本能の叫びはしかし、ゴルネオやヴァンゼには届かないようだ。
 その口が開かれ。

「天剣授受者として、グレンダンの諸語者として、ヴォルフシュテイン卿は、五十一年過ごされた」

 一瞬、意味不明だった。
 いや。未だに意味不明である。
 出来れば永遠に意味不明であって欲しいが、そうはいかない。

「十歳の時に、史上最年少で授与されておられる」

 単純計算が出来ない。
 十五歳であるならば、五十一年などと言うのは真っ赤な出鱈目でなければならない。
 五十一年が本当ならば、公式の年齢が十五歳というのは絶対に間違っている。

「今年六十二歳になられる」

 あちこちから、レイフォンは老後の蓄えとして金を稼いでいるという話が伝わってきている。
 フェリからもそう聞いたし、クラスでもその話は有名だ。
 今までは、それがただの口癖や大義名分だと思っていた。
 だが、実際の年齢が六十二歳だというのならば。

「ほ、本当に老後のために貯蓄していたのか」

 その場にへたり込んだニーナの口元に、力ない笑みが張り付いている。
 もはや笑うしかないと言ったところだろう。
 カリアンも同じだ。

「安心しろニーナ」
「何をですか?」

 そんなニーナを哀れに思ったのか、ヴァンゼが跪き肩に手を置いて話しかける。
 その表情には明らかな同情の色が浮かんでいたし、それはゴルネオにも言えることだ。

「グレンダンでは」
「グレンダンでは?」
「レイフォン様は」
「レイフォンは?」
「永遠の十五歳と言う事になっているらしい」

 永遠の十七歳は有名だが、十五歳は始めて聞いた気がする。
 だが、カリアンは瞬時にガタガタになっていた精神に活を入れて、再建させることが出来た。
 グレンダンで永遠の十五歳ならば。

「ツェルニでも永遠の新入生と言う事に出来るかも知れん!!」

 辺りをどよめきが支配する。
 これから先、レイフォンがツェルニに居続けてくれるのならば、最も重要な教官の役を果たしてくれるのならば、それは多少のことに目を瞑っても良いのではないかと。
 いや。むしろ積極的に便宜を取りはからうべきであると思うのだ。
 もしそれが出来るのならば、ツェルニはこの先安泰と言う事になるのだ。
 俄然気力がみなぎってきた。

「それは良いのだが」
「何人生き残ることが出来るのか?」

 蒼白となったヴァンゼとゴルネオのそんな小さな声はしかし、光明を見いだしたカリアンには届かない。
 やる事が決まったのならば、もはや全力疾走有るのみである。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 何時ものことではあるのだが、女王であるアルシェイラ・アルモニスは憂鬱だった。
 書類仕事をカナリスに丸投げしてしまっていると言っても、暇な時間が消えて無くなるわけではない。
 いや。暇なら仕事しろと言う突っ込みはあちこちから来ているのだが、働くという精神構造をアルシェイラは持っていないのだ。
 今日も汚染獣を求めて冬期帯を闊歩するグレンダンの、最も高い場所にしつらえたハンモックでだらけつつも、遠い地から届いた手紙をゆっくりと眺める。
 既に何度も読んでいるので、ことさら理解する必要はなく、これを出した武芸者についてあれこれと考えるために手紙を眺めているのだ。
 そんな、これ以上どうしようもなく暇な時間にやってきたのが、アルシェイラの影武者として頑張ってくれているカナリスだ。
 その仕事ぶりには感謝しているのだが、それを表に出すという行為は、何故か非常にためらわれて仕方が無い。
 もしかしたら、アルシェイラの精神構造は決定的に人と違って、ひねくれ曲がっているのかも知れないと、少し他人事のように考える。
 まあ、どっちでも良いのだが。

「レイフォン様からですか?」
「ああ。ツェルニで骨を埋められそうだってさ」

 投げ槍にカナリスに手紙を放る。
 器用にそれを空中でキャッチして速読する。
 この速読の能力があるからこそ、カナリスの仕事速度はアルシェイラよりもかなり速く、昼食が終わったばかりだというのに既に今日の分の書類の決裁が終わっているほどだ。
 別にアルシェイラが欲しい技術ではないが、優秀な部下に一人ぐらいいても何ら不便はない。
 むしろ一人くらいは欲しい。

「それはよう御座いました」

 何故か女王よりもレイフォンに向かう時の方が、遙かに敬意を払っているような節があるカナリスに、少々険悪な視線を放ってみたが、まあ、相手がレイフォンでは仕方が無い。
 長年天剣授受者としてグレンダンを守護し続け、後進の指導や治安維持と言った仕事もきっちりとこなしてきたレイフォンだ。
 しょっちゅうサボっているアルシェイラよりも、よほどカナリスの受けが良いことは理解出来る。
 理解出来るからと言って、納得出来るというわけではないが

「でもねぇ。結局あの老化を完全に止める術は分からなかったのよねぇ」
「あれは、レイフォン様の特殊体質と言うべきだと思うのですが」
「そうなんでしょうけど、女の子としては永遠の若さって欲しいじゃない?」

 グレンダンでレイフォンは永遠の十五歳と言う事になっている。
 それに触発されたアルシェイラは、自身を永遠の十七歳と認めさせようとしたのだ。
 だが、その膨大な活剄を総動員して成長を遅らせてきたにもかかわらず、十七歳で通用しないほどの外見に至ってしまった。
 非常に悔しくて、レイフォンを問い詰めてコツを聞き出したのだが、他人の技を盗むことは得意でも、自分の技術を教えることは非常に苦手なためか、全く要領を得なかった。
 最終的にガハルド事件が勃発。
 その後も色々あったために、レイフォンはグレンダンを出奔してしまった。
 結果的に永遠の若さを手に入れることに失敗。
 非常に理不尽を感じてしまっているが、他の連中から言わせるとアルシェイラの方が理不尽の固まりなのだとか。
 非常に納得行かないが、人の心はどうすることも出来ない。
 今度はツェルニで永遠の新入生と言う事になったようで、非常に嫉妬してしまう。

「ですが」
「ああ?」
「ツェルニの武芸者は地獄でしょうね」

 レイフォンは後進の指導も積極的に行ってきた。
 だが、戦場で長く戦ってきたレイフォンのそれは、猛烈に厳しい物である。
 どれだけの武芸者が泣きながら逃げ出してしまったことか。
 カルヴァーンの道場もかなり厳しいという評判だが、レイフォンのサイハーデンは更に壮絶だ。
 一度覗きに行ったアルシェイラが、思わず後ずさってしまうほどだった。
 そのレイフォンの指導をツェルニの武芸者が受ける。
 一体何人生き延びることが出来るのか。
 そちらの方にも興味があるが。

「失礼します」

 そんな考えの途中、呼んでいたことを忘れかけていたサヴァリスがやってきた。
 何時ものにこやかな笑顔の影に、少々寂しそうな物が見えるような、見えないような。

「レイフォンからの手紙でも来ましたか?」
「・・・。良く知っているわね? 調子に乗っているのはサヴァリスかい? それとも天剣授受者全員?」
「いえいえ。弟がツェルニに居まして。そちらから連絡があったのでこちらにも来ているかと」

 少々飛び退りつつそう言うサヴァリスはしかし、なにやら残念がっているようにも思える。
 まあ、レイフォンがいなくなって寂しいのだろう事が分かる。
 剄量も技量もレイフォンの方が上だった。
 ならば、戦って己をもっと強くしたいと考えるのはサヴァリスとしては当然のこと。
 ガハルド事件が無ければ、今もきっとレイフォンに挑みかかっていたに違いない。
 その楽しみがほぼ間違いなく永遠に失われてしまったがために、サヴァリスはかなり寂しがっているのだと言う事は間違いない。
 まあ、戦っていないと体調を崩すと公言しているから、鍛錬という大義名分が無くなったのが寂しいだけかも知れないが。
 彼にとってガハルドが同門だと言うことは、全く無意味なことなのだろうし。
 レイフォン自身も、ガハルドは罰せられるべきだが、ルッケンスとは関係ないと何度も公式に発表していた事だし。
 双でなければ、ルッケンスは遠の昔に市民の手によって断絶させられていただろう。

「まあ良いわ」

 そんな思考を打ち切り、アルシェイラは本来サヴァリスを呼び寄せた用件について切り出すべく、面倒で仕方が無いがハンモックから身体を起こした。
 そして、滅多に近付かない執務机の引き出しを開ける。
 その引き出しの中には、一年ほど前に返上されたままの天剣がぽつりと存在していた。
 保管庫に入れるとか言う行動を取るべきなのだが、面倒でそんなことする気にならなかったのだ。
 何しろ天剣、ヴォルフシュテインだ。
 レイフォン以外の誰かに使われることを、積極的に拒む恐れもあったために、新たな天剣授受者を探すという行為もためらわれていたのだ。
 まあ、探したからと言って持つに相応しい武芸者がいるとは、とうてい思えないけれど。

「ほれ」
「はい?」

 取り敢えず、気楽にサヴァリスに向かって放り投げる。
 投げられた方は、ある意味非常に珍しく、呆然としつつ反射的にそれを受け取った。
 そして手の中に収まった物を眺めること3秒。

「これをどうせよと?」
「届けなさい」
「・・・・・。レイフォンにですよね?」
「当然だ」

 少し、サヴァリスの周りの空気が変わった。
 いや。部屋全体が熱くなっているような気がする。

「当然ツェルニまでですよね?」
「郵便で送るわけにはいかんだろう」

 いくら何でも、天剣ヴォルフシュテインを郵便で送るという度胸はない。
 となれば、誰か護衛兼運搬係として派遣するのが順当な選択と言える。
 サヴァリスを選んだのは、まあ単なる気まぐれだ。

「ただし!」

 気まぐれだが、褒美を与えやすいと言う事も理由の一部だ。
 多分レイフォンは迷惑がるだろうが、それでもまあ、無いよりはあった方が良いだろうという、ある意味押し売りな思考も混ざっている。

「弱い奴に天剣など不要!」
「おお!」

 褒美が何かをサヴァリスは理解したようで、段々と目が耀きだしている。
 同時に、後ろからカナリスの溜息が聞こえてもいる。
 アルシェイラが何を考えついたのか、それを理解したのだろう。
 だがもう遅い。

「つまりそれは」
「ああ。戦って実力を計って良い」
「弱かったら殺してしまっても?」
「無論だ。弱い武芸者に生き残る資格など無どわ!」
「きゃ!」

 全てを言い終わることが出来なかった。
 なぜならば、サヴァリスが耀いていたからだ。
 人がこれほどまでに耀けるとはとうてい信じられないほどに、まさに黄金の輝きと呼べるほどに眩い、直視してしまえば失明間違い無しの光景だ。
 と言う事で、カナリスと共に手で視界を塞いで輝きが収まるのを待つ。
 だが、輝きは収まるどころか徐々に激しく強く躍動的になってきている。
 これは早々に話を切り上げないと迷惑だ。

「では早々に出立の準備をしろ」
「御意!!」

 その輝きを維持したまま一礼したサヴァリスが、あろう事か王宮の壁を突き破って実家のある方向へと飛び出した。
 いやまあ、アルシェイラの前からいなくなればいいのだが。
 そして、思わず呟いてしまう。

「傍迷惑な奴だ」
「人のことを言えるのですか?」

 突っ込み役のカナリスが溜息と共に言うが、当然アルシェイラには切り返しの手がある。
 とっておきという奴だ。

「ツェルニのことも考えているのだぞ?」
「どの辺がですか?」
「レイフォンとサヴァリスなら、都市が壊れることはないだろう」

 他の天剣の中で、レイフォンと戦って都市が壊れない人間となると、トロイアットくらいしか思いつかない。
 そして、トロイアットを送ってしまったら、来年ツェルニで出産ラッシュになる危険性がある。
 子供を妊娠させたとなると、流石に天剣でも問題になるかも知れない。
 と言う事で、サヴァリスを選んだのだ。
 後付けだが、なかなか良いこじつけだと自画自賛しているアルシェイラだったが。

「あれが、周りの状況に配慮したり、手加減すると思いますか?」
「・・・・・・・・・・・・・」

 既にかなり遠くに行っているにもかかわらず、活剄を使わずにもその輝きを見ることが出来る。
 グレンダン上空に二つ目の太陽が現れたと勘違いした人間が、あちこちで騒いでいるのも、何となく伝わってきている。
 もしかしたら、汚染物質遮断スーツを身に纏っただけで、ツェルニまで自力で走って行ってしまうかも知れない。
 これは少々問題のようなきがしてきた。

「死ぬわねあいつ」
「レイフォン様を怒らせたら、確実に死にますね」

 相手はあのレイフォンである。
 レイフォンの強さとは何か?
 剄量や技量もあるのだが、立つべき大地の堅牢さこそが彼の実力の本質だ。
 ガハルド事件は、その大地を打ち砕き、非常に不安定でいつ暴走するか分からないレイフォンを生んだが、それこそが本質だったのだ。
 見守るべき存在、孫と言って良いだろうそれがいる時、レイフォンはアルシェイラでも危険視するほどの力を発揮してしまうのだ。
 そして、ツェルニに六万人の孫がいる以上、レイフォンに敗北はない。
 サヴァリスは瞬殺されるかも知れない。
 本人もそれが分かっているからこそ、あの凄まじい輝きを放ったのだ。
 クォルラフィンの新しい天剣授受者は、探しておいた方が良いかもしれない。
 そう考えつつアルシェイラは二度目の昼寝をするためにハンモックに戻ったのだった。
 
 
 
 後書きという名の懺悔かも知れない言い訳。

 はい。性懲りもなく集中投稿などと言う事をやっています。
 お気づきの方も多いと思いますが、これはレギオスのご近所さん(富士見ファンタジア文庫)の、ブラックブラッドブラザーズからいくつかの設定と多くのインスピレーションをもらってでっち上げました。
 十一月初めから始めて、僅かに六週間で完結させました。
 いかがだったでしょうか?
 実はこれ、始めは賢者リーリンと、護衛者レイフォンのドタバタ珍道中を計画していたのですが、シュナイバル編を考えている最中危険性に気が付きました。
 いくつもの都市で奥さんと子供を大量生産しているレイフォンと、それに振り回されるリーリンになってしまいそうだったのです。
 これは拙いと言う事で、このような作品と相成りました。
 護衛者レイフォンのために、銀色の刀を持っていたり、言葉遣いがやや古かったり、年を取らなかったり、戦闘衣や都市外戦装備は真っ赤なのです。
 そして、アヒル口の彼女役は今回ミィフィにやってもらいました。
 紫頭は、ヴァンゼの予定でしたが結局出せませんでしたね。
 永遠の十五歳はノリですのであまり突っ込まないで下さい。
 更に、ここでも戦う男サヴァリスさんが登場。
 天剣を持ってツェルニへ。
 レイフォンに殺されなければ、この後の汚染獣戦で元気に戦ってくれるでしょう。
 ちなみに、この先は書きませんので期待しないで下さい。
 書き逃げとか言われそうですが、十六巻があんなことになるとは思いもよらず、このまま進んでしまったら怖いことになりそうなので。
 レイフォンとジルドレイドが日向で芋洋館(ここ重要)をつまみつつ、茶飲み話をする。
 もちろん、最近の若い者はとか、家の孫はとか言う内容。
 そしてその二人を介護(一番重要)するニーナ。
 こうなってしまってはもう、蜘蛛の巣が張っても誰も気が付かないでしょう。
 と言う事で続きは書きません。
 レイフォン(BBR)とジルドレイド(原作)ダン(復活)、ティグリスとデルク(超)みんなそろって老人戦隊、グチレンジャーとか、絶対に書きません。
 もちろん、司令官はデルボネで。
 もし、万が一にでも書きたい方がいらっしゃったら是非やって下さい。
 楽しみに待たせて頂きます。
 
 さて。
 初期段階では主役を張る予定だったリーリンが、本編には全く出てきていません。
 それはもう名前も出てきていません。
 何故か?
 ガハルドに殺された?
 レイフォンの子供を産んでグレンダンにいる?
 他の都市に移住していて、出てこなかっただけでツェルニに居る?
 そんな事はありません!
 ただ単に、俺が忘れていただけです。
 と言う事で、リーリンについてもご自由にご想像下さいませ。
 
 
 では、この作品が年末年始の退屈な時間を潰す一助になりましたら、これ以上に嬉しいことはありません。
 皆さん良いお年を。



[18444] 死闘 ヴァン・アレン・デイ 前編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/02/07 21:11


警告。
 この作品は甘すぎます。
 大変危険ですのでご注意下さい。
 
 
 
 
 

 全く突然ではあるのだが、今日はヴァン・アレン・デイというイベントがあるらしい。
 らしいというのは、レイフォンにとってその手のイベントは参加したことがないから、全く他人事としてしか認識出来ないのだ。
 何しろグレンダンにいた頃は、孤児院のためにお金を稼ぐことだけしか考えていなかったし、ツェルニに来てからは武芸科に転科したり、ニーナに付き合って訓練をしたり、更には汚染獣が攻めて来たと言えば戦場に駆り出されたりと、心休まる暇が無かったからに他ならない。
 そう。全くの他人事としてしか認識出来ていなかったから、今日というまさに完璧なタイミングで、喫茶店のバイトなどと言う物を気軽に引き受けてしまったのだ。
 そして、その気軽な決断が今、まさに目の前で恐るべき事態に遭遇するという、あまりにも恐ろしい制裁としてレイフォンの身に降りかかっているのだ。
 午前中の穏やかな日差しが斜めに降り注いでいる、小さめの喫茶店にいる客はたったの二人だ。
 その二人を接客する事こそが、今のレイフォンに課せられた仕事なので、当然のように注文を聞きに行く。
 この場所を考えると、少々おかしな二人組だと思うが、いてはいけないという訳でもない中途半端な客だ。

「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」

 まず最初に、威風堂々と注文された事に驚いた。
 そんなメニューがここに存在していたと言う事にも驚きを覚える。
 ここはどう割り増しをしても普通の喫茶店でしかない。
 そんな普通の喫茶店に、何でそんな恐ろしげなメニューが存在しているのか、それが非常に不思議でならないのだ。
 だが、その疑問も今目の前でその恐るべき注文を発した人間に比べれば、大したことがないと言い切れてしまう。
 そう。注文した人間とは。

「生徒会長と、武芸長」

 そう。実質的にこのツェルニを支配している陰険腹黒眼鏡の、銀髪イケメン生徒会長ことカリアン・ロスと、武芸科全生徒を統率して、目前に迫っているだろう武芸大会に向けて背水の陣で望み、そして勝利を狙うヴァンゼ・ハルデイその二人なのだ。
 これがナルキやミィフィ、メイシェンだったら何の問題も無かった。
 食べた物が何処に入って行くのか疑問ではあるが、それでも驚きこそすれ恐れることはなかっただろう。
 一億歩ほど譲って、ニーナやフェリだとしても、少々意外な印象を受けるだけであっさりと頷くことが出来ただろう。
 だが、あろう事か注文したのはカリアンとヴァンゼなのだ。
 驚いて当然だし、恐怖しても何ら不思議はない。

「やあ。レイフォン君じゃないか」
「バイトかアルセイフ?」

 全く何時も通りに二人から返事が来る。
 五人がけのU字型になったテーブルを二人で占領し、悪友との語らいを楽しもうという雰囲気と共に返された。
 何時も通りの行動であり、何時も通りの注文であると、この二人は無言で主張している。
 これで、この二人が周りを気にしているというのならば、これほど恐れることはなかったはずだ。
 それは今の事態が、非日常であるという証拠だからだ。
 だが、堂々と誰の目もはばかることなく注文していると言う事は、これこそがこの二人にとって日常なのだと言う事になる。
 
「出来ればなのだが」
「注文を取り次いでもらえるだろうか」
「は、はい。え、えっと」
「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」

 もちろん、臨時雇いであるレイフォンに、そんな恐ろしい商品についての知識など有るはずもなく、一度聞いただけではきちんと復唱することも出来なかった。
 と言う事で、もう一度二人から注文の品を聞き出し、メモ用紙に書いて厨房に持って行くことしかできない。
 名前からすると、とんでもなく巨大なチョコレートパフェらしいことが分かるが、どれほど巨大かなどと言うことは認識したくなかった。
 だが、残念なことに、レイフォンがバイトすることになったこの喫茶店は現在人手不足なのだ。
 いや。ツェルニのそこここが人手不足なのだ。
 ヴァン・アレン・デイというのは、ツェルニではかなりメジャーなイベントらしく、かなりの生徒が遊びに行ってしまっていて、働き手が非常に少なくなってしまうらしい。
 そうでなければ、全くの素人であるレイフォンが接客業など頼まれると言う事はない。
 そう。出来上がった恐るべき食べ物を注文した二人の元へと、運ばなければならないのだ。

「う、うわ」

 目の前には、恐るべき化け物が居る。
 直径三十センチはあろうかという、透明な樹脂製のバケツに似た容器の全高は、最低でも五十センチに達している。
 さらに、その容器では物足りないとばかりに、山盛りに何か色々な物が乗っているような気がする。
 カリアンの注文したスーパージャンボチョコレートパフェは、白いスポンジの上に大量のカスタードクリームが重ねられ、その上にこれでもかとチョコレートクリームが上乗せされている。
 そのチョコレートクリームが上から見えないほどに、色取り取りの果物が飾られ、頂上にサクランボが恥ずかしげに自己主張をしている。
 対するヴァンゼの最強なりしチョコレートパフェ特大は、茶色のスポンジの上にチョコレートクリームと生クリームが層をなして重ねられ、その上にココアパウダーを振りかけたカスタードクリームで飾り付けがなされている。
 そして頂上に鎮座するのが、ココアバターをふんだんに使ったと思われるチョコレートの固まり。
 見ただけで胃もたれが起きそうなその巨大で凶暴な食べ物を、そっと二人の元へと運ぶ。
 運んだら速攻で逃げ出してしまわないと、暫く何も食べられないと思えるほどに凄まじい食べ物だ。
 これをあの二人が食べると思っただけで、気が遠くなってしまう。

「お、お待たせしました」

 慎重の上にも慎重を重ねて、安全と思える間合いを取りつつテーブルに乗せる。
 決して視線を合わせてはいけないのだ。

「ああ。この頂上を飾るチェリーの奥床しさ」
「うむ。最強の名にふさわしい、君臨するチョコレート」

 二人とも、目の前のあまりにも恐るべき食べ物を見ても、何ら臆することなく戦いを挑もうとしているようだ。
 レイフォン以上の勇者であることは間違いない。

「「この時期しか楽しめないというのが悔やまれる」」

 どうやら、ヴァン・アレン・デイのための特別メニューであるらしい。
 とても安心出来る情報だ。
 二人がそろってスプーンを手に取ったのを確認して、遠ざかろうとしたのだが。

「一緒に食べて行かないかね、レイフォン君?」
「何時も苦労をかけているのだ、おごるぞ、食べて行け」

 二人から恐るべき提案がなされた。
 しかも、話の流れをそのまま素直に考えると、二人は全くの善意で提案してくれているように聞こえる。
 甘い物が苦手なレイフォンにとって、これは嫌がらせ以外の何物でもないのだが、善意の提案というところに非常な問題が有る。
 断りづらいのだ。

「い、いえ。今仕事中ですから」

 だが、レイフォンには奥の手があったのだ。
 そう。人手不足こそが今レイフォンが使うべき奥の手なのだ。
 今現在接客に回れる人間は、レイフォンただ一人。
 他の人間と言っても、それは店長ともう一人だけ。
 その二人は共に厨房で腕を振るっているのだ。
 ならばもう、レイフォンが接客をするしかないではないか。

「安心したまえレイフォン君」
「俺達が食い終わるまで誰も入ってこない」
「う、うわぁ」

 二人が占領しているのは窓際の席だ。
 当然外から丸見えである。
 そして、その恐るべき光景を目撃した人達は、視線をそらせて足早にこの店から遠ざかって行く。
 確かに、二人が食べ終わるまで誰も入ってこない。
 万事休すである。

「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 二人からのプレッシャーが厳しくなる。
 それは既にアルシェイラのそれを軽く凌駕している。
 恐るべき事態で、レイフォンの身体は全く動かない。
 普段は思うがままに使いこなせる剄脈も、縮こまってしまって全く活動しない。

「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 二人の手が伸びてきて、レイフォンを捕まえる。
 あまりの恐怖に、完全に思考まで停止。
 促されるままに、二人と同席してしまった。

「ああ。この私を食べてと懇願しているチェリーのなんと魅力的なことか」
「うむ。存在そのものがまさに最強のチョコレート。これを頭上に頂いているとは、まさに最強」

 そう言いつつ二人で巨大で、凶暴で、更に凶悪な食べ物をせっせと攻略して行く。
 それを見ているレイフォンの胃は、既に限界だ。

「このチェリーがあるからこそ、チョコレートパフェは偉大なのだ。そう思わないかねヴァンゼ?」
「何を言うカリアン。完璧であるチョコレートを果物が冒涜していることに、何故気が付かんのだ」
「何を言うのかと思えば。甘さと苦みと酸味の三位一体のバランスこそが、全ての食べ物の頂点に君臨するチョコレートパフェの神髄だというのに」
「おろかだなカリアン。完璧なチョコレートに酸味など不要。苦みと甘みをとことん堪能することが出来るチョコレートパフェこそが、究極の食べ物だ」

 なにやら、お互いの主義主張には隔たりがあるようだ。
 熱く語りつつ共に食べる速度は一切衰えず、魔法にかかったかのようにどんどんと消費されて行くパフェ。
 背筋に悪寒が走りついでのように凍り付き、身の毛がよだち、そして、あまりの事態に魂が何処かへと旅立ってしまった。

「む?」
「ぬ?」

 そして気が付いた。
 本当に魔法にでもかかったかのように、あるいはレイフォンの時間が止まってしまったかのように、巨大で、凶暴で凶悪な食べ物が忽然と消えてしまっていたのだ。
 痕跡と言えば、もはやそれは巨大で透明な容器だけ。

「済まないが」
「追加を頼む」
「・・・・・・・」

 脳が二人の言葉を理解することを拒否した。
 そして、その拒否こそがレイフォンの運命を決定的に狂わせてしまった。

「お待たせしました」
「え?」

 二人が注文した次の瞬間、店長ともう一人が厨房から出てきて、それぞれの前に先ほどと同じ食べ物を置いていったのだ。
 そして、そそくさと厨房へと引き返す。
 まるで逃げるように。

「おお! 相変わらず素早いね」
「うむ! これでこその喫茶店だ」

 なにやら二人は熱く同意しあい、再びスプーンをその手に持った。
 何も食べていないはずなのに、レイフォンは既に満腹状態だ。
 だが、世界はあまりにもレイフォンに対して過酷だった。

「ところでレイフォン君?」
「お前はどっちを支持する?」
「はひ?」

 突然に話を振られて、ここでも思考が硬直してしまった。
 探る二人の視線が注がれる。
 どっちを支持するかと問われても、何をどう支持するのかという以前に、質問の意味が全く分からなかった。
 だが、カリアンのスプーンがチェリーを突き、ヴァンゼのスプーンがチョコレートを突いていることで、やっと理解出来てきた。
 つまり、チョコレートパフェにフルーツは必要か、それとも不必要かという論争に巻き込まれているのだ。

「え、えっと。そもそも食べたことがないので」
「な、なに!」
「なんだと!」

 レイフォンの言葉に、驚愕してしまう二人。
 そんなに異常な事態なのだろうかと考えるが、レイフォンの常識からすると何の不思議もない。
 そうなると、二人の常識的には驚愕的な事実なのだろうと、そうも思うのだが。

「それはいかんねレイフォン君」
「俺達がおごるから食って行け」

 と、何時注文したか不明だが、レイフォンの目の前に通常サイズのパフェが二つ置かれた。
 非常識な巨大さでないだけましかも知れないが、それでもこれはかなりきつい。

「いきなり素人に巨大なパフェはきつかろうと思ってね」
「それを食ってそして考えてくれ。チョコレートパフェに果物など不要だとな」
「ヴァンゼ。レイフォン君まで邪道に貶めるのは良くないよ。自分で考えてフルーツ込みのチョコレートパフェこそが至高であるという結論に達しなければね」
「お前こそ未来ある若者を剄脈の暗黒面に導くべきではないな」

 なにやら目の前で、天剣授受者以上の人外が二人して、猛烈な速度で何かしているような気がする。
 そしてレイフォン自身も、なにやら口の中に入れているような気がする。
 味など全く感じられないが、もしかしたら何かを食べているのかも知れない。
 そして、口の中に何か入ってくる度に、身体の中から何かが抜けて行くような、そんな不思議な感覚も覚えている。
 非常に不可解で不思議な現象に陥っているようだ。

「さてレイフォン君?」
「完食したところで答えて欲しいのだが」

 気が付けば、目の前には空になったパフェの入れ物が二つある。
 そして、レイフォンはと言えば、カリアンとヴァンゼが腹の中に住んでいるのではないかと思えるほど、猛烈な重さを胃の付近に感じていた。
 更に恐ろしいことに、目の前では人外の生き物が二つ、3杯目の巨大な何かを攻略にかかっている。
 気が遠くなった。
 それはもう、幼生体戦で汚染物質に灼かれながら洞窟を走り抜けた時よりも、更に激しく何かに焼かれているというか、もっとこう、人間として何か間違っているのではないかと思えるような、凄まじい状況だ。

「チョコレートパフェに、フルーツは絶対に必要だよね?」
「チョコレートという究極の料理に、酸味など不必要だな?」
「スーパーチョコレートパフェこそが、最上だよね?」
「最強なりしチョコレートパフェこそが、究極の存在だな?」
「あ、あう」

 3杯目の何かを抱えながら、スプーンでそれを掬いつつ迫り来る二人。
 この状況でどちらかを選ぶなどと言うことは出来ない。
 そもそも、目の前にある以上食べたはずだと言う事は間違いないが、味を全く覚えていないという非現実があるのだ。
 この状況でどちらかを選ぶなどと言うことは、とうてい出来ない。

「勿論スーパーチョコレートパフェだよね?」
「当然最強なりしチョコレートパフェだな?」
「あ、あう」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 徐々に、しかし確実に迫る二人。
 その凄まじさはいささかの衰えも見せない。
 レイフォンはもう、この世で幸福になることなど出来ないかに思われた、まさにその瞬間。

「も、申し訳ありませんが」
「何だね?」
「どうした?」

 ゆっくりと息をつき、猛烈な重さの腹を宥める。
 喋ることはおろか、息をすることさえ困難なのだが、それでもなんとか言わなければならない。

「僕はティラミス派なので、パフェのことは分かりかねます」
「な、なに!」
「ぬん!」

 言った直後二人が硬直する。
 だが、この手で何とか乗り切らないと本当にレイフォンは死んでしまうかも知れない。
 決死の覚悟で偶然視界に入った、ショーケースの中のケーキを見詰める。
 ここは喫茶店だ。
 一応普通のケーキも置いてあるのだ。
 いや。普段は普通のケーキしか置いていないはずなのだから、当然であるのに違いはない。

「そうか。それは残念だね」
「うむ。ティラミスとは驚いたが」
「それならばパフェの良さが分からなくても仕方はないか」
「非常に不本意だが、嗜好品を押しつけるのは良くないな」

 どうやら二人とも納得して、引き下がってくれたようだ。
 散々、自分の主義主張が正しいと、レイフォンに言わせようとしていたことには目を瞑って、ゆっくりと席を立つ。
 これ以上の暴力には耐えられそうにないのだ。

「それでは、仕事に戻りますので」
「うむ。ご苦労だね」
「励んでくれ」

 二人からの暖かい声援を受けて、厨房へと逃げ込むことに成功した。
 逃げ込んだ次の瞬間、店長ともう一人に肩を叩かれたのは、非常に納得が行かなかった。
 間違いなく、レイフォンを生け贄にするために、今日という日に雇ったのだと分かってしまったから。
 
 
 
 喫茶店での仕事を終えたレイフォンは、天剣授受者の中でも多いと評価されている剄脈を総動員して、先ほど食べたパフェを消化していた。
 怪我を回復させるために活剄を使ったことは多いが、まさか消化を促進するために使う日が来ようとは夢にも思わなかった。
 今までにない方法で活剄を使っているために、少々効率が悪いが使わない状況より遙かに早く消化している。
 そして、使っているのはレイフォンなのだ。
 器用さだけならばグレンダンのどんな武芸者も足元にも及ばなかったその実力を遺憾なく発揮して、猛烈に重い胃の中身を凄まじい速度で消化して行く事が出来るようになりつつある。
 摂取したカロリー的には、実は大したことはないはずなのだが、あまりにも甘い物を大量に食べてしまったために、活剄を使って消化能力の底上げをしないと、数日は何も食べられそうになかったのだ。
 だと言うのに、カリアンとヴァンゼはあんな恐ろしい物を、平然と三つも食べてのけていた。
 天剣授受者が強大な剄脈を持っていたとしても、そんな物は全く無意味な世界があるのだと、思わず心の底から納得してしまうほどに凄まじい体験だった。

「レ、レイとん」
「はい?」

 そんな凄まじい体験を終えて、生きて寮へと帰れる喜びを満喫している最中、恐る恐るとかけられた声に振り向く。
 レイとんと呼ばれただけで、おおよそ候補は絞り込めていた。
 現在ツェルニでそう呼ぶのはただの三人。
 その中で、恐る恐るとレイフォンを呼ぶのはただ一人。
 振り返った先にいたのは、予測通りの人物だった。
 何時も泣き出しそうな瞳をした黒髪の、大人しい少女であるメイシェンだ。
 いや。今日はいつも以上に泣き出しそうな瞳でレイフォンを見つめている。
 何かあったのだろうかと小首をかしげて、そして恐怖した。
 そう。メイシェンは一片が三十センチはあろうかという、紙で出来た箱を抱えているのだ。
 中身は何だろうかと普段ならば考える。
 だが、ヴァン・アレン・デイである今日は考える必要はない。
 お菓子である。
 何しろメイシェンの趣味はお菓子作りだ。
 これで他の食べ物だったというオチならば、是非とも願いたいところではあるのだが、間違いなくそうはならない。

「こ、こんばんはメイ」
「こ、こんばんはレイとん」

 取り敢えず無難な挨拶から入って、今まで以上に活剄の密度を上げて、チョコレートパフェを消化する。
 1秒でも長く、この消化作業をするために老性体戦で使った以上の活剄を総動員する。

「あ、あの」
「なんでしょう?」

 あうあうと口元をもごもごさせながらも、必死になってレイフォンを見詰めるメイシェン。
 あまりにもその必死な態度に、何故か不明な罪悪感が湧いてきた。

「え、えっと」
「あ、あう」

 とは言え、レイフォンにこの場をどうにかするという甲斐性は存在していない。
 二人して、あうあうと言って時間が無駄に流れてしまっている有様だ。
 いや。無駄ではない。

「えっと、それってお菓子?」
「あ、あう。お菓子です」

 やはりお菓子だった。
 だが、今のやりとりで稼いだ30秒は無駄ではない。
 その時間で何とかチョコレートパフェを消化し尽くすことが出来た。
 摂取したカロリーを消費することは流石に出来なかったが、活剄を使ったために上がった体温がやってくれるだろうと確信して、メイシェンの次の言葉を待つ。

「もし良かったら、一緒に食べてもらえませんか?」
「喜んで」

 喜んでと言った時、きちんと笑えていたか疑問だが、取り敢えずメイシェンの方は、まさに耀くばかりの笑顔になっている。
 この笑顔を生み出せたのだから、きっとレイフォンも笑えたのだろうと思うのだ。
 だが。

「えっと、何処で?」
「あ、あう」

 何処で食べるかという問題がすぐに出てきた。
 何しろここは人通りが少ないとは言え、天下の往来なのだ。
 今も一人の少年が、レイフォンに殺意の視線を飛ばしつつ、路面を蹴りながら寮のある方向へと去っていった。
 殆ど顔を知っているだけの人物に、何故殺意を向けられるのか全く理解出来ないが、取り敢えず実際に戦闘にならなかったから良しとしよう。

「え、えっと。れ、れれれれ」
「れ?」
「レイとんの部屋で食べませんか」

 一転、何故か不明だが涙を流しつつそう言うメイシェン。
 今日は意味不明な事態が立て続けに起こる日のようだ。
 そんなどうでも良いことに驚きつつも、返事は当然一つだ。

「別にかまわないけれど」
「あ、あうあう」

 何故か更に涙を流しつつ取り乱すメイシェン。
 なにやら感情が複雑に混ざり合っていて、判別不可能で全く意味不明である。
 全く意味不明だが、危険であることは何となく分かった。
 どんな風にかは全く理解出来ていないが、それでも危険であることは間違いないと本能が告げている。
 なのでそれを回避するために、現在位置と周りにある施設を脳内で高速検索。
 使えそうな場所が一つ見付かった。

「でも、掃除していないから少し違うところにしようか」
「あ、あうぅぅぅぅぅぅぅ」

 何故か脱力してしまうメイシェンが、非常に不思議だった。
 とは言え、危険であるという感覚は消えているので、ヒットした場所へとメイシェンを誘う。

「こ、ここですか?」
「うん。ここ」

 時々レイフォンも利用する自習室だ。
 自習室と言っても、実際には単なる休憩所となりはてているという、学園都市としては非常に困った施設である。
 だが、冷暖房完備の上に割と大きな部屋を貸しきりにすることが出来る上に、飲み物の販売機まであるとなってしまえば、何かにかこつけて利用しない手はない。
 運良く小さめの部屋が一つ空いていたので、そこへ入って扉を閉める。
 そして違和感を覚えた。
 扉を閉めた瞬間、メイシェンの周りに変な緊張感が漂い始めたのだ。
 その姿は、何かから身を守ろうとしているように思えるのだが、ここにはレイフォン以外にいないのだ。
 全く意味不明だ。
 だが、一つだけ思い当たることがある。

「あ!」
「ひっぃ!」

 思わず声を出してしまったために、小さな悲鳴を上げて身体を硬直させるメイシェン。
 だが、これは全てレイフォンが悪い。

「飲み物買ってきてないね」
「あうぅぅぅ」

 メイシェンは何故か脱力してしまったが、兎に角飲み物を調達しなければならない。
 そのために閉めたばかりの扉に手をかける。
 自動販売機しかないが、それでも飲み物なしでお菓子を食べられるほどレイフォンは強靱な生き物ではないのだ。
 
 
 
 
予告
 何が違う? 何が変わった?
 全て同じチョコレートだ!
 だが、レイフォンの身体はその違いを感じ始めていた。
 そして訪れる最大の恐怖!

次回 ショート・オブ・レギオス
死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編
 
 もう一度レイフォンと共に地獄を見てもらおう。



[18444] 死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/02/14 21:35


警告。
 この作品は甘すぎます。
 大変危険ですのでご注意下さい。
 
 
 
 覚悟を決めた以上やらなければならないので、メイシェンの希望を聞き、自分の分も飲み物を買ったレイフォンが部屋へと戻った瞬間、世界が終わる音を聞いてしまった。

「う、うぁ」

 狭い部屋の中央に置かれたテーブルに、メイシェンが取り出していた物はケーキだった。
 それは直径が三十センチはあった。
 それの高さは、確実に十センチはあった。
 更に、チョコレートでコーティングされていた。
 止めとばかりに、コーヒークリームでデコレーションされていた。
 もしかしたら、スポンジもチョコレートかも知れないと言う恐怖が、レイフォンの歩みを完全に止めさせる。
 汚染獣相手だったならば、例え老性六期だったとしても恐れることがなかったレイフォンだが、目の前の敵はそんな生やさしいものでは無い。

「あ、あのレイとん?」
「あ、あう」

 だが、逃走は許されない。
 レイフォンの動揺と硬直を見たメイシェンが、もしかしたら食べたくないと言い出すのでは無いかと不安がっているのだ。
 既に表面張力で支えられている涙を見た以上、逃げる事など出来はしない。
 そして同じ理由によって、敗北も許されない。
 残してしまったが最後、きっとメイシェンの心に一生残る傷が出来てしまうから。
 そう。目の前の恐るべき敵に挑み、そして勝つ以外の選択肢など無いのだ。

「美味しそうだね」

 動揺と硬直を必死に殴り倒して微笑みつつ、脚が震えていることを気取られないように細心の注意を払いつつ、ついでに飲み物を溢さないように気をつけつつ、テーブルに近付く。
 やると決めた心が折れてしまいそうだが、全力でそれを防ぎつつも、出来れば汚染獣がやってきて有耶無耶の内にご破算にならないかと願ってしまっている。
 そんな物騒な事を考えているなどと、当然知らないメイシェンが、それでも笑顔を作り力作の紹介をしてくれる。

「昨日から二日がかりで、一生懸命作ったんです。一緒に食べようと思って」
「そ、そうなんだ。有り難う」

 もし、万が一にでも、先ほどあの強大で凶暴で凶悪な恐るべき食べ物をこの世から消滅させていた二人を見ていなかったら、全く何の問題も無く食べきることが出来ただろう。
 甘い物があまり得意でないレイフォンのためにと言うことは、目の前のケーキは甘さ控えめなのだ。
 普段だったら、一人で全部食べることも出来るに違いない。
 そう。今日でなければ。

「い、頂きます」
「はい。召し上がれ」

 始めから逃走などと言う選択肢はないのだが、それでも目の前で期待のこもった視線で、必死に見詰められてしまってはどうすることも出来ない。
 手が震えるのを何とか押さえつけつつ、切り分けられたピースにホークを伸ばす。
 小さすぎないように切り取り、そして恐る恐ると口へと運び。
 一口。

「!!」

 まず始めに感じたのは苦みだった。
 奥深くコクのある苦味が舌の上に広がる。
 そして、ほのかに感じる甘味と、その更に後ろに隠れている微かな酸味。
 シナモンの香りをアクセントにしたそれは、ケーキという姿を借りた芸術品だった。

「あ、あの、れいとん」
「な、なに?」

 甘い物があまり得意でないレイフォンにとって、このケーキはまさに奇跡のような存在だった。
 何もない平和な一日の終わりだったなら、本当に丸ごと一つ食べることだって出来るだろう。
 だが、そのレイフォンの感動を見ているはずのメイシェンは、何故か酷く戸惑っているように見える。
 いや。むしろレイフォンを心配しているのだろうか?
 もう少しで取り乱しそうな雰囲気と共に、ゆっくりと唇が開いて言葉を送り出す。

「な、泣くほど美味しくなかったですか?」
「え?」

 心配しているのではない。
 もしかしたら、泣くほど不味い物を作ってしまったのではないかと、猛烈な自己嫌悪の一歩手前だったのだ。
 そして、気が付かないうちに流れていた嬉し涙をぬぐう。

「違うよ」

 安心させるために、そっと微笑む。
 今は確実に笑えているはずだ。
 本当に美味しいから。

「涙が出るほど美味しいんだ」

 そっと手を伸ばし、ホークに掬った一切れをメイシェンに差し出す。
 少し戸惑ったように見えたメイシェンだが、そっと口を開けてケーキの味を確認する。
 メイシェンが作るお菓子が、不味いなどと言うことはないのだ。
 今日見てきた、あの暴力的な何かと比べるべくも無く、とても美味しいのだ。

「良かった」

 自分の作った物の味を再確認して、それが不味くないことに納得がいったのか、メイシェンの表情が穏やかになった。
 そして唐突にレイフォンは理解してしまった。
 カリアンとヴァンゼは何も理解していなかった。
 チョコレートとはかくあるべき食べ物なのだと。
 あんな暴力的に加工してはいけないのだ。
 人生で始めての体験である、本当のチョコレートケーキを食べつつ、今生きている幸せも一緒に噛みしめた。
 
 
 
 メイシェンの持ってきてくれたケーキはまさに絶品だった。
 かなり大きかったが、五分の三はメイシェンが食べた。
 あの細い身体の何処に消えたのか全く不明だったが、それでも事実としてケーキは跡形もなくこの世から消滅した。
 いや。胸付近なら十分に収納出来るかも知れない。

「・・・・・・・・・・・」

 不埒なことを一瞬ほど考えたが、それでもあのケーキが美味しかったことに変わりはない。
 そして残ったのは、メイシェンの幸せそうな笑顔と、レイフォンの満たされた心だった。
 チョコレートケーキがあれほど美味しい物だとは思いもよらなかったのだが、間違ってはいけない。
 あれはメイシェンがレイフォンのために作ってくれたからこそ、あれだけの美味しさを発揮出来たのだ。
 普通に売られている品物と比べることは許されない。
 と言うわけで、喫茶店の接客で酷い目にあったが、一日の収支としてはとんとんである。
 いや。むしろ黒字である。
 鼻歌交じりに帰宅するくらいには黒字なのだ。
 だが!

「フォンフォン」
「はい?」

 この呼び方でレイフォンを呼ぶ人間は、ツェルニでただ一人。
 陰険腹黒眼鏡のイケメン生徒会長カリアン・ロスの妹さんだ。
 優秀な念威繰者であり、無理矢理武芸科に転科させられ、カリアンを恨んでいると公言してはばからないフェリだ。
 そして、こんな近くに来るまで接近に気付かなかった己の未熟さを呪いつつも、何故か走馬燈が見えた。
 その走馬燈の中に、何時ぞやの老性体戦の前に、フェリが料理をするところが見えた。
 その手つきは極めて危険であった。
 その記憶と共に振り返って姿を確認したレイフォンは、今日何度目かの絶望を味わった。
 箱を抱えているのだ。
 一片が五十センチはあろうかという、巨大な箱だ。
 高さも、最低限三十センチはある。
 そして何よりも、かなり重そうにフェリに抱えられたその箱の中身は、今日という状況から考えるとお菓子に違いない。
 走馬燈が見えたのは気のせいではなかったようだ。
 メイシェンのケーキで持ち直したはずの胸のむかつきが再現してきている気がする。
 更に悪いことに、活剄を使って消化能力を促進していなかった。
 つまり、胃の中にまだケーキが残っているのだ。
 そんなレイフォンの事などお構いなしに、何時も無表情なフェリだが、今は少し不安そうな空気をその身に纏っているような気がする。
 そして、その空気と共に、ズイと箱が差し出された。

「お菓子です」
「あ、あの?」
「お菓子です」
「え、えっと?」
「お菓子です」

 何か恐るべき兵器で攻撃されているような気がしてきた。
 不安そうな空気を纏いつつも、無表情で迫ってくるフェリから後ずさろうとして、そして気が付いた。
 念威端子に囲まれている。
 それは、いくら元天剣授受者だったとしても逃げ切ることが出来ないほどに、高密度且つ広範囲に浮遊する念威端子の包囲網だ。
 そしてその念威端子が無言で語っているのだ。
 拒否は許さないと。

「い、頂きます?」
「何故疑問系なのですか?」
「さ、さあ」

 疑問に思うことはいくらでもある。
 何故フェリがここで待ち伏せしているのかとか、何時料理が出来るようになったのかとか、何故これほど巨大な箱に入っていて、尚かつ重そうなのかとか。
 だが、受け取り拒否は即座に死刑である。
 手が震えないように、細心の注意を払いつつも受け取る。
 予測に反することなく、その箱はかなり重かった。
 最低でも五キルグラムルはある。
 中身はケーキではない。
 クッキーかも知れないし、もしかしたらチョコレートかも知れない。
 普通に考えて、短い時間で食べきることは不可能だ。
 だが、世界は何処までも理不尽であり残酷であった。
 フェリが更に一歩前と進み出て、一言言ったのだ。

「さあ。食べて下さい」
「い、頂きます」

 迫るフェリに押される形で、箱の蓋を開けたレイフォンは硬直してしまった。
 それはチョコレートだった。
 いや。多分チョコレートだと思う。
 あちこちに焦げ目が付いていて、不揃いである。
 更に何かまだら模様になっている。
 だが、それでも綺麗に箱に詰められたところを見ると、結構真剣に作った作品かも知れない。
 初めての挑戦で、少し失敗してしまっただけかも知れないのだ。
 焦げているとは言え、それは焦げ目が付いているという程度でしかない。
 消し炭になっているわけではないのだから、きちんと食べられる。
 まだら模様になっているとは言え、食べられない物が混ざっているというわけでもないだろう。
 その結論に達したレイフォンは、隠しきることが出来ない手の震えと共に最初の一つをつまんだ。

「安心して下さい」
「!! な、なにをでしょうか?」

 口元へと持って行く前に、フェリの声が聞こえてきた。
 危うく持っていた一欠片を取り落としそうになってしまったが、精神力を総動員してそれを防ぐ。
 そして改めてフェリを見る。
 なにやら自信満々な様子だ。

「兄を使って実験、いえ。・・。生け贄、なんてことはなく、毒味、でもなく・・・・。そう。味見をしてもらっています」

 なにやらカリアンに同情したくなったのは、どういう精神的な動きがあったのだろうか?
 自分のことながら少し不思議だ。
 だが、カリアンを使って安全が確認されているのならば何も恐れることはない。
 何時実験だか生け贄だか毒味だかをさせたか、非常に疑問ではあるが、それでも安全が確認されているのならば大丈夫だ。
 大丈夫だと良いなと思いつつ、勇気を振り絞って、小さめの一つを口の中に放り込む。

「!!!」

 次の瞬間感じたのは、苦味だった。
 香ばしく軽やかな苦味だ。
 これは間違いなくチョコレートを焦がしてしまった時の副産物である。
 だが、その軽やかな苦味が心地よいような気がする。
 そして次に感じたのは、何故か酸味だった。
 果物の酸味ではないような気がするが、では何かと問われると非常に困る感じの酸味だ。
 だが、これも悪くはない。
 軽やかな苦味とやや刺激的な酸味は、レイフォンの舌を多少刺激する程度ですんなりと口の中に溶けて行く。
 そして、そのあとからやって来たのが微かな甘味。
 これはこれで有りだ。
 一般的なチョコレートとは、やや味の配分というか順序が違うが、それでも食べられないというレベルの話では無い。

「美味しいですよ。少し変わっていますけれど」
「そうですか。兄の犠牲は無駄ではなかったのですね」

 やはり、カリアンは既にこの世にないようだ。
 静かに黙祷を捧げつつ、ふとおかしな事に気が付いた。
 フェリの視線が厳しいままなのだ。

「あ、あのフェリ?」

 疑問に思う。
 これだけの質量を持ったお菓子を、短時間に食べきることは不可能。
 チョコレートである以上日持ちするはずだから、冷蔵庫などに入れておいて、ゆっくり消費するのが通常の行動のはずだ。
 だと言うのに、フェリの視線は語っているのだ。
 ここで全部食べろと。

「さあフォンフォン。遠慮しないで私の目の前で、全部食べて下さい」
「ぜ、全部ですか?」

 はっきり言って、五キルグラムル以上あるチョコレートを食べるとなると、最低でも一週間はかかる。
 他に何も食べなくて、死ぬ思いで食べても一週間はかかるはずだ。
 普通に考えれば二ヶ月はかかる。
 それを、今、フェリの前で食べろと言うのだ。
 これはもしかしたら、善意に基づく拷問ではないだろうかと勘ぐりたくなってしまう。
 だが、やはり逃走も敗北も許されないのだ。
 美味しいと思っていることもそうだが、善意の行動である以上それを疎かにすることは出来ないのだ。

「で、でも」

 でもである。
 流石にこの量は多すぎる。
 全力の活剄を使って消化したとしても、当然限界がある。
 体表面の毛細血管を最大限拡張して、余分なエネルギーを放熱させたとしても追いつかない。
 褐色脂肪細胞を酷使したら、もしかしたら食べきることが出来るかも知れないが、問題が有る。
 レイフォンの体脂肪率は少ないのだ。
 当然、褐色脂肪細胞の数だってたかが知れている。
 となれば、フェリの注文に応えることは不可能。
 だが、レイフォンを見詰める視線を前に、否と答えることは出来ない。

「えっとフェリ?」
「何でしょうか?」
「一緒に食べませんか?」

 となれば対応は自ずと決まってくる。
 メイシェンはレイフォンよりも多くチョコレートケーキを食べることが出来た。
 ならば、フェリも多く食べることが出来るのではないかと考えたのだ。
 二キルグラムルくらいならば、何とか食べられるかも知れない。
 と言う事で、フェリには三キルグラムルほど食べて欲しいのだ。

「分かりました。そちらに自販機がありますから移動しましょう」
「そうしましょう」

 レイフォンの提案は何の問題も無く受け入れられた。
 これは幸先が良いかもしれない。
 そして二人で飲み物を買い、ベンチに座って巨大な箱を中央に置いた。
 取り敢えずレイフォンが先行して、一つつまんで口に放り込む。
 やはり苦味と酸味を感じるが、きちんと食べることが出来るチョコレートだ。
 喫茶店で体験したあの恐怖の食べ物とは、雲泥の差がある。
 だが、おかしい。

「あ、あのフェリ?」
「・・・。私の事は気にせずに食べて下さい」

 何故か、フェリのアクションが全く無いのだ。
 これはかなりの計算違いだ。
 これではまるで、レイフォン一人で食べているのと変わらない。

「胸がいっぱいなのです」
「胸ですか?」

 思わずフェリの胸元を見る。
 確かに、メイシェンと比べたら収納出来る体積はかなり小さいかも知れない。
 となれば、既に何かの理由で限界まで入ってしまっているのかも知れない。

「死にますか?」
「ごめんなさい」

 当然そんな視線を感じ取ったフェリに怒られてしまった。
 と言う事で、せっせとチョコレートを口に運ぶ。
 段々味が分からなくなってきた。
 いくら活剄の密度を上げても、ちっとも消化しているという感覚がない。
 だが、確実にレイフォンの身体は余分に取ったカロリーを熱として放出している。
 確実に食べてそのエネルギーを消費しているはずだというのに、目の前にある箱の中身はちっとも減ったという感じがしないのだ。
 これはやはり拷問かも知れない。

「三日ほど前から」
「はひ」
「色々と試してきたのです」
「はひ」

 段々意識が遠のいてきているような気がする。
 既に走馬燈も見えない。

「散々兄に味見をしてもらったのですが、とうとう昨日倒れてしまいまして」
「そうだったんですか?」

 昨日倒れた人間が、今日あれと戦っていたと思うと、思わず尊敬したくなってしまった。
 だが、カリアンにとってこの時期にしか食べることが出来ないあれは、自らの命を賭けるに相応しい物なのかも知れない。
 死力を尽くして食べていたのかも知れないと思うと、やはり尊敬に似た思いがわき上がってくる。
 いや。もしかしたら、その身はすでに朽ち果て、狂おしい憎悪で魂が変革していたのかも知れない。
 取り憑かれていたら、一巻の終わりだったと恐怖を覚え始めた。
 そんなレイフォンの事などお構いなしに、フェリの回想はいよいよ佳境に入ったようだ。

「それで」
「はひ?」
「自分で味見をしている内に、暫くチョコレートは見たくなくなりました」
「成る程」

 その気持ちはレイフォンにも理解出来る。
 今まさに、レイフォンはその心境なのだ。
 だが、箱の中身を見ないように注意しつつも、一瞬たりともフェリの視線はレイフォンから離れない。
 そしてその視線は語っているのだ。
 全部食べなかったら、レヴァとなってツェルニを滅ぼすと。
 レヴァがなんなのか全く不明だが、レイフォンの献身的な行動によってツェルニが救えるかも知れないことは分かった。
 だからこそレイフォンは食べ続ける。
 例えこの身が砕けようと、あまりにもカロリー摂取が多すぎて鼻血を吹き出そうと、ツェルニを救うために食べなければならないのだ。
 老性体などと言う生やさしい敵と戦っていた天剣授受者が、酷く矮小な存在に思えてきたが、それでも食べ続ける。
 孤独な戦いはまだまだ続く。
 
 
 
 その翌朝から、全力の活剄で外苑部を走り続けるレイフォンが目撃されたとか何とか。
 あまりにも膨大なカロリーは、元天剣授受者でも消費するには時間がかかるらしい。
 
 
 
 全く関係のない事ではあると思うのだが、同じようにジョギングやウォーキングをする女生徒が大量に発生したらしい。
 そして、ヴァン・アレン・デイ特集をやっていた習慣ルックンが、今度はダイエット特集をやって完売したとか何とか。
 色々な事があったが、ツェルニはおおむね平和だ。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。二週にわたって投稿させて頂いた恐怖の戦闘もここに終焉を迎えました。
 最初の計画では、カリアンとヴァンゼのパフェ談義にレイフォンが巻き込まれるだけだったのですが、何故かメイシェンとフェリが飛び入り参戦してこんな長い話になってしまいました。
 ちなみに、五キログラムのチョコレートは、おおよそ三万キロカロリーほどあるはずです。
 五グラムで三十キロカロリーくらいね。
 おおよそ十五日から十八日程度分のカロリーですね。
 普通の人間が食べたら、相当酷いことになるでしょうから真似はしないように。
 更にちなみに、レヴァになってツェルニを破壊ネタは、ミッシングメール六巻、カバーを外すと出てくるおまけ漫画が大元です。
 しかし、超学園都市を書くつもりだったのに何でこんなの書いているんでしょうね?
 最近どうも横道にばかりそれている自分が理解出来ない作者でした。



[18444] 超放浪バスの車内から 前編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/05/11 19:34


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 つい数ヶ月前までは、零細武門の継承者として、あるいは、孤児院の運営資金を稼ぐために、せっせと汚染獣と戦っていた。
 現在は、グレンダンで最も有名な武芸者の一人として数えられ、その実力はもしかしたら最強の武芸者であるはずの、天剣授受者を越えるのではないかとさえ噂されている。
 非常に迷惑な話だ。
 天剣授受者に遊び感覚で命を狙われ、一般武芸者からは腕試しの標的として襲いかかられ、一般人からは手頃な見せ物として好奇の視線を向けられている毎日が続いている。
 そして今、目の前にいるのはその天剣授受者の一人、化錬剄の使い手であり変幻自在の攻撃を得意とする、トロイアット・ギャバネスト・フィランディン卿その人である。
 サーヴォレイド卿と同じように、直線的でない上に広範囲の攻撃を放つという、危険極まりない武芸者である。
 更に何か不明なのだが、非常に攻撃的というか殺気立っているというか、危険極まりない武芸者が危険極まりない雰囲気に包まれているのだ。
 今日がレイフォンの命日かも知れないと、そう覚悟するほどに危険極まりない。

「あ、あの、ギャバネスト卿?」
「ああ? 遺言なら聞いてやるぞ?」

 既に死刑宣告である。
 他の天剣授受者と同じように、その手に持っているのは通常の錬金鋼のようではあるのだが、その身に宿るやる気はクォルラフィン卿以上であるように思えてならない。
 きっと気のせいだと思うのだが。

「あ、あのぉぉ」
「ああ? さっさと遺言を残せ。そしてその腑抜けた身体と心を消し飛ばしてやる」

 なにやら凄まじい気配が辺りを支配する。
 ヴォルフシュテイン卿さえ、あっさりと凌駕しそうな程の、凄まじい気配だ。

「貴様!」
「は、はい!」

 しびれを切らせたように、戦声を放ちつつレイフォンに迫るギャバネスト卿。
 いや。別段そんなつもりはないのだろうが、声に剄が籠もってしまっているために自然とそうなるのだ。
 それは、やる気が溢れてしまっているという証拠であり、レイフォン的には非常に困った事態なのだ。
 そして。

「貴様! クララが迫ってきたというのに逃げ回っているそうだな!」
「は、はい!」

 思わず直立不動の姿勢で返答をしてしまった。
 今この瞬間に攻撃されたら、どうすることも出来ないほどに、完璧に直立不動の姿勢だ。

「ええい! そんな軟弱で脆弱で虚弱な態度でどうする!」
「ひ、ひえ?」

 何か違う。
 ギャバネスト卿は他の天剣授受者達と、何かが決定的に違う。
 それがなんなのか、それは分からないのだが、何かが違う。
 だが、その疑問はすぐに氷解することとなる。

「据え膳食わぬは男の恥という諺を知らんのか!!」
「知りません!」

 思わず突っ込んだ。
 やはり、王族であろうと天剣授受者であろうと、レイフォンは突っ込めるという異常体質になってしまったようだ。
 全然嬉しくないけれど。
 そして理解した。
 ギャバネスト卿はクラリーベル様と、そう言う関係にならなかったことに対して、猛烈な勢いでお怒りになられていらっしゃるのだ。
 二重敬語になるくらいに、きちんとレイフォンは理解した。
 そしてもう一つも。

「痺れ薬はギャバネスト卿の入れ知恵ですね」
「ああ! まさかあんな展開になるとは夢にも思わなかったがな」

 それはそうだろうと、思わず同意してしまう。
 レイフォンだって、いや。
 グレンダンにいる殆ど全ての人にとって、あの展開は予測不可能だったはずだ。
 だからこそ、クラリーベル様への憤りとレイフォンへの苛立ちが、ギャバネスト卿をここまで危険極まりない存在にしているのだ。
 理解できても全然嬉しくないけれど。
 そして、未だ怒りが収まらない様子で、錬金鋼を持ち直すギャバネスト卿。

「あ、あの」
「なんだ? 今からクララを押し倒しに行くんだったら手加減してやるぞ?」
「無理です」

 何かとんでもないことを仰るギャバネスト卿。
 クラリーベル様を押し倒すなど、そんな度胸レイフォンにあるわけがないのだ。
 いや。あったとしてもやらない。
 万が一結婚などと言う事になれば、天剣授受者にならなければならない。
 それは、他の天剣授受者に口実を与えると言う事だからだ。
 レイフォンは死ぬわけにはいかないのだ。

「ならばここで消し炭になって死ね!!」
「ま、待って!!」

 問答無用で何か技を発動しようとするギャバネスト卿を、決死の覚悟で止める。
 ただ死ぬのを先延ばしにするだけで既に決死である。
 良く今まで生きてこられたと、自分のことながら感心してしまうほどの異常事態だ。

「なんだ? クララを押し倒すというのならば!」
「タ、タイマー」
「ああん?」
「タイマーをセットして下さい」

 そうなのだ。
 一分という時間制限があるにもかかわらず、ノイエラン卿以降何故かその制限が無意味になりつつあるのだ。
 理由はいくつもあるが、決定的に制限時間を守るべき人達が、無視しているという事実がある。
 特にヴォルフシュテイン卿に至っては、時間制限を最初から無視して襲ってくる始末だ。
 クラリーベル様は、まあ天剣授受者ではないから制限時間の枠組みから外れているので、何とも言えないが。
 それは置いておいて。
 一時期レイフォン自身がタイマーを持とうと思ったこともあったが、ある危険性に気が付いたために止めてしまったのだ。

「細かい男は嫌われるぞ?」
「嫌われていても、生きていたいですから」
「軟弱な奴だ」

 そう言いつつもギャバネスト卿は右手を内ポケットに伸ばし、そしてタイマーを取り出した。
 ご丁寧に、首から下げるための紐が付いているという優れものだ。
 これならスイッチを押した次の瞬間には、錬金鋼を持って戦闘を行うことが出来るだろう。
 それは良い。

「あ、あの?」
「ああんん?」

 同じその右手に握られているのは、二つ目の錬金鋼。
 錬金鋼を複数持つことは別段ルール違反ではない。
 とっかえひっかえ攻撃することで、錬金鋼の放熱を考えずに戦えるというのは、レイフォンにとって地獄以外の何物でもないのだが、それは別段問題無い。

「ちゃんと一分ですよ?」
「・・・・・。お前が持ってるか?」
「嫌です」

 レイフォンがタイマーを持っていると、そのタイマー目がけて執拗な攻撃がやってきそうなのだ。
 もちろん、壊して時間制限を有耶無耶にするために。

「っち!」

 ギャバネスト卿の小さな舌打ちが聞こえたところを見ると、実際にそう言う展開を期待していたようだ。
 不慮の事故からさえ、レイフォンは自分を守らなければならないらしい。
 不慮の事故で片付けられては困るのだが。

「押すぞ。押すぞ。押すぞ。押すぞ。はい押した!」

 極めて珍しいことだが、押すまでのカウントダウンがあった。
 だが、現実にはそんな些細なことにこだわっている時間など、レイフォンにはなかったのだ。

「イィィィツァァァァァショォォォォォタァァァァイムゥゥゥゥゥゥ」

 外力衝剄の化錬変化・・・・・・。
 技の名前は分からないが、ギャバネスト卿の頭上に破壊力を秘めた光源が出現。
 そして、空気の層が出来上がり、それがレンズの役目を果たして、攻撃力となってレイフォンへと迫る。
 しかも二つ。

「う、嘘だぁぁぁぁぁぁ!!」

 ノイエラン卿は複数の錬金鋼を連続して使うことによって、限界ギリギリの攻撃を放ち続けた。
 だが、ギャバネスト卿は違う。
 錬金鋼側にまだ余裕が有るように剄量を調整しつつ、二つ使うことによって手数を増やしているのだ。
 変幻自在の攻撃を得意とするギャバネスト卿が、更に手数を増やして襲ってくる。
 これはもう、悪夢以外の何物でもない。
 だが、当然レイフォンは死ぬわけにはいかないのだ。
 サイハーデン刀争術 水鏡渡り。
 旋剄を越える超高速移動で、最初の二撃を何とか回避する。
 途切れることを知らない破壊光線が、レイフォンが立っていた場所を焼きつつ猛烈な勢いで迫る。
 その動きはまるで蛇のように蛇行しつつ、左右への動きを牽制しつつ、確実にレイフォンへと迫る。
 だが、ふと嫌な予感がしたのでギャバネスト卿へと振り返る。
 それが寿命を縮めるだけではなく、絶望に直面することだと分かっていても振り返らずには居られない、それ程凄まじい嫌な予感がしたのだ。

「う、うそだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 そしてレイフォンは見た。
 両手に持った二つの錬金鋼と、そして口に銜えた三つ目の錬金鋼。
 そして、三つ目の恐るべき光源を。
 つまり、手数は通常の三倍。
 これは剄を三重に練っているという話では無い。
 水を満たしたタンクに、蛇口を三つつけているような状況だ。
 元々剄の要領にはものすごい余裕があるのだから、こういう荒技も使い放題だ。
 そして当然のことだが、三つの光源から迸る攻撃力が、レイフォン目がけて殺到してくるのだ。
 サイハーデン逃走術 逆水鏡渡り。
 超高速移動の効力が消える前に、強引に後ろ向きの推力をかけてその場に急停止。
 更に技を繰り出す。
 サイハーデン逃走術 横水鏡渡り。
 真横に向かって水鏡渡りを発動。
 逃げ遅れた服の裾が焼き切られたが、それでもなんとか三重の攻撃の範囲外へと脱出することが出来た。

「はあはあはあはあはあはあ」

 だが、既に限界だ。
 超高速移動を、立て続けに三回。
 サーヴォレイド卿の時もそうだが、限界ギリギリの回避行動は、それだけでレイフォンに猛烈な負担を強いる。
 まして今回は通常の三倍の手数を誇るギャバネスト卿が相手だ。
 もはや息つく暇もなく逃げ回らなければならない。
 直後に真上へと跳躍。
 靴の底を三つの破壊光線が通り過ぎるのを感じた。
 そして即座に鋼糸を復元、近くにあった建物に絡めることで、空中での姿勢と軌道を制御。
 ギリギリの逃走が続いているが、おかしな事に気が付いてもいた。
 クラリーベル様との最初の戦闘時も感じた、猛烈な時間の遅れだ。
 その異常な、時間の遅さの中で、ギャバネスト卿の視線の動きや、レンズの代わりをする空気の流れ、そして何よりも錬金鋼とその身体に流れる剄の状況を明確に感じる。
 クラリーベル様との戦闘の時と同様、全ての動きを明確に捉えることが出来るのだ。
 そして、それはレイフォンの身体の制御にも影響を与えた。
 遅い時間の中で一瞬先の動きが読めるのならば、それを最大限使って回避行動を身体に命令することが出来る。
 ギリギリではあるのだが、何とか全ての攻撃を回避することに成功するという、恐るべき事態を体験しているのだ。
 そう。これは恐るべき事態だ。
 ヴォルフシュテイン卿とかクォルラフィン卿とかがこの事実を知ったのならば、間違いなくほぼ全力で襲ってくるのだ。
 それだけは何とか避けなければならないのだが、今は兎に角時間切れを生きたまま迎えなければならない。
 そんな思考の袋小路に迷い込んだレイフォンだったが、非常な疑問を感じてもいた。

「?」

 その疑問の正体は時間。
 既に一分は経過していると思えるほど、長い時間逃げ回っていたと思うのだが、もしかしたら間延びして感じているための錯覚かも知れない。
 何はともあれ、ギャバネスト卿の一瞬後の動きを見切り、レイフォン特有の瞬発力を最大限使って逃げ回る。
 何か高い建物が薙ぎ倒されたような気もするのだが、きっと大丈夫だ。
 町が破壊された時には、襲った方がその損害を補償することになっている。
 レイフォンの懐は痛まないから、周りのことなどお構いなしに、全力で逃げる。
 そして、ふと、街頭にある時計が視界の隅に引っかかった。

「待って下さい!!!」

 咆剄殺と見まごうばかりの叫びを放つ。
 そのあまりの大きさに、一瞬ギャバネスト卿の動きが止まる。
 この瞬間を逃したら、今日の夕日を見ることは出来ない。

「制限時間が過ぎています!」
「ああああんんんんんん?」

 何か危険極まりない声と共に、胸元のタイマーを確認するギャバネスト卿。
 口にも錬金鋼を銜えているのでそんな声になってしまうのだと思うのだが、もしかしたらレイフォンに時計を見られるという失敗を犯した、自分に対して怒っているのかも知れない。
 あり得ると言えてしまう今日この頃が、少々不幸だ。

「あん? なんじゃこりゃ?」

 そんなレイフォンの事などお構いなしに、何かに驚いていらっしゃるギャバネスト卿。
 想定外の事態が起こったようだ。

「電池が切れていやがる」
「止めて下さい!!」
「柔なタイマーだ。根性でカウントすればいい物を」
「機械に根性なんか有りませんから」

 やはり、天剣授受者はレイフォンで遊んでいるようだ。
 あの手この手で遊びの時間を延長しようとしている。
 そして、限界ギリギリまで酷使された心と身体と剄脈は、休息を必要としている。
 なにやら可愛く照れているギャバネスト卿の姿を最後に、レイフォンは病院のベッドと言う唯一安らげる場所へ向かうべく、その意識を手放した。
 
 
 
 ここで目が覚めた。
 振動も騒音もないが、今レイフォンが居るのは放浪バスの中だ。
 グレンダンを出て既に一週間。
 新たな出発の地となるマイアスを目指して旅立った。
 夢に見るだけで寿命を縮める天剣授受者との戦闘が無くなっただけでも、レイフォン的には大きな喜びである。
 その幸せを噛みしめつつ、ゆっくりと瞼を開けて、少し驚いてしまった。
 目の前に念威繰者が居たのだ。
 その剄の流れや特色から、念威繰者であることは間違いない。
 それは良い。
 長くて艶やかな黒髪と、記録映像でしか見た事がないが、雪のように白い肌を持った、かなりの美女であるのも良いだろう。
 年齢的には二十代中盤くらいだが、落ち着いた態度からそう見えるだけかも知れないし、はっきりとしないがそれは何の問題も無い。
 柔らかくて紅いルージュを引いた唇が、そっと頬笑みの形を取ったのも、それ程の驚愕ではない。
 その美女が華奢な手で持ったハンカチを、そっと差し出してレイフォンの額をぬぐっていることに比べればどうと言う事はない出来事だ。

「起こしてしまった?」
「・・。いえ。そろそろ悪夢から覚めたいと思っていたところです」

 そう悪夢だ。
 ギャバネスト卿の策略に引っかかり、三分という長きにわたって逃げ回っていた悪夢から、いい加減に目覚めたいと思っていたのは事実だ。
 だが、見ず知らずの人から何の見返りも期待しない親切を受けるなどと言うことは、レイフォンの人生で初めてのことである。
 むしろそちらの方に驚愕してしまった。

「そう。酷いうなされようだったから、起こそうかどうしようか迷ってしまったの」
「済みません、ご心配おかけしました」

 ほんの少しの心遣いだったのだが、涙が出るほどに嬉しい。
 と言うか、やはりレイフォンの人生は非常に驚くべき事柄の連続だったのかも知れないと、改めて認識してしまった。

「良いのよ。貴方のような子供は何の心配もなく笑って生きているべきなのだから」
「あ、あう」

 その、あまりにも優しい言葉に、とうとうレイフォンの涙腺が決壊してしまった。
 止めどなく熱い液体が目尻から流れ出して、頬を伝いつつ心の傷を癒やしてくれているようだ。
 少し驚いたらしい女性の表情が歪んでいるが、それでもレイフォンに今の涙を止める術は存在していない。

「マリコ! な、なにがあった?」

 そんな最中、男の声が聞こえてきた。
 低い割に良く通る力に満ちあふれたその声の持ち主が、ゆっくりとレイフォン達の席に向かって移動してきたのだが、いきなり泣きだしたレイフォンの姿を認識して急激に動きを止める。

「ローガン。良く分からないのだけれど、急に泣き出してしまって」

 マリコと呼ばれた女性が振り返り、男へと説明しているのだが、当然それは全く要領を得ない。
 レイフォン以外に、今の心境を説明できる人間はいないだろうし、もしかしたらレイフォンにだって上手く説明することが出来ないかも知れない。

「そ、そうか」

 そう言いつつ、更に接近してくる男の姿が、やっとの事で歪んだ視界の中でも明確に捉えられてきた。
 革製らしい真っ赤なジャケットを着た、その剄の流れからだけでも十分に分かるほど、熟練した武芸者だ。
 長身であり、広い肩幅と厚い胸板をしており、やや怖い感じの顔つきではあるが、その声には不思議な優しさがこもっているような気がする。
 だが、何よりも印象的なのは実はその揉み上げだ。
 髭に見えてしまうほど唇の方へと伸びていて、更にかなり濃い。
 一度見たら二度と忘れられない顔であることは間違いない。

「す、済みません。人から優しい声をかけてもらうことなんて、ずいぶん久しぶりだった物ですから」
「・・・・。お前、どんな人生送ってるんだ?」

 混乱しているのは、どうやらレイフォンも同じようで、ローガンと呼ばれた男性に向かって正直に話してしまった。
 そして当然の質問がやってきた。

「汚染獣、雄性体二期を雑魚と呼ぶ人達に、毎週遊び半分で命を狙われる人生です」
「「・・・・・・・・・・・」」
「更に、安眠していると手加減抜きで、真剣で養父に斬りかかられる人生でした」
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
「安息の場所は病院のベッドの上だけでした」

 二人へ嘘をつくことがはばかられたために、思わず本当の事を口にしてしまった。
 そして、当然であるのだが、聞いた二人は絶句している。
 いや。嘘かも知れないと疑っているのか、あるいは理解できなくて固まっているのか。
 レイフォンだって、普通にこんな話をされたら反応に困る。
 自分が体験していなければ決して信じられない話だ。

「そ、そうか。大変だったんだな」
「よく頑張ったわね」

 だが、取り敢えず二人はレイフォンの話を本当の事だと思ってくれたようで、労いの言葉が返ってきた。
 それだけで再び目頭が熱くなってくる。

「な、泣くなよ男だろ」
「うぅぅぅぅ。申し訳ありません」

 優しく叱られてしまったために、更に大量の涙が心から流れ出て行く。
 その涙に洗い流された色々な物が、レイフォンから抜け落ちて行くのが感じられそうだ。

「そ、それで話を進めて良いか?」
「済みません。落ち着きますので」

 必死になって流れる涙を押さえつける。
 これから先、普通の人生が待っているはずなのに、毎回毎回涙を流していたら、きっと変な人と思われてしまうから、必死になって泣くのを止める。

「何かあったの?」
「ああ。都市が見えてきたんだが、どうも様子がおかしい」

 レイフォンが泣き止むのを待ってくれていたのか、マリコとローガンの話が始まったのは少し時間が経ってからだった。
 グレンダンを出発してから一週間。
 そろそろ次の都市が見えてきてもおかしくない時期ではある。
 そしてそれは実際に見えてきたようだが。

「足が止まっている」
「それは」

 都市の足が止まる。
 それは確率的に見て二つしかない。
 一つは、セルニウム鉱山の保有数がゼロになり、都市が餓死して動きを止めてしまう。
 そしてもう一つは、汚染獣によって滅ぼされ動きを止める。
 どちらの場合も、かなり危険であることは変わらない。

「念のために俺が先行して調べると言う事で、運転手と話が付いている」
「なら、私も念威でサポートするわね」
「ああ。頼む」

 短いやりとりを終えて、ローガンが準備のために立ち去ろうとしたのを、そのジャケットを掴んで何とか止める。
 状況が分からないのに、一人で出かけることは危険すぎるから、レイフォンも同行するつもりなのだ。

「お前は良いよ。子供が戦場に出るべきじゃない」
「いえ。実戦経験なら僕の方が多いはずですし、一人より二人の方が逃げるのにも有利ですから」
「しかしだな」
「お願いします」

 深々と頭を下げる。
 もし、ここでローガンに何かあったとしたら、確実にマリコが悲しむ。
 優しくしてくれた人が悲しむ姿を見たくないのだ。
 いきなり老性体が現れるなどと言う、驚愕の事態に遭遇しなければ、十分にレイフォンは戦えるし逃げる事が出来る。
 伊達に、天剣授受者相手に逃げ回って生きてこられたわけではないのだ。

「ローガン」
「・・・。分かった分かった。だが危険になったらすぐに逃げろよ? 子供なんだからな」
「有り難う御座います」

 根負けしたようにローガンが溜息をつき、了承してくれた。
 だがレイフォンにだって覚悟がある。
 マリコを悲しませないためにローガンと共に生きて戻ってくるのだ。
 覚悟を再認識したので、手荷物を漁り鋼鉄錬金鋼を引っ張り出す。
 そこで気が付いた

「遮断スーツは持ってきていませんでした」
「それはバスに作業用のが有る。動きにくいが無いよりはましだ」

 そう言うと、足早に前方の運転席へと事の次第を知らせに行くローガン。
 それを見送るマリコの視線が、少しだけ心配気だ。

「私がもっと優秀な念威繰者だったら、ここから都市のことを調べられるのに」

 そう。念威繰者とは情報を収集して、それを加工して武芸者に届けることで戦闘を有利に運ぶ役割の人を言う。
 だが、念威繰者とは訓練ではどうにもならない本当の意味で才能が物を言う特殊な人のことだ。
 そして、キュアンティス卿のような特殊な念威繰者を除いて、都市一つを調査することは出来ない。
 誰かが近付いて確認する必要があるのだ。

「大丈夫ですよ。僕達は必ず生きて帰ってきますから」
「自信があるのね」

 今まで弱々しい態度しか見せてこなかったからだろうが、マリコが少し意外そうにレイフォンの事を見る。
 だが、グレンダンを知らない人間にとってこの反応こそが普通なのだ。

「それはもう。逃げる事だけだったら誰にも負けませんから」

 天剣授受者相手に逃げ続けてきた実績は、相当な物であるはずだ。
 ならば、ローガンと二人でもきちんと生きて帰ってくることが出来るだろう。
 その意味を込めてゆっくりと微笑む。
 
 
  マリコとローガンについて。
 アメリカはマーベルコミック、ウルヴァリンに登場するキャラクター。
 厳密に言うと、2011年1月からアニマックスで放送されたのが元になっています。
 2011年4月から、やはりアニマックスで放送中のX-MENに登場するローガンは少々怖いのでこちらを採用。
 割と面白かったので、見られるようなら一度ご覧下さい。



[18444] 超放浪バスの車内から 後編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/05/18 19:21

 
 停止したバスを出発して、活剄で強化した足を使っても、動きを止めた都市に到着するまでに二時間ほどかかった。
 足自体は止まっていたし、バス停の機能も二カ所を除いて破壊されていた。
 当然人一人が都市に上がるための装備など有るはずもなく、レイフォンが鋼糸を使ってローガンと自分を持ち上げた。
 そして、目の前に広がる光景をその瞳に映しつつも、二人とも冷静だった。
 鋼糸を伸ばして微細な振動を感知しつつ外苑部を歩く。
 レイフォンの剄量がもう少し大きかったのならば、一歩も動くことなく十キルメル四方を調査できるのだが、生憎とそれは無理なのだ。

「何が有ったと思う?」

 遮断スーツを脱いだローガンが隣を歩きつつ、レイフォンにそう問いかけてくる。
 ヘルメットを取ったというわけではない。
 完全に脱いでしまっているのだ。
 何でも都市外戦闘が苦手で、遮断スーツが嫌いだとか。
 汚染獣と戦う時も、殆ど都市の最終防衛戦力としてしか扱われていなかったとも言っていた。
 その話を聞いて納得もしていた。
 どちらかと言うと、活剄を主体にした戦い方をする人のようで、その身体捌きは見事としか言いようがなかった。
 全力で動くと遮断スーツが保たないのだろうという仮説を考えつく程度には見事だった。
 とは言え、それは一般武芸者を基準にした話であることは間違いない。
 クォルラフィン卿なんかとは元々の剄量が違いすぎるので、比べること自体が間違っているのだ。

「幼生体の襲撃を受けたのだと思います」

 先行させた鋼糸で死角を補いつつ、慎重にそう答える。
 居住区付近も惨憺たる有様だった。
 破壊されていない建物を探すことは困難であり、粉砕されていない路面を見つけることも難しかった。
 そして何よりも、あちこちに無秩序に放置されている、灰色になった抜け殻。
 その他の状況も考え合わせると、ここで何が起こったのかを想像することが出来る。
 産卵期を迎えた雌性体が居た洞窟を、都市が踏み抜いてしまったのだ。
 そして幼生体に取り付かれ、途中経過は不明だが滅ぼされた。
 だが、実は少しおかしなところもある。
 エアフィルターが生きているところもそうだし、戦闘の痕跡はあるのだが何処にも遺体がないのだ。

「幼生体ごときに、一般都市が滅ぼされるか?」
「そうですね。千体くらいだったら撃退できたでしょうが、どうも二千体以上は居たようですから」

 破壊の痕跡と抜け殻の数から推測して、最低限二千体はいたはずだ。
 雌性体複数の吐き出す幼生体に襲われたのでは、普通の都市ではどうすることも出来ない。
 グレンダンだったら余裕で虐殺できるが、一般都市にそんな事を求めてはいけないのだ。。

「取り敢えず、バスを呼んで補給しても大丈夫そうだな」
「そうですね。時間が経っているらしいですから、脱皮した個体はもうこの辺には居ないでしょうから」

 遺体こそ無かったが、戦闘の痕跡はかなり古い物だ。
 そうでなければ、脱皮前の幼生体がまだその辺にいるはずで、既に戦闘になっていておかしくない。
 ローガンがマリコの念威を介して、バスの運転手に指示を出しているのを聞きながら、それでもレイフォンは鋼糸を限界まで伸ばし異常な振動などがないか注意深く探っている。
 気を抜いたら死んでしまうと言う経験だけは、人の百倍くらい積んでいるために、この辺手抜きは一切しない。
 そしてふと思う。
 地獄のような日常だったが、今レイフォンは生きている。
 グレンダンの近くだったからこそ、生きていられるのかも知れないと考えることも出来る。
 もし、放浪バスの火災事故がもう少しグレンダンから遠かったら、間違いなく今生きては居ない。
 究極の選択である。
 地獄の中で生き続けるか、火災事故で死ぬか。

「僕が選べる訳じゃないか」

 だが、それはレイフォンが選べるわけではないのも事実。
 既に道は決まってしまったのだし、そして地獄の戦場も過去の物へと変わってしまっているのだ。
 問題はこれからだ。
 マイアスで新たな人生を見つけ、そして絶対にグレンダンと関わらない場所まで逃げる。
 後から追ってくるはずのクラリーベル様からも、逃げ切らなければならない。
 そのためにあらゆる技量を身につけ、そして天寿を全うしなければならない。
 そうやって新たな決意を固めている間に、バスが都市へと接近。
 ゆっくりと巻き上げ機に引き上げられてきた。
 ここで水と燃料、有ればだが食糧を補給して、そして次の都市を目指す。
 死者に対しての冒涜かも知れないが、今生きている以上生き続ける義務があるのだ。
 レイフォンとローガンが念のための見張りに立っている間に、マリコの念威端子が広範囲を捜索しつつ、残りの乗客総出でバスの補給作業が進められている。
 放浪バス用の非常食を仕舞ってある倉庫から、大きな箱がいくつも運び出される。
 手押し車に乗せられたタンクで汚水が運び出され、ホースを経由して浄水が満たされる。
 その作業を眺めつつ、空気の匂いが変化したことに気が付いた。
 軽く鼻の奥を刺激されたような、ほんの小さな変化ではあるのだが、この刺激は見逃してはいけないのだ。

「気が付きましたか?」
「・・・・。ああ。何か来るな」

 マリコから連絡がないところを見ると、敵はまだ遠くにいるのだろうと思うのだが、楽観していて良い状況ではない。
 鋼糸を都市の中心方向へと伸ばしつつ、鋼鉄錬金鋼を引き抜き復元する。
 身動きできないところを襲われたのでは、戦闘力のない放浪バスなどひとたまりもない。
 ならば、出来るだけ遠くで撃退しなければならない。
 最悪の場合、雄性体二千体とか言う、非現実的な規模の敵とやり合わなければならないのだが、出来ればそれは遠慮しておきたい。
 グレンダンだって、そんな数の雄性体と戦ったことはないはずなのに、逃げ出したレイフォンが戦わなければならない理由など無いはずだ。
 そんな恐ろしすぎる想像の翼を広げていると、敵が接近してきたようで連絡が来た。

『二人とも気をつけて。幼生体十五体が接近中よ』

 マリコの声が念威端子越しに事実を伝えてくれた。
 そして二人して安堵の息を吐く。

「なんだ幼生体か」
「雑魚が十五体くらいだったら、楽勝ですね」

 倒すだけだったら、幼生体の十五体くらい平気なのだが、バスを守りながらとなると話は少々ややこしくなってくる。
 だが、それもレイフォンが一人で戦った場合のことで、隣には同じくらいに強いはずのローガンが居る。
 二人で戦えば十分に勝算がある。
 と、鋼糸を伸ばした先に振動を感じ始めた。
 その振動の元を補足、周り中を囲んで一斉に衝剄を放ち殲滅。
 次の標的へと鋼糸を移動させる。

『気を抜いては駄目ローガン。良く分からないけれど幼生体の反応が無くなって行くわ! もしかしたら幼生体じゃないのかも!』

 ここでふと疑問を感じた。
 念威繰者とは大量の情報を処理する特殊能力者のことだ。
 その大量の情報を処理するという能力のため、感情表現が苦手で冷淡に見えることが多い。
 だが、マリコは明らかに違う。
 いや。キュアンティス卿も違ったが、天剣授受者である以上人間ではないかも知れない。
 ここで同列に扱うべきではないと思う。
 訓練次第で感情をきちんと表すことも出来るようになるらしいが、それでもマリコのは豊すぎると思うのだ。
 最終的には、個人差で収まる範囲内かも知れないが、念威繰者については殆ど素人なので断言できない。

「最悪の場合特殊進化とかしているかも知れないのか。何が起こっているか分からないのか?」
『ごめんなさい。もう少し近付けば分かると思うけれど』

 と、レイフォンが無駄なことを考えている間に、マリコとローガンの方で話が進んでしまっていた。
 ここはきちんと説明しなければならない。
 幼生体を視認するには、もう少し時間が有るはずだし。

「それは大丈夫です。僕がやっていることですから」
「お前が?」

 当然だがローガンが驚いているし、念威端子越しで分かりにくいがマリコも驚いているようだ。
 だが、ローガンの方は既に鋼糸に付いてある程度知っているためにすぐに事情を把握したようだ。

「俺とお前を引き上げた、あの細い糸か」
「そうです。流石に雄性体とかは無理ですけれど、幼生体なら遠距離からでも数を減らせるので、割と重宝しています」

 もちろん、サーヴォレイド卿のように、幼生体の大量虐殺などと言う事は出来ないが、それでも一体ずつ減らして行くことは出来る。
 接近してから戦っても、恐らく大丈夫だと思うのだが、万が一にでも放浪バスを破壊されるわけには行かないのだ。
 と言う事で、有りっ丈の技量を注ぎ込んで安全策をとる。
 だが、本来の武器ではない上に、最近では殆ど空中での姿勢制御や移動補助としてしか使ってこなかったために、思ったほどの戦果を上げられていない。
 無駄に技量が上がったが、それは逃げる事を主眼に置いた時の話だったようだ。
 攻撃力も上がっているのは確かだが、逃げる技量の方が圧倒的に上になっている現実に、少しだけ涙がこぼれそうになった。

「こっちに来るまでに三体くらいはいけますが、それが限界です」
「十分だ。ぬわぁぁぁ! ぬぅぅん!」

 常に活剄を使っているようなところのあるローガンから、爆発的な剄の気配が迸る。
 活剄衝剄混合変化・狼眼。
 爆発した剄が両手に集中し、そして握られた拳の先から三本の湾曲した巨大な深い銀色をした刃が飛び出す。
 いや。刃と言うよりはむしろ巨大な爪。
 更にその爪に待機状態の閃断が纏わり付く。
 かすっただけでも十分な破壊力を持った爪を武器に、肉弾戦をやるつもりなのだ。

「うぅぅぅぅぅぅぅ!」

 更に低い唸り声と共に四肢を曲げ、何時でも飛び出せるような体制を作る。
 横で見ていたレイフォンは若干引いてしまった。
 何しろ怖い。
 クォルラフィン卿とはやや違った、野生獣のようなその仕草や気配に、少々では済まない恐怖を感じてしまう。
 だが、今まで見たこともない武器と剄の使い方について聞いて起きたいのも事実なので、怖いけれど頑張って聞いてみる。
 もちろん逃げ腰でだけれど。

「その爪って?」
「ああ? これか?」

 構えはそのままに、レイフォンの方に視線だけが来る。
 その唸り声や構えから想像していたのとはやや違い、ローガンの目にはまだ理性と知性が湛えられていた。
 一安心である。

「俺の骨格には錬金鋼が注入されていてね」
「ああ。それでやたらに重かったんですね」

 この都市に上陸する時、鋼糸でローガンを引っ張り上げたが、見た目から予測していた体重を大きく超えていたために、かなり苦労したのだ。
 もちろん、幼生体を殲滅できる威力を持った鋼糸で支えられないと言うほどではなかったが、それでもかなりの重さに驚いた物だ。

「そうだ。そして俺の武器がこれだ」

 そう言いつつ爪をレイフォンに向ける。
 湾曲した内側に刃の付いた、凶暴極まりない外見と共に、常に閃断が纏わり付いているという凶悪極まりない三本の爪だ。
 そんな爪を向けられて、更に閃断が少々怖いが、この距離だったら問題はないはずだ。
 だが、その凶暴そうな爪を目の前にして、レイフォンは確かめなければならないことがある。

「痛くないですか?」
「傷はすぐに治るが、実は結構痛い」

 人差し指、中指、薬指、小指の間から伸びるその三本の爪は、間違いなく皮膚を切り裂いて伸びてきている。
 出し入れする度に結構痛いらしいことは確かめられた。
 そして、都市外での戦闘が苦手だと言っていた意味も理解できた。
 あの爪が最大の武器だとするならば、出す時に遮断スーツも切り裂いてしまう。
 それは、戦い始めた瞬間に時間制限が始まると言う事であり、出来れば使いたくない手段である。
 都市内での戦闘に特化した、非常に珍しい武芸者らしいことが分かった。
 いや。全身の骨格を錬金鋼にしているだけで既に珍しい。
 グレンダンには前例があるが、それも高齢になったために執られた処置だと聞いている。

「それはさておき」
「見えてきたな」

 レイフォンとローガンが戦闘準備を終えたついでに、少し脱力系の会話を終えるのを待っていたのか、幼生体が視認可能領域にやってきた。
 残り十二体。

「俺が突っ込むから、お前は後から来いよ」
「分かりました。どうせ雑魚ですからたいしたことないですよ」

 言っていてふと気が付く。
 何時の間にか幼生体を、雑魚として扱っている。
 本来なら、十分に驚異的な存在であるはずなのにだ。
 知らず知らずのうちに、天剣授受者の感性に近付いてきてしまっているのかも知れない。
 自信を持っているのは逃げる事だけだから、きっと何かの錯覚だ。
 攻撃力も上がっているが、逃げるための攻撃力であって、相手を殲滅するための攻撃力ではないのだ。
 鋼糸での攻撃力の低さが、レイフォンのその認識が間違っていないと言う事を教えてくれていたではないか。
 ここは気を引き締めて鋼糸を展開しつつ復元した刀を構え直す。
 そしてレイフォンの視界の中を、旋剄でローガンが突っ込んで行く。

「ぬわぁ!! ってぇぃ! ぬぉぉ!」

 旋剄の速度をそのままに、先頭を走ってきた幼生体の、複眼の中央付近に右の爪を突き立て、あっさりと甲殻を突き破る。
 そこに纏わり付いていた閃断が甲殻の中で暴れたようで、即座に生命活動を停止する幼生体。
 だが、恐ろしい光景はそこから始まった。
 絶命した幼生体に突き立てた爪をそのままに、身体を捻った反動で横倒しにする。
 そして横倒しになった幼生体を持ち上げ、別な一体に向かって投げつけたのだ。
 見事に二体目に命中、短時間に進行を再開できないようにしてしまった。

「ひ、ひえぇぇぇぇ」

 クォルラフィン卿やヴォルフシュテイン卿とは違った、ローガンの恐ろしい戦闘方法を目の当たりにしてしまった。
 だが、これは安心である。
 レイフォンの体重ではどう頑張っても、真似をすることが出来ないのだ。
 模倣と習得と改良の天才であると自信を持っているが、身体の能力を超えて何かを会得することは流石に無理なのだ。
 常に閃断を錬金鋼に纏わり付かせておく方は、便利なので習得したいと思うけれど。
 ローガンが二体目を足止めしている間に、三体目を始末しているのを眺めつつ、レイフォンも戦場へと向かわなければならない。
 何時もは天剣授受者相手に戦っていたとは言え、今回の相手が幼生体だとは言え、決して油断することは出来ない。
 水鏡渡りで一気に距離を詰め、その勢いを殺さぬまま複眼の中央、やや下辺りに刀を突き立てる。

「?」

 そこで違和感を覚えた。
 手応えが異常に少ないのだ。
 甲殻を貫く時には、当然かなりの手応えというか抵抗を感じるはずなのだが、今の一撃にそれだけの衝撃を感じなかったのだ。
 空振りとか弾かれて切っ先が流れたのだとは、明らかに違う。
 確実に幼生体の甲殻を打ち破り、ハバキ元までしっかりとめり込んでいる。
 一瞬の半分ほど理性の方は動きが止まったが、身体の方はきっちりと仕事をこなしてくれたようで、甲殻の中で衝剄を放ち最初の一体を確実に殲滅。
 鋼糸の伝える情報を頼りに、最もバスに近い個体を識別。
 旋剄を使って移動して、斜め後方からの一撃を叩き込み、短時間の内に殲滅。
 やはり、手応えというか堅い甲殻を打ち破ったという感覚が得られなかったが、それでも殲滅できたことは間違いない。
 なにやらおかしな事になっているが、気にするのは全てが終わった後で良い。
 兎に角、今は戦いに全神経を集中する時だ。
 
 
 
 最終的に、レイフォンが刀で七体、ローガンが爪で五体を倒して幼生体戦は終了した。
 なんだか呆気ないような気がするが、何しろ相手は最弱の幼生体だ。
 こんな物だろうと自分を納得させつつローガンと合流する。
 だが、そのローガンの視線がなんだかおかしい。
 別段、レイフォンと戦いたいというわけではない。
 それは嬉しいことなのではあるのだが、視線が少し凶暴であるような気がするのだ。

「あ、あのぉぉ?」
「お前」
「はい?」

 何か非常に拙いことでも起こったのか、レイフォンを見るローガンの視線に含まれる凶暴性が徐々に強くなってきているような気がする。
 きっと気のせいだとは思うのだが。

「どんだけ強いんだよ?」
「はい?」

 どんだけ強いのかと問われてしまった。
 別段レイフォンは自分を強いと思ったことはない。
 グレンダンで実力的には上の下という評価をもらってはいるのだが、それはあくまでも一般武芸者を基準にした時の話だ。
 間違っても、人外の変態と呼ばれる天剣授受者を基準にしての話では無いのだ。

「幼生体の切り口を一つ見たが、鳥肌が立ったぞ」
「え?」

 ローガンに言われて見て、レイフォン自身が倒した幼生体を、活剄を使って観察してみる。
 確かに、刀が突き刺さった場所は凄まじい切り口を曝している。
 だが、切り口が凄まじいと言うだけで、大したことはない。

「技量にはそれなりに自信がありますけれど、それだけですよ」
「・・・・・。お前、本当に地獄で生きてきたんだな」
「はい?」

 意味不明である。
 何故か凶暴性がかき消えて、可哀想な人を見るような、あるいは同情しているような視線で見られてしまった。

「それだけの技量を持てるようになるのに、普通の人間だったら一生かかってるぞ」
「そ、そうなんですか?」
「いや。一生かかってもそこまでたどり着けない人間の方が多いんだぞ」

 言われて見て思い返すまでもなく、ノイエラン卿が言っていたことがある。
 これほど見事な切り口を見たのは片手の指の数で足りてしまうと。
 そして、レイフォンよりも長い間生きているはずのデルクは、そこまでの技量を持てていなかったと。
 だが、それでも武芸者である以上剄脈の限界を超えることは出来ないのだ。
 具体的には、天剣授受者辺りと戦うことは出来ないのだ。

「まあ、実戦経験というか対人戦闘経験だけだったら、殆どの武芸者には負けないだけ積んでいると思いますけれど」

 もっと言えば、あまりにも恐ろしい敵から逃げる経験だけだったら、どんな人よりも多く積んでいる自信がある。
 キュアンティス卿でさえレイフォンを追跡できないほどに、逃走術が磨かれていることからも、それがおおよそ証明できようという物だ。

「大変だったんだな」

 改めてローガンの両手がレイフォンの肩におかれた。
 なんだか労われているはずだというのに、同情されているような気がしてしまう。
 それはきっと間違いではないのだ。
 思わず涙がこぼれてきそうだが、必死になって耐える。
 そんなギリギリ限界の瞬間を狙ったかのように、マリコの絶叫が響き渡った。

『レイフォン! 後ろ!』
「え?」

 それはあまりにも唐突な叫びだった。
 レイフォン自身、マリコがこれほどまでに声を荒げて警告するような敵の存在を、全く持って感じていなかったからだ。
 小動物チックと言われるかも知れないが、危険を感知する能力は尋常ではないはずなのだ。
 完璧ではないにせよ、そんなレイフォンの不意を突くことが出来る化け物は確かに存在する。
 それは当然、グレンダンが誇る異常者集団である天剣授受者の皆様方だ。
 つまり、今この瞬間天剣授受者並の技量を持つ存在がすぐ側にいると言う事になる。
 それはつまり、世の中的には天剣授受者並の技量を持った人間が、結構いるかも知れないと言う恐るべき事態も覚悟しなければならない。
 だが、そんな驚愕とは別に、レイフォンの身体はきちんと仕事を果たした。
 具体的には、鋼鉄錬金鋼の刀を復元しつつ、振り返りつつ超高速で剄を練り上げ、最大限の逆水鏡渡りを発動できるようにしたのだ。
 ついでに、広範囲に広がっていた鋼糸を二百メルトルの円形に収束させ、あらゆる振動や熱を探知する。
 もちろん他に伏兵が居ないかを探すためにだ。

「え?」

 だが、そうまで警戒をして振り返った先にいたのは、ある意味非常識を極め尽くしたと言って良いものだった。
 それは少女だった。
 年齢的にはレイフォンと同じかやや下くらい。
 とても綺麗な亜麻色の髪を腰まで伸ばしていた。
 赤みを帯びた、琥珀色の大きな瞳をしていた。
 ついでではあるのだが、何故か全く訳が分からないが全裸だった。
 この一事だけでレイフォンの身体はあらゆる行動が取れなくなってしまった。
 逃げる事に関しては誰にも負けないという自負があるというのにだ。
 既にこれだけであり得ないの二乗である。
 こんな滅んだ都市に、見た事のない全裸の少女が佇んでいたのだ。
 見たことがないと言うことは極めつけに重要だ。
 それはつまり、バスに乗ってここに来たのではないという事実を如実に物語っている。
 確率としては生き残りがあるだろうが、それも恐らく違う。
 実はレイフォンの行動を完璧に阻害した理由がまだ有るのだ。
 その少女は猫か犬のような耳を持っていた。
 亜麻色の毛に覆われて、先っぽだけがとても白い奴だ。
 さらに、腰付近から見事な毛並みの尻尾が生えていた。
 こちらも耳と同じで、亜麻色の毛に覆われて、先っぽだけが白くなっている。
 そしてこの事態は、あり得ないの四乗である。
 レイフォンでなくても完全に凍り付いてしまったに違いない。

「主様よ」
「は、はい?」

 その目の前の全裸で耳と尻尾付きの少女に声をかけられた。
 透き通ったやや低めの声は、非常に耳に心地よいのだが、なぜだか猛烈に危機感を感じてならない。
 ローガンでないところがなんだか非常に危険であるように思える。

「主様よ。わっちの願いを叶えて欲しいのでありんす」
「え、えっと? 主様は僕で良いですか?」
「当然でありんす」

 近くにはローガンも居て、既に爪を出して戦闘態勢を確立しているが、あまりにも異常な事態であり更に敵意を感じていないために、攻撃しようとはしていない。
 なので、主様と呼ばれたレイフォンが対応しているのだが、なんだか非常に時代錯誤な気分がしてならない。
 いや。もっとこう、別な世界に飛ばされてしまったようなそんな感じだ。
 具体的には、荷馬車に乗って行商の旅をしているような。
 だが、世界はとことんレイフォンの事などお構いなしに話を進めてしまうように出来ているようだ。

「主様の身体が欲しいのでありんす」
「? 僕の身体ですか?」

 そう言いつつレイフォンは自分の身体を眺める。
 別段何時も通りである。
 だが、身体が欲しいと言われてしまった以上、かなり色々と問題である。
 具体的には、身体の無くなったレイフォンはこの後どうすればいいのか分からないとかである。
 いや。上げないという選択肢を最初から除外しているような気がしているのだが、それはそれ。
 ヘタレなので頼みをむげに断ることが出来ないのだ。
 そんなレイフォンの事を知ってか知らずか、少女の話は先に進んでしまったようだ。

「その変わりと言っては、少々語弊があるのじゃが」
「その身体と交換ですか?」

 それはそれで悪くないかも知れない。
 別段女の子になりたいわけではない。
 だが、一般人になれるのだったら、それはそれでありがたい。
 剄脈を持った武芸者である以上、万が一の場合にはグレンダンと関わらなければならないのだが、一般人となったら根本的な問題の解決につながるはずだ。
 これは魅力的な提案である。

「たわけ」

 だが、何故か蔑みの視線で見られてしまった。
 よりにもよって全裸で尻尾と耳が付いている女の子にである。

「え、えっと? じゃあ、身体を無くした僕はどうなるのかな?」

 武芸者の身体などいらないと言えば要らない。
 誰かにあげられるのならばあげたいと思うのだが、それはどうも違ったようなので、ならばとその先を促す。

「わっちの身体は既にその用をなさず、魂であるわっちは狂おしき憎悪で変革を遂げているのでありんす」
「はあ」

 身体が駄目になったので魂だけが変革しているらしい。
 分かったような分からないような。

「じゃからな」
「はい」
「主の身体をもろたのならば」
「はい」
「イグナシスの夢想を尽く焼き払う炎となるのじゃ」

 イグナシスさんが妄想したから焼き尽くす。
 なにやら変革とは恐ろしげな方向らしいことが分かった。
 いや。狂おしき憎悪云々の辺りですでに物騒だった。
 逃げた方が良さそうである。

「えっと。別な人では駄目でしょうか?」
「うむ。主様で無ければ駄目でありんす」

 ご指名にあずかってしまった。
 これは決定的なので、逃げる事にしたのだが、恐るべきことに気が付いた。
 鋼糸の伝える情報を信じるのならば、目の前の少女は存在していないのだ。
 心臓の鼓動やごく僅かな筋肉の振動、呼吸で揺れる空気の流れはおろか、風が何かに当たって気流が乱れる現象さえ、目の前の少女から確認することが出来ないのだ。
 ローガンとレイフォン自身の物はきちんと感じることが出来るから、鋼糸に問題が有るわけではないのだ。
 それはつまり、目の前に見えているのは影である。
 千人衝などで作りだした実体を持った幻影ではない。
 完全に影だけの存在であり、しかも剄の流れを全く感じない。
 これはレイフォンの常識からしたら酷く異常なことだ。
 逃げるにしてもどちらの方向に、どのくらい移動すればいいのか分からない。
 ならば、最大速度でランダムに方向を変えて、息が続く限り逃げるのが最も適当であると判断。
 実行しようとしたまさにその瞬間。

「っぷし!」
「?」

 いきなり目の前の少女がくしゃみをしたのだ。
 それは当然である。
 何しろ長い髪と尻尾とついでに耳を持っているが、基本的に全裸なのである。
 気温がそれ程高くないのだから、風邪の一つや二つ引いてしまって当然である。

「冷えてしまったようでありんす」
「その格好じゃそうでしょうね」

 思わず同情してしまった。
 ついでに逃げるタイミングを完璧に逸してしまったようだ。

「お前さ」
「はい?」

 更にそこに、ローガンの声がかかった。
 居ることは認識していたのだが、何しろあり得ないの四乗の前では、いくら強面だったとしてもその存在感は薄くなってしまう。

「どうして平然と会話が成立するんだ?」
「え? だって、いきなり殺しに来たわけでもないですし、きちんと言葉が通じるのだったら会話できるでしょう?」
「い、いや。そうなんだけれどな」

 なにやら困ったようなローガンだったが、ふと気が付いた。
 レイフォンとの距離が少し空いているような気がするのだ。
 だが、これはおおよそ納得できようという物ではある。
 何しろあり得ないの四乗であるから、少し距離を置いて様子を見るのが当然である。
 それが出来ないレイフォンの精神状態が、かなり切迫していると言う事の証明でもあるが。

「っぷし!」

 もう一度くしゃみの音が聞こえた。
 流石に裸は拙いと考え、取り敢えず上着でも渡して、その間に逃げようと考えた。

「暖めて欲しいのでありんす」
「良いですよ」

 刀を突きつけたままだったが、ゆっくりと左手を離し慎重に袖から抜く。
 だが、事態はそんな悠長なことでは終わらなかった。
 何かを察したかのようにローガンの悲鳴じみた声が飛んできた。

「馬鹿!」
「え?」

 視線を外したわけではなかった。
 だと言うのにすぐ目の前、刀の間合いの内側に少女が居たのだ。
 何かが移動する気配は全く感じなかった。
 超高速移動などと言う陳腐なトリックでもない。
 いきなり目の前に現れたのだ。
 更に驚愕の展開が続く。

「主様の身体で、暖めてくりゃれ」
「い”」

 そっと胸にしなだれかかれたと思った次の瞬間、少女の身体が消失。
 誰かに触れられたという感触も、何かが寄りかかったという重みもなかったが、微かな暖かさがあった。
 だが、それも一緒に消失してしまった。
 そして何か、レイフォンの胸の中にあった空虚な入れ物が満たされるような、そんな不思議な感覚を覚える。
 だが、それだけだった。

「? あれ?」
「なんだ?」

 そして、それで全てが終わってしまっていた。
 後に残されたのは、呆然とする男が二人だけ。
 全く意味不明である。
 無駄であるかも知れないが、再度鋼糸を広範囲に展開して振動の類を検索する。
 結果、ヒット無し。

「何だったんだ?」
「さあ? 特に問題無いみたいですからそれで良いんじゃないですか?」
「良いのか、それで?」
「難しく考えてもろくな事有りませんよ」
「それは俺も思うが、お前は良いのか?」

 気が抜けてしまった男二人が会話している間にも、マリコの念威端子が忙しく飛び回り、先ほどの少女の行方を捜しているようだ。
 鋼糸に反応がない以上、恐らく念威端子でも探すことは出来ないだろう。

「別段なんか問題が有るという訳じゃないですから」
「まあ、お前が良いんだったらそれでかまわないけれどな」

 幼生体の襲撃とか色々あったが、取り敢えず放浪バスの補給作業は終了したようだ。
 ならば、この滅んでしまった都市に長居する必要など無い。
 決意を固めたレイフォンは、ローガンを促してバスへと戻ることにした。
 マリコはまだ、念威端子を飛ばして消えた少女を捜しているようだが、全て徒労に終わるだろう事が分かる。

「そうだ」
「なんだ?」

 ふと気になったことがある。
 どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、本当に少しだけ気になったのだ。

「この都市って、なんて名前だったんでしょうね?」
「・・・。そう言えば名前も知らないな」

 レイフォン達が立ち去ったら、この都市は確実にエネルギーが枯渇して機能を停止してしまう。
 ならばせめて、名前を覚えておきたいのだ。

『麦束都市ホロウと言うそうよ』

 珍しく感傷的になっているレイフォンの元に、マリコの念威端子が飛んできてそう教えてくれた。
 何処でそれを知ったのかと思い聞いてみると。

『バス停に看板があったの。倒れていたけれど起こして確認してみたわ』

 武芸者二人が戦ったり警戒している間に、他の乗客が色々とやってくれていたようだ。
 感謝の念を抱きつつ、滅んだ都市をその目に焼き付けて放浪バスへと戻った。
 そして新たに決意をした。
 決してレイフォンは死なないと。
 平穏な老後を迎えて、天寿を全うして、安らかな死を迎えるのだと。
 そのための第一歩として、学園都市マイアスへ向かって放浪バスが再び歩き始めた。
 
 
 
  麦束尻尾のホロウについて。
 狼と香辛料のヒロイン、ホロの事。
 黄鉄鉱騒動(原作三巻、アニメ第二期前半)で、一度だけ出てきた、ホロのもう一つの二つ名。
 深い意味はないけれどこちらを採用。



[18444] プレリュード・超学園都市 前編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2011/11/16 18:05

 
 当然のことではあるのだが、レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 グレンダンに君臨する天剣授受者の玩具として、この頃特に有名でもある。
 そして、一般武芸者からも命を狙われるという、ギリギリ限界の日常を送っていたりもする。
 更に、我が家へ帰れば養父から戦いを強要されるという、心休まるのは病院のベッドの上だけという、これ以上過酷な生活など存在しない人生を送っている。
 だが、そんなレイフォンでもふと穏やかな空気に囲まれる時間が有る。
 それは、外苑部で外の世界を眺めつつ自分で作った弁当を食べる時間だ。
 何故か不明だが、外苑部で食事をしている時は誰も襲ってこないことに気が付いた時には、少々では済まない驚きと共に大いなる平穏を見つけ出した気分だった。
 そんなわけで、この三日ほど昼は外苑部で弁当を食べているのだ。
 何故自分で作るかと問われたのならば、その答えは簡単である。
 クラリーベル様に一服盛られないための用心である。
 無いとは思うのだが、兄弟姉妹がクラリーベル様に買収されていた場合、レイフォンの命は非常な危険にさらされることとなる。
 主に、王族のお婿さんにならなければならないという意味で。
 それを避けるために、自分で作って自分で食べるのである。
 この一時を得たことが、ここグレンダンで生き抜く力になると信じて。
 だが、世界はレイフォンに平穏や安息といった物を用意していなかったようだ。

「?」

 突如として、何かが近付いてきていることに気が付いた。
 気配を感じたというわけではない。
 空気の匂いが変わったと言うわけでもない。
 空間が動いたというわけでもない。
 あえて言うならば、心地よいベッドの中から、いきなり戦場のど真ん中に放り出されたといった感じだ。
 全く意味不明だが、レイフォンの感覚的にはそれが最も正しい。
 だからレイフォンは、弁当箱をそこに放り出して、ランダム加速による水鏡渡りで逃げた。
 このランダム加速に着いてくることが出来る人間など、このグレンダンでさえ十人ほどしかいない。
 言わずと知れた、天剣授受者の方々である。
 そして最悪な事実として、一時期は距離が開いた戦場がレイフォンに追いついてきた。
 ならば何がやってきたかは完璧に理解できようという物だ。
 そして気が付いた。
 三日前からここで襲われなかったのは、天剣授受者が罠を張っていたからであると。
 本来、罠を張る必要など無いのだが、レイフォンの逃げ足の速さはもはやグレンダン最速である。
 入り組んだ町の中を走る場合にはと言う、但し書きがつくのではあるが。
 そう。但し書きが付かなければレイフォンよりも早く移動できる存在はいるのだ。

「ひぃ!」

 だからこそ、レイフォンは軌道を修正して町中へ逃げ込もうとしたのだが、牽制として超強力な衝剄が放たれたのだ。
 それはもう、レイフォンを優に五回は消滅させることが出来る威力で、金剛剄を張ったところで蒸発することは間違いなかった。
 だが、これは何時ものことなので焦る必要はない。
 寿命がかなり縮んでしまったが。
 そして、もっと大幅に寿命が縮むことになる。
 衝剄の威力だけでも十分に分かるのだが、天剣授受者がすぐ後ろに迫っているのだ。
 そして、巨大な影が現れた。
 それは、軽く二メルトルを越えるという巨大さであり、それに相応しい厚みと幅を持った最悪として顕現した。
 それを確認したレイフォンは、地面を削りつつ急制動をかけつつ対峙するために振り返る。
 逃げるためにも回避するためにも、その方が都合が良いからだ。

「ぐわぁぁ!」

 だが、対峙する前に、レイフォンの両肩が捕まれた。
 そして、そのまま持ち上げられる。
 更に、肩甲骨と鎖骨が嫌な音を立てる。
 そこに一切の手加減は存在せず、活剄を総動員して骨格の剛性を上げているはずだというのに、それをあっさりと凌駕されてしまっている。
 そしてこれは最悪を通り越している。
 レイフォンの最大の武器である瞬発力を、完全な形で封じられてしまったのだ。
 逃れる術は存在していない。

「よう」
「ガーラント卿?」

 天剣で最も力が強く、その破壊力は都市外で汚染獣にしか使えないと言われる、筋肉と剄脈の固まりのような巨人の顔が、レイフォンの視線の下にある。
 これはガーラント卿が小さいというわけではなく、レイフォンが持ち上げられているからに他ならない。

「お前に聞きたいことがあるんだがな」
「ぐわぁぁ!」

 質問するガーラント卿の手に力がこもった。
 その瞬間、レイフォンの肩甲骨と鎖骨とは見事に粉砕された。

「聞けよ。三日もかけてお前を捕まえたんだし、どうしようもなく弱いんだから俺の話くらい聞けよ」
「が、がぁぁ!」

 無理である。
 人間、骨を握りつぶされて冷静に話が聞けるようには出来ていない。
 もしかしたら、天剣授受者は違うのかも知れないが、レイフォンにそんな特殊能力はない。
 そして、当然では有るのだが、ガーラント卿は普通の武芸者では有らせられなかった。
 それは何故かと問われたのならば、それは簡単である。
 い、いや。天剣授受者である以上、普通の武芸者ではないのだが、それ以上にある事実が普通の武芸者というか、普通の状態でないことを如実に物語っているのだ。
 猛烈にお怒りになっていることが、その表情からだけでも十分に理解できるのだ。
 怒りに我を忘れてしまっていると言う普通ではない状態ならば、手加減などと言う物がこの世に存在していることを、すっかり失念していらっしゃるに違いない。

「ああ? 死にてえのか?」
「て、てぇぇぇ!」

 必死に手の力を抜いてくれと懇願する。
 逃げる事も戦うことも出来ない以上、お願いするしかないのだ。

「ああ? 手がどうした?」
「ほ、ほねがくだけてましゅ」
「ああ? ・・・・・・・。っち! 軟弱な奴だ」

 やっとの事でレイフォンの事を理解してくれたのか、少しだけ手の力が抜かれた。
 とは言え、未だに地面に足は付いていないし、気を抜くと失神するほど痛い。

「でだ、お前に聞きてえんだが」
「ひゃひ」

 上手く喋れない気がするが、まだ生きていることに免じて許してやろう。
 誰を許すかという質問はしてはいけない。
 レイフォン自身分かっていないから。

「ルシャの事なんだがな」
「ルシャ姉さんでしゅきゃ?」
「ああ。ルシャのことだ」

 ルシャとは、同じ孤児院出身の姉のことである。
 ダイトメカニックとして、レイフォンの鋼鉄錬金鋼の調整などをしてくれている人だ。
 ルシャがいるからこそ、レイフォンは安心して天剣授受者達から逃げる事が出来るのだ。
 だが、これがガーラント卿が絡むと少し話が違う。
 正妻がいらっしゃるガーラント卿ではあるのだが、何故か愛人としてルシャを囲っていらっしゃるのだ。
 そして、孤児院ではレイフォンくらいしか知らないことではあるのだが、ルシャがガーラント卿のお子様を身ごもられているのだ。
 言葉遣いが少しおかしい気がするが、肩の骨が砕けていたいので仕方が無いのだ。

「ルシャの胸にな」
「ぐわぁぁぁ!」

 一端弛んだガーラント卿の力が、前にも増して強くなった。
 活剄を使うことも出来ずにいるレイフォンの腕は、既に引きちぎられる寸前である。

「ルシャの胸にキスマーク付けた奴がいるだろう!! そいつは何処のどいつだ!! 俺がそいつを殺すのに手を貸せよ!! 三日もお前を捕まえるのに使っちまったんだから、手を貸せよ!! どうしようもなく弱いんだから俺の役に立てよな!!」
「が、ががががが!!」

 既に満足に喋ることが出来なくなっているのだが、その辺ガーラント卿はお気付きにならないようだ。
 このままでは、本当に腕がもげてしまうだろう。
 まあ、手がもげたくらいならいくらでも生えてくるから問題無いとお考えなのかも知れないけれど。

『ルイメイさん』
「ああ? なんだ婆」

 そんな限界の瞬間、何処からともなく声がかかった。
 当然のことだが、一部始終を観察していたキュアンティス卿だ。
 もっと早く声をかけてくれれば、これほど痛い思いをしなくて済んだのだが、突っ込んではいけないのだろうか?

『それではきちんと喋れませんよ?』
「・・・・・・・・・。軟弱な奴だな本当に」

 溜息を溢しつつ、力が緩み呼吸が出来るようになった。
 だが安心してはいけない。
 これはもしかしたら、レイフォンをより苦しませるための前振りかも知れないからだ。

「それでルシャの胸のキスマークは、何処のどいつが付けたんだ? まさかとは思うが、お前じゃあるまいな?」
「そんな度胸は、僕にはありません」

 キュアンティス卿の仲裁が効力を発揮し続けている時間は、あまり長くないはずだ。
 ならば、レイフォンは最速でガーラント卿の質問に答えなければならない。

「それは多分カレンでぇぇぇぇ!!」

 黒い長髪の妹が何をしたのか、それを伝えようとしたのだが、話の途中で、いきなり前後に揺すられ始めた。
 それはもう、脳が液体になってしまいそうなほどに力強く、そして残像が残るほど早かった。

「それは何処のやろうだ! ああ!!」
「さ、さんさい」
「山菜だぁぁ? 誰がキノコの話なんかしてるんだおい!!」

 どうしてこうも、レイフォンの周りにはきちんと話を聞かない人ばかり集まるのだろうかと、現実逃避気味の疑問を浮かべる。
 だが、現実から逃げられてもガーラント卿からは逃げられない。
 いや。ガーラント卿が現実だから、やはり現実からも逃げられないのだろう。

「さんさいのおんなのこ」
「ああ? キノコが女の子だと!!」

 どうやら取り乱しているのはガーラント卿の方であるらしい。
 猛烈にお怒りになっていることは間違いないのだが、それ以外にも何かが違っているようである。
 著しく反応がおかしい事からも、それが伺えるという物だ。
 もしかして、ルシャが誰か他の男の子供でも孕んでいるのではないかと、そんな心配をしているのかも知れない。

『ルイメイさん。三歳の女の子が犯人だと言っているのですよ、レイフォンさんは』
「何!! ルシャは百合だったのか!!」
「ち、ちが!!」

 折角のキュアンティス卿の介入だったが、前後に揺すられる速度が三割ほど増しただけだった。
 だが、これは悪いことではない。
 いくらグレンダンだとは言え、脳の損傷を回復させる技術は存在していないはずだ。
 安楽死とは少し違うが、この地獄から解放されるのだったら、それも悪くはないかも知れないと、そんな危険な方向へと思考が進みかけた。

『ルイメイさん。それ以上やるとルシャさんも悲しまれますよ』
「!!」

 一瞬で停止するレイフォンの頭。
 最初からそう言ってくれればいいのにと、キュアンティス卿にやや殺意が湧いてしまった。

「・・・・・。でだ。どう言うわけだ?」

 一息ついたらしいガーラント卿が、やや落ち着いてお尋ねになられていらっしゃる。
 二重敬語になってしまったが、既にレイフォンは限界である。

「こ、この間ルシャ姉さんが子供達をお風呂に入れた時に」
「流石ルシャだ。みんなのために頑張っているんだな」
「遊び半分でカレンが胸に噛み付いてきたと言っていましたので」
「噛み付いただぁぁ?」

 歯も生え揃っていない女の子が噛み付いても、怪我をすることなど無い。
 ただ、跡が付いてしまっただけなのだ。
 そもそも、ルシャ本人に聞けば全て解決するはずだというのに、それをしないガーラント卿も、もしかしたらヘタレなのかも知れない。

「多分噛み付かれた跡が残っているだけかと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 微妙な表情をするガーラント卿。
 どの辺が微妙かと問われると困るのだが、自分の早とちりを恥じているようには見える。
 だが、次に取った行動ははっきりと照れ隠しである。

「くだらん! こんなオチのために三日も使っちまったか」
「どわ!!」

 照れ隠しの叫びと共に、レイフォンは近くにあった屑籠へと放り込まれた。
 見事に全身がすっぽりと収まるという、まさにジャストサイズな屑籠だった。
 当然、入った直後に蓋が閉じるというおまけ付きである。
 端から見ていたらきっと笑えただろうが、残念なことにレイフォンは当事者なので笑えない。
 そして、救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。

『ウフフフフフフフ。今日は逃げられませんでしたわね』
「あ、あはははははは」

 そう言いつつも、救急車を呼んでくれたらしいキュアンティス卿に笑い返しつつも、レイフォンは少しだけほっとしていた。
 この怪我だったら、一週間は入院できると。
 
 
 
 と、ここで目が覚めた。
 
 
 
 いや。まだ目覚めていない。
 
 
 
 そこは青い空間だった。
 どんな物質で出来ているかは、全く分からないが、取り敢えず青い空間だった。
 その青い空間にムラがあるようで、濃淡がゆらゆらと揺れている。
 だが、そんな謎時空など問題ではないのだ。

「主よ」

 そう。目の前には、尻尾と獣耳を持った全裸の少女が佇んでいるからだ。
 いや。地面なんて物があるかどうか分からないので、佇んでいるかどうか疑問ではあるのだが、兎に角目の前に存在している。

「えっと。麦束都市で見かけた」
「んむ。汚染獣への憎悪で狂った電子精霊。廃貴族のホロウでありんす」
「はあ。成る程」

 話を理解したわけではない。
 取り敢えず相槌を打っただけだ。

「分かっとらんな?」
「いや。聞いたことのない単語が一杯出てきた物ですから」

 少し怒ったようだったので、取り敢えず謝り倒す。
 この謎時空で逃げられる自信がないからだ。

「・・・。まあ、その辺はおいおい教えることにするかや」
「お手柔らかに」

 身体を使うことは得意だが、頭を使うことは苦手なのだ。
 そして、廃貴族のホロウと名乗った不思議少女は、何かをレイフォンに伝えたいらしいのだ。
 聞いてみても問題無いと思う。

「主があんなにも猛々しいと、わっちらはもうたまりんせん」

 身をくねらせつつ、恥じらいつつそう仰る。
 幾つか疑問のある単語が並んでいたので、一つずつ確認しなければならないだろう。

「え、えっと。猛々しいというのは、今の夢の内容に関してですよね?」
「んむ。わっちら廃貴族は戦いの気配に敏感なのでありんす」

 ガーラント卿に一方的に痛めつけられ、最終的に照れ隠しでゴミ箱に放り込まれたあれを見て、何処が戦いだったのかという疑問がわき上がってくる。
 猛々しいなどとは全く関係ないはずだ。
 もしかしたら、ガーラント卿の猛々しさと混同しているのかも知れない。
 あり得る。

「どの辺が猛々しかったんでしょうか?」
「んむ? そうじゃな。ゴミ箱に突っ込んだ辺りかや?」
「何故疑問系?」

 ガーラント卿とレイフォンを混同しているというわけではないようで、少しだけ安心したのだが、それでも色々と問題が有る。
 何しろ、ゴミ箱に放り込まれることを指して、猛々しいなどと表現しているのだ。
 これは非常におかしな感性であると言えるのではないだろうか。
 だが、レイフォンには、もう一つ訪ねなければならないことがあるのだ。

「それともう一つ疑問なのですが」
「んむ。何でも聞いてくりゃれ?」

 お許しが出たので、恐る恐ると訪ねる。
 もし、レイフォンの予測が正しかったのならば、それはもう恐るべき事態に突入してしまっているから。

「わっちらと複数形でしたよね?」
「んむ。そうじゃな」

 先ほどからホロウは、常に複数形の一人称を使っているのだ。
 それはつまり。

「ふぅ」
「う、うあぁぁぁぁ!!」

 突如として、背後を取られた。
 いや。それだけならばいいのだが、いきなり耳に息を吹きかけられた。
 更に、なにやらとても弾力のある物が背中に当たっている。
 いや。もっとこう、押し当てて先の方が捻り込まれているような気がする。
 止めとばかりに、細くてしなやかな上に、とても柔らかそうな腕が、レイフォンを後ろから抱きしめているのだ。
 それはつまり。

「元、金毛都市の電子精霊でぇ、今は廃貴族のちずるでぇぇっす!!」
「う、うわぁぁ! ?」

 幾ばくかの硬直の後に腕を振り解き、水鏡渡りで距離を取って錬金鋼を復元しようとした。
 だが、剣帯に伸ばした手は何も掴むことが無く、見事に空振りしてしまった。
 別段服を着ていないとか言うわけではないのだが、何故か剣帯の中だけが空だったのだ。
 そして、いきなりレイフォンの後ろを取り、耳に息を吹きかけた存在を確認して、恐怖のあまりのけぞった。
 実際に息がかかっていたかという疑問はあるが、感覚的には吹きかけられていたのだ。

「な、なに?」

 それは少女だった。
 当然のことかも知れないが、いきなり全裸だった。
 眩しいばかりの金髪は腰まで伸び、風もないのに緩やかにはためいている。
 更に、頭頂部に獣耳が存在している。
 ぴんと立ったその耳は、やはり眩しいばかりの金色の毛に覆われているが、先の方だけが漆黒の色合いをしていた。
 そして、これも当然なのかも知れないが、腰の付近からやはり金色の毛に覆われた尻尾が生えている。
 もちろん、先の方だけが黒い毛に覆われた奴だ。
 だが、何とかホロウと共通していると言えるのはこの辺までだ。
 そう。決定的に違うところがある。
 それは胸の付近。
 ひん。い、いや。
 スレンダーなホロウに対して、ちずると名乗った廃貴族の胸は、恐るべき巨大さでレイフォンを襲っているのだ。
 思わず目が離せなくなるほどに、凄まじい破壊力を秘めたその部分に、思わず視線が引き寄せられるくらいには、恐るべき兵器である。

「くふ」

 そんなレイフォンの状況をきちんと認識しているらしい、ホロウが小さく笑う声が聞こえたような気がした。
 そして、それは、間違いなく真実である。

「主もやはり雄よの。草食動物とは言え、雌のためにならば死地に赴く事をいといんせん」

 あながち間違った評価ではない。
 なぜならば、マイアスへ留学するその日に、サヴァリスに襲われたが、その時に助けてくれた謎の美少女武芸者こと、グレンダン女王に匹敵、あるいは凌駕するかも知れないほどに、凄まじい破壊力を秘めている。
 この胸のためだったら、死ねると言えてしまいそうなレイフォンだったが、事態はもう少し深刻である。
 なにしろ、ラノベ史上最強の寸止め作品に強制参加させられることを意味しているかも知れないからだ。
 いや。それ以上に、これは間違いなく。

「こ、ここが噂のエロス時空だったのか!!」

 てっきり謎時空だと思っていたのだが、目の前にある物を考えると、他には考えられない。
 これで、ラブコメ人生確定である。

「おお! そうであったのかや。ここがあの名高いエロス時空であったのかや」
「うふふふふふ。私がいるところがすなわち、エロス時空よ」

 ホロウが驚いているように見えるが、ちずるははっきりと肯定している。
 だが、油断してはいけない。
 ホロウの尻尾がなにやらとても機嫌良さそうに揺れているのだ。
 これは彼女もグルであると判断すべきだ。

「いいえ違うわね」
「んむ? 何か違ったかや?」

 そんなレイフォンの事などお構いなしに、自称廃貴族の少女二人は何やら話の先へと進んでしまっている。
 ついでにレイフォンと関係ないところに旅立ってくれないかと思うのは、何か間違っているのだろうか?

「私とレイフォンがいるところが、すなわちエロス時空よ!!」
「おお! そうであったのじゃな! んむ。それでこそ雄の中の雄でありんす!!」

 何かとんでもないことを言われたような気がするが、出来れば気のせいにしておきたい。
 レイフォンはラブコメ体質かも知れないが、断じてエロス時空の住人ではないし、ましてや構成要素ではないのだ。
 だが、現実は既にレイフォンを巻き込んで突っ走っている。
 そう。すぐ目の前に女王をさえ凌駕する凄まじい何かが迫っているのだ。
 プルンなんて可愛らしい揺れ方はしていない。
 しかも、最も恐ろしいことは、レイフォンに逃げるという選択肢を取らせないという事実である。
 グレンダンが誇る変態集団である天剣授受者から、条件付きではあったが逃げる事に成功し続けてきたレイフォンが、今、逃げるという選択肢を取ることが出来ずにいるのだ。
 そう。目の前に迫った恐るべき敵は、今まで戦ってきた物とは明らかに違う脅威として、レイフォンを取り込もうとしているのだ。

「うふふふふふふ。さあレイフォン。私の全てをあ・げ・る」
「くふ。主の思うがままでありんす。思うがままに食らい尽くしてくりゃれ」
「SMだって、コスプレだって。いいえ。あぁぁんなことや! こぉぉぉんなことだって! ぜーんぶオッケーよ!!」
「それでも腹が満たせなければな、わっちも食ろうてくりゃれ」

 目の前にいるのは、都市を滅ぼされ、汚染獣への憎悪で狂った電子精霊のはずだ。
 だと言うのに、何かが決定的に違っている。
 いや。何もかもが決定的に間違っている。
 そして何よりも、レイフォンに逃げ場は存在していない。
 
 
 
 っと、ここでやっと覚醒することが出来たようだ。
 
 
 
  金毛都市ちずるについて。
 MF文庫j かのこんのメインヒロイン、源ちずるが原型。
 とはいえ、原作は四巻くらいまでしか読んでいないので、キャラクター設計に致命的な間違いがあるかも知れません。あしからず。
 



[18444] プレリュード・超学園都市 後編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2011/11/23 20:04

 
 目覚めるとそこは放浪バスの中だった。
 グレンダンから出発したレイフォンは、ヨルテムでマリコとローガンに別れを告げた。
 二人とも知り合いが住んでいる都市を目指していると言う事だったし、引き留める理由など存在していない。
 僅かな時間しか一緒にいなかったが、それでもなんだか少し寂しい。
 優しく叱ってくれたり、心配してくれた大人というのは、ずいぶん久しぶりに会ったような気がしたからだ。
 たったそれだけのことで、とてもあの二人のことを大切に思ってしまう自分の人生に、少々絶望してしまったが、実は今それどころではないのだ。
 そう。猛烈に体調が悪いのだ。
 原因は全く不明だが、剄を使うことさえ出来ないほど体調が悪いなどと言うことは初めてである。
 天剣授受者はおろか、普通の武芸者や一般人に襲われたとしても、抵抗することが出来ないと言うことはかなり恐ろしいことである。
 放浪バスの中で暴れる人間もいないだろうから、その辺は心配していないが、もし汚染獣と遭遇してしまったらかなり拙いことになりそうだ。
 まあ、都市外戦装備など持ってきていないから、どうしようもないことに変わりはないのではあるが。

「え?」

 だが、瞼を開けたレイフォンの視界に飛び込んできたのは、ある意味驚くべき光景だった。
 黒髪の少女である。
 い、いや。別段全裸と言うわけでも獣耳が付いていると言うわけでも、尻尾が生えていると言うわけでも無い、極々普通の少女である。
 年齢的には、レイフォンとあまり変わらないだろうと思う。
 大人しそうな外見と泣き出しそうな瞳が印象的であり、そして何よりもちずるに匹敵しそうなある部分が強烈に目を引く。
 しかし、その外見がレイフォンを驚かせたというわけではない。
 そう。その黒髪の少女が冷たいタオルをレイフォンの額へと当てているからだ。
 レイフォンが目覚めたことに気が付いたのか、一気にあわあわと取り乱し始める。

「あ、あのっ、お、起こしてしまいましたか」
「大丈夫ですよ。そろそろ起きようかとは思っていましたから」

 何か何時ものレイフォンと少し違うような気がする。
 だが、目の前の少女がレイフォンを起こしてしまったことに罪悪感を覚えてしまい、涙目になりそうだったので、必死に否定したためにこうなったのである。
 本当はもっと激しく否定したかったのだが、身体が言うことを聞いてくれないので中途半端になってしまったのだ。
 そう。信じられないほど体調が悪いのだ。

「凄く汗をかいているようでしたから、冷たいタオルを持ってきたのですが」
「済みません。お手数おかけします」
「あ、あう」

 何故か照れてしまったのか、頬を紅くして俯く少女の手が、それでもおずおずと伸びてきて、レイフォンの額によく冷えたタオルを乗せてくれた。
 これは猛烈に気持ちが良い。
 この事実で、自分で思っている以上に体温が高いのだろうと言う事に、やっと気が付いた。

「解熱剤とか持ってきますか?」
「有り難う御座います。でも、暫く様子を見てからにしたいと思います」

 何故体調が悪いのか分からないのに、不用意に薬を飲むべきではない。
 放浪バスの中に医者でも乗っていれば話は違うが、出来るだけ危険は避けて通るべきなのだ。
 天剣授受者並の危険でないから、それ程恐れる必要はないとは思うのだが、それでもレイフォンは注意深く行動する癖が付いているようだ。

「近くに座っていますから、何かあったら言って下さいね」
「有り難う御座います」

 その親切さに、思わず涙が込み上げてきてしまったが、それをぐっとこらえる。
 泣いてしまったら、目の前の少女がもっと心配するだろうから。

「メイッチィィ? そんなところで何やってるの?」
「ミィちゃん。あ、あの、この人が」
「うんうん? メイッチを押し倒そうとしてきたとか? メイッチが押し倒そうとしているとか?」
「ち、違うよ。凄く汗をかいていたから」
「ほうほう。妄想で発熱していたのかな?」

 そんな会話を繰り広げつつ、レイフォンの視界に入ってきたのは、茶髪をツインテールにして、好奇心丸出しの視線を持った、レイフォンと同年代くらいの少女だった。
 そして、ミィちゃんと呼ばれた少女がレイフォンを認識。
 次の瞬間、何故か哀れみの視線がやってきた。
 全く意味不明である。

「あ、あの」
「気にしてはいけないよ? 私は君の冥福を心から祈っているだけだからね」
「い、いや。まだ死んでいませんから」
「うんうん。生まれた以上、何時かは死ななければならないのだよね。生と死は表裏一体。コインの表と裏。掌と手の甲。切り離すことなど出来ないのだよ」
「は、はあ」

 体調が悪いという以上に、目の前のミィちゃんなる少女が理解できない。
 助けを求めて、黒髪の少女へと視線を向ける。
 メイッチと言うのもそうだし、ミィちゃんと言うのも愛称であって、本名ではないだろうことは理解している。

「僕はレイフォン・サイハーデンと言います」
「ほうほう。強そうな名前だね。私はミィフィ・ロッテン。こっちのはメイシェン・トリンデンだぞ」
「は、初めまして」

 ここまで話が進展して、やっと自己紹介が出来たと言うことに、何か喜びを感じるべきだろうかとか、思わずどうでも良いことを考えてしまった。
 身体と関係しているのか、頭の回転が何時もよりもかなり遅い。
 い、いや。普段から決して早いほうではないが、今日はとことん遅い気がする。

「私達は交通都市ヨルテムから。レイとんは何処から?」
「僕は槍殻都市グレンダンから?」

 最後が疑問系になったのは、レイフォンが自分が出てきた都市名をうろ覚えだったからではない。
 何かが決定的に間違っているような気がしたからだ。

「熱のせいか少々頭の回転が鈍いようです」
「ほうほう。熱があるのに長い話は流石に問題だね、下がったらまた遊んであげるよ」
「ど、どうも」

 何かが決定的に間違っていると思うのだが、それが何か分からない。
 だが、目覚めたレイフォンの意識はまた沈み込もうとしていた。
 自分で認識しているよりも、かなり体調が悪いようだ。
 少女二人が自分の席へ行く気配を感じつつ、レイフォンは再び眠りの世界へと落ちていった。
 今度は廃貴族が夢の中に出てきませんようにと、存在するとは思えない神に祈りつつ。
 
 
 
 全くもって驚いたことに、廃貴族が夢に出てくることはなかった。
 この世に神などいないと思っていたのだが、もしかしたらいるのかも知れない。
 い、いや。死に神や貧乏神はいるはずだと言うことは、十分に身にしみているのだが、もしかしたら、もっとこう、幸せにしてくれる神もいるのではないかと思えてきたのだ。
 それくらい、安眠を得られたことは嬉しかったのだ。

「と言う事で、遊びに来たぞ!!」
「うわ!!」

 幸福の神がいるなどと言うのは、もしかしたら錯覚かも知れない。
 目覚めて水を一口啜った直後、茶髪ツインテールの生き物に襲撃されたのだ。
 まあ、天剣授受者に襲われ続けたレイフォンにとっては、どうと言う事のない相手であるのだが、勝手が分からない敵というのはどうも苦手である。

「それにしても、レイとんがあのグレンダンの出身者だったとは驚きだよ? なんだか気弱そうでおどおどした感じだったから、敗走都市ニゲテーラとかから来たのかと思ってた」
「何ですかその都市は」

 一応突っ込みつつも、そんな名前の都市が有ったらきっとそこの生まれに違いないと、変な確信が出来てしまった。
 グレンダン時代のレイフォンには、これ以上ないくらいにぴったりな名前だと思うのだ。
 それはそれとして。

「前回気のせいかと思っていたのですが」
「ふむふむ?」
「何かの間違いであって欲しいと思うのですが」
「何だね?」
「レイとんって、もしかして僕のことでしょうか?」
「うむ。やっと気が付いたかね。そう。レイとんとは君のことだよ」

 ミィフィが薄い胸を張りつつそう宣言した。
 そして理解した。
 知り合った人間全てに、愛称を付けなければ気が済まない性格なのだと。
 しかもかなり格好悪い奴をだ。

「・・・・・。まあ良いか」
「? 私の付けた愛称に何の不満も持たないとは、レイとんは相当酷い人生を送ってきたのだな」
「自分で言っていて悲しくなりませんか?」
「うむ。実は結構悲しいような気がしている」

 どうも、レイフォンが知り合う人間と言うのは、かなり癖が強い人達ばかりな様だ。
 だが、この会話のユルさはなんだか心地よい気がする。
 グレンダンでは何時も張り詰めていなければならなかった。
 例え病院のベッドの上だろうと、何時か誰かに襲われるかも知れないと言う、強迫観念と無縁ではいられなかったのだ。
 主に、ヴォルフシュテイン。いや。リーリン様やクラリーベル様絡みの問題で。
 病院のベッドの上が唯一安息の地だったのは間違いないが、それも絶対ではなかったのだ。
 グレンダンを出て、放浪バスに乗って、マリコとローガンに会ったことで、その事実に気が付くことが出来たのだ。

「・・・・・・・・・・・・・。確かに酷い人生だったのかも知れない」

 振り返ってみれば、間違いなく恐るべき人生だった。
 だが、それも過去のことである。
 これから訪れるマイアスには、天剣授受者などという人外の化け物は存在していない。
 寝ている時に斬りかかってくる養父さえいない。
 町を歩いているだけで大挙して襲いかかってくる、一般武芸者だっていないに違いない。
 なんとユルくて住みやすい世界なのだろうかと、改めて希望に満ちてしまった。
 クラリーベル様は、後を追っていらっしゃるかも知れないが、それは彼女一人だけの話である。
 襲撃者が大挙して襲ってくるなどと言う事は、ほぼ考えられないのだ。

「っとそう言えば、ミィフィさん達も留学ですか?」
「うむ。私達は三人で留学なのだが、敬語はやめにしないかね? そして私のことはミィちゃんと呼べ!!」
「ミ、ミィちゃんですか?」
「そうそう。私がミィちゃん。メイッチとナッキ。オーケー?」
「え、えっと。ナッキというのは?」

 ミィちゃんと呼ぶことに、非常に抵抗を感じたので、取り敢えずまだ知らない人物について訪ねる。
 流石に、放浪バス内で知り合った人間では無いだろうと思うから、同じ都市出身者だと思うのだが、念のために確認しておきたいのだ。
 レイフォンは、知り合ってすぐに愛称を付けられたという実績がある以上、確認しておくに越したことはない。

「うむ。幼馴染みの武芸者なのだ」
「ぶ、ぶげいしゃ?」

 思わず腰が引けた。
 これは、ナッキなる人物がどうこうではない。
 武芸者と聞いただけで、反射的に警戒してしまうのだ。
 これもグレンダン時代から続く、レイフォンの習い性の一つだ。

「何だね? 武芸者と言ったって、別段怖いことなど無いぞ? 私の幼馴染みはみんな良い奴ばかりだぞ?」
「それはそうなんでしょうが。これはもう条件反射なので仕方が無いんですよ」

 そう言いつつ、剄を持った人間が近付いてきていることに気が付いてもいた。
 いや。このバスに乗ってからこちら、存在だけはきちんと認識していたのだが、接触する事が無かったので放置していた気配だ。
 その気配が、明らかにレイフォンのいる場所を指向して近付いてきている。

「なんだミィ? 新しい被害者か?」
「うむ。今ナッキの話をしていたのだよ。ちょうど良いので紹介しよう」

 声の直後、座席の陰からその姿が現れた。
 レイフォンと同じくらいの年齢と、同じくらいの身長をした、褐色で赤毛な武芸者である。
 瞬時に、襲われるとしたらどんな方法だろうかと考える。
 この狭い車内で衝剄を放ってしまったら、バスの気密が破られて、汚染物質の侵入を許してしまうだろう。
 ならばほぼ確実に高出力の衝剄は考えられない。
 となれば活剄を使った接近格闘戦。
 ならば、天剣授受者並の実力者でなければレイフォンが断然有利だ。
 出力的には無理だったが、瞬間の加速力や瞬発力だけを取れば、天剣授受者さえ凌駕することが出来るのだ。

「・・・・・・・・・・・・。病気かも知れない」

 そんな事を考えて、どう防御してどう移動して、最終的にどうやって相手を無力化するかという、シミュレートを僅か二秒間の間に、五回ほどやっている自分に突っ込みを入れる。
 条件反射的な行為なのではあるが、これはもうクォルラフィン卿とは違った意味で、戦闘愛好家への最短ルートである。

「なんだ? そう言えばどっか調子悪いとかメイが言っていたが、まだ具合が悪いのか?」
「い、いや。そう言う意味じゃなくて、もっとこう人として何か間違っているんじゃないかと」
「? 意味不明だが」
「うむうむ。流石レイとんだな」

 グレンダンを知らない人に、レイフォンの思考を理解しろと言うのは甚だしく無理な注文である。
 なので、その辺はスルーして貰うこととする。
 取り敢えず、レイフォンが自己紹介をして、ナルキもそれに応じてくれた。
 それよりも、この次に確認しておかなければならない問題が有るのだ。

「留学と言っていたけれど、どの都市に行くの?」

 そう。どの都市に留学するかが問題なのである。
 もしかしたら、ツェルニと返ってくるかも知れない。
 もしそうならば、レイフォンがこれから行く都市について話すことは、絶対に避けなければならない。
 あり得ないとは思うのだが、ツェルニがマイアスに喧嘩を売ってきたのならば、レイフォンに生き延びる術は存在していないからだ。
 もし、ツェルニとマイアスが喧嘩するとしても、レイフォンの存在を知らなければ、何とか隠れていることが出来るかも知れない。
 伊達にキュアンティス卿でさえ探せない逃走術を身につけているわけではないのだ。

「ツェルニだが。・・? どうかしたのか? 顔色が悪いぞ?」

 だが、ナルキから返ってきた答えはある意味、レイフォンの運の悪さを証明する物であった。
 よりにもよって、武芸者で、一年生でツェルニの生徒になろうとする人物と、こうやって会話を交わしてしまっているのだ。
 何とかしなければならない。
 だが、悲しいことにレイフォンは頭を使うことが苦手なのである。
 となれば、取れる選択肢は多くはない。

「い、いや。やっぱり少し体調が悪いみたいだなっと、今頃気が付いたというか、やっと気が付いたというか」
「鈍い奴だな」

 当然の結果として、ナルキに呆れられたが何故かミィフィは非常に喜んでいる。
 茶髪ツインテールな生き物は、人とは決定的に違う思考方法で、この世の中を見ているのかも知れないが、兎に角レイフォンがマイアスへ行くことを知られるわけにはいかないのだ。

「ごめん。もう少し眠ってみるよ」
「ああ。あんまり具合が悪いようだったら、私達を頼ってくれよ」
「有り難う」

 優しい言葉をかけられて、思わず目頭が熱くなってしまったが、レイフォンは男の子なので必死に泣かないように耐える。
 優しい言葉をかけられただけで、一々泣いていては身が持たないというのもあるが、それ以上に会話を続けることが危険だからだ。
 次の都市に到着するまでまだ時間がかかるから、かなりの難事業であることは間違いない、
 それでも、レイフォンはやり遂げなければならないのだ。
 
 
 
 交通都市ヨルテム出身で武芸者であるナルキは、ツェルニに到着して少しだけほっとしていた。
 別段、汚染獣に襲われたり廃都市と遭遇したりしたわけではないのだが、それでも狭いバスの中から解放されたと言う事は、割と安心できる事柄である。
 ヨルテムを出発して、一度乗り換えただけなのだが、それでも狭いバスの中というのは身体を動かす人間にとっては、かなり大きなストレスとなっているのだ。
 ある意味、ヨルテムという最も乗り換え回数が少ないはずの都市からの旅でもそう感じてしまうのだから、他の都市から来る人間は相当大変なのだろうなと、半ば以上他人事として考えている。
 例えば、グレンダンからだと言っていた気弱げな武芸者のレイフォンなんかは、相当に大変な思いをして目的の都市へと到着したに違いない。

「そう言えばさ」
「何だ?」

 生まれた時からの腐れ縁であり、なにやらヨルテムで犯罪まがいのことをやったらしいミィフィが、少しだけ驚いた表情で何かを見詰めつつ、深々と息を吐いているのに気が付いたのは、バスを降りてまだ身体を伸ばしたりない時間のことである。
 なにやらまた良からぬ騒動でも起こそうとしているのかと思ったが、やや様子が真剣味を帯びていることにも気が付いた。
 その視線が割と真剣だったのだ。

「レイとんが言っていたこと覚えている?」
「・・・。ああ。私がツェルニに留学すると言った少し後だったな」

 何故か不明だが、決してレイフォン自身がどの都市に留学するかは話さなかった。
 その話題になると、必死に話を誤魔化していたので、ナルキ達からその話題に近付くことをしなくなったほどだった。
 だが、そのレイフォンが一度だけツェルニについて注意を促したのだ。

「今年の新入生で、武芸者で、金髪を後ろで縛っていて、右目に眼帯をしている女の子がいたら、絶対に近付くなって言っていたな」
「な、なんでだろうね? 凄く真剣だったよね」

 もう一人、生まれた時からの腐れ縁で、更に最も問題を抱えた幼馴染みが、少し怯えつつそう呟く。
 あの時のレイフォンの真剣な視線と表情は、未だに忘れることが出来ない。
 まるで、その人物が死に神か何かのような印象を受けるほどに、凄まじく切迫した表情だったのだ。

「でさ」
「ああ?」
「あう?」

 ナルキとメイシェンの会話が聞こえているのかいないのか、視線がこちらを捉えることのないミィフィの口が更に動く。
 気になってナルキもそちらへと視線を向けてみて。

「あれって、どんぴしゃり人相書きの人じゃない?」
「・・・・・・・・・。右目に眼帯なんて、今時もの凄く珍しいはずだからな」
「あ、あう」

 そう。ナルキも見た。
 おそらくメイシェンも確認した。
 レイフォンが最大限の警戒を払っていた人物が、放浪バスの、停留所の隅の方で、誰かを捜すように降りてくる人間を見回し続けているのだ。
 いや。これはもう、レイフォンを捜しているに違いない。
 だが、レイフォンの話を聞いてからナルキが想像していた人物像とは、だいぶ印象が違っているのも事実だ。
 レイフォンからの印象では、間違いなく死に神かその親戚と言った感じだった。
 だが、今、目の前にいる少女は、完璧に恋する乙女なのである。
 不安げに辺りを見回して、目的の人物がいないことを確認して溜息をつく。
 そんな事を、ナルキ達が見ている間に何度も繰り返しているのだ。
 もしかしたら、レイフォンがヘタレ過ぎてヤンデレ化してしまったのかも知れないと思えるほど、その少女は真摯な瞳で放浪バスから降りてくる人達を見回している。

「どうする?」
「別に止められている訳じゃないし」
「あ、あう。同情しちゃいそう」

 ナルキの問いに、ミィフィとメイシェンからも、レイフォンが違う都市に向かったことを告げても良いのではないかと、そう言う返事が返ってきた。
 そして、有る事情によって、ナルキ達はレイフォンが向かった都市をおおよそ確定できているのだ。
 ならば、後は声をかけてそれを知らせるだけなのだが。

「だ、誰が教える?」
「ナッキ。頑張って」
「お、応援しているよ」

 幼馴染み二人からは、他力本願な答えしか返ってこなかった。
 だが、ナルキも見てしまった以上、放置しておくと言う事は出来ないのも事実。
 なので、勇気の有りっ丈を振り絞って、少女を絶望させる知らせを届けなければならない。
 それでも、刺激を最小限にすべく、正面から近付くのを避けた。

「あ、あのぉ」
「はい?」

 更に、何時でも逃げられるように腰が引けた状態で話しかける。
 何故逃げ腰で話しかけているのか、ナルキ本人にも全く理解できないが、それでも逃げ腰で話しかける。

「もしかして、レイフォン・サイハーデンという人を探していますか?」
「・・・・・・・・・・・・・」

 恐る恐るとかけた声に返ってきたのは、長い沈黙だった。
 そして、ゆっくりと唇の端が持ち上がる。
 次の瞬間、食い殺される自分を想像したナルキだったが、それは全くの杞憂に終わった。

「もしかして、レイフォンを知っているのですか?」

 とても朗らかな笑顔と共に、そう問いを返された。
 それと同時に、今まで感じていた圧迫感や緊張感が霧散するのも感じた。

「途中まで一緒のバスに乗っていたから、少しだけ知っている」
「? 途中まで?」
「・・・・。ああ」

 とうとう言わなければならない瞬間がやってきてしまった。
 いや。そんなに時間が経っているわけではないのだが、それでもこう言う展開は非常に苦手である。

「レイフォンは、ツェルニには来ない」
「・・・・・・・・・・? え?」

 何を言われたのか分からないと言った表情で、ナルキを見る少女。
 胸の奥に突き刺さる痛みを誤魔化しつつ、伝えなければならない。

「レイフォンは、途中で違う都市に行くバスに乗った」

 一つ前の都市で、違う都市に行くバスに乗ってしまったのだ。
 それはどう考えても、ツェルニに来るための行動ではなかった。
 それはつまり。

「違う都市に留学するつもりだと思う」
「・・・・・・・・・・・・・・」

 凍り付いた少女の表情を見ていられなくて、ナルキは急いで次の言葉を紡ぎ出す。
 これを伝えることが、正しいかどうか非常に疑問であるが、それでも、伝えなければならないのだ。

「レイフォンは、学園都市マイアスにいるはずだ」
「マイアス?」
「ああ。同じヨルテム出身でマイアスに留学する奴がいたんだけれど、そいつと同じバスに乗ったから、多分マイアスに行ったんだと思う」

 そう。レイフォンは結局どの都市に行くかナルキ達に教えなかった。
 偶然にマイアスに行く知り合いと同じバスに乗らなければ、予測することさえ出来なかっただろう。
 それはきっと、偶然という名の審判者がいるという証拠なのだろうと思う。
 教えて良かったのかどうかは別として、かなりの確信を持ってナルキは伝えることが出来るのだ。

「ほら」
「え?」

 ある種の感動と鋭い痛みを胸に、ナルキが少女を見詰め続けていると、俯いた少女が微かに唇を動かして、小さく声を出した。
 だがそれは、ナルキが想像していた全ての状況と全く違った内容だった。
 その意外さで一瞬動きがとれなくなる。

「レイフォンって、本当に可愛い」
「か、かわいいのか?」

 レイフォンが可愛いという事実は、ナルキの認識していない事実だ。
 だが、目の前の少女は明らかにレイフォンを可愛いと認識している。
 いや。何かもっと、確信している感じだ。

「ええ。私から散々逃げ回っているのに、こっそり手がかりを残してくれているんだもの。追いかけてきて欲しいのよ」

 そして顔を上げた少女は、眩いばかりの笑顔を浮かべていた。
 だが、その笑顔を見たナルキの背中を、猛烈な量の冷や汗が集団で流れて行く。
 何か、押してはいけないスイッチを押してしまったか、曲がってはいけない角を曲がったか、それとも、言ってはいけない言葉を使ってしまったか、そんな感じである。
 そんな風に感じたのはもしかしたら、少女の笑顔が獲物を見つけた肉食獣のそれだったからかも知れない。
 いや。肉食獣が獲物を見つけた時の笑顔なんて物は、当然のこと知らないのではあるが、だが、本能的にそう思える笑顔だったのだ。
 そして、顔を上げた少女の笑顔が更に深い物となり。

「あははははは。安心してレイフォン!! 必ず私が貴男を追い詰めて、殺してあげるわ!!」
「え?」

 続いた台詞は、瞬時にナルキの脳で理解された。
 そして、驚愕の単語が含まれていたことを認識。

「ああ! レイフォン」

 熱い吐息と共に、ここではない何処かを見詰める少女。
 その瞳は間違いなく、恋い焦がれる乙女のそれであった。

「私はここに宣言するわ! 絶対にクララになんか渡さない。私がこの手でプチって殺して、その生首を剥製にして、一生私の枕元に飾ってあげる!!」

 更に恐ろしいことを叫び出す少女から、思わず距離を取る。
 周り中から視線が飛んできていることにも、全く気が付かない様子の少女は、更に高らかに笑い続ける。

「い、言ってしまっては拙かったのかも知れない」

 そう思うが既に後の祭りである。
 既に賽は投げられ、そしてレイフォンの死亡は確定してしまっているのだ。

「い、いや」

 そうと決まったわけではない。
 ツェルニとマイアスが接触しなければ、レイフォンは生き長らえる事が出来るのだ。
 まだ希望は残されている。
 更に、ナルキがレイフォンへとこのことを知らせれば・・・・・。

「どうやって知らせるんだ?」

 マイアスにいることは、おおよそ間違いないけれど、具体的なレイフォンの住所など知らないのだ。
 あちらから手紙が来ない限り、ナルキから連絡を取ることなど不可能である。
 いや。ツェルニにおけるナルキの住所をレイフォンが知らない以上、向こうから手紙が来ることもおおよそ不可能である。
 つまり。

「済まないレイフォン。私は判断を間違ってしまった」
「レイとん。何時如何なる時も私は君の冥福を祈っているからね」
「あ、あう。ごめんなさいレイとん」

 事の成り行きを見守っていた幼馴染み二人も、同じように懺悔の言葉を口にした。
 そう。もうナルキ達に出来るのは、マイアスと接触しないように、滅んでしまった神へと祈りを捧げることだけなのだ。

「あははははははははははは!! 待ち遠しいわ、レイフォン!! 貴男を殺せるその時までこの熱くたぎる思いを、押さえておくことなんか出来そうもないわ!!」

 凶暴な純愛という物が、この世に存在するとしたのならば、それは今目の前にある。
 ナルキはそんな事を思ったのだった。
 
 
 
 そしてその夜遅く。
 完全武装をしたリーリンは機関部へと侵入。
 都市を破壊すると、電子精霊ツェルニを脅迫。
 縁システムに無理矢理介入。
 グレンダンを呼び出し、無理矢理アルシェイラへの伝言を頼んだ。
 その内容とは当然、レイフォンがマイアスという都市にいるらしいという情報。
 念には念を入れて、追跡調査を頼んだのだ。
 具体的には、父と叔父を拷問にかけて吐かせるとか。
 ツェルニを脅して、マイアスに戦争を仕掛けることは出来るが、そこにレイフォンがいると言う確証がないのだ。
 ならば、万全を期すために最大限の手を打つべきである。
 その結果、クラリーベルがマイアスに行くかも知れないが、どちらにせよクラリーベルは後から追いかけられるだけリーリンよりも有利なのだ。
 ならば、なりふり構ってはいられないではないか!!
 
 
 
 こうして、レイフォンの人生設計は完璧に破壊されたのだった。



[18444] 生命体X レイフォン・アルセイフ1
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2011/12/28 19:03

第一話 切っ掛けと許可

 それはふとした切っ掛けだった。
 何気ない思いつきがその後の人生を変えることがあるのだと、後から考えて少し恐ろしいと感じたレイフォンだった。
 そう。事の発端は別段大したことのない思いつきだった。
 天剣授受者となって四年ほど。
 闇の賭試合に出場して荒稼ぎをしつつ、時々やってくる汚染獣を駆逐しつつ、弟や妹の面倒を見たり見られたりしつつ、ふと思いついたのだ。
 どんなに稼いでも、お金が有って困ると言う事は殆ど無い。
 せいぜいが税金対策に頭を悩ませると言った程度だし、そもそも孤児院などへ寄付した場合、その収入は課税対象とならないのだ。
 つまり、レイフォンにとっていくら稼いでも、それは何ら不利益をもたらすことにはならない。
 と言うわけで、孤児院の脇で放置されているガラクタ置き場を漁り、何か金目のものが出てきてくれても何ら問題無いのだ。
 と言うわけで、弟たちを総動員しつつ宝探しを開始したのだが、暫くして少し困った物が発見されてしまった。
 それは、普通にナイフと呼ぶにはやや武張っている、刃渡り二十センチくらいの刃物だった。
 幅はかなり狭いが肉厚であり、直線的に作られているという、切ることよりも刺すことを主眼に置いた刃物だった。
 ヒルトも両脇に一センチ近く出ていることからも、刺す時に手が滑って怪我をしないようにした物だと言う事が分かる。
 作りはあくまで質素でいて揺るぎない強靱さを持ち、長年放置されていたはずだというのに、錆一つ浮いていない。
 いや。微かにオイルの匂いがするから数年前に手入れをされたことが分かる。
 それを考慮に入れたとしても、質実剛健でありながら、そこに注ぎ込まれた技術力と情熱を窺うには一目見れば十分だった。
 だがしかし、レイフォンが目の前のナイフと呼ぶか短剣と呼ぶか迷う刃物の処置に困ったのは、実はその刃の部分にある。
 磨き込まれた刃の根本部分には、こう刻み込まれているのである。

『神の哀れみを』

 神などと言う物がこの世界にいるかどうかは別として、レイフォン達の生活に殆ど関わっていないことだけは十分に理解しているのだが、それでもこれは少しだけ判断に困ってしまった。
 物としては十分に良いのだが、神の名が刻まれていることを無視してみても、哀れみの単語は考え込まざるおえないのだ。
 鞘の状況などから、少し古い物だと言う事は分かる。
 もしかしたら、デルクの戦友の遺品かも知れないとも思う。
 だとしたのならば、気楽に売ってしまうわけには行かない。
 と、ここまで考えて気が付いた。
 弟たちが総出で、レイフォンの周りに集まってナイフを眺めつつ色々と話していることに。
 取り敢えず、この場は一旦お開きにして、後日宝探しを再開することを宣言し、デルクの元へとナイフを持って行くこととした。
 
 
 
 それを見た時、デルクは少々驚いた様子だった。
 だが、それは自分の迂闊さに驚いたと言う事にすぐに気が付いた。
 小さな道場、その板を引き詰めた床に二人で向かい合って座っている、この場所では誰にはばかることもなく話すことが出来るからこそ、デルクの反応なのだろうと言う事は分かった。

「既に渡した物だとばかり思っていたが、すっかり忘れていたようだ。済まぬ」
「へ?」

 続いて驚いたのはレイフォンである。
 いきなりデルクに頭を下げられたのだ。
 一体何処で何が起こったのかさっぱり分からない。
 デルクには、まだ鞘に入ったままのナイフを見せただけなのだ。
 このナイフを特色付けている、神の哀れみと刻印されたところは、当然見せていないというのに、いきなり頭を下げられたのだ。
 驚いて固まっていると、差し出したナイフをデルクが丁寧に受け取り、そして恭しいほどの仕草でレイフォンへと差し出したのだ。

「これは遠の昔にお前に渡しておくべき品だったのだ」
「僕に? 何かの間違いじゃない?」

 十四年少々の人生で、こんな物を見た記憶は存在していない。
 脳と剄脈の区別が付かないと良く言われるが、それでも、いや。それだからこそ武芸や武器に関しての記憶は凄まじい。
 だと言うのに、そのレイフォンをもってしても、目の前に差し出されたナイフには心当たりがないのだ。

「これは、お前の父の形見なのだ」
「ぼくのちち?」

 ちちである。
 一瞬自分の胸を見たが、絶対に違うちちのはずだ。
 ならば、おそらくは父。

「・・・・・・・・・・・。おお! そんな人本当にいたんだ」
「・・・。いたのだ。レイフォン。息子よ」

 返答までに一瞬の時間が有った。
 もしかしたら呆れられたのかも知れない。
 だが、この程度でめげていてはいけないのだ。

「確か、他の都市から来た人だったんだとか聞いたけれど」
「うむ。記録の類は焼失しているから何処の都市の何という人だったかは解らんのだが、お前達二人を抱きかかえ汚染獣と戦い、刀折れ、力尽きていたことだけは私が確認している。そして、その男が最後に手にしていたのがこの短剣なのだ」

 メイファー・シュタッド事件と呼ばれる汚染獣の襲撃が起こった時、デルクはまだ第一戦で戦っていたと聞く。
 そして、その優れた活剄で赤子の泣き声を聞きつけ、単身宿泊施設へと突入。
 あわやという所で、二人の赤子を救出した。
 それがレイフォンと、そしてリーリンである。
 リーリンはなにやら上質な産着に包まれていて、レイフォンの方は割と粗末な布に囲まれていたとかを聞いた記憶があるが、その二人を守って父が戦ってくれていたと言う事は知らなかった。
 既に十四年も前の話である以上、デルクが失念していても何ら不思議はない。
 不思議ではないが。

「この、神の哀れみというのは?」
「うむ。それはさっぱり分からぬのだ。グレンダンに来る旅行者に問いただしてみたのだが、誰もそれについては知らぬようだった」

 ふと、そこでレイフォンは自分の中に今まで感じたことのない何かが起き上がりつつあることを知った。
 そう。このナイフだか短剣だかに彫り込まれた文言は、極めて珍しいのだ。
 ならば、これをたどって行けば父の生まれ故郷を探し出せるのではないだろうか?
 別段、今更本当の両親に会いたいとか言うことではない。
 ただ、父がグレンダンでしっかりと戦い、そしてレイフォンを生かしてくれたことを誰かに伝えたいのだ。
 だが、問題が有る。
 現在レイフォンは、グレンダン最強の武芸者集団に属しているのだ。
 いや。集団というのは色々問題が有るかも知れない。
 個人個人が異常な強さを持っているが、断じて集団ではない。
 まあ、それはそれとしても、天剣授受者であることに何ら変わりはないのだ。
 そんな猛烈に優秀な武芸者を、女王が外に出すかどうかと言う疑問がある。
 戦力が少なくなると言うわけではない。
 レイフォン一人ぐらい抜けても、グレンダンは小揺るぎ一つしないだろう。
 いや。もしかしたら誰か他の天剣が暴れて揺れるかも知れないが、汚染獣に揺るがされるなどと言う事は、おおよそ考えられない。
 とは言え、珍しく十二本の天剣授受者がそろったのだから、わざわざそれを壊すようなことをアルシェイラが望むかどうかと言う事である。
 まあ、あの女王ならば何が起こっても何ら問題無いから、駄目で元々という気分で嘆願にでも出かけようかと、この問題はあっさりと片が付いた。
 問題は、レイフォンがいなくなったら収入が激減してしまう、この孤児院の方だ。
 そこまで考えた時に、デルクの声が聞こえてきた。

「出来れば私も、彼のように大切な者のために戦いたい物だ」

 そのデルクの言葉がレイフォンの耳に届いてしまった。
 そしてレイフォンは、多分生まれて始めてデルクに対する怒りが沸き上がってくることに少々の驚きを覚えていた。
 デルクが誇り高い武芸者であることは、重々承知している。
 だが。いや。だからこそ、今の台詞だけは許せない。
 始めて、本当に生まれて始めてレイフォンはデルクに対して、真剣に怒りを覚えていたのだ。

「父よ」
「どうしたのだレイフォン? 改まって」

 道場の床に正座していたのだが、その背筋をきちんと正し、真っ直ぐにデルクを見詰める。
 そして大きく息を吸い込み。

「突然ですが一つお願いが御座います」
「うむ。遠慮せずに申してみよ」
「歯ぁぁ食いしばれやぁぁ!!」
「ごふ!!」

 座った体制から、瞬時に体制を整え、渾身の右拳をデルクの左頬に叩き込む。
 活剄こそ使っていないが、そもそもが武芸者の肉体から迸り出た拳である。
 呆気ないほど簡単にデルクを吹き飛ばし、道場の壁に激突させるのに十分だった。

「れ、れいふぉん?」
「父よ。貴男は一つ勘違いをしている。対汚染獣戦の第一線を退いた貴男でも、この孤児院を守ることは出来るのですよ」

 デルクが誇り高い武芸者であることは知っている。
 それは恐らく、このグレンダンでレイフォンが最も深く知っていると思う。
 だが、いや。だからこそ戦うことを放棄したデルクを見たくないのだ。

「父よ。貴男は経営という戦場から逃げているに過ぎないのです。そのせいで弟や妹たちが困窮し、僕が懸命に働かなければならないのです」

 家族のために働くことは何ら苦痛ではない。
 いや。無上の喜びであると言い切ることが出来る。
 そのためだったら、老性体だろうがリンテンスだろうがアルシェイラだろうが、誰とだって戦う覚悟はある。
 勝てるかどうかと言う疑問は、まあ、置いておいて。

「レイフォン?」

 あまりにも突然に饒舌になってしまったことに、取り敢えず驚いているらしいデルクへと、一歩近付く。
 珍しく、本当に珍しく本気で怒っているのだ。

「貴男が戦わないというのならば、それはそれでかまわない。戦うというのだったら全力で戦うべきだ。戦いもしないで愚痴だけ言うような腑抜けた父ならば、この場で僕がそのそっくびを叩き落とします」

 錬金鋼など不要だ。
 腑抜けて愚痴しか言うことの出来ない男など、全力を出すまでもなく瞬殺することが出来る。
 それが出来るからこその天剣授受者なのだ。
 そして、今のレイフォンは完全に本気である。
 この後、天剣を剥奪されて都市外追放になるかも知れないが、それでも今のデルクを見たくないという事実に比べればどうと言う事はない。

「さあ。父よ。選びなさい。戦うか、戦わないか、それともここで死ぬか」

 全力で押さえつけているはずだというのに、レイフォンの身体から莫大な量の剄が迸る。
 その余波だけで、特殊な素材で作られているはずの道場の天井が、今にも何処かへ飛んで行きそうである。
 普通なら、こんな状況で冷静な判断をすることなど不可能である。
 そう。熟達の武芸者でもなければ、戦場で戦い生き残ってきた戦士でなければ、心身共に萎縮してしまって、呼吸さえ困難になるだろう。

「見くびるなレイフォン!!」

 戦声と共に立ち上がったデルクからも、剄が迸り出る。
 量的にはレイフォンに遠く及ばないが、質としては何ら劣るものでは無い。
 いや。むしろレイフォンを優越しているかも知れない。

「くちばしの黄色い小僧が言うようになった物だな!! 良かろう!! この老骨に鞭打ち、我が子らを見事守り抜いて見せようぞ!!」

 第一線を退いたとは言え、未だにその気力も体力も、衰えてなどいない。
 何よりもその剄はレイフォンのそれを優越するかも知れないほどに研ぎ澄まされ、更に輝きを増しているのだ。
 今までは、戦うという事の本質を見失っていただけに過ぎないのだ。
 サイハーデンは戦場の刀術であり、生き残るための闘術なのだ。
 それを教えるはずのデルクだったが、命を賭ける戦いから遠のいていたために、本質を失念していたのだと言う事は間違いない。
 そして睨み合う。
 荒れ狂う剄の渦の中心で、ほんの些細な切っ掛けが有れば殺し合ってしまうかも知れないほどに、張り詰めた視線で睨み合う。
 だが、レイフォンは確信していた。
 闇の賭試合などに出なくても、もうこの孤児院は大丈夫だと。

「レイフォン」
「父よ」

 徐々に剄を納め、ゆっくりと相手を刺激しないように近付く。
 完全に納めきったころ、すぐ目の前にデルクの顔があった。

「今まで聞けなかったことがある。我が子よ」
「答えましょう父よ」

 何を問われるのかは、それはすぐに分かった。
 そして、その問いは発せいられた。

「何故、天剣を刀にしなかった?」
「天剣の技を見せ物にして、金を稼ぐためです」

 隠すことなど無い。
 今のデルクならば、きっと理解してくれるから。

「レイフォン」
「はい」
「歯を食いしばれ!!」
「ぶほ!」

 デルクの右拳が、レイフォンの左頬を捉え、やはり呆気ないほど簡単に吹き飛ばされた。
 だが、その拳に籠もっていた怒りは、とても暖かかった。
 それだけで十分である。

「そうだな。私は勘違いをしていたようだ。お前には苦労をかけたな」
「苦労などしていないよ。僕は十分に報われているから」

 デルクの差し出した右手を握り、そして立ち上がる。
 もはや、ためらう理由など何処にもない。
 命をつなげてくれた父が、グレンダンでどう戦ったのか、それを待っているだろう家族へと伝えるために、レイフォンは旅立つ決心を固めた。
 持って行くのは、少しの荷物と、刀が一振り。
 それだけで十分だ。
 
 
 
 次の日にはもう、アルシェイラの元を訪れて、天剣返上と都市外へ出るための許可をもらいに王宮までやって来ていた。
 だがと言うか、やはりと言うか、アルシェイラは平然と言ってのけたのだ。

「別に良いけど」
「有り難う御座います」

 この程度で驚いていては、天剣授受者などやっていられないのだ。
 非公式な謁見とは言え、そこにはカナリスとサヴァリス、そしてリンテンスがいた。
 当然、デルボネの念威端子も浮かんでいるというか、レイフォンの周りを回って、なんだか嬉しそうにしているような気がする。
 更にここに、アルシェイラの許可が下りた頃になって、ティグリスも参加してきた。
 なんだか、変に萎縮してしまう。

「でも残念ね。闇の賭試合でのあんたが見られなくなるなんて、少しだけ残念だわ」
「・・・・・・・。やっぱり知ってました?」
「ええ。あれだけ派手にやっておいて、私達が知らないなんて思っているという方が、遙かに信じられないわよ」
「ですよね」
「むしろ、闇の賭試合に出ていたあんたの方が好きだったくらいだ」

 一応闇と銘打っているのだが、娯楽の少ないグレンダンにおいて、この手の話はあっという間に広まってしまうのだ。
 そうでなくても、グレンダンでデルボネに隠し事をするのは、かなりの苦労をすると言うのに、あれだけ派手に人を集めていては知らない方がおかしい。

「それで、一体どう言う風の吹き回しなの? 賭試合に出るの止めるんだったら分かるけれど、天剣返上して都市外に行くなんて」
「・・・・・・・。そこを知らないで許可出したんですか?」
「? なんか拙かった? もしかして都市外で戦力を集めてグレンダンを滅ぼすつもりとか?」

 そのアルシェイラの言葉を聞いて、当然のようにサヴァリスが喜びの気配に包まれる。
 だが、レイフォンの目的は全く別なところにあるのだ。
 グレンダンを滅ぼすなどと言う、たいそうな目標を立てるようには出来ていないのだ。
 と言う事で、短剣を切っ掛けにして、生まれた都市を探す旅に出るのだと告げる。

「なんだつまらない」

 心底つまらなそうにするアルシェイラと、がっかりと気落ちするサヴァリス。
 この人達は、本当に大丈夫だろうかと、要らない不安が少しだけよぎってしまったが、あまり考えないようにする。
 そんな事を考えていると、何時の間にかクラリーベルまで参戦していた。
 これは本格的に、色々大変なことになりそうだと、遅まきながらに気が付く。
 そう。遅すぎるので気にしてはいけないのだと自分に言い聞かせて、話を進めることにする。

「決心が鈍らないように、出来るだけ速く出立したいと思います」
「そうね。あんたヘタレだから早い方が良いわね」

 そこで、何故かアルシェイラの表情に再び覇気が戻ってきた。
 これは危険な兆候である。

「でも、あんた一人じゃ少し不安ね。力尽くの話なら兎も角、一般常識に疎すぎるから」
「それは、そうですが」

 デルクと同じで武芸馬鹿であるレイフォンにとって、一般常識とは老性体以上の脅威である。
 何しろ、どうやって戦って良いか分からないのだ。
 これ以上の脅威など存在していない。
 そんな時、場を支配するほどの勢いで、若い女性が響き渡った。

「わたくしが一緒に参ります」
「へ?」
「な、なにぃ?」

 驚きの声をあげたのは、レイフォンとティグリスだ。
 そして、一緒に行くと発言したのはクラリーベルその人である。
 これは、色々と難題である。
 どのくらい難題かというと。

「あんたが行ったって、レイフォン一人とどっか違うの?」
「違います! わたくしは王族ですから」
「・・・・・・・・・・・・・。ああ。良く分からないことは十分に理解できたわ」

 レイフォンも同意見である。
 優秀な武芸者であるクラリーベルは、はっきり言ってレイフォンと同じ弱点を持っているはずなのだ。
 一緒に行って何か変わるわけではない。
 いや。最悪の事態として悪化することさえ考えられる。
 とは言え、王族には一般常識と戦う術が伝わっているのかと思ったのだが、アルシェイラを見ているととてもそうは考えられない。
 だが、これを解決したとしても、問題はまだ他にもあるのだ。

「クララよ! お前は王族であると同時に乙女なのだぞ!!」
「はい。おじいさまの仰る通りですが、何か問題でも御座いますか?」
「う、うむ。こやつとて男には違いないのじゃ。も、もし万が一のことが起こったならば」
「レイフォン様は天剣授受者でしょう? 返上したとは言えそれは些細な問題。婚姻の相手として何ら問題無いかと存じますが」
「こ、ここここ、婚姻じゃと!!」

 そう。近所の奥様方には草食動物と言われることが多いが、レイフォンとて健全な男の子に違いないのだ。
 何時野獣となってしまうか解ったものでは無いのだが、クラリーベルにとってはそれでも何ら問題無いようだ。
 いや。むしろ望むところなのだ。
 だが、クラリーベルは問題無いようなのだとしても、その祖父は甚だ遺憾の様子で、天剣を復元してレイフォンに狙いを定めたりしている。
 もちろん、手加減抜きの全力射撃で、レイフォンをこの世から消滅させるつもりなのだ。
 グレンダンの中央、王宮のど真ん中であるにもかかわらず、他の天剣や女王がいることさえお構いなしに。
 いや。全員で楽しげに観察しているようにしか見えない。
 そんな、あわや大惨事かと思われたまさにその瞬間、鶴の一声が発せられた。

「おじいさま!」
「な、何じゃクララよ」
「それ以上なさるようですと、わたくしにも考えがございますよ」
「う、うむぅぅぅ」

 何故か、非常に不本意そうに天剣を基礎状態にして、懐へ仕舞うティグリス。
 孫娘には弱いらしいことが分かったが、それでもただでは引かないのが天剣授受者だ。
 そう。その目ははっきりと言っている。
 クラリーベルに手を出したら、殺すと。
 そして、レイフォンにその視線に対抗する根性など存在していないのだ。

「ああ。それはそれとして、クララとレイフォンだけじゃやっぱり問題だと思うのよ」

 場の空気を変えたのは、珍しくアルシェイラだった。
 彼女の性格ならば、もっとあおって混乱を楽しむかと思ったのだが、今回は少し様子が違うようだ。

「レイフォン。あんたの所に同い年の女の子っているわよね」
「何人かいますけれど」

 レイフォンは孤児である。
 そして、孤児院にはそれなり以上に近い歳の女の子がいるのだ。
 もう少し絞り込んで貰わないと、誰だか分からない。

「ほら。金髪で胸の大きな」
「ああ。リーリンですね」
「そうそう。あの凄い胸の子よ」

 いつ見たのか知らないが、なんだか非常にアルシェイラはリーリンにご執心の様子だ。
 なんだか、とても不安になってきたが、どうすることも出来ない。

「そのリーリンと三人で出かけてきなさい」
「三人で、ですか?」
「ええ。三人でよ」

 クラリーベルも一緒であることは確定のようだ。
 それはそれで、何か問題が有るような気がしてならない。

「クララもあんたも、外の世界というのを見てきても良い頃だと思うのよ。と言う事で、三人で出掛けることを条件にグレンダンを出ることを許可するわ」
「は、はあ」

 これは少し大変なことになってしまったかも知れない
 具体的には、手荷物が増えそうだという辺りで。
 それ以前に、もう一つ心配事があるのも事実なので、その辺を訪ねてみることとした。

「でも、リーリンが嫌だと言ったらどうしましょう?」
「その時は、あんたが攫ってでも連れて行くこと」
「そんな無茶な」
「無茶を通せば道理が引っ込む物よ。知らないの?」
「知りませんからそんな事」

 思わず突っ込んでしまった。
 どうしてこうも、常識の通じない人ばかりがいるのだろうかと、少しだけ不審に思いつつ殺意を感じた。

「小僧」
「ティグリス様?」

 そう。不動の天剣であり、クラリーベルの祖父であるティグリスが殺意の視線でレイフォンを見ているのだ。
 これは非常に困ったことになってしまったと、更に不安になった。

「クララに手を出したのならば、髪の毛一本たりとこの世には残さん」
「あ、の、てぃぐりすさま?」
「安心せい小僧。貴様の家族の命まで取ろうとはおもっとらん」

 本気である。
 しかも、既にやる気満々である。

「それ良いわね」
「は?」

 そんな状況だというのに、アルシェイラの楽しげな声が聞こえてきた。
 ちなみに言えば、クラリーベルはティグリスを睨んでいる。
 なんだか、非常に危険な状況であることは間違いないが、解決方法が全く思い浮かばない。

「レイフォン。あんた帰ってくるまでに二人を妊娠させておくこと」
「のわ!」
「まあ!」
「ぬぅぅぅ!!」

 とんでもないことを仰るアルシェイラ陛下と、それ相応の反応をするレイフォン達三人。
 そして気が付いた。
 何時の間にか部屋の中には、他の天剣授受者が勢揃いしているのだ。
 必要以上の大事になりつつあるようだ。

「もし妊娠させることが出来なかったら、天剣全員でなぶり殺しね」

 更にとんでもないことを仰っているが、既にレイフォンの限界を突破している。
 だが、ここで異議を唱える物が現れた。

「陛下」
「なんだサヴァリス? まさかお前がクララを妊娠させるのか?」
「まさか。僕にそんな機能は付いていません」

 どうあってもクラリーベルを妊娠させたいらしいアルシェイラだったが、当然のようにサヴァリスはそれを拒否。
 いや。機能が付いていないと言っているところを見ると、何かもっと違う意味があるのかも知れないが、今それを追求する気分にはなれない。

「集団での弱い者虐めはいけません」
「ほう?」
「ですから、僕が責任を持ってレイフォンを殺すと言う事でいかがでしょうか?」
「ふむ。それはそれでかまわないか。仕損じたら改めてなぶり殺しにすればいいわけだしな」

 こうして、サヴァリスとの戦いは決定した。
 ヘタレなレイフォンに、クラリーベルを妊娠させるなどと言う事は出来ないのだ。
 だが、もう少しだけ足掻いてみることとする。

「どちらか片方だけじゃ駄目でしょうか?」
「うん? そうだな。それならばギリギリ許容範囲内かも知れないな」

 どの辺に許容範囲があるのか知りたくもないが、もしかしたら生き延びることが出来るかも知れないと言う、僅かな可能性を手にすることが出来た。
 と言うわけで、レイフォンは旅の間に、何とかリーリンを妊娠させなければ・・・・・。

「無理かも知れない」

 相手がリーリンでも、無理かも知れないと思えるほどには、レイフォンはヘタレなのである。
 だが、この状況で黙っているほどクラリーベルは大人しくなかった。

「問題有りません陛下。わたくしがレイフォン様を襲いますから」
「あら? それはそれで有りよね」

 やはり、ティグリスに殺される運命なのだとはっきりと理解した。
 返り討ちと言う事も考えたのだが、天剣授受者を相手にしたのでは、それもなかなか難しい。
 こうして、レイフォンの旅立ちは決定され、ついでのように死刑宣告も終了したのだった。



[18444] 生命体X レイフォン・アルセイフ2
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2011/12/28 19:04

第二話 準備と出発

 孤児院に帰ってみて驚いたことがある。
 何故かリーリンが旅立ちの準備を終了させていたのだ。
 ついでのように、レイフォンの荷物も鞄に詰められている。
 更に言えば、ルシャの手によって錬金鋼の調整が始められ、青石錬金鋼と鋼鉄錬金鋼が機械に接続されていたりもした。
 既に準備万端である。

「一体何が?」

 訳が分からないのは、主にレイフォンである。
 これからどうやってリーリンを説得しようかと頭を悩ませていたのに、いざその場にやってきてみれば既に事は突き進んだ後なのだ。
 これで何が起こっているか理解できるほど、レイフォンは鋭くないのだ。

「お帰りレイフォン。何時出発しても良いように準備万端よ」
「い、いやねリーリン。どうしてリーリンまで出掛ける準備をしているのかな?」

 デルボネ経由で、王宮での事情が伝わっているのかとも考えたが、それにしてはリーリンや他の人達の反応が平静すぎる。
 そこでふと、もう一人レイフォンのやることを知っている人物がいることを思いだし、デルクへと視線を飛ばしてみる。
 何故か、視線をそらされた。

「父さん?」
「う、うむ」

 少し強めの視線で睨んでみると、渋々という感じでデルクがレイフォンに向き直った。
 そして驚くべき事を告げる。
 いや。ある意味当然の話であった。

「お前だけでは、外で色々と問題を起こすかも知れぬと思ってな」
「それで、誰かお目付役をと言う事になったんだね」
「う、うむ。そうしたらリーリンがな」
「一緒に行くと言い出したわけだね」
「うむ」

 事の経緯はアルシェイラと同じである。
 そして理解した。
 レイフォンは、自分が思っている以上に武芸馬鹿であると。
 そうでなければ、ここまであちこちに不安に思われることはないはずだ。
 少々凹んでしまうが、これも事実である。
 まあ、レイフォンとは関係のないところで、問題が一つ解決したのだから喜ぶべきなのかも知れないと、ほんの少しだけ前向きに物事を捉えることに決めた。
 言い出したら聞かないのが、この孤児院に暮らす全員に言えることだし。

「ほらほらレイフォン。さっさとこっちに来る。錬金鋼の調整は念入りにやっておかないとね」
「はぁい」

 ルシャに急かされるまま、作業場所として確保されたリビングへと侵入を果たす。
 四年以上使っていなかった鋼鉄錬金鋼を復元し、感触を確かめる。
 やはり、軽く感じてしまう。
 天剣のデーターがあるから、それを元に大きさと重さを再設定して、刀の方は問題無いだろうし、鋼糸に至っては設定数値を覚えているので、青石錬金鋼の方は更に問題がない。
 周りで弟や妹たちが騒ぐのを聞きつつ、ルシャと共にレイフォンは設定作業を続けることになった。
 そう。ある一言が出てくるまで。

「兄ちゃん、ハーレム作るのか?」
「はーれむ?」

 誰かのその一言で、思わず調整中の鋼鉄錬金鋼に全力で剄を送りそうになってしまった。
 大惨事一歩手前だったのだ。

「だって、知らない女の人が来て、これからよろしくお願いしますって、リーリン姉ちゃんに言っていたよ」
「・・・・・・・。弟よ。それってもしかして、黒髪でサイドポニーで、一房だけ白髪の」
「うん。胸のちっちゃい女の人」

 クラリーベルである。
 最後の特色まで完璧にクラリーベルである。
 どうやってレイフォンより先にここに来て、そしてリーリンに要らないことを吹き込んだのか非常に疑問だが、それを聞いて尚平常心を保てる弟や妹たちが少し信じられない。
 いや。ルシャやデルクが平然としていることも、十分に信じられない。
 そして何より、リーリンが割と平気そうなのが最も信じられない。
 と言う事で、全てを聞かなかったこととした。

「レイフォン」
「ななな、何でしょうかリーリン?」

 様と付けなかった自分を褒めてやりたい気分だ。
 別段普段と何か変わったと言うわけではない。
 右目に眼帯をしているわけでもなければ、いきなり武芸者となったわけでもない。
 怒っているという話でもない。
 だが、何かがレイフォンを決定的に追い詰めつつあるのだ。
 正体不明の敵に、非常に強い不安を感じつつも、今までの会話を無かったことに出来ない現状が、少し悲しい。

「きちんと説明してくれるわよね? 何でいきなり王族の方と一緒に旅に出るのかとか、色々と」
「ももも、もちろんで御座います」

 普段通りの、にこやかな表情だというのに、レイフォンはそれを額面通りに受け取ることが出来ないでいた。
 平気そうであったのも見せかけで、それが限界に達しつつあることも明らかだ。
 更に、災難は更に向こうからやって来たのだ。

「王族の婚姻は、同じ王族同士か、さもなければ天剣授受者だったはずだな。ルシャ?」
「そう言うことになっているわね。クラリーベル様で考えると、確かにレイフォンは丁度良いわよね? 父さんもそう思うわよね」

 ルシャの視線がレイフォンを捉える。
 自身が、天剣授受者であるルイメイの子供を身籠もっているなどとはお首にも出さず、錬金鋼の調整をやりつつの会話だが、その切れには全くほころびがない。

「いいいや。僕はもう天剣授受者じゃないし、これからグレンダンの外に出掛ける人だから」
「王族の女の人と二人で行く気だった訳ね?」
「ち、ちちち、違います」

 リーリンは怒っているわけではない。
 何か非常に不満に思っているようだ。
 その事がやっと理解できてきた。
 だが、何を不満に思っているのか、それが全く分からない。

「そう言えば、無条件で都市の外に出られるようになったの? もしかして、手頃な都市を一つ支配してこいとか無理難題ふっかけられたの?」

 そんな行き詰まった状況に手を差し伸べてくれたのが、ルシャである。
 そして理解した。
 ルイメイからかなり詳しいことを聞いているのだと。
 何時、どうやって聞いたか全く不明だが、事実としてルシャは知っているのだし、もしかしたら助け船を出してくれているのかも知れないのだ。
 泥舟でないことを祈りつつ、それに乗ることとする。

「クラリーベル様と一緒に、外の世界を見て来いって陛下が仰ったんだ。それで、武芸馬鹿二人じゃ不安だからって、リーリンも含めて三人だったら行ってきて良いって」
「ああ。それでこれからもよろしくお願いしますな分けね」

 納得してくれたはずのリーリンだったが、何故か一向に不満の波動が消えない。
 何故だろうと考えるが、さっぱり思いつかない。

「そう言えば、レイフォンが都市の外へ出るという話自体、私がするまで誰も知らなかったな」
「う、うん。陛下の許可が下りなきゃいけなかったから」

 不満の波動が急激に強くなった。
 そして理解した。
 まず始めに自分に相談しろと、リーリンは言っているのだと。
 そこまで分かれば後はそれ程難しくない。

「あ、あのリーリン?」
「なぁにぃ? ノープロブレムよ?」

 いや。今回はかなり難しいようだ。
 グレンダンという都市は、年中汚染獣と戦っている。
 そんな状況なので、放浪バスもなかなか寄りつかない。
 つまり、一度乗り遅れたら次は何時になるか分からないのだ。
 となれば、来たバスに飛び乗るのが基本になる。
 ならば、出来る限り早くリーリンに機嫌を直して貰わないと、バスの中で延々と虐められてしまうことになる。
 それは出来るだけ避けて通りたい未来予想図である。
 狭くて身体が動かせないという放浪バスの中で、延々とリーリンに虐められる自分を想像して、とても憂鬱な気分になってしまった。
 それでも、平身低頭して許しを請うことしか、レイフォンには選択肢がないのだ。
 
 
 
 驚いたことに、僅か三日でバスの座席がとれてしまった。
 グレンダンは放浪バスがあまり寄りつかない都市である。
 もちろん、それなりには来るので、延々待たされるなどと言う事はないのだが、それでも、こうもあっさりと席が取れてしまうと言う事は非常に珍しい。
 なので、これは王家絡みの陰謀であると結論付けることが出来る。
 そう。目の前にいる、荷物を肩から下げた王族が手を回したりしたのではないかと、そう考えてしまえるのだ。

「わたくしレイフォン様の妻をやらせて頂いております、クラリーベル・ロンスマイアと申します。嫁であるリーリンさんと旅が出来ることを嬉しく思います」
「つま? よめ?」

 突然のクラリーベルの自己紹介で、いきなり混乱のドツボに突き落とされてしまったリーリンだが、実はレイフォンだって同じ気持ちだ。
 既に数日前に二人は会っているはずだというのに、何故ここで自己紹介などしているのだろうかと、そう言う疑問が湧いて上がってきてしまっているのだ。
 いや。妻だとか嫁だとか言う単語も十分に問題ではあるのだが。
 そんな周り中の混乱などお構いなく、クラリーベルは更にテンションを上げて喋り続ける。

「はい。わたくし気が付きましたの。別段レイフォン様を独占する必要はありません。半分でも十分ではないかとそのような考えに辿り着きました」

 意味不明である。
 もちろん、独占されるのは少々困るのだが、半分で良いというのも少々困るのだ。

「え、えっと?」
「ああ。もしかして、リーリンさんはレイフォン様の嫁ではないのですか?」

 もちろん嫁などではない。
 更に言えば、クラリーベルだって妻ではない。
 と、心の中で突っ込みを入れる。
 なんだか怖いので声には出さない。

「い、いえ。嫁です。クラリーベル様が妻だというのならば、それはそれで良いかもしれませんけれど、レイフォンの嫁は私です」
「まあ。それは良かったですわ。ただ」
「ただ?」
「レイフォン様を半分ずつ所有するのですから、敬語など不要ですわ。わたくしのこともクララとお呼び下さい」
「いいでしょう。これからレイフォンを半分ずつ持つ以上、敬語なんか要らないわよね」

 ここまで話が進んで、ふと思う。
 レイフォン自身の考えを聞かれたことはないと。
 でもまあ良いかと、流されることになれているので、そう綺麗に流してしまった。
 それよりも、差し迫った問題が有るのだ。

「女性陣は楽しそうだね。僕達も男同士の挨拶を交わさないかい?」
「どんな挨拶か、だいたい見当が付きますから止めて下さいね、サヴァリスさん」

 そう。元同僚にして、グレンダンに帰ってきたら死闘を演じなければならないサヴァリスが背後に立ち、レイフォンに向かって熱い視線を送っているのだ。
 もちろん、恋愛がどうのこうのと言う意味ではない。

「折角なんだから、心ゆくまで殺し合おうよ?」
「他の人とやって下さい」

 付き合いきれないのだ。
 ほぼ確実に帰ってきたら戦う相手と、今から戦うなどやっていられないのだ。

「つれないね。そうそう」
「なんですか?」
「僕も自分探しの旅をしようかと思っているんだよ」
「!!」

 驚いた。
 このサヴァリスが、自分を探す旅に出るなどと、そんな軟弱で脆弱で、貧弱で虚弱で、更に弱々しいことを言うとは思わなかったのだ。

「考えてみれば、天剣の半分は外の世界から来ているんだよね。だったら、もっと強い奴がいるかも知れないじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・。それは自分探しとは言いませんから」
「おや? 違うのかい?」
「違います」

 最終的には、何時ものサヴァリスだった。
 目的は戦うこと。
 そのためにだったら、何をやっても良いと本気で信じているのだ。
 それよりもなによりも。

「それ以前に、サヴァリスさんに探すような自分なんて有るんですか? いえ。探す必要な自分なんか有るんですか?」
「うん?」

 レイフォンの突っ込みに、小首をかしげて考えるサヴァリスだったが、なんかに驚いたようにその目が大きく見開かれた。
 かなり失礼な事を言っているはずなのだが、その辺全く気が付いていない様子なのも含めて、これからどんな事が起こるか全く分からない。
 そして、納得した様子で大きく頷く。

「考えてみれば、僕には元々戦いしかなかったんだね。探す必要なんか無かったんだ」

 自分で言っていて寂しくならないのだろうかと、そう思うのだが、まあ、それがサヴァリスだから問題無いだろうと結論付ける。
 そう。問題は急激に剄の波動が溢れ出したことの方だ。

「と言う事で、やっぱり殺し合おうよ」
「だから! 他の人とやって下さい!!」

 どうしてこうも、人格的に壊れた人間ばかりが周りにいるのだろうかと、そんな疑問がわき上がってきてしまった。
 そう。いつの間にかリーリンもレイフォンの嫁であることを認めて、あちら側の人間になってしまっているような気がするし。
 もしかしたら、旅に出ることは間違いではなかったのだろうか?
 そう考え始めたが既に遅いのである。

「さあレイフォン! 嫁であるこの私と共に、貴男の生みの親を捜す旅に出掛けるのよ!!」
「さあレイフォン様!! 妻であるこの私が貴男を支えます!! 共に歩み出しそして、お母様に認めて頂くのです!!」

 少女二人のテンションは、天井知らずの勢いで上り続けている。
 いかに天剣授受者とは言え、これについて行くことなど不可能である。
 だが、旅立たないという選択肢ももう存在していない。
 今取りやめたら、間違いなくサヴァリスが喜んで襲いかかってくるから。
 こうして、レイフォンの波瀾万丈な人生は加速することとなったのだ。
 取り敢えず、出発する放浪バスに真っ先に乗り込む。
 そして、リーリンの荷物とクラリーベルの荷物を上の棚に収納し、続いてレイフォン本人の荷物を押し込む。
 まだ二人は通路をゆっくりとこちらへやって来るところだ。
 勝った。
 放浪バスの座席は、中央の通路を挟んで、左右三列ずつ並んでいる。
 そう。三列であることが最も重要なのだ。
 自然な動作で、最も窓際の席を確保すれば、挟撃されることを避けられると言う意味で。
 そう。リーリンとクラリーベルに挟まれるという、地獄を回避するための作戦だったのだ。
 だが。

「え?」

 目的の、窓際の席に座ろうとしたところで、視線を感じた。
 感じた視線を確認すべく振り返ってみれば、当然のように二人の少女がいたりするのだ。
 そして、その目が訴えている。
 いや。命令している。
 真ん中の席に座れと。
 拒否した場合、何か恐るべき事態が起こることだけが確信できた。
 リーリンとクラリーベルが、レイフォンの隣の席を巡って争うというわけではない。
 どちらがレイフォンの膝の上に乗るかという、想像を絶する争いが勃発することが本能的に確信できたのだ。
 回避する手段はただ一つ。

「えっと。どっちが窓際に座る?」

 レイフォンが地獄を見ること。
 こうして、狭いバスの中で少女二人に挟まれるという、今まで体験したことのない戦場が出現したのだった。
 いや。嫁と妻だから少女ではないのかも知れない。
 そんな事を考えたが、現実逃避以外の何物でもなかった。
 
 
 
 クラリーベルが乗っているはずの放浪バスを見送りつつ、祖父であるティグリスは大きく溜息をついて、何時でも発射できる体制だったノイエランを基礎状態へと戻した。
 別段レイフォンを狙撃しようと思ったわけではない。
 やろうと思えばやれただろうが、成功したかどうかと問われたのならば、間違いなく失敗したと言い切れる。
 どんなヘタレだろうとレイフォンは天剣授受者だったほどの武芸者なのだ。
 不意打ちなどが通用するはずはない。

「行ってしもうたな」
『ええ。可愛い子には旅をさせろと言いますからねぇ』

 楽しげに近くを飛んでいる念威端子から、デルボネの声が聞こえる。
 だが、何時もとは少し様子が違うことに気が付いた。
 そう。何故かとても若々しい声であるように聞こえたのだ。
 それに引き替え、ティグリスは老け込んでしまったような気分である。

「行かせて良かったのかのぉ?」
『ええ。あの子達なら大丈夫ですとも』
「しかしな」

 ティグリスが心配しているのは、実はクラリーベルのことではない。
 どう言おうと、クラリーベルはティグリスの孫なのである。
 生まれた時からずっと見守ってきたがために、十分な信頼を置いている。
 実力的には少々疑問があるのだが、それは恐らくレイフォンが補うだろう。
 そう。問題はリーリンだ。

「あの時、やはり始末しておくべきではなかったのかと、未だに思う時があるのじゃよ」
『あらあら。ティグリスさんともあろう方が後悔ですか?』
「誰のせいじゃと思っとるのじゃ?」

 メイファー・シュタッド事件と呼ばれる、グレンダンにおいてさえ非常に珍しい汚染獣戦の切っ掛けは、リーリンを殺そうとしたティグリスが引き金を引いたのだ。
 そう。グレンダンが探し求め、欲していた力をその身に宿した少女を殺そうとしたのだ。
 一般人が持つことが許せなかったというのもあるだろうし、血が薄まってしまったことに憤りを覚えたというのもある。
 だがティグリスの策謀は、リーリンに宿った力によって破壊されてしまった。
 そして、同時に助け出されたレイフォンが天剣授受者となり、今グレンダンの外へと旅立ってしまったのだ。

『ウフフフフ。私はあの時の判断は間違っていなかったと思っておりますよ』
「そうならば良いのじゃがな」

 デルクが建物内に突入していなかったら、あの二人は確実に死んでいたろう。
 そう考えると、運も味方に付けていると言えるかも知れない。
 そして、既に放浪バスはティグリスの射程外へと離れてしまったのだ。
 今更どうこうする気にはなれない。
 なれないのだが。

「まあ良い。あの小娘のことはもう良い」

 リーリンのことは、良くはないが、まあ成り行きに任せても問題はない。
 問題なのは。

「あの小僧。もしクララに手を出したならば、例えグレンダンを滅ぼすこととなろうとも、この世に細胞一つ残しはせぬ」
『あらあら』

 何故か、とても楽しそうにデルボネの念威端子がティグリスの周りを飛び回る。
 その声はもはや、うら若い乙女のように溌剌としているように聞こえるほどだ。
 女とはなんと恐ろしい生き物であろうと、この時ティグリスは再び思い知ったのだった。
 最初に思い知ったのは、結婚した直後だったと記憶しているが、それは既に遠い過去の話である。

「ふん! あんな青二才の小僧にそんな甲斐性はないと思うがな」
『曾孫の顔を見たくはないのですか? ティグリスさん?』
「見たい」

 即答である。
 クラリーベルが生まれた時でさえ、狂喜乱舞してグレンダンを壊しかけたのだ。
 もし曾孫の顔など見てしまったら、どれほどの悲劇を引き起こすか解ったものでは無い。
 そう。危険であることは十分以上に認識しているのだ。
 それでも、息のある内に、その時が来ようと来まいと、是非とも見たいのだ。
 見たいのだが。

「じゃが! クララに手を出した男を生かしておくつもりもない!」
『あらあら。ずいぶんと我が儘ですねおじいさん』
「黙ればあさん」

 我が儘と言われようとなんといわれようと、こればかりはどうしようもない。
 いや。どうするつもりもないのだ。

『ウフフフフ。私にはもう孫も曾孫も沢山いますよ? 羨ましいでしょう』
「誰がそんな物に興味を持つか。儂は儂の孫と曾孫にしか興味がないのじゃ」

 負け惜しみであることは重々承知である。
 デルボネには曾孫がいるのに、ティグリスにはいない。
 実はこの事実にかなりストレスを感じていたのだ。
 初曾孫が生まれるのだったら、レイフォンにおじいさまと呼ばれることも、それ程悪いことではないのかも知れないと、そんな事を一瞬考えたが断じて却下だ。
 もう既に見えなくなった放浪バスの方向に視線を飛ばし、そしてティグリスは本来の仕事をすべく王宮内へと足を向けたのだった。
 
 
 
 
  後書きに代えて。

はい。と言う事で今年最後の投稿をここにお送りしました。
いかがだったでしょうか?

原作はおろか、二次制作でさえレイフォンの出生を題材にした話を見かけませんでした。(聖戦二巻で少し気になるシーンがありましたけれど、たぶんレアンの事だと思うけれど、確証がないのが少し不安ですね。三巻ではっきりするのかな?)
と言う事で、俺が書いてみたわけです。(誰か他の人が書いていたら教えてください)
このネタを思いついた時に、レイフォン出生の秘密を幾つか考えました。

1.実はリンテンスの隠し子。ただし、リンテンス本人も知らない。
 これは割と面白かったのですが、話の展開をあまり膨らませることが出来なかったので却下。
2.ナノセルロイド・分離マザーV。
 エルミかハルペーが作りだした最新鋭のナノセルロイド。これも上と同じ理由で却下。
3.遺伝子調整された超武芸者。
 SEEDのノリで考えましたが、これは突っ込んで行くと面白くなくなりそうだったので却下。
4.アイレイン・ガーフィートの分身。
 これは正直引かれました。
 サヤに逢いたくて、レギオス世界に自分の分身を送り込んだとか。
 これだと、茨の棘が二つ使えるのでレヴァンティンとの戦いにも有利だと思ったのですが、残念なことに原作との違いを出せなさそうなので泣く泣く却下。

と、以上のような話を考えて全て却下したわけですが、それ以外の案を今回採用しました。
お気づきの方も多いと思いますが、原作のメイファー・シュタッド事件でリーリンとレイフォンを抱えていたのは女性でした。
しかし、ここでは男性で、しかも武芸者と言うことになっています。
これはこの作品の根幹に関わる内容ですので、これ以上詳しくはかけません。(続きをお楽しみにと言うことですね)
更に、幾人かはネタというかオチを予測できた方もいると思いますが、是非とも突っ込みは心の中だけに留めておいて下さい。
よろしくお願いします。

ちなみに、BBRは書き逃げでしたが、この話はきちんとグレンダンに帰ってくるところまで計画されています。
帰ってきてレイフォンが生き残るかどうかは、まだ決めていませんけれどね。
 
 
何にせよ、今年一年お付き合い頂きまして有り難う御座いました。
来年もよろしくお願いします。
では皆さん。良いお年をお迎え下さい。
 
 
 
 
 おまけ。
 
「ああ。もしかして、リーリンさんはレイフォン様の嫁ではないのですか?」
「い、いえ。嫁です。クラリーベル様が妻だというのならば、それはそれで良いかもしれませんけれど、レイフォンの嫁は私です」
「まあ、それは良かったですわ。妻の方が良いと言われたら、少し困ってしまいましたもの」
「なんで困るのでしょう?」
「妻と言えば、若妻や新妻という言葉がすぐに出てくるじゃありませんか」
「え? ええ」
「でも、嫁という言葉で出てくるのは、鬼嫁くらいですもの」
「ぬわ!!」
「おほほほほほほ」

血で血を洗う乙女の戦いを書く事が出来ないので泣く泣く却下しました。



[18444] 真・ヴァン・アレン・デイの死闘
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2012/02/13 20:54


  警告!!
  後半はややオカルトっぽくなっています。
 
 
 
 
 突然ではあるのだが、第五小隊に所属しているシャンテは接客業という物に就いていた。
 昨年度までの自分だったならば、間違いなくこんな面倒な仕事はしなかっただろうと断言できるのだが、今年度になってからは話が違う。
 グレンダンで変な騒動に巻き込まれてからこちら、色々な変化が立て続けに起こったのだ。
 第一に、身長が非常識な速度で伸びた。
 第二に、あまりにも子供過ぎた精神が落ち着いた。
 小さな変化はほかにもあったが、上二つがもっとも重要である。
 そして、二番目の変化が、現在接客業という物に就く事を許しているのだ。
 だが、分からない事もある。
 この仕事は、シャンテの意中の人であるゴルネオと直接的にも間接的にも色々あった、レイフォンからの紹介なのだ。
 シャンテ自身、直接的にレイフォンとは色々あった。
 廃都市では殺そうとして襲いかかり、勝てないと分かり、ゴルネオと共に無理心中を図ろうとした。
 その後、ゴルネオと和解したらしいレイフォンに色々と教えてもらったりもした。
 非常に複雑怪奇な関係を、レイフォンとは築いてしまったのだ。
 まあ、それはそれとして、今年になってからは割と友好的な関係を築きつつあると思っていた。
 その築かれた関係の中で、この日に喫茶店での接客業などと言う仕事を紹介されたのだ。
 始めての体験で、色々と舞い上がり気味ではあるが、これも経験だと楽しむ事にした。
 幸いにして、店のスタッフも穏やかで優しげな人達なので一安心だし。
 だが、それとは全く関係ないところで一つの問題が有る。

「暇すぎませんか?」

 ヴァン・アレン・デイというイベントの日だと言う事は知っている。
 約一年前はハトシアの実を巡って、レイフォンやゴルネオ、更に都市警まで巻き込んで暴れ回った記憶もある。
 その前後に、意味不明な夢を見たり、訳の分からないお面集団が襲ってきたりしたが、全ては過去の話である。
 そう。全ては去年の話であり、今年のシャンテにとっては思い出したくない過去以外の何物でもない。
 こう言う時に、店が忙しかったら思い出さずに済んだのだろうが、生憎と何故か暇なのだ。
 表の通りはカップルが手を繋いだり腕を組んだりして、大勢歩いているというのにもかかわらず、店の中は完璧に無人なのだ。
 これは、商売としても非常に問題ではないかと思うのだが、何故か店長と助手は平然としているのだ。
 いや。これこそが正しい状況だと確信している節さえある。

「もうすぐ常連さんが来るから平気だよ」
「シャンテさん、可愛いよ、シャンテさん」

 助手の方は、ウェイトレス姿のシャンテを褒める事しかしていないが、言っているだけで実際はこちらの方を見ていない事だし、あまり気にしてはいけないのだろうと思う。
 まあ、それはそれで、少し嫌な気分になるが、問題とするほどの事でもない。

「常連さんですか?」
「そう。常連さんが来るから、ここは暇なんだ」

 意味不明である。
 普通に常連さんが来ると言えば、忙しくなる事を意味するはずなのだが、ここではその常識が通用しないのかも知れない。
 はっきり言って疑問である。
 だが、そんな些細な疑問など吹き飛んでしまう事態が突如として発生した。

「い、いらっしゃいませ?」

 殆ど真上から降り注ぐ日差しを切り裂いて、意中の人ゴルネオが、堂々と有機ガラスの扉を開いて入って来たのだ。
 それだけならば何の問題も無い。
 今日、シャンテがここで働いていると言う事は知らせているし、様子を見に来たと言う事だってあるだろう。
 だが、ゴルネオは一人ではなかったのだ。

「うわぁ! シャンテちゃんが本当にウェイトレスしている」

 そのゴルネオの腰付近にあるのは、生徒会長であるサラミヤの顔である。
 別段、何かいかがわしい事をしているというわけではない。
 身長差の関係で、ゴルネオの腰付近にサラミヤの顔が来てしまうのだ。
 なので、顔がある事は問題無い。
 そう。問題は二人が一緒に店に来たと言う事である。
 これも、もしかしたらシャンテの様子を気にしたゴルネオだったが、なかなか決心が出来なくてサラミヤが一緒に来るという口実を作っただけかも知れない。
 だが、その予測は間違いなく外れている。
 なぜならば、軽くシャンテの方を見た二人は、迷うことなく窓際の席へと着いてしまったからだ。
 これこそが正しいと言わんばかりに、淀みなく流れるような動作だった。

「ご、ご注文をどうぞ」

 内心の動揺を、細心の注意を払って表に出さないように、接客のマニュアル通りに話を進める。
 それでもどもってしまったのは、仕方のないところだ。

「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」
「・・・・・・? は?」

 そのマニュアルに乗っ取って注文を聞いたのだが、意味不明な単語が返ってきただけだった。
 いや。ジャンボとか特大という単語だけを理解する事が出来た。
 そして、二人の顔を交互にしっかりと確認する。
 何かの間違いではないかと思ったのだ。
 この店にそんな食べ物があるという話は聞いていないし、サラミヤなら兎も角、ゴルネオが特大という名の付いた食べ物を注文するとは、全くもって思わなかったのだ。
 いや。ゴルネオが注文する事はあるかも知れない。
 武芸者という生き物は、そもそもが大食らいなのだ。
 それに、ゴルネオの体格を維持するためにも、それなり以上の食べ物が必要なのは間違いない。
 以上の事から、ゴルネオが特大な食べ物を注文する事は何ら不思議ではない。
 ではサラミヤは?
 こちらは少し問題だ。
 何しろ身体が小さいのだ。
 その身体を維持するためには、それ程多くのエネルギーは必要ないだろう。
 去年のシャンテならば話は違ってくるだろうが、武芸者でもないサラミヤならば特大とかスーパージャンボとか、そんな恐ろしげな名が付いた食べ物を注文する事は、あまり考えられない。

「え、えっと」

 なので、もう一度ゆっくりと発音して貰い、今度こそきちんと注文を取ろうと決意して声をかけた。
 それを理解したのか、ゴルネオがメニュー表を手に取り、サラミヤが指で指し示した。
 それは、表の隅っこに書かれた、極々小さな欄だった。
 そして、期間限定メニューと書かれていた。

「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」

 指さしつつそう言われた。
 これで理解しないなどと言う事は、殆どあり得ない。
 だが、実は理解できない。
 何で二人が食べに来たのかと言う事と、シャンテが先ほど確認した一覧には特大などと付いた名前は載っていなかったと言う事だ。

「先代の生徒会長と武芸長からな、代々の習わしだとそう伝えられたのだ」
「そうなのよ。私達の所で途絶えさせるのは忍びないじゃない? だからゴルネオさんに付き合って貰っているの」
「は、はあ」

 分かったような分からないような。
 兎に角、代々続いてきた習わしならば、シャンテに出来る事と言えば、そつなく実行に移す事だけだ。
 と言う事で、動揺し続ける心を落ち着けるように深呼吸して、注文を厨房へと伝えた。
 そして、正確に二分十五秒後、恐るべき物を目撃した。

「・・・・・・・・・・・・・」

 目の前に鎮座しているのは、直径三十センチはあろうかという、透明な樹脂製のバケツに似た容器は、その全高も五十センチに達しているだろう。
 さらに、その容器では物足りないとばかりに、山盛りに何か色々な物が乗っているような気がする。
 サラミヤの注文したスーパージャンボチョコレートパフェは、白いスポンジの上に大量のカスタードクリームが重ねられ、その上にこれでもかとチョコレートクリームが上乗せされている。
 そのチョコレートクリームが上から見えないほどに、色取り取りの果物が飾られ、頂上にサクランボが恥ずかしげに自己主張をしている。
 対するゴルネオの最強なりしチョコレートパフェ特大は、茶色のスポンジの上にチョコレートクリームと生クリームが層をなして重ねられ、その上にココアパウダーを振りかけたカスタードクリームで飾り付けがなされている。
 そして頂上に鎮座するのが、ココアバターをふんだんに使ったと思われるチョコレートの固まり。
 一瞬目眩に襲われた。
 とても食べきる事が出来るとは思えない、それ程に恐ろしい物に見えた。
 いや。むしろツェルニを乱す物の怪に思えてならない。
 だが、ウェイトレスという仕事に就いてしまっている以上、この恐るべき物の怪を運んで行かなければならない。
 よりにもよって、ゴルネオの元へとだ。

「お、お待たせしました」

 活剄を動員しなければ運べないほどの、凄まじい質量をもった物の怪を二人の前へと置く。
 注文と違う物が来たと、文句を言われる事を願いつつ。
 これほどの食べ物を粗末にする事は心が痛むが、それでも、ゴルネオがこれを食べるところを見るよりはましだ。
 だが。

「わぁい。いっただっきまぁぁすぅぅ!」
「頂きます」

 元気いっぱいのサラミヤがスプーンを片手に、満面の笑みと共に挑みかかり、やはりスプーンをもったゴルネオが落ち着いた動作で挑戦してしまった。
 それが当然の事であるかのように。
 これこそが自分が注文した、食べたい物だというように。
 呆然とその光景を眺める事しか、シャンテには出来ない。
 いや。事態は更に驚くべき方向へと突き進む。

「ねえねえシャンテちゃん?」
「な、なんでしょうか?」

 瞬きをした記憶はある。
 いや。瞬きをしたとしても、それは間違いなく数分の一秒という短い時間だったはずだ。

「一緒に食べない?」
「そうだな。シャンテも一緒に食おう」
「わ、わたし?」

 だと言うのに、二人の目の前にある物の怪は、その体積を三分の一ほど失っているように見える。
 そして、それよりも問題はシャンテがその物の怪との戦いに招待されていると言う事である。
 しかも、二人の顔を見る限りにおいて、全くの善意である事は疑いようもない。
 断るべきだと本能が告げている。
 理性も知性もそれを後押ししている。
 だが、物の怪の恐ろしさはそんな物ではとうてい抗う事が出来なかった。

「え?」

 気が付けば、シャンテの両脇にサラミヤとゴルネオが座っている。
 当然シャンテ本人も座っていて、更に目の前にはツェルニを乱す物の怪が鎮座していた。
 三つ目と四つ目の物の怪である。

「あ、あの?」

 動揺した。
 これでもし、ゴルネオが何かの技を使ったというのならば、まだ話は分かるのだが、そんな気配は全く感じられなかった。
 となればやはり、シャンテの目の前に鎮座している物の怪の仕業だとしか考えられない。
 そして、更に事態は奈落へと突き進む。

「はい。あぁぁん」
「あ、え、う、い、お?」

 何を思ったのか、サラミヤがその手に持ったスプーンで物の怪の一部を切り取り、シャンテに向かって突きつけてきている。
 しかも満面の笑顔と共に。
 これを口にすれば幸せになれると、そう確信しているとしか思えない、これ以上ないくらいに満面の笑顔と共に。

「シャンテ」
「ゴル」

 この状況で聞こえてきた、力強く優しい声に希望を見いだして、そして最愛の人をその視界に納めて、そして絶望した。
 今まで使っていたスプーンをもったゴルネオが、やはり物の怪の一部を切り取りシャンテへ向かって突きつけてきているのだ。
 僅かな照れと共に、これ以上ないくらいに幸せそうな笑顔と共に。
 この行動を終了させれば、食べた人間も、食べさせた人間も幸せになれると、そう確信している笑顔と共に。
 涙で視界がにじんだ。
 誰もシャンテの事を理解してくれないのだと、そう分かってしまったから。

「泣くなシャンテ」
「そうよシャンテちゃん。これを食べればきっと幸せになれるから」

 盛大な勘違いをした二人の、暖かな言葉がシャンテを更なる絶望の淵へと叩き落とす。
 もはや、何かを感じる事が苦痛でたまらない。
 そして理解した。
 目の前の物の怪に取り殺されれば、きっと幸せになれる。
 ならば、もう食べるしかないではないか。
 ゴルネオもサラミヤもそれを知っているからこそ、涙を飲んで無理に笑って勧めているのだ。
 きっとそうに違いない。
 だからシャンテは絶望の果てに表れた希望に縋り付くべく、小さく口を開けてそれを体内へと導いた。
 もちろん、ゴルネオの持つスプーンからだ。
 次の瞬間、脳髄を直撃した甘さに、目眩を覚えた。
 そして、苦くて堅くてごつごつした物に口の中を蹂躙される感覚に、思わず嘔吐感が込み上げてきた。
 一口目にして、早々に限界である。

「うっ!!」

 思わずゴルネオを押しのけ、込み上げてくる吐き気と戦いつつトイレへと駆け込む。
 サラミヤを押しのけなかったのは、まだ理性が残っていたからかも知れない。

「シャンテちゃん?」
「どうしたのだシャンテ?」

 驚いた二人が追ってくるが、それどころではないのだ。
 開け放った扉をそのままに、胃の中身が空になっても吐き続ける。
 呼吸が苦しく、喉がひりひりして、涙が出てきたが、それでも全てを吐き出し少しだけ気分が落ち着いた。

「まさかシャンテちゃん! 妊娠なの? ご懐妊なの? そ、それともお目出度なの!!」
「な、なにぃぃ!! だ、誰の子供を身籠もったのだシャンテェェェ!!」

 何をどう勘違いしたのか、追ってきた二人が恐ろしく的外れな事を言っているが、それに付き合うほどにはシャンテは回復していない。
 そもそも、そんな暇はなかったし。

「何を言っているのゴルネオさん!! ゴルネオさん以外にいないでしょう!!」
「そんな事はない!! 俺は何もしていないぞ!! ならば他の、誰かの子供のはずだ!!」
「いいえ!! これは明らかにゴルネオさんの仕業です!! さあ責任を取って下さい!! 武芸長として、武芸者として人として、そして男としてゴルネオさんとして、しっかりと責任を取って下さい!!」
「だから、俺は何もしていないと言っているのだ!! 人の言う事をきちんと聞け!!」
「まだそんな戯れ言を言っているんですか!! シャンテちゃんがまだちっちゃい頃から手を出していたに違い有りません!! 自分の行動の責任も取れないなんて、この人でなし!!」

 回復を始めたばかりだというのに、すぐ側でこんな大声の会話をされては、溜まったものでは無い。
 いや。既に会話ではなくサラミヤの弾劾裁判所となっている。
 そして、そうでなくても体調を悪くしたシャンテに、耐えられるはずはなかったのだ。

「う、うるさい。っうぅぅ」

 小さな声で抗議するが、当然サラミヤには届かない。
 更にゴルネオも大声で反論し始めてしまったために、再び吐き気が戻ってきた。
 全て吐いた後なので何もないけれど、それでも緑色の苦い液体を吐き出した。

「しっかりシャンテちゃん! 今すぐ産婦人科に連れて行ってあげるから、気をしっかり持つのよ」
「そうだシャンテ! もうしばらくの辛抱だ。すぐに医者に連れて行ってやるぞ!! 産婦人科以外のな!!」

 あまりの事態に、弾劾裁判はお開きとなったようだが、もはやそれにかまっていられる余裕など無い。
 そもそもの原因を作ったのは、サラミヤとゴルネオなのだ。

「さあ。つわりなら吐いた方が楽になるから」
「兎に角横になって楽な姿勢を作ってだな」

 更に二人の声が重ねられる。
 何故二人は分かってくれないのだろうかという憤りと、自分の境遇の不条理さを感じた。
 そしてシャンテの理性は切れてしまった。

「五月蠅い!! お前達のせいで苦しんでいるんだ!!」
「ぐわお!」
「きゃぁ!」

 叫びと共に、活剄を使う事は出来なかったが、渾身の力で二人を殴り飛ばした。
 正確に言うならば、渾身の力でゴルネオを殴り飛ばし、その巨体に吹き飛ばされてサラミヤの小柄な身体が転がった。
 厨房から聞こえてきた拍手に殺意の視線を向けたシャンテは、更衣室へと直行。
 即座に着替えて喫茶店を後にしてしまった。
 あんな恐ろしい客が来る店で働く事など、出来はしないのだ。
 そして決意する。
 レイフォンを見つけたら、やはり一発殴ってやろうと。
 
 
 
 昨年の経験から、ヴァン・アレン・デイは隠れて過ごしたレイフォンは、引っ越してまだあまり時間が経っていない我が家へと帰ってきていた。
 あの恐ろしい喫茶店から、今年も働きに来てくれと頼まれたのだが、カリアンとヴァンゼが居ないからと言って受ける事は出来なかった。
 そこで思いついたのが、最近急に人間らしくなったシャンテの存在だ。
 彼女に社会勉強をしてもらおう。
 カリアンもヴァンゼも居ないのならば、あの喫茶店はそれ程恐ろしい場所ではないはずだ。
 と言う事で、言葉巧みに仕事を押しつけてしまったのだ。
 では、一日何をやっていたのかと問われたのならば、それは殺剄の訓練だと答える事が出来る。
 カナリス以上の殺剄の名手となれれば、あの恐るべき体験から永遠に逃げる事が出来ると信じて、ここ最近必死に訓練をしているのだ。
 そして、その訓練を終えて我が家へと帰り着く。
 食事は外で済ませてきているし、後はもう、シャワーを浴びて寝るだけである。
 数週間前までだったならば、メイシェンの作ってくれたご飯を食べるという栄誉に預かる事が出来ていたのだが、ニーナとクラリーベルとの試合直後に告白され、そして経過はどう有れ振ってしまったのだ。
 まだ、心の整理が付けられずに、会う事が非常に苦痛なのだ。
 と言う事で、訓練を終えたにもかかわらず殺剄をして、こっそりと自分の部屋の扉へと鍵を差し込む。

「?」

 そして、突如として、何かが首に巻き付いている事に気が付いた。
 そして、人のようでいて人でないような、そんな恐るべき気配をすぐ後ろに感じた。

「え?」

 殺剄を解除して、瞬時に戦闘態勢を作り上げて振り向き、そして硬直してしまった。
 そこにいたのは、ツェルニ一般教養科の制服を着た、機械的な無表情をした少女だった。
 変人と評価が高いが、メイシェン達とは仲が良いヴァティ・レンである。

「こんばんは。アルセイフ先輩」
「や、やあヴァティ」

 挨拶をされたので返した。
 いや。それ以外のどんな反応をすればいいのだろうかと、非常に困ってしまう展開である。
 そして、振り向いたままだった姿勢を直し、ヴァティへと向き直ろうとして、そして途中で硬直してしまった。
 何か黒くて細い物が、視界の隅に引っかかった。
 よくよく見てみれば、それは紐である。
 黒くて艶やかでいて、非常に滑らかな紐が、ヴァティの手から伸びていてレイフォンの首へとつながっている。
 別段、首輪というわけではない。
 ただ単に紐が、レイフォンの首に巻き付いているのだ。

「あ、あのヴァティ?」
「貴男には選択の権利があります」
「はあ」

 選択の権利があると言いつつ、紐がかるく引かれた。
 同時に、レイフォンの首が軽く絞まる。
 ふと、ここで疑問に思う。
 レイフォンは、ヴァティに何かしただろうかと。
 首を絞められるような酷い事をしただろうかと、そう考える。

「え、えっと? 僕何かしたかな?」
「ええ。貴男は今日を生きて終える事が出来ない罪を犯しました」
「ど、どんな?」

 今日を生きる権利がないと言われたのではない。
 今日を生きて終える権利がないと言われたのだ。
 それ程の大罪を犯しただろうかと、そう考える。

「心当たりがないんだけれど?」

 そう言いつつ、剄を練り上げて防御を固める。
 相手はただの紐である。
 金剛剄を張るまでもなく、首回りの剛性を高めるだけで十分に防ぐ事が出来る。
 そして、一般人であり、女の子であるヴァティに攻撃するなどと言う事は出来ない。
 と言う事で、基本戦術は防御なのだが。

「ぐえぇぇ!!」

 黒い紐は、その防御をあっさりと突き破った。
 ヴァティの手が軽く引かれただけであり、見た目の紐の強度的にも、大したことはないはずだったが、それでも、レイフォンの防御をあっさりと突き破ったのだ。

「無駄です。貴男の能力は既に解析済み。そして、どれほど足掻こうとこの紐は貴男に死を届けるでしょう」

 能力を解析とか言われてしまった。
 そして、それはある意味武芸者にとって死を意味しかねない重要な出来事である。
 いや。実際に死を意味しつつある。
 なぜならば、基本的な戦い方や剄の使い方、何よりも弱点を明確に把握していると言う事であり、そこを突けばたいがいの武芸者は殺す事が出来る。
 とは言え、それは普通の武芸者での話だ。
 天剣授受者になるほどの武芸者の弱点を突いたところで、それは現実問題として些細な問題である。
 そうでなければ、グレンダンでは天剣授受者が、ああも恐れられていないはずである。
 はずであるのだが。

「ぐぇぇぇぇ!」

 実際問題として、レイフォンの首は今なお締め付けられ続けていて、息が苦しいのは全く変わりがない。
 何しろ、防御の最終手段である金剛剄が全く通用しないのだ。

「髪は、剄や念威にとって優秀な伝導体だそうですね?」
「ぐええ!」
「これはその髪で作られた紐です。剄は全て通り抜けてしまうだけで効力を発揮しません」
「ぐえ?」

 言っている意味が分からない。
 確かに髪は優秀な伝導体ではあるから、衝剄だけだったら分かる気がするのだが、活剄で剛性を高めているのに、それを貫通する事が信じられない。
 何かの間違いではないかと、苦しい息の中精神力を総動員して紐を観察する。
 艶やかな黒い髪の毛で出来た、しなやかな紐であることを確認。
 そこでふと、これとよく似た髪質を見た事があることに気が付いた。
 いや。一年以上にわたって、割と頻繁に見てきた。

「気が付いたようですね。そうです。これはトリンデン先輩の髪の毛で作りました」
「ぐえぇぇぇ!!」

 ヴァティの力が更に強くなり、レイフォンの首に掛かる力が増す。
 もはや剄を練ることが困難な状況である。

「トリンデン先輩を悲しませた貴男は、ヴァン・アレン・デイという今日を生きて終えることは許されないのです」

 クイクイと、強弱を付けて死んだり意識がなくなったりしないように、細心の注意を払いつつ首が絞められる。
 これほどのテクニックを何処で会得したのか、平和な状況だったら是非とも聞いてみたい物である。

「トリンデン先輩の、不の感情が凝集されたこの紐ならば、貴男を殺すことなど容易いこと。さあ選びなさい」
「な、なにをでじょうか?」

 殺すと宣言しているにもかかわらず、選べと言っているヴァティの真意が理解できない。
 いや。確かにメイシェンと仲が良かったし、ケーキ屋でアルバイトをしているから怒る気持ちは分かるのだが、何故こうも積極的に殺しに来ているのかが分からない。

「死んでから食べるか、食べながら死ぬか、食べてから死ぬか。貴男には選択の権利があります」
「な、なにをたべるのでじょうか?」

 何よりも分からないのがそれである。
 ヴァティは、レイフォンの死以外に何を望んでいるのだろうかと。

「扉を開けて下さい」
「?」

 紐が弛んで、何とか息が出来るようになったので、差し込んだままだった鍵を捻り、そして扉を開けた。
 中は少し暗かったが、何か箱が大量に積み上げられていることは分かった。
 そして、この箱の中身を食べろと、ヴァティは命じているのだ。

「中身はチョコレートです」
「ぐえぇぇぇぇぇぇ!!」

 中身を聞いて、一気に逃走しようとした瞬間、瞬時にして紐が締まり息が出来なくなった。
 本当に、解析は終了しているようだ。

「全部で、五トーンほど有ります。貴男がどれほどの力を秘めていようと、食べきることは不可能でしょう」
「や、やめてぇぇぇぇ!!」

 よりにもよって、チョコレートである。
 一年前に酷い目に合った、チョコレートである。
 そして、今年そのチョコレートがレイフォンの命を奪おうと襲ってきたのだ。
 抗う術は、無い。

「何故トリンデン先輩では駄目だったのですか?」
「だ、だめというわけでは」
「見ていて微笑ましい小動物のような振る舞い。垂れ目ですが可愛らしい顔。そして従順で一途な強さを秘めているはずの思い。何よりも鳥が入ると言われている大きな胸。何が不満だというのですか?」
「ぐええええ!!」

 言っていて興奮してきたのか、紐を引く力が強くなっているのだが、ヴァティ本人は全く気が付いていないようだ。
 鳥が絞め殺されるような悲鳴を上げつつ考える。
 駄目と言う訳でも、不満だと言う訳でもない。
 嫌っているなどと言う事は、断じてない。
 あえて言うならば、レイフォン本人さえ理解できていない何かが、メイシェンの思いに応えることを良しとしなかったのだ。

「人形のように整った顔立ちと、冷徹に見える無表情がチャームポイントではあっても、胸の小さな年上の女性が好みだと言うのですか?」
「だ、だれのことでじょうか?」

 いや。誰のことだかは分かる。
 分かるのだが、分かりたくない。

「と言う訳で」
「どんな訳ですか!!」
「私も鬼ではありません。自分の死に方を貴男に選ばせて差し上げます」
「ちょ、ちょっと待って」
「待ちません」

 問答無用で選択を迫る後輩に首を絞められつつ、今日ここで死ねることはもしかしたら幸福なことではないかと、そんな埒もない事を考えてしまった。
 現実逃避以外の何物でもない。
 なぜならば、レイフォンの視界は急速に暗く狭くなっていったからである。
 選択をする前に、死ぬことになるかも知れないが、その方がまだましかも知れないと思いつつ、意識を手放した。

「うふふふふ。安心して下さい。楽には殺しません。自らの死に方を選んでからでなければ殺しませんから、安心して気を失って下さい」

 とても楽しそうな、そんな声が聞こえてきたが、きっと何かの間違いである。
 機械的な無表情で変人として有名だが、これが切っ掛けで少しだけ人間らしい表情が出来るかも知れないが、それも、もうどうでも良いことである。
 
 
 
 とても楽しそうにレイフォンの首を絞めるヴァティ、いや。レヴァンティンを見詰めつつ、ニーナはとても困った状況に放り込まれていた。
 こっそりと階段の陰から覗いているのだが、これからの行動について判断に困っているのだ。

「助けるべきだと思うのだが」

 少しだけ視線を横にずらして、確認する。
 視線の先にはクラリーベルが居る。
 ついこの間、二人掛かりだったがレイフォンを倒すことが出来た、まさにツェルニ最強戦力である。
 ツェルニ最強戦力を揃えているのではあるのだが、何しろ相手はレヴァンティンである。
 戦いを挑んでも勝てるとはとても思えないし、最悪の場合、そのままツェルニ崩壊につながってしまうかも知れないのだ。
 犠牲になるのがニーナ一人だけだったら、何の問題も無く突撃しているところではあるのだが、今回は相手が悪すぎるのだ。

「そうですわね。わたくしの髪を編んだら、レイフォンさんを縛り付けておけるでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・。何の話をしているんだ?」
「メイシェンさんの髪で作った紐の話ですわ」
「・・・・・・・・・・・・・」

 どうやらクラリーベルは、ニーナとは全く違った方向で困っているようだ。
 これでは戦力として計算できない。
 だが、事態は更に色々と複雑怪奇になって来ている。
 そう。レヴァンティンが非常に楽しそうな笑みを浮かべつつ、意識を完全に無くしたレイフォンを介抱しているのだ。
 さっき言った通り、楽には死なせないつもりのようだというのは良いとしよう。
 メイシェンを悲しませたというのにも、何とか目を瞑ることが出来るだろう。
 だが、何故、ナノセルロイドであるはずのレヴァンティンが、非常に楽しそうにしているのかが分からない。

「もしかしたら」
「な、なんだ?」

 突如、何かに気が付いたようにクラリーベルが軽く手を叩く。
 当然、こちらの居場所など知っているはずだが、それでも咄嗟にレヴァンティンを注視してしまった。

「レヴァンティンはサディストなのではないでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そして、虐め甲斐のあるレイフォンさんを手中に収めて、本性をやっと現しているのかも知れませんわ」
「・・・・・・・・・・・。違うと思いたいが」

 断じて違うと断言することは出来ない。
 何しろ相手は、あのナノセルロイドなのだ。
 どんな事が起こったとしても、何ら不思議ではない。

「さあアルセイフ先輩。貴男の死に方を選んで下さい。さもないと永遠に私に締め上げられ続けることとなりますよ」
「た、たしゅけてくだしゃい」
「駄目です」

 気が付いたらしいレイフォンを更に責めるレヴァンティンは、やはりとても楽しそうだった。
 
 
 
  後書きに代えて。
 はい。一日早いですがヴァレンタイン企画です。
 はい。去年の続きです。辻褄が合わないところがありますが、お気になさらないように。
 
 と言う事で、モテる男なんか、レヴァンティンにくびり殺されてしまえという企画でした。
 この企画事態は、実は去年の二月にはほとんど完成していました。とはいえ、前半のシャンテ編だけでしたが。(十六巻を読んでいたので)
 どうやっても半分くらいの容量にしかならないので、お蔵入りかと思っていたのですが、第十七巻であんな事となったので、こんな話となりました。
 当然ではありますが、メイシェンの髪の毛はレヴァンティンのナノマシンによって、謎の超物質へと変貌しています。
 その気になればレギオスを拘束する事さえ出来るという、非常識な謎物質となっているかも知れません。
 
 まあ、それは置いておいて。
 来年については全く持って何も考えていません。よほどの事がなければ、ヴァン・アレン・デイはこれにて終了となります。
 
 では、もてる人ももてない人も、明日を無事に生きて終えられますように。うへへへへへ。



[18444] 超学園都市マイアス
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2012/05/23 19:08


 既にどうでも良い事となっているが、レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 グレンダンに巣くう変態的変質者集団である、天剣授受者の玩具として地獄の日々を過ごしていた。
 王族に貞操と命を狙われ続けても居た。
 養父には己がさらなる高見へと上るための、踏み台として時々斬りかかられても居た。
 そんな驚異的な現実を生きていたレイフォンだったが、グレンダンを出ることで全てから解放されたと思っていた。
 そう。そう思っていたのだ。

「つまりね。アレなソレを、コレなアソコにナニするのよ」
「な、なに!! アレなソレを、コレなアソコにナニするのか!!」
「ああんん! 駄目よそんな大声出しちゃ」

 母による娘のための性教育講座に強制参加したことがあるレイフォンにとって、この手の話はどうと言う事はない。
 居心地が悪いので逃げ出したい程度の、どうと言う事のない話である。
 出来れば、本当に逃げ出したい。

「そ、そういうものなのか?」
「そうよ。レイフォンだって、こんなこと大声で言う女の子を見たら、引いてしまうわ」
「くふ。雄というのは浪漫を追い求めるたわけじゃからのぉ」

 確かにたわけである。
 グレンダンから逃げさえすれば、全ての脅威から解放されると思っていた自分が、とても情けない今日この頃だ。
 だが、現実として脅威というか厄介ごとがレイフォンを追ってきたのだ。
 むしろ、狙い澄ましたかのようにピンポイントで襲ってきていると言っても良いくらいだ。
 放浪バスに乗れば廃都市と遭遇する。
 そこで幼生体と戦っていれば、廃貴族に取り憑かれる。
 寝ていて夢を見れば、知らないうちに廃貴族がもう一体取り憑いている。
 更に、戦う夢を見た訳でもないというのに、知らない廃貴族に取り憑かれている今の状況を考えると、もしかしたら、グレンダンにいた方が遙かにましな人生を送れていたのかも知れないと、そう考えてしまう時だって有るのだ。

「良い? 男の子は意地っ張りで可愛い生き物なのよ」
「おお! そうなのか!!」
「んむ。意地を張って大事な物を無くして泣いてしまうと言う、たわけな可愛い生き物じゃな」

 レイフォンの安息の地は何処でなくしてしまったのだろうかと、ふと考えてみる。
 それは間違いなく、ヴォルフシュテイン卿の背中を見たあの瞬間だった。
 あの瞬間から、全てが狂いだしてしまったのだと断言できる。

「あのぉぉ」

 そう断言したからではないのだが、レイフォンは恐る恐ると声をかける。
 レイフォンの上に座っている廃貴族三人娘へと。
 膝の上にでは無い。
 俯せになっているレイフォンの上に、三人が座って話し込んでいるのだ。
 三本の尻尾がとても楽しそうに揺れているのが、微かな風の動きで分かる。
 柔らかいお尻の下に敷かれているというのは、どう感想を述べればいいのか分からないが、もしかしたらこれこそが旦那を尻に敷くと言うことなのかも知れない。

「んむ? どうしたのじゃ主よ?」
「なぁにぃレイフォン?」
「何じゃレイフォン! わしに用事か!!」

 三人がほぼ同時に返事をしてくれた。
 その瞬間、尻尾が勢い良く立ち上がり、何時でも飛びかかれるように準備が終了する。
 飛びかかる前に押さえ込まれているけれど、廃貴族にとっては多分正しい反応なのだろう。
 それを無視してでも、レイフォンは確かめなければならないことがあるのだ。

「一人増えてますよね?」

 そう。ホロウとちずるは知っている。
 だが、もう一人と言うか一体は知らない。
 スレンダーと表現できるホロウよりも小柄で、ちずると比べるべくも無いその平坦な体つきは、明らかに十歳かそのくらいの少女の物だ。
 ふさふさで太い、犬のような尻尾をもった二人に対して、細くしなやかなそれは、明らかに猫の尻尾を完全装備している。
 銀色の短く柔らかい毛に覆われ、興奮していることが分かる程度には太くなっている。
 そして、当然の様に銀髪に覆われた頭頂部にも三角形の耳が鎮座しているのだ。
 大きな水色の瞳は好奇心と興奮で輝き、まるで羊の丸焼きを目の前にしたような有様である。
 だが全体を見れば、明らかに猫である。
 いや。肉食獣に違いはないと思うのだが。
 当然のこと、獲物は草食動物であるレイフォンなのだ。

「わしか? わしは猫羊都市の電子精霊じゃった廃貴族のミーネじゃ。よろしくな兄ちゃん!!」

 廃貴族であることは重々承知である。
 このエロス空間に住まう獣耳と尻尾を付けた、人型の生き物など廃貴族以外にはあり得ないのだ。
 問題はそこではないのだ。
 俯せになった状態のまま、首だけ何とか振り向けてホロウを見る。

「ホロウの時は幼生体と戦いましたよね?」
「んむ。あの時の主の活躍は、わっちの心に永遠に消えぬ感動を刻みつけたのでありんす」

 幼生体などと戦っただけで、そんな感動を与えられる武芸者ではないと、レイフォンは自分を評価しているが、ホロウは違う感覚を持っているのだろうと納得する。
 ここまでだったら、何とか問題無い範囲である。
 更に首を捻って、苦しい息の中ちずるを見る。
 決して顔以外に焦点を合わせてはいけない。
 鼻血を噴出してしまいそうだから。

「ちずるの時は、夢の中で戦っていたよね?」
「ああんん!! あんなに激しくしてくれたのはレイフォンが初めてだったの!!」

 何を激しくしたのか、もの凄い疑問だが、突っ込んではいけない。
 ガーラント卿に、一方的にボコられたのを戦いと呼んで良いかという辺りから、既に疑問であるから突っ込んではいけない。
 今問題としなければならないのは、そこではないからだ。

「それで、ミーネはどうして僕に取り憑いたのかな?」
「にゃ? わしが取り憑いたのが不満だと言うのか? もしかして、狼や狐は良くても猫は駄目なのか? わしが幼女体型だからいかんのか!! ふさふさした尻尾でなければいけないというのか!!」
「問題はそこじゃないから」

 何故か盛大に勘違いして、一気に顔色が悪くなるミーネを取り敢えず宥める。
 十歳程度の子供に泣かれるというのは、どう控えめに表現しても心楽しい事柄ではないのだ。
 ホロウとちずるの視線も、心なしか冷たくなり始めていることだし、全身全霊をもってミーネを慰める。
 そして思い知る。
 この弱腰と悪足掻きこそが事態を悪化させる、最大の要因なのだと。
 時既に遅く、そして解決の目処は全く立たないけれど。
 そう。慰めている内に取り憑いていても良いという空気が出来上がってしまっているのだ。
 ニヤリと笑うホロウの牙が、レイフォンを食い千切ったことを明確に教えてくれたが、既に後の祭りである。

「それで、戦った訳でも夢を見た訳でもないのに、どうやって取り憑いたのかなって」
「なんじゃ。そんな事じゃったのか。そうならそうと速く言えばよいのじゃ」

 勘違い系というのだろうか、もの凄く偉そうに肋骨が浮かぶ胸を張るミーネ。
 別にそれが魅力的だという訳ではない。
 レイフォンに幼女愛好趣味はないのだ。

「実はじゃな」
「えっとねぇ」
「言いにくいのじゃが」

 そして、三人がとても言いにくそうに口ごもるという恐るべき光景と遭遇してしまった。
 相当に恐るべき事態が、レイフォンの身の上に起こっているのだと言うことは察しが付く。
 知りたくないというレイフォンと、知らないことこそが最悪だと主張するレイフォンが居る。
 どちらにも一定の説得力があることは事実だが、どちらを取るかという問題は常に重要極まりない。
 だが、事態はそんなレイフォンの逡巡を待ってはくれなかった。

「さるやんごとなきお方からの」
「レイフォンの事を観察したいからってね」
「わしら廃貴族を取り憑かせようと思いついたのじゃ」
「・・・・・・・・・・・? は?」

 廃貴族の偉い人って誰だろうかと一瞬考えたが、問題はそんな生やさしいところではとどまっていない。
 レイフォンを観察するためにと、その偉い人は廃貴族を取り憑かせたのだ。
 観察すると言う事は、ホロウと遭遇する前にその人物に目を付けられていると言う事に他ならない。
 つまりは、グレンダンの住人。
 この事実だけで十分以上に危険である。
 最悪の場合、既にレイフォンがツェルニに居ないことが露見しているかも知れない。

「聞いた話なのじゃがな。何でも寝るのに飽きてきた頃に主が逃げ回るところを偶然見たようでありんす」
「それがなんだかとっても面白くてね。毎回楽しみにしていたんだけれどレイフォン、グレンダンから居なくなったじゃない」
「じゃからな。わしらを取り憑かせてレイフォンを観察することにしたという話じゃ」

 寝るのに飽きたという単語から、二人の人物を思い浮かべることが出来る。
 天剣最年長のキュアンティス卿と、天剣最強のサーヴォレイド卿。
 キュアンティス卿は殆どの時間を病院のベッドの上で眠り続けていて、汚染獣が接近した時だけ起き出すという話を聞いた。
 サーヴォレイド卿の場合は、出撃要請などの呼び出しがかからない限りアパートのソファーに寝そべっているという話を聞いた。
 だがおかしい。
 この二人に廃貴族というか、電子精霊と会話したり命令したりする能力があるという話は、全くもって聞いたことがない。
 となれば、レイフォンの知らない誰かと言う事になるのだが。
 しかも、電子精霊に命令する権利を持った、ある意味この世界で最強の存在にだ。

「わっちらの始祖にして、この世界の創世に深く関わったお方でな」
「どれほど狂っても、私達が逆らえない人なのよ」
「わしらとしてはレイフォンに取り憑くことが出来たからな、それはそれでかまわんのじゃ」

 廃貴族三人から、なにやらもの凄い話が続いているようだ。
 この世界の創世に関わったとか、憎悪に狂った電子精霊さえ従えるとか、何よりも恐ろしいのは、レイフォンに取り憑くことが出来たから良かったという所だが、それを抜きにしても、この先何体の廃貴族に取り憑かれるかという疑問が出てくる。
 そんな事を考えたのも一瞬。
 廃貴族三人が、何かに驚いたように上を見詰めた。
 いや。上や下という概念があるかどうか怪しいこの空間で、上を見たという表現は的確ではないかも知れないが、それでも確かに三人は上を見てなにやら驚いている。
 
 
 
 ここで目覚めた。
 
 
 
 一瞬自分が何を見ているのか分からなかった。
 だが、それが新しい自分の部屋なのだと言う事に気が付くのに、三秒とかからなかった。
 ここは学園都市マイアスの居住区、その外れにあるやや不便だけれど家賃の安いアパートの一室だ。
 お金の殆どを孤児院に置いてきてしまったので、レイフォンは割と貧乏だったりするのだが、就労しつつ学校に通うくらいは別段問題のないことだ。
 天剣授受者に追いかけ回されつつ、汚染獣と戦いつつ、養父に斬りかかられる毎日と比べたら、働きながら学校に通う程度は楽園だと言い切ることが出来る。
 縦横五メルトル弱の正方形の部屋、それがこれから六年間レイフォンが住むための空間だ。
 ベッドと冷蔵庫、それにテレビなどの家電製品は備え付けだった。
 洗濯機だけは地下にコイン式のがあるから、それを使えば良い、
 元々贅沢をするという精神構造を持っていない上に、物に頓着しないという人格を併せ持ったレイフォンにとって、服を仕舞うためのカラーボックスとハンガーを掛けるためのレールを買えばそれでよいこの部屋は、全くもって都合の良い物件だった。
 そんなどうでも良いことを考えつつ、起きるために身じろぎしようとして、何か凄まじい違和感を覚えた。
 何かが決定的におかしい。
 例えば。例えばではあるのだが、誰かがレイフォンと一緒に眠っているような、そんな違和感を覚えてしまったのだ。
 しかも、仰向けになっているレイフォンの上に完璧に乗っかるように。
 これは驚くべき事態である。
 天剣授受者でさえなし得なかった快挙を、このマイアスにいる誰かがやってのけたと言う事に他ならないのだ。
 恐る恐ると視線を落として、快挙を成し遂げた人物を確認しようとした。
 だが、当然のことではあるのだろうが、見えたのは黒髪に覆われた頭の部分だけだった。
 嫌な汗が全身から噴き出す。
 身体にかかる重量から、その人物は軽量級であると判断できる。
 そしてその柔らかさから、おそらく女性。
 該当する人物を、当然のことレイフォンは知らない。
 クラリーベル様が比較的近いが、完全に寝込みを襲った彼女がそのまま一緒に寝ているなどと言う事は考えられない。
 何らかのアクションを起こしていて然るべきであるし、そもそもまだグレンダンにいるはずなのだ。

「あ、あのぉぉ」

 そして、夢の中で廃貴族達が何かに驚いていたことと考え合わせると、このレイフォンの上で眠っている人物こそが。

「夢を見ていました」
「は、はあ」
「貴男が色々な人達に追いかけ回されて、必死に逃げているという夢でした」

 それは現実である。
 そう突っ込もうかと思ったが、あまりにもか弱いその声に乱暴に扱うなどと言う選択肢は吹き飛んでしまった。
 そして気が付く。
 クラリーベル様よりも、一回りは小さい身体であると。

「ずっと待ち続けてきた私にとって、貴男の生きている時間はあまりにも短い物でした」
「そ、そうなのですか?」

 相槌を打つことさえ困難な精神状態だが、それでもレイフォンは頑張って相手をするのだ。
 この足掻きこそが事態を悪化させるのだと知っても、尚、止めることが出来ないのだ。

「はい。ですから、貴男が居なくなってしまって、とても寂しかったのです」

 女の子に、居なくなって寂しいと言われたレイフォンだったが、そこに暖かい感情は全く感じなかった。
 リーリン様とかクラリーベル様とかに追いかけ回された経験が、女性に対する警戒感だけをおおいに増長しているのだ。
 更に今回は、廃貴族を取り憑かせてレイフォンを観察するという行為を行ったかも知れないのだ。
 とても暖かな感情などと言う物が湧いてくる状況ではない。

「あ!」
「は、はい?」

 少しだけ上体を持ち上げた少女が、驚いたようにレイフォンを見る。
 その少女は美しかった。
 黒く長い髪は艶やかで、漆黒の瞳は全てを飲み込むほど深い。
 あくまでも滑らかな肌は白く、そして何よりも瑞々しく柔らかい。
 そんな美しすぎる少女が、驚いた表情でレイフォンを見下ろしているのだ。
 何か異常事態であると、そう判断できるのだが。
 少女の視線が下がり、下腹部付近へと向けられる。
 そこには、何故かレイフォンの下腹部があった。
 そして、冷や汗が背中を濡らした。

「とても堅い物が」
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」

 活剄衝剄混合変化 千人衝。
 最高速で剄を練り上げ、分身を二人作り上げて、夜色の少女を持ち上げる。
 そしてベッドと少女間に隙間が出来た瞬間、レイフォン自身は横に転がってこの地獄からの脱出を図る。

「ぐえ!!」

 勢いを付けすぎてベッドから転がり落ちてしまっても、何ら問題とすることはない。
 異常事態ではなく、毎朝の生理現象なのだ。
 男の子だから仕方が無いのだ。
 思春期だから仕方が無いのだ。
 断じて、邪な考えなどのせいではないのだ。
 荒い息をつきつつ、何とか起き上がって這いずるように少女から遠ざかる。
 生理現象で仕方が無いとは言え、とても耐えられる状況ではない。
 娘のための性教育講座に強制参加させられたレイフォンと言えど、平然としていられる状況ではないのだ。
 息を整えつつ、更に逃げる算段を巡らせるレイフォンを、何故か不思議そうな視線で見る夜色の少女。
 その純粋無垢な視線に切り刻まれるような、そんな錯覚を覚えたのは、きっとレイフォンの中にある罪悪感が原因だ。
 悪いことをした覚えはないが、罪悪感はあるのだ。

「生理的な現象で、貴男に責任は無いと思いますが」
「理屈じゃないんですよ、理屈じゃ!!」

 そう。理屈ではないのだ。
 もっとこう、根源的な何かに由来しているのだ。
 そんな急展開な状況にもかかわらず、分身は未だに少女をベッドから持ち上げたままで固まっている。
 気が付かないうちに、色々と器用になっていることを再確認した。
 少女をゆっくりとベッドに降ろした分身を消して、そしてレイフォンはある事実に気が付いた。
 慰めになるか分からないが、少女は全裸ではなかった。
 グレンダンを出てからこちら、異常事態に陥ると全裸の少女に遭遇し続けているような気がする今日この頃。
 服を着ているというたった一つの事実で、ずいぶんと落ち着いていることに返って恐怖を覚えてしまった。
 思い返してみれば、ベッドの上で見つめ合った時にも、全裸ではなかったことを確認していたのだが、脳がそれを理解する前に硬い物が色々とあって仕舞ったのだ。
 だが、安心しても居られない。
 そう。明らかに少女はワイシャツ一枚だけしか着ていないのだ。
 しかも、サイズがかなり大きな少しくたびれたワイシャツをだ。

「・・・・・・・・・・・・」

 見覚えが有る。
 具体的に言えば、昨日までレイフォンが着ていた奴にそっくりだ。
 今日洗濯しようとしたワイシャツに瓜二つだ。
 それはつまり。

「裸で居てはいけないと言われたことがありましたので、貴男の物を借りました」

 裸でその辺歩き回っているよりは、数万倍増しである。
 何処かの廃貴族達よりは、ずっと常識的な行動と断言できる。
 だと言うのに、何故こうも冷や汗が止まらないのだろうかと、ふと不思議に思った。
 そして理解した。

「迷惑でしたら」
「着ていてください!! 僕の目の前で脱がないでください!!」

 そう。少女は基本的に常識を全く理解していないのだ。
 だからこそ、その行動は全てに置いて聞いたことを再現しているだけであり、何かの拍子にあっさりと吹き飛んでしまう類の物なのだ。
 最終的に、レイフォンの周りに新たな非常識人が登場したと言う事である。
 絶望の果てに奈落の底へと落ちそうになったレイフォンだったが、世界はそんな安楽さえも用意してくれていないようだった。

「申し訳ありません」
「は、はい?」

 突如として、夜色の少女が立ち上がった。
 レイフォンのワイシャツしか着ていない少女がである。
 思わず、視線があちらこちらへと移動してしまった。
 何時も全裸の廃貴族で、散々見慣れているはずだというのに、幼女の裸でさえ、孤児院で年中見ていたはずだというのに、それでも、レイフォンの視線は定まらない。

「私は、グレンダンへ帰らなければなりません」
「ええ!!」

 驚きである。
 てっきり、レイフォンに付きまとってマイアスに居座ると思っていたのだが、目の前の少女はグレンダンに帰るというのだ。
 それ自体は有難いことである。
 これ以上非常識な人達と関わらなくて良いのだから、これに勝る喜びなどそうそう思い付くものでは無い。
 だが、レイフォンは目の前の少女を放浪バスの中で見ていない。
 それはつまり、先回りしていたと言う事になるはずなのだが、廃貴族達の言い分を聞くと、どうもそう言う訳でもないらしい。
 つまり、レイフォンには分からない方法で、マイアスとグレンダンを往復することが出来ると言う事になる。
 その方法を、天剣授受者が利用したらと考えると、背筋を冷たい物が大量に下って行く。
 それを察したのか、少女の桜色の唇がゆっくりと開かれる。

「安心してください。私達が使う方法は一般の人間には使えませんから」
「武芸者でも?」
「はい。貴男は使えます」
「ええ!」

 既にレイフォンは、一般人というカテゴリーから大きく外れてしまっているようだ。
 天剣授受者でさえ、一般人という範囲に入っているというのにである。
 だが、悲劇は更に続く。

「このシャツですが」
「脱がないでください!」
「持ち帰ってしまうこととなりますが?」
「気が向いたら返して頂ければ結構ですから」

 ワイシャツ一枚だけしか着ていない少女が、目の前で脱ぐ。
 しかも、おそらく人類最高水準の美少女がである。
 理性が吹き飛んでしまっても、何ら不思議はないし、むしろ冷静でいることの方が奇蹟である。
 ならば、ワイシャツの一枚くらいお持ち帰り頂いた方が、遙かに安全であると断言できる。

「では、いずれお返しいたしますので」

 そう言うと、少女はベッドから降り立ち部屋の扉へと歩み出す。
 その歩く姿を、思わず目で追ってしまう。
 心臓は凄まじい速度で、摩訶不思議なダンスを踊っているし、呼吸は苦しく荒くなっている。
 間違いなく、レイフォンこそが変質者である。
 だが、悲劇はここからだった。

「くんくん」
「!!!!」

 ワイシャツの匂いを嗅ぐ少女。
 レイフォンは咄嗟に思ってしまった。
 匂いを覚えられた。
 もはや逃げる事など出来はしない、と。

「貴男の汗の匂いですね」

 微かに、本当に微かに笑った少女が、扉を開けることなく部屋から出て行くという非現実的な事態が起こったが、それに取り合っていられる状況ではない。
 なぜならば。

『そう言うことでありんしたか』
『何々? 何が分かったの?』
『わしにも教えてくれ!!』

 起きているというのに、廃貴族が騒ぐ声が聞こえているというのもある。
 だが、もっと恐るべき事が進行しているのではないかと、そんな確信がレイフォンの中にあるのだ。

『雄とはやはり浪漫を求める生き物でありんす』
『うんうん! とっても可愛いわよね!!』
『そうじゃ! わしらがきちんと手綱を握っておかんといかんのじゃ』
『浪漫を求めるからな! ちらリズムなのじゃ!! 見えそうで見えないという状況に萌えるのじゃ!!』
『『おお!!』』

 何か、違う方向に話が進んでいるかも知れない。
 いや。もっとこう、恐るべき物が近付いていると確信したレイフォンだったが、それは間違いかも知れないと、そんな気がしてきた。

『雌に服を送るのはそれを脱がす喜びを味わうためじゃというしの。見えそうで見えないからこそ、より興奮するのじゃ!!』
『コスプレよ!! コスプレ以外にあり得ないわ!! ああん! でも私服なんてもってない!!』
『レイフォン!! わしらに服を買って欲しいのじゃ!! こうな! とっても布が小さい奴を買って欲しいのじゃ!!』

 時計を見る。
 そろそろ出掛けるための準備をしなければならない。
 シャワーを浴びて気分を切り替えようと、廃貴族達の声を聞きつつ行動を起こすレイフォンだった。
 そう。今日はマイアスの入学式なのだ。
 新しい人生を始めるためにここにやってきたというのに、人外の何かになってしまったような、そんな錯覚を覚えるレイフォンだったが、それでも、入学式に出なければならないという事実に、何ら変わりはないのだ。
 
 
 
 ふと気が付くと、目の前に男性が居た。
 黒髪と黒い目をした三十を少し過ぎたくらいの、長身で精悍な男性である。
 黒尽くめの服を身に纏い、短くなる気配のない煙草を銜えたその男性はしかし、瞬時に危険であるとレイフォンに認識させた。
 理由は二つ、いや三つ。
 何よりも危険であるのは、両手に構えた二丁の拳銃が正確にレイフォンを狙っていることである。
 刻印など一切無いその拳銃は、実弾仕様とも剄弾仕様とも判断できないが、危険であることには何ら変わりがない。
 そして、次に危険であると判断する原因は、右目を覆う眼帯である。
 リーリン様のように装飾があるという訳ではないが、どうしても思い出して関連づけてしまうのだ。
 そして三つ目。

「聞いた話なんだがな」
「は、はひ?」

 滅茶苦茶に目付きが悪いのだ。
 いや。既に視線に殺意が籠もっている。
 引き金を引くための、一言を心待ちにしているようにしか見えないその視線だけで、レイフォンの寿命は著しく縮んでしまいそうである。

「サヤを裸ワイシャツにして、とても堅い物を押しつけたそうだな」
「ぐわぁぁ!!」

 だが、銃弾が迸るよりも先に、音速の言葉でレイフォンは既に瀕死の重傷を負ってしまった。
 思い出したくない黒歴史というのは、もしかしたらこれかも知れないと、そう思うくらいに凄まじい威力だった。
 もちろん、サヤというのはあの夜色の少女である。
 そのくらいは分かるのだ。
 そして、既にリアクションをしてしまった。

「そうか。聞いた通りだったのか」
「ま、まって」

 今にも引き金が引かれそうになっているのを、必死で押しとどめる。
 逃げる事に関しては、おそらく人類で最も優れた実力を持っているはずだが、それでも危険は避けるに越したことはないのだ。

「なんだ? まさか貴様。もっと破廉恥なことをしたとか言う訳だな」
「してませんから、取り敢えず銃はしまってください」

 気をつけなければならない。
 レイフォンの周りには、何故か話を途中までしか聞かない人間ばかり集まるからである。
 そして今回、一瞬の迷いが即座に死を意味するのだ。
 既に、破廉恥なことをしでかしたと決めつけている辺りなんか、もの凄く危険なのだ。

「ああ?」
「い、いえ。安全装置をかけてください」
「・・・。まあ、良いだろう」

 妥協が成立した。
 渋々と安全装置をかける男性から視線をそらせないように細心の注意をしつつ、レイフォンは逃げる準備を終わらせる。
 話がどう転ぶか分からないからだ。

「それで、サヤにどんな破廉恥なことをしたんだ? 内容によったらなぶり殺しだ」
「い、いえ。僕は何もしていません」
「ああ?」

 そう。レイフォンは何もしていない。
 全て受け身だったというか、ある意味被害者である。
 あの後、廃貴族三人から服を買ってくれと、散々にせっつかれたこととか、被害が続出したのである。
 買っても着られないという事実を納得させるのに、かなりの精神力を使ったとか、被害甚大だったのだ。

「お前の上でサヤを寝かしつけたとか、歩くサヤを視姦したとか聞いたが?」
「そ、それは」

 否定できなかった。
 それはある意味事実だったからだ。
 そして、拳銃の安全装置が解除された。
 銃口は、間違いなくレイフォンを見詰めている。
 それは、死と破壊の接吻を心待ちにする、死に神の唇だった。
 何とか誤魔化さなければならない。

「あ、あの! サヤさんにワイシャツを貸して、それで汗の匂いを覚えられただけっひ!」

 途中で失敗を悟った。
 いきなり火を噴いた銃口と、目の前を縦断して行く銃弾がそれを教えてくれる。
 一瞬でも反応が遅れていたら、右目を綺麗に撃ち抜かれていた。
 だが、安心しているような暇はレイフォンには存在していない。

「そうかそうか。サヤを裸ワイシャツにして、匂いを覚えさせたのか」
「お、おちついてくだっっひ!! シャツは返してもらう事になってっひん」

 言葉を遮るように、銃弾がレイフォンを追い立てる。
 もはや逃げる以外の行動が存在していない。
 だが、更に状況は最悪へと突っ走る。

「そうかそうか。返ってきたシャツでサヤの匂いを覚えるつもりか!!」
「そんなことひい、おもってうわっぁ」
「ふははははははははははは!! この俺から逃げる事など出来るものか!! 間接一つずつじっくりと吹き飛ばしてやる!!」
「やめてぇぇぇぇ!!」
「安心しろ!! その死体は色んな薬品を使って綺麗に溶かしきってやる!! この世に細胞一つ残しはしない!!」
「ひぃぃん!」

 拳銃は実弾仕様だったようだ。
 だが、レイフォンは恐るべき事実を認識することとなった。
 そう。実弾仕様だというのに、弾切れが存在していないのだ。
 次々と撃ち出される銃弾が、レイフォンの身体をかすめて飛んで行く。
 スワッティス卿のように、弾道を曲げたりと言う事はないようだが、それでも男性の反射能力や持久力が危険極まりない状況を作り出している。
 無限とも思える追いかけっこが始まった。
 景品は、レイフォンの命である。
 
 
 
「と言うような夢を見たんだけれど」

 場所はレイフォンの部屋。
 時は早朝。
 学校へ行く準備をしつつ、昨晩見た恐るべき夢について、廃貴族へと語ってみたのだが、どうも反応がおかしい。

『主よ。そこまででありんすか』
『レイフォン。なんて可哀想な』
『わしらの力などたかが知れておるのじゃな』

 何故か真剣に同情された。
 しかも、夢の中の出来事だというのに、現実に起こったことであるかのような反応である。
 非常に不思議だったが、それでも何かが変わる訳ではない。
 学校に行き仕事をこなして、いずれやってくるクラリーベル様を何とか退け、そして天寿を全うする。
 そのためにこそレイフォン・サイハーデンはここマイアスにいるのだ。
 いや。変わったことがあった。
 それは大きくて丈夫な傘を買ったことだ。
 自律型移動都市の上で生きている以上、雨の心配など殆ど無い。
 汚染物質を大量に含んだ雨は、エアフィルターで弾き飛ばされてしまうからだ。
 だから、日傘以外の物は非常に珍しいのだ。
 ならば、何故傘など買ったのか?
 それは、夜に使うためである。
 何故か最近、月の光が怖いのだ。
 そう。一瞬でも浴びたら死んでしまいそうな、そんな非常識な直感があるのだ。
 月の光を避けるために巨大で丈夫な傘を買い、夜出掛けなければならない時には常に持ち歩いているのだ。
 こうして、やや非常識ではあるが平穏な学園生活を謳歌することが出来たのだった。
 
 
 
 
 
  猫羊都市ミーネについて。
 電撃文庫、ご主人様は山猫姫(鷹見一幸)のヒロイン、シャン・クム・ミーネが原型。
 ただしこいつだけ原作では耳も尻尾も付いていないという異端児。更にCVも未定。
 出来ればもう少し違うキャラを使いたかったのだけれど(耳と尻尾基準搭載という意味)、最終的にこいつを採用。
 特色をうまく引き出せているかかなり疑問な展開が続きそう。
 
 
 
  後書きに代えて。
 と言う事で、マイアスに到着して入学したレイフォンの話でした。
 そして何よりも、サヤとアイレインの登場。さらに、二人とも変質者となり果ててしまっています。ついでにレイフォンも変態的な行動を取り始めました。
 それ以上に問題なのは、そろそろ限界が来ているという事実。
 このシリーズは、超設定と魔改造、ノリと勢いで書く話だったのに、その魔改造ネタが残り一つになってしまいました。
 この先、続けられるのか非常に疑問です。
 書くつもりではいるので、気長にお待ちください。三百年くらい?



[18444] 鋼の交通都市
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2012/08/15 19:56

 
警告!!
 この作品は復活の時の二次制作です。
 原作からすると惨事、もとい。三次に当たります。
 何処かで見たことのあるようなキャラや、聞いたことのある人が出てくるかも知れませんが、それは気のせいであると断言します。
 かなり無理な内容であることも、ここに断言させて頂きます。
 この作品は書き逃げであり、この一発のみの話しとなっております。
 以上の事を了承の上お進みください。
 
 
 
 突然ではあるのだが、レイフォン・アルセイフは現在ヨルテムの学校に通っている。
 暫く前に、地盤の悪いところをヨルテムが歩いてしまい、埋もれて身動きできないという事態が起こった。
 幸いにして汚染獣の襲撃もなく、すぐに日常へと復活することが出来た。
 だが、悲劇はむしろそこから始まったと言える。
 そう。アイリとトマスのゲルニ夫妻に迫られたのだ。
 武芸ばかりやっていないで学校に行って頭も鍛えろと。
 確かに、レイフォンの年齢ならば学校に行っていることの方が普通である。
 普通であるが、それはヨルテムという都市においての普通であって、グレンダンにおいての普通ではない。
 そう。戦う者の天国、狂える安全都市、戦闘狂の辿り着くグレンダンにおいては、強ければそれで全てが丸く収まってしまうのだ。
 リーリンを始めとする孤児院の他の子供達に、武芸者はいなかったからきっと間違いではない。
 武芸者でもきちんと学校に通っている人は多かったが、きっと間違ってはいない。

「うん。グレンダンにいたらきっと僕は幸せだった」

 その戦う者の天国から追放されたレイフォンは、悪魔という名の堕天使になるしかないのかも知れないが、それでもきちんと起きて学校に向かっているという現実が存在している。
 魔王だろうと悪魔大元帥だろうと、はたまた堕天使だろうと、学校に通うのがヨルテムの流儀なのだとミィフィに言われたので、渋々通っているのだ。
 ミィフィからの情報だから、話半分として聞いておかなければならないだろうが、それでも武芸者であるレイフォンは学校に通わなければならないのだ。
 だが、決して喜んでいるという訳ではない。
 武芸を捨てて一般人になるためにヨルテムに流れてきたが、それでも学校に喜んで通うなどと言う精神を構築することなど出来てはいないのだ。

「ほらレイとん。早く行こう」
「うん」

 メイシェンに手を引かれて通うことに、喜びなど見いだしてはいないのだ。
 周りから来る羨望と嫉妬の眼差しに、小さくない優越感を持ったりしていないのだ。
 そう。グレンダンでは四六時中嫉妬や羨望の眼差しを向けられていたのだから、今更どうこう思うことなど無いのだ。
 女の子と手を繋いで歩くという行為で、嫉妬や羨望の視線を受けることは初めてだが、それでウキウキなどしてはいないのだ。
 だが、そんな平常心も校門を潜るまでの話でしかない。

「・・・・・・。メイシェン」
「あ、あう」

 もはや日常となり果てていても尚、小さな絶望と共に、名残惜しいメイシェンの、暖かく柔らかい手を振り解く。
 そして、一気に戦闘へと精神を切り替える。
 校門を潜って正確に五秒後、突如として周りの生徒が全力疾走で逃げ出した、僅かに一秒後、それは起こった。

「ぬうぅぅぅん!!」
「ぬおぉぉぉぉ!!」

 とても大きな物と、どちらかと言うと小さな物が左右両方から迫ってくる。
 その速度は明らかに武芸者の戦闘速度であり、本来人の多いこんな場所であってはならない暴挙であるはず。
 だが、生徒は誰一人として慌てることなく見事な避難行動を取り、日の降り注ぐ学校の正面という戦場が出現した。

「っは!!」

 こうなることは分かっていたために、レイフォンとしても油断などしていない。
 活剄衝剄混合変化 金剛剄。
 とても大きな物が左から突っ込んできて、その右拳がレイフォンの金剛剄と激突して凄まじい音を発する。
 ほぼ同じ瞬間、どちらかと言うと小さな物の振り上げた右の鉄鞭がやはり金剛剄と激突して弾き飛ばされる。
 その激突の音が消えるよりも速く、レイフォンは高速移動して左右から挟まれるという危険な場所から移動する。
 右手を振り上げつつ、左手から衝剄を迸らせ追撃を放ってくる、とても大きな物と、取り落とした鉄鞭に見向きもせずに、左手から衝剄を放ち牽制する、どちらかと言うと小さな物。
 大きな物は全身から迸る汗をそのままに、筋肉を誇示するかのごとく上半身をさらけ出し、両手にはめた棘付きの錬金鋼を油断無く構えて第二ラウンドへと備える。
 小さな物は、タンクトップに包まれたしなやかな身体を駆使して、用心しつつ移動して、取り落とした鉄鞭を器用に足で蹴り上げて右手へと持ち直す。
 それは二つとも武芸者だった。
 大きな物はほぼ完全に禿げているが、額に金色の髪が一房だけ残り、それが巻き毛となってアクセントを作っていた。
 水色の瞳には凶暴な闘志を湛え、髭を纏った口元は剄息を乱すまいときつく閉ざされていた。
 小さな物は見事な金髪を短めに切りそろえ、質素と表現できる髪留めでまとめていた。
 やはり、水色の瞳に凶暴な闘志を湛え、その豊かな胸の前で双鉄鞭を構えて、攻防どちらにも対応できる姿勢を取っている。
 大きな物は父親であり、小さな物は娘だと聞かされている。
 そう。親子である。
 姿形はあまり似ていないが、二人の纏う雰囲気は極めてよく似ているし、各々のパーツを見比べると親子と判断することも難しくない。
 例えば、金髪と水色の瞳とか。
 そして金色の髪と水色の瞳以外に、もう一つ共通する特色がある。
 筋肉である。

「ぬぅぅん! 我が名はアレックス・アームストロング!! 人呼んで豪腕の武芸者!!」
「ぬぉぉん! 我が名はニーナ・アームストロング!! 人呼んで双鉄の武芸者!!」

 そうでなくても目立つ筋肉を、更に誇示するように張り切る筋肉親子。
 当然のことだが、毎日こんな名乗りを上げられているせいで、二人のことは十分すぎるほどに知ってしまっているのだ。
 アームストロング家というのは、代々ヨルテムの守護者として戦ってきた名門であることとかも、嫌になるくらいに知っているのだ。
 アレックスがこの学校の校長だとか、知りたくもないことを知ってしまっているのだ。
 ニーナが、レイフォンの二年先輩であると言う事とかも、是非忘れたいくらいに良く知っているのだ。

「さあ! 我が輩と戦って貰うぞレイフォン・アルセイフ!!」
「さあ! 共に更なる高見を目指すのだレイフォン・アルセイフ!!」

 レイフォンの事などお構いなしに、二人だけで盛り上がってしまっているが、一々付き合っていたら日常生活が送れないのも事実である。
 とは言え、実力で完膚無きまでに叩きのめすという訳にも行かない。
 どんな化学反応を起こすか分からないからだ。
 だが、考えていられる時間は、既に終了してしまっていた。

「さあ!」
「さあ!」
「さあ!」
「さあ!」

 何故か武器を振りかざさずに迫る親子。
 振りかざしているのは、むしろ筋肉。
 ばっこんぼっこん、びっちんばっちんと、迫る筋肉。

「う、うわぁ」

 毎朝の展開であるはずなのに、既に二ヶ月近くこんな事を繰り返しているはずだというのに、それでも馴れることのない躍動する筋肉が迫る。
 遠目に見ている生徒達すら、視線をそらせる凄惨な地獄絵図に、とうとうレイフォンは限界を超えてしまった。

「消えて無くなれ!!」

 活剄衝剄混合変化 金剛剄・衝。
 金剛剄の基本である活剄による肉体強化と、衝剄による反射をいびつに歪める。
 肉体強化を最小限に抑えつつ、衝剄による反射を通常の数倍へと跳ね上げ、点ではなく面としての攻撃を放つ。

「ぬぅぅぅぅぅぅ!!」
「ぬぉぉぉぉぉぉ!!」

 流石に筋肉の塊である二人は、面で押し寄せる衝剄の壁に対してさえ、足を踏ん張り耐え抜こうとする。
 普通の武芸者であったならば、対象が広がれば広がるほど、密度は薄くなり牽制や嫌がらせの攻撃にしかならないだろう。
 だが、レイフォンは違う。
 天剣授受者としても屈指の剄量を誇るレイフォンが壁のような衝剄を放ったのならば、それはもはや暴風と何ら変わらない破壊力を持つのだ。

「ぬううう!」
「ぬおおお!」

 良く分からない怪音声を残しつつ、吹き飛ばされる筋肉親子。
 今日も良く飛んだと思わずほれぼれするほどに、見事な放物線を描きつつ遠くへと行ってしまった。
 何の解決にもなっていない上に、事態は悪化するだけだと分かっていても尚、それでも、ストレスの発散方法としてはこれが一番であると断言できる。
 そう。事態は、悪化するのだ。

「足りぬ!! まだレイフォンに触れることさえ叶わぬ!! 何が足りぬと言うのだ娘よ!!」
「筋肉です!! 父上!! 我ら親子に足りぬのは筋肉以外にはないではありませんか!!」
「おお! そうであったな娘よ!! 我が輩としたことが弱気になってしまった!!」
「人は迷い戸惑い、そして新たな道を見つけて歩み出すのです父上!! 父上のその迷いこそ我らが人であることの、何よりの証です!!」

 駄目だこれは。
 この親子は既に取り返しの付かないほどに、レイフォン以上に、筋肉に犯されてしまっているに違いない。
 そう。武芸者の本質が剄脈であると言う事さえ、綺麗に忘れているくらいだから、はっきりと理解できる。
 分かりたくなかったし、既に一月以上前から分かっているが、それでも再認識してしまった。
 吹き飛ばされて尚、筋肉で迫ろうとする親子から後ずさりつつ、延々と二ヶ月にわたって襲われ続ける現状に、少々疲れ切っていたレイフォンは、思い切って訪ねてみることとした。

「一つ聞きたいのですが?」
「ぬん? なんだレイフォン・アルセイフ? 如何なる疑問であろうと、この美しく鍛え抜かれた筋肉が、明快に答えを出して進ぜようぞ!!」
「ぬん? さあ問いを発するが良いレイフォン・アルセイフ!! このしなやかに鍛え上げられた筋肉が、たちどころにその疑問を解いて見せようぞ!!」

 何故か、更に筋肉で迫る二人から、更に後ずさる。
 ヨルテムが誇る交差騎士団に所属しているという話だから、優秀な武芸者であることは間違いないが、それにしてもこのキャラの濃さは異常である。
 まあ、団長からして猛烈に濃いからヨルテムの武芸者の本質なのかも知れないが。
 それは、おいおい解決する疑問として、今は問い質さなければならない。

「毎朝、校門を抜けた直後に襲いかかってきますよね?」
「「ぬん?」」

 筋肉が先を促すという、有ってはならない事態から強引に目を逸らせる。
 そして、確信の質問を放つ。

「何で他の場所とかでは襲ってこないんですか?」

 それが分からない。
 例えばだが、サヴァリス辺りが襲ってきたのならば、場所も時間も関係なく何時でも戦いになるはずだ。
 だがこの二人は違う。
 学校のある日に限り、しかも校門を通った次の瞬間に襲ってくるだけで、昼食時や放課後に襲われたことは一度もない。
 それが少しだけ疑問だったので聞いてみたのだが、もしかしたら、聞かない方が良かったかも知れない。

「愚かなりレイフォン・アルセイフ!!」
「そんな事も分からずに我らと戦っていたのか!!」

 何故か筋肉親子から蔑みの視線で見られた。
 なんだか、猛烈に腹が立つような気がする。
 そしてこのレイフォンの感想は、遠巻きに見守っていた生徒全員のそれと一致していたようで、不機嫌な視線が筋肉親子へと突き刺さっている。
 とは言え、その装甲の厚さで全くダメージを受けた様子はないが。

「我ら親子は!!」
「朝練に励んでいるだけだ!!」
「・・・・・・・・。は?」

 朝練とは何だっただろうかと、少しだけ疑問に思った。
 朝の内に訓練すると言う事であると理解したのは、数秒後のことであった。
 だが、周りの生徒は少し違う理解をしたようで、哀れんだ視線でレイフォンを見詰めている。
 なにか、決定的に認識が違っているようだ。

「朝の内に訓練をしたいのだったら、他の場所で、僕のいないところでやってくれませんか?」

 その認識の違いを探すために、少しだけ言葉を繋いでみた。
 だが、答えは絶望そのものだった。

「ぬん! 我らレイフォン・アルセイフと戦い!!」
「更なる高見を目指す同好会!!」
「・・・・? え?」
「お主がいないところで練習をして何の意味がある!!」
「お前がいてこそ、我ら同好会は活動できるのだ!!」
「い? は? え? へ?」

 全く意味不明だったが、レイフォンに逃れる術がないことだけは十分に理解できてしまった。
 同好会の標的として定められ、そして問答無用で毎日戦わされることがはっきりとした。
 しかも朝限定で。
 い、いや。時間が限られているからそれはそれで問題無いのだが、納得が行ったという訳では断じてない。

「さあ! もう一戦しようではないか!!」
「朝の清々しい空気と共に!!」
「「我らと戦いさらなる高見へと上ろうぞ!!」」

 一般人になれないかも知れない。
 そんな嫌な予感がヒシヒシと押し寄せてきた瞬間だった。

「見よ!! 我がアームストロング家に代々伝わりし訓練法により、美しく鍛え上げられたこの筋肉を!!」
「見よ!! 我がアームストロング家に代々伝わりし訓練法により、しなやかに鍛え上げられたこの筋肉を!!」

 更にばっこんぼっこん、びっちんばっちんと躍動する筋肉。
 もはや、何か違う生物としか思えないほどに、激しく筋肉が踊っている。

「「見よ!! この筋肉に一片の曇りもないぞ!!」」

 地獄の幕開けだった。
 
 
 
 校門を潜った直後の、壮絶な戦いを生き延びたレイフォンは、一息つくためにトイレへとやって来ていた。
 校舎一階の隅にあるこのトイレは、使う人間が極端に少ないという穴場的場所である。
 別段、クラスメイトと不仲だとか、上手く行っていないという訳ではない。
 だが、やはり、誰もいない場所で一息つきたいのも事実なのである。
 水を出して顔を洗いつつ、大きく溜息を付く。
 そこでふと、誰かがいることに気が付いた。
 別段特別なことと言う訳ではない。
 ここはレイフォン専用という訳ではないし、極端に使う人間が少ないとは言え、れっきとした公共施設なのだ。
 誰か他の人がいても、何ら不思議はない。
 だが、不安要素はある。
 ここにいる正体不明の人物は、明らかに武芸者である。
 しかも、何故か殺剄をしている。
 筋肉親子ではない。
 あの親子ならば、間違いなく正面から、正々堂々と、それこそ暑苦しいくらいに堂々と襲ってくるはずで、こっそり隠れているなどと言う事は考えられない。
 他にレイフォンを襲いそうな人間のリストを、頭の中で制作しつつも、弛緩していた心と体を戦闘状態へと持って行く。
 戦闘になるとは限らないが、用心のためである。
 もしかしたら、こっそりと恋人と戯れている武芸者かも知れないのだ。
 レイフォンが入って来たために、武芸者の方が殺剄をして隠れているだけかも知れないのだ。
 ならば、レイフォンは何かする必要はなく、むしろここからさっさと立ち去るべきである。
 トイレで密会などと言うのは、少々変わった嗜好ではあるが、それを責められるような人間では無い。
 だが、事態はあらぬ方向へと突き進む。

「ふふふふふふふ」
「う、うわぁぁ!!」

 突如として背後の扉が開き、不気味な笑いと共に女生徒が現れた。
 そう。女生徒である。
 あえてここで言わせて頂こう。
 ここは男子トイレであると!!
 焦げ茶色の髪を短くして、丸い瞳に丸い眼鏡をかけた、小柄と言って良い感じの女生徒である。
 当然のこと、初対面ではない。
 そう。シェスカ・ダレンスタインと言う名の、とても読書好きな一つ年下の少女である。
 読んだ本の内容を、一字一句間違いなく記憶できるという、特殊能力を持った後輩である。
 朗らかに笑えば、割と可愛らしいと表現できるのだが、その表情はあくまでも暗く沈み込み、レイフォンを恐れおののかせるのに十分な迫力を兼ね備えてしまっている。
 更に付け加えるのならば、ヨルテムに来たばかりの頃、メイシェンを学校まで運んできたことがあった。
 その時、色々あって膝枕をする羽目に陥ったのだが、騒ぎの最終局面でメイシェンに向かって、男と寝た云々と絶叫してしまった女生徒である。
 レイフォンとの因縁は、とても浅からぬ物になっている。

「お早う御座います先輩。まだ生きていたんですね? ふふふふふふ」
「お、お早う御座います。い、いや。そうじゃなくて、ここは男性用なんだけれど、分かってます?」

 普通に挨拶されたので、思わず挨拶を返してしまったが、もっと重要なことがいくらでもある。
 レイフォンが死んでいないのが不思議だと思っていることとか、男性用トイレに隠れていたこととか。

「ふふふふふ。問題はありません。貴男には基本的人権など存在していないのですから」
「人権云々は兎も角として、男性用トイレにいて良い理由にはならないと思うよ」

 基本的人権とか言われても、正直全く分からないのでそこはスルー。
 だが、レイフォンの状況などお構いなしにかなりの問題行動を取っていると思うのだ、目の前の後輩武芸者は。
 だが、状況は更に突き進んでしまう。
 そう。シェスカの右手が剣帯へと伸びていることとか。
 もちろん、筋肉親子に比べても未熟なシェスカ相手に遅れを取ることなど無いが、学校の施設を破壊することは出来れば避けたいのだ。
 厄介なことに、近接戦闘型ではなく、長距離支援型の武芸者であり、持っている武器も短弓である。
 威力はそれ程でもないが、何故か抜き撃ちはかなり速いという変則的な使い方をしている武芸者である。

「お、落ち着いてよ。ここでそんな物使ったら、学校を壊してしまうよ」
「ふふふふふふ。貴男が避けなければそれで万事丸く収まります」
「む、無茶苦茶だよ!」

 目が本気である。
 原因は非常に不明なのだが、何故かメイシェンに並々ならぬ好意を持ったこの少女に狙われることが多い。
 ある意味筋肉親子以上に危険な相手である。
 周りの被害を全く考えないところとかが、猛烈に危険極まりない。

「ふふふふふふ。貴男を殺してトリンデン先輩を私の物として、そして新たな世界を築き上げるのです」
「それは無理だから!!」

 その一言を残して、レイフォンは全力で逃走する。
 トイレの扉を破壊しないように細心の注意を払い、廊下を歩いている生徒をひき殺さないように気をつけつつ、一心不乱に走る。
 そして不思議に思う。
 グレンダンという狂った都市から出たはずだというのに、何故こうもおかしな人達と関わってしまっているのだろうかと。
 だが、そんな思考はすぐに吹っ飛んだ。

「お待ちしていましたアルセイフ先輩」
「なぜ!!」

 何故か目の前にシェスカが突然現れ、既に弓を引き絞っているという現実と遭遇してしまった。
 活剄こそ使っていないが、廊下を歩いている生徒を避けながらだったが、それでも、こうも手際よく回り込まれるはずなど無かったのだが。
 考えている時間は既にない。
 引き絞られた弓が解放され、凝集した衝剄がレイフォン目がけて飛んでくる。
 活剄衝剄混合変化 金剛剄・筒。
 細心の注意を払って、衝剄による反射面を湾曲させて飛んでくる攻撃を窓の外へと導く。
 窓ガラスを一枚突き破った衝剄が、空の彼方に飛んで行くのを視界の隅で捉えつつ、次の行動を選択する。
 超短距離の旋剄でシェスカとの距離を縮め、その錬金鋼をひったくる。
 その次の瞬間、活剄で強化した脚力で破壊された窓から逃げ出す。
 シェスカの抗議の声が聞こえている気がするが、かまっていられないので、そのままの速度を維持して走る。
 目的地は筋肉父のオフィス。
 そこにこの物騒な錬金鋼を放り込んだら、やっとの事で授業が行われる教室へとたどり着けるのだ。
 これほど教室にたどり着けることが、嬉しいと思う日が来るとは思いもよらなかった。
 
 
 
 世界は、どうあってもレイフォンが安息を得ることを望んでいなかったようだ。
 そう。教室へと辿り着いた瞬間に、レイフォン自身がそれをいやが上にも理解してしまったのだ。
 本来、レイフォンが座るべき椅子は既にある人物によって占領されていた。
 その人物は、長い銀髪を持っていた。
 そして、何処のどんな都市に行こうが、美しいと表現されるだろう容姿を持っていた。
 理知的な水色の瞳はしかし、左側を無骨な眼帯で隠されていた。
 そして、何よりも恐ろしいのは、その人物の年齢は明らかにレイフォンの三倍を超えているという事実である。
 学校の先生だったのならば、どんなに喜ばしいことだっただろうとそう思うのだが、残念なことに全く違うのだ。

「せ、生徒会長?」
「うん? 私は生徒会長などではないよレイフォン君? まあ、この学校を支配していた時期が、私にもあったことは否定しないがね」

 穏やかで優しげな声と共に、なにやら物騒な内容がその唇から漏れる。
 そう。生徒会長ではない。
 校長はあの筋肉父である。
 理事長とか言う見た事もない生き物でもない。
 本来レイフォンが座るべき椅子から立ち上がった長身の男性は、もっと恐るべき生き物なのである。

「私の名は、カリアン・ブラッドレイ。交通都市ヨルテムの市長だよ」

 そう。この怪しげな男性こそ、ヨルテム住人の総意を受けて都市の運営の全てに責任を負うべき市長なのだ。
 グレンダンのように、世襲制という訳ではない。
 ある意味、武芸者以上に実力によって地位を得なければならない、この都市の最高権力者なのである。
 だからこそ恐ろしい。
 正直に言って、アルシェイラは為政者としては最低限の仕事もしていない落第生だった。
 グレンダンという、強ければそれで丸く収まってしまう都市でしか、その地位を維持することは出来ないだろう程に、駄目な権力者だった。
 だが、目の前の自信に満ちあふれた眼帯男は違う。
 政治という世界であらゆる敵を討ち滅ぼして、あるいは平伏させて現在の地位を勝ち取った、まさに最強の実力者なのだ。
 その権力を維持するためだったら、レイフォンを生け贄に差し出すことくらい造作もなくやってのけるだろう、それ程までの化け物である。

「ふふふふふ。アームストロング君との訓練だけでは、君の熱い情熱は消せなかったようだね」
「な、なんのことでしょうか?」

 シェスカとの一戦は、既にカリアンの耳に入ってしまっているようだ。
 まあ、あれだけ派手に衝剄をぶっ放していたのだから、当然と言えば当然なのだろうとは思うのだが、疑問もある。
 何故、この場にいることが出来るのかという疑問だ。

「ふふふふ。造作もない事だよレイフォン君」
「は、はひ?」
「私が君を愛してしまっているからだよ」
「!!」

 聞いてもいないことに答えてくれる親切心が心にいたい。
 そしてそれ以上に、思わず全力の活剄を使ってヨルテムから逃げだそうかと本気で考えた。
 例え、行き着く先が地獄だったとしても、カリアンに愛されるよりは遙かに人間的な死を迎えられるはずだから。
 メイシェンを悲しませることになるだろうが、それでもここにとどまることは出来ないのだ。

「というのは冗談でね」
「・・・。本当に冗談ですか?」
「無論だよ。私は妻を愛しているのだよ。浮気することがあったとしても、それは女性でなければならないと頑なに信じてもいるよ」

 朗らかに笑うカリアンからは、冗談と本気の区別が付かない。
 これほど恐ろしい生き物がこの世にいるという事実に、レイフォンは絶望という言葉の意味を噛みしめてしまっていた。

「愛しているというのは、冗談だがね」
「な、なんですか!!」

 思わず腰が引けてしまったが、何とかこらえる。
 教室中の視線が、レイフォンとカリアンに注がれているが、そんな物を気にしている余裕など無いのだ。

「私が本気になれば、今日の君のお弁当の中身がなんなのかとか、登校する時に誰と手を繋いできたかだって、あまつさえ、君が下校後に何処で何をやっているかだって、全て耳に入ってしまうんだよ」
「う、うわぁ」

 プライバシーなんて物は、目の前の男性には全く関心のない出来事のようだ。
 文字通り丸裸にされてしまっている感じである。
 とは言え、登校する時に手を繋いでいるのはメイシェンだけなので、それくらいは普通に知っていてもおかしくはないが。
 だからと言って、安心できると言う事ではない。

「というのは全て冗談だよ。安心し給えレイフォン君」

 そんなレイフォンの思考を読んだかのように、カリアンが頬笑んでくれるが、とても安心など出来はしない。
 この後どんな衝撃的な事実を突きつけられるか解ったものでは無いから。
 だからこそ、最大限の警戒状態で次の言葉を待つ。

「ここに来たのにもきちんとした理由があるのだよ」
「ど、どんな理由ですか?」

 恐る恐ると訪ねる。
 どんな汚染獣と戦った時も、これほどの恐怖を感じたことはなかった。
 入学試験のための勉強でさえ、今の恐怖に比べたらどうと言う事はなかったと断言できる。
 そして、レイフォンを地獄へと叩き落とすために、カリアンの唇が開かれた。

「執務の合間の気分転換に、君をからかって遊んでいるのだよ」
「・・・・・・・・・・」
「はっはっはっはっはっは!!」

 もしかしたら、ヨルテムまで駄目人間の巣窟となり果てているのではないかと、そう考えたレイフォンの前を、悠々とカリアンが歩き去って行く。
 その立ち居振る舞いには風格と優美さが絶妙なバランスで配合され、威厳に満ちたその動作は都市の運営を司るのに十分な資質を持った人物であることを、如実に物語っている。
 物語っているはずだ。
 物語っていると信じたい。
 教室中からの哀れみの視線が心に痛いレイフォンは、今日の授業を生きておえることが出来ないかも知れないと、そう思いながらも自分の席へと着くのだった。
 
 
 
 
  後書きに代えて。
 復活の時第八話の執筆で、ストレスが貯まってやった。
 反省も後悔もしていない。ネタを思いついたらまたやってやる。
 でも、筋肉親子の登場はない。



[18444] 超学園都市マイアス2
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2012/10/24 20:39


 レイフォン・サイハーデンは学生である。

「・・・・・・・・・・。ああ」

 僅か一文に表された事実に思わず歓喜の涙を流し、感激の溜息をついてしまうほどに凄まじい人生を送ってきた。
 ここは学園都市マイアス。
 レイフォンは武芸科の一年として、その他大勢の中に埋もれて目立っていないはずだ。
 全く平穏無事だったという訳ではない。
 例えば、意味不明な少女とベッドで寝ていたことと、それに続く不可解な夢、そして、月の光を浴びると死んでしまうと言う強迫観念などはあるが、それでもなんとか人並みの生活を送れていると思う。
 入学式で騒動はあった。
 敵対する都市出身の武芸者同士が、あろう事か入学式会場で乱闘騒ぎを起こしたが、レイフォンが何かする前に多少の被害と共に鎮圧された。
 レイフォンの過去を知る、都市の偉い人に目を付けられることもなく、強制的に小隊員にさせられることもなく、あまつさえ、誰かに襲われることもない日々が続いている。
 既に二週間という物、どんな意味においても戦闘を経験していない。
 戦場でヴォルフシュテイン卿の、いや。リーリン様の背中を見てからの人生では、恐ろしいほどに平穏な時間が流れていると言って良い。
 考えてみれば、放浪バスに乗っている間でさえ、油断は出来なかった。
 グレンダンを出たら廃都市と遭遇して、幼生体と戦い、更に、おかしな廃貴族とやらに取り憑かれるという恐るべき事態を経験したのだった。
 まあ、その後二人ほど人外の獣耳少女が取り憑いているようだが、日常生活に支障がないので気にしないこととした。
 地獄を生き抜いたレイフォンは、ただ今現在学生としての生活を謳歌している訳である。
 とは言え、完全に弛みきった人生を送っていられる訳でもない。
 何しろ、来年度にはクラリーベル様がいらっしゃるのだ。
 もし、腕が落ちた状態でクラリーベル様と戦うこととなったらと思うだけで、背筋が凍り、身の毛がよだち、悪寒が走ってしまう。
 と言う訳で、小隊に入っている訳でもないのに、毎日毎日鍛錬を欠かしたことはない。
 学校が終われば外苑部まで出掛けて行き、必要にして十分な鍛錬を行い、帰ってきたら就労に出掛けるという日々が続いている。
 出来るならば、一般教養科に入りたかったのだが、レイフォンの学力では武芸科に入らないと奨学金がもらえなかったのだ。
 最後に物を言うのは、何時だって金なのだと改めて思い知らされた事実だった。

「・・・・。いや。違う」

 金が全く意味をなさない事態というのも、ずいぶんと経験してきた。
 言わずと知れた天剣授受者の皆様方だ。
 その他にも、クラリーベル様とか養父であるデルクとかもリストに名を連ねるだろう。
 金と戦い、どっちを取るかと問われたのならば、即座に戦いを取る方達ばかりだった。
 イージナス卿は違ったが、後は全員レイフォンを虐めて遊ぶことを優先する方々だった。
 良く生き残れたと、自分でやった事ながら感心してしまう。
 そんな生活を送っているレイフォンだったが、実は恐るべき事態に遭遇してもいたのだ。
 そう。何時の間にか剄量が上がってしまっていたのだ。
 錬金鋼は二つとも都市警が保管しているので、形の訓練などは出来ていないが、その分剄を扱う鍛錬は十分にやっている。
 その鍛錬の中で、ふと気が付いたのだ。
 リーリン様と戦場で遭遇してから、戦闘と入院と退院を繰り返していたレイフォンだったが、じりじりと剄量が上がっていたことは認識していた。
 始めは気のせいだと思っていた。
 成長と共に多くなる物だから、それだと考えていたのだが、グレンダンを出発する頃には明らかに成長による増量を越えていた。
 おおよそ300と言ったところだった。
 これだけだったら何の問題も無かった。
 300と言うと多いのは間違いないのだが、天剣授受者の皆様方には遠く及ばないし、クラリーベル様にだって全然届かない。
 瞬発力で補ってもたかが知れている。
 だが、マイアスで確認した剄量は明らかに違っていた。
 おおよそ5000.
 放浪バスの中でヨルテムから来た少女達と遭遇した頃、酷く体調が悪かったのは剄脈拡張だったのだと今頃納得したのだ。
 だが、問題なのは剄量である。
 5000である。
 既に通常の錬金鋼では耐えられない領域に差し掛かりつつある。
 いや。やってみないと分からないが、おそらく耐えられない。
 それはつまり、天剣授受者としての最低限の要件を満たしてしまったと言う事に他ならない。
 そう。満たしてしまっているのだ。

「うん。絶対に実力を隠し通そう。特にクラリーベル様とかには絶対に秘密だ」

 入学してから、かれこれ二週間。
 レイフォンは当面の決意を固めて授業へと向かう。
 
 
 
 通常の授業の範疇と言う事で、レイフォンは現在格闘技の訓練中だ。
 一年生同士でペアを組み、組み手をするというありふれた内容の訓練だ。
 二週間ほどが過ぎた現在、この訓練というか授業をするのは五回目くらいだと認識しているが、既に困ったことが起こり始めていた。
 いや。既に困惑の真っ最中だと言って良い。
 既に授業は始まっており、あちこちから倒されたり吹き飛ばされたりと言った音がしている。

「あ、あのぉぉ。誰か相手してもらえませんかぁ?」

 そう声をかけるが、応えてくれる人は誰もいない。
 視線を合わせてくれる人もいない。
 そう。過去四回の組み手で完全無欠の連勝を果たしてしまったために、相手をしてくれる人がいなくなっているのだ。
 監督役の上級生を含めて。
 手加減はしている。
 手加減はしているつもりだった。
 グレンダン時代に、最も頻繁に戦っていた天剣授受者の一人であるクォルラフィン卿と比べるまでもなく、普通の学生が弱いことはその歩き方を見ただけで分かっていたので、十分に手加減して怪我をさせないように注意しつつ、連戦連勝を続けていたのだが、わざと負けるくらいのことをしないといけなかったのかも知れないと、今更後悔している始末である。
 いや。接戦を演じるくらいのことをしても良かったのかも知れない。
 だが、既に遅いのだ。
 もはやこの事態を打開する方法など存在せず、部屋の隅に蹲り、延々とのの字を書きながら授業が終わるのを待つしかない、そう思った瞬間だった。

「?」

 驚くことも慌てることもなく、微かに体重を移動して後ろから首筋に接近していた蹴りを回避する。
 風が首筋を撫でる感覚を記憶しつつ、ゆっくりと振り返り下手人を特定する。
 接近には気が付いていた。
 活剄を行っている訳でも、衝剄を準備している訳でもなかったので、放置していただけだったのだ。

「へへ。強いとは聞いていたけれど、まさかこれほどとはな」

 レイフォンよりも少し年上に見える少年だった。
 無駄なく鍛えられた肉体はしなやかにしなり、上段蹴りの体制を無理なく支えている。
 しかし、その身体は格闘技主体の流派の、継承者の物ではなかった。
 射撃系の武器でもない。
 レイフォンのように、武器を使った接近戦を主体にする武芸者の身体だった。
 それ以上に、呼吸の仕方や視線の動かし方、筋肉の微妙な付き方に非常な見覚えが有る。

「レイフォン・サイハーデンだよな」
「確認する前に襲う貴男は、サイハーデンの継承者ですね」

 何故か不明だが、サイハーデンの技を全て修めた継承者には、確認する前に襲いかかるという変な体質を持つ武芸者がやたらと多いのだ。
 他の流派でこんな変な特色を持っているところは聞いたことがないから、おそらくサイハーデン特有の特質なのだろうと思うのだ。
 全然嬉しくない特質である。

「へへ。そう。グレンダンでサイハーデンの名を受け継いだ武芸者の実力、見てみたくなったんだ」

 そう言いつつ、振り上げたままだった足を降ろす。
 その動きに無駄はないのだが、無駄がなさ過ぎて先を読むのが非常に楽だという欠点には本人は気が付いていないだろう。
 そして、足を降ろした少年が懐から何かを取り出して、レイフォンに向かって投げてきた。
 空中にある間に、それがなんなのかを理解して、そしてゆっくりと手で受け止める。

「・・・・・・。あのぉぉ」

 それは錬金鋼だった。
 レイフォンがグレンダンからもってきた、鋼鉄錬金鋼だった。
 都市警で保管しているはずの錬金鋼だった。

「お前の実力を見たいと言っただろう? 安心しろ。もってきたまんまで何もしてないから」
「・・・・・・。切れますよ、これ?」
「へへ。そうじゃなきゃぁ、つまらんだろう?」

 余裕の表情で、剣帯に刺さった基礎状態の錬金鋼に手を伸ばす。
 分かっているのだろうかと、かなり疑問になってしまう。
 今、抜き撃ちの勝負となれば圧倒的にレイフォンが有利なのだ。
 何時ぞやのクラリーベル様の時に比べて、技量は多少上がった程度だろうが、剄量ははっきり言って圧倒的に上がってしまっている。
 斬撃の衝撃波だけで、相手を両断できるだけの破壊力を、今のレイフォンは持ってしまっているのだ。
 当然、そんな事をするつもりはないのだが、実力差をきちんと理解できていないことだけは間違いない。
 ここは、細心の注意を払って、相手に怪我をさせないように戦わなければならない。

「手加減なんぞしたら、一生恨むからな?」
「・・・・・・・・・・・・・・」

 それは、一人前の武芸者の台詞だ。
 決して、圧倒的な実力差を認識できないような未熟者の発して良い台詞ではない。
 それ以前に問題が有るのだ。
 サイハーデンの継承者ならば、流派の名を受け継ぐと言う事がどう言うことなのか知らないはずはないのだが、もしかしたら、レイフォンの認識はグレンダンにのみ通用する物なのかも知れない。
 だが、ここまで大見得を切ってしまって、衆人環視の中で手加減されて負けたのでは、流石に立つ瀬がないだろうというのも理解できる。
 ならば、あらん限りの技量を注ぎ込んで、本人が殺されたことに気が付かないほどの斬撃を放ち、瞬殺することこそが選択すべき道のはず。

「・・・・・・・・・・・・。違うような気もするけれど」

 そう、違うと思うのだ。
 実戦を経験している武芸者が殆どいないような現状で、いきなりスプラッタ映像は流石に良くないと思うのだ。
 と言う事で、少しだけ考える。

「なんだ? もしかして名を継いだのは親の七光りかなんかか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。少し、痛い目にあってもらって良いですよね?」

 やはりサイハーデンの名を受け継ぐと言う事が、何を意味するのか理解していないようだ。
 ならば手加減など不要。
 刀を復元してゆっくりと誓願に構える。

「へっ! やっとやる気になったのかよ? いいぜ。何時でもかかって来いよ!!」

 抜き撃ちの姿勢のまま、そう大見得を切る上級生に、少しだけ憤りがあるような無いような。
 荒れ狂っているはずの頭の中に、確実に冷静な部分が存在していることを認識した瞬間、一つの解決策が思い浮かんだ。
 これならスプラッタ映像無しで、しかも完膚無きまでに目の前の上級生を叩きのめすことが出来る。
 視線で周りの生徒を威嚇して、かなり大きな空間を確保する。
 そして、急速に剄を練り上げる。
 グレンダンの天剣授受者並の武芸者でなければ、レイフォンが練り上げる速度には追いつけない。
 それ程の速度で準備を整え、そして技を発動する。
 サイハーデン刀争術 水鏡渡り。
 相手が反応するよりも遙かに早く、十メルトル以上向こう側の壁まで移動。
 更にそこから身体を反転させ、もう一度水鏡渡りを発動。
 構えたままだった刀を、上級生の首筋へと後ろから押し当てる。
 見れば、やっと刀を復元するために錬金鋼を握ったところだった。

「終わりです」
「? え?」

 慌てて自分の目の前にレイフォンがいないことと、首筋に後ろから刀が押し当てられていることを確認した上級生が、驚愕のために動きを完全に止めている。
 だが、それは例外的なことではない。
 この場にいる全ての生徒が、あまりの出来事に何の反応もすることが出来ない状況なのだ。
 天剣授受者でさえ、一瞬の加速でレイフォンに追いつけるのは、スワッティス卿くらいだったのだ。
 普通の武芸者にどうこうできる話ではない。
 ましてや、戦場もろくに経験していない学生武芸者では、移動した痕跡を捉えることさえほぼ不可能だ。
 そして気が付く。
 瞬発力は確かに最大限使い倒したが、剄や技量はそうでもない。
 廃都市でローガンにも言われたが、レイフォンほどの技量を持っている武芸者は、殆どいないはずだ。
 そして、通常の錬金鋼では耐えられない剄量を獲得してしまっている。
 この事実から逆算すれば、既にレイフォンはグレンダン以外の都市では最強クラスの武芸者となってしまっているのだと、そう気が付いた。

「え、えっと? い、いまのって、瞬間移動?」
「・・・・。ただの水鏡渡りです。貴男が油断していたせいで反応速度が全然遅いだけですよ」

 何とか誤魔化さなければならない。
 何故かと問われたのならば、話は簡単。
 挑発に乗って見せつけてしまった実力が、周りの人達の錯覚だと思わせなければ、確実にマイアスのお偉いさんに目を付けられてしまう。
 その先どうなるか、全く分からない以上、何とか危険を回避しなければならないのだ。
 何かやる前に、そう言うことを考えればいいのだが、レイフォンにそんな計画性などは全く無いのだ。
 と言う事で、全力で誤魔化すこととする。
 幸いなことに、相手はレイフォンを過小評価しているような言動が目立っていた。
 それに付け込んで、今の勝利を相手の油断のせいだと思わせることが出来れば、レイフォンの安全は当面確保されることとなる。多分。

「な、成る程な。どんな相手に対しても油断をしてはいけないと言う事を学べただけで、この一戦には意味があったという訳か」
「そうです」

 大見得切ってしまって、圧倒的な敗北をしたという事実は変わらないが、それも油断があったためであり、実力的には十分に対抗できるのだとそう言う結論に、相手も乗ってきてくれたようだ。
 今度やったら負けないという、見栄と呼ぶことがはばかられるような立前だが、それでもないよりはずいぶんとましである。

「俺は第九小隊に所属する、ゲンナジー・レフキン。一応サイハーデンの技を全て修めているつもりだったんだが、技を修めただけだったと言う事だな」

 サイハーデン刀争術とは、最終的には生き残るための方法を追求する流派である。
 そして、受け継ぐべきは技そのものではなく、そこに宿る生き抜くための知恵や心構えである。
 それを理解しない武芸者がサイハーデンを使ったとしても、それは本来の姿から遠くかけ離れた物にしかならない。
 ゲンナジーという目の前の武芸者は、それを理解してくれたようで、名を継ぐ物として少しだけ誇らしい気分になれた。

「改めまして、レイフォン・サイハーデンです」

 ゆっくりと前に回って、右手を差し出す。
 とは言え、握手をする瞬間でさえ油断はしない。
 いくつもの技を、瞬時に放てるようにして握手に望むのが、サイハーデンと言うよりは、レイフォンに染みついた習性となっていた。
 何時死んでもおかしくない場所で、生き抜いてきたのは伊達ではないのだ。

「よろしくな。それと、出来れば小隊に入ってもらいたいんだが?」
「小隊ですか?」

 小隊員だと言うことを知ったのはついさっきだったが、これは少し困ったことになってしまうかも知れないと、そう言う予感がレイフォンをヒシヒシと襲ってきた。
 具体的には、面倒ごとを押しつけられてしまうとか。
 
 
 
 ゲンナジーにつれられて、第九小隊の訓練場へと向かう途中、レイフォンは色々と聞かされた。
 レイフォンよりも少しだけ背が高く、筋肉の付き方も少しだけしっかりとしている。
 だが、目立つほどの長身でも筋骨逞しいと表現が出来る訳でもない。
 言ってしまえば、それなりの身長と体格であり、更に美形という訳でも酷い顔をしているという訳でもない。
 個性的な場所があまりないという表現で、全てが丸く収まってしまうのがゲンナジーという人だ。
 そのゲンナジーが所属する第九小隊に付いては、色々と聞いたことがあるような気がする。
 曖昧な記憶しかないのは、レイフォンが新入生だという以上に、第九小隊のその特出すべき特徴が原因だったようだ。
 一般の認識として、第九小隊とは、影の薄いところが目立つ小隊。
 さっぱり意味不明だったが、それもゲンナジーの話を聞く内に理解できてきた。

「去年の対抗戦の戦績は、全十六小隊中七位。良くも悪くもない、目立たない成績だな」

 上位三チームに入っているというのならば、確実にみんなの注目の的となる。
 逆に、最下位を独走しているというのならば、良いか悪いかは別とすれば、やはり注目の的となる。
 中途半端な成績を残してしまうと言う事は、それだけ注目度合いが減ると言う事になるのは間違いない。
 間違いではない。
 だが、それなりの成績が取れているのだったら、それで問題無いのではないだろうかと、地獄を生きてきたレイフォンにしてみれば思うのだ。

「でだ。今年は少し踏ん張って、もう少し上位の成績を残せないかと考えていたところに」
「僕がやってきたと」
「そうなんだわこれが」

 武芸の本場と言われるグレンダンで、サイハーデンの名を受け継いだとなれば、それはすなわちかなりの実力者の証明に他ならない。
 同じサイハーデンの継承者ならば、その凄さが分かる。
 実際に授業中のは完璧に挑発だったのだと、今頃分かった。
 言われるまでもなく、授業中と今の喋り方を比べるとずいぶんと違いがある。
 戦績は良くないようだが、無能からはほど遠いのだと言う事が、この一連の行動だけで十分に分かる。

「僅か十二才でサイハーデンの伝承者となった天才児って事で、身内じゃあ有名なんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・。サイハーデン限定での有名人なんですね、僕って」
「そう言うことだな」

 全く知らなかった。
 継承者としては珍しく、レイフォンはグレンダンから外へ出たことがないために、他の都市のサイハーデンについては全くと言って良いほど知らない。
 亜流も含めれば、多くの都市に伝わっていることは知っていても、それ以上の知識など持っていないのが実情だ。
 サイハーデンとは、技を全て修めると外へと向かいたがる流派だと言うことは、デルクから聞かされて知っている。
 デルクの兄弟子という人も、デルクに伝承者を押しつける形になって、心苦しいという言葉を残して旅立ったと聞いている。
 そう言うサイハーデンだからこそ、実は色々な都市に技と心が散らばっているのだ。
 ある意味、サイハーデンの宿命と言えるかも知れない。
 確認する前に襲いかかる習慣と対をなす、有難くない特色だ。

「でだけど、入ってくれないか?」
「・・。えっと。来年僕を追って危険な人が来るんですよ」

 クラリーベル様だ。
 いや。もしかしたらリーリン様もマイアスに来てしまうかも知れない。
 いやいや。クラリーベル様がいらっしゃったならば、間違いなくリーリン様もいらっしゃるという確信がレイフォンにはある。
 そうなったら恐ろしいこととなる。
 レイフォンが小隊に所属していることを知ったら、間違いなく何処かの小隊を急襲して、自分の支配下に置いてしまうだろう。
 そしてやって来る対抗戦。
 試合会場はおろか、マイアス全土を焦土と変えてレイフォンに襲いかかるお二人。
 容易に想像できてしまう。
 だが、ここで考える。
 レイフォンが小隊に入っていなかったらどうなるだろうかと。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あまり変わらない」

 公的な試合はなくなるだろうが、あのお二人に常識的な行動を取ってくれるとはとうてい思えない。
 試合が無くなったとしても、間違いなく死合はやって来る。
 結局はあのお二人がマイアスへやって来た瞬間、この都市は滅びへのカウントダウンを始めることとなるのだ。
 いや。そこまで行かなくとも、確実にレイフォンには地獄の生活が待っている。
 そして、リーリン様と戦っていれば、確実に剄量の増加を看破される。
 天剣授受者とは、それだけの物を持っている化け物集団のことなのだ。
 最終的にはグレンダンに連れ戻され、天剣授受者の慰み者としての人生が待っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ああ」

 リーリン様がいらっしゃった瞬間、レイフォンの人生は終わりを告げることがはっきりした。
 回避するためにはどうしたら良いだろうかと考える。
 そしてすぐに思いついた。
 マイアスから逃げ出せばいいのだと。
 レイフォンがツェルニに居ないことは既に知られているはずだから、間違いなくクラリーベル様はマイアスへとやって来る。
 ミンスが尽力してくれているはずだとは思うのだが、それでも役所の書類というのは確実に調べられる。
 クラリーベル様がいらっしゃることは、火を見るよりも明らかであるし、そうなればリーリン様もいらっしゃることも確実。
 だが、レイフォンがマイアスから逃げ出してしまったらどうなるだろうか?
 自律型移動都市の上でしか生きられない人類にとって、一度行方が分からなくなってしまったのならば、それは今生の別れとほぼ同義語である。
 ならば、レイフォンはクラリーベル様がいらっしゃる前にマイアスを旅たてば全てが丸く収まる。
 グレンダンにさえ立ち寄らなければ、それで全てが丸く収まるのだ。
 逃げられない人たちにも追われているが、出来るだけ災難から遠ざかるに超した事はないのだ。
 まあ、逃げられない事から逃げ回っても仕方が無いので、逃げられるところからは逃げようと考えを切り替える。
 最悪の展開として、都市から都市を逃げ回ることとなるだろうが、それでもグレンダンへ連れ戻されるよりは遙かにマシな人生を送れるに違いない。
 そして、この計画を実行するために絶対に必要な物と言えばそれは金。
 小隊員になれば、補助金なども出るはずだから、金銭的には非常に有利になる。
 なるはずだ。

「お金って、入ったらもらえますよね?」
「あ? ああ。補助金とか色々ともらえるけど、危ない人が来るとか言ってなかったか?」
「来るんですよ。とても恐ろしい人達が」

 グレンダンを出たのならば、そのまま行方をくらませば良かった。
 そうすれば、今のこの事態はなかったはずだ。
 浅はかな選択のせいで、追い詰められると言う事を学んでいるはずだというのに、何故かどの道を選んでも最悪へと突き進む未来以外がないのは何故だろうかと、少しだけ疑問に思った。
 だが、悩んでいる時間などはないのだ。
 既に選択は終了して、次の選択に迫られているのだ。
 ならば、少しでも良い未来を目指して全力を尽くさなければならない。
 そう決意したレイフォンは、逃走資金を稼ぐために小隊に入ることを決意したのだった。
 
 
 
  後書きに代えて。
 はい。やはり半年ぶりくらいに超シリーズを更新しました。
 ・・・・。って、なんだこれは?
 ギャグの要素が殆ど無いのはよいとしよう。
 女の子が全く出てこないのも、まあ一度やっているからかまわない。
 だが、レイフォンが不幸になっていないのは何故だ?
 そして、中途半端にシリアスに走っているこの展開は何だ?
 っっは! そうか解ったぞ!!
 一月かけてプラネテスを全部見たせいだな!!
 あのシリアスなはずなのに、あちこちにコメディーが挟まっているアニメを見たために、俺の駄目人間指数が下がってしまったのだな!!
 そうかそうか。なんと恐ろしい作品を作ったのだNHK!!
 だが安心して欲しい。
 俺は既に取り返しの付かない駄目人間となり果てている。
 深夜アニメの、しかもラブコメ作品ばかり視聴している上に、駄目人間が大暴れする小説しか読んでいないのだ!!
 急速に俺の駄目人間指数は回復しているだろう。
 その証拠に、これ以上駄目な話が考えられないほど駄目な品物を用意している最中だ!!
 早ければ十一月中に、遅くとも今年中にその脅威の駄目作品を公開できるだろう!!
 恐れおののきつつ待っているが良い!!



[18444] ショート・オブ・ショート
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2012/11/14 20:07


  ツェルニの切断魔
 
 ツェルニにやって来て丸一年が過ぎようとしたレイフォンは、大きく息を吸い込んでから言葉を発する。

「皆さんこんにちは。今日も始まりましたツェルニの切断魔の時間です」

 機材に取り囲まれた中、レイフォンは何時も通りに喋り出した。
 何時の間にか始まってしまったツェルニ限定のテレビ番組、ツェルニの切断魔の収録だ。
 人前で喋ることなど、苦手な事柄なのだが、それでも給料が良いために引き受けたのは、既に三ヶ月ほど前。
 今では、殆ど何の違和感もなくテレビカメラに向かって喋ることが出来るほど馴れてしまっていた。
 人間の適応力とは恐ろしい物だと、レイフォンは人類の底力に恐れをなしてしまっていた。

「さて、今日の切断魔は視聴者からのお便りによって進めて行きます。
 何時も通りに優秀なツールを用意してくれる、錬金科のキリクと共にお送りします」

 そう。驚いたことと言えば、キリクがこの番組への参加を了承したことだった。
 まあ、潤沢とは言えないが予算が付くために、色々と考えていた錬金鋼を作れるから引き受けたのだと思うのだが。
 そんな事を考えつつ、レイフォンは用意されていた手紙を取り上げて読み上げる。

「今年の生徒会長は可愛いぞさんからのお便りです。
 前生徒会長のカリアンさんって、腹黒いとか言われていましたけれど、本当にお腹の中が黒いんでしょうか?
 それを考えると夜も眠れなくなってしまうんです。
 どうか切って確かめてみて下さいっと」

 誰からのお便りか即座に分かるペンネームだが、そこにはあえて突っ込まない。
 そんな事をしていたら、ヨルテムからの留学生の暗躍とか、野獣な赤毛生物の懇願とか、色々と突っ込んでいて話が進まないからだ。
 そして、このお便りは渡りに船だった。
 昨年、レイフォンも散々腹黒い生徒会長によって虐められてきたというのもあるが、腹黒いというのがどんな状況なのかについても、興味津々だったからだ。
 
「成る程。興味深い質問だね」

 レイフォンはカメラの視線を意識しつつ、近くに設置されていた作業台へと歩み寄り、その上にかけられていた白いシーツをはぎ取る。
 その下から現れたのは、既に拘束されてトランクス一枚となった前生徒会長、カリアン・ロスその人だった。

「れ、れいふぉんくん?」
「こんにちは、『前』生徒会長のカリアンさん」

 前というところを強調する。
 ツェルニにとってのお前の役割は既に終わったのだと、それを強調する。
 恐怖に歪むカリアンをゆっくりと堪能したいのは山々なのだが、番組はきちんと進めなければならない。

「キリク。どんなツールを用意してくれたんだい?」

 視線を明後日の方向へと飛ばして、キリクをこちらへと招き寄せる。
 車椅子を進めてやって来た錬金科技師の手にあるのは、基礎状態の鋼鉄錬金鋼だった。

「今回のは超精密切断が必要だろうから、極限まで凹凸を無くした刀を用意した。これならば何の問題も無く切腹することが出来るだろう。油が付いたらこの布を使ってぬぐえ」
「流石キリク。相変わらず良い仕事をするね」
「ふん。当然だ」
「いたせりつくせりの心遣いも嬉しいよ」

 不機嫌を装いつつも、何故か少し嬉しそうな雰囲気を漂わせつつ、キリクが脇へと下がって行く。
 和気藹々とまでは行かないが、それなりの和やかな会話をおえたレイフォンの視線が、再びカリアンを捉える。
 そう。念のための殺菌をおえた生け贄の仔羊へと。

「れ、れいふぉんくん? 冗談だよね?」
「『前』生徒会長」

 再び、前というところを強調する。
 これは冗談ではないのだと。

「大丈夫です。麻酔はきちんとしますから」
「ま、待ってくれ給えレイフォン君!!」

 絶叫を放つカリアンの横に立ち、長大にして滑らかな刃を持った刀を復元する。
 今までの切断の中でも、最も楽しい仕事が始まろうとしていることに、レイフォンは顔が歪に歪むのを、止めることが出来なかった。
 
 
 
  この後の映像は、検閲により削除されました。
 
 
 
 
「さて次のお便りを紹介しましょう」

 とても楽しい切断の余韻を残したまま、レイフォンは次なるリクエストへと突き進む。
 周りに漂う、錆びた鉄の匂いは少々気になるが、次の切断も割と楽しみなので、兎に角突き進む。

「えっと。機関部で何時もニコニコ可愛いアイドルさんからのお便りです」

 こちらも、何となく何処の誰か分かってしまうペンネームだが、突っ込んではいけない。
 どうやって手紙を書いたのかとか、投函したのは誰だろうかとか、その辺を考えると、夜も眠れなくなってしまうからだ。

「大昔の錬金技師が作った自律型移動都市って、中身はどうなっているんでしょうか?
 これを考えると汚染獣の群れに突っ込みたくなってしまいます。
 一度で良いんです。切断して中身を見せて下さいっと」

 一度で良いから見せろと言われても、実際問題として何度も出来る切断ではない。
 そして、誰にでも出来る切断でもない。
 いや。時間をかければ出来るだろうが、短時間でとなると人類全体で両手の指で余る程度の武芸者しかいないだろう。
 そして、その数少ない武芸者の中にレイフォンは含まれているのだ。

「さて、丁度良いことにツェルニの鉱山の脇に廃都市が有るね」

 お便りをくれた誰かの計らいか、補給時期ではないにもかかわらず、鉱山へ立ち寄っているツェルニから、既に肉眼で見ることが出来る、去年第五小隊と探索した廃都市だ。
 赤毛猫との戦闘で、機関部が少々壊れてしまっているが、それ程の問題にはならないだろう。
 
「キリク。どんなツールを用意してくれたんだい?」

 天剣が有れば、廃都市を一センチ刻みにする自信はあるのだが、ツェルニでそれを求めるのは少々酷だと思う。
 連弾を使うにしても、通常の錬金鋼ではかなりの数を用意しなければならない。
 だが、やはりキリクは違った。

「貴様の変態的な連弾に耐えられる錬金鋼を用意した。これならば相当の無理が利くはずだ。テストも兼ねているから徹底的に使い倒して壊しても良いぞ」
「凄いよキリク。まさにダイトメカニックになるために生まれてきたようだよ」
「誰に向かって言っているんだ? キリクだぞ」

 不機嫌オーラを振りまきつつ、何処か嬉しげな空気を纏いつつキリクが退場して行く。
 そしてレイフォンは、都市外戦装備に身を包んだ。
 目指すは汚染獣に滅ぼされ、廃貴族を生み出した都市。
 手加減は必要ない。
 
 
 
 この後、ツェルニは都市の輪切り映像という途方もない情報を得て、膨大な外貨を獲得することとなった。
 
 
 
 
 
 
 
  ツェルニの事情
 
 一年ほど前に問題を起こして、つい最近グレンダンを出奔したレイフォンは、新たな出発の地となるツェルニへと辿り着いていた。
 入学の時期と言う事で、レイフォンと同じ年齢の少年少女が、黄色い歓声と、期待と不安を吹き上げつつ大通りを集団で歩いて行く。
 既に友達を作ることが出来た生徒が多いようで、実は人見知りをしてしまうレイフォンにとっては非常にコンプレックスを感じる光景を眺めつつ、指定された宿泊施設へと向かう。
 ここで数日滞在して、その間にこれから住まう寮を決めるのだ。
 レイフォンの中にある期待と不安の量は、おおよそ八対二くらいで後ろ向きな方が多い。
 根暗だとか後ろ向きだとか評価されるのは、この辺が原因なのだろうとは思うのだが、持って生まれた性格である以上どうすることも出来ない。
 だが、事態は常にレイフォンとは無関係に進展して、更に巻き込んで行く物であるようだ。
 周りを眺めつつ歩いていたレイフォンだったが、不意に荷物を持った右手に違和感が有ることに気が付く。

「あぅ!!」
「はい?」

 荷物に何か引っかかったかと思い、そちらを見たレイフォンは少々驚いてしまった。
 黒髪で今にも泣き出しそうな瞳をした、非常に大人しそうな少女の服が、レイフォンの持つ荷物に完璧な角度で引っかかっていたのだ。
 これほど完璧な角度で服が引っかかった荷物など、人類史上初めてではないかと思えるくらいに、完璧に引っかかっていた。
 そして、その事実は更に少女を追い詰め、今にも泣き出しそうな瞳が、実際に涙で一杯になって行く。
 何か悪いことをした覚えはないし、不機嫌な様子を見せたという訳でもない。
 ただ、疑問に思い荷物を見て、そのついでに少女へと視線が移動したに過ぎないというのに、意味不明な罪悪感がレイフォンの胸の内を埋めてしまっている。

「あ、ぅ」
「あ、えっと。ごめん。注意して歩いていなかったみたいなんだ。すぐに取るから動かないでいてね」

 これ以上少女を刺激しないように、細心の注意をもってかがみ込み、出来うる限り服に触れないように注意しつつ、荷物と服の引っかかりを取り除く。
 ここまで緊張して身体を動かしたのは、おそらく生まれて始めてではないかと思えるくらいに、慎重に注意深く動いた甲斐が有ったようで、少女の決壊間近の瞳は何とか守り通された。
 一安心である。

「もう大丈夫だよ」

 念のために注意しつつ立ち上がり、止めとばかりの笑顔で少女に安心するように伝える。
 そう。たいがいにおいて、問題というのは油断した時にやってくるからだ。
 そして、今回もその法則は存分に存在意義を主張したようだ。
 ほっと少女が息をついて、緊張で凝り固まっていても尚柔らかそうな身体から、力が抜けたその瞬間、それは突如として現れた。

「そこ行く少年よ!!」
「はい?」

 やたらに気合いのこもった声で呼ばれ、思わず振り向いてしまったことを、レイフォンは一生後悔することとなった。
 そこにいたのは男性だった。
 顔に刻まれた皺や雰囲気から判断して、年齢はデルクと同じくらいであろう。
 そして、その老人は武芸者だった。
 僅か五メルトルという距離に接近されるまで気が付かなかったのは、レイフォンの注意が少女へ向いていたと言う事と、その老武芸者の殺剄が見事だったからだ。
 まあ、実際問題として歩いていなかったのだが、そこは突っ込んではいけないのだろうと思う。

「我らと戦ってもらおう!!」

 いきなりの展開に付いて行けなかったが、それでもレイフォンは思わず剄を練り上げていた。
 そう。その老武芸者の背後から現れたのだ。
 似たような雰囲気の老武芸者が。
 総勢十五人。
 しかも、何故か全員マント装着をした姿で。
 筋骨逞しいという表現が適当かどうかは分からないが、十分に鍛えられたその身体は第一線を退いたとしても、十分な脅威となり得る。
 歩く姿、足の運び、視線の動かし方、そして剄の流れ。
 全てがレイフォンが知る中でも相当に出来る武芸者のそれだった。
 だがそれでも、全力で戦えば勝てる。
 いや。全力を出せさえすれば圧倒的な勝利を得ることが出来る。
 そう。この場で全力を出すことなど出来ないという事実を何とかすれば、この集団が百人以上いたとしても勝てる。
 こんな人通りの多いところで勝負を挑んできたのは、もしかしたらそれが狙いかも知れないと頭の隅で考えつつ、周りへと視線を投げて逃げ道を探す。
 だが、その行動は全て無駄に終わった。
 十五人の老武芸者が、レイフォンの周りを囲んでいたからではない。
 この程度の包囲網は一瞬の加速でいくらでも抜ける自信がある。
 ならば、何故逃走が不可能だと判断したのかと問われたのならば。

「もし嫌だというのならば!!」

 一斉に、十五人の老武芸者が右手を挙げて、左肩付近のマントを掴んだ。
 そして、一気に右手を振り払う。

「ひゅぅぅ」

 空気の抜ける音と共に、黒髪の少女が力尽きたようにその場に座り込む。
 実を言うと、レイフォンだって座り込みたいのだ。
 そう。右手を振り払う動作で、何故か綺麗に飛んで行くマントの下から現れた物を目の前にしてしまえば、誰だってへたり込んでしまうに違いない。

「我ら、サントブルグ老兵団によるマッスルダンスで、その少女の安眠が奪われると知るが良い!!」

 現れたのは、ビキニパンツだった。
 しかも黒かった。
 更に、膝付近までの長さのごついブーツだった。
 当然黒かった。
 更に問題なのは、オイルを塗られて、テラテラと光に耀く筋肉によって押し上げられた皮膚だった。
 顔の皺が嘘のように、その皮膚は瑞々しい張りを保ち、躍動する筋肉ではち切れそうである。
 悪夢である。
 こんな変態化け物集団の真ん中に少女を残しておける訳がない。
 時間をかけることも出来ない。

「良いでしょう。瞬殺して塵芥と変えて差し上げます」

 天剣時代でさえ、これほど急速に剄を練り上げたことがないと思えるほどの、超速度で準備を整える。
 少女の安眠を守るためには、目の前の十五人など、まさにゴミも同然である。
 それどころか、レイフォンの事情さえもどうと言う事のない些細な事柄である。

「ぬん! 我ら老いて尚強靱なぶげいしゃぁ?」

 リーダー格の武芸者の表情が凍り付く。
 そしてそれは、十五人の老兵も同様だった。
 いや。周りで遠巻きに見ていた生徒全員も、やはり同じだった。
 座り込んだ少女も、例外ではない。
 そう。全員が理解不能の現象を目撃した時に見せる表情で、完全に冷凍保存されているのだ。
 活剄衝剄混合変化 千斬閃。
 二百を越えるレイフォンが、老兵達を十重二十重に完全包囲していた。
 錬金鋼を装備していなくても、二百を越えるレイフォンの、総攻撃の前に為す術のある武芸者など極々少数。
 つまりは、瞬殺。
 一秒にも満たない時間で、マッスルダンスを始めようとしていた老人達は、ただの肉塊へとなり果てて、風に吹かれて消えていった。

「大丈夫?」
「あ、あう」

 全てをやり終えて、それでも座り込んでしまっている少女へと手を差し伸べる。
 怖がられるかと思ったが、そんな事もなく少しの躊躇の後に、とても柔らかい手で握り替えされた。
 その柔らかさに戸惑いつつも、レイフォンは理解していた。
 レイフォンが既に、何かの陰謀に巻き込まれてしまっていることを。
 そして、取り返しが付かなくなっていると言うことを。
 だが、後悔はしていないと思う。
 
 
 
 望遠鏡を使って全てを眺めていたカリアンだったが、想像以上の現実にかなりの衝撃を受けていた。
 槍殻都市グレンダンの天剣授受者、レイフォンがこのツェルニに入学してくれたことは喜ばしいことだ。
 色々と無理を重ねてツェルニを生き残らせるための、努力を続けてきた甲斐が有ったという物だ。
 そう。レイフォンが強いことは非常に喜ばしい事である。
 大人しい感じの女生徒に被害が出たが、まあ、物理的な物ではなかったし、あちこちに手を回してフォローすることも出来るから問題はない。
 問題は、無理に無理を重ねてサントブルグからつれてきた老兵団の半数が、レイフォンによって瞬殺されてしまったと言う事だ。
 いや。もちろん、実際に死んでいるという訳ではない。
 訳ではないのだが、ツェルニで行っている教導に支障が出ることは間違いない。

「彼奴ら、流石にもう立ち直れないかも知れないな」

 そう考えたカリアンの隣から深い声が聞こえてきた。
 視線を向ければ、カリアンの父の世代よりも、更に少し年かさであろう男性を見ることが出来る。
 サントブルグ老兵団長である。
 ツェルニの鉱山があと一つしか無くなった時点で、カリアンはある決断をした。
 そう。付近よりも弱い武芸者しか揃えられないならば、あらゆる手を使って手持ちの札を強くすればよい。
 武芸者を育てるにはどうしたら良いだろうか?
 良い教官を揃えられれば話は早い。
 と言う事で、強引にサントブルグから一線を退いた武芸者を教官として呼び寄せたのだ。
 その甲斐はあった。
 ヴァンゼの評価によると、確実にツェルニの武芸者は強くなった。
 それは、サントブルグ老兵団から見た評価も同じだった。
 これならば、生き残ることが出来るかも知れないと、カリアンは考えたのだが、そこに止めを刺すかのように現れたのが、天剣授受者だったレイフォンだ。
 そう。これで、ほぼ確実に次の武芸大会には勝てる。
 だが、問題もある。

「武芸者の世界など、強ければそれでたいがいのことが有耶無耶になるが、あれは流石に強すぎる」

 望遠鏡さえ使わずに、レイフォンの活躍をその目で見た老人の瞳には、恐怖と畏怖、そして、多くの哀れみを見ることが出来た。
 グレンダン時代のレイフォンについては、かなり詳しく調べることが出来た。
 当然分からないこともあるが、事件のあらましとそこに至るまでの事情は、おおよそ理解できていると思う。
 そして、全てを知った上で老兵団はある結論に達した。
 手にしている情報は本当だろうかと。
 結論と言うよりも、疑問に達したと言えるかも知れないが、それでも、その疑問か結論を元に行動することとしたのだ。
 食糧危機は仕方が無い。
 だが、その後の孤児院の経営難はどうだろうか?
 ろくに働かずに外面ばかりを重んじているように見える、レイフォンの養父の行動は本当だろうか?
 本当に、僅か十才でグレンダン最強武芸者の仲間入りが出来たのだろうか?
 そして、天剣授受者という地位を守るために人を殺そうとしたのだろうか?
 確かめる術は多くない。
 唯一、レイフォンの強さだけは確かめられる。
 ならば、どの程度なのか実際に戦って確かめてみよう。
 と言う事で今回の茶番劇となったのだが。

「ああ。レイフォン君を武芸科に入れる算段はしているのですが」

 少し、恐る恐ると声をかける。
 カリアンから見ても、脇にいる団長は目上の人物である。
 正確に言うならば、サントブルグにいる父の友人であり、カリアンとフェリは子供の頃から散々お世話になった人だ。
 フェリに至っては、カリアンの説得には耳も貸さなかったが、この老兵団長の言葉で渋々と転科に応じたほどだ。
 頭が上がりにくいのである。

「それはかまわないが。いや。色々と事情がありそうだから少し待ってもらえないかな? 彼と少し話をしてみたいのでね」
「・・・・・。分かりました」

 明確な根拠がなければ逆らえないのである。
 出来れば、レイフォンを速く戦力に組み込みたいのだが、老兵団を敵に回してしまっても、あまりよろしくない。
 中間管理職の板挟みである。
 団員達にしてみれば、レイフォンはまさに息子か孫に当たる世代である。
 そして、グレンダンでの事情は団員達の中に、レイフォンに対する同情の念を植え付けたに違いない。
 傷付き疲れ果てた少年を、都市のためとは言え戦わせることに何も思わないなどと言う事はないだろう。
 ならば、レイフォンを武芸科に転科させることは諦めた方が良いかもしれない。
 このまま行けば、ほぼ間違いなく武芸大会には勝てると思われるのだし、無理をして人間関係を壊してしまう危険を冒す必要はないだろう。

「ふむ。十五人は多すぎたか。あれでは、レイフォン君の実力が異常であることをツェルニ中に知らしめてしまう結果となってしまったな」

 何とかフォローできないだろうかと色々と考えているらしい団長から視線を外して、カリアンは再び双眼鏡を覗き込む。
 黒髪の女生徒の友達らしい二人連れがやってきて、レイフォンから少女を回収しているところを見ることが出来た。
 今度の茶番は笑い話で終わるだろうが、カリアンの事情はそうはならない。
 これから連続でやって来るだろう政治的な課題の多さに、胃が少し痛んだような気がした。
 
 
 
 
 
 
  殉教者達
 
 武芸科五年のシャーニッドは目の前に集まった二十人の精鋭に向かって問いを発する。
 人があまり近付かない小さな広場は、しかし、恐るべき熱気に包まれていた。
 それは、シャーニッドの集めた、二十人の精鋭による熱気であり、そしてなによりも、二十一人の情熱の表れだった。

「オッパイは好きかぁぁぁ!!」
「おおおおおおおお!!」

 最初の問いに返ってきたのは、既に臨界点を突破した、男達の魂の叫びだった。
 それもそのはず。
 ここに集うのは、シャーニッドが選りすぐった、女性の胸をこよなく愛する男達である。
 だからこそ、シャーニッドも叫ぶ。

「貧乳に萌えるかぁぁぁ!!」
「当然だぁぁ!!」
「巨乳は好きかぁぁ!!」
「聞くまでもないぃぃ!!」
「無乳を愛しているかぁぁぁ!!」
「おおおおおおおお!!」
「爆乳で死にたいかぁぁぁぁぁぁ!!」
「おおおおおおおおおおおお!!!!」

 定例集会ではあるが、回を重ねるごとに熱狂はいやが上にも高まり、天井などと言う物を知らぬかのように登り続ける。
 そう。もはや誰も邪魔することなど出来はしないのだ。

「俺達は少数だが、全員が一騎当千だ!!」
「おお!!」
「つまり、この二十一人は二万一千人に相当する猛者である!!」
「おおお!!」
「ならば貴様ら!! 心ゆくまでオッパイを慈しめ!!」
「おおおおお!!!!」
「全てのオッパイに愛情と情熱を注ぎ、差別することなく全てを受け入れよう!!」
「おおおおおおおお?」

 誰も止めることの出来ないはずの、二万一千人に相当する精鋭達の動きが、一斉に止まった。
 それはシャーニッドも例外ではない。
 拳を天へと突き上げた姿勢で、急速冷凍されたように固まる。
 それは何故か?
 両方の肩に手がおかれたからである。
 その手は、とてつもなく冷たかった。
 そして空気が伝えてきている。
 その冷たさの向こう側には、恐るべき高熱が宿っていると。
 高熱の正体は、怒りという名の燃料に、憎悪という名の増燃剤を加えた、殺意という名の極超高温の炎であると。

「私は殺戮が好きだ」
「私は虐殺が大好きだ」

 そして、その空気が振動して、シャーニッドが良く知る女性の声を伝えてくれた。
 二人とも、とても良く知っている。

「命乞いをする奴を虫けらのように殺すと、生きていることを実感する」
「必死に生き足掻くアリを踏みつぶすように、完膚無きまでに殺し尽くすと絶頂さえ感じる」

 その、良く知る二人の声は語っている。
 ここで全員を殺すと。
 そして、それは不可能ではない。
 何時の間にか、二十人の同胞にして一騎当千の最精鋭が、囲まれていたのだ。
 二百人を超える女生徒の群れに。
 それも、その一人一人が一騎当千の最精鋭であることが伺える。
 つまり、二万一千体、二十万。
 質が同じならば勝敗は数で決まる。
 なんたらの法則を持ち出すまでもなく、敗北は確定的だ。

「よ、ようシェーナとニーナ」

 その事実を認識していて尚、シャーニッドはここで負ける訳には行かない。
 全ては、全ての女性の乳房のために。
 そして、それを愛する熱き魂を持った男共のために。

「こそこそと陰で何をやっているかと思えば」
「こんな下らないことにエネルギーを注ぎ込んでいたのか」

 振り返ることは出来ない。
 見てしまえば、確実に塩の柱となってしまうから。
 だからこそ、シャーニッドはこの場を逃れる術を考える。
 生き抜いて、そして再び同志を募り、全人類に、女性の乳房の福音をもたらすために。

「取り敢えずシャーニッド」
「何も言わずに死ね」
「う、うそぉぉぉ!!」

 遺言をさえずる時間さえ惜しいと、二人の剄が迸る。
 勝敗は、既に決している。
 
 
 
 僅かな時間で、同志達が殲滅されて行く光景を見ながら、それでもシャーニッドの心は折れなかった。
 折れる訳がないのだ。

「ふ、ふふふふふ。これで終わりだと思うなよ?」

 既にシャーニッド自身もボロボロになっているが、それでも言わなければならないのだ。
 まだ、終わっていないのだと。

「俺がここで朽ち果てようと、オッパイ教徒は不滅だ」

 そう。女性がいる限り、その乳房を愛する人間は滅びることはないのだ。
 これが終わりではなく、始まりに過ぎないのだと、それを伝えなければならない。

「分かった分かった」
「さっきも言ったが、貴様は取り敢えず死ね」
「ぐえぇぇ!」

 止めが刺された。
 
 
 
 ある日を境に、ツェルニから二十一人の男子生徒の姿が消えた。
 その中には、第十七小隊のシャーニッド・エリプトンの名前もあったのだが、何故か都市警は一切の捜査をしなかったという。
 
 
 
 
 
   解説。
  ツェルニの切断魔
 俺の作品でちょくちょくネタとして出てくる、ヒストリーチャンネルの番組の一つ、何でもカットマンがモチーフ。
 あらゆるツールを使って、本当にどんな物でも切断してしまうと言う恐ろしい番組。
 俺のお気に入りは、なんと言っても便器の切断。
 思わず感動してしまった。
 機会があったら、是非ご覧下さい。
 
 
  ツェルニの事情
 こちらは復活の時を執筆中にふと思いついた疑問から。
 もし、レイフォンが入学しなかった場合、カリアンはどうしたのだろう?
 レギオスの話の展開上、どうしてもツェルニにレイフォンは必要だったのだろうが、それでも、もしいなかった場合、武芸大会をどうやって乗り切るつもりだったのだろうかと、そんな疑問の答えがこの話。
 武芸者の質が低いのだったら、何とかしてあげなければならない。
 どうやってあげるか?
 優秀な教官をどこからか連れてくればよい。
 ならば、カリアンのコネを最大限伝って、サントブルグから引退した老武芸者を連れてきて、生徒の指導に当たってもらえばよい。
 ツェルニの事情的に、かなりの反発が出るかも知れないけれど、それでもやらなければ滅んでしまう以上、選択肢の一つとして存在していてもおかしくない。
 本来ならば、BBRみたいに、中編を作れる程度のネタだったのだが、長編へ格上げしてしまいそうな勢いだったのでここで切断。
 
 
  殉教者達
 これほど駄目な話を書いた人間は、そうそういないだろうと自画自賛できる話。
 主演がシャーニッドなのは、最近全然出番が無くて、居ても居なくても問題無いから(酷い話だ)。
 ちなみに俺は、あまり大きくない方が好み(全然関係ないけれど)。
 ちなみに、大元をたどって行くと、妖狐×僕SS内で使われているちょっとした台詞だったりする。
 
 
 
  後書きに代えて。
 と言う事で、予定通りに話を書き上げることが出来ました。
 ・・・・・。そのはずなのに、何でこんなに疲れているんだろう?
 うぅぅぅん? 解らんが、まあ、良いだろう。
 そうそう。今年の年末一挙投稿はほぼ不可能な状態です。
 出来るとしたら、復活の時八話目だけれど、現在完成率は半分ほど。
 四ヶ月もかかって百キロ少々しか書けていないというていたらく。
 今年は、何故か執筆速度が上がらなかったな。
 まあ、何はともあれ、今年はおそらくこれが最後の更新となります。
 かなり速いですが、皆さん良いお年をお迎え下さい(いくら何でも早過ぎる)。



[18444] 生命体X レイフォン・アルセイフ3
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/04/03 20:10

接触と破壊

 その都市に降り立ったのは、当然のこと放浪バスが立ち寄ったからに他ならない。
 他の理由で目的地ではない都市に立ち寄れるほど、今の人類社会に余裕はない。
 そしてレイフォンは一人ではない。
 右隣を歩くのは、グレンダン王家に連なるクラリーベル・ロンスマイア。
 左隣を歩くのは、同じ孤児院で育ったリーリン・マーフェス。
 隣と言いつつも、一歩近い距離を二人は先行しているので、厳密な意味での隣ではない。
 そしてレイフォンは、自分の出生の謎を解いて再びグレンダンに帰るまでに、どちらかを妊娠させなければならない。
 普通に考えるならば、リーリンを妊娠させることを真っ先に選ぶべきである。
 クラリーベルを妊娠させてしまったが最後、不動の天剣と呼ばれるおじいさまと死闘を演じなければならないから、この選択肢は当然であるように思える。
 だが、だがである。
 仲間外れにされたクラリーベルがどんな行動に出るか、全く分からないという恐るべき危険性が背後に横たわっているのだ。
 例えば、全く関係のない都市で、ほんの少し目を離した隙に、あらん限りの暴力を振るって近くにいた武芸者を殲滅してしまうとか。
 そんな傍迷惑なことになったら、流石に寝覚めが悪いのも事実なので、選択は極めて慎重にしなければならない。
 だが、二人に手を出さないという選択肢も、なかなか取りにくいのだ。
 そう。この場合は、グレンダンに帰ったが最後、取り敢えずサヴァリスと殺し合った後に、残りの天剣授受者の総掛かりによって虐殺されてしまうからだ。
 そう。どの選択肢をとっても、何処かで極めて危険な事態へと発展してしまうのだ。
 ならば、グレンダンに帰らなければよいと言う事も考えたのだが、あの女王がいる以上逃げ切れる保証さえ存在していない。
 気が付いたら、レイフォンの住み着いた都市にグレンダンが戦争を仕掛けてくると言う、あまりにも非現実的な事態さえ起こるかも知れないのだ。
 八方手詰まりである。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 長々とこんな現状分析をしてきたのは、実は現実逃避のためである。
 そう。レイフォンは今、とても恐るべき事に巻き込まれているのだ。
 女性との買い物である。
 既に両手には六個の袋がぶら下げられ、更に頭の上には合計二十キルグラムルほどの荷物が載っている。
 普通の人間だったならば、既に荷物の重みで押しつぶされて、一生を終えていることだろう。
 武芸者でなければ、既にレイフォンはこの世という地獄から解放されていたに違いない。

「ああ」

 それはそれで魅力的かも知れないと、一瞬考えるくらいに現状は過酷だ。
 と、ここまで話を振っておいて何だが、実のところ荷物の重さはさほど気にならない。
 孤児院にいた頃から、大量の荷物を調達するために駆り出されたことは多かった。
 その都度、頭の上に乗せられたり、肩からぶら下げたり、腕で持ってみたりと、活剄で強化できることを幸いにこき使われたのだ。
 この程度の荷物などどうと言う事はない。
 では、何が過酷なのか?
 視線である。
 前を行く美少女二人に、鎖付きの首輪を引かれるかのごとくに引き回される、哀れな武芸者を見る人々の視線が、とてつもなく過酷なのである。
 思わず泣きたくなってしまうほどには、過酷なのである。
 グレンダンでは、天剣授受者と言う事もあり、この手の視線にはあまりさらされたことはなかった。
 あまりに異常な光景だったために、誰も彼もが見て見ぬふりをしていたから。
 だが、それも他の都市に出てしまえば全く話は違ってくるのだ。
 そう。サントブルグという他の都市では事情が全然違うのだ。

「それで、後は何か必要な物ってありましたっけ?」
「えっと。大体そろっていると思うけれど。レイフォンは何か必要な物ってある?」
「安息の日々」

 リーリンに問われたので、思わず本音を吐露してしまった。
 今一番欲しい物と問われたのならば、確かに安息の日々が欲しいと思っているのは確かだ。
 ハーレムとか言う物が、これほど恐ろしい状況だとは思っても見なかった。
 世間の男の子がうらやましがる気持ちが、全くもって理解できないと断言できる。
 なにしろ、どちらかに肩入れしてはいけないし、曖昧な態度ばかり取っていても駄目であり、そして何よりも、二人と緊密に関わらなければならないのだ。
 人付き合いの経験が少ないレイフォンにとって、あまりにもハードルが高すぎた。
 と言う事で、とても疲労している状況なのである。
 だが、そんなレイフォンの心の声が届く相手はここにはいないのだ。

「? わたくし達と一緒にいることが、すなわち安息の日々であると思うのですが」
「そうよ。私達と旅をしてレイフォンの出生の秘密を暴く今こそが、安息の日々よ」

 やはり、グレンダンを出る時から続いているハイテンションに支配され続けている二人には、レイフォンの心の声は届かなかったようである。
 いや。更にもっと酷いことになりそうな気配が這いずり寄ってきている。
 それは、外部からの刺激によってもたらされる変化だ。

「ですが、わたくし少し退屈しておりますの」
「え? クララは退屈なの?」
「ええ。なんと申しますか、心と体が闘争を求めていると表現できると思うのですが、退屈ですの」

 確かに、戦闘狂であるらしいクラリーベルにとって、汚染獣が襲ってこなかったバスの旅は、極めて退屈だっただろうと思う。
 いや。何処の誰にとっても、放浪バスでの旅は危険で退屈なものであることは間違いないのだが、クラリーベルが突如こんな事を言いだしたのには理由があるのだ。

「特に、わたくし達を舐めるような視線で見ている武芸者などを感知してしまうと、思わず都市を破壊してでも惨たらしく殺したくなってしまいますの」

 そう言うクラリーベルの視線が、レイフォンの少し脇を通り過ぎて、十メルトルほど後ろで殺剄をしている武芸者を捉える。
 そして、既に剣帯に収まった胡蝶炎翅剣へと手を伸ばしている状況である。
 一戦しなければ、既に収まらないようだ。
 戦いたいという気持ちは理解できないが、思う存分剄脈と身体を動かしたい気持ちは、十分すぎるほどに理解できてしまうのだ。
 放浪バスの中で窮屈な思いをしていたのは、レイフォンも、おそらくリーリンも一緒なのだ。

「へぇ。俺の殺剄を見破って、惨たらしく殺すとか言われちまうと、お相手しないといけないような気がして来るじゃねえか」

 そして、相手の気持ちもクラリーベルとさほど変わらないところにあったようだ。
 殺剄を解除して、急速に剄脈の活動が激しくなる。
 剄の練り方は高速であり乱れがないし、周りの空気も殆ど動かないところを見るとかなりの手練れだと思われる。
 だが、状況的には結構拙いと言う事を、きちんと理解しているのか疑問である。
 二人とも。

「っめ!!」
「ガルルルルル」

 取り敢えずクラリーベルに向かって、駄目だと言い聞かせてみるが、そんな物で収まるようには最初から出来ていない。
 凶暴な唸り声を上げつつ、まだ目視確認をしていない敵を威嚇している。
 クラリーベルの戦闘意欲を察知した周りの人達が、若干引きつつひそひそと小声で話しつつ、都市警を呼ぼうとしていることに気が付いていないようだ。
 と言う事で、相手の方にお引き取り願おうと思ってここでやっと振り返る。
 そして、視界に飛び込んできたのは、金髪を短めにした中年の武芸者だった。
 十分に鍛えられ、見ほれるほどの筋肉を持ち、そして、修羅場を何度も潜ってきた者特有の匂いを放っている。
 そして、腰に巻いた剣帯に三つの錬金鋼が刺さっている。
 何よりも、その立ち姿には微塵の隙もない。
 はっきり言って、グレンダンでも、これほどの人材に会うことは希である。
 もしかしたら、クラリーベルよりも強いかも知れないと思わせるほどに、その男は強力な武芸者だった。
 だが、ここまでの実力者ならば、レイフォンとの力関係は一発で理解できるはずだ。
 相手が理解してくれれば、この場は何とか収まるとそんな希望を持った。
 その希望を胸に、その武芸者に向かって軽く頬笑む。

「おいおい。何で旅行者の中にこんな恐ろしいのがいるんだよ」

 そして、即座にその効果が現れた。
 今回は、レイフォンの希望が叶えられたようで、相手が及び腰になってくれた。
 一安心である。
 周りの人達も、一安心だという感じで、日常生活へと帰って行こうとしているし、一件落着である。
 ただ一人を残して。

「不満ですわ!! 貴方の相手はこの私!! レイフォン様の妻であるこの私だけですのよ? 若妻を弄んでみたいとか思うはずですわ!!」
「ああ? そんな小さな胸で妻だって? お前さんが妻だったら、世界中の女という女は俺の女房だぜ?」
「な、なんですって? 品性だけではなく、その頭の中もお目出度いようですわね!! 貴方のようなゴミ武芸者になびく女性などいるはずありません!!」
「あにおう? こう見えても、俺様はとてももてるんだぜ? 都市ごとに女房がいるくらいだからな!!」
「なんと言うことでしょうかレイフォン様。この男はゴミの中のゴミ、屑の中の屑であるにもかかわらず、女性にもてるなどと戯言を口走っておりますわ!!」

 駄目だこれは。
 レイフォンとは関係ない人はきちんと理解してくれているというのに、何故関係者はそうでは無いのだろうか。
 とても不思議な疑問である。
 打開策がないかと考えるが、もはやレイフォンの手に策など残っていない。
 再び、周りにいる一般人が引き始めた。
 いや。既に都市警に連絡している声もちらほらと聞こえてくる。

「へへへへ。連れの言うこと聞いて手を引いていれば痛い思いしなくて済んだのによぉ? お前さんじゃ俺様には勝てねえんだぜぇ」

 何か奥の手でもあるのか、とても余裕の態度を崩さない武芸者を観察する。
 クラリーベルの意志を無視してでも、危なくなったら割って入るつもりだ。
 いや。むしろ積極的に無視して嫌われてしまった方が、少し楽かも知れないとそんな邪なことも考えてしまった。
 実に魅力的な悪魔の囁きだ。

「貴方など、わたくしの前には塵芥も同じ事。二度ともてるなどと口が裂けても言えないように、その脳を綺麗に洗い流して差し上げましょう」

 脳を洗い流されてしまっては、どんな人間だろうと二度と喋ることは出来ないなと、納得しかけてしまった。
 だが、それは相手を殺すと言う事に他ならず、都市によっては即座に死刑さえあり得る犯罪であるはずだ。
 やはり止めようと、心に固く誓いつつ相手の観察を続ける。
 だが、突如として変化が訪れた。
 それは再び、外からの刺激によって。

「ようよう!! 誰かと思ったらエンラッドじゃないか!! 久しぶりだな!! ええ、おい!! 元気にしていたかって、全くもって元気そうだな!!」

 まさに、一触即発の現状をその大声だけでぶち壊したのは、髪と髭を銀色に彩った見るからに豪快そのものと言った中年男性だった。
 武芸者の睨み合いを物ともせずに、金髪の武芸者に走り寄り、更には抱きついたかと思うと肩を叩き、頬ずりしてしまっているのだ。
 あまりのキャラの濃さに、クラリーベルでさえも毒気を抜かれたように呆然と佇んでしまうほどだ。

「や、やめろ! 俺は男にすり寄られてきて喜ぶ趣味はないんだ!!」
「良いじゃないか!! 折角会えたんだから!!」

 周りの状況など気にせず、空気さえ読まず、更に、相手の迷惑を顧みないその男の出現に、レイフォンは少しだけほっとしていた。
 やって来たばかりで、都市を逃げ出すという非常事態を避けられたと。
 
 
 
 サントブルグでいきなりの展開に見舞われ、もう少しで一戦できるかも知れないと思ったクラリーベルだったが、生憎と邪魔が入ってしまいなかなか強そうな相手との勝負がお流れになってしまったので、実はかなり不機嫌だったりする。
 だが、その不機嫌でさえも今の不機嫌に比べればどうと言う事のない、極々ささやかな不機嫌だと断言できる。
 一連の文章の中に三回も不機嫌という単語が出てくるくらいには、相当に不機嫌なのである。
 隣にいるリーリンはと見れば、こちらも相当ご機嫌が斜めである。
 恐るべき速度で気圧が下がって行き、何時突風が吹きすさび、豪雨が降り注ぎ、あまつさえ雷が落ちても不思議ではない。
 そして、クラリーベルにそれを抑えるつもりは全く無い。
 いや。それどころか、一緒になって破壊の限りを振りまいてしまうことだろう。
 当然である。

「これって何ですか?」
「ああ! これは極単純な作りのピストンでな!! ボンベから高圧空気を送り込んでピストンを持ち上げて!! 排気口からその空気を抜いて下げるを繰り返すんだよ!!」

 そう。グレンダン王家よりも豪華かも知れないロスさんのお宅にやってきた瞬間から、どうでも良いガラクタに興味を引かれた様子で、クラリーベルやリーリンをほったらかしにして銀髪髭親父と戯れているのだ。
 これで機嫌が悪くならないとあっては、レイフォンの妻失格である。
 ぶっちゃけていうと、かまって欲しいのである。
 だが、邪魔をすると言うのも大人げないような気もしているのだ。
 何しろ、やりたいことを邪魔された時のもやもやは、つい先ほどクラリーベル自身が経験したところなのである。
 とは言え、そろそろ限界でもある。

「高圧空気って、この容器の中に入っているんですよね? この容器から出たところで仕事をするんですよね?」
「そうだ!! こいつは解き放たれたところで始めて人の役に立つんだ!!」
「そうか。内側に貯めておくだけじゃなくて、外に出すことで・・・・・」

 あと五秒ほどで行動に移ろうとしていたクラリーベルだったが、思いとどまった。
 レイフォンの周りの空気が変わったのだ。
 それは本当に一瞬の出来事だったが、間違いなくレイフォンのスイッチが入ったのだ。
 それは既に、戦いを目前にした天剣授受者の気迫と緊張を内包し、何時でも爆発を起こして、あらゆる物を粉砕するための準備が終了している事を周りへと知らせるのに十分な空気の変化だった。

「お、おい?」

 そこまで具体的には分からなくても、突然の空気の変化は理解できたのだろう、銀髪中年が冷や汗を流しつつレイフォンから遠ざかって行く。
 その他の一般人も、おおよそ似たような状況である。
 何も知らない武芸者ならばなおさらのこと、近くを通りかかった侍女を口説いていたあの軽薄な中年男は、もっとはっきりと危険を感じ取ったようで、錬金鋼に手を伸ばしつつもレイフォンからゆっくりと距離を取っている。
 今のレイフォンは、極めて危険なのである。
 そう。クラリーベルにとっても危険なのである。

「レイフォン!」
「は、はひ?」

 ただ一人、リーリン以外の人間にとって、極めて危険だったのだ。
 そのリーリンの叱るような声で、一気に天剣授受者としての気迫も緊張も霧散してしまった。
 恐るべき変化である。
 何が恐ろしいのかは聞いてはいけない。

「何やっているのよ?」
「い、いやね。ちょっと思い付いたことがあってさ。少し外縁部に行ってくるよ」

 そう宣言した次の瞬間、レイフォンの姿がかき消えた。
 念入りに準備していたとしても、今のクラリーベルでは捉えきれないほどの移動速度で、レイフォンがいなくなったのだ。
 これはつまり。

「逃げたわね。まあ良いわ。後で三倍のお説教よ」

 レイフォンを恐れ戦かせることが出来る一般人が、目の前にいるという事実が少し信じられないが、それもまた有りなのではないかとも考えている。
 何しろ相手は、レイフォンなのだから。

「エンラッド!! 何だ今のは!!」
「俺に聞くな!! おっかない奴だとは思っていたけど、あれは異常だ!!」

 ロスさんと、エンラッドと呼ばれた軽薄親父が怒鳴り合っているが、それもしかたのないことなのだろうとクラリーベルは理解している。
 何しろ、ほんの僅かとは言え、天剣授受者の本気を垣間見てしまったのだ。
 思わずショック死しなかったエンラッドを褒めてやっても良いくらいだ。
 絶対にそんな事はしないけれど。

「済みませんでした。武芸が絡むと時々ああなるんです。実害は出ないはずなで安心して下さい」
「無理ですわ。リーリン」

 日常生活ではへたれた所しかないレイフォンだが、いざ戦いとなると凄まじいのである。
 そのギャップはある意味、萌え。

「・・・・。違いますかしら?」

 確かにレイフォンは、色々と燃えるが、萌では無いような気もするのだ。
 むしろ熱血的に戦いたいとさえ思うから、萌では無いのだろうと結論付ける。
 つまりは、燃え。
 それはさておき、現状を何とかしなければならない。
 エンラッドという無礼者を始末したいのは山々なのだが、ロスさんがいる手前行動に移すことは出来ない。
 何しろサントブルグの有力者なのだ。
 力押しで何とか出来るのならば、それ程問題無いが、ロスさんにはそれが通用しない。
 ならば、あまり敵対しないように、気をつけるに越したことはない。
 政治的な判断も出来るところが、レイフォンとの決定的な違いなのであった。

「そう言えばエンラッド!! 俺の可愛い娘を紹介していなかったな!!」
「いや。子供に興味はねえから」
「そう言うな!! すぐに連れてくるから!! お二人さんも是非会っていってくれ!! 俺に似てとても可愛いからな!!」

 とても恐るべき台詞を残して、疾風のように去って行く銀髪中年男性を見送る。
 あれに似てしまったら、人生投げたくなるのではないかとかなり失礼なことを考えつつ、クラリーベルは割りと大人しく待つこととした。
 何しろレイフォンがいないのでは、楽しいことの大半が封印されてしまったような物だからだ。

「何しに行ったんだろうね?」
「何か、新しい剄技を開発しに行ったのですわ!! そして、その新しい技をわたくしに向かって放つおつもりですわ!!」

 楽しみの大半が奪われてしまった以上、どうにかして自分を奮い立たせなければならない。
 と言う事で、願望に縋ることとしたのだが、当然のこと周りの人達が若干引いて行く。
 人の趣味指向に口を出す人間はいないようだが、それでもこの態度はおおよそ予想通りだ。
 そんな事をやっているのは、ロスさんが帰ってくるまでの時間潰しのつもりだったのだが、思ったよりも短い時間で戻ってきてしまった。
 本当は、もっと色々な発言をして周りの人間をからかっていたかったのだが、状況は圧倒的にクラリーベルを凌駕していた。

「・・・・・。何でしょうか、あれは?」
「・・・・・・・。えっと、完璧な人形ではないかしら?」
「・・・・・・・・。いや。これこそはきっと幻想の世界の産物だ」

 ロスさんは、長い銀髪のとてつもない、美少女の人形を抱えて戻ってきていた。
 驚くべき美しさを振りまくそれは、何処をどう見ても人間にしか見えないほど完璧な造形で作られていた。
 無表情なはずなのに、とてつもなく不機嫌な雰囲気を振りまいている辺りなど、もはや人間としか思えないほどに完璧だ。

「さあさあ!! 俺の自慢の娘だ!! よく似ているだろう!!」

 大音量でそう絶叫する、ロスさんの抱える人形が、身をよじって拘束から逃れようとしているが、当然そんな事はあり得ないのである。
 耳を塞ぐように両手を持ち上げているが、断じて何かの間違いなのである。
 そうでなければ、非常に危険な状況である。
 例えば、既に嫁と妻がいるレイフォンに、妾が出来てしまうとか。
 なので、今見ているのは断じて人形である。
 視線をずらしてリーリンを確認。
 視線が合った途端、微かに頷いたのを確認。

「とても良く似ていらっしゃいますわ!!」
「見分けは付くけれど、本当にお父様そっくりですね!!」

 クラリーベルとリーリンの二人掛かりの攻撃を受けた人形は、何故か突如として、念威の光でその長い髪を光らせた。
 もはやこれは、優秀と表現できる範囲を大きく超えている現象である。
 ある意味、デルボネに匹敵する念威量を持ってしまっていると、即断できてしまう現象だ。

「おおっと!! 俺とそっくりだと言われてそんなに嬉しいか!! そうかそうか!! 嬉しいか!!」

 猫かわいがりという単語が存在しているが、その実例を目の当たりにしてしまっている。
 とても、胸焼けのする光景であることから、強引に目を逸らせる。
 クラリーベルが作りだした光景だったが、兎に角視線をそらせて、エンラッドを捉える。
 当然の様に視線が合った。
 あれを何とかしろと、訴えかけられているような気がするが、気にしてはいけないのだ。
 そう。エンラッドも視線を送りつつも気が付いている。

「な、なんだ!!」

 突如として都市中に警報が鳴り響いた。
 それは、始めてサントブルグに来たクラリーベルでも分かる類の、ある意味聞き慣れた音であり、そして何よりも、待ち望んだ物だった。

「あれ? 汚染獣警報よね、これって」

 驚いて固まっているロスさんと、その娘さんとは対照的に、こちらも聞き慣れてしまっているリーリンは落ち着き払いつつ、避難誘導標識を探して視線をあちこちに飛ばしている。
 汚染獣の襲来など、グレンダンの住民にとっては、日常生活に溶け込んでしまっているのだ。
 もちろん、レイフォンの事を心配しているとか言うのはあるのだが、それも含めて、日常の一部となってしまっているのだ。

「取り敢えず、私は避難した方が良いのかしら?」
「そうですわね? レイフォン様が近くにいるのだったら何の問題も無いでしょうが、この状況だと避難した方が無難だと思いますわ」

 別段、クラリーベルの側にいてもそれ程危険という訳ではないのだが、流石にレイフォンの側に比べると危険であると言わざるおえないのである。
 当然、近いうちにレイフォンの側にいるのと遜色のない安全性を取得するつもりだが、今は避難しておいた方が無難である。
 と言う判断の下、リーリンに避難を指示しつつ、当然クラリーベルは戦う気満々である。
 出来れば一人で心ゆくまで戦いたいところだが、余所の都市でそんな我が儘は言わない。
 邪魔な武芸者を蹴散らしてしまいたいとか、そんな事は思っているだけである。

「取り敢えず、俺は高みの見物でもしてくるかな。お前も来るか?」
「わたくしですか? 一緒に行ってもよろしくてよ」

 サントブルグに詳しいらしいエンラッドの誘いを受けはしたが、もちろん見物するだけという訳ではない。
 折角トロイアットから習った伏剄も使えるようになったし、是非とも汚染獣で試してみたいのだ。
 そんな乙女の秘密を抱えたまま、クラリーベルはエンラッドについて戦場の方向へと向かったのだった。
 
 
 
 クラリーベルの見ている前で、雄性体二期と思われる汚染獣が、傍若無人に暴れ回っている。
 場所はサントブルグの外縁部。
 何に対して暴れているのかと問われるのならば、それは、迎撃に出た武芸者に対して。
 一方的な展開である。
 汚染獣優位の一方的な展開である。

「地上に降りてきたところがヤリ時なのに、何をちんたらやっているのやら」
「全くですわ」

 もし、これがグレンダンだったのならば、汚染獣は既に三回は殲滅されているはずだし、クラリーベル一人が戦ったとしても、そろそろ決着が付いている頃である。
 初陣の時には、ペース配分を間違ってレイフォンに助けられてしまったが、今はもうそんな失態は犯さない。
 準備に十分な時間をかけられるのならば、一撃で仕留めることさえ出来る弱敵相手に、サントブルグの武芸者は散々手を焼いて、更に被害を出し続けている。

「もはや我慢なりませんわ!!」
「そうだな。先に報酬の交渉をした方が良いんだが、それはあいつに丸投げしても良いだろうしな」

 クラリーベルは、ただ戦いたいがために戦うのだが、エンラッドは少しだけ欲をかいているようだ。
 あいつというのは、おそらくロスさんだろうが、その辺はどうでも良い。
 折角体得した化錬剄の奥義を使うために、準備を始めようとした瞬間、いきなり右手が捕まれた。

「っな!!」

 掴んだのがエンラッドだったら、即座に斬り殺していたところだが、今回は違った。
 いや。掴んだと言うよりも、むしろ押さえたと言った方が適切な力加減だ。
 そして、クラリーベルにこんな事が出来る人間を一人確実に知っている。

「レイフォン様?」
「あまり派手なことは駄目ですよ。特に、汚染獣の側にいる武芸者もろとも消し飛ばすような技とか」
「・・・・。そ、そんなことはしませんわ!」

 接近に全く気が付かなかったが、驚くのはそれだけではない。
 クラリーベルの心情を正確に把握している、その洞察力をこそ驚くべきなのである。
 とは言え、ある程度付き合っていれば誰にでも分かるかも知れないと、クラリーベル本人も思うのだが。

「ならば良いですが」

 そう言って、折角掴んでいてくれた手を話してしまうレイフォン。
 もう少し強引に掴んでくれても良いのにとか、ほんの少し考えるが、今は取り敢えず汚染獣の方が重要である。
 思考を切り替えて、未だに外縁部付近で暴れている汚染獣を眺めやる。
 全くもって戦況が推移していない。

「これが、グレンダン以外の都市という奴なのか」
「そのようですわね」

 天剣授受者は異常だとそう思っていたが、実はグレンダンの武芸者はほぼ全てが異常だったと言う事に気が付いた。
 あの程度の雑魚など、被害らしい被害を出さずに瞬殺できて当たり前だったのだ。
 アルシェイラが外の世界を見てこいと行った意味は、おおよそこの辺だったのだろうと当たりを付ける。
 知らなければ、何処かで取り返しの付かない過ちを犯してしまうところだった。
 例えば、余所の都市では考えられないような大技を使ってしまう、とても住み心地が悪くなってしまうとか。
 現状を認識したは良いが、事態は動いてくれない。

「遠距離攻撃で始末を付けましょうか?」
「うぅぅん? 二ヶ月後だったら、新しい技の試し打ちとかも出来たんだけれど」
「念威繰者の補助がなかったら、流石の俺様も一撃必殺とは行かないな」

 エンラッドの方も、あまり打つ手はないようで考え込んでしまっている。
 ロスさんの娘さんを連れてくれば良かったかも知れないが、レイフォンに接近させる方が遙かに危険である。

「ならば、接近戦しかありませんわね!!」

 化錬剄を習得しているとは言え、錬金鋼を見れば分かる通りに接近戦も得意なのだ。
 ならばもう、戦場に乱入して、雑魚武芸者を蹴散らしつつ、雄性体を心ゆくまでいじめ抜く。
 他の選択肢など存在していない。

「仕方が無いかな?」
「他の方法って言っても、面倒なのばっかだしな」

 レイフォンとエンラッドの意見もおおむね似たような物に落ち着いた。
 ならばもう、行動あるのみである。

「では、先に行かせて頂きます!!」
「周りにいる人達を蹴散らしちゃ駄目ですからね」
「出来る限り気をつけますわ!!」

 そうは言ったが、もはや汚染獣以外は全く眼中に無い。
 
 
 
 その後一分で、汚染獣は殲滅された。
 多くの犠牲者を出したが、それでもサントブルグはおおよそ平和を取り戻したのだった。



[18444] ヨルテムにて
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/04/10 20:34

 
 
  警告!!
  この話は復活の時の二次に当たります。
  復活の時とはなんの関係もありません。
  鋼の交通都市との関係も、おそらくありません。
 
 
 
 グレンダンを出てから八ヶ月ほどが経った。
 その間色々な事があったし、今現在も色々な事があり続けているし、おそらくこれからもあり続けるだろう。
 そう。レイフォンは常に色々な事に巻き込まれているのだ。

「え、えっと」

 ただ今現在も、五歳くらいの女の子二人が、両方の足に抱きついていると言う現実と向き合い続けているのだ。
 正確には四歳と六歳だ。
 全く知らない相手という訳ではない。
 何度か会った事はある。
 彼女達の祖父には、散々世話になっているので、そのついでのように何度か会っている。
 そう。彼女達の正体とは、交差騎士団長の、ダン・ウィルキンソンのお孫さんなのである。
 ちなみにでは有るのだが、ヨルテムでは知らぬ者がいないほどの愛妻家であるダンだが、二人の孫娘に対しては、もはや異常ともとれる愛情の注ぎ方をしているという噂を聞いた事があるし、実際に目の当たりのした事もある。
 そんな可愛らしいお嬢さんが二人で、レイフォンの足に抱きつているのだ。
 上目遣いで、必死の形相で、頬を染めたりしつつ。
 嫌な汗が背中を流れる。
 それは、抱きついている幼女達が原因という訳ではない。
 視線を感じるのだ。
 いや。もっとこう、恐るべきプレッシャーを感じるのだ。
 それはもはや、殺意と呼ぶことさえ困難なほどの、凄まじい熱量をもったプレッシャーである。
 こんな事をする人間は、幸いな事に一人しか知らない。
 幼女達の祖父である、ダンその人以外には、知らないのである。
 何人も知っていなくて、本当に良かったと思えるほどの、恐るべきプレッシャーである。
 今のダンだったのならば、間違いなくアルシェイラでさえ瞬殺する事が出来ると断言できるほどの、凄まじいプレッシャーである。

「な、何かな?」

 そんなプレッシャーに耐えながらも、幼女達に向かって質問を放つ。
 ここで、不用意な態度を取ってはいけないのである。

「あのねお兄ちゃん!!」
「私達ね!!」

 二人の可愛らしい幼女が、息を弾ませながら言葉を続けようとしている。
 そして、次の台詞でレイフォンの運命が決まってしまうのだ。
 願わくば、安眠をむさぼれるような運命であって欲しい。
 だが!!

「私達!」
「お兄ちゃんの!」
「「お嫁さんになるの!!」
「うわ」

 終わった。
 レイフォンの背中に突き刺さっていた視線が、心臓を貫通してエアフィルターを越えて、遙か彼方へと突き進んで行くのを感じる。
 視線で人が殺せるのだと、そう実感した一瞬だった。
 だが、それは幻覚である。
 現実問題として、レイフォンの心臓はまだ動いているし、ダンの視線は突き刺さり続けているし、幼女二人はまだ抱きついたままだ。
 この状況を何とかしなければ、本当にこの世とおさらばする事となる事は間違いない。
 なので、必死に頭を働かせる。
 そして、一つだけこの地獄を生き抜く方法を発見する事が出来た。
 回避できる方法でないのは、きっと神の与えた試練なのだとそう信じる。
 神など信じていないけれど、そう信じる。

「僕にはもう、心に決めた人がいるので、二人の気持ちには答えられないんだよ」

 泣かれてしまうかも知れないが、きっと大丈夫だと信じる。
 信じなければ、何かをする事など出来ないから。
 そして、心なしかダンの視線の圧力が下がったような気がした。
 だが、世界はレイフォンの事がとことん憎いのだと、そう感じる事の出来る展開が待っていた。

「私!! お妾さんが良い!!」
「私!! 二号さんになりたい!!」
「ひ、ひぃ」

 この二人は、言葉の意味が分かっているのだろうかとそんな疑問が浮かんできたが、問題はそこではない。
 背後。
 おおよそ二十メルトルほどの所で、剄の波動が猛烈な勢いでふくれあがる。
 天剣授受者などと言う陳腐な生き物を、瞬殺できるほどに激しく、汚染獣を嘲笑うほどに猛々しく。
 いや。これはもう、世界を破壊できるほどに猛然と吠える剄の流れは、間違いなく交差騎士団長の物である。
 変人だが、普段は穏やかな外見を装っているが、それが薄皮一枚である事を知っている人間は多くない。
 その内側には、恐るべき愛妻家の魂が宿り、孫娘のためならば、世界を敵に回してしまえるほどの狂おしい愛情に満ちあふれているのだ。
 正面から戦って勝てる訳がない。
 いや。不意打ちをしたところで、そこに勝機は存在していない。
 戦えば、確実に負ける事が分かっている相手ならば、選択すべき行動は自ずと決まってくる。

「だ、だめだよ。僕にはお妾さんとか二号さんを養う甲斐性が無いから」
「「ええぇぇぇぇ!!」」

 とても残念そうな悲鳴が聞こえてきたが、これで何とかなるかも知れないとそう思う。
 そう。レイフォンにはメイシェンと子供数人を養う程度の甲斐性しかないのだ。
 それ以上を抱え込もうとすれば、グレンダンのように失敗する事が見えている。
 だからこそ、この二人の将来のためにも、レイフォンは心を鬼にして突き放さなければならないのだ。
 だが、突き放した側からにじり寄ってくるのが危険や不幸という物らしい。

「私が! 私がお兄ちゃんを養ってあげる!!」
「私が働いて!! お兄ちゃんと正妻さんに楽をさせてあげる!!」
「・・・・。あぁ」

 終わった。
 幼女二人の養われる自分を想像した瞬間、レイフォンの首は宙を舞ってしまっていたのだ。
 想像の世界だけで。
 だが、この想像は確実に現実の物となる。
 なぜならば、十メルトル後方で錬金鋼の復元を感知したからだ。
 もうすぐ、この世界から永遠の退場を余儀なくされてしまうだろう。
 短い人生だったと、そう回想する時間が有る事は幸運なのだろうかと、そう考えてしまった。

(い、いや、まだ諦めるのには早い)

 そう。まだレイフォンの心臓は動いているのだし、ダンの攻撃は始まってもいないのだ。
 ここで、何とか起死回生の札を切る事が出来れば、まだ間に合う。
 そう。死んでからやり直す事はとても難しいが、生きていればきっと何とかなるのだ。
 そして、何とか言いくるめられるかも知れない事柄を思い付く事が出来た。

「僕にも意地があるんだよ。気持ちは嬉しいけれど、家族くらいは養いたいんだ。だから、今回はごめんね」
「うぅぅぅぅ」
「むぅぅぅぅ」

 とても不満そうではあるが、二人は何とか折れてくれた。
 そして、僅か五メルトル後ろまで迫っていた凶暴な剄の塊も、ゆっくりとその猛々しさを納めつつ遠ざかって行く。
 生きてメイシェンの元へと帰れる喜びを噛みしめつつ、早くツェルニに出発できればいいのにと心の底から願うのだった。
 
 
 
  と、ここまでは半年ほど前までの話。
 
 
 
 交差騎士団の中隊長補佐であるパス・ワトリングは、休日の午後を楽しむために買い物へと出掛けていた。
 ファッションになどは興味ないが、それでも買い物というのはわりかし楽しいイベントである。
 暖かな日差しを浴びつつ歩けていたのは、しかし、一瞬前までの話だ。
 突如として、両足に衝撃を感じたのだ。
 別段危険を感じるという類の衝撃ではないはずだった。
 だが、実際問題としてパスの背中を冷や汗が流れているのだ。
 暖かく弾力のあるその物体は、幼い幼女の身体である事は間違いなく、極めて平和的な衝撃であるはずなのにだ。
 これが初めてという訳ではない。
 過去、何度もこんな事態は経験している。
 だからこそ、冷や汗が背中を流れて行くのだ。
 今、パスの両足にしがみついているのは、事もあろうに、交差騎士団長であるダンの孫娘なのである。
 当然の事かも知れないが、祖父君の視線がパスの背中を貫通して、都市の外へと爆進している。

「えっと。今日はどんなお話かな?」

 流石に、五歳の子供に強面で対応する事など出来ないので、出来うる限り丁寧に話しかける。
 だが、この対応一つだけでも、何故かダンの視線が強力になってしまった。
 既に、パスの身体を消し炭に出来るだけの破壊力を持ってしまっている。
 この後も、破壊力が上がる事はあっても衰える事はないだろう。
 何故か、そう確信できてしまった。

「「私! お姉ちゃんのお嫁さんになる!!」」
「・・・・? は?」

 だが、その視線でさえも一瞬威力を無くしてしまった。
 それ程の破壊力を、二人の幼女は放ったのだ。
 当然の事、パスの受けた衝撃も凄まじく、周りを見回して、現実に起こった事であるのかを確認してしまったほどだ。
 そして確認出来た事と言えば、周りを歩いている人達が怪訝な顔でパス達三人を見ているという現実だけだった。
 何かやっている事は分かっても、詳しい状況までは理解できていないと言ったところだろう。
 周りの確認は済んだので、パス自身に何が起こっているかを再確認する事とする。
 まずは、パス・ワトリングと言う武芸者について。
 念のために、念のために言うのだが、パスは女性である。
 遺伝子に刻み込まれた性別は、どんな事があろうとも変更される事はないだろうと、そう確信できるほどに完璧に刻み込まれているはずだ。
 ついでに、幼女二人についても確認する。
 女性であるという一点において、抱きついてキラキラした瞳でこちらを見上げている幼女二人も一緒なはずなのだが、もしかしたら、パスの記憶が間違っているのではないかとそんな疑念が浮かび上がってきてしまう。
 第二次成長を迎えていない子供の性別を視覚的に確定する事は、割と困難なのである。
 だが、それにしてもおかしい。
 抱きついているのが男の子だった場合、お嫁さんになるとは言わないはずである。
 お婿さんになりたいと、そうなるはずである。
 だが、そうはなっていない。
 お姉ちゃんのお嫁さんになると、そう言うのだから、間違いなくパスを女性だと認識しているのだし、自分達も女性であると確信しているはずだ。

(い、いや。よく考えるんだ)

 全身全霊を込めて冷静さを取り戻し、事態をこれ以上こじらせないように思考を進める。
 抱きついているのは、五歳と七歳の幼女である。
 決定的に認識が間違っていると考える事は出来るだろうか?
 出来る。
 パス自身にしても、子供の頃は色々な誤解を連発した記憶がある。
 ならば、この二人が何らかの誤解をしていてもおかしな事はない。
 取り敢えず、この辺から突っ込んで行く事とする。

「あ、あのだね」
「「なに?」」

 声を揃えて、小首をかしげる二人の幼女は、これ以上ないくらいに可愛らしいと言える。
 後ろからも、桃色の剄が漂ってきているくらいには、とても可愛らしい。
 だが、この可愛らしさにほだされてしまってはいけないのだと、自らを奮い立たせる。

「一応。一応私は女なのでな」
「「知ってるよ!!」」

 元気よく右手を挙げて、自らが無知でない事を主張する。
 知っている事と、理解していると言う事と、納得していると言う事には、大きな溝が存在しているのだと、これ以上ないくらいに知らしめるその幼女へと向かって、パスは言葉を続ける。

「女性はだな」
「「うん!」」
「お嫁さんをもらう事は出来ないのだ」
「・・・? え?」
「・・・? ん?」

 理解できていない事を表現するためだろう、二人の幼女の首は再びかしげられた。
 それから僅かに一秒後、首の位置が元に戻り、二人はお互いを見詰める。
 これで理解してくれれば、パスの休日は安泰となるのだが、果たしてどうなる事やら。

「なら!」
「私達!!」
「「お姉ちゃんのお婿さんになる!!」
「・・・・・・・・・・・・。ああ」

 賽は投げられてしまった。
 とても小さく柔らかな二人の手を、細心の注意を払ってズボンから外す。
 それと同時に、最高速で剄を練り上げる。
 漂い出ていた桃色の剄が、一気に深紅へと変わってしまった以上、パスに出来る事はただ一つなのだ。

「済まないが、少々用事が出来てしまったようなのでな」
「「えぇぇぇぇぇぇ!!」」

 二人の唇から、不満の叫び声が聞こえるが、それにかまっていられる状況ではないのだ。
 抗議の声を聞きながらも、二人を吹き飛ばさないように細心の注意を払いつつも、横っ飛びの旋剄で逃げ出す。
 一秒と経たない間に、深紅の剄をまとい、孫娘の愛に狂った何かが追いかけてくる事を認識できた。
 こうして、パスの休日は命がけの追いかけっこで終わる事となったのだった。




[18444] 超学園都市ツェルニ
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/06/26 20:05


 交通都市ヨルテム出身のナルキ・ゲルニは武芸者である。
 現在は、とある事情により母都市を離れて学園都市へと留学中である。
 なにやら犯罪を犯したようなことを言っていた、幼馴染みのミィフィと、なにやら決意を固めたらしい幼馴染みのメイシェンと一緒である。
 平穏無事な旅を終えて、その途中で少しおかしな武芸者と出会って、そしてツェルニで、ある意味運命的な出会いをしてしまっていた。
 別段、運命の赤い糸で結ばれた男性と知り合ったという訳ではない。
 それはそれで有りな展開だが、今のところそんな気配はない。

「・・・・・」

 学業と都市警での仕事に一生懸命になる自分を、ナルキ自身は結構好きではあるのだが、ふとした拍子に寂しさを感じることがあるような、無いような。
 だが、今はその問題から離れて、ツェルニで知り合った超弩級の危険人物へと視線を向ける。
 グレンダン出身の武芸者であり、同級生であり、更に何故か不明だが、同じ建物に住んでいる人物へと視線を向ける。
 出来れば、同じ建物に住むのは避けたかったのだが、何時の間にか、経緯も全く不明な展開で、扉を開けた直後に遭遇するという生活を送ることとなった。
 茶髪をツィンテールにした怪しげな生き物の暗躍が、有ったような無かったような気配がしているが、今は兎に角、右目に眼帯をした金髪の少女へと視線を向ける。

「速く戦争になぁれ!!」

 浅い角度で入ってくる日差しは暖かく、今日も明日も明後日も良い天気が約束されているような、そんな爽やかな時間に響くのは、とても明るく澄み渡った少女の声に他ならない。
 内容が非常に物騒だが、それでも、それを発した少女の危険さに比べたらどうと言う事はないと、そう断言できる。
 なぜならば。

「でないと、ブチって潰しちゃうぞ?」

 小さな声で発せられたその台詞はしかし、ツェルニを一瞬痙攣させるのに十分な威力を内包している。
 そう。活剄で感覚を強化していなければ気が付かないほどに小さいが、リーリンがささやいた瞬間にツェルニが痙攣するのだ。
 最初の頃は気が付かなかった。
 だが、ナルキの感覚の何処かに違和感が残っていた。
 それを探るために、感覚を強化している最中、リーリンの呟きと同調しているツェルニの痙攣を感知してしまった。
 それはつまり、目の前の危険人物がツェルニを破壊できると言う事に他ならないはずだ。
 知りたくない事実だったが、知ってしまった以上これを何とかしなければならない。
 何とかしなければならないが、ナルキごときの普通の武芸者にどうこうできる問題でないことも分かりきっている。
 そう。相手は間違いなく、自律型移動都市そのものを破壊することが出来る実力を、その身に宿しているはずなのだ。
 そうでなければ、恐怖のあまり都市が痙攣するなどと言うことは考えられない。
 そんな異常武芸者をどうにかするなどと言うことは、一般武芸者には無理。
 そして、殆どの人は都市を破壊できる武芸者がいるなどと言うことを信じてくれる訳がない。
 つまり、どうにもならない。

「うん。レイとんに何とかしてもらおう」

 最終的には、旅の途中で知り合った少し変な武芸者に丸投げすることとした。
 それまでリーリンの我慢が続けばいいのだが、それはもう運に頼るしか無いだろう。
 こうしてナルキの平穏な日常は、少々のスリルと共に過ぎて行くこととなったのだ。
 
 
 
 そして、それは唐突に現れた。
 いや。正確にはツェルニがその場所へと突っ込んでしまった。
 リーリンはそう言っていたが、それが正しいかどうかナルキには分からない。
 分かっていることと言えば、某危険人物がとても面倒くさそうに戦いの準備をしていると言う事だけだ。
 どこからか取り出したのは、とても大きな金属の塊が三つ。
 都市外戦装備一式と、曰くありげな錬金鋼が一本。
 何故そんな事が分かるかと問われたのならば、話はとても簡単である。

「ナルキ。こっちに背中向けて」
「あ? ああ」

 ヨルテムで散々馴れていたが、都震というのはあまり気分の良い物ではない。
 突如としてやって来るし、暫く動けないから汚染獣との戦闘も覚悟しなければならない。
 ヨルテムで経験した都震で、汚染獣がやってきたことはなかったが、ツェルニは何故か汚染獣の住み着いていた洞窟を踏み抜くという形で、都震を起こしてしまった。
 これだけで既に問題だが、実はこの後からナルキの不運は始まったのだ。
 都震が起こったならば、武芸者の出番は必ずあるからと、都市警へと向かおうとしたナルキだったが、廊下を走り出した瞬間に腕を捕まれ、そしてリーリンの部屋へと連れ込まれてしまっている。
 そして目にしたのが、とても面倒くさそうに準備をしているリーリンだったという訳である。

「これを背負って」
「なんだ、これ?」
「剄を溜め込んでおくための装置だと思って」
「ぐっ!」

 そう言いつつ背負わされたのは、とても大きなランドセルのような物だった。
 だが、ランドセルなどと言う平和的な道具でないことは間違いない。
 大きさから想像した重さとは、桁違いの負荷が身体にかかったことからもそれが分かろうという物だ。
 思わず苦鳴を漏らしてしまうくらいに重かった。
 おそらく、構成物質の殆どが金属で出来ているのだろうと予測できるほどに、それは重かった。
 ふらつきつつも、何とか活剄を動員して転倒を免れる。
 だが、問題は更に続く。

「で、これで弱敵を薙ぎ払ってね」
「こ、これって」

 それは、全長が一メルトルほども有り、太さも確実に五十センチはあった。
 持ちやすいように上部に取っ手が付いているのは良いだろう。
 前に出した手で吊り下げ、体幹側の持ち手で方向を決定する。
 体幹側にある持ち手には、ご丁寧に引き金まで付いていると言う親切設計だ。
 引き金なんて物をなんのために使うのか?
 それは簡単である。
 この機械を動作させるため以外には考えられない。
 全長の半分ほどの長さを持つ、六本の銃身を筒状に配置した、知識としてしか知らないこの機械を動作させるのだ。
 六本の銃身を回転させて、そこから剄弾を撃ち出す構造を動作させるために使うのだ。
 ガトリングガンと呼ばれるこの手の武器は、ヨルテムにもあることはある。
 だが、剄弾仕様とした場合には、供給と消費のバランスが取りにくく、実弾仕様とした場合には、弾薬を大量に消費するために非常に使い勝手が悪く、一度として実際に使われているところを見たことはない。
 活剄を総動員しつつ、明らかにナルキには扱えない超重量級の武器を支えつつ疑問に思う。

「これって、私は使えないぞ」
「引き金を引き続けて、着弾点を修正していれば平気よ。それに相手は無駄に多いから何時か必ず当たるわ」
「い、いや。引き金を引き続けていたら、すぐに私の剄量が尽きると思うんだが」
「大丈夫よ。剄の供給は私がやるから、ランドセルにため込める剄だけでも一分は撃てるから、ナルキは兎に角引き金を引き続けて、幼生体を虐殺して回って」
「で、出来るのか、私に?」
「論より証拠。危なくなったら私がこれで蹴りを付けるから」

 そう言いつつ、両手に一機ずつ持っているのは、ナルキが持つ物よりも一回り小さいだけのガトリングガン。
 合計三台の、やたらに剄を消費する武器に同時に供給できるという規格外の武芸者の恐ろしさを、ヒシヒシと感じるナルキだが、生憎とこれ以上のんびりしている時間はない。
 そう。汚染獣との戦いは目前に迫っているのだ。
 いや。実際にはそろそろ戦端が開かれることだろう。
 だが、ナルキが戦場へ到着するのには、まだかなりの時間がかかってしまうだろう。
 総動員した活剄をもってしても、ナルキが移動する速度はあまりにも遅いからだ。
 巨大な金属の塊を二つも持っていては、普通の武芸者でしかないナルキが高速移動することは出来ないのだ。
 だが、それは一人だったらの話だった。

「よっこらしょっと」
「うわ!!」

 いきなり、肩からガトリングガンを二機ぶら下げたリーリンに持ち上げられ、開いたままだった窓から外へと運び出された。
 更に、何も持っていないナルキの全力を上回る速度で屋根の上を飛んで戦場へと向かう。
 もはや、言われるがままに目の前の仕事をこなす以外の選択肢は、存在していないことだけは間違いない。

「全く。幼生体と死にかけの雌性体なんて私が出るまでもなく虐殺できて当然だってのに、どうして戦場に出なきゃならないのよ」

 高速移動中だというのに、全く平然と愚痴を言いつつ飛ぶ超危険人物は、とても不満のご様子だ。
 そして、この事態はナルキの予測をおおよそ裏付ける物だ。
 汚染獣が攻めて来たというのに、その事に何ら動揺することなく、相手が弱すぎて話にならないとそう愚痴っている。
 そして、その愚痴はおそらく過信ではない。
 自信でさえないかも知れない。
 もしかしたら、本人的には、単なる事実なのかも知れない。
 そう確信している間に、戦場の端っこへと到着してしまっていた。
 目の前には、記録映像でしか見た事がない津波を思わせる幼生体の大群。
 だが、ナルキをここまで運んできた危険人物はあからさまに嫌そうな顔をしているだけだ。

「弱いって本当に罪だと思うわよね、ナルキ?」
「わ、私に同意を求められても困るんだが」

 はっきり言って、ナルキは罪だと言われた弱い側なのだ。
 例えば、リーリンとやり合ったとしたら、おそらく、文字通りに瞬殺されてしまうだろう。
 それくらいは、この数十秒の体験で十分以上に理解できている。

「じゃあ、さっさと駆除しちゃいましょう」
「スルーかよ!」
「さっさと駆除して、さっさと戦争になって、そしてさっさとレイフォンと遊びたいのよ」
「武芸大会にならないと無理だからな」

 出来れば、マイアスと遭遇しないと良いなと思っているナルキと、速くレイフォンに引き渡さないとツェルニが危険だと考えているナルキが同居している。
 だが、今だけはその考えを身体の外へと放り投げて、大雑把な方向を決めて引き金を絞り込む。
 途端に猛烈な駆動音と共に、青い剄弾が銃口から迸り出て、遙か彼方の空間を薙ぎ払った。
 ぶっちゃけ大きく外れている。
 だがめげている暇など無い。
 なんと、目の前には空腹を訴えている人外の化け物が涎を垂らしつつ、ナルキに向かって突進中なのだ。

「う、うわ!!」

 引き金を引き絞ったまま、右手で持ったグリップを動かして射線を汚染獣へと向ける。
 下手な鉄砲数撃ちゃ当たると言うが、それが紛れもない真実だと言う事を証明するかのように、連続して撃ち出される剄弾が汚染獣を捉える。
 途端に、今まで突っ込んできた醜い化け物が細切れになって粉砕されてしまった。

「あ、あれ?」

 そう。全くもって何かを成し遂げたという気持ちになれないほどに、あっさりと殲滅できてしまった。
 だが、恐るべき光景はこれからだった。
 いや。光景ではない。なぜならば。

「ほらほら」
「う、うわぁぁぁぁぁ」
「こ、こっちじゃないだろう!!」
「ひぃぃぃぃぃぃ」

 ナルキは、汚染獣に向かって立っている。
 だと言うのに、何故か不明なのだが、後ろから悲鳴が聞こえてきているような気がする。
 しかも、明らかに人間の悲鳴であると断言できるかも知れない。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 振り返っては駄目だ。
 ナルキは自分に強く言い聞かせて、引き金を引き絞りつつ射線を移動させて幼生体を次々と殲滅して行く。
 この行為だけが、ナルキがやるべき事なのだと固く信じていられたのは、しかし、僅かな時間でしかなかった。
 体感時間的には長かったが、おそらくは一分程度。
 剄の補給がない以上、それ以上引き金を絞っても弾は出なくなる仕組みだ。

「リンちゃん」
「もっとよ! もっと必死に逃げ回りなさい!!」
「ぎやぁぁぁぁ!」
「おたすけぇぇぇぇ!!」

 振り返らなければならない時が来たことだけが、はっきりと分かった。
 そう。引き金を引き絞ろうが何をしようが、剄弾が出なくなってしまったのだ。
 つまり弾切れ。

「もう! こんな情けない武芸者なんか皆殺しにしちゃうぞ!!」
「リンちゃん!!」

 実際に皆殺しにしかねないリーリンを止めるために、精一杯の大声を出した。
 そして振り返り、リーリンの肩を掴んで汚染獣の方へと向かせる。
 その時、汚染獣との戦闘とは全く無関係に、惨憺たる有様になっているツェルニ武芸者の姿を見たような気がするが、全力で無視して話を続ける。

「弾が切れた」
「えええええ!! まだ遊び足りないのにぃぃぃ」

 そう言いつつ、二機のガトリングガンを汚染獣へと向け、ナルキとは比較にならない勢いで汚染獣を駆逐して行く。
 それはもう、虐殺という言葉さえも物足りない、恐るべき光景だった。
 横殴りの瀑布という単語を、時々小説などで読むことがあるが、実際にそれを目の当たりにすることになるとは思いもよらなかった。
 そもそも、剄の供給量には余裕が有るので、発射速度が無茶苦茶に速い上に、心なしか一発の威力も大きいような気がする。
 きっと気のせいだが、そんな気がしてしまう。

「バーメリンからこれかっぱらっておいて良かったわよねぇ」
「誰だ?」
「そうじゃなかったら、外縁部ごとぶっ壊さなきゃならなかったし」
「い、いや。小技とかって有るだろう普通」
「はい終わり」
「うげ!」

 ナルキが何度か突っ込んでいる間に、目の前にいた汚染獣は全て残骸となり果てていた。
 馴れていないと言う事も出来るだろうが、一分間引き金を引き続けていても、大して数を減らせなかったことを考えると、やはり一発の威力と発射速度が上がっていると考えるのが妥当だろうと、そんな恐るべき危険性に行き着いた。

「さあ! 次行くわよ!!」
「リンちゃんだけが行くって言うのは、なしだよなぁ」
「私だけが行ったら、遊べないじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・。遊ばずに仕事を片付けようとかは、思わないんだよな」
「うん」

 元気よく返事をしたリーリンに引きずられて、ナルキは次なる戦場へと移動するのだった。
 そう。リーリンのお仲間だとそう判断しているらしい、ツェルニ武芸者の視線を背中に受けて。
 
 
 
 途中色々あった。
 各戦闘区域で、ツェルニ武芸者の悲鳴が上がったことだけは明確だったが、それが誰の物だったのかなどナルキに覚えている気力はない。
 だが、恐るべき事がこの戦闘区画では平然と進行し続けているのだ。

「ああ。ゴルネオさんだ!!」
「ヴォルフ」
「たぁぁりゃぁぁぁぁ!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「にゃにゃにゃにゃにゃ!!」

 第五小隊が担当している戦闘区画に到着した瞬間だったと断言できる。
 知り合いでもいたのか、リーリンがとても親しげに声をかけた次の瞬間、猛烈な銃撃音が背後で響き渡り、更に人間の悲鳴と、少し違った感じの絶叫が耳朶を打つ。
 なにやら言いかけたらしい男性の声をかき消すかのように始まった銃撃だったが、なにやらとても楽しそうな気配が漂ってきているような気がする。
 だが大丈夫だ。
 同じグレンダン出身で、リーリンのことを知っているのだったら、きっと大丈夫だ。
 そう自分に言い聞かせつつも、いい加減に馴れた銃撃を浴びせて目の前の汚染獣を駆逐して行く。
 もう振り返ることに疲れてしまった。
 リーリンと同じ種類の生き物だと、そう思われても良いかと、そんな諦めの気持ちと共に引き金を引き絞り続ける。

「あはははははははは」
「お、おやめ下さいヴォルフ!」
「その先を言ったらぷっちんて潰しちゃうぞぉぉ」
「お、おやめ下さいぃぃぃぃぃ」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
「そっちの赤毛猫も、もっと必死に逃げないと細切れの刑だぁぁぁ!!」

 今までに無いくらいに、盛大にはしゃいでいるらしいリーリンの絶叫と、それに振り回されている武芸者の悲鳴。そして、やはり人間とは少し違った叫びを聞きつつ、ナルキは違和感を覚えていた。
 そう。今までは一分が過ぎると弾切れを起こしていたガトリングガンが、いつまで引き金を引き絞っても連射を続けられるのだ。
 前の戦闘区画では、おおよそ三分の一を駆逐した辺りで弾切れが起こっていたが、既に半分以上始末したのにまだ剄弾を吐き出し続けていることからして、この感覚に間違いはないはずだ。
 そして、すぐそこに危険がないことを確認したナルキは、そっと振り返った。

「・・・・・・・・・・・・。リンちゃん?」

 振り返って、そしてそこで展開されている光景を見て喫驚してしまった。
 銀髪を短く刈り込んだ巨漢が、連続して吐き出される剄弾から逃げ回り、その脇をかなり小さな赤毛武芸者も一緒になって転げ回っている。
 いや。赤毛武芸者は四つ足で走り回っていると言って良いかも知れない。
 だが、問題は断じてそこではない。
 そう。ガトリングガンを二人に向かって集中的にぶっ放しているリーリンの背中が、軽くナルキの背負っているランドセルに触れているのだ。
 つまり、攻撃で消費する剄量を瞬時に補給し続けているという訳で、リーリンが消耗しない限り永遠に撃ち続けられると言うことになる。
 それはつまり、あの二人の地獄が永遠に続くと言う事になる。
 いや。二つだけこの地獄を終わらせる方法がある。
 一つ目は、諦めて剄弾にさらされれば、死という安楽の世界へと旅立つことが出来る。
 そしてもう一つ。
 もう一つの方法を実行に移すために、ナルキは全力で汚染獣の駆逐という作業へと戻る。
 これ以上、後ろは振り向かないで、必死に、全力で、脇目もふらずに渾身の力を振り絞って。

「リンちゃん」
「おりゃぁぁぁぁ」
「どわ!!」
「にゃん!!」

 なにやら、決定的な何かが起こったような気がするが、引き金から指を離したナルキは決して振り返らない。
 僅かに前へと身体を動かして、リーリンの注意をこちらに向ける。
 軽く触れているだけだったが、これで十分に気が付くだろうと予測できていたし、それは今回間違いではなかった。
 その証拠として、やや不機嫌な視線が背中に刺さったのだ。
 リーリンがこちらに向いたに違いない。

「ナルキ、どうかした?」

 その声にも、やや棘がある。
 だが、仕方が無いのだ。
 もはやどうすることも出来ない状況なのだ。

「汚染獣がいなくなった」
「なぬぅぅ?」

 とても怖い声と共に、ナルキに突き刺さっていた不機嫌な視線が横へと移動し、汚染獣の残骸へと向けられるのが分かった。
 そう。ナルキが認識できる範囲内にはもう、生きて動いている汚染獣はいないのだ。
 全てガトリングガンの餌食となってしまっている。

「っち! 本当に弱いって罪よねぇ」

 そう言いつつ、やっとの事でリーリンの持つガトリングガンの銃声が止まった。
 これで地獄を見た二人は、きっと解放されることだろう。
 この先、似たようなことが何度か起こるかも知れないが、ナルキにはどうすることも出来ないのだ。

「また遊んで下さいねゴルネオさん!!」
「む、むりです」
「ぷしゅぅぅぅ」

 限界を超えてしまった二人の声を聞きつつ、後どれくらいツェルニ武芸者に悲劇が降りかかるのだろうかと考える。
 指揮命令系統を全く無視した上に、味方に湿舌に尽くしがたい苦痛を与えたリーリンと、そのとばっちりを食らっているナルキにどんな沙汰が下るのだろうかという、そう言う自分が体験するだろう地獄にも思いをはせるが、今は兎に角汚染獣の撃退こそが優先されるべきである。
 そう決意したナルキは、いい加減に限界に近付いている活剄を酷使して、次なる戦場へと足を運ぶのだった。
 
 
 
 色々あった。
 色々ありすぎた。
 色々無かったことにしたい。
 そんなナルキは、とうとうツェルニ外縁部へと押し寄せてきていた汚染獣を全て駆逐することに成功していた。
 途中からコツを掴んだために、殆どナルキ一人で汚染獣を駆逐してしまった。
 ちなみに言うのだが、コツを掴んだのはリーリンだ。
 ナルキが背負うランドセルに適度に剄を補給しつつ、二機のガトリングガンを駆使して、ツェルニ武芸者を虐めるためのコツを掴んだのだ。
 どれほど恐ろしいことになっていたか、ナルキは知らない。
 知りたくない。
 せめて死者だけは出ていないで欲しいと、そう願っているだけだ。

「こ、これで終わりか」

 へたり込んだナルキの横では、とても生き生きとしたリーリンがガトリングガンを地面へと置いた。
 長いようで短い戦闘は、やっとの事で終演を迎えたのだとそう思った。
 後始末が残っているから、そちらはそちらでまた大変なことになるだろうが、兎に角、今は手足を伸ばしてゆっくりと眠りたい。
 だが、ナルキの願いは叶えられそうにないことが、リーリンの様子から何となく分かってしまった。

「やっと本番ねぇ。長かったわ!!」
「ほ、本番って? そう言えば死にかけのがいるとか何とか」

 ふと、外縁部へと移動している最中にリーリンが漏らしていた愚痴を思い出す。
 あの時、確かに幼生体とは別の汚染獣が居るというようなことを言っていたはずだ。
 そして、間違いなく今まで虐殺して回っていた幼生体よりも強力で、リーリン的に楽しめる相手であることが伺える。

「うん? 近くにいるのは幼生体を吐き出して死にかけている雌性体で、それは別段怖くも何ともないわよ」
「え? じゃ、じゃあ、なんでそんなに楽しそうなんだ?」

 てっきり雌性体とやらが本来のお目当てだと思っていたのだが、なにやら少し違うようだ。
 そして気が付いた。
 近くにいると、限定しているという事実にだ。

「雌性体って、自分の生み出した幼生体が全滅すると仲間を呼ぶのよ」
「え?」
「子供の復讐をするためか、近くに餌がいることを教えるためか分からないけれど」
「お、おい?」
「だから、幼生体を全滅させるのと同時並行して雌性体も始末しなきゃならないんだけれど」
「ま、まってくれ」
「念威繰者がいないとそんな事出来ないじゃない」
「い、いや」
「だから次善の策としてね、次にやってくるのを私が叩き潰すのよ」

 そう言いつつ、剣帯から取り出した錬金鋼を復元する。
 それは、とても巨大なハンマーだった。
 銀色に耀くそれは、ナルキの知っている材質ではないような気がするが、今そんな事はどうでも良い。
 問題なのは、この後もう一戦やるつもりの危険な武芸者の方だ。

「ああ!! 久しぶりに骨のある奴と戦えるかしら? 老性体なんて贅沢は言わないわ!! でも! でも! せめて雄性体の三期以降じゃないと、この私の熱く燃える魂は静まらないわ!!」

 吠え猛る武芸者の周りから、今までに感じたことがないほど猛々しく、それでいて洗練された剄が迸り出る。
 その余波だけでナルキは死を覚悟するほどに凄まじい。
 だが、事態は急変するのだ。

『済まないが少々時間をもらえるだろうか?』

 冷静な声が何処からともなく聞こえてきた。
 その発信源を探したナルキの視線に、桜の花びらのような念威端子が飛び込んできたが、それは別段驚くことではない。
 なぜならば、辺りに人の気配はしないからだ。
 そう。先ほどまで逃げ惑っていた武芸者さえ、今この場にはいない。
 つまり、リーリンと二人っきり。

「・・・・・・・・・・・・・・。凄く嫌な物を感じてしまっている私がいる」

 そう。二人っきりという表現にとても嫌な物を感じているのだ。
 何かこう、この先不幸になる確信が漂っているような。

「なになに? もしかしてツェルニを戦場にして良いとか? それだったら大歓迎よ」
『いや、そう言う話では無いんだよ。君の言う雌性体を出来る限り素早く殲滅して欲しいんだ』
「ええええええええ!! そんなもったいないこと出来る訳無いじゃない!! いよいよメインディッシュなのよ? これからが本番なのよ? どんな奴が来るか分からないって言うわくわく感が溜まらないじゃない!!」

 既に理解しているつもりだったが、改めて言葉にされるととても恐ろしい物を感じてしまうナルキは、少し頭を捻る。
 都市外戦装備を身につけていると言う事は、外での戦闘を考えているのだろうが、この調子だとすぐ側で超絶の戦いが始まってしまいそうだ。
 超絶の戦いなどと言う物は、出来れば一度見てみたいと思っていたのだが、その浮ついた思いを今は後悔している。
 超絶の戦いなどと言う物は、ナルキの知らないところで始まって、与り知らないところで終わって欲しいと、心の底から願っているのだ。
 そして、現時点で声の主とリーリンがのんびりと交渉している時間は、おそらく無い。
 既に幼生体とやらが殲滅されてから、五分近くは経っている。
 そして、おそらくリーリンは理解している。
 このままのんびりと交渉をしていれば、勝手に時間切れになると言う事を。
 だからこそ余裕の態度なのだと。
 だからこそ、ナルキは頭を使うのだ。

「なあ、リンちゃん?」
「なになに?」
「あんまりツェルニの近くでドンパチやるとさ」
「うんうん♪」
「ツェルニが怖がって引きこもりにならないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。自律型移動都市が引きこもるって何処に家があるのよ?」
「本来の巡回路から一歩も出ないぞって心に誓って、汚染獣とか他の都市とかと関わらないようにするとか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あり得ないなんてあり得ないのよね」
「そうだな」

 リーリンの望みは何かと問われたのならば、最終的にはレイフォンで遊ぶことだ。
 そのためには、どうしても他の都市、具体的にはマイアスと接触する必要がある。
 だが、もし、ツェルニが引きこもってしまったのならば、汚染獣は兎も角としてマイアスには近付かないかも知れない。
 その不安をリーリンに植え付けたのだ。

「うむむむむむむむむむ。仕方が無いか。レイフォンをプチって出来なくなったんじゃ本末転倒だし、クララに先を越されるのはいやだし」

 クララが誰なのか未だに知らないが、知りたくもないが、どうやらリーリンは雌性体の殲滅という方向に舵を切ってくれたようだ。
 一安心である。

「でも、具体的な雌性体の場所って何処なのかしら? 優秀な念威繰者でもいないと、流石に地下にいるから分からないのよねぇ?」

 流し目を念威端子へと送る。
 それはつまり、リーリンにもどうしようもないことがあるのだと、そう主張しているのだ。
 だが、冷静な声の主はただ者ではなかった。

『それは問題無い。既に位置の特定は出来ているし、そこまでの進行ルートも割り出してある。後は君のやる気次第だ』
「っち!」

 舌打ちをしたところを見ると、どうやらリーリンはまだ次にやってくる汚染獣との戦いに未練があったようだ。
 ツェルニが引きこもりにならないように、手加減して勝つつもりなのか、それとも電子精霊の行動に干渉できる術でもあるのか、それは不明だが、未練があることだけは十分に理解できた。
 ならば、少しだけナルキが背中を押してやっても良いかもしれない。

「メイシェンが怖がって、暫く料理を作らなくなったら、外食で過ごさなきゃならないな」
「うぅぅぅぅぅぅ」

 たいがいにおいて武芸者とは、都市によって優遇されているのだが、リーリンの場合なにやらとても良いところのお嬢様であるらしく、無駄とも言えるほどに舌が肥えていたりする。
 それはつまり、普通の食事では満足できないと言う事であり、必然的に食費が上がるか、腕の良い家庭料理人を確保するかしかない訳だ。
 そして、ここが重要なところではあるのだが、メイシェンはとても腕の良い家庭料理人だ。

「はあ。分かったわよ。かなり不満だけれど雌性体を叩き潰してくれば良いんでしょう? 分かったわよ」

 なおも愚痴を言いつつヘルメットを被り、復元したままだった錬金鋼を振りかぶり、念威端子が指定した方向へと飛んで行ってしまった。
 そして数秒後、数キルメルトルは離れているはずだというのに、ツェルニを揺るがせるほどの衝撃が襲ってきた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。貴方のお名前伺ってよろしいでしょうか?」
『う、うむ。カリアン・ロス。生徒会長などやっているのだが』
「逃げ出したくなりますよね、今の見ちゃうと」

 何かあったら声の主カリアンへと責任を投げつけようと思っていたが、そんな必要は始めからなかったのだ。
 そう。この声の主こそ、ツェルニで起こった事柄の全責任を取るべき立場にいる人だったのだから。
 だが、それでも、ナルキにとっては他人事にはなり得ない。
 なぜならば、ツェルニ武芸者に対する暴行罪の共犯であると見なされているからだ。
 ヘビーな学園生活になる。
 その事だけがはっきりしたのだった。
 
 
 
  後書きに代えて。
 
さて、予定よりも一月ほど遅くなりましたが、超学園都市をお送りしました。
前回レイフォンが不幸にならなかったので、今回はツェルニの武芸者の皆さんに不幸になってもらいました。
少しチャカチャカした感じで、複線をみんな吹っ飛ばして幼生体戦でしたが、いかがだったでしょうか?
いきなりフェリが汚染獣戦に協力していますが、これにはきちんとした訳があります。
それは次回のツェルニ編で書くつもりですので、しばらくお待ち下さい。多分年末くらい。
ニーナについても、色々考えていますので、こちらも同じところで書くつもりです。

原作二十四巻読みました。
レヴァンティン戦では有ったはずの、熱が無くなっていたような気がするのは、俺だけでしょうか?
いや。ニーナが主役みたいだったんで、かなり偏見が入っていることは自覚しているんですが、それでもなんか、物足りないというか、一味足らないというか。
結局ニーナは指揮官にはなれなかったと言う事がはっきりしたけれど、あまり問題にはなっていないかな? 武芸長になって、上手くやれているのかはとても大きな疑問ですが。
天剣授受者で見せ場があったのは、せいぜいがリンテンスくらいな物で、後は陛下の暴走が目に着いたくらいで、なんだか、そう、密度が薄かったようなそんな感じを受けました。
俺の偏見なんですけれどね。
二十五巻があるそうなので、それを楽しみにしていましょうか。

そうそう。これは全く余談なんですけれど、世の中には倉山満という人がいるそうです。
大学で日本史かなんかの講師をやっているそうですが、問題はこの人の愛称。
そう。クララ。
一瞬、危ない人かと思ってしまいました。
実際はどうなんでしょうねぇ?

そうそう。復活の時ですが、お盆の頃には更新できると思いますので、お待ち下さっている方はもうしばらくの辛抱です。



[18444] 隊長は天剣授受者 その1
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:48


 グレンダン女王であるアルシェイラ・アルモニスは、とても仕事が嫌いである。
 いや。もっとこう、面倒ごとがとことん嫌いである。
 何処かに優秀な怠け者がいたら、女王の名代をやらせて一日昼寝をして過ごしたいとさえ思っているほどに、仕事と面倒ごとが大嫌いである。
 そんなアルシェイラだが、嫌々ながらでも仕事をしなければならない時と言うのが、確かに存在している。
 それはたいがいにおいて、仕事をサボると後で余計な面倒ごとがやってくることが分かっている時だ。
 そう。目の前にいる十一歳になったばかりの天剣授受者絡みの仕事は、今、手を打っておかなければ間違いなく後々面倒ごとになる。
 それが分かっているからこそ、嫌々仕事をしているのだ。
 そして、嫌々仕事をする以上、長引くなどと言うことはまっぴらごめんである。
 一応跪いているつもりのレイフォンに向かって、一撃必殺の攻撃を放つ。

「闇の賭試合に出ているそうだな」
「!!」

 天剣授受者となって王宮に出入りする間は、常に張り付いている無表情を崩して驚愕を浮かび上がらせるレイフォンを観察する。
 そして、驚くべき物を発見してしまった。
 硬直しつつこちらを見詰めるレイフォンの瞳に、驚いて固まっているアルシェイラが映っているのだ。
 それは当然のことであると断言できる。
 なぜならば、このグレンダンでデルボネに隠れて何かすることは、とても困難であると言う事は当然の事実として知っているはずのレイフォンが、あれだけ大事となっている闇の賭試合をこちらが知らないと、そう思っていたからだ。
 そう。レイフォンもアルシェイラが知っていると思っていると、そう考えていたのに全くそんな様子が見えないからこそ、質問を放った方も驚いてしまっているのだ。

「思っていたよりも莫迦だったのか」

 自分にしか聞こえないように、口の中だけで言葉を転がせる。
 出来るだけ苛立ちを表面に出さないように注意しつつ、これからどうするかを考える。
 そう。自分の馬鹿さ加減に嫌気が差しているという事実を、レイフォンに悟られないために細心の注意を払わなければならないのだ。
 そう。アルシェイラは自分が思っていた以上に、怠惰な愚か者だったと気が付いたことを、知らせる訳には行かないのだ。
 レイフォンは違うのだと言うことを、きちんと認識できなかったアルシェイラ自身への苛立ちで、目の前の子供を動揺させるのはとても大人げないことだと、そう考えているからに他ならない。
 そう。レイフォンは違ったのだ。
 サヴァリスの言葉を借りるならば、天剣授受者とはなるべき人間がなる物だ。
 何処で生まれようと、年齢がいくつだろうと、性別が何であれ、人格さえも考慮されることなく、なるべき人間がなるのが天剣授受者だ。
 いや。人格や生まれを考慮しなくなったのは、アルシェイラが玉座に着いた時からではあるが、それでも、本質的には変わっていない。
 だが、それでも、レイフォンは違ったのだ。
 グレンダン生まれの天剣授受者は、おおむね名門の生まれである。
 ルイメイのように違うこともあるが、それでも、武芸者の中で生活してきたために、天剣授受者という物がどう言う物かと、都市の運営という物はきちんと理解している。
 戦闘狂と言われるサヴァリスは、名門中の名門、ルッケンスの御曹司であるし、自分よりも強い者にしか興味がないという限定された性格のために、大きな問題を起こしていない。
 では、レイフォンはどうだろう?
 刻んできた歴史は長いが、基本的に零細武門であるサイハーデンで学び、そして、殆ど武芸以外の何もやらずに天剣授受者となってしまった。
 サイハーデン以外の武芸者と関わることも多くはなかっただろう。
 そう。その実力はグレンダンの殆どの武芸者を圧倒するが、個人的には単なる子供なのだ。
 子供をきちんと子供として扱わなかったアルシェイラは、思っていたよりも自分が莫迦であることを否応なく認識してしまったのだ。
 だが、まだ間に合う。

「ああ。別段闇の賭試合に出ていたことを咎めるつもりはない。天剣の技を見せ物にしていたとしても、別段問題はない」

 娯楽の少ないグレンダンにおいて、武芸者の試合というのは極上の娯楽である。
 だからこそ、闇の賭試合などと言う物が繁盛しているのだ。
 更に言えば、現役の天剣授受者が、その圧倒的な力を見せびらかして、珍しい技を使っているとなれば、客の入らない道理がない。
 見物人は払った金以上の満足感を得られるだろうし、レイフォンもかなり高額の収入を得られるという八方丸く収まる事態である。
 では、何が問題なのか?

「呼んだのは咎めるためじゃないし、辞めろと言うつもりもない。むしろもっと盛大にやってくれてもかまわない」

 実力を最大限追求したために、性格などに問題を抱える天剣授受者だが、娯楽の場で活躍することで多少は明るい方向へと都市民の気持ちが動くかも知れない。
 そんな計算もあるので、レイフォンの行動をどうこうするつもりはない。
 つもりはないのだが。

「お前は、稼いだ金を何に使っているんだ?」

 そう。天剣授受者の報酬はそんなに低い訳ではない。
 いや。グレンダン武芸者の頂点に君臨する天剣授受者の報酬が低いなどと言うことは、それこそあり得ないのだ。
 だと言うのに、それでは足らないと高額の副業を手がけているのだ。目の前の子供は。
 更に分からないことと言えば、稼いだ金の行方が分からないと言うことだ。
 贅沢をしているという訳ではない。
 むしろ、生活自体はとても質素で、貧困にあえいでいるという訳ではないにせよ、必要最低限であると断言できる。
 このことについてもデルボネは知っているようだったが、頑なに教えようとはしなかった。
 それはつまり、レイフォンから直接聞けと言う事なのだ。
 放置して置いても良かったのだが、後々面倒になるかも知れないと思い、今日この場を用意したという訳である。
 そして、質問を発したアルシェイラは、答えが返ってくるのを気長に待つこととした。
 そう。連続して驚愕を撃ち込まれた子供を追い詰めても、何も良いことは無いからだ。

「カナリス」
「はい。陛下」

 そのためにこそ時間を作ってある。
 元々アルシェイラがやるべき仕事というのは、それ程多い訳ではない。
 ある意味、名誉職のような物と言えるので、出来上がった書類にサインをするだけの退屈でつまらない割に、量だけは多い仕事だ。
 今日はその仕事を全てカナリスに押しつけて、更に雑用をさせる。

「お茶とお菓子を用意しろ。きなこをたっぷりまぶした揚げパンも忘れるな」
「・・・・。御意のままに」

 レイフォン以上の衝撃を受けたような顔をするカナリスが下がると、再び視線を硬直したままの子供へと移動させる。
 考えてみれば、誰かとゆっくり話をする機会などここ最近はなかったと言う事を、心の隅で認識しつつ、もしかしたら、アルシェイラの思いもよらない目的のために稼いだ金を貯め込んでいるのかも知れないと、そんな推論を打ち立てても見た。
 レイフォンが再起動して、質問に答えてくれるまで暇なのである。

「ああ。お前のために今日一日時間を確保してある。とことん付き合ってやるから覚悟しておけ」
「・・・・・・・」

 ここまで言っても、レイフォンは再起動しない。
 お茶とお菓子がやってきて、揚げパンを三本食べ終えても尚、レイフォンは何かに迷っているのか、それとも話すつもりが無いのか、沈黙を続けている。
 このままでは埒があかないので、軽く小突いて様子を見てみようかとも思ったのだが、行動に移すよりも僅かに速くレイフォンの呼吸が変わったことを認識した。
 やっと喋る気になったようだと、温くなったお茶を飲み干して視線と注意を向ける。

「孤児を助けたいんです」
「ん?」

 そして発せられたのは、即座には意味を理解することが出来ない物だった。
 レイフォンが孤児だと言うことは当然知っているし、それがメイファー・シュタッド事件と呼ばれる汚染獣の進入を切っ掛けにした、戦闘に関わっていることもだ。
 そして、メイファー・シュタッド事件で関わったのが、当時現役だったデルク・サイハーデンであり、そのついでのように彼の経営する孤児院で生活するようになった。
 その辺の事情はきちんと知っているのだが、孤児を助けたいという言葉をどう解釈したらよいのかが分からない。
 既に、天剣授受者となったレイフォンの収入は、彼のいる孤児院を運営するのに十分な額であるはずだ。
 先を促すために、揚げパンの四個目を手に取りレイフォンに差し出しながら顎をしゃくる。

「グレンダンの孤児全員を助けたいんです」
「・・・・・? なに?」

 グレンダンは汚染獣との戦闘が異常なほどに多い都市である。
 そして、その異常な戦闘の数を乗り越えることが出来る武芸者の質を誇り、何処のどんな都市と戦争になったとしても負けることはないと断言できる。
 天剣授受者を出すまでもなく、その辺を歩いている都市に負けることなど考えられない。
 だが、戦力の増強こそが最大の使命であるために、戦いに直接関係のないところへの予算は極めて少ない。
 人口が十万程度しかいない以上、それはしかたのないことではあるが、統治者たるアルシェイラが目を瞑っていて良いという訳でもない。
 特に、都市運営に対して影響を及ぼすことが出来ない、社会的な弱者を切り捨てるなどと言う行為は決してしてはならない。
 そのはずだが、今レイフォンが言った言葉をそのまま解釈すると、孤児は切り捨てられていると言う事となってしまう。
 福祉政策という単語は知っているが、アルシェイラ自身が書類に裁可を下したという記憶はない。
 それはつまり。

「そう言うことだったのか」

 小さな声だったが、当然レイフォンの耳はそれを拾い、いたたまれないように身体を小さくした。
 確かにレイフォンは、あまり褒められないことをしたことは間違いないが、第一に責められるべきは最年少の天剣授受者ではなく、グレンダンという都市を統治すべき人物であり、行政を取り仕切っている文官達である。
 アルシェイラは、自分が思っている以上に救いようのない愚か者だったようだ。
 それが分かっただけでも、今日レイフォンとの時間を作って良かったと少しだけ前向きに考えることとした。
 そして、これからのことを考える。

「デルボネ」
『はいはい。どんなご用事でしょうか?』

 何よりもしなければならないのは、自分の分を弁えずに手を広げすぎてしまった子供の更生だ。
 だが、曲がりなりにも天剣授受者である以上、普通の人間に押しつけることは出来ない。
 教えるべき人間が萎縮してしまうからだ。
 ならば人選は二つに一つ。

「ティグ爺に連絡してな」
「ご用ですかね陛下」
「・・・・・・・・・・・・。計られたと思って良いのか?」

 打てば響くという単語がぴたりと填るようなタイミングで、呼ぼうとしていた常識と良識を持った数少ない天剣授受者が入室してきた。
 ちなみに、その傍らにはもう一人が控えている。
 二者択一のもう一人であるカルヴァーンだ。
 この二人ならば、迷走しがちな目の前の子供をきちんとした社会人として教育できるだろうし、おそらくそれなりの天剣授受者としても育てることが出来る。
 その選択はしかし、現在の天剣授受者の性格や人柄を考えると、殆ど完璧に予測できてしまうことも事実。
 結果として、呼ぶ前に来て待っていたという構図が出来上がってしまったのだ。
 ご丁寧に、アルシェイラに感知されない距離で殺剄をしていたという、恐ろしいほどの用意周到さでだ。

「陛下の命とあらば、我らが力存分に振るいましょう」

 呼んでいないにもかかわらず、何故かカルヴァーンまで入室してきてレイフォンの後ろに立つ。
 若すぎる天剣授受者に懸念を抱いていたという一点において、カルヴァーンは最も速くレイフォンの問題に気が付いた人物なのだろうと想像できてしまう。
 既に話は進んでいて、後はアルシェイラの決断次第だったと言う事だ。

「・・。ああ。任せた」
「「御意のままに」」

 それが当然であるからして、七面倒くさい命令を抜きにしてあっさりと話が前に進む。
 喜ぶべき事柄であるはずなのだが、何故か納得できていないアルシェイラは、取り敢えず残りのお菓子をむさぼるように食い散らかしたのだった。
 
 
 
 
 
 アルシェイラの命を受けたティグリスは考える。
 ロンスマイア家の当主であり、不動の天剣との異名を取る我が身の全力をもってして、若すぎる上に、あまりにも幼すぎる少年をどう導こうかと。
 当然のことだが、武芸者として何かを教えるという必要はないだろう。
 剄脈の扱い方に問題が有るようでは、天剣授受者などにはとうていなれないから、それは全くもって考えなくて良い。
 そして、おそらく学力もティグリスが教えるべき事柄ではない。
 学力などと言う物は、その内誰かが教えればそれで問題無いし、天剣授受者になった以上、最低限を下回っていたとしても別段問題はない。
 同じ理由から、知識なども違うだろう。
 ならば、まず始めに伝えるべき事柄はただ一つだと言い切ることが出来る。

「良く聞け小僧」
「は、はい!」

 かなり緊張しているレイフォンの、声変わりがしていない返事を聞きつつ、全力の威圧をぶつける。
 隣に佇むカルヴァーンが、何事かと身構えるほどの威圧を前面に押し出しつつ、レイフォンに最も重要な事柄を告げる。

「貴様にクララはやらん!!」
「「は?」」

 次の瞬間、二人から緊張感が全く消えた。
 謹厳実直を絵に描いたようなカルヴァーンからでさえも、間の抜けた空気が流れ出しているほどだ。
 何故そんな状況になったのかは分からないが、ティグリスの発言が原因であることだけは間違いないと、そう結論を得ることは出来るかも知れない。
 その証拠に、カルヴァーンの視線の温度が驚くべき速度で低下しているし、レイフォンに至っては全く事態が分からないと瞳孔が拡大している有様である。

「・・・・。ティグリス殿」
「何かなカルヴァーン殿」
「今、その話題を持ち出されてしまうと、レイフォンが困りますので」
「うむ。そのようであるな」

 レイフォンが理解しないのでは意味がないことは、きちんと認識しているのだ。
 と言う事で、この話は置いておくこととする。
 折を見てもう一度念を押しておくべきだろうが、今すぐにというのは得策でないことも事実だ。
 ならばと、他にどんな事を伝えるべきかを考える。
 武芸者として戦場に望むための、心構えでもないだろう。
 もっと根本的なこと。
 例えるならば、クラリーベルが本格的な訓練を始める前に教えたような、都市に住む武芸者として最も基本的なところ。
 これは大変なことになったと改めて認識したティグリスは、気持ちを入れ替えてレイフォンに向き直る。

「小僧。まず伝えるべき言葉がある」
「クラリーベル様のことですか?」
「うむ。それも極めて重要じゃが、しばしその事は忘れろ」

 残念なことにレイフォンはまだ切り替わっていなかったが、やんわりと違う話題なのだと切り返して、レイフォンの気持ちも切り替わるのを待つ。
 呼吸三回で、おおよそ前の話題から離れることが出来たようだと確認して、そして告げる。

「気付かせてはならぬのだ。我ら武芸者や念威繰者が、本当の意味で人間でないと言う事を。都市に住む人間達に」

 言い終えた後、レイフォンを観察すると、それなりに認識してはいるらしいことは分かったが、十分に出来ているかどうかは著しく疑問だ。
 やはりここから始めなければならないと言う事が分かっただけでも、話は前進したと判断することとした。
 先は、とても長いのだと、そう心に刻みつける。
 
 
 
 
 
 ティグリスとカルヴァーンがレイフォンに対応している頃だと認識しつつ、アルシェイラは絶望的な戦いに挑んでいた。
 まず始めに確認したのは、孤児と孤児院がどれくらいグレンダンに存在しているのか、そして、それらに振り分けられている予算がどの程度なのかと言う事だったのだが、絶望的な戦いを始めた瞬間に認識したのは、絶望的な数字だった。
 来るべき決戦に備えて強者を集めることを目的としたグレンダンだから、弱い奴に生きる資格は無いと言い張ることも出来るだろう。
 だが、それはあくまでも武芸者限定の話でなければならない。
 そうでなければ、都市という集団が内部から崩壊してしまうからだ。
 そう。そのはずだった。
 だが、実際に孤児院を始めとする福祉関連に回されている予算は、恐るべき少なさだった。
 思わず目の前が暗くなるほどに、少なかったのだ。

「ああ。レイフォンを責めなくて本当に良かった」

 これを知らずにレイフォンに偉そうなことを言っていたら、とても惨めな結果となっていただろう。
 おそらくティグリス達でさえ、この数字は知らないはずだ。
 もし知っていたのならば、何か行動を起こしていただろうし、ここまで放っておくこともなかったはずだ。
 そしてアルシェイラは、目の前に数字という完全無欠な客観的な事実として事実を認識した。
 だが、次の書類をめくると暗くなった目の前とは逆に、頭の中は真っ白となってしまった。
 都市の予算とは関係なく、デルボネにティグリスやカルヴァーン、ついでにカナリスがかなりの寄付をしていたのだ。
 それでも十分という訳ではないが、孤児達が絶望することはないだろうと思えるくらいの金額だった。
 だが、これだけだったらアルシェイラは目の前が真っ暗になるだけで済んだだろう。
 既に認識していたあの四人が、陰でこそこそと活動していたことに、憤りを感じたかも知れないが、それでもこれほどの衝撃は受けなかったに違いない。
 そう。問題なのは、リンテンスだ。
 安いアパートに住み続け、ボロボロになった服を着続けて、常に不機嫌でイライラしている天剣最強と唄われる、贅沢を敵だと認識しているような所のあるリンテンスから、かなりの金額が寄付されていたのだ。
 それも、天剣に選ばれて金銭的な余裕が出来た頃からずっと。
 いや。もしかしたら、貧乏な暮らしをしているのは贅沢を敵だと認識しているからではなく、寄付をするために倹約しているからなのかも知れないと思えるほどの金額だった。

「・・・・・。少し休憩して良いか?」
「陛下がそれを望まれるのでしたら」
「済まないなカナリス」

 あまりにも凄まじい衝撃のため、アルシェイラの精神は異常なほどの疲労を抱え込んでしまっていた。
 ミンスにそそのかされて、天剣授受者三人に反逆された時でさえ、これほどの疲労を感じることはなかったと思うのだ。
 だが何時までも、この疲労感に囚われている訳には行かない。
 活剄を総動員してどうにかなる類の問題ではないが、それでも総動員して何とか十分という短時間で精神の再建を終える事が出来た。
 そう。色々と問題はあるのだが、いや。天剣授受者が勝手に寄付をしているという事実を前にして、アルシェイラは福祉関連の予算をどこからかひねり出さなければならない。
 最低限、六人の出している総額と同程度の金額をひねり出さなければ、王家としてのメンツが丸つぶれである。
 いや。王家がではない。
 この事実を知ったアルシェイラが行動しなかったとなれば、為政者として無能だと言う事を、自らの手で証明することとなってしまう。
 怠惰だと言われることは別段問題無いと思っていた。
 運命などと言う物を憎悪しているが、それでも、自分がやるべき事のために準備を怠るつもりはない。
 それ以外のことで手を抜いても、誰からも文句を言われる謂われはないと、そう思っていた。
 為政者として無能だと罵られても、それは別段どうでも良いことだとも思っていた。
 アルシェイラは、いや。グレンダンは来るべき決戦に備えるために作られた都市なのだから、それ以外のことはアルシェイラには関係がない些細なことだとそう思っていた。
 だが、それは間違いだったのだとそう気が付いた。
 女王などと言う物とは関係がないところで、アルシェイラに知らせずに活動する連中のことも、別段咎めるつもりはなかった。
 だが、天剣授受者の半数が福祉施設への寄付をしていたという事実は、強かにアルシェイラを打ちのめし、途方もない疲労をその精神に刻みつけたのだ。
 部下のせいだと言う事こそ出来ない。
 何かの組織の長とは、その組織が行った全ての事柄について責任を取るためにいるのだ。
 ならば、せめて今からでも為政者としてそれなりに仕事をしなければならない。
 レイフォンが暴走してしまった食糧危機の記憶が風化していないこの時期に、再び大きな問題を起こしてしまったのでは、最悪の場合グレンダンは市民の暴動によって終焉を迎えてしまうだろう。
 来るべきその時に備えた最強を目指した都市が、政治的な失敗によって滅びを迎えることになってしまうのだ。
 それだけは絶対に避けなければならない。

「とは言え」

 数字が羅列しているようにしか見えない書類の束を眺めつつ、戦闘が頻発するグレンダンの、赤字財政の何処から予算をひねり出そうかと考える。
 専門家ではないので、さっぱり数字の意味が分からないが、それでも考えて、そして一つ良いことを思い付いた。

「カナリス。サヴァリスを呼べ」
「お断りします陛下」
「なんだと?」

 さっそく実行しようとした計画はしかし、カナリスによっていきなり邪魔されてしまった。
 誰の迷惑にもならない、これ以上ないくらいの上策を考えついたというのに、それを沮まれて怒りの形相も凄まじくカナリスを睨み据える。

「サヴァリスに、何時でも挑みかかってきて良いから金をよこせとか言うおつもりですね」
「・・・。それの何処がいけないというのかしら?」

 考えていたことをいきなり言い当てられて動揺したのも一瞬、攻撃の手を緩めることなど出来はしない。
 全てはグレンダンの孤児院を始めとする、福祉の予算を確保するために、アルシェイラ自身が身を犠牲にして金策をしようというのだ。
 臣下ならば賞賛して率先して手配をしても良いと思うのだが。

「何処で戦うか分からないと思うのですが?」
「それがどうしたというのだ?」
「はあ。市街地や王宮内で陛下とサヴァリスが暴れた場合、修理代は誰が払うことになるのでしょうね?」
「何かを破壊する前に、あの戦闘狂を殲滅すればそれで済むだろう」
「何か変なスイッチが入ってしまい、長距離からの砲撃などになった場合には、必ず被害が出ますよね?」
「・・・。出るかも知れないな」

 何時の間にかアルシェイラが守勢に回っていた。
 だが、カナリスの懸念は実現することはないだろうとアルシェイラ自身は思っている。
 サヴァリスは戦いたいのであって、狙撃したいのではない。
 正面から堂々と、周りの被害を顧みずに戦いたいのだ。

「・・・・・・・・・・・・。うん。この手は辞めておこう」
「ご理解頂けたようで嬉しく思います」

 例え危険性が極小だとしても、余計な出費を出している余裕はグレンダンにはないのだ。
 ならば、他に何か考えなければならない。
 考えなければならないが、良い案という物を思い付くことが出来なかった。
 そこでふと思い至った。
 アルシェイラが考える必要はないのだと。
 女王ならば、臣下にああしろこうしろと命令を出せばいいのだ。
 そして、臣下が考えた物の中から実現できそうな物を選び出して、そして実行に移せと命令を出せばいいのだ。

「うん。経済官僚を集めなさい」
「御意のままに」

 今度の選択は間違っていなかったようで、カナリスは迷うことなく行動を始めたのだった。
 一安心である。
 
 
 
 
 
 レイフォンの教育を手がけたカルヴァーンだったが、それが思ったよりも難題であることを思い知っていた。
 そもそも権威という物にさほどの敬意を払わない人物だというのもあるが、生きることに全力であったためにとても視野が狭くなっているのだ。
 最も必要なことを教えはしたが、それが身についているかどうかさえも疑問である。

「どうしたら良いだろうな、ティグリス殿」
「うむ。これほど手こずるとは思わなんだ」

 食糧危機に端を発したと市民の不安は、貧困層の中には未だに残っている。
 それを認識しているからこそ、カルヴァーンやティグリスはあちこちに寄付をして、少しでも危険を減らす努力をしてきたつもりだった。
 だが、すぐ身近に暴走状態のまま生きてきた武芸者がいることに全く気が付かなかったのだ。
 いや。全くという事はなかったが、これほどまでに危険な状況であるとは思いもよらなかった。
 そして最も問題な事柄と言えば、レイフォンが価値を見いだしていない権威をレイフォンがもってしまっていると言う事だ。
 天剣授受者とは、グレンダン最強の武芸者であり、それは、それだけでとても大きな権威になると言う事を、権威に価値を見いだしていないレイフォンには理解できないのだ。

「本人が、権威の価値を認めない限り根本的な解決にはならないと思うのですが」
「権威を振りかざすよりはだいぶましだと思いたいが、このままでは何時か再び間違いを犯すじゃろうな」
「権威を武器にしていますが、それも生きるための策としてですから、否定もしにくいですな」

 そう。レイフォンは権威に価値を見いだしていないが、権威が武器になることはきちんと理解している。
 その危うさを何とか解消したいのだ。
 そして何よりも問題なのは、レイフォンが権威に価値を認めていない理由というのが、食糧危機の際に、都市が孤児を助けなかったと言う事実に有ると言う事は、とても深刻だ。
 本人が気が付いているかどうかは分からないが、大元がそこである以上、通常の方法での解決は困難を極めるだろう。
 となると、天剣授受者が他の武芸者や都市民からどう思われているか、それを実体験として学ばせる以外の方法を思いつけない。
 そして、実体験として学ばせる方法は、とても限られているのだ。
 他の方法がないかを色々と考えてみたのだが、それは全て徒労に終わってしまった。
 残るのは、最も早い時期に二人が出した方法であるが大きな危険が伴うのだ。

「明日、陛下に相談せねばなりませんな」
「答えは分かっておるが、組織という物はそのように出来ておるからな」

 二人が考えた方法が、アルシェイラから駄目出しされるとは思わない。
 文句の一つや二つは来るだろうが、最終的に許可されることはおおよそ分かっている。
 だが、それは恐らく、天剣授受者のあり方を変えることになってしまうだろう。
 いや。アルシェイラの考える天剣授受者のあり方を変えると、そう言うことになるだろう。
 人格や性格、生まれなどを問題にせず、ただ強さのみによって選ばれた天剣授受者が、他の資質を求められることとなるのだ。
 レイフォンが例外だと、そう言い張ることも出来ることがせめてもの救いだろうかと考える。
 幸いにして、グレンダンでは一つの問題が起き始めてもいる。
 それを解決するための手段としても、二人の考えた方法は有効であると思われる。
 問題は、レイフォンに出来るかどうかだが、カナリスを巻き添えにした三人がかりならばおそらく大丈夫だろうと、少しだけ楽観的な予測も立ててみる。
 これからの方が大変だと腹をくくったカルヴァーンは、ミンスによる反逆事件以来、久しぶりに小さく溜息をついた。
 
 
 
 
 
 ティグリスとカルヴァーンからの提案を聞いたアルシェイラは少々では済まない困惑を覚えていた。
 それは、天剣授受者の本質を変えるかも知れないという、ある意味グレンダンでの常識を覆す内容だったからだ。
 天剣授受者とは、来るべきその時のために用意された人類最強の戦士達である。
 天剣授受者に求められるのは、ただ強さのみ。
 年齢、性別、人種、過去、経歴、全てが無視されてその強さのみを評価する。
 だからこそ、サヴァリスのような戦闘愛好家や、あまりにも不安定で未熟極まりないレイフォンさえも選ばれた。
 目の前にいる二人に向かって、少しドスの利いた声で聞き返したとしても何ら文句を言われる筋合いはない。
 ついでのように、こんな揉め事を起こしたレイフォンにもきつめの視線を送ってみる。

「レイフォンを小隊長にするだと?」

 だが、その強ければ後はどうでも良いという天剣授受者に、小規模とは言え組織戦をやらせようというのだ。
 まあ、アルシェイラが選んだという但し書きが付いているが、それでも、弱い武芸者などに用はないのだ。
 だが、安易に否定して良いという物でもない。
 ティグリスとカルヴァーンが二人で考えた解決策だというのもあるが、何よりも問題なのは当事者たるレイフォンが他人事のように平然としているという事実だ。
 そう。自分が責任ある立場に着くかも知れないと言う事実を目の前にして、全く他人事としか思っていない最年少の天剣授受者が、この問題の深刻さを無言の内にアルシェイラに語りかけてきている。

「死人が出るぞ?」
「承知しております」

 視線を交わした二人の内、カルヴァーンが返答してきた。
 どうやら、この場ではティグリスは黙っているつもりだと言うことが分かった。
 それは別段良いとしてもだ、戦場の規模によるが、楽な戦いなどと言う物を想像することの方が問題である以上、死人が出ることは当然だとして考えなければならない。
 しかも、指揮官が未経験のレイフォンでは、最初の戦闘で殆どの隊員が死んでも何らおかしくない。
 いくら弱い武芸者に用はないとは言え、強くなる前に死なれてしまってはかなり困ることになる。
 そして最も懸念しなければならないのは、隊員を死なせてしまったレイフォンがその衝撃から復活できるかどうかと言う問題だ。
 天剣授受者が精神を患ってしまったのでは、あまりにも問題が大きくなりすぎる。
 そんな柔な奴など要らないと切り捨てることは出来るだろうが、出来るだけそんな事はしたくない。
 もっとも、レイフォンならば、死人が出る前に自分が戦ってしまうとは思うのだが。

「レイフォンには、戦わせないために錬金鋼の携帯を認めません」
「・・・・。まて」
「指示を出す以上の事をしたならば、その時には天剣の剥奪から罰金までの罰を受けさせます」
「だからまて」
「天剣授受者という立場の人間が、どれだけ大きな影響力を持つかを、身をもって知るためには最低限これは必要です」
「・・・・・・・・・・・・」

 カルヴァーンの台詞を聞きながら、そこまでしないと駄目なのだろうかと考える。
 ある意味において、天剣授受者とはグレンダン武芸者の頂点に君臨する存在のことだ。
 それはつまり、最高権威だと言い換えても問題無いだろう。
 その最高権威の指示ならば、未熟な武芸者であるほどに素直に従って死地に赴いてしまう。
 熟練した武芸者ならば意見することも出来るだろうが、それでも、基本的には出された指示に従ってしまうかも知れない。
 それは、恐ろしい未来予想図だ。
 更に恐ろしいのは、天剣授受者の立場でさえもこれなのだから、それを統べる女王はどれほどの責任を負うべきなのだろうかとも考え、そして気が付いた。
 間接的にアルシェイラにも責任を感じろと、そう主張しているのだと。
 レイフォンの行いだけでなく、アルシェイラ自身の行いも改めろと。
 思っていたよりも、大事になっているようだ。

「・・・。隊員はどうするんだ? 普通の武芸者を当てる訳にはいかんだろう?」

 流石に、町を歩く非常識との評判も高い天剣授受者の下で戦いたがる酔狂な武芸者は多くないだろう。
 そうなれば、どこからか徴用しなければならないことになる。
 だが、出てきたのはやはりアルシェイラの想像を超える物だった。

「アルセイフショックをご存じでしょうな?」
「無論だ」

 アルセイフショック。
 当然のこと、何処かの最年少天剣授受者のせいで起こっている社会現象のことだ。
 簡単に言えば、第二のレイフォンになりたいと願っている若い武芸者が張り切っている現象を差す。

「・・・・・・・・・・・・。止めろ」
「なりません」

 このタイミングで出てきたと言う事は、アルセイフショックによって頭角を現してきた、若い武芸者の指揮を、レイフォンに取らせると言うことになる。
 経験の浅い武芸者を、経験などがない指揮官が率いて戦場に出る。
 レイフォンを除いた全員が帰らなくても、なんの不思議もない。
 いくら何でもそれは寝覚めが悪い。

「すぐにという訳ではありません。選抜された若人達には、我らの教導を受けさせ十分な技量を持たせます」

 それならば、よほど運の悪い奴以外は生きて帰ってくることが出来るかも知れないし、似たような制度がグレンダンには既に存在している。
 そう。後見人制度だ。
 既にクラリーベルがレイフォンを後見人として初陣を済ませているし、彼女は無事に帰ってきた。
 ならば安心かとも思うのだが、決定的に違うところもあるのだ。

「後見人の拡大解釈というのならば、レイフォンに錬金鋼を持たせるべきだろう?」
「それでは意味がなくなります」

 危険になった時にレイフォンが助けたのでは、わざわざ部隊を率いる意味はなくなるだろう。
 レイフォンがどれだけ大きな影響力を持ち、誤った使い方をしたら何が起こるのかを明確にその身をもって知るためには、確かに必要な措置であることは間違いない。
 間違いないが、無駄な犠牲者が出ることも避けたい。

「レイフォンにも、指揮官としての教育を受けさせます。実際の戦場での経験も積ませます。幸いにして、人材には心当たりが御座いますので」

 今までアルシェイラに向かっていた視線が、ティグリスに向かう。
 微かに頷いたところを見ると、レイフォンを指導する事が出来る熟練の指揮官に心当たりがあるようだ。
 ならば、犠牲者は許容範囲内で収まるかも知れない。
 いや。何処に境界線を引くことが出来るだろうかとも考える。
 だが、この案だけがレイフォンを更生させることが出来る方法であるらしいことも、ほぼ間違いないだろうとも思う。

「・・・・。出来うる限りの支援をしろ。犠牲は最小限に効果は絶大にだ」
「御意のままに」

 こうして、グレンダン史上前代未聞ではあるのだが、天剣授受者による小隊が結成されることとなった。
 
 
 
 
 
 デルク・サイハーデンと言えば、一昔前まで小規模の部隊指揮において、それなりの実力を発揮していた人物である。
 その実力は個人としての戦闘能力と共に、ティグリスにさえも認められていたほどだった。
 だが、それも寄る年波には勝てずに、十年近く前に一線を退いた。
 今はサイハーデンの道場で若者の指導に当たっている。
 だから、普通に考えるのならば、いきなりティグリスに呼び出されるなどと言う事態にはならないはずだ。
 そう思ったのはしかし、既に過去の出来事となってしまっていた。

「レイフォンがですか」
「うむ。叱るでないぞ。あやつはグレンダンを統べる立場にいる我らの尻ぬぐいをしたに過ぎぬのだ」

 切り出されたのは、レイフォンが闇の賭試合に出て金を稼ぎ、そしてグレンダン中の孤児院へ寄付をしていたという事実。
 時々その行動が不審であることは認識していた。
 呼び出しを受けた訳でもないのに、突如として夜になるといなくなってみたり、帰ってくるのが深夜になったりと、不審を抱かせる行動は多くあった。
 その理由を追及することをためらったのは、おそらくレイフォンが天剣授受者となってしまったから。
 そして、刀ではなく剣を持っていたから。
 既にレイフォンは自分の手を離れてしまったのだと、そう思ってしまったから聞くことが出来なかった。
 だが、デルクは決定的なことを見落としていたのだ。
 レイフォン・アルセイフという人物が、まだ子供だと言うことをだ。
 都市に住む武芸者として、本来伝えなければならないことさえも、きちんと伝わっていないほどに子供だったのだと、ティグリスによって突きつけられたのだ。

「幸いと言ってはなんだが、陛下の教育のためにもなったことであるから、別段罰を下すというようなことにはならんが、このままという訳にも行かぬ」
「はっ」

 これがもし、普通の武芸者だったのならばさほど問題はなかったのだ。
 少数だが、犯罪に走る武芸者はいるのだし、それを取り締まることも天剣授受者の仕事の内である。
 そう。取り締まる側の天剣授受者が犯罪に走ってしまったことこそが問題なのだ。
 天剣授受者と戦えるのは、同じ天剣授受者と女王のみ。
 この事実をグレンダンの一般人が本当の意味で知ったのならば、都市の機能は大きく失われてしまうだろう。
 常に不安や恐怖が隣にある状況で、きちんとした仕事が出来る人間など極少数なのだ。
 そう。常に一定の割合で存在し続けるミスが、爆発的にその量と深刻さをまして行くことになる。
 それは、閉鎖された都市にとって致命的な問題になってしまうだろう。
 だからこそ、問題が深刻化してしまったのだ。

「そしてレイフォンを更生させるためには、小僧が他の者からどう見られているかをその体験を持って学習させるしかないという結論に達した」
「・・・。して、私の役目とは?」

 実体験をもって学習するとなれば、レイフォンに何らかの責任有る地位を与えて、それで失敗させることで成長を促すという荒療治をすると言う事だ。
 そしてそれは、レイフォンをきちんと育めなかったデルクの責任に置いてやらなければならない。
 大事になる前に関わることが出来たことを喜びつつ、それでもこれからのことに不安も感じていた。

「うむ。何よりも指揮官としての教育じゃな。出来るならば武芸者としても色々教えたいが、あの小僧に幾つもの事を同時に覚える器用さはあるまいて」
「は」

 武芸に関する限り、レイフォンは間違いなく天才である。
 その剄量もそうだが、何よりも一度見た技の殆どを再現し、更に改良して自分の物としてしまう能力は、天才という言葉でさえも生温いとデルクは思っている。
 それが親馬鹿的な発想かも知れないと考える時もあるが、それでも事実としてレイフォンは最年少で天剣授受者へと上り詰めたのだ。
 だが、これが座学となると驚くべき鈍さを発揮してしまうのも動かし用のない事実だ。
 ならばこそ、デルクが時間をかけてじっくりと教え込まなければならなかったのだ。
 それでも、まだ間に合うところにレイフォンもデルクもいることがはっきりしている。
 これからが大変だが、それでもやるべき事があると言うだけで、デルクを内側から支えている力が強くなるのを実感できた。

「・・・・・。ティグリス様」
「うむ? なんじゃ?」

 だが、それでも、どうしても分からないことがあった。
 目的地は見えているし、通るべき中間点も分かっている。
 デルク自身が小集団の指揮官をやっていたし、多くの後輩を生み出してきたのだから、教えることはそれ程難しくはない。
 問題はそこではない。

「私は、今日帰ってから、レイフォンにどう接すれば良いでしょうか?」
「・・・・。分からぬのかお主?」
「残念ながら」

 小さな溜息がティグリスから聞こえてきた。
 どうやら、それ程難しいことではないようだ。
 だが、レイフォンと同じような理由から、デルクも武芸一筋で生きてきてしまった身の上だ。
 色々と分からないことや知らないことが、この世界にはいくらでも転がっている。

「まず帰ったらばな」
「はい」
「小僧を呼び出してな」
「はっ」
「思いっきり抱きしめてやるのじゃ」
「かしこまりました」

 聞いてしまえば容易いことだった。
 最初の難関を突破できそうだと確信したデルクは、ティグリスの元を去り家へと向かったのだった。
 
 
 
 そして、家に辿り着いたデルクは、恐る恐ると出迎えに出てきたレイフォンを思いっきり抱きしめた。
 そう。油断していたレイフォンを、活剄を使って力の限りに抱きしめた。
 全治三週間の重傷を負ってしまったが、生き残ることが出来たのはレイフォンにとってもデルクにとっても、幸運だったと言えるのだろう。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その1
 
 さて、二年ぶりの年末集中投稿などやっている粒子案です。
 今回のお話、元をたどって行くと大昔に見た西部劇だったりします。
 話の内容も出演者もどうでも良いのですが、ただ一つだけ印象に残っている台詞があります。
「見張りという大人の仕事を子供にやらせたあんたにも責任がある」
 おおよそこんな感じの台詞だったはず。
 鋼殻のレギオスという作品を読んでいて最も嫌いなところと言うのが、アルシェイラの無能さだったりします。
 その時のために集めた戦力である天剣授受者。
 その一人であるレイフォンが未熟な子供である事を認識しつつ、なんの手も打たずにガハルド事件が発生してから追放。
 話の展開上、こうしないと色々と問題が出てくるという作品としての話は分かるのですが、それでもかなり納得が行きませんでした。
 と言う事で、この話ではアルシェイラに大変苦労してもらうところから始める事としました。
 ちなみに、3頁目4頁目、5頁目6頁目に衝撃的なシーンがあります。
 特にフェリファンの方は注意してお読み下さい。



[18444] 隊長は天剣授受者 その2
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:48


 ずいぶんと落ち着いた日々を送っていると、最近レイフォンは自分の境遇をそう思う事が多くなった。
 天剣授受者になって一年ほどした頃にあった、賭試合に出た事から連続で起こった事件は、今でも明確に覚えている。
 ティグリスとカルヴァーンの話を聞いて帰宅したレイフォンを待っていたのは、後から帰ってきたデルクによる壮絶な抱擁だった。
 更に、退院したレイフォンを認識したデルクが、額を地面にこすりつけて自分の不甲斐なさを謝りだしたので、思わず切腹したくなるほどの動揺を見せてしまった。
 そして、アルセイフ小隊を作る前段階として指揮する事となった大人だけの部隊から、最初の死者が出た時にはいかに自分が自分の力だけで戦ってきたかを理解させられた。
 遺族と面会した時は、非難されると思ったのだが、戦場では良くある事だと返って慰められた。
 指揮者としての後見人をしていたデルクも、同じような感じだった事を考えると、レイフォンが思っているよりも武芸者の死亡率は高いのかも知れない。
 もちろん、戦場に出るのだから死人が出るのは当然だ。
 だがその当然と言う感覚は、自分が戦っている時の物だった。
 最終的には、自分が死ぬのが当然だと、そう考えていたのだ。
 手を出す事を禁じられた状況で、間違った判断で誰かが死ぬという状況にはまだ慣れていない。
 なれてはいけないのだと思う。
 デルクも、今はそれで良いと言ってくれた。
 その後、延々と汚染獣との戦いで指揮を執り続け、何時の間にか臆病な指揮官という評価が定着してしまった。
 天剣授受者として戦う分には、評価はあまり変わらないが、指揮官としてはともすれば勝機を逸してしまう事も珍しくないほどに、慎重で臆病だと、そう結論付けられている。
 それは不快ではない。
 そして、臆病な指揮官という評価が定着した頃になって、本来の目的である同年代の武芸者で構成された部隊が誕生した。
 人選は過酷を極めたそうだ。
 だが、天剣授受者の下で戦えると言う事で、競争率は恐ろしいまでの高さになり、試合と訓練と試験を繰り返し、最終的に五人が選ばれた。
 その五人を率いての戦いも、既に二年を超えている。
 幸運な事に、アルセイフ小隊からは戦死者を出していない。
 最も、それ程過酷な戦場に派遣される事もなかったという事実も存在している。
 そうでなければ、確実に三人は死んで新しい人員が補充されていただろう。
 レイフォンが助け船を出せば、老性体との戦い以外ならば、今と同じ結果を出せただろうが、それでは意味がなかった事を今のレイフォンは知っている。
 これこそが、レイフォンが成長できた証拠なのかも知れないが、それで油断して戦死者を出す事は、おそらく最も愚かな事なのだ。
 そう自分を戒めつつ、臆病なくらいで丁度良いのだと、単独での戦闘でもそう思って行動している。
 グレンダンの孤児院の運営も、それなりに順調らしいし、最近はとても穏やかな日々を過ごせていると、そう実感できた。
 養父に変わって妹が指導をしているサイハーデンの道場での稽古を眺めつつ、満足の溜息をつきながら軽い微睡みの中をたゆたう。
 時々飛んでくる衝剄や木刀を無意識の動作で避けつつ、反撃の衝剄を飛ばした相手にお見舞いしつつ、レイフォンは微睡む。
 そして気が付いた。

「・・・・・・・・・・・・あ」

 気が付いた時には既に遅かった。
 変に静かである事に気が付いて、眠い目をこすりつつ道場を見回すと、その光景は飛び込んできた。
 そう。レイフォンの反撃で全員が床をのたうち回っているという光景に気が付いた。
 実は、これが初めてという訳ではない。
 実を言うと、割と頻繁に有ったりする。
 妹の稽古は、養父に似てかなりの厳しさを持っているのだが、それでも、デルクがレイフォンを鍛えていた時に比べると幾分優しい。
 その分、若い武芸者の定着率も悪くないらしい。
 あくまでも、デルクの記憶と照合した結果なのではっきりした事は言えないが、それでも、すぐに止めてしまう人間と言うのはあまり多くない。
 だが、決定的な違いも確かに存在している。
 その原因は、間違いなくレイフォンだ。
 レイフォンが見所に座って、半分眠りながら稽古を見ているだけだという事実に、何か感じる物があったのか、レイチェルが間違ったふりをして木刀を飛ばしてきた事が切っ掛けだった。
 その木刀を、当然の事として、レイフォンは半分眠った状態で避けてしまった。
 そこでまた、何か感じる物があったのか、サイハーデンの名と道場を継いだレイチェルが明らかな敵意を込めて、木刀や衝剄を飛ばすようになった。
 当然、全てを半分眠ったままよけ続けたために、道場にいた全員にレイフォンに向かっての攻撃を指示した。
 眠いところでそんな事をされたために、少しだけ気を悪くしたレイフォンは、攻撃がやってくる方向へと衝剄を放って撃退してしまった。
 その結果、道場にいる全員が床の上でのたうち回ったり痙攣したりという事態に発展。
 この事実を聞いたリーリンは烈火のごとく怒り狂ったが、病院に運び込まれた武芸者達は何故かやたらとやる気を出した。
 妹であるレイチェルに至っては、本来の仕事を放り出して襲ってくると言う時期まであったほどだ。
 何処のサヴァリスだと突っ込んだら、急激に大人しくなったりもした。
 流石に、今はもう、レイチェルが命じてレイフォンに向かって攻撃してくるなんて事はなくなっているが、それでも時として、レイフォンに向かって色々な物が飛んでくる。
 五歳になる弟が飛んできた時には、流石に焦ったが、デルクやリーリン、その他大勢が散々起こってくれたお陰で、恐ろしすぎる攻撃はなくなった。

「電話電話」

 何度もこんな事が起こっているために、レイフォンだって慣れているのだ。
 当然、かかりつけの医者だってなれている。
 もっと言えば、反撃される武芸者達もなれてしまっている。
 だからこそ、以前は一撃で倒せていたはずの連中が、今は数発撃ち込まないと無力化できないのだ。
 それだけ技量が上がったと評価すればいいのか、単に撃たれ慣れただけだと考えればいいのか、判断に困るところだ。

「ん?」

 その瞬間、微かな冷気を感じたので、半歩だけ右側へ移動。
 ついでに左手を横に出して、大きく後ろへ振り抜く。

「っが!!」

 あまり可愛らしくはないが、それでも聞き慣れた苦鳴を発してそれは視界に飛び込んできた。
 肩まで伸ばした黒い髪は、手入れを面倒くさがっているためにやや荒れているが、それでも十分な水分を持って艶やかだった。
 その黒い髪が前方へと飛び出したのに、ついて行こうとした頭が、急速に後ろ下方へと流れる。
 頭に吊られるように、首から下も床へと向かって空中を移動する。
 そして全てが、激しく床にたたきつけられた。
 やや垂れ気味だが、大きな黒い瞳が恨めしげにレイフォンを見上げるこの少女こそ、現在のサイハーデンの伝承者、レイチェル・サイハーデンだ。
 妹と言いつつ、実は血縁関係はない。
 レイフォンとリーリンが孤児院にやってきた少し後、デルクが道で拾ってきたとか言う話を少し聞いたが、それは別段どうでも良い。
 試験と訓練と、そして試合を繰り返して選抜されたアルセイフ小隊において、レイフォンの指揮下に入っている事実に比べたら、それはどうでも良い事柄だ。
 実力だけが物を言う武芸者の世界で、義理とは言えレイフォンの妹という立場はなんの意味もなさない。
 いや。むしろ評価は厳しくなったと言える。
 そんな厳しい環境を乗り越えて、今レイフォンの部下になっている少女は、サイハーデンの技を全て修め、更に道場主としてこの場に立ち続けているのだ。
 だが、それでもやはり、天剣授受者と一般武芸者の間には致命的な実力差が存在している。
 それはレイフォンも、そしてレイチェルもきちんと理解している。
 だからこそ、向こうからの攻撃は一撃必殺の威力を持って放たれ、こちらからは手加減した、死なない程度の一撃を返しているのだ。
 この辺も、最近一撃で決められない原因があるかも知れないが、今はその事は放っておく。

「お早うレイチェル」
「お早う兄さん。・・・お医者さん呼んで」
「今呼ぶよ」

 レイチェルの邪魔が入らなければ、あと二十秒は速く呼べたような気がするのだが、それを言うほどレイフォンは無粋ではない。
 それでも、ここ最近は平穏な時間が過ぎていると、結論付けられるだろう。
 
 
 
 
 
 アルセイフ小隊に所属しているアーリー・ヴォルトは、やや襲い朝食を摂りつつも、何時も通りにサイハーデン道場へと歩いていた。
 何か目的があるという訳ではないし、サイハーデンの門弟という訳でもない。
 簡単に言ってしまえば、暇つぶしである。
 アルセイフ小隊のたまり場となっているのが、サイハーデンの道場だと言うだけの話である。
 大きく足を伸ばして、歩幅を一定に保ちつつ周りに視線を飛ばす。
 別段、喧嘩する相手を探しているという訳ではない。
 情報を収集するという癖が付いてしまっているために、常に周りに視線を飛ばし、耳を澄ませてしまっているのだ。
 念威繰者として、たまにある悪い癖の一つだ。
 アルセイフ小隊に所属している事から分かるように、アーリーは念威繰者としての腕はかなり高い。
 十八才以下ではと言う条件が付いているが、それでも、グレンダン基準で考えても、良い腕を持っていると評価されている。
 ここに上り詰めるためには、散々苦労した。
 名門ではない、突発的な生まれだったから色々と苦労する羽目になってしまったのだとも思うが、最終的にはデルボネに可愛がられてここまで登ってくる事が出来た。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ティグリスにも可愛がられ、カナリスにも可愛がられ、更に、カルヴァーンには帝王学のような事を教えられたりもしたし、王宮に勤めている人々から期待の視線で見られているという、少々この先恐ろしい人生が待っているかも知れないが、それでも、今のところ後悔の二文字はない。
 思えば幸せな人生だったと、死ぬ瞬間に考える事が出来るのだったら、それこそが幸せなのだろうという祖父の言葉を胸に、襲い朝食を食べつつのんびりと歩く。
 道行く人よりも、頭一つ分は高い身長と、何故武芸者ではないのか分からないと言われる、しっかりした骨格と筋肉を持ち、更に、やや目付きが悪いという夜道で会いたくない人相風体をしている事は、今でも十分に気にしているのだが、アルセイフ小隊に入ってから、ずいぶんと緩和された。
 十歳を少し超えた辺りで、夜道を歩いていたら、問答無用で警察にしょっ引かれたなどと言う、笑って良いのか悪いのか分からない事件もあった。
 それに比べたら、顔が売れている分、安心して夜の散歩に出掛けられるようになった。
 サンドイッチの、最後の一欠片を口の中に放り込みつつ、視線は少し先の公園に向けられていた。
 正確には、公園の敷地内に植えられた木、その枝の一本にと。
 そこには、黒髪の小柄な女性が座っていたからだ。
 木の枝に座って、足をぶらつかせつつ、何処か遠くを見詰めている。
 ここまでの状況だったら、それは絵になる光景だと表現する事も出来るだろう。
 だが違う。
 そう。その手に握られているのが、剄弾仕様の長距離狙撃銃だという事実の前には、どんな絵になる光景だろうと、殺伐とした一瞬に変わってしまうのだ。
 狙う先は、当然の事サイハーデン道場。
 正確に言うならば、そこにいるはずのレイフォンを狙っているはずだ。
 道場と公園との間にある距離は、おおよそ五百メルトル。
 汚染獣戦での狙撃距離に比べると遠いが、それでも彼女ならばやれるはずだ。
 アーリーが補助した場合、対人狙撃可能距離は、おおよそ七百メルトルになる。
 補助が無くても、時間をかけて照準を調整できればこの距離でも頭を撃ち抜く事は難しくない。
 まあ、レイフォン相手に撃ったとしても、当たる事などあり得ないが。
 その安心感があるからこそ、木の枝に座って狙撃準備をしているのだ。
 だが、彼女は気が付いていない。

「レストレーション」

 復元鍵語を呟き、重晶錬金鋼を復元する。
 そして、復元した直後、周りの人達が一瞬だけ驚愕に動きを止めるが、それはまさに一瞬の出来事でしかない。
 もはや慣れてしまっているのだ。
 アルセイフ小隊に入った事で、アーリーの顔は相当売れているし、そもそも、レイフォンの住処の近くであるために顔見知りも多いのだ。
 そう。例え、端子を放出する前の錬金鋼が、巨大な斧の形をしていたとしても、驚くのは一瞬だけである。
 腰を抜かしてしまっている人も何人かいるが、それはたまたまここを通っただけの無関係な人に違いない。
 不運だったと諦めてもらう事として、狙撃準備を整えつつある女性へと端子を送る。
 決して自分では近付かない。
 理由は、ただの一つだけである。

「ああ。イサキ」
『!! 邪魔をしないで! 今、レイチェルを抱えたレイフォンを狙っているんだから』

 極限の集中力を発揮していたらしい女性、イサキ・ハミルトンに声をかけてみたのだが、やはりレイフォンを狙撃するつもりだったようだ。
 とても無駄なことをしていることに、本人は気が付いていない。
 基本的に、銃器で狙撃する場合、相手を二秒以上見詰めてしまってはいけないのだ。
 二秒を超えると、本能的に視線を感じて防御されてしまうから。
 汚染獣戦での狙撃が、せいぜい二百メルトル以下であるのも、照準の時間を二秒以上にしないための措置だと言われているほどだ。
 だと言うのに、汚染獣よりも遙かに恐ろしい天剣授受者を、少なく見積もっても十秒以上見詰めて狙撃しようとしている。
 本人は、あまりにも夢中になりすぎていて、その事に気が付いていないのだろう。
 だが、アーリーは外から見ている分、状況をきちんと把握している。
 そう。端子を飛ばさずとも、きちんと見えているのだ。

「鋼糸で取り囲まれているんだがな」
『え?』

 そう。間違いなくレイフォンの鋼糸が伸びてきていて、イサキの周りを取り囲んでいるのだ。
 それどころか、引き金にも軽く触っている。
 絞られる瞬間を捉えるためだろう。
 狙撃の瞬間と照準点が分かれば、避ける事などあまりにも簡単。
 ましてや、相手は天剣授受者だ。
 更に、万が一にも不意を突かれた時の用心のために、半径二十メルトルに渡って鋼糸を張り巡らせているのだ。
 そう。イサキの周りに鋼糸が張り巡らされているからアーリーは近付かないのだ。
 怪我をするとは思っていないが、どう控えめに見ても気分の良い体験ではない。
 それは誰だって同じだ。
 イサキも辺りを見回してみて、鋼糸に取り囲まれている事を認識するやいなや、錬金鋼を基礎状態へと戻しつつ枝から飛び降りる。
 更に、アーリーの居る方へ向かって全力疾走。
 やや長めで少し堅い黒髪が攪拌されるほどの速度で、美少女と呼ぶには少々ワイルドな少女が駆け寄ってくる。
 銃使い特有の、色々な威力と形状を持った錬金鋼を収納するために、特別にアーリーが作った白いマントをはためかせて、突っ込んでくる。
 これで、色っぽい内容だったら嬉しいのだが、残念な事に違う。
 女性としてもやや低い身長と細身の身体が、殆ど速度を落とさずにアーリーの横を通り過ぎ、そして後ろに隠れる。
 つまり、盾にされたのだ。
 とは言え、レイフォンの鋼糸相手に人間の盾など意味をなさない事は、嫌に成る程理解しているので、これは当然意思表示に他ならない。
 これ以上悪戯はしませんという意思表示に他ならない。
 それを理解したのか、音もなく鋼糸がサイハーデン道場の方向へと遠ざかって行く。
 これで一安心だ。

「行った?」
「ああ。レイチェル絡みで忙しいはずだから、そうそう遊んでもいられないみたいだ」

 何時もの事だが、レイフォンに挑みかかってレイチェルが行動不能に陥ったのだろう。
 他の人を隣にある病院に運び込み、最後に主犯を搬送中にイサキの狙撃に気が付いて鋼糸を伸ばして牽制と予防をしていた。
 何時もの事である。
 何時ものように、アーリーの後ろから恐る恐ると顔を出して辺りを見回し、鋼糸がない事を確認してから、改めて横に並ぶ。
 怯えているという訳ではなく、もはや半分習い性となったこの行動を経て、やっと日常へと復帰するのだ。
 女性としても低い身長のために、イサキの頭はアーリーの胸よりも少し下になってしまっている。
 アーリーの身体が大きすぎるのだ。

「ほれ、暇だったら道場にでも行って、何か面白い事でも探そう」
「そうねぇ。レイフォンを狙撃するのは失敗したし、レイチェルでも狙って暇を潰そうかな」

 イサキとレイチェルの仲が悪いという訳ではない。
 むしろ仲が良い。
 仲が良いからこそ、遠慮せずに攻撃しているというのが正しい解釈なのだろうと思う。
 女の子の友情という物は、もう少しピンク色で穏やかだと思っていた時期があった。
 遙か昔の出来事としか思えないが、確かにそんな幻想を抱いていた時期があった。
 もしかしたら、イサキとレイチェルの間だけで成立している現象なのかも知れないが、幻想を打ち壊すのには十分すぎる威力だった。

「まあ、それは置いておいてだ」
「なにをどこに置くのよ?」
「ここでこれ以上いると、また写真撮られるから移動するぞ」
「・・。それはそうね」

 グレンダンでは、完璧な有名人であるので、多少強面でもワイルドでも割と写真を撮られる事が多い。
 悪事に使われる事はないだろうが、それでもあまり気分の良い物ではないので、出来るだけ一つの場所に長居しないように心がけている。
 とは言え、今の騒動をやっている間に何枚か撮られてしまったという事実は存在している。
 そこまで気にしていたら話が前に進まないので、十枚を超えなければ無視する事としているのだ。
 この生活にも、少し疲れてきたと思いつつ、イサキと並んでサイハーデン道場を目指すのだった。
 
 
 
 
 
 ふと、何かとても冷たい物が首筋に当たっている事に気が付いたエンリコ・ツボレフは、心地よい眠りから現実の世界へと旅立ちつつ、渾身の蹴りを放っていた。
 鈍い手応えと共に、冷気がすっと遠ざかって行くのを感じつつ、眠い目をこすりつつも寝坊と呼ぶにはあまりにも遅くまで寝ていた自分に、ほんの少しだけ自己嫌悪を覚える。
 極々ほんの少しの自己嫌悪だ。
 と同時に、起こしてくれた幼馴染みの顔を確認する。
 金髪碧眼の、豊満な体つきをした美少女という訳ではない。
 男の子のような年下の少女という訳でも、残念な事にない。
 完全無欠な男である。
 中性的と言われ、やや背が低く華奢に見えるエンリコと違い、起こしに来てくれた最愛の幼馴染みは、長身であり前後左右が広いゴリラのような男である。
 ゴリラ自体記録映像でしか見た事がないが、生で見ればきっとこれほどの威圧感を放つ存在だったに違いない。
 それ程までの存在感と威圧感と、野性的な迫力に満ちあふれた幼馴染みだ。
 更に悪い事に、この幼馴染みは笑顔で起こしに来るのだ。
 もはやどうしようもない強面で笑いながら起こしてくれるのだ。
 もはや悪夢である。

「起きたか?」
「悪夢を見ているとしか思えなぁぁ!!」

 ベッドを破壊しないように、細心の力加減で放たれた拳を何とか回避する。
 剄や力の加減が下手だった頃、今日と同じように起こしに来てくれた最愛の幼馴染みに、ベッドを壊されたのは既に良い思い出となっている。
 二人そろって、親に散々怒られたが、あれはあれでよい思い出だ。
 繰り返したくないと思えるくらいには、良い思い出である。

「さっさと起きろ。何時もながらお前は朝が遅すぎる」
「お前らが速いんだよ。レイフォンなんか放っておくと俺よりも遅いだろうに」

 既に、朝早いという時間ではないし、気の早い奴なら既に働き出している頃の時間であるが、武芸者などと言う時間が不規則になりやすい仕事をしているのだから、多少の事は大目に見てもらいたいところだ。
 レイチェルやリーリンと行った女性陣に起こされなければ、レイフォンだって今頃起きだしたに違いないと確信しつつ、ベッドから抜け出して大きく欠伸をしつつ首を狙って放たれた蹴りをしゃがんで躱す。
 強制的に相手を覚醒させるという執念において、後ろに控えているゴリラに勝る武芸者は存在していないだろうと確信できる威力だった。
 一歩間違えば、そのまま永眠できてしまえるくらいの執念を持っている武芸者だ。

「いい加減にしろ、ロレンツォ・パブロフ」

 やっとの事でゴリラの本名が出てきたが、それどころではない。
 アルセイフ小隊で最も手っ取り早く戦う男という評判のこの武芸者は、油断していると即座に攻撃してくるのだ。
 その攻撃に理由など無い。
 サヴァリスのように戦う事が好きなのとは少し違う。
 あえて言うのならば、エンリコを愛しているがために攻撃してくるのだ。

「・・・・・・・・・・・。俺は今、恐るべき危険性に気が付いた」
「どんな危険性だ? 俺は誰と戦えばいい?」
「お前は、お前と戦ってろ!!」

 エンリコを愛しているがために襲ってくると言う想像から逃げ出すために、ロレンツォを窓から放り出す。
 接近格闘戦専門のロレンツォの体重は凄まじいが、エンリコもアルセイフ小隊に名を連ねる武芸者である。
 活剄を総動員して、綺麗な放物線を描くように放り出したついでに、出来うる限り高速で着替える。
 ついでに剣帯を装備して、復元すれば短弓になる錬金鋼がきちんと収まっている事を確認する。
 そして部屋を出て一階に下りたところで、不条理と遭遇した。

「全くもっていかんです。折角起こしに来た幼馴染みを窓から放り出すなど、新しすぎて受け入れられませんよ」
「そうよねぇ。エンリコには困った物だわ。攻めて起こしに来てくれたんだから、朝の生理現象でもめて欲しいのに」

 何故か母親とお茶を飲みながら恐るべき会話を交わしていやがった。
 まるでロレンツォが女の子であるかのような、そんな吐き気を催す会話である。
 念のために言っておくのだが、エンリコは過激な異性愛主義者である。
 女の子が好きであり、そして、有名人で中性的な顔立ちをしているのだから、女の子にもてて当然だとさえ思っている。
 だが、実際問題として、女の子と付き合った事と言うのがない。
 少し考えてみると、原因はロレンツォであるようにも思える。
 ここでこいつを殺しておけば、もしかしたら明日から女の子にもててしまう人生が始まるかも知れない。
 そんな確信と共に、錬金鋼に手を伸ばす。

「あらエンリコ。お早う」
「お早う母さん。それと、そいつは鎖に繋いおいて」
「おおっと!! いきなりアブノーマルですよ、お母さん!!」
「いやぁぁぁ!! 家の子に限ってそんな事有る訳無いわぁぁぁ!!」

 とても嬉しそうにされてしまった。
 これは、親孝行だと思えばいいのか、それとも我が身の不幸を呪えばいいのか、かなり悩むべき展開である。
 溜息を一つついて、用意されていた朝食に取りかかるのだった。
 食事を抜く事は、遺伝子が許さないと父親が言っていたが、それは正しいのだろうと思う。
 汚染獣との戦闘をしていようが、あるいは、ロレンツォを殺そうとしていようが、食事を抜く事だけはしなかった。
 流石に、戦闘中はゼリーを流し込むだけで終わらせるが、色々な味を用意して食事を楽しむ事だけは止めなかった。
 だからこそ、母親とロレンツォがなにやら騒いでいる騒がしい食卓でも、朝食を堪能する事が出来たのだ。
 この一事を持ってして、エンリコが並の神経ではないと言う事を証明しているとレイフォンに言われた事があるが、本人には全く理解できていないのだった。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その2
 
 さてさて、オリジナルの登場人物が出てきました。
 ここでざっと大元になったキャラについてかきたいと思います。
 まずレイチェル。
 これはブラッド+の主役、音無 小夜(さや)が原型です。
 ただし! あくまでも原型であると言うだけでもはや完全に別物となっています。
 続いてアーリーとイサキ。
 これは、トライガンに登場する保険会社の凸凹コンビが原型です。
 なので小さい方が銃使いで、白いマントなど装着している訳ですが、原形を留めているのはおおよそこれだけ。
 最後がロレンツォとエンリコ。
 実はこれ、鋼の錬金術師で主役をやっている、エルリック兄弟。
 こちらは完璧に、全くもって原形を留めていません。
 あくまでもキャラを作る時の叩き台にしたと言うだけですので、あまり熱心に考えない方がよろしいでしょう。



[18444] 隊長は天剣授受者 その3
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:49


 グレンダン女王アルシェイラは、実のところ怒り狂っていた。
 今、不用意に集中力を奪われる何かが起こっただけで、グレンダンを破壊しかねない暴れ方をしてしまってもおかしくないほどに、怒り狂っているのだ。
 原因はと問われたのならば、それはもう、最年少天剣授受者以外にはあり得ない。
 血圧を上げる原因を作る天剣授受者はそれ程多くない。
 サヴァリスのように、力尽くで解決できる連中ばかりだからだ。
 暴れて解決するのだったら、手加減して殺さないように細心の注意を払いつつ痛めつければそれで良いので、気が楽なのだ。
 だがレイフォンは違う。
 頭を使って、政治力を駆使しなければ解決できない問題を連発してくれるのだ。
 弄ってもつまらないと評価していた時期がアルシェイラにもあった。
 だが、むしろ弄られているような気がしてならない今日この頃だ。

「あのぉ? 陛下?」

 能面の様な無表情を繕う事もせずに、おどおどとこちらを見るレイフォンに殺意の視線を向ける。
 こんな事なら天剣に選ばなければ良かったと、そう思うくらいに問題を連発してくれる子供に対して殺意を覚えるくらいは許容範囲だろうと思うのだ。
 実際に行動に移したら、それはそれで問題だろうから自制するが、それでも殺意は覚えてしまう。
 これはしかたのない事なのだ。
 同席しているのは、教育係として指名したティグリスとカルヴァーンだ。
 二人の視線は、決してアルシェイラと合わせないためにあらぬ方向へと向けられている。
 事態がどれほど危険か認識している証拠だ。
 それを確認して、レイフォンへの質問を投げつける。

「貴様に聞きたい事はただ一つだけだ。それだけ答えろ」
「はい?」

 これだけ怒り狂っているというのに、心当たりがないと言わんばかりに柔軟にアルシェイラの怒りを受け流すレイフォンは、ある意味著しい成長を遂げたと言えるかも知れない。
 違う方向で成長してくれたら良かったのだが、世の中なかなか上手く行かないようだ。

「グレンダン全生徒を対象にした学力試験。貴様の成績は下から数えて何番目だった?」
「一番でした」

 即答だった。
 迷う事なき即答だった。
 これ以外の答えなど存在していないと言うくらいの即答だった。
 どことなく誇らしげですら有った。
 むしろ、下から数えたとは言え、一番を取った事を褒めてくれと言わんばかりの態度のように思える。

「っく!!」

 何とか頑張って破壊衝動を抑える。
 そして目下の問題について考える。
 事の発端は、グレンダンで十年ぶりに行われた学力試験だった。
 十才から二十才までの全住民を対象に行われた、この変則的な学力試験の結果、レイフォンは見事最下位を独走してのけたのだ。
 成績が悪いというのだったら、まあ、話は分かる。
 アルシェイラ自身は、まあ、優秀な成績を取っているが、それを他の天剣授受者に押しつけるつもりはない。
 頭が悪かろうが、性格が破綻していようが、天剣授受者とは強ければそれだけでよい存在なのだ。
 他の誰でもない、アルシェイラがそう決めて選んできたのだから、そこは問題無い。
 だが、だがである。
 最下位を、しかも独走されてしまっては、流石にハイそうですかと見過ごす事は出来ない。
 教育係へと視線を向ける。
 逃げ出す準備をしている事だけが理解できた。
 出来れば、アルシェイラだって逃げ出したい。
 いや。むしろ投げ出したい。
 だが、グレンダンを統べるべき女王としてそれはやってはいけないのだ。
 深呼吸する事五回。
 何とか思考能力を取り戻す事に成功する。

「学力が付くような手を考えろ!!」
「「御意!!」」

 教育者二人に命令を出す。
 それを受けて平伏す大人と違い、話題の中心人物たる子供は驚いた顔をしている。
 殺意が強くなってしまっても、何ら文句を言われる筋合いはない。

「陛下?」
「なんだレイフォン?」
「学力なんて無くても、天剣授受者わぁぁぁ!!」

 話の途中で、アルシェイラは、笑顔のまま衝剄を放ってしまっていた。
 怒りが限界を超えると笑えるのだと言う事を、生まれて始めて知る事になったが、全くこれっぽっちも嬉しくない。
 壁を突き抜けて王宮の外へと飛んで行くレイフォンを眺めつつ、少しだけ後悔していた。
 王宮の修理費がかなり高いだろうなと。
 その考えを無視して、残っている二人へと視線を向ける。
 一瞬にして直立不動の姿勢へと変化を遂げた。

「何とかしろ」
「「御意」」

 丸投げすることがよいことだとは思わないが、女王自身が全てをやらなければならないという事もないはずだ。
 そして、この問題に限って言えば、レイフォンの教育係を買って出た二人にも確実に責任はあるのだ。
 責任ある人物にやらせる事は、決して間違っていないのだと、そう結論付けたアルシェイラは、書類の決裁というとてつもなくつまらない仕事へと戻ったのだった。
 
 
 
 
 
 アルシェイラに吹き飛ばされたレイフォンだったが、何とか金剛剄を張って防御する事は出来た。
 だが、それは直接衝撃を受けなかったと言うだけの事であり、最終的に吹き飛ばされて激しく建物に激突してしまっていた。
 普通の武芸者だったら、木っ端微塵になっているところだが、膨大な剄量と必死の精神力で何とか軽傷で済ませる事が出来ていた。
 出来ていたのだが。

「あら? お早う御座いますレイフォン様」
「この状況で普通に挨拶が出来る貴女を、僕は尊敬できると思います」

 衝突した建物は、あろう事かロンスマイア家の屋敷であり、信じられない事にクラリーベルの寝室だった。
 既に昼食をどうするか考えなければならない時間にもかかわらず、朝の挨拶を平然としてのけたのはクラリーベル・ロンスマイアと言う少女である。
 そう。不動の天剣事ティグリスの孫に当たる人物であり、政治的圧力でアルセイフ小隊に入る事は出来なかったが、おそらくグレンダンで若手最強の武芸者でもある。
 レイチェル辺りと戦っても、おそらく一分以内には勝負を付ける事が出来る実力者なのだが、猛烈な政治的圧力がかかったとかで現在小隊に所属していない。
 どこからかかったかを聞いてはいけない。

「それはさておき」
「何を置いておくのでしょうかレイフォン様?」

 そう言いつつ、何故かとても薄いネグリジェ一枚だけのとても直視できないお姿で、何故か錬金鋼を復元なさる。
 錬金鋼を復元するからには、レイフォンと戦いたいという事なのだろうが、着ている物にもう少しだけ注意を向けてもらいたいところである。
 クラリーベルを直視できない以上、手加減して勝つ事がとても難しいのである。
 ここで選択である。

「何故こんな時間まで寝ていたのか聞いてよろしいでしょうか?」
「昨夜は、レイフォン様に夜襲をかけようと思いましたら、おじいさまに見付かって朝までお説教を受ける羽目に陥りまして」
「ああ。ティグリス様も大変ですよね」

 徹夜明けであるにもかかわらず、普段と全く変わらない姿を見せたティグリスに尊敬の念を抱いてしまった。
 いや。殆ど常に尊敬の念を抱き続けているのではあるのだが、それでも今日という今日は本当の意味で尊敬の念を抱いてしまった。
 レイフォンの安眠を守ってくれたのだから当然の話である。
 そして準備は終わった。

「では! きょうはこのへんで!!」

 別段、なんの意味もなく無駄な話をしていた訳ではない。
 話の最中もクラリーベルが剄を練り続けていた事は分かっていたし、レイフォンもそれは同じだ。
 そして二人の技がほぼ同時に発動する。
 サイハーデン刀争術 水鏡渡り。
 外力系衝剄の化錬変化 炎蛇舌(えんじゃぜつ)。
 一瞬前までレイフォンがいた場所を、鎌首をもたげた蛇そのままの勢いで、炎の舌が舐め尽くす。
 その破壊力は過去最大。
 はっきり言って屋内で使って良い技ではないのだが、まあ、クラリーベルの家だし問題無いかと超高速移動しつつ考える。
 そして、移動しつつ抜き撃ちした天剣で追尾してくる気配を見せた炎の蛇、その頭を粉砕する。
 クラリーベルが地団駄を踏んでいるのを遠く感じつつ、レイフォンは兎に角高速移動を続ける。
 目指すは我が家。
 家に待っているのも、おそらくリーリンのお説教だろうが、化錬剄が飛んでくるよりは明るい未来があるのだとそう信じて、我が家への高速移動を続ける。
 
 
 
 
 
 結局のところ、かなり困った事となってしまっていた。
 今朝、家を出るまでは普通の一日だとそう思っていたのだが、学校について暫くした頃にそれが全くの誤解であった事を知ってしまった。
 先日行われた学力試験の結果、それを見た時にだ。
 探したのは、当然レイチェルやレイフォンの名前であり、決してリーリンの物ではなかった。
 当然、かなり凄い人数が受験しているために、紙の資料で配られる訳ではない。
 配られたのは、リーリン本人の順位や成績が書かれた紙だけだった。
 だから、端末を通して電子データを当たったのだが、そこで驚くべき事実と向き合う羽目となった。
 レイチェルの名前はすぐにヒットしたのだが、いくら探してもレイフォンが引っかからない。
 試しに、アルセイフ小隊の面々の名前を検索したが、こちらはすぐに見付かった。
 ならば考えられる現象はただの一つしかあり得ない。
 レイフォンの成績が異常なほど低かったのだ。
 良い分には積極的に公表するはずだ。
 多少悪くても天剣授受者なのだからと大目に見られるはずなので、公表はされるはず。
 以上の事を考察したリーリンは、授業の終わりをひたすらに待ちわびる。
 授業が終わったらどうするか?
 レイフォンを捕まえて説教をする。

「その前に」

 その前に、リーリンが今行った推論とそこから導き出された結論が正しいかどうかを、レイフォン本人に確認しなければならない。
 間違っているなどとは全く思っていないが、それでも万が一という事態はあり得る。
 だからこそ、本人から直接聞き出す必要がある。
 黙秘をするつもりだったならばどうするかと考える。
 そんな権利はレイフォンには無いのだと言う事を、きちんと教えなければならないので、少しだけ時間がかかってしまうかも知れない。
 だがそれも、説教本体の大きさに比べればどうと言う事のない些細な問題だ。
 誤差の範囲内だと、そう言いきってしまって良いだろう。
 ふつふつと沸き上がる黒い感情を抑えつつ、リーリンは授業の終わりを待つ。
 午前中の遅い時間に、王宮の方で何か爆発音がしたがそれにかまっている余裕など今のリーリンにはない。
 そう。事態はかなり困った事になってしまっていた。
 授業を終えて、全速力で家に帰ったリーリンが見た物は、あまりにも異常であり、どう対応して良いか分からないほどに困ってしまう物だったのだ。

「何をやっている? 貴様は莫迦なんだから死ぬつもりで努力する以外に方法など無い」
「あう」

 道場の隅に机と椅子を持ち込み、必死の形相で何かしているレイフォンは問題無い。
 なにやら勉強をしているようではあるが、まあ、それも異常事態ではあると思うのだが、これだけだったら、天変地異の前触れだと思う事で自分を納得させる事が出来たかも知れない。
 だが違うのだ。

「貴様。3+3がどうして8になるんだ? 誰がなぞなぞを解けと言った? 莫迦だ莫迦だと思っていたが、貴様は算数となぞなぞの区別もつかんほどに莫迦なのか?」
「ああうう」

 レイフォンの後ろに立ち、情けない声を出させつつ、足し算をやらせている人物こそが問題なのだ。
 ぼさぼさの黒髪を適当な長さに切りそろえ、ボロボロのコートをだらしなく着込み、よれよれになった、火の点いた煙草を咥えただけの人物は、一応リーリンも面識のある人物であり、そしてグレンダンでは知らぬ者のいないはずの有名人だった。
 レイフォンが使う、鋼糸の生みの親だという話も聞いた事がある。
 リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。
 グレンダンの武芸者、その頂点に君臨する天剣授受者、その中で最強と唄われる人物がレイフォンの勉強を見ている。
 これにどう対応すればよいのか、とてつもない状況を前に、全くもって思考が前へと進まない。
 当然かも知れないが、後ろへも横へも、上や下へだって進まない。
 つまり、完璧に硬直してしまっているのだ。
 どれくらいそうして固まっていたのか分からないが、人の気配がする事に気が付いた事で、やっと動き出す事が出来た。
 レイチェルを始めとするアルセイフ小隊の面々が、レイフォン達から最も遠いところに座り込み、そして呆然としている事に気が付いたために、リーリン自身は動き出す事が出来たのだ。
 兎に角、現状を把握しなければならない。

「レイチェル?」
「お帰りリーリン。お茶がとても美味しいよ」
「レイチェル?」

 念のために言うのだが、間違いなくレイチェルの手には湯飲みなど無い。
 はっきりと言おう。現実逃避をしていると。
 他の面々を観察する。
 全員が似たような状況だった。
 仮にも、年中天剣授受者と接しているというのに、リンテンスが来ただけでこの有様というのは著しく納得が行かない。
 まあ、レイフォンを天剣授受者と認識していないという危険性も十分にあるのだが。
 この問題は、後々何とかするとして、現状唯一まともな判断力を持っている人物へと声をかける事とした。
 当然の事リンテンスだ。

「リンテンス様?」
「なんだ? 俺が無駄な努力をしている時間から、更に三万ミリ秒奪うつもりか?」
「ミリ秒って?」

 使われた単位がとても疑問だが、そこに引っかかってしまっては話が先に進まないのは事実だ。
 なので無視して進める事とする。

「こいつの成績が悪すぎた」
「やっぱり悪かったんですね」
「ティグリスとカルヴァーンが策を練っているが、暫く時間がかかるそうなのでな」
「レイフォン相手じゃ、相当時間がかかりますね」
「その間、俺に無駄な努力をさせようと言う事になった」
「全くもってご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 武芸以外は、全く駄目な弟の面倒を見てもらっている姉としては、こう言うしか方法がない。
 だがここで疑問である。
 レイフォンが算数を理解できるかどうかは置いておくとして、リンテンスが、見た目と違って割と面倒見がよい事は知っているので、この辺も気にしない事とする。
 問題なのは、何故道場の隅でやっているのかという事だ。

「母屋でやると、他のガキどもがよってくるのでかなわん」
「成る程」

 年少組に懐かれて困ってしまったリンテンスを容易に想像できてしまう。
 困ってしまったリンテンスを見てみたいという願望もあるにはあるのだが、それを必死に内側に仕舞い込み、小隊の面々を正気付かせるために後頭部を一発ずつ叩く。
 当然の事、最も遠慮のないレイチェルが一番最初であり、最も強力だった。

「しっかりしなさいよ」
「無理だよ。いきなりリンテンス様が現れて、レイフォンに算数を教えるから場所を貸せって言ったんだよ。しかもその時には建物全部鋼糸で包囲されていたんだよ」
「・・・・・・? え?」

 辺りを見回してみるが、当然の事リンテンスの鋼糸など見えるはずもない。
 慌てて辺りに手を伸ばしてみるが、これも空振りに終わる。
 リンテンスの鋼糸と言えば、その数は一億本に迫ると言われる極細の糸であり、殆どの汚染獣など一撃の下に細切れに出来てしまうと言う恐るべき凶器だ。
 そんな物に触れてしまったら、指が根こそぎ無くなっても何ら不思議ではない。
 不思議ではないのだが、振り回した手は何の問題も無く空気を掻き回し続けている。

「リーリンの周りにはないよ。人が来るとその周りから逃げて行くんだよ。でも、レイフォンが近付くと通せんぼするんだ」
「芸が細かいんだ」

 もはや芸の域に達しているリンテンスの鋼糸に取り囲まれてしまっては、レイフォンに逃走の二文字は存在していないだろう。
 だが、これならば延々と算数の問題を解き続けている事も納得が行こうという物だ。
 必死の思いでリンテンスの鋼糸から逃げるという選択肢もあるかも知れないが、現実問題としてそれは死を意味するはずだ。
 それは、リンテンスの技を一部とは言え受け継いだレイフォンが一番良く分かっているはず。
 と言う事で、決死の覚悟で算数の問題を解いているのだ。

「何をやっている? 4+5がなんで45になる? なぞなぞの答えとしてもずいぶんと質が落ちたな」
「あぁうぅ」
「しっかり考えろ。俺を笑わせる事が出来たら苦しまずに殺してやるぞ」
「あぁぁぁうぅぅぅ」

 口と耳と鼻から、決して出てきてはいけない白い何かが見えるレイフォンは、逃げる事も負ける事も許されずに算数の問題と戦い続ける。
 リーリンが何かする必要などどこにもなかった。
 ただ見守るだけで十分なのだ。

「後たったの九千八百問だ」
「ああああううう」
「全部正解できたら褒美に殺してやっても良いぞ」
「九千?」

 そう思ったのも束の間。リンテンスの口から出てきた数字に驚愕を覚える。
 普通に考えて百問だと思うのだが、リンテンスはその百倍に迫る数字を平然と出してきたのだ。
 慌ててレイチェルに視線を向ける。
 物騒な台詞は聞かなかった事とする。

「いくら莫迦でも一万問やれば少しは計算が出来るようになるだろうってリンテンス様が」
「・・・・・・・・・・・・。成る程」

 いつからやっているか分からないが、二百問も片付けたレイフォンを少しだけ見直してしまった。
 そして理解した。
 天剣授受者に常識など通用しないのだと。
 そして願う。
 出来うるならば、あまり苦しまないようにレイフォンが死ねるようにと。
 
 
 
 
 
 レイフォンがリンテンスによって廃人になりかけたという事実は、あっと言う間にグレンダン中に知れ渡った。
 だが、常日頃から変態的な行動をとり続けている天剣授受者同士なので、それ程の時間をかけずに収束してしまうだろうと見られている。
 この予測が外れないだろうという事実こそ、アルシェイラにとっての不幸かも知れないが、それは今の問題ではない。
 レイフォン絡みの問題は解決に向かいつつあると、そう言える今日この頃だったのだが、生憎と揉め事の神はアルシェイラを解放するつもりが無いようだった。
 目の前には、畏まっているように見えて尚巨大な人影が存在している。
 こちらも天剣の一人であるところの、ルイメイ・ガーラント・メックリングだ。
 小さく溜息をつきつつ、アルシェイラは目の前の暴力しか取り柄のない大男に視線の槍を突き刺す。

「ルイメイ」
「なんだ陛下?」

 何時も通りの横柄な態度は問題無い。
 そんな事を気にしていたら、天剣を統べる事など不可能だからだ。
 畏まっているように見えるのも、その心の内ははっきりと唯我独尊だからに他ならない。
 だが、おそらくルイメイが思っているほど事態は甘くないのだ。

「風の噂というので聞いたのだがなルイメイ」
「おう?」

 こちらに向けた視線は、どんな噂か全く予測もしていない事が分かるそれだった。
 別段それは問題無い。
 普段だったら、アルシェイラも聞き流した程度のどうでも良い話だったからだ。
 だが、今この時はもの凄く拙い。

「愛人を孕ませたそうだな?」
「!! ど、どうしてそれを!!」

 あからさまに動揺するところを見ると、こんな場所で問いただされる事ではないと、そう思っていたのかも知れない。
 その認識に間違いはない。
 ただ一つの事実さえなければ。

「その相手が、よりにもよってレイフォン絡みの女だそうだな」
「そ、そうだが。それがどうかしたのか?」

 ここまで言うと、流石に事態を飲み込んだらしい。
 一瞬にして落ち着きを無くした視線が、辺りへと放たれるが、その行為に意味はない。
 そう。ルイメイも、一般常識という化け物がこの世にいると言う事を、それを知らない子供に教えている最中だというのに、大人の方がその常識を無視するような行動を取ってしまっているという事実に、恐ろしく遅いが気が付いたのだ。
 全ては遅すぎた。
 だが、まだ、レイフォンは知らないはずだ。
 リンテンスに廃人一歩手前まで追い詰められているために、知る機会を奪われ続けているから、おそらくまだ知らない。
 何とか誤魔化さなければならない。
 大人の汚い策略を総動員して、子供の教育に良くない事実を有耶無耶の内に何とか処理しなければならない。
 そのためにルイメイをここに呼びだして、精神的なリンチにかけている訳だ。
 だが、選択肢は実は一つしか存在していない。

「責任を取れ」
「せ、せきにん」

 全身から冷や汗を流しつつ呟くその台詞は、恐るべき何かを目の前にしたと言う事をやっと認識した証拠だった。
 ルイメイは妻帯者だ。
 そうでなければ愛人を孕ませたという事態にはならない。
 出来ちゃった結婚だったら、何の問題も無かったと断言できる。
 そう。ルイメイが妻帯者だったからこそ事態がややこしくなっているのだ。
 最悪の場合、超法規的措置として、天剣授受者を始めとした一部の者に重婚を認めるという手もあるにはある。
 だが、この手は最後の最後にどうしようもない場合以外には使いたくない。
 アルシェイラ自身が重婚を迫られるという危険性がある以上、出来るだけ回避したい方法だ。
 その前に、結婚しなければならないという大前提はあるが、それはこの際無視する。
 問題は目の前にいる迂闊な天剣授受者だ。

「離婚して再婚しろ」
「へ、へいか」

 助けてくれと懇願されている気がするが、きっと何かの間違いだ。
 今の奥さんの事も愛しているのだろうと言う事は分かるが、事態はそんな那生易しい事ではないのだ。
 一般人を武芸者が孕ませ、そして生まれてくる子供が武芸者だった場合、ごく希に体調を崩す事がある。
 その危険は避けられないが、一般的な常識や法的な問題が起こる事は避けられる。
 そしてレイフォンの教育を考えれば、避けられる問題は避けるのが賢明だ。
 これが一般人や、普通の武芸者だったら話は全く違っていたのだが、残念な事に天剣授受者が絡んでしまっている。
 アルシェイラもルイメイも、逃げる事は許されない。

「レイフォンに天剣授受者の権威という物がどんな物かを教えている。その最中にこの事態はかなり拙いだろう」
「そ、それは」

 こんな事態が起こらないように注意をしていれば何ら問題無かったのだが、この脳みそが入っているか怪しい生き物は全く考えもしなかったようだ。
 そう。天剣授受者なら非常識でも許されると、レイフォンに教えてしまう事はなんとしても避けなければならない。
 いくら教育したとしても、事実が一つあっただけでそれは無意味な物になりかねない。
 だからこそ、アルシェイラは本来ならばどうでも良さそうな事に目くじらを立てているのだ。
 もはや他の手立てなど存在していない。
 堕胎させる事は出来るが、それもやはりレイフォンに悪影響を与えてしまう。
 折角学力が低く、やや非常識だと表現できるまでに教育できたというのにだ。
 小さく溜息をつき、そして告げる。

「離婚しろ。そして再婚しろ」

 他の選択肢など存在していない。
 そして、全てはルイメイがまいた種でありそこに実った結果を収穫する義務がある。
 いや。人格や性格に問題のある人間を天剣授受者としてしまったアルシェイラにも責任はある。
 その責任から逃れる事が出来ないのと同じだけ、ルイメイにも逃げ場は存在していない。
 何時もの態度が嘘のように弱々しい姿を曝す事しかできないルイメイを残して、アルシェイラは謁見の間から退出した。
 今、ルイメイの配偶者となっている女性にどう対応したらよいかを決めなければならない。
 放り出してそれでお終いという訳には行かないのだ。
 トロイアットのように独身だったら、こんな方法をとらずに済んだのだが、あるいは、レイフォンの教育が終了していたらまた話は違っていたのだが、泣き言を言っても始まらない。
 気を引き締め直したアルシェイラは、やりたくない仕事が立て続けに起こっている現状に腹を立てつつ、次の会議室へと向かうのだった。
 
 
 
 
 
 リンテンスに殺されかけて入院していた間は、実に平穏だった。
 何よりも、勉強しなくて良いという事実が、レイフォンに平穏をもたらした。
 だが、レイフォンの人生に平穏という物は相応しくないと誰かがそう決めているかのように、退院直後にその話は飛び込んできた。
 ルシャの結婚である。
 しかも出来ちゃった結婚である。
 更に、相手はルイメイだった。
 青天の霹靂などと言う柔な状況ではない。
 もはやあり得ないような現実だ。
 しかも問題なのは、ルイメイが離婚してルシャと再婚するとそう発表された事だ。
 グレンダン中がちょっとしたお祭り騒ぎになっているし、ルシャもそんな必要はなかったと言いつつとても嬉しそうだった。
 だが、レイフォンには懸念がある。
 ごく希とは言え、一般人が武芸者を産む時には体調を崩してしまうと言う危険が伴うのだ。
 胎児が武芸者かどうかは分からないが、極めて危険であるとレイフォンはそう判断した。
 何しろ、二人ともレイフォンの関係者なのだ。
 レイフォンの身に立て続けに起こっている地獄のような状況を考えると、最悪の事態を想定して準備していて尚不安が残るという物だ。
 だが、レイフォンに出来る事はそれ程多くない。
 取り敢えずルイメイに文句を言ってやろうと屋敷に向かったのだが、入院中だと言われてしまった。
 何を言おうとルイメイも天剣授受者なのだ。
 そのルイメイが入院するような事態はそうそう起こらないはずだ。
 極めて強力な汚染獣でも来たというのならば話は違うが、この半月ほどグレンダンは穏やかな日常を送っている。
 レイフォンを除いて。
 と言う事で、入院しているところへやって来たのだが、病室へ入った直後硬直してしまった。

「ルイメイ・・・・さん?」
「なんだ、ガキか」

 グレンダンで、最も身体が大きなルイメイを寝かせるために、特別あつらえのベッドが用意されているのは問題無い。
 ルイメイがその巨体を縮こまらせて寝ている姿など、想像しただけでも恐ろしいから、用意されている事は何ら問題無い。
 そう、問題なのはそこに寝ているルイメイ本人だ。
 レイフォンに対応した声にも、何時もの傲慢さは微塵も存在せず、あるのは強かに打ちのめされた人間の弱々しさだけだった。
 それは何故か?

「何が有ったんですか?」

 思わず恐る恐ると訪ねてしまうくらいには、恐ろしい光景だった。
 頭の殆どを包帯に覆われ、首にも自然治癒力を早めるための薬が塗られ、止めとばかりに右手の指は一本足らなかった。
 明らかに汚染獣との戦闘で負った傷ではない。
 対人戦でこんな姿になったのだと、そう確信できるがそれはおかしい。
 仮にも天剣授受者が対人戦で遅れを取る事など、そうそうある訳ではないというのが一点。
 そして、対人戦で天剣授受者をこんな目に合わせる事が出来るのは、同じ天剣授受者かアルシェイラだけであるという事実が一点。
 だが、出来る能力を持っている連中の顔を思い浮かべると、この程度の傷で済む訳がないと思えるのが一点。
 つまり、レイフォンが想像できる限りにおいて、ルイメイがこんな姿になる状況が全く想像できない。

「言っておくがな」
「な、なんでしょう?」
「俺は負けた訳じゃない」
「そ、そうなんですか?」
「ああ」

 負けた訳ではないとなると、引き分け以上と言う事になるのだが、他の天剣が入院中だという話は聞いていない。
 もちろん、アルシェイラも元気いっぱいの様子だった。

「ああ。むしろ勝ったと言って差し支えないはずだ」
「そのかっこうで?」
「そうだ」

 確かに、身動きできない状況という訳ではないし、ルイメイが勝ったというのだったらそうなのかも知れないとも思うが、残念な事に、声の弱々しさが全てを否定している。
 だが、続いて出てきた台詞は大いに驚く物だった。

「俺は一切手を出さなかった」
「は?」
「これはけじめなんだ。浮気をした男が取るべきけじめなんだよガキ」

 当然の事だが、レイフォンに浮気の経験はない。
 それどころか、女の子にもてた事など無い。
 レイチェルの視線が時々怖かったり、リーリンの視線にびびったりしている事はあるが、もてた事など一度もない。

「ルシャが妊娠しているのは知っているはずだな」
「その事で文句を言いに来たんですが」
「だろうな」

 頷くのがとてもおっくうそうに、身じろぎしただけのルイメイが小さく溜息をついたのが分かった。
 傷はたいしたことないはずだが、本人はとても大きな打撃を受けているらしいと言う事がここに来てやっと分かった。

「前の女房と別れるって話になったんだが」
「まあ、子供が出来ましたからね」

 子供が出来た以上、きちんと責任を取る事は当然だとレイフォンでも考える。
 ルイメイもそう考えたのだ。

「別れる代わりに力の限り殴らせろと言われたんだが」
「それは無茶でしょう」

 いくら無抵抗だと言え、天剣授受者を殴っても一般人では自分が痛いだけだ。
 武芸者だったとしても、かなりの手練れでなければ結果は同じになる。

「殴り倒された後、いきなり馬乗りになられてな」
「・・・・」
「両目を抉られた」
「・・・・・・・・・・・・・」
「その後、耳を食い千切られた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「更に右手の人差し指をもぎ取られて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「喉笛を食い破られそうになったところで、周りが止めに入ってこのざまだ」
「・・・・・。大変でしたね」

 そうとしかコメントできない。
 相手は相当の手練れだったようだ。
 それにしても、何ら抵抗することなく暴力を受け続ける事に意味があるのかどうかは分からない。
 だが一つだけはっきりした事がある。
 浮気をした人間の末路は、おおよそ目の前に転がっているのだと。

「念のために言っておくとだな」
「伺いましょう」

 思わず敬語になってしまった。
 別段ルイメイを尊敬しているという訳ではないし、好意を持っているという訳でもない。
 だが、ここまでの苦痛に耐える事が出来る人間に、いや、男に敬意を払うくらいの事は出来るのだ。

「浮気をするんだったら覚悟しておけ」
「僕はもてないからその心配はありません」

 何度でも言うが、レイフォンはもてた事などないし、おそらくこれからもそんな事にはならないだろう。
 だが、ふと気が付くと、ルイメイが大きな溜息をついていた。
 かなり疑問である。

「まあそれならそれでかまわん」
「そうですか」
「ああ」

 これ以上怪我人に負担をかけるのも憚られるので病室を出たのだが、そこでふとレイフォンは疑問に思った。
 トロイアットは責任を取るのだろうかと。

「そんなはずはないか」

 あのトロイアットが、女性絡みの問題で責任を取る事など、それこそ考えられない。
 そもそも、責任を取るつもりがあるのだったら誰かと結婚しているはずだ。
 朝の速い時間に叩き起こされるルイメイの訓練が当分なさそうだという事実を胸に、レイフォンは病院を後にした。
 そして思う。
 責任というのは、レイフォンが思っているよりも遙かに重い物なのかも知れないと。
 この認識は、おそらくルイメイを訪ねてきて得る事が出来た、最も大きな収穫だろうとそう思った。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その3
 
 と言う事でルイメイとレイフォンに地獄に逝ってもらいました。
 リンテンスが算数を教えているのは、なんと言ってもレイフォンの師匠だからに他なりません。
 一万問なんて計算を解いたら、誰だって入院してしまうこと請け合いでしょうし、浮気をした男が制裁を受けるのもやはり当然と言う事で、この話しとなりました。
 そう言えば、リーリンが登場するのはこれが始めて。
 そして、目立った活躍をするのはこれが最後。



[18444] 隊長は天剣授受者 その4
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:49


 色々なことがあった。
 あまりにも算数の問題を解く速度が遅かったために、リンテンスに本気で殺されかけた。
 ティグリスとカルヴァーンの仲介で瀕死の重傷を負っただけで済んだのは、レイフォンにしてみれば凄まじい幸運だった。
 その後も勉強三昧の毎日を送る羽目になった。
 汚染獣と戦うことはおろか、天剣争奪戦で指名された時でさえアルシェイラの許可が下りなかった。
 ガハルドというルッケンスの武芸者が、何故か熱心にレイフォンを指名したが全て無駄に終わり、最終的にルイメイの手によって亡き者にされたとか言う話を聞いた。
 ついでのように、ルイメイに半殺しの目に合わされた。
 原因はとても単純であり、そしてあまりにも非常識だったと今から考えればそう思える。
 元の奥さんとの縁を切ってルシャと結婚したルイメイは、レイフォンにとって義理の兄に当たる人物となった。
 だからレイフォンはあえてこう呼んだのだ。
 お兄様と。
 直後ルイメイの必殺の一撃が襲いかかり、その後少々周りの被害が出てから、本格的に半殺しと相成ったのだ。
 そして退院直後、レイフォンはグレンダンから条件付きの追放となった。
 その条件とは、一般常識と学力の取得。
 全く知らなかったのだが、この世の中には学園都市などと言う迷惑な物が存在するそうで、そこへの留学と相成った。
 もちろん、一人で行ったのではいつまで経っても一般常識も学力もつかないだろうから、しっかりと監視役がついてきている。
 そう。レイフォンの頭を踏みつけることが出来る人物が監視役としてついてきているのだ。

「でね」
「ええ! そんなにぃ?」
「まさかがあるのよ」
「じょうだんみたなんだけれどね」

 リーリンである。
 学園都市という迷惑な存在はどこまでもレイフォンに辛く当たらなければ気が済まないようで、二十代前半までの人間しか受け入れることをしない。
 そうなると、養父であるデルクは当然却下であり、リンテンスを始めとする天剣授受者も駄目。
 アルシェイラが全力で若返るとか言っていたが、結局のところ無駄骨に終わってしまった。
 と言う事で、リーリン以外の選択肢は存在しなくなったのだが、ここから更に話がややこしくなってしまう。
 アルセイフ小隊だ。
 レイフォンのために結成され、レイフォンと共に戦い続けた同年代の武芸者を受け入れることは、グレンダンの武芸者を持ってしてもなかなか難しかった。
 若手最強を唄われる連中を扱うためには、それこそ天剣授受者並の実力を持たなければ不可能だったのだ。
 と言う事で、総勢七名がグレンダンから集団留学と言うことになった。
 だが問題は次々にやってくる。
 その最大級の物が、当然のことレイフォンの学力だった。
 そしてやって来た地獄の猛勉強。
 体重が三キル程減った上に、体脂肪率が十パーセントを切りかけるという凄まじい負担を身体に刻みつつも、それを何とか乗り越えて受験本番を迎え、そして結果が出た。
 奨学金が出たのは、遙か遠方にあるツェルニと言うところのみと言う究極的に駄目な結果だったが、それでも全て落ちるという最悪からは逃れることが出来た。
 だが、ここで待ったがかかった。
 何故かティグリスがリーリンの都市外への移動を嫌がったのだ。
 理由は全く言わなかったし、未だに分かっていないが、最終的には他の選択肢がないと言う事で実行に移された。
 そして今、レイフォンは放浪バスの中にいる。
 青石錬金鋼を鋼糸として復元して。
 
 
 
 
 
 荒れ果て、乾ききった荒野を進む放浪バスの中で、ヨルテム出身のナルキ・ゲルニは驚きと混乱に見舞われていた。
 人間同士が戦い死者を出す都市間戦争に疑問を持ったナルキは、悩んでいては死んでしまうと心配した両親の勧めに従い、なにやら揉め事を起こしたらしい幼馴染みのミィフィと、自分を変えたいと珍しく積極的に行動しようとしているらしいメイシェンと共に、学園都市ツェルニへと留学する途中だ。
 全ての放浪バスが旅立ち、そして帰るところと言われる交通都市ヨルテムには、様々な都市から様々な人達がやってくる。
 中には良からぬ事を企んでやって来る者もいれば、ただ単に通り過ぎるだけの連中だっている。
 そう。ミィフィの先導に乗る形でなにやらガールズトークを炸裂させているグレンダンからの留学生も、本来ただ通り過ぎるだけの存在だったはずだ。
 いや。ヨルテムにとっては今だってただ通り過ぎただけの存在でしかない。
 だが、ナルキにとってはこれから先、六年間付き合い続けるべき人達へと変わっていた。
 ツェルニへ留学する以上、この事実は変えようがない。
 ミィフィと話し込んでやたらと盛り上がっている、グレンダンからの三人には連れがいる。
 同じ歳くらいの男が四人だ。
 七人でツェルニへ集団留学だという話だから、それは何ら問題無い。
 リーリンと名乗った少女以外は全員武芸者だそうだが、そんな事もあるだろうと受け入れることも出来る。
 だが、目の前で起こっている現象については、とても受け入れることが出来ない。
 放浪バスというのは、長期間の旅に耐えられるようにわざと広めに作られている。
 だが、移動するための機械である以上大きさには限界という物もある。
 例えばだが、少女四人がキャインキャインとガールズトークをぶちかましていたら、バスの中にいたら確実にその内容は聞き取れる。

「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

 だが、だがである。
 四人の会話だけ全く聞き取ることが出来ないのだ。
 試しに活剄を使って聴力を強化してみたのだが、その会話の内容を聞き取ることは出来なかった。
 防音処理をされていて尚、大地を踏みしめ前進する多脚歩行バスの僅かな駆動音を聞き取ることも出来る。
 窓にぶつかる砂粒の音だって、きちんと聞き分けることだって出来る。
 他の乗客の呼吸音も、男四人に怯え気味のメイシェンの服が擦れる音だってきちんと聞こえる。
 メイシェンにとっては、怪奇現象よりも見知らぬ男の方が脅威なのだろう事は十分に理解できるが、ナルキは全く逆なのである。
 ただただ、四人の会話だけが一切聞こえないのだ。
 とても疑問であるのに、四人の武芸者はそれが当然のことであるかのようにさほど注意を払っている様子もない。
 ほんの二メルトル先で起こっている怪奇現象を、全く気にしていないのだ。

「な、なあ」
「なんだ?」
「もしかしてあれのことですか?」

 見た目だけ怖い感じのアーリーが少女四人に向かって軽く顎をしゃくる。
 きちんと認識しているようで安心したが、それでも怪奇現象が目の前で起こっているという事実は消すことが出来ない。
 先に反応した中性的で口の悪い小柄な男、エンリコは会話をアーリーに丸投げし惰眠をむさぼろうと苦労している。
 苦労してまで貪る必要は無いと思うのだが、人それぞれなので気にしてはいけないのだろう。
 そう。問題は怪奇現象の方なのだ。

「ああ。乗客はみんな気味悪がっているけれど、あんたらは平気そうだから何故かなと思ってな」
「ああ。始めて見ると確かに気味悪いですよね」

 そう。乗客の視線はちらちらとミィフィ達に注がれているのだが、誰も正面から見ようとはしていない。
 気味悪い現象が目の前で起こっていれば、誰だって似たような反応をすると思うのだ。
 例えばだが、ロレンツォと名乗ったごつい男が、せっせとレース編みをしている光景などは出来るだけ視界に納めたくはないが、かなり気になると言ったように。

「あれは、レイフォンの鋼糸ですよ」
「こうし?」

 言われた単語が理解できずに一人だけ何かに集中しているように見える男へと視線を向けてみる。
 そして気が付いた。
 剣か何かの柄を軽く握りしめていると言う事に。

「あの柄の先からは、恐ろしく細い鋼の糸が出ていまして、その糸が四人を取り囲んでいるんですよ」
「ひゅぅ?」

 そのあまりに非日常的な状況説明に、思わずメイシェンの顔から血の気が引く。
 と人ごとのように言っているが、ナルキも似たような状況だ。
 すぐに見えない程細い鋼の糸となれば、人間の身体を切り刻むことなど容易いことに違いない。
 慌てて活剄を使って四人の周りに注意を向けてみる。
 だが、何も見えなかった。
 担がれたのかと思い、アーリーに非難の視線を向けてみる。

「レイチェルかイサキの髪の辺りをよく見てみて下さい。たまに光の加減で見えることがありますから」

 半信半疑と言うよりは、はっきりと猜疑心の強い精神状態で、それでも言われた通りにレイチェルの髪の毛を集中して見詰めてみる。

「・・・・・・? !!」

 そしてそれは見えた。
 やや手入れをサボっている感じの黒髪を背景に、蜘蛛の糸よりも遙かに細い一筋の、耀く糸らしき物が一瞬だけ。
 光の加減ですぐに見えなくなってしまったが、暫く見詰め続けていると再び一瞬だけそれは視界に飛び込んでくる。

「見えました?」
「み、みえたとおもう」

 とても断言できる類の物ではない。
 見間違えだと言われたらそれを信じたに違いない。
 それ程細い糸が、アーリーの言う事を信じるならば、四人の周りを取り囲んでいると言う事になる。

「大丈夫。レイフォンはあまり人間に近づけていないし、そもそもあの四人はあまり動かないから友達を切り刻んだりはしませんよ」
「ほ、ほんとうか?」
「大丈夫。グレンダンでもレイフォンとその師匠しか使えない技ですけれど、実際は汚染獣を切り刻むためですけれど、声を外に漏らさないために使っているから平気ですよ」
「お、おせんじゅうをきりきざむって」

 実際に戦ったことはないが、人間よりも遙かに大きく、何よりも分厚い甲殻で守られているはずの汚染獣を、細い糸で切り刻むと言われて動揺が更に激しくなる。
 どんなに楽観的に考えても、人間は細切れになってしまうからだ。

「大丈夫。それに」
「それに?」
「あのガールズトークを野放しにしたのでは、他の方にもの凄い迷惑ですよ」
「それはそうだが」

 一連の会話で分かったことがある。
 アーリーもエンリコもロレンツォも、そしておそらくレイチェルやイサキも、瞑目しているように見えるレイフォンに絶対の信頼を置いていると言う事がだ。

「鋼糸は俺も使おうと思っているんだが」
「おや? ロレンツォも使いたいんだ」
「便利だからな」
「まあ、それは確かに便利だね」

 ゴリラのような巨漢を持ったロレンツォは、おそらく前衛としての役割が多いのだろうと言う事は想像できる。
 細く丈夫な糸が自由自在に使えるのだったら、咄嗟の時に移動に使えれば確かに便利だ。
 間違って自分を切り刻まないだけの技量が必要だが、習得する価値は十分にあるだろう。

「でもな」
「失敗した?」
「ああ。十本以上を扱おうとすると絡まって使い物にならない」
「成る程」

 目に見えない程細い糸を使うと言う事は、確かに絡まる危険性がとても大きい。
 メイシェンがたこ糸を使って鳥の足を縛る時にも、時々こんがらがってやり直している程だ。

「ああ。だからこうやって修行しているんだ」
「あ?」

 思わずメイシェンと一緒にロレンツォを観察する。
 どう見てもレース編みをしているようにしか見えない。
 いや。

「そのレース編みってもしかして」
「糸を扱うコツが隠されていないかと思ってやっているんだが、なかなか難しい」
「な、なるほど」

 グレンダン出身の武芸者は、一味違うのだと言うことを理解した瞬間だった。
 そして疑問に思う。
 惰眠を貪ろうと努力しているエンリコも、もしかしたら何かの修行をしているのかも知れないと。
 注意して気配を探る。

「エンリコは本当に惰眠を貪っているだけですよ。食事と睡眠以外にはあまり趣味がないようで」
「・・・・・・。駄目な人間にならないか?」
「普通の都市だったら、間違いなく駄目な人間になりますね」

 普通のと言う但し書きが付いた。
 それはつまり、グレンダンだったら事情は違うと言うこと。
 やはり、グレンダン出身の武芸者は、一味違う。
 そしてもう一つ気が付いたこともあった。
 アーリーは、ナルキ達に向かって喋る時と仲間内とでは、明らかに口調が違う。
 身体が大きいだけで遠慮がちな性格なのかも知れないが、念威繰者だという彼の本性を見てみたいとは思わない。
 グレンダン出身の武芸者は、普通ではないのだ。
 
 
 
 
 
 長い旅が終わった。
 グレンダンを出発してから、既に三週間という膨大な時間が流れている。
 その間、殆どバスの中にいたためにレイフォンの心と身体と剄脈は致命的な打撃を受けていた。
 狭いところと言う制限だけでもかなりきつい展開だったことは疑いの余地はないが、それ以上に近くで炸裂し続けるガールズトークを中和する作業が恐るべき打撃となったのだ。
 何故、如何にして、何故?
 少女四人は会話のネタが切れることもなく、十二時間以上喋り続けて疲労困憊して眠ったはずだというのに、次の朝になると完璧に体調が元に戻っており、平然と十二時間以上のお喋りに興じることが出来た。
 天剣授受者であるレイフォンの活剄を持ってしても、これほど連続して行動することは厳しいというのに、ツェルニに到着した少女四人は恐るべき事に全くもって平然としているのだ。
 いや。それ以上に肌の色つやが増しているようにさえ思える。
 もしかしたら少女というのは、汚染獣以上の未知の生物かも知れない。
 リーリンやレイチェルと共に暮らしていたはずだというのに、今まで知らなかった生態を垣間見たレイフォンの、偽らざる疑問である。
 だがここは学園都市ツェルニ。
 ガールズトークを中和する必要は無いだろうし、長時間一緒にいることもないはずだ。

「大丈夫ですかレイフォン?」
「女の子って、分からないと言うことを知ったことが、唯一の収穫だったよ」

 三週間。
 文字にしてしまえば短いが、未知の体験をするには長すぎる時間だったようだ。
 だが、それももう終わりだ。
 ここはツェルニ。
 大事なことなので二度確認する。
 そして視線を飛ばして辺りを見回す。
 ツェルニには、レイフォンの知人の知り合いが居るのだ。
 そう。同じ天剣授受者サヴァリスの弟さんがここに留学してきているのだ。
 願わくば、兄に似た性格をしていないと嬉しい。
 そしてそれは見えた。
 銀髪を短く刈り込んだ、厳つい顔の巨漢がこちらにやってくる。
 その表情には緊張がみなぎり、厳ついながらも笑えばそれなりに甘い雰囲気を醸し出すかも知れない顔を、それはそれは恐ろしい物へと変化させてしまっている。と同時に、明らかにサヴァリスの面影を宿していることも確認出来る。
 問題なのは、右手と右足、左手と左足を一緒に前へと出してしまっている歩き方だろう。
 実はこの現象は珍しくない。
 今でこそアルセイフ小隊の面々は、レイフォンに対してそれ程緊張せずに接することが出来ているが、最初の頃は呼吸を忘れて死にかけるという笑えない笑い話を提供した奴までいた。
 それに比べればまだ増しだと言える。
 実際に、目の前までやって来た巨漢を笑う気配は全く存在していない。

「ひ、ひつれ。失礼いたしますヴォルフシュテイン卿」
「こんにちは、ルッケンスさんですね?」
「はし。ゴルネオ・ルッケンスでしゅ」

 いや。口が上手く回っていない。
 きっと、脳の中では言うべき言葉が乱れ飛んでしまっていることだろう。

「落ち着いて下さい。ここでは貴男の方が先輩なのですし、僕達はここへ常識を学びに来たのですから」
「お、おしょれいります」

 まだ駄目のようだ。
 まあ、天剣授受者などと言う人外の化け物を身内に持つ以上、想像も出来ない苦労があったに違いないから仕方が無いことかも知れない。
 その身内がサヴァリスではなおさらである。

「兎に角ですね。あまり緊張なさらないで下さい」

 すぐにというのが無理であることは理解している。アルセイフ小隊を結成した時も三ヶ月程はみんな緊張し続けていた。
 これから暫く目の前の巨漢と付き合う時には用心が必要だろう、そう思った瞬間にそれはやって来た。

「あらゴル? その人達がグレンダンから来た人達?」
「うを!!」

 一瞬だった。
 一瞬にしてゴルネオからレイフォンに対する畏怖や緊張が吹き飛び、かかった声の方向へと音速で視線を向ける。
 それに釣られる形でレイフォンもそちらを見る。
 いや。グレンダンからの集団留学生七人と、ヨルテムからの三人、合計十人の二十の瞳がそれを捉えた。
 そして驚愕のあまり動きが止まる。
 それはどう修正しようが女性だった。
 巨漢と呼ぶに相応しいゴルネオと並んでも、遜色ない程の長身だった。
 猫科の動物を連想させる、眥の吊り上がった瞳をしていた。
 長く伸ばしたら飛び散ってしまいそうな程に堅く、そして燃えるように赤い髪を持っていた。
 年齢はゴルネオと同じくらいだろう。
 そんな女性が親しげにゴルと呼んだ。
 それは問題無い。
 グレンダンを出てツェルニに来ているのだから、レイフォンが知らないだけで女友達が出来たって問題無い。
 そもそも、サヴァリスとの接点はあっても、ゴルネオと会うのは今日が初めてなのだから交友関係を知っているはずがないのだ。
 では、何が問題なのか?
 問題なのは、その女性自体ではない。
 その長身の女性が抱いている生物が問題なのだ。

「しゃんて?」
「なに?」

 その女性はシャンテという名前らしい。
 だが、それさえ些細な問題でしかない。
 そのシャンテのかき抱いている生物に比べたら、小石と砂利の区別程度のどうでも良い問題である。
 何か気にくわないことがあるのだろう、シャンテの手を逃れようとその短く柔らかそうな手足をしきりに動かしている。
 小さな声で苦情を訴えている。
 そう。その生物とは一般的にこう呼ばれている。
 赤ちゃん。
 あるいは乳児。
 もしくはベイビー。

「こ、ここには来るなと言ってあっただろう」
「だって、ゴルを頼ってきた人達でしょう? 挨拶しないと礼を失してしまうんじゃない?」
「そ、そそそ、それはそうなのだが・・・」

 有耶無耶になった台詞と共に、視線がレイフォンを捉える。
 そこには何故か遠慮があった。
 その遠慮がどこから来る物かは全く理解できないが、今アルセイフ小隊を預かる者としてやらなければならないことは分かっている。

「よく見ておけ」

 そのレイフォンの声一つで、今まで呆然としていた五人の背筋が伸びる。
 釣られたようにナルキとメイシェンも姿勢を正し、リーリンとミィフィの周りの空気まで変わった。

「武芸者としての実力は、お前達の方が上かも知れない」

 二十年後には、間違いなくグレンダン武芸者の中核となるのがアルセイフ小隊の面々だ。
 もし、今ゴルネオと誰かが戦ったのならば、間違いなく小隊員が勝つ。
 だが、目の前の現実はそんな軟弱な尺度で測ることなど出来はしない。

「だが、僕達はルッケンス先輩程の勇者ではない」

 脳裏をよぎるのは前の奥さんと別れ、病院のベッドの上に瀕死の身体を横たえるルイメイ。
 天剣授受者でさえ、守るべき節度があるのだと無言の内に教えてくれた男だったが、それも身から出た錆だと言える。
 そう。結婚しているのに他の女性に手を出すと言う事は、即座に死を意味するかも知れないと言う事実を認識しつつ、自分を律することが出来なかった以上、おそらくはルイメイは自業自得なのだろう。
 だが、あえてその危険を承知で結婚することを選んだのならば、その人物はレイフォン以上の勇者であると断言できる。

「最大限の敬意を払うぞ」
「う、うくぉ」

 五人から同意の気配が伝わってくる。
 それと比較して、何故かゴルネオは猛烈な打撃を受けているように見えるが、もしかしたら実家には知らせていないのかも知れないと、ここで気が付いた。
 ならば、彼が持っている引け目というか遠慮もそれに絡んだことなのだろうと当たりを付けることが出来る。
 その精神的な負担を軽くできることを、レイフォンは少しだけ誇らしく思った。

「サヴァリスさんが言っていました」
「な、なにをでしょうか!!」
「跡継ぎはゴルネオに任せる。僕は女性に興味がないし子供を作れるとも思えないと」
「に、にいさん」

 驚きに固まり直すゴルネオを眺めつつ、シャンテと名乗った女性の、胸の中で暴れている赤子を見詰める。
 そして一歩近づき両手を差し出す。

「もしよろしければ僕に抱かせてもらえませんか?」
「この子を?」
「はい」

 数十年後にはルッケンスをしょって立つだろう武芸者を抱いてみたかった。
 その思いと同時に、シャンテが赤子を抱く手つきがぎこちなく、少しだけ心配になったのだ。
 無用なことだとは思うのだが、それでも出した手を引っ込める気にはなれなかった。

「えっと」
「赤ん坊の扱いについてはそれなり以上に熟練していますので大丈夫です」
「そ、そうなんですか?」
「孤児院で育ったので、小さな子供の扱いには自信があります」
「な、なるほど」

 納得したのかは分からないが、恐る恐るとシャンテの手が伸びてきて赤子を差し出す。
 それをゆっくりと受け取りつつ、ふと気になったことがあった。

「この子の名前はなんと言いますか?」
「サテラです」

 名前を確認してから、ゆっくりと身体をゆらしつつその呼吸を確認する。
 そして、何を言うべきか考えた。
 手の中の小さな命が武芸者であることは一目瞭然だ。
 剄の流れを見て取ることが出来るし、その潜在能力がかなり高いことも分かるからこそ、言うべき事を考え、そして言葉として送り出す。

「立派な武芸者になれとは言わないけれど、出来れば、天剣授受者にはならないでねサテラ」
「ヴォルフシュテイン卿」

 その一言に込められた意味を正確にゴルネオだけが理解した。
 サヴァリスのようになって欲しくないとゴルネオも思っているから。
 天剣授受者などなろうと思ってなれる物ではないが、目指すだけでもサヴァリスに似てしまうのではないかという危惧はある。
 なれるかどうかは別として、おそらくゴルネオを超える武芸者にはなれるだろうと思うから。
 だからこそサテラに言わずには居られなかったのだ。
 まあ、常識人らしいゴルネオがいる以上大丈夫だとは思うのだが、それでも念のためである。
 だが、事態はレイフォンの事などお構いなしに突き進む。

「あれ?」

 僅かな時間シャンテへの注意が逸れたことは認めよう。
 その僅かな時間で事態は急変していたのだ。

「あの先輩!」
「どうやって子供を作ったのですか!!」
「つくったって・・・・・・」
「兄さんと同じ様にヘタレ気味のルッケンス先輩との間に、どうやって子供を作れたんですか!!」
「野獣のように襲いかかって一気に食べてしまったんですか!!」
「もしかして策謀の限りを尽くして襲ってくれるように仕向けたんですか!!」
「どうやって襲ってもらったんですか!! そのコツを教えて下さい!!」
「あ、貴女達落ち着いて」

 レイチェルとイサキが、何時の間にかシャンテを攫っていたのはよいとしよう。
 だが、問題はその目的であり話の内容である。
 そして、二人の勢いに完全に呑まれてしまっているシャンテが困惑の視線と共に、ゴルネオに助けを求めている。
 だからこそ、レイフォンは腕を伸ばした。
 これ以上、うら若い乙女がなにやら暴走しているところを見たくなかったというのもある。

「きぃぃやぁぁぁぁ」「ひいぃぃぃぃぃぃ」「うえぇぇぇぇぇぇ」

 そう。十メルトルはあったはずの距離を無視して片手を伸ばしたレイフォンが二人の後頭部に同時に打撃を与えたのだ。
 活剄衝剄混合変化・長手
 サヴァリスが使った千人衝を改造して、最大三十メルトルの長さに手足を伸ばすことが出来るという反則技だ。
 更に、イメージ次第でどんな形にでも腕を変形させることが出来るという変態的な技だ。
 例えば、肘から先を二つに分けてみたり指の数をそれぞれ十本にしてみたり間接の数を増やしてみたり。
 実は、使うのは今回が初めて。
 周りにいた無関係な人達の、悲鳴を聞きつつ、更に二メルトルになろうかという、六個の間接を持った指を伸ばして二人を絡め取りこちらへと引きずる。
 六個の間接と二メルトルになろうかという指に絡め取られると言う、始めての経験で動きが止まった二人を引き寄せるのは造作もないことだった。

「に、にいさん、これはなに?」
「れいふぉん、もしかしてこれってしょくしゅぜめ?」
「兄さんにだったらリアル触手ぐえぇ!」
「せめてアーリーに触手ぐえぇ!」

 二人が混乱するのを無視して絡めていた指に力を込める。
 念のために言うのだが、レイチェルとは血縁関係はない。
 であるからして、二人の間に子供が出来たとしても法的には何ら問題はない。
 問題無いはずなのだが、嫌な汗が背中を流れているという事実が厳然として存在し続けている。
 それを何とかするために絡めた指に更に力を入れる。

「う゛ぉ、う゛ぉるふしゅていんきょう?」
「ああ。気にしないで下さい。千人衝の改造技で誰にでも簡単に使えますから」
「む、むりですからふつう」

 ゴルネオとの会話をしている間に、レイチェルとイサキは綺麗に意識を失ってくれた。
 これで一息つきサテラをシャンテに返すことが出来る。
 だが、何故か背中を流れる嫌な汗が止まらない。
 その原因を探そうと視線を飛ばそうとして、とても恐い物を見てしまいそうなので止めた。
 だが、世界はレイフォンの思う通りには展開してくれない。

「レイフォン?」
「な、何かなリーリン?」

 レイチェルと同じ時間レイフォンと一緒に過ごした少女の声に、今まで流れていた冷や汗の量が一気に増大する。
 ふと気が付けば、周りから感じる音の量が圧倒的に小さくなっていることにも気が付く。

「・・・・・・・・・・・・あ」

 そして、気が付いた。
 血の気が失せた顔を背ける、ナルキの手の中でメイシェンが気を失っている。
 こちらに背を向けたミィフィがしゃがみ込み、何かに耐えている。
 真っ青な顔と鬼のような表情の、リーリンの視線がレイフォンへと突き刺さっている。
 アルセイフ小隊の面々は割と平気そうだが、それでも、断じて平常心ではあり得ないことがその雰囲気から分かる。
 更に視線を横にずらして周りを確認する。
 確認出来た現状というと、殆ど全ての人が背を向けて何かに耐えていたり、耐えきれなかったり。
 そして、間違いなく、周り中に最悪をもたらしたのはレイフォン本人である。

「えっと?」
「ヴォルフシュテイン卿。取り敢えずサテラを自分に」
「ああ。はい」

 アルセイフ小隊の面々以外で比較的冷静だったのは、天剣授受者の異常さを知っているゴルネオだけだった。
 シャンテの顔からも血の気が失せて小刻みに唇と指先が震えている。
 相当の衝撃だったのだろう事が確認出来たために、まだ幼いサテラを父親の手にゆだねる。
 そしてこの後どうした物だろうかと考える。

「兎に角その触手をしまいなさい」
「い、いや。触手じゃなくて手だからねリーリン」

 念のために言ってから気を失っている二人を確保するために、千人衝の分身を二人創り出す。
 それぞれに少女二人を担がせてから長手を解除する。
 言い訳をするならば、鋼糸を使った場合、二人が抵抗したら怪我をさせてしまうことを心配したために長手を使ったのだ。
 断じて、新しい技を使ってみたかったなどと言う理由ではない。
 だが、全ては既に起こってしまっているのだ。
 取り返しのつかないことをしてしまったかも知れないと思いつつ、ゴルネオの先導に従って宿泊施設を目指すこととした。
 
 
 
 
 
 ちなみに、この日を境にレイフォンに二つ名が献上された。
 そう。触手魔神。
 数日の内に、ツェルニでは知らぬ者のいない、超有名人となってしまったのだった。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その4
 
 勘の良い読者の方ならお気付きかも知れませんが、この話を書いていて最も力を入れたのが、シャンテが普通の武芸者としてツェルニに入学していたらどうなっていたのかというところでした。
 もし普通に入学していたら、ゴルネオはさっさと食べられていたこと請け合い。
 と言う事で、原作よりも数年速く父親になってもらいました。
 その分、この先苦労も多くなる事も間違いないでしょう。



[18444] 隊長は天剣授受者 その5
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:50


 数日前に超有名人となったレイフォンだったが、入学式が行われた今日、その威光に更なる輝きが付け加えられた。
 切っ掛けは些細な問題だった。
 敵対する都市の武芸者同士の、視線が接触したことから、言葉のやりとりへと事態が激化。
 本格的武力衝突になるまでにそれ程の時間はかからなかった。
 問題はここからだ。
 少しだけ待っていれば、ツェルニ武芸科の上級生がやってきて騒いでいる連中を無力化したはずだった。
 それまでにかかる時間は、おそらく十秒程度。
 だが、その十秒という時間を待てない事態が身近で起こってしまっていたのだ。
 一つは、避難しようとする生徒に突き飛ばされたメイシェンが転倒、そのままでは確実に怪我をすると思われたのでレイフォンが人波をかき分けて救助した。
 そこまでは良かったのだが、その直後リーリンが誰かに突き飛ばされて同じように転倒。
 それを助けたのがレイチェルだったことから事態は急速に悪化してしまう。
 そう。突き飛ばした人間では無く、騒ぎを起こしている連中に向かって殺意を持ってしまったのだ。
 突き飛ばした人もある意味被害者だから殺意を向けるべき相手は騒ぎを起こしている武芸者であって然るべきだが、レイチェルの場合その殺意は本物であり、そして錬金鋼を持っていなかったとしても、ツェルニの一般武芸者ごとき素手で瞬殺できるだけの実力を持っているのだ。
 つまり、一瞬のうちに入学式会場は阿鼻叫喚の塗擦場と変わってしまう。
 それを防ぐために出来ることはただ一つ。
 レイフォン自身が超高速移動、その後出来うる限りに派手に騒ぎを起こしている武芸者を制圧する。
 そしてそれは相手の実力が恐ろしく低かったことから成功を収めたのだが、問題は次々にやってきた。
 まず、武芸科の上級生の先頭を切ってやって来ていた金髪を短くした女性に目を付けられてしまったこと。
 次に、消化不良となったレイチェルの機嫌が猛烈に悪くなってしまっていること。
 更に、先日の触手魔神騒動ですっかり嫌われていたと思っていたメイシェンの視線が、なんだか少し恐いと言う事。
 小さな事を上げればきりがないが、その他は割愛してもそれ程問題無いと強引に納得することが出来る程度だ。
 だが、目の前に鎮座している問題は三人の女性よりも大きな問題を孕んでいるようにしか見えない。

「まずは感謝を。君のお陰で軽傷者が数名出た程度で事態を収めることが出来たよ」
「はあ」

 ここはツェルニで最も高い建物の、最も高いところに作られた階にある一室だ。
 グレンダンではアルシェイラの執務室がある場所であり、他の都市でもおおよそ最も高いところに最高権力者の仕事部屋が存在する、まさにその場所である。
 ツェルニで言うならば、生徒会長室と言う事になる。

「ここは学園都市で、色々な都市の出身者がやってくる。だからこそ他の都市の揉め事を持ち込んではならないという規則があるのだし、武芸科へ入学した者達には誓約書を渡してサインをさせた上に、帯剣許可が半年後になっているのもそのためなのだがね、毎年あることは言えやりきれないと思わないかね?」
「えっと、同意を求められていますか? それとも労いの言葉?」
「はっはっはっはっはっはっはっはっは! いや、これは済まないね。単なる愚痴だから気にしないでくれ給え」
「はあ」

 そう考えると、目の前にいるカリアン・ロスと名乗った銀髪を長く伸ばした超絶の美青年は生徒会長と言う事になるのだが、なんだかとても強い危機感を感じてならない。
 その声は穏やかでいて落ち着いているのだが、それは決して安心を与える物ではないようにレイフォンには思える。
 知的な印象を強調するようにかけられている銀縁の眼鏡だが、そのレンズが光を反射する度に目の表情を隠してしまうことが原因かも知れないが、もっと恐ろしい何かを感じずにはいられないと武芸者の本能がささやいている。
 そしてレイフォンは理解した。
 この次に出てくる言葉こそが本題であると。

「ところでレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ君」
「うあ」

 ミドルネーム付きのそれは、天剣授受者であることの証であり、グレンダン以外の都市出身者は殆ど知らないはずの事実だった。
 いや。実を言うとツェルニに居る間は天剣授受者ではない。
 天剣自体がグレンダンの秘宝とされるべき錬金鋼であり、持ち出し不可であると言う動かしがたい事実と共にレイフォン自身にも理由がある。
 グレンダンで最も学力の低いと認定されたレイフォンにとって、武芸に関わることは出来るだけ避けるようにと命令が下っているから、天剣授受者という身分は故郷に置いてきたのだ。
 それでも武芸科に入学したのは、一般教養科では修学金をもらえなかったからに他ならない。
 学力の低さがどこまでもレイフォンを苦しめていると、そう言える展開であるが、問題はそこではない。
 目の前にはグレンダンでの事情を知っている人物が最高権力者として居座っているのだから、それに対応しなければならないのだ。

「武芸科にいる君にとっては些細なことかも知れないのだけれどね、今年は武芸大会が行われるのだが、知っているかね?」
「・・・。いえ」

 武芸大会と言われてもなんのことだかさっぱり分からない。
 だが、今年行われるというヒントを足がかりにすると一つだけ似たようなイベントを思い出すことが出来た。

「もしかして戦争ですか?」
「そう。セルニウム鉱山の争奪戦だよ。学園都市では健全な戦いを心がけるという立前の元で武芸大会などと言われているがね、得る物と失う物は何ら変わらない」

 自律型移動都市の運営に人が関われるところは多くない。
 製造技術自体が遙か昔に失われてしまい、新たに生み出すことが出来ない。
 グレンダン以外の都市は、積極的に汚染獣という危機から逃げようとしているが、どうやって探しているのかが分かっていない。
 いや。進む方向自体を人間が決めることさえ出来ないという殆ど全てが謎の固まりであるのが自律型移動都市だ。
 そしてその自律型移動都市の謎の一つが、二年に一度動力源であるセルニウム鉱山を巡って行われる、争奪戦をやりたがるという現象だ。
 とは言え、実際に戦うのは都市そのものではなくその上に済んでいる人間達であり、人間が戦って都市の寿命を決めているのだ。
 なんのためにこんな習性を持っているのかは全く謎だが、起こってしまう以上しかたがないと諦めるしかない。
 出来ることと言えば、目の前の滅びから遠ざかるために足掻くことだけだ。

「実を言うと、ツェルニの保有している鉱山が残り一つとなってしまっていてね」
「それは、また」

 残り一つとなれば、それはかなり逼迫した状況だと言える。
 鉱山の数が多いと言う事はそれだけ余裕が有ると言う事だが、ツェルニには全く余裕がない。
 ここまで来ると生徒会長の話はおおよそ理解できようという物だ。
 その武芸大会とやらでレイフォンに活躍してもらい、少しでも余裕を取り戻したいのだと。
 武芸者としての力を振るうことは別段問題無い。
 だがそれは、レイフォンがツェルニにやって来た目的を達成することが出来るのならばと言う条件がつく。

「戦うこと自体はかまいませんが、僕にはやらなければならないことがあるので」
「承知しているよ。ルッケンス君に話を聞いた。こちらとしても最強武芸者が落第生では示しがつかないので色々と準備しているところだよ」
「それはどうも」

 どんな準備をしているかを知りたいような、全く知りたくないような。
 何しろカリアンという人物はレイフォンにとって鬼門だ。
 だが、それを抜きにしてももう一つ問題が有る。

「それとですね」
「うむ?」

 アルセイフ小隊のことを話そうとした瞬間、後ろにあったドアが乱暴にノックされた。
 いや。もはや借金の取り立てかと勘違いしたくなる程、熱烈且つ暴力的な連打の後、蹴破られる程の勢いで扉が開かれて一人の人物が飛び込んできた。
 それは金髪を短くした肉食獣だった。
 入学式でロックオンされた事は認識していたが、まさかこれほど速く再会するとは思いもよらなかった。
 そして、世の中的には少女と呼ぶべきはずのその猛獣はレイフォンを標的と定め、一気に襲いかかってきた!!

「生徒会長!!」
「ひぃ」

 活剄衝剄混合変化、ルッケンス秘奥 千人衝。
 草食動物であるレイフォンは自分が襲われる確率を少しでも低くするために、大量に増殖して肉食獣からの攻撃を妨げる。
 二十人に増え、生徒会長室を占領したレイフォン達に一瞬動きが止まる野獣の脇を何とか通り過ぎる。
 そして振り返り、いきなりの展開に呆然としているカリアンに向かって声をかける。

「僕には少々事情がありますので、詳しくはまた今度!!」

 言い捨ててから全力で生徒会本塔を脱出する。
 伊達に草食動物ではないのだと知らしめるかのように、その逃走には一切の無駄が無く誰かに見咎められることなく正面玄関を突破。
 日の当たる場所へと出たところで一息つく。
 そして戦慄を覚える。
 ツェルニはグレンダン以上の恐ろしい場所かも知れないと。
 
 
 
 
 
 アルセイフ小隊の面々と合流したレイフォンは、生徒会長室で何が起こったかを事細かく話して聞かせた。
 もちろん、リーリンやヨルテム三人衆も一緒である。
 ツェルニがグレンダンよりも恐ろしい場所かも知れないとは思うが、それでもレイフォンは一人ではないのだ。
 ならば、何とかやって行くことが出来るかも知れない。
 小さめの公園の一部を占領してたむろした集団の仲間入りをして、少しだけレイフォンは心を強くすることが出来た。
 だが、それは錯覚だった。

「本当に兄さんは天剣授受者だったの?」
「百の技を使いこなす最恐の武芸者が、たかだか一般人と肉食獣ごときに逃げるとは」

 レイチェルとアーリーから哀れみと蔑みと、その他諸々の視線を向けられたが、あの恐ろしさは言葉では伝わらないと確信している。
 だが、問題は実はそこではないのだ。

「さいきょう?」
「そう。最恐」

 最強と言われたのならば、当然思い出すのはリンテンスだ。
 億を超える鋼糸を自在に操るその戦闘能力は、明らかに天剣最強である。
 最狂と言われて思い出すのはサヴァリスだ。
 戦うこと以外に楽しみがないという、まさに狂った感覚と天剣授受者として当然持っている戦闘能力はまさに最狂だろう。
 最凶と言われて思い出すのは当然のことカウンティアだ。
 特にリバース絡みで怒らせた時には、もはや常識と良識と手加減が全く存在しなくなる。
 だが、最恐がレイフォンというのは少し納得が行かない。
 そう。草食動物を怖がる人間がいる訳がないのだ。

「自覚無いんだなあんたは」
「まあ、それでこそレイフォンだとは思うんだけれどな」

 ロレンツォとエンリコが口を揃えてそう言うが、レイフォンは草食動物であり実際の戦いにならなければとても大人しい生き物なのである。
 とても納得が行かない。
 まあ、長手を使った時には周り中に大迷惑をかけたとは思うのだが、あれはしかたがなかったのだ。

「なんだっけ、あの九本の腕が生える奴」
「九斬剄?」
「そうそうそれ」

 イサキに問われたので技を思い出す。
 千人衝の応用版であることは長手と同じだが、刀を含めた自分の腕を九本に増やして一人を攻撃するところが大きく違うし、間合いが伸びるなどと言う機能は存在していない。
 はっきり言って、時々やってくる道場破りや天剣争奪戦で雑魚を蹴散らす時に使う小技でしかない。
 それを怖がられてしまっては、レイフォンの立つ瀬がないではないか。

「そのきゅうざんけいって技さ」
「うん?」
「一体何人が耐えられた?」
「うんと。三人かな?」

 リーリンに問われたので答える。
 アルセイフ小隊を含めて、今まで九斬剄を放った武芸者で、あれを耐えたり回避したり迎撃したり出来たのは三人だけだった。
 その三人も、殆ど立っていることしかできなかったから、実質的に不敗の小技と言う事になる。

「・・・・? あれ?」

 小技として使っているはずだというのに、何故誰も満足に受けたり防いだり避けたり出来ないのだろうかと考える。
 もちろん、手加減して放っているのだ。
 当然のこととして天剣授受者や女王は例外だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 立つ瀬がない。
 もはや沈み行く以外の道は存在していない。
 特に、今まで全く気が付かなかったという事実一つだけで、もはやレイフォンがこの世に生きている意味は全く存在していないだろう。

「それに、あの足が八本になる奴とか、気持ち悪い上に無茶苦茶強いから、グレンダンの武芸者は兄さんと戦いたがらなくなったんだよ?」

 レイチェルに言われて思いだしてみれば、レイフォンと戦いたがる武芸者は数年前から激減していたように思う。
 小隊の面々との組み手が基本だったのですっぱりと認識が無くなっていた。
 ちなみに足が八本になる技とは、八足獣と言うのだが、千人衝を極限まで変形させた剄技で、通常の四倍の摩擦係数を持つことによって通常では考えられない加速力と運動性を確保した技だと言う事だ。
 説明文はアーリーに聞いたのであまり理解はしていないが、気が付けばサヴァリスも使っていたというある意味驚異的な技である。

「レイとんって、もしかして間抜け?」
「レイフォンって、戦いの時は無茶苦茶に頼りになるんだけれど、そこから外れると家事くらいしか役に立たないのよ」
「頭は良いと思うんだけれど、どうしても詰めが甘いというか一個抜けるというか」
「算数だって、一万問やってコツを掴んでからは間違いは少なくなったけれど、時々とても笑えないようなことをしていたし」

 ミィフィの質問に小隊の面々が点でバラバラに答え、レイフォンの死体に鞭を打つ。
 しかも全てが事実であるために反論は出来ない。
 もはや立つ瀬などこの世に存在していない。
 だが、事態はレイフォンの事などお構いなしに突き進む。

「お話中申し訳ありませんが」
「はい?」

 呼ばれたので振り返り、そして腰が引けた。
 目の前には銀髪を腰まで伸ばした無表情な美少年が佇んでいた。
 その肌は透き通るように白く、顎から首のラインには怪しい美しさがあるような。
 だが、レイフォンの腰が引けた理由はそんな見かけの問題ではない。
 いや。見かけの問題だ。

「ど、どちらさまでしょうか?」

 その超絶な美少年は武芸科の制服を着ていた。
 襟元には十七と書かれたバッジが耀いている。
 だが、それよりも恐ろしいのは、その少年が眼鏡をかけていたことである。
 ただ眼鏡をかけていただけだったらこうも怯えなかっただろう。
 いや。ツェルニについたばかりの時にこの少年に会っていれば別段腰が引けることはなかったはずだ。
 そう。生徒会長であるカリアンと遭遇していなければどうと言う事のない普通の少年として接することが出来ていたはずだったのだ。

「僕の名はフレデリック・ロス。レイフォン・アルセイフ。貴男は狙われている」
「う、うわぁぁぁぁぁぁん」

 誰にと聞く必要は全く存在していない。
 フレデリックと名乗った少年の外見は、まさに生徒会長そっくりなのだ。
 そしてその予測できる年齢から弟だと言う事が分かる。
 つまり、狙っているのが生徒会長であり狩られるのはレイフォンと言うこととなる。

「ちなみに既に遅いのですが」
「ひぃぃぃぃん」

 もはや泣くことしかできない。
 そして、超絶な美少年の手が伸びてきて、そっとレイフォンの手を取った。
 逃れる術はもはや存在していない。
 
 
 
 
 
 第十七小隊長であるニーナ・アントークはかなり困惑していた。
 第十七小隊は人材不足であり、最低構成人数さえ確保できていないという生まれて間が無い部隊であることは間違いない。
 だからこそ、新入生の中で使えそうな人材がいないかとある意味辺りを威嚇するような視線でもって見回していたのだ。
 そんな時に起こったのが新入生同士のいざこざであり、それをあっさりと鎮圧したのが目の前にいる、気の弱そうな武芸者だった。
 そこまでは何ら問題無い。

「なぜ?」

 疑問の声を上げる。
 そして辺りを見回す。
 部屋の隅に置かれたベンチでシャーニッドが寝転んで笑いを堪えている。
 やはりベンチに座っているハーレイが呆然と成り行きを見守っている。
 ここまでは問題無いと言っておこう。

「レイフォン・アルセイフを連れてきましたが何か問題が?」

 第十七小隊付きの念威繰者であるフレデリックが無感動にそう言っているが、その口元が微かに痙攣しているのを認識してしまった。
 現状を最大限楽しんでいるようだ。
 そして、ここからが問題である。
 気弱げにこちらを見たり、落ち着き無く辺りを見回しているレイフォンの横と後ろが問題である。

「なぜ?」

 ニーナの視線の先には、九人に及ぶおまけが並んでいた。
 武芸科の制服を着たのが六人と、一般教養科の制服を着たのが三人。
 ほぼ全員が興味津々とニーナを見ている。
 この状況で疑問を持たないと言う事はあり得ないと思うのだが、フレデリックは違うようである。

「アルセイフ君一人を連れてこいと言われた覚えはありませんが」
「そ、それは確かに言っていないが」

 言ってはいない。それは断じて間違っていない。
 間違っていないが、正しいという訳でもない。
 だが、ここで立ち止まっていては話が進まないのも事実なので、何とか小隊についての説明をしつつ精神の立て直しを図る。

「えっと、それはもしかして、僕を小隊員にと言うことでしょうか?」
「そうだ! 拒否は認めない。武芸者である以上小隊員という名誉を拒むなどと言うことはあってはならないのだ」

 有ってはならない。
 この台詞をニーナは何度か聞いたことがある。
 たいがい、有ってはならない事態が起こった時に釈明として組織の偉い人が使っていた。
 まさか自分がこの台詞を使うことになるとは思わなかったが、他に適当な単語が見付からないのでそのまま使うこととする。

「えっと。済みません。それはお受けできないかと」
「な、なに!!」

 拒否は認めないと言った側からの返事に、一瞬思考が硬直してしまった。
 だが事態はそれだけでは収まらない。

「僕自身小隊を率いているので、小隊に所属することは不可能ではないかと」
「な、なんだと?」

 そして気が付いた。
 レイフォンについてきた武芸者こそが指揮下にいる小隊員なのだと。

「あ、あの! 私は違いますから!」
「そ、そうだったのか!!」

 褐色赤毛で長身の武芸者は違うと言うが、それが返ってニーナの精神に衝撃を与えた。
 他の五人や一般教養科の女生徒が頷いているのだから、それは間違いではないのだろうと何処か冷静な部分で認識しつつも、ニーナの精神はまだ立ち直れていない。
 いや。次々にやってくる衝撃のためにノックアウト寸前だと言った方が良いだろう。

「聞いた聞いた?」
「レイフォンを隊員にだって?」
「無謀というほかないですね」
「いや。ここはグレンダンじゃないんだから」
「そうか? 見ただけで実力が分からないなんて駄目じゃないか」

 部下だという五人がこっそりと会話をするふりをしつつ、更なる追い打ちをかけてくる。
 もはや虐めである。
 だが、へこたれている時間など存在していない。
 強引にでも、目の前の気弱そうなレイフォンを小隊に組み込まなければならないのだ。

「と、とにかくだ! これは生徒会長も認めた決定事項なのだ!!」
「僕には色々と事情があると言っておいたのに」
「くすくす。兄にかかれば貴男の事情など些細な問題に過ぎません」

 取って置きの切り札を切ったつもりだったが、どうやらあまり効果はなかったようだ。
 確かに、生徒会長室でいきなり分身したレイフォンがそんな事を言っていたという記憶はあるが、まさか自分の小隊を持っているなどと言う話だとは思いもよらなかった。
 いや。これはある意味好機と言えるかも知れない。

「な、ならば!! お前達全員を第十七小隊員に任命する!! こ、これなら問題無いだろう!!」

 最低構成人数は決まっているが、試合に出せる人数も決まっているが、最大構成人数に上限はないのだ。
 ならば、人材不足が解消され、更に予備人員も確保できるのだから好機であると断言できる。
 だが、反応は凄まじかった。

「兄さんが指揮官だったらまだやる気はあるけれど、貴女みたいな未熟者につくつもりはありません」
「自分よりも弱いことが分かっている武芸者の下で戦うなんて、命を捨てるような物よ」
「レイフォンよりも高い指揮能力を持っていることがはっきりすれば考えますけれど、今のところまっぴらごめんですね」
「俺を使いこなせるとはとうてい思えないし、これ以上面倒ごとはごめんだ」
「俺を部下にと言うのだったら、最低限腕ずくで物を言って貰わないと話にならないな」

 五人から三行半を突きつけられた。
 い、いや。結婚していないから三行半とは言わないかも知れないが、実質的には同じ事だ。
 と言う事で、残った一人へと熱い視線を送る。

「う、え? わ、私ですか!!」

 褐色赤毛の女性へと向けた視線だったが、何故かとても動揺していることだけが分かった。
 そしてその武芸者は、助けの視線をレイフォンへと向ける。

「その人は僕の部下ではないのです」
「そ、そうか!!」

 言われてやっと思い出せた。
 部下でないというのならば話は簡単だ。
 熱い視線を送り続け、そして最終的には小隊入りを承諾させれば。

「む、むりですから!! 私に小隊員なんて出来ませんから!! そ、それに、都市警への就労届けを出そうかと思っているところですから!!」
「安心しろ。都市警と二足のわらじでも十分にやって行ける!!」
「私はそんなに器用な人間じゃないですから!!」

 どうあっても承諾してくれそうにないことだけは分かったが、ここで諦めてはニーナクオリティーを保つことが出来ない。
 更なる言葉で説得を試みようとしたのだが、邪魔が入った。

「ではこうしましょう」
「なんだ!!」

 突如レイフォンが割って入ってきたのだ。
 だが、何かこの事態を打開するための方法を持っているようだったので、憤りを感じつつも聞くこととする。
 そして出てきた提案は、ある意味武芸者らしい内容だった。

「僕達と戦って勝つことが出来たら、好きなのを一人差し上げます」
「う、うむ?」
「腕は保証します。どれをとってもツェルニで最強の称号を得ることが出来る武芸者ですよ」
「そ、そうなのか?」
「現段階でなら、ほぼ間違いなく」

 現段階と曖昧な表現になったが、それでも悪くはない話に思える。
 勝つことが出来れば、取り敢えず小隊の結成は出来るのだ。

「それで良いね?」

 事ここに至ってから、やっと他の面々へ了承を取るという行為に出るレイフォン。
 そして、当然のことなのだろうが、異論は出なかった。
 この一事を取っただけでも、ニーナとレイフォンの間にある差をまざまざと見せつけられてしまう。
 だが、それでも、立ち止まることは許されない。
 やると決まったからには戦い、そして勝ち、最強戦力らしいレイフォンを我が手に納めなければならない。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その5
 
 申し訳ありません。
 フェリの登場はありません。
 代わりに可愛い男の子を登場させました。この辺でご容赦の程を。
 それと。この話では学力が低い事と頭が良い事は共存できる事として扱われています。
 学力とは詰め込むべき物で、頭の良さとは無関係だと俺が思っていますので。(無論、詰め込み教育も必要である事は疑いの余地はありません)



[18444] 隊長は天剣授受者 その6
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:50


 事態はニーナの思惑と関係なく進んでしまっていた。
 流石に、錬金鋼を準備していないレイフォン達と戦うことは出来ないために一日試合を伸ばしたのがいけなかったのだろうと思う。
 野戦グランドを見下ろせる観客席には、武芸科の小隊員が殆ど全て集まってきている上に、少数だが、どこから嗅ぎつけてきたかは不明だが、一般生徒の姿もかなり見え隠れしているというお祭り騒ぎとなってしまっているのだ。
 こっそりとやるつもりはなかったが、それでもこれほど大事にするとも思っていなかったニーナと同じように、少し離れた場所ではレイフォンも呆然としている。
 誰が首謀者だろうかと視線を彷徨わせると、とても良い笑顔のカリアンを捉えてしまった。
 念のために確認してみると、何時もは殆ど無表情なフレデリックの不機嫌そうな顔を認識できるだけだった。

「計りましたね?」
「うん? なんのことだね? とても楽しそうなことをやると聞いたので手配をしただけだよ」

 そう。カリアンはニーナのすぐ側に佇み、にこやかな笑みと共に会場へ愛想など振りまいている。
 どんな思惑があるかはすぐに分かった。
 この試合で負けたのならば、問答無用で第十七小隊を解散させて、レイフォン達の小隊を正式に結成させようとしているのだ。
 まあ、十七小隊も正式に結成していないことだし潰すのは極々簡単である。
 逆に、レイフォンの小隊が勝ったならば、それはツェルニの小隊と同等の戦力であると言う事の証明であるから、こちらを正式に結成するのも極々簡単である。
 つまりは、負けることが許されない戦いだと言うことだ。

「えっと。僕はここに学力を上げるために来たのですが」
「うん? それも問題無いよ。もし君達が勝ったらフレデリックを家庭教師として付けよう。なに心配は要らない。兄である私から見てもフレデリックはとても優秀だからね。家庭教師くらいは片手間で務まるよ」
「い、いや。そう言う意味なら家にも優秀な念威繰者はいますから」
「はっはっはっはっはっはっはっはっは!! 遠慮は無用だよレイフォン君」

 腹黒い上に強引に話を進めるカリアンだが、最初から降りるという選択肢は存在していない。
 ならば突っ走り、そして結果を得るだけだと腹をくくる。

「はあ。まあ良いか。えっと、エンリコとロレンツォ」
「あいよ」
「おう?」
「二人は見学ね」
「あいよ」
「おう」

 けだるげな中肉中背の武芸者と、覇気に溢れている巨漢の武芸者を見学させるというレイフォンの指示だったが、それは全くなんの躊躇もなく受け入れられた。
 この指示には共感する部分がある。
 数を合わせることでお互いに言い訳が出来ない状況を作ろうというのだ。
 だが、それでも問題が有る。

「アルセイフ?」
「三対三です。最終的には僕も戦いません」
「なんだと?」

 そう。レイフォンがいる以上四対三になると思ったのだが、隊長自身は戦わないと宣言した。
 指揮だけ執ると言うことだろうかとそう思った。
 だが、続いた台詞に驚愕してそして憤りを覚えた。

「僕は一切防御も回避もしません。僕に一撃入れることが出来たら貴女達の勝ちです。そして、僕が中央に到着できたら僕らの勝ちです」
「まて!!」

 それはつまり、レイフォンは移動するフラッグと言う事となる。
 それは明らかにニーナ達の方が有利であり、殆ど莫迦にされているとしか思えない勝利条件だ。

「これくらいしないと、貴女達とでは勝負になりませんから」
「きさま!!」

 試合前だというのにもかかわらず、ニーナの両手は鉄鞭に伸びる。
 この男の口を塞ぎたくて仕方が無いのだ。
 その後のことなど何も考えていない。
 だが、途中で行動が止まった。
 それは、レイフォンを正面から見てしまったから。
 今の今まで凡庸と言うよりも、何処か抜けている感じがしていたレイフォンが、まるで別人のように変わってしまっている。
 その瞳はあくまでも冷たく乾ききり、何も映していないとしか思えなかった。
 そして、そのレイフォンを見る部下の視線も一瞬前とはまるで別人のように変わっていた。

「作戦はどうしますか隊長?」
「任せる」
「・・。それは、少し問題では?」

 今まで兄と呼んでいたレイチェルがレイフォンを呼ぶ時に使われていた名前さえ。
 それだけではない。
 一応違う見解を示したが、逆らうという雰囲気ではなく、むしろ確認すると言った感じになっている。

「僕は、対人戦の、それも集団対集団の戦いなんか経験していないから、適当にやってくれて良いよ。結果がどうなっても気にしないから」

 やや腑に落ちない何かがあるようだったが、それでもレイフォンの指示に従って少し離れたところへ移動する三人に、迷う素振りは全く見えなかった。
 レイフォンがそう決めたのだったら、それに従う。
 ただその事実だけが存在していた。

「言ったはずですよ。おそらく現状、僕の小隊員はツェルニ最強だと」
「っく!」

 自信でさえないその台詞は、恐ろしいまでに冷静だった。
 そして、その自信を何とか突破して勝利を収めなければならないという立場にニーナはいるのだ。
 ならば、やるべき事をやって、目の前の武芸者の鼻をあかしてやることだけを考えなければならない。

「シャーニッド! フレデリック!!」

 そのために自らの小隊員を呼び集め、戦いの基本方針を決める。
 決して負ける訳には行かないと決意したニーナは、その闘志を今は抑えることとした。
 
 
 
 
 
 試合が開始されてまず驚いたことと言えば、移動フラッグ事レイフォンの周りには防御担当の武芸者がいないことだ。
 地上から三メルトルくらいの太い枝に立ち、幹の影からこっそりと標的を照準機に入れている。
 ただ一人、本当に無人の荒野を行くがごとく力みも警戒もなく、淡々と目的地に進んでいる。
 訓練用の自動戦闘機械の方が遙かに人間的と言える程に、その行動は淡々と乾ききっていた。
 その姿を照準機に納めつつシャーニッドは撃つことが出来なかった。
 天候に問題はないし、小隊対抗戦などで使っている野戦グラウンドの地形もそれ程問題無い。
 問題無いが、それでも撃つことは出来なかった。

「あーあ。フレデリック? 見えてるか?」
『認識しています。狙撃をすることはお勧めできません』
「だよなぁ」

 低倍率の照準機の中には、間違いなくレイフォンがただ一人でいる。
 距離はおおよそ百五十メルトルくらい。普通の試合だったら既に三発は撃ち込んでツェルニの小隊員だったら確実に戦闘不能にしている。
 だが、そこに張られている防御は狙撃をほぼ不可能にしていた。
 スペードの形をした念威端子が無数に飛び交っているからだ。
 同心円状に配置された端子は、合計六層になり、高速で軌道運動を続けている。
 レイフォンを視認できるところからすると、端子には確実に隙間があるだろうが、高速で移動されているために隙間を狙い撃つと言う事はかなりの幸運が必要だ。
 いや。もはや奇蹟が必要だと言ってもかまわないだろう。

『ちなみに言わせて頂ければ、アルセイフ君から数えて奇数の層は時計回りに、偶数は反時計回りに高速移動しています』
「念の入れ様は半端じゃないな」

 隙間があって、それを奇跡的に突破することが出来たとしても、逆方向に高速移動していると言う事は、そこにかなり強い風が渦巻いていると言う事であり、その風にあおられてしまうために確実に弾道は曲げられてしまう。
 狙撃を防ぐと言うだけの防御でしかないが、こんな使い方の出来る念威繰者を聞いたことはない。
 レイフォンがツェルニ最強の隊員だと言い切ったその言葉に嘘はなかった。

「どうするよニーナ? 狙撃するんだったら端子をどかしてもらわないと無理だぜ?」
『現状で待機しろ。私が突っ込んで端子の軌道を乱すからその隙に撃て』
「それは無理だと思うが、他に方法はないのか」

 フレデリックの端子で軌道を乱すと言う事も考えたが、六層に及ぶ端子を暫く復活しないように乱すためには、確実に念威爆雷を同時多発させるしかない。
 そのために端子を近づけたら、迎撃されるのは目に見えている。
 あるいは、レイフォンの進路上に端子を配置して置いてと言うのも良いかもしれない。
 だが、それでも、あの端子が索敵能力を持っていないことが大前提だ。
 高速で移動しつつ探査をするなどと言う事が出来るとは思えないが、存在するかも知れない危険性を無視するのは恐ろしく危険だ。
 そして、ニーナが突っ込んで端子を乱した隙に狙撃するという現在進行中の作戦だが、これにも問題がきちんと存在する。
 周りに誰かいるようには見えないが、長距離から支援している武芸者はいると思うべきだろう。
 イサキと言うマントを羽織った、変な少女の狙撃能力は不明だが、シャーニッドと同等だと思っておいてさえ危険だろう。
 ならば、ギリギリまで気が付かれないように接近し、一気に勝負に出る以外に方法はないのだが。
 この程度のことを考えられないのだったら、それこそ驚きに値してしまう。

「・・・・・。無理だよなぁ」

 独りごちつつ、周りの気配を探り続ける。
 狙撃されないように準備していると言う事は、シャーニッドを無力化するための戦力があると言う事を意味しているからだ。
 シャーニッドの予測が正しいのならば、レイフォンの護衛についているのはイサキで、アーリーという巨漢の念威繰者は除外するとなると残りはただ一人。

「ブラコン嬢ちゃんか」

 名字も違うし、外見的な特色も違うから、もしかしたら血縁関係はないのかも知れないが、それでもレイチェルはレイフォンを兄だと思っている。
 ならばブラコン嬢ちゃんだとそう評価しても良いのだろう。
 試合開始前に刀の状態を確認していたところから、接近戦が得意だと思うのだが、先入観を持つことはとても危険だ。
 だからシャーニッドは、気配を殺したまま、相手に悟られないようにレイフォンを照準機から外した。
 もちろん視認は続けるがそれよりも今は周りへの警戒の方を優先するべきだ。
 本来ならこれはフレデリックの仕事なのだろうが、出し抜かれるという危険性が厳然としてそこに存在し続けている以上出来るだけのことをやらなければならない。
 木の葉が僅かに擦れる音や、風の流れを出来うる限り精密に捉え続け、不自然な何かを探す。
 それでいて、気が付かれないようにレイフォンを視認し続ける。
 こんな事が長時間出来るはずはない。
 もしかしたら、レイフォンに気が付かれないという行為は必要ないのかも知れないが、万が一と言う事は常に存在している。
 だからこそ、レイフォンを狙撃するための準備ではなく、誰かに攻撃されないための警戒を優先する。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 そのつもりだった。
 いや。現在進行形で実行中だ。
 風の流れが乱されたという感覚は存在していない。
 立っている枝が軋んだという訳でもない。
 では、今、シャーニッドの首筋に当たっている堅い物はなんなのだろうかと考える。
 木の枝や落ちてきた木の葉などと言う事はあり得ない。
 リズムを持って、シャーニッドの首筋をノックしている以上、自然現象などと言う事は考えられない。
 そして、視界にある物が飛び込んできた。

「え、えっと」

 腕だ。
 やや細くしなやかでいて十分に鍛えられたそれは、ほぼ間違いなくレイチェルの左腕だ。
 その左腕がシャーニッドの目の前へとやって来て、狙撃銃を指し示す。

「こ、これですか?」

 速くしろと少し強く堅い物が当てられた。
 拒否した次の瞬間、致命的な一撃をもらってしまうことがはっきりしている。
 だからシャーニッドは、ゆっくりと自らの相棒とも言える狙撃銃を細い腕に向かってゆっくりと差し出した。
 命の危機を感じている訳ではないが、何故かシャーニッドを戦闘不能にすることよりも狙撃を阻むことの方を優先してくれたようだ。
 セカンドチャンスがあるかも知れないと思いゆっくりと、極めてゆっくりと狙撃銃を渡す。
 そして、ゆっくりと首筋の硬い何かが消えていった。
 振り返り、レイチェルがいないことを確認してそっと溜息をつく。
 
 
 
 
 
 念威を通して状況を認識しつつ、フレデリックは少々困っていた。
 サントブルグ出身の念威繰者であるフレデリックは、通常では考えられない程大量の念威を保有し、それを扱うことが出来る奇跡的な天才としてこの世に生を受けた。
 その才能故に色々な問題を引き起こして、現在はツェルニに留学中なのだが、今困っていることはそこではない。
 レイフォンの部下三人を補足できていないのだ。
 会場の隅に陣取り長い髪を弄びつつ念威端子を操る。
 ツェルニの小隊員でさえ、フレデリックの前ではその行動や位置を誤魔化すことはかなりの確率で出来ていなかった。
 だと言うのに、今戦っている三人はそれをあっさりとやってのけている。
 それどころかフレデリックが即座に真似できないような端子の使い方を実行に移してもいるのだ。
 だが驚愕はまだ続く。

『あーあ。ニーナ聞こえるか?』
『聞こえている。何かあったのか?』
『い、いやな。狙撃銃を奪われた』
『何?』

 言われたことを認識した脳が、反射的な動作でシャーニッドの周りを探索するが、結果的に何も発見できなかった。
 だが、狙撃銃が奪われたという事実だけははっきりと認識することが出来てしまった。
 それも当然かも知れない。
 全力を出せば話は違うのだろうが、そんな気になれないフレデリックの現状でのこととは言え、三人を発見できていない状況でシャーニッドが襲われたとしても、それは当然のことだと言える。

『い、いや、今起こった事をありのままに言うぜ。いきなり後ろからレイチェルの左腕が伸びてきて首筋に刀の切っ先を押し当てられて、狙撃銃だけを持って行かれたんだ』
『待てシャーニッド!!』
『な、何を言って居るか分からないと思うが俺だってわからねぇ。だけど断言できることはある!! 幻覚とか偶然とかそんなちゃちなもんじゃねえ。もっと恐ろしいもんの片鱗を味わったぜ!!』
『だから待て!!』

 相当衝撃的だったのだろう事は分かるが、シャーニッドが混乱している状況で話を進めることは困難だ。
 だが、それでも指揮をしているのはニーナだった。
 ある意味単純であり、そして決定的に猪突猛進型なのだ。

『落ち着くんだシャーニッド!! お前自身は戦闘不能になった訳じゃないんだな!!』
『い、いや。狙撃銃がねえから戦うのはほぼ不可能だぜ?』
『かまわん!! 兎に角レイフォンの進路上へ移動していろ。私と同時に仕掛ければ何とかなるかも知れん』
『お、おう』

 咄嗟とは言え、割と悪くない判断だと思う。
 同時に攻めたくらいでどうにかなる実力差であるとは思えないが、それでもシャーニッドが移動していると言う事はレイチェルを拘束していると言う事と同義ではある。
 残るのは銃使いで小柄なイサキのみと言うことになり、接近すればニーナだって勝つことが出来るかも知れない。
 無理だとは思うのだが、それでも勝機が全く無い訳ではないと思う。
 接近する前に返り討ちにあうのがオチだと思うのだが。
 更に言えば、シャーニッド自身が狙撃銃を奪われ現在位置を把握されている状況で、更に追尾されていると仮定するならば、それは何時でも攻撃できるし撃破できると言う事を意味している。
 シャーニッドが生き残れたのはもっと違う理由があるはずだと考えられるのだが、それを予測することは現時点では無理である。
 そしてフレデリックは会場の変化に気が付いた。
 レイフォンの周りを高速移動して狙撃を阻んでいた端子が、一斉に周り中に飛び散ったのだ。
 狙撃されないことが分かってしまえば、労力を使う防壁など必要ないと言う事だろう。
 つまり、これからは攻撃に転じると言う事になる。
 用心しなければならないと気持ちを切り替え、端子の幾つかを身体の側に浮遊させて防御を固める。
 試合で情報を担当する念威繰者が狙われることは割と多いのだ。
 今までは攻撃される前に気が付くことが出来たから撃退できたが、今回はそんな甘い相手ではないと腹をくくる。
 やって来るとしたら同じ念威繰者のアーリーという巨漢だろうから、戦闘能力はそれ程高くないはずだ。
 ここまで考えた時、ふと何かが動く気配を感じた。

「っごふ!!」

 突如何かが起こった。
 何が起こったかを理解したのは、地面が目の前に存在していたからだ。
 次の瞬間、大柄な念威繰者を視界の隅に捉え、自分がかなりの距離を飛んで地面の上に横たわっていることを認識した。
 アーリーのその姿から強かに蹴られたらしいことを確信しつつ意識が遠のく。
 
 
 
 
 
 突如としてフレデリックの端子が力なく足元へと落ちた。
 これは間違いなく、操る本人に何か問題が発生した証拠だ。
 この後念威による情報支援は受けられないと言う事となる。
 シャーニッドに続いて、手を抜いていると思われるフレデリックまで撃破されたとなれば、もはや満足に戦えるのはニーナただ一人となる。
 だが、シャーニッドには既に指示を出しているのだから、運が良ければレイフォンを挟撃することが出来るはずだと考える。
 確率はかなり少ないが、それでもゼロではないのだ。

「やってみるさ」

 小さくそう呟き、そしてレイフォンの予想進路上へと移動する。
 戦力としては銃使いのイサキのみ。
 長距離から狙撃されてしまっては勝ち目はないが、木々に囲まれたこの野戦グラウンドならばそれ程警戒せずに接近することが出来る。
 接近してしまえば、接近肉弾戦が本領のニーナの方が遙かに有利だ。
 だが、心配事も確かに有る。
 念威による連絡が出来なくなった後シャーニッドが倒されたのならば、戦力差は二対一。
 後方支援を受けた接近戦主体のレイチェルと戦って勝つことが出来るか、不安だと言えば不安だが、今更作戦を変更しても仕方が無いし、レイフォンは既にゴールの間近までやって来ている。
 もはや時間も無いのだ。
 殺剄をしつつレイフォンを視界に納め、そして、一気に横に飛んだ。

「っち!」

 0,3秒前までニーナがいた場所を麻痺弾が通り過ぎる。
 レイフォンを挟んだ向こう側に、銃を構えるイサキがいたのだ。
 その銃口は既にニーナを捉えていた。
 咄嗟に横に飛ばなければ一撃で撃破されていただろう。
 相手には念威繰者がいるから当然の事で、予測していたからこそよける事が出来たのだ。
 だが、一連の攻防で一つ分かったことがある。
 イサキは照準を付けてから撃つまでに一瞬の時間差がある。
 相手には優秀な念威繰者がいる以上、居場所は分かっていたはずだ。
 もし、逆の状況だったならば、シャーニッドならば、確実に障害物から出てきたところを狙い撃つことが出来ただろう。
 それにしくじった以上、イサキの速射能力はあまり高くないはずだ。

「・・・・・」

 いや。そう考えることで勝機を見いだそうとしている自分に気が付いていた。
 シャーニッドとフレデリックが手もなく捻られた部隊で後方支援を担当している武芸者が、速射が苦手などと言う事の方が考えられない。
 つまり罠。
 だが、他の選択肢など存在していない。
 いや。この世の中にはあるのかも知れないが、ニーナの手元にはないし、もうすぐレイフォンはゴールに辿り着いてしまう。
 剄息を整え、確実にレイフォンに届き、そして撃破できるだけの剄を身体に溜め込む。
 そして一気に飛び出す!

「終わりです」
「え?」

 次の瞬間、ニーナの後ろから声がかけられ、加速した身体の自由がいきなり奪われた。
 意識が遠のく中、居場所を知っているのならばもっと有利な場所へと移動していることを考えるべきだと、自分の迂闊さに気が付いたが後の祭りである。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その6
 
 ニーナを少し虐めてみました。
 ですが、ここのニーナはこの後大きく変わる予定です。この後も連載が続けば、の話ですが。
 と言うか、アルセイフ小隊の面々は完璧に実力主義者の集団です。
 この連中には力で物を言う以外に方法がありません。
 この先、この辺も少しずつ変えて行きたいと思いますが、やはり連載が続かない事にはどうしようもありませんね。



[18444] 隊長は天剣授受者 その7
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2013/12/31 16:50


 第十七小隊との試合が昨日の出来事となったとしても、アーリーの苦労は全くもって無くなっていなかった。
 いや。むしろ増えていた。
 目の前には、まだ顔にあざの残る、ニーナの不機嫌な顔と、あまり愉快そうではないカリアンの顔があり、この事態をどう収集しようかと思案しているらしいゴルネオの顔までそろっている。
 更に、武芸長だという厳つい顔まであったのではアーリーの苦労は増えることはあっても減ることはないだろう。
 特に、後ろから撃たれたニーナの不機嫌さは相当な規模となっているに違いない。
 何故イサキは後ろから撃ったのか疑問だが、今それを詮索しても仕方が無い。

「先にはっきりさせておきますが、俺達、グレンダンで言うところのアルセイフ小隊は対汚染獣戦専門の部隊です」

 最初の結成目的はレイフォンに自分の立場を認識させるためだったらしいが、アーリー達にとってはそれはさほど重要ではないし、おそらくグレンダンにとっても大した問題ではないはずだ。
 問題は、優秀な武芸者を育てるという今の目的の方だと認識している。

「対人戦闘の経験はそれなりにはあります。今回のように障害物がある場所での戦闘もそれなりにはこなしてきました」

 アルセイフ小隊の選考基準は極めて厳格だった。
 弱い奴は切り捨てる。
 この基準を満たしたのが現隊員だ。
 まあ、クラリーベルという政治的な問題で参加できない武芸者もいることはいるが、今それを言っても相手を混乱させるだけなので話を進める。
 丁度良いところにカリアンの質問が来た。

「つまり、君達を武芸大会で使うことは出来るのだね?」
「それは可能です。ただし、隊長自身が認めている通り、集団対集団の戦闘経験はありませんから、それを考慮して頂きたいですね」

 要は、単数の個体を少数で殲滅するための武芸者で、指示をもらえば目の前の戦闘に勝利する事は出来るが、それが戦争の目的にかなうかどうかは疑問なのである。
 ある意味狭い視野しか持っていないと言う事でもある。

「成る程ね」

 小さな溜息と共にカリアンがソファーにその背を預けて少しだけ背伸びをした。
 学園都市というところでは、同じ学園都市と戦うための集団戦が重視されていると言う事を、ツェルニに来てから知った。
 この基準に照らし合わせると、アルセイフ小隊は極めて駄目な部隊と言う事となる。

「君達が強いことは分かっているのだから、出来れば何処かの小隊に入れて集団戦を学んでもらいたいのだがね」
「それは、おそらくかなり難しいでしょう」

 何しろ隊長があのレイフォンだ。
 指揮官としてはいざ知らず、個々の武芸者としての実力で劣る、ツェルニの小隊長の下で戦いたいかと問われたのならば、アーリーも含めて否と答える。
 例えどれだけ戦闘指揮や、戦術的な能力が高かろうと、どうしてもレイフォンと比べてしまうのだ。
 だがふと思う。
 レイフォンが今以上の指揮能力を欲しいと思うのだったら、不可能ではないと。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 レイフォンは天剣授受者としてはかなり変わっている。
 それは本人も認めていることだし、グレンダン中のほぼ全ての武芸者が認めていることだ。
 強さだけを求めて突っ走るのが天剣授受者であるのに、レイフォンのみは強さが手段でしかない。
 とは言え、連携や高度な戦術を駆使して勝つという方向に思考が進むだろうかと考える。
 残念ながら無理だろう。
 一人で戦うための戦術は欲しいと思うだろうが、対汚染獣戦での戦術に磨きをかけたいと思うかも知れないが、集団対集団での指揮や戦術に興味を持つとは思えない。
 そもそも、そんな事に興味を持つのだったらアーリーの隣にはレイフォンがいるはずだ。
 そう。アーリーは今孤軍奮闘中なのだ。
 面倒だから話を付けてきてくれとレイフォンに頼まれてしまっては、はいそうですかと言う事しかできない。

「はっきり言って、ヴォルフシュテイン卿は強すぎます」

 アーリーと同じ結論に達しているゴルネオが話の流れを変える。
 そもそもの問題へと全員の注意を向けるのだ。

「強いことは分かっているよ。君達の隊長なのだろう」
「違います」
「全く違います」

 ゴルネオと声が重なったが、ほぼ同じ事を言っているのでかまわないだろう。
 そう。レイフォンが隊長なのと天剣授受者なのは全く違う事柄なのだ。

「俺達アルセイフ小隊五人。隊長が本気になったら瞬き一つする間に全滅します」
「最悪の場合、瞬きする暇さえないかも知れません」
「無いと断言は出来ません」

 そう。アルセイフ小隊は対汚染獣戦専門の部隊だが、それはあくまでも天剣授受者が出るような戦い以外での話だ。
 もっと言えば、厳しい戦場から遠ざけられていたというのもある。
 あくまでも、将来のグレンダンで武芸者の中核となるべき人材を育成するというのが趣旨なのだ。
 隊長と同じ天剣授受者になれと言われているわけではない。
 その証拠として、レイフォンが単独出撃した老性体戦など念威端子を通して観戦したことがあるが、あれに巻き込まれて生きている自信は他の四人にはなかった。
 そして、その戦場から完璧に無傷でレイフォンは戻ってきたのだ。
 天剣授受者とは、それだけの異常者なのだ。
 そんな完全に規格から離れてしまった武芸者を組織の中に組み込んでも、それは双方にとってマイナスにしかならない。

「隊長を小隊員にするのは止めた方がよいでしょう。ですが、武芸者としては既に完成していますから教官にはなるかも知れません」

 レイフォン単体だったら難しいが、サイハーデン道場を運営しているレイチェルやアーリー達がいるのならば、おそらく教えることは出来るはずだ。
 そしてアーリーは戦慄を覚えた。
 サイハーデン道場で何が起こっているのかを思い出してしまったからだ。
 頻繁にレイフォンの攻撃で全滅するサイハーデン道場の門下生達が、床でのたうち回る姿を思いだしてしまったのだ。
 あれは少々、見ていて辛い物がある。

「確かに、ヴォルフシュテイン卿に師事することが出来るのだったら、ツェルニ武芸者が得る物は多いと思いますが・・・」

 ゴルネオの台詞も途中で曖昧になる。
 そう。得る物と失う物を比べた場合、最悪の場合失う物の方が多くなってしまうかも知れない。
 いや。全てを失ってしまうことさえあり得る。
 レイフォンの事だから手加減をしてくれるだろうが、それでも万が一の覚悟だけはしておいてもらわなければならない。
 ここまで考えて、ふと思い出した。

「ああ。なんだそう言うことだったんだ」
「ど、どうしたんだ?」

 思わず漏らした言葉にゴルネオが反応するが、アーリーは少しだけ自分の中の思いを確認する。
 アルセイフ小隊に選ばれる過程で、自分達がどんな思いだったかを思い出した。
 全てをなげうち、ただひたすらに強くなることだけを考え、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフという巨星を見詰めて突っ走っていた頃を。
 途中で息絶えることになっても後悔しないという決意と共に、ただひたすらに走り続け、そしてここにいるのだ。
 それは、殆ど全ての天剣授受者に共通する強さへの渇望だったはずだ。
 いや。それも違う。
 アーリー達はレイフォンという天剣授受者を目指していたのに対して、例えばリンテンスは己の限界と地獄の戦場に立つことを求めてきた。
 レイフォン以外の天剣授受者とは、やはり一般武芸者とは違うのだとそう再確認しつつ思う。
 ツェルニ武芸者に、あの時のアーリー達の思いがあるかどうか、それだけの問題なのだと。
 ならば、その覚悟を確認しなければならない。
 全てを犠牲にしても、尚、強さを求めるのか、それとも、犠牲と強さの妥協点を探るのか。
 思い返せば、昨日の試合でアーリーは必要のない攻撃をフレデリックに行った。
 それは、念威繰者が狙われるとしたらそれは念威を使った攻撃であり、自分は決して物理的な攻撃にさらされる事はないとたかをくくっているように見えたからだ。
 だからこそアーリーは、全力で見付からないような細工を施しつつ接近し、回し蹴りの一撃で沈めたのだと今頃になって気が付いた。
 そして、フレデリックの危機感、あるいは必死さの欠如こそが、他のツェルニ武芸者共通の致命的な欠点なのだと言う事にも気が付いた。
 それを認識した以上、確認しなければならない。ツェルニ武芸者にどれほどの覚悟があるのかを。

「貴方達は、死に物狂いで戦えますか? いえ。死ぬことを前提に戦えますか?」
「なに!」

 この台詞に反応したのはニーナだった。
 彼女の表情は明らかに激昂している。
 正常な判断力を失っているだけに、心の底にある本当の本音を聞き出すことが出来るだろうと考える。
 そしてそれは正しかった。

「私は! ツェルニを救うために私を含めた誰も犠牲にはしない!!」

 そして放たれたのは、アーリーが持っていない答えだった。
 そして、この答えでは駄目なのだと知っている。
 天剣授受者は兎も角としても、汚染獣戦において守るべきは都市であり住んでいる人達なのだ。個々の武芸者の命ではない。
 そして、アルセイフ小隊は汚染獣戦で死者を出していないが、それは戦場が比較的緩かったことと、レイフォンの指揮が臆病だったからに他ならない。
 戦場が厳しい時は、大人の武芸者が出撃した。
 死ぬかも知れない事を覚悟して、それでも戦うことを選んだグレンダン武芸者の誇りと言える人達を何度も見送ってきた。
 一人一人の顔をしっかりと覚えている。
 二度と会うことが出来ない人達も多いが、それこそが汚染獣との戦いだ。
 ニーナの覚悟は、それはそれで評価できると思うが、現実はそれを許さない。
 そして何よりも、死に物狂いにならなければ、レイフォンに師事する意味がない。
 ならば、ここできちんと駄目だと言う事こそがアーリーの役目だ。おそらくレイフォンにはできないアーリーの仕事だ。

「残念ですが、貴女では隊長を生かすことが出来ませんし、隊長の下では貴女を生かすことも出来ません」
「なぜだ!!」

 当然の反応が返ってきた。
 これからが地獄だと覚悟を決める。
 アーリー達の思いを言葉として伝え、ニーナ達に理解してもらわなければならないのだ。
 
 
 
 
 
 ふと気が付くと、レイフォンの隣にリーリンが立っていた。
 当然のような顔で当然の様な動作で、当然のような雰囲気でレイフォンの隣に立っているのだ。
 だからレイチェルはリーリンと反対側へと占位する。
 こここそが私の居場所なのだとそう宣言するために。
 そして視線を感じる。

「・・・・・・・・。あ」

 垂れ目が可愛い、メイシェンの泣きそうな瞳がそこにあった。
 思わずアイコンタクトを交わしてしまうくらいに、その行動はとても分かりやすい。
 先ほど食べた昼食はリーリンとメイシェンが、腕によりをかけて作ってくれた物だった。
 とても美味しかった。
 それはつまり、最も重要な要素である食事を作ってくれたという、とても大きな恩が存在していると言う事。
 だが、既にレイチェルは占位してしまっている。
 このどこにも行けない心を何とかしてもらうために、助けを求める視線を飛ばす。
 殆ど全ての人が視線をそらせる中で、一人だけ応じてくれた。
 メイシェンの幼馴染みであるミィフィだ。
 時は昼過ぎ、アーリーを除いたアルセイフ小隊員と、リーリンにヨルテム三人衆、そして何故かフレデリックがいたりする。
 そのフレデリックは、昨日アーリーに回し蹴りを撃ち込まれたために、顔にあざが出来ているが、それでもかなりの美人だ。
 あざが出来ていても尚、レイチェルが羨む程の美貌である。
 大切なことなので二度言ってみたのだ。

「ねえねえチェルチェル」
「わ、わたし? え、えっと、その、な、なに? え、えっと。フィ、フィイフィイ?」

 いきなり視線でロックオンされて、今まで体験したことのない名前で呼ばれたので著しく動揺してしまったが、それでもなんとか切り返すことに成功する。
 きちんと切り返すことが出来たかどうか疑問だが、それでも周りから突っ込みは来ないから大丈夫だとそう自分に言い聞かせる。
 だが、何故かミィフィだけが少し不満げだった。
 だが、それもすぐになりを潜め、そして驚くべき行動に出てしまったのだ。
 いきなり、隣を歩いていたフレデリックに抱きつき、その髪に頬ずりを始めたのだ。
 突然の事態に、フレデリックの行動が緊急停止。
 ついでにレイチェルも緊急停止。
 いや。他の面々もそれなりに緊急停止してしまった。
 だが、ほんの少しだけレイチェルとレイフォンの距離が開いている。
 この隙にレイフォンの隣へと占位しろと言うことなのだろうと理解したために、奇行に走ったミィフィへと視線と注意を向ける。

「こんなにちっちゃくて可愛いフレディ先輩を、あーちゃんが蹴った理由って知ってる?」
「あーちゃん」

 フレデリックを蹴り倒したのがアーリーであることは、ここにいる全員が知っている。
 と言うか、さっき事の顛末をレイチェルが話したばかりだ。
 そこまでは良いとしても、よりにもよって、あのアルセイフ小隊で一、二を争う巨漢でいて、明らかに目付きが悪く悪人風のアーリーを捕まえて、あーちゃんなどと言うミィフィのセンスに少々驚愕してしまっていた。
 だが、そのミィフィはとても機嫌良さそうにフレデリックに頬ずりを続けている。
 そろそろ止めた方が良いのかもしれないと思うが、やられている方もそれなりに迷惑そうでないために、もう暫く放っておくこととした。

「えっと、イサキ?」
「わ、わたし!!」

 となると問題となるのは、当然発せられた疑問と言う事となる。
 と言う事で、アーリーのことに最も詳しいイサキに話を振ることとした。
 と言うか、この面々でこの質問に答えられるのはイサキしかいないと確信している。
 そしてその確信は裏切られることがなかった。

「え、えっと。アーリーって、念威繰者の格闘大会で散々優勝してきたから、腕試しをしたかったんじゃないかな?」
「そんな物がグレンダンには有るのですか?」
「実はあるんですよこれが」

 盛大に行われている訳ではないし、そもそも必修科目という訳でもないのだが、むしろマイナーな部類に入るのだが、グレンダンの念威繰者には、いざという時に戦えるように格闘技を納める者もいるのだ。
 その筆頭がアーリーである。
 二十才以下という条件がつけば、アーリーの格闘戦能力は念威繰者最強だ。
 もちろん、レイチェルが活剄でも使えばあっと言う間に倒すことが出来るが、逆に剄脈を使わない状態だとかなりきつい程度には強い。

「つまり僕は、彼の腕試しのために蹴倒されたことになりますか」
「そ、そうなるんじゃないかなっと。もちろん! これは私の想像ですからその辺理解しておいて下さいね!!」

 不満げなフレデリックの視線から逃げるためだろうが、アーリーと並ぶ巨漢であるロレンツォの影へ移動するイサキ。
 気持ちは良く分かる。
 本来、念威繰者とは後方支援を担当する人のことで、前線に出て切った張ったやる事は殆どないのだ。
 まあ、その固定概念を逆に付いたと言うことかも知れないが、アーリーの蹴りはかなり強力だったから相当恨んでいるのだろう。

「成る程! あーちゃんがサディストじゃないと分かったことは収穫だったね!!」
「あれがサディスト?」

 サディストではないと思うが、それでも一瞬考える。
 もの凄く目付きの悪いアーリーが、イサキを亀甲縛りにして楽しんでいる姿を。

「・・・・・・・・・。だめだ」

 想像できなかった。
 何しろ二人の間では体格に違いがありすぎるし、レイチェルと同じで豊満な肉付きをしているという訳でもないイサキを縛っても、それ程絵になるとも思えなかったのだ。
 それは他の小隊員も同じようで、微妙な表情をしている。
 もちろんレイチェルは女の子であるために、正確な評価など出来はしないが、どうせ縛るのだったら何時も泣きそうな顔をしている上に、とても羨ましい破壊兵器を装備しているメイシェンにすると思うのだ。
 想像して、背筋が少し寒くなった。
 似合いすぎる。
 虐めてもらうためにこの世に生を受けたようなメイシェンのその姿は、男共の理性を完全に吹き飛ばす事請け合いだ。

「・・・・・・・・・・・・」

 恩は恩として、何時か必ず返すとして、それでもレイフォンの隣を明け渡す事は出来ない。
 そう決意するには十分すぎる想像図だった。
 だが今は駄目だ。
 既にレイフォンの隣にはメイシェンが占位していて、突撃して奪ってしまう事は望ましくない。
 敗北の味を噛みしめつつメイシェンの少し後ろを歩く事しかできないのだった。
 
 
 
 
 
  後書きという名の解説とも言えない言い訳の連続 その7
 
 後始末です。
 ツェルニ武芸者が持たなければならない物をあえてアーリーというフィルターを通して見せてみました。
 実を言うと、BBRなみに、幼生体戦まで行くつもりでしたがグレンダン編を長く取りすぎたためにここで一旦打ち止めと言う事になりました。
 実を言うとイサキにはもう一つ奥の手を用意してあったり、ロレンツォとエンリコの関係について書くつもりだったのですが、全ては次回以降と言う事になってしまいました。
 今度の年末に公開できれば嬉しいと思いますが、果たしてどうなる事でしょうか?
 ちなみにですが、復活の時、十話目は全く完成していません。
 ドラグリミットファンタジアの三巻目が出る頃までには、何とか書き上げたいと思っていますが、予定は未定ですのであしからず。

 では、この話が年末年始の暇な時間を潰せましたら、それなりに俺は嬉しいと思っています。
 皆さん良いお年をお迎え下さい。



[18444] 超学園都市ツェルニ2
Name: 粒子案◆576a4157 ID:1ef6c788
Date: 2014/03/12 21:29

 
  警 告!!
 
  この作品は、俺が今まで書いたどの話よりも酷い内容となっています。
  読んだ後に起こった、いかなる損害も補償することは出来ませんので、予めご了承下さい。
 
 
 
 
 相も変わらずナルキ・ゲルニは武芸者である。
 ツェルニ武芸科一年の中では、割と優秀な方だと自己評価をしているが、上には上がいるし、そもそもそんなに目立たないだろうとそう思っていた。
 一年では優秀だろうと、ツェルニにはもっと他に凄い人達が大勢いるに違いないのだから、目立つはずなど無いのだと、そう思っていた。
 だが、現状は大いに違っていた。
 まず何よりも、ナルキよりも遙かに実力のある武芸者が、すぐ隣に座って退屈そうに自分の髪を弄っている。
 更に、このツェルニの最高権力者とおぼしき青年が、とても魅力的な笑みを湛えつつナルキとリーリンを見詰め続けている。
 一般人にとって、これはかなりきつい展開である。
 幼生体の襲撃をリーリンの力業で退けてから、既に丸一日以上が経過している。
 ツェルニ武芸者に死者は出なかったが、重軽傷者は大勢出た。
 その大半がリーリンの弾幕から逃げ損ねたと言う事らしい。
 そして今、目の前にいるのは、ツェルニの最高権力者。
 どう控えめに表現してもおしかりの言葉を頂くことになるだろうし、普通に考えれば退学処分だ。
 だと言うのに、主犯であるリーリンは平然と髪を弄んでいる。
 共犯であることを押しつけられたナルキはと言えば、とても居心地が悪い思いを味わっているというのにだ。
 出来るだけ速くここを去りたい。

「まずは感謝を。君達のお陰で軽微な被害で汚染獣を退けることが出来たよ」
「う、うぁ」

 君達のお陰と、ナルキも仲間であると確定されてしまっている。
 いや。既にここに呼ばれた時点で確定されてしまっているのだろう。

「ところで、君達は出身都市も違うようだが、知り合ったのはツェルニでかね?」
「そうですよぉ。でも、あんまり腹の探り合いは好きじゃないんで、とっとと本題に入ってもらえませんか?」
「これは失礼したね」

 胃の痛くなる展開であるはずだというのに、リーリンは全く平常運転であり、それどころか真っ向からツェルニの生徒会長と張り合っている。
 その剛胆さ、あるいは無神経さを少し分けてもらいたいところだ。
 だが、生徒会長であるカリアンもやはり腹の探り合いよりは単刀直入な話し合いの方が好みらしい。
 今まで張り付いていた笑顔がかき消え、真剣そのものの視線でリーリンとナルキを見詰める。

「ツェルニの保有するセルニウム鉱山の残りが一つになってしまっていてね」
「? なんでそんな事になってんです? ここの武芸者は無能揃いですか?」

 カリアンの説明を聞き、一瞬の隙もなく壮絶な突っ込みを放つリーリン。
 そして、その発言を聞いて胃の痛みが増すナルキ。
 更に言わせて頂ければ、再び笑みの形に口元が歪むカリアン。

「気が付いていると思っていたけれどね」
「・・。ああ。言われて見れば殆どが雑魚以下でしたね」
「うぅ」

 容赦なく切りまくるリーリンは、カリアンと言うよりもナルキの精神にダメージを蓄積させて行く。
 出来ればこの場から去りたいところだが、それを許してくれる雰囲気ではない。

「反論の余地がないほどにツェルニ武芸者の質は低いんだよ。そして、今年行われる武芸大会で敗北すれば、都市の餓死という滅びが待っている」
「戦争じゃなくて?」
「戦争と言い換えてもおかしくはないね。学園都市と言う事で、健全な戦いを目的に武芸大会と表現しているよ。刃引きした刀剣類や麻痺弾しか使えない射撃武器を使ったね」

 それはつまり、ナルキが悩んでいた都市間戦争がここでも起こると言う事を物語っている。
 ただ、武芸大会と言う事で人が死ぬ危険性は限りなく低いのだろうと言う事は理解している。
 それでも、都市が餓死するという事実にはなんの変わりもない。

「そこで君達にお願いなんだがね」
「いいですよ。私達を戦力にと言う事でしょう? マイアスと戦う前にツェルニが死んだらこちらも困りますからね」
「・・・・。何故マイアス限定なのだね?」
「乙女の事情と認識して頂いてかまいません」
「・・・? 全く理解できないが、君達を戦力として数えさせてもらうよ」

 絶望した。
 リーリンという超絶の実力を持っているらしい武芸者をと言うのは、むしろ当然の話であると思うのだが、普通の武芸者でしかないナルキをとなると話がまるきり違ってくる。
 大いなる勘違いをカリアンがしているのか、あるいはリーリンを操るための布石として勘定しているのか、あるいは、もっと恐ろしい何かのために使おうとしているのか。

「うぅぅぅ」

 胃を締め付ける激痛のために、その場に蹲り病院に逃げ込みたいところだったがそうは問屋が卸してくれない。
 リーリンの手が伸びてきて、強引に連れ出されてしまったからだ。
 リーリンがもっと違う何か、そう、あのレイフォンと出会わない限りナルキに安息の時間など存在しないのだ。
 
 
 
 
 
 生徒会長室から退出していった二人を見送り、カリアンは一つ溜息をついた。
 何故あんな凶暴な武芸者と付き合わなければならないのかと、いるかどうか分からない神に愚痴をこぼしつつ必要な作業を再開する。
 出来れば、何処かの小隊に入れたいところだが、残念な事にそんな都合の良い物は存在していない。
 昨年度末に、ニーナが是非にと小隊の結成を願い出た時に許可しておけば良かったと、そう後悔したが既に遅い。
 だが、それでも諦める事など出来はしない。
 リーリンとナルキを小隊に入れる事は出来なくとも、戦力として出来うる限りに使う事を考えなければならないのだ。
 まず最初に考えたのが、同じグレンダン出身のゴルネオの第五小隊に入れる事だったが、強硬に反対された。
 小隊長であるゴルネオにである。
 副長であるシャンテ共々現在入院中である事も手伝って、保留と言う事になっているが現実的にはほぼ不可能だ。
 そして、ゴルネオのところが駄目だったら、他のところもおおむね駄目である。
 高い志をと言うような話は、リーリンには通用しないだろう。
 ならば、ナルキを巻き込んでの乱戦でこそ勝機が見いだされようという物だ。

「とはいえ」

 ナルキには貴い犠牲となってもらう事は確定しているが、リーリンの上げた固有名詞がとても気になる。
 マイアスとリーリンは言った。
 その名はカリアンの記憶の中に存在している。
 それはつまり学園都市だと言う事。
 乙女の事情とリーリンは言うのだが、一般的な乙女の事情という意味かどうかかなり疑問だ。
 カリアンの悩みは深いが、それでもツェルニが生き残れるのだったら、それは十分に報われる。
 そう決意したカリアンは、仕事に集中するのだった。
 
 
 
 
 
 生徒会長室を後にしたナルキだったが、当然の事リーリンとの縁は切れていない。
 まあ、卒業するまでは仕方が無いと諦める事にして、幼馴染みの二人と合流する事となった。

「ああ。これでレイフォンを心ゆくまで潰す事が出来るわ」
「潰すんかい」

 隣を歩くリーリンはもの凄い上機嫌だが、それに引きずられる事はない。
 いや。むしろいたたまれない気持ちになる。
 死刑執行書にサインしてしまった身としては、レイフォンの身の安全を何とか確保したいのだが、それさえままならない現実をどうにか生きなければならないからだ。
 何故こんな事になったのかと少し自分の人生を振り返る。
 汚染獣との戦いで犠牲者が出る事は仕方が無いが、人間同士の戦争で死者が出る事に疑問を持ったのが全ての始まりだった。
 その結果としてナルキは学園都市にいるのだが、初っぱなにリーリンと関わってしまったのが運の尽きだった。

「ああ」

 もしかしたら、隣を歩く眼帯の少女は、関わった人達を不幸にするという呪いがかかっているのかも知れない。
 だが、もしその呪いがかかっているとしても、都市に住む関わりのない人達にとってはとても大きな福音である事も事実だ。
 超弩級の武芸者というのは、都市に存在しているだけでどれだけの利益になるか計り知れないのだ。
 だが、不思議な事もある。

「なあ、リンちゃん?」
「なぁにぃ?」
「何故、家によろうとしている?」
「だってぇぇ。ご飯美味しいんだもの」
「成る程」

 分かれ道を過ぎてもリーリンが帰らない事に疑問を持ったのも一瞬だった。目的は美味しい食事にありつく事であり、その目的にかなった人物はナルキと一緒に住んでいるのだ。
 もの凄い問題を抱えた幼馴染みではあるが、その料理の腕は一流だとそう評価できるだろう。

「と言うわけでメイシェン!!」
「あう!」
「先にお風呂に入ろう!!」
「あう!!!!」
「ちょ、リンちゃん待った」

 三人で住んでいる部屋の扉を開けた直後、リーリンが突進。
 メイシェンにご飯をたかるまでは良かったのだが、その後の行動というか食前のイベントが大問題だ。
 いや。もはやご飯をたかる事を忘れているかのようにメイシェンを確保して浴室へと突貫してしまった。
 一瞬の出来事でナルキがどうこうできる隙は全く無かった。

「また一人メイッチの犠牲者が」
「良く平気だなお前の問題でも有るだろうに」

 何故かとても嬉しそうなミィフィと会話している間に、浴室では事がとんとん拍子に進んでしまっているようだ。
 色っぽく聞こえるような気がするメイシェンの悲鳴やら、リーリンの笑い声やらで、それは確信できる。
 その笑いが凍り付く事も、既に確定事項だ。
 これが初めてというわけではない。そしておそらく、最後でもないだろう。
 とは言え、何度経験しても慣れると言う事はない。

「ほらほらメイシェン。スカートを脱ぎましょうねぇ」
「ら、らめぇ」
「良いではないか、良いではないか」
「ま、まってぇ」
「ふははははははは・・・・・は?」

 景気よく進んでいたリーリンの暴走が、ある時を境に一気に沈静化。
 それどころではない。
 まるで浴室の扉を隔てた向こう側が、死者の世界だと言わんばかりに物音一つしなくなった。
 あれほどの武芸者でさえ、メイシェンの本当の姿には衝撃を受けているのだという事が分かる。
 もしかしたら、呼吸も脈拍も止まってしまっているかも知れない。
 救急車を呼んだ方が良いのかもしれないと、そんな考えもナルキの頭には浮かぶ。
 だが、そんなナルキとは全く関係ない生き物もいるのだ。

「にひひひひひひひ。ああん。メイッチ可哀想。私が! この私が慰めてあげるからね!!」
「それが狙いか」

 とても嬉しそうな理由は分かった。
 この状況で落ち込んだメイシェンを慰めて、あわよくば色々な事を体験しようともくろんでいるのだと。
 その腹黒さは、もしかしたらカリアンとためを晴れるかも知れないとは思うが、出来れば友達にしたくはない。
 幼馴染みだけれど。
 そして、変化がやってきた。
 つい先ほどまで、なんの音もしなかった浴室の扉が、千年も開いていないのではないかと思える程重々しく耳障りな音と共に開いた。
 その向こう側から現れたのは、ゾンビの方がまだ生き生きしていると表現できる超絶の武芸者。
 まさに、扉一枚向こうは死者の世界だったのだ。
 力なくその足を動かし、まるで意志の力を感じさせない瞳が虚ろにこちらへと向けられている。
 呼吸をしているのかどうかさえ怪しい唇が動き、そして遙か彼方から聞こえているとしか表現できない声を発する。

「ごめん。なんだか幻覚が見えるくらいに体調が悪いの。帰るね」
「ああ。気をしっかりと持ってな」
「さようなら」

 明日は、ツェルニに幽霊が出たという噂で持ちきりになるだろう。そんな確信を得られる姿となったリーリンが扉を開け、そして部屋から出て行ってしまった。
 しばらくは寝込んで起き上がる事さえ出来ないかも知れない。

「めいっちぃぃぃぃ」
「あうぅぅぅぅぅ」

 浴室に残されたのは、半裸に剥かれたメイシェンだけだったのだが、空気を読まないミィフィが突撃。
 音高く浴室の扉が閉まると、途端に怪しげな会話が漏れ聞こえてくる。

「なんて可哀想なメイッチ。被害者なのにまた加害者になってしまったんだね!!」
「うぅぅぅぅ」

 見えなくても分かる。
 蹲り落ち込んだメイシェンを抱きしめて慰めるふりをしているミィフィは、間違いなくニヤリ笑いを浮かべているだろう。
 今夜はきっと楽しいぞという欲望にまみれたその瞳は、既にリーリンなど映してはいない。
 涙を流すメイシェンのあられもない姿しか映していないのだ。

「泣かないでメイシェン!! 私が!! この私がここにいるんだから!!」
「ミィちゃん」
「だからメイッチ。悲しまないで!! 私は常に一緒にいるから!!」
「あぁぁうぅぅぅ」

 このまま突入してしまうだろう。
 最低限、避妊さえしておいてくれればそれで良い。
 否認ではない。非人でもない。
 妊娠を避けるという意味の避妊である。
 そう。メイシェンは一般に言うところの男の娘なのだ。
 そしてミィフィは、そのメイシェンのお嫁さんになる事がおおよそ決まっているのだ。
 メイシェンは俺の嫁というのでは、当然の事無い。
 ミィフィ・ロッテンこそがメイシェン・トリンデンの許嫁であり、ツェルニから帰ったらおそらく結婚する事になる。
 だから、子供さえ出来なければ何ら問題無い。
 そう自分に言い聞かせたナルキは、リーリンの出て行った扉を開け二人の時間を邪魔しないように、都市警へと移動するのだった。
 何か仕事をして気分を紛らわせなければ、とてもあの二人には付き合っていられないのだ。

「・・・・・・。帰りたい」

 だが、ナルキはツェルニに来たばかりだというのにホームシックにかかってしまっている自分を認識していた。
 幼馴染み二人はしかたがないにせよ、超絶の武芸者であるリーリンとも付き合わなければならないのだ。
 もはや絶望のあまり何処かの木の枝にぶら下がってしまっても、何ら不思議はない精神状態に陥りかけていた。
 陥らなかったのは、レイフォンという同じような境遇の、少年の顔が浮かんだからに他ならない。
 レイフォンが来てくれたのならば、それだけでナルキは頑張れる。
 本人にとっては不幸である事は理解しているが、そう思わずにいられないのも事実なのだ。
 こうしてナルキの長い夜が始まった。
 
 
 
 
 
  言い訳。
 使っちまった!!
 最後の超設定を使ってしまった!!
 このシリーズをこれ以上書く事は出来ないかも知れない!!
 
 
 さて。放浪バスの中で少しだけ複線をまいておいたメイシェンの問題がここで明らかになりました。
 ついでに、天下無敵に見えたリーリンも瀕死の状況です。
 更に、レイフォンがツェルニに来ても癒やしてくれる相手がいなくなりました。
 男の子同士の過剰な友情を書く能力はないので、そちらの期待はしないで下さいね。
 
 
 さて、手持ちの超設定が無くなってしまったけれど、この先どうしようか。



[18444] 超学園都市マイアス3
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:1ef6c788
Date: 2014/04/16 15:20


 何時ものことではあるのだが、レイフォン・サイハーデンは武芸者であり尚かつ学生である。
 学園都市マイアスの武芸科一年であり、つい先日第九小隊に正式に所属することとなった。
 そのついでにサイハーデンの継承者であるゲンナジーに稽古を付けるという、とてつもなく平穏な日常を送っていた。
 そう。何故かとても疑問ではあるのだが、過去形となっているのだ。
 その原因は、今レイフォンの目の前に存在している。
 小隊での訓練を終えた直後に隊長であるゲンナジーに呼び止められ、そしてここまで引っ張ってこられて、その人と相対しているのである。

「始めてお目にかかる」
「始めまして、レイフォン・サイハーデンです」

 ゲンナジーにつれられてやって来たのは、マイアスの武芸者を束ねる人物の執務室。
 そして、とても丁寧に挨拶してくれた人物こそがここの主であるはずの武芸長である。
 そのはずであるが、少しだけ疑問である。
 執務机から立ち上がり握手の手を差し伸べた武芸長は、強烈なプレッシャーを放っている。丁寧でいて柔らかい物腰とは決定的に相容れないはずだというのに、目の前の武芸長は凄まじいばかりのプレッシャーを放っているのだ。
 だが、それももしかしたら見た目が少し変わっているからかも知れない。
 少し、いや。かなり特色のある外見をしているのだ。
 あえて一言で言うとしたのならば、金色の骸骨である。
 比喩的表現ではない。
 事実そのまま金色の骨格が肉眼で確認出来る。
 その骨格の表面を正体不明の透明な物質が覆っている。
 その正体不明の物質が、かろうじて人型を維持しているところを見ると、ギリギリで人間であるらしい。
 自信はないが、武芸長という以上は人間であるはずだ。

『おお!! クリスタル・ボーイでありんす!!』
『ビーム攻撃は全く効かない強敵よ!!』
『銃弾も受け止めてしまう化け物なのじゃ!!』

 レイフォンの中の廃貴族が武芸長を見た途端に騒ぎ出す。
 知り合いというわけではないようだし、そもそもビーム攻撃などと言う物はそうそう出せる物ではない。
 いや。今のレイフォンならば出せるかも知れない。
 ギャバネスト卿の技をレイフォンなりに拝借したので、出力が弱ければ何とか出せるかも知れない。
 ビーム攻撃が効かないのではあまり意味がないけれど。

「私は武芸長を勤めている、クリス・タ・ルボーイ。君の小隊入りを歓迎するよ」
「は、はあ」

 切るところが違うが、名前は廃貴族の知識と一致している。
 もしかしたら、人外の存在の中では有名人なのかも知れないと認識を新しくする。
 そんな人外で有名かも知れない武芸長と、握手を交わしてみて分かったのは、正体不明の透明な物質は極めて柔軟であると言う事だ。
 これならば、たいがいの物理攻撃はそのエネルギーを吸収されて骨格まで届かないだろう。
 戦うとなったらかなりの強敵となることは理解できた。
 そのレイフォンの思考を訝しんだわけではないだろうが、緑色の瞳にある赤い瞳孔が急速にしぼみ、何かに驚いたことが理解できた。

「私の外見を初めてて見た者は、たいがい驚いて腰が引けるのだが君は冷静だね?」
「脳と剄脈以外を人工物に変えたという人は、伝聞としては知っているので」
「ほう。出身は何処の都市だね? 私はこの身体を少しだけ自慢に思っていたのだがね」
「グレンダンです」

 武芸長が、自分の身体のどこを自慢に思っているのかは不明だが、所詮は他人事なので深く詮索しないで聞かれたことだけ答える。
 そう。グレンダンが誇る変態武芸者集団の天剣授受者で、脳死するまで戦い続けたという脅威の戦闘愛好家がいたことをレイフォンは覚えているのだ。
 天剣授受者という変態になれていたからこそ、目の前のクリスぐらいでは動揺することなど無いのだ。
 レイフォンの答えを聞いたクリスは、納得したように一つ頷くと握手したままだった手を放し、執務机へと戻る。

「グレンダン。武芸の本場として有名だね」
「本場というのは少し問題が有ると思いますが」

 実態を知っているレイフォンとしては、武芸長の認識に同意することは憚られる。
 あれは、本場などと言う言葉とは違うのだ。

「なんにせよ、グレンダンでその身に刻んだ技に期待させて頂くよ」
「努力してみます」

 あれを、その身に刻んだというのはかなりの抵抗を感じる。
 もっとこう、身も心もボロボロになるまで戦ったと、そう表現してさえ過小表現であると思うのだ。
 だが、期待されるという事実は、ほんの少しだけ心を温かくしてくれる。
 そんなレイフォンの事などお構いなしにクリスがふと動いて、その右手に巨大な三日月を装着した。
 金色に耀くそれは、真ん中付近に間接があり、巨大な爪としても作用するように作られているようだ。
 とても凶暴でいて恐ろしげなその武器をかざして、クリスがレイフォンに尋ねてくる。

「ところでサイハーデン君?」
「な、なんでしょうか?」

 思わず剣帯に手が伸びる。
 その身体を流れる剄の総量が一気に増し、クリスが戦闘状態へと移行したことを理解したから。
 当然のこと、逃げるだけだったら何の問題も無い。
 少し後ろで佇んでいるゲンナジーを見捨てさえすれば、レイフォンを捕まえることなど出来るはずがない。
 その自信と共に、クリスの次の言葉を待つ。

「左手に銃を仕込んだ男を知らないかね?」
「・・・。生憎と知りません」
「そうか。いや。失礼したね」

 レイフォンの返事を聞いた直後、クリスの雰囲気と剄の流れが元へと戻った。
 だが、疑問も残る。
 左手で銃を使う男というのならば、それ程珍しくはないだろうが、仕込んでいるとなると話が全く違ってくる。
 銃使いの心当たりは割と多いのだが、答えた通りに仕込んだ男などと言うのとは無縁だ。
 その、左手に銃を仕込んだ男に、異常とも言える闘志を燃やすクリスにも疑問が湧く。

『くふ。雄という物は戦いがなければ生きていられぬ物らしいの』
『ああん!! ヘタレ気味のレイフォンも素敵だけれど猛々しいのも良い!!』
『こうな、宿命と運命を背負って死力を尽くして戦うのがよいのじゃ!!』

 廃貴族三人娘はなにやら心当たりでもあるのか、とても元気にはしゃいでいるがレイフォンには関係ない。と言うか、全く意味不明だ。
 内面が見えるわけではないだろうが、自分の行動が異常であることは認識しているらしいクリスが小さく咳払いをして、今の一幕の解説をしてくれた。

「私は、自分でも不思議なのだが、左手に銃を仕込んだ男に異常な闘志を燃やしてしまうようでね」
「疑問ですね」
「うむ。だが安心してくれ給え。私は冷静ではあるが冷酷ではない。殺し屋かも知れないが殺人鬼ではない」
「・・・。それを聞いて安心しました」

 取り敢えず武芸長から命を狙われるという危険はなさそうだと言う事で安心する。
 色々と突っ込みたいところはあるのだが、それをやっているといつまで経っても話が進まないので華麗に通り過ぎることとする。
 こうして、武芸長との会見は無事に終了したのだった。
 
 
 
 
 
 武芸長との会見を終えたレイフォンは、ゲンナジーに先導されるままに武芸科の建物から出ようとして、そして立ち止まった。

「どうしたレイフォン?」
「月は出ていますか?」
「あん?」
「月は出ているかと聞いているんですよ」

 外は既に常闇の世界と化しているはずなのだが、何故かとても明るい。
 いや。明けない夜はないと言うから常闇というわけではないのだろうが、それでもレイフォンは夜歩く時に最大限の注意を払わなければならない身体なのだ。
 何が起こるかはさっぱり分からないが、月の光を浴びたら死んでしまうと言う強迫観念がある以上、最大限の注意を払うべきだ。
 そう。月夜に巨大な傘を差して歩く変人と呼ばれようとも、生きていられるのだったら大したことはないのだ。
 そして、何故かとても不思議なのだが、最近おかしな現象がマイアスで起こっていることを、レイフォンだけが問題視しているのだ。

「出ているぞ。今夜も満月だな」
「・・・・・・。おかしいと思わない貴男を尊敬できるかも知れません」
「あん?」

 そう。あの裸ワイシャツの少女と会った直後から、何故かマイアスは毎日満月なのである。
 もちろん、毎日しげしげと月を見上げるような習慣はなかったのだが、それでも毎日が満月などと言う事はなかったはずだ。
 ならば、やはりレイフォンの周りだけ世界が変わったと考えるのが妥当だろう。
 そこまで考えたレイフォンは、常に持ち歩いている傘を広げてから建物の外へと出た。

「結構有名だぞ、お前」
「でしょうね。でも、命がかかっていますから止めませんよ」
「良いんだけれどな。目立つから」
「・・。そうですか」

 第九小隊を束ねるゲンナジーがレイフォンをスカウトした理由。それは目立つこと。
 良くも悪くも目立たなかったために、方法はどうあれ目立つことが最重要視されるというおかしな小隊へと変質してしまったのだ。
 ある意味、レイフォンと対極にいる人達と言う事になる。
 もうすぐ始まる、小隊対抗戦のための訓練もそうだが、隊員各々がどうやったら目立つかを考えている小隊だけに、月夜に傘を差して歩いているレイフォンは願ってもない存在となってしまっているようだと、改めて認識したのだった。
 
 
 
 
 
  後書きに代えて。
 と言う事で、思ったよりも速く超シリーズを更新できました。いつもの半分くらいの容量ですが、どうかご勘弁のほどを。
 とは言え、キャラの濃さで押し切っているのはどうかとも思っています。本来超シリーズは超設定と超展開で押し切るはずだというのに、キャラの濃さで押し切ってしまっている。
 やはり限界が来ているのだろうか?
 実を言うと、ティグリスが少しだけ話していた全身を人工物に変えた天剣授受者の話、あれを読んだ瞬間にクリスタルボーイのことを思い出してしまいました。
 最近、レンタル屋さんでスペースコブラを見つけたので、晴れて出演となった次第です。
 
 それは兎も角として、問題は二つ。
 クリスタルボーイが出てきた以上、やはりコブラも出したいところ。誰にサイコガンを持たせるか?
 話し的にはツェルニの武芸長というのも一つの選択だろうし、順当にレイフォンというのも手ではあるけれど、どちらにしよう?
 これに関して、劇場版を元にするか、それとも原作に沿った形で左手に付けるか。のんびり考えて答えを書きたいと思っています。
 そしてもう一つの問題が、マイアス女生徒をTバックにするかどうか?
 いや。Tバックはおそらくやらないと思うんですよ、俺的になんだかノリが違ってきてしまうから。
 なんにせよ、まだこれを続けられるようでしたら次回でお会いしましょう。
 
 ちなみに、復活の時はゴールデンウィークくらいには挙げられると思います。とは言え、四頁くらいの短い展開を予定しています。
 では!!



[18444] 隊長は天剣授受者 その8
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:ec6509b1
Date: 2015/12/16 21:40


 ふと目が覚めた瞬間、レイフォンの背中を冷や汗が大量に下っていった。
 いや。寝ているのだから冷や汗が下るという表現はおかしいかも知れないが、それでも認識としては確かに冷や汗が下っていったのだ。
 何故そんな事になっているかレイフォンにも分からないが、何かとてつもなく恐ろしいことがすぐ側で進行しているような気がしてならないのだ。

「・・・・・・・」

 何よりもやるべき事は、現状を認識することである。
 心地よい空間であったはずのベッドから起き出し、自分の体温でぬくくなったこの世の天国と別れを告げる。
 慎重に音を立てないように服を着替えて、念のために枕元に置いてあった鋼鉄錬金鋼と青石錬金鋼を手にする。
 まだ復元はしない。
 復元した時に剄の波動と光が漏れてしまうので、出来うる限りにおいて隠密行動を取らなければならない現状では復元しない方がよいと判断したのだ。
 そして部屋の中を見回す。

「・・・・・・」

 無言で頷く。
 部屋の中に怪奇現象は起こっていない。
 ならば、怪奇現象が起こっているのはレイフォンの使っている寝室の外側と言う事となる。
 慎重に殺剄を維持しつつ活剄を走らせて聴力を強化する。
 誰かがいることが分かった。
 相手はかなり手練れの武芸者だ。
 そうでなければレイフォンに気が付かれずにここまで接近することは出来ないはずだが、例外は存在する。
 アルセイフ小隊の面々ならば、側にいることがあまりにも自然になっているために接近を許してしまうこともある。
 そして今回、その例外が適用された。
 歩く動作から呼吸のしかたまで、全てが妹でもあるレイチェルの物だと言う事に気が付いたレイフォンの冷や汗は、更なる増大を遂げるのだった。
 そして、更に音を注意深く聞くこと二十秒。
 なにやら朝食の支度をしているらしいことが分かった。
 これは別段おかしな事ではないと、普通ならば断言できるのだろうが今回はかなり違うはずだ。
 何しろレイチェルは、出来るだけ音を立てないように行動しているから。
 それはつまり、レイフォンを奇襲するつもりだと言う事。

「レストレーション02」

 そっと呟き、最低限の剄の供給で青石錬金鋼を復元する。もちろん鋼糸だ。
 寝室とリビングを隔てる扉の隙間から鋼糸をそっと伸ばし、レイチェルの周りに配置する。

「!!」

 極めて慎重にやったとは言え、流石に鋼糸による攻撃を見慣れているだけ有り、レイチェルが気が付いた。
 だからこそレイフォンは、脳が沸騰する程の超高速で陣を組み上げる。
 繰弦曲・雪崩崩し。
 それを基本として、音が外に出ないように二重の鋼糸を張り、内側ので感じた音と反対の振動を外側が放つことで静寂を維持する。
 もはや防音以外には使えない繰弦曲だと思っていたが、更に改良を加える。
 膜状に張った剄で空気の層を歪め、レイフォンからレイチェルが絶対に見えないようにする。

「ぐわぁぁ」

 リンテンスだったら片手間にやれたのだろうが、レイフォンでは限界を超えた制御だったようだ。
 無駄に凝った内容の技を放ったせいで満足に歩くことも出来ない程の消耗を強いられたが、やるだけの価値はあったのだと自分に言い聞かせて扉を開ける。
 ただし、そっと慎重に。

「よし」

 球形に編んだ鋼糸を見るが、部屋の向こう側の映像を映すだけでレイチェルの姿は全く見えない。
 内側の鋼糸が、恐ろしい程の衝撃を検出しているがそれはレイフォン以外誰にも感知できる物ではない。
 自分のやったことに満足しつつ追われるようにして新しい部屋を飛び出す。
 脳がオーバーロード状態だが、それにかまっていられる状況ではないのだ。
 朝食を抜くことになるかも知れないが、レイチェルがなにやら企んでいる部屋でのんびりすることなど出来はしないのだ。
 
 
 
 
 
 最終的に、ロレンツォのところで朝食をご馳走になり、それから登校したのだが、当然のことレイチェルが待ち構えていて、しかも、猛烈に機嫌が悪かった上に、変に高いテンションである。
 あの部屋で何をやっていたのか知りたいと言う気持ちと、絶対に知りたくないと思う気持ちを比べたのならば、それは絶望的な差で知りたくないという気持ちが勝っているが、それでもあまりにも機嫌が悪いレイチェルをどうにかしたいと考えてしまう辺りにレイフォンの限界が存在しているのだろうと思う。
 なので、恐る恐る声をかける。

「レイチェル?」
「なに?」
「あ、あのね?」

 何時もよりも若干目付きが悪くなっている妹の視線が胸を貫く。
 だが、それに負けてしまってはいけないのだと自分を奮い立たせる。
 三秒と持たなかったが、一度は奮い立たせることに成功したのだ。
 だが、切羽詰まった状況に変わりはない。
 アルセイフ小隊の面々とリーリン、それにヨルテム三人衆が総出で見学している状況ではどう頑張っても切羽詰まってしまうが、それでもなけなしの勇気を振り絞って何とか話を続けようとする。

「け、けさ」
「ええ。鋼糸で周り中を取り囲まれて死ぬかと思ったけれど傷一つないよ」
「そ、それはよかった」

 怪我をさせていないとは思っていたが、妹の元気な姿を見て一安心したいところだというのに、残念なことにレイチェルは元気すぎたのだ。
 その元気の素がどこから来ているかとなると、まさに今朝の怪奇現象に行き着くだろう事は分かる。
 分かるが、具体的に何をしていたのかについてはあまり深く知りたくない。
 なにやらとても恐ろしい物の片鱗を感知してしまっているからだ。
 この手の予測が外れたことは未だかって無いだけに、接近には十分に気をつけて、何時でも逃げ出せるようにしておかなければならない。
 逃げ出せるとは限らないのが辛いところだが、そこはあえて無視する。
 変にと言うか、異常に高いテンションの原因も今朝の怪奇現象なのだろう事は分かるから、突っ込んで聞くことも出来ないレイフォンの手には事態解決の糸口が存在していない。

「ねえねえ」
「はい?」

 だが、そんな状況の中動いたのはヨルテム三人衆が一人ミィフィ・ロッテンであった。
 その茶髪を揺らしつつ、瞳は好奇心に濡れそぼり何時でも飛びかかれるように背筋をやや曲げて、その爪と牙を研ぎ澄ましレイチェルへと襲いかかる。
 いや。襲いかかるのはレイフォンに向かってだ。
 だが、レイフォンが動くことの出来ない状況では極めてありがたいのも事実である。

「具体的にどんな事を計画していたの?」
「え、えっと、ね。あのね」

 だが、ミィフィの質問を受けたレイチェルの言動がいきなり怪しくなる。
 今までの異常なハイテンションはどこへやら、頬を染めつつ潤んだ瞳がレイフォンをロックオン!!
 これは極めつけに悪いことが起こっていたのだと確信を深めるが、結局その続きはレイチェルの口から発せられることはなかった。
 なぜならば。

「まさかとは思うけれど、裸エプロンで朝食の支度くぉくぉくぉ」

 冗談だろうと放っただろうミィフィの台詞で、これ以上ない程赤く染まるレイチェルが出現。
 発した本人も、これからどうしたら良いのか分からないと言った様子で変な声を最後に沈黙へと陥った。
 ミィフィの気持ちは十分すぎる程に分かる。
 逆にレイチェルの気持ちがさっぱり分からない。
 グレンダンにいた頃はこの手の行動をすることはなかった。
 ツェルニに来てからである。

「・・・・・・」

 ツェルニに来てから知り合ったと表現するには少し問題が有るが、それに近い状況の茶髪ツインテールな少女を疑惑の視線で突き刺す。
 全員の視線が似たような状況であることを考えれば、容疑は極めて濃厚であると断言できるだろう。
 何故か明後日の方向を向いて吹けもしない口笛を吹く茶髪な生き物。
 既に確定である。
 そして、そのまま全ての視線が突き刺さり続けること二十秒。

「ち、違うのだ!! これは誤解だ!! わ、私は悪くないと断言する!!」

 ついに限界に達したのか、ミィフィが言い訳を始めたが、それはどう考えてもその場しのぎの口から出任せにしか思えない。
 だが、レイフォン達が何かするよりも早くミィフィの言葉は続く。

「私は単にラブコメの漫画をチェルチェルに貸しただけでしかないのだ!!」
「ラブコメの漫画?」
「そうだレイとん!! 私は悪くないと君も思うよな!!」

 あまりにも意外な展開だったので、思わず言葉を発したレイフォンの行動を脈有りと思ったのか、ミィフィが連帯責任を迫ってくるような気がする。
 油断していると、何時の間にか主犯にされかねないという危険は感じているが、それよりも先に疑問を解決しなければならない。

「漫画は兎も角、ラブコメ?」
「うん。ラブコメ」

 何故、レイチェルがラブコメなんかに興味を持ったのかの方が気になってしまったのだ。
 漫画は悪くないと思うのだ。
 表現方法の一種であるからして、そこに何が書かれているかの方がより重要であり、そして今回はラブコメと言う事となるのだ。
 比較的真面目なレイチェルが、よりにもよってコメディーに走るとは思わなかったからだ。

「だ、だって」
「な、なに?」

 今までとは何かが違う恥じらい方をするレイチェルから距離を取る。
 それは全員が同じだったようで、妹の周りだけ人口密度が低くなってしまっていた。
 そう。ミィフィも後ずさっている。
 そして、その言葉は発せられた。

「兄さんって」
「ぼ、ぼく?」
「普通に恋愛しようとしても逃げるから、これなら平気かと思ったから」
「・・・・・」

 恋愛から逃げていると言われれば、それは否定のしようがない。
 そう。レイフォンは恋愛という物から徹底的に逃げている。
 何しろ恐いから。
 何故恐いかは分からないが、兎にも角にも恐いので仕方が無い。
 ラブの後にコメディーがつこうが恐いという事実に何ら変化はないと思うのだが、レイチェルはそう考えなかったようだ。
 取り敢えず試しただけかも知れないが、最終的にレイフォンは恐ろしいと感じてしまった。
 そして視線を感じる。
 男性陣の哀れみの視線と、女性陣の蔑みの視線だ。
 いや。違うのもある。
 憤怒に染まったリーリンの視線と、どうすることも出来ずにオロオロするメイシェンの視線。
 そして何よりも恐ろしいのは、当然のこと、溢れる程の期待を込めたレイチェルの視線だ。
 二人でラブコメ人生を送ろうと提案しているその視線が、一番恐い。
 だが、逃げ場など存在していない。
 ここはツェルニ。
 いや。グレンダンでも逃げ場など存在していなかった。
 状況は何ら変わっていない。
 
 
 
 
 
 呆然としていた時間は既に過ぎ去っていた。
 結成間もなかったとは言え、ニーナの指揮する第十七小隊が完膚無きまでに敗北したのは二日程前のことだ。
 敗北した以上小隊を維持することは出来ないと思っていたのだが、カリアンには何か他の思惑があるのか昨日存続を告げられた。
 だが、それを甘んじて受けることがよいことなのかどうか分からない。
 ニーナの指揮する部隊は負けたのだ。
 ただその一事だけをとっても、小隊を維持することは出来ないとそう思っている。
 確かに、グレンダンで次世代を担うための人材であることは間違いないのだろうが、それはニーナ達にも言えることだ。
 何が違うのだろうかと考える。
 想定している敵が汚染獣であることが何よりも違うのかも知れない。
 アルセイフ小隊全員を瞬きする暇も与えずに全滅させるだけの力を持ったレイフォン。
 彼に率いられて命がけの戦場を生き抜いてきたからこその強さかも知れないが、ならばニーナ達はあそこへ届かないかも知れない。

「・・・・・」

 その思いを全力で否定する。
 何時かあそこへ辿り着き、そして追い越さなければならない。
 ならば、どうすれば良いのだろうかと考える。

「と言う事なのだが」
「話の脈絡が全く分からないのですが?」
「そうだと思う。簡単に言うと教えて欲しいのだ」
「レイチェル」

 結論として、ツェルニ最強の武芸者であるレイフォンに習おうと考えつき、そのたまり場となっている公園を急襲。お願いしたのだがいきなり妹に振られてしまった。
 これは少しだけ当てが外れたと思ったのだが、レイフォンの部下に全く歯が立たなかった以上しかたがないのだろうとも思う。
 だが、少しだけ希望もある。

「私達に投げるのはどうかと思うよ兄さん」

 そう。当のレイチェルのやる気が今一感じられないのだ。
 これは上手くすればレイフォンに習うことが出来るかも知れないと、そう思った矢先だった。

「分かっていると思うけれど、僕は異常者なんだ。そして誰かから技を盗むのは上手いけれど教えるのはとても下手なんだ。更にレイチェルなら教えているから適任だと思う」
「うぅぅん。確かに兄さんは異常者だし私は道場で教えた経験もあるけれど、やる気がないから押しつけているようにしか見えないんだよ」
「間違っていないよ」
「うぅぅぅん」

 結局のところやる気がないことを認めたレイフォンの視線がニーナを捉える。
 その視線はあくまでも茫洋としていて焦点が定まっているのかさえ疑問だ。
 これでツェルニ最強なのかと疑問に思うが、最低限ニーナよりも強いはずだ。

「僕は一般常識を学びにここに来たんだよ。武芸を教えるのに時間を取られて留年とかしたら大変じゃないか」
「ああ。女王の命令を実行できなかったとか言われて、どんな無理難題を押しつけられるか分からないもんね」
「リンテンスに十万問の算数とかやらされたら確実に死ぬよ」
「うん。普通に死ねるね」

 レイフォンとレイチェルの間で会話が進み、ニーナは置いてけぼりを食わされた格好となっているが、なにやら深刻な事態もあるらしいことも理解した。
 十万問の計算問題とか言われたらニーナだって嫌だ。
 そして驚いたことに、アルセイフ小隊の面々もレイフォンの認識が間違っていないことを肯定している。
 つまり、六年間で一般常識を会得することが出来なければ待っているのは計算問題という名の地獄。

「と言う事で、先輩の面倒は私が見ることとなりました。よろしくお願いします」
「いや。よろしくお願いするのはこちらの方だ。私達を強くしてくれ」
「生きていられれば」
「・・・・。最大限の努力をする」

 いきなり命がけと言われたが、それはアーリーから聞いたアルセイフ小隊の、基本的な心構えなのだと理解している。
 こんなところで立ち止まっていては何も出来ないのだ。
 なんとしてでもツェルニを生き残らせなければならない。

「ああ」
「はい?」
「いや。私のことなので気にしないで欲しい」

 疑問を浮かべるレイチェルをその場に残し、ニーナはシャーニッドとフレデリックを捜すために歩き出す。
 ある意味同じなのだ。
 自らの命を省みずに強くなろうとすることと、ツェルニを生き残らせるために強くなろうとすることと、それ程大きな違いがあるとは思えない。
 実際は違うのかも知れないがニーナの中では殆ど同じなのだ。
 ここに至ったのならば、もう後は前を見て突き進むだけだ。

「ああ。ニーナさん」
「安心しろレイチェル!! 私はくじけない!!」
「そうじゃなくて!!」
「なんだぁぁぁぁ!!」

 犬のうんこを踏んでいる自分を突如として発見してしまった。
 これからは前だけ見るのではなく、足元にも注意を払おう。
 そう決意したニーナだった。
 
 
 
 
 
 突然ではあるのだが、レイチェルはむくれていた。
 原因は目の前に鎮座している銀髪眼鏡の陰険生徒会長である。

「そう睨まないでくれ給え。君にとっても悪い話では無いと思うのだがね?」
「私は既に隊員ですよ?」
「知っているよ」

 そう。気が付いたら第十七小隊員として登録されてしまっていたのだ。
 確かに、ニーナに提案された訓練は承諾したが、隊員になるなどとは一言も言っていない。
 とても剣呑な視線でカリアンを見るが、全く動じた気配がしてこない。

「エリプトン君はとても女の子にもてるのだよ」
「そうですか」
「つまり、異性にもてるコツという物を体得できるかも知れないね?」
「・・・・・・・」

 奸計に嵌ってしまっている自分を認識しつつも、レイチェルはそこから出ることが出来なくなっていた。
 そう。もしかしたらレイフォンを落とせるかも知れないと言う希望を見つけてしまったから。
 それが本当に希望なのか、それとも単なる妄想なのか、レイチェルには分からないが、もはや止まることも出来なくなっていた。
 問題は、アルセイフ小隊員を止めないで十七小隊に入ることが出来るかどうかだが、そこは何とかするしかない。
 前向きに思考しつつカリアンの執務室を出たのだった。
 
 
 
 
 
 突如として提案されたレイチェルの第十七小隊入りだったが、何の問題も無く了承されてしまった。
 元々アルセイフ小隊というのは汚染獣と戦うために組織された物だった以上、相当の支障が出ない限りは対人戦の組織に入ろうとさほど問題無い。
 最低限としてレイフォンはそう考えているのだし、実を言うとアーリーもそう考えている。
 実は色々と問題有るのかも知れないが、それは全てツェルニ内部での問題であり、最終的にはカリアンが何とかしてくれるのだろう事は分かる。
 何故かとてもやる気になっているレイチェルが危険であると思うこともあるが、所詮は他人事である。
 死人が出てもカリアンが何とかしてくれるだろうと期待している。
 留学自体が、レイフォンに一般常識を学ばせるために計画された物であり、アーリーを筆頭とした小隊員はついでに来ているだけでしかないのだ。

「でしかないのだけれど」

 隣に寝そべっているイサキへと話を振る。
 何時も通りに白いマントを纏った小柄な少女はとても幸せそうにしている。
 これ以上ないくらいに幸せな表情のまま、対人用の狙撃銃を構えている。
 狙う先にあるのは、学園都市では実に五年ぶりと言われる立て籠もり事件の現場であり、照準機には犯人が捕らえられている。
 常に行われている剄息をそのままに、呼吸の制御を行い銃のぶれを抑制しているその技量は、グレンダンでもかなり上位に位置する。
 グレンダンでさえ上位なのだから、おそらくツェルニでは最高の狙撃手と言う事となるだろう。
 麻痺弾を額のど真ん中に撃ち込まれることとなる犯人に同情をしてしまうくらいには、ツェルニ最高だと思う。
 だが、事態は少しだけ複雑な方向へと進んでいるのだ。
 アーリーとイサキを取り囲むように配置されたのは、ツェルニ都市警に所属する武芸者から選抜された狙撃手の皆さん。
 イサキの技術を少しでも盗むためにこんな配置がなされているのだろう事は分かる。
 この現場に配置されているのは、アーリー達だけではない。
 ロレンツォやエンリコも近くに配置され、都市警所属の武芸者の熱心な視線にさらされていることだろう。
 つまりは、何処かに所属したのはレイチェルだけだったが、他の面々も何らかの形でツェルニ武芸者の底上げに関与していると言う事となる。
 そして、当然のことだろうが、この底上げにレイフォンは加わっていない。
 これを企画した人物のところに、一般常識を体得しないままレイフォンがグレンダンに帰ったらどうなるかが伝わっているのだろう。
 それはそれで良いのだが。

「狙撃待機」
「速く撃ちたい」
「待機」

 引き金にかかった指がタップダンスを踊りそうな勢いのイサキを押しとどめておくことは、かなり難しい。
 それでいて、撃つ瞬間は完璧に指の動きを制御してしまう切り替えの速さが、イサキの恐ろしいところだ。
 そして最も問題となるのは、狙撃をしないで事件が解決してしまったのならば、後が色々と大変なことになることだけははっきりとしていることだ。
 麻痺弾で昏倒することになる犯人には同情するが、アーリーは自分の身の方が大切なのである。
 人質を取った犯人に対して行われている説得は、まだまだ続くことだけがはっきりしているのだった。
 
 
 
 
 
 小隊デビューの日がやってきた。
 あまり乗り気ではなかったが、カリアンの策謀に乗せられてしまったために、それなり以上にはやる気満々である。
 と言う事で、誰よりも速く訓練室へとやって来たのだが、残念なことに次にやってきたのはニーナだった。
 これでは話が違う。

「い、いやな。シャーニッドは来る時と来ない時があってだな」
「探してきます」

 ニーナの返事も聞かずに飛び出し、四年の教室のある辺りへと活剄を使って全力疾走をする。
 規則など全て無視だ。
 ついでのように復元した刀を手に持っている。
 疾走することしばし、四年の校舎のかなり手前でそれを発見した。
 明らかにシャーニッドとおぼしき男性が、明らかに年下とおぼしき女生徒を軟派しているという光景をだ。
 とても嬉しそうに喋っているシャーニッドと、同じくらいに嬉しそうに喋っている女生徒。
 殺意が沸き上がってきたのを押さえ込み、静かにシャーニッドの後ろへと着地。
 そして、その首筋に刀の物落ち付近を押し当てる。

「っげ!!」

 この瞬間までレイチェルの接近に気が付かなかったのか、今までの幸せオーラがかき消えるのが分かった。
 全てが凍り付いたかのように動きを止めるシャーニッドを見て思う。
 やるしかないと。

「血の涙を流せ」
「ひぃ」

 一気に刀を引いて頸動脈を切断する。
 だが、すんでの所でシャーニッドが横へと移動したために軽い切り傷一つを付けることしかできなかった。
 前回の試合の手応えから、殺せると確信していただけに少々誇りを傷付けられた。

「ままま、待ってレイチェルちゃん」

 こちらを振り向いたシャーニッドが、血の気の引いた顔で懇願しているが、当然そんな物で収まる精神状態にはないのだ。
 右手で刀を持ち、切っ先を下に向けたまま言葉を放つ。

「天国を追い出された天使は、悪魔になるしかないんだ。そう思うだろうシャーニッド」
「ま、まて!! 俺は銃使いだしレイチェルちゃんは刀使いだけれど、そのキャラはやばすぎるから!!」

 自分の顔が、もろに殺人鬼のそれであることを認識しつつ、レイチェルは間合いにシャーニッドを捉える。
 折角レイフォンを落とす方法が見付かるかも知れないと思っていたのに、練習に来ないシャーニッドを斬り殺さなければ収まらないのだ。
 必要以上に、口元が凶暴に歪むのを感じる。
 自分以外の誰かの血を欲する本能が、今レイチェルを加速させ続けているのだ。
 そして、間合いの内側へと捉える。
 凍り付いた表情なのは頂けないが、今のレイチェルに止まるという選択肢こそ存在していない。
 せめて恐怖を押し殺して軽口の一つや二つは叩いてもらいたいのだが、無い物ねだりでしかないのだろう。
 切っ先を持ち上げ、切り下ろすと宣言したまさにその瞬間。

「そこまでにするようにね」
「うひゃぁぁ!!」

 突如としてレイフォンの声が後ろで聞こえたかと思った瞬間に、背中を何か冷たい物が駆け下りて行く。
 比喩的表現ではない。
 明らかに、物理現象として何か冷たい物が背中を駆け下りて行き、そしてベルトのところで蟠る。
 その冷たさが、ベルトを越えておしりの方へと垂れ下がるように下って行くのを感じて、そして気が付く。
 背中に氷を入れられたのだと。
 慌てて振り返ると、何時も通りのレイフォンが紙コップを手に佇んでいた。
 何処かで買ってきたジュースに入っていた氷を放り込んだのに違いない。

「にに、にいさん!!」
「原因は分からないけれど、やばすぎるキャラは禁止ね」

 心臓が猛烈にダッシュしているのを感じつつ、慌ててシャーニッドへと視線を戻す。
 遠の昔に逃げていた。
 狩り損ねてしまったようだ。

「だ、だって!」
「練習に出てこないからってやばすぎるキャラは駄目でしょう」
「ちがうもん!!」

 目的はあくまでもレイフォンであり、シャーニッドはその手段でしかない。
 ふとここで、もう一つ手段があることに気が付いた。

「っひぃぃぃ」

 一緒にいた女生徒へ視線を向けると、悲鳴を上げて失神してしまった。
 そんなに恐い訳はないと思うのだが、現実問題として女生徒は意識を失ってしまっているのだ。

「・・・・えっと」
「取り敢えず近くの病院に運び込もう」
「そうだね」

 シャーニッドを仕留め損ねるし余計な仕事まで舞い込むしと、ついていない一日であった。
 
 
 
 
 
 レイチェルがいなくなって暫くしてから、息せき切ったシャーニッドが訓練場に逃げ込んできた。
 やって来たと表現するにはシャーニッドの表情があまりにも切羽詰まっていたし、その呼吸は完璧に乱れていた。

「どうしたシャーニッド?」
「くんれん!! 訓練をしようニーナ!!」
「ど、どうしたんだ!!」

 普段のシャーニッドからは想像も出来ない態度に、恐ろしいまでの衝撃を受けてしまった。
 あえて表現するならば、完璧に手紙を書いたと思ったら、自分の名前を間違えて書いてしまっていたことを発見した時くらいの衝撃を受けてしまった。
 人生でこれほどの衝撃を受けたのは、ずいぶんと久しぶりのような気がするが、実はそうでもないことに気が付いた。
 アルセイフ小隊の面々と付き合っていると、この程度のことは割とよく起こるのだ。
 と、ここまで考えて気が付く。

「レイチェル」
「うわぁぁ!! ニーナ!! おれどうしよう!!」
「ま、まて!!」

 いきなり、泣きながら抱きつかれた。
 よほど恐い思いをしたのだろう事は分かるが、それがどんな物かまでは分からない。

「くすくす。やばすぎる刀使いに追われているのですか?」
「フレデリック? なにかしっているのかぁぁぁぁ?」

 気が付くとシャーニッドが胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。
 あまりにもあまりな展開のため、驚愕で身体が動かなくなってしまった。
 それを見て笑いを堪えているらしいフレデリックがうっとうしいが、今はどうすることも出来ない。

「落ち着け兎に角!! 何が有ったか話せ!!」
「やばすぎる刀使いに追われてるんだぁぁぁぁ!!」
「それは分かったから!!」

 フレデリックの台詞でそこまでは理解しているのだが、その先を聞き出すのが一苦労だった。
 何よりも先に、胸に顔を埋めて泣きじゃくるシャーニッドを引き剥がすことから始めなければならず、フレデリックの助けが借りられないために恐ろしいまでの疲労を身体に刻んでしまった。
 その後、経緯を聞いたのだが、真剣に殺しに来たレイチェルが恐ろしかったことだけが理解できたという散々の結果だった。
 全てを聞き終わった頃になって、訓練室の扉が開き、そして刀使いが現れた。

「ひぃぃ」

 情けない悲鳴を上げて逃げ惑うシャーニッドの側頭部を蹴りつけ黙らせる。
 話が先に進まないのだ。
 ちなみに言うのだが、刀使いと言ってもやばすぎるキャラとやらではなく、そのお兄さんだ。

「申し訳ありません。妹がご迷惑をおかけしたようで」
「いや。サボりがちな隊員のしつけを出来ていない私にも責任がある」

 上級生をしつけるという難題を放置していた自分にも責任があることは間違いないが、シャーニッド自身の問題が大きいのも事実だと思う。
 レイチェルの責任は、まあ、暴走してしまったことだろうと思うのだ。

「一応レイチェルには釘を刺しておきましたから、多分大丈夫だと思うので連れてきました」
「ひいぃぃ」

 そんな事を聞いたら、当然のことではあるのだが、現在のシャーニッドが平静を保てるわけがない。
 情けない悲鳴を上げてフレデリックの後ろへと隠れる。
 いや。むしろしがみついている。

「僕を盾にして何か得があるのですか?」
「一緒に死んでくれ!!」
「お断りです」

 もしレイチェルが本気だったら、二人を一刀のもとに斬り殺すことなど容易だろう。
 怯えているのが女性であり、盾にされてるのが男だったら、きっと本望だと言える状況なのだろうが、生憎と二人とも男であるので全く色っぽさはない。
 いや。

「これは性差別に当たるのだろうか?」

 そんな疑問が浮かんできたが、問題はそこではない。
 現実問題としては、未だに十分危険な空気を纏ったレイチェルが訓練室へと入って来ている。
 しかも、シャーニッドが逃走できるとしたらそれはレイチェルが今、立っている出入り口だけである。
 つまり、袋のネズミ。

「安心して下さいシャーニッド。今すぐには殺しませんから」
「結局殺すのか!!」
「楽に死にたければ、兄さんを落とす手伝いをして下さ!!」

 レイチェルの言葉を遮ったのは、何処から取り出したか全く不明であるのだが、レイフォンが振り下ろしたスリッパだった。
 小気味よい音がしたが、それは本題とは何ら関係が無いので無視することとする。
 問題はシャーニッドが楽に死ねるかどうかで・・・・。

「い、いや。私はみすみす部下を死なせたりせん」
「それはつま!!」

 二発目のスリッパがレイチェルの後頭部へと襲いかかり、少しだけ大人しくなった。
 まあ、すぐに復活してしまうことだろうが、話が前進するのはよいことだ。

「でだが」
「取り敢えず僕が訓練を見ることにしました。レイチェルでは何時やばすぎるキャラになるか分からないので」
「手間がかかるな、お互いに」

 妙なところで共感を得てしまったが、これで少しだけ気が楽になった。
 シャーニッドのサボり癖が治るかも知れないと言う意味に置いて。
 残念なことに、レイフォンという最強の武芸者に学べることを喜ぶことは出来なかった。
 何時やばすぎるキャラになるか分からないおまけがいる状況では、喜ぶことなど出来るはずがないのだ。
 
 
 
 
 
 今日も今日とてエンリコはメイシェン達と一緒だった。
 別段甘い展開というわけではない。
 いや。ある意味甘い展開ではある。
 武芸と食べることだけに熱心だと言われるエンリコだが、最近は料理を作ることにも情熱を傾けつつあるのだ。
 惰眠を貪るついでにやっていると、そうロレンツォ辺りは言っているが、それでもメイシェン達と買い物に出掛け、そして一緒にお菓子や料理を作るという生活を続けている。

「ふむ。留学というのは割と有意義な体験かも知れないな」
「体験じゃなくって経験だと思うぞ?」
「気にするな茶髪猫。俺は考えるのは嫌いだ」
「起きている間も惰眠貪ってないかい?」
「貪って何が悪い?」
「悪いだろう!! 普通!!」

 万事この調子である。
 何故世界はこうも騒々しいのだろうかと思う。
 静かで平穏で、惰眠を貪りつつ料理したり食事したり出来ないのだろうかと。
 だが、ふと考え直す。
 汚染獣と戦えないのはかなり寂しいと。

「ふむ。そうすると俺はかなりの我が儘と言う事になるのか」
「今頃気が付いたのか!!」
「気が付いただけ偉いと思わないか?」
「自分で言っている間は駄目だろう」
「そうかもしれんな」

 だがそれは大した問題ではない。
 人生は長いのだから、のんびりと生きてゆっくりと死ねばいいのだ。
 もちろん惰眠を貪りつつ美味い物を食べつつ。
 ついでに汚染獣と戦いつつ、何時か来るその瞬間まで適当に生きて行けばいいのだ。
 そのためにはあらゆる努力を惜しまないつもりだったが、最近は騒々しい日常が普通になりつつある。
 だが、だが、あえてエンリコはこう豪語する。

「神は天にあり、世はなべて事も無し」
「いきなりどうした? とうとう惰眠菌が脳を浸食し尽くしたか?」
「ふむ。それが存在しているのならば、俺こそが惰眠菌だろう」
「・・・・・・・・・・・」
「? 何故黙る?」

 突如の沈黙に意表を突かれてしまった。
 こんな事はツェルニに来て初めてである。
 当然の様に反撃があると思っていたのに、まさかの沈黙などと言う事実に、思わず心と身体の動きが止まってしまった。
 ついでのようだが、少し先を行くリーリンとメイシェン、それとナルキの動きも止まっている。
 まるで、エンリコ以外の時間が止まってしまったかのように。

「コンコン?」
「お? なんだ茶髪猫?」
「自分で言っていて情けないとは思わないのかい?」
「? いや。まったくぜんぜんこれっぽっちも」

 ミィフィが何を言いたいのか全く理解できない。
 だが、前を行く三人も似たような状況になりつつあることを考えるとエンリコは何かとんでもない失敗をしてしまった危険性が高い。
 どんな失敗かはさっぱり分からないが。

「理解してもらえたかな? レイフォンだけじゃないって」
「ああ。これは留学中に何とかしないとかなり拙いだろうと思う」
「あ、あう」

 そんな会話が聞こえているのだが、エンリコにはさっぱり意味が分からないのであった。
 
 
 
 
 
 このところの習慣として、授業が終わると出来る限り急いでゴルネオの元を訪れるようにしている。
 目的は、ヘタレなのに子供を作ってしまったその秘訣を聞くためではない。
 純粋にルッケンス流の技を身体に刻みたいからである。
 と言うのは全て立前だったりする。

「あらいらっしゃい」
「お邪魔します」

 そして何時もの出来事として、出迎えてくれるのは奥さんであるシャンテだ。
 エプロンをきっちりと装備して、剣帯に錬金鋼を納め、子供を抱えつつなにやら訓練をしているという器用さである。
 始めて見た時には少々驚いたが、この程度で何時までも引いているようには出来ていないのだ。
 そして、何時ものことではあるのだが、ゴルネオがいない。

「ゴルなら今頃は練武館にいると思うんだけれど」
「やはりそっちですか。取り敢えず子供の面倒は俺が見ていますんで」
「何時も有り難う」

 実を言うと、ゴルネオがここにいないことは百も承知なのである。
 であるにもかかわらず、毎回シャンテとやりとりをしているのは何を隠そう、二人の子供に興味津々なのである。
 ロレンツォ自身弟や妹がいるために子守はある程度の技量を持っているが、もう少し上げておいても良いのではないかと思うのだ。
 別段、近々父親になる予定などはないのだが、何時なっても良いようにはしておきたいのだ。
 あるいは、念願かなってレイチェルが身籠もるとか、イサキがご懐妊してしまうとかの時に、役に立てれば儲け物だと思うのだ。
 それが良いことかどうかという問題には目を瞑り、ロレンツォは子守に精を出す。

「いや。エンリコという線もあるか」

 色々と腐れ縁であるエンリコが父親になった場合、その子守をしてやるのも一興だろうと思うのだ。
 本人はとてつもなく嫌がるだろうが、それでこそやりがいがあるという物だ。


  解説!!
やばすぎるキャラというのは、昔懐かしアニメ、カウボーイビバップに登場するビシャスです。
一時期、復活シリーズのサヴァリスを、ビシャスをモデルに改造しようかと思っていましたが、あまりにも危険すぎるので断念したという事情があり、ここにその片鱗を登場させました。
 
 
 
  後書きに代えて。
さてさて、ずいぶん久しぶりの投稿となりました。
お待ち頂いた方にはお待たせ様でした。
そうでもない方は、それなりに楽しんで下さい。

ちなみに、隊長シリーズはここでお終いとなります。
完全に書くのに詰まってしまったのと、レギオス作品を書き続ける自信が無くなってしまったからです。

ちなみに、復活シリーズは、来週更新します。こちらはとりあえず完結しますのでお楽しみに。


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