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[18469] ストライクウィッチーズ スミレ色の飛行隊(オリキャラのみ)
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:52cbf251
Date: 2010/11/14 11:32
はじめに
これが処女作になります。
至らない点、見苦しい点が多々あるかと思いますが、生温かく見ていただければ幸いです。
よろしくお願いします。

注意
・これはストライクウィッチーズの二次創作です
・全てオリジナルキャラで構成されています
・原作キャラは出て来ません
・作者の独自解釈、独自設定を大量に含みます
以上の点にご注意の上、お読みください。

2010年4月29日 プロローグ、一話投稿
2010年5月16日 チラ裏より移動、二話投稿
2010年6月12日 三話投稿
2010年7月29日 題名を「片羽(仮)」から「スミレ色の飛行隊」に変更。四話投稿
2010年9月16日 五話投稿
2010年11月14日 六話投稿


ブログ↓
「冥導寺」にて検索願います



[18469] プロローグ
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:9f0ebdc4
Date: 2010/04/29 23:34
(空が…きれい…)
少女はぼんやりと思った。
いつもと何ら変わらない透き通った夏空。どこにでもありふれた夏の景色。
珍しいものではない。
ましてや少女は海軍航空歩兵として空母に搭乗している。
航空歩兵ともなれば訓練に、戦闘に、空模様を眺める機会などいくらでもある。その中で『綺麗な空』など度々あったことだろう。
しかし、少女はこの時初めて『空が綺麗』だと思った。
『長谷川少尉、被弾!』
『長谷川!立て直せ!返事をしろ、長谷川!』
無線を通して少女を呼ぶ声が聞こえる。
しかし、その声は少女の耳に届いていない。
少女にとって、もはや仲間の呼びかけなど認識の外であり、どうでも良いものだった。
今はただ、自分が飛んでいた空が、戦っていた空が、あまりにも綺麗で…。
そしてそれに気付けなかった自分が、あまりにも滑稽で…。
(どうして気付かなかったんだろう…)
思わず自嘲してしまう。
ネウロイの攻撃により傷付き、海面に向かって落下していることさえも忘れて見入っていた。
絶え間なく吼える機銃の射撃音も、プロペラが大気を切り裂く音も、魔導エンジンが上げる甲高い唸りも、仲間を鼓舞する声も、助けを求める恐怖に駆られた叫びも、もはや少女の耳には届かない。
いや、聞こえていないのではなく、現実ではなくなってしまったのかもしれない。
(空がこんなにキレイだったなんて…)
少女は落下し続ける。その時間は永遠にも感じられる。
しかし、物理法則は裏切ることなく少女の体を海面に導いていく。
(知らなかった…)
少女は急激に遠ざかる空を見続ける。雲を、太陽を見続ける。
その全てを慈しむように。
『長谷川少尉、墜落!』



[18469] 春、扶桑海にて
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:52cbf251
Date: 2010/04/29 22:34
 航空母艦『祥鳳』。
全長205.5メートル、全幅18メートル。飛行甲板長180メートル、幅23メートル。排水量11.200トン。最高速度28ノット。艦上戦闘機12機、艦上攻撃機4機、ウィッチ4名を搭載。乗員785名。
当初、給油艦として計画されていた本艦は、建造中に潜水母艦へ計画が変更される。
しかし「扶桑海事変」により状況は変化する。
本土上空へのネウロイが飛来するという可能性は、官民を問わず全国民にその脅威を現実のものとした。
報道管制が敷かれていた一般国民は、時間が経つにつれ楽観視する意見が大勢を占め、大きな混乱になることはなかったが軍部は違っていた。
撃退に成功こそしたものの、ネウロイの能力は当初の予想を上回るものだった。
またウィッチによる迎撃も効率的に行われたとは言えず、ウィッチを主軸に置いた防衛体制作りが求められた。
これを受け「海上でネウロイを撃破し、本土に上陸させない」という水際防衛の基本方針が示されることになる。
この方針により「海軍航空歩兵による第一次迎撃」と「航空母艦を用いた哨戒網の強化」が計画されることになる。
しかし扶桑は四方を海に囲まれた島国であり、全域をカバーするには航空歩兵も空母も数が不足していた。
航空歩兵に関しては幸いなことに志願者が急増しており、人員確保の点では問題は無かった。
しかし空母は建造から就役まで時間が掛かる。また建造費もさることながら、維持、運用コストも他の艦艇に比べ高額になる。
しかしネウロイの脅威が現実のものとなった今、防空網の強化は急務であった。
このような状況で生まれたのが「建造中の大型艦船を空母に改装する」という計画である。
これなら新造に比べ工期も費用も圧縮できる。
これにより建造中、計画中の艦船の多くは改修、計画変更の対象となる。
もとより航空母艦として設計されたものではないため、搭載量等で当初の計画を満たせないものもあったが、「海上でのネウロイの斬減」と「哨戒網の強化」は果たすことが出来る。それらの艦をつなぎとし、新たな空母を建造することとされた。
この『祥鳳』もそうした「つなぎ」の一隻だった。
計画通りにより大型で戦力投射能力が高い空母が建造されるに従い、主力艦隊の編成から外れるようになり、現在は『哨戒網の穴埋め』として運用されている。
その船体が穏やかな水面を押しのけるように白波を立て、海原を進んでゆく。
両脇には駆逐艦『風雲』『巻雲』が寄り添うように航行し、周囲に警戒の目を光らせている。
波ひとつない海面。爽やかなそよ風。
長い冬が終わり、春を迎えた扶桑海は実に穏やかだった。
その穏やかな海は乗組員の心身を弛緩させるに十分なものだった。

「小隊長…起きてください。長谷川小隊長…」
有井都二等飛行兵曹がベッドの中で丸まっている少女を、起こそうと悪戦苦闘している。
状況開始からすでに15分。
ベッドの主は未だ起きる気配がない。
「小隊長、お願いです!お願いですから早く起きてください」
きれいに切りそろえられたおかっぱ頭と、見事なまでの幼児体型を小刻みに震わせて懇願し続ける。もはや泣きそう、いや涙目になっている。
涙声で鼻をすすりながらも懇願を続ける。
「…もうすぐ…飛行訓練の…時間です。…遅れると…また艦長が…」
そこまで言うと、耐え切れずに涙が零れ落ちる。
「…小隊長」
「…ん~」
ベッドからわずかとはいえ、初めて反応が返ってきた。
有井はそのわずかな反応に希望を見い出し、表情に明るさを取り戻す。
「…ダ~ル~い~」
「へ?」
続けてベッドから放たれる言葉に目が点になる。
小隊長と呼ばれていた少女、長谷川美鶴中尉が毛布からもぞもぞと頭だけを出す。
普段はストレートに伸ばした黒髪が綺麗なのだが、今はひどい寝癖で見る影もない。容姿は特別美人というわけでも、かわいいわけでもなく、ごく普通の顔立ちに凡庸なスタイル。
どこにでも居そうな普通の扶桑人少女。
それが長谷川だった。
焦点の定まっていない目を有井にむける。
「…有井二飛曹」
「ハイ…」
いぶかしみながらも返事をする。
「今日は熱発就寝ってことでよろしく…」
言うが早いか再び毛布を頭からかぶる。
思考停止に陥る有井二飛曹。
再び夢の世界へ旅立とうとする小隊長こと、長谷川中尉。
「ちょっ、ちょ、…小隊長ー!」
思考を回復させた有井がベッドにすがり付く。
「後生です!小隊長!後生ですから起きてください!」
「んっ、がー!うるさいわよ!寝れないじゃない!」
泣き喚く有井を引き剥がそうとするが、毛布に包まっているという悪条件。加えて有井は全体重をかけてのしかかってきて、振り払えない。
「もう訓練開始の時間なんです!遅れるとまた艦長に!艦長に!」
「あの変態なんぞ、知ったことか!」
「また見た事のない怪しげな服を用意してるんです!『お仕置き』とか言って着せられるのは私なんですよ!」
先程までの有井とは思えないほどの声量で悲痛な叫びを上げる。
「…いや、私は着ないし…ねっ☆」
困惑の表情を浮かべながらも、努めて明るく答える長谷川。
それが有井の怒りに火を点ける。
「そうですよ!なんで、小隊長だけいつも着ないんですか!?おかしいですよ!いつも他の乗員から変な目で見られるのは私たちなんですよ!」
「いや…まぁ、かわいいって評判だからいいじゃない…。私は…似合わないし」
ふっ、と長谷川の表情にかげりがさす。
「小隊長だって着れば良いんです!似合います。かわいいですよ…」
有井も言ってはみたものの、その声はか細くなっていく。
長谷川の脚がある辺りを視線が彷徨い、そのまま俯いてしまう。
「かわいいですよ…」
もう一度つぶやく。
長谷川はそんな有井を見て、ため息をつく。
そうして慈愛に満ちた眼差しと共に、やさしく声を掛ける。
「いいのよ。有井が悲しむ事じゃないわ」
有井は俯いたまま何も答えない。
「有井二飛曹」
「…はい」
「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
長谷川はゆっくりと毛布をかぶり直す。

……
………
「ちょ、や、ち、違う、違います!それとこれとは話が違いますよ!お~き~て~く~だ~さ~い~」
「チッ」
再びベッド上の攻防が開始される。
「有井二飛曹」
ふと部屋の入り口から声を掛けられる。
「青島飛曹長…」
振り返るとあきれ顔の少女が立っている。
青島蘭飛行兵曹長。少し釣りあがった目と整った顔立ち。小振りではあるものの、形の綺麗な双丘。軽く伸ばした髪は三つ編みにしてひとつにまとめている。
「有井。長谷川中尉を甘やかしたらダメ。問答無用で実力行使!」
ツカツカとベッドに歩み寄ると、勢い良く毛布を剥ぎ取る。
「うおっ!?」
「ほら、簡単でしょ」
ベッドから転がり落ちそうになる長谷川。動じた様子も無く有井に笑顔を向ける青島。
「それと長谷川中尉。仮にも『女の子』なんですから、もう少し愛らしい悲鳴をあげていただくよう具申いたします」
「朝のあいさつがそれかぁ?青島ぁ?」
こめかみを痙攣させながら長谷川が体を起こす。
しかし青島は何事も無かったように、有井に声を掛ける。
「有井。ここはいいから格納庫に行きなさい。機付長が待ってるから」
「え、…で、でも…」
「大丈夫だから」
「…はい」
二度三度と振り返りながら部屋を出て行く。
その姿を見届けると長谷川に体を向ける。
「あまり有井をイジメないでください」
怒られた。
長い吐息と共に長谷川はそっぽを向く。
「すまんな。可愛くて、ついイジってしまう…」
青島も分かると言わんばかりに苦笑をもって答える。
「さて。長谷川中尉。時間だけは厳しいままなのですが?」
「分かってる」
長谷川はベッドの縁に体を寄せる。
見ると定位置にあるはずの物がない。見回すと少し離れたところに転がっている。先程のドタバタで蹴飛ばされでもしたのだろう。
「青島、足とって」
「ん?ああ、はい。どうぞ」
そう言って義足を渡す。
長谷川には左足が無い。ネウロイとの戦闘の際に撃墜され、失っている。
金属製の無骨な義足ではあるが、今では欠くことの出来ない体の一部になっている。
脚を失った当初は、退役を勧められた。
通常よりも条件の良い傷痍軍人手当てを提示してくれたし、他に十分な額の保証金も出すと言ってくれた。冗談だとは思うが勲章の話もあった。
贅沢な生活さえしなければ、一生涯困ることの無いだけの金額と名誉。
普通なら迷うことの無い選択だった。
しかし、その時は空を飛ぶことを、戦うことしか考えられなかった。
それらを丁重に断り、前線への復帰を希望した。
周囲は困惑したが、実戦経験のあるウィッチは軍にとって貴重だ。
話が二転三転してようやく今の配属が決まった。
哨戒網強化のために新編された部隊だった。
最前線ではないものの、長谷川には十分に感じられた。
今の暮らしも案外悪くない。
「さて、行こうか」
手早く着替えを済ませ、青島に声を掛ける。
「で、あの変態艦長はどんなのを用意したわけ?」
「はぁ、なんと言うか黒い布に…白いヒラヒラが付いてました」
「何それ?喪服?」
二人は頭をひねらせながら、格納庫へと歩き出した。


格納庫。
「訓練開始…また遅れましたね…」
ストライカーユニットの発進ユニットに座る有井が、憂鬱そうにつぶやく。
「あはははは、そうだね~」
有井の隣に座る少女が能天気に笑う。
今井少尉。ショートカットがよく似合うのだが、クセッ毛のためあちこちピンっと跳ねている。もう少し伸ばしてみたいのだが、髪質のためにあきらめている。部隊のお母さん的存在で、発育も一番良い。
「また艦長に変なの着せられるんでしょうか…」
「そうだね~、そしたらまた写真撮ってあげるね♪カメラ用意しなきゃ♪」
「ひっ!?」
有井の気持ちなどお構いなしに、にこやかな笑みを向ける。
いつもなら今井の笑みに癒されるのだが、今は悪魔の微笑みにしか見えない。
「大丈夫、都はかわいいから似合うわよ~」
まぶしい笑顔で有井をほめる。
かわいいの一言で、俯いて赤くなる有井。
恥ずかしさが恐怖を彼方へと追いやる。
今井の眼光が一瞬だけ猛禽類のそれになる。
(これで今回は着てくれるかなぁ?)
艦長は何かにつけて『おしおき』と称し様々な衣装を着せようとするが、その成功率は高くは無い。
あまりに奇抜なものだと彼女達だけでなく、参謀をはじめとする他の男性乗組員から「かわいそうだ」だの「やりすぎ」と総スカンを喰らう。
彼ら乗組員にとってウィッチは『ネウロイに対抗できる兵器』では無く、愛すべき『妹』であり『アイドル』であると言える。
本当は『守ってあげたい』のだが『守られている』現実。ならば「せめて何かを」との思いが、彼らを職務に打ち込ませる。
彼女達のためと思えば、死地に赴くことさえいとわないのだ。
そんな彼らはウィッチの嫌がることはしない。するはずがないのだ。
もっともそんなことをすれば士官から叱責を受け、さらに兵曹長からも『分かるようになる』まで『反省』を求められ、己が体を用いて『話し合い』が行われることになる。
しかし彼らも人の子。
溺愛する『妹』が可愛らしく着飾る姿に心突き動かされぬ道理は無い。
その心意気は『晴れ着を着る妹を愛でる兄』そのものである。
結果として今井の撮る写真は評判となり、購入を希望する者が後を絶たない。
(後で主計長と相談しないとねぇ)
今井は一人ほくそ笑む。
購入希望者があまりに多くなりすぎたため、主計課にブロマイド販売を委託したのだ。
主計長はこれを快諾し、今や馬鹿にならない副収入となっている。
見回せば整備員や航空勤務者の何人かは、ちらちらとこちらの様子を伺っている。
もはや挙動不審の者もいる。
今井はそばに居た機付整備員に目配せする。
整備員は音も無く近づくと、声をひそめて話す。
「カメラ準備ヨシ。フィルムは三本で良いか?」
「せめて四本ほしいな」
「次の寄港まで間がある。大丈夫か?」
「次も着てくれるとは限らないし…」
「…分かった」
音も無く去って行く。
この時点ではまだ着るとも決まっていないのだが、準備だけは念入りに進めておく。
有井はこちらの様子に気付くことなく、おろおろと長谷川たちの到着を待っている。
(かわいいのよねぇ)
一人ニヤついた笑みを浮かべる今井だった。


数分後。
長谷川が青島を伴い、格納庫に入ってきた。
そして気の抜けた声で発進ユニットで待機する今井と有井に問いかける。
「よ~し、飛ぶとしますか。準備は?」
「あとは美鶴だけよ」
苦笑する今井。
青島を見るとすぐにでも出れる体勢になっている。
どうやら準備を終えてから、起こしに来てくれたようだ。
「そう。じゃ、少し待ってて」
自分のストライカーユニットがある発進ユニットへ。
零式艦上戦闘脚二一型。
欧州派遣部隊が使用していた「十二試艦上戦闘脚」は格闘能力、航続距離などの優れた性能を各国の軍関係者に見せ付け、賞賛を浴びた。
その後「零式艦上戦闘脚一一型」として扶桑皇国海軍に制式採用されるのだが、先行量産型的な機体であり、生産機数は多くはない。
また使用部隊からも細かな改善要求があり、それら改善点を盛り込み作られたのが「零式艦上戦闘脚二一型」だった。
装着前に目視点検。
異常は見受けられない。
傍らに立つ機付長に目を向けると、ぶっきらぼうに説明してくれる。
「注文通り。左だけレスポンスを良くしといた」
「ありがと。他は?」
「いつも通り。異常なし。良く回る」
ニヤリと答える。
長谷川も口の端を軽く持ち上げ、不敵な笑みでこれに答える。
踵を返し、発進ユニットのハシゴを上がる。
ストライカーユニットに足を入れ、起動確認。異常ナシ。
フラップ可動。異常ナシ。
「発艦準備!」
長谷川の号令で整備員たちが発進ユニットをエレベーターへと押して行く。
四基の発進ユニットはエレベーターで甲板へ。
甲板に出ると春の穏やかな日差しが少女たちを出迎える。
頬をなでる潮風が心地よい。
甲板要員が駆け寄り、整備員と共に発進ユニットを発艦位置へと押して行く。
長谷川はわずかに緩ませた顔を引き締め直し、小隊長としての責務を果たすべく号令を掛ける。
「魔動機始動!」
号令と共に栄一二型魔動機に魔力が注がれ、特有のエンジン音が響き渡る。
呪符発生器から三枚の呪符が現れ、大気中のエーテルを掴み、切り裂こうと力強く回り始める。
魔動機全体に熱が行き渡るのをしばし待つ。
規定の回転数でアイドリングが安定する。咳き込んでもいない。
「油圧」
長谷川は声を上げ、発進ユニット側でモニターする整備員と異常が無いか確認する。
「正常」
「油温」
「正常」
「電圧」
「正常」
「燃料」
「規定量。燃料弁開放確認。異常ナシ」
「方針儀」
「異常ナシ」
ストライカーユニットに異常ナシ。
発進ユニットから武装が引き出される。
九九式一号二型一三mm機関銃。
元々は航空機搭載用として作られた機銃である。
扶桑海事変までの海軍航空歩兵の主力火器は7.7mm機関銃であったが、威力が弱く「撃墜までに時間がかかる」といった問題が指摘されていた。
その問題を解決すべく航空歩兵用に転用された火器の一つだ。
長谷川は九九式機関銃を掴み上げる。
槓桿を引き、薬室が空であることを確認。異常ナシ。槓桿を戻す。
外観を見回し各部に緩み等がないかを確認。異常ナシ。
引き金、切り替え軸等の可動部を動かしてみる。異常ナシ。
続いて照門から照星を覗く。ヨシ。
弾倉を受け取り、弾種確認。模擬弾が装填されている。弾倉を装着。
別の整備員から無線機を受け取り装着。引き続き無線機の点検に移る。
「スミレ1よりスミレ各機へ。スミレ1よりスミレ各機へ。感、明どうか?」
「スミレ2。感、明良し」今井が朗らかに答える。
「スミレ3。感度良し。明度良し。異常ナシ」青島が生真面目に答える。
「すめ…スミレ4。感度良し。明度良し。異常ナシ」有井は舌を噛んだようだ。
小隊全員の発艦準備が整ったことを確認し、艦橋を呼び出す。
「スミレ1より八重桜。感、明どうか?」
『八重桜よりスミレ1。感度ヨシ。明度ヨシ。送レ』
艦橋の通信員が答える。
「スミレ各機。発艦準備ヨシ。送レ」
『八重桜了解。スミレ各機、現状にて待機。以上』
「スミレ1了解」


祥鳳艦橋。
祥鳳の艦橋は飛行甲板の上ではなく下にある。
そのため暗く、見通しも悪い。
その暗がりの中、艦長の石崎は一人物思いにふけっていた。
傍から見ると艦の安全のために周囲に目を光らせているようにも見える。
(今度の服はきっと気に入ってくれる)
しかし考えているのは、この後着せようとしている服のことだった。
今回用意した服は清楚で、可憐だ。
少々地味な感じではあるが、決して破廉恥な物ではない。
気に入ってもらえる自信はあるのだが、過去の成功率の低さから少々気弱になる。
(今までとは違う。大丈夫、大丈夫だ…)
心の中で自身を叱咤激励する。
が、力なく尻すぼみになっていく。
(しかし今回もダメだったら…今度こそ嫌われるのではないか…)
石崎の表情が歪む。
彼にとってウィッチに嫌われるなどあってはならない事態だった。
だがウィッチが可愛らしい衣装で空を駆け、可憐に戦う姿を見たいという思いが、迷いを断ち切る。
(着せる!)
不退転の決意。
そこに木山航空参謀が声を掛ける。
「艦長。航空歩兵の準備整いました」
「よし。取舵。回頭ハジメ」
石崎の号令一過。操舵員が復唱し舵を切る。
「とりかーじ!」
風上に向け艦首が向きを変え始める。
扶桑海軍の空母にはカタパルトが無い。
また船という制約上、滑走距離も十分に取れない。
そのため発艦時には風上に向かって航行する。
これは向かい風を利用するためだ。
向かい風に艦自体の速度と艦載機の離陸速度を足せばより強い向かい風になる。
この強い向い風こそが、揚力を得るために必要なのだ。
このように揚力を得ることにより、短い飛行甲板での離着艦が可能となる。
艦が風上に向いたことを確認し、石崎はさらに号令を掛ける。
「発艦ハジメ!」

艦橋からの命令を受け、甲板上の発着係士官が発艦を指示する。
エンジンの回転数を上げ、発進ユニットの拘束が解かれるのを待つ。
足元に魔方陣が展開される。
「拘束解除」
整備員がストライカーユニットの固定を外す。
体がわずかに沈み込むが、ギリギリの所で止め、そのまま加速に移る。
飛行甲板をなめるような高度で滑走して行く。
両舷の各所に設置された作業員控え所から、甲板要員が帽子を振っている様子が目に入る。
しかしそれも一瞬。
加速を続ける長谷川たちの視界からすぐに消えてしまう。
規定速度に達すると体を起こし、飛び上がるように発艦。
祥鳳が急速に遠ざかって行く。
長谷川はある程度の高度を取ると、わずかに後ろを振り返り全員が飛び立ったことを確認する。
今井、青島は危な気なくついて来ている。
有井が少しヨタついているが問題なさそうだ。
「高度三千で編隊を組む。その後に反転。訓練空域に向かう」
いかにもやる気がないと言わんばかりの声色で各機に告げる。
事実、長谷川は訓練を面倒だと感じていた。
訓練空域に針路変更した後は、短い空中散歩を楽しもうと考える長谷川だった。


訓練空域に到着すると、仮想敵を務める九九式艦戦八機が標的となる吹流しを曳航して待機していた。
無線で呼びかける。
「スミレ1より雷鳥1へ。待たせたわね」
『雷鳥1からスミレ1。遅いぞ!毎度、毎度当たり前のように遅れやがって!』
艦戦隊の指揮を執る藤田大尉が堰を切ったように怒鳴り散らす。
「女の子は準備に時間が掛かるのよ」
反省の色もなく、投げやりに答える。
『お前が女の子ってガラか!とにかく始めるぞ!』
「りょ~か~い」
間延びした声で適当に答える。
今回の訓練は編隊を組んでの戦闘が主目的で、模擬空戦ではない。
そのため長谷川たちは吹流しを付けていない。
要するに「仲間と一緒に追っかけ回して、撃ち落す」もので相手からの反撃はない。
標的役には面白味に欠ける訓練だった。
『昨日の打ち合わせ通りな』
「了解。……?」
『状況開始!』
九九式艦戦が旋回を止め、こちらに向かってくる。
槓桿を引き、薬室に初弾を送り込む。
安全装置を解除。
(…反航戦からでよかったかな?)
昨日の打ち合わせを思い出そうとするが、適当に聞いていたせいか思い出せない。
長谷川はおぼろげな記憶を頼りに小隊を指揮する。
そして艦戦隊の正面に躍り出る。
今井は面白くなってきたと言わんばかりに笑みを浮かべ。
青島は長いため息を吐き、仕方ないといった表情で追従する。
有井は混乱し、反応が遅れるが必死で編隊に追いすがる。
そして怒号。
『待て!この馬鹿!』
藤田大尉の制止もむなしく、編隊のど真ん中を長谷川たちが突き抜けていく。
予想外の出来事に戸惑う艦戦搭乗員。
とっさに回避機動を行うが、編隊が崩れる。
「あれ?違った?」
『違うわ!ボケェ!』
さも不思議そうに小首をかしげる。
が、藤田大尉は怒り心頭だ。
『お前ら!「反転降下からの追撃」だっただろーが!』
「スミレ1より各機。敵の編隊が崩れたら、速やかに追撃に移るように。我ニ続ケ」
何事も無かったように藤田の言葉を聞き流し、やる気のない命令を下す。
同時に上体を起こし、旋回開始。
揃えていた両足を交差させ、縦方向にベクトルを加える。
空戦フラップ展開。
フラップが風を掴み、強力な抵抗となって体をさらに持ち上げていく。
フラップを軸にして体がひっくり返り、背面飛行へ。
天地が逆になったところでスロットを絞る。
視界の端で後続を確認。
(全開は無理か…)
自分の編隊から少し飛び出したらしい。
スロットをわずかに戻し加速を抑える。
ロールして仰向けになった体を元に戻す。
再度、後続を確認すると有井が定位置に着くところだった。
「突レ、突レ」
間髪入れずに突撃を下命。相変わらずヤル気が感じられない。
スロットを全開に叩き込み加速開始。
魔道エンジン「栄一二型」が唸りを上げ、甲高い咆哮を撒き散らす。
プロペラ状の呪符もエンジンの鼓動に合わせピッチ角を変えていく。
さらに緩降下をかけ、位置エネルギーを速度に変換。
急激な加速によって、一気に艦戦隊との距離を詰める。
「スミレ1、2で追い立てる。スミレ3、4が落とせ」
「了」「了解」「了解です」
三人が三者三様の返事を返す。
最後尾の艦戦を獲物と決める。
降下を続け艦戦の後ろ、下方向に占位すると間を置かずに一連射。
打ち上げるように弾丸を艦戦の進行方向に吐き出す。
針路を塞がれた艦戦搭乗員は、条件反射で操縦桿を倒し横旋回を開始。
しかし、その機動は青島の眼前を掠めることになる。
「スミレ3。撃墜します」
落ち着いた声で宣言し、指切りで三連射を二回。
九九式機関銃から13mm演習弾が閃光と共に飛び出していく。
見事な偏差射撃で、艦戦が曳航する吹流しを吹き飛ばす。
「次、行くぞ」
「スミレ3。了解」
視線を巡らし、次の標的を探す。
今井と有井が別の艦戦を追いかける姿が見える。
こちらは初手の射撃に失敗したらしい。
有井の眼前を九九艦戦が悠々と旋回していく。
(ちーがーうー!~~~~~~~~~~がぁっ!!!!)
その様子を歯がゆい思いで見送る。
しかし、いつまでも見ている訳にもいかない。
「スミレ3へ。敵編隊の頭を抑える」
「了」
九九艦戦の編隊は指定空域を離脱せんと、今も飛行を続けている。
今回の訓練では仮想敵である九九艦戦が、指定空域を離脱すると終了となる。
艦戦隊はどれだけ被害を抑えるか。航空歩兵側はどれだけ撃墜できるかが焦点となる。
長谷川は追撃を開始するために体の向きを変えていく。

九九艦戦は左右にジグザグの機動を取り、今井たちを振り切ろうとする。
今井が九九艦戦の左からかぶせるように回り込み、右方向へと誘導する。
(右へ!)
手振りで有井に先回りするよう指示する。
有井は今井から離れ、編隊を右へ大きく開く。
「来た!」
有井の目の前に九九艦戦が滑り込んでくる。
目隠しでも当たる距離と位置。
「スミレ4。撃ちます!」
夢中で機銃の引き金を引き絞る。
一発、二発、三発…。
弾丸が吹流しに吸い込まれる。
「目標撃墜!やりました!」
「スミレ4へ。その調子♪いい感じよ」
有井が歓喜の声を上げ、今井も満面の笑みで褒める。
有井は動目標の射撃が苦手だ。
過去の訓練でもロクに当てることが出来ず、泣き出したこともある。
それだけに喜びも大きい。
『雷鳥6からスミレ4。よくやった』
今「撃墜」した艦戦搭乗員からもお褒めの言葉をもらう。
「えへへへへ」
今にもトロけそうな笑顔でこれに答える。
「スミレ2からスミレ4。次いきましょ♪」
「はい!」
周囲を見回し、次の標的を探す。
(居た!)
九九艦戦の編隊を発見。
今の機に手間取りすぎたようだ。距離が開いている。
「届かない…かな?」
一人苦笑いを浮かべる。
その間も浅く角度を付け、高度を下げながら速度を乗せてゆく。
(450…480…500…)
上昇開始。
降下によって得られた速度を生かし、勢い良く、しかしていねいに上昇していく。
速度を殺さないように上昇し続ける。
高度を稼ぎ再び降下。先程よりわずかに角度を深くする。
艦戦隊との距離を目測で測る。
ギリギリ届きそうにない。
「失敗したぁ~。追いつけな~い」
「えっ?えっ?ええ~?!」
思わず顔を覆い、天を仰ぎ見る今井。
今井の言葉に、混乱する有井。
そして今井の目に入ってきたのは、上空から降下する長谷川と青島だった。

眼下には広く間隔を開けた九九艦戦の編隊。
(殺りにくいな…)
標的と標的の間隔が広ければ、一機落しても次の標的に移るのに時間が掛かる。
その間に他の機はゆうゆうと逃げることが出来る。
(あ~、失敗。失敗)
この位置からだと先頭に届かない。
今回の訓練で有井の射撃感覚を磨かせたかったのだが、仕方がない。
長谷川は頭を軽く掻く。
「スミレ3へ。敵編隊中央へ降下。ケツの三機を喰う。続け」
先頭集団をあきらめ、後続の三機に的を絞る。
各機の間隔も比較的狭い。
体をひねり込み、頭を下にして一気に駆け下りる。
「スミレ3は左のヤツを。私が真ん中のを殺る」
「了」
降下制限速度いっぱいまで加速。
主翼のビスが二本三本と浮かび上がる。
視界に九九艦戦が入り、そのまま通り抜けようとする。
尾翼に狙いを付け、ゆっくりと引き金を引き絞る。
「スミレ1射撃」
「スミレ3射撃開始」
長谷川と青島の九九式機関銃が同時に火を噴く。
初弾が予定通り九九艦戦の尾翼をかすめる。
二発目は少し早かったらしい。初弾の後を追い海へと吸い込まれる。
三発目が命中。吹流しの付根をえぐりとる。
「撃墜」
「スミレ3。撃墜」
青島も攻撃に成功。吹流しが粉々に打ち抜かれていた。
減速。フラップを全力で開き、大気を捕まえる。
上昇。大気を捕まえたフラップを起点に体を起こす。
旋回。起きた体を横倒しにして水平旋回へ。
鮮やかな機動で見る間に艦戦のケツに喰らいつく。
「スミレ3、針路を潰せ!」
青島が艦戦の横に並び、逃げ道を塞ぐ。
たまらず上昇を始める九九艦戦。
しかし今まで水平飛行を続けていたために、勢いが足りない。
思ったように速度が伸びず、ただひたすらに回転数が上がるのを待つ。
「スミレ2、4。まだか?」
今井と有井を呼び出す。
間を置かず今井が返事を寄こす。
「現着。降下!降下!降下!」
迷うことなく降下開始。
有井を伴い降下してくる。
このまま行けば上昇を続ける九九艦戦と軌道が交差する。
しかし九九艦戦の上昇角度が急なら、今井たちの降下角度も急。
照準に捉えられる時間はわずか。
「スミレ4、射撃よーい!」
今井が有井に射撃を下命。
銃床をしっかりと肩に引きつけ、標的が照準に飛び込んで来るのを待つ。
そこに長谷川の声が割り込む。
「スミレ4。操縦席を狙え!」
「ヒッ?!」
長谷川としては「偏差射撃のアドバイス」なのだが、今まで「人に向けて銃を撃つ」など考えたこともない有井はパニックになる。
長谷川は九九艦戦の上昇速度、有井の降下速度、交差時の角度、弾速、撃つまでのタイムラグ等を考慮に入れてアドバイスをしたつもりだった。
しかし省略し過ぎた。
この時「操縦席が照準に入った時に引き金を引くと、移動している標的(吹流し)にちょうど良く当たる」と言えば問題無かった。
が、時間的余裕はなく、要点だけを言ってしまった。
そして有井は『殺せ』の命令だと誤解した。
「二、三発なら当てても大丈夫だよ~」
「模擬弾なら落ちないから」
今井と青島が落ち着かせようと言葉を掛ける。
逆効果。
「あっ、あ、あ…」
思考停止。
九九艦戦の風防にはめられたガラスは防弾使用になっている。
もちろん皆知っている。
九九式13mm機関銃が撃ち出す13mm演習弾は、炸薬量が減らされた弱装弾。
大口径ではあるものの、この距離なら同じ所に当たらなければ貫通しない。
これも皆が知っている。
しかし有井には引き金が引けない。
銃を人に向けて撃つという行為がもたらす結果を理解できるから。
その結果を見たくないから。
しかし自分が持っているのは「そういう物」で。
もし万が一のことが起こったら…。
搭乗員の顔が見える距離になる。
その顔に迷いはなく、最後まで訓練に付き合うと、心配要らないと、そう言っているようだった。
だから回避もせず、減速もせず、一定の速度で、軌道も変えずに上昇を続ける。
有井は人差し指に力を込める。
「撃て!ボケェ!慰みモンにすんぞ!」
「ひっ?!」
痺れを切らした長谷川の怒声。
はじかれたように引き金を引き絞る有井。
銃口が跳ね上がり、意図した場所より上に向けられる。
撃針が雷管を叩き、装薬に点火。
銃口から飛び出して行く13mm演習弾。
一発目が九九艦戦の胴体を叩き。
二発目が尾翼をかすめ。
三発目が水平尾翼を凹ませ。
四発目、近。
五発目、遠。
六発目、遠。
曳航する吹流しとの間をすり抜ける。
七発目、命中。
八発目、命中。
九発目、命中。
布製の吹流しに大穴が開く。
九九艦戦はそのまま上方へと飛んで行く。
「撃ち方、止メ!」
長谷川の号令で引き金から指を離す。
「スミレ4。撃墜だ」
呆然とする有井に、長谷川が静かに告げる。
荒い呼吸を繰り返す。
降下をやめ、速度を落し、水平飛行へ。
横を飛行する今井が、有井に寄り添い。抱きしめる。
「大丈夫だから、ね?」
慈愛に満ちた微笑みで有井を慰める。
しかし人に向けて銃を撃った。
そして弾丸は機体に当たっている。
その現実が有井が思考することを阻む。
そこに九九艦戦から無線が入る。
『こちら雷鳥4。被弾するも損害軽微。飛行に問題ナシ』
搭乗員の憮然とした声が無線に響く。怒っている訳ではない。
『雷鳥4からスミレ各機。次は手加減頼む』
「ウィッチ四人に追っかけられて幸せじゃない」
長谷川が茶化す。
『弾が飛んでこなきゃな』
疲れたと言わんばかりに搭乗員が返す。
搭乗員の無事な声を聞き、安堵のため息と共に有井が思考を取り戻す。
「あっ…あの…あの…」
有井が搭乗員に謝ろうとするのだが、上手く言葉にならない。
察した搭乗員が先回りする。
『事故だよ。よくあることだ。怪我も無いし、墜ちた訳でもない。気にするな』
搭乗員はそれだけ言うと訓練空域から離脱していく。
四人で見送る。
あの飛び方なら心配は要らないだろう。
『雷鳥1より各機。空域を離脱した。状況終了』
藤田大尉から無線が入る。
存在を忘れていた。
ともあれ、これで本日の訓練は終了した。
「集合。帰るぞ」
長谷川のやる気のない号令で編隊を組み直す。
有井も今井から離れる。
針路を祥鳳へ。
帰路。有井の挙動が落ち着かない。
無事だったとはいえ、「人に向けて銃を撃った」ショックが強すぎたらしい。
見かねた長谷川が静かに話しかける。
「有井」
「…はい…」
「私が命令したら迷わず従って。その『結果』起きたことは私の責任だから」
静かに言い聞かせる。
「だから責めるなら、私を責めなさい。決して自分を責めないで…」
そう言ってから自分の左足を見る。
失ってしまった左足。
ストライカーユニットに収まっている鉄の脚を。
有井にはよく理解できなかった。
しかし長谷川が悲しんでいるのだけは、分かった。


夜。
消灯時間も間近。
酒保で主計長である有川が一人帳面整理をしていると、独特の足音が近づいて来る。
顔を上げると、長谷川が立っている。
「今日はもう終わったぞ」
有川が手を止め、静かに言う。
が、長谷川は酒保帳を突き出す。
「煙草」
やれやれといった感じで酒保帳を受け取る。
「他には?」
「石鹸」
棚から出して、渡してやる。
受け取ると煙草を一本取り出し、マッチを擦る。
黄燐の匂いが心地いい。
そのまま火を点け、深呼吸するように吸い込む。
…。
ゆっくりと煙を吐き出す。
「落ち着いたか?で、本命は?」
酒保帳に書き込みながら有川が尋ねる。
長谷川はバツの悪そうな表情で、明後日の方向を見る。
「…パイン缶」
「羊かんもいるか?」
有川がニヤニヤと尋ねてくる。
「いらないわよ」
頬を膨らまして答える。
奥からパイン缶を出して長谷川に手渡す。
「ほれ」
「…ありがと」
ひったくるようにして缶をつかむ。
酒保帳を返してもらい、背を向ける。
受け取ったパイン缶を隠すように抱え込み、長谷川は酒保を出て行った。


軍艦の居住区は狭い。
限られたスペースに火砲、弾薬をすし詰めに詰め込まなければならない。
空母ともなればさらに航空機を収納するための格納庫が必要となり、航空機用の弾薬、燃料、予備部品も必要になるので、収納するスペースが必要になる。
それら戦闘に必要なものは、戦闘時に使いやすいように配置されていくので、必然的に住環境は後回しになり、劣悪な環境になりやすい。
兵卒であれば「カイコ棚」と呼ばれる二段もしくは三段の狭く、天井も低いベッドだけが個人のスペースになり、一室あたりの人数も多い。
下士官でも住環境は良いとは言えず、一部屋の人数が減り一人当たりの占有面積が多少増える程度。
個室などは士官にならなければもらえなかった。
もちろんそれぞれの艦によって事情は異なるが、総じて言える事は「狭い」ということ。
海軍で航空歩兵の運用を決めたまでは良いが、居住区の問題が最後まで難航した。
なにせウィッチはうら若き乙女たちなのだ。
まかり間違っても野郎がひしめくタコ部屋に入れる訳にはいかない。
近すぎるのも「危険」だ。
「比較的安全な居住区」というと士官室になる
士官の階級章を付けている者は、士官室に入れることですんなりと決着した。
問題だったのは軍曹などの下士官の扱いだ。
下士官に士官室を与えるのは、規律が崩れるとする反対意見があったためだ。
しかし増設するようなスペース的余裕は無く、あったとしてもうるさいだの臭いだのと、ろくな場所が無かった。
結局は「特例」として、「士官用個室を与えるが相部屋として使用する」ことで決着した。
そんな訳で青島と有井は士官室の一つに同居していた。
今日の訓練で疲れたのだろう。
有井は消灯時間前だが、もはや眠っている。
二段ベッドの上から聞こえるかわいい寝息。
青島はそれを聞きながら一人ベッドの中で本を読んでいた。
扉の開く気配。
誰かが入ってくる。
長谷川だった。
足音を殺してはいるものの、義足から聞こえるわずかな金属音まで誤魔化せない。
青島がゆっくりと体を起こす。
「起きてたか?」
「はい」
長谷川が静かに尋ね、青島も静かに答える。
「どうしました中尉?」
上段で寝ている有井を気遣い、青島はささやくように尋ねる。
長谷川はベッドに近づくと、青島にささやくように答える。
「今日の有井はがんばっただろ」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
「だからご褒美を…」
そこまで言って長谷川の動きが止まる。
視線は有井に向いている。
視線の先にはパイン缶に添い寝する有井の寝顔。
実に幸せそうだ。
「?」
青島が怪訝に思い、しげしげと長谷川を見る。
小脇には銀色に輝く缶詰。
青島は軽くため息を一つ。
「先程、今井少尉も来ました」
仕方なく事実を伝える。
錆び付いたゼンマイ仕掛けのような動きで長谷川が顔を向ける。
「パイン缶を渡していきました。喜んでましたよ。有井」
現実を認識させるためにトドメを刺す。
長谷川の手がワナワナと震えだす。
「あのクソボケ!腐れ主計長がっ!だからあんな回りくどい言い方を!」
拳を固め怒りをあらわにする。
でも、声のトーンは抑え目。
「静かにしてもらえますか?有井が起きます」
冷めた声で青島が注意する。
「ぐっ、~~~~~~~~っ!!」
声にならない叫びを上げて自らを落ち着かせようとする。
頭を掻きむしる。
身悶える。
歩き回る。
一通り身振りで怒りを表す。
やっと落ち着いたのか、動くのを止め煙草を咥える。
「ここに煙缶はありません」
青島が「灰皿は無いから吸うな」と遠回しに注意する。
ショボショボとうなだれる長谷川。
未練がましい目で煙草を包みに戻す。
「はあぁぁぁぁぁ…」
魂まで吐き出すのではないかという重いため息をつく。
(面倒臭い人だなぁ…)
正直、青島は疲れてきた。
このまま長谷川に居座られたら読書も楽しめないし、寝ることもおぼつかない。
仕方なしに提案してみる。
「枕元に置いておいたらどうですか?パイン缶ならいくつあっても喜びますよ、この子は」
ゲンナリとした表情で続ける。
「朝起きたら増えてる、なんてきっと踊りだしますよ」
「…今井の時は?」
「くるくる回ってました」
「踊る?」
「歌も歌うでしょう」
青島が断言する。
有井なら本当に歌って踊るだろう。
わずかな光明を得た長谷川の表情に生気が戻り始める。
だが、
「…私だって気付く?」
「すぐバレます」
これも断言。
そもそもウィッチの部屋は男子禁制なのだ。
野郎ばかりのこの艦では、女は四人しかいない。
先程、今井が来たので後は消去法だ。
「そ~か~、歌って、踊って…」
長谷川が腕を組んで考え、もとい妄想する。
顔がニヤニヤととろけてくる。
「中尉どうします?」
長谷川の妄想を断ち切り、決断を促す。
「うん、それもいい。そうしよう」
あっさりと決める。
再びベッドに近付き、有井の寝顔を覗き込む。
荒々しい鼻息一つ。
枕元にそっとパイン缶を置く。
「よし。邪魔したな」
満足気な笑みを浮かべ、長谷川は静かに出て行く。
その姿を見送り、青島はベッドに横になる。
「……つかれた」
そのまま夢の中へ落ちて行く。
こうして祥鳳の一日が終わった。




[18469] 戦果
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:acf4f6f5
Date: 2010/05/16 16:31
「平和ね~」
紫煙を風に乗せるように吐き出す。
暖かな日差しと雲一つない空。
目の前には澄み切った扶桑の海が広がっている。
「平和ね~」
もう一度しみじみと長谷川がつぶやく。
その顔は縁側で日向ぼっこを楽しむお年寄りのようだ。
気持ちよい日差しで身も心も緩みきっている。
目を細め、ぼんやりと舷側に座る。
普通の日向ぼっこと違うのは、湯飲みではなく釣竿を持っている点だろうか。
「へいわ…よね…」
日差しに負けたのか、長谷川の左隣に座る今井が夢うつつに答える。
先程からコクリコクリと舟をこいでいる。
よく釣竿を落さないものだ。
ひるがえって長谷川は右隣を見る。
ひなたぼっこが嬉しいのか、皆で釣りをするのが嬉しいのか、パタパタと足を振る有井が目に入る。
今日もご機嫌なようだ。
満面の笑みを浮かべ、鼻歌まで歌いながら釣糸を垂れている。
「♪♪♪~♪~♪~♪♪」
有井のその様子は大変可愛らしいのだが、曲が「月月火水木金金」なのはさすがに勘弁して欲しい。
それとも娑婆っ気が抜け切ったということなのだろか。
なんとも複雑な表情を浮かべる長谷川。
「あっ、また!」
有井の目が輝く。
見れば有井の右隣に座る青島がまた一匹釣り上げていた。
「すごいです!青島飛曹長!」
無邪気に青島を賞賛する。
青島がにこやかな微笑みで応え、釣り上げた魚をバケツに移す。

ここまでの釣果。
青島10匹。
長谷川3匹。
有井2匹。
今井1匹。

「なぁ、青島ぁ。鯛とかブリとか景気のいいやつ釣れんかぁ?」
長谷川がぼんやりした声で尋ねる。
自分では釣れないと悟り、サジを投げている。
「そんなに都合良く釣れませんよ」
苦笑しながら答える。
青島のバケツはアジばかりだ。
「だよね~。あ~鯛食いてぇ~」
力なく長谷川がぼやく。
「焼き魚に甘露煮、刺身に酒蒸し…」
頭の中を料理が浮かんでは消えていく。
「私、昆布締めがいいです♪」
有井の目が一段と輝く。
「鯛飯もいいですねぇ」
青島も乗ってくる。
「いいねぇ~、あと寿司に吸い物…」
ピンッ
と、長谷川の竿がしなり、強烈な力が掛かる。
「来た!鯛だ!」
先程までのだれた空気はどこへやら。
強烈な当たりに心弾ませ竿を握り直す。
「鯛だ!鯛だ!鯛だ!」
両手に魔力を込め、竿と糸にも魔力を注ぐ。
竿がしなり、糸を引きちぎらんばかりに水面下の獲物が暴れる。
今までの雑魚とは違う引きに、手応えを感じる。
青島と有井も大物であることを確信し、固唾を飲んで長谷川と魚の格闘戦を見守る。
海中の魚はなおも暴れ、抗おうとする。
しかし悲しいかな、魚の力では魔力を込めた釣り糸を切ることなど出来ようはずもない。
無情にも長谷川の右手は糸を少し、また少しと巻き上げてゆく。
「がぁ!往生際の悪い!」
痺れを切らし魔力で腕力を強化。
竿を一気に振り上げ、糸を巻き上げる。
「ふはははは!今日は鯛尽くしだぁ!」
魔法の力に屈した魚が、海面から飛び出し、宙を舞い、甲板に打ち付けられる。
勢いがつき過ぎたのか、長谷川の背後に落ちた魚は小刻みな痙攣を繰り返す。
「どうよ!」
鼻息も荒く、戦果を確認すべく振り返る。
「あれ?」
長谷川たちの目に飛び込んできた魚。
それは鯛ではなく、カツオだった。
カツオとしては小振りではあるものの、釣果としては立派な大物である。
「なあ、青島」
「何でしょう?中尉」
あっけにとられた長谷川が青島に尋ねる。
「今…カツオの旬か?」
「いえ、そんな話は聞きませんが…」
三人が呆然とカツオを取り囲む。
今井は今の騒ぎもどこ吹く風ぞ、夢の世界へ旅立っている。
「でも、すごいですよ!カツオですよ!カツオ!」
有井がランランと目を輝かせ、カツオを抱え上げる。
したたかに打ち付けられ、脳震盪でも起こしたのだろう。
カツオはぐったりとして、有井の腕の中に収まった。
長谷川も気を持ち直す。
「そうだな、せっかくのカツオだし。タタキで決まりだな!」
食い気も取り戻す。
「刺身も美味しいそうですよ」
青島も提案してみる。
「刺身って…大丈夫なのか?」
「鮮度が良ければ大丈夫ですよ」
不安に思い尋ねてみるが、青島はあっさりと否定する。
カツオはタタキにするものだとばかり思っていた長谷川だが、刺身も魅力的だ。
食したことの無い「カツオの刺身」に興味を惹かれる。
考え中。
「よし!半分タタキにして、残りは刺身だ!」
まとまったらしい。
得意げな顔で皆を見回す。
「あの小隊長、稲ワラってありましたっけ?」
有井が素朴な疑問を口にする。
カツオは稲ワラで焼いたものが美味い。
しかし稲ワラは軍艦には必要の無いものだ。積んであるとは思えない。
「ん~、まぁ、無ければ炭だなぁ」
記憶をたどってみるが、心当たりはない。
「烹炊(ほうすい)員と相談してみては?それに血抜きもしないといけませんし」
青島の提案。
ちなみに「烹炊員」とは、乗組員に食事を提供する調理員のことで、主計課の管轄だ。
「烹炊所」と呼ばれる調理場で、乗員の腹を満たすべく、日夜食材と格闘を続けている。
「そうだな。そうしよう」
長谷川がうなずく。
「よし、烹炊所に行くぞ」
訓練の時とは違い、張りのある声で宣言する。
その時、頭上の飛行甲板からエンジン音が聞こえてくる。
耳を澄ませ、エンジン音に集中する。
艦上攻撃機のエンジン音だ。
ついで時計を見る。
定時哨戒の交代時間ではない。
そもそも哨戒中の艦攻がまだ戻っていない。
「青島、今日の割りは?」
「定時哨戒以外ありません」
青島も怪訝な顔で答える。
そうこうするうちに艦攻は祥鳳を飛び立っていった。
「何だぁ?」


九七式艦上攻撃機。
艦上攻撃機は魚雷もしくは爆弾を搭載し、敵艦船に対し攻撃を行うことを主任務とする。
しかしネウロイとの戦争が始まり、その任務が消滅した。
ネウロイの破竹の進撃を目の当たりにした人類は、手を取り合って応戦するよりなく、人類同士で争う余力などなくなっていた。
そして海上を進攻するようなネウロイも確認されていない。
人類が敵ではなくなり、魚雷を撃ちこめるネウロイもいない。
艦上攻撃機の活躍の場は無くなった。
時局に合わなくなったのだ。
艦上攻撃機全廃を唱える極論まで出始めた。
特に海軍省兵備局は予算削減の矛先を求めていた。
何故か。
「航空歩兵の増員」と「空母の建造」が原因である。
特に予算を逼迫させたのは「空母」だ。
「水際防衛」の指針が示されて以降、空母は今までにない建造ラッシュとなり、艦船建造のための予算を一気に食い潰したのだ。
また、空母を護衛する目的で新造された駆逐艦が、さらに拍車をかける。
「航空歩兵」「空母」「駆逐艦」これらは削ることの出来ないものだった。
このような事情により、兵備局は予算を削れるところを探さなければならなかった。
そして予算削減の対象として白羽の矢が立ったのが、艦上攻撃機だったのである。
そんな時、艦上攻撃機に一筋の光が差す。
哨戒。
元々担当していた任務ではあるが、特化することで生き残りを賭けた。
艦上攻撃機は三名の搭乗員が乗り込む。つまり三人掛かりで空を見ることが出来る。
目が多い分、九九艦戦や航空歩兵に比べ見落としは少ない。
扶桑皇国軍の哨戒飛行は、単機で行うのが通例であったため、その差は歴然であった。
また、速度も遅い。
しかしこれはデメリットではない。
一定の空域に留まるネウロイを、長時間監視することが可能になる。
艦戦では速度が速く、同一目標を見続けるには頻繁に旋回しなくてはならない。
旋回は行えば行うほど、燃費は悪化する。
燃費が悪化すれば、長時間滞空することが出来ない。
つまり目標を見失ってしまう。
そうなれば戦うことすら出来なくなってしまうのだ。
艦攻擁護派はこの点を強調し、兵備局に訴えた。
結果、艦上攻撃機は哨戒機として生き残った。
しかし定数削減だけは逃れることが出来ず、その数を大きく減らすこととなる。
その九七艦攻が何の目印も無い海の上を飛ぶ。

「そろそろ通報のあった空域だ。何か見えるか?」
航法を担当する小林一飛曹が尋ねる。
「今のところ何も見えません」
後部銃座を預かる原二等飛行兵が答える。
「ま~た、少尉『殿』の誤認じゃないんですか?」
操縦桿を握る田中二飛曹が投げやりな答えを返す。
「ありえる話だ。今度はカモメの大群かも知れんぞ」
小林が笑い飛ばし、田中と原も吹き出す。
艦攻の風防内が笑いで満たされる。
艦攻隊を指揮する大谷少尉は、あまりにも『誤認』が多いため狼少年扱いされている。
「おっ!大谷機発見。前方一時。ウチらより1000上」
田中が大谷機を見つけ近づける。
翼を並べたところで原が手信号を送る。
無線も搭載しているが、祥鳳の艦攻搭乗員は手信号を多用した。
大谷機から手信号が返ってくる。
「三時方向、ネウロイらしき飛行物体。燃料僅少だそうです」
原が報告する。
「『らしき』って、何だよ?『らしき』って。ちゃんと確認してないのかよ?」
思わず田中がぼやく。
小林が目を凝らす。
「見えんな。…仕方ない、行ってみるか」
原が手信号で引き継いだ旨を伝える。
大谷機がゆっくりと祥鳳に針路を取った。
田中もゆっくりと旋回し、目標に針路を取っていった。



「たった今、小型飛行ネウロイを確認したと報告が入った」
薄暗い格納庫で、木山航空参謀が告げる。
大谷機が着艦するころ、長谷川たちは待機を命じられた。
そしてものの数分としないうちに、この報告である。
「数は5。ラロスと推定されるが詳細は確認中。現在南下している。諸君らにはこれより迎撃に当たってもらう」
ボードに貼り付けた地図を指し示しながらの説明。
木山が四人の顔を見回し、続ける。
「白サギ2が監視を継続中だ。質問は?」
「作戦目的は『殲滅』ですか、『斬減』ですか?」
長谷川が質問する。
「殲滅を目的とする」
長谷川を見据えて答える。
「増援は?」
「現在、飛龍が当哨戒区に急行中。後詰めとして展開予定。他には?」
「ありません」
一拍置いてから長谷川が答える。
「よろしい。準備かかれ」
木山が敬礼で締めくくり、格納庫を出てゆく。
答礼で見送る。
長谷川が三人の前に出る。
「各自九九式13mm機関銃を装備。予備弾倉携行数は1。予備火器として拳銃を携行。ただし、今井少尉のみ長剣を携行すること」
ここまで言ってから、わずかに間を置く。
皆、いつになく真面目な表情で長谷川を見る。
「聞いての通り増援も支援もない。我々だけで殺る」
三人の様子を伺う。
「戦闘は3分を上限とする」
下達された命令は『殲滅』だが、無理をするつもりはない。
ダメなら飛龍の航空歩兵に任せる腹積もりだ。
「質問は?」
それぞれの顔を見て、確認する。
有井がかすかに震えていた。
「…なければ発艦準備にかかれ」
号令と共にそれぞれのストライカーユニットへ駆け寄る。
長谷川も自分のユニットに足を向ける。
が、足を止める。
一瞬悩んだ後、青島に近づく。
「青島」
「何でしょう」
耳元でささやく。
「有井から目を離すな」
それだけ言うと返事も聞かず離れた。


「スミレ1より白サギ2へ。感、明どうか」
『白サギ2よりスミレ1へ。感、明、良好。送レ』
「誘導頼む。送レ」
『白サギ2了解。懸架装置につかまってくれれば、運びますよ』
「いらない。交信オワリ」
原の申し出を断る。
確かに引っ張ってもらえば楽だし、燃料も魔力も浪費しないで済む。
いつもならこの申し出を受けていた。
断ったのは、ただの気まぐれだ。
合流は順当に終わり、白サギの後方につく。
あとは付いて行くだけでいい。
一言も交わさない飛行が続く。
と、九七艦攻が翼を振る。
続けて手信号でネウロイの方向を指し示す。
(いたっ!)
長谷川が表情を引き締める。
「スミレ1からスミレ各機。安全装置解除。撃鉄おこせ」
13mm通常弾が薬室に収まり、ネウロイを砕く時を待つ。
「5000まで上昇。太陽を背にする。密集隊形」
九七艦攻から離れ、上昇開始。
目標高度に達すると、間隔を詰める。
(さて、今日は…)
ネウロイの位置を再度確認。
敵機は5。
機種はラロス。
未だ気付かれていない。
次いで今井を見る。
機関銃を背負い、呼ぶ。
「今井少尉」
悪い笑みを浮かべ手招き。
魔力を宿した右手が怪しく光る。
「あら~、嫌よ~」
口では嫌と言いながら、イタズラっ子の顔で隣に並ぶ。
長谷川の意図を察したらしい。
二人で声を殺して笑い合う。
今井も機関銃を背負う。
腰に佩いた軍刀を抜刀、肩に乗せる。
「準備いいわよ~♪」
「いくぞー」
長谷川が今井のストライカーユニットをつかむ。
そのまま、大きく振りかぶって、
「ーーーーーっ、フンッ!」
投げた!
「キャーーーーーーーーーーーーーー♪」
今井が歓声を上げ飛んで行く。
先頭を飛ぶネウロイに向けて一直線。
尋常ならざる降下速度。
弾丸となって今井が突き進む。
見る間にネウロイに肉迫。

――疾風
白刃きらめき、袈裟懸けに振り下ろすは、まさに一瞬
一刀両断
真っ二つに叩っ斬る!
その有様はカマイタチの如く、一陣の風となって突き抜ける

背後で二つに割れたネウロイの爆発。
しかし今井は止まらない。
止まれない。
勢いが付き過ぎたらしい。
もはや降下ではなく、落下。
「あら?あら?」
速すぎてコントロールが利かない。
仕方なし。
体を大の字に開き、空気抵抗を増やす。
速度が落ちるまでは、しばらく待ちだ。
ネウロイは反応が遅れた。
ようやく事態を把握したネウロイから、緩慢な機動で今井の追撃を始めた。

「あったりー!」
ガッツポーズの長谷川。
頭を抱える青島。
呆然とする有井。
「あの…青島飛曹長…」
「忘れなさい…教範にこんなのないから…」
頭が痛い。
「よーし、降下するぞー!」
ご機嫌な長谷川の声が響く。
言うが早いか即実行。
急降下。
一気に加速。
ネウロイの背後に迫る。
ネウロイは追撃に夢中で、こちらに気付く気配も無い。
獲物を決める。
(ケツから二番目)
追い着いたかと思うと、勢いもそのままにネウロイに飛び乗る。
悠々と銃口を向け、弾丸に命を吹き込む。
「スミレ1、射撃」
13mm機関銃弾がその生を全うすべく突き進む。
通常弾が削り、曳航弾が輝き、徹甲弾が装甲を食い破る。
爆散。
火を噴き、煙を吹き出し、砕け散る。
「撃墜」
煙を振り払い、何食わぬ顔で離脱。
「スミレ3、4。後ろ頼んだ」
「スミレ3。了解」
「スミレ4。りょ、了解しました」
現在の位置関係。
落下する今井。今井を追う二機のネウロイ。その二機の追撃する長谷川。長谷川に喰らい付こうとするネウロイ。長谷川に追い着こうとする青島、有井。
ウィッチとネウロイが交互に、一列になって高度を下げて行く。
今井は結果として囮となり、長谷川は意図して囮となり、後続の味方に命を預ける。

後ろなど振り向かない。
仲間を信じているから。
逃げなどしない。
仲間を守るために。
敵を落すために、ただ愚直に突き進む。

長谷川が機関銃の環型照準具を起こす。
「モテモテだなスミレ2」
「本当、困っちゃう」
余裕の返事。
今井の落下速度が徐々に落ちている。
ネウロイが追いすがる。
「お断りの返事。お願いしていいかしら?」
長谷川が追い付く。
「仕方ね~な~」
400km環に照準を合わせる。
「行くわよー」
「応」
コントロールを回復させた今井が降下から一転、急上昇。
ネウロイも機首を起こす。
照準具がネウロイで埋め尽くされる。
「死ね」
通常弾曳航弾通常弾通常弾徹甲弾通常弾通常弾
デカイ的に成り下がったネウロイを砕く。
弾丸が噛み付き、異形の体を貪り喰らう。
哀れ、獰猛な13mm弾に食い尽くされたネウロイが四散。
「しつこいのは嫌われるぞ」
背後から爆発音。
青島が落してくれたようだ。
「スミレ4、げ、撃墜!」
上ずった有井の声。
(有井!?)
予想外。
有井、初めての撃墜。
「良シ!良くやったスミレ4!!」
有井の初戦果を我が事のように喜ぶ。
ニヤける。正視に堪えないぐらい…。
だが、振り向かない。
確認しない。
敵はまだ残っている。
「スミレ4?!本当!?やったわね!」
今井が驚きと喜びのあまり振り返る。
「スミレ2。お前は真面目に敵を釣れ…」
今井をたしなめる。
と、最後のネウロイが反転。
「んっ?!な、逃げんなコラァー!」
全員の注意が逸れた瞬間。
翼を翻し、ネウロイが離脱を図る。
反応が遅れ距離が開く。
「チッ!追うぞ!」
体を傾けて旋回。
魔導エンジン「栄一二型」が吼える。
時計を見る。
(2分過ぎた!)
出撃前に定めた上限の3分まで、あと1分を切った。
今までの緩慢な動きが嘘のようにネウロイが逃げる。
逃げる。逃げる。
まさに脱兎の如く。
「逃がすかッ!ボケーッ!!」
九九式機関銃を構え直す。
銃口を上向きにして曲射で狙う。
用心鉄(トリガーガード)に乗せていた指を、引き金に掛ける。

刹那、彼方から砲弾が飛来。
突き刺さり、ネウロイをへし折る。
へし折られたネウロイは、破片を撒き散らし海へと落下していった。

「なっ!?」
照準環に収まっていたネウロイが、突如として消えた。
照準環から顔を離すと、落下していく姿が目に入る。
砲弾が飛来した方角を見る。
四つの「点」が見えた。
飛龍の航空歩兵だろう。
近寄ることも無く、その場に滞空している。
『こちら飛龍航空隊、ツバメ1。祥鳳航空隊、応答サレタシ』
「こちら祥鳳航空隊、スミレ1。感、明ヨシ。送レ」
呼びかけに憮然として答える。
『余計なお世話だったかしら?』
「ツバメ1」と名乗った航空歩兵が、すまなそうに尋ねる。
「…いや、問題ない」
肩の力を抜いて答える。
「撃墜を確認した。いい『目』を持ってる」
『ありがとう。今ので最後かしら?』
上品でやわらかな物言い。
「最後。あれで終わり」
『そう。では引き上げさせていただくわね。交信オワリ』
「協力感謝」
無線を切り、飛び去って行く。
その姿を無言で見送る。
「まぁ…いいか」
一人つぶやく。
「集合、帰艦する」
気の抜けた声で号令を掛ける長谷川だった。


「ふはははははははははははははっ」
帰艦してからの長谷川はご機嫌だった。
正確に言うと、有井の申告を聞いてからだ。
高笑いを響かせたかと思うと黙り、頭の中で反芻する。
『し、申告します!有井都二等飛行兵曹、敵一機撃墜しました!』
反芻オワリ。
「はーははははははははははっ、めでたい!いや、実にめでたい!」
そしてまた高笑い。
なんと言っても、有井が初めてネウロイを撃墜したのだ。
祥鳳の航空歩兵の中で、有井だけが戦果を上げられずにいた。
その有井の初戦果とあって、乗員の皆が祝福してくれた。
程度の差こそあれ、今井も青島も喜んでいる。
夕食時になっても長谷川の高笑いと、乗員からの祝福は止む事がなかった。
長谷川たち四人は士官食堂の一画に陣取り、夕食を囲んでいた。
本来ならば青島と有井は利用できないのだが、「ウィッチは階級に関わらず、士官食堂にて喫食すべし」との特例条項が設けられたので、利用することができた。
以前、食堂にてウィッチが兵、下士官に絡まれる事案が多発したためだ。
絡まれたウィッチは例外なく、「完食しきれない量の食事を譲渡される」被害にあっている。
航空歩兵の食事は多い。
体が未発達であるため「新兵増加食」として量を増やされ、訓練や戦闘があれば「航空増加食」がさらに追加される。
それに加えて、兵たちが食事を供えに来るのだ。
太る。
絶対に太る。
ウィッチは乙女なのだ。
太ることを喜ぶ乙女などいない。
ウィッチたちの悲痛な嘆願により、士官食堂が開放され、非難してきたのだ。
そんな士官食堂で長谷川たちは祝杯を挙げていた。

本日の献立
・赤飯
・カツオの刺身
・カツオのタタキ
・セルリサラド
・野菜入り鶏スープ
・シュークリーム

出撃前に釣り上げたカツオが、食卓の主役を務める。
気を利かせた烹水員が「米飯」の予定だったものを赤飯に変更してくれた。
カツオと赤飯では合わないが、ご愛嬌というものだろう。
サラダの緑が、食卓の彩りを豊かなものにしてくれる。
そして長谷川は酒。
どこから拝借してきたのか、火酒(ラム酒)を煽る。
「いや~、めでたい!」
長谷川が何度となく、繰り返す。
もはやただの酔っ払いだ。
「どうだ?ネウロイを落すと、こう…スカッとするだろ?」
「い、いえ、その、あの時は夢中だったので…何も考えてなくて…」
「そうそう。最初はそうなのよね~」
有井がしどろもどろに答え、今井が相槌を打つ。
いつの間にか今井まで火酒を飲んでいた。
すでに赤い。
「でも、本当に良くやったわ~」
有井に抱きつき頬ずり。
有井も困惑しながらも嬉しそうだ。
「あとは落ち着いて狙えるようになれば完璧ね」
青島が今日の戦闘を振り返る。
「は、ははははは…」
有井の額に脂汗。
「ん?そんなに外したのか?」
「いや、その…2、3発中尉をかすめまして…」
「そ…そうか…」
背筋に冷たいものが走る。
「よお、初戦果だって?」
背後から声を掛けられる。
振り返ると、戦闘機隊の隊長である藤田が立っていた。
「はっ、はい!」
緊張した面持ちで、有井が答える。
「よしよし。そんな有井二飛曹にはご褒美をあげよう」
藤田は自分のシュークリームを、有井の前に置いた。
「ありがとうございます!」
思わず立って最敬礼。だが、すぐに顔がとろけ始める。
藤田も満足気な笑顔だ。
「あたしらの分は~?」
「都だけなんて~、不公平じゃないですか~?」
長谷川と今井が絡む。
「何でお前らにやらにゃならんのだ?!と、言いたい所だが…」
ブランデーの酒瓶を置く。
感嘆の声が漏れ、二人の視線が釘付けになる。
「じゃ、早速…」
手を伸ばす。
が、長谷川の手が空を切る。
「俺もカツオが食いたいなぁ~、なぁ?」
再び酒瓶を持ち上げた藤田がニヤリ。
藤田の盆には「アジのトマト煮」が載っている。今日の本当の献立だ。
カツオは小振りだったので、分けることも出来ず、ウィッチだけで食べていた。
もっとも、釣り上げたのは長谷川なので、文句を言う筋合いではないが。
「仕方ねぇ~な~」
座れ、と手振りで示す。
「すまんなぁ、ほれ」
腰を下ろし、酒瓶をテーブルに置く。
「あっ、藤田大尉、お注ぎしますね」
「おお、ありがとよ」
「有井、そんなのに注いでやるこたぁねぇぞ~」
「都~、私も私も~♪」
「有井二飛曹…こんな風になるなよ?嫁の貰い手がいなくなる」
「え…えっと…はははは」
「藤田?何吹き込んでやがる~?」
「中尉、明日の課業に差し支えない程度にしてください」
「何を?俺は『扶桑撫子』としての在り方をだな…」
「へぇ、面白い。三十路独身が語る『撫子』だってぇ?」
「都~、注いで注いで~♪」
……

こうして、士官食堂の酒宴は夜更けまで続く。



[18469] 夏、扶桑海にて
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:acf4f6f5
Date: 2010/06/12 16:08
高度7000m。
何も無い。
見上げれば照りつける太陽。
目の前には澄んだ空。
見下ろせば白い雲。
そして静寂。
その空を一人の少女が飛ぶ。
腰まで伸ばした黒髪が風になびく。
長谷川美鶴。18歳。
祥鳳航空歩兵を束ねる魔女。
片足のウィッチ。
(キレイ……)
何も無い空の開放感を、かみ締めるようにゆっくりと飛ぶ。
周りを見渡しても何も無い、誰もいない長谷川だけの空。
何をするでもない。
空の全てを慈しむように、ただ静かに飛び続ける。
(このまま飛び続けられたら……)
ふと、そんな考えがよぎる。
もし、それが許されるなら、おそらく実行するだろう。
きっとためらいも無く。
長谷川にとって空を自由に飛び回ることは、この上ない喜びだった。
『スミレ2。準備ヨーシ』
静寂を打ち破り、無線に能天気な声が響く。思わず顔をしかめる。
静寂からは程遠い。長谷川が率いる小隊の、二番機を務める今井少尉からの通信。
『スミレ4。準備ヨシ』
続いて四番機の有井二飛曹から無線が入る。今井と違い、小動物を思わせるようなか細い声が可愛らしい。思わず目尻が下がる。
『スミレ3。配置に付きました』
間を空けて三番機の青島一飛曹からの通信。生真面目な声音。その声の通り、模範的海軍航空歩兵。下がった目尻を戻す。
小隊全員の準備が整った。
左腕に巻いた時計を確認。
下に目を向ける。
太陽光を反射し、翼を輝かせる八機の九九式艦上戦闘機。
長谷川のやや前方、高度3000mあたりを飛行中。
予定通り。
『白サギ2より各機へ。只今より模擬空戦を実施。状況開始、状況開始』
審判役として駆り出された九七式艦上攻撃機が、模擬空戦の開始を宣言する。
長谷川は煙草を取り出すと、ゆっくりと火を点けた。
これ以上ないという、至福の表情で煙を肺に流し込み、惜しむように煙を吐き出していく。
少し間を置くと、だるそうな目付きで命令を下す。
「スミレ2、4。進入開始」
しかし、命令を下すその口元だけは笑っていた。

「11時方向。二機。同高度」
戦闘機隊の二番機を飛ぶ鈴木中尉からの報告。
(二機?隊を分けたのか?)
報告を受けた戦闘機隊隊長の藤田大尉が、いぶかしむ。
操縦桿を包む指がせわしなく動く。落ち着かない。
(残りの二機はどこだ…。どこから来る…)
藤田が考える。今この時も、仮想敵であるウィッチは近付いている。
決断を下さなければ、ただの移動標的だ。しかし不確定要素が多い。
明らかに何か仕掛けてくる気配。
「新たな敵。9時方向。二機。海面上」
僚機からの報告で、藤田が視線を巡らせる。
海上に白い航跡が二つ。海水を派手に巻き上げつつ、重なるように近付いてくる。
(正面は囮で、下が本命か…)
正面に気を取られれば下からの突き上げ。
下を潰そうとすれば上からかぶられる。
距離を取れば合流されて、まとまった火力にさらされる。
こちらは艦上戦闘機が八機。航空歩兵四人を相手にするには分が悪い。
ならば、
「雷鳥1より各機。11時の二機から叩く。合流される前に落すぞ!」
決断を下す。
いかに航空歩兵の運動性が優れているとはいえ、上昇には時間が掛かる。
上昇しきるまでの間に、少なくとも数を減らしておきたい。
「第一小隊突撃。第二は9時の敵を警戒しつつ援護」
命令を下しつつスロットを押し込み、増速。
八機の九九式艦上戦闘機が、一糸乱れぬ機動で目標を目指す。
11時方向にいる航空歩兵を12時方向、正面に捉える。
航空歩兵側も、正面から撃ち合うつもりらしい。
まっすぐにこちらへ向かってくる。
再度、下にも目を向ける。
(おかしい…)
下の航空歩兵は上昇もせず、未だに白い航跡を引いている。
ストライカーユニットで航跡を残すということは、余程の低高度を飛んでいると見て間違いない。
今、藤田たちが飛んでいる高度は3000m。
零式艦上戦闘脚二一型が、高度3000mに達するまで約3分30秒。
正面にいる航空歩兵と会敵するまで一分程度。
差し引き二分半。
空戦では、一分以下で勝敗が決することも珍しくはない。
なのに二分半もの間を、二対八の劣勢で戦うのは、要求が厳しい。
ましてや今回は、こちらからもペイント弾で攻撃できる。本当であればウィッチが持つ防御シールドは、九九艦戦の7.7mm機銃では貫けない。模擬空戦なのでシールドの有無に関係なく、ペイント弾さえ当てれば「撃墜判定」となる。
航空歩兵は、まだ上昇を開始しない
(何を企んでやがる?…が、面白いじゃねぇか!)
藤田は腹をくくる。
指揮官は速やかに決断しなければならない。例え必要な情報が無かったとしても。
相手が手札を全て見せてからでは、手遅れなのだ。
「高度4000。吊り上げてやれ!」
号令一下。九九艦戦が上昇を開始する。

高度計表示0m。
大気の層が厚く、まとわり付く潮風が鬱陶しい。
青島は一人、「二つ」の航跡を引きながら飛ぶ。
一つは青島が装着するストライカーユニット。
もう一つは九九式機関銃の銃身。
銃床を片手でつかみ、目一杯外側に広げ、銃身を海に突っ込んでいる。
銃身先端部にある消炎器に、魔法力でシールドを展開し、海水を巻き上げる。
巻き上げられた海水が、水煙となって宙を舞う。
シールドで海水の抵抗を打ち消しているとはいえ、きつい。
ただでさえ気をつかう、海面すれすれの飛行。
片手で保持した機関銃。
張りっぱなしのシールド。
(まだ…まだ…?)
途切れそうになる集中力を、何とかかき集める。
上空の九九艦戦と、眼前に広がる海面と交互に目を向ける。
(動いた!)
九九艦戦が上昇を開始。
青島も上昇を開始。海面から体を離し、乱れた呼吸を整える。
「スミレ3。上昇開始!」
鬱憤を晴らすかのように、高らかに宣言すると、ユニットに全力で魔力を叩き込む。
ムチを打たれた馬のように、魔道エンジン「栄一二型」がいななく。
青島は三つ編みを揺らしながら、空へ駆け上がった。

上昇する九九艦戦が見える。
「スミレ2よりスミレ4。吊られたフリして下抜けるよー」
今井が身振り手振りで、有井に説明する。せわしない。
「で、抜けたら反転上昇♪後は追っかけっこだから♪」
何が嬉しいのか、今井は体を横に一回転。発育の良い胸が揺れる。
有井が自分の胸と見比べる。
無抵抗機。
「は…はぁ…」
何も無い胸から顔を上げ、気もそぞろに答える。
今井がその様子を見て小首をかしげる。
「んん~~、まぁ、私に付いて来れば問題ナシ!」
ドンッと胸を叩く。そしてまた揺れる胸。
「スミレ4…了解です…」
重いため息と共に有井は答えた。

高度7000mからの自由降下。
魔導エンジンをアイドリング回転数まで落す。
必要な推力を失い、長谷川は重力に導かれるまま墜ちていく。
推力を切り、音を消し、気配を殺し、藤田率いる九九艦戦隊めがけて墜ちて行く。
長谷川は自らの腕と、ストライカーユニットに取り付けられた小さな翼で、速度と方向をコントロール。
九九艦戦が今井と有井に喰らい付こうと、針路を変えていくのが見える。
(まぁ、そうだわな。そうするよなぁ~)
一人ニヤニヤと笑う。
(まだ、こっちに気付いてないのかなぁ~?)
青島の陽動も上手くいったのだろう。
少なくとも長谷川を迎え撃つような動きは見られない。
もっとも、あれだけ派手に水煙を起こさせたのだ。嫌でも目に付く。気付かない訳がない。
そして「長谷川は青島と一緒に上昇してくる」と思っているはずだ。上空への警戒は緩んでいる。むしろ上昇までしている。今が頃合。
奇襲。
ぐんぐんと高度を下げる。
長谷川は今回の奇襲のために単身、回り込み、点在する雲に隠れ、太陽を背にしてようやく、このポジションまでたどり着いたのだ。
そう簡単に気付いてもらっては困る。
(よし!取り付いた!)
目の前には最後尾を飛ぶ九九艦戦。
機関銃を背負い、南部小型拳銃を抜き放つ。
魔導エンジンをわずかに吹かし、微調整。
そのまま後上方から九九艦戦の機体に跳び付くと、拳銃のグリップで風防をノックした。

藤田が迫り来る二機が今井と有井であることを視認。
(下を抜ける気か!?)
先程までこちらに合わせ、上昇していた今井と有井がわずかに高度を下げる。
「雷鳥1から各機。一小隊は降下、すれ違い様に一撃!二小隊は反転、上からかぶせろ!」
命令を下すと操縦桿を押し込む。藤田を含む第一小隊の四機が緩降下を開始。機首を今井たち二人の未来位置へと向ける。
今井が速度を上げ、九九艦戦の編隊をくぐろうと突っ込む。が、有井は突っ込みにためらった。今井との間隔が開く。
軌道が交差。7.7mm機銃の発射レバーを引き絞った。
「テッ!」
九九式艦上戦闘機が二丁づつ装備する7.7mm機銃、計八丁が濃密な弾幕を形成。突出した今井に降り注ぐ。
確かな手応え。
『白サギ2より各機。雷鳥8。判定、撃墜』
「なっ!?」
予想外の事態。
『雷鳥7、撃墜。スミレ2、撃墜』
審判役の九七艦攻から、次々と撃墜判定の無線が入る。
藤田はその間も機体を旋回させながら、周囲を見回す。
「雷鳥6!ケツに付かれてるぞ!」
見上げると旋回を終え、有井と水平格闘戦を始めた雷鳥5と雷鳥6。
その後方には航空歩兵。黒髪をなびかせた、その姿は見間違えようが無い。
(長谷川!?ヤロッ!)

「スミレ4。降下、そのまま引きずり回せ」
長谷川が指示を飛ばし、有井が旋回を繰り返しながら高度を下げる。
自らは攻撃位置へ。雷鳥6に素早く照準を合わせると、そのまま射撃。
しかし、敵もさるもの、機体を左右に振って攻撃をかわす。
長谷川が速度を上げ、距離を詰める。
呼応して雷鳥6はフワリと舞い上がるように高度を取り、スロットルを絞る。急減速。長谷川を追い越させ、再加速。
長谷川はこれを無視して、さらに加速。まっすぐに抜いて行く。
「スミレ4へ。反転上昇。私のケツのヤツを墜とせ!」
「了解しました!」
指示に従い、素早く旋回、力強く上昇。それに雷鳥5が追いすがる。
有井を追うのに夢中になっている。雷鳥5が無防備な姿をさらけ出す。
射撃開始。
長谷川が放つペイント弾が、九九式艦上戦闘機の銀翼に花を咲かせる。
同時に後方から雷鳥6が射撃を開始。長谷川にペイント弾の雨が降り注ぐ。二発三発と照準が正確になり、至近距離をかすめる。その度に体を上下左右へ小刻みに動かし、最小限の動きで回避する。
が、それも長くは続かない。
雷鳥6の死角。真下からペイント弾を撒き散らし、有井が上昇。瞬く間に九九艦戦の底部が、ペイント弾の塗料で塗りつぶされる。
「スミレ4からスミレ1。目標を撃つ、ひゃっ!?」
報告中だった有井の無線が、盛大な破裂音と共に途切れる。
長谷川が振り返ると、そこには頭からペイント弾の塗料をかぶった有井と、藤田率いる九九式艦上戦闘機一個小隊の姿。
密集隊形を解き、適度な間隔を持った楔型へと、隊形を変えながら長谷川へと迫る。
その姿を確認した長谷川は水平旋回で、九九艦戦へと相対する。大きく弧を描き、九九艦戦編隊の左端、雷鳥2へ体を向ける。正対はしない。側面から突くような軌道。
視線を巡らせ、周囲を確認。笑みが浮かぶ。
九九艦戦隊も意図を察して、右翼の二機が突出。長谷川を取り囲むように隊形を変える。
長谷川が叫ぶ。
「スミレ3。今!」
「了!抜けます!」
上昇してきた青島が追い着き、突出した九九艦戦の一機へ射撃。九九艦戦がとっさに操縦桿を倒し、回避機動。が、時すでに遅し。
撃墜。
そのまま上空へと、通り魔のように抜け去って行く。
残った九九艦戦三機の編隊が乱れ、散り散りなった。
長谷川がくの字を書くように鋭い急旋回。突出していた残りの一機に突進。問答無用でペイント弾を叩き込む。回避機動中だった九九艦戦、雷鳥4の無防備な腹に吸い込まれ、鮮やかな弾痕を刻む。
雷鳥4を撃墜。
(あと二機!)
残るは藤田大尉の駆る雷鳥1と鈴木中尉の雷鳥2のみ。しかし、こちらも長谷川自身と青島一飛曹の二人しか残っていない。
二対二。
戦力は同数だが、飛行時間も経験も向こうが上。あなどれる相手ではない。油断すれば、こちらが喰われる。
先程の回避機動で、長谷川との距離を開けた雷鳥1と雷鳥2が上昇。青島を狙う。
上昇し切った青島が、航空歩兵らしい小回りを利かせ反転。体を180度回転し、降下。上空から九九艦戦に襲い掛かる。
真正面からの、ど突き合い。
航空学校でも航空教範でも「下策」として、推奨されない「反航戦」を双方が選択する。
距離は一瞬で詰まり、九九艦戦の7.7mm機銃と青島の13mm機関銃が、同時にペイント弾を撃ち出す。
(射撃と同時に回避)
双方共に考えることは同じ。一連射を浴びせ、相手の射線から逃れようと機体を、体を滑らせる。
交差。
青島と九九艦戦の上下が入れ替わる。
『スミレ3、撃墜。雷鳥2、撃墜』
審判機からの無線。
相打ち。
青島と雷鳥2は元の色も分からない程に染め上げられ、訓練空域を離脱して行く。
これで一対一。長谷川と藤田の一騎打ち。
長谷川が螺旋階段を上るように、きれいな円を描きながら高度を上げる。藤田も悠々と旋回しながら、長谷川が上がってくるのを待つ。
そして無線の周波数を変えた。

「またお前か!」「またお前か!」
部隊ごとに割り振られた周波数から、共通の周波数帯へ切り替えて、最初に出た言葉は同じだった。
「毎度毎度、姑息な手ぇ使いやがって!」
藤田が吼え、スロットを全開へ。九九式艦上戦闘機に搭載された「寿二型改」が、藤田の怒声に応えるように唸る。最大出力である460馬力を発揮するために、その鼓動を一段と早めていく。
「はぁ~?警戒怠ったあんたが悪いんでしょーが!」
九九艦戦と同高度になったところで上昇を止め、緩旋回。藤田の周りを回るような弧を描く。側面を狙う機動。出力は80%程度に抑える。
「たまには堂々と戦え!」藤田の突進。
「一升瓶懸かってるのに!?」長谷川が九九艦戦目掛けて急旋回。
模擬空戦を賭けのネタにしていたらしい。
「だからだろーが!」操縦桿を引き寄せ、ほぼ垂直に上昇。
「正気!?」追従。藤田を追う。
織物を織るかのように機位を交差させ昇っていく。
「それが『武士道』…っだ!」
九九艦戦の『寿二型改』が悲鳴を上げながらも、機体を引っ張り上げる。
「古っ!」
零式艦上戦闘脚の『栄一二型』が960呪力の出力で、長谷川を悠々と持ち上げる。
「じゃあ、」南部小型拳銃を素早く抜く。
「討ち死にも本望だろー!」
九九艦戦の背面を取ると、拳銃を風防に向ける。至近距離。
「っざけんな!」操縦桿を真横に倒す。
九九艦戦が横転。
長谷川の鼻先を、断頭台よろしく銀翼が掠めた。
金属音。長谷川の拳銃が弾き飛ばされる。
「~~~~!ってーぞ!ボケー!!」
手には当たっていないものの、しびれて思わずうずくまる。
「チッ、落し損ねた!」
軽い失速状態になり墜ちる。が、速やかに立て直す。
「っ、待て!コラァーー!!」長谷川、急降下からの猛追。
「うるせっ!ハエみたいにブンブン飛びやがってー!」降下。重力を利用して増速。
が、徒労。出力に勝る零式艦上脚が、一気に距離を詰める。
「乙女を『ハエ』とは、何事かーーっ!」
機関銃を藤田の九九艦戦に向け、怒声と共に引き金を引き絞る。
「テメーが『乙女』だぁーぁ?」
藤田がラダーを蹴り飛ばす。方向舵が風を蹴り、機体が横滑り。機首が向きを変える。
横を向いた九九艦戦の機体が、防波堤のごとく風を受け止め、その胴体を巨大なエアブレーキにして減速。
九九艦戦の未来位置へ放った弾丸が、むなしく空気だけを引き裂く。
九九艦戦は棒に絡みつくツタのように、キレイな螺旋を描き横転。勢い余った長谷川が追い抜いてしまう。
「『乙女』ってなぁ、もっとお淑やかなもんだ!」
すかさず攻撃位置につけ、藤田は7.7mm機銃を連射。
「夢見てんじゃねーー!」
揃えていた両足を進行方向に振り抜き、体を「つの字」に曲げ逆進。
攻撃を回避。血が逆流し、長谷川の視界が赤くかすむ。
「『ハエ』の次は『エビ』か!」
「『乙女』だっ…言ってんだろー!」
歯を食い縛り、なおも逆進。藤田を追い越させる。が、長谷川の視界も真っ赤に染まる。
「天誅ー!」
目暗撃ちに機関銃弾をばら撒く。手応え無し。
藤田は宙返りで回避。そのまま長谷川の脳天に背面突撃。
「『酒』も『煙草』もやるのは、『乙女』なんか言わねーんだよ!」
「『たしなみ』だっ!って上かー!!」つの字に曲げた上半身を倒し、背面飛行。
赤に染まった視界が、光を取り戻し始めるがまだ霞む。
「くたばれ童貞ヤロー!!!!」音を頼りに銃口を掲げ射撃、連射、乱射。
「『乙女』が『童貞』言うな!!」九九艦戦も7.7mm弾を撒き散らす。
長谷川の体がペイント弾の塗料で色を変える。
藤田の機体もペイント弾の塗料で色を変えた。
『雷鳥1、スミレ1の被弾を確認。状況終了』
白サギ2の宣言。
「チッ」「クソっ」
悪態をつく二人。沈黙。

「…………」
「…………」
翼を並べて帰路に着く。
「…おい」長谷川の呼びかけ。
「あ~?」藤田からの応答。
「先に当たったのは、こっちの弾だからな」
「はっ!何言ってやがる?俺の弾の方が早かったぞ」
長谷川の主張を、藤田が鼻で笑い飛ばす。
「戦闘機動のしすぎで酸欠にでもなったかぁ?」
「てめぇこそ、頭に血が行ってねーんじゃねえの?」
「っだぁ、コラぁ!!」
「おい!白サギ2。応答しろ」
長谷川の咆哮を無視して、藤田が九七艦攻を呼び出す。
『…白サギ2より雷鳥1。…送レ』
白サギ2の原二等飛行兵からの嫌そうな返信。
「どっちの弾が先に当たった?送レ」
『え~、同時。でした』言い難そうに原二等飛行兵。
『あれは同時でしたな』きっぱりと言う小林一飛曹。
『ん?同時だったろ?』投げやり答える田中二飛曹。
「ぐっ!?」「がっ!?」
艦攻搭乗員三人の異口同音の答えに、二の句を繋げず言葉に詰まる。
『この場合、賭けは不成立ですかな?』
からかいがいのあるオモチャが出来た、と言わんばかりに小林の楽しげな声が無線に響く。
藤田は今回の模擬空戦に、日本酒の一升瓶を賭けていた。
「無効に決まってるだろ!」
「なっ!?テメっ酒寄越せ!」
藤田の否定と長谷川の要求。
「っざけんな!負けてもいないのにやれるか!」
「勝てなかったでしょっ!」
犬のようにノドを鳴らして威嚇しあう。
『まぁまぁ、お二人とも落ち着いて。小官に提案があるのですが…』
ことさら楽しげな声で話す小林の提案に、長谷川と藤田の表情は苦虫を噛み潰したようになっていった。


「なんで…こんなことに…」
紫のチャイナドレスに身を包んだ長谷川が、悪夢でも見たかのように頭を抱える。衣装の美点を帳消しにするように、床の上にアグラをかく。
自慢の長髪はお団子にして頭の両脇へ。左足に義足を隠すための白いニーソックス、レースのフリル付き。右は生足。
衣装は石崎艦長のお手製。サイズを測った訳ではないのに、ピッタリの大きさにあつらえてある。
目の前には日本酒の入ったコップと一升瓶。数点のつまみ。
……
小林一飛曹の提案。
『引き分けですので、双方共に賭けていたものを出す。と言う事でいかがか?』
長谷川も藤田もこの提案には難色を示した。
が、小林は模擬空戦を事細かに振り返り、
『…以上のように、本日の模擬空戦は非常に高度、かつ有意義なものであり、この内容を全搭乗員に知らしめ、検証することは全体の技量向上に寄与するものであると、小官は愚考いたします。つきましては、全航空勤務者を対象に勉強会を行うべきであると考えるに至り、その実施をここに進言するものであります』
と、締めくくった。
この長ったらしい口上に二人は毒気を抜かれた。要は、
(付き合ってやった俺たちに酒おごれ)
を、二重三重にオブラートに包み込み、もっともらしい理由を並べ立てて、ゴリ押ししているに過ぎない。
そのための『勉強会』。
結局、根負けした藤田がゲンナリとした声で了承。
長谷川も
(もう、飲めればいいや…)
と、考えてたのであっさりと了承。
酒は藤田が用意した分では足りないので、艦長にたかることに決定。
こうして航空勤務者総出の『勉強会』が、盛大に催されることになった。
までは良かったのだが、長谷川は自分が賭けていたものを忘れていた。
『艦長が作った服で酌してやる』
長谷川が賭けの賞品にしたもの。
艦長が酒を出すと踏んだ理由。
藤田は嫌そうな顔をしたが、他の艦戦搭乗員はウィッチの酌で酒が飲めると色めきたった。
その結果。
着艦と同時に、満面の笑顔で出迎えた艦長に衣装を押し付けられ、風呂に放り込まれ、今井に服を着せられ、青島が髪をいじり、有井にニーソックスを履かせてもらい、記念撮影。
そして現在に至る。
(くそっ!)
今までかたくなに着ることを拒否し続けてきた、『かわいい衣装』に包まれている。
あげく今井にあんなポーズやこんなポーズまで強要され、写真まで撮られた。そしてそのフィルムは止める間も無く主計課に引き渡され、現在現像中だという。
明日から酒保のお品書きに、自分のブロマイドが書き足されると思うと目眩がする。
「~~~~~~っ」
現実逃避するため、なみなみと注がれた日本酒をノドに流し込む。
タンッ
と、小気味良い音を響かせ、空になったコップを床に置く。
すかさず一升瓶が傾き、空のコップが再び日本酒で満たされる。
「で、間淵?何であんたまで居るの?一応『勉強会』なの『勉強会』!搭乗員向けの!」
ギロリと鋭い眼光と共に八つ当たりを敢行。長谷川の周りを囲んでいるのは数名の整備員。
矛先を向けられたのは、対面に座る長谷川のストライカーユニット機付長である間淵。独身街道驀進中の28歳。しれっとした顔で座っている。
「現場の運用を理解しておく必要がある」
これまたしれっと答える。
手酌でコップに注ぐと、なめるように日本酒を飲んだ。
「面白いものも見れる」
長谷川を一瞥すると、ニヤリと笑う。
「ぐっ!?ーーーーーっ!!」
勢い良く酒を飲み干す長谷川。
怒りと羞恥心を酒と共に飲み下す。間淵も黙々と飲む。
思わず顔を背け、ついでに他のグループの様子を盗み見る。
赤いチャイナに身を包んだ今井は、艦長以下参加者の約半数を相手に飲めや歌えやの大騒ぎ。時折、今井が尻に伸びてくる手を叩き落しては、笑顔で蹴りや拳を打ち込んでいるが、ご愛嬌の範囲内だろう。
対照的に一番人が少ない青島のグループ。青いチャイナドレスの青島を中心に、きれいな円陣。盃やつまみを戦闘機に見立て、今日の模擬空戦を振り返っている。酒を飲んではいるが、泥酔したり騒いでいる者はいない。かすかに「…建制順で…」「…対空監視が…」とか真面目な討論が聞こえてくる。
有井は黄色いチャイナの所為もあってか、ニコニコ笑顔がいつも以上にまぶしい。有井は酒こそ飲んでいないものの、終始笑顔だ。それもそのはず、ここだけ「つまみ」がおかしい。『桃缶』やら『羊かん』やらの甘味「だけ」で構成されている。藤田が高笑いをあげては、有井の頭を撫で回し、座を囲む男たちから殺気を浴びていた。
「なぁ、間淵?」
長谷川が身を乗り出し、声を潜める。
「ん?」聞いているのか、いないのか分からない返事。
「前々から怪しいと思っていたが……」そっと藤田を指差す。
「んむ」スルメを噛む間淵。
「やっぱり、あれか?…あれはそういう趣味なのか?」
あきれたのか、失望したのか、嫌悪感が沸いたのか、何とも複雑な表情で間淵に尋ねる。
間淵が藤田を一瞥。
高笑いこそ上げているものの、「節度」を守った笑顔の藤田。どこか慈愛を感じさせる。
「娘さんを思い出すんだろう」
ボソリ、と間淵。
「は?」
豆鉄砲をくらったような長谷川。
「え?や?ムスメ?」
軽く混乱。
「あれが?結婚?してたの?」
まじまじと藤田を見てから、間淵に視線を戻す。
「…………」
間淵、視線と沈黙を持って肯定。
「あれが…?うそ~?」
動物園の珍獣を見るような、長谷川の好奇の眼差し。
ひとしきり観察し終えると、間淵に向き直る。
「で?どんな物好きなの?あいつの嫁さん!」
興味津々で身を乗り出す。
「だいぶ前に、亡くしてる」
「え?」
予想外の答え。
「事故だそうだ」
重々しい口調でつぶやき、酒をあおる。
「…娘さんも?」
「……」
間淵の肯首。
長谷川と間淵を重苦しい空気が支配する。
しばしの沈黙。
「……まぁ…飲め」
間淵が一升瓶を突きつける。
場を暗くしてしまったバツの悪さなのか、とにかく空気を変えようとしているらしい。
長谷川が黙ってコップを差し出す。
間淵も黙ったまま注いでやる。
再び聞こえてくる藤田の高笑い。
二人の視線は、自然とそちらに吸い寄せられる。
「…………まぁ、何だ。酒は楽しく飲むのが一番だな…」
「…同感だ」
そろってコップを傾ける。

その日の酒は、いつもより苦い感じがした。



[18469] ある日の訓練風景
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:acf4f6f5
Date: 2010/07/29 22:42
夏の日差しが容赦なく照りつける、航空母艦『祥鳳』の飛行甲板。
その飛行甲板上で、乗員が肌を焼き続けながら、課業に励む。
祥鳳の艦橋は飛行甲板の下にあるため、日差しを遮る物など何も無い。あるのは数本のアンテナのみという、見事なまでの全通甲板。
日陰に逃れることも出来ず、日光にさらされ、噴き出す汗と共に体力を放出し続ける。
目の前に広がる海に、思わず飛び込みたくなるが、航行中のため不可能。
頼みの綱は、祥鳳が動くことによって生じる潮風のみ。この潮風が無ければ、そろって干物になっているのではないか、と思える日差しと気温。


飛行甲板上には発進ユニットに固定された一機のストライカーユニット。それを取り囲む三人の少女と整備員たち。
「撃ち方ヨーイ!」
夏らしいハツラツとした少女の声が響く。
本日の課業『九九式二十mm機関銃の射撃訓練』。
夏の日差しを受けて黒光りする銃身。ストライカーユニットを装着した少女が、手にした機関銃の筒先をゆっくりと持ち上げる。
標準装備である十三mm機関銃よりも長い銃身、巨大な円形弾倉。
銃口の先には訓練用の標的。駆逐艦『風雲』が曳航するそれは、ゆらゆらと波間を漂う。
銃そのものを体に引き寄せ、抱え込むようにして密着。
「ふーーーー」
深呼吸。余分な力を抜き、心を落ち着かせる。
銃床を肩に食い込ませ、銃把(グリップ)を握り直す。
「テッ!」
号令と共に引き金を引く。
吐き出される弾丸。光る銃口。漂う硝煙。排出された空薬莢がぶつかり合い、管楽器のような音を響かせる。
弾丸が撃ち出される度に、腰まで伸ばした少女の黒髪が揺れる。
一発目が手前で水柱を上げ、二発目が的を射抜き、三発目が的の縁を削った。
「近。命中。ん~、的に当たってるから一応、命中」
「……はぁ~」
安堵のため息。手にした機関銃の銃身を下ろす。
機関銃を手にした少女。長谷川美鶴。特別美人でもなく、可愛いわけでもない顔立ち。つまり平凡。その分、まっすぐに伸びる黒髪が、カラスの濡れ羽のように美しい。『美点』を髪だけにつぎ込んでしまった印象。三人の部下を率いる片足の魔女。
「やっぱり二十mmはダメねぇ。反動は大きいし、デカイ分だけ扱いづらいし」
右手を振って筋肉をほぐす。手にしているのは二十mm機関銃。
「そお?美鶴は当ててるだけエライわよ。私なんか至近弾ばっかり」
単眼鏡を手にした少女。今井栄子。ハリネズミか剣山を思わせる頭。毛先が寝たり、跳ねたりとまとまりのない短髪。苦笑いを浮かべてはいるが、成績の悪さを気にした様子は無し。その面構えは悪童のよう。一応、少尉。
「お前は少し当てる努力をしろ」
長谷川が抑揚のない声で「一応」注意。部下の指導は小隊長の仕事。形だけでも整えておく。
「はっ、了解であります」
おどけた調子で今井が敬礼。
顔を見合わせ、軽く噴き出した。
「さて、気を取り直して。あと3発。有井、準備はいい?」
「は、はい。大丈夫です」
 手に網を持った少女。有井都。キレイに切りそろえたおかっぱ頭がトレードマーク。だが今日は鉄帽(ヘルメット)と一体化。あどけなさの残る顔に、精一杯の気合を込めた真剣な眼差し。しかしそれは虚勢を張る小動物の風体。航空学校を出たばかりの新兵。
手にした『セミ獲り』と呼ばれる網を構え、有井がにじり寄る。この網は機関銃が吐き出す空薬莢を、受け止めて回収、飛散と紛失を防ぐためのもの。
「いつでもどうぞ!」
気合の入った有井を微笑ましく思いながら、長谷川は今井に顔を向ける。
「よし。今井」
「は~い。んじゃあ、ヨーイ…」
機関銃を構え直す。
「テッ!」
長谷川が操る機関銃から放たれる、三発の二十mm弾。
「命中。遠。遠。」
海面に突き刺さる弾丸。『セミ獲り』目掛けて飛んでいく空薬莢。
ぶつかり合う金属音。
軽快に響く金属同士の連続音。今までと違う『空薬莢以外の金属とぶつかった音』。
「?」
不審に思い、音源に目を向ける。と、そこには頭を揺らす有井の姿。受け止め損ねた薬莢が直撃したらしい。それも三発全て。
「ちょっ、有井!?」
「都!?どうしたの!?」
今井が有井の肩をつかみ揺さぶる。鉄帽の重みも加わり、さらに大きく揺れる有井の頭。
「その…薬莢が…鉄パチに…当たっ…響いて…」
一言ごとに有井の頭が、前と後を行ったり来たり。
ちなみに二十mm弾の空薬莢は、長さ約100mm、直径約22mmほどの大きさがある。それが至近距離、しかも三発連続で当たったのだ。
鉄帽が直撃こそ防いでくれたものの、衝撃音が鉄帽内で反響。その音で目を回したらしい。そこに今井のトドメ。まだ揺さぶっている。
「い、今井少尉!落ち着いて!」
鉄帽ごと有井の頭を受け止める少女。青島蘭。雪のように白い肌。やや吊り上がった双眸は、細い顔と相まって『冷たい』印象。髪を一まとめに束ねた三つ編み。それ以外、女の子らしさの主張無し。飛行兵曹長。
「有井。とりあえず座って」
今井から有井をひったくる。有井を座らせると、青島は手早く鉄帽を脱がしてあげた。
「大丈夫?気持ち悪くない?」
「大…じょう…ぶ…です…よぉ…」
明らかに大丈夫ではない返答と、まだ揺れている有井の頭。とりあえず寝かせる。
青島はやおら立ち上がると、今井に向き直る。
「今井少尉!」
腰に手を当て前傾姿勢。説教モードに入る青島。
「えっ!?まっ?ちょっ?え?私ぃぃ?!」
困惑する今井。
「そうです!今井少尉以外に誰が悪いって言うんですか!そもそも鉄帽を着けた状態で揺さぶれば、こうなることは分かるじゃないですか!」
ビシッと指差す青島。
ちなみに、有井がかぶっていた九十式鉄帽の重量は約1kg。
「いや~、ねぇ……つい…」
頭を掻きながら苦笑いで答える今井。視線が上下左右と一通り彷徨ってから、有井に向けられる。
青島の足元に横たわる有井。まだ目を回してぐったりしている。
「つい、じゃありません!上官として、年長者として、もっと落ち着いた行動を心がけてもらわないと困ります!」
「う…まぁ…その…」
普段からは考えられない剣幕で噛み付く青島。気圧される今井。
見かねた長谷川が、今井に助け舟を出す。
「あ~、そう怒るな。今井だって悪気があった訳じゃないんだし」
「そう!そうっ!そうなのよ!!」
今井、両手を振り回して無実をアピール。
じと目で睨みつける青島。
苦笑いを浮かべたまま固まる今井。
「…………はぁ」
ため息と共に青島が脱力。怒るのがむなしくなったらしい。青島の感情が、急速にしぼんでいく。
沈黙。
皆がこの沈黙を破るタイミングを計り合う。
それを一段落と見て取った整備員の一人が声を掛ける。
「まあ、ひとまずそんなところで。こっちは準備出来てるんだけど、次いってもらっていいかな?」
場にそぐわない明るい声で話しかけた男。火器担当整備員の谷。キレイに刈り上げた坊主頭の28歳。ぱっ、と見はさわやかな好青年。
「あっ、そうだな。悪い、悪い。それじゃ、最後は青島な」
長谷川が谷の出した助け舟に飛び乗る。
機関銃を発進ユニットの銃架に降ろし、ストライカーユニットから足を引き抜く。
「青島。ほれ、早く」
長谷川が青島を促す。
飛行甲板に降り立った長谷川。左足の義足が金属音を立てた。
しゃくぜんとしない顔の青島が、ストライカーユニットの装着を開始。
それを見届けた長谷川が、やれやれといった感じで軽いため息を一つ。
独特の歩調で発進ユニットから離れる。
そのまま整備員たちに歩み寄ると、谷の隣に立つ整備員に話しかけた。
「間淵、あれ魔動機の吹けが悪いぞ」
「予備機だからな」
簡潔に答える。長谷川のユニットを担当する、整備員の間淵。大木と呼ぶのがふさわしい大柄な体格。固まったように変わらない表情。表情の変化が少なすぎて、新兵から「よく分からない人」と言われる28歳。
長谷川が「あれ」といったのは、先程まで装着していたストライカーユニット。祥鳳に搭載された予備機の内の一機。整備員には「五号機」と呼ばれている個体。
間淵の返答にはいくつかの意味が込められている。
『お前らのユニットで手一杯で、予備機まで整備できない』
『調子が良ければ予備機になってない』
『お前のユニットは、手を加えてあるんだから一緒にするな』
と、言う内容を含んでいるが、全てを省略した答え。
長谷川もある程度さっしたのか、それ以上は言わない。いつも通りのダルそうな顔。
「それはそうと足から変な音しなかった?」
長谷川の義足を指差し、尋ねる谷。
「あ~、分かるよね~」
バツが悪そうに頭を掻く長谷川。
「最近、手入れサボってたもんだから…」
長谷川の義足は金属製。防錆処理はしてあるが、可動部、ネジ穴、接合部などはどうしても錆が浮きやすい。
それが長期間の航海ともなれば、なおさらのこと。艦に乗るということは、常に潮風にさらされるということ。日々の手入れを怠れば、錆びるのは当然のことだった。
「後で来い。見てやる」
ぼそりと間淵。出来の悪い妹を見る思い。
「あ、うん。頼むわ」
間淵の反応に少し戸惑うが、その厚意に甘えさせてもらう。出来の良い兄に甘えるかのように。
長谷川が、五号機に視線を戻す。
定期点検と訓練支援を兼ねて、飛行甲板に引き出された機体。
見ると青島が、魔道エンジンに火を入れる所だった。
重たげな音を立てて回る魔道エンジン。
すでに熱の行き渡っているため、すぐに規定のアイドリング回転数で安定。しかしその音は、どこか重苦しく感じる。
今日の訓練は「飛行」を伴わない「射撃」訓練。そのためプロペラ状の呪符は発生させない。あくまでストライカーユニットの魔力増幅機能だけを使用。いくらウィッチが普通の人より腕力が優れているとはいえ、二十mmの反動は押さえ切れない。その反動を押えるための魔法力の増幅。
青島が魔道エンジンに、魔力を断続的に流し込む。その度に短い唸りを上げる魔道エンジン。航空九二揮発油が、シリンダー内で勢い良く燃える。
耳を澄ませ、音を確かめる整備員たち。
「吸気か?」不調箇所を尋ねる谷。
「いや、排気だろう」とりあえずのあたりを付ける間淵。
(よく分かるもんだ……)ダルそうな顔で関心する長谷川。
ストライカーユニットの点検を終えた青島が、銃架に置かれた二十mm機関銃に手をかけた。


九九式二十mm一号三型機関銃。
旧名、恵式二十mm機関銃一型改三特。
十二試艦上戦闘脚と共に開発され、零式艦上戦闘脚の主力火器となるべく作られた機関銃。
エリコン社から製造のライセンス権を購入し量産。扶桑海軍が独自の改良を加えつつ、配備を進めるが、配備数、運用実績共に低調。
その理由。
いわく「装弾数が少ない」
よって「継続戦闘時間が短い」
いわく「反動が大きい」
よって「当てにくい」
いわく「図体がデカイ」
よって「邪魔」
使用したウィッチのほとんどが同じ感想。
結論として「不評」。
対して、同時開発されていた十三mm機関銃は「すこぶる好評」。
いわく「必要にして十分な火力」
いわく「火力と携行弾数のバランスが取れている」
いわく「操作性に優れる」
かくして、ウィッチたちの支持を得た十三mm機関銃は、主力火器の座を獲得。『九九式十三mm一号一型機関銃』として『零式艦上戦闘脚一一型』と共に制式採用されることとなる。
一方で、欧州に派遣されたウィッチの一部からは、二十mm機関銃の存続を求める声もあった。二十mmは一発当たりの打撃力が高く、大型ネウロイに対し非常に有効だったためだ。
確かに十三mmは十分な火力があり、大型ネウロイの撃墜も可能ではあった。しかし、そのためには大量の弾薬が必要であり、戦闘も長時間に渡って行われる傾向にあった。
海軍としても、せっかくライセンス生産の権利まで得たものを無駄にする気は無く、現場の意見と合わせ『補助兵装』として採用。二十mm機関銃は『対大型ネウロイ用』の位置付けで運用されることなった。


青島が銃架から二十mm機関銃を持ち上げる。
「銃、点検」
長谷川の号令で槓桿を引き、固定。機関銃を傾け、薬室を覗き込むと、銃口から日光が差し込んでくる。薬室は空。
安全装置、引き金等の外観を確認。
「異常ナシ」
「銃を置け」
引き金を引いて空撃ち。槓桿を戻し、安全装置をかけ、機関銃を銃架に戻す。
「弾薬受領。27発」
再び、長谷川の号令。
「あいよ。弾倉持って来い」
谷が部下に弾倉を運ばせる。
二十mm弾が収められた三個の円形弾倉を、両手で抱えた三等兵。落さないようゆっくりと青島に近づく。
普段、十三mm機関銃で射撃訓練をする際は、自ら弾を込めなければならないが、今日は整備班が装填してくれている。
「9発入り弾倉三個、どうぞ!」
腹から声を吐き出し、青島に差し出す。緊張した面持ちの三等兵。
「9発入り弾倉三個、受領しました」
受け取る青島。三等兵に向けられる、不思議なものを見るような眼差し。なぜ緊張しているのか、分からないといった顔。とりあえず軽く会釈。
三等兵が慌てて回れ右。天にも昇りそうな顔をして、小走りに定位置に戻る。ウィッチに会釈されただけで嬉しかったらしい。
一方の青島。それ以上気にした様子も無く、黙々と確認と準備を進める。

「若いねぇ~」三等兵を見ながら長谷川。
「若いだろぉ?間淵も新兵の時はあんな感じだったんだよ。なあ」同期を冷やかす谷。
「…………」憮然と同期を睨む間淵。

「弾倉準備ヨシ」
青島が弾倉を確認。
収まっているのは二十mm普通弾薬包。黒の塗料で塗られた弾丸。
「射撃準備完了」
射撃訓練のための準備が整ったことを申告。
そこで何かを思い出したように、長谷川に困った顔を向ける。
「長谷川中尉。射撃係、お願いします」
そう言って足元に視線を落す。視線の先には有井。
何とか上半身を起こした有井ではあったが、未だ小刻みに揺れている。
「あ~、分かった。ちょっと待て」
長谷川が仕方ないといった顔で有井に近付くと、鉄帽を拾い上げ、そのままかぶる。あご紐を締め、セミ獲りを持つと青島の隣に立った。
「よし、やるか~。9発」
どこまでもダルそうな長谷川の声。やる気の感じられない動きで、9発入りの弾倉を渡す。
「9発」
青島がうなずき、弾倉を受け取る。
「安全装置を確かめ、9発弾を込め」
「安全装置ヨシ。9発」
銃架から再び機関銃を持ち上げ、給弾口に弾倉をはめ込む。
逆手で槓桿に手をかけ、引く。
初弾装填。
鉄とバネの重い音が響き、薬室に二十mm弾が飲み込まれる。
「弾込めヨシ」
「弾込めヨシ」
長谷川の確認、青島の復唱。
「目標、正面の的(てき)。立姿(りっし)。零点規正3発。時間制限ナシ」
長谷川が射撃要領を指示。
「撃ち方ヨーイ!」
号令と共に、青島が全長約140cmの機関銃を持ち上げる。
呼吸を整え、心を落ち着かせる。波の音、風の音さえも締め出し、ただ目の前の標的に集中。
精神統一。
青島の白く、細い指が引き金に乗せられる。
「テッ!」

闇夜に霜の降る如く

ゆっくりと、静かに引き金を引き絞る。
毎分450発のゆっくりと、間隔の開いた三点射。
タイミングを合わせ、セミ獲りを排莢口に近付ける長谷川。
単眼鏡で的を注視する今井。
「命中、命中、遠」最後の一発が空しく水柱を上げる。
照門の脇にある転輪を回し、照準を調整。
照準自体は狂っていない。青島の好みに合わせる。
「続いて、点検射3発。時間制限ナシ。撃ち方ヨーイ!……テッ!」
「命中、命中、近」銃身が跳ね上がるのを押さえ込みすぎた。
「続けて、3発。……テッ!」
「近、命中、命中」三発目を意識しすぎた。
「弾抜け、安全点検」
長谷川の号令で弾倉を取り外し、槓桿を引き薬室を見せる。
「残弾ナシ。安全点検ヨシ」
長谷川が薬室が空であること確認。次の弾倉を青島に渡す。
「9発、安全装置を確かめ、弾込め」
「9発、安全装置ヨシ、弾込めヨシ」
安全装置をかけ、弾倉をはめ込む青島。
「目標、正面の的。教習射3発。時間制限30秒。撃ち方ヨーイ!……テッ!」
青島が黙々と撃つ、撃つ、撃つ。
暴れる銃身を押さえ込み、垂れ下がる弾丸を考慮し、揺れる標的に呼吸を合わせ、さらに撃ち続ける。
標的に開く巨大な風穴。爆発したように上がる水しぶき。十三mm機関銃より遥かに強力であることを、雄弁に物語る光景。
(やっぱり二十mmはすごい……)
航空学校以来、ひさしぶりに撃つ二十mmの威力に、改めて驚嘆する青島。
(使いこなせれば、有井を、皆を、危険な目に合わせないで済む!)
航空学校で撃った時はただただ、驚くだけだった。弾数にしてほんの数発。それを見世物か何かと勘違いして、同期の仲間たちと歓声をあげて撃っただけ。
教官にしても「教育すべき項目」にあったから、一応触れるだけで、真面目には教えてくれなかった。
だから、実戦部隊に配属されるまで、二十mm機関銃の真価が分からなかった。いや、忘れていた。今、こうして撃つまで。その強力な威力を。


現在の対ネウロイ戦闘の主流は、「空中格闘戦」であり、どうしてもネウロイに接近する必要があった。しかし、近付くと言う事は、それだけ敵の攻撃を受けやすくなるということ。刀剣を用いた白兵戦など行おうものなら、息のかかる距離まで踏み込まねばならないため、そのリスクはさらに大きくなる。
リスクを低減するには、『ネウロイの攻撃範囲外から、ウィッチのみが一方的に攻撃』できる射程距離の長い兵器を用いるのが、一番理想的だ。
だが、ネウロイをアウトレンジ攻撃できるウィッチ用兵器は、非常に少ない。ウィッチが人である以上、『人が持てるサイズ』という運用上の制約があるためだ。その上、弾道を安定させる能力でもない限り、長距離から撃墜することは難しい。
ならば、ネウロイに接近することはやむなしとしても、速やかに撃墜し、戦闘時間の短縮を図るのが、現在採り得る最善のリスク低減策となる。
そしてこの九九式二十mm機関銃は、戦闘時間短縮という要求に、もっとも理想的な答えと言えた。
(これなら、大型ネウロイでも墜せる!)
弾が当たり、その衝撃で標的が揺れる。
(使いこなさなきゃ……使いこなさなきゃ……)


長谷川の持つセミ獲りに、空薬莢が飛び込み、網の中で暴れる。三発入るごとに足元の鉄缶に移す。照準の邪魔にならないよう、わずかに離れ待機。青島が引き金を引くと同時に、セミ獲りを排莢口に近付け、射撃が止まれば離れる。
撃つ、獲る、撃つ、獲る、撃つ、獲る。
繰り返す、繰り返す。
「命中、命中、命中」
装填された弾丸を撃ち尽くす。
「ふーーーーーーーーっ」
長々と息を吐き出し、呼吸を整える青島。
銃把(グリップ)から手を離し、軽く挙げられた右手。
申告。
「射ち終わり」
「弾抜け、安全点検」
弾倉を外し、槓桿を引き、引きっぱなしの状態で固定。
今日の訓練の実施担当官、すなわち長谷川に薬室が見えるように突き出す。
「残弾ナシ」
薬室内をのぞき込み、弾薬が残っていないことを確認。
「控え~銃(つつ)。銃、点検」
青島が外観に破損等が無いことを確かめる。
「異常ナシ」
「もとへ~、銃」
長谷川の号令で、引き金を引いて槓桿を戻す。安全装置をかけて、そのまま銃架へ。
「ヨシ。あがれ」
ダルそうな声でつぶやく長谷川。
それを受け、青島が魔道エンジンの火を落す。
「よ~し、本日の訓練はこれにて終~了~」
長谷川がダルそうな声で終了を宣言。ふと、思い出したように何かを考える。
(片付けダルイな……)
間淵、谷と順番に見る。そして先程の三等兵。目と目が合う。手招き。
おっかなびっくりと、いった感じで長谷川の前に駆け寄る三等兵。
すっ、目を細め、わずかに瞳を潤ませる。妖艶さを出そうとするも、足りない色香。しかし、ウブな三等兵には十分な威力。
カチコチに固まる三等兵。『ウィッチ』というだけで、『女神』か何かと勘違いしているようだ。加えて、今まで女に無縁だったらしい、そんな様子。
「…片付け、頼んでいいかな?」
「はっ!お任せください!」
「機関銃の分解整備も……?」
「もちろんです!!」
妙に湿った声の長谷川。
頬を染めて答える三等兵。お手本のような直立不動と返答。
「うゎ……」
部下の軽率な発言に頭を抱える谷。
「…………」
終始無言、無表情の間淵。
上官に確認も取らずに仕事を増やす三等兵。ユニットの片付けを手伝うのはもちろん、銃の分解整備も長谷川たちの課業に含まれるが、それすらも勝手に引き受けてしまう。げに恐ろしきは若さ故のあやまち。
言質を取った後の長谷川は厄介だ。ここでこちらが何か言えばグズる、ゴネる、スネる。
彼ら整備班には、五号機が搭載する魔導器の分解整備が待っているが、すっかり忘れているご様子。
魔導器の分解整備に掛かる時間の目安は、教範によれば『7~8人で一日』となっている作業。


「若いねぇ~。あとで『バッター』しなきゃダメかな?」
にこやかな谷。表情とは裏腹の、不穏な単語をつぶやく。
整備の負担が増えたので、ご立腹。
『バッター』とは、扶桑皇国海軍に伝わる代表的な精神注入儀式の一つ。棒状の木材を用いて行うのが一般的。翌日は座れなくなる。
「……ビンタにしとけ」
なだめる間淵。
いつもの事と割り切っているらしい。

「さて、面倒な片付けは整備に任せて……」
してやったりの長谷川。背後にはうんざり顔の間淵と谷。とりあえず見なかったことにしておく。
「我々は飯にする」
堂々たる仁王立ちで宣言。会心の笑み。
「了解♪」声が踊る今井。
「はい♪」目を輝かせる有井。
「長谷川中尉。訓練の講評は?」じと目で突っ込む青島。
でも、片付けを押し付けたことには突っ込まない。
長谷川、不思議そうな顔。沈黙。
考える。思い出そうと頭をひねる。
……
…………
………………
「!」
自分の仕事を思い出す。忘れていたらしい。
青島に指を突きつける。
「青島、お前が一番上手かった!なお一層の鍛錬に励むこと!」
次いで今井。
「今井、外しすぎ!弾一発と言えど国民の血税だ。鍛錬に励むこと!」
最後に有井。
「有井……は、あ~、二十mmを使うには無理があったな……」
有井が二十mm機関銃を持つと、まるで機関銃が歩いているように思ったし、撃てば反動にもてあそばれているようだった。
長谷川の講評を受けて、小さい有井がさらに小さくなる。
「まぁ、体が大きくなれば、上手く使えるようになる」
有井の頭を、長谷川が優しくなでる。上官が部下を慰める、見目麗しい光景。
(あ~っ!もう!有井はカワイイなぁ~!)
ニヤケ、とろけ、無様なまでに緩んだ顔になるのを、必死になってこらえる長谷川。しかし鼻孔が不自然なまでに開くのだけはどうにも出来ず。鼻息が荒い。
「以上、講評オワリ!」
「……あ、あの……それだけ、ですか?」
あっけに取られる青島。何とか言葉を搾り出す。
再び、不思議そうな顔をする長谷川。
「ん?ん~、そんなもんだろ?」
「いや、…もっと実戦に即した助言とかをですね……」
全身から力が抜けるのを感じつつ、何とか踏み止まる。
「そうだな、あとは…弾道が垂れるから、出来るだけ近付いて撃て」
「は、はぁ……」
力の抜け切った青島の返事。明確な不満。
そんな青島を見て苦笑する長谷川。
「青島、そんな顔するな。これはあくまでも、二十mmの感覚を忘れないための訓練だ」
やさしく青島を諭す。
「これ以上は、飛行しながらじゃないと、実際の射撃感覚は身に付かん」
ダルさのない、長谷川の声音。ゆっくりと、姉が妹に言い聞かせるように。
「しかし……二十mmは使いこなせば、強力な戦力になります。無駄な格闘戦をしなくてすみます!」
未だ腑に落ちない表情の青島。
「青島。気持ちは分かる。だが、あせるな。ゆっくり確実に、だ。急いで覚えようとしても、どこかで無理が出る」
やさしく青島をなだめる。
「はい……」
力ない青島の返答。うつむき、かすれるような声。
沈黙。
うつむく青島を、静かに見つめる長谷川。
静かに、やさしい眼差しで、青島が分かってくれるのを待ち続ける。
しかし、青島は動かない。答えない。
やがて、
「はぁぁ……仕方の無い奴め。青島一飛曹。明日以降の訓練は二十mm機関銃を使用し、これに習熟すること」
盛大なため息を吐き出し、長谷川が折れる。目一杯の譲歩。あきれるというより、どこか嬉しげな顔。
「!?ありがとうございます!」
ゴネてはみたものの、本当に許可してくれるとは思っていなかった。軽く驚く。
「よし」
「さて、お二人さん?そろそろ食堂に行かない?」
タイミングを見計らっていた今井が、割って入る。
「続きは冷えたサイダーでも飲みながら、ね♪」
「冷えたサイダー!?」
今井の提案に、有井が過剰反応。瞳がランランと輝き、期待に満ちた眼差し。
サイダー自体は艦内で普通に手に入るのだが、冷えていることはない。もっぱら常温で保管されている。
「今井、また炊水員だましたのか?」
長谷川が苦笑を浮かべて尋ねる。
冷蔵庫があるのは炊水所だけ。しかし食品がギッチリと詰まり、サイダーなど冷やすスペースはない。
「人聞きの悪いこといわないでよ」
悪い笑みで答える今井。それで皆が理解した。
(何かやった……)
長谷川と青島が顔を見合わせる。呆れ、不安、複雑な表情。
何で釣ったかは分からないが、手駒を一枚増やしたらしい。
「さあ皆、行きましょ♪」
舷側の階段に向かって歩き始める。
その後を有井が付いて行く。もはや、『冷えたサイダー』しか眼中に無いらしい。フラフラと夢遊病者のような足取り。
やれやれといった顔で、長谷川と青島もそれに続く。


飛行甲板に取り残された整備員たち。
とりあえず、片付けを始める。
「よーし、とっとと片付けるぞ!」
谷が部下たちの頭を小突いて回る。
「テメェは銃に洗浄油、塗っとけ」
三等兵のケツを蹴り上げる。
「作業ハジメ!」
整備員たちが弾かれたように、発進ユニットに取り付き、各々の仕事を始める。
さらにいくつかの注意事項と指示を、部下たちに伝える。
少し離れたところで、その様子を黙って眺める間淵。
伝達すべきことを伝え終えた谷が、間淵の隣に立つ。
「今期の新三はダメだね~」
ニコニコと張り付いた笑顔でぼやく谷。
ちなみに『新三』とは「新規に配属された三等兵」を指す。もっとも、11月になると次の新兵が送り込まれてくるので、彼らは『旧三』になる。
そんな谷のぼやきを無視して、間淵が尋ねる。
「ところで、金網はどうした?」
「見ろよ、間淵。今日はいい天気だぜ……」
遠い目で空を見上げる谷。
見事に晴れ渡った扶桑海の空。澄み切った青空が、水平線の彼方まで続いている。
「で、金網は?」
「あ、ああ……金網……ね」
気まずそうに明後日の方向を見る谷。
間淵が聞いたのは、空薬莢を受け止める箱状に組まれた金網のこと。二十mm機関銃の射撃訓練では普通、この金網を排莢口に付けて使う。なのに今日の訓練では、手持ち式の『セミ獲り』が使用されている。
「壊した」
「誰が?」
「俺が」
「……そうか」
観念したのか、あっけらかんに答える谷。
驚いた様子も無く、無感情な間淵。
肩を並べ、空を見上げる。何も無い空を、二人で眺め続ける。

そんな、ある日の訓練風景。



[18469] 里帰り
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:acf4f6f5
Date: 2010/09/16 23:25
「………………」
とある部屋の前。
扉の前でたたずむ一人の少女。長谷川美鶴。
腰まで伸ばしたまっすぐの髪が、窓から差し込む日の光を浴びて黒く光る。その黒髪は、まるで扶桑人形のように美しい。だが、その表情は扶桑人形とは似ても似つかない。特別可愛い訳でもなく、かといって美人でもない平凡な顔立ち。その長谷川の表情が『苦渋』『不満』『怯え』を混ぜ合わせたような、複雑なものになっていた。
(久しぶりの上陸なのに……)


舞鶴港。
扶桑海側における皇国海軍の唯一にして、最大の根拠地。
舞鶴湾の四方を山々が取り囲むようにそびえる。この山々が盾となって風を遮り、船を守るため、荒天の影響を受けにくい。また、入り組んだ舞鶴湾の地形は干満差をやわらげ、潮位の変化も少ない。そのため古来より天然の良港として知られてきた。
湾内は東舞鶴と西舞鶴の二地区に大別され、それぞれに港がある。舞鶴東港を海軍が、舞鶴西港を民間が使用している。
皇国海軍は1901年に舞鶴東港を軍港として指定し、舞鶴鎮守府を開庁。初代長官に東郷平八郎海軍中将を迎えたのを皮切りに、扶桑海の守り手として歴史を積み重ねてきた。扶桑海事変以降、その重要性はより一層高まっている。
艦艇への補給、整備はもちろんのこと、造船所を備え、艦船を建造することも可能。
また水兵たちにとっては、心置きなく休める安息の地。周辺には軍人を相手にした下宿、飲食店などが軒を連ね、賑わっている。


長谷川たちの乗る空母『祥鳳』も、補給と休養のために入港。久しぶりの上陸を、部下たちと面白おかしく過ごそうと思っていたところ、昔の上官に呼び出された。
そして先程からにらめっこをしているのは、鎮守府庁舎内にある扉の一つ。この中に長谷川を呼び出した人物がいる。
(逃げたい……逃げて……いいですか?)
心の中で自らに問いかける。
(……そうだ……そうしよう)
固まる表情。脂汗が頬をつたう。
(出頭命令なんてものは……私は聞いてない……聞いてない……)
恐怖にすくんだ心を奮い立たせ、自らに言い聞かせる。
ぎこちない動きで右足が半歩、後へ下がる。
(そうだ……聞いてない……私は有井たちと、あんみつを食べに行くんだ……)
気持ちを切り替えようと、無理に笑顔を作る。何とも痛々しい笑顔。だが、その笑顔で抗う力を呼び起こす。
(上陸、今日は上陸。ひさしぶりの上陸……。逃げろ、逃げるんだ、休みが潰れてしまう……)
心の中で呪文のように、何度も唱える。
(遊ばなきゃ!!)
目に見えない鎖を振り払うように、勢いをつけて回れ右。
と、突如として目の前に壁が現れる。
「ッ!?」
不覚にも驚いて、後ずさる長谷川。
「どうかされましたか長谷川中尉?」
長谷川の行動に疑問符を浮かべ、尋ねたのは男性下士官。下士官の胸板こそが壁の正体。
目の前の扉に気を取られていたため、背後にいたことに気付かなかった。
一瞬遅れて、長谷川が相手を認識。見れば、よく知った顔。
「……こ、近藤兵曹……ひ……ひさしぶりだな」
自らの顔に貼り付かせた愛想笑いが、ひきつる。口が痙攣したように動き、何とか言葉をつむぎ出す。
顔をほころばせる青年下士官。近藤兵曹。すらりとした長身に、無駄なく鍛えられ引き締まった体。二十も半ばになろうというのに、あどけなさを残した純真な笑顔。「好青年」のお手本といえる男。
そして長谷川を呼び出した人物の従兵。
「ごぶさたしております、長谷川中尉」
再開を喜ぶ近藤が、白い歯を見せる。
が、すぐに疑問がぶり返す。
「中佐なら、中でお待ちのはずですが?いらっしゃいませんでしたか?」
怪訝な顔で首をひねる近藤。主の予定を朝から順にたどる。
「外出の予定はありませんでしたし……、会議もなかったので……」
ブツブツと腕を組んで考え込む。が、いくら思い出そうとしても思い出せない。そもそも部屋の主たる『中佐』に、そんな予定が無いので思い出せるはずがない。
近藤の手が無意識のうちに、ドアノブに伸びていく。部屋の中を確認しようとしている。
(マズイっ!!)
見開かれる長谷川の双眸。貼りつけた笑顔が驚愕に変わり、汗が毛穴に戻っていく。部屋の中を確認される訳にはいかない。
「近藤兵曹!」
上ずった声で呼び止める。
ピタリと止まる近藤の手。疑問符を浮かべる近藤の顔。首だけ向きを変える。「何か?」と訴えてくる無垢な瞳。
呼び止めてはみたものの、次の手を考えていない長谷川。思考が止まり、用を成さない長谷川の脳みそ。反射的に単語がこぼれる。
「ふ、艦に…………そう、実は艦に忘れ物をして……取りに戻ろうかと思ってたんだ!」
一つの単語をきっかけに、どうにか理由を思いつく。その場しのぎではあるが……。
近藤が目をしばたかせ、体ごと向き直る。頭の中で長谷川の言葉を咀嚼。嚥下。
「なるほど!そうでしたか!では、自分が取りに行って来ましょう!長谷川中尉は中でお待ちください」
(ちーがーうー!)
心の中で絶叫する長谷川。
そんな心中など斟酌しない近藤。
「で、何を取って来ればよろしいでしょうか?……おや?長谷川中尉?」
頭を抱えてよろめく長谷川。不思議そうに首をかしげる近藤。
(ダメだ……また、『こいつら』のペースに巻き込まれる……。平常心。平常心だ)
心の落ち着かせようと、自らに言い聞かせる。
咳払いを一つ。
「いや、なんでもない。勘違いだったようだ。ちゃんと、持って来ていた」
士官としての冷静さ取り戻し、何事も無かったかのように振舞う
「そうでしたか!あっ、立ち話もなんですので、さ、どうぞお入りください!」
長谷川の言動を不審にも思わず、忘れ物のことなどあっさりと彼方に追いやり、近藤が再びドアノブに手を伸ばす。
冷静さを取り戻し、回転を始めた長谷川の脳みそが、出頭を回避する理由を瞬時に作成。再び近藤を止める。
「待て、近藤兵曹。実は部下たちと大事な約束をしていてだな、後日改めて出頭すると伝えてもらえないか?」
「約束ですか?」
きょとんとなる近藤を尻目に、滔々と語り出す長谷川。
「そう。部下の中には、まだ舞鶴に明るくない者もいてな。そこで市内の巡察を兼ねて、舞鶴を案内しようと思っていたのだ。今回の寄港期間は短い。今日を逃せば、次の寄港日まで待たねばならん。それはあまりに不憫だ。だからこの機を逃す訳にはいかん。それに部下との親交も深まる。これは士官として、上官として重要な任務なのだ。中佐も『部下たちと積極的に親睦を深めるべし』と常々言っておられたものだ。すまないが、今日のところはご容赦いただきたいのだ」
使い慣れない言葉使い。思いついた単語を並べに並べ、体裁を整えるがどこかぎこちない。
いかにも「残念だ」という表情を作り、視線を落す。
「なんと!長谷川中尉の部下を思いやるそのお心!この近藤、感服いたしました!!」
突如、感涙にむせぶ近藤。
「士官として、軍人としてかように立派になられて……中佐もさぞお喜びになることでしょう!」
拳を固め感極まる近藤。
冷や汗を流し、近藤がだまされることを願う長谷川。
「わかりました!長谷川中尉、中佐には自分がその旨伝えておきましょう!」
(よしっ!)
心の中で歓声を上げる長谷川。表情を崩さないようにこらえる。
「そ、そろそろ行かねばならんので……」
近藤を刺激しないよう、落ち着いた声音で告げる。
静かに。慎重に。しかし迅速に。この機を逃すまいと、ジリジリと後ずさる長谷川。
「頼んだぞ、近藤兵曹……」
「お任せください!」
晴れやかな笑顔で快諾する近藤兵曹。
「う……うむ」
上ずり、詰まりながらも何とか応じ、長谷川が回れ右をしようとした、その時、
「…………美鶴ちゃん」
長谷川の耳に、かすかに聞こえてくる悲しみに満ちた声。それはまるで幽霊のような物悲しさ。
思考が止まる。真夏だというのに、一瞬にして空気が凍てつき、長谷川の体温を奪い去る。冷凍庫に放り込まれたのではないかと錯覚。
体が固まる。ヘビににらまれたカエルのように動けない。筋肉が萎縮し、自由に動かすことが出来ない。目だけがかろうじて動く。
(だ、ダメだ、目を合わせちゃ、ダメだ……)
しかしその眼球も長谷川の意に反して、声がした方へと吸い寄せられていく。
「……美鶴ちゃんは、私を見捨てるのね……」
再び聞こえてくる声。涙声で鼻をすする音まで聞こえてくる。
部屋の中、ドアの隙間からのぞく女性の泣き顔。その制服に付いているのは、中佐の階級章。
「は……波多野中佐……」
口の自由を取り戻すが、名前をつぶやくのが精一杯の長谷川。
目が合う。
波多野の瞳が、悲しみから怒りへと変わってゆく。そしてありえない勢いで扉を開く。一枚板で作られた堅牢な扉が、一瞬で視界から消え去り、壁に叩き付けられる。蝶番がきしみ、悲鳴を上げるが、健気にもその使命を全うし、扉を壁につなぎ止めた。
そして現れたのは一人の女性。波多野中佐。軽くウェーブのかかった長髪。細く引き締まった腰。これでもかと、その存在を主張する大きな尻。スイカかメロンでも詰めているかと、思わせる巨大な胸。二十も半ばに差し掛かり、大人の魅力も追加。まさに人間誘蛾灯。ちなみに人妻。
二十歳を越え、アガリを迎えると、若手海軍士官と結婚。そのまま引退するかと思われたが、海軍に残った。今は海兵団で新人ウィッチの教育にあたっている。
「近藤兵曹!どうして美鶴ちゃんを止めないの!?」
「波多野中佐!誤解です!長谷川中尉の説得はすでに終了し、只今お連れするところだったのです!」
「へ?」
怒りに任せ、わめき散らす波多野。
さわやかな笑顔で、平然と嘘をつく近藤。
近藤の変わり身に、あっけに取られる長谷川。
「……本当に?」
グズりながら問いただす波多野。その姿はまるで幼子。
「本当です、波多野中佐!そもそも長谷川中尉が、波多野中佐との約束を破ることなどありえません!」
純真な瞳で、まっすぐに波多野を見つめる近藤。「嘘など生まれてこの方、一度もついたことなどありません」と言わんばかりに、力説している。
「いや、ちょっと待て……」
目の前で繰り広げられる光景に、付いて行けなくなる長谷川。とりあえず近藤兵曹を止めようとするが、あっさりと無視される。
「申し訳ありません波多野中佐。中佐を驚かせようと、二人で一芝居させていただきました」
「まぁ!そうだったの!?もう、びっくりするじゃない」
先程までの怒りや悲しみなどどこへやら。愛らしい仕草で『てへっ』などしている。
「あの、私の話を……」
長谷川が口を挟もうとするが、二人の耳には届いていない。
「じゃあ、いたずらはこれでお終いね。さっ、部屋に入って♪」
聖母か仏かと思う満面の笑顔で波多野。
「さぁ、長谷川中尉。参りましょうか!」
これまた満面の笑みで近藤。
問答無用で長谷川の奥襟をつかみ、持ち上げる。まるで子猫のように、吊り上げられた長谷川。とっさのことに反応出来ず、されるがままにダラリとだらしなくぶら下がる。
呆然。
「あ、いや、自分は部下とあんみつを食べに行く約束が……」
かろうじてそれだけつぶやく。もはや長谷川の声に抑揚など無い。
近藤の目がカッと見開かれる。やっと長谷川の言葉に反応。
「それはなんと言う奇遇!今日はお茶請けに高村屋のあんみつを取り寄せてあります!」
「まぁ、本当!?あそこのあんみつ美味しいのよね~♪」
無邪気に手を叩いて喜ぶ波多野。
「近藤兵曹。さっそくお茶をいれてちょうだい♪」
「了解です。波多野中佐♪」
廊下に響く楽しげな二人の声。
ぶら下がったままの長谷川。
「うふふふふふふ♪」
「はっはっはっはっは」
「だから、部下と食べに……」
蚊の鳴くような声でつぶやく長谷川。
当然、耳に入っていない波多野と近藤。
長谷川は、波多野の執務室に連れ込まれた。



「本当、ひさしぶりね、美鶴ちゃん♪」
「は……はい、不義理しとります……」
長谷川との再会を喜ぶ波多野。
波多野との再会を避けたかった長谷川。
波多野の執務室。
面積自体はさほど広い部屋ではないものの、波多野一人で使うには十分なスペース。
一見すると地味ではあるがその実、金のかかっている事務用品、調度品の数々。
マホガニーの執務机、落ち着いた色調の赤い絨毯、ブリタニア製の万年筆、カールスラント製の置時計。そして波多野自慢のスオムス製応接セット。
長谷川と波多野、二人の間には応接机。スオムス製の背の低い木製の机。派手な彫り物や細工が施されていない質素な作り。良質な材木を使い、丁寧に作り込まれた一品。合わせ目や表面処理の仕方から、これを作った職人の生真面目さをうかがい知ることが出来る。
近藤が机の上にお茶とあんみつを、几帳面に並べていく。その様子を満足気に眺めていた波多野が、用件を切り出す。
「でね、早速で悪いんだけど、今日来てもらったはね」
「は……はぁ……」
女学生が友人と話すような調子で、切り出す波多野。
力の抜け切った長谷川。話の内容など検討がついている。
「また実家に帰らなかったんですって?お父様とお母様が心配してらしたわよ?」
(やっぱり……)
そう言って波多野が、机の下から取り出したのは封筒の束。百科事典並みの厚さがある。長谷川はその厚さを見ただけで、げんなりしてしまった。
(どんだけ送ってるんだ、あの親共は……)
軽い目眩をおぼえ、頭を抱える。
「あっ、波多野中佐。今日の分です」
近藤が胸ポケットから一通の封筒を取り出すと、束の上に足した。
(毎日か!?もしかして毎日なのか!?)
恥ずかしさのあまり机に突っ伏す。もう泣きそう。
今までにも波多野に、近況を尋ねる手紙を送っていることは知っていた。しかし、ここまで頻度が上がっているとは知らなかった。まさか、自分の親がここまで恥ずかしい真似をしているなど、予想の範囲外だった。
「でね?帰ってこないのは、『悪い虫』が付いたんじゃないか、って言い出してて……」
「なっ!?何でそういうことになるんですか!?!?」
困惑顔で伝える波多野。
涙目で、叫び、否定する長谷川。
「『いない』って伝えても、信じてもらえなくて……」
「あの腐れ親共は~~!」
怒りと恥ずかしさで、長谷川の顔が真っ赤に染まる。
「念のために聞くと……いないのよね?」
「いませんよ!そんなの!」
絶叫を持って否定する長谷川。
自分が恋愛をするなど、考えたことなど無い。想像すら出来ない。
「本当?」
「本当です!」
「艦内に『いい人』とかいたりしない?」
「いません!」
波多野の疑惑の眼差しと、長谷川の即答による応酬。
「良かったわ!」
再び笑みを浮かべた波多野が、手を叩いて喜ぶ。
机の下から風呂敷包みを取り出すと、長谷川の前に差し出す。
(しまった!)
長谷川が己がうかつを呪うが、後の祭り。
波多野が風呂敷をほどく。出てきたのは「寿」の文字が箔押しされた見合い写真。それが何枚も積み重なり、「山」と形容できそうな勢い。
「前は美鶴ちゃんのおめがねに適わなかったけど、今回は自信があるの!」
可愛らしい仕草と、力強い宣言。波多野が一枚、また一枚とめくっては解説を加えつつ、長谷川の前に広げていく。
「こちらが千葉退役中将のお孫さんで、今は江田島で勉強中♪こちらは園崎少将の息子さんで、『高雄』の航海長♪こっちは名塚大佐の次男で海軍省勤務♪大橋准将の甥子さんでしょ♪で、今回の掘り出し物はこちらの世戸中尉ね、今期一番の有望株で、出世頭よ♪」
にこにこと笑顔で机一杯に広げられる見合い写真。
(また、始まった……)
長谷川はこめかみを押さえ、襲い来る頭痛と闘い続ける。
波多野が見合いを勧めるのは、これが初めてではない。今までにも何度か、長谷川に攻勢を試みてはいるものの、いつも逃げられている。
とりあえず、目の前に出された茶を流し込み、一呼吸。
「波多野中佐。自分の親の話と、見合い話がどうしてつながるのでしょうか?」
毅然とした態度で、波多野に質問する。
波多野の手が止まり、呆気に取られた顔を向けてくる。じっくり五秒、長谷川を見つめると、柔和な笑みを湛える。
「あのね美鶴ちゃん。ご両親に安心してもらうのが一番だと思うの。だから『悪い虫』じゃなくて『善い虫』が付いてると、安心できると思うの♪」
「結局『虫』ですか!?」
素で失礼なことを口走る波多野。でも気にしない。
「さぁ、美鶴ちゃん。ご両親を安心させるためにも、善い虫を選びましょ!」
長谷川の突っ込みを、あっさりと無視する波多野。
「自分はまだ結婚する気はありません!!」
机を叩き立ち上がる。断固として拒否する長谷川。
「…………美鶴ちゃん……私は美鶴ちゃんに幸せになって欲しいだけなのに……」
長谷川の拒絶に衝撃を受ける波多野。机にのの字を書きながら、泣き崩れる。
傍らに控えていた近藤が、音も無くハンカチを取り出し、波多野に握らせる。
「長谷川中尉。波多野中佐の心中もお察しください。中佐はあの時のことを、今も気に病んでおられるのです……」
静かに語り出す近藤。
あの時。
波多野の指揮の下で戦った『扶桑海事変』。
長谷川はその時、撃墜され、左足を失った。
僚機も失った。
好きになれない人物ではあったが、嫌いという程ではなかった。今、話すことが出来れば、共に笑い合うことができるかもしれない……。過去を振り返る度に、そう思う。
「あの時を悔やめばこそ、せめて長谷川中尉には幸せになって欲しいと願っているのです。……その気持ちだけは、どうか分かっていただけないでしょうか」
沈痛な面持ちで、波多野の心中を語る近藤。その表情にいつもの明るさは無い。
「いいのよ、近藤……これは私が勝手にやっていることだから……」
ハンカチで涙をぬぐい、波多野が顔を上げる。
「なんと、おいたわしい……」
入れ替わるように近藤が目頭を押さえ、顔を背ける。
静寂。
室内を陰鬱な空気が支配する。
涙目で虚空を見つめる波多野。悲劇のヒロインの風情。
音も無く涙を流し続ける近藤。忠臣の趣。
半眼、呆れ顔で眺める長谷川。三文芝居を見せられた心境。
「……で、旦那さんは元気ですか?波多野中佐」
抑揚の無い声で、尋ねる長谷川。質問がもたらす結果を知っているが、あえて話題をそらす。
「もうっ♪聞いてよ美鶴ちゃん♪」
泣いたカラスがもう笑った、とばかりに頬を染め、だらしなく目尻を下げる波多野。照れ隠しのつもりなのか、パタパタと忙しなく手を振る。自ら作った静寂を、自らの黄色い声でぶち壊す。
(早く『海漬く屍』になっちまえ……)
波多野に忠誠以上の感情を持つ近藤が、露骨に嫌な顔に。無論、波多野に見えない位置で。
長谷川と近藤。目が合う。互いにうんざりとした表情を浮かべ、苦笑い。
「でね、この間、あの人の上陸日にね♪」
もはや長谷川と近藤のことなど、目に入っていない波多野。照れ、笑い、すねて百面相の如く表情を変えながらノロケ話を始める。こうなるともう止まらない、止められない。
その様子を見なかったことにして、長谷川があんみつに手を伸ばす。
黒蜜に絡まった寒天を餡と共に一すくい、静かに口に運ぶ。
とたん口の中に広がる、黒蜜、餡、寒天が奏でるハーモニー。甘すぎず、かといって甘さが足りないわけではない上品な餡の甘み、鼻孔をくすぐる黒砂糖のほのかな香り、舌に絡みついて離れない蜂蜜。赤えんどう豆の質素な食味と、塩味が黒蜜の甘さとコントラストとなって、ひときわ輝く。大きすぎず、小さすぎず絶妙なサイズに切り分けられた寒天。伊豆七島産の天草から作られている。口の中に入れると、まるで雪のように溶け去る。餡と寒天、渾然一体となって口内を甘さで包み込む。
それは正に『幸せ』の味だった。
(ん~、やっぱり高村屋のあんみつは寒天が違うのよね~)
目を細め、口一杯に広がる餡の甘さを堪能する長谷川。
(さくらんぼの砂糖漬けは最後にして……)
「二人で映画を観に行ったんだけど♪『恋愛映画は嫌だ』なんて言ってたのに、あの人ったら……」
一口づつ、ゆっくりと、かみ締めるように味わう長谷川。
「近藤。お茶お替り」
「はっ、少々お待ちを」
近藤が長谷川の湯のみを恭しく受け取る。
「そのあとね♪ガリア料理のお店で、夜景を眺めながらのディナー♪とってもお洒落なお店で、そしたらあの人が……」
「どうぞ」
「あんがと」
近藤が静かに湯のみを置く。
静かに緑茶をすすり、口の中の甘みを洗い流す。
そして最後の楽しみに取っておいた、サクランボの砂糖漬けをかみ締める。
「~~っ!」
先程までの上品な餡の甘さと違う、強烈な甘さ。サクランボ自体の甘さに加え、しっかりと染み渡った砂糖の味。暴力的な甘みが口の中を駆け巡る。
その過激な甘さに思わず身悶える長谷川。しかし、顔は幸せそのもの。
「あんみつのお替りもありますよ」
「え?あるの?」
近藤の言葉に、年相応の少女らしく目を輝かせる長谷川。
「やっぱりあの映画のせいなのかしら、あの人ったら激しく私を求めて来て……」
「はい。お待ちください」
言うが早いか、空になった長谷川の小鉢と波多野の小鉢を入れ替える。波多野に気付いた様子はない。
「どうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
嬉々として二杯目に取り掛かる長谷川。
一人ノロケ話を続ける波多野。
負のオーラをまとい始める近藤。
波多野の独演会はこの後、きっかり30分続いた。



「はぁ~、仕方ないわね……今回のお見合いはあきらめるわ」
波多野がしょぼんと落ち込みながら敗北宣言。
ノロケ話を終えた波多野は、再度見合い話を切り出した。しかし、しゃべり疲れた波多野の言葉にキレは無く、長谷川を陥落させるには至らなかった。
「ご理解いただけたようで何よりです」
安堵のため息をつく長谷川。
「でもね……」
波多野がそこで言葉を区切る。
近藤がそれに合わせて、机の上の見合い写真を片付けると、一通の封筒を差し出した。
「実家には帰ってもらうわよ♪」
「な!?」
ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる波多野。
長谷川が差し出された封筒をひったくり、中身を改める。
「切符?」
出てきたのは、実家の最寄駅までの汽車の切符。ご丁寧に一等客車と書かれている。それが二枚。つまり往復分。
「美鶴ちゃんの俸給から引いておいたからね♪」
「なっ!?」
「ご実家には電報打ってあるから♪」
「なっっ!?」
「近藤兵曹。美鶴ちゃんを駅まで送ってあげて♪払い戻しされないようにホームまで♪」
「了解しました」
「なぁっっっ!?」
波多野の楽しげな声が転がり、長谷川の絶叫が木霊する。



一時間後。
長谷川は、東舞鶴駅のホームにいた。
「……はぁぁぁぁぁぁ……」
重いため息。
あの後、しぶしぶ『祥鳳』に戻って荷作り。休暇の申請は波多野が手を回して、すでに済ませてあった。仕度が済むと、近藤の私物だという陸王の側車に押し込まれた。
艦内に立て篭もろうとしたのだが、
「藤田の野郎……」
祥鳳の艦戦搭乗員である藤田大尉から、盛大なゲンコツをお見舞いされ、近藤に引き渡されてしまった。
思い出し、脳天をさすりながら、呪詛のようにつぶやく。
(何が『親の気持ちも考えてやれ』だ……)
藤田の言葉を思い出し、顔をしかめる。
「長谷川中尉。お弁当とお茶です」
空気など読みはしない近藤の能天気な声が、長谷川にかけられる。
駅弁を買いに行っていた近藤が戻ってくる。手には一包みの駅弁と、実用一点張りの水筒。
不機嫌なままの顔を向けるが、意に介した様子も無く近藤はしゃべり続ける。
「いやー、いつもと格好が違うから遠目からだと、間違えそうですよ」
今の長谷川は普段と服装が違う。いや、ほんのちょっとだけ違う。
上はいつも通り海軍士官の白い制服だが、下は男性士官用の長ズボンを着用していた。ギリギリ『男装の麗人』と言えなくも無いいでたち。
「この足で、街歩くと面倒なんだよ」
しかめっ面をさらにしかめ、長谷川は自分の左足を叩いて示す。ひざから下は金属製の無骨な義足。長ズボンはそれを隠すためのもの。街に出る時には必ず着用している。
長谷川自身は義足で出歩くことに、もはや抵抗はないのだが、周囲の人はそうはいかない。
年端もいかない女の子が、義足で歩いているというだけでも人目を集める。それがウィッチとなればなおさらのこと。
「飯を食おうとすれば、てんこ盛りにされるし!買い物すればおまけが付いてくるし!同情されるために足失くしたんじゃねーつうの!」
そして長谷川の被害。
被害の内容としては可愛いものだが、その度に向けられる『同情』にうんざり。義足のおかげで多少不便ではあるものの、日常生活には不自由していないし、もはや気に病んでもいない。普通に扱って欲しいのだが、長谷川の気持ちなどお構いなしに『同情』を持って接してくる人々。そして『人の厚意を無碍にするな』と、親に教え込まれて育てられたために、律儀に応えてしまう自分が恨めしい。
「挙句、ガキ共にまとわりつかれて『事変のお話して』なんて言われるんだぞ!?あ~、これは大人もだな、ジジババも!こっちはもう話し飽きたんじゃ、ボケー!!」
何かを振り払うように喚き、近藤に訴える。
しかし、それは仕方の無いこと。扶桑海事変の報道は厳しい統制下に置かれ、国民には断片的な情報しか伝えられていない。そして伝えられる内容は常に『連戦連勝』『ウィッチの勇姿』たまに『逆境を跳ね除けての勝利』に要約される。事実、戦闘は勝利した。しかし犠牲がなかった訳ではない。
戦没者の話など出てこない。出ても新聞の片隅がせいぜい。映像となって、映画館のニュースで流されることはなかった。
文屋も商売。明るく勇ましいニュースが売れるのは当然で、暗いニュースは売れない。規制だけの話でなく、文屋は明るいニュースを求めた。そしてそれは大衆も同じこと。だから新聞も国民も、見なかったことにした。臭いものにふたをするように。
その下地があって作られたのが、映画『扶桑海の閃光』。
陸軍の穴吹智子少尉を起用して作られたこの映画は、扶桑海事変の記録映画としての立場を取りながらも、その作りは痛快娯楽活劇であり、大衆には分かりやすい武勇伝として大ヒット。繰り返し、何度も全国の映画館で上映された。
国民は新聞と映画の中でしか扶桑海事変を知らない。
だから長谷川のような傷痍軍人も知らない。知らないが故に好奇心の対象となる。
「あいつら、こっちがどれだけ苦労したかなんて知りやしねぇ!」
「長谷川中尉、どうか落ち着いて……」
長谷川の語気が荒くなる。
ホームにいた駅員、乗客の目が何事かと向けられる。
「下手すりゃ海軍が最初に接触したことも、戦ってたことさえ知らないのまでいるんだぞ!」
映画『扶桑海の閃光』の功罪。この映画によって国民は、ウィッチの活躍や有用性を認識することが出来た。親近感を持ち、憧れればこそ志願者が増えた。誇れる仕事と思えればこそ、親も『我が子をウィッチに』と願った。しかし、都合のいい武勇伝は、犠牲になった者たちをかえりみることはなかった。
「長谷川中尉!」
近藤が静かだが、鋭い声で長谷川を止める。
普段見ることの無い近藤の鋭い顔付きに、長谷川が気圧され、押し黙る。
「長谷川中尉。お気持ちは分かりますが、どうか……」
「……わかってる」
苦笑いを作り、答える。柄にも無く激昂した自分の恥じる。
その様子を見て取った近藤が、安心したように顔を和らげる。
「ご実家で、ゆっくり休んでください」
「休める訳ないだろ……」
当面の頭痛の種を思い出し、頭を抱える長谷川だった。



汽車に乗り込むと、先ず近藤から受け取った駅弁を食べることにした。先程の怒りを鎮めるには、腹を満たすのが一番手っ取り早いと思ったからだ。
駅弁のふたを開ける。中身は鯛の押し寿司が数貫と、魚のそぼろ、錦糸卵、しいたけをちりばめたちらし寿司。カニの足まで乗っている。
(近藤のヤツ、奮発してくれたな……)
近藤の気遣いに感謝しつつ、口に運ぶ。しかし肝心の味が脳になかなか伝わらない。
心の中で近藤に詫びながら、作業のように駅弁を食べる。
食べ終わり、することも無く、車窓を流れる舞鶴の景色をぼんやりと眺める。
空っぽの頭で街並みを見続ける。
人々が行きかい、賑わう舞鶴の街。汽車は徐々に速度を上げながら市街地を離れていく。
満腹、程よい揺れ、うららかな日差し、すること無し。
夢へと誘う連携技が、長谷川を捉え、襲い掛かる。
長谷川は自分が寝たことに気付かないうちに、夢の世界へと旅立っていた。



1937年 初夏
航空母艦『鳳翔』
背中に掛かる程度に伸ばされた美しい黒髪。大きく見開かれたまっすぐな瞳。まだ幼さの残る赤ら顔に、気合を込める。傍から見れば、緊張しているのが一目で分かる。
しかし、当の本人は冷静で、真面目な軍人を演じているつもり。その目一杯背伸びした姿が微笑ましい。
「皇国海軍少尉、長谷川美鶴!本日付で着任いたしました!」



[18469] 扶桑海事変 1
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:acf4f6f5
Date: 2010/11/14 11:22
1937年 6月18日
航空母艦『鳳翔』
 世界で初めて航空機運用母艦として設計、建造された艦。従来の空母は、他艦種から改装されるのが一般的であり、空母として建造されることは無かった。初めから空母として設計、建造されたのはこの『鳳翔』が世界初となる。
 島型艦橋、傾斜の付いた飛行甲板、起倒式煙突などの新機軸を導入し、当時としては野心的な設計ではあった。が、運用側の評判は芳しいものではなく、後の改装で島型艦橋を撤去。標準的な平型甲板の空母へと生まれ変わった。
 現在は第一艦隊第一航空戦隊に所属。機械化航空歩兵、すなわちウィッチの艦隊における運用法を模索するためのテストケースとして、6人のウィッチから成る、『機械化航空歩兵試験飛行中隊』を運用していた。 
 呉を発して早二ヶ月。鳳翔が所属する第一航空戦隊は、第一艦隊を構成する他の戦隊と共に、北上を続ける。めまぐるしい日程で入港、一般公開、出港、訓練のサイクルを繰り返す。舞鶴、敦賀、新潟と扶桑海側の主要港に寄港してきた。
 
 六月十一日 新潟に第一艦隊第一戦隊ならびに第一水雷戦隊入港。
 同日 第一艦隊第八戦隊、第一潜水戦隊、第一航空戦隊。直江津に入港。
 六月十二日 一般公開。
 六月十三日 一般公開。
 同日夕刻 第一艦隊各戦隊、出港。
 六月十五日 秋田県船川にて合流。秋田沖にて第一艦隊各戦隊による合同演習。
 
 そして合同演習を終えた第一艦隊は、再び戦隊単位に別れて北上を開始。第一戦隊と第一水雷戦隊は小樽。第八戦隊、第一潜水戦隊、第一航空戦隊は函館を目指す。
 今後の予定は小樽、函館で一般公開を行った後、大湊に寄港。補給と休養を済ませ、太平洋側へ。釧路沖にて第二艦隊と合流。第一、第二艦隊による艦隊対抗演習を行うことになっている。
 第一艦隊は『榛名』『伊勢』などの戦艦で構成される第一戦隊を中心に編成された、扶桑皇国海軍の虎の子であり、最強の艦隊。乗り組む将兵の士気は高く、日々是訓練。月月火水木金金を地で行く毎日。
 そしてそれはウィッチも例外ではない。



「はぁはぁはぁ……お願いします!」
 息も絶え絶えに、スカッパー目掛けて走りこんでくる少女。いや、少女というより、まだ子供。長谷川美鶴。階級、少尉。全力で走ってきたのだろう。肩まで伸ばされた黒髪が、振り乱された勢いそのままに乱れ、幼さを残した頬は紅潮している。
一枚の紙切れを、スカッパー脇に立つ少女に突きつける。
「応!長谷川が一番か……」
 鷹揚に頷いて受け取る少女。河合玲子中尉。さっぱりと切られた短髪に、精悍な顔付き。そして少女と言うには大柄な体型と、粗野な言葉使いが『歴戦の猛者』の印象を与える。試験中隊を構成する二個小隊のうちの一つを率いる。
 受け取った紙には艦内の主要箇所が書かれ、その脇にはハンコがびっしりと押されている。
 河合も『スカッパー』の項目にハンコをついて、長谷川に返してやる。
 これで紙に書かれた箇所全てにハンコが押された。
「最後は飛行甲板だ。行け」
「ハイ!」
 大きな返事と共に長谷川が駆け出す。
 それを追うように聞こえてくる新たな足音。飛行靴が床を叩く音がやかましい。
「お願いします!」
 入れ替わりで走り込んで来た少女。大槻杏子。少尉。彼女も少女というより、子供と言った方がいいだろう。マッシュルームのようにキレイに整えられた短髪。やわらかく垂れ下がった目尻。しかしその眼光だけは鋭く光る。
「応!長谷川は目の前だ。死ぬ気で走れ」
「ハイっ!」
「最後、飛行甲板。走れ」
「ハイ!」
 大槻が弾かれたように走り出す。まさに全力疾走。疾風の如く駆けて行く。
「何とも……微笑ましいねぇ」
 二人の新兵を見送った河合が、目を細め一人つぶやく。
 今日は『艦内競技試験』の日。
 一ヶ月に及ぶ「艦内新兵教育」の締めくくりとして、艦内構造をどれだけ掌握できているか試される。長谷川たちに渡された紙には、「艦橋」「電信室」「機関室」など艦内各所の名称が書かれている。それら指定された箇所を全て巡り、待ち構える試験官からハンコかサインをもらう。全て揃えなければゴールすることは許されない。
 如何に効率良くハンコを集め、如何に早くゴールするか。艦内の構造を熟知していなければ、勝つ事が難しいレース。
 そして今回の『艦内競技試験』は長谷川と大槻、ただ二人のためだけに行われている。二人は他の水兵と違い、配属時期が遅かった。
 なぜなら二人は補充要員であり、本来、新兵が配属される時期と違っていた。
 何はともあれ、二人が補充されたことにより、元からあった欠員と病気療養で降りた一人分の穴を埋めることが出来た。
 河合にしてみれば欠員が埋まったのは喜ばしいのだが、長谷川は生真面目すぎるし、大槻は功名心が強すぎるしで、少々頭が痛くはある。だが、それも若さゆえの愛嬌と思っている。
 何よりも、彼女にとっては愛すべき『妹たち』なのだから。
「…………」
 二人の影も、形も、音さえも無くなった通路を眺める。
 懐から煙草を取り出し、ゆっくりと火を着けた。
 軽く一息。
「…………」
 葉の香りを噛み締める。
 もう一度、通路を見やると、河合は飛行甲板への最短ルートへと歩を進めた。



「はーせーがーわー!」
 長谷川が飛行甲板へと続く階段を上りきったその時。
 床を叩く飛行靴のけたたましい音と共に、大槻の怒声が近付いて来た。
 ぎょっ、として振り向く。
「待ていっ!」
 見えたのは勢いも殺さず、階段の手すりに飛びつく大槻。
 後に続く短く、痛そうな音の響き。
 すねを階段に打ちつけ、押え、痛みをこらえる大槻。
「大槻さん!?……大丈夫……?」
 驚愕3分の1、心配3分の1、思わず引いてしまった心3分の1で長谷川が声を掛ける。
「ッ────!」
 こらえる。泣きたくなるのを、痛いのを、全力でこらえる。
「あの……」
 長谷川が再度、声を掛ける。
「っ!」
 返ってきたのは言葉ではなく、敵意あふれる視線。この失態も、痛みも、長谷川が悪いと言わんばかりの瞳。
(うゎ……)
 驚愕も心配も消し飛び、完全に引いてしまう長谷川。物理的にも一歩引く。
 その様子が大槻の負けじ魂を、さらに燃え上がらせる。
「があああああああっ!」
 雄叫び。
 痛みをこらえた大槻が、ケンケンの要領で階段を跳ね上がる。
 耐える。階段に打ち付けたすねの痛みを堪え、歯を食い縛って我慢する。
 跳ねる。階段に打ち付けた足をかばうように、歯を食い縛って跳び上る。
 追う。裂帛の気合を込めて。
 逃げる。本能に従って長谷川が走る。
 訳も分からず体が勝手に動き出す。大槻が放つ謎の気合に押され、心がすくむ。
 しかし、疲れた体と恐れた心。
 体は言うことを聞かず、心は体を御していない。
 足はもつれ、転びそうになるものの、かろうじて堪える。
 だが、堪えるだけ。体は前に進まない。視線は上がらず、視界を埋めるは足元ばかり。
 いや、前に進んではいるが、思ったように進んでいない。進んだ気がしない。
 それでもあがく。体が止まることを許さない。
「待てーいっ!!」
 艦さえも揺らす勢いで、飛行甲板に大槻が着地。靴底が甲板を叩き、落雷の如く周囲に轟音を響かせる。
 その音に驚いた拍子に長谷川の顔が上がる。手足が揃う。
 見えた。
 甲板中央に立つ波多野美智子。軽くウェーブのかかった長髪。細く引き締まった腰。これでもかと、その存在を主張する大きな尻。発育の良過ぎる巨大な胸。試験飛行中隊長兼、第一小隊長。階級は大尉。
 その両脇には甲板作業員他、手隙の乗員が人垣を作り、決着の時を待つ。
「美鶴ちゃ~ん、杏子ちゃ~ん、がんばって~♪」
 波多野の声援が聞こえる。いつも通り能天気な声。
 走る。ゴールである波多野目掛けて、長谷川が走る。
 追う。目の前を走る長谷川目掛けて、大槻が駆ける。
 懸命に走る。足を上げ、腕を振り抜き、最後の力を振り絞る。
 あと10m。
「逃──が──す──かっ!」
 大槻、執念の走り。長谷川に並ぶ。
「っっっっ!!」
 長谷川、火事場の馬鹿力。さらに加速。
 必死に喰らい付く大槻。
 あと5m。
 抜けない、抜かせない、振り切れない。
 あと3m。
 目を閉じる。視界から入る情報を遮断し、一心不乱に走る。
 波多野の手が上がる。それを合図に、格納されていた滑走制止索が立ち上がる。
 あと1m。
 見えないゴールに体が飛び込むのを待つ。神にすがる思い。
 長谷川と大槻。横一線で波多野の脇を駆け抜ける。
「ゴール♪」
 波多野の踊るような声。振り下ろされる手。
 取り囲む乗員たちの歓声と悲鳴。
 二人を襲う衝撃。
「ぶっ!」「がっ!?」
 前方不注意。前を見ていなかった二人が、滑走制止索に仲良く突き刺さる。まるでハエ叩きに潰されたような無様な姿。
 滑走制止索は、空母に備わる航空機収容設備の一つ。本来、制動索をつかみ損ねた航空機を受け止めるための巨大な網。飛んでくる航空機を受け止めるという機能の関係上、衝撃が逃げるようにやわらかく作ってはある。が、あくまで航空機から見れば柔らかいというだけ。人を受け止めるには硬すぎる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 肩で息をしながら、酸素を貪り喰らう。思考は止まったまま。動き出すにはまだ酸素が足りないらしい。
 のろのろと突き刺さった手足を引き抜くと、大の字になって寝転がる。
 忌々しいぐらいに晴れ渡った青空が、視界を埋め尽くす。
 なんの感慨も無い、ただの青空。
 その青空を遮るように、波多野の笑顔が入り込む。
「二人ともお疲れ様。はい、ご褒美♪」
「はぁ、はぁ……ど、どうも……」
 波多野が長谷川と大槻、二人に同じものを手渡す。
 もらったのは紙袋。袋の中身はカリントウ。酒保で買った五銭のお菓子。いつもだったら嬉しいお菓子。
 しかし、今は何より、
(み、水……)
 水が欲しい。
 喉の渇きを潤すため、体を冷ますため、自らを落ち着かせるために水が欲しかった。
 しかし、大槻は違ったようだ。
「ちゅ、中隊長……はぁ、はぁ……どっちが……早かった……ですか?」
 長谷川と同じく、荒い呼吸を繰り返す大槻。頭だけ持ち上げると、息も絶え絶えに波多野に尋ねる。
「私の方が……早かった……はずっ……ですが?」
 大槻が欲したのは勝利。常に『勝利』と『一番』に固執する大槻。その姿勢に、最初は感嘆の念さえ覚えたが、今はただただ呆れるばかり。
「残念、同着よ」
 どこまでも笑みを絶やさない波多野の答え。
 大槻の頭が力なく落ちる。結果に落胆したのだろう。ぐったりとして動かなくなってしまった。
「おー、終わったか」
 いつの間に来たのか、頭上から降り注ぐ河合の声。こちらに歩み寄ると、寝転がる長谷川と大槻を一瞥。破顔するとやさしく笑いかける。
「お前ら、がんばりすぎだ。だが結構、結構。そのぐらいの元気がないと航空歩兵など務まらん。で、波多野さん。どっちが勝ちましたか?」
「同着よ。河合さん」
「か~っ、また波多野さんの勝ちですか!?」
 河合が手で顔を覆い、天を仰ぐ。ため息が漏れる。しぶしぶといった感じで財布を取り出すと、紙幣を一枚抜き出し、波多野に渡した。
「毎度~♪」
 極上の笑顔で受け取る波多野。河合から渡された紙幣を、しっかりとしまう。
 周囲を見回せば似たような光景。乗員同士での金銭と甘味の授受。と、いうかほとんどの乗員が巻き上げられるだけ。整備員、波多野の機付整備員が回収して回っている。
「しかし良く当てられますね」
「だって、二人とも私のかわいい部下なのよ。どっちか選ぶなんて出来ないじゃない!」
 さも当然と言わんばかりに胸を張る。
 波多野はどちらが勝つかなんて予想していない。選ばなかっただけ。選べなかったから、どちらもがんばって欲しかったから、同着に賭けた。ただそれだけ。
「はっはっはっ、こりゃ敵いませんな」
 いかにも参った、といった調子で笑う河合。もう一度、長谷川と大槻を一瞥。
 足元には、疲れ果て、倒れたままの長谷川と大槻。
「波多野さん。そろそろ締めの訓示を」
 やさしく微笑むと、波多野を促す。
「コホン」
 波多野が可愛らしい咳払いを一つ。威厳を正したつもりらしい。
「本日の試験、ご苦労様でした。一ヶ月という短期間にも関わらず、艦内の構造を良く習熟し、迅速な行動をせしえたのは、貴官らの日々の研鑽の賜物です。この結果を良しとせず、更なる精進を重ねることを期待します。以上」
「長谷川、大槻両名は昼食まで休息してよし!午後は通常通り課業を行う。別れ!」
 波多野の訓示。河合の伝達。手順を踏み、形式を整え、まとめ上げる。二人を立たせないのは、少しのやさしさ。
「……あの……河合中尉?」
 寝転がったままの長谷川が、ぼんやりと質問。
「ん?なんだ長谷川?言っとくが、お前に賭けたんだぞ?」
「は、はぁ……あ、いや……」
 何と言ってよいのか……。酸欠の頭は上手く回らない。
「?変なやつだなぁ。まぁ、少し休め」
 ニッと白い歯を見せて笑うと、長谷川から離れる。くるりと綺麗な回れ右。波多野と肩を並べ、歩いて行く。
「河合さん、お茶にしましょう♪」
「や、まだ課業時間内ですよ。少し自重しないと」
「え~!?せっかく間宮の羊かんが手に入ったのに……」
「!?そ、それは……最近、暑くなってきましたし、痛む前に処理しないといけませんな!」
「皆には内緒ね♪」
 にこやかにお茶会の打ち合わせ。内緒もクソもないような音量、でも二人にとっては内緒話。いそいそと艦内へと消えて行く。
 飛行甲板に取り残された長谷川と大槻。未だ起き上がらず、大の字のまま顔を見合わせる。
「……私たち……ダシにされた?」
「そう……みたいね……」
 ぼんやりと長谷川が尋ね、大槻がぼんやりと返す。
 賭けのネタにされていたこととか、間宮の羊かんとか突っ込みたいことがあるのだが、ただ呆気にとられるしかなかった。



 6月19日 航空母艦『鳳翔』 格納庫
 函館への入港を夕刻に控え、長谷川と大槻の二人は、乗機である艇体ユニットの整備に精を出していた。
 『九〇式艦上戦闘艇体』
 扶桑皇国海軍航空戦力の中核を担ってきた、ウィッチ用航空兵装。ブリタニアとリベリオンの艇体ユニットを参考に、長島飛行脚が開発、生産。1932年に制式採用されている。『艇体』とは銘打っているものの、水上機のフロートに似ているという理由で付けられているだけで、実際に浮航能力がある訳ではない。
 艇体ユニットはホウキの延長にあたるもので、機敏に、意のままに操るためのハンドル。疲労を軽減するためのシート。より速く、より効率的に飛ぶための魔導エンジンをホウキに取り付けていった物。進化が進むにつれ、翼が付き、カウルが付き、ホウキの面影は無くなり、もはや「空飛ぶバイク」と言ったほうが近い姿。
 整備台に固定された九〇式。
 起動と停止。
 魔導エンジンを回しては止め、止めては回す。
 その度に整備員が確認と点検。部品を外しては、組み直す。ネジの一本に至るまで、正確に元の位置へ。
 今のところ、問題も無く整備が進む。故障や修理が必要な箇所は見つからず、快調そのもの。油脂類などの定期交換部品だけを交換。
「回り異常ナシ。機体異常ナシ。快調です。発煙装置は明日、取り付けます。では、展示飛行、楽しみにしてますよ」
 整備員が優しい笑顔で、整備報告を済ませ、二人から離れる。
 鳳翔は今回の入港では接岸せず、港内で錨泊することになっている。そのため一般公開の担当艦から外れているが、せっかくだからと言う事で、一時間毎に一個小隊、三機づつで展示飛行を行うことになっている。
「まったく、たまったもんじゃないわよね~」
 整備員が離れたのを確かめると、大槻がぼやく。
「何が?」
「これよ」
 大槻が不満の原因である九〇式の艇体を、ノックするように叩く。
「九六式の生産だって始まったっていうのに、未だ九五式すら貰えず、こんなオンボロ艇体なんて酷いと思わない?」
 不満たらたら、疎ましい物でも見るような目で九〇式を見下ろす大槻。
 思わず、きょとんとなる長谷川。
 特に不満を持った事など無かったし、一ヶ月間ずっと使ってきたので、それなりに愛着もわいてきた所だった。
 しかし大槻は不満だという。
「だいたい『試験飛行中隊』なんていうから、新型に乗れるかと思えば……コレだもの」
 深いため息と苦笑い。
「九六式とは言わないけど、せめて九五式が欲しいと思わない?」
「そお?今の任務ならこれで十分じゃない」
 長谷川がちょっと困った感じで答える。
 中隊の任務は新型機の試験飛行ではない。機械化航空歩兵を空母で運用できるかを試すために編成された部隊。
 主な任務は二つ。航空歩兵をどのように艦隊の戦力として組み込み、運用するかを研究すること。そしてもう一つ。『女の子』を乗せることによって生じる、生活面での問題点を洗い出すこと。
「そりゃ、確かに新しいに越したことは無いけど。九〇式だって素直で扱い易い、いい機体じゃない」
 長谷川の実直な感想。
 それを大槻は分かっていないというように、かぶりを振って切り捨てる。
「聞けば、今のヤツは足に履くから両手は自由に使えるし、運動性も良好。かなり軽快な機動が出来るって言うじゃない。九六式に至っては全金属製だから、急降下だって思いのまま。こんな布張りのオモチャじゃないのよ」
 艇体から突き出た翼を、大槻の指先が叩く。叩かれるたびにピンッと張られた布が、特有の弾力で弾き返す。
「まったく、教官にだまされたわ。何が『海軍航空歩兵の未来を切り拓く、重要な任務』よ。機材は旧式だわ、艦は狭いし、臭いし、むさっ苦しいし。出世の足しになるかと思ったのに、これなら丘の方がマシよ」
「でも、任務は任務よ」
 長谷川が咎めるような視線で、大槻を見据える。
「あら?さすがは優等生の長谷川少尉殿♪言うことが違う」
 そんな視線など意に介さず、嘲笑を持って答える大槻。
 長谷川の視線が怒気を含んだものに変わる。
 共に視線を逸らさず、表情も変えず、にらみ合う。
 長谷川と大槻。
 海軍で始まったばかりの、若年者向け士官教育を受けた同期生。共に練磨し、同じ釜の飯を食べてきたが、決して仲が良かった訳ではない。と、いうかあまり話したことも無かった。
 幼いながらも国防を考え、人の役に立ちたいと志願した長谷川。
 華々しい活躍と、出世を望み、軍を踏み台と考える大槻。
 交わることの無い二人の思い。
 二人の様子に気付き、整備員の耳目が集まりだす。誰もが動きを止め、言葉を発せず、遠巻きに眺める。
 格納庫内の空気が、人が、時間が凍てついたように止まる。
 永遠に続くかと思われた時間。
 だが、それは警報によって打ち破られた。
 狭い格納庫内に警報が鳴り、反響して耳をつんざく。
「何?入港前だっていうのに、まだ訓練するのぉ?」
 気勢をそがれた大槻が、うんざりした調子でぼやく。
 格納庫内の整備員も似たような反応。如何に第一艦隊将兵の士気が高いとはいえ、入港前の訓練は勘弁して欲しいというのが本音。それでも皆、持ち場に向かって動き出す。
 警報が一通り艦内に響き渡ると、スピーカーから流れる艦内放送が後を追う。
『第一戦隊ヨリ救援要請。航空隊発艦ヨーイ。航空隊発艦ヨーイ』
 皆が眉をひそめる。
(『総員戦闘配置』じゃない?救援?訓練じゃない?)
 思ったことは皆同じ。
 しかし、命令は達せられた。例えそれが実戦であろうと、訓練であろうと、命令は命令。軍人である以上、命令に従わなければならない。
 整備員が動き出し、冷めていた格納庫に熱が満ちる。
 早々と河合が格納庫に駆け込んできた。長谷川と大槻の姿を認めると、そのまま駆け寄ってくる。
「長谷川!大槻!飛べるか?!」
 走り込んで来た勢いそのままに、二人に問う。
「は……はい……」
「今、起動点検したばかりですので……」
 河合の剣幕に押された二人が、しどろもどろに答える。
「あの……一体……」
「班長!!」
 必要な答えだけ聞くと、それ以上は無視。整備班長を捕まえ、打ち合わせに入る。
 呆気にとられる長谷川と大槻。立ち尽くす。
 整備班長と二言三言交わした河合が、視界の隅に二人のその様を捉えると、再び怒鳴る。
「何をしとる!とっとと装具を着けろ!」
「はいっ!」「ハイッ!」
 あたふたと装具を点検。河合の剣幕から、飛行服に着替える時間がないことを悟り、作業服の上から装着を始める。
 体が勝手に動く。訓練通り、定められた手順で、定められた装具を着けていく。
 飛行靴、救命胴衣、縛帯、落下傘。
 頭の中は疑問であふれている。
 河合の慌て振りが異常だ。今まであんなに慌てた姿を見たことが無い。
「二号、五号積み込み始めっ!点検はエレベーター上で行え!実弾持って来い!!」
 整備班長の号令一下、整備員の動きがあわただしくなる。
 自分たちの九〇式に整備員が取り付き、整備台ごとエレベーターに運ばれて行く。
 その声、その動きが長谷川と大槻を焦らせる。
「大槻さん、一体何が?!実弾って!?」
「知らないわよ!」
 知らないと知りつつも、聞かずにはいられなかった。落ち着かない。
 それ程までに、河合が格納庫に飛び込んで来てからの空気が違う。
 怒声と共に整備員たちが駆け回る。
 先程までの空気はもはや無く、張り詰めた緊張感が空間を満たしている。
「河合さん!」
 波多野も高畑と増田両一飛曹を伴い、格納庫に飛び込んでくる。
「波多野さん、長谷川と大槻を先行させる!」
 河合の言葉に大きく頷き、二人に駆け寄る波多野。高畑と増田は自分の機体に向かう。
「二人とも準備は?」
 荒い息づかいで長谷川と大槻を順番に見る。
「只今、完了しました!」
「いつでも飛べます!」
「第一戦隊が所属不明の航空機より攻撃を受けています!二人は先行して状況を確認の後、報告!」
「!?」
「時間が無いの、すぐに第一戦隊を追って!詳細は無線で!」
 波多野が早口でまくし立て、エレベーターを指し示す。
 長谷川と大槻の二人が、お互いに顔を合わせて、疑問を浮かべる。
「あの中隊長?」
「早く!」
 有無を言わさぬ強い口調で発言を封じ、二人を急き立てる。
「ハッ!」「了解!」
 反射的に二人が駆け出す。
 エレベーター上では、艇体、武器弾薬を積み終えた整備員が、飛行前点検をしていた。



 扶桑海上空2500m。
 いくつかの点検項目をすっ飛ばし、取るものもとりあえず鳳翔を飛び出した長谷川と大槻。
 愛機である九〇式の艇体ユニットにまたがり、全力で飛ぶ。
(第一戦隊を攻撃……航空機……まさか……でも……)
 疑問で淀む心、快調に回る魔導エンジン。二つの心臓は正反対の鼓動を刻む。
『風神11より風神12、22。感どうか?明どうか?』
 波多野からの無線が聞こえてくる。
「風神22。感、明ヨシ」長谷川が心を現実に引き戻し答える。
『風神12。感ヨシ、明ヨシ』一拍置いて冷静に応答する大槻。
『現在、第一戦隊が所属不明の航空機より攻撃を受け、交戦中。我が中隊はこれを支援します。質問は?』
 無線から聞こえてくる内容は発艦前に聞いたものと変わらない。未だ情報が錯綜しているらしい。違うのは質問を出来る余裕が出来たこと。
「中隊長。敵はオラーシャ軍なのでしょうか?」
 長谷川がくすぶらせていた疑問を吐き出す。
 現在、扶桑海に展開可能な航空戦力を保有しているのは、扶桑皇国を除けばオラーシャ軍以外に存在しない。
『不明。しかし第一戦隊が攻撃を受けているのは事実です』
 波多野もその可能性を考えなかった訳ではない。
 しかし、第一戦隊からの報告は『国籍不明』『機種不明』というものだった。
 通常、航空機には同士討ちを防ぐために、主翼と胴体に国籍を示すマークを描きいれる。それも遠くから視認できるように大きく、派手に。いくら混乱しているとはいえ、それを見落とす程、第一戦隊の水兵はボンクラではない。
 では、何らかの意図があって消しているオラーシャ軍なのか?
 それも否。
 軍では敵味方の識別に、シルエットでの判別法を教え込む。そうすれば国籍マークが見えなくとも、機種を判別することが出来る。機種を特定出来れば、使用している国を調べれば済むだけの事。
 だが、『機種不明』ということは、どこの軍も使用していない機体である事を意味する。
(まさか……新型?)
 波多野がその可能性に思い至るが、頭を振って否定する。
(オラーシャに利するところが無い……)
 たかが新型機のお披露目のためだけに、他国に喧嘩を売っていては外交が成り立たない。周辺国の心象は悪化し、国際的に孤立することは必至。貿易はおろか、人の出入りすらおぼつかなくなりかねない。
 そして扶桑とオラーシャの間に外交上の軋轢が生じたという話は聞かない。
『風神22。憶測に基づく発言は控えろ。我々は起こっている事実にのみ対処する』
 河合が無線に割り込み、諌める。
 起こっていることが全て、そして真実。
 足りない情報と、憶測で得た答えなど、贅肉と同じ。
 疑問は集中を妨げ、懐疑は動きを鈍らせる。
 ならば、自らの目で確かめるのみ。
 与えられた任務を、ただ愚直にはたす。
『命令!大槻、長谷川両名は敵性航空機の情報収集に務むるべし。なお、攻撃は本隊合流をもって行うこととし、これを厳禁とす。以上』
『復唱!大槻、長谷川両名は敵性航空機の情報収集に当たります!』
「長谷川、了解しました!」
 大槻の復唱。長谷川の応答。
『風神21より風神22、12。まずは深呼吸。次いで報告。それからガンカメラで撮影だ。手は出すな。すぐ行くから、先走らずに待ってろ。落ち着いてやれ』
 河合がゆっくりと、落ち着いた声で釘を刺す。
「風神22。了解」
 長谷川が艇体に取り付けられたガンカメラを見やる。発艦前に大急ぎで艇体に取り付けられた。
 その隣にはホルスターに収められた三八式騎銃。何の変哲も無い小銃。だが、今日はその筒先が怪しく光っていた。




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