人は何かを得る為に何かを犠牲にしなければならない。
代償なしに何かを得る事は出来ない。
即ち等価交換……それは世界の真理である。
底の無い人の欲望。
金、地位、名誉、そして命……尽きる事の無い人間の欲望は、やがて神の領域を侵した。
黒い月が世界に光臨し、人間は世界から消えた。
一人の少年と少女を残して……。
世界から人間が消えた日、少年は真理を見た。
彼は『扉』を開いてしまった。
人々の魂が集う部屋の『扉』を。
そして見た。
その『扉』の向こう側を。
かつて黒き月の主である者が得た『知恵の実』という名の膨大な知識を。
人間が人間たる由縁の力を。
群体である人を単体にする『練成』の核となった少年は、『扉』を開き『知恵の実』を得てしまった。
「…………」
呆然と。
数多の知識を得た少年は浜辺で呆然となる。
黒から赤へと変わった目を大きく見開き、虚空を見つめる。
少年の脳裏に数多の情報が駆け巡る。
しかし、少年の望む知識は無かった。
どれだけ膨大な知識を得ようとしても、そこに少年の望むものはない。
死んだ命は蘇らない。
少年は望んだ筈だった。
助けて……。
「!?」
少年の頭に声が響く。
誰か自分達以外に生き残りがいるのか?
そう思って周りを見るが、そこには誰もいない。
怖い……。
出して……。
暗いよ……。
しかし、声は次第に増えて行き、男、女、大人、子供……様々な声が響いて来る。
悲しみ、恐怖、怨嗟、慟哭、苦悶……ありとあらゆる叫び声が頭を、自分の体を駆ける。
少年は理解した。
その声はこの世界の人々のものだ。
依り代となり、世界の中心にされて『扉』を開いてしまった少年は、その身に世界中の人間の魂を内包してしまった。
「うあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
何億という人の魂から発する叫び声に少年が堪えられる筈もなかった。
耳を押さえ、浜辺をのた打ち回っても声が消えることはない。
浜辺に突き出ている岩に自分の額を叩きつける。
何度も何度も……普通の人間ならとっくに死ぬほどの打撲を与える。
しかし、少年は死なない。
額が割れても瞬時に傷が癒え、ただ苦痛を与えるだけだった。
やがて頭を叩きつけるのをやめた少年の目に浜辺に横たわる少女の姿が留まる。
怖かった。
苦手だった。
救えなかった。
穢してしまった。
好きだった……かもしれない。
太陽のように明るく、強く、逞しく、しかし誰よりも儚かった少女。
少女は左目と右腕に包帯を巻かれ、痛々しい姿をしている。
このまま少女は死んでいく。
また救えないという感情が少年に芽生える。
「…………」
少女から、少年は視線を横へ移動する。
眼前に広がる赤い海。
知識が教えてくれる。
この海は人々の肉体が変化したもの。
人が人の形をしていた『拒絶の壁』を取り払われ、一つになった姿。
少年は自分が得た知識を振り絞る。
自分の体には世界中の人の魂があり、目の前の海は人々の肉体が溶け合ったもの。
肉体と魂は引かれ合う。
ならば……、と少年は両の掌をゆっくりと胸の前で合わせる。
神に祈るようなその姿勢で、少年は地面に両手を当てた。
瞬間、赤い稲光が少年を中心に走り、赤い海を駆け抜ける。
その時、少年は自らの体を見る。
彼の体はパズルを崩すかのように『分解』されていく。
しかし、このまま、この守れなかった少女を一人死なせて行く事はできなかった。
分解される自分の体を見て、少年は残された手で傍らで横たわる少女に触れる。
少女の手に触れながら、少年は赤い海を見る。
薄れ行く意識の中、少年の左目に、赤い海面に立つ蒼銀髪の少女が裸で立っていた。
少年は微笑む。
最初に出会った頃のように、ほんの一瞬だが、再び会えた彼女に言いたかった。
もはや口も消え、頭半分だけになってしまった。
しかし、少年は優しい微笑で言った。
おかえり……。
その言葉を最後に少年の体は完全に消えた。
碇シンジという名の少年は、この世界から消えた。
裸体の蒼銀髪の少女は、海面を移動し、浜辺に着くと朱金髪の少女を見る。
彼女は、この朱金髪の少女が好きではなかった。
陰と陽、表と裏、光と影、太陽と月。
まるで正反対であったが、本質的にはとても似ていた。
だから互いに相容れなかったのかもしれない。
しかし、共通している事もある。
それは同じ男性に知ってか知らずか二人とも惹かれた事だった。
その彼が最後は、この朱金髪の少女の為に自らを代価として、自分が奪った人々の肉体を再構成しようとした。
「人は人を傷付けあう……でもまた想うこともできる」
蒼銀髪の少女は、そっと朱金髪の少女を抱き寄せる。
母が子をあやすように頭を撫でてやると、朱金髪の少女の左目はゆっくりと閉じられる。
「きっと戻って来る……」
蒼銀髪の少女は赤い海へと目を向ける。
今は、まだ形を成していない。
しかし、彼から放たれた魂は、きっとあるべき場所へ戻り、人々は蘇る。
蒼銀髪の少女は、視線を上へやる。
すると彼女の目の前に『扉』が現れる。
「そう……私達は待つわ。ガフの部屋で……いつか再び出逢える日を……」
『扉』は開き、中から無数の黒い手が伸びてくる。
黒い手は2人の少女の体に纏わりつき、やがて彼女達の体は、崩れていく。
「ただいま……」
2人の少女もまた、この世界から消え去った。
少年は神話になる。
最初で最後。
世界を『練成』した者として……。
砂漠を2人の少女が歩く。
日光を避ける為に長いローブとフードを被っているが、やはり砂漠は暑い。
左目に大きな黒い眼帯をした朱金髪の少女は頬を伝い、顎から落ちそうになる汗を腕で拭う。
「…………暑い」
「そうね」
少女の後ろを歩くサングラスをかけた蒼銀髪の少女が答える。
しかし、蒼銀髪の少女は汗一つ掻いてない。
「町はまだ?」
「もう少しよ」
「その言葉、もう10回は聞いてるわ」
「正確には12回目よ」
「アンタのもう少しは42.195km以上あるの!?」
「怒鳴ると余計に暑くなるわ」
涼しげな顔で言い放つ蒼銀髪の少女の言葉に、朱金髪の少女のイライラは更に上がる。
が、丁度、朱金髪の少女は遠方にあるものを発見した。
「日陰よ!!」
砂の下から突き出た直方体の建物らしき一部だった。
「行くわよ、レイ!!」
「…………走ると余計に暑くなるわよ、アスカ」
そこへ朱金髪の少女は突っ走る。
蒼銀髪の少女もその後を追う。
アスカ・ラングレーとレイ・アヤナミ……2人は、あるものを探し、旅をしていた。
完全に風化した建物の影で休憩するアスカは、水筒に入った水を飲む。
その建物は、斜めに突き出ており、壁からは鉄柱が剥き出しになっている。
「んぐんぐ……ぷは~~!! 生き返るわ!! レイ、あんたも飲みなさいよ!」
「ええ」
アスカから水筒を受け取って水を飲むレイ。
「アメストリスに戻って来るのも久し振りね……」
「そうね」
「にしてもミサトの奴……いきなり人をシンから呼び戻して何のつもりなのかしらね」
「……………」
レイは鞄から地図を出して広げる。
東に大国『シン』があり、彼女達は今、砂漠を越え、真っ直ぐ西を目指している。
西の軍事国家……『アメストリス』を。
アメストリス国東の街リオール。
砂漠に程近い所にあるこの街には、至る所にラジオやスピーカーが設置されている。
その理由は、今この街で流行っている宗教の放送を聞く為だった。
【かつて太陽神レトは、欲に塗れたヒトに裁きを与えた】
スピーカーやラジオから壮年の男の声が流れる。
普段は賑やかな街の住民達も静かに、その放送に耳を傾けている。
【しかし神の子シンジの尊い祈りと犠牲により、レトは涙し、その涙を浴びたヒトの欲は洗い流された。忘れてはならない。慈悲深き太陽神レトへの信仰と神の子シンジへの感謝を。私は神の子の生まれ変わりとして太陽神の言葉を、子羊達に授けよう】
「ラジオで宗教放送?」
「神の子の生まれ変わりって……何だこりゃ?」
リオールの一角で経営しているフードショップ。
そこに異様な2人組がいた。
金髪を三つ網にした金眼に赤いコートを着た小柄な少年と、大きな鎧を着た人物だった。
「いや、俺にとっちゃ、あんた等の方が『何だこりゃ?』なんだが……」
店主の男性がそう言いたくなるのも無理はなかった。
「あんたら、大道芸人か何かかい?」
その言葉に、食事をしていた金髪の少年は、食べていたものを噴き出した。
「あのなおっちゃん、俺達のどこが大道芸人に見えるってんだよ!」
「いや、どう見てもそうとしか……ここいらじゃ見ない顔だな、旅行?」
「うん、ちょっと探しものをね。ところでこの放送なに?」
「コーネロ様を知らんのかい?」
「…………誰?」
店主は本当に知らない様子の金髪の少年に、この放送をしている人物について話した。
「コーネロ教主様さ。太陽神レトの代理人!」
更に続けて、他の客達まで話に入って来る。
「『奇跡の業』のレト教、教主様だ。数年前にこの街に現れて俺達に神の道を説いてくださった素晴らしい方さ!」
「そりゃもう凄いの何の!」
「ありゃ本当に奇跡! 神の御業さね!」
「コーネロ様こそ正に神の子“シンジ”の生まれ変わりだ!」
口々に街の人々はコーネロという自分について話す。
しかし、その話を聞いていたとうの本人である金髪の少年は、テーブルに突っ伏して口に咥えたストローを上下させて遊んでいた。
「って聞いてねぇな。坊主」
「うん、興味ないし」
サラッと答えて金髪の少年は立ち上がる。
「ごちそーさん、んじゃ行くか」
隣に座っていた鎧の人物も立ち上がろうとしたが、2m近い巨体が天井に当たって、置いていたラジオが地面に落ちて壊れた。
「あーーーー!! ちょっと困るなお客さん! 大体そんな格好で歩いてるから……」
「ワリーワリー。すぐ直すから」
怒る店主を宥める金髪の少年。
「『直すから』って……」
完璧にグシャグシャになって修復不能と素人目でも分かるラジオを直すと簡単に言う金髪の少年に、店主は怪訝になる。
「まぁ、見てなって」
鎧の人物は壊れたラジオを中心に、地面にチョークで円や三角形、文字を組み合わせた図を描く。
「よし。そんじゃいきまーす」
鎧の人物が手をクロスさせると、稲光が走り、ぼっとラジオが光に包まれて煙が立ち上がる。
「な……!?」
店主は我が目を疑った。
完全に壊れていたラジオは、まるで新品同様の状態で元に戻っていた。
「これでいいかな?」
店主はカウンターから身を乗り出し、驚きの言葉を口にする。
「こりゃ驚いた。あんた『奇跡の業』が使えるのかい!?」
「何だそりゃ?」
「僕達錬金術師ですよ」
そう、鎧の人物がした事は奇跡でも何でも無い。
『錬金術』という立派な学問であり、科学である。
物事の性質を理解し、分解し、再構築する技術。
鎧の人物がしたのは、ただラジオを再構築したに過ぎない。
「エルリック兄弟って言やぁ、結構名が通ってるんだけどね」
「は~! やっと着いた!」
リオールの街に着いたアスカは両拳を空に突き上げて、大きく背伸びする。
とりあえずお腹が減ったというので、近くの売店で肉の串焼きを買う。
「ミサトが言ってたのって、この街であってるのよね?」
「ええ。カツラギ中佐の手紙には『リオールの新興宗教について調べて欲しい』って……」
「ったく……何だって、私達が……仕事なら自分でやれっつの!!」
肉の串焼きを思いっ切り齧り、アスカは怒りを露にする。
ウキーと声を上げて地団駄を踏むアスカの姿をレイは『サル』だと思ったが、口に出すと怒るので思うだけにした。
丁度その時、レイは広場にある石像に目が留まる。
太陽神レトと思われる石像と、それに跪く紫色に塗装された一本角の石像だった。
レイはサングラスを外した。
赤い神秘的な瞳が露になり、その目を細めて紫色の石像を見る。
「ちょっと、レイ。どうしたの?」
そこへ、アスカがやって来てレイの視線の先を見る。
レイの見ている紫色の石像にアスカは眉根を寄せる。
「何? ただの石像じゃない。アレって伝承の神の子の鎧でしょ? でもアレじゃあ神の子っていうより悪魔じゃない」
アスカはそう言って興味なさ気に肉を齧る。
そんな彼女にレイは複雑な視線を向けるが、すぐにサングラスをかける。
「エルリック兄弟だと!?」
「ああ! 聞いた事あるぞ!」
丁度その時、とある一角で騒ぎが起きている事に気付く。
「何かしらね?」
エドワード・エルリック。
その名を聞いた街の人々は、騒ぎ立てる。
「兄の方が確か国家錬金術師の……“鋼の錬金術師”エドワード・エルリック!!」
国家錬金術師……その名の通り、国家資格を持つ錬金術師であり、その資格を持つ者は、国より莫大な研究費や特殊な文献の閲覧許可など様々な特権を得られる錬金術師の中でもエリート中のエリートである。
錬金術が発達したアメストリスにおいて、国家錬金術師という肩書きは一般人からすれば畏敬の対象である。
人々の反応を見て、金髪の少年は、得意げに大きく胸を張る。
「いやぁ! あんたが噂の天才錬金術師!!」
「なるほど! こんな鎧を着てるから二つ名が“鋼”なのか!!」
しかし、人々は鎧の人物が、巷で有名な錬金術師のエドワード・エルリックと分かり、彼に群がる。
サインしてや、握手してなどもてはやされる鎧の人物に対し、金髪の少年は放っておかれた。
鎧の人物は困った様子で、自分に群がる人々に言った。
「あの、僕じゃなくて……」
鎧の人物は、金髪の少年を指差し、人々は一斉に振り向いた。
「へ?」
「あのちっこいの?」
「ウソん」
その発言に、金髪の少年の怒りがMAXに達する……沸点は元から低いが。
「誰が豆つぶドちびかーーーーー!!!!!」
誰もそこまで言っていないが、2人は改めて自己紹介する。
「僕は弟のアルフォンス・エルリックでーす」
「俺が!! “鋼の錬金術師”!! エドワード・エルリック!!!」
鎧の人物――アルフォンス・エルリックが軽い口調で名乗り、金髪の少年――エドワード・エルリックが怒り口調で名乗る。
「し……」
「失礼しました……」
街の人々は、エドワードの怒りに押されて謝った。
「へ~。ミサトが言ってたけど、“鋼の錬金術師”って本当に小さいのね」
「っ! 誰が目にも入らない豆粒ドチビだ!!」
不意に……。
後ろから失礼な言葉をかけられてエドワードは怒鳴って振り返る。
が、その怒りはすぐに消えた。
太陽に照らされる長い朱色がかった金髪。
左目に眼帯をしているが、右目は空のように澄んだ青色をしている。
自分と同じような赤いジャケットを羽織り、短パンからはスラリと長い足が伸びている。
余り女性に目を惹かれないエドワードだったが、太陽を背に自信に満ちた笑みを浮かべる少女の姿に、つい目を奪われてしまった。
「こんなチビが国家資格取れるなんて、試験ってきっと簡単なんでしょうね~」
しかし次の瞬間、この女は敵だと彼は認識する。
これが彼等の初めての出会いとなった。
遠い昔、神話になった少年がいた。
少年が守ろうとした少女達。
少年の見た世界へ足を踏み入れようとする少年達。
彼等は出会った。
失ったものを取り戻す為に。
古き神話は終わり、新たな神話の幕が開く。
鋼の錬金術師~イシを継ぐ者達の福音への物語~ 第1話 練成されし世界