帝国の宣言からちょうど1カ月後。
麦畑は秋の実りを抱き、黄金の色に輝く時期を迎えていた。爽やかな風が流れ、空の青さは抜けるような透明さを抱く。白い雲はほんの少し、それも薄く残るばかりだ。
これからより寒さが増していくと過ごしにくい時期になるのだが、その間のこの時期は1年を通して最も体に負担が少ない。大きく息を吸い込めば涼しげな空気が、肺に入り込んでくる。少し前まであったもわっとした熱気を含んだ空気はもはや何処にも無かった。
そんな寝台に入って出たくなくなる季節なのだが、そんなことが出来る者は王国内でも一握りの特権階級者だ。なんといってもこの時期こそ、下手すれば1年を通して最も忙しい季節なのだから。
農村では一年間の苦労によってなった実りの収穫に励み、税の回収に役人が走り回る。それに合わせて商人たちが村々や都市間を飛び回る。
誰もが忙しく走り回る。
それは城塞都市エ・ランテルでも同じことだった。
ただ、エ・ランテルの喧騒は王国内の他の都市とは、多少趣が異なっている。活気とは違う、もっと別の感情によって発散される熱気によって、都市全体が熱されるようだった。
熱気の発生源は、エ・ランテル三重の城壁の最も外周部の城壁内。
そこには無数の人がいた。ほとんどがぱっとしない格好をした者ばかりだ。大半が平民なのだろう。ただ、その数は呆れるほど。おおよそ20万はいるだろう。
別にこれだけの人間が常時エ・ランテルにいるわけではない。確かにエ・ランテルは3カ国の領土に面するところにあるために、交通の便は激しく様々なものが行き交う。物資、人、金、本当に様々なものだ。そしてそういった都市は必然大きくなっていくもの。
しかしそれでも流石にこの区画のみに、20万もの人間はいない。
では、何故、これほどの人間が今ここにいるのか。
それを簡単に説明してくれるのが、一部の若者たちだ。
木と藁で形を作り、それにベコベコになった鋼鉄の盾と鎧を着せたマトめがけて、刃の付いてない槍で突く訓練を受ける若者たちが多いのだ。それが何をしているのかは一目でわかるだろう。それは戦闘訓練だ。
そう――ここに集まった者たち王国の民20万人は、帝国との戦争のために集められた兵士たちなのだ。
威勢の良い掛け声が飛び交う。もちろん、正の感情で行っているものは少ない。ほとんどがこれから行かなくてはならない、命の奪い合いを行う場所への恐怖。訓練しなくては生きて帰れないという焦燥感。そういったものに突き動かされているだけだ。
ただ、真面目に訓練する者が全てでは無かった。
帝国との戦いは1年に1度というペースで起こる。そのため折れてしまう人間もまた多い。やる気が無さそうに石畳の上に――目立たないように端っこで横なっている者。隣の人間と愚痴のようなものをこぼしている暗い者。膝を抱えて蹲る者などだ。
年行けば年いくほど、そういった傾向は強かった。
戦意はほぼ最悪であり、生きて帰れることのみを望む兵士たち。
それが王国の軍勢の内情だった。これは仕方が無いことだろう。強制的に連れてこられて、褒美の無い命の奪い合いに本来の忙しい時間を奪われるのだから。生きて帰れたとしても、奪われた時間の負担は徐々に首に紐のように絡み合っていく。
それは緩慢な死が近寄ってきているのと変わらない。
そんな兵士たちの横を荷馬車が走り抜けていく。その荷台は膨れ上がり、膨大な糧食を乗せていた。
常識的に考えれば王国全土の人口の2%以上にもなる人間を、ひとつの都市で受け入れ生活させるには困難を極める。しかしながらエ・ランテルは帝国との戦いにおける前線基地的扱いを受ける都市であり、王国の兵力を受け入れる場所だ。
幾度と無く繰り返される帝国との戦いの内に、たかだか20万程度と笑えるまでの準備をするに至っている。食料庫は巨大であり、おそらくはこの都市で最も大きい建物だろう。
ならば何故、荷馬車でわかるように、ピストン輸送が繰り返されているのか。
答えはたった1つだ。それだけの食料を動かす必要があるという事実はたった1つのことを指す。
無気力なそぶりを見せていた者たちが、その荷馬車を恐怖の目で睨み付ける。自らの真横に近寄ってきた死神を凝視するような眼差しで。
これから始まることを理解している者たちは大抵そうだった。
食料の大規模輸送。
それは帝国との戦いが迫っていると言うことを示していたからだ。
三重の城壁の最も内週部の城壁内。
その中央に位置する場所にエ・ランテルの都市長、パナソレイ・グルーゼ・ヴァウナー・レッテンマイアの館がある。都市長という地位に相応しいだけの立派な屋敷ではあったが、そのすぐ横に建築された建物と比べてしまうと幾段か見劣りしてしまった。
その館こそ、この都市で最も立派に作られた建物。ではその建物で誰が住んでいるのかと考えれば、答えは1つしかないだろう。この都市での最高指導者の屋敷に比べて、より優れた地位に座る人間のための建物。
それは貴賓館。
王やそれに順ずる地位の人間が来た場合のみ、開かれることとなる館である。
そして現在、その館の一室。そこには幾人もの男たちの姿があった。
簡易式の玉座に座っているのは当然、リ・エスティーゼ王国国王であるランポッサⅢ世だ。
その斜め後ろに影のごとくつき従うのは、王国最強と言われる戦士――ガゼフ・ストロノーフ。
その2者の前にはテーブルが置かれており、それを挟むような形で左右に6人の男たちがイスに座っている。全員身なり良く、その顔には品と言うものがある。それは決して一代では宿るようなものではなく、歴史によって大家のみが宿せるようなものだ。
全員の前のテーブルの上には無数の紙が広げられ、さらには大きな羊皮紙なども散乱している。さらには空になった水差しが隅に幾つか置かれ、各員の前に置かれたコップには中身がほとんど入っていない。
それらはこの部屋の中でどのような激論が繰り広げられたかを語るようであり、この部屋での時間の経過を充分に物語っていた。
実際、男たちの顔にも色濃い疲労の色が見える者が多くいる。
そんな中、最も疲労の色が見えない者が口を開く。
「帝国からの例年通り、宣戦布告および戦場の指定が届きました」それは蛇のような男であり、レェブン侯として名の知られる王国6大貴族の1人だ。「場所は――」
「――ふん。いつもどおりの場所だろう。カッツェ平野だろう?」
レェブン侯の言葉を横から奪った男。それは年齢にして40歳半ばだろうか。若かったころは屈強な肉体を誇ったのだろうが、年という時間の経過による衰えが見える。それでもその声には精力的な張りがあった。
貴族派の盟主であり、今回の戦争の兵士の1/5を準備したボウロロープ侯だ。
「その通りです。おっしゃられるとおり例年の場所です」
「……例年と同じ場所を指定してくるとは、帝国の侵攻も例年通りということかな?」
細身であり、温和な顔立ちの貴族が口を開く。声にわずかばかりの安堵の色がある。それは決して侵攻されている側が出して良い感情ではない。王国の領土が犯されていると言う事実を前にして。
そのためだろう。その部屋にいた貴族の幾人かの目に冷たいものが一瞬だけ宿ったのは。
「残念ですがブルムラシュー侯。そうは行かないでしょう。帝国は今回、かなりの兵力を動員してきました。おそらくは何らかの目的があるのだと思われます。油断すれば命を奪われかねませんよ?」
「それだがね、レェブン侯。ヘンテコ貴族に対する見栄という奴ではないかね? 土地をあげますよ、とまで宣言したのだ。最低限、兵は充分な数だけ動員せねばなるまい? ヘンテコ貴族……なんと言ったか――」
ピンピンと尖った髭を指で弾きながら、痩せぎすの貴族が口を開く。
「――アインズ・ウール・ゴウン辺境侯ですよ。ペスペア侯」
「それだ! 魔法使いで貴族だったか?」
「ここの都市長殿といい、ガゼフ殿といい警戒すべき魔法使いだとか?」
この場に集まった誰よりも若いだろう人物が口を開く。若く整った顔立ちをしているのだが、その顔に浮かべている冷笑が
好意をまったく感じさせない。
「その通りです。リットン伯」王の背後に控えていたガゼフが口を開く「アインズ・ウール・ゴウンは警戒すべき魔法使いです。おそらくは帝国主席魔法使いのフールーダに匹敵する……いえ、帝国の対応を考えればより上位の魔法使いとみなすべきでしょう」
「魔法使い1人程度に大変なことだ。1人で何ができると言うのか」
侮蔑ともわかる微笑を浮かべ、リットン伯はガゼフの警戒心を笑う。
フールーダという魔法使いの名は遠く、周辺諸国に知られている。しかし、その実力がどれほどかと言うのを詳しく知っているものはいない。というのも実際に魔法使いであるフールーダが王国との戦争に出てきたためしは無く、その魔法で軍を壊滅させたなどと言うことはないからだ。
そのために王国の貴族の中にはフールーダなど大した事無しと判断する者も多かった。つまりは帝国の箔つけのためだと言う考えだ。この考えを持つ者は、冒険者など魔法を使う職との関係を滅多に持たない高位の貴族に多く見られた。
リットン伯もその1人だ。
彼の知識にある魔法使いは手品師の一種のような存在だ。無論、神官だけは別だが。
「……そうはいえないだろう。飛行の魔法を使って範囲攻撃を行われれば非常に厄介だ。遠距離から攻撃魔法を撃たれても痛いな。とはいえ、専門職である魔法使いをそのような勿体無い使い方しないだろうがな。ただ、帝国のアインズ・ウール・ゴウンへの待遇は異常すぎる。単なる魔法使いなら、そこまでのことはしないだろう。警戒はしてしかるべきだと思うが?」
6大貴族最後の1人であるウロヴァーナ伯が重々しく呟く。髪は真っ白であり皺だらけの顔には、しっかりと年を積み重ねた人間特有の威厳が宿っていた。リットン伯とは対照に、最も年齢が上だということもあり、その一言は重みを持った話し方だ。流石のリットン伯も不承不承うなづく程度は。しかしそれに対して意見を述べるものがいる。
「ふん。何がアインズウールゴウンだ。リットンが言っていたように、たった1人で何が出来る。空を飛んできたなら弓矢で射殺せばよい。遠距離からでも同じこと。単なる魔法使い1人に何が出来るか! 魔法使い1人で戦況が変えられたことがあろうか! ウロヴァーナ伯はそのような話は知っておられるのか?!」
「……聞いたことは無いな」
実際、そのような話があったということは聞いたことが無い。物語は例外として。
「それが答えではないか。どれほど強大な力を持とうと、1人で戦場を左右させることなぞできるはずが無い」
「……ドラゴンなどはどうですかな?」
「ブルムラシュー侯……」何をこいつは言っているんだという苛烈な視線を向ける「その魔法使いは人間であろうが、何故ドラゴンなどの話が出てくる」
「い、いえ。個人で軍に匹敵する……」
「人間の話をしている時に、ドラゴンの話をしても意味が無かろう。前提条件が間違っているわ! 何を考えているのか。魔法使い1人に警戒し――」ギロリとガゼフをボウロロープ侯は睨み「――影に怯えるなど、王国貴族として恥ずかしいと思わんのか?!」
ボウロロープ侯の言うことも確かである。
そう6大貴族の幾人かは同意のサインとして頷いた。実際、たった1人の魔法使いに何ができるというのか。
しかしながら残る幾人かはその言葉には頷かない。単なる魔法使いでは出来ないことでも、その魔法使いならしでかすのではないだろうかという不安が残るために。
「第一、その魔法使いに送った使者はいまだ帰らないところを見ると、元々そいつには敵対する意図があったのだろう。恐らくは使者は既に殺されていよう」
「だと、思われます」
レェブン候は頷く。使者は行方不明と宮廷内に発表しているが、実のところ既に使者の死体は回収済みである。
「例え何があっても、一国の使者を殺害するような、品位の全く無い下劣な行いをするような奴に怯えてどうするというのか」
「……そうとは言い切れないのでは?」
「どういう意味かな?」
僅かに声のトーンが落ち、ボウロロープ侯はレェブン侯に問いかける。今までの対応からすれば丁寧といっても差支えが無いだろう。
これはボウロロープ侯がレェブン侯に対して、対等に近いと見なしているからである。
「帝国の人間が使者を殺したという可能性もあるわけです。自分たちに側に引き込むつもりで」
と、レェブン侯は口にしながらも、可能性は低いと見なしている。これはラナーも同意見だ。
使者の死因は獣の噛み跡と判明しているが、かなり巨大な獣によるもので、召喚したモンスターであってもこれほど巨大な獣はいないというイビルアイからのお墨付きも出ている。そうなると帝国による工作の可能性はかなり低くなる。
もっとありえるのは、逆鱗に触れたというところか。
「ふん。そうかもしれないが、その魔法使いが帝国の側に回り、良い駒として利用されているという現状は変えようがあるまい?」
「その魔法使いを王国に招き入れることは――」
「ストロノーフ! 帝国で高い地位をもらいながら、裏切ると? 誇りがあるならばそのようなことをするわけが無かろう。裏切るなぞ最低のカスのすることだ!」
レェブン侯は視線を動かさずに、視界の隅にかすかに浮かぶ1人の貴族を眺める。
最低のカスはここにいますよ、と言えたら気持ちがよいだろう。そんな暗い感情を呼び起こしながら。
「王国に住居を持ちながら、王国を裏切る厚顔無恥なものには痛い目を与えてやりたいものです」
「まったくですな」
「まぁそんな話はどうでも良い。それよりは現在は帝国との戦争について考えねばならんだろう。話を戻そうではないか」ボウロロープ侯が大きな声を上げる。「たとえ、帝国が何かを企んでいようと、例年通り平野に赴くのであろう?」
「そうなるかと思いますが――」
黙っていたランポッサⅢ世がレェブン侯の視線を受け、口を開く。
「そのつもりだ。その理由は言うまでも無く、皆わかるだろう」
6大貴族の全員が頷く。若干、1名ほどわかって無さそうな者がいたが。
帝国の騎士は重装であり、馬に乗った戦いを主とする。そんな敵国に対して、カッツェ平野という地の利を与えるという行為は愚策だろう。エ・ランテルに引きこもり、攻城戦に引き釣り込んだ方が王国の死者は少なくなり、勝率も跳ね上がるだろう。
しかし王国にしてもそれが許せる状況には無いのだ。
まず大量に民を動員していることが問題だ。本来であれば収穫の時期を迎え、貴重な時間であるはずなのに、戦場に駆り立てられているのだ。出来れば早急に兵たちを元の職場に戻さなければ、王国の財力はより一層悪くなるばかりだ。
次に20万の兵を長期間食べさせると言うのは、流石にエ・ランテルをしても厳しい。
そしてもし攻城戦になれば、大量の魔法使いを有する帝国の戦略は今までとは違った動きになるだろう。それはどのような動きになるのか不明なために、結果として予測できないということになる。
20万もの兵を動員するからだという考えもあるかもしれないが、帝国の騎士は強く、錬度武装共に王国を遥かに凌ぐ。20万もの兵を動員しなくては危険なのだ。
だからこそ、王国側としても選択肢は無い。今までと同じ、正面からぶつかれる平野を戦場に選ぶ方が、王国にとっても有利に運ぶために。
「畏まりました。ちなみに陛下、帝国の軍は既に平野に展開しているようです」
「そうか……」
「ここで平民たちに食事を食べさせているだけではなく、そろそろ働いてもらう必要があるようですね」
「リットン伯の言うとおりですな。我々も軍を動かせるように準備いたしましょう。ボウロロープ侯の方の準備はどうなのですかな?」
「問題ないとも、ペスペア侯。俺の軍はすぐにでも動かせられる。では、陛下」
「……ならば全軍を動かす準備を頼む」
「では陛下。誰が全軍の指揮権を? 俺であれば問題はありませんが?」
質問の形でランポッサⅢ世に問いかけているが、実際の中身はまるで違う。そこにあるのは全軍の指揮権をよこせという目には見えない圧力だ。
ランポッサⅢ世とボウロロープ侯。どちらの方が軍隊の指揮官として優秀かと問われたなら、ボウロロープ侯の方が優秀だと答える貴族は多いだろう。そして今回のボウロロープ侯の準備した王国軍の1/5――4万もの兵は断とつ首位だ。
もしここに王がいないのであれば、当然指揮官はボウロロープ侯のものだったに違いない。
しかし王はここにいる。そうなるとランポッサⅢ世が指揮権を持つのは当然だが、貴族派閥に所属する貴族たちがそれを素直に受け入れるはずが無いだろう。
威圧をかけるボウロロープ侯の問いかけに、ガゼフの眉が僅かに動くが、それを目にしながらボウロロープ侯は相手にもしない。ボウロロープ侯からすればガゼフという人間は単なる剣の腕が立つだけの平民。本来であれば王と6大貴族以外がこの部屋に入っていることすら我慢できないのだから。
「……レェブン侯」
「はっ」
「侯に任せる。全軍を無事、カッツェ平野まで進軍させよ。そして軍の展開、および陣地の作成を任せる」
「畏まりました」
レェブン侯がランポッサⅢ世の命を受けて、頭を下げる。ボウロロープ侯からすれば欲しかった地位が横から奪われた形になるが、レェブン侯では文句を言うわけにはいかない。彼の優秀さは知られており、強く批判することは難しい。そして何より、レェブン侯はどちらの派閥にも所属する人間でもあるのだ。ボウロロープ侯の配下にもレェブン侯に恩義があるものもいる。
そういった者の前で強く批判をしていては、己の器が疑われるようなもの。
だからこそ、ボウロロープ侯も同意の印を見せる。
「レェブン侯。俺の軍も任せるぞ。何かあったら言ってくれ」
「ありがとうございます、ボウロロープ侯。そのときはお願いします」
詰まらないやり取りだが、貴族として必要な行いでもあった。
「ではひとまずはこれで解散としよう。レェブン侯。後はよろしく頼むぞ」
「畏まりました、陛下」
6大貴族の全員が室内から出て行き、残ったのはランポッサⅢ世とガゼフのみになる。
ランポッサⅢ世がゆっくりと頭を回す。ゴリゴリという音がガゼフの耳にも届く。よほど凝っていたのか、王は少しばかり気持ちよさそうな顔をした。
「お疲れ様です、陛下」
「ああ。本当に疲れたとも」
ガゼフは苦笑を浮かべる。王派閥と貴族派閥の縮尺がここにあったのだ。その疲労はたまったものではないだろう。しかし、ランポッサⅢ世よりも苦労をしてきた人間だっているのだ。
「そろそろ来るかな?」
「彼はまだ厳しいのではないでしょうか?」
「そうだ――」
ランポッサⅢ世が言い出した辺りで、扉が数度ノックされる。それから扉がゆっくりと開かれ、目的の人物の1人が部屋に入ってきた。
室内に入ってきたのは、冴えない肥満型ブルドックというのがぴったりの顔つきの男だった。髪は光を反射するほど薄くなっており、残りの部分も白く色を変えていた。
体は肥満体とも言って良いほど丸い。腹部にはたっぷり過ぎるほど脂肪がつき、顎の下にもこれでもかといわんばかりに肉がついている。
冴えない男だが、その瞳には深い英知の輝きがある。見掛けと内面が大きく食い違っているような雰囲気を持った男だ。ランポッサⅢ世は深い好意的な笑みをその男に向けた。
「良くぞ来たな、パナソレイ」
「陛下」エ・ランテルの都市長、パナソレイが自らの主君に頭を下げる。それから視線を動かす。「久方ぶりですな、ガゼフ殿」
「これは都市長。あの時はお世話になりました」
「いえいえ。そのようなことはありません。周辺の巡回に当たっていただき感謝しております」
「今日はあの鼻息はやらないのか?」
「陛下……」苦笑いを浮かべる、パナソレイ。「私を軽んじない方にしても意味がございません。それに陛下にそういったことは」
「すまん、すまん。冗談だ。許せ、パナソレイ。さて、本来ならおしゃべりに時間を費やしたいことなのだが、余り時間が無い。だから悪いがおしゃべりは無しで頼むぞ?」
「畏まりました、陛下。その前に1つご質問が」
ランポッサⅢ世は続けるように顎を動かす。
「扉のすぐ脇に白い鎧を着た騎士のような若者がいたのですが、彼は遠ざけないのでよろしいのでしょうか?」
一応、防音の作りとはなっているが、完全に漏れないようにするには少々難しい。扉の前に立って耳を澄まされれば、もしかしたらこの重要な会談の中身が聞き取られてしまう可能性がある。
そのことをパナソレイから聞いた、ランポッサⅢ世とガゼフはその人物が誰か即座に思い至る。クライムという青年を。
「彼は大丈夫だ。私の娘の身辺を警護する者であり、信頼できるものだからな」
ちらりとパナソレイはガゼフを伺い、頷くのを確認すると了承の印を見せる。
「なるほど。畏まりました。では……さっそく始めますか?」
「いや……」王は逡巡し、返答する。「いや、まだあと1人来ていない。彼が来るまで待とうではないか」
「左様ですか。では先に都市内の糧食等の出費に関する話をしておきましょうか? それと侯から頂いた資料を基に計算した1年後の王国の国力等の話もございます。」
「うむ。頭が痛くなる話は先に済ませておきたいものだ」
こうして語られ始めたパナソレイからの話は、内政全般に疎いガゼフですら、眉を歪めてしまうようなものだ。
そんな現状でこの国は大丈夫なんだろうかという金銭の出費。糧食としてかき集めることへの王国内への影響。特に大きい問題は、ここに集められた平民を帰還させたあとに起こる国力の衰退だ。
パナソレイからの推測という部分――好意的に見ているだろう推測ですら、引きつりたくなるような状況だ。
ランポッサⅢ世はガゼフよりもわかったのか、完全にしかめっ面だ。
「なんということだ……」
「もし……これで来年も同じようなこと――帝国の侵攻があれば、王国は内部からの崩壊が近づく結果になると思われます。税収が今のまま行えば飢え死にしていく平民が多数出現するでしょうし、軽くすれば様々な箇所に回せる資金がなくなると思われます」
「…………」
ランポッサⅢ世が額に手を当て、顔を隠す。
数年間の帝国のちょっかいを場当たり的な対処で片をつけてきた結果だ。帝国の狙いがわかったときにはもはや遅かった。
「陛下……」
「困ったものだな。もっと早く行動しておけば……せめて派閥が完全に二分される前、まだ私の側についてくれる者が力を持っているうちに対処しておけば……おろかな話だ」
そんな優しい話ではない。その頃に対処しようとしても、おそらくは王国を二分する戦争が始まり、弱ったところを帝国に飲み込まれただけだっただろう。
ランポッサⅢ世の世になる以前よりの、王家が行動してこなかったツケが回ってきたのだ。積み重なってきた汚れを一代で落とすことは不可能だったに違いない。
室内が暗い沈黙に支配される。そしてそんな雰囲気を断ち切るように、部屋にノックがこだまする。
そして入ってきたのはレェブン侯である。
「皆様、お待たせしました」
「レェブン侯。手間をかけてすまなかったな」
「いえいえ、お気にされず、陛下。あの場合は私に投げていただくのが最も正解だったでしょう。ただ、申し訳ありませんが、あまりこちらに長くもいられないので、手短に問題を解決させていきましょう」
いつもの蛇のような冷たい顔だが、ガゼフはそこに人間の感情。それも好ましいものが浮かんでいることに確認する。
――この人物の性格を見通せなかった、俺は本当に愚か者だ。
ガゼフは口惜しい気持ちと共に、王都を離れる前に王の私室で行われた話し合いを思い出す。そこで集まった4者――ランポッサⅢ世、ガゼフ、ラナーとレェブン侯。後者の2名から話される話は、ガゼフの凝り固まった宮廷観をぶち壊すだけの驚きだった。
ガゼフが最も嫌っていた人物こそ、最も王のために尽力を尽くしてという事実は、驚愕の一言では言い表せなかった。
「わが娘といい、レェブン侯といい、迷惑をかける」
イスに座ったレェブン侯に真摯な表情を向けと、ランポッサⅢ世は深々と頭を下げた。
「へ、陛下。おやめください。私としても陛下に相談せずに色々と動いた身。もっと早く別の手段を取っていればという悔恨の念がございますがゆえ」
「レェブン侯。私からも謝罪をさせてください」ガゼフが深々と頭を下げる。「レェブン侯の真意を知らずに、上辺の態度に騙され、レェブン侯に対して不敬な念を抱いておりました。愚かなこの身をお許しください」
「ガゼフ殿、お気にされず」
「……とはいいましても」
ガゼフの後悔の念が非常に深いことを、レェブン侯はその言葉に込められた感情から悟る。ならば何かの罰を与えた方がガゼフにとっても心が休まるに違いない。
了解したようにレェブン侯は数度頭を振った。そしてガゼフに罰を与える。
「了解しました。……昔から私はガゼフ殿と呼んできました。ストロノーフ殿ではなく。今後も親しみを込めてガゼフ殿と言わせていただきたい。私はあなたに敬意を持っていましたので」
罰にならない罰。
この人物の真価が見通せなかった、自分の目は節穴だったに違いない。そういう思いを抱きながら、ガゼフは心の奥底から感謝の言葉を漏らす。
「ありがとうございます、レェブン侯」
ガゼフの呼び方に今まで以上の感情が篭っていることを悟りながら、レェブン侯は何も言わない。これ以上はガゼフの問題なのだから。
「さて早速ですが、陛下よろしいでしょうか?」
ランポッサⅢ世が1つ頭を動かすのを確認し、再びレェブン侯は口を開く。
「最初は……アインズ・ウール・ゴウンの弟子たる、モモンという冒険者の件です。ラナー殿下の考えではアインズ・ウール・ゴウンが王国に接触を行うために派遣したものの確率が高いとのことでした」
「その件ですが、モモンと連絡を取ったのですが、師の行いに関して自分は一切関係が無いと突っぱねられまして」
「なるほど。もはや接触は不可能ですか」
「モモンという人物に謝罪を行うことで、間接的にアインズ・ウール・ゴウンへの謝罪とはならないか?」
「不可能でしょう、陛下。都市長の話を聞く限り、王国に対しての秋波……媚ではないでしょうが、は途切れていると思われます。もはや完全に帝国の臣下でしょう」
そうかと言って、ランポッサⅢ世はイスにもたれかかる。
アインズ・ウール・ゴウンは単なる魔法使いとして考えてはいけない。おそらくはありえないような力を持つ者を臣下にした強大な魔法使い。国堕としという過去に滅んだ存在に匹敵すると考えた方が良いという存在だ。
「講和を結び、アインズ・ウール・ゴウンに領土を渡すことで見える敵とする。それがラナー様の計画でしたか?」
「そうですね。帝国も臣下にしたとはいえ、いえあれだけ高い地位を与えたからこそ、強大さと危険度は充分に理解しているはずです。ですので包囲網を作れればそれに越したことは無いと考えるはず」
力の中でも権力というものは、強くなればなるほどそれに敵対する力も強くなる。アインズが領土を持ち、巨大な力を振るうようになれば、それに対して危機感を持つものなどが敵に回るはずである。
「ではこの都市は譲り渡すのですか?」
パナソレイが感情を感じ取れない声で問いかける。都市長である彼からすれば非常に複雑なところなのだろう。
「そうは流石にならないようにしたいところです。帝国との今回の戦いを上手くやり過ごし、講和の条件として帝国とエ・ランテルの間の領土を譲り渡す。そういったところでしょうか?」
「……問題は貴族たちが何を言うかだな」
「ある程度敗北をすれば受け入れるでしょうが、そうでなければ陛下が逃げたと思われるでしょう」
「つまりはレェブン侯。今回の戦いはある程度負ける必要があるということか」
「そのとおりです。ガゼフ殿。その際に上手く貴族派閥の力をそげればよいのですが」
室内が再び、沈黙に支配される。レェブン侯の言っていることは頭では理解できる。とても重要なことだ、と。しかし感情では理解しがたいのだ。
敗北と言うのは王国内から集めた平民が死ぬことを意味している。
何万人、何千人、何百人の死亡。それは数字ではたいしたことが無いようなイメージを持つが、どれだけの縁のある人々の嘆きがあるかは、少しでも想像力のある人間であれば容易いだろう。
「ある程度の死者が出ることはもはや避けられない以上、仕方が無いことです。そうすることで王国は帝国と講和を結び、その後にアインズ・ウール・ゴウンと帝国の不和を狙う。それが今後の王国の未来を守る手段となっていくのですから」
王国の方針はそれしかない。不和を狙って行動していく間に、王国の力を取り戻す。そして2者のどちらかを敵とすることで、どちらかを味方に引き入れるのだ。出来るなら帝国と。
この考えは戦争が終わった後、友好関係を結んでいくということを前提に考えているが、これは変なことではない。
戦争と言うのは国と国の交渉手段の1つである。殴り合って強いほうが弱い方に言うことを聞かせる喧嘩と考えるともっとも近いだろう。
当然、人間しかいない世界であればそうはならないかもしれない。人種の違いや宗教の違い、言葉の違いによって互いを殲滅するまでの殺し合いが始まるかもしれない。
しかし、この世界は人間だけのものではなく、モンスターが存在し、亜人たちが自らの国を作る世界だ。アンデッドは生きるものを憎み、人を凌駕する存在が幾らでもいる。
そんな世界の中で、最も似た価値観を持つ同族である種族を、殲滅まで追い込むというのが馬鹿馬鹿しいというは即座に理解できるだろう。
種というクラスで考えれば、共存していければそれが最も賢いのだ。ただ、同じ種であるがゆえに生存圏が重なり、同じ価値観を持つがゆえに戦争が生まれるのも、仕方が無いことであった。
だからこそ帝国と同盟を結びたいのだ。
ラナーの話を聞いた者たちは、アインズ・ウール・ゴウンは国堕としを超える、単騎で国を滅ぼせる存在と推測している。そんな者が人間という種であるはずが無いのだから。いや人間だったかもしれないが、逸脱した存在は人という種ではない。
同盟を結ぶなら、まだ価値観が同じ種の方が良い。別の種と同盟を結ぶのは最後の手段にしておきたい。
ほぼ全員が仕方ないと、苦虫をかみ殺した頃、レェブン候が思い出したように口を開く。
「そしてもう一件。お話しておきたいことがございまして、そのアインズ・ウール・ゴウンに関連しているとされる人物で、血塗れという人物がいるのですが」
「おお。私からも陛下にしようかと思っていた話です」
「それは一体?」
「はい。カルネ村には『血塗れ』エンリという傭兵団長がいるそうです」
「カルネ村?」
ガゼフは自らが出向き、初めてアインズと遭遇した村だとすぐさま記憶を蘇らす。襲撃をかけられた村であり、決してそんな血塗れなどと呼ばれるような人物がいる雰囲気は無かった。
「はい。血塗れのエンリは、ゴブリンやオーガなどのモンスターを指揮するという人物だそうで」
亜人との関係性に、即座にガゼフは血塗れのエンリとアインズが、なんらかの繋がりがあると理解する。
「なるほど。エンリという女性とアインズ・ウール・ゴウンの関係か」
「そこで問題が。一部の貴族が血塗れのエンリがアインズ・ウール・ゴウンと何らかの関係があるという情報を手に入れたようで。捕縛せよと言っているものが幾人かおりまして」
「それは厄介だな。これ以上怒らせたくはないのだが……私から何らかの理由を作って認めない方が良いか?」
「いえ。送り出しましょう」
3人の視線がレェブン侯に集まる。
これ以上アインズ・ウール・ゴウンを怒らせた場合、この戦いでの後の友好関係に問題が出ると判断しているのだ。もし帝国が対アインズ・ウール・ゴウンに協力してこないなら、アインズと同盟を結び、帝国を揺さぶる計画となっている。
その仮初の同盟を結ぶのに、アインズをこれ以上怒らせるのは危険すぎる。
「モモンなる人物に情報を流した上で、です」
「なるほど。送り出さなければ貴族派閥の人間が煩い。送り出した後、辺境侯と禍根が残るような事態になられるのも困る。だから情報を流すことで、謝罪とするということですね」
「ええ。その通りです。出来れば貴族派閥の中でも血気さかんな人物達を送り出すよう、ボウロロープ侯に言っておきましょう」
■
草原のど真ん中に野営地があった。
運んできた木で周囲に簡単な柵を作り、天幕をその内側に円を描くように並べる。同じように運んできた木で組み立てた、あまり頑丈そうには思えない物見やぐらが3つほど、野営地内ににょっきりと姿を見せている。
立派な天幕は中央部付近に集まり、みすぼらしい天幕は外周部に並ぶ。ただ、1000人規模ともなると天幕の数も膨大になり、野営地もかなりの範囲に広がっていた。
時間は月が昇る時間ともなっており、無数の天幕の中では、行軍に疲弊した者たちが泥のように疲れ果てた顔で睡眠を貪っている。
そんな静かとも思える野営地で、唯一人の声が聞こえるのは、中央となる場所だ。
そこには大きなかがり火が1つ、置かれていた。
紅蓮の炎は天を焦がすように立ち昇り、生じる無数の火の粉が闇に溶け込むまでの短い時間、大地に落ちた星のように輝く。周囲にわだかまる闇もその明るさの前には近寄ることが出来ない。
そんな揺らめく赤い明かりの中、夜警の順番を待つ者たちがいた。
数人という単位ではなく、100人はいるだろう。野営地の規模からすると妥当ではあるが、広場だけを見渡せばその数はかなり多くも感じられた。それだけの人間が、時間が経過するのを待つ間、互いでおしゃべりをしているのだ。小さい声で話していても、合わされば大きな声となる。
広場から響く声音はそういった、夜警のおしゃべりによって、生じる音だった。
そんな声が風に乗って非常に僅かしか聞こえないような、野営地の外れ。柵の部分と天幕の境目を、3人の兵士が巡回に当たっていた。
3人とも同じようなランタンを腰に引っ掛け、槍を手で持って歩いている。あまり緊張感のあるようには思えない、だらしない態度での巡回だった。しかしそれも仕方がないとも言える。
というのも草原という場所である以上、そして月明かりがある以上、見咎められず大人数で接近できるはずが無い。だから草原に人や動物の影が見えない今、彼らが本気で警戒する理由がなかったためだ。
それにこの3人だけの巡回であれば、もっと注意深く行動するかもしれない。しかし巡回しているのは彼らばかりではない。柵沿いにぐるっと見渡していけば、同じようにランタンの明かりが動いているのが即座に発見できた。
つまり、夜警である彼らの仕事は、周囲の開けた場所を、3人で1チームを作り交代で一周ぐるっと見回る。そんな簡単な仕事だということだ。緊張感すらもてないような。
彼らは柵に沿って歩いているのだが、時折、腰につるすランタンを邪魔者に向ける視線を送っている。
空から落ちてくる月明かりの方が明るく、ランタンの明かりによって逆に影を作っているよう感じてしまうためだ。出来れば消して歩きたいところだが、このランタンの明かりが物見やぐらに立つ兵士に、非常事態を知らせる合図にもなるもの。緊急事態のことを考えれば、消すわけにはいかない。
兵士の1人が槍を小脇に抱え、服を直すような姿をとりながら、満点の星空を眺めた。
「……ちょっと寒いか?」
吐く息は白くは無いが、夜闇が体温を奪っていくような感じがした。そんな彼に隣に並ぶ男が笑う。
「こっちはまだ暖かいだろうが」
確かに男たちの生まれた場所からすると、この辺りはまだ暖かい。少しばかり羨ましいほどに。そんな彼に別の男がやはり笑いながら話しかけてきた。
「服がわりぃよ。もっと厚手の服を着てくりゃいいのに」
「そうだぜ。服は厚いほうが安全ってな」
鎧を配布されなければ、個人で所有できるはずが無い単なる農民である彼らからすれば、厚めの服は精一杯準備できる防御力のある服だ。もちろん、武器に対して効果が見込めるかというと疑問ではあるが、それでも無いよりはましという程度に。
「あんまり厚い服は持ってないんだよ……」
そのしょんぼりとした声に、疑問の声が返る。
「冬はどうするんだよ。真冬にその格好は死ねって言っているのとおんなじだぞ?」
そうだ。彼らの村のあるあたりは王国でも北の方に位置する。
その辺りまで行けば冬の寒さは身を切裂くようなもの。寒いと言った男の格好では厳しすぎるどころか、凍え死ぬだろう。
「お前、前は持っていたよな? あのぼろいの」
「……前の奴は弟に上げた。そんで今回の収穫で準備する予定だったんだよ」
全員が言葉無く、暗い雰囲気で下を向く。実際、その言葉だけは笑えない。農民であり、裕福でない彼らからすれば絶対に笑える話ではない。彼らも同じ状況なのだから。
声の調子が一段も二段も落ち、暗いものが含まれる。
「……だんだん、きつくなってくるよな」
「……ああ。蓄えも乏しくなってきたし。村のみんなは無事に収穫終わってるかな」
「そうだといいんだけど。難しいんだろうな。村に帰って最初に見るのが腐った果実とか、最悪だもの。今回はそんなことにならないようにしたかったんだけど」
「やっぱ、死んだってことにして何人か隠れるしかないぜ? 幾人かでも男手が村に残ればそれだけでもかなり収穫できるだろうしよ」
「ほんと、それしかないな。でもばれたら厄介だし……」
「厄介じゃすまねぇよ。重税かされるとかだぜ。隣の村でそんなことがあったって言う話を聞いたな」
「でも、今の生活の方が厄介だろうが。戦争で生き残れても村で餓死とか……そんな死に方になりたいか?」
「真っ平ごめんだな。それにこのままじゃ、家族を食べさせられなくなるからな……」
「……嫌だよなぁ。戦争はごめんだよ、ほんと」
「……戦争は仕方ないだろ。それよりも問題は糞どもの頭の無さだ」
「俺達農民は絞れば絞るだけ、税を吐き出すと思ってるんだろうさ。貴族のお偉方は」
唾を地面にはき捨てるのと同時に、男の1人が押し殺した声で呟く。その言葉には憎悪がはっきりと色付いていた。
踏み付けられる側からすれば当然の思いだ。
ここに来た――戦争のために集められたことに不満はあるのは確かだが、国土を守るためであり、自分達の村まで伸びてくるかもしれない戦火を消すためだと思えば、それは我慢できる。しかし、それならば税の軽減や、褒美といったものをくれても良いだろう。そういったことを一切せずに、税は普通に取り立てられれば、何故、こんな苦しい思いをしなくてはならないと思うのも当たり前だ。
3人のため息が唱和する。
なんでこんな人生なんだろうと。
「まぁ、だが、少しは運がいいかも知れないな?」
「なんでだ?」
「俺たちが今から行くのは戦場じゃないらしいからな」
「エンリとかいう女を捕縛するためだっけ? ……でも、こんなに人数必要なのか? 女1人だろ?」
「貴族様の軍だから全員連れて行くってことだろ? うちの近くの村の人間じゃないか、ほとんどが」
「ああ、そうだったな。どこかで見た顔が多いと思った」
「つーわけで運が――」
――突如として、ごうと風が吹き抜ける。天幕が風の煽りを受け、バタバタとはためく。遠くからは今の風で消し飛ばされた松明に対する不満や、驚きの声が上がっていた。
「……すげぇ、突風だったな」
思わず、風が通り過ぎていった先を見つめる。無論、風に姿や形があるわけではない。条件反射の1つのようなものだ。そんな自分を笑い、男はぼさぼさになった髪をてぐしで整えながら友人に声をかける。
しかし返事が無い。
どうしたのかと見てみれば柵の向こうを真剣な顔で眺めている。それも2人そろって。
柵の向こうに広がるのは草原である。歩きながら見ていたが、当然そこには何も無かった。何かあったらお喋りなんかしてられなかっただろう。では、どうしたのか。
男は疑問を感じながら、友人の視線の先を追う。そして男も硬直した。
自分が気づかれたと知ったのだろう。それは片手を上げ、軽い挨拶を投げた。
「ちわーっす」
女の声。
こんな草原のど真ん中に、いつの間に現れたのか。
村娘が1人。垣根で作ったバリケードからさほど遠くない場所に立っていた。
月明かりの下、その姿ははっきりとわかる。
確かに可愛らしいが、それほど美人というわけでもない。村の中では上位という顔立ちだ。服装は大したものではない。トータルとして判断するなら、単なる村娘だ。
遭遇した場所が場所なら。
「おいおい……」
農民から徴収された兵士からすれば、決してありえない光景だ。こんな村から遠く離れた場所に村娘が1人なんて。
人間の生活圏内であり冒険者が巡回していたって、獣やモンスターがさまよっている可能性が非常に高い場所に、村娘が1人でいるわけが常識的に考えてあるはずが無いのだ。
武装していれば腕に自信があるのだろうと、100歩は譲れるだろう。しかし、その村娘は武装なんて何もしていない。単なる麻の服だし、ナイフすら帯びているようには思えない。
モンスター?
そんな考えが浮かぶ。村娘の格好をしたモンスターではないかと。そしてその疑問を氷解する
「どうもっす。血塗れのエンリっす」
ひょいと手を上げ、挨拶を行ってくる奇妙な女。その女――エンリの言った意味が頭に染み込んでくる。
エンリという名前、それは自分たち――いや、貴族様どもが捕らえると言っていた人物の名前ではないか。そんな人物が何をしにこんな場所まで?
疑問が嫌な予感に変化していく。そしてエンリの言葉はそれを肯定するものだった。
「いやー。私を捕まえたいってことなんで、先に来たわけっすよ。ちなみに捕まりたくは無いんで、ぶち殺させてもらうっす」
にっこりと笑顔を浮かべる。
月明かりによって生じる顔の明暗によって、その笑みは異常なほど不気味に見えた。
だが、相手は1人。こちらは1000人。まだ勝算はある。そんなことを思い浮かべた男をあざ笑う様に、エンリは口を開く。
「ちなみに――」
どこにいたのか。エンリの後ろに醜悪で捻じ曲がったようなゴブリンたちが姿を見せる。
数にして30体。全員が真っ赤なとんがり帽子を被り、鉄の靴を履いている。そしてその手には手斧。月明かりを浴びて、青い光を放っているようだった。
「――1人ではないっすよ。アインズ様にお願いして創造してもらったレッドキャップっす」
「敵襲!! 血塗れのエンリだぁああ!!」
友人の絶叫。それに合わせて男も叫ぶ。
「ここだ!! 血塗れのエンリとモンスターだぁああ!!」
「さてと、もう少し派手にいくっすか。《ブロウアップフレイム/吹き上がる炎》」
ボンという膨らんだものが弾けるような軽やかな音と共に、一気に野営地が明るくなる。
物見やぐらの1つが炎上し、巨大な松明のごとき輝いているのだ。上の部分から燃え上がった人間が落ちていく。
「こっちだぁああ!!」
驚愕しながらも男たちは叫び、エンリから離れるように動き出す。
元々戦意は皆無に等しかったうえ、あれほどの光景を見せられればもはや戦う意志はまるで無かった。魔法使いというのは彼らからすると、理解できない力を持った存在であり、武器が効くとは思わない存在である。
何が運が良いのか。
ほんのちょっと前の自分達に唾を吐きかけ、男たちは逃げながら繰り返し叫ぶ。正直、来てくれる人間が自分達の盾になってくれれば、なんていう思いを抱きつつ。
「血塗れのエンリが魔法をつかったぞぉおお!!」
「こっちだぁぁあああ!」
そんな男たちを笑顔で――しかしながら冷酷な輝きを放つ瞳で眺めながら、彼女は顔を数度なでる。そして仮面が外れてないことを確認すると、レッドキャップに冷酷に命令を下す。
「行け。そしてあらかた刈り取って来い。ただし出来る限り死体は綺麗な状態で残しておきなさい。アインズ様が回収して実験に使うということなので」
「畏まりました」
レッドキャップの一体がだみ声で答えると、ゆっくりと野営地に歩き出す。
「……あらかたっすよ? 幾人かは血塗れのエンリが二度と狙われないように、情報を流してもらうんだから生かして逃がすっすよ?」
レッドキャップたちは全員が頷き、いっせいに走り出す。その口からは殺戮への歓喜の声が漏れ出ていた。
「……うーん、ほんと全員殺されないっすかね?」
立て続けに起こる悲鳴と断末魔の叫びに、彼女は僅かに懸念を抱く。しかしそれが杞憂だったと分かったのは7分後だった。
その時には野営地には血に沈み、ほうほうの態で逃げ出すたった10の影があるばかりだった。
1000人を超える人間が、たった30体のモンスターに殺されつくしたのだ。
たったの7分間で。
向かってくる人間ばかりではなく、逃げまどう人間も、隠れようとする人間もいる中、その短い時間で殺しきれるのは、まさに冗談のようであった。どれだけ彼我の戦力に差があるというのだろうか。
「血塗れのエンリにふさわしいっすね」
目の前に並んだ、真紅の帽子を被るレッドキャップを眺めながら、独り言を呟く。
並んだものたちの帽子から漂う濃厚な血の匂い。それに満足げに目を細めた。
「うんじゃ、お前達はこの辺で警戒をしてるっす。野生動物に持っていかれたりしたら勿体無いっすからね。じゃ、私は先に戻って回収を要請するっす」
レッドキャップ達が深く頭を下げるのを確認すると、女は草原を走り出した。目的地は当然、ナザリック大地下墳墓である。
女は当初は2本の足で走っていたのだが、月明かりの下、その姿はゆっくりと4つ足の生き物へと変わっていく。
ほんの数秒にも満たない時間の経過後、やがて狼と呼ばれる生き物が草原を疾走するのだった。
■
3日後――早朝。
朝日が大地を照らし出す時間帯。
カッツェ平野といわれる場所にも、太陽はその慈悲を与えていた。カッツェ平野は赤茶色の大地が掘り返されたような新鮮さを持ち、草木はあまり生えないという景色がかなりの範囲で広がる場所である。
夜にもなれば、そして太陽が出ている時間帯もアンデッドのモンスターが蠢く場所でもあり、危険な地として広く知られる場所でもある。
そんな平坦な場所に、どんと目立つ巨大な建築物があった。
周囲はしっかりとした大木が、周囲を拒絶するような頑丈な壁となっている。壁の向こうには無数の旗が揺らめく。その中で最も多いのはやはりバハルス帝国の国旗だろう。
それが無数にたて昇るのも、当然である。ここが帝国の――6万もの騎士たちを駐屯させる地なのだから。
今回の出兵に関して帝国が動員した騎士の数は6万。それが全て収まるだけの駐屯地といえば、それがどれほど広大かは説明の必要が無いだろう。
本当に見事なつくりであり堅牢な要塞と言っても過言ではないような見栄えを持つ。
しかもところどころの大地が盛り上がり、攻められても容易くは落ちないような堅固な作りとなっている。これは平野の中にこのような地形がたまたまあって、それを有効活用して要塞を作り出したのではない。この大地の盛り上がり自体が、魔法による土木作業の結果だ。
流石にこれは魔法使いを国家の柱の1つにしている帝国でも、この地に到着して一週間では出来ない作業である。
大地の盛り上がりは、数年間の帝国の侵攻での蓄積の結果だった。何度も何度も同じ場所に駐屯地を作り、魔法による土木作業を続けた結果ということだ。
そんな要塞の建造という結果に対して、王国が何の対処も見せなかった理由は、単純にこの駐屯地に攻め入るようなことが一度も無かったため、無駄な労力をかけまいという理由からだった。盛り上がった大地を魔法の力を使わないで戻すとなると大きな工事になるし、するとなると出現するアンデッドにも注意を払わなくてはならない。
そうなると、黙認してしまった方が金銭的な出費が少ないためであった。
そんな巨大な駐屯地の上空を、3騎のヒポグリフが飛んでいた。それらは大きく円を描くように舞いながら、ゆっくりと降下を始める。騎士であれば誰も知る、皇帝直轄の近衛隊の1つ『ロイアル・エア・ガード』の儀典式降下である。
つまりは帝国の使者の到着を示す降下の仕方である。
やがて3騎のヒポグリフは背に乗せた者と共に、駐屯地の一角に舞い降りる。
そこには既に10人の騎士たちが待ち構えていた。帝国から来た使者を迎えるための人数としては妥当な数だろう。
ヒポグリフの背から1人の全身鎧に身を包んだ男が降り立ったとき、待っていた騎士たちの顔に驚きが走った。
ヘルムを外しているために、その端麗な顔が表に出ていたために誰か即座に理解できたのだ。いや、被ったままでもわかっただろう。その特徴的な鎧を見れば。
かすかな風にそよぐ金の髪に、深い海を思わせる青の瞳。屈強な意思を感じさせる引き締まった唇。騎士としてこうであれという典範のような男だった。
その男を知らない騎士は誰もいない。何より、その男の全身鎧を知らないものがいるはずが無い。希少金属であるアダマンティンをもって作られ、さらには強力な魔法によって魔化された鎧。それほどのものは帝国でも数えるほどしか存在しない。
その鎧を着るものこそ、帝国の騎士の最高位に立つ者の1人。
彼こそが帝国最強の4騎士の1人、『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノックである。
「将軍の方々は今どちらに?」
涼しげな、それでいてピンと伸びた声で寄ってきた騎士にニンブルは問いかける。
「はっ。本日王国との戦争を行うということで、こちらには代表しましてカーベイン将軍が向かって来られております」
「そうか……。それで辺境侯は既にお着きかな?」
「いえ、辺境侯はまだこちらにはお見えになられてはおりません」
「了解した」
安堵のため息がニンブルから漏れる。その辺りで新たな登場人物がその場に姿を見せる。
完全に髪を白く染めた壮年の男であり、穏やかな雰囲気をかもし出している人物だ。
着ているものは騎士たちと同じ鎧ではあるが、あまりその人物には似合っていない。その男はどちらかといえばもっと貴族風の格好のほうが似合っているといえた。
数名の警護を引き連れてきたその男は、どんな人間でも地位の高さを感じ取れる。
「ニンブル、良くぞ参った」
破顔すると騎士というよりは、品の良い貴族というイメージがより強くなる。声色も穏やかなものであり、こんな戦場の匂いが強い場所にいるのが嘘のようでもあった。
「カーベイン将軍」
ニンブルは略式の敬礼でそれに答える。
ナテル・イニエム・スァー・カーベイン。
もともと平民でありながら、その才を認められ先代の皇帝に取り立てられた、第2軍の指揮官である将軍である。個人の武勇は無いに等しいが、堅実な指揮官としてその名は高く、戦えば決して負けることは無いといわれる名将である。そのためもあって指揮する第2軍の士気は非常に高い。
実際、カーベインの連れて来た騎士たちの、一挙一動にはカーベインに対する敬意が見え隠れしていた。
「今回の遠征の最高指揮官である、将軍に出向いていただき感謝の言葉もありません」
帝国軍は第1軍から第8軍まであり、その軍ごとの最高責任者は将軍という地位に就く。そして第1軍の将軍が大将軍という軍全てに対する指揮官となる。
その第1軍――大将軍がいない場合は、その次の順番が若い軍を指揮する者が統括へと就任する。つまりは今回の場合は第2軍の将軍であるカーベインが最高責任者ということだ。
「いやいや。ニンブル。そう畏まらなくても良いよ。君も陛下のご命令でここには来たのだろ? ならば別に私の指揮下に納まるわけではないんだ。対等にしてくれて結構だよ」
そうはおっしゃられましても、そう言いながらニンブルは苦笑いを浮かべた。
軍の最高責任者は皇帝であり、その下に大将軍がつく。カーベインはその下、つまりは第三位の存在だ。
では帝国最強といわれる4騎士はどの程度の地位に就くのか。
皇帝よりの直轄命令を遂行する場合が多い4騎士は権限だけで言えば、将軍と同格のものを有することとなる。しかしながら、年齢や経験、貫禄。そういったもので負けているというのに、対等での対応というのも外部がいないところでは難しい。
そのニンブルの困り顔を好ましく見ていたカーべインは微笑む。
「いや、無理を言ったかな? ただ、軽い気持ちで任務に当たってくれたらと思ったんだがね。さて、ではおしゃべりもこれぐらいにして本題に入ろう。ニンブル、今回ここに来た理由は何かな?」
「はい、大した理由ではございません。今回の任務は辺境侯にお会いして陛下からの手紙を渡すのと、辺境侯の戦闘を目に焼き付けるのが任務です」
「おお、辺境侯か。それで質問なのだが、侯は一体何時ごろお見えになるのかな? すでに王国の軍勢はゆっくりと陣形を整えつつある。もう少ししたら開戦だ」
辺境侯が戦端を開く。
それは遠征前に、ジルクニフより命じられたことの1つだ。
それと納得しがたいことが1つ。
場合によっては辺境侯の指揮下に入れ、だ。
「なぁ、ニンブル。辺境侯とは一体、何者なのかな?」
カーベインは前から思っていた疑問を口にする。
それはカーベインのみならず、帝国である程度の地位を持つ者であれば誰もが思う疑問である。
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯というのは何者なのか。
帝国は現在、貴族の力を削ぐために様々な手段を用いていた。今回の遠征だって、費用の大部分を支払うように命じたりもしている。そうやって真綿で首を絞めるように行動している。
そんな中、まるで時間の流れを逆行するように、辺境侯という新たな――それも最高位といっても過言ではない地位を与えてまで招き入れた人物。
噂では強大な魔法の力を有し、莫大な力をも兼ね備えるという。その強大な魔力に引かれ、フールーダはその地位を捨てて、弟子になったという。
無論、これらカーベインが聞く話は真実なのか、偽りなのかは全くの不明だ。唯一フールーダがその地位を降りた。そして弟子になったという話のみは事実だという。
「…………」
ニンブルはそれには答えようとはしない。重要機密に関すること、周りでニンブルの様子を見ていた騎士たちはそう判断する。しかし観察眼に優れたカーベインは、ニンブルの沈黙が恐怖と困惑に彩られたものだと見て取った。
帝国4騎士の1人が怯える相手。
それはどのような存在か、カーベインには想像も付かない。いや、もしかしたら自分の観察や推測が間違っていると判断した方が、理解できるというものだ。かの4騎士が恐れているなんか、自分の勘違いだとした方が。
カーベインが色々と考えていると、1人の騎士が向かって走ってくる。
鎧胸部に刻まれたエンブレムはその騎士の地位、そして高さを示している。それからすると1人で走ってくるほど低い地位のものではない。
「将軍!」
「どうした? 何かあったのか?」
「はっ。辺境侯の旗を立てた馬車が一台、門の前に到着されました。いかがなさいますか?」
カーベインはチラリとニンブルを伺う。それに対してニンブルは1つ頷いた。
「わかった。すぐに通せ」
「はい。それで……中の確認は行いますか?」
例え中に誰が乗っていようと、駐屯地に確認無く入ることは出来ない。通常は魔法による検査などを行って、幻術による返信などではないかという確認をするのは基本だ。その辺りがしっかりとルールとして確立しているのが、魔法使いを国家の柱として管理育成している帝国ならではだろう。
そこからすれば、辺境侯を検査するのも当然であり、通常なら言われずにすべきことだ。では何故、この騎士はわざわざ問いかけに来たのか。
カーベインは再びニンブルに視線を送る。それに対する答えもやはり予測のとおりだった。
「将軍。辺境侯は重要な人物。決まりというのは知っていますが、何卒、そのようなことなく通していただきたい」
「……その必要は無い。何よりもすぐに、辺境侯を通すんだ」
「はっ!」
騎士の返答。そこには安堵の色があるのをカーベインは感じ取る。騎士を動揺させる、そんな馬車が来たというのだろうか。カーベインは怖いもの見たさの、好奇心が湧き上がるのを押さえ込めない。
そして特別な扱いをするほどの相手だという辺境侯に対する好奇心もまた強まっていた。
一台の見事な馬車がゆっくりと先導されるように、カーベインたちの方に近寄ってくる。それから目をそらさずに、ニンブルが言葉を発する。
「皆様。最敬礼でお願いします」
何? という表情がカーベインたちの顔に浮かんだ。帝国の法律上、辺境侯の方が地位は高いかもしれない。そして確かに今回場合によっては指揮下に入れという命令を受けている。
だからといって将軍よりも上の地位をそのままに軍隊に含めてしまっては、指揮権の混乱が必ず生じよう。だからこそ戦場において最敬礼というのは滅多にされないこととなる。騎士が自分の指揮官が最敬礼をしている光景を目にした場合、その人物がより上位の指揮官だと勘違いするだろうから。
それが戦場の暗黙の了解である。
にも関わらず、要求されたのは最敬礼という皇帝を迎え入れる、最上位の礼儀を示せと言うのだ。
あまりにも納得がいかない言葉だが、ニンブルの表情や態度を見ていれば、好きでしろといっているのではないという理解は出来る。つまりはそういった対応をすべき人物だということ。それに皇帝の命令である指揮権の委譲に絡んだ話なのか。
「皆、最敬礼を行うように」
カーベインが命令することによって、混乱していた騎士たちに安堵が生まれる。命令ならば従えばよいのだ。そこに自分の考えは必要ない。ニンブルの安堵を横目で見ながら、カーベインはヘルムを外し、最敬礼の準備を取るように指揮する。
全員がヘルムを外しその顔を外気に晒していると、ゆっくりと馬車が一行の前で止まる。
カーベインたちの前で止まった馬車は、見事という言葉しか生まれない。
恐らくは帝国内でもこれほどの立派な馬車はそう無いだろう。細かな装飾に、よくわからない飾りが突き出していたりしている。多少ゴテゴテしていると言えるが、それは元々平民であり、もらっている金銭に対して質素な生き方をしているカーベインだからこそそう思ったのだろう。貴族辺りならば、また別の感想を抱いたに違いない。
それでも辺境侯の財力が桁外れなのだろうという、その一端を目にした思いだった。
御者は確かに異様だ。これなら騎士が緊張したのも分かると、カーベインは頷く。
御者として座るのは、全身真紅のフードを纏った存在だ。その下は一切見えないし、こちらに一瞬たりとも目を送ってこないのが、異様な雰囲気をかもし出す。
人間というよりはもっと別の――ゴーレムとかの可能性があるような、身動きの少なさだ。
そうやって全員で観察をしていると、馬車の扉が開き、最初に1人の人間が降り立つ。その人物を見たカーベイン、そして騎士たちは驚きの表情を隠しきれなかった。
それは老人。
かつては純白のローブは今では漆黒へと変わり、クリスタルを思わせる輝きを放つ数珠を首から提げている。手にした杖からはピリピリとした魔力の波動のようなものがカーベインたちの皮膚を叩く。両手に大き目の宝石をはめ込んだ指輪をそれぞれにして、黄金の輝きをもつ手甲に身を包んだ者。
その人物を見間違うことは決してありえないだろう。帝国が世界に誇る最高の魔法使い。そして辺境侯の弟子となり、主席魔法使いの地位を降りたとされる人物を。
フールーダ・パラダイン。
歴史に名を残すだろう最高位の魔法使いだ。
確かにカーベインも――ある程度の地位の騎士であれば、フールーダという魔法使いが辺境侯の下に付いたというのは耳にしている。しかし、ここで会うとは正直思っていなかったのだ。
自分たちが幼かったころから帝国に仕えてきた、帝国のかつての重鎮中の重鎮。例え戦場において――そして役職を蹴り、辺境侯の弟子となった現在では、地位は将軍の方が上だとしても感情までもは付いていかない。
そんな驚愕に支配されたカーベインたちをフールーダは無視し、馬車に声をかける。
「師よ、着きました」
「ああ、わかったぞ、弟子よ」
中から声が返り、ゆっくりと姿を見せるものがいた。
格好はフールーダに似ている。
漆黒のローブ、豪華ではあるが装飾が派手ではない程度に抑えられた杖、銀の輝きに宝石をはめ込んだネックレス。ただ、その顔は奇怪な仮面に覆われていた。
そして何よりも目を引くのはその両手。
左手のガントレットは悪魔のような邪悪な生物からもぎ取ったようだった。黒を基調に禍々しい形状を取っている。捻じれた様な棘が突き出し、指先は鋭利に尖る。金属だと思われるのに、奇怪な分泌物を排出しているような薄汚れた輝きがあった。目にするだけで魂から否定されるようなおぞましさが、全身を走り抜ける。
それに対して右手は純粋無垢な少女を思わせた。純白を基調に、すらっとした形状を取っている。金の奇妙な紋様が全体に走っているが、それすらも美しさを高めるための装飾になっていた。目が奪われるとはまさにこのことだ。絶世の美女を前にしたように、魂が吸い込まれそうだった。
カーベインは即座に悟る。いや、頭で理解するのではなく、魂で感じ取ったのだ。
これが皇帝が警戒する魔法使いだ、と。
この人物だからこそ最敬礼が必要なのだ、と。
周囲にいた騎士たちが、氷柱を突き刺されたような寒気に身を震わせる。遠めで様子を伺っていた者たちが、息を呑む。
戦争が始まるという熱気が一気に掻き消え、熱の篭った喧騒が一気に無くなっていくようだった。
たった1人。
仮面で顔を隠した貴族がたった1人姿を見せただけで、温度が一気に数度は下がったような、身の毛も凍るような冷気に襲われたのだ。
戦場であっても、どんなモンスターと対峙しても、どんな強者と面と向かっても恐怖しない者たちが、親に叱られる子供のような頼りなさをその身に宿したのだ。
静まり返った中、タラップを降りる音がやけに響く。いや、動物的な本能が、その存在をしっかり捉えておかないと逃げられないと判断し、全神経を集中させているのだ。
「人間なのか……」
誰かの呟き、それがやけに大きく聞こえる。
だが、その場にいた全ての人間が、その小さな風が吹けば消えるような声に同意する。姿を見せただけで動物的本能を強く刺激してくる者が人間であるはずが無い。
アインズがゆっくりと大地に降り立ち、前に掛かったマントを跳ね除ける。漆黒のマントがバサッという音とともに広がり、まるで黒翼が展開されたようだった。
「よ、よこ、ようこそお出でいただきました、辺境侯」
ニンブルがひざまつき、頭を垂れる。その声は震え、明確に恐怖を物語っている。
そう。帝国最強とされる4騎士の1人が怯えているのだ。しかし、それに対して何か特別な感情を抱く者はいない。なぜなら自分達だってそうなのだから。
辺境侯。
今まで帝国に無かった地位に座る者。
強大な魔力を有し、フールーダですら頭をたれる大魔法使い。
その言葉を誰もが充分に、心の底いや魂の底から理解できた。
「……皆様、最敬礼を」
頭を下げたままのニンブルの静かな声に引っ叩かれる様に、ありとあらゆる者たちが慌てて跪く。カーベインも騎士も。その場に来たわけではない者たちも、たまたま目にしてしまった者たちも、そうしなくてはいけないという緊張感を持って。
静まり返った場所に、仮面でくぐもった声が響く。
「……ご苦労、頭を上げよ」
しかし、誰も頭を上げようとはしない。
静寂が響く中、再び声が聞こえる。
「頭を上げよ。というよりも立ち上がって構わない」
その声に含まれた微妙な感情に、全員が一斉に頭をあげ、立ち上がる。その様は弾かれたように、という言葉が相応しい様だった。
「私がアインズ・ウール・ゴウン辺境侯だ。今回は色々と面倒をかけるがよろしく頼む」
頼むという雰囲気の一切無い、抑揚の無い声。しかし、それも当然ではないだろうかという思いが、その場にいた一同の心に浮かぶ。
そんな中、ニンブルが口を開いた。
「……ようこそおいでくださいました。ゴウン辺境侯」
ニンブルをアインズはしげしげと眺め、それから隣にいるフールーダに問いかけた。
「……フールーダ。あれは?」
「はっ。帝国最強とされる4騎士の1人。『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノックです」
「最強?」
「無論帝国での、です」
かすれたような笑い声が上がる。
「フールーダ。我々ナザリックも帝国の一部だぞ?」
「おお、申し訳ありませんでした。それを考えるならなんと評価してよいのか……。そうですな。単なる騎士です」
侮辱であった。しかし、ニンブルは何も言わない。悔しいという感情すら起こらない。
当たり前である。
あのナザリック大地下墳墓の強大さを見たもの、そして仮面の下の素顔を見るものとして、何かが言えるはずが無い。ただ、これは激風の心がへし折られたとかではない。
象に綱引きで人間が負けたからと言って悔しがる者がいるだろうか? イルカに水泳で負けたからと言って腹を立てるものがいるだろうか?
敗北は当たり前のことなのだ。
ニンブルが何も言わないのは認めているからである。
人間という種では、アインズ・ウール・ゴウンに勝てるはずがない。
ニンブルが知る限り、最も人間としての高みにあった大英雄――フールーダはアインズの足元に身を投げ出した。それほどの存在に、人間が勝とうと思うのは思い上がりと言うのだ。
「……ジルクニフには言っておいた方が良いな。せめてもう少し良い格好をさせてや――」
「――師よ」
「どうした? フールーダ」
「あの者の武装は帝国で作られる武装では最高峰のものであり、これらを凌ぐものはございません」
「……ジルクニフもあまり魔法には金を回していないのかな?」
「――辺境侯。それぐらいにされたらどうでしょうか?」
緊張感が一気に増した。
その言葉を聞いた全ての者――アインズとジルクニフを除き――の額に脂汗が滲む。
死んだ。
そうカーベインは思う。
自分は死ぬ。それでもジルクニフに忠誠を尽くす身として、訂正を要求しなくてはならない。
「貴殿の地位は重々承知しておりますが、共に戦うべき戦友に向ける言葉ではないと思うのですが? それに陛下は充分な金銭を回しております。もしそう思われるのであれば、今までの最高責任者がしっかり働いていなかったからではないでしょうか?」
カーベインはフールーダにそれとわかるように視線を送る。
はっきりとした皮肉だ。お前の弟子が無能ではないかという。ここまで言ってしまえば激怒は裂けられない事実であろう。しかし、それでも自分に対して何かをすれば辺境侯に対する皇帝の武器となるはず。
そういう忠誠心がカーベインの恐怖を押さえ込む。
「……共に戦う?」
不思議そうなアインズの言葉に、カーベインは僅かに眉を潜める。
正直言えばそこに食いつくかという疑問だ。何故に皮肉に関して何も言わないのかと。
「何故、私がお前たちと共に戦わなくて無くてはならないのだ?」
「というのはどういう意味なのでしょうか?」
「まず、私が戦闘の口火を切るということの許可をもらっているのは知っているか?」
「……それは陛下から聞いていますが?」
「ならば共に戦う必要はないだろう?」
言ってる意味がわからない。
両者が疑問に満ちたとき、フールーダが横から声をかける。
「わが師はこうおっしゃているのだよ。師の軍勢だけで終わらせるから、帝国軍の必要は無いとね」
空白が生まれる。
あまりにもあまりな言葉だ。
王国は20万の兵を動員している。それに対してどれだけの軍勢を用意しているというのか。
動揺したカーベインを無視し、ニンブルが丁寧に懐から紙の手紙を一通取り出す。封をしている蝋の上には皇帝の印が押されたものだ。
「辺境侯。陛下よりお手紙を預かっております」
アインズはそれを聞くと、片膝を大地に付ける。
それはあまりにも自然であり、ある意味美しいとも言えるような流れだった。
その臣下の礼に驚いたのはニンブルのほうだ。正直、まさか礼儀を見せるとは思っていなかったのだ。
当たり前だ。あれほどの力を持つ存在が、あれほどの部下を揃える存在が、本気で人間である皇帝に忠誠を尽くすと思えるだろうか。傲慢かつ軽んじた態度で手紙を受け取る姿しか、通常はイメージできないだろう。
それにあれほどの高位の地位に座す者が、こうも自然に臣下としての礼儀を示す姿が似合いとは思えなかったのだ。
4騎士の1人バジウッドからの話で、アインズという人物が英知を持つ者だとは聞いていた。つまりそれだけではなく、礼儀作法も完璧なのだろう。
動揺したニンブルにアインズは問いかける。
「読み上げないのか?」
ニンブルは己が思いに囚われていたことに気づく。
「失礼しました。ですがこれは陛下から辺境侯への友情を込めたお手紙とのことで、私にそれを開封する権利は有しておりません」
「それを先に言って欲しかったな」
「た、大変申し訳ありません!」
立ち上がりながら不満をもらすアインズに、ニンブルは謝罪をする。
これは確かにニンブルが悪い。皇帝からの手紙と聞き、場所が戦場であれば、それは重要な意味をもった命令書であると考えても可笑しくは無い。そうであればよほどの非常事態以外、皇帝に対する礼儀を示すのは道理である。
そのアインズの臣下としての礼儀を示した姿は、カーベインや騎士に好ましい印象を強く与えた。恐怖が強かった分、傲慢さを感じさせた分、重要なところでは敬意を示す。立派な姿を取れる人物だという像が頭に焼きついたのだ。
普段悪いことをする人間が、ちょっと良いことをすると実は良い人なのではと思われる理論である。
アインズは立ち上がると、ニンブルより手紙を受け取り、それを開くことなく無造作に懐に入れる。その行為にニンブルは不思議そうに声を上げた。
「読まれないので?」
じっとアインズはニンブルを眺める
「な、なにか?」
「……う、む。まぁ、なんだ。友からの手紙だというなら、時間のあるときにゆっくりと読めばよいかと思ってな」
「なるほど。それも道理だとも思われます」
横からカーベインが口を挟む。
友達として戦争に来たのではなく、辺境侯として戦争に来たというならば納得のいく答えだ。
「なかなか分かる者だな。フールーダ? それと先ほど言い過ぎたようだな。私は帝国の貴族になってまだ間もない。あまり帝国内の魔法技術まで詳しくは知らなかったのだ」
「い、いえ。こちらの方こそ失礼な口を叩き、誠に申し訳ありませんでした」
「ふむ? 何か失礼なことを言ったか?」
「……!」
なんと度量の大きい人か。
カーベインは正直感心する。まさか自分の弟子のかつての地位を忘れているはずが無いのだから、その程度は自らの言い過ぎでの謝罪に含まれるという意味だろう。
「フールーダ、御仁は何か失礼なことをいわれたかな?」
その問いにフールーダは微笑みで答える。師の寛大な言葉を理解し、その意志に副うように答えた。
「いえ。何もございませんでした」
「――感謝いたします、辺境侯」
それに対してアインズはなんでもないと手を振る。何も無かった。そう言いたげな態度で。
「ん? んん、まぁ、そちらがそうしたいというなら、そういうことにしておこう。ではこれから戦争の準備に入りたいのだが、私の軍を呼ばせてもらいたいのだが構わないかね?」
「勿論ですとも、辺境侯」カーベインは返答は朗らかかつ好意に満ちていた。「しかし、今からということはこちらに到着されるのは何時ごろになられるのかな? 時間が掛かるようなら他の将軍達にも話しておかなくてはならないので」
アインズは頭を傾げる。
「……その前に戦争の手順はどうなっているのかね?」
「王国との戦争は時間指定の上での戦争ですので、ある意味決闘に近い形を取っています。今回であれば、戦場で両軍の将がまみえ、最終勧告を行います。その後に戦闘開始ですね」
「なるほど……その最終勧告には私は関係ないのだろ?」
「そうですが、もしお望みでしたら同席されても問題はないかと思います」
「……いや、それには及ばない。私の役目はたった1つ。王国軍に先制攻撃を仕掛けることだからな。さて、それだけ聞ければ充分だ。さきほどの質問に答えさせてもらおう、将軍。到着は今だ」
「どういう意味でしょう、辺境侯?」
疑問に満ちたカーベインの質問を無視し、アインズは魔法を唱える。それは当然《メッセージ/伝言》である。
「――シャルティア。《ゲート/異界門》を開け、そして私の兵をこちらに呼ぶのだ」アインズの仮面の奥の瞳が、カーベインを見つめる。「さて、将軍。悪いのだが、私の軍を駐屯地に入れてくれないかね?」
たびたびの怪訝そうな顔をしたカーベインに何かが繋がるような感覚とともに、声が響く。物見台に立つ、魔法使いのものであり、《メッセージ/伝言》を使った緊急時の伝言手段だ。
「カーベイン将軍! 後方より軍勢を確認しました!」
カーベインはその言葉を聞くと、アインズに視線を送る。ただ、恐らくはとは思うが、それでも確証を得るために問い返すことにする。
「どこの軍のものだ?」
「旗は……辺境侯のものです! と、突然、黒い穴のようなところから出てきております!」
黒い穴? 少しばかり疑問が浮かぶ。しかし辺境侯の軍勢が来たというのに、門の前で押し留めるのは良い判断とはいえない。それどころか本人がここで自分の軍を呼ぶと言って許可を申請しているのに、留めていては侮辱と取られる可能性だってある。
「なるほど……では門を開けて招きいれよ」カーべインは視線を門の方に動かす。「一体いかほどの人数かな?」
「お、およそ300ほどです」
少ない。カーベインはそう思う。帝国が6万、王国は20万。それからするとあまりにも少なすぎる数だ。
カーベインはアインズのゆったりとした姿を横目で見る。
この人物が300しか呼んでこなかったのはなんらかの理由があってのことだろう。
門がゆっくりと開いていく中、カーベインはそう判断する。
門が開き――
――すべてが静まり返った。
戦場という場所での興奮なんかはどこかに飛んでいった。ただ、異様な空気と重い沈黙が全てを支配する。まるで静けさという音が一気に広がっていくようだった。
聞こえるのは何も知らないものの声だけであり、その光景を知る者には静寂しかない。
騎士たちのヘルムから覗く目は、釘付けだった。
それは今、もっとも噂になっている謎の新興貴族。
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の軍。数は少ない。確かに300ほどだろう。ただ、それを笑ったり侮ったりできるものは、駐屯地にはいなかった。
それは異様な軍だった。
白と黒のコンストラクトというのだろうか。
白――それは3メートルはある人骨の集合体。無数の人骨が連なり、形どるものは首の伸びた4足の獣――ドラゴン。それがゆっくりと歩を進めてくるのだ。
その上には黒――身長が2メートルは越える騎士が乗っていた。左手には体を3/4は覆えそうな巨大な盾――タワーシールドを持ち、右手にはフランベルジェ。巨体を包む黒色の全身鎧は、血管でも走ってるかのように真紅の紋様があちらこちらを走っていた。
手綱無く、騎士は下のドラゴンと意思を結んでいるかのように、乱れない行軍を続ける。
下のドラゴンに似た形状をしたアンデッドの名は、騎士たちも知っていた。
これは騎士たちが帝国領内のモンスター退治も任務と与えられるからだ。
勝てる敵と勝てない敵の見極め方は重要であり、帝国領内で出現したモンスターの知識を充分に理解することは生存につながる。そのために騎士たちは座学も求められている。厳しい指導の中で得た知識の中に、そのアンデッドモンスターの名があった。
決して勝てないから手を出すな。そのモンスターは監視に留め、優秀な冒険者を即座に雇うように。
そういう評価をされたモンスター――スケリトル・ドラゴン。
では上に乗る恐ろしき存在は何か。
それが1体であれば、ここまでの沈黙は無かっただろう。
その死人の軍勢の数は――300。
数は少ないものの、一騎当千を地で行くような恐るべき軍勢である。
「私の軍だよ、将軍」
騎士たちと同じく絶句したカーベインに、アインズは楽しげに紹介した。
■
カッツェ平野に両軍が展開され、にらみ合ったまま時間がゆっくりと経過していく。
王国軍約20万に対して帝国軍約6万。
相対すると彼我の兵力の差ははっきりとわかる。あまりにも王国が多く、あまりにも帝国が少ない。しかし、双方に余裕の色も緊迫の色も無い。
確かに王国の方が圧倒的な兵力を有している。しかし個としての強さは圧倒的に帝国側なのだ。
王国の民兵として徴収された者たちは、例年のように駆り出されるこの戦場でしか、武器の使い方を習ったことが無い。鎧も何も無く、ただ武器を持っているものがほとんど。今から起こる命の奪い合いに、恐怖におびえていない者は少ない。
それに対して帝国の騎士は全身をしっかりとした武装で固め、訓練に次ぐ訓練、実戦に次ぐ実戦で強固に鍛えられている。命を奪い合い、そしてこの地に伏す覚悟だって充分にある。
これだけの肉体的、そして精神的な差があれば、兵力さも圧倒的な有利とはならない。
しかし、それでも単純な兵力の差は大きい。もし疲労無く恒久的に戦える者ならば、差にはならないのかもしれないが、人間ではそうはいかない。疲労していけば、能力に差があってもやがては追いつかれることになる。
そして帝国にしても無駄に騎士を殺したくは無い。騎士1人を鍛えるのにかかる時間や費用を考えれば、即座に理解できるだろう。農民1人と騎士1人。損失の額は桁が違う。
収穫の時期にこれだけの兵力を動員すると言うことは、王国の力をそぎ落とすことにつながる。それにこれだけの大きな戦争をするとなると生まれる出費、これを自分に敵対したり警戒すべき力を持つ貴族に支払わせるように、ジルクニフは行動してきた。従ってここで軍を撤収させても、帝国側はある程度は利益を得ているのだ。
だからこそ基本的に戦争は今まで睨み合いで終わっていた。
今回もそうなるだろう。王国の貴族の大半が、心の中ではそう甘く考えていたのだ。
例年であれば帝国側は数度の軽い前哨戦のあと、一度軽くぶつかって、それから撤退という行動に出るのが基本である。
ただ、帝国の騎士たちが要塞のごとき駐屯地より出立しながら、一切動く気配がなかった。
「動きませんね」
ガゼフの横にいたレェブン候が、帝国の陣形を眺めながらポツリと呟く。
周囲はガゼフ直轄の優秀な兵やレェブン侯の直轄の兵などの精鋭に守られた、おそらくはこの陣地で最も安全な場所だ。
だからこそレェブン侯は安全に、目は帝国の騎士たちに送られている。
動かないと言うのが、移動したりとかではなく、進撃を開始しないということだと理解し、ガゼフは同意する。
帝国に動き出そうという気配が無い。
レェブン侯が疑問を持つように、帝国は駐屯地前に陣取ったまま動き出す気配が全く見られない。既に最終的な交渉の決裂は終わり、あとは武力を持って話を解決する番になっているにも関わらず。
だからこそ王国も動くことは出来ない。
それは王国から攻め込むことは危険を意味するからだ。というのは帝国は騎兵が主であり、それとの王国の戦い方は待ち構えて槍衾を作ることだ。そうせずに昔、先手を打って帝国に攻め込んだ貴族たちがいたが、瞬く間に殺され、王国がかなりの損害を被ったことがある。
それ以降、王国の対帝国の戦法は槍衾を作り、防衛に努めることである。そうしても時折食い破られ、中を蹂躙されたりもするが。
「帝国の重装騎士による突撃まではもう少し時間があるのが普通です。駐屯地に動きがあるようなので、もう少しでしょう」
ガゼフは遠方に目をやり、帝国陣地に起こっている微妙な空気の緊迫感を感じ取る。
かなりの距離があるが、それでも卓越した戦士であるガゼフからすれば、その微妙な空気の変化は充分に感知できた。
「毎度のパターンとはいえ、この微妙な緊迫した空気がどうも苦手です。嫌なことはさっさとしてしまった方が、精神的な面でも助かります」
「確かに、微妙に左翼に微妙な動きがありますね」
「ああ、ボウロロープ侯ですか」
王国は両翼に貴族派閥の者たちを配置し、中央を王派閥の人間が固めている。ちなみに両翼に各5万。中央に10万という構成だ。
「焦っているというより、腹を立てているのでしょう。エンリを捕縛しに行った1,000名もいまだ戻らず。ボウロロープ侯は非常に不快気に思ってるみたいですから」
ガゼフはつい先ほど、戦闘前に顔を合わせた貴族を思い出す。無論、ガゼフを一瞥もしようとはしてなかったが。
「まぁ、戻ってくるのが遅いとか思っているんでしょうが、実際は全滅しているのでしょうけどね」
「……失うにしても1,000は大きかったのでないでしょうか?」
「1,000程度の出費はたいした問題ではないです」
貴族派閥の人間が死ぬということは、仕方が無いと割り切ることは出来ても、1,000人の平民が死ぬということはあまり賛同できないガゼフは、微妙な表情を作った。
それにガゼフは元々は平民である。同じ平民の死というのは堪えるものだ。それを悟ったレェブン侯は謝罪を入れる。
「これは失礼を。多少言葉が過ぎました」
「いえ。レェブン侯の考えられていることもわかります。ですのでお気にされず」
レェブン侯はガゼフの視点よりも、もっと上位の視点からすべて見ている。ガゼフは目先の1,000人の命を惜しいと残念がっているが、レェブン侯は王国の将来の勢力図を見据えた上で、1,000人の命なんかたいした価値にはならないと判断しているのだ。どちらが合っているとか、どちらが間違っているとかの話ではない。
「お? ようやく動き出しましたか」
中央を空けるように帝国軍がゆっくりと2つに分かれだしたのだ。分かれた花道をゆっくりと進みだす軍勢がいた。ガゼフもレェブン侯も見たことが無い、奇怪な紋章を記した旗を持つ軍勢だ。
ただ、2人とも目が釘付けになる。
それからガゼフは絶句した。あの時の戦闘を思い出し。
あれはデス・ナイト。アインズ・ウール・ゴウンがその近辺に待機させていたアンデッドの兵士。恐らくは本気で戦えばガゼフですら1体を倒すのがやっとの相手。
それが――
「――あの数だと? ありえん」
ぶわっとガゼフの額に汗が滲む。
デス・ナイトの数は300ほど。対する王国の兵は20万。
300対20万。単純に考えれば勝てる戦いだ。しかしそれは人間など疲労する存在が相手の場合だ。疲労したところを潰すことが出来るから、数の暴力という手段は有効なのだ。
だが、アンデッドのような疲労しない存在を相手にした場合、その脅威は一切変わらない状況ということになる。
つまり20万いても勝てない確率は非常に高い。いや、ガゼフが疲労しなければ、そして300人もいれば、20万の兵を皆殺しに出来る自信はある。
「不味いぞ……」
息を荒く、顔を顰めるガゼフに、緊迫感を持った声でレェブン侯はささやく。
「あれはスケリトル・ドラゴン。恐るべきアンデッドです。そしてガゼフ殿の反応を見るところ、上に乗る存在もかなりの強敵のようですね」
「ええ。私と対等に戦ったアインズ・ウール・ゴウンの警備兵です」
「……あれが」
レェブン侯は呆気に取られたような顔をし、それから数度頷いた。
アンデッドの軍勢は左右にゆっくりと展開して行き、帝国軍の最前線に立つ。6万の兵の前に300人が展開するのだから、一人一人の間は大きく開いており、あまり迫力があるとはいえない姿だ。しかしそれでもガゼフの態度から、どれだけ警戒しても足りない相手だというのは充分にわかる。
「わかりました。真正面からぶつかったら、かなり膨大な死者が出そうですね。計画……貴族派閥の兵力をそぎ落とすという計画を前倒しで進めましょう。辺境侯に貴族派閥の人間をぶつけるように、王にお願いしてみます」
そこまで言ったレェブン候も、油断無く帝国軍を眺めていたガゼフも目を点にする。
突然、黒い壁のようなものが辺境侯の軍の前に浮かんだのだ。それはさほど大きくは無い。せいぜい縦3メートル。横2メートルほどか。鏡のようにも思えるそれから2人の人間が姿を見せた。
仮面をつけた人物と、かつての帝国主席魔法使いフールーダである。
「あれはアインズ・ウール・ゴウン」
「あれがですか」
ガゼフの思わずもらしてしまった呟きに、レェブン候は真剣に眺める。
その王国内でも話題になり、強大な魔力は桁が知れないと思われる人物。
それが腕を一振りする。それに合わせるように突如としてそのアインズを中心に、10メートルにもなろうかという巨大なドーム状の魔法陣が展開された。フールーダがその範囲に囚われていることからすると、害をなすものではないようだが、そのあまりにも幻想的な光景は驚きの種だった。
魔法陣は蒼白い光を放つ、半透明の文字とも記号ともいえるようなものを浮かべている。それがめまぐるしく姿を変え、一瞬たりとも同じ文字を浮かべていないようだった。
王国から驚きの声が上がる。それは見事な見世物をみたときに上げるような、緊張感の全く無いものだ。
しかし、その場にいた2人は、その巨大な魔法陣に言い知れない不安を感じていた。
「私は自分の軍の元に戻ります。ガゼフ殿は陛下の守りにお入りください」
「わかった。陛下の御身をお守りしよう」
ガゼフはそういいながら、中央本陣――無数に旗が並べてある場所を振り返る。
「では、行動を開始しましょう」
2人は慌てて動き出す。ただし全てが遅すぎるのだが。
◆
いないな。
アインズは魔方陣を展開しながら、そう判断した。
王国の軍の中にプレイヤーはいないと。
ユグドラシルと言うゲームの中での超位魔法は強大である。しかしその反面、発動までに時間がかかるというペナルティがある。強ければ強いほど時間がかかるようなシステムとなっていた。それも自軍に属するものが使えば使うほど、追加時間ペナルティが掛かることによって一層の時間がかかるようになっていた。これは超位魔法の連射だけでギルド戦争が終わらないようにするための、製作会社の抑止の手段としてだ。
つまり逆に言い換えればそれほど強いと言うこと。
そのため大規模戦の際は、超位魔法を発動しようとする者を最初に潰すべく行動するのは基本だ。転移魔法による突貫、出の早い超位魔法による絨毯爆撃。超遠距離からのピンポイントショット。それら無数の手段を使ってでも、妨害に出るのが基本中の基本だ。
しかし、今回、アインズにはそういった攻撃は1つも飛んでこない。それは逆に言えばユグドラシルプレイヤーの存在の不在を証明するもの。
誰も悟られないが、仮面の下のアインズの口が笑いの形に歪む。いや、骸骨であるアインズの顔には、笑顔と言うものを浮かべることは不可能なのだが。
「もはや、囮になる必要もなしか」
それだけ呟くと、アインズは純白の小手に包まれた、己の手を開く。そこには小さな砂時計が握られていた。
「かきんあいてむー」
昔に大流行した青のネコ型ロボットのような口調でアインズは呟く。そして迷うことなく握りつぶす。アインズの――いや鈴木悟の昼食2回分の金額が飛んでいく。
元々超位魔法を課金アイテムを使って、即座に発動させることは出来た。しかしそれをしなかったのはアインズが言ったように、囮となってユグドラシルプレイヤーの存在を確認するためだった。しかし不在ならば、もはや囮となって長い発動時間をぼうっとする必要も無い。
砕けた砂時計から零れ落ちた砂が、アインズの周囲に展開する魔法陣に風とは違う動きを持って流れていく。
そして――超位魔法は即座に発動する。
《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》
黒いものが王国軍右翼の陣地を吹き抜けた。
いや吹き抜けたといっても、実際に風のように動いたわけではない。事実、平野に生えた雑草も、そこにいた王国の兵たちの髪がゆれるといったことも無い。
ただし、そこにいた王国軍右翼5万。
その命は即座に全て――奪われた。
◆
何が起こったのか。それが理解できたものは誰一人としていない。ただ、右翼を形成していた全ての生き物が突然、糸でも切れたように大地に転がったのだ。それが特にわかったのは敵対している帝国である。
目の前で起こった信じられないことによって生じたどよめきが、大きなうねりと変わる。
アインズが魔法陣を構成していた段階でなんらかの魔法を使うのだろうという思いはあった。しかし、それがここまで恐ろしいものだと誰が予測できるだろうか。
5万人の命を瞬時に奪いつくす、猛悪な魔法だと。
そんな中、ただ1人歓喜の声を上げる者がいた。
「素晴らしい……」
アインズのすぐそばに控えていたフールーダだ。
これほどの強大な魔法を前に、歓喜の念が押し寄せてくる。アインズが強大な魔法使いであり、比類ない魔法使いであるというのは知っている。しかし、その巨大な力の一端に直接触れられたというのは、言葉には出来ないような感情をフールーダに味合わせてくれたのだ。
ゾクゾクと背筋に震えるものが走る。
そんなフールーダに、アインズは機嫌よく言葉を投げかけた。
「何を満足しているのだ? 私の魔法はまだ終わってはいないぞ?」
黒き豊穣の母神への贈り物は、仔供達という返答を持って帰る。
熟れた果実が大地に帰るように――。
最初にそれに気づいたのは誰だっただろうか。誰かはわからない。ただ、おそらくは帝国の騎士たちだっただろう。
遠くから、最も安全な場所から見ていた騎士たちが最初に気づいたのは至極当然だ。安全だと思えるからこそ、ヘルムの細いスリットから覗ける、小さな視界でも発見できたのだ。
黒い渦が王国の兵士たちの命を奪った後――天に昇って消えていった後。
天空に――世界を汚すような、おぞましい漆黒の球体が姿を見せたことを。
隣の人間が上を見ていれば、すぐにそれに気が付く。そうやって、帝国の騎士たちはやがて全員がただ黙って、空に浮かぶ球体を眺める。
目を離せないのだ。まるで世界から拒絶されるような、その球体から。
目が離せないのは帝国だけではない。王国の兵士たちも声無く、ただ黙って空に浮かぶ球体が徐々に大きくなっていく姿を見つめる。
逃げようとか、戦おうとか。そんな人間的な思考は出来なかった。ただ黙って痴呆のごとく眺めるばかりだった。
やがて――充分に実った果実は落ちる。
落ちた球体は大地に触れると弾けた。
水袋が大地に落ちて破裂するように、熟れた果実が大地に広がるように。
落下地点から放射線状に、中に満ちていたものが広がった。それはコールタールのようであった。光をまったく反射しない、どこまでも漆黒が広がるような、そんな粘液質な液体。それによって息絶えていた王国の兵士たちの姿が隠される。
ただ、誰かが――もしくは全ての人間が予測していたように、それだけでは終わらない。いやまだ始まったばかりなのだ。
ぽつんと、黒い液体が広がる大地に、1本の木が生えた。
いや、あれは木なんて可愛いものでない。
1本のだったものは、数を増やしていく。2本、3本、5本、10本……。そこに生えたのは――無数の触手だ。
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
突然、可愛らしい山羊の声が聞こえた。それも1つではない。まるで何処にもいないはずの山羊が群れで姿を見せたようだった。
その声に引っ張られるような動きで、ぼこりとコールタールがうごめき、吹き上がるように何かが姿を現す。
それはあまりにも異様過ぎて、異質過ぎたものだった。
小さくは無い。高さにして5メートルはあるだろうか。触手を入れると何メートルになるかはよくはわからないほどだ。
外見は蕪という野菜に似ている。葉の代わりにのたうつ黒い触手、太った根の部分は泡立つ肉塊、そしてその下には黒い蹄を生やした山羊のような足が5本ほど生えていた、が。
根の部分――太った泡立つ肉塊の部分に亀裂が入り、べろんと剥ける。それも複数箇所。そして――
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
可愛らしい山羊の鳴き声が、その亀裂から漏れ出る。それは粘液をだらだらと垂らす口だった。
それが5体。
カッツェ平野にいた全ての人間たちに、そのおぞましい姿を見せたのだった。
黒い仔山羊。
超位魔法《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》によって生じるモンスターである。強力な特殊能力は持たないものの、その耐久力は郡を抜いているモンスターだ。
そしてそのレベルは――90を超える。
音が無かった。
山羊の可愛らしい鳴き声が聞こえる以外の音は何も無い。ただ、その眼前で行われていることが信じられず、認めることが出来ずに、誰も言葉を発していなかった。26万もの人間が集まっておきながら、誰一人として声を立てることが出来なかったのだ。
そんな中、アインズは楽しげに笑う。
「見よ、フールーダ。最高記録だ。5体召喚は私ですらやったことのない数だぞ。やはりあれだけ集まってくれていたのに感謝しなくてはならないな」
黒い仔山羊は《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》で死亡した存在の、レベル総計に応じた数が召喚される。通常は1体召喚できれば恩の字であり、滅多に2体なんか召喚できるものではない。
しかしそれが今回は5体。
ゲーマーが自分の打ちたてた記録を楽しむように、アインズもまた記録として喜んでいた。既にアインズの頭の中ではあそこにいるのはポイントのようなものであり、生きた人間ではないのだ。
「おめでとうございます、師よ」
そんな嬉しそうなアインズに頭をたれながら、フールーダはその強大すぎる魔法に畏敬の念をより一層強める。
この方からすれば、あれもまた児戯の1つか、という思いから。そして実際に目の辺りにした、世界における究極の力の1つの結果を前に。己が手を伸ばしても決して届けないと思われる魔法。ただ、この師についていけば、もしかしたらという希望がふつふつと湧き上がる。
「本当にお見事です、師よ」
帝国に突如現れた謎の貴族があげる陽気な声は、風に乗って騎士たちにも届く。
帝国の陣地の中にガチガチという音が響き始める。
それは鎧が上げる音。
着ている者たちの体が震えているのだ。それを誰が笑うことが出来るだろうか。あのおぞましい召喚魔法を発動させる存在の、陽気な声を聞いて鳥肌が立たないものは誰一人としていない。
そして帝国の騎士全てが1つの願いを抱いていた。
どうぞ、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯が理性的な人物であるように。我々を味方だと思っていてくださいますように、と。
もはや、それは神への祈りに似ている。
邪悪な神や不幸を呼び集める神に祈りを捧げることで、自分には厄が回ってこないように願う姿に。
そんな願いをその背に一心に集めながら、アインズは次の段階に移行する。これでも充分な結果は出していると思われるのだが、一応駄目押しをしておいた方が良いだろうという軽い気持ちで。
ここで圧倒的な力を見せ付けることは、帝国での英雄という地位を獲得するのにチャンスだろうと判断で。
「さぁ、はじめるか。蹂躙を開始するがいい」
召喚者であるアインズの命令を受けて、ゆっくりと黒い仔山羊たちが動き出す。
5本の足を異様な動きで、機敏に動かし始める。優雅というよりは一所懸命な動きであり、それはある意味笑ってしまう光景だったかもしれない。
自分たちに降りかからなければ。
巨体を軽やかに動かし、5匹の黒山羊たちは走り始めると、そのまま王国の軍に突撃を開始した。
◆
「あれは夢だよなぁ?」
異形の魔を遠くに、王国の兵士の1人が呟く。しかしそれに答える声は無かった。皆、眼前に広がっている光景に釘付けとなっており、答える余力が無かったのだ。
「なぁ、夢だよな? 俺は夢を見ているんだよな?」
「ああ。とびっきりの悪い夢だ」
二度目の問いかけにようやく答える者がいた。半分ばかり現実を逃避したような声色だったが。
ありえない。
信じたくない。
そんな感情が兵士達の中で蔓延している。徐々にその姿を大きく――近くなっていく異形の存在を前に、あまりにも現実を認めたくなかったのだ。
もしこれが単なるモンスターであればまだ武器を振るう勇気がわくだろう。しかし、片翼の軍を瞬時に殺しつくした後に出てくるモンスターが、単なるモンスターであるはずが無い。絶対に勝てないような、突き進んでくる巨大な竜巻を目にしたように、誰一人として立ち向かう勇気がわかなかったのだ。
巨大で異様な存在が、その太く短い足を器用に動かして、かなりの速度で走ってくる姿は面白いとも言える。しかし、それは自分に害をおよばさない安全な場所からならばだ。
「槍を構えよ!」
言葉が響く。
見れば貴族の1人が叫んでいた。
「槍を構えよ! 助かりたいと思うものは槍を構えるんだ!」
兵士達はその言葉に弾かれるように、槍を一斉に構え、槍衾を形成する。
頭の冷静な部分からはその手に持った、ちっぽけな槍に何の意味があるだろうという思いが浮かぶ。しかし、助かる手段はそれぐらいしかないという思いも同時に浮かぶ。
大地を抉るような踏みしめ方をする蹄からは、走って逃げることは不可能に近いと嫌でも理解してしまうのだ。
ただ、ひたすらに自分のところには来ないでくれという願いを擁きつつ、モンスターが突撃してくるのを待ち構える。
そして突撃が敢行される。
それは巨大なダンプカーが、ねずみの群れに飛び込む光景に似ていた。
当然のごとき王国の軍では、震える手で槍が無数に構えられている。しかし巨体であり、屈強な肉体を持つ黒い仔山羊たちにそれが何の意味を持つだろうか。槍は爪楊枝よりも容易くへし折れ、黒い仔山羊たちに傷1つつけることは出来ない。
槍を構えていた兵士たちですら、命が失われる瞬間。それが当たり前のような光景にも思えていた。
魔法の武器ですらないのに、どうやって傷をつけようというのか。
王国の兵士たちの中に、黒い仔山羊たちの巨体が乗り込む。
絶叫が上がり、絶叫が上がり、絶叫が上がる。
肉片が中空を舞った。それも1人や2人なんていう少なさではない。何十人どころか百人以上。巨大な足で踏みしめられ、振り回される触手で吹き飛ぶ。
街の人間だろうが、貴族だろうが、農夫だろうが肉片と化してしまえば何も関係はなかった。皆同じように、死が与えられたのだ。
無数の人間をその巨大な足で踏みにじって満足し、そこで止まるのかというとそうではない。
黒い仔山羊たちは走る。
とにかく走るのだ。王国の軍の中をとにかく。
「ぎゃぁああああああぁぁ!」
「おぼぉおお!」
「やめぇええええ!」
「たすけてててええええ!」
「いやだあああああ!」
「うわぁあああああ!」
巨大な足が下ろされるその度ごとに絶叫が上がる。黒い仔山羊たちの太い足の下で人間が踏み殺される音、戯れにめちゃくちゃに振り回される触手によって体を分断させる音。そういった音が続く。
蹂躙。
その光景にそれ以外の相応しい言葉があるだろうか。
幾人かが必死に槍を突き出す。巨体であり、回避という行為を行う気が黒い仔山羊には無いのだ。確実に槍の穂先が命中する。しかしその肉塊の体に少しもめり込んでいかない。
必死になって攻撃をしても意味が無いとわかるまでに、中央の軍が一気に真ん中近くまで、黒い仔山羊たちの進入を許す。
「撤退だ!! 撤退をしろ!!」
遠くから聞こえる絶叫。その声に反応し、全ての人間が走り出す。それはまさに蜘蛛の仔を散らすような動きだった。しかし、人間よりも黒い仔山羊は早い。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。
無数の音が――人間が踏み殺され、肉塊が出来上がる音のみが絶え間なく続いた。
「撤退だ!! 撤退しろ!!」
レェブン侯は絶叫を上げる。
もはやあんなものを相手にどうにかすることが出来るはずが無い。もはやあれは人間では太刀打ちできないような相手だ。
レェブン侯の言葉を聞き、周囲の兵士たちが慌てて逃げ出す。武器を放り出し、
「アインズ・ウール・ゴウン。ここまでの存在、魔法使いだったか」
侮っていた。こんなに桁が違うとは想像もしていなかった。
レェブン侯は暴れる化け物を見ながら、周囲の兵士たちに続けて叫ぶ。
「撤退だ! もはやこの戦いは戦いなどで無い。単なる虐殺の場だ! とにかく逃げるんだ!」
「侯!」馬に乗ったレェブン侯に仕える兵士の1人が、ヘルムをはずしながら叫ぶ「王は! 王はどうなさいますか!」
「そんなことを言っている場合ではありません、侯! こちらに迫ってきています!」
見れば先ほどよりも黒い仔山羊の姿は大きい。徐々にこちらに迫って接近してきている。レェブン侯を狙っているというよりは適当に走った結果だろう。実際、他の黒い仔山羊はレェブン侯のいる場所から遠く離れている。
「王はどの辺りだ!」
「あちらです!」
兵の指差す方を見れば王旗がある辺りには、既に黒い仔山羊が一頭迫っていた。
レェブン侯は逡巡する。助けに行ってどうなるのか。ただ、この王国の状況下でランポッサⅢ世を失うということは瓦解につながりかねない問題。
ただ――
「侯! 早くお逃げください! あんな化け物に人間が勝てるはずがありません! 早く!」
そうだ。まさにその通りだ。王国最強のガゼフが剣を抜いても勝てる敵ではない。
「軍を――20万の軍に匹敵するか、たった1人で。ありえなんだろう! 幾らなんでもそれはありえんだろうが! 国堕としより強いというレベルじゃなかろう!」
「侯!」
もはや声というよりは悲鳴にそれは近い。そんな兵士の警告を受け、レェブン侯は怒鳴り返す。
「わかっている! 逃げるぞ!」
蹄の音は近い。怖くて後ろを振り返ることが出来ない。だからこそレェブン侯は馬に拍車をかけた。
大混乱の中、抜けるように馬の一群は走り抜けていく。半分、馬を操るという行為は諦めている。というのも狂ったような勢いで馬が走り始めているためだ。人が操るよりも、馬に任せた方が安全に逃げられそうだという予感を覚えたためでもある。
馬がここまで恐怖に耐え切れたのも、軍馬として訓練を積んだお蔭であろう。もし、普通の馬であれば恐怖のために行動不能状態になっていただろうから。
「化け物め! あの化け物魔法使いめ! あんな奴が人の世界にいてよいはずが無いだろうが!」
馬の疾走に合わせて上下に動く視界の中、レェブン侯はアインズに対して呪詛をはき捨てる。
「糞! どうにかしなくては。人の世界を――未来を守る手段を考えなくては」
馬の激しい脈動を尻の下から感じながら、レェブン侯は周囲を兵に守られながら走る。帰ったらラナーを交えて、あの桁の違う魔法使いへの対策を定める必要がある。このままにしていては、全ての人間を支配されかねない恐怖があった。
さて、レェブン侯は1つだけ勘違いをしている。
レェブン侯は黒い仔山羊の外見や暴れ方を見て、知性は無いに等しいと判断した。ただ、暴れ方は巨体を利用した最も賢い戦い方だとは思わないだろうか? 小さい存在をもっとも多く殺すための手段としては最高の方法だと。
そしてレェブン侯は自分の方に接近しているのを見て、たまたまこちらに向かっているのだと判断した。それは本当にそうだろうか? レェブン侯が叫んだ直後から兵士たちが逃げ出すのを悟り、レェブン侯が軍の指揮官だと理解したのではないだろうか。
実際、黒い仔山羊の知性は外見から想像できないほど高い。人間と同程度には。
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
やけに近くで黒い仔山羊の鳴き声が響く。
レェブン侯の額に脂汗が滝のごとき流れる。怖くて振り返れないが、なんとなく、後ろから生暖かい空気を感じたような気がしたのだ。
そして再び聞こえる――
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
ふと思う。自分の周りは馬に乗った兵士たちに守られているはず。
では、その馬の蹄の音はどうしただろう?
聞こえるのは巨大な蹄の音が1つ。それにかき消されたのか、他の蹄の音は聞こえない。
ドクンと、大きく1つ心臓が鳴った。
自らの――疾走する自らの足元に巨大な影があることを悟り。そしてそこから一本の長く太いものが伸びているのを理解し。
「だ……」
馬は狂ったように走る。もはやレェブン侯が操るよりも早く、おそらくはこの馬が生まれて以来の速度を出しているだろう。それでも影はいまだ大地にある。
「いやだ!」
レェブン侯は目を見開き、それでも後ろを見ることが出来ずに、馬を走らせる。
まだ死ぬわけには行かない。王国がどうのなんてどうでも良い。国が滅びるというなら滅びればよいのだ。アインズ・ウール・ゴウンと敵対することが死を意味するなら、この国を捨てて逃げても良い。
馬鹿だ。
本当に自分は馬鹿だ。
貴族派閥と王派閥をうまくかみ合わせるためにこんな戦場に来た自分が馬鹿だ。アインズ・ウール・ゴウンが凄まじい力を持つと知っていたのだから、なんとか理由をつけて王都にいればよかった。
将来の王国のために、なんて少しでも考えなければ良かった。
「いやだ!」
まだ死ぬわけには行かない。
まだあの子が幼いうちに死ぬわけには行かない。そして――愛するようになった妻を残して死ぬわけには行かない。
「いや――」
レェブン侯の前に子供の像が浮かぶ。
可愛いわが子だ。
生まれてきた小さな命。それからゆっくりと育っていくさま。病気にかかったことだってある。そのときはどれだけ大騒ぎをしたものか。呆れたような妻を見て、半狂乱で叫んだ姿は今思い返せば大恥だ。
あのぷにぷにした手に薔薇のような頬。絶対に成長したら、王国中で話題になる青年になるだろう。
さらには天才であり才能があると、レェブン侯は確信を持っている。自分より優れた才能を持っている、その片鱗を時折うかがえる。
親の欲目と妻は言うが絶対にそんなはずが無い。
そんな子供を生んでくれた妻には深い感謝を抱いている。無論、それを口に出したことは滅多に無いが。何故と問われればそれは恥ずかしいからだという言葉が最もレェブン侯の心を正確に代弁している。
個人的にはそろそろもう1人、欲しいなんて思ったりもしているぐらいだ。
こんな戦場に出るのではなく、あの2人をその手でかき抱いて――。
意識が失われるのは一瞬であった。
最後に肉が潰れる様な音が聞こえ、レェブン候の意識は消失する。
逃げ惑う兵士たちによって大混乱の中、ガゼフはゆっくりと前を見据える。
一直線に突進してくる黒い仔山羊に対してガゼフは剣を抜き払う。周囲にはガゼフ直轄の兵士たちの姿は無い。
「ここを抜かれると、陛下の場所なんでな」
大地の揺れを感じながら、ガゼフは息を鋭く吐き捨てる。そしてその手に握った剣を構えた。
人間を踏み潰しながら迫り来る巨体に対して、なんと心もとないことか。
暴走する馬車であれば容易く止めることが出来よう。虎が突っ込んできても、避けざまに一撃で首をはねることが出来るだろう。それだけの自信があるガゼフが、黒い仔山羊を前にどうなるのかまるで想像が付かなかった。
無論、生き残れる可能性は低いと考えているが。
「陛下を頼むぞ」
送った部下たちに届かないだろうが、声を送る。
直轄の兵士たちは別にこの混乱の中で逸れたのではなく、王を守るために送り出したのだ。
兵士たちが接近してくる化け物に対して、どれだけの働きが出来るかと言うのは疑問である。それでも一枚の盾程度の働きはするだろうと思ってだ。
「ふぅうううう!」
ガゼフが大きく息を吐き出すと同時に、周囲の人の流れが大きく変わる。それはさきほどまでは乱雑な流れだったのだが、それがガゼフを避けるような動きとなったのだ。まるで黒い仔山羊との一直線のルートが出来たようだった。
どんどんと人間を踏み砕きながら、黒い仔山羊が接近してくる。
ガゼフは剣を構えながら、その全身をくまなく観察する。どこを攻撃すれば最も効果的な一撃を与えられるのか。武技の1つであるウィークポイントを発動させているのだ。しかし―――
「―――弱点無し」
実際に弱点が無いのか、はたまたは圧倒的な差がありすぎて読めないのか。それはガゼフにはわからない。ただ、失望は無かった。なぜなら元々、そんなところだろうなと思っていたためだ。
続けて武技を発動させる。
第6感の強化とも言うべき能力、フューチャー・サイト。
「来いよ、化け物」
黒い仔山羊はその声を聞きとどめたように、一直線にガゼフに向かってくる。両者の距離はみるみる迫っていた。
正直に言おう。
ガゼフは怖かった。許されるなら、周囲の兵士たちと同じように走って逃げたかった。フューチャー・サイトによって感覚が強化されているために、様々なことを悟れる。蹄にはいまだ傷が無いところを見れば、単なる剣では傷が付かない可能性がありえる。踏みしめる度にめり込む深さから考えれば、即死は間違いが無い。
理解できれば理解できるほど、恐怖はより強いものへとなる。
今、周囲を逃げ惑っている兵士たちよりも、ガゼフは強い恐怖に晒されているのだ。しかし後ろは見せられない。王国最強の戦士が逃げるわけには行かないのだ。
――距離は迫る。
蹄が舞い上げる土がガゼフに届くような距離。
炉端を歩く虫を無視するように、黒い仔山羊はガゼフめがけて突っ込んでくる。
「装備をしっかりと整えて上で来るべきだったか」
完全にフル装備で来るべきだった。貴族たちに変な顔をされるのを避けるとか考えるべきではなかった。
ガゼフは後悔するが、もはやそれは遅すぎる。己の腕に自信を持ちすぎた結果がこれだ。いや、完全に装備を整えていても意味が無かった可能性のほうが高い。
黒い仔山羊がまじかに迫る。大地を揺らすような勢いで。
ガゼフは追い立てられる兵士達の横を、すり抜けるように黒い仔山羊めがけ走る。
人ごみを見事にすり抜けながら、脇にそれるような形で場所を移動していく。真正面から突撃した場合、横幅があるために回避をすることが出来ないためだ。
ほんの50センチ足らずを、黒い仔山羊の巨大な蹄が走りすぎていく。それに合わせて――
「――ちぇい!」
ガゼフはその横をすり抜けるようにしながら、剣を振るう。相手の速度がそのまま相手を切裂く武器となるということだ。
蹄と剣が接触した瞬間、凄まじい衝撃がガゼフの剣を持つ手に掛かる。腕ごともぎ取られるのではないかと思うような衝撃だ。
踏みしめていた足が、大地に2本の線を残しながら一気に後ろに流れる。
「ぐぐぐううう!」
腕から剣がもぎ取られるのは避けれるもの、腕から激痛が昇る。筋肉か腱か、どちらかをあまりの負荷のために痛めたのだろう。
ガゼフは荒い息で、自らの後方を睨む。そこにあるのは巨体だ。
初めて、爆走を開始してから初めて黒い仔山羊は立ち止まっていたのだ。
そして触手の一本が霞んだ。
全身を貫くような怖気。ガゼフは咄嗟に剣を構えた。その瞬間、途轍もない衝撃が剣より伝わる。そのまま体が空中に浮かび上がるような浮遊感を感じた。
ガゼフをして何も見えなかったが、触手でなぎ払ってきたのだろう。
ガゼフの体が大きく中空を飛ぶ。
飛ばされたガゼフの体はありえないような滞空時間を得て、大地に転がった。それも数度以上の回転をつけながら。ただ、その回転は死体が投げ出されたものとは違い、人間が投げ出された力を殺そうと自分から回転する姿だった。
黒い仔山羊はほんの1秒、逡巡する。
自らの攻撃を喰らいながら、命を失わなかった存在に対して追撃をすべきかという思考が浮かび上がったためだ。しかし、それには及ばないという結論に即座に達した。標的は幾らでもおり、いちいち動きを止めて殺す価値も無いという判断したからだ。
見れば――目は無いのだが周囲の知覚は充分出来る――群れを成して逃げている獲物がまだまだいる。触手のレンジから離れた相手を追って、時間を潰すこともないだろう。
王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフ。
黒い仔山羊からすればそんな男も、その辺りにいる単なる兵士となんら変わらない、弱いというカテゴリーに入るものであり、さほど気にするほどの存在でもなかったのだ。
黒い仔山羊は再び疾走を始める。召喚者の命令に従って、肉塊を作る作業を開始したのだ。
軋みをあげるような体を駆使して、ゆっくりとガゼフは立ち上がった。遠ざかっていく黒い仔山羊を睨む。
たった一撃。
ひしゃげた鎧の下で、攻撃を受けた手はへし折れている。剣が壊れなかったのは単なる運の問題だろう。
ガゼフのその顔からは完全に感情が抜け落ちていた。
何故、自分が助かったのか。
それは言葉が通じない化け物が相手だとしても、戦士としての勘で理解できる。
完敗とかそういう問題ですらない。土俵に近寄ることすら出来なかったのだ。
かみ締めた唇から、真紅の血が流れ出す。それからガゼフは突き上げてくる激痛を押さえ込むと、必死に走り出した。例え勝てないとしても、あと一撃受けられるのが限界だとしても、それでも王を守らなければならないと。
ランポッサⅢ世のいる本陣は、無数の貴族の家の旗がはためき、王国軍のもっとも奥深くにある場所である。
先ほどまでは無数の貴族がいたのだが、今では残る者は少ない。殆どが逃げ出し、いまこの陣地に残っている者は容易く数えられる程度である。いや、正確に言えばそこにいるのはたったの2人だ。
1人は驚くべきことにランポッサⅢ世である。そしてもう1人、平民の格好をした男だ。
その平民の格好をした男が、ランポッサⅢ世から装備品を剥ぎ取っているのだ。誰がどう見ても、強奪しているようにしか思えない姿ではあるが、ランポッサⅢ世に抵抗の気配は無い。それどころか任せているようにも思われた。
その平民の格好をしているのはクライムだった。
白い全身鎧をすでに脱ぎ去り、その辺りにいる平民と何も変わらない格好をしている。
本来全身鎧は簡単に脱げるものではないが、クライムはその手に持った魔法の剣を使用し、留め金の部分を容赦なく破壊していった。
ランポッサⅢ世の鎧も魔法の掛かった一級品だが、それでもクライムの剣ならば破壊することも何とかできる。
「しかし今から逃げてどうにかなると思うか?」
地響きのような足音はかなりの速度で迫りつつある。その極限の状況にあって、ランポッサⅢ世の口調は平然としたもの。さきほどまでこの地にいた貴族達の混乱しきった声とは比べ物にならない。
問題はその口調は、生きることを諦めている人間に特有なものというべきか。
ここで死んでも構わないという執着心の無さが、口調に現れているのだ。
「まず、無理でしょう。馬に乗って逃げれば奴は確実に追ってきます。見ておりましたが大勢で逃げている者を優先的に攻撃しているようです。だから我々が助かる手段はこれしかありません」
先ほどまで残っていたガゼフ直轄の兵士達を、馬に乗せて団体で逃がしたのはその理由かとランポッサⅢ世は悟る。そしてその兵士達の表情に浮かんでいた、見事な笑顔の理由を。そしてここにいた貴族達に馬を渡して逃げるように薦めたのかも。
「クライム。おまえはどうしてそこまで」
分かるのかと、ランポッサⅢ世は続ける。
これほどの極限状況において、情報を収集できるのはごく一部の人間ぐらいだ。よほど精神的にタフでなければ出来ないだろう。
「私はあの化け物よりも恐ろしい人を見たことがあります。ですので誰よりも早く行動できたためです」
王都で向けられた凄まじい殺気。それがあったためにクライムは誰よりもいち早く、我を取り戻すことができたのだ。
鎧を脱ぎ捨て、剣を捨て、兜だって捨てたランポッサⅢ世にクライムは土を付け始める。
「陛下。これでも逃げられるかどうかは運次第です。もし……そのときはお許しください」
「良い、クライム。私はお前のアイデアを採用しただけだ。そのときは運が無かったと諦めよう」
黒い仔山羊は無数にあった旗を触手で吹き飛ばし、満足げに周囲を観察する。
この辺りが本陣なのだろうが、もはや人の気配は無かった。
近くに人間が2人おり、重なるように大地に転がっていた。両者とも生きてはいるが、今まで無数に殺してきた多くの人間と同じで、鎧を着ない者であり、薄汚れた格好をしている。いままで十分に殺戮をしてきたモノからすれば、特別な魅力を感じない人間だった。
とりあえずは行きがけの駄賃として踏み殺すかと動き出した時点で、ゆっくりと離れていく一団がいることに気付く。馬に乗った一団であり、全身鎧をしっかりと着た姿は単なる兵士ではないことを意味している。
他の仲間はと様子を伺ってみると、そちらを追いかけているモノはいない。
自らの召喚者の願いは蹂躙であり、多くの人間を殺すこと。そして馬に乗るような地位の高いものを殺すことだ。わざわざその辺りにいる人間を殺すために時間を費やすより、逃げていく人間を殺す方が先である。
それに黒い仔山羊の召喚時間だって無限ではないのだから。
黒い仔山羊は大地に転がっている人間から興味をなくすと、即座に再び走り出すのだった。
◆
アインズはその光景を数度、頷きながら眺めていた。
これなら充分に食べさせることが出来るという満足感と共に。
「さて、出番だ」
アインズはその黒い小手を嵌めた手を、地獄へと変わり、崩壊しつつある王国の軍勢に突き出した。
「起きろ、強欲。そしてその身に喰らうがいい」
アインズの行動に答えるように、無数の青い透けるような光の塊が王国から尾を引きながら飛んで来る。その小さな――握りこぶしよりも小さな光の塊は、アインズの黒い小手に吸い込まれるように消えていった。
13万を超える光の玉が吸い込まれていく様は、まるで幻想のようにも見えた。
アインズの嵌めた小手こそ、ユグドラシルで200しかないワールドアイテムの1つであり、その名を『強欲と無欲』とよばれるものだ。
強欲の名を付けられた小手は、着用者が本来であれば手に入れることが出来た経験値を、横取りし貯蔵するという能力を持つ。そして無欲の名を付けられた小手は、強欲が溜め込んだ分を吐き出して、経験値の消費を必要とする様々なときに、代わりとなってくれるという代物だ。
青い光はその経験値回収のエフェクトにしか過ぎない。
アインズは既に100レベルを超えた余剰経験値まで溜まっており、これ以上入る余裕は無い。そうなれば当然、経験値は無駄に消えるということになる。ただ、それではあまりに勿体無さ過ぎる。
超位魔法『ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを』に代表される経験値を消費する魔法やスキル、特殊能力は幾つかもあり、そういったものは得てして同程度のものと比べれば、当然強いものだ。そして何よりアインズが保有するワールドアイテムの究極の能力は、5レベルドレインに匹敵するだけの経験値を消費する。
些少ならまだしも、かなりの量の経験値を無駄にすることは、プレイヤーとして絶対に許せるものではない。そのためにプレイヤーがいるかもという可能性を考えながらもワールドアイテムを持ち出して、現在強欲に吸わせているのだ。
まぁ、アインズとしてもゲームの世界と同じように、実際にこのように経験値を回収できたというのは、驚きだったりするのだが。
ただ、その光景を横で見ているものからすれば、それはどのような光景に映るか。
経験値ではなく、アインズが集めているものはたった1つにしか見えなかった。
それが何か。
それは――魂である。
今目の前で残酷に死んでいった王国の兵士達の魂をアインズが回収している。そうとしか見えない光景だったのだ。それも綺麗なガントレットで吸収していれば、まだ救いある死が与えられるような気がしただろう。しかし吸い込まれるのは漆黒の、邪悪をイメージするようなガントレット。
ならば、アインズという人物を表現する言葉は1つしかない。
「――魔王」
ポツリと騎士の誰かが呟く。
その言葉は近くの者たちの心にすっと入り込んだ。何故なら、それ以上に辺境侯という謎の貴族、20万もの兵士達を蹂躙する魔法を使う魔法使い、そして魂を収穫する存在を的確に表している言葉は無かったから。
あの地獄のような光景。そして耳に残るような断末魔の悲鳴。
それらを踏まえた上で、それ以上に相応しい呼び名はあるだろうか?
「――魔王だ」
「――魔王だ」
ざわめきが広がり、口々に魔王と呟く。
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。またの名を魔王と言われ、軍部に絶大な恐怖をもたらせる存在の異名が付けられた瞬間である。
当然、魔王という言葉はアインズにだって聞こえる。
最初は魔王なる人物が登場したのかと、正直思ったほどだ。しかし、それを指すのが自分だと知り、アインズは仮面の下の表情を歪ませる。
アインズの計画では、今回の戦いで圧倒的な凄さを見せつけ、高い評価を得るのが1つ。そしてその後、良い奴らしいところをアピールすることで、帝国の英雄という地位を得、将来的に起こるであろうデミウルゴス演出の魔王と戦うという予定だったのだ。
つまりアインズが欲していたのは英雄という地位だ。
――それが何故?
アインズは『強欲』に経験値を吸わせながら、頭を捻る。
デミウルゴスやフールーダから、この作戦なら確実に英雄と呼ばれるようになると太鼓判を押されていたのだ。それが何故、魔王なのだろうか。
魔王とは魔法王の略ということはあまりなさそうな雰囲気である。
つまりはどこかで計画が狂ったということだ。それがアインズには理解できない。しかし、正直自分の計画は大抵失敗するという開き直りがある。だからもはやどこかで方向を転換すれば、何とかなるだろうという程度にしか考えてなかった。
「……意外に溜まったな。レベル差のため経験値がごく少しになっても、数がいればそれなりになるということか。これは以外に役立つかも知れんな」
アインズは『強欲』に溜まった経験値を満足し、小手を見ながら肩を振るわせる。溜まったポイントを何と交換しようかと喜ぶ主婦の姿である。ただ、そんな姿を騎士たちが恐怖の目で見つめているのには、まるで気がついていなかった。
「さて――」
くだらない行いだが、した方が良いとデミウルゴスに言われたことを思い出す。
今も鏡を通して守護者全員はこちらを見ているはずだ。緊急時の介入に備えて。だからこそ、最後まで格好をつけなくてはならない。個人的にはいやなのだが、英雄としてデビューするには人々の心を握るのは当然必要な行為だ。
アインズは決心し、行動しようとする。
ただ、その前にアインズは空を見上げる。太陽は燦燦と照っているのに、僅かに薄い雲がかかったような薄い靄のようなかかっているように見える。
「――戻れ、第8階層に」
アインズはここまで連れてきた最大戦力の1つをナザリックに撤収させる命令を送る。誰が気づいただろうか。太陽と重なるように、巨大な発光体があったのを。
命令を与えた、アインズは1つ息を吐くと、帝国の陣地を振り返る。
全身に万を遥かに超える人間の視線が集まったのを感じた。押されるような圧力だ。アインズは単なる視線でも、これだけ集まれば充分な力を持つということを強く実感する。
もしアンデッドでなければ、精神攻撃無効でなければ、その圧力に押され、何も行動が出来なかっただろう。しかし、アインズはさほどの苦とも思わずに行動をする。
ゆっくりと手を広げたのだ。
友を抱くように――、悪魔が翼を広げるように。
静寂の中、遠くから王国の兵の上げる悲鳴が聞こえる中、アインズの物静かな声はやけに響く。
「――喝采せよ」
ただ、ひたすら全ての視線が集まる中、アインズは再び言葉を口にする。
「我が強大なる、至高なる力の行使に対し、喝采を送れ」
最初に拍手が送られたのは、アインズのすぐ横に控えていたフールーダだ。その顔には十分な理解と、歓喜の色があった。それに揺り起こされるように、ぱらぱらと始まった拍手は、万雷の喝采へと姿を変える。
無論、本気で喝采を送っているのではない。例え敵といえども、あれほどの残虐な殺戮を見せる人物に拍手を送りたいとは思わない。あれは戦争ではなく、大虐殺だ。
ただ、それでもそう言える者がいるだろうか?
超越した存在に、そしていまだモンスターが存在している中、罵声を飛ばしたり不満を口に出来るだろうか?
そんなことが出来る者は誰一人としていない。
万という単位ですら出来そうも無いほどの万雷の拍手は、全ての騎士たちの恐怖の表れなのだ。喝采が欲しいなら送るから、決して不満に思わないでください。そういう心の表れであった。
アインズは仮面の下で顔を歪める。自分の思うように進んでいる人間がしそうな、満足げなものだ。
「さぁ、一歩一歩踏み出していくぞ。この世界にな――」
この戦いにおいて王国の死傷者はおおよそ13万人であり、帝国側の死者は0である。そんな圧倒的過ぎる結果は、周辺国家に激震となって伝った。
そしてこれ以降、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の名は一気に高まる結果となる。
ふわりという空気の流れの変化に、『プラチナム・ドラゴンロード』の二つ名を持つ、最強のドラゴン、ツァインドルクス=ヴァイシオンは浅い眠りから意識を取り戻す。
その意識の中を驚きが大部分を占めていた。
自らの広範囲に及ぶ、知覚領域を乗り越え、身近に迫ったことに対する驚きだ。
通常はドラゴンの鋭敏な知覚を誤魔化すことは出来ない。不可視だろうが、ドラゴンが眠っていようが、ある程度の範囲に入り込んだ段階でドラゴンはそれを即座に知覚する。そんなドラゴンの魔法的感覚器官を潜り抜けることが出来る存在がどの程度いるだろうか。
長き時を生きたツアーですら、そんな能力を持つ者はほんの幾人も知らない。例えば既に亡くなってはいるが13英雄の1人、暗殺者イジャニーヤ。あの老人であれば技術をもってそれを行えるだろう。それ以外にいるとしたら――。
親しい人間の雰囲気をツアーは感じ取り、その目をゆっくりと見開いた。
ドラゴンの目は闇を見通す。
真昼のごとく見える視界の中、ツアーの知覚領域に引っかからずに接近できる数少ない――見知った人物がいた。
ドラゴンの鋭敏な知覚を誤魔化して、ここまで来たということに対する――無邪気な悪戯に成功した人間特有の、笑みがそこには広がっていた。
「久方ぶりじゃな」
その人物は、腰には立派な剣を下げた人間の老婆だ。
髪は白一色に染まり、生きてきた時間の長さを表していた。ただ、その顔には完全に皺に覆われてはいたが、それでもその下には活発さを感じさせるものが轟々と流れていた。
見た目とは違うものを感じさせる人物だ。
ツアーが記憶の中にある彼女と見比べていると、老婆の眉が危険な角度で釣りあがる。
「なんじゃ? わしの友は挨拶すら忘れてしまったのか? やれやれ、ドラゴンもボケるということかのぉ」
ツアーは牙をむき出しに低い笑い声をあげる。友人の性格を思い出し、こういう奴だったと。
「すまないな。かつての友に会えて嬉しく思っていたんだよ」
その答えに対する老婆の返答は、ツアーが予測したとおりのものだった。
「友ねぇ? わしの友はあそこにいた中身が空っぽの鎧なんだがのぉ。……まぁ、今は中身が入っているみたいだがの?」
「そのとおりだとも。昔とは違い、私の騎士が入っているよ」
昔、ツアーは老婆や仲間たちと共に旅をしていたとき、遠くからがらんどうの鎧を操っていたころがあった。そのため、正体を明かしたとき騙したと憤慨されたものだ。そのときの恨みを――正体を明かすとき、当然ヘルムを取り外して驚かしたという行為を、いまでもこう形を変えながら、チクリチクリ言われるのは勘弁して欲しいものだ。
しかし、その反面、こういった何度も繰り返すやり取りが楽しいのもまた事実。特に懐かしい友とのこういったやり取りは。
ツアーは充分ににやけると、老婆の指に目をやる。
「……ところで指輪はどうしたんだね? 人の域を超える至宝は?」
「話をかえるつもりかのぉ。しかし目ざといの、ドラゴンの財宝に対する知覚力かねぇ。……まぁ良いて、あれは若いのにやったよ」
やるとか簡単に言ってよいアイテムではない。あれは『始原の魔法』によって作り出された、いまでは同じものの製作は困難に等しいだけのアイテムだ。しかし、老婆という友人であれば、変な人物には渡していないだろうと、ツアーは納得する。それが信頼というものだ。
「そうか、君がそれでよいというなら、それで良いのだろう。……ところで君は噂を聞いてはいたが、冒険者をやっていたのではないかね? その一環でここに来たのか?」
「まさかじゃ。ここには友人として遊びに来たんじゃよ。冒険者なんかは引退じゃよ。もうこんな婆を働かせるのは勘弁して欲しいものじゃ。後釜は泣き虫に譲らしてもらったよ」
「泣き虫?」ツアーは考え込み、閃きを覚える。「……もしかして彼女のことかね?」
そのツアーの口調に含まれた微妙な感情に、正解を読み取った老婆はにやりと笑う。
「そうさ、インベルンの嬢ちゃんさ」
「あー」呆れたような声をツアーは上げた。「彼女を嬢ちゃんといえるのは、君ぐらいだな」
「そうかい? あんたの方が言えるだろうよ。わしはあの娘とほぼ同じぐらいの年じゃからなぁ。それに対してあんたはもっと行ってるじゃろ?」
「まぁそうだがね。でもよくあの娘が冒険者をやることに納得したね? どんなトリックを使ったのかな?」
「はん。あの泣き虫が愚痴愚痴言っておるから、わしが勝ったら言う事聞けといってな、ぼこってやったわ!」
カカカと老婆は心底楽しそうな笑い声を上げる。
「……あの娘に勝てる人間は君ぐらいだよ」
「まぁ、仲間たちも協力してくれたしの。それにアンデッドを知るということは、アンデッドを倒すすべも知るということ。地の力では勝てんとしても有利不利の関係があればそれも覆せるわい。それに泣き虫が強いといっても、より強きものはおる。例えばおぬしであればあの嬢ちゃんも容易く倒せよう。己に縛りさえかけてなければ、おぬしはこの世界でも最強の存在なんじゃから」
「……かもしれないが。まぁ、とりあえずは流石は人間最高位の魔法使いだけはあると素直に感心するよ。……そういえば先に1つ質問をしても良いかな?」
「なんじゃい? わしに答えられることであればかまわないが?」
「あの武器だが、ギルティ武器で良かったかね?」
ツアーが送った視線の先にある武器を目にし、老婆は頭を横に振った。
「ギルティ武器? 違うのぉ。確かあれはギルド武器じゃ」
「ああ!」 ツアーは頭にかかっていた靄が消えて行ったような、そんな気分を抱く。「そうだ、そうだ。彼がそう言っていたな。8欲王の保有していた最高位の武器、ギルド武器の1つだと! そうか、そうか。ギルド武器だったか」
ツアーは喉から骨が取れたような開放感を抱く。それと同時にそのときの思い出が波のごとく押し寄せてきた。それを懐かしく思い出しつつ、老婆に本題を問いかける。
「さて、ではではリグリット。今日ここに来た理由を聞こうか?」
老婆はふむと頷くと、真面目な顔をした。
「うむ。ツアー。つい最近――三週間ほど前、ある平野で強大な魔法を行使したというアインズ・ウール・ゴウンという魔法使いを知っておるか?」
――――――――
※ お疲れ様でした。これで前半は終了で、ここからは後半になります。
ちなみに後半第1話のタイトルは『凱旋』を予定しています。
最低でも半年は休みをもらう予定でして、復活の時期は未定です。ですが忘れられないうちに戻って来たいものです。もしかしたらチロチロと後半以外を公開するかもしれませんけど。
何かあったら「小説家になろう」に書き込むと反応すると思います。あっちで『むちむちぷりりん』を探してみてください
では本当にここまでお付き合いただきましてありがとうございました。アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の活躍?する後半でお会いしましょう。
ではでは。
それとここまでお付き合い頂いた方に質問が。外伝的にオーバーロードで何か読んでみたいシーンとかありますか? あったら書き込んでくれれば書くかも知れません。
その際のご注意を。
1.書き込んで欲しい話は『 』で囲ってください。スルーしないようにという注意からです。
2.選ばれなくても怒らない。書きやすい話や書きにくい話、伏線で使いたくない話などがありますので。
3.予想と違う話でも怒らない。シャルティアとアウラのいちゃいちゃした話が読みたかったのに、蓋を開けてみたらマジで喧嘩してるんだけど、とかですね。
4.1人1つにしてください。そんなにないとは思いますが、1人からたくさん選ぶのもあれですから。
5.短くても文句を言わない。出来れば1人5kぐらいに抑えたいなぁ。無理だろうけど。
6。×××板行きは却下です。
以上ですね。書き込んだ人はこれらの了解は得たとみなしますので。
基本的にこれってどんな話を望んでいたのかという意識調査の面もありますので、気楽に書いてくださって結構ですよ。