第一話:If you don’t know, you can behave like Buddha.
(知らぬが仏)
どこかのお城の夢を、見ていた。
僕が生まれて喜ぶ父さんと母さんの姿。
二人とも、とても嬉しそうな笑顔を見せていて、
見てるこっちまで嬉しくなってしまうようだ。
けれど、母さんはいやな咳をしている。
赤ん坊のぼくは泣いている。ぼくは、その咳を知っている気がしたから。
あの咳は、《 》がしていた咳に似ていると思った。
とても、いやな病気のせいで起こる、咳。
あれ? 《 》って、誰だったっけ……?
そう思ったぼくの目に映る光景が、がらりと変わった。
渇いた世界と、積み重なるドクロと、灰色のビル。
《ぼく》のまえに、たつ、《ケ……シ…………》
「うわあッ!」
自分で上げた声にびっくりして、僕はベッドから転がり落ちた。
思い切り床にぶつけた頭を、ターバンの上から撫でる。
ちょっとコブになってるかも。
「む? どうした、嫌な夢でも見たのか?」
側に駆け寄ってきた父さんが、優しく頭を撫でながら、ホイミを唱えてくれる。
頭の痛みがすっと楽になった。いつもの頭痛も、こうやって治ればいいのに。
「ん、えっとね、お、お城の夢を見たんだ!
そこで、父さんは王様だったの!」
嘘は言ってない。最初は、確かにその夢だったんだから。
ただ、途中で切り替わった光景が、悪夢だっただけ。
「わっはっは。父さんが王様なら、お前は王子様だな。
こほん、しかし『ジャギ』王子、いつまでもおねしょをされていては困りますぞ」
「も、もうしてないよ!」
一瞬だけ口を尖らせるけど、父さんが笑ってるのを見て、気分が楽になった。
あの夢のことは、今はもうただの『夢』なんだって、思えて。
『ジャギ』 それが、ぼくの名前。ずっと、昔からの。
ぼくには、『ぼく』として生まれる前の思い出がある。
けどそれは、深い霧の向こう側にある山みたいに、ひどくぼんやりとしている。
その思い出の中でも、ぼくは《ジャギ》って名前だった。
本当の父さんと母さんは火事で死んじゃって、ひとりぼっちになったのを、
《リュウケン》父さんが、助けてくれたんだ。
街の子たちは、《ぼく》をもらわれっこだってからかって、
そりゃあ、まあ、ちょっとは悔しかったけど、
世界で一番大好きな父さんと一緒だったから、大丈夫だった。
なのに、そんな大好きだった《父さん》のことを思い出すと、
いっつも、頭がズキズキするんだ。さっき出来たコブよりも、もっと痛い。
《父さん》のゴツゴツした大きな手が、温かかったことも、
大事な息子だって言ってくれたことも、全部本当のはずなのに、
何だか、それがとっても遠くに思えてしまう。
一度、死んじゃったから、なのかな?
そもそも、《ぼく》はどうやって死んじゃったんだろうか。
ちっとも、思い出せない。
死んだ時に、凄く痛かったのかな、凄く悲しかったのかな、
だから、ぼくは《ジャギ》だった頃のこと、あんまり思い出せないのかな。
「ジャギ、顔色が悪いぞ。 船に酔ったんじゃないか?
少し、外の空気でも吸ってきたらどうだ」
「あ、うん!」
いけないいけない。こんなこと考えて、暗い顔してたら『父さん』に心配かけちゃう。
ぼくは出来るだけめいっぱい、元気な返事をして、部屋から外に飛び出した。
海の風が気持ちいい。《ぼく》の住んでたとこは、海から遠かったから、
こっちに来てから始めて見たんだよなあ、海。
どこまでも続く青い空は眩しくて、すっごくいい気分になる。
「ふー……はー……」
思いっきり、息を深く吸い込んでから、大きく吐き出した。
そしたら、くう、って小さくお腹がなった。
そういえば、朝ごはん食べてからしばらく経つもんなあ。
確か、今日中には船が港についちゃうって父さん言ってたよね。
お別れの挨拶ついでに、台所に行って何か分けてもらおーっと。
木で出来た階段を、リズムよくたんたんと駆け下りていけば、
顔なじみになった船乗りさんたちが、よお、と声をかけてくる。
ぼくはそれに、にっこりと笑顔を返して、台所へ向かった。
この船、結構広いから大変なんだ。
「パパスさんも大変だねえ、こんな小さな子供を連れて何年も旅をして」
「何でも、何かとんでもないものを探しているという話だよ」
バターをたっぷり塗った熱々のパンを一切れ、もぐもぐと食べながら、
ぼくは船乗りさんたちの話に耳を傾けた。
父さんの探しもの、かあ。一体なんなんだろ。
たまに、なんで旅をしてるのか聞いても、はぐらかすばっかりで、
中々本当のこと教えてくれないんだよなー。
ぼくは、家族なんだから、きちんとそーだんしてくれたって
《聞いてないよ! 何で僕に相談もなしに……!》》
ドクン、と頭と胸が急に痛んで、食べかけのパンをテーブルに落っことした。
今の声、誰だっけ。今の言葉、いつ、なんで、どうしてだっけ。
「はは。坊やはまだまだ子供だねえ」
「お父さんに迷惑をかけないようにしなくっちゃあいけないよ」
船乗りさんたちがゲラゲラ笑う声に、ぼくはハッと正気に戻った。
ううん、どうして、ぼくに《ジャギ》の記憶が残ってるのかなあ。
頭は痛くなるし、失敗して笑われちゃうし、散々だよ……。
「おおい! 港が見えたぞー!!」
見張りの人の声が外からしてきて、俄かに台所が慌しくなった。
「おう、坊や。お父さんの所に行ってもうすぐ着くって教えてあげな!」
「うん!」
テーブルに落ちたパンをひょいと拾って口に入れて、ぼくは走り出した。
お行儀は悪いけど捨てちゃうよりは、もったいなくないもんね。
食べ物とかお水って、すっごく大事だし。
……そういえば、この考え方も《ジャギ》の考え、かもなあ。
港に着くと、この船の持ち主だっていうおじさんが居た。
それから、おじさんの娘だっていう二人の女の子も。
二人とも、凄く可愛かったんだけど、おじさんは言った。
「いやあ、フローラに比べてデボラは少々ワガママでしてなあ」
「元気のいいお嬢さんでよろしいではないですか」
ふうん、デボラとフローラっていうんだ、あの二人。
……おじさんと父さんは、まだなんのかんのと話しこんでるみたいだし、
ちょっと、声なんかかけてみようかな。
船の中で一番きれいな部屋に、二人とも居た。
「ちょっと、アンタだれよ。ここは、わたしたちのおへやなのよ」
「あなた、さっきわたしをたすけれくれたおじさまのむすこさんね?
おじさまに、ありがとう、ってつたえてくださいな」
「フローラはあまいわねえ。あのひとがあんたをさらってにげたら、
どうするつもりだったのよ」
「まあ、ねえさんったらかんがえすぎです。こんなにやさしいめをした、
おとこのこのおとうさんが、そんなことするはずないです」
青い髪の子がフローラで、黒い髪の子がデボラで、お姉ちゃん、なのかな。
「なにじろじろみてるのよ。さては、わたしにみとれてるのね」
うーん、確かに、このデボラって子のほうがワガママかもしれない。
「それにしてもおそいなあ、おとうさま。わたし、みてきますね」
フローラはそう言って、部屋を出て行った。
後に残ったのは、ぼくとデボラだけ。
デボラの視線が痛いから、ぼくもすぐに部屋を出ようと思ったんだけど。
「……ねえ、悔しくないの?」
気づいたら、ぼくはデボラに尋ねていた。
「妹と、比べられてさ」
何でこんなことを、ぼくは聞いたんだろうか。
分からなかったけど、デボラは何でもないようにこたえた。
「いいたいやつには、いわせておけばいいのよ。
わたしとフローラは、べつべつのにんげんなんだもの。
しまいだから、ってくらべられても、きにしてもしょうがないわ」
小さな胸を張ってそう答える彼女が、とても輝いて見えた。
「そう、なんだ。……じゃあね、デボラ。バイバイ」
「デボラさま、とよびなさいよ」
ちょっと不満そうに口を尖らせた彼女に手を振って、僕は父さんの所へ向かった。
彼女のことを、覚えて置こうと思った。
きょうだいと比べられても、妬みもひがみもしない彼女が、
何だか、とても凄い人なように思えたから。
父さんに手をひかれて、港に降りる。去っていく船に手を振った。
港をうろちょろするのに飽きて、ちょっと外に出たら
ぶよぶよしたモンスター:スライムに襲われて大変だったけど、
すぐに父さんが助けてくれた。
次の目的地は、サンタローズってところ。
なんでも、ぼくがもっと小さかった頃に住んでた場所なんだってさ。
うーん、全然覚えてないや。
父さんに手を引かれて歩きながら、ぼくはデボラのことを考える。
どうして、きょうだいのことなんか、尋ねたんだろう。
ぼくは今のところ一人っ子だし、母さんは生まれてすぐ死んじゃってるから、
これからも、多分一人っ子だから、あんなことを考える理由はない。
だったら、《ジャギ》の思い出が、あんな質問をさせたの、かな?
でも……《ジャギ》に、きょうだいなんて……
……………………………………………《いない》はず、だよね。
居たら、覚えてる、はずだよ。
だってきょうだいってのは、大切な、家族なんだから。
《父さん》を覚えていて、《きょうだい》を覚えてないなんて、
そんなこと、あるわけない、よね。