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[19353] 【習作】ゼロの使い魔~盟約の流刃~(オリ主転生物)
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/07/08 18:21

初めまして。皆様の作品に感化されて衝動のままに自分も書いてしまいました。

この作品はゼロの使い魔の二次創作の、オリ主転生物です。

原作の改変あり&少しブラコン・シスコン要素ありなのでご注意ください。

将来的に残酷的な描写や、R15に抵触するような描写が出てくる可能性があります。

色々と至らない点もあるかと思いますが、よろしくお願いします。


<お知らせ>

 2010.06.27 幕間3を投稿しましたが、内容に問題があると思い一度削除しました。

 2010.06.29 幕間3を修正し再投稿しました。 




[19353] 第1話 現実のち非現実
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:57
 夕日が照りつけ、赤く映える歩道で俺はうーん、と伸びをした。
 家に帰るために道を上機嫌で歩き、そんな俺の手に持っているのは半年振りに引っ張り出した青色のスポーツバッグ。

 ようやく大学受験が終わり、今まで我慢していた趣味のスケートを解禁して、意気揚々とスケート場に乗り込んだのが今日の午前中。
 久々の楽しさについ熱が入って、結局日が暮れかけるまで没頭してしまった。

 いきなり一日中運動をして、体中が痛い。明日は確実に筋肉痛だろう。
 それでも俺の気分は晴れやかだった。

「それにしても、いきなり一回転半成功するとは思わなかったな」

 半年もやっていなかったから腕が鈍るのは覚悟していたのだが、意外にも身体はちゃんと動きを覚えていたようだ。

「次の目標は二回転かな」

 そう言いつつ、横を向いて夕日を見つめる。
 光が町中を赤く染め上げ、すぐそばの車道では朱に染まった車が前から後ろへ通り過ぎていく。
 何の変哲も無いいつもの光景が、なんとなく綺麗だと思えるのは、受験が終わって肩の荷が外れたからだろうか。

    ドゴン!

 その時、いきなり前方から聞こえてきた大きな音に、俺はビクリと顔を前に向けた。

「なッ!?」
 見ると、大型トラックが歩道に乗り上げ、真っ直ぐにこちらへ猛スピードで走ってきていた。
 突然のことに思考が追いつかず、それでもトラックは全くスピードを緩めずに、棒立ちになっている俺に向かって爆走してくる。

 そして、何も考えることが出来ない内に、俺はトラックに突き飛ばされ意識を失った。







『ほう、魂は悪くない。それに”知っている”な。器になりえる存在として合格だ。これにするとしよう』

 暗転する視界の中、俺はそんな声を聞いた気がした。

 ――――――――――
 ―――――――
 ――――


 瞼の間から差し込む光で、俺は目を覚ました。ゆっくりと瞼を開けると、そこには栗色の髪をした女性の顔。




 その女性は俺が目を覚ましたのを確認すると優しく微笑んできた。どう見ても外国人の、中々綺麗な人だ。
 この人は俺の母親だ。

 ――――ん?

 なぜ俺はこの人のことを母親なんて思ったんだろう?確実に一度も見たこともない女性だ。
 なのに、なぜか本能みたいなものが、この人物は母親だといっている。

 一体どうなっているんだ?

 取りあえず体を起こそうとするが、なぜか体がうまく動かない。

 何か言いようのない不安感が溢れ出てきた。


 ……待て、取りあえず状況を確認しよう。

 何で俺はこの人を母だと認識した?そしてここはどこだ?

 俺は交通事故に遭って意識を失ったはずだが、どう見ても俺が今いる部屋は病院の一角じゃない。今俺が寝ているベッドは、四方が柵で仕切られていて、まるで赤ん坊を寝かせるような……

 そう思い首を捻って周りを見ようとする。
 頭を右に向けると、俺の隣で金髪の赤ん坊が眠っていた。

 未だ訳がわからず混乱していると、女性が手を伸ばして俺の頭を撫で始めた。そうされていると何だか心が落ち着いてくる。そこまできて、俺は一つの可能性に思い当たった。


  ――もしかして、俺は生まれ変わって赤ん坊になったのか?



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 俺が奇妙な状況におかれてから数日が経って、段々と今の俺の状態がわかってきた。
 やはり俺は前世の記憶を持ったまま、生まれ変わったらしい。

 生まれ変わってからある程度成長して、自我が生まれると共に”俺”が覚醒したようだ。
 初めて見た女性を母だと思ったのは、今までの成長の過程で無意識にそう思っていたんだろう。実際母親のようだし。

 じゃあ隣に居る赤ん坊は俺の双子なんだろうか?
 おむつを代える時に確認したら、俺は男で、もう一人は女の子だったから、二卵性双生児なんだろうけど。

 ちなみに父親(本能で何となくわかった)は、金髪碧眼の男性だった。年は多分30代前半くらいだろう。

 両親共に頻繁に俺達の顔を見に来て、俺が笑顔を送ると、向こうも幸せそうな笑みを返してきて、そうすると体の奥から嬉しさや安心感が込み上げてくる。
 その度に、俺は赤ん坊になってしまったんだと再認識した。
 俺のことを『グラム』と呼びかけてくるから、それが俺の名前なんだと思う。

 それに、この家にはメイド服を着た使用人らしき人がたくさん居て、ベッドの上からでも忙しなく働いているのが見える。
 本物のメイドなんて初めて見たし、よく見ると部屋の飾りも高級そうだ。どこの国の大富豪だろうか?

 当然だが、その人たちが何を言っているのかわからない。少なくとも英語ではない。
 しかし、自我覚醒前の経験があってか、ちゃんと言葉自体は聞き取れるし、『おはよう』や『おやすみ』など、簡単な言葉なら分かった。
 これなら、こちらの言語を理解できるようになるまで、そんなに時間はかからないかも知れない。

 しかし、本当に転生なんてものがあったんだな。
 今まで意識や魂なんて、所詮電気信号の塊だと思っていた自分にとっては、未だにこの状況に納得できない。
 もし前世の俺が、『俺は前世の記憶を持っている!!』なんて言う奴に会ったら、多分黄色い救急車を呼んでいた。

 というかもう一回人生やり直す事になるんだよなこれ。
 ある程度成長したら日本に行ってみたいな。
 いきなり俺が死んで、親はやはり悲しんでいるだろう。悪いことをしてしまった。






 その日の昼下がりに、両親が俺達が居る部屋に入ってきて、父親は俺を、母親は女の子を抱え上げた。
 見ると、目の前にモノクルをかけた、金髪で40前位の男性が立っていて、俺と女の子を見て目を細めている。

 ……どこかで見たことあるなこの人。

 その男性と両親は何か話した後、父親は俺を指し示した。
 どうやらこの男性に俺の事を紹介するらしい。父親は口を開くとこう言った。



  ――グラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシ――



 それが俺のフルネームらしい。
 長い。第一にそう思った。

 それにしても『ラ・フェール・ド・モンモランシ』か。
 ”ゼロの使い魔”にもその家名が出てきてたな。という事はここはフランスなのか?
 フランスでは、まだ貴族制の名残がいくらか残っているらしいし、この家は昔貴族だったんだろうか。


 俺がそんな事を考えていると、次に母親が娘を指し示してこう言った。



  ――モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ――




    ……はい?



 今までの思考が完全に吹っ飛んだ。
 目の前にいる女の子の名前が、俺の記憶の中のとあるキャラクターと、完全に一致していたからだ。


 何かの偶然か?いや、そんなことあるのか?普通……

 確認するように、俺はモンモランシーと呼ばれた女の子を見た。
 当の本人は、綺麗な金髪を揺らして、母親の腕の中で寝息を立てている。

 それに、目の前の男性、アニメでしか覚えがないが、確かにこの人は……。


 疑念が胸いっぱいに広がっていく。




 俺の様子がおかしいと分かったのか、父親が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。だが俺はそれどころじゃない。
 視線を落とすと、ついに父親の腰にささった“アレ”を見つけてしまった。
 あの黒光りする指揮棒のようなものを。

 思わずその棒を手に取ると、父親は一瞬驚いたがすぐに笑顔に戻った。
 そして俺の手からその棒をとり、何事か呟いてから杖を振ると、どこからともなく水が現れ、俺の目の前に球体となってふわふわと浮かびだした。


  ……何だか俺の中の常識が、ガタガタと音を立てて崩れていくのを聞いた気がした。




2010.06.07 初回投稿

2010.06.19 誤字修正

2010.06.27 文体修正



[19353] 第2話 一流貴族の風格
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:57
 窓から秋の陽光が差し込む昼下がり、俺は自室のベッドの上で羊皮紙の冊子を眺めていた。

 紙の表面に踊っているのは日本語。身体がある程度自由に動けるようになり次第俺が書いた物だ。

 中には、“この世界”の未来や重要人物の情報がぎっしりと詰まっている。

 “ゼロの使い魔”はハマっていた時期があったので、かなり細かい所まで書きとめることができた。

 ルイズのことは勿論、ハルケギニアの危機からヴィリエやペリッソンの事までなどなど。

 おかげでかなりの量の羊皮紙を使ったけど。

 外伝は読んでなかったので、残念ながらそっちに関する情報はゼロだ。

 こんな事になるなら読んでおけば良かったと思ったが、こんな状況になるなんて誰が予想できるだろう。

 身を起こして備え付けの鏡を見てみると、そこには金髪翠眼の、端正な顔立ちをした“グラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシ”と言う名の3歳児。

 うん、普通に美少年。前世の自分の顔を思い出すと悲しくなってくる。


 ホント自我覚醒からの2年半は大変だった。

 言葉がわからないのもそうだけど、『目が覚めたら異世界。しかも架空』なんて状況だと分かって初めはパニック状態だった。


  転生だけでも理解不能なのに架空の異世界ってどゆこと!?
  どうなってんの!?俺物語の住人になっちゃったの!?
  つーか架空世界現実にしちゃったヤマグチノボルは神なの!?


 と、まぁ、こんな感じで意味のない思考がぐるぐる回ってた。

 でも、そのうちにグダグダ考えても始まらないと悟った。諦めたとも言う。

 『言葉を覚えなきゃならない』っていう第一の目標があったから、そっちに思考を切り替えられたというのもあるけど。


 ここで俺の家族構成を簡単に説明しておこう。

 父様は金髪碧眼の現モンモランシ家当主で、『水』のトライアングル。
 中々にプライドが高くカタブツで、確かに水の精霊を怒らせてもおかしくはなさそうな人だ。
 誤解されないように言っておくが、別に悪い人ではない。

 母様は茶髪翠眼の『土』のライン。
 柔和な見た目通り優しい人物ではあるが、その分怒ると怖い。

 そして8つ上のフレイ兄様がいて、『水』のラインだ。
 頭髪も眼の色も父親譲りで、11歳でラインになった事から優秀だといわれている。
 何より、兄様がいるお陰で、俺がこの家を継がなくて済むのが個人的には非常に有難い。面倒事はできるだけ避けたいし。
 兄の存在に感謝。

 最後に双子の妹のモンモランシー。原作にも登場する女の子だ。
 3歳児らしく元気いっぱいで、いつもその面倒を俺が見ているといった感じ。
 もうすっかり家族や使用人の間では、『しっかりした兄と元気な妹』といったコンビで見られている。
 おかげで俺にすっかり懐いて、これが中々可愛い。


 羊皮紙に書かれた原作知識の確認も終わったので、俺はその冊子を棚の中にしまった。
 ちなみに『使用人には絶対に処分するな』といってある。
 傍から見れば、小さな子供が奇怪な暗号を大量に書いた紙を心底大事にしているのだから、結構奇妙な光景だろう。

 しかし、原作知識は保存できてるから一安心ではあるものの、この世界が俺の知っている“ゼロ魔”と同じように進む保証はどこにもない。

 まず“モンモランシーの双子の兄”が存在している時点で原作と違う。
 一応ヴァリエール家やグラモン家など、主だった家がある事は確認できたが、どこでここに書いてある内容とずれるか分かったものではない。

 あ、それと、あの時のモノクルおじさんはやはりヴァリエール公爵だった。
 父様とはある程度面識があるらしい。


 これからの方針だが、理想を言えば、何事もなく平穏に暮らして行きたい。
 でもこれから問題が山積みなので、そうは言ってられないだろう。
 ジョゼフ王とか、大隆起とか、放っとけば世界が滅びかねないものもある。
 原作と全く同じように話が進むなら、むしろ手を出さない方がいいだろうが、少しでも乖離があるようなら、俺もある程度協力した方がいいだろう。

 そのためにはまず強くならないといけないが。

 考え事を一旦中断して、羊皮紙の束をしまった棚から、今度は幻獣図鑑を取り出す。屋敷の書斎から拝借してきた物だ。

 ようやく、こういう難しめの単語が出てくる本が読めるだけの言語能力が身に付いたので、取りあえず興味のあるこの世界の幻獣について調べようと思い、昨日からこの図鑑を読んでいるのである。

 本当は魔法から習得したかったが、この家では杖の契約は5歳から、というしきたりらしい。
 最初は不満だったが、“レビテーション”でも人が殺せる事を考えれば、むしろ5歳は早い方かもしれない。

 再びベッドに座り、図鑑を開く。


 当然というか何というか、“フェンリル”やら“ケルベロス”やら、原作には登場していない幻獣もたくさん存在しているようだ。

 中には人間と見た目が全く同じ亜人もいるらしい。
 身体能力が人間よりかなり高く、先住魔法も使えると書いてある。

 ……完全に人間の上位互換じゃね?

 なんて思っていると、唐突に部屋のドアがガチャっと開いた。

「おにーさまー」

 入ってきたのはモンモランシー。さっきも説明したが俺の妹である。

「なによんでるのー?」

 未だ少し舌足らずな言葉を喋りながら、こちらへテトテトと走ってきて、綺麗な碧眼で図鑑を覗き込んできた。

「幻獣図鑑だよ」
「げんじゅうずかん?」

 俺が微笑んで答えてやると、モンモランシーは可愛らしく小首を傾げて聞き返してきた。

 俺の喋り方については突っ込まないでほしい。
 これでも3歳児を精一杯演技しているのだ。自尊心が傷つかない程度に。

「うん。この世界の生き物がたくさん載ってるんだ」
「へぇー!ねぇねぇ、これはなに?おにーさま」

 モンモランシーが幻獣の絵を指して、目をキラキラ輝かせながら顔を近づけてくる。
 透き通るような金髪と、形の整った鼻や口。
 既に美少女としての片鱗が現れ始めている。

 ちなみに俺の金髪は、母様の茶髪も混じっているせいか、モンモランシーや兄様より色が濃い。

 俺がいろんな幻獣を見せてやると、その度にモンモランシーは楽しんだり、怖がったりと忙しく表情を変化させた。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 トントン

 日もだいぶ傾き、外が暗くなり始めた頃、部屋のドアがノックされた。

「どうぞ」、と返事をすると、「失礼します」とメイドのシリアさんが一礼して入ってきた。
 それからシリアさんは俺たちを見ると、和んだように顔を緩めた。

 今俺達は二人揃ってベッドに寝転がり、図鑑を読んでいる。
 といってもモンモランシーはもう寝入っているが。

「グラム様、モンモランシー様、夕食の準備が整いました」

 シリアさんが顔を引き締めて(完全に締まってないが)、要件を言う。

「ありがとうございますシリアさん。すぐにモンモランシーを起こして向かいます」

 俺がそう言うと、シリアさんは身を縮こまらせて、

「そんな、お礼など恐縮です」
 と言った。

 俺からしてみれば、俺達の生活を支えてくれている人達に礼を言うのは当然だと思うのだが。

「シリアさんもこの家を支えてくれているんですから、それくらいは当然ですよ」

 だからそう返したのだが、それを聞いたシリアさんは、ますます恐縮して部屋を出て行った。

 郷に入っては郷に従えというし、ある程度はこちらの階級制度も受け入れるつもりだが、ここまで身分差が酷いのにはまだ慣れない。
 慣れたくもないけど、と思いつつ、振り返ってモンモランシーをゆり起こす。

「うにゅっ」と声をあげてモンモランシーが目を開けた。

 取りあえず顔を洗わせて、俺たちは食卓へ向かった。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



「明後日、皆でヴァリエール公爵家に出かける」

 夕食を食べ終わると、いきなり父様がそんな事を言いだした。

「グラムやモンモランシーと同い年のルイズ嬢があちらにもいて、お互い一度会わせてみたい、という話になってな。招待された」

 まぁ、よくある話だ。兄様とあっちの次女のカトレアさんも同い年だし。
 ここからヴァリエール領は結構遠いが、竜籠を使えば割と早く着くだろう。
 意外と早くメインヒロインと会うことになったな。

「あらあら、明後日とはまた急ですね」

 母様がまったく焦ってなさそうな、のんびりとした口調で言った。
 ヴァリエール公爵家という名を聞いて、兄様は少し緊張している。

「ばりえーるにおでかけ?」

 隣に座るモンモランシーが俺に向かってそう問いかけてきた。

「みたいだね。友達ができるかも知れないよ?」

 俺がそう返すと、モンモランシーは「ほんとに!?」と目を輝かせた。
 友達ができるのは初めてなので楽しみなのだろう。


 その後しばらく他愛のない話をして、寝る準備をすることになった。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 モンモランシ伯爵家は、ラグドリアン湖の一画をその領地に収め、代々王家と水精霊との、盟約の交渉役を務めてきた家系である。
 水精霊の力はトリステイン領全土に渡っており、水害や日照りの心配もなく、そのお陰で作物を安定して収穫できる。
 貴族の家には全て下水道が完備されているのも、水精霊の助けがあってこそだ。
 トリステイン全ての川は、水精霊によって清潔に保たれており、病人も他国に比べて圧倒的に少ない。
 他にも数えきれない程の恩恵をこの国はもらっている。
 この盟約のお陰で、今までトリステインは国力を衰退させながらも、未だ国として成り立っていると言っても過言ではない。
 だから国内の貴族の質がどんどん悪くなっているのもあるのだが……。
 そのような盟約を維持できるモンモランシ家は、地位こそ伯爵家であれ、実質的に公爵家にも並ぶ権力を持っているのである。



 ……とかなんとか父様は言っていたが……。

「ウチがこの家と同レベルとかあり得ないっての」

 目の前にそびえ立つは、ラ・ヴァリエール公爵邸という名の城。
 曇り空と相まって迫力が凄まじい。
 あまりの大きさにモンモランシ邸と比べるのもばからしくなってくる。

 何というか、貴族最高峰の風格を見せつけられた気分だ。
 モンモランシ家も伯爵の中では上の方なのに、こうも差がつくのか。

 竜籠から降りた家族の方を窺うと、兄様は俺と同じく唖然としていて、モンモランシーは「おっきなおしろ!」とか言ってキャッキャと騒いでいる。
 父様と母様はいつも通り。さすがだ。

 そんなことを考えていると、これまたでっかいゴーレムが跳ね橋を下してくれる。
 そのまま俺たちは中に招待された。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



「グラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシです」

 教えられた作法で一礼をする。

 屋敷に入った俺たちは客間に通され、そこではヴァリエール家の家族が全員で迎えてくれた。

 親同士が軽く挨拶をすませ、今度は子供の自己紹介の番だ。

「モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシです」

 俺に続いてモンモランシーも礼をする。ちなみに兄様の紹介はもう済んだ。

 こちらの挨拶が済むと、今度はあちらの三姉妹の自己紹介。

 まず長女のエレオノールさんが口を開く。

「エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールですわ。よろしくお願いします」

 顔は笑って、そう言ってくれた。うん、顔だけは笑ってる。

 あの、エレオノールさん?どうして目が笑ってないんでしょう?
 どうせ笑うなら目も笑ってくださいよ。あと何ですか、その威圧感たっぷりのオーラは?
 公爵と公爵夫人は、子供に対してそのオーラは隠してますけど、エレオノールさんは隠しきれてませんよ?
 モンモランシーなんか、涙目で俺の後ろに隠れてますけど……。

「あらあら、お姉さまったら、そんな怖い顔をしては皆さんが怖がってしまいますよ。私はカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです」
「え!?怖い顔!?」

 聖母のような笑顔で優雅に一礼するカトレアさんと、自分の顔をペタペタ触っているエレオノールさん。
 二人とも対照的な美貌を持っている
 どちらも原作通りのようだ。

 まだカトレアさんはフォンティーヌ領は貰っていないのだろう。

 ふと兄様の様子を窺ってみると……、カトレアさんを見て赤くなっている。
 まぁ、モンモランシ家なら望みもあるし、頑張れ。似合わないけど。

 不意に視線を感じて前を向くと、カトレアさんがじっと俺を見つめてきている。
 ……なんだか自分の全てを見透かされているようで落ち着かない。

 転生者だってバレてないよな?

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです」

 そんな俺の不安をよそに、ルイズが礼をしてくれた。
 原作通りのピンクがかったブロンドの髪と、鳶(とび)色の瞳。
 そして、ハルケギニアの未来を担う“虚無”の使い手。
 しかし、まだ杖も持っていない彼女は、今は普通の貴族の子女に見える。
 この子が将来“虚無”に目覚めることなど、誰も予想できないだろう。

 挨拶も終わったところで、各々親睦を深めるために談話が始まった。

 兄様がガチガチに緊張しながら、カトレアさんに話しかけようとしている。
 ムリだなあの様子じゃ。兄様引っ込み思案だし。
 美形で優しい所は評価できるんだけど、ヤワいんだよなー。

 モンモランシーとルイズも話しあっている。
 うん、どうやら早速仲良くなったみた―――――

「なによー」
「なによー」

 ―――いでもなかったっぽいな。いきなり一触即発かよ。

 慌てて俺が仲裁に入る。それを年長者達は微笑ましいとでも言うかのように眺めている。
 つーかあんたらも止めろ。

 今度こそ仲良くなったみたいで、俺は息をついた。

「ねぇ、グラムちゃん」

 名前を呼ばれたので振り返ると、そこにはしゃがんで目線を俺と同じくしているカトレアさんがいた。

 いきなり“ちゃん”付けですかー。3歳児だから仕方ないですけども。

「あなた本当に3歳児なのかしら?」

 心臓が跳ねた。
 いや、今までそのセリフは幾度となく言われてきたけど、カトレアさんのは明らかに言葉に含み持っているものが違う。

「僕は3歳ですよ」

 無駄だろうが、できるだけ無邪気な笑顔とともにそう返す。

 前世の記憶があるとは知られたくない。
 やっぱり他人からみれば少し気持ち悪いし、下手すればアカデミーに何されるかわからない。
 まず信じてもらえないかもしれないが。

 俺の言葉に引き下がるわけもなく、カトレアさんは首をかしげる。
 ピンチだ。軽く冷や汗が流れる。

「うーん、でも――ゴホッゴホッ」
「カトレアさん!?」

 いきなりカトレアさんが咳き込みだしたので、俺は驚いて声をあげた。
 皆も駆け寄ってくる。

「ちい姉さま、大丈夫?」

 ルイズが真っ先に駆けてきて声をかけた。



 それからカトレアさんはエレオノールさんに付き添われ、寝室へと帰ることになった。
 やはりこの世界でも体が弱いのだろう。

 助かった、と言うのは不謹慎だろうな。

 客間から出る間際、カトレアさんは俺の方を向いて「またね、グラムちゃん」と、にこやかに笑って、手を振って去って行った。
“ちゃん”付けは訂正しておくべきだったか。
 あの様子だと次会った時、また問い詰められるかも知れない。

 ……兄様、自分が話しかける事ができなかったからってそんなに俺を睨まないでくれ。

 公爵から、カトレアさんは生まれつき身体が弱いという説明と謝罪を受けた後、俺達は夕食を御馳走になった。

 ウチの夕食も豪華だが、公爵家のは十分その上をいっている。
“こことモンモランシ家が同等”などと言う父様はどれだけ自信家なのだろうか。

 夕食を食べ終わる頃には、外はドシャ降りになっていた。
 これでは帰る事ができない。

 仕方ないのでヴァリエール邸に一晩泊めてもらうことになった。
 これだけの豪邸なので、家族5人分+モンモランシ家の護衛が泊まるには事欠かない。



 俺に割り当てられた部屋に入ると、これでもかと言うほど広い空間が俺を出迎えてくれた。

 この屋敷の物置に藁敷いて寝てた才人はなんだったんだ。

 窓から外を覗いてみると、真っ暗な中から雨水が窓にぶつかり、時々来る雷が広大な草原を青白く照らした。
 なかなか不気味である。

 雷がうるさいなと思いながら、魔法のランプ(手動で点く)を消して眠ることにした。

 ランプを消すと部屋は真っ暗になり、俺はベッドに横たわった。


 ――――――――――
 ―――――――
 ――――


  ギイィ……。

 ドアが開く音がして、俺は目を覚ました。

 あたりはまだ真っ暗だ。窓を叩く雨の音も、まだ勢いが弱まっていない。
 遠くで雷が鳴っているが、その雷光が部屋に差し込む事はない。

 雷が鳴り止んだ後、キイィィっとわずかな音を立てながらドアが閉まった。

 ペタッペタッという足音が、暗闇の中ゆっくりとベッドに近づいて来る。

 かなり怖いシチュエーションである。俺は恐怖に駈られながら慌てて手元にあったランプを点けた。


「……モンモランシーか」

 枕を抱きかかえて立っているモンモランシーを見て、俺は安堵のため息をついた。

「こんな夜中にどうしたんだ?」
「あのっ……そのっ……」

 顔に流れた冷や汗を拭いながら、できるだけ優しく声をかけてやると、モンモランシーは体をもじもじさせた。
 俺が首をかしげると同時に、ひときわ近くで雷が鳴り、それを聞いたモンモランシーが「ひぅっ!」と体を竦ませた。

「あぁ、雷が怖いのか」

 それで眠れなくて俺のとこに来た訳だ。
 俺がそう言うと、モンモランシーは顔を赤らめた。なんともベタな子供である。
 さっきまでこのモンモランシーに恐怖していたのかと考えるとおかしくなり、思わず「ははっ」と笑ってしまう。

 その笑いが自分に向けられた物だと思ったのか、モンモランシーは怒ったようにプクっと頬を膨らませた。

「ほら、おいで」

 俺が手招きしてそう言うと、モンモランシーはベッドに潜り込んで、俺に寄り添ってきた。
 明かりを消して、少しの静寂の後、また近くで雷鳴が轟き、モンモランシーが体を強張らせた。
 暗くて顔が見えないが、多分涙目になっている事だろう。
 ゆっくり頭を撫でてやると、モンモランシーは安心したように息を吐いた。

「大丈夫?」
「うん。おにーさまがいるから、こわくない」

 そう言うと、モンモランシーはぴったりと体を俺にくっつけてきた。

 その後もしばらく頭を撫で続けてやっていると、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 どうやら完全に眠ったようだ。俺も安心して目を瞑った。



 翌朝、二人で添い寝している所を家族に見つかり、
 モンモランシ家の双子に関する微笑ましい話の一つになった事は、また別の話。





<あとがき>
 作中の「翠眼」という言葉は作者の造語で、その言葉の通り翠緑色の瞳のことです。



2010.06.08 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 幕間1 モンモランシ伯爵の日記
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:58
<前書き>
  幕間です。短いです。
  本編にはあまり関係ないので流し読む程度で大丈夫かと。


<本文>


 我が息子、グラムは少し変わった子だ。

 3歳児にしては落ち着きすぎているような気がする。

 赤ん坊のころは、モンモランシーより少し成長が早い位だったし、別段気にしてはいなかったのだが、言葉を覚えた途端に子供にしては落ち着いた口調で話し始めた。

 その後も辞書などを使って難しい言葉を覚えようとしていた。

 遊ぶ事もあるのだが、それはモンモランシーの世話をしている、と言った方がしっくりくる様子であるし、モンモランシーに誘われた時以外遊んでいるのも見たことがない。

 もっと身の回りの物に関心を抱いて走り回る時期ではないのだろうか?

 フレイがあの位の歳のときも、元気良く遊んでいたというのに、グラムは大抵家の者と話したり、本を読んでいたりする。

 それも児童用の本ではなく、図鑑や魔法書などの子供にとっては難しい物ばかり。

 色々と不安はあるが、ひょっとするとグラムは天才という部類に入るのではないだろうか。

 あの歳で文字は完璧に読めるようになっているようだし、難しい計算もなんなくこなしている。

 あの子がどんなメイジになるのか今から楽しみでならない。

「杖との契約がしたい」と言ってきたり、魔法書を読んでいる事もあるので、魔法に興味もあるようだ。

 あいにく、モンモランシ家の杖の契約は5歳からと言うしきたりなので、その時は引き下がってもらったが。

 それからはフレイに魔法の事について色々聞いているらしい。

 フレイとグラムが並ぶと、グラムの方がしっかりしているように見える。

 将来フレイはモンモランシ家を継ぐ立場なのだから、もっと気を引き締めてもらわなくてはならない。

 いや、いっその事グラムを時期当主にしてしまおうか。

 ……まだ決めるには早計だな。じっくりと息子達の成長を見守ってから決める事にしよう。


 グラムは使用人の間でかなり人気があるようだ。

 使用人に対しても感謝の言葉を言うし、使用人の名前を全員覚えてもいるらしい。

 名前を覚えているのはいいが、感謝の言葉を一々口にしていると嘗められるかも知れない。
 大きくなっても治らないようなら注意しよう。

 そんなあの子だが、ときおり歳相応の笑顔や振る舞いを見せる時もある。

 その度に安堵しているのはここだけの話だ。

 兄妹だから当然ではあるが、モンモランシーもグラムに一番懐いている。

 いつもグラムはモンモランシーには優しくしていて、とても仲が良い。

 当初は喧嘩の一つや二つは当たり前だと思っていたのだが、あの二人が喧嘩をしている所は未だ見たことがない。

 おそらくどんな時でもグラムが一歩譲っている結果だろう。

 お陰でモンモランシーはグラムにベッタリだ。

 兄妹と言う物を絵に書いたような二人なので、見ていて微笑ましい。


 そういえばこの前ヴァリエール家に訪問した時、フレイがやたらカトレア嬢の事を気にしていたな。

 ……公爵家なら申し分ないし、頑張ってくれとしか言えんな。似合ってないが。



 子供の話はさておき、新領地の開拓はいつにしようか。

 子育てが落ち着くまでは始める気はないが、多量な時間と金が必要なのだから、今の内に計画を練っておこう。

 水の精霊の力も借りなくてはならないし、王宮との話し合いもいるだろう。

 なにより水精霊の説得が面倒だ。
 グラムがよく私に“水精霊を怒らせると怖い”などと言ってくるが、そんな事は私も十分教わっている。

 今さら気を改めることなどない。

 水精霊と言えば、ちょうどグラムとモンモランシーが生まれた時期あたりから様子がおかしくなっている。
 以前よりも輪をかけて人前に姿を現さなくなり、おかげで水精霊の涙の価格が高騰しているらしい。

 水精霊の涙はモンモランシ家が売り出している水の秘薬に必要不可欠な物だ。
 あれのおかげで我が家の作る秘薬はブランド物として一目置かれているのだ。
 供給が少なくなると非常に困る。
 私の先祖が、王家と『水精霊の涙の独占禁止』に関する誓約をしてしまっているので、安易に直接精霊に頼む事も出来ないのだ。

 そんな事もあり、先日ラグドリアン湖まで行って呼び出してみたが、なんでも「やらねばならない事がある」などとおよそ精霊に似合わない事を言って、すぐに戻って行ってしまった。
 数日前トリスタニアで隠居している父上から、「水精霊の魔力を感じた」などと言う内容の手紙が送られてきたが、それと何か関係があるのだろうか。



 ……話が逸れたな。領地開拓は3年後くらいに乗り出そう。

 子供達を王宮に連れて行くのもその時になるだろう。

 3年などあっと言う間だ。

 ついこの前まで小さかったフレイがもうあれだけ成長してしまっているのだからな。

 まだ11歳だが、すぐに4年経って魔法学院に入学する事になるのだろう。
 ラインなので魔法に関しては心配していないが、いかんせん気が弱いのがたまに傷だ。

 できれば学院で嫁候補でも見つけて来てもらえればこちらも気が楽なのだが。

 ……カトレア嬢も同時期に入学してくるのだろうか。身体が弱いと言っていたが。
 ……まぁ、がんばれ、フレイ。似合わないが。

 当面の楽しみはあの子達の杖の契約だな。

 おそらくは『水』メイジになるのだろうが、やはりこればかりは楽しみでならない。

 ……さて、そろそろ寝る事にしよう。



2010.06.09 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第3話 10%は意外と当たる
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:58
 ……ついにこの時が来た。

 舞台は芝生おい茂るモンモランシ邸の中庭。

 観客は見慣れた家の使用人達や家族達。

 そして俺の手に持つは黒く輝く一振りの指揮棒!!



 ……いや、別にオーケストラとかやる訳じゃないんだけどね。

 指揮棒と言っても魔法の杖の事だし。


 昨日、5歳の誕生パーティーを終えた俺とモンモランシーは、たった今杖との契約を完了して、自分達の系統の判別を行おうとしている所だ。

 俺の隣には、同じく杖を持ったモンモランシーが立っている。

 そして俺達の目の前には、系統の判別の進行を引き受けてくれた、執事のトクナガさん。

 父様に母様、兄様も俺達の様子を眺めているし、屋敷の使用人達も、俺とモンモランシーの初魔法を見ようとわらわらと集まってきて、俺達を囲んで円になっている。
 モンモランシ家の私設軍の人達までいるよ。

 隣のモンモランシーを見ると、ちょっと緊張した様子で俯いている。

「大丈夫?」

 俺がそう問いかけると、モンモランシーは俺を見てから笑って、

「うん、だいじょうぶ!きのう一晩始祖ブリミルに、『おにぃさまと同じ系統になれますように』ってお祈りしたから!」

 今日も俺は我が妹に懐かれてます。

 絶対とは言わないが、モンモランシーの系統はまず『水』だろう。
 だからモンモランシーの願いを叶えるためには俺も『水』じゃないといけない。
 もっとも、これは体質の問題だからどうにもならないが。

「それでは始めましょう」

 トクナガさんが仰々しく口を開いたので、俺達は会話をやめて前を向いた。

「まずはモンモランシの象徴たる『水』の魔法から試していきましょう。グラム様、モンモランシー様、『水』の基礎の基礎である“水流”の魔法を、これからお渡しするコップの水に向けてかけてみてください。」

 そう言ったトクナガさんから、俺達はそれぞれコップを手渡された。

“水流”の魔法は、その名の通り水を自由自在に操る魔法だ。
 流れを変えるだけでなく、宙に浮かせたりする事もできる。

 ちなみに、ここで“水流”の魔法が成功したとしても、それで自分の系統が『水』と決まる訳じゃない。

 土メイジだって『風』の初歩の初歩たる“フライ”を使えるし、水メイジだって『火』の初歩の初歩たる“発火”を使える。
 例え自分と全く違う系統だったとしても、基礎の基礎なら初めから使える事もあるし、最悪でも練習すれば習得できるのである。

 じゃあ、どうやって系統を判別するのかと言うと、何となくで解るらしい。
 なんともいい加減な話だが、自分の中でルーンがうねり、体に違和感なく馴染んだら自分の系統だとかなんとか。

 まぁ、聞くよりやってみる方が早いだろう。
 俺とモンモランシーは同時に“水流”の詠唱をして、コップの中の水へ向けて杖を振り降ろした。

 その時に不思議な感覚を味わった。

 自分の中の魔力が体を一周し、スムーズに杖に流れていくような感覚だ。

 結果、両方のコップから水が球体となって浮かび上がった。
 周りで見ていた人達から歓声が上がる。

「やったぁ!おにぃさま!やったわ!」

 モンモランシーが嬉しそうに飛び跳ねている。それに合わせて水の球体も上下に揺れた。

「うん、結構あっさり成功しちゃったね」

 俺も笑顔でモンモランシーにそう返した。
“水流”を使った時の感覚を考えれば、十中八九自分の系統は『水』なんだろう。
 転生者だろうと何だろうと、モンモランシ家の息子には変わりないということか。

 しかし、トクナガさんは、にこやかに笑いながらも、

「お二人とも、おめでとうございます。まず『水』の系統で間違いないでしょうが、念のため他の呪文を試してみましょう」

 と言ってきた。進行役なんだからこの言葉は当然だ。

「では次は、『火』の初歩の初歩たる“発火”を唱えてみてください。杖の先に炎を灯すイメージです」

 杖を構え、言われた通りのイメージを思い浮かべながら“発火”を唱える。


 当たり前と言うか何と言うか、二人揃って何も起きなかった。
 というか、魔力の流れを全く感じなかった。こりゃ『火』は絶対違うな。

 それにトクナガさんは全く動じずに、

「やはり何も起きないようですね。それでは、次は『風』の初歩の初歩たる“フライ”を唱えてみましょう」

 俺もモンモランシーも呪文を唱えたが、やはり何も起きず。

 わずかに魔力が流れるのを感じたが、魔法を使えるようになるには程遠いだろう。

「ふむ、最後に『土』の初歩の初歩たる“錬金”を使ってみましょう。そこの小石を土に変えるイメージで魔法をかけてみてください」

 トクナガさんが俺達にそう促す。これで最後だ。

 俺は“『水』の魔法はどんなのがあったっけなー”などと思いつつ、“錬金”を詠唱して、小石に向かって杖を振り降ろした。


 ―――お?

 今までとは全く違う感覚に俺は驚いた。

 精神力が魔力となり、呪文によって形作られたあと、体を滑らかに移動して杖に収束して行き、そして小石に向かって飛んで行くのがハッキリと分かったのだ。

“水流”を唱えた時は漠然としか魔力を感じなかったのだが、“錬金”を唱えた時はより鮮明に感じ取ることができた。
 呪文やルーンと、自分の体が一つになったような、まるで人間の自然な動作の一つのような感覚だった。


 モンモランシーが狙った小石は変化がなかったが、俺の魔法の対象となった小石は見事に土に変化した。

 モンモランシーとトクナガさんが目を見開いて驚いた。
 周りの人達も同じように驚いている。
 そりゃぁ、『水』で間違いなしと思っている矢先に、最後に唱えた魔法が成功してしまえば驚くよな。

 唱えた俺が一番驚いているわけだが。

「グラム様、『水』と『土』、どちらがあなたの系統だと思いますか?」

 トクナガさんが真剣な面持ちで俺に問いかけてくる。
 だが、俺の答えは一つしかなかった。

「……『土』で間違いないでしょう。一番体に馴染みました」

 周りがわずかに動揺しているのが見て取れた。

「おにぃさまと一緒の系統じゃないの?」

 モンモランシーが悲しそうな顔で、瞳を潤ませてこっちを見てくる。
 仕方がないこととはいえ、心が痛む。

「そうみたいだね。でも、系統が違ったってどうって事ないよ」

 笑顔でそう言って、モンモランシーの頭を撫でてやる。

「ほんと?どうってことないの?」

 モンモランシーがちょっと表情を和らげて聞き返してくる。
 表情が和らいだのは、俺の言葉のせいじゃなく、頭を撫でてあげたおかげだろう。
 あとはモンモランシーが納得のいく返答をするまでだ。

「うん。モンモランシーが『水』で、僕が『土』。二人で一緒にできない事を補いあっていけばいいんだよ。もし僕が怪我をした時は、モンモランシーがその怪我を治してくれると嬉しいな」
「……うん!がんばって治すね!」

 ようやく笑顔になって、元気良く頷いてくれた。
 俺の言葉の前半はいまいち理解できてなかったっぽいが、最後の一言が効いたみたいだ。

 ……なんか周りの人達もいつの間にか和んでるし。見世物じゃないんだが。
 軽~くジト目で見てやると、使用人達は逃げるように仕事に戻って行った。
 そんなに怖い顔だっただろうか。

「グラム、モンモランシー、おめでとう」

 そう言いつつ、父様が歩いてきた。後ろに母様と兄様もついて来ている。
 俺とモンモランシーは父様達の方を向いた。

「トクナガも進行役御苦労であった」

 父様がそう言うと、トクナガさんは深々と頭を下げた。
 それから父様は俺達に向かって、

「モンモランシーはやはり『水』だったようだな。グラムは母方の血が色濃く出たのだろう。例え水メイジではなかったとしても、お前は私の息子に変わりはないから安心しなさい」

 確かに俺は目の色も顔の作りも母様譲りだし、母様は『土』のラインでもある。
 髪の色だって金髪だが、母様の茶髪が少し受け継がれている気配もあるし、母様からの遺伝で間違いないだろう。

「私はあなたが土メイジになってくれて嬉しいわ。一人も魔法を教えられないなんて寂しいもの」

 母様が微笑みながらそう言ってくれた。
 正直なところ、『水』として目覚めなかったせいで虐げられないか少し心配だったので、二人の言葉はとてもありがたい。

「ありがとうございます。それと、『土』程ではないですが、『水』の魔法もある程度扱えるようです」

 これは本当の事だ。『水』の魔法もある程度体に馴染んだし、ちょっと練習すればドットレベルには届くだろうと思う。

 ……ってことは、自分で傷を治す事も出来るようになるんだろうな。
 モンモランシーに『怪我したときは治してくれ』って言っちゃったけど、もしかして失敗した?

 そんな俺の不安をよそに、父様は嬉しそうにしている。

「そうかそうか。さすがは我が息子だ」

 そんな事を言いながら、父様は屋敷に戻って行った。

 『土』か。応用が効きそうな系統だし、楽しみになってきた。



2010.06.11 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第4話 のどかな一点の雨
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:58
「“錬金”」

 外から持ってきた小石の一つをテーブルの上に置いて、“錬金”をかける。
 小石はイメージした通りの青銅に変化した。

 今、俺は自分の部屋で“錬金”の実験をしている。
 系統判別から1週間。俺は水系統の魔法の練習をし続けた末、先日『水』のドットに到達した。

 自分の系統である『土』をほったらかしにして、『水』ばかり修行していたのにはいくつか理由がある。
 モンモランシ家にいながら、『水』のドットに届かない事への引け目もその一つだった。

 まだまだ未熟だが、傷を治す事も出来るようになった。

 それで目標達成したので、今度は『土』の魔法と言うわけだ。

 目の前の、『漠然と石を青銅に変える』イメージで“錬金”した青銅を持ち上げる。
 一発で成功してしまった。初めから俺は『土』のドットだったようだ。

 懐からもう一つ小石を取り出して、テーブルの上に置く。
 ここからが本番だ。

 小石に狙いを定め、“錬金”を詠唱する。変える先は本来ライン以上にしか不可能な鉄。
 しかし、今度は『漠然と小石を変える』イメージではなく、『原子の陽子数と中性子数、電子数を鉄の物に変える』イメージで“錬金”を使う。

 前世の知識を記憶の底から引っ張り出し、覚えていた数値を魔力に乗せて杖を振った。


 ……結果、小石が簡単に鉄に変わった。まだ俺がドットなのに、だ。
 使った精神力も、さっき青銅を作った時よりも少ない。

 やはり思った通り、イメージを変えるだけで“錬金”の使い易さが格段に変化するようだ。
 ただ『漠然と物質を変える』と思うより、『鮮明に原子の構造を意識して作用させる』方がやりやすい。

 俺がライン以上の難易度の“錬金”をしているところは見られたくなかったので、こうして外からわざわざ石を持ってきて、自室で実験している訳だ。


 次の実験だ。もう一つ小石を取り出してテーブルに置く。
 もう一度青銅を作り出すべく、“錬金”を唱える。
 ただし、今度は『原子の構造を銅とスズに変えて混ぜるイメージで』だ。


 ……結果は失敗。何も起きず。
 どうやら、新しいイメージの仕方だと、銅とスズの二つを同時に作る必要があるので、少なくとも『土』を二乗したラインスペルでないと無理なようだ。

 当然、もっと色々な物質が混ざった物を“錬金”しようとすると、この方法は役に立たなくなる。
 それでも十分有用だが。

 最後の一個の小石を取り出して、テーブルの上に置く。
 若干緊張気味に、俺は“錬金”の詠唱を始めた。

 目指すは、最高難易度の金。

『原子構造を変える』イメージで、小石に向けて一直線に杖を振り降ろす!



 ……鉄を錬金した時と大して変わらない精神力で、小石が丸々金に変わってしまった。

 とりあえず、証拠隠滅のために鉄と金を土に“練金”しなおす。


「さて、これからどうしようか」

 俺は椅子に座って、腕を組み考え始めた。

 前世の知識のおかげで簡単に金を“錬金”できてしまった。
 これでお金に困る事はないだろうが、そんなポンポンと金を作り出してしまっていいのだろうか。

 少なくとも金の価値が暴落して市場が大混乱になるに決まっている。
 経済に関しては素人なので、具体的に何が起こるかは言えないが、楽観視すべきじゃないだろう。
 地球で言う世界恐慌みたいなのが起こるんじゃないだろうか。

 そんな事態を起こし得る存在がモンモランシ家にいるなんて世間に知れたら、各国の政府やらロマリアやらに政治的・物理的両方で抹消されるだろう。
 俺だってそうする。


「うん、どうするべきかは言うまでもないな」

 このことは誰にも言いふらさず、本当にどうしようもなくなった時だけ金を“錬金”する事にしよう。

 自分の中で結論を出し、俺は次の実験に移った。

 杖を握って、また“錬金”を唱える。
 しかし、今度は小石を使わず。何もない空中を睨みつけながら淡々と詠唱をする。
 狙うのは、空気中で最も多くの割合を占めている窒素。
 その窒素を固体に変えるイメージで、不可視の気体に向け杖を振る。

 ゴトン、と音を立てて、拳ほどの大きさの透明な物体が床の上に落ちた。

 見た感じはガラスのような物体だ。しかし手に取ってみると、ガラスより幾分重い。
 思った通り、“錬金”は気体、液体、固体の三態も操作できるらしい。
 固体になった窒素への集中を解くと、その物体は一瞬で消えるように気体に戻って行った。

 どうやら“窒素を固体にする”など、少々無理な状態で物質を維持する場合、俺が絶えず魔力を作った物体に送り続けないといけないみたいだ。
 メイジは同時に一つの魔法しか使えないので、その間は他の魔法は使えない。

 それに、気体をあれだけの大きさの固体にしたのだから、かなりの量の窒素を圧縮したはずだ。
 それなのに、なぜか気体に戻る時は風が微塵も吹かなかった。

 正直、かなりの突風を覚悟していたのだが。

 そこは納得がいかないが、風が吹かないならそれはそれで便利だし、ファンタジーだからと言うことにしておこう。

 考えてみれば、この窒素の“錬金”だけで十分凶器になりえる。
 敵の頭上で巨大な塊を作ってやれば、それだけで殺せるかもしれない。


「うー……ん」
“錬金”の実験も終わって、俺は伸びをした。

 時間は午後3時といったところだ。
 天気も良く、外で鳥がチュンチュンと鳴いているのが聞こえる。

 え?モンモランシーはどうしたって? 現在お昼寝中です。

「……さてと!」

 そう言って俺は勢いよく立ち上がった。
 とりあえず“錬金”についてすぐに知りたい事は分かった。
 あとは、この一週間頑張ってきた目標の『趣味』の時間だ。


 ――――――――――
 ―――――――
 ――――


 軽く鼻歌を歌いながら屋敷を出て、俺は裏庭に向かった。
 このあたりは土に栄養が足りてないのか、草木が生えておらず更地になっている部分がある。
 そこを囲むように雑草や木が生えていて、半径10メートル程の円形のステージのようにも見える。

 その、天然のステージの目の前まで来て、俺は杖を握りしめた。

 これから紡ぐ詠唱に集中するため、このステージを自分の望む物に変えるため、目を瞑り押し黙る。
 そして口から流れ出るのは、この一週間練習してきた『水』に属する魔法のルーン。
 詠唱の完了とともに、俺は魔法名を叫びながら杖を振った。


「“氷結”!」


 瞬間、厚さ2センチ程の氷が円形の更地を埋め尽くした。成功だ。
 この魔法を使うため、というのが、俺が一週間『土』に見向きもせず『水』の鍛錬をしてきた一番の理由だ。

 だがまだ終わりじゃない。
 氷が日光で溶けてしまわないように、俺は急いで“固定化”の呪文を唱えた。


“固定化”は、術者のイメージによってある程度の条件を付ける事が出来る。
 例えば食材にかけた“固定化”が、その食材が料理されたり、人の口に入ったりしたら自動的に解除されるようにする。などだ。


 そして今回は氷に対して、『温度では溶けないが、圧力では溶ける』ように“固定化”の条件づけをする。

 もうお解りだろう。
 簡易式だが俺はスケート場を作ろうとしていたのである。

 前世での俺の趣味はスケートだった。
 転生してからは半分諦めていたのだが、杖の契約後この方法が思いついて、『水』の練習に没頭していた。

 正直、ドットの習得まで一週間もかかるとは思っていなかった。
 やはりメイジのランクを上げるのは一筋縄ではいかないらしい。

 ……モンモランシーとの遊びを優先させていたから、全力で時間が取れなかったと言うのもあるかもしれないが。

 最後に靴の裏に“錬金”で刃を取り付ければ準備完了!

 実に5年ぶりのスケートだ。
 はやる気持ちを抑えつけて、ゆっくりと足を氷の上に乗せ、感覚を思い出しながら氷の上を滑り出す。

 足を交互に前に出す度に、周りの景色がゆっくりと流れていき、懐かしさがこみ上げてきた。


 思えば、俺はスケートの帰りにトラックに撥ねられたんだった。
 全く親孝行せずに死んでしまったが、前世の両親は元気だろうか。
 俺の友達だった奴等も、今はどうしてるんだろうか。

 今まで何度も考えてきた事が俺の頭に浮かび、消えていく。
 しばらく氷の上を滑りながら物思いにふけって、気持ちが沈んでいる自分に気付き、俺は自分を叱咤した。

 せっかく気持ちを盛り上げるために、久方ぶりにスケートを楽しもうとしているんだ。
 なのに逆に落ち込んでどうする?

 自分の顔を両手で軽くたたいて、俺は気持ちを切り替えた。
 悔んだって始まらない。
 それに、今の俺は“グラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシ”だ。
 過ぎた世界を振り返ってる暇があったら、この世界でのこれからの事を考えよう。


「あ! いたー、おにぃさまー!」

 そこまで考えていると、聞きなれた声が耳に届いてきた。
 見ると、やはりモンモランシーだ。俺の方に走ってきている。

「氷?」

 モンモランシーが足元の氷に気付き、それからその上を滑る俺を見て、ぱぁっと笑顔になった。
『面白い物を見つけた』という時の顔だ。
 絶対次『私もやりたい!』って言い出すだろうな。

「おにぃさま!わたしもやりたい!」
「っはは」

 予想通り過ぎる言葉に笑ってしまう。
 当のモンモランシーは、俺の笑った意味が解らずに可愛らしく首を傾げている。

「いいよ。でも少し練習が必要だから、僕が教えてあげる」
「やったぁ!」

 すぐに笑顔に戻るモンモランシーに、俺も自然に笑顔がこぼれる。

 モンモランシーの靴に“錬金”で同じように刃を取り付けてやった。

 足取りがおぼつかないモンモランシーの手を引いて、適当に滑っている間に日が暮れて行った。

 暗くなってきたので、刃を外して、一応氷も元通りにして、屋敷に帰ることにした。
 もっともここは裏庭なので建物をグルリと回るだけなのだが。
 その帰りの途中、俺と手を繋いできたモンモランシーは俺に、

「わたし、“治癒”の魔法が使えるようになったの。おにぃさまのケガは全部わたしが治してあげるね!」
 と満面の笑みで言ってきた。

 俺は、自分も“治癒”が使える事を話そうか迷った挙句、曖昧な笑みで返事をする事しかできなかった。

 後日、モンモランシーが俺も“治癒”を使える事を知って泣きじゃくり、それを宥めるのに苦労したのはまた別の話。



 夕食の席で、父様から国王が病気にかかっていて、病状はかなり深刻らしいとの話を聞いた。

 このまま現国王が亡くなると、鳥の骨ことマザリーニ枢機卿が宰相として頑張って行くのだろう。
 この調子だと原作通りに世界は廻って行くんだろうか。
 まだ分からないな。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 とある国の、何の変哲もない村。今日その村ではしとしとと静かに雨が降り注いでいた。
 いつもの日常の、時たま来る雨。村人たちは何の疑問も思わず一日を過ごして行く。

 ただ、村から離れた所から見れば、その村の周囲は少し異様に映る事だろう。
 なにせ、村の上空にだけ留まるように暗雲が立ち込めているのだから。

 雨が降り出してから2時間程経ち、その間雨の勢いは絶えず一定に降り注いだ。

 その村のとある家屋の裏側、誰の目にも付かない所にできた水溜りから、突然水が沸き上がり、人のような姿をかたどった。

「この村にもいないか」

 その水は震えながら声を発した。雨の音に紛れて、その声を聞く者は誰もいない。

「どこに居る。“移ろいし者”よ」

 人の姿をした水は、再び水溜りの中に溶け込んだ。
 それと同時に、その村だけに降り注いでいた雨が唐突に止み、 やがて曇り空も晴れていった。





2010.06.12 初回投稿

2010.06.14 誤字修正

2010.06.27 文体修正



[19353] 第5話 領土視察
Name: スタロド◆d524341c ID:2a11c8c3
Date: 2010/06/27 17:59
 国王の病が深刻だという噂が流れ始めてから間もなくして、国王が崩御した。

 葬儀は国全体をもって壮大に行われた。
 もっとも、俺はまだ子供と言う事で、そこへ直接赴く事はなかったが、屋敷の中で黙祷を捧げさせられた。

 これでこの国の王族はマリアンヌ太后と、アンリエッタ王女殿下のみ。
 太后の方は即位を拒否して喪に服し、王女はまだ6,7歳でとても政治ができる歳じゃない。
 そこでマザリーニ枢機卿が宰相として、政治を切り盛りしていくと言う、原作通りの展開になった。
 今はまだ“鳥の骨”とは揶揄されていないが、いずれそう呼ばれるほどに過労で痩せ細って行くのだろう。
 俺は心の中でマザリーニ枢機卿にも黙祷を捧げた。


 しかし、当然ながら王が死んだからと言って政治活動が停止するのは許されない。
 父様もいつもと変わらずにモンモランシ領を統治していたのだが、ここでいつもとは少し変わった事を父様は言い出した。

「グラムとモンモランシーも杖との契約に成功した。もう二人とも領を見て回ってもいい歳だと思う。そこで二人を明日の領の視察に連れて行く事にする」

 そう言われたのが昨日の朝。
 そして今は、モンモランシ領で一番大きな街であるフラン街に行く為に馬車に揺られながら、森の中の道を進んでいる。
 俺の隣にはモンモランシーが座っていて、窓から馬車の周りで馬を駆る護衛達を眺めている。
 子供も来るので万一の事があってはならないと、いつもより多くの護衛をつけ、その数十数人。
 皆モンモランシ私設軍の者らしい。
 正面には父様が座っている。

 フラン街は屋敷から一番近い街でもあり、馬車を使えば10分程度で着く事ができる。
 逆に言えば、そんな近い街にも5歳になるまで行かなかったという訳だ。
 前世の記憶で言えば、どんな引き籠りだよと言いたくなってくる。

 俺も何度か屋敷の外に出てみたいと思っていたのだが、家の人は皆「屋敷の外は危ないから」と俺やモンモランシーに何度も口酸っぱく言ってきていた。
 モンモランシ領は人の手が入ってない所は基本森なのだが、その中の一部には凶暴な獣が住んでいる事もあるらしい。
 中にはガリアから流れてきた浮浪者が、そのまま賊になって潜む事もあるのだとか。

 そんな訳で街には出れなかったが、貴族の付き合いで他の家に訪問する機会は何度かあった。
 グラモン家やらラ・ロッタ家やら、他に知らない家にも親と一緒に行かされた。
 当然その際にギーシュやケティに会ったのだが、やはりまだ唯の幼い子供だった。


 そんな事を考えているうちに馬車が止まった。どうやら到着したらしい。
 窓から様子を窺ってみると、街の門番と家の護衛が何やら話しており、それが終わると門が開き、その横で門番が姿勢を正して馬車を迎えた。

 門を通ると、街に入ってすぐの所にある、馬車を止めるための空地らしき所に来て馬車が止まった。
 護衛の一人が馬車の扉を開け、父様に続く形で俺とモンモランシーは馬車から降りた。

「うー……ん」
 とりあえず体をほぐす為に伸びをする。

「うーん!」
 モンモランシーも俺の真似をして両腕を天に突き上げる。

 この街はラグドリアン湖に面しており、今俺達がいる所は街を挟んでその反対側だ。
 それでも広大な湖はここからでも確認できる。

 この空地には俺達以外は誰も居ない。
 街からは賑やかな声や物音が聞こえてくるが、そこから俺達を出迎えに来る人はいなかった。
 父様曰く、父様の視察はいつも抜き打ちらしいので、誰も俺達には気付いていないのだろう。
 ここは街の通りからは死角になっているし。

 馬車に護衛を数人残し、俺達は街に向かって歩き出した。


 護衛を引き連れたモンモランシ伯爵が現れると、周囲の人たちは低頭した。
 街の通りは狭く、人がごった返していたのだが、父様が通ろうとすれば人混みは見事に割れていく。
 街の景観はと言うと、レンガ造りの建物や露店が多く、売っている物も食べ物から装飾品まで様々だ。

「あ!あれ美味しそう!あのガラス細工も綺麗だよおにぃさま!」

 モンモランシーが俺の手を引いてあちこち見渡している。
 子供は元気一杯である。
 初めてみる物にキラキラ目を輝かせて本当に楽しそうだ。

「モンモランシー、そんなに走り回るとコケるよ?」

 もっとも俺達の周りはガッチリと護衛がガードしてるから、逆に言えばコケる以上の惨事が起きる事はないだろうけど。
 モンモランシーの動きに合わせて、護衛もあっちへオロオロこっちへオロオロしているので中々シュールな光景だ。


 ……護衛ども、俺達を護るのはいいが兜の下の顔が緩んでるぞ……
 ……確かにモンモランシーの可愛さは天下一品だろうが立場をわきまえろ……

「護衛さん達、笑顔が怖いですよ?」

 黒いオーラを背に纏いながら満面の笑みでそう言ってやると、護衛達は顔を引き締めるどころか青くなって姿勢を正した。
 おそらく今、彼らの心は(お前の笑顔の方が怖ぇよ!)と一つになっている事だろう。

 父様の方を窺ってみると、露店の店主と何か話している。
 俺達の事は護衛にまかせっきりのようだ。

 父様、大丈夫なのこの護衛達?
 なんかちょっとアブナイ趣味ありそうな上に子供の笑顔にビビッちゃってるよ?

「ほら、おにぃさま!あっち行ってみよ!」
「え?あ、ちょっと!」

 モンモランシーが俺の手を引いて人混みの中に突っ込み出した。
 あんまりここから離れるのはマズイと思いながらも、思いの外モンモランシーの力は強く、俺はそれに引きずられるように走るしかなかった。

 子供のうちは、男女の間に力の差はほぼ皆無なのである。
 それに暇さえあれば遊びまわっているモンモランシーに対し、俺は部屋で図鑑や歴史書などを読んでのインドア派。
 ここでモンモランシーに力負けするのは仕方がない。

 そう、仕方がないのだ。と自分の中で必死に言い訳を作っている自分に対し情けなく思いながらも、俺は成す術もなく手を引かれるしかなかった。

 5歳の体は小さく、通行人の足の間を縫うようにスイスイと走って行く。
 違う店を覗く度に、楽しそうにはしゃいでいるモンモランシーを見て、俺は前世での子供の頃に行った祭りを思い出し、少し懐かしさが込み上げてきた。

 ……女の子と一緒に祭りに行く事なんて一度もなかったが。


 あっちの露店を見て、こっちの露店を見てとしている内に、俺達は人が少なめの通りに出た。
 通行人は少なくて動きやすいが、その分露店の数も少ない。
 その代わりと言っては何だが、店の向こう側には畑が広がっていた。

「おにぃさま!あっちの地面がたくさん盛り上がってるよ!モグラの通ったあとかな?」
「いや、あれはそんなんじゃなくて畑だよ」
「畑?へぇー!あれがそうなんだ!」

 ……そういえば畑も見た事がなかったのか。屋敷に引き籠ってた弊害だな。

 そう言えば護衛はどうしたんだろう。
 後ろを見てみると……それらしき人影は全く無い……

 まぁ、彼らは大人だから、俺達が通行人の足の間をスイスイ走るのに対し、人混みを掻き分けていかなければならない。
 俺達の動きについて来れる訳ないか。
 体の大きさの差があるとは言え、ダメだなあいつら。

 その時、ふと視線を感じた。
 誰だと思い周囲を見回してみると……その場にいたほぼ全員の人が俺達を見ていた。

 そりゃ貴族の格好した子供二人が、護衛も付けずにこんな所をうろついてたら目立つか。

 モンモランシーはそんな事も意に介さず、何が楽しいのか畑の方を眺めている。
 その視線を追ってみると、畑で作業をする一人の平民の男性にそれは注がれていた。

「おにぃさま、あの人何をしてるの?」
「うーん、僕にも分からないな」

 実際農業についてはからっきしだった。
 しかし、ここでふと思い立ち、俺は続けて口を開いた。

「モンモランシー、僕達が屋敷で不自由なく暮らしていけるのは、ああやって平民の人達が一生懸命働いてくれているお陰なんだ」
「あの人たちのおかげ?」
「そうだよ。僕達じゃ畑で作物は作れないし、今着ている服を作る事もできないでしょ?そんな僕達の生活を平民の人達は支えてくれてるんだ。じゃあ、僕達はそのお礼に、何をしなくちゃいけないと思う?」
「うーん、えっと、お金をはらったり、とかかな?」
「うん、それもしなくちゃいけない事の一つだよ。他にも、彼らが仕事をしやすいように手助けしたり、時には外敵から守ってあげたりしないといけない。その為に僕達貴族には魔法があるんだ。確かに僕達は身分が高いし、魔法っていう平民達よりも強い力が備わっているけど、僕達を支えてくれている人達を絶対に虐げちゃいけないよ。僕達は平民を傷つけるためじゃなく、守るためにいるんだから」

「わかった?」と言って、俺はモンモランシーの顔を覗き込んだ。
 さすがに少し難しかったのか、モンモランシーは「うーん」と唸ってしばらく考えてから、

「うん!わかった!」
 元気良く頷いた。

「よし、えらいぞ、モンモランシー」
「えへへー」

 俺が笑って頭を撫でてやると、モンモランシーは嬉しそうにはにかんだ。

 平民によって貴族が在る。
 原作を見た限り、この考え方はこの国の貴族のほとんどが忘れてしまっている。
 だが、それが貴族の本来あるべき姿であるだろうし、モンモランシーにも将来こういう考えを持って欲しかった。

 そうして妹への教育が上手くいって満足していると、

「貴様!貴族の服を汚してただで済むとは思っていないだろうな!?」

 そんな声が聞こえてきた。
 声のした方を見てみると、一人の中年貴族とその護衛数人が平民の母子を取り囲んでいた。

「お願いします!どうかこの子だけは勘弁してください!私ならどんな罰でも受けますから!」

 母と思しき人はそう言って女の子を庇い、蹲っている。
 そのそばには桶が転がっていて、その周りの地面が濡れていた。
 おおかた女の子がよろめいて、あの貴族に水をかけてしまったとか、そんな所だろう。

 通行人はその様子を見て見ぬふりをしている。
 無理もない。平民が何か言った所で彼らも同じ目に遭うのがオチだ。

「ならん!そこの小娘が私にぶつかり、あまつさえ水までかけてきたのだ!この場で処刑にする」
「この子だけは見逃してください!お願いします!」
「ええい、うっとおしい!」

 そう言うと貴族は母親を蹴り上げた。
 母親が悲鳴をあげて倒れる。

「何をしてるんですか!?」

 見ていられず、俺は大声を出しながらその貴族の方に走って行った。
 モンモランシーも後ろについてくる。
 その貴族の前まで来た俺達に周囲の視線が集中した。

 俺達の方を向いた貴族は、俺達が子供だと分かると明らかに見下したような顔になり、しかし貴族相手だからか体面だけは礼儀正しく対応し始めた。

「いや、お二人方、この小娘が私の高尚な服を汚してくれましてね、少し罰を与えようと思っていたのですよ」

 両手を広げ、さも当然のようにそいつは言ってのけた。
 悪びれた様子は微塵も感じられない。
 まるで自分が正しい事をしているとでも思っているかのようだ。

 この国がここまで腐っているとは思っていなかった。
 ここの貴族は平民を家畜か何かかと勘違いしているのか?
 目の前の貴族がその底辺であるよう願わずにはいられない。

「服なんて少し洗って乾かせば元に戻るでしょう。その程度の事で人一人の命を奪うのですか?」
「そうですとも。平民一人の命が私の服よりも重いと言うのかね?」

 本当に屑だなこいつ。
 俺が思っていたよりもずっとトリステインの現状は深刻らしい。
 他にもこんな奴が居るのかと思うと憂鬱になってくる。
 ゲルマニアとかならもっとマシなんだろうか。
 だとしたら正直そっちに移り住みたい。

 落胆のあまり言葉が出ない俺を見て、何を勘違いしたのかその馬鹿貴族は自慢気に言葉を続けた。

「それはそうと、お二人はどちらの方ですかな?私は旧くからモンモランシ家にお仕えするド・ケルディンと言う者ですが」

 その言葉だけは聞きたくなかった。
 こんな奴が家に仕えているとはモンモランシ家の恥だ。
 家の名誉とかは、まだあまり実感が沸かないが、そんな物よりはこんな奴を家臣に加えている方が重大だろ。

「どうしました?名乗る事も出来ないような家柄なのですかな?」

 俺の沈黙を、俺の身分が低いと言う事だと思ったのか、その馬鹿貴族は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
 と言うか子供相手に権力振りかざしてる時点で論外じゃないのか?

 まぁいいか、お望みとあらば名乗っておこう。

「申し遅れました。私はグラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシ。モンモランシ家の二男です。以後お見知りおきを」
「なに!?」

 俺の名前を聞いて、そいつが護衛含めて動揺しだした。

「あぁ、こちらは妹のモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシです」

 ついでに後ろに居たモンモランシーを紹介してやった。
 馬鹿貴族の顔がみるみる内に青くなっていく。
 一家臣とその主の子息では力の差は歴然だ。
 それがわからない程目の前の貴族の頭は悪くなかったらしい。

「た、たしかに濃い金髪に翠眼と、薄い金髪に碧眼……!」

 しばらくそいつは俺達を見て呆然としていたが、はっと我に返ると姿勢を正した。

「は、伯爵様の御子息様であらせられましたか。大変失礼をいたしました。行くぞ、お前達!」

 馬鹿貴族は俺達に一礼すると、護衛を引き連れて足早に歩き出した。
 その後ろ姿が段々と小さくなっていく。

 根本的な解決にはなっていない気がするが、今の俺がああいう奴に何を言っても無駄だろう。
 本当なら奴をモンモランシから追放したいところだが、生憎奴は領内の平民を一度蹴っただけだ。
 残念ながらそれだけの理由では、父様に忠言したとしても何もできないだろう。
 ハルケギニアの身分差意識はそれだけ根強い。

 そこまで考えると、母親がうぅっと呻き声をあげた。

「大丈夫ですか?」

 俺はその母親に近づいてしゃがみ込み、安否を確認した。

「はい、大丈夫です。ありがとうございました」

 大丈夫と口では言っているが、蹴られた脇腹を押えて苦悶の表情を浮かべている。
 相当強く蹴られたのだろう。

 俺は懐から杖を取り出すと呪文を詠唱し、“治癒”の魔法を発動させて怪我を治しにかかった。

「き、貴族様!おやめください!私には治療代を払えるようなお金など持っておりません!」

 母親の眼が怖いほどに見開かれる。周りで様子を窺っていた人達も同じような顔をしている。

「代金なんていりません。僕が治したいから治してるだけです」
「ですが……」

 俺が無償でいいと言っても、この女性は恐れ多い様子だ。

「なら、僕がただ魔法の練習をしているだけ、と言う事にすれば問題はありませんね?」

 そう言うとその女性は折れてくれた。
 だが、俺の『水』の実力は最近ようやくドットに届いた程度。
 中々怪我は治って行かない。

 そこで俺は、後ろで何をしていいか分からず立っているだけのモンモランシーに声をかけた。

「モンモランシー、手伝って」
「え?でも、平民さんとなかよくしちゃダメって、おとうさまが……」

 モンモランシーがそんな事を言って渋っているが、逆に俺にとっては、モンモランシーの平民への差別意識を薄くさせるチャンスだ。

 俺は安心させるようにできるだけ優しく微笑んで、

「大丈夫だよ。ほら、一緒にこの人を治そう?魔法の練習だと思ってさ」
「いっしょに……うん、わかった!」

“一緒に”の部分が効いたのか、モンモランシーも俺の隣に座って“治癒”を唱え始めた。
 さすが純粋な『水』メイジなだけあって、俺よりも強力な“治癒”は、どんどん女性の怪我を治して行った。

「よし、これでもう大丈夫ですね。君の方は怪我はない?」

 俺は母親の怪我が治ったのを確認すると、今度は傍で心配そうに見守っていた女の子にそう言った。
 いきなり声をかけられた女の子は、ビクッと体を強張らせただけで、何も言わなかった。
 あんな体験をした後すぐに貴族に声をかけられたのだから無理もない。

 見た所ひざを少し擦り剥いただけのようなので、モンモランシーと協力して素早く治療してやった。

「本当に、ありがとうございました。何とお礼も言っていいのかもわかりません」

 母親が何度も頭を下げてお礼を言ってくる。
 俺はそれに笑顔で答えた。

「気にしないでください。こちらとしては当然のことをしただけですから」

 当然の事、と言ってのけた俺にその人は目を見開いた。
 しかしすぐに笑顔になると、今度はモンモランシーの方を向いて頭を下げた。

「そちらのお嬢様も、ありがとうございました」
「え、あ、その……」

 モンモランシーは、顔を赤らめてもじもじしている。
 褒められたり、可愛がられたりはするものの、お礼を言われた経験は殆どないので戸惑っているのだろう。

「ほら、モンモランシー、何か言ってあげなよ?」
「えと、どういたしまして……」

 俺が促すと、モンモランシーはそう言った後、恥ずかしかったのか俺の後ろに隠れた。
 それを見た女性は顔を綻ばせて、再度「ありがとうございました」と礼を言うと、女の子を連れて去って行った。

「誰かを助けるってのも、悪くないでしょ?」

 俺は歩いていく母子の後ろ姿を見ながら、俺の背中から顔をのぞかせてその二人を見送っているモンモランシーに訪ねた。
 するとモンモランシーは「うん」と頷いた。


「わーい!お母さん、こっちこっちー!」

 すると、今しがた母子が去って行った方から、俺達と同じくらい小さな女の子がこっちに向かって走ってきた。
 その後ろには“お母さん”と呼ばれた女性が困ったような笑顔を浮かべて付いて来ている。

 親子共に燃えるような綺麗な赤髪を揺らしており、日光に反射してキラキラと光る髪は、まるで火の粉が舞っているような幻覚を見せた。
 瞳も同じように済んだ赤色をしている。
 母親は20代前半位だろうか、とても綺麗な女性だ。

「早くしないと先にいっちゃうよー!」

 女の子が走りながら後方の母親に向かってそう言う。

 後ろ向きながら走ったら転ぶぞ?

 ズシャアアァー

 転んだ。

「う、ひっく、うえええええええええぇぇぇ」

 泣き出した。

“走る+転ぶ=泣く”と言うのはもはや子供専用の方程式だなー、と思いながら、俺はモンモランシーを連れてその子に近づいて行った。

 母親がその女の子を宥めているが、一向に泣き止む気配がない。
 色んなところを擦り剥いている。

 俺は杖を取り出して、その女の子に“治癒”をかけ始めた。
 モンモランシーもそれを見て、すかさず杖を取り出し魔法を詠唱する。

 女性がさっきの母親と全く同じ反応をして、俺も同じ言葉を返した。
 女の子の方はいきなりの事に驚いたのか、既に泣き止んで俺達二人をぼーっと見つめている。

 やがて女の子の傷は完全にふさがり、女の子は「すごーい!」と俺達を見て瞳を輝かせた。

「ありがとう!」

 その子はそれだけ言うと、元気良く走り出して行った。また転ばないか心配だ。
 母親も俺達に礼を言うと、その子を追いかけて行った。

 そろそろ父様達の所に戻った方がいいかなーと思っていると、いきなりモンモランシーが俺の手を引いて歩き出した。

「ほら、おにぃさま、他にも怪我した人がいないか探しに行きましょ!」

 満面の笑みでモンモランシーはそう言った。
 どうやらお礼を言われたのが相当嬉しかったらしい。

 その後引っ張られるままに街を回り、精神力が尽きるまで治療活動をして廻った。


 その後父様に見つかり、勝手に離れた事をこっぴどく叱られたのは言うまでもない。


 その日以降モンモランシーが治療活動を気に入り、頻繁に俺を引き連れフラン街に行って“治癒”をして回るようになった。

 そして俺達が街の住人から“癒しの双子”と呼ばれるようになり、住民達から結構な人気を誇るようになるのは、もう少し先の話。



2010.06.13 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第6話 早過ぎた顕現
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/27 17:59
 フラン街で治療活動をしたり、魔法の修行をしたり、貴族の作法を教わったり、モンモランシーの遊び相手を務めたり等々している内に月日は過ぎて行き、俺が6歳になってから早8ヶ月経っていた。

 そして6歳の子供である俺は、現在馬車の中で頭を悩ませていた。
 この馬車は王都トリスタニアに向かっていて、馬車の中には俺とモンモランシーと、父様に母様がいる。
 馬車は4人乗りのせいで兄様がハブられ、現在兄様は乗馬の練習という事で馬に乗って併走中。
 窓から見える顔は明らかに不服な様子だ。

 俺達がトリスタニアに行く理由は、領地開拓に関する王宮との打ち合わせのためだ。
 父様が打ち合わせをしている数日間、俺達子供と母様は王都の別荘に滞在してトリスタニア観光。
 初日は両親と一緒に王宮にも連れて行ってくれるらしい。

 そう、領地開拓。それが俺を悩ませている原因だ。

 原作通りに行けば、この開拓の際に水精霊に協力を求めて、父様が精霊を怒らせて開拓に失敗し、大量の金を失った上に精霊との交渉役から外される、という未来が待っている。

 そうなれば貧乏借金生活に真っ逆さまである。
 何としてでも回避したい。

 要は水精霊を怒らせなければいいのだが、父様が精霊を怒らせるかどうかなんて完全に不確定事項だ。
 今まで父様には「水精霊は怒らせるな」と何度も言ってきたが、本当に解っているのか見た限りでは判断がつきにくい。
 むしろ解ってないような気がする。

 それで、確実に精霊を怒らせないようにするにはどうすればいいか必死に考えている訳だ。

「グラム、どうしたの?乗り物酔いでもしたのかしら?」

 斜め前に座る母様が心配そうに尋ねてくる。

「いえ、なんでもありません」
「そう、ならいいのだけれど、具合が悪くなったら言いなさいね」

 俺が笑って言うと、母様は安心したようだ。
 ちょっと考え過ぎかなと思い、気分転換に窓から景色を眺めてみる。

 遠くまで草原が広がり、そのまた向こうには山が連なっており、その麓には豆粒程に小さい街が見えた。
 その街が日ごろよく通っているフラン街を思い出させ、同時にその街の住人達の事も思い出した。

 治療活動をすると誰もが喜んで俺達にお礼を言ってくれて、モンモランシーも随分と街の平民たちに馴染んだようだ。
 最近街にはますます活気が出てきたように感じられ、ある人には俺達が皆の傷を治して回ってくれているお陰だと言われた。

 俺達みたいな子供に治せる傷なんてたかが知れているし、まだ精神力も少ないので治せる人もそんなに多い訳ではない。
 だからそんな事は関係ないだろうとその人に言ってみたのだが、貴族が平民のために何かしているだけでも、平民の心の持ち様は大きく変わるのだそうだ。
 そのお陰で、最近景気まで良くなってきていると言われた。


 嬉しい事ではあるのだが、治療活動の最中に裏通りなどで生活する極端に貧しい人々も何度も見かけてきた。
 その度に何かできないかと思案を巡らせたのだが、いい案は未だに浮かんでこない。
 父様に報告してみると、何とかしてみるとは言っていたが、今は領地開拓にばかり目を向けている。

 そして、本来ならそんな人達に手を差しのべるべき貴族が、それこそ無駄に着飾って、彼らに汚い物を見るような視線を向けるのも何度も目にしてきた。
 彼らの持っている装飾品一つで、どれだけの人が救えるのだろう。

 平民達を無償で治療する俺とモンモランシーを、軽蔑するように見てくる奴までいる始末だ。
 話を聞く限り、貴族のこのような振る舞いはモンモランシ領だけで行われている訳ではないらしい。
 この国の貴族は見栄と欲にまみれた馬鹿ばかりのようだ。

 仇敵国のゲルマニアは、実力主義なだけあって、ここまで差別意識は強くないんだろう。
 国力差が開いて行くのも当然のことだ。


(あー、いっその事ゲルマニアに亡命したい)

 つい口から出そうになったその言葉を俺は飲み込んだ。
 もっとも、家族を置いて亡命しようなんて本気で考えてはいないが。


「おかあさま、お尻がいたいです……」

 俺の正面に座るモンモランシーの声で、俺は思考の渦から引き戻された。
 ガタゴトと揺れる馬車に耐えかねたようでお尻をさすっている。

「あらあら。それじゃあ、私の膝にいらっしゃい」

 母様が微笑んで、モンモランシーに膝の上に来るように促した。
 それを見たモンモランシーは、「うーん」と、何か考える仕草をした。

「どうしたの?」

 母様が尋ねると、モンモランシーは考えがまとまったのか、笑顔で何故か俺の方を向いた。

「おにいさまのお膝に座りたい!」
「え?」

 俺が驚いて声をあげている内に、モンモランシーはあっという間に俺の前まで来て、俺の膝にその小さなお尻を乗せ出した。

「ちょ、ちょっと、モンモランシー?」
「ん?なぁにおにいさま?」

 俺が戸惑っていると、モンモランシーは満面の笑みで俺の方を振り向いた。

 そんなに嬉しそうな顔をされると、このままでもいいか、などと思えてくるが、正直結構きつい。
 兄とは言え同い年なのだ。モンモランシーを乗せられるほど俺の体は大きくない。
 膝が押しつぶされ、更に馬車が上下に揺れるので中々の苦痛だ。

「モンモランシー、さすがに無理だよ。僕の体モンモランシーと同じ位だし」
「もしかして、痛い?おにいさま」
「うん、ちょっとね。だから母様に乗せてもらって」

 実際はかなり痛いけど。

 俺がそう言うと、モンモランシーは「はーい」と言いつつも、残念そうな顔をしながら母様の所まで行って膝に腰かけた。
 母様が複雑な表情をしている。


 ……そういえばモンモランシーが座ってた所が空いたから、初めからそうすれば5人で乗れたんだよな。

 ……まぁ、いっか。実際兄様乗馬あまり上手くないし、良い練習になるでしょ。

「おかあさま、王宮ってどんな所でしょう?」
「とても綺麗なところですよ。色々な偉い貴族がそこで働いていて、マリアンヌ様やアンリエッタ王女殿下もそこに住んでおられるのですよ」

 上を向いて聞いてきたモンモランシーに、母様が答えた

「確か王女殿下の遊び相手は、公爵家三女のルイズ嬢であったな。その為ラ・ヴァリエール公爵殿も頻繁に王宮に出入りしているらしい」
「ヴァリエール公爵って……モノクルおじさん?」
「えーと……モンモランシー、あれ冗談だから。外で公爵様の事そう呼んじゃだめだよ?」

 前に俺が冗談のつもりで言った呼び名を、モンモランシーは気に入ってしまったらしい。
 幸いモンモランシーは、素直に「うん」と頷いてくれた。

 ヴァリエールには5歳の内に、もう一度遊びに行っていた。
 もうルイズとモンモランシーと俺は普通に友達となっていた。

 ルイズとモンモランシーは結構喧嘩をするが、喧嘩をするほど仲がいいと言うやつだろう。
 俺は徹底してその仲介役だった。

 その時はカトレアさんは体調が悪かったらしく、俺達の前に姿を見せなかったが、こう言った交流をこれからも続けていると、いつかは俺の事について聞き出されることになるかも知れない。

 まぁ、カトレアさんなら無闇に人に言いふらす事はないだろうし、話していいのかもしれないが。

 王宮にはルイズもいるんだろうか。だとしたらまた俺は二人の仲介をするんだろうなー、などと、俺は外を眺めながらぼんやりと考えていた。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――


 次の日の昼ごろ、馬車は問題無くトリスタニアの王宮に着いた。

 入口のとんでもなく大きな城門や、それを潜った後に通った壮大な中庭を見て、母様の膝の上のモンモランシーは「すごーい!」とはしゃぎ、正面に座る兄様は口を開けて唖然としていた。

 全貴族の少年の憧れである魔法衛士隊が演習をしているのも見えて、兄様はそれを見つけると食い入るように見つめ出した。

 ちなみに、昨日の内に兄様の体力に限界が来て、俺が思った通りにモンモランシーが母様に抱っこされ、そこに兄様が乗り込んでの5人乗りになった。

 初めからそうしろ、と兄様はさっきまで不機嫌だったが、王宮の荘厳さを見てそれも吹っ飛んだようだ。



 王宮の中に入ると、そこも外に負けず劣らずの豪華さだった。

 父様も心なしかいつもより威厳のある顔つきをしている。

「モンモランシ伯爵様、お待ちしておりました。会議は二時間後からの予定になっております」
「わかった。会議室まで案内を頼めるかな?」
「かしこましました」

 王宮の貴族の一人が俺達の所に来て、父様を連れて行った。

 これから俺達は王宮内を見学する予定だ。
 ちょっとした旅行気分で、今日は家族でゆっくりとするのもいいかもしれ―――

「わぁー、すごーい!あ、こっちも!」

 ……モンモランシーが歓喜の声をあげながら元気良く走って行く。

「グラム、モンモランシーを見ていてあげてね」

 まぁ、こうなるのは半分わかっていた事だ。
 俺は母様に短く返事を返すと、モンモランシーを追いかけた。


 ――――――――――
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 ――――


「ここどこ?おにいさま」
「いや、僕に聞かれても……」

 あの後モンモランシーに追い付いて、好奇心に任せて走り回るモンモランシーに付き合っていたのだが、いつの間にかここがどこだかサッパリ分からなくなってしまった。

 とは言っても、そこら辺にいる人に道を聞けば大丈夫だからそんなに問題ではないけど。

「ま、何とかなるんじゃない?」
「そだね。あっ、あっちに行ってみよ!おにいさま」

 そう言うや否や、真っ白な床の上を元気良く走って行く。

 そしてモンモランシーが曲がり角に差し掛かった時、向こう側からも同じくらいの女の子が飛び出してきた。

『きゃあ!』

 二人とも同じような声を出してよろめいた。どうやらぶつかりはしなかったらしい。

「あ、危なかった」
 モンモランシーにぶつかりかけた女の子は、そう言ってほっと一息ついた。
 真っ白なドレスに身を包んでいて、肩で切り揃えた艶のある栗色の髪を揺らしている。っていうかあの子はもしかして……

「姫様!お怪我はありませんか?!」

 続いて曲がり角からもう一人女の子が出てきた。
 ピンクがかったブロンドヘアーに鳶色の瞳。いわずもがなルイズだ。
“姫様”ってことはやっぱりあの子はアンリエッタ王女殿下か……ぶつからなくて本当に良かった。

「あの、ごめんなさい」

 モンモランシーが謝っている間に、俺もモンモランシーに追い付いた。

「いえ、お気になさらず。急に飛び出した私も悪かったのですし」

 どうやらお咎めなしらしい。
 まだ子供だから何言われるか分からなくてヒヤヒヤしていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

「あっ!あなた達はモンモランシの!」
「うん、久しぶり、ルイズ。王女殿下、お初にお目にかかります。私はモンモランシ家次男のグラム・ルシッド・ラ・フェール・ド・モンモランシです。ほら、モンモランシーも」

 俺は殿下に一礼すると、モンモランシーも名乗るように促した。

「もも、も、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシです」

 軽く上ずった声でそう言って、ガチガチに緊張した感じで礼をした。
 お姫様と言えば女の子の憧れだ。
 それはこの世界でも変わらないようで、やっぱりそれを前にすると緊張するんだろう。
 俺は前世で原作を読んでいたから、何となく親近感が沸いてそうでもなかったが。

「王女殿下なんて堅い呼び方はやめてください。私はアンリエッタ・ド・トリステインです。今日はどうして王宮に?」

 純真可憐を思わせる笑顔と共に、殿下――いや、姫様、でいいのか――は聞いてきた。

「父様が領地開拓の打ち合わせに来ていて、私達はその機会に王宮を見学していたんです」
「そうなんですか。それにしても、男の子も自分の事を“私”と言うのですか?お母様からは“僕”か“俺”だと聞いていたのですが」
「はい、普段は“僕”と言っていますけど、殿…姫様の前なのでそれはどうかと思いまして」
「まぁ、そんな事気にする必要はありませんよ。それに話し方もまるでここの大人達みたい」

 そう言って姫様は口に手を当ててクスクスと笑った。
 やっぱり俺みたいな子供がこんな言葉使いをするのは可笑しいのだろうか。

 それにしても、こう面と向かって話すと、随分とおしとやかな印象を受ける。
 確か原作では、幼少の頃は結構なお転婆娘だったと書いてあった筈なんだが。

「そうだ!私達と一緒に遊びませんか?」

 姫様が名案だと言わんばかりの楽しそうな顔で、俺にそう言ってきた。

「かまいませんが、僕達がお相手を務めさせて頂いてもよろしいのですか?」
「大丈夫です!それに私、もっとたくさんお友達を作りたいの」

 そう言って、姫様は笑顔のまま俺の手を握ってきた。
 完全にノリ気だ。どちらにしても一貴族が姫様のお願いを断れる訳がない。

「わかりました。モンモランシーとルイズもそれで―――」
 俺がそう言いながら二人の方を向くと

「なによー」
「なによー」

 デジャヴですね分かります。

 いつかと全く同じように一触即発状態になっている二人の仲裁をし、二人に一緒に遊ぶように言うとどちらも頷いて了承した。

「それで、何をして遊ぶのですか、姫様?」
「そうですね、おままごとなんてどうでしょう?」

 姫様が人差し指を頬に当てて、考えるような仕草をしながらそう提案してきた。
 ままごととは、実に女の子らしい提案だ。
 普通なら男である自分は嫌がるべきなのかも知れないが、もうモンモランシーと嫌と言う程ままごとはしているので慣れてしまっている。
 喜ぶべきか悲しむべきか。

 モンモランシーとルイズも不満はないご様子。

「分かりました。では、何のままごとをしましょうか?」

 俺がそう問いかけると、姫様は更に考えた後、閃いた様子で胸の前で手を合わせた。

「結婚ごっこなんてどうでしょう!」
『結婚ごっこ!?』

 ルイズとモンモランシーの声が重なる。

「はい、前々からやってみたいと思っていたんです。ですが男の子の遊び相手がおりませんでしたから」

 当然ながら俺が婿役と言う事になるんですね。

「私がお嫁さん役をやります!」
「あ、ずるい!私がおにいさまの相手をやる!」

 ルイズとモンモランシーが俺の腕にしがみついてきた。
 お互い譲る気はなく睨みあっている。

「モテモテですねグラムさん」

 姫様がそうやって茶化してきた。
 いや、別にそんなんじゃないから。
 ルイズは多分、女の子によくあるお嫁さんへの憧れだろうし。
 モンモランシーは、ただ何となく兄を取られたくないだけだろう。

 そう言えば姫様はお嫁役はやりたくないのだろうか。

「姫様はお嫁役はやりたくないんですか?」
「私は神父役をします」

 中々変わった趣味をお持ちのようで。

「あ、そうだ、道具を持って来ますので、その間にお嫁さん役を決めておいてくださいね」

 そう言うと姫様はどこかへ走って行ってしまった。
 この二人を丸投げされると非常に困るんですけど。

 なんにせよ、未だ睨みあっている二人を説得しないと始まらない。

「取りあえず二人とも落ち着いて、どっちも譲る気はないの?」
『ないです!』

 見事にハモった。やはり喧嘩するほど仲が良いんだろうなこの二人は。

 どちらにせよ、片方を引き下がらせないといけない。
 今回は扱いに慣れているモンモランシーに引き下がって貰った方が良さそうだ。

「モンモランシー、いつも僕と一緒にいるんだし、今日は我慢してくれないかな?」
「でも私おにいさまと結婚したい!」
「いや、これままごとだから。本当に結婚するわけじゃないよ。どうしてもって言うなら、また今度二人でままごとすればいいでしょ?」

 そう言ってモンモランシーの頭を撫でてやった。
 モンモランシーを宥める時は、この方法が一番だったりする。

 モンモランシーはしばらく「うー」と唸りながら葛藤していたが、やがて上目遣いで俺を見て、

「……今度一緒に“すけーと”してくれる?」
「うん、約束するよ」
「じゃあ、我慢する」
「よし、いい子だ」

 俺が笑顔でもう一度頭を撫でてやると、泣きそうだった顔が段々と和らいでいった。

「あっ、そうだ!魔法の練習も今度一緒にしよ!」
「はいはい」

 完全に笑顔に戻ったモンモランシーにそう言われ、俺は思わず苦笑した。
 モンモランシーは俺の返事に満足すると、今度はルイズの方に顔を向けた。

「そういえば、ルイズももう杖と契約したの?系統は何だった?」
「え?う、うん、杖と契約はしたんだけど、まだ魔法がうまく使えなくて、全部爆発しちゃうの」

 自分の望む役に決まって満足そうだったルイズは、モンモランシーの純粋な質問に顔を曇らせて答えた。

「そうなんだ。大丈夫、きっとすぐに使えるようになるよ!私は水系統で、おにいさまは土系統だったんだ。ルイズはどんな系統かな?」

 ルイズとモンモランシーが、ルイズの系統が何か予想し始めた。
 唯一答えを知っている俺は、口を滑らさないようなるべく会話に参加しないようにした。

 そうしている内に、姫様が戻ってきた。
 手には古ぼけた本と二つの指輪を持っている。
 姫様は俺達の前まで来ると、その手に持っている物を俺達に見せつけた。

「みなさん、道具を持って来ました!『始祖の祈祷書』と、『水』のルビーと、水精霊の指輪です!」

 何おままごと如きに国宝持ち出しちゃってんのこのお姫様!?

「な、え、ちょ、」
「グラムさんどうしました?大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないでしょう!?というかよくそんな物持ち出せましたね!?」
「えぇ、この時間は丁度衛兵の交代の時間なんです。その隙を突く位もう慣れっこですよ」

 とんだお転婆お姫様だ。
 というかこれ見つかったらシャレにならないだろ。
『始祖の祈祷書』と『水』のルビーはもちろん、水精霊の指輪も王宮のかなり高級な指輪だって聞いてるし。

「いいんですか、そんな物勝手に持ってきてしまって?やはり早急に返しに行った方が……」
「丁寧に扱えば問題ありませんよ。さぁ、はじめましょう」

 俺の意見を軽く受け流して始めようとする姫様。どうやら返す気は毛頭無いらしい。
 もうこうなったら、国宝を傷つけないように気を付けながらやるしかない。

 そこまで来て、俺はある一つの問題を思い出した。

「そういえば、結婚式ってどうやるのか具体的には知らないんですが、姫様は分かりますか?」
「えーっと、何種類かやり方はありますけど……そうですね、今回は誓約の証である指輪を、初めから嵌めている状態からやりましょう。あとは私に合わせてくだされば多分大丈夫です。お嫁さん役はどちらに決まりましたか?」

 姫様のその質問に、ルイズが「私です」と嬉しそうに答えた。

「そうですか。じゃあモンモランシーさんには、この『始祖の祈祷書』で詔を詠んでもらいましょう。さぁ、二人とも私の前に並んで下さい」

 そう言って姫様はルイズに『水』のルビーを、俺に水精霊の指輪を渡し、モンモランシーには『始祖の祈祷書』を手渡した。

「結婚式で詔を詠むのは王族だけなんですが、姫様」
「あら、そうなのですか。まぁ、おままごとですし、この際それも取り入れちゃいましょう」
「み、詔って何を言えばいいの?おにいさま」
「ままごとなんだし、適当でいいと思うよ」

 困った顔で俺に聞いてくるモンモランシー。
 普通、国宝を持たされている事に困るべきなんじゃないだろうか。

 そう思いつつ、俺は慎重に水精霊の指輪を自分の指に嵌めた。
 隣を見ると、ルイズも『水』のルビーを嵌めている。

 いきなりの事で忘れていたが、『水』のルビーと『始祖の祈祷書』……ここにはルイズの『虚無』覚醒条件が揃っている。

 もし今のルイズが、何かの拍子に『始祖の祈祷書』を開けば……

「こらー!何勝手に国宝を持ち出してるの!」
「きゃっ」

 その時、大きな女性の声が俺達の後方から聞こえてきた。
 モンモランシーはその声に驚いて『始祖の祈祷書』をとり落としてしまった。

 後ろを振り向くと、姫様と同じように栗色の髪をした綺麗な女性が、ドレスの裾を持ち上げて俺達の方に走ってきている。多分マリアンヌ太后だろう。
 その後ろにはモノクルをかけた男性―――ヴァリエール公爵だ―――と、衛兵や宮廷の貴族と思しき人が数人付いて来ている。

 早くも姫様が国宝を持ち出した事がバレたらしい。
 あの様子だと、他にも結構な人数が姫様を探し回っているんじゃないだろうか。

 これは絶対怒られるなと思いつつ、再び前を見ると、姫様は既に走り出していた。

「ルイズ、逃げるわよ!」

 振り返ってそう言う姫様は楽しそうな笑顔だった。困ったものである。

「あ、待って下さい姫様!―――キャッ」

 ルイズは律儀にも床に落ちている『始祖の祈祷書』を拾い上げて走り出そうとした。
 俺がそれに気付いて「あっ」と声を出したが、それしか反応が出来なかった。

 そして、ルイズは焦っていたのか、2,3歩走り出した所で躓いて転んでしまう。


 その時、

「え?」

 ルイズの持っていた『始祖の祈祷書』が開いてしまった。

 開かれた『始祖の祈祷書』のページは光り輝き、辺りにルイズの素っ頓狂な声だけが響き渡った。



2010.06.15 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第7話 白き光は禍々しく (前編)
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/27 17:59
 ルイズの手に持つ『始祖の祈祷書』が光り輝いた時、その場にいた誰もが驚愕した。
 無理もない、六千年の歴史を誇る国宝がいきなり光り出したのだ。
 その場はほぼパニックになったと言っていい。

 ただ一人、金髪翠眼の少年だけは額に手を当てため息をついていたが、それを気に留める者など、その場に居合わせてはいなかった。

 騒ぎを聞きつけ、また宮廷の他の貴族が現場までやってきて、輝く『始祖の祈祷書』に驚く。

 そんな中、ルイズが「祈祷書に文字が書いてある」と主張した時、辺りは戦慄した。
 王宮に務める貴族ならば、『始祖の祈祷書』が白紙である事はほとんどの人間が知っていた。
 しかし、他の人間が祈祷書を覗き込んでも、誰もその文字を確認する事は出来なかった。
 かく言うルイズも、その文字は古代語だったので読む事が出来なかった。
 そこで、ルイズに祈祷書に書かれた文字を羊皮紙に書き写してもらい、それをヴァリエール公爵が読むという形になった。

 数刻後、ルイズによって書かれた羊皮紙を持ち、大勢集まった宮廷貴族の前で公爵は重々しく口を開いた。

「序文。

 これより我が知りし真理をこの書に記す。この世のすべての物質は、小さな粒より為る。
 四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。
 その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。

 神は我にさらなる力を与えられた。
 四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。
 神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。
 我が系統はさらなる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。
 四にあらざれば零。零すなわちこれ『虚無』。
 我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名付けん。」

 そこまで読んだ公爵が、羊皮紙をめくって二枚目を読み始める。
 既にそこに居合わせた人間は皆騒然となっていた。

「これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり。
 またそのための力を担いしものなり。
 『虚無』を扱うものは心せよ。
 志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。
 『虚無』は強力なり。また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。
 詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。
 したがって我はこの書の読み手を選ぶ。
 例え資格なきものが指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。
 選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。
 されば、この書は開かれん。


       ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ」

 公爵が次に三枚目の羊皮紙を手に取る。
 既にその場にいた者は、喧騒を通り越し水を打ったようにしんと静まっていた。
 文章を読む公爵も、既に顔から血の気が失せていた。
 その理由は、見栄と欲にまみれた王宮貴族とはまた違った物だった。
 聡明な公爵は、自分の末娘がこれからどのような未来を歩むのか検討が付いてしまっていた。
 その時になって公爵は、今更ながらこのような大人数の前で文を読み上げた事を心の底から後悔していた。

「以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。
 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』

 エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ
 オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド
 ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ
 ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……」

 公爵が長々としたルーンの詠唱を唱え終わり、口を閉じた。

 少しの間、物音一つしない時間が続き、次の瞬間あちこちで怒号や叫び声にも似た声がいくつも響き渡った。

 皆口々に「始祖の再来だ!」だの「伝説の系統が復活した!」だのと騒いでいる。

 そのまましばらく収拾のつきそうにない状況が続いていたが、やがて少しずつ落ち着きを取り戻して行った。
 だが、折角静かになってきたその場を一人の言葉が再び乱した。

「待て!これはヴァリエール家の親子の自作自演ではないのか!?」

 それを聞いたその場の人間が、一様にヴァリエール公爵とルイズを見た。
 周りの視線に気押されて、ルイズは公爵の後ろに隠れる。

 たしかに、祈祷書が光るように細工を施しておけば、あとの文章はどうにでもなる。
 一度膨れ上がった疑念は、すぐに周りに伝染し出した。

「確かに、『虚無』は代々王家に受け継がれると伝えられている。公爵家にそれが出てくるのはおかしいではないか」
「ヴァリエール家が自分の地位を高くするために謀ったのではないだろうな!?」
「私達は始祖に誓って、決してそのような事はしていない!」

 公爵が必死に反論するも、それで身の潔白を証明できるはずがない。

「ならば、そこにいるルイズ嬢に、先ほどの『虚無』の呪文を試してもらえばよかろう!あの魔法を使えれば、ルイズ嬢が『虚無』の担い手であるという証明になる!」

 ある王宮貴族の言った提案に、他の貴族はその通りだと言って、公爵とルイズにそのように要求した。
 その要求に公爵は少しの間渋っていた。

 ルイズが『虚無』の担い手である事は間違いないだろう。
 しかし、この貴族達の前でその力を見せ、それが強大なものだったら―――

「どうしました? これ以上の案は他にはありますまい」

 だが、ここでそれを見せる他に身の潔白を証明する方法がない。
 このままでは公爵家を良く思わない奴らの手によって、国家反逆の汚名を着せられる可能性まである。
 どちらにせよ選択肢は一つしかなかった。



 王宮の中庭にその場にいた貴族が集まり、そこでルイズの魔法を試すことになった。ルイズが呪文の書かれた羊皮紙と杖を持って、緊張した面持ちで人だかりの前に立つ。
 一人、金髪翠眼の少年だけが「王宮が大破してしまう!」と言って必死に中庭での実験を止めようとしていたが、ただの6歳児に耳を傾ける宮廷貴族は一人もいなかった。

 ルイズは幼いながらも何となく話は理解できていた。曰く、自分が『虚無』の担い手であるかも知れなくて、今からそれを試す為に、こうして皆の前に立っている。

 両親からは、『虚無』と言うのはお伽話や伝説の中の物でしかないと教えられてきた。もし本当に自分が『虚無』の担い手だったとしたら、それはとても凄い事で、嬉しい事じゃないだろうか。お父様やお母様も、私を褒めてくれるんじゃないだろうか。私の周りの人達も、私を祝ってくれるんじゃないだろうか。
 それなのに……

(どうして目の前のこの人達は、こんなに怖い顔をしているんだろう?)

「ルイズ、始めなさい」

 傍らに立つ公爵の声に、ルイズは思考の渦から引き戻された。
 それから自分の杖と、ルイズでも読めるように呪文を書き直された羊皮紙を、確認するように握りなおす。

 ルイズは意を決して、精神を集中しながら呪文を詠唱し始めた。

「エオルー・スーヌ・フィル――っ!?」

 呪文のほんの始めの方を唱えた瞬間、ルイズは自分の中で膨大な魔力がうねりをあげるのを感じた。
 初めて感じた巨大な存在にルイズは驚き、詠唱を中断して杖を明後日の方向に振り上げてしまった。

 次の瞬間、

ドゴオオオオォォォォォン!!

 とてつもない爆発が王宮の上空で起き、猛烈な爆風が中庭の人間を悉くなぎ倒した。


 爆風が止んですぐ、貴族たちは周りの人間の安否を確認した。
 幸い軽傷者が少し出た程度で済んだらしい。

 それによる安堵の後、貴族達の心に浮かんだのはルイズの放った魔法に対する恐怖と畏怖だった。

「ちゃんと呪文を詠唱しきってないのに爆発が起きたぞ!?」
「『虚無』は全て詠唱しなくても発動するのか?」
「み、未完成の呪文であれほどの威力があるのか……」
「確か、あの魔法は初歩の初歩の初歩だと言っていたな……」
「なんだと? じゃあもっと上級の『虚無』は一体どんなものなのだ……」

 皆が口々にその魔法への感想を、半ば呆然としながら言っていた。
 これでヴァリエールの潔白が示された事になったが、公爵の内心は全く穏やかではなかった。


 公爵は今回の事件に対し緘口令を唱え、その日はそれでお開きになった。

 しかし、王宮で起きたこの大事件が世間に出回らない訳がない。ましてや王宮であれだけの爆発を起こした上、宮廷貴族のほぼ全員が目の当たりにしていたのだ。完全に秘密が守られることなど億に一つもない。

 ラ・ヴァリエール家三女のルイズが『虚無』に目覚めたと言う噂は、瞬く間にトリステイン中に広まった。
 もっとも、中央の事情に詳しくない限り、その情報を鵜呑みにする者は少なかったが。

 ヴァリエール家や王家としても、その噂が広がっただけならばまだ良かった。両家ともそれを願ったのだが、現実はそうはいかなかった。

 事件から数週間後、『虚無』の担い手を抱えるヴァリエール家が真の王家である、と主張する団体が現れたのだ。
 それに対し、今までの伝統を重んじて現王家を引き続き国のトップとすべきだ、という団体も現れた。

 以後数カ月の間、トリステインはヴァリエール派と王党派に分かれて絶えず議論が続く事になる。

 ただ、その議論は結局のところ不毛な争いに過ぎなかった。
 王家とヴァリエール家は、初めから両者共に意見が一致していたからだ。

 議論の間、王家は自らの存続を主張し、ヴァリエール家は王家になる意志はないと表明し、更に『虚無』の存在を否定し始めた。
 だが、そんな状況にあっても、ヴァリエール派は中々鎮静しなかった。ヴァリエール家が『虚無』を否定しても、その頃には世間では既に事実になってしまっていたし、なによりヴァリエール派に参加している人間は“ヴァリエール家が王家になれば自分が得をする”という者ばかりだった。

 表向きは宗教的な理由でヴァリエールを王座に据えようとはしていたが、結局は自分達の利益が目的に他ならなかった。
 なので、いくら相手側から宗教的な反論を提示されても、本来金目当ての彼らがそれで折れる訳がなかった。
 もっとも、王党派の人間も“王家が堕落したら自分が損をする”という連中の集まりだったが。

 それに本来ならば『虚無』の担い手を擁するヴァリエール家が圧倒的有利なはずだった。ヴァリエール家が王族になる事を希望すれば現王家は文句を言えない程には。
 だからヴァリエール派は尚更諦めがつかなかった。
 だが、両家が現状維持を希望している以上打つ手はなく、ヴァリエール派の運動は次第に収まっていった。


――――――――――
―――――――
――――


「なに? 開拓事業につぎ込む予定だった資金を公共事業に当てろということか?」

 ヴァリエール派の鎮静から時は2カ月戻り、モンモランシ伯爵は自分の執務室で、自分の息子から言われた事を聞き返した。
 今回の騒動で王家は領地開拓どころではなくなり、モンモランシ家の事業計画は実行に移す前に白紙に戻ってしまっていた。
 王家が落ち着くまでこの財産は取っておこうと思っていた矢先、息子のグラムからそのような進言を受けたのだ。

「はい、領内の全ての町村で、貧困層の雇用を目的として町村の掃除の事業を設立すると言うのはどうでしょうか? 治療活動をしている時、大通りの隅っこにまでゴミが転がっているのがよく目に着いていたんです。あの調子だと裏通りはかなり汚いと思いますし、それが原因で病気にかかっている人もたくさんいると思います」
「だが、またいずれ領地開拓をする機会はやってくる。その時のためにあの資金は取っておきたいのだが」
「また始められるようになるまであとどれくらいかかるか分かりませんよ? それならいっその事領内の発展に使うべきかと」

 確かにグラムの言う事も一理あった。だが、モンモランシ家は伯爵の中でも上位に当たり、その分領地も広い。
 ただの清掃事業とはいえ、その領内の全ての町村でやるとなるとそれなりの額になりそうだった。

「しかし、清掃如きにそれだけの金を出すなど……」
 それだけに、伯爵は資金を出すのを渋った。
 実は伯爵も今までにグラムと同じ事を考えた事はあったが、結局コスト面の問題で後回しにしていた。

「それだけの価値があるんですよ、父様。街の汚物が原因で病人が増える事は父様もご存知でしょう? それにどの町村にも、雇用がなくて仕事に就けなく、明日食べる物にも困っている人々がいる事もご存知の筈です。ならやる事は一つじゃないですか。街が綺麗になって、病人が減って、貧困層の救済にもなれば、間違いなく領内の経済は発展します。そうすれば巡り巡って家の利益になるんですよ?」
 まぁ、元がとれるまで何年か掛かるとは思いますが、という言葉をグラムは飲み込んだ。
 今言った事もグラムの本音だったが、また父様が開拓事業を始めようと思わない内にその資金を崩しておきたい、というのもグラムのもう一つの本音だった。
 せっかく家の没落の可能性から免れたのだ。できるだけ領地開拓から遠ざかりたい。

 一方グラムの話を聞いた伯爵は感心していた。グラムはまだ6歳なのだ。それなのにもうここまで頭が回っている。
 前々から変わった子だとは思っていた。フレイやモンモランシーとは明らかに質が違っていた。
 フラン街で平民を無償で治療し始めた時はその最たるものだと思っていたが、まさかこの年で公共事業がどうのと意見を言えるようになるとは。
 気分をよくした伯爵はグラムの話に乗ってみるのも悪くはないかと考えた。

「わかった。なんとか手配してみよう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」

 聞いた瞬間に、グラムは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 場違いな場面で出たグラムの歳相応の(伯爵からはそのように見える)笑顔に、伯爵は思わず苦笑した。
 この時伯爵は、妙に大人っぽいグラムに、父親らしい事をした試しがあまりない事に思い至った。
 こうして一対一で話す機会もあまりない。これを機に何かしてやるかと伯爵は考えた。

「ところでグラム、何か欲しい物はあるか?」
 多少唐突だが、伯爵は話を切り出した。

「欲しい物ですか? はい、最近できました」
「ほう、何かね?」

 迷わず答えたグラムに伯爵が問いかけると、グラムは再び口を開いた。

「杖剣です」
「杖剣だと?」

 伯爵は予想外の答えに思わず聞き返した。

「普通の杖でなく杖剣なのか? まさか剣術でもするつもりか?」
「いえ、先日王宮へ行った時に魔法衛士隊が演習を行っているのを見まして、それで腰に下げていた杖剣が格好いいなと思い、僕も欲しいと思ったんです」

 伯爵の問いかけに、グラムは無邪気に笑って答えた。
 あぁ、魔法衛士隊の真似事がしたいのかと伯爵は納得した。魔法衛士隊は全ての貴族男子の憧れだ。それで杖剣が欲しいと思ってもなんら不思議ではない。
 むしろ伯爵は珍しく歳相応の欲望を示した息子を見れて嬉しく思った。
 そんな息子の希望に伯爵が答えない訳がなかった。

「分かった。手配しよう。やはり杖剣はレイピア型の物がいいか?」
「あー、えっと、そうですね、剣の形は……」

 一通り杖剣の形について要望を言い終えると、グラムは「ありがとうございました」と礼をして執務室を後にした。



「ふぅ、これで街のあの人達も、どうにかなりそうだな」

 閉めたドアを背にして歩きながら、グラムはそう呟いた。

「資金もある程度崩したし、当分家は安泰か」

 一瞬グラムの顔に安堵による笑顔が浮かんだが、すぐにそれは曇った。

(でも、問題は他にたくさんある。なにより歴史が変わってしまった)

 ルイズが原作より十年も早く『虚無』に目覚めてしまった事が、グラムを大いに悩ませていた。
 これからのハルケギニアの未来が予想不可能になってしまった。あくまである程度原作に沿って進んでくれればいいのだが、場合によっては原作知識が完全に役に立たなくなるかもしれない。

(というか俺が存在したから結婚ごっこをすることになって、結果ルイズが覚醒しちゃったんだよな)

 ままごと一つで世界が大きく変わるとは、人生塞翁が馬とはよく言った物だ。グラムはそう思ったが、同時に自分は本来この世界には存在していなかったのだと再認識した。

 だが、それで立ち止まっている訳にはいかない。世界が原作通りに進んでいくのなら手出しはしないつもりだったが、このままだとトリステインが、ひいてはハルケギニアが滅びる可能性もある。
 というかこの国は結構な確率で滅びるんじゃないだろうか。原作でも奇跡みたいな偶然がいくつも重なって生き永らえてきたようなもんだったし、今はヴァリエール派と王党派で貴族の間に亀裂が走ってるし。

 なんにせよ、自分ができるだけ介入して世界が滅びる方向に行かないようにしようとグラムは考えていた。
 一個人が出来ることなどたかが知れているとは思うが、やらないよりはマシだ。
 その為にも力を付けなければならない。だからグラムは伯爵に杖剣を頼んだのだった。

 グラムは、魔法と剣術を組み合わせた戦術を覚えようと考えていた。
 単に魔法だけだと詠唱中の隙ができたり、杖が無ければ無力化する要素も含めた結果だ。
 魔法衛士隊やロマリアの聖堂騎士も杖剣を携え、剣術の心得を持っているので、グラムはこの考えは概ね正しいと思っていた。

 しかし、単に親に剣が欲しいと言ったり、剣術を覚えたいと言ってしまっては、剣を卑下するトリステイン貴族の例に漏れない父様はまず首を縦に振ってくれないだろう。
 なので魔法衛士隊に憧れている様に装って杖剣を頼んだのだが、

(結構簡単にOKしてくれたな)

 まぁ、目指す戦術は魔法衛士隊に似通ってはいるし、目標にしているという点では嘘はついてないので大丈夫だろう。

 しかし、魔法はともかく、剣術はどう習得していけばいいだろうか。
 剣術の教師を雇うにしても、こればっかりはグラムは伯爵を説得する自信がなかった。

「やっぱ指南書を買って独学しかないかな」

 フラン街ならそう言った本が売っているかもしれない。
 もし無ければトリスタニアから取り寄せようと思い、グラムはそう呟いた。


2010.06.17 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第8話 白き光は禍々しく (中編)
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/27 18:00
 王宮での『虚無』事件から4ヶ月後、国内の騒動はほぼ完全に鎮静していた。
 ヴァリエール派が消滅した訳ではなかったが、貴族達も落ち着き、事件以前の機能をすっかり回復していた。

 そんな時期のモンモランシ伯爵の執務室に、またグラムは訪れていた。

「そろそろ杖剣を頼んでから3ヶ月経ちますけど、もうすぐできそうですか?」

 グラムは伯爵から、杖剣ができるまでは大体3カ月かかると聞かされていた。
 なので3カ月たった今、伯爵に完成具合を聞きに来ていた。

「あぁ、あと2週間ほどで家に届くらしい」
「そうですか」

 伯爵の答えにグラムは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 つい先日グラムは7歳になっていた。少し遅いが誕生日プレゼントと言うことになる。

 伯爵の起こした清掃事業は、企画してから始動するまで約2カ月はかかったものの、ここ一カ月で街の貧困層の待遇がある程度改善されていた。
 フラン街に治療活動に出てみると、前はこの世の全てに絶望したかのような顔をして汚い裏路地にたむろしていた人達が、今は道のあちこちでゴミを拾ったり、掃除をしたりしながら、どこか充実した笑顔で自分達に挨拶をしてくれる。
 街もかなり綺麗になってきていて、一部の住民から『街が綺麗になってからなんだか体が軽くなった』などという報告も受けている。

 実の所、グラムとしては前世で読んだ小説にありがちな政策を提案しただけだったのだが、ここまで効果があるというのは予想外だった。

 事業を始めてすぐの頃は、街中でゴミ拾いをする貧困層の人達を見下す平民達もいたのだが、グラムが率先して彼らを労わっているとそのような事もすぐになくなった。
 他の町村でも貧困層の人達が同じような目に遭っているかも知れないので、グラムは近い内に他の町村へも治療活動に出てみようと考えている。
 ここ二年程で、グラムとモンモランシーの名前は領内に知れ渡り、平民達からの信頼の程は貴族の子女にしては異常に高かった。
 “癒しの双子”と言う名前がフラン街の外にも広がって行き、わざわざフラン街まで見に来る人もいるくらいだ。

 更にどこから漏れたのか、清掃事業を提案したのがグラムであるという噂が最近知広まってしまい、グラムと、ついでにモンモランシーの人気が天井を突き破る勢いとなっていた。

「杖剣はお前でも使えるように小振りにしてあるが、その代わり杖剣技師で名のある職人に頼んだからな。最高級の物が出来上がると期待しておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」

 グラムとしてはそこまで高級な剣を作ってくれなくても良かったのだが、これも貴族であり父親である伯爵の見栄だろうと受け入れていた。
 また、領地開拓の経費を崩せるというのもあっての事だったが。

 その時、執務室のドアがノックもなしにバタンっと勢い良く開き、執事のトクナガが焦った様子で走りこんできた。

「旦那様! 大変でございます!」
「どうした急に」

 親子水入らずの対談に割り込まれた伯爵は、少し憮然とした様子で顔から汗を垂れ流すトクナガにそう言ったが、次のトクナガの言葉にグラムも含めその顔が驚愕に歪んだ。

「ヴァリエール公爵様がトリステイン国王として名乗りを上げられました!」
「なんだと!?」
 伯爵が普段出さない程大きな声が執務室に響き渡った。

「で、ではヴァリエール家が王家になろうとしているという事か!?」
「いえ、公爵様はあくまで“公爵家当主”として王位に就くつもりの様です。ヴァリエール家は、依然王家に忠誠を誓った一貴族家の体制をとるとの事で……」
「ど、どうしてそんな突然……」

 グラムも呆けたように口を開けたままやっとそれだけ呟いた。
 今ヴァリエール公爵がそのような事をしたら、ようやく鎮静してきたヴァリエール派の運動が再燃する事は自分にさえ容易に想像がついた。

 これが、ルイズが『虚無』に目覚める以前の事なら話は別だった。王家と所縁(ゆかり)のある公爵が王位に着く事は何ら問題にはならない。むしろ太后と王女が王位に就かないのならばそれが自然の流れだ。
 しかしヴァリエール公爵も、あくまで一貴族として即位を拒否していたのだ。なぜ今なのだと思うのは無理もないだろう。

「しかも、2週間後の虚無の曜日に、ヴァリエール公爵邸で即位記念パーティーを開催されるとか!」
「はぁ?!」

 トクナガの言葉にグラムはあんぐりと口を開けた。
 こんな状況でパーティーなど開けば『暗殺してくれ』と言っているような物じゃないか!
 いや、公爵の味方だと確信できる人のみ招待するのかも知れない。
 確認の為にグラムは聞いてみることにした。

「そのパーティーには、その、身内や味方だけを呼んでのパーティーですよね?」
「い、いえ、先程ここにも招待状が届いたのですが、王党派の人物もヴァリエール派と同じ位招待するのだとか」

 ……狂気の沙汰ほど面白いってのはア○ギだけにしとけよモノクルおじさん、とグラムは誰にも聞こえないように呟いた。
 一方伯爵は話の途中から口を限界まで開けたまま石像の様に固まっていた。



 その日の夕食、事の次第を聞かされた伯爵夫人とフレイも眼を見開いて驚愕した。
 モンモランシーはまだ事の重大さが分からないらしく、「モノクルおじさんが王様になるの、お兄様?」などとグラムに呑気に聞いていた。

「とにかく、今回は前に招待された時とは訳が違う。出ていって恥ずかしくないようにせねばなるまい。私達は“虚無事件”の当事者でもあるからな。公爵殿もそれについて私と話がしたいらしい」
「あらあら、なんだか大変なことになりましたね」

 夫人がさっきの驚き顔はどこへやら、といった感じでのんびりとそう言った。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



「やれやれ、いつ見てもこの家は規格外だな」

 二週間後の虚無の曜日。
 2年ぶりに目にした城塞を目の前にして、グラムはため息をついてかぶりを振った。

 日光に照らされたヴァリエール城は、まるで新築の家のように光り輝いていた。おそらく念入りに“固定化”がかけられているのだろう。
 メイジでもない限り手入れが出来そうもないような所までもが曇り一つなく、周囲にその荘厳とした雰囲気を惜しみ無くばら撒いている様子は、王宮もかくやと思わせる。

 これ程の家の当主ならば、やはりこの国の王になっても何ら問題はないような気がしてくる。

 それを感じた時、あぁそう言う事か、と公爵が反ヴァリエール派までも招待した事にグラムは納得した。
 百聞は一見に如かず。公爵の即位に文句を付ける輩に、今一度公爵家の権威を見せつけるつもりなのだろう。
 即位記念パーティーとはよく言った物だ。家の格式を示す為には恰好の材料じゃないか。

 今回は混雑が予想されたので竜籠を使わず、普通に馬車でヴァリエールに来ていた。
 公爵邸に続く橋の上で馬車に揺られながら、グラムはふとこの家に居るであろうルイズに思いを馳せた。
 彼女は今どのような心境なのだろうか。いきなり自分が伝説の系統に目覚めて、その所為か定かではないが父親が国王に即位する事になった。

 周りから祝福され、幸福であるならまだ良いが、現実はそんなに甘くはないだろう。

 王宮でその力の片鱗を見せてしまったルイズは、多くの貴族からその力を狙われるかもしれない。ヴァリエール派を良く思わない連中からその命までも狙われるかもしれない。しかも、それはトリステイン国内に限った事ではないだろう。
 数千年の時を経て復活した『虚無』の系統。その噂は既にハルケギニア中に広まってしまっている。
 世界中からその力や命を狙われる生活が待っているかもしれない。

 ……自分の存在で狂ってしまった世界の中で、ルイズは原作よりも過酷な人生を送る事になってしまうのではないだろうか。
 ただ、それだけが気掛かりだった。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 ヴァリエール邸の大ホールで行われたパーティーには、数年に一度あるかないかの顔ぶれが集まっていた。

 マリアンヌ太后にアンリエッタ姫、アルビオン王ジェームズ一世、ガリア王にロマリア教皇と、始祖に連なる王家の代表がハルケギニア中からこの公爵家に足を運んでいた。
 通常公爵が王位に即位したとしても、それからたった二週間後のパーティーにこれ程の面々が全員揃って出席できる事は少ない。
 しかし今回は話は別だ。数千年振りに復活した『虚無』の担い手を一目見ようとハルケギニア中のトップが足を運んで来ていた。

 王族以外の貴族の顔ぶれも凄まじい物だった。
 子爵以下は、公爵家の身内や王宮の重役でもない限り出席が許されていないという事実も、その事をよく物語っていた。

 そんな雲の上で開催されている様なパーティーの中、グラムは子供用に設けられた小さめの椅子に座って、居心地が悪そうにテーブルの上から取った料理を食べていた。
 その隣ではモンモランシーが顔を綻ばせながら、美味しそうにハムハムとクックベリーパイを頬張っている。
 モンモランシーはまだ純粋に子供なので、無邪気に料理を口に放り込む事が出来るのだが、なまじ精神が育っているグラムは目の前に広がる豪華絢爛な光景に肩身の狭さを感じていた。

 このパーティーに呼ばれている子供は少ない。
 グラムとモンモランシーにしても、“ルイズとある程度まともな面識のある数少ない友人”と言う事で招待されていた。
 しかし、言ってみればそれだけの理由だ。自分達は一介の貴族子女でしかないとグラムは思っていて、自分がこの場に居るのが少々場違いなんじゃないかと感じていた。
 そうやってちまちまと料理を口に運んでいると、モンモランシーが笑顔でグラムの顔を覗き込んできた。頬にパイ生地が付いている。

「お兄様、このクックベリーパイ美味しいよ? ほら、こっちのアップルパイも! こんなに美味しいパイ食べられる事なんてそうないんだから、もっと食べましょ」

 そう言ってモンモランシーは自分の皿に乗っていたクックベリーパイをグラムに差し出した。

 少し窮屈そうな顔をしていた自分への、彼女なりの配慮なのだと分かり、グラムは思わず苦笑してしまった。
 今の自分はこのモンモランシーと同じ子供なんだ。
 余計な事は考えずに楽しめばいい。

 まぁ、その前にその口元に付いているパイ生地をどうにかしてやるか、と思ったグラムは、ようやく兄が笑顔になって嬉しそうにしているモンモランシーの顔に手を伸ばした。

「口にパイ生地付いてるよ」

 グラムはそう言ってモンモランシーの口元からパイ生地を取って見せると、パクリと自分の口に放り込んだ。
 モンモランシーは突然の事に少しの間ぽけっ、としていたが、どうした訳かみるみる内にその頬が朱色に染まって行く。

「どうしたの?」
「な、なんでもない」

 グラムが問いかけてみるが、モンモランシーはそう言ってそっぽを向くだけ。
 それを見たグラムは一つだけ心当たりが思い浮かんで、それを口に出した。

「あぁ、関節キスってやつか」

 グラムがそう言った途端、モンモランシーの顔が耳まで真っ赤になった。

「それで赤くなっていた訳か。このおませさんめ」

 ニヤニヤしつつそう言ってからかうと、モンモランシーは「うーっ」と唸って俯いてしまった。
 そんな可愛い姿を見て、グラムはやっと普通の笑顔を浮かべた。だが生憎モンモランシーはグラムの顔を見られる状態ではない。

 モンモランシーのお陰でリラックスできたグラムは、もう一度パーティー会場を見渡した。
 今回の主役である公爵とルイズは、次から次へと押し寄せてくる貴族の波に笑顔で対応している。
 双方ともにガッチリと護衛で固められており、暗殺などができる隙など見られない。
 他国からやってきた教皇や国王達も、この機に他国の王に取り入ろうとする貴族に群がられていた。

 グラムはアルビオン王とガリア王とは話がしたかった。
 アルビオン王にはレコン・キスタに関して、ガリア王には彼の二人の息子に関して忠告をしておきたかったのだが、あの様子では子供にかまっている暇はないだろう。
 第一、どう言えば信じてもらえるのか見当がつかない。どこの馬の骨とも分からぬ子供が、『数年後あなたの国が滅びる』だの『あなたの息子が狂王になる』だのと言われて信じる訳がない。
 下手すれば無礼打ちだろう。

「グラムさん、モンモランシーさん、お久しぶりです」

 そこへ唐突に声を掛けられて振り向くと、そこには百合の様に白いドレスを身に纏うアンリエッタがいた。
 8歳にして立派にドレスを着こなしている様子は、さすが王族と言ったところだろう。
 その姿を見てモンモランシーは思わず感嘆のため息をついた。

「お久しぶりです、姫様。4ヶ月ぶりと言った所ですね」
「お、お、お久しぶりでしゅっ!」

 落ち着いて返事を返したグラムを見て、慌てて自分も返事をしようとしたモンモランシーは見事に噛み、またしても恥ずかしそうに真っ赤になって俯いた。
 それを見たアンリエッタは口に手を当てて少しだけ笑うと、手を離してまた口を開いた。

「今日は良い日ですわ。お友達に3人も会えたんですもの」

 アンリエッタはそう言うと向かいの椅子に腰かけた。

「もう僕達もお友達ですか、光栄ですね」
「当たり前です。途中で邪魔が入ってしまいましたが、私達は一緒に遊んだのですから」
「有難うございます。ルイズにはもうお会いしましたか?」
「えぇ、私が話しかけると笑顔を見せてくれました。ですが、少し疲れているようでした」

 そう言ったあと、アンリエッタの表情が少し暗くなった。

「私、ルイズのあんな作り笑顔は初めて見ました。私に見せてくれた笑顔は本物でしたが、貴族に向けていた物は自分を偽っているように感じました。ルイズが今まであんな顔をする事なんて無かったのに……」

 この4ヶ月で、ルイズは社交に必要な色々な物を仕込まれたのだろう。
 グラムとアンリエッタは、深く考えずともそう検討がついた。
 物憂げな表情で軽く俯いたまま、アンリエッタは言葉を続ける。

「たとえ王家とヴァリエール家で国が割れようとも、ルイズは私の大事なお友達です。でも、さっき会った時、どう接していいか分からなくなってしまいました。ルイズがどこか遠くへ行ってしまった気がして、その遠くの場所で苦しんでいる様な気がして……。今、ルイズの為に何をしたらいいか全く思い浮かばないんです。自分がもどかしいわ」
「……ただ、相談に乗ってあげるだけでいいと思いますよ」

 グラムの言葉に、アンリエッタは顔をあげた。

「ルイズに何かしたいのならば、まず今のルイズを知らなければなりません。だったらここで躊躇わずに思い切って話してみるのが一番だと思いますよ?」

 原作を読んでいたグラムの記憶では、ルイズは色々と一人で抱え込みやすいタイプだった。
 こちらから歩み出ない限り、彼女はあまり心の内を吐露してくれないだろう。

「ここで考えてるだけじゃ結果は残りませんが、行動を起こせばどこかに結果は残ります。それに、誰かに悩みを聞いてもらうだけで、心は随分と楽になるものですから」

 グラムの言葉を聞いたアンリエッタは、しばらく目を瞑ってじっとしていた。
 それからアンリエッタは瞳を開くと、片手を胸の前まで持ってきて握り拳を作った。

「そうですね。そうですよね! 動かなければ何も始まりません! ありがとうございますグラムさん。私どうかしてましたわ。王宮のお転婆姫と呼ばれた私がこんな事でくよくよ悩んでどうするのよ! 最悪拳で語り合ってでも話を聞かなければなりません!!」
「あのー、姫様? お姫様として拳というのはちょっと……」
「そんなのルイズとは日常茶飯事ですわ!」

 両手を腰に当てて胸を張るアンリエッタ。お転婆モード全開であった。

「私も……」
「モンモランシー?」
「私も、ルイズが困ってるなら助けてあげたい。私もルイズの友達だから」

 ようやく羞恥から立ち直ったモンモランシーの言葉に、グラムとアンリエッタは微笑んだ。
 なんだかんだ言ってルイズはモンモランシーの初めての友達なのだ。大事にしたいと思うのは当然だろう。

「それならば早速ルイズとお話をしに行きましょう! ……あら?」

 意気込んだアンリエッタはルイズを探す為にパーティー会場をキョロキョロと見回したが、やがて首を傾げて呟いた。

「ルイズはどこへ行ったのでしょう?」
「え?さっきまでは大人達と話してましたが……」

 グラムも会場を見渡すが、確かにルイズの姿がない。
 周りでは一部の貴族も「ミス・ルイズはどこに行かれた?」などと騒いでいる。

「も、もしかして誰かに攫われちゃったんじゃ……」

 モンモランシーが不安そうにそう言ったのを聞いて、グラムはヴァリエール公爵の様子を窺った。
 公爵はルイズがいなくなった今でも、別段気にすることなく他の貴族達と話をしている。
 それにルイズに付いていた護衛も丸ごと居なくなっていた。

「公爵は全然焦ってないし、護衛も付いて行っているみたいだから大丈夫だと思うけど」

 お手洗いか何かかな? とグラムは当たりを付けた。

「娘が目の届かない所に行ってしまったというのに、随分とあの方は余裕ですわね」
「多分使い魔にでもルイズを見張らせているのでしょう。まぁ居ないのなら仕方がないですね。戻ってくるまで待ちましょうか」
「そうですわね」

 取りあえず話が一段落した所で、グラムは一度伸びをした。ずっと座っていたので、体が少し凝り固まってしまっている。
 少し体を動かそうと思い、「少し夜風に当たってきます」と言ってグラムは席を立った。

 ホールを出て廊下を少し歩くと、外に繋がる扉が見えてくる。
 外には同じように涼んでいる人がちらほらいたが、人影はほとんどない。

 開け放された扉を通り過ぎた。

 次の瞬間、いきなり横から手が伸びて来て、腕を掴まれ建物の陰に引っ張り込まれてしまった。

「わっ!?」

 慌てて掴まれた手に力を込めて振りほどく。
 相手を確認しようとするが、闇に紛れてその人影が誰だかよくわからない。

 体が強張り、体中から嫌な汗が滲み出てくるのをグラムは感じた。



2010.06.19 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 第9話 白き光は禍々しく (後編)
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/27 18:00
 グラムは自分を建物の陰へ引っ張り込んだ人影から距離をとって身構えた。

 まずい、杖はパーティーでは持ち込み禁止だから屋敷に預けてしまっている。
 子供の体でどうにかなるとは思えない。

 一か八かここは逃げるのが先決だと思い、グラムは後ろを向いて走り出そうとしたが、人影からかけられた声にその動きを止めた。

「お久しぶりね、グラムちゃん。驚かせちゃってごめんなさい」

 聞き覚えのある声と呼び方にもう一度前を振り向くと、夜闇に慣れてきた目に映ったのは、ピンクがかったブロンドのロングヘアーと、同じように桃色のドレスを着こんだ美少女。

「か、カトレアさん!?」
「しーっ」

 グラムが大きめの声を出すと、カトレアはグラムの口に人差し指を当てた。
 グラムが口を閉じたのを見ると、カトレアはにっこりとほほ笑んだ。
 双月のほのかな光に照らされたその顔は絵画のように美しく、グラムは自分の顔が熱くなって行くのを感じた。

「ぱ、パーティーに参加してたんですか?」

 高鳴った鼓動をごまかすために、グラムは軽く俯いて聞いてみたが、この人にはそんな事をしてもすぐにバレるだろうと頭の中では思っていた。

「えぇ、今日は体の調子が良かったし、とっても偉い人たちがたくさん来ていたから私も顔を出した方がいいかなって。でも、あまり経たない内に体調が悪くなっちゃったから、今までここで涼んでたのよ」
「えっと、大丈夫なんですか?」
「うん。もう大分良くなったわ」

 カトレアはそう言うと、いつかの様に屈んでグラムと視線の高さを同じくしてから、顔を近づけてその翠緑色の瞳を覗き込んできた。
 いきなりお互いの吐息がかかる程に近づかれて、グラムは固まってしまう。
 ただ自分の心臓の動きがどんどん速くなっていくのを感じた。

「やっぱり、不思議な子。不思議な目をしてる。あなたの中の、魂、っていうのかしら? そんな物が他の人よりもずっと強いような気がするの」
「カトレアさん? ……」

 魂と言われても、グラムには分からなかった。自分が転生した事と関係あるのかとも思ったが口には出さない。

「あなたの事、教えてくれないかしら? もちろん、話したくないなら無理になんて言わないけどね」

 顔を離したカトレアはそう言うと、いたずらっ子の様に笑って見せた。
 それを見たグラムは少しの間逡巡した。
 この人に話してしまってもいいのだろうか。

 だが、あちらは自分に何かあると確信している様子だ。
 これからもヴァリエール家とは交流があるかも知れない。無駄なしこりは残したくなかった。

 それに、個人的な感情にしても、彼女になら話してしまってもいいと思っている自分もいる。
 グラムは諦めたように「はぁっ」と息を吐いた。この人なら無闇に言いふらす事はしないだろう。

「でも、ここじゃちょっと。誰にも聞かれたくないですから……」
「そうよね、大事なことみたいだもの。ちょっと待ってね」

 カトレアはそう言ってから、懐から杖を取り出して“サイレント”を唱えた。
 パーティーに出席していたのになぜ杖を持っているのかは敢えて問うまい。ホストの娘なのだから。

「これで大丈夫よ。誰にも聞かれないわ」

 それから「さぁ!」とでも言わんばかりに再び屈んでグラムと目線を同じくしてきた。
 『無理にとは言わない』とは言っておきながらも、結構本気で聞き出すつもりらしい。見かけによらず中々好奇心の強い女の子のようだ。
 それを見てグラムは少し苦笑してから、ぽつりと呟いた。

「カトレアさんは、“転生”って信じますか?」
「転生? 生まれ変わるって事よね?」
「はい。僕は“グラム”として生まれる前、つまり前世の記憶を持っているんです。前の僕は、このハルケギニアとは違う世界に住んでいました。そこで事故に遭って死んでしまって、気付いたらこの世界で赤ん坊になっていたんです。…なんて、信じてもらえませんよね」

 無言で自分の目を見つめているカトレアに、グラムは最後に片手を後頭部に当てて笑いそう言った。
 しかしカトレアは頭を横に振ってから、ゆっくりとほほ笑んだ。

「あなたは嘘をついてる眼なんかしてなかったわ。確かに突飛なお話だけど、私はあなたの言う事を信じるわ。ありがとう、そんな大事なことを話してくれて」
「ホント、あなたには敵いませんね。それと、この事は誰にも言わないでください。こんな事家族にも話してないんですから」
「えぇ、わかってるわ」

 またいたずらっ子のように笑ったカトレアに一抹の不安を覚えたが、一度信用してしまった以上はもうどうしようもない。

「ありがとね。でも、あなたの一番大事なことは話してくれなかったみたい」

 その言葉にグラムは固まった。
 一番大事なこと―――この世界の未来を知っている事は、さすがにカトレアが相手だとしても話すことは出来ない。

「……すいません。こればっかりはカトレアさんにも教える事はできません」
「うん。わかってるわ。それじゃ、そのお礼に私もあなたに一つ教えてあげる」

 そう言うとカトレアは立ち上がった。
 何だろうと思いつつ、グラムはカトレアの言葉を待つ。

「ルイズの居場所よ」
「ルイズの、ですか?」

 お手洗いにでも行ったのだと思っていたグラムは首を傾げた。

「そうよ。あの子は嫌な事があると、よくあの子の特別な場所に逃げ込むの。今も多分そこにいるから、その場所を教えてあげる」
「どうして僕にそんな事を?」

 そんな事を教える理由がわからない。グラムが軽く小首を傾げると、カトレアは手を伸ばして2,3回程グラムの頭を撫で、いつものように優しい笑顔で言った。

「あなた達も、ルイズを支えてくれるかも知れないって思ったから」



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 ヴァリエール邸の中庭、そこにある池に浮かぶ小舟の上で、ルイズは膝を抱えていた。
 池の真ん中にある小島の陰にちょうど隠れるように、小舟は位置どられている。
 しかし、小島の上では十人以上の護衛が周囲に目を光らせていたので、隠れると言う事については意味を成していなかった。

 ふと、護衛の一人が、誰かがやってくる気配に気付き、その方向の暗闇へ鋭い視線を向ける。
 それを見た他の護衛も身構えた。

 護衛達の視線の先から、金髪翠眼の少年が現れる。
 相手が子供だと分かり、護衛は少しだけ警戒を緩めた。

 グラムは小島へ続く木橋をわたり、小島へ足を踏み入れた。
 気配に気付き、ルイズがグラムの方へ顔を上げる。

「グラム……」
「やぁ、久しぶり、ルイズ」

 グラムは笑顔で挨拶をすると、護衛を通り過ぎてルイズに近づいて行き、小島の端の方へ向かった。

「それ以上は近づかないで頂きたい」

 後ろから掛けられた声を聞いて、しかしグラムは危険と分かりつつあと2歩前に進み出て小島の端までたどり着くと、そこで立ち止まり腰を下ろした。

 グラムの目の前、1メイル程離れた場所に、ルイズの乗る小舟は浮いている。
 グラムが座りこんだのを見た護衛達は、思わず抜いていた杖を戻した。

 少しの間、静寂が辺りを支配し、風が木々を揺らす。その後先に口を開いたのはルイズだった。

「ここね、私が魔法を使えなくて、お母さまに怒られている時にいつも逃げ込んでいた場所なの。エレオノール姉さまも、ちいねえさまも、あんなに魔法が出来るのに、どうして私は全然魔法ができないんだろうっていっつも泣いてた」
「………」

 ルイズの独白に、グラムは何も言わず、身じろぎもせず、ただじっと耳を傾ける。

「そんな私が伝説の『虚無』の使い手なんだって。信じられる?」

 そう言ってルイズは空を見上げた。グラムもつられて上を見る。
 星は見えない。

「はじめは嬉しかった。私も魔法が使えるんだって。お姉さま達みたいに立派なメイジになれるんだって。でも、家に帰ったら、古代語を読めるように勉強をさせられた。社交の場での作法を前よりも厳しく鍛え直された。ワルド様との婚約も解消することになったし、作り笑いの仕方も教えてもらったわ」

 そう言うとルイズは、それを証明するようにグラムの方を向いて作り笑いをした。
 ルイズのその顔は、確かにグラムにも疲れているように見えた。

「お父さまは隠してるけど、私に婚約の話がたくさん来ている事も知ってる。今日会った人達も私に気の良さそうな笑顔をしてきたけど、頭の中じゃ全然違うことを考えてる事にも気付いてる。……なんだか、周りの人が全員敵に見えちゃって、怖くなってまたここに来ちゃった」
「ルイズ……」

 グラムは思わずルイズに声をかけたが、何を言っていいのかも分からなかった。

『あなた達も、ルイズを支えてくれるかも知れないって思ったから』
『あなた達、と言うのは姫様やモンモランシーも含まれる、と言う事ですか?』

 先程のカトレアとのやりとりを、自分達がルイズを支えられるかも知れないと言ったカトレアの笑顔を、思い出す。

『えぇ、ルイズの友達らしい友達と言えば、あなた達しかいないから』
『……でも、間接的にとは言え、ルイズをあの状況に追いやった原因は俺です……』
『あなたが今のルイズの状況を作ったのなら、今のルイズを変える事も出来るかも知れないわ。大丈夫。そんなに難しく考えなくても、ただあの子の友達でいてくれればいいの』
『カトレアさん……』
『あの子を、あの場所から連れ戻してきてあげて?』

 そう言ったカトレアの、少し悲しげな笑顔を思い出す。
 いつの間にか眼を閉じていたグラムは、再び瞼を開けてルイズを見た。
 夜の闇に黒く染まった池の上で、小舟はルイズだけを乗せて寂しく揺れている。

 自分の存在によって狂った世界で、目の前の少女は本来より辛い道を歩んでしまう。
 ならば、その原因となった自分は、ルイズに何ができる?
 彼女を救うために何をすることができる?

『ただ、相談に乗ってあげるだけでいいと思いますよ』

 それは、自分自身が言った言葉。

『大丈夫。そんなに難しく考えなくても、ただあの子の友達でいてくれればいいの』

 それは、カトレアさんが自分に言ってくれた言葉。

 ……そうだよな。難しい事なんて考える必要はない。

「全員が敵なんかじゃないよ」
「え?」

 難しい言葉で取り繕う必要もない。
 ただ、思った事をぶちまける。

「俺も、モンモランシーも、姫様だっている。家族やその家臣の人達だって、ちゃんとルイズの事を考えてくれているはずさ」

 空を覆っていた雲が僅かに取り払われ、星がぽつぽつと姿を現し始めた。
 少しだけ強くなった月光が、グラムの居る小島を少しだけ明るくする。

「まだ4回しか会ってないけど、俺やモンモランシーだってお前の友達だ。たまにはここに遊びに来てやるし、そうじゃない時は手紙でも送ってやるよ」

 そう言うとグラムは立ち上がり、優しげな笑みを浮かべた。
 “救う”なんて大それた事は言わない。
 ただ、自分の存在が、今度は少しでも彼女の支えになる事を願って・・・。

「お前は一人じゃないんだ。だから、いつまでもそんなとこで蹲ってないで、さっさとこっちに上がって来いよ。ルイズ」

 それからグラムはルイズに手を差し伸べる。

 ルイズはしばらくの間、呆然とその手を見つめていたが、やがて手を伸ばし、グラムの手をしっかりと握りしめた。
 腕に力を込め、グラムは小舟の上からルイズを引っ張り上げた。

「……くっさいセリフ。しかも“俺”だなんてあんたには似合わないわよ」

 少しだけ明るい小島の上、星が現れ始めた夜空の下で、ルイズはグラムにバレないように目を拭いながらそう言った。
 口調は明るい。

「うっせぇ、ちょっと地が出ただけだ」
「普段から本性隠してるの、あんた? 自分を偽ってても良い事なんて無いわよ?」
「あっちももう片方の俺だよ。それに、そのセリフを今のお前が言うか?」
「それもそうね」

 ルイズはフフっと笑うと、小島から伸びる木橋に向かって歩き始めた。

「さてと、もうパーティーも終わる時間ね。心配されない内に戻りましょう」

 自分の方を笑顔を浮かべながら振り返るルイズに、グラムは「はいはい」と苦笑しながら後を追う。
 しかし、少し歩いた所でルイズはふと立ち止まり、再びグラムの方を振り向いた。

「そう言えば、どうしてあんたはこの秘密の場所が分かったのよ?」
「カトレアさんから教えてもらったんだよ。外で涼もうとしている時に会ったんだ」
「ちいねえさまがパーティーに出てたの!?」
「そうだけど、知らなかったのか?」
「えぇ、また体調を崩してなければいいんだけど」

 ルイズはそう言うと少し物憂げにヴァリエール邸の方を見た。

「一度気分が悪くなったみたいだけど、今は大分体調がいいって言ってたから大丈夫だと思うぞ」
「そうなんだ。ちいねえさまの体、どうにかならないのかしら? あのままじゃ学院にも入れないだろうし」

 そう言うとルイズは少し下を向いて考え出す。
 そこでグラムは、かねてから気になっていた事を聞いてみる事にした。

「……『虚無』じゃ、カトレアさんを治せないのか?」
「え?」

 虚を突かれたとでも言うように、ルイズは一瞬ポカンとした。
 それから、懐からあの日以来自分が持つ事になった祈祷書を取り出す。

 グラムは前世で原作を読んでいた時から、ルイズがカトレアの前で祈祷書を開いたらどうなるのか気になっていた。
 グラムが覚えている限り、作中でルイズがカトレアに会う事は二度あったが、片方はアンリエッタに口止めされていて、もう片方は祈祷書をその時持っていなかった。
 もしかしたら、カトレアを治せる魔法があるんじゃないかと思うのは当然だった。

 ルイズはただ立ったまま祈祷書を見つめていた。わずかに手が震える。
 あの日以来、祈祷書と一緒に貰った『虚無』に関する様々な本を、王宮の奥底から引っ張り出して読み耽った。
 確か、その文献のどこかには、『必要な時に祈祷書を開けば読む事が出来る』と書いていなかったか?

 ルイズは屋敷に向かって一目散に走り出した。

「あ、おい、ルイズ!」

 グラムも慌てながら、後を追いかける為走り出した。


 ――――――――――
 ―――――――
 ――――


 屋敷の正門前では、既にパーティーを終えた貴族達が帰る為に各々馬車に乗っている所だった。
 公爵はそれを見送る為に、護衛に囲まれながら貴族達に手を振っている。

 馬車が次々と正門を通り過ぎていく中、ルイズが現れ公爵の傍まで走り寄ってきた。

「お父様! はぁっはぁっ、虚無で―――」
「事情は分かっている。今は見送りの最中だ。みっともない姿を見せるんじゃない」

 娘の言葉を遮って言われた公爵の言葉に、ルイズは自分が父の使い魔に監視されていた事を思い出すと、口をつぐんで自分も去っていく貴族達を見送り始めた。

 続いてグラムがその場に到着して荒い息をつく。

「グラム、どこへ行っていたのだ! もう帰るぞ」

 その場でグラムを探していたモンモランシ伯爵は、グラムを見ると声を張り上げた。

「はぁっはぁっ、すみません父様、帰るのはもう少し待って下さい。」
「何か用事があるのか? いずれにせよこれ以上は公爵殿の迷惑になるぞ」
「確かめておきたい事がありまして。公爵様なら多分許可をくださるかと。それに、モンモランシーもルイズと話したい事があると思いますし」

 グラムが伯爵の傍にいたモンモランシーに顔を向けると、モンモランシーは頷いた。

「グラムさん、ようやく戻ってきましたか」

 グラムの後ろから声がかけられ、振り向くとそこに立っていたのはアンリエッタだった。

「カトレアさんから話は聞きましたよ。ルイズを連れ戻しに行っていたようですけど」
「はい。ですがルイズと話をする前に、少しやらなければいけない事ができてしまいまして」
「そうなのですか。ならお母様に帰るのをもうしばらく待つよう言っておきます」

 そう言うと、アンリエッタはトリステインの紋章の付いた馬車の前で待っているマリアンヌ太后の方へ歩いて行った。


 それからしばらくして、トリステイン王家の馬車と、モンモランシ家の馬車を除いて、全ての馬車が跳ね橋の向こう側へ渡り終えた。

「行ったか」

 公爵は、隣に居たルイズにギリギリ聞こえる程度の声量でそう言うと、踵を返して屋敷へ走り出した。

「あ、待って下さいお父様!」

 ルイズが後を追い、その声に気付いたグラムとモンモランシー、それにアンリッタは二人の後を追いかけだした。

 他の大人は、常に威厳の溢れる公爵が脇目も振らず全力で走る所など見た事がなく、あまりの珍事に唖然としたまま5人を見送っていた。



 カトレアの部屋の前まで来た公爵はそこで立ち止まり、少しの間荒い息を整えていた。
 続いてルイズや他の3人も、ドタドタと部屋の前までやってきて肩で息をする。

「ちょっと、何事よ?」
「どうしたのです?」

 カトレアの部屋の隣にあるエレオノールの部屋から、足音に気付いたエレオノールと公爵夫人が顔を出す。

「これからルイズの『虚無』でカトレアの病を治せるかどうか試す」

 呼吸の整った公爵の言った言葉に、事情を知らぬ4人は驚いた。
 公爵はそれを一瞥すると、ドアに手を伸ばしノックをする。

「はぁい」
「カトレア、私だ。他にもアンリエッタ姫殿下にルイズにカリーヌに、エレオノールとモンモランシの双子もいる。入ってもいいか?」
「いいですよ」

 公爵がドアを開いて中に入り、それに続いて他の皆も部屋に入って行く。

「どうしたんですか? こんなに大勢で」

 ネグリジェ姿でベッドの上に腰かけるカトレアは、口に手を当ててそう言った。

「お前の病を、ルイズの魔法ならば治す事が出来るかも知れない」
「それを試しに来た、という事ですね?」

 カトレアの問いかけに公爵は頷く。
 それからルイズがカトレアの前に進みでた。
 ぎゅっと強く目を瞑り、心の中で強く願いを込める。

 自らの姉を治せる魔法を、救える伝説を……!

 ルイズは意を決して目を開くと、祈祷書を勢い良く開いた。
 すると、いつかの様に開かれた祈祷書のページは光り出し、部屋を明るく照らした。

 祈祷書の上には、ルイズにだけ見る事のできる古代ルーン文字が浮かび上がる。
 無意識に杖を取り出し、ルイズはそれを口に出していた。

「『虚無』の素質無き者から、その魔力を引き取る。“吸収アブソプション”。エオルー・フィル……」

 それからルイズは呪文を詠唱し出した。
 誰も聞いた事のないルーンが次から次へと部屋に響き、消えていく。

 やがて全て詠唱し終わったルイズは、力強くカトレアに向かって杖を振り降ろした。

 すると、ルイズとカトレアの体が淡く光り出した。
 カトレアの胸の辺りから光の粒のような物が無数に出現し、それは一直線にルイズの胸に吸い込まれていく。

 カトレアは目を瞑り、自分の胸に手を当てた。

 自分の中の奥深くを蝕んでいた、しこりの様な物が段々と消えていくような感覚を彼女は感じた。
 それは何だかとても心地よく、彼女はそれを味わうように体の奥底からふぅ、と息を吐きだした。

 やがてカトレアから光子の様な物は出てこなくなり、二人が発していた淡い光は消えて行った。

「ちいねえさま!体は……?」
「……えぇ、体の中の悪い部分が無くなったような気がするわ」

 すがる様に問いかけたルイズに、カトレアが答える。
 すると、今まで目を見開き微動だにしていなかった公爵が、はっとして口を開いた。

「い、医者を呼べ!早く!」
「は、はい!」

 同じく茫然としていたエレオノールが部屋の外へと走っていく。



 数刻後、カトレアを専門として診ていた医師が連れて来られ、カトレアを診始めた。

「か、体の芯に蔓延はびこっていたモノが、綺麗さっぱり消えております」
「それは本当か?」
「間違いありません。今までは、どこかを治せばまたどこかが悪くなるという繰り返しだったのですが、今はその悪い個所が見当たらないのです」

 診察の終わった医師が、驚愕して公爵に答える。

「よかった……ちいねえさまが治って、本当に良かった…」

 それを聞いたルイズは、カトレアに抱きついて泣き始めた。

「ありがとう、ルイズ」

 カトレアもそれに抱きしめ返すと、ルイズの頭をゆっくりと撫でる。
 公爵もそれを見て感極まったのか、手で目のあたりを押さえ天井を仰いでいる。

 グラムはそれを眺めながら、良かったと思う反面、疑問に思っていた。

 あの“吸収”と言う魔法をルイズが使おうとした時、『虚無の素質無き物からその魔力を引き取る』と言っていた。
 どういう事だ?
 カトレアさんは『虚無』の魔力を持っていて、しかしその素質が無かったから、体がそれに耐え切れていなかった?

 しばらくグルグルと思考の渦にのまれていたが、当然の如く推測の域を出ない。
 まぁ、カトレアさんが治ったのなら、素直にそれを喜ぼうと、グラムは抱き合う二人を見てほほ笑んだ。
 それに、まだ要件は全部終わっていない。

 それからしばらくしてルイズが落ち着いた所で、アンリエッタがカトレアに抱かれたままのルイズへ近づいて行った。

「ルイズ、少しいいかしら?」
「姫様……なんでしょうか」
「はじめにこれだけは言っておきます」

 アンリエッタは両手を腰に当てるとそう言った。
 しかし偉ぶったような様子はない。

「例え国が割れ、ヴァリエール派と現王家派が争う事になったとしても、ルイズは私の大切なお友達です! これは未来永劫変わる事はありません! 大人の喧嘩なんかに仲を裂かれてたまるもんですか!」

 アンリエッタは力強く一気にそう言うと手を降ろして、いきなりの事に頭が付いて行かずにぼうっとしているルイズに笑顔を向けた。

「だから、何かあれば何でも私に話してください。辛い事も、悲しい事も、嬉しい事だって私が聞いてあげます。ただ、私を置いて遠くへ行って、辛い思いをするような事は絶対にしないでください。そんな事をされる位なら、あなたと喧嘩した方がまだマシですわ」
「姫様……」
「…ま、安っぽい言葉ですけど本心です。これだけ恥ずかしい事を言ったんですから、無下にはしないでくださいね?」
「姫様……! 私……! 私…!」

 ルイズが必死に何か言おうとするが、出てくるのは嗚咽ばかりでうまく言葉にならない。
 そんなルイズを、アンリエッタは「大丈夫、分かっています」と言って抱きしめた。

 今度は声をあげて泣き始めるルイズを、周りは静かに、しかし暖かく見守っていた。


2010.06.20 初回投稿

2010.06.27 文体修正



[19353] 幕間2 我が子の為に
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/07/24 17:44
 時は遡り、王宮での『虚無』事件から3日後。

 ヴァリエール公爵邸に帰宅した公爵は、一直線に自分の執務室に向かい、そこの椅子に座ると疲れたように目を閉じ天井を仰いだ。

「お帰りなさいませ、御屋形様」

 公爵の傍には、執事のジェロームが控える。
 公爵はそれには返答せずに口を開いた。

「ジェローム、手紙を読んだか?」
「はい、なんでもルイズお嬢様が『虚無』に覚醒なされたとか」

 あの事件の直後ヴァリエール公爵は、ヴァリエールの重臣のみに事件の内容が書かれた手紙を送っていた。
 目の前の執事もその一人である。

「あぁ、その通りだ」
「すぐには信じられぬ事ですが…」
「私が嘘の情報を、わざわざ最重要機密の特急便で送ると思うか?」
「……おめでとうございます、と言うべきでしょうか」
「そんな訳がないだろう」

 そう言うとヴァリエール公爵は、目が隠れるように両手で頬杖をついた。

「ジェローム、お前達の総意が聞きたい」

 あんな内容の手紙が届けば、重臣たちは会議を開くはずだ。
 そう見越した上で公爵はそう言った。

「少なくとも、この事が広まれば、ルイズお嬢様を神輿にして、自分達がのし上がろうという連中が出てくるでしょうな。大方『虚無』を擁するこのヴァリエール家を王家に据えるとでも言うのではないでしょうか。この家に取り入ろうとしてくる輩も増えるでしょう。さすがに公爵家相手に取り込もうとしてくる者はいないと思いますが、注意しておくに越した事はありません」
「欲にまみれた馬鹿どもめが……」

 公爵が考えていた予想とそう変わらぬ答えを聞いて、彼は憎々しげに言葉を漏らした。

 だが、それらはそこまで問題ではない。
 ヴァリエール家を持ち上げようとする奴らが現れても、自分達が拒否をすればそれで終わりであるし、自分達に近づいてくる奴らも、今ならば心の内は見え透いているのでむしろ対応しやすい。

 本当の問題は……

「…ルイズは、どうなると思う?」

 これこそ公爵には分かり切っている事かも知れない。
 だが、せめて重臣の意見を聞くまでは、それを認めたくなかった。

「ルイズお嬢様個人の話をするならば、お嬢様を手に入れようと大勢の貴族が話を持ちかけてくるでしょう。大半は婚約の話だと思われます」
「ルイズはもうワルドの息子と婚約を交わしている」
「えぇ、しかしそうなると、ワルド家は良からぬ貴族の攻撃を受けるでしょう。前々からの話だったとはいえ、『虚無』を公爵家とワルド家で独占している、というように取る事もできるでしょうから。ワルド家は確実に我らの味方に取り込める貴重な相手です。どこかの貴族に潰される訳にはいきません。婚約は解消し、一定の距離を保つべきかと」

 またしても公爵の心中と同じ言葉が返ってきて、公爵は思わすため息をついた。
 ジェロームは言葉を続ける。

「婚約は誰とも結ぶ気はありませんか?」
「あぁ。欲が見え透いたような奴らにルイズを渡す気はない」
「私もそれが正解だと思っております。問題は『正攻法ではどうにもならない』と奴らが思い始めてからでしょう」

 公爵がわずかに身じろぎをした。

「手紙に書かれていただけでも、『虚無』の強力さは分かります。どうしても手に入れたいと思う者達も出てくるでしょう。それに、ヴァリエールを担ぎあげる輩が出てくるならば、王宮にとって『虚無』の存在はさぞかし“邪魔”になるでしょうな。また、他国から見てもこの力は脅威です。早急に手を打とうとしてくるでしょう」
「……誘拐、暗殺、か……」
「軍部もルイズお嬢様を戦争の道具にしようとしてくるかも知れません」
「なぜ私はあんな場所で祈祷書の内容を読んでしまったんだ……!」

 公爵は歯軋りをしたが、後悔した所でもう遅い。
 それに、あの時は誰にも祈祷書の内容は分からなかったのだ。公爵を責める事などできない。

「できる限り『虚無』の存在は隠蔽する。軍には変な気を起こさせないようにできるだけ根回しをしておく。念の為、家の警備も強化しなくてはならん」

 しかし、今更『虚無』を隠した所で、少しの時間稼ぎにしかならない。
 それは公爵もジェロームも分かっていた。

「後々のため、今の内にルイズお嬢様に社交の場での作法を覚えさせるべきかもしれません」
「あぁ、分かっている」


 そこで公爵とジェロームの話は終わり、通常の執務に取り組み始めた。

 公爵は自分の予想が外れる事を願ったが、それはかなわずヴァリエール派が現れ、婚約の話が殺到するようになる。

「また婚約の話か」
「そのようですな」

 とある貴族から送られてきた手紙を見てこぼした公爵に、ジェロームがいつも通り答えた。

「エレオノールやカトレアにまで話を持ち込みおって、なめるのもいい加減にしろと言いたい物だ」

 不機嫌そうに公爵が言う。
 余談だが、これから10年間ヴァリエールの長女が婚約の話を破断しまくる事を、まだこの人物は知らない。


 そのような仕様もない話に受け答えする内に4ヶ月が過ぎた。
 幸いなことは、まだ誘拐や暗殺といった類の物が一度も起きていない事か。

 しかし4ヶ月経った時、不幸な事に公爵の予想は悪い方へ外れてしまった。

「なに!? 軍部がゲルマニアへの侵攻を本格的に考えているだと!?」
「はい、間諜の報告によるとほぼ間違いないようです。ルイズお嬢様の魔法を主軸にした戦略を練っているとか」

 ジェロームがいつものように答える。

「くそっ! こちらが大人しくしていれば付け上がりおって!」

 公爵はダンッ、と机を叩くと、脱力して椅子に深く腰掛けた。
 この4ヶ月、できる限りの根回しはしてきたつもりだったが、相手は国軍だ。
 いくら公爵家でも限度があったらしい。

「どうにかしてやめさせなければならん」

 自分の娘が戦争の道具として扱われるのを、黙って見過ごせる訳がない。
 だがどうすればいい? 王家と協力して計画を潰すにしても、王が不在の今の王家は発言権が薄い。
 マザリーニ枢機卿に頼んだとしても、確実に止められるかは分からない。
 やはりここは……

「…私が王になって押さえつけるのが、一番確実な方法、か?」
「私もそう思います。御屋形様ならば王位に就くことは問題ありません」
「しかし、そうなるとルイズを狙う輩が増えるかもしれん。それに今よりも国が割れる」
「逆に、相手が王の娘という事で手を出しにくくなる者も増えるでしょう。それに関しては結局の所変わらないかと。それに、公爵であるよりは王である方が、ルイズお嬢様を護りやすくなるかも知れませぬ。ヴァリエール派の再燃については、抑える御屋形様の腕次第でしょう」

 公爵は目を瞑りしばらく無言でいた。

「…娘の為に王になる、か。私は貴族として失格かもしれんな」

 ぽつりと、公爵はそう呟いた。

「王として正しい政治を行えば、誰もそのような事は言いますまい」

 またしばしの間、痛いほどの沈黙が部屋を支配する。
 やがて、公爵は意を決したように口を開いた。

「あくまで“始祖の血統の傍流”である公爵として王位に就く。私が王となっている間は、公爵家の家督はカリーヌに全て任せる。家臣にはそれを全面的にサポートさせる」

 そう言うと公爵は立ち上がった。

「会議を開く。家臣を集めろ」
「かしこまりました」

 ジェロームが執務室を出て行く公爵に向かって恭しく頭を下げた。

 この日より、自らの娘を守るため、一人の新しい国王が生まれた。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 時は過ぎ、即位記念パーティーから1週間後。

 自らの執務室をヴァリエール邸から王宮へ移したヴァリエール公爵、否、トリステイン国王は、仕事の合間に、この王宮の奥底から引っ張り出したとある一冊の本に目を通していた。

 本のタイトルは『魔法実験』。
 ヒューゼン・ド・モルディオというマッドサイエンティストにより記された、彼の実験の軌跡が書かれた本だった。

 彼は異端として過去に処刑され、この本もロマリアにより禁書の指定がなされ、王宮の深くに封印されていた。
 王としての権力を使って取り出したその本を、一週間かけて見つけ出した娘を蝕んでいた病の手掛かりを、国王は無言で読み通す。

 カトレアの病が治ったのは大変喜ばしい事だったが、病の原因がハッキリしないまま放っておくのは余り好きではなかった。
 普通に調べて分からなかったのなら、王宮の禁書ならどうだと思ったのだが、どうやらその見込みは正しかったらしい。

 そこに記された実験の一つには、こう書かれていた。


『私は、今は失われし“虚無”の系統を復活させようと試みた。
 そこで目を付けたのが、空間と空間を繋ぐ鏡のマジックアイテムだ。

 このマジックアイテムに込められた魔力を解析した所、
 何とその魔力は四系統とは明らかに違う物だったのだ

 私はこの魔力を“虚無”の魔力であると仮定した。
 そしてその魔力を抽出し、部下の一人にその魔力を流し込んで、様子を観察する事にした。
 これで、もしかしたら“虚無”の力を持ったメイジが誕生するかもしれない。

 するとどうだろう、その検体は途端に体調を崩し、ろくに運動もできない体になってしまったのだ。
 すぐにその体を調べた結果、私の注入した魔力が体の中枢に取り付いている事が分かった。
 そして体が魔力に対して拒絶反応をしているらしい。
 中々面白い発見だ。

 その検体の体から魔力を取り出そうと試みたが、かなり根深く取り付いていて、どうすればいいか見当がつかない。
 それに、それはもう一見しても魔力とは分からない。
 私が魔力を注入した事実があるからこそ、その体の奥底のナニかが魔力であると分かったのだ。

 だが、まだ完全に検体の体に浸透している訳ではないらしい。
 数日かけて進行具合を調べてみたが、体に浸透しきるまでは約20年かかるだろう。
 それまでには何か取り出す方法があるかも知れないが、完全に体に取り付いてしまったら再び取り出せるかはわからない。

 まだ何か分かるかもしれない。
 もっとこの検体を調べるとしよう。
 “虚無”を復活させる糸口が見つかるかも知れない。

  ブリミル歴5912年、ウィンの月、フレイヤの週、虚無の曜日』


 一通り読み終えた国王は、その本を閉じると机の上に置いた。

 これでようやく合点がいった。
 あの時のルイズの言葉を鑑みるに、おそらくカトレアはこの部下と同じ状態にあったのだろう。
 この本に書いてある事が正しければ、あと5年遅ければカトレアの体は治せていたかどうか分からなかったという事になる。そこは幸運だった。

 国王は再び執務に戻り、仕事を始めた。

 カトレアの件は全て片付いた。
 これであの子も学院に通う事ができる。
 あとは私の末娘だ。
 ルイズを戦争や政治の道具には決してさせない……!

 公爵の眼光が鋭くなる。

(私が国王になった以上、好き勝手なことはさせぬぞ、王宮の雀どもに軍部の鴉ども。私が王位にある限り、全て押さえつけてくれる)

 自分の娘の為に、その身を捧げた男の政治が始まった。


2010.06.21 初回投稿

2010.06.26 誤字修正

2010.07.24 暦修正



[19353] 第10話 湖畔の人型はその後黙して・・・
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/24 22:51

 曇り一つない朝の陽光が差し込むモンモランシ邸の一室、窓から入り込む光と鳥のさえずりに一人の少年が目を覚ました。

 寝転がったまま首だけ動かしてテーブルの上に目を向けると、そこには鞘に入れられたままの一振りの剣。
 それを確認すると、グラムはまだ眠そうな翠緑色の瞳をニマーッと更に細めた。

 あれからヴァリエール邸を発って二日、昨夜帰ってくるとこの杖剣が家に届いていたのだ。
 すぐに杖の契約をすると、もう遅かったのですぐに寝てしまったが、今日からこれを使っての修行が始まる。

 既にフラン街で剣の指南書は仕入れてあった。
 治療活動などをしながら、空いた時間で自分を鍛えていこうとグラムは思った。

 そろそろ起き上がろうと思い、グラムは体に力を入れてみたが、

「あれ?」

 体がうまく動かない事に気が付いた。
 それに、なんだか柔らかくて暖かい物が自分に密着しているような……。

 グラムは不審に思って、自分を覆っていたシーツをめくって見ると、そこには、

「すぅー、すぅー」

 グラムの胴体をガッチリとホールドして寝息を立てているモンモランシーがいた。

 なんでモンモランシーが俺のベッドに?
 今までこんな事が全くなかった訳ではないが、昨夜雷は鳴ってなかったはずだ。
 それ以前に雨も降っていなかった。

「んー、にゅぅー」
「うわっ!」

 そうやってグラムが呑気に考え事をしていると、モンモランシーが体のホールドをそのままにグラムの胸に頬ずりをしてきた。
 くすぐったくてたまらずに身をよじったが、グラムの力ではモンモランシーの拘束から逃れる事ができない。

 あぁ、妹に力負けするなんて、絶対に体を鍛えよう。

 しょうもない事で久々にささやかな男のプライドを傷つけられたグラムは、人知れず心の中で決意した。

 いや、今はそんな事よりも、

「ちょ、モンモランシー、起きて、お願いだから!」
「ん……んぅー?」

 グラムはモンモランシーの背中を叩いて起こそうとした。
 モンモランシーが妙な唸り声をあげて、ゆっくりと瞼を開く。

「ふわぁ~、おはようお兄様」

 あくびを噛み殺しながら、モンモランシーがそう言った。
 しかしまだグラムは抱き枕状態である。

「おはよう、モンモランシー。あと、腕を離してくれると嬉しいなー」
「ふぇ?……あっ!」

 そこでようやく覚醒してきたモンモランシーが、今までグラムを抱き締めていた事に気付き、慌てて拘束を解いた。
 やっと動けるようになったグラムは身を起こし、伸びをする。

「うー…ん、ふぅ。ところで、何でモンモランシーが僕のベッドに?」

 わずかに顔を赤くしながら身を起こしたモンモランシーに、グラムが問いかける。
 するとモンモランシーは言い難そうに少し俯いた。

「えと、お兄様が、その、ルイズと仲良さそうだったから……」

 そこで言葉が切れる。
 だが7年間彼女と一緒に生きてきたグラムは、それだけで大体の事情を理解した。

 ヴァリエール邸から帰る前、モンモランシーの言う通りグラムはルイズと親しげに話をしたりしていたのだ。
 もちろん、アンリエッタとモンモランシーも交えて。

 まぁ、その前に一度素を出して話し合ったことだし、前より仲が深まった感じはあった。
 それを敏感に感じ取ったモンモランシーが、自分がルイズに取られやしないかと不安になって、それを払拭するために潜り込んできたのだろう、とグラムは考えた。

「僕がルイズに取られちゃうとでも思った?」

 一応グラムはモンモランシーに聞いてみた。
 すると、モンモランシーは顔を更に赤らめてわずかに頷いた。

 ここは喜ぶべきか、モンモランシーの将来を心配するべきか、グラムは少し判断に迷った。
 後々の為に、少し兄離れさせておいた方が良いかも知れない。

「大丈夫だよ。ルイズとはそんなんじゃないし、例えそうなっても遠くには行かないから」

 取りあえず今はそう言ってモンモランシーの頭を撫でてやる。
 それから顔を洗ったりする為に、ベッドから降りて床に足を付けた。
 すると、

「ん? なんだこれ?」

 グラムは足の裏の違和感に気付き、戸惑った。
 床の微細な振動が何となく解るのだ。

 足先にもっと意識を集中させてみると、何人ものメイドがあちらへこちら
へと移動しているのが感じ取れた。
 更に、床の厚さと強度まで。

 その時グラムは、過去に読んだ魔法書の一節を思い出した。
 曰く、メイジは得意な系統の熟練度が上がっていくと、その系統に応じて特殊な体質を手に入れていくらしい。
 『土』メイジは物の厚さや強度、振動を感知し、熟練するにつれてその感度も上がっていくとも書いてあった。

 という事は、やはり自分の『土』としての熟練度が上がったという事で間違いないだろう。
 魔法が使えるようになってからは、ほぼ毎日精神力が切れるまで魔法を使いまくってきていたのだ。
 治療活動の日は勿論、それ以外の時は“錬金”や“アースハンド”などの『土』魔法を限界まで練習していた。
 そろそろこういうのが解るようになっても、おかしくはない。

「あれ? お兄様、私、なんだか変だよ」

 後ろから声をかけられたグラムが振り向くと、モンモランシーは両手の平を上にして、不思議そうに中空を見つめていた。

「変? 僕じゃなくて、モンモランシーが?」
「うん。空気の中の水が、どれくらいあるか分かるっていうか……」

 どうやらモンモランシーも、『水』メイジとしての体質を手に入れたらしい。

 双子揃って同時と言うのは何か理由があるのか? とグラムは疑問に思いつつ、顔を洗って朝食に向かう事にした。


 グラムが朝食の席で家族にそのことを報告すると、伯爵夫妻もフレイも驚いていた。

「まぁまぁ。もうそれが解るようになったのね。7歳でもうラインになっちゃうなんて、二人とも凄いわ」
「え? 僕達ラインになったんですか、母様?」
「えぇ、それが解るのはラインになってからだもの。私も物の振動を感じ取るのは得意なのよ。多分グラムもそうなるわ」

 その後伯爵は「さすが私の子供だ」などと言って笑い、学院入学を控えたフレイは、自分よりも4年も早くラインに辿りつかれた事に若干凹んでいた。


 朝食を食べ終わったグラムは、早速試しに中庭に出てみた。
 目を瞑り、足元に全神経を集中する。

 するとどうだろう。
 屋敷の周りの木々が風に撫でられ、ざわざわと揺れる振動、小さな動物が草を踏みしめる振動、屋敷内で働く使用人達が床を歩く振動などを感じ、分類する事ができた。

 まだ方向などは解らないが、これだけで十分役に立つ。
 意識しなければこういった事は感じ取れないので、慣れてしまえば普段は気にならないだろう。

 いい能力を手に入れた物だ。
 これを伸ばしていけば、見えなくても敵の気配が分かったりするかも知れない。
 あぁ、そういえばラインにも昇格したんだった。魔法も試してみなければ。

 剣術を覚えようとした矢先、一気にやる事が増えたグラムであった。

 しかし、それでも優先すべきは杖剣だ。
 グラムは一度自分の部屋に戻ると、剣術の指南書と杖剣を取り出して再び中庭に出た。
 杖剣と一緒に普通の杖も懐に入れる。

 ブリミル教の教義上、同時に複数の杖を持ち歩く事はあまり好ましくないらしい。
 しかし、あくまで好ましくないだけだ。
 何か罰が下る訳でもないので、信仰心のほとんど無いグラムは普通に持ち歩く事にしていた。

 指南書を開いてみる。
 やはり、基礎は体力づくりと、筋トレと素振りらしい。

 やっぱそうなるよなー、と思いつつ、グラムは鞘から杖剣を抜いた。
 7歳児でも持てるように、小振りに作られた白い両刃の剣。
 自分の体では重く感じるそれを正面に構えると、振り上げと振り降ろしを繰り返して素振りを始めた。

 取りあえず指南書に書いてある事を再現するようにしているが、これで合っているのかは正直分からなかった。
 やはり誰か指導者が必要だろうか、とグラムは思いつつ、何にせよ体を鍛える為には悪くないだろうと素振りを続けた。

 だが、数分もすれば息が切れて続かなくなる。
 荒い息をついて、グラムはその場に座り込んだ。

「はぁ、はぁ、あー、やっぱり小さい頃からもっと外で体を動かすべきだったか」

 傍から見ればまだ十分小さいグラムはそう呟いた。
 しかしボヤいても始まらない。グラムはある程度体力が回復すると立ち上がり、素振りを再開した。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 数日後の昼頃、グラムはモンモランシーと一緒に護衛を従え、フラン街の入口前に立っていた。
 無論、治療活動のためである。

「この街も久しぶりだね、お兄様」

 隣に立つモンモランシーがそう言う。

「確かにね。大体3週間くらいか」

 即位記念パーティーから初めての治療活動だ。
 その前は他の街に出ていて、ここにはしばらく来ていなかった。
 他の街に行った時は「ここにも“癒しの双子”が来なさったぞ!」などと騒がれ奉られ大変だったが。

「治せる人が倍になったんだし、今まで来れなかった分もたくさん治すわよ」

 あの後分かったのだが、驚いた事にグラムは水系統もラインに上がっていた。

 3日に1回はフラン街や、他の街にも出て限界まで治療活動をしていたのだから、別におかしい事ではなかった。
 生憎、モンモランシーのように空気中の水分量が解るようになったりはしなかったが、治療できる人の数が2倍に増えた事は単純に好ましかった。

 フラン街に入っていくと、グラム達に気付いた住人達が「グラム様とモンモランシー様が来たぞー!」などと言って、大声で騒いで歓迎された。
 治療活動で具体的に何をやるかと言えば、ただ住人達に囲まれながら街を一通り回って、怪我人がいたら適宜それを診ていくだけだ。
 とは言っても、街を回り切る前にいつも精神力が切れてしまうのだが。

 今回もいつもと同じように、見慣れた街を巡回しながら、そこに住む人達と話をしたり、“治癒”をかけたりしていく。
 道中モンモランシーが色々な人にラインになった事を自慢していたが、平民達に魔法の事が分かるはずもなく、曖昧に「おめでとうございます」と返されるだけで終わっていた。

 怪我を治してもらった人が二人にお礼を言い、それにモンモランシーは満面の笑顔で返す。

 こうやって治療をした後に感謝されるのが本当に嬉しいらしい。
 この二年で、モンモランシーの平民に対する差別意識は、ほとんど無くなっていた。
 それを見たグラムは、嬉しそうに微笑んで、思わずモンモランシーの頭を撫でた。

「お、お兄様、いきなりどうしたの?」

 人の往来の真中でいきなり頭を撫でられたモンモランシーは、戸惑いと照れを混同させてグラムに尋ねてきた。
 それにグラムは「別に」と笑顔で答えると、さっさと次の怪我人の下へ行ってしまうのだった。

 そうこうしている内に治療活動が終了。
 二人がラインになっても、街を回り切る事ができなかった。
 さすがは領内最大の街といった所か。

 住人達に見送られながら、馬車に乗って帰路につく
 そのまましばらく揺られて、すぐにモンモランシ邸に到着した。

 馬車から降りて屋敷に入ると、一人のメイドが何か紙を持って二人の下に歩いてきた。

「グラム様、モンモランシー様、ルイズ様より手紙が届いております」
「ルイズから?」

 グラムが聞き返す。
 そういえば、こっちからも手紙を送ると約束していたが、帰ったら色々あって忘れてしまっていた。

 グラムはメイドから手紙を受け取り、その場で開いて読んでみた。
 どうやら、カトレアの快復記念に、姉妹三人でトリスタニアに出掛けに行ったらしい。
 その時の様子が事細かに手紙に書かれていた。

 隣で読んでいたモンモランシーが「楽しそうだね」と言い、グラムがそれに頷く。
 『虚無』の担い手という立場上、辛い事が全くない訳ではないだろうが、こう言った楽しい事があるに越した事はなかった。

『あなた達も、ルイズを支えてくれるかも知れないって思ったから』

 カトレアの言葉を思い出す。

 ルイズに直接会えない内は、こうやって文通する位しかルイズを支える術はないだろう。

「よし、それじゃあ、返事を書こうか」
「うん」

 ならばすぐに返してやるのがグラムにできる最善だった。

 グラムはモンモランシーと話しながら、ラインになった事や、今日行った治療活動などを書き連ね、モンモランシ家の伝書鳩にその手紙を託し、ヴァリエール家に向けて放った。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



「え?」

 翌朝、朝食が終わった時に自らの父に言われた言葉に、グラムは思わず素っ頓狂な声をあげた。

「今、何と仰いました?」

 取りあえずグラムは、自分の聞き間違いか確認する為にそう言った。

「だから、今日は水精霊に、お前達二人を盟約の一員として認めてもらう為の儀式を行うと言ったのだ」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

「という事は、今日水精霊と面会すると。父様も含めて」
「その通りだ。本当は領地開拓の際にやってしまおうと思っていたのだがな、お前も知っている通り色々と計画が狂ったのだ。ようやく落ち着いてきたので今日やろうと思ってな」

 厳かに頷く伯爵を見て、グラムは固まったまま冷や汗を垂れ流し始めた。

(おいおいおいおいおい! お家没落危機から脱したと安心してたら思わぬ危険イベントが潜んでたよ!?)

 もし伯爵が水精霊と面会した際に怒らせてしまったら、おそらく原作通りこの家は交渉役から外されてしまう。
 開拓が失敗して借金を背負うよりかはマシだろうが、交渉役から落とされるとこの家にとってそれなりの痛手になる。
 最も大きいのが、新しい交渉役になった家に、ラグドリアン湖に面する領地を取られてしまう事だ。
 それにはフラン街も入っている。
 つまりあの街が他の貴族の領地になるという事だ。
 当然、そんな所に頻繁に治療活動に出る事などできない。

「えーと、それって絶対にやらなくちゃいけない…ですよね?」
「当たり前だ」

 一縷の望みをかけて聞いてみたが、返ってきたのは予想通りの短い答えだった。

 グラムは誰にも分からないようにため息をついた。
 こうなれば自分の父親が、水精霊を怒らせないように祈るしかない。
 あぁ、無いとは思うがモンモランシーの言動にも気を配らなければ。


 グラムがそう考えている間にも時間は過ぎていき、昼食の後、伯爵とグラムとモンモランシーはラグドリアン湖畔まで馬車で来ていた。
 三人は湖の水際に立って、伯爵が二人の前に出た。

「お兄様、大丈夫? 顔色が悪いよ?」

 モンモランシーが、顔色が心労で悪くなっているグラムの顔を心配そうに覗き込んだ。

「う、うん、大丈夫。ちょっと緊張しているだけ」

 グラムは笑って返したが、実の所前に立つ自分の父親が気が気ではない。

 伯爵は自分の手を持参したナイフで切りつけて、その血を湖に垂らすと、杖を取り出して手の傷を治した。

「水の精霊よ。我との盟約の下にその姿を現したまえ」

 そう言うと伯爵は何かの呪文を唱え出した。
 しばらくそのまま伯爵の声が響いていたが、やがて伯爵の前の水がボコボコと盛り上がり出した。

 それは伯爵と同じ位の高さまで上がると、しばらくグニャグニャと形を変えた後、透明な伯爵の姿になった。
 それも裸の。あまり見栄えがいい物ではない。

「何用だ、単なる物よ。我は忙しい。貴様達の相手をしている時間はない」

 水精霊がフルフルと震えてそう言葉を発した。
 何となく不機嫌そうな声に、グラムは背中に冷や汗を流す。

 どこかで聞いた事のある声だなとか、精霊に時間なんて概念があったっけとか、色々と思う所はあったが、今はそれどころじゃなかった。
 時間はないとハッキリ言われているのだ。
 自分の父親が引き下がってくれる事をグラムは願った。

「そうはいかない。私の子供達をお前の盟約の一員として認めてもらいたい」

 それを聞いてグラムはもう半分色々と諦めた。
 水精霊は、伯爵の形をとった顔をグラムとモンモランシーに向けた。

「それはそこの二人の事か? ―――ほう、なるほど…」
「あの、水精霊様、どうしても駄目ならばまた日を改めても構わないのですが」

 自分達を見てまたプルプルと震える水精霊に、グラムはおずおずとそう言った。

「いや、今我のすべき事は終わった。貴様達を盟約の一員とする儀式を始めよう」

 しかし水精霊は態度を一変してそんな事を言い出した。

「え? いいんですか?」
「構わぬ、始めるぞ」

 そう言われたグラムとモンモランシーは、慌てて懐からナイフを取り出した。
 手順は伯爵から聞いている。

 まず二人はそのナイフで指先をわずかに切った。
 指先から少しだけ血が滲み出てきて、モンモランシーが痛そうな顔をする。

 次にしゃがんで、その手をラグドリアン湖の水に浸した。
 すると、水に溶け込み始めた二人の血が、水精霊に吸い込まれていく。

「っ!?」

 その時、グラムは自分の指先から何かが入り込んでくるような感じがした。
 それに驚いて体をビクリと震わせてしまう。

「お兄様、どうしたの?」

 声をかけられ、グラムはモンモランシーの方を向いた。
 モンモランシーは何ともなさそうだった。
 今の感覚は自分にだけ起きたのだろうか。

 取りあえず、グラムは「大丈夫」と言って、再び水精霊に向き直った。
 水精霊の中に取り込まれた血液が、徐々に薄くなって消えていく。

「これで儀式は完了した。貴様達を我との盟約の一員として認めよう」
「協力に感謝する」

 やがて血が完全に消えた時に言った水精霊の言葉に、伯爵がそう返した。
 それを聞くと、水精霊はまたゴポゴポと湖の中に溶け込んでいった。

 それを見届けたグラムはどっと肩の力を抜いた。
 よかった。どうにか水精霊を怒らせずに済んだ。

 同時に指先が痛んだ。先程切りつけた傷がまだ塞がっていない。
 杖を取り出して指へ“治癒”をかけようとしたが、その前にモンモランシーがグラムの手を取って、呪文を唱えてその指を治療し始めた。

「モンモランシー?」
「お兄様の怪我は、全部私が治す」

 モンモランシーが、指の傷を見つめながらそう言った。
 あっという間に傷は治り、グラムが「ありがとう」とお礼を言うと、モンモランシーはにっこりとほほ笑んだ。
 そこに伯爵から「帰るぞ」と言われ、グラムとモンモランシーは伯爵の後ろに付いて歩き出した。


 その後グラム達は屋敷まで戻ってきた。
 グラムは、これから魔法の練習でもしようかと思いながら、玄関口まで到着する。

「あっ」

 そこで、グラムは一つ大事な事を思い出した。

 いきなり水精霊と会うという事で忘れてしまっていたが、あの精霊には将来アンドバリの指輪が奪われる可能性を伝えておく必要がある。
 あれがクロムウェルの手に落ちなければ、死体のウェールズが利用される事もないだろうし、それ以前にアルビオンが滅びずに済む可能性も出てくる。

 今のハルケギニアはグラムにも予測不可能だったが、注意しておくに越した事はなかった。

 いきなり声を上げた自分を不審に思う伯爵とモンモランシーに「何でもない」と言うと、グラムは再び屋敷を出て、誰にも気付かれないように元来た道を辿ってラグドリアン湖に向かった。


 道を一直線に進むと、その内にラグドリアン湖の水際が見えてくる。
 そう言えば、どうすれば水精霊に出て来てもらえるか分からない事に、今更ながらグラムは気が付いた。

 しかし、その心配は杞憂に終わったらしい。
 グラムが湖に近づくと、湖の水が盛り上がって水精霊が現れたのだ。
 それにグラムが驚いている間に、水精霊がグラムの姿になって話してきた。

「何用だ、“移ろいし者”よ」

 そう言われたグラムは首を傾げた。
 “移ろいし者”とは何だ? 単なる物じゃないのか?
 自分が転生者である事と関係があるのだろうか。

 しかし、今はそれよりもアンドバリの指輪についての事が優先だ。

「あなたに伝えたい事があって来ました」
「それは何だ?」
「数年の内に、あなたの秘宝であるアンドバリの指輪が、何者かに盗まれる可能性があります。信じてもらう術はありませんが、できれば用心してくださるようお願いします」

 グラムがそう言うと、水精霊はしばらくグニャグニャとその姿を変えていたが、やがてグラムの姿に戻ると声を発した。

「ほう、我の秘宝を狙う単なる者がいる、か。まぁ、未来を知る貴様が言うのだから信じるとしよう」

 それを聞いたグラムの瞳が見開かれた。

「な、なぜ僕が未来を知っていると分かったのですか?」

 やっとそれだけ口にしたが、次に返ってきた言葉は、グラムを更に驚愕させる物だった。

「当たり前だ。わざわざ未来を知る者を“こちら側”に引き寄せたのだ。知っていてもらわなければ困る」


 今、この精霊は何と言った?
 この精霊が俺を“こちら側”に引き寄せた?

「あんたが俺をこの世界に転生させたのか!?」

 グラムが思わず大声でそう叫んだが、目の前の精霊は飄々として言葉を紡ぐ。

「これ程近くにいたとはな。逆に見つけ出すのが遅れてしまったぞ」

 こいつが俺をこの世界に?
 なぜ? 何のために?
 見つけ出すのが遅れた? 俺を探していたのか?

 グラムの頭の中でいくつもの疑問が渦巻いていく。
 そして思い出した。目の前の精霊の声、どこかで聞いた事があると思ったが……

「……俺が死ぬ直前に聞こえた声はあんたのか?」
「ほう、覚えていたか」

『ほう、魂は悪くない。それに“知っている”な。器になりえる存在として合格だ。これにするとしよう』

 今でもはっきりと覚えている。
 時々ふと思い出しては、幻聴かどうか悩んでいた声。

 あれが目の前の精霊が言った物だとすると、どういう事になる?

 こいつは、死にそうになった人間から“悪くない魂”を選び出し、尚且つ“何かを知っている者”、おそらくこの世界の未来を知っている者を、“何かの器になりえる存在”としてこの世界に転生させた?

「“知っている”ってのはこの世界の未来の事か!? “器”ってのは何の事なんだ!?」

 自分の中で立てた推測の不明瞭な部分を、疑問にして目の前の精霊にぶつける。

「あぁ、貴様はこの世界の未来を知っていた。だから“こちら側”にその魂を引き寄せた。もっとも、ただ生存率が上がるだろうと言うだけの理由だがな。しかし貴様に死なれては困る。“器”に関しては教える訳にはいかない」

 俺が死なれたら困る? “器”とする必要があるからか?
 この精霊は“器”と言う物に関して教える気はないらしい。
 だが、自分がその“器”とやらになるために生まれてきたのはほぼ確実だろう。

「……俺がラノベの世界に転生したのには何か理由があったって事か」
「ラノベ? それは何の事だ、“移ろいし者”よ?」
「小説の事だ」
「ほう、小説か。なるほど、奴はそのようにして“あちら側”に“こちら側”の未来を知らしめたか」
「え? おい、ちょっと待て、それは一体どういう事だ!?」

 グラムが必死に問いかけようとするが、水精霊はそれには答えず、ボコボコと再び湖に沈んでいく。

「これ以上貴様と話す事はない。“時”が来るまで死ぬなよ、“移ろいし者”よ」

 最後にそう言葉を残して、水精霊は水の中に消えた。

「何なんだよ、一体……」

 他に誰もいなくなった湖畔で、グラムは一人そう呟いた。




[19353] 幕間3 移ろいし者
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/06/29 21:47

 無限の水が、無限の空間を覆い尽くしていた。
 どこから来るかも分からない淡い光が、水以外何もない空間を暗い青色に染め上げる。
 上下左右も存在しない、確実に現実ではない世界。

 そこに、どこからともなく、半透明のゲル状の物体が、球状になった状態で現れた。

「見つけたぞ」

 それがプルプルと震えると同時に、その世界に声が響いた。

 数拍置いて、それの傍に突然強い光が現れた。
 その光が弱まるにつれ、その光の中央に、徐々に人の形が見え始める。

 やがてある程度光がおさまると、そこには白いワンピースを着た一人の女性が佇んでいた。
 しかし、背中に広がる大きな純白の翼と、人間から畏怖される先の尖った長い耳を見れば、彼女が人間ではない事は明らかだった。

「そうですか、見つかりましたか。7年ですから、思ったよりは早かった、と言ったところでしょうか」

 腰まで伸ばしたブロンドの髪を揺らしてほほ笑む。
 その姿は、この世の全てが息を飲むほど美しく、全ての知性ある生物が平伏してしまいそうなほどの神々しさを備えていた。

 彼女が現れるとともに、水と淡い光だけだった空間が強い光で照らされ、綺麗なスカイブルーとなったその世界を、真っ白な羽根が漂い始める。

「……貴様の“世界”は未だに慣れぬ」

 ゲル状の物質が震えながらそう言った後、グニョグニョと形を変えて、目の前の女性の姿になり向き合った。

「私だって、水に満たされたあなたの“世界”にはまだ慣れません。結局の所、精霊同士の精神世界を繋げることに慣れる事など無いのでしょう」

 先程目の前の女性に変化したゲル状の物質――水の精霊は、自分と彼女の精神世界が干渉しあう事によって出来上がった世界をぐるりと見渡した。
 自分と今の彼女が対話するにはこの方法しかないとは言え、あまりこの感覚は好きではない。

「見つかった“移ろいし者”はどこにいましたか?」

 女性が笑顔で水精霊に問う。

「我との盟約の一員だった。今は他に盟約を交わした単なる物と暮らしている」
「まあ。それほど身近にいたのですか。数奇な巡り合わせですね。しかしそれならば、見つかるまで7年もかかったのはむしろ長かった気が……」

 その女性は手を口元に当てて驚いた後、首を傾げてそう言った。

「“時”が来るまでに間に合えば問題無かろう。魂の落とす先をこの大陸に限定するだけでも難儀なのだ。それ以上を求めるな。それに、我もそれ程近くに居るとは思わなかったのでな」
「灯台下暗し、と言う事ですね」
「……何だそれは?」
「“あちら側”の慣用句で、手近の事情は返って気付きにくい、という意味です」
「そうか…まぁいい。奴に接触した際、我の一部を吸収させた。これで奴がどこに居ようと常に把握できる」
「そうですか。これで一安心ですね」

 そう言うと女性は翼をゆっくりと揺らして、ほっと一息ついてから再び笑い、言葉を続けた。

「それで、“移ろいし者”には何か教えましたか?」
「我が転生させたとは言っておいた。“時”が来るまで死ぬなともな」

 それを聞いた女性が不思議そうに首を傾げた。

「正確には“転生”ではなく、“憑依”ではありませんか?」
「本来ならば、あの単なる者は“移ろいし者”としなければ、生まれてすぐに命を落としていた。ならば転生と言っても違いはあるまい」
「たまたま魂を植え込んだ子が、そうだっただけなのでしょう?」
「あぁ、ただの偶然だ」

 それから少しの間沈黙が続いた。
 水と光と羽根の、幻想的な空間が無音に包まれる。
 その後、思い出したように女性が口を開いた。

「そう言えば、その“移ろいし者”は男性ですか? それとも女性ですか?」
「両魂とも男だ」

 女性は「そうですか」と呟くと、眉根を寄せ悲しそうな顔になり目を伏せた。

「……やはり、彼を犠牲にしなければならないのでしょうか」

 その長い耳も心なしか下へさがり作られた表情はしかし、美しさが損なわれる事は全くない。

「心苦しい、とでも言うつもりか」
「……」

 女性は水精霊の言葉に答えず沈黙する。
 それを見た水精霊が再び声を発した。

「片方の魂は記憶を失い、輪廻の輪に組み込まれるはずだった者。もう一つの魂は、脆弱でまともな生を受けずに死に行くはずだった者だ。いずれ生贄となる運命でも、貴様の言う罪悪感とやらは薄れるのではないか? “大いなる意志”よ」
「……馬鹿な事を言わないでください。損得の問題ではないのですよ?」

 “大いなる意志”と呼ばれた女性は、水精霊の言葉にその形の良い眉を顰めたが、目の前の精霊が悪気があって言っているのではない事は分かっていたので、それだけにとどめた

「ヒトの心、と言うやつか。我には解せぬな。そのような物を理解している精霊など貴様くらいのものだ」
「そうでなければ、過去にエルフ達を導く事などできませんでしたから。……いえ、あの時はまだ完全には解っていませんでしたね。数千年間色々な人の世を眺めてきて、ようやく理解する事ができました。ところで、あなたの口ぶりからして、“移ろいし者”の魂は正常に混ざり合っていると思ってよいのでしょうか?」
「あぁ、一つの魂として形成している。もっとも、片方の魂が虚弱だったために、我が引き寄せた魂がそれを完全に取り込んでしまっているがな」
「……計画は順調に進んでいますね」

 大いなる意志はまた目を伏せた。
 しかし、それに対し水精霊は突き放したような声色で言う。

「割り切れ。さもなくば世が滅ぶと貴様自身が予知したのだ。それを一人の人間と二つの魂で止められる。安い物だ」
「ですから、損得の問題ではないのです。……分かっています。私も始祖ブリミルとの盟約を果たす為に六千年間も力を溜めてきたのですから」
「……分かっているならばいい。貴様の力の補填は間に合いそうか?」
「えぇ、まだ“時”が来るまで十年以上ありますし、私の方はあと数年で完了します。ようやく何もできない日々から脱する事ができそうです」

 彼女がそう言うと、水精霊はまるで笑っているかのようにプルプルと震えた。

「何もできないと言う割には、随分と大それた事をしたではないか。“あちら側”に貴様の分身を送り込むなどと。“あちら側”の秩序が壊れたらどうするつもりだったのだ」
「あら、もしかして“移ろいし者”から聞きましたか? 大丈夫です。私の分身には人間以上の力を与えてはいませんから。それ以前に、彼は自分が普通の人間だと思っているでしょう。私は、私が予知した“記憶”を彼に送り込んで、そして小説を書くように思考を操作しただけなのですから。“あちら側”の秩序が乱れる事はありません。もっとも、それが発端でちょっとした社会現象が起きてしまいましたけどね。問題はその小説をどうアドリブで完結させるかです。私の記憶は破滅の記憶ですから」

 彼女は、まるでお茶目な悪戯がバレた時の子供のように笑いながらそう言ってから、今度は少し悲しそうに言葉を続けた。

 それから「さて、」と言って、彼女はまた全てを包み込むかのような笑顔を浮かべた。

「もう話す事もありませんね。またこうして話す時までお元気で」
「……待て」

 自分に背を向けて消え行こうとした大いなる意志を、水精霊は呼びとめた。
 彼女が「何でしょうか」と言って振り返る。

「“奴”の存在により、“こちら側”が“本来進むべき道”からどれだけ外れているか一応調べるぞ」

 その言葉に、彼女は少し驚きつつ口を開いた。

「しかし、世界の狭間にいる今の私では、それを詠む事などできません。その世界へ繋がる媒体がない限りは――」

 そこまで言って、彼女は水精霊の言わんとする事に気付いて口を閉じ、真剣な顔をした。

「あぁ、我が媒体となり力を貸す」
「そう言う事でしたら、私は構いません」

 そう言うと彼女は水精霊の前まで行き、「手を合わせてください」と言って右手を差し出した。
 水精霊もそれに右手を合わせる。

 それを確認した大いなる意志は目を閉じると、背中の翼を悠然と、大きく広げた。
 それと同時に、彼女の翼と、辺りを漂っていた羽根が薄く光り出し、その空間を更に明るくする。

 それからしばらくして、大いなる意志の表情が険しくなった。

「これは……!」
「どうした?」
「かなり大きな“ズレ”が生じています。それも一人の人間ができる範囲では最大級の物が。私達が一人の人間をあの世界に送るだけで、これ程正史から離れるなんて……!」
「何か問題はあるのか?」

 水精霊の問いかけに、大いなる意志は首を横に振った。

「分かりません。この世界が、形は違えど本来の道を進むのか、それとも全く違う道を進むのか……」
「貴様が予知する事はできぬのか?」
「今そのような事をすれば、“時”が来るまでに力が足りなくなってしまうかも知れません」
「……そうか。ならば奴に与えた保険が、いずれ役に立つかもな」
「少なくとも、未来が大なり小なり変わるでしょう。……“大災厄”の未来も無くなってしまえばいいのに」

 彼女は最後に、わずかな憎しみを込めて呟いた。

「有り得ぬ事だ」

 水精霊の短い返答に、彼女は「そうですね」と返してから、目を開いて水精霊から離れた。

「他にやり残している事はありますか?」
「いや、ない」
「そうですか。今はより良い未来になる事を祈るしかありませんね。私もいつかそちらへ伺う事もあるかも知れません。それでは、ごきげんよう」

 そう言うと大いなる意志は、先程現れた時のように眩い光に包まれ、それが薄れると共に消えていった。
 それと同時に、空間を支配していた強い光と純白の羽根が消える

「……道を違える可能性もある、か。死ぬんじゃないぞ」

 再び水と淡い光で覆い尽くされた世界で、水精霊がぽつりと呟いた。




[19353] 第11話 赤い狼と先見の瞳
Name: スタロド◆d524341c ID:00eea858
Date: 2010/07/08 18:23

 水精霊との邂逅から一ヶ月、あれからグラムは水精霊に一度も会えないまま日常を過ごしていた。
 あの日から何度もラグドリアン湖まで赴いたのだが、どう呼びかけても一向に出てくる気配はない。

 今の所、水精霊を確実に呼び出す事ができるのは伯爵だけなので、彼に頼む事も考えたが、転生云々の話を父親に聞かれる訳にはいかなかった。

 そんな訳でなす術無く悶々とした日々をしばらく送っていたのだが、人間とは不思議なもので、次第にその事を考える時間が少なくなっていき、何も進展しない現状に段々と興味も失せていってしまい、一ヶ月を過ぎた頃にはもうその疑問は頭の隅にまで追いやられてしまっていた。

 確かに気にはなるが、水精霊に会えない今の状態じゃ考えても仕方がない、また何か進展があった時に考えよう、といった感じだ。

 そうしてある程度の頭の整理がついた頃の朝、半月ほど前に学院に入学したフレイからグラム宛てに手紙が届いていた。
 他に家族全体に宛てての、現状報告の手紙も同時に届いていたのだが、なぜ俺個人にもう一枚来るんだろうかと疑問に思いながら、グラムは現在自室で受け取った手紙を読んでいる。


 手紙の内容は、学院にカトレアが一緒に入学してきた事に始まり、最初はそれにフレイも喜んだのだが、その美貌、人格、家柄、メイジの格やプロポーションのどれをとっても非の打ちどころがなく、入学して数日で瞬く間に人気者になってしまったとの事。
 初日で同クラスの男子の多くが心を射抜かれてしまい、彼女の周りには常に付き従うように人が群がっているらしい。
 その後他クラスは勿論、上級生までアプローチを仕掛けて来て、競争率がとんでもない事になっているのだとか。

 本来嫉妬深いはずのトリステイン女性貴族も、その慈愛に溢れた笑顔や包容力にことごとくやられてしまい、『あの方ならば仕方がない』と言って諦める人もいれば、『お姉様』と呼び慕う女子も出てくる始末。

 そんな訳で、彼女に近づく事ができない。自分はどうしたら良いだろうか? などと言った相談が、最後にグラムに向けて書き添えられていた。

 その手紙を読み終えたグラムは、最後の一文にパチパチと目を瞬かせた。
 それからフレイの真意を読みとったグラムは、苦笑して困ったように首を傾げた。

 いや、兄様、どうしたらいいかって聞かれてもどう答えていいか困るのですが。
 それ以前に7歳の弟に恋愛の相談を持ち込むってどうよ?
 男のプライドとか、そう言った物が、ほら、ねぇ?

 突っ込みたい事はグラムの頭の中に山ほど浮かんだが、取りあえずそれを仕舞い込んで、ペンを持って返事の内容を考える。
 思わず『そんな事弟に相談する暇があったら、とっととカトレアさんにアプローチしてこい!』と書きそうになったが、ぐっとこらえて、こらえ切れなかった分をオブラートに包んで書く。

 ――前々から少しは面識があった分、自分の兄はある程度有利な状況にあるはずなのだ。
 実際自分の兄の顔は悪くない、むしろ良い方なのに、いつも頼りなさげな顔をしているからそれが損なわれてしまっている。
 性格だって弱気だが、裏を返せば優しいという事だ。
 魔法の腕だって悪くないんだから、もっと自分に自信を持って、思い切って話しかけてこい。

 と言った様な内容を書いて、伝書鳩に返事を括りつけて送ったが、あの程度でどうにかなるなら苦労はしないんだろうなと、グラムは飛び去っていく鳩を眺めながら思った。

 その後、部屋に立てかけられていた杖剣を引っ張り出して、グラムは裏庭に向かった。
 この一ヶ月、水精霊に対する疑問で頭がいっぱいになる事もあったが、剣や魔法の訓練も毎日欠かさず行っていた。

 最近グラムは、自分で作った半自立機動型ゴーレム相手に演習のような事もしていた。
 だが、まだまだ未熟なその姿は、客観的に見れば子供のチャンバラ遊びの様に見えるかも知れない。

 そんな中、今日は一つある事を試してみようと思っていた。
 昨日息抜きにスケートをしている時に閃いたもので、『移動法にスケートを使いながら戦う事は出来ないか?』というアイディアだった。
 その気になれば普通に走るよりも速く移動できるし、足場を氷に変えてやれば、自分に有利な状況に引き込めるのではないか、という思惑もあった。

 小回りが利かなくなるなどの欠点も出てくるだろうが、とにかくやってみようという事で、グラムは裏庭に到着した。

「“氷結”」

 いつも氷を張っている場所に、今日も同じように呪文を唱えて杖剣を振り降ろす。
 グラムがラインメイジになった事で、この“氷結”の魔法には、同時に“固定化”の効果も付与できるようになった。当然ラインスペルである。
 普通の“氷結”よりは詠唱が長くなるが、二つの魔法を別々に唱えるよりも詠唱が短く済むので、グラムはこの詠唱を率先して使っていた。

 続いて靴の裏に“錬金”で刃を取り付け、氷の上を滑って中心まで行く。
 取りあえずゴーレム相手に斬りかかってみようかと思い、氷の張っていない所に自分と同じ位の大きさのゴーレムを生成した。
 少しだけ“硬化”魔法の付与をされた、ただの土ゴーレムを、自分の1メイル程前まで来させる。

 そこでグラムはゴーレムに向かって剣を構え、次いで氷を滑ってそのゴーレムに近づくと共に剣を振りかぶると、すぐに振り降ろした。

 結果、ズボッとゴーレムの頭部に杖剣が少しめり込んだが、グラムがそこから更に切り崩そうと足に力を入れると、そのままツルリと氷を滑って転んでしまった。
 ゴーレムの前に、前のめりに倒れ、それから「いってぇ!」と言いつつ氷の上を2,3回転げ回った後、グラムはぽつりと呟いた。

「あー、そりゃこうなるか……」

 氷の上なのだから、敵を斬る際に必要な、足に力を入れる事ができないのは当然である。
 なんでこんな事に気付かなかったんだろうなぁ、とグラムは仰向けに寝転がったまま呟いた。

 何にせよ実験は失敗である。
 グラムは諦めて氷を元に戻すと、中庭に戻って普通に訓練をする事にした。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



「――第四中隊の定期報告は以上です」
「そうか。御苦労」
「はっ、では、失礼いたします」

 モンモランシ私設軍第三大隊第四中隊長のガンツは、伯爵への定期報告を終えると一礼してその執務室を後にした。
 短い赤髪と、鷹のような鋭い碧眼、日焼けした浅黒い肌を持つその姿は、190サントを超える体躯と相まって、見るだけで常人を怯ませてもおかしくはない。

 しかし、彼が腰にさしているのは杖ではなく剣。それも杖剣などと言う類の物ではなく、魔法の発動体とならない何の変哲もない剣だった。
 これはモンモランシ軍とモンモランシ家の人間、及び使用人の間ではそれなりに有名な話だが、彼は貴族以前にメイジではない。

 通常の軍では、圧倒的なメイジ不足の時に、稀に非メイジが小隊長に抜擢される程度で、非メイジが中隊長以上になるとすれば、それはほぼ不可能だろう。
 しかし、三十代半ばの彼がそれを実現している所を見れば、その実力と伯爵の信頼が異常な物だとわかる。

 ましてやここはモンモランシ軍である。
 ここモンモランシ領は、領の南西はラグドリアン湖に面しているが、南東はガリアのオルレアン公領と隣合わせだ。

 それはつまり、ガリアとの戦争になれば、このモンモランシ領はその最先鋒に立たされ、平時も国境に軍を配備しなければならないという事。

 それゆえに、このモンモランシ家はかなり大規模な軍隊を持つ事が許されており、その軍の練成具合もそれなりに有名である。

 それを考えれば、その軍の中隊長に平民が就任し、尚且つ軍が荒れていないというのはまさに珍事だと言えるかも知れない。
 当然、彼に対する風当たりはとても強い。
 それでも伯爵の後ろ盾もない訳ではないが、その役職を繋ぎとめているのは彼のカリスマも関わっている。

 それだけに、ガンツの実力もまたその名に負ける物ではない。
 傭兵時代は数々のメイジをその剣で屠り、凄腕のメイジ殺しとして『赤狼』と呼ばれ、戦場で恐れられていた事もあった。
 今ではその事は、傭兵達に伝説として語り継がれているが、大体の貴族は「平民の妄想だ」と言って信じていなかったりする。

 そんな彼は、がっちりと鍛え上げられた体を揺らし、見る人が見れば全く隙が見つからない動きで正面玄関から外に出た。
 私設軍本部は、ここから馬で3分も走れば着く事ができる。

 置いてきた自分の馬の所に戻る為、馬小屋に向かって歩き出そうとしたが、あるものが目に入り、ガンツは足を止めそちらへ目を向けた。
 その視線の先では、金髪翠眼の少年が、普通より一回りも二回りも小さい剣を持ち、上から下へ素振りをしていた。

 ある程度剣の教養がある者が見れば、それは太刀筋が滅茶苦茶で構えも間違っており、ただの子供の遊びか素人のようにしか見えないだろう。

 しかし、ガンツはその様子を見て少し不思議そうな顔をすると、丁度傍を通り過ぎようとしていたメイドに声をかけた。

「あぁ、失礼、そこのメイド、あそこにおられる方は次男のグラム様で間違いないか」
「え? あ、はい。グラム様で間違いありません。少し前からああやって剣の稽古をしているんです。やっぱり男の子なんでしょうね」

 にっこりと笑って答えたメイドに彼は礼を言うと、素振りを続けているグラムに再び目を向けた。

 ガンツの目に映るグラムは、普通の子供とは少し違っていた。
 貴族が剣の稽古をしているだけで随分と奇妙ではあるが、彼の感じた違和感はそう言った事ではない。

 一心不乱に剣を振り、真っ直ぐに前を睨みつけるその眼が、何か明確な目的を持っているように――どこか未来を見据えているようにガンツは感じられた。

 別に、目的を持って剣術を鍛える人間なら、ガンツは今まで何人も見てきた。
 しかし、彼の目に映る少年はまだ7歳のはずだった。
 そんな子供が、何か明確な目的をその眼に宿して剣を振る所など、彼は未だ見た事がない。

 少し、興味が沸いた。


「グラム様」

 グラムの素振りが一段落したころ、ガンツはグラムに声をかけて近づいて行った。
 声に気付いて、グラムが顔を向けると、ガンツは一礼した。

「あなたは確か、私設軍の“赤狼”のガンツさんでしたか?」

 一メイルはあろうかという身長差で、グラムはガンツを見上げて首を傾げた。

 それを見てガンツはますます興味が沸いた。
 普通の子供なら、ガンツの風体や低い声に少なからず怖がるか怯むはずだった。
 それくらい自分は厳ついとガンツは自覚していた。
 しかし、目の前の少年はそんな素振りは全く見せない。

「名前を覚えて頂けていたようで光栄です。あなた様の剣を振る姿に興味が沸き、僭越ながら声をかけさせて頂きました」

 そのガサツな雰囲気とかけ離れた至極丁寧な物腰で、赤髪の大男はそう言った。
 もっとも、本来の彼は概ね見た目通りの人物だったりする。
 今の彼の物腰は、誰かに仕えるという立場に就いてから身に付いた仮初の物だった。

「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。お互い気疲れしますし。それで、興味が沸いたというのは一体?」

 見かけ以上に大人な対応と声色に驚きつつも、ガンツは言葉を続けた。

「はい、グラム様が剣術を鍛えている目的は一体何なのかと」
「目的? 目的ですか。うーん……」

 ガンツの質問を聞いたグラムは、頭に手を当てて唸り始めた。
 やがて、その唸り声が収まると、グラムは難しそうな顔をしながら再び口を開いた。

「……自分がしなければならない事をできるようになる為、でしょうか」
「しなければならない事……? それを為すために、剣術が必要だと?」
「まぁ、剣術じゃなくても、戦闘技能が身に付けば何でも良いんですけどね。実際魔法も鍛えるつもりですし」

“戦闘技能”という言葉に、ガンツは反応した。
 半分解ってはいたが、この少年はこの年で、チャンバラなどとは違う純粋な戦闘力を欲している。
 この翠緑色の眼が本当に未来を見通しているのだとしたら、その力を使って為そうとしている事は一体何だろうか?

「……して、その“しなければならない事”とは何なのでしょうか?」

 それを聞いたグラムはまた悩み出した。
 ただ、今度は『答えを考えている』と言うよりは『答えを話そうか迷っている』ようにガンツの眼には映った。

「笑わないでくださいよ?」

 話そうと決心したのか、グラムは上目がちにそう聞いてきた。
 ガンツがゆっくりと頷くと、それを確認したグラムはガンツをまっすぐに見て口を開いた。

「仲間と世界を守り、助ける為です」

 その答えに、ガンツはしばし呆気にとられた。
 『仲間を助ける』というのはまだ良い、だがこの少年は『世界を守り、助ける』と、まるでヒーローに憧れた子供が答えそうな言葉を発したのだ。

 ――そんな無垢な子供がする様な目とはかけ離れた眼差しを彼に向けて。

「……くく、くはははははは――」

 気付けばガンツは笑いを噛み殺していた。

 決して嘲笑ではない。
 この子供がこんな眼をしていなければ、何もおかしい事はなかった。
 剣を振っているのも今の言葉も、子供の憧れとして一笑に付す事ができた。
 この世界を一体何から守るのだと、そもそもの前提条件を突っ込む事もできたのだ。

 だが、その眼がそれを許さなかった。間違いなくこの少年は“現実”を見ていると、ガンツにははっきりと解った。

 まるで、本当に将来この子供が世界を何かから救ってしまいそうな気がして、そう感じた自分が可笑しくて、また、楽しかった。

「ちょっと、笑わないでくださいって言ったじゃないですか!」

 くつくつと声を漏らすガンツに向かって、グラムは若干引きながらも抗議の言葉を口にした。
 ごつい体を揺らしながら、厳つい顔に手を当てて笑いを押さえつけるその姿は中々に不気味で、それを見たグラムも平気では居られなかったらしい。

「あぁ、すいません。グラム様に向けての笑いではないので」

 ようやく笑いが収まったガンツの言葉に、グラムは「分からない」とでも言いたげに首を傾げた。
 そんなグラムに、ガンツは最後になるであろう質問を投げかける。

「先程『世界を守る』と仰いましたが、それは一体何からでしょう?」
「あー、正直わからないです」

 グラムが頬をポリポリと掻きながら、目を逸らしてそう答えた。
 正史から外れた今の世界では、どのような危機が来るのか、それ以前に来るのかどうかもグラムには予測不可能だった。
 自然災害である“大隆起”は確実にくるだろうと思ってはいたが。

 そんなグラムを見ても、ガンツの確信は揺るがなかった。そして心の中で思う。
 この少年の将来に一枚噛んでみるのも悪くないかも知れない、と。

 故に、彼はある一つの申し出をする。

「あなたの剣術、私がご教授させてもらってもよろしいですか?」
「え? いいんですか教えてもらっても!?」

 ガンツの言葉を聞いた途端、グラムは目を輝かせて彼に詰め寄った。
“赤狼”の噂はグラムも聞いた事があったのだ。
 その本人から剣術を教わる事ができるのならこれ以上の事はない

「あ、でも父様の了解が取れるかどうか……」
「私が伯爵様に頼んでみます。おそらく承諾してくださるかと」
「本当ですか!? ありがとうございます!」

 それからグラムは自分が必要以上にガンツに迫っていた事に気付き、慌てて距離を取った。
 次いで、何か思いついたかのようにガンツを見上げる。

「じゃあ、早速ですけど、さっきの素振り見てましたよね? ちゃんと形になってましたか?」
「そうですね――」

 これから剣を教える相手に、お世辞を言う必要はないだろう。逆にそれは失礼に値する。
 何より、この人物になら言っても癇癪を起こしたりはしないだろうと、今までの会話から確信していた。
 その顔をニヤリと歪め、一種凶悪とも取れる顔をして彼は答える。

「――構えも振りも無茶苦茶。基礎体力も筋力もまだまだ無いでしょうし、正直お話になりません」

 全否定を宣告されたグラムは「うっ」と呻いて頬をヒクつかせた。

「一応指南書を見て訓練してたんですけど、そんなにダメでしたか?」
「えぇ、ダメダメです。指南書が悪かったか、グラム様の解釈が悪かったか……おそらくどちらもでしょう」

 再びの辛辣な言葉に、今度はグラムは「ぐぅ」と音を上げると軽く俯いた。

「心配はいりません。私が全て矯正してみせましょう」
「……ならばこちらからも一つ!」

 ガンツの言葉を聞いていたのかいなかったのか、グラムはバッと顔を上げると、挑む様な視線を向けてそう言った。

「その顔や風体に敬語は全く似合いません。あなたはこれから僕の剣の師になるんですから、その薄気味悪い態度はやめていただきたい!」

 今度はガンツが顔をヒクつかせた。

「……薄気味悪いとは、まったくもって人聞きの悪い」
「いや、だって似合ってないんですもん。それも壊滅的に」

 ガンツの表情を見たグラムは、まるで子供が悪戯に成功した時のようなしたり顔でそう言った。
 ちょっとした仕返しのつもりだったのである。

 それを悟ったガンツは、先程とは別の意味で「クククク……」と笑い始めた。

「……肝っ玉だけは立派なようだな。みっちり鍛えてやるから覚悟しておくように」
「えぇ、これからお願いしますね。“師匠”」

 獲物を見つけた猛禽類のような顔をするガンツにグラムは内心竦み上がったが、何となく負けたくなくて無邪気な笑顔を捏造してそう返した。

 早速伯爵と話を付けるため、ガンツは背を向けて再びモンモランシ邸へ歩いて行く。
 そんなガンツは、後ろから発せられた「うっわー、怖ぇー」という小さな声と、地面に腰を降ろす音を聞き逃さなかった。



 ――――――――――
 ―――――――
 ――――



 夜、空にかかった雲が不規則に双月の光を遮り、それに伴って外の景色をうっすらと見え隠れさせる。

 ハルケギニアの夜は暗い。
 主な光源となっている月光が頼りないのならば、それは尚更だった。

 そんな薄暗闇の中、ヴァリエール邸の一室で天蓋付きのベッドの上に寝転がっていたルイズは身を起こした。

 ――寝られない。

 カトレアの快復記念にトリスタニアへ行った日を最後に、ルイズの行動範囲は大きく制限されていた。
 あれから約一ヵ月、一日の大半を屋敷の中で過ごす生活を強いられ、アンリエッタやグラムやモンモランシーとは手紙を交わしてはいるものの、一度も直接会ってはいない。

 そんな生活にいい加減ルイズは辟易していた。
 これほど退屈な日々を送っていては、遊び盛りの7歳の体は夜中に覚醒してしまう事も少なくはなかった。

 少し散歩でもしようと思い、ルイズはベッドの端に腰かけるとその細い脚を履き物に滑り込ませた。








 暗く広い廊下に、足音も無く素早く進む黒い影が一つ。
 夜闇に紛れるように全身を黒い装束に包んだその人物は、周囲の気配へ念入りに注意をしながら足を進める。

 いつでも魔法が使えるように杖を握りながら、その影は雇い主から言い渡された今回の標的の特徴を頭の中で反芻する。

 ――ピンクがかったブロンドの髪をした7歳の少女――

 この暗闇の中では髪の色は判別しにくいが、この屋敷には子供らしい子供はその標的しかいないので問題はない。
 客人も今日は来ていないはずだ。

 巨大な屋敷のとある一室に向かって、それは一直線に歩を進める。

 その様は異様に静かで、外から虫や蛙の鳴き声が聞こえるのみ。

 ふと、その人影は足を止めた。
 前方に耳をすませる。

 そのまま待つと、前から足音が聞こえてくる。
 歩幅は小さい。

 もう一度その影は周囲の気配を探る。
 前方から来る者以外他に人はいない。

 それを確認すると、その人物は廊下に置かれていた像の陰に隠れた。

 足音の主が徐々に近づいて来て、その像の前を通り過ぎる。
 歩幅から想像した通り、像の陰から見えたその姿は小さかった。

 そう分かった瞬間、その影は少女の斜め後ろから飛びかかった。
 それと同時に、わずかに顔を出した月が、窓越しにその少女を仄かに照らす。
 その目に映ったのは金と桃色の中間とでも言うような色。

 確信を持ったその影は空中で“ブレイド”を唱え、杖に纏わりつかせる。
 標的がその光に気付いてこちらを向き目を見開くが、もう遅い。

 その命を絶つべく、その影は杖を持った腕を振り降ろした。

 瞬間。

 ルイズの背後から、ブオオォ、と突風が吹き、それは器用に襲撃者だけを後方へ吹き飛ばした。

 同時に、廊下に備え付けられた魔法仕掛けの灯りが点く。

 襲撃者は床に叩き付けられる瞬間、受け身をとって素早く立ち上がった。
 今まで全く他者の気配を感じられなかったにも関わらず、接近を許していた事に動揺しつつもその人物を確認しようとするが、いきなり点いた強い光に目が眩んでよく分からない。

 その刺客が必死に見ようとしているのは、ルイズと同じ色の髪をした、現在公爵家を取り仕切っている存在。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 カリーヌはルイズを一瞥して無事を確認すると、一瞬でスペルを紡いで二体の“遍在”を作り出した。
 それらをルイズの守護に当て、本体は更に呪文を詠唱する。

 これだけの事を、彼女は敵が灯りの強い光に眩んでから立ち直るまでの僅かな間に成し遂げた。
 明かりの下に晒された全身黒づくめの刺客は、回復した視界の中でスペルを紡ぎだすカリーヌを捉える。
 それを見て慌てて詠唱を開始するが、それで彼女の詠唱速度に追い付ける筈がない。

 カリーヌの突き出した杖から風の刃が放たれるのを見て、刺客は詠唱を中断し横へ跳んで回避した。

 しかし、

「なっ!?」

 一瞬前までその刺客が居た所まで風の刃が到達すると、そこでその刃は唐突に向きを変えてその刺客の軌道を追いかけた。
 それは正確にその両脚首の腱を切り裂き、刺客から驚きと苦悶の声が漏れる。
 低い声から男だろうとカリーヌは当たりを付けた。

 足を切られ、着地する事ができずに、その男はゴロゴロと廊下を転がった。
 横たわったまま自分を切り裂いた女の方へ顔を向けると、彼女は警戒しつつゆっくりとこちらに近づいて来ている。
 その身に一分の隙も見受けられない。

 ――聞いてないぞ!

 刺客は心の中でそう叫んだ。

 なぜ公爵夫人がこれ程の戦闘力を保持している。
 一瞬の内に“遍在”を作り出し、尚且つ次の手に移る早さ。
 “エアカッター”を放った“後”で、寸分の狂いもなく操作し敵に当てる正確さ。
 どれをとっても常人のそれではない。
 いや、スクエアの中でもそうそういない。

 しかも、おそらくは始めから自分を生け捕りにするつもりだったのだろう。
 そしてたった今この夫人は、腱を切るという必要最低限の怪我でそれを達成しようとしている。

 化け物じみている。

 一瞬の嘆きを中断し、その男は次の思考に移る。

 彼我の実力差は圧倒的。
 しかしこのまま自白剤で洗いざらい吐かされては暗殺者の名折れ。

 ならば、と刺客は杖をカリーヌに向けた。
 それに対し彼女は防御の為に一瞬動きが止まる。

 しかし、それはその男のフェイント。
 その一瞬の隙を突き、その暗殺者は“ブレイド”を唱える。

 その意図に気付いたカリーヌは一気に距離を縮めて取り押さえようとするが、それより早くその男は自らの喉をかき切った。

 血を吹き出しながらその男は少しの間痙攣し、その後動かなくなる。

 物言わぬ死体となったそれの傍まで辿りついたカリーヌは男が死んだ事を確認すると、もうその様には目もくれず、しばらく他に敵がいないか周囲に全神経を張り巡らせていたが、やがて敵がいないと解るとため息をついて杖をしまった。

「何事ですか!?」

 次いで、明かりと物音に気付いて屋敷の衛兵が数人駆け込んでくる。

「あなた達は一体何をしていたのです!? 侵入者を許すなど言語道断!!」

 それにカリーヌは鬼のような形相をして怒鳴った。
 カリーヌの表情と、その傍らで血だまりを作って事切れている人間、そして床に座り込み、震えながら二人の“遍在”に介抱されているルイズを見た衛兵達は揃って顔を青ざめさせた。

 事が片付いたと分かったルイズは、緊張の糸が切れたのかそのまま気絶してしまった。
 そのルイズを抱え上げたカリーヌの“遍在”は、その目じりに浮かんだ涙を見つけて沈痛な面持ちをしながら指先でそれを拭き取った。



 ――その日々は、未だ始まったばかり……



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