暴走するジュエルシードと桃子の間でぶつかり合う尋常ではない魔力。
現在術式を用いて方向付けているとは言え、その圧倒的な魔力はひとたびコントロールを誤れば破壊を全方位に撒き散らすだろうことは間違いない。
そんなギリギリの線上で彼女は戦い続ける。
「くっ……ああっ………」
あたり一帯の息がつまりそうなほどになるほど濃い魔力の中、衝撃に耐えながら桃子はジュエルシードの手綱を必死で握る。
これは死闘だ。桃子が倒れるのが先か、それとも桃子が暴走ジュエルシードを押し切るのかという。
ただ、疲れ知らずの暴走ジュエルシードに対して桃子は圧倒的に不利ではあるが。
「桃子さん! 今私も!」
桃子がジュエルシードを用い始めたためにシールドを保持する必要のなくなったリンディが息を整え終わると、彼女の援護に回ろうと動く。
「いえ、待ってください!! あっちの様子が……」
しかし、それをリニスが声を上げて止める。
見ると、綺麗な青白い渦を巻いていた暴走ジュエルシードだが、ノイズが走るようにその均整がところどころ崩れている。
「これは、ジュエルシードの安定性が崩れている?」
青白い渦はますます不定形となり、ついには青白いなにかの靄のようになる。
「でも、攻撃は相変わらず……」
打ち込まれる砲撃の威力に変化はないようで、桃子のおかげと言うわけではなさそうであった。
原因を彼女らが推察する前に、靄は心臓の鼓動のように収縮と拡張を繰り返し始め、ばちばちと「紫色の」魔力を表面に弾けさせるようになる。
次第に表面を迸る魔力は激しくなっていき、ついには爆発した。
「な!?」
「え!?」
「くぅ!?」
「うわっ!?」
四人は発されたあまりにも強すぎる光に目を閉じ、来たるべく威力に身構えた。
だが、なにも衝撃はない。
変わりに、ありえないはずの声が聞こえてきた。
「……母さん、だよね?」
「ええ、そうよ」
「帰って、これた?」
「もちろんよ。フェイトのおかげね」
「そっか……」
しっかりとフェイトを抱きとめたプレシア・テスタロッサが、恐る恐る目を開けた全員の眼前、渦から少し離れた場所に立っていた。
その身を支える両足はしっかりと地を踏みしめており、顔色も健康そのものであった。
「ただね、フェイト。ちょっとだけ母さんはやることがあるのよ」
「え……?」
「大丈夫。ちょっとした後片付けだけだから。あの人たちの後ろのほうで待っててくれる?」
「……うん、わかった」
そっとフェイトを下ろすと、あまりの事態に言葉を失っている皆の方を指さし、そう説明した。素直に頷くと、フェイトは小走りに言われた通りの場所へと向かう。
その後ろから、四人の元へプレシアはまっすぐに歩を進め、まず第一に自分の使い魔を見ては鼻で笑った。
「ふっ、いつまでアホ面晒してるの? まだまだこれからなんだからしゃきっとなさい」
「って、プレシア! あなた大丈夫なんですか!?」
「当然平気よ、気になるなら精神リンクなりで勝手に調べなさい」
食って掛かるリニスを軽くいなし、歩みを止めることなく今度はリンディの肩をぽんと叩いて通り過ぎる。
「色々迷惑かけたわね。まあ、もうちょっと苦労していただくけど」
「翠屋さんのケーキ二週間分で手を打つわよ」
「多いわ、10日になさい」
ため息とともに苦笑してジョークを漏らしたリンディの発言にちょっぴり微笑みながら、ユーノを一瞥した。
「あらちょうどいいわ。ちょっとあなたフェイトのこと見ていてくれる?」
「へ? あ、はい」
「ただ、怪我させたり手を出したりしたら次元の狭間を永遠に彷徨わせるわよ」
母親の発言を聞いていたのか、既に自分の後ろにやってきていたフェイトとプレシアを交互に見てユーノはちょっと青ざめる。
最後に、一瞬気を抜いてしまったのだろう、一度崩れかけたジュエルシードのコントロールを取り戻そうと必死になりながら、ちらりと視線を送って来た桃子の側に立ち、そっとレイジングハートに手を重ねた。
瞬間、術式の処理速度が格段に上がりる。プレシアとフェイトが外に出てきたとは言え暴走は止まらず、桃子の制御の崩れたために押し込まれ気味だった攻撃も押し返し始めた。
「相変わらずね、桃子」
プレシアが送ってきた言葉にどんな意味があったのか、それは桃子にもよくわからない。
ただ、彼女は無事で、自分の名前を呼んでくれた。これがわかるだけで満足だった。
「そっちは……なんか若返ってない?」
「ふっ、さあね」
横に並んだプレシアの顔色はよく、唇も健康的な赤さを持っていた。
さらに言えばその瞳にある灯火が冷たい炎ではなく暖炉のような包み込むような暖かさを湛えているのがわかる。
どちらかともなく二人は笑顔を交し合った。
「あー、仲がいいのは結構だけど、とりあえず今は目の前の問題に集中しましょ?」
レイジングハートに添えられる手が増える。声の聞こえた方向、プレシアとは反対側に振り向くとリンディがウインクを送ってきた。
「ええ、そうですね。これでは落ち着いて話もできません」
さらに増える手は、桃子とは逆のプレシアの隣に立ったリニスで、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
全員で処理することにより術式の効率は跳ね上がる。徐々にではあるが、暴走ジュエルシードからの砲撃を押し返し始める。
「あたしたちはね!」
「これくらいじゃ!」
「負けは!」
「しないのよ!」
四人の叫びとともに、術式に取り込まれた八つのジュエルシードから撃ち出される魔力が濃く、そして太くなった。
魔力の感じ取れない、ほぼ魔力のない少女にしてみても、それは恐ろしい光景だった。
母と、姉的存在と、以前お世話になった女性、最後に知らない女性の四人はフェイトに背を向けて立ち、なにやら形に定まらない何かからの攻撃を受け止め、押し返そうと頑張っている。
だが先ほどから動きがなく、きっと母なら大丈夫だとは思っても不安が高まってくる。気づけば、殆ど時間は経っていないというのに手のひらは汗でぐっしょりと湿っていた。
「Miss, could you help me? (お嬢さん。手を貸していただけますか?)」
「ひゃっ!? 誰? どこ?」
突然聞こえてきた落ち着いた男性のような声に、フェイトはびくりと身を震わせた。
きょろきょろと周囲を見回すが、男というと自分を守ってくれるらしい少年しかおらず、しかも先ほど聞いた少年の声と今の声は全く違う。
「Here. On the table in front of you. (ここです。あなたの後ろの机の上にいます)」
「え?」
更に聞こえてきた声に、ゆっくりとフェイトは後ろを振り返る。
そこには、元々この部屋にあったのだろう机があった。そしてその上、よくわからない数式が大量に書かれた紙の上、金色をした三角形のプレートがきらりと輝いた。
「もしかして、あなたですか?」
「Yes miss. Nece to meet you. (ええお嬢さん。初めまして)」
まさかと思って声をかけると再びプレートは光る。
人間でも使い魔でもないのに人間の言葉を話すその存在について、フェイトは一つだけ思い当たるものがあった。
「もしかして、デバイス?」
「Certainly. Well, can you answer me? (まさしく。ところで、お答えいただけますかな?)」
「え……あ。あの、私で役に立てるなら」
「I appreciate you. (かたじけない)」
もしかしたら母親の役に立てるかもしれないと思ってフェイトは咄嗟にOKを出してしまう。すると、心なしか嬉しそうにデバイスは返事をするのだった。
「Though it is sudden, I ask you to bring me for Ms.Testarossa. (突然ではありますが、私をミズ・テスタロッサのところまで運んでいただけないでしょうか?)」
「母さんのところ? でも……」
後ろで待っているように言われていたことを思い出し、フェイトはその秀眉をひそめてしまう。だが、デバイスは根気よく彼女を説得せんと言葉を重ねる。
「No problem. On the contrary, you can help Ms.Testarossa. (大丈夫ですよ。それどころか、ミズ・テスタロッサの助けになれますよ)」
「母さんの、助けに……」
デバイスの言葉にフェイトは悩み込んでしまう。
母の役に立てるなら立ちたい。だけれども、言付けを破ってしまうことには変わりない。その板ばさみ。
――でも……
もう、彼女は一人が、いや、なにも出来ないというのが嫌だった。ずっと待っているのが。
さっきだってそうだ。
待っているだけでは、なにも起こらないのだ。自分で望み、手にしたいと思ったからこそ再び母は彼女の前に立ってくれている。
自分に出来ることだけでいい。それがあるなら、もう悩みはしない。
「うん、やるよ」
手を伸ばし、ちょっとひんやりと冷たいデバイスを手におさめる。
「母さんのところへ、連れて行ってあげる」
きっと前を見据えるフェイトの瞳は、俯きがちだった少女のそれでは、もはやない。
暴走しているジュエルシードは九つ。こちらが使っているのは八つ。
しかも、ただ力を吐き出せばいいあちらと違ってこちらはその力を上手く制御しながら使わなくてはならず、いくら四人で支えているとは言え、押し切れない。
その変わりに疲労ばかりが溜まる。
――まずいわね……
プレシアが心の中で思うと同時に汗が顔の横を流れ落ちる。
足りないのだ。まだ処理能力が。押し切るには魔力をコントロールするだけではなく、それ自体をもう一つのちゃんとした術式に乗せて威力を高めた攻撃を用いなくてはならない。だが、四人でも足りない。
どうにかしないと、そう思った丁度その時に背後から声が聞こえた。
「I haven't seen you for a long time, Ms.Testarossa. (お久しぶりです。ミズ・テスタロッサ)」
「あなたは……」
「ば、バルディッシュ!?」
声をかけられたのはプレシアだったにも関わらず、一番驚いた声を出したのはリニスだった。それもそのはず、バルディッシュを製作したのはリニスだったのだから。
「ど、どうしてあなたが――」
「静かになさい、リニス。私に用件があるみたいなんだから」
立て続けに疑問を発しようとするリニスを黙らせると、振り返ることもなく淡々とバルディッシュに声をかける。
「で、なんの用?」
「Please use me. It will be sure to be useful. (私をお使いください。必ずや役に立って見せます)」
「……リニスが趣味で作ってみたけれど接近戦用なんて私には合わないから今までずっとお蔵入りだったあなたが?」
「Yes. (はい)」
「ふうん……」
そのままプレシアは黙り込む。
が、すぐに口元にゆっくりと笑みを浮かべると、後ろへ片手だけを伸ばした。
「フェイト」
「は、はいっ!」
「それを私に渡しなさい」
「う、うん……」
今までなにも言わなかったのに、どうしているのがわかったんだろうと疑問に思いながらも、フェイトは差し出されたプレシアの手へとバルディッシュを乗せる。
「バルディッシュ、しくじったら許さないわよ?」
「Yes, sir. Set up.」
プレシアの命令に従い、バルディッシュが輝きを増す。
次の瞬間にプレシアの手にあったのは黒光りするボディを持った、斧のような形をしたデバイスだった。
「Canon form.」
セットアップ時の廃熱を排気すると、斧の部分が回転し、砲撃モードへと移る。
「やるわよ」
「Yes, sir.」
バルディッシュはレイジングハートの横へ並べられる。するとすぐさま両AIはお互いの機能をライドさせ、処理能力が上げられる。それだけでなく、なにやら交信があったようだが。
「プレシアさん?」
「平気よ。ただちょっと術式を教えてもらっただけだから」
「は、はぁ?」
よくわからないながらも、桃子はとりあえずジュエルシードの制御に専念する。なにやらプレシアの笑顔が怖いことは忘れることにして。
「さあバルディッシュ。準備なさい」
「All right.」
ジュエルシードを制御している桃色の魔法陣、その周囲にプレシアの足元に紫色の魔法陣が四つ浮かび上がる。
それは、どこかで見たことがあるものだった。
「え!?」
一番に気づいたのは桃子で驚きの声を上げるが、プレシアは落ち着いたままだ。
「ジュエルシードの魔力の制御も、言ってしまえば周囲に存在する魔力を無理矢理収束する行為と同じよ。まあ、難度は比べ物にならないけれどね」
暴走しているジュエルシードからの攻撃を受け止める一方、プレシアが空中に展開した魔法陣には魔力が高まっていく。ジュエルシードを制御して得た魔力だ。
「だからね……これで、終わらせられるのよ」
死ぬわけでもないのに、プレシアの脳裏には走馬灯のように過去が流れていた。
まだ大学の学生時代だった自分。
絡んできた紫髪の変態科学者がうざかったので雷を落とした。
24時間を越える出産の末に生まれたアリシアの元気な産声。
笑顔を振りまきいつも自分の後ろをついてきてくれた。
事故で娘を失い、狂気の底に陥った。
また現れた紫髪の変態科学者がもたらしたプロジェクトF。
生まれたフェイトと忘れていた約束を思い出した。
ジュエルシードを巡り戦った。
一度は死んだ。
――でも、ね。
この過去全ては、今に繋がっている。
「自分で蒔いた種だもの。自分でどうにかするわ」
そして今は、未来へと続く第一歩だ。
だから、前へ進もう。
世界はいつだってこんなはずじゃなかったことばかりだけれど、それでも。
「スターライト……ブレイカー」
立ち止まりはしないから。
青天の空の下、早足というより小走りに進む親子の姿がある。
娘のほうは母親に手を引かれながらも、どうして自分がこうしているのかわかっていない様子だ。
「ねえおかーさん、どこ行くの?」
「ふふふー、それはね。とってもいいところよ」
「にゃー、それじゃわかんないよ」
「大丈夫大丈夫、お母さんにまかせなさいって」
結局、桃子の返事は同じことの繰り返しで、なにも核心に近い部分がわからない。桃子の肩に乗ったユーノがすまなそうに見てきていたので肩を竦めてみせたら、ユーノも同じような仕草をした。
なのはは最近、ちょっと母親が変わったように思う。正確に言うとユーノが家に来て、桃子がちょくちょく外へ出かけるようになってから。
どこが明確に変わった、ということはどうも言えないのだが、どこかが変わったということは確実にわかる。
まあ、だからといってこうしていきなり朝早くから連れ出すのは、朝に弱いなのはにとっては勘弁して欲しいものであるが。
「ふんふんふーん」
ただ、鼻歌を歌いにこにことご機嫌な母親を見ると自分まで嬉しくなって、そんなことどうでもいいかと思ってしまうのは、なのはが桃子のことが大好きな証なのかもしれない。
運動は苦手だけど桃子に遅れないように足を頑張って動かしながら、繋がれたその手をぎゅっとさらに強く握った。
二人は海鳴臨海公園へとたどり着こうとしていた。
朝の爽やかな潮風を浴びながら、海沿いを歩いていくと、誰かを見つけたらしく桃子がぱっと手を大きく振り出した。
「あっ! プレシアさーん! リンディさーん!」
あまりにも子どもっぽいその仕草に、自分の母親ながらちょっと恥ずかしくなったなのはだが、桃子が手を振っている方をそっと見た。
そこには、桃子と同じくらいだろう年齢の女性が二人と、
「わあ……」
なのはと同じくらいの年だろう金髪の少女がいた。朝の陽光を浴びて輝くその髪は、物語の中にいる妖精のようなイメージをなのはに与え、心をどきりとはねさせる。
ついその少女に見とれていると、いつの間にかすぐ近くまで来ていたらしく、母親の足が止まり、なのはもそれに合わせて止まる。
緑色の髪の女性が一歩前に出て、笑顔を浮かべた。
「久しぶりね。元気だった?」
「ええ、もちろん」
どうやらその女性は桃子と知り合いだったらしく親しげな様子で二三言葉を交わすと、次になのはへと視線を移した。
「もしかして、あなたが……」
「ええ、そうよ。桃子さんの自慢の娘よ」
なのはは、ちらりと送られた桃子の目配せでその意思を理解する。
「あのっわたし、高町なのはです!」
言って、ぴょんと跳ねるように一度お辞儀をする。
顔を上げると緑髪の女性はより一層深まった笑顔で迎えてくれた。
「あら、丁寧にどうも。私はリンディ・ハラオウンといいます。でもごめんなさいね、こんな朝早くから」
「いえ、そんな全然です。……あの、ところで急な質問で悪いのですが、お母さんとは知り合いなんですか?」
「ええ、そうよ。私たち、最近桃子さんと知り合ったんだけど、もう外国に戻らないといけないから長くお別れなのよ」
「あ、そうなんですか」
「そういうことよ」
横合いから声が入ってきた。その方向へ顔を向けると、もう一人の大人の女性と先ほどの少女が近寄ってきた。
「どうも、初めましてなのはちゃん。私はプレシア・テスタロッサよ。お母さんには色々お世話になったわ」
「あ、はい。どうもです」
「それと、こっちが私の娘ね」
プレシアはそっと、自分の影に隠れるようにしていた少女の背中を押して、なのはの正面に立たせる。
「ふぇ、フェイト・テスタロッサです!」
緊張した様子で、お辞儀した少女はその後で、恐る恐るとなのはの顔を覗き込んできた。
遠目ではわからなかったが、フェイトと名乗った少女の瞳はルビーのように真っ赤だった。でも、不安なのかちょっぴり揺れていて、それを安心させるように自然となのはの表情は笑顔に変わっていく。
「じゃあ、フェイトちゃんだね!」
いきなりはどうかなと思ったけど、名前を呼ばれた本人はちょっとびっくりしたらしく目を見開いていたが、すぐにほっとした様子で息をつくとはにかみながら笑顔を返してくれた。
「うん、そう。君は、なのは……だね」
「うんっ!」
お互いにもう相手しか目に入っていない二人は気づかなかったが、大人の女性三人が優しく見守っていた。
さっき会ったばかりなのに既に長年来の親友同士であるかのように笑顔で話を弾ませる子ども達二人の様子を、少し離れた場所から桃子、プレシア、リンディの三人は眺めていた。
「正直、心配だったのよね」
最初にぽつりと呟いたのはプレシアだった。
「家族全員がまた集まるのが唯一の幸せなんだって、そう思い込んでいて、それまでの辛抱だとかなんとか言い訳つけてフェイトには辛い思いをさせていたわ。友達も作るチャンスすら与えずに」
だが、今フェイトは楽しそうになのはと語らいあっていた。つい目頭が熱くなる。
「あーあ、私もクロノを連れてきたかったわ」
「息子さんだっけ?」
「そ、14歳だから二人より五歳年上だけどね」
残念そうに肩を落とすと、リンディはそのまま桃子とプレシアから離れて行った。
「取りあえず時間はまだあるし、積もる話もあるでしょうから私はちょっと海風にでも当たってくるわ」
振り返ることもなく手をひらひらと振って立ち去る彼女の背中めがけて、桃子の肩の上からフェレット形態のユーノが走っていき、プレシアの後ろにずっと控えていた山猫形態のリニスも足早にその後を追う。
「……あはは」
「ふふっ」
気を利かせてくれたんだろうということがわかり、つい桃子とプレシアは目線を合わせて笑い合った。
海沿いに設置されている手すりに腰を下ろす。
色々話をしたいと思ったことは沢山あったのに、なぜか実際に一対一になると言葉に出なくて、尋ねたいことも山ほどあるのだけれど、事前に考えていた順番も飛んでしまう。
だから結局、一番気になることを聞くのだった。
「アリシアちゃん、どうしてる?」
失われたアリシアの話題を出すというのは、プレシアの一番デリケートな部分に対して切り込むことであり、桃子はつい目を逸らしてしまった。
「そうね……アリシアは相変わらず寝ているわ」
だが、予想以上にプレシアからの返事は穏やかだった。
「結局前と変わらないわ。まあ、悪くなっているわけではないからいいのかもしれないわね」
あの時、暴走したジュエルシードをプレシアが並行して使ったスターライトブレイカーで封印した。だが、時の庭園はもう限界であり、プレシアはアリシアを目覚めさせるなにかしらの手段を講じることも出来ず、生体ポットごとアースラに非難しただけだったのだ。
「もう一度、アリシアも一緒に家族みんなで考え直すわ」
桃子が顔を向けると、海風で揺れる髪を手でそっと押さえつつ、プレシアは穏やかな表情で彼女の方を見ていた。
「アリシアは今だって大事よ。だけどね、また今回みたいに誰かに辛い部分を押し付けるような形では駄目なのよ。それだと必ずどこかで借金のツケが回ってくるのね」
話の途中でちらりと、逸らされた彼女の視線の先にはプレシアの娘の一人がいた。
「どうすることが最善なのか、まあ幸い退屈な裁判もあるし考える時間は沢山あるしね」
冗談めかし、肩を竦めてみせるプレシアだったが、桃子にとってはそう簡単に流せる話題ではなかった。顔色を青ざめさせて桃子は詰め寄る。
「って、そうよ! 裁判があるんでしょ、大丈夫なの?」
次元世界の法律がどうなっているかはわからないが、あれだけの破壊力があるジュエルシードの使用。さらにはクローンの研究とあっては、なんだか無事に済むとは到底思えないのだ。
せっかくフェイトが母親との幸せな絆を取り戻せたのにまた離れ離れとなっては、あまりにも悲しすぎる。
「ああ、それはなんとかなりそうよ」
「ほんとに?」
「ええ」
訝しげに自分よりちょっと身長の高いプレシアを桃子は見上げる。なのに当の本人はどこ吹く風といったばかりに普段通りであった。
「まあ、ロストロギアの違法使用にクローンの違法研究、管理局員の公務執行妨害、相手が魔導師とは言え管理外世界住民に対する魔法使用とか確かに普通だったら無人世界の軌道上刑務所送りがいいとこなんでしょうけど」
「ええっ!?」
途端に狼狽する桃子だが、プレシアはそんな彼女の姿が面白いのかにやにやと笑みを浮かべる。
「管理外世界住民に対する魔法使用と公務執行妨害は、あなたとリンディ、それにレティが報告として出さないって言ってくれたからグレーゾーンだけど無しね。代わりに最後のところでジュエルシードの封印を手伝ったことを強調してくれるらしいし、クローニング技術の方を再生治療の方向に提供することと、使ってた違法取引ルートとか、やり取りしてた自称アルハザードの遺児とかいう某広域次元犯罪者のデータを提出すれば政治取引になるし、なんだかんだで私の研究力と魔力が売りに出せるから、まあ大分拘束はされるとは思うけれど、家族はばらばらにならないで済みそうよ」
「そっか……」
正直言って、細かいところは桃子にはよくわからなかったが、とにかく結論として再建された彼女の家族は変わらず一緒に暮らして行けそうだというそれだけで十分であった。
「よかったわね」
「結構なところは、あなたのお陰だけれどね」
「そんなことはないと思うけど……それより!」
びっと桃子はプレシアの鼻先に指を突きつける。
「なんだかね、その『あなた』っていうの、他人行儀な気がして嫌なのよ」
「……なら、どうしろと言うのよ」
「簡単よ。フェイトちゃんとなのはと同じ」
それだけ言ってにっこりと桃子は笑う。
なんとなくプレシアは桃子の言いたいことはわかるのだが、どこか気恥ずかしく思う。
「あのね、私たちは子どもじゃなく大人なんだから――」
「えー、いいでしょプレシアさんそれくらい」
「む」
笑顔を崩さずじっと待ち続ける桃子に、ついにプレシアは降参とばかりに両手を挙げてしまう。
「はいはい、わかったわよ」
小さく息をつき、子どもを相手にするような口調でそう言う。
「そうね、ジュエルシード越しに初めて会った時からずっとしつこかったわよね、桃子は」
「桃子さんはこれだって思ったことは絶対に諦めないのよ」
「ああ、そんな感じがするわ」
色々とここ一月程のことを思い出したのかプレシアは苦笑する。それでも、その声音は楽しそうなものだったが。
どちらからとなく、お互いの娘の方を見る。
そこでは、なのはは白の、フェイトは黒のリボンを手に持ち、お互いの髪をそれで結わえあっていた。再会の約束というわけだろうか、リボンの交換であった。
微笑ましいそんな光景を見て幸せな気分に浸っていたら、プレシアがぽつりと沈んだ声を漏らした。
「でも、今回は迷惑かけたわね」
「え?」
突然しんみりと言い出したプレシアに、桃子はきょとんした様子で目を瞬かせる。
しかし、すぐにくすくすと笑い始めた。
「なにらしくもないこと言ってるの、これくらい平気よ!」
両手に腰を当て、胸を張って言い放つ。
「だって、桃子さんはお母さんで魔法使いなんだから、ね?」
『後書き』
ちょっと短いですが最終話。
ジュエルシードを少々便利アイテム扱いしすぎた感はありますがこれにて一件落着。プレシアさんの減刑具合には異論もあるかと思いますが、フェイトちゃんのためと思って一つお願いします。
魔法パティシエリリカル桃子はこれにて終了とさせていただきます。
当初はA’s編もやろうかと思っていましたが、ついノリではやてを桃子さんの友達としてしまったせいで本来の流れから大きく乖離というより崩壊が決定しています。しかも上手い再構成をするには自分はあまりに未熟ですので、区切りのついたここで終わりにしました。
至らない点も多々ありましたが、みなさまのご感想、ご指摘、ご声援のおかげでやってこれました。
ここまで拙作をお読みいただきありがとうございました。
~おまけ~
「はぁ~」
早朝にはプレシア・テスタロッサと一対一で戦った。
「はふぅ」
その後は息をつく間もなく時の庭園へと出撃し、なんとかジュエルシードの封印に成功。
「あー」
正直に言って、高町桃子はもうくたくただった。もう指一つ動かしたくないほどに。さらには一仕事成し遂げた後の達成感も重なってなまけものと化していた。
風呂だってなのはが一緒についていなければ眠ったまま沈んでいたかもしれない。今だって四苦八苦しながら恭也が作った夕食を食べてもう結構経つというのに、ソファにひたすらぼーっと座っている。
「おーい、桃子」
「なぁに士郎さん?」
「疲れているんだったら、もう寝たらどうだ?」
「んー、そうするー」
半分閉じた目でのろのろと動き出すその姿はもう頼りなく、士郎はちょっぴりと肩を竦めていたのだが、桃子の目には入っていない。
「まてまて桃子。先に歯を磨かないとだめだろう」
「えー」
「えー、じゃない。ちゃんとやらないと子どもたちにも示しが付かないだろう」
「むー、じゃあ、士郎さんやってー」
「……は?」
あんまりにもあんまりな桃子の発言に、死線を幾度となく潜り抜けてきた士郎も、動きを止めてしまう。
「も、桃子?」
「はやくやってー」
「いや、でもな」
「はーやーくー」
ソファを両手でぺしぺしと叩きながら催促する桃子は、もう士郎が歯磨きをやることで脳内決定されている。
対する士郎は困ったように頭を掻いていた。
――ど、どうしたものか。歯磨きを代わりにやるなんて、そんなの……いや、俺たちはとっくに夫婦なんだからこれくらい普通だよな? 「あーん」のちょっと変形バージョンくらいだろう。それに、最近桃子が出かけてたから俺の桃子分も足りないし、これくらいのスキンシップがあってもいいよな? うん、そうに違いない。いや、そうに決まった!
「しょうがないなぁ桃子は、今日だけだぞ」
口ではそう言うものの、肉体的に無茶だとわかっていても神速を使ってしまいたい思いをどうにか押さえ、しかし迅速に洗面台まで言って桃子の歯ブラシを入手してくる。
「よし、それじゃあやるぞ」
「はーい」
桃子に並ぶようにソファに腰掛けると、彼女の頭を膝の上に導く。素直にころんと転がった桃子は、最初は頭の置き場が気に入らないのかもぞもぞと動いていたが、暫くして納得したのか全身の力を抜いて士郎に体を預けた。
もうすぐ33歳とは思えない美貌を誇る妻が無防備に自分に膝枕されているという状況である。真上から彼女を俯瞰しているというアングル、ばさっと広がっている艶やかな髪、男として高ぶらずにはいられない。
――くっ、鎮まれ俺の煩悩。ここで手を出したら負けだ。そう、御神の剣士に負けはないんだ!!
まだ夜も浅いというのに襲い掛かるようそそのかしてくる悪魔は御神流奥義之六薙旋を放って吹き飛ばしていおいた。
「ほら、口開けろ」
「あーん」
そして、歯ブラシをそっと桃子の口内へと差し入れる。
「んぅ……あ」
歯にブラシを当てて動かす。
「はぁ、んんぅ、ふぁ」
「……」
「ん、あ、あふ」
が、なにやら桃子の口からは艶かしい声が漏れだしてきており、士郎の心の城壁をがりがりと削っていく。さすがに士郎も堪らず、一度歯ブラシを抜いた。
「なあ桃子、大丈夫か? なにか変なところぶつかってたりとかはしないよな?」
「ふぇ? ……ふぁあ、ふぇいきよ」
「そ、そうか、ならいいんだが……」
脳内では妹の美沙斗を召喚して煩悩打ち負かしに協力してもらい、とにかく早めに終わらせようブラシを動かすことに専念する。
「んん……やぁ」
だが、眉を寄せてなにかに耐えている姿に生唾を飲まずにいられなかった。
「ひゃう……ん、あふ、ぁあ」
歯を磨いてもらっているからには大きく動くことが出来ないのだろう、どこか落ちつかなそうに足をもじもじとすり合わせているのも、たまらない。
「んう、あぁ……ふぁあん」
ぎゅっと握り締めている両手は胸元に置かれているのだが、パジャマという薄着であるために、ふくよかな双子のマシュマロが両拳によって柔らかに形を変えている様が手に取るようにわかる。
「あぁ、うぅん、しろうふぁん……やぁ、あん」
高町士郎は徹夜を覚悟した。
そんな仲むつまじい夫婦を影から見守るものが二人。
「父さんも母さんも……」
「にゃー……」
額に手を当てて嘆息するのは恭也、目を覆っているようで指の間からしっかりと見ているのはなのはだ。
「もういい歳だっていうのに……」
「おかーさんたちなんか楽しそう。ねえおにーちゃん、なのはにもやって」
「なあっ!?」
『あとがき』
ある意味有言実行。歯磨きプレイ普及に協力してみた。
こんな妄想ばっかりでもいいよね。だっておまけなんだもの。