<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

とらハSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[19546] 魔法パティシエリリカル桃子【完結】
Name: 細川◆9c78777e ID:2a504d59
Date: 2010/10/31 17:58

『誰か僕の声を聞いて……力を、貸して……魔法の、力を…………』




ぱちり、朝日に目が覚めた。

「うーん、なんだか変な夢見ちゃったわねえ……」

しかし、爽やかな春の朝の空気とは対照的に女性は眉根を寄せている。それでも気分を切り替えるようにぐっと伸びをすると表情をいつものものに切り替える。

「さーて、今日もがんばりますか!」

彼女の名前は高町桃子。喫茶翠屋のパティシエ。ここ高町家においては五人家族のお母さんである。

「おかーさんおはよう」
「あら、おはよう」

真っ白な生地に赤いリボンがよく映える私立聖祥大付属小学校の制服を着込み、髪を二つに結わえた少女の挨拶に、台所で朝食の準備をしていた桃子は笑顔で答える。

「これ、お願いね」
「はぁい」

家族全員分の飲み物を乗せたお盆を手渡す。
少女は桃子の娘で名前はなのは。この春で小学三年生になる。
純粋な娘の笑みに夢見は悪かった桃子の調子は、いつの間にか戻っていた。




午後の二時過ぎ。喫茶翠屋では昼間のラッシュが過ぎ少しばかり落ち着きを取り戻す時間である。ただそれも中高生の帰宅時間にあたる四時近くまでの準備期間のようなものでしかないのだが。
そんな時間に、桃子は店を一旦抜け出して海のほうへと歩いていた。
東京の一流ホテルに若くしてパティシエとして採用された経験を持つ桃子だが、さすがにこうして気分転換がなければやっていられないので、たいていこの時間にちょっとした休憩を貰っている。そして、今回は海が見たい気分だったので海鳴臨海公園のほうへとやってきたというわけだ。

「はぁ、やっぱり自然の中はいいわねぇ」

うきうきと散策を楽しんでいた桃子は自然の空気を胸一杯に吸い込んだ。

『助けて』

はたと桃子の足が止まる。
周囲を見回すが人影はない。

『助けて!』

再びの声に息を呑む。
周囲にはやはり誰もいないいが、声に桃子は聞き覚えがあった。

「夢と……同じ?」

人影を探して周囲を見回していたが、夢の中の風景と今の場所が非常に似通っているいることに気づく。
そして、もう一つ夢を意識させる違和感があった。

『誰か……』

声の感覚がおかしいのだ、言うなれば耳で聞こえておらず、直接脳内に聞こえてくるようなそんな感覚。
なんとなく感じる声の発信されているであろう方向へ桃子は進む。
木々の中、下草を掻き分けるように進んだ桃子の目に、小動物が映った。
少し小走りに近寄る。

「あら、この子怪我してるじゃない」

イタチかフェレットかといった金に近い毛色の小動物がうずくまっていた。本来は綺麗であろう毛並みもぼろぼろで土にまみれており痛々しさをさらに演出していた。
首には赤くて丸いアクセサリーを下げていて、誰かのペットなのかとも桃子は思ったが、このまま放っておくこともできずそっと触れる。まだ温かい。
自分に言い聞かせるように頷くとそのままフェレットを抱き上げて動物病院へと連れて行く。




「そうか、フェレットか」

夜の高町家のリビングで桃子の夫である士郎が腕を組んでなにやら考え込んでいる。

「フェレットさん?」
「うん、怪我してたところを拾ったのよ」

?マークを頭の上に乗せたまま首をかしげているなのはの頭を桃子は撫でる。

「うちで飼うの?」
「桃子さんはそうしたいんだけど……」

ちらり、とまだ悩んでいる士郎を見る。

「うーむ……」

瞑っていた目を士郎は開く。
次にどんな言葉が出るのかと、桃子だけではなく長男の恭也、長女の美由希、なのはまでもが息を呑む。

「桃子がそうしたいなら、いいんじゃないか」
「ほんとに!? 士郎さんありがとー!」

感激、とばかりに士郎に抱きつく桃子であったが、対照的に高町家の三兄妹はずるっと滑った。

「父さん、ちょっと待ってくれ」

どうにか絞り出したといった風に苦々しい声をあげた恭也は頭に手を当てながら両親を制した。

「うちの家業は喫茶店だから衛生管理上は動物を飼うことはしない方針じゃなかったのか?」
「そ、そうだよ父さん。確かにフェレットさんはかわいそうだけど、そんな軽々しく決めちゃいけないんじゃないかな」

美由希も苦笑いで父を諌める。

「えー、だって可愛いんだもん」

ぷーっと頬を膨らませる桃子は母親というよりもはや駄々っ子のようにしか見えず、恭也はますます頭がいたくなる気分だった。

「こら恭也! 母さんはいつもがんばってるんだから、これくらいのわがままくらい許してあげたっていいだろう。器量が狭いぞ!」
「母さんに抱きつかれて鼻の下伸ばした父さんはちょっと黙っててくれ」

さらりと士郎は恭也にあしらわれてしまった。

「だが、衛生管理は……」
「そこは桃子さんが気をつけるわよ。ちゃんと着替えるし」
「それでも万が一ということがあるだろう」
「なのははどう思う?」
「にゃっ?」

恭也が中々首を縦に振らないので、桃子はなのはに話を振る。

「えっと、その」

自分を見つめる桃子と恭也の二人を数度伺ってから、なのははもじもじと意見を口にした。

「なのはとしてはその、フェレットさんが家に来てくれると嬉しいかな~、なんて」
「そうよねー、なのはもそう思うわよねー!」
「むぅ……」

今度はなのはに抱きつく桃子。一方の恭也はさらに眉間を険しく歪めている。
母親に抱きつかれながらなのはは恭也のことを上目遣いに見上げ、

「うう、お兄ちゃん。ダメですか……」

うるうると訴えた。

「…………」

うっ、と言葉に詰まる恭也だったが、はぁと息を深く吐き出す。

「ちゃんと、気をつけてくれ」

いかにも仕方なさそうな仕草で許可を出した。

「あーん、ありがとう恭也っ!」
「わかったから抱きつくな高町母っ!」

不器用な息子がおかしかったのかけらけらと許可が出たこと以外の笑顔を浮かべながら桃子は息子とちょっと過激なスキンシップに挑戦していた。

「あはは……」

そんな兄と母の姿を横で見ていた美由希は、乾いた笑みを止められなかった。

「恭ちゃん、相変わらずなのはには甘いね……」




そろそろ深夜にさしかかろうかという時間帯。なのはは既に就寝し、士郎と恭也、美由希は夜の鍛錬へと出かけているため桃子は一人リビングでコーヒーを啜りながら、ぼんやりと中身のないテレビを見ていた。

『助けてください!』
「っ!?」

と、再び昼間と同じ感覚が桃子を襲う。

『僕の声が聞こえるあなた、お願いです! 僕に力を……僕に少しでいいので力を、貸してください!!』
「そ、そんなこと言われても……」

力、それがなにを指すのかわからず桃子は困惑する。
パティシエである桃子は普通の女性より筋力という意味では力があるが、それも男性に比べたら弱い。もし戦う力という意味だったら絶望的である。

『お願いします! もう、時間、が……』

ぶつり、と頭に響いていた音が消える。しばらく待つが、再び聞こえてくる気配もない。
椅子に座ったまま俯き考え込んでいた桃子だったが、決意を決めて顔をあげる。

「もう……こんなになっちゃったら、放っておけないじゃない」

気を引き締め桃子は立ち上がる。

「子どもが助けを呼んでるのに、大人がじっとなんてしていられないわよ!」

夜の街へと桃子は駆け出した。
助けを呼んでいる相手がどこにいるのか直感的にわかることは不思議だが、そんなことは気にせずにただ走る。




昼間に訪れた槙原動物病院の門の前に到着した桃子は、いったん足を止めて荒れた息を整えようとする。

「さすがに……ひさびさの、長距離、走は……きついわね」

流れ落ちる汗を袖で拭い周りを見回す。
その時、きん、となにかの糸が張り詰めたような音が響く。

「なに……これ?」

音が、消えた。
文字通りの無音の世界である。
それまで存在していた遠くを走る車の音も、風で凪がれた木々の葉がざわめく音も全てが一瞬で消える。
不自然な沈黙である。
自分の耳がおかしくなったのかと思ったが、つい零れた自分の声は聞こえる。
まるで、時が止まったかと錯覚するような世界だった。
自分だけ世界から切り離されたかのように、ただ聞こえるのは自分の心臓が脈打つ音だけ。
しかし、その静寂も長続きしない。
この無音の世界が割れるかのような巨大な破砕音が病院の敷地内から響いたのだ。

「なっ!?」

弾かれたように爆音の方向へ近寄った桃子が見たのは見事なまでに折られた木と、昼間のフェレット。そして、まるで雲を邪悪な色に染め上げたかのような体を持った、真っ赤に裂けた口がおどろおどろしい謎の化け物。
――なに、これ……
逃げるという選択肢も忘れて目の前の非現実的な光景に呆然と立ち尽くしていた。

「――!!」

まさに飢えた野獣の叫び声といった咆哮をあげて化け物はフェレットへ突進をする。
直前で避けたフェレットだったが、壁に衝突した化け物の勢いにあおられて宙を舞った。それも、ちょうど桃子のところへ飛び込むように。
フェレットと桃子の目が合う。
桃子は飛び込んできたフェレットをしっかりと受け止め、一息つこうとしたのだが。

「ありがとうございます。来て、下さったんですね」
「そんなどういたしまし……えええっ!!?」

フェレットがぺこりとお辞儀つきでお礼を述べたために驚愕の声をあげてしまう。

「さ、最近のフェレットって喋るのね。桃子さんちょっと最近の社会の進歩にはついていけないわ……」
「あ、いえその僕は普通のフェレットではないので普通は喋りませんけど」

あんまりにびっくりの連続でとんちんかんな発言をしてしまった。

「――!!!」

なぜか穏やかな雰囲気になりかけたのだが、化け物が身をよじりながら体の芯を震わせるような叫びをあげたことで、現実を直視することになる。

「とにかく説明は後、今は逃げましょう」
「そ、そうね……」

まだ壁に突っ込んだまま抜け出せない化け物を尻目に、桃子はフェレットを抱えたまま走り出す。
相変わらず生活の気配が消えたままの住宅街を走りながら桃子は呟く。

「なんで、誰もいないのかしら……」
「あ、それは僕の結界の効果です」
「けっかい?」
「はい」

手元のフェレットを覗き込むと、こくりと頷きかえしてきた。

「封時結界といって、詳しいことは省きますが、とにかく今は日常から非日常を分離させた世界だと思っておいてください」
「ああ、だから音がないし、人の気配がないのね……」

なるほどと納得しかけたところではたと桃子は気づく。

「あら? だったらなんであたしはここにいるのかしら、自慢じゃないけれどあたしは普通の女の人だと思うんだけれど。どこで非日常側にカテゴライズされたのかしら?」
「それは、あなたに特別な力があるからなんです」
「またまたー、あたしは普通よ?」

脳裏にほとんど自分の娘も同然の歌姫の姿を浮かべながら笑い飛ばした。
しかし、フェレットは真剣な表情で桃子を見詰めている。

「いえ、あなたには力があります。昼間も、さっきも僕の声が聞こえたあなたには……」
「声って……あの頭に響くみたいなやつのこと?」
「はい、あれが聞こえるのは魔法の力……魔力を持った人だけなんです。ですから、あなたには魔力があります」
「……」

走りながらも桃子は顔面の表情だけ固まるのがわかった。
――このまま目が覚めて、また「変な夢見たわ」とかならないかしら~。
現実逃避に走りかける桃子だったが、現実がそれを許さない。
人間の言葉を喋るフェレット、街から消える住民。そして、

「――――!!」
「きゃあっ!」

天から突っ込んできた化け物。これら全てが魔法が本物であると桃子の心に訴えてくる。
直撃はしなかったが、至近距離ではあったため桃子は煽られて尻餅をついてしまった。
視界には、地面に突き刺さり体から生える細い触手のようなものをゆらめかせる化け物がいる。
冷や汗が首筋をつたった。
さっきまであんなに動かしていたはずの足がなにかに縛られたかのように固まって立ち上がることさえできない。

「あの、お願いがあります」

衝撃の結果だろう、腕の中から抜け出していたフェレットが目の前から桃子を見上げていた。
その口に赤く丸い宝石を銜えながら。

「説明が後回しになることは謝ります。あとでお礼は必ずします。ですからどうかお願いします。僕だけじゃだめなんです」

つい、自身にのしかかる生命の危機をも一瞬忘れてフェレットの言葉に聞き入る。

「あなたの魔法の力を貸してください。あいつを倒すために、このレイジングハートを受け取ってください!」

ふぅ、と息を吐き出す。
まだ心臓は人生で一番の早さで動いているし、確かに怖い。
――だけど、頼られてそれを無碍にはできないわよね。
自分で自分を叱咤してどうにか立ち上がると、母親としての矜持から安心させるような笑みを浮かべてフェレットに向ける。

「いいわよ。それじゃあ、どうすればいいのかしら」

ぱあっとフェレットの顔が明るくなる。
宝石――レイジングハートを受け取ると、目の前まで持ち上げてまじまじと見詰める。
なにやら、こちらに答えるようにきらりと瞬いた気がした。
そして、どうしようもなく惹かれた。

「あの生物は、ジュエルシードというこちら側の、魔法側のとある宝石が魔力的に暴走した結果生み出されたモンスターなんです」
「じゃあ、普通の生物じゃあないのね?」
「はい、生物に取り付くこともありますが、あれは違います」
「わかったわ。それで、どうするの?」
「魔法を使ってジュエルシードを封印してください。レイジングハートはそのためにあなたの魔法の補佐をしてくれます。ですが、先に契約が必要なんです」
「契約?」
「はい。ですから僕のあとに続けてください」

言われた通り、フェレットの後に桃子は言葉を続ける。

「我、使命を受けし者なり」

レイジングハートをぎゅっと両手で握る。

「契約のもと、その力を解き放て」

目を瞑り、祈るように言葉を紡ぐ。

「風は空に、星は天に。不屈の心はこの胸に」

結界の効果とはまた違う静寂が桃子を包み込む。

「この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

一瞬の静寂の後、手の内でレイジングハートが瞬く。

「Stand by ready. Set up.」

輝かしい明りがレイジングハートからあふれ出す。
夜空を切り裂くような強烈な明りだった。

「す、凄い魔力だ……」

呆然としているフェレットだったが、

「あらら、あらら、ね、ねえ、これからどうするの? ねえねえ?」

一方の桃子はあわあわと手にあるレイジングハートの急な変わりように慌てていた。
その声にはっと正気に戻ったフェレットは声を張り上げる。

「想像してください! あなたの魔法を司る魔法の杖と、身を守る衣服の姿を!!」
「そ、そんな急に言われても……」

言いつつもどうにかこうにか桃子は想像しようと頭を回転させる。
――えーっと、えーっと魔法、魔法よね? 魔法まほう……そういえば魔法といえばなのはと一緒に魔法少女もののアニメをシリーズで見たことあったわねぇ。でもあのシリーズ主人公が9歳から19歳になるなんて誰も思わなかったわよねぇ、しかも一等空尉っていきなり軍隊ものになってるし、そもそも19歳であの格好って言うのは……

「Received images. Stracturing starts. (イメージ受諾。構成開始)」
「え゛っ?」

レイジングハートの声にはっと自分の思い出していた魔法の杖と衣服を思い出しさーっと顔を青くさせる。

「ちょちょちょちょっと待って、ただ思い出しちゃっただけで別にそれがいいってわけじゃないんだけれど!」

慌てて否定しようとするが、レイジングハートの返答はストイックだった。

「Unfortunately, we have no time to wondering which is suitable. (残念ながら、どれが適当か悩んでいる時間はありません)」
「そ、そんなこと言わないで桃子さん流石にこの年であんな格好はちょっと辛いから……ってお願い聞いてぇ!!」

桃子の叫び虚しくレイジングハートから溢れる光はさらに強くなり、桃子の全身を覆ってしまう。
数秒の後に光が消えると桃子はその姿を一変させていた。
白を下地に青色のラインがコントラストを生むロングスカートに、同じ色合いの足首まで覆うブーツ。
上半身も同じような色合いだが、胸部には無駄な装飾はなく、肩には小さなジャケットのように一枚羽織っている。
手に握るデバイスは、白の柄にピンクと金の装飾が付き、先頭には赤く丸い宝石が鎮座したもの。
ただ抵抗が少しだけ実ったか、髪型はツインテールにはならず普段通りのストレートだった。

「成功だ」
「うう、桃子さんこれだけはイヤって言ったのにぃ……」

感動の呟きを漏らすフェレットとは対照的に桃子は涙目だった。
だが、相手は桃子に沈んでいる時間を作らせはしなかった。まるでこの時を待っていたといわんばかりに体当たりを仕掛けてくる。

「――!!」
「きゃっ!」
「Protection.」

とっさにデバイスを前に突き出した桃子に応えるようにレイジングハートはオートで防御魔法を展開する。
名前のせいか桃色の光で構成された桃子のバリアを突き破らんと化け物は力を込める。

「くぅっ……」

両手でしっかりとレイジングハートを構えながら桃子は苦悶の声を漏らす。
しかし力比べに勝利したのは桃子だった。

「――!?」

はじき返され後方へ下がる化け物。
なにか考え込むように触手をうごめかせるが、先ほどまでのようにただ突撃してくる気配はない。
どうやら本能だけではなくそれなりの知能はあるようだと考えを改めた。

「You have a good magic power. (よい魔力をお持ちで)」
「杖と服をどうにかしてくれたら素直に喜べるんだけどなぁ」

それとなく持ちかけるがレイジングハートはコアを点滅させるだけだった。
諦めの混じったため息を吐いて、桃子は顔を引き締めて化け物へと視界に捉える。

「それより、これからどうしたらいいか桃子さんに教えてくれないかしら?」
「Are you stranger? (魔法は不慣れですか?)」
「魔法が現実にあるっていうのはさっき始めて知ったわね」
「OK, please calm your mind down, so you can feel your own magic words. (心を落ち着けて下されば、あなただけの呪文を感じとれますよ)」
「こんな状態で落ち着けなんてちょーっと無茶じゃない?」
「Practices lead to successes. (行動が成功に繋がるんです)」
「そうね、まずはやってみなきゃね」

目を閉じ息をつく。
また周りの音を意識の外に排除し、心臓の鼓動だけの世界にもぐりこむ。
どくん、どくんと波打つ音の中、脳裏にある一つのフレーズが浮かぶ。

「――!!」

桃子が心の奥から意識を引き上げたと同時に化け物も動く、今度は先ほど以上の助走をつけて突進を繰り出す。

「Protection.」

再びレイジングハートの張るバリアが立ちふさがる。

「――――!!!」
「くぅっ……」

しかし今度は化け物の推進力が強力で桃子の手も震える。
表情は辛そうに顔をしかめているが、どこか自分の心が落ち着いているのを桃子は感じていた。
まるでずっと昔から自分の中にあったかのように魔法のイメージが浮かぶ。

「レイジング、ハート……!」
「All right, Restrict Rock.」

桃子の思いに呼応してレイジングハートが魔法を紡ぐ。

「――!?」

化け物とバリアは拮抗していた。
拮抗していたがゆえに咄嗟の動きが取れなかった化け物は伸びる光の拘束に囚われてしまう。

「――!!」

拘束を破らんと身を震わせもがくが、硬い光の輪は動きを一切許さない。

「ごめんなさいね。それと、おやすみなさい」

その間に数歩下がって距離をとっていた桃子が化け物を狙ってレイジングハートを水平に構える。

「リリカル・マジカル!」
「Sealing mode, set up.」

レイジングハートが形を変え、杖というより槍に近い形へとなる。
魔法の色と同じ桃色の四本の羽のようなものが生え、さらに先端では桃色の魔力渦巻く球が生成された。

「ジュエルシード……封印!」

先端にあった魔力球が一陣の光条となって化け物の中心へと突き刺さる。

「――――!!??」

苦しいのかより一層暴れるが、がっしりとその身を捉えた拘束がそれを許さない。

「Stand by ready..」
「ジュエルシードシリアルⅩⅩⅠ封印!」
「Sealing.」

レイジングハートから伸びる光が太さと輝きをまし、化け物ごと取り込んでいく。

「――――!!!!」

目が眩むようなフラッシュと同時に断末魔を上げて、咆哮は二度と聞こえなくなった。

「はぁ……はぁ……おわ、り?」

目の前からあの禍々しい黒い影は消え、肩で息をしながら桃子は呟いた。

「Sealing is completed. Nice magic. (封印は終了です。いい魔法でした)」
「はい、モンスターの気配は消えました」

レイジングハート、フェレットの声によって用や苦難を乗り越えたと理解できたので、構えていたままだったレイジングハートを下ろし、その場にしゃがみ込んだ。

「はあ、結構危なかったわね……って今度はなに?」

安堵から笑みを零していた桃子だったが、目の前でこんどは青い光が瞬き始めたのを見て、反射的に再びレイジングハートを構える。

「あ! あれがジュエルシードです」

光の正体は八面体の形をした青い宝石で、確かにさっきまで化け物がいたところに浮いている。

「レイジングハートを近づけて収納してください」
「ええっと、こう?」

おっかなびっくりレイジングハートを伸ばしてジュエルシードに寄せる。するとジュエルシードは吸い寄せられるようにレイジングハートのコアの中へと消えていった。

「Receipt number ⅩⅩⅠ.」

今度こそ終わり、とばかりにレイジングハートが宣言すると、桃子の全身、正しくはバリアジャケットが発光する。
光が収まると握っていたレイジングハートは元の丸い宝石姿で手の内に収まっており、格好も急いで家を飛び出してきた時のもの。実感として一仕事終えたと感じて全身から力が抜けたのかへなへなと桃子はへたり込んでしまった。

「なんだか桃子さん、寿命が縮んだ気さえするわ……」
「すいません」
「あなたのせいじゃないわよ」

すまなそうに頭をたれるフェレットの頭を撫でる。
そこで桃子は世界に音が戻っていることに気づいた。
犬の遠吠え。電車の音。車の音。
そして、パトカーのサイレン。

「って、パトカーがきちゃうじゃない!」

はたと現実に気づいて桃子は慌てる。
目の前にあるのは化け物(とちょっぴり桃子さん)によって破壊された道路。無残にもなにか爆撃でも受けたのかというばかりにクレーターもどきまでできている。
それに、あの化け物はフェレットが結界を張る前にも暴れていたのだろうから、警察が動くのも当然といえば当然であった。

「に、逃げちゃお~っと……」

フェレットを抱え、もう疲れてがくがくの足に鞭打ち桃子は現場を振り返ることなく一目散に逃げ出した。
別に悪いことはしていない。ただ、警察に捕まって事情聴取を受けるわけにはいかないのだ。

「いったいなにが起きたかご存知ですか?」
「えーっと、魔法?」
「はい?」

などというやり取りをできるわけもない。

「なんだか……すみません」
「あなたのせいじゃないわよ……」

フェレットに対してではないため息が漏れた。





『後書き』

いつの間にかできていたネタSS。そもそも夢の中で笑顔の桃子さんがStSなのはと同じバリアジャケット着てレイジングハートを持っていたのが全ての元凶で、元々とらハ3時代から桃子さんファンだったこともあって出来上がってました。ダイジェスト的にさくさく書きたいところだけ書いただけなので完成度は微妙ですが。
浪人生なので英語の勉強も兼ねてレイハさんには色々と喋ってもらいましたが、日本語訳はかなり意訳してますので直訳だとどうだとかそういう突っ込みはなしの方向でお願いします。ただ、文法的ミスの指摘はお待ちしております。
もし続きを書くとしたらフェイトポジションにプレシアさん、クロノポジションにリンディさんを配置して「ドキッ! お母さんだらけのリリカルワールド」みたいにしてもいいかもしれないですね。ただ、これだとはやてのお母さんはいないのでA’sで詰まりますが。
……さすがにプレシアさんのバリアジャケットはフェイトと同じじゃないよ? あとリンディさんも。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第二話
Name: 細川◆9c78777e ID:2a504d59
Date: 2010/10/10 17:41

なぜかファンシーな背景の世界の中。白を基調としたバリアジャケットを身に纏い、レイジングハートをまるでステッキのようにくるりと一回転させる。

「魔法パティシエリリカル桃子、リリカルマジカルがんばります!」

カメラのアップに合わせてカメラ目線な笑顔を見せ、ウインクも忘れない。




がばり、と掛け布団を吹き飛ばして跳ね起きる。

「あ゛ああああ……」

頭を抱えたかと思ったら桃子はそのままごろごろとベットの上で悶えだす。

「あうっ!」

あまりにも転がり方が大きすぎてベットから墜落してしまう。そしてようやく動きを止めた桃子はそのまま天井をぼんやりと見詰める。
すると脳裏に思い出されるのは、もはや薬でもやって羞恥心というものを吹き飛ばしでもしたのか、と思いたくなるようなおぞましい夢の内容。
全身にぶわっと嫌な汗が吹き出る。

「さ、最悪な夢を見たわ……」

朝からテンション最悪な桃子だった。




魔法。
ここ地球においては御伽噺や漫画などの世界の中でしかないと思われているもの。
しかし、喫茶店の平凡なパティシエであった高町桃子は、なんの因果か魔法の力を手に入れてしまったのである。
こんな年で魔法使いなんて……と嘆いた桃子だったが、喋るフェレットことユーノに事情を聞けば放っておけないし、ジュエルシードが暴走すると海鳴が危険に晒されるとなれば無視することもできず、協力することになっていた。
午後の休憩時間中に神社まで走っていって巨大な犬を相手にもした。
またもや運良く休憩中に発動を感知してみれば、そこは娘がいるプールで、大慌てでジュエルシードを封印した。この時、封時結界の素晴らしさに感謝してもしきれなかった。
士郎と子どものうち上二人が鍛錬に出かけている間の夜の探索(暴漢が出たら封時結界を張るようにユーノには強く言ってある)において、娘の学校でジュエルシードの確保もした。
おとといなどは、町中に木が生えてきてとても驚いた。気が動転していたためすぐに店を飛び出してレイジングハートをセットアップさせたが、よく誰にも見られなかったものだと今更ながら思い出すと背筋に冷や汗が垂れる。
中々におっかない毎日であるが、ジュエルシードが発動しなければ基本的には通常運転で、今日も翠屋の厨房で仕事にいそしんでいる。

『それにしても……魔法って身体強化とかもできるのね』
『はい、つい先日に桃子さんが使った飛行魔法なんかも、速度が上がると体への負担も大きいので魔法で保護しなければならないんです。まあ、直接攻撃の威力をあげたり、防御力をあげたりという使い方がメインですけど』
『魔法っていっても御伽噺なんかと違って色々大変なのねー』
『はい』

家にいるユーノと念話で会話しながらも、桃子が洋菓子を作る手を休めることはない。
現在行っているのは、ユーノの説明によると魔導師の必須スキルらしい、マルチタスクという並行思考技術だ。ただ、元々いつ入るとも知れない注文の相手をしながら店のショーケース内の品を絶やさないようにケーキなどを焼き続ける、という作業を約10年続けている桃子はあっという間にマスターしていたが。
まあ、なんというか翠屋の混雑度がマックスになった時の、

「いちごパイ3つとチョコシューとバナナパイ、オールセットでアイスミルクティー・ダージリン・コーヒー2とアールグレイ! ランチパスタ6つで3つがデザートセット、コーラふたつにアイスコーヒーふたつ、レモンティにオレンジジュース! あ、アップルパイ焼きたてをお帰りにお持ち帰りで!!」

といった注文ラッシュを考えればそれも納得できるものだったりする。

『でも、桃子さん助かってるのよ。ケーキ作りってこう見えて結構重労働だから、魔法で簡単にパワーアップ! とかできちゃうと仕事もはかどっていいのよ』
『えと……まあ、魔力コントロールの練習にもなってますし、桃子さんが楽になるなるんだからいい……のかな?』

ちょっと複雑そうなユーノの返事にくすりと桃子は笑う。

『魔法だって物騒なことに使われるよりは平和に使って欲しいと思ってるわよ』
『そう、ですね。僕も手伝ってもらっている身ですし、桃子さんのお仕事の助けになるなら嬉しいです。他にもなにかあったら聞いてください』
『あー、そう? それじゃあひとつだけ聞きたいことがあるんだけど……』
『なんですか?』
『そのねー、バリアジャケットって変更できないのかしら?』

と、桃子はそこで今朝の夢を思い出してしまう。
――なにも悪いことしてないのに、なんて罰ゲームなの……
重い息がつい口から漏れる。

『バリアジャケットはレイジングハートに調整してもらえば変更できるはずですよ?』
『あらそうなの? じゃあ、レイジングハート、桃子さんお願いしたいんだけどなー』

途端にぱっと顔を輝かせる桃子は期待を込めてレイジングハートに念話で話しかけてみるのだが、

『You look really nice. (お似合いですよ)』

なんとも見当はずれな返事が返ってきた。

『いや、そういう問題じゃなくてね、あんな格好を知り合いに見られたら桃子さんもう生きていけないから変更したいんだけど……』
『It is very functional design, so I don't think there is no need to change. (とても機能的ですし、別に変える必要はないと思いますけれど……)』

桃子は反射的に顔がひきつるのがわかった。

『ね、ねぇ、あたしの話聞いてたの? もしかしてレイジングハートって桃子さんのこと嫌い?』
『I believe you. (私はあなたを信じてますよ)』
『ちょっとそれどういう意味?』
『…………』

桃子の首から下げられたレイジングハートは一回きらりと輝いただけでなにも返さなかった。

『無視しないでよっ!』
『あ、あはは……』

つい桃子は念話の声を荒げてしまうが、レイジングハートは無反応を貫くのみで、ユーノは乾いた笑いしかでてこなかった。
なんともにぎやかな仕事風景のように見えるが、念話は桃子とユーノに加えてレイジングハートにしか聞こえないし桃子は仕事を怠ることもない。

「あの、桃子さん。大丈夫ですか?」
「えっ? なあに松っちゃん?」
「いえ、なにもないんならいいんですけど……」

しかしはたから見た桃子はといえば、一人で表情をころころと変化させているわけで、不気味なことこの上ないのだった。




「えー! お兄ちゃんいけないの?」

金曜日の夜のリビング、なのはの声が響く。

「すまんなのは、忍のやつが見たい映画があるとか言い出してな」

それに対して心底すまなそうな恭也の声が次に聞こえた。なにやら揉め事のようである。

「あら、どうしたの?」

夕飯の洗い物をちょうど終えた桃子がリビングに顔を出すと、頬を膨らませるなのはと困りはてて眉間に皺を寄せている恭也が向かい合っていた。

「おかーさん、お兄ちゃんが約束破ったの」

なのはは桃子に寄ってくる。

「約束?」
「うん、明日のすずかちゃん家でのお茶会に送っていってくれるって言ってたのに……」
「だから、用事が入って送っていけなくなったのは悪かったと言っている」
「ふーんだ」

普段は小学三年生とは思えないほどに大人びているなのはだが、今回ばかりはぷいと顔を背けてしまっている。

「あらあら」

自分の後ろに隠れるように拗ねるなのはに対して困った笑みを桃子は浮かべた。
おそらくタイミングが悪かっただけだろうと桃子は思う。もう数日前に切り出していれば、なのはだってちゃんと聞き分けただろう。だが、前日の夜に明日が楽しみだなぁとか思っていたところに、しかも彼女とデートだからと約束を反故にされては、そりゃあへそを曲げてしまうというものだ。
なのはも恭也の言い分もわかっているのだろうが、感情的反発が収まらないということだ。

「うーん、そうねぇ」

顎に手をあてて桃子は考える。なのはが感情から拗ねている以上、正論を説いても反対に意固地になるだけで逆にこじれるだけ。
なにかいい方法はないかと悩んだところで、明日は翠屋の定休日で、桃子も自分に仕事がないことに気づいた。
名案とばかりにぽんと手をうつ。

「じゃあ、おかーさんが一緒にすずかちゃんの家まで行ってあげる」
「……ほんと?」

期待の篭った目で見上げてくるなのはの頭を優しく撫でる。

「ほんとのほんと。明日はちょうどお仕事もないし、前々からノエルさんとファリンさんに手作りお菓子のチェックを頼まれてたし、いい機会になるわ。なのははいい?」
「いいよ!」

一気に笑顔を開花させるなのはにつられて桃子も笑顔を浮かべる。

「じゃあ、すずかちゃんにメールでおかーさんも来ること伝えておくね!」
「あ、じゃあお願いしちゃおうかな」
「うん、じゃあさっそく送ってくる!」

うきうきと小走りで、携帯電話のある自室へとなのはは走っていく。
上機嫌な末娘の姿はすぐにリビングからは見えなくなり、階段をあがる小さな足音が響いた。

「すまない、母さん」

ほっと息をつきながら恭也が桃子に礼を言う。
一方の桃子は腰に手を当てたまま、軽くため息をついた。

「まあ、なのはだってあんたの言いたいことがわかってはいたわけだし、それにあーいう風に子どもらしい反応をなのはがしてくれるのは、それはそれで嬉しいわよ」
「そう、だな。なのはには、悪いことをしたからな……」

恭也は声のトーンを落として少し俯いてしまう。家族を、身近な人を守りたいと長男が常々思っていることを知っている桃子は彼が罪悪感を持ってしまっているのがわかる。そして、その罪悪感はなのは以外の家族全員が共有しているものだったりする。
だからこそ桃子は元気な声を出して話を切り替えた。

「終わったことをいつまでもくよくよしてても意味ないわよ。それより、恭也」
「ん?」

顔を上げた恭也の目の前にびしっと指を突きつける。

「まーさーか『実は結構前に決まってた予定だったけどなのはに伝え忘れてた』とか言わないわよねぇ?」
「……俺はいつでも正直だぞ」
「それはつまり忘れてたってことよね?」
「……」

視線がすっと外へ逃げた。
――やっぱりかこの朴念仁は。
桃子は内心で呆れたため息をつく。

「あのねぇ、いくら妹で聞き分けがいいからっていってもなのはだって女の子なのよ? それともなに? 恋人が、忍ちゃんさえいれば他の女性はどうでもいいの?」
「それはない」
「だったらちゃんと予定が変わってすぐに伝えなさいよ!」

ぐにっと恭也の頬を両手で引っ張る。

「恋人が出来て少しは変わると思ったけど、あんたは相変わらず堅物なんだから~」
「む……」

最後に思いっきり左右に引っ張ってから手を離す。
頬をさすってはいるのに恭也はいつも通りの仏頂面だが、よく見れば眉間の皺が普段より深いので、一応はそこそこのダメージはあるらしい。
ただ、こちらが言っていることを理解しているのかは怪しいが。

「本当に、忍ちゃんには同情するわ……」
「それはどういう意味だ」
「どういうもこういうもないわよこの鈍感男!」

やっぱり理解していなかった息子の頭に手刀を落とした。




海鳴市の隣にある隆宮市。高町家のある海鳴市藤見町からは少々距離があるので、たいていはバスで移動する。もちろん今回もその通りで、海鳴駅前でバスに乗り込んだ桃子となのはは揺られること数十分、月村邸の前へと到着した。ただ、ここからが月村邸のすごいところで、門を開けてもらい敷地内に入ってからさらに数分歩いてからようやく屋敷前へと到着した。
母娘はふぅと一息ついてから再び呼び鈴を鳴らす。

『す、凄い豪邸ですね』
『昔からの名家の本家らしいわよ』

きょろきょろと周囲を見回しながら、桃子の肩に乗っているユーノが驚嘆する。アリサとすずかがユーノに会いたいと熱望していたらしく、今回のお茶会に連れて行くことになったのだ。
どうやら既に待機していたらしく、呼び鈴をならしてからそう時をおかずにその門は開いた。

「いらっしゃいませ、桃子様、なのはお嬢様」
「おじゃましまーす」
「ごめんなさいね、桃子さん急に飛び入りみたいな形になっちゃって」
「いえ」

出てきたのは月村家のメイド姉妹の姉のほうであるノエル・綺堂・エーアリヒカイト。これぞメイドの見本という粛々とした佇まいで、見事なお辞儀をする。

「それでは、皆様お先にお着きになっておられますので、こちらへどうぞ」

ノエルの後に続いて行くと、ついたのはテラスで、金髪の勝気そうな少女アリサ・バニングスと、ウェーブのかかった紫の髪のおとなしそうな少女月村すずかは、やってきた二人に気づいたらしく寄ってくる。

「なのは遅いわよ」
「にゃはは、ごめんアリサちゃん」

口では文句を言いながらもアリサの顔は嬉しそうで、それをわかっているなのはも笑顔だ。

「あ、いらっしゃいませ桃子さん」
「おじゃましてるわね」

ノエルの妹であるファリンに会釈を返すと、今日のホストであるすずかが桃子のところへやってきた。

「桃子さん、こんにちは」
「こんにちは、すずかちゃん。今日はありがとうね」
「いえ、ノエルもファリンも、桃子さんが来ると聞いて朝から張り切ってましたから」

かわいらしく、それでいて育ちのよさを感じさせるすずかのお辞儀に、子ども好きな桃子はつい頬がゆるんだ。
ここで、なのはとの会話を終えたらしいアリサが桃子の肩の上のユーノに気づいたらしく、声を上げる。

「あ、桃子さん、もしかしてその肩に乗ってるフェレットが……」
「あー、そうよ。この子がユーノくん」
「へえ……」

じっとユーノを見詰めるアリサ。その瞳は本人の気持ちを代弁するように輝いている。
桃子はアリサの気持ちを汲み取って、そっとユーノを抱えて差し出す。

「はい、抱っこしてみる?」
「いいんですか!?」
「もっちろん」
「ありがとうございます!」

にっこりと微笑んで答えてあげると、アリサは顔を綻ばせ、すぐにユーノを桃子から受け取る。

「うわ、ふかふか……」
「ほんとう? アリサちゃん、次は私に抱かせてくれないかな?」
「ユーノくんは賢いしすごいんだよ」

あっという間に残りの二人も寄ってきて、ユーノを囲んでわいわいと話に花が咲く。桃子は楽しそうな三人娘の光景をしばらく眺める。

『じゃ、ユーノくんがんばってね』
『え? それどういう意味ですか?』
『すぐにわかるわよー』
『ちょっと待ってください! 桃子さん、桃子さーん!!』

念話でユーノがさらに話しかけてくるが、桃子はスルーした。




「きゅーきゅー!!」

訪問から大分時間が経った。ノエルとファリンにお菓子作りで一通りのアドバイスをした桃子は、子ども達が座るテーブルから少し離れたテーブルで、のんびりと紅茶を楽しんでいた。
最初はユーノにかかりっきりだった彼女らも、少したてば女の子らしくおしゃべりに夢中になり、ユーノは多少自由に動けるようになったのだが、ここ月村邸にある別名を彼は知らなかった。

「きゅーきゅー!!」

その別名とは「猫屋敷」。
何十匹もの猫が飼われているここで、フェレット姿のユーノが歩き回るというのは危険行為でしかなく、すぐさま彼は猫の標的となり追い掛け回されることになる。

『も、桃子さーん!』

いい加減限界が近くなってきたユーノは桃子に念話で助けを求める。

『あー、じゃあ桃子さんとこまで来ちゃいなさい』

さすがに可愛そうに思えてきた桃子は素直に助けることにした。桃子の言葉通りにユーノは彼女へ向かって一直線で走り寄る。

『はぁ……つ、疲れました』
『お疲れさま』

どうにか桃子の肩へと上りきりほっと一息つくユーノの頭を、桃子は軽く撫でる。
月村邸の猫はちゃんとしつけられているので、人間に飛びつくことはないため、桃子の肩の上は安全地帯なのである。
カップの中の紅茶を飲み干しながら、帰りはなのはをノエルが送ってくれると言ってくれているし、自分の用件が終わっているのだから長居はよくないかと、桃子が帰宅の意思を告げようとした、ちょうどその時だった。

「っ!」

ざわり、と桃子の肌をなにかが撫でる。
風とは違う服の内側まで全身を一度に刺激されるこの感覚の正体が、桃子もいい加減わかるようになってきていた。

『ユーノくん、これって』
『はい、ジュエルシードです』

反応は近く。おそらく月村家の広大な敷地内だ。このままだといつ被害がでるかわからない。
――急いで封印に行かなくちゃいけない……んだけど。
桃子は子ども達と、近くで控えているファリンのほうへ視線を送る。
さすがにいきなり森の中へと桃子が行ったら子ども達は不審に思うだろう。それにもし後をつけられてしまったら、ジュエルシードの暴走に巻き込んでしまうかもしれないし、万が一にもバリアジャケット姿を見られるわけにもいかない。
さてどうようと桃子が悩んでいるとユーノが肩から飛び降りて森のほうへと走り出した。

『桃子さん、僕を探しにいくという口実を使ってください。なにか被害がでる前に、はやく!』

念話だけを残し、振り返ることなくユーノは森の中へと入っていく。
ユーノの中々にいいアイディアに乗っかって桃子も早足で森へと向かう。

「あれ? おかーさんどうしたの?」

テラスから庭へ下りたあたりでなのはが声をかけてきた。

「ちょっとユーノくんが森に入っていっちゃったのよ」

ちょっと困ったような顔で振り向いて、計画通りの言葉を口にする。

「あの、お一人で大丈夫ですか? わたしもお手伝いしましょうか?」
「大丈夫よ、桃子さんこれでも大人なんだから。ファリンちゃんは子ども達と一緒にいてあげて」

心配してくるファリンに、内心慌てながら告げて、さっさと桃子はユーノを追いかけていく。
テラスから桃子の姿が見えなくなるくらい進むと、ユーノが待っていた。

「大丈夫でしたか?」
「うん、ばっちりよ。ユーノくんのおかげね」

にこりと笑顔を見せ、そのまま足を止めることなくジュエルシードが発動したであろう方向へ並んで歩いていく。
広い広い月村家の敷地内を魔力の感覚を頼りに進む。

「ここらへんのはずなんですけど……」
「今までに比べたら確かに静かね……」

今までのジュエルシードの取り付いた暴走体はとにかくなにかしら暴れていたので、あまりの静けさに桃子とユーノは揃って首を傾げる。
突然だった。周囲を見回しながら歩く二人の耳に、木がなぎ倒される破砕音、そして重厚な足音が届いた。

「これはっ!」
「来たみたいね……」

ユーノは桃子の前に出て臨戦態勢に、桃子は首元のレイジングハートへ手を伸ばしていつでもセットアップできるように構える。
段々と足音が近づき、ついに目標が木の上にその姿を覗かせ……

「にゃぁあああ」

とってもラブリーな子猫の顔が浮かんでいた。
確かに普通の子猫ではない。まず周囲の木より高い時点で一般の猫ではない。というより陸上生物最大の象より遥かに大きいので、一般どころか特別な猫でもない。どこからどう見てもジュエルシードの暴走体である。
ただ、今までの凶暴な暴走体と打って変わったなんともほのぼのとした雰囲気に、二人は盛大な肩透かしを食らった気分だった。
桃子とユーノはそろって目が点になっている。

「……あ、あれよね?」
「そ、そうですね……」
「あれっていったいどんな願いが叶えられたのかしら?」
「ええっと……もしかしたら子猫の『大きくなりたい』っていう願いが運良く正しく叶えられたのかもしれません」

――あれって、正しい願いの叶え方なの?
体は子猫のままサイズだけを巨大化させたちぐはぐな猫を目の前にしては疑問を持たずにはいられないが、とりあえずどうにか桃子は一度深呼吸して仕切りなおす。

「とりあえず、苦労なしで封印できそうだしよかったわよね」
「ですね」
「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて戻りましょ」
「では、僕は結界を張っておきますね」

ユーノが封時結界を展開したのを確認してから、暴れる気配のない猫の方へ桃子が踏み出した瞬間だった。

「うにゃあああ!!?」

紫色の光弾に突如横合いから襲い掛かられた猫は、悲痛な声を上げる。

「魔法攻撃!?」

ユーノが驚愕の声をあげる。
桃子は咄嗟に攻撃が飛んできた方向へ視線を走らせるが、攻撃を放ったであろう人物は見えず、見えたのはさらなる追撃と思われる数個の光弾。

「に゛ゃあああああ!!!」

連続で攻撃を食らって猫はよろめく。
――見てちゃだめ! 動かないと!
桃子は自分を叱咤すると、レイジングハートを高く掲げる。

「レイジングハート!」
「Stand by ready, set up.」

魔力光と同じ桃色の光に包まれたと思った次の瞬間には、純白のバリアジャケットに身を包みレイジングハートを右手に持った桃子がその場にはいた。

「Flyer fin.」

靴のあたりに桃色の羽が出現し、桃子は空へ舞う。
猫の背に飛び乗って、さきほどから攻撃が来ていた方向へ振り返ると、またもやいくつもの光弾が殺到してきていた。

「Wide area protection.」

レイジングハートを水平に桃子が両手で構えると、呼応してレイジングハートが防御魔法を展開する。
プロテクションの展開と同時にそこへ光弾が連続で着弾する。

「くぅっ……!」

着弾点で続々と爆煙があがる中、桃子は予想以上の威力に顔をしかめた。しかし、猫をこれ以上攻撃させるわけにもいかないし、今は相手の攻撃を抑えられているのだからと耐える。
だが、自身の放った攻撃がガードされていることは相手にも丸見えであった。そして、桃子のガードを無理に抜くことを諦めたらしい相手は、広めに展開していたとはいえ全部をカバーできていないプロテクションの外側、猫の足元へと攻撃の目標を変えた。

「にゃおあああああ!」
「あらららら!」

大きな体を支えていた足を払われる形になった猫はたまらずバランスを崩し、その背に乗っていた桃子も大きく揺さぶられる。猫が横転し、どうにか飛行魔法を展開した桃子が地面に降り立つと、目の前の木ががさりと音を立てた。

「あっ……」
「…………」

音に反応して見上げた桃子の視線の先には、枝の上に立つ一人の女性がいた。
腰まで届くウェーブのかかった長い髪は、黒と言うには深みに欠け、灰というには暗すぎた。その形容しがたい色合いがどことなく不安定な雰囲気を見せる。
しかしなにより一目見て桃子が驚いたのは、外側が黒で内側が紫のマントに、少々露出がきついように見えるがドレスのような衣服。
一言で表すならば「ザ・悪の魔女」。
右手に持つ杖も紫色を基調としていて、どこぞの御伽噺の「りんごはいかが?」などという台詞が似合いそうで仕方がない。
……自分の姿を忘れているからこその感想であったが。
ゆっくりと、女性は言葉を紡ぐ。

「同系の魔導師……ロストロギアの探索者かしら?」

つい服装へと視線が集中していた桃子は女性の顔へとようやく視線を向ける。

「う」

女性の整った顔の造形に西洋的な顔立ちもあいまって、そこには西洋の彫刻のような美しさがあるのだが、眼下を睥睨する色の感じられない冷たい瞳に桃子はつい一歩後ずさってしまう。
しかし女性はそんな動きなど気にもかけず、桃子をじっと観察する。
その視線が桃子の手元に注がれた瞬間、初めて女性の表情に変化が起きた。眉がぴくりと動き、瞳に色が浮かぶ。

「こんな管理外世界でミッドチルダ式のインテリジェントデバイス……?」
「あ、あのぉ……」

恐る恐る桃子が声をかけたのだが、女性はつまらない反応をしてしまったとばかりに目を閉じ、息を吐いた。
再び見開かれた目には、一瞬だけあった人間的な色は消し去られていた。

「ロストロギア、ジュエルシード」

右手の杖を女性が掲げ桃子へと向けると同時に、先端には紫色の魔力弾が紫電をほとばしらせながら出現する。

「悪いけれど、頂いていくわ」

言うや否や、女性は魔力弾を桃子目掛けて発射する。

「ええっ!?」

完全に桃子は反応が遅れた。荒事に慣れていないということもあり、まさに問答無用な女性の攻撃に戸惑うことしかできなかった。

「Evasion. Flier fin.」

だがここはレイジングハートが反応し、間一髪自動で飛行魔法を展開し上空へ逃れる。

「い、いきなり攻撃ってなんなの!?」

まだ混乱から抜け出せない桃子を尻目に、掲げた掌に女性は再び魔力を凝縮させていく。

「フォトンバレット……」

抑揚のない声とともに放たれた攻撃はまたもや寸分違わず桃子へと向かっていく。

「ちょっ!」
「Protection.」

ここでもレイジングハートのオートガードにより桃子は防御に成功する。
だが、単発の魔力弾にもかかわらず盛大に爆煙が起こった。それにより桃子から女性が見えなくなったのだが、それは相手も同じである。ようやく再起動を果たした桃子は距離を取ろうとさらに上空へと逃れる。

「私なにも悪いことしてないはずなの、にっ!?」

咄嗟にレイジングハートを構えると、甲高い音と共に女性の振りぬいた杖を受け止めた。
どうやら桃子の行動は予想済みだったらしく、女性は一気に距離を詰めてきていた。あやうく攻撃を直で食らうところだった。
お互いが力を込め、一時の拮抗が訪れる。
1mも離れていない至近距離で視線を交錯させる。ただ、その姿は対照的で、表情をゆがめながら睨む桃子に対して女性はなんの興味もないとばかりに無表情。

「ちょっと、いきなりすぎないかしら?」

どうにか口を開き問いかける桃子。
相対する女性は数秒ほど無言で無反応。まさか聞こえていなかったのかと桃子が思った頃、そっけなく返事が告げられた。

「答えて、なにか意味がある?」
「っ!」

あんまりにもあんまりな返答に、桃子は思いっきりレイジングハートを押し出して一端離れようとする。
どうやら女性のほうもこの拮抗状態は好ましくなかったらしく、慌てることもなく桃子の力を素直に受けて後方へと飛びのく。
桃子は再び地に、女性は再び木の上に降り立つ。奇しくも先ほどまでと同じ位置関係へと戻るが、先ほどとは違い対峙する桃子は油断なくレイジングハートを構えている。

「Shooting mode.」

桃子の覚悟を感じ取ったレイジングハートが姿を変え、コアを挟むように二股に分かれた先端の、砲撃用モードへと移行する。

「Divine Buster stand by.」
「……」

女性は全く慌てることなく、余裕あるゆったりとした動作で再び杖を前方へ構える。

「……」
「……」

お互いに攻撃態勢が整っているがゆえの睨み合いに突入する。
先に動いたり、隙を見せたら負ける。お互いにそんな思いがあるのか状況は動かない。そんな中で、桃子は女性の姿を再びじっくりと見ることになった。
――綺麗な髪、綺麗な瞳。なのに……

「うにゃぁ……」
「えっ?」

桃子の背後、緊迫した雰囲気とは正反対な可愛らしい猫の鳴き声があがる。どうやら気絶していた猫が目を覚ましたらしく、つい桃子は戦闘中ということを忘れて振り返ってしまう。
これが、決定的な隙になった。

「――」

女性の小さく呟いた声が耳に入ると同時、魔力が膨れ上がるのを感じた桃子ははっとなって慌てて向き直るのだが、もう遅い。

「フォトンバースト……」

平坦な声と同時に、圧縮された魔力が弾け、桃子を中心とした3m程の範囲が爆発した。

「きゃああああああ!!」

土も、落ち葉も舞う中。防御も回避もままならず桃子は吹き飛ばされ、天へと打ち上げられる。
――あ、いけない。このままじゃ地面に直撃だわ。
どこか他人事のように、はるか遠くになってしまった大地を朦朧とした意識の中で見る。
――どうにか、しな、くちゃ……
上昇が止まり、落下に転じようというところで、意識を失った。
最後に見えたのは、もう自分を気にすることなく猫へと向かって杖を構える女性だった。




ユーノ・スクライアは焦っていた。
最近先行きを少し楽観視していた分だけ余計に焦った。
しかしそれも当然で、現在ユーノに協力してくれる桃子は、正確な検査はしていないが魔力量だけならSランクに達しているだろうし、マルチタスクの習得速度も同時並行数も人並みはずれている。魔法自体の行使も、まったくの素人であるはずが教えてもいない魔法も含めていくつも使いこなしている。
ミッドチルダの魔法学校を飛び級で卒業しているユーノから見ても、桃子は天才としかいいようがなかったのだ。
――これなら、ジュエルシードも問題なく集められる。
ユーノがそう考えてしまうことになにも不思議はない。

「…………」

だが、ユーノは焦っていた。
またいつも通りに無事に終わるはずだったジュエルシードの封印だが、予想外の闖入者に状況が変わる。
その女性が現れた瞬間、ユーノは息を呑み、動けなくなってしまった。
探査、補助系が得意なユーノは魔力に敏感で、相手の魔力量もなんとなくわかるのだ。だからこそ、女性に驚いた。あふれ出る女性の魔力量は桃子に勝るとも劣らず、しかも一瞬にして放ったフォトンバレットは初級の魔法にもかかわらず目を見張る威力を持っていたのだ。その魔法を操る力量は尋常ではなかった。
桃子が天才ならば、女性も天才としか思えず、例え素質が同等であったとしても熟練されている分だけ圧倒的に女性が有利。桃子が戦っている間、ユーノはなにもできずただ身を竦ませていた。
しかし、やはり実力、経験の差は開きすぎていてあっという間に桃子は敗れてしまった。
まるで放り投げたボールのように重力で桃子が落ちてくる中、ちらりと見えた桃子は気絶しているようで……

「桃子さんっ!!」

ようやく体に力が戻ったユーノは走り出し、桃子の落下地点へと先回りする。

「フローターフィールド!」

桃子が地面に直撃するという直前、魔力によるクッションを三段重ねで発動する。展開とほとんど同時に桃子が降ってきたが、どうにか衝撃を緩和することが出来た。
ゆっくりと地面に下ろしてから近寄ると、桃子の穏やかな呼吸が確認できたので、ユーノはほっと一息をついてぺたりと力を抜いてへたりこんだ。
しかし、気を緩めたのもつかの間、背後に聞こえた足音にびくりと身を震わせる。

「…………」

恐る恐る振り返ったユーノの視線の先、少々離れた位置に女性が立っていた。その背後にはあれだけ目立っていた巨大猫はおらず、どうやら既にジュエルシードの封印は終わっているようだった。
――まさか、僕らの持ってるジュエルシードを狙ってるのか?
最悪のパターンがユーノの脳裏をちらつく。ただでさえ絶望的な戦力差なのに、気絶した桃子を守りながらなど不可能に近い。
もはやこれまでか……とユーノは覚悟を決めた。

「…………」

だが、女性は桃子をじっと見やると、あっさりと踵を返し、そのままゆっくりと立ち去っていってしまう。
女性が見えなくなってもしばらくの間身構えていたユーノだが、再び女性が帰ってくる気配がないとわかると同時に全身の力が抜けてしまった。

「助、かった……」

気絶している桃子をユーノが思い出して助けを呼びにいくまで、しばしの時間を要した。




「おかーさん、本当に大丈夫?」
「だいじょーぶよ。頭は打ってなかったみたいだし、大事取って今日は休んでおくから」
「うー」

心配してくれるなのはに微笑みかけながら頭を撫でる。

「ほら、なのはもはやくお風呂は入ってらっしゃい」
「はーい……」

本当に心配なのだろう、何度も振り返りながらなのはは部屋を出て行く。

「本当に無理しちゃだめだよっ!」
「わかってます」

閉じかけた扉の隙間から声をかけてくるなのはに手を振る。
軽い音と共にドアが閉まると、桃子は起こしていた上半身を倒し、ベットに身を沈めた。

「はぁ……」

ため息が漏れる。
気絶した桃子が目を覚ました場所は、夕日の差し込む月村邸の一室のベットの上だった。ユーノが助けを呼んだため運び込まれたらしい。目を覚ますと同時に泣きながら抱きついてきたなのはに驚いて最初はよく状況が理解できなかったが。
結局、ジュエルシードを取り込んでいたと思われる子猫も近くにいたことから、木に登ったはいいが降りられなくなった子猫を助けようとしたら木から落ちたという風に話をでっちあげて魔法のことは隠し、頭は打ってないようだが大事をとってと主張するノエルに車で送られて帰宅した。
帰ったら帰ったらで既に家族には連絡が入っていたらしく、士郎と恭也が待ち受けていてお説教タイムに入ってしまった。

「母さん、もう若くないんだから自分のできることとできないことの見極めくらいしてくれ」

この恭也の言葉が、色々な意味で桃子の心を盛大に抉ったりしたが、まあ怪我人(?)ということであまり説教は長引かず、今日はさっさと休んでいろということになり、今に至っている。
なんとも激動の一日だったなぁと、自分のことながら桃子は呆れて苦笑してしまう。

「あの、桃子さん……」

ベット脇の棚の上、クッションが入ったバスケットの中からユーノが遠慮がちに声をかける。

「ん? どうしたのー?」

首だけを回してユーノを見ると、なにやら落ち着かない様子で視線が安定していない。なにやら決意を決めたように頷くと、桃子を真っ直ぐに見据えてきた。

「あの、桃子さん! これからは」
「これからは僕だけでやります……かしら?」

自分が言おうとしていた内容をものの見事に言い当てられ一瞬動揺するユーノだったが、すぐに気を取り戻す。

「はい。今日、桃子さんが戦った相手はおそらく、というよりほぼ確実に僕のいた世界の魔導師です。それに、彼女の実力は僕の世界を基準に考えても超越しています。今回は無事に終わりましたけど、次も無事だっていう保証なんてないんです。今まで頼っておきながら悪いと思います、だけど今までみたいな暴走体とは違うんです。これ以上桃子さんに負担をかけるわけには……」
「ねぇ、ユーノくん」

優しくかけられた言葉にユーノは言葉を止められた。
横になっていた桃子はゆっくりと体を起こすとベット脇のユーノに近寄り、そっと抱き上げた。

「声を始めて聞いた時にわかったけど、ユーノくんまだ子どもでしょう?」
「それは、そうですけど……」

赤ん坊を抱くように抱えられたユーノはちょっと恥ずかしい気持ちを我慢して答える。

「桃子さんはこれでも大人なのよ? なんで子どもが危険なことを続けようとしているのに、大人なあたしが後ろに下がらなくちゃいけないのかしら」
「でも、桃子さんは本来魔法と関係ない人です」
「だーかーら、それこそ関係ないの」

ユーノを抱く力を少し強める。

「大人が子どもを助けるのに理由はいらないわ。子供が大人に助けを求めるのだってなにもおかしいことはないんだから。それに……」
「それに?」
「桃子さんの魔法の力。ユーノくんの役に立たないのかしら?」
「それこそありえないです。桃子さんの魔法の力は、僕の世界でもトップクラスですから」
「なら、ユーノくんには頼っちゃって欲しいなぁ」

にっこりと笑いかけられ、ユーノはつい視線を逸らしてしまう。

「それに、桃子さんとしても後には引けないしね」

自分を攻撃する直前に女性が言った言葉が今でも耳に残っている。あの場には似つかわしくない言葉で、感情というものをほとんど出さなかった女性から、その時だけ非常に濃い人間味を感じた気がして、心にひっかかっている。

「あ、そういえば」

なにかに気づいたような桃子の声に、ユーノがふと視線を桃子へと戻す。

「あたし、あの人に見られたのよね…………バリアジャケット」

ユーノを抱いている腕、というより桃子の全身が小刻みに震え出す。しかも全身からなにやら負のオーラが噴出する。

「も、桃子さんっ? 桃子さーん!?」

おろおろとユーノが桃子に呼びかけるが、負の思考に陥った桃子には届かない。
――あ、あの恥ずかしい格好を見られたなんて。もしそれがご近所で噂になったら……桃子さん社会的に抹消されちゃうわ!

「…………ねえ、ユーノくん」

なぜかのっぺりと一色に塗りつぶされてしまっている桃子の瞳に射すくめられユーノは全身を硬直させる。

「思いっきり叩くか魔法で攻撃したら、記憶って飛ぶのかしら?」

その後、魔法に関しては基本的に現地の人にばらすことはないし、記憶を飛ばそうとしなくてもちゃんと口止めすればいいと桃子に説明するのに、ユーノは多大な労力を費やした。






『後書き』

まず嘘をついて申し訳ありませんでした。
一年後くらいに続くかもしれないとか言っておきながらこんなに早く続編を書いてしまいましたごめんなさい。これからも「ドキッ! お母さんだらけのリリカルワールド」をよろしくお願いします。
劇場版パンフレットを見たらプレシアさんは色々制限があるとはいえSS魔導師なんですよね……まあ、距離減衰するであろう砲撃魔法においてなのはの射程が驚異的であるような描写から考えると、死期が近いのに次元跳躍魔法とか距離とか無視したぶっとんだ魔法を二発コントロールしたりと魔法のコントロールに関しては誰よりも上手いでしょうね。研究職だから戦闘力自体は飛びぬけて高いわけではなさそうですが、武装隊員くらいなら鎧袖一触ですし、vsフェイトな無印なのはよりこっちの桃子さんは絶望的かもしれない。
本SS中で桃子さんの魔力量がSランクはあると書いてありますが、9歳なのはと違い大人なので魔力も成長しきっているからということでこうさせていただきました。そうでもないとプレシアさんとガチンコ勝負するのさらに不可能になるので。
思い切ってプレシアさん登場まで時間を飛ばしましたのに予想外に一話が長い……しかもあまり本編と違いが出せない……困った。

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第三話
Name: 細川◆9c78777e ID:2a504d59
Date: 2010/10/10 17:41

休日のある朝のことだった。
珍しく食後すぐの朝っぱらからなのはがテレビを見ていたので、ふと気になって聞いてみた。

「あらなのは、なにか面白いものでもやってるの?」
「昔見てたアニメの再放送がやってるから、つい見ちゃってるの」
「アニメ?」
「うん、魔法少女リリカルななせStrikerSの再放送なの」
「ぶっ!」

動揺で洗っていた皿を落としてしまう。幸い割れたり欠けたりはしなかったが、大きな音が響いた。

「お母さん?」
「な、なんでもないわよー!」

驚き混じりのなのはの呼びかけに慌てて否定する。しかし動揺はすぐには収まらず、洗い物をさばく速度は一気にがくっと下がる。

『全力全開!!』
「…………」

どれだけ考えないようにしてもテレビから流れる音は嫌でも耳に入ってくるわけで、そのたびに自分のバリアジャケット姿が脳裏にちらついてしまい、桃子のテンションはどんどん下がっていく。
――うう、レイジングハートのばかぁ……
頑としてバリアジャケットの設定変更を拒否する相棒を心の中で非難する。




全国的な連休。
ここ高町家の家業は喫茶店であるが、毎年この時期には従業員だけに三日程店を任せて家族で旅行をすることになっている。目指す先は海鳴市から少し離れた山中にある海鳴温泉。今年は恭也の恋人である忍の月村家ご一行に、なのはの友達であるアリサも参加しての二泊三日の温泉旅行である。
海鳴温泉は広い風呂を持つ和風旅館で、豊かな自然の中を配された散策路もまた都会に住む人々にとっては好評だ。

「はぁー、きくわ~」

仕事の疲れ、そしてジュエルシード事件での疲れが知らず知らずのうちに溜まっていた桃子は、のんびり温泉を堪能した後、定番とも言える電動マッサージチェアで癒されている。
心地よい振動が絶妙な力加減で全身を揺さぶり、凝り固まった全身をほぐしてくれる。
ユーノは最初は桃子の肩に乗っていたのだが、どうも振動が嫌らしく今は床の上に降りて、緩みきった桃子を眺めている。決して、浴衣姿なために魅惑的に揺れる桃子の胸を見ているわけではない。

「あ゛ー、最近は色々と忙しかったし、いいわー」
「なら、面倒ごとを一つ諦めてはみませんか?」
「え?」

つい零してしまった独り言に返事があり、声のした方向へ視線を向ける。

「元々あなたはなにも関係ない生活を送っていたはずなのですから、手を出す必要も、首を突っ込む必要もなかったはずです」

隣のマッサージチェアに座る若い女性が桃子のほうを見ながら、薄い笑みを浮かべていた。
風呂上りの火照りからくるものとは違う、嫌な汗が首筋に流れる。

「えーと、なんのことかしら?」
「お分かりのはずですよね?」

ついとぼけてみる桃子だったが、あっさりと女性の笑顔に切って捨てられる。
桃子は隣の女性をまじまじと見詰める。ミルクを多めに垂らしたミルクティーのような色の髪を肩にかからない程度に切り揃えた、落ち着いた雰囲気の美人だ。ただ、桃子自身と同じ旅館の浴衣を身にまとってはいるが、日本人には見えない。

「私どもも面倒は望みませんし、こちらの世界に害を与える予定はありませんから、どうでしょう?」

言葉の最後にちらりとユーノに向けた視線が、獲物を狙う猫のように細められた。桃子がその一瞬の変化に気を取られている間に、隣の女性はマッサージチェアを停止させ立ち上がってしまう。

『どうか以前の生活にお戻りになってくださいませ、このまま邪魔を続けるようでしたら猫に引っかかれる程度の怪我では終わりませんよ? ……それでは、よき休暇となることをお祈りします』

ユーノと桃子にだけ聞こえるように念話で忠告を残す。

「ちょっと!」

手を伸ばし声を上げて引き止めるが、女性は振り返ることもなく立ち去っていってしまう。

「……」

やり場のなくなった腕を力なく桃子は下ろす。

『ユーノくん、今の女の人って』
『はい、おそらくこの前の魔導師の関係者です。今も「こちらの世界」と言ってましたし、間違いないかと』
『せっかくの休暇なのに、課題が山積みね……』

はあ、と息をつきながら、いつの間にか強張っていた体の力を抜いてマッサージチェアに全身を預けなおす。

『すみません……』
『ユーノくんが謝ることじゃないわ。こっちの予定を考えてくれない相手側に意味もない愚痴を言っただけだから』

手だけを伸ばしてユーノの頭を撫でる。

『ただ、警戒だけはしておいたほうがいいかもしれないわね』
『そうですね。近くにいるようですし』

――わざわざ忠告に来たくらいだから、あんまり悪い人じゃない……といいのだけれど。
気を紛らわすようにマッサージ強度を中から強へと切り替えながら、なんとなく桃子は思った。




売店で購入した昭和な香りがする牛乳瓶を片手に、綺麗な日本庭園の見える縁側を歩く女性が一人。
先ほど桃子に話しかけた女性であるが、上機嫌で風景を楽しみながら歩いている。

『プレシア? こちらリニスです。そちらはどうですか?』

途中に用意されていた腰掛に座って、念話を飛ばす。
少しして、返事が返ってくる。

『こっちはジュエルシードのだいたいの位置が特定できたところね。やはりここら周辺にあるのは間違いないわ』
『そうですか、それはよかったです』

リニス、と呼ばれた若い女性は安堵から笑みを深める。

『それより、あなたこそなんの用? こんなことを聞くためだけにわざわざ呼び出したわけじゃないでしょう?』
『はい。一つご報告したいことがありまして』
『なにかしら?』

紙の蓋を剥がして瓶を傾けつつ、念話を切らさない。

『プレシアの言っていたらしき魔導師の女性に会いました』
『……それは間違いないのかしら?』

プレシアの念話のトーンが下がる。リニスはプレシアから聞かされていた女性像と先ほどの女性像を改めて重ねてみる。平均的な身長、紅茶色の長髪と童顔。そして驚異的な魔力。すべてが一致し、やはり間違いないとリニスの確信が深まる。
牛乳を飲み込むのに合わせて白い喉仏が動くさまも、一気に牛乳を飲み干した後に赤い舌がぺろりと唇を撫でる姿も、男性をひきつけてやまない艶やかさがあった。まるで獲物を見つけたとばかりの笑みも艶かしい。

『ええ、間違いありません。使い魔らしきフェレットも近くにいましたし、なにより念話に反応がありましたので』
『そう。あなたは彼女のことどう思うかしら』
『うーん、そうですね。魔力量は凄まじいです。プレシアと同等レベルなど私は初めて見ましたし。ただ……』

顎に片手をあてながら、ぷらぷらと空になった瓶を左右に振る。

『技量がまだまだ伴っていない印象でしたね。例え才能があろうとプレシアの敵ではないでしょう。警戒しすぎてこちらの行動を緩める必要はないかと』
『……一応参考にしておくわ』

一応ですか、とこちらは念話ではなく口で漏らしつつリニスは苦笑いする。

『って、忘れてましたけどプレシア。あなたも温泉に入ったらどうなんですか? 私よりあなたのほうが体調的には芳しくないんですから。気持ちもいいですしいかがです?』

一転して柔らかい調子でリニスはプレシアに語りかける。

『いいのよ、私は人が多いところにあまり行くわけにもいかないのだから』
『でも、体を休めるのは大切ですよ』
『大丈夫、よ。問題ないわ』

強い口調で押し切られ、リニスはむっと返答に詰まる。
その隙にプレシアはさらに言葉を重ねる。

『それよりも、今晩からまたあなたには働いてもらうのだから、しっかりと英気を養っておきなさいよ』
『……はい、マスター』

ちょっと納得できないところはあるが、リニスは素直に従っておいた。
と、ここで先日プレシアが語った敵の魔導師、つまり桃子についての疑問が思い出される。

『そういえばプレシア、本当にあの女性が「あんな」バリアジャケットだったんですか? いたって普通の女性に思えたのですが』
『…………覚えておきなさいリニス。人間っていうのは見た目じゃわからないものなのよ』
『うわぁ……』

プレシアの沈黙が言葉以上に現実を語っているようで、なんだか見てみたいような見てみたくないような、不思議な気分にリニスは陥ってしまった。
牛乳瓶についた結露の一雫がぽたり、と落っこちる。




夜も更け、子ども達が寝静まってからしばらくたった夜半。なんとなく寝る気分にもならず、ついていこうかという士郎の提案を断って、桃子は旅館の庭園を散策していた。
昼間歩いた時は落ち着いた印象を受けた庭園なのに、太陽が沈んだだけで受ける印象は一変する。夜空の色が降ってきたように全体的に暗くて、ところどころに下げられた電球に浮かび上がる木々を見ているとわびしさが先に立つ。
これはこれで趣きがあるとは思ったが、やはりこんな夜中に出歩く人はほとんどいないようで、周囲には桃子以外の人影が見当たらない。

「ね、ユーノくん」

だからこそ、気兼ねなく桃子は肩の上のユーノに声をかけた。

「なんですか?」
「あたし、この前戦った女性のこと考えたんだけれどね。不思議なのよ」
「不思議、ですか?」
「うん、不思議」

桃子の表情を伺うユーノだが、薄暗い中ではよく見えなかった。

「ユーノくんは、聞こえなかった? あの人があたしを攻撃する直前に呟いた言葉」
「なにか言ってたんですか?」
「ありゃ、聞こえてなかったのね」

そっかーと呟き、腕を組んだ桃子は考え込んでしまうったが、ぽつりと零した。

「悪いわね」
「えっ?」
「悪いわね、って。あの人そう言ったのよ」

桃子は眼を閉じ、対峙した彼女の姿を脳裏に思い浮かべる。

「話なんてしてなにになるんだー、みたいなこと言って悪役ぶってたくせにこれよ? どう考えても変でしょう?」
「そう、ですね。確かにひっかかります」
「不思議でしょ?」
「はい、不思議です」

目を合わせてお互いにくすりと笑いあう。

「だからね、桃子さんこう思うのよ。もうちょっとあの女の人とお話したいなぁって」
「お話、ですか?」
「うん。わからないなら聞けばいいんだもの。出来れば翠屋までご招待して紅茶とケーキを一緒にしながら、がいいけどね」
「それは、いきなりすぎませんか」

まだ名前も知らない相手だというのにちょっとレベルの高い夢を語る桃子にユーノはつい吹き出してしまう。

「あー、笑うなんてひどいわよー」

口ではぶーぶー言うものの桃子も笑顔だった。

「まあジュエルシードを集めていれば、いずれまた会えますよ」
「そうね。もうちょっと色々と事情を聞いたりしたいわ」
「僕も協力します」
「ふふ、ありがとう」

ぐっと桃子は両手を天に突き上げ思いっきり伸びをする。

「さってと、今日ももう遅いし戻って寝ましょうか!」
「はい」

桃子とユーノ、お互いがこれからの方針を確認しあったその瞬間だった。

「っ! これって!」
「ジュエルシードです!」

旅館から少々離れたおそらく森の中あたりからジュエルシードの魔力が周囲を振るわせる。山中の木々がざわり震えた気がした。
ばっ、と桃子の肩からユーノが飛び降りる。

「いきましょう!」
「ええ!」

先導するように駆けるユーノの後を追って桃子も走り出す。
森の中に入り、旅館のほうからも見えなくなってから、首から提げていたレイジングハートを手でぎゅっと握る。

「レイジングハート、お願い!」
「Stand by ready. Set up.」

一瞬の間に、そろそろすっかり板についてきた気がしなくもない白いバリアジャケットに身を包む。
森の中に整備された散策路に沿って進み、川のせせらぎが聞こえ出した頃だった。

「今度は!?」

ジュエルシードとはまた違った巨大な魔力の流れが肌を撫でる。前方には青白い、ジュエルシードの輝く光の柱が立ち上るのも見えた。

「たぶん、この前の魔導師です。先を越されたみたいですけど、まだ間に合います!」
「っ!」

ユーノの言葉に、桃子は反射的にレイジングハートを握る力を強める。
確かに彼女と話をしたいと言ったし、ユーノを助けたいという思いに嘘はない。だが、攻撃を受けた記憶はまだ桃子の中で鮮烈に残っていて、つい恐怖が出てきてしまうのも事実だった。

「Don't be afraid, I'm with you. (怖がることありません。私が一緒です)」

自分を力づけるようにコアを点滅させるレイジングハートに、最初は面食らった桃子だったがすぐに笑みを浮かべ、そっと胸に抱く。

「そうね、レイジングハートもユーノくんも一緒に戦ってくれるんだものね」
「Of course. Let's do with all our strength. (当然です。全力でいきましょう)」
「そうね、やれるだけやらなくちゃね」

いつの間にかちょっと俯き気味になっていた視線を真っ直ぐに上げる。その先にある橋の上、夜の森の中であってなお煌々と輝くのは封印されたらしきジュエルシード。そして、ジュエルシードへとデバイスを伸ばす女性は、見間違えるはずもないあの魔導師、プレシアだった。

「待って!」
「ん……?」

ジュエルシードを手にしたプレシアが振り返る。桃子の姿を視界におさめると、眉根をよせる。

「これはこれは……」
「え……?」

プレシアしかいないと思っていたら聞こえたのは昼間に桃子を忠告した女性の声。
周囲を見回す桃子とユーノだったがその姿は見えない。

「どうか以前の生活にお戻りになってください、と申し上げたはずですよね?」
「え……ね、こ?」

声の主は夜に金色に光る瞳を浮かべる猫。プレシアの足元の影から余裕のある足取りで舞台に立つ。
驚く桃子とは反対にユーノは警戒を解かず声を上げる。

「それを、ジュエルシードはどうする気だ! それは、危険なものなんだ!」
「さて、どうでしょう? 答える理由は私どもにはありませんね。それに……」

猫の目がさらに細められると、その体に変化が現れる。

「なっ!?」
「ええっ!?」

まず猫の体が大きくなっていく。体表を覆う毛が消え、白い人間と同じような肌が覗く。
気づけばそこにいたのは昼間とは身に纏う服こそ違うが、桃子の記憶にある女性、リニスが立っていた。
手に持った帽子を指先だけでくるりと回転させてから、頭に乗せる。だが、桃子もユーノも、今は帽子の下となっている猫耳を見逃しはしなかった。

「ご忠告申し上げたはずです、邪魔を続けるようなら猫に引っかかれる程度の怪我では終わらない、と」

細められた目は、まがうべくもない獲物を狙う猫の瞳だった。

「やぱり……あの魔導師の使い魔だったんだ!」
「使い魔?」
「ご名答。私はマスターに作られた魔法生命。製作者の魔力で生きる代わりに、命と力の限りをもってその行く手を切り開く者です」

聞きなれない言葉に首を傾げる桃子に対して、リニスは丁重にお辞儀をする。
そのまま後ろからやり取りを眺めていたプレシアに振り返る。

「先に戻っていてください。すぐに追いつきます」
「無駄なことはせずに適当なところで切り上げなさい」

つまらなそうに鼻を鳴らしたプレシアの言葉にリニスは口角を吊り上げる。

「了解しました」

桃子に対して背を向けた姿勢そのままで、軽業師のように高く跳ねる。

「ああっ!?」

桃子が慌てて空を見上げると、そこにいたのは満月を背にして手を振り上げるリニスの姿。元が猫だからなのだろうか、その手の先にはもはや刃と形容すべき程の鋭利な爪が月光を受けて煌いていた。

「そうはいかない!」
「く……」

桃子の前に躍り出たユーノが間一髪で防御魔法を展開し、リニスの急降下攻撃を阻む。
リニスの爪が食い込み、ユーノの防御魔法が火花を散らすように削られるが、突破までにはいたらず両者の動きが止まる。

「桃子さん! あっちの女性をお願いします!」
「私が、それをさせるとでも!?」
「させて、みせるさっ!!」

リニスの爪がさらに深く防御魔法に突き刺さり、徐々に切り裂かれていく。
しかし、ユーノは慌てることなく防御魔法とは違う緑色の魔法陣を展開する。

「移動魔法……いけないっ!」
「もう、遅い!」

初めて焦りの表情をリニスが見せ、後方へ飛びのこうとするがその前に魔法が発動し、魔法陣がひときわ明るく光ると、その場からリニスとユーノが姿を消す。
途端にその場に静寂が訪れる。

「結界に、強制転移魔法……悪くない使い魔ね」

突然のことに周囲を見渡していた桃子は、プレシアの声に再び真っ直ぐ相手を見据える。

「ユーノくんは使い魔ってやつじゃないわよ。今じゃあたしにとってのもう一人の息子同然よ」

決意と共にレイジングハートを構える桃子をプレシアは相変わらず冷たい視線でじっと見詰めていたが、ふっと一息をつくと退屈そうに髪をかきあげる。

「それで、どうするの?」
「話し合いでどうにかできるってこと、ないかしら?」
「私は、ロストロギアのかけらを、ジュエルシードを集めている。そして、あなたも同じ目的である以上、私達はジュエルシードをかけて戦う敵同士よ」

ふっとプレシアが目を閉じる。

「話し合うだけ、言葉だけでどうにかなるときも確かにあるでしょうね。だけれどね、世界はそんな便利じゃないの。たいていはそれだけでははなにも変えられない」

かっと目が見開かれる。

「伝えられない!!」
「……っ!」

今まで無感情を崩さなかったプレシアの瞳に灯った炎を桃子は見た。
プレシアの杖が一瞬で鞭へと姿を変える。右腕で振りぬかれたそれが桃子へと迫る。

「くっ!」

なんとか一歩飛び退いて鞭を桃子は避ける。

「フォトンバレット」

桃子に息をつく暇も与えず、プレシアはそのままフリーな左手で練っていた魔力弾を発射させる。

「Flier fin.」

ここはレイジングハートが自動で発動させた魔法により桃子は空へと逃れる。

「それでも! やらないうちから決め付けるなんてダメよ!!」
「賭けなさい、それぞれのジュエルシードを一つずつ」

桃子の呼びかけをプレシアは無視し、こちらも飛行魔法で空へとあがる。

「フォトンランサー、雷撃」

その前のものと違って迸る紫電を纏った魔力弾が二発打ち出される。

「ふっ……」

これは桃子がうまく身を捻りながら空を飛んで回避する。

「…………」

しかし、プレシアが手を振ると、通り過ぎたフォトンランサーが大きく弧を描き、再び桃子めがけて飛ぶ。

「Attention! (来ます!)」
「えっ、ああ!?」

避けられたと思い込み、つい気が抜けていた桃子は背後からフォトンランサーに襲われる形になる。

「レイジングハート!」
「Protection.」

振り向きざまにプロテクションが展開されるやいなや二発のフォトンランサーが突っ込んでくる。
魔力量に明るく、ユーノの助言もあった桃子の防御は堅牢であるため破られることはないが、爆散する魔力弾の煙により視界が悪化する。

「くっ!」

暫くして煙が晴れた先に桃子が見たのは、足元だけでなく桃子の方へと掲げた手にも魔法陣を展開するプレシア。そこに集まる魔力量は今までの魔力弾などとは段違いで、反射的にごくりと喉を鳴らしてしまう。
それでもタイミング的に避けられないと思った桃子は、引かずに正面から迎え撃つことを決意して、負けじとレイジングハートをプレシアに向けて構える。

「サンダー……スマッシャー」
「ディバイン……」
「Buster.」

紫の砲撃と桃色の砲撃が空を割って飛び出し、激突する。
そしてどちらが勝つということもなく押し合う。

「む……」

砲撃で押し切れなかったのが予想外だったのか、プレシアは眉をひそめる。
ただ、表情から余裕が消えることはなく、まだ本気を出していないという様子であった。

「レイジングハート、お願い!」
「All right.」

さらに魔力を流し込んで桃子はディバインバスターの威力をあげる。
一瞬にして均衡は崩れ、桃色が紫を飲み込んでプレシアへと直進する。

「桃子さん……凄い」

転移先から、リニスの追撃を避けながらどうにか戻ってきたユーノは、プレシアのいた辺りで起きた桜色の爆発を呆然と見上げる。

「しかし、ここまでのようですね」

ユーノを追いかけて戻ってきたリニスは、余裕を崩すことなく言った。

「っ!? 桃子さん!!」

空中にいる桃子は終わったと勘違いしたのか気を抜いている様子で、だからこそプレシアの姿を空に見たユーノは声をあげる。
ただ、それはあまりにも遅すぎた。

「終わりよ……」
「え……ああっ!?」

聞こえたプレシアの声に上を見上げた桃子は、下ろしていたレイジングハートを再び構えようとするが、両手足に一瞬で紫色の枷が巻きつき、桃子の動きを止めた。
月光を背景に自身に向かってくるプレシアは右手に魔力を凝縮させていて、桃子は恐怖からぎゅっと目を瞑ってしまう。
桃子へと、プレシアの影が重なる。

「はっ、う……あ……」

桃子の左胸、心臓の前に練りに練られた魔力が押し付けられる。
もし、このまま放たれたら体が木っ端微塵になってしまうのではないかという恐怖で、桃子の全身から汗が噴出す。
しかし、プレシアは勝負を決められるというのに撃つことはなかった。

「Put out.」

両者の沈黙を破ったのはレイジングハートで、コアから一つジュエルシードを放出する。

「レイジング、ハート?」

その突然の行動に桃子は戸惑うが、対するプレシアは桃子におしつけていた魔力を霧散させ、ジュエルシードを掴んだ。

「ふん……主人思いのデバイスでよかったわね」

もう用は済んだとばかりに、プレシアは長い髪をたなびかせて桃子に背を向けると地上へと降りる。
右手を後ろ手に振って、桃子の四肢を拘束していたバインドを解除すると、ユーノと並んで観戦としゃれ込んでいたリニスに視線を向ける。

「帰るわよ、リニス」
「はい」

自身の主人に返答をすると、リニスは脇のユーノへと向く。

「この借りはいずれ」

もはや猫というより豹といった妖艶ながら相手の背筋を凍らせる笑みを送る。
既にリニスから視線を外していたプレシアはゆっくりと歩き去っていく。

「待って!」

遅れて地に降り立った桃子が呼びかける。
プレシアは振り返ることなく足を止め、静かに言い放つ。

「できるなら、もう私達の前に現れないで。もし次があったら、また止められる保障はないわ」
「あの、名前! あなたのお名前は?」

返事が返ってくるまでの短い合間なのに、どくんどくんと脈打つ心臓の音が体中に響く。

「プレシア……プレシア・テスタロッサ」
「あの、あたしは……」

桃子が自分も名乗ろうとするが、自分の名前を捨て置いてプレシアは飛び立ってしまう。

「今宵はこれまでとしますが、再会がないことをお祈りしています」

帽子を胸の前に持って慇懃に礼を残し、リニスもプレシアを追って夜の空へと飛ぶ。
残された桃子はじっと二人が消えていった夜空を眺めていた。
夜風が、身にしみる。





『後書き』

どうも、数年前に航空自衛隊を退役した叔父に所属はどこだったかと聞いたら教導隊だと返答されてびびりまくりの細川です。残念ながら叔父の知る範囲内では空自の教導隊に高町姓の方はいなかったようです。
最初はプレシアさんの使い魔はフェイトの時と同じでアルフでいこうか……とも思ったのですが、やっぱりプレシアさんの使い魔といったらリニスしかないということでリニスにしました。アルフよりリニスのほうがお母さんオーラがあって「お母さんだらけのリリカルワールド」には合ってますしね。ただ、保護対象がいないからか、プレシアさんに引きずられでもしたのかクールでかっこいい系になってるリニスさん。でもいいんだ、猫にはミルクということで牛乳飲んでる姿も書けたし、中の人ともども大好きなキャラですしこれくらい贔屓していいですよね。
冒頭の魔法少女ものアニメの題名ですが、とらハ3の没設定である、高町家の末っ子にとらハ1のヒロインである春原七瀬が転生するというところから名前をもらいました。さすがになのはと同じ名前はどうかと思ったので……内容に関しては皆さんの想像と大して変わらないと思います。
む、長さがまた一話の時に戻った。なんだか分量が安定しない。しかもなんか原作のただの焼き直し感が否めないしなぁ……

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第四話
Name: 細川◆9c78777e ID:2a504d59
Date: 2010/10/10 17:42

ずっと、頭から離れないものがある。
全てにおいて敗北したあの時、至近距離にあったあの人の瞳は、無表情なように見えて、違った。
瞳の奥に灯るのは決意の炎で、だけれどもその炎は切なげに揺れていて、悲しかった。

「あ……」

手元にあるのは見るも無残なシュークリーム。クリームを詰め込みすぎて溢れている。

「はぁ……」

ため息をつく。
桃子はあの日以来、どうにも気が散ってしかたがなく、今日も朝から普段ならやらないようなミスを連発していた。

「それでも、気になるのよね」

ぼそりと呟いた言葉は桃子以外の誰の耳にも入ることなく宙に消えた。




ミスを重ねながらもどうにか昼のラッシュを乗り越えて、桃子はようやく一息つき、額の汗を拭った。

「桃子」
「なにかしら、あなた?」

やってきたのは桃子の夫である士郎だ。

「ちょっと、座って話でもどうだ」
「ええ、いいわよ」

士郎の提案に桃子は笑って答える。
――大丈夫、笑えてるわよね?
ちらりと、不安がよぎったがそれを打ち消した。




「…………」
「…………」

客の少なくなった翠屋のカウンターに桃子は座り、士郎は桃子へのコーヒーを淹れる。どこかどちらも口を開きづらくて、無言の時間が続く。まだ客はいてその話し声があるはずなのに、不気味なほどに静かに士郎は感じた。
ことり、と士郎が差し出したコーヒーカップのたてたほんの些細な音に、びくりと桃子は身を震わせた。

「……ありがとう」

どうにか、といった様子で言葉を紡いだ桃子はがカップを両手で持つ。
本人はいつも通りを振舞おうとしているが、ところどころ笑顔の仮面から漏れる表情は遠くを見ていて、ふとした時にもなにか思いふけっている様子で、なにより普段の桃子らしからぬミスが多い。嫌でも士郎は妻の異変に気づく。
刀を振るう以外に上手い問題の解決方法を知らなかった士郎は、こういうことに自分が向いているとは間違っても思わないが、愛する妻のこととなれば放っておけず、いっそ自分らしく単刀直入に聞く。

「なにか、悩みがあるんだろう?」
「……」

ぴたりと桃子の動きが止まる。すぐに言葉を返せないその間こそが士郎の投げかけを肯定する。

「……やっぱり、わかっちゃう?」

観念した様子で深く息を吐き出した後、桃子は上目遣いに士郎を見上げる。口元に浮かぶ笑みは儚い。

「なに、恭也だってわかるさ。なのはだって心配そうだったぞ」
「あら、ほんとに? 気づかなかったわ」
「それだけ悩んでたってことじゃないかな」

腰に手を当てて士郎は困った笑みを浮かべる。
本人はごまかせていると思っていたらしく、どうやら悩みはかなり深いようだ。持ち上げていたコーヒーを桃子はカウンターに戻してしまう。

「……俺には、話せないことなのか?」
「……」

桃子の視線は手元のコーヒーから立ち上る湯気へと落ちてしまい、再びの沈黙が今度もまた如実に答えを出していた。

「ごめんなさい、士郎さん。こればっかりは士郎さんにも言えないのよ」
「そうか……なら無理には聞かない」
「えっ?」

目を丸くして桃子は見上げてくる。

「聞いて欲しいのか?」
「え? あ、いやそういうわけじゃないんだけど……」

ぱたぱたと手を振って否定する桃子に、士郎は不謹慎だとは思いながら自然と笑みが浮かんできた。

「でも、気にならない?」
「そりゃ、気にはなるさ」

恐る恐るといった感じに見上げてくる桃子に、なにをいまさらといった感じで士郎は返す。

「気にならないわけがないさ。だけど、俺は桃子のことを信じているんだよ」
「え……?」
「俺に話せないってことは本当に話せないことなんだろう。それに、俺の愛してる桃子は心が強いから、きっと大丈夫だって信じている」
「士郎さん……」

恥ずかしそうに桃子は顔を伏せる。

「でもな、桃子。これだけは忘れないでくれ」

そっと士郎は桃子の頬に右手を伸ばす。

「お前は高町家のお母さんなんで、みんな桃子のことを心配してるし、帰りを待っている」

触れた手に感じるのはいとおしく柔らかな熱。

「本当に困った時はいつだって頼ってくれていいし、帰ってくる場所はここある」
「……」

伸ばした士郎の手に、そっと桃子の手が添えられる。

「ありがとう、士郎さん」

ほんとうに小さな呟きだったけれど、士郎には十分だった。

「なぁに、どうってこともない。ただ、あやうく家族を失いかけた俺みたいになって欲しくなかっただけだ」

思い出されるのは、昔のこと。
家族に心配をかけているとわかっていたから最後にしようとしたボディガードの仕事で、士郎は爆弾テロに巻き込まれ、護衛対象の娘を庇って大怪我を負った。命を失ってもおかしくない状況だったが、どうにか一命を取り留めた。
だが、士郎の心には生きていたことに対する感謝ではなく後悔しか残らなかった。家族の泣き顔が今だって瞼の裏から離れない。守りたいものを守るための御神流だと、ただ愚直に刀を振るっていたというのに、その結果目の前にあるのは家族の笑顔ではなかった。
ボディガードの仕事に出る前にした桃子との約束が自分の心をえぐったのがわかった。

『ずっと笑って、幸せに暮らすこと』

なのに、彼女を泣かせたのは自分だった。
同時に末娘に辛い思いをさせてしまい、その影響は今だって残っている。
だから、桃子には同じことをして欲しくなかった。

「頼むから、無事で帰ってきてくれ。それだけで、俺たちは大丈夫だから」
「…………いつか」

ぎゅっと桃子の手が士郎の手を強く握った。

「いつか、ちゃんと話すから」

顔を上げた桃子は笑顔だった。真っ直ぐに前を向いた笑顔で、さっきまでとは違う。確かに隠し事があることがわかる笑顔だけど、なぜだか士郎の心を穏やかにさせた。

「……ああ、待ってるよ」

そっと、妻の目尻を拭った。
――なのはは、やっぱり桃子に似たのかもしれないな。
笑顔で隠し事をごまかそうとするのだけれど、顔に出ている。そんな不器用さが似通って士郎には思えた。




士郎のおかげか少しだけ気分が楽になった桃子は、犯すミスも少なく午後を乗り切っていた。
学校帰りの生徒達がやってくる午後のピークが過ぎ、再び翠屋に落ち着いた時間が訪れる。この時間になると、常連客かシュークリームやケーキのテイクアウト客が多くなる。
からん、と入り口の扉が開いて鐘が音を立てる。
テーブルを拭いていた桃子は振り返って笑顔で出迎える。

「いらっしゃいませー、ってあらはやてちゃん」

桃子が振り返った先にいたのは、車椅子に乗った桃子と同じくらいの年齢の女性。肩にかかる程度で切りそろえられた髪が、車椅子ながら元気そうな印象を与える。
翠屋の常連客でもあるはやてだ。

「おー、桃子ちゃん久しぶりやな」

あるはやては、片手をあげてニコニコと桃子に声をかける。

「あ、今すぐに席を用意するわね」
「毎回ごめんな?」
「そんな気にしないの」

すまなそうにはやては謝って動かない自分の足を撫でる。車椅子であるために席を用意してもらわねばならないのに負い目があるのだろうが、桃子は笑って吹き飛ばす。

「はい、どうぞ」
「ありがとな。それと、注文はいつもので」
「はいわかりました」

はやてがいつも頼む、レモンティーとシュークリームの定番セットを手早く用意して桃子ははやての待つテーブルに戻る。

「はい、お待たせしました。八神はやて先生のいつもセットです」

ちょっとおどけて言った桃子に、単行本へと目を落としていたはやては恥ずかしそうに抗議した。

「いや、桃子ちゃんそんな先生とか言わんといてや、恥ずかしいやん」
「えー、でも本当のことでしょ?」
「それは、そうなんやけど……」

にこにこと笑みを崩さない桃子にはやては頭を掻く。
実ははやては現在売れっ子の作家である。本人曰く、

「読書好きが高じて試しに書いて投稿してみた小説がなぜか賞を取ってしまっただけ」

なのだが、読書家な美由希も彼女のファンであるし、作家一本で食べていけるあたり天職だったのだろうと桃子は思う。ちあみに、はやてとの付き合いはまだ翠屋がオープン直後で、はやても駆け出し作家だった頃からであり、お互いに出身が関西でなおかつ同い年であるという共通点などもあり、それなりに親しい友誼を結んでいる。

「そういえば、今回は珍しく間が空いたわね、なにかあったの?」
「んー、それはなぁ」

レモンティーを一口飲んではやては答える。

「今回は初めての児童向けだったからどうも勝手がわからなくて、〆切を延ばしてもらってギリギリさっき原稿を出して来たとこなんよ」

いやー大変やったと言いながら肩をまわすはやてに桃子は小さく笑った。

「そういえば、大分前に今度は児童向けを書くって言ってたわね」
「うん、ちょうど桃子ちゃんにパティシエについて色々聞いたこともあったやろ?」
「ああ、そういえば……」

顎に手をあてて思い出してみると、はやてが取材と称してパティシエについて色々と聞いてきたことがあった。取材というから、なにかしら仕事に使うのだろうとは思ったが、まさか今回だとは予想していなかった。

「とにかく、今回を乗り越えられたのは桃子ちゃんのお陰や、ほんまありがとな」
「やーねー、桃子さんの話でいいならいくらでもするわよ」
「ふふ、検本が来たら桃子ちゃんにも渡すから、できればなのはちゃんからの感想とかもらえると助かるんやけど」
「なのはもはやてちゃんの本が好きだからきっと喜んで読むわよ」
「そりゃ嬉しいわ」

ほっと息をつくはやてに、桃子はなんてことはない好奇心から質問をした。

「その本の題名ってなんていうの?」
「おお、それはな『魔法のパティシエール』や!」
「……え?」

桃子は、なにか聞いてはいけないものが聞こえたような気がした。頭を振って、気持ちを切り替える。

「えっと、もう一度聞いてもいいかしら?」
「ん? だから題名は『魔法のパティシエール』や」
「……そ、そう」

笑顔が凍りつく。
はやてが桃子の秘密を知っていることは絶対にない。そう絶対にあり得ないのだが、それゆえに無意識の刃が桃子のハートに突き刺さっていく。
一方のはやては桃子の変化に気づいておらず、興が乗った様子で物語の内容を話していく。

「桃子ちゃんが15歳でイタリアとフランスにお菓子作りの武者修行に行ったっていう話を聞いたから、主人公も15歳の女の子にしたんよ。まあ、児童向けやから魔法とかも出てくるんやけど」
「15歳……」

――あたし32歳、もうすぐ33歳。二倍以上……
さらに桃子の心に立て続けにダメージが蓄積されていく。

「それで、魔法のパティシエールに変身するときはお菓子を作る時の格好になるんや」

――あたし、バリアジャケットあんなの……
もはや限界だった。

「あ、あれ? 桃子ちゃん?」

桃子はテーブルに手をついて、がっくりとうなだれてしまった。
いきなりの変化に、まったく理由がわからないはやてもおろおろとするだけ。

「な、なにか気に障ることでもあった? なんなら原稿書き換えるけど」
「ち、違うのよ。はやてちゃんが悪いんじゃないのよ。ただ、ちょっとね……」

――ふふふ、そうよね。今まで考えないようにしていたけれどどう考えてもおかしいわよねあんなの。うん、わかってたわ、わかってたけど……考えたくなかったのよ!

「も、桃子ちゃん?」

――でもあたしが悪いわけじゃないわよレイジングハートが変更してくれないのがいけないのよ。好き好んであんなアニメの魔法少女(19)と同じバリアジャケットなんか着ないもの。

「おーい、桃子ちゃーん? ……あかん、完璧に壊れとる」

――そーねー、絶対にいつかレイジングハートとお話しなくちゃならないわね。

「んー、まあ無防備なのが悪いんやし、ええやろ。えい!」
「……ん?」

ぐにっ、と誰かの手が自分の体のある部分を掴んでいる感触に、桃子は思考の底から引っ張り上げられる。

「おー、やはり人妻の感触は奥が深い……」

まるで自分のものであるかのように揉んでいるのははやての手。揉んでいる場所は、自分の胸。

「なぁっ!!?」

突然の一瞬で顔が一瞬で沸騰し、反射的にお盆を振り上げて、たたきつけた。

「なにしてるのっ!?」
「あがっ!」

とてもいい音が響いた。

「い、痛い……そんな広いほうやなくて横で叩くなんてひどいで……」
「あ゛、ああごめんなさい! ついかっとなってやりすぎちゃったのよ!」

頭を抱えてうずくまったはやてに、我に返った桃子は顔を青くして平謝りした。

「うう、確かに胸を揉んだのは悪かった思うけど、しゃあないやん、そこに胸があったんやから」
「あたしも叩いたのはいきすぎだとは思うけど、本当にその揉み癖はどうにかならないの?」
「ならん! わたしのライフワークやからな!」

頭を抑えながらも復活したはやては毅然と胸を張って言い放った。

「いや、全然自慢にはならないわよ?」

ちなみに、二人が知り合うきっかけになったのも、店にきたはやてが桃子の胸を揉んだからだったりする。

「ええんよ。これがわたしの個性や」
「あらあら」

仕方ないなぁといった感じで桃子も笑顔を浮かべる。
ついさっきまでの負の感情ははやてに揉まれて吹き飛んだようである。

「あー、そや」

ぽん、とはやてが手を打つ。

「今回は原稿を桃子ちゃんにすごい助けになったし、なにか一つだけお願いを聞くで?」
「えー、いいわよ別に。うちの店を贔屓にしてもらえてるだけで十分なんだから」
「いやまぁ、人様の胸を揉んでしもーたし……」

ちらり、とはやてが視線を逸らしたので、桃子もその方向を見る。

「…………」

威圧感のある笑顔を浮かべた士郎がカウンターの向こうでグラスを磨いていた。

「あ、あははー」
「いやー、いい旦那さんで……」

なんとも申し訳ない気分になって桃子は乾いた笑いをあげるしかなかった。はやても、あいまいな笑みを浮かべている。

「まあ、とにかくそういうわけやからなにかお願い事ない?」
「あー、そうねぇ……」

状況的に、このままはやてにお願い事をしないのも気が引けたので桃子はちょっと考え込んで、せっかくだからと今一番悩んでいることを聞いてみることにした。もちろん、魔法のこととかはぼかすが。

「あのね、ちょっと相談したいことなんだけど……」
「ん? ええで、なんでも言ってや」

身を乗り出してくるはやてに、声を落として質問をする。

「ある人と同じものを求めて対立しちゃって、でも相手はこっちの話も聞いてくれなくて強制的に勝負を挑んでくるっていう時、どうする?」
「あー、うーん……」

ちょっと抽象的すぎたと後悔する桃子の内心のその通り、意気込んでいたはやてだが、腕を組み眉間にしわを寄せて考え込んでしまった。
そのまま暫く時間がたつが、目を閉じてうんうんと考え込むはやてに申し訳なくなって、やっぱりなかったことにしようと桃子が思ったのとほぼ同時だった。

「なんというか……ひどく単純というか原始的なんやけど、それでもええか?」
「あ、うん。全然かまわないけど……」

片目だけ開けて尋ねてきたはやてに頷く。すると、はやては頭の中で話がまとまったのかひとつ頷いてから両目を開いて、桃子を真っ直ぐに見つめてきた。

「あー、あっちが話聞いてくれなくて勝負を挑んでくる、っていうなら、受けて立てばええんちゃう?」
「でも、桃子さんとしては色々と聞きたいこととかあるんだけれど……」
「そやから、勝負を受けて、勝てばいいんよ」
「うん?」

よくわからずに首を傾げる桃子に対し、はやてはぴんと一本指を立てる。

「簡単に言えば、相手が話がする気がないなら話をする気にさせればいいってことや。負けたらだめかもしれんけど、そもそも話に応じないなら状況を動かさないとあかん。勝てば官軍って言葉もあるくらいや、勝てば嫌でも話を聞かせることくらいできるやろ」
「あ、なるほど……」
「まあ、大した解決策になってない気もするんやけどな」

納得といった様子の桃子に、満足そうに頷いたはやてだったが、すぐにすまなそうな笑みを浮かべ頭をかいた。

「そんなことないわよ。だってあたしはやてちゃんに言われなかったら多分ずーっと気づかなかったもの。すごい助かったわ」

ちょっと強い口調で桃子は強調する。

「ほんまに?」
「あたりまえやん」

今はもう使わないしほとんど忘れている関西弁をわざと使ってはやてに笑顔とともに返す。
桃子の役に立てたかちょっと不安だったらしいはやてはぱぁっと顔を輝かせた。

「そか、でもあんま大した答えを出せなくてごめんな? 埋め合わせには程遠いかも知れないけど」
「そんなことないわよ、埋め合わせ分以上の答えだったから」

ぐっと桃子ははやてに親指を立てる。

「あ、そんならもう一回くらい胸を揉んでも……」
「はやてちゃん?」

現金にも手をわきわきとさせるはやてに、笑顔のまますっとお盆を掲げる。

「すいませんでしたー!」

すぐさまやては頭を下げる。
なんだか無償におかしくなって、桃子とはやては二人で笑った。




なのはが寝て、男二人と長女が夜の鍛錬に出かけた後のテレビも消えてひっそりとした高町家のリビング。ソファに座った桃子はユーノを膝の上に乗せてブラッシングをしていた。

「あたし、決めたわ」

ぽつり、と零された言葉にユーノは反応が遅れたが、桃子はそれを待つこともなく言葉を紡いでいく。

「もう、迷わないって」
「なにが、ですか?」
「あの人と、プレシアさんと戦うのを、よ」

撫でるようにブラシを動かす手を休ませることなく、まるで寝付けない子どもに語りかけるように桃子は話す。

「今までは、子どもなユーノくんを放っておけないから、みたいな理由だったけど、今はもう違う」

他の部分にブラシをかけるために桃子はユーノを回転させる。ようやく桃子の顔が視界に入ったユーノの目に入ったのは、普段より深みがある瞳で、吸い込まれるような感覚を彼にもたらした。

「あの人のどこか自分を殺してるみたいな瞳が気になるからっていうのもあるけど……」

言葉を切って、目を閉じる。

「あたしね、生まれたのは海鳴じゃないのよ。でも、胸を張ってこう言える『自分の故郷は海鳴だ』って」

彼女の脳裏に浮かぶ光景は、忙しくて大変だけれどやりがいのあるラッシュ時の翠屋だったり、夕日がとても美しく見える海鳴臨海公園だったり、厳かな雰囲気の漂う山際の神社だったり、記憶の中の海鳴が次々に出てくる。

「そんな、大好きな海鳴にジュエルシードなんて危険なものがあるのを、どうにかできる力があるのに見ないふりをするなんて桃子さんには無理」

ぎゅっと右手が首元のレイジングハートを握る。

「あたしの夢だったお店もあるし、愛してる家族もいる。だったら、できる限りのことをしたいの」

月下に立つプレシアとリニスの姿が思い出される。

「だから、なんのために集めているかも言えないような怪しい人たちにジュエルシードは渡せないわ、それで守りたいものが守れなかったら桃子さんは嫌だもの。だから、あっちが戦いを挑むなら桃子さんは全力でぶつかるの。それでいつか絶対に目的を言わせて見せる」

最後の一押しをしてくれたはやての笑顔がよぎった。
ブラシを脇に置いて、ユーノの頭を撫でる。

「……まあ、桃子さんの自己満足も入ってるけど」
「いえ、そんな」
「でも、ごめんね。ユーノくんのためだとかなんとか言っておきながら、結局は自分のためみたいになっちゃって。桃子さんもやっぱり汚れた大人かも」
「違いますよっ!」

ぶんぶんと、全身を使ってというくらいにユーノは首を振る。

「だって、桃子さんは僕のことを責めないじゃないですか。僕がジュエルシードをしっかり守ってなかったからこんなに迷惑をかけてるのに。愚痴くらい言ってもいいのにそれもないですし、あんなに……あんなに危険な目にあっても僕に優しくしてくれるし……」

きょとんとした様子でぱちぱちと二度三度瞬きをすると、ふっと表情を緩めた桃子がユーノを撫でる。せっかく毛並みを整えたというのに、いつもより強い撫で方だった。

「あの、桃子さん」
「うん?」
「絶対に、勝ちましょう」
「そうね、勝ちましょう」
「僕と、桃子さんと、レイジングハートで」
「そうだったわね。レイジングハートも、協力してくれる?」
「Of course, my master.」

今までなかった単語に、はっと桃子とユーノは言葉を呑み、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

「それじゃ、勝つための作戦を考えましょうか」
「はい。ならまずは、桃子さんの魔法のタイプから改めて説明します」

桃子は姿勢を正して真面目に聞く体勢を作る。

「桃子さんの魔力量はあのプレシアという魔導師とほぼ同等で、僕のいた世界から見ても目を疑いたくなるくらい多いです」
「そ、そうなの?」
「ええ、僕も驚きましたから」

いたたまれない気分になる桃子だった。

「それで、桃子さんに適性が高いのは収束技術や砲撃魔法、射撃魔法ですね。おおざっぱに言えば魔力のコントロール面で優れています」
「あー、それは日ごろの細かいお菓子作りの成果かもしれないわね」
「かもしれません」

確かに、魔力のコントロールは繊細な作業だから、あれだけの細かい作業をあの速度でこなしている桃子には、そういう方向での才能があるのかもしれないとユーノは思う。

「なので、僕は桃子さんはこの部分を伸ばして対抗するのがいいと思うんですけど……」
「That is not very good idea. (それはあまりよくないです)」

突然割って入ってきたレイジングハートに二人の視線が集中する。

「Certainly, master is excellent in magic control, but I recommend cross range. (確かにマスターは魔力コントロールにおいては素晴らしいですが、私はクロスレンジを勧めます)」
「なっ!? レイジングハートなにを言ってるんだ!?」

ユーノはレイジングハートに食って掛かる。

「桃子さんは普通の一般人だったんだよ、それなのにいきなりクロスレンジだなんて危険すぎる! それになんでわざわざ長所を捨てるようなことをするんだ!」
「The ancwe is easy. In cross range, there are good chance to win. (答えは簡単です。クロスレンジのほうが勝機があるからです)」
「なっ……」

答えのはずが答えになっていない返事にユーノは面食らってしい、ちょっぴりヒートアップ気味の両者の間を取り持つように今度は桃子が発言する。

「えっと、桃子さんは確かにユーノくんが言うようになにか武術とかやってたわけじゃあないんだけど、なんでクロスレンジのほうがいいと思うのかしら?」

ちらりとユーノをみやると、彼も少し落ち着いたらしく、おとなしくレイジングハートの話を聞く体勢に入っていた。桃子は自分の胸元に視線を戻す。

「Ms.Testarossa has a guenius for magic control and shooting technique and so on. So I think that long range is disadvantage to us. (ミズ・テスタロッサは魔力コントロールやシュートテクニックに天賦の才があります。ですからロングレンジは私達に不利だと思うのです)」
「それは、確かにそうだけれど、桃子さんの才能もかなりだから、どうにか巻き返せるんじゃないか?」

一理あるその発言に納得しかけたユーノが反論するも、間をおくこともなく点滅と共にレイジングハートは答えを返す。

「Additon to it, she probably did hard training. It is impossible for us to catch up with her in a shot time. (才能だけではなく、彼女はおそらく相当の鍛錬を積んでいます。一朝一夕で追いつくのは無理です)」
「む……」

今度ばかりはユーノも黙らざるを得ず、腕を組んで考え込んでしまった。
一方桃子は、自分のことなのになぜか話についていけていなかった。というより、勝てる気がどんどんしなくなっている。

「えっとー、なんとなく桃子さんはロングレンジじゃ勝てないってのはわかったんだけど……クロスレンジなら本当に勝てるの?」
「Yes.」

機械だから体はないけれど、もし人間の体があったらふんぞり返ってそうな声色だった。

「Ms.Testarossa seems that she is ignorant about cross range.  (ミズ・テスタロッサはクロスレンジに関しては素人と思われます)」
「うーん、でも桃子さんも素人よ?」
「It is because it is that. There is little difference between master and her. (だからこそです。マスターと彼女の間にほとんど差はないんです)」
「そういうことか!」

ユーノが驚嘆の声をあげ、一人頷く。ただ、まだピンときていない様子の桃子だけは顎に指をあてて考えこんでいる。

「つまり、他の分野だと差がありすぎるけど、クロスレンジだけはほぼ互角だからどうにかなるってこと?」
「はい」
「That's right.」

ユーノとレイジングハートがほぼ同時に肯定し、桃子も得心した様子で手をぽんと叩く。

「なるほどねぇ。そうなると……」
「ただいまー」
「ただいま」
「帰ったぞー」

玄関から美由希、恭也、士郎の声が聞こえ、なにか言いかけていた桃子は悪戯を思いついた子どものような笑みを一瞬浮かべたと思うと玄関へと早足で歩いていってしまう。

『桃子さん?』
『私達だけでやるよりいいクロスレンジの練習があるわ』

桃子の突然の行動に疑問を持って念話を飛ばしたユーノだが、返ってきた答えははっきりせず、首をかしげながら彼女の後を追いかけた。

「おかえりー」
「ああ、ただいま桃子」
「あ、かーさんただいま。じゃあ、恭ちゃん。わたしは、先にシャワー浴びるね?」
「ああ」

美由希は挨拶をすると、鍛錬での汗を流しに桃子の脇を通りぬけていった。

「母さん、いつもの冷蔵庫に入っていたか?」
「ばっちり昼に補充しておいたわよ」
「そうか」

手で丸をつくって見せると、満足そうに頷いて恭也は台所へ向かう。夫婦(とユーノ)だけになった玄関で、桃子は手を体の後ろに回し、上半身を少し前かがみに上目遣いで士郎を見上げる。

「ねえ、士郎さん」
「なんだ、桃子?」
「ちょっと、あたしに護身術を教えてくれないかしら?」




第97管理外世界、現地名称でいう地球からあまり離れていない次元空間内に時の庭園は停泊している。
庭園、という名を冠している通りその威容は堂々としており西洋の宮殿を彷彿とさせる立派さである。ただ、人影もなく、植物もなにもない今の状況では、お世辞にも美しさは感じない。

「…………」

そんな時の庭園の中にある一室、薄暗いプレシアの研究室において、サーチャーから空中ウィンドウに中継されている映像を彼女は眺めていた。机の上に肘をついた右手で顔を支えながら斜めに眺める彼女の瞳には、陳腐なドラマでも見ているかのような色がある。室内唯一の明りであるウィンドウに照らされたその顔は、明りゆえだろうか、ひどく病的だ。
なにをするでもなかった彼女だったが、ドアがノックされたことで反応を見せる。

「入りなさい」

ただし、視線を動かすことなく一言放つだけだったが。
すぐにドアは開き、入ってきたのはリニスだった。最初、明りもついていない室内に二の足を踏んだが、すぐにいつものことと思いなおす。

「プレシア、紅茶を持ってきました」

机の上に盆に乗せてもってきたカップを置く。音もなく歩く様は、さすが猫が素体の使い魔といったところだ。
そのまま退出しようかとしたリニスだったが、ウィンドウに映っている女性の姿を目に留めて足を止めた。

「なにを見ているのかと思ったら、彼女ですか。確か、高町桃子とか言いましたっけ?」
「そうね、なにか他に魔法関係の組織に繋がっているのかと思ったけれどそのような痕跡はゼロ。それどころか彼女の血縁に魔力を持つ人間はなし、完全な突然変異」
「世の中、こんな人間がいるものですね」

大魔導師と称えられるプレシアに匹敵する魔力を持つ女性が、魔力ゼロの両親から生まれたなど、ミッドチルダにいる人間には信じられないだろう。リニスは素直にこの女性に驚き、まじまじとウィンドウに見入ってしまう。

「数学的にはゼロとみなしていいような確率なのに、それがこうして私の前に邪魔に入ってくる。冗談じゃないわ」

対照的にプレシアは吐き捨てる。左手は苛立たしげに机を叩いていた。

「確かにいくつかのジュエルシードは彼女の手元にあるようですけど、今現在プレシアの相手ではないでしょう。そこまで脅威なのですか?」

リニスが素直に桃子に驚きを示せた理由は、確かに奇才であるが、プレシアの敵足り得ないと思っているからだ。だから、プレシアのいらいらが使い魔とはいえ理解できなかった。精神リンクが切られていなければわかったのかもしれないが。

「リニス」

疲れた様子でプレシアはため息と共に自分の使い魔の名を呼び、紅茶を一気に飲み干してから言葉を続ける。

「私達には時間がないのよ。例えどんな些細なことであろうとも障害などあっては困るの」
「それは、そうですが」
「絶対に失敗は許されないのよ」

リニスがプレシアの表情を見ようと視線を送った時には、彼女は席を立ってリニスに背を向けていた。

「そういえば、フェイトはどうしているかしら?」

どこか無理矢理な感じのする平坦な声がリニスにかけられる。

「はい、アルフと一緒に今日も言いつけどおりにしていたようです」
「そう、ならいいわ」

なぜか焦るように足早にプレシアは歩きだした。床を叩く彼女の足音が響く。

「あの、プレシア!」

リニスが意を決して声をかけると、足音が止んだ。そして無言の背中が先を促してきた。

「フェイトに、もう少しでいいから会ってあげることはできないのでしょうか?」
「……」

なにもないがらんどうの天井をプレシアは仰ぐ。

「無理よ。その理由はあなたもよくわかっているでしょう?」
「ですが……」
「私は今、自分の娘のために動いている。それをわかっていればそんな疑問を持たないはずね?」

食い下がるが、プレシアにけんもほろろに却下されてしまう。

「それに、私があなたを生んだ理由はなんだったか忘れたの?」
「……いえ、覚えています。私はあなたの未来を切り開くための手伝いをするために使い魔となりました」
「そうよ。子守のために生んだわけではないの、他のことに心惑わされてないで、今なすべきことをなしなさい」

ちらりと、プレシアの視線がリニスへと向く。

「もう、今は昔と違う。幸せなあの頃に戻ることなどできない」

ひたすらにまっすぐな、怖いくらいにまっすぐな眼差しがリニスを射抜く。

「それならばできることは一つ。ひたすら前に進むだけ」

もう話は終わりとばかりに再びプレシアは歩を進める。

「ああ、それともう彼女の監視はいいわ。無駄だからサーチャーは処分しておきなさい。いいわね?」
「……はい」

最後に言い残し、プレシアは部屋から去った。

「…………」

扉が閉まり、無音の世界となった世界でリニスは立ち尽くす。固く握られた手は、爪が食い込み痛みがあるが、無視した。

「そんなに意地を張らなくても、もっと肩の力を抜いてもいいじゃないですか……」

泣きそうな、小さな小さな呟きは誰にも聞かれることはなく、中空に浮かぶウィンドウには、家族で囲む食卓で笑顔を浮かべる桃子が映っていた。





『後書き』

今回はインターミッションといった感じです。ちょっと桃子さん側の展開が無理矢理になりましたが、お互いに相手を明確な敵と認識した模様。それにしても、序盤の夫婦の会話が難儀でした……なんか適当に愛を囁かせただけな気がしてしかたがない。
あと、今回顔を出していただいた八神さん家のはやてさんですが、ファンの方には申し訳ないですがこの作品では桃子さんと同い年とさせていただきました。夜天の主になれる人材がはやて以外は思い浮かばなかったので。ちなみに作中に書いた桃子さんが関西出身というのはとらハでの公式設定です。
桃子さんのはやての呼び方「はやてちゃん」でよかったですかね?
いい加減、原作の焼き直しから脱却してオリジナルな展開を増やしたいと思います。

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第五話
Name: 細川◆9c78777e ID:2a504d59
Date: 2010/10/10 17:43

場というのはそれだけで人間の精神に影響を与える。
自室であれば寛ぎ、公共の場であれば変に見られないように気を使い、神社仏閣であれば神妙な気持ちになる、といった按配だ。

「俺たちは小太刀で桃子は棒という違いはあるが、一番の根本というのは変わらないと俺は思っている」
「……」

自身の目前で講釈を説く士郎に、桃子は無言で頷く。
自宅の庭にある道場ではあるが、その独特な雰囲気を前にすると気持ちが引き締まり、レイジングハートと同じくらいの長さの棒を握る手は汗ばんだ。

「なぜかと言えば、結局できることと言ったら、打ち込む、防ぐ、避けるの三つしかないからな。そして、まずこれらの前に重要なことが一つ」

言葉が終わると同時に、調子の悪いテレビ画面のように士郎の腕がぶれる。

「っ……!」
「決して、目を閉じず、目を離さないことだ」

全く反応できなかった。指先すら動かす暇もなく、気づいた時には眼前に木刀が突きつけられていた。
翠屋でマスターをしている時にはない、静の中に動を内包したまさに抜き身の刀といった空気に当てられ、金縛りにあったように桃子は動けない。木刀の向こう側にある、自分を覗き込んでくる士郎の瞳をただただ見ていた。

「確かに、勘や音、気配で反応することができないことはない。だが、それはそうとうな鍛錬を積んだ人間が出来ることであるし、視覚がいらないということにはならない。だから、相手を常に観察し、反応しなくてはならない」
「……」

頷こうと思ったが、できたのは結局生唾を飲み込むことだけ。まだ春先だというのに全身から汗が吹き上がってくる。
士郎の瞳は、その心の中も見透かそうとでもしているのか、じっと桃子を見詰める。

「……ふむ」

暫くして、満足そうに一息つきようやく小太刀が引かれる。同時に士郎から発されていた威圧感もなくなり、とたんに桃子は全身の自由が戻った。

「はぁ~……」

膝に手をついて、体中に溜まっていた恐怖感を押し出すように思いっきり息を吐く。手から落ちた棒が板張りの床を叩く。

「はは、ごめん桃子。ただ、こればっかりは桃子が怪我しないためにも大切だから手加減できなかったんだ」
「あー、いいのよ。あたしが無理を言ってお願いしてることなんだし」

額の汗を拭いながら、桃子はなんとか笑顔を向けることが出来た。それでも士郎はまだ申し訳なさそうな表情だったが。

「でも、桃子は中々肝が据わってるな」
「そうかしら?」
「ああ、俺は結構本気でやったのに、今はもうこうして普通に会話できるっていうのは筋がいいってことだ」
「あら、そうなの」

目を丸くする桃子に士郎は笑みを返し、次に手に握る木刀へと視線を移す。

「本当は俺が代わりにやれればいいんだろうが、そうもいかない事情があるんだろう?」
「やっぱり、わかるのね……」
「そりゃあな。今までなにも言わなかったのに護身術、しかも棒術の指定つきのお願いだからな」

士郎は木刀を、元の壁へかける。

「だから、俺ができるのは桃子がいかに怪我をせずいけるか精一杯教えるだけだ。じゃ、簡単な型に入るか」
「あ、うん」

桃子は慌てて下ろしていた棒を構えなおす。
道場の中で二人がそんな会話を繰り広げていた頃、道場の外の庭では美由希と恭也もそれぞれ小太刀、それも真剣を振るって型の確認をしていた。

「ねえ恭ちゃん」
「なんだ」

ちらりと横を盗み見ると、いつも通り無表情……のように見えて不機嫌そうに眉を険しく寄せている兄の顔が見える。

「止めなくてよかったの、母さん」
「…………仕方ないだろう」

視線を動かすことなく、数回小太刀を振るってから恭也は答える。

「母さんがやると決めたのを無理にやめろとも言えない」
「でも、心配なんじゃないの?」
「それは……な」
「じゃあ、なんで?」

動きを止め、美由希は恭也を真っ直ぐに見る。
さすがに視線が気になるのか彼も動きを止めた。

「父さんも賛成しているだろう」
「恭ちゃんはそれくらいで自論撤回する人間じゃないよね?」
「……」

さらに眉間にしわを寄せて恭也は黙り込んでしまった。二人の間に沈黙が流れ、道場の中から両親の声だけが漏れ聞こえた。

「まぁ、なんだ」

首にかけていたタオルで汗をぬぐいながら、ぽつりと恭也は呟いた。

「母さんはあれでいて一度言い出したら聞かないし、やるとなったらやる人だ。たぶん止まらないだろう」
「あー、確かに……」

視線を交差させ、兄妹は同時にため息をついた。

「なのはってさ」
「ああ……母さん似だ、絶対にな」

二人の頭には、なのはが小学校に通いはじめて暫くしての騒動が浮かんでいた。
まあ、なのはに親しい友達ができたのだからよかったのだが。




自然が多いと言われる海鳴といえど、中心となる駅付近にはデパートなどの高層ビルもいくつかあり、日が落ちた夜であっても人工灯が街全体を浮かび上がらせる。

「本当にやるんですか? 確実にあの女性にも気づかれますよ?」

ビルの屋上で、風に飛びそうになる帽子を押さえながらリニスは傍らのプレシアに問いかける。

「いいのよ、時間もないもの」
「しかし、あまり戦闘を重ねるのは……」
「大丈夫よ。もう前みたいに熱くなって醜態をさらしたりはしないから」

リニスはプレシアの顔を覗き込むが、彼女は目を閉じていてその心の内を覗かせてくれはしなかった。
開かれた瞳は最近ずっと変わらない無感情。

「なによりも優先すべきはジュエルシード、それに変わりはないわ。どうもあっちは話し合いで解決したがってるみたいだし、そこの隙をついて上手いことジュエルシードだけ奪取、そのまま逃走といくわよ。だから、あなたは適当に時間を稼ぐことを第一に動きなさい」

眼下、道をひしめく人々の群れを見下ろしながらプレシアはなにごともないように答え、返事を待つこともせずデバイスを掲げてみせる。リニスは慌ててそれを押しとどめる。

「ああ、待ってくださいプレシア。そこから先は私がやります。あまりあなたに負担をかけられませんから」
「……まあいいわ。やるならさっさとなさい」

自分の使い魔をちらりと見たプレシアだったが、すぐにどうでもよさげに視線を外し、デバイスを下ろした。

「それでは……」

目を軽く閉じ、リニスは足元に薄い紫色の魔法陣を展開する。
彼女を中心に魔力が周囲に広がる。




「もう! なんでこうなるのかしら!」
「まさかこんな強硬手段に出るなんて!」

夜になれば喫茶店である翠屋に訪れる客はあまりいない、せいぜいが持ち帰り用にシュークリームやケーキを買っていくばかりなので、それの補充がすむと桃子は仕事上がりとなっている。
家に帰れば夕飯の準備が待っているとはいえ気分がいいことに変わりはなく、日中ジュエルシードの探索を一人でしていたユーノと合流し家路をついていたところに感じたのは魔力の奔流。
そして、ジュエルシードが励起した感覚。

「危険なものだってわかってるはずでしょうに!」

とっさにユーノが結界を張ったために人的被害が出ていないようだが、もしそのままだったらどれだけの被害が出たのか計り知れず、つい桃子の口からは悪態が飛び出す。

「Calm your mind, master. Haste makes waste. (落ち着いてくださいマスター。急いてはことを仕損じます)」
「それはわかってるのだけど……」

既にセットアップされたレイジングハートからの言葉に桃子は眉尻を下げる。

「You have only to do your duty, don't you? (やるべきことをやりさえすればいい、そうでしょう?)」
「そうね」

相槌をうった桃子は魔力に導かれるまま進み、ビルの間を抜けて角を曲がる。

「見つけた!」

大通りの先に見えるのは青い光を天に向かって放出しているジュエルシード。
爆発をぎりぎり耐えているのか小刻みに震えるそれによって、肌で大気の揺れが感じられる。

「桃子さん! 早く封印を!」
「わかってるわ!」

言われてすぐさまレイジングハートを構える。

「Sealing mode, set up.」
「ジュエルシードシリアルⅩⅨ封印!」
「Sealing.」

先端から桃色の魔力が迸る。

「えっ!?」

しかし同時に斜め上空から紫色の魔力もジュエルシードへと直進する。
驚きに目を見開き、魔力の発射もとを見る桃子の視界には、やはり思った通りプレシアがいた。すぐ脇のビルの上だ。
桃子はプレシアの姿を見つめてしまうが、相手が彼女を見返してくることはない。逆に、プレシアのすぐ横で、屋上の縁に腰掛けるリニスが笑顔と共に桃子に軽く手を振る。
そして、飛び掛ってきた。

「っ!」
「僕を忘れないで欲しいね!」

しかし前回の巻きなおしとばかりに、そのリニスの攻撃をユーノが阻む。

「忘れるなというのは、あなたを捕食する予定でしたか?」
「違うっ! 君らの自由にはさせないってことだよ!」

弾かれるように両者は離れ、再び接近する。
人間形態でありながら、素体である猫と同じように華麗にビルの合間を跳ぶリニスが爪を振り下ろせば、ユーノはフェレットであるが故の、体の小ささと小回りのよさで的を絞らせない。時折隙を見て桃子へとリニスが接近しようとすれば自慢の防御で防ぐ。
桃子を狙うにはユーノが邪魔だと思ったのか、ついにはリニスもユーノの排除に全力を上げるようになり、人のいないビル街での両者の戦闘はヒートアップしていく。
そんな中、ユーノはうまくリニスを桃子から遠くへと誘導することに成功していた。

『桃子さん、今は封印に集中を! こっちは僕に任せてください!!』

ユーノの言葉に、つい意識の外にやりかけていたジュエルシードへ意識を戻し、封印へと集中する。
ほぼ同時に目標へと到達した桃色と紫色の魔力は、お互いがお互いを蹴散らそうとさらに魔力を込めていく過程の結果、両者の魔力光とジュエルシード自体の青い光が混ざり合ったあまり気持ちよくない光景が瞬く。
次の瞬間には青色が消え、圧迫するようなジュエルシードの魔力の感覚もなくなり、どちらかともなく両者は魔法を止める。
通りの中央、地面から少々離れた位置でジュエルシードが浮かんでいる。封印は成功しているようで暴れる様子はない。。
ほっと桃子が一息つくと、背後、固いなにかを叩く音が聞こえる。

レイジングハートを構えながら振り返り、降り立った人物に声をかける。

「また、会ったわね」
「……」

プレシアは街灯の上から桃子を見下ろしている。どこか遠く、ユーノとリニスの戦闘音が耳に入る。
返事がないために、さらに続けようと口を開くと、それにかぶせるようにプレシアが言葉を発した。

「あなた、高町桃子……とか言ったかしら?」

紡がれた言葉に、睨むように細められていた桃子の瞳が丸く開かれる。
前は名乗る前に逃げられてしまったのにプレシアの口から飛び出したのは紛れもない自分の名前で、それを耳にした瞬間、なにか冷たいものが首筋を撫でた。

「そう、だけど……どこでそれを?」
「さぁ?」

警戒を強める桃子だが、プレシアは余裕そうに髪をかきあげる。
レイジングハートを構える腕に力が篭る。今まで全く見せることのなかった、まるで世間話をするかの様な彼女の雰囲気に、なにかあると思うなというほうが無理だった。

「それよりも、あなたにも子どもがいるそうじゃない」

桃子を見下ろす彼女が、口を歪めた。ひどく滑稽なものを見たと言わんばかりに。
ざわりと桃子の肌が粟立つ。

「たしか、自宅はあっちの方だったかしら?」

プレシアのデバイスがすっと伸びる。

「なっ!」

デバイスが向いたその方角は、まさに高町家がある方向。桃子は頭が一瞬真っ白になり、次の瞬間に浮かんだのは大切な家族の姿。
次に理解できたのは、言葉の裏でプレシアが示唆したとある事実。瞬時に血が頭に上り、すぐに怒りとともに声を上げる。

「まさかあなた……」

が、プレシアは街頭を蹴って飛び、そのままジュエルシードへと飛んでいく。
怒りに頭が一杯になっていた桃子はそれがなにかすぐには理解できなかった。しかし、振り返ることなく飛んでいく彼女の背中を見ているうちにあることに気づく。
――まさか、最初からこれを狙って……?
虚をつかれたことで出遅れたが、桃子もすぐに飛行魔法を発動してジュエルシードへと向かう。
プレシアに先行されはしたが、どうやら飛行速度では桃子が勝っているらしく、徐々にその差はつまる。

「……」
「ちっ……」

横並びになり、お互いに視線を交わす。
舌打ちをしたプレシアの顔には苛立ちが見えて、なぜかどうでもいい優越感が浮かぶのを桃子は感じるのと同時に、家族を人質に取るかのような発言ははったりだったみたいだと安堵する。
そして、ついにプレシアの目の前に立ちはだかることができたことに対する感動が湧き上がった。

「邪魔を……」
「あなたには……」

逃げることなく正面から相手へ言葉をぶつける。

「しないでっ!」
「負け、ないっ!」

眼前に迫ったジュエルシードに双方が自分のデバイスを突き出す。
これまた同時に達した両者のデバイスとジュエルシードが、ガラスを弾いたような甲高い音を周囲に響かせる。糸を張り詰めさせるようなその音が周囲に染み渡ると、世界が静寂に支配さらたかのような空白の時間が出来た。リニスとユーノもその光景に見入っていた。
ずっと先を争いあっていた桃子とプレシアでさえも動きを止める。
客観的に見れば一瞬だったかもしれない。世界が静止などしておらず、全ては時間の連続の上に乗っていたかもしれない。
それでも、その場にいた桃子、プレシア、リニス、ユーノの四人は確かに世界が固まり、そしてそれが壊されるのを感じた。

「なっ!?」
「くっ……!」

静寂を破ったのは小さな破砕音。レイジングハートとプレシアのデバイスの両者のコアにひびが走る。
デバイスを咄嗟に引こうとした二人だったが、それよりも早く、ずっと我慢させられていた鬱憤を晴らさんとばかりにジュエルシードが魔力を放出する。
まさに、魔力の爆発。
魔法のように理によって構築されず、ただ洪水のように破壊だけを撒き散らすような魔力の流れだ。

「きゃあっ!」

至近距離では耐えることあたわず、桃子は風に吹き散らされる木の葉のように吹き飛ばされる。
どうにか体勢を立て直した時にはジュエルシードは遠くになっていた。

「レイジングハート!?」

はっと気づき手元を見やるが、呼びかければ答えてくれたレイジングハートからの返答はなく、弱々しげにひびだらけのコアを点滅させるだけだった。
コアはまだ球の形を保っているのが不思議に思えるほどに深い裂け目が走っている。

「……ごめんなさいね。無理、させちゃって」
「No……pro……blem…………master.」

いつもは凛とした女性という印象を抱かせる合成音声も、途切れ途切れで掠れていては、強がる子どものようにしか桃子には響かなかった。
使用者の安全のためにバリアジャケットは展開されたままではあるが、レイジングハートは自己保全機能が発動し待機状態へと戻る。やはりひびの深いその姿は痛ましく、桃子は優しく、それでいてしっかりと握り込んだ。

「……」

ごめんなさい、とまた桃子が謝ろうとしたその時だった。

「そう……たかが無機物の分際で邪魔をするのね」

地の底から響くような声にはっと顔をあげる。
決して聞こえた声は大きくはなかった。むしろ、今もまだ暴れまわるジュエルシードにかき消されてもおかしくないくらいだった。
それでも、聞こえたのだ。

「いつもいつもこうよ」

並走してジュエルシードへと迫ったせいだろう、桃子から少し離れた程度の場所にいたプレシアがゆらりと立ち上がる。

「私が行こうとする道には敵が多すぎる……」

誰に聞かせるでもない、独り言。
俯いた顔には彼女の長い髪が影をつくっており、その表情は窺い知れない。

「何回かは進むのを諦めた」

彼女の手から落ちたデバイスが乾いた音を立てて転がるが、まったく気にする様子もなく、プレシアはゆっくりと足を引きずるように進む。
淡々と漏れる言葉は平坦なのに、彼女の感情がなによりもはっきり感じられた。

「また何回かは障害を排除して突き進んだ」

徐々にジュエルシードへ向かって歩むプレシアの背中を見送る、それしか桃子はできない。

「私は我慢してきたわ。だけどね、もう無理よ……」

桃子とジュエルシードの丁度中間といった場所で足を止め、顔を上げる。

「いい加減に、私を……プレシア・テスタロッサをなめるんじゃないわよ!!」

叫びがあがる。

「意志もない石如きが、なにをしようというの!? ロストロギア? オーバーテクノロジーな古代の遺失物? だからなに? 所詮はモノで人造物でしょうが!! それが私の邪魔をするんじゃないわ!!」

桃子は耳をふさいでしまいくなった。プレシアの声は怒りの声だ。確かにそうだけれど、喉が裂けるのではないかというその叫びは悲痛だった。
なぜ自分が地面に根が生えたかのように動けず彼女を見ていることしかできないのか、ようやく桃子にはわかった。むきだしのプレシアの心がそこにあるからだ。

「教えてあげる……」

デバイスの補助もなくプレシアの足元に紫色の魔法陣が展開される。それは今まで見たこともない程に巨大にして紋様も複雑な魔法陣。デバイスの補助なしで個人がそう簡単に制御できる魔法ではないと、桃子は直感的に理解した。

「人間の意地っていうものを、ね」

ただでさえ制御がきついであろう魔法陣にさらにもう一つ魔法陣が展開される。

「アルカス・クルタス・エイギアス」

一拍置いて、から詠唱が始まる。

「煌きたる天神よ。雲を裂きて今ぞ降りたたん」

二重に展開された魔法陣が回転する速度が段々と上がる。

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル」

ジェルシードの光が染め上げていた空に変化が起こる。
青白い色を食いつぶすように、渦巻く暗雲が天を覆っていく。

「天より雷を、地に裁きを」

ジュエルシードの直ぐ上空。渦の中心では小さく紫色の雷が迸る。

「アルカス・クルタス・エイギアス」

すっと右手が天に掲げられる。

「跪きなさい!!」

振り下ろされる腕と同時だった。
同時に全ての人間の視界を紫色の閃光が焼く。
紫色の輝きを放つ巨大な雷は、寸分の狂いなくジュエルシードへと襲い掛かる。
あっという間に青白い光は紫の光に食いつぶされていき、振り下ろされる鉄槌の如く雷はジュエルシードを天から押しつぶしていく。
青白く染められていた世界が紫に塗り替えられ、どうにか耐えていたジュエルシードも閃光のうちに飲み込まれる。

「…………」

あまりの眩しさに目を閉じていた桃子は、まぶた越しにも感じられていた光が和らぐのを感じて恐る恐る目を開く。
さっきまでの喧騒が嘘のように世界は全くの静寂。
ジェルシードは再び封印されたらしく、淡い光を放つだけで静かに宙に浮いていた。
近寄っていったプレシアがそれを右手で掴む。

「私の、勝ちよ」

手のうちに入れたジュエルシードを見下しながら宣言する。
ふっ、と安心した様子で表情を緩めたプレシアだったが、次の瞬間には目を見開き、左手で口元を押さえる。

「う……ごほっ……ごほっ!」

プレシアの咳き込む声の中に、嫌な水音が混じる。

「プレシアっ!!」

リニスの声がすぐ近くで聞こえ桃子はびくりと声の方向を見る。どうやらプレシアが落としていったデバイスを回収していたらしいが、切羽詰った表情でプレシアの方へと飛んでいく。

「大丈夫ですかプレシア!」

背筋を丸めて咳を堪えていたプレシアの体をリニスが支える。

「あっ……」

プレシアの体の向きが変わったことで、桃子は見てしまった。彼女の左手の間から漏れる赤い雫を。
気づいた時には桃子の体は駆け出していた。

「いつものことでしょう、慌てないで」
「しかし……」
「それよりも帰還準備をしなさい。目的は果たしたのだから」
「っ!」

土気色に悪化したプレシアに物申そうとしたリニスだったが、プレシアの体のことを考えても今は帰還が最優先だと考え、言葉を飲み込む。
転移魔法の魔法陣がリニスにより展開される。

「待って!」

ようやく二人の近くまで走り寄った桃子が声をかける。

「今は……」
「あなたは転移の方に集中しなさい」
「プレシア?」

口を開いたリニスをプレシアが制する。口元の血を拭い、ふらつく体を抑えながら立ち上がり、真っ直ぐに桃子を見据える。

「これからも邪魔をするのであれば、私は容赦をしないわ」

言葉を返す前に薄紫色の光が煌き、桃子の目の前からプレシアとリニスは消えていなくなる。

「…………」

一人取り残された桃子は、ユーノがやってくるまで立ち尽くしていた。




「ユーノくん、どう? レイジングハートは大丈夫かしら?」
「幸い、基礎構造に深刻なダメージはないみたいです。今フルで自動修復をかけてますから、明日の昼過ぎには直るかと」
「そっか……」

机の上、寝息のようにゆっくりと点滅するレイジングハートを桃子は見やる。
無意識にはぁ、と息が漏れる。

「桃子さん、結局なにもできなかったわね……」

やったことと言えば、プレシアと封印を競い合ったことと、ジュエルシード再暴走のきっかけを作ってしまったくらい。決意はなんだったのかというような空回りっぷりに自分で嫌になる。

「そんなことないです。今回ばっかりは仕方ないですよ」
「でも、ねぇ……」

ユーノは慰めてくれるが、桃子は胸の奥でよくわからない感情がぐるぐると渦巻いていた。

「諦める気はないんだけど、なんだかどんどんあのプレシアさんのことがわからなくなるのよ」

思い出されるのはプレシアと出会った数々の記憶。
また重い息を吐き出して今度はベットの上に大の字に寝そべる。天井の蛍光灯が妙に眩しく感じた。

「血、吐いてたわよね、あの人」
「……はい」

見間違えることはない。彼女は吐血をしていた。
暴走中のジュエルシードを力技で封印できるだけの魔力で、あれだけ複雑な魔法をデバイスなしで行使すれば体の負担が相当であることは、魔法に触れて日の浅い桃子であってもわかる。けれど、血を吐くレベルかと聞かれれば確実に否だ。元々彼女の体調が悪いとしか考えられない。

「かなり重い病気を患ってるみたいなのに……」

心配するリニスに、いつものことと吐き出したことから、以前にもう何度も吐血をしていたのだろう。
つまり、それだけ体調が悪いということ。もしかしたら入院していなければいけないくらいの病気かもしれない。それでも、彼女はジュエルシードを求め空を駆け、桃子の前では毅然と立ってみせていた。

「いったい何がそれほどまで駆り立てるのかしらね」
「……」

ユーノも力なく頭を垂れる。彼も気になっていはいても、わからないのは同じなのだ。

「それに、もう一つひっかかるところがあるのよ」
「なにか、ありましたか?」
「うん。ユーノくんがリニスさんと戦い始めて、こっちでは封印が終わった後のことなんだけど、あの人が言ったのよ」

首だけ動かして、ユーノを視界におさめる。

「『あなたにも子どもがいるそうじゃない』って」
「それが、どうかしたんですか?」

一回ではよくわからなかったのか首を傾げるユーノに、桃子はふっと笑みを零す。

「『も』って言ったってことは、プレシアさんにも子どもがいるってことでしょう?」
「あ……」

ぽん、と手を叩くように、ユーノが器用に前足同士を叩き合わせる。
フェレットなのにとても人間くさいその仕草に堪えきれず桃子は小さく笑い声を漏らしてしまったが、すぐに表情を曇らせた。

「子どもが、家族がいるのに、あんな重い病気で無茶を重ねて……本当に、なにが目的なのかしら」
「……なにか、追い詰められているみたいでもありましたね」
「そうねぇ……」

二人共黙り込んで、しんみりとした空気が間に流れる。

「あー、もうっ!」

声を上げるやいなや桃子はごろんと寝返りをうち、うつ伏せの格好でまくらに顔をうずめた。ひんやりとした感触に煮詰まった思考も冷えていく気がした。
謎ばっかり増えるのに情報が全然足りない。
――だったらうじうじ考えても意味がないわよね!

「ユーノくん!」

がばっ、起き上がった桃子はずいっとユーノへ詰め寄る。

「は、はいっ!」

真剣な彼女の表情に気おされたユーノはどうしてか背筋を真っ直ぐに伸ばして立ち尽くした。

「あたし、プレシアさんから全部聞き出して見せるわ。絶対に!」

このままじゃ終われないわよ、と力強く桃子の決意する声が寝室に響いた。

「ねえ、母さん以外に父さん達の寝室に他に誰かいたっけ?」
「いや、他にはユーノだけのはずだぞ?」
「今、なんか母さんが大きな声出さなかった?」
「…………」
「まあ、最近なにか忙しそうだし、ユーノ相手に桃子が愚痴を漏らしてるだけかもしれないだろう」

家族の憩いの場であるリビング。押し黙ってしまった長男と長女にのんびりと言葉を返しながら、高町士郎はお茶をすすっていた。




高い天井を誇る時の庭園の廊下に、靴が床を叩く音が響く。

「本当に、自重してくださいプレシア」
「あの時はあれ以外にどうしようもなかったでしょうが」
「それはそうですが、どうもあなたからは自分の体調を気にかけている様子がありません」
「ジュエルシードが最優先なのだから仕方がないでしょう」

すぐ後ろをついてくるリニスが先ほどからずっと文句を言っているが、プレシアは歯牙にもかけず適当に言葉を返すだけ。それがますますリニスの機嫌を悪化させる。

「あなたの体はあなただけのものではありませんよ!」
「ふん、私の体が私のものでないなら誰のものなのよ」

リニスの言わんとすることはわかっているが、そもそも聞き入れる気のないプレシアは屁理屈だけを残してすたすたと足を速める。

「…………」

何を言っても本人に聞く気はないと分からされてしまったが、だからといって感情的に納得できるはずもなく、リニスは顔をむっつりとしかめたままプレシアの後ろをついていく。
しばらく廊下を進むと、曲がり角から小さな影が姿を現した。

「あ……母さん」

滑らかな金糸の髪を黒いリボンで二つお下げに結わえた、赤い目の少女が、プレシアを見て声をあげた。

「こんな時間にどうしたのかしら? もう寝ている時間のはずでしょうフェイト」
「うん、ちょっと……」

プレシアの娘、フェイト・テスタロッサは俯き、子犬のアルフを胸に抱く力を強めた。

「……」
「……」
「あ、あのねっ!」

気まずい親子の空気を破ったのはフェイトだった。ばっと顔を上げてプレシアの目を真っ直ぐに見詰める。

「この前のおみやげのお菓子、とってもおいしかったよ……その、だから……」

最初は意気込んでいたフェイトだったが徐々に弱々しくなっていき、尻すぼみになる。

「えと、その……あ」

ぽん、とその頭にプレシアの手が置かれる。

「そう、気に入ったのはよかったわ。ただ、もう遅いのだから早く寝なさい」
「はい……」

フェイトの返事を聞くと、そのままプレシアは歩みを再開する。

「あのっ!」

しかし、フェイトから声をかけられ、足を止める。

「…………」

視線だけ振り向いてフェイトを見るプレシアの瞳にある感情は、読めない。

「……っ」

なんでもない、おやすみなさい。と言ってしまいそうになったのをフェイトは飲み込む。

「母さんは……約束、覚えてる?」
「……ええ」

ふと視線を宙に彷徨わせながらだが、確かに記憶の中に約束が存在していたプレシアは頷く。

「大丈夫よ。覚えてるわ」
「そっか……」
「ちゃんと約束は守るわ、だからあなたもいい子にしているのよ」

それだけ言い残してプレシアはもう振り返ることなく歩いていってしまう。
彼女についていきながら、廊下の角を曲がる際にこっそりと後ろを盗み見たリニスは、フェイトがじっと自分達を見送っているのを見た。

「…………」

前に振り返って、これは一言物申さねばと思い口を開いたが、やめた。
目の前のプレシアの背中は、なぜだかとてもちっぽけだった。





『後書き』

さすがに次元震が起こらないことには管理局が来ませんのでこんな展開ですが、プレシアさんならフェイトと違いジュエルシード一筋と判断。せっかく士郎さんに指導してもらったけど桃子さんに戦闘なし。
プレシアさんの詠唱はフェイトと微妙にお揃いにしてみましたが、久々に厨二気分全開で考えてしまいまして、見直すと恥ずかしいです。
そして、原作なぞりをなるべく避けようとすると書くのが難しい桃子さんに代わって、自由の利きやすいプレシアさんの出番がどんどん増えていく。でも、今回のプレシアさんはいろんな意味でちょっとやりすぎたかなぁ……
p.s. プレシアさんの詠唱を少々変更

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第六話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/10/10 17:44

春とはいえ、早朝の空気はまだまだ肌寒い。
道場の板張りの床の上ともなれば、足元から広がるそれは刺すように鋭い。

「ふっ……!」

それでも、レイジングハートと同じ位に切りそろえられた棒を教えられた通りに、一心不乱に桃子は振る。
寒さが気になるどころか汗が鬱陶しく感じるが、それを拭うこともせず、素振りを繰り返す。
今までのままではプレシアと対等に戦えるまでにはいかないのだ。技術がどうこうという次元ではなく、彼女のむき出しの心の前にして縮こまってしまった自分のままでは、戦いという場まで自身を押し上げることができない。勝負という対等の位置に上がれない。
レイジングハートがあんなボロボロになってしまったのだって、彼女の言葉にいとも簡単に翻弄された自分に責任がある。
だから、体の奥に溜まったもやもやを追い出し、心構えを作り上げる。
そのために選んだのが、道場であり、素振りだった。

「……」

戸口に寄りかかって、汗を散らす桃子を見詰める影が一つ。
真剣そのものの桃子はそれに気づくこともないし、彼も別になにか声をかけようというわけではない。腕を組み、ただただその姿を眺めているだけ。
やれやれと、恭也は息をつく。
確かに高町桃子という女性は母親であるということを考慮しなくても芯がしっかりしていると彼自身も思う、ただそれゆえに少々頑固になってしまうのが欠点であるが、これはしかたのないことと言える。
なぜ母がこんな時期に突然護身のためという名目でこんなことを始めたのか、それは知らない。もう彼女の息子になって長い恭也だ、たぶん教えてくれないだろうとぼんやりながらわかっていたので聞こうとは思わないが、なにかあれば止めるのが自分の使命だとも思っている。
太刀筋はその人の心を映すという。それは得物が棒になっても代わらず、素振りの音や棒の筋道を見ればたいてい心のうちがわかる。
だから、もしなにか悪いものが混じっていたら止めようと、そう思っていたのだ。

「……」

恭也は音も立てず戸口から離れた。
再びやれやれと、今度は頭を振った。
――父さんのことをとやかく言えないかもな。
太刀筋は彼女の性格を現すかのように真っ直ぐで、迷いがなかった。
経験と鍛錬の量が自分を凌駕している父がなにも言わないのに、最近になってようやく太刀筋から心が読み取れるようになった自分では無理からぬかもしれない、とも思うが、どこかはがゆく感じて仕方ない恭也でもある。それでも結局、彼は母を止めることはせず、彼自身が少々母に甘いのではないかと思っていた父と同じようにそっと見守るしかなかった。
それでもまあ、ちょっと背中を押す程度に手伝いをするのはいいだろうと自身を納得させる。さしあたって母の代わりに家族の朝食の準備をしておこうと恭也は母屋へと戻っていった。
――殺人料理しか作れない美由希が変な気をおこさないうちにな。




RPGゲームを一度でもやったことがある人間ならば即座にラスボスやら魔王やらの部屋を思い浮かべるような、玉座の間。
リニスはこの部屋があまり好きではなかった。
ただでさえ次元空間内に停泊している庭園は薄暗いというのに、暗い照明で淡く照らすだけという「つまづかなければいい」といった程度の明かりは、気分をげんなりとさせる。
それでも来なくてはならないのは、ひとえに自らの主が出立、帰還共にこの場所を選ぶからである。
ただの気まぐれによる雰囲気作りなのか、自らの決意を思い出すための習慣なのか、それは彼女のあずかり知らぬところで、一つ言えることは、

「自分で時間を指定したんですから遅れないで下さい、まったく……」

無人の部屋の中、好きでもないのにため息が漏れる。
使い魔ではあるが、リニスとて主のプレシアと四六時中一緒にいるわけではない。というより、あまりプレシアがリニスを長い間身辺に置くことを好まない。使い魔に一室を与えるという点では待遇がいいと言えなくもないが、使い魔と主の間にある精神リンクも余程のことがない限り切られたままだ。今だって、念話を送っても応答がないためにリニスは待ちぼうけを食っている状況である。
また、ため息が出た。
プレシアは全部を自分で抱え込もうとする癖がある。それも重度の。
彼女の使い魔として誇りを持つリニスにしてみれば、主を支えるべき自分が信頼されていないというのは悲しい。
何より、自分はプレシアの目的の全てを知るわけではない。この言い方は語弊があるかもしれない、けれどプレシアから全てを打ち明けられたわけではないのだ。
最終目標だけはわかっている。これは家族全員の「約束」だ。そしてそのためにジュエルシードを集めていることも知っている。だが、そこからどうするのか、それだけはプレシア自身が一切口を割ろうとしない。

「あなたは知らなくていいことよ」

以前聞いた時はそうそっけなく言われただけだった。だから、言い知れぬ不安だけが残る。
背後でドアがきしみ開く音によりリニスの意識が思考の海から戻る。

「なにを…………プレシア、本当に大丈夫なんですか?」

振り向くまでもなくやってきた人物の正体はわかるため、振り向くと同時に遅れたことに文句をつけようとしたリニスだったが、プレシアを見ると心配の言葉が先に出た。

「大丈夫もなにも私には問題はないわ」

何事もないように言ってのけるプレシアではあるが、毎日彼女と顔を合わせているリニスにその変化がわからないわけがない。つかつかとプレシアに近寄ると、その顔にびっと指を伸ばす。

「なにが問題ないんですか、いつもより化粧濃くしてごまかそうとしてますけど目の下に隈がありますし、全体的に顔色が悪いじゃないですか」

先ほどまでの思考もあって、隠し通そうとするプレシアにいつも以上に苛立ってしまう。

「やっぱり、最近の活動のせいで体の調子が悪化しているんじゃないですか?」
「自分の体のことくらい自分が一番わかっているわ、気にしないで」

突きつけられた指を払い、プレシアは部屋の中央へと歩いていく。
患っている病により元々優れているとは言えなかった彼女の顔色はさらに血の気が薄く病的で、衰えを見せない瞳にさす意志の光がギラギラと輝く。

「ですが、やはり少しくらい休息を取ったほうが……」
「何度も言わせないで、私にはなにも問題はないわ」

食い下がるリニスの言葉を無視して、背を向けたままプレシアは転移魔法を展開する。

「これも何度も言っているけれど、私たちに時間はないのよ。それはあなたもわかっているでしょう?」
「……はい」

結局従うことしか出来ず、力なくリニスは頭を垂れる。
ぎり、と知らぬ間に歯と歯が鳴った。

「まあ、あなたが休みたいというなら私は止めないわ……それならそのままそこにいなさい」
「待ってください!」

リニスは弾かれたように顔を上げる。
いつの間に座標指定が終わっていたのか転移魔法は発動直前だ。

「行かないわけがないでしょう!!」

怒鳴りながらギリギリで魔法陣の中へ走りこむ。
瞬間、紫色の輝きが増し、視界を覆う。
最後にリニスの目に入ったのは、すぐ近くにいるのに今にも自分を置いてどこかへ消えてしまいそうなプレシアの背中だった。




夕方の海鳴臨海公園。
海に沿ってたてられているフェンスに身を任せ、桃子は沈み行く太陽を眺めていた。
その胸元には、すっかり全快したレイジングハートが揺れている。

『どこの世界でも、夕陽はあんまり変わらないものですね……』
『あら、そうなの?』

ユーノに念話を返す。
肩の上のフェレットがむくりと後ろ足だけで立ち上がった。

『まあ、世界によっては太陽が二つだったり色が違ったりとか色々ありますけれど、夕陽を眺めているとどこか寂しい気分になるのは変わりません』
『そっか……』

潮風に吹かれて散る髪を、そっと手で押さえる。
空の青に釣られてか海の青までがほんのりと橙色に染まっている景色は確かに郷愁の念を誘う。

『やっぱり、ユーノくんも帰りたいなぁって思ったりする?』
『どうでしょうね。僕らスクライアの一族は遺跡発掘が生業なので、定住をしないであっちこっちの世界をいったりきたりなんですよ。だから、故郷っていう感覚がいまいちわからなくて』
『だったら、ご両親に会いたいとか思ったりは?』
『ああ、僕……親はいないんです』
『え?』

ユーノの一言に耳を疑い、桃子は肩の上にいる彼に視線を向けるが、彼は海の方をじっと眺めたまま動かない。
波が岸に押し寄せる音だけが桃子の耳に響いた。

『いいんですよ。親がいた記憶すら僕にはないんですから。親がいなくて悲しいもなにもいるのといないの差すらわかりません。それに、スクライアのみんなが家族みたいなもので寂しく思ったことなんてないです』

明るい調子でユーノは言ってくるが、それでも桃子は申し訳なく思う。
フェレットとは言ってもユーノの中身は人間と変わらないし、子どもである。確かに彼の言う通り、親がいないこと自体は気にしていないのかもしれないが、いわゆる普通と違うことを子どもが気にしないわけがない。

『でも、ごめんなさいね』
『だからいいって言ってるのに……』

おかしそうに笑うユーノだったけれど、桃子は無理矢理浮かべた笑みを返すのがやっとだった。

『それに、ジュエルシードを放置したままじゃ申し訳なくて帰れないですよ。というよりこのまま帰ったらなにをされるか……』

ユーノはなにを想像したのかぶるっと全身を震わせる。

『あらら、それじゃあユーノくんのためにも桃子さんもっとがんばらなくちゃね』
『いえ、そんな。無理をしない程度でいいんですよ』
『これでも家族が欠けた時に感じる思いはよくわかってるんだから。きっとスクライアの人たちみんなユーノくんが無事に早く帰ってこないかと待ってるわよ』
『そんなものですか?』
『そんなものよ』

さて、と一言呟き、桃子は伸びをする。ぽきり、と背中が音をたてる。
その後は大きく深呼吸。潮の香りがいい刺激だった。

『よっし、気分転換完了! 今日もジュエルシード探索がんばろう、おー!』

右手を天に突き上げた丁度その瞬間だった。
桃子の肌に、もう嫌という程感じた感覚が刺さる。

『これは、ジュエルシード!』
『え、えーと……さ、幸先のいいスタートよね、うん』

なぜか桃子のことを待っていたかのようなタイミングで励起するジュエルシード。しかも桃子から程近い位置。
ポジティブに捉えようと頑張るものの、どうも釈然としないものを感じる桃子とは対照的に、ユーノはきびきびとなすべきことをしようと動き出している。

「封時結界発動!」

潮風も波音も静まり、世界が少しばかり灰色がかった色合いに変化する。

「桃子さんもレイジングハートを!」
「そ、そうね……」

肩透かしをくらった感じでどうも調子が出ないなぁと思いながら、桃子は首元から取り出したレイジングハートを掲げる。

「Stand by ready. Set up.」

桃色の光に一瞬包まれ、桃子は装いを変える。
いい加減に嫌々ながら付き合いが長くなってきた白と青のバリアジャケット。どうも最近違和感を覚えることが少なくなったような気がする、という危機感がちらりと桃子の頭を掠めた。

「って、いけないいけない。今はとにかくジュエルシード優先よね」

頭を振って、気持ちを切り替える。
とにかく、今は危険がないようにジュエルシードを封印。町に被害も出ないしユーノを早くスクライアの家族のところに返すこともできて一石二鳥、問題はバリアジャケット変更を拒否するレイジングハート以外にはないと気合を入れる。

「さ、行きましょう!」
「はい!」
「Go ahead!」

レイジングハートをしっかりと握り、駆け出す。
海沿いを暫く走り続けてすぐ、道の中央に平穏と間逆の存在がいた。

「あれね!」

魔力による感覚も、視界のそれがジュエルシードの暴走体だと告げている。
道のど真ん中をふさぐようにいるのは一本の巨大な木。しかし、以前の町中を覆った木やビック猫といったただサイズが大きくなっただけのようなものとは違った。

「――――!!」

くぐもった、野太い呻き声があがる。
幹の途中からは、夏の怪談に出てくる幽霊のような形の腕が生え、幹本部には目と口かと思ってしまうような洞が三つもある。

「注意してください。最初の頃と同じでたぶん抵抗してきます」
「そうみたいね」

相手から目を離すことなく、ユーノに桃子は頷き返す。

「でも、色々と練習してきた魔法を実戦で試してみるチャンスよね」
「Divine shooter.」

正眼の位置に構えたレイジングハートのコアが煌くと、桃子の周囲に桃色の魔力弾が四つ構成される。

「まずはこて調べから……シュートっ!」

レイジングハートを振り下ろすと同時に、螺旋を描いて四つの魔力弾は木のジュエルシードモンスターへと向かっていく。

「――!?」

魔力の反応を感じ取ったのか、モンスターは桃子のほうへ振り向く。しかし向く方向は変えられても、元々が木ということもあり移動はできない様子のモンスター。
これなら当たる、そう思った桃子だったのだが、桃色の尾を引く魔力弾はもう少しで直撃というところで掻き消えた。
否、正確にはかき消されたのだ。

「ええっ!?」
「根っこ!? そんな攻撃方法なんて!」

地中からまるで触手のように飛び出てきた四本の太い根により、ディバインシューターは防がれてしまう。
対プレシアの牽制用として作ったとはいえそれなりに威力があるそれを弾かれ桃子は微妙にショックだった。

「――――!!」

そんな桃子の心中など知ったことではないモンスターは、お返しとばかりにその四本の根を伸ばして桃子へと攻撃せんと迫ってくる。

「Flash move.」

レイジングハートの発動した瞬間移動魔法で一本目は避ける。
ユーノとは離れてしまったが、無事に攻撃を避けることができていたのは視界の端で確認したし、リニス相手に立派に立ち回れる彼なら大丈夫だろうと桃子は桃子でモンスターの相手に集中することにする。

「……っとと」

移動先にすぐさま二本目と三本目と連続が襲い掛かってくるが、当たらないようにしている訓練とはいえ、士郎の振るう高速の小太刀を向けられる経験を何度も繰り返している桃子は、ひるむことなく体が動く。士郎や、打ち込み合っている時の恭也や美由希に比べれば根の動きもゆっくりなこともあり、自分でも驚くくらい冷静に左右へのステップで避けていくことができる。

「む……」

が、モンスターにもそれなりに知恵があったらしく、四本目の根を避けた先に、以前に避けた根が待ってましたとばかりに突っ込んでくる。
反射的に桃子は、レイジングハートを振り上げる。避けられないならば、正面から受けて立つ他はない。

「……はっ!」

習った通り、素振りの通り、体に叩き込んできた型通りに、レイジングハートを打ち下ろす。
彼女の一閃は根と見事にかち合い、その分の反動が桃子にも伝わり、跳ね返されそうになるレイジングハートを抑えるように力を込める。
動きが止まったのはその一瞬だけ、魔力により限界まで強化されていた力により、弾いて攻撃を逸らすのに成功する。

「Nice strike. (いい打撃です)」
「まだ終わってないけどね」
「Flier fin.」

いくら筋力を強化していても、地面に立ち続けるということは無理であり、半ば飛ばされるように宙を舞った桃子は、打ち上げられていた体が落下に転じた瞬間に飛行魔法を展開し上空へ位置をとる。
あのまま飛ばされていれば落下していたであろう地点をみると、待ち構えるようにモンスターの根の残り三本が集まっていた。

「面倒くさいから、まとめて!」

ディバインシューターを弾ききれる程の強度を持つ根が四本もあっては、避けるだけで時間を浪費してしまうため、もっと重い一撃で殲滅しようとする。
くるりと一回転させたレイジングハートを地面に向けて構えると、足元の他、とデバイス自体に魔力の増大・加速を行う環状魔法陣が四つ展開される。

「Divine」
「バスター!!」

桃色の閃光が垂直に大地に降り注ぎ、魔法の直撃以外にも膨れ上がる爆発が集まっていた根の数本をあっけないほど簡単に消し去る。

「――!!!?」
「まだまだ! シュートっ!」

驚きかそれとも衝撃か、幹の体をよじるモンスターに、今度こそと桃子はディバインシューターを再び四つ生み出して飛ばす。

「――!!」

ぼろぼろながらかろうじて残った一本の根を近くに引き寄せてどうにか対応しようとするモンスター。

「僕だっているんだ!」

しかし横合いから伸びる緑色のチェーンバインドがその根に巻きつき自由を奪う。振りほどこうと根は全身で激しく暴れるが、ユーノのバインドはとても固くて外れず、そうこうしているうちに根の横を通り抜けて魔力弾が本体に迫る。

「――――!!!」
「えっ!?」

だが、今度は桃子が驚く番だった。
モンスターが一際高く咆哮を響かせたかと思うと本体の前に青色のシールドが展開され、桃子の魔力弾はまたしても防がれてしまう。

「むぅ……」
『ことごとく邪魔してきますね。面倒です』

うなる桃子にユーノも驚きの抜けない様子で念話を飛ばしてくる。

『色々とやるより、思いっきり正面から打ち抜いたほうが早いみたいね』
『ですね』

一度深呼吸してから、桃子はモンスターの本体へとレイジングハートを構える。

「思いっきりいくよ!」
「All right. Charging.」

全てを打ち抜くべく、練られた魔力が渦をまいて凝縮されていく。

「――!」
「そうは、いかないよ!」

自身の頭上で渦巻く高魔力に危機感を覚えたモンスターは新たに根を数本生み出し、天へ向けて伸ばそうとするが、ユーノのバインドが絡みつきそれをさせない。
根が多いためバインド自体の数も増え、同時に先ほどに比べ強度も低下したため暫くすれば拘束は外れてしまうが、その時間稼ぎだけで十分だった。
根が完全に拘束を抜け出すその前にチャージは完了。先ほどの抜き打ちを超える威力の砲撃魔法の準備が整う。

「ディバイン!」
「Buster.」

飛び出す桃色の砲撃は太く、このレベルの砲撃は始めてであり、反動で跳ね上がりそうになるレイジングハートをぐっと押さえつける。

「――!!」

モンスターの展開する青いシールドと砲撃が衝突。
ディバインシューターではボールをぶつけられた壁程度にしかびくともしなかったが、今度はディバインバスター。先ほどとは違いシールドはへこみ、ひびが走っていく。

「くうっ!」
「――!!」

それでも、あと一歩の威力が足りない。今にも破れそうなのに破りきれない。
ジュエルシードという次元一つを脅かす魔力を秘める宝石から生み出されているが故か、そのシールドの強度もおそろしく固い。
このまま押し切れなかったらどうしようという、浮かんできた嫌な考えを無理矢理頭から追い出す。

「サンダー……」

力比べをする彼女とモンスターのさらに上空。桃子にとっては忘れられない声が響く。

「スマッシャー!」
「――!!?」

いつの間にかモンスターの真上に陣取っていたプレシアも砲撃を打ち込んだ。
モンスターはプレシアの砲撃にもシールドを展開する。

「――!!」

しかし、桃子一人相手でもギリギリだったところに同等の砲撃である。同時展開によりシールド個々の性能は確実に下がってしまう。
そうなれば結果は火を見るよりも明らかだった。

「――――!!??」

今まで鉄壁を誇ってきた青いシールド、その二つが桃色と紫色の二つの砲撃の前にあっけないほどあっさりと割れる。

「――――!!!!」

あっという間に二色の魔力光がモンスターを覆い尽くしていく。着弾の爆煙があがりその姿が見えなくなる中、断末魔の叫びだけが耳に届いた。

「……」
「……」

声をかけあったわけでもないのに、二人同時に砲撃を止める。
暫しの時間が経ち、盛大に巻き上がった煙が消え去る。そこには堂々と鎮座していたモンスターの姿はなく、封印が完了したジュエルシードが宙高く浮かんでいるだけ。

「…………」
「…………」

お互いに視界を交錯させる。
目を逸らすことなく、無言でジュエルシードから離れた地面に降り立つ桃子。ジュエルシードから離れたとはいえ桃子の警戒が解かれているわけではないので、以前のように隙をついて奪取に動くわけにもいかず、プレシアも同じようにジュエルシードから離れた地点に降り立つ。

『桃子さん、僕が隙を見て……』
『だめよユーノくん。リニスさんがまだ姿を見せてないのよ?』
『そういえば……』

今気づいた、とばかりに呟くユーノにそっと念話で囁く。

『あっちもなにかを考えてるんでしょうから、ユーノくんはリニスさんに注意しておいて』

奇襲をしかけたと思ったところをリニスに奇襲されては洒落にならない。桃子の考えていることは納得できるので、プレシアと桃子が一対一というのは不安ではあるが、ユーノはそちらへ警戒を向ける。
桃子とプレシアは、先ほどからずっと視線を逸らさずお互いの瞳の奥を見据えあう。
余裕のある感じであくまで自然体といった様子のプレシアと、レイジングハートを正眼に構える桃子。対照的に見える両者だが、眼前の相手を最大の脅威と認識している点では一致していた。
海沿いで、夕陽に照らされ二人は相対する。

「体……大丈夫じゃないんでしょう?」

ぴくりとプレシアの眉が動く。

「別に、大したことじゃないわ。それにしても敵の心配とは余裕ね」
「なんであなたがそんな体なのに、家族もいるのに必死でジュエルシードを集めようとするのか教えてくれれば、敵にならずにすみそうだけれどね」

家族、というところでプレシアの表情が一瞬だけ暗く歪んだのを桃子は見逃さなかった。

「ねえ、本当に教えてくれないの?」
「ふっ」

下手な冗談を笑い飛ばすような冷笑をプレシアは浮かべる。

「私がはいそうですかとぺらぺら話すとでも?」
「……無理、でしょうね」

言葉とは裏腹に残念そうに、桃子は眉尻を下げ、息をついた。

「あたしは、ただこの町に危害が加わるのは嫌。だからジュエルシードを求める理由を明かしてくれないんだったら、あなたにやすやすとそれを渡すわけにもいかない。ただ、それだけなの。だから、ね?」

わかるでしょう、と語りかけるが、プレシアは鼻で笑い吹き飛ばす。

「もう御託はいらないわ。私たちの接点はただジュエルシードただ一つ。あなたがそれを望み私も望む以上、戦うしかないわ。こんなところに降り立ったのはただこの前みたいに暴走されて困るというただそれだけ」
「……」

汗ばむ手でレイジングハートを握りなおす。

「あなたと話をするためではないのよ!」
「くっ!」

言葉と共に地面を蹴って飛び上がったプレシアのデバイスの先から連続でフォトンランサーが射出される。
飛行魔法を展開し、桃子も空を飛ぶ。距離をとるのではなく、プレシアへ突っ込むように。

「っ!?」

今までの桃子の様子から彼女は自分と同じ射撃・砲撃タイプだと思っていたプレシアは、その予想を外れた動きに驚きの色を滲ませる。それでも、射撃をやめないのは流石である。

「はっ!」

桃子は目の前の最初の魔力弾をレイジングハートを振るってかき消すと、左手を掲げてラウンドシールドを展開する。
次々と後続のフォトンランサーが突っ込むが、防御に天分を発揮するユーノ監修の構成に魔力を多く詰め込んだシールドは破られず、弾幕を突破する。
爆煙の中を切り抜くように突っ切った桃子の正面、クロスレンジの位置にプレシアがいて、次の打撃に向けてレイジングハートを振りかぶる。

「ちっ!」

この距離では射撃も意味をなさないと悟ったらしいプレシアも、桃子の打撃に備えて杖を構える。

「はあっ!」
「ふっ!」

両者が同時に得物を振らんと動き……


甲高い音共にその得物は同時に受け止められた。


「えっ!?」
「なっ!?」

驚愕に目を見開く二人の間。
どこからともなく現れた人物が、レイジングハートを左手で、プレシアの杖を右手の杖で受けとめていた。

「ストップです」

凛とした間の人物の声は女性のもので、よく響いた。

「ここでの戦闘はあまりにも危険に過ぎます」

若葉のように鮮やかな緑色の長い髪を揺らした女性は桃子とプレシアの顔を交互に見た。

「時空管理局執務官リンディ・ハラオウンです。突然で申し訳ありませんが、詳しい事情を聞かせていただきます。どうやらお二人共ミッドチルダ式魔法を使っている様ですし、看過できませんので」

桃子とあまり年が変わらないだろう妙齢の女性であるリンディは余裕のある微笑みを浮かべ、二人のデバイスを抑えたまま徐々に高度を下げていく。合わせて桃子とプレシアも地面へ向かって降りる。
二人がおとなしく一緒に地面に降り立つと、リンディは満足そうに頷いた後、すぐに表情を真剣なものに引き締める。

「まずはお二人とも武器を引いてください。勧告に従わない場合はこちらからの攻撃も辞しません。ですから……」
「プレシア!!」

斜め上方から薄紫色の魔力弾が着弾する。

「誰です!?」

舞い上がる土煙に目を細めながらも、リンディは鋭く攻撃の来た方向を見る。
宙にいるのはリニス。その両脇には今すぐ発射できる準備が整った魔力弾を二つ展開している。

「逃げますよ!」

言葉と同時に準備していた魔力弾を再び打ち込む。

「くっ!」

再び巻き上がる砂煙と爆煙は先ほどの比ではなく、視界を完全に遮断する。リンディは腕で顔を覆うが、目に埃が入らないようになるだけで、視界が回復するわけではない。
歯噛みしつつも次に起こる事態に備えてデバイスを構える姿は、管理局のエリートである執務官の優秀さを物語っていた。
桃子も同じように腕で埃を避けながら、次にプレシアが取りそうなアクションを考えていた。
彼女が、リニスに言われたようにそのまま逃げるだろうか?
いや、逃げない。なぜなら彼女の目の前には、

「ジュエルシード!」

桃子ははっとして先ほどまでジュエルシードがあったところへ、暗い視界の中を飛んでいく。

「待ちなさい!!」

後ろでリンディの声が聞こえるが、そのまま煙を飛び越えていき、

「ちっ!」
「やっぱり!」

そこには、桃子同様にジュエルシードに手を伸ばすプレシアがいた。

「くぅっ!」

桃子も全速で向かい手を伸ばすが、スタートの差はいかんともしがたくプレシアのほうが先にジュエルシードに手をかけようとし、

「くあっ!!」

桃子のすぐ横を飛んできた青色の魔力弾がプレシアに直撃する。ジュエルシードまであと一歩というところでプレシアは体勢を崩し落下していく。

「プレシアさん……えっ!?」

その姿に声をあげた桃子だったが同時に、自分の体も青色のバインドに四肢を拘束される。
視界のプレシアはまさにまっさかさまといった様子で頭から落ちていく。

「プレシアーっ!!」

落下直前でリニスが間に合い、プレシアをキャッチする。
全身を振るわせるように呼吸をするプレシアは額に汗を滲ませつつ、実に忌々しそうにリンディを睨みつけた。

「忠告は前もってしましたから。非殺傷設定ですが、今の直撃では動くのも辛いのではないですか? どうかおとなしくお話を聞かせて欲しいのですけれど」

リンディがリニスとプレシアに向ける黒いデバイスの先端には青色の魔力弾が迸っていて、今にも発射されんというばかり。
プレシアを抱えたままでは避けきれないと、主人を庇うように身を屈め目を閉じるリニス。

「武装解除をお願いします。さもなければ……」

しかしリンディは一拍置き、

「ちょ、ちょっと待って下さい!!」

上空から降ってきた桃子の声に、ふと意識をそちらにずらしてしまった。それは一瞬だが決定的な隙になる。

「……っ!」

一瞬にしてリニスは、構築もなにもなくとにかく目くらましになるようにと地面に魔力を叩き込み、先ほどと同じように視覚を遮断する。

「またですか!!」

慌てて飛び出したリンディが、土煙と爆煙のカーテンを抜けた先には、一気に距離をとったところで転移魔法を発動するリニスの姿。

「転移を中止しなさい!!」

すかさずリニスめがけて準備していた魔力弾を打ち出す。
抜き打ち気味ながら寸分たがわず目標へと向かっていく。

「そうも、いきません!」

逃走先を指定されないようにジャミングをかけながら多重転移をせねばならないリニスには同時にシールドを張る余力はない。
だから、リニスは左手だけでどうにかプレシアを支えると右手で帽子に手をかける。

「まだ、やることが残っているんです!!」

そのまま帽子を放り投げる。
直進してきた魔力弾に帽子がぶつかり、そこで爆発が起こる。

「なぜっ!?」

自身の攻撃が帽子に防がれたことにリンディは驚愕し、その隙に準備が完了したリニスが高らかに声を張る。

「転移!!」

薄紫色の光が瞬いたと思えば、既にプレシアとリニスの姿はない。
結界内に静けさが広がる。

「はぁ、なるほど……」

暫くプレシアとリニスがいたあたりを眺めていたリンディだったが、息をつくと同時に肩を落とす。

「使い魔の服というのもバリアジャケット同様に魔力で構築されているもの、頭部を守る帽子ともなればそれなりの魔力が篭っている。つまり、一発だけですけれど魔力弾程度なら防げる、と。あーあ、軽率だったかしら……」

残念そうに一人呟きつつ、バリアジャケットを叩いて散々巻き上げられた埃を落とす。

「あ、あのー……」

一人の世界に入っているところ非常に申し訳なかったのだが、桃子は未だに空中で拘束されたままだったので、恐る恐るリンディに声をかける。

「あら?」

ふと振り向いた彼女は桃子を見て目を丸くする。

「あらら、ごめんなさい立て続けに色々起きてて忘れちゃってたわ」

先ほどまでの凛とした雰囲気とは違った柔らかい雰囲気で申し訳なさそうに笑い、ふわりと桃子のほうへ飛んできた。

「今、解除しま……暴れませんよね?」

目の前まできて、ジト目で桃子を探るように見やる。

「暴れません!」

確かに飛び出しはしたけれど、なんか不満な桃子は怒る。

「Mode release.」

このまま長引いても面倒だと気づいたか、レイジングハートは桃子のバリアジャケットはそのままに自ら待機状態に戻った。

「あら、インテリジェントデバイスですか? いいもの持ってますね」
「あの、いいから解放して欲しいんですけど……」
「ああ、ごめんなさい」

逆に桃子にジト目で見られ、すまなそうに笑ってみせた後、リンディはその白い手袋に包まれた手でバインドに触れる。
すると、あっけなくバインドは消滅し、桃子の四肢に自由が戻る。

「ふぅ……」

支えがなくなったのですぐに自分で飛行魔法を発動して高度を維持しながら、桃子は一息つく。
改めて目の前の女性を見る。
見た目はまだまだ余裕で20代といった感じだが、やはり先ほど思った通りに年のころは自分と同じように思えた。緑色の髪は桃子より長い。
バリアジャケットはといえば、なんかSF映画に出てくるなにかの特殊部隊の制服っぽいデザインで、色は黒だった。
――まあ、あたしや、プレシアさんなんかよりよっぽどまし、よね……
なんだか、悲しくなった。

「こほん」

リンディが咳払いをしたため彼女の顔に視線を戻す。

「えーと、改めて事情をお聞きしたいのだけれど、いいかしら?」
「あ、はい」

こくんと桃子が頷くと、満足そうにリンディは笑みを浮かべる。

「逃走した二人を除くと今いるのはあなただけかしら?」
「あ、いえ……」
「あの、僕もいます執務官! ユーノ・スクライアといいます!」

もう一人、と言おうとしたところで地上からユーノの声があがる。
どうやら、出てくるタイミングが全くなくてようやく口を挟めた、といった感じでちょっと声に必死さが混じっている。

「そうですか、ではあなたにも事情をお聞きしますがよろしいですね?」

小さなフェレットに一瞬驚いた様子のリンディだったが、すぐに丁寧に尋ねる。

「はい、僕のほうからもお伝えしたいことが多々ありますので」
「あらあら、それはじっくりお聞きしたいわね」

とりあえず今いる場に全員に確認が取れたことを確認し、未だ空中に浮いていたジュエルシードを回収してリンディはほっと一息つく。
そこを見計らったように、リンディの眼前の空中にウィンドウが開かれた。

『お疲れ様リンディ』
「あ、レティ。ほんとごめんね、もう一組のほうには逃げられちゃったわ」
『まあ仕方ないわよ。ジュエルシードを持っていかれることは回避できただけでよしとするわ』
「あー、ありがと」

手を合わせて謝るリンディに、ウィンドウに浮かぶ薄紫色の髪を持つ女性は手をひらひらと振って気にしていないと伝えた。

『それよりも、私も詳しい話を聞きたいから、二人をアースラまで連れてきて欲しいのだけれど、構いませんか?』

ウィンドウ越しに、眼鏡をかけた理知的な瞳が桃子を見詰めてくる。

「はい」

魔法のはずなのになんかSFチックになってきたなぁ、と益体のないことを頭の片隅で考えつつ、桃子は無言で頷いた。




「はぁ……はぁ…………」

荒い息が室内に木霊する。
それはベットの上から漏れてきていた。

「プレシア……考え直しませんか?」

ベットの脇の椅子に腰掛け、主の額に浮かぶ汗を搾ってきた濡れタオルでふき取りながら、リニスは力なく言葉を零した。

「いくらあなたに才能も力もあるとは言え、管理局を相手取るのはきつすぎます。それにプレシア・テスタロッサといえば先方に顔が割れているでしょう」
「それが……どうしたって、言うの?」

切れ切れに、しかししっかりとプレシアはリニスに言葉を返す。その瞳に湛える光は全く衰えていない。

「ここまできて、全てを諦めろというの?」
「諦めろなどと言っていません。ただ、私は考え直して欲しいと言っているだけで……」
「考え直す? バカなこと言ってるんじゃないわよ」

軽蔑するようにプレシアは鼻を鳴らし、リニスは今まで溜まっていた鬱憤も同時に湧き上がり、目の前が赤く染まる。

「なにがバカなことですか!」

立ち上がると同時に椅子が後方に弾き飛ばされ、盛大な音をたてる。

「……」

しかしプレシアは眉一つ動かさず見上げてきて、それが余計にリニスの苛立ちを増幅させる。

「現実を見てください! 管理局ですよ!? 素人の魔導師とその使い魔が相手とは違うんですよ、個人でどうこうできるレベルですか!? できることとできないことくらい区別がつくでしょう!!」

言い切ったリニスは、肩で息をしながらプレシアを見下ろす。
プレシアは視線をリニスから反対側へ逸らす。

「できるできないじゃないのよ……」

ぽつりと零された声に、リニスはよく聞こうと一歩ベットへ身を寄せて、

「やる以外私にはないのよ!!」

吼えたプレシアが、ベットから起きるのも辛いはずのプレシアが、気づいた時には自身の胸倉を掴み上げてきていた。

「私にはもう消えていく時間しかないのよ! このままで幸せをあの子に残すことができるわけがないじゃない!! 管理局? だからなによ!!」

ひゅーひゅーときつそうな呼吸音を漏らしながらも、プレシアはリニスの瞳を真正面から覗き込むことをやめず、手に込めた力をさらに強める。

「これしか未来を変える方法はないのよ! だったらなにがあっても突き進む以外ないでしょう! このままじゃあの子にはなにもないままなのよ!!」

プレシアの瞳の奥に澱む狂気の一端に気おされかけたリニスだったが、睨み返す。

「だからって、あなたが身を滅ぼすようにしたら、あの子だってフェイトだって悲しみます!!」
「なら何をしろというのよ!!?」
「そ、それは……」
「なにも無しに好き勝手言わないで!!」

プレシアが魔力を全身から漏らしながら、リニスを突き飛ばす。

「うあっ!」

壁に背中から衝突し、息が詰まる。
ずるずると壁に背をもたれる形で座り込んでしまったが、リニスはプレシアを睨むことをやめない。

「あなたが……あなたが全てを教えてくれれば私だってもっと考えられます。それをせずに一人で全部抱え込んで、私に大事なところを隠しているあなたに、ならばどう接しろというのですか!!」

興奮のゆえか、プレシアの体からはところどころ制御しきれない魔力が漏れ、ばちばちと紫電を散らせている。
全身で息をしながら、少し落ち着いたのかゆっくりと彼女は言葉を紡ぐ。

「私は、約束をしたのよ……二人と」
「二人?」

リニスは怪訝な表情を浮かべ、言われた言葉を繰り返し見返すと、しまったとばかりにプレシアが顔を顰めているのが見えた。

「どういう、ことです?」

どうにかきしむ体に鞭打って立ち上がる。

「フェイトとの約束ならば私は知っています。ですが、あなたは今二人と言いましたよね?」
「…………」

面倒なことになったと言わんばかりにため息をプレシアは漏らす。

「どういうことですか、もう一つ約束があるというのですか?」
「あなたは、知らなくていいことよ……」
「プレシアっ!」

声を荒げるが、当の本人はどこ吹く風。何事もなかったかのようにベットへと戻っていき、リニスに背を向けてしまう。

「説明して下さいプレシア! どういうことなのですか!」
「私はもう寝るわ。もう、あなたも休みなさい」
「ごまかさないで下さい!」

ベット脇まで寄って怒鳴るが、プレシアはもう言葉を返さない。
こうなったプレシアは梃子でも動かないというのは身をもってわかっているが故に、リニスは歯噛みする。
癖で頭の帽子に手を伸ばし、先ほどの執務官との戦いで投げ捨てたのだということに気づいて、手を下ろして硬く握り締める。

「いいでしょう、今日は聞かないでおきます……」

ですが、と言葉を繋ぐ。

「いつか必ず聞かせていただきます」

捨て台詞のように残してリニスは退出する。最後に見たプレシアは、やっぱり背中だけだった。




『後書き』

やった、一気にお母さんを二人も増やせた! これでついにメインから動かせるお母さんが四人になりました。ようやく「ドキッ! お母さんだらけのリリカルワールド」という謳い文句にふさわしくなってきた気がします。
桃子さんは砲撃が苦手ということはありません。むしろ大得意です。ただプレシアさん対策に接近戦に重きを置いているだけです。だってレイハさんだもの。
リンディさんも出たということで次回の更新時には意を決してとらハ板に移ろうと思いますのでよろしくお願いします。

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第七話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/10/10 17:44

次元航行艦。
これは時空管理局本局の持つ象徴的な存在といっても差し支えなく、出先での事件をなるべくその艦の戦力だけで処理せねばならぬため、その乗員は高い能力が要求される。そのため、次元航行艦での任務に就くことは、休暇の少なさと不定期さを除けば給料の払いもよいエリートコースと目されている。
が、そのような管理局の内部の事情など、ちょっとお菓子作りの上手なパティシエでしかない桃子にはわかるはずもなく、ただただ招かれたアースラの内装に驚くばかりである。

「そんなに驚くようなことかしら?」

転移魔法で桃子とユーノを連れてきたリンディが振り返りながら尋ねる。

「えっと、その、まあそれなりに……」

桃子は曖昧な笑みを浮かべて返した。
――なにこのSF風味は? 魔法って感じが全然しないわ……

「とりあえず、ここでは危険もないからバリアジャケットの解除をしてもらえるかしら?」
「あ、はい」

言われて桃子はバリアジャケットを解除する。
ふぅと一息ついてと、そこである事実に気づく。
――はっ! あたしまたバリアジャケット見られた! プレシアさんにもまだ口止めしてないのに!

「……おわった」

途端にずーん、と影を背負ってうなだれてしまう。

「え、えっと? なにか悪いところでもあるのかしら? 大丈夫ですか?」

いきなりの変化に、なにかあったのかとリンディがおろおろと近寄ってきたが、桃子は手のひらを見せてそれを制止する。

「いえ、あの、別に悪いところはないんですけど、一つだけお願いが……」
「わたしにできることなら……」

なにを頼まれるのかと不思議そうに首を傾げるリンディに、言いづらそうにもじもじと桃子は申し出る。

「あの、あたしのバリアジャケットのことはどうか内密にして下さい!」

ばっ、と頭を下げる。

「え? ……ああ」

虚をつかれたようなリンディの声が聞こえたかと思うと、どこか納得するような色の声が響き、笑いを堪えるような感じで、

「まあ、可愛らしいとは思いますよ?」
「You have a good sence. (いいセンスだ!)」
「いやあああああああああああああ!!」

頭を抱えて悲痛な叫びを上げる桃子。再びあたふたとし始めるのはリンディ。

「え、ええ? ほ、本心よ? 似合ってるとは思うわよ?」
「Yes! That's right! (そうなんです! その通りです!)」

リンディにしてみれば、とても若々しい桃子だから、多少の無理があるのに目を瞑れば、まあ確かにバリアジャケットが似合っている。なので正直に言っただけなのだがこの有様である。
レイジングハートは非常に嬉しそうに声を上げるが、そのマスターは対照的である。

「違うのー! そうじゃないのー!!」
「え? え?」

うずくまってしまう桃子に、まだ問題の根本が理解できないリンディは頭に?マークを並べるばかりだ。

「あれはレイジングハートが設定変えてくれないのが悪いの! だからあたしの趣味じゃない! 桃子さんそんな変な趣味ないの~!!」
「How rude! The original form is your imagination, not mine! (失礼な! 原型はマスターの想像ではないですか、わたしのではなくて!)」
「だからあれはなにかの間違いだって言ったでしょ! なのに変えてくれないじゃない!」
「……What shall I do now? (……さてどうしたものでしょう?)」
「うわーん! レイジングハートの意地悪ー!!」
「Stop! Please stop, masuter! Don't throw me, please! (ちょ、待って! 止まって下さいマスター! 投げないでお願いしますから!)」
「えと……」

リンディにはもうなにがなんだかわからなかった。
桃子はもう涙目自分のデバイスを投げ飛ばさんばかりに錯乱していて冷静に話しを聞ける状態にない。

「……あの、これどういう状況なのかしら?」

仕方がないのでリンディは屈みこみ、自分と同じように状況を眺めていたフェレットのユーノに事情を聞く。

「あ、そのですね……」

ユーノは歯切れ悪くもどうにか答えていく。

「実は桃子さん、ああ彼女のことなんですが、魔法と無関係の世界の人間だったんですよ」
「あらら? それならどうして今あんなことになってるの?」
「そこのところは後で詳しくお話しますが、色々あって僕が桃子さんに助けをお願いして、レイジングハートを使ってもらったわけです」
「うんうんそれで?」
「いざバリアジャケットの作成というところで、魔法という単語に反応した桃子さんが」
「桃子さんが?」
「つい、娘さんと見ていた魔法少女アニメの主人公の格好を思い浮かべてしまったらしいんです」
「…………」

ぴしり、と空間が音をたてて軋んだ気がした。
リンディは笑顔を凍りつかせ、さび付き油の切れた首を回して桃子を見やる。

「……くすん」

その桃子といえば廊下の恥で膝を抱えて拗ねていた。

「いえ! その、桃子さんがそれがいいと思ったわけでなくて、つい連想しただけみたいなんですよ! 時間がないこともあってレイジングハートもそれを採用したんです。だから、常々桃子さんも変えたいと言っているんですけど、レイジングハートが断固としてそれを拒否していて!」

なにかリンディから誤解している空気を感じ取ったらしいユーノは慌てて彼女のフォローをする。

「そ、そうよねぇ! あんなの好んで着ないわよねぇ!」
「そ、そうですよ!」

凍りついた笑みを乾いた笑みに張り替えたリンディに、ユーノも同じような笑みを返し、あははと笑いあう。
――わたし、面倒だからって執務官制服と同じデザインのバリアジャケットにしててよかった……
桃子には悪いと思いつつこう思わずはいられなかった。
ふとリンディは先ほどの話の中で出てきた言葉の一つに気づいた。

「って、あら? 桃子さんって結構若く見えたんだけれどお子さんがいるの?」
「あ、はい。三人いるそうです。実際に自分が生んだのは一番下の9歳の女の子だけらしいですけど」
「ええ!?」

目を丸くして驚くリンディ。この世界の平均結婚年齢がどうかはあまり知らないが、任務前に巡回先における特別留意点として特には何も書いていなかったので、20歳を割るということはなさそうである。

「……」

ちらりと桃子を盗み見る。
見えない。若くても30歳というようには全然見えない。自分と同じか少し若いくらいの年になんて全く見えない。
実際は自分のことを棚に上げたリンディの主観でしかないのだが、ここで問題になるのは、見た目はどうあれ30代であんな格好を強制させられているという事実。デザイン自体は……まあ悪くはないだろう。だが、あんな白を基調にした服を着るのは……リンディ自身もごめんこうむりたい。
なぜだか微妙に目頭が熱くなるのを抑えられないリンディで、意を決した様子で桃子のもとへ歩みよる。

「桃子さん……」
「…………」

どんよりとした雰囲気を隠そうともせず、桃子は目だけリンディに向ける。

「あの、ユーノさんからお話は伺いました。その……大変でしたね?」
「わかってくれる……?」
「はい」

潤んだ目で見上げてくる桃子に対して心からの笑顔を浮かべるリンディ。
そこに自分を嘲るような色が全くなくて、あるのは慈愛の光だけ。

「うう、ありがとー!」
「あ、いえいえ」

桃子はとたんに立ち上がってリンディの両手を掴むと、ぶんぶんと上下に振る。
暫くそうして喜びを発散させると、段々頭が冷えてきたのか、羞恥で顔を赤く染めていく。

「あー、しょ、初対面なのにいきなりごめんんさい……」
「そんな気にしなくてもいいですよ?」
「でも恥ずかしい……」

にこにこと本当に気にしていない様子で見てくるリンディのせいで、余計に先ほどまでの痴態が恥ずかしくなる桃子だった。
気持ちを切り替えようと咳払いをする。

「え、と……さっきの女性の方のところまで行くんだったわよね?」
「ああ、そうでした。それじゃあ案内しますね」

近未来的なアースラの廊下を進みはじめるリンディを追って、桃子とユーノも歩を進めだしたのだが、数歩もいかないうちに緑色の頭がくるりと振り返る。

「そうだ。ユーノさんも、変身魔法は解除してくれるかしら、元々がその格好ってわけじゃないんでしょう?」
「あ、そういえばそうでした……」

忘れてましたといった様子で前足同士を打ち合わせたユーノが、光り出す。

「えっ? えっ?」

するとどうしたことか、そこに立っているのはユーノの毛並みと同じ色の髪の毛をした、まだまだ10歳に届くかどうかという半ズボンの少年。

「桃子さんにこの姿を見せるのは、久しぶりでし、た……っけ?」

ぐっと背伸びをしてから桃子に向き直った少年、つまりユーノだったが、言葉の最後が疑問系になってしまう。

「え、ええ? えええ?」

ユーノの見た先にいた桃子は、目を点にして、わなわなと震えながら彼を指差している。

「ユ、ユーノくんって人間だったの!?」
「え? あれっ!? 最初に会った時はこの姿じゃ……?」

自分の姿を見直しながら言うユーノだったが、桃子はぶんぶんと首を横に振る。

「違うわよー、最初からフェレットだったわ!」
「ええっ! そうでしたか!?」
「ほんとよほんと! もー、それなら早く言ってくれればよかったじゃない。桃子さんスクライアっていうのは知能の高いフェレットの一族のことかと思ってたわよ」
「え、あの、その、すいませ、ん?」

なんかよくわからなかったがユーノはとにかく謝った。

「あー、まあ謝ることはないわ。お互いに認識に齟齬があっただけみたいだし」
「あ……」

しゅんとなってしまったユーノを見かねて桃子はぽんとその頭に手を置いて撫でてやった。

「でも、思ってたより子どもなのねユーノくん。今何歳かしら?」
「えっと、9歳になります」
「あら!」

目を丸くして驚く桃子。

「じゃあなのはとほとんど同じじゃない。しっかりしてるのねー」

えらいえらいとさらにユーノの頭を撫でる。

「それほどでも……」

照れくさそうだが、それでも嫌がらずユーノは桃子に撫でられていて、そんな二人を眺めるリンディは自然と笑みが浮かんでくるのがわかった。
桃子が撫で終わると、リンディは手を叩いて二人の視線を集める。

「えー、無事お互いの認識のずれも解決できたみたいだし、ちょっと遅れてるけど行きましょうか?」

笑顔でそう言うリンディだったが、

「遅いわよ」
「あいたっ!」

ぱん、と。背後に現れていた女性に後頭部をはたかれる。

「ちょっと、レティなにするのよー」

恨みがましくリンディは背後の女性を振り返るが、女性は眼鏡に手を当てながら疲れたように言い放った。

「転移してきた反応はあるのに一向にあなたが来ないからモニターで確認したら、なにか和んでるのが見えてね、いい加減こっちから出向いたのよ」
「う……それは、ごめんなさい」
「まあいいわよ」

仕方なさそうに、それでいてちょっと緩んだ口元を隠そうともせずため息をついてから、女性は桃子とユーノの正面へ一歩踏み出してきた。

「さっきはウィンドウ越しでごめんなさい。私は時空管理局次元航行艦アースラ艦長のレティ・ロウランよ」
「改めまして、時空管理局執務官リンディ・ハラオウンです」

敬礼と共に名乗られて、慌ててユーノと桃子は居住まいを正して言葉を返す。

「えと、どうも高町桃子です」
「ユーノ・スクライアです!」

とたんに緊張した様子の二人に、レティは相貌を崩して笑いかける。

「別に緊張しなくて大丈夫ですよ。それに、ここで立ち話なんてのもあれだから、場所を移しましょう」

では、こちらにと先導するレティの後を二人はついていくのだった。




「なるほど……」

これまたSFチックなアースラの一室に桃子とユーノ、レティとリンディの二人ずつが机を挟んで向かい合いながら座っている。
今まで、ユーノが主に話をしてそれに桃子が補足する形で一連の経緯の説明が行われていた。
ひと段落つくと、レティは自分の湯のみを傾け、ぽつりと呟いた。

「だいたいの流れはわかったけれど……まあ、なんというか無茶をするわね」
「そうねー」

呆れた様子で息を落とすレティに、苦笑を浮かべながらリンディも相槌をうつ。

『すみませんリンディさん。今いいですか?』
「あらエイミィどうしたの?」

リンディの眼前に空中ウィンドウが開かれ、まだ十代半ばといった様子の茶髪の女性が顔を出す。
桃子とユーノへの紹介は後々になる彼女は、リンディの補佐官でエイミィ・リミエッタである。

『リンディさんに言われて調べたんですけど、確かにユーノくんの言うとおり、輸送艦の事故とジュエルシードの紛失報告は管理局に入ってますし、第97管理外世界へのデバイス持込での渡航許可がユーノ・スクライアに出てます』
「なるほど、ありがとうエイミィ。忙しいところごめんね」
『いえいえー、これが仕事ですから。それでは失礼します』

ぴしっ、と敬礼を最後に残してウィンドウが消滅する。
リンディは眉をハの字にしてユーノと桃子のほうへ声をかける。

「ごめんなさいね、あなたたちを疑ったわけではないんだけれど、一応裏を取るのも仕事のうちだから、さっき念話でデータ収集を頼んでおいたのよ」

気分を悪くしたならごめんなさいね、と再び謝って頭を下げる彼女にユーノは慌てて大きく手を振って否定する。

「そんな、気を悪くするなんてことありません! ロストロギアなんて危険物が関わっている以上、リスクヘッジは当然ですから」
「そう言ってもらえると助かるわ」

ほっとした様子でリンディは頭を上げ、自分の湯のみを手元へ引き寄せた。

「でも」

そこに腕を組み、目を瞑ったレティが一言続ける。

「危険物だってわかっているのにとりあえずな報告だけで、この世界まで単身探しに出るのはどうかと思うけれど」
「う……」

どこか叱るような雰囲気をかもし出すレティに、ユーノは椅子の上で小さくなってしまう。

「もっとしっかり危険性を伝えてくれれば管理局からも捜索チームを派遣できたわ。アースラがこの世界に寄ったのだって次元震を感知したからなのよ?」

わかる? と右目だけを開けてレティはユーノを見る。
膝の上の手をぐっと握り込んでユーノはなんとか反論しようとする。

「でも、あのジュエルシードは僕が発掘して……」
「その責任感は立派。でも、時として行き過ぎた責任感は問題よ」
「え……」

言葉の意味がわからずユーノは首を傾げる。身を軽く乗り出すように机に両手をつき、レティは真っ直ぐに正面の少年を見据えて、今度は諭すように語る。

「ジュエルシードが次元震を起こす程危険だとわかっているあなたなら、この世界になるべく被害を出さないようにするには自分だけではなくて管理局にももっと頼むべきだってわかるでしょう」
「あ……」

言わんとすることを理解したユーノはますます縮こまってしまう。
確かに、ユーノは自分が発掘責任者だったのだから自分が全て解決しないといけないと、管理局に迷惑をかけてはいけないと考えてしまっていた。けれど、その時ジュエルシードの脅威に直接さらされる人達のことを考えていただろうか。いや、そこまで考えが回っていなかった。
ならもし、桃子に運良く助けられることがなかったら……

「なんて顔してるのかな?」

考えの底に深く沈んでいたユーノは頭の上になにかを乗せられる感覚に意識を引き戻される。

「何回も言っているけどユーノくんは子どもでしょ」

頭の上のものは人間の手で、それを乗せたのは穏やかな笑顔を向けてくれる桃子だ。
それでもユーノの中では罪悪感が首をもたげる。

「でも、もしかしたら桃子さんたちにすごい迷惑が……」
「もしも、でしょ」

途中で、桃子に強い口調で言葉を重ねられユーノは口を閉じてしまった。

「そりゃあ、一歩間違えたら危なかったでしょうね。でも、現実はそうじゃなかったのよ?」

それは結果論でしかないと、そう言おうとするがその前に桃子が続ける。

「誰だって間違いはするの。大人だってするんだから、子どもならなおさらよ。この失敗を教訓にしてユーノくんが成長してくれればそれでいいの。取り返しがつかなくなったらそれはそれで困るけれど、今はそういうわけじゃあないでしょう?」
「…………」

それでも謝らなくちゃいけないと、そうユーノは思うのだけれど、頭を撫でてくれる桃子の手が温かくて、なぜだかなにも言えなくなってしまう。
穏やかな雰囲気の中、リンディも優しい声音でユーノに語り掛ける。

「ぶきっちょだからわかり辛かったかもしれないけど、レティもユーノくんのこと心配してるから言ってるのよ」

言葉につられ、ユーノはレティを盗み見る。

「……まあ、あなたよりも幼いけれど私にも息子がいるし、ね」

仏頂面で、でも恥ずかしそうにちょっと顔を赤くしながら呟いた。
そんな彼女の隣でリンディが「ね?」と言わんばかりにユーノに笑いかけてきた。
ちょっとだけ鼻の奥がつんときて、ユーノは俯いてしまう。

「えー、あー、そうそう、これからのことを話さないとならないわね」
「ふふっ」

ちょっと無理矢理なレティの話題転換に、リンディは笑いが堪えられなかった。

「なにかしら?」
「なんでもー」

ぎろりと睨んでくる視線をリンディはスルーする。
本来なら、そのやり取りを見て桃子も笑みを零したのだろうが、今はリンディの手元に全部持っていかれていた。
――な、なんてことやってるのこの人!!
緑茶の入った湯のみ。これはいい。しかし、リンディが摘んでいるのは……角砂糖。
しかもそれを次々にこれでもかとばかり投入していく。

「レティも素直じゃないわねーと思って」
「バカなこと言ってるんじゃないわよ」

しまいにはミルクまで投入。
――いやああああああ!!!
喫茶翠屋のメニューに緑茶はない。しかし、それでもこの緑茶への冒涜(日本人視点)な行動に、心の内で悲鳴を上げる。

「って、リンディあなた今砂糖いくついれたの?」
「え? 五つだけど?」
「ちょっと、いつもお茶には三つで我慢しなさいって言ってるでしょう!」
「それは紅茶の時に言ってたことでしょー、これは緑茶よ緑茶、対象外対象外」
「お茶に変わりないでしょ! あなたの座右の銘は『糖分』じゃあるまいし、甘党もたいがいにしなさい!」

目の前でなにやら砂糖の個数について議論が繰り広げられているが、桃子には一切聞こえてこない。
――そ、そうよ桃子。この人たちは異世界の人なの、これは緑茶文化を勘違いしている外国人と同じ……

「だってあんな紅茶より苦いのストレートじゃ無理よ! だいたいほとんど発酵させてないってことはお茶の葉っぱを生で絞って飲んでるようなもんじゃない!」

我慢の限界だった。

「……リンディさん?」

自分でも驚くくらい低い声が腹の底からわきあがってきた。
だけれど、なぜか心は冷静で、今までの人生でも屈指ではないかと思うほど清清しい笑顔が浮かべられる。

「ちょっと、お話いいかしら?」

なぜだかリンディが怯えて見えたけれど、きっとそれは自分の勘違いだろうと桃子は思った。




――や、やっちゃったー!!
気まずい沈黙が横たわっていた。

「えと、その……」

ついつい緑茶=ただの生、発言に怒ってしまった桃子だったが、一通り緑茶について語り尽くし怒りが抜けると、自分のしでかしてしまったことに頭から血が引いていった。
レティは平静を保っているように見えるけれど桃子の方へ視線を向けてくれないし、リンディは涙目で縮こまっている。
ユーノにいたってはいつの間にかフェレットモードに戻って部屋の隅で震えている。

「あ、あはは……」

困り果てて、笑うしかないのだが桃子の他に笑ってくれる人もおらず、重い空気は晴れない。
――だ、誰か助けてー!
そんなSOSが通じたのか、部屋の自動扉が開く。

「失礼しま-す。お茶のおかわりはどうですか……ってどうかしたんですか?」

入ってきたのはお盆に四つ新しい湯のみを乗せたエイミィで、今までなにがあったのかはわからないようだが、異様な空気には感づいたようであった。

「な、なにもないわエイミィ! それよりもお茶ありがとうね」

涙がばれないように、さっと服の袖で目元を拭ったリンディは笑顔を貼り付けてリンディに自分の空の湯のみを渡す。

「そう、ですか? まあ、なにもないならそれでいいんですけど……あ、砂糖いくついれます?」
「っ! なしでいいわ!」
「えっ?」

間髪入れずに返された言葉にエイミィは目を丸くする。
一部からは甘党執務官と呼ばれているようなリンディが砂糖なし……エイミィにとっては大事件だった。

「あ、あれよエイミィ! そう、ダイエットよダイエット! お代わり前のには砂糖入れたから今度は我慢するの」

補佐官の表情を見たリンディは慌てて理由をでっちあげる。
そしてエイミィもその言葉を聞いて心底安心したという様子でほっと息をつく。

「そ、そうですよね! リンディさんと言えば砂糖ですし」
「あたりまえじゃない」

地味にひどいことを言っているが、てんぱっているリンディは気づかない。結局、それ以上空気に突っ込むことはせず、全員のお茶を取り替えてからエイミィは退出しようとして、振り返る。

「あ、レティ艦長とリンディさんに一応報告が」
「あら、なにかしら?」
「アレックスさんが解析した結果なんですけど、あの使い魔相当優秀ですね、ジャミングをどうにか抜きましたけど多重転移の三つ目までしか追えませんでした」
「そう、まあ仕方ないわね。アレックスにご苦労様と伝えておいてちょうだい」
「はい艦長。では、失礼します」

空の湯飲みを乗せた盆を持っているので敬礼ではなく綺麗な礼をして今度こそ退出する。

「……」
「……」
「……」
「……(僕、スルーされた)」

扉が閉じると、再び沈黙が四人に降りかかる。

「と、とりあえず熱いうちに飲みましょうか?」
「そ、そうね」
「ですね」

レティの提案に、リンディと桃子が賛同。ようやく人間形態に戻って席に帰ってきたユーノも含めた全員が、湯気のたつ湯のみを手に取り茶を啜る。

「……ふぅ」

誰が零した、ということもなく全員が息をつき、肩の力を抜いた。
エイミィが固まった空気をかき回してくれたこともあり、どうにか雰囲気も元に戻る。

「それで、これからのことなんですが……」

姿勢を改めて語り出したレティに、残りの三人も背筋を正す。

「とりあえず、次元震が起こってしまったこともありますし、以後のジュエルシード探索は時空管理局が責任を持って受け持ちます」
「それって……」

裏に隠された言葉の影に気づいた桃子が呟くと、レティは小さく頷いてから彼女の目を真っ直ぐに見据える。

「魔法とは関係ない生活をなさっていたわけですし、桃子さんはこの件から手を引いて元の生活に戻っていただきたいと思います」
「っ!」

予想が本当のこととなり言葉を失う桃子。
レティの言うとおり、素人でしかない桃子は専門の人に任せてただのパティシエに戻るのが道理なのかもしれない。
けれど、本当にそれでいいのだろうか? ジュエルシードを安全に集められて海鳴が平和になるならなんでもいいのだろうか?
平和であるに越したことはない。
でも、脳裏に浮かんだのは、全てを曝け出して思いのたけを叫んだプレシアの背中。
そむけられた背中を振り向かせたくて、手を伸ばしたくなった。

「あのっ!」
「まあまあレティ落ち着いて」

意を決して口を開いた桃子だったが、ほぼ同時にリンディが隣のレティをなだめる。

「急にそんなこと言われたって桃子さんだっていきなりは納得できないわよ」
「まあ、そうかもしれないけれど……」

渋い表情は崩れないのだが、気にすることなくリンディはまあまあと笑って言う。

「そういえば桃子さんは喫茶店をやってるんでしたっけ?」
「え? はい」

先ほどの緑茶騒動の時に零していた話を思い出したリンディが改めて尋ねると桃子は頷く。

「じゃあ、明日の夕方くらいにこちらからそちらへ伺いますから、その時に改めてお返事聞かせて下さい」

桃子から視線を自分の隣に移す。

「レティもいい?」
「まあ、しかたないわね……」

腕を組んで、息を吐きながら首肯する。
満足そうにその姿を見てから、また桃子の方を見たリンディは満面の笑顔。

「それでは一晩、なにをしたいのかよーく考えておいて下さいね桃子さん」

それがお開きの合図になった。




学校帰りの生徒が引け、忙しさから解放される。
ふと窓のほうを見ると、差し込む光は橙色に染まりつつあった。

「あ、いらっしゃいませー」

からん、と扉が開くと同時に鳴った鐘の音に振り返った桃子ははっと息を呑んだ。

「桃子さんどうもー」
「お邪魔するわね」

管理局の制服ではなくて私服ではあるけれど、そこに立っているのは見間違えることもない。約束通り訪ねてきたリンディとレティだ。
気持ちを引き締める意味も込めて、店員としての本分を忘れず応対する。

「カウンター席で、よろしいでしょうか?」
「あ、じゃあそれで」
「お任せするわ」

話がしやすいカウンター席を提案すると、リンディはなぜか無性にうきうきと、レティは落ち着いて賛同してくれた。
二人を誘導して、桃子はフロアからカウンターの中へと移動していく。

「桃子、知り合いか?」

コーヒー豆を挽いていた士郎に訪ねられる。たぶんリンディが名前で呼んでいたのが耳に入ったのだろうと桃子は推測する。

「あー、うん。最近のことでちょっと知り合ったのよ」
「そうか……」

最近のこと、という言葉に、士郎は桃子が護身術を習うきっかけになったのであろう何かのこととなんとなく理解して、つまり自分はお呼びではないのだということも同時に理解した。
夫として寂しくないと言えば嘘になるが、妻とはいえ桃子も一人の人間。夫婦であっても言えないことに一つや二つなど珍しいことでもない。
でも、一言だけ付け加えておくことにする。

「ほどほどにな」
「うん」

にっこりと桃子が笑みを向けてくれたのを確認して、士郎はコーヒーを挽く作業に戻る。
桃子はカウンター越しに二人の正面へと回る。

「ご注文はいかがいたしましょう?」
「そうね、とりあえず私とリンディにアールグレイを」
「わたしにはシュークリームとナポレオン・パイも!」

話し合いがメインだからだろう、紅茶だけを頼もうとしたレティの配慮を吹き飛ばすようにリンディはケーキ類を注文する。
その目は爛々と期待に輝いていて、桃子はリンディにぶんぶんと振られる犬の尻尾が見えた気がした。

「ちょっとリンディ、遊びにきたわけじゃないのよ?」
「えー……」

レティがたしなめようとするが、リンディは大ショックを受けたといわんばかりに顔を暗くさせる。

「だってアースラの食堂ってアイスクリームマシンしかないんだもん。せっかく美味しそうなケーキを揃えてる喫茶店に来たんだから頼んだっていいじゃない」
「そのアイスクリームマシンだって利用の4割はあなたでしょうが。さっき昼食の後にも食べてたじゃない!」
「ケーキは別腹よ!」

ふん、と豊満な胸を張って言い切るリンディに、レティはこめかみを押さえた。

「あはは、まあケーキ食べながらでもお話はできるし、いいんじゃないですか」
「……はぁ」

いい感じに緊張が抜けた桃子がそっと助け舟を出すと、どんよりとした息を吐き出しながら、レティが頷いた。

「では、アールグレイが二つにシュークリームとナポレオン・パイでよろしいでしょうか?」
「手早くお願いね!」
「はいはい」

まるで子ども見たいに待ちわびるリンディに、堪えられない笑みを浮かべながら、ショーケースからケーキ類を取り出し、手早くアールグレイを淹れる。

「お待たせいたしました」

うずうずと体を震わせてるリンディと既に疲れた様子のレティの前に出す。

「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

笑顔と共に尋ねると、レティは小さく頷いたが、リンディはさっそくシュークリームに手を出していた。
さっそく食らいついたリンディはゆっくりと咀嚼し、飲み込むと、

「ほぅ……」

目元口元が蕩けきった表情でため息を漏らした。
すぐにまた目を輝かせるとカウンターから身を乗り出しす。

「このシュークリームすっごい絶品ね!」
「えへへー、実は桃子さん謹製のシュークリームだったり」
「ほんとに!」

ちょっぴり照れながら桃子が明かすと、口に手を当ててリンディは目を見開く。見ると、声こそあげていないがレティも目を丸くしている。

「わー、桃子さんすごいのね。あ、じゃあこのケーキも?」
「うん。基本的に翠屋のケーキ類は桃子さん監修なのよ」
「はぁ~」

本当に感心した様子で、リンディは乗り出していた身を椅子に預けた。

「紅茶も、香りもいいし美味しいわ」
「ありがと」

微笑みと共にレティに言われ、桃子はさらに顔を綻ばせる。
まるで子どものようにニコニコとリンディがケーキを食べ、まるでその保護者のようにレティは落ち着いた様子で紅茶を飲む。
穏やかな時間が過ぎ、レティがお代わりした二杯目の紅茶を飲み終わったという頃、ようやくケーキとシュークリームを食べ終えたリンディの下ろしたフォークが小さく音を鳴らす。

「さて、それじゃあ本題ね……」

レティの呟きにリンディも表情を引き締め、桃子はごくりと喉を鳴らす。

「一日考えて、どうするか決まったかしら?」

立っている桃子と座っているレティだから、下から覗きこまれるようになるのは当たり前なのだけれど、突き上げられるようなプレッシャーが桃子にかかる。
気持ちを落ち着かせようと手を胸に奥。

「……」

手にあたったのはレイジングハートで、それを握り込む。
ほんのりと温かみが伝わる気がした。

「考えるもなにもないわ。あたしはジュエルシードの件から手を引くなんてことはできない」

だから、と言ってから息を吸う。

「協力、させて下さい」

頭を下げる。
見えないが、二人が何を言おうか悩んでいるのがわかった。

「あの、無茶を言っているのはわかっています」
「……え!?」
「……!?」

次に聞こえたのはここにいないはずのユーノの声。
他の人には聞かれないように小さくではあったが念話ではなく、肉声。リンディとレティは周囲を見回し、同時に正面を見てあ、と気づく。

「喫茶店のこともあって四六時中そちらに協力というわけにはいきません。それでも、僕はともかく桃子さんの魔力はそちらにも魅力的だと思うんです。ですから、お願いします」

今までずっと中に隠れていたのだろう、桃子のポケットから顔を出したフェレット状態のユーノが、ぺこりと頭を下げる。

「……」

レティは唸る。
でも、隣のリンディは違う。

「ふふっ、よく考えてますね。どうレティ? 受け入れちゃっていいんじゃない?」

もっと抵抗があると思っていた桃子は、意外なリンディの反応につい頭を上げてそっちをまじまじと見てしまった。
そこにあったのは笑顔だった。

「ちょっと、リンディ」
「それにわたしも桃子さんにいて欲しいのよ」

たしなめようとするレティだったが、リンディはお構いなしに自分の考えを述べていく。

「桃子さんの話にも出てたし取ってた映像の認証でも、相手はあの大魔導師プレシア・テスタロッサ女史とわかってるのよ? しかもその使い魔もセットだなんてわたし一人じゃちょっと荷が勝ちすぎるわ」
「あなたね、相手は研究者よ? そもそも荒事込みである正真正銘の執務官がなに言ってるの?」
「あっちは制限付きSSってことは制限無しでもSオーバーと見ていいわよね?」
「まあそれくらいの力はあるでしょうね」
「わたしS-なのよ? いくら戦闘が本職とはいえちょっとばかり分が悪いわよ」
「いや、まあ、そうかもしれないけれど……」

自分のことだろうにあっけらかんと弱気な発言をするリンディに、レティは顔を顰めて目を瞑り考え込んでしまう。

「……」
「……」
「……」

桃子とユーノが固唾を呑んで、リンディはどこか結果が見えているとばかりに口角を吊り上げながら、考え込む彼女を見守る。

「……ふぅ」

数秒だったのか、数十秒か、それとも数分か。人によって違って感じたであろう沈黙はレティの吐き出す息で破られる。
やれやれといった様子で頭を振って、桃子を真っ直ぐに見る。

「時空管理局提督の権限を持って、本件に関してお二人を民間協力者として任命します」

表情を晴れ上がらせる桃子とユーノに対し、ただし、と続ける。

「こちらの指令には従っていただきますからね」

視線は優しげだった。

「はいっ! お願いします!」

満面の笑みを浮かべる桃子に、レティは照れくさそうに視線を逸らす。

「連絡はレイジングハートさん経由でできますから、詳しくは後々とします」
「はい」

桃子の返事を聞き届けると、財布から二人分の値段ぴったりをカウンターに置き、レティは静かに立ち上がる。

「それじゃあ、今日はここらで……」
「あ、桃子さんお持ち帰りで、シュークリーム三つにモンブランとショートケーキ一つずつお願いできるかしら?」
「ちょっとリンディ」

ずるっと滑ってしまった。

「大丈夫よレティ、こっちはわたしが自分で払うから」

リンディはレティの発言をどういう意味でとったのか見当違いの答えを返す。

「あなた一応これは職務の一環だって理解してるの?」
「えー、だってお仕事もう終わってるでしょ?」

ぶーぶーと文句を言うリンディにレティは額に手をあてて俯いてしまう。

「帰るまでが仕事よ」
「そんな遠足じゃないんだから……」
「遠足気分なのはあなたでしょう!」
「レティは頑固すぎるのよ」
「あなたは柔らかすぎて規則からはみ出てるわよ」
「あはは……」

店内であるのを忘れての言い合いが終わるのか、箱につめたケーキを手に桃子は苦笑いを浮かべて待っていた。

『まあ、不謹慎だけれど楽しくやれそうね』
『ですね』

桃子とユーノは念話でお互いに笑いあった。




中空に淡く光る青白い光。
いくつかある光源はメリーゴーラウンドのようにゆっくりと回転している。

「まだたったの四つ……」

自らの手の上で回るジュエルシードを眺めながらプレシアは重く息をついた。
輸送船が事故でジュエルシードをばら撒いたのがわかった時は、見放され続けた天運が自分に向いたかと思ってしまったものだが、そんな気分もはやひとかけらものこっていない。

「これでは足りないわ……決定的に足りない」

日に日にだるさが増してくる体に、かつては感じていた苛立ちすら感じなくなっているのがわかる。
砂時計は待ってはくれない。ただ正確に時を刻んでいき、落とす砂がなくなればその動きを止めるだけだ。
ジュエルシードをデバイスに再び格納し、プレシアはヒールの音を床に響かせながら、振り返る。
正面にあるのは、中に液体の詰まった生体ポット。

「ごめんなさいね」

右手を伸ばし、生体ポットの表面を優しく撫でる。
今のプレシアの表情を桃子が見たらどんな思いを浮かべるのだろうか。
普段の苛烈な雰囲気はどこにも感じられず、生体ポットの中を見上げる彼女の表情にはただ慈しむ色が浮かぶ。
右手に続いて、左手も伸ばし、そのまま抱きしめる。

「母さん……約束を守れないかもしれないわ」

でもね、と、口元に微笑みをたたえながらプレシアは小さく呟く。

「どれも絶対に諦めたりなんてしないわ」

視線の先、生体ポットの中央。
母親の胎内にいるかのように膝を抱え液中に浮かぶのは少女。
どんなに細くきめやかな絹でも決してこんなに艶やかにはなるまいと思える程の金色の髪を持ち、どこか病的にも思えてしまうほど、雪より白く透明な肌を持った少女。

「だって、私はあなたの母さんなんだから……ねえ、アリシア」

地球の童話に少々詳しければ、魔女の呪いにより眠り続ける茨の城の姫を思い浮かべるかもしれない。そんな安らかに閉じられた少女の双眸。その奥にある瞳がどんな色をしているのかはわからない。
ただただアリシア・テスタロッサは眠り続ける。




「好き嫌いなんてしないよ。わたしはいい子だもん」

部屋を照らす光はとても明るいはずなのに空気だけは暗い。
五人くらいは余裕で座れそうな食卓なのに、今いるのはまだまだ幼い少女一人。
世界最高の絹でさえ粗雑に思えてしまいそうなほど滑らかな金色の髪を黒いリボンで可愛らしく二つのお下げに分けていて、陶磁器のように白く、時として弱々しさすら人に抱かせそうな白い肌を持つ少女。

「にんじんだって食べれるよ」

ぽつり、ぽつりと誰もいない部屋の中、誰かに訴えかけるように零す少女の表情は、今にも泣き出しそうなのに微笑みが浮かんでいた。

「わふ」
「?」

少女の足元から小さな鳴き声が聞こえる。視線を落とした少女が見たのは、オレンジ色の毛並みが鮮やかな子犬。
お行儀よくお座りをしながら、少女を見上げている。
尻尾を振りながら、そのつぶらな瞳が見上げているのは少女の右手のフォーク、に刺さった赤色の野菜にんじん。

「だめだよアルフ、もう前みたいにあげないよ」

言って少女はにんじんを口に放り込む。

「む……」

ちょっと眉を歪めるが、そのままもごもごと何度か咀嚼し、どうにか飲み下す。
ふぅ、と一息ついたら、なにも持っていないとばかりに開いた両手を子犬に向ける。

「ほらね。アルフに食べさせたりするような悪い子じゃないよ私」
「くぅん……」

胸を張って宣言する少女とは正反対に、子犬は尻尾をぺたんと床につけ、悲しそうな声をあげた。

「私はいい子だもん。母さんに迷惑なんてかけないもん」

ただただフェイト・テスタロッサはナイフとフォークを動かし続ける。




『後書き』
ちょっとおっかなびっくりながらとらハ板に移動。
未来ではお母さんキャラである以上は外せなかったのでリンディさんの補佐官はエイミィ。
また言っておきますが作者はユーノアンチでもないですし、嫌いではありません。ただ、大人なら子どもであるユーノの暴走をこれくらいは叱ってあげないと彼のためにもならないと思って書いただけです。原作でのユーノは大人ポジションに近いものでしたけど、やはり彼も子どもですから。
ジュエルシードが完全な事故でばら撒かれたとしたのは、いくらなんでもプレシアさんの魔力攻撃だったら痕跡が残ってもっと大規模に管理局が動き出していただろうということから設定しました。

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第八話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/10/10 17:45

管理局に桃子が協力をするようになってから九日。
手が空いている時に協力するという限定的なものであるため、管理局が発見したジュエルシード三つのうち桃子が封印したのはそのうちの二つ。残りの一つはリンディである。
現在桃子と管理局側にあるジュエルシードは九つ。

「残念なことなんだけれど、センサーに反応があったのに見つからないジュエルシードが二つくらいあってね、どうやらプレシア女史に先回りされちゃったみたいなのよ」
「ありゃ、そうなの?」
「そーそー。こっちはアースラのセンサー24時間稼働で探してるのにね、全く大魔導師って異名は伊達じゃないって思い知らされたわ」
「へ、へー……」

――ぷ、プレシアさんってやっぱりすごい人だったのね。
頬杖をつきながらケーキを口に運ぶリンディの口ぶりから、なんだかとんでもない人に喧嘩を売ってしまったんじゃないかと今更ながら思う桃子だった。

「あーあ、現場復帰から一年しか経ってないのになんかめちゃくちゃ厄介な事件だわ……」
「現場復帰?」

初めて聞く「現場復帰」という言葉に桃子はオウム返しに呟いた。

「言ってなかったかしら? 去年息子が執務官試験に合格してひとり立ちしちゃってね。独り寂しく家にいるのも気がめいっちゃうから10年ぶりくらいに現場に復帰したのよ」
「えー、じゃあ結構ブランクあって厳しかったんじゃないの?」
「まーそりゃ最初は大変だったわよ。でも私を採用してくれたのが気心知れたレティだったから、無理ないペースで勘を取り戻せてね、おかげで今までは大きな怪我も失敗もなくやれてるの」
「持つべきものはいい友達、ってことかしらね」
「そんなところね」

紅茶を傾けて一端間を置いたリンディだったが、すぐに顔をあげる。

「というより、いくら魔力が莫大だからって魔法に会って数週間でニアSランク相当な桃子さんってなに?」
「そ、そんなこと言われても……」
「絶対世の中は不公平だわ」
「……うう」

ケーキに乗っていたイチゴを思いっきりフォークで突き刺して口に運んだリンディに、桃子は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
――あたしは、一生懸命やってるだけなんだけれど……
人はそれを天才と呼ぶのだが、当然桃子にそんな自覚など全くない。

「それにレティも煩いしー、報告ついでに翠屋さんで甘いもの食べたっていいじゃない」
「報告といいつつたいてい世間話になっちゃうからそう言ってるんじゃないかしら……」
「民間協力者と親交を深めるのは仕事を円滑にするために重要だからいいのよ」

ひらひら手を振って笑い飛ばす。

「そんなもんかしら?」
「そんなもんよ」
「本当は甘いもの目当てでしょ?」

二日に一度は翠屋に足を運んでくるリンディの、今までで一番真面目な表情はその日食べる翠屋のケーキを頼む時だったりするので彼女が極度の甘党であることは間違いない。

「本音と建前の使い分けが大人だと思わない?」

ウインクと一緒にリンディは言ってのけるが、桃子は苦笑。

「それって認めてるってことよね?」
「あー、それ以上言わないで」
「ふふっ」

リンディは右手を前につき出し、左手では耳を塞ぐ。桃子はそんな大げさな反応がおかしくて笑ってしまった。

「もうっ」
「あはは、ごめんごめん」

頬を膨らませて拗ねるリンディに桃子は謝る。
リンディも本気ではないため、ふぅと息をつき、紅茶を飲むことで仕切りなおす。と、なにかを思い出したとばかりに指を立てた。

「そうそう、マリーさんからレイジングハートのチェック結果が出てたのよ」
「ほんとっ!」
「え、ええ……」

がばっ、と桃子は上半身をカウンターから乗り出す。あまりの眼光の鋭さにリンディが引いているのもお構いなしである。
それもそのはず、レイジングハートのチェック結果次第では、
――バリアジャケットが変更できるかもっ!!
魔法に出会って以来の桃子の念願が果たされるかもしれないのである。

「で、マリーさんなんて言ってたの!」

さらに顔を近づけてくる桃子に頬を引きつらせながら、なんとかリンディは答えていく。

「えーっとね?」
「うんうん!」
「特に、変なところはないって」
「……え?」

目を点にして固まってしまう桃子。
うんともすんとも言わないし、目の前で手を振ってみても反応がない。これ幸いとリンディが手で押すと、前のめりの体がたいした抵抗もなく垂直に戻っていった。

「……って! 変なとこなにもないってどういう意味? どう考えても変でしょ!」
『Master!』
「あー、それは、ね?」

レイジングハートの抗議も耳に入らない様子の桃子に、どう穏便に説明したものかとリンディは言葉を選んで話し始める。

「実際、どこか機構に故障とかおかしいところがあるわけじゃあないのよ」
「でも明らかにAIが何か間違ってるでしょ」
「それがねー……」

愛想笑いをどうにか維持したまま、でも視線を合わせることがないのリンディは、指先で自分の髪をいじりながら話を続ける。

「パーツは管理世界製みたいなんだけど、ユーノさんが言っていたように、レイジングハートは出所不明なデバイスだから、AIがはっきり言ってブラックボックスなのよ」
「それが、なにか関係あるの?」
「ええ、普通に生産されたAIならちょちょっといじって中のバリアジャケット設定の変更とかもできるらしいんだけれど、レイジングハートはその……」
「もしかして、できないの?」
「残念ながら……」

言い切ってちらり、と桃子の様子を窺う。

「がーん! がーん、がーん、がーん……」

自前の効果音(エコー付き)でショックを受けていた。
次の瞬間にはよろめき、カウンターに手をついてどうにか体勢を維持した桃子は、弱々しく口を開く。

「な、なんで、できないの?」
「えっと、AIってインテリジェントデバイスの中でも一番繊細な部分なのよ。だから、構造がよくわかってないのにいじったら、全部がおしゃかになっちゃう危険性が高くって」
「だから、手が出せないんだ……」
「う、うん……」
「……」

がっくりと両手をカウンターについて、桃子はうなだれてしまった。
何度か見た桃子のバリアジャケット姿がちらつき、何か言って慰めなくてはと思えど上手い言葉が思い浮かばないリンディは、口を開きかけては閉じるを繰り返すだけ。
お通夜のような空気が流れる。

『Cheer up, master! (くよくよしないで下さいマスター!)』
「諸悪の根源のくせに……」

文句を言う声にも全く力がなかった。




「ジュエルシードは全部でいくつ?」

玉座の間に呼び出されたリニスが挨拶をするよりも先、背を向けたままのプレシアから飛んできたのはこんな質問だった。

「確か、21ということでしたね」

ため息と共に返す。
この質問はただの確認だ。そもそもどこから情報を仕入れたのかジュエルシードを集めると宣言したのはプレシアだし、その後の情報も彼女が知らせてきているのだから。

「私たちのもとに今あるジュエルシードはいくつかしら?」

正解かどうかの返答どころか頷き一つ返さず、プレシアは矢継ぎ早に質問を重ねてくる。

「六つですね」

このやり取りになんの意味があるというのか、回りくどいのはやめてさっさとして欲しいと思いながら、リニスは半ば投げやりに返す。

「そう、全体の三分の一にも満たないのよ」

抑揚のない声でプレシアは言う。

「管理局が出張ってきて、おそらくあっちは最低でも私たち以上のジュエルシードを持っているはずよ。そして、地上の分のジュエルシードは既にもうないと見ていいわ」
「海ですか……」
「そうね」

今度はプレシアに対してではないため息をリニスは漏らす。
山猫であるリニスは水が好きではない。海水になると嫌いである。だいたいあんな後々にべたつく塩水のどこがいいのかわからない。海水浴などリニスに言わせれば狂気の沙汰である。

「でも、海の底に沈んでいるだろうジュエルシードをどうするんですか。広範囲に散らばっていては探すのも一仕事ですよ?」
「わからない?」

プレシアが視線だけを肩越しに送ってよこした。

「前と同じ。強制的に励起させるのよ」

なんてことないように、当然のことのように。
しかし常識を外れ、もはや狂気としか言えないことをやる。

「なっ! 待ってくださいプレシア!! 正気ですか?」
「確かに普通はやらないかもしれないわね。諦めてしまうから」

リニスの叫びさえ鬱陶しそうに頭を振りつつ、プレシアはゆっくりと振り返った。

「でも、私は諦めるなんてことしないわ。可能性が、やれる手があるならどんなに無茶でもやってみせるわ」

真っ直ぐに自らを射抜く主の瞳の底に見たどろりとしたなにかに、リニスはぞくりと全身が粟立たせる。
そのまま頭を垂れてプレシアに追従してしまいそうになったのをどうにか持ちこたえる。震えそうになる声を、腹の底に力を入れることで抑え、異議を申し立てる。

「この前の範囲がわかっている街中だけとは違うんですよ? 海という広範囲のジュエルシードを強制的に励起させるだけでも魔力と体力をごっそり持っていかれるというのに、さらにそれの封印だなんて……」

本人は平然と振舞っているが、プレシアの病に冒されきった体では危険だ。

「しかも複数個が一度に励起したら、いくらプレシアでも封印までは不可能です!」
「どうして、私たちが封印をしなきゃならないの?」
「え……?」

リニスはプレシアの矛盾している物言いに言葉を失った。
私たち、と言ったことからリニスに封印しろと無茶をいっているわけではないのはわかる。しかし、ジュエルシードを求めているにも関わらず封印を自分でしないとはどういうことなのか。
彼女がなにを思っているのか、リニスは推測すらできず、ただプレシアをほうけた表情見詰めるだけだった。

「わざわざジュエルシードがどこにあるのか教えてあげるんだから、封印くらい手伝ってもらいましょう」

とても久しぶりに見たプレシアの笑みは、破滅に誘う妖艶さがあった。




ジュエルシード探索を行っているアースラの艦橋。

「うーん、ここも外れかぁ」

エリア探査の結果報告画面を閉じると同時に深く息を吐いたエイミィは、ぐっと背伸びをして背もたれに身を預けた。

「そろそろ方針を見直す時期かしらねぇ……」
「わわっ! か、艦長!!」

頭越しにレティの声が振ってきて、ついつい気を抜いていたエイミィは慌てて椅子に座り直す。

「ああ、いいわよエイミィ。みんなもそろそろ疲れてくる頃なんだから、ちょっとくらいなにも言わないわ。はい」
「あ、どうもです」

そのままレティはエイミィにコーヒーの入ったカップを渡す。
エイミィが湯気の立つコーヒーに息を吹きかけながらちびちびと飲んでいる中、レティはコンソールを操作し、ここ最近の探知データを眺めていく。

「地上に落下したジュエルシードはもう探しつくしたみたいね」
「かもですねー」
「そうなると……」

ウィンドウに浮かぶ海鳴の地図を動かしていく。

「ここ、だけね」

画面上部には海鳴臨海公園の文字と、かつてジュエルシードが発見されたというマーク。
そして、画面下部には、

「海、ですかねー。骨が折れそうです」

だだっぴろい海。

「確かに面倒だけれど、見つけないことには私たちも休みを取れないから仕方がないわ」
「えー、でもうちの執務官は今頃午後のお茶としゃれ込んでるじゃないですか」
「ま、まああれは……」

リンディのことを指摘されると、レティは顔をひくつかせる。

「とりあえず荒事があったらその分こき使うからいいわ」
「うわっはー」

自業自得とは言え、レティのこめかみに浮かぶ青筋を見てしまい、なんだかリンディが可愛そうになったエイミィだった。

「とりあえず、これからは海を徹底的にサーチしていく方向でお願いね」
「了解です」

レティが身を起こし、自らの艦長席に戻ろうとしたその時だった。

「高魔力反応確認!」

ランディの叫びが上がる。同時に艦内にアラートが鳴り響き、赤色灯が明滅する。

「ジュエルシード!?」
「いえ! 違います……これはっ! 次元跳躍魔法!?」
「なんですって!」

レティは艦内に表示される情報に目を通して状況の把握に努めるがそこに現れるのは常識を超えた事態を知らせるデータだけで、一向に理解が追いつかない。
基本的に距離によって威力が減衰する攻撃魔法を次元を超えた対象へ打ち込むというのは生半可な技術ではない。さらにピンポイントで狙いに当てるとなればもっとである。
そのようなことが出来る技術を持った魔導師など、レティには一人しか思いつかない。

「なにを考えているの、プレシア・テスタロッサ!!」

これが任務中でなければ、大魔導師の卓越した技術に目を奪われていたかもしれない。けれど、今は彼女らと敵対している身である。見とれている暇などはない。

「攻撃の到着予想地点の算出急いで! それと逆探知も!!」
「やってます!」

とにかく彼女の目的を見抜くべく動く。

「目標は第97管理外世界地球! 到着までおよそ約30秒! 詳細の割り出しは継続中!」
「逆探知は……だめです。巧妙にジャミングされてます」
「くっ!」

流れてくる汗を袖で拭う。
赤が点滅する艦橋の中、映し出される紫色の雷撃が不気味に光る。

「残り15秒!」
「でましたっ!」

エイミィの声が上がる。

「到着予想地点は……えっ!?」
「どこっ!?」

一秒ももどかしく、レティはエイミィをせかす。

「予想地点は……海鳴沖の海上です!!」
「なっ!!」

先ほどエイミィと見た光景が脳裏に蘇る。

「ま、さか……」

そして、電撃の如くプレシアの考えがレティの頭に浮かぶ。

「まずいっ!!」

気づけど、もう遅い。手を伸ばしても放たれたそれが止まることはない。

「着弾5秒前!!」

海鳴沖に巨大な雷が突き刺さった。



「っ!!」
「っ!!」

喫茶店のカウンターを挟んで二人は同じ感覚に、同時に肩を震わせた。

「な、なにっ!?」

一瞬肌に感じた魔力の渦。
そして、遠く湧き上がる先ほどとは違う魔力の感覚。

「ジュエルシード……どうして!?」

呆然と立ち尽くす桃子とは対照的に、最初こそ驚いていたがリンディは目を閉じ頭に手を当ててなにやら念話を飛ばしている。

『三人とも聞こえますか!』
『ええ、聞こえてるわエイミィ!』
『あ、はい聞こえてます!』
『大丈夫よ!』

アースラのエイミィからリンディ、ユーノ、桃子に連絡が入ったのもほぼ同時。

『えっと、異変は感じ取ってると思いますけど、実は海にプレシアさんが大規模魔法を打ち込んじゃって、それでジュエルシードが六つも同時に励起しちゃってるのよ!』
『なっ! なんて無茶を!』
『それよりも、このままだと海鳴の街に被害が!』
『そうなの!』

エイミィの声も上ずり相当に狼狽しているのがわかる。

『ジュエルシードを呼び起こしたくせに封印には一向に現れないから、とにかくまずは結界を張らないと大変なことになっちゃうんだよ!!』
『わかりました! まずは僕がいきます!!』
『ユーノくん、わたしも行きます。海鳴臨海公園で合流としましょう』
『はい!』
「桃子さん!」

ぼーっと、意識が半分違うところへ行っていた桃子ははっとリンディの声に引き戻される。

「あ、うんなに?」
「おつりはいりませんからっ!」

リンディは桃子にお札数枚を押し付け、そのまま走って店を出て行ってしまった。
からん、と扉の鐘の音が響いた。

「…………」

目の前にある空の食器を片付けながら、桃子はまた意識を思考の海へ沈めていった。
――あたし、海鳴の街に被害を出したくないって、そう決めたのに……
今、実際に海鳴に危機が降りかかっていると言われた時、自分はどう思ったのか。ユーノやリンディが即座に現場へ急行するとエイミィに伝えたのに、自分が頭に浮かべていたのは、全然違うこと。
――お店があるからここを離れられない、なんて。
海鳴の街を守りたいと思ったことが嘘だったということはない。だけれど、家族と一生懸命ここまでやってきたお店が走り出そうとする足を掴み離さない。
肌に突き刺さるジュエルシードの魔力は大きくなるばかり。エイミィの話によれば六つのジュエルシードが同時に発動したというのだから、いくらリンディとユーノが有能で危険だ。
だから、桃子もすぐに現場に向かうべきなのだ。
――でもっ……!
家族に内緒にしているという後ろめたさがあるからか、これ以上迷惑をかけられないという思いが彼女の髪を引いていて、心とは反対に体が動いてはくれない。

「桃子は、いかなくていいのかい?」
「……え?」

背後から士郎の声がかかる。
いつの間に近づいていたのだろうか、グラスを拭きながら士郎はなんてことのないように桃子に言った。

「さっきの女性の方、リンディさんだっけ? 桃子は追いかけなくていいのかい?」

一瞬、魔法のことがバレたのかと思ったが、振り返って見た士郎の目には責めるような色の困惑の色もない。ただ、純粋に疑問を浮かべているだけ。
それだけに、桃子のほうでも疑問がわきあがる。

「なんで、そう思うの?」
「うーん、そうだな……」

ことり、とグラスを置くと、さらに一歩近づいてきた。
身長差から桃子が見上げるような形になりる。

「昔から色々危ない橋を渡ってきたおかげかな、なんとなくわかるんだよ。あの人、桃子が今やってることの関係者だろう?」
「う、うん……」
「それに、なんだ。桃子の顔を見ればわかるさ」
「えっ?」

きょとんとする桃子を見詰める士郎はさらに笑みを深め、すっと腕を桃子の背の方へ伸ばしてくる。

「ドアのほうをずっと見ながら、なんだか泣きそうな顔してるんだからな。わかるよ」
「そんな顔、してたかしら?」

慌てて桃子は自分の顔を触るが、よくわからない。

「してたさ」

桃子の背に伸ばしていた士郎の手が、器用に彼女の身に付けていた翠屋のエプロンの結び目を外していく。

「だから、いってきな」

士郎が腕を引くと、それと共に桃子のエプロンが首からも抜けていく。
呆然とただ見上げてくる桃子に、士郎はこの日一番の笑顔を送る。

「言っただろ。桃子の帰ってくる場所はいつだってあるし、俺はそれを待ってるって。だから」

とん、と桃子の肩を押す。

「今はとにかくやりたいことを、後ろを振り返らずやってこい」
「士郎さん……」
「それに、今はもう喫茶翠屋の高町桃子じゃなくて、ただの高町桃子だろう?」
「あ」

おどけたように士郎はそう言って、自分が脱がたエプロンをひょいと持ち上げて強調してみせる。

「っ!」

鼻の奥につーんとしたものを感じたの同時、桃子は士郎の首にぶらさがるように抱きついた。

「士郎さん……」
「ん?」
「ありがとうね」

耳元に小さく囁くやいなや、桃子は走り出す。
言われたとおりに、後ろを振り返らずに。
あっという間に店を出て、置き土産のように扉の鐘だけが残った。

「やれやれ」

息をついて、カウンターの中の椅子に士郎は座りこむ。

「いつまでたってもいい女だよ……」

去り際に、温かく柔らかい感触が残されていった頬を軽く触れる。




一般の人からは見えなくなっている結界の中。
そこは嵐だった。
天は暗雲に覆われ、海は荒れ、風は暴れている。
しかしなによりもの脅威は、ジュエルシードの力で巻き起こり、海洋の水を巻き上げ荒れ狂う竜巻であった。

「くっ!」
「いくらなんでも、数が多すぎる!」

必死に抑えようと頑張るリンディとユーノだったが、一度に六つのジュエルシードの力の前に苦戦し、中々突破口を導くことができず、時間と魔力だけを浪費していた。

「あの女性、来ませんね」
「それは確かにちょっとだけ予想外だけど、まあ執務官も来てるわ。それにあの見知らぬ少年も中々できるみたいだし、封印は可能でしょう」
「ですか、ね」

下方で煌く青と緑の魔力光を遥か上空から眺めていたのは、前々から準備していた痕跡を感じさせない転移魔法により地球へやってきたプレシアとリニス。
今から介入し、まず被害を抑えるためにジュエルシードの封印を協力する、と言えばあちらも断れないだろうとほくそえむ。

「じゃあ、行くわよ」
「はい……」

背を向けていたプレシアは、リニスの表情が晴れないことに気づかず、そのまま降下を始めた。

「サンダースマッシャー!」

丁度、リンディに迫っていっていた竜巻に挨拶代わりと砲撃を打ち込む。




「はっ! はっ!」

海鳴の駅前商店街にある翠屋から臨海公園までは遠い。
息は上がり、肺は悲鳴をあげるし、魔力で強化しているとは言っても足がもつれそうになる。

「はぁっ!」

それでも桃子は走った。足を無理やり前に持っていって、体より後ろにきたら前に、とにかく海を目指して走る。
臨海公園に入り、暫く進んだある時、空気が変わった。
周囲の景色からは瑞々しい色合いが消え、空は暗い。なにより、暴力的な魔力が渦巻いている。
そう、ユーノの張った結界の中に入ったのだ。
遠く、嵐の中央である海の上には見覚えのある二色の魔力光が煌き、二人の存在を桃子に教えてくれた。

「我、使命を受けし者なり」

胸元のレイジングハートを握りこむ。

「契約のもと、その力を解き放て」

苦しくて、声が途切れそうになるのを堪え、握りこんだ手を目の前まで引き上げる。

「風は空に、星は天に。不屈の心はこの胸に」

手を開き、紅き相棒をじっと見詰める。

「この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

レイジングハートを頭上に掲げる。

「Stand by ready. Set up.」

輝きと声が共に降り注ぎ、バリアジャケットに身を包んだ桃子がそこに降り立つ。

「間に合った……みたいね」
「Let's show off all our strength. (私たちの全力を見せ付けてやろうじゃないですか)」
「ふふっ、そうね。でもその前にまずは舞台にたどり着かないと、ね!」

飛行魔法を展開し、仲間のもとへと桃子は飛ぶ。
近づいていくと、ユーノらしき人影、そしてリンディらしき人影が目視できるようになる。

「あぶないっ!!」

しかし桃子の目に入ったのは、このままでは上方から押しつぶすように落ちてくる竜巻の下敷きになってしまいそうなリンディ。
このまま飛んでも間に合わない。だから、桃子はレイジングハートを正面に向ける。

「ディバインバスター!!」




避けられない。
リンディの全感覚が迫り来る竜巻に対してそう感じていた。
来るべき衝撃に備えて、全身に力を込めた。そして、衝撃が来るはずだったのに、

「サンダースマッシャー!」
「ディバインバスター!!」

上方と左方から飛んできた紫色と桃色の日本の砲撃が眼前に迫った竜巻に突き刺さり、その形を崩しさる。

「……」

結局、自らに降りかかってきたのは土砂降りの雨のように降りかかってくる海水だけ。
前髪が濡れて、目にかかってきたことにも気づかず、呆然と先ほどまで竜巻があった場所を見詰め続ける。

「リンディさん! 大丈夫!?」
「……っ! ええ、ありがとう。助かったわ」

桃色の砲撃を撃った張本人の桃子が寄ってきて声をかけてきたことで、ようやくリンディははっとする。
リンディの返答に桃子はほっと顔をほころばせるが、それも一瞬だけで、すぐに表情を引き締めると上空へと視線を向ける。

「……お久しぶりね」
「そう、ね」

桃子が見上げる先にいたのは、もう一つの砲撃の主。
背後に使い魔を従え超然と佇みこちらを見下ろす姿は大魔導師としての貫禄に満ちている。

「プレシア・テスタロッサ。先ほどのことは感謝します。しかし……」
「この状況を引き起こしておいて、ってこと? そんなことより、今はあれを封印しなきゃいけないんじゃなくて?」

リンディを鼻で笑い、途中からプレシアは自分の言葉を重ねる。
彼女が杖で示した先にはまだまだ元気に暴れる竜巻。先ほど吹き飛ばされたものも、既に海水を補充して前と変わらぬ姿を顕示して見せている。

「今なら、協力するわよ、どう?」
「…………いいわ、そうしましょう」
「桃子さんっ!?」

悪魔が囁くかのような提案に、リンディは悩みこんだのだが、桃子が先に答えてしまった。
声をあげるリンディに振り返ると桃子は笑顔を浮かべた。

「あっちだってジェルシードが欲しいんだし、今のままじゃあジリ貧でしょ? 協力してもらいましょうよ」
「ですけど……」

敵同士だ、と続けようとしたリンディの言いたいことがわかっているかのように、桃子はさえぎるように話し出した。

「大丈夫。プレシアさん、きっと心の底はとっても優しい人だろうから」
「……」

きっとなどといいながら、笑顔で言い切る桃子は確信している様子で、リンディも言葉に詰まる。

「答えは、決まったかしら?」
「……ええ」

ようやく精神的な余裕が出てきたリンディは、視界を遮る邪魔な前髪をかきあげ、プレシアを見据える。

「今は協力していただきます。ですが、終わった後には、話を聞かせていただきます」
「前半は了承。後半は、できるものならどうぞ」

口元を歪ませて言葉を残すと、プレシアはふわりと竜巻から距離をとる。

「リニス!」
「了解です」

主人の呼び声に応えたリニスは、強固なチェーンバインドを飛ばし竜巻を二本拘束する。

「一つ一つなんてやっていられないから、一度に纏めて封印してしまうわ」

言うと同時に、プレシアは足元に魔法陣を展開する。

「そういうことなら!」

プレシアの意見を理解したのか、リニスに負けじとユーノも緑色のチェーンバインドを二本竜巻に絡ませる。

「まあ、そうなるでしょうね……桃子さん」
「はい?」
「あなたは、プレシアさんと一緒に封印をお願いします」
「はいっ!」

桃子がプレシアの横へ飛んでいくのを見届けて、リンディは自分のデバイスS4Uをちらりと見た。
このストレージデバイスとの付き合いは一年と少しでしかないが、現場復帰に際してかつて息子に送ったS2Uと同型のものだから思いいれは深い。
彼女にしてみればまだまだ幼い息子が自分の足で歩き始めた時、母親としての思いを込めて贈ったのがS2U。正式名称は「Song to you――君へ送る歌」。
リンディ自身がデバイスに再び手を伸ばした時、息子と同型にした理由はなんだったのだろうか。
母親らしいことをあまりできなかった自分と息子の繋がりとして求めたというのは嘘ではない。だけど、自分がデバイスを再び手に取った最も強い衝動は違う。
どんなに一人前になったって息子は息子、母親は母親。母親は子を心配し、手を貸す。
――「僕は悲しむ人を減らしたい」だったかしら? 若いって、いいわね。

「仕方ないわね……お膳立てくらいは、余裕でやって見せましょうか。ね、S4U」
「Yes boss.」

ストレージデバイスでしかないS4Uには意志はなく、ただの条件付けられた返答でしかなかった。それでも、リンディは口元に小さく笑みを漏らしながら、青色のチェーンバインド二本で、残った竜巻を押さえつけた。
S4Uの正式名称は「Song for you――君のための歌」。




自身も魔法陣を展開し、封印のための砲撃の準備をしながら、桃子はすぐ隣のプレシアを盗み見た。

「……」

無言で魔法を練る彼女は、どこか前にみた時よりも疲れているように見えた。そして同時に、ひどく焦っているようにも。

「ねえ……なんで、そんなに自分を追い詰めるの?」
「……あなたはいきなりなにを言うのかしら?」

言葉が返ってこないと思っていたら、視線に変わりがないのに返事が返ってきた。

「だって、そうでしょ?」
「どこをどう見たら私が自分を追い詰めているように見えるのかわからないわね」
「プレシアさんは、いつもあたしが話をしようって言っても拒絶するし、あたしとあなたは敵同士だって強調するじゃない」
「今みたいな事態を覗けば事実敵同士だし、今だってこんな無駄話したくないわ」

うんざりした様子で言うプレシアだけれど、桃子の話に返事を返してくれている、ただそれだけで桃子の口は言葉をどんどん紡いでいく。

「でも、あたしは覚えてる」

それは、初めてプレシアと対峙した時だった。あの時はまだ覚悟も甘くて、魔法だって下手くそで、プレシアの相手になんててんでならなかった。
でも、桃子の心に今までずっと残って、プレシアに向き合いたいという思いを支えている原因は、その時にあった。

「プレシアさんが、あたしに攻撃する時「悪いわね」って言ってたのを」
「……」
「あれって、どういうことなの?」
「…………」

プレシアは答えない。
それでも、桃子は語り続ける。これまで何度も逃げられ人を目の前にして、我慢ができるはずもなかった。
あの夜のビル街で見てしまった、彼女のむき出しの心も、桃子の思いを固くさせていった。

「だから、思うの。プレシアさんって、本当は悪い人じゃないはずだって、優しい人なはずだって。あたしを敵だ敵だっていうのも、もしかしたらその罪悪か」
「くだらないわ」

途中で、プレシアがばっさりと切り捨てた。
たいして大きくない声だったのに、そこに篭った力に桃子は口をつぐんでしまう。

「馬鹿なこと考えている暇なら、私からジュエルシードを奪う方策でも考えているほうが100倍ためになるわよ」
「そんな」
「それよりも、あっちも限界みたいだから、封印するわ。合わせなさい」

またも桃子の発言を潰したプレシアが視線で示した先には、今まで竜巻を拘束し続けてきたが限界の近い三色のチェーンバインドが悲鳴のような軋みをあげていた。
プレシアが杖を振り上げる。

「っ!」

唇をかみ締め、桃子もレイジングハートを振り上げた。

「サンダー……」
「ディバイン……」

プレシアの声を合図に、桃色と紫色の魔法陣が一際輝き出す。

「レイジ!!」
「バスター!!」

――なんで、よ……
ただ胸の中をぐるぐると渦巻く「なぜ」という悔しさを胸に、思い切り声を張り上げ、魔力を放出する。
同時に放たれ、並走する二色の魔力は一箇所にとどめられた竜巻を次々と飲み込んでいき、余波で海面を波立たせる。




終わった合図は、降り注ぐ霧状の海水と、暗雲の消えた空からの光により生み出された虹だった。
そして、桃子とプレシアの視線の先には、しっかりと封印のなされた六つのジュエルシード。
張り詰めていた緊張が解け、桃子はぼんやりとそれを眺めていたが、すぐにはっとなって横のプレシアへと意識を向ける。

「プレ……」
「私はね」

桃子に見える横顔の彼女は目を閉じ、なにかを思い出すように言葉を紡いだ。

「もう、あなたみたいにはなれないの。なにもかも遅すぎるのよ」
「……」

振り向き、桃子の目を真っ直ぐにみてきたプレシアの瞳の色は深く、返す言葉を出させはしなかった。
目が合ったのは一瞬だけ、すぐにプレシアはジュエルシードめがけて飛び出してしまう。

「まって!」

背中に声をかけ手を伸ばすが、プレシアの姿は遠のくばかり。
そしてプレシアがジュエルシードに手を伸ばした時だった。

「さっき、言いましたよね?」
「あなたっ!」
「終わった後には、話を聞かせていただきますって」

プレシアの伸ばした方の腕の手首を掴み、彼女とジュエルシードの間に入ったのはリンディ。
あと少しで目的の物というところで邪魔に入られ、プレシアの表情が歪む。

「……誰が、おとなしく従うのかしら!」
「なっ!」

拘束されているのとは逆側の手にあった杖を瞬時に待機モードに戻すと、プレシアはそこに魔力弾を構築し始める。

「邪魔よ!」
「っ!」

危険を察知したリンディはプレシアの手を離し、後方へ飛び退く。
リンディの行動には遅れたが、まだまだ近い距離でプレシアは手を前に突き出し、彼女へと魔力弾を飛ばす。

「プロテクション!」

後ろに飛びつづけながら、リンディはプレシアの一撃に対し防御魔法を展開する。
しかも、正面に受け止めるのではなく直進する魔力弾を逸らすように受け流した。

「……」

その姿を見ていたプレシアは内心で彼女の評価を戦闘のスキルは高いと修正しながらも、既にリンディとは距離ができてしまったので悠々とジュエルシードへと向き直って、固まった。
――ない!
何度見直しても、周囲を見回してもそれは変わらない。
――三つしかない!
最初は頭からすっと血が引いていったが、状況が飲み込めてくると血は沸騰し逆流する。

「小癪な真似を!!」

プレシアから射殺さんばかりの視線を向けられたにも関わらず、遠方に浮かぶリンディは涼しい顔で指の間に挟んだ三つのジュエルシードを彼女に見せ付けた後、S4Uに収納してしまう。
リンディはプレシアにジュエルシードを取らせまいとしていたのだ、だから後ろに飛び退いたとなればジュエルシードのすぐ近くを移動するわけで、デバイスを持っていない方の手を伸ばすことでいくつか手に入れていた。

「くっ……どいつも、こいつも!!」
「プレシアっ! 抑えてください!!」

ずっと血の気が薄かったプレシアの顔色が怒りのあまり赤くなっていて、リンディに今にも突貫しそうだったプレシアだが、リニスの声に動きかけた体を止める。
慌ててリニスがプレシアの側へと飛んできた。

「二対三ですよ? 数の上で不利なんですから落ち着いてください」
「ちっ……」
「プレシアっ!」
「わかってるわよ」

至極面倒くさそうに、乱れた髪を手で軽く撫で付ける。

「待ちなさいプレシア・テスタロッサ!」
「いつかジュエルシードは返してもらうわ……必ずね」

再びリンディはプレシアへと接近を果たそうとするが、プレシアは一言残して、魔力を真下へ叩きつける。
魔力弾のように形もないし、操作性もない。ただエネルギーとしての魔力を放出しただけだが、それゆえに短時間でことが起こせて、なにより破壊力があった。
衝撃を食らった海面が弾け、海水が天へ吹き上がって視界を覆う。上手いことプレシアとリニスの姿はその青いカーテンに隠れてしまった。
視界が晴れたのは一瞬の後だったけれど、そこには誰もいなかった。




「それって……どいうことよ」

先ほど返しそこねた言葉を呟く。同時に、前髪から水滴が遥か下の海面へぽつりと落ちていった。

「『もう、あなたみたいにはなれない』って」

彼女の瞳に深みを与えていた色はなんの色だっただろうか。
それはきっと悲しさと、寂しさと、そして諦めだと、そう桃子は思う。

「それじゃまるで」

拒絶の意志のつもりで彼女は放ったのだろう言葉だけれど、その裏側に隠れた彼女自身も気づかなかったらしい確かな本音が桃子には見えた。

「あたしみたいになりたかったって言ってるみたいじゃない」

ただ、それが分かったためにまた一つ疑問がわきあがる。
顔を上げ、空に浮かび流れる雲を見上げる。
――あたしみたい、っていったいどういうこと?
噛んだ唇は、海水のせいかほんのり辛かった。




『後書き』
プレシアさんの対桃子さん高感度が中々上がらない。というより桃子さんまともにプレシアさんと喋れてない。ゲームだったらこれバッドエンドに行きそうです……
あ、リンディさんの復帰時期を一年前にするために執務官試験落ちた回数二回にしてごめんねクロノ。
そうそう、無印時点でクロノ14歳、桃子さん32歳ということはリンディさんは高確率で桃子さんより年う……うわなにをするやめろ変なお茶飲ませるn(糖死

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第九話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/08/10 18:42

日常というものは非日常と異なるからこそ定義されるものだ、などとよく言われる。
桃子だってそりゃそうだと頷きたいところなのだが、この一ヶ月程の出来事を振るかえると、両者が見事なマーブル模様を描いており、首を傾げてしまう。
油断すれば呼んでもないのに問題がやってきて、決意を固めると逆に平穏。始まりにも終わりにも前触れなんてありゃしない。
だから桃子に出来ることと言えば、どっちもいわゆる現実なのだと一緒くたにして認め、なるべく翻弄されないように予防線を張るするくらいであった。
まあ、もっと簡単に言ってしまえば、変に気にせず諦めた、と捉えられないこともない。
夕方も近くなり、学校帰りの学生たちも少なくなった店内で、カウンターを拭きながら桃子はふと気づいた。
――あ。今夜の夕飯どうしよう。
夕飯の献立というのは、一家の栄養状況を預かる桃子にしてみれば重要な問題で、なんでもいいというわけにもいかない。だけれども毎日となればアイディアがなくなるわけである。
店内を見回すと、残念ながら士郎は店の奥のテーブルの上を片付けている。まさかまだ客もいる中で夕飯がなにがいいか聞くわけにもいかない。

『ユーノくんユーノくん』
『はい、なんですか?』
『なにか夕飯の献立でいいのないかしら?』
『ゆうはん……ですか?』
『うん、そう』

他人に聞かれたくない時に便利な念話通信。桃子は自宅にいるユーノに相談を持ちかけた。
少々の沈黙の後、返事が返ってきた。しかし、それはユーノからではなかった。

『An omelet containing fried rice! (オムライス!)』
『レイジングハート!?』

デバイスからというのもどうだろうとは思うが、まあせっかく提案してくれたのだからと桃子はオムライスを一番候補に考えてみる。
なんというか、少々低年齢向けな気がしないでもないのだが、まあなのはもいるからと思っておけば丁度いいかもしれない。野菜はサラダでぼん、でいいし、なにより手間が省けそうというのが桃子を誘惑する。
ここのところはどこの主婦も考えることは同じようだ。

『うーん、そうね……今日はそれでいきましょうか』
『Yeah!』
『おかしい、昔はこんなんじゃなかったはずなのに……』

妙なテンションのレイジングハートに対し、ユーノの呟きはどこか疲れたような響きを持っていた。
このデバイスにもう散々な目に合っている桃子にしてみれば、ユーノに昔の自分を見る気分だった。もはや桃子はレイジングハートに関して悩みはしない、悩んでも無駄だと諦めたから。
聞きなれた鐘の音が耳に入り、来客を告げた。もう体が覚えてしまった反射のレベルで振り返って笑顔を浮かべ、お決まりの台詞を口にする。

「いらっしゃいま、せぇっ!?」

どうやら今日もまた、前触れのない非日常に桃子は翻弄されてしまうらしい。

「どうも、お邪魔します」

つい素っ頓狂な声をあげてしまった桃子を少しも気にした様子もなく、女性はにこりと穏やかな笑顔で会釈をする。
女性の落ち着いた様子とは対照的に、桃子の頭の中では疑問が渦を巻いていた。
――な、なななななんでここにっ!?
明らかな狼狽が見て取れるので桃子の内心を理解したのだろう女性は、顔色を変えずに念話で語りかけてきた。

『ああ、今日は戦う気はありませんよ』
『……ほ、本当に?』
『ええ、この子もいますし』

この子、という言葉に桃子がふと視界を女性オンリーから広げると、彼女の手には小さな女の子が繋がっていた。

「ねえリニス、リニスが言ってたお店って、ここ?」
「ええそうですよフェイト、甘いものが特に美味しいと評判の喫茶店だそうです」
「そうなんだ……」

年のころは娘のなのはと同じくらいだろう少女は、リニスの影に隠れるように立っているものの、ウサギみたいに赤くて可愛らしい両目は、ウィンドウに並ぶケーキに釘付けになっている。
子ども好きな桃子としてはついフェイトに気が緩みそうになるが、リニスがいるということで慌てて気を引き締める。
戦う気はないと言ってはいるものの本来敵であるリニスをどう扱おうかと悩むが、魔導師としての桃子より先に喫茶店店員としての桃子が先に動き出した。
とりあえず、他の客から変な目で見られるのは避けないとならない。

「お二人様、カウンター席でよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」

とりあえず、このまま突っ立って怪しまれても面倒なため席へと誘導する。思った以上に普通の対応が出来たのは自分でも驚きであったが。
――まあ、じっくりお話は聞かせてもらいましょうか、ね。
来てしまったものはしょうがない。完全に信じるわけにはいかないが、戦う気がないというなら好都合である。プレシアがおらず小さな少女を連れている点が引っかかりはするが、これもおいおい聞き出すとしようと桃子はぐっと覚悟を決める。

『リンディさんリンディさん!!』

ただ、一応保険はかけておきたいので、アースラのリンディに念話を飛ばす。

『はいはーい。桃子さんどうしたの?』
『あたしのお店にリニスさんが来ちゃったんだけど!』
『あー、リニスさんが……ええっ!? だ、大丈夫なの?』
『今は平気だけど、戦闘をする気はないとか言ってるし、プレシアさんはいないのに子ども連れだしでよくわかんないわ』
『うーん、すぐに私が行きましょうか?』
『あ、でも、色々話が聞けるかもしれないし、出来るだけ穏便に済ませたいのよ……大事なお店だし』
『……わかった。アースラからモニターしておくわ、危なくなったらかけつけるわね』
『うん、お願い』

一端念話を切り一息つくと、すぐに別の念話がきた。

『管理局と連絡ですか?』
『……ばれた?』
『常識的な判断ではそうするでしょう。まあ、別に聞かれて困るどころかあちらにも聞いていただきたい話があるので、モニターも念話傍受も好都合ですが』
『そう……』
『そういえば、今念話を送ってきていたのですが、あのフェレット、使い魔ではなかったのですね』
『あー、ユーノくんは普通の男の子よ……』

最初の動揺からすっかり回復した桃子は、リニスと同じように何事もない様子で念話を交わした。
緊張感あるやりとりを裏に、表側では店員と客の関係性を壊さないように努める。

「ご注文はどうしますか?」
「そうですね、私は紅茶をお願いします。フェイトはどうしますか?」
「え? あ、うん、わたしも紅茶……」

ちょこんと椅子に座ったフェイトはあまり外向的ではないらしく、縮こまってしまう。しかし、やっぱり目線はウィンドウにちらちらと飛んでいて、見るからに甘いものに興味津々だ。

「そんな遠慮しなくてもいいんですよ。今日は日ごろいい子に過ごしているフェイトのご褒美の意味もあるんですから、好きなのを頼んで下さい」
「あう、でも……」
「まったく……」

許可を出したのにそれでも遠慮しようとするフェイトに、しょうがないんですから、という心の声が聞こえそうなため息をリニスは漏らし、桃子に向き直った。

「桃子さん、申し訳ありませんが、この子にはなにかお勧めの甘いものを見繕ってあげてもらえますか?」
「ええ、かまいませんけど……」

今まで敵対以外がなかったリニスにさん付けで呼ばれるのはどうも居心地が悪かった。
伝票をさらっと書いてから、まずは紅茶二人前を準備する。

『今日は、なにが目的なのかしら?』
『まあ、焦らないで下さい。まずはゆっくりしましょう』

単刀直入に切り込んでみたが、あっさりかわされてしまう。相手はどうも手ごわく、強硬手段にも出れない桃子にしてみれば、これはリニスから明かしてくれるまで待つしかないのか、と気持ち肩を落とした。

「はい、こちら紅茶となります」

それでも店員としての矜持があるので、二人の前に紅茶を並べる時に笑顔は忘れない。

「それと、こちらが当店自慢のシュークリームです」

そしてフェイトの前にだけはシュークリームを一つ出す。夫である士郎を撃ち落したのもこのシュークリームと言っても過言ではない、桃子の自信の一品である。

「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい」

頷くリニスの横で、フェイトはじっと桃子を見上げていた。
ビスクドールに命が吹き込まれたらかくあらんといった感じの少女が上目遣いで自分を控えめに窺ってくる様子は微笑ましく、さらには娘と同じくらいの年の女の子ということで、ついつい桃子の顔に営業スマイルではない笑顔が浮かぶ。

「なにかあった?」

中腰になってフェイトと同じ高さに目線をあわせ、まっすぐに見やる。
最初にびくりと身を震わせたフェイトだったが、暫くしてゆっくりと口を開いた。

「あの……」
「ん?」
「リニスと、知り合いなんですか?」
「あー……」

なんとも桃子の笑みが微妙なそれに変わる。
おそらく先ほどリニスが「桃子さん」と呼んだことからの連想だろうとわかるが、知り合いなどというほのぼのとした関係ですませていいのだろうかとも思う。
上手い答えを考えながら、マルチタスクを使ってリニスに疑問をぶつける。

『ちょっと聞きたいんだけど、フェイトちゃんはジュエルシードのこととかって……』
『ああ、まったく知りません』
『や、やっぱり……』

自分のことを知らない様子なので薄々そうではないかと思っていたが、はっきり言い切られてしまうとそれはそれでため息をつきたくなった。同時に、やられたなとも思った。
彼女には魔力のまの字も感じ取れないフェイトはジュエルシードの争奪戦に関しては無関係、とは言い切れないが、当事者ではないのは明らかで、そんな少女を巻き込む気は桃子にはさらさらない。
だからこそ、フェイトがこの場にいるということで桃子の行動は制限されてしまう。ジュエルシードに関する諸問題は念話が精一杯と言うことだ。子どもを盾に使うようで気に入らないが、うまいやり方ではある。
返事に困っていた桃子に助け舟を出すように、横からリニスが口を挟んだ。

「ああ、桃子さんには何度かプレシアの探し物を手伝ってもらいましたので面識があるんですよ」
「母さんと?」
「ええ、そうですよ?」

ただ上手くリニスがごまかしただけなのに、フェイトの口からなんとも恐ろしい言葉を聞き、桃子の全身が石になった。
母さん、それはまさしく子どもが母親を指す時に使う言葉。つまり、つまりである。このちょっと内向的過ぎるきらいがあるけれども小動物みたいに可愛らしいフェイトは、あの高笑いをあげながら鞭を振るっている姿が似合いそう(桃子ヴィジョン)なプレシアの娘ということになる。
――そ、そんなバカな!
油ぎれの機械のようにぎこちなく首を動かして桃子はリニスにすがるような視線を送る。なんとなく桃子の内心を察したであろうリニスは苦笑を浮かべていた。

「ね、ねえ今のってじょうだ」
「彼女はフェイト・テスタロッサ、正真正銘プレシアの娘です」
「……」

止めを刺された。
桃子だって、プレシアは悪い人ではないと思っている。だけれど、彼女の姿からフェイトの姿をまったく連想できない。
――いや、もしかしたら反面教師的な理由かも!
無理矢理な理論防御を展開する。以外に桃子はメルヘン志向なのかもしれなかった。

「え、えーとフェイトちゃん?」
「はい、なんですか?」
「プレシアさんって、普段はどうなのかしら?」
「母さんですか? 母さんは、その、言葉で言いづらいんですけど……」

少し首を捻って悩みこんでから、フェイトは答えた。

「不器用だけど、やっぱり……優しいです」

恥ずかしそうに、だけれども隠すことなく頬を染めて笑う。
その姿はすぐさま抱きしめてしまいたくなるように可愛く、それでいて母親が大好きなのだなとよくわかった。
ゆえに、桃子へのショックも生半可ではなかった。

『ね、ねえリニスさん』
『なんですか?』
『プレシアさん、どこでこの子拾ったの?』
『……いい加減私も怒りますよ?』

往生際が悪い桃子だった。
――もう、認めざるを得ないのね……
渋々と、当人に対しては実に失礼ながら、フェイトとプレシアが親子と桃子は認めたのだった。同時に、二人はなんとも凸凹親子だなぁとも思った。
余談ながら、世間からは桃子となのはは稀にみる似たもの親子と認識されているのを本人は知らない。
質問の返事を聞いておいてなにも言葉を返さないのも変なので、桃子はフェイトに笑みを向けて、口を開いた。

「不器用、ね。確かにそうかもしれないわね」
「桃子さんも、そう思いますか?」
「ええ。それに、根っこが優しい人だって言うのにも同意かしらね」
「そうですか……えへへ」

桃子が母親とリニスの知り合いだから気が緩んだのか、大好きな母親を優しいと言ってもらえたのが嬉しかったのかは分からないが、今日初めてフェイトの顔に屈託のない笑みが浮かぶ。
まだ出会ってほとんど時間は経っていないけれど、フェイトがとてもよく出来た子だというのは桃子にはわかる。これだけ素直に笑えるのだから、プレシアからの愛情が不足しているということもないだろう。
だからこそ、目の前のフェイトを見れば見るほどに桃子のずっと持ち続けていた疑問は深くなる。
はたから見る分にはもう十分幸せそうな家族を持っているのに、娘に隠れたところでプレシアは貪欲にジュエルシードを求めているのだ。
母親の話題を出した時に一瞬たりとも表情が曇らなかったことから、フェイとはプレシアの病のことも知らないのかもしれない。それなら、娘に心配をかけないうちに病を治そうとしていると考えられないことはない。
――でも、それならあんなに理由を隠そうとする理由がないわ。
娘のために、家族のために病を治そうというなら、桃子とこうして徹底的に敵対する必要性がない。とても理知的に思えるプレシアならばそこに気づかないはずはない。
なら、もっと桃子には思いつかない深い理由があるということになる。

「このシュークリーム、すっごく美味しいですね」
「あ、ほんと? そう言ってもらえると桃子さんも嬉しいわ」

フェイトの声に我に返る。
普段なら、美味しそうにシュークリームを食べてもらえればそれだけで嬉しくなるのに、この時ばかりはそんな気分になれなかった。それでも表情を暗くすることはせず、普段どおりを演じる。

「あら、クリームついちゃってるわよ」
「ふぇ?」

桃子に指摘されたフェイトは顔をぺたぺたと触るが、見当違いのところばかりで一向に白い化粧は取れない。

「あー、フェイト。動かないで下さい」

見かねたリニスがフェイトの鼻の頭についたクリームを拭った。
微笑ましい光景なのに、今はすりガラス越しに見ているかのように遠く思えた。




リニスとフェイトの二人組みの電撃来店から、時計の長針は四分の一ほど回った。
シュークリームを食べ終わったフェイトが追加のザッハトルテに取り掛かっている中、ようやくリニスが紅茶に口をつける。

「温くなってないかしら?」
「いえ、文字通り猫舌なのでこれくらいで丁度いいんですよ」
「ああ……」

紅茶を下ろすと、フェイトを見守っていたリニスは視線を桃子へと向けなおす。
その目は瞳越しに奥を見透かしてくるようで、桃子はぶるりと身を震わせた。

『そろそろ、本題に入りましょうか』
『ようやく、かしら?』
『まあまあ、そう身構えずに』

余裕ある様子でリニスが笑う。
桃子はごくりと息意を呑む。

『そちらも結論は出ていると思いますが、ジュエルシード21個は全てこちらとそちらで分け合う形になったと見ていいでしょう』
『そう、ね……』

隠しても意味はないと桃子は正直に答えた。
先日の海の上でプレシアと合同で六つのジュエルシードを封印した後、リンディとレティから同じことを言われていた。そして同時に、プレシアは必ず再び現れる、とも。

『そしてどちらも21個全てのジュエルシードを求めています。それを踏まえてのプレシアからの提案です』

早く先を話して欲しいのに、ここで紅茶を一口飲んで間を置くリニスがこのときばかりは子憎たらしく感じる。

『明日の早朝、こちらで言うところの午前5時。以前執務官に水を刺されたあの場所での勝負を持ちかけます』
『しょう、ぶ?』
『はい。あなたとプレシアの一対一、ベットはお互いの持つ全てのジュエルシード。どうです?』
『…………』

言葉に詰まる。
リニスが、いやプレシアの叩きつけてきた挑戦状はある意味で予想通りのものだ。こちらが封印してしまった以上プレシアはジュエルシードをどうにかして桃子たちから奪わなくてはならないのだから。
正々堂々とぶつかってくるだけよかったとは思う、誰かを人質に取ったりということも想定としてはありえたのだ。それに明日は翠屋は休みの日、問題はなにもない。そしておそらくこれは偶然ではなく、プレシア側が桃子のスケジュールを把握しているということだろう。
桃子に勝負を逃げる気はないとはいえ、とプレシアの一騎打ちとなれば、プレシアに分があることは否めないし、リンディが回収した四つのジュエルシードはアースラに保管されているから、責任者であるレティが許可を出すとも考えられない。

『いいわ。その挑戦、受けましょう』

二人の沈黙の間に割ってはいる声があった。

『執務官……ではないですね、どちらさまで?』
『ああ、そういえばあなたとは初対面だったわね、私は次元航行艦アースラの艦長レティ・ロウランよ』
『提督ですか……つまるところあの執務官の上司、と』
『そうなるわ』
『レティ……いいの?』

桃子としては許可が出たのは嬉しいのだが、一応尋ねる。

『あなただって、やる気なんじゃないの?』
『まあ、そうだけど』
『それにあちらさんがわざわざ出向いてくれるんだから乗ってあげるのがいいわ。こっちからじゃプレシアさんがどこにいるか皆目見当もつかないんだし』
『でも、賭けとしては分が悪いってわかってるんじゃない?』
『あら、負けるとわかってる勝負を受けるのあなたは?』
『そんなことないけど……』
『なら、ばっといってぱっと勝ってきなさい』

いとも簡単にあっけらかんと言い放ったレティに、緊張を吹き飛ばされた気のする桃子は息を漏らした。
丁度会話が一区切りついたと判断してリニスは沈黙を破る。

『結論が出たようですね』
『ええ。その勝負、受けましょう』
『それはよかったです』

一転、ほっとした様子で柔らかい声をリニスは出した。
よくわからない急な変化に桃子は目を瞬かせた。

『もし断られたらプレシアになんと説明したものかと思いまして……』
『ああ……』

なんとなく気持ちが分かってしまった桃子は、リニスと顔を見合わせ苦笑いを交わした。

「?」

ケーキを食べ終えたフェイトが一人、そんな二人を不思議そうに見ていた。
首を傾げたその姿に、桃子は衝動的に手を伸ばしていた。

「わ……」

見てもいてもわかる滑らかなブロンドは触ってみると想像以上で、絹のように艶やかな手触りだった。
驚きを見せたが、フェイトは嫌がることなく頭を撫でる桃子を受け入れた。

「あ、ごめんねいきなり。嫌じゃなかった?」
「いえ、そんなことないです!」

はっとなって手を引っ込めた桃子は、少々馴れ馴れしすぎたかと謝罪したのだが、フェイトはぶんぶんと首を横に振って否定する。ただ、その姿があまりに必死だったので、桃子は余計に申し訳なくなってしまった。

「ふふっ」
「……」

リニスのニヤニヤ笑いが見えてしまい、桃子は顔を逸らした。彼女には見えないが、リニスは更に楽しそうだった。

「それではそれそろ帰りましょうかフェイト」
「あ、うん」

照れた桃子をつまみに残りの紅茶を全て飲み干したリニスは、立ち上がりフェイトを促す。

「あの、ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」

椅子から降りるや否や行儀正しくぺこりとお辞儀をするフェイトに、桃子も全開の笑顔で応じる。

「御代はこれで……」
「はい、丁度ですね」

桃子にちゃんと日本円で払ったリニスは、服の裾をそっと引かれて視線を落とした。

「どうしました?」
「あのね……」

そこにいたのはフェイトで、じっとリニスを見上げている。なにやらお願いがあるのだろうが、あいにく目と目だけで言葉は通じない。
リニスから先を言うように促してもいいのだが、それはそれでフェイトの成長にならないかと思いとどまり、彼女が自分で言うまで見守ることにした。

「その、だよ?」

視線を泳がせていたフェイトが、ぐっと両手を握り覚悟を決める。

「母さんにお土産を買っていってあげたいなって……」

どうにか最後まで言い切ったが、そのままフェイトは顔を伏せてしまった。リニスから返ってくる言葉が不安なのだろう、つま先をじっと見詰め身を縮めている。
頭にぽんとリニスの手が置かれ、フェイトの体がびくりと震える。

「そうですね。それもいいかもしれません」
「……」

恐る恐る顔をあげたフェイトの視界に映ったのはリニスの笑顔。

「それじゃあ、なにをお土産にするかフェイトが選んで下さい。いいですね?」
「うんっ!!」

ぱあっと表情を晴れ渡らせ、すぐさまショーウィンドウに飛びついた。




「はい、なるべく水平に保ったままもっていってね?」
「はい!」

お土産としてフェイトがチョイスしたのはシュークリームで、お持ち返り用の箱にそれを詰め、桃子はフェイトに手渡す。
今から母に渡すのが楽しみなのか、にこにこと笑顔を絶やさないフェイトは元気よく桃子の注意に返事をした。
自然と桃子も嬉しくなる。

「フェイトちゃん、お母さんのこと、好き?」
「もちろん、大好きです」
「でも、最近は忙しそうじゃない?」
「それは、そうですけど……」

途端にしゅんとなってしまうフェイトだったが、気丈にも笑顔を崩さなかった。

「でも、大丈夫です。母さんは、約束してくれてますから」
「約束?」
「はい。確かに母さんは今とっても忙しそうですけど、それが全部終わったら姉さんと一緒にまたピクニックに連れていってくれるって約束してくれたんです。だから、へっちゃらです」

凛と言ってのけるその姿は健気と以外に形容の仕様がなかった。
そのまま笑顔で彼女の頭を撫でてやり褒めてやるのが普通かもしれない。だけれどその「約束」の内容に桃子は動きを止められていた。

「では、今日は失礼します」

リニスが小さくお辞儀をすると、フェイトの背中を押すようにして店を出て行く。
入ってきた時と同じ音をたてて鐘が鳴る。
ドアにより切り取られた店の外の世界の中、二つお下げに結われた綺麗なブロンドの髪は、一歩足を踏み出すごとに、嬉しそうに揺れていた。

「……」

ぱたり、とドアが閉まりなにも見えなくなり、ようやく桃子は息をついた。
どことなくふらふらとした足取りでカウンターに戻るが、頭の中はプレシアのことで一杯だ。
――母親は、どこまでいっても母親ってことかしら、ね。
約束の内容からフェイトに姉がいることがすぐにわかった。でもそれならば、なぜ今日はフェイトしか来ていないのかという疑問もすぐに湧いた。
そして疑問と同時にひどく簡単な答えが脳裏に浮かんで、動きが止まってしまったのだ。
つまり、フェイトの姉は来ていないのではなく、来れないのだということだ。
直感でしかないけれど、桃子にはこれが正解のように思えた。
翠屋の休日がいつかも知っているし、以前に家族を人質に取るかのような素振りを見せたこともあるプレシアだから、桃子の家族構成を把握していてもおかしくない。そしてフェイトの姉になにか問題があるとするならば「あなたのようにはなれない」とプレシアが言葉を残していったことにも納得できる。
――でも、やっぱりわからないことは残るのよね。
結局、なぜ桃子に理由を語るのを拒否するのか、という部分の答えは出ていない。

「まあ、やることはひとつしかないものよね」

ずーっと変わらない桃子の目的は変わらない。真正面からぶつかって、どうにかしてプレシアから理由を聞き出してやる、とそれだけ。
――なんだかんだいっても、単純なことじゃない。
フェイトの頭を撫でた感触がまだ残る右手を見詰めながら、桃子は思う。




頭の上に手が置かれる。それだけでフェイトはぽわんと全身が温かくなった。

「ありがとうフェイト、後でいただくわ。疲れた時に甘いものいいものだしね」
「えへへ……」

労いの言葉までもらえて、緩む頬を押さえられなかった。
やっぱり母さんは優しいし暖かい、とフェイトは再認識した。

「でも、母さんは忙しいから今日はもう自分の部屋に帰りなさい」
「……はい、母さん」

頭にあった手が体に回され、くるりと回れ右をさせられてしまった。
もっと撫でて欲しい。そう思ったフェイトだったが、約束のためにもいい子にしなければと思いなおしてぐっと堪える。

「あの……母さんも、頑張ってね」

体が半分ドアの外に出た時に振り返って一言残すが、言った瞬間にちょっと調子に乗った発言だったかもしれないと気づいたフェイトは、顔を真っ赤にして母親の返事を聞くこともなく逃げるように去った。
ドア越しに廊下をぱたぱたと駆けていく少女の足音が無音の室内に響く。しかしそれもすぐに聞こえなくなり、プレシアは倒れこむように椅子に座り込んだ。

「本当に、明日は大丈夫なんですか?」
「平気よ。それに先延ばしにすればするほどこっちが不利になるの。明日以上の日なんて存在しないわ」

フェイトと一緒に部屋に来たがずっと無言を通していたリニスが口を開いた。

「その口ぶりだとどうやら先方は提案を呑んだみたいね」
「ええ、予想外にあっさりとではありましたが」
「ふっ。なにを辛気臭い顔をしているのかしら、よかったことじゃない」
「……」

プレシアが口元を歪ませる一方、リニスは表情を歪めた。

「確かに、あちらが簡単に承諾してくれたのはよかったです。けれど、私にはあなたのほうがわかりません」
「あらあら、使い魔ともあろうものが奇妙なことを言うものね」

リニスはそんな皮肉に対して反射的に睨みつけるが、プレシアはそんなものどこ吹く風といった風情で堂々と椅子の上に座っている。
厄介さに関しては一筋縄どころではない自身の主人にあまり激昂しても無意味だと自身を落ち着ける。

「高町桃子に提案を届けることに関して、本来ならば私だけで十分だったはずです。それなのにフェイトを連れて行くように言ったのはなぜですか?」
「言わなかったかしら? ちゃんと言いつけどおりにしているフェイトへのご褒美だって」
「あの子はあなたが少しでも一緒にいてくれたほうが喜びます。それに、今回だって結局あなたのことを気づかってお土産を買おうと言ったんですよフェイトは」

プレシアの座る椅子の脇にある机の上をリニスは指差す。そこにあるのはお持ち帰り用の翠屋の箱。

「たまにはフェイトに外の空気も吸わせてあげようと思っただけよ」
「ずっと言おうと思っていましたが、あなたはフェイトを避けていませんか?」
「……病身の私があまり近づくものではないでしょう」
「それは理由になりません、なぜならフェイトとあの約束を交わしてからですからね、この傾向が顕著になったのは」
「病気が進行すれば、それなりの対応はするわ」

なんてこともないようにプレシアは右手を振ってみせるが、左手は小刻みに肘掛を叩いている。もう長いこと彼女の使い魔をやっているリニスだからわかるが、これはプレシアが苛ついている時の癖だ。
やはり絶対になにか裏がある、とリニスは確信した。

「やはり、フェイトと交わした以外の約束ですか」
「……」

つい零すと、プレシアに反応があった。

「私にも隠しているそのもう一つの約束とやらが関係しているのではないですか?」
「……あなたも今日は疲れているのね、もう下がりなさい」
「ごまかさないで下さいプレシア!!」

彼女の目前に歩み寄り、正面から顔と顔を突きつけ合わせる。
日に日に血色が悪くなっている彼女は、未だ衰えることのない意志に満ちた瞳との落差が激しく、さながら亡者のようだ。

「あなたはどうしてそう肝心なことを隠すのですか!?」
「……黙りなさい」
「いいえ、黙りません。今日という今日は全てを明かしていただきます」
「…………煩いわね」

プレシアの目の色が変わった。
その右手が動き、危機感を覚えたリニスは後方へ下がろうとして、できなかった。

「なにを!?」
「全部知っていいことばかりではないのよ。私が明かさないんだから、明かさない理由があるんだろうと察して黙っていればいいのよ」

プレシアがリニスの体を押す。
大して強い力ではなかったが、全身は紫色のバインドで拘束されていたリニスは抗することもできず床に転がってしまう。
ゆらりと椅子から立ち上がったプレシアが右手を掲げると、リニスを中心に魔方陣が展開される。かつてユーノが使ったのと同じ強制転移魔法だ。

「明日までには頭を冷やしてらっしゃい」
「まっ――」

最後に叫んだリニスの声は途中で途切れ、言葉になることはなかった。

「……」

再び彼女がやってこないように閉鎖性の高い結界を部屋を覆うように張ってからプレシアは再び椅子に座り込んだ。
重い息が自然と漏れ出した。

「言えたなら、楽でしょうよ……」

でも、と掠れる程の大きさで呟く。

「それは幻想よ」

だらり、と腕が力なく垂れ、焦点の合っていない瞳はがらんどうの天井をぼんやりと眺めている。
どうして、計画が成功する見込みがほとんどないなどと言えるというのか。
どうして、フェイトを遠ざけているのは自分がいなくなったショックをなるべく抑えるためだと言えるのか。
どうして、管理局にフェイトの存在を教えることにしたのは娘の今後の保険にしようとしたからだと言えようか。
――言えるわけがないわ……
辛いものを背負い込むには、もう余命幾許もない自分だけでいい。
まだまだ自分は非情になりきれていないけれど、別に構わない。
ふと、机の上に置きっぱなしの翠屋の箱が意識にのぼった。
とっても美味しかったと嬉しそうに語っていたフェイトの姿が思い出され、なんとなく手を伸ばした。
のろのろとした動きで中に入っていたシュークリーム取り出し、一口食べる。

「……甘いわね」




『後書き』
なんというかみんな大好きフェイトちゃんの回。薄幸なところがそそりますね。
アニメとは違って乾坤一擲の一騎打ちはプレシアさんからの申し込み。時間をかけられない彼女ならこうするしかないだろうと思ったのでこうなりました。

ご意見ご感想お待ちしております。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第十話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/08/27 18:04
早朝にも関わらずアースラのブリッジには人々が集まっていた。

「もうすぐ始まるんですよね……」
「そう、ね」

普段よりも固いエイミィの声音。しかし頷きを返すレティも平生とはとても言いがたかった。

「プレシアさんはSランクオーバーで、桃子さんもSランク相当。魔力のないあたしから見たら怪獣大激突って感じですよ……」
「あら? じゃあS-の私も怪獣なのかしら?」
「うえっ!?」

今はいないはずの人の声がして、エイミィは椅子の上で小さく跳ねた。
頬を引きつらせながらゆっくりと振り向くと、そこにはにこにこと聖母のような笑みを湛えたリンディ。

「AAA以上でさえ管理局の魔導師の5%だものね。魔力のない人が多いことを考えたら、確かにSランクなんて大怪獣扱いかしらねー……」
「え、あ、いやー……その……」
「ふふふ。ごまかさないでいいのよ。S-取ったばかりの時なんて『げえっ! Sランク!?』『に、逃げろ! ビルごと吹き飛ばされるぞ!!』とか散々言われたもの……」
「あ、あのー? リンディ、さん?」

恐怖に身を竦ませたエイミィだったが、恐怖の体現者であったリンディはなぜか自沈していき、今となってはうじうじとしゃがみこんで、ブリッジの床を指先でなぞっている。

「よくある発作だから放っておきなさい、すぐに立ち直るから」
「そう、ですか?」
「執務官として気を張ってる時はともかくとして、普段はアップダウン激しいのよあの子は」

重い影を背負っているリンディにどう声をかけようかと思案していたら、レティが肩に手を置いてきて諭した。
リンディの執務官に復帰と同時に補佐官となったエイミィとは比べ物にならない昔からリンディを知っているレティの言うことだから本当なのだろうと思いつつ、それでも気になるのでエイミィは改めてリンディを盗み見る。

「でも、クライドさんはそんなこと気にしないって言ってくれたし……」

さっきまでの影はどこえやら、頬に手を当てながら身をよじっていた。いったいどういう思考ルートを辿ったのか気になったが別に知りたくはないなと思うエイミィだった。
ちょっと目を離した隙にこれなら、確かに放っておけばそのうち勝手に復活しそうだと納得し、エイミィはエイミィで気になったことをレティに尋ねることにした。

「そういえば、いいんですか?」
「なにが?」
「あのこと桃子さんに伝えなくて本当によかったんですか?」

レティの視線は一度中空へと流れ、そして再び戻ってきた。

「いいのよ。ただでさえ五分じゃない勝負なんだから、変に色々背負わせてしまうことはないわ」

言い終わると、レティの瞳はまたエイミィから外れた。今度は戻ってこない。
ブリッジの前方に開かれた巨大なモニターに映る海鳴臨海公園、そこに桃子が姿を現していた。




約束の時間の三分ほど前に、桃子は着いた。見回すが、そこにプレシアの姿はない。
髪をわずかに揺らす程度の海風を浴び、そっと目を閉じる。緊張に強張る心を落ち着かせようと、届くかすかなさざなみに耳を傾けていた。

「……時間、ぴったりね」

音やなにかが聞こえたわけではないし、時計を見ていたわけでもない。だけれど、なんとなく気配を感じて桃子は振り返った。

「待たせたことに謝罪なんかしないわよ」
「別に、そんなの望んでないわ」

ちょうど短針が5を、長針が12を指している時計の上、プレシア・テスタロッサは堂々と立っていた。
視線を交差させる二人からリニスとユーノは離れる。

「本気の勝負を、始めましょう」

胸元のレイジングハートを手に取り、右手を横へ伸ばすと桃子の体をバリアジャケットが包み込む。

「今はこれしかないなら、あたしは全力で行くわ」

レイジングハートを油断なく構え、桃子は宣言する。

「そして、今度こそ話を聞かせてもらうんだから!」
「やれるならね……」

表情ひとつ動かさず、涼しげに答えるのはプレシア。

「私はあなたからジュエルシードを貰って帰るわ」
「やれるなら、ね」
「やってみせるのよ」

その一言が合図になったかのように、両者が飛ぶ。
時間的には短く、しかし濃い戦闘が始まった。




プレシアがわざわざ海鳴臨海公園の海沿いまで桃子を呼び出したのには理由がある、そこならば少し飛べばそれだけで海上に出られるからだ。海上は当然のことながら遮蔽物はない、それはイレギュラーの原因が少なくなるということでもあるし、同時に射撃系を得意とする彼女にとってはとても戦いやすい。

「フォトンランサー!」

現にプレシアは常に視界の中に桃子を捉えることに成功している。

「ディバインシューター!」

しかし桃子もそう簡単には攻略させない。目には目をとばかりに彼女も魔力弾でプレシアの攻撃を打ち消す。

「Flash move.」

そして隙を見ては接近を図る。

「たあっ!」
「ちっ!」

プレシアは桃子の一撃を受け、その勢いのまま距離をとる。そのまま追撃に移られないように、間に魔力弾を大量にばらまきながら。結果として、桃子はシールドでそれを防御せざるをえず、プレシアに距離をとられてしまう。
仕切りなおしといった感じで二人は再び動き出す。紫色と桃色の輝きが青い海と空を背景に舞う。それは美しいが、二人にそんな思いを感じる余裕などない。
速度と近接戦では桃子が、技術と遠距離ではプレシアが秀でているという現状のため、距離を詰めようとする桃子と距離をとろうとするプレシアという構図が展開されていた。よって二人の戦闘は、懐に入る直前、隙の大きい大技をかけるにはもう少し、という中距離で推移していく。

「くっ、しつこい!」

プレシアがまたも放つフォトンランサーの弾幕。しかしそれまでと違って桃子は相殺せず、弾幕へと突っ込む。

「ぐっ……」

いくつかはデバイスで弾くが、肩や足に一つずつもらった。重い一撃一撃に速度を緩めそうになるが、歯を食いしばり耐え、プレシアへと向かって飛び続ける。
弾幕を突破してきたのには驚くが、まだリーチでは直接攻撃よりもプレシアの射撃魔法のほうが長く、今の桃子は魔力弾が回避が難しい距離に突っ込んでいるのと同じ、プレシアは冷静に追撃の魔力弾を放つ。

「落ちなさい!」

だが、桃子もそれは承知の上。プレシアが発射するタイミングにあわせ、レイジングハートが魔法を発動する。

「Flash move.」

瞬間的に爆発的速度を生み、一瞬で桃子はプレシアの眼前に入る。

「しまっ――」
「はあっ!」

桃子の横なぎの一撃が、ガードに出したプレシアの杖もなんのその、彼女を吹き飛ばす。
――よし!
作戦通りの展開に内心でガッツポーズする桃子だったが、相棒からすぐに警告が飛ぶ。

「Watch out for the rear! (後ろに気をつけてください!)」
「えっ!?」

振り向いた先には、フラッシュムーブで避けたはずだったプレシアの魔力弾が再びやってくる光景。

「Protection.」
「くうっ!」

防御魔法を展開するが急ごしらえであり、少々のダメージが桃子へとかかる。しかもそれだけではなかった。

「サンダー……スマッシャー!!」
「Bombardment coming! (砲撃来ます!)」

思いっきり桃子の攻撃を喰らい吹き飛ばされたプレシアだが、意識はしっかり残っていたのだ。だから魔力弾に桃子を襲わせ陽動とし、本命の砲撃を叩き込む。

「Protection!」

避けられず、プロテクションで受けるが、プレシアの砲撃の威力は生半可ではない。防御の上から桃子の魔力と精神力を削っていく。

「はぁっ……はぁっ……」

どうにか耐え切った桃子の視線の先には、左脇を押さえ、眉を歪ませたプレシアの姿。だが右手はさらなる魔力弾を生み出していたため、桃子は微妙にふらつくのを抑えてまた彼女にドッグファイトを挑むべく飛ぶ。

「まだまだこれからっ!」
「何度でも叩き潰してあげるわ!」

開始して初の両者が与えたダメージは総合すればイーブンといった程度。また、両者が自分に有利な距離を確保しようという動きに戻っていく。




いくらプレシアが天才とは言え、多数の追尾弾すべてを自分の意志通りに操作することは不可能だし、それらに全てのリソースを割くのはよろしくない。なので一部はプログラムを組み自動追尾させているに過ぎない。結果、桃子がローリングを行うとその動きにあわせて回転し、それでいて段々とプログラムの指示するポイント、つまり桃子の機動線上の真後ろにつこうとする。
そうなるとどうなるかといえば、魔力弾同士がぶつかり合い自滅する。

「はっ!」

残ったプレシア操作の魔力弾はレイジングハートで弾けば問題がない。
守る面ではどうにか出来ているが、あれ以降は桃子も一撃を上手く入れられずにいた。プレシアは常に自身の近くに二つの魔力弾を確保して桃子が近づくであろう予想機動上にそれらを配置することで、桃子が下手に入り込めばその餌食なること請け合いな状況を生み出したのである。
短時間でプレシアは桃子に対して有効な戦法を生み出していた。

「このままだと危ないわね……」

距離を離されないようにプレシアの周囲をかく乱するように飛びながら、牽制のために桃子も魔力弾を飛ばす。しかしそれはすぐにプレシア側の魔力弾が襲い掛かり相殺し合う。
このままではジリ貧だというのは、つい呟いてしまうくらい重々承知している。そうこう悩んでいる間にも事態は進み、再び多数の魔力弾が桃子のに迫り、背後から追ってくる。今までのままであればローリングでプログラム操作のものを処理するのだが、今度は違う機動を取った。
一度桃子がプレシアから遠く離れるように急加速していくのだ。当然この奇妙な動きにプレシアは眉根を寄せるが、離れてくれるならと魔力弾の追尾を全てプログラムに委任して彼女自身は砲撃の準備を進めておく。
ところが、ある程度いった瞬間に桃子はぐっと体を上方へと向け、高度を上げながら、まるで失速するかのように進行方向を180度変えようとする。立て続けに180度ロールも行い。上下さかさまになった体を戻す。彼女本人が知っているかはしらないが、いわゆるインメルマンターンであった。
プログラム制御ゆえに桃子ほど急旋回はできない魔力弾が大きく弧を描くように遠くでようやく方向転換に成功する。だが、それはあまりに遅い。十分な時間と、プレシアの身辺に存在する魔力弾も間に合わない時間を得た桃子はレイジングハートを水平に構える。

「ディバイン……バスター!!」
「っ! サンダースマッシャー!」

間髪入れずに砲撃が飛ぶ。慌てて遅れ気味になりながらも準備していた砲撃で迎撃する。温泉での一戦とは違い、今度はどちらが勝つということもなく爆煙をあげて両者は打ち消し合った。プレシアの発射が遅れたことでプレシアの近くで衝突が起きていたので、彼女の身辺に常においていた魔力弾は余波で消えた。
ほっとプレシアが一息ついた瞬間、彼女の背筋を嫌な予感が電撃のように走った。頭で考えるよりも早く真正面に魔力弾を生んで飛ばす。

「そんなっ!? うあっ!!」

射撃と同時、爆煙を一直線に通り抜けて来ていた桃子が現れ、見事に打ち出した魔力弾にぶつかって彼女は眼下の海面へと落ちていく。
胸元に思いっきり一発喰らい、意識が一瞬飛びかける。さらにその勢いで体は落下していく。

「Master!」
「わかって……る!」

レイジングハートの呼びかけによりどうにか繋ぎとめ、海に落下する直前で制御を取り戻す。

「今のは決まったかと思ったけど、そう簡単にも行かないわね……」

それまで温存していた砲撃をフェイクに上手く裏をかいたつもりだった。実際はプレシアが勘によってどうにか対処できたのだが、桃子は彼女に見破られたと思っている。

「魔法は常に全力運転中。考えてた戦術も出し惜しみなし、それでも届かないなら、気持ちで行くしかないわよね?」
「Yes master. Let's show our spirit. (ええ、マスター。私たちの気合を見せてやりましょう)」
「うん。まだまだ、これからよ!」

肩で息をしながら、溜まってきたダメージを無視して、遥か上空に浮かぶプレシアへ向かって突進していく。
お互いがギリギリの線上で紡ぐ戦いは加速する。




10を越える魔力弾が桃子の後方につけ、彼女を追い回す。彼女をしとめるためというよりその行動を制限し自由にさせないためであり、今のところそれは効果的に作用していて、桃子は魔力弾への対処をしなくてはならずどうしてもプレシアに先手を握られることになっていた。

「いい加減、にっ! しつこいわね!!」

桃子はここでほとんど垂直気味に急降下し、海面すれすれで体を起こして掠めるように低空を飛ぶ。すると、プログラムによる制御であるがゆえに桃子程の急旋回が出来ない魔力弾は海中に突っ込み、巨大な水柱を上げた。
プレシアが新しい魔力弾を生み出す前に桃子は彼女へと全速で向かう。槍のような形にしたレイジングハートを突き出すような形で。

「迎え撃ちなさい」

だが、プレシアは冷静に自身の周辺に待機させていた魔力弾を桃子へ向かって放ち、自身は砲撃魔法の準備をする。

「くぅっ!」

魔力弾は一発ではないため、桃子はシールドで相手することを余儀なくされ、突進速度も急激に削がれてしまった。
プレシアから見れば足が止まったようなものの桃子に、準備していた砲撃を打ち込まんとする。あちらもそれが見えたのだろう、先ほどと同じように桃子もレイジングハートを構える。

「サンダースマッシャー!」

当然、桃子も砲撃で向かえ打ってくると思ったのだが、またもやプレシアの予想外の行動を取る。

「Flash move.」

ポーズはフェイク。桃子は瞬間移動魔法を用いたのだ。プレシアの視界から、砲撃が掠ったのか舞い散るスカートの手のひら大の断片を残して桃子が消える。
こういう場合の常である背後を警戒し振り向くが、そこに姿はない。
左右にも桃子の姿は見つからず、ここで気づく。
――頭上!
ばっと天を見上げると。白い戦装束に身を包んだ桃子がレイジングハートを振りかぶって急降下してくる。

「はああああ!」
「がはっ!」

とっさにガードに出したデバイスもあまりに遅きにすぎ、むなしく空を切り、次の瞬間には左肩ががくんと落ちた。
なにが、と思うと同時に激痛。桃子の落下速度も合わせた一振りは彼女の左肩をしたたかに打ちつけており、そのままプレシアの体は叩かれた部分に引っ張られるように落下していく。
デバイスを放りなげて左肩を抑えたくなる気持ちを我慢し、漏れでそうになった叫びは歯を食いしばって耐えた。
戦意を失っていないその両眼は、落下していく中でも相対する敵を捉えていた。桃子はプレシアに追撃をかけんと彼女を追ってさらに急降下してくる。
その距離は近すぎず遠すぎずで、悪あがきの一つをなんとか出来るだろうというものだ。それでも桃子が優勢である事実に変わりはないはずなのだが、プレシアは小さく唇の端を歪ませた。
そして、叫んだ。

「まだ、終わってないわよ!」

外れるのではないかという左肩の灼熱の痛みを無視し、両手を前方へ突き出す。飛行魔法を制御して体勢を立て直すのなど後回し、魔力弾など出すわけでもない。

「そこで、止まりなさい!!」

設置型ライトニングバインド。
その空間にやってきたものに対して自動的にバインドをかけて拘束する魔法。プレシアは一瞬のうちに自分と桃子の間にそれを設置したのだ。
そして、プレシアへとにかく一直線に向かってくる桃子は見事にそれにかかった。

「えっ!?」

レイジングハートごと振り上げた両手の手首に紫色の光輪が瞬き、異常の気づいた時には両足にも拘束具が出現する。

「ば、バインド!? そんなっ!」

慌てる桃子を尻目に、策が決まったプレシアは小さく笑い、この間に空中に磔にされた桃子から距離を取る。
そうなのだ。無理に彼女を遠ざける必要などなかった。どうせ自分の懐に
桃子から十数メートルの場所で、止まると一息吐く。息は熱っぽく、気づかないうちに肩で息をしていた。
プレシアは正直驚いていた。初めて会った時は素人丸出しで、てんで戦闘の速度についてこれなかったのに今日は自分に渾身一撃を二回も入れるのみならずここまで苦しめているのだから。
桃子の魔力消費は激しく見えるが、とにかく大量の魔力弾を生み出していたプレシアの魔力消費もかなり大きく、この後のことも考えると長期戦は避けたい。それに彼女の攻撃による肉体へのダメージもでかいのだ。
――だから、この一撃で決めるわ。
左肩と左脇からは悲鳴のように神経から痛みが伝わってくるが無視して、目を静かに閉じて詠唱に入る。桃子の諦めていない瞳が自分を一際鋭く睨みつけたのを見たが、彼女はそれを意識の外においやった。

「アルカス・クルタス・エイギアス」

彼女は最大の技を展開する。大魔導師と畏怖される彼女にふさわしい大規模な魔法を。彼女から放出される魔力は驚異的な量で、あれだけ激しく戦ってまだこれほどの魔力を展開できるプレシアの魔力量の多さは圧倒的だった。

「疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ」

プレシアの周囲に次々と生まれるフォトンスフィアの数は多く、30を余裕で越えてもまだ増え続ける。
遠く公園から海上での戦いを見守るユーノとリニスにも、桃子を押しつぶそうとする壁のように広がるスフィアがはっきりと見えた。

「プレシア……決めに来ましたね」
「桃子さん!!」

放出される魔力の威圧感に、たまらずユーノは声をあげ、念話を飛ばす。

『今僕が助けに!!』
『ダメよ! 絶対にダメ!!』
『でも!!』

桃子は拒絶するがユーノは食い下がる。
遠目でもわかる。あれは喰らったらただではすまないものだ。

『プレシアさんとは一騎打ちの約束よ』
『そんなこと言っている場合じゃないです!』
『大丈夫、桃子さんを信じて』
『っ……』

危機に直面しているというのに最後に送られた念話の声音は柔らかく、なぜだか笑顔を浮かべた桃子が脳裏に浮かび、ユーノは口ごもってしまう。
そして、その瞬間にも事態は進み、もう誰も手出しが出来ない状況に陥っていた。

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル」

プレシアが生み出したフォトンスフィアの総数は58。
閉じていた目をプレシアが見開く。正面遠くにいる桃子をしっかりと見据えると、右手のデバイスを高々と掲げる。

「フォトンランサー・ファランクスシフト」

声と共にフォトンスフィアがざわりと魔力を波立たせた。

「撃ち、砕け!!」

デバイスが振り下ろされると同時、58のスフィアから一斉に桃子へとフォトンランサーが発射される。
それも一つから一発ではない。桃子のいる位置を着弾点に、各スフィアから毎秒7発で打ち出されるの高速連射だ。
紫色のフォトンランサーでプレシアの視界さえも埋まり、桃子の付近はさらに密度があがることや、着弾の爆煙があがることで彼女の姿は見えない。
技の開始から三秒が経とうという頃、プレシアが指を高く天に向けた。すると同時に青空の一点を中心に、闇色の黒雲が広がり始める。それは、桃子の頭上だ。
その間にも重厚な弾幕は絶えず、もうずっと攻撃が行われている錯覚を全員に抱かせるが、ファランクスシフトによる攻撃は四秒だけだった。

「墜ちなさい!」

1624発のフォトンランサーを放ち終えた瞬間。プレシアは天に向けた指を引き下ろす。
一条の紫色の雷が、桃子がいる場所へと落ちた。

「はあっ……はっ……」

桃子がいた周辺はいまだ白い爆煙により見えない。
だが、ほぼ全力を尽くしたプレシアは額に汗を浮かべ、荒い息を吐いていた。

「……う、がはっ、げほっ!」

無理が祟ったのか、血が口から溢れる。
しかし、彼女の口元は笑みを作っていた。勝ったと彼女は確信していた。
戦闘には殆ど出ていないが、あれだけの威力の技を受けて無事でいられるはずがない。
そう考えていた。

「っ!?」

魔導師として研ぎ澄まされた感覚が、膨れ上がる魔力に反応する。
両目は驚愕に見開かれるが、反射的に全力でシールドを展開した。

「ディバイン・バスター!!」

ありえないはずの、桃色の砲撃が襲い掛かる。

「くっ……あああああ!!」

シールドに圧力がかかる。精神にも、なぜ彼女がいるのかという疑問から圧力がかかる。
砲撃の余波でバリアジャケットにも被害が出て、端々がぼろぼろと散る。

「はっ……」

プレシアはどうにか砲撃に耐え切り、口元から垂れる鮮血を気にも留めず鋭い視線を眼下に向ける。波間に浮くようでありながら、自分に向かってしっかりとデバイスを向けて挫けぬ戦意を見せ付けてくるその姿に。

「なんで……」

バリアジャケットなどかろうじて原型を保っている程度で見るも無残な姿だ。だけれどもそんなことはプレシアには関係ない。

「なぜあなたは立っているの!?」

全力だった。
決めるつもりだったし、決めたはずなのに。
それでも、まだ彼女はプレシアの前に立ちはだからんとしている。
わからない。
プレシアにはわからない。

「すっごく痛かったわ……」

切ったらしい頬から血を垂らしながら、高町桃子はプレシアをまっすぐに見上げながら答える。

「雷をくらった時はさすがに意識も飛んだ……だけどね、あたしだってまだまだ終われない!!」

プレシアに向けていたレイジングハートを引き、代わりに左の手のひらを突き出す。

「あなたを、止めるまで……あなたに、勝つまで!!」
「戯言を……っ!? これは、バインド……いつの間に!?」

何度でも叩き潰してやろうとデバイスを持ち上げようとしたプレシアだが、桃色のバインドが彼女の四肢を拘束した。
ただでさえ桃子がまだ戦えるという事態に驚きが隠せないというのに、突然のバインドで、明晰であるプレシアの頭脳も一時的に混乱した。しかし、多少時間がかかっただけで、原因にはたどり着いた。
――まさか、あの時に!?
詠唱に入ろうと目を閉じたすぐ直前、桃子がプレシアを一層厳しく睨んだ瞬間を思い出す。おそらく、というよりあの時しかバインドを設置したと考えられる場面はない。
――なら、私の攻撃を耐えること前提で……?

「そっちが全力で来たなら、あたしも全力でお返しするわ」

判明した事実に驚愕していたプレシアは、かけられた声にはっと顔をあげる。先ほどまで眼下にいたはずの桃子はいつのまにか自分より上方に位置を変えていた。
そして、桃子を見た瞬間にプレシアの顔面から血の気が引いた。
桃子の足元だけではなく掲げられたレイジングハートの先端にも魔法陣は展開されていて、後者には着々と恐ろしいまでの魔力が収束されつつあった。
優秀すぎる魔導師であるがゆえに、プレシアはその恐ろしさが常人以上に理解できた。桃子が行っているのは空間中に撒き散らされた魔力を収束することによる再利用だ。
普通であれば一度使われ空間中に撒き散らされた魔力を再び使うのは非効率的である。だが、収束に関して天才的な才能があればできなくはない。プレシアも可能だ。そして桃子にはその才能があったのだろう。
だが、魔法に出会って間もない女性が行えるという事態が恐ろしいのである。さらには、自身の魔力だけではなく、プレシアの魔力までも吸収していた。

「受けてみて、これがあたしの全力全開!!」

プレシアを見下ろす桃子がぎゅっとレイジングハートの柄を握りなおす。
それにあわせたわけではないが、プレシアはぎゅっと唇をかみ締める。皮が破れ血が溢れるが、それよりもその痛みで彼女は自分の心を奮わせた。
ここで負けるわけにはいかないのだ。娘との約束を破るわけにはいかないのだから。
ここで倒れるわけにはいかないのだ。まだ自分はなにも成してなどいないのだから。
ここで逃げるわけにはいかないのだ。背後のものを守らなければならないのだから。
ここで諦めるわけにはいかないのだ。自分には他にもうなにも残っていないのだから。

「ああああああああ!!」

どれだけの魔力を収束したのか直径2m程にまで膨れ上がった桃色の魔力球を睨みつける。
プレシアの頭脳が恐ろしい速さで計算を始める。
――彼女の普段の砲撃とは比較にならない威力。そして確実にファランクスも越える。だからどれだけ魔力をつぎ込んだところでシールドで受け止めようとするのはたとえ耐えられたとしても魔力の無駄。
冷静に、一瞬の間に彼女は考察を重ねて結論をつける。
――防御方面に特化した結界魔法を出来る限り展開して威力を落とすしかない。
考えがまとまると同時に自身と桃子の間に結界を広げていく。

「スターライト……ブレイカー!!」

振り下ろされるレイジングハートと同時に、収束された魔力が極悪な光となってプレシアへ打ちかかる。
そして、それまでにプレシアが四重に展開した結界にそれらがぶつかり、力比べになる……はずだった。
桃色の魔力が触れた瞬間、プレシアの結界は紙を鋏が突き破るように簡単に破られた。
このことでスターライトブレイカーの術式には結界破壊を付加する部分があったことが判明した。しかし、これはプレシアが選択を誤ったということではない。彼女の考察は正確であり、シールドであれば彼女が耐え切れなかったことは明確だった。そして、いくらなんでも見ただけで結界破壊効果があるなどわからない。
言うなれば、そう。彼女には天運がなかったのだ。
――なぜ!?
プレシアの頭の中の言葉は、声になることはなかった。なぜなら、既に彼女の身は桃色の光の内に飲み込まれていたのだから。




薄れゆく意識の中、プレシアは遠き思い出を巡っていた。

「アリシア、誕生日プレゼントなにが欲しい?」
「プレゼント? うーんとねぇ……」

草原で、アリシアとピクニックに出かけた時の記憶。数ヶ月後に迫ったアリシアの誕生日を控えていた日だった。

「そうだ!! わたし、妹が欲しい!!」

どうってことはない約束のはずだったのに、なのに、まだ果たせていない。




『後書き』
遅くなったことまことに申し訳ありませんでした。どうもうまく戦闘が展開できずこうなってしまいました。戦闘って難しすぎる……しかも話としては短いし。
普通にシールド張ったらなぜかプレシアさんなら耐えられそうな気がしてしまったので、こんな結末に。散々近接型桃子さん、とかやってきたけれどやっぱり最後はみんな大好きスターライトブレイカーで決めました。
あと映画版BDで販売決定しましたね。みなさんぜひ買ってそして見てプレシアさんの可愛さにもだえてください。

ご意見ご感想お待ちしています。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第十一話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/09/05 18:00

アレクトロ社の新型魔導炉ヒュードラ開発プロジェクトに主任として携わっていたプレシアはとても忙しかった。
研究が実戦段階に移り、実験所のすぐ近くに会社が用意したマンションへと娘とともに引っ越してきて以来、早朝から深夜まで職場にずっと篭っているのが彼女の毎日になっていた。

「ねえママ。今日も、お仕事……遅いの?」

アリシアが小さく呟いた。自分の顔を交互にちらちらと窺うように見てくる娘の姿に、いってきますと声を出そうとしていた口が動かなくなる。
娘に負担を強いていることをプレシアは痛いほどわかっている。今だって、ママとなるべく一緒にいたいからと以前であればまだ寝ている時間だというのに、プレシアの出勤時間に合わせてアリシアは起き出し、見送りをしてくれているのだ。

「……ごめんね、アリシア」

結局、時間をかけたのに搾り出した言葉は捻りもなにもないつまらないものだった。

「ううん……お仕事だもん、しょうがないよ」

普段からとても明るく快活な娘なのに、アリシアの声には覇気がない。そんな娘の足元にいるリニスも、気持ちだけ尻尾と耳を普段より垂らしている。
プレシア自身もなるべく娘といようとしていたので、そろそろ出かけなくては時間が危ういのだが、たまらずしゃがみこんでアリシアを抱きしめた。小さくて今にも折れてしまいそうな、温かいプレシアの宝物である娘。

「ごめんなさい、アリシア。でもね、もう少しで私の仕事も一区切りがつくの。そうすれば、まとまった休みが取れるのよ。そうしたら、また一緒に出かけましょう」
「うん……ママ?」
「なあに?」

少し体を離し、視線を合わせた。
ずっとハの字になっていたアリシアの眉毛がすっと戻る。

「お仕事、頑張ってね」
「……ええ、頑張るわ」

アリシアの精一杯の笑顔に、プレシアも微笑みを返す。
ちらりと腕時計を確認すると、かなり危険な時間帯で、後ろ髪を引かれる思いだがしかたなく立ち上がる。

「ママ、いってらっしゃい」
「ええ、いってくるわ」

手を振る娘にプレシアも手を振り返し、ゆっくりとドアを閉める。

「……」

もう閉まってしまったドアに背を向け、萎える気持ちを奮い立たせるために無理矢理背筋を伸ばし足を動かす。
無茶な出力注文に、現場を無視した期限の切り上げ、胡散臭い本社からの派遣職員と、開発主任であるプレシアの悩みの種は多い。つい失敗してしまえと思ったことも一度や二度ではない。
けれど、アリシアとの未来のためにプレシアは頑張っている。
娘の笑顔のためならば、どんな困難でも克服してみせると心の底で誓った。
次元世界で最も強いのは、SSランクを超える魔導師でもロストロギアでもなく母親だと、そう信じているから。

悪夢の一週間前のことだった。




真っ黒な視界の中、さざなみだけが耳に届いた。
まだしっかりと覚醒せず鈍った頭で、状況を思い出そうとする。
――ジュエルシードを賭けた一騎打ちをやって、それで……

「っ!」

思い出したのは桃色の閃光で、同時に意識が覚醒する。

「あ、起きた!」

目を見開いて見えたのは青空。耳に入った声は先ほどまで戦っていた女性のもの。上半身を起こすと、プレシアはベンチの上に横たえられていたのに気づいた。

「えっと、あたしが言うのもあれなんだけど……大丈夫?」

そして目の前、海沿いに並んで設置された隣のベンチに座っている桃子がプレシアを少々申し訳なさそうにしている。髪の毛は激戦の名残でぼさぼさになっているが、もう既に修復を行ったらしいバリアジャケットは純白で、敗北という事実をプレシアにまざまざと見せ付けてくれていた。

「別に……私は死ぬわけにはいかないんだもの」
「あう……」

皮肉を一つ放つとベンチから立ち上がり、ゆっくりと海のほうへと歩を進める。

「負けたのね……」
「うん。ギリギリだったけど、あたしの勝ち」

独り言のつもりがどうやら聞こえていたらしく、桃子から返事が返ってきた。
今度はばれないようにプレシアは小さく嘆息する。
プレシアは、勝つつもりだった。いくら桃子が天才でも、経験の差で勝利する自信はあったのに、今はこのざまだ。地に伏したのは自分で残ったのは彼女。
――ああ、そうよ。いつだって、私が行こうとする道には敵が多すぎる。
天を仰いだ。なにかが、零れ落ちてしまいそうだったから。

「教えて、くれるわよね……あなたが、ジュエルシードを集める理由」
「……」

足元の砂利を踏みしめる音が聞こえる。桃子がゆっくりと近寄ってきていた。
彼女を無視してプレシアはぽつりぽつりと言を重ねる。

「本当は……もっと確実にやりたかったわ」
「うん?」
「でも、こうなったら仕方ないわ。今あるものでやるしかないものね」
「……えっと、なんの話?」

約束通りにジュエルシードを集める理由を語ってくれると思っていた桃子は、真意がつかめないプレシアの言葉に首を捻る。
横に並んで立つ桃子に視線をずらし、プレシアは言い放った。

「私の、未来の話よ」
「え?」
「リニス!!」
「はい!」

プレシアの声に呼応してそれまでずっとおとなしくしていたリニスの声が響いた。
桃子とユーノが反応するよりも先に薄紫色のバインドが二人を拘束する。

「なにをするの!?」

真横のプレシアに顔だけを向けて問いただす桃子だが、プレシアは既に彼女に背を向け、自身の使い魔のもとに歩を進めていた。

「別にあなたに危害を加えはしないわ……ただ、邪魔をされたくないだけ」
「プレシア、本当にジャミングや多重転移は必要ないんですか?」
「ええ。戦闘中に既にロックされてるでしょうから、所詮個人の悪あがきではどうにもできないわ。なら魔力の無駄な消費は抑えるべきよ」

バインドを飛ばした直後にリニスが展開していた転移魔法の魔法陣に入り、プレシアは桃子に一瞥を向けた。

「あなたは幸せね……嫉ましいほどに」
「待って!」

声を張る桃子ではあったが、無情にも魔法陣は輝き、プレシアとリニスの姿は消えてしまう。
最後に桃子が見たのは、言葉とは裏腹に穏やかな、悟ったような瞳だった。




暫く力なく立ち尽くしていた二人だったが、どうやら転移と同時に維持をほぼ放棄したらしいバインドはすぐに解けて、リンディからの指示もあってアースラにやってきていた。

「お疲れ様……と言いたいところだけど、まだ終わってないのよね」

ブリッジに入ってきた桃子をレティは労うが、苦笑が続いた。

「プレシアの本拠地が割り出せたから、プレシアさん確保とフェイトさん保護の武装局員二チームを送ったところ。まあとりあえず、はい」
「あら、ありがと」
「ありがとうございます」

リンディは現在の状況を説明して、両手に持っていた紙コップを桃子とユーノに手渡した。
なんともほのぼのとしているようには思えるが、他に声はなく、ブリッジにはぴりぴりとした空気が充満している。現にレティとリンディもすぐに仕事に戻っていて、なにもすることがない桃子とユーノは居心地が悪かった。

「チームアルファ、プレシア・テスタロッサを発見!」

オペレーターの発言と同時にアースラ正面の大型モニターに映像が映し出される。
そこは、照明が少ないのか薄暗いがまるで宮殿の玉座の間のような華美な室内であった。画面の中央、玉座の上には肘掛に頬杖をつき、無表情で佇むプレシアがいた。

『時空管理局だ! プレシア・テスタロッサおとなしく投降しろ!』

大人数の荒い足音が聞こえると同時に武装局員が十数人現れ、デバイスの先端を向けながらプレシアを包囲する。
しかしプレシアは身じろぎどころか表情ひとつ動かさない。

『お前らは奥をクリアリングしてこい』
『了解』

隊長格らしき男性が声をかけると五人の局員が玉座の裏にある通路からさらに奥へと向かう。
そして程なく叫び声が響く。

『なんだ、これは!?』
『こんな情報ブリーフィングではなかったぞ!』
『っ!』

デバイスを突きつけられようが微動だにしなかったプレシアが、瞳に雷光を瞬かせ動いた。
彼女を警戒していた局員は慌てて静止しようとしたが、プレシアは一瞬で転移してしまう。
画像が切り替わる。玉座の間のもっと奥へ。

『うああっ!?』
『ぐあっ!』

そこにはプレシアがいた。一人の局員を細腕で掴みあげると投げ飛ばした彼女が。
巻き込まれてもう一人の局員も吹き飛ぶ。

『う、撃て! 撃つんだ!!』
『……』

武装局員とて訓練を積んでいる。しかしそれをデバイスも起動せず、腕一本で失神させてしまったSランクオーバーの魔導師に恐慌に駆られた残りの局員が一斉に射撃魔法を行使するが、プレシアは右の手のひらを突き出すと苦もなくシールドで防いでしまう。

『私の……』
『……ひっ』

局員は震えていた。
圧倒的な力量差があるからだけではない。モニター越しにもわかる、情念が立ち上っているのではないかという程のプレシアの怒りによる圧力によってだ。

『私のアリシアに近寄るんじゃないわよ!!』

まるでそれが雷の轟きのであったかのように、苛烈な一喝と同時に雷が降り注ぐ。

『うああああああっ!!』
『ぐあああっ!!』
『たっ、助け、うわあああ!!』

プレシアの目の前にいる局員だけでなく、玉座の間に取り残された局員達にも等しく雷撃は襲い掛かり、意識を刈り取る。

「いけない! チームアルファの回収急いで!!」
「はいっ!」

レティの激が飛び、動きを止めていたアースラのブリッジは慌しく動きを再開した。

「チームベータはどうなってるの!?」
「そ、それが……」

リンディがフェイト保護に向かっていたはずのチームについて別のオペレーターに問い詰めると、血の気が引いた顔をした彼は震える手でコンソールのボタンを叩いた。プレシアの映るモニターの左上に、新しいモニターが開く。

『さてさて、お嬢様に手出しはさせませんよ』

モニターの中央に立つのはリニス。足元には気絶しているらしい局員達。
AAランク相当と見られる使い魔の彼女にしてみれば、地の利がある庭園で局員の小集団など相手にならなかった。

「くっ、ベータも回収して!」
「はっ、はい!」

苦悶の表情でレティは指示を飛ばす。
忙しなくそれぞれが自身の職務に没頭する中、桃子はモニターに釘付けになっていた。リニスの姿も目に入ったが、今はそんなことより彼女の視線を捉えて離さないものがある。

「なん……なの?」

小刻みに震える唇の間から、小さく漏れる。
見詰める一点は、守護者然として立ちふさがるプレシアの背後。
頭を疑問符が埋め尽くす。

「フェイト……ちゃん?」

大きなシリンダーの中、生まれる前の赤ん坊のように膝を抱えた格好で穏やかに目を閉じて浮かぶ金色の髪の毛が眩しい少女。
昨日会ったフェイト・テスタロッサ本人よりは幾分幼く見えるし、先ほどプレシアは「アリシア」という言葉を発していたが、それでも直感がフェイトと目の前の謎の少女を結びつけてしまうのだ。

『見ているのでしょう?』

プレシアが視線を中空にあげ、声を紡ぐ。それは間違いなくアースラに向けられたものだった。
ブリッジにいる局員の視線が、現在の最高責任者であるレティに注がれる。

「エイミィ」
「……音声回線繋げます」

レティは一言エイミィに指示を出して一歩前に進むと、大きな深呼吸の後に口を開いた。

「初めましてプレシア・テスタロッサ。時空管理局提督レティ・ロウランよ」
『そう、わざわざ苦労さまね』
「あなたほどではないわ。まさか完成させていたとはね……プロジェクトFを」
『……よく調べ上げたわね。意外に優秀じゃない』

沈黙が再び下り、桃子の呟きがブリッジに響いた。

「プロジェクト……F?」
「そう。失踪したプレシアさんが研究していたとあるプロジェクトよ」

桃子が声に振り向くと、そこには沈痛な面持ちをしたリンディがいた。
彼女はゆっくりと桃子の横に並ぶと説明を再会した。

「プロジェクトFは、記憶転写技術を併用しての完全なるクローン創造の研究」
「なんで……そんな研究を?」
「……」

押し黙ったリンディは俯くがすぐに顔を上げ、口ごもるような仕草を何度か見せた後、なんとかといった様子で言葉を絞りだした。

「実はね……昔プレシアさんが研究していた新型魔導炉ヒュードラが暴走したことがあったの。その時に、彼女の娘アリシア・テスタロッサは……死亡しているのよ」
「……え?」

リンディの言葉を聞いた瞬間、全ての音が桃子から遠ざかった。
脳内では、色あせたフィルムで上映する映画のように昨日の光景が再現されている。

『不器用だけど、やっぱり……優しいです』

はにかむような笑顔で自分の母親のことをそう言い放った少女はフェイト・テスタロッサと名乗っていた。
――それって、まさか……

「じゃ、じゃあフェイトちゃんは……」
「プロジェクトFの正式名称はね、プロジェクトフェイトって言うのよ……」
「っ!!」

プレシアの雷を食らった時のような衝撃が桃子に走る。一瞬平衡感覚を失い、ふらりとよろける。

「桃子さんっ!?」
「……ありがとう、ユーノくん。でも、大丈夫よ」

とっさに支えてくれたユーノに礼を言ってから、桃子はしっかりと自分の足で床を踏みしめるとプレシアへと向き直る。

「プレシアさん」

怒りでも、恐れでも、嘆きでもない感情を内包しつつ桃子は呼びかける。
一歩一歩とモニターに近づいていき、ついにはレティより前に立った。




『あなたの後ろにいるのはアリシアちゃんで……フェイトちゃんは、つまり』
「そうね、アリシアのクローンということになるわ」

姿は見えないが声は聞こえるという状況の中、桃子に最後まで言わせることなくプレシアはあっけらかんと言い放ち、そのまま独白に入っていく。

「最初はアリシアを生き返らせるために研究を重ねていたわ……今思えば愚かなこと極まりないけれどね」

ふっと自嘲するプレシアは虚空を見上げ、皮肉な笑みを湛えたまま語り続ける。

「アリシアの記憶を転写したけれど、時間が経てば経つ程顕著になるのよ……アリシアとの違いが」

アリシアを失ったあの日は昨日のように思えるのに、なぜかそれより近いはずの事柄が懐かしく思われてしまう。

「利き腕が違う、性格が違う……挙げていけばきりがないくらい。あの時は絶望したわ、またアリシアと幸せな日々を過ごせると思っていただけに余計に」

アリシアは左利きだったのに右利き。
アリシアは元気だったのに控えめ。
見た目がなまじそっくりであるがゆえに、その違いがあまりにも悲しかった。再び娘を失ったかのような衝撃を受けた。
なぜ。
なぜ、アリシアの記憶はちゃんとあるのに。
なぜ、遺伝子的にも同一なのにどうして。
その疑問が次から次へと降りかかってきた。

「その時は結局こう思ったわ。『ああ、この子はアリシアじゃない。アリシアの姿だけをした偽者の人形だ』って。だから、アリシアの記憶を封印して、プロジェクトから適当にとったフェイトという名前を与えたのよ」
『そんな……自分で生んでおいてそんなのって!!』

激昂した様子の桃子の声が聞こえるが、プレシアは口元の歪みを崩さない。
失意のどん底で、なんとはなしに彼女が開いたのは古い、少し黄ばんだ日記帳だった。
息を吸うと、ボロボロの気管支が嫌な音をたてた。

「でも、勘違いするんじゃないわよ。今はあの時とは違う……」

その日記帳は、アリシアとの幸せな日々がつづられていた。袋小路に追い込まれた現実から逃げるようにそれに没頭する中でとある文章が彼女の目が捉えた。

『お昼のお弁当を食べながらアリシアに誕生日に欲しいものはなにか聞いたら「妹」と言われた。つい約束してしまったが、シングルマザーでどうしたものか』

妹。この単語と共に、長らく忘れていたアリシアとの約束を思い出したのだ。
気づいた時にはモニター越しに、自室で寝ているフェイトを見ている自分がいて、涙が滲んできていた。後から後から溢れる涙のせいでなにも見えないはずなのに、はっきりと見えた。元気一杯のアリシアが控えめなフェイトの手を引いて走りまわる、そんな姿が。

「今の私にとってのフェイトは……」

胸の奥が熱を持っている。長くはなさそうだと、どこか他人事のように感じながらも、見栄えだけでも立派にしたいと押し込める。
クローンの研究をした愚かさについては謗りを受けても構わない。だけど、この自分の心だけは否定させるわけにはいかない。




『アリシアの妹で、私の大切な娘よ!!』

アースラに、プレシアの声が響いた。
同時に、桃子の中で歯車が繋がった。
フェイトが言った「姉さんと一緒に」という言葉の意味が、プレシアがジュエルシードを求める理由が。
――アリシアちゃんを……生き返らせる、ため?
この瞬間、アースラのブリッジは完全に静止していた。それをなしたのはプレシアで、それを解いたのもプレシアだった。

『……うっ!』

突然目を見開き、口元を押さえたかと思うとプレシアは背中を丸め、そのまま咳き込み始めた。その咳は普通ではなく、不吉な水尾とを伴っていた。

『……がはっ!』

一際大きくプレシアが身を震わせると、口を押さえている手の間から、大量の血が噴出した。しかも一回ではなく立て続けに何回もである。
嫌な音をたてて床に落下すると、血は広がり池を作る。
医療に詳しくない桃子でさえ、失血死するのではないかと思ってしまう量だ。

「プレシアさん!?」

桃子は叫ぶが、プレシアからの返事はなく、それどころかモニター内の彼女は床に両手をついてしまった。
しかも、咳と吐血は止まらない。

『はあ……はあ……』

咳が止まり、夥しい量の血を吐き終わったプレシアは、口元の血を袖でぞんざいに拭うと、どうにか立ち上がろうとする。

『ぐっ……』

しかし失血量が多すぎた。力が入らずによろめき、耐えることもあたわずアリシアの入った生体ポットに背中を預けるように倒れこんでしまった。
ただでさえ悪かった顔色は土気色を通り越してどす黒く、目は焦点が合わなくなってきているのか虚ろだ。

『私は、帰るのよ……』

それでも、プレシアは手を伸ばす。
手のひらを広げると、そこに九つのジュエルシードが浮かびあがった。

「やめなさいプレシア・テスタロッサ! そんな体じゃもたないわ!!」

レティが叫ぶ。

「くっ!!」

リンディは唇を噛んで目を伏せた。

「今命を捨てて、どうやって約束を守るの!!」

桃子は手を伸ばした。届くことはないモニターの向こうに。




なにやら、遠くで声が聞こえていた。
――無茶を、しすぎたわね……
そもそも長くはない体だった。
なるべく温存していれば、今みたいな醜態を晒さずにすんだかもしれないが、ジェルシードを集めるために奔走したために命は削られていた。

「アリシアと……フェイトと……リニスと…………家族、全員……」

段々と視界が黒く侵食されていくのがわかった。
不思議と痛い辛いという感覚はない。
それ以上に、悔しさが勝る。
――まだ、終われないのに……

「ごめん、なさいね……」

呂律も回らなくなってくる。
大量に血を出して軽くなっているはずなのに、どうしてか体が重い。
もう少しでいいのだ。
ただ、ジュエルシードで虚数空間を開き、次元の狭間に消えたアルハザードへ飛び立てればそれでいいのに。
それだけ、もってくれればいいのに。

「やくそ、く……まもれ、ないわ……」

まだ出る水分が残っていたことに驚くが、涙が流れた。
脳裏に、数年前の思い出が浮かぶ。
フェイトを初めてアリシアに引き合わせた時のことだ。最初は驚き戸惑っていたフェイトだったが、すぐに笑みを浮かべるとこう言った。

『姉さんだね』

一言も姉だとか言っていなかったのにフェイトはそう言ったのだ。
だから、彼女が実はクローンだということも明かした。衝撃は大きかっただろう。抱きしめたその体は震えていた。
それでも、彼女は笑ってくれ、今も自分を母と慕ってくれている。

「ごめ、ん……ね……」

ただ、また家族全員で笑いあいたいと願っただけなのに。
――ああ、それはそんなにも高望みだと言うの?

「だめ……な……かあ、さん……で…………」

ジュエルシードが床に落ち、乾いた音を立てた。




『Intruders inside the garden. (庭園内に侵入者)』

眠っていたフェイトが起こされたのは警告音と共に響く機会音声のせいだった。
寝起きの頭ではなにを言っているか理解できなかったけれど、延々と繰り返される音声を何度も聞くうちにその内容を理解でき、途端に覚醒した。

「わふ」

専用の毛布の上に丸くなって寝ていたはずのアルフも、今は立ち上がり尻尾を後ろ足の間に隠していた。

「大丈夫だよ……」

しゃがみこみ安心させるように頭を撫でてやるが、その言葉は自分自身に言い聞かせるようで、彼女の目の焦点はアルフにはなかった。
――母さん……
自分の心配よりも、フェイトは母親の心配が先にあった。
なにが起きているのかフェイトにはわからないが、この警鐘は泥棒が入ったとかそういうレベルではない。わざわざ次元空間上にある時の庭園に踏み込む敵だ。子どもな自分ではなく大好きな母親が狙われているのではないかと、聡明なフェイトはすぐに思い至った。
すっくと立ち上がると、彼女は急いで寝巻きから普段着へと着替える。
服装を吟味している暇はなく、動きやすいホットパンツとタンスの中の一番上にシャツを手早く着込む。いつもはここで髪を梳いてから黒のリボンで二つお下げにするのだが、そんな時間も惜しいとばかりに自分の部屋から外へ行こうと走る。
非力な自分に出来ることなんておそらくない。だけれど、言い知れぬ不安がフェイトを包むのだ。母親がこのままどこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな不安が。
なぜ扉なんてものがあるのかと理不尽な憤りを感じながら、ノブへ手を伸ばした瞬間、ドアが一人でに動いた。

「フェイト! 大丈夫ですか!」

正確には外からリニスにより扉が開かれていた。
リニスが無事にいたことにほっとする一方で、フェイトは掴みかからん勢いでリニスに詰め寄る。

「母さんは! リニス母さんは!!」
「落ち着いてくださいフェイト」
「でもっ!」
「プレシアは今は大丈夫ですから」
「ほんと?」

リニスの言葉にフェイトが一時的な落ち着きを取り戻した。
相手の服の裾を掴み、潤んだ目でフェイトは上目遣いに尋ねる。リニスはフェイトの高さに視線を合わせるようにしゃがむと、安心させるように微笑みを浮かべその頭を撫でてきた。

「ええ、大丈夫ですよ。それと、プレシアから伝言です」
「母さんから?」
「はい。ちょっと騒がしくなるかもしれないけれど絶対に部屋を出てはダメだ、と」
「なにが、起きてるの?」
「……ちょっとしたことです。フェイトが心配する程ではありません」

――嘘だ。
本人は上手くごまかしたつもりかもしれないが、フェイトは一瞬リニスの表情に影が差し、言葉が途切れたのを見逃しはしなかった。
最後に、起きぬけなフェイトの寝癖を手櫛で大雑把に整えるとリニスは立ち上がる。

「私は、プレシアから頼まれたことがあって離れますけど、私かプレシアが来るまでフェイトは自分の部屋にいるんですよ?」
「……うん」
「アルフも、ですね」
「わふ!」

元気に吼えたアルフにくすりと笑ったリニスは、帽子をしっかりと被りなおし、またフェイトへ向き直り、また同じ言葉を繰り返した。

「大丈夫ですよフェイト。心配しなくても」

それを最後に、ではと一礼したリニスは部屋から退いていく。
扉が閉まる直前に見えた彼女の微笑みは、つつけば崩れそうに見えた。

「……」

乾いた音とともに扉が閉じると、足早に走り去るリニスの足音もすぐに消え、静寂が降りかかってきた。
先ほどまであんなに響いていた警報も知らぬ間に止み、ドアの前で立ち尽くすフェイトはただ自分の心臓の音だけが小さく聞こえていた。
暫く立ち尽くしていたが、俯いたままフェイトはふらふらとベットに歩み寄るとそこに腰を下ろし、枕元においてあった二本の黒いリボンを手に取った。ベットのすぐ横にある姿身を見ながら、のろのろとした手つきで髪を結わえていく。
――大丈夫、そう大丈夫。約束もしたもん。
リニスがやってきて、不安は萎むどころが膨れ上がり、フェイトの心をかき乱す。
いい子にしていると、彼女は約束した。だから、言いつけ通りに部屋から出ちゃいけない。だけれど、彼女の勘が告げているのだ、えもいわれぬ恐怖を。
――母さん……
どうにか心を落ち着けようと普段の日課と同じように髪を結ぶがいつもほど上手くいかず、二回もやり直してしまった。
小さかった心臓の音は今では耳元で鳴っているのかと錯覚するほどに大きい。
リボンを結び終えて姿見をまた眺めると、赤い二つの瞳が物問いたげに見詰め返してきていた。

「あなたは……」

いつの間にか口は動いていた。手も、伸びていた。

「なにをしたい?」

ひんやりとした感触と共に、鏡の向こう側の自分と手を合わせる。

「私は……」

震える唇で大きく息を吸い込むと、一気に言い放つ。

「母さんのところへ、行きたい」

あんなに煩かった心臓の音が、やんだ。




扉から廊下を覗くとリニスがいなかった。
これ幸いと部屋を抜け出したフェイトはプレシアがたいてい昼間にいる玉座の間を目指し走っていた。非常時だから別の所かもしれないのだが、フェイトには確信があった。
――だってあそこには姉さんもいるんだから。
部屋に待つように言ったのにくっついて離れなかったアルフと並走しながら、螺旋階段を駆け下りる。
息があがり、肺が辛くなってきた頃にようやく玉座の間への扉が見えた。
走る速さはそのままに、まるでタックルするかのようにその巨大な扉を押し開ける。

「母さん!!」

叫ぶが、返事はない。
既に局員達も回収されており、人っ子一人いなかった。

「……」

荒れた息を整えるために大きく息を吸うと、玉座のさらに奥へと続く通路をみやる。
生唾を飲み込み、しっかりとした足取りで奥へ、姉のいる部屋へと向かう。

「母さん?」

通路から奥へと呼びかけるが返事はない。
増大する不安に急く気持ちを無理矢理押さえつけ、姉の眠る場所へとフェイトはたどり着いた。

「母さ……!」

足が止まる。
顔から血の気が抜けていくのが自分でもわかった。
アリシアの生体ポットのその下で力なく座りこむのは母であるプレシア。その肌は温かみからはほど遠くなっている。
プレシアの前には床を絨毯のように覆う赤い液体。鉄臭く、直感的にそれが血であるとわかる。
そして、それが誰の血であるかも。
――嘘だ……

「母……さん」

呼びかけれども、母はぴくりとも動かない。
――嘘だ嘘だ嘘だ……

「母さん……」

無意識に踏み出した足が水音を響かせる。なぜか見知らぬ人々の声が聞こえてきていたが、それらはフェイトの脳へ意味を伴って入ることはない。
――嘘だっ!

「母さんっ!!」

床を蹴って、走り出す。
血の海を足が踏み抜くが気にも留めずにただ母のもとへ走り寄る。

「ねえ母さん返事して!」

自らが血に濡れることなど気にせず、フェイトはプレシアにすがりつく。
服を掴んで揺するが、彼女はなすがまま。

「お願いだから!」

触ったその肌は、まだ温もりがあるとは言えぬるま湯のように低い。

「目を開けて!」

フェイトの声は、上ずり始めていた。
そして、子どもが母親に甘えるように、プレシアの胸元に頭を押し付けるようにして動きを止めてしまった。

「……やだよ」

顔を隠したまま動かなかったフェイトがぽつりと呟いた。

「一人は……やだよ」

プレシアの服を掴むフェイトの手がさらに強く握られる。

「私を……置いていかないで!!」

慟哭が返事をするもののいない部屋に響いた。




プレシアの死。
それはアースラにも衝撃をもたらした。
数分か、数十秒か、数秒かはわからない。だが確実にアースラの人員は凍りついたかのように時を止め、ただただモニターを見詰めていた。
無音無動の世界を齎したのがモニターの向こう側であれば、それを破壊したのもそちらだった。
聞こえてきた小さな少女の困惑したかのような声。そしてモニターの端から現れた金色の頭をした少女フェイト。
彼女は、母親の骸を見てしまった。
そこでアースラは凍結から解放され、フェイトに呼びかけ始めた。
10にも満たない少女にはあまりにショッキングであろうことは想像に難くない。だから必死に声を張ったのだが、既に母をその視界に捕らえたフェイトには届かなかった。
すがり、叫び、喚き、哀願し、嘆く。
いつしか、呼びかける声も止んでいた。

『なんで……約束、したのに……』

フェイトの嗚咽まじりの声だけがアースラに響いた。

『全部終わったら、姉さんと一緒に……みんなでピクニックに行こうって……』

桃子は身動きできず、モニターから目を逸らすことも許されず耳を傾けるだけ。

『私、いい子にしてたよ』

『ちゃんと一人でお留守番してたよ』

『ピーマンだってアルフに食べさせないで自分で食べたよ』

『シャンプーだって一人で出来るようになったのに』

『ねえ、母さんなんで?』

『私が……クローンだから?』

『ねえ、母さんなんで?』

『それとも、部屋にいなさいってリニスから言われたのにここに来ちゃったから?』

『それは、謝るから』

『もうしないから……今まで以上にいい子にする。我侭も言わないから』

『だから……また私を見てよ…………』

『やだよぅ……』

フェイトの声はもう言葉にならなくなってきていた。
その肩は震え、より一層縮こまるようにしてプレシアへとすがりつく。

『母さんがいないなんて……やだよ……』

『こんなはずじゃない……こんなの、間違ってる!!』

少女の最後の叫びは聞き届けられた。
床に転がった九つのジュエルシードによって。




「じゅ、ジュエルシードが活性化!!」

エイミィの叫びが先か、アラームが先か。それはわからない。
だけれどもモニターの向こうでは確実に事態は進んでいた。

「エネルギーまだ増大していきます! このままでは次元断層が起きるレベルまで達します!!」
「くっ! 焼け石に水かもしれないけどディストーションシールド展開!」

冷や汗を垂らしながらレティが指示を出す。

「レティ!」
「ええ、飛んでちょうだいリンディ。とにかくジュエルシードのところまで」
「了解!」

転送ポートへ走り出そうとしたリンディだったが、続いて上がった今日何度目かわからないエイミィの大声に一歩で止まる。

「えっ……て、庭園内にAランク相当の魔力反応多数! 傀儡兵です!」
「なんでそんなものが今更!?」
「えっと、ジュエルシードの影響で庭園の防御機能が過剰反応したから、かもしれないです」

苦虫を噛み潰したかのような表情になったリンディに、エイミィは申し訳なさそうに小さくなるが、レティがすぐに間に入る。

「理由なんてどうでもいいのよ。今はやらなきゃどうにもならないんだから!! 取りあえず数は!?」
「10……20……まだ増えていきます!」
「ずいぶんとまあ溜め込んで……」

アレックスからの報告を受けて眉間にしわを寄せる。弱気な気持ちが漏れ出しかけていた。

「よしっ!」

声と同時にぱぁんと高い音が鳴り響く。音の方向を見ると、リンディがS4Uをしっかりと握り、決意を瞳に込めて立っていた。頬はちょっと赤く、先ほどの音がリンディが自分の頬を叩いた音だったとすぐ理解できた。

「傀儡兵ごときが、単独行動が多い執務官舐めるんじゃないわよ」

モニターの向こうへと堂々と声を張る。

「全部まとめて次元の塵にしてあげるわ!」

宣言し終え、リンディはレティに不敵な笑みを向けてくる。
ふっと勝手に笑みが漏れるのがレティはわかった。

「ええ、そうね。信頼してるわよリンディ・ハラオウン執務官」
「当然」

長年の友人同士はがっと拳をぶつけあい、背と背を向け合う。
リンディは再び転送ポートへ向かい駆け出し、レティは手を叩きブリッジの注目を集める。

「さて、ずいぶん面倒な状況だけどやることがわからないって人はいるのかしら?」

見回すが誰も声をあげることはない。

「時空管理局の創立理念だとかそんなのはこの際どうでもいいわ」

本当にどうでもよさそうに肩を竦める。

「暇が一番だけど、その暇を取り戻すためにとりあえずお仕事よ」

眼鏡を外すと、ハンカチでグラスを拭う。

「まあ、怠けるのが好きなうちのみんななら喜んで暇へ向かうでしょうし……」

かけなおしたグラス越しのレティの瞳は、恐れなどなにもなくただ笑っていた。

「簡単でしょう?」

『イエスマム!!』

一瞬の静寂の後、力強い唱和が返ってきた。




次々と他の者達が自分を取り戻す中、桃子はフェイトの言葉に自身の深い記憶の部分を抉られていた。

もう何年も前のことだ。
夫である士郎が最後の仕事としてアルバート・クリステラ上院議員のボディガードを勤めたパーティで事件は起きた。それは爆弾テロで、クリステラ上院議員の娘を庇った士郎は生死の境界線上を漂う大怪我を負った。
まだ翠屋も今のように軌道に乗っておらず桃子は仕事を休めなず、恭也と美由希は翠屋の手伝いやら病院で眠り続ける士郎の世話やらで手一杯であった。
だから、まだ小学校にも上がっていない小さな末娘のなのはの側には誰もいなかった。
わざとではない。それは断言できる。だけれどもなのはをないがしろにしてしまったという事実は変わらない。
なのはの一日は寂しいものだった。朝起きたら既に母は仕事の下準備に出ており、小学校へ登校する美由希に連れられて桃子の母の実家に預けられ、午後には小学校から帰りの姉に連れられて家に帰る。しかし美由希はすぐ出かけなのははお留守番。一度中学校帰りの恭也が顔を出すが、彼もまた翠屋か病院へ出かけてしまう。結局母に先駆けて兄か姉が帰るまで一人ぼっち。母の帰りは夜遅く、疲れているのはなのはの目にも明らかだったのだろうあまり甘えてくることもなかった。そしてそのまま寝るのだ。
なのはは、いい子だった。ちゃんと言うことを聞いた。
忙しく、精神的にも余裕がないなかで、なのはに手間がかからないことは、いいことのように思えた。
そう、思えただけだったと思い知らされたのは、士郎の意識が戻ったという朗報が齎されてから数日経った頃だった。

『ねえ、おかーさん』
『なあに?』

部屋に引っ込んだ上の二人はおらず、なのはと二人だけの時、俯いたままなのはが語りかけてきた。
今思えば、能天気にもなのはへ笑みを向けていたと桃子には思える。

『「いい子」ってなに?』
『…………え?』

桃子は表情が凍った。

『おにーちゃんもおねーちゃんも、みんなみんな「いい子にしてたら」っていうけど、それってなんなの? いいことあるの?』
『……そ、それは』

血の気が引いてきた。
士郎の意識が戻ったということでみんなが明るくなったのをなのはは敏感に感じ取り、そして自分と家族の違いをも明確に洞察したのだろう。

『なのは、ちゃんとみんなのいうこときいてたよ』

『ちゃんとひとりでおるすばんしてたよ』

『にんじんだってのこさないでじぶんでたべたよ』

『おばーちゃんにもめーわくかけてなかったのに』

『ねえ、おかーさんなんで?』

寒気がして、体が震えだした。
――違う、違うの!!
なにが違うのか、とにかく心の中で叫んでいた。

『なのはは……「いい子」じゃないの?』

『ちゃんと「いい子」にしてたら、みんななのはといっしょにいてくれる?』

見上げてくるなのはの瞳は純真そのもので、それゆえに桃子の心を抉る。
その瞳に桃子はなにも言い返すことができなかった。
なのはにかける時間がなく、まるでなにかの呪文のように「いい子にしてたら」と言い続けていた。そう、ただ逃げの方便として使い、たら・ればの先の見返りを見せる事は何一つなかった。
単刀直入に言ってしまおう。桃子は、恭也は、美由希はなのはを騙していたのだ。
もしかしてという思いが桃子の心を支配した。
やることがあるからという逃避にかまけて、士郎が死ぬかもしれないという自分達の不安を、自分の父の状況も碌に理解できていないなのはに押し付けていたのかもしれない。
それは、この小さな娘にどれだけ残酷なことであろうか。

『ごめんね、ごめんね……』

気づいた時には、なのはを抱きしめていた。
小柄な桃子でもすっぽり包み込めるその小さな体に向かって、ただただ謝った。

『なんでおかーさんが泣いてるの? 「いい子」じゃないのはなのはなのに』

泣くべき人間が泣かず、泣くべきでない人間が泣いている。そんな矛盾した状況を生み出した自分の愚かさを盛大に呪った。
この日以降、できるだけ近くにいさせようと日中は翠屋の休憩室になのはを居させた。たいした贖罪になどならないとわかっていながら。
なのはと交わしたこの話は、士郎にさえ言っておらず桃子の胸のうちだけではある。それでも、桃子ほど直接的ではないにしろ家族の全員はなのはへの自身の罪をそれなりに理解していた。
最近は、ごくごく珍しいことだが我侭を言うようになってきた。つい先日の月村家でのお茶会に送っていくという約束を恭也が破った時などがそうだ。
だが当然ながら、この時期の影はなのはの笑顔の裏側に未だに強くこびりついており、桃子らのトラウマとして残っている。
母であるプレシアに抱きつき泣いていた少女が桃子になのはを思い出させてならない。
――あたしは……


「Stand by ready. Set up.」


現実に桃子を呼び起こしたのは相棒だった。
主人の意志を無視して発された光により、桃子はバリアジャケットに身を包む。

「レイジングハート……」

目頭が熱くなり、鼻の奥がつーんとした。
つい、涙が零れそうになったが、どうにかこらえた。

「そう、よね」

金と桃色の体を煌かせるレイジングハートの赤いコアをそっと顔をすぐ側へ引き寄せる。

「このまま立ち止まったらなにも変わらない……成長してないことになっちゃうもの」

返事はないが、桃子はそれでいいと思った。

「あのね、これからあたし無茶しちゃうかもしれない。だけど、一緒にいてくれる?」
「Do what you want to do. I follow you anywhere. (あんたがやりたいことをやってください。私はあなたについていきますよ、どこへでも)」
「ありがとうレイジングハート」

レイジングハートは無言でコアをゆっくりと点滅させた。
目じりに溜まった涙を袖で拭い去ると、桃子は背筋をぴんと伸ばし、捧げるようにレイジングハートを構えた。

「プレシアさんを、フェイトちゃんを助けに行きましょう。できるわよね?」
「Complete finding the coordinates. (座標探索終了です)」

足元に広がる桃色の魔方陣。

「行きましょう、時の庭園へ」




『後書き』
今までの一話最大容量記録更新。かなり詰め込んだ感じもありますが、ここからが正念場。時期も時期で時間は取りづらいですがとりあえず無印は終わらせたいです!
この話を書いていて思いますが、プレシアさんと桃子さんはどちらも娘に負い目があったりと何だかんだやっぱり似たもの同士かと。
あ、今回あんなこと書いてますが別に自分は高町家アンチではないです大好きです。

ご意見ご感想お待ちしています。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 第十二話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/10/10 18:01
プレシア・テスタロッサの心を映し出すかのように暗かった時の庭園が、今は明るかった。
しかし、それは彼女の心境の変化を意味しない。
緩慢な崩壊をしつつある時の庭園を照らし出す青白い光は、発動者の気持ちを代弁しているように冷たく淡々としている。

「……」

転移魔法で時の庭園の正面に降り立った桃子は、右手をぎゅっと胸の前で握りこむ。

「Are you OK?」
「ええ、大丈夫よレイジングハート。それよりも……」

睨みつける桃子の視線の先は、まさに沸きあがるように出現してきた数体の傀儡兵がいた。どれも油断なく桃子に対して構えている。

「時間もないし、一気に突破しちゃいましょうか?」
「All right. Buster mode set up.」
「ディバイン……バスター!!」

桃色の閃光が迸り、桃子の身長の何倍もある傀儡兵も、彼女の砲撃の威力には勝てず飲み込まれていく。
撃ち終わった後には、行く手をさえぎるものはなにもない。

「一気に行くわよ最深部まで!!」




「ちっ……鬱陶しい!!」

右手でS4Uを振り、左手で汗で額に張り付いた髪を払いながら、リンディは毒づく。
突入したのはよかったものの、遮蔽物の多い庭園内では一体一体はそこまで強いわけではない傀儡兵が奇襲的に現れるので、貴重な時間と魔力と体力を浪費させられていた。
発動してしまったジュエルシードのタイムリミットは予測できないがゆえに、焦りも生まれる。

「ああもう! またなの!?」

一体倒したと思えば、左から壁を壊して今まで見たこともない大型の傀儡兵が出現した。

「スティンガー!」

肩についた傀儡兵の砲塔がリンディを捕らえる前に、先に攻撃魔法を発動する。大型ではあるが鈍重な傀儡兵は避けられない。
――これでまた一体撃破!
そうリンディは確信していた。なんだかんだで魔導師ランクでS-を持つ彼女である。そう思っても当然だ。
だが、現実は意外に厳しい。

「なっ……くっ!!」

リンディの攻撃は、命中直前で現れた傀儡兵のバリアによって防がれ、お返しとばかりに目標を捕捉した砲塔が魔力を吐き出す。
そのまま走り抜けようとしていたリンディは、どうにか身を捻ってかわすが、連続で放たれる魔力弾により回避に集中することを要求されてしまう。当たる気もしないし反撃しようとすればどうにかできるのだが、スティンガーで打ち抜けなかった強固なバリアを打ち破るにはそれなりの準備が必要で、それには時間が足りない。

「ほんとに、鬱陶しい……」

毒づくリンディの脳内に、念話が届いた。

『リンディさん!』
『桃子さん!?』

なぜここに? と、咄嗟に返しそうになって、彼女の性格なら突っ込んでくるかと納得してしまい、魔力弾を避けつつ、ため息をついた。

『その傀儡兵は私が一発砲撃を打ち込むから、その隙に!』

おそらくなんだかんだと傀儡兵に時間を取られている間に追いついた桃子は少々離れたところからこちらを見ているのだろうと結論付け、一方では荒削りながら効果的な彼女の作戦に同意する。

『わかったわ。外さないでよね?』
『そっちこそ、仕留め損なわないでよね?』

軽口を交わすと、実際は見えていないのに桃子の不敵な笑いが見えたような気がして、リンディも笑みを深める。
――まあ、確実に砲撃が当てられるようにしてあげますか。
才能は負けていても、執務官として、魔法の先輩として負けられないという思いが湧き上がった。

「ほらほら、そんなんじゃ私には当たらないわよ! スティンガー!!」

傀儡兵の注意を出来る限り自分に向けようと、バリアに防がれることは織り込み済みの射撃を行う。
案の定それはあっさりと傀儡兵に到達することもなく爆煙をあげて掻き消えた。

「バスター!!」

だが、その一瞬を、傀儡兵の処理がリンディへの攻撃と防御に占められたタイミングを桃子は見逃さなかった。
打ち込まれた砲撃に傀儡兵もバリアを張って対抗するが、威力だけで見ればSランクオーバーである桃子の砲撃は、片手間では防げない。自然と、強度を求めてバリアは砲撃の着弾地点を中心に収束していくし、傀儡兵は動きを止める。
それは、入り込むスペースが出現したことも同時に示すのだった。

「まったく、面倒ばっかりよ!」

不平を零しながらも、リンディは迅速に傀儡兵の懐へと飛び込んだ。
制御AIがあるであろう頭部へ到着すると、感情のない機械の目がこちらを見てくる。それに、勝ち誇った笑みをこれ見よがしに浮かべてみせて、言い放つ。

「それじゃ、さようなら。ブレイク・インパルス」

デバイスを押し当て、対象に強大な衝撃をぶち込む。
一瞬で頭部は破壊され、傀儡兵はバランスを崩していく。
――あら「ちょっと」強くやりすぎちゃったかしら?
心にもないことを思いながらブレイク・インパルスの衝撃を使い後方へ飛び退いたリンディは、制御を失い紙同然となったバリアを突き破った砲撃に打ちのめされる傀儡兵を空中でしっかりと確認した。

「お見事ね」

着地したリンディの後ろに、桃子が降り立つ。

「『お見事ね』じゃないわよまったく……」
「まあまあ」
「けど、現状のところ戦力が欲しかったのは確かなのよね」
「でしょ?」
「褒めてないわよ」
「あうっ!」

嬉しそうに笑った桃子の額にリンディはチョップを入れた。
ひどい! と文句を言いながら額をさする桃子に苦笑を漏らしながら、とりあえずこの先の方針を決定しようと口を開く。

「これからのことなんだけど――」
「余所見は、あまり感心しませんよ?」
「っ!?」
「その声は!?」

突如降ってきた声に、警戒態勢をとる二人。

「でないと、こういうのがいますから……ねっ!」

だが、その声の主は二人を攻撃するということはなく、上空からの急降下で影から二人を狙っていた傀儡兵を破壊した。

「リニスさん!?」
「どうも」

驚く桃子に、帽子の手をあててリニスは柔らかに微笑んだ。
だが、リンディは警戒を解いておらず、油断なくデバイスを構えている。

「プレシア・テスタロッサの使い魔が何の用? それに、どうしてプレシア・テスタロッサが亡くなった今、あなたはまだ普通に行動を取れるの?」
「そうですね。まずなぜ私がまだこうしていられるかと言えば、そもそも私とプレシアの契約における最大目標はが家族の再生だったからでしょうね。まあ、教えられてなかったことが多すぎて、一発あのすかした面に一発入れたい気分ですけどね」

リニスは肩を竦める。

「でも、魔力供給は絶たれているはずよね?」
「はい、プレシアからの供給はありません。ですけど……」

ポケットを漁ると、リニスは赤色の宝石のようなものを取り出した。ジュエルシードによく似た形態をしており、安定はしているものの高い魔力が感じられる。

「こんな現状じゃもう使うこともないだろうと思って、さっき取ってきたんですよ。動力炉のこれ」
「なるほど……ねえ」

よくわかっておらず頭の上に?マークを浮かべている桃子とは逆に、リンディは納得した様子で頷く。
宝石を再びポケットへしまいこむと、リニスは二人に意外な提案を放った。

「そこで突然ですが。共闘しませんか?」
「え?」
「へっ?」

素っ頓狂な声をあげた二人を見て、くすくすとリニスは笑った。




死を確信していたし、その通りになったはずだった。
それなのに、プレシアはぼんやりと意識が浮上するのを感じていた。
――な、ぜ……
ぴくりと、指先が動く感覚もある。
段々と頭ははっきりとしていき、鉛のように重いまぶたもゆっくりと上げることが出来るようになった。

「っ……」

青白い光が眼底を刺し、反射的に顔を顰める。

「ここ……は?」

暫くして明るさに慣れると、周囲が見えてきた。そこは病的なまでに青白い世界で、非現実的な空間だった。
横になっていたらしく、上半身をゆっくり起こすとプレシアは違和感に気づく。

「体が……」

ありえないくらい体の調子がよかった。枷のように全身を包み込んでいたあの倦怠感も、胸の中央部に突き刺さる槍のようなあの痛みもなにもない。
このような状況で不謹慎ではあるが、いつになく爽やかな気分で立ち上がる。
体を捻ったり腕を回して見るが違和感はなかった。
――なにが目的なのかしら、ねえ……
とりあえず青白い空間を歩きだしたプレシアは、周囲に目を配り、再び驚愕する。

「この……服装は!」

プレシアを囲むようにそそり立っていたのは、鏡だった。
そして鏡に映る自分の姿は、病と自分を偽るために厚化粧を施し、魔女的な服装に身を包んだそれではなかった。

「なぜ、こんな時に……」

ふらふらと近寄り、プレシアは鏡に手を付く。驚いたような恐れるような表情が大きく映し出されるが、彼女の注目は
そこではない。

「なんで、こんな……」

化粧は密かに自慢であった彼女の美貌を引き立て邪魔にならない程度に抑えられ、落ち着いた色合いのロングスカートと長袖のシャツ。
昔の自分だった。
アリシアを失っていなかった……いや、フェイトが生まれてすぐまでの。
だからこそ、全てをなげうった今の彼女にはこの上ない皮肉だった。

「今更……」

ひとりでに涙が流れ、視界がぼやける。
鏡は、そんな彼女をせせらわらうかのように、今度は映像を流し始めた。全部、プレシアの記憶だ。
アリシアと一緒に夕食をとって笑顔を見せる自分。
フェイトが自身の出生を知っても笑顔で自分を母と慕ってくれたことに涙する自分。
仕事へ向かう自分を悲しそうに見上げるアリシアにすまなそうに謝る自分。
風呂場で転んで泣き出したフェイトを宥める自分。
アリシアが描いた家族全員の絵を見て頬を緩める自分。
フェイトがピーマンをアルフに押し付けようとするのを叱る自分。
全て、今更だ。

「っ……!」

鏡面に爪をたて、歯を食いしばる。
えぐられる心の痛みに、今にも叫びだしたくなるが無理矢理押さえ込み、うめくように漏らした。

「いったい、私になにを求めるというのジュエルシード……」

大体、予想が付いていた。光の色がジュエルシードのそれであったし、そもそもこのような異常な事態を引き起こそうものなどロストロギアぐらいしか考えられない。
発動させることは出来なかったはずだが、なにかの拍子で発動したのかもしれない。まあ、もしここが地獄でこれが自分への罰だというのならば、神様とやらを呪いころしてやるところだとはプレシアも思うが。

「もう……全部遅すぎるのに」

ずるずると崩れ落ち、床に手をついてしまったプレシアは嗚咽が抑えられない。

「うっ……ううっ……」

あふれ出る雫は途切れることはない。
なぜこうも切ないのか。
どうして、こうも世界は自分に厳しいのか。
どうしようもない思いが渦を巻き、元々限界に近かった彼女の精神を締め上げる。
もう、彼女の心が砕け散るのも近い、そんな時だ。
小さな、だけど決して聞き逃すことはない呟きが、耳に入った。

「……母さん」

初めは幻聴かと思った。とうとう自分も焼きが回ったかと。

「……なんで、いなくなっちゃうの」

だが、どうやら本当に聞こえてきていたらしい。

「……約束、したのに」

耳朶を打つその声に、すっと頭が冷える。
――フェイ、ト……?
すすり泣くその声は聞き間違えるはずもなかった。
ゆっくりと顔を上げる。

「……寒いよ」

やはり、聞こえた。
両腕両足に力を込め、プレシアは立ち上がる。

「……寂しいよ」

フェイトの姿は見えないけれど、声の聞こえてくる方角はわかる。

「……一人は、いやだよ」

娘が泣いている。
プレシアが足を進める理由はそれで十分過ぎた。
青白い世界の奥へと、プレシアは進む。




「こちらとしてはジュエルシードの封印をしなければ、フェイト一人でさえも生き残ることがないのです。そして、そちらも被害を最低限に抑えるためには封印作業は必須。どうです? 現実的だとは思いますが」

指先にひっかけた自身の帽子をくるくると回しているリニスの説明を聞いたリンディは顎に手を当てて考え込んだ。
リニスの発言は確かである。海上で六つのジュエルシードを封印できたのは、今いる三人に加えてプレシアとユーノがいたからこそで、1.5倍の九つという数のジュエルシードをリンディと桃子、来たとしてユーノを含めた三人で苦もなく成功するとは残念ながらなるはずがない。
リニスに隠された思惑があるのか、とも思えるがプレシアの目的がある意味で純粋すぎるものであったことを考えると、そういうこともなさそうである。
ただ、どうも踏ん切りがつかないリンディであった。
眉を顰めているリンディにいい加減一言かけようと桃子が口を開きかけた丁度その時、リンディの目の前に空中ウィンドウが浮かび上がる。

『くぉらぁ!! リンディ!!』
「ひゃっ!!」
『なにちんたらやってんのよさっさとなさい!!』

画面一杯に広がるのは怒り心頭に発しているレティ。あまりの不意打ちにリンディは悲鳴をあげた。

「で、でもねレティ……」
『うるさい!!』
「あう」

弁明しようとするリンディをぴしゃりと一喝。レティは一息ついてから前のめりになっていた体を戻すが、まだまだいらいらは鎮まらないらしく刺々しい口調で語る。

『こっちが必死こいて次元振動を抑えようとしてるのにあなたは時間を浪費?』
「うー、だってリニスさんが……」
『他人のせいにしない! 時間もない、人手もないの今の状況でしょうが、さっさと三人揃って行きなさい』
「えーと、いいの?」
『優先順位はジュエルシードの沈静化でしょうが。だいたいあなたいつも色々一人で抱え込みすぎなのよ、あのときだって……』

いつの間にやらレティの話の雲行きが怪しくなった。
――じ、時間がなかったんじゃ?
どうやらリンディも同じことを考えているらしく桃子同様に表情が引きつっている。一転してリニスはなにやら面白いものを見れたとばかりに愉快そうだが。

「あー、わかった! わかったから! だからお説教は次元の狭間にでも捨てといて!」

手を前に突き出し、声をあげてレティの話を遮ると、それに彼女が文句を言う前にとリンディは言葉を続けざまに叩きつける。

「超特急でジュエルシードのとこまで行ってどうにかしてくるから、後ろはお願いねレティ」

ウインクを飛ばされて気勢をそがれたのか冷静になったのか、レティは眼鏡の場所を右手で直すと苦笑しながらひらひらと手を振った。

『そうね……なら、ジュエルシードの方は引き続き任せます。幸運を祈るわよリンディ執務官。あ、そうそう。とりあえず応援としてユーノさんを送るわ』
「了解ですレティ提督」

びしっとお互いに敬礼を交わす。二人の口元に浮かぶ微笑はよく似ていて、桃子にはそれが両者の長年の友情と信頼の証のように思えた。
ほどなくして空中ウィンドウは消え、リンディは振り返る。
彼女の目前にいるのは桃子とリニス。

「それじゃあ二人とも、いっちょ行きますか!」
「ええ!」
「はい。それでは私が先導しましょう」

不敵な笑みを交わしあうと、時の庭園の構造に詳しいリニスを先頭に全員が走り出す。
途中にはやはり傀儡兵が立ちはだかるのだが、

「邪魔を!」
「するんじゃ!」
「ないわよ!」

一体はリニスに切り裂かれ、ある一体はリンディの魔力弾に打ち抜かる。他の一体は桃子の振るうレイジングハートに吹き飛ばされた。
アリシアの眠っていた場所まで、あと少し。




まるで雲の上をあるいているようにどこか安定しない床の上を、ゆっくりとプレシアは歩き続けていた。
娘の姿はまだ見えないが、聞こえてくる嗚咽は確実に大きくなっていて、徐々にではあるが近づいているのがわかる。
プレシアの頭は早くフェイトの元へ行かねばと急くのだが、心がそれを押しとどめ、相反する命令に苦慮した体はゆっくりと歩くことを選択していた。
――ジュエルシードの空間、そしてその場にいるフェイト……つまり、そういうことね。
頭を振って天を仰ぐが、今彼女が歩いている空間は残念ながら四方八方同じ景色で気分転換にもなりはしなかった。
彼女がわかっていることは、ジュエルシードを発動させてしまったのは恐らくフェイトであろうということだ。恐らく彼女は不幸にも事切れたプレシアを見つけてしまったのだろう。
先ほど聞こえたフェイトの呟きにあった言葉を思い出せば簡単に推理は働く。

「『一人はいやだよ』ね……」

ある程度時間が経ったのに耳から離れない言葉を口に出してみたが、小さく呟いたというのにその言葉はプレシアに纏わりつくように広がった。
フェイトがなにを願ってしまったのか、プレシアにしてみればそれも簡単に想像がつく。
自分の今の格好はどうだ。
娘と幸せに暮らしていた遠き日の姿だ。
まだ数年しか、いやすでに数年共に家族として過ごしているからプレシアはわかる。アリシアと同じく、フェイトも母親のことが大好きで、それゆえにプレシアの死を受け入れられなかったのだろう。
受け入れられないから、世界を否定し、運悪くジュエルシードがその願いを聞き取った。とても単純だった。

「まったく皮肉ね……」

プレシアが無理矢理浮かべた笑みは、引きつり無残なものだ。
フェイトは、拒絶した今から幸せだった過去へと戻ることを望んだ。だけれども、彼女のその過去はアリシアから受け継いだ記憶でしかない。それがプレシアに突きつけてくるのだ。結局、お前はフェイトになにを残していたのか、と。
母親としてフェイトへ向けていた愛がアリシアに劣ることはないと断言できる。だが、それをなにか形にするようなことは殆どしてこなかった。

「まあ、それでもやっぱり私たちは親子だったわけだけど」

忌まわしきアリシアを失った事件よりも前の今の自分。それは、フェイトが望みジュエルシードが齎したものだ。
けれど、プレシアが願ったものも同じなのだ。
彼女も同様に、過去を乗り越え切り開いた未来を家族と再び共に歩むためにアリシアを蘇らせようと思っていたのである。
そこここに些細な違いはあれど、親子に願いに大きな違いはなかった。
目の前に鏡映しの自分を見せ付けられ、プレシアはふと気づく。

「永遠の都アルハザード……」

舌に乗せたその単語は、彼女がジュエルシードを用いて目指そうとした場所。
一般には御伽噺の類と見なされているが、プレシアはその存在の確信を得ていた。そして、それが次元の狭間で眠っているとも。だからこそ、ジュエルシードの力でもって道を生み出そうとしたのだが、どうやら考えを変える必要がありそうであった。
――失敗する気はないわ。やるからには必ずアルハザードにたどり着いてみせましょう。だけど……
フェイトはどうするのだろう?
さっきまではあの高町桃子か時空管理局に保護されるだろうと考え、しかる後に迎えに行けばいいかなどと思っていた。しかし、冷静になって考えればなんとも酷い。
彼女は人形ではないのだ。とりあえず押入れにしまっておいて、必要になったら取り出すなどということはできない。病によるタイムリミットにより冷静さを欠いていたというのも言い訳にもならない。
現に、プレシア自身のエゴに付き合わされてしまったフェイトはこうして傷ついているのだ。

「……」

無言で、自分の両手を見詰めた。
もう一度、フェイトを抱きしめることが、いやその資格が自分にあるのだろうかと自問してしまう。
そのまま背を向けて逃げ出したくなる。
視界の手は小刻みに震えていた。
足が止まった。

「私は……」

自信を喪失したプレシアは唇をわななかせる。
けれども、何度も何度も主張していたというのに彼女は忘れていた。例え彼女自身がどう思おうと、変わらない事実があることに。

「……かあさん」

すぐ側から聞こえたフェイトの声。
それが耳に入った瞬間すっと悪いものが抜け落ちるように後ろ向きだった心は方向転換し、足も再び動き出す。
――そう。そうよ……どんなにバカでも惨めでも、私はあなたの母親なのよね。
記憶の1ページがプレシアの脳裏に蘇った。
アリシアを失い絶望する自分。それしか喋れないのかのように機械的に繰り返したものだ。

『魔法の才能も、頭脳もいらないわ……娘がいないなら!』

プレシアの全ての根幹は母親だ。大魔導師と謳われたその魔力でも頭脳でもない。結局は母親であるというその事実だけなのだ。

「ふ……難しく考えすぎて一番簡単なことを忘れるってやつかしら」

プレシアが笑みを浮かべると、空間全体が光り輝き、彼女を包んだ。
あまりの明るさに反射的に目を閉じたプレシアが光が止んだのを感じて恐る恐る片目を開けと、すぐに両目が驚愕に開かれる。

「これ、は……」

大きなベットに本が沢山積まれた勉強机、さらには天井に描かれた満天の星座群。
そこに現れたのは時の庭園の一角、フェイトの部屋であった。
まさか戻ってしまったのかと思ったが、窓の外を見た瞬間にそれは即座に否定される。窓枠に切り取られた空間に見えるのは、アルトセイムの森と空でも、次元空間の不気味なマーブル模様でもなく、まさに暗黒であったのだ。
とどめには、フェイトだ。
膝を抱えて、部屋の片隅で震えているフェイトはなにも見たくないのか顔を埋めて自分の世界に閉じこもっていた。

「……」

すぐ側にいるけれど、声をかけてもきっと届かない。なぜだかそう確信できたプレシアは、微笑みを浮かべたまま無言でそっと近寄り……優しく後ろから抱きしめた。




玉座の間を突破した三人は、揃って表情を険しくさせた。

「これは……」

目の前には青白い巨大な渦があった。九つのジュエルシードが圧倒的な魔力を迸らせているそれは、凝縮された台風のようで、三人もうかつに近づけない。

「ちょーっと、大変かしら?」
「リンディさん、さすがにこれは洒落にならないわよ……」

リンディが冗談を言うが、それに乗れる余裕は桃子にもなかった。
場を和ませるのに失敗したリンディは苦笑いするが、顔の横を汗が滴り落ちていた。

「これ、どうしたら封印できると思いますか?」
「力技……は無理よねぇ」
「かといって搦め手もないわ」

リニスの疑問に、桃子もリンディも妙案はなし。三人の顔には一律に焦りが浮かぶ。
だが、桃子はすぐさま表情を引き締めると、焚きつけるるように二人へと声を上げた。

「でもなにもしなかったらなにも起きないわ! とりあえずやれるだけやるしかないわ!」

レイジングハートの先端を渦の中心に向け、桃子は叫ぶ。

「空間にある魔力は十分。スターライトブレイカーで、押し切る!!」

渦を睨みつける桃子の足元に魔法陣が浮かび上がり、早速魔力の収束が始まる。
反応が遅れた二人だったが、ようやく腹を括ったのか構えを取った。

「確かに、やるしかないですね」
「女は度胸、ってとこかしら」

桃子の右には薄紫色のリニスの魔法陣が、左には青色のリンディの魔法陣が同時に浮かび上がる。
力を溜める。思いも込めて。
桃子とリンディは言わずもがなだが、使い魔たるリニスの力量はAランクを大きく凌駕するもの。
もし、この一撃が通れば未来が開けるかもしれない。
だが、そうやすやすと上手くは行かないようなのである。
自身のすぐ側で高まる魔力に反応したのか、渦がそれまでとは異なる動きを見せる。それまでは不規則であった魔力の奔流が、規則的に一点に集まっていく。

「っ! まずい!!」

叫んだのはリンディ。咄嗟に攻撃魔法をキャンセルし防御魔法を展開しようとするが、間に合わない。
ジュエルシードの渦が彼女らへ向けて砲撃を撃つのが先だった。
――やられた!
思ったのは誰だったか、それとも全員だったか。とにかく三人はぎゅっと目を閉じた。
それでも、身に降りかかったのは砲撃ではなく耳に届く、まだまだ幼い少年の声だった。

「プロテクション!!」

声に反応した三人の眼前には、一面に広がる青白い砲撃。そしてそれと自分の間に展開される緑色の巨大な防御魔法と少年の姿。

「ユーノくんっ!?」
「遅れて……すいません!」

振り返ることなく返したユーノは、歯を食いしばり全身で砲撃の圧力に耐える。

「僕は攻撃魔法なんて全然使えないけど、防御だけは……負けられないんだ!!」

シールドに魔力をつぎ込み、防ぐ。
ユーノの防御魔法の硬度と才能は相当なものである。はっきり言って桃子のディバインバスターやプレシアのサンダースマッシャーにも難なく耐えられる程だ。
しかし相手は無尽蔵の魔力を持つジュエルシード。瞬間威力だけならば桃子とプレシアの方が上かもしれないが、こちらは途切れることがない。

「く……う…………」

両手で支えるものの徐々にシールドに皹が広がる。
もう耐えられない。そう彼は思った。

「子どもにばっかりやらせてちゃ大人としてダメダメよね」
「そうですね。男性に守られるのことに憧れる女性は多いかもしれませんが、私たちはそんな柄ではないですし」
「あーそれは言えてるわ」
「え……?」

ユーノのシールドにそっと手が添えられ、見る見るうちに硬度が戻っていく。
不思議そうに左右を交互に見るユーノに対し、リンディとリニスは微笑みを浮かべる。

「一人で無理ならもっと大勢でやればいいでしょ?」
「最終的に勝てばよいのですから」

シールドを共に支える二人はさも当然といった様子で言い放つ。

「取りあえず、今は攻撃を防ぎましょう。後は桃子さんにお任せ」
「……丸投げ、ですか?」
「いいえ違いますよ。信頼です」

浮かべる年上の二人の女性が、なぜ悪戯の成功した子どものような表情を見せるのかユーノにはわからなかった。
だけれども、そんなことを考えるのをやめてユーノはシールドの維持に意識を集中させた。桃子ならなんとか出来そう、そう思って。




「Master.」

リンディとリニスがユーノの補佐へと立ち上がったすぐ後、レイジングハートが桃子に声をかけた。

「なに?」
「Please use Jewel Seeds.」
「なっ!」

さすがの桃子もレイジングハートの提案には驚愕する。

「な、なに言ってるのレイジングハート、正気!?」
「Yes, I said seriously. (ええ、本気で言いました)」

返答は相も変わらず涼やかだが、桃子は落ち着いていられない。

「今ジュエルシードなんて使ったら被害が広がっちゃうわよ!!」
「No, master. On condition that we control them we can overcome this difficulty. (いいえ違いますマスター。ジュエルシードをコントロールしさえすれば、今を切り抜けられます)」
「で、でも……」
「Make a dicision master. Enemy has a terribly strong power , so we have not any other choice. (マスターご決断を。奴は恐ろしく強大な力を持っています。他に術はありません)」
「う……」

レイジングハートの言うように、桃子単独ではスターライトブレイカーを用いたとしてジュエルシードを打ち破れるかは怪しい。というより可能性は低いだろうし、極限まで威力を求めてチャージしようとすればそれだけ時間がかかるので、三人の防御が崩されてしまうかもしれない。となると、こちらもジュエルシードの力をぶつけて相手を押さえ込むというのはなるほど道理に適っているように思える。
とはいえ、ジュエルシードの制御を誤れば、皆揃ってお陀仏だ。
――ど、どうすれば……
逡巡する桃子に、レイジングハートは言い含めるように声をかけ続ける。

「I believe you, master. And of course, I assist you with my all strength. (私はあなたを信じています。それにもちろん私もあなたを全力で補佐します)」
「レイジング、ハート……」
「Please be use Jewel Seeds. (どうか使ってくださいジュエルシードを)」

全く動じていないレイジングハートの声に、桃子も覚悟を決める。

「そう……ね。そもそもプレシアさんと戦うって決めた時だってかなりの無茶だったものね」

両足でしっかりと体を支えて立つ。

「それでも、あたしは勝てたもの。これくらい……どうってことないわ!」
「Jewel Seeds put out. (ジュエルシード放出)」

レイジングハートから吐き出された八つのジュエルシードが桃子の眼前に浮かび、展開された制御術式の魔法陣のに取り込まれる。

「Sealing cancele. (封印解除)」
「くっ……」

封印が解除された瞬間。吹き荒れる魔力と、間近で暴走しているジュエルシードの波動を受けて、桃子の手元のそれも暴れようとうごめき始めた。
レイジングハートの補佐のもと、マルチタスクも総動員、魔力の出し惜しみなしでジュエルシードを押さえつける。
ぎりっ、と食いしばった歯が音を立てた。

「言うことを……」

ちょっとでも気を抜けばアウトになりかねない状況を、意地で乗り越える。

「聞きなさい!!」

そして、ジュエルシードの破壊衝動を無理矢理一方向へ向け、解き放った。




冷たい。
それが最初の感想だった。
前に抱きしめた時はどうだったろうかと思って、最後に抱きしめたのが何ヶ月も前の遠く昔であったことに愕然とした。
だから、さらにぎゅっと抱きしめた。

「……だ、れ?」

か細い声が腕の中から聞こえた。

「私よ、フェイト」
「かあ……さん?」
「ええ、そうよ」

もぞりと動いたフェイトは膝にうずめていた顔を上げ、虚ろな目で振り返る。そして、驚きに目を見張った。
プレシアの腕の中で体を反転させる。
真正面に、穏やかな笑みで自分を見つめてくれているのは紛れもない母親の姿。幻かとも思うが、自分の体に伝わる温もりがそれを否定する。

「嘘……」
「あら、フェイトは母さんがいないほうがよかったのかしら?」

冗談半分に言うと、ぶんぶんとフェイトは顔を振る。二つのお下げが鞭のように飛び、首を痛めないかと心配になるほどの勢いだ。

「でも、だって、母さんは……っ!」
「私はここにいるわよ」

目じりに残っていた、一人で泣いていた名残の雫を拭ってやると、そのまま頭を撫でてやる。

「かあ、さん……」

拭ったばかりだというのに、また瞳が潤み出してきた。ただ、今度は涙の色が先ほどとは少々違う。

「母さんっ!!」
「あらあら」

飛びついてきたフェイトの勢いは凄まじく、プレシアは尻餅をついてしまった。打った部分はひりひりと痛むが、彼女は笑みを絶やすことなく、娘を抱きしめる。

「う、ううっ……」

自身の胸に顔を押し付けて涙に咽ぶ娘の背をあやす様にさする。

「怖かったよぅ……」
「うん」
「寒かったよぅ……」
「そう」
「寂しかったよぅ……」
「ごめんなさいね」

親子二人の穏やかな時間が流れる。相当力が入っているのだろう、背中にフェイトの爪が食い込んでいたが、プレシアはなにも気にならなかった。




暫くすると、フェイトも落ち着いたのか顔をプレシアの体から離して、ごしごしと袖で目元を擦った。

「落ち着いた?」
「……うん」

恥ずかしそうに、だけど嬉しそうにフェイトは微笑む。
しかし、すぐに表情を曇らせ、俯いてしまう。

「でも、これは夢なんだよね……」
「どうしてそう思うの?」
「だって、ほんとは母さんは」

思い出してしまったのか、またもや涙が浮かぶが、唇を噛んであふれ出すのを耐える。

「かあ、さんは……死んじゃって…………」
「そう、ね……」

否定できず、プレシアも沈んだ声を漏らした。
娘に辛い思いをさせてしまったことをまじまじと見せ付けられ、心が握りつぶされるようだ。

「あ、でもね! もういいんだ」
「え……?」

続けられたフェイトの声はどこか明るく、上げられた顔は不器用ながら笑顔だった。

「だって、夢かもしれないけど母さんに会えたんだもん。夢から、覚めなければいいんだよね?」
「……」

冷たいものがプレシアの背中を通り抜けた。
フェイトの中に片鱗を見てしまった。かつて自身の全てを支配していた、狂気の片鱗を。

「嫌なことばっかりなせ界なら、もう私はいらない。それだったら、母さんと一緒な夢のほうがいいよ。ね、そうだよね母さん?」

このままではいけない。本能的にプレシアは察する。
娘には未来がまだまだあるのに、それをこんなところで閉じるなど、許せない。

「フェイト」

呼びかけ、頬に手を当てた。フェイトは気持ちよさそうに目を細めている。

「確かに、世界は辛いことが一杯よ」

こればかりは否定できない。

「だけどね。本当の幸せも現実でしか手に入らないの」
「そんなことないっ!!」

フェイトは悲痛な叫び声をあげる。

「現実なんて、もう母さんがいない! それに私は夢の中で母さんに会えたよ! 幸せだよ!!」
「いいえ、違うわフェイト」

顔を寄せ、しっかりと娘の瞳を見詰めた。

「これは、現実で手に入れた幸せを思い出して慰みに浸っているに過ぎないの」
「……違うっ!」
「違わないわ!!」
「ちがうちがうちがうちがうちがう! ちがう!!」

耳を両手で押さえ、目をぎゅっと閉じてフェイトはうずくまってしまう。

「聞きなさいフェイト!!」

プレシアも声を荒げるが、フェイトは壊れたラジオのようにひたすら「ちがう」とだけ呟きながら頭を振っていた。

「フェイト!!」

プレシアはフェイトの肩を両手でがっちりと掴むと、びくりとフェイトの体が震えた。
開かれた両目がプレシアを捉え、しかしきっと細められた。

「母さんなんか……母さんなんか……約束守ってくれなかったくせに!!」
「っ!」
「私信じてたのに、またみんな一緒に幸せに暮らせるって!」

一度決壊したフェイトは止まらなかった。

「母さんの邪魔にならないようにって我慢したよ!」

涙を流しながらも、愛が深いがゆえの恨みを吐き出していく。

「なのに! 母さんは私のこと置いていった!!」

フェイトは、生まれて初めて自分の母親を睨みつけ、糾弾した。

「ねえ、なんで!?」
「…………」

娘が自分の真正面に立ちはだかっているというのに、動揺した素振りも見せない。
同時に、プレシアはなにやらそれまでと違った魔力の波動を感じていた。
――どうやら、あちらさんも頑張ってるみたい、ね。
微かに伝わるその魔力に、つい全身に記憶された痛みを思い出す。ジュエルシードを挟んでなんども対峙した桃子の魔力が感じられた。
現実ではまだ戦っている人間がいる。そのことがプレシアを力つけた。

「いいこと、フェイト……」

そう言って、プレシアは息を吸い込むと……手を振り上げた。
乾いた音が響く。

「え、あ……」

なにが起こったのかよくわからないという様子でフェイトはひりひりと痛みを訴える自身の左頬に手を当てる。
呆然と見上げると、そこには腰に手を当てた母親がいた。

「頭は冷えた?」
「……」

フェイトからの返事はないが、プレシアは話を続ける。

「確かに、私も一度は諦めかけたわ。けれどね、私はここにいるの」

もう終わりかと思った瞬間、約束を守れないことを侘びた。否定できない事実だ。
だが、それはもはや後がないと思ったがゆえで、今は違う。
こうして彼女は自我を持っている。
まだまだ戦える。

「約束を破ったなんてどうして決め付けられるの? まだ私はここにいるのに」
「でも……ここは夢で、本当は母さんは死んじゃって……」
「いいえ」

きっぱりと言い放ったプレシアの顔に浮かんでいたのは、凄みのきいた、完全の確信を持った笑みであった。

「私は死んでいないわ」

根拠はどこに、とフェイトは思うが、あまりにも堂々とし過ぎているプレシアの姿に息を呑んでしまい、もしかしたらと思ってしまう。

「ほん、と?」
「ええ、フェイトが心の底からそう思ってくれればね?」
「……え?」

フェイトは首をかしげてしまう。どうしてそこで自分が出てくるのだろうかと。
可愛らしい仕草に頬を緩めながらプレシアはそっとしゃがみ、フェイトと視線の高さを合わせる。

「それはね、私がフェイトのお母さんだからよ」
「……?」
「ふふっ」

やっぱりわからないといった様子のフェイトについ声を漏らしてしまったが、ゆっくりとまた説明していく。

「母親というのはね。子どもが本当に応援してくれた時に一番力を出せるの。だから、フェイトが私は死んでいないって思ってくれれば、そうなるわ」
「……ほんとに?」
「ええ、ほんとよ」
「……ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
「……嘘じゃない?」
「嘘なんかつかないわ」

この上なく大事なものを持つように、フェイトの両手を包み込む。

「フェイトは、どう思う」
「私は……母さんに生きていて欲しい」

ぎゅっと。手を握り返される。

「本当に?」
「ほんとに!」
「本当に本当?」
「ほんとにほんとだよ!」
「嘘じゃない?」
「そんな嘘つかないもん!」

必死に首を左右に振るフェイトに、プレシアはまた笑みを深くする。

「フェイトは、元の世界に帰りたい?」
「……」

この質問には答えづらいらしくフェイトは言葉に詰まる。それでも急かすことなくプレシアは見守り、返事を待った。

「……母さんも、いるよね?」

が、出てきた言葉は質問に対する返事ではなかった。

「もちろんよ。だってフェイトがそう思ってくれてるんだもの」
「じゃあ、帰りたい」
「本当に?」
「ほんとだよ。だって、母さんが待ってくれてるんだから!」

元気よく言い切ったフェイトの声が響き渡り、二人を青白い光が再び包み込んでいく。
周りの世界が虚ろであやふやなものになっていく中。お互いに繋ぎあった手の温もりだけは消えなかった。



『後書き』
遅くなって申し訳ありませんが第十二話です。
それにしてもなんだかプレシアさんが主人公化している。おかしいな、桃子さんのSSのはずなのに。

ご意見ご感想お待ちしています。



[19546] 魔法パティシエリリカル桃子 最終話
Name: 細川◆9c78777e ID:1b4cb037
Date: 2010/10/31 17:58

暴走するジュエルシードと桃子の間でぶつかり合う尋常ではない魔力。
現在術式を用いて方向付けているとは言え、その圧倒的な魔力はひとたびコントロールを誤れば破壊を全方位に撒き散らすだろうことは間違いない。
そんなギリギリの線上で彼女は戦い続ける。

「くっ……ああっ………」

あたり一帯の息がつまりそうなほどになるほど濃い魔力の中、衝撃に耐えながら桃子はジュエルシードの手綱を必死で握る。
これは死闘だ。桃子が倒れるのが先か、それとも桃子が暴走ジュエルシードを押し切るのかという。
ただ、疲れ知らずの暴走ジュエルシードに対して桃子は圧倒的に不利ではあるが。

「桃子さん! 今私も!」

桃子がジュエルシードを用い始めたためにシールドを保持する必要のなくなったリンディが息を整え終わると、彼女の援護に回ろうと動く。

「いえ、待ってください!! あっちの様子が……」

しかし、それをリニスが声を上げて止める。
見ると、綺麗な青白い渦を巻いていた暴走ジュエルシードだが、ノイズが走るようにその均整がところどころ崩れている。

「これは、ジュエルシードの安定性が崩れている?」

青白い渦はますます不定形となり、ついには青白いなにかの靄のようになる。

「でも、攻撃は相変わらず……」

打ち込まれる砲撃の威力に変化はないようで、桃子のおかげと言うわけではなさそうであった。
原因を彼女らが推察する前に、靄は心臓の鼓動のように収縮と拡張を繰り返し始め、ばちばちと「紫色の」魔力を表面に弾けさせるようになる。
次第に表面を迸る魔力は激しくなっていき、ついには爆発した。

「な!?」
「え!?」
「くぅ!?」
「うわっ!?」

四人は発されたあまりにも強すぎる光に目を閉じ、来たるべく威力に身構えた。
だが、なにも衝撃はない。
変わりに、ありえないはずの声が聞こえてきた。

「……母さん、だよね?」
「ええ、そうよ」
「帰って、これた?」
「もちろんよ。フェイトのおかげね」
「そっか……」

しっかりとフェイトを抱きとめたプレシア・テスタロッサが、恐る恐る目を開けた全員の眼前、渦から少し離れた場所に立っていた。
その身を支える両足はしっかりと地を踏みしめており、顔色も健康そのものであった。

「ただね、フェイト。ちょっとだけ母さんはやることがあるのよ」
「え……?」
「大丈夫。ちょっとした後片付けだけだから。あの人たちの後ろのほうで待っててくれる?」
「……うん、わかった」

そっとフェイトを下ろすと、あまりの事態に言葉を失っている皆の方を指さし、そう説明した。素直に頷くと、フェイトは小走りに言われた通りの場所へと向かう。
その後ろから、四人の元へプレシアはまっすぐに歩を進め、まず第一に自分の使い魔を見ては鼻で笑った。

「ふっ、いつまでアホ面晒してるの? まだまだこれからなんだからしゃきっとなさい」
「って、プレシア! あなた大丈夫なんですか!?」
「当然平気よ、気になるなら精神リンクなりで勝手に調べなさい」

食って掛かるリニスを軽くいなし、歩みを止めることなく今度はリンディの肩をぽんと叩いて通り過ぎる。

「色々迷惑かけたわね。まあ、もうちょっと苦労していただくけど」
「翠屋さんのケーキ二週間分で手を打つわよ」
「多いわ、10日になさい」

ため息とともに苦笑してジョークを漏らしたリンディの発言にちょっぴり微笑みながら、ユーノを一瞥した。

「あらちょうどいいわ。ちょっとあなたフェイトのこと見ていてくれる?」
「へ? あ、はい」
「ただ、怪我させたり手を出したりしたら次元の狭間を永遠に彷徨わせるわよ」

母親の発言を聞いていたのか、既に自分の後ろにやってきていたフェイトとプレシアを交互に見てユーノはちょっと青ざめる。
最後に、一瞬気を抜いてしまったのだろう、一度崩れかけたジュエルシードのコントロールを取り戻そうと必死になりながら、ちらりと視線を送って来た桃子の側に立ち、そっとレイジングハートに手を重ねた。
瞬間、術式の処理速度が格段に上がりる。プレシアとフェイトが外に出てきたとは言え暴走は止まらず、桃子の制御の崩れたために押し込まれ気味だった攻撃も押し返し始めた。

「相変わらずね、桃子」

プレシアが送ってきた言葉にどんな意味があったのか、それは桃子にもよくわからない。
ただ、彼女は無事で、自分の名前を呼んでくれた。これがわかるだけで満足だった。

「そっちは……なんか若返ってない?」
「ふっ、さあね」

横に並んだプレシアの顔色はよく、唇も健康的な赤さを持っていた。
さらに言えばその瞳にある灯火が冷たい炎ではなく暖炉のような包み込むような暖かさを湛えているのがわかる。
どちらかともなく二人は笑顔を交し合った。

「あー、仲がいいのは結構だけど、とりあえず今は目の前の問題に集中しましょ?」

レイジングハートに添えられる手が増える。声の聞こえた方向、プレシアとは反対側に振り向くとリンディがウインクを送ってきた。

「ええ、そうですね。これでは落ち着いて話もできません」

さらに増える手は、桃子とは逆のプレシアの隣に立ったリニスで、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
全員で処理することにより術式の効率は跳ね上がる。徐々にではあるが、暴走ジュエルシードからの砲撃を押し返し始める。

「あたしたちはね!」
「これくらいじゃ!」
「負けは!」
「しないのよ!」

四人の叫びとともに、術式に取り込まれた八つのジュエルシードから撃ち出される魔力が濃く、そして太くなった。






魔力の感じ取れない、ほぼ魔力のない少女にしてみても、それは恐ろしい光景だった。
母と、姉的存在と、以前お世話になった女性、最後に知らない女性の四人はフェイトに背を向けて立ち、なにやら形に定まらない何かからの攻撃を受け止め、押し返そうと頑張っている。
だが先ほどから動きがなく、きっと母なら大丈夫だとは思っても不安が高まってくる。気づけば、殆ど時間は経っていないというのに手のひらは汗でぐっしょりと湿っていた。

「Miss, could you help me? (お嬢さん。手を貸していただけますか?)」
「ひゃっ!? 誰? どこ?」

突然聞こえてきた落ち着いた男性のような声に、フェイトはびくりと身を震わせた。
きょろきょろと周囲を見回すが、男というと自分を守ってくれるらしい少年しかおらず、しかも先ほど聞いた少年の声と今の声は全く違う。

「Here. On the table in front of you. (ここです。あなたの後ろの机の上にいます)」
「え?」

更に聞こえてきた声に、ゆっくりとフェイトは後ろを振り返る。
そこには、元々この部屋にあったのだろう机があった。そしてその上、よくわからない数式が大量に書かれた紙の上、金色をした三角形のプレートがきらりと輝いた。

「もしかして、あなたですか?」
「Yes miss. Nece to meet you. (ええお嬢さん。初めまして)」

まさかと思って声をかけると再びプレートは光る。
人間でも使い魔でもないのに人間の言葉を話すその存在について、フェイトは一つだけ思い当たるものがあった。

「もしかして、デバイス?」
「Certainly. Well, can you answer me? (まさしく。ところで、お答えいただけますかな?)」
「え……あ。あの、私で役に立てるなら」
「I appreciate you. (かたじけない)」

もしかしたら母親の役に立てるかもしれないと思ってフェイトは咄嗟にOKを出してしまう。すると、心なしか嬉しそうにデバイスは返事をするのだった。

「Though it is sudden, I ask you to bring me for Ms.Testarossa. (突然ではありますが、私をミズ・テスタロッサのところまで運んでいただけないでしょうか?)」
「母さんのところ? でも……」

後ろで待っているように言われていたことを思い出し、フェイトはその秀眉をひそめてしまう。だが、デバイスは根気よく彼女を説得せんと言葉を重ねる。

「No problem. On the contrary, you can help Ms.Testarossa. (大丈夫ですよ。それどころか、ミズ・テスタロッサの助けになれますよ)」
「母さんの、助けに……」

デバイスの言葉にフェイトは悩み込んでしまう。
母の役に立てるなら立ちたい。だけれども、言付けを破ってしまうことには変わりない。その板ばさみ。
――でも……
もう、彼女は一人が、いや、なにも出来ないというのが嫌だった。ずっと待っているのが。
さっきだってそうだ。
待っているだけでは、なにも起こらないのだ。自分で望み、手にしたいと思ったからこそ再び母は彼女の前に立ってくれている。
自分に出来ることだけでいい。それがあるなら、もう悩みはしない。

「うん、やるよ」

手を伸ばし、ちょっとひんやりと冷たいデバイスを手におさめる。

「母さんのところへ、連れて行ってあげる」

きっと前を見据えるフェイトの瞳は、俯きがちだった少女のそれでは、もはやない。






暴走しているジュエルシードは九つ。こちらが使っているのは八つ。
しかも、ただ力を吐き出せばいいあちらと違ってこちらはその力を上手く制御しながら使わなくてはならず、いくら四人で支えているとは言え、押し切れない。
その変わりに疲労ばかりが溜まる。
――まずいわね……
プレシアが心の中で思うと同時に汗が顔の横を流れ落ちる。
足りないのだ。まだ処理能力が。押し切るには魔力をコントロールするだけではなく、それ自体をもう一つのちゃんとした術式に乗せて威力を高めた攻撃を用いなくてはならない。だが、四人でも足りない。
どうにかしないと、そう思った丁度その時に背後から声が聞こえた。

「I haven't seen you for a long time, Ms.Testarossa. (お久しぶりです。ミズ・テスタロッサ)」
「あなたは……」
「ば、バルディッシュ!?」

声をかけられたのはプレシアだったにも関わらず、一番驚いた声を出したのはリニスだった。それもそのはず、バルディッシュを製作したのはリニスだったのだから。

「ど、どうしてあなたが――」
「静かになさい、リニス。私に用件があるみたいなんだから」

立て続けに疑問を発しようとするリニスを黙らせると、振り返ることもなく淡々とバルディッシュに声をかける。

「で、なんの用?」
「Please use me. It will be sure to be useful. (私をお使いください。必ずや役に立って見せます)」
「……リニスが趣味で作ってみたけれど接近戦用なんて私には合わないから今までずっとお蔵入りだったあなたが?」
「Yes. (はい)」
「ふうん……」

そのままプレシアは黙り込む。
が、すぐに口元にゆっくりと笑みを浮かべると、後ろへ片手だけを伸ばした。

「フェイト」
「は、はいっ!」
「それを私に渡しなさい」
「う、うん……」

今までなにも言わなかったのに、どうしているのがわかったんだろうと疑問に思いながらも、フェイトは差し出されたプレシアの手へとバルディッシュを乗せる。

「バルディッシュ、しくじったら許さないわよ?」
「Yes, sir. Set up.」

プレシアの命令に従い、バルディッシュが輝きを増す。
次の瞬間にプレシアの手にあったのは黒光りするボディを持った、斧のような形をしたデバイスだった。

「Canon form.」

セットアップ時の廃熱を排気すると、斧の部分が回転し、砲撃モードへと移る。

「やるわよ」
「Yes, sir.」

バルディッシュはレイジングハートの横へ並べられる。するとすぐさま両AIはお互いの機能をライドさせ、処理能力が上げられる。それだけでなく、なにやら交信があったようだが。

「プレシアさん?」
「平気よ。ただちょっと術式を教えてもらっただけだから」
「は、はぁ?」

よくわからないながらも、桃子はとりあえずジュエルシードの制御に専念する。なにやらプレシアの笑顔が怖いことは忘れることにして。

「さあバルディッシュ。準備なさい」
「All right.」

ジュエルシードを制御している桃色の魔法陣、その周囲にプレシアの足元に紫色の魔法陣が四つ浮かび上がる。
それは、どこかで見たことがあるものだった。

「え!?」

一番に気づいたのは桃子で驚きの声を上げるが、プレシアは落ち着いたままだ。

「ジュエルシードの魔力の制御も、言ってしまえば周囲に存在する魔力を無理矢理収束する行為と同じよ。まあ、難度は比べ物にならないけれどね」

暴走しているジュエルシードからの攻撃を受け止める一方、プレシアが空中に展開した魔法陣には魔力が高まっていく。ジュエルシードを制御して得た魔力だ。

「だからね……これで、終わらせられるのよ」

死ぬわけでもないのに、プレシアの脳裏には走馬灯のように過去が流れていた。
まだ大学の学生時代だった自分。
絡んできた紫髪の変態科学者がうざかったので雷を落とした。
24時間を越える出産の末に生まれたアリシアの元気な産声。
笑顔を振りまきいつも自分の後ろをついてきてくれた。
事故で娘を失い、狂気の底に陥った。
また現れた紫髪の変態科学者がもたらしたプロジェクトF。
生まれたフェイトと忘れていた約束を思い出した。
ジュエルシードを巡り戦った。
一度は死んだ。
――でも、ね。
この過去全ては、今に繋がっている。

「自分で蒔いた種だもの。自分でどうにかするわ」

そして今は、未来へと続く第一歩だ。
だから、前へ進もう。
世界はいつだってこんなはずじゃなかったことばかりだけれど、それでも。

「スターライト……ブレイカー」

立ち止まりはしないから。






青天の空の下、早足というより小走りに進む親子の姿がある。
娘のほうは母親に手を引かれながらも、どうして自分がこうしているのかわかっていない様子だ。

「ねえおかーさん、どこ行くの?」
「ふふふー、それはね。とってもいいところよ」
「にゃー、それじゃわかんないよ」
「大丈夫大丈夫、お母さんにまかせなさいって」

結局、桃子の返事は同じことの繰り返しで、なにも核心に近い部分がわからない。桃子の肩に乗ったユーノがすまなそうに見てきていたので肩を竦めてみせたら、ユーノも同じような仕草をした。
なのはは最近、ちょっと母親が変わったように思う。正確に言うとユーノが家に来て、桃子がちょくちょく外へ出かけるようになってから。
どこが明確に変わった、ということはどうも言えないのだが、どこかが変わったということは確実にわかる。
まあ、だからといってこうしていきなり朝早くから連れ出すのは、朝に弱いなのはにとっては勘弁して欲しいものであるが。

「ふんふんふーん」

ただ、鼻歌を歌いにこにことご機嫌な母親を見ると自分まで嬉しくなって、そんなことどうでもいいかと思ってしまうのは、なのはが桃子のことが大好きな証なのかもしれない。
運動は苦手だけど桃子に遅れないように足を頑張って動かしながら、繋がれたその手をぎゅっとさらに強く握った。
二人は海鳴臨海公園へとたどり着こうとしていた。






朝の爽やかな潮風を浴びながら、海沿いを歩いていくと、誰かを見つけたらしく桃子がぱっと手を大きく振り出した。

「あっ! プレシアさーん! リンディさーん!」

あまりにも子どもっぽいその仕草に、自分の母親ながらちょっと恥ずかしくなったなのはだが、桃子が手を振っている方をそっと見た。
そこには、桃子と同じくらいだろう年齢の女性が二人と、

「わあ……」

なのはと同じくらいの年だろう金髪の少女がいた。朝の陽光を浴びて輝くその髪は、物語の中にいる妖精のようなイメージをなのはに与え、心をどきりとはねさせる。
ついその少女に見とれていると、いつの間にかすぐ近くまで来ていたらしく、母親の足が止まり、なのはもそれに合わせて止まる。
緑色の髪の女性が一歩前に出て、笑顔を浮かべた。

「久しぶりね。元気だった?」
「ええ、もちろん」

どうやらその女性は桃子と知り合いだったらしく親しげな様子で二三言葉を交わすと、次になのはへと視線を移した。

「もしかして、あなたが……」
「ええ、そうよ。桃子さんの自慢の娘よ」

なのはは、ちらりと送られた桃子の目配せでその意思を理解する。

「あのっわたし、高町なのはです!」

言って、ぴょんと跳ねるように一度お辞儀をする。
顔を上げると緑髪の女性はより一層深まった笑顔で迎えてくれた。

「あら、丁寧にどうも。私はリンディ・ハラオウンといいます。でもごめんなさいね、こんな朝早くから」
「いえ、そんな全然です。……あの、ところで急な質問で悪いのですが、お母さんとは知り合いなんですか?」
「ええ、そうよ。私たち、最近桃子さんと知り合ったんだけど、もう外国に戻らないといけないから長くお別れなのよ」
「あ、そうなんですか」
「そういうことよ」

横合いから声が入ってきた。その方向へ顔を向けると、もう一人の大人の女性と先ほどの少女が近寄ってきた。

「どうも、初めましてなのはちゃん。私はプレシア・テスタロッサよ。お母さんには色々お世話になったわ」
「あ、はい。どうもです」
「それと、こっちが私の娘ね」

プレシアはそっと、自分の影に隠れるようにしていた少女の背中を押して、なのはの正面に立たせる。

「ふぇ、フェイト・テスタロッサです!」

緊張した様子で、お辞儀した少女はその後で、恐る恐るとなのはの顔を覗き込んできた。
遠目ではわからなかったが、フェイトと名乗った少女の瞳はルビーのように真っ赤だった。でも、不安なのかちょっぴり揺れていて、それを安心させるように自然となのはの表情は笑顔に変わっていく。

「じゃあ、フェイトちゃんだね!」

いきなりはどうかなと思ったけど、名前を呼ばれた本人はちょっとびっくりしたらしく目を見開いていたが、すぐにほっとした様子で息をつくとはにかみながら笑顔を返してくれた。

「うん、そう。君は、なのは……だね」
「うんっ!」

お互いにもう相手しか目に入っていない二人は気づかなかったが、大人の女性三人が優しく見守っていた。






さっき会ったばかりなのに既に長年来の親友同士であるかのように笑顔で話を弾ませる子ども達二人の様子を、少し離れた場所から桃子、プレシア、リンディの三人は眺めていた。

「正直、心配だったのよね」

最初にぽつりと呟いたのはプレシアだった。

「家族全員がまた集まるのが唯一の幸せなんだって、そう思い込んでいて、それまでの辛抱だとかなんとか言い訳つけてフェイトには辛い思いをさせていたわ。友達も作るチャンスすら与えずに」

だが、今フェイトは楽しそうになのはと語らいあっていた。つい目頭が熱くなる。

「あーあ、私もクロノを連れてきたかったわ」
「息子さんだっけ?」
「そ、14歳だから二人より五歳年上だけどね」

残念そうに肩を落とすと、リンディはそのまま桃子とプレシアから離れて行った。

「取りあえず時間はまだあるし、積もる話もあるでしょうから私はちょっと海風にでも当たってくるわ」

振り返ることもなく手をひらひらと振って立ち去る彼女の背中めがけて、桃子の肩の上からフェレット形態のユーノが走っていき、プレシアの後ろにずっと控えていた山猫形態のリニスも足早にその後を追う。

「……あはは」
「ふふっ」

気を利かせてくれたんだろうということがわかり、つい桃子とプレシアは目線を合わせて笑い合った。
海沿いに設置されている手すりに腰を下ろす。
色々話をしたいと思ったことは沢山あったのに、なぜか実際に一対一になると言葉に出なくて、尋ねたいことも山ほどあるのだけれど、事前に考えていた順番も飛んでしまう。
だから結局、一番気になることを聞くのだった。

「アリシアちゃん、どうしてる?」

失われたアリシアの話題を出すというのは、プレシアの一番デリケートな部分に対して切り込むことであり、桃子はつい目を逸らしてしまった。

「そうね……アリシアは相変わらず寝ているわ」

だが、予想以上にプレシアからの返事は穏やかだった。

「結局前と変わらないわ。まあ、悪くなっているわけではないからいいのかもしれないわね」

あの時、暴走したジュエルシードをプレシアが並行して使ったスターライトブレイカーで封印した。だが、時の庭園はもう限界であり、プレシアはアリシアを目覚めさせるなにかしらの手段を講じることも出来ず、生体ポットごとアースラに非難しただけだったのだ。

「もう一度、アリシアも一緒に家族みんなで考え直すわ」

桃子が顔を向けると、海風で揺れる髪を手でそっと押さえつつ、プレシアは穏やかな表情で彼女の方を見ていた。

「アリシアは今だって大事よ。だけどね、また今回みたいに誰かに辛い部分を押し付けるような形では駄目なのよ。それだと必ずどこかで借金のツケが回ってくるのね」

話の途中でちらりと、逸らされた彼女の視線の先にはプレシアの娘の一人がいた。

「どうすることが最善なのか、まあ幸い退屈な裁判もあるし考える時間は沢山あるしね」

冗談めかし、肩を竦めてみせるプレシアだったが、桃子にとってはそう簡単に流せる話題ではなかった。顔色を青ざめさせて桃子は詰め寄る。

「って、そうよ! 裁判があるんでしょ、大丈夫なの?」

次元世界の法律がどうなっているかはわからないが、あれだけの破壊力があるジュエルシードの使用。さらにはクローンの研究とあっては、なんだか無事に済むとは到底思えないのだ。
せっかくフェイトが母親との幸せな絆を取り戻せたのにまた離れ離れとなっては、あまりにも悲しすぎる。

「ああ、それはなんとかなりそうよ」
「ほんとに?」
「ええ」

訝しげに自分よりちょっと身長の高いプレシアを桃子は見上げる。なのに当の本人はどこ吹く風といったばかりに普段通りであった。

「まあ、ロストロギアの違法使用にクローンの違法研究、管理局員の公務執行妨害、相手が魔導師とは言え管理外世界住民に対する魔法使用とか確かに普通だったら無人世界の軌道上刑務所送りがいいとこなんでしょうけど」
「ええっ!?」

途端に狼狽する桃子だが、プレシアはそんな彼女の姿が面白いのかにやにやと笑みを浮かべる。

「管理外世界住民に対する魔法使用と公務執行妨害は、あなたとリンディ、それにレティが報告として出さないって言ってくれたからグレーゾーンだけど無しね。代わりに最後のところでジュエルシードの封印を手伝ったことを強調してくれるらしいし、クローニング技術の方を再生治療の方向に提供することと、使ってた違法取引ルートとか、やり取りしてた自称アルハザードの遺児とかいう某広域次元犯罪者のデータを提出すれば政治取引になるし、なんだかんだで私の研究力と魔力が売りに出せるから、まあ大分拘束はされるとは思うけれど、家族はばらばらにならないで済みそうよ」
「そっか……」

正直言って、細かいところは桃子にはよくわからなかったが、とにかく結論として再建された彼女の家族は変わらず一緒に暮らして行けそうだというそれだけで十分であった。

「よかったわね」
「結構なところは、あなたのお陰だけれどね」
「そんなことはないと思うけど……それより!」

びっと桃子はプレシアの鼻先に指を突きつける。

「なんだかね、その『あなた』っていうの、他人行儀な気がして嫌なのよ」
「……なら、どうしろと言うのよ」
「簡単よ。フェイトちゃんとなのはと同じ」

それだけ言ってにっこりと桃子は笑う。
なんとなくプレシアは桃子の言いたいことはわかるのだが、どこか気恥ずかしく思う。

「あのね、私たちは子どもじゃなく大人なんだから――」
「えー、いいでしょプレシアさんそれくらい」
「む」

笑顔を崩さずじっと待ち続ける桃子に、ついにプレシアは降参とばかりに両手を挙げてしまう。

「はいはい、わかったわよ」

小さく息をつき、子どもを相手にするような口調でそう言う。

「そうね、ジュエルシード越しに初めて会った時からずっとしつこかったわよね、桃子は」
「桃子さんはこれだって思ったことは絶対に諦めないのよ」
「ああ、そんな感じがするわ」

色々とここ一月程のことを思い出したのかプレシアは苦笑する。それでも、その声音は楽しそうなものだったが。
どちらからとなく、お互いの娘の方を見る。
そこでは、なのはは白の、フェイトは黒のリボンを手に持ち、お互いの髪をそれで結わえあっていた。再会の約束というわけだろうか、リボンの交換であった。
微笑ましいそんな光景を見て幸せな気分に浸っていたら、プレシアがぽつりと沈んだ声を漏らした。

「でも、今回は迷惑かけたわね」
「え?」

突然しんみりと言い出したプレシアに、桃子はきょとんした様子で目を瞬かせる。
しかし、すぐにくすくすと笑い始めた。

「なにらしくもないこと言ってるの、これくらい平気よ!」

両手に腰を当て、胸を張って言い放つ。

「だって、桃子さんはお母さんで魔法使いなんだから、ね?」






『後書き』
ちょっと短いですが最終話。
ジュエルシードを少々便利アイテム扱いしすぎた感はありますがこれにて一件落着。プレシアさんの減刑具合には異論もあるかと思いますが、フェイトちゃんのためと思って一つお願いします。

魔法パティシエリリカル桃子はこれにて終了とさせていただきます。
当初はA’s編もやろうかと思っていましたが、ついノリではやてを桃子さんの友達としてしまったせいで本来の流れから大きく乖離というより崩壊が決定しています。しかも上手い再構成をするには自分はあまりに未熟ですので、区切りのついたここで終わりにしました。
至らない点も多々ありましたが、みなさまのご感想、ご指摘、ご声援のおかげでやってこれました。
ここまで拙作をお読みいただきありがとうございました。








~おまけ~

「はぁ~」

早朝にはプレシア・テスタロッサと一対一で戦った。

「はふぅ」

その後は息をつく間もなく時の庭園へと出撃し、なんとかジュエルシードの封印に成功。

「あー」

正直に言って、高町桃子はもうくたくただった。もう指一つ動かしたくないほどに。さらには一仕事成し遂げた後の達成感も重なってなまけものと化していた。
風呂だってなのはが一緒についていなければ眠ったまま沈んでいたかもしれない。今だって四苦八苦しながら恭也が作った夕食を食べてもう結構経つというのに、ソファにひたすらぼーっと座っている。

「おーい、桃子」
「なぁに士郎さん?」
「疲れているんだったら、もう寝たらどうだ?」
「んー、そうするー」

半分閉じた目でのろのろと動き出すその姿はもう頼りなく、士郎はちょっぴりと肩を竦めていたのだが、桃子の目には入っていない。

「まてまて桃子。先に歯を磨かないとだめだろう」
「えー」
「えー、じゃない。ちゃんとやらないと子どもたちにも示しが付かないだろう」
「むー、じゃあ、士郎さんやってー」
「……は?」

あんまりにもあんまりな桃子の発言に、死線を幾度となく潜り抜けてきた士郎も、動きを止めてしまう。

「も、桃子?」
「はやくやってー」
「いや、でもな」
「はーやーくー」

ソファを両手でぺしぺしと叩きながら催促する桃子は、もう士郎が歯磨きをやることで脳内決定されている。
対する士郎は困ったように頭を掻いていた。
――ど、どうしたものか。歯磨きを代わりにやるなんて、そんなの……いや、俺たちはとっくに夫婦なんだからこれくらい普通だよな? 「あーん」のちょっと変形バージョンくらいだろう。それに、最近桃子が出かけてたから俺の桃子分も足りないし、これくらいのスキンシップがあってもいいよな? うん、そうに違いない。いや、そうに決まった!

「しょうがないなぁ桃子は、今日だけだぞ」

口ではそう言うものの、肉体的に無茶だとわかっていても神速を使ってしまいたい思いをどうにか押さえ、しかし迅速に洗面台まで言って桃子の歯ブラシを入手してくる。

「よし、それじゃあやるぞ」
「はーい」

桃子に並ぶようにソファに腰掛けると、彼女の頭を膝の上に導く。素直にころんと転がった桃子は、最初は頭の置き場が気に入らないのかもぞもぞと動いていたが、暫くして納得したのか全身の力を抜いて士郎に体を預けた。
もうすぐ33歳とは思えない美貌を誇る妻が無防備に自分に膝枕されているという状況である。真上から彼女を俯瞰しているというアングル、ばさっと広がっている艶やかな髪、男として高ぶらずにはいられない。
――くっ、鎮まれ俺の煩悩。ここで手を出したら負けだ。そう、御神の剣士に負けはないんだ!!
まだ夜も浅いというのに襲い掛かるようそそのかしてくる悪魔は御神流奥義之六薙旋を放って吹き飛ばしていおいた。

「ほら、口開けろ」
「あーん」

そして、歯ブラシをそっと桃子の口内へと差し入れる。

「んぅ……あ」

歯にブラシを当てて動かす。

「はぁ、んんぅ、ふぁ」
「……」
「ん、あ、あふ」

が、なにやら桃子の口からは艶かしい声が漏れだしてきており、士郎の心の城壁をがりがりと削っていく。さすがに士郎も堪らず、一度歯ブラシを抜いた。

「なあ桃子、大丈夫か? なにか変なところぶつかってたりとかはしないよな?」
「ふぇ? ……ふぁあ、ふぇいきよ」
「そ、そうか、ならいいんだが……」

脳内では妹の美沙斗を召喚して煩悩打ち負かしに協力してもらい、とにかく早めに終わらせようブラシを動かすことに専念する。

「んん……やぁ」

だが、眉を寄せてなにかに耐えている姿に生唾を飲まずにいられなかった。

「ひゃう……ん、あふ、ぁあ」

歯を磨いてもらっているからには大きく動くことが出来ないのだろう、どこか落ちつかなそうに足をもじもじとすり合わせているのも、たまらない。

「んう、あぁ……ふぁあん」

ぎゅっと握り締めている両手は胸元に置かれているのだが、パジャマという薄着であるために、ふくよかな双子のマシュマロが両拳によって柔らかに形を変えている様が手に取るようにわかる。

「あぁ、うぅん、しろうふぁん……やぁ、あん」

高町士郎は徹夜を覚悟した。






そんな仲むつまじい夫婦を影から見守るものが二人。

「父さんも母さんも……」
「にゃー……」

額に手を当てて嘆息するのは恭也、目を覆っているようで指の間からしっかりと見ているのはなのはだ。

「もういい歳だっていうのに……」
「おかーさんたちなんか楽しそう。ねえおにーちゃん、なのはにもやって」
「なあっ!?」






『あとがき』
ある意味有言実行。歯磨きプレイ普及に協力してみた。
こんな妄想ばっかりでもいいよね。だっておまけなんだもの。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.22658491134644