朝日が昇りきる前に目を覚ましたガニドスは、ベッドから降りると軽くストレッチをして体をほぐす。
ボキボキと腰を鳴らすと、部屋の隅に置いてある洗面器に顔を突っ込み顔面を擦り上げる。
実に豪快な洗い方なので、当然床に水が散る。
このガニドスの日課は孫娘であるニードからはかなり不評だったりする。床を掃除するのはニードの役目なのだから。
孫娘に甘すぎるガニドスも流石に譲れない部分があるらしく、ニードの文句も何処吹く風で改善の見込みはない。
「さて、外の空気でも吸うかのぅ」
顔を洗い、仕事着に袖を通したガニドスは部屋を出て外へと向かう。
まだ昇りきってない太陽が薄っすらと山際から顔を出しドッヅェを照らした。
ドッヅェ一年中熱くもなく寒くもない過ごし易い気候なので、分厚い革製の仕事着を着ていても特に問題にならない。
ガニドスは体を伸ばし深呼吸を2,3度繰り返すと満足気にして、2階の事務室へと向かいオリーシュによって整理された依頼書などを取り出し1階のリビングへ。
定位置となっているイスに腰を下ろし依頼書を読み始めた。
ガニドスはオリーシュのことを高く買っている。
初めて出会ったときこそ人間族であるオリーシュに驚き、多少警戒していたが、仕事振りや生活態度を見ていてすぐに警戒を解いた。
警戒しつつも家に招くあたり実にお人よしなガニドスだが、村のまとめ役としてそれくらいの度量は持っていた。
家に招いた頃は、オリーシュは店の手伝いを殆どせずに粗末な棒っきれで狩りに出掛けていた。
そんな彼を訝しげに思い、なにか事情があるのかと勘繰りもしたが次第にどうでもよくなった。
棒一つでウルフを狩ってくる人間の青年に驚いたが、家での態度は慎ましいもので、ことあるごとに恐縮するオリーシュにむしろ呆れもした。
熟練した戦士かと思えば、実に小心者な人間の青年。そのギャップが微笑ましかった。
その内ウルフの毛皮を売ることで貯まったお金が結構な額になったので、それをオリーシュに渡そうとしたが宿代だと言って受け取らないので、装備を揃えて渡した。
オリーシュが装備していた武器は、ガニドス手製の鉄の剣だ。
しかし、それから数週間もしない内にオリーシュは狩りを一切しなくなった。
どういった心境の変化かはガニドスには分らないが、どこか落ち込んでいるオリーシュには理由を尋ねることはせずに店の手伝いをさせるようにした。
流石に働かない奴を家に置いておくことはできない、という理由だが、それとは別の思惑もあった。
働けば気がまぎれるとも思ったし、以前オリーシュがたまたま鉱石の仕入れに出くわし、そのとき鉱石の質を一瞬で見切ったことも理由にあった。
計算をさせれば早く正確でガニドスは非常に助かった。
そういうわけでオリーシュは店の手伝いをするようになり、店番も任せることで村の人達と交流していき今に至る。
オリーシュが店の仕事をしだすとガニドスと話す機会も増え互いに遠慮もなくなってきた。
今では遠慮の無い口の悪いオリーシュのことが小憎い孫のように思え、息子夫婦を無くしてすっかり静かになってしまった家が賑やかになり嬉しく思っていた。
まあニードは嫁にやらんがな、と内心呟いてガニドスは小さく笑う。
「お爺ちゃん、おはよう」
「おお、おはようニード。今朝はどうするんじゃ?」
「うん、チーズがあるからスープに入れようと思うんだけど、どう?」
「旨そうだ」
台所にやってきたニードの提案に笑顔で答えると、ニードは地下の貯蔵室へと向かった。
朝から元気な様子の孫を微笑ましく思いながら、まだ起きてこないオリーシュに苦笑する。
オリーシュは基本朝が遅い。まあ仕事に遅れることは流石になく、態度も真面目なのでガニドスもうるさく言うつもりはなかった。
「ふむ」
依頼書をもう一度よく読みなおす。
最近オリーシュのスキルによって安定して造る事ができるようになった神品質の製作依頼だ。
細かい内容は、鋼鉄製の神品質ロングソードが3本、鋼鉄製の最上級ショートソードが3本、同じく鋼鉄製の最上級の肩当、胸当て、ブーツが各3組。
鋼鉄製ということから、結構な取引になる。
しかも型への流し込みでなく、新造で鍛えて欲しいという依頼だった。
「これは大仕事だのぅ」
この武器、防具を使うのは恐らくかなりの上級指揮官、もしくは最精鋭だろう。
一般兵にならば中級、もしくは上級の鉄。剣も型への流し込みの量産物で十分なのだ。
それを鋼鉄の神品質。新造の打ち込みの剣を3本と言えば、下手したら家が建つ。
神品質は最上級の鉄鉱石を仕入れてその内の5%あるかないかという貴重な代物。
それを使って3本ものロングソードを造れば、洒落にならない金額だ。
「……在庫足りるのかの、これ」
むしろ在庫があるか心配のガニドスだった。
この世界の加工に使える金属は大まかに4つ。
下から鉄、鋼鉄、特殊鋼鉄、ミスリル金属だ。その他にもあるが、武器や防具といったモノに使うのは基本これらになる。
一般的な鍛冶屋が扱うのは鋼鉄までで、特殊鋼鉄はかなり大掛かりな設備が必要になり、ミスリル金属に到っては特別な才能が必要になる。
ガニデスもミスリルを扱っている鍛冶屋は一つしか知らない。大陸全土の鍛冶屋を数えてもミスリルを扱えるのは恐らく片手の指があれば足りるだろう。
まあ、その分値段も半端ないので一般でお目にかかることはまずない。
特殊鋼鉄は大きな町であればある所にはあると言った感じで、ガニデスも何度か扱ったことがある。が、できればあまり扱いたくないと思っている。
何しろ加工にとても気を使い、下手すれば全てが無駄になる。
特殊鋼鉄は加工に失敗したら普通の鋼鉄と違い溶かしてまた使うことができない。故に武器や防具には向かない。
簡単な話で修理ができないからだ。つまり金属として鈍ってくると新しく用意しなければならないのだ。
そんな金属を武器として使えるのは極々一部の人間だけ。そしてその極々一部の人間を相手に商売するのだから、余計に気を使う。
できれば二度と扱いたくないのがガニデスの本音であったりした。
依頼書を片手に唸っていると、珍しく早くに起きたオリーシュが顔を出した。
「あ、おはようございます。親方」
「ん、おはよう」
「依頼書ですか? 結構難しい注文ですよねそれ」
オリーシュはそう言って、台所にあるコップを手にとって水を入れると一息で飲み干した。
今日は仕事休みの日である。いつもの仕事着ではない小奇麗な格好をしているオリーシュ。
ああそうか、とガニデスは昨夜の夕食のときの話を思い出した。
どうやらニードと仲直りしたオリーシュは二人でどこかへ出掛けるらしい。
目の前の青年がニードに不埒なことをするとは思えないが、後で釘を刺しておくかと依頼書で口元を隠しニヤリとする。
このおっさんも大概である。
「おお、そうだ。これの在庫はあったかの?」
「……神品質が少し、足らないかな。どっちみち仕入れようと思ってたので、まとめて仕入れといたらどうっすか?」
「そうするかの。次の仕入れはいつ頃になる?」
「んー、ああそうだ。今日出掛けるんで直接頼んできますよ。それなら明日の昼頃、遅くても明後日までに用意できるんじゃないですかね」
「そうか。じゃあ悪いが頼めるかの?」
「了解です」
うむ、と小さく呟いて依頼書をテーブルの隅に寄せるガニドス。材料の目処はたった、あとはどの順番で加工するかだ。
段取りで作業時間がぐんと変わってくる。取引金額もさることながら、大手のギルドを介しての取引だ。慎重にしなければならない。
「ん? なんじゃその手は?」
不意に、オリーシュが手のひらを上に向けてこちらに突き出しているのが目に入った。
「休日手当て、別途支給を要求」
「アホか」
「ですよねー」
ニードとは絶対にない、こんなやり取りは実に楽しいものだと一人ごちるガニドス。
まあニードと一緒に出掛けるのに釘を刺すのをやめといてやるか、と胸の中で呟いた。
「ニード、どこ行きたい?」
「えっと……オリーシュさんは、どこかないですか?」
『不毛なやりとりが続きますねー』
ガイドの突っ込みに、「うるせー死ね」とニードに聞こえないように小さく呟いたオリーシュはどうすっかな、と頭を掻く。
天気は良好。気持ちよく晴れ渡っており、風が心地よく吹き抜ける。
今日は他の仕事の人もお休みなようで、家族連れで村の表通りは活気付いていた。
行商人の露天が並び、珍しい果物や物品を取り揃え人気となっている。
「ま、のんびりすっか」
「そうですね」
そう言って、広場の噴水の縁石に腰を下ろし行き交う人々を眺める。
ガニドスの鉄工所から2分も歩かない広場で腰を下ろしているだけだがそれなりに楽しいようで、今ニードに尻尾があれば盛大に振っていることだろう。
『ロリはダメですよ? この世界といえど違法です』
「うるせー死ね」
「え?」
突然ぼそりと呟いたオリーシュに小首を傾げてクエッションマークを浮かべるニード。
どうやら内容までは聞こえなかったようで、オリーシュは一瞬かいた冷や汗を拭いながら適当に誤魔化した。
「そういや、ニードさ」
「はい」
なんとなしにこぼした言葉だったが、神妙な顔をしてオリーシュをガン見するニードに一瞬腰が引ける。
「どこにそんな懐く要素があったんだ?」と思いながらも、それを決して顔に出さない。
「あの、その、なんだ。もう長いこと世話になってるしさ、お礼になんかプレゼントしようと思ってたんだけど、中々決まらなくてさ」
「はひ」
『うはー、ニード嬢固まってますよこれ。真面目な話しオリーシュさんのどこがそんなに気に入ったんですかね?』
うるさい黙れ、と心の中で呟きつつ青筋を立てながら全力スルー。
「なんか欲しいものがあるなら言ってくれ。お金はまー、多分平気だから」
ウルフを狩ること1ヶ月。ガニドスの店で働き始めて約4ヶ月。
特に金遣いが荒いわけでもないオリーシュは結構金を持っていた。
いつぞやの店にはあれ以来一度も行っていないし、非常に残念だがこれから行く機会もないだろう。
「えっと、そんないいです、よ」
わたわたと手を動かして全力で遠慮するニード。だが残念だが彼女の本心は尻尾がなくとも丸分りだ。
「遠慮しなくていいからさ、たまには俺にも何かさせてくれ」
「それに気分が変わってやめるかもしんないから、なるべく早く注文してくれな」と付け加え、オリーシュはボーっと空を眺めた。
隣からは落ち着きの無い空気が伝わってくるが、あえてスルーしてニードの言葉を待った。
どのくらいの時間が過ぎたのか、決意を固めたニードは意を決して、こう呟いた。
「……あそこのお店を、見て、みたいです」
そう言って、通りにある行商人が開いている露天をニードは指差した。
「へぇー、結構いいモンあるんだな」
「?」
オリーシュの言葉に首を傾げるニード。
鍛冶屋の孫娘とはいえ、目利きの具合は素人と変わりないようだ。
「お! お兄さん分ってるねぇ。北の鉱山で取れた一品物ばかりだよ。そんじょそこらの店には負けない自信はあるぜぇ?」
オリーシュの言葉に乗るようにして景気のいい声を張り上げる店主の兄ちゃん。
見たところ20台半ばの土妖精。肌は浅黒く、この辺では見ないタイプだ。
きっと遠くの方からやってきた行商人なのだろう。
人間であるオリーシュを見ても平然としている。
「……いいものなんですか?」
ニードは恐る恐るオリーシュへ聞いてみた。
多分値段を気にしているのだろう。
「ん? ああ、大丈夫だよ。そこの耳飾に使われてる石だけどさ、この辺じゃみないけど多分値段は150ルデアってとこだし。
周りのは大体50から20ルデアって感じじゃない?」
「いやー、参ったよお兄さん。そこまで言い当てられると200じゃ売れないわ」
悪びれなく店主は言って肩をすくめる。
「……っ」
150ルデア。それは職人の半月の給金に等しい額だ。
思った以上の値段にニードは目を見開いて驚愕する。
「あの……、オリーシュさん。わたし……いいです、から」
「へーき、へーき。これくらいなら全然買えるから。流石にそれ以上高くなるときついけど」
そう言ってオリーシュはニードの頭をぽんぽんと叩く。
うー、と唸りながら悩むが、オリーシュが「いいから、いいから、ほんと気が変わらないうちに選びなよ?」と最後通告をしたので、
ニードは観念してシートの上に並んでいる色とりどりの商品を眺めたり、手にとって選び始めた。
その様子を見て「うむ」と納得すると、オリーシュも珍しい石や金属でできた小物を物色する。
目に入れた瞬間に素材の名前が分るオリーシュには、非常に楽しくためになった。
見ただけではわからない、理解しがたいものも触れればより深く理解できるので、遠慮なく物色しては手にとって確認をする。
そして、隅の方にちょこんと置かれた深緑の透き通った石に引き込まれた。
「おー」
石自体は大して価値のないモノだったが中々どうして、宝石の出来損ないともいえる変哲もないその石には魔力が宿っていた。
魔力。オリーシュには非常に縁のない言葉である。
各プレイヤーにはそれぞれ職業が割り当てられる。戦士、闘士、術士の3つどれかだ。
その内魔力を使うのは基本的に術士のみ。
他の職業は精神力といった、どこか違うのか微妙に判断に迷うチカラを使う。
ちなみにオリーシュは精神力を使ったスキルさえ持っていないので説明を省く。
基本術士しか持たない魔力を戦士や闘士たちが扱うには幾つかの方法がある。
その一つがこの魔力を秘めた石だ。通常、秘めた石の種類に限らず全て精霊石と呼ばれる。
そして、術士が込めた構成と設定されたキーワードを用いることで、石に込められた魔力を使うことができる。
まあ普通に魔法をぶっ放して使うと消耗が激しくすぐにすっからかんになってしまうので、通常付与魔法などを込めて永続的に使用する。
剣の柄に埋め込んだり、鎧や装飾品の一部に使用するのが一般的である。
触れてみて石の中身がどんなものかと確認しようとしたところで、ニードが遠慮がちに裾を引っ張ってきた。
「あの、これ……」
「ん? どれどれ」
ニードが手に取ったのは、黒い石と白い石がそれぞれ入った耳飾。
デザインは大人っぽいシンプルなもので、背伸びしたな感が伺える一品だった。
「これにしたんだ」
「似合わない、ですか?」
「ちょっと大人っぽい感じだねぇ。付けてみる?」
「ふぇ!?」
オリーシュの提案が意外だったようで変な声を出して驚くが、オリーシュは気にせず店主に確認を取ると「ほい」と言ってニードに手渡し、店主から借りた手鏡を持った。
淡い黄みがかった茶色のボブカットのニードの髪先から耳飾が顔を出し、黒と白の石が控え目に存在感を発する。
手鏡を見たニードは照れるようにはにかみ満足気だ。
うむ、いい買い物だとオリーシュが思った矢先、
「200ルデアになります」
と、声が聞こえた。
思わず「は?」と声を出しかかったオリーシュだが、寸でのところでどうにかソレを飲み込んだ。
(ぐぅっ、してやられた……!)
あの耳飾はどうみても50ルデアもしない。センスのあるデザインだし、使われている金属も上等なものだろう。しかし200はありえない。
だが、今それを店主に言うことなどできるはずがなかった。
何故ならすでにニードはソレを選んでしまったし、オリーシュがソレを買う気でいることを店主はバッチリ把握している。
今ここで値段に難癖をつければ店主は引きさがるが、ニードは確実に遠慮するし気持ちよく終われないだろう。それじゃあプレゼントの意味が台無しだ。
一緒にいるのがニードでなく、ガニドス辺りなら乗り気で難癖をつけるが、有り得ない仮定をしても無意味である。
『あっちゃー、やられましたねオリーシュさん』
ガイドの突込みが一々ムカつくが、ここは我慢せねばならない。
ニードなんか値段を聞いて固まっているし、ここであまり長いこと返事をしないでいると怪しまれる。
かといって、このまま素直に200ルデアを払うのは癪だ。つーか、許せん。
(恐るべし、行商人……)
オリーシュは、自身の持つスキル以外の商人としての経験値、能力がまだまだ未熟であると改めて痛感した。
別に商人を極めるつもりも無いが。
どうしたものかと頭を必死に動かし、そして気が付いた。気が付いたのなら即実行。
「オ、オリーシュさん、わ、私いいです。流石に200ルデアなんて……」
子供には手の届かない大金だとニードは理解しているし、家事の一切を取り仕切っているからこそ200ルデアが大金であると知っている。
流石にこんなものを買ってもらうわけにはいかないと、ニードは耳飾同様に目を白黒させて断ろうとする。
このニードの混乱振りすらも目の前の店主の仕業だ。オリーシュは胸の奥で炎を滾らせる。
200ルデアならギリギリ払えるラインだろうと、小賢しい計算もガッチリしてのことに違いない。
事実200とちょっと持っていたりした。
いや、店主は一旦値を下げる筈だ。流石に200は吹っかけすぎなのだから。
勉強したかい坊主? まあこの辺で妥協しやがれという意味も含めて。
「お兄さん、嬢ちゃんはこう言ってますけど、どうっすかねぇ? オレとしても嬢ちゃんには似合うから是非、ね。
なんなら嬢ちゃんに免じて150ルデアでいいぜぇ? 200じゃちょいとキツイだろしさ」
「そうだなー、ニードには似合うしそれ買うわ」
「毎度あり!」
「オ、オリーシュさん?」
事態についていけず、すでに涙目のニード。
「あ、それとさ、これとかも欲しいんだけど。いくら?」
そう言って、ぼったくり耳飾が置いてあった周辺の髪飾りや小物を指差すオリーシュ。
「う……」
店主が一瞬顔色を悪くする。
200ルデアの耳飾を買うと聞いた周辺にいる買い物客が遠目にこちらをチラチラ確認していたのだ。
人間であるオリーシュに住民は慣れたとはいえ、それでも珍しさからまだまだ目立つ存在。
それが値下げしてもらったとはいえ150ルデアもの耳飾を買おうというのだから、ガッチシ注目される。
『やりますねー、逆手に取りましたか。単なる嫌がらせの類ですが、中々いい手です』
今この状況で200ルデアと言い切った耳飾の周りの商品の本当の値を言うことはできない。
なぜならどれも20ルデアにもならないモノばかりだから。流石に20ルデアのモノばかり並んだところに200ルデアの商品があるとは店主も言い切れない。
それはどう考えても不自然だ。
かと言って高額にすることもできない。そんなことをすれば高いものばかり並んでいる露店と思われて客足が遠のいてしまう。
「50ルデア……ですねぇ、そこにあるモノは40ルデア、そっちのは60ルデアだねぇ」
「ふーん」
『無難な線で返してきましたねー。まあ50ルデアってだけで買う人は中々居ないと思いますが……これであの商品は売れませんね』
これは予想通り。
店主が初めから正直に答えるとはオリーシュは思っていない。
でもまあ一矢報いたことだしこの辺りで矛を収めるかと、オリーシュは本来の目的を済ませる。
「そっか、ああ、こっちのはいくらぐらい?」
先程オリーシュが目をつけた石がある辺りを指差す。
「そっちかい? おお、そっちは安くなってるから手頃だよ! いいとこに目を付けたねぇお兄さん!」
無駄にデカイを張り上げる店主。
安いモノもあるとアピールしておきたいのだろう。
150ルデアの買い物させた客が消えたあとに安いと叫んだところで誰も信じるはずもないからだ。
「それが10ルデア、そっちのが5ルデアって感じでリーズナブルなお手頃価格だ!」
これは本当。
「へぇ、安いな。じゃあコレ貰うわ」
「あの、オリーシュさん。ほんとに……良かったんですか?」
どこか体を小さくして躊躇いがちに聞いてくるニードに、オリーシュは笑いながら答えた。
「いいって、いいって。さっきも言ったけど精霊石も手に入ったことだしさ」
『あの店主さん呆然としてましたね、まさかその石っころが精霊石だなんて思わなかったんでしょうねー』
5ルデアの精霊石をオマケということで無料でゲットしたオリーシュ。
石自体に大した価値もなく石に秘められた魔力も実際は大したことはない上に、希少性は理解できても価格が分らないので、
150ルデア払って得なのか損なのかはオリーシュには分らなかった。
まあついでにさらに一泡吹かせてやるかと、オマケとして貰った後にこれは魔力を秘めた精霊石ですよ、とネタ晴らしして早々に立ち去った。
魔力を持たない人には、余程濃い魔力でなければ気付くことができない。
だから店主がそれを本気で信じたのかは、また微妙なところであったりもした。
「その、精霊石って本物なんです?」
「一応本物だよ? 大したチカラはないっぽいけど」
『ですねー、大したチカラはないですが、威力は相当なものです』
オリーシュが手に入れた石はすでに術士によって細工が施されていた。
石に込められた構成は防御系の盾のような魔法。
設定されたキーワードは『堕天使アイクス・シュルベルトの名において命じる、聖域よ開け』である。
このキーワードを言えば、即座に魔法が発動するようになっている。
オリーシュの見立てでは魔法の効果時間はさほど長くないか、効力はあまり期待できない代物だ。
役に立つのもレベルの低いうちだけだろう。そしてオリーシュには使う予定もない。
単に珍しいから手に入れただけともいえる。
つーか、キーワードが中二過ぎて言えるか! と手にとった瞬間に投げ出しそうになったのはオリーシュの秘密。
まあこれを設定した堕天使のアイクス・シュルベルトさんも、こんなくっさいキーワードを他人に知られるとは思ってもみなかっただろう。
オリーシュがガイドに教えたら爆笑で返されたりした。
それはまず間違いなくプレイヤーの手によるモノだと断言して。
そういえばと親方に頼まれた用事を思い出したオリーシュは、ニードを連れて小さな交易所に向かう。
交易所は各商店の店主に代わって仕入れをする、いわば商社のようなものだ。
勿論仲介料が取られるものの、顔の広い交易所の商人なら幅広い商品を仕入れることもでき、逆に商品を卸すときも幅広い相手から選ぶことができる。
ドッヅェのような辺境には欠かせない重要な役割を担っている。
オリーシュは顔馴染みの商人を見つけると、手早く注文をし商談を済ませた。
この商人はガニドスの鉄工所と付き合いが長いため、オリーシュが相手でも誤魔化すことなくキッチリと相手をしてくれるのだ。
先程行商人にしてやられたばかりのオリーシュとしては安心して商談できる有り難い相手だった。
交易所をでたオリーシュは露天からパンと果物をいくつか買うと、ニードを連れて村外れにある丘へ向かった。
村の外周を囲う石の壁を越え、村を見下ろせるちょっとした高台になっている丘で腰を下ろし一息つく。
心地よい風が草原を揺らし、ぽかぽかした日光が余すことなく大地を照らした。
「平和だなー」
「ですね」
オリーシュは買ってきたパンを取り出すと寝っ転がって食べ始め、ニードはりんごの様な赤いこぶし大の果物にかぶりつく。実に幸せそうだ。
そのままのんびりとした時間が過ぎていく。
流れていく雲は形を変え、吹き抜ける風が優しく包み込む。
気が付くと、ニードは子犬のように丸くなって寝ていた。風で揺れる草が顔に当たってくすぐったそうに体を揺らす。
オリーシュは「ま、いっか」と呟くと、残っていた果物を口に入れながら青空を眺める。
そして、やっぱりどうしてもこの世界は完全無欠に現実なんだろうなぁと、と今更ながら実感した。
「なぁ、あそこに見える山は範囲外か?」
『んー、あそこは範囲内ですよ』
「ふーん、こうしてみると結構広いようで、やっぱ狭いのか?」
『そうですねー、半径10kmを行動範囲として一生を過ごすとなるとやっぱり狭いんじゃないですか?
といっても、この世界だと結構そんな人当たり前に居たりするんですけどね』
交通手段は基本徒歩。
そんな世界なのだからある意味当然でもあった。
行商人でもない限り基本的に村に居続けるのだから。
この世界に旅行なんて概念すらあるのか怪しいものだ。
「人間族(ヒューマン)の初期村とか、森妖精(エルフ)の初期村とかどんななんだ?」
『そうですねぇ、人間族の初期村は割とここと似通った感じですよ? 森妖精のはひたすら木って感じですねー。で、これでもかってくらい黄緑の苔が生えてます。
まあ各種族の初期村もいくつかあるので、全部が全部そうというわけでもありませんがねー』
「じゃあ、亜種人(ノルド)とか闇妖精(ダークエルフ)とかはどんな感じだ?」
『亜種人は無骨でいかにもって感じの厳つい街造りで、闇妖精は森妖精より暗めでじめじめした感じですよ』
「どうせなら人間じゃなくて森妖精とかになりたかったなぁ」
『それはよく聞く話ですね。ちなみに一番人気は森妖精。次が闇妖精、人間、土妖精、亜種人って感じですねー。聖妖精(ハイエルフ)は有り得ないので対象外です』
「……予想通りだな」
『皆考えることは同じってことなんでしょうねぇ。個人的にお勧めなのは亜種人だったりします』
「一応理由を聞いてやる」
『死ににくさが2位以下を大きく突き放して、ぶっちぎりですからねぇ』
案外まともな答えが返ってきてオリーシュは「へぇー」とこぼした。
亜種人は単純な体の頑丈さもあるが、毒性などの副次効果にも強い耐性を持っている。
森妖精なら5秒で死ぬ毒も、亜種人ならば1時間は耐えることができる。当然個人差もあるが、かなりの耐久力といえた。
勿論1時間悶え苦しむというオマケもついてくるわけだが。
『まあ、長所とも短所とも言えますが、魔法が効きにくいってのも特徴の一つですねぇ』
付与魔法は当然として、回復魔法すら効き難いのはある意味致命的ともいえる。
まあ、この世界にはポーションなる便利な回復薬(飲み薬)もあるので対策はとれる。ただし、ゲームとは違って値段がヤバイことになってるらしい。
「ちなみに、ポーションとかいくらくらいするんだ?」
『かなりえげつないですよ? ぶっちゃけると家一軒が建ちます』
「……誰が買うんだよそんなもん」
『それくらい貴重な代物なんですよ、まあ遺跡の奥の宝箱の中にありますが』
いっそ取りに行ってみてはどうですか? と平然とガイドは言った。
「アホか、回復薬取りに行くのに命賭けてどーすんだよ」
『やれやれ、ヘタレですねー。あ、話し続けますね? 回復魔法の習得にも有り得ないくらい苦労したりします』
どうやらこの世界はそんじょそこらのRPGとは訳が違うようだ。
ますますチュートリアルを終らねぇと固く誓うオリーシュ。
『一番楽なのが効果魔法、次が攻撃魔法、で補助魔法、んで付与魔法、最後に回復魔法って感じですねー。
まあ内容によっては回復魔法より難しい効果魔法もあったりするので、一概には言えませんが概ねこんなです』
「なぁなぁ、俺はどうやっても魔法使えないのか?」
『うはー、気になりますか? やっぱり気になっちゃうんですか? 中二なお年頃って奴ですか?』
「ぐぅ……」
ガイドの突っ込みに青筋が3つほど出来たが、オリーシュはぐっと堪えて押し殺すような低い声で呟いた。
「……あえて言おう、魔法が使えるのならば中二でも構わないと」
実は例のアイクス・シュルベルトさんが死ぬほど羨ましかったオリーシュ。
当初はくっさいキーワードに嘲笑したのだが、冷静になればなるほど彼だか彼女が妬ましいほど羨ましかった。
そして自分が魔法を使えたら同じことをやった自信がオリーシュにはあった。
なんでこんなことをしたんだ? と問われれば、だって魔法が使えるんだぜ? とオリーシュは胸を張って答えただろう。
『無理』
「ちょ、おま……ちょっとくらい期待させろよ……」
『精霊石の擬似魔法で満足してろって話しですねー。つか、チュートリアルの商人如きが見ていい夢じゃないですよ実際』
「死ぬほどムカつくからマジで一回殴らせろコラ」
見えないガイドを相手にシャドーボクシングをかますオリーシュの姿がそこにはあった。
『あ、そういえばさっきの爆笑石なんですが』
「……」
『大体の価値を教えましょうか?』
実に興味深い内容である。
クソ下らないガイドと付き合う意義も、たまにこんなことがあるからだろうとオリーシュは一人納得した。
「で、いくらだ?」
『そうですねー、ルデアで言うところの……』
「言うところの?」
『微妙?』
「おい! なんだそれ! 答えになってねーよ!」
『いえ、オリーシュさんから聞いた効果だとどうにも判断に困る代物でして』
「偉そうなこと言っといてそれかよ!」
金返せこら、と絶叫するオリーシュ。
『いやー、あんなしょぼい魔力に盛大な効果を期待した所こそが爆笑石の本質なのかもしれませんねぇ。
例えば、照明魔法辺りの効果魔法ならそれなりに実用度があったんでしょうが、補助系統の盾の魔法とか無理がありますねー。
まぁウルフとか、低レベルの魔物になら十分効果があると思いますけど、そんな魔物相手に精霊石使うアホも居ないでしょう?」
実に理路整然とした隙のない内容に、オリーシュは思わず「はい」と素直に返事をしてしまった。
『需要と供給がまるで理解できていない中二のオナニーですね。駄作としか言えません』
「いや、そっちはもういいから価値を言え」
『そうですねぇ、極めて限定的でかなり厳しいと思いますが、富裕層の子供辺りになら需要あるんじゃないですか?
お守り代わりには丁度いいと思いますよ、それ。まあ、その石が本物であると証明するのにまたお金が掛かるわけですがねー』
「いくらかかるよ?」
『さぁ?』
「役に立たねーなおい!」
『いえ、精霊石の鑑定と証明の相場なんか聞いたことないですし、相手の気分次第ですよそんなの。
そりゃマブダチなら無料でやってくれるでしょうけど、オリーシュさんにはそんな知り合いいないでしょ?』
「うぐ……」
『それに金持ち相手を狙うなら、それなりに名の知れた人に鑑定してもらわないと厳しいですよ?』
「くっ……」
『紹介料と仲介料。ついでに鑑定料、それに利益の上乗せですか?
まあ元手がカスみたいなもんですからそれはいいとして、最終的にいくらぐらいになるんでしょうね?』
「……」
『しっかもあんな中二くっさいキーワードが設定してあって、さらに名前まで入ってるんじゃキモくて使えませんよ。
名の知れた人物ならともかく、アレは明らかに勘違い系ですよ? 黒歴史ですよ黒歴史。間違いなくマイナス査定ですね』
「やめて! オリーシュのライフはもうゼロよ!!」
『ボハハハハ! まだだ、私のターン! 追加魔法『身の程を弁えろ』を発動!!』
遠目で確認すると、オリーシュが一人で騒がしくしている奇妙な状況がそこにはあった。
「す、すみません。気持ちよくってつい……」
「いや、俺も完全に寝ちゃってたから……」
気が付いたら真っ赤になった太陽が山陰に隠れるところだった。
ガイドと散々言い争ったオリーシュはいつの間にか寝入ってしまい、ニードも起きることなく昼過ぎから今の今までおやすみ状態。
そして気が付くと夕食の時間とも言える時間帯になっていた。
「あの、おじいちゃんがご飯を待ってると思うから急いで帰らないと……」
涙目になりつつニードは言う。
「親方なら食べに出るって言ってたからへーきへーき。それにさ、あれあれ」
オリーシュはそう言って、村にある聖堂を指差す。
いつもならこの時間帯に聖堂に出入りする人はまばらなのだが、今日はなにやら人ごみができている。
「あ、そういえば、中央の方から偉い大神官様が来るって」
「らしいね。行ってみる?」
この時間まで眠ってしまっていたことに後ろめたさを感じつつも、ニードはオリーシュの提案に乗ることにした。
大神官は騎士を連れて歩き、移動にも特別な馬車を使う。
そんな大神官が辺境のこの村に来ることは滅多になく、彼等の服装、装飾などは珍しく一種の芸能人的扱いだった。
土妖精の宗教観は割と大雑把だったりした。
ちなみに、ニードの言った中央というのはゼッペルニア地方の中央のことで、大陸の中央を差した言葉ではない。
ニードからすれば土妖精の住む地方が世界の全てともいえる。多種族の住む地域は想像外だ。
オリーシュたちが聖堂の近くに来ると人の量がすごく、今この場に村人全員集まったんじゃないかと思えるほどだった。
いつもは質素な佇まいの聖堂も、淡い青白い光でライトアップされ荘厳さを見せていた。
大神官はすでに聖堂の中に入ってしまったようで、外には馬車を見張るわずかな騎士しか居ない。
「はぁー」
「うわぁ」
ただの馬車を見ただけで思わず感嘆の声を上げる二人。
周囲の人も同じようで、豪華な造りだがそれでいて厳粛な雰囲気を漂わせる馬車に圧倒される。
どうやら神官はかなりの身分のようだ。警備についている騎士たちの装備も一級品ばかり。
オリーシュも「すげー」と素直に感心しつつ、ひとつの疑問が浮かび上がる。
騎士たちが一様に森妖精なのは一体どういうことだろうか。
あれか、イメージの問題なのだろうか。土妖精の成人男性は失礼な話しだが濃い。
髭がアホほど生えている。もういっそ布の原材料にしちゃどうよ? と真面目にガニドスに相談しようかと考えたほどだ。
その布を自身が使うことは断固拒否するが。
それに彼等は背が低いし白馬なんかまず似合わない。騎士というか熟練の傭兵、むしろ蛮族? がお似合いだとオリーシュは断言する。
勿論それを口にするほどオリーシュはアホではないので、絶対に口にはしないが。
なんとなく予想していたが、美形揃いの森妖精の騎士たちを頬を赤らめて見つめるニードに心の中で涙しつつ
ああ、所詮こんなものですよね。森妖精死ね。皆死ね、と諦めの感情を抱いて、彼等の装備に集中することにした。
騎士たちの装備はどれも見事な代物だ。鋼鉄の、それも上級以上の素材を使い、腕のある職人によるものだとオリーシュはただただ感心した。
金はあるところにあるんだなと。
「ん?」
いや待てよ。よく見るとアレは―――
「オリーシュさん、どーしたんですか?」
「へ? ああ、どこかで見たことあるなぁって思ったんだけど……多分気のせいだな」
オリーシュはそう答えて、中に入って大神官も見てみないかとニードに提案し聖堂の表口へ近づく。
入り口まで来ると流石に人が半端なく、思うように身動きが取れなかった。
幸いオリーシュは村人よりも頭一つ分背が高いので視界が遮れられることはなかったが、
ニードはしっかりと人ごみに揉まれ「はわわ」とか「あぅぅ」とか呟いて萌えることこの上ない。
「手、離さないように」
「は、はい」
ニードは酔っ払っいのように目を白黒させながら、オリーシュに引っ張られ歩く。
聖堂まであと少しというところで不意に視界に隅に入ったガニドスにオリーシュは気付き、声を掛けた。
「親方ー!」
ガニドスは気付かない。
まあこのざわめきの中なら仕方もないが、あのおっさんはあんなところで何をしてるんだ、とオリーシュは相変わらず失礼なことを呟く。
ガニドスは関係者と思われる森妖精と、妙に人口密集率の低い広々とした場所で親しげに会話していた。
意外なことにあのおっさんは神官関係の知り合いなのかと考え、ああ、騎士たちの装備はどこか見慣れた感じたのは、ガニドスが造ったモノだからかと納得した。
そして、多少気が引けるが身内を装ってあの場に乱入すっかと即決し、即実行に移すオリーシュ。
先程から「アウラ様」と囁く地元住民の声を聞き、こりゃ生で拝まないかん! と歪んだ欲望が先走った結果ではないと断言する。
鍛冶屋で働く者としての知的好奇心であり、この世界の宗教儀式を知るための学術的な探究心に従っただけなのだ。
「アウラ様」ってことは女じゃね? 騎士が森妖精なら神官も……うっひょー! 生で見るべ? とかいう醜い願望では決してないのだと、オリーシュは自分に言い聞かせる。
彼は素直ムッツリに成長進化したが、やはりムッツリのままだった。
「親方!」
「ん? おお、オリーシュとニードか。やはり来ておったのだな」
息絶え絶えで何とかガニドスの近くまで行き声を掛けると、警備の騎士たちが道を塞ごうとしたが、
ガニドスと共にいた森妖精が騎士に目配せし、騎士たちを下がらせた。ビバ公権力。
「ガニドスさん、こちらの方かな?」
「はい、オリーシュと、孫のニードです」
「そうか、君がオリーシュ君か」
「へ? はい」
突然紹介され事態についていけず、お偉いさんの格好しているがどこか気さくな感じのおっさん森妖精に、つい生返事を返してしまうオリーシュ。
勢いは良かったが、その後のことを全く考えていない辺りどこまでもオリーシュだった。
「バカモノ、こちらは例の依頼をされたアウナグト卿だ」
天を仰ぐようにしてガニドスは苦々しく呟いた。その様子は非常に痛々しい。
そこでオリーシュは偉そうな気さくなおっさん森妖精の正体に気付き、「げ」と呟いて慌てて自己紹介をする。
当然この「げ」もガニドスにはしっかり聞こえていたようで、胸の辺りで十字を切っていたりした。
ニードはとりあえず直立不動でカチコチに固まっている。
「し、失礼しました! 俺……じゃなくて私はオリーシュと申します」
「ふふ、気にしていませんよ。それに無理に言葉遣いを変える必要もありません」
「はぁ、そうですか」
アウナグトの言葉に素に戻るオリーシュ。
ガニドスは諦めたようにため息をつくと、続けてニードに自己紹介するように促した。
ニードも無事に紹介を終えると、ガニドスは先程までしていた商談の内容をオリーシュに伝える。
「神品質、ですか?」
「うむ。アウナグト卿にまた新たに依頼されてな、その見積もりのことで相談していたのだ」
見積もりと聞いてオリーシュは納得した。
流石にこんな所で紙を広げて相談するわけにはいかない。ガニドスたちは、今おおまかな数字を出したいのだろう。
今朝確認した武器や防具の金額も含めた総計を出すには確かにオリーシュが適任だった。
「新規に依頼されたモノはどの程度の量になるんですか?」
「そうじゃのぅ、鋼鉄で10kg、鉄が20kgぐらいになるかの」
思わず「アホか」と呟きそうになったが、なんとかその言葉を飲み込んで手早く計算する。
神品質は最上級の中でも5%程しかない。単純に必要な神品質の20倍の量の最上級の鉱石を仕入れなければならないのだ。
目の前の気さくに見えるおっさんは、実はかなりやり手のえげつない奴なのかもしれないと、オリーシュは心の中でゾッとする。
仕入れのマジの現場で直接品質別に分けれればいいのだが、生憎とオリーシュにしか神品質と最上級を分けることができない。
が、普通に仕入れると20倍もの量を仕入れ在庫を相当抱え込むことになる。
別に腐って使えなくなるわけではないが、大量の在庫を無駄に抱え込むのはアホだ。
それでなくとも最近は神品質の依頼が絶えないというのに、これでは当分依頼を断らなければならない。
というか、最上級の鋼鉄、鉄は売れ筋じゃないのだ。よく使われるのはむしろ中級辺りで、最上級を大量に抱えると面倒極まりない。
頭いてぇ、とオリーシュは頭を抱えたくなった。
「どうかしましたか? なにか問題があれば言ってください」
「えっと、それがですね……言われた量を用意しようとすると、その……かなりの在庫を抱えるようになってしまって」
「ふむ、最上級の鉱石ですね」
「オリーシュ、今朝話していた仕入れはどのくらいにしたんじゃ?」
「在庫もあったので、多少余裕を持って60kgぐらい……ですね」
60kgは仕入れの総量で、ここからとれる神品質は幸運に恵まれてもせいぜい6kgしかない。
「それじゃあ全然足らんのぅ」
「……ふむ。その品質のモノは最上級の鉱石の中からどのくらい採れるのですか?」
「大体5%って所ですね。多いときはその倍ぐらいありますが、ないときは全くなかったりもします」
「なるほど。確かにそれではそればかり使っていたら、在庫が貯まってしまいますね」
オリーシュの言葉を聞いてアウナグトは顎に手をあてて考え込む。
ガニドスはアウナグトに気付かれないようにオリーシュに視線を送り静かにサムズアップ。
どうやらガニドスもこの依頼に困っていたようだ。
そりゃそーだよなぁ、と感想を抱きつつオリーシュはアウナグトの言葉を待った。
「そうですね、余った鉱石は仕入れ値で引き取りましょう。もし鉱石からその品質のモノを取り出すのに手間がかかるのならば、その手間賃もお付けします」
「えっと、かなりの量になると思いますが、いいんですか?」
「そこは仕方ありませんね。あなた方に一方的に負担を背負わせるわけにもいきませんから」
どうやらかなり豪奢なおっさんらしい。
マジか、と頭のなかで呟きながらガニドスに視線を送ると、少し悩みオリーシュへ頷き返した。
成立のようだ。あとの細かい商談はガニドスの仕事になるだろう。
オリーシュは今回の依頼と現在進行の依頼の総計を手早く計算してガニドスに伝える。
これがまたかなりの金額だったのでアウナグトも目を丸くして、「これは確かに無理な依頼をしていましたね」と苦笑した。
商談を終えたオリーシュはニードと聖堂の中を見てきますと、二人に伝えその場を離れようとしたら、
アウナグトの計らいでオリーシュとニードは特別に関係者に混じって聖堂の裏手から中へと入ることができた。
聖堂の中では賛美歌だか聖歌のような歌が静かに響いており、荘厳な雰囲気を感じさせた。
「なんか、すごいな……」
「……すごい、です」
あのしょぼかった聖堂の内装をよくもまあここまで変えたものだと感心するオリーシュ。
ニードはただただ圧倒されていた。
「? なんだあれ?」
裏手から入ったせいで大神官の顔を拝むことができないでいるオリーシュだったが、妙な光景が目に入った。
大神官が大事そうに両手で小奇麗な透明の瓶を持ち上げ額に引っ付けて、まるで瓶のために祈りを奉げるかのように歌っている。
「あれは、えっと……聖水、です」
オリーシュの言葉に、普段使わない記憶を引っ張り出すかのような難しい顔してニードは言った。
「聖水?」
「はい、確か死んでしまった人を蘇らせることができる、聖なる水と聞いています」
「マジ?」
思わず真顔で突っ込むオリーシュだったが、ニードは半信半疑といった感じで苦笑で答えた。
どうやらニードは日本人気質のうっすい宗教観の持ち主のようだ。いや、主婦をしてる分現実主義者なのかもしれない。
(死者蘇生ねぇ……)
今現在、常時死者蘇生モードのオリーシュには縁のないものだが、自分はしっかり生き返ることを経験したにも関わらず聖水には懐疑的なオリーシュだった。
いや、ねーだろ。と素の突込みを想像上の大神官に入れていたが、
『お、あれは本物ですねー』
というガイドの声が聞こえてきて、80年代のノリでズッコケ掛けたオリーシュ。
何とか踏み止まって、どこかにいるであろうガイドに半眼で続きを促す。
『疑っているみたいですが、あれはマジですよ? といっても、少々制限のあるアイテムなんですがねー。
ああやって額にあてて祈っているのは、魔力を込めているんです。この村に来たのも魔力込めの一環ですよ?』
こんな辺境の村に来た理由はそれかと納得するオリーシュ。
『各地を転々と周るのは信仰心を集めているからです。大神官一人で聖水を完成させるのは莫大な時間がかかりますからねぇ。
魔力を持たない一般人でも何人も集まって一点に祈りを奉げればそれなりのチカラになります。
この世界は意志にも魔力が微量ながら宿っていたりするんですよ。つまり巡礼というか、集金です』
見も蓋もないファンタジー談義だった。
『オリーシュさん、ここからアレの効果が把握できますか?』
ニードにチラッと視線を向ける。
どうやら半信半疑な感じのニードだったが、いつの間にか大神官に習って一生懸命祈りを奉げていた。
よし、と一歩だけニードから離れたオリーシュは小さな声で呟く。
「無理。だから疑ったわけだし」
『そりゃ残念です』
「……お前はアレが本物って知ってるんだろ?」
『いえ、知識として知っているだけですよ? このよく出来た集金システムも含めて』
「……まあなぁ、ニードなんか苦笑してたのに一生懸命祈ってるし」
『ニード嬢は根が善良ですからねぇ』
「なぁ、聖水についてもうちっと教えてくれよ」
『んー、基本的に聖水は一般に出回ることはありえません。モノがモノですから。だからこそ聖水を造る彼等は失敗を恐れ、念には念を込めまくった聖水を造ります。
失敗しました、テヘ。で済むような相手には使うことありませんし、彼等にも名誉が掛かっていますからねー。
そういうわけで、大神官がこれは聖水だと言えばそれは蘇生効果のある本物です』
「信用取引みたいだな……」
『聖水の制限ですが、これが中々シビアでして、チュートリアルのオリーシュさんの百倍は厳しい条件です』
「ですよねー。アレを当てにしようとか全然そんなことは思わなかったぜ」
『まず損傷の激しい遺体には効果がありません。首チョンパとか論外ですねー。聖水が効果を発揮するのは失血死、凍死とかそれぐらいです。
それも軽度のものですよ? あんまり出血が激しかったり、内臓が壊死しかけてる状態では厳しいですねぇ。老衰も当然無理です。
ああ、病死なんか比較的いけますよ。死ぬ前だとなおいい感じです。というわけで、どんな状態だろうと死んでから1日も経つとほぼ効果ありません』
ファンタジーなのかリアルなのか判断に迷う微妙な効果だった。
「……つか、それってただのポーションの強力版じゃね?」
『中々どうして、いい意見です。ほぼ正解ですね。あれはただの回復魔法の一種です』
最早死者蘇生ですらなかった。
『でもまあ、蘇生を促すほど強力な魔力を秘めたアイテムです。ぶっちゃけアレ一つでしょぼい城なら買えますよ?』
「マジか」
『えらくマジです』
「……うーむ、チュートリアルの死者蘇生の秘密を解明して一緒に大金持ちになりませんか、ガイドさん」
『死の概念のない私にはまるで利益がないので却下します』
「死ね、クソガイド」
『お前が死ね』
そのまま互いに罵倒して過ごし、結局オリーシュは噂のアウラ様の顔を拝むことはなかった。
ちなみに、どうしてこんな辺境にまで森妖精の神官が来たのかというと、ガイド曰く、魔力の関係で森妖精の神官にしか聖水を造れないとのこと。
あと聖水造りは縄張り争いが酷いので、新参と思われるアウラは辺境に周らざる得なかったのだろうとガイドは断言した。
その話に非常に感心したオリーシュであった。
投稿日 平成22年6月26日