空に浮かぶ船の中、客室の一つに一組の男女がいた。
それは紫の長い髪を後ろに束ねた女と、黒目黒髪の左腕がない男だった。
「ウォル、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「どうかしたか?」
「貴方、その腕はどうしたの?」
「これか?あの豚に殴られただけだ。代わりに念を使える様になったけどな。」
「ああ…、なるほどね。よく生きていたわね。」
「まぁ…、悪運だけは強くてな。今思えば、あの時死んでいたほうが楽だっ…」
男の声は鋭い音に遮られ、そして顔は音と共に強制的に横を向く。
それを成した女は、手に1mほどの鞭のようなものを持ち、まさに振り切ったところだった。
「くだらないことを言わないで頂戴。不愉快だわ。
貴方が何を思おうと勝手だけど、私の前で言うのはやめてくれない?
殴るわよ。」
「…、ああ、すまない口が滑った。以後気をつけよう。」
男は微妙な表情をして顔を前に戻す。その頬にははっきりと赤い筋が残っている。
「しかし、どうしてそんな事を?」
「どうしてって、そのままにしておくわけに行かないでしょう。義手なりでも探さないとね。」
「別に必要ないだろう?今まで特に困ることもなかった。」
男は空の袖を右腕で触りながら言う。
「あんたねぇ…、私があんたに期待してるのは情報収集だって言ったでしょう。
今までどんな密室にいたのか知らないけど、あんたその腕で聞き込みをするつもり?
せっかく特徴のない容姿をしてるのに、そんな腕してたら台無しでしょう。」
男の顔がわずかに歪む。ややあって顔が戻ると一つ息を吐いてから男は答えた。
「…、確かに、その通りだな…。だが、義手などつけたことはないぞ。」
「なにいってんのよ。腐っても操作系でしょう?気合で何とかしなさい。」
「俺の念ではたいしたことは出来ないと知っているだろう?」
「そんなのたいしたことにも入らないでしょうが。念を込めれば勝手に動くわ。」
「だが…」
「うるさいわね。私は出来るかなんて聞いてないの、やれって言ってるの。
貴方は私に絶対服従。つまり貴方の答えは?」
「…Yes, Ma'am.」
「よろしい。」
男は苦々しく答えるが、女はそんな男の様子など一顧だにしなかった。
「取りあえず、船から降りたら扱ってる店を探しましょうか。
どうせなら、長く使えるほうがいいでしょうし…
そもそも、念で操作するなら自作したほうがいいのかしら…」
「その場合、作るのは俺なんだが…」
「…何か言ったかしら?」
「…No, Ma'am.」
「そう、それならいいわ。
うーん、作るとなると材質にもこだわりたいわね。
なんか、霊験あらたかな木の枝とか…」
「…探すのは俺なんだろうな…」
いい加減学習したのか、男が呟いた言葉は女の耳に入らないほど小さかった。
しばらく黙っていた女はやがて考えをまとめたのか、男に向かって話し始める。
「よし、決めたわ。流石に材料にこだわるのは時間がかかりそうだからやめて置きましょう。
一個目からそんな高級品を作るのもどうかと思うしね。
というわけで、貴方、神字の勉強をなさい。市販品のものでも神字を刻めばだいぶマシになるでしょう。
外観的にも素人が作ると荒が見えて義手ってすぐに気づかれそうだし。
凝ったものは追々の課題としておきましょう。」
女は満足げに男に指示を出す。
だが、答える男は珍しくも少しばかり得意げだった。
「神字なら、いまさら勉強などしなくてもすでに使える。」
「貴方も、勉強なんてめんどうでしょうけど、これもあなたの…、…なんですって?」
「神字なら書けるといったんだ。念の才能がないと言っただろう。
ならそれを補う技能を磨くのは当然だろうに。」
「あの、無駄に複雑で、無駄に文字が多くて、文法が語順に寄らないとか言う意味不明な形態をとる、あれを?」
「別に難しくはないだろう。ああいう言語体系はそれなりにある。
あと形に無駄があるわけじゃない。ああいう形だから念が宿るんだぞ。」
女は男の答えに意表をつかれていたようだったがやがて正気を取り戻す。
「そ、そうなの…、…それは好都合だわ!」
「…、一応言っておくが、あれは自分で意味を理解して念じながら書かないと意味がないぞ。
俺が書いたものをヒルダが使えるわけじゃない。」
「な、なにをいっているのかしら!私がそんな事を考えているわけないじゃない!」
「それならいいが。」
男は女を胡乱げな目で見るが、そんな男を女は強い声で遮った。
「それはともかく!
貴方は、義手を探して、神字でも何でもいいから自然に動かせるようになりなさい!
それが貴方の最初の仕事よ!」
「Yas, Ma'am.」
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話がひと段落し、幾ばくかの沈黙があったあと、今度は男が口を開いた。
「なぁヒルダ、俺からも一つ質問があるんだが。」
「なによ?」
「俺がヒルダに逮捕されてハンター協会に連れて行かれてからまだ一ヶ月しか経っていない。
法律には詳しくないとは言っても流石に刑が確定するには速すぎるだろう?
一体何をしたんだ。」
「あら、何で私がなにかをしたって思うのかしら?」
「それ以外に、理由が考えられないだろうが。」
「あらあら、疑い深いこと。別に裁判が一月で終わるのはそう珍しいことじゃないわよ?
だって、あなた一度も否認しないんだもの。そりゃ、決着がつくのも速いわよ。」
「それにしたって速過ぎだといっているんだ、その上いつの間にか貸し出し申請まで通しているしな。」
「まあね、貴方、自覚してないけどなかなかお買い得なのよ?」
女は男に意味ありげな視線を送るが、男はそれを無視して言葉を繋ぐ。
「この俺が?話を逸らすにしてももう少しうまくやったらどうだ。」
「もう、本当に疑いぶかいわね…。まぁ、情報を扱うならそうあってもらわないと困るのだけど。
そうね…、この際言っておきましょうか。
貴方が得意な念の応用技は絶と隠だったかしら。
まぁ、他の技は軒並み酷いものなのだけど。」
「その2つ以外全滅で悪かったな。それらも単にもともとの総量が少ないってだけだ。
ヴィヴィアンほどオーラに恵まれていれば、そりゃ隠すのに苦労するだろう。」
男は吐き捨てるように女の言葉に反論する。
そんな男に女は呆れたようにため息を付いて言葉を続けた。
「もう、話の腰を折らないで頂戴。確かにその理由はあるでしょう。でも、それにしたって貴方の絶は見事だわ。
それこそ、動物的な感覚を持つ人でなければ、円に触りでもしない限り潜んでいるのに気づくことはないでしょうね。
現に私は、あの日地下にいた貴方をまったく察知することが出来なかったしね。
そして、忍耐力にも優れるわ。張り込みをするのにこれほど適した人間もいないでしょう?」
「まぁ、それはそうだな…」
男は微妙な表情で肯定する。
「そして情報を集めるのに最適ともいえるそのスキルよ。
相手に気づかれることなく心の箍を緩めて情報を引き出す話術。
状況こそ限定されるけど、記憶の操作すら可能なその能力。
聞き込みをしたところで、聞かれた人のことを直ぐに忘れてしまうであろうその容姿。
それは情報収集員として得がたい資質だわ。」
ほめられるたびに心なしか少しずつ顔が上がっていった男だったが、最後の項目を聞いて一気に下に落ち、元に戻った。
もっとも女はそれに気づかなかったが。
「どう?分かったかしら?」
「…ああ、とりあえず期待されているのは分かったよ。
期待に答えられるように努力するさ。
で、そんな話をしてまで話を逸らしたかった理由はなんなんだ?」
そういって男は話を戻す。
女はその言葉にため息を一つ付いた。
「もう、しつこいわねぇ、ねぇ、そんなに知りたいの?」
女は男の目を見ながら質問で返す。
男はそんな女の目を見返しながら答えた。
「初めからそういってるだろう。」
「ふーん、知りたいんだ?」
「…ああ、自分のことだからな。」
「そんなに知りたいんだ?」
女の瞳は力を増す。それを受ける黒い瞳は揺れはじめた。
「…、ああ、知りたい。」
「へー、知りたいんだ。」
そして、とうとう黒い瞳は閉じられた。
「いや、もういい…。知らないほうがいいことなんだろう。」
「ま、それが賢明ね。」
女は薄く笑うと、顔を背けて窓の外を見る。
船はそろそろ目的地に着く、きっとそこには太陽みたいな少女が2人の帰りを待っているだろう。
そんな事を思い、女は言葉を紡ぐ。
「別に理由なんて、上層部に知り合いがいるだけだけどね。」
男はその言葉を聞いて遊ばれたと思い…
…一本しかない腕で頭を抑えて、低く呻いた。