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Act.15 Outside of the Aquarium(5)
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静寂の海に三つの影が飛来し、その内の一つが周辺を警戒するようにゆっくりと旋回を始める。残りの影のうち一つは足元に巨大な魔法陣を形成し、デバイスを構えて儀式魔法の詠唱を開始する。金色の魔力光が周辺を照らした。
「アルカス・クルタス・エイギアス。煌めきたる天神よ。いま導きのもと降りきたれ」
これは局所的に落雷を起こす天候操作魔法。この魔法の刺激により、海中に沈んだ”ジュエルシード”を強制励起させるのだ。
「バルエル・ザルエル・ブラウゼル――」
詠唱を続ける影の様子を一瞥し、もう一方の影もまた別の儀式魔法の準備を始めた。影は両手から白んだペイルブルーの魔力光を漏らしながら、指で描くように前後左右四つの魔法陣を形成させる。最後に両手を掲げるように開くと四つの魔方陣は東西南北の空へ散った。それから足元にもう一つ別の魔法陣を一つ形成すると、静かに詠唱を開始する。
「イル・イスラ・ライラ。招来、我が手に来たれ、慟哭の剣――」
「フェイト、あたしはやっぱり納得できないよ」
格好は寝起きのパジャマのまま、しかも顔は涙でぐしゃぐしゃのクロエが一度シャワーと着替えに戻った後で、フェイトは漸く元々の目的だったリボンを探し始める。そこへ、いつの間にか戻っていたアルフがそう呟いた。フェイトの強い希望でクロエとの話の間は何かあるまで絶対に待機を命じられていたのだが、クロエが部屋を出たことでもう充分と判断したのだ。フェイトもアルフが戻るのを気がついていたため、特に驚きも無く言葉を返す。
「ごめん、アルフ。でも、もう決めたことなんだ。それに、アルフだってクロエはやっぱり酷いだけの人じゃないって気付いたと思う」
「そ、それは、そうだけどさあ」
アルフは耳を草臥れさせて呻き声を上げる。使い魔であるアルフにも、フェイトを通じて二人の会話は耳に入っていた。だから、必ずしもフェイトの判断が間違いと言う訳ではない事も理解できたし、クロエが余程上手く騙していたのでなければ彼女にもそれなりの理由があることは分かった。しかし、理性と感情は別物だ。特に、純粋な人間よりも獣としての側面の強いアルフには、相変らず動物的な勘が彼女に警鐘を鳴らし続けていて、それがどうにも不安で仕方なかったのだ。何と言うのだろうか、クロエはフェイトにとって良くない影響を与える気がする。
「アルフに相談しなかったのは悪いと思ってる」
「それはいいんだ。あたしはフェイトの判断には従う。でも、フェイトがクロエに影響されるのが凄く不安なんだよ」
「どうして?」
「確かにあいつの言うことは必ずしも間違ってはいないと思う。でも、あたしはフェイトにはそうなって欲しくない」
我侭な意見であることは自覚しつつ上手く纏まらないままの心情を吐露したアルフに、フェイトは困った顔をして押し黙った。アルフの心配は分かる。フェイト自身、クロエのことは凄い人だと思う。けれど、そうなりたいとは思えないし、そうなれるとも思えない。それでもいつか彼女のことを本当に理解する日が来たなら、フェイトは今までのフェイトとは決定的に変わってしまうかも知れない。けれど、それはクロエにも言ったように寂しい凄さだ。そうなった時、アルフはそれでもフェイトの傍に居られるだろうか。
(あ、そう、か……そう言うことか)
そこで、アルフは自分の不安の本当の正体に気が付いた。そうなのだ。正確に言えば、一番怖かったのはフェイトが変わってしまう事じゃない。確かに、優しいフェイトがああなってしまうことは怖い。しかし、それ以上に、そうなった時にアルフが必要でなくなってしまうか、それどころか邪魔になってしまうことが怖かったのだ。プレシアがリニスを処分したように、いつかフェイトはアルフをもう要らないと言うかも知れない。フェイトがそんな事を言うはずが無いとは思う。けれど、例えばクロエならどうだろうか。そう思うとどうしようもない不安に駆られるのだ。
「大丈夫、だと思う」
「えっ? 何がだい?」
思考の海に沈みかけたアルフに、唐突にフェイトが声を掛けた。それから彼女を安心させるような穏やかな口調で続ける。
「だって私にはアルフがいるから。そうやってアルフが心配してくれるなら、きっと私は間違えないで進めると思うんだ」
「フェイト……」
「だから、何も不安なことなんてないんだ」
アルフはどうしようもない嬉しさと、それから少しだけの寂しさに言葉を無くして押し黙る。彼女の主人はこんなにも素敵な人なのだ。けれど、フェイトは何時の間にこんなにも強くなってしまったのかと寂しさも脳裏を掠める。
確かに、何も不安なことはないのかもしれない。けれど、逆説的に言えばやはりいつかアルフが必要でなくなる時が来ると言うことなのだ。それはクロエの存在とは関係がない。フェイトが成長すればするほど、誰かの支えがなくても一人で歩いていけるようになるほど。フェイトはただ、クロエとの出会いで成長してしまっただけなのかも知れない。そう考えるとアルフの不安は的外れではあった。
「ねえ、フェイトはあたしを置いていかないよね?」
「うん、置いては行かないよ。ずっと傍にいるって約束したから」
「そうか、それならいいんだ」
予想通りに優しいフェイトの回答に、何故かアルフの胸のもやもやが晴れることはなかった。それは何かが違う気がする。何かの正体はまだ良く分からないけれど、アルフは今まで通りの自分では何かが足りないように思えたのだ。フェイトとアルフの想いが微妙にすれ違ってしまっている。それはクロエの所為だと逆恨みをしてしまいそうになる。けれど、そう言うことではないのだと思う。どちらかと言えばこれは、アルフ自身の問題なのかもしれない。
「――あ、母さんに貰ったリボン。ここに落ちてたんだ」
結局答えを見つけられない内に、アルフの思考はフェイトが目的のリボンを探し当てた声に現実へと戻された。ほぼ同時に、インターホンが来客を知らせる。十中八九クロエで間違いはないだろう。この部屋は既に引き払ってしまったし、表札もない。元より、フェイトたちを尋ねてくるような人物に心当たりはない。それに、弱い認識阻害の結界が掛けられている為に誰かが興味本位で訪れてくることもありえない。
フェイトが入室を許可すると恐る恐る扉を開いたクロエが相変らずの気弱な表情で遠慮がちに部屋へ入って来た。ここはもうフェイトたちの部屋という訳ではないのだから、そんな風に気を使う意味もないと言うのに。その様子にフェイトが苦笑する。アルフは、実は演技と言うわけでもないらしいクロエに複雑な表情を浮かべ、大きく溜息を吐いて気持ちを切り替えることとした。結局はフェイトの決定には従うのが使い魔であるアルフの使命であり当然なのだ。フェイトの決めたことなら、その中で最高の成果を出せるように努力しなければならない。その決意の眼差しを何か勘違いしたらしいクロエが息を呑む。アルフはもう一度、今度は別の理由で溜息を吐いた。面倒な相手だ。無意識に彼女の方を睨んでしまったことは確かではあるが。
「え、あの、えと、お、お待たせしました。そ、それで、フェイト。さ、作戦の詳細を教えてください」
態度とは裏腹に、何故かクロエの格好は気合が入っていた。ブルーのラインの入った軍服を思わせる黒いスーツに深い紫のマント。各部に施された魔法処理から、それが魔導師以外が使用するバリアジャケット代わりの防護装備であることが分かる。また、簡易魔法陣を織り込んであると思しき白い手袋は魔法詠唱の高速化と魔法制御の効率化を補助するブーストデバイスの一種のようだった。髪型は珍しく紺色のリボンでポニーテイルに纏められている。これも簡易の結界術式が織り込まれた魔法防御用装飾品らしい。いつものストレージデバイスは待機状態で首から提げられたまま――いや、よく見るとこれで起動しているようだ。待機状態とは違い、いつもは空っぽのビンの中身に不思議な蒼の液体が揺れている。
「クロエ? その格好は?」
不思議に思ったフェイトが問いかけた。随分と物々しい格好に思えるが、少なくとも魔導師の装備ではない。いや、フェイトは見たことがなかったが召還魔法を得意とする特殊な魔導師にはこういうスタイルで戦闘を行うものもいるとは聞く。しかし、フェイトの記憶では若干変則的とは言えクロエは砲撃魔導師だったはずだ。それにバトン状のストレージデバイスを使った棒術を基本とする体術を組み合わせて戦闘をしていた。そもそも、どうせバリアジャケットを纏うならその装備の半分は意味のないような気もする。
「こ、これで、ほ、本気です」
しかし、首を傾げるフェイトに、クロエは良く分からない回答で返したのだった。
そもそも、わたしは攻撃魔法以外に殆ど適性がない。最早レアスキルに近いレベルで全ての素養が攻撃に偏っていた。本来は魔導師として一定のレベルに到達すると魔法の種類に関わらずある程度は使いこなせるようになるらしい。種類が違うとは言え、基本となる術式構成にそれ程違いはないのだから。にも拘らず、わたしにはそれが出来ない。攻撃魔法でさえあれば如何に高度な術式であろうと解析できる自信があるし、ふと思いついただけの攻撃魔法を簡単に構築してしまうのは尋常の才能ではないとも言われた。しかし、攻撃魔法以外についてはさっぱり分からない。ある種の魔法覚異常のようなものだと言われたこともある。色覚異常の人間が特定の色を見分けられないように、わたしには攻撃魔法以外の魔法が全て何だか同じようなよく分からないものに見えるのだ。
その結果としてわたしには攻撃魔法を除けば移動魔法と結界術式の基礎を実践するのが関の山になる。それも、攻撃魔法を土台にした複雑な手続きを使って。だから、ある意味でわたしの移動魔法と結界術式はオリジナル魔法とも言え、しかし普通と較べてもかなり非効率的なのだ。わたしは魔力で言えばSランクを超えると思うけれど、移動魔法と結界術式のレベルはせいぜいがBランク相当までが限界となる。しかも防御魔法を持っていない。これは戦闘をする魔導師として致命的だ。
わたしは強くなるために攻撃魔法のバリエーションを増やすしかなかった。あらゆる攻撃を避け、避けられなければ相殺する。そして、最も重要な事は出来るだけ相手に何もさせないことだ。それは物理的な意味でも、精神的な意味でも。恐慌を誘発せよとヴァネッサには教わった。だから、わたしの攻撃魔法は非殺傷設定の意味がないようなオーバーキルのものが多い。とは言え、常に一方的に攻撃できるほどわたしも強くはない。だからこそ最低限の防御としてバリアジャケットの展開とバトンを使った棒術で対策をしている。しかし、これも余り効率的な方法ではないのだ。わたしの魔法適正を考慮すると、出来るだけ相手に近づけさせずに怒涛の攻撃魔法で一気に攻め尽くすのが望ましいのだから。
そうした点を考慮するとわたしが最高の能力を発揮するには、例えば誰か優秀な前衛を盾として全力の攻撃魔法を行使する方法などがある。何故なら、わたしは常に消耗している。バリアジャケットの構築に普通の魔導師では考えられないほどの魔力を消費してしまうのだから。故に、バリアジャケットを纏う限りは全力を出し切れない。劇的に変わると言うほどではないにしても、使える魔法の選択肢が増えることには違いないのだ。
だからこそこれが本気のスタイルになる。”トイボックス”はバトン状ではなくペンダント状のままで稼動させ、文字通りの魔法ストレージと両手のブーストデバイス”パーペチュアルエコー”とのシンクロ機能の制御に特化させる。この場合、”パーペチュアルエコー”がわたしのメインデバイスとなる。とは言ってもわたしには本来的な意味でのブースト系魔法は使用できない為、魔法は全て自分で構築することにしてデバイスの補助機能である魔法詠唱の高速化と魔法制御の効率化の恩恵にのみ預かる事とする。この結果どうなるかと言えば、防御力のダウンを代償として攻撃魔法の高速化と効率化、そして選択肢の若干の増大と言う事になる。パワーアップと言うには弱いが、これでこそ本気の魔法が詠唱出来る。フェイトのサポートが期待できるなら、恐らくこのスタイルの方が最適なのだ。
「ば、バリアジャケットの構築に魔力を消費しますから、そ、それを節約して攻撃に回すんです」
「えっ? 幾らなんでもそれは――」
「そんな無茶苦茶な」
どちらかと言うと攻撃を重視するタイプに見えるフェイトとアルフが驚きに目を丸くする。確かに、幾らなんでも無茶だと言うのは良く言われることだし、わたし自身も無茶だと思う。だから、このスタイルは一人で戦う場合には絶対にしない。けれど、フェイトから簡単に聞いた作戦を達成するには防御を犠牲にしても攻撃を重視する方が適切に違いないのだ。
「も、元々わたしは防御魔法が使えないので、た、大して変わりません」
「ぼ、防御魔法も使えないって、あんた……」
アルフが呆れた声で呟いた。確かに普通ではないと思うけれど、使えないものは使えない。何れにせよ防御魔法を使えないのだから、わたしの防御は元々紙にも等しいのだ。最後の砦であるバリアジャケットを構築しないと言うのは不安ではあるにしても、実のところこの防護装備とそれほど防御力に違いがあるわけでもないのだから。問題は、この装備が恐ろしく高価で下手をするとインテリジェントデバイスが買えてしまいかねない高級品だと言うことだけれど。
わたしがそれを説明すると、なおも渋い顔をしながらもフェイトは結局はわたしのスタイルを承諾した。心理的に物凄く抵抗があるようだけれど、合理的ではあることは分かって貰えたらしい。
「え、えと、それで、作戦ですけど、海の中の”災厄の種”をフェイトの魔法で、きょ、強制励起させるんですよね」
「うん、管理局を出し抜くにはそれくらいする必要があると思うんだ。私とアルフだけだと無謀だけど、”ジュエルシード”の暴走をクロエの攻撃魔法で抑えられるって言うなら、その間に封印するのは難しくないはずだよ」
「そ、そう、ですね。き、危険はありますが……。で、でも、そ、そんなに多くの”災厄の種”を一度に封印できるものですか?」
わたしは懸案を口にする。”災厄の種”を強制的に励起させると言うのは非常に危険な作戦には違いない。いや、乱暴極まりない下策とすら言える。少なくともわたしがそれをやった場合、一時間を待たずに世界が終わると思う。しかし、活性化した”災厄の種”を邪魔が入りさえしなければ容易に封印可能であると言う前提であれば必ずしも無謀とは言えないかも知れない。リスクは恐ろしく高いが、確かに管理局を出し抜くには充分な策なのだ。
「あんたとちがってフェイトはすごい魔導師なんだ。それくらいどうってことないよ」
「えと、アルフの言うのは褒めすぎだけど……そうだね、数にもよるけど、何十個もあるわけじゃないから大丈夫」
わたしはフェイトの答えに暫く押し黙って考える。この作戦は、例えばマリィ先生たちなら絶対に認めないと思う。何故なら何の根拠も実績もないフェイトの言葉には説得力がない。活性化した複数の”災厄の種”を封印した経験なんて今だかつて誰にもないだろうから。しかし、管理局に対抗するには――いや、管理局がいればこそ可能な作戦かも知れない。”アースラ”が既に到着したらしいことはフェイトの探索魔法で確認して貰った。正確には、フェイトの探索魔法で検知出来ない領域を見つけたのだ。
「さ、最悪の場合、”アースラ”の”アルカンシェル”で、し、心中することになると思いますけど」
「はぁ!? 何言ってんだい、あんた?」
母さんと兄さんは偽善者であるとは思う。けれど、本当にどうしようもなくなった時点で”アルカンシェル”で砲撃する判断は出来るはずだ。それだけで次元震の発生が抑制できるかは微妙なところだけど、元々”災厄の種”の回収に訪れたのだからある程度の対策はあるだろう。アクアリウムではそれを用意する能力がなかったが、管理局ならば出来るはずだ。
「で、でも、アルフ。さ、”災厄の種”が共振を始める前に、管理局はわたしたちごと、ふ、吹き飛ばすくらいの判断をすると思いますよ」
「確かにそうかも知れない。アルフ、これは本当に危険な方法なんだと思う。多分、私が考えていたよりずっと」
「それは……でも、だったら、他のもっと安全な方法は――いや、そうだね。管理局が出てきた時点で、本当はゲームオーバーだったんだ」
フェイトに危険な賭けをさせたくなかったのか別の方法の模索を提案しようとしたアルフが押し黙った。そう、実のところわたしたちは既に半ば敗北している。これはもう敗者復活戦に等しい。敗者が勝者に逆転するには、それなりのリスクを負う必要はあるだろう。少しだけ、割に合わないリスクだと思いはするけれど。しかし、これは悪くない案なのだ。
「ごめんね、アルフ」
「フェイトが謝ることじゃないよ。管理局に勝てる見込みがあるだけでマシだと思う」
いずれにしても選択はそれ程多くはない。必要なのは覚悟だけだ。アルフも結局はそれ以上何も言わず、その様子に頷いたフェイトが決意に唇を結んで宣言する。
「さあ、行こう」
長い詠唱がそろそろ終わる。フェイトは儀式魔法を完成させ、発動ワードを宣言した。
「――撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス!」
【Thunder Fall.】
招来された黒雲に纏い付くような細い雷光が走る。凪いでいたはずの海は荒れ、局所的な嵐の様相を表し始める。雷光は僅かにじりじりと燻ったかと思うと一瞬後に何かが決壊したように怒涛のように降り注いだ。轟音が走り、閃光が目を焼く。吹き荒れる魔力流が海中に到達する。
「クロエ……っ」
「……っ、は、はい」
儀式魔法の発動を終えて封印術式の準備を始めたフェイトが合図を送るのを聞いて、わたしは途中で待機させていた広域殲滅魔法の詠唱を再開する。
「そは清冽なる光。醇乎たる滅亡の指。ソル・ルクル・プロミナ――」
魔力流に刺激され、活性化した”災厄の種”が次々と海中から飛び出してくる。それは周辺の海水を取り込んだのか、渦の龍の如く伸び上がって暴走を始める。封印のタイミングを計るフェイトは静かに宙を佇んで動かない。彼女を襲う水龍はアルフの防御魔法で露払いされている。
”災厄の種”の暴走は加速度的に激化を始めた。しかし、まだタイミングは完全ではない。後もう少し、後もう少しだ。完全に全ての”災厄の種”の位置を特定しなければならない。何故ならわたしの詠唱している魔法は、威力が高すぎて迂闊に発動させるのは余りにも危険なのだ。万が一制御に失敗するわけには行かない。それは文字通りの世界の破滅に等しい。
(――っ、い、今です!)
緊張にわたしの頬を汗が伝った瞬間、最後の”災厄の種”が姿を現して暴走を始めた。これで全てが出揃った。後は、魔法で余計なものを消し飛ばすだけだ。
「顕現せよ、箱庭の日華!」
【Miniature Corona】
発動ワードを唱えると同時に東西南北に散った魔法陣が互いに魔力精製された電磁波を射出し始める。その電磁波はわたしの指定した領域に吹き荒れて循環を繰り返す。即ち極めて強力な磁場の嵐。それは周辺の空気を刺激し、一瞬にしてにプラズマへ換える。磁場の嵐はそれでも吹き荒れる。プラズマ化した空気を尚も加熱し、次の瞬間、太陽のミニチュアが顕現した。
これは極小のコロナだ。白い燐光を発しながら加熱するプラズマは実に数百万ケルビンにも到達する。当然にしてこの温度に耐えられる物質はこの世界には存在せず、蒸発どころか瞬時に原子レベルで崩壊する。わたしが指定した領域の海は干上がると言うよりも消し飛んだ。”災厄の種”が丸裸になる。残ったのは中空を虚しく漂う六つの宝石。フェイトが”バルディッシュ”を構える。失った空気を埋めるように局所的に猛烈な突風が吹いて全ての”災厄の種”を一処に集める。
「……っ、はあ、っ」
”災厄の種”そのものに攻撃魔法の威力を直撃させず、周辺の被害を可能な限り抑える複雑すぎる制御を完成させ、わたしは魔力の大部分を失って荒い息を吐いた。本当はこの魔法はロングレンジから問答無用で対象を消滅させることを目的としている。流石にこのレベルの制御を実施すると消耗が激しい。
「あ、そ、それより、ふ、封印は――」
そこで肝心なことを思い出してわたしはフェイトの方へ振り返った。フェイトがそれに答えるように頷く。既に全ての用意を終えているらしく、すぐさま”バルディッシュ”に命じて封印術式を発動する。
「行くよ、”バルディッシュ”」
【Yes, Sir】
「全部まとめて、”ジュエルシード”、封印!」
フェイトが宣言した瞬間に金色の魔力光が放たれ、わたしがあっという間もなく全てが終わる。
【Sealing, Sealing, Sealing, Sealing, Sealing, Sealing.】
【All was sealed. And Captued.】
この間二秒。わたしからすると反則としか思えない速度で実に六つの”災厄の種”は封印され、”バルディッシュ”へ格納されたのだった。
「む、むぅ」
わたしは思わず唸ってしまう。何だろうか、これは。とてもずるい。
「クロエ、終わったよ」
封印を終えたフェイトがアルフを引き連れてわたしの傍へ飛んできた。わたしはどうも納得の行かない表情を隠しきれないまま二人を迎える。その様子に不思議そうに小首を傾げるフェイトへ向けて、わたしは取り敢えず撤収する旨を提案することにする。管理局が駆けつける前に速やかにこの場を去る必要があるのだ。
「あ、えと、そ、それじゃ早く――」
「ま、まずい、フェイト!」
「アルフ!?」
「な、何ですか?」
その提案は酷く慌てた様子のアルフの声に遮られていた。一体何が起こったと言うのだろう。全ての”災厄の種”は封印され、フェイトとわたしの魔力はかなり目減りしてしまったとは言え成功裏に作戦は完了した。それなのに何だというのか。いや、そうではない。最大の懸案が片付いていない。それは管理局の探知能力が予想を超えていた場合。つまり、もう管理局が駆けつけてしまった可能性があるのだ。
「あ、ま、まさか管理局が――」
「ち、違うよ!!」
「えっ?」
しかし、わたしの予想を否定して、アルフは恐るべき事実を告げたのだった。
「つ、津波だ!!」
「津波!?」
「え、あ、そ、そうでした!」
そういえば致命的な事実を見落としていた。なくした空気は突風を呼んだ。ならば、消し飛ばした海はどうなるか。自明である。周辺から流れ込んだ大量の海水が大津波となって押し寄せるのだ。
「ご、誤算です!!」
「う、うわあああああ! だ、だからあんたなんかと協力するのは嫌だったんだよぉ!!」
「えっ? えっ? ど、どうしよう。ええと」
アルフはわたしの胸座を掴んで喚きたて、フェイトは咄嗟の自体に混乱して右往左往していた。しかしもう時間はない。津波は既に海岸へ押し寄せ、近隣の民家を飲み込まんとしている。このままでは被害は甚大。この犠牲は必要とは言えない。まさに無意味な被害でしかない。わたしは取り敢えず混乱するフェイトの腕を掴んで飛行魔法で飛び出した。
「と、とにかくフェイト。ぼ、防御魔法をお願いします」
「あ、うん。でも、私もあんまり得意じゃ……それに、あんな大きな範囲は――」
大惨事の予感に顔を青くして半ば涙目になりながらもフェイトが防御魔法の詠唱を開始しようとする――その刹那。
「守護する盾。風を纏まといて鋼と化せ。すべてを阻む祈りの壁。来たれ我が前に!」
【Wide Area Protection】
衝撃。轟音。魔力の光が乱反射する。
大津波は桜色、翠色、水色の三色の魔力光を放つ強力な防御魔法に受け止められたのだ。