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[20196] 【完結】エンジェルゲーム (微グロ・変則ループ)
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 15:26



【1体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても、目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。起き抜けの目には辛い配色だ。

「おはよう」

寝転がっている僕の頭上から、変声期を終えた少年のような低い声が聞こえた。まだぼんやりとする頭を振りながら体を起こし、背後と振り返る。
そこには男が立っていた。全力でこの空間に喧嘩を売っているかのような、真っ黒な格好で。
髪も、瞳も、着ているコートも全てが黒い。端整な顔立ちではあったが、それもニヤついた表情のせいで全てが台無しになっている。
僕は男を不気味に思い、慌てて距離を取る。
男はそんな僕の様子をニヤニヤしながら黙って見ていた。男に警戒を抱きつつも、状況を確認するために辺りを見回す。

なんだ、ここは。

呆れるほど広い純白の空間。天井も壁も見えず、どこまで続いているのかさえわからない。

何故僕はこんな所にいるんだ?

自分の部屋で眠りについたのは覚えている、だが、目が覚めるとここにいた。服装も変わらず、寝たときと同じ青い絹のパジャマを着たままだ。
誘拐された? いや、もしかしたら夢を見ているだけかもしれない。

「残念だけど夢じゃない」

まるで心を読んだかのような発言をする男に得体の知れない恐怖を感じる。
逃げ出したくなってあたりを見回すが、ここには果てなど全く見えない空間が存在するだけだ。どこに逃げろというのだろう。
恐ろしいが、何かを知っているらしいこの男から話を聞き出すしかない。

「あの……」
「なんだ?」

はっきりとした大きな声を出す男に、僕は体をすくめてしまう。
人と話すのは苦手だ。特にこの男みたいな意思の強そうな人間を見ると、臆病で情けない自分と比べてしまうから。

「その、なんで、僕はこんな所にいるのかなって……」
「全部説明してやるよ、まずは自己紹介からだ」

ボソボソと、尋ねるというよりは呟くような僕を、男は人を苛立たせるようなニヤついた顔で真っ直ぐに見つめる。
苦手なタイプだ……。

「俺の名前はジン、天使だ」
「……」

ふざけているのだろうか。
ジンと名乗った男の格好や雰囲気は、天使というよりも死神の方が似合っていた。

「お前は?」
「あっ、僕は紫藤銀二。学生です」
「ふーん、知ってたけどな」

やっぱり、苦手なタイプだ……。
胸の辺りがムカムカして、ここから離れたくなる。

「さて銀二、突然こんな所に連れて来られて困惑していると思う。お前をここに連れてきた目的は、ゲームをしてもらうためだ」
「ゲーム、ですか?」
「そうだ、面白いゲームがあるからお前にやってもらいたいんだ」

何を言っているんだこの男は。
ゲームをやらせるために僕を誘拐したのか。

「お前は運が良い」
「えっ?」
「これはお前にもメリットのある話なんだよ。お前、生きてるのが苦しくてしょうがないんだろう?」
「なんで……」

なんで知っている。

「天使には全てお見通しだからだ。もともと人付き合いが苦手で今は不登校の引きこもり、わかりやすい脱落者だな」

うるさい。
うるさい。

「ずっと、満たされない心の隙間を埋めたかったんだろ? このゲームをクリアすればお前の願いは叶う」
「その、ゲームって」
「これだ」

するとジンは何も無い空間から、彼と同じ色、漆黒の刀身を持つ刀を取り出し、地面に突き刺した。

「ね、ねぇ、今の……」
「ルールは簡単だ、ゲームスタートとともに敵が現れる、お前は主人公を操作して出てきた敵全てを殺せばいい、単純だろ?」
「殺すって」
「難易度は高いが、何度でもやり直す事が出来る」
「……」
「ゲームが終わればお前の願いは叶う。それと、素敵な能力を一つプレゼントしてやる」

能力って、なんだ。この男の言っている事が理解できない。そもそもこちらに理解させようとする気がない。
ジンの言うゲームとやらは、たしかに単純な物だが、言っている事があまりにも荒唐無稽だった。
それにさっきの黒い刀、やっぱり僕は夢でも見ているのだろうか。

「信じられないか?」

僕は頷いた。

「お前が信じようが信じまいがどうでもいいんだ、ゲームをやるか、やらないか決めろ」
「そんな事言われても……」
「もっと単純に言ってやる。くだらない現実を変えたいか、変えたくないかを選べ」
「それは……」

変えたいに決まっている。
しかし、ジンの言っている事はあまりにも胡散臭くて、すぐに決断できるような内容ではなかった。
そんな僕を見透かすように、ジンはニヤニヤした顔で僕を見つめ続ける。

「なあ、例えこれが夢でも本当でも、迷う必要なんてあるのか?」
「え?」
「ゲームをやらないんだったら別にいいさ、家に帰してやる、だけどお前はそれでいいのか?」

それで、いいはずだ。
僕はジンに恐怖していたし、この異常な空間から早く抜け出したかったから。
でも、本当にそれでいいのだろうか。ここで帰ったって、今までと何も変わらない、苦痛の日々が続くだけだ。
本当に変えたいと思っているのなら、夢だとしても現実だとしても、少しでも可能性があるのなら選択をするべきなのだ。

「や、やります」
「え、やんの?」
「はい」
「あっそ、じゃあ受け取れ。この刀はお前に必要なモノだ、そしてお前にとって一番大切なモノでもある」

なんだか急に投げやりになったジンが黒い刀を僕に手渡してくる。
刀身だけで僕の身長の半分ほどもあり、光沢が一切無くて、一体どんな素材で出来ているのかと疑いたくなるような闇色の刀。
手に取るとずっしりとした重さが伝わってくる。長さの割には軽いのかもしれないが、体を鍛えていない引きこもりの僕では片手で振るのは少々辛そうだ。
これが一番大切なもの?
僕は猛烈に嫌な予感がしてきた。

「ではゲームスタートだ、敵は一体だけだから頑張れよ」
「ちょ、待ってよ、そんないきなり」

焦る僕を完全に無視して、ジンの姿がその場から消える。
信じがたい現象に唖然としていると、消えたジンと入れ替わるように何者かが姿を現した。
背丈は僕と同じぐらいだが、人間とは全く違う外見。
そいつは犬の頭部を持ち、全身けむくじゃらで人間のように二足で立っていて、右手には片腕ほどの長さのある無骨な剣が握られていた。
何かのゲームで見たことがある、確かコボルトとか言ったはずだ。
コボルトはギラギラとした瞳で異常な現象に驚愕し、動けない僕を睨み付け剣を振り上げると―――僕に向かって、思いっきり振り下ろした。

――え?

振り下ろされた剣は左の鎖骨をへし折り、肋骨を砕き、内臓を切り裂き、僕の体を袈裟に斬り裂く。全く動けなかった。
斬りつけられた衝撃で崩れ落ちる僕を、一瞬遅れて凄まじい痛みと熱さが襲い掛かってくる。
痛い、痛い、痛い、痛い。
今までの人生ではおよそ経験した事の無い灼熱の痛みに、僕はパニックに陥った。

血が――

不気味なくらい真っ白な床を生命の赤色が侵食し――命が失われていく。ゲームじゃ死なないって、そう言っていたのに。
痛みに支配された僕の意識がぼんやりと薄れる。

主人公って、僕かよ。

騙された――

後悔する僕の首に衝撃が走り、僕は完全に意識を失った。





【2体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。

「あ、れ?」

何故僕は生きているんだ?
強烈な痛みの信号も嘘のように消えて――いや、傷そのものが消滅していた。
全く理解できない。
またしても呆然として動けない僕に、容赦なくコボルトは襲い掛かり、今度は胸に向かって恐るべき速さで剣を突き出してきた。
突き出された剣はあっさりと僕の皮膚を破り肉を貫いて胸に吸い込まれていく、体内で何かが破裂し、焼けるような熱さを感じた。

今度はすぐに、意識を失った。





【3体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。

「ひっ、ひぃぁあああああ」

今までに聞いたことが無いような声が自分の口から漏れて、僕は刀を放り投げてコボルトに背を向けて逃げ出す。
恐ろしかった、何もかも全てが。
どこまでも続いていそうなこの純白の空間、しかし、それでも僕はここから逃げ出したかった。
なりふり構わず走っているのだが、恐怖で足がすくんでいるのかまったく速度が出ない。ついには足がもつれて転んでしまう。

「ああっあああ―――――ッ!」

立ち上がろうとしても足に全く力が入らない。
なんだよっ! 動けよ!
役立たずの体に苛立ちを感じ、それでも必死に這いずりながら、僕はコボルトから離れようとする。
怖い。
怖いよ、こわいよ、助けてよ姉さん、助けてよ……。

「ああ……」

遂に完全に動きが止まり、僕は床に顔を伏せたまま泣き出した。
誰か、助けて。
首に衝撃が走り、僕は意識を失った。





【4体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。

「うわああああぁ――――っ!」

嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
なんなんだ。なんでぼくをころすんだ。ぼくがいったいなにをしたっていうんだ。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

動く事も出来ずに、その場にうずくまり許しを乞う。
何がゲームでは死なないだ、死んだら蘇るだけじゃないか。こんな事を続けていたら狂ってしまう!

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

みっともなく謝り続ける僕に、無慈悲にも剣が振り下ろされた。





【9体目】


何も考えたくない。僕はひたすら果ての無い空間を走り続けた。思考がぐちゃぐちゃになり苦しくてたまらない。
無理矢理体を動かし続けるが、やがて足に力が入らなくなくなりその場に倒れこむ。
それでも僕は床を這いずり、恐怖の象徴であるコボルトから逃げ出そうとする。

僕の体なのに、何で言う事を聞いてくれないんだよっ!

すぐにコボルトの足音が近づいてくるが、僕は諦めずに床を這い続ける。
こんな事なら体を鍛えておけばよかった。せめて人並みの体力があれば――逃げ出せると思うのか? 
この終わりの見えない空間から。
馬鹿馬鹿しい。逃げられないなんてわかっているのに。
無様に這い続ける僕をあざ笑うかのように、コボルトの剣が振り下ろされた。





【14体目】


「ジンさんっ! 聞いてるんでしょう!? 助けてください!」

コボルトと向かい合い、ジリジリと後退しながら必死に叫ぶ。
だが、僕自身こんな声を出せたのか、と信じられないほどの大声で叫んでも、周囲には何の変化も無かった。

「お願いです! 僕には無理です! ゲームをやめさせてくださいっ!」

駄目だ……全く反応が無い。
そもそも最初から怪しいと思っていたんだ、なんであんな奴の言う事なんか聞いてしまったんだろう。

ちくしょう。

自分の愚かさに呆れてしまう。
僕が決めた事なんていつもろくな結果になった事が無い。そんなのわかりきっていたのに。
いきなりこんな異常な空間に連れて来られて、ゲームをしろだなんて言われて、僕のことをわかっているみたいな事を言って、煽られて。

馬鹿じゃないのか?

愚かな僕にコボルトが剣を振り上げて襲い掛かってくる。
反射的に右手に持っている刀を頭上に掲げるが、ろくに力も入れてない僕に、コボルトの馬鹿力で振り下ろされた剣が防げるわけがなかった。
刀はあっさりと弾き落とされて、コボルトの剣が僕の体を易々と切り裂いた。





【40体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。
僕は刀を両手で握り、コボルトに向けて構える。

殺さなきゃ、駄目なんだ。痛いのは嫌だから、殺されたくないから。

未だに恐怖で震える体を疎ましく思いながら、コボルトを見る。コボルトは右手の剣を握り締め、殺意の篭った瞳でこちらを睨み付けていた。
武器の長さはこちらが上、飛び掛って刀を振り下ろせば倒せるかもしれない。
僕は刀を上段に構えてコボルトとの距離をゆっくりと詰めていく。
心臓が爆発しそうなほど早く鼓動する。はっきり言って逃げている時よりも正面から詰め寄る事の方がはるかに怖い。
自分を殺そうとしている武器を持った化物と、引きこもりの僕が戦おうというのだ、正気の沙汰じゃない。
今にも崩れ落ちそうな体を無理矢理動かして、僕はコボルトに飛び掛り、刀を振り下ろし――あっさりと避けられて、肺に剣を突きこまれた。


そりゃそうだ。





【41体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。
僕は刀を両手で握り、コボルトに向けて構える。
全然駄目だった。ろくに力の入らない体で、しかもまったくの素人の僕が振り下ろした一撃なんてこの化物には止まって見えた事だろう。
武器を持ち対峙した二人の間には、しかし歴然とした力の差があったからだ。
この狂ったゲームとやらは致命傷を受けた時点でやり直しになんてしてくれない。嫌がらせのように死ぬまでの間に痛みと苦しみを送り続けてくるのだ。
死ぬのはどうしようもないとしても、せめて痛みだけでも無くして欲しかった
でもどうしようか。もう一度突撃しても勝てそうにない。
ただでさえコボルトとの実力差は明白なのに、僕の体は依然として恐怖で力が入らない体たらくなのだ。
刀を握る両手からもどこかふわふわとした感触しか伝わってこない。
これじゃあまともな攻撃なんてできるわけがない。この恐怖心をなんとかしないと絶対に勝ち目など見えてこなかった。
しかし、こんなのどうしろって言うんだ? 自分をいつでも殺せる存在が目の前にいるんだぞ? 逃げ出さないだけでも僕は立派だと思う。

「はぁ……」

ため息をつき、ゆっくりと刀を上段に構える。本当はわかっていた。恐怖心を取り除く方法を。
震えながらコボルトに殺されていた僕は今こうしてコボルトに刀を向けている。少しづつ、恐怖心が薄れているのだ。何故かって?
慣れてきたからだ。痛みにも、死ぬ事にも。
死なないと、死ねないとわかってきたから。
殺されるたびに死の恐怖が薄れている。だったら殺され続ければいいのだ。
完全に恐怖心が無くなるとは思えないが、あいつを殺すぐらいまで薄まってくれれば勝機は作れる。
結局、弱者である僕の取れる選択肢なんてほとんど存在しないんだ。
痛みを我慢して、死んでもいいから攻撃を続けるだけ。ただの特攻。それをやるしかない。

「おおおおおおっ!」

叫び声を上げながらも僕はコボルトに飛び掛り、あっさりと殺された。






【83体目】


問題が発生した。

僕はある程度恐怖心を押さえ込む事に成功して、ついにコボルトに一太刀を浴びせる事に成功した。
怪物とはいえ生物の肉を切り裂く感触は僕に不快感を与えたが、そんな事を気にする余裕などなかった。
だけど、非力な僕が強靭な肉体のコボルトに放った一撃は、奴の肩口に食い込んで動きを止めてしまい、結局コボルトの反撃を食らって僕は死んでしまった。
それから何度も何度も攻撃を当てたのだが、いずれも同じように防がれて殺されてしまう。
攻撃力が絶対的に不足しているのだ。
僕は自分の手に握られているまったく光を反射しない漆黒の刀を見る。
僕みたいな初心者が使うのだから、もう少し高い攻撃力や魔法的な何かがあってもいいと思うのに。
大体このゲーム自体がおかしいんだ。
普通アクションゲームとかロールプレイングゲームって最初は自分よりもかなり弱い敵とかを倒して慣れていくとか、レベルを上げていくとか、そんな感じだろ?
でもこのゲームにはそれが全く無い。自分より遥かに強い敵相手に、何の強化もされていない等身大の僕を戦わせている。
クソゲーだ。いくら死なないからってもう少しプレイヤーの事を考えてもいいんじゃないかと僕は思う。

でも、何回も死んで理解してきた事もある。

このコボルトは逃げていたり、無抵抗で殺されていた時は容赦なく襲い掛かってきたのだが、対峙して刀を構えているとなかなか襲い掛かってこない。
こんな僕でも危険な存在とみなされているからだろう。
それに力もあるし体も強靭だが、防御はあまり得意では無いこともわかった。超素人の僕の攻撃を受けてしまった事からもそれは明らかだ。
死に始めた頃のヘロへロな攻撃程度では防がれてしまうのだが、最近の僕の攻撃には徐々に対応できなくなってきていた。
しかし僕の攻撃が当たっても致命傷にはならないうえに、敵の反撃が一発でも当たると僕は死ぬ。
腕一本を犠牲に運良く致命傷を避けたことがあったのだが、あまりの痛みで動きが止まってしまい結局殺されてしまった。
となると僕がこいつを倒すには、自分の攻撃を何発も当てて、なおかつ敵の攻撃を一発も受けない事。

何だそりゃ。どこの剣聖様ですか。

僕にはコボルトの攻撃を受け流す事なんか出来ない。だから常に先手で攻撃しなくてはならないのだけど、素人剣術では攻撃方法もワンパターンになってしまう。
遠くから一気に飛び掛り一撃を浴びせる、これしか出来ない。
ある程度近づくとコボルトの方から攻撃してくるからだ。そしてこの方法だと、僕が一撃で相手を倒さない限り、相手の反撃を受けて死んでしまう。

完全に詰んでいる。

相手の攻撃方法を奪うために、剣を持つ右腕を狙った事もあるけど、大抵が防がれてしまった。
それに腕に攻撃を当てても反撃してきた事もあれば、残った左腕で殴り殺されてしまうという悪夢のような展開もあったのだ。あれは二度と経験したくない。

ならどうするか。

攻撃力が低いなら弱点を狙えばいい。だけど頭部を狙ってもあの頑丈さなので頭蓋骨に止められる可能性がある。
だから狙うのは眼球一択、それも斬撃ではなく突きでの攻撃だ。脳味噌に直接攻撃を叩き込んでやる。
不安なのは命中精度だ。ただでさえ軽いとは言えないこの刀での突きは、狙った箇所に当てるのが難しい。
飛び掛りながらの突きという事でさらに難易度が上がる。しかもあのコボルトは、どういうわけか頭部に対する攻撃への反応が異常に良い。頭部への突きは何度か行った事があるが全て躱されてしまった。

でも、諦めはしない。

攻撃が避けられるのなら当たるまで続ければ良い。僕は絶対に死なない。そして経験を積み重ねる事ができる。
考えてみれば僕はこの空間での絶対的な強者なんだ。僕には勝利条件があるけどコボルトにはそれが無い。
無限に復活する僕を殺し続けるだけの存在。そう思うとむしろ同情さえしてしまう。
やってやる。ゲームをクリアするんだ。
僕は決意を固めてコボルトに飛び掛り、眼球を突く。
コボルトは首を傾けただけでそれを避けて、お返しのように僕の胴体へと突きを放った。





【121体目】


気がつくと、僕は純白の空間に立っていた。
右手には黒い刀が握られており、コボルトは変わらず僕と対峙している。
僕は刀をしっかりと両手で握り、コボルトに向けて構えをとる。殺し合いの中で理解した相手の眼球を突く事にだけ特化したモノに。
殺す。
たった一つ。それだけを考えて僕はじりじりと距離を詰めていく。避けられるだけの無様な突きはしだいに命中するようになっていた。
しかし、回避が不可能だと悟ったコボルトは額で僕の刀を受けるようになった
予想通りコボルトの頭蓋骨は硬くて。僕の突き程度じゃ貫通する事は出来ないようだ。
だがその動きの癖も見つけた。
今度こそあいつを殺せるはずだ。僕と同じように狂ったゲームに囚われた哀れなコボルトを。

「死ね」

射程距離に入り、僕は地面を蹴りつけてコボルトの右眼に向かって全力で突きを放つ。
コボルトはそれを回避不能だと判断し、顎を引いて攻撃を額で受けようとする。
僕の突きはそのままコボルトの額へ向かって――
瞬間、僕はすでに伸びきった肩を無理矢理伸ばした。
両肩に激痛が走るが知った事じゃない、額へと向かっていた突きは伸ばした腕の分微妙に着弾点を変えて―――コボルトの右の眼球に吸い込まれていった。
眼球を貫いた黒刀は、そのまま視神経を破壊し、脳へと突き刺さり後頭部の頭蓋にぶつかって、ようやくその動きを止めた。
純白の空間に、一瞬の静寂が訪れた。

「うおおお―――――っ! ――――あ?」

勝った!
心の底から湧いてきた衝動に身を任せ雄たけびを上げていると、すぐに僕は自らの体の異変に気付いた。
腹から剣が生えている。

「あ、ぐっ……」

コボルトの剣だ。いつ攻撃されたのか全く気がつかなかった。コボルトに視線を向けるがピクリともしない、完全に死んでいる。
死ぬ瞬間に攻撃してきたのか……。

「くそっ……」

だけど僕はコボルトを殺したんだぞ。なぜゲームは終わらないんだ。辺りを見回すが何の変化も無い。どうなっている。

「ジ…ン…」

体の力が抜けていく。僕には治療する技術が無いし、道具も存在しない。このままだと死んでしまう。悔しいが、またやり直しだ。
今回は運良く殺せたが、またあいつを殺すには何回か死ぬ必要があるだろう。
しかしゲームのクリア条件が分からない。僕も致命傷を受けたのが駄目だったのか?
最初にジンが説明していた事なんてもう覚えていない。あの時に詳しく話を聞いていなかった事が悔やまれる。
しょうがない、今度は無傷であいつを倒せるような方法を考えるか。
ゆっくりと、溶けていくような感覚に包まれて僕は意識を失った。







[20196] 2回戦
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 15:33



意識が覚醒していく。
手に触れるのは黒い刀の固さではなく、柔らかいシーツの感触。僕は慌てて体を起こし周囲を見渡した。
目に映るのは並んだ本棚、乱雑に置かれているゲーム器、型の古くなったテレビに新しく買ったばかりのパソコン。
閉ざされたカーテンから漏れる光が、純白の空間では味わえなかった懐かしい朝の目覚めを思い出させる。

「戻って……来たのか?」

紛れも無くここは僕の部屋だ。狂ったように僕と殺し合いを続けけたコボルトもここには存在していない。
ベッドから降りて、しばらく周囲の警戒を続けるが、何の反応も無い。さらに十分ほど待つが何も起こる気配はなかった。

「はは、ははははははっ!」

帰って来た。僕はゲームをクリアしたんだ!

今まで散々味わってきた恐怖ではなく、溢れんばかりの歓喜に僕は打ち震えた。
やはりコボルトを殺した時点でゲームは終了していたんだ。あの時僕は死んだと思ったが、今思えば意識の消失がいつもとは違っていた気がする。
なんて紛らわしいマネをするんだ。
慣れ親しんだ、しかしあまり好きでは無かった自分の部屋が今は愛おしく思える。
勝利の余韻を噛み締めていると、僕のお腹から食料を寄越せという餓鬼どもの叫びが聞こえてきた。かなりお腹が空いている。
枕元に置いてあるデジタル時計を見ると、9月23日8時18分水曜日と表示されていた。いつもよりかなり早い目覚めだ。僕は自室を出て階段を下りていった。
普段の僕は朝2時頃に眠っている。うろ覚えだが昨日は1時過ぎには眠りについたはずだ。そして眼が覚めたらあの空間にいた。
6時間ほど戦い続けていた計算になる。しかしその割には体に全く疲れが残っていない。

「あ、そうだ」

ゲームクリアの喜びで忘れていたが、僕はコボルトに貫かれた腹の傷を確認する。負傷したままゲームクリアをしたので何かあるかもと思ったが、幸い傷は全く残っていなかった。
1階に降りた僕はリビングの扉を開ける。

「銀ちゃん、おはよう」
「……おはよう」

リビングのテーブルでは、僕とは色違いのパジャマを着た女性が座っていて、トーストにジャムを塗っていた。
綺麗なロングストレートの髪に、優しげな雰囲気、美人というより可愛いタイプの顔立ちを持つこの女性は、僕の姉――紫藤桜だ。
姉さんは僕より4歳年上で、大学に通っている。朝の講義はあまり取っていないためか、不規則な生活をしている僕でも朝食時に顔を合わせる事が多い。

「今日は早いんだね」
「……まあ」

適当な返事をしながら僕も朝食の準備をする。冷蔵庫から牛乳と食パンを取り出し、コップを一つ取ってテーブルに付いた。
高揚していた気持ちが一気に萎えていく。
姉さんは僕に甘いし、可愛がられている事もわかっているが、それが辛かった。
僕も姉さんの事は大好きだし、愛しているかと聞かれればそうだと答えられる、向こうも同じだろう。でもそれは僕の心を苛む原因にもなる。
手早く食事と片付けを済ませてリビングを出ようとすると、姉さんが声をかけてきた。

「銀ちゃん、何かあったの?」
「別に」
「そう……、ならいいんだけど。悩み事があるなら、お姉ちゃんがいつでも相談に乗るからね?」
「わかったよ」

心配そうに僕を見る姉さんを残し、僕はリビングを後にした。階段を上がって二回の自室に戻る。
部屋に入ると僕は着替えもせずにベッドに身を投げ出す。
さすがに姉さんは鋭い。だけど相談なんてしたら真剣に病院を進められるだろう。
僕が原因では無いが前にも似たような事はあったし、姉さんに気苦労をかけたくなかった。

僕はクズだ。

両親は共働きだったのだが、一年前に父さんが事故で死んだ。そのせいで母さんは少しおかしくなってしまった。
母さんが父さんを深く愛していた事は知っていたし、父さんが死んでから一人で泣いている姿も何度か見かけている。
姉さんだって父さんが死んで悲しいのに、そんな母さんを懸命に慰めていた。だけど、僕はそんな二人を支えてあげなかった。
二人を見るたびに気分が重くなって自室に逃げ出していたのだ。
この頃の僕は入学したての高校で上手く行っていなかった。人付き合いは苦手だったし、中学の時点ですでに限界は来ていたのかもしれない。
そんな苦痛でしかない高校生活を続けていると、突然父さんの訃報が入ってきた。
階段からの転落死。誰に殺されたわけでもない、運が悪かったとしか言えない死に方だ。
心にぽっかりと穴が開いた気分だった。次第に学校に行く事も億劫になり始めて、さぼる事も多くなり、ついに3ヶ月前から完全な不登校となった。
おかしくなった母さんですら働いているし、姉さんもバイトをしながら大学に通い続けている。なのに僕は不登校の引きこもり。最悪だ。
母さんは僕が引きこもり始めてからは、さらに仕事に没頭し始めた、今ではほとんど家に帰ってこない。定期的に家に金を振り込んでいるが、いつもはホテルにでも宿泊しているのだろうか?
引きこもりになった僕にも、姉さんは昔と変わらずに優しく接してくれている。
僕は最低の人間だと自覚しているし、家のお荷物になっている事だって分かっていた。

優しくされたって、惨めになるだけなのに。

家の事を考えると気分が悪くなってくる。いつもと同じ、どうしようもない閉塞感に、わけのわからない苛立ち、そして破壊衝動だ。他の事を考えよう。
僕は『ゲーム』について考える。戻ってきたときは体に何の傷も残っていなかったし、まったく疲れていなかった。
あれはもしかしたら本当に夢だったんじゃないか?
僕を傷付ける世界に対しての怒りが『敵』との戦い、情け無い自分に対する罰が痛み、それでもどうしようもない現実が不死という形となってゲームという夢を見せた。

「はは、そんなわけないか」

僕は頭を振ってくだらない考えを否定した。とても夢とは思えない。あのゲームで感じた絶望や苦痛、そしてコボルトを殺したとき――
今になって感触がよみがえる、眼球を貫通し、脳味噌を破壊して頭蓋骨で止まった時の手応えが。……気分が悪くなってくる。
仕方が無かったとはいえ、僕は生き物の命を奪ったのだ。

「……くそっ、ジン! いないのか! ジン!」

相変わらず反応が無い。あいつの存在こそ、あれが夢ではなかったと証明する鍵なのに。

「はぁ……」

でも、夢じゃなかったから何だって言うんだ?
ジンはあのゲームが終われば僕が変われると言ったが、結局僕は自室に篭っている引きこもりだ。
あれほどの壮絶な体験をしても変われなかった僕自身に嫌気がして、僕は考えこむのをやめた。
くだらない。
何もする気が起きずに僕はぼんやりと天井を見つめ続けた。



◇ ◇ ◇



【122体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても目が眩まんばかりの純粋な白。壁も天井も見えないほど果てのない広さだ。

「おはよう」

まだぼんやりとする頭を振りながら体を起こし、背後へと振り返る。
そこには男が立っていた。全力でこの空間に抵抗するかのように真っ黒な格好。髪も、瞳も、着ているコートも。
端整な顔立ちではあったが、それもニヤついた表情のせいで台無しになっている。
僕はこの男に見覚えがあった。

「ジンッ!」
「よう、元気?」

意識がクリアになっていく。ここは間違いなく僕とコボルトが殺しあった場所だ。

「どういう事だっ! なんで僕はここにいるんだっ!」
「俺が呼んだからだけど」
「そういう事じゃない! 何故また呼んだんだ!」
「少し落ち着けよ……血圧上がるぞ?」
「答えろ!」
「うっさいな、ゲームに決まってんだろ」

ゲームだって!?
人を馬鹿にしたような態度のジンに苛立ちが募っていく。

「ゲームはクリアした筈だ」
「誰がゲームは一回だって言ったよ? あんなのチュートリアルみたいなもんだぜ」
「なっ……!」
「そうだなぁ、このゲーム……『エンジェルゲーム』とでも名付けようか、エンジェルゲームはアクションRPGみたいなもんだな。お前はその手のゲームをやってるから分かるだろうけど、開始していきなりボス戦なんてありえないだろ? 雑魚戦で鍛えてボスに挑む。これが一般的なゲームだ。俺のエンジェルゲームもそういう流れを汲んでるわけ」

名前が安直すぎる。

「あのコボルトが雑魚だって言うなら、ボスがいるのか?」
「ああ、そいつを倒したらゲームクリアだ」

なんて事だ。
ジンはニヤけた顔でうろたえる僕の様子を眺めてくる。

「僕はもう戦わない、ゲームをやめる」
「あらら、お前は辛い現実を変えたいんじゃなかったのか?」
「う……」

それは……
でも、こんなゲームを続けていたら狂ってしまう。

「まあ、却下だ」
「どうして!」
「お前の意見なんてどうでもいいからだ。ぶっちゃけると最初にお前にゲームをやるか聞いたときに、どっちを選んでも強制的に参加させる気だったしな」
「じゃあどうしてあんな事を聞いたんだよ!」
「何の説明もなしで始まるゲームなんてクソゲーじゃん」
「この野郎っ!」

あんまりな答えに僕は激昂してジンに掴みかかろうとするが、体が一歩も動かない。何か得体の知れない力で押さえつけられている。

「ぎゃははははっ! 人間が天使様に勝てるわけねーだろ!」
「っ……」

理不尽だ。
どこが天使なんだ、どう考えてもこいつは悪魔だろう。

「何で僕なんだ」
「あ?」
「どうして僕をこんな目に合わせるんだ」
「あー、そうだな、ちゃんと理由はある。でもまだ教えない」
「どうして……」
「そっちの方がやる気が出るだろ?」

ジンの手に黒い刀が出現して、硬直した姿のままの僕に握らせてくる。

「さあ君の相棒だ、受け取りたまえ。名前はサクラちゃん、シスコンのお前にはピッタリだろ? 頑丈さが取り柄なので壊れないと思うけど、姉ちゃんだと思って大事に扱えよ」
「うるさいっ!」
「今度の敵は十体だ、頑張れギンちゃん!」
「なっ……」
「じゃあゲームスタート」

投げやり気味にゲームの開始を告げて、ジンの姿がその場から消える。
そしてまた、入れ替わるかのようにコボルトが出現した。僕の周りを囲むかのように次々と。
数える気が起きないが十体いるのだろう。冗談としか思えなかった。相打ちで倒した強敵が十倍に増えたのだ。
しかも完全に囲まれている。あの悪魔は僕に恨みでもあるのだろうか。泣きたくなってきた。
駄目だ。
戦う気力が失われて、僕は無抵抗のまま殺された。





【193体目】


くそったれ!
ジンはコボルト一体との戦闘をチュートリアルと言ったが全くその通りだ。まるで相手にならない、勝てる気がしない。
何十回か殺され続けてようやく戦う気になった僕は、初戦と同じように眼球突きをコボルトに叩き込んだ。
だが、無意味だった。
殺したコボルトのカウンターで殺されるか、別のコボルトに殺されるだけだったのだ。
もう数については諦めた。一度殺した相手だ。十体に増えたとしても一人ずつ相手にすれば勝てる見込みはある。
だけど、これはないだろう。初期配置の時点で僕に逃げ場は無く、コボルト十体がいつでも僕を抹殺可能だ。このクソゲーが!

考えよう、どうやったらこのクソゲーをクリアできるのか。

コボルトの配置は、僕を中心として大体半径5、6メートル程離れた位置に、ある程度間隔を開けて円を描くように並んでいる。
僕の目標はこの包囲網から抜け出す事だ。囲まれたままじゃ永久にクリア出来そうにない。
ダッシュで抜けるのは無理だろう。横を通り抜けた時点で斬り殺される。殺して突破するしかない。
ではどうやって殺そうか。
まず眼球突きは駄目だ。一人殺した時点で僕も死ぬ自爆技では千回やったって勝てないだろう。
ひたすら死に続けて技量を上げればいけるか……? 駄目だ、カウンターを防いだとしても他のコボルトの攻撃で殺されてしまう。
いや、待てよ。別に殺す必要はないじゃないか。
開始と同時に一体のコボルトに向かって全力疾走。そのまま速度を維持してどうにかコボルトの一撃を防ぎ、真横をすり抜けて突破する。
殺す手間も省いているのでおそらく一番早い方法だろう。
よし、とりあえず案は決まったので実行してみよう。
僕はコボルトに向かって走り出そうとして、後ろから攻撃を受けて死んでしまった。





【345体目】


コツを掴んできた。
確かにコボルトの一撃は強力だが、繰り返しているうちに攻撃自体も見えるようになってきたのだ。
人間は死の危険に遭遇すると、脳内物質が大量に分泌され、危険を回避しようと本来の体ではありえない力を出すことができるようになるという。
僕はこの空間に放り込まれた時点で常に死の危険が付きまとっている、というか死んでいる。
ここでの僕は常にドーピング状態なのだ。たまにハイになっている時もあるけどこれが原因なのかもしれない。
初戦では気付かなかったが、考えてみれば引きこもりの僕がコボルトを殺せたのもこれの恩恵だったのだろう。
本来セーブされている人間の身体能力を僕は使う事が出来るのだ。もちろんそんな事をしていれば肉体はズタズタになってしまうだろうが僕には関係ない。
強烈なコボルトの一撃を刀で受け流す。
動きを止めた状態なら二、三撃は防げるようになっていた。まあ防いでいるうちに別のコボルトに殺されるわけだけど。
問題はこれを走りながら行う事だ。止まった状態とは難易度が違いすぎる。
しかし、それも形になり始めてきた。
なにしろこのコボルトは力任せに剣を振る事しか出来ないただのケダモノだからだ。毎回同じ反撃を食らっていれば対処法ぐらいは思いつく。

もう少し、もう少しだ。

決意を新たにして僕はコボルトに向けて走り出す。
剣を持っていない左手側に走ると、避けにくく受け辛い突きを放ってくるため、相手の右側へ。コボルトは自身の射程内に入ると剣を振ってくる。
僕はそれを刀で受け止め、流そうとして――
簡単に刀を弾き飛ばされてしまった。
だが止まらない、僕はそのままコボルトの横を通り抜けてひたすら走り続ける。

「やった! 勝ったぞぉおおお―――――っ!」

言い表せない達成感を感じた僕は、すぐにUターンしてコボルトの集団に突っ込んで行った。





【444体目】


ほぼ確実に包囲網から抜け出せるようになってきた。
でも状況はあまり変わっていない。今も抜け出してきたばかりなのだが、敵が全員僕の方に向かって来るのだ。
一番近い敵を相手にしようとしても、三人で固まっているため攻撃のしようがなかった。
さてどうしようか。
あれだけ頑張ったのにこの結果ではあまりにも悲しい。後ろからの攻撃を受ける可能性が無くなったのは良かったが。
それにしても最悪だ。ずっと初期配置で固まっていて欲しかったのに、群れて襲ってくるなんて。
君達の方が僕より強いんだよ? こういうの弱いものいじめって言うんじゃないか。
鬱になる。正直どうしようもない。ここから敵を分断する方法なんて見つからない。

「結局特攻か……」

ため息をつき、コボルト三人組に走り出す。こうなったら三対一でこいつらを倒せるほど技術を磨くしかない。
中央の敵は論外。右端にいる敵から殺す。反撃を食らうと即死なので、先に攻撃させて僕が反撃で仕留める。
地面を思いっきり蹴って右のコボルトに襲い掛かる。射程内に入った僕目掛けて振り下ろされた剣を受け流し、返す刀でコボルトの首を狙い―――
刀は首の半ばで動きを止め、別のコボルトが放った一撃で僕の首は胴体との別れを告げた。




【664体目】


疲れた、休みたい。





【765体目】


休みたい。





【866体目】


休みたい。





【1257体目】


一対一の状態で完璧に勝てるようじゃないと話にならない。
突きでは駄目だ。突き刺し、引き抜くという二つの動作を行うために時間がかかってしまう。だから、一撃で首を切り落とす。
それだけを狙ってひたすらコボルトに挑み、動きを研究し続けた。
相手の攻撃を受け流すから次に放つ斬撃の威力が落ちるんだ。なら受けずに避けて疾走の勢いを殺さずに振り抜けばいい。
首の骨だって鉄の棒みたいな作りをしているわけじゃない。
確か骨と軟骨が積み重なって出来ていたはずだ。軟骨を狙えば斬れるはずだが、そんな事が簡単に出来るわけもない。     

まずは相手の攻撃を避ける。全てはそれからだった。

これがとにかく難しかった。最初から受ける事を放棄して相手の射程内に飛び込むのだ、しかも避けた後に攻撃可能な体勢を残したままに。
何十回、何百回と殺された。何度も心が折れそうになったが、ゲームを終わらせたい一心でとにかく僕は戦いを続けた。
努力は身を結び、次第に僕はコボルトの攻撃を避けつつも反撃するという方法を編み出していた。
真正面から突撃した場合、コボルトは斜め上から剣を振り下ろす行動しか取ってこない。
僕は敵の間合いまで全力疾走すると、相手の左の空間へジャンプして空中で一回転し、そのまま遠心力を利用した斬りをコボルトの首に向けて一閃。
これが一連の動作になる。脳のリミッターが外れていなければとてもこんな芸当は出来ないだろう。
避ける動作はほぼ完璧だったが、首斬りがとにかく難航した。そもそも狙いがつけられず首に当たる事さえ稀だったのだ。

僕は死んだ。ひたすら死に続けた。

そして遂に忌々しいコボルトの首を刎ねる事に成功したのだ。
首の骨は頭蓋骨ほど硬くはなかったらしく、僕自身斬るという動作に慣れていたためか、軟骨など狙わなくても簡単に落ちた。
しかしこれで終わりではない。まだ敵は九体も残っているのだ。暗い喜びに囚われそうな意識を一瞬で振り払い、次の敵に向かって駆け出した。
まあ結局次のコボルトに殺されてしまったんだけどね。
首斬りが通用する事が分かった僕は、飽きもせず技術を磨き続けた。一体目のコボルトを殺し、すぐに二体目に向かいまた殺して、三体目、四体目も次々に殺していく。
技量を上げていた僕にとって、コボルト一体との戦闘なんて遊戯にも等しかったのだ。
だけどここからが問題だ。どんなに僕が素早く動けたとしても一対一の戦闘に持ち込めるのは六体目までが限界だった。
残りの四体は集団で僕に襲い掛かってくる。
これからが本当の戦いだ。
ケダモノ風情に教えてやる。僕がお前達より遥かに強いって事を。





【2207体目】


死から復活した僕は正面に見えるコボルトに向けて全速力で走り出す。
コボルトの持つ剣の長さは把握済みだ。
剣の初動が見えるのと同時に身を翻し跳躍する。あっさりとコボルトの攻撃をかわして首を刎ね落とし、着地するとすぐに二体目に向かって駆け出した。
楽勝だ、同じように首を刎ね、続く三体目、四体目を殺すと今度は逆方向に向かって疾走する。五体目の首を刎ね、着地と同時に攻撃を放ってきた六体目の攻撃を受け流し、眼球から脳に達する突きを放つとすぐにその場から離脱する。

さて、準備は整った。

残りの七、八、九、十体目のコボルトを見据えて位置関係を把握すると、すぐさま連中の一番左に位置する七体目のコボルトに襲い掛かり、その首を刎ねる。
残り三体。
着地と同時に地面スレスレまで体勢を低くして八体目の攻撃を避け、アキレス腱を斬る。
ふらついた八体目を蹴り飛ばして地面に倒すと、九体目と十体目が僕に攻撃を放ってきた。両方の攻撃を受けると死ぬ。
僕は九体目の斬撃を跳躍して払い、ついでに腕を斬り落としてやった。
そして、着地点に存在した八体目のコボルトの首を、思いっきり体重を加えた踏みつけでへし折る。
残り二体。
腕ごと剣を落とした九体目のコボルトに眼球突きを放つ。
残り一体。
突きによって出来た隙を見逃さず、僕に斬撃を放ってきた十体目の攻撃を左肘で無理矢理受け止める。
激痛を無視して僕は刀を右手一本で逆手に持ち直しコボルトの懐に飛び込む。
これで――終わりだ。
僕は、コボルトの顎から脳に達するように、下から思いっきり刀を突き入れた。
コボルトと、連続して酷使した僕の体が同時に崩れ落ちる。倒れている場合じゃないのはわかっている。
もしかしたら生き残っているコボルトがいるかもしれない。確認するべきだ。
だけど体が動きそうにない、肉体的な疲れよりも精神的な疲れのために。
今まで休む事も出来ずにひたすらコボルトと戦い続けたのだ。当然かもしれなかった。
ようやく訪れた休息を僕自身の心が味わいたがっているのだろう。
ここでまた僕が死ねばまた何度かやり直すというのに。やれやれ、人間はとことん欲求に弱い生き物だ。

十体のコボルトとの戦闘。
絶対に無理だと思っていたのに。意外になんとかなるものだ。

「ざまあみろ」

誰に言うのでもなくポツリと呟き僕の意識は次第に薄れていった。







[20196] 3回戦
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 15:44



意識が覚醒していく。
朝日の差し込む自分の部屋。時計を見ると9月24日8時1分木曜日と表示されている。
昨日の就寝時間は1時前だったので7時間ほど寝ていた計算になる。うろ覚えだが昨日起きたのも8時頃だったはずだ。こっちに戻る時間は統一されているのか?
体を点検してみたが、やはり傷は治っていた。これはありがたい。
睡眠も取っている事になっているらしく眠気も無かったが、どうにも体がだるい。ゲーム中に大量分泌されていた脳内麻薬が切れてテンションも駄々下がりだ。

「メシでも喰うか……」

階段を下りてリビングに向かう。相変わらず空腹感が凄かった。
リビングに姉さんの姿は見えない。もう大学に行ったのだろう。僕は一人テーブルについて食事を始めた。誰もいない家での一人の食事。なぜだか少し寂しさを感じた。
家族に、会いたかったのだろうか。
ずっと殺意を向けられて殺し合いを続けていたから。誰かに優しくしてもらいたかったのかも知れない。
ガキか、僕は……。

「ごちそうさま」

食事の後片付けをして自室へと戻る。恐らくゲームはまだ続くのだろう。あれがボスとは到底思えなかった。だったら少しでもできる事をしておきたい。
パジャマから着替えてパソコンをつけ、インターネットに繋ぐ。
探すのは武術や剣術についての基礎知識や、効率の良い体の動かし方等だ。良さそうなものを見つけては、何も考えずにひたすら知識を脳に詰め込んでいく。
役に立つかは分からないし、実戦で通用するのかは疑問だが、何もしないよりはマシだ。何しろ向こうでの時間は無限にある。ある程度やり方を知っておけば何かに使えるかもしれない。
体も鍛えた方が良いだろう。はっきり言って今からやっても何の足しにもならないが、ゲームが何日続くのか分からない以上やっておくべきだ。
そこまでゲームが続いていたら僕の精神の方が持たないだろうけど。

そうして知識を詰め込んだり、筋力トレーニングをしたり息抜きにゲームをしていると、あっという間に日が暮れてしまった。

「もうこんな時間か」

鼻の付け根辺りを指で揉み、首を回して一息ついていると、トントン、と控えめなノック音が聞こえた。姉さんだろう。
夕食の時間なので僕を呼びに来たのだ。僕はドアを開ける。

「銀ちゃん、ご飯だよ」
「ああ、今行くよ」

姉さんの後に続き、リビングへ向かう。
食事の準備をして、姉さんと二人で夕食をとり始めた。今日のご飯はカレーだ。

「昨日のコロッケを入れてみたんだけど、美味しいかな?」
「うん」

姉さんはニコニコしながら話しかけてくる。何が嬉しいのかは知らないが、姉さんが僕に向ける暖かい感情は、僕のささくれだった心を癒してくれる。
そうだ、これでいい。僕は食事を取りながら話しかけてくる姉さんに相槌を打ち。その姿を眺め続ける。
しばらくそうしていると、姉さんが僕の様子に気付いた。

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いや」
「……ねえ、銀ちゃん。やっぱり何かあったの? 昨日からちょっと変だよ」
「別に」
「だって、ずっと苦しそうに見えるよ……それに、何だか話し方も怖くなってるし」

それは僕が死に過ぎてスレてきたからだろう。
苦しいのだっていつもの事だ。今に始まった話じゃない。

「……ごちそうさま。美味しかったよ」
「あっ」

姉さんには悪いが、僕は食事を素早く片付けてリビングから逃げ出し、自室に戻った。
心配させてしまうだろうけど、仕方ない。僕だって理解できないような超常現象が起きているのだ。それにこれ以上姉さんに甘えるわけにもいかない。
ベッドに身を投げ出し、天井を見つめる。
たった二回のゲームでこれだ。全クリまで僕の精神は持つのだろうか。こんな状況でも家族に迷惑をかけ続ける自分が嫌になってきた。
少しぼーっとしてから、また知識を詰め込む作業に戻る。今度は人体の構造やストレッチの方法について調べた。
ある程度情報を集めると、僕は長めの入浴をして、覚えたてのストレッチを行い体をよくほぐす。
時計が12時を表示した頃に、僕はベッドへと戻り眠りについた。



◇ ◇ ◇



【2208体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。起き抜けの目には辛い配色だ。

「おはよう」

まだぼんやりとする頭を振りながら体を起こし、背後へと振り返る。
ジンだ、相変わらずニヤついた不愉快な表情をしている。

「またか」
「まただ」

ゆっくりと起き上がり、ジンを睨み付ける。

「いつ終わるんだ」
「さぁな、俺も知らん」

ふざけやがって……

「まあそう怒るなよ。今日はお前がこのエンジェルゲームに参加する理由の一部を教えてやろう」
「一部、ね」
「一気に教えたらつまらんからな。さて、俺は天使を名乗らせてもらっているけど、お前は天使とはどういう存在だと思う?」
「……あまり詳しくは知らない。神の使いで高潔そうな精神の持ち主、あと光属性とか」
「ゲームのやりすぎだな。じゃあ神についてはどうだ?」
「全知全能の存在、人間を助けたり試練を与えたり願いを叶えたりするとかなんとか、じいさんみたいなイメージもあるな」

詳しく調べた事はないし、ほとんどゲームや映画とかの知識だけど。

「まあそんなもんだろう、でも実際は全然違う。神様ってのは究極のエゴイストなんだよ」
「お前は神様に会った事があるのか?」
「もちろんある。それに人間が言う神様ってのは大体は俺達、天使の事なんだけどな」
「お前は悪魔だろ」
「それも正解ではあるな。結局は人間が好き勝手に定義しているだけだから。それはともかくお前がさっき言った神のイメージだけど、なんで全知全能の神様が人間なんかに構わなくちゃいけないんだ?」
「それは……」
「平行世界については知ってるよな? 銀ちゃんは漫画とか読んでるし」
「……ある選択肢があって、その選択肢を選んだ場合の世界と選ばなかった世界が同時に存在して無限に広がっているとか、そういう話だろ」
「まあそんな感じだ。神様はありとあらゆるもの全てを生み出した、存在や法則の根源だ。無限に存在する平行世界全てに対しての絶対者なんだよ。生物なんて無限に生まれてるんだ、人間の願いを叶えるだの、魂を救済してくれるだの、ありえねーよ。そんなのはそうであって欲しいと思っている人間の願望に過ぎない」

身も蓋も無いな。

「俺達天使も長く生きているが、神様は別格だ。それこそ無限に生きている。無限に生きている存在が考えそうな事なんて想像がつくだろ」
「自分の死か」
「だが神様は自分の力じゃ死ねない、完全な不老不死だから。だから天使を作った、作り続けた。自分を殺してくれる存在が現れてくれる事を願ってな。だけど未だにそんな存在は生まれていない」
「だったらずっとそうしていてくれよ、僕に何の関係があるんだ」
「誤魔化すなよ、さっき意図的に答えなかっただろ。無限に生きる存在が考える事は二つだ」
「……暇つぶし、なのか」
「その通り」

陰鬱な気分になる。
最初から薄々気付いていたけど、はっきり言われるとショックだ。

「お前も、神様に命令されてこんな事をやってるのか」
「いや違うよ」
「え?」
「命令なんて必要ないし、だって天使も不老不死だから。そして、神様が死なない限り天使も死ねない」
「……」
「神様は無限に天使を生み出し、天使は神様と同じ願いを望み、神殺しの探索と暇つぶしを無限に繰り返し続ける。神様はそれを眺めているだけだ」
「君は神が憎くないのか?」
「俺は直接神様に何かされたわけじゃないからな。そういう時期もあったが、もう恨んでもいない。どうせ運命共同体だ。大体、天使に恨まれたって神様は喜ぶだけだ。恨みが強ければ必死になって自分を殺してくれる可能性も増えるしな」

救えない。
神も、天使も。
僕がジンを恨んで殺そうとしても、殺しても、彼は喜ぶだけなんだろう。

「お前がやってるゲームだって、人間の感性で言えば良心的な方なんだぜ。生物の意識を残したまま石に変えてずっと観察しているだけの天使とか、いかに苦痛を与えて殺すかで遊んでる天使だっているし」

恐ろしい話だった。
人間は天使にとっては暇つぶしの玩具でしかないのだろう。

「さて、話はここまでだ、ゲームを始めよう」

そう言ってジンは、どこからともなく黒い刀を取り出して僕に渡してきた。

「ほら、サクラだ。受け取れ」
「それ定着させたいの?」
「今度の敵は一体だ! ではゲームスタート!」

やけに気合の入った開始宣言とともにジンの姿が消えて、8メートルほど先に敵の姿が現れた。

コボルトではない。どう見ても人間だ。

血で染まったかのような真っ赤な着流しを着て、左手には脇差が握られている。そして、突き出された右手には黒い塊――リボルバータイプの拳銃が握られいてた。

「うおっ!?」

ドンッ!
慌てて回避行動を取る僕の頭に、容赦なく銃弾が炸裂した。




【2209体目】


地を蹴り全速力で侍もどきに向かう。
頭が弾け飛んだ。





【2210体目】


僕は黒刀――サクラを投げ出して両腕で頭をガード。そのまま敵に向かって疾走する。
ガードできていなかった部分をすり抜けて頭部に銃弾が叩き込まれた。





【2222体目】


銃、卑怯すぎるだろ。





【2368体目】


あの侍――ムサシと名付けよう、ムサシは明らかに僕の動きに合わせて拳銃を発砲している。
何度も何度も避けようと努力したが、あいつにたどり着く事はおろか、ほとんど前にも進めていなかった。
これは、やっぱりアレをしろって事なのだろうか。

刀で銃弾を弾く。

ゲームや漫画ではお馴染みの技だが現実でこれをやるなんて狂気の沙汰だ。しかし、現状では銃弾を防ぐ手段がこれしかない。
幸いと言っていいのかムサシの持っている拳銃はリボルバータイプだから、あまり多くは撃てないだろう。
やってやる。無理難題を出されても今までクリア出来たんだ。
いきなり弾くなんて不可能だから。まずは敵の銃口の向きと自分への着弾地点から射線を正確に割り出せるようにならないと―――





【5555体目】


とにかく慣れが必要だ。この距離なら銃弾は変に曲がる事も無く、銃口からまっすぐ僕に向かって飛んでくる。
だから僕は銃弾の発射点と着弾点の間を繋ぐ見えない通路が見えてくるまで、発砲を見て、当たって、死ぬだけの作業を繰り返した。
これが出来なきゃ銃弾を弾くなんて夢のまた夢。自分から動いて様々なパターンを収集する。基本的にムサシは頭を狙ってくるため、痛みを感じる暇も無く死ぬのがありがたかった。
稀に別の場所を撃ってくる事もあったが、すぐにトドメを刺してくれるので長く苦しむ事も無い。武士道精神を感じる素晴らしい敵だ。飛び道具を使っているのはこの際目を瞑ろう。
僕は銃口から着弾点を予測し、サクラを射線に置いておく。
ムサシはそれを見て微妙に銃をずらして発砲してきた。そして弾け跳ぶ頭。

もっとシビアなタイミングでサクラを動かさないと駄目か。






【8173体目】


射線はほぼ完璧に把握した。しかしこれだけでは簡単に銃弾を弾く事など出来はしない。引き金を引くタイミングも掴まなくてはいけないのだ。
初弾だけは防げる。復活と同時に撃ってくるため、何回か弾く事にも成功していた。問題は二射目だ、僕の動作に合わせて撃ってくるので毎回タイミングが微妙に違う。
まだ銃弾は数発残っているんだ、運で弾いていたらいつまでたっても終わらないだろう。
だから相手が引き金を絞る動作を把握する。距離が離れているため指の動きなんて見えないに等しいのだが、泣き言なんて言ってられない。必ずあいつの懐まで到達してやる。





【1万1111体目】


なんか気持ちよくなってきた。





【2万4259体目】


サクラを射線に乗せて初撃を弾く。続いてほぼ同時に発射された二、三発目の弾丸の両方の射線に重なるようにサクラを構えて軌道を逸らす。
意識は完全にムサシの指に、発砲音が聞こえないほど僕は集中していた。
残りは三発。直線で防げないように撃ってくるから一発避ける必要がある。
奴が引き金を引くギリギリの瞬間を狙って真横に跳躍、一発を避ける事に成功するが、体勢を崩した僕に放たれた二発の弾が襲い掛かる。

―――見える。

二発のうち一発は致命傷にはならない、掠めるだけだ。それを無視してもう一発をサクラで弾く。
視線はずっと相手から離していない。どうも補充の弾は持っていないらしく拳銃をそのまま投げ捨てていた。
僕はすかさず侍との距離を詰める。突進の勢いを殺さぬまま、いつものように眼球への突きを放ち―――相手の左手に握られていた刀に軌道を逸らされる。
美しい銀色の刀身を持った、サクラより少し短い脇差に。
あっさりと攻撃を捌かれて無防備にムサシの懐に飛び込んだ僕は、返す刀で斬り裂かれてしまった。





【2万4260体目】


頭が吹き飛んだ。





【2万4261体目】


拳銃は囮だ。やはりあいつの本質は侍なんだろう。
数え切れないほど刀を振るってきた僕には、さきほどの手合わせだけで相手の技量が分かった。とんでもなく強い。僕よりも遥か高みに達している。
胸が躍る。
コボルトなどの紛い物と違い、本物の剣士との戦いだ。これが嬉しくないわけがない。
人間に斬りかかる事への躊躇はもはや存在していなかった。僕の頭はもう壊れてしまっているのだろう。
自身の命への無頓着さが、そのまま相手の命への無頓着さに繋がってしまっていた。
だから、思いっきりやれる。
するべき事は変わっていない。ただ殺し、家に帰るだけだ。





【2万8766体目】


面白いように攻撃が防がれる。
渾身の斬撃も、高速の突きも、サクラによる攻撃を囮とした拳での一撃も、まるで僕の動きを全て読んでいるかのように避けられ、流されてしまう。
相手は人間だ、コボルトほど力も耐久力も無い。それなのにコボルトより遥かに強い。剣術を極めただけの男がこれほどまでの強敵だとは……。
隙などまるで見つからなかった。
相手の攻撃を誘うためにサクラを浅く打ち込むが、すぐに目的を見破られ、ムサシは皮一枚を犠牲にして僕の腕を斬り飛ばした。





【3万6514体目】


全ての弾丸を弾き落とし、床に落ちたそれらを拾ってムサシと向かい合う。
パジャマの僕と着流しの侍が対峙している様子は、傍から見れば凄いシュールな光景だろう。
ジリジリとすり足で近づき、奴との間合いを詰めていく。僕はサクラを右手一本で持ち、フェンシングのように剣を水平にした奇妙な構えをとる。
両手で刀を持ち腹の前に構えるムサシ。中段の構えだ。
僕は深呼吸をすると、左手に握り込んだ6発の弾丸を思いっきりムサシの目に向かって投げつける。
同時に地面を蹴り、突きを心臓目掛けて放つ。左手はそのまま相手の刀を掴みにいった。
ムサシは刀を引き戻すように体を半身にずらし顔を横に向けると、弾丸を即頭部で防ぎ、サクラを上に弾いた。
僕はサクラから手を離し左手を振りぬくと、その勢いを利用して肋骨に向かって後ろ回し蹴りを放つ。
だが、そんな僕の悪あがきも虚しく、ムサシは渾身の蹴りを横への跳躍によって避け、防御の手段を持たない僕に銀色の刃を振り下ろした。





【3万9211体目】


全ての弾丸を弾き落とし、侍と向かい合う。
攻撃が通じない。
どうやら全てにおいて僕よりムサシの動作がわずかに速いらしい。常に行動が一枚上手だ。連続して攻撃すればするほど差が広がっていく。
だったら敵より速い一撃をお見舞いするしかない。

――居合い抜きだ。

しかし僕にもムサシにも鞘が無い。だけど、僕には代用品があった。
腰を落としてサクラを左脇腹へと運ぶ。そして、鞘の代わりに左手で刀身を掴む。掴んだ状態のまま何度か動かして、血液で滑りを良くする。
僕は腰を落としたまま、摺り足で相手に近づいていく。
勝負は一瞬。ムサシが僕に攻撃してきた瞬間、ムサシより先に攻撃を決める。無茶もいいところだがやってみる価値はある。
やがて攻撃の射程内に入ったが、ムサシは動かない。完全に前面ががら空きな僕に攻撃してこないのだ。

まずい……。

僕が居合いをするのは体勢を見れば一目瞭然だが、ここまで警戒されているとは思わなかった。いままでは射程に入った瞬間に攻撃してきたのに。
頬に汗が伝う。左手から血を流しているためこのまま時間が経過すると不利になる。

仕掛けるか……?

敵は相変わらず中段の構え、居合いで致命傷を負わせるのは不可能に近い。腕を狙っても防がれるだけだ。
ならば刀を弾いてみようか、反撃は怖いが刀を奪えば僕の勝利は決まったも同然だろう。

――次の瞬間、思考に脳のリソースを費やす僕を見たムサシが攻撃を放ってきた。

僕の顔面に対する突き。条件反射で反撃に移る、左手から抜刀されたサクラは僕の指を全て落とし、ムサシの腕に向かって空を斬り裂き進んでいく。

衝撃が、走った。

僕の攻撃は見事にムサシの両腕を切断し、ムサシの攻撃も僕の脳味噌を貫通していた。





【4万3460体目】


全ての弾丸を弾き落とし、ムサシと向かい合う。
居合いの姿勢を取って、僕は無防備に相手に近づいていく。射程内に入ると慣れた手つきで僕は居合いを放つ。
首ではなく、奴が両手に握る刀へと向かって。
ムサシが僕の一撃を受け流そうとするが、遅い。
微妙に動いただけのムサシの刀をサクラで切断すると、距離を離して再び居合いの構えを取る。打つ手を無くしたムサシは刀を捨てて僕に突撃してきた。
仕方ないとはいえ、愚かな選択だ。武器を無くした侍に負けるほど今の僕は甘くない。

一閃。

僕の放った居合い斬りは、容易くムサシの首を切断した。

「じゃあな」

物言わぬ肉塊と化したムサシに、吐き捨てるようにして僕は言った。
ムサシはたしかに強敵だった。その技は凄まじく、ついに最後の瞬間まで僕の技量はムサシのそれを超えることはなかったのだろう。
だから、武器の性能の差で勝たせてもらった。
サクラはムサシの刀よりも遥かに頑丈で、あれぐらいの鉄の塊を斬るのは容易かったのだ。刀は斬る物だという先入観が邪魔をして気付くのが遅れてしまった。
卑怯とは言うまい、ムサシだって拳銃を使っていたのだから。

若干の後ろめたさを覚えつつも、僕の意識は薄れていった。







[20196] 4回戦・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 15:51



意識が覚醒していく。
朝日の差し込む自分の部屋。時計を見ると9月25日8時0分金曜日と表示されている。
どう考えても向こうにいた時間は7時間を超えていると思うのだが、きっとジンが何かしているのだろう。一応体を点検するが異常は無かった。

「はぁ……」

ためいきをついて、頭を振る。どうもこっちに戻ると気分が沈んで駄目だ。
朝食を取るため、階段を下りてリビングに向かう、リビングでは姉さんがソファーに座ってテレビを見ていた。

「あ、銀ちゃんおはよう」
「おはよう」

姉さんは僕を見て何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずにテレビを消し、足元のバッグを掴む。

「いってきます」
「ああ、うん、いってらっしゃい。車に気をつけて」

何を言ってるんだ僕は、お母さんか。

「えへへ、心配してくれるんだ。嬉しいな」

僕の間抜けな発言に少し驚き、いつもの笑顔に戻った姉さんはリビングを出ていった。大学に行ったのだろう。
……僕を待っていたのか? 挨拶をするためだけに?
テーブルに付いて食事を取りながらぼんやりと考える。ゲームを始めてから僕は変わった。昨日も姉さんは僕を案ずるような事を言っていた気がする。
少し、そっけなくしすぎていたか。事情を聞かれると困るから若干避けていたのだが、ああも健気に僕と接しようとする姉さんを見ると心が痛む。
これからはもっと優しくしてあげようか。
そこまで考えて僕は苦笑する。
どうせ――――のに。

「……くっ」

突然胸が苦しくなって、僕は胸を押さえた。わけのわからない虚しさ。逃げ出したくなるような寂寥感。
ゲームは難易度を上げてきている。不可能だと思っていても何とかクリアする事は出来た。
しかし、クリアできないような敵が出てきた時、僕はどうなってしまうんだろう。
ジンが助けてくれるとも思えない。
敵を倒す事も出来ずに、ゲームをやめる事も出来ない無限地獄が完成してしまうのだろうか。
今の僕にとって死ぬ事はそれほどの恐怖ではない、でも、生き続ける事は怖かった。目的も無いのに生き続けるなんて、ただの拷問じゃないか。
僕は自分の体を抱きしめて小さく震えた。どうしようもなく気分が盛り下がっている。向こうでの戦いの反動だ。
クスリをやっているわけではないが、脳内では似たような事になっているから、こんな現象が起きるのだろうか。毎回こうなると思うと憂鬱になる。

誰かに会いたい。

時計を見ると8時15分を指している。僕は食事を片付けると自室に戻った。戦闘服であるパジャマから制服へと着替え、適当に鞄に教科書を放り込む。
少しは気が紛れるかもしれない。久しぶりに学校に行ってみるか。





教室に入るとクラスメイトの視線が一斉に僕に注がれた。そりゃそうだろう、3ヶ月も来てなかった不登校の生徒が突然現れたのだから。
というかHR中だった、ギリギリ間に合うかと思ったが遅刻してしまったようだ。黒板の前で僕を見て呆然としている担任に話しかける。

「僕の席って残ってますか?」
「あ、ああ、あそこだ」

担任が指した方向に空席がある。僕は堂々と席に向かって歩き出し、着席した。

「お前、もういいのか?」
「なにがですか?」
「いや、何でもない。よく来てくれた」

色々聞きたい事もあるのだろうがそれを抑えて担任はHRの続きをしはじめる。
根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だったから、そっちの方が助かる。僕は頬杖をついて久しぶりの教室の空気を味わった。
HRが終わると担任が消え、別の教師が現れて授業を始める。ちらりと僕を一瞥したがそれだけだった。
その後やってきた他の教師も似たような反応だった。あの担任が手でも回したのだろうか。良い仕事だ。

久しぶりの授業の内容なんてまったく分からなかったので適当に聞き流していると、すぐに昼休みが訪れた。
どうも時間の流れを早く感じてしまう。これもある意味後遺症か。
鞄から学校に向かう途中で買った菓子パンとジュースを取り出し、食事を始めると、僕はクラスメイト達の会話に耳を傾けた。
授業の間にも聞こえてきたが、未だに僕についての話をしている。暇な事だ。
大抵が好奇心、哀れみや戸惑い等の感情を僕に向けてきた。嫌悪されているかと思ったがそうでもないらしい。
正直余計なお世話だが、寂しさを埋めるためにここに来た目的は果たせている。他者の会話に名前が出ているだけでも僕は十分満足だ。
好意であっても嫌悪であっても、どちらでも良かった。殺意しかないあの空間に比べたら、あまり好きではなかった学校の方がずっとマシだ。
朝の姉さんみたいに何か言いたそうな人はいたが、結局僕に話しかけてくる者はいなかった。

午後の授業も適当に受けて帰りのHRを終える。荷物をまとめて教室を出ようとすると先生に呼び止められた。

「紫藤」
「何ですか」

職員室に連れ込まれて色々事情でも聞くつもりなのだろうか。ああ面倒くさい。
無視して帰ってもいいのだが、僕はこの担任には迷惑を掛け捲っているので、それも可哀想な気がした。

「またな」
「……はい。さようなら」

どうやら担任は僕が自然に学校に戻れるような作戦を取るつもりらしい。せっかく僕が自分の意思で来てくれたのだ、余計な事をあれこれとしてまた不登校に戻られるのも嫌なのだろう。
打算的な何かを感じたが僕には都合が良いので関係ない、今日は学校に来てみたが、月曜から学校に来るかは僕の気分次第。また担任には気の毒する事になりそうだ。
久々の学校をそれなりに楽しんで、僕は家路についた。





帰宅する。ドアの鍵は開いていなかった。姉さんはまだ帰ってきていないらしい。僕は自室に戻り制服から着替え、昨日と同じようにパソコンをつけて筋力トレーニングを始めた。
あまり意味が無いのは証明済みだが、やっておいても損にはならないはずだ。筋力トレーニングをして疲労が溜まってくると、僕はあることを考えていた。
向こうで傷を負ってもこちらでは治っている、ではこちらで怪我をしたらどうなるのだろうか?
くだらない考えだが妙に気になってしまったので、僕は机からカッターを取り出すと、手の甲にちょっとした傷をつけた。
向こうで確認するためだ。運動を終えた僕はシャワーで汗を流すとキッチンに移動する。
久々に自分で食事を作ってみるか。早いとこ筋肉を付けたいという安直な考えの結果、夕食はトンカツに決定した。
しばらく調理を続けていると玄関から物音が聞こえてきた。姉さんが帰ってきたのだろう。時刻は7時過ぎで丁度夕食には良い時間だ。
香ばしい匂いを嗅ぎつけたのか、姉さんがキッチンに顔を出す。

「ただいま、銀ちゃん」
「おかえり、姉さん」

意識して柔らかい態度で接すると、姉さんも僕に微笑んだ。

「美味しそうだね、銀ちゃんのお料理は久々だから、楽しみだな」
「トンカツなんて誰が作っても変わらないよ」
「そんな事ないよ、可愛い弟の作ってくれた料理だもん。お姉ちゃんにとっては最高のご馳走だよ!」
「はいはい」
「もう、信じてないな。私はこんなに銀ちゃんの事が好きなのに」

やけに姉さんは嬉しそうだ。少しの間でも仲の良かった弟に冷たくされていた事はやはり辛かったのだろう。
僕の周りをちょろちょろしながら、頭を撫でてきたり軽く抱きついてきたりとスキンシップをしてくる。僕はそんな姉さんを見ると無性に切なくなった。
濁った感情が僕の心を乱していく。

「ほら、危ないから邪魔しない」
「うー」

渋々といった感じで、しかし上機嫌で姉さんはキッチンから出て行く。
これでいいんだ。いくら僕が大変でも姉さんにそれを気付かせて心配させるような事はあっちゃいけない。
ジンにシスコンと言われていた事を思い出した。否定できなくて僕は苦笑する。別にそれでも良い。姉さんに笑っていてほしいと思う気持ちは本物なのだから。
食事の用意を済ませて、食卓に並べる。
トンカツに豆腐の味噌汁、マッシュポテトにベジタブルサラダと見ているだけで腹が減ってくるメンバーだ。
リビングでテレビを見ていた姉さんもやって来て二人でテーブルに付く。

「いただきます」
「いただきまーす」

うん、上出来だ。料理は久しぶりだったが腕は落ちていないようだ。

「美味しいよ、銀ちゃん」
「そう」
「やっぱり調味料に愛情がたっぷりと入ってるからかな?」
「それだと何の味もしなくなっちゃうよ」
「えっ」

調子に乗っている姉さんと会話をしながら食事を済ませて後片付けをする。
食器を流しで洗っていると、姉さんがひょこり顔を出してたわけた事を言ってきた。

「銀ちゃん、お風呂一緒に入る?」

からかっているつもりなのだろうが、バレバレだ。いつもの僕なら遠慮するところだけど……

「うん、一緒に入ろうか」
「えっ!? じょ、冗談――」
「なんか久しぶりだね。早く行こう?」
「あ、その……」

姉さんは顔を真っ赤にして俯いている。凄まじい自爆っぷりだ。
可愛い反応だったが、あんまり苛めるのも可哀想か。

「いや、冗談だよ」
「そ、そうだよね。びっくりしちゃった」
「恥ずかしいんなら言わなきゃいいのに」
「たはは……」

ふらふらとした足取りでバスルームに行く姉さんを尻目に、僕は自室へと戻った。ストレッチとマッサージを済ませ、パジャマに着替えてからベッドに倒れこむ。
まだ8時過ぎだ、寝るには早すぎるが、やけに疲れていた。疲れを残したまま向こうに行くのは大変まずい。
僕は目を閉じる。
眠るつもりはない、少し休憩するだけだ。
そう思う僕の意思とは裏腹に、心地よい浮遊感に包まれた僕の意識は次第に薄れていった。



◇ ◇ ◇



【4万3461体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった
白、白、白――
どこを見ても目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。起き抜けの目には辛い配色だ。

「おはよう」

ニヤけた顔、イカれた天使のジンだ。
僕はジンを無視して手の甲につけた傷を確認する。治っている。この空間に来た時点で全回復でもしているのだろうか。
このゲームに残された最後の良心なのかもしれない。

「おい、無視すんなよ」
「だったら頭を蹴って起こすのをやめてくれ」

毎回これだ、脳細胞が死んでしまう。

「まったく……まあいいさ、お前とまともに話ができるのも最後になりそうだからな。今日はお前を選んだ理由を教えてやろう」
「……?」

どういう事だ、まさか今回で終わりなのか?

「お前はなんで自分が選ばれたと思う?」
「僕が知るわけないだろ」
「そうなんだが……。前に神と天使の話はしたが、天使はどうやって作られているかは言って無かったな」
「神様が創造してるんじゃないのか?」
「それも正しい。だけど天使は不老不死の命を与えられた生物の総称だ。無から創造された存在もいれば、元々生きていた生物に不老不死の命が与えられて天使となった存在もいる。後者は神じゃなく天使が作り出すことが多い」
「天使が天使を作っているのか」
「ああ、では問題だ。俺は創造された天使か、変化した天使か、どちらだ?」
「……お前、人間だったのか?」
「正解! だがこの世界の人間ではない、前に話した平行世界の住人だったわけだ。では俺の正体は誰でしょう?」
「そんなの分かるわけないだろ」
「いやー、もう答えを言っているも同然なんだがな。ヒントは俺の名前だ!」

奴の名前。
ジン。
じん。
人。
神。
JIN。
GIN。

「……」
「お、やっと気付いた。遅いぞこの低能め」
「僕……なのか?」
「そうだ。平行世界のお前が天使になった存在。それが天使ジンだ」

なんて事だ。こんなふざけた奴が平行世界の僕だなんて。信じたくない。

「見た目が全然違うじゃないか」
「俺が何年生きていると思ってるんだよ。人間の姿をしているだけでもありがたいと思え」
「……僕を選んだ理由って、まさか、僕を恨んでいるから?」

自分は天使なんて狂った存在にされたのに、違う世界の僕は人間としてのうのうと暮らしている。ありえそうな話だ。

「いやいや、俺はそんなに心狭くないから。お前の事なんて何とも思ってないよ」
「だったら何故僕を選んだ」
「いやー、ほんとくだらない理由だぜ、それでも聞きたいか?」
「ああ」
「別に誰でもよかったんだけどさ、この世界に来たらたまたま俺を見つけたわけだ。おっ、俺がいるぞって」
「それで?」
「それだけだよ」
「……え?」
「せっかく見つけたから、こいつでいいやって思っただけ」

何だ、そりゃ。

「冗談じゃないっ! そんな理由で……っ!」
「別に、お前の意見なんてどうでもいいし」

最悪だこいつ!

「お前にとっても悪い話じゃないんだがな、最初の話は嘘じゃないし、そもそも俺を求めたのはお前じゃないか」

ジンはやれやれと肩をすくめると、何も無い空間からサクラを取り出して僕に渡してきた。僕はそれをひったくるようにして奪う。
すかさずジン目掛けて突きを放つと、サクラはあっさりジンの体を貫通した。

「こんなので死ねたら俺も楽なんだけどな」
「くそっ!」
「ま、いいさ。今度の敵は千体だ、頑張れよ-」

――は?

「ゲェェェェェムスタァ――――トッ!」

物凄い気合の入った開始宣言とともにジンの姿が消えると、次の瞬間には僕の視界がコボルトで埋め尽くされていた。







[20196] 4回戦・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 15:57



【5万体目】


やってられるか、ボケ。





【6万7252体目】


冗談みたいな数のコボルトを見ると全身から力が抜けていくような気分になる。
僕を中心に4メートルほどの空間が開いているが、そこから先がまったく見通せない。純白の空間は獣の群れに蹂躙されていた。
萎える気力を必死に保たせ、コボルトを排除するために動き出す。
サクラを自由自在に振り回し、曲芸じみた動きでコボルト達を一撃で斬り殺していく。
跳ぶ。攻める。受け流す。避ける。突く。斬る。殴る。蹴る。ありとあらゆる手段を用いてコボルトを殺し続けた。
でも、駄目だった。当然だが、サクラを一度振るうだけでも僕は体力を消費する。
コボルトは殺してからしばらくすると姿が消えるのだが、襲い掛かってくるペースは一向に衰えない。
いかに僕が化物じみた動きが出来ても、疲労だけは変わらず蓄積されていく。脳内物質を垂れ流していて、アッパーな状態だといっても限界は来る。
しだいに体が命令を聞かなくなっていき、それでも無理矢理動かし続けると筋肉そのものが断裂して完全に動かなくなってしまうのだ。
せいぜい五百体が限界、肉体が崩壊するまで戦っても六百体に届くか届かないかの戦績だった。
絶対的に体力が足りない。筋力が足りない。

力が、足りない。

なおもサクラを振り回す僕の心に、どうしようもない無力感が滲み出してきていた。





【7万1234体目】


コボルトが総がかりで僕を押しつぶしてこないのが唯一の救いだ。
奴らは僕にある程度近づくと、わざわざ手に持った剣で攻撃してこようとするのだ。そういうところはゲームっぽくて本当に気持ち悪い。
だからなんだ。バランスが破綻してるくせに、親切設計のつもりかよ。
コボルト一体に苦戦していた頃が懐かしく思える。あの時は必死に戦って勝利を得たのだが、今の僕はその千倍もの数のコボルトと戦っている。

一対千。引きこもり対コボルトの軍勢。

こんなの、勝てるわけが無いだろう。指一本でコボルト一体と戦えと言われた方がまだマシだった。
どうしろって言うんだよ……。





【7万6543体目】


腕だけじゃ足りない、足も使って倒さないと、皆殺しなんて到底無理だ。

だけど、どうやって?

平均を少し下回る程度の僕の筋力ではハイキックを決めた所でコボルトを即死なんてさせられない。こっちに隙が生まれて殺されるだけだ。
床に転がして首を踏み砕けば倒せるが、敵に囲まれたこの状況では不可能に近いし、残りの四百体以上をそれで殺すなんて不可能だ。足が持たない。
それに足は移動にも使うのだ、ただでさえ疲労が激しいというのに、攻撃に使えばさらに耐久力が下がっていく。
今は動き回って攻撃を回避しているが、足に疲労が蓄積されれば当然動きも鈍くなり、敵の攻撃を受ける回数も増えていく。そうなれば当然僕は死ぬ。
敵の数が百体以下ならどうにかできるかもしれないが、今はその数を減らせない事が問題なのだ。
足以外に使えそうなパーツを探す。
肘は駄目だ。サクラが振れなくなる。膝も足と同じ理由で却下。肩も駄目。

……人間の体は使えない部分ばっかりだ。

残ったのは頭だが、頭突きで殺せるわけがない。後は口だ。噛み付きは自然界における有効な攻撃手段でもある。上手くやれば敵を致死させる事も出来るはずだ。
コボルトの首に噛み付いて頚動脈を噛み千切るのだ。これなら出血死を狙える。そんなマネが出来れば、の話だが。
仮に実行したとしても数十体で歯が折れるか顎が外れるかするだろう。千体には全く届かない。
八方塞がり。詰みだ。

もう終わりなのか?

僕は、ここで、終わるのか?





【8万8888体目】


コボルトを何百体倒したって、僕が死ねばまた最初からやり直し、奴らは千体に戻る。
全滅させない限り、敵の数は無限なのだ。
いままで何体のコボルトを倒したのか、これから何体コボルトを殺せばいいのか。どうすればこの戦いが終わるのか。

わからない。

わからない。わからない。わからない。





【10万体目】


気持ち悪い。
サクラを左足に突き刺して激痛で意識を支える。
すぐに襲い掛かってきたコボルトの剣を右腕で受け流し、左手で顎を殴りつける。背中に衝撃を感じた。
狙いもつけずに左の裏拳を叩き込むと、右腕を斬り飛ばされた。無理矢理左足を動かし蹴りを放つと、視界がくるくると回って僕は意識を失った。





【22万3298体目】


もう何度吐いたのだろうか。限界まで体を酷使しても倒せるコボルトの数は増えなかった。
激痛に耐え、吐瀉物を撒き散らしながら戦ったとしても、僕の肉体はそれに答えてくれず崩壊するのだ。
動け動けと念じても、ボロボロになった腕は上がらず、そんな隙を逃さずにコボルト達は僕の命を奪っていく。
最悪だ。
皆、死んでしまえ。





【31万4419体目】


息が、苦しい。
死から蘇生した僕は再びコボルトに襲いかかろうとするが、体の反応が鈍い。
肉体的にはまだまだ戦えるはずだが、精神が壊れそうなほど疲労してしまっていた。脳内物質ですら誤魔化せないほどに。
踏み出そうとした足から力が抜けて。僕はその場に倒れこんだ。起き上がろうとしても、腕に力が入らない。

「……ぅ」

何かがぷつりと切れた音がして、僕は瞳を閉じた。





【60万3090体目】


意識の回復とともに体が崩れ落ちる。
すぐに衝撃を感じて僕の意識は薄れていった。





【71万2921体目】


意識の回復とともに体が崩れ落ちる。
すぐに衝撃を感じて僕の意識は薄れていった。





【85万5899体目】


意識の回復とともに体が崩れ落ちる。
すぐに衝撃を感じて僕の意識は薄れていった。





【92万8412体目】


意識の回復とともに体が崩れ落ちる。
すぐに衝撃を感じて僕の意識は薄れていった。





【100万7064体目】


意識の回復とともに体が崩れ落ちる。
すぐに衝撃を感じて僕の意識は薄れていった。




【364万6662体目】


殺してやる。





【578万9237体目】


呪わしい。全ての原因が僕にあった。せめて人並みの体力があればコボルトを殺しきる事が出来たのではないだろうか。
引きこもってパソコンに没頭していた自分を今すぐ殺しに行きたくなる。
忌々しい。忌々しいぞ。紫藤銀二!
サクラを自分の体に向けて腹に突き刺す。何度も、何度も、不甲斐ない肉体に活を入れるように。
腹を掻っ捌いて体内に手を突っ込み、襲い掛かってきたコボルトの顔に僕の血液を投げつける。
敵の攻撃は避けない。死なない部分を見切ってサクラではなく自身の肉体で受け止めた。僕は獣のようにコボルトの首に噛み付いて獣肉を食いちぎった。
そのまま抱きつくように密着したコボルトを振り回し、別のコボルトの攻撃で殺させる。

こんなに手加減しても僕はこの獣を殺す事ができる。
でも、殺し尽くす事は出来ない。圧倒的な力の差があるのに勝てない。それが悔しかった。

悔しいと、感じられた。





【578万9238体目】


普通に戦って勝てないなら、普通じゃない戦い方を考えればいい。
スタミナが足りないならスタミナを消費しないで効率よく殺していく方法を編み出すしかない。
コボルトを一撃で切断するような攻撃では、当然の事だが全力に近い力を出す必要がある。
これではすぐに体力が無くなってしまうのも当たり前だ。
逆に眼球突きはそれほど力を必要としない。柔らかい眼球から直接脳を狙うからだ。しかし、眼球突きだと斬撃よりも時間がかかってしまう。
このコボルトの多さでは致命的な隙だ。斬撃のように回転しながら殺していく事が出来ない。
死体を利用してみようか? だがあれを動かすにはさらに体力が必要になる。それに、死体はすぐ消えるので有効な利用方法も見つかりそうにない。

コボルトの動きを考える。

囲まれているといっても、一度に攻撃してくるのはせいぜい4、5体だろう。それに相変わらず単調な攻撃しかしてこない。
そこで考えが閃いた。相手の力を利用してみるのはどうだろうか。
さきほど僕はコボルトを別のコボルトに同士討ちさせたが、それを連続して行なうのだ。
複数の敵を相手にして、しかも敵が武器を持っているというありえないぐらい不利なシチュエーションだがやってみる価値はありそうだった。
いつまでも殺されてばかりではいられないのだから。
一度に襲い掛かってくる数は大体決まっているので、こいつらを防ぐ方法を生み出せばあとは繰り返すだけでいい。
敵の攻撃を最小限の力で逸らして他の敵に当てて殺す。理想はこれだ。
体を移動させる必要すらない。同じ場所に留まって殺し続けるだけでいい。これなら体力の消費を抑えられる。

あとは――ひたすら練習するだけ。

それなら嫌になるほど繰り返している。いつもの事だ。僕は気合を入れ直してコボルトとの殺し合いに身を投じた。





【638万9431体目】


甘く見ていたつもりは無いが、思った以上に難しかった。
やはり問題なのは敵の同時攻撃だ。いつもは動き回って攻撃をさせないようにしているのだが、それが使えない。
正面の敵の攻撃を誘導している内に後ろの敵に殺される事などザラだった。
せめてサクラが二つあれば良いのに。武器が刀一つ、防具はパジャマ一着と今更ながら自分の狂った状態を見直してバッドな気分になる。
攻撃を受け流すのは簡単だが、攻撃を誘導するのは難しい。
自分と敵との位置関係の調整や攻撃させるタイミングの誘導、攻撃を受け流す時に加える微妙な力加減など、精密な動作が必要になってくる。
さらにこれを一度だけではなく何百回と繰り返さないといけないのだ。そのうえ一回のミスで最初からやり直し。常軌を逸した難易度だ。
周囲を見回す。
開始地点に立っている僕を囲むようにコボルトが近づいてくる。
僕は適切な位置に移動して、前面のコボルトの攻撃を誘う。振られた剣にサクラで滑らすように力を加え、別のコボルトに直撃させる。
同様に僕の左で剣を振り上げているコボルトの攻撃もお仲間に食らってもらう。
そして僕は相手の方向も見ずに突きを放ち、後ろのコボルトを殺す、が、ここで僕の背中に衝撃が走った。
まだまだ僕も甘い。
だけど徐々に形になってきた。必ずやり遂げてみせる。致命傷を受けながら、僕は技量を高めるために戦いを続けた。





【1000万1000体目】


千体のコボルトに囲まれたスタートというのにも慣れた。
自分が獣臭いこの空間から生まれたのではないかと錯覚するほどにだ。
絶対に不可能だと思っていたこの戦いにも終わりが見えてきた。
この空間では僕の身体能力は上がらないが、技量や知識だけは蓄えることが出来る。
最小限の力で、最大限の被害を与える。どんな戦いでもこれがベストな手段だろう、最初に全力攻撃でコボルトを狩っていた自分が恥ずかしくなってきた。
まあいいさ。そんな苦い経験があったからこそ今の僕がいるんだ。
同士討ちさせる技術は確実に進歩している。
もう少し。
もう少しだ。
こんな狂ったゲーム、終わらせてやる。





【1436万5898体目】


向かってきたコボルトを殺す。自身の肉体をただ殺すだけの機械へと変える。
僕の体はほとんど開始地点から動いていない、だが、コボルトはすでに数百体ほど姿を消していた。

「ははっ……」

薄く笑う。
あまりに滑稽に見えたのだ、死ぬためだけに僕の元に向かってくるコボルト達が。
僕の動きには全く無駄がなかった。
どう動けばコボルトを殺せるのか、体が完全に覚えている。僕は死ぬたびに強くなる。殺されては動きを改善し、長く生き残る手段を探す。
数え切れないほど死んだ。僕は一体何日間この空間にいるのだろう。向こうの世界での記憶すらおぼろげになってきていた。
方針は最初と変わっていなかった。コボルトの攻撃を利用して別のコボルトを殺し、時々僕は突きを放つだけ。
周囲には相変わらずコボルトが群がっているが、もはやこいつらには何の脅威も感じない。
また一体、コボルトを殺す。
同時に襲い掛かってきたコボルトの攻撃も素手で受け流して同士討ちをさせる。こんなに密集するから同士討ちが起こるのだ。相変わらず頭の悪い生き物だった。
殺して、殺して、殺し続ける。
一定のペースで死に続けるコボルトを見ても何の感情も湧いてこない。僕は疲れていた。同じ事を繰り返すのは退屈だ。
この戦いだって、徐々に殺す数が増えているという変化がなければとっくに飽きていただろう。

ジンを、天使の事を思い出す。

無限の生なんて苦痛なだけだ。少し、彼らに同情した。
無感情に殺し続けていると、やがてコボルトの殺害数が九百を超えた。
僕は自信の肉体の状態を確認し、動作を防御から攻撃に切り替えた。ここから先は敵の行動を覚えていない。最初と同じように斬撃で殺していく。
あとは、単純な作業だった。
元々絶対的な実力差があるうえに、今の僕の状態なら無理をしなくても二百体は殺せるだろう。荒れ狂う竜巻のような僕の猛攻にコボルトは次々と巻き込まれ、斬り裂かれていく。
一方的に殺され続けるコボルト達。ここまで戦況が不利になっても瞳に宿る殺意は濃く、馬鹿みたいに僕に突っ込んでくる。

所詮、ゲームの駒だ。

最後の一体を倒しても、虚しさだけが僕の心に残っていた。



◇ ◇ ◇



意識が覚醒していく。
いつもの自分の部屋。時計を見ると9月26日8時0分土曜日と表示されていた。
ひどく体がだるい。
ベッドから降りて、机に向かう。





僕は引き出しからカッターを取り出し、ためらいなく自分の首筋を切り裂いた。







[20196] 5回戦・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:05



【1436万5899体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている

「おはよう」

ジンだ。

「……」
「あ、言ってなかったけど向こうで死んだら強制的に次のゲームに移るから」

僕の無言の抗議を受け取り、ジンはヘラヘラした態度で説明してきた。
こいつはとことん人に嫌がらせをするのが好きなクソ野郎だ。死んでしまえ。

「もったいない事するね、お前も。何年振りかのお姉ちゃんとの再会を無駄にするなんて。ま、あっちでは一日しか経ってねーけど」
「……」

何年振りか……。
そんなに戦っていたのか。

「サクラを寄越せ」
「ん? 向こうの姉ちゃんが駄目なら早くこっちの姉ちゃんに会いたいって? そういうの良くないと思うぜ、俺は」

イライラする。こいつの声なんてもう聞きたくもない。

「さっさとゲームを始めろ」
「やれやれ、無視ですか。引きこもりの銀ちゃんは自分との対話すら満足に出来ませんでしたとさー」

ため息をついて、ジンは僕にサクラを渡してくる。

「今回の敵は一体だ。でも超強いから頑張るんだぞ」

良かった。一万体とか言われたらさすがに無理だ。

「ゲームスタート!」

いつものようにジンの姿が消えて、20メートルほど先に新たな敵が姿を現す。

前言撤回。コボルト一万体のほうがまだマシだ。僕は絶望的な気分で敵を見上げた。



何度も見たことがある。誰もが知ってる有名なモンスター。
大きさだけで僕の校舎を超えていた。全身を覆う硬そうな緑色の鱗に、鉄も簡単に切り裂きそうな鋭い爪。
巨大な体には、当たれば地上のどんな生物も即死するであろう太い尻尾が生えていた。
長い首の上には巨体に相応しい大きな頭。鋭く生え揃った牙を持つ大きな口と、見つめられただけで失神してしまいそうな巨大な瞳がついている。

――ドラゴンだ。

どうしてこのゲームはこんなにも理不尽なんだ。苦労して掴んだ勝利なんてゴミとでも言うかのように敵の強さだけがインフレしていく。
僕がこの怪物に勝てるビジョンがまるで見えない。体格が違いすぎる。

「やってやる……やってやるさ……」

気力が抜けていく体を無理矢理動かし、僕はドラゴンに近づいていく。

しかし、そんな僕を待っていたのは強烈な尻尾の一撃だった。





【1436万5902体目】


尻尾が届きそうにない敵の前足を目指して僕は駆け出す。ドラゴンは尻尾の一撃は早いが、動き自体はそれほどでもない。むしろ遅いほうだった。
勝機があるとすればそこだ。
馬鹿みたいに巨大な、僕が両手を広げても全く届かない太さの前足に向けてサクラを薙ぐ。鉄と鉄を本気でぶつけた時のような音がして、腕に痺れが走った。

駄目だ、斬れない。硬すぎる。

それでも諦めず、再び攻撃しようとした僕の視界が急に真っ暗になった。生暖かい吐息が全身を包む。

グヂュリ。

嫌な音が聞こえて、僕の上半身は下半身と別れを告げた。





【1436万5907体目】


巨大なドラゴンには尻尾も首も届かない位置がある。奴の真下だ。僕はその場所へと疾走する。
それにしても、コボルトからドラゴンへのいきなりのランクアップ。どうもおかしい気がした。
もしかして、こいつがボスなんじゃないのか?
乾ききった僕の心に小さな希望が芽生え始めた。これほど強力な相手なのだ、そうだったとしてもおかしくはない。
ジンが何も言わなかったのが気になるが、あいつは平気でそういう事をしそうだ。
ドラゴンの真下に潜り込み、今度はムサシ戦で使った居合いを放つ。鉄すら斬った僕の一撃は、しかしドラゴンの鱗に跳ね返された。
さらに二発、三発と攻撃を続けるがまるで効果が無い、逆に僕の腕が痛んだだけだった。
どうしようかと悩んでいるうちに、ドラゴンの巨体が僕を押しつぶした。
コボルト並の知能を期待していたのに、見事に裏切られてしまったか。





【1452万6372体目】


開始と同時に全速力でドラゴンに向かって駆け出す。サクラには悪いけど待機してもらった。動きが鈍くなるからだ。
20メートルの距離を詰める前にトップスピードに乗る僕の体。

「うっらああああああああああああああああああああ!」

雄たけびを上げながら白い床を蹴る。そのまま運動エネルギーを殺さずに、ドラゴンの前足に全ての力を込めた飛び膝蹴りをぶちかます。

膝が砕けた。





【1466万5536体目】


攻撃が効かない。





【1471万4292体目】


ドラゴンを見上げる。
攻撃できる場所は前後の足しかない、身長の問題でどうやっても腹には届かないからだ。
だが、いくら攻撃しても奴の強固な鱗をサクラで破壊する事は出来なかった。
鱗に攻撃が弾かれるのなら、鱗の無い場所を攻撃すればいい。
幸いな事に、あのドラゴンには眼球がついている。僕の大好物だ。
眼球はどんなに強い生物でも弱点になる。さすがにあれがサクラを弾くとは思えないし、ちゃんと攻撃は通じるはずだ。
問題は距離だった。ここからの攻撃では絶対に届かない。なにしろ奴の頭は地上から20メートル以上も離れているのだから。

カウンターしかない。

ドラゴンの攻撃パターンは大体把握していた。噛み付きに踏みつけ、うすのろい蹴りに、素早い尻尾での打突、後はボディプレス。
いずれも僕みたいなちっぽけな人間に放つべきではない、掠っただけで即死してしまうような凶悪な攻撃だ。
噛み付きだと当然ながら僕に眼球を近づける事になるので、これを狙う。だが、僕の目的は眼球を潰す事じゃなくてその奥の脳を掻き回す事にある。
この大きさだとサクラを根元から押し込んでようやく脳に届くといった所か。
ドラゴンの噛み付きを避けて、その上で眼球ギリギリまで近づき脳を貫く。かなり厳しい条件だ。
だけど、今までだって勝てたんだ。あのドラゴンにだってきっと勝てるはずだ。
僕はサクラをぎゅっと握り締めて、死地に向かって駆け出した。





【1471万4293体目】


あ、無理だこれ。





【1511万3242体目】


ドラゴンの噛み付きを誘うには敵の正面から突撃すればいい。簡単に釣る事が出来る。だけど、その後が続かない。
お前の狙いなんてわかっているぞ、とでも言いたげに、大きく開かれたドラゴンの顎は弱点の瞳を隠す。僕は無様に飛びのいて避けるしかなかった。
しかも、噛み付きを避けてもドラゴンが少し首を動かすだけで、体勢を崩した僕に鋼鉄の鱗で覆われた大質量の頭部が襲い掛かってくるのだ。
受け流す事なんて夢のまた夢。僕に出来る事は体をズタズタにされて弾き飛ばされるだけだった。
そもそも噛み付きの速度が速すぎて、避けること自体まぐれに近い。
コボルトの剣やムサシの刀と違って、ドラゴンは自身の肉体が武器だ。自由自在に動くそれは僕の動きを的確に捉えて、柔軟な対応を取ってくる。
強い上に知能もそれなりにあるみたいだ。目測を誤るという事がまず無い。
僕が敵の攻撃位置を予測して動いても、ドラゴンはそれに合わせて動きを修正してくるのだから。
眼球ギリギリまで近づくという制約も僕を縛る。僕が人間の限界を超えた動きが出来るといってもサクラの剣速より早く動けるわけじゃない。
攻撃を避けた後に再び飛び掛っても、初動の時点で弾き飛ばされる。
苦肉の策としてサクラを眼球に投げつけた事もあったが。瞼を閉じられただけで弾かれてしまった。
防ぐ方法なんて他にもあっただろうに、馬鹿にされているようだった。
もう、手詰まりだ。
種族としての絶対的な力の差を知ってしまった。
最初からこんな化物に僕が勝てるはず無かったのだ。





【1601万5001体目】


サクラでドラゴンを斬ろうとする。

弾かれた。





【1672万1437体目】


小さな希望は一瞬で芽を枯らし、どうしようもない虚しさが心を埋め尽くす。

姉さんに、会いたかった。





【1683万2215体目】


何故ここには姉さんがいないんだ。きっとジンだ、あいつが何かしたに決まっている。
あいつは違う世界の僕だ、だから僕と姉さんの仲の良さに嫉妬しているんだ。
姉さんはずっと僕と一緒にいるはずなのに!

姉さん。姉さん。姉さん。

会いたいよ……
姉さん……





【1899万7335体目】


寂しい。





【1911万6219体目】


寂しい。
寂しい。
寂しい。




【2343万7893体目】


サクラを喉に突き刺す。





【2578万3029体目】


サクラを腹に突き刺す





【3043万7751体目】


サクラを心臓に突き刺す。





【4001万1152体目】


ぼんやりとサクラを見つめる。考えてみればサクラとは長い付き合いだ。ずっと僕と一緒に戦ってきた最高の相棒。
何度もサクラに助けられてきた。こいつがいなかったら僕はここまで来られなかっただろう。
数え切れないほど振るい、もはや僕の体の一部と言っても良い存在だ。
それだけに、こんな地獄につき合わせて申し訳なくなってくる。こいつもまたジンに弄ばれた哀れな玩具だ。
サクラだけでも助けてやりたい。吸い込まれるような黒い刀身を撫でていると、脳が溶けてしまいそうなほどの愛おしさが湧いてきた。
僕がゲームをクリアしたら、サクラはどうなるのだろう。
再びジンの手に戻るのか。それとも消されてしまうのか。
そんなのは嫌だ。なんとかジンと交渉して僕のそばに居られる様にしてあげないと。……そのためにもまずはゲームをクリアしなければ。
まだ、戦える。守るべき物があるなら人は強くなれる、良く聞くフレーズだが自分で体験するとは思いもしなかった。
自分のためじゃない、サクラのためだ。それなら僕は頑張れる気がした。
サクラのため。

もしかしたら僕がこのゲームに参加しているのは全てサクラのためだったんじゃないのか?

僕がゲームをしなかったらサクラはずっとジンに囚われていたに違いない。だけど、僕がゲームを行う事であの悪魔から一時的にサクラの所有権を奪った。
誰にも知られるはずの無かったサクラの事を、僕が知ってしまったのだ。
最初の記憶を思い出す。もうほとんど抜け落ちているが、たしかジンは僕の願いを叶えると言っていた気がする。
なら僕はサクラの解放を願おう。ジンにとってはサクラなんて必要無いだろう、だけど、僕にとってサクラは何者にも替えがたい存在だ。
何としても救ってみせる。それが、僕の使命なんだ。

「サクラ……僕が絶対に助けてあげるよ」





【5080万1950体目】


ドラゴンとの戦いは一向に進展しなかった。
まあいい、時間は腐るほどある。せいぜい余生を楽しむ事だ。
僕も少し休憩しよう。軽く走って距離を離すと、ドラゴンは今までの敵と違って僕に向かってくる事はなかった。王者の余裕という奴だろうか。
こっちとしては、そのほうがありがたいから別に良いのだけど。王者様はその場に座り込んで僕を睨み付けているだけだ。
僕も座って、サクラと戯れようとすると指に甘い痛みが走る。サクラが僕にじゃれ付いて指を斬り落としたのだ。左手の人差し指から順に次々と指が落ちていく。

「まったく、甘えん坊だなサクラは」

無邪気に甘えてくるサクラが愛しくて、僕は彼女を優しく抱きしめて頬を寄せる。ざっくりと頬が切れた。
漆黒の刀身に口付けをすると、サクラのひんやりとした感触が伝わってきて僕の心が満たされていく。
僕がサクラを救うと決めてから、サクラは徐々に感情を表し始めた。僕が彼女を大切に思っていたように、彼女も僕の事を大切に思っていたようだ。
僕はサクラの事を愛していたが、それは家族愛に近い感情だった。だけどサクラは違ったらしい。僕に対して恋人と接するような感情を向けてきた。
最初は戸惑っていたが、僕は結局それを受け入れた。僕とサクラの愛は少し違っていたが、それでも愛している事には変わりない。
時が過ぎて行くにつれて違和感も無くなっていった。
僕がキスを続けていると、たまらなくなったのかサクラは僕の胸に飛び込んできた。そのまま肺を貫通して背中からひょっこりと頭を出す。
照れているのか、刀身が真っ赤になっている気がする。可愛い奴だ。

――なんだか意識がぼんやりとしてきた、呼吸も苦しい。

サクラと触れ合っているといつもこうだ。思いは通じ合っているのに、どうしようもなく切ない。

「愛して、るよ、サクラ」

そう囁くとサクラはますます僕の体に身を沈めてしまった。そんな彼女に苦笑して、僕は意識を手放した。







[20196] 5回戦・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:11



【5519万1722体目】


「しかし勝てないな」
『やっぱりアプローチの仕方を変えるべきじゃないかな』
「でもこっちの攻撃手段なんて限られているし、どうすればいいんだ」
『そうだねー』

サクラと戯れるのをやめて、いよいよドラゴン討伐に本腰を入れる。
このままずっとサクラとイチャイチャしているのも魅力的だったが、視界に映るドラゴンの姿がうざったくなってきたからだ。

『敵の弱点は眼球と口内、あとは全体的な動きの遅さだよね』
「口内は駄目だ、即死は狙えないし、逆に僕の腕が喰われるだけだから。眼球は今までの戦いで無理だと証明済み」
『だったら戦い方を変えればいいんだよ。地上からの攻撃が駄目ならもっと上から攻撃すればいいと思うの』
「僕は空なんて飛べないよ」
『飛ぶんじゃなくて、登るんだよ』
「・・・・・・?」
『あのドラゴンの肌は私みたいにつるつるじゃなくて鱗が集まって出来ているでしょ? だから登れると思うんだよね』
「そんなの無理だ、すぐに振り落とされる」
『首と尻尾じゃそうかもね。でも、足ならそんなに速く動かせないよ』

確かに……。
他の攻撃に比べれば止まっているのと変わらない速度と言ってもいい。

「いや、やっぱり駄目だ。登っている最中に首か尻尾で叩き落されるだろ」
『うーん、前足なら位置によっては届かないと思うけど……。あ、じゃあ胴体から登るのは? これならどっちも届かないし、距離も短いよ』
「どうやって胴体に飛びつく……いや、そうだな」

ボディプレスを避ければ直接胴体に飛びつくことは可能だ。避けるのはかなり厳しいが不可能というわけでもない。

『他の人なら絶対に無理だと思う。でも銀ちゃんならできるよ、一流のロッククライマーがびっくりするような登攀技術を私に見せてよ!』
「しょうがないな……サクラがそこまで言うならやってみるか」

方針は立った。
相変わらず作戦という言葉を侮辱したような作戦だけど、せっかくサクラが僕のために考えてくれたんだ。絶対に成功させてみせる。
僕はサクラを口にくわえる。登攀には両手を使うためだ。

『あっ、もう……銀ちゃんったら』

照れる姿も可愛らしい。僕は愛するサクラのために、巨大な緑の山――ドラゴンに挑み始めた。





【5519万1723体目】


まずはボディプレスを避ける事からスタートする。何事も積み重ねが大事だ。これを完璧にしないと後が続かないからな。
ボディプレスは奴の腹の下にある程度潜り込むと発動する。ボディの落下速度は可も無く不可も無くと言ったところだ。
絶対避けられないというほどでもないが、簡単に避けられるというほどでもない。
だが、踏み込みすぎると潰されてしまうので、その辺りのラインを見極める必要がある。僕自身の命を使って検証してみよう。
それが終わったら、開始地点からダッシュ→ボディプレス→回避の流れを完璧にしなくてはならない。
少しづつだが活路が見えてきた。よし、やるか。





【6727万4781体目】



ボディプレス避けはほとんど完璧に出来るようになった。問題は次だ。
ドラゴンが立ち上がる前に腹部の鱗に指を引っ掛ける。これが馬鹿みたいに難しい。
僕はロッククライマーでもなんでもない、ただの引きこもりだ。指一本に体重を全てかけるような技術など知らないし、そもそも鱗の隙間が狭すぎた。
多少の凹凸があるとはいえ、こんなのただの線じゃないか。初心者には辛すぎる。
体を登らなくてはいけないというのに、張り付く事すら出来なかった。体重の掛け方や指への力配分が間違っているからだ。

動ではなく静。

まずは張り付く事だけを考えよう。元から裸足なので足の指も利用できるんだ、どうにかなるだろう。





【8339万5416体目】


張り付きに失敗し、途中落下した時点で僕はサクラを使って自殺する。
万全の状態で挑みたいという事もあるし、ボディプレスのタイミングを合わせるためもそうした方が早いからだ。
それでも数え切れないほど死んで経験を積み、ようやくドラゴンに張り付く事が出来た。このゲームは人間の限界を求め続ける鬼のような仕様だ。
次の関門は、揺れだった。
岩壁と違ってこのドラゴンは動く。
ボディプレスの後、ドラゴンが体を起こす際に、絶妙なバランスで張り付いていた僕はあっさりと振り落とされた。
体に掛かる重力等を上手く分散しないと、爪が剥がれ落ちて地面に叩きつけられる。受身は取れるが爪が剥がれるのはやはりキツい。
あまり味わいたい痛みではなかった。一刻も早くドラゴンの背中に到着したい所である。頑張ろう。





【1億2819万1722体目】


ひたすらチャレンジを続け、かなりの時間を掛けて揺れにはリアルタイムでのバランス調整で対応する技術を編み出した。
サクラの応援がなければ続かなかっただろう。持つべきものは可愛い彼女。何度も落として機嫌を悪くされた事もいい思い出だ。
残るは登攀だ。
一瞬の間片手だけで体重を支える技術を覚えれば後は簡単だった。
ドラゴンがいくら揺れようと僕は落ちないし、奴はずっと動いているわけでもないので、動きが止まった時に登れば良いのだから。
もっとも。技術を覚えるまでに僕の命は首都圏の人口を容易く超えるぐらい大量に失われていったわけだけど。
数えてなんかいないだ、僕が死んだ数だけで日本の人口超えるんじゃないのか? このギネス記録を超えられる人間はそうそう出てこないだろう。



まあそんなわけで、様々な屍を乗り越えてきた今、僕はドラゴンの背中に堂々と立っていた。

「長かった……」
『気を抜いたら駄目だよ、銀ちゃん』

サクラが僕をたしなめるが、そんなに心配するような事でもない。何しろここは完全な安全地帯なのだ。
ドラゴンに僕を攻撃する手段は無いし、こいつの移動速度じゃ僕を振り落とす事も出来ない。
僕はサクラを両手で構え、鱗の隙間を狙い、全体重を掛けた突きを放った。

「ッ!」

甲高い音を立てて僕の突きは跳ね返される。期待はしていなかったがやはり駄目だったか。
一体何で出来ているんだこいつ……
その後も同じ場所を狙って何度か攻撃してみるが、多少奴の体が抉れただけで、とても致命傷は負わせられそうには無かった。

『もうやめよう。それ以上やったら腕が壊れちゃう』
「ああ……」

サクラの忠告を素直に聞き入れる。元々これが目的だったわけじゃない。
本来の目的―――ドラゴンの頭部を見る。自分の背中を見られるようには出来ていないのか、そもそも興味が無いのかドラゴンの顔は正面を向いている。

「行くか」
『うん』

頭部に到達するには首を越える必要があった。首を振られるとまず耐えられないので、一瞬で駆け抜ける方法を選ぶ。
腰を低く落として一瞬で体をトップスピードに乗せる。すぐに首の付け根にたどり着きそのまま目的へと向かい走り続け――一瞬で振り落とされた。





【1億4984万2378体目】


「サクラァ――――――――――ッ! 愛してるぜぇ――――――――――っ!」

ドラゴンの背中に乗った僕は、果てしなく遠い場所に向かって素直な思いを叫ぶ。
目的の進歩状況はそれなりだ。素早く振られる奴の首の動きも大分掴んできたし、もうすぐ走破できるだろう。
疲労が溜まらないとはいえ、ずっと戦っているのもしんどい、今は休憩中だ。優れた戦士には休息が必要なのだ。

『……は、恥ずかしいよ……』

僕の愛の告白を至近距離で聞いていたサクラの顔は真っ赤だった。黒いはずなのに真っ赤だった。
なんて愛らしいんだ。サクラのためなら僕は死ねる。実際に何度も死んでいる僕が言うのだから間違いない。
可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛いサクラ。
右手にしっかりと握ったサクラを縦横無尽に振り回す。サクラはこうされるのが好きなのだ。ちょっとMなのかもしれない。
でも僕は、サクラがどんな性癖を持っていたって彼女を嫌いになったりなんかしない。彼女は僕の全てなのだから。

「好きだよサクラ。大好きだ。サクラは僕の事好きかい?」

動きを止め、サクラを抱き寄せた僕は今度は落ち着いた感じで彼女に囁く。

『うん。私も銀ちゃんの事が大好き、だよ』
「良かった……でも僕の方が、サクラが僕を思う気持ちよりも、ずっとサクラの事が好きだよ」
『むぅ、私の方が、銀ちゃんが私を思う気持ちより、ずっと銀ちゃんが好きだよ!』
「僕だよ」
『私だよ!』

サクラは以外に強情だ。こうなったら直接その口を塞ぐしかない。

むちゅう。

サクラの唇を奪い、徹底的に口内を舌で犯す。僕とサクラの愛情や情熱の高さに比例するかのような真っ赤な雫が、二人の口の間から大量に零れ落ちた。
唇を離し、サクラを見つめる。

「ほら、わかるだろ? 僕の気持ちが」
『……馬鹿』

照れるサクラ。可愛くて死んでしまう。死のう。死んでしまおう。

「イィイイイイイイイイイヤッホーーーーーーーーーーーーウ!」

僕はドラゴンの背中から飛び降りた。

ああ、幸せだ。




【1億7374万3629体目】


準備は整った。

開始地点に出現した僕は、20メートルの距離を一瞬で走破し、ドラゴンの真下に潜り込み前足に攻撃を当てる。
すぐにその場から離れ、ボディプレスを回避する。もう見飽きた攻撃だ、簡単に避けられる。
サクラを口にくわえて、地面と熱いベーゼを交わした奴の腹部に飛びつき、鱗に指を引っ掛ける。
再び立ち上がるドラゴンの体を慣れた手つきでスイスイと登っていく。我ながら芸術的な登攀技術だ。
あっさりドラゴンの背中にたどり着いた僕はサクラを右手に持ち一息を入れる。
さて、今度こそ――
前回は惜しい所まで行った。これなら成功も近いだろう。
姿勢を低くして走り出し、僕は一気にドラゴンの背中から首の付け根にたどり着いた。

「行くぞ!」
『うん!』

愛しいサクラの声を聞いて、活を入れる。そして僕は問題のコースに突入した。
鬱陶しそうに振られる首を駆け抜ける。
全く安定しない恐怖の足場を人間―――紫藤銀二の編み出した独自の走法で突き進む。ゴールは目前、報酬はサクラの次に好きな眼球だ。
まるで足の裏に吸盤でも付けているかのように僕の体はドラゴンの首から離れない。危なげなく進んでいく。
何度も落下して身に着けた技術。常に死と隣合わせの訓練のおかげだ。プロのアスリートにだってこんなマネは出来やしないだろう。
首を昇り、頭部に到達した僕は勢いを殺さずに、そのまま奴の眼球目掛けて体を投げ出す。
僕の意図を察して瞼を閉じるドラゴン―――遅い、僕は空中で一回転すると、一発で自身の右腕をオシャカにしてしまう速度の突きを繰り出した。
瞼を塞ぐのは間に合わず、サクラどころか僕の腕ごと眼球に突き刺さったその一撃は、巨大なこの生物を死に至らしめるには十分だった。
ビクン、と一瞬震えて、崩れ落ちるドラゴン。足場を失った僕も一緒に地面に投げ出される。

――あ。

浮遊感、そして、一瞬遅れての激しい衝撃。
高度から落下して受けたダメージが全身に広がっていく。受身を取ったが確実に骨の何本かは折れているだろう。
即死しなかったのはサクラのご加護か。愛の力か。

「あっ、ぶねー」

危うく死ぬ所だった。殺す事ばかり考えていてその後どうなるのか失念していた。

「勝った、ぞ」
『お疲れ様、銀ちゃん……』

ねぎらう様なサクラの優しい声を聞くと、意識が徐々にぼやけていく。
溶けていくような気分を味わいながらも、ふと、考えた。

そういえば、どうして僕は戦っていたんだっけ?



◇ ◇ ◇




沈んだ意識がゆっくりと浮上していく。
ぼんやりとする頭で周囲を見回すと、見慣れない光景が広がっている。毛布を払いのけ、時計を見ると9月27日8時0分日曜日と表示されていた。

ここはどこだ。

僕は強烈な違和感を感じていた。
いつもの真っ白な空間ではない。うっすらと自分の記憶の中にこの場所に該当する場所があったような気がするが……。

「……―――ッ!」

完全に意識が覚醒して、僕はようやく違和感の正体に気付く。
サクラが―――いない。

「サクラッ! どこだ!」

僕は慌ててサクラを探し始める、ベッドも、本棚も、ごちゃごちゃした機械の類も全てひっくり返して必死にサクラを求め続ける。

「サクラッ! サクラッ! 何処だサクラああああああ―――――ッ!」

半狂乱になって彼女の名を呼ぶが一向に返事が無い。どうしてだ。ずっと一緒にいたのに、なぜ僕の前から姿を消したんだ!

「サクラ! サクラ! どこだよサクラッ!」
「銀ちゃんっ!」

なおもサクラの名前を呼び続けていると、いつの間にか僕の傍に一人の女が立っていた。
誰だ、こいつ?

「昨日はどこに行ってたの!? 心配したんだよっ!」

女は僕に掴みかかってきてわけのわからない事を言い出した。こんな奴に構ってられない、サクラを探さないと……。

「サクラぁ……どこに行ったんだよサクラ……」
「銀ちゃん?」
「僕を置いて行かないでよ……一人にしないでよ……お願いだよサクラ……」
「どうしたの!? 私はここだよっ!」
「サクラ、サクラ、サクラサクラサクラサクラサクラサクラサクラサクラ」

サクラは僕に答えてくれない。ここにサクラはいないから。
僕はドラゴンと戦っていた空間を思い出す。きっとあそこじゃないとサクラに会えないんだ。でも、思い出せない、何故ドラゴンと戦っていたのか、どうしてあの空間に僕がいたのか。
どうすればあの場所に戻れるんだ?

「銀ちゃん、しっかりしてっ! 私はここにいるよっ!」

女が僕に抱きついてきて何かを叫んでいる、鬱陶しい。

「きゃっ!」

僕は女を突き飛ばした。早く向こうに戻る方法を思い出さないと……。
あまりにも長い間ドラゴンと戦い続けていたせいで、それ以前の記憶をほとんど忘れてしまっていた。
サクラに会いたい、サクラがいないと僕は――

「ぎ、銀ちゃん……」
「……」
「ねえ、何があったの……? 私に話してよ……」
「……」
「教えて……私は銀ちゃんの味方だから、ねっ?」
「うるさい!」

再び僕の体に触れてこようとする女の手を払うと、女はビクリと体を竦めた。さっきから何なんだこいつは!
女の顔を見ていると僕の胸に抉られるような痛みが走る。
それがますます僕をイラつかせた。

「わ、私は……」
「出てけよ!」

僕が声を荒げても女は何かを言おうとした。しかし、すぐに女の瞳から涙が流れ出すと、顔を手で覆って僕の傍から離れていった。
これで静かになった。静寂に包まれた部屋で僕は必死に記憶を探り始める。
ドラゴンと殺し合っていた理由を考える。何の理由もなく殺しあっていたという事は無いだろう。生き残るためだ、僕と、サクラが。
そう、僕はサクラのために戦っていた気がする。

何故?

……サクラを助けるためだ。

どうしてサクラを助ける?

それは、僕がサクラを愛していて、サクラが――囚われていたからだ。
何に囚われていた?

「ジンだ!」

サクラはジンに囚われていた、だから僕はゲームをクリアしてサクラを――

「ゲーム……」

あの空間はゲームに使用されていた。ジンという天使が考えたらしいエンジェルゲームに。
そうだ、僕は向こうと、この部屋を交互に行き来していた。確か、ここで眠ると向こうで目を覚ましたはず。
いや、それよりもっと早い方法があったはずだ。

「そうだ、自殺すればいいんだ」






サクラに会うための方法を思い出した僕は、机の引き出しからカッターを取り出し、ためらいなく自分の首筋を切り裂いた。







[20196] 6回戦・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:15



【1億7374万3630体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。
僕のすぐ傍に真っ黒な男が立っていた。何が楽しいのか、顔を歪めて笑っている。

「おはよう」
「ジンッ!」

やった、成功したぞ! 戻ってきたんだ!

「サクラを、早くサクラを出せっ!」
「はいはい」

今にも噛み付きそうな僕を相手にしてもジンは平然としている。彼が手をサッと振るとそこにはサクラが出現していた。
僕はジンからサクラをひったくるようにして奪う。

「サクラ、あぁサクラ、会いたかったよ」
『……』
「サクラ?」

僕はサクラに呼びかけるが、サクラは返事をしてくれない。

「どうしたんだ、サクラ。声を聞かせてくれ」
『……』

サクラは答えない。
いくら話しかけても沈黙を貫くだけだった。
まさか、僕がいない隙にジンが何かしたのか?

「ジンッ! サクラに何をしたっ!」
「あ? 何もしてないぜ」
「嘘をつくな! だったら何故サクラが喋らないっ!」
「いや、刀が喋るわけ無いじゃん。お前は何を言っているんだ」

――え?

「サクラは、違うだろ。彼女はずっと僕に話しかけてくれていた!」
「ビョーキだな」
「違う、違うんだ、サクラは……」

言葉に詰まる僕をジンはニヤニヤしながら見つめている。
確かに、サクラは刀だったけど、それは違うんだ。ずっと一緒に戦ってきた相棒で、僕の恋人だ。

「さすがの俺でもドン引きですよ、あんなみっともないマネしちゃって。無機物萌えーってか。ちょっと上級者過ぎじゃね?」
「サクラはただの刀じゃない! ちゃんと意思があるんだ!」

そう、サクラは普通の刀などでは無く、心を宿して命を持った一個の生命体なのだ。愛しているなんて言葉だけじゃとても表現できない、僕の、全てだ。

「……お前の様子じゃすぐに喋りだしそうだがな。まあそんな事はどうでもいさ、次のゲームだ」

ジンの言っている事が分からない。サクラが喋らないのは僕のせいなのか? 僕が何か彼女の気に障るようなことをしてしまったのか?

「今度の敵は百体だ、それじゃあゲームスタート」



ゲーム開始の宣言とともにジンの姿が消えて、交代するように新たな敵達が姿を現す。
見慣れた姿。もう見飽きた化物。馬鹿げた大きさの緑色の塊。

ドラゴンの群れ。

純白の空間が、瞬く間に暴力的な緑色へと覆いつくされていった。






【1億9084万6008体目】


「さて、どうしよう」
『どうしようもないね』
「いやいや、考えようよ」

現在、僕とサクラはドラゴンの群れに取り囲まれている。僕を中心に半径20メートルほど離れた場所にドラゴン達がひしめき合っていた。
それら全員がノロノロと僕に向かってくる様子はかなり気持ち悪い。
前回のドラゴンは自発的にこちらに向かってくる事は無かったのだが。今回のドラゴンは似ているだけで別種なのか。
それとも同族が多数いるから行動が変わったのか。
どちらにしても、休憩がろくに取れなくなったのは痛い。

『前回のドラゴン戦と同じ事をやってみる?』
「無理だったじゃないか」

ドラゴンの数が増えたせいで、登っている最中に他のドラゴンに攻撃されてしまう。運良く登れたとしても僕はドラゴンを殺した後に地面に放り出される。
受身を取ろうが何しようが落下ダメージは体に蓄積されていくため、結局動きが鈍くなって殺されてしまう。落ちている最中に噛み付かれる事も多いし。
一体を殺すだけでもかなり体力を消費するのだ。百体殺すなんて不可能だろう、どう頑張ってもニ十体程度が限界だ。
それも奇跡的に運が良かったと仮定しての話なんだけど。
これじゃあ駄目だ、別の方法を考えるしかない。

『うーん、思いつかないなぁ』
「……むむ」

眼球の申し子たる僕としては眼球攻撃が駄目だった時点でお手上げに近い。

以前は諦めていた噛み付きへのカウンターはどうだろう。数が増えたせいで前より不可能、却下だ。
はい終了。眼球以外に攻撃は通じないので最早どうにもならない。

『逆に考えてみようよ。攻撃が効かないなら効くような攻撃をすればいいんだって』
「どうやってさ」
『ドラゴンが斬れるまでひたすら私を振り続けるの』
「無理だろ、全力で突いても弾かれたのに」
『あれは突きだったからだよ、斬りと違ってそんなに技術を使わないし』
「うーん」

確かに、いくらドラゴンの鱗や皮膚が硬いからって、中身まで鋼鉄だとは考えにくい。
脳味噌もあったし、一応生物みたいだから、皮膚の下には肉が詰まっているのだろう。肉がガチガチに硬かったら動きは取れないはずだ。
魔力で動いているなんて言われたらお手上げだけど。
このままずっと考えていても仕方ないか……どうせ手段なんて見つからないんだ、やってみよう。

「それで行こうか」
『うん! 銀ちゃんファイト!』

方針を決め、迫り来るドラゴンを迎え撃とうとする僕の頭に疑問が浮かんだ。
サクラっていつから喋れる様になったんだっけ?

ま、いっか。





【2億5101万6209体目】


ドラゴンの前足に向けて攻撃を仕掛ける。
ギィン、と鉄と鉄が打ち合った甲高い音がしてサクラが弾かれた。
やはり、硬い。
ドラゴンの前足がもっと細ければどうにかなったのかもしれないが、奴の足の太さはサクラの刀身よりも遥かに大きく、非常に斬り辛い。
若干丸みを帯びているのが憎らしい。こいつの足が四角い直方体だったら四隅の角から攻める事が出来たのに。
本当に、斬れるのだろうか。こんな化物。





【2億6147万8492体目】


攻撃する。
攻撃が弾かれる。





【2億7984万3330体目】


今までサクラの頑丈さに頼りすぎていたのだろう。いくらドラゴンに攻撃をしてもサクラには傷一つもついていない。
どんな物質で作られているんだろう。謎だ。
それはともかく、サクラは自身の役割を十分に果たしてくれている。
並みの刀だったら刃こぼれを起こしているか砕けていてもおかしくは無いのに。折れず曲がらず、吸い込まれそうな美しい刀身を保っていた。
サクラは悪くない。ドラゴンが斬れないのは僕の技量の無さが原因なんだ。自分が情けなかった。
叩きつけるのでは無く、滑らせるようにして斬るのだ。何故それが出来ない。
僕が剣士としては素人だからか、こんなに戦いを続けている僕を素人だと言うのか。

わかってる。

もっと頑張らないと。

必ずドラゴンを、斬ってみせる。





【2億8122万8401体目】


攻撃が弾かれる。





【3億197万6277体目】


「やっぱり無理じゃないのか?」
『……』
「そうかなぁ」
『……』
「そうだね……」
『……』
「わかったよ」





【3億7500万8483体目】


攻撃が弾かれる。





【5億9926万3271体目】


効かない。
効かない。
効かない。
何をしても攻撃が効かない。





【9億4578万9624体目】


ぼーっとしているとドラゴンに噛み付かれた。





【12億7673万8210体目】


『無理、無理、絶対無理』
「うーん、でもちょっとずつ良くなってる思うよ?」
『え、そうかな……』
「私の使い方も上手くなってきてるし、普通に人類最強レベルだよ」
『人類最強でもドラゴンからみたら蟻に等しいじゃん』

卑屈になってるなぁ……。無理もないけど。

「大丈夫、銀ちゃんはやれば出来る子なんだから、今回だってきっと、いつもみたいに不可能を可能にしちゃうんだよ!」
『サクラ……』

私は銀ちゃんを励ますために、漆黒の刀身へと口付けを――

あれ?





【21億387万3405体目】


僕は何をやっているのだろう





【36億546万7816体目】


僕は戦慄していた。驚愕の事実に気付いてしまったから。今まで僕は刀を振るうために右腕に力を入れて動かしていたのだが、腕を動かすのに力なんていらなかったんだ!
つまりは脳。
脳が全てだ、脳が命令する事によって人間の体は動いていたのだ。例えば僕が右腕よ上がれ、と脳を通じて命令を出すと右腕は跳ね上がる。歩けと命じれば足が動き、心臓よ止まれと言えば心臓は……止まらなかった。
とにかく、脳は素晴らしい!
全身を脱力させて、僕は脳に指示を出し、自身の体に拍手の動作をさせた。観客のドラゴン達も世紀の発見を見たかのような凄まじい目つきで僕に注目していた。
いつの間にかほとんど喋らなくなってしまったサクラも僕の発見に優しく、誇りに思うような視線を送ってくる。
僕は調子にのって複雑な命令を送り、ダンスを始めた。人間にこんな動きが可能なのかと思わせるような僕オリジナルの素敵な踊りだ。間接を外したり新たに関節を増やす事によって生み出されたこのダンス、誰にも真似は出来まい。
歓声が沸き起こった。ドラゴンが吼えている。
それに気を良くした僕の踊りも次第に激しくなり、自分で言うのもなんだけど一種の芸術のようだった。

ダンサー兼芸術家、紫藤銀二の誕生だ!

最後に地面を抉るほどのヘッドスピンを決め、踊りを終えた、僕は観客達の暖かい声援に応えるために手を振り続けた。

ありがとう、ありがとう。





【50億171万6328体目】


深呼吸して、丹田に力を蓄え、気を練り上げていく。

気。

この空間には気とか魔力とかが存在するはずだ。だってそうじゃなきゃおかしいし、色々と普通じゃないし。
僕はそのエーテルみたいな何かを感知する事に成功した。そしてそれを体内に集めることにも成功した。失敗だらけの僕の人生とは大違いで、この空間での僕はただ一人の成功者に生まれ変わってしまったのだ。
体内に集めたMPは多分僕が覚えている必殺技を行使するために必要になってくる。あれ、気だっけ? いやTPだ。
そうTPが僕は必要だったのだ。

「最終奥義! 悪竜滅殺抹殺斬っ!」

世界一格好良い技名を叫び、サクラにTPを乗せて僕は回転斬りを放つ。
最近のサクラは全く喋らない。反抗期なのか? でもいい、言葉が話せなくたってサクラはサクラだ。
例え彼女が僕を嫌っていたとしても、僕は変わらず彼女の事を愛している。
まあサクラが僕を嫌いになるなんてありえないんだけどね。言わせんなよ、恥ずかしい。

「しゃあっ!」

僕が放った、えーと何だっけ、何とか斬り。それは距離に関係無く視界に映る敵を全て殺してしまうという大技だ。
僕が込めた霊気をサクラが増幅して撒き散らし、触れたもの全てを斬り裂く。強い強い。今までドラゴンに苦労していたのは何だったのかと思う超威力。
それは世界すら斬り裂く一撃だった。
僕を取り囲んでいた何万体ものドラゴンは全てバラバラになって崩れ落ち、肉塊へと姿を変えた。
しかし、まだ油断してはいけない。奴らは肉塊になっても動くのだから。僕はもう一度瘴気を溜めて必殺魔法を放った。

「地獄の業火に焼かれるが良い!」

宇宙一格好良い決め台詞にサクラが僕にドッキンラブ。
指先から放たれた火球はドラゴンの肉塊を焼き尽くし、美味しそうなドラゴンステーキを生み出した。今夜の食事はこれで決まりだ。

僕は感動のあまり号泣してしまった。





【55億4327万3032体目】


…………





【60億1935万2789体目】


…………





【100億3212万3719体目】


サクラ。





【155億6821万1004体目】


……





【212億4318万9457体目】








【302億2254万7738体目】


「ハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

気分が良い。
思いっきり叫びたい。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

開放される。

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

たまらない。
喉が破れて声が掠れてしまっても、僕は叫び続けた。





【537億1386万1916体目】


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」





【782億5001万5010体目】
















【1609億2365万3248体目】


























[20196] 6回戦・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:21



【2603億6102万6901体目】
















飽きた。



飽きて、しまった。



死ぬのも、狂うのも、同じ事の繰り返しでつまらない。

戦おう。

暇潰しには、なる。





【3423億3198万4178体目】


自然に発生する筋肉の微弱な振動さえ計算に入れて、ドラゴンに攻撃する。
出来れば居合いが良かったのだが、あれは一度使えば指が落ちてしまうため、複数の敵相手に使用できる代物ではない。
よって今、僕が使用している技は鞘の無い居合いもどきとなる。

「フッ!」

微妙な角度調整をしてドラゴンに放たれた一撃。それは奴の強靭な鱗に綺麗な一本線を残して、硬い皮膚を少し抉った。
良い感じだ。この調子でいこう。





【4911億7122万2201体目】


脳にインプットされた情報の通りにサクラを振るう。洗練された、いや、洗練されすぎた動き。
少しでも刀を扱ったことのあるものならば、目にしただけでその動きが理解出来ずに発狂してしまうかもしれない。
そんな至高の一撃はドラゴンの前足に吸い込まれていき―――そのままスッと通り抜けた。手を翻し、もう一発。一瞬遅れて緑色の血液が噴出した。
絶叫を上げて崩れ落ちるドラゴン。僕はその隙を見逃さずに奇妙な動きで、一瞬のうちにドラゴンの首に近づいていく。

再び、一閃。

首を切り落とす事は出来ないが、いずれ出血多量で死ぬだろう。
僕は用済みになったドラゴンから離れて、別の獲物を狩りに行った。





【5101億9904万2558体目】


選択ミス。
食い殺される。





【5102億8371万2911体目】


選択ミス。
尻尾に吹き飛ばされる。





【5103億1297万7266体目】


密集しているドラゴンの群れに僕は突っ込んだ。近づくのを待っていては押しつぶされるからだ。
数が増えた奴らは、一体だった時に生まれていた隙を互いにカバーしあって消しているため、かなり手ごわくなっている。登攀が出来ないのもそのためだ。
他にも僕が狙いを定めた一体に攻撃を仕掛けていると、別のドラゴンに攻撃されて死んでしまうなんてざらだった。
ドラゴンどもは自分の頑健さを知っているからか、味方を巻き込むような攻撃でも平然と行なってくるのが恐ろしい。
しかし、攻撃が効かないという最大の問題は克服したのだ。
ドラゴンの連携は完璧に近いが、どうしてもカバーできない場所は存在するし、僕の動きによって意図的に作り出すこともできる。
上手い事体をその場所に潜ませて仕留めていくしかなかったが、こればっかりは体で覚えるしかない。
敵の数が減れば減るほど有利になっていくとはいえ、大変な作業だ。
進歩があるだけ今までよりマシだが。





【5948億7946万4019体目】


選択ミス。





【6242億867万8928体目】


選択ミス。





【6408億7085万2280体目】


選択ミス。





【6408億7094万2286体目】


繰り返す戦いの日々で見つけた、最高のルートに体を乗せて一体目に近づいていく。
サクラを使い、致命傷を与える。
次の敵に向かう道もすでに決まっている、誰の攻撃も受けず、なおかつ僕にとって一番都合のいいルートだ。近づいて、仕留める。そして次のルートへと向かう。
永き時の果てに、僕はこの場所の支配者となっていた。この空間にいるドラゴン全てを把握している。どう考え、どう動くのかも。
慣れた手つきで首を狩っていく。
僕を絶望の淵に叩き込んだドラゴンの鱗は、紙のように切り裂かれていた。結局、僕の腕が悪かっただけなのだ。
サクラはドラゴンの鱗より遥かに硬いのだから、斬れて当然だった。
緩急をつけながら不気味に近寄ってくる僕の姿は、奴らには死神に見えていることだろう。
出血死を狙っているため、ドラゴンの体はすぐには消えないのだが、それも障害物として利用する。まだ生きているので注意する必要はあるのだけど。
ドラゴン殲滅の際にネックになったのは、やはり僕の体力だった。ドラゴンは巨大なため、迂回移動にも体力がかなり必要になってくるからだ。
途中で力尽きる事も多く、かなりの時間を無駄にしてしまった。
今では歩いていても殺せるため、体力の問題はほとんどなくなっている。と、いってもギリギリではあるが。
次々に崩れ落ち、姿を消していくドラゴン達。
狩る側から、狩られる側に。絶対的だと思っていたドラゴンの強さも、今となっては僕とサクラに遥かに劣る。
凄まじい力を持ち、馬鹿げた巨体に強靭な皮膚を持つドラゴンが、刀を持った人間一人に倒されていく。まるで御伽噺だ。
僕はまったく主人公に相応しくはないけど。
やがて、緑に埋め尽くされていた空間はいつもの神々しさを取り戻し、残っているのは一人の人間と一体の化物だけになった。

やっと、終わる。

相手の姿勢や僅かな体の動きからサクラを打ち込む最適の位置を見つけ出し、ボロボロの腕を酷使して斬りつける。
片足を奪われたドラゴンは自らの体重を支える事ができずに崩れ落ち、無防備な首を僕に近づける。
容赦なく、一撃を浴びせた。
無理矢理足を動かして、その場から離脱する。十分な距離を取ると、僕は命を失いつつあるドラゴンを見た。
燃えるような瞳で僕を睨んでいる。憎いか。僕が憎いのか。

「知るかよ」

どうでもいい。お前の怒りなんて、僕の知った事じゃない。
僕には人の気持ちどころか、自分の気持ちだって分からないんだから。



◇ ◇ ◇




意識がゆっくりと浮上していく。
ぼんやりとする頭で周囲を見回すと、どこか見覚えのある光景が広がっていた。

「ぅ…ぐ…」

気持ち悪い。

「が…ぁ…うぁ…」

胸が苦しい。
激痛で息が出来ない。

「……っ。」

まただ。
また……来てしまう。
戻ったと、思ったのに。

「ぁ……ぁぁあああああああああああああっ!」

寂しさ、哀しさ、怒りと苦しみ、そして虚無感――
様々な感情がまざり僕の心を掻き乱していく。

「ああああああああああああああああああっ!」

耐えられない。
拳を握り何度も壁に打ちつける。全力で放たれたそれは壁と僕自身の拳を簡単に壊していった。
指は全て滅茶苦茶に折れ曲がり、赤く染まった手の甲からは何箇所も骨が飛び出した。
足りない。
今度はボロボロになった腕を両足に叩きつけて壊し始める。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

人間の体は脆い。両腕も両足も元は直線だったとは思えないありさまになり、やがて皮膚を突き破った骨が姿を見せ始めた。
パジャマもシーツも鮮血で彩られていく。

「ははっ、ははは」

体が訴えてくる苦痛のおかげで、心の痛みは和らいできた。これでいい。
左手は完全に動かない、僕は滅茶苦茶になった右手を強引に動かし、焦点の定まらない右目へと突き入れた。
ぐちゅ。

「あははっはははははははははっはははははははははははははははははは!」

今度は左目だ、僕はもう一度右手を上げ、眼球へ突き入れようとして――

「きゃあ―――――――――っ!」

甲高い悲鳴が聞こえた。
残った左目を向けると、いつ部屋に入ったのか、見知らぬ女が僕を見て立ち尽くしていた。

「あ、あああっ、な、なんで……」

女は信じられないものを見てしまったかのような表情をして、ゆっくり僕に近づいてくる。歩みは定まらず今にも倒れてしまいそうだ。

「ひ、ひどい、どうして……こんな、あ、あああ」

僕は右腕を使って全力で女の顔を殴ろうとしたが、寸前で思いとどまる。
どうしてかそれは、絶対にやってはいけない事のような気がしたからだ。

「ああ……そうだ……救急車……」

僕の怪我の様子を見た女は、蒼白な顔になって部屋から出て行く。僕は再び自分を破壊するために壁に頭をぶつけ始めた。

「っ! 何してるの!?」

女は慌てて部屋に戻り僕の凶行を止めに入る。頭を抱えられると、僕は簡単に動きを止めてしまった。
何でだろう?
どうも、この女は苦手だ。

「離せ」
「嫌だよっ!」
「……」
「手当て、しないと……」

女から離れようとしたが、どうにも力が入らなかった。
僕がまた暴れるのを警戒してか、女は部屋から出て行こうとはしない、キョロキョロとあたりを見回すと、床に落ちているカッターを見つけて素早く拾う。
そして僕のベッドを切り裂いて包帯のようなものを作り上げた。

「ぐすっ……」

泣きながら僕の傷の処置をする女。どこでこんな技術を覚えたのだろうか。健気に治療を続ける女を見ると再び感情が暴れだす。
そう、僕はこの女の事を知っている気がした。

「銀ちゃん、私、救急車呼んでくるから……」
「必要ない」
「駄目だよ、死んじゃうよぉ……」
「僕は死なない、呼びたければさっさと部屋から出て行け」
「うぅ……」

女は結局部屋から出て行かずに、僕を抱きしめてすすり泣き続けた。
僕はそんな女の姿に、どこか懐かしい気分を覚えた。

「どうして、こんな事……わかんないよ……お姉ちゃんに、話してよぉ……」
「……?」

お姉ちゃん?
姉?
……そうだ、確か僕には姉がいた筈だ。とても大切な、大好きな姉さんが。
この女がそうなのだろうか。先ほどから感じる既視感もそれなら説明できる。

「お姉ちゃんの、せいなの?」
「……」
「銀ちゃんは――――のに、私がー―――たから」
「違う!」

何だ、今のは?
突然女――姉さんの声が聞き取れなくなった。それなのに、僕は姉さんの言葉を否定していた、否定しなければいけないと思った。
まずい、まずい、まずい、まずい。
体が崩れ落ちそうになる。これ以上姉さんに喋らせては駄目だ。僕は姉さんの頭を胸に抱きよせ、ボロボロの腕で抱きしめる

「あっ……」
「ごめん、姉さん」

何かを拒否する喉を動かして声を絞り出す。呼んではいけない。それなのに……。

「うぅ……ふぇ……」

僕の胸に頬をすり寄せる姉さんを見ると、たまらない感情が湧き上がってきた。
そうだ、この感情だ。
遥か昔にもこんな気持ちを抱いていた頃があった、どうして忘れていたのだろう。姉さんに申し訳なくなってくる。
こんなボロボロの手じゃ、頭を撫でてやる事もできない。
だから僕は、ひたすら甘えてくる姉さんの好きにさせる。胸を締め付けるような切ない感情は無視して。

「んー……って違う! 救急車呼ばないと!」

僕をベッドに押し倒して甘えまくっていた姉さんは、ようやく僕の状態を思い出して飛び起きた。

「必要無いよ」

僕が死んでも向こうに行くだけだろう。それに血を大量に失ってはいたが、臓器の類は傷つけていなかったので、すぐに死ぬという事もないはずだ。
だけど姉さんがそんな事を知るわけもなかった。いや、知っていてもまともな神経の人間なら放置などありえない。

「あるよっ! お姉ちゃん電話してくるから、もう暴れちゃ駄目だよ?」
「……わかったよ」
「本当に? また同じ事したら怒るよっ!?」
「しないって」

嘘だけど。
姉さんは何度も僕の方を振り返りながら部屋から出て行った。慌てて階段を下りていく音が聞こえてくる。
救急車を呼ばれると面倒くさい事になりそうだ。最悪の場合向こうに行けなくなる可能性もある。
ぐちゃぐちゃになっている右手でカッターを拾い、首筋に当てる。上手く握れないがなんとかなりそうだ。
死んだらこっちの僕ってどうなるんだ? 姉さんは何も言っていなかったから、死体が残ってるわけじゃないみたいだけど……体ごと向こうに行ってるのか?
今、僕の姿が消えたら姉さんは絶対に泣くだろう。だけど、明日になればまた会える。このまま病院に行ったらそれすらできなくなるかもしれない。
だから、ごめん。
僕はカッターで首を切り裂いた。



◇ ◇ ◇



【6408億7094万2287体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白―――
どこを見ても、目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。
すっかり僕には馴染みとなった景色だ。

「おはよう」

ジン。
全ての元凶。狂った黒天使。いつものようにニヤついた顔で僕を見ている。

「サクラを……」
「せっかちだな、今日はお前に良い報告があるんだ」
「……?」
「エンジェルゲームは今回を持って終了だ! おめでとう!」

……。
何だって?

「本当、か?」
「本当だとも! 俺が嘘をついた事なんて今までにあったか?」

覚えていない。
いや、なにかとんでもない嘘をつかれていたような……。

「やー、ずっと見てたけど中々面白かった。そこでだ、お前がゲームをクリアしたら褒美をやろうと思う」
「褒美って、何だよ」
「特に決めてない。お前は何が欲しい?」

どうせ僕の心なんて読めてるんだろ。
ジンの態度は白々しかったが、良い話なので僕も乗る事にする。

「サクラが欲しい」
「ふーん、姉ちゃんと刀のどっちだ?」
「……刀のほうだよ」
「うわー、お前の姉ちゃんは刀以下なのか……カワイソウ」

うぜえ……。
なんなんだこいつ。

「サクラは元々お前に渡すつもりだったから褒美には含めない。何か願い事はないのか?」
「そうだな……ああ、ゲームをクリアした時に姉さんの記憶を改竄してくれ。僕がゲームをしていた期間の記憶を消して、いつも通りに暮らしていた事にして欲しいんだ」
「はぁ? 何言ってんのお前?」

ジンは呆れたように僕を見た。
しょうがないじゃないか、このまま戻ると大変な事になってしまう。

「別に、お前がそれでいいんならやってやるけどさ。本当にそれでいいのか?」
「うん」
「本当に、本当にそれでいいのか? 親切心で言ってやってるんだぞ、俺は」

やけに食いついてくるな。

「いいって言っているだろ」
「はあ、真性だなこいつ。気持ち悪い」
「うるさいな、心の中で思っていてもそういう事は本人の前で言うなよ」
「……」

ジンはニヤついた顔を引っ込めて、何かを考え込んだ。
どうしたんだ、こいつ。

「ジン?」
「最後の敵は一体だ。今までの経験を生かして全力で望め」

感情を込めない、機械的な声でジンは言った。

「ゲームスタート」

ジンの姿が消えて、20メートルほど先に新たな敵が姿を現す。
大きさは10メートル程度だろうか、姿はドラゴンに似ているが全身銀色で、鋭角的なフォルムだ。
本来瞳があるべき部分には何も無く、背中には翼が生えていた。

銀色の翼竜。

まさか、飛ぶのか。

「あれ……?」

飛行能力を有しているとは言っても。敵が一体ならどうにでもなる。銀色の竜――銀竜の皮膚の硬さは知らないが、今の僕なら斬れるだろう。
そう思い、サクラを構えドラゴンに接近しようとして、僕はやっと気付いた。

――まだサクラを受け取ってない。

「ジン! サクラはどうした!」

返事はない。

「ジン……」

はらわたが煮えくり返る。あの巨大な竜を素手で倒せというのか。
何が経験を生かせだ、あの野郎っ……! 







[20196] 7回戦・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:26



【6408億7094万3288体目】


……





【6408億7094万4224体目】


「おーい」





【6408億7094万5991体目】


何かの手違いである可能性もあったので、僕はしばらく待ってみた。
だけど一向にサクラは姿を現さないし、何度呼びかけてもジンからの反応は無く、待ちぼうけを食らった僕の死体が積み重なっていくだけだった。
やはりこれは手違い等ではなく、ジンがわざとやったという事なんだろう。しかも僕に何の説明も無しに、だ。ふざけている。
銀竜は外見から予測した通り、空を飛んだ。
飛行手段を持っていない僕には絶対的な強さを持つ相手だが、奴の力がそれだけだとしたらまだマシだったのかもしれない。
恐ろしい事に、銀竜が空を飛ぶと、奴の姿が見えなくなったのだ。
開始直後に奴は空へと飛び上がるのだが、上空に浮かんですぐに銀竜は空間に溶けるように姿を消した。
だが、翼を羽ばたかせる音はするので、この空間から消滅したわけではない、ただ僕の目に姿が映らなくなっただけだ。
おそらくはステルス能力でも持っているのだろう。ステルスシルバードラゴン、嫌な名前だ。
今も奴の姿は見えないが、敵の攻撃の届かない位置へ飛んで、僕に狙いを定めてるのはずだ。

卑怯者め。こっちは何の能力も持たない人間なんだぞ、正々堂々と戦え。

そんな僕の思いとは裏腹に、銀竜はその状態から急降下して僕に体当たりを仕掛けてきた。あの巨体だ、当然僕は即死した。
姿を消す前の見た目から分かるように奴の皮膚はとても硬い。しかも素手で倒せる唯一の可能性である眼球がついていない。
まるでジンの僕に対する悪意だけを抽出してできたような存在だった。そうに違いない。
しかし、いくら最後の敵だからって、ここまでするか? どう考えても人間一人に対して用意するような戦力じゃない。
僕の身体能力は依然としてコボルトより低いままなのに。

「ないわ……」

サクラがいれば、こんな奴一瞬で斬り捨ててやるのに。
今までの僕はサクラを動かすためだけに存在していた、たんぱく質で構成された生態機械といっても過言ではなかった。
攻撃は全てサクラに任せて、僕は体を動かすだけ。
つまり、サクラを持たない今の僕には攻撃手段が存在しない。
唯一の武器は引きこもりで手に入れた弱々しい肉体だけだ、確かに生身だけでもコボルト程度なら何十体かは殺せるだろう。
でも僕が今戦っているのは僕よりも何倍も大きく鋼のような肉体を持つ銀竜なのだ。存在としてのランクが違う。

悪夢のようだった。

誰も頼りに出来ない。己の力だけで竜を倒せというのか。ただの人間に竜を殺せ、と。
地上で何も出来ずに立ち尽くしていると。やがて銀竜の羽ばたく音が止んだ。僕に向かって滑空してくる気だ。
横に避ける事は出来ないから、奴の体に飛び乗るしかない。まずはそこから始めよう。
タイミング自体は何度か死ねば掴む事ができるが、普通に飛びついたって衝撃で死ぬだけだ。敵の姿が見えないのはやはり辛かった。
今までは体の表面の凹凸や微妙な動きの癖など視界から得られる情報を駆使して振り回されるドラゴンの首を走るといった暴挙を成し遂げていたが、今回はそれが出来ない。
地道に死に続けてデータを集めるしか無いだろう。気が遠くなる。
だけど、これが最後のゲームだ。この戦いに勝利して、姉さんのいる向こうの世界に完全に復帰する。

――本当にそれでいいのか?

銀竜と激突して吹き飛ばされた僕は、なぜかジンの言葉を思い出していた。





【6408億7095万3216体目】


スタート地点に復帰する。同時に銀竜が飛翔して姿を消した。
奴との距離は20メートル以上離れているので、飛行前に奴の下に辿り着くのは無理だった。いい所までは行けるんだけど。
上を見上げる。真っ白な空間が広がっているだけで、銀竜の姿は見当たらない。この空間が白一色だという事もステルス能力を後押ししている。
透明になった奴の体は輪郭すら残さず消えていた。どんな仕組みなんだ。僕にも教えてくれ。
やっぱり、肉眼で見つけるのは不可能か……。
ここには僕と銀竜の二人しかいないため、雑音が入ることも無く、翼をはためかせる音だけは良く聞こえた。
それだけが奴の位置を特定するため、そして攻撃タイミングを知らせてくるための鍵となる。
僕は動きを止めて、意識を集中させた。

音が止んだ。来る。

恐らくこちらに向かって滑空しているであろう奴の体に飛び移るため、膝を曲げて跳躍の体勢をとる。
チャンスは一度きり、勘で飛ぶしかない。

「あうっ」

無理でした。





【6408億7200万9090体目】


銀竜の動きにあわせて跳躍する。
だが僕の努力も虚しく、弾き飛ばされて死んでしまった。





【6408億7355万11体目】


跳躍する。
死亡した。





【6408億7419万3217体目】


跳躍。
死亡。





【6408億7522万9934体目】


サクラがいないと寂しい。





【6408億7564万6027体目】


脳の奥深くから記憶を引きずり出す事に成功する。最初にジンと会った時の記憶だ。
あの時ジンは言っていた、ゲームをやればくだらない現実を変えられる、満たされない心を隙間を埋める事が出来ると。
果たしてそれは叶っているのだろうか。
確かに僕はゲームをして変わった。変わり果てた。久しぶりに学校に行った時も、以前のような苦痛は感じる事もなかった。
僕は彼らを簡単に殺す事ができるという余裕があるし、彼らが僕に向ける感情を楽しめるほどには成長した。
だけど僕の渇きの原因はそんなものだったのか? もっと根本的な、僕を苦しめていた何かがあった気がする。
そもそも何で僕は引きこもったのだろう。学校は嫌いだったし、人付き合いも苦手だったが別にいじめられていたわけでもない。

父さんの死。

全てはそこから始まっている気がした。父さんが死んで、何かがおかしくなり始めたんだ。
好きだったかと言われればそう答えられるのだろう、でも僕とは余り接点が無かった。
死んだ時も悲しかったが、それだけだ。酷な話だが、すぐに立ち直れた。
父さんと母さんは仕事の関係で家にいないことが多かったし、家にいた時も新婚夫婦のようにくっついていたため、僕と姉さんに構ってくる事は少なかった。
父さんと母さんは幼馴染だったらしく、仲も良かったと聞いている。だけど母さんは父さんに対しては幼馴染以上の感情を持ってはいなかったらしい。
しかし、父さんはそんな母さんに対して猛アタック、元から好意を持っていた母さんはそんな父さんの熱意に負けて晴れて恋人同士に。
そこからは凄かったらしい。
幼馴染から恋人へと関係が変わったことによって、何か心境の変化があったのか、今度は母さんが父さん以上に積極的になり、父さんはそんな母さんに大喜び。
二人は有名なバカップルとして名を馳せた。二人の愛情は衰える事もなく、父さんが死ぬまでバカップルのままだった。

だけど、父さんは死んだ。

まず母さんがおかしくなった。僕と母さんはそれほど仲が良かったわけではないが、明確に母さんが僕を避けるようになったのだ。
姉さんは母さんから避けられ始めた僕と、おかしくなり始めていた母さんとの仲を取り持とうと必死だった。姉さんも父さんの死でショックを受けていたのに。
僕には母さんの気持ちもわかったし、あまり気にしていなかったのでそんな姉さんを止めようとしたが、姉さんは聞き入れてくれなかった。
結局、姉さんの努力も空しく僕と母さんの関係は修復する事は無く、母さんは姉さんも避けるようになってしまった。

家庭崩壊。

僕は姉さんを慰めた、姉さんの事は好きだったし、傷ついていく姉さんの姿を見るのは辛かったから。
姉さんは僕よりも家族に対しての愛情が強かったのだろう。だからあんなに必死になって元の家族の姿を取り戻そうとしたのだ。
父さんが死んだ時点でそんな事は無理なのに。
その時の姉さんはボロボロだった。父さんもいなくなり、母さんとの関係も悪化。これで僕がいなかったら壊れていたかもしれない。
元々、精神的にもあまり強くない人だったから。
だから姉さんは僕に縋り付いてきた。昔から仲の良かった、愛する弟。自分を愛してくれるたった一人の家族。
依存、させてしまったのか。
姉さんの僕に対する愛情表現は次第にエスカレートしていった。
僕は良くない状態だと思っていたけど、この状況で姉さんを拒絶すればどんな事になるのか分かっていたので、好きにさせていた。
そして、姉さんは――

思い出せない。

思い出しちゃいけない。





【6408億9924万901体目】


僕が開始地点からじっとして動かないと、銀竜は空へ飛び上がり姿を消して急降下。体当たりを仕掛けてくる。
毎回同じ事をしてくるため、開始から僕が死ぬまでの時間を数えていると、どのタイミングで攻撃してくるのかがぼんやりわかってきた。
どうも翼をぶち当ててきているらしいが、僕の貧弱な体ではとても耐えられる威力では無く、掠っただけで死んでしまう。
タイミングが完全に同じじゃないのはバタフライ効果か何かのせいだろうか。それともジンがそういう風に作り上げたからか。
速度が速度だけに少しでもタイミングを読み間違えると僕は死ぬ。一番最初の行動に運が絡んでくるのは痛い。
僕の死体がどんどん増えていってしまう。癪だが、我慢するしかないか。
それにしても、僕自身にやる気が無いせいか随分時間がかかってしまった。やはり一人で戦うのは心細いのだろうか。

サクラに会いたかった。

「くっ……」

駄目だ……今は余計な事は考えなくていい。色々考えるのは戦いが終わってからだ。
こいつを殺せばサクラも取り戻せるし。頑張ろうか。





【6409億551万7118体目】


全身に力を込めて跳躍する。

死んだ。





【6409億2310万3216体目】


銀竜が空に飛び上がった。僕は少し後退してクラウチングスタートの体勢を取り、機を伺う。
奴は頭上からの攻撃ではなく、地面スレスレを滑空して真横から僕に体当たりをしてくる。地面にぶつかるのが嫌なのか、単に攻撃範囲が広いからなのか。
上から落下してきたのを避けて地面にぶつけてやりたがったが、こればっかりは仕方ない。
思考が読まれているとは思わない、そういう攻撃パターンなんだろう。ジンの嫌らしい性格が透けて見える。
羽ばたき音が消えた。僕は地面を蹴り、一瞬で体をトップスピードに乗せて地を駆ける。
奴のほうからわざわざこっちに向かってきているんだ、ならそのエネルギーを利用してやる。
作用と反作用。銀竜の体当たりは僕の体がミンチになるほどのエネルギーが発生しているのだ。
いつも翼にぶつかっているが、僕が奴の頭と正面衝突すれば、ひょっとしたら致命傷を与えられるかもしれない。まあ希望的観測だが。
当然僕も大ダメージを負うだろう、でも、即死しなければいいのだ。
0.1秒でも先に奴の命が尽きれば僕の勝ち、体が吹き飛んでも脳味噌が残ってたらなんとかなる。不死性こそが僕の武器、全力で活用していきたい。
銀竜が近づいてくる気配を感じる。あのスピードだ、一瞬で勝負が着く。僕は斜め前に跳躍して、銀竜の顔が来ると思われる場所を狙って飛び膝蹴りを放った。

全身に感じる強い衝撃、手ごたえあり。


膝のついでに僕の下半身が吹き飛び、上半身が上空にポーンと弾き飛ばされた。

わかってたよ。





【6409億2310万3217体目】


いくら勢いをつけたからといって、弱っちい僕の攻撃程度じゃ銀竜にダメージを与えられなかった。予想はしてたけど残念だ。
巨体と言うのはそれだけで武器となる。
奴の大きさが僕と同じ程度だったら相打ちは狙えたのかもしれないが、大きさが十倍ほども離れていると僕を轢き殺したぐらいでは痛くも痒くもないのだろう。

もっと敵について探る必要がある。

当初の予定通り奴の背中に張り付く事にしようか。直接体に触れれば得られる情報だって増えるのだから。
そのためには何をおいても跳躍だ。跳躍を極めなくてはならない。

ちょうど銀竜がこちらに向かっているようだった。僕はタイミングを合わせて跳躍した。

「あっ」

タイミングを誤った僕はまたしても下半身を吹き飛ばされた。



前途は多難だ。







[20196] 7回戦・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:33



【6451億2250万1378体目】


復活とともに心の中で時間を数え始める。

……3、2、1。

跳躍する。
僕のジャンプ力では大きすぎる銀竜の体を飛び越える事が出来ない。だから一度奴の体を蹴ってさらに高い跳躍をしなければならなかった。

「っ!」

が、駄目。
体当たりの衝撃によって足が吹き飛び、遅れて僕の体もグチャグチャになった。大変だな。
ギリギリのタイミングを見極めて、衝撃を跳躍力に変える技術を編み出さなくては……。
文字通り骨が折れる作業になりそうだ。折れるどころか砕けてるけど。





【6989億7756万7859体目】


敵を踏み台にするためには動きを銀竜のそれに近づける必要がある。頭上から落下されると力を受け流す事は不可能だが、横からの攻撃なら多少は受け流せる。
僕は体当たりのタイミングを計算して、全力で後方斜め上に跳躍した。そして見えない銀竜の翼に足の裏がソフトタッチ。
膝を折り曲げて奴の背中(らしき空間)に跳び、張り付こうとする。

だが、伸ばした腕は空を切り、受身もとれずに僕は地面に転がった。失敗だ。

やはり姿が見えないというのはやり辛い。
上手く飛んだつもりだったが、思ったよりもダメージが大きかった。こういう場合は諦めて死んだほうがいい。
僕は両手を顎と頭上に回し、頭を回転させて自殺した。





【7777億7777万7777体目】


見えないながらも、なんとか背中に張り付く事に成功する。
ドラゴンと違って銀竜は感覚が鋭いのか、滑空状態から再び上昇して僕を振り落とそうと空中を飛び回った。
これはきつい……。
マッハとか非常識な数値は出せないみたいだが、それでも十分早い。このままこいつの背中にしがみついていたって状況は好転しない。
まずは敵の体の情報を収集をしよう。
僕は銀竜に張り付いたままナメクジのような遅さで動き始めた。


そして落ちた。





【7979億7979万7979体目】


敵の体の情報収集は大体終わり、目を閉じればぼんやりと銀竜の姿が脳裏に浮かび上がるようになってきた。
自分の体が触れている場所がどの部分かを割り出して、そこからドラゴンの全体像を作り上げるのだ。これは使える。
次は、この足場でも自由に体を動かせるようにならなくては……。
とりあえず、この速度でも危なげなく背中に立つ練習から始めよう。
そう決意し、手を離した瞬間に僕は吹っ飛び、地面に落下していった。





【8000億8000万8000体目】


手を離す。
落ちる。





【8021億7231万7789体目】


背中に飛び移ったが、体のダメージが大きい。
僕は自主的に手を離して落下した。





【8162億4327万9182体目】


手を離す。
恐る恐る体を起こしていく。

落下した。





【8472億3428万7341体目】


手を離し、恐る恐る体を起こしていく。
僕は膝をつき、立ち上がろうとした。

落下した。





【9000億9999万9999体目】


手を離し、恐る恐る体を起こしていく。
僕は膝をつき、力を込めて立ち上がった。

すぐに落下した。





【9508億5107万4581体目】


死からの復活。敵の姿が消えるのを確認し、カウントダウンを始める。

……3、2、1、ジャンプ。

タイミングを見極め後方に飛びのくと、すぐに衝撃が襲い掛かってきた。
足の裏に感じたそれを、僕は全身をバネにしてさらなる跳躍力に変える。そのまま、姿の見えない銀竜の背中に飛び乗り、透明の凹凸を掴む。
銀竜は再び上昇して、僕を振り落とそうと滅茶苦茶な飛行を繰り返す。それでも僕はピッタリ相手に張り付いたままだ、積み重ねてきた死体の数は伊達じゃない。
さて、ここからどうするかだ。
ここならば何の抵抗も出来ずに殺されるという事はないが、攻撃手段が無いのは変わらない。
とりあえず僕は立ち上がり、全体重を掛けて銀竜の背中に拳を振り下ろしてみるが、結果は芳しくなく、僕の拳が砕けただけだった。

どうすんだよ、これ。





【9508億5118万5178体目】


こちらの攻撃力が足りないなら、敵の弱点を突くしかない。収集した情報から眼球以外で敵を殺せそうな部分を探す。
頭部は頭蓋に守られているため却下だ、硬すぎる。銀竜の体はドラゴンより小さくなっているとはいえ、心臓には攻撃が届かないだろう。そもそも効かないのだが。
舌はどうだろう? 口内に体を突っ込んだ時点で死ぬ。無理だ。相手の口が閉じるよりも速く致命傷を与えて引くのは不可能だろう。
地上ならもしかしたら出来たかもしれないが、空中ではどうにもならない。口から奴の体内に全身をもぐりこませるか? 全力で飛び込めば……遅いか。
それに舌を動かされたら僕の体が粉々になる。あるいは唾液で窒息ししてしまうかもしれない。作戦に難ありだった。

残るは首だ。
首の骨をへし折るしかない。

ドラゴン並の首の太さだと無理だったのかもしれないが、幸い銀竜の首はそれほど太くもなく、長さも丁度いい。
僕にドラゴンの力と皮膚の硬さがあったら容易く折れただろう。
つまり、不可能だ。
って諦めてどうする。これに賭けてみよう。

とりあえず目標は決めた。まずは竜の首まで移動する技術を習得しなければならない。立ち上がるのは慣れてる、応用すれば歩く事だって……出来るはず。
しばらくは竜の背中を自由に移動する方法の習得、そしてどのような攻撃手段が一番威力を出せるのかを模索する事にしよう。





【1兆636億3783万2159体目】


姿の見えない銀竜の背中に立っている僕は、まるで空を飛んでいるような気分になる。
この空間はどこを見ても白いため、たまに床がどっちだかわからなくなる事もあるので、よりファンタジックだ。洒落にならないのだが。
生き残るためには、全ての感覚を駆使するしかない。
縦横無尽に空を飛び回る竜の動きに合わせ、僕は慣性や遠心力などの物理法則を演算しながら振り落とされないようにして、透明な首に向かっていく。
一瞬でも気を抜けば僕の体は宙に投げ出されて潰れたトマトになるだろう。

「あっ」

ほらね。





【1兆1451億7819万0405体目】


情報を蓄積する。
竜の動きを脳裏に刻み込んでいく。
……もう少しだ。





【1兆3329億8547万3893体目】


僕は超不安定な足場を駆け抜けて、首に到達していた。
いよいよだ。
意識を集中させる。銀竜を殺す事だけを考える。僕は竜の頚椎目掛けて全力で突きを放った。拳が砕ける。
右手が使い物にならなくなったので、左手で同じ場所へ向けて同様に突きを放つ。拳が砕ける。渾身の蹴りを放つ。足が折れる。
不安定になった僕の体はすぐに振り落とされてしまった。

ひでえ。





【1兆3329億8547万3894体目】


竜の背に乗って前回の失敗を思い出す。
まだまだ攻撃力が足りない。もっと威力を上げる必要がある、ならばどうするか。
僕の力以外にこの空間で利用できる力。
重力だ。
重力を利用する。
ここが地球だとは到底思えなかったが、どうしてか物理法則は地球そのままだった。重力だって当然存在する。
銀竜は僕が背中に乗ると、振り落とすために滅茶苦茶な飛行をしてくる。
だから僕は銀竜の飛行の軌道を見切り、高い位置から飛んで落下し、その際に発生する落下速度をエネルギーに変えて、移動した後の竜の首へと一撃を決める。
考えただけで頭が痛くなってくるが、これならば大幅な威力の向上を見込める。後はひたすら情報を集めるだけだ。
僕は竜の背から飛び降りた。





【1兆4545億7894万2376体目】


自殺ですか、これは。

銀竜の一番の恐ろしさは、その巨体で空を自由に飛ぶ事ではなく、姿を消せる事だろう。
完全に透明な敵の未来位置なんて予測できるか。





【1兆5671億3191万1639体目】


いくら情報収集のためとはいえ、アホみたいに銀竜の背中から飛び降りて地面に叩きつけられている僕は、客観的に見て気狂いか自殺志願者にしか見えないだろう。自分でもそう思っている。
もちろんただ死ぬためだけにこんな愚行をしているわけではない。
ほとんど無駄死にだが、僕が飛び降りるとたまに地面でなく、下に回っていた銀竜とぶつかる事がある。その時の情報を蓄積するのだ。
自分が銀竜の背から飛び降りたタイミング、そして銀竜とぶつかった場所を把握して、次に繋げる。
言うのは単純だが実際にやるのは狂気の沙汰だった。敵の動きはやはりランダムで、同じようなタイミングで飛び降りてもスカって死ぬ。
それでも何らかの法則や動きのクセを見つけるためにこんな自殺まがいの事を行なっているのだ。
敵の姿が見えればもっと効率の良い方法があるだろうが、見えないのだから仕方が無い。本当にステルス能力というのは厄介だ。

ため息をついて、僕は銀竜の背中から飛び降りた。





【1兆6342億8万4126体目】


自殺。





【1兆7079億347万43体目】


自殺。





【1兆8140億4130万5979体目】


またしても自殺。





【4兆2181億3704万4216体目】


何度もぶつかっていると、バラバラだった銀竜の動きもそれなりに掴めてきた。
∞軌道や△、□、○などの記号的な軌道に、完全ランダムな軌道を適当に混ぜた動き。滅茶苦茶だった。
目を瞑り、銀竜の背から飛び降りる。
これまでは、僕の足から離れた時点でぼんやりとした銀竜の姿は消えていた。だが今は違う。
体が触れていなくてもなんとなく敵がどこにいるか把握することが出来るようになった。継続は力なり、まさにその通りだ。このゲームの本質を表している言葉だった。
背中から飛び降りた時点で、僕の体は下を飛んでいる銀竜の背中に着地するように動きを調整していた。
狙いは正確。
瞑った目には僕が奴の背中に降り立つ姿が――見えない。

ミスった。

わずかに予測がずれていたらしい。銀竜の横をすり抜けた僕は、そのまま地面に落下した。




【4兆3016億1382万92体目】


「ふぅ……」

ようやく、透明な竜から飛び降り、空中で再び竜の背中に降り立つという奇跡を成し遂げた。
途中で何回意識を失ったかわからない。ある意味時間との戦いでもあった。
でも、これでは駄目だ。背中から背中へと渡ったとしても、銀竜が死ぬわけではない。攻撃せねば。
落下速度を利用した一撃をピンポイントに頚骨に当てなければならない。
恐らく右手は使い物にならなくなるだろうが気にしない。いつもの事だ。痛みに対する恐怖心? 痛みなんてもう飽きている。
何も感じないこと、それも僕の数少ない強みだ。

……一撃を当てたとして、それでこいつが倒せるのだろうか?

無理な気がした。

でも、やるしかない。





【5兆2348億2987万223体目】


やはり一撃だけ当てても意味は無かった。まだまだ火力が足りないのだ。
だから、全く同じ場所にもう一発当てる。今度はもう片方の腕で。

僕は再び竜の背から飛び降りた。





【6兆9101億2396万3290体目】


両腕を生贄にした攻撃でも銀竜を殺すには至らなかった。

まだ足りない。ならば更に一撃追加してやる。

次は足だ。効き足である右足を攻撃のために見捨てる。
三回連続で、攻撃を全く同じ場所に当てるのはもはや奇跡にも等しかったが、二回連続攻撃には成功したのだ。きっと出来るはず。

僕は竜の背から飛び降りた。





【7兆3109億3826万4093体目】


正確に同じ箇所に当てなければ、ダメージは蓄積されない。





【8兆1461億146万8298体目】


技術を磨け。





【9兆7279億9623万1911体目】


もっとだ。





【10兆9171億2396万3290体目】


集中しろ。
竜を殺すために。





【11兆5232億9852万9987体目】


両腕に加えて、右足を捨てた攻撃を放っても、銀竜は死ななかった。
まだ、足りないのだ。僕に残された攻撃手段は左足一本のみ、これも放棄して四連続攻撃に賭けるしかない。
左足を捨ててしまうと僕は立つ事すらままならなくなる。
だから、なんとしてでも成功させなければならない。自分を人間だと思うな。人を超えなければ銀竜には届かないと思え。

僕は竜の背から飛び降りた。

殺すんだ。奴を。





【14兆3746億5289万2025体目】


竜を殺せ。





【17兆9632億7762万6249体目】


竜を殺せ。





【25兆4100億673万6218体目】


竜を殺せ。





【26兆7346億2928万3290体目】


竜を殺せ。





【30兆8125億5314万4482体目】


竜を――――殺す。





【30兆8125億5314万4483体目】


僕に向かって滑空してくる銀竜に軽快な動作で飛び移る。すぐに背中へと移動して、無茶な飛行を始める銀竜から振り落とされないようにする。
一見滅茶苦茶な動きの法則性。今の僕はそれを完全に把握していた。
たっぷりと位置エネルギーを得られる高さまで上昇した竜の背から跳躍すると、僕は右の拳を血が出るまで握り締めて、腕の筋肉も引き締めた。
外部破壊なら肘打ちの方が良いが、内部破壊には拳を使った方がいい。掌底でも良かったが、拳を握った方が威力が出たためこうなった。
僕が身を投げた落下地点に現れる銀竜。その頚椎目掛けて右のストレートを放つ。着弾した拳は砕け、ミチミチと肩の筋肉が切断されていき、腕の骨が肩を突き破った。
僕はほとんど皮一枚で繋がった右腕を左手で千切って投げ捨てる。攻撃、そして着地も文句無しの出来だった。

ここからは、時間との勝負だ。

右肩の出血はある程度止められるが、急がなければすぐに出血多量で死んでしまうだろう。
攻撃を受けて、再び上昇した銀竜の背からタイミングを計って飛び降り、今度は左拳を握り締めて、腕の筋肉を固める。
僕の落下地点には先ほどつけた右拳の血の跡が見えた。
そこに向かって全く同じ場所に左のストレートを叩き込むと、今度は皮一枚も残さずに左腕は落下していった。クリーンヒットだ。素晴らしい。
銀竜が苦しむような唸り声を上げた。さすがにこれだけの衝撃を内部に叩き込まれると効くらしい。ますます動きが激しくなり、僕を振り下ろそうとして飛行の速度を上げ始めた。
両腕を無くすとバランスを取るのが難しくなるが、それだけだ。こんな事は何度も経験している。
冷静に動きを見切って再び跳躍。空中前転の要領で体を何度も回転させ、十分な遠心力をつけた左の踵落としを放つ。
目印を見ずに放たれたそれは、しかし正確にダメージの蓄積された場所へと穿たれる。踵が砕けて左足付け根の筋肉が半ばまで千切れた。間接も怪しい。
三度放たれた攻撃によって、ついに銀竜は絶叫した。
だがその体から力は失われずに、僕を落とすためになりふり構わなくなったのか、羽ばたきをやめて落下し始める。
自分ごと地面に叩きつけるつもりだ。

――この展開も、知っている。

失血で言う事の聞かない体を無理矢理動かし、銀竜が地面に激突する寸前に右足一本で跳躍、回転を始める。哀れな銀竜は地面に激突、自爆する事になった。
そして僕は、衝撃で動く事の出来ない銀竜の頚椎目掛けて最後の一撃をくれてやる。
手ごたえを感じたが。これで四肢は全壊だ。着地など不可能な僕の体は宙に投げ出され、そのまま真っ白な床に叩きつけられた。

「がっ……!」

受身は取れないが頭だけは庇った。折れた肋骨が内臓に突き刺さっているみたいだが、なんとか即死は避けられたようだ。
銀竜を見る。既に透明状態は解除されていて、ピクリとも動かない。死んでいるのか?
出来ればトドメを刺したいがそれも無理だろう、出血量がいよいよ限界に達したのか、僕の意識は消えかかっていた。
これで死んでいなかったら正直打つ手が無い。奴が即死したのか、まだ虫の息なのか分からない。
僕は消えゆく意識を必死に保ち続けたが、この白い空間と同化するように、やがて溶けて消えてしまった。







[20196] 最終戦・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:39



意識が覚醒していく。
手に触れるのは柔らかいシーツの感触。僕は慌てて体を起こし周囲を見渡す。
並んだ本棚、乱雑に置かれているゲーム器、型の古くなったテレビに新しく買ったばかりのパソコン。
カーテンから漏れる朝日が純白の空間では味わえなかった懐かしい目覚めを思い出させる。
やけに記憶がハッキリとしていた。

「勝った……のか?」

紛れも無くここは僕の部屋だ。ぐちゃぐちゃに荒れていたはずだがなぜか今は綺麗になっていた。時計を見ると9月29日8時1分火曜日と表示されている。
帰って来た。
ついに僕はゲームを完全にクリアしたのだ。だけど、僕の胸には何の感慨も湧いてこなかった。

……こんなものなのか。

「そうだ、サクラは」

僕がそう呟いた瞬間、何も無い空間からサクラが現れて僕の手に握られていた。
なるほど。
僕は一人頷き、引っ込めと念じるとサクラは姿を消した。今度は出て来いと念じる。サクラが再び出現した。
ジンにしては気が効いているじゃないか。

「姉さんはどうなっているのかな……」

サクラを消して部屋を出た僕は、そのまま姉さんの部屋に向かう。
姉さんの部屋の扉には『サクラの部屋♪』と可愛らしい丸文字で書かれたノッカーが付いていた。ノックをするが反応がない。
仕方なく扉を開けてみるが姉さんの姿は無かった。

「もう出かけたのか?」

一階に降りてリビングに入るが、やはり姉さんはいなかった。
僕は銀竜戦の前の出来事を思い浮かべた、ジンがまだ記憶を消していなかったらかなりまずい。消えた僕を探しているのかもしれない。
と、そこでリビングに設置されている電話の存在を思い出す。そこには家族全員の携帯番号が書かれたメモ帳も置かれていた。
姉さんに電話を掛ける。
少し不安だったが電話はすぐに繋がった。

『もしもし、銀ちゃん?』
「ああ、うん、僕だよ」
『どうかした?』
「いや、なんでもないよ。声が聞きたかっただけだから」
『……もしかして寂しいの? お姉ちゃん帰ったほうがいい?』
「いいよ、ちょっと確認したかっただけ」
『そう……? でも嬉しいな、銀ちゃんの方から掛けてくれるなんて』
「まあね、もう切るよ」
『えー、もっとお話しようよー』
「家に帰ってきたら、そうするよ。じゃ、また」
『はーい』

ガチャ。
電話を切る。ジンは上手くやってくれたのだろう、いつもの姉さんだった。
これで、元通りか。
僕は脱力したようにソファに座り込んだ。向こうの世界だと数え切れないほどの時間も、こっちの世界ではわずか一週間の出来事だった。

狂った日常の終わり。

「ジン! ジン!」

いつもニヤけた顔をしていた天使の名前を呼ぶ。
違う世界の僕。永い時を過ごして頭がおかしくなってしまった黒い天使。

「……駄目か」

結局あいつは一度も僕の呼びかけに答えた事が無かったな……。
現在、僕の精神状態は比較的安定している。しかしゲームの最中には何度か危険水準まで落ちた事がある。いや危険水準どころではなく、完全に発狂したこともあった。
ジンはゲームと言った。
僕が気の狂うような時間を体験していても、それはジンにとってはゲームとして楽しめる程度でしかないのだ。恐ろしい、ジンは一体どれほどの時を生きてきたのだろうか。
僕をゲームに引き込んだ事は許せないが、天使という存在になってしまった彼の事を考えると少しセンチメンタルな気分になった。

「はあ……」

ため息をついて朝食の準備を始める。久しぶりの飯だ。というか億単位の年月が経っている。久しぶりどころではない。
さぞかし美味しいかと思ったが、そうでもなかった。普通のパンの味だ。
少し、残念だった。
朝食を済ませて、しばしの間ソファーでボーっとしていると、玄関から音がした。時計をみると8時半を過ぎている。まさか本当に姉さんが帰ってきたのか?
そう思い玄関に行ってみると、そこにいたのは姉さんではなかった。
セミロングの綺麗な髪、すでに40を超えているのにいまだに若々しい顔つき、姉さんが年を取ったらこんな風になるだろう、という感じの女性が立っていた。
母さんだ。

「おかえり、母さん」
「ん? あ、銀二、ただいま」
「珍しいね、こんな時間に」
「ちょっと必要な物を取りに来ただけだから、桜はもう高校?」
「姉さんは大学だよ」
「あら、そうだったかしら……じゃ、あの人を待たせているから」

母さんはさっさと自分の部屋に向かっていった。相変わらず僕を避けているらしい。
玄関を開けて外を見るとタクシーが止まっていた。
また僕と顔を合わせるのも母さんは嫌がるだろう、自分の部屋に引っ込む事にする。扉を閉めて、ベッドに座り、母さんの事を考えた。
哀れな、僕の母親の事を。

母さんは父さんが死んでおかしくなった。
最初はただ泣くだけだった。姉さんがよく慰めていたのを覚えている。僕は泣いている人間は苦手だったので、姉さんに全て任せていた。我ながら最低だ。
仕事も放り出して泣くばかりの母さんも、やがて元の日常に戻り始めた。
立ち直ったのではない、母さんは父さんの死そのものを無かった事にした。

いや、しようとしたのだ。

まるで父さんがいるように僕達に振舞った。姉さんはそんな母さんを酷く心配していたが、僕は何も言えなかった。
父さんが死んでからの母さんは本当に見ていて辛かったからだ。少しでも元気を取り戻した母さんを見ると、それが悪い事なのかどうかは僕には判断できなかった。
母さんが哀れなのは、完全に狂えなかった事だろう。
家族の前では父さんがいるかのように振舞っていた母さんは、外ではそんな事はしなかった。
だから表面上は普通の生活を送っているし、姉さんが進めた病院も効果が無かった。人前では完全な健常者なのだ。僕達の前か、一人の時でしか母さんは父さんに会えない。
僕を避けるようになったのも、僕が父さんに似ていたからだと思う。
狂えなかった理性が、僕を見るたびに父さんの死を伝えてくる。僕はその辺の事はわかっていたので母さんを恨むような事はなかった。少し寂しかっただけだ。
姉さんが避けられるようになったのは、母さんに現実を見てもらうようにしていたからだ。
母さんに父さんが死んでいると言っても聞かなかった事にするか、冗談、と笑うだけだが、現実逃避真っ最中の母さんに何度もそんな事を言っていたら避けられて当然だった。
精神を病んだ母さんが生み出した父さんの設定も無茶苦茶だ。
僕の父さんは商社のお偉いさんだったはずだが、いつの間にかファッションデザイナーの母さんの相棒というわけの分からない職業についているらしい。
出来るだけ父さんに傍にいて欲しいのだろう。

そんな設定じゃ、すぐに破綻してしまう。いくら一人の時だけ父さんに会えるといっても誰かしらが母さんの異常に気付く。

その事を尋ねられたら結局、母さんは父さんを否定する事になる。本当に、中途半端な人だ。偽物を作りだすなら、もっと上手く作ればいいのに。
父さんは卑怯者だ。母さんの事をあんなに愛していたのに、あっさり死んでしまった。
勝手に愛して、その気にさせて、勝手に死ぬ。酷い裏切りだと思う。ずっと幼馴染のままだったら、母さんはあんなに傷つく事も無かったんだ。
イライラする。
別に母さんは悪くない。それで母さんが幸せなら、僕が口を挟むことでもない。だというのに、どうしてこんなにも僕の胸を掻き乱すのか。
嫌な気分だ。
ゲームを始める前と同じ。
満たされない――世界全てを壊したくなるような暗い感情。
だけど今なら理解できる。
ゲームをクリアした今の僕なら。

「サクラ」

サクラを呼び出して、切っ先を喉に当てる。
そうだ、僕はずっと――死にたかったんだ。
以前は駄目だった、弱虫で臆病な僕はこの選択肢を取らなかった。考えようともしなかった。
でも僕はゲームによって成長していた。弱虫でも、臆病でもゲームをクリアする事なんて出来かったから。何度も殺され、何度も自殺をした。

――お前の願いは叶うよ。

ジンの言葉を思い出す。
その通りだ、今の僕なら何のためらいもなく死ねる、願いを叶えられる。
理由なんて知らない、でも、僕は今猛烈に死にたい。死ぬ事でしか苦しみから逃れられない。
この世界は僕にとっての地獄だったんだ。
僕が生きている事自体が間違い、だったらそれを正さなくてはならない。

「ごめん、姉さん」

罪悪感と、たくさんの愛情、そして僅かな怒りを込めてそう呟く。
でも、自分勝手なのはお互い様だろ?

「さよなら」



◇◇◇



【30兆8125億5314万4484体目】


意識が覚醒していく。
見慣れた自分の部屋。時計を見ると9月29日8時0分火曜日と表示されている。

「おはよう」

僕の傍には男が立っていた。
嬉しそうに顔を歪めた、全身真っ黒の端整な顔立ちの男。

「……どういう事だ」
「何が?」
「どうして僕は生きているんだ」

なぜジンが現れたのかなんてどうでもいい。
僕は確かにサクラで自分の喉を突いて絶命した筈だ。

「どうしてもなにも、言っただろ。ゲームをクリアしたら能力を一つプレゼントするって」
「……」

僕は脳にアクセスして記憶を引っ張り出す。
確かに、言っていた。

「サクラの事じゃなかったのか」
「それはサービス。能力自体はゲーム開始直後に与えたからな、そのままそれをプレゼントしてやったわけだ」
「僕はこんな能力なんていらない。解除してくれ」
「やだ、だってお前死ぬ気じゃん」

こいつ……。

「十分楽しんだだろ? もう僕に構わないでくれよ……」
「悪いけどそういうわけには行かないんだよ、ゲームの目的は暇つぶしだけじゃないし」
「何?」
「言ったはずだぞ、神や天使には二つの目的しかないって」

神と天使の目的。
暇つぶしと……神殺しの探索だ。

「僕が神殺しなのか?」
「んなわけねえだろタコ。いいか、お前に与えた能力は、簡単に言えば擬似的な不老不死の能力だな。死ぬと魂が体を放棄し、魂だけが時間を遡り、ある時点でのお前の体に入り込む」
「……」
「永い時を過ごした不老不死の存在の事も教えたよな?」

不老不死の能力を与えられた存在。
天使。
そう、天使だ。

「前にお前に目をつけたのはただの気まぐれだって言ったが、ありゃ嘘だ。ちょっとからかってやっただけさ。実はちゃんと目的があってお前を選んだ」
「……僕を天使にするのが目的だったんだな」
「そう! エンジェルゲームは天使創造のゲームだからな、それに俺の暇つぶしにもなってまさに一石二鳥!」
「何故僕を天使に?」
「お前だけじゃない。俺は無限の平行世界に存在する全ての『紫藤銀二』を天使に変える」
「どうして、そんな事を」
「言ってるだろう、暇つぶしと神殺しの探索だって。どうなるかは俺にもわからないが、俺の同位体を無限に天使に変え続けていれば、平行世界同士で何らかの反応が起きて、神殺しが誕生するかもしれないからな」

なんて気の長い計画だ。

「……じゃあ、僕の願いが叶うって言ったのは嘘だったのか」

こいつは自分の事しか考えていない。
少しでもこいつの言葉を信じた僕が馬鹿だった。

「いや、俺は嘘なんてついてないぜ。最初からずっとお前の味方だよ」
「うるさいよ。僕の願いは死ぬ事だ、邪魔をしてるのはお前だろ」
「……やれやれ、まだそんな事言ってるのか。こいつが自分の別の可能性だと思うと情けなくなってくるぜ」

ジンは顔を手で覆って泣くフリをした。どこまでも癇に障る奴だ。

「自分でおかしいと思わないのか? お前はいきなり狂ったゲームに放り込まれて、ずっと戦い続けていたが、いくらなんでも発狂するのが遅すぎるだろ。どんなに強靭な精神の持ち主でも、三回戦辺りまでには正気を失うぞ」
「それは……」

そんな事を言われても困る。
自分が特別だと言うつもりは無いが、そうだったのだから仕方ない。

「簡単な話だ、お前は最初から頭がおかしかったんだよ。だからあんな状況でもかなりの長期間耐えられたんだろ」
「僕の頭がおかしかったって?」
「凄いよ、お前は。一度完全に精神が崩壊して、新たに精神を構築したはずなのに、その一点だけは絶対に直そうとしなかった。その上俺がお前の記憶を復元してやったにも関わらず、あっさりと書き換えちまったからな。ゲーム中のお前も楽しかったが、こっちでのお前の振る舞いなんて爆笑モノだったぜ」

ギャハハハ、と笑い声を上げるジン。
……こいつは一体何を言っているんだ?

「お前の本当の願いは死ぬ事なんかじゃない。お前の望みは天使にならないと叶わない。だから、お前を天使にするためのゲームが終われば願いが叶うと言ったんだよ」
「違う、僕の望みは終わる事だ。僕がおかしかった? そりゃそうだろ、ずっと死にたがっていた僕が、ゲームでいくら死んだっておかしくなる筈ないじゃないか」
「引きこりのせいか元々なのかは知らんが、事実を捻じ曲げるのだけは得意だな。どうしてお前はそんなに死にたいんだ? 理由があるだろう」
「理由なんてないよ。このくだらない世界が嫌にでもなったんだろ」
「姉さんも、くだらないのか?」
「っ!」
「哀れだよな。狂いたいと思っていても完全に狂えない人間って」

僕に哀れみの視線を向けたジンは、何も無い空間からサクラを取り出して床に突き刺した。

「サクラは天使である俺が作り出した特製の刀だ、人間の作った武器とは違う」
「なんだよ、急に」
「これも最初に言ったな。『こいつはお前にとって必要なモノで、一番大切なモノ』だって」
「・・・ああ、僕もそう思ってるよ。サクラがいなかったらゲームをクリアできなかった」
「俺はそんな意味で言ったんじゃない。サクラがいなくたってお前はいつかゲームをクリアしていただろうからな」
「だったらどういう意味だよ」
「言葉通りだよ、ゲームではなく、お前の人生にサクラは必要だったんだ」

ジンの言ってる事が理解できない。
サクラが僕の人生に必要だって?
敵を殺すための武器であるこの黒い刀が?

「俺はゲーム終了までには本当の願いを思い出すかと思っていたんだけどな、見積もりが甘かった」
「本当の願い……?」

何故か僕はその言葉が気になった。
どうしても思い出したい、でも思い出しちゃいけない。

「今のお前がいくら死んだって望みは叶わない。自分で願いを歪めているんだから」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。ジンは僕の本当の願いを知ってるんだろ? 教えてくれよ」
「――――――」
「え?」
「――――――」

何だ、ジンが何か言っているが聞き取る事ができない。
ジンはそんな様子の僕を見て愉快そうに笑った。

「ハハハッ、本物だなこりゃ。脳に直接叩き込んでやってもいいけど……どうするかな」

何かを考え込むようにして顎に手を当てるジン。
今の現象は何だったんだ。
聞き取れなかったはずなのに、気分は深く沈み、再び死にたいという思いが湧き上がってくる。そんな僕を床に刺さっているサクラが見つめている。
逃げるな、理解しろ。
何も聞こえないのに、サクラはそう言っている気がした。
サクラ……。
理解しちゃいけない。でも、理解しなくちゃいけない。
そうしないと、先には進めないから。

「ジン、頼む、教えてくれ。僕にはその願いをどうしても思い出せないんだ……」

懇願する僕を見て、ジンはうん、と頷くと、とんでもない事を言い始めた。

「別に教えてやる事もやぶさかでは無いんだが……このままお前を放置して観察するのも面白そうなんだよな」
「ええっ? ちょっと待ってくれよ! 君が言い出したのにそれは酷いんじゃないのか!?」
「俺は自分が面白ければどうでもいいんだよ」

ぶっちゃけんな!

「まあ、お前がどうしてもと言うなら考えない事もないけど、当然タダってわけにはいかないな」
「……僕に何かさせたいのか?」
「ゲームをしよう」

やっぱりか……。

「とはいっても本来のゲームは終わっちまったからな。おまけのゲーム――エクストラゲームって事になるけど」
「なにか違うのか?」
「エクストラゲームでは今までみたいに何度もやり直す事が不可能だ。泣こうが喚こうが一回だけの真剣勝負になる」

何だって?
今までこの理不尽なゲームでも僕がどうにか勝って来たのは、単にゲームオーバーが存在していなかったからだ。そんな制限が付いたらドラゴンどころかムサシにだって負けてしまう。         
ジンだってそれぐらいわかっているだろう、今まで一体何人の僕が死んだと思ってる。全人類の人口を足しても全く足りないぞ。

「いやいや、心配するなって。クリアが不可能だったらゲームにならないからな。難易度自体はこれまでのゲームより高いけど、お前がその気になれば、すぐにクリアは可能だ」
「意味がわからないんだけど」
「それはやってみればわかるさ。で、お前はエクストラゲームに参加するのか?」
「……」

ジンの言っている事は気になるが、僕のほうからお願いした事だ。

「やるよ」
「よし、じゃあ行くか」

そう言ってジンはサクラを引っこ抜き、僕の首を刎ね飛ばした。
 




【30兆8125億5314万4485体目】


頭部に衝撃を感じ、目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
白、白、白――
どこを見ても、目が眩まんばかりの純粋な白が広がっている。

「別に殺す必要はなかったんじゃないか?」
「まあ、様式美って奴だ」

ジンは苦い顔をする僕に、たった今僕の首を斬り落としたサクラを渡してくる。まったく、乱暴な天使様だ。僕はサクラを受け取ると確かめるように何回か振ってみる。

「うおっ、俺に当てる気かよ」
「悪い悪い」

サクラを使って戦うのは随分と久しぶりだが、サクラの振り方は脳ではなく体が覚えているから大丈夫だろう。

「敵の数は一体だ。このエクストラゲームをクリアすれば、お前は本当の願いを思い出すことが出来るだろう」
「ああ」
「だけど、クリアに失敗したらそれまでだ。もうチャンスはやらない、お前とはこれっきりだ」
「……わかった」
「難敵だが。お前ならきっと勝利できる筈だ」

どんな敵が来たって、勝利してみせる。
今回はサクラがいるんだ。無様に負ける事なんて出来ない。

「それじゃあ行くぞ。エクストラゲーム! スタートっ!」

気合の入った開始宣言をすると、ジンの体が霞むように消えていった。
ジンと入れ替わるように黒い靄が現れて、少しずつ本来の形を取り戻していく。
先手必勝ッ!
僕はサクラをしっかりと構えて、敵に向かって走り出し――その姿を見て、凍りついた。

「な……」

そんな、馬鹿な。

綺麗なロングストレートの髪に、優しげな顔つき。美人というより可愛いタイプの女性が、黒いドレスを纏い、そこに立っていた。





「姉、さん」







[20196] 最終戦・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:4b9b6fc9
Date: 2010/09/24 16:44



サクラを取り落とすと、金属音が鳴って、まだぼんやりとしていた姉さんの瞳が僕の姿を捉える。

「あれ、銀ちゃん?」

いつもと同じ、甘えるような声には疑問が含まれていた。姉さんはきょろきょろと辺りを見回し、自分の置かれた状況を理解し始めた。

「え……何、ここ。私、大学にいたはずなのに……」

すぐに不安そうな顔になって、僕に近づいてくる。見たこともない黒いドレスの事を除けば、この人は完全に僕の姉さんだった。武器すら持っていない。

「ね、ねえ、銀ちゃん。ここは何処なの? それに私、こんな服、着てなかったのに」
「……」

何の冗談だ、これは。
どうして、この空間に姉さんが現れるんだ。
これじゃあまるで、姉さんが僕の敵みたいじゃないか。

「どうなってるの? なんだか怖いよ……」

怯えるように、僕の腕を強く抱きしめて見上げてくる姉さん。控えめ胸が押し付けられると柔らかい感触が伝わり、女性特有の甘い香りがした。
僕はその事に猛烈な違和感を感じて、叫びだしたくなる。

……いつまでも黙ってないで、何か言ってあげたほうがいいだろう。

「まずは落ち着いて、姉さん。いきなりで混乱してると思うけど、別に危ない場所ってわけじゃないから」

僕は心にも無いことを言った。

「銀ちゃんはこの場所の事を知ってるの?」
「そうだね、知ってるよ。だから心配しないでいい」

感情を押し殺して姉さんの頭を撫で、安心させるために優しい声で語りかける。

「もし何かあっても僕が守ってあげる。だから、怖がらなくていいよ」
「……うん」

自分で言っていて吐きそうになったが、姉さんは僕の言葉を聞いて顔を綻ばせた。

「とりあえず座ろっか」

姉さんの腕をそっと離し、その場に座る。だけど姉さんは僕にピッタリくっついて座り込み、再び腕を抱きしめてきた。
もう、勘弁してほしい。僕は助けを求めるように落ちていたサクラを拾う。

「それって刀、だよね?」
「危ないから姉さんは触っちゃ駄目だよ」

姉さんに触れられると、僕は泥沼に沈んでいくような苦しさや切なさを感じるが、サクラは違う。サクラに触れているとどこか懐かしい、暖かさや優しさを感じる事が出来た。
姉さんはそんな僕をじっと見つめる。見透かされているような気がして僕は視線を逸らした。
二人だけの空間に、居心地の悪い沈黙が訪れる。

「……なんで、私と銀ちゃんがここにいるのか、教えて」

やがて姉さんが本題を切り出してくる。さて、どうやって説明しようか。

「ゲームだよ」
「ゲーム?」
「プレイヤーがこの空間に呼び出される。この刀を使って、敵を倒す。敵を倒すとここから出られる」

そのまま事実を話したのだが、姉さんは信じられないようだった。当たり前だけど。僕が逆の立場だったら絶対に信じない。

「その、敵ってどこにいるの?」
「……」

僕はその問いに答えられない。状況的に考えて答えは一つしかないが、その事実を受け入れる事が出来なかった。姉さんは黙ってしまった僕を気にしてか、別の質問をしてきた。

「銀ちゃんはゲームをやった事があるの?」

いい加減離れて欲しい。僕はサクラを握り締める。

「何回もあるよ。今回だって簡単にクリアできるさ。すぐに姉さんを帰してあげる」

例え姉さんが敵だったとしても、僕には姉さんを殺せない。
ならば僕が死ねばいい。ジンは一回きりのゲームだと言っていた、だから僕が死ねばゲームは終わり、元の世界に帰れるのだろう。
だけどそれではゲームをやった意味が無い。ジンにも見捨てられるだろうし、姉さんがどうなるのかわからなかった。

姉さんは、飽きもせずに僕を見つめている。

「もしかして、敵って私なんじゃ……」

なんで姉さんはこんなに鋭いんだ。まるで僕の頭の中が見えているかのようだ。

「違うよ」
「だって、ここには私と銀ちゃんの二人しかいないんだよ? 私はここの事なんて知らないのに銀ちゃんは詳しいし、その刀だって――」
「姉さんが僕の敵になるわけないじゃないか、もしそうだったとしても、姉さんを殺すぐらいなら死んだほうがマシだ」

サクラから手を離す。耐え難い苦痛を無視して、僕は姉さんを抱きしめた。向こうでもここまでの苦しさは感じた事がなかった、一体どうなっているんだ?
抱きしめられた姉さんも、僕の背中にしっかりと腕を回してきた。僕の方からこういった事をするのは稀であるため、その度に姉さんは喜んでいたのを覚えている。

「ありがとう……。でも死ぬなんて言っちゃ駄目だよ? 私は、銀ちゃんが死ぬくらいなら殺されたって――」

僕は姉さんを強く、強く抱きしめた。姉さんにそんな事を言わせてしまうのが嫌だった。きっと、この胸を苛む痛みは愚かな僕に対する罰なんだ。

「あっ……苦しいよ」

こんなのはただの自傷行為だ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。ただ、虚しかった。きつく抱き合い、密着された姉さんの体からほんのりと体温が伝わってくる。
心臓の鼓動も、サラサラとした髪の質感も柔らかい体の感触も甘い匂いも全て――

冗談じゃない。

「銀ちゃん……」

姉さんは、そんな僕を見て切なそうに名前を呼んだ。優しく、以前もそうしてくれたように僕の頭を梳くように撫でてくれる。
二人の距離はこんなに近く、姉さんはどこまでも僕に優しいのに、僕が感じる事が出来たのは絶望だけだった。



◇ ◇ ◇



「私、お姫様みたい」

姉さんが僕の前でくるりと回転する。黒いドレスは姉さんによく似合っていて。本当にどこかのお姫様みたいだった。
あれからしばらく経って、僕と姉さんはこの広い空間を歩いていた。ある程度の距離を移動したら休み。そしてまた歩き出す。
それをずっと繰り返していた。こんなの、無意味だとわかっているのに。

「綺麗だよ、姉さん」
「ふふっ、嬉しいな。いつもは可愛いって言ってくれるけど、綺麗だって言ってくれないから」 

こんな状況だというのに、姉さんは明るい。僕の濁りきった感情とは正反対だ。

「ここには、誰もいないね」
「うん」
「銀ちゃんと、私の二人だけ」
「そうだね」
「このままずっと、ここにいよっか?」

今までは長時間ここに居続けたわけではないので気付かなかったが、この空間は少しおかしい。空腹感も、眠気も襲ってこない。
動くと疲労するが、それも休めば回復していく。まるでゲームみたいだ。姉さんの言う通り、ずっとここにいることも可能かもしれない。

「それも、いいかもね」
「……嘘つき」

拗ねるように口を尖らせて姉さんは言った。

「嘘じゃないさ。現実に戻ったって僕には姉さんぐらいしか大切な人なんていないんだし」

言葉にした瞬間、僕の胸に激痛が走る。そして、何かが壊れるような音がした。いや、僕自身が壊した。
どうかしている。いつまでこんな茶番を続けるんだ。
自分が理解できない、いや、理解しているのに、わからないフリを続けているだけだ。
サクラを持つ手が燃えるように熱かった。

「じゃあ、キスしてよ」
「え?」
「私の事、大切なんでしょ? キス……してよ」
「何、言ってるんだよ」
「前はたくさんしてくれたじゃない、どうして、してくれなくなったの?」

そう言って姉さんは僕に近づいてくる。

「姉さん、危ないよ」
「ねえ、いつまでその刀を持ってるの? もう捨てちゃえばいいじゃない」

そんな事できるわけない。サクラは僕の大切な相棒なんだから。

「そんな刀じゃなくて、私を、ちゃんと見てよ」
「どうしたのさ、姉さん」
「それはこっちが聞きたいよ。こっちに来てから、ずっと私の事を避けてるのは銀ちゃんじゃない」
「……」
「隠したって、わかるよ。お姉ちゃんは銀ちゃんの事が大好きなんだから」

切なそうに、姉さんは僕の頬を両手で挟んで、そっと唇を重ねてきた。瞬間、凄まじい罪悪感が僕を支配して、跳ねるように姉さんから体を離す。

「ほら、そうやって、拒絶する」
「これは、違うんだ」
「知ってたんだよ? 家にいた時だって、銀ちゃんは私の事、心の底では避けてたじゃない」
「違う、僕が姉さんの事を避けるわけ無いじゃないか」
「そうやって、すぐ逃げる。でもここじゃ逃げられないよ? ここには何も無い、私と銀ちゃんしかいないんだから」

姉さんは普段とはまるで違う、冷たい態度で僕に語り続ける。
嫌な予感がする。
これ以上ここにいてはいけない。

逃げてしまえ。
自分を傷つける全ての事象から。

僕は姉さんから離れ、サクラを自分の喉に向けて構える、向こうで死を選んだときと同じように。
姉さんは、そんな僕を悲しそうに見つめている。

「後悔してるの? 私とのこと」
「受け入れたのは僕だ」

サクラを持つ手に力を入れるが、喉に触れた刀身はそれ以上進もうとはしない。まるでサクラが僕の言う事を拒否しているようだ。
何故だ……。
僕を助けてくれ。
この痛みから解放してくれ。
僕を殺して、くれ。


「でも、辛いんだよね?」
「辛いのは姉さんとの事じゃない。あの時の僕は幸せだったんだ。誰かにあんなにも必要とされた事なんてなかったから。姉さんが僕の事を愛していたように、僕も姉さんを愛していたんだ」
「じゃあ、なんでそんなに辛いの?」
「それは――」

早く、死なないと。
そう思っている僕の意思とは逆に、サクラは喉からゆっくりと離れていく。どうしてだ。
どうして、なんだ。
サクラ……。

「本当はずっとわかってたんでしょ?」
「……っ……ぁ」

息が苦しい。
聞きたくないのに、ずっと目を逸らし続けていたのに、体が動かない。姉さんの話を聞き続けてしまう。

「銀ちゃんは――――のに、私がー―――たから」
「あっ……ああ……」

やめろ。
聞きたくない。

「銀ちゃんは私を愛してくれたのに、私がー―――たから」
「うぁ……あああぁ……」

やめてくれ。
聞いてはいけない。

「銀ちゃんは私を愛してくれたのに、私が、銀ちゃんを残して死んじゃったから」
「――――――――っ!」

やめて、くれ。

全身から力が抜けて崩れ落ちるようにひざをつく。

姉さんの言葉が、僕の記憶を蘇らせる。

父さんが死んで、母さんがおかしくなってしまい、姉さんが僕を求めてきた、だけど、姉さんは父さんと同じように唐突に交通事故で死んでしまった。
僕が引きこもりになった原因はそれじゃないか。

――本当は、理解していたんだ。

「あああ……あああああああああああああっ!」

いつかの自分と同じ、自分を滅茶苦茶に壊したくなるような強い衝動。
思えば一度精神が崩壊して、再び作り直されたあの時の僕は、一番正気に近かったのかもしれない。だから向こうに戻った時に、すぐに真実を忘れるためにあんな事をしたのだ。

僕は母さんを哀れに思っていたが、僕だって同じだったんだ。

確かに僕は母さんよりも上手くやった、本物そっくりの姉さんを作り出した。
よりリアリティを出すために、いつも傍にいるのではなく、会いたいときにも会えないように、会いたくないときにも会えるように、無意識に調節して。
僕より一つ上で同じ高校に通っていた姉さんの設定を、大学生に変えた。その方が都合が良かったから。
僕の妄想はほぼ完璧だった。僕が狂っていた時ですら本来の姉さんしていそうな行動をとっていたのだ。我ながら呆れてしまう。
だけど僕の妄想はある一点において完全に失敗していた。

偽物の姉さんは僕によく触れてくる。

これは本来の姉さんもそうだった為なのだが、僕はそのたびに苦い感情を覚えていた。
当たり前だ。僕の作り出した姉さんでは、甘い匂いも、その体の柔らかさも、生を実感させる鼓動も感じる事が出来なかったのだから。
いくら僕が自身の記憶を改竄できるといっても、幽霊のように触れ合う事の出来ない姉さんが何度も何度も僕に触れようとしてくるのだ、苛立ちを感じて当然だった。僕は姉さんを上手に再現しすぎた。
あるいは、本当に最後まで狂ってしまえば、嗅覚も、触覚も誤魔化せたのかもしれない。
だけど、それは不可能だった、それだけは出来なかった。そこまで完璧な妄想を作り上げてしまったら、本物の姉さんに対しての取り返しのつかない冒涜になってしまうから。

愛しているから、紛い物を生み出して自分を慰める、だけど愛しているからこそ紛い物が完全になる事なんてありえない。
だから、僕も母さんも完全に狂う事が出来なかった。満たされないことがわかっていても、地獄のような世界で生き続けるのだ。

この白い空間の事を思う。ここではずっとサクラが傍にいた。ジンの言っていた事だって、気付いていないフリをしていた。
サクラは姉さんの魂を武器に変えたものなんだろう。だからサクラを持つとあんなにも安心できたんだ。ずっと欲しかったものは、こんなにも僕の身近にいた。ジンが呆れるわけだ。
あいつは僕がサクラを欲しいと言った時に、姉さんと刀のどっちが欲しいか僕に聞いてたじゃないか。どれだけ親切な奴なんだ。なのに僕はそんな事にも気付かなかった。
現実で、一人二役をして姉さんの真似事を続ける僕はさぞかし滑稽だったろう。笑われて当然だった。

僕の願いなんて決まっている。本当の姉さんにまた会いたい。それだけだったのに。

やっと、思い出した。
こんなにも時間を掛けて。
僕が臆病で、弱虫だったから。現実から逃げ続けていたから。
逃げ場をなくしてもらって。ようやくその事に気付いたんだ。

「うあああああああっ! あああああああああっ!」

気が付くと僕は泣き出していた。子供のように、大声で泣きじゃくった。

家族としてなら、耐えられたのかもしれない。でも、僕と姉さんは恋人だったんだ。
一度に二つの愛情を失った僕は辛い現実に耐えることが出来なかった。
だから、姉さんの死の事実を捻じ曲げ、改竄した。偽物の姉さんを作って自分を慰めようとした。
だけど、偽物の姉さんにかつての愛情を向けることが出来なかった。
僕の作った姉さんは完璧だった、僕の気持ちすら無視して、かつての姉さんと同じように振舞おうとした。でも僕はそんな姉さんに触れられるたびに傷ついていった。

本物の姉さんを冒涜していると心の奥底では気付いていたのだろう。

やがて偽物の姉さんもそんな僕の様子に気付いて、恋人だった頃以前の態度を取るようになった。
どこまでも本物に近い、究極の偽物。だから僕も自分を騙せた。地獄にいるような苦痛を感じながら、生きていくことが出来た。
本心では死にたがっていたのに。生物としての自己防衛機能が働いたのだ。
ここでの姉さんに違和感を感じたのは、僕が誤魔化していた触感と匂いもあったからだ。
そんな偽物を、僕自身が許せなかった。許せるはずがなかった。だからこの姉さん――僕の深層意識は、徐々に僕の心の奥に引っ掛かっていた部分を話し始めたんだ。

「ううっ……ひぐっ……」

いつの間にか目の前の姉さんの姿はぼやけ、黒いスライムに姿を変えていた。
理解したのなら、もう元には戻らない。僕の妄想だった姉さんは、形を失ってしまった。
僕の敵へと、形を変えた。

「…………っ」

自分を誤魔化していた分を、溜め込んでいた負の感情を全て吐き出すために僕は泣いた。泣きまくった。

姉さんが死んだという事実をようやく認めて。

体中の水分が全て抜け落ちてしまう程そうしていると、激流のように激しかった感情はしだいに落ち着き、僕は冷静さを取り戻し始めた。

本当の願いを理解してしまったから。そしてそれを叶える手段も見つかったから。

「……」

深呼吸をする。
全ての感情を吐き出した僕はサクラをそっと抱きしめてから、両手で構え直す。

「……サクラ――いや、桜」

思いを込めて、本当の姉さん。桜の名前を呼ぶ。最愛の人は、ずっと僕と一緒に戦ってくれていたのだ。
桜は喋る事が出来ないけど、嬉しそうに震えた気がした。
目の前の黒いスライムを見る。恐らく、僕の思考を読み取って別人に化ける魔物なんだろう。今も攻撃をしてこない所から判断すると、悪意のない生物なのかもしれない。
だけど、僕は殺す。
自分の願いを叶えるために、僕は前へと進む。

「ありがとう」

感謝を込めて桜を振るう。無抵抗にその一撃を受けたスライムは、水風船が破裂するように弾けて消えた。



◇ ◇ ◇



意識が覚醒していく。
手に触れるのは柔らかいシーツの感触。僕は体を起こして周囲を見渡す。

「クリアおめでとう」

すぐ傍に、ジンが立っていた。

「ジン……」
「さっさと自殺するかと思ったんだがな。桜に助けられたか」

その通りだった。桜がいなければ真実にたどり着く事もなくゲームは終了していただろう。

「僕は、天使になったんだよな? 姉さんを蘇らせるにはどうすればいい?」
「定義的にはそうだけど、まだお前は絶対死なない人間程度の力しか持っていない、見習い天使ってとこか。力を強くするには永い時を生きればいいだけだ」
「……どれくらいだ」
「人間の数えられる最大の単位を超えてからようやく始まりだな」

お前そんなに生きてたのかよ。

「出来るだけ早く会いたいんだ」
「わがままな奴だなー。ま、俺が叶えてやってもいいんだが……わかってるな?」
「ああ」
「じゃあ、ゲームをしよう」

こいつは本当にゲームが好きだな。だけど今の僕にはありがたい話だった。

「お前がクリアしたゲームな、初心者だと思って難易度を最低にしてたんだよ、つまりイージーモードだ。今度はノーマルモードをプレイしてもらいたい」
「あれでイージーかよ」
「人間にクリアできる程度の難易度だったしな」

つまりノーマルは人間にはクリアできないのか。

「じゃあルールの説明をするぞ。」

ジンは最初に出会った時と同じように、ニヤニヤしながら僕に説明を始めた。

「ルールは簡単だ、ゲームスタートとともに敵が表れる、お前は主人公を操作して出てきた敵全てを殺せばいい、単純だろ?」
「それ嘘だろ」
「難易度は高いが、何度でもやり直す事が出来る」
「死ぬけどね」
「舞台はこの世界に変更だ、お前はこの世界のどこかに出現した敵を見つけ出して殺せ」

無茶苦茶だ。イージーとノーマルには超えられない壁があるのか。
ジンは桜を呼び出して、僕に渡してくる。

「この刀はお前に必要なモノだ、そしてお前にとって一番大切なモノでもある」
「……うん」

桜。
愛する姉さん。
ゲームをクリアして、必ず蘇らせてみせる。

「敵の数は、えーと、30兆8125億5314万4485体だ、頑張れよ」

うわぁ。
うわぁ。






「それじゃあ、ゲームスタートっ!」









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